1 :
まやび ◆vuNW8zNsbc :
03/01/26 01:08 クレーム氏の伝えているマイトレーヤ情報に信を多少ともお持ちの方に質問です。 マイトレーヤ・スレでも、2chでこのような議論はよくないという意見が ありましたが、意図せずともマイトレーヤやクレーム氏に関するスレが自然 と立ってくることは将来、充分考えられると思います。 どのようなスタンスでお互い話し合い、または正しくマイトレーヤの情報を 伝えることに関連して、ここ2chで私たちができることは何でしょうか? マターリ、sage進行で話し合いましょう。
2 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 01:15
上裕史宏\マイトレーヤ
どうしましょうか? というか、ここで私もこうしてカキコしていますが、 そもそも2chでこの情報を書くことで、どのくらいの人が この情報に興味を持ってくれているのでしょう?
5 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 01:21
56億7千万テラアーデルハイド。
6 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 01:26
400年後です。 まだ、人類は、準備ができてません。
7 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 01:36
全滅する準備はできていますので はやくこい
8 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 01:49
いきなり、マイトレーヤ(救世主)なんていう触れ込みでスタートするから叩かれるんじゃないですか。 クレーム氏の本は随分昔に読んだことありますが、まあ、正統派の神智学の流れを汲んでいるようですね。 神智学について、というかたちでスレッドを立てて、その中にクレーム氏のような主張をしている人もいる、 という触れ込みで情報を提供していくほうが利口なやり方だとは思います。 ただ、この宗教板にはニューエイジを目の仇にしているようなキリスト教者が数名生息しているようなので いずれにしても荒れるのは避けられないでしょうが・・・。
9 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 01:53
薄っぺらのベンジャミンが、正統派の神智学? No です。
10 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 02:00
神智学からもNoされたようです(w
11 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 02:07
>>1 は集会の宣伝の為に類似スレを次々と立てています。
皆さんお気を付けて。
>>7 >神智学について、というかたちでスレッドを立てて、その中にクレーム氏のような主張をしている
>人もいる、 という触れ込みで情報を提供していくほうが利口なやり方だとは思います。
なるほど。ただ神智学自体も危険視する人もいるし、精神世界やニューエイジ関連でもクレーム氏の
情報に反対する人はいるでしょう。
うーむ。マイトレーヤを直接出すよりはマシかな。
神智学重視なら、哲学板の方が受けがよさそうですね。
けれども、ネットに限らずクレーム氏は、一般社会に向けてマイトレーヤの情報を
提供し続けてますよね。クリスチャンのファンダメンタリストがどんなにひどい言葉
を浴びせようと、ニューエイジオタクがおかしな反応をしようと、マイトレーヤに
関する情報を伝えることに関しては、講演という形で実に辛抱強くやってます。
もちろん私たちはクレーム氏のようにはできないのだけれども、
もし、2chのようなメディアが現実の社会のような反映であるとしたら、
ある意味堂々とスレ立ててもいいのかなという解釈も成り立つかなとも思うのです。
その時私たちがネットでこの情報をフォローしたり、書き込んだりすることの危険性は
何なのだろうか?
>その時私たちがネットでこの情報をフォローしたり、書き込んだりすることの危険性は 何なのだろうか? こういうことを考えるから、お前にはまだ奉仕は無理なんだな。 >クリスチャンのファンダメンタリストがどんなにひどい言葉 を浴びせようと、ニューエイジオタクがおかしな反応をしようと、マイトレーヤに 関する情報を伝えることに関しては、講演という形で実に辛抱強くやってます だから、お前も、批判されても、荒らされても、自分の信じたことを言えばいいだけ。 逃げたり、言い分けしたり、勿体付けたり、結果を考えたり、 何やってんのかね? 自分が気持ち良く喋りたい、ってそればっかりのような気がするね。 奉仕ってさ、目立たない、エゴが満足できない、便所掃除のようなことを 最初にやるもんだよ。 お前は奉仕の悪い例の見本だね。 見本市
あ、しつこい荒らしは無視でお願いします。 うぐいす、もといシャルマさん。 いいかげんにしないと、ラジニーシの方の評判を落とすことになりますよ。
15 :
リアルタイム :03/01/26 03:45
シャルマ。やっとみつけたぞ。 オメー、774のスレで粘着やってたのかよ。 ヘタレのオマエにとっちゃそれで精一杯だよな。 儂の前から姿を消してか。 差に野心のツラ汚しに成る前に、自分の古巣へ返れや。 テメエの校門で奉仕でもしてろや ヴォケが。
16 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 04:08
カルトがカルトに噛みついてるのか? しつこいカルト度ではラジニーシの方が上だな W)
17 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 04:14
どっちもどっちだな。 内容で比較するならクレームの方が上でしょ。 ラジニーシの時代はもうとっくに終わってるよ
19 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 04:20
シャルマくん 悟りオタの悪い例の見本として頑張ってくれ あなたを目撃した人はこう思うでしょう 『悟りを得ようなどと目論むのは止めよう』と
20 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 04:29
なんかこの手の話題をしきりたいようだけどまやび君には荷が重すぎると思われ。
前スレでも煽りにすぐに反応して場を崩すようなことがたびたび見受けられたし、
★神智学的世界観-ブラバッキー、Aベイリー,Bクレーム
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1043216122/l50 この↑スレでも自分の体験を語ると言いつつシェア誌を読んでいる人にばれる
からやめると即撤回。
まず、君がしっかり「信」を持つ努力をした方がいいと思われ。
それにここで伝えるスタンスなんて特別何かルールが必要とは思わないね。
2chのルールに従えば十分でしょう。
21 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 04:39
それにしてもマイトレーヤのグループには元ラジが多いよね。 >ラジニーシの時代はもうとっくに終わってるよ バカ言っちゃいけない。書店の精神世界コーナーへ行けばラジニーシ=オショー コーナーが席捲してるよ。 衰えるどころか年々勢いを増しているようにさえ思えるよ(w ぱっと見で、シュタイナー>オショー>クリシュナムルティ>>>クレーム、かな。
>うぐいす、もといシャルマさん。 いいかげんにしないと、ラジニーシの方の評判を落とすことになりますよ。 え、ラジニーシの評判、そんなもん気にしてないよ。そんなことを気にしてんのは お前の方だろう。 いい加減にしないと、って何ですかそれ? スレを立てるのも自由、書き込むのも自由。 また、自己防衛ですか?しかも、今度は下品な脅し文句? そんなことしてたら、さぞ、あんたのマイトレーヤー様の 評判が落ちるでしょうね。
23 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 05:01
時代は精神世界コーナーですか
>あなたを目撃した人はこう思うでしょう 『悟りを得ようなどと目論むのは止めよう』と お前が他人の目が気になるからって、こっちもそうだと思うなよ。 お前は最低のタコだな。 誰が何を思おうが、そんなものに実体はないんだよ。
25 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 05:06
>>22 下品さではあなた様がうえです
自由に
不自由に
かたろう
26 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 05:25
まやび、お前の場合は薄汚くはないんだが、誠実さが欠けるんだよ。 誠実さが、俺は、薄汚い言葉を吐くが、 自分の意見は言ったぞ、つまり、スジは通した。 お前が、質問があればどうぞ、と言ったから、俺が質問した。 お前はそれにまだ答えていない。分かるか? 匿名だろうが、2ちゃんねる、だろうが、精神階層で、ちゃんと 出会っているんだぞ、それを了解してますか? お互い誠実に、意見を言い合ったらいい。それだけじゃないか。 ラジニーシも鯵ニー師もヘッタクレもあるか、馬鹿らしい。 マイトレーヤーもMYトレーラーもオモチャじゃねーか。 自分の言ったことの責任を取れよ、責任を。 分かったか?
って、やったところで、うぐいすの人格を忘れてしまってた。 地が出ちゃった。これ、自我でちゃった、かな?痔も出たか?なんて。
Re.まやび ◆vuNW8zNsbc 様へ
まやびさんの真摯な問いかけを見て、再び投稿しました。
ご無沙汰しておりましたが、舞都です。
>>12 :まやび ◆vuNW8zNsbc :03/01/26 02:31
>もちろん私たちはクレーム氏のようにはできないのだけれども、
>もし、2chのようなメディアが現実の社会のような反映であるとしたら、
>ある意味堂々とスレ立ててもいいのかなという解釈も成り立つかなとも思うのです。
>
>その時私たちがネットでこの情報をフォローしたり、
>書き込んだりすることの危険性は何なのだろうか?
>
おっしゃることの意味は理解します。
個人でネット活動したり、2CHという媒体を使うことも別に禁止されてはいませんが、
しかし、あまりにも難しいことです・・・。
>>898 :まやび ◆nclHfBhYVI :03/01/24 12:48
>元々このスレは、この情報を知っている人が意図的に立てられたものではなく、
>あまりに勝手な情報ばかり書かれていたので、この情報を知っている方々が
>介入してきたと言う経緯を持っています。
>それが正しいことかどうかは私には判断できません。
>
私個人の考え方としては、
相手の投稿内容によっては、それに応えてあげられる場合には、
それは良いのではないかというものです。
疑問については、答えられる範囲で教えてあげたり、
明らかな誤解については、明快に釈明しても然るべきではないかというものなのです。
何でもだまって黙すことが最善とはいえないのではないかと、私は思います。
これは、批判には黙って堪える忍耐うんぬんとか、オカルト的沈黙の力とかいうことではなく、
常識に沿った範疇で、誤解に対しては堂々とそれを述べれば良いであろうし、
教えてあげる場合には、遠慮なくそうしてあげて良いであろうということです。
内容にもより、これはケース・バイ・ケースでしょうが・・・。
続き..
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1031418660/l50 >>894 :名無しさん@3周年 :03/01/24 00:27
>ここももうすぐ終わりですが、別の掲示板でひっそりとやったほうがいいと思いますよ。
>2chの、しかも宗教板にこういうスレをつくることは無謀というべきです。
>
スレを立てる目的とその意図が明確でないとならないでしょう・・・。
支持者や学徒、奉仕参加者同志の対話ならば、
894 :名無しさんのご指摘のように、邪魔の入る心配の少ないところ、
つまり、支持者によって管理運営されている個人サイトの掲示板がそれには向いていると思います。
その個人掲示板の存在が、全国の支持者や学徒たちに知られていないという問題に対しては、
残念ながら地道に知らせて、呼びかけていくしかないだろうと思います。
例えば2ch掲示板でも、それを知らせる(笑)。
しかし、2ch掲示板の中で自らスレを立てて、
支持者や学徒同志の対話を見て貰おうとしたり、クレーム氏の情報について知らせていこう、
という広報活動の場所として、自ら身構えることは相当に無理があるかもしれません。
多くの人々の目に触れる機会としては2chは強力であるかもしれませんが、
ただ、ここ2chの趣旨そのもの自体が、「おもしろければ、それでいい・・・」という発想で創られ、
利用者たちの価値もそれしか置かれていないということです。
今のところの私の意見としては、
アクセス数の大きい、他にもっと健全な掲示板(笑)を見つけるか、
或いは、自分でそういう掲示板を地道に作り上げるしかないように思っています。
取りあえずこれは、一つの意見として見て下さい。
では、また。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1031418660/l50 >>889 :しもべ :03/01/23 23:50
>愚者は果て無く口論の技を競い、賢者は無益な議論を避ける。
>
時々投稿される、しもべさんの言葉は意味深く、私にも、とても勉強になっています。
無益な議論や口論は確かにあります。
私も自戒したいところですが、しかしなかなかできない。
これは私が以前から感じていることなのですが、
グループ活動を前提にした場合のワーカー同志間の対話、
そのあまりの無さ(少なさ)というのがあります。
奉仕におしゃべりは不要、時間の浪費・・・といったことについては、もちろん理解しますが、
グループ活動とは当然、人間関係(対人関係)でもあるので、
それ自体は、もちろん奉仕ではありませんが、
これはやはり常識的な範疇において、まずはお互い同志の対話は必要不可欠であると思います。
ネットが使われること自体については、私は特に反対はありません。
これもコミュニケーションの手段の一つと見ることができるでしょう。
個人対個人の対話はメールを使えば良いし、
敢えて公開する対話内容は掲示板利用となるでしょう。
続き.. >世界中の「インターネット」で多くの無益な言葉が語られている。 >その大半は無益なだけでなく、積極的に有害である。 >ハイアラキーはこの技術の功罪を見通しており、懸念を抱きつつ見守っている。 > かなり以前から、クレーム氏のネットに対する批判的な見解については存じています。 がしかし、ある部分においては全くその通りであるとは思いますが、 全てが無益であったり、有害であるということでもないと思います。 ただ、それでは+プラス−マイナスで、全体としては一体どうなのか? ということについては、もちろんこの私などには判断できません・・・。 自分自身がPCを購入して、ネットを接続してみて初めて、 なるほど・・・こんな有害情報?(笑)が氾濫していたのか、などと知って、 その意味をある程度は理解しましたが・・・。 しかしながら、例えば私が現在行っている観測研究などは、 これらのインターネットの通信手段がもしなければ、到底、今のようでは有り得えません。 私にとっては、欠くに欠かせられない存在なのです。 これ無しの研究の進歩などは、まず殆ど考えがたいほどです。 これも技術であり、道具なのですから、 つまるところは使い方の如何であると思います。 インターネット存在自体の消滅を望むということにでもなれば、 これはシェア・ジャパンなども、当然、その媒体たるネットを利用したサイト活動なども、 自ら破棄しなければならなくなります。 これは、しもべさんと議論する意図などは全くありません。 ただ、ネット存在の恩恵に浸って暮らしている研究者もいるということで・・・。 これがないと私などは本当に困ってしまい、明日から途方に暮れてしまう(笑)。
>
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1043216122/l50 >91 :447(まやび) ◆kCEObObFT2 :03/01/25 23:33
> まずは、クレーム氏の伝えている情報に信を多少ともお持ちの方に質問です。
> このスレは、私が意図的に作りましたが、ここは神智学に関心を持つ方、弟子道として真
>我実現に真剣に取り組んでいる方、または取り組もうとされている方を対象に、クレーム氏
>の書籍や、ブラバッキー、アグニヨガ、アリスAベイリーの書籍を中心にして語り合いたいと
>考えています。
> ただ内容として、ここで書き込むのにふさわしい情報かどうかということと、ここでこのよう
>なことを話し合うことが適切であるかどうかについて、皆さんの意見をお聞きしたいのです。
> マイトレーヤ・スレでも、2chでこのような議論はよくないという意見がありましたが、意図せ
>ずともマイトレーヤやクレーム氏に関するスレが自然と立ってくることは将来、充分考えられ
>ることです。
> どのようなスタンスでお互い話し合い、または正しくマイトレーヤの情報を伝えることに関連
>して、ここ2chで私たちができることは何でしょうか?
>
私も似たようなことを考えたりする一人ですから、
まやびさんの気持ちは分かるつもりです。
このような場所も奉仕の場とはならないのだろうか?と、
試行錯誤して考えること自体に私は意味があると思う。
ただ単に、自らの知識や理解の凄さを知らしめたくて投稿する人や、
相手よりも自分のほうが遙かに優れていることを示したい人の投稿などよりも、
それ自体、ずーと価値がある。
>ただ単に、自らの知識や理解の凄さを知らしめたくて投稿する人や、 相手よりも自分のほうが遙かに優れていることを示したい人の投稿などよりも、 えー、これって、もしかして、わたしへの、アテツケでやんすか〜、 キビシー!@、そんなにキツイこと言わなくても、いいじゃないですか? わたしの、エゴって、そんなに醜かったかしら〜、うーん。 舞都しゃーん、わたし、ぐさっと、来ました。傷を負いました。 癒してよー、
>>18 >この↑スレでも自分の体験を語ると言いつつシェア誌を読んでいる人にばれる
>からやめると即撤回。
>まず、君がしっかり「信」を持つ努力をした方がいいと思われ。
ええ、軽率でした。あのスレを立てたのもその中身も私の責任です。
あのスレ、それからこのスレも皆の認識が一致したところで近々削除依頼出します
舞都さんお久しぶりです。
>明らかな誤解については、明快に釈明しても然るべきではないかというものなのです。
>何でもだまって黙すことが最善とはいえないのではないかと、私は思います。
おっしゃるとおりですね。ただ釈明して納得できる相手ではない場合、
大変なお付き合いを強いられることにもなるのでそのあたりをどう考えるかだと思います。
私は体調が悪かったこともあって、書き込みできませんでした。元はと言えば深夜の
書き込みが祟ったわけです。つまりきちんとした応答をするには私独りでは荷が重いとつく
づく感じました。
元々★神智学的世界観-ブラバッキー、Aベイリー,Bクレーム のスレは
クリシュナムルティ・禅・ヴィパッサナー実践スレ から派生させました。
このスレに私がクリシュナムルティとグルジェフの進化段階と光線構造を書いたところ、
反応が大きく、スレの主旨からはずれるので、★神智学的世界観-ブラバッキー、Aベイリー,Bクレーム のスレを
立てて、反応する方達を誘導するのが意図だったものです。ですので、私も本腰では
なかったことを告白します。その意味ではシャルマさん(うぐいすさん・428さん)には失礼を
したことになりますね。
ごめんなさい。シャルマさん。ここでお詫び申し上げます。
シャルマさん(うぐいすさん・428さん)の問いは、 「私が知りたいのは、元ラジの君の頭の構造。 そして、君と対話した時に、何が醸し出されるか?ってことに私は興味があるね。」 と言うことでしたが、残念ながら対話相手としての私は成立しませんでした。 正直に言いますとあなたとはあまり対話をしたくはなかったのです。どうもすいません。 で、ネット上でのこの情報の扱いについてなのですが、 やはり、クレーム氏が何を言っているかを基本にした方がよさそうですね。 私が聞いた話では、クレーム氏は 「実際に人に会ってこの情報を伝えるよりは、ネットを使って広報することを好む傾向がある」 と指摘していたことも思い出します。とくに匿名で何でも書けるようなここでは現実の世界 で行っている広報活動のハケ口みたいな構造があるのではないかなと、私自身を見て思います。 そして、自問します。「それは正しいことなのだろうか」と。 どう思いますか。
>クレーム氏は >「実際に人に会ってこの情報を伝えるよりは、ネットを使って広報する >ことを好む傾向がある」と指摘していたことも思い出します。 >とくに匿名で何でも書けるようなここでは現実の世界 >で行っている広報活動のハケ口みたいな構造があるの >ではないかなと、私自身を見て思います。 >そして、自問します。「それは正しいことなのだろうか」と。 >どう思いますか。 あなた自身がそうお認めになっている時点で、すでに答えは出ている のではないですか。
まやび やっと自分に向き直ってくれたようですが、まだ、誠実さが足りないのでは? わたしが質問したのは、 >私が知りたいのは、元ラジの君の頭の構造。 そして、君と対話した時に、何が醸し出されるか? こんなことだけではないでしょ。 もっと広範囲にいろんな質問をした。
例えば、 1、マイトレーヤーが現われる、っていうけれど、それは、方便のような ものであって、マイトレーヤーは、内側に、知恵として顕われるのではないか? それは本来の救いではないか? 1、神が、マイトレーヤーの出現、のようなものを望んでいるとは思えないが、 もし、百歩譲って、そうだとしたら、何故、過去にすでに現れていないのか? 何を、躊躇っているのか?その理由は? 1、キリストの話に喩えて、救世主が現われる、と言いながら、それが現われない、 という方が、より、美しくはないか、本当ではないのか? 1、何を信じるか、それは本人の勝手ではあるが、自分の、信、なんてものを 押し出す以上、また、質問はどうぞ、なんてやっている以上、どうして、何を根拠に あなたはそれを信じるのか?という質問はされる筈。 等々、細かいことは忘れたが、こうような、マジなことをわたしは質問をわたしはしたと 思う。質問が出てくる背景も説明した。 何も、答えないで、こちらのアラばかり探して、批判や自己防衛に回ったのは君の ほうなんだよ、これについては何の釈明もない。批判されて当然でしょう?
>おっしゃるとおりですね。ただ釈明して納得できる相手ではない場合、 大変なお付き合いを強いられることにもなるのでそのあたりをどう考えるかだと思います。 先回りして考えてばかり居て、何が奉仕でしょう? また、そう思うなら、最初から何もしなけらばいい。 >私は体調が悪かったこともあって こんなものは、世間では単なる言い訳に過ぎない。 甘えの構造は、ラジ・カルト連中と一緒。 わたしに質問されて、答えなかったのは、答え出したら、反論されてボロが 出て、しかも、自分の信念、信条、信仰、が揺らぐのを、恐れたからではないのか?
大体さ、マイトレーヤー云々、なんて、わたしが餓鬼の頃、20代の前半 だったら、80年だいの前半から、出現するするって言っていた記憶が ある。例えば、西荻の某書店なんかに張り紙があった。 で、20年も、同じこと言っている。 出てこないじゃない。また、出てこない、で正解。 方便なんだから。そう正直に言った方が現代では有効だと思う。 でも、未だに馬鹿みたいに、出てくる出てくる お出ましになる、メディアに出てきてテレパシーで・・・って そんなの、何言ってんだよ、って言われて当然。
そいった、当たり前のこと、が、当たり前に解らない、 ようだから、元ラジのお前の頭の構造を知りたい、と言った。 話せば、何かの合意点が得られるかもしれない、 やっぱりな、と思うかもしれない。それが醸されるもの、 とわたしが呼んだもの。
で、結局、君は何も発言せずに、夜逃げでもするように、 多分、このまま逃げ出すんだろう。 身内からも批判され、また、擁護され、逃げる体勢は整いましたから。 で、やっぱりな、とわたしは思うし、 そう思う輩も多かろう。
そう、そして、わたしはこんなことも言った。 精神世界では、 わたしの不在に事が集約されるのであって、 外側の救世主云々に集約されるのではない、と。 身体論でも、カルマでも、同じ、と丁寧に説明も加えた。 ところが、これについても何も言わない。 それから、オウムを始めとするカルト事件、 馬場さまの暴露話、 みんなもう、飽き飽きしている、奇跡、救世主、等々。 嬢友師すら、マイトレーヤーなんだから、こんな 話は呆れるだけ。
45 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 16:36
精神世界=脳内妄想。 わたしの不在も妄想。
>45 わたしの不在って、空っぽってこと。 妄想ってもの自体、何かに依ってしか存在できない。 あれやこれ、マイトレーヤー、教義、師、 現象世界、これは妄想と言ってもいいけれど、 どうやって、空っぽ、を妄想できる? 空っぽ、わたしの不在は事実。 そして、肝心なことは、自分が自分に落ち着けるってこと。 他人が何を言おうが変わりなし。 無常、無我、これは、単に言葉だね、 こう言ったら、外れ。妄想。 でも、事実は事実なんだ。
妄想って、思考、イメージだね、それは形や抽象的思考あるいは、感情 それをこの現象世界に投影できます。 しかし、なんであれ、ネガティブなもの、 無我、無常、空、これはどうやって妄想できますか? 空を喩え、投影したとしても、 投影がないのと、どんな違いがあるでしょう? 妄想の元、これが、<わたし> これに決着をつければいい。 キリスト者なんかには、これが理解に苦しむところかもね。 神を外側に認めたら、自己を認めざるをえない。 この二元対立が残る。 エゴをなくそう、なくそう、としても、 この努力自体が、わたし、を結局強化してしまう、 というようなことは起きます。
48 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 17:27
>>46 空っぽは存在しません
だから妄想
空っぽは妄想できません
だから存在しません
>空っぽは存在しません だから妄想 空っぽは妄想できません だから存在しません だから、これも妄想でしょ! 何であれ、言葉にしたら、 それは思考であり、実体はない。 わたしのも、妄想、 で、当然、あなたのも、妄想。 違いますか? 君は、無意味な議論を吹っかけている。 おそらく、君は、ラーメン禅だの、しつこく五月蝿いアボウだろ。 逝ってくれ!頼むから。
50 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 18:49
>>49 そう、それも妄想
無意味な議論をふっかけられていると思うことも妄想
非実体として排除するとこうなる
51 :
名無しさん@3周年 :03/01/26 19:06
態度でかいぞ、信者。 そんなくだらんもん見るわけねえだろ。
>51、 そこまで暇じゃないよ、 みやびが質問に答える、といったんだから、 答えるのが、筋だ。 それに、大した量ないし、難しい質問でもない。 荒らしでもない、 何で答えないのか?
uもといシャルマさん。質問がこんなにあったのですね。おやおや
どうもあなたの文章は質問なのか感想なのか、あなたの結論なのかわからない
ところがありますね。
>>51 私が説明しましょう。ただシェアのサイトや書籍を読んでいただくのが
正しい情報であり、ここで私が説明する情報の正確さを保証するものではありません。
誰か私の足りないところはフォローしてもらえると助かります。
自分の蒔いた種ですがすいません。
>1、マイトレーヤーが現われる、っていうけれど、それは、方便のような
>ものであって、マイトレーヤーは、内側に、知恵として顕われるのではないか?
>それは本来の救いではないか?
クレーム氏によればそれは方便ではなく、物質界、情緒界、メンタル界、あらゆる
レベルで人々は実感するそうです。内側に智恵として現れるのみでなく、
人類の抱える様々な問題に対する具体的なアドバイスも携えてこられ、それによって
人類は人類自身の問題を自ら解決して行けるようになる。ということです。
つまり、教師として戻られるということです。世界教師です。
人類を救うのは人類自身であり、世界教師(キリスト)は人類を導くためにやって
こられます。
>1、神が、マイトレーヤーの出現、のようなものを望んでいるとは思えないが、 >もし、百歩譲って、そうだとしたら、何故、過去にすでに現れていないのか? >何を、躊躇っているのか?その理由は? マイトレーヤの再臨は、宇宙的な時間周期であるこの太陽系が、横道12宮、 今はパイシスの時代と、アクエリアスのちょうど中間にありますが、約2000年 の時間の間のキリストとして顕現します。一つのエージにキリスト(ここでの キリストは役職のこと)が存在します。 マイトレーヤの出現の仕方は、古来、弟子の肉体をオーバーシャドーという方法 で実現してきました。 ラマ、ミスラ、ヴィアサ、クリシュナ、イエス・キリスト 等々がそうです。 マイトレーヤがオーバーシャドーできる弟子の進化段階は2.5以上だそうです。 つまり、過去様々な形で弟子を通して出現していました。 >1、キリストの話に喩えて、救世主が現われる、と言いながら、それが現われない、 >という方が、より、美しくはないか、本当ではないのか? シュタイナーはそう考えていたようです。 しかし、神智学教会はKを世界教師の器としました。のちにKは星の教団の解散宣言 を出しますが、このときマイトレーヤは計画を変更し、1945年、自ら戻ることを決心 されたそうです。それは人々の神を求める声、平和への願いを聞かれたから、だそうです。
>1、何を信じるか、それは本人の勝手ではあるが、自分の、信、なんてものを >押し出す以上、また、質問はどうぞ、なんてやっている以上、どうして、何を根拠に >あなたはそれを信じるのか?という質問はされる筈。 一言でいうなら直感です。この話は信じがたい。自分もここまで関わるとは思っていません でした。私自身不思議です。で、何故信じるかですが。それに満足のいく形で応えるのは できません。 根拠はありません。頭で判断できるレベルのことではなく、 ウーン強いて言えばハートでしょうか。 とりあえずこんなところですかね。
まやびの肩持つわけじゃねぇーが >何で答えないのか? 何で答えてくれるように聞き方を工夫しないのか?? 答えて欲しいんだろ? 相手を会話に載せて聞き出したいところをさりげなく聞き出す。 もっとも相手をやっつけたいのが本音だと直ぐ見破られるがな。
補足。 私がこのマイトレーヤがもうすぐ戻ってくるという話をする時は、 クレーム氏はこう言っている。こういう情報をあなたに提供します。 というスタンスでやっています。 私の場合は拠り所はハートの直感しかないので、そこに信を置いて話すわけです。 決して私が信じているものを押しつけてはいません。 というか、そんなことは勿論できません。
>しかし、神智学教会はKを世界教師の器としました。のちにKは星の教団の解散宣言 >を出しますが、このときマイトレーヤは計画を変更し、1945年、自ら戻ることを決心 >されたそうです。 Kによる教団の解散を受け入れられない、ただの御都合主義。 >私の場合は拠り所はハートの直感しかないので、そこに信を置いて話すわけです。 ただの盲信だね。
ふむ、大体は過去に読んでいて知っていた。 ま、悪い事ではない罠、あれ、最後のわな、が罠に変換、これが何かを意味している。 ただ、わたしは、もう一つの質問をしたな、 それは、 「こころは全てを諦めなければならないので、最後は全て障害になる」 これはわたしの結論だが、これについてはどうかな? つまり、マイトレーヤーに肉体化、顕現、それは悪い話ではない。 実際、ま、わたしでも、そうなったらさぞかし良いであろう、 なーんて気持ちもあったりするが、 でも、それを、ある理解が起こる以前に信じたら、 こころに希望が残ってしまって、こころを諦めきれない=悟れない と、わたしは思うのだ。これはわたしの意見ですよ。 これについては、まやび、どう思う?
もう一つは、 こころを諦めてしまえば、逆に、マイトレーヤー様も何も要らない。 自分に落ち着く、無常でいい、むしろ無常だから、自由だ。 この点はどうかな? もう一つ、 これは救済思想と言えるが、何を救済すると、オタク達は言っているのかな?
シャルマって何者なのさ? まー、でもこれだけ食ってかかってくるんだから マイトレーヤの情報やクレーム氏の発言が よほど琴線を揺さぶるんだろうね。 信じたくないけど信じてしまう、、なんてね。 何かの拍子に回心して一番熱心な伝道者になるかも。 ま、好きな女の子に石をぶつけたくなる心理だな。
>「こころは全てを諦めなければならないので、最後は全て障害になる」 > これはわたしの結論だが、これについてはどうかな? えーと。これは「何かを信じることは結局のところ自己認識への障害ではないか?」 という質問と理解して良いでしょうか? 私は自己認識を目指しているのだろうか?うーん。意識的に目指していませんね。 意識的に悟りも求めてはいません。ただ、目の前のグラマー(錯覚)が見えるように、 それは、他者との関係の中であったり、まさにあなたとの関係で、私のグラマーを 2chにカキコするということを私はしたわけですが (これについては後でじっくり見てみたいと思います) とにかく私が意識的に置いていることは、自分自身のアストラル(ほとんどこれ)、 メンタル(メンタルはちょっと難しい)に対する間違った自己認識、執着に対して それを正直にみつめ、無執着な態度を培うといったことに力点を置いています。 それはこの仕事と関わることの奉仕の中で起こるということに、私はますます 確信を持つようになりました。悟りを求めているか?いいえ、求めていませんです。 >こころを諦めてしまえば、逆に、マイトレーヤー様も何も要らない。 >自分に落ち着く、無常でいい、むしろ無常だから、自由だ。 >この点はどうかな? 自由には方法や理由が必要でしょうか? 私は自由を求めているか? 少なくともあなたからの自由は求めているかもしれません。でもそれはできないようです。 でも私はその不自由さの中でもできることをやろうと思います。そうしたとき私は自由です。
>これは救済思想と言えるが、何を救済すると、オタク達は言っているのかな? クレーム氏の主張するマイトレーヤの話を多少とも受け入れている方は、 クレーム氏は、この話しを自分自身が信じられるレベルで、自分自身のハートから伝えて 欲しいとよく言っていることを知っています。講演会でも来た方にそう言っています。 というわけで、私はこの情報を伝えているだけです。誰も救済しません。 この情報を誰かに伝えることで誰かが救済される。とは思ってもみません。 この情報を聞いた方がどのように反応するか、どのように受け取るか、 それはその方が決めることであり、私はもちろんクレーム氏も決してその人の考えや 反応に干渉しません。
>少なくともあなたからの自由は求めているかもしれません。 気の小さいことを言うなよ、ラジ・カルで飽き足らず、他カルへ行った、 甘えた椰子ってことか、ま、正直でよろしい。 最初から、ちゃんと答えていれば、事無きに終わったものを、何を思ったか 申し開き、自己防御、出し惜しみ、などをするから混線するのだよ、君。 ま、解った。わたしが何を信じようが、それは本人の勝手、と言う時、 それは全部方便だからさ。何でも言い分け、魚の頭でもって言うでしょ。 もう、あんまり言うことはないけど、
>>62 二つの相反するものの間を激しく揺れ動く時、反対側にいると思われる相手に強く抵抗しようとする。
葛藤から自由になろうとして、葛藤の原因を外部に求めようとするようだ。
本当の原因が自分の中にある、対であると本当に解るまでそれは続くと思われ(藁)
>>しかし、神智学教会はKを世界教師の器としました。のちにKは星の教団の解散宣言 >>を出しますが、このときマイトレーヤは計画を変更し、1945年、自ら戻ることを決心 >>されたそうです。 >Kによる教団の解散を受け入れられない、ただの御都合主義。 私が思うのは、あのとき神智学協会で、世界教師が出現していたら、 その世界教師は神智学協会のものなっていたでしょう。 世界教師マイトレーヤは人類に属します。 クレーム氏によれば、マイトレーヤご自身が、「私を追いかけてはならない」と 言っているそうです。「私を追いかけるものは私を見失うであろう」とも。 そしてクレーム氏によればKの言葉はマイトレーヤの教えだそうです。 また、Kの生存中にずっとマイトレーヤがそばにおられたそうです。 >>私の場合は拠り所はハートの直感しかないので、そこに信を置いて話すわけです。 >ただの盲信だね。 判断は常に盲目だと思います。
3の法則 普通、人は能動と受動の2つの側面しか見ていない。 しかし、第3の立場がある。それは能動と受動の間の調和である。 ___G
>最初から、ちゃんと答えていれば、事無きに終わったものを、何を思ったか >申し開き、自己防御、出し惜しみ、などをするから混線するのだよ、君。 いや本当に。ここまで来るのに何故こんなに掛かったのか。 ラジ信者がどういうものか私自身よく知っているのでかな。 とにかくシャルマさんが怖かったですね。
ここまで、関わった以上、もう少し、言いたい放題言わせてもらうよ。 しかし、君個人は解放しましょう。 で、自由ですか?本当に、本当に、自由ですか? なんちゃって、ジョークです。 つまりね、こういうことだと思うんですよ。 ある魂の集団が、ある次元の理解に達する必要が芽生えた。そこで、神智学 マイトレーヤー、k、などに関わった人の集団が現れた。 人々は、マイトレーヤーに集中した、命懸けになった、そこで、kが出てきて そんなものはありません、解散、ってことで、ある理解に達することが 出来た人の集団があった。ああ、方便だった、これが最後の執着だった。 これこそ、ニーチェのロバ祭りだったのだ、ってね。 でも、それは納得できなかった人達も居た。また、それはそれで言い訳。 今度はその魂の集団の物語が始まっただけだから。それで異端と言われても 自分の信念に従った。
>>66 いいではないか。それが彼の学びかもしれない。誰もが自分の意見を述べることができる。
ただ、相手への思いやり、それは例え相手が何を信じていようと必要なことだと思う。
高邁な理想、深い信念それも相手への人間的な思いやりを欠くならば、なんと悲しいことだろう。
人間らしい人間へ、「悟り」などと言わず、本当に覚者なる存在はまず1000倍も人間らしいであろう。
つまり、まやびとシャルマはコインのウラとオモテってわけだ。
それが、ベンジャミンだか、ジャスミンだかの、集団。 別に良くも悪くも無い。そんなもん信じてイタイ奴、なんて、 言いたい奴に言わせておけばいいだけ。そんな椰子は何もしらないのだから。 君達は、それが君達の信仰なんだから、方便とは言わずに、踏み絵を踏むように 自己犠牲の精神で生きればいいだけ。活動すればいいだけ。 真剣にやれば、いつか、ある理解に達するかもしれない。しかし、信仰者は そんな先回りはするべきではない。信仰者は、そう、まやびが言うように 解放は求めない。それでいいんだよ、正解。 信者、献身者は、言う。 「わたしは、あなたの下僕です。永遠に、永遠に、そうであること望みます」 と。 しかし、最後に言っておこう。わたしには、君達のマイトレーヤーは見えまい。 喩え出てきても、分かるまい。だって、要らないんだから。 アーメン、禅、あぼーん また、遊ぼう!ね!
>その世界教師は神智学協会のものなっていたでしょう。 なるほど、マイトレーヤはシェアもしくはベンジャミンの所有物って事か。 >判断は常に盲目だと思います。 君の判断は常に盲目なのか、、、。可哀想な人だな。
>で、自由ですか?本当に、本当に、自由ですか? あまり自分が自由かどうかということを気にしてはいませんね。 自由が欲しいと思っていたら、こんなことやってないかも。 >でも、それは納得できなかった人達も居た。また、それはそれで言い訳。 >今度はその魂の集団の物語が始まっただけだから。それで異端と言われても >自分の信念に従った。 まあそういうことですね。 えーと。これはこちらの理解になるのでこちらの用語を使わせてもらいますが、 クレーム氏がこの仕事を始めたのはシェアのページのクレーム氏のバイオグラ フィーを見ても分かるように、覚者からの要請、つまり、ハイアラキー(魂の王国) の意志でもあるんです。クレーム氏自身がいやいや始めたと言ってます。 こういうことに信を置いてやるというのは意志が必要なんですね。ラジの頃と比べると 非常に大変です。批判の矢面に立ちながらも伝えないといけないし、その土台は、 ハートの信としか説明できないのですから。 自身を忘れる激しさと志向がなければ、やっていけない。そう感じます。 異端については、一般の方からみれば皆大差ないことになります。 オウムの事件以降、瞑想しているというだけで異端視する人もまだいますしね。
> なるほど、マイトレーヤはシェアもしくはベンジャミンの所有物って事か。 いいえ。違います。 クレーム氏によれば、マイトレーヤが公に知られるようになれば、違うグループ がマイトレーヤとともに働くようになり、それを知らせるグループ(つまりクレーム 氏のグループ)の仕事の成果を持っていくだろうと言っています。 そして私たちは忘れ去られるわけです。 それがハイラキーと一緒に仕事をすることなんでしょうね。
まやびとシャルマのコントはいつまで続くのか???
>君の判断は常に盲目なのか、、、。可哀想な人だな。 人々は盲目です。もちろん私もあなたもです。だから今危機的な状況を抱えています。 ハイアラキーの導きの必要を人々は無意識的にでも感じ初めているようです。 この話を聞くと「マイトレーヤは早く出てきて世界をなんとかしろ」 という反応が返ることが最近非常に多いです。 前スレでもよくそういう書き込みがありました。 人類の問題は人類が解決すべきです。マイトレーヤは行動しなさいと言ってます。 もし、あなたやわたしが「世界」であることを観るなら、なにをすべきか分かる はずです。いわゆるニューエイジグループは理想を思うだけでもう未来は明るいと 満足してしまう傾向があることをクレーム氏は指摘しています。 シェアインターナショナルのHPを見てもわかるとおり、世界の不正義、飢餓、貧困、 汚染について行動する方たちへのインタビューやニュースが載っているのは、行動を 鼓舞するためなのです。私たちは理想を現実にしなければなりません。 世界平和を理想ではなく現実にしないといけません。 そうでなければ人類に未来はないでしょう。いまや小学生にも理解できると思います。 そして、ハイアラキーからの援助は常に与えられることを確信しなさいと、 クレーム氏の師である覚者は言われます。
>人々は盲目です。もちろん私もあなたもです。 だってさ。 まやびはほんとに不誠実と言うか、愚鈍と言うか、なんと言うか、、、 こんなデリカシーのない奴が広報活動やってもたかが知れてるという気がする。
>人々は盲目です。 >そうでなければ人類に未来はないでしょう。いまや小学生にも理解できると思います。 君の書き込みは思いっきり矛盾してるんだが、、、。 危機感を煽って信じさせようと言うのはよくある手だな。
>人々は盲目です。 >そうでなければ人類に未来はないでしょう。いまや小学生にも理解できると思います。 君の書き込みは思いっきり矛盾してるんだが、、、。 そう? そうでもないと思いますが、平和はなければ未来はない。 そして私たちは盲目なので、皆平和を望んでいるのに戦争をするほど盲目だと思いますが 何か? >危機感を煽って信じさせようと言うのはよくある手だな。 よくある煽りですね。
>君の書き込みは思いっきり矛盾してるんだが、、、。 仕方ないさ。グラマーとやらにどっぷり浸かってるんだから。 あなたも、私も、人類全体も(w
ハンドル? こういうのでいいのか?
おや、自分がもう一人。 おもしろいですね。何を話します?
>そして私たちは盲目なので、皆平和を望んでいるのに戦争をするほど盲目だと思いますが ということは、 >人類の問題は人類が解決すべきです。マイトレーヤは行動しなさいと言ってます。 解決できないと言ってるのと同じだな。
>>86 ハイアラキーやハイアラキーの長であるマイトレーヤは人類の自由意志を決して
侵害しません。つまり、人類がその盲目によってお互いを滅ぼし合うか、
分かち合って新しいエージを築くかは、人類自身の手の内にあり、背後から見守る
ハイアラキーやマイトレーヤもその権利を侵害することは許されておりません。
つづく
まやびはもう語るのを辞めた方がいいと思うぜ。 だんだん、シャルマ化してきている。 これ以上語っても醜態をさらすだけにとどまるのがオチ。 醜態をさらすだけならまだいいのだが、、(後略
89 :
名無しさん@3周年 :03/01/27 00:35
>>87 そうですね。シャルマさんもいなくなったみたいだし。
さっきの続きで終わりとしましょう。
86のつづき
ですので、マイトレーヤやハイアラキーは人類に助言(世界の著名な方々にイ
ンスピレーションを与えるなど様々な方法)を通して道を示すのです。
今現在そうですが、公に現れるようになると直接助言が人類にもたらされる
ことになるようです。
マイトレーヤの助言を受け入れるかどうかは人類自身の選択に依っています。
マイトレーヤは言います。「私に道を示させてください」と。
そしてクレーム氏によればマイトレーヤは人類の選択をすでにご存じであり、
そして喜んでいるそうです。
今現在は世の中非常に暗いですが、夜明けはもうすぐです。
私はこの情報をお届けしました。あなたがどのように受け取っても構いません。
と、ここまでにしておきましょう。これで終わりです。
いろいろ質問があるだろうと思いますが、クレーム氏の書籍にそのような質問と
クレーム氏の答えがたくさん載っております。
また講演、東京の講演は5月10日に日比谷公開堂で無料で開催され、
質疑応答の時間もありますので聞く機会があります。
ではおやすみなさい。
>ですので、マイトレーヤやハイアラキーは人類に助言(世界の著名な方々にイ >ンスピレーションを与えるなど様々な方法)を通して道を示すのです。 あなたに何でそんなことがわかるの? そういう言い方をするからダメなんだよ。 受け売りではなく、自分の体験を自分の言葉で語りなさい。
自分は、マイトレーヤやハイアラーキーのことに関していろいろ知っている。 今まで、いろいろ探求してきたが、ついに、このすばらしい教えに辿りついたのだ。 よって、何も知らないお前たちに、この貴重な情報を教えてやろう。 ・・・こういう意識でいる限り、君たちは、何も知らない(と君たちが思い込んでいるだけの)人々はもちろん、 当のマイトレーヤ自身からも賛同は得られないだろう。
93 :
名無しさん@3周年 :03/01/27 01:16
信じなさい 信じるのです
>自分の体験を自分の言葉で語りなさい それを語ると、まやびは自分の正体がバレるから語れないんだよ。 (前レス参照、シェアインターナショナルに自分の体験を投稿したらしい) もう、そっとしておいてやれ。
クレーム支持者の多くの方々が善意から行動しておられることはよくわかります。 その善意自体を批判するつもりはないので、できればお怒りにならずにお聞きいただきたいのですが、 ブラバッキーから派生した各種の神智学協会系の思想は、伝統的教義を滅ぼすために作り出された疑似宗教です。 「我々の目的は、ヒンズー教を再興することではなく、キリスト教を地表から一掃することだ」 (アルフレッド・アレクサンダーへのブラバッキー夫人の言葉。Rene Guenon,Le Theosophisme,p.6に引用) 「とりわけわれわれは、ローマとその司祭たちと戦い、至る所でキリスト教に反対して活動し、神を天から追い出さなければならない」 (1880年9月ブリュッセルにおける自由思想家会議でのアニー・ベサントの講演) 伝統的ヴェーダンタ哲学やスーフィズムに依拠しつつ、神智学協会を批判したルネ・ゲノンの思想については、ガリマール書店から出ている「現代世界の危機」「量の支配と時の徴」をよろしければお読みください。 「神智主義:ある疑似宗教の歴史」は、英訳も近々出版される予定です。 Guenonをキーにアマゾンで検索すればすぐ見つかります。
ベンジャミン・クレームは、「太古からの英知によれば、アンチキリストは歴史上の一時点に存在する個人ではなく、キリストの再臨の前に解放されるエネルギーである」ということを主張しています。 反キリストはなるほど個人に留まるものではありませんが、個人としての反キリストも終末の時代に登場するということは、 つぎの著作における諸々の古代教父たちの言葉によってわかるとおり、伝統的キリスト教思想において確立されている見解であり、クレームは故意にこのことを否定しているわけです。 Dennis Eugene Engleman Ultimate Things: An Orthodox Christian Perspective on the End Times この本では 獣の数字の解釈 エルサレムにおける反キリストの台頭 世界の諸問題を解決することによって人心を惑わす反キリスト その他、終末論に関連する興味深いテーマが扱われています。 「世界中に送られる偽りの霊は、人間たちの中に、反キリストへの高い評価、普遍的な恍惚感、彼への抵抗しがたい誘惑を引き起こすであろう」 (Saint Ignatius Brianchaninov) 私見では、この警告が実現する時は、極めて間近に迫っているように思われます。ちなみにイスラームにおける反キリスト(ダッジャール)に関する予言も、エネルギーではなく、明白に個人を指したものです。
97 :
名無しさん@3周年 :03/01/27 07:39
グルジェフとゲノンほど極端に対照的な性格を、いや作家を並べて考察すれば、頭脳は沸騰するだろう。 ゲノンの繊細な文体は静かな池の水面のように滑らかだ。 しかしその水面の下で鋭い歯をしたカワカマスが泳ぎまわっているように、彼の霊的パラノイアは、 反伝統的、反秘儀的と彼が見なすものにはことごとく牙を向いた。 そして独自の視点に立つゲノンは、近代の精神復興運動はみな実質的にそうであると決めつけたのである。 グルジェフは彼にあまりに近く、あまりに実践的で、存在(ビーイング)に満ちあふれていた為に、 ゲノンの格別の呪詛を受けることになったのだ。 「ギリシア系のこの男は単なる山師などではない。しかし、だからこそこいつは危険なのだ。 ・・・真実を言えば・・・グルジェフは自分の所に来るものを心的にがっちり把捉し、 その力たるや実に驚くべきもので、これから逃れられるだけの力量を持つものなど殆どいないのだ。」 (中略) 率直に言えば、謙虚さの仮面をつけた彼の高慢さはどう見ても行き過ぎと思われることもあった。 (例えば、繊細な、しかし山羊のような顔に自嘲的なほほえみを浮かべて、 「ルネ・ゲノンは存在しません。」などと言う時である。) この夏も終わろうとする頃、 青白い顔の男がサン・ジェルマン大通りのアレクサンドル・ザルツマンのテーブルにやってきた。 そしてグルジェフの事を悪しざまに罵り始めた。ザルツマンは困惑した振りをした。 畏れ多くもかの高名なルネ・ゲノン氏に話し掛けてもいいのだろうか、と。 「ルネ・ゲノンは存在しません。」とこの亡霊のような男はくり返した。 ザルツマンはたちまち哀れになってこう聞いた。 「ルネ・ゲノンは存在しないのですか? それは残念。」 これ以後ゲノンはザルツマンを避けるようになる。 ジェイムズ・ムア著「グルジェフ伝」(平河出版社)より。
99 :
名無しさん@3周年 :03/01/27 09:13
すみません。エドガーケイシーのスレが最近うるさくて仕方ないんです。どう思います?このケイシーっていう人。
ふふふ まやび君は誰かに構ってほしいのだろう。 マイトレーヤのグループの中で孤立しているのか、 さもなくばぬるま湯の中にいるみたいな感じで 新たな刺激をこういう場で欲しているのだろうな。
101 :
名無しさん@3周年 :03/01/28 00:53
>>95 >>96 何千年もに渡って神の名の元に人々を搾取し、条件づけてきた構造全体は、
誰かの反対によってでなく、人々の英知と洞察を通して壊されることに
なるでしょう。
まやびさん 女性だとばっかり思ってました。いやNETではそんなことどうでもいいですね(藁藁) 落ち着いたところでマターリと板のテーマについてお話しましょう。 舞都さんのお話でもあったように、NETで伝わることはメリット、デメリット双方ありますが、 双方向メディアの一つとして活用して行くことは、現実的な方法であると思います。 如何なる方法でもこの手の課題は困難はあるでしょうね。 ただ、世間はやはりこの手の話題にかこつけ、誠実と思われる人間でも抑えきれない鬱憤晴らしとして、 かりそめの相手にきつい言葉を投げかけて来るでしょう。 その意味では、誰もが根本ではストレスの多いこの世界で癒しも求めていることは否定できない事実として存在しています。 私はある意味で2CHのこころと宗教のカテゴリーは癒しがテーマ(表面はそうは見えませんね)として根底にあると思います。 癒しに関しては、従来の伝統宗教ではあまり重視されなかった面です。 起って来る批判は、根底ではこの葛藤を何とかしてくれというメッセージなのかもしれません。 また、私はこのように物知りなのだとみんなに認めて欲しいのかもしれません。 それらを踏まえた上で、なお伝えたい人が考えるテーマは共に生きるという課題でしょう。 異なる背景、異なる信条、異なる生い立ち、異なるメンタリティそれらを超えて共感できるかどうか、 もちろんエモーショナルな面の強調だけでなく、人間の深い領域での共感のことです。 私はできれば、こういう面でまやびさんたちと話合えたらなと思います。
103 :
名無しさん@3周年 :03/01/28 06:48
なんだ、なんだ、なんだ、似非宗教家みたいのが出てきやがったな。
このスレを目にして 神智学協会系統の思想に興味を持ってしまった方へ。 ピーター・ワシントン「神秘主義への扉:現代オカルティズムはどこから来たか」(中央公論新社) をまず読んで、彼らの思想的祖先たちの伝記的事実を把握し、彼らが信頼に値する聖者ないし賢者であるのか、落ち着いてよく考えてみることをおすすめします。 その上で、河出書房「ラーマクリシュナ」や、東方出版「ラーマーナ・マハルシの言葉」のような真の精神性の体現者の生涯にふれてみるとなおよいでしょう。
105 :
まやび ◆nclHfBhYVI :03/01/28 12:40
>>102 not alone さんのご意見に対する私の考えはそのうち述べてみます。
>>104 >をまず読んで、彼らの思想的祖先たちの伝記的事実を把握し、彼らが信頼に値する聖者ないし賢者であるのか、
>落ち着いてよく考えてみることをおすすめします。
同意します。本物のオカルティズムは素人にはお勧めできない世界です。
誰もが入ってくることは、受け入れる側の負担も増やします。
オカルトってカルトの丁寧語ですか? つまり、オマ0コの御でしょうか? なんて、笑いだけ取りたかった。ゴミん
NOT ALONE さん >双方向メディアの一つとして活用して行くことは、現実的な方法であると思います。 >如何なる方法でもこの手の課題は困難はあるでしょうね。 困難はありますね。私もコテハン使ってみてよく分かりました。 私がここで学んだことは、2chで真面目にマイトレーヤに関する情報を伝えるのは無理だと いうことです。 情報そのものよりも、伝えている個人に注目が集まってしまうのは正確な情報を伝えると いう意味でもだめだし、ネットに多くの時間がとられ、社会生活や本来の仕事に影響が 出て来かねない。本音を語るにはいいのでしょうが、私から見ればそれは目的ではあり ません。文字でのやりとりはハートの交流が始まるまで本当に時間がかかります。 それなら直接会って話す方が早いし、伝わるものです。 ということで、自らスレを立てるのではなく、2chでそういうスレが立ったら、 名無しで正しい情報に誘導するというやり方がいいかなと思いました。 >起って来る批判は、根底ではこの葛藤を何とかしてくれというメッセージなのかもしれません。 >また、私はこのように物知りなのだとみんなに認めて欲しいのかもしれません。 皆さん本当にいろいろなものを投影してきますね。 なかなか面白かったです。もちろん腹が立つこともありましたが。 >それらを踏まえた上で、なお伝えたい人が考えるテーマは共に生きるという課題でしょう。 >異なる背景、異なる信条、異なる生い立ち、異なるメンタリティそれらを超えて共感できるか >どうか、もちろんエモーショナルな面の強調だけでなく、人間の深い領域での共感のことです。 これが誰もができれば世界は一夜にして平和になるんでしょうね。 >私はできれば、こういう面でまやびさんたちと話合えたらなと思います。 いいですよ。こういうテーマでスレたてていただければ行きます。 お互いの底流に流れる愛を露わにしていくスレですね。 「人の子らはひとつ。私は彼らと一体である。」
>皆さん本当にいろいろなものを投影してきますね。 またび、もとい、まやび、これ、 あしたのジョーの力石風で読んで欲しいんだけど、 「投影されたら、それをそのまま返してやればいいんだぜ」 どう?w
>>51 >マイトレーヤに関する過去レスと、
>シェアジャパンのサイトのマイトレーヤを見れ。
>それを見て足りないところがあれば質問しろ。
>
確かに、過去スレの中で大抵のことに対する返答は書かれていますよね。
どうも繰り返しばかりが多いのですが、しかし最も批判的に見なされる部分でもあるので、
これは忍耐強く答えていくしかないでしょうね。
たぶん私も、
ただ、「本に書かれてあるから、読めば全部分かる」とでしか返答がないならば、
買って読んでみる気にもならないでしょう(笑)。
ところで、もう関係者の意見はありませんか? ないようでしたら、明日の夜にでもこのスレの削除依頼を出します。
おや舞都さんかぶりましたね。 >ただ、「本に書かれてあるから、読めば全部分かる」とでしか返答がないならば、 >買って読んでみる気にもならないでしょう(笑)。 ですね。聞く方はいいけど答える方は大変だ。
>>111 :まやび ◆vuNW8zNsbc :03/01/29 00:47
んん?
何かあったんでしょうか?
その後について読んでませんので、ちょっと待って下さい!!(笑)
>>34 :Re.うぐいす様へ
>舞都しゃーん、わたし、ぐさっと、来ました。傷を負いました。
>癒してよー、
>
ハハハハハッ。
いや、
>>33 で述べたものとは、特に誰がということではないです。
確かにうぐいすさんは、大変な勉強をされた方であることはよく分かりますが。
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1043216122/-100 >5 :428 :03/01/22 18:29
>救世主という思想は、俺には幼稚で不自然だね。
>
私も嘗ては、全くその通りでしたし、今でも基本的にはそんなに変わりありません。
それは、あなたと殆ど同じ理由に拠ります。
私は救うとか、救われるという考え方が嫌いなんです。
基本はあくまでも己れ自身の行動如何にかかっている。
つまりは、身口意の三業によるカルマの法則に沿った結果があるだけという見解なんですね。
実にマイトレーヤご自身が、「救世主」として扱われることを望まれていないのです。
であるのに、クリーム氏の翻訳著初版のタイトルは、
「大救世主の降臨」「大救世主からのメッセージ」というものでした。
これは後に、しっかりと正されました(誤解から生じた古い過ちでしょう)。
もしも、このグループが本当に「大救世主」としてアピールするところであったとしたならば、
私は関心を向けることなく、逆に強く拒絶していたことは間違いなかった。
それは、今のあなたとたぶん似ているでしょう。
ただ一つ、憶えて置かなければならないことは、
そういうことを平気で言えるというのも、実際に、
絶望的な地獄のような状況に生きている人間ではないからでしょう。
続く..
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1031418660/301-400 >358 より再掲載。
『マイトレーヤを肩書きから見出そうとすることは、
たとえメシア(救世主)というような肩書きであろうとも、錯覚に導く可能性がある。
“メシア(救世主)”とは人類によってつくられた言葉であり、
“私はメシアである”ということは対立をつくり得る。
マイトレーヤのなかにイエスの特質を見出す人々もいるかも知れないが、
「教師としてのわたしを探す者はより近い。なぜから私は教える者であるから。」
とマイトレーヤはいわれる。』
(マイトレーヤの側近を通してジャーナリストに伝えられた教えから/1988年)
ただ、当時のユダヤ人たちが絶対的で強大な力(支配権力)によって縛られ、
奴隷生活を強いられていたという事実を思えば、
逆らえば鞭打たれ、拷問を受け、ただ死が待っている。
そういう絶望的な生活の日々が続く中では、ひたすら神に祈り、
「救世主(メシア)」の出現を願ったのは当然であり、
人間として何らそれを否定できるものではありません。
同じ状況だったならば、私も全く同じだったでしょう。
信仰がなければ、とても明日を生きる力すら出なかったでしょう。
そのことを否定するわけではありません。
やあ、僕はね、ホントに、何も信じなくても、もう、いいんです。 普通で幸せなんですったら。 それから、どうも自分で実証出来ないものを他人に勧める気にはなりません。 伝導瞑想、昔から知ってます。別に悪いことしてるってわけじゃない。希望を持たせるって ことも、ある意味必要。 ただね、ぶつぶつ、ってね、もう分っているでしょ。 まやび、あんまりシリアスにならないでさ、気軽に何でも言えばいいんじゃない。 馬鹿にされたら、ユーモアで返す、荒らしが来たら、雨戸を閉める、じゃないか、 批判されたら、禅問答でもしているつもりで、粋な回答を出す。 ま、俺みたいな暇人じゃなきゃ出来ない芸かもね。
続く.. >73 :u >わたしには、君達のマイトレーヤーは見えまい。 >喩え出てきても、分かるまい。だって、要らないんだから。 > あなたにとって不要(マイトレーヤの存在、もしくは再臨の出来事)ならば、 それはそれで全く良いことだと思います。 これは、憶えておいて頂きたいのですが、 マイトレーヤは特に神智学したを教えたり、 別に秘教徒たちを相手にするために出現されるのではありません。 マイトレーヤの出現がなくとも不自由していない、 すでに道を意識的に前進している霊的思考者たちは、それでも全然構わないでしょう。 しかし、マイトレーヤは目先の利益や自国の繁栄ばかりを優先し、 何十億人もの貧しい国の人々や虐げられた幼き者たち、 食べるものすらなく死んでいく者たちを、同じ人間であるとして兄弟であるとして人類社会に示し、 その恥ずかしい忌むべき人類の行為を終焉するよう、呼びかけようとしているのです。 マイトレーヤは世界教師であり、人類全体に呼びかけ人間の生き方について、 人間はただの動物ではなく、その本質は霊性であることを教え示すために出現します。 人類全体に呼びかけ認知されるほどの存在は他にいるでしょうか? どの国家も自国の繁栄が目的であり、 正義の名の元に戦争すら仕掛けるのです。
続く..
>>39 >例えば、
>1、マイトレーヤーが現われる、っていうけれど、それは、方便のような
>ものであって、マイトレーヤーは、内側に、知恵として顕われるのではないか?
>それは本来の救いではないか?
>
キリスト(マイトレーヤ)は、
自ら誓願した――時代の終わりまでも私たちと共に留まるという――
人類との約束を常に守ってきており、磔刑後も我々(人類)から去ったことはありませんでした。
そして再び、肉体を伴った姿として、我々の眼前に戻ってくるという“再臨の約束”を
果たしたのであると思います。
一般的には理解を遙かに超えた出来事ですが、
神の意識と完全なる融合を果たした意識存在であるキリストにとっては、
物質界の制約を受けることなく、再び肉体をまとうことすら雑作もないことである思います。
私は有り得ないなどとは、全く思いません。
>やあ、僕はね、ホントに、何も信じなくても、もう、いいんです。 >普通で幸せなんですったら。 それじゃ私と同じですね。
>実際に、 絶望的な地獄のような状況に生きている人間ではないからでしょう。 地獄だね、ま、確かにそうだ。ホント、地獄。 でも、そこに、誰が居るのか? どう思う、舞ちゃん。
続く.. 『(4) キリストの弟子たちへの言葉、「見よ、我は世の終わりまで常に汝らと共に在るなり」 (マタイ伝、28章20節)。大切な言葉は「終わり」である。実際に使われた言葉はギリシャ語の 「サン・テレイア」であり、これは一つの時期の終わりを意味し、すぐその後に次の時期が続くの である(つまり一つの周期の終わりとでも呼ばれる)。ギリシャ語で最終的な終わり(エンド)は、 「テロス」という言葉である。マタイ伝の24章6節の「然れど未だ終わりにはあらず」では、 「テロス」が使われており、「第一周期の終わりは未だ来ていない」ということを意味する。』 ――――アリス・ベイリー著「キリストの再臨」より 私のこれまで見てきた印象としては、 非常に啓発された霊的思考者たちほど、 この肉体の降臨が実際に起こる―起こった――という話を、拒絶し、 受け入れない傾向にあるようです。 彼らは、人の内面的な霊的意識の成長、キリスト意識の芽生えの重要さについて主張しますが、 どうして、肉体での再臨はそんなに有り得ないことなのでしょうか? ベイリー著によれば、キリストの再臨は3つの次元(レベル)で起こるものと説明します。
続く..
以前に過去スレで投稿したアリス・ベイリーの一文を再掲載します。
よければ参考にして下さい。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1031418660/401-500 >>486-490 「様々な名で呼ばれてはいるけれど、通常、キリストの再臨と言われる顕現と象徴的な出来事
への期待と要求が、至るところに見受けられる。これは、あなた方が知っているように、以前の
パレスティナにおけるような現実としての物質的な到来であるかもしれない。もしくは、彼の弟子
達や、彼が愛する者が、生命の偉大な主によって、明確にオーバーシャドウされることを意味す
るのかもしれない。オーバーシャドウは、どんな方法であれ、霊的に目覚めている人々の反応を
呼び起こすであろう。もしくは、到来は、人類を通して働くキリスト原理、キリストの生命と愛、これ
らの途方もない流入という形を取るかもしれない。おそらく、この三つの可能性のすべてが、非常
に近いうちに、私たちの惑星で同時に見られるであろう。(Esoteric PsychologyT- p.281)」
「事実を多少、明確にし、キリストの再臨と人類による彼の肉体の認知の方法とを、多少詳しく
述べよう。
1.すべてのイニシエートと弟子とをオーバーシャドウすることによって。
彼らは、今日、もしくは、キリストの到来の時、人間の進化に関係する三界において、活動的
になるであろう。これは、キリストが彼らのマインドにテレパシー的に影響を与えることを含む。
このオーバーシャドウとその影響力は、彼のメンタル界における最初の働きとなるであろう。こ
れは、彼が提唱する世界の出来事に対する霊的な干渉の最も効果のある方法である。ハイラ
ーキーのメンバーを彼の意識の前哨とするであろう。彼らを通して、キリストは働くことができる。
続く.. 2.キリストの生命、即ち、キリスト意識を、至るところ、すべての国々の人々の上に注ぐことに よって。 この霊的流出は、人間の欲求を調整し、キリストの臨在に対する情緒的反応を呼び起こす。 それゆえに、これは、アストラル界をキリストの影響力の活動範囲へともたらす。これは、善意 のエネルギーの人々のハートへの解放を伴い、正しい人間関係へと人々を導く。この正しい関 係の確立は彼の再臨の三つの活動の主要な目的である。これが、キリストのマインドにオーバ ーシャドウされている弟子とイニシエートによって、メンタル界から実行された時、至るところに いる民衆は、キリストの仕事とメッセージに反応するであろう。 3.人々の中に肉体として現れることによって。 キリスト自身が直接、顕現することによって、彼は、従来不可能であった方法で、地上にハイ ラーキーのエネルギーの力強い焦点を設立することができる。彼は人類を決して見捨てず、時 代の終わりまでも、私たちと共に留まるという約束を常に守ってきた。すべての国々の人々が、 キリストを見出せる所を知るであろう。彼が三重の霊的活動をなす焦点の場所を、ここで明ら かにすることはできない。なぜならば、それは、オーバーシャドウとエネルギー流出の結果次第 だからである。(The Rays and the Initiations - p.615〜616)」 ――――――『PONDER ON THIS――トランスヒマラヤ密教入門/第一巻:人間の進化』より
>どうして、肉体での再臨はそんなに有り得ないことなのでしょうか? どうしてって、さあ、それはあんまり重要じゃないからよ。 有り得る有り得ないじゃなくて、有ったっていいんだけれど、サイ馬場さんの 奇跡に群がる人をみれば分かるように、それでは決着が着かないのよ。 人は乞いはじめるだけ。アマチは奇跡を人前で見せるのを嫌うし、話すこともしない。 必要ないの。それよりも、思いやり、親切、無償の愛、あるいは、 無我、無常、などを理解する自己認識の道、こういったほうが確かで重要なの。 そしてね、これは無責任主義じゃないよ、苦しんでいる大衆、これは社会的に いろいろやるべきなんだろうけど、そこにも実体がないんだ。そう、 理解しないとね、目があっちこっちに動いちゃって、、、 これが、上手くいかないんだな。
uさん。 やっぱり元ラジのアホ丸出しにしか思えないな。 ま、それがあなたのいいところでもあるのでしょう。 すごい。あなたに対する理解が出てきたようですね。(笑) 舞都さんあまりuさんに本気にならないように。 なにせお戯れですから。
uさん。 クリシュナムルティのスレでK信者相手にした方がおもしろいと思うよ。 わたしたちは表現は違うけど同じことしか言わないから。
すいません。 ラエリアンムーブメントについてのシェアからのコメントはあるんでしょうか? 最近はクローンで話題を集めていますが、活動自体は20年以上前から あったようですが。
>やっぱり元ラジのアホ丸出しにしか思えないな。 ま、それがあなたのいいところでもあるのでしょう。 すごい。あなたに対する理解が出てきたようですね。 あははは、一体誰が誰を理解するのかな? 見出した人は、誰もいない、と、ずーーと過去から言ってきた。 まやびが理解し、見出したのは、あなた自身、どう?
>>124 :u
>有り得る有り得ないじゃなくて、有ったっていいんだけれど、サイ馬場さんの
>奇跡に群がる人をみれば分かるように、それでは決着が着かないのよ。
>人は乞いはじめるだけ。アマチは奇跡を人前で見せるのを嫌うし、話すこともしない。
>必要ないの。
>
昔、私も同じことをいってましたね・・・。
これもあなたには奇跡が不要ということなのでしょう。
別に私にも、自分に起きて欲しい奇跡などはありません。
これはただ、群がる信者を集めて(集めるためにか?)奇跡現象を行う、
または見せる行為というのとは、ちょっと違うのではないでしょうか?
現象そのものにはもし価値が無いものとしても、
しかし、神の奇跡としかいえない現象というのは、決してこの世からは無くなりませんね。
誤解があってはいけないのですが、
マイトレーヤやハイアラキーの覚者方が最も不要と考えられていることは、
“信者が群がること”なのです。彼らは覚者方の仕事を邪魔するだけです。
それから、もう一つ、まやび、パターン変ってないよ。 相手を見下げて、落ち着こうとする>すっぱい葡萄の理論 >クリシュナムルティのスレでK信者相手にした方がおもしろいと思うよ 相手を排除しようとする これ、身内にも最近批判されてなかった? ん?
>やっぱり元ラジのアホ丸出しにしか思えないな。 これが奉仕か、、、。 つーか、まやびも元ラジなんだろ。俺は違うけど。 今はクレーム信者だからって同じ穴のむじなじゃん、元々は。 妙なエリート意識持ってるだけまやび君の方がみっともないよ。
さらに、 ちょっと前に、シャルマさんが恐かった、なんて言って、少しすると、 やっぱり、元ラジの馬鹿になる。 これって、まやび自身の心理の揺れでしょ? 動揺しているの? 一体、何を守りたいのよ、まやび。 守る何があるの? 誠実に答えてみな。
まやびさんは固定ハンドルを外してホンネをぶちまけた方がいいと思う。
舞ちゃん、 あなたの言説から、過去の私、と、現在の私、という比較が見える。 そして、当然、現在の自分が進歩形だね。 でも、要点は、進歩じゃない。 私は誰? どこに居ます?
uさんはラジニーシに騙されてひねくれてしまったの?
>>135 いや まやび がネカマだと知ってショックを受けてるんじゃないか?
とにかく、このスレは消さないで続けて欲しい。
まやび、ホント、本音をぶちまけてみれば? こんな不安定な精神の持ち主が宣伝するものに興味を持つだろうか? ま、実際、奇跡とか、救世主って、もう世間では受け入れられ難い概念だから、 もうどうでもいい、って感じかな? 動揺して、このスレも早く消して忘れたい、 本音はこんなところかな? >135、 俺はラジニーシに騙されて幸福なった。やっぽー
>>41 :u
>で、20年も、同じこと言っている。出てこないじゃない。また、出てこない、で正解。
>方便なんだから。そう正直に言った方が現代では有効だと思う。
>でも、未だに馬鹿みたいに、出てくる出てくる
>
以前、神智学協会員の熱心な一方に、それと同じ事を指摘されたね、私は・・・。
ナイロビの出現写真もヤラセに決まってるって。20年も出てこないじゃないかってね(笑)。
ヤラセだから、出てくるわけがないのだって笑われたよ。ハハハッ
これは、クレーム氏が人々を神智学的な教えに関心を向けさせるための方便であって、
彼は何も知らない一般の人々をターゲットにしたことで、
神智学の伝統的な教えが新鮮なものとして映って、そして大成功しているってね。
流行っていいなって、嫌みでしたね。フフフッ(笑)
マイトレーヤ出現(存在)などは、大衆を引き付けるその大目玉に当たるわけだ。
で、伝導瞑想してりゃ、奉仕しているつもりになっており、
実に単純で楽だなって馬鹿にされたっけなぁ(笑)。
伝統的な本当の神智学協会の教えは、「こんな甘いものではない」とも冷笑されてしまったよ。
これは別に神智学協会の人を批判する目的ではなく、
私が実際に言われた内容であるということです。その中の一人にしか過ぎませんが。
しかし、私個人(他にも体験者が沢山いるでしょう)にとっては、約12年位前、
マイトレーヤにまず間違いないと思われる実に不可解な人物に出逢っている
(その後、クレーム氏の師である覚者からの確認も得られている)体験があるので、
それまでは、ただの「信」(直感的な確信?)でしかなかったものが、
「本当に実在していたんだ!」との強い確信を得ることができた。
であるから、私にとっては、例えこういう批判であっても全く的を得ていませんね。
>>134 :u
>舞ちゃん、あなたの言説から、過去の私、と、現在の私、という比較が見える。
>そして、当然、現在の自分が進歩形だね。でも、要点は、進歩じゃない。
>私は誰?どこに居ます?
>
意味不明です。
それは、ラマナ・ハマリシのジュニャーナ(智恵の探求)的な意味で
私に自己への状態について確認を促しているのですか?
>しかし、私個人(他にも体験者が沢山いるでしょう)にとっては、約12年位前、 >マイトレーヤにまず間違いないと思われる実に不可解な人物に出逢っている >(その後、クレーム氏の師である覚者からの確認も得られている)体験があるので、 >それまでは、ただの「信」(直感的な確信?)でしかなかったものが、 >「本当に実在していたんだ!」との強い確信を得ることができた。 信者がこういう事を書いても全く説得力がないんだよ。 ああ、あなたはそういうものを信じてるんですね、それで終わり。 他人に確信を説明したいなら、もっと私は確信してるからいいですって強がっても駄目なんだよ。
>しかし、私個人(他にも体験者が沢山いるでしょう)にとっては、約12年位前、 マイトレーヤにまず間違いないと思われる実に不可解な人物に出逢っている (その後、クレーム氏の師である覚者からの確認も得られている)体験があるので、 それまでは、ただの「信」(直感的な確信?)でしかなかったものが、 「本当に実在していたんだ!」との強い確信を得ることができた。 あなたが誰だかわかりましたよ(^^)
舞都さんやめときましょ。 また繰り返しになる。コテハンだと必ずこうなるから。 まあ、せいぜい荒らしてください。 シャルマさんも、私の偽物せいぜいがんばってくれ。 構うことはないどんどんやってください。 ここは関係者のスレで君らはお呼びじゃない。 気にいらなきゃ出ていけばいいこと。 いずれにしろ明日の夜には削除依頼だします。 関係者の結論は大体出たからね。
144 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 02:57
> 俺はラジニーシに騙されて幸福なった。やっぽー アホ丸出しだな。
舞ちゃん、俺が言ったのはね、君が、私というものが進歩した、というような発言を しているから、そんなものは本来ありませんよ、と言ったんです。 いい、私というものを認めるところから、救わなければならない衆生、あるいは、 救世主、なるものを認めることになるんです。 そうして、信奉する、教義や、信ずべき何か、が、存在しちゃう。何かを信じれば、 それは特定する、限定する、とうことで必ず、それ以外のものと対立してしまう。 そうすると、これでは何時まで経っても、二元対立で、葛藤が終わらない。 こういった二元対立的なものとしても、神、は結局人間の想像の産物でしかない。 私、があって、神がある、信仰がある、奉仕がある。 これでは観念世界から自由にはなれません。
146 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 03:01
シャルマは何必死になってんだ? こんな奴らほっときゃいいじゃん。
147 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 03:04
>私、があって、神がある、信仰がある、奉仕がある。 >これでは観念世界から自由にはなれません。 まだ山の中腹ってとこか。
るーばさんの発言を読むとカルト丸出しですね。 まやびもそうだけど、逃避や自己欺瞞の為に奉仕だの瞑想だの やってない? 自分に向き直れば終わりだぞ。勇気だけ、何を探してんの? 空っぽだから、そこに、存在の、神のスペースがあるんだ。 私を認めている限り、進歩も幻想。救済も幻想。 大人になれよ、大人に。 でも、まあ、夜逃げすることになったのね。 >シャルマさんも、私の偽物せいぜいがんばってくれ。 最後にこんな嘘までついて、何をやっているの? 何を守りたいのかね? 御粗末だな。
>>143 >また繰り返しになる。コテハンだと必ずこうなるから。
君はどうしていつもこうなんだ。
繰り返しになるのはコテハンだからじゃない。
君が愚かだからだ。
>ここは関係者のスレで君らはお呼びじゃない。
気にいらなきゃ出ていけばいいこと。
所詮はこれがホンネでしょ。
俺達に反論するやつはこのスレからだけじゃなくて
マイトレーヤやクレームの情報からも出てけって言いたいんだ。
150 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 03:08
山の中腹にいるアホ丸出しどうしが、てっぺんから語ってるってか。 結局どっちが上かどうかってことだろ? 全部逝ってよしだな
151 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 03:11
わるいんだけどさぁ ここ関係者のスレなのよ。まやびも書いてんじゃん。 >クレーム氏の伝えているマイトレーヤ情報に信を多少ともお持ちの方に質問です。 わかっただろ?おまえらお呼びじゃないんだよ。
>シャルマは何必死になってんだ? こんな奴らほっときゃいいじゃん。 同じ、お釜の、釜から、このお釜たちと飯を一緒に食ったような〜 そんな感じがして・・・ 直感、これって実証できません。 私は確信してる、へっへっへ してねえ。
153 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 03:17
それからマエスレで、まやびはこうも言ってるじゃん >オカルトの情報というのは、実証も、証明もできません。 >それを理解するカギは「信」を置いて他にないからです。 >つまりあなた方に批判はできても私に弁明はできません。 >ですから、オカルトの物事について私がここでできることは、情報を書くことのみなのです。 そこを突っ込んだらお終いなんだよ。ラジの乗りはラジにしか通用せんのじゃないか? ここは関係者のスレなんだからオマエらが教えてくださいって言うのが筋だろうが。 だからラジは(小一時間)....
このスレ読んでると↓のスレを連想しちゃうよ。 ◆クリスチャンて◆性格悪くて◆驚きました◆
>>112 :まやび ◆vuNW8zNsbc
>>ただ、「本に書かれてあるから、読めば全部分かる」とでしか返答がないならば、
>>買って読んでみる気にもならないでしょう(笑)。
>ですね。聞く方はいいけど答える方は大変だ。
>
はい。ということで、
クレーム氏が如何に困難な仕事をしているかということですね。
全世界からの批判や嘲笑を一身に受けて、ひたすら忍耐強く、淡々と仕事をこなしている。
最初、覚者からのこの仕事の依頼を拒み続けたという・・・。
普通の精神では到底、続けられないでしょう。
しかし、クレーム氏のような弟子は、周囲からの嘲笑や批評には無関心。
ただ、必要な仕事を処理していくだけ。
>>35 :まやび ◆vuNW8zNsbc
>元々★神智学的世界観-ブラバッキー、Aベイリー,Bクレーム のスレは
>クリシュナムルティ・禅・ヴィパッサナー実践スレ から派生させました。
>このスレに私がクリシュナムルティとグルジェフの進化段階と光線構造を書いたところ、
>反応が大きく、スレの主旨からはずれるので、
>★神智学的世界観-ブラバッキー、Aベイリー,Bクレーム のスレを立てて、
>
まだ、それらの関連スレには目を通し切れていないので、ごめんなさい。
私にはその想いと熱意は十分に伝わりますから、大変だったものと思います。
>クリシュナムルティとグルジェフの進化段階と光線構造を書いたところ、反応が大きく
>
ふふふッ、そうでしょうね。
この両者は、特にクリシュナムルティ(K)は覚者であると見ている方、
絶賛する方が大勢いますからね。
あの進化段階は、関心を持って自分で書籍を購入した方が自分自身で見て、
初めて「なるほど!」と見るか、または反発するかして見るものではないでしょうか?
2CHでの公表は危険過ぎますね。
各人には、それぞれ大勢の支持者や信徒たちがいますから・・・。
(これは関心を持つ方は、どうか自分で見て下さい!)
>>111 :まやび ◆vuNW8zNsbc
>ところで、もう関係者の意見はありませんか?
>ないようでしたら、明日の夜にでもこのスレの削除依頼を出します。
>
これについては、私はなんとも・・・。
ただ、もしもここ「心と宗教@2ch掲示板」の読者の中に、
もっと知りたいという前向きな欲求を持つ方や
この情報への真面目な関心を抱き始めている方がいるとしたならば、
自然とそれを求めるスレが立つのでしょう?
或いは再び、ただ罵倒するだけのようなスレかもしれませんし、
何れにせよ反応の見て、答えられるところは投稿すれば、きっと意味があるものと私は思います。
必ず中には、根底にあるメッセージを汲み取って、真意を読んでくれている読者もいる筈です。
ただ、「私もその通りだと思います」という賛成や同意を示すための投稿自体が、
実際、殆どされることはなく、基本的には掲示板というのは、
反対意見を持つ方が投稿してくる性質なのでしょう。
理解を寄せてくるの方の数は、必ずしもリンクしていないでしょう。
ということで、削除するしないはお任せしますが、
決して無駄であるとは、私は思いません。
これからもお互いに希望を以て、頑張りましょう。
まやびさんとの出会いもだいぶ、長くなってきましたよ(笑)。
>そこを突っ込んだらお終いなんだよ。ラジの乗りはラジにしか通用せんのじゃないか? まやびも元ラジなんだから問題ないだろ。
>ふふふッ、そうでしょうね。 キモイよ、君。
>>145 :u
まー、言っている意味は分かるつもりではある。
所詮、全ては人間の思考の産物。観念の世界でしかないかぁ・・。
「神」ですから、思考活動の産物に過ぎない。思考がなければ神という概念も生じない。
しかしなにか、Kの説法に似ているかなぁ・・・。
Kは、「思考は物質だから、考えることが多い人間は即物的だ」といっていたけ。
以前、Kにドップリはまっている方で、
伝導瞑想に参加したり、ある時には参加する気を失せたり、
広報活動(特にマイトレーヤの存在について伝えること)は、参加しないといったり・・と、
どうも忙しい方もいた。
もしかするとKにはまると、こんなものは無意味に見えてくるということなのかな?
と、私なりには理解した(笑)。
意味を見出せない者はしなければ良いだけのこと。
誰も参加を強いられてなどいない。
Kについては絶賛する話しか見えないけど、私はちょっと違う。
これについては、ラジニーシがいいことを述べていたね。
ラジニーシの優れた個性はそういうところにあるのかな、と私はその時に思った。
私がKについて全てに絶賛しない理由は、バガヴァッド・ギーターに説かれている。
神智学的には、ギーターの主人公クリシュナが
マイトレーヤのオーバーシャドゥーにあったアヴァターでもあるのだが・・・。
取りあえず、横道に逸れるのでこの話はもう終わりにします。
u さんへ。
ご指摘には感謝します。
では、その他については、 また後日・・・。
あのね、舞ちゃん、 俺が言っているのは、kの受け売りでも、ラジの真似でもないの。 事実なんです。 事実を見ないから、観念に逃げちゃうんです。 例えば、これ、 >私がKについて全てに絶賛しない理由は、バガヴァッド・ギーターに説かれている。 神智学的には、ギーターの主人公クリシュナが マイトレーヤのオーバーシャドゥーにあったアヴァターでもあるのだが・ これは、あなたが実証した事実ではないでしょう? あなたはこれを単に信じて、事実を見ないようにしているだけだ。 事実をみれば、あなたは消えてしまうように感じるから。 だから、何でもいい、観念に逃げるんです。 >取りあえず、横道に逸れるのでこの話はもう終わりにします。 そして、これが、俺に言わせれば本筋。 横道は、アバターがどうの、誰がこういった、誰かがマイトレーヤーを見た、 なんてことでしょ。
ところで、まやび、なんでこのスレ消すんだよ? そんなに自分から逃げ出したいのか? これが、俺や他の奴とお前が対話することによって、醸し出されたものであり、 また、即、お前の頭の構造、でもあるわけだ。 動揺したり、混乱したり、推測したり、投影したり、 これがお前の一部じゃないか。 どうして消すんだね? お前は他人からは逃げ出せる、何処へでも行ける、醜態をさらしたこのスレも消去 できる。しかし、お前はお前自身から逃げられるかね? アホでいるのもいい加減にしたらどうかな。 これは、記念として残して置けよ。そして、たまに鑑賞してみるんだな。 これはお前自身なんだから。 それから、伝導カルトさん達は、御自分の大切な情報を気持ち良く、無知な民衆に 御話ししたい、 それが奉仕だ、と勘違いしているのか、なんか、知らんが、結果はこんなもの。 この結果だって、何も消すこたあ、ないね。 そんなに恥ずかしいのかね、抹消しなければならないほど? 消す、ってことは、即、逃げ出す、ってことじゃないか?
>>162 :u :
もう、寝るところだったのですが、
一つレスがついていたので、こちらももう一つだけ(笑)。
>これは、あなたが実証した事実ではないでしょう?
具体的にはどれについてでしょう?
私がKについて全てに絶賛しない理由が、バガヴァッド・ギーターで一体、
どのように説かれているのかについて、自分で本当に分かっているのか、ということですか?
これはどこからの受け売りでもなく、自分で気付いたことであり、いつでも指摘することができます。
しかし、これなどはu さんは分かっているものと察します。
>ギーターの主人公クリシュナが
>マイトレーヤのオーバーシャドゥーにあったアヴァターでもあるのだが・・・。
についてでしょうか?
自分で事実として確認できたことなのか、っていうことでしょうか?
こちらについては、正しくは、マイトレーヤとクリシュナの間に類似性が見られるというものです。
あとは、確かに確認事項ではありませんね。
一つだけいえることは、人にはそれぞれ段階というものがあるわけ。
個人の気質の違いというのも、またあるでしょう。
自分で確認できた事実関係のみしか受け入れないという方は、またそれで良いのです。
それは最も確実な方法ですね。私はそれは駄目だとは思いません。
徹底できる方は徹底すれば良い、そう思います。
u さんからの反論や各指摘の内容には、私は特に異論はありません。
なるほどと思います。
しかし、それにしても随分と(笑)。
まやびさんとは、以前からのお知り合いで・・・?
>しかし、私個人(他にも体験者が沢山いるでしょう)にとっては、約12年位前、 マイトレーヤにまず間違いないと思われる実に不可解な人物に出逢っている (その後、クレーム氏の師である覚者からの確認も得られている)体験があるので あ、あのね、疲れるな、 そんなの誰でも会ってるでしょ。 馬場様、馬場様、って言っている連中は、きっかり、神、シヴァ、に会っている。 アマチの信者は、アヴァターに会っている。 ラジニーシの信者は、こともあろうに、マイトレーヤー様さえ、ラジニーシは拒否した って信じている。 ああ、他に例が必要かね? キリスト教徒は死ぬ前にキリストを見る。仏教徒は弥勒とか、兎に角、自分が信じているものに 人は会うことになっているの。 それで、どうなる?自分は特別だ、ってなる。オウムをよく観察してみるんだな。 奴等も弥勒=マイトレーヤーに会っているんだ! こんなこと、今更誰が信じるね。 ま、信じてもいいが、それで、どうなるね? まやび、みたいな、ヘタレになるののかね? 混乱して、動揺して、怖がったり、逃げたり、どんなメリットがあるね?
続く.. それと、u さんは全てを観念で説明し、当然、マイトレーヤの存在についても然りです。 しかしそれは、u さんは体験がなくとも、私には体験があるので、 私にとっては否定できない事実なのです。 (奇妙な相手は、自分がマイトレーヤであるなどとは名乗りませんでしたが、 しかし、私にとってはそれで十分なことでした。) 非体験者には、 それを話しても全く無意味であるなどとは私は思いません。 ならば、これまでのあらゆる過去の歴史的な霊的教師たちが、 自ら体験した霊的意識について話したことは、 それを体験していない周囲の人間には全く無駄であったことを意味します。 そんなことはないと私は思います。
そう、そしてたとえ実際会ったとしても、それでどうなるのかね? ショクティパットでもしてもらって、覚醒するのかな? 会ったからってなんだろう? 進化した、人知を超えた存在はあるかもしれない。しかし、だから何なんだ! 会ってどうなるんだ? 自分に出会うことが全てだ。自分の空性を知ることが始まりだよ。 神や愛、信仰はそこからしか始まらない。 なぜなら、それ以前は、全部こころの投影なんです。
>私には体験があるので、 私にとっては否定できない事実なのです。 体験は体験です。 体験は無常です。 体験は重要ではない。 >私にとっては否定できない事実なのです。 それは体験であって、事実ではない。あなたはまだ、それを疑えます。 >私にとっては否定できない事実・・・ とは、空っぽ、っていうことだけ。 空っぽは否定できません。 体験は否定できます。
そして、知っている知っている、私は体験しました、そんな人を俺は信じません。 俺は知りません。なんの情報もない。どんな体験も支持しない。 だから、全く動じることがないんです。 知っている?これじゃあ、それを証明しなければならなくなる。 知っているて言った瞬間、敵対するなにかが生じる。 しかし、知らないこと、には、対立できません。 空っぽは守る必要もありません。
Re.u さんへ >それで、どうなる?自分は特別だ、ってなる。 > もちろん、特別でもなんでもない。 多くの人が体験しているし、この情報すら知らない普通の人々も・・・。 >ショクティパットでもしてもらって、覚醒するのかな? > 私個人は、興味がない。 霊的な進歩は自分自身がもがきながらようやく達成する困難な道。 即席ラーメンのようにいく筈がない。 >進化した、人知を超えた存在はあるかもしれない。しかし、だから何なんだ! >会ってどうなるんだ? > それは、u さんが彼らに実際に会った時にでも、その相手に直に言って頂きたい。 「意味の無いことをするなっ!」っね。
舞ちゃん、嘘だとは言ってないんです。 体験とか、必要なこともある。 信じていけないことはありません。 魚の骨でも・・・って言います。 俺が言いたいのは、魚の骨は捨てる時が来ますよ、っていうこと。 だって、魚の骨なんだも。 そして、魚の骨のほうがずっといい。ドエライ方、だと捨て難い。 救世主様だと、ずっと心理的依存をする可能性あり。 そして、正しい情報なんて信じてやっていくのは構わないが、批判もでますよ、 当たり前でしょ。そんな時逃げるなよ。それじゃあ、奉仕じゃないじゃん。 舞ちゃんは逃げたくなくても、逃げちゃうんでしょ? あ、やっぱり2ちゃんだから、だの、やっぱり、ネットはだの、言い訳。 おれは何処でも、実名、誠実です。逃げません。 冗談は言う、口も悪い、あんまり馬鹿だと相手にしません。でも、逃げることは 絶対しません。 だって、男の子だもん!
>>171 :u
>そして、正しい情報なんて信じてやっていくのは構わないが、批判もでますよ、
>当たり前でしょ。そんな時逃げるなよ。それじゃあ、奉仕じゃないじゃん。
>舞ちゃんは逃げたくなくても、逃げちゃうんでしょ?
>あ、やっぱり2ちゃんだから、だの、やっぱり、ネットはだの、言い訳。
>
2ちゃんでの投稿については、ちょっと簡単ではないと思いますが・・・、
私は普段の生活においては、自分のマイトレーヤに対する信を隠していません。
家族もそういう私をよく知っており、そのことを認めてくれています。
私は訊ねられれば、会社の同僚でも誰にでも話します。
ついにこれで、恋人さえも失いかけたこともある・・・。
私は自分の信に基づいて素直に生きたい。
嘲笑したい者はすればいいのです。
私はそういう人間であり、そのことに何も隠すべき恥かしいものはない。
尚、断っておきますが、
ネット上及びメールでは実名ではなく、ハンドルネームにすることに自分で徹底して決めています。
これはマイトレーヤうんぬんに限らず、全てについてです。
理由は単純明快、PC通信上のセキュリティの意味合いからです。
ただ、それだけ。
ご指摘は有り難く思います。
批判する意味については理解しているつもりです。
しかし、これは自分で選択した道ですから。
本日、最後に、
マイトレーヤの言葉には、「真我のみが重要である。真我を体験すれば、このわたしを知ることができる」
というようなのがあります。
173 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 06:13
脳とは非常に便利なものだ どんな環境に置かれても、それなりに勝手に適応してくれる しかもだ、機知に富んだ妄想まで作り、俺達を楽しませてくれる だが、いかに性能のいい脳だとしても どうにもならないような時はある そういう場合はどうするのかって? 自滅装置を発動するのさ
>しかし、これは自分で選択した道ですから。 ああ、そうじゃないです。このシャルマが、あなたを説得している、と思ったら それ、違います。俺は自分自身を語っているだけ。あなたがどうしようと、 それはあなたの勝手。ところがね、往々にして、とことん突っ込んで喋っていくと 何かが醸し出されることがある。それはネガティブな自分に対する気づきである場合 が多いけれど。でも、俺はそんあ効果をねらっているんじゃない。 このテーマについて語りたいから語っているだけ。無償ですーー。
>もちろん、特別でもなんでもない。 多くの人が体験しているし、 ここね、落とし穴はあると思う。自分は特別にならなかったけれど、 やはり、マイトレーヤー様は何者か?でしょ、違う? そうじゃなければ、煙草やのオヤジに会ったって話と一緒。 マイトレーヤーは特別、自分のグルは特別、あれやこれやは特別、これ、 みんな同じ。特別を認めると、そうじゃないものができる。困ったものです。 で、もう一つ。
といったところでフリーズ。最後の投稿はできませんでした。 俺も疲れた。あ、君達に疲れたんじゃなくて、肉体的に疲れただけ。 でも、舞ちゃんと話せてよかった。ありがとう、付き合ってくれて。 みやび、あれは何?インポかね、ぜんぜんスッキリしない椰子。最低。 とことん話せる。これがネットの醍醐味じゃない。 身体は移動せず、メンタル体が出会う。素晴らしい。 ここで、引いたり、嘘言ったり、荒らしたり、それじゃあ、時間の無駄だし 死んでも、そんなレベルで苦しむだけ。 本音でどんな作為も目的もとことん話したらいい。 で、ある意味、これって御遊戯。 御遊戯で何処が悪いのか?ヒンドゥは世界を何と言っている? 俺は、キリスト教的、奉仕、とか、義務とか、そんなものより、御遊戯でいいね。 じゃ、また、遊ぼうね!
177 :
まやび ◆nclHfBhYVI :03/01/29 12:18
>ところで、まやび、なんでこのスレ消すんだよ?
>>1 を読めば分かると思うんですが。
ここでシャルマさんと信仰の水かけ論を千年続けても結論はでない
でしょう。シャルマさんの言葉は申し訳ないが私にはもう届かない。
たぶん元ラジだからわかるだろ?っていう感じかもしれないが。
申し訳ない。今ではあなたやラジニーシ信者のようなグル信奉者は
私には幼稚にしか思えないのだ。あなたがもうラジとは縁を切ったと
言っても私はそれを信じないだろう。結局あなたはラジ信奉者なのだから。
ここで私はラジニーシとマイトレーヤについての考えを述べて
和尚を叩くことすらできる。ただそれをやるのは絶対ない。
それはシャルマさんが信を置いているものを著しく瑕つける
ことにもなるし、信奉者の火に油を注ぎたくはないから。
だから私のここでの態度はこの仕事に対する透徹さを失うことは
できないし、あなたとの対話もいくつかの配慮を含んでのことだ。
自分が満足できないものを他者に求めることは信奉者のよくやりそうなこと。
それくらい私はよく分かっている。だからいくら罵倒してもかまわない。
好きなだけ私をバカにしてください。
私にとっては和尚は踏み石にすぎない。それだけだ。
そしてハイアラキーの観点からみればKもGもRもすべて弟子であり、苦闘した
人生を送った。そしてこれらの先輩方にはハイアラキーからの援助が間違い
なく存在したのだ。
だから信なきものは去れ。今自分がいるところが頂上だと思うのは
信奉者の自己満足でしかない。私は仕事で忙しいのだ。
仕事で忙しいんだったら自分でスレなんか立てるなよ。 自分でスレ立てておいて、仕事が忙しいから相手ができないなんて、 シャルマよりあんたの方がずっと幼稚だよ。 >自分が満足できないものを他者に求めることは信奉者のよくやりそうなこと。 まやび自身のことか、これは? クレームを信じている自分は幼稚でなく、ラジ信奉者は幼稚だという主張には、 仕事に対する透徹さの欠片もないよ。 >だから信なきものは去れ。 ここが悪名高い2ちゃんねるのスレッドだという事を忘れてるのかい? 君はこのスレを立てた人間ではあってもこの掲示板全体の管理者ではないんだよ。 もうちょっと頭冷やしたら? >今自分がいるところが頂上だと思うのは信奉者の自己満足でしかない。 ラジ信奉者を幼稚だと言うあなた自身の事のようだね。
>オカルトの情報というのは、実証も、証明もできません。 >それを理解するカギは「信」を置いて他にないからです。 これを認めたとしたならば、判断材料は語り手の態度や性格のようなもの にならざるをえないね。 まやびが叩かれるのはここでの語り口が醸し出す何とも言えない嫌な感じが そうさせるのだよ。 さらにはそれがまやびの「信」への信憑性までも失わせる。 >お互いの底流に流れる愛を露わにしていくスレですね。 >「人の子らはひとつ。私は彼らと一体である。」 マイトレーヤとかオカルトの話を抜きにして、まやびみたいなやつが こんなことを語って誰が信用するか? 常識で考えて政治家かなんかの美辞麗句にしか聞こえないだろ。
180 :
L.ロン・ハバード :03/01/29 14:15
皆さんが、様々な出来事が予言されている、聖書の黙示録をよくご存知のこと と思います。 さらに、反キリストとして言及されているキリストの最大の敵が 君臨し、その信念が、世の中に行き渡る短い時代についても述べられています。 このすべては、非常に神秘的で、愉快な読物として役立ちますが、その中には 真実も含まれています。 この反キリストは、ルシファー(Lucifer)の力を表現 しています。(Luciferとは、字義的には、 「光の保持者」 あるいは「光をも たらす者」 のことです。) ルシファーとは、黎明すなわち銀河連合(Galactic Confederacy)の神話的な表現なのです。 私の使命は、この短い反キリスト時代として表現されている聖書の予言を成就 することである、と言ってもよいでしょう。 この期間に、彼らの全体のシナリ オを効果的に破綻させるの束の間の機会があるのです。そうすることによって Marcabianの大群の襲来(再臨:Second Comming)が、不可能になるでしょう。 再臨は、とりわけ、迅速な一連の破壊的な出来事を引き起こすように、計画さ れています。 (訳注:Second Commingという言葉は、普通、キリストの再臨の意味で使われ る。)
181 :
L.ロン・ハバード :03/01/29 14:16
オリジナルの仏教を例外として、この惑星上で多少でも影響のある宗教は、一 神教、多神教をとわず、事実上全てこの「意識の進化」の進行を促進させ、究 極的に人類を奴隷化させるための道具でした。 皆さんも知っているように、ゴ ータマ・シッダールタは、自分が、人以上の如何なるものでもない、と主張し ました。この作戦を察知して、彼は、弥勒菩薩(Metteyya)として自分が、再 来すると要求(訳注:postulate、この用語は、サイエントロジーでは、「決断す る」に近い意味で用いられる)しました。その予言の一部は、L.ロン・ハバード の死をもって成就されるのです。 皆様方に対して、キリスト教徒としての足を、私は、踏みつけてしまったかも しれません。皆さんを美しい神話の迷妄から覚ます機会を、私にください。 例 えば、歴史的なイエスは、いままで、主張されていたような聖者とは、似ても 似つかない人物でした。若い少年および男性を愛人とすることに加えて、彼は、 感情と憎悪の爆発を制御できない気質でした。そのことは、愛、理解、および その他の典型的なMarcab PRに関するイエスの語ったこと一般が、偽りであ ることを示しています。イエスの霊感に満ちた教えと、それが、不可避的にど こに行き着くのかを知るためには、皆さんは、歴史をご覧になるだけでよいの です。 それは歴史的な事実です。それでも人は、イエスの理想から離れようとしませ ん。生物学的インプラントは、それほど深く陰険なのです。銀河連合をエデン の園の蛇、獣、「暗黒の王」の使者などにたとえているのは、よく出来た冗談で す。 しかし、聖書の幾節や、その神秘主義的な解釈のあるもの(その多くは、 何世紀もの間、抜き取られ、効果的に隠されてきました)では、カバラと同じよ うに、知恵のある者や騙されない者にとっては、真実が、真実自身をはっきり と明らかにするのです。(訳注:the truth reveals itself quite nicely、OT[の サブタイトルは、"the Truth Revealed"「明かされた真実」である。)
この荒れようはシャルマだけの責任ではないと思うね。 シャルマごとき一蹴できないようで何が弟子道ぞ?
まやび、しかし、おまえも そこまで醜態さらすこともないだろう? 羞恥心ってのがないのか? お前なあ、自分がヘタレ信奉者だからって、自分が信じる、という中毒に終止符 を打てないからって、人にそれを投影するな、って何度言ったら分かるんだ? 何が、嫌なんだ?俺が、決して疑えない地点まで行き着いたからって、 俺が信奉者を卒業したからって、 なんでお前が、それを頑なに疑うのかね?何がそんなに不安なのかね? 結局、お前は、自分の疑いを隠そう隠そうとしているだけ。 だから幼稚なんだよ、何時まで経ってもね。 体験とか、信心とか、私とか、グルとか、神とか、救世主とか、 これ全部疑えます。信じるか、疑うか、どちらかです。 ところが、空っぽ、知らないこと、は疑う余地がもうなんだよ。 自分で実証できるんだ。縁起も無常もね。 自分が疑えない地点まで行けば、他人のことなんてどうでもよくなるんだよ。 他人がどう言おうが自分は自分。影響されません。
185 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 15:07
クレーム信者なんて馬鹿クリスチャンと同じ穴のムジナ。
まやび、お前は単なる信念の持ち主だ。それも大して強くない信念。 ちょっと風が吹けば、ぐらぐらになるようなもんだ。 そんなだらしないものしか得ていないのに、何を奉仕したいんだ? 結局、自分だけじゃ不安だから、他人まで引き込んで安心したい、 そんなもんだろう? 俺には、そんなことは必要ない。 全存在がすでに悟っているのだから。 何を信じてもいいが、それは自分だけの支えにしといて、撒き散らすな。 解ったか?逃げたければ言い訳しないで逃げ出せよ。 タコライス!
187 :
まやび ◆nclHfBhYVI :03/01/29 15:28
削除依頼出しました。 いつこのスレがなくなるかわかりません。
不真面目な奴だな、まやび、 ねえねえ、タコライスとトルコライスどっちがいい? え、タコ焼き? じゃ、それでも食ってろよ。
670 :774 :02/07/19 01:22 ダイナミック瞑想もよくやりました。ダイナミック瞑想はクンダリーニを上げ るというよりもカタルシスを主眼においてます。これは和尚ラジニーシの瞑 想に対するアプローチを良く顕してるものですね。 私は意図的にクンダリーニを上げるような瞑想はしたことがありませんが、瞑想にともなって、肉体他、情緒体、メンタル体の浄化については、 瞑想を解説している本であればなんらかの形で触れていると思います。 よく瞑想することでこれらの諸体が浄化されると思っている方もいますが、本来は自分の感情、思考、肉体にどれだけ注意をはらっているかという ことなのです。瞑想者にとってこれらの自分の諸体の性向を見抜いて注 意深く扱わなければなりません。それから瞑想です。 プーナのアシュラムでは、21日間のヴィパッサナもやりました。 あれは凄かった。 今では私はラジニーシの信奉者ではありませんがすべていい思い出 です。グル、瞑想体系、テクニック、スピリチュアルワーク、宗教、 これらすべては梯子です。一段一段確実に上っていくこと。 上っていくには自身の精進と、それに呼応するような未知からの働き かけ(まずい表現です)の両方が必要です。 瞑想は和尚ラジニーシ風に言うなら、「存在」との呼応です。
190 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 16:33
で、クレーム信者でお話に応じたのは舞都だけというわけか? ほんとにクレームのいいマイナス宣伝になったね(w
>ほんとにクレームのいいマイナス宣伝になったね(w だから消去して逃げ出すんだ。 消去反対!まやびは晒し者になるべき。
つーか、まやびってシェアの中でもつまはじき者なんだろう。
まやびの本質を表すレス↓ 119 :まやび ◆vuNW8zNsbc :03/01/29 01:05 >やあ、僕はね、ホントに、何も信じなくても、もう、いいんです。 >普通で幸せなんですったら。 それじゃ私と同じですね。 売り言葉に買い言葉にしてもこれはヒドイと思ったね。 暇でカウチポテトな日常に刺激的なスパイスを加えるためにこんなことや 愛だのハートだの世界平和だのと言っているのかね、この人は。
>マザーテレサの魂を霊的指導をしたのは、 エルカンターレこと、幸福の科学の大川隆法総裁先生なのですよ。 こういうオタクと一緒。結局、タコなんだな。
名前:774 メェル:sage 投稿日:03/01/13 19:07 >差に野心批判の是非と、儂の差に野心批判の意味を。 >横から見てどう思う? サニヤシン批判の中身の前に、その批判が批判のための批判、 つまり批判したいための批判というものは、結局受け入れられない のではないでしょうか。 リアルさんの差に野心批判に対して、サニヤシンからの反論の反応がないのは、 あなたがここで批判したくて批判していることを見抜いているからだと思いますよ。 それはたとえば教会へ出かけて行って、「あなたがたの信仰は間違っている」 というようなものなのです。いくら正しい主張ができたとしても、ある意味無礼です。 リアルさんはサニヤシンのことを知っているからそれができるとしてもです。 2chでは批判も煽りも簡単にできます。でもそれが真摯に受け取られないなら、 何の意味がありますか?批判のための批判。それはまぎれもなく自己満足であり、 自己欺瞞です。それをやっているかぎりいつまでも燻りつづけるでしょう。 批判は対話の中であるべきです。対話をしようとしても相手が耳を塞ぐというのであれば、 それは相手の問題です。ですから片方の対話としての批判、まじめな批判については、 批判される方も耳を傾けるべきなのです。2chではそういう対話も可能だと思いますが、 どうやら批判のための批判や、煽りの方がみなさんお好きなようですね。 ここが匿名の掲示板ということもあるかもしれません。 でも私はそれを言い訳にはしたくありませんね。
名前:774 メェル:sage 投稿日:03/01/13 19:29 それで、サニヤシン批判の中身についてですが、 >サニヤスとは汎用な宗教グループと、その構成員の何者でもないということだね。 >それが儂が主張している、差に野心は、和尚がコキおろしている当事者になりさがった という意味でもある。 ここはおおむね同意できるところがあります。 けれども結局は何を信じるかは自由だと思います。 信奉する対象として、和尚は比較的わかりやすいのでしょう。 リアルさんは、「信奉者」というものを看破できたのでしょう。 でも、それは和尚のサニヤスのような仕掛けのせいではないと思います。 もしわたしがクリシュナムルティがすべて正しいと信じ込み、さらにそれを誰かに押しつける なら、私はクリシュナムルティの信奉者になります。 信奉者という点では同じです。ですからこれは普遍的問題だし、 自分の中の信奉者は「終わった」「終わらない」の問題ではなく、 常に自分自身の中で見ていかなければならないと問題だと思います。
914 名前:774 メェル:sage 投稿日:03/01/21 00:03 890さん。 哲学板から帰ってまいりました。ヤレヤレです。 >人間にとって瞑想がなんだか宗教家や、精神世界、あるいは霊的な向上を考えている >人に限られた関心と実践に留まっていることが少し残念でした。 瞑想に関心を持つ人というのはたぶん少数派だと思います。 そして飢えている人は必ず来ると思います。 > なまじ宗教が入るとあの宗派は駄目、あの瞑想は駄目とか排他的な意識や >つまらない優越感も生じるでしょう。 みんなより所が欲しいのだと思います。それなしでは暗黒の平原をいくように 思えるのでしょう。 真理は道なき大地だとクリシュナムルティは言いました。 わたしたちは勇敢なアボリジニが平原を独り行くように、 たったひとりで真理に立ち向かわなければならないと思います。 どんな瞑想や宗教等に執着していたとしても、いつかは独りで歩み出すほかないことを 見いだすかもしれないし、その中に埋もれてしまうかもしれない。 それを正直にみつめ、乗り越えていくのも、 やはりそれぞれ自分自身にしかできないことだろうと思います。 >要は真我というか生命の本源とどう繋がっているかだけなんだと思います。 >見かけの方式はそれぞれ違っていても・・・ 私はよく独りで散歩します。何の変哲もない街ですが。 人々の表情、風の匂い、音、建物の陰影などを見ます。そしてそれらと 自分との関係は一緒であるのを見て、正体不明な喜びがあります。 生命の本源とは何でしょう。私にはわかりません。 しかし独りの散歩は楽しいものです。
199 :
名無しさん@3周年 :03/01/29 23:17
シンパは、まともな人間から見れば自分たちが異常だということに 気がつかないまま、一生懸命自分たちがまともだと主張して自分たちの 異常性を宣伝している。
774って誰?
ところで、なぜシェアには元ラジが多いのだろう? 共通点があるのかな?
ニューエイジのパイオニアだから
774=まやび
>>201 要するにクレームってのは、KやGやRは最高度の覚者じゃないとか何とか言って貶める事で、
それらの信奉者を自分のとこの信奉者にしようとしてるだけだろ。
ラジニーシの奴ら見損なったよ。 ラジニーシ批判やってるリアルタイムを止めさせた774を煽ってるんだろ? サイテーだな
719 名前:u 投稿日:03/01/28 16:50 >才能のある師につけたお陰で、混乱〜 ラジニーシは、才能があった、そして、器が大きかった、と思います。 そして、彼は、私達に届くために、中央インドの田舎から、出た。 あの因習が支配的なインドという国で、性の解放を謳い、挑発的な発言を繰り返した。 捨て身の献身ではないでしょうか?ただ、単に、私達に届く為に、身を犠牲にした。 この恩に報いるために、自分は何をするべきなのか?と問う。問うことです。Osho には感謝している、などと口先で言うのは止めるべきです。 彼は、恋人だったのでクレージーだった。本気で言います。彼はある意味で狂っていた のです、愛、故に。kのほうが確かに正気でした。 その恩に報いようとするものだけが、そのような愛に気づくのです。 愛とはあまり言わなかったけれど、メッセージは愛だった。 完璧な信奉者だな。
>207 自己認識と、師弟関係は、違うレベルの話。 悟った弟子でも、自分の師の他界の際に泣くという。 ぜんぜん違う次元の話です。 信奉者、は自己認識には至れません。 単純な事です。私と信奉するもの、の二元性から自由になれないからです。
209 :
名無しさん@3周年 :03/01/30 00:41
信奉者はいらない。役に立たないから。
和尚ラジニーシが、最初にロード・マイトレーヤ宣言をしたのは、日本の天河弁財天社 であった。奈良か和歌山の山奥にある。紅卍会関連の古参のサニヤシン(ラジニーシ信者)と 一緒に行くことになった。宮司さんにOSHOからの宣言を読んでもらうためだ。 その当時、社はなくてご神体の岩が露出していた。サニヤシンらしくセレブレートがあった。 それは一種のセレモニーだった。宮下ナントカという音楽家も来てたな。 ところで、そのとき私はOSHOの本の売り場にいたのだが、知り合いのサニヤシンー たぶん京都在住の古参だったと思うが、不思議な話を聞いた。知らない人から名前を 呼ばれ、「あなたのグルはマイトレーヤではない」と言われたというのだ。 まったくみず知らずの人でとても不思議だったと語っていたのが印象に残ってる。
211 :
名無しさん@3周年 :03/01/30 01:40
生きる為には御粗末であれ何らかの考えを信奉することが必要だ 人間というモノは必ず何らかの独自の宗教や思想を信奉している たとえそれが思想や宗教と呼べる程のものでもなくてもだ それから自由になるには廃人になるか心臓を止めるしかない
そんなことないよ。
213 :
名無しさん@3周年 :03/01/30 01:45
>和尚ラジニーシが、最初にロード・マイトレーヤ宣言をした イタかった、というか痛々しかったな。
けけ 今だにラージ西の呪縛がとけぬようだな(藁) そんなことでは、非議参入はできぬぞ、師を越えてこそ道になる訳だ 舞都の野郎はタバコでもすっとんのか、お目ーらは眼中に無いということかな(藁)
ああ言えばマイトレーヤ
>210、 古い話をありがとう。いや、宮下某で思い出しが、俺、そこに居たな、きっと。 天川。88か89年じゃなかったか。 懐かしい。
>信奉者はいらない。役に立たないから。 そうかい?世間に対して、って言う意味なら、信奉者は役に立つよ。 角者は、、、何もしない奴のほうが多いと思う。 活動するのは一部の人だと。 だって、メンドクサイことだから。
>u 87年ね。 で、それについてクレームはこう言っている。 質問「ラジニーシは自分をマイトレーヤとして発表させました。それに対してどう思いますか?」 答え「私の理解するところでは、ラジニーシは自分をマイトレーヤとして「発表」させたのでは なく、二人の信奉者による霊感を受けた書き物に従って、その名前で彼を呼ぶこともできること を認知したのです。それは彼が実際に自分がマイトレーヤであると信じることとは違います。 彼はそれほどばかだとは思えません」
信奉はたしかに最初はいい。それは守られるために必要ですらある。 無害であるならなにも問題はない。 だが、弟子道となると状況は変わってくる。弟子と言っても 最も卑しい熱誠家から様々な段階のイニシエートから覚者までを含むのだが。 彼は試される。彼は訓練の場にいる。もちろん本人の同意を伴ってのことだが。 だからそれを望むもの、自ら苦闘を望むまで煮詰まっているもの、 今まで得た立場や悟りすら捨てられるもの、人類の底辺に流れる愛を顕現すべく 誓ったものが、試みに招待される。招待に応ずるものは少なく、さらに進むものは もっと少ない。
奉仕の機会を掴むものは少ない。 みな、苦闘の海を目の前に尻込みをする。しかし誰かが斧ひとつで原野を切り開くスピリット を持たなければ、次のエージは悲惨であろう。このことに気付いているものは少ない。 自分たちの「悟り」に夢中なものは多い。そこをかなぐり捨て、人類に仕える道をに進む者こそ、 今もっとも希求されているというのに。
>自分たちの「悟り」に夢中なものは多い。そこをかなぐり捨て、人類に仕える道をに進む者こそ、 >今もっとも希求されているというのに。 自分が悟ってもいないのに、 人類に奉仕できるという考えはあなたの傲慢さの現れでしかないよ、まやび君。
ラジニーシ運動というのはニューエイジ界のコミュニズム運動と言えると思う。 言うまでもなく、共産主義はもう終った思想だが、一度その思想に捕われると その者は一生涯、人間観や世界観が大きく歪められてしまうと聞いたことがある。 たとえ、自分の顕在意識で共産主義はもう終ったんだ、自分はその呪縛から 抜け出たんだと思っていても、無意識のうちに呪縛されてしまっている。 共産主義という思想そのものは捨てえても、その思想にどっぷり浸かっていた頃の 思考パターンや行動パターンまで完全に捨て去ることは至難であるらしい。 イカサマ宗教の洗脳にも似ているが完全な洗脳ではないからなおのこと厄介だ。
>ラジニーシは自分をマイトレーヤとして発表させました こんな話、俺は当時から信じてなかったね。だって、そんなこと関係ないじゃん。 俺はバグワン、バグワンっていう世代でもなかったし、グルイズムにはそれほど 惹かれなかった。だって、実現不可能だったし。 ラジニーシはサイババのことを単なる馬鹿と言ったり、ムクタナンダをコケにしたり、 兎に角、弟子や信奉者達の気が、あっちこっちに飛ばないようにしていただけだろうね。 そんな話を真に受けて一々信じて、ま、信仰の人はそれでいいけど、俺は認識の人だった から、基本はさ。 >221 自分が悟ってなくても、奉仕はできるでしょう。 悟ってる、悟っていない、は関係ないと思うよ。 それが道、という人も居る。 でも、まやび、みたいなのはヘタレだな。 便所掃除とか、そんなこと最初にやるべきなんだ。
Uってどこから書き込んでんの? 精神病院からか? いつ寝ていつ働いてるのさ? わりとマトモなことを書いてるようにも見えるけど いかんせんカキコの頻度がちとコワイ。
>224 精神病院、あははは、世界中マッドハウスじゃないか、 そういう意味では、そうかな。 君、君が労働者階級だからって、人までそうだとおもっちゃいかん。 今日、3000億だかなんだか相続した人がいるらしいじゃん。 ま、俺は金ないけどね。
それにしても、どうしていつもいつも、お前は誰だ、ってことに関心があるんだろうか? お前なんか悟ってない、だの、お前は人格が低いだの、お前は信奉者だの、 お前は、お前は、お前は、ってね。 そうじゃない椰子は、マイトレーヤーだの、ああだの、こうだのって。 どうかしてるぜ、オッサン達よお、 マトモじゃない。 私は誰か? だろう?決着を先ず付けろよ、この死にぞこない! 何が、奉仕だ、何が修行だ、何が弟子だ、何が精神世界だ、お前ら。 単なるオタクじゃねえかよ。ホント、どいつもこいつな。 これは、サニヤシンどもに、呆れて、パロッタ詠なんだ、2年前に、 ここに書いとくよ。 分け入っても、分け入ったも、アホの山
228 :
名無しさん@3周年 :03/01/30 12:19
今、一番霊的成長を遂げていう者たちは、我を忘れ奉仕の分野で活躍しているもの たちである。経済、政治、科学、社会のあらゆる階層と分野におり、彼らの奉仕の 成果は全人類のために捧げられているという点で一致する。そしてその規程にある のは「愛」である。 他方、グラマーと自己幻惑の中にいるのがいわゆる精神世界の住人である。 彼らは追い越されるであろう。様々ないわゆる霊的な道やテクニックを知らずとも 意識を前進させることは充分可能である。それらを鼻にかけているものたちは自らが執着 しているものによって置いていかれるだろう。その意味でグルの責任は大きい。 友よ。あなたの悟りや自己認識はあなたのものではない。 それは人類全体のものである。 これについて熟考することを提案したい。
229 :
名無しさん@3周年 :03/01/30 12:37
>U 救世主を求める香具師ってのはイエス誕生以前からの千年王国願望に由来する からそう簡単にはなくならないよ。 神の隣に座りたいという自我の欲望と異教徒は地獄に落ちろという怒りに満ちた 精神を有する人間が一番救いに値しない存在であるとの気づきがあればこの幻想 に終止符を打つことが出来る。 その後は真っ当な人間になるか五島やクレームのような商売人になるかは その人の資質かな? まっ、このレスを読んだ人がイイお客さんであることから卒業できることを 祈るよ。
>今、一番霊的成長を遂げていう者たちは、我を忘れ奉仕の分野で活躍しているものたちである。 そういう選民意識なんてさっさと捨てろよ。
>友よ。あなたの悟りや自己認識はあなたのものではない。 それは人類全体のものである。 これについて熟考することを提案したい。 友よ、言いたいことは分かるんだが、 これも誰かの受け売りだろう? 本で読んだの? どうしてかって。最後のこの文章、まと外れなんだ。 悟り、自己認識、そのものが個人的ではない。 悟った時、認識が起こった時、個人が悟るのではない。 全存在が、すでに、悟っていたと悟るんです。 だから、悟りはそもそも全人類のものなんです。 しかし、それは個人の体験、個人の目覚め、なんです。 まあね、悟ったらそれを伝えようと必死になる。 でもね、よく見るとね、誰も真実を欲していないって分かる。 人が欲しいのは、自分自身の真実じゃなくて、 慰め、だったり、ま、いろいろ。
それでも、人間の中に入っていって、伝えようとするのは、 並大抵の、愛じゃないんです。ニーチェが言いました。 それは、没落なんです。 エゴや自己満足から人間の中に入って行って、結局、金や権力や女にまみれる 似非グル、こんなのは腐るほど居る。 こんなのは、自分の霊性を歪めるアホ。
人の中に入って行って、本当の事を言うと、どうなります? 貶される、罵倒される、疎ましがられる、 そんなもんでしょう? え、元ラジ?やーい、信奉者が何言ってんだ、馬鹿。 シャルマ、あの馬鹿が、悟るわけねえよ、妄想、妄想。 こんなもんです。人は自分を防御したい。傷つくのを恐れる。 権威は認める。言い訳にちょうどいいから。ああ、バグワン、あなたは2000 年に一度のお方です。私は屑です。ああ、マイトレーヤー様、待ってます。 こうやって、自分の責任を回避するわけ。 でも、自分並みのシャルマは許せない。絶対、許してはくれない。 悟りなんてなんでもない。単なる事実なのに。 投影、投影、投影の嵐。
悟っても只の人、なんです。違いは、それに目覚めた、夢を見たり、 理想を追いかけたり、ありもしないことを思い描いたりしない、 つまり、逃避する必要なし。 これが始まり。 ここから、本当の修行なんだけど、いわゆる修行とは、違う。 正反対なんです。いわゆる修行は、覚えている、想起する、 つまり、覚醒することなんだけど、悟後の修行は忘れることなんです。 自己を忘れ、こころを忘れ、悟りを忘れる。禅で、大悟徹底。 そして、ハートを広げること、愛とひとつになること。 こんなもの、ま、人によるんだろうけど、 いっぺんには来ませんよ。 この辺が、信仰とか神の次元でしょ。 人を救うなんて、並大抵のことではないんですよ。
目覚める、ってことはさ、嘘=私という主体、がなかった、ってこと。 そうすると、ここ、このままの、全てが、在る。それだけ。 微かな、平和、至福、愛。そんなもん。ごく普通の状態。 君達の普通の状態は、マインドマインドマインド、でしょ。 これは異常。 理想を追いかけたり、ユートピアを作ろうと努力することではない。 それを俺は否定はしない。勝手にやればいいし、民間人でも、アフガンなんで 必死の救済活動をしている人なんかは、ある意味尊敬に値する。 でも、それと、自己認識は違うんです。 ラマナマハリシは何十年も口をきかずに山に篭った。 ツァラツゥストラも蜜に満たされるまで、待った。 そんな世界。 奉仕をワークにしているなら、自己認識なんて無視して、奉仕する。 それしかない。こんなところに出てきて、いい加減なことを言っていると、 叩かれて当たり前。 奉仕するのに、信、ってものが要るなら要るで構わないが、それはさ、 お前の魚の骨だろ、ってこと。 分ってね。 でも、お前らは、すぐ忘れちまうだろうから、何度でも言ってやるよ。
236 :
名無しさん@3周年 :03/01/30 15:11
489 :シャルマ :03/01/06 17:40 サニヤスのイタイところ 1、エゴイストに成る>煮詰まる>苦諦 と進むところを、OSHOのワークだなんだと騒いで、いい加減に、 他利的になって自分を誤魔化したところ 1、ヘンテコなセラピー商売に精を出しちゃったところ。イタ過ぎ 1、帰依者と探求者の違いすら分からなかったところ。おー、ゴッド 1、全共世代が、甘え過ぎた、大人で、多くがそれにフォローしただけで 終わったところ 1、女性原理ばかりに固執したところ 1、海外で騒いで、国内では困難を逃れたけれど、 その為にホリディ気分で修行をしたところ 1、頭を使うことを拒否したところ 1、そもそも馬鹿で感情的に成りがちな人間が集まったところ
俺だって、自分を語っているよ。 先ず、屋根の上から叫んだ。どうなったか?引き摺り下ろされて、袋叩きに あった。苛め抜かれて、最後は放り出された。 誰にも相手にされなくなったよ。 次に、自分の体験をそのまま書いた。いいね、って言う人がいた。 死ね、という人が居た、両方投影。 次に小説を書いた。これは面白い、結構。 ま、後はここで暇つぶしだ。誠意は込めているけど、シリアスにはなれないし、 どうせ、真実を欲している椰子なんていない。 言葉だけで、どうにもなるもんでもない。 でも、とことん話せば、何かが醸し出される、そんな気がして。 ま、遊んでんだけどね。
>友よ。あなたの悟りや自己認識はあなたのものではない。 それは人類全体のものである。 これについて熟考することを提案したい。 友よ、言いたいことは分かるんだが、 これも誰かの受け売りだろう? 本で読んだの? どうしてかって。最後のこの文章、まと外れなんだ。 悟り、自己認識、そのものが個人的ではない。 悟った時、認識が起こった時、個人が悟るのではない。 全存在が、すでに、悟っていたと悟るんです。 だから、悟りはそもそも全人類のものなんです。 しかし、それは個人の体験、個人の目覚め、なんです。 だから、熟考する必要なんてありません。 これ、忘れてた。知った事実を熟考する馬鹿がどこに居ますか? 自分で知りもしないことを、口から出任せにして、それが精神世界なの? 俺は修行していた時、ごく最初から、自分の知らないことは、知らない と言う、この鉄則は守り通した。基本です。嘘は止めましょう。
>今、一番霊的成長を遂げていう者たちは、我を忘れ奉仕の分野で活躍しているものたちである。 それはそれでいいじゃん。でも、本物は、それを言わないんだ。だた、ニコニコ 笑って奉仕している。屁理屈なし。話すと、マザーテレサのように、胸にぐさりと 来ることを言う。 そんな人は、まず、差別意識がない。みんな神の子供として見ているでしょ。 そして、そんな人は、自分の神を人に押し付けない。宣伝しない。 無意味だから。 自分の魚の骨を他人に見せたり、勧めたりしても臭いだけ 作 うぐいす
だからな、まやび、と、その一派、やるならやるでいい。 しかし、やるなら徹底しろよ、自己犠牲だろ? 何で、守るんだよ、何で、逃げるんだよ、何を、混乱しているんだよ! 元ラジの甘えの構造をそのまま奉仕に持ち込むなよ。 引くから縮こまるんだよ、シャルマさんが恐かった?このシャルマごとき が恐くて、世間を渡れるのか?踏む絵を踏めるのか? 信仰者として死ねよ、死にぞこない。 俺は認識者として死んだぞ。ま、まだ、糟は残っていて、こういったゴタクを 並べてはいるが、(この辺イタイのは自覚している)最初の底は抜いた。 抜けよ、まやび、抜け!その前には、立たなきゃあかん! 起立して、緊張極に達して、突き抜けロー、って また、下品やっちゃった。
241 :
名無しさん@3周年 :03/01/30 16:00
>>239 本物も偽物もないんだよ
そうした識別は無意味
そうそう、クレーム信者なんて全て偽者の奉仕。
243 :
名無しさん@3周年 :03/01/30 16:12
>>227 お前もそのオタの一員であることにまだ気づかんのか?
暇なんで、ちょっと川柳でもやりませんか? じゃ、先ず、わたしから 痛い椰子 ああイタイ香具師、(ちょっと落ちが思いつかない) 死にぞこない 逃げ出す場所は 観念世界 まやびさん 消しても消えない 恥さらし ま、あんまり練ってないんで、こんなもんでした、すいません。 川柳きぼーんぬ
245 :
名無しさん@3周年 :03/01/30 16:32
あれもそれも本物だが、その違いは単にレベルの高低にすぎない。
結局、真理はむき出しでは、民衆の気分を害するものなである。 たくさんのオブラートに包んで、御伽噺として、一見しても 解らないように、隠さなければ、いけない。 寓話の中に真理は隠されている。 真理は、それを発見しようとする人だけを待っている。
シャルマ君 うぐいすとなって スレを飛ぶ うぐいすが ホケキョと鳴いて まやび泣く まやび君 あんまり苛めちゃ かわいそう
>お前もそのオタの一員であることにまだ気づかんのか? お前もか お前お前と 人は言う >お前もそのオタの一員であることにまだ気づかんのか? そうだったんですか! >お前もそのオタの一員であることにまだ気づかんのか? おれりゃ、農協の一員だべ!そんなオウムみたいなものと一緒すんじゃねえべ!
>247 俺も練ってないけど、君も練ってないねえ。 でも、笑いは取れてるよ。 少なくとも俺には、、、
シャルマ君 スレを間違え カッコ悪い
奢瑠魔師は寂しがりやなのか どうしても相手して欲しいようだね
252 :
名無しさん@3周年 :03/01/30 19:21
このスレはu=シャルマの独り言スレとなりました。 信奉者を抜けるに抜けられない哀れな様子を見てやっておくんなまし。
>シャルマ君 スレを間違え カッコ悪い 鳴かぬなら 鳴かせてみよう うぐいす あ、また間違えちった!
へんなメール(ウイルス・メール)が来始めたぞー。 差出人、リーラで出したろう?誰だ?ま、開けないけどね、みえみえ。 ま、誰がやっているのかは解らないが、どうして実害までだそうとするのか? ここで、言い合って、それでいいじゃないか。 どうして、卑劣な真似までするんだろうか? 荒らしの連中だろうか? サニ香具師は、前科があるからやる可能性がある。 雅一派がやっているとは思いたくないな。 そんなことまでする連中とは付き合えない、やめやめ。
奢瑠魔のUは浮かれもののU 浮き草のU、そして霊的うえのU それでもしゃべり続ける奢瑠魔、時には沈黙もよかんべか
>>214 >舞都の野郎はタバコでもすっとんのか、お目ーらは眼中に無いということかな(藁)
>
お陰さんで、タバコはやっと辞めたわい(藁
眼中に無いなんて、全然そんなことはない。
様々な人の意見を知るということは、なかなか楽しいし、勉強にもなる。
特に批判的意見には、耳を傾けて一考してみる価値があるもの。
>>127 >すいません。
>ラエリアンムーブメントについてのシェアからのコメントはあるんでしょうか?
>最近はクローンで話題を集めていますが、活動自体は20年以上前から
>あったようですが。
>
ラエリアン・ムーブメントやクローン人間そのものについてのコメントを、私は知りません。
遺伝子工学ということでは、クレーム氏によるこういう質疑があります。ご参考に。
『質問 人類が遺伝子工学に携わるのは進歩的な動きですか、それとも逆行的ですか。(1984/9)
答 進歩的でもあり逆行的でもあります。人間が自然の過程をますますコントロールするようになり、
やがてそれは宇宙のエネルギーのコントロールにつながるという意味において進歩的です。それ
が人間を神の共働者にさせるでしょう。再生誕を支配する法則と遺伝的実験のカルマ的影響に
ついての我々の(現在の)理解の欠如を示す例であるという意味において、それは逆行的です。』
―――――ベンジャミン・クレーム著[マイトレーヤの使命]
『質問 すべての人間は遺伝子の差異のために様々です。新しい社会秩序において、ある種の遺伝子
工学によって人間の新しい「形状」が生まれるでしょうか。(1994/12)』
答 すべての人間の身体は遺伝子の差異のため様々ですが、すべての人間は個別化した魂が転生
したものであるため、様々であり、ユニークです。遺伝子工学はその霊的リアリティを変えること
はできません。(SF映画を除いて)』
―――――ベンジャミン・クレーム著[マイトレーヤの使命 第三巻]
これを読めば、クローン人間誕生の是非についても、
大凡、その見解についての察しもつけられるように思います。
報道ではラエルグループは新興宗教団体として紹介されていますが、これは正確には間違い。 ここは全くの完全な唯物主義、神/霊魂の完全否定論者であるクロード・ボリロン・ラエルによって 創立した団体です。今から十数年前に、ここの信徒の一人で書籍も自費出版している方と手紙で 議論したことがあります。彼らの主張によれば、人類は聖書でエロヒム(天空より飛来した人々)と 呼ばれている異星人によって、実験室でのDNA操作で自分ら(異星人)に似せて制作された。彼ら はその後、メッセンジャーを地球に遣わしてきて、それが人類のレベルに合わせて各宗教となった。 それがモーゼ、釈迦、マホメット、イエス・キリストなどであった。更には彼らメッセンジャーたちのク ローンまでが彼らの星には在るという。神も魂も完全否定するが、グループで瞑想を実践している。 私から、「では、そのエロヒム(異星人)たちは一体、誰のクローン技術で誕生したんだい?」と 聞いたが、彼女はそれには一切答えようとしなかった。その後も何度か手紙が届きはしたが、結局、 それで終了。 唯物論者の究極はこういう思想になるのか? ついにはテクノロジー(科学技術)が信仰対象とな り、人間の精神性や倫理などは無理され、吹っ飛んでいく・・・。 故・中村教授はいい言葉を残している。苦痛や快感を感じるのは意識においてなされているので あり、ただの物質の寄せ集めでは苦痛や快感を感じることはできない。 唯物論者たちは、『物質から<自我の自覚>が何故に現れるかということを説明し得ない。<物質> というものが想定されるのは、それを意識する自己があるからである。物質を物質として意識し理解 するところのものは、<精神>である。』 ―――――東京大学名誉教授・東方学院院長/中村 元著[自己の探求]
まやびくん、カワイソウ。 せっかく削除依頼出したのに、まだ削除されてない。 加えて、唯一の話し相手だったマイト氏は続けて書き込み始める始末。
ただの物質の寄せ合わせなどというものが本当にこの世に存在しうるだろうか? Kも「岩石に感覚が無いとは思わない」と誰かの意見に対してある対談で語っていた。 苦痛や快感を感じるから意識があるという考えは安直過ぎる。
>>260 >苦痛や快感を感じるから意識があるという考えは安直過ぎる。
>
では、苦痛や快感を感じるのは何のためか話して下さい。
削除依頼出しましたが、このスレは放置ということになりました。 実質しきり直しでpart3になるかどうかは定かではないですが。 これで「まやび」というハンドルは止めにします。 もうコテハン使うこともないでしょう。 質問には舞都さんや、どうやらしもべさんもカキコしているようなので、 私はしばらく様子をみます。仕事も忙しいので。 私の名誉のために言っておきますが、まやびとは「マヤヴィルーパ」から とったもので決してネカマなのではありません。(笑) 最後になりますが、みなさんいろいろありがとう。
>>262 >まやびとは「マヤヴィルーパ」からとったもので
>
うーん。それは、全く気付きませんでした。
「雅」(みやび)と何か関係が・・・などと(笑) m(__)m
分かりました。大変、おつかれさまでした。
また、待っています。(T-T)
>>260 哲学/理論の中では、様々なアプローチがあるでしょう。
ここで中村教授の言葉を用いたのは、
それが簡潔で一般的にいって、とても変わりやすい言葉だからです。
神智学的には、たとえ鉱物であっても生命活動の所産の一部です。
生命でないものは存在しないが秘教的な見解であると私は思います。
究極的には、あらゆるものが唯一者の顕れであり、その部分にしか過ぎないでしょう。
>>171 >俺が言いたいのは、魚の骨は捨てる時が来ますよ、っていうこと。
>だって、魚の骨なんだも。そして、魚の骨のほうがずっといい。ドエライ方、だと捨て難い。
>
u さんのいいたいことは分かるつもりです。
しかし、マイトレーヤの出現などはあなたにとっては不要でしょうが、
マイトレーヤは全人類にとっての教師であり、信奉者の所有物にも成り得ません。
貧しい諸外国での飢餓の悲劇は、人類(自称先進国の人々)の利己的な独占による結果であるとして、
まず第一に、これを終焉するよう人類に呼びかけようとしています。
これを成し遂げて初めて人類は、隣人の中に宿る神を知るととなると。
人類には世界から飢餓を根絶した時、想像できないような霊性の目覚めが起こるといっています。
しかし、自己の魂の覚醒に対してのみ、意識の焦点を絞りたい者はそうすれば良いこと。
この呼びかけに応えて、わたしを助けて欲しいと奉仕への機会を提供されたマイトレーヤを
ただの「魚の骨」と同じに見なすというのも、全くご自由です。
山にでも籠もれば一番、雑音の害を受け難いでしょう・・・。
>>175 :u
>>もちろん、特別でもなんでもない。多くの人が体験しているし、
>ここね、落とし穴はあると思う。自分は特別にならなかったけれど、
>やはり、マイトレーヤー様は何者か?でしょ、違う?
>そうじゃなければ、煙草やのオヤジに会ったって話と一緒。
>マイトレーヤーは特別、自分のグルは特別、あれやこれやは特別、これ、
>みんな同じ。特別を認めると、そうじゃないものができる。困ったものです。
>
マイトレーヤが私のところに出現したのは(それが本物であれば)、
私を祝福し、私の“信を後押しして”確信を与えられるためでしょう。
それ以上のことは特にないだろうと思います。
私はこのことに、素直に歓びと感謝の想いを感じています。
それだけです。
マイトレーヤが特別な方であることは認めます。
マイトレーヤは人類の長兄にして、ハイアラキーの頂点に立たれる方です。
ロゴスの愛の様相(愛のエネルギー)、キリストの原理の途轍もない体現者です。
しかし本来、我々と全く変わることのない同じ人間の一人なのです。
神ではなく、同じ人間の一人であることが驚異なのであり、
弛まない自己犠牲と奉仕の結果として、その霊的意識の達成において当に賞賛に値いする方です。
当然、敬意を抱いて然るべき方であると思います。
Re.u 様へ
>>176 >でも、舞ちゃんと話せてよかった。ありがとう、付き合ってくれて。
>
私も楽しかった。こういう対談は実に久しぶりだった(笑)。
何度か応酬を繰り返していると、お互いの一致点も異なる点も共に見えてくる。
完全に一致する必要などはない。
基本的には、これまでのu さんのご指摘は十分に整合性のあるもので、
大切な部分を突いているものであると認めます。
全体から感じることは、u さんのご指摘とは二元性に対する執われへの警告であるものと思いました。
・・・時間が遅いので、今夜はこれで消灯します。
すみませんが、また、後日です。
まやびはまたいつかきっと現われるサ
ここで一応、明確に断っておきたいのですが、 私はあくまでもクレーム氏の情報とシェア・ジャパンの活動に賛同し、 支持している一個人に過ぎません。 私からの見解は全く個人的なものであって、 在る部分は正しく、またある部分においては正しくないかもしれません。 まして、私の投稿する内容の全てがシェアを代弁していることなどは有り得ませんので、 そのようにご理解下さい。
>>104 >彼らが信頼に値する聖者ないし賢者であるのか、
>落ち着いてよく考えてみることをおすすめします。
>その上で、河出書房「ラーマクリシュナ」や、東方出版「ラーマーナ・マハルシの言葉」のような
>真の精神性の体現者の生涯にふれてみるとなおよいでしょう。
>
批判的な観点にも耳を傾けることは悪くないです。
ただ、批評本をみても神智学を正しく理解できないと私は思います。
ラーマ・クリシュナにヴィヴェーカーナンダ、ラマナ・マハリシ、パランハンサ・ヨガナンダ・・・、
何れもインドの巨大な霊覚者であり、偉大なるアヴァターです。
彼らの教えと書籍も読んできました。もちろん素晴らしい内容です。
彼らの生涯についてや言葉が知られることはいいことだと思います。
日本ヴェーダーンタ協会(ラーマ・クリシュナ・ミッションの日本支部)発行の書籍は良いと思います。
しかし、それでも尚かつ、
私は、これらのヒンドゥー・イズムの系譜に沿わなくて、
結果的には本当に良かったものと思っています。
当初は元々、ヒンドゥーの道にドップリと歩いていました・・・。
>何度か応酬を繰り返していると、お互いの一致点も異なる点も共に見えてくる。 完全に一致する必要などはない 全くその通り。対話とはその為にある。 ま、こんなところで、俺も用無しになったね。 じゃあ。
uさんはまだいますか?聞いてみたいことがあるのですが、もしよろしければ お答えいただきたいです。 いままでのuさんの書き込みをみてわたしが勝手に想像するようなものですが こんな質問です。たとえばあなたにとっては状況を改善されるべき人(私も救 うという言葉は嫌いです)、貧困や飢餓によって亡くなったり苦しんでいる人 というのは実在しないものなのでしょうか? つまり世界がそう見えるのは、マイトレーヤの公への出現に関心をもっている人間の みに現れてみえるいわば仮像だということなのでしょうか? でもしこの答えがYESであるならばこのような状況にいる人々とまやびさん や私の実在性にまったく違いはないと思われます。 おそらくあなたが重要視する実証性と言う意味においてはどのような人や物に もリアリティーは見出せないとおもうのです。それはあなたが追いかけ回している まやびさんも存在しない者として否定されなければならなくなるようにおもいます。 おそらく存在の空性というようなことだと思いますが、私が思うに「私は 誰か?」を問うていったときにすべてが無くなるとは思いません。存在(being) は残るように思います。生成(becoming)が本来実在するもの ではない時間とともに滅び去る無常のもの、本来はないもの(空なるもの)なの ではないかと思います。(あくまで私が思うところですが)。
そしてあなたが多用するキーワードとして「観念世界に逃げ込むな」とか「徹 底しろ」というような言葉がありますが、uさんが人を追いかけたり突っつい たりしている限りにおいては、その対象者の存在性を認めてい ると思えるわけで、その分でご自分が徹底されていないんではと思ったりもし ます。 で、uさん的にはこうやって書き込みしている私の眼の前にいるuさんやその他 の方々も私の頭が作り出した観念で、しかもその私すら存在しないということな のでしょうか? これがもしも究極的な答えであるとしてもどうやら今の時点での私にとっては これすらも観念の産物であるように思います。 >いい、私というものを認めるところから、救わなければなら ない衆生、あるいは、 >救世主、なるものを認めることになるんです。 >そうして、信奉する、教義や、信ずべき何か、が、存在しちゃう。何かを信じれば、 >それは特定する、限定する、とうことで必ず、それ以外のものと対立してしまう。 >そうすると、これでは何時まで経っても、二元対立で、葛藤が終わらない。 >こういった二元対立的なものとしても、神、は結局人間の想像の産物でしかない。 >私、があって、神がある、信仰がある、奉仕がある。 >これでは観念世界から自由にはなれません。 世界は私なるものが認めるか認めないかということにおいて現出してくるのでしょうか? そうであれば便利だし理想ですよね。しかし私はこれこそがありのままから目をそむけ 逃げている欺瞞のようにも思えます。 しかしどのような世界が目の前にあるかによってその人のとる行為も変わってくると 思いますし、強制やおどしや危機を煽っているわけではありませんが。
ところでだいぶ前のほうの書き込みですが誤解があるように思いましたので
一応指摘したいと思います。もしかしたら私の間違いかもしれません。
>>148 :u :03/01/29 03:07
>るーばさんの発言を読むとカルト丸出しですね。
>まやびもそうだけど、
とありますがるーばさんはまやびさんと同一だと思います。なぜ名前が変わっている
のかというと直前の書き込み131,136,141においてまやびさんのハンドルをつかった
にせものがでてきたからだと思います。その後158においてはるーばさん、159に
おいては舞都さんのハンドルで登場しているようです。
>>シャルマさんも、私の偽物せいぜいがんばってくれ。
>最後にこんな嘘までついて、何をやっているの?
>何を守りたいのかね?
>御粗末だな。
でこれはたぶんるーばさん(=まやびさん)の誤字だと思います。
つまり「私の偽者せいぜい」→「私の偽者もせいぜい」だと思います。
ちがいますかね?たぶんそうだと思うのですが。
ということは、この元353もまやびということかな?w まあ、いい。 こういった疑問は、重要なことだし、君が真剣に問い掛けているなら、それが誰の 言葉であろうか、何かのヒントになるかもしれないね。 しかし、君が誰で、どのくらいこの知識を欲しているのか私には解らない。つまり、 目的は、知識を求めているのではなく、単に議論をして自分の考えの正当性を 認めたいだけかもしれない。ま、それも悪くはないが、水掛け論になる可能性が あるんだな、この手の議論は。 どうだろう?
つまり、君が自分の信念などに固執せず、体当たりでとことん議論するつもり なら、こっちはやる覚悟は元々できているのでやりますよ、ということです。 それから、私はまやびの追っかけなんか、やってません。w それなりの知性はあるようだし、元ラジということで、興味を持ったに過ぎない。 それで、逃げてるんで、逃げてんじゃないよ、オッサン、ということでこういった 議論に発展したんでしょう。私は始めから、電動こけしとか、自分のトレーラーとか、 興味はなかった。
元353 さんの問いは、つまり、 一元論と二元論についての核心部分に触れるものだと思います。 例えばここに、 世界人類から飢餓を終焉すべく呼びかけようとされているマイトレーヤの降臨という話がある。 しかし、一元論の立場からすれば詰まるところ、 マイトレーヤはもちろんのこと、人類の飢餓といった諸問題についてでさえ、 全ては客観性のものであり、情報や知識といった観念の世界にしか過ぎないことになる。 つまり、思考活動の所産は実在ではないのです。。 「飢餓」や「マイトレーヤ」などはどうでも宜しい。 重要なのは「あなたは誰か?」ということだけである。 真我の他に実在は無く、真我の実現以外に価値あるものはない。 ・・・ということになっていく。 一元論の立場に立てば、譬え飢餓の問題であってさえ、全然、自分とは関係がなくなっていくわけ。 対象の一切を認めない。しかし、みんながもしもそうなったら、一体どうなるのだろうか? これはどちらが正しいかではなく、恐らくは個人の選択の過程であると私は見ています。 けれども、私が一元論に基づく無行為の道(行為の遠離の道)を進まなかったのは、 所詮、思考の活動によっては観念の世界からは逃れられる筈がなく、 ただ迷宮に填るだけではないか。 しかし、行為の結果に執われない義務的行為(義務的奉仕)は、 行為の遠離よりも優れていると理解したからです。 これは特に、 誰かに議論を持ちかけるような意図はありません。 つづく・・・
この問題は、アプローチの仕方の違いではないでしょうか? 一元論、二元論、というよりも、仏教的、キリスト教的なアプローチの仕方の違い と言ったらいいか。 仏教では、わたし、というような主体を認めません。ですから、そこに救うもの 救われる者は居ない、ということになっています。しかし、これは、だから貧困なんて 関係ない、と言っているのではない。実体がない、主体がない、と言ったからって、 それが即、じゃあ、貧困なんて関係ない、サリン撒いたっていい、ってことにはなりません。 実体がない=無い、じゃない。 それは、ごく、心理的な意味で、通常言われている、主体=私、というようなものは 本来無い、といっているのです。
>>274 はい。私もそのように見ています。
>>276 「電動こけし」「自分のトレーラー」って一体なんのことなのか?
今一つ分からなかった鈍い私でしたが、つい先ほど、ハッ!と理解しましたヨ。
「電動こけし」 → 伝導瞑想。
「自分のトレーラー」 → マイトレーヤ(Myトレーヤ)とな。
しかし、上手いもんだなぁ・・などと、感心している場合ではないぞ。うん。
参ったね・・・。
本来無いんだけれど、無いと分かった人には、まあ、無いんだけれど、 それが有るという錯覚がある。無いんです、錯覚なんです。 仏教的アプローチは先ずこれをなんかしようとする、なんとかなっても、貧困は 貧困、腹が減ったら食わなきゃならない。これは変りません。 しかし、そう分かった本人は割と落ち着くんです。
つまり、仏教的アプローチは、本来社会の問題とは次元の違うところを何とか しようとします。だから、出家とかね、乞食するって感じです。 で、救済思想ってのもありますけど、実はそれ本来の仏教とは違うもの、 大乗仏教から出てきたものでしょう。これは、仏教のヒンドゥ化です。 で、この救済思想、間違えるとオウムみたいになる、大変危険なものです。 奉仕をしても、奉仕をしているもの、奉仕を受けているもの、という分別 が出てきてしまう可能性があります。
>uさんが人を追いかけたり突っつい たりしている限りにおいては、その対象者の存在性を認めてい ると思えるわけで、その分でご自分が徹底されていないんではと思ったりもし ます。 これはね、裏返ってみなければ解らないと思います。 こころに、実体が無い、ということが分かっても、それで、こころが 無くなるわけでもない。囚われない、ということに過ぎないし、機能 としてのこころもないと不便です。 こころは、無い、というところから、こころを認めるのと、こころとの同化 は違います。裏返ってないんです。 このまま動こうとすると、どの道行っても苦しいんです。 ただし、奉仕、帰依、の道はアプローチですから、それを詰めていけば 苦しいで当たり前で、逆に気持ち良くなる、というのはある意味危険です。 偽善、欺瞞にエゴが満足しているかもしれない。
まやびと話していて、彼は、ある時は、奉仕であり、ある時は、自己認識 的な話をしている。ハッキリしてない。これ、ラジニーシカルトも同じです。 一方を徹底すれば、その反対も分かるんですが、両方足を突っ込んでも、 混乱するだけです。例えば、男の本質が分かれば、その反対の女の本質も 分かります。しかし、お釜は、どちらのことも解らないでしょう。 存在とは何か、ということが分かれば、その反対の、涅槃ということも、 ま、どういうことだかは分かります。反対ですから。
愛は憎しみの反対物ではありません。
クリア・ヨガって何だか知らないけれど、えっと、知りたくないから解説は いいですよ、これって、瞑想でしょ?違いますか?自己認識の¥道でしょ。 これで、先ず、自分を、クリアにしたほうが早くないです? 自己認識に至れば、奉仕の意味も本当に分かるし、本来無いんだけれど、 翻って、こころや、救済するべき者を認め、情けは人の為ならず、で、 これもまた修行として、淡々とやったらいいと思うんです。
どうもおそくなりました。 2回ぐらい送信したのですが書き込まれていなかったので、ど こかに誤爆したかもしれないです。 そうこうしている間に舞都さんとuさんの書き込みがあったので 書いていることにずれがあると思いますが気にせずおねがいします。 >しかし、君が誰で、どのくらいこの知識を欲しているのか私 には解らない。つまり、 >目的は、知識を求めているのではなく、単に議論をして自分 の考えの正当性を >認めたいだけかもしれない。 これは私の個人的な情報を言わないといけないということじゃ ないと思いますが、先の 質問で私が意図したところはなんらかの知識を求めてのことで はありません。 冗長な文になってしまい質問が明確でなくなってしまいました が単純にuさんに は世界がどのように見えているのだろうかと、ひょっとして私 とは見えてるもの がまるでちがうのだろうか?と。質問はこれです。あなたにと っては貧困も飢餓も 環境破壊も(一例です)存在しないのか?ということです。
おそらくテレビなどで毎日のように放送されていますが、テレ ビを見ている私 は観念世界であるというのであればいまのところ、対話の余地 、共通点は見出 せません。勿論まるっきり一致する必要もないですがやはりみ えているものが あまりにも違うとなると対話は難しいと思うのですよ。 たしかに自分の中に正当性を主張しようとする隠された意図が あるような感じ もしますが、対話では個を浮き彫りにできますので、他者との 相違や知らぬ間 に身に着けていた信念なんかも見ることができるように思いま す。 ですからいきなり信念抜きにとかバックボーン抜きにというこ とよりも対話と いうプロセスのなかでそれに気づいていけたらいいんではない でしょうか? 私は色々な知識や信念と同一化しているとおもいますし、uさ んも空性であると か禅的色合いの強い言説とかあるようにおもいますのでそこは 議論の前提とし てはうけいれてもらえればなあとおもいます。
改行が下手だな。 読む気になれんよ。
ごった煮なんだなー、ってね。少なくともまやびの態度を見て思いました。 やっぱり、今、批判されてる、ニューエイジの世界。瞑想も奉仕も エソテリックもオカルトもあって、法友がいて、救世主も、グルも、 なんでもあり、で、なんでもありだから、混乱しちゃう。 これを整理するのは、何か一つを徹底する以外ないと思います。
uはクリシュナムルティの訳書とは違う意味で自己認識という語を使っているようだな。
>単純にuさんに は世界がどのように見えているのだろうかと、ひょっとして私 とは見えてるもの がまるでちがうのだろうか?と。質問はこれです。あなたにと っては貧困も飢餓も 環境破壊も(一例です)存在しないのか?ということです。 見えているものは同じです。ま、一人一人、それぞれ勿論違いはあります よね、当然。しかし、我々は、この世界を共有していますから。貧困も 環境破壊も、全部同じに見えています。 ところがね、あなたは、その観ている者、を、事実として認めている。 それが、有る、と思っているんではないですか? 私は、この観ている者を認めてないです。観ている、という現象があるだけです。 観ている者を事実として認めてしまうと、観ている世界にも実体を認める 事になります。 違いますか?
>>278 :u
>一元論、二元論、というよりも、仏教的、キリスト教的なアプローチの仕方の違いと言ったらいいか。
なるほど・・・。
たしかに、キリスト教のテーマは「救済」であるかもしれない。
そこには救う者と救われる者とがある。
>仏教では、わたし、というような主体を認めません。
余計なことかもしれませんが、
これが仏教でいうところの、いわゆる「無我説」という意味だとしたならば、
それは少し違うと思います。
本来は、禅がよく使う言葉の「無我の境地」(心を鎮め自我意識/エゴを埋没させる、等々・・)
でもなければ、現仏教界での一般的な見解になっている釈尊はアートマン(霊魂)の存在を否定
した、というものでもありません。
釈尊が説いたものは「非我説」(アートマンに非ず)とでもいうべきものであり、世間の観念的な
アートマンや低級我(普段、自覚しているところ自己意識)は実在ではないと説いたのです。で、
余談ですが、釈尊は霊魂を否定したと思っている方は誤解しています。それらの問題は明確にし
なかった、が本当であり、ある時には死後にも存続する生命として、「異陰」(人間を構成する元素
<五陰>とは異なるもの)が継続すると述べています。
>救済思想ってのもありますけど、実はそれ本来の仏教とは違うもの、
>大乗仏教から出てきたものでしょう。これは、仏教のヒンドゥ化です。
全く、その通りであると思います。
後の仏教は「慈悲」の概念を打ち出して、仏陀を救済してくる存在として崇めてしまった。つまり、
釈尊が最も戒めたことを後の弟子達がやらかしてしまったのです。確かにニルヴァーナ意識に到
達した仏陀に、愛の意識(慈悲)が湧かない筈もないと思うけれども、すがれば助けてくれる崇拝
の対象物にしてしまった。
これは信徒離れを防ぐための大衆化でしたね。
>uさ んも空性であると か禅的色合いの強い言説とかあるようにおもいますのでそこは 議論の前提とし てはうけいれてもらえればなあとおもいます あなたが、私個人をどういうふうに取るかは、あなたの自由です。 禅の言説を繰り返しているだけと思うなら、それはあなたにとって そうですから、どんなものでも、思い描いてくだされば結構です。 しかし、それは、このような議論とは関係無い。私が誰だろうと、 あなたが、私をどう思おうと、それは議論自体とは関係無い、 違いますか?
>釈尊が説いたものは「非我説」(アートマンに非ず)とでもいうべきものであり、世間の観念的な 真実が、空性か、真我=アートマンか、ということは、今度にしましょう。 これは今議論していることから外れます。 これは面白いところですから、今度やりましょう。
>しかし、それは、このような議論とは関係無い。私が誰だろうと、 >あなたが、私をどう思おうと、それは議論自体とは関係無い、 >違いますか? はい、たしかにそのような色眼鏡でみてしまってすいません。 私もいきなり眼鏡をはずすことはできないかもしれませんので その都度指摘していただければよいとおもいます。 >ただし、奉仕、帰依、の道はアプローチですから、それを詰めていけば >苦しいで当たり前で、逆に気持ち良くなる、というのはある意味危険です。 >偽善、欺瞞にエゴが満足しているかもしれない。 たしかにそこに偽善がないよう、こころして取り組まなければと思います。 道の途上では沢山の過ちがあるとは思いますが、何も為さぬよりはいいのかと 私個人はおもっています。勿論無行為の道のようなものもまったく否定しません。 しかしみなさんかきこみ早いですね、わたしいつもワンテンポおくれてしまいます。
元353ってまやびであることがバレバレ。 文体を変えようと改行するもあっさり見抜かれ。 >はい、たしかにそのような色眼鏡でみてしまってすいません。 最初からそういう態度で書き込めば良かったのだよ。 所詮は2ちゃんねる。 uみたいなどうしようもない相手でも、とりあえず面と向き合えばいいのさ。 これ以上はもうやめておこう。
あの、すいません私まやびさんではありませんよ。 わたしは別にそう思われてもいいですけどまやびさんにはもうしわけないので もう一度言っておきます。ちがいます
>>297 ならば、少しは話をマイトレーヤ情報へ関連させるようにしてもらいたいね。
まやびでもない、マイトレーヤの話をするわけでもない。
ただuと話したいだけ。
それじゃあ、ちょっとね。
300 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 02:30
300ゲット
別に阿呆マイトレーヤの話なんてする必要はない。
このスレの元スレは
>>298 のスレで、そこからマヤビが逃げて逃げてこのスレを立てただけのこと。
でuが追いかけた。それだけのこと。
>はい、たしかにそのような色眼鏡でみてしまってすいません。 いえ、そうではありません。私はもう、そういった色眼鏡で見られることに 慣れていますし、そのようなことは、自分にとって、何でも無いことですよ、 ということでした。 だた、一々このような意見に答えるのは飽きました。
>元353 瞑想を長く続けることだ。 そうすれば今自分が感じているものが「観念」であるとか「実体」であるとかの 区別する境界がだんだん薄れていく。 世界が存在するでもしないわけでもない。 私自身にとっては「無」でも「有」でもない、「識」があるだけだ。 「観念する」という意識的な抽象化の必要もない。 「思考する」と「行動する」の区別もない。 自分の目の前にある対象を見誤ることもなく、、、 世界を見ることになる。
シャルマの良くない所は、言葉はどうせ方便だから、 と言って言葉遣いにすぐ手抜きをする所だ。 GやKのように言葉にも秩序をもたらすほどの知性には到底及ばない。 言葉だからといって手抜きなんかするな。
>>303 必要なのは瞑想の長さじゃない。
いつでもどこでもだ。
そして、私の言い回しが、仏教や禅に傾いているのは、最近、とくに 興味を持ち始めたのと、禅系の掲示板で、印可付きのオッサンとかと いつも話しているからであって、私自身は、本来、ヒンドゥ系の修行 者でした。私の言説は、私独自のものはありません。たまに思いついた 喩えとか、自分自身の経験とか、オリジナルなことも言いますが、基本的な セオリーなんかは、独自のことを言ったりするのは、凡人には不可能に近い ことです。 禅であれ、なんであれ、言い回しは借り物です。しかし、理解していないことを 単に口から出任せに言うのと、自分で理解したことを言うのとでは、全く違います。
>>297 :元353
>>298 はい。
まやびさんとは別人であることは、分かりますね。
>>299 >少しは話をマイトレーヤ情報へ関連させるようにしてもらいたいね。
>
スレのテーマがそうですから、正論ですね。
ごめんなさい。
一元論的なアプローチに対する私の見解ということで、
今、まとめを記述しているところですので、
すみませんが、これだけどうかご勘弁下さい!(少々、長文の予定です・・・)
これで、私からこの件については終わりになると思いますので。
>真実が、空性か、真我=アートマンか、ということは、今度にしましょう。
ということで、もしu さんからの議論への誘導があれば、
こちらは、少ーしだけ・・・。
基本的にはマイトレーヤにもっと関わった内容となるよう、
こちらも注意したいと思います。 m(__)m
>>305 いつでもどこでも瞑想状態だとは、達人だね。
はっはっは
>シャルマの良くない所は、言葉はどうせ方便だから、 と言って言葉遣いにすぐ手抜きをする所だ。 ははは、お前の良くないところは、人に注文ばかり付けているところだ。 手抜きよりもっと悪い。 俺は世間話しているくらいの意識しかない。ま、それよりは、責任感じているか な?あんまりいい加減なことも言えないからな。こういう世界では。 kやGは自分の弟子に喋った訳さ。 俺は人に教えようなんて気は全く無いね、今のところ。その能力も無い。根気も無い。 議論して、知性を磨いて、広い知識を付けて、ま、遊んでんだな、暇だから。
そう、歩きながらでも瞑想はできる。 あなたにはまだ無理かもしれないが。
>>306 :u
そうですか。なるほど・・・
>基本的なセオリーなんかは、独自のことを言ったりするのは、凡人には不可能に近いことです。
>しかし、理解していないことを単に口から出任せに言うのと、
>自分で理解したことを言うのとでは、全く違います。
>
了解です。
それで良いと思います。
では、また。
>ということで、もしu さんからの議論への誘導があれば、 こちらは、少ーしだけ・・・。 じゃ、簡単に、 見方の違い。空性はコンテナ。真我はコンテイントメント。 でも、これだけじゃ、終わらない話。
クリシュナムルティー読め。・・・マイトレーヤ切望なんぞ馬鹿馬鹿しい事がわかる。
ところで、話を電動こけしに戻すと、信じる宗教の弱点がある。 それが、今回、摩耶美との議論で露呈したと思うんだな。 摩耶は、シャルマさんが恐かった、と言ったり、シャルマさんは単なる馬鹿だ、などと、 相手を見下げるようなことを言った。これは当然、シャルマさんなんての摩耶の前には居ない のだから、恐いのも、馬鹿野郎も、シャルマさんではないのは明白だね。 じゃ、摩耶は何が恐かったのか?酸っぱい葡萄の理論を持ち出して、守らなければ いけなかったのは何か?何を失うのが恐かったのか? これは、当然、彼の信念、信条、観念でしょう?それ以外の何があるだろう?
つまり、摩耶も、結局、不安なんだ。体験も信念も疑えるもの。 だから、いつもいつも、観念によって、それについて話すことによって、 それについて人に説明することによって、疑念から離れて安心したい。 馬鹿は簡単に騙せるし、難しい理論や、何らかの権威を持ち出せば、信じる こともあろう。ラテン語のように、理解不能な言葉を使えば、誰も実証できないような 不思議な話をすれば、不安から逃れたい為に信じる奴もいるだろう。
摩耶の言う、信、とは、そんなものではないだろうか? 今回は、そこを突かれたので、摩耶はあんな態度をとって逃げ回った、 と俺は考える。 安心したいのだ。これは誰もそうだと思う。しかし、安心したいから、 それで何かを信じる、不安だから何かを信じる、これでは真の安心はない。 これ以上、疑えない地点まで行くか、奉仕なら奉仕で徹底するか、 しなければ、安心は得られない。
信じる、とは、知らないことを意味する。 知ったことは信じる必要はない。 そして、知らないでいること、には、信じる信じないの余地はない。 この辺が、電動こけしに限らず、信じる宗教、及び、信を土台にする 技法の弱点だろう。 不安は、不安で、いいのだから、不安のまま、不安とともに、居る。 信じることの弱点を知り、その弱点と共に有ること。 この辺が、考慮されるところであろうか?
>この辺が、電動こけしに限らず、信じる宗教、及び、信を土台にする 技法の弱点だろう。 じゃあ、どうすりゃいいの?
320 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 04:25
信=無知 知=無信 (知=信) 無知=無信 非知=非信 くだらねえ
だいたい、信を土台にしない宗教なんてあるのか?
クリシュナムルティもグルジェフも信仰を求めていない。
323 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 04:51
理解。 「私を信じるなどという事のないようお願いする。」___グルジェフ グルジェフは様々な道を4つに分けて説明した。 1、肉体の道 2、感情の道 3、知恵の道 4、理解の道 1では人は肉体に働きかける。何日も何ヶ月も一つの姿勢を保ち続ける苦行などで。 2では人は感情に働きかける。いわゆる盲信的、狂信的な道である。信仰がその人の活動となる。 3では人は知性に働きかける。禅の公案などがこれにあたるだろう。 1〜3では基本的には信仰が求められている。 4では自己想起、気づき、自己観察などにより、肉体、感情、知性の全てに働きかける。信仰が必要とされない事から理解の道と呼ばれる。 グルジェフは4の道である。 Kも4の道ではあるが、あまり肉体への働きかけへの言及がなく (全くないわけではないが)3の要素が強い4と言うべきだろう。 世間的な宗教及び宗教団体は一応分類するなら2だが、 分類するほどの物でもないものが多いのは言うまでもないだろう。 どの道であっても真理に至る可能性はあるが、 グルジェフの言う主観的意識、Kの言う自己認識をも見出せるのは第4の道だけだろう。 「自己認識なくして真理は狂気でしかない。」___K
瞑想は長くやったほうがいい、はたまた、瞑想は長さじゃない。
あるいはマイトレーヤ情報を喋ったほうがいい、いや阿呆マイトレーヤの話なんてしなくていい。
いろいろな意見がありそれぞれ親身に言ってくださるのには感謝しますが、どちらの意見も、と
いうわけにはいきません。お気持ちだけいただきます。
私から言わせていただくなら、瞑想を長くやろうと思った方はそうすればいいし、いや瞑想なん
てと思う方はそのようにすればいいと思います。マイトレーヤの情報を知りたい方は知りたいこ
とを質問すれかスレをたてればいいし、関心がなければそれはそれでいいと思います。すべてご
自分しだいと思います。別に悪意はありません。上記がアプローチの違いを端的にあらわしているのかと思いました。
>>303 さんありがとうございます。少し難しいのでまだ理解できていませんが。
確かにスレ違いではあると思いましたが、自分がしたいと思ったことしかすることはできないと
思いましたのでuさんやその他の方にお話を伺い他者との差異を知りたいと思ったのです。
>>291 uさん
>ところがね、あなたは、その観ている者、を、事実として認めている。
>それが、有る、と思っているんではないですか?
>私は、この観ている者を認めてないです。観ている、という現象があるだけです。
>観ている者を事実として認めてしまうと、観ている世界にも実体を認める
>事になります。
>違いますか?
たしかに私は観ている者というか観ている世界を事実として認めていると思います。
私には見えている世界は認める前にリアリティーをもっているように見えます。
もしかしたら、実体と実在は違うのだろうと思いますが、それも正直にいいまして今はまだ観念
でしかありません。わたしにとっては。しかしそれはuさんからみると境涯の高低ですか?
世界はあると認めている人は境涯が低いと思われますか?
それともたんにアプローチの違いだと思われますか?
質問ばかりで申し訳ないので面倒だったら無視していただいてもけっこうです。
>わたしにとっては。しかしそれはuさんからみると境涯の高低ですか? 世界はあると認めている人は境涯が低いと思われますか? それともたんにアプローチの違いだと思われますか? これは境涯の問題でも、アプローチの問題でもなく、事実の認識の仕方です。 自分というものを内部に認めてしまえば、あなたが観る物はなんであれ、対象です。 対象というのは、あなたの観念の投影と言うことができます。 例えば、あなたは椅子を見れば、それを椅子と認識していますが、それは生得の ものではなく、学習によって獲得したものです。小さい子供に、例えば、毛虫を見せます。 もし、その子がまだ、毛虫という観念を学習していない場合、その子は、何も認識 しません。何かを観ていることは確実ですが、それが何だか解らないので、何も認識 しないのです。逆に言えば、それ、そのものを観ています。
あなたは、それそのもの、存在を観ているのではなく、あなたの観念の投影 を観ているのです。それは、分かり易く言うと、存在というスクリーンの上に あなたの観念世界を映し出しているのです。 そうすることによって、あなたは、物事を認識できるようになりますが、 同時に、存在そのものをありのままに観ることが出来なくなります。 瞑想とは何でしょう?それは事実をありのままに見ることです。観念以前の ところへ戻って、ありのままに見ることです。そして、事実をありのままに 見れば、そこに、心理的な中心、私という主体、何か、自分という塊のような ものはない、と発見するのです。
小さい子供は、私と言いません。鏡を見ても自分を認識しません。自分を 指し示すことができません。そえから、自分を、自分の名前、三人称で呼ぶように なり、最後にエゴ意識の発達に伴って、私と言い始めるのです。 要は、その逆を辿ればいい、それだけです。
境涯云々は、今、話しても意味のあることではないとおもいます。 正に、高低、という概念に実体がないのですから。 アプローチの違い、というのは、基本的に、 瞑想は、非同一化を通して、存在へ落ち、 奉仕は、犠牲を通して、ハートへ落ちる、 ということです。
>じゃ、摩耶は何が恐かったのか?酸っぱい葡萄の理論を持ち出して、守らなければ >いけなかったのは何か?何を失うのが恐かったのか? それは私のレジ時代のトラウマです。この情報と関係ありません。 レジスレのリアルタイムさんの指摘はなんとなく?当たってますね。 >これは、当然、彼の信念、信条、観念でしょう?それ以外の何があるだろう? あなたがどう思おうと勝手ですが、私は水掛け論はしないことにしています。 心を開いて、耳を傾ける人にはこの情報を伝えますが、 心をまったく閉ざしたまま、ご自分の信念をぶつけてくる人にはこの情報を伝えません。 無駄だからです。だから「去れ」なのです。 クレーム氏は講演の時に、心を開いて聞いて欲しいと云います。 あなたにそれができるようには思えません。それが何故かはあなたが見出してください。 心を開いて聞くというのは確かに難しいことです。自分の中の結論をとりあえず 脇に置くということはなかなか難しい。ですので、敢えて云わせていただきます。
レジ時代=ラジ時代 レジスレ=ラジスレ
uはラジニーシを信じていないのか? 師と弟子の関係と、信を交えて説明してくれ。
>>331 心を閉ざしているのはあなたの方だよ。
どうしてそれに気づかないのかな?
335 :
PURE-GOLD :03/02/02 13:54
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>心をまったく閉ざしたまま、ご自分の信念をぶつけてくる人にはこの情報を伝えません。 摩耶、お前、あれだけ恥さらしといて、また同じゴタクかね?呆れちゃう。 俺が閉じてはいないのは、他の電動こけしとの対話で分からんかね? お前は、自分の態度が批判されると、閉じている、と相手を判断する。 そうやって、お前がやっていることは何だ? このスレさえ、単に捨てられず、無視できず、ついついウロウロ出てきちゃうのは 何故だ?そんなに自分のことが気になるのか?それで奉仕なんてできるのか?
それから、俺は自分の信念をぶつけている訳ではない。 そうゆうふうにしか、お前が取れないのは仕方が無いが。 >クレーム氏は講演の時に、心を開いて聞いて欲しいと云います この心を開くとはどういった意味なんだ? ただ、信じるってことか?心を開くとは、疑いながらも、それについて判断 は保留する、ということではないか? 俺は、電動こけしについては、まだ多くを言っていない。お前の態度が あんまりだから、それに批判を加え、お前がその程度なら、ま、こんなもんだろう、 あるいは、信を土台にする宗教の弱点は、こんなところだろうと、指摘した だけだ。 お前は、自分自身や自分の感情を度外視して、語ることができないようだ。 >だから「去れ」なのです。 お前にこういう権利はない、と何度いったら分かるんだ? お前が消そうとしても消えないこのスレは最早おまえのものではない。
>uはラジニーシを信じていないのか? 師と弟子の関係と、信を交えて説明してくれ。 じゃ、僕の場合。最初はラジの教説とかテクニックとかを、信 じているでしょ。 その、信 があるから、結局、十何年も、疑問が出ても、ラジとしてやってこれた。 これ、普通でしょ。多くの、ラジどもは、私は信者じゃない、って言うけど、厳密 には、信者なんだね。 で、これじゃあ、本当の安心はできないから、行き着くところは、ノイローゼみたいな ところだったり、それさえもなくなって、希望の無いところだったり、する。 そして、最後には、決して疑えない地点がくる。空っぽというのは疑えないんだよ。 知らないでいること、無我無常、只在ることっていうのは実存の基盤なんだな。 それ以上、後ずさりできない地点。それ以上すれば、サーマディのように消えちゃう。 そこへ、落ちれば、信 というのは必要ない。
ラジに限らず、誰の言うことも理解できるが、それは結局何も指し示しては いない。何も表現してはいないのだ、ということが分かる。 同時に、それらは梯子として役に立った。個人的には、ラジはやっぱり、 そういった意味で、かけがいの無い存在だった。だから、弟子で止まる 場合が多い。僕個人的には、自分は師を変えたけど。でも、その師からですら、 今は独立した、というか、教えとかの必要は今のところ感じない。 理解することは、空性、内側には誰も居ない。だから、ラジも私もない。 信じる必要はない。しかし、個人的なこころが残って、そのこころが分別して 感謝して、師弟関係と言うものを作る。
>ラジに限らず、誰の言うことも理解できるが、それは結局何も指し示しては >いない。何も表現してはいないのだ、ということが分かる。 そんなことはない。 例えばこういうのはどうだ? 1.人類は誰でも、人間1番〜7番のどれかである。 2.ただし、人類の殆どは人間1番〜3番のどれかであり、人間4番〜7番は非常にわずかしか存在しておらず、 あなたがこれまでの人生で出会った人(TVで見ただけの人なども含む。)の殆ど全てもそうである。 3.人間1番は肉体、人間2番は感情、人間3番は知性が、他の2つより発達している。 4.人間4番はスクールの所産である。彼の内面では自己想起への努力、熱意が恒久化している。 5.人間5番は主観的意識を獲得している。彼が望んだ時に主観的意識を持つ事ができる。 6.人間6番は客観的意識を獲得している。彼は愛と呼ばれる感情さえ獲得しているかもしれない。 (要するに一般人が愛と呼んでいるのは殆どの場合、愛とは別の何かである。) 7.人間7番はおそらく真理を見い出している。 この状態に到達して初めて語の十全な意味で人間と呼ぶ事ができる。 (ただし母親から産まれてきた時は誰もが人間1番〜人間3番のどれか。) ウスペンスキーの「奇跡を求めて」(平河出版社)の中のグルジェフの言葉より。
ま、書き方が悪かったかな?何も指し示してはいない、また、別の意味合いで、 言ったんだが、、、赤、といえば、それは赤い色を指し示してはいる。しかし、盲人に は、意味がないね。赤というのは概念で、その概念を知らなければ、それは意味が無い。 どんな精神的な言説も何かを指し示してはいる。しかし、それを知らないものに、 とっては、意味が無い。ま、本来、何も表現はしていない。それ自体の表現じゃない という意味だ。
342 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 16:25
>>324 つまり自己による理解を信じろと言ってる
やっぱり何かを信じることを求めていることになる
例えば、5、は意識への確立を意味しているけれども、これは絶え間無い 覚醒が起こってこなければ、どんな意味だか理解できない。 こういった概念はそれを指し示してはいるが、本当の理解は、そうなった時に しか起こらない。 6、は、結晶化が存在に落ちて、中心が消え、意識の広がり、とか、ハートの次元 が明確化してくる。この広がりには果てが無いようだ。 7、は、決して知ることのない神秘であり、それはこの次元では、私の不在、 意識の不動として現われる。あるがままの真理を知る。 こういったことも、それを知らなければ、単に知らないのであって、結局、 観念に過ぎない。ということは何も表現していない、ということだ。
>つまり自己による理解を信じろと言ってる やっぱり何かを信じることを求めていることになる 今現在、知らなければ、自己による理解があると信じるしかない。 しかし、理解が起これば、何も信じる必要はない、と分かる。
>つまり自己による理解を信じろと言ってる >やっぱり何かを信じることを求めていることになる それはもちろん違う。 言葉の上でなく、本当に理解していれば、もはや信じる必要はない。 >こういったことも、それを知らなければ、単に知らないのであって、結局、 >観念に過ぎない。ということは何も表現していない、ということだ。 そんなことはない。 もし仮に人間5番が2人どこかにいて、そして出会うのであれば、 互いに自分の理解について話し合う事もできる。 そして、そういう時にこういった言葉の上での秩序は非常に役立つだろう。
346 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 16:46
>>344 (理解)自体が(信じる)そのものといってる
理解=信じる
例えば2人の片方はグルジェフに影響を受けた人物で、 もう片方はまた別の人物に影響を受けていたとしても、 互いの言葉に秩序がもたらされていれば、話が通じやすい。
>理解=信じる もちろん違う。 例えば近所の公園に何か大きな動物がいるとしよう。 Aさんはまだその動物を見ていない。 すると、隣の家のBさんが「さっきその動物を見てきた。キリンだった。」と言ったとしよう。 それでAさんはBさんを信じ、その動物はキリンだと言う。 これが信仰(信じる)だ。 しかし理解は違う。 Aさんは自分でその動物を見に行く。 Aさんはキリンだという情報を信じてはいないが、 その動物が気になって仕方がないので、見に行かないわけにはいかない。 しかし、公園に着いたら、そこに居たのはゾウだった。 これが理解である。 自分で見たのだから、そこにはもはや疑いも信仰もない。 あるのは真実だけだ。 4の道では、他の道と同じく情報がもたらされる。 しかしその情報は正しいとは限らない。 あなたは自分の体で、心で、確認しなければならない。
概念が、全て無駄だ、とは言ってないよ。 観点を変えれば、出てくる意見も変る。むきになるなよ。 ところで、グルジェフの七身体、面白いじゃん。ラジの七身体は、探求者には、 無駄な尾鰭が一杯ついていて返って混乱を招く。あれはシンプルでよかった。 ところで、七身体は神智学でもやってるだろうし、七身体について話そう。 その方が、下らない情報、よりこういったところで議論するのに適している、 と思う。どうだろう?実践的な話をしよう。信仰ではなくて。 ところで、このスレにゴミ関係の仕事をしている人は居ないかね? ビジョンが見れるんだ、ゴミの滑車を押している男の。ま、気のせいかも。
350 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 17:05
>>348 その自分で見たものを真実であると思うこと自体を
<信じる>こと自体といっているわけなんだが?
>自分で見たのだから、そこにはもはや疑いも信仰もない。 あるのは真実だけだ。 見た、っていうより、ゾウになった、って言って欲しかったね。 お前は、5 だろうか。それなら、見たが適切だ。 信仰の可能性は残ると思う。真実を知っても、イベントは起こってくる。 全託、ってことが始まる。
>その自分で見たものを真実であると思うこと自体を ><信じる>こと自体といっているわけなんだが? もちろん違う。Aさんが公園に留まり、 毎日そのゾウを見続けるのであれば、信仰も疑念もない。 そうすると、それは体験ではなく結晶化と呼ばれる。
>その自分で見たものを真実であると思うこと自体を <信じる>こと自体といっているわけなんだが? 何度でも言ってあげよう。 信じる、為には、何かがなければいけない。知識、体験、など。 しかし、最終的に起こってくる理解は、無知、無我、無常、など。 どうやって、無い物を信じるのか? 価値の、見方の、逆転がなければ、解らないことだが、、、 頭の混乱は一時収まるだろう。
354 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 17:23
>>352 だからその信仰も疑念も生じない状態=信じている状態なの
体験⇒結晶化=印象⇒習慣化
uさん、もう少し質問させていただいてもいいでしょうか?
>>330 >瞑想は、非同一化を通して、存在へ落ち、
>奉仕は、犠牲を通して、ハートへ落ちる、
この存在へ落ちとかハートへ落ちるとかいう表現がいまいちピンとこないというか曖昧というか、
何を言おうとしているのかは理解できそうですがこれ以上は明確に表現はできないものなのでしょうか?
>>318 >信じる、とは、知らないことを意味する。
>知ったことは信じる必要はない。
>そして、知らないでいること、には、信じる信じないの余地はない。
>>327 >これは境涯の問題でも、アプローチの問題でもなく、事実の認識の仕方です。
>自分というものを内部に認めてしまえば、あなたが観る物はなんであれ、対象です。
認識というのはやはり字がしめすように認めるということかと思いますが、おそらく認めるということにかんして私の考えている使いかたとは多少ズレがあったのかと思いました。
わたしの眼前にある世界というのは私はおそらく意識的には認めたりとか、信じたりとかしたことはないように思えますが、やはりこれすらも信じたものの(無意識的にであれ)総体なのだということですよね。
そうすると勿論これらもすべて疑うことはできます。裏返せば信じる信じないの余地があると。
で体験、経験に関しても確かに疑う余地はありますが、すべてがスクリーンに 映し出された観念の投影なのでしょうか?なにか外からの(というか何といって いいかわかりませんが)働きかけというのはないものでしょうか?この種の話に おいて勿論体験を語ったとしても他の人にとってはあまり意味を持たないとは思います。 しかし、その体験における主体にとってはリアリティーがあるように感じられます。 私にはやはり世界を認めるまたは認めないという選択の違いという意味でアプローチの違いというふうに感じられるのですがどうでしょう?それともそれを認める私はまだ逃げているというふうになるのでしょうか?
また2テンポぐらいおくれてしまいました。
>だからその信仰も疑念も生じない状態=信じている状態なの
>体験⇒結晶化=印象⇒習慣化
何度でも言うがもちろん違う。
結晶化は習慣化ではない。いつでも新鮮である。
あなたはおそらく自分の信仰を捨てたくないのだろう。
公園まで行く努力をしなければ、あなたは理解できないままだ。
>>340 には書かなかったが、グルジェフの人間7番についての興味深い話はまだある。
それは、人間4番と5番の状態を経験しないまま人間7番に到達してしまう人もわずかながらいるという事だ。
これは信仰などによって、ごく稀に起こる。
しかしその場合はグルジェフの言う主観的意識を獲得できない。
uは自分が人間7番だと主張したいようだが、
主観的意識とグルジェフが呼んだ意識を獲得しているだろうか?
主観的意識を獲得していない人間7番を、
クリシュナムルティは「自己認識なくして真理は狂気でしかない」と呼んだのだろう。
リハビリから復帰するか。こんどは対話をしよう。 時間がかかるのは仕方がない。 >それから、俺は自分の信念をぶつけている訳ではない。 >そうゆうふうにしか、お前が取れないのは仕方が無いが。 このあたりでズレがあるように思えるのだが。 私からみるとあなたはここで何をしているのかと訊きたくなる。 私はあなたの質問に私なりに答えた。そしてあなたはそれについて いろいろ訊いているようだが、訊くというよりは自分の感想を述べているようにしか 思えない。そして私はあなたが自分の主張をここでしたいのだなと判断した。 だから相手にするのを止めたのだ。少しずつ戻していくか。 >この心を開くとはどういった意味なんだ? >ただ、信じるってことか?心を開くとは、疑いながらも、それについて判断 >は保留する、ということではないか? もちろんそれは当然。 心を開いて聞くというのは、自分の持っている信念を脇に置いて 相手の話を聞くということ。 話がマイトレーヤのことだと、仏教徒は「56億?万年後」 クリスチャンは「アンチキリスト」と云った潜入観念を持ちだしてくる。 だれもがいわゆる「救世主」の観念に対する何かがあるのだろう。 それを前面に出したままでは伝わるものも伝わらない。
>このスレさえ、単に捨てられず、無視できず、ついついウロウロ出てきちゃうのは >何故だ? 必要があればレスをするのは当然。なければ扉を叩かれても出ていく必要はない。 どちらも私がきめることさ。 >そんなに自分のことが気になるのか?それで奉仕なんてできるのか? いいや。気にはならないね。ここのカキコミだけが私のやってる「奉仕」ではない。 >俺は、電動こけしについては、まだ多くを言っていない。お前の態度が >あんまりだから、それに批判を加え、お前がその程度なら、ま、こんなもんだろう、 >あるいは、信を土台にする宗教の弱点は、こんなところだろうと、指摘しただけだ。 スイスからの朝方の怒濤なようなカキコミにすべて応えろというのか? 少し譲歩したらどうなんだ?質問する方はラクでも答える方は大変なんだぞ。 ここでは語れない事柄もあるんだからな。 >お前は、自分自身や自分の感情を度外視して、語ることができないようだ。 それがどうした。誰でも怒ることはあるだろう。誰もが自分がかわいいだろう? 私は聖人なんかじゃない。泣きもすれば怒りもする。トラウマもある。 全く普通だろ? >>だから「去れ」なのです。 >お前にこういう権利はない、と何度いったら分かるんだ? 「去れ」は言い過ぎだったな。このスレは私が立てたのだから当然そういう思いはある。 確かに権利はない。悪かった。
>>358 安心しろ。mはもっと遅れてる。
それにしても、うぐいすがuになったと思ったら、
まやびはmか。やれやれ。
もしかしてマゾ?
363 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 18:42
>>359 もう一度じっくり
>>352 の例え話を見てみろ
俺が何故に習慣化という言葉を使用したのかが分かるから
あの例え話では結晶化は確信化に過ぎない
皆、遊んでいるところ、悪いんだけれど、最近やり過ぎたせいか、妻が五月蝿くてね。 朝とか、夜とか、妻子が寝てからゆっくり返事をするわ。 女って、対象がなんであろうが、嫉妬するじゃない。そこが、 まあ、可愛いところでもあるけれど、五月蝿い。 ということで、返答はするから、じゃあね。
その場に居続けるという事は習慣化ではない。 むしろ全く違う。 その場に居続けず、公園から出て家に帰ってしまうのなら、 見ていない間に誰かがゾウとキリンを入れ替えるかもしれない。 公園から出て家に戻っても、まだ公園にゾウがいると思い続ける事、それが確信化である。 公園に居続けるのであれば、 時にはゾウとキリンが入れ代わるのを見る事になるかもしれない。 そしてそれは新たな結晶化かもしれない。 もう一つ、例えは例えでしかない。 あなたが小さな差異に固執し、囚われるのなら、大きな変化を見逃す事になる。
ちょっと5テンポくらい遅れるのは勘弁 >つまり、摩耶も、結局、不安なんだ。体験も信念も疑えるもの。 もちろん。疑いうるし、事実疑ったこともある。 それは誰も同じだ。「悟り」も「認識」も「信」も「体験」もすべて疑いうると思う。 >だから、いつもいつも、観念によって、それについて話すことによって、 >それについて人に説明することによって、疑念から離れて安心したい。 実際にはこれは逆だ。人にこの話しをするのは非常に恥ずかしい。 疑念を持ちながら人に話すことなどできはしない。矛盾しているではないか。 ある程度の確信がなければ人に話すことなどできはしない。 私の場合、それは「信」であり、「体験」でもある。 それらは充分疑いうる。だが、それは、いわゆる「気づき」や「認識」から 何かを語るときも同じではないだろうか?違いはあるだろうか。 >馬鹿は簡単に騙せるし、難しい理論や、何らかの権威を持ち出せば、信じる >こともあろう。ラテン語のように、理解不能な言葉を使えば、誰も実証できないような >不思議な話をすれば、不安から逃れたい為に信じる奴もいるだろう。 不安から逃れたくてこの話を信じるというバカは確かにいるようだ。 不安から逃れたくて「悟り」を求めるというのもやはり同じバカなのだ。 しかし結局は自分自身に投げ返される。ここは教会ではない。
>もしかしてマゾ? グルジェフさん。 当時のグルジェフについていくのは大変な「信」を要求されたと思うが、 そのあたりはどうかな。 あなたは目の前にグルジェフがいたら、彼について行くか? それとも「理解がないと動かない」と云うか?
>皆、遊んでいるところ、悪いんだけれど、最近やり過ぎたせいか、妻が五月蝿くてね。 >朝とか、夜とか、妻子が寝てからゆっくり返事をするわ。 私と同じ状況だな。 w)
369 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 19:10
>>365 やはり自分の目は信じていることになるが?
ついて行きたい人だけがついて行けばいい。 グルジェフが要求したのは「信」ではないと思う。 というか、伝記本などを見ると、 グルジェフに対しての「信」が強い人はむしろ追い払ってしまうように見える時もある。 >あなたは目の前にグルジェフがいたら、彼について行くか? >それとも「理解がないと動かない」と云うか? 率直に言って、会った事がないからわからない。 そういった空想にはあまり興味を持てない。 ただし、信奉者になりたいとは思わない。 グルジェフ以外にも色々な本を読んでいるしね。 >やはり自分の目は信じていることになるが? だから例え話なんだよ。 目で見るだけでなく、全身全霊で感じる事、 そして、体験ではなく常に共にある時、それはもはや疑いようがない。 ま、俺もそこまではいってないけどね。
371 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 19:36
全身全霊というのは疑えない。 全てだから。疑いがあるのなら全身全霊ではないのだろう。 >そして、体験ではなく常に共にある時 ここが重要。
373 :
名無しさん@3周年 :03/02/02 22:09
>370 本を読んでいるだけですか? 何も実践がないなら、グルジェフの本当の理解にはまだ遠いと思うのですが。 そういう、内側からの渇きみたいのはないのですね? まぁ。あまり突っ込むつもりはないんですが。気にしたらごめん。 ド・ハートマンの本を少し読んだことがある。 その中で著者が少年の頃、グルジェフに、広大な草原の草を日が落ちるまで全部刈り取るよう 命令される描写がある。どう考えても無理だ。しかし少年は泣く泣くそれを始めた。 しばらくしてグルジェフは「もういい」と言った。 その一節を今思い出した。グルジェフについてはあなたの方が詳しいと思うが、 私はこの話しが「信」とは何かを言い表しているように思えてならない。 この少年は外部の人間から見れば「信奉者」であるという解釈もできうると思う。 グルジェフの信奉者だから従っただけだ。と。 でも私は、この少年は自分自身の「信」に従ったのだと思う。 そしてその立場を理解できる。 私のような人間を神智学、またはマイトレーヤの信奉者だと思う人は多いかもしれない。 しかし私はこの少年と同じように自分自身の「信」に従っているだけで、それはクレーム氏や、 マイトレーヤがそう言うからではないことを明言しておきたい。
Re.m 様へ
お帰りなさい!
落ち着いたら、きっと戻ってくるものと思っていましたから、良かった。
>>374 :m
>私のような人間を神智学、またはマイトレーヤの信奉者だと思う人は多いかもしれない。
>しかし私はこの少年と同じように自分自身の「信」に従っているだけで、それはクレーム氏や、
>マイトレーヤがそう言うからではないことを明言しておきたい。
>
マイトレーヤの信奉者ということでなく、自分自身の「信」に従うということが重要。
とてもいい表現だと思います。
仏陀釈尊の言葉を想起しますね。
『それ故に、アーナンダよ、この世で自らを島(灯明)とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、
法を島(灯明)とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。 』
―――――[マハーパリニッバンナ・スッタンタ](大涅槃経)
これが、弟子アーナンダに懇請されて説いたという、
死を前にした釈尊の最後の説法、有名な「自灯明法灯明」です。
たとえこの私が死んでも、「法(釈尊が説いた教え=真理)と自己を拠り所とし、
他に頼らず修行に励め」というものでした。
「私を頼ったところで、決して成仏(涅槃の境地)は叶わない」が、日々の口癖であったようです。
(しかし残念ながら、後の弟子たちは仏様にすがる宗教へと墜ちてしまった・・・)
マイトレーヤも同じことをいっています。
『「私は信奉者をつくるために来たのではない。」
「あなたがたがわたしを見るときが来ても、わたしの後を追い掛けてはいけない。
もしわたしを追い掛けるならば、あなたはわたしを見失うだろう。」
「それはまず初めに信じるということではない。
わたしはあなたがわたしを受け入れることも、拒絶することも望まない
――――大切なのはあなたの内的体験である。」』
(マイトレーヤの側近を通してジャーナリストに伝えられた教えから/1988年)
>>294 >>312 :u
>真実が、空性か、真我=アートマンか、ということは、今度にしましょう。
>見方の違い。空性はコンテナ。真我はコンテイントメント。
>
特に異論はありません。
尚、般若心経で知られる「一切皆空」の“空の概念”は釈尊ではなく、
初期大乗の始祖/ナーガールージュナ(龍樹)によって説かれました。
釈尊が説いたものは“縁起の法”であり、
「一切は縁に依りて生じ、縁が滅すればこれも滅す」というもの。
仏教が目指すニルヴァーナ(涅槃)は当然、絶対的な永久の意識境です。
再生を繰り返すだけの凡夫とは異なる不死不生の生命ですから、
それはベーダーンタ哲学が説く永久不滅のアートマンと、何ら違いはないのです。
これが解らないから、仏教者たちはヒンドゥーの真理を認めない愚を犯すのであると私は思います。
視点、観点の違い、アプローチの違いにしか過ぎない。
ただし通常、我々が意識できるところのこの低我(パーソナリティー)=表層意識が
不滅のアートマンではないことを知るのは重要であり、
普段は、このアートマン意識「真我」ついて知覚する術を我々は持ち合わせていません。
釈尊が否定するのは、そういう自己意識(低我)の永続性といった誤った見解です。
全ては、自己がこのアートマン意識「真我」に留まり、
真我そのものを体現するための方法(論)の違いにしか過ぎません。
ある者は「わたしは誰か?」と問う知的探求をし、
ある者は、瞑想を通してこの意識との接触をはかろうとします。
またある者は、神へのバクティ(献身)の中に、
或いは、奉仕の行為の中に自己(低我)を没滅させます。
限られた時間の中でレスしますので、自分の印象に残ったものだけにします。 他のことは、また、時間のある時にでも議論しましょう。摩耶の、弁明も一様 目は通しましたが、あえてコメントするようなところはありませんでした。 しかし、これでは一方的ですから、摩耶に、何か、シコリがあれば、まとめて端的に 書いてください。 >仏教が目指すニルヴァーナ(涅槃)は当然、絶対的な永久の意識境です。 >これが解らないから、仏教者たちはヒンドゥーの真理を認めない愚を犯すのであると ここなんですね、あれでは終わらないと言いましたね。 涅槃について、何ですが、基本的に何も言えません。言えるとしたら、否定形を 通してに限られます。涅槃というのは >絶対的な永久の意識境です。 ではないです。涅槃は意識では有り得ません。
涅槃とは、消滅を意味する概念です。 ここからは、非常に高度な問題です。断定は避けたいので、私見を述べる、という 条件のもとにお話しましょう。 涅槃とは、認識の起きない深いサマーディです。でしから、それはギャップとして しか体験できません。涅槃へ行く者は存在しません。 あちら、あちら側、という言葉を使うと、あたかも、そこへ行く何者かがあるような 錯覚が起きますが、それはないのです、あちら側は、ないのです。いいえ、そういってしまうのも 外れで、あるとも、ないとも、言えないのです。 ですから、それは消滅です。
消滅ですから、意識ではあり得ないのです。分かりますか?難しいですね。 ここは非常に難しい。 意識とは、気づいていること、ですね。すると、何かに気づいている筈、 つまり対象がある筈です。無に気づいている、とうことはあり得ない。 例えば、深いサマーディにおいて、最後に気づいているのは、存在感 だと思うのですが、それすらなくなると、気づきも、混沌の中に投げ込まれ てしまいます。つまり、主体性の極は、顕現せざるもの、在るの反対、意識 以前、ということになります。そこへ返る訳です。一体化です。 涅槃=非在です。ここまで分かりますか?
そう、分からないと思います。それについては説明も無駄なんです。 さて、しかし、そのままで帰って来なければ良いけれど、意識が戻りますね、調べ られるのはその意識だけです。ここで、私の不在、意識の不動性、などの要素があれば 一様悟りですが、涅槃をちょっとカスッタくらいでは、解脱ということにはなりません。 さて、今度は、解脱です。この辺は、私も進行中ですから、あやふやになります。 こう考えていきましょう。輪廻転生を繰り返しているのは、こころ、です。こころ が肉体を形成します。この、こころ、に、執着がなければ、原因がないので再生は しませんね。完全な無執着が解脱の達成と言えるでしょう。本来の、私達の、主体性 の極み、これは解脱しています、元々ね。ですから、達成という言葉には気を つけましょう。 解脱している人が居れば、その人は、生きているかぎり、意識はあります。 ここから、ニルヴァーナ意識という言葉が来たんでしょうが、ニルヴァーナ とは本来、意識のことを指しません。 ふう。
意識についてキッチリ定義してくれたまえ。 既に涅槃に到達していると思われる覚者方はマヤビルーパを形成して 我々の現象界へ降りてきて下さっているそうだが、これについてはどう思う? 続けてくれたまえ。
意識、こころ、私、主体性の違い 涅槃(ニルヴァーナ)と解脱と悟りの違い ↑この辺の解説も頼んだ。
ここまで来れば、仏教の涅槃と、ヒンドゥのアートマン説は違う概念だと 分かる筈です。涅槃とは消滅です。アートマンとは、永遠不変の自己、全てに 浸透しているもの、ブラフマを指します。これは、存在です。 非在と存在、これはまあ、夜と昼、一つのものの二つの顕われと言えますか。 ま、顕われ、ではないけれど。 これが、時代が下って、大乗仏教になると、様子が変ってきますが、 疲れました。
\ uワッチョイ! / + \ uワッチョイ! / + + /■ヽ /■ヽ / ■ヽ (( ∩,,・д) (,,・∀・) (д・,,∩ )) + ヽ ⊂ノ (⊃ つ (⊃ 丿 + (__(__) (__ノ__ノ (__)し' +
最後に、腹に落ちる、ハートに落ちる、ということにお答えします。 これはデスね、結晶化を通して行った時にしか解らない概念です。 結晶化は、5 でしたね。これは上位身体の始まりです。この中心は上に あると言うことです。肉体では頭に位置します。つまり、自己想起などの 訓練は、エネルギーで見ると、エネルギーを上げることです。上昇です。 エレメントは火です。訓練中は、燃えるような感覚を味わいます。 これは戦いです、意志です。グルジェフはこの要素が強かったのでしょう、 男性的で、戦闘的です。覚醒を強調しました。
さて、結晶化で努力や意志はお終いになります。今度はどんな努力も 結晶化を強めてしまうだけになります。アプローチが変ります。無努力 忘れること、これをエネルギー的に見ると、今度は逆に、落ちる、下げる です。 ふう、疲れた。疑問があればまたどうぞ。
>意識についてキッチリ定義してくれたまえ。 既に涅槃に到達していると思われる覚者方はマヤビルーパを形成して 我々の現象界へ降りてきて下さっているそうだが、これについてはどう思う? こういった事は、まやび、あるいは、伝導瞑想の信奉者に聞いてくれ。
>意識、こころ、私、主体性の違い 涅槃(ニルヴァーナ)と解脱と悟りの違い 今書いたものを読んでくれ。
難しいな。 涅槃になればいったん意識が消えて、さらにすすんで解脱すれば、そしてそのとき 存命中なら再び意識が戻るのか?
解脱、という概念については、禅系の人と議論を重ねたり、初期仏教を調べてみましたが これがなかなか分かりません。 禅では、完全に消え去る、ということを認めていないようです。 禅の大悟徹底とは、あちら側を認めず、輪廻を繰り返す、そのど真ん中で 開き直ると言うか、ま、それを良し、とする。ニーチェの思想に似ていますが、 これを解脱と呼んでいるようです。 ま、これだけは、自分で行ってみない限り、解らないでしょう。 それは知ることですらないのです。ま、ようはハマリ方ですかね。
>難しいな。 涅槃になればいったん意識が消えて、さらにすすんで解脱すれば、そしてそのとき 存命中なら再び意識が戻るのか? そう、難しい。これはね、死ぬ思いしても分からない。知ることはできないんです。 それは、知らないこと、なんだけれど、単に、そう分かった、つまり 無知の知に行き着いただけでは、解脱にはなってないようなんです。 意識が消える、というのは、ちょっと違う。意識が何も見なくなる、対象が 消えるというか、兎に角、認識が起きない。 存命中なら、意識が戻るか、これは当然そうでしょう?何をもって生きている とするか、即ち、意識があること、でしょう。
>>377 >>378 >>379 全然、難しくありませんよ。
u さんの説明はちゃんと解ります。別に異議はありません。
これは表現・視点の違いだけです。
熟考して下さい。
私は仏教の、というよりは仏教学者のこの表現を好まないので、
私は敢えて仏教的常識に反したアプローチで述べただけのことです。
言葉の使い方の問題です。
「涅槃」とは“吹き消す”という意味のサンスクリット語「ニルヴァーナ」からきているので、
寂滅などともいいます。一般的には「涅槃寂静」と呼ばれますね。
ですから「消滅」でいいと思います。
消滅する存在は個我(意識)です。
>>383 :u :03/02/03 03:58
>ここまで来れば、仏教の涅槃と、ヒンドゥのアートマン説は違う概念だと分かる筈です。
>涅槃とは消滅です。アートマンとは、永遠不変の自己、全てに
>浸透しているもの、ブラフマを指します。これは、存在です。非在と存在、
>
はははっ。
いやいや、u さんの説明で間違いはないですよ。
しかし、それは“低級意識の完全消滅“<パーソナリティーの非在>と
“永遠不変の自己の体現”<アートマンの存在>であり、
どちらから見て呼称するかの問題だけです。
私は永遠不変の自己という存在に対して当然、「意識」と表現したまでのこと。
私にとっては、別に矛盾はありませんが・・・。
もしも否、それらは全く異なった見解であるというならば、
私からは、これについてはこれ以上、何もいうことはありません。
では、u さんの見解について再度、確認しますけれど、 仏教の目指すところの「ニルヴァーナ」とは、 ヒンドゥー世界で説かれる“真我の実現”と全く異なる境地であり、 仏陀釈尊とヒンドゥー世界のアヴァターラ存在とは、 同一の意識を共有しないのですね? それぞれ、全く異なった境地に在る方々だ、 ということでいいのですね。 どちらかが正しく、どちらかが間違っている。 もしくはその到達した境地に、高低の違いが生じているということで宜しいしょうか?
生きている時に生じている“低級意識の完全消滅“<パーソナリティーの非在>によって、 “永遠不変の自己”<アートマンの存在>が完全に体現されるものと、私はとらえています。 尚、限られた時間において真我との合一(低我)を在らしめ、 体現するのが、ニルビカルパ・サマディということでしょうか。
訂正があります。
意味が全く違ってしまう・・・(笑)。
すみません。私の投稿での頻発する誤字/脱字は、どうか穏便に見て下さい。
――訂正します――
>>394 誤) 尚、限られた時間において真我との合一(低我)を在らしめ、
↓
正) 尚、限られた時間において低我と真我との合一を在らしめ、
どうも、誤解が起こっているようです・・・。 もう一言だけ付け加えたいと思います。 仏教の目指す境地は、生きながらにしてニルヴァーナに到達することです。 u さんの説明だけでは、生存中の意識ある状態ではまるで無理な話ということになってしまいますよ。 一体、何が消滅し何が残るか。それとも何も残らないのか? 存命中のゴータマ仏陀の生きながらにしてニルヴァーナにあるその意識とは何か? これについて考えてみて頂ければ、私のいわんとすることが理解されると思いますが・・・。
397 :
名無しさん@3周年 :03/02/03 05:27
おまけ。
>>383 :u
>ここまで来れば、仏教の涅槃と、ヒンドゥのアートマン説は違う概念だと分かる筈です。
>
それは通常、一般的にいわれている事柄です。
当然、私も知っています。
仏教の「無我説」による考え方からきているとそうなります。
しかし・・・
>>292 でも述べたように、
これは誤解から来ています。もちろん昔の仏教者側のミスです。
僧侶ですら、これをよく知らないので、しょうがないです。
分かっている人はちゃんと知っていますが。
>本来は、禅がよく使う言葉の「無我の境地」(心を鎮め自我意識/エゴを埋没させる、等々・・)
>でもなければ、現仏教界での一般的な見解になっている釈尊はアートマン(霊魂)の存在を否定した、
>というものでもありません。
> 釈尊が説いたものは「非我説」(アートマンに非ず)とでもいうべきものであり、世間の観念的な
>アートマンや低級我(普段、自覚しているところ自己意識)は実在ではないと説いたのです。で、
>余談ですが、釈尊は霊魂を否定したと思っている方は誤解しています。それらの問題は明確にし
>なかった、が本当であり、ある時には死後にも存続する生命として、「異陰」(人間を構成する元素
><五陰>とは異なるもの)が継続すると述べています。
>
関心の在る方はご自分で、
このあまり知られていない「非我説」や「異陰」の存続について、調べて確認して下さい。
釈尊は、アートマンの存在や霊魂存在を否定していません。
今はこれ以上、話せることは私にはありません。
ということで、この問題は、学者が議論しても決着をみないものですから、 最初に、終わらない、と言いましたね。終わらないいんです。 観念、教義ってこんなもんです。 修行って、基本的には、やってる本人が納得すればいいことですから、議論は議論で、 また別物ですね。議論自体は面白いけど。 わたしの場合は、あんまり解脱って興味わかないですね、今のところ。どうでもいい。 生まれたものもなかったし、死ぬ者もないんだから、死んだ先のことなんか、全く 気になりません。どうなってもいいです。それに、たとえ、また、生まれてくるのにしても、 人格もこころも、違う訳で、記憶もない、普通ね、ないでしょうから同じです。 個我、って塊のようなものは、本来ないんです、こころはこころ。身体は身体。 ここに自分ってものがなければ、どう転んでも似たようなもの、つまり、 どうでもいい、って感じですか。
話が少しみえてきました。しかし皆さんお疲れのようですのであまりやり過ぎないよう少しテンポ落としましょう。 いままで質問ばかりしてきてあまり答える方のこと考えていませんでした。確かに何で?どうして?ばかりじゃつか れますよね。すいませんでした。それでも一応、チャット状態の反射レスではなくて私なりに熟考したうえでお聞き しているつもりではありますが。 このあたりでやめようと思いますが、最後にもう一点だけお聞きしておきたいとおもいます。 いつでもいいですし興味なければ跳ばしてください。 たしかだいぶ前のほうで>全存在が、すでに悟っていたと悟る というような発言がありましたがそれはどういう意味なのでしょうか。意識のない状態を悟った状態であるとするな らばたとえば前の方で仰っていたエゴの芽生える前の幼児であるとか私たちが毎日必要としている睡眠、とりわけ深 い眠りのなかには私もなければ世界もありませんし、戦争も平和(?)もないと思いますので、これは私でも経験 (勿論非在であるので経験でないことはわかります)していることですよね。で意識を存在と呼ぶならば、非在が主 で存在が従であるというような感じなんでしょうか?それを存在が主で非在を従としている誤認によって苦悩を実在 としてしまっているというようなことでしょうか?
もしこれがそうだとしても、たとえばuさんはこうやってやりとりしているときや奥様と話ているときなど
は、眠りの状態にあるわけではないのですよね。私は思うんですけど間違った同一認であれ存在であると
きには存在としての世界はそれなりのリアリティーがあるように思えますし、いつでもどこでも非在なわ
けではないですよね?(言葉としては矛盾しますが)
何というか、存在には存在の秩序というかルールみたいなものがありそうなきがします。サリンを撒いた
りとか他者を殺めたりとかそのようなことはできませんよね(もちろんやって出来ないことじゃないし事
実やる人もいるし)。
ですから変化のある世界ではよりよい変化をもとめて変化していこうとするのは自然なことと思われるのです。
舞都さんの仰るアートマンの存在というのはuさんの仰る非在と同じように思いますがどうなんでしょうか?
だんだん的外れなこと聞いているようなきがしてきました。
>>374 mさん
私も前にその話読んだことあります。うろ覚えですけど、たしかに信についてすごく明確に表されているような気がします。
>全存在が、すでに悟っていたと悟る というような発言がありましたがそれはどういう意味なのでしょうか。意識のない状態を悟った状態であるとするな こういった問題は言葉のやり取りでは解決できません。僕が答えるのは、それでも 頭の混乱だけは整理できるかのしれない、と思うからです。人が悟れないのは、 エネルギー的に同一化によって混沌状態にあること、つまり、ステートの問題 も、勿論ありますが、知性が鈍い、ということもあります。情報を詰め込み過ぎ なのです。悟りとは、その状態とは、どうの、こうの。悟りの回りに理想を積み上げ、 それを外に投影する。そうすると、自分は悟れないし、悟りがごく普通の状態だ、 ということや、普通の何でもない一般人が悟ること、は許せない。 こんなことでは、修行をいくら積もうが、奉仕を続けようが、結局、何も 解らないのです。
私の欠いたものを良く読んで頂ければ、意識のない状態を悟った状態、などという 間違った、矛盾している観念は出てこないと思うのですが、どうでしょう? 先ず、意識がない、のではなく、意識以前の混沌状態で、認識が起きない、 と言いましたね。それで、認識が起きないものをどうやって悟るんでしょうか? それは、神秘、知り得ないこと、と言いました。 涅槃に行く者はいません。何かがそこにあれば、それは涅槃ではありません。 で、そこから行き帰る、そうすると、わたしと言うようなものはそもそもなかった、 と悟る。それは実存的じゃないんです。ここで、わたし、というものがない、 そういったものが付着していなかった、ということは、当然、全てが最初から そうなっている、と悟るわけでしょ。で、こころ=分別もそこにある。 なければ、これは幼児退行ですよ。こころ=分別には実体がないと悟るんです。
で、どうなるかといえば、全て単なる存在でしょ。何だかは分からないけれど そこに在る。私が在る、の私が消えて、在る。 意識云々の世界では、セミと人間は少し違うような気がする。つまり、セミには 自分を認識するほどの意識はない。ところが、在る、ということにおいては、どんな違いもない。 セミの一生も人間の一生も変らない。一瞬で過ぎていきます。
舞ちゃんに意見にも、少し矛盾した個所があるんですが、指摘してる暇も 気力も今のところありません。 また、お互い研究、修行を続けて仕切り直しましょう。
>しかし私はこの少年と同じように自分自身の「信」に従っているだけで、それはクレーム氏や、 マイトレーヤがそう言うからではないことを明言しておきたい。 それにしては、ここでの君の僕に対する態度は変だったね。 そうなっているなら、人に何を言われようが、人がどう思おうが、ましてや、 他人が悟っていようがいまいが、囚われることはない。 君のよくないところは、口先だけで立派なことを言うが、それに見合った精神を 持ってないところじゃないか? 君は、その、君の「信」を確信したりしているようだが、ここでのやりとりから、 君が実際そうなっていると思う人は、僕を含めて、君のお仲間さえ、居ないんじゃないか と思うのだけれど。 君は、そうあるべき君、君の理想を語っているんだろうか?
>>m >ド・ハートマンの本を少し読んだことがある。 >その中で著者が少年の頃、グルジェフに、広大な草原の草を日が落ちるまで全部刈り取るよう >命令される描写がある。どう考えても無理だ。しかし少年は泣く泣くそれを始めた。 >しばらくしてグルジェフは「もういい」と言った。 >その一節を今思い出した。グルジェフについてはあなたの方が詳しいと思うが、 >私はこの話しが「信」とは何かを言い表しているように思えてならない。 おいおい、トマス・ド・ハートマンの「グルジェフと共に」(平河出版社)と、 ピーター・フリッツの「魁偉の残像」(めるくまーる社)がごちゃ混ぜになってるようだな。 こんないい加減な記憶を元に話されても答えようがない。 トーマス・ド・ハートマンはグルジェフと出会った1917年で既に32才頃、少年ではない。 広大な草原の話はド・ハートマンではなくピーター・フリッツの小学生頃(年齢的に)の体験だぞ。 ピーター・フリッツは自分で望んでグルジェフの所に来たわけではない。 両親の不和がこじれて何だかよくわからない内に連れて来られただけ。 いわばグルジェフは一時的な養父のような状況だった。 それを「信」がどうこうと言われても意味不明だ。
「信」について少し書けば、ド・ハートマン夫妻は夫はピアノでの作曲、演奏で、
グルジェフのダンスの伴奏に多大な貢献をしていたし、
妻の方はグルジェフの秘書兼通訳だった。 (5か国語くらい喋れたとか)
しかもウスペンスキーと違ってこの夫妻はグルジェフを強く信頼していた、非常に熱心な弟子だった。
しかし、グルジェフはこの2人を1930年に追い出してしまい、その後全く会わなかった。
再会した時は1949年にグルジェフが息を引き取る直前にジャンヌ・ド・ザルツマンが、
二人を呼び寄せたのだが、夫妻が到着したのはグルジェフが息を引き取った直後だった。
世間的に見れば熱心にワークに取り組んでいて、
しかも有能である弟子でさえグルジェフは追い出してしまう時がある。
「信」があればグルジェフについて行けると考えるのは安直過ぎる。
>本を読んでいるだけですか?
もちろん違う。
>何も実践がないなら、グルジェフの本当の理解にはまだ遠いと思うのですが。
実践はしている。一人で。グルジェフの言葉も参考にするし他の人の言葉も取り入れる。
理解が遠いかどうかはあなたが関知する所ではないだろう。
>
>>374 mさん
>私も前にその話読んだことあります。うろ覚えですけど、
>たしかに信についてすごく明確に表されているような気がします。
クレーム支持者というのは、
こういう酷く混濁した記憶を元に明確な「信」を築き上げるのか、やってられんな。
自分が実証すること、が肝心なんじゃないかな?
>>399 >ということで、この問題は、学者が議論しても決着をみないものですから、
>最初に、終わらない、と言いましたね。終わらないいんです。
>観念、教義ってこんなもんです。
>修行って、基本的には、やってる本人が納得すればいいことですから、
>議論は議論で、また別物ですね。議論自体は面白いけど。
>
>>405 >また、お互い研究、修行を続けて仕切り直しましょう。
>
それで結構だと思います。
了解。
uさんいろいろ教えていただいて有難うございました。また機会がありましたらおねがいします。 408さんすいませんですどーも間違っていたようで。どうぞご自分の実践なり理解を深めていってください。
412 :
名無しさん@3周年 :03/02/03 19:29
孫さん頑張れ、 マイトレーヤはヒマラヤに帰れ。
なんだか禅と悟りのスレみたいになってしまったな。 5段階のイニシエーションと悟りの段階について説明してもいいのだが、 うぐいすがこれだけ鳴きたいのならしょうがない。 ちょっときつい表現になるが、私より悟っているあなたなら、慈悲深く見守れる ことであろう。 > それにしては、ここでの君の僕に対する態度は変だったね。 >そうなっているなら、人に何を言われようが、人がどう思おうが、ましてや、 >他人が悟っていようがいまいが、囚われることはない。 私は囚われる。迷う。言葉を間違える。悟っているあなた様とは違うのでね。 「君の僕に対する態度は変だったね」 そう。悟りや涅槃の話をし出すと止まらないサニヤシンなど掃いて捨てる ほどいたからね。悟りを得ようとする目の前の野心に完全に埋没してね。 そういう匂いを感じたわけさ。自分じゃその臭いに気が付かないようだね。 >君のよくないところは、口先だけで立派なことを言うが、それに見合った精神を >持ってないところじゃないか? これあなたもでしょ。マイトレーヤの情報伝えたいのにいい加減迷惑だよ。 何をエラソーに悟りの講釈をずっと続けてるんだ。 ここは禅のスレではない。このトンカチ!お母ちゃんにオシリペンペンしてもらえ。 >君は、その、君の「信」を確信したりしているようだが、ここでのやりとりから、 >君が実際そうなっていると思う人は、僕を含めて、君のお仲間さえ、居ないんじゃないか >と思うのだけれど。 君の悟りと涅槃の話を聞いて腹にストンと落ちる奴がこのスレに何人いると思うんだ?
414 :
名無しさん@3周年 :03/02/03 23:05
>おいおい、トマス・ド・ハートマンの「グルジェフと共に」(平河出版社)と、 >ピーター・フリッツの「魁偉の残像」(めるくまーる社)がごちゃ混ぜになってるようだな。 >こんないい加減な記憶を元に話されても答えようがない。 あなたよりも詳しくないんだもの。厳しいね。 >それを「信」がどうこうと言われても意味不明だ。 「信」という言葉、英語でfaithといった方がニュアンスが合っているかな。 もちろんbeleiveではなく。何物にも依らずに内側から見出せるもの。 それはグルやいわゆる指導的存在への依存としてでなく。 >しかも有能である弟子でさえグルジェフは追い出してしまう時がある。 >「信」があればグルジェフについて行けると考えるのは安直過ぎる。 その判断の部分は私は違う。グルジェフの元から去るのも「信」あってのことだと思うよ。 グルジェフの存在そのものが、かえってその人の結晶化(この言葉をこう使うのが正しい かは知らない)を阻害する場合、グルジェフは去るように言うのを躊躇わない思う。 >クレーム支持者というのは、 >こういう酷く混濁した記憶を元に明確な「信」を築き上げるのか、やってられんな。 あなたも結構気が短いね。頭でっかち特有の気の短さですね。 それから、そろそろコテハン使ってはどうかな。何と呼んだらいいかわからない。
uのことを悪く言ったあとで今読み返しているが、 どうやら奉仕などをしても悟りを求めるのと一緒で無駄だと言いたいようですね。 何かを求めるために何かをするというのは欺瞞以外の何物でもない。 私は奉仕をしているか?そういう考えが起こる前に手が動いていると云った方が正確ですね。 uさんは方便としての奉仕に噛みついてるでしょ? 神智学で云うところの奉仕とは、いわゆる方便としての奉仕以上のものだ。 まず、奉仕するためには自分を知らなければいけない。ここから始まる。 つまり、自分、世界、グループの関係を「認識」「識別」があっての それから奉仕なのである。そしてそれは行為を伴うがそれに重きを置かない。 つまり、「認識があるとき」、「何をすべきかを自ずと知る」ということ。 DK覚者によると、奉仕という分野は終わりがないそうだ。
418 :
名無しさん@3周年 :03/02/03 23:57
DK覚者=ドキュン覚者 >まず、奉仕するためには自分を知らなければいけない。ここから始まる。 奉仕の為に自分を知るのか。 何かの為にではなく、選択のない気づきが必要、 と言っていたクリシュナムルティとは相容れないな。 クレームはどうしてクリシュナムルティは段階がどうとかって勝手に名前を使うんだ? クリシュナムルティの財団に申請しろよ。 そうでないのなら有名人を信者に引き込んで広告塔にしてる新興宗教との差異が見えない。
摩耶、しかし、君もゴタクを並べたねえ。自分で読み返したりしてる? 僕のレスは、君が自分の書いたものを読み返す作業と同じだろうね。 >どうやら奉仕などをしても悟りを求めるのと一緒で無駄だと言いたいようですね こんなことは一度も言っていないぞ。 僕が悟っているとしたら、君はそんなに嫌なの?君の中の何かが傷つくとか? なんで?ツマラナイことではない?悟りということで、君は何をイメージしているの? 自分が納得してやっていれば良いんじゃない。違う? 自分自身に納得してれば良いんじゃないの? 僕は、自分自身に落ち着いているから。君が僕について何を言おうが基本的に 気にはならない。僕には、君は一人相撲を取っているように見えるがね。 で、情報を流したいなら、早くやれよ!それを待っている奴もいるだろうから。
>uさんいろいろ教えていただいて有難うございました。また機会がありましたらおねがいします。 えっと、遊んでいるだけですから感謝は要りません。さん付けも無用です。 いつでもどうぞ!
>DK覚者=ドキュン覚者 それならDQだろ? マスター デュアルクール 通称チベット人だ。 奉仕についての多くはアリスベイリーの時代に、新時代の弟子道というテーマで 多く語られている。ここで目指す弟子道とはアクエリアス時代の弟子道、 有機体的なグループワーク、グループソールの発達にある。 >奉仕の為に自分を知るのか。 >何かの為にではなく、選択のない気づきが必要、 >と言っていたクリシュナムルティとは相容れないな。 ところそうではない。 この意味での奉仕には「気づき」が前提なのだ。 >クレームはどうしてクリシュナムルティは段階がどうとかって勝手に名前を使うんだ? >クリシュナムルティの財団に申請しろよ。 >そうでないのなら有名人を信者に引き込んで広告塔にしてる新興宗教との差異が見えない。 説明しよう。 マイトレーヤの使命1〜3巻の巻末に載っている世界のイニシエートの進化段階と 光線構造を発表する目的は、クレーム氏の師である覚者曰く、ハイアラキーとしての オーソリティを明確に世界に示すためだそうだ。捉えようによっては、そのへんの新興宗教 よりすごい声明だと思う。
はいはい。ゆっくり行きましょ。 >僕が悟っているとしたら、君はそんなに嫌なの?君の中の何かが傷つくとか? >なんで?ツマラナイことではない? 傷つかないよ。っていうか、私もあなたに同じことを問いたいのだけれど。 何で私の「奉仕」にムカツクのかを。 >悟りということで、君は何をイメージしているの? 段階ですね。私は神智学での悟りのイメージ、つまりイニシエーションです。 >自分が納得してやっていれば良いんじゃない。違う? 勿論yes あなたもわたしも >自分自身に納得してれば良いんじゃないの? 勿論yes あなたもわたしも >僕は、自分自身に落ち着いているから。君が僕について何を言おうが基本的に >気にはならない。僕には、君は一人相撲を取っているように見えるがね。 私もそうだよ。私の「信」も誰が何を言おうがゆるがない。 Uさんこそ、ここで何をしてるんだい? >で、情報を流したいなら、早くやれよ!それを待っている奴もいるだろうから。 レスの中でチョコチョコやってます。 うーん。もうこのへんにしときましょう。なんだか馬鹿らしくなってきた。 段々あなたの差異を感じられなくなってきたよ。
n さん、そしてm さん とりあえず、その辺までにしては如何でしょうか? ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ 今後も引き継いでm さんには、 クレーム氏によるマイトレーヤ情報の紹介ということで、大いに期待したいと思います。 楽しみにしております。 チョット、一服ということで・・・、 私のほうからは、マイトレーヤ出現とは少し話題が逸れますが、 それらの観念には意味がなく、自己の内面を重視するようとの指摘(批判意見)がかなりあるようですので、 分かりやすく一元論やジュニャーナ的教えに対する見解(私の個人的な)という意味で、 また、クレーム氏の情報と指示の元に奉仕するワーカーにとっては、 カルマ・ヨーガの原点を明快に説いた原点であるとして、 是非、ギーターの一部なども紹介したいと思います。 こちらのほうは、時間のある時にでも見て参考にして下さい。ヾ(^-^)ゞ
u さん の間違いでした。
>>277 :舞都 ◆r5KLQwiOdM :03/02/01 23:58
からの続き...
これは、ただの私個人からの見解に過ぎませんが、“不二一元論か二元論か”ということに関して、
自分の経緯に基づいた私からの意見です。この問題についてはこれで取りあえず最後にするつもり
です。議論を望む意図は全くありません。参考にして頂ければそれで十分です。尚、やや長文となっ
たので、その点をどうかご了承下さい。
ヴェーダーンタ哲学の梵我一如(アートマンはブラフマンなり)の思想について、徹底したアドヴァイタ
(不二一元論)を説いて解説したのが、シャンカラ(チャーリア)の「ウパデーシャ・サーハスリー」
(真実の自己の探求)でした。
クリシュナムルティー自身は、ヒンドゥーであるとか何教といったカテゴリーで語ることをしなかったし、
彼自身はこのことを認めないかもしれないが、クリシュナムルティーのような哲学的思弁による知識を
重視する教えはヒンドゥーの巨大な大河の中においては、サーンキャ学派一元論の一つに分類される
ものと見ることができると思います。つまり、クリシュナムルティーやラマナ・マハリシらの教えの原点は
そこにある。
私は個人的には、自己と自己とは非なるものという対象物として捉える二元性(二元論=ドヴァイタ)
とは、事象万物の幻影的性質マーヤーであり、本質においては唯一にして真我(アートマン=ここでは
シャンカラの言葉に合わせ、敢えてこう呼称する)のみが実在であることを知的に理解さえしていれば、
取りあえずは良しとしています。(一元論の立場からはマーヤーも存在しない。真我は常に久遠の時か
ら自己そのものとしてそこに留まっており、現在はまだ無理である、などの態度も真我実現の障害と見
なされる)。何故ならば、所詮は知性という思考の活動によっては、この事実(真理)を体現することな
どは決してできないからです。
私たちにでき得る最良のこととは、出現する対象物について必要以上に執着しないことだけです。
続き.. よく聞く話しは、クリシュナムルティーを知ることで神智学や宗教の教義から離れられたというもの。 しかし、私の場合はある意味では全く逆でした。結果的には、これは自分にはとても無理であると理解 した。つまり、クリシュナムルティーの教えを信奉し、方法(論)を放棄し努力(行為)すらも否定したとこ ろにあるものとは何か? それは結 果的に思考の中で堂々巡りを繰り返して、迷宮の中で混乱する意識を自覚することになるから。厄介 なことは、これが最高の教えであると感じるので、今更、方法論に戻ることもできない自分との葛藤が 生じることになる。下手をした場合には、日常生活すらも常識的に困難を憶える場合すらも有り得る だろう・・・。 この教えを知るとマイトレーヤが存在しようがしまいが、そんなことはどうでもよいことに思える。どう して伝導瞑想なのかについても疑問が生じてきて、別にどんな瞑想でもよくなってくる。結果的には瞑 想行為とそうではないものとの区別すら否定するようになり、全てが瞑想なのであったと悟って、瞑想 行為そのものも辞めてしまうことになるかもしれない。 一方、ラマナ・マハリシの場合には、「わたしは誰か?」の問いをひたすら自己に繰り返させるという もので、この知的な作業「ジュニャーナ」(智恵による探求)を実行させた。一見、これこそが究極の教 えであるように見えたのだが、こちらも同じく思考の働きは所詮、観念の遊びにしか過ぎないため、到 底、実現できるものとも思われなかっ た。尚、マハリシの場合には、ジュニャーナへの道を助ける手段として、その他、ジャパ(神々の名を 唱える)やマントラを繰り返すことによる集中の効果やディアーナ(瞑想)、バクティ(神への帰依/献身) なとについても認め、それを推奨されている。この辺りが、クリシュナムルティーとの大きな違いであろ うかと私なりに理解した。
続き.. 真我は実現するものではなく、すでに在りのままに実現していることを知る過程で起きる葛藤は、霊 性の道において、誰しもが必ずや行き当たるであろうと思われる根本的な問題であると私は思う。 これらの形而上学の重要な問題に対する解答は、古代インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」の中で バガヴァーン・シュリ・クリシュナによって明快に説かれている。ギーターの中でクリシュナは、解脱へ至 る道として三つの道を説かれている。第一の道はジュニャーナで、サーンキャとも呼ばれる。第二は行 為による実修の道カルマ・ヨーガで、行為の結果に執着することなく義務的行為を行う道。第三の道は バクティで、神に対する絶対的帰依。 特に第三章が重要で、この章において行為の道と非行為(行為の遠離)の道の大きく二つに分けて 簡潔に解答を与えている。尚、後章では、繰り返しながら詳細について説明している。 ここでギーターの注目に値いする箇所の幾つかを是非、ピックアップしたいと思います。宜しければ 参考にして下さい。尚、ギーターは私が見た範疇においては、学者によって原語(サンスクリット語)か ら直で訳されたものが通常、最も良いと思われました(例えば一度、英訳されたものからの翻訳では、 ヒンドゥー独自の深遠な思想を伝えるのには正直、全く失敗しているように見えます)。これは名訳なの で今回は、やや多めに掲載したいと思います。ご一考下さい。
>何で私の「奉仕」にムカツクのかを。 君の奉仕にムカツイタ覚えはないね。 君の僕に対する態度には多少ムカツイタかもしれない。 君の奉仕に対する態度も気に入らないところがあった。 で、どうでもいいんだが、その馬鹿らしくなった地平で、 何が見える?何かが醸し出されたか?あるいは疲れただけか?
その、最後にどうでもよくなる、というのは、 結構、真理なんだ。悟りなら、悟りが、永遠の命なら、それが。 だから、舞トレーラーの出現も、最後はどうでもよくなる、筈なんだな、 これが。そうなって、完結すると、僕は思うんだがね。
続き.. 『咎(とが)のない者(アルジュナ)よ、この世には二種類の道がある、とわたしは前に述べた。哲学者 (サーンキャ)の知識の実修(ジュニャーナ・ヨーガ)による道と、実修者(ヨーギン)の行為の実修(カルマ・ヨーガ)による道と。 (第3章-3) 人は行為に着手しないでは超行為の状態に達せず、また行為の遠離(カルマ・サンニャーサ)によってのみ 完成に到達するものでもない。(4) なぜなら、一瞬間たりとも行為を行わずにいる者はないから。すなわち、すべての者は根本原質 (プラクリティ)から生ずる成分(グナ)によって、いやおうなしに行為させられる。(5) おまえは義務的行為を行え。なぜなら、行為は無行為にまさるから。行為がなければ、おまえの身 体を維持することさえおぼつかないであろう。(8) したがって、執着を離れてたえず義務的行為を行え。なぜなら、執着を離れて行為を行う人は最高 所(解脱)に到達するから。(19) 行為はすべて、根本原質の成分によって行われる。しかし、自我意識で心が迷った者は、「わたしが 行為者である」と考える。(27) しかし、力の強い者よ、個我が(根本原質の)成分および行為と異なることの真相を知る者は、「成 分は成分に対して活動する」と考えて執着しない。(28) 行為はわたしに影響せず、また行為の結果をわたしは期待しない。わたしをこのように理解する者 は、行為に束縛されることはない。(第4章-14) 行為の結果に対する執着を捨て、常に心が満ち足り、他に依存しない者は、たとえ行為に携わって いても、なんら行為を行わない。(20) アルジュナよ、燃える火が薪を灰にするように、知識の火はすべての行為を灰にしてしまう。(37) なぜなら、知識に匹敵する浄化具は、この世には存在しないから。実修(ヨーガ)によって完成した者は、 時期がくれば自らそれ(知識)を自己の中に見出す。(38)
続き.. 聖バガヴァッドはいった。 (行為の)遠離と行為の実修とは、ともに至福(解脱)をもたらす。しかし両者のうちでは、行為の実 修が行為の遠離よりすぐれている。(第5章-2) 哲学者(サーンキャ)と実修(ヨーギン)とを、異なった(結果を生ずる)ものとして愚者は語るが、しかし賢者 はそうではない。たとえそのいずれか一方にでも正しく専念すれば、両方の結果を得る。(4) 哲学者(サーンキャ)が得る境地は、実修(ヨーギン)によっても達せられる。哲学と実修とを(同じ結果を生 ずる点で)同一であると見るものは、真に見る者である。(5) しかし、力の強い者よ、行為の遠離は実修なくしては容易に達せられない。実修を修めた聖者は直 ちにブラフマン(宇宙の最高原理)に到達する。(6) 実修を修め、おのれを浄め、おのれに打ち勝ち、感覚器官を抑え、自己の心を一切有情の心とす る者は、たとえ行為をなしながらも汚されない。(7) 実修を修め真理をさとった者は、見、聞き、触れ、嗅ぎ、食べ、歩き、眠り、呼吸しながらも、「わたし は何もしていない」と考える。(8) 行為の実修を修めた者は、行為の結果を捨てて、究極の寂静に到達する。行為の実修を修めない 者(行為の遠離者ではなく)は、欲しいままに行動して、結果に執着し束縛される。(12)
続く.. 聖バガヴァッドはいった。 行為の結果を期待せず、義務的行為をなす者、彼は遠離者(サンニャーシン)であり、実修者である。 単に祭火を用いない者、祭式を行わない者がそうであるというのではない。(第6章-1) パーンドゥの子よ、遠離(サンニャーサ)とよばれるものは(行為の)実修(カルマ・ヨーガ)であると知れ。なぜな ら、意図を遠離することがないならば、いかなる者も実修者ではないのだから。(2) 実修にのぼろうと望む聖者にとっては、行為がその手段とよばれる。すでに実修にのぼりついた同 じ者にとっては、安静(行為の止息)が(解脱を得るための)手段とよばれる。(3) なぜなら、感覚器官の対象や行為に執着せず、すべての意図を遠離するならば、彼は実修にのぼ った者とよばれるから。(4) ある者は、自己の中に宿る個我を、瞑想を通じ、心によって見る。またある者は、哲学(知識)の実 修(ジュニャーナ・ヨーガ)によって、また他の者は行為の実修(カルマ・ヨーガ)によって、個我を見る。(第13章-24) しかしながら、ある者はこのようなことを知らないで、他の者から聞いて(個我)を信奉する。しかし、 髄聞にのみ専念する彼らもまた、死を乗り越える。(25)
続く.. 行為は欠陥を持つから捨てるべである、一部の思慮ある者はいい、また祭祀と布施と苦行の行為 は捨てるべきではない、と別の者はいう。(第16章-3) 祭祀と布施と苦行の行為は捨てるべきではなく、それは行うべきものである。なぜなら、祭祀、布施、 苦行こそ賢者を清浄にするから。(5) しかしながら、これらの行為も、執着と結果とを捨てて行うべきである。プリターの子よ、これがわた しの確信的な最高の見解である。(6) アルジュナよ、もし「務めである」とのみ考えて、執着と結果を捨てて、義務的行為を行うならば、 その捨離は純質的であるとみなされる。(9) 賢明であり、疑いを断ち切り、純質(な成分)に満ちた捨離者(トヤーギン)は、不善に導く行為をもいと わず、また善に導く行為にも執着しない。(10) なぜなら、肉体を有する限り、人は行為を残らず捨て去ることはできないから。しかし、行為の結果 を捨てた人は(真の)捨離者とよばれる。(11) たとえ不完全でも、自己の(義務的)行為は、みごとになされた他人の(義務的)行為にまさる。自己 の本性によって規定された行為を行う者は、罪過を招かない。(47) クンティーの子よ、生得の(義務的)行為は、たとえ欠陥があっても、捨てるべきではない。なぜなら、 行為の営みはすべて欠陥に覆われているから。あたかも火が煙に覆われるように。(48) 』 ――――広島大学名誉教授/宇野 惇訳「バガヴァッド・ギーター」 [世界の名著:バラモン教典/原始仏典]中央公論社刊
434 :
名無しさん@3周年 :03/02/04 02:37
>よく聞く話しは、クリシュナムルティーを知ることで神智学や宗教の教義から離れられたというもの。 >しかし、私の場合はある意味では全く逆でした。結果的には、これは自分にはとても無理であると理解 >した。つまり、クリシュナムルティーの教えを信奉し、方法(論)を放棄し努力(行為)すらも否定したと >ころにあるものとは何か? >それは結果的に思考の中で堂々巡りを繰り返して、迷宮の中で混乱する意識を自覚することになるから。 どうも大きな誤解があるようだ。 クリシュナムルティが指摘しているのはそのような堂々回りをすり思考を見なさい、という事。 それが、まず虚偽を虚偽としてみる事。 そして気づきの過程において、その思考に秩序をもたらす事、 それが、虚偽の中に真実を見る事。 そして気づきの全過程を理解し、思考から離れる事、 それが、真実を真実としてみる事。 「虚偽を虚偽として見、虚偽の中の真実を見、そして真実を真実として見なさい。」クリシュナムルティ
ここで、一つの説を述べてみよう。これは一つの仮説であるから、 これについて論じる必要はない。 君達が真剣に奉仕を続けていけば、やがて、ハートへのシフトを経験するだろう。 マインドから魂へのシフト。君達は始め、平和を感じ始めるだろう。エネルギー が、アムリタと呼ばれる甘露があなたのハートを打ち始める時、あなたは至福を感じ始める。 やがて、それが愛に変る。普遍的な、無条件の、無償の愛。 その時、君達は想うのだ、ああ、救世主は現われなかったが、そんなことはどうでも よいことだった、あれは梯子に過ぎなかったのだと。 そうして君達は笑い出す、あるいは、理解の微笑みが君達を包む。 素晴らしい、瞬間だ。
>>434 >>それは結果的に思考の中で堂々巡りを繰り返して、迷宮の中で混乱する意識を自覚することになるから。
>どうも大きな誤解があるようだ。
>クリシュナムルティが指摘しているのはそのような堂々回りをすり思考を見なさい、という事。
>それが、まず虚偽を虚偽としてみる事。
>
“思考を追わない”ことについては、
クレーム氏を通して提供されるマイトレーヤからも同じことをいっています。
神智学では、“思考はエネルギーを方向づける”と教えてます。
もちろん意味は分かりますが、難しいことです。
クリシュナムルティの言葉だけで済む者は、それは良いと思います。
別に否定はしません。
紹介したギーターの言葉が解答であると、私は見なします。
御意見に感謝!
しかし、その素晴らしい瞬間を、一瞬曇らせる想いが君達に走るのだ! 「あ、あの馬鹿のシャルマの言ってたことが本当だった」 と。君達は多少恥ずかしくなるであろう。なんせ、あんなに馬鹿にしていた 奴のいうことが正しかったのだから。苦笑するかもしれない。畜生! と言って舌打ちをするかもしれない。しかし、すでに遅いのである。 ま、こんなに上手く行けたらいいね。
あ〜あ、よせばいいのに、まやびくん。 まったくね、一度はこのスレを削除依頼し、そしてもう来ないなどと言いながら またケンカ腰のレス!レス!レス! おかげでまやびくんが誰なのかわかっちゃったよ。 その独特の感受性は恐らく「彼」のものだろう。 Uとの語りは放棄するのなら断固放棄すればいいものを。 君は僕の100万分の1の意志の強さも持ちあわせてはいない。 妻子持ちなどと言わなければよかったのに。
439 :
名無しさん@3周年 :03/02/04 03:14
強さは美徳ではありません。__K
>>435 :u 様へ
>その時、君達は想うのだ、ああ、救世主は現われなかったが、そんなことはどうでも
>よいことだった、あれは梯子に過ぎなかったのだと。
>そうして君達は笑い出す、あるいは、理解の微笑みが君達を包む。
>素晴らしい、瞬間だ。
>
はい、結果的にはそうなるかもしれませんね。
私はあなたのこの推察を別に否定しません。
繰り返しになりますが、
この情報を受け入れる必要などは、u さんにはありません。
自分自身によって――事実として――確認されたものだけを自己に受け入れること、
これが最も確実なことでしょう。
これは、u さんの言葉の中にもあったと思います。
私はそのことを認めますし、u さん自身はそれでよいと思います。
この情報を前にした場合、大きく三つの選択があると思います。
1)自分自身で確認できたことだけを認める。
(つまり、確認が得られていないので、自分は受け入れない)
2)可能性としては認める。
もしくは、本当にそうであれば確かに良いことだとして、その推移(や結果が出るの)をただ見守る。
(または、否定的な見解から推移を見ようとする)
3)自己の信に基づいて、それぞれのレベルにおいて自ら行動を起こす。
>>437 >しかし、その素晴らしい瞬間を、一瞬曇らせる想いが君達に走るのだ!
>「あ、あの馬鹿のシャルマの言ってたことが本当だった」
>
アッハハハ。
馬鹿だなんて思ってませんよ(笑)。
いや、本当によく勉強されているし、
様々な経験を積まれている方であることはよく分かります。
この情報を知り、半分の?期待を以て、或いは懐疑的な視点から
結果が出るのを見ている大勢の方々がいると思います。
そして、結果的には逆も有り得るかもしれませんね。
「まさか本当だったとは、驚いた。ホント参ったなぁ、トホホ・・・。
本の一冊でも買っていれば、少し違っていたかも?
私の批判投稿、もう記録残ってませんよね?
それにしても、出現が遅すぎだもん。グスン・・・」(笑)
とか。
ジョークですが。
442 :
名無しさん@3周年 :03/02/04 03:31
クレームはインチキ手品師サイババを聖者だと言ってな。
そもそも、uの言う「素晴らしい、瞬間」が本当に訪れれば、マイトレーヤが 出現しようがしまいが、uとの発言のわだかまりや、その他もろもろのことは どうでもよくなるでしょ。 それらの悩みや惑いは「素晴らしい、瞬間」がいまだ訪れていない人レベルに 特有のものでしょ。
しかしですね、マイトレーヤ、サイババ、クリシュナムルティ・・・ 疑い出せばキリがないですよ。 確かに、この手の精神世界の話題に対しては念には念を入れることは大切でしょう。 ただ、我々の足下の日常生活を見てみても不透明、不確実性に支配されていると思いますよ。 私はプールで泳ぐのが趣味ですが、もし、このプールに誰か気の触れた人間が青酸カリでも こっそり放り込んでしまえばどうなるだろう?と泳いでいる途中にフト脳裡によぎり、 それ以上泳げなくなった日がありました。 この物騒な時代、どんな妄念を抱いている人がいるかわかりません。 ま、これはバカバカしい話ですが、この手の話題を疑うにせよ、それなりの感性は必要ですね。 日常世界でトンでもない大馬鹿なことを盲信し、非日常世界でトンでもない些細なことを 疑心暗鬼の目で見つめる、そういうことは多いのではないでしょうか?
>>444 >疑い出せばキリがないですよ。
>
はい、あなたの意見が正しいと私も思います。
所詮は、全てを確認してから行動することなどは到底、不可能です。
これは生存している限りにおいて、自己確認が得られずとも必然的に我々は行為します。
もちろん、何でも良かれということでもない。
ですから、どの程度までというバランス感覚?の問題ではないでしょうか?
しかし、徹底して自己確認の結果に従おうと努める方を、私は否定しません。
それはそれで大変、頑強な意志が必要であるものとして敬意を評したい。
これは私も、mさんも同じですが、
自己選択の結果として、今の自分があります。
それは、自己の内面の声に従った結果です。
まったく面倒なことだよね。 何を信じて生きていけばいいのか、それさえも自分自身で検証しなきゃならないなんて。 アンサーさえわかればそれに向けて邁進すればいいだけなんだけどね。 はあ、つくづく人間存在は不条理の中に放り込まれていると思うよ。 自ら生まれることを望んだのでもない(恐らく)。 誰が自分を作ったのかもわからない(ここでは両親は除く)。 どうやって生きるのがいいのか確実な指針は存在しない(現状では)。 これはほんとに困った事態だな(w
>クレームはインチキ手品師サイババを聖者だと言ってな。 ん、あっそう、これ、どうなのよ? 俺もさ、趣味でサイ馬場は見に行った。まあね、朝早くから列に並ばなければ奇跡 は見れないみたいで、そこまでして見るもんでもないし、3、4日遊んできただけなん だけどね。今でもインドで、というか数でいくと一番デカイところでしょ。 あれは、精神世界下ネタとして興味があるね。暇な時はサイ馬場で検索して情報 あさったりしている。 これ、、どうなんだ?そろそろ情報出せよ。
\ uワッチョイ! / + \ uワッチョイ! / + + /■ヽ /■ヽ / ■ヽ (( ∩,,・д) (,,・∀・) (д・,,∩ )) + ヽ ⊂ノ (⊃ つ (⊃ 丿 + (__(__) (__ノ__ノ (__)し' +
グッドラック!
/∧ /∧ / / λ / /λ / / /λ / / /λ / / / /λ / / /λ /  ̄ ̄ \ / / ̄\ / ̄\\ / | ●| | ●| ヽ | し ̄ヽJ し  ̄ヽJ | | '""" | | """" T" | T """ | | """" | ノ | """ | \ 丶 ___人___ノ / \_ ヽ―/ __/ /  ̄ ヽヽ \ /
963 :u :03/02/04 20:48 さて、このスレの最後に(もう後はないだろうし)私がここへ来た理由を述べておこう。 私はあなたがたに超人を説かない為に来た。 私は常人を携えて来た。 さあ、ここから何かを持っていけ、と私は言う。 私は、理解した後も、どんな理想も、どんな美徳も、どんな道徳も自分に 押し付けずにいた。 そして、他人からの、どんな投影も、どんな期待にも、答えずに自分自身でいた。 私は私であるところものもを全て受け入れ、それに良しと言った。 私は、下品で、粗雑で、卑猥で、軽率で、短気で、ある全ての私である性質を 好んだ。ああ、これこそが私であるところものだ、と。 そうだ、これが、ゾルバでいること、だ。 私は目覚めた後も、大人しいブッダでいることを拒否した。 人々の期待に答え、人々に愛され、敬われる人格になることを拒否した。 そして、私は私を丸ごと受け入れた。 これこそが、Oshoのビジョンである、ゾルバ・ザ・ブッダである。 Oshoの真の弟子、その真髄とは、これである。 芸術家だの、環境派だの、自然派だの、瞑想家だの、信奉者だの、 そんなものは、Oshoの真の弟子ではない。彼らは間違えて、Oshoのとこへ 来ただけである。 この、アムリット・シャルマが象徴している性質、ゾルバ・ザ・ブッダだけが、 真のOshoの弟子であり、告知であり、香りであり、炎なのである。 そして、私は告知者としてかつて死んだ。今回来たのは、その死にぞこないである。
>>447 >>クレームはインチキ手品師サイババを聖者だと言ってな。
>これ、、どうなんだ?そろそろ情報出せよ。
>
『サイババは宇宙のアバターであり、そのエネルギーを宇宙のレベルで体現され、マイトレーヤは
惑星のアバターであり、惑星レベルでそれを表現されています。各々が神の愛の表現です。しかし
ながら、マイトレーヤ個人の意識が、オーバーシャドゥによって(パレスチナにおいてイエスを通して
されたと同じような方法で)クリシュナを通して顕現しました。他方、サイババは宇宙のクリシュナ、
すなわち宇宙のキリストの原理と御自身を同認されます。』
――――ベンジャミン・クレーム著[マイトレーヤの使命]
クレーム氏はサイババを誹謗中傷していた者は、
いずれ自らの行為を恥、自責の念に駆られることになるだろう、
ということを、古くからいっていたと思います。
続く..
下記は、一部サイババの霊的仕事を助けているとされるアバター、
スワミ・プレマナンダの場合を伝えたもの。
そして、サイババのゴシップについて答えたものです。
『スワミ・プレマナンダ――アバター留置される
「真理は最後には勝つ」
偉大で善良な方々の生涯によく起きることであるが、そのような方々を何とかおとしめようとする
人々がいつも存在する。スワミ・プレマナンダはこれを直接経験してしまった。彼の名声が広がり、
崇拝者たちが世界中から彼の祝福と助言を求めて会いにやって来ると同時に、彼の名を貶めよう
とする試みが出てきた。そのような訳で彼の突然の逮捕と留置という大きな衝撃が生じた。彼は強
姦と殺人を含む種々の犯罪の嫌疑をかけられた。』
http://www.sharejapan.org/articles/1998/aug/sinriwa.html 『質問 サイババ大聖のアシュラムを訪れた人々から時々報告されるのですが、サイババが信
奉者たち(ほとんどが男性)と性交渉をしばしば持つということです。最近、オランダの
新聞がこのことについて報道しました。これに関してクレームさんの師のコメントをお聞
きできれば嬉しいのですが。(1992/6)
答 サイババ大聖のような身分のお方がそのような行為に関与することは決してないのは言
うまでもありません。彼は信じ難いほど高度に進化された方であり、そのような行為の引
力に反応できるような要素は、この方の裡に何もありません。彼のアシュラムに引きつ
けられる大勢の人間の集まりの中には、うわさやゴシップがたくさんあります。これは必
然です。ほとんどの人々はサイババを体験することによって心が豊かになりますが、心
(ハート)の閉じた人々もおり、彼らの反応は羨望や妬みです。最も豊かに果実を実らせ
る木に石が投げられます。』
――――ベンジャミン・クレーム著[マイトレーヤの使命 第二巻]
しーんぱーいないからねー、 (中略) 必ず最後に愛は勝つーーーー。 ____カン
舞ちゃん、情報ありがとう。何か俺の書いたものをアチコチにコピペして回る香具師 がいてね、俺の回し者じゃないんだけど、、、ま、迷惑でもないがね、そんなに俺の は名文だろうか? っちゅうことはね、じゃあ、あれだけ、馬場にイヤラシイ行為をされたと言っている 人が居るが、全部嘘か、何か、つまりでっち上げとか、そうなるんだが、、、 そう考えるのも何だか不自然のような気がするんだね? 舞ちゃんの個人的な感想はどうなんだろう
969 :u :03/02/04 21:31
>要するにあんたは、
要するにあんたは
要するにあんたは
要するにあんたは
そうやって、あんたは自分自身を見ることを拒否しているだけ。
要するにあんたは病患者=イタイイタイ病患者
970 :名無しさん@3周年 :03/02/04 21:42
>>966 どちらも『信』ということだな?
971 :名無しさん@3周年 :03/02/04 21:44
>要するにあんたは病患者=イタイイタイ病患者
イタイイタイ病患者ヘの差別発言と受け取っていいか?
マイトレーヤもサイババも覚者方もみんなこのスレ見てる。 そんで、たまにイタヅラカキコしてるよ。 ミステリーサークルと同じ。
>>455 :u :03/02/04 23:16
>舞ちゃん、情報ありがとう。
>何か俺の書いたものをアチコチにコピペして回る香具師がいてね、
>
別人のコピペ行為だって、すぐに分かりましたヨ。
あまり、突っ込みの入った投稿?をたくさんするから、少し有名というかなぁ?
はははははっ。
>>455 :u
>全部嘘か、何か、つまりでっち上げとか、そうなるんだが、、、
>
そういうことになります。
つまり、結果は二通りあることになると思います。
一つは、これは全面的なサイババを陥れるための罠です。
内容も異なるし、比較もできないでしょうが、
たしか、ラジニーシも悲惨な仕打ちを受けたと思います。
それともう一つは、
クリーム氏個人の信により、サイババを讃えているということに過ぎないというものです。
>そう考えるのも何だか不自然のような気がするんだね?
>舞ちゃんの個人的な感想はどうなんだろう
>
私も少しだけ、サイト情報(暴露話しとやら・・・)を見たことがありますが、
確かに随分と酷いことになっているようです。
正直、これらのことについては私はよく知りません。
続く.. 元々、私個人はそんなにサイババに惹かれることがなく、 とても、信者になる意志はありませんでした。 サイババに会いに行くだのといって歓喜する信者たちの様子を見ると、 正直なところ、私は個人的には少し冷めてしまいます。 サイババに惹かれない理由は、 自分はあのようなバクティに浸る世界というのは、どうも苦手でダメなんです。 寧ろ逆の方向で、神への献身とか、そういう感情移入の世界からは離れていっています。 私個人はマイトレーヤに対してでさえ、崇拝行為のようなことはしないように控えています。 今更、そういう世界には戻れないし、戻りたくないのです。 ただ、それだけの理由です。 サイババの活躍に対しては期待したいですし、 これらのうわさやゴシップがただの陥れであり、全く事実ではないことを願っています。 よってサイババ個人に対する私の見方、立場はどちらかというと傍観者的なものです。 つまり、サイババが真実にして偉大なアバターであっても、 今の私には、何か特に関わりを持つつもりはありません。 尚、因みに私は、以前、テレビにも取り上げられた体が不自由で、 サイババの恩寵によって快方へと向かっているという方と実際に会い、 私の車の助手席に乗せて会場へと向かったことがあります。 招待を受けて、サイババ信者によるイベントへと 初めて出かけた折りのことでした(後にも先にも、参加はこれ一回)。 その後にTV番組を見て、その時の方が取り上げられていたので驚きました。
ふーん、サイババってスゴイんだな。
>>460 誤)クリーム氏個人の信により
↓
正)クレーム氏個人の信により
ちと、恥ずかし過ぎなので、
思わず訂正!!
これから2ちゃんではベンジャミン・クリームが流行ります。
\ ベンジャミンクリーム! / + \ ベンジャミンクリーム!/ + + /■ヽ /■ヽ / ■ヽ (( ∩,,・д) (,,・∀・) (д・,,∩ )) + ヽ ⊂ノ (⊃ つ (⊃ 丿 + (__(__) (__ノ__ノ (__)し' +
舞都さん。いつもありがとう。 相変わらずのカキコの量ですね。おかげでまた引き離された。 夜中も書き物などしているので、レスは遅れます。皆様ご容赦 >今後も引き継いでm さんには、 >クレーム氏によるマイトレーヤ情報の紹介ということで、大いに期待したいと思います。 >楽しみにしております。 クレーム氏の講演を聴く方が100倍いいのは言うまでもないです。 何か質問があってそれについて答えるというやり方がいいかな。セオリー通りには答えたし。 気づき、奉仕、悟り、認識について皆ある程度実践を積んでいるようだけど、 それについてお互い突っ込みあいながら話すというのでも、やっぱいいかな。 あーもうそれが始まっているか。 >君の僕に対する態度には多少ムカツイタかもしれない。 >君の奉仕に対する態度も気に入らないところがあった。 素直に謝ろう。ごめん。トラウマなもので。 >で、どうでもいいんだが、その馬鹿らしくなった地平で、 >何が見える?何かが醸し出されたか?あるいは疲れただけか? もうどうでもいい。ご苦労さん。 >舞トレーラーの出現も、最後はどうでもよくなる、筈なんだな そう。ハイアラキーの外的顕現はあたりまえの事実として受け入れられるだろう。 クレーム氏によれば、マイトレーヤと覚者方が公に出てきたあと、アクエリアス エージの2000年以上に渡ってマイトレーヤは私たちのただ中にあるそうだ。
\ ベンジャミンクリーム?! / + /∧ /∧ / / λ / /λ / / /λ / / /λ / / / /λ / / /λ /  ̄ ̄ \ / / ̄\ / ̄\\ / | ●| | ●| ヽ | し ̄ヽJ し  ̄ヽJ | | '""" | | """" T" | T """ | | """" | ノ | """ | \ 丶 ___人___ノ / \_ ヽ―/ __/ /  ̄ ヽヽ \ /
それは、勘弁して下さい。
>>466 :m 様へ
>クレーム氏の講演を聴く方が100倍いいのは言うまでもないです。
>
はい、そうですね。
関心の在る方は直接、自分で足を運んでみるといいと思いますね。
毎年、春に来日されています。
>何か質問があってそれについて答えるというやり方がいいかな。セオリー通りには答えたし。
>
それは確かに、一番良いことだと思います。
また、どうか宜しくお願いします。
>君達が真剣に奉仕を続けていけば、やがて、ハートへのシフトを経験するだろう。 >マインドから魂へのシフト。君達は始め、平和を感じ始めるだろう。エネルギー >が、アムリタと呼ばれる甘露があなたのハートを打ち始める時、あなたは至福を感じ始める。 >やがて、それが愛に変る。普遍的な、無条件の、無償の愛。 >その時、君達は想うのだ、ああ、救世主は現われなかったが、そんなことはどうでも >よいことだった、あれは梯子に過ぎなかったのだと。 やっぱりあなたはOSHOの息子だね。 >君達が真剣に奉仕を続けていけば、やがて、ハートへのシフトを経験するだろう。 オカルトの道は神秘家の道ではない。あなたは指摘はまだ完全ではない。 秘教徒は、マインドを通して彼のエネルギーを奉仕に使い。 神秘家はハートから行く。どちらも真理にいたるが、それだけでは不完全だ。 DK覚者は、「神秘家と秘教徒は出会わなければならない」と言っている。 それは西洋と東洋が出会うような相似を思わせる。そしてそれがここで起こっている。 そしてここで起こっていることはアクエリアスの時代のグループワークと グループイニシエーションのひとつの実験である。ここでは、あなたが述べた以上のことが 起こっている。と、指摘しておきたい。クラシックな意味での神秘家など私は眼中にない。 まぁ。外から何を考えるのかは勝手だ。
>>470 もう、いいかげんにしたら?
>>435 には
>ここで、一つの説を述べてみよう。これは一つの仮説であるから、
>これについて論じる必要はない。
こう書いてあるよ。
uは謙虚にも(?)仮説と言っているのに、あなたはいつも断定的だよね。
サイババについては、過去スレで応えたことがある。 中傷というのはどこにでもあるものだ。釈尊もOSHOも受けたしね。 ただサイババに関して言えば、告発者はさっさとサイババを訴えれば良い のにいまだにそれをしていない。証拠を提示してインドで裁判を起こせば いいのにそれをしない。なぜなんだろうか? わたしはこの件でサイババサイドが黙っているのは、フィルタにかけて いるんだなと思う。中傷を気にしてサイババがきらいになるのなら、 なぜサイババに惹かれたのだろう? 結局のところその程度のものでしかないんではないかな?
473 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 02:23
直感で、クレームとサイババは、アウト
>>471 なに仮説なのか?
でも応えなきゃいけないでしょ。
>あなたはいつも断定的だよね。
仕方がない。応えなければUにいぢめられるんだから。
じゃあもうちょっとソフトにするよ。
>>438 >あ〜あ、よせばいいのに、まやびくん。
>まったくね、一度はこのスレを削除依頼し、そしてもう来ないなどと言いながら
>またケンカ腰のレス!レス!レス!
>おかげでまやびくんが誰なのかわかっちゃったよ。
>その独特の感受性は恐らく「彼」のものだろう。
>Uとの語りは放棄するのなら断固放棄すればいいものを。
>君は僕の100万分の1の意志の強さも持ちあわせてはいない。
>妻子持ちなどと言わなければよかったのに。
では、また黙しようか。あなたから見てその方がいいと思うならまたそうしてもいい。
私がまた出てきたのは私と関係のない元353さんが私と勘違いされたから、というのも
理由のひとつだ。
だが、この情報を伝えることにマイナスになるとあなたが思うのならまた考えないでもない。
私への感想より、あなたの意見を聞かせて欲しい。
476 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 02:37
しかし、PKディックは、なぜベンジャミンのマイトレーヤを支持したのだろうか ? センスいいはずなのだが。
477 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 02:40
アリスベーリーとベンジャミンは、別のものとしたい。
ディックの「ヴァリス」って読んだ事あるかい? クリームのマイトレーヤを支持したかどうかは知らないが、 ディック自身の中に救世主出現願望があったんじゃないか?
>>477 わざわざ分けて考えるほどのもんじゃない。
私の言葉はきついかな? 私は、ここでこのようなことをするのが正しいかどうかまだ確信が持てない。 でも、前スレのようなやり方の応答とは違った展開になってしまった。 それはもちろん私のせいなんだけどね。でもおもしろいと思っている。 前に言ったと思うんだけど、神智学系の教えは誤解を受けやすいし、 進化段階なんていう波乱を起こしかねない情報もある。 ここでは書けないこともある。訊かれても応えられないこともある。 正直なかなか難しいね。 そろそろ寝よう。みなさんお休み。
摩耶。君は別に謝るこたあないと思うんだ。調子狂うな。 ま、そういうのが趣味なら、こっちも非礼を詫びておこう。
482 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 05:33
uキタ━━━━━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━━━━━!!!!
今日はちょっと疲れていて、マトモなレスを返せないで残念です。 あのさ、マイトレーヤーが惑星の何で、馬場が宇宙の何だったら、馬場の方が 上ってこと?じゃあ、馬場にくっついていればいいんじゃない? ま、趣味もあるよね。俺は馬場はなんか趣味じゃないね。 ところで、アマチはどうなの?クリームはアマチについては何も 言ってないのかな?
484 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 05:45
馬場さんはいわば霊的摂政で我々にとっては貴賓客なのです。 つまり馬場さんの全くの好意で我々のような哀れな存在の手助けを して下さっているのです。 進化のレベルで言えば、確かに馬場さんのほうがマイトレーヤー より↑だということらしいのですが、貴賓客の馬場さんのレベルが どうのこうのと、言うのは失礼にあたるのであまり詳しいことは くりーむさんも言及は控えているようです。 マイトレーヤーがともかくもこの時代の地球を治める、 というのがスジなのであります。 マイトレーヤーの場合は好意ではなくそれが使命なのであります。
485 :
名無しさん@3周年 :03/02/05 05:59
>>483 >あのさ、マイトレーヤーが惑星の何で、馬場が宇宙の何だったら、
>馬場の方が上ってこと?
>
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
>>484 さんの説明が、最も正確であると私も思います。
通常、アバター方は地球の進化系ではなく、この惑星外から来ています。
この惑星ハイアラキーが招待された霊存在であり、
惑星ロゴス(神)の代理のような働きをされているようです。
という意味で、まさに’宇宙的な存在”です。
尚、ヒンドゥー教の説く「アバター」とは、神の化身程度の意味です。
>>ところで、アマチはどうなの?
クレーム氏はアマチについて説明していた筈です。確認中にて、暫し・・・。
(知っている方は、できれば教えて上げて下さい)
賓客だから多少の悪戯はいいってことなのかな? ま、馬場様の問題は謎ですね。
アバターと言ってもいろいろらしい。 クレーム氏の情報だと、ババジ、ヨガナンダ系列はアバター、 レオナルドダビンチは4段階だけどアバター(人間アバター) サティア・サイババは、次の転生のプレマ・サイババを最後に地球を後にするらしい。 その姿は長髪で髭を伸ばすのだそうだ。 人に知られている方々もいるし、全く知られていない方々もいるとのこと。 サイババもマイトレーヤも愛の原理(キリスト原理)の体現者で、 マイトレーヤは地球という惑星レベルで、サイババは宇宙レベルで体現されるとのこと。 クレーム氏での講演では必ず両者からのオーバーシャドーのエネルギーが聴衆に対して 送られる。非常にしばしば、癒しを体験する人もいる。 さらに東京の覚者や、イエス覚者、マイトレーヤご自身が、 講演会に姿を変えて例年現れている。しかし必ず会えるという保証はない。 アマチは確かインドのある覚者の弟子だと説明していたと思う。 (アマチを信奉されている方はクールに聞き流してくださいね)
>>487 :u
>賓客だから多少の悪戯はいいってことなのかな?
>ま、馬場様の問題は謎ですね。
>
確かに謎だらけの存在なので、私たちの理解をたぶん遙かに超えていますね(笑)。
お茶目で大の悪戯好きは相当らしいです。
それと、私が前述のオーガニゼーション・ジャパンのイベントに参加した際
(TVマスコミの取り上げで日本中に知れ渡る少し前のことでした)、
私がその時、日本支部の最高責任者から聞いたサイババについての話だと、
「信者はもう、こんなに要らない」と、相当にウンザリしていたようであり、
「もう、宣伝はいらない。わたしのポスターを売ったりするのも、いい加減に止めてもらいたい」
などの発言もサイババはされていた模様。
だから、今後は本当に関心の在る少数の方々だけに、
このような集いへ招待(招待制?)するようにしていきたいと説明していましたね。
例えば、物質化のトリック説、
TV放映された問題の映像シーンについても、
サイババは全てを見通される存在なので、
もしかすると、敢えて疑いが掛けられるようにしたとも取れなくもない・・・。
ご自分の悪評については、たぶん何とも思われないのかもしれない。
私たちはフルイに掛けられているということかもしれません。
「おまえたちは、わたしの物質化現象に興味があっただけなのか?
それとも、わたしの説く神の愛智について関心があったのか、
一体、どっちなんだね!」とかさぁ。
(私は物質化現象が有り得ないなどとは思わないし、
サイババのような存在ならば、決して不思議ではないと思いますが)
m さん、ありがとうございました。 全くその通りですね。 『質問 1998年10月号のシェア・インターナショナル誌上で、南インドの聖者アマチ(マタ・アムリタナンダ マイー)は、南インド・ロッジの覚者方のグループとどのような関係にあるかという質問に対して、 彼女は南インド・ロッジの覚者の一人の弟子であるとあなたは答えました。トランス・ヒマラヤ・ ロッジの覚者方のグループについては、その構成や仕事について多くのことが知られているの に、南インド・ロッジについての情報が殆どないのは何故ですか。 答 トランス・ヒマラヤ・ロッジの覚者方は何千年も秘められた生活を送っておられ、H・P・ブラヴァツ キーやアリス・ベイリーの書物を通して、初めてその方々の仕事が知られました。一方、南イン ド・ロッジの覚者方は、公に生活して働かれ、よく知られた大勢の弟子たちに対して、または彼 らを通して、教えを提供されてきました。』 ――――――[シェア・インターナショナル日本語版/2000年6月号]
★★★★★ mさん、そして支持者の皆様へ ★★★★★
――【関係者】マイトレーヤ情報について【議論】――
「意図せずともマイトレーヤやクレーム氏に関するスレが自然と立ってくることは将来、
充分考えられると思います。どのようなスタンスでお互い話し合い、または正しくマイトレ
ーヤの情報を伝えることに関連して、ここ2chで私たちができることは何でしょうか?」
というのが、このスレの基本テーマでした。
発起人であるmさんが休憩から帰ってきたところで、少しこのテーマに話を戻すと(笑)、
>意図せずともマイトレーヤやクレーム氏に関するスレが自然と立ってくる
たとえば以前にも、
「マイトレーヤの使命」
http://mentai.2ch.net/psy/kako/993/993403982.html スレなどの例もあり(内容も全く無い)、これはすでに起こっているわけですよ。
情報の(非常に歪んだ僅かな)一部が世間に広まるほど、
「ありゃーホントかよ、うそだろ!あるわけねぇーよ」という会話が自然と起こり、
それを話題にしようと2CHのスレも建つというのは、ごく当たり前だろうと思います。
この情報に全く無関心という人もいるでしょうが、
ある意味では、多くの人々にとって結構、興味が湧く話しかもしれません。
少なくとも、そんな途轍もない話を本気にしている連中がいる、
ということそのものが、人々の好奇の対象となるわけですね。
では、投稿される実に様々な、ありもしない思い込みや決めつけ、デッチ上げ。
誹謗中傷や罵倒、愚弄する内容。そして或いはまた、素朴な疑問など・・・
一体、これらに対して、私たちはどう向き合うのが良いのか?
続く..
案外、
>>457 さんの投稿
>マイトレーヤもサイババも覚者方もみんなこのスレ見てる。
>そんで、たまにイタヅラカキコしてるよ。
じゃないけど、
無視、または放置するのか? それとも、それらにも前向きに応えていくのか、
彼らはそれらにちゃんと答えられるのか!
という視線で、覚者方も案外ホントにそのように見ているのかもしれない(笑)
んな、ことはないか?(結局、全てお見通しであることは疑いようがないが)
わたしたちは日常生活においても、もし、この情報について求められれば、
当然、ちゃんと相手に答えて、それを教えて上げなければならないのです。
ですからそれは、このような掲示板についても、
これと近い考え方であっても良いのではないだろうか?
というのが、私の基本的な意見なんです。
もちろん、より正しく相手に答えられるよう努めるべきであるし、
つまり、自分自身が、しっかり学んでいなければならないことも当然です。
(これが教えるとは、自分が教えられることにもなるの意であろうと思います)
マイトレーヤと覚者方の教えはたしかに深遠なものですが、
自分の未熟による誤った伝達を必要以上に畏れ過ぎると、これは絶対に伝えられない。
ギーターの聖句にもありましたが、どうなんでしょう。
『たとえ不完全でも、自己の(義務的)行為は、みごとになされた他人の(義務的)行為にまさる。自己
の本性によって規定された行為を行う者は、罪過を招かない。(47)
クンティーの子よ、生得の(義務的)行為は、たとえ欠陥があっても、捨てるべきではない。なぜなら、
行為の営みはすべて欠陥に覆われているから。あたかも火が煙に覆われるように。(48) 』
続く.. 私が少し違うと考えていることは、 この情報を伝達することは(正しく伝える努力は当然ですが)、 例えば、ヨガナンダの教団(セルフ・リアリゼーション・フェローシツプ)のように、 正式な会員登録で通信教育を受け、グルとの誓約を交わすことで、 会員だけに与えられた教えを絶対に他に漏らさないようにしていく、 というものとは、性質と意味合いが違うのではないかということです。 こちらは、ババジ直系直伝のクリヤ・ヨーガの叡智を 絶対に歪めずに後世に伝えたいとしている配慮からきています。 別に大した意見ではなく、スンマセン。。
訂正 誤) フェローシツプ ↓ 正) フェローシップ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 たったいま、このスレにサイババから祝福のエネルギーが放たれました。
それと一体、この板やスレは、 平均、どの位のアクセス数があるものなのでしょうか? もし、参考情報をご存じの方がいたら、教えて下さい。
おおぉぉっ!
早速の反応が・・・。
>>497 さん感謝!!\(^-^ ) ( ^-^)/
それは、一日間のアクセス数を示すものですか?
そして5日(水)の一日なのか、一定期間の平均なのか。
そしてこのスレ、【関係者】マイトレーヤ情報について【議論】
自体のアクセスについてまで、知ることは可能なのでしょうか?
これは、ちょっと無理か??
もう少し、どなたか説明が頂けますでしょうか? m(__)m
http://jbbs.shitaraba.com/ いっそ、したらばでマイトレーヤの板でも作っちゃえば?
フリーメールアドレスを持ってれば簡単に作れるよ。
詳細なアクセスログも取れる。
2ちゃんねるのスレから誘導すれば同程度のレスが見込める。
もう既に誰か作ってるかも(w
いらねえよ、そんなもん。
日本は物質の面で巨人になりました、 心の方でも巨人になれる事を信じています。 うそピョン、覚者じゃねーよ。
以前から関連スレッドを読ませていただいている者です。 まやびさんと舞都さんの誠実な姿勢には好感を持っています。 「関係者」という言い方が適切かどうか分かりませんが、なるべく顔の 見える形で意見交換できたらと思いますので、もしよろしければメール いただければ嬉しいです。
503 :
名無しさん@3周年 :03/02/06 20:59
66666666666666666666666666666666666666
舞都さん。こんばんわ。 だいぶ落ち着いてきましたね。 >では、投稿される実に様々な、ありもしない思い込みや決めつけ、デッチ上げ。 >誹謗中傷や罵倒、愚弄する内容。そして或いはまた、素朴な疑問など・・・ >一体、これらに対して、私たちはどう向き合うのが良いのか? やっとこのスレのテーマ。ですね。 確かに私のカキコミ情報があやふやであったり、私の解釈が入ってしまうことは避け られないことです。その点舞都さんのは出典も書いてるし偉いなと感心しました。 私も以後気をつけます。 もうひとつの問題は話し合ってのやりとりではなく、文字として残ってしまうという マイナス面もここにはあると思います。膨大な2chのスレの1スレにすぎませんが、 過去ログとして残りますからね。 この話を聞く側は、マイトレーヤ情報そのものよりも、それを伝えている人間の生の 声や反応を見たがっているのは間違いないでしょう。煽りやからかいや、一方的な 主張や荒らし。いろいろなものをこのスレにぶつけてきます。 これは人間らしいこととして放っておいた方が良いでしょうね。 つづく
つづき 伝える側の配慮もどこまでかと言うと、たとえば、進化段階はここではまずいようで すが、それは書籍として公になっている情報でもあり、そのあたりの判断をここでの ローカルルールとして合意していくしかないのかなという気がしてます。 これはまずいなと思うものは載せないこと。あるいは相手が過度に刺激されるような ことは知っていても載せないとか。 それから、Uさんのように、自分が大切にしているものとの比較において対話を求めて くる場合は、どうするか。私は彼に最初からきちんと応ずるべきであったと改めて思います。 どのような場合でも、どのような相手でも対話を求められたら応えること。 これは私の反省すべき点でしょう。そういう意味でUさんには今一度お詫び申し上げたい。 <ペコリ> 過去スレを含めて、ここで出てくる情報のほとんど書籍やSI誌に載っている情報です。 それらに興味を持ってもらう一種の刺激として読む側が受け取ってくれたら良いなと 思います。
>「関係者」という言い方が適切かどうか分かりませんが、なるべく顔の >見える形で意見交換できたらと思いますので、もしよろしければメール >いただければ嬉しいです。 私も関係者かどうか怪しいです。 メールで意見交換ですか?メールでなければならない理由が何かありますか? よろしければ教えていただければと思います。
>>502 ありがとうございます。
大変、嬉しく思います。
私自身はメール交換そのものは、全く構わないのですが、
ただ、ここ2CHにメールアドレスを公開したりすることには、
どうしても憂慮します。
この件については少し考えたいと思います。
>>499 情報ありがとうございました。
SHITARABA -JBBSのサービス、なるほどでした。
納得しました。
こちらから掲示板を創る場合には、もってこいの形式の板ですね。
ただ、たしかに掲示板はいつでもすぐに作れますが、
今考えていることは、やはり2CH掲示板自体が国内トップクラスのアクセスがあり、
いわば、世相の話題や興味が自然に繁栄するところだということなのです。
別のところに掲示板を創っても、仲間同志の交流の場所としてならば十分に機能しますが、
その辺がどうかということなんです。
つまり、これは例えばの話ですが、
他のところでは仲間同志の交流の掲示板が在る(それはそれで意味が在ると思います)。
しかし、こちら2CHでは、クレーム氏の情報について、マイトレーヤについてあれこれと、
誹謗中傷も含めて実に様々な話題がどんどん上がっているというのに、
知ってか知らずか、それらには一切ノータッチの放置状態・・・。
それで本当にいいのだろうか? ということなんですね。
>>504 :mさんへ
>舞都さん。こんばんわ。
>だいぶ落ち着いてきましたね。
>
あっははははは。
そうですね。
>確かに私のカキコミ情報があやふやであったり、
>私の解釈が入ってしまうことは避けられないことです。
>その点舞都さんのは出典も書いてるし偉いなと感心しました。
>私も以後気をつけます。
>
それは私とて全く同じことです。
たとえ誰であっても、必ず伝達される情報の質が低下することは必然で、避けられないでしょう。
もちろん、だからといってどうでもいい筈もありませんが。
最も大切なのは、なるべく自分自身の言葉(文章)で話すことだと私は思います。
大量コピー文、丸写しのページを自ら読む人というのは、
すでに(たぶん大抵、前向きな)強い関心を抱いている一部の人くらいなものでしょう。
自分の言葉で話す、ということが相手に伝えることであると私は理解します。
それが相手に、自分から書籍でも購入して直に読んでみたい、
という関心を抱かせることになるものと思います。
話題の中(流れ)において、
適切と思われる原文からは、最低限の一部だけの引用程度に留めて、
そして出所、出典を簡単でもいいので、必ず明記することであると私は思います。
正当な理由と、そのような常識ある使い方を守ることで、
きっときっと、訴えられるようなことにはならないものと私は信じます(笑)。
続き.. >もうひとつの問題は話し合ってのやりとりではなく、 >文字として残ってしまうというマイナス面もここにはあると思います。 >膨大な2chのスレの1スレにすぎませんが、過去ログとして残りますからね。 > そうそう、それが恐いところ(笑) 会話は、少し失敗したかなぁ・・という発言も、通常は形として、記録が残りません。 時間が記憶を薄めてくれますね(笑) 早く、忘れてーー! しかし、掲示板の投稿文は残っており、後々でも見られるものです。 マイナスではなくてプラス面となるよう、少しでも良い投稿を残したなぁ ということになれるように、お互いに頑張りましょう。 一つ失敗しても、挫けないでいきましょう。
続き.. >この話を聞く側は、マイトレーヤ情報そのものよりも、 >それを伝えている人間の生の声や反応を見たがっているのは間違いないでしょう。 >煽りやからかいや、一方的な主張や荒らし。いろいろなものをこのスレにぶつけてきます。 >これは人間らしいこととして放っておいた方が良いでしょうね。 > うーーん。 たぶん、それは必然ですね。 ここは2CHだけに、 ただの意味のない一言レス(投稿)や、おもしろ半分の煽り投稿もある。 ある程度はそれも楽しんで、全くないと寂しいくらいに見ていれば、まーなんとかると思います。 真面目に答えるような内容かどうかを見て、放っておいたほうがいいものもあるでしょう。 人(世間)は、私たちの――心情やその態度――を見て評価し、それによって、 根底にあるところの情報なり、グループなり、その思想対象なりに注目を向けるのであると思います。 だから、一番必要なのは誠意であると思います。たとえ伝える情報そのものについては、 理解するに困難があったとしても、誠意だけは理解することが可能であると思います。 そうすれば、情報自体に対する態度も軟化するでしょう。話を聞く姿勢にもなっているでしょう。 だから、試されるんですね私たちは。ふーむ、厳しいもんです・・・。 >伝える側の配慮もどこまでかと言うと、たとえば、進化段階はここではまずいようですが、 >これはまずいなと思うものは載せないこと。 >あるいは相手が過度に刺激されるようなことは知っていても載せないとか。 > それは、難しい・・・。 もし、ただ言えるとすれば、なにもこちらからわざわざ 相手を刺激するような内容にすることもないだろう、ということでしょうか? ただ、対話の流れでは、 どうしても感情的になってしまうことも正直あると思います。程度問題でしょうか。
続き.. >私は彼に最初からきちんと応ずるべきであったと改めて思います。 >どのような場合でも、どのような相手でも対話を求められたら応えること。 >これは私の反省すべき点でしょう。 > こちらからは仕掛けないが、 もしも、相手が自ら返答を求め、それを強く迫っている場合には、 正直なところをそのまま伝えることで良いと私も思います。 それによって相手が憤慨するか、納得するかは分かりません。 クレーム氏の書籍(氏の説明内容)も相手によっては、非常に憤慨するものが沢山あ ります。 いずれは分かってくれるかもしれません。それは、しょうがないです。 >過去スレを含めて、ここで出てくる情報のほとんど書籍やSI誌に載っている情報で す。 >それらに興味を持ってもらう一種の刺激として読む側が受け取ってくれたら良いな と思います。 > はい。 全く以て、この私も同意します。
>m >メールで意見交換ですか?メールでなければならない理由が何かありますか? >よろしければ教えていただければと思います。 mさんが「関係者」による話し合いを望んでいるのでしたら、このような場よりも 直接やりとりする方がふさわしいのではないか、と感じたからです。 すでに私がご存じの方であればよけいな気をつかう必要もありませんし。 ちなみに私は伝導瞑想を始めて10ン年になります。 >舞都さん 舞都さんのメールアドレスを公開する必要は全くありません。 私に送っていただければいいです。(アドレスは記してあります)
まあ問題はこの
>>502 を信用できるかどうかってことだね。
この人が本当に関係者だという保証はないわけだし、実は騙りで、mや舞都がメールを送ったら、、、。
なんて事も、もしかしたらあるかもしれない。
どっちにしても俺は関係者じゃないから、関係ないけど。
515 :
うぇーばーでゅるけーむ :03/02/07 21:26
議論が沸騰しているようですが、新年第一号が出たのでここを次スレと
みなして書き込ませて頂きます。
前スレでは
>>197 、
>>754 、
>>769 に書き込んでいます。
クレームさんは、
>>769 の質問について部分的に答えてくれました。
しかし、理由についてはコメントはありませんでした。
今月の目玉記事は、何と言ってもクレームさんのドイツ大会の会場に
男に扮したマイトレーヤが現われ、しかも写真や映像が撮られたという話題ですね。
もしかすると、これからは宗教団体ではなく、シェアの大会の会場に現われる
ことをマイトレーヤは計画しているのかもしれません。
とすると、5月の日本大会に現われる可能性、それも誰が見てもわかるような形で、
なされるのかもしれません。
日本大会の前にはイギリス、スペイン、フランスで大会があります。
果たしてそのときにはどうなるか、ですね。
ほか、クレームさんのアメリカ大会における質疑応答で「敷居の住者」についての
コメントに興味を持ちました。
クレームさんが「敷居の住者」についてコメントをするのはこれが初めて
ではないでしょうか。
516 :
うぇーばーでゅるけーむ :03/02/07 21:40
【追加】 それにしても、もし毎大会ごとにマイトレーヤ御本人が登場ということになると これはちょっとすごいことですね。 これまでとは違う新しいフェーズに突入するような予感がします。
狂信者って悲惨だな。
>mさんが「関係者」による話し合いを望んでいるのでしたら、このような場よりも >直接やりとりする方がふさわしいのではないか、と感じたからです。 なるほど。「関係者」と言うのは、ハンドルを使っているかに関わらず、ここに書き 込んでいる人と、私は考えていました。必ずしもシェア関係者という意味ではありません。 >すでに私がご存じの方であればよけいな気をつかう必要もありませんし。 >ちなみに私は伝導瞑想を始めて10ン年になります。 端から見ていてどうでしょう?何か気になったところがあれば指摘してもらえれば と思います。 私はハンドルを使ってはいますが、匿名でいたいのです。 私に関する情報、元ラジだとか妻子がある、という情報の正しさについては何も保証しません。 私が聞いた話から、ここでそういう人格を作ることも実際可能です。
>mさん >私はハンドルを使ってはいますが、匿名でいたいのです。 了解しました。コンタクトを強いるつもりは全くありません。 端から見ていて気になるところもありません。 いろいろな反応に対して誠実に対応されていると思います。 これからも頑張ってください。 いや、頑張ってくださいというのはちょっと違うかな。 どうぞご自由に書込を続けてください。
>>518 >私に関する情報、元ラジだとか妻子がある、という情報の正しさについては何も保証しません。
>私が聞いた話から、ここでそういう人格を作ることも実際可能です。
そういう言い方をしたら、自分でこれは正しい情報だと白状してるようなもんじゃないの?
まあ、いいんだけどさ。
mさん、舞都さん、502さん 私も参加させてください。 マイトレーヤ情報や秘教に興味があり且つ公開伝導瞑想にも参加しているものです。 この情報は非常に霊的な緊張を引き起こしますね。 私も始めて聞いた時大変驚きました。 それと伝導瞑想に限らず、真摯な意図で集まっている人々の祈願や瞑想の場では実際にエネルギーが流れ込むことを体験しております。 例えば教会での祈り、物故した人への追悼の場など・・・・ それと降臨の話ですが、私には人間が生まれること自体が神の為す奇跡です。 覚者は昔から様々な形をとって人間とコンタクトしている記録がいろいろ残っておりますね。 何はともあれヨロです。
112さんどうも。こちらこそよろしく。
502さん。 >端から見ていて気になるところもありません。 良かった。できればウォッチャーとしての意見を、 必要な時に言っていただけると嬉しいです。どうぞよろしく。
mさん、初めまして ご活躍ずっと拝見しておりました。 皆さんとてもよく知っておられる様子、私は若葉マークですがちょっとづつ参加させていただきます。 マイトレーヤの信仰の歴史は日本でも良く知られており、特に聖徳太子の所縁の寺には弥勒菩薩像が 良く置いていますね。 彼は日本の未来を良く見通していたのではないかと思います。
>この情報は非常に霊的な緊張を引き起こしますね。 信者って、どうしてこう大袈裟に書くんだ? 表面的な緊張さえ起きてるかどうか怪しいってのに。 >特に聖徳太子の所縁の寺には弥勒菩薩像が良く置いていますね。 狂信者か。 何でもかんでもマイトレーヤに結び付けるんだな. .
>>466 >>君の僕に対する態度には多少ムカツイタかもしれない。
>>君の奉仕に対する態度も気に入らないところがあった。
>素直に謝ろう。ごめん。トラウマなもので。
いったいどんなトラウマがあるんですか?
>526 ごめんなさい。ノーコメントです。
112さん。 かもしれませんね。あの当時2段階のイニシエートだったようです。 聖徳太子 進化の段階 2.0 光線構造(主光線のみ) 魂 パーソナリティ メンタル アストラル 肉体 6 6 5 4 3 マイトレーヤの使命 第1巻 P374より <私のコメントです。決して信用しないで下さい> 光線構造から見ると、仏教の興隆に献身的に活躍した感がありますね。 魂とパーソナリティの6光線がそれを示しているように見えます。 メンタルの5光線は、具体的知性ですから科学に精通していたか、 文献の研究にそれを使っていたかもしれません。
>>528 mさん
マイトレーヤ情報と直接関係のないお話にもかかわらず、ご丁寧な説明ありがとうございます。
6−6かなりの理想主義でもあるし、またおっしゃるように具体的なアプローチが光っていて
ああした改革が出来たのでしょうね。
<これは個人的意見ですが>
日本の国家の光線6もかなり改革の先鋒になりえる要素を持っていると思うのです。
勿論今は膠着した状態ですが。
光線6が動く時、光線2や光線4もそれを補助するでしょうね。
>>525 名無しさん
たった1,2回講演会に行っただけで?笑止だね
530 :
名無しさん@3周年 :03/02/11 16:53
><これは個人的意見ですが> >日本の国家の光線6もかなり改革の先鋒になりえる要素を持っていると思うのです。 >勿論今は膠着した状態ですが。 >光線6が動く時、光線2や光線4もそれを補助するでしょうね。 狂信者認定試験に合格しました。おめでとー。
531 :
名無しさん@3周年 :03/02/11 17:25
>>524 古代朝鮮半島からもたらされた初期の仏教が
彌勒信仰であったという歴史的事実だけ。
532 :
名無しさん@3周年 :03/02/11 17:31
>>531 スレとは無関係だが、最初の仏像は百済観音ではなかったか。
まあ、どうでもいいが
535 :
名無しさん@3周年 :03/02/11 19:25
マイトレーヤて 真言宗のマタラ神=弥勒のことか? もとはキリスト教のライバルだったミトラ教の神様がルーツなんだろ? ローマからキリスト教に追われたミトラがインド辺りでマイトレーヤになり 日本ではマタラ神になった。
536 :
名無しさん@3周年 :03/02/11 20:13
みたらし団子は五つか三つか?
あなた方は、単なる布教は世間では教団存続のためのエゴイズムとみなされ ることを知っているか。教団宗教がエゴを超越していることを示したいなら、 教義の布教よりも先に、やるべきことがあるだろう。自分たちがエゴを超越 できることを実践で示すべきだろう。 そのことをわきまえていたのがパウロです。彼は、単なるエゴイズムとみな される布教活動ではなく、教会の中の人間たちが、教会の外の人間たち− 「社会」−に対して、他の誰よりも献身的に振舞えることを示すのが肝心だ と考えた。それが「隣人愛」である、と。 誰よりも献身的に、ありえないほど自己犠牲的に、社会正義に向けて身を捨 てて頑張ることで、傍で見ている者たちに感銘を与える。感銘を受けた者た ちが尋ねてきたら、自分はクリスチャンなのだと答える。それを聞いた者た ちは、だったら自分も入信してみたいと考える−。それがパウロの読みだっ たわけです。 パウロの布教戦略がなかったら、ユダヤ教の一分派に過ぎないキリスト教が 、今に残ることなどあり得なかったでしょう。パウロの布教戦略はそれほど すごいものです。そしてこの布教戦略は、異教の地における絶望の中からし か出てこなかったはずのものです。 日本の宗教者は馬鹿だから、話せばわかるとか、教義の良さを言えばわかる とか、考えてしまいます。ところが、そう言い回っている宗教者を含めて、 世の中にはエゴイストしかいない、と絶望している人たちが世間にはたくさ んいます。そういう絶望した人たちに、ありえないほど献身的な振舞いを通 じて、絶望を越える光を見せようとしたわけです。
538 :
名無しさん@3周年 :03/02/13 02:18
戦略家だ
539 :
名無しさん@3周年 :03/02/13 02:55
パウロ=神的エゴイズムの体現者
540 :
名無しさん@3周年 :03/02/13 03:08
>>537 なかなか素敵な文章ですね。
>教団宗教がエゴを超越していることを示したいなら、
>教義の布教よりも先に、やるべきことがあるだろう。自分たちがエゴを超越
>できることを実践で示すべきだろう。
このグループは教義を組織的に布教する宗教団体ではありません。
少なくとも私はそう思っておりませんし、クレーム氏の覚者も、
どのような組織づけするような、権威、役職をグループの中に作っ
てはいけない。組織という壁を築いてはいけない。と言っております。
実践は、伝導瞑想です。これは瞑想という側面と世界への奉仕という実践面
も持っています。瞑想することがなぜ奉仕であるか。それを説明するのは
正直いいまして困難です。ただこのグループに関わる人々の中には、
ホームレスへの支援や、飢餓を無くす運動に関わっている方達もチラホラ
おります。それはハートからの自然な応答として生じてきた結果のようです。
この瞑想は個人をそのように、派手ではありませんが変化させるような
力を持っているのかもしれません。(確証は一切ありませんが)
教義というものもありません。伝えているのはひとつのストーリーであり、
その背後にある秘教的な事柄に重点は置かれていないからです。
そして秘教的な事柄は信ずべき何かではなく、より実際的なものであり、
いわゆるドグマではありません。
つづく
つづき すべての活動は個人の「信」によっており、それも各人様々です。 この情報を伝えるか、伝えないか。瞑想するかしないか。その自由はご本人のものです。 そしてグループの活動として志を同じくするものが一緒に活動したとき、 大きなことができるのでしょう。けれどもこれは何か組織があってのことではありません。 ひとりひとりの想いがあってのことです。 クレーム氏は何も要求しません。このマイトレーヤの話を聞いて、 自らの信を基に、この情報を伝えるのはあなた次第であり、 あなたがこの情報を伝えようと、伝えまいと私は構わないというスタンスなのです。 そしてクレーム氏はクレーム氏にしかできないことをやっておられます。 私たちは私たちにしかできないことをやっているわけです。 >誰よりも献身的に、ありえないほど自己犠牲的に、社会正義に向けて身を捨 >てて頑張ることで、傍で見ている者たちに感銘を与える。感銘を受けた者た >ちが尋ねてきたら、自分はクリスチャンなのだと答える。それを聞いた者た >ちは、だったら自分も入信してみたいと考える−。 おそらく、私たちがやっていることは、種を蒔いているのだと思います。 それが石の上に落ちようが、肥沃な土地に落ちようが、おかまいなしに。 誰かがその姿を見ても、私たちは理解されないと思います。 >世の中にはエゴイストしかいない、と絶望している人たちが世間にはたくさ >んいます。そういう絶望した人たちに、ありえないほど献身的な振舞いを通 >じて、絶望を越える光を見せようとしたわけです。 確かにその光は世に必要だと思います。 そしてそれは本質的には誰にでもできることなのだと思います。 何を信じるか、信じないかではなく、世に光りが必要であるのを見て自らが輝くべきを知り、 そして一裡を照らすということです。それは戦略ではなく、ニーズにどう応ずるかということであり、 私と世界の関係を観ることそのものです。 「自分のランプを明るく灯し、世界を照らしなさい」 確かシャルベル・マフルーフの言葉だったかと思いますが、それを思い出します。 私たちは誰であれ世界を照らすべきです。それは人間としての務めです。
543 :
名無しさん@3周年 :03/02/14 04:50
>m そんな言い訳ばっかりしてないで、君もパウロみたいに頑張れよ。
544 :
名無しさん@3周年 :03/02/14 13:49
友達の話では、クレーム氏のマイトレーヤはニセモノで、下にリンクしておきますが、
カルキ・アヴァターこそ本物のマイトレーヤと呼べる方なのだそうです。
左上の目次のところをクリックして記事を読んでみてください。
私も最近教えて貰ったばかりなのですが、なかなか興味深い内容です。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kalki/
マイトレーヤは新しい宗教の創設のためではなく、現実の世界の政治的、経済的、 社会的問題の解決のためにやってくると言う。 いちばんの関心事と優先事項はすべての人間に適切な衣食住が保証されること。 そのためには「分かち合い」原則が不可欠。 だが、人々はそのようなマイトレーヤの出現についても、「分かち合い」原則 の実現についても絶望している。 まして、秘教に関心を持つ者などほとんどいない。 この絶望的な状況の中、誰よりも献身的に、ありえないほど自己犠牲的に、社会 正義に向けて身を捨てて頑張ることで、傍で見ている者たちに感銘を与える。 感銘を受けた者たちが尋ねてきたら、自分はマイトレーヤの出現と「分かち合い」 原則の実現を信じているのだと答える。 それを聞いた者たちは、だったら自分もマイトレーヤの出現を信じたいと考える。 単なるエゴイズムとみなされる伝導瞑想や広報活動ではなく、マイトレーヤの出現 や「分かち合い」原則を信じている人間たちが、信じない人間たち−「社会」−に 対して、他の誰よりも献身的に振舞えることを示すのが肝心だと考える。 このような戦略でも取らない限りは、一見していろんな宗教やきれい事の寄せ集め に過ぎないこれらの情報、知識が将来に残ることなどあり得ないでしょう。 この戦略はそれほどすごいものです。 そしてこの戦略は、混乱の現代における絶望の中からしか出てこなかったはずの ものです。・・・・・・・・・ パウロに倣うならばこうなるだろう。 マイトレーヤ情報に対して100%の信を持つ者が伝導瞑想や広報を度外視して 上のような行動をとったとしても不思議ではない。
546 :
名無しさん@3周年 :03/02/14 22:02
マイトレーヤもパウロもカルキも重要ではない。 あなたが世界なのだ。 そして、そうであるからには、あなたの中に、 太陽も月もマイトレーヤもパウロもカルキも存在し得るのだ。 このことをよく考えてみなさい。
547 :
名無しさん@3周年 :03/02/14 22:15
>>546 あなたが書き込んでいるここは2ちゃんねるだということを、よく考えてみなさい(嘲笑)。
548 :
名無しさん@3周年 :03/02/14 23:42
ここが2ちゃんねるだろうと他の掲示板だろうと、世界の一部である事に変わりはない。 マイトレーヤもパウロもカルキも重要ではない。 あなたが世界なのだ。 そして、そうであるからには、あなたの中に、 太陽も月もマイトレーヤもパウロもカルキも存在し得るのだ。 このことをよく考えてみなさい。
549 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 00:45
>>548 煽りに反応している自分自身を観察してごらんなさい。
ここが2ちゃんねるだろうと他の掲示板だろうと、あなたが反応してしまっている事実に変わりはない。
まるで自分が高みから他人を見下ろしているかのように振る舞い、
そうすることで悦に入り、自分自身を騙すことは出来ても、あなたの正体はバレバレだ(冷笑)。
550 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 01:27
グルジェフ 『 私は、宇宙を支配している法則の統一性についてあなたが理解していることを知っているが、 その理解は思索的、いやむしろ、理論的なものである。 知性で理解するだけでは充分でない。 あなたの存在をもって、絶対の真実と、この事実の不変性を感じなければならない。 そうして初めて、あなたは意識し、確信を持って ?T私は知っている?U と言うことができるのだ。』
551 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 01:32
あの男は犯罪者です。あなたはそのことを理解しなければなりません。 あの男が、霊性の名の下に人々に行っていることは犯罪行為なのです。
552 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 01:33
>>559 煽りに反応している "あなた自身" を観察してごらんなさい。
ここが2ちゃんねるだろうと他の掲示板だろうと、あなたが反応してしまっている事実に変わりはない。
まるで自分が高みから他人を見下ろしているかのように振る舞い、
そうすることで悦に入り、自分自身を騙すことは出来ても、あなたの正体はバレバレだ(冷笑)。
553 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 01:41
規制解除になったとたんにカキコが増えたね(w
554 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 01:48
>>552 レス番号を打ち間違えてしまったことを恥じ入っている自分をよく観察して御覧なさい。
それが真実のあなた自身なのだ(馬鹿にした笑ひ)
555 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 02:00
グルジェフ 『 人間は複数の存在である。 自己について話すとき、普通、「私」という。 「私はこうした」、「私はこう考える」、「私はこうしたい」という。 だが、これは間違っている。 こんな「私」などありはしない。 いや、むしろ、われわれ一人一人の中に、無数の小さな「私」がいる、と言うべきであろう。 われわれは分裂しているのだが、自分が複数であるということは、 自己を観察し、研究しなければ認識できない。 ある瞬間にはある「私」が出演し、次の瞬間には別の「私」である。 人間が調和しないのは、われわれの中の「無数の私」が互いに矛盾しているからである。』
556 :
レス番間違えた恥ずかしい人へ :03/02/15 02:43
>人間が調和しないのは、われわれの中の「無数の私」が互いに矛盾しているからである。 キミもいつも複ハンで書き込んでるよね。いったい何人の「私」を使い分けているの?
>>544 カルキ・アヴァター といのはヒンドゥー教の言うところの最後の教師という意味だと
思いましたが。
一応ホームページ見てみましたが、おっしゃることの意味がよく分かりませんでした。
>>545 >だが、人々はそのようなマイトレーヤの出現についても、「分かち合い」原則
>の実現についても絶望している。
>まして、秘教に関心を持つ者などほとんどいない。
おっしゃるとおりですね。本当に私たちの声は小さい。
けれども小さな声でも、そしてたとえ小さなものだとしても誰かの心に、
人類の未来に対して希望を持っていただけるなら、私は語るでしょう。
今NHKで、国連安保理の会議を中継しています。
イラクの査察結果を討議しており、ここでの声明如何で、世界が大きく変わるかも
しれません。マイトレーヤは言われます。「人類は選択をしなければならない」と。
「分かち合いを通して共に平和の内に生きるか、完全に死滅するか」
これは確かに私たちの現実なのです。
つづく
つづき 世の中が暗いと感じられるということは、そうでない状態もイメージできるから ではないでしょうか。私たちはまだ個人レベルでも国家レベルでも平和に生きる ことにはほど遠い状態にあります。 その現実を前にして私たちはため息をついて諦めるでしょうか? それとも私たちのあるべき姿、あるべき未来について顔を向けますか? それは私たち、幸か不幸かこの時代に生まれた、一人一人の選択なのだと思います。 私たちが未来を生きなければ、未来はやってきません。 そしてそれをするためには過去の古いやり方に対して死ぬことも必要なのです。 今日、この日、この時は重要だという気がします。 >>マイトレーヤ情報に対して100%の信を持つ者が伝導瞑想や広報を度外視して >>上のような行動をとったとしても不思議ではない。 私が思うに、100%の信を持っているのはクレーム氏くらいだと思います。 パウロのようになれるのはクレーム氏くらいでしょう。30年近くこの情報を 語り続けています。
559 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 02:47
グルジェフ 『思考も、あらゆる他のものと同じように "物質" である。』 『われわれにいちばん近いものは人間であり、あらゆる人の中であなたに最も近いのはあなた自身である。 あなた自身についての研究から始めなさい。』 『知識は隠されてはいないが、人々がその事実を理解できないのだ。』
>>556 これで問題はあるまい。
数えてないからわからん、とマジレスしておく。
561 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 02:59
562 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 05:58
グルジェフ=唯物論者
563 :
名無しさん@3周年 :03/02/15 17:49
クレーム氏のマイトレーヤ論も、まあ読み物としてはそれなりに面白くはあるんだけど、 じゃあ、具体的にはどうすればいいの? という肝心要な部分が抜け落ちている気がする。 カルキ・アヴァターは、その点、具体的な方法論を伝授しているという意味で魅力がある。 現実的には、マイトレーヤ一人がどうこう、というのではなくて、世界中で同時多発的に 色々な新しい発想とか、方法論が出現し始めて、いずれは、それらが一つの潮流のような かたちである方向性を持ち始めていくんじゃないだろうか。そういう意味で、カルキとか アジズのメソッドには個人的に関心を持ち続けていきたい。
> じゃあ、具体的にはどうすればいいの? という肝心要な部分が抜け落ちている気がする。 > カルキ・アヴァターは、その点、具体的な方法論を伝授しているという意味で魅力がある。 マイトレーヤが言っていることは「分かち合いを通して世界を救いなさい」ということです。 それは、政治や経済の分野で具現化して始めて言えることです。 誰も飢えることのない世界を築くこと。 競争が協力に置き換わり、競争的なアイデアが過去のものなること。 世界の資源のパイが国連の機関によって人々の必要に応じて分配されること (これはすでにブラントラント委員会という形で青写真があります) 私たち一般市民は、もし民主主義国に住んでいるのなら、政治家に訴えることも 世論に訴えることもできます。私が思うに私たちができる具体的なこととはそれでしょう。 声を上げることです。体制に対して声を上げることです。それは必ずしも反対という ことばかりでなく、民意を反映させるということです。 カルキという方はどういう具体論を持っていらっしゃるのでしょう。 >現実的には、マイトレーヤ一人がどうこう、というのではなくて、世界中で同時多発的に >色々な新しい発想とか、方法論が出現し始めて、いずれは、それらが一つの潮流のような >かたちである方向性を持ち始めていくんじゃないだろうか。そういう意味で、カルキとか >アジズのメソッドには個人的に関心を持ち続けていきたい。 あなたの個人の関心に、私は応えようがありませんね。 そしてなぜあなたが関心を持つのかも、私はあまり関心がありません。 方法論は数々出現しましたが、はたして成功したのでしょうか? 方法論はわたしたち人類を変容したでしょうか? マイトレーヤ一人が世界を変えるということではありません。 世界を変えるのは私たち一人一人であり、マイトレーヤでも、あるいはその他の教師でも ないと思います。 私たちが世界を変えることができるように、マイトレーヤは人類に語るということです。 彼は「教師」です。しかしその教師の言うことを受け入れるかどうかは人類の手の内に あります。
565 :
名無しさん@3周年 :03/02/17 21:46
世界を変えるのは世界だ
mさん皆さん、今晩は。 楽しく拝見させて頂きました。 どうも、サーバー容量の限界ということなのか? 殆ど閲覧不能の日々でした。これには参りましたね(笑)。 皆さんは、大丈夫なんでしょうか? 或いは、「2ちゃんねるブラウザ」なる各ソフトのダウンロードが必要なんでしょうか? たぶん、また見れなくなりそうです。はぁ・・
>>544 >友達の話では、クレーム氏のマイトレーヤはニセモノで、下にリンクしておきますが、
>カルキ・アヴァターこそ本物のマイトレーヤと呼べる方なのだそうです。
>
それはお友達のいうことですね。
しかし、あなた自身が判断する際にはそのカルキ・アヴァターだけでなく、
クレーム氏の主張であるマイトレーヤ存在についても、
双方、調べた上での方が良いのではないでしょうか。
インドは特殊な国です。
ブラヴァツキーは、「インドは、秘儀言語の七分野をすべて知っていて
全体系の鍵を持っている賢者達の子孫を、自国に保持している
世界で唯一の国であると言われている」といいました。
稀に極めて深い霊性についての伝統があり、ヴェーダーンタ哲学体系の中には、
真我の実現と性質についてのあらゆる詳細が解き明かされています。
アヴァター存在にとっては、“それを事実として体現して見せる”のには
実に格好の舞台であろうかと思います。
そのようにしてアヴァター方とその弟子たちは、
インドの伝統社会の中で位置占め、人間としての模範を示されるわけです。
しかし、一部のアヴァター方はその存在すら知られずに、
霊的な次元での仕事に従事されているという。
という意味で、
ご紹介の南インドの小さな村、タミルナード州のグディヤッタム近郊で
1949年3月7日に生まれたというその方を私は別に否定はしません。
(私はその方についてをよく知りません。)
続き..
>>490 で、
「トランス・ヒマラヤ・ロッジの覚者方は何千年も秘められた生活を送っておられ、
H・P・ブラヴァツキーやアリス・ベイリーの書物を通して、初めてその方々の仕事が知られました。
一方、南インド・ロッジの覚者方は、公に生活して働かれ、よく知られた大勢の弟子たちに対して、
または彼らを通して、教えを提供されてきました。」と投稿したように、
マイトレーヤとその弟子であるハイアラキーの覚者方の存在は公に知られていず、
インドの霊的教師たちのように直に逢うことができません。
双方、役割りに大きな違いがあります。
>>563 >じゃあ、具体的にはどうすればいいの? という肝心要な部分が抜け落ちている気がする。
>カルキ・アヴァターは、その点、具体的な方法論を伝授しているという意味で魅力がある。
>
できれば、もう少し具体的に述べて欲しい。
それは、いわゆる霊的サーダナーの内容についてをいっていますか?
つまり、個人の真我実現に至るための、
霊的技法(メソッド)を含めた日々の霊的諸生活の詳細についてですか?
マイトレーヤからは基本的な部分の霊的指導についての教えはすでに与えられました。
尚、個々に対する指導やテクニックを与えられたり等は特になさらないでしょう。
それらはマイトレーヤの役目ではなく、弟子である覚者方の一部がそれぞれ担当されるでしょう。
>友達の話では、クレーム氏のマイトレーヤはニセモノで
>
マイトレーヤがカルキであるかどうか、
それは今後の結果しだい、つまり果実の実によって知られることになると思います。
良い樹からは良い果実しか成りません。
mさん、舞都さん、みなさんこんばんは。 たまにロムしています。とても興味深い書き込みがおおくて勉強になります。 舞都さんの一連の書き込み、ギータとそれに基づく一元論と二元論のお話し、とても おもしろくて勉強になりました。 ところで544さんの言うカルキ・バガヴァンとよばれる方のことですが、おそらく この方はシェアインターナショナル誌の2001年7月号に(たしか)はちみつの奇跡という記事で 写真いりで紹介されていたスワミ・ムクテスワラ・バガヴァンという方のことだと思います。 その号によるとこの方は覚者であると紹介されています。カルキについては出帆新社から 本がでていて読んだことがありますが、シェア誌の写真の方と同じ方でした。 544さんのリンク先のホームページのなかのリンク(アメリカのだと思います)に飛ぶと シェア誌に紹介された写真と同じ写真が出てきます。 もしこの方が覚者であるならば、おそらくマイトレーヤと協同で仕事をされているのでは ないかと思います。まあ、私には何もわかりませんが。
元353 さん、ありがとうございます。 はい、様々な経緯経歴の方による意見ですから、 それぞれ色々、勉強になる投稿もありますよね。 >この方はシェアインターナショナル誌の2001年7月号に(たしか)はちみつの奇跡という記事で >写真いりで紹介されていたスワミ・ムクテスワラ・バガヴァンという方のことだと思います。 >その号によるとこの方は覚者であると紹介されています。 > なるほど、そうでしたか。 ならば納得ですね。いうことありません。 確認、ご苦労様でした。
571 :
名無しさん@3周年 :03/02/19 14:41
でも、カルキ・バガヴァンはシェアのマイトレーヤについては何も言及してないね。 シェアの雑誌にカルキ・バカヴァンなる人物のことが載っていたらしいけど、 なんだかクリシュナムルティに片思いだった和尚ラジニーシを連想させる。 利用できるものは、何でも自分たちの活動に結びつけようと画策しているのかな?
572 :
名無しさん@3周年 :03/02/19 17:27
でもクレーム氏は信者と寝たりサルモネラ菌を撒いたりしないよ。
573 :
名無しさん@3周年 :03/02/19 20:15
ま、いずれにしても単なる詐欺師でしかないベンジャミン・クレームは、 嘗ては真面目な探求者だったラジニーシの足元にも及ぶまい。
574 :
名無しさん@3周年 :03/02/19 20:39
真面目に詐欺を探求か(w
575 :
名無しさん@3周年 :03/02/19 22:19
おっと、やっぱり真面目にレスする馬鹿が釣れたか(嘲笑)。
576 :
名無しさん@3周年 :03/02/19 23:40
気の短い釣り人だ
577 :
名無しさん@3周年 :03/02/19 23:44
かわいい言い訳をする魚だ
578 :
名無しさん@3周年 :03/02/19 23:50
579 :
名無しさん@3周年 :03/02/19 23:52
どっとカキコミが。 どうやらブラウザでは書けなかったようですね。 私は専用ブラウザでなんとかOKでした。 >スワミ・ムクテスワラ・バガヴァン ああ、この人のことだったのですか。 ちょっと手元に7月号がないので確認できませんでした。 今年のクレーム氏の講演日程は、 東 京 5月10日(土) PM2:00〜 日比谷公会堂 新大阪 5月17日(土) PM2:00〜 メルパルクホール 名古屋 5月20日(火) PM6:00〜 クラウンホテル 今のところ以上の予定のようです。
>>世界を変えるのは世界だ 世界とあなた、そして私は別個のものでしょうか?
582 :
名無しさん@3周年 :03/02/20 01:18
583 :
名無しさん@3周年 :03/02/20 01:43
ζ / ̄ ̄ ̄ ̄ \ / \ /\ ⌒ ⌒ | | | (・) (・) | (6-------◯⌒つ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | _||||||||| | 見よ、マイトレーヤが降臨された!! \ / \_/ / \_________ \____/ ______.ノ (⌒) //::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐ / /:::::::::::| /:::::ノ__ | .| ト、 | /:::::::::::::::| 〈 ̄ `-Lλ_レ′ レ::::::::::::::::::|/::: ̄`ー‐---‐′
584 :
名無しさん@3周年 :03/02/20 03:03
マイトレーヤはあくまでも教師であり、生徒とはなり得ぬ存在なのか?
585 :
名無しさん@3周年 :03/02/20 03:14
>>580 >私は専用ブラウザでなんとかOKでした。
あなたは2ちゃんねるを見るためにわざわざお金を払ってるんですか?
そもそも、こういうスレを立ててみたり、2ちゃんねるに対して
何か特別に期待するところがあるんですか?
586 :
名無しさん@3周年 :03/02/20 03:17
>>585 過去ログ見なきゃ2chブラウザは無料だぞ、低能。
587 :
名無しさん@3周年 :03/02/20 03:54
ベゲザンビーグ
588 :
名無しさん@3周年 :03/02/20 04:08
>>586 まやびは過去ログを見るために金を払っていると見た。
>>585 私が使ってるのはフリーで出回っているものです。
名無しで書き込んでいるのは私ではありません。念のため。
>>マイトレーヤはあくまでも教師であり、生徒とはなり得ぬ存在なのか?
あらゆるものは進歩、前進があります。
覚者方と、ハイアラキーの外的顕現の背景には、覚者方ご自身の進歩のため
という側面もあるそうです。マイトレーヤは絶対者としての神ではありません。
私たちから見ると、覚者やマイトレーヤのような高度に進歩した存在はまさに
神様のように写るかもしれませんが、彼らは私たちよりも先に進んだ人間である
と考えた方がよさそうです。私たちはまだ芽がでていませんが、神性を内在
しているそうです。こういう話は聞き憶えがある方も多いと思います。
進化、進歩というもんはあらゆるレベルのあらゆる存在に共通しているそうです。
まさに鉱物から、人間、惑星ロゴス、太陽系ロゴス、宇宙ロゴスまで、すべてが
前へ進んでいるという解釈を秘教ではします。
マイトレーヤ、そしてキリストという役職は、デーヴァと人間の両方の教師という
意味です。
590 :
名無しさん@3周年 :03/02/20 15:09
美輪明宏はかなり進化していると思う。 この前テレビでしゃべっているのを見ていてそう感じた。
591 :
名無しさん@3周年 :03/02/21 21:11
美輪明宏、某新興宗教と繋がってるからねえ。 あいつの書いた本からは気持ちの悪い氣が放射されてるし。 自分を神秘的な存在に見せようと取り繕っているのがミエミエで かなり滑稽な奴でもあるね。
592 :
名無しさん@3周年 :03/02/21 23:50
594 :
名無しさん@3周年 :03/02/22 15:22
>>593 日本で窓口になっている連中は「残念ながら」和尚系だけど、
アジズ自身はラジニーシとは関係ないよ。
>>594 確かによく読むとラジニーシのやり方を批判している箇所もあるようだね。
ポーランド人か。
非常に知的論理的で(もちろん知性だけではないが)ケン・ウィルバーあたりに通じるものがある。
もっともこの人ははっきり霊的指導者を自認している。
これからはこういう人がどんどんでてくるのではないかな。
AZIZという人の教えは、マイトレーヤの「新しい時代の祈り」に呼応していると感じた。 新しい時代の祈り 私は、宇宙の創造主である。 私は、宇宙の父であり、母である。 すべてが、私より来る。 すべては、私に戻る。 心と生気と肉体は、私の宮殿である。 真我は、その中に、私の至高の存在と生成を実現する。
597 :
名無しさん@3周年 :03/02/23 01:42
そうやって何でもマイトレーヤと結び付けようとしなくてもね・・・。
ここはマイトレーヤスレだから仕方ない
599 :
名無しさん@3周年 :03/02/23 18:02
実は、オサマ・ビン・ラーディンも覚者方の計画の一部として関わっているらしいね。 かつては、アドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリン、毛沢東もそうだったし。 ジョージ・W・ブッシュ大統領も実は一定レベルのイニシエートとしての覚者の一人らしい。
600 :
名無しさん@3周年 :03/02/23 21:23
らしいねって、誰に聞いた?
601 :
名無しさん@3周年 :03/02/23 22:25
中曾根康弘元首相も、あるレベルのイニシェートを受けた覚者だってね。 石原慎太郎東京都知事も、都知事選に立候補する前の潜伏期間にイニシェートを受けたとか。 歴史上の人物で言えば、榎本武揚や明智光秀がそうだったんだよね。
602 :
名無しさん@3周年 :03/02/23 22:29
誰情報だよ
603 :
名無しさん@3周年 :03/02/23 23:33
そうそう、グルジェフもヒトラーのことを、ただの独裁者ではない、と言ってたね。 彼の真意、アドルフ・ヒトラーという男の真の意図が理解されるようになるのは、 数百年あとの時代だろうってね。
604 :
名無しさん@3周年 :03/02/23 23:39
ヒットラーが覚者であることは、エドガー・ケーシーもいっていたよ。
ヘ( `Д)ノ 世界を変えるのはそこのお前だぁぁ!!!!! ≡ ≡ ≡ ≡ ( ┐ノ :。; / ダッシュ
まやびさん、恐らくあなたが煽られてます。
607 :
monami :03/02/24 23:03
TIA BEL AMET
608 :
うぇーばーでゅるけーむ :03/02/24 23:36
>>515 のうぇーばーでゅるけーむですが、もう3月号が出ました。
今月号は対イラク戦争一色といった内容です。
ほかには売春、エイズ、スペースシャトルコロンビアの事故の話題なんかもあります。
クレームさんによるとサダム・フセインは死なないそうですね。
難攻不落の特殊な防空壕があってアメリカが最大限の空爆をやっても
何ヶ月も生き長らえ、かなりの兵力を温存できるそうです。
ブッシュジュニア大統領はこのことを知ってるのかな。
知ってたら攻撃をやめるだろうな。
609 :
うぇーばーでゅるけーむ :03/02/24 23:46
あっそうそう、相変わらずマイトレーヤは宗教者の団体の前には 現われていないようです。
610 :
monami :03/02/25 00:04
はじめまして。 前スレの終わり頃より、ロムをさせてもらってきました。 マイトレーヤのオーバーシャドウという概念(?)は、現在の わたしの理解を越えているのでよくわからない、というのが 正直な所ですが、舞都さんとmさんの書き込みからいろいろ と興味を持ち、今日クレーム氏の本を2冊ほど注文いたしました。 神智学用語にはなじみが薄い者なので、「ハイアラーキー」の 解釈が妥当かは不明ですが、観世音菩薩の慈愛と庇護の力は、 今から十年ほど前より大いに感得するところでいます。実は昨年来、 これまでそういうコレクション趣味はなかったのに、急に弥勒菩薩 の仏像を集めはじめてたりしておりました。これも何か縁のように 思われますので、クレーム氏の5月の講演会へ一度行ってみようか、 と考えています。 さて、スケジュールをUPしていただき、幸い日程はわかったのですが、 この講演会には当日の飛び込み参加はできるものなのでしょうか? それとも、シェア・ジャパンの方に事前にチケットを申し込んだりした 方がよろしいのでしょうか? 現在HPにはまだ何も載っていないようなので、お手数ながら、どなたか 詳しい方教えて下さい。お願いします。
611 :
monami :03/02/25 00:07
あ、省略されてしまった(^^;)。 すいません、関係者の方クリックよろしく〜☆
612 :
名無しさん@3周年 :03/02/25 00:24
613 :
monami :03/02/25 01:49
>612 聖白色同胞団を巡る、このようなサイトがあるとは知りませんでした。 ありがとうございます。 ドーリル氏の「秘密真義」はつい先日購入し、興味深く読んでいます。 <オカルト>という言葉に、私はどうもあまりよいイメージがなく、これ まで避けて通ってきたような所があるのですが、簡潔なわかりやすい文章で 記された内容が、古来の智慧の光に貫かれている事だけは、ようやく今にし てわかりました。 「ヒマラヤ聖者の生活探求」という本もかなり有名らしいので、買おうかと 思っているのですが、読まれた方はいらっしゃいますか? (ヒマラヤのキーワードに、パラマハンサ・ヨガナンダの師であるババジの事を 思い浮かべたりもするのですが、、、大師の<名前>というのは、あれはこだ わるのに価するものなのかどうか、もし何か指針みたいなものがあるならば、 どなたかご教示いただけると助かります。)
>>608 どうもです。
“うぇーばーでゅるけーむ”さん
>難攻不落の特殊な防空壕があってアメリカが最大限の空爆をやっても
>何ヶ月も生き長らえ、かなりの兵力を温存できるそうです。
>
たぶん、軍事専門家はそれくらい承知であると思います。
それでも尚かつ、ブッシュ・J大統領にとっては攻撃することに意味があるのでしょうね。
愚かなことです・・・。
>>610 monami さん、
それはいいことだと思います。
>観世音菩薩の慈愛と庇護の力は、
>今から十年ほど前より大いに感得するところでいます。実は昨年来、
>これまでそういうコレクション趣味はなかったのに、急に弥勒菩薩
>の仏像を集めはじめてたりしておりました。これも何か縁のように思われますので、
>
マイトレーヤの時代(新時代)とは、
女性的な側面である“母性の特質”が顕現する時代、ターラー(菩薩=ボーディサットヴァ)の時代です。
(また、女性解放運動の背後に在る刺激はハイアラキーの覚者方からのエネルギーです)
これは思い込みといえば、ただそれまでなのですが、
実はこの私の場合も、仏教及び宗教的な世界に関心を持つようになった当時、
18歳頃、たまたま知人より頂いた仏像が弥勒菩薩半跏思惟像なのでした(笑)。
これについては、自分で勝手に“ご縁”と見なすことで、結構、心の拠り所となって楽しいものです。
>この講演会には当日の飛び込み参加はできるものなのでしょうか?
>それとも、シェア・ジャパンの方に事前にチケットを申し込んだりした
>方がよろしいのでしょうか?
>
通常はどこの講演会場も入場無料であり、
チケット持参などの何かの条件は一切、不要の筈です。
詳細希望の方はシェア・ジャパンまで問い合わせ下さい。
私個人は十年以上前、過去に3度ほど行ったことがあります。
その後は、遠方地に在住していることその他にて、なかなか行ける機会が得られません。
当日は、クレーム氏のオーバーシャドウによるマイトレーヤからの祝福もあり、
これは非常に得難い貴重な機会でもあります。
>>613 ドーリル著はとても勉強になる良書であると思います。
あまり適切でないかもしれませんが、
古代アトランティスの叡智の集大成的?な価値があると思います。
「ヒマラヤ聖者の生活探求」の体験記に登場する、
驚嘆すべく謎の偉大なる大師方の中には、
マイトレーヤ(M)も含まれているとのクレーム氏の説明があったと思います。
私も夢中になって読んだ好著です。
>ババジの事を思い浮かべたりもするのですが、、、
>大師の<名前>というのは、あれはこだわるのに価するものなのかどうか、
>もし何か指針みたいなものがあるならば、どなたかご教示いただけると助かります。)
>
こういうことは個人の内面の問題なのだと思います。
自分の心の支えとなるというならば、それはそれで良いのではないでしょうか。
大師の<名前>は、信じる者にとってはやはり神聖なものであるでしょうし、
ヨガナンダは、大師のお姿(写真や絵)はお守りになるので大いに活用しなさいといっています。
大師の<名前>を繰り返し想い、唱えれば、それはマントラの意味合いを持つものとなり、
例えばインドではそのようなサーダナー(霊的行法)は、ジャパと呼ばれています。
とても指針や指導を与えるような身分ではないので、
私には、精々これくらいのことしかいえません。
>例えばインドではそのようなサーダナー(霊的行法)は、ジャパと呼ばれています。 > 追記: 別の呼称としては「ナマスマラナ」ともいいます。 “神の御名を唱え、神の御姿を心に抱き、神の栄光を憶念すること”であり、 インドでは、厳しい行法に拠らずとも神と合一できるものとして、 このバクティ(神への帰依/献身)の道が一般に強く推奨されます。
619 :
名無しさん@3周年 :03/02/25 05:13
最近、飛行機墜落とか火災とか地震といった 大きな災害が相次いでいるのは 時代が大きく変化する予兆だろうか。
>>619 ある意味、一部においてはそうかもしれませんが、
クレーム氏によれば、人類と自然界(の働き)とは実に密接な関係にあり、
人類の想念波動に、自然界は敏感に反応しているということです。
人類の放つ破壊的想念によって、
自然界(物質)を構成しているエレメンタルたち(不可視の微小生命:精霊)は過剰に刺激され、
活動が掻き乱され、暴走するということです。
ですから、人類の感情が落ち着き想念波動が純化すれば、自然災害も減ることになります。
原因不明の機会トラブルの増加も然りでしょう。
『人類は全体として、世界に起こる出来事の中にある連累性を――政治的、経済的事象
のみではなく、世界の気性パターンの変化にまで連結していることを――認識していない。
多くの地震や洪水やハリケーンや火山の爆発は、人間によって送り出される破壊的エネル
ギーのせいである。彼らの思考や感情はエネルギーを持ち、それが集合的な衝撃を創りだ
すのである。これらの要素が想念を創り、それは非常に破壊的なために、気象を支配する
エレメンタル(精霊)の均衡を乱す。そのため伝統的な気象パターンが完全に狂っているの
である。(ベンジャミン・クレームの師/覚者)』
―――――「マイトレーヤの使命 第二巻」より
>>620 タイプミス.
×原因不明の機会トラブル
○原因不明の機械トラブル
622 :
名無しさん@3周年 :03/02/25 12:06
ブッシュ大統領は覚者のひとりだよ。 覚者が政治家をやっている場合、その政治思想や政治手腕だけで 評価してしまうと判断を誤ってしまう。 長期的にみて、地球全体にどのような影響をもたらし得るか、 ということがすべて。 彼らは、ある目的を遂行するためには平気で嘘をついたり悪役を演じたり、 場合によっては戦争や大虐殺を平然と行ったりする。 安っぽい似非ヒューマニズムに感化されてニューエイジャーをやっているような人間には 永久に理解不能なことだろうね。
623 :
monami :03/02/25 12:14
>舞都さん いろいろと教えていただき、ありがとうございます。 講演会につきましては、そういうことでしたら、春以降 シェアのHPをチェックしつつ、当日の参加を楽しみに 待とうと思います。 >マイトレーヤの時代(新時代)とは、 女性的な側面である“母性の特質”が顕現する時代、ターラー(菩薩=ボーディサットヴァ) の時代です。 (また、女性解放運動の背後に在る刺激はハイアラキーの覚者方からのエネルギーです) 大阪会場のメルパルクホールへは思い出があります。もう5,6年前になりますが、 オノヨーコさんのコンサートへ行った時、私は生まれてはじめて<オーラ>というもの を、この眼で見ました。彼女の頭上より30センチ幅ほどの白色の光がまっすぐにの ぼっているのが見え、最初はライトの加減かと思ったのですが、やがてボーカルの 彼女と隣り合い、同じ位置に立ったギターを弾く息子さん(ショーン)の方は何も見 えませんでした(^^;)。 だから、どう、と、このマイトレーヤスレッドで申し上げる程の話でもないのです が、オノヨーコさんの作品や歩んで来られた道を思うと、その折はなんとも言えず 素直に頷けるような思いがいたしました。彼女が秘教的智慧にも優れているのは、 以前からなんとなく知っていましたが、先年のニューヨークテロの時、タイムス紙 に出された「imazine all the people living in peace」の全面広告を発端とし、 今も世界中の人々の心に広がりつつある静かなる波紋を思うと、あの世界で最もポ ピュラーな歌が指し示した<world>のある意味神秘的な姿に、あらためて不思議な 気持ちを抱いたりしています。
>このバクティ(神への帰依/献身)の道が一般に強く推奨されます。 「こだわるのに価するかどうか」という私の書き方が、少し悪かったのかもしれません。 神智学関連では多くの<名前>が出てくるの対し、その語感にややなじみにくい嫌いが あったもので、「もし<名前>をこちらが勘違いしたらダメなのかな?」みたいな低レ ベルな質問(笑)だった、とでも思ってやって下さい。 バクティの道がある、とのご教唆には大変腑に落ちるものがありました。 (この点では、ラーマクリシュナやヴィヴェカーナンダが語った珠玉の言葉を仰いでいます)、 >結構、心の拠り所となって楽しいものです。 元々は仏教系から私もこうしたインド方面(?)への関心を持ち始めた者なので、 奈良・中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像(正確には、如意輪観音)は、今でも一番 慕わしく懐かしい仏様のお姿です(^^)。
625 :
名無しさん@3周年 :03/02/25 12:21
十牛図を歩ききって、元の市井に戻ってきた者は、覚者なのか愚者なのか区別がつかない。 善人なのか悪人なのかわからない得体の知れない人物として凡人の目には映る。 彼(彼女)はただ、深遠なる影響力を行使するのみ。 いかにも聖者という現れ方をする者や、思わせぶりな、いかにも私がグルです、というような者は すべてインチキだ。彼らは自己と演じている仮面との間のギャップを自覚している。 しかし、十牛図を歩ききった「真に往ってしまった者」はそれそのものとなる。 独裁者は独裁者。テロリストはテロリスト。悪徳政治家は悪徳政治家。それ以外の何者でもない。 そして昨日の真の犯罪人は今日、真の慈善事業家となる。それそのものになる。 彼(彼女)はただ、深遠なる影響力を行使するのみ。 これはいい、これは悪い、という安直な価値判断で彼らを認識し続ける限り、 彼らの意図するところを汲み取ることなど決してできないだろう。
>mさん
上がったせいで、sage進行推奨にやっと気づきました(^^;)
>622さん
私には何も申しあげるようなことは持ち合わせてないのですが、
ぐずぐずと
>>623 をメモ帳に記している間に、
>>622 の書き込みが
あったのは、とりあえず不思議なモノですね☆
>さて、スケジュールをUPしていただき、幸い日程はわかったのですが、 >この講演会には当日の飛び込み参加はできるものなのでしょうか? >それとも、シェア・ジャパンの方に事前にチケットを申し込んだりした >方がよろしいのでしょうか? >現在HPにはまだ何も載っていないようなので、お手数ながら、どなたか >詳しい方教えて下さい。お願いします。 各会場は、飛び込みOKです。講演は無料で聴けます。チケットは入りません。 monamiさんにとって記憶に残る講演になると良いですね。 覚者と遭遇した人の体験を読むと、ホームレスの姿をしていたり、 奇妙な格好をしていたりというパターンは割と多いようです。 多くの人々がそうとは知らずに接触があるようです。 ちなみにこの情報を知った後で会うケースもあるようです。
>mさん レスをありがとうございます。 はい、5月を楽しみにしています。 それにしても、ホームレスのお姿ですか、、、奇妙な格好てどんなだろう??? う〜ん、でもこれはよく考えると、これまでの現実世界での自分の思い込みや 限界が試されるようなお話ですね。 (インドの話とはいえ、ヨガナンダの自叙伝によると、実に「ひきこもりの聖者」 までいらっしゃるそうですから、、、そうか、大聖ラーマクリシュナなどは、 生前は女装したりと、正にそのものでいらっしゃったわけですよね〜、はっ!) 広く心を開き、私を取り巻くこの世界を今一度眺め直しててみたいと思います、 本当に(^^)。
629 :
名無しさん@3周年 :03/02/25 16:41
幼稚な奴が来てるなあ、、、。オノヨーコにオーラかよ。w 妄想ヲタばっかだな、クリーム信者って。 まあそれくらいじゃなきゃあんなのには引っ掛からないんだろうけど。
>629さんへ捧ぐ♪ Are you looking for me? Are you looking for me? I'm the goodness in your dream I'm the devil in your scream I'm the cream of your anger I'm the thirst of your greed I'm the killer of your seed I'm your air I'm the fire I'm the water I'm your mirror I'm your window I'm your shadow I'm your dead Till you're dead Yes,I'm your head by Yoko Ono >妄想ヲタばっかだな、クリーム信者って。 あの〜、私、まだ本が届いてないんですけど〜(爆
631 :
名無しさん@3周年 :03/02/25 20:17
自分が既に信者化してることにも気づいてないとは、、、。 さすが妄想狂、、、。
私を探してるの? 私を探してるの? 私はあなたの夢の女神 私はあなたの叫びの悪魔 あなたの怒りのきわみ 飢えの悲しみ 貪欲の渇き 種の殺し屋 私はあなたの空気 あなたの火 あなたの水 あなたの鏡 私はあなたの窓 あなたの影 あなたの恐怖 あなたが死ぬまで そう、私はあなたの頭 作・小野洋子 と、いうことで、2ちゃん名物構ってちゃんには、 ヴェーダーンタ哲学最高峰のオマケ付き♪>631
>>631 くだらねえ煽りだな。
ならば、「信者化」ってどうなることなのか言ってみな。
バカの一つ覚えみたいに同じことばっかり言ってんじゃねえぞ。
634 :
名無しさん@3周年 :03/02/25 23:55
>>633 そうやってすぐ切れるとこがまさに信者。w
菩薩像見てクレームのマイトレーヤに関連づけてたら、それも信者。
聖徳太子をたいした根拠もなくマイトレーヤ先取りとか意味不明なこと言い出したらそれも信者。
ほかにも色々あるがめんどくさいから止め。
オレは通りすがりでどっちでもないが、相手を罵り、持論を展開して勝手にひとりで結論づけてる634はかなりイタイよ。 釣りを煽ってると思いたいが…実社会が窮屈な人間なんだろな
636 :
名無しさん@3周年 :03/02/26 00:18
>オレは通りすがりでどっちでもないが こんな但し書きをわざわざ書き込む奴が通りすがりだったためしはないw
>>634 仮説を立てることなら科学者でもやることだよ。
>菩薩像見てクレームのマイトレーヤに関連づけてたら、それも信者。
>聖徳太子をたいした根拠もなくマイトレーヤ先取りとか意味不明なこと
>言い出したらそれも信者。
↑の「マイトレーヤ」のところに「・・・・の法則」を代入すればいいだけ。
>>636 お前の煽りはくだらねえ!
もっとまやびの逆鱗に触れるような煽りをしなよ(w
639 :
名無しさん@3周年 :03/02/26 01:27
640 :
名無しさん@3周年 :03/02/27 08:46
きえさんか?
641 :
名無しさん@3周年 :03/03/02 18:35
>>641 紹介のサイトページ
「世紀末預言の真実/聖母マリアの警告」についての感想..
『この男の正体を我々に伝えた方は「聖母マリア様」であります。』(本文より)
ということなのだが、 それはいつ、どこで、どのように与えられたメッセージなのか、その情報の
出所と根拠の一切について、このサイトは何一つとして明記していない。トップページからは、9年
9月30日頃からの開設のようだが、各ページのどれも全然更新しておらず、或いは消去したのか、
まともに文章があるのは、「第四章 悪魔の子は誕生している!」のページくらいのもの。
そのようなぺージの記述に対し、一体どこに信頼性があるというのです?
これが真剣に世に問う者の姿勢なのですか?
内容から推測するに、たぶんに、ファンダメンタリスト(原理主義者)の鬼塚五十一氏の影響の
ようで、そのマリアのメッセージとされるものは、「聖シャーベル修道会」のリトル・ペブルからのも
のでしょう。しかしまず、マイトレーヤを悪魔呼ばわりする以前に、同じく同胞? である筈のローマ
ン・カトリックなど、他のクリスチャンからのカルト告発について、説明すべきではありませんか?
情報によれば、
カトリック教会を装うカルト「聖シャーベル修道会」のリトル・ペブルは、
2002年8月10日、オーストラリア警察により児童猥褻容疑で逮捕されており、
豪州政府からセクト宗教指定を受け、ローマ教皇庁から正式に解散請求を受けているらしい。
詳細については、各自で調べて下さい。
一部参考:リトル・ペブル教団の真実
http://www.cultnews.jp/ カルト教祖逮捕
http://www.yorozu.indosite.org/keijiban/agama/942.html 尚、下記に、私からの以前の投稿を再掲載します。
ご参考にどうぞ。
シェア・インターナショナル について
http://mentai.2ch.net/psy/kako/984/984546970.html 166 名前: 舞都麗夜 投稿日: 2001/04/16(月) 12:32
上記にリンクされたサイト、これは以前に拝見したことがあるのですが、
それにしてもちょっと滑稽です(笑)。
…………………………………………………………………………………………
この男は最初、神の如き業を使い人々を信用させ虜にする。
全世界の宗教団体は惑わされ、この男を天主の再臨として、 受け入れるであろう。
・・・受け入れられ君臨する。
・・・この男を神として崇める。
・・・全国家の代表もこの男を神として受け入れ君臨させる。
この男は飢餓を無くし、戦争、紛争を終わらせる。
病気を癒し、心を癒し、人々を呪縛から解き放つ。
―――――――――[第四章 悪魔の子は誕生している!]
…………………………………………………………………………………………
なんと、マイトレーヤによる世界支配をもう認めてしまっている(笑)。
>この男は飢餓を無くし、戦争、紛争を終わらせる。
>病気を癒し、心を癒し、人々を呪縛から解き放つ。
これなら皆さん、大歓迎でしょう(爆)。
どこが悪いんでしょうね。
この、一見不可解な(マイトレーヤによる世界支配についての)諦めムードは、
実は鬼塚氏当人(そして彼が紹介する聖母のメッセージ)から来ているもの。
『子らよ、あなたがたは、今や善と悪との大きな戦いの最後の段階に来ている。
もうすぐ、悪魔、つまりマイトレーヤに、この世を支配し、獣の印を受けたすべての者を道連れ
にすることを、天は許すであろう。(P207)』
――――――――鬼塚五十一著[戦慄の聖母預言(下)]より
167 名前: 舞都麗夜 投稿日: 2001/04/16(月) 12:33 悪魔だから信じてはいけない、と叫びつつ、 実は、「すでに“マイトレーヤによる世界支配”は、天が許している」のだというわけです。 悪魔の支配を認め、それを好きにさせるというのですから、人間虐めの好きな神様ですね。 支配される人類はたまったものではない。 この矛盾は鬼塚氏に限らず、かなり根強い伝統的なクリスチャンの根本概念でもある。 つまり悪魔の支配(試練かな?)は、神の計画としてすでに当初から決定しているものであり、 この試練に耐えて信仰を貫いた者だけが、永遠の生命を与えられ至福の境地に行くことが できるというわけです。 自分(例えば鬼塚氏)はそれでいい。熱心な信者だからね。 たぶん天国行きは確信しているのかな? だけど、悪魔に支配させてどうするのよ。 結局、クリスチャンとしての信仰を持たない者(改宗しない者)は、地獄へ行きなさい。 天国か地獄行きかハッキリさせよう、 私はもう早く天国に行きたい、ということかな?? この情けない思想は、彼の著作には明確に明かされている。 『日本におけるメッセージも、日本も他の国と同じようにたくさんの罪を犯していますので、 天罰はまぬがれることはできないということです。しかし、まことの信仰者であるカソリック信者 や他のキリスト信者は、もし、まことに信じているならば、守られ、救われます。これは仏教徒や、 ヒンドゥー教徒や、回教徒の人々が救われないという意味ではありません。なぜならばこの方々 もまた神を愛しているからです。まもなく彼らもキリスト教に改宗するでしょう。とくに天罰の最中に。』 ―――――――[月刊MU(1988年8月第81号) /聖母が初めて告げた恐怖の日本近未来預言A]より
「まもなく彼らもキリスト教に改宗するでしょう。とくに天罰の最中に。」 少なくとも、私個人はこういう思想は大嫌いです。 自分の信仰する思想/宗教、 宗旨宗派以外は、全て邪教邪宗と見なす偏狭なところの全て。 (ただの個人的な意見です)
舞都さんはホントに真面目な人だな。 感心するよ。
647 :
名無しさん@3周年 :03/03/02 23:30
反応してる反応してるw しかも舞都ってインターネットアーカイブについて知らないらしいw
648 :
名無しさん@3周年 :03/03/02 23:46
* ママ〜2chにカキコしたよ〜 \__ ______ ∨ ∧_∧ " , 、 ミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゝ∀ く < いい子ね、後で見てみるわぁ ∧_∧ | \_____ 三 ( とノ 三 / つ | 三 _ ( _ /| | (_ソ(_ソ(_ ) 舞都の母でございます(以下略) __ _____________ ∨ カタカタ ∧_∧ピーー____ ___ " , 、ミ ||\ .\ |◎ | ゝ Дく || | ̄ ̄| |:[].| ┌( つ/ ̄l| / ̄ ̄/ | =| |└ ヽ |二二二」二二二二二二二二」  ̄]|| | | | || | || / ̄| .| |/ || / || ◎ (_)[____|| .[__||
646-648 iyarasii
>>647 削除されても記録として残るインターネット・アーカイブということなのか。
つまり、サイト「世紀末預言の真実/聖母マリアの警告」は、
そのインターネット・アーカイブからということか?
ふーーん。たしかにサイトアドレスに「Archive」って、付いてる・・・。
一つ、勉強になつたよ。
きみが気になることを書くから、
マジでネット検索で調べたよ!(藁々
「違法なコンテンツや名誉毀損のコンテンツがプロバイダの権限で削除されても、
インターネットアーカイブに残る可能性があります。それが入手可能であり続ける
ことによって、社会にもたらされる弊害が継続するおそれがあります。」
「ウェブサイトオーナーが、自分が発信した情報の誤りを認めてそれを削除しても、
インターネットアーカイブに残る可能性があります。それは、誤った情報による社会
の不利益や、それを発信してしまった人自身の不名誉という不利益がいつまでも
残ることにつながります。」
―――――――[インターネットアーカイブサービスの問題]より
ここもある意味インターネットアーカイブ。
>>651 きみたち!
面白がらないで、ちゃーんと教えて下さいよ(w
ちょっと遅れぎみですが。 既出のページは以前にもありましたね。反応するには値しないでしょう。 そういえば、いつだったかTVでブッシュ大統領はキリスト教原理主義者の影響を受けている とか言ってましたね。 >少なくとも、私個人はこういう思想は大嫌いです。 >自分の信仰する思想/宗教、 >宗旨宗派以外は、全て邪教邪宗と見なす偏狭なところの全て。 同じくです。こういうのって、もう時代にそぐいませんよね。 私は嫌いというよりは、「ダサー」「古ー」という感じですが。 宗教的な対立、原理主義が世界で争乱や混乱の元になっていることはすでにご存じかと。 彼らは自身の原理主義を世界に見せつけることによって、多くの人が原理主義から 脱却する必要性と、統合およびお互いの違いを乗り越える能力の必要性を引き出すでしょう。 そういう意味では反面教師的です。統合、そして融合はアクエリアスの時代の 第7光線の影響によってますます顕著になるでしょう。 原理主義の根っこにはもちろん過去2000年顕現してきた第6光線の 影響もあります。これは自分の信ずるものへの献身という形で現れ、 それが人々の間に分割と不寛容という要素を作り上げてきました。 クリスチャン原理主義、イスラムのそれ、そしてグルイズムと呼ばれる もの、共産主義、市場原理主義、これらに共通するものはある種の ブラインドネスです。そしてその中に身を置くことで得られる安心感は 間違いなく錯覚です。 あらゆる主義(イズム)は麻薬です。 私たちが「主義というブランドを捨て去るとき、そこに自由がある」と マイトレーヤは言われます。思想も宗教も服と同じです。 脱げてしまうものに真実はあるでしょうか? 自分自身は脱げますか?脱げません。おそらくそれが真の私たちです。 おそらく私たちは今、世界規模でそれを学んでいる途中なのです。
654 :
名無しさん@3周年 :03/03/04 03:47
マイトレーヤもイズム化してるのに、それには触れないのか?
655 :
名無しさん@3周年 :03/03/04 11:22
>>654 まったく仰る通り。
自分たちこそ、そのイズムそのものであることが見えてないんだね。
>>653 >脱げてしまうものに真実はあるでしょうか?
>自分自身は脱げますか?脱げません。おそらくそれが真の私たちです。
>おそらく私たちは今、世界規模でそれを学んでいる途中なのです。
そう、マイトレーヤ「主義」運動という茶番劇を通して君たちは学んでいる最中なんだよ。
>こういうのって、もう時代にそぐいませんよね。 >私は嫌いというよりは、「ダサー」「古ー」という感じですが。 これってマイトレーヤ信じてる奴らのことじゃんw 精神世界にかこつけて、政治運動なんかやってんじゃねーよ。 ダサくて臭い、おじさんおばさんたちよ。
よくよく振り返って見ると、自画自賛で大きく出ていたのは、 実は私であった。(人の振り見て我振り直すという、反面教師!と いうことも在るがね。)許せお願だ 私は物事の真実を見抜くのに相当な自信があるばっかりに、 殆ど百%何時も自分の判断が正しいと信じ疑う事が無かった。 実はそこにこそ大きな盲点・落し穴が潜んでい、 それが、まさしく、慢心とか過信というものだったのだろう… (以前そのことは、人に指摘された事があった。今その事を身に染みて感じ る。) その慢心というものが、私の人生を狂わせ、人生の半分は棒に振るほどの、 大失敗を最近やらかしてしまった。 まさしく、これは自業自得という奴だよね。どうしようもない奴… でも、こんな私でも、かつては劣等感に苛まれていた時期もあったものなの だよ。自分の能力とか、性格というものに、不信感や疑問を抱いて、 何時も自問自答の戦いだった。 でもそんな中から、自己が人より優れている所を見付けると、 それを鼻にかけたり、ひけらかしたりして、更には人を見下したりする所が ある。 それが私の、最もイヤな性格の部分であったりもすると思う・・・(反省、 猿) ご免ちゃいね(^^ゞ
もちろん私はマイトレーヤ主義者や、クレーム主義者ではないと自認しています。 そしてマイトレーヤの情報なしで生きていけないということは全くありません。 私は自分の信に沿って行動しています。それは私のマインドの構築物とは 無関係です。信は何ものにも拠りません。ここの区別ができるかどうかで、 イズムから本当に脱却できるか否かが決まるのだと思います。 そうでなければ何でもイズムに見えてしまうでしょう。そして実際その区別を 自分の中で付けることは難しいことだと思います。 この点についてもちろん私も完璧とは言えません。 Kくらいの人なら完璧でしょうね。
>mさんへ捧ぐ♪ 信じてない 信じている だけどいつか Wake up,Baby 夢見てない 夢見ている だけどいつか Wake up,Baby 悩んだ夢を抱きしめながら キミはいつから そんな気持ちで ためいきをついてるの このままで諦めるの 同じ夢を見てきたはずさ 言葉少し聞かせてくれ そうさ勇気をもっとあげたいよ CO CO ROだけは裸になれ すべてを見せればいいのさ 感じながら 磨きながら HEARTの奥までも CO CO ROだけは裸になれ 素直になれ COME ON,EVERYBODY 嘘じゃないさ 迷わないさ 信じあえば強く 愛だけが 永遠さ 夢だけが 永遠に どこまでも 続くのさ by hikaru genji >ツッコミを考えておられる方へ♪ ご苦労さまです(^^)
(ちょこっと読書感想文) 『ヒマラヤ大師の生活探求』 (通常意識編)クロス貼り&箱入り全5巻の立派な本が届いて喜び、 パラパラとめくったそこに「仏陀」と「キリスト」が肩を組むシ ーンを見た時、(略)。 (変性意識編)なのになのに〜、その後の半覚醒のまどろみの内に、 瞑想をする<ババジ>の鮮明なヴィジョンが突然に現れて、、、思 わず飛び起きてしまったあわて者は私です。 『世界大師と覚者方の降臨』 ある程度<特殊基本用語>の共通理解がまず出来てないと、全体像 がつかめないような感じを受けたので、原著ジュワル・クール(!) とあった本をこれまた本日申し込みました(←なんかこの繰り返し になりそうで、ちょっとお財布がコワイんですが/笑)。(つづく)
さて、以下もごく私的な感想および質問なのですが、、、「(ハイ アラーキー方の)評議会」という言葉とその描写に、しばし釘付け となり、実はやや頭が混乱気味となりました。なぜなら、もう随分 以前の事ですが、非常に印象に残っているビッグドリーム(?)として、 登場人物方のノリと議題テーマがほとんど変わらないような夢を見た ことがあるからです(「ミロクさん」もいらっしゃいましたです、ハイ(^^;))。 当時はせいぜい仏教入門的新書レベルでしか、この手の情報源は持た なかったので、「和やかに円卓会議を開いている」というリアルな視 覚イメージとその頃の思い込み的大乗仏典的金ピカゴージャスさとの 格差が大きくて、<良い夢>はそれとしても、な〜んか不可思議な脱力 感に見舞われたのをよく覚えています。(まだつづく)
それで、わたしの至らぬ理解によれば、こういうのはユングが提唱し
たいわゆる元型の中の一つが活性化されて、個人の<夢>に表象してき
たモノなのだろう、という程度の枠組み解釈をこれまでしてきたので
すが、<意識状態のlocusこそ違え、そこで生起した出来事はそれもま
た別世界の現実>であるというのが、秘教の発想方法(orパラダイム)
だと考えていいでしょうか?
あと、巷間言われる「アセンション」と「マイトレーヤ降臨」は、
これはやはりワンセットで語られているお話なのでしょうか?
(翻訳上の問題もあるのでしょうが、、、<現象界>というモノに対
するパラダイムの違いさえ認めてしまえば、クレーム氏の文章自体
にはそれほど特異な違和感を私は感じなかったものの、ストーン博士
という方の発言をこの前web上で読み、いささかその<個人的主張>部分
のキツサ(?)にヘコンデしまいました。う〜ん、参った(T T)↓
http://homepage2.nifty.com/silverring/drjoshuaarticlemslach.htm )
663 :
名無しさん@3周年 :03/03/05 22:48
>私は自分の信に沿って行動しています。それは私のマインドの構築物とは
>無関係です。信は何ものにも拠りません。ここの区別ができるかどうかで、
>イズムから本当に脱却できるか否かが決まるのだと思います
あのさ、mが信じてるかどうかってことを問題にしてるんじゃないんだよ。
仮にmにとっては信=イズムでないとしても、
マイトレーヤをイズム化してる連中がいることに代わりはないわけで、
そういった狂信者の群れの中で1人や2人が自分は狂信者じゃないと叫んだ所で意味はないんだよ。
>>659-
>>652 夢と現実の区別もつかないんだな。きっとmもお前みたいなやつの扱いには困ってるだろうよ。
このスレで知ったアジズが気になる。 本、読んでみたけど、衝撃っす。 なんかマイトレーヤどうでもよくなってきた。現れようと現れまいと。 アジズは21世紀のKやGになるのかな???
>663 お疲れさまでした(^^)
>>658 >Kくらいの人なら完璧でしょうね。
K以外の人間が完璧だと主張してはイカンのかな?
私、あるいは君の身近の誰かが完璧だと主張すれば君は反論するのかな?
>この点についてもちろん私も完璧とは言えません。
完璧でない人間にKが完璧で私や君の身近の誰かが完璧でないことがわかるのかな?
論理的に言えばわからないはずだよ。
まあいいだろう。
君の発言はニューエージや秘教に囚われているなんて話以前に
いつ見ても反抗期の少年のように見えるよ。
>>656 >精神世界にかこつけて、政治運動なんかやってんじゃねーよ。
>
今日の恐怖テロについて、その原因について如何思われます?
戦争については如何です?
人間の本質が本当に「霊性」に在るとお考えなら、
政治・経済の機構はどうでも良いものといえますか?
これらはすべて人間の生活の営みであり、人間関係を示すものです。
ご参考にどうぞ。 『「チベット人」として西洋の密教徒の間で親しまれているジュワール・クール覚者は、人間の神 聖性がいつも宗教とか教会とか寺院の独占物のように語られてきたことは、地上における悪の勢 力の最大の勝利であった、と述べておられる。人間の精神性、霊性が宗教の世界だけで重んじら れ、政治や経済や社会が、どれほど堕落した不公正なものであろうとも、切り離されて考えられる。 そのような思考態度こそが、今日の世界の状況を創り出したのである。 心なき政治と心なき科学の発展、物質主義に目のくらんだ貪欲が、全人類を絶滅の運命へと追 い込んでいる。・・・略・・・ 今こそ世界が必要とするのは、霊性に目覚め、人間はすべて神(仏)の子であるという意識を持 つ、愛の人々が、宗教の世界ではなく、政治・経済・教育・文化・科学の分野に入り、その中から改 革をなしていくことである。霊性は人間生活すべての分野において顕わされねばならない。 1984年1月、カリフォルニアにて』 ――――――――[マイトレーヤからのメッセージ(上)](訳者序文:石川道子)
『政治、経済、科学、文化、教育は、精神生活のすべての面を宿すものとして、まもなく人類の基 本的霊的努力となるだろう。宗教集団やいわゆる「霊的」集団や「ニューエージ」グループは霊性の 独占権を持たない。実際、いわゆる密教やオカルトのグループは、すべてのグループの中で最も 惑わされたものであると、ジュワル・クール覚者は言われた。私も、これらが最も効果の少ないグル ープであることを知った。世界における本当の変化は、意識の本当の転換は、政治経済前線で行 われている。政治的、経済的変化を通してこそ、すべての人間に内在する霊性の反映を可能なら しめる制度が再建されるだろう。 今、我々は本質的に霊的危機に直面しているのだが、政治や経済の分野において、それに対処 している。であるから、マイトレーヤは政治経済の領域内で働く決意をされ、そして分かち合いの原 理を強調され、それが人間のための未来のすべての進歩への鍵であると言われた。――「分かち 合うとき、あなたは兄弟の中に神を認める。」「人間は分かち合うか死滅するか。」分かち合いは聖 なる原理である。すべての機構はその内的神性を反映しなければならないことを認めるまで、我々 は進化の旅路において一歩も先へ進めないだろう。我々がそれを認識するや否や、まったく新しい 状況への扉を開く。 偉大なるスペインの詩人、フレデリーコ・ガルシア・ロルカが飢餓の終止について述べた素晴らし い声明がある。 「飢えが地上から除去される日には、世界がかつて知ったことのない最大の霊的爆発があるであ ろう。その偉大なる革命の日に世界中からどっと沸きあがる喜びを、人類は想像できない。」 』 ――――――――ベンジャミン・クレーム著[マイトレーヤの使命]
>>662 :
monami さんどうもです。
><意識状態のlocusこそ違え、そこで生起した出来事はそれもま
>た別世界の現実>であるというのが、秘教の発想方法(orパラダイム)
>だと考えていいでしょうか?
>
これは、私では返答できません。
>あと、巷間言われる「アセンション」と「マイトレーヤ降臨」は、
>これはやはりワンセットで語られているお話なのでしょうか?
>
私はチャネリング情報(アストラル界とのコンタクト)には、信用を全く置きません。
チャネリング・ブームの初期に台頭した中で比較的優れたものとしては、ホワイト・イーグルや
シルバー・バーチなどがありましたが、彼らはクレーム氏によれば1〜2段階程度のイニシエー
トでした。尚、如何なる存在であれ、アストラル界を経由する以上は情報の歪曲を避けられません。
チャネリングが支持される根底には、心霊主義の思想が根付いているからだと思います。
つまり彼らにとっては、霊的世界(肉体を持たない意識存在が住む)からの情報は、それだけで
高次の情報(信頼に値する)を意味するようです。しかし、ハイアラキーの覚者方は、そのような界
を情報や教えを発信する手段には用いません。在る程度? 価値あるコンタクト情報であっても、
それは精々、アストラル界にいる低位のイニシエート存在からのものです。
現在のブーム?は、“アセンション(昇天)が人類に迫っている”というもの。
これは人類にとっての一大試練、危機であり、霊的指向者にとっては、また霊的飛躍の機会でも
あるという話しのようです。確かに現在は、アクエリアス・エージの霊的な機会を得ていますが、
これを発展・歪曲しているように思われます。
つづき.. アセンション(昇天)というのは、これは第5段階以上のイニシエートであるハイアラキーの覚者方 を対象としたイニシエーションであって、我々のレベルなどとは全く無関係な世界です。覚者方は更 に上位の四つのイニシエーションを受けていきます。その最初のものがアセンション(第6段階イニ シエーション)です。第6段階のイニシエートはチョハンとも呼ばれます。 イエスがその生涯を通じて示したイニシエーションの過程。つまり、「誕生」の第1イニシエーション、 「洗礼」の第2イニシエーション、「変容」の第3イニシエーション、「十字架」の第4イニシエーション、 そして、「復活」の第5イニシエーションで完結し、更に「昇天」の第6イニシエーションを示したので すが、これがアセンションなのです。 間もなく、人類全体がアセンションの機会を迎えるなどということは有り得ませんね。そんな実におめ でたい話しではないのです。 チャネリングものは、神智学の教えからもエッセンスを抜き取って利用し、しだいに巧妙かつ複雑化 している傾向のようです。益々、一般からは、神智学との区別が付きにくくなってきています。 私個人は、その真似振りのあまりの進歩、巧みさ故に、逆に本当にチャネリングしているかどうか さえも疑わしく見ています。そうでないと、どうしてここ最近になって、こんなに似た内容なのか不思議 でなりません。 いずれにせよ、これは識別の問題でしょう。 各自が自分自身で考え、判断すれば良いのだと思います。
>チャネリングものは、神智学の教えからもエッセンスを抜き取って利用し、 >しだいに巧妙かつ複雑化している傾向のようです。益々、一般からは、 >神智学との区別が付きにくくなってきています。 なかなか興味深い話だな。 チャネリングがどうと言うよりも、神智学が本質的に背負うべき宿命のような気もする。 きっと本質を捉えないまま無限に漸近してゆくことだろう。 その結果出来あがったものは? 神か悪魔か?
673 :
名無しさん@3周年 :03/03/06 10:05
>>667 今起こっていることは、精神世界に見せかけた政治運動だ。
人間の鎖、平和の祈りetc.そこには現象界の出来事は究極的には
人類全体の意識の反映なのだ、という自覚はほとんどない。
そこにあるのは、自らの憎しみや怒りをブッシュやアメリカに投影し
責任転嫁しているだけの、左翼くずれアナーキズムに過ぎない。
そんなものは霊性開発などとは何の関係もない。
精神世界を隠れ蓑にした政治活動に対して、冷静にそれを識別し
距離を置くべく、慎重に対処しなければならない。
彼らは平和を希求しているかのように見せかけて、
実は巧妙に人々の敵愾心をあおり続けているだけなのだ。
彼らの行為こそ、実は人類の意識の中にに争いと混乱をもたらす元凶なのである。
674 :
名無しさん@3周年 :03/03/06 11:12
神智学自体もチャネリングで出てきたようなもんだろう?シャンバラはせいぜい 地球を治めると自称する異次元人の集まりにすぎないと思う。結局似たりよったり。
んで、汗ンションもマイトレ屋も五十歩百歩。うははは。
676 :
名無しさん@3周年 :03/03/06 12:01
>>673 まったくね。
マイトレーヤ(=実はクレーム)の言う「分かち合い」というのも、
結局はコミュニズムの焼き直しに過ぎないし、そうやって信者の目を
自己の内面への探求から、外側の薄っぺらい物質世界へと向けさせて
安っぽい似非ヒューマニズムに矮小化しようとしているだけなんだよね。
神智学は本当に難しい。 学力偏差値でいって70はないとその体系は理解しづらい。 識別するのに学力偏差値は大いに役に立つ。 しかし、それを真に理解させるものは学力偏差値ではない。
678 :
名無しさん@3周年 :03/03/06 13:54
>>677 クレーム信者ってどうしてあんたみたいなアフォばかりなんだ?
霊性に根差しているかどうかはまた水掛け論でしょうね。 精神世界に関わる者、霊性を意識した者が政治、経済の分野に関わるかどうかは それは個人の自由でしょう。 関わったからと言って霊性に根差してない、口実だとも言えないでしょうし、 関わってないから非現実的だとも言えないでしょう。 戦争や暴力を否定するような無害なものであるならば、安っぽいヒューマニズムも さほど悪いとは思いませんよ。 それに飽き足りない人は、どうぞ、アドバンストコースへ進んで下さい。
>舞都さん 抜粋と「アセンション」に関するご丁寧なお返事に感謝いたします。 少なくとも、クレーム氏の語る所の「ジュワルクール覚者」が、 随分とはっきりモノをおっしゃる方なのはよくわかりました(^^;)。 明日あたり『至聖への道』が届く予定なので、しばらく腰を落ち着 けて読んでみようか、と、思います。 >そんな実におめでたい話しではないのです。 『サトルボディとユング心理学』(老松克博)という本が、現代の精神 世界全般にまつわる危険性の解説としては、結構よく出来な内容だっ たのを思い出しました。 >679 >安っぽいヒューマニズムもさほど悪いとは思いませんよ。それに飽 き足りない人は、どうぞ、アドバンストコースへ進んで下さい。 同意☆ ただし、他人様の安っぽいヒューマニズムすら弾劾したり破壊したい人 のヘンテコな霊性追求は止めてほすい(笑)。
681 :
名無しさん@3周年 :03/03/06 15:55
クレーム信者は世界平和、分かち合いを唱えるが、 本心は世界の混乱を望んでいる。 それは、混乱によって人々がマイトレーヤを受け入れるようになるために。 又、世界の混乱を伝え、注目させるのは、改善のためではなく、 マイトレーヤが世界のために必要と思わせるためなのだ。 アメリカとイラクの戦争を望んでるんだろ、危ない団体だ。
683 :
名無しさん@3周年 :03/03/06 21:54
せっかく意識の内面や霊性開発への関心を抱きつつあったニューエイジャーをして、 分かち合いだの、世界平和だのという外的物質的世界へと注意の方向を転換せしめ、 自己を知り、自己を理解するための絶好の機会を彼らから奪っている張本人こそが まさにクレーム一派なのだ。他人の進化の機会を奪うような行為は、いずれ大きな 代償となって、この偽善と欺瞞だらけの運動に加担している人々の上に、暗い影を 落とすことになるだろう。
>>683 あんたの主張がまったく理解できないのだけど
「分かち合いだの、世界平和に注意すると、
自己を理解するための機会がなくなる」
という主張なわけ?
世界と切り離された卑小な「自己」を理解して
何か意味あるの?
社会や世界という「他者」と切り離された「エゴ」を
理解することが進化なのかい?
「他者」の交流により、自他ともに理解を深め、
友愛により「エゴ」を超克するのは、まともとな方法と思う。
>>674 >神智学自体もチャネリングで出てきたようなもんだろう?シャンバラはせいぜい
>地球を治めると自称する異次元人の集まりにすぎないと思う。結局似たりよったり。
>
それらは、全く異なるものです・・・。
しかし、あなたが同じようなものと見なすのは、もちろんご自由です。
>>673 >そんなものは霊性開発などとは何の関係もない。
>
平和運動さえしていれば、
霊性については無関心で良い、などとは主張しておりません。
これは、政治・経済については無関心になりやすい
自称霊的な人々に対する警鐘ということでしょう。
>精神世界を隠れ蓑にした政治活動に対して、
>
これは、霊性に根ざした社会の創造についていっているのであり、
決して、霊性の目覚めの重要性を蔑ろにはしていません。
シェア・インターナショナルからは、膨大な霊性についての教えと情報が提供され、
世界中の多くの人々がそれを日々、実践しています。
アリス・ベイリーを通して提供されたジュワル・クール覚者からの教え、
クレーム氏を通して提供される、師である覚者からの教え、
そして、マイトレーヤ御自身によって与えられた教えなど・・・。
とても消化しきれないほどの膨大な霊的教えと、
霊性を覚醒する実践的な指導がそこにはあります。
>>681 >本心は世界の混乱を望んでいる。
>それは、混乱によって人々がマイトレーヤを受け入れるようになるために。
>又、世界の混乱を伝え、注目させるのは、改善のためではなく、
>マイトレーヤが世界のために必要と思わせるためなのだ。
>
世界人類の中に、もしも、マイトレーヤの登場が不要になるような状況や、
或いは劇的な平和的進展が生じるというならば、
それに越したことはないのではありませんか?
逆に、「世界の混乱を望む」などというのは、まさにカルト的な終末思想でしょう。
>アメリカとイラクの戦争を望んでるんだろ、危ない団体だ。
>
シェア・インターナショナルからの情報には、戦争を望んだり、
アメリカの自称正義を正当化するような内容は一切ありません。
死と恐怖の地獄を見ることになるのは、結局、ごく普通の市民や村人たちなのです。
彼らを殺傷して良いなどと、一体、どこの誰に決定を下す権利があるというのです?
ここまでくると、「ご自由にどうぞ!」としか、
こちらも言いようはありません。
お任せします・・・。
>>684 絶賛します。
はい、全くその通りであると思います。
>>683 >自己を知り、自己を理解するための絶好の機会を彼らから奪っている張本人こそが
>まさにクレーム一派なのだ。他人の進化の機会を奪うような行為は、いずれ大きな
>代償となって、この偽善と欺瞞だらけの運動に加担している人々の上に、暗い影を
>落とすことになるだろう。
>
マイトレーヤの言葉を借りれば、
飢えや疫病で死にゆく隣人、兄弟たちの中に真の神を見なさいということです。
飢えと疫病は、人類が抱える問題の一部分に過ぎませんが、
これは、人間が生存できるかどうかの最低ラインを意味するものです。
世界人類の大部分は貧しく飢えており、そのために死んでいる・・・。
このような状況に無関心のまま、
それらは外的現象の世界に過ぎないなどと分離意識を抱くことが、本当に人間の霊性ですか?
それらに無関心で過ごし自分と分離しなければ、自己の霊性は目覚めないというのは真実ですか?
そのように教える教師はどういう方ですか?
過去の霊的教師たちは、これらの兄弟たちには無関心で放っていましたか?
『飢えたる者に食べ物を与え、裸の者に服を着せ、渇きにあえぐ者を癒し、病気や毒に犯された者を助けること。まことに、わたしは汝らに告ぐ。汝らがこれらの誰一人にもそれをしてやらないのならば、汝らは、それだけわたしに対してもやっていないのである。』
―――――――――[マタイ伝25-31〜46]
「宗教集団やいわゆる「霊的」集団や「ニューエージ」グループは霊性の独占権を持たない。
実際、いわゆる密教やオカルトのグループは、すべてのグループの中で最も惑わされたもの
であると、ジュワル・クール覚者は言われた。私も、これらが最も効果の少ないグループであ
ることを知った。」
>>669 別に、山に籠もるのもご自由です・・・。
しかし、その間に人類が世界大戦に突入したり、
核のスイッチを次々入れるような世界になっていないことを願いたいものです。
690 :
名無しさん@3周年 :03/03/06 23:27
>>684 何もわかっていないね。
自己の内面と世界とは決して切り離されてはいない。
それどころか、世界とは自己の内面が映し出されたものに他ならないわけだ。
いいかね、ここが肝要なところなのだが、世界において我々が経験する事象の数々は、
ちょうどスクリーンに映し出された映像と一緒なんだよ。
その映像を映し出している源はスクリーン上にはない。
映写機たる自己の内面こそが、映像を創り出している源そのものなのだ。
冷静になって考えてみなさい。
世界、つまりスクリーン上の映像を変えたければ、映写機に働きかけるべきだろう?
スクリーンに働きかけたところで、何ら本質的変化は望めないではないか。
分かち合い、世界平和の祈り、反戦のためのデモ行進、これらはすべてスクリーンに
働きかけようとしている。そんなことをしても何の意味もない。
まず映写機を調べてみたまえ。そこに映像を創り出している「源」がある。
それを変えてやれば、スクリーン上には別の映像が映し出されるようになるだろう。
自己と切り離された卑小な「世界」に反応して一喜一憂して何の意味がある?
自己と切り離された「社会」や「他者」に反応することこそ、エゴの創り出す幻影に他ならないのだよ。
691 :
名無しさん@3周年 :03/03/06 23:44
何ゆえに、スクリーン上の戦争や飢餓に人々の注意を向けさせようとしているのか、 「彼ら」のその意図を注意深く観察してごらんなさい。 戦争や飢餓に注意の焦点を当てることで、ますますそれらは強固なものになっていく。 戦争や飢餓という映像を書き換えたければ、そこから注意を逸らしなさい。 そして平和や豊かさに注意の焦点を当て直すようにしなさい。 それは決して、現実から目を逸らしているのではない。 意識が現実を創り出している源であるということをよく認識するようにしなさい。 人間ひとりひとりがこの世界という映像を創り出している創造者なのだ。 あなたも創造者のひとりとして責任のある意識の働きかけを心がけなさい。 戦争や飢餓を無くそうと、スクリーン上を奔走するとき、あなたは創造者としての責任を放棄しているのだ。
>>690 >自己と切り離された「社会」や「他者」に反応することこそ、エゴの創り出す幻影に他ならないのだよ。
>
何か少し、ラマナ・マハリシ的な教えに似た印象がありますが・・・
では、お尋ねします。
あなたが自己の映写機を清浄化すれば、人類社会も清浄化するということですか?
では、仏陀御自身の意識の覚醒によって、またはキリスト個人の自己覚醒によって、
世界の諸問題は解決しましたか?
>>691 なるほど。
戦争や飢餓など、真我を実現していない私たちによる、
ただのイメージに過ぎないから、何も問題はないというわけですね。
幻影は放っておけと・・・。
それはバランスを欠いた極端ではないかと危惧しますが・・・
あなたはどうぞ、あなたの道を邁進して下さい。
私にはこれ以上、何もいえることもありません。
すいません。 もう一つ、オマケです。 何かこれは、クリスチャン・サイエンス学派にも相通じるものだと私は思います。 彼らは唯一、精神だけが実在であり、物質及び肉体はただの幻影でしかなく、 当然「病気」などは妄想の産物に過ぎないと信じる。 つまり、病気はこの思いが足りず、肉体や病気を実在視することによって生じているものと見なす。 当然、彼らはまともな医療を受けることは拒否し、 結果的に病死者を出すという悲劇を繰り返す・・・。 私の記憶によれば、 ヨガナンダは弟子からのこれらの問題についての質問に対し、 もし、「肉体は存在しない」「病気は無い」などと言いたければ、 あらゆる物質を自己の意志のままに瞬時にコントロールできるようになってから、初めて言いなさい。 あなた方は常識を働かせ、医術で直る病はそれを用いなさい。 通常のあらゆる努力と行為においても克服できない時、神に全権を委ねてひたすら祈りなさい。 ということを話していたと思います。
694 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 00:33
>>692 世界という舞台で我々が経験する諸事象は、我々の集合意識の反映だ。
たった一人が映写機を清浄化したところで何も変わりはしない、と言う人もいるだろう。
しかし、すべてはそこからスタートする以外に道はない。
だからこそ、まず1人でも多くの人間が創造者としての自己に目覚め、
何を創造するか、ということに対して意識的でなければならない。
>仏陀御自身の意識の覚醒によって、またはキリスト個人の自己覚醒によって、
>世界の諸問題は解決しましたか?
世界の諸問題を存続させているのは、誰だね?
またあなたはエゴのトリックに引っかかっているぞ。
仏陀やキリストは世界の諸問題を「認識しない」。
あなたが、そして大多数の人類が世界の諸問題を認識し、それにリアリティを
感じているからこそ、それは確固とした質量のある大問題として諸君を
翻弄しているのだ。それすらも君たちの共同創造作業に他ならないのだがね。
自己の創造作業において意識的でなければならない。
誰かに(たとえそれがマイトレーヤであろうと)あなたの創造作業を誘導させてはならない。
何に注意の焦点を注ぎ込むのか、ということについて、あなたは自己自身の創造者としての立場において
絶対的な権限を保持し続けなくてはならない。それこそが創造者としての責任だ。
>>694 ごめんなさい。
もう一つ、オマケの続きです(笑)。
あなたの主張内容はほぼ理解できたつもりです。つまり、飢餓だの戦争だのというよりも、
全ての物質的な現象はマーヤー(幻影)に過ぎないというものですよね。違いますか?
では、ここで確認のために質問したいと思います。
あなたの両親や兄弟や妻子など、あなたの肉親や家族が通常、死に至る危険性の高い難病
に掛かっていることが発覚し、あなた以外に面倒を見て上げられる人がいない状況下においても、
あなたはそれらはただの幻影に過ぎず、それを病気であるとて認めませんか? それとも、その
病に伏した家族に医療を与えるように行動を起こしますか?
696 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 01:07
病気を創り出しているのは誰だろうか。 誰が病気を認識しているのだろうか。 当事者にとっての病気と、家族としてのあなたにとってのその病気は同じものだろうか。 >あなたの両親や兄弟や妻子など、あなたの肉親や家族が通常、死に至る危険性の高い難病 >に掛かっていることが発覚し、あなた以外に面倒を見て上げられる人がいない状況下においても、 >あなたはそれらはただの幻影に過ぎず、それを病気であるとて認めませんか? それとも、その >病に伏した家族に医療を与えるように行動を起こしますか? さて、ここで確認しておこう。 上記のような想定を創造したのは誰だろうか。 あなたは何を創造したいのだろうか。 答えは私ではなく、あなた自身しか知らない。
697 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 01:27
>>696 解答をありがとうございました。
あなたの見解がどういうものかは、よく分かりました。
699 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 01:38
>いいかね、ここが肝要なところなのだが、世界において我々が経験する事象の数々は、 >ちょうどスクリーンに映し出された映像と一緒なんだよ。 >その映像を映し出している源はスクリーン上にはない。 >映写機たる自己の内面こそが、映像を創り出している源そのものなのだ。 これは本当にあなたが見出したものでしょうか。それとも 誰かの言葉ですか?
700 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 01:51
ニューエイジグループの主要なグラマーのひとつに、それを思うだけで、 それは実現されたと思うというものがあると、クレームは言ってます。 >まず映写機を調べてみたまえ。そこに映像を創り出している「源」がある。 >それを変えてやれば、スクリーン上には別の映像が映し出されるようになるだろう。 ここのくだりはまさにそれを連想させますね。これがあなたに本当にできるのなら あなたを覚者呼びましょう。言葉だけでなく自ら実現してみてください。 >自己と切り離された卑小な「世界」に反応して一喜一憂して何の意味がある? >自己と切り離された「社会」や「他者」に反応することこそ、エゴの創り出す幻 >影に他ならないのだよ。 自己と世界は同じです。線を引くのは誰ですか? 分離と反応という一連の物事こそ幻想です。 それらの言葉を口にすることは、悟りと悟りでない世界に分断されています。 悟りに執着するからそういうことが起こります。 それこそダサイのではないでしょうか?
701 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 01:55
>>700 おいおい、
>>696 の人は、自己が世界だからこそまず自己に働きかけるべきだ、
と言ってることぐらいわからないのか? よく読んでから書き込みなよ。
702 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 01:57
703 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 02:03
自己に働きかけた究極の姿がオウムみたいなのだろ? ダサダサじゃん
しかし、どのような形であれ、隣人愛は大切。 争いはやめ、苦痛を強いられている人たちに強い同情心を寄せられますように。 † m(- ) お祈りいたします。
>>712 仕事が忙しいので遅レスです。
> K以外の人間が完璧だと主張してはイカンのかな?
>私、あるいは君の身近の誰かが完璧だと主張すれば君は反論するのかな?
反論はしません。私より峻別できる人もいるでしょうし。
> 完璧でない人間にKが完璧で私や君の身近の誰かが完璧でないことがわかるのかな?
>論理的に言えばわからないはずだよ。
ええ。確かに。これは進化段階から考えての推測です。Kくらいのレベルだと、
わたしたちからみればまるで覚者のように見える2段階のイニシエートの悟りへの執着も
良く見えるということなので。マイトレーヤの使命の1巻を持っている人は分かる
と思いますが、有名なグルや神秘家などには2段階の人々が多いのに気付かれるでしょう。
2段階のイニシエーションはまだ完全ではなく、メンタルレベルでの錯覚、イリュージョン
からはまだ自由でない側面があると、アリスベイリーの本の中でジャワルクール覚者は指摘
しています。その結果として悟りのテクニックのブランド化やアプローチのブランド化を
行ってイズムを作るのです。そして追従者はそれを身に付け、あたかも自分のものとします。
マイトレーヤの言っていることはシンプルですが、奥深いように思います。
イズム、主義とは、本来の自分ではないものを自分と思う間違った自己同一認と関係があると
思います。
つまりイズムが起こるのは、私たちが自分が誰なのかを知らないからです。
そしてイズムから自由になるというのは、本来の自分自身であるということです。
それが簡単なものではないということは、あなたもご存じかと思います。
>>697 「わたしは誰か?」の問い、ジュニャーナ(智恵)の探求を教えたラマナ・マハリシは、
スクリーンの映像を例にとる教え方をしばしばされました。
『<マハリシ> そう、それは映画のようなものです。スクリーンの上には光が投げかけられていて、
・・・見るものも、見られるものも、スクリーンにしか過ぎないのです。このことをあなた自身にあてはめ
てごらんなさい。あなたはそのスクリーンなのです。真我が自己を作り出します。自我はその想念を自
己増殖させ、それが世界としてあなたに映し出されるのです。
………あなたは世界中の苦悩の原因についてどうお考えですか?第一個人として、次に集団として
は、それを変えるためにどのように協力できるとお考えですか?
<マハリシ> 本当の真我を実現すること。それこそが必要とされるすべてのことなのです。』
―――――おえまさのり訳編[南インドの瞑想/ラマナ・マハリシとの対話]大陸書房刊
恐らくこれらの言葉が、誤解が生じやすくしているものと私は見ています。真我と事象との関係に対す
るアプローチの在り方という霊的な形而上の難題の対処について教えたのが、シュリ・クリシュナの説い
たギーターの第三章です。これは弟子や学徒にとっては久遠の指針です。
>>430-433 参考:広島大学名誉教授/宇野 惇訳「バガヴァッド・ギーター」
[世界の名著:バラモン教典/原始仏典]中央公論社刊
果たして、クリシュナムルティがクリスチャン・サイエンス的な教え、
病死を幻覚と見なすようにと教えたかどうか???
自己に働きかけるか、世界の変容のために努力することを自己の内に見出すことは、 矛盾するものではないと思います。 自己の変容は重要です。覚者も言ってます。私たちにできる、世界に対する最大の 奉仕は、自身の内的な成長であると。これについていろいろアプローチはありますが、 どちらかという2者択一の問題ではないでしょう。 山にいても社会との関わりを捨て切ることもできませんしね。 これから顕現してくる第7光線の特徴に、物質化、結晶化というのがあります。 それまでのエージの第6光線の特徴は「理想」でした。 つまり今、私たちがこのアクエリアス・エージで表現していくのは、それまで理想で あったものの具体化です。世界平和、正義、分かち合いというそれまで理想であった ものは、人々の手で現実になっていくと、クレーム氏は述べています。 それは主に政治や経済の分野で具現化していくわけです。 今それが起こりつつあるようですね。
マイトレーヤも「真我のみが重要である」と言っています。 しかし同時に、「分かち合いを通して世界を救いなさい」とも言います。 そう、だから道は広く、特殊なものではないのでしょう。誰もが歩ける道です。 そうでなければいけませんよね。
ラクダが針の穴を通るのよりも狭いとも言うが。 特殊ではないが狭い。
710 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 03:45
確かKは広い道や安易な道には用心しなさいと言ってたと思う。
唯一、東洋の霊的教えの伝統には、
強く誤解が生じて混乱を招いている疑いがあるものと、私が強く感じ懸念するものがあります。
それは、真我の実現は一足飛びにはいかないという現実です。
霊的進化の旅路には段階があって、時間を要すものです。
しかし、この事実が蔑ろにされる傾向についてです。
つまり、このように考えることが真我の実現を妨げるものと見なすことです。
このように理解した者にとっては、世界(社会)の問題がどうあれ、
山にでも籠もって邪魔されず、いち早く真我の実現を果たした者が早い者勝ちだというわけです。
よって、彼らにとっては構ってなどはいられない・・・。
ただし、これは誤解ではないのか?
神智学は全く違う。
物事には段階があり、レベルがあり、時間もかかる進化の旅路の現実を教える。
であるから、ものごとの正しい釣り合いを弟子に自覚させるべく、
自己満足や必要以上の自己卑屈に陥ることを防ぐものとして、
その目安や計りとして与えられているのが、クレーム著のイニシエートの進化段階などです。
因みにキリストは、
>>671 で述べたように進化の段階を象徴的に演じて示した。
そして仏陀も同様、その段階を明確に教えたのでした。
即ち、仏教の説く「須陀おん(シュダオン)−斯陀含(シダゴン)−阿那含(アナゴン)
−阿羅漢(アラカン/アラハン)」の4段階について。
須陀おん・・・預流向ともいう。涅槃に向かう流れに入ったことを意味し、
数回(2〜7回)後の転生経験を必要とする。
斯陀含・・・後1回程度の転生経験を要する。
阿那含・・・二度と転生する必要がない。
阿羅漢・・・仏教の説く最高位階。
いずれも見事に、
神智学の説く第1段階〜4段階(アールハット)にほぼ相当している。
>>712 ?そうなのかな?
時間感覚で言えば東洋の教えの方がむしろ停滞気味であるように思うが。
56億7千万年なんてのもあるしね。
一口に東洋と言っても大乗仏教、小乗仏教、ヒンズー、日本、いろいろあるけども
一般的に言って早い者勝ちの逆のような気がする。
むしろ、求道者は悟るまでに無限に時間がかかると考えているんじゃないのかな。
今生で悟ることなどできるはずがない。
山篭もりなどして現実の政治なんかに目を向けないのも、そのゆったりした時間感覚から
くる限られた短期間のうちに社会を変えようとするモチベーションの欠如からだと
思っていたのだが。
>>681 >アメリカとイラクの戦争を望んでるんだろ、危ない団体だ。
>>683 >他人の進化の機会を奪うような行為は、いずれ大きな
>代償となって、この偽善と欺瞞だらけの運動に加担している人々の上に、暗い影を
>落とすことになるだろう。
このあたり、脅し文句のような響きがあるように思います。
あなたのスクリーンに戦争や飢餓が存在しないのならば、それと同様に戦争や飢餓などに
関心を持っている人や、マイトレーヤやそれを受け入れている人の存在をも消し去ってし
まえばいいのではないでしょうか?2ちゃんねるも含めたそのすべてから注意をそらせば
いいのではないのでしょうか?それが創造者としての責任であるとあなたが思うのならば。
>>694 >誰かに(たとえそれがマイトレーヤであろうと)あなたの創造作業を誘導させては
>ならない。
ならばあなた自身も例外ではないんじゃないでしょうか?それともあなたの誘導のみは例
外になるのでしょうか。
私は、争いを呼ぶような議論を持ち込むつもりはありませんが、正直な感想を書きました。
アプローチの違いとしてお互いの立場を認めあえるならばよいと思いますが、一方が他方
を間違っていると断ずる態度には少々疑問を感じてしまいます。
少なくとも
>>682 の方が言われるように何か危険であるという証拠や実害があるのならば
私も常に考える余地は持っているつもりです。間違いはどこにでもあり得ると思いますし
その間違いから学ぶこともできると思うからです。
個人的には一元論と二元論についての以前の舞都さんの書き込み、
>>425-433 あたりは非
常におもしろかったので、読んでないかたにはご一読をおすすめします。
715 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 05:25
Kは、私は段階を信じません、とも言ってたな、確か。
716 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 09:30
>>714 あんたの書き込みも立派に論争的だよ。
冷静さを装っているだけで文章の端々から怒りの波動が滲み出てきているよ。
だから、所詮、マイトレーヤ教の信者だっての。ちゃんちゃん。
以上。
舞都さんよお。あちこちの秘教の教説を引用してどんなに力説されようと 神智学自体の本質的な怪しさは隠されないぜ。ブラバッキー夫人にコンタクト してきた存在が「悟りを開いた覚者」だとか言う根拠はどこにあるんだよ? シャンバラが地球を治めてるなどという根拠もどこにあるんだよ?だとしたら 地球人類のこの有様は一体何なんだ。え?人類の自由意志には干渉しないから だって?そういう紋きり形のおためごかしが、しょせんニューエイジと大差 ないって言うんだよ。
>>716 私は今のところ怒ってもいませんし、まして冷静さを装ったりしてはいませんよ。
ところであなたは、
>>681 や
>>683 、
>>694 を書いた方なのですか?
もしそうなのでしたら、私のような人間はあなたのスクリーンから消し去った方がよい
と思います。戦争が存在しないのと同様に論争も存在しないはずですから。
「ちゃんちゃん。」とか「以上。」とか言い捨ての感じもしますが。
>>717 横レスになりますが
>ブラバッキー夫人にコンタクト
>してきた存在が「悟りを開いた覚者」だとか言う根拠はどこにあるんだよ?
とありますがご自分が
>>674 で言っておられる>シャンバラはせいぜい
>地球を治めると自称する異次元人の集まりにすぎないと思う。
の根拠はどこにあるのでしょうか?
719 :
元353へ 716より :03/03/07 12:15
俺は今日久々にカキコしてんだけどなぁ。 文体を見りゃ別人だってわかるだろうが。 それにしてもお前みたいな反応の仕方をするのが、「信者」の典型なんだよな。 被害妄想丸出しでさ。 どう言い訳しようとマイトレーヤ云々言ってる奴らは単なる宗教信者。 カーターは偉大な政治家でブッシュは困ったちゃん? ふーん、覚者ってそんなことまで口出ししてくるんだぁ。 単なるありきたりのリベラリストじゃん、覚者って(笑)。 なんでもかんでも自分たちに都合よく利用して、 聖徳太子やら果てはドリールまで自分たちの妄想体系の中に勝手に配列し直してんじゃねーよ。 結局、自分たちの妄想体系に全ての人間を従わせたいわけだろ? だからファシズムそのものだって言ってんだよ、マイトレーヤ運動はよ。 いい年こいた中年どもが妄想オナニーこいてんじゃねーよ、ターーーーコ!! ちゃんちゃん。 以上。 (きっとまた神経質になって反応してくるぞ、資料なんか引用したりしてな、ククククw)
>>690 >何もわかっていないね。
うん、うん、そうか。わかっているのか、よかったね。
それで?
>世界とは自己の内面が映し出されたもの
うつしよ(現世)のみが「世界」でないよ。
「世界」の広がりがわからないのかい。
>映写機たる自己の内面
映写機でなく、フィルムの方が適切なメタファだろ。
ほんとに理解してる?
自己の内面とは監督とか編集者。
>スクリーン上の映像を変えたければ、映写機に働きかけるべきだろう
映写機に働きかけてもフィルムの内容は変わらないぞ。
舞台装置や役者という「社会」や「他者」といい関係になり、
一緒に仕事しないといい内容にならないだろ。
>創造者のひとりとして責任のある意識の働きかけを心がけなさい。
具体的なことは言えないの?
もう一度書くが、"「他者」の交流により、自他ともに理解を深め、
友愛により「エゴ」を超克する"
理解が受動面であり、友愛が能動面。「善」を軸にして
理解と友愛のサイクル(和)により、「世界」を豊かなものにする。
わかっているなら、よりよい具体的方法を述べてくれないかい。
721 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 16:22
>>720 ク レ ー ム 信 者 必 死 だ な 。 w
>m、舞都
グルジェフやクリシュナムルティを支持している人とマイトレーヤ信者の決定的な違いは、
GやKは支持する人にとっても支持しない人にとっても明らかに20世紀に実在した人物であるのに対し、
マイトレーヤは信者にとっては実在する人物であっても、
支持しない人にとっては 実 在 さ え し な い 人 物 であるということ。
だからこそクレーム支持者が自分は冷静であると宣言したところで、
支持しないものにとっては信者、あるいは狂信者として捉えられることになる。
いいかげんこのくらいのことは理解してはどうですか、mさん、舞都くん。
>>721 720だが、クレーム信者じゃないぞ。
決め付けでなく、根拠を示せ。
クレーム信者であるとみなせる条件は何だ?
明確に説明してくれないか。
まさか、690と異なる意見をもつことがその条件ではないだろうな。
きみ、論理力は、大丈夫かい。
723 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 17:13
そうやって必死になってるとこ。
724 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 17:37
かわいい暴れっぷりだねー オマエちいさー
725 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 18:18
も は や 形 勢 は 決 定 的 。 断 末 魔 の マ イ ト レ ー ヤ 信 者 哀 れ 。 ク レ ー ム 一 味 敗 北 せ り 。
クレームグループは勝手に神智学をマイトレーヤ擁護のために利用しているようだが、 例えば竜王文庫等を読み込んでいる昔からの神智学徒は相手にもしていないらしいね。 至上我の光という機関誌でもクレーム氏を否定する記事が出てたように記憶している。 恐らく、海外での事情も似たようなものだと思う。その世界の権威だと言われている 指導者やそのグループの名前を勝手に借用し、自分たちを権威付けるというやり方は、 桐山靖雄や麻原彰晃が盛んに使っていた宗教プロパガンダの手法のひとつだよね。
727 :
名無しさん@3周年 :03/03/07 19:48
麻原=マイトレーヤのへんげ神
>>707 1884年のある日、シュリ・ラーマクリシュナはナレンを含む弟子たちに囲まれて
ドッキネッショルの自室に座っていた。話はヴィシュヌ派の宗教のことに及んだ。
師はその信者たちの信仰の要点を説明し、こう言って結んだ、「この宗教は信者に三つ
のことの実践を命じる。神の御名を味わうこと、生きものを憐れむこと、そしてヴィシュ
ヌ信者たち、すなわち主の信仰者たちに奉仕することである」こういう終わる終わらぬ内
にかれはサマーディに入った。しばらくすると半意識に戻って、こうひとり言をいった。
「生きものを憐れむ!生きものを憐れむ!愚かな者よ!地を這うつまらないうじ虫、そのお前が
他者に憐れみを示すというそのお前は何者なのだ?いや、そんなことは出来るはずがない。
それは他者への憐憫ではない。それはむしろ、人間をまぎれもない神の現れ、と認めた上での
かれへの奉仕である!」
その時そこに居合わせた者が全部、シュリ・ラーマクリシュナのこの言葉を聴いたこと は間違いない。しかし、ナレン(後のヴィヴェカーナンダ)を除いては誰ひとり、その 意味を評価することは出来なかった。 「なんという不思議な光を、わたしはあの驚くべき言葉の中に発見したものだろう! 彼はなんと見事に、バクティ(信仰)の理想をヴェーダーンタ(非二元論)の知識と和解 させなさったものか!私はこの叡智の御言葉によって、社会を離れた世捨人が実践した ヴェーダーンタの理想は、家庭生活の中でも実践できるし、われわれのあらゆる営みに 適用できるのだ、ということを理解した。人はその仕事が何であれ、この世界として、 また被造物としてみずからを現しているのは神のみなのである、ということを悟るが よい。彼は内在していて、同時に超越しているのだ。すべての多様な生きものとなり、 われわれの愛の対象となって現れているのは彼なのだ。それでいてかれはこれら全て のものを超越している。このような人間に内在している神性を悟ると、うぬぼれること は全くできなくなる。
人を神の現れと知って彼に奉仕することは心を浄化する。そしてこのような求道者は 間もなく、自分が神の眼目ー絶対の存在・知識・至福ーであることを悟るだろう。 とにかくそれが主の思し召しであるなら、遠からず、私がこの壮大な真理をひろく 世界に宣言するときが来るだろう。私はそれを、賢愚、貧富を問わず、またブラーミン であろうとバリヤーであろうとを問わず、すべての人に共通の持ち物にするであろう」と。 やがて時がきて、ナレンドラ・ナートのこの高邁な願いは文字通り満たされることに なったのである。彼はこの、<知識>を根底とする壮大な奉仕の理想を人類にむかって 宣言した。それは、かれがドッキネッショルの静かな聖域で、師の神聖な遺産として かれから受けたものだったのである。 『霊性の師たちの生涯』(日本ヴェーダーンタ協会)
ほら、やっぱり「引用」が始まった。 自分の言葉では語れない、受け売りだけの訳知り顔、得意顔。
話題は世俗的な人たちに関することらしい。ひたすら神を求め、 宗教について語る人びとを見ると、悪口を言ったり軽蔑したり する連中のことや、また、世間には邪悪な人間も多くいるので、 彼らをどう扱ったらいいかという話である。 聖ラーマクリシュナ「ナレンドラ(=ヴィヴェカーナンダ)!お前、 どう思う?世間の連中はいろいろ言うよ!けれども象が歩いていくと、 後ろからいろんな動物がいろんな声で吠え立てるだろう!でも、象は 振り向きもしない。お前のことを誰か悪口をいったら、どんな気持ちだい?」 ナレンドラ「僕はこう思います。犬がキャンキャン吠えている、と」 聖ラーマクリシュナ「アッハッハッハ、、、そりゃ、ちと酷すぎるよ。 (一同大笑)。神さまはすべての人に宿っていなさる。とは言え、やっぱり 善い人とつきあって、悪い人からは離れていることだ。虎のなかにだって 神さまはいらっしゃる。でも虎を抱いて暮らすわけにはいかない。(一同爆笑)。 虎も神の表現なのに何故逃げるか。その答えはこうさ。『逃げろ!』とすすめて くれる人たちも神の現れなんだから。どうしてその人たちの言うことをきかない んだ?」 『不滅の言葉(コタムリト)』(三学出版) >731 と、いうことで、狙ってますた(w
>>719 =716さん
>なんでもかんでも自分たちに都合よく利用して、
>聖徳太子やら果てはドリールまで自分たちの妄想体系の中に勝手に配列し直してんじゃ
>ねーよ。
>結局、自分たちの妄想体系に全ての人間を従わせたいわけだろ?
>だからファシズムそのものだって言ってんだよ、マイトレーヤ運動はよ。
>いい年こいた中年どもが妄想オナニーこいてんじゃねーよ、ターーーーコ!! ちゃんちゃ
>ん。
わたしは、聖徳太子やドーリル氏の事を書き込んだことはありません。そのあたり誤解があり
ませんか?あとどーでもいいけど中年でもありませんよ。そういう貶めかたは卑怯だと思
います。
>(きっとまた神経質になって反応してくるぞ、資料なんか引用したりしてな、クククw)
あらかじめ反応を警戒されているようですが、なにか恐れているのでしょうか?私は確か
に引用などしますが、手本とすべき霊性の先達やすぐれたイニシエート方の教えなどは時として
非常に勉強になると思います。もしすべての引用を否定されるのならば、たびたび書き込
まれるクリシュナムルティーやグルジェフなどの引用にも批判を加えていただきたいと思
います。特にGの「人間は機械である」等の有名な一節を機械的に引用される方などに。
私自身、情報を押し付けたり、従わせようなどとしたことはありません。
批判があって当然よいと思いますが、対話というのが基本にないと何もならないと思いま
すし、ただの罵り合いになってしまいます。
716さんにもしも、対話の余地があるのならばお願いしたいところです。
できればハンドルネームみたいなものをつけていただけるとよいと思います。
>>721 >グルジェフやクリシュナムルティを支持している人とマイトレーヤ信者の決定的な違いは
なぜ話しの前提ですでに前者が「支持している人」で後者が「信者」という区別にな
っているのでしょう?
>だからこそクレーム支持者が自分は冷静であると宣言したところで、
>支持しないものにとっては信者、あるいは狂信者として捉えられることになる。
これもし私を指して言っているのなら、
>>718 で私が言ったのは
>>716 をうけて
冷静さを装ってはいないと言っただけで、自分は冷静であると宣言などしてはいません。
誤解でしたら申し訳ありません。
>>725 形勢とか敗北とか、私個人はそのような勝負事をしているつもりはありません。
>>726 私には確かに「シークレットドクトリン」とか難しくて未だあまり理解できませんが
クレーム氏の本は神智学の入門書と言えるような読みやすさがあると思います。勿論情報
も膨大なのですべてを理解しているなんてとてもいえませんが。
>>728-730 とても興味深い話しだと思いました。
>>713 >時間感覚で言えば東洋の教えの方がむしろ停滞気味であるように思うが。
>一口に東洋と言っても大乗仏教、小乗仏教、ヒンズー、日本、いろいろあるけども
>
すいません。
少し雑な説明でした。
東洋というよりは、
ヒンドゥーのサーンキャ学派(ラマナ・マハリシのような教え)の影響についてを言っています。
彼らは、「真我の実現は時間を要する」とか、「困難である」などという考えそのものを、
真我実現を妨げる重要な要因と見なします。
つまり、真実の自己は、今このままに真我であり続けているので、
新羅万象の事象に注意を向けることなく(これは浪費であり、時間の無駄と見なす)、
一心に、内面の探求に専念するならば、
この身、今生において、或いは瞬時にも解脱するものと考えています。
しかしながら、
私個人の理解としては、“サーンキャ的なアプローチのみに専念するだけで”、
今生で、そのまま真我の実現に成功するものとは、正直とても思えません。
(信じている人には、すいませんが・・・)
つづき..
ハッキリというと、この教えだけで済む人間というのは、
すでに生を受けた段階で相当なレベルの魂なのであり、
たぶんに、第4段階前後の進化を達成している稀な存在であると思います。
サーンキャ的真理を知り、内なる探求を試みることはもちろん深い意義がありますが、
その他にも実際的な行動において、自己を真我実現に相応しいものとするべく訓練すべきです。
私自身の場合は、自分がクリシュナムルティ、ラマナ・マハリシの教えに触れた時には、
心底、衝撃を受けたし、これ以上のものは有り得ないという最高の道を見つけたよう思った。
しかし、私は結果的に、これ(のみに専念する道)を選択しませんでした。
理由は、述べた通りです。
議論の意志は全くありません。これは、私の正直な感想ですから・・・。
あくまでも私個人の意見ですから、参考までに見て頂ければそれで結構です。
尚、仏教は違います。
>>712 で紹介したように解脱に至る進歩には段階を以て示しています。
そこには、ハッキリと幾生涯も費やされることが教えられている。
ほぼ神智学同様です。
(尚、大乗仏教は仏陀の教説から離れてしまっており、
僧侶たちは自分も仏陀に成れるなどとは夢物語と見なしています。−−余談)
その他、ごく一般の人々においては、
真我とか解脱とかの世界が在ることを信じてはいても、
殆どいつのことやら、これもただの夢物語です。
ひたすら祈りを捧げ、救いを願う一途です。
それと、
>>693 >>695 >>696 >>698 にもあったように、
一部のサーンキャ学派の道を歩む方々に対する強い懸念として、
病気は実在ではない、幻影に過ぎないものと見なして、
結果的に、「病を患って苦しんでいる人の医療まで拒否して死なせた」などと、
マスコミに騒がれることのないように願いたいものと、切に切に思う。
そして尚かつ、「クリシュナムルティからそれを学んだ」なんて発言が、
聞かれることのないようにと願いたいものです・・・。
Re.674さんへ
>>674 >>717 >神智学自体の本質的な怪しさ
>シャンバラはせいぜい地球を治めると自称する異次元人の集まりにすぎない
>「悟りを開いた覚者」だとか言う根拠はどこに
>シャンバラが地球を治めてるなどという根拠もどこにある
>
いえ、あなたのいわれる通りであると私も思います。
では、どうであればあなたはそれを認めます?
もし、シャンバラの存在が真実であるとして、
どのようにその情報が書籍の中で公開/記述されていれば、あなたは納得するのです?
どういうことが述べられていれば、あなたはその方を覚者であるとして認めます?
神智学の教えは、それを知り給える存在より、これまで明らかにされたことのない情報が初め
て提供されたものです。ですから最初から、通常では到底、確認のしようのないような情報や、自
分の進化レベルが飛躍的に上がって、その時に初めて体験によって直知できる教えに満ちてい
ます。それは、当たり前ではないでしょうか?
覚者方は、従属を強要したりなさいませんし、絶対に間違いを犯さないなどと主張されません。
それを語る方によって提供される、霊性についての教えや人類(社会)についてのアドバイス
等々・・の、あらゆる総合的なものに対する理解において、今の我々には確認できない情報につ
いても、常識的に信頼を寄せることができるのではありませんか?
全ては、自分で判断することです。或いは確固として、すでに周知の事実しか受け入れないとい
う姿勢を摂ることもできます。このスレの前半では、そういう方からの主張も投稿されています。
私もそれは、最も確実なことであろうことを否定しません。全てを否定することも、それも当人の
ご自由です。
>>721 >グルジェフやクリシュナムルティを支持している人とマイトレーヤ信者の決定的な違いは、
>GやKは支持する人にとっても支持しない人にとっても明らかに20世紀に実在した人物であるのに対し、
>マイトレーヤは信者にとっては実在する人物であっても、
>支持しない人にとっては 実 在 さ え し な い 人 物 であるということ。
>いいかげんこのくらいのことは理解してはどうですか、mさん、舞都くん。
>
「マイトレーヤとその弟子であるハイアラキーの覚者方の存在は公に知られていず、インドの
霊的教師たちのように直に逢うことができません。双方、役割りに大きな違いがあります。」
>>490 >>568 でも、述べている通りです。
マイトレーヤと覚者方は、住所が決まっており、所在地が明確で、
その気になれば直に逢うことができる、そういう方々ではありません。
容易に会えないことが実在しないことの証明にはなりませんが、
懐疑的な方や一般の人々が、その存在そのものまで疑うことは当然のことでもあり、
察するに当たり前のことでもあります。
しかし一方、彼らマイトレーヤと覚者方に直にお会いしたと主張する人、
体験を持つと主張する人々が、たくさんいることも事実です。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/triad/faq.htm (参考:モリヤ覚者やクート・フーミ覚者の姿、肖像画)
尚、私からは、教えと情報の質において(その可能性を)判断するようお薦めしたいと思いますが、
しかし、空想やデッチ上げ、または思い込みの存在に過ぎないと見なすことも全くご自由です。
別に、一向に構いません。
参考: 『私は町へ続く道をたどっていた。その道から巡礼姿で簡単にチベットに入れると、その途中で あった人々は私に請け合ったくれた。その時、突然一人の馬に乗った男が反対側から疾走して来 るのを見たのである。その高い背丈と馬術の巧みさから、男はシッキム王の軍人か何かに違いな いと思った・・・。私が近づくと、男は馬の手綱を引いた。私は彼を見上げたが、直ちにどなたであ るかが分かった・・・我が尊敬する師匠、大師の畏敬すべく面前にいた。私は以前、神智学協会本 部のバルコニーで、アストラル体をまとった同じ大師にお目にかかっていた。そのお方に去年の12 月の、永遠に記念すべく夜にお目にかかったのである。旅の間中、一瞬たりとも見失わなかった ブラヴァツキー夫人に、たった一時間前かそこら前に封じた手紙を私は渡したのであったが、ご親 切にもそれに返事を下さったのはそのヒマラヤの大師だった。その途端、私は大師の足下にひれ 伏した。大師の命じられるままに立ち上がり、ゆっくりと大師のお顔を見つめた。そのお顔は、何回 となくオルコット大佐の所有する肖像画で見てとてもよく知っているお顔で、そのお姿を凝視している うちに私は完全に自分自身を忘れてしまった。私は何を申し上げてよいやら分からなかった。喜びと 畏敬の念が私の舌を縛りつけてしまった。力と思いの具現とも見られる大師のお顔の尊厳さは、畏 敬のうちにも私の心をうっとりとさせた。私は遂にヒマラヤの大師と直々にお会いしていたのであった。
つづき.. 大師はある懐疑家達が考えたような神話の人でもなければ、霊媒の想像の産物でもなかった。そ れは夜の夢でもなかった。午前9時から10時の間の出来事だったのである。太陽が輝いていて、 静かにこの風景を上から証言し てくれた。私は肉体をまとい、血の通った大師を目の前で見ている。そして大師は優しいアクセント で話しかけて下さっている。これ以上、何を望むことがあろうか。幸せすぎて、私は押し黙った。大師 の優しい語調とお言葉に励まされて、少し言葉が話せるようになるまでには、大分時間が経過した。 大師のお顔の色は、クート・フーミ大師ほど色白ではなかった。しかしこのようにハンサムで背が高く、 威厳のある顔立ちを今まで見たことがない。肖像画にあるように、短い黒いあごひげをつけ、胸の ところまで長い黒い髪を垂らしておられた。ただ大師の服装だけが違っていた。白いゆったりとした 衣の代わりに、皮で裏打ちした黄色の外套を着けておられた。そしてターバンの代わりに、頭には 黄色いフェルト製の、チベット帽を被っておられた。この国の何人かはブータン人がこのようなものを 被っているのを見たことがある。最初の瞬間の歓びと驚きが終わった時に、私は静かに状況を理解 し大師と長い話を交わしたのである。』 ――――――C・W・リードビーター著[大師とその道]p50-52 (S・ラーマスワーミ・アイヤー著『神智学の五年間』)
ほら、やっぱり「引用」が始まった。 自分の言葉では語れない、受け売りだけの訳知り顔、得意顔。
743 :
名無しさん@3周年 :03/03/08 07:52
>>グルジェフやクリシュナムルティを支持している人とマイトレーヤ信者の決定的な違いは
>なぜ話しの前提ですでに前者が「支持している人」で後者が「信者」という区別にな っているのでしょう?
>>721 を見ればわかる通り、
グルジェフやクリシュナムルティを支持している人とマイトレーヤ信者の決定的な違いは、
GやKは支持する人にとっても支持しない人にとっても明らかに20世紀に実在した人物であるのに対し、
マイトレーヤは信者にとっては実在する人物であっても、
支持しない人にとっては 実 在 さ え し な い 人 物 だから。
GやKを支持する人、支持しない人がいるのは当然だが、支持しない人にとっても明らかに実在した人物だから、
GやKの言葉や教えの内容に付いてすぐ話し合いができる。
しかしクレームを支持しない人にとっては、
マイトレーヤは 実 在 し て さ え い な い 架 空 の 人 物
としか捉えることができないので、その架空の人物が何を言おうと、
あるいはどこそこで目撃されたとクレーム信者達が主張しようと、
要するにそれはUFOを見たとか見ないとかの話でしかなく、そのUFOが高性能であろうとなかろうと、
もはやUFO信者のたわ言にしか聞こえない。
マイトレーヤを支持し、その教えの内容に付いて話し合おうとする者は、
既に実在することを前提の上で話すことになるので、それがもはや信者であるということになる。
そしてそれが意識的、あるいは無意識的な選民思想、ファシズム化の土壌ともなりうる。
>>732-741 この驚くほど粘着質な反論の仕方そのものが、クレーム教の信者たる所以ですね。
クレーム氏やマイトレーヤへの批判は絶対に許さない、ということなんでしょう。
どんなにオブラートで包んだような表現で冷静さを装っていても、カルトの匂いが
プンプン漂っています。たぶん検閲でもしている気分なんでしょうね。
それにしても、マイトレーヤの示す奇跡というのが、ミルクを飲むガネーシャ像だったり、 光の十字架というのは、あまりにもお粗末過ぎやしませんか?
746 :
名無しさん@3周年 :03/03/08 11:14
たラパ
>>738 だから覚者の教えは高度だとかいう能書きはもういいよ。前にも言ったけど、
そのエライ覚者達のもとに歩んできたはずの、人類のこの抜き差しならない今の
有様は一体どういう訳なんだよ?お決まりの「人類の自由意志には干渉しない」
という事ならば詰まるところ、人類にとってはシャンバラも覚者もまるで存在して
いないのとまったく同じだ。
他の神智学徒からは、クレーム一派はまるで無視されてるという書き込みがあった
けど、自分が前に関わってたトランス・ヒマラヤ密教の流れを汲む団体でもニセモノ
呼ばわりされてたねえ。もしクレーム氏のロード・マイトレーヤが本物ならば、何故
シャンバラの覚者たちは他の神智学徒達を納得させ、それこそ一致団結するよう働き
かけないのかねえ?逆にマイトレーヤがまがいものなら、何故そんなものをずっと
野放しのままにしとくのか?とも言えるけど。あ、それも「自由意志を尊重」か?
はたまた「気づきの学びの為」か?まあいいや。
これは私見だけど、シャンバラの覚者・聖者たちというのは太古の昔に地球に
やって来て寄生した異次元人達であり、何がしかの目的のもとに地球と人類を干渉
をしていて、自分らの利害によって人類にプラスにもマイナスにも影響を与えて
来たのが真の姿なのでは?
もちろんこれだって何の根拠はないよ。でも、同じようにシャンバラも覚者も
本当に帰依に値するという根拠だってない。根拠の無い事柄を初めから真実の
ごとく主張するのはカルト以外の何ものでもないね。
おや、また活発になってきましたね。 必死に煽ってくれる方のおかげで、このスレも今月中には終わるかな? >だからこそクレーム支持者が自分は冷静であると宣言したところで、 >支持しないものにとっては信者、あるいは狂信者として捉えられることになる。 ここはマイトレーヤのスレですから、私たちの考えを表現することは 何も矛盾がありませんよね? 私たちが他のスレでマイトレーヤの宣伝をして、他の考え方を罵倒するのは 間違いなく狂信的でしょう。 私はそこまで言いません。マイトレーヤの再臨というアイディアを伝えているだけです。 淡々とね。 狂信者とはいつも、自分は正しくて君は間違っていると押してつけます。 で、そのようにしているのは私ですか?それともあなたですか? わたしは他の方が私たちの考えを聞いて、私たちをどう思うかについては、 どうこう言うつもりはありません。誰もが自由に感じたり考えたりする自由 があるわけですから。それとも、このスレにはそれすらないと言いたいのでしょうか? >いいかげんこのくらいのことは理解してはどうですか、mさん、舞都くん。 人に言う前に、まずあなたが理解すべきではないでしょうか。 妄想信者だとあなたが思うなら、なぜ関わってくるのでしょう。 何か理由がありそうですね。 私たちを妄想信者呼ばわりすることで、あなたの日々の心の平静に役立つなら、 どうぞいくらでもそうしてください。あるいは、あなたが信じているものと、 私が信じているものとを比較することで、あなたの信が強められるなら、 好きなだけどうぞ。 あなたの信に比較が入り込んでいるなら、その土台は弱いということを。
最後を補正 × あなたの信に比較が入り込んでいるなら、その土台は弱いということを。 ○ ただ、このことも憶えておいてください。 あなたの信に比較が入り込んでいるなら、その土台は弱いということを。
>だから覚者の教えは高度だとかいう能書きはもういいよ。前にも言ったけど、 >そのエライ覚者達のもとに歩んできたはずの、人類のこの抜き差しならない今の >有様は一体どういう訳なんだよ?お決まりの「人類の自由意志には干渉しない」 >という事ならば詰まるところ、人類にとってはシャンバラも覚者もまるで存在して >いないのとまったく同じだ。 クレーム氏の主張によれば、後期アトランティス時代には、ハイアラキーは公に 存在していましたが、アトランティス大陸が沈み、人類が楽園を失ってからは、 人間が自ら苦闘し認識し、成長するように、背後から見守るようになったそうです。 しかし、これは終わりつつあります。 クレーム氏が言うには「待ちなさい」です。
> 他の神智学徒からは、クレーム一派はまるで無視されてるという書き込みがあった >けど、自分が前に関わってたトランス・ヒマラヤ密教の流れを汲む団体でもニセモノ >呼ばわりされてたねえ。もしクレーム氏のロード・マイトレーヤが本物ならば、何故 >シャンバラの覚者たちは他の神智学徒達を納得させ、それこそ一致団結するよう働き >かけないのかねえ? シャンバラではなく、ハイアラキーの覚者方です。 他の神智学が、クレーム氏の主張を必ずしも受け入れていないというのは本当です。 これは、覚者の教えというものは、いかなる団体の権威のものではないということを 覚者自らが示しているように私には思えます。 神智学の内容からクレーム氏の主張を批判できたとしても、それは結局のところ、 神智学に関するオーソリティは私たちの方が上だという主張でしかありません。 神智学の教え全体に関するオーソリティは覚者にあるのだと思います。 それは神智恵学系の団体や、私たちや、クレーム氏のものではありません。 そしてその教えは人類全体に寄与するためであり、ナントカという団体のブランド ではないのです。「組織という壁を作ってはならない」というのは、このグループ に対する覚者の言葉です。私たちはすぐに偶像や協会を立てたがります。そして、真 の教えはそいういうものができるとすぐに逃げてしまうようですね。だから本当に 必要な教えは、たいそうな伝統や立派な権威のもとではなく、路上にあるかもしれません。 それを声を大にして言いたいです。そして真理を聞いて、受け入れることができるのは、 いつも大衆の良識なのだと思います。
752 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 01:23
マ イ ト レ ー ヤ が 偶 像 で あ る ことにさえ気づいていないとは、、、、。
>元353さんへ これもラーマクリシュナのお言葉ですが、もし何か参考になるようでしたら♪ (別にヴェーダーンタ協会への勧誘ではありません。私も会員ではありません/笑) 「わたしは砂糖にはなりたくない。砂糖をなめて楽しむのがすき。わたしはどんな場合 でも『我はブラフマンなり』などと言いたくない。『あなたは神さま。わたしはあなた の召使い』という。あのお方の名をほめたたえよう。これがわたしの願いなのだ。神と 私の関係を主人と召使い、または親と子の関係にしておくのは、たいそういいことだよ。 ガンジスの河の波とはいうけど、波のガンジスとは言わないだろう?「我こそが<それ>で ある」などという思い上がりは、ためにならない。この肉体が自分だという意識から脱け きらないうちに、そんなふうに思い上がっていると大変な害になる。向上できるどころか、 だんだん堕落していく。それは他人をあざむき、自分をもあざむいていることだ。自分自身 のことがよくわかってないのだ。」
(問)神は実在であり、神の創造現象、、、つまり、この世界は、夢幻、虚仮、非実在である。 これがどうしてもわたしには納得いきませんが? それでいいんだよ。だから、神はご主人、私は使用人、こう思っていればいいのだ。 肉体が本当にあると感じている間は、どうしてもワタシがあり、アナタがあるんだから。 その境地では、自分は神の召使だと思っているのがいいんだよ。その境地で「我はソレ (神・ブラフマン)なり」なぞと言ってはいけない。部屋の片隅から眺めても、まん中から 眺めても、同じ部屋を眺めているのだ。 『不滅の言葉(コタムリト)』より
>>748 >ここはマイトレーヤのスレですから
あっ(^^;)
実は長く探していた絶版本を、ひょっこり手に入れることができました。
なぜこの機に及んで???と、なんとなくプチ奇跡気分です。
月曜日には届くと思いますので、皆さん、衝撃の引用(!)をお楽しみに〜☆
(ヒント/1922年)
756 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 02:03
福岡正信の自然農法。 巷にはいろいろな人が自然農法を唱えており混乱をまねくことも多いが、 私の目指す所は福岡正信先生の実践する自然農法である。 自然農法については、福岡氏の著書[無III 自然農法(実践編)春秋社]にたいへん詳しい。 ここでは簡単にまとめておきたい。 基本的には次の5つの点で特徴的である。 1.無耕起...理想とするのは森林の土でこれはだれも耕していないが、森の木々の生産量は畑の生産量に匹敵する。 2.無除草...除草はしない。 基本的にはれんげやクローバやアルファルファ等の豆科の丈の低い植物で地表を覆い、雑草の発育を疎外する。 3.無農薬...殺虫剤や殺菌剤は使用しない。虫は虫によって退治する。 なるべく、混植を原則として害虫の天敵が育つことを考える。 4.無肥料...肥料は特に与えないで、除草用に用いた豆科植物の緑肥と山から流れる腐葉土の栄養をもとにする。 緑肥については、米や麦のわらのように食べるもの以外のすべての生産物は畑や田に戻すことを原則とする。 5.粘土団子の使用...自然農法では種を的確な時期に播くことがたいへん重要だが、それはなかなか難しい。 初心者は粘土団子を使うことによりこの困難さから解放される。 福岡正信先生の著書 わら1本の革命 春秋社 1983年初版 ¥1650 無1 神の革命 春秋社 1985年初版 ¥2678 無2 無の哲学 春秋社 1985年初版 ¥2678 無3 自然農法 春秋社 1985年初版 ¥2678 (これが最も具体的) 自然に還る 春秋社 1993年初版 ¥2800 総括編 わら1本の革命 神と自然と人の革命 春秋社 1993年 ¥2000 (写真集に近いので分かりやすい。粘土団子の作り方が載っている。) ビデオテープ 「ビデオドキュメンタリー福岡正信インドへ行く 生き物たちの惑星 地球で生きるためにー粘土団子が地球を救うー」 自然農法・福岡正信 農法監修福岡正信/粘土団子指導本間裕子/演出今泉光司/制作サルボン(非営利映像制作)NTSC VHS/BTC STEREO 日本語版・59分 英語版・61分
ここでマイトレーヤやその信者さんを批判(罵倒ではない)している人たちの中には、 かつてはあなた方と同様、クレーム氏の主張を真に受けていた人間もいるのだ、 ということを忘れないほうがいいでしょう。あなた方が批判を罵倒と受け取り、 必死になってそれに反応している姿そのものに、過去の自分を重ね合わせて、 老婆心ながら、一言申し添えてあげたくなる、ということなんでしょうね。 あなた方の反応を拝見していると、どうしても「詭弁」としか映らないし、 いろいろな引用文を見ていても、インスパイアされるものが何も無いんですよね。 ああ、これは一種の信念体系に過ぎないな、この人たちは、クレーム氏の創造した 信念体系の中にすっぽりと絡め取られてしまっていて、こちらが何を言っても、 自分たちに「いつの間にか掛けられてしまったフィルター」を通してしか、 部外者の言葉を認識できなくなっているんだな、ということがよくわかります。 確か、ロバート・モンローか誰かの本の中に、特定の信念体系に雁字搦めにされて しまった人たちが、死後一定期間引きこもっている亜空間のような世界があって、 そういうところに閉じ込められてしまった人たち(魂)というのは、自分の視点が 極端に固定化されてしまっていたことに気づいてそこから脱出するのに、何百年も 要する場合がある、なんていう記述があったようにも記憶していますが。 まあ、余計なお世話かもしれませんが、クレーム氏とか神智学とかにこだわることなく、 幅広い分野の情報を虚心坦懐に熟読玩味する余裕を持っていたほうがよいのでは? 少なくとも、何でもかんでもマイトレーヤと結びつけて一元的価値観の中に矮小化 してしまうおうというような態度は、自分自身を不自由にしてしまうだけですよ。
おいおい、待てよ。 >ロバート・モンローか誰かの本の中に、特定の信念体系に雁字搦めにされて しまった人たちが、死後一定期間引きこもっている亜空間のような世界があって、 そういうところに閉じ込められてしまった人たち(魂)というのは、自分の視点が 極端に固定化されてしまっていたことに気づいてそこから脱出するのに、何百年も 要する場合がある、なんていう記述があったようにも記憶していますが。 この記述の方がクレーム氏の情報よりよっぽどマユツバだぜ(w >少なくとも、何でもかんでもマイトレーヤと結びつけて一元的価値観の中に矮小化 してしまうおうというような態度は、自分自身を不自由にしてしまうだけですよ。 こうは考えられないか? 何でもかんでもマイトレーヤに結び付けているのではなく、何でもかんでも 結び付けた結果のものを仮に「マイトレーヤ」と称していると。 >一元的価値観の中に矮小化 人は何かしら無秩序に見える森羅万象の現象の中に秩序や法則を見出したいものだよ。 そして最終的にはすべてを通観する法則を発見したいものだろう。 たとえ初めは、その法則、価値観が卑小で矮小なものとしても。 法則を導き出す過程においては卑小になるのもやむをえないのではないか。 もちろんそうやって統一的な価値観や法則が存在するという保証はないのだけれども。 必ずしもないとも言いきれない。
>少なくとも、何でもかんでもマイトレーヤと結びつけて一元的価値観の中に矮小化 してしまうおうというような態度は、自分自身を不自由にしてしまうだけですよ。 思うんだけど、世にあるすべての宗教はそうやってるわけだろ。 信仰は自由だぜ。 もっとも「マイトレーヤ」は信仰ではないと言いたいところだがやめておこう。 自分の信仰が100%正しいと思って宗教に入信するやつはまあいないだろう。 ローマ法王でも100%信じているかどうかはわからんぜ。 でも、この世で生きる以上は自分の機軸となる宗教を便宜的に選択する生き方も あっていいだろう。 とりあえず正しいかもしれないところのものをチョイスして行動しないことには 人生は始まらないさ。
>>759 訂正
>自分の信仰が100%正しいと思って宗教に入信するやつはまあいないだろう。
↓
自分の信仰が100%正しいと確信して宗教に入信するやつはまあいないだろう。
誰しも自分に正直になれば一抹の不安はあるはず。
一抹の不安があるから何も信じない、では何も始まらない、と思う。
一抹の不安が狂信にならぬように注意すればいいんだ。
761 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 03:04
信仰と不信仰の狭間に真実があります。 信仰は束縛であり、自由ではありません。 始まりも終わりも無い現在の活動の中にのみ、真実があり得るのです。
>>761 あまりムチャばかり言うな。
君がそういうことを言えるのは、欧米の宗教信仰者が苦心惨澹の末、
信仰状態から無神論に至るあるいは、信仰を捨てたというようなものではなく、
無宗教の状態が当たり前の日本という国で安穏としている結果だと思うよ。
これは想像だが。
我々日本人は一度は真剣に信仰状態に入り、宗教に対する免疫でも付けた方がいい。
宗教に対する免疫なくして、「信仰と不信仰の狭間」とやらには行けないさ。
君のは不信仰ではなく、無信仰と見るが。
つまり、信仰でも不信仰でもない。まだ何も活動を始めていない・・・
>かつてはあなた方と同様、クレーム氏の主張を真に受けていた人間もいるのだ、 >ということを忘れないほうがいいでしょう。あなた方が批判を罵倒と受け取り、 >必死になってそれに反応している姿そのものに、過去の自分を重ね合わせて、 >老婆心ながら、一言申し添えてあげたくなる、ということなんでしょうね。 離れていく人はもちろんいるでしょう。 その理由も様々だと思います。 >まあ、余計なお世話かもしれませんが、クレーム氏とか神智学とかにこだわることなく、 >幅広い分野の情報を虚心坦懐に熟読玩味する余裕を持っていたほうがよいのでは? これはもちろん同意ですし、現にそうしています。通りの先のいつもいるホームレス を見て、あれは「マイトレーヤじゃないかしら」なんてことは私はやっていません。 このグループはどちらかというと、過去にいろいろ歩んできている方が多いです。 グループとは言ってもかなりゆるいものだし、それは個人個人この情報との関わり方は様々ですが。 それから常識ある社会人であることは言わずもがなです。
>少なくとも、何でもかんでもマイトレーヤと結びつけて一元的価値観の中に矮小化 >してしまうおうというような態度は、自分自身を不自由にしてしまうだけですよ。 マイトレーヤのことばっかりなので、そう見えるのでしょうかね? ここが難しいとこですね。何かを信じながらも、どこかは醒めて全体を見ている部分は 必要だということでしょう? 確かにそのとおりだと思います。 実際、そういう面がないと扱っている情報が情報だけにあまりホットになりすぎてもなぁ と、いうところはあるんです。結局は伝えられている情報でしかありませんからね。 クールに情報だけをどうぞ。という感じでしょうか。 こういう情報にホットになってしまう人は、逆説的なんですが、この情報を伝えるのには 向いてませんね。 信というのはときには厄介なものでもありますね。私たちの限定された認識や理解では 全体像は理解できません。ですから不安は消えないでしょう。そういう意味で私も不安 のただ中にあります。けれども「信」なしには何も進まないことは分かるわけです。 「目の前の道が自分には正しい道のようだから、とりあえず行ってみることにしよう」 「だめなら引き返せばいいさ」 たぶん人間にできることはこのふたつじゃないかな?
765 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 04:11
真理は道なき大地です。
Re.674さんへ
>>717 >「悟りを開いた覚者」だとか言う根拠はどこにあるんだよ?
>
あなたがいう覚者である証拠とは、一体なんでしょうか?
もし、「あの人が覚者である」といわれれば、あなたはその人を覚者と認めるのですか?
「その人は覚者ではない」といわれれば、あなたはそう判断するのですか?
誰も強要しません。
判断を下すのはあくまでも自分であり、内容を識別することです。
『私に従わなければならないとか、私の言葉は絶対的なものであるとかいう権威的な言明がハイ
アラキーのメンバーによって示唆されることはない。これを覚えておきなさい。さもなければ、仕事を
進めることは不可能となり、危険な要素が入り込み、現在の努力は無に帰するであろう。
あなた方は私を、一人の教師として、チベット人の弟子として、そして、ある段階のイニシエート
―――どの段階であるかはあなた方にとっては重要ではない―――として知っている。重要なのは、
私があなた方に与える教えである。私は存在の秘儀に参入したイニシエートである。この言葉はそ
れ自体、知る者に情報をもたらす。』
――――――アリス・ベイリー著[新時代の弟子道/弟子たちへの語りかけ]
※追々、目に留まった事柄やご意見に対しては、なるべくレスしたいと思います。
時間的な制約もあり、マターリとお付き合い願います。
(尚、適切? と思われる文献の文書があれば、一部を少しだけ紹介していきたいと思います。
参考にして頂ければ、それで結構です)
アリス・ベイリーも度々マイトレーヤ信者に引用されるんで、あの世で苦笑してるだろう。
この驚くほど粘着質な反論の仕方そのものが、クレーム教の信者たる所以ですね。 クレーム氏やマイトレーヤへの批判は絶対に許さない、ということなんでしょう。 どんなにオブラートで包んだような表現で冷静さを装っていても、カルトの匂いが プンプン漂っています。たぶん検閲でもしている気分なんでしょうね。
それにしても、マイトレーヤの示す奇跡というのが、ミルクを飲むガネーシャ像だったり、 光の十字架というのは、あまりにもお粗末過ぎやしませんか?
770 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 12:57
ミルク飲み像とか光の十字架(これは後にマイトレーヤ信者によるやらせであることが判明した) もそうだけど、ナイロビに現れたっていうターバンを巻いた“マイトレーヤ”の異様ないでたち を見て、普通の感覚だと大爆笑のはずなんだけど、それを信じ込んでしまう感性はマジキモイね。 あと、マイトレーヤとは関係ないけど、朝鮮人は日本から出て行け!!!!!!
Uさんはもう来ないのか、彼にはユーモアを言うゆとりがあった・・・・
772 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 17:35
>>766 覚者であるか、そうでないかを判断するのはあなたではない。
あなたの条件付けが機械的に決めるだけだ。
覚者でない者は、他人が覚者であるかどうかの判断はできない。
もし覚者でない者が判断するのであれば、条件付けに従わされているだけのこと。
あなたが自分で判断できるなどというのは思い込みに過ぎない。
773 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 18:02
『知っている者は喋らない。知らない者だけがよく喋る。』
>>771 同感。
ここしばらくの煽りはレベルが低すぎて面白くない。
775 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 19:18
内容に反論ができないから低レベルと呼ぶことで反論したつもりになってるというのは、 本当に悲惨だなあ、、、。
776 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 19:29
多分、774のいう意味は今回の煽りが過去スレのコピーに過ぎずそれを超えてもいないのだから誰の目にも新鮮には見えないというところだよ。 良く読んでやれよ。レベルは好き嫌いもあるからなんとも言えんわ。(w
777 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 20:16
777 よっしゃ!
778 :
名無しさん@3周年 :03/03/09 20:33
>>776 煽りが過去スレと同じなのは、信者達が進歩してないからだろ。
だから同じ批判をされる。最も過去スレなんて読んだことはないが。
>>726 >例えば竜王文庫等を読み込んでいる昔からの神智学徒は相手にもしていないらしいね。
>至上我の光という機関誌でもクレーム氏を否定する記事が出てたように記憶している。
>
私は、このグループに元協会員や元竜王会の学徒が
何人も参加していることを実際に知っています。
中には、二股のかけ持ちのままという方までいるようです(笑)。
その「至上我の光」の記事がどういうものかは分かりませんが(できれば、抜粋を紹介して欲しい
ものです)、私が所持する第420号(平成元年5月1日発行)にはジェフ・クラーク氏(現・日本神智学
協会ニッポン・ロッジ会長)によるこのような記述が見られます。
『大師方の存在が否定されるもう一つの原因は、「マスター」や「覚者」などについての本のばかば
かしさです。「大師のメッセージ」と言われるもののほとんどは、誰でも書けるようなくだらないもので
す。神智学協会の中にも、大師の弟子と見せかけて大師方の過去世や同胞団の構造について沢山
のナンセンスを教えた指導者もいました。理性的な読者がこれらの作り話を怪しんで、大師方の存
在を疑っても無理もありません。』(「大師方について」より)
過去、アリス・ベイリー(彼女は協会の脱会者である)に対する評価も低く、当然、この文章からは、
クレーム氏に対しても恐らく同様であろうことを推測することは容易です。
>>139 で紹介した協会員の例でも分かりますが、神智学協会がクレーム氏を良しと見ていないこと
はまず明らかでしょう。
大師方についての、「誰でも書けるようなくだらない内容や沢山のナンセンス」が書かれている書
籍は、たしかに巷には氾濫している。しかしそれは、結果的には識別の問題でしょう。
まず、第一に神智学協会は、協会外の人間にハイアラキーの覚者方からの通信が起こり得ること
を認めるのは恐らくは困難でしょう。彼らは覚者方がコンタクトを摂る場合には自分たちを選択し、
そして活用するものと信じているであろうことは、十分に理解できます。それが彼らの伝統ある誇りで
ある筈です。
これは私からの疑問なのですが、現在の神智学協会の内部にハイアラキーの覚者から直の通信
は在るでしょうか? もし無いならば、それは何故でしょうか?
つづき..
>>751 でmさんが記述されたこの言葉は、大変な名言であると思います。。
「これは、覚者の教えというものは、いかなる団体の権威のものではないということを
覚者自らが示しているように私には思えます。そしてその教えは人類全体に寄与するためであり、
ナントカという団体のブランドではないのです。「組織という壁を作ってはならない」というのは、
このグループに対する覚者の言葉です。私たちはすぐに偶像や協会を立てたがります。そして、
真の教えはそいういうものができるとすぐに逃げてしまうようですね。」
下記に紹介する一部ベイリー著を読まれるならば、その理由が幾分、明白となって理解を容易に
することを助けるものと思います。(皆様方に、繰り返し読まれることを推奨します)
つづき.. 『神智学協会はマスター方の事実を教えた。しかし、H・P・ブラヴァツキー(H・P・B)はそのようにし たことを酷く後悔したと(密教部門への手紙で)述べている。この教えは、後の神智学のリーダーた ちによって誤って解釈された。彼らはある根本的な間違いを犯した。彼らが描写したマスター方は、 ―――マスター自身、進化しつつあるにもかかわらず―――不可能な絶対性で特徴づけられてい た。与えられた教えは、自己発達に心を奪われた興味と、個人の開発と解放への強い集中を支持 した。イニシエートであるとか、古参の弟子であるとか言われた人々は、神智学協会の外での影響 力を持たない全くの並の人々であった。また、マスターへの―――マスター方の人格への―――完 全なる献身が強調された。また、これらのマスター方は、マスター方の指示のもとで働いていると 主張する様々な密教グループの組織生活に干渉するものとして提示された。そして、マスター方は、 次のような陳述のもとで逃避するグループのリーダーたちが犯した間違いの責任を取らされた。マ スターが私に言うように命令した。マスターはこのような仕事が行われることを欲しているなどなど。 服従する者は良いメンバーと見なされ、関心を示し、服従することを拒否する者は脱党者と見なさ れた。個人の自由は絶えず犯され、リーダーたちの弱点や野心は言い訳された。これらすべてをよ く知っているアリス・A・ベイリー(A・A・B)は、絶えず繰り返されるこのような活動のメンバーになるこ とを拒否した。何故ならば、大衆の関心を引き付けたすべてのよく知られている密教グループは実 際に、このようなものであったから。私がこのような方法(ハイアラキーと提携していない者が、常に 行ってきた方法)で仕事をすることを欲したならば、私は彼女の協力を得られなかったであろう。
つづき.. 数年前、私はA・A・Bに(彼女自身のマスターがなすように)彼女の弟子としての主な義務は叡智の マスターの真の性質を大衆に親しみのあるものにし、これまでに受けてきた間違った印象を取り除く ことであると語った。これは彼女はある程度行ってきた、しかし、それは意図されたことを完全になし たわけではない。この主題全体に浴びせられた悪評のため―――様々な教師や密教グループによ る間違った提示や、私たちに無知な者による馬鹿げた主張ゆえの―――彼女はこの仕事を避けた。 彼女の前任であるH・P・Bは神智学協会の密教部門に送られたある教えにおいて、マスター方、彼ら の名前、彼らの仕事などを発表したことを酷く後悔したと語っている。A・A・Bも同様の意見である。 神智学協会において描写されたマスター方は次のように描写されなかった。マスター方は追従者(む しろ献身家)に、このようにしろとか何かの組織を作れとかいった命令を発しない。また、マスター方 はある特定の個人に極度に重要なハイアラキーでの地位にある者であるなどとは言わない。マスタ ー方は、弟子、イニシエート、マスターがその働き、行為、言葉によって知られることをよく知ってい る。マスター方はその達成する仕事によってその地位を証明しなければならない。
つづき.. マスター方は多くの組織にいる弟子を通して働く。しかし、彼らはその弟子たちを通して組織のメン バーに盲目的な服従を要求することはしないし、組織の方針やリーダーの解釈に同意しない者を教 えから排除したりしない。彼らは分離的ではなく、様々な弟子や他のマスター方のもとで働くグループ に対抗することはない。マスター方が興味を持つ組織は包括的なものであり、排他的なものではな い。彼らは人格と争うことはなく、組織のリーダーが支持されているかいないかという理由で、ある者 を支持したり、拒絶したりすることはない。彼らの多くのグループの平凡なリーダーが描写するような 見世物的で無作法な人物ではなく、世間的な観点から見て酷く粗悪な人々や、主張や自分に注意を 引き付ける行為をしたりする人々を(誓約した弟子や卓越した働き手として)選ぶことはない。見習い の弟子であるということは、献身家である可能性がある。その時、浄化、及び、同胞愛と人類の必要 とするものについての知的な理解の獲得が強調される。そして、直接マスター方のもとで働き、世界 で活発に活動する、受け入れられた弟子であるということは、メンタル極性、ハートの発達、真の価 値観を必要とする。
つづき.. これらすべてを知り、また、通常与えられてきたマスター方についての教えの酷い影響を見てき たため、A・A・Bは、ハイアラキー、その目標、人員の真の性質を紹介するために、極端な方法を 取った。彼女は―――ハイアラキー自体がそうするように、―――次のものを強調することを求 めた。人類と世界奉仕を。彼女が強調したのは、マスター方が三界での人格的な問題と経験を超 越してきたにもかかわらず、自然としての訓練の過程にあり、謂わゆる“より高い進化”の道を辿 る準備をしているということではない。チベットにいるある弟子たちが私たちに与える名前は私た ちの達成点についての糸口を与える。彼らはハイアラキーを“組織化され、啓発されたマインドた ちの共同体”―――愛と理解、そして、深い同情と包括性によって啓発され、プランについての知 識、及び、人類を救済するために自分の進歩を犠牲にした目的の理解への志しによって啓発され た―――と呼んでいる。それがマスターである。 注意して欲しい第二の点を示すのに、質問の形式を取る。マスターの行うことが語ったことの真 実を実証し、マスターの影響が世界的であるならば、ある者がマスターを指差し、それなりに認知 することがどんな害を与えるのであろうか? 不注意の過ちによって、A・A・Bが私をマスターであ ると指摘したことがどんな害を与えたであろうか? 私の影響力を伝達するものである私の書籍 は地球の隅々にまで行き渡り、助言と援助をもたらしている。私が示唆し、F・Bが自発的に進め ている善意の仕事は、パンフレットとラジオ、大祈願の使用、トライアングルの仕事、善意の人々 の言葉と実例によって、文字通り数百万という人々にまで到達した。
つづき.. 注意して欲しい第三の点は、戦争が終結した時に始まる新しい周期に、ハイアラキー、及び、 マスター方の働きの事実が彼らの弟子たちを通して大衆の関心を呼び起こされなければなら ず、実際にそのようになるであろうということである。至る所の弟子たちが益々世界にハイアラ キーの同胞愛のプラン、霊的な生活、包括性を提示するであろう。これは、“マスターが私を選 んだ”とか、“私の努力の背後にマスターがいる”とか、“私はハイアラキーの代表者である”と か言うことによってではなく、奉仕の生活、及び、マスター方が存在し、至る所の人々に知られ ていることを指摘することによってなされるであろう。プランとは、進化的な発達に関するもので あり、知的で霊的な目標に向けての教育的な進歩に関するものである。人類は孤独ではない。 ハイアラキーがおり、キリストとその弟子たちと共にいる。静かに活動しているため認識されて いないが、弟子たちが世界に溢れている。世界奉仕者新団体が存在し、善意の人々が至る所 にいる。マスター方は人格には全く関心がなく、あらゆる姿勢、信仰、国籍の人々を活用する。 もしそれらの人々が愛によって動機づけられ、知的であり、訓練されたマインドを持っているな らば、そして、個人的に―――マスターであれ、弟子であれ―――ではなく、真理と善と人々を 引き付ける磁力的放射的な影響力を持っているならば。彼らは個人の忠義には関心がなく、 苦悩からの解放、人類の進化の促進、及び、霊的な目標の微候にのみ捧げている。彼らは働 きに対する報酬や同年輩の人々の賞賛を求めない。世界に光を成長させること、そして、人間 の意識を発展させることのみを求めている。』 ―――――――アリス・ベイリー著[新時代の弟子道・第一巻 /チベット人の仕事の概要](1919〜1943年)
Re.674さんへ
>>747 >そのエライ覚者達のもとに歩んできたはずの、人類のこの抜き差しならない今の
>有様は一体どういう訳なんだよ?お決まりの「人類の自由意志には干渉しない」
>という事ならば詰まるところ、人類にとってはシャンバラも覚者もまるで存在して
>いないのとまったく同じだ。
>
それは無神論者がいうような、
「私は神はいないと思う。何故なら、神が本当にいるならば、人間にこんな苦悩がある筈がない。
神がもし実在するならば、私の苦しみも直ちに解放して見せよ!」と、言っているようなものです。
『ハイアラキーは、人類が自由意志という神聖な原理ゆえに、この危機の時期において、人々
がどのように行為するかを予言することはできない。ハイアラキーは正常な人間の欲求に対し
て、正しい生活方法をなすよう強いることはできない。なぜならば、この正しい活動方法は、人
間の思考と感情のまさしく深みから生じなければならず、自由で管理されない努力から現れな
ければならないからである。ハイアラキーは、人々が間違いを犯すのを未然に防ぐことのできる
手段を打たないかもしれない。なぜならば、間違いを通して、人々は、イニシエートである詩人
が表現したように、“悪によって善が最良であること”を学ぶからである。』
――――――アリス・ベイリー著[ハイアラキーの外的顕現]
>もしクレーム氏のロード・マイトレーヤが本物ならば、何故シャンバラの覚者たちは
>他の神智学徒達を納得させ、それこそ一致団結するよう働きかけないのかねえ?
>
私は
>>781-785 を読まれるならば、それも理解されるものと思いますが・・・。
>>757 多くの者がそれぞれ様々な理由で離れていきました。
各自の自由です。
ご指摘、ご忠告には感謝します。
ありがとうございました。
>>768 >クレーム氏やマイトレーヤへの批判は絶対に許さない、ということなんでしょう。
>
あっはははは。
そんなことはありませんよ!
周囲の声に耳を傾けることは大切であると思います。
適切なご指摘であれば、参考にします。
>>769 シェア・インターナショナル誌を読まれるならば、実に様々な報告があることを知るでしょう。
「ミルクを飲むガネーシャ像」「光の十字架」は、なんの言い訳も必要なしに人々に示すことができて、
単純に強烈なインパクトがあります。
>>770 >これは後にマイトレーヤ信者によるやらせであることが判明した
>
私はその話を知りません。
是非、具体的に提示を希望します。
>>772 >覚者でない者は、他人が覚者であるかどうかの判断はできない。
>もし覚者でない者が判断するのであれば、条件付けに従わされているだけのこと。
>
随分、解ったようなことをいいますが、
あなたの主張によれば、仏陀の弟子たちはゴータマが仏陀であるとして認知できなかったか、
または、勝手なただの思い込みであったということでしょうか?
自分自身で判断することを放棄し(自己を捨てて)、何に従属するのでしょうか?
確かな証拠とは、ハテ.何でしょうか・・・
♪なんでだろう??♪
この驚くほど粘着質な反論の仕方そのものが、クレーム教の信者たる所以ですね。 クレーム氏やマイトレーヤへの批判は絶対に許さない、ということなんでしょう。 どんなにオブラートで包んだような表現で冷静さを装っていても、カルトの匂いが プンプン漂っています。たぶん検閲でもしている気分なんでしょうね。 しかも・・・・。 舞都が書き込みしている時間をごらん下さい。 午前3時半から4時半頃にかけて、一時間も粘着質にカキコしていたわけです。 草木も眠る丑三つ時に、パソコンの前に座ってカタカタカタカタキーボード叩いてるの図って・・・。 そんな人に訳知り顔であれこれ言われたくはありませんよね〜 ま、やっぱりカルトはカルトってことなんでしょうね。ご愁傷様。 きっとマイトレーヤ(=ベンシャミン・クレーム)もほくそえんでいることでしょう。
>>789 >舞都が書き込みしている時間をごらん下さい。
>
わっははははは!
それは、どうもすいません。
しかし、投稿時間帯までチェックが入るとは・・・(藁
今週は変則夜勤にて、起きている時間がこうなってしまっています。
791 :
名無しさん@3周年 :03/03/10 13:18
すかさずチェック入れるあたり、やっぱりカルト。 検閲でもしているつもり?
792 :
名無しさん@3周年 :03/03/10 13:31
わっははははは!
「、、、。八月十七日、私は首筋に激しい痛みを感じ、瞑想を15分に短縮しなければ ならなかった。私の望みにもかかわらず容態はますます悪化していった。そのクライマ ックスは十九日にやってきた。私は考えることも、何もすることも出来ず、友人たちに よってベッドに横たえられた。そして私はほとんど無意識となったが、周りでは何が起 こっているかよくわかっていた。、、、 私はそこで結跏趺坐して坐った。しばらくこうして坐っていると、私は自分が肉体を離脱 していくのを感じ、向こうの若葉の木の下に坐っている自分を見た。私は東を向いていた。 私の前には肉体があり、私は頭上に眩しく輝く<星>を見た。そして私はブッダのヴァイブ レーションを感じることができた。私はロード・マイトレーヤとマスター・クーフトーミ の姿を見た。私はとても幸福で、穏やかで、平和であった。私はなおも自分の肉体を見る ことができ、私はその近くに浮かんでいた。辺りにも、自分自身の内側にも深遠な静けさ があり、それは深く底知れぬ湖底のような静けさであった。湖のように、自分の肉体が心 と感情もろとも表面で波立っているのを感じたが、何ものも私の魂の静けさを乱すことは なかった。力強い<御身>の存在がしばらく私と共にあったが、やがて去っていった。 私はまことに幸福であった。私は<見た>のだから。何ものも全く同じではあり得なかった。 私は生の源泉の、透明で純粋な水を飲み、私の渇きは癒された。私は再び渇きをおぼえまい、 再び暗闇に落ち込むことはあるまい。私は<光>を見たのだ。、、、 栄光に包まれた愛が私のハートを酔わせた。私のハートは決して閉じられることはない。 私は歓喜と永遠の美の泉の水を飲んだのだ。私は神に酩酊している」 1922年筆/J・クリシュナムルティ直筆の手紙よりの抜粋 『クリシュナムルティの神秘体験(1961年7ヶ月にわたり記された、彼の知覚と意識状態を巡る唯一の手記)』(めるくまーる)より (手紙のより詳しい全文は、『クリシュナムルティ/目覚めの時代(伝記本)』記載)
>>739 >しかし一方、彼らマイトレーヤと覚者方に直にお会いしたと主張する人、
>体験を持つと主張する人々が、たくさんいることも事実です。
ということで、793の投稿は私です。
え〜、K関連スレあたりへ、今後どなたでもコピペしやすいよう、
名無しで書き込みをしました。
奉仕と呼んでください(笑)
「死の数日前に彼はこう述べている。 『過去七十年もの間、あの膨大なエネルギー、膨大な叡智がこの身体を使ってきました。 そして今その身体はもう耐えられません。何がその身体を通り抜けたのかを誰も知りません。 このような別の身体を見つけたり、または身体の中で作動するその卓絶する叡智を見つけることは、 今後何百年誰にも出来ないでしょう』 内容の深いこんな言葉を後にして彼はこの世を永遠に去って行った。 一九八六年二月十七日、九十才九ヶ月の寿命だった。」 『クリシュナムルティ 人と教え』(めるくまーる)より
↑ オマケ☆
797 :
名無しさん@3周年 :03/03/10 14:45
1922年ってのはクリシュナムルティが星の教団を解散するよりも前。
要するに神智学教会の呪縛から逃れ切れていなかった時期の事。
Kが神智学教会の呪縛から本当に逃れることができたのは、星の教団を解散した1929年以降の事で、
それ以前の発言は、神智学教会の人々の悪影響が所々に出ている。
このことは、ある程度Kの事を知っている者なら誰でも知っているようなことだから、
>>793 をKスレにコピペしても馬鹿にされるだけだ。
なんか珍しく上がっているので、たまたまさっき見たら、 「エソテリック」スレッドとここがシンクロしてきてますね。 イケイケですね♪(謎・笑
どこがシンクロだ? ルネ・ゲノンの話題はこっちには出てねえじゃん。
星の教団解散以後、Kはマイトレーヤとかクートフーミという言葉を殆ど使わなかった。 それはKの言う偉大な存在に、そういった名前をつけても無意味だということをKが理解したからだろう。 Kの言う偉大な存在とは、クレーム信者が信じているマイトレーヤとは全く異なっている。 Kは「誰も変わった人はいなかった。」といって死んだらしいが、 きっとKの周りにもmや舞都のようにKの事を賞賛しつつ、その発言を脳内で無効化して、 マイトレーヤやクートフーミの実在を信じて疑わない輩達がいたんだろうな。
>『過去七十年もの間、あの膨大なエネルギー、膨大な叡智がこの身体を使ってきました。 >そして今その身体はもう耐えられません。何がその身体を通り抜けたのかを誰も知りません。 >このような別の身体を見つけたり、または身体の中で作動するその卓絶する叡智を見つけることは、 >今後何百年誰にも出来ないでしょう』 自信過剰ってやつだな。何が何百年だ。w
>>793 あのさ〜(^^;
ラーマクリシュナの講和集かヴィヴェカーナンダの
「ギョーナヨーガ(知恵の道)」を一度読まれてみるといいと思います。
有相のブラフマンと無相のブラフマンの関連性を
わかりやすく説いてあるから。
どちらにしろ私の境涯には関係ない(笑)ので、
K支持者が好む「自分の言葉」で語れなくて悪いけれども、
インドの精神性に関しては、幅広く知っておいた方が
せめて恥はかかずに済むようになると思うYO〜ん♪
確かユングの「文明論」に、いかに西洋的な認識方法と
インドのそれが根本的に違うか、比較しつつ書いてあっ
たと思います。
(中村元の畢生の大作『論理の構造』に最も詳しいですが。
う〜ん、全然わかんないですね〜、私も/爆)
>>799 あのね〜(^^)
『クリシュナムルティの神秘体験』という本は、
もうずっと絶版が続いていたちょっと珍しい本なのです。
それが、今日やっと手元に届いたわけ♪
で、たまたまアッチを見たら、書き込みしてる人いて
な〜んか嬉しかったのさ。そんだけ。
あ〜、めんどうくせ〜(^^;
804 :
名無しさん@3周年 :03/03/10 15:30
806 :
名無しさん@3周年 :03/03/10 23:35
M.ドリールは発狂して死んだんだってね。 ちょうどケネディがダラスで暗殺された頃。
あまりいい批判や質問が出ないようだし、現在の状況にタイムリーということもあって、 覚者の言葉でもコピペしたいと思います。 シェアインターナショナル誌 2003年2月号より より健全な人生観 −−覚者より ベンジャミン・クレーム筆記 ちょっと見ると、世界は以前よりもずっと深い危機状態にあるように見える。 戦争とテロリズムが様々な出来事のテンポを速め、何千万の人々の心(ハート) を恐怖で満たした。もしこれが今日の状態の本当の読みであったならば、確か に恐怖と悲嘆の理由はあるだろう。幸いにして、この見解は表面的なものであり、 より良き方向への多くの変化を隠している−−それらの変化は静かに、ほとんど 注目されずに、同じく起こっているのである。戦争やテロは煽情的であり、強力 なニュースをつくる。何千万の人々の生活を向上させる非常に遠大な活動は滅多 にニュースの見出しにはならず、専制的な政府や不安な独裁者の騒動の中に隠れ てしまう。 権力に酔いしれた政治家の話術や虚勢のただ中で、慎重で利他的な働きを着実に 行っている国連の多くの機関に、世界は深く恩恵を受けている。世界の必要とは 至る所に住む人間の必要、すなわち食糧と職、健康管理と教育であることに人々 が気付く時が急速に迫っている。これらが、人間の行動を導き、エネルギーと資 源を投入すべき優先事項である。これらが、すべての人々の四季を通じての必要 である。人類はあえて危険を冒しながら、それらをおろそかにしている。 (つづく)
(つづき) 活気づける これらの静かで辛抱強い人々にとって、人生はその窓を開いて、太陽の光と新鮮 な空気を入れつつある。多くの機関の仕事を通して、新しい、活気づけるエネル ギーがいま流れており、人々は応え、そして喜ぶ。これらの奉仕者たちは、この 時代の真の英雄である。高い雲の上から爆弾を落とす者ではなく、兄弟姉妹の必 要を察知し、どんな犠牲を払ってでも行動する者たちこそ真の英雄である。 出現 マイトレーヤが公にすべての者の前に姿を顕すとき、彼は至る所に住む人間の必 要に仕えるという理念に根を下ろした、より健全な人生観を鼓舞されるだろう。 現在の闘争が避けられないことではないことを示されるだろう。諸国家の指導者 たちは、彼らの主観的な感情やイデオロギーにのみではなく、人類全体に対して 責任がある。マイトレーヤは恐ろしい力を持つ今日の武器について慎重さと智恵 を呼び掛け、“平和のための”戦争の無意味さを警告されるだろう。 平和は、もし正直に探究するならば、見つけるのは難しくない。平和はすべての 者に正義(公正)と自由があるときにのみ達成されると、マイトレーヤは言われ るだろう。かくして、マイトレーヤは変化の目標を定められるだろう。かくして、 人間は鼓舞されて、未知の中に単純なステップを踏み入れ、人間が長いあいだ彼 らの心(ハート)の中に抱いてきた平和への夢と願望の成就を見るだろう。□
809 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 01:04
《G・I・グルジェフ》 『人類は眠っている。 人は一人ではなく多くの〈私〉を持っている。 夢想と忘却の中に自己を喪失する。 生まれるには死ななければならない。 無数の同一視から自己を解放しなければならない。 自分自身を知れ、永続する〈私〉を達成せよ。』 『私は宇宙を支配している法則の統一性についてあなたが理解していることを知っているが、 その理解は思索的、いやむしろ、理論的なものである。 知性で理解するだけでは充分でない。 あなたの存在をもって、絶対の真実と、この事実の不変性を感じなければならない。 そうして初めて、あなたは意識し、確信をもって?T私は知っている?Uと言うことができるのだ。』 『あなたは、言葉がいかに余計で無用なものであるかを感じるだろうか? 理性そのものが、ここにおいてはいかに無力であるかを感じるだろうか?』 『思考も、あらゆる他のものと同じように "物質" である。』 『われわれにいちばん近いものは人間であり、あらゆる人の中であなたに最も近いのはあなた自身である。 あなた自身についての研究から始めなさい。』
810 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 01:32
M.ドリールは発狂して死んだんだってね。 ちょうどケネディがダラスで暗殺された頃。
811 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 01:56
“WORLD PEACE NOW”on 3/8(sat.)
40,000人 !
を超える参加者が日比谷公園に集合!
15時半出発のデモは3時間におよび、最後尾は18時半出発
解散地点着は7時45分というBIGなものになりました!
みんなの力です! ありがとう!
お寒い中長い間待っていただいた方々、ありがとうございました
(状況報告、規模の見積もりなどいたらないところの数々、
ご迷惑おかけいたしました。今後の計画に活かさせていただきます。警察さんにも2車線以上でのデモ対応などこれまで以上に協力要請いたします。)
これは始まりです
この流れはもう止められません
すべてはわたしたちの手にゆだねられています
わたしたちの未来をわたしたちの手で創っていきましょう
http://www.worldpeacenow.jp/
812 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 02:08
精神世界に政治活動を持ち込むな!!
813 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 02:12
わけるのはヘンだぞ。 ちゃんと選挙には逝ってるのか? 精神世界の住人(プッ ドコノセカイダ)
814 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 02:19
>精神世界の住人(プッ ドコノセカイダ) 自己を完成させるためだ。くだらん政治なぞにつきあっとる暇はないわい。 イラクが爆撃されようが、北朝鮮が暴走しようが知ったこっちゃない。 だが、インドには行きたいからパスポートは使わせてくれ。 w)
815 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 04:53
816 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 06:52
>m、舞都 いつクレームはマイトレーヤが実在しない自作自演の人物だと発表するんですか? これってKが星の教団を「真理は組織化し得ない。」として解散したことを真似た、 クレームによる自作自演ゲームなんでしょ。
817 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 08:40
>煽っている人へ もう無駄だよ。 逆にマイトレーヤが実在しないという確固たる証拠でも示してくれないか? そうすれば俺たちのマイトレーヤ信仰も終焉せざるを得ないと思うよ。 もう、俺たちは決意して進むことにしたんだ。 可能性のある限り最後まで信仰を貫くつもりだよ。 マイトレーヤ信仰の殉教者になる準備はもうできている。
818 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 11:41
>817へ もう無駄だよ。 逆にマイトレーヤが実在するという確固たる証拠でも示してくれないか? そうすれば俺たちのマイトレーヤ批判も終焉せざるを得ないと思うよ。 もう、俺たちは決意して進むことにしたんだ。 可能性のある限り最後まで批判を貫くつもりだよ。 マイトレーヤ批判の殉教者になる準備はもうできている。
819 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 12:06
>>813 =
>>814 >わけるのはヘンだぞ。
>ちゃんと選挙には逝ってるのか?
>精神世界の住人(プッ ドコノセカイダ)
マイトレーヤ支持者と批判者とわけているのはお前だよな。
まともな仕事してんのか?
せいぜい脳内妄想世界で似非平和運動でもやってろ。
それからなぜいつものHN使わないんだ?(w
ところで、かくて「境涯」の足りない私でも、こういう<直接体験>なら したことがあります。 これをどう考えるか(或いは、考えたくもない/笑)は、もちろんあなたの 識別次第です(遠い目 では、オープニングを告げるマグネシウムの閃光と共に、()内は東京ドーム を埋めた5万人の大歓声エネルギーを感じて下さい。 ただし「変圧」した方がいいかもな〜、、、私は平気なのだが☆
幻の国から神話を連れ出したよ 月あかりの道を流れる水のように 遠い昔から呼び返された 希望の雫 こぼれ落ちるように 飛び跳ねるように 自由の中を遊ぶように 今同じ時代の息をして 新しい歴史を開くため 迷わないよ(GENJI!)君のもとへ(GENJI!) 乗り込んだ船の名は THE WINDY 迷わないよ(GENJI!) 君のもとへ(GENJI!) ほら 船は空へ走る どこまで行くのか 全く見当もないまま 心の磁石はこんなに感じていたよ 落とした涙が 切ない夕陽を見た時 光のベールが誰かが僕を呼んだ ありがとう 君を待っていた! 輝きの国から夢を運んできたよ 灰色に煙った夕陽を助けるため 人は優しさを忘れすぎたよ 坂の途中で 君の涙には時を悲しむ マルセリーノの愛がある 今同じ時代の息をして 新しい歴史を開くため 手を伸ばして(HIKARU!) 守ってあげる(HIKARU!) ほら 船は虹を渡る 闇を抜け 船は行く 星を越え 船は行く by hikaru genji
信じておくれ 冥王星の 闇の中から FOR MY LOVE FOR YOUR LOVE 大きく広げた手のひらに もうすぐ真っ赤な陽がのぼる 地球の自転の変わり目に 生まれてきた やさしく燃えてるくちびるに いつかは静かに陽がおちる 地球の軌道を確かめに 飛んできたよ 今こそすべてなんてきれいごと 命の限りなんて信じちゃいられない 夢見ておくれ ALL NIGHT LONG 誓ってほしい HOLD ME TIGHT 歌っていたい FEELIN HIGH いつでもSTAY WIHE ME MONDAY 歴史を抜け出し TUESDAY 闘いを超えて WEDNESDAY 今 風がまきおこるよ 愛のために THURSDAY 鎧を捨てたら FRIDAY 心を決めるさ 遠くを見つめて WE'RE STANDING ON THE EARTH 小さな冷たいつま先を 勇気がのぼってくるようだ 激しい鼓動がこの胸に 響いてきた 呼吸が乱れたならそれでいい 永遠なんてこと言ってはいられない 信じておくれ ALL NIGHT LONG 祈ってほしい HOLD ME TIGHT 歌っていれば FEELIN HIGH お願いSTAY WIHE ME SUNDAY 心を決めたら MONDAY 嵐にむかって TUESDAY もう何も恐れないで 愛のために ONEDAY 未来をかけぬけ SOMEDAY 時間の果てまで 地球をさがして WE'RE STANDING ON THE EARTH by hikaru genji
824 :
名無しさん@3周年 :03/03/11 20:03
きえさん?
825 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 01:40
>M.ドリールは発狂して死んだんだってね。 >ちょうどケネディがダラスで暗殺された頃。 これは本当のことです。 竜王会の故・田中恵美子女史(故・三浦関造氏の娘)による情報です。 三浦関造氏は、ドリール博士のホワイトテンプル大学(通信制)で学んだため、 竜王会は当初、ドリール色が色濃く出ていた団体でしたが、ドリール博士の 不可解な死に方(まだ62歳だった)が伝わってからは、ドリール博士や その教えについて語ることは一種のタブーとなっていたようです。 ドリール博士は、新時代の指導者(マイトレーヤ?)を合衆国に招くための 基礎を築くのがケネディであり、史上初めてホワイトロッジの存在を認めた大統領 であると見なしていたようです。そのケネディが突然暗殺されたのと期を同じくして ドリールが不可解な死に方をしたことには何らかの関連があるのかもしれません。
826 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 03:28
>>825 田中恵美子という人が流した情報ということでしょう。
他にソースがないのですから、信用できません。
ドリールには、他に日本支部があったのですから。
827 :
817の信者 :03/03/13 09:49
>>818 おやおや。言い返せなくてオウム返しですか。
>逆にマイトレーヤが実在するという確固たる証拠でも示してくれないか?
これは信仰です。確固たる証拠なんてありません。
あれほど信者ウザイ、マインドコントロールされたバカなんて言っておきながら
こちらがみずから信者だと認めると言い返す言葉もなくなるんですね(w
828 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 11:08
>>826 日本支部(?)とは、富山県にある林鉄造氏主催の白朋舎のことでしょうが、
講演会の折、林氏に訊ねたところ、そのことを否定はしませんでしたよ。
829 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 11:15
>>827 クレーム氏のマイトレーヤ運動は宗教ではありません。
あなたが何を信仰しようとあなたの自由ですが、
マイトレーヤ自身、信仰の対象ではありません。
あなたの主張されていることは、クレーム氏の活動とは
直接関係ない、あなた独自のものということでしょう。
817さんの主張はクレーム氏の活動に水をさすものですから
きわめて特殊なものと認識されることでしょう。
どんなムーヴメントにもこういう人はいるものです。
ありていに言えば、贔屓の引き倒し、ということですね。
>827 おやおや。まともに反論できなくなると逆ギレですか。 >これは信仰です。確固たる証拠なんてありません。 その確固たる証拠なんてない信仰の結果として、 怒りと憎しみに満ちたレスしか返せないとはねえ・・・。 マイトレーヤとやらも苦笑していることでしょうなw(馬鹿にした笑ひ)。
831 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 14:42
マイトレーヤさあん、ハヤク出て来ないと827みたいな人たちが しびれを切らして発狂したり、暴動起こしたりしちゃいますよ〜
832 :
名無しさん@3周年 :03/03/13 18:03
mや舞都が、
>>830 の扱いに困っています。w
>>830 にとってはマイトレーヤは信仰の対象だそうです。
以前指摘した、マイトレーヤの偶像化が、実際にここで起こっています。
mや舞都はこのことについてどう考えますか?
M.ドリール、本名:クロード・ドッジン
>>832 >以前指摘した、マイトレーヤの偶像化が、実際にここで起こっています。
>mや舞都はこのことについてどう考えますか?
>
基本的には私も、
>>829 さんの説明通りであると思います。
これらは実に個人的な問題です。
“マイトレーヤの偶像化”が起きる原因をクレーム氏の責任に転換することはできません。
例えば、
>クレーム氏のマイトレーヤ運動は宗教ではありません。
私もそう見なしてはいるのですが・・・、
しかし一方で、魂についてや霊的(この場合、科学的には肯定されていない)な事柄を説く場合には、
それは一般的には、やはり「宗教」と呼ばれるものであるという実体があります。
では、「信仰」と呼ぶ場合はどうだろうか?
それを物質科学では認められずとも、神(logos)の存在を信じることである、
とするならば、私自身は「Yes」と答えたいと思います。
しかし信仰を、――自分自身で考えることなく――盲目的に服従することであったり、
対象を崇め奉り、崇拝することであると見なす場合には、
クレーム氏によるマイトレーヤ運動は強く、「No」であると答えたい。
つづき.. 参考までに、 例えば仏陀は、いわゆる「信仰」なるものを否定している。 仏陀の時代及び初期の原始教団においては、超越的な存在(神々)への崇拝や依存を否定 するのは当然のこと、いわゆる信仰などを強調したりはしなかったし、“信仰を捨てよ”とも明 言している。(原始教典には超常的な事柄の記載もあまり見られないことから、ヨーロッパの 近代仏教学の初期の頃には、仏教は哲学とされて宗教ではないと見なされたこともある。) 更には仏陀は、自分が教団の指導者(グル)であるという考えや、師弟関係というものさえも 明確に否定している。 『ヴァッカリやバドラーヴタやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨てたように、 その様に汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るだろう。』 ―――――――岩波書店刊「ブッダのことば」(スッタニパータ1146) 『アーナンダよ、修行僧らはわたしに何を待望するのであるか? わたくしは内外の区別なし に(ことごとく)法を説いた。完き人の教法には、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳[にぎ りこぶし]は、存在しない。『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるいは『修行僧の なかまはわたくしに頼っている』とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語 るであろう。しかし向上につとめた人は『わたくしは修行僧のなかまを導くであろう』とか、あるい は『修行僧のなかまはわたくしに頼っている』とか思うことがない。向上につとめた人は修行僧 のつどいに関して何を語るであろうか。』 ―――――――マハーパリニッバンナ・スッタンタ
つづき..
一方、マイトレーヤご自身の言葉とも比較されてみることを薦めしたい。
『わたしは新しい宗教を創始するために来たのではない。私は自己(真我)実現の術を教えに
来たのである。これ はイデオロギーでも宗教でもなく、あらゆる宗教の人々に、そして宗教を持
たない人々にも、すべてに益するものだ。』
『わたしを崇拝してはならない。もしわたしを崇拝するならば、あなたはあなた自身を低めよう
としている。わたしはこれを欲しない。わたしはあなたに同等であって欲しい。あなたは至高なる
存在の閃光である。あなたはわたしよりも低いと考えてはならない。』
http://www.sharejapan.org/maitreya/mteach.html
839 :
名無しさん@3周年 :03/03/14 06:53
>わたしはあなたに同等であって欲しい。あなたは至高なる >存在の閃光である。あなたはわたしよりも低いと考えてはならない。 ではどうして、覚者のランク付けのようなことをするんだ?
835 :舞都 ◆r5KLQwiOdM :03/03/14 01:53
>>825 >>828 随分、詳しいようですね。
で、つまり何が言いたいのです?
ドリール博士の話題が出でいたので、私の知っていることを書かせて貰ったまでです。
ドリール博士の著作は霞ヶ関書房や竜王文庫から出版されているものをはじめとして、
コロラド州デンバーにあるBWT本部から取り寄せた原書のパンフレットも十数冊、
所持しています。もう、20年程前の話になりますが・・・。
>>839 >ではどうして、覚者のランク付けのようなことをするんだ?
>
覚者の進化段階が、
それぞれ5段階、6段階、7段階という具合に発表されたことで
一体、それであなたに何の不都合があったのですか?
それが“ランク付け”と称して非難されることなのでしょうか?
これは進化の路における、
物事の正しい見方(基準)を教える情報であろうかと私は理解したいと思います。
人はそれを見て、それぞれに喜んだり憤慨したりと反応するようです。
だから、たぶん敢えて提示されているものではないでしょうか?
842 :
名無しさん@3周年 :03/03/14 18:02
>>841 不都合があるなどとは一言も言っていない。
↓のような、明白な矛盾を指摘しているだけだ。
_________________________________
>わたしはあなたに同等であって欲しい。あなたは至高なる
>存在の閃光である。あなたはわたしよりも低いと考えてはならない。
ではどうして、覚者のランク付けのようなことをするんだ?
_________________________________
>覚者の進化段階が、
>それぞれ5段階、6段階、7段階という具合に発表されたこと
我々がマイトレーヤより低いのでなければ、覚者の進化段階(ランク付け)も存在しないことになる。
>>842 霊的進化の段階を昇る過程においては、
自分よりもまだ低位に在る者、
そして、自分よりも遙かに先を進んでいる存在がいるであろうことは
当然、自明の理であると思います。
マイトーヤがいわれた、
「わたしはあなたに同等であって欲しい。あなたは至高なる存在の閃光である。
あなたはわたしよりも低いと考えてはならない。」とは、
マイトレーヤを神のように仰ぎ平伏すことではなく、
これは、自分もマイトレーヤと同じロゴスの分霊「モナッド」=真我(至高なる存在の閃光)
であるとして知り、決して自己嫌悪したり、
自暴自棄になることのないようにと励まされている言葉であると思います。
マイトレーヤは、『自分自身に対する尊敬の念、尊厳を他人に放棄してはならない。』といい、
自分(マイトレーヤ)に対しても、“屈従しないよう”にといっているのです。
モナッドの反映である魂は、転生を繰り返して経験を積むことで成長します。
そこには明確に個人の差が生じます。
つまり、進化段階の違いと、
ここでいうマイトレーヤの「わたしはあなたに同等であって欲しい」という言葉とは
それぞれ全く意味が異なります。
844 :
舞都よ、素直に謝ってやれよ!! :03/03/14 18:52
> 835 :舞都 ◆r5KLQwiOdM :03/03/14 01:53
>
>>825 >>828 > 随分、詳しいようですね。
> で、つまり何が言いたいのです?
>
>
>ドリール博士の話題が出でいたので、私の知っていることを書かせて貰ったまでです。
>ドリール博士の著作は霞ヶ関書房や竜王文庫から出版されているものをはじめとして、
>コロラド州デンバーにあるBWT本部から取り寄せた原書のパンフレットも十数冊、
>所持しています。もう、20年程前の話になりますが・・・。
>>840 なるほど了解です。
詳細情報をありがとうございました。
失礼な訊ね方をしてしまい、どうもすいませんでした。
また、ご存じのことがあれば、
宜しくお願いします。
846 :
名無しさん@3周年 :03/03/14 19:08
>これは、自分もマイトレーヤと同じロゴスの分霊「モナッド」=真我(至高なる存在の閃光) ↑ ここでは同じ、と言い、 >そこには明確に個人の差が生じます。 ↑ ここでは差があると言う。 これが矛盾、もしくは二枚舌でないとすれば一体なんだと言うんだ?
>>846 そうではありません。
私たちは本質的には皆、等しく霊スピリット「真我(モナッド)」なのですが、
だからといって、進化の必要がないことを意味しません。
進化の流れには個人差が生じます。
全ての人間の究極的性質とは本来、ロゴス御自身の断片たる「モナッド」であり、これは神(ロゴス)
御自身の部分でありながら「個別」化したものです。このモナッドは自ら住まうアーディ/アヌパーダカ
界層においては、全智全能なのだが、モナッド自身は「魂」を反映させて、魂はパーソナリティ(低級
諸体)通し、より低位の下界へと降ることで「無明」の中へと放り出されます。それが上昇弧に向かう
進化の流れを生じさせます。
魂は必要な経験を経るまで、乗り船であるパーソナリティへと転生を繰り返します。その経験によっ
て意識が拡大し、最終的には偉大なる放棄の第4段階イニシエーションを経て、それまで魂を包んで
いたコーザル体が破壊されて、魂はモナッドへと再び吸収されます(最後に第5段階イニシエーション
を経て、人は物質の完全なコントロールを達成して覚者となる)。
そこに至るまでは個々の個性によって違いが生じます。
尚、この辺りについては神秘中の神秘であって、その説明は極めて難解です。
到底、私程度の者などには理解の限度を超えています。
クレーム著には詳しい解説がありますから、ご一読下さい。
A・I・パウエル編著「神智学大要(全5巻)」なども良いと思います。
タイプミスでした。 × A・I・パウエル編著 ○ A・E・パウエル編著
849 :
名無しさん@3周年 :03/03/14 20:51
気づきを通してのみ、葛藤の原因の終焉があり得ます。 思考や行為の、どんな習慣にも気づいていなさい。 そのとき、理解を妨げている、現実を正当化したり非難したりする過程に気づくでしょう。 気づきを通して、1ページ1ページ、習慣という本を読むことを通して、自己認識が生じます。 解放するのは真実であり、自由でありたいというあなたの意志や努力ではありません。 気づきが私たちの問題の解決です。 私たちはそれを実験し、その真実を見出さなければなりません。 単に受け入れることは愚かなことでしょう。 受容することは理解することではありません。 受容と拒絶は実験と理解とを妨げます。 実際の実験と、自己を知ることによって生じる理解が確信をもたらすのです。 この確信を信念と呼んでも構いません。 それは愚かな人々の信念―何かを信じること―ではなく、 自己を知ることによってのみ生じる自己同一化なしの理解なのです。 信仰することは宗教的であることではありません。 心によって作り出された何かを信じることは、 真実・実在であるものに対して開放的であることではありません。 確信は生まれ出るのです。 それは、信念、理論、記憶を引き連れた了解によってではなくて。 自己認識を伴なう実験から生じます。 気づきを実験していくことのなかに、それを理解していくことのなかに、解放していく真実があります。 受動的な気づきによるこの自己認識は、瞬間から瞬間へであり、 そこに蓄積はありません。 そこには終わりというものがなく、真に創造的です。
>>836 >では、「信仰」と呼ぶ場合はどうだろうか?
>それを物質科学では認められずとも、神(logos)の存在を信じることである、
>とするならば、私自身は「Yes」と答えたいと思います。
私は舞都さんとmさんの書き込みから類推するに、このスレでお二人が「信」と呼ぶ
ものは、<実存的な超越体験>を指してのことだと思っていました(覚者とおぼしき人
物(?)との邂逅等)
クレーム氏も含め、それをもって、一般的にはにわかに信じ難い「マイトレーヤ降臨広報活動」
の推進力とするならば、これは<宗教>のように思うのですが(@ @)
「自分が体系的であるとする認識する知的理解」と「積極的に他人に情報を提供する」の間には
実はかなり飛躍があるわけで、組織の有無や情報の押し付けであるとか以前に、この二つの組み
合わせをして、世間では良くも悪くも<宗教>と呼ぶのではないかと、、、?
>しかし信仰を、――自分自身で考えることなく――盲目的に服従することであったり、 >対象を崇め奉り、崇拝することであると見なす場合には、 >クレーム氏によるマイトレーヤ運動は強く、「No」であると答えたい。 ↑おっしゃることは舞都さんの誠実さの現れであると思います。ただ「否定できる根拠があるなら示して下さいw」 という最終論法(?)を何度となく舞都さんの書き込みの中に読むと、同じセリフを例のナントカ正大師がかつてテレ ビでさかんに言ってたな〜(^^;)、と、つい思い出さないでもありません。 『彼が言っているのはひとつの箱の中だけで通用する言葉であり理屈なんです。その先にまではまったく行かない。 だから当然ながら人の心には届かない。でもその分単純で、強固で、完結しているんです。相手は彼を言い負かす ことが出来ない。言っていることに深みがない。なんか変だとはわかっていても有効に反論できないんです。だか らみんないらいらする。でもオウムの人たちに聞くと、上裕さんみたいに頭のいい人はいないって言います。 彼らにそれのどこが変かというのを説明するのはすごくむずかしいです。その箱の限定性を証明しなくてはなら ないわけですから(村上春樹/『約束された場所で』)』 (つづく)
852 :
名無しさん@3周年 :03/03/14 21:37
そうだよ。やっと気がついたのか?
別に舞都さんの話は彼と同じだというのが言いたいのではなく、しぶとい煽らーの人(笑) の中にはこういうイライラ感(?)を抱いている人もいるんじゃないかな〜?と、見ていて ちょっと思ったもので。この世で「平和」や「苦からの解放」に興味を示す人は少なから ずいるとしても、そのバックグラウンドに「人類の進化」をマジ考えちゃう人(?)というのは、 やはり珍しい人種であることの自覚があるかどうか、みたいな所かな〜、とクレーム氏や アリス・ベイリーの本を読みつつ、その直線時間感覚に少しの違和感を東洋人っぽくやや思いました。 マイトレーヤの教えが「分かち合い」を提唱するものならば、せめて対話の地平へと移行できると いいですよね〜♪) まあ「10%ぐらいはどこかで信じてるけど、あとはどうかな〜?」みたいなスタンスの方の 「どうかな〜?」部分のまったり書き込みとかも読めると、マイトレーヤ情報に纏わるスレ全体 の印象も違ってくるように思いました。個人的にキボーンな話なだけですが(^^)。 >824 一年半ぶりの書き込みだというのに、、、ははは〜(^^;
>852 偶然?orシンクロ?(また遠い目/笑
>>850 >私は舞都さんとmさんの書き込みから類推するに、このスレでお二人が「信」と呼ぶ
>ものは、<実存的な超越体験>を指してのことだと思っていました(覚者とおぼしき人
>物(?)との邂逅等)
>
それは確かにその通りですが、
正確には、その体験は私にとっては「信」を後押しする形になりました。
ある意味では、ただ「信」を補足するものでしか過ぎませんが・・・。
つまり、その体験(マイトレーヤらしき不可解な人物との邂逅)がなくても、
基本的には今の私は、たぶん変わらなかっただろうということです。
>クレーム氏も含め、それをもって、一般的にはにわかに信じ難い「マイトレーヤ降臨広報活動」
>の推進力とするならば、これは<宗教>のように思うのですが(@ @)
>
>世間では良くも悪くも<宗教>と呼ぶのではないかと、、、?
>
クレーム氏も度々、私はそれを体験しているが
あなたの体験とはなっていないためにあなたには分からないのです。
と、いいます。
言葉の使い方の問題というのもあり難しいです。
少なくとも、献身的な信仰の世界などとは違う世界であると見なしています。
>>853 >しぶとい煽らーの人(笑)の中にはこういうイライラ感(?)
>を抱いている人もいるんじゃないかな〜?と、
>
それは理解しますが・・・。
>この世で「平和」や「苦からの解放」に興味を示す人は少なから
>ずいるとしても、そのバックグラウンドに「人類の進化」をマジ考えちゃう人(?)というのは、
>やはり珍しい人種であることの自覚があるかどうか、みたいな所かな〜、
>
自覚はしているつもりです。
しかしこのグループは、個人的な悩み事の解決や病いの苦しみを
解放したりするために集うところではないです。
もしも、そういうことを期待される方は、おそらく他の門を叩かれたほうが良いと思われます。
>まあ「10%ぐらいはどこかで信じてるけど、あとはどうかな〜?」みたいなスタンスの方の
>「どうかな〜?」部分のまったり書き込みとかも読めると、マイトレーヤ情報に纏わるスレ全体
>の印象も違ってくるように思いました。個人的にキボーンな話なだけですが(^^)。
>
はい、強く賛成します。
ご意見、ありがとうごさいました。
>>853 >クレーム氏やアリス・ベイリーの本を読みつつ、
>その直線時間感覚に少しの違和感を東洋人っぽくやや思いました。
>マイトレーヤの教えが「分かち合い」を提唱するものならば、
>せめて対話の地平へと移行できるといいですよね〜♪)
>
そうそう♪
補足として、
まず、「神智学」の教えはマイトレーヤの弟子であるハイアラキーの覚者方によって、
主に霊性の道を歩む弟子たちへと向けて与えられました。
対するマイトレーヤの場合は、主として世界の全人類を対象として語っています。
その大きな違いがあります。
858 :
名無しさん@3周年 :03/03/14 22:59
♪マークきもいよ。
859 :
817の信者 :03/03/14 23:00
フフフ
860 :
817の信者 :03/03/14 23:22
馬鹿どもめ、私の策略にまんまと引っかかりおってw
861 :
名無しさん@3周年 :03/03/14 23:28
817 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/03/11 08:40 >煽っている人へ もう無駄だよ。 逆にマイトレーヤが実在しないという確固たる証拠でも示してくれないか? そうすれば俺たちのマイトレーヤ信仰も終焉せざるを得ないと思うよ。 もう、俺たちは決意して進むことにしたんだ。 可能性のある限り最後まで信仰を貫くつもりだよ。 マイトレーヤ信仰の殉教者になる準備はもうできている。
>>859 :817の信者 :03/03/14 23:00
>フフフ
>>860 :817の信者 :03/03/14 23:22
>馬鹿どもめ、私の策略にまんまと引っかかりおってw
>
ファファファ..(w w w...
ついに正体を顕わしたなぁ、この妖怪変化が〜〜〜〜〜
まっ、こっちは引っかかった振りして、
そういう同胞がいたとしてもと、仮定して、
閲覧者の皆さんに答えたのだヨ!
破れたり、小次郎...
舞都さんご苦労さま。 でも、あまり説明しずぎるのもどうかなと思います。 人によって受け入れられる器は違っていると思いますよ。 monamiさん > 「自分が体系的であるとする認識する知的理解」と「積極的に他人に情報を提供する」の間には >実はかなり飛躍があるわけで、組織の有無や情報の押し付けであるとか以前に、この二つの組み >合わせをして、世間では良くも悪くも<宗教>と呼ぶのではないかと、、、? なかなか的を得た指摘だと思います。 この情報に関する限り、「本当はどうなのか、とりあえず見極めとくことにしよう」 という態度だけで充分だと思います。それ以上のものを求めませんし、求めたらそれこそ「宗教」 になってしまうと私は考えます。 他人に情報を伝えることは義務でも仕事でもありません。各人各様に任されています。 この情報の流布が本当の目的というよりは、「人々の間に期待と希望の風潮を作る」ことが本当の 目的です。わたしたちのメッセージは「わたしたちの未来は明るい」です。
>>863 >舞都さんご苦労さま。
>でも、あまり説明しずぎるのもどうかなと思います。
>人によって受け入れられる器は違っていると思いますよ。
>
はい、たしかにそうですね。
了解です! ○o!(>。<)y−~
(この早い反応を見よ!)
>この情報の流布が本当の目的というよりは、
>「人々の間に期待と希望の風潮を作る」ことが本当の目的です。
>わたしたちのメッセージは「わたしたちの未来は明るい」です。
>
m さんのいわれる通りですね。
これが元々の根本なのでした。(^Q^)/^
モナッドがどうしたこうしたなどの話は、
到底、我々のレベルで分かることでもないですし・・・。(^◇^;)
865 :
名無しさん@3周年 :03/03/15 05:26
まやび、よかったな。 もうすぐこのスレ、落ちるぞ。 ようやく前半の恥さらしな部分が封印されるな(w
866 :
名無しさん@3周年 :03/03/15 05:28
また、もう一悶着起こして今日中に一気に落とすか(w
867 :
名無しさん@3周年 :03/03/15 07:27
そろそろ次スレ立てる準備が必要だな。 前のスレでは知らぬ間に512KB越えてた。
868 :
名無しさん@3周年 :03/03/15 07:31
>舞都さん >正確には、その体験は私にとっては「信」を後押しする形になりました。 >ある意味では、ただ「信」を補足するものでしか過ぎませんが・・・ 「与えられた<神>」や「いわゆる神秘体験」を根拠に、「信」と呼ばれているわけ ではないぐらいは、理解できるつもりでいたのですが、こればっかりは言語道断 (仏教用語)という所でしょうか。なかなか「話せばわかる」世界ではないから、 説明は本当に難しいことに思います。<宗教>という言葉自体が、人それぞれに喚起 するイメージが恐ろしく違ってますしね(特に2ch&K支持者系/笑)。 『時間』を巡ってのいろいろは、もう少し考えてみて、もしまたスレでも立ってい たら、いつか疑問点などをお尋ねしたく思っています。どうぞヨロシク〜☆
>mさん >この情報の流布が本当の目的というよりは、「人々の間に期待と希望の風潮 を作る」ことが本当の目的です。わたしたちのメッセージは「わたしたちの未来 は明るい」です。 ふふふ、そうですか(^^)。 マイトレーヤに本当に会いたかったら、「遠回り」をせよ、と、、、(謎・もっと遠い目 >煽らーの方へ 817は怪すいと思ってたんだよぉ〜、私もぉ〜(爆 それにしても、シェアの活動を陳腐だと判断するならするとして、「金は取らない・ 強制的な所もない・被害者を名乗り出る人もなぜかいない」の3ナイムーブメント(笑) にも関わらず、なぜこうも一生懸命ガンバッテおられるのか、ちょっと謎だったのですが、 ここまでロムしてきて、私なりの理解を致しましたので、発表します! 『VOW防止』 ご苦労さまです(m_ _m)
871 :
名無しさん@3周年 :03/03/16 00:42
872 :
名無しさん@3周年 :03/03/16 00:43
873 :
名無しさん@3周年 :03/03/16 02:54
>わたしたちのメッセージは「わたしたちの未来は明るい」です。 ふーん、未来ですか。 「私たちの問題は、いかにして「未知のもの」を探し求めるかということではなく、 常に「既知のもの」である精神の蓄積する過程を理解することなのです。 しかし、それは非常に骨の折れる仕事です。 それは精神のなかに起こっているあらゆる現象に絶えず目を光らせていることを意味します。 この段階に達するためには、初めから終わりまで、 決して注意の散漫―判断、非難、同一化などがあってはならないのです。 この過程の全体を観察することによって、精神はその中心から ―記憶の蓄積と、それに基づいた反応とから―解放されるのです。 それは、「あるがままのもの」と一体になっていることなのです。 羨望は人間のなかに深く染み込んでいます、非常に多くの形をとって。 人と自分を絶え間なく比較するという羨望があります。 その人にとって「もっと多くのもの」が重要です。 もっと多くの学習、もっと多くの獲得、もっと多くの知識、情報、もっと多くの経験、 これをすること、あれをすること―永久にもっと多く、もっと多くです。」 クリシュナムルティ
>まやび、よかったな。 > もうすぐこのスレ、落ちるぞ。 > ようやく前半の恥さらしな部分が封印されるな(w みなさんのおかげで、私もいろいろふっきれました。 ここでタフになれたのはまさに皆さんのおかげです。 もうすぐ講演会です。 次スレでもドンパチ続けることになるかな? OK. 相手になりましょう。 (w しかし私はもうスレは立てようとは思いません。関係者がスレを立てるのは いかにもという感じもするので、私は好きではないです。 立てたい人が立ててください。次スレが立たなくても私は構いません。 思ったより多くの、いろいろな考えを持った方がこのスレを見ているようで、 その反応にかかわらず、歓迎したいと思います。 あまりいい説明ではなかったと自分では思いますが、ひとつ皆様に申し上げたい ことがあります。 この情報に関心を持ってくれて本当にありがとう。 それが肯定的でも否定的でも私には同じことです。 なぜならそれは変わるうるから。 さっきDVDでマトリックスを観ました。 その中でのモーフィアスのセリフをして、このスレでの私の最後のカキコにしたい と思います。 「扉の入り口までは案内した。開けるのは君がやれ。」