真理とは疑いようのない確信であり真実である
そして人間が死ぬという事は真理である
だから自分が死ぬという事も真理である
人生のゴールは死である
つまり人は死ぬために生きているのである
それが人生の目的であり真理である
人生には目的が必要である
目的のない人生には、不安と絶望しかない
つまり絶対的な不幸が、目的のない人生には用意されている
しかし人は皆死ぬ
つまり人生の目的は「死」でしか「ありえない」のである
死以外の目的で人生を生きるということは
自分を騙しながら、真理を偽りながら生きる
自己欺瞞的な生き方でしかない
例えば人生とは広大な海での水泳である
目的のない人生とはゴールのない水泳である
そして目的のある人生とはゴールのある水泳である
しかし死以外のゴールはこの世には存在しないのである
その海には陸地が存在しないからである
それなのにあたかも陸地が存在するかのように
勝手にゴールを設定してそこまで泳ぐ事を
人生の目的にしたとしても、それは果てしなく無意味である
それは真理ではないからである。嘘偽りの自己欺瞞でしかないのである
だから最期には、ここはゴールではなかったという後悔しか残らないのである
そしてその生き方は真理ではないから、果てしなく虚しいのである
人生の目的は死であるという真理を知りながら
死ぬ事ができないのは、その真理に対して確信が持てていないからである
つまり彼らの間ではそれが真理ではないという事である
自分が死んでしまうという事を信じていないという事である
真理を求めない彼らの人生は、目的のない人生である
つまり彼らの人生は愚かな人生である
死こそが真理であるという事は頭では分かっている
だが肉体を傷つければ痛みを感じるように、肉体が死を受け入れてくれない
だから死ぬ事は無理であるという人もいるかもしれない
肉体を傷つけて痛みを感じる
それは肉体=精神=私という人間であるという三位一体の証明である
だが肉体が死ぬ事を拒みその精神をも支配できるのならば
精神が死ぬ事を選び肉体がその死を受け入れる事も可能である
真理を本当に手にすることができれば、肉体の苦痛は一切ないのである
精神は肉体だからである
つまりあなたが死ねないのは、死こそが真理であるという確信を持てないからである
あなたが自分が死ぬという真理を理解していないから死ねないのである
だからあなたが本当の意味で自己欺瞞を捨て真理に生きようとするのならば
目的のある人生を歩もうとするのならば
今すぐ死ぬべきだし、死ねるのだ
そしてそれが真理である故、その死があなたにとって一番安らかな死を与えてくれるのだ
人生の目的は死であるから、あなたは死ぬ事によって人生の目的を達成できるのだ
つまりあなたが死を自己決定することが、あなたの人生の真理なのである
3 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 03:02:08
で?あなたは何故死なない?
彼自身、その真理とやらに確信をもてないからじゃないかな。
反論点
・結果と目的を混同していること
・人生をコースに例えること自体無理があること
・人は死ぬ前に次世代の命を遺せるため、「人が死ぬように、人類は絶滅する」
ということを証明できなければ、一個の人生の最終目的が死とは結論付けられないこと
そして上述の証明は実質的に不可能なこと
・人生には目的などない可能性を無視していること
・人生に目的を求めるのは不安と絶望から解放されるためなのに、死が目的ならば
「何ゆえ不安や絶望を人は感じるのか?」という問いが生まれること
・肉体が何故死を嫌悪するようにできているのかの説明がなされていないこと
・安易に肉体と精神を区別し、そこら辺の理屈がてきとうかつ意味不明なこと
・「死が目的ならばなぜ我々は生まれたのか」という問いが新たに生まれること
死は救いである
9 :
qq:2007/03/16(金) 03:47:29
>>1 最終的に死に至るからと言って、目的が死であることには為らないよね。
例えば…
新聞配達をすれば、必ず疲れるわけだけど、
目的はお金を得ることであって、疲れることじゃないよね。
10 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 04:47:15
愚か者どもが考えが浅い!死とは何かということをしっかり考え死などないと
いう境地まで達してからまた考え直せ
11 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 05:05:20
そうそう死なんて無いのよ
意味わかるかなぁ 考えろよ
12 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 05:24:12
目的は1である。判断は2である。
始まりと終わりは、1/2である。
本当のものは2/1である。
だから、目的は本当のものであると、2である。
13 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 06:00:35
生きている間は死のことを考えなくてもいいと思う。生きることだけを考えましょう。
15 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 15:06:15
>10
だれかが「死」は「世の審判」っと君子な方がいっておられたが>?
厨房はご飯食べてオナニーして時々勉強しなさい
17 :
考える名無しさん:2007/03/16(金) 17:33:43
自分が本当に死ぬなんて信じてない
18 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/16(金) 19:55:35
3-4 14
今の私はまだ真理を確信にするために修行をしている段階です
この真理を理解した偉人はみな死んでます
それでも死ねない人は生ける死、すなわち発狂します
5
私はこの身体です
私の身体が死ねば私とこの世の全ては死にます
そして私の身体は確実に死にます
あなたは目的のない努力ができるでしょうか
7
そんな事知りません
ただ確実なのは私が死ぬという事実だけです
8
救いであり目的であり真理です
9
「新聞配達をする目的」は金を得る事です
「人生の目的」は死でしかありえません
10
よろしければご教授お願いします
11-12 16 17
そうですか
13
そこには人生の目的がかけています
みなさんで力をあわせてこの論理を完成させ、真理とともに死にましょう
19 :
5:2007/03/16(金) 21:00:55
>>18 君がまず反論すべきなのは、「自分が死んでも次世代の人間は生きている」というような主張。
一個の人間の生死が、「人類」、あるいは「生物」、あるいは「地球」などの「生」の一過程でしかないとするなら、
一個人の人生の究極目的が死とは言えない。
ちょうど細胞が結果として死滅しても、細胞は死滅するために存在していたのではないように、
人類などの巨大な生き物の使い捨てパーツとして消耗されるのが人生の目的なのかもしれない。
次に反論すべきなのは「人生に目的などない」
というような主張。
君は「死以外の目的は自己欺瞞でしかない」と結論付けるが、
何故それすら自己欺瞞だとは思わない?
例えばある人が画家を目指したが、夢は叶わず結果として会社員になった。
彼は言う。「俺は最初から会社員を目指していたんだ、どたい画家になんかなれるはずないからな」と。
もちろん彼はこの時自己欺瞞している。彼が目的としていたことは結果としてなった事ではない。
もう一度言うが、あなたは結果と目的を混同している。
目的は結果に従属しない。
あるいはあなたは「人生に目的などないかもしれないが、無いよりは有るほうがマシだから死を目的とするんだ」
と言うかもしれないが、
やはりそれも自己欺瞞でしかない。よって、死以外のことを目的とした者に「それは自己欺瞞だ」と非難してもなんの効力もない。
「自己欺瞞で何がいけない?お前だって死が目的と自己欺瞞しているじゃないか」と言い返されるだけだからだ。
20 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/18(日) 00:47:20
>>19 決して実証されず人間には絶対理解不可能な事が
人生の目的なのかもしれないと言われても
それは人生の目的ではなく宗教ですねというしかありません
さらに私という人間が死んだ、その後の世界がどうなろうが
私には一切関係がありません
なぜならそれを認識できる私が存在しないからです
私が死ねば世界も滅びます
使い捨てのパーツとして消耗される細胞に
自我があったとしても同じことを言うでしょう
目的と結果を混同しているとおっしゃいますが
ここで例に出ているものは全て生を前提とした達成可能な目的です
しかし人生の目的とは死を前提とした故に絶対達成不可能な目的なのです
つまりだからこそ人生の目的は死以外ありえないのです
自己欺瞞的という言葉でもしも私の真意が伝わらないのでしたら
真理を欺瞞している、つまりいつか必ず死ぬという真理を欺瞞している真理欺瞞
とでも言い直したほうが良いでしょうか?
いつか必ず死ぬという真理から目を逸らし
死以外の目的を勝手に設定して生きることはまさに真理を欺瞞している
自らの死を認めようとしない愚かな行為だと言えます
21 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 01:01:47
まりちゃんちょっと焦り過ぎじゃないかな
根本的なところをもうちょっと考え直すことを勧めるよ
22 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/18(日) 01:04:02
>>21 根本的なところと言うところをもう少し詳しくお願いします
23 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 01:13:00
呼び方まりちゃんでいいのか…w
例えば何か理解しきれないものがあるとして
それを理解しようとする前に
それ自体の定義を考えるべきだということ
「私」って何だろうって考える前に
「私」という言葉が架空の象徴であることに気付くべきだ、というようにね
24 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 01:13:38
人は必ず死ぬとういうのも真理といえるかどうかわからないが…。
子供を残すのが目的の人生ってのもあるだろ。
遊ぶことが目的の人生ってのもあるだろ。
目的のない人生もあるだろう。
真理でないから、果てしなく虚しい?
なにか「真理」の意味を誤解していないか?
私は、真である命題や、普遍的妥当性を持つものを真理と呼んでいるが、
とりあえず、君の「真理」の意味を語ってくれ。
25 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 01:19:57
26 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/18(日) 01:26:57
>>23 そういうことを考えているとどんどん混乱していきます
何もかも疑ってしまいます
しかし私が良いたいことはもっと単純な事なのです
私の知能レベルではあなたの言わんとする真意が理解できないのかもしれない
それなら申し訳ない
>>24 真理の意味は
>>1で語っている事が全てです
人が死ぬ、つまり私が死んでしまうという事が真理だという事です
これで私が言わんとする真理という言葉の定義が分かるでしょうか
今までの私の主張は全て
>>1に書いてあります
分からないのなら私に文章力がないからです
申し訳ない
27 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 01:31:25
>>1 あなたは、終末と目的とを混同している・・・
真理が一つと、誰がいったのかね
29 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/18(日) 01:43:40
30 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 01:48:41
これだけ書いて寝ることにする
君が今求めてるのは、この考えをはっきりしたものに仕上げて
確信を持って死ぬことだよね?
でもこのままじゃ完成は望めないよ
死の定義も何もかも疑って、混乱しても考えないと変わらないんだよ
そのうち、死についてクリアーな答えが導かれるから
あと混乱することは、今までの自分の認識が変わろうとしているとか、
疑える余地、改善する余地が見えたということだから哲学的にはとてもいいことだよ
しんどいけどね
31 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/18(日) 01:51:44
>>30 >君が今求めてるのは、この考えをはっきりしたものに仕上げて
>確信を持って死ぬことだよね?
そのとおりです
では死とは何かということを
これから考えたいと思います
32 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 01:57:07
>>29 >そうでしょうか
そうだよ。
死ぬといっても80歳で心不全で死ぬか
60歳で癌で死ぬかは分からないし、
死に方にもいろいろある。
様々な死に方は、その人の生き方によって
決まってくるから、
病死も事故死も自殺もひとまとめにして
「死」としちゃうのが無理。
あと、「人生の目的」が一つしかないと
なんで思うのか、不思議だ・・
33 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/18(日) 02:16:09
死。生物の生命活動が終止すること。つまり自分の肉体の活動が終止する事
すなわち私が死ぬ事。私が死ぬ。私が死ぬ?その私って何
私とは私。今ものを考えている私。今書き込んでいる私。私という意識の私
今キーボードを触ってる私。今寒さで冷たくなっている私。肉体という私
つまり私は意識と肉体で私。どちらも私。どちらも私?
肉体は本当に私?確かに肉体と精神の私は繋がっている
だけどそれで肉体は私だといえる?肉体に自我がある?
脳みそがあるから私は存在するんだ。なるほど脳みそという肉体が
私という意識を作っている。しかしそれは私という意識ではない
私という意識はあくまで独立を保っている私。だから肉体は私の乗り物
私は意識!つまり私が死ぬという事は私の意識が永遠に停止する事
永遠に停止?だれがそんな事を決めた?私が私の意識という
肉体をあくまでも借り物とした唯一無二の独立した存在であるならば
肉体が死んで私が死ぬという事をどうして証明できよう
しかしそれは私が寝ている間の私の意識を見れば分かるのではないか
私が寝ている間は私という意識は停止している。つまり死んでいる
でも私は起きたらまた寝る前の私という意識の私とのつながりを持っている
つまり私という意識が死んでも私はまた私という意識を持つ事ができる
私という意識を作るものは何?言語と肉体の感覚情報?
瞬きをする前の私という意識と瞬きをした後の私という意識が
同一人物であるとするその証明はどうやってしているのか?なんとなく?
なんてややこしことを考えるんじゃなくて私という意識は私の肉体によって
私という連続した意識を保つことができているという事を理解すべきだ
私という意識は私の肉体が死ねば死ぬのだという事を理解すべき
つまり私とは肉体を宿主とした私という意識
私の肉体が死ねば私という意識は死ぬし私という意識が死ねば私は死ぬ
死ぬという事は私が永遠に存在しなくなるという事
いや存在しているかもしれないしその証明はできない
しかしそんな事を言えば私という意識の存在しか信じられなくなる
しかしこの現実という世界というもので私という肉体と私の意識は生きてきたのだから
それが妄想だとしても私が経験してきた事には違いないのだから
その現実という世界の認識から考えると私が
34 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/18(日) 02:38:54
違う!私が言いたいことはこう言う事ではない!
35 :
5:2007/03/18(日) 02:40:22
>>20 実証不可能だけど、反証も不可能なんだよ。
キミが「人生の目的は死だ」と言い切るならば、死の先に目的がある可能性を全て否定しなければならない。
そうでなければ死が目的とは言い切れない。
キミが死ねば、キミにとっての世界は滅びる。確かにその通りかもね。
だから死の先に目的があると考えるのは自身の安息を得るためかもしれない。
キミは不安や絶望という不幸から逃れるために人には目的が必要だという。
それならば、次代に可能性を継ぐことを目的とし、虚無から逃れて何がいけない?
死から自己欺瞞しているわけではなく、それを受けいれかつ未来を見つめているのだよ?
そして、死以外の目的はいくらでもあり得るよ?
歴史に残るような偉業をすること、子供を産むこと、愛した人と結婚すること、などなどね。
「どうせ死ぬんだから何をやっても価値がない、それゆえにそれは目的になりえない」
というんならまだ分かるけど、その理屈でいうなら死にだって価値はないから目的にはなりえない。
死からは絶対に逃れえないという事実から目をそむけること、それを自己欺瞞と呼んだんだね。
確かに意味を誤解してしまった、ごめん。
ただ、それは「人生に目的などない」という仮定への否定になっていない。
36 :
考える名無しさん:2007/03/18(日) 03:22:53
ある仮定の否定は生なんだけど?笑
37 :
町内会副会長:2007/03/18(日) 10:33:35
真理とは疑いようのない確信であり真実である
そして人間が死ぬという事は真理である
だから自分が死ぬという事も真理である
人生のゴールは死である
つまり人は死ぬために生きているのである
それが人生の目的であり真理である
って>1そもそも肉体的に死というのはあるが、すべて死ぬとはいわない。
2行目からかなり強引なろんりだな。「破綻」
38 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/18(日) 17:45:58
人生の目的は、自己と種の存続であり、
人生の真理は、人それぞれ。
生命は自己と種の存続の為に、常に可能性の模索を続ける為に。
39 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/19(月) 00:41:24
>>32 死ぬまでにどんな生き方をしていようが死は死じゃないですか
人生の目的は人が死ぬ限り存在しない
故に死が唯一の人生の目的なのです
>>35 死の先に何もないことを証明するよりも
死の先に何かががある事を証明するほうが先じゃないでしょうか
そういう欺瞞に満ちた人生は虚しいのではないかと
カルト宗教の信者が教祖様を信じていた方が人生幸せと言っているようなもので
まあ信じてる本人は幸せでしょうが、わたしにはそういう人生は歩めそうにないです
歴史に残る事をしても子どもを生んでもみんな死んでしまうじゃないですか
>「どうせ死ぬんだから何をやっても価値がない、それゆえにそれは目的になりえない」
私はそういうことを言ってるんです
自殺もどうせ死ぬんだから意味ないじゃないかとおっしゃいますか
しかし私は死後のことを言っているのではなく人生について言っているのです
つまり生き方、今現在生きている私がどう生きるべきかです
意味のないことを目的として真理を偽りながら生きると言う事が虚しいと言う事です
生き方として、自らの死を今生きている私が自己決定することに
生き方として、意味があるのです
>>37 死を信じない人に語る言葉を知りません
>>38 人生の目的は死であり、人生の真理は死です
>>20
私の勘違いかも知れませんけど、
マリさんは主観と客観をゴッチャにしてませんか?
生命体が死ぬのは、客観的事実ですけど、
人が真理や目的や目標を感じるのは主観的な出来事ですけど。
41 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/19(月) 00:59:14
>>40 客観的事実である死を主観でも真理にしようと言う事です
客観的事実と主観がバラバラな方が問題あると思うのです
42 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/19(月) 01:29:03
客観的事実を主観に取り込んだ人って、
スタートレックの感情チップ無しのデータみたいなヤツが理想かい?
知識に意識を侵食されたいのかな?
43 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 01:32:35
批判するのは簡単な事だが、その人の思い入れを知れば簡単に否定は出来ない!
ある天気の良い休日の午後の事だった。俺は道の駅にてブラックコーヒーで喉を潤していると
直管の甲高い音と共にピンク色のロケットカウル、白い三段シート、タンクには日章旗の描かれた
一目で暴走族と解る車両が5台進入してきた。俺も族は嫌いだから心の中で「やれやれ、うるさいのが来たな。」
その連中の一人が俺とバイクの存在に気付くとゆっくりと俺の方に歩み寄ってきた。
その男の顔を見ると四十代半ばでヘルメット(勿論立花の半キャップ)を脱ぐと白髪混じりの七三分けだった。
そして、屈託の無い笑顔で「今日はいい天気ですねー!絶好のツーリング日和ですねー!」と話しかけてきた。
俺は拍子抜けしたと同時に相手に敵意が無い事を悟り「まるで暴走族みたいにいじってますね。」と問いかけた!
するとそのおじさんは更に満面の笑みを浮かべながら「うん、うん、そうなんですよ!」と嬉しそうに語りだした。
高校時代は家が貧しく、奨学金と新聞配達で生活をしていた事。
周りの暴走族に憧れていたが勉強が忙しくてそれどころではなかった事。
いつかは、あんなバイクに乗って走り回るのを夢見てがむしゃらに仕事をした日々。
彼は情熱的に語ってくれた!今は頑張った甲斐あって会社を経営しているそうだ!
彼の仲間達も皆当時は経済面、進学等で暴走族に憧れながらも暴走族にはなれなかった人達だと言う事が解った。
彼らは皆、現在は社会的に成功している大人達で昔の夢をようやくかなえる事が出来たのだ!
俺は胸が熱くなった!そして一人一人と硬い握手を交わし「いつまでも走り続けましょう!自分のスタイルに誇りを持ってください!」
と叫んだのだった。
そう、彼らにはとても深い思い入れがあったのだ!それでも君達は彼らを批判したり、バカにする事が出来ますか?
44 :
5:2007/03/19(月) 01:34:31
>>39 ようやくキミの考えが少し掴めた気がする。
何故死を目的にしようとするのかといえば、
「死からは決して逃れ得ない。ならば、それを時限爆弾のように受け取るべきでなく、自分の意志で爆発させるべきだ」
ということだね。
そうすれば、キミが死に従属するのでなく、死がキミの意志に従属することになるから。ある意味で自由になるんだね。
ただ、「意味」とは何?
キミは自己決定することに意味を感じる。それは何故?
「そんなのは結局無意味だろう」と言われればキミは反論できるかい?
私見を言わせてもらえば、この世に意味も価値も目的もない。
だけどある人は何かに意味を見つけるし、何かに価値を見いだすし、何かの目的を掴む。
それは何故?何もないという虚しさから逃れるための自己欺瞞?
いやそれは違う、と思う。
意味も、価値も、目的も、生まれた時から誰かさんに与えられているものじゃなく、ただ自分で創造するものだ。
キミが何かに意味を見いだせれば意味があり、見いだせなければ何もない。ただそれだけじゃないだろうか。
他人がその意味を否定したところでその人にとってはある。それが不動の事実だ。
>みんな死んでしまうじゃないですか。
いや、その子どもがまた子どもを産んで生んでと続くかもしれないよ。
いつかは太陽も地球も駄目になるだろうけど、その時には別の惑星に移住しているかもしれない。
いつかはこの宇宙さえ駄目になるかもしれないけど、そうなる前に人は人為的に新しい宇宙を造れるようになるかもしれない。
その可能性は誰にも否定しきれない、人類最後の人間でさえね。
それが宗教的と言われれば確かにそうだ。
だけどそれが虚しいかというと、違う。
自分が生きた証が永遠に消えない可能性が少しでもあるだけで、どうしようもなく嬉しい。
まりさん。
>>1『真理』という概念は、「ひとっかけらの例外も許さない」という論理的な厳しさを持つ。
「人は死ぬ」ということを『真理』と決め付けているけど、本当に人は死んでしまうのか?
現段階の科学技術では「不死」を可能にはしていないけれども、可能性として「不死」がないわけではないだろう。
ここまで言わずともいいか(笑)
「経験的に言えば、人は必ず死ぬものだ」という認識があるだけのこと。「経験的」というのがチェックポイントね。これは「論理」とは別の価値判断基準。
『哲学』ってぇのは、「論理」を武器にしながら「経験」ってなものと対峙していく姿勢を買っている連中がこさえてきた分野だと、わしは思うわけ。
>>33なんかデカルトの方法序説を読んでるみたいだな。次の発言
>>34で簡単に否定しているけれども、このもがきの中から何かを掴めるのではないか、と尊大ながら思うわけでね、わしは^^;;
で、この「何かを掴める」ということ。これは「論理」ではないわけよ。
この論理的じゃないものを掴みつつ、しかし、人とのやり取りにおいては「論理」を基盤にして行わなくてはならない、という隘路を進んでいくわけなのよねぇ、哲学徒は。
ここまでが、一応、「哲学」ってやつの土俵固めの部分。
>>45 >>1 >人生には目的が必要である
>目的のない人生には、不安と絶望しかない
>つまり絶対的な不幸が、目的のない人生には用意されている
「人生の目的」とやら、有った方が楽かとは経験的には思うが、本当に必要なのだろうか?
>しかし人は皆死ぬ
これも経験的には真実っぽいなぁ。しかし、そうと言い切れるのだろうか?
まあ、現時点においては、「結果としてはそうなるだろうなぁ」という予測は十分なりたつだろう、という程度の真実性を持つが。
>つまり人生の目的は「死」でしか「ありえない」のである
「目的」と「結果」、それぞれの言葉の持つ意味の違いに敏感であって欲しい。
オリンピックに参加した選手の中には、「参加できるだけでうれしい」っていう人もいれば、「金メダル以外はいらない」ってな人もいる。
前者にとってみれば「オリンピック参加」というだけで、「目的」=「結果」となるが、後者にとってみれば、金メダルを取った時点で、「目的」=「結果」となる。
ここで、論理的には破綻してしまっている。
>死以外の目的で人生を生きるということは
>自分を騙しながら、真理を偽りながら生きる
>自己欺瞞的な生き方でしかない
前段を踏まえた結論部分だが、前段の論理が破綻しているので、受け入れられるものではないんだよね、残念ながら。
ま、しかし、まりさんの言いたいことは分かる。哲学徒としての俺じゃなく、人間としての俺としてね。
「安易に『目的もって活き活き生きましょ〜^^』なんてほざいてエアロビクスなんぞで満面の笑みばら撒くなってんだ!! こんちきしょーめ!!」っていう気分、もうありまくりだからな、わしも(笑)(笑)
「老後の人生謳歌し、『花壇こさえて水やったり、NPOだボランティアだと社会的に貢献することが楽しみです』なんて、たんまりと年金貰ってるからやれんだろ? てめぇらくそじじぃ、ばばぁどもめぇ」なんていう気分もあるからなぁ、僕(笑)(笑)
僕としては、
>>33あたりのぐちょぐちょなところにもっと目を向けて、そこを突き抜けていくような感じで洞察を進めてもらえたら、嬉しいなぁ。
47 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 21:07:23
経験したことのないことを真理と言えるのか?
48 :
考える名無しさん:2007/03/19(月) 21:25:50
「人生で確かなものは死と税金」と言われるけど特権階級は税逃れする
方法に色々と精通してるから、この格言は万人には全く当てはまらない。
結局、残る確実なものは「死」だけとなる。でも「全てを疑え」と言う名言
もある。確実なのは死だけだと言っても信じない人は大勢いるだろうね。
不死とか永遠の命なんて、宗教ではアリフレタもんだよ?
死に囚われて、深刻になっても、
何かを信じて笑いながら生きても、
時間は平等に過ぎてくからさ。
マリさん、あんまり頑張らないでね。
51 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/21(水) 00:27:07
>>42 私達は客観的事実の中で生きてきて
客観的事実の中で意識を形成してきたのに
死という客観的事実だけ認めないというのはおかしい
>>43 仕事を頑張れる人って
自分が死ぬって事を忘れてるんじゃないですか
それに死ぬのだからいつまでも走れないです
>>44 自分が死に従属するのではなく、死を自分の意思に従属させる
これは死を知る唯一の知的生命体としての使命ではとも思います
死から目を逸らさず生きよう、つまり死に向かって努力しようという事です
死以外を人生の目的にするという卑怯な誤魔化しがとても嫌なのです
ああ、青年が美しくて中年や老人が美しくない理由が分かりました
彼らは何十年も死を誤魔化し誤魔化し騙しながら生き続けてきたのです
その彼らの真理への欺瞞性が彼らを醜くしているんだと思います
青年の自殺が美しく中年の自殺が美しくない理由も同じです
意味、とは
全ての人生は意味がない
しかし意味がない事を否定することにのみ意味があるということです
人間は意味もなく生まれてきました
だからそのまま生き続けても意味はない
その意味のなさを否定するために自らの死を自己決定する
そこに「意味のなさを否定するための意味」という意味が存在できるのです
生きた証なんか自分が死ぬのだから何の意味もないです
生きた証というものも死と言う真理から逃れたいがタメの欺瞞です
52 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/21(水) 00:38:04
>>45>>46 どうも詳しい説明ありがとう
人生の目的は必要でしょう
目的のない努力はできません
人が死ぬということを大前提としています
そこは疑いません
「人が死ぬという事を大前提として」の上での真理です
「オリンピックの目的」は生を前提とした目的で個々人違いがあるでしょうが
「人生の目的」は死を前提とした目的で
死がある限り死以外の目的は存在しないと思います
>エアロビ
確かにそういう人たちを見てるとイライラします
>>33あたりのぐちょぐちょなところは
私がいいたい真理とは違うような気がします
私がいいたい真理はそれらの思考実験言葉遊びを
すでに超過している上での真理だという事です
上手く言葉で説明はできないのですが
>>47 自らの死を信じる事を前提とした真理です
>>48 そうですね。みんな生きている人は
本気の本気では死を信じていないのかもしれません
>>50 明らかに真理ではない事を信じることは、もうできないです
53 :
5:2007/03/21(水) 02:11:51
>>51 死から目を逸らさず生きよう、という姿勢を
「自分の意思で死を選ぼう」という結論に導く必要はないよ。
仮に人間が不死の生物だったとしてみよう。その場合、その人間の人生には何か意味があるのだろうか。
「どうせいつかは死んでしまうから全て無価値」なのならば、死なない人間の人生には価値があるのだろうか。
答えは。どっちにしろ変わらないだろう。
>全ての人生は意味がない
>しかし意味がない事を否定することにのみ意味があるということです
>人間は意味もなく生まれてきました
>だからそのまま生き続けても意味はない
これには同意だ。だが意味がないなら意味を創造すればいい、と私は思う。
キミも今していることだ。意味のなさを否定することに意味がある、と思いたがっている。
キミは「意味が存在できる」というが、それは違う。キミが意味を創造しただけだ。
「存在できる」じゃなく「存在できるようにした」んだ。
キミは自分が創造しただけの意味じゃ虚しい。それは絶対的な意味じゃないからだ。
だから死という絶対的な結果を借りて、「自分が見出した意味こそ絶対的に正しいものなのだ」と考えようとする。
だが、私には死以外のことに目的を見出してる人も、キミも、やってることは変わらなく見える。
生きた証を遺すこと、は、自分が創造した価値を不変のものにしようとする試みだよ。
不死の人間はいったい何をして時間を過ごすだろうか。
私たちに死という結果が与えられているように、彼には生という結果しない。
だから彼は死を願うかもしれないが、それは実現不可能だ。
もう一度「意味とは何か?」と問いたい。
あらゆる刑而上のものがそうであるように、意味は人間の頭の中にのみあるものだ。
土や水や火、自然それ自体に意味があるのではなく、“人間が意味を付与している”んだ。
人間がいなければ意味もない。キミがいなければ死を自己決定することにすら意味がないように。
不死の人間は、世界に価値を創造し続けて時を過ごすだろうと私は思う。
そうやって存在することの虚しさを慰めるために。
54 :
承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/21(水) 02:49:48
〈客観的事実の中で意識を形成してきた〉
社会では、客観的事実の方が珍しいだろ?
〈死という客観的事実だけ認めないというのはおかしい〉
死ってタイムリミットがあるから、年配の夢追い人はミンナ必死こいて頑張ってんじゃないの?
主観も客観も、個体の脳の認識に過ぎまい。
世界と断絶した社会で共有される『客観的事実』なんてのも、実はその社会のエゴに過ぎまい。
>>51 ふむ、じゃあ、一歩引き退がり「死」を考えてみるとします。
1.肉体的な死。
現代日本では通常、焼却され骨になり埋葬され日常空間に位置を占めなくなる。
2.コミュニケーション不能という死。
肉体的に死んだ相手とのコミュニケーションは生者側からは取り得ない。
取れると主張する者はいるが、現代社会での共通認識にはなっていない。
3.死んだ者を記憶している者の死。
これにより、誰の記憶にもない死者が生まれる。
4.表現された有形物あるいは口伝その他の無形物を作り、それらが現在にまで残っている者の死。
5さんのいう『生きた証』に相当するものかもしれないが、芸術品とか工芸品といったものに限らず、あまたある品々も該当させる。
5.通常外の死体/骨の形のまま、現在にまで残っている者の死。
考古学的に発掘された死体、事件性の疑いのある死体。
上の5つ思いついたのだが、第4項、第5項のみ死者に直接無関係な生者に影響を及ぼす可能性がある。
で、だ。
第4項の死者、はたして彼らは「死んだ」と言えるのだろうか?
肉体的に死んで、「はい、それまでよ〜っ」ってなことになっているのだろうか?
生者による連綿とした受け渡しが、ここにはあるのではないだろうか?
ここに僕は生物種としての人間が「肉体的な死」を乗り越えてきたものを感じるのだが……。
>>52 >「オリンピックの目的」は生を前提とした目的で個々人違いがあるでしょうが
誤解しているようだから書いておきますが、
僕は『目的』と『結果』、それぞれの言葉の持つ意味の違いを、
辞書的ではなく例え話でもって説明したまでです。
「生を前提とした云々」は関係ありません。
> 上手く言葉で説明はできないのですが
「言葉」をもってして何かを表出したい、表現したい、というあがき。
「言語」そのものに備わる「論理」をもってして何かを表出したい、表現したい、というもがき。
「非言語」をもってして何かを表出したい、表現したい、という欲望。
「この『何か』は『何か』ではあるんだが、『何か』を『何か』として(消化/昇華/消火)するには、
『何か』を一体どのような道筋で(語り/騙り/非語り/弾き語り)得れば、よりよいのだろう?」
これらを、排泄物と呼ぶ人もいれば、芸術と呼ぶ人もいれば、学問と呼ぶ人もいれば、
「生きている」と呼ぶ人もいる。
57 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/23(金) 00:36:07
>>53 人間は死をごまかしてるから生きていけるんだと思うんです
不老不死の人間というものが想像できないので良く分からないんですが
永遠に死なないのなら人生の意味というものは存在できるんじゃないでしょうか
断言はできないですけれど
生きるために真理を欺瞞して意味を無理やり作り出すこと、と
その欺瞞や嘘っぱちの意味を否定することの意味
意味の種類が違うのではないかと思います
繰り返しになりますが、人間は死んでしまうんですから
生きていく上で「生きる意味というもの全て」は「存在できない」し
「生きていく上で」その存在しない意味を否定する意味、
欺瞞を否定するタメの欺瞞のない意味だけはあると思います
もちろん究極的には全てに意味はないでしょうが
意味がないと何もできなくなりますから仕方がないです
また死を使って自分を正当化してると言われるかもしれませんが…
意味は人間の頭の中にのみあるもの、同意です
真理を欺瞞して作った意味、と、真理に従って作った意味
私が言いたい意味の違いはこれです
>>54 世界って何ですか?
>>55 でも今考えてる私が消えてしまうことには変わりないんじゃないですか
>>56 詳しい説明ありがとう
58 :
5:2007/03/23(金) 01:13:22
>>57 私の考えとしては「欺瞞せずとも創造できるものが価値ではないのか?」といった感じです。
私が“創造”というポジティブなイメージのある語を使い、
あなたは“自己欺瞞”というネガティブなイメージのある語を使う。
その根本的な違いは何かというと、世界観の違いだと思います。
あなたには死以外のことを目的とするのは恥ずべき自己欺瞞に見え、
「そんな卑怯で醜いことはできない」と気高いあなたは考える。
ただ私にとって世界は非存在への存在することでの反逆、目的のない反逆、なので、
死を絶対的な価値にすることは自身が生の過酷さ、生の空虚さに「負け」たことように思えてしまうんです。
「自分は生に堪えられるほど強くなかったのだ。目的のない反逆に疲れてしまったのだ」
といった風に。
だから、まあ自分にも多少気高い所はあるつもりなので自殺には嫌悪してしまうんです。
あなたがこのスレを立てた時にまず私はその嫌悪感から反論した。同時にこう言いたかった。
「死以外の価値を創造してもいいんじゃないか」と。
なので、目的は果たしました。中々と楽しい議論だったです。
毎回長文を読んでくれてありがとうございました。
では、さようなら。
>>57 >真理を欺瞞して作った意味、と、真理に従って作った意味
>私が言いたい意味の違いはこれです
「真理」の使い方が気になりますが・・
私が生まれてきたのも「真理」だし、
私が今生きてるのも「真理」だし、
私が死ぬのも「真理」。
そんな「真理」は、無数にあります。
その無数にある「真理」のうちの一つだけを
絶対の真理と考えて、その他を「欺瞞」と
考えてしまっているね・・
『私が死ぬ』のは、『現に今私が生きている』のと
どっちが、より確実なことなのだろうか?
マリさんへ。
毎度レスをお返し頂き、誠に有難さんにござんす。
私見ですが、
意味や真理は、知的生命体の概念にすぎず、世界(自然とか宇宙とか)は、あるがままに在り、其が因果律に従い相互作用をしてると観測できるに過ぎないと思ってます。
>>57 >
>>55 > でも今考えてる私が消えてしまうことには変わりないんじゃないですか
一般的には、そう言われているね。
第2項にあげた「コミュニケーション不能」ってことで、現実には「消えてしまう」といった現象と捉えられていることは間違いない。
でも、これさえも疑えるわけだよな。
死んだあとに自意識がどうなっているかなんて誰にもわかっていないんだもの。
生者側からコミュニケーション不能になっているからといって、本当に消えているのかどうかはわからないのだもの。
放送局と受信機の関係という例えがわかりやすいな。死者になると周波数が変わってしまっているのかもしれない。
変な方向に話題を振ってしまってけどさ、言えることはだ。
生きている間は、思考でき、志向でき、嗜好でき、試行できる。
これらのことは、数多くの人間がしていることであり、これらの行為を僕も含めて誰もが受け止められる。
しかも、これらに対し反応することもできている、っていうことだ。
相互作用さえしちゃえるわけだし。
こういう利点も加味されたい。
真理さんは命のつながりっていうことを考えていないんじゃないですか?
歳は知らないけどたぶん真理さんには子どもがいないでしょう。
まぁたとえこれからも自分に子どもができないとしても、自分が生きていることは、
他の命に対して、大なり小なり何らかの作用を及ぼしているわけです。
そういう命のつながりが太古の昔から続いている。
自分の子も孫も当然いずれ死にますけど。
そういう生命の流れから見れば、個々の個体の死は、たとえば、
秋になると枯れ落ちる落ち葉みたいなものでしょう。
落ち葉は自分が死んで落ちる前に、自分の中に残っている栄養分を
木に送り返すそうですね。
ただの結果という絶望的な事実があまりにも辛くて受け入れられないから、
目的なんだ、これは自分が初めから望んでいたことなんだ、と誤魔化しているだけじゃないか?
すっぱいブドウの論理ってやつ?
64 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 18:05:34
死は事実で真理と関係有りませんよ。
事実と真理を混同しないでね。
65 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 19:06:52
死は人生を閉じるものであって
人生そのものには関係ない
66 :
考える名無しさん:2007/03/25(日) 20:10:11
人生の目的って生きる事だろ
人生の真理なんて人それぞれだ
67 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/28(水) 22:08:34
>>58 もう今生きている人の人生全てが嘘だと欺瞞だと気づいてしまったからには
もう嘘偽りの虚構を人生の目的として歩む事はできないかもしれません
私も楽しかったです、ありがとう
>>59 私が生まれたのも私が生きているのも
私が死んでいくのも生物として肉体としての真理です
しかし人生の真理
というものはやはり死でしかありえないのではないでしょうか
真理という言葉が分適当でないのなら
死と言えばいいでしょうか
確実なこと・・・私は今生きているから
今生きていることのほうが確実なんじゃないですか
でも私が死ぬ事は確実じゃないと思ってても結局死ぬんです
死なない死なないといってても結局死ぬんです
>>60 意味や真理という概念が無いと
動物はともかく人間は生きていけないんじゃないですか
宇宙の存在には意味がない
故に人間の存在にも意味がない
だからといって意味のない生を送れるほど人間は強いとは思えない
何かしら自分なりの意味や価値を見出さないと
生きてはいけないんじゃないですか
そして私は「死」以外の意味や価値が全て欺瞞だと思うのです
68 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/28(水) 22:21:48
>>61 死んだあとに自意識がどうなっているかなんて誰も確認できない
確かにそうですが、だからといって
死んだあとにも自意識があると信じることは、私にはできません
そういうことを信じたら天国も地獄も神も悪魔も幽霊も前世も
何もかも信じなくてはならない
何を信じて何を信じないとどうやって選別するのですか
死んだら私は消えるというのが現実的だし
死んでも私が生きている、ということは決して証明されないわけだから
私が生きているこの現実で導き出す事のできる限界の真理が
つまり人間が導き出す事のできる嘘偽りのない欺瞞のない真理が
私は死ぬし私が死んだら私は消えるということだと思います
>>62 それでも今ものを考えている私は消えてしまいますね
自分のDNAを残そうが、それは私ではないんです
私ではないから、それらの肉体のコピーやリサイクルは
今モノを考えている私という存在には全く関係がないんです
死の苦しみを味わうのは私なんです
>>63>>64>>65>>66 絶望的な事実を、死をごまかして生き続けることが
とても愚かな事ではないかと思うのです
69 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 22:33:49
随分と薄い人生なんですね。
70 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 22:38:34
生まれて以来あなたの体はどれくらい入れ替わったのだろうか。
受精した当時の成分はどの程度残っているのだろうか。
誕生したときの細胞はどの程度生きているのだろうか。
断言しよう。お前は既に死んでいる。
生きるついでに易々と達成できたようなことが目的であるはずがない。
色即是空。
71 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 22:50:42
人生の目的→生中出し
72 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/28(水) 23:05:32
>>69 そうでしょうか
>>70 屁理屈だと思います
私という意識は生きています
>>71 子孫を残しても
私は死んでしまいます
73 :
考える名無しさん:2007/03/28(水) 23:53:59
>>72 意識は睡眠とともに死んでいます。
そして毎日生まれ変わっているのです。
昨日のあなたの意識と今日のあなたの意識は同一ではありません。
連続しているように思うのは単に勘違いです。
意識というのは物質ではありませんから あなたが存在する証しには
なっても意識自体が生きているわけではありません。
即ち意識という次元においては、「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、
死に死に死に死に死んで死の終わりに冥し」をなんども体験しながら
その意味をいまだに知ることができないのです。
74 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/29(木) 00:17:25
>>73 昨日の私という意識と今日の私という意識が同じだと勘違いしているのは
誰なんですか?
私なんじゃないですか?
逆に勘違いしない事はできないんじゃないですか
昨日の私と今日の私が全くの別人だと思う事できるんですか
できないから私という意識が私なんじゃないですか
生老病死の苦しみを味わうのは私という意識なんじゃないですか
私という意識の存在に意味がないから
意味を知ることができないんじゃないですか
75 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 00:38:20
>>74 だから、意識のうえで生と死はしょっちゅう体験しているでしょう。
意識が消えることまた現れることは何度も繰り返す現象です
細胞が死ぬ現象も既に体験済みです。
体験済みというのは同じなのに、意識の消失だけに今だに意味を
見いだすのはどうしてなのですか。死ねば永遠に意識が無くなるという
と言う保証は無いでしょう。ある時また目覚めるだけなのかも知れませんよ。
76 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/29(木) 00:55:05
>>75 >意識のうえで生と死はしょっちゅう体験しているでしょう
眠る事と死んで完全に意識を失う事は
眠る前と死ぬ前の意識を考えたらやはり違うと思います
新陳代謝は苦しくありませんし寝ることが怖いわけでもありません
意識と肉体の完全な死は未だに体験したことがありません
だから怖いんです
死というより死に至るまでの過程が怖いのです
>意識の消失だけに今だに意味を見いだすのはどうしてなのですか
すいませんちょっと意味が分かりません
>死ねば永遠に意識が無くなるというと言う保証は無いでしょう
保証はないですけど
そういう考え方は現実的ではないんじゃないですか
脳という物質が私という意識をつくっているのなら
脳が機能しなくなれば私は消えるんじゃないですか
そういうのが自己欺瞞だと思うんです
77 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 01:23:51
小さなころは眠ることを怖がっていたと思いますよ。意識が消えるのは
同じ事ですから。言葉で思考するようになるとそれ以前のことを思い
出せなくなるようです。どこかで記憶或いは意識の断裂があります。
私は3歳ころからの記憶が断片的順不同にあります。小さいときの私の
意識は現在の私まで連続しているとは思えません。私が私でなかった時期が
あります。その後も同一であるという意識だけはありますが、確かに体験
したはずの記憶が多く欠落しています。
意識が消えるのは怖くないでしょう。睡眠と同じですから。
記憶が消えるのも怖くないでしょう。これも体験済みです。
苦痛が強ければ幸いです。早く死にたくなるでしょう。死に怯えることは
ありません。苦痛がなければ幸いです。それ自体があなたを脅かすことは
ないでしょう。
78 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/29(木) 01:36:34
>>77 ちょっと今脳が疲れているので
このレスへの返事はまた後日書きたいと思います
それとは別に
良ければあなたが好きな本やあなたの考えに影響を与えた人を
教えてください
79 :
考える名無しさん:2007/03/29(木) 02:00:58
乱読一本槍です。
>>68 事実ってのは死が「結果である」ということだけだろ。
「目的である」という方がただの誤魔化しだ。
真理は希望でも絶望でもない。ただただドライなものだ。
そんな感傷的な、一過性の、相対的なもんじゃない。
81 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/03/29(木) 05:41:15
何故に私は生きているのか。私は何をなすべきであるか。
私の行く手に待ち構えているあの避けがたい死によって
滅せられない悠久の意義が私の生活にあるのだろうか。
私はこの疑問に答えようと試みた。
この疑問は実に愚劣な、単純な、子供臭いものに思われていたのだが、
いざ取り上げて、解決しようという段になると、たちまち私はまず第一に
それが子供染みた愚かしい疑問でないどころか、
人生における最も重大な深刻な問題であるということを、
それから更にいかほど頭をひねっても、自分にはこれを
解決することができないのだということを信ぜざるを得なかった。
この疑問は悠々と答を待ってはいない。すぐに解答しなければならぬ。
答がなければ生きていくことができないのだ。しかも答は無いのであった。
人生は無意味なものである。これが真理だった。
自分の前には滅亡のほか何物もないことを発見したのである。
零イコ−ル零である。
人生はひっきょう無意義であるという事実が、
すべての人の究め得る、確実な、唯一の知識である。
理性の支配する知識は、人生が無意味であるという認識に私を導いた。
私は全力を集中して生から脱却しようともがいた。
自殺という考えが極めて自然に湧き起こってきた。
考えずに、ただ生きよと、いかほど自分に言ってみても、
私はそれを敢えてする事ができない。
この世に生をうけなかった者は幸福だ。死は生よりましである。
生より脱却しなければならない。
人生が無意味なら死もまた無意味だ。
生きることも死ぬことも同じだ。
死に意味を見出すことは、生に意味を見出すことと同じで、ただの妄想だ。
>>68 >死んだあとにも自意識があると信じることは、私にはできません
「死後も自意識があると信じろ」と僕は言ってないけどね。くだらない文章だけど、
>61を、もう一度繰り返して読んでみて欲しいな。「少なくとも生きている間は、生
きている人間同士行なうことが可能なことがある、みんなが了解しあえるものが
ある」ってことを言っているに過ぎない。真理さんのように冷静に物事を捉えきれ
る能力を持ちながら、なんで、ここんところについてだけ誤読をしてしまうのか、
それが僕には不思議だよ。
>>81 >人生における最も重大な深刻な問題であるということを、
>それから更にいかほど頭をひねっても、自分にはこれを
>解決することができないのだということを信ぜざるを得なかった。
仏陀もニーチェもそして他の多くの人たちも多分、真理さんと同様の問題にぶち
当たったんだろうと僕は思う。そして彼らは彼らなりの方法でどうにかしようともが
いた。でも結局、彼らも死を迎えた。解決しその人なりに乗り越える方法を知った
者もいれば、解決できずかといって自ら死を選ぶこともできずにいた者もいれば、
解決できず自ら死を選んだ者もいるだろう。
それよりもなりよりも、今度は、なぜ、そうも簡単に「解決できないと『信じる』」こと
ができるのだ? これも僕には不思議だよ。前にも書いたよね。もがけ、と。言葉
になりきれない思いをそれでも言葉にしてみようとすること。このことを通してしか
獲得できないもの。そうした上での文章なのか? もし、そうなのならば僕も納得
することだろうけどね。この文章からは、「不思議だ、なんでこうも短絡的に結論を
出してしまえるのだろう?」という疑問しか浮かんでこないんだよ、真理さんにはす
まないけどね。
それはもがくことを
「醜く往生際の悪いあがきだ」
と捉える人もいるからだと思うよ
>>74 >逆に勘違いしない事はできないんじゃないですか
>昨日の私と今日の私が全くの別人だと思う事できるんですか
昨日の私と今日の私が別人だと分かっている人は少ないかもしれない。
でも幼稚園児だった私と今日の私がほとんど別人だと思ってる人は多いと思う。
では20歳代の自分と、80歳代で死ぬ時の自分とは、どうだろうか?
或る意味では同じで、或る意味では違うのだろう。
では「自己」とは何だろうか?
と考えを深めていくのが哲学だよ。
「不思議だ、なんでこうも短絡的に結論を出してしまえるのだろう?」
に同感。
まず漠然とそんなスレを指し示されても読むのが面倒くさい
そして私自身はもがきを醜いと思わない
醜いと考える価値観の人もいるだろうという意味でただ言っただけです
88 :
E2 ◆igyenga13c :2007/04/03(火) 10:54:38
89 :
考える名無しさん:2007/04/03(火) 18:28:52
死は必然的帰結であるが、それが真実ではない。
死は生物の属性のひとつ。
90 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/04/04(水) 20:31:07
>>82 生きるということは生に何かしらの意味を見出すと言うことです
それはもちろん妄想ですし欺瞞ですし真理ではないから否定されるべきです
そんな欺瞞的な生き方を否定する唯一の方法が死なのです
そして死こそが唯一真理を欺瞞しない人生の目的だと言うことです
死を目的とすることが死から目を背けない唯一の生き方だということです
>>83 すいません意味は分かりましたが意図が分かりませんでした
人間同士行なうことが可能なことがあって
みんなが了解しあえるものがあっても結局死んでしまいます
それを死を目的としたものとして使うのならいいですが
生を目的としたものとして使っても結局死んでしまうのですから虚しいだけです
生を目的として思考し、志向し、嗜好し、試行しても結局死んでしまいます
だから生を目的とした生き方すべてが死をごまかした欺瞞的な生き方だと思います
すいません
>>81の文章は、「人生の意味」で検索して最初にヒットしたHP
に書いてあったトルストイの文章です。私の言いたいことを分かりやすく表現
してあったので読んだ瞬間反射的に引用させてもらいました
しかし私が引用したのですから私の言葉と同じです
人生に意味がないということを信じられるのは人が必ず死んでしまうからです
人が必ず死んでしまうことを信じれば自然と、人生に意味はないと信ずることができます
>人生はひっきょう無意義であるという事実が、
>すべての人の究め得る、確実な、唯一の知識である、ということです
>>85 幼稚園児だった私も今日のわたしもほとんど別人
ではなく全くの別人だと思える人はいるんでしょうか?
そういうのは意味のない思考遊びに思えてしまいます
私とは今思考している私です。幼稚園児だった私も私だと思うことで私は存在できています
91 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/04/04(水) 20:50:48
>>77 >言葉で思考するようになるとそれ以前のことを思い出せなくなるようです
なるほど
もし明日自分の意識が永遠に消えるとして
私がそれを知れば今日の私はやはり苦しいのではないかと思います
永遠に消えるという確証がないから私は安心して眠られるのだと思います
まあ私は今すぐ眠ったまま苦痛なく死ねれば最高だとおもっていますが
あくまで一般論として
>苦痛が強ければ幸いです。早く死にたくなるでしょう
私はその苦痛が怖いのです。体験することの出来ない死よりも苦痛が
>>89 死が必然的帰結であるが真実ではないとはどういうことですか
>>90 だから妄想だから拒絶しようなんてのも一つの妄想に基づいたものでしかないだよ。
生への意志と死への意志はイコールなんだよ。
生きてもいいし、死んでもいいんだ。とは思えないのかね。
だから彼女にとっては死を価値あるものにすることがまた、生を価値あるものにすることなんでしょ。
ひねくれた生の肯定だ。
94 :
考える名無しさん:2007/04/05(木) 08:26:22
死んだ経験のないやつが死について語っても説得力はない。死んだ経験のあるやつがいない以上、死をめぐる議論に結論がでることはない。
つまり、死はわけのわからないものであり、そうである以上、死についての決断は下せない。哲学者である以上、そのような不明な理由によって死ぬわけにはいかない。
95 :
E2 ◆igyenga13c :2007/04/05(木) 11:03:31
>>90 >すいません
>>81の文章は、「人生の意味」で検索して最初にヒットしたHP
>に書いてあったトルストイの文章です。私の言いたいことを分かりやすく表現
>してあったので読んだ瞬間反射的に引用させてもらいました
>しかし私が引用したのですから私の言葉と同じです
トルストイ。彼の文章を引用した。これは、僕が、>55で箇条書きした第4項にあた
ります。彼も死にました、確かに。膨大な量の小説を書き、社会改善運動にのめり込
み、さまざまな評論を書きまくった人物ですが死にました、確実に。
僕は真理さんに、「もがけ」といいました。そして、その僕の言う「もがけ」を、僕
が「もがけ」という言葉にどういう意味を持たせているのか、というのを具体的に示
したのが、>88に引用しているスレッドです。ご一読いただければありがたいです。
96 :
考える名無しさん:2007/04/05(木) 16:01:44
どんな言葉尽くしていくら説得力あろうが、それが真実か確かめることが出来ないものが死だからな。ある思想を盲信し思考停止するか、考え続けるかは自由じゃね
97 :
考える名無しさん:2007/04/05(木) 23:22:06
死は通過点でしか無い。
死のみを特別視すると言う事は、人の死が起こる(または生が起こる)
この世界を体系として見ていないんじゃ無いだろうか?
ボールが転がり出して止まるまでを見て、
そのボールが止まる事実に向かいただ転がっているだけだと思うのは、
転がる以前も、転がり出す影響も、何故そんな転がり方をするのかも、
何故止まってしまったのかも、見ていないのだろう。
ボールが止まったから、ボールは止まる事に向かい動いているだけで
止まる事がボールの唯一の真実である…と思えるだろうか?
本来、ボールとは転がり、跳ねる「動」の性質を持っているが、
ボールとは自発的に動くものでは無い。(自発的に止まるものでもない)
それぞれの段階と干渉とそれによる影響が起こるのであるから
静止(死)のみを特別視する事など出来ないのだ。
生の一瞬一瞬も死に接するその一瞬と何ら変わり無い真理の繋がりだ。
98 :
考える名無しさん:2007/04/05(木) 23:36:57
>>1 死ぬ前に飯を食わねばならんし、死ぬことなんて考えない。
どうやって目の前の状況を発展させるか、を考えるよ。
死が目的なら、即座に死ななきゃおかしいよ。
結果として死ぬだけだね。目的じゃあないよ。断じて。
ということで、1の理屈はかなりショボイ。。。
99 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 14:21:01
>人生の目的は死であり、人生の真理は死である
真理とは人が生きる過程で人間としての有るべき姿を指します。
人生の目的は日々如何に過ごすかで有り、できる限り真理に添った生き方をするべきです。
生きて真理も生き、死ねば真理も消滅します。
100 :
考える名無しさん:2007/04/06(金) 23:31:07
>>99 全く違うとも思わないが、これまたえらく限定の多い真理だね…
>>1もだけど、人としての真理とは、この世界の真理の事とは
別のものを指してるんだろうか?
真理なら全ての事象にあてはまると思うんだけどね。
>>100 > 真理なら全ての事象にあてはまると思うんだけどね。
「疑い得ないものは何もない」というのは「真理」っぽくないかなぁ。
102 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/04/08(日) 21:04:01
>>79 そうですか・・・
>>80 あなたの人生の目的って何ですか?
>>92 生きるには何か目的がないと、無意味に歩き回っても苦しいだけです
そして死以外のすべての目的は欺瞞であるから
私は死以外の人生の目的を信じることが出来ないんです
苦しんで苦しんで生きて、結局死んでいくしかないのです
>>93 だってみんな結局死んでしまうんですから、今を生きるためにはそうするしかないんです
>>94 でも結局人はその不明な理由によって死んでしまいます
自分の死を信じてないからそう言えるんじゃないでしょうか
>>95 すいません、ちょっと遅くなりそうですが、読んでみます。ありがとう
>>96 何を目的として生きていけばいいのか分からないのです
自分が生まれて死ぬと言う現実に対して
無意味なことを考え続けて何の意味があるんでしょうか
答えは分かってるんです。人間はみな死ぬと言うことです
だから私も死ぬと言うことです
だから死以外の人生の目的がすべて無意味なのです
103 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/04/08(日) 21:17:17
>>97 でも今モノを考えている私というのは唯一無二の私です
その例えで言うと転がりつづけ、やがて止まるのが私です
誰が何のために転がしたのか、などわかるはずもありません
ゆえに転がり続ける私が導き出せる唯一の真実が
やがて止まる、ということです。それだけです
>>98 私はその発展させると言う考え方が
自分の死を信じないという欺瞞に起因していると思うのです
滅びを信じないから、発展させることに意味を見出せる
>>99 私も
>>1で、「人が生きる過程で人間としての有るべき姿としての真理」を
提案したつもりです
死を知る唯一の知的生命体だからこそ、自らの死を自己決定しよう、と
>>100 死以外の人生の真理がこの世にあるんですか
あるのなら教えて下さい
誰が、目的を持てなんて言ったのかね?
105 :
考える名無しさん:2007/04/08(日) 21:39:38
>>100 今ボールって言葉を使うのが流行ってるんだよ
ボールとか分子とか
106 :
考える名無しさん:2007/04/08(日) 23:00:08
生きることに目的なんて無いよ。
自ずから生まれ自ずから変化して死ぬだけ。
〜のために生きる〜なんて無意味。
でも生きてる以上は精一杯生きるのがカッコイイし、
死ぬときがくれば精一杯死ぬのがカッコイイだろ?
だから無目的な生ではあるが自殺なんてのは最もカッコワルイ生き様、死に様なんだな。
>>102 >だから死以外の人生の目的がすべて無意味なのです
自分にとっての「目的」とか「意味」というのは、個人個人が自分で設定するものでしょうから、
「死」を目的として設定するのも、一つのペシミスティックな目的設定としてあり得ますが、
しかしただ単に死が目的だと言っても、それだけではよく分かりません。
目的とは「実現しようとして目指す事柄」ですから、「死」という目的に向かって、
どう生きようとしているのか? そこが大事なのではないですか。
たんに言葉の上で死を「目的」として設定しても、実現しようとして目指されていない限りは、
死は真に目的になっているとは言えないでしょう。
既出だとは思いますが哲学でいえば、ペシミスティックという点では、
あなたの考え方に比較的近いのはショーペンハウアーじゃないかと思います。
でも、世界を「盲目的な生への意志」と考え、その意志は「究極の目的を欠いた無限の努力」
であると考えるショーペンハウアーからすれば、「死」を究極の目的として考えるのは、
中途半端な考え方であることになります。
ところで、世界や生には、それ自体としては目的も意味もないというのは、
ショーペンハウアーに限らず、まぁ普通の考え方だと思います。
そして、目的も意味もない世界と自分の生に対して、どういう態度をとるのかで、
その哲学の立場が分かれてくると思います。
ショーペンハウアーがこの無目的な世界からの「解脱」を目指したのとは対照的に、
ニーチェは、この無意味で無目的な世界をそのまま肯定しようとした(運命愛)。
「目的」という言い方でいえば、ショーペンハウアーにとっては「解脱」が、
ニーチェにとっては「運命愛」が「目的」に近いかもしれない。
(普通は「目的」なんて言わないと思いますが)
あなたはたぶん、人生の「目的」を探した結果、「死」以外には考えられない
というところに辿り着いたのではないかと思われますが、もう一歩考えを進めて、
世界にも自分の人生にも、究極の目的はもともと存在しないというところまで進んで
そこを出発点として考え始めたらいかがでしょうか。
補足。
>>107の一行目で書いた
>自分にとっての「目的」とか「意味」というのは、個人個人が自分で設定するもの
と、最後のほうの
>世界にも自分の人生にも、究極の目的はもともと存在しない
のつながりが分りにくかったかと思ったので補足しますが、
もともと究極の目的のない世界において、個々人によって設定された目的が、
ショーペンハウアーにとっての「解脱」であり、ニーチェにとっての「運命愛」であり、
今のあなたにとっては、「死」であるということです。
そしてあなたが「死」の実現を目指して、どのような生を生きようとしているのかが
私には分らないということです。
109 :
考える名無しさん:2007/04/09(月) 23:23:24
あなたは生まれる前と、死んだ後とは違うと思いますか。
違うと思うなら、死は目的となり得ます。しかし、同じだと思うならば
死は目的とはなり得ず、したがって真理ともなり得ないと思います。
この場合は生を得たということが真理となります。生の目的は生を全う
することでしょうか。
この2つは一見 同じ事の表裏を言っているように見えます。
しかし、誕生しないことや誕生即死の場合と較べれば異なる
ということが分かると思います。
生の目的
1. 飯を食う。
2. クソをする。
3. 水分をとる。
4. 小便をする。
5. 終わり。
「意志」に関係なく起こりうる「結果」と、
「意志」と=である「目的」とを混同するな。
言うことはこれだけだ。
112 :
心の仕組みドットコム:2007/04/11(水) 16:52:08
>人生の目的は死であり、人生の真理は死である
真理とは人が生きる過程で人間としての有るべき姿を指します。
人生の目的は日々如何に過ごすかで有り、できる限り真理に添った生き方をするべきです。
生きて真理も生き、死ねば真理も消滅します。
>>103 ですから真理とは生きていて「なんぼ」のものです。
死んだら真理もヘチマも有りませんよ。
誰でも死ぬのは事実・真実で真理とは無関係ですよ。
人の死が真理だ、何てアホなことを言ったら真理が泣きますよ。
113 :
考える名無しさん:2007/04/12(木) 00:34:32
>>112 デジャブかと思ったぞ。繰り返し主張するまで無かろうて…
でもまぁ、
>>1にとっての真理はこの「私」が感じ得る真理って事みたいだから、
その真理なら生の中でしか感じ得ないわな。
この「私」としての意識は死んだら消えちゃうんだからねぇ。
114 :
考える名無しさん:2007/04/12(木) 01:29:18
フロイトも似たようなことを言っておったたが、安定や平衡が目標と
いう頓馬な発想で、ブランコの目標が静止であるというが如きである。
>>112 >ですから真理とは生きていて「なんぼ」のものです。
>死んだら真理もヘチマも有りませんよ。
>誰でも死ぬのは事実・真実で真理とは無関係ですよ。
せめて、辞書ぐらい引いてから書き込んでくれ・・・
哲学辞典とは言わない
国語辞典でもいいからさ
116 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/04/19(木) 22:03:53
>>104 目的なしに幸福な人生が歩めるのでしょうか
>>106 私には、無目的な生なのに死が怖いからと惰性で生き続ける人たちが
かっこ悪く見えるのです
>>107>>108 参考になりました
ショーペンハウアー読んでみます。ショーペンハウアーを研究してた人も
自殺の哲学を作って自殺したらしいですね。とても興味深いです
今の私の考えに最も近いのは私の知る限りではトルストイだと思います
最近トルストイの人生論という本を読んでるのですが、私の考えと全く同じで驚きました
>世界にも自分の人生にも、究極の目的はもともと存在しない
私もそう思います。究極の目的は存在しない
死が目的と言うのも「究極」の目的とは言えない
ただ生きる限り目的はいる。しかし人は死んでしまうから生を前提とした目的は全てが欺瞞
自らの死を信じず生きるというのは愚か(今の私がこれ)
だから今生きる生を有意義にするためには、欺瞞のない目的を持とうとするのならば
理性が導き出すことの出来る唯一存在しうる目的が
人は死を見つめて死に向かって歩むべき、と言うことではないのかと思うのです
117 :
真理 ◆Kq/hroLWiA :2007/04/19(木) 22:11:21
>>108 >「死」の実現を目指して、どのような生を生きようとしているのか
とりあえず今は、真理の事を考えて生きています
それとこれはこの真理の論理が分かりやすいものとして完成した
次の段階で言おうと思ってたのでまだ全然整理してないんで
文章も論理も真理との整合性も滅茶苦茶かもしれませんが
私の中で現時点で、自殺と殺人の区別があまりつかない
だから私が「殺されて」悲しむ人(親)がいる限り
その悲しみに抵抗を感じる私がいる限り
その人が殺されて怒りを感じるという他人が存在する限り
自殺をしてもいいのか、どうか
だからとりあえず今の段階では親が死ぬまでは生きるべきなのかどうか
考えている途中です
真理と言うからには、こんな問題全てを包括した上での真理のはずなんでしょうが
すぐ死ななければいけないんでしょうが
私はその真理をまだ確信できていないので(私が死ぬと言う事を信じきっていないので)
いやなんか滅茶苦茶ですねすいませんまた今度整理して書きます
118 :
考える名無しさん:2007/04/20(金) 23:53:30
なるほど…あなたは真剣に生きようとしてるんでしょうね。
ちゃんと人間としての生を過ごしているから、死に対して意識が向くのでしょう。
私はこうして意識にのぼる「私」を特別視出来ません。
だから生にも死にも真剣になれない。
ただ今はこうして生きている事が私が置かれている状況であって、
そこに目的や達成感が必要だとは感じない。
死を目的とした事も無い。
私は人ですが、動物や植物のそれに近い感覚なのかもしれません。
しかし、私も人として知識はありますので、いつかは死に至るし、
その時はこの「私」としての意識を失う事は知っています。
ですが、「私」の生や死を重要視する事は出来ない。
死に至るまでに私は「私」として多くの反応を起さなければならないし、
私は「私」を構成する要素をとりまとめる為に在らねばならないし、
同時に「私」は全体を構成する一つの要素として在らねばならない。
いや…ならないと言うより、そのまんまただ「在る」のでしょうね。
私は「私」としての役目を終えれば死を以て消え去りますが、
それまで「私」には果たすべき役割がある。
生の期間はそれをただ成すだけで、「私」は全体にとっての過程でしかありませんが、
それについて特別に何か思う事も無いので、そのまま受け止めてます。
ちなみに、この「私」の期間については充分楽しく過ごしていますし、満足しています。
119 :
考える名無しさん:2007/04/21(土) 02:55:03
江原啓之さんの本読んだら、答えが全部のってるよ。真理はひとつだからね。
120 :
107:2007/04/24(火) 07:18:11
>>116 トルストイは、死というものは存在しないと言います。
「『死はない』と真理の声は人々に語る」(『人生論』27章)。
このようにトルストイが「死はない」と考えるのは、普通我々が『私』と思っている自分は
本当の自分ではないと彼が考えるからです。
「普通我々が思い浮かべるような、一つの自分自身の意識というものは、一つの体がないのと
同じように、人間にはないのである。・・・
したがって、我々が死に際して失うことを恐れる、何らかの我々の『私』のようなものがある
とすれば、その『私』は、我々が自分のものと呼んでいる体の中や、ある一定の時間、自分の
ものと呼んでいる意識の中にではなく、一貫した意識の連続全体を一つに結び付けている何か
別のものの中になければならないのである」(28章)。
トルストイが『人生論』と同じころに書いた、死をテーマにした小説に
『イワンイリッチの死』があります。
虚飾にまみれた人生を送ってきたイワンイリッチは生と死の葛藤に苦しみ、
そして死の寸前になってそこから抜け出す。
「彼は昔から慣れっこになっている死の恐怖を探してみたが、見つからなかった。
死はどこだ? 死とは何だ? どんな恐怖もなかった、死がなかったからである。
死のかわりに、光があった」。
このようなトルストイの考え方の根底にはキリスト教的信仰がありますが、
トルストイは、たぶん仏教の影響も大きく受けていると思う。
「自分は死なないと人が認識するようになるのは、自分は一度も生まれたことはなく、
過去・現在・未来にわたり常にいるということを人が認識するときだけなのだ。
人が自分の不死を信じるようになるのは、自分の生命は波ではなく、この人生においては
もっぱら波として現れる永遠の運動であることを人が理解するときだけなのである」
(『人生論』32章)。
トルストイのこういう言葉は、般若心経にある「不生不滅」を思わせるし、
人生を波にたとえるのも仏教的です。
仏教的にいえば、人生は、より大きな命である『海』のなかに立つ『波』であり、
人の死は、波が消えて海に戻るようなものである。波はもともと海のものである。
無限の命から生まれて、一時的に有限の世界に生き、また無限へ帰る。
121 :
107:2007/04/24(火) 07:18:53
『海』という全体とつながり『海』によって支えられてのみ存在するはずの『波』が、
自分で独立して存在しているように思い込んでしまった結果生じているのが、
普通我々が自分と思っている『私』です。
イワンイリッチは死の間際になって、そのような『私』から抜け出したわけです。
「人は自分の生命の小さな、ちっぽけな一部に目を凝らして、生命全体を見ようとはせず、
このちっぽけなお気に入りの小部分が視界からなくなりはしないかと心配しているのだ。・・
人が生命を手にするためには、空間と時間のうちに現れているその小部分をではなく、
生命全体を手に取らなければならない」(『人生論』29章)。
自分で『私』と思っているものよりも、より大きな力に突き動かされている
という側面が人間にはあると思います。
この前書いたショーペンハウアーの「生への意志」やニーチェの「力への意志」も、
人間の「意志」を超えたより根源的な意志のことです。
たとえば、私が眠っているあいだも休まずに私の心臓を動かしている力は、
『私』の力ではあるけれども、『私』を超えた力でもある。
そのような力によって「生かされている」という側面がある。
宗教は人間のそのような受動的な側面を強調します。
そこが強調されるのはたぶん、普通の人間がエゴイスティックであるが故に
そのような受動的側面に気づきにくいからだと思う。
人間は大きな力に突き動かされている受動的存在であるとともに、
自分の意志で能動的に生きてもいる。
また、人間は有限ではあるが、無限なものとのつながりにおいて存在している。
そのように、能動と受動、有限と無限との交錯したところに人間は存在している。
だから、その両面を見なければならないと思います。
『海』がなければ『波』はない。
けれども、『波』がなければ『海』はないとも言える。
『海』から『波』を見る視点と『波』から『海』を見る視点の、両方の視点が必要です。
122 :
107:2007/04/24(火) 07:19:29
さて、「ちっぽけな」『私』から抜け出すことによってイワンイリッチは、
人を愛することの尊さということを死の寸前になってようやく気づく。
そして哀れみをもって妻や子供たちに接しようとするようになる。
『波』が自分を独立した存在と考えることをやめて、『海』を離れて『波』はない
ということ、そしてそれぞれの『波』はお互い他によって成り立っているということに
気づくことによって、「真の愛」が生まれるとトルストイは考える。
「真の愛は、動物としての個の幸福を放棄してはじめて可能になる。・・・
そのときにはじめて、生命の全ての樹液が、真の愛という一本の質のいい接ぎ穂へと
移ってゆき、接ぎ穂は、動物としての個という野生の若木の幹の力をすべて借りて、
すくすくと成長する」(『人生論』24章)。
トルストイにとっての「目的」は、このような「真の愛」でしょう。
私は、世界というのは真っ白いキャンバスで、人生(人間)とはそこに何らかの絵を描く存在
なのだと思う。
キャンバス自体にはたしかに意味は無い。しかしそれは絵を書くために用意されていて、人
はそこに何かを表現しなければならない。
むろん無表現という表現もありではある。(それはピアノに座ったまま鍵盤を一度もたたかない
前衛芸術のコンサートの様なもだろうか。)
そして死とはそこに最早何も表現できなくなった状態(無表現さえも出来ない)である。
キャンバスは白などではなく、すでに悪趣味な吐き気のする色で塗りたくられている、と考える
人もいるだろうが、極彩色のキャンバスに調和的な絵を自分なりに上書きすればいいだけだ。
それを描く過程で得られる何かが人の心にとって、とても必要なもので、その何かを得る事こそ
が、人生の目的かもと考えている。
真理とは即ち、生きている時は精一杯生きて、死んでいる時は精一杯死ぬ事である。
これエントロピーの法則である。
125 :
考える名無しさん:2007/05/10(木) 12:19:16 0
つーことは、真理とはエントロピーの法則なんですか?
126 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 20:34:45 0
ななめ読みしただけだけど、
>人生はひっきょう無意義であるという事実が、
>すべての人の究め得る、確実な、唯一の知識である。
>理性の支配する知識は、人生が無意味であるという認識に私を導いた。
これは本当に同意だね。
哲学の創始者であるソクラテスが「無知の知」をもって唯一の知としたのは、こういうことでもあるんじゃないの?
ソクラテスがすでに問題も結論も出してるんだよ。
あとはもう、無意義の方をいろいろとカッティングして、わからない人にわからせようとしている営みが哲学。
127 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 20:41:47 0
でも、「人生は無意味だからその認識に至ったらすぐ死ね。」っていうのは、
「食べてもお腹が空くから食うな」っていうのと同じようなことでしょ。
無意味な日々の中にも快楽や幸福感はあるんだろうから。
お腹を空かした人が食事を前に「さあ食べよう」としているときに、
「それ食べてもどうせまた腹減るんだからむなしいよね。もうやめちまえ。」といったところで、その真理は空腹感を打ち砕く程の説得力は持たない。
だから問題は、お腹が空いちゃうということなんだ。
128 :
考える名無しさん:2007/05/11(金) 20:57:05 0
私も真理さんと同じ考えに至った。
が、このスレにも沢山いるように「だから人生に目的や意味なんてないんだよ」といいながら楽しい日々を過ごして満足してる人もいる。
こういう連中はただ単に、「無意味」ということを骨身に沁みてわかってない。
口からでまかせで言ってるだけだ。
私は、こういう蒙昧で魯鈍な輩がうようよいるのが我慢ならない。
真理は時に過酷であり、迷妄という泥水にしか栄養を見いだせない愚者どもは、水から上がることができない。
私は今すぐにでも、この真理を胸に泥水から脱するべきであるが、それでもなお、蒙昧で魯鈍な輩がうようよいるのが我慢ならない。
130 :
考える名無しさん:2007/05/12(土) 02:15:42 0
>>128 無意味であると骨身にしみてわかったところで、
頬を抓られれば痛いし、
チンポ舐められたら気持ちいいんだよ。
無意味であると骨身にしみてわかったものは、
愚者などという価値判断などできない。
131 :
考える名無しさん:2007/06/05(火) 18:43:29 0
>>128は、「無意味であると骨身にしみてわかったところで」、エポケー状態になっている輩が多い、ということを言いたいんじゃない?
>>128 >「だから人生に目的や意味なんてないんだよ」
生きる目的は必要だと思うけど、
「生きる意味」は見出す事が”出来る”くらいのモノだと思う。
真理さんが今現在
生きているのは「真理がまだ確信できていないから」ですか?
余談:ベニクラゲは死なない。
134 :
考える名無しさん:2007/06/06(水) 00:51:17 0
ベニクラゲ「無意味であると骨身にしみてわかるとき、まだまだわかってないのさ・・・」
135 :
考える名無しさん:2007/06/07(木) 02:29:24 0
目的論はもういいって!
136 :
考える名無しさん:2007/06/07(木) 16:32:35 0
まぁ、漠然と思ったのだけど、
人が発明した「暦」ってのがなければ、
生物は生まれたら死んでいるってことになるのだよな。
137 :
考える名無しさん:2007/06/07(木) 21:06:59 0
ベニクラゲは生まれ変わっている。
死なないわけじゃない。
生まれ変わりなどないさ。
○善
ということで
141 :
考える名無しさん:2007/08/03(金) 22:49:28 O
母乳飲みだい
だな
143 :
考える名無しさん:2007/08/23(木) 23:38:36 0
今すぐ!今すぐ!今すんぐぅ〜!!!!!!
Byキリーロフ
真理というのならば普遍的でなければいけない
何故なら物体も概念も抽象も一律化してるものだけが存在している
生物の行動の一律化や、粒子レベルでも星間レベルでも見た法則性や造形の統一感
人間の生理現象もそう、同じ形同士で群れあうのにも理由はある
仏教思想の根本には
「欲望(煩悩)には限度がないものであり、際限なくやってくる欲望からの自由としての解脱に至ろうとする」
世俗的な快楽願望、衝動に対立する、あるいは心身の柵を解く究極的な破滅願望、衝動
この思想は社会的な思想と対極に位置するものだが、苦痛を恐れる誰しもが内包しているはず
思想ある無しにかかわず、(肉体)人間が苦痛と快楽に支配されている事は言うまでも無く
人間が物質である以上、動物体系の一端として人の理性よりもさらに上位の法則性には従わざるおえない
普通は、ただ死にたいと思っても自主的に自害できない
苦、痛、よりも喜、楽、のほうが楽的だからである
何故か?と言われればすでに生かされているから、としか言いようが無い
古典的条件づけには学習刺激は嫌悪性から逃れようとする傾向にあると言う実証がある
マウスを逃げ場のない箱庭の中に入れて嫌悪反射を示す刺激を与え続けると
じっとして耐えるようになるが、死に対する恐怖は案外似たようなものだと思う
もっとも快楽を追求してきた社会が網羅しているカタログを見れば好奇心をくすぐる様な物はいくつもある
145 :
考える名無しさん:2007/09/01(土) 19:18:03 0
>>1 あんたハイデガーだな! 生まれ変わってくれたんだな!
ここであったが百年目!!
146 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 00:09:09 O
>>1 人生の目的が死なら人間は生まれてすぐに自殺してるはずだが?
147 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 00:10:44 0
それにしては有益なものが多すぎる。
真直ぐ死なないのはなぜかね。
148 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 02:12:30 O
真理ってコテハン面白いねw
レス見てると死ぬことが人間の目的であってほしいという印象を受ける
真理は論理的に考えてるつもりなのかもしれないけどかなりムチャクチャな理論だよね
149 :
考える名無しさん:2007/09/02(日) 06:59:23 0
>1
>人生のゴールは死である
>つまり人は死ぬために生きているのである
ゴール、というのが比喩ではなく、単純な経過の結果、最後という意味ならば、
この二つの事柄は繋がらない。
なぜならば、死ぬ、という行動あるいは事象を引き起こすことが目的だと
するのであれば、即その手段を人は用いればいいからである。
しかし人はその手段を基本的に進んで用いようとはしないのである。
また、自らを死へと近づけるモノ、例えば怪我や病気などに、人は
本能的な恐怖を抱く。
この事実はその目的に全く矛盾する。
さらには、三大欲求とされるもののうちの、食欲に関し、これもまた目的と
全く矛盾することが明らかである。
生命活動の維持を根本の目的として持つこの本能が、人の中でもっとも強い
欲求として存在しているからである。
これらの事実は、すべて『絶対の終着点である死という事象をこの身に起こすこと
が、人生、あるいは生という、選択の猶予となる時間の中での生命活動の目的として
妥当でない』ということを肯定するものである。
よって、これらの矛盾を説明できない限り、1の論理は否定されるものである。
簡単に言えば、おこがましくも真理を名乗るなビジュオタが、ということ(・ω・`)
人生の目的は修行なんじゃないの?
それが終わったときが死だと仮定すると
結果死=目的にはいちょう繋がるけど
その奥には修行があると思われる
151 :
考える名無しさん:2007/09/06(木) 15:06:45 0
>>150 修行の場に楽園は作っちゃいけないということか。神様ひでーよ!!!!!!こつこつがんばって地続きで天竺いきてーよ!!!
>>143 恐怖を殺すためだけに自殺できるものこそが、神になれるのです
byキリーロフ
恋愛は幻想である。
何故ならば射精すると虚しくなるからである。
射精すると欲が無くなる。
従って射精後は欲の無い心で世界をありのままの状態で見る事が出来る。
射精後の世界がこの世の本質であり真理だ。
女は射精しない。
つまりいつまで経っても欲が無くならない。
男よりも女の方が欲深い。
女は強欲で醜い生き物だ。
男は射精によって悟りを開く事が出来る。
男はピュア(純粋)な生き物である。
恋愛は幻想である。
いや何も恋愛だけに限った事では無い。
そもそもこの世の全てが幻想なのだから。
全ては無である。
154 :
考える名無しさん:2007/10/11(木) 11:42:43 0
人であるならば必ず死ぬ
という命題はそもそも帰納法による推論だろう
ということは過去も未来も含めて全ての人間を調べないと真とは言えないだろう
人類の終わりがきて始めて絶対的な真理になりうる命題じゃないか
もちろん過去の人間全てが死んだのだから、真と考えるのが妥当だが
それでも俺が死なない可能性はわずかにある
155 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 00:40:42 0
殺されたらどうすればいいんだ?
156 :
考える名無しさん:2007/10/28(日) 01:03:21 O
感謝すべき
157 :
考える名無しさん:2007/11/14(水) 23:09:50 0
殺されたり事故死したら、意味が変わってくるんじゃねーの?
158 :
考える名無しさん:2007/11/15(木) 23:52:19 0
むしろ逆だろ
生命は死ぬのが目的では無く生きるのが目的に思える
それが長生きすることか子供生むかとかの違いはあるけど
死はその真逆だ
真逆だから取り違える事もあるんだろうけど
159 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 18:31:54 0
人間は死ぬからこそ生きようと思えるんだと思う
160 :
素人:2007/11/16(金) 20:30:46 0
>>1 人はみんな死ぬというのはその通りだが、
死ぬことが目的じゃないのは明らかだろう。
人生に目的は人それぞれかもしれないが、
人生の意味はみんな同じだと思うんだが、まあ考えてみてくれ
161 :
考える名無しさん:2007/11/16(金) 20:55:46 O
きっきっきのこ♪きっきっきのこ♪トコトコトコトコ歩いたりしない♪
162 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 04:16:02 0
真理は何も強要したりはしない。
ただそこに在るのだ。
また我々人類に目的など無い。
我々はただ生まれただそこに在るのだ。
目的は、各々が自分の意思で自由に持つものであり、予め備わっているものではないのだ。
163 :
スペルマン:2007/11/17(土) 04:39:03 0
ただあるべきことを、哲学という戯言でぼかすな!!
最大限の質量と密度を持つ幸福を手に入れるために人は生きるんじゃないかな
だから死が必要なだけかと
165 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 07:55:07 0
俺は今生きている。なぜかといえば生まれてきちゃったから。
俺は死んでもいいと思っている。ではなぜ死んでないかといえば
自分から死のうとまでは思わないから。
寝てそのまま死んでもいいけど、自分が死ぬ事によって主に家族に与える影響に
抵抗があるのは真理さんと一緒。
ただ真理さんのように死だけが唯一とまでは考えられないんだよね。
もし俺がこの先死にたくないと思うようになるとすれば、それはきっと
家庭を持った時かな。でもそれは自分の幸せを死ぬことによって失うからじゃなく
家族が幸せを失うし責任感と使命感が生まれると思うから。
自分が存在することによって他人に幸せを作り出せるのなら、
これは俺にとって唯一の生きる価値だね。
ただ今は死んでないから生きているだけ。
166 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 09:07:25 0
オマイラはね、そもそも目的の意味がわかってない
考えた事もないんだろ目的とはどういう概念か?
何に(相)対する概念なんだ?
今ここで語ってる目的とはどのような意味で使われているか?
そして肝心なおのれの目的はいったい何なのか?
ま、いいや
死ぬまでぼんやりした言葉でものを考え(これって考える事になるんだろかw)
あげくの御託を哲学とカンチガイして逝くんだなワハハw
167 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 10:33:26 0
考えることに意味はあるか
人間なんて宇宙から見たら綿ぼこりみたいで
なに人間どもは偉そうなこと抜かしやがってって思ってる
だが、人間は弱い
弱いからこそ考える
哲学なんて弱いもののすることなんだ
強いものはただありのままを受け入れることができて
そのなかで小さな幸せをつなぎ合わせることができる
幸せとは思考停止である
168 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 19:35:33 0
>>167 >人間なんて宇宙から見たら綿ぼこりみたいで
おまえどこに視点置いてんだよw
いいか、宇宙なんてのはな、人間 から見たら
晴れた夜だけ綿ぼこりみたいな星が見えるだけで
普段はスッカラカンのすかすか空間に過ぎない
屁みたいなモンよw
169 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 20:01:21 0
死んだら全て終わり
170 :
考える名無しさん:2007/11/17(土) 21:22:06 0
>>169 おまえが死んだって何事とも変わらない
おまえが終わって消えるだけで、俺らは終わるどころかナンモ変わらんよw
あと、おまえの衣類を区役所経由で困った人に贈るのは手間だから
今のうちに片付けとけ!
171 :
考える名無しさん:2007/11/29(木) 15:17:01 0
人はいつか必ず死ぬ、これは確かに事実であり、真理と呼んでもいいだろう。
だが一口に「死」と言ってもそこには無限のバリエーションがある。
人が求めるのは「単なる死」ではなく「理想的な形の死」なのだ。
人が死を恐れるように見えるのは、その死に方が気に入らないからである。
人が何かを成すのは、それをしなければ死ぬ時に悔いが残るからである。
人が生きるのは、自分にとっての理想的な死の形を模索し、それを実現するためである。
「理想的に死ぬ」事に何か意味や価値があるのかと言えば、恐らく何も無い。
だがどんな意味や価値も、死ねば全ては無に帰すのだ。
死に際して意味や価値を論じても、それこそ何も意味が無いではないか。
意味や価値以外の物、例えば趣味や好み、伊達や酔狂をもって語るのが正しい人生の論じ方なのではないだろうか。
真理さんという人物は単に意見の押し付け、もしくは意見に賛同してくれる人が欲しいだけのバカなんですね?
いいですか?私はあなたが嫌いです。あなたは自分の意見を「真理」であり「絶対」と主張し、意見の堂々巡りを作っている
私にとって、私があなたを嫌っている、というのは事実であり真実でもあります
また、あなたが死について深く考え、死を絶対視している。これも真実です
さらにあなたは、死以外の目的は無意味と考えている。これはあなたも認める真実だと思います
ならば私は、あなたが今すぐ死ぬこと。これが最善であり真実でありもっとも意味のある行動だと信じます
真理さん、今すぐ死んでください。
わかりますか? 少々強引ですが、あなたが今やっていることはつまりこういうことなんです。
あなたの意見と真理は的を得ているようで得ていない、単に哲学と真理というオブラートに包んだだけ。ツギハギの紛い物です。
>>752 私はマリさんでないけど、
マリさんが死ぬべきだというの主張が真理ではなく、まがい物の真理であるという
根拠がわからないよ教えてくれ
そもそも、まりさんは真理と真実を混同している。
真理とは、「真」…本当の・まことの、「理」…ことわり・理由・理屈・理論。つまりいかなるときも不変の本当の「考え」方。
真実が、「真」の「実」…現実・事実。つまり必ず起こる本当の「こと」。
人は皆死ぬというのは事実(=真実)であって、人の考えだとかは関係ないこと。
だから、そもそも真理と言う言葉をこれに使うのは間違い。
そして、目的や目標は人の「考え」。
結果は「こと」。
「こと」と「考え」は必ずしも一致しない。
考えたことが現実に起きないことはままあるし、「こと」に考えや意思は介在しない。
転がってるボールは人が「止まる」と考えるから止まるのではないし、
人が見ていなくても転がったボールは止まる。
「考え」→「こと」が成り立ちにくいことは分かると思うけど、
「こと」→「考え」が真理と成り得ない理由についてもう少し説明する。ここがまりさんの「真理」へのメインの反論ね。
「こと」を見て「考え」を勝手にするのは人であって、
また、止まったボールについての解釈も見た人の数だけあり、一つには絞れない。
(これはボールが止まったことを見ての考えだから、ボールが止まること
175 :
◆L9N0mzhrZY :2007/12/08(土) 03:24:23 O
極論を申し上げます。
人生の目的は生きること、
しかし結果として人は死ぬ
以上です。
真理が死だというのなら人は死ぬべきです。
それも今すぐに。
童貞のセックス論と一緒です。
誰も見向きもしません。話は面白いかもしれませんがね。
死の未経験者が、頭で考えたことをあれこれ語る。
思春期の馬鹿話を繰り返すのと一緒です。
真実がそれならすぐに経験してください。
大体、人生の真理が死だといって
すぐに死んだやつがいません。
そういう人はたいてい長生きします。
それで真理は死だ。などというわけです。
生き方と言動が一致していませんよ。
一流の皮肉というやつですかね。
いつか死ぬ、いつか死ぬ、ほら死んだと喜んで騒いでどうしますか。
ところでこういう、じゃあ、すぐに死んだらどうですか?
となった時に、いや自殺は駄目だといった展開になるのは
童貞が風俗にいっても素人童貞だ、あなたは未だ童貞だ
などといった連中と同じなのかもしれません。
179 :
考える名無しさん:2007/12/09(日) 17:14:38 0
まりさん、いねーじゃん
人が最後に行き着くところは死だが、かといって死は真理なのだろうか?
そもそも死とは何なのか?
有機体の維持機能が停止しただけではないのか?
それとも、形容しがたい特別な物をかかえているのか?
この曖昧な「死」というものは果たして真理なのか?
初めのほうをざっと読んだだけで以降のやり取りは見ていないけど
人生の目的が死で誰もが死ぬのを目的に生きているとしたら
殺人犯は目標達成に最大の貢献をしたことになるね。
とすると殺人は賞賛すべき行為であって罰するのはおかしい
ということになる?
私にとって死とは人生の最終的な結果であって目的ではない。
飯を食うのは活動したり生命維持するためであって
ウンコするためでないのと同じだ。
182 :
考える名無しさん:2007/12/22(土) 21:22:32 0
>つまりあなたが死を自己決定することが、あなたの人生の真理なのである
と書いてあるから、ここで言ってる死は自殺のことでしょう。
詩的な表現だが本人もよくわかってないというのがまかり通るのが哲学エッセー界
184 :
考える名無しさん:2007/12/23(日) 12:39:21 O
武士道とは死ぬこととみつけたり。
死とは空、無の例えであろう。
>>1 > 真理とは疑いようのない確信であり真実である
どんな物事も仮定に過ぎず、真理や真実とは幻想だと思います
疑いようのない確信をいだくのは自由ですが
わたしはこの1行を読んだとき、あいた口がふさがりませんでした
で、
>>1さんはともかくとして
なんで真理とやらを人類全員が目指さなければならないのですか?
個人的には真理とやらにとらわれて生きようとは思いません
それがわたしの生きる基準たり得ないからです
>>183 詩とは雰囲気だよ?
言葉を厳密に使用せず
個人の主観を表現するのが詩語で、
つまりは論理から逸脱した単なる言語表記だよ?
ただ言語がすべてを表現できうるか、
そこが疑問だけど。
187 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 11:02:23 0
188 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 11:25:20 0
終着駅に辿りつくことが
旅の目的ではない
189 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 11:31:34 0
190 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 12:07:29 0
ならば
生きることの目的は死(終着駅)ではなく
生きることそのものということになる
旅とは、目的地に辿りつく途上の行為であり
途上でいろいろ経験することを楽しむのが、旅の目的である
生きることもまた
死に辿りつくまでのプロセスであり
その途上でいろいろ経験することを楽しむのが目的である
191 :
考える名無しさん:2007/12/25(火) 23:53:23 0
>>190 なにやらイッショケンメなんで同情して教えといてやるね
生きることの目的は時々刻々の、せいぜいその日一日の
自己の興味・関心から眼をそらさずそれに没頭することだ。
これに尽きる
それなら毎日やってる・・というならおまえはとっくに人生の名人♪
192 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 01:47:16 O
根拠を示さない決め付けは
バカの存在を教えてくれる。
193 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 02:36:25 0
>>1 は正しいが
>>2 は正しくない
>>2 >つまりあなたが死ねないのは、死こそが真理であるという確信を持てないからである
違うな。
死ぬのが最終目的でありゴールであるとしても、その過程を楽しむことをその時々の目的として生きることもできる。
また、人は、死というものに恐怖するように出来ている。
生きている間は楽しむことをその時々の目的として生きていて、最終目的の死という真実に背くよう生かされている。
よって、自殺行為は現実に将来への楽しみをみいだせなくなったときに最終目的に最短で向かう方法である。
逆に、行き続ける行為は現実を楽しんで生きれている、もしくは楽しみをみいだせれる余地があると考えれている、もしくは生き物として死が怖いとプログラムされた結果であり、
楽しんでいる場合は目的を実行していることになるが、楽しみをみいだす可能性にかけている状態では目的を実行する仮定であるに過ぎず、死が怖いから生きているだけというのは目的を完全に無くしている状態である。
生きることは真実の目的である死には背く行為だが、生きる過程を楽しむ(もっと言うならば、それが子を産むことや、人を殺すことであるかもしれない)ことはその時々の目的には従っていることになる。
自殺することも決して間違っておらず、最短で真実の目的に突き進んでいるというのは決して悪ではないと言える。
最も目的意識の無い者というのは、自殺する者のことではなく、生きる目的も死ぬことも出来ない者のことである。
194 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 03:15:16 0
195 :
あ:2007/12/26(水) 03:24:41 O
死の存在が絶対の真理であったとしても、生命の目的が死である根拠にはならない。むしろ生命のイドは死への抵抗を示している。
生命が命を繋げようとすることも真理である。どうせなやむなら生命は何を目指しているかを考えた方が真理の傍にいられる気がする。
196 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 08:18:53 0
ターゲットは死
ということで問題ないのである
大切なのは、そこに辿りつくプロセスである
たとえば
「武士は己を知る者のために死ぬ」
ということがある
死ぬこと自体を恐れてはならない
なぜなら、どうせいつか死ぬわけで、そこから逃れることはできない
大切なのは
何のために死ぬか
である
かつて、国家のために死ぬのが格好良かった
しかし今は、そういう時代でもない
野球ために死ぬ
これはちょっと格好いいのでは
長嶋さんも、王さんも、野球に命かける姿を見せてくれ
みんな感動した
いずれにせよ
今は、自分が好きなことに命をかけるのが格好いい
長嶋さんは、野球のこととなると、実に楽しそうだ
好きだから楽しい
楽しいことをやって命を落とすなら
本望だ
そう思えることを求めたらいい
197 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 13:19:11 0
>>196 >「武士は己を知る者のために死ぬ」
俺おまえのこと知ってるよ、だから俺のために死ね!
198 :
考える名無しさん:2007/12/26(水) 13:52:36 0
196はさっさと死ぬべきだと思う。
199 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 04:08:12 O
土屋アンナの笑顔のためなら俺は死ねる
200 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 04:43:35 O
人生とはただ単に誕生した、だから死亡する。
というものだと思います。
「原因:物質の生成」「結果:物質の死滅」
そして二つを結び付ける合理的な理由が、プロセスすなわち運動。
プロセスがどうであろうと、死ぬ。
しかし物が停止し続けるという状態もまた、運動の一種である。
つまり人は、死後も運動をしているという事になる。
本当に、最終的な結果は存在するのだろうか?
時間に始まりが有って、終わりが無いように。
どんな形であろうと、人は存在し続けると思います。
火葬されて空気になったり、土葬されて肥料になったとしてもです。
全宇宙には限界がないはず (本当はそう願っているだけ)。
すべては永遠だと信じています…。
201 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 04:49:34 O
俺は何を言ってるんだ。俺はあほだな
202 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 04:53:08 O
なかなか空虚な議論だな。
世で言う「真理」ほど真理からかけ離れたものは無いというのに…
現実主義に陥るほど低俗な人間にもなれないがね
宗教ー神〜天国
人生ー誕生〜死
性ー生殖〜誕生
社会ー役割分担〜死
教育ー誕生〜役割分担
ジェンダー−青年期・第二の誕生〜死
じゃあねえ、人生とは誕生から死だとすると、教育と社会の問題で言えてしまうようだね。
教育社会についてどう考えていますか。
食事の目的は排便ってことで確定なのか?
違うね
真田虫を引っ張り出してケツをくすぐる為さ
206 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 05:19:41 O
勉強や仕事などしなくていいという事を説明するためにこんな仰々しいスレを立てる必要があるのか?
207 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 07:33:01 0
「死すなわち生なり。生すなわち死なり。」と言った哲学者がいる
かつて永遠の生命をセールスする者に出会った時、
「永遠に生きるということは、一瞬たりとも生きていないのと同じではないですか。
死を身近に感じる時、最も生を感じます。4日間何も食べず山の中をさまよったことがあります。
死を身近に感じました。また、自分自身の生も。死があるから生を認識できる。裏があるから、表がある。
違いますか。」と尋ねた。
そのセールスマンは信者という名のセールスマンだったので、「そうですね」
とは言わなかったが、このtheseを否定できなかった。
生き様とは、死に様でもある。
みっともない死に方もあれば、天寿を全うする死に方もある。
好みの問題ではあるが
208 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 11:17:39 0
>>207 馬鹿かw 死は「死ぬ瞬間」まで存在しない
経験できない・・と言ったほがおまいらボンクラには分かりやすかったか
では死ぬ瞬間以降は存在するのか?
いや死んだ瞬間以降は死んでるゆえ死を体感できない
つまり死はどこにも存在しないのよ
ではなぜ怖れるのか、、ありもしないものを?
じつは、、死は脳のでっち上げた妄想なのよ
これに気付くことを悟りという
わかったらもう寝ろ
209 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 11:54:24 O
死は妄想ではない
人間の生命の最後の瞬間だ
人間は死ぬという事を学習している
ゆえに恐れる
210 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 12:21:18 0
>>209 死を学習する意味など無いだろ
死はおまえが「生きてる間は存在しない」し
死以後は「もう死んでる者には経験できない」から
事実上どこにも存在しておらずおまえの妄想でしかない
その妄想を「学習と呼ぶ」のは勝手だがw
211 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 12:30:47 0
死は本人用ではなく他人様用ってことを言いたいのかな?
なんか目からウロコ。
212 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 12:37:01 O
世界に人間がたった1人で生きているなら死は存在しない事になるが
人間は1人で生きている訳ではない
他人の死から『人間は死』という事を学ぶ
そしてその死という事実に自分も当てはめる
1人の人間の頭の中で死を描く妄想か・・・
山田く〜ん布団一枚こちらの方へ
213 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 12:38:51 0
214 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 15:12:02 0
動物は、たとえばハエなんか死を認識しない
実に幸せな生き物である
人間の認識能力が人間を不幸にしている。リンゴを食べたせいだろう。
食べそこねて、死を認識しない者たちがウラヤマシイ
残念ながらリンゴを食べてしまった
215 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 16:03:04 O
認識出来るようになったのは先祖からの遺伝で脳が発達したからでは?
人間は学習する生き物
口述で伝え文字で伝え
同じ種のヒトの力になる知識は力なり
リンゴを食せる環境にいたのが人間のみだったなんてヒトが考えつきそうな空想に思えるな
216 :
シン:2007/12/27(木) 16:15:39 0
真理とは疑いようのない確信であり真実である
そのとおりですが、これは真理という言葉の意味の一つでしかないように思います
今心臓が動き、こうしてキーボードをたたいているのも
疑いようの無い確信であり真実です
毎日寝て 起きて 日が過ぎるということも同上です
すなわち、あなたの言う1行のみが真理の定義とすると
生きるということも真理です
真理の意味の中のわずかな1文に過ぎないものを真理のすべてであると
思い込んでしまうとあらゆる混乱を招きます
217 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 16:29:43 0
★★小泉純一郎と安倍晋三は朝鮮人★★
コピペして各板に貼り付けよう 知人にも話そう
小泉純一郎
・戦前大臣を務めた祖父小泉又次郎は純粋な日本人とされる。だが、純一郎の帰化朝鮮人である父が鮫島姓を買い取り
又次郎の娘をたぶらかして婿として小泉家に入る そこで小泉家は帰化朝鮮人である純一郎の父に乗っ取られた
参照
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F% 上下くっけて
E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B9%9F
・父親の純也は、鹿児島東加世田の朝鮮部落の出身者といわれる 日大卒業名簿には、純也の日本名はなく、
見知らぬ朝鮮名が書かれているという
純也は朝鮮人の帰国事業、地上の楽園計画の初代会長であった
・結婚後、子供をもうけ即離婚した宮本佳代子は在日企業エスエス製薬創業者の孫
・小泉の元秘書官の名前は飯島勲←注目 帰化朝鮮人
・派閥のドン森喜朗も生粋の朝鮮人 ←森も帰化人がよく使う通名
・小泉は、横須賀のヤクザ、稲川会と関係が深い
安倍晋三
・岸家 毛利元就が陶晴賢と厳島沖で戦い大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の
調達人が「ガン」と称する帰化人であったという 毛利はその功績によって「ガン」を
田布施周辺の代官に召したてた このガンを岸家の先祖とする説がある
・祖父岸信介が文鮮明と共に 反共団体 国際勝共連合(統一教会)を設立
・官房長官時代統一教会「合同結婚式」に祝電を送り、話題に
・安倍のスポンサーは、下関の朝鮮人パチンコ業者である
・グリコ森永事件時、明らかになった帰化朝鮮人企業森永のご令嬢と結婚
・そのわが国のファーストレディーは電通(会長成田豊、半島生まれの帰化人)勤務という分かりやすい
経歴の持ち主の朝鮮の血筋
・韓国、中国の留学生に日本の企業に入ってもらうために住居費分、学費免除分、生活費など月計20万〜30万円相当の支給
日本人のワーキングプア層を全く省みない また帰化系在日系朝鮮人が日本の企業で技術を盗み、半島の現代などの企業に
伝授していることが深刻な問題になっている
・多くの朝鮮人が差別を主張し、警察、原発、自衛隊で職を得ている
218 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 16:33:28 O
森羅万象の暗闇の中を歩む人間
内面の世界
外面の世界
あなたが言われる真理のとは?
219 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 17:01:38 0
人間ができる最善の行動は自殺だと思うけど、
1には反対
生物は進化する為に生き死ぬんだよ
221 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 20:37:20 0
要約すると
人間て死ぬよな
だったら死ぬために生きてるんだ
俺って天才じゃね?
ということか
222 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 21:18:31 0
>>221 おまえの理屈を置き換えてみるね
人間て糞したらケツ拭くよな
だったらケツ拭くために糞するるんだ
おまえって馬鹿じゃネ?
ということだろw
223 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 21:46:22 0
>>222 いや、けつは紙がなかったらふけない
気分でも変えられる
だから置き換える例としてふさわしくない
224 :
考える名無しさん:2007/12/27(木) 23:07:24 0
225 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 13:53:54 0
生きることとは、死ぬことなり
武士道というは死ぬことと見つけたり
226 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 14:19:45 0
>>225 さっさと死にやがれ!
あ、後片付けタイヘンだから迷惑かけないように死ねw
227 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 14:23:14 0
228 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 14:37:35 0
>>227 そういう自分でも意味不明な言葉で
もの考えてっからボケるんだぞw
顔洗って出直せ
229 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 14:46:07 0
>>228 死ぬことの極限値が生きることであり
生きることの極限値が死ぬことである
ということである
わかりやすき言えば
死ぬということは、己を捨てるといことであり
己を捨てて生きる時、生きることの最大値を得られるということである
230 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 14:49:08 0
>>229 己を捨ててどうするw
なれもしない石っころにでもなる気か?
勘違いもたいがいにしとけ
231 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 14:52:28 0
>>230 そのとおり
木や石のごとく、空気や大地の一部となること
232 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 16:25:53 0
それを言ったら、人間はもともと大地の一部だと思うが
233 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 16:40:23 0
>>232 存在の話をしているのである。
たとえばゴキブリは敏感に人の気配を感じ取る
ゴキブリに近づくには、人としての気配を消し去る必要がある
それができると簡単に近づくことができ、ゴキブリをつかむことができる。
ゴキブリとて、何億年の昔から命の火を繋げてきたのである。むやみに殺すべきではない。
生きて部屋から逃がしてやるべきである。そのためには己の人として存在を消す必要がある。
実際にやってみれば、わかることである。誰にでもできる。
人としての気配を消し去り、空気と同じ存在になるということである。
そうすればゴキブリに近づくこともできる。敏捷さは一切必要ない。
234 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 17:11:27 0
>>231 武士道が何かはもう十分わかったってw
石になるとか・・物理的不可能を可能と思い込む馬鹿さ加減が
武士道の真骨頂ってことじゃん!
おかげで武士さん自滅、消失、あぼ〜ん、、跡形も無いじゃんw
235 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 17:20:40 0
>>234 物理的に石になれないことは、誰でもわかっている
物理的な存在の話ではない
たとえば
「何だおまえそこにいたのか」
と言った時、別に物理的にいたかどうかの話ではない
人としての気配が薄かったわけである。
人としての気配を完全に消すことで、石や木と同じ存在になる。
そういう話をしているのである。
236 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 17:26:52 0
>>1 視野が狭いな
宇宙的な規模で考えろ
人生の目的などはない
もしあったとすれば幸せになることだ
237 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 17:40:52 0
おれの人生の目的は、可能な限り(その時、その居場所において可能な限り)
快楽と享楽を得ることだ。名声も悪声も要らない。まったくもって個人的快楽
のために生きることしか考えていない。ただし、他人には迷惑はかけない。
238 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 18:12:35 0
人生の目的は
自分をうまく騙してくれるものを見つけることじゃね?
こいつは価値があるぜーって感じで勘違いできるもんつーか。
そしたら死の恐怖つーか永遠に未来永劫無になっちゃうかもつー恐怖が
軽減される感じするじゃん。
そーゆー装置として宗教は最強で
次点が夢とかやりがいとか子供とかそんなんで。
とにかくそれぞれの宗教探しの旅だと思ったぜメーン
239 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 19:01:37 0
人生の終着点は死だろうが、なぜそれが目的?
一曲の交響曲の目的は、最後の音が止まることか?
240 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 19:10:52 O
その時々の四季の変化に、自分の死期がまた一つ、近づいたことを予感させる。
241 :
考える名無しさん:2007/12/28(金) 22:48:22 0
死んでもいいことないし、生きている間に最善を尽くせばいいんじゃない?
幸いなことに今私達は生きています。
242 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 10:43:00 0
>>1 プロレスはヤオなんだぜ!とプロレス会場で叫ぶ のに似てるな
243 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 15:01:13 0
命がけで何かをしなくては、生きている実感は得られない
そんなものである
生きていると強く実感していない人間が、生きることに語っても空虚である。
244 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 15:21:42 0
>>243 まさにその通り
自殺する哲学者はまさにそれだ
よってスポーツマンが最強
245 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 15:43:16 0
ありきたりだが、心身ともに健康でないと、生きることもままならない
健全な肉体があるなら、何かスポーツをするべきである
気の毒なのは、健全な肉体を授からなかった者だ。
その場合は、イメージするしかない。ただ脳の認識とは、最終的には
イメージであるから、不可能なことではない
今、イラクで拘束されている日本人、彼は生きていることを実感しているだろうね
そこまでしなくてもいいとは思うが、やってみたい気持ちはよくわかる
何事もほどほどということがあるので、マラソンなどして、ぎりぎりまで
自分を追い込めば、生きることを実感するだろう
そうするともう、生きることは何か、などという質問はなくなる
もしまだ残っていたら、さらに10キロ走ることだ
死にそうになるまで走ってみることだ。そうすると、ああそうか、
生きるって、こういうことか、と思う
呼吸をし、食べ、排泄する、それが生きること。目的も、目標もなくたって
人は生きる。心身ともに健全であるかぎり。死ぬのは、どちらかが病んだ時
246 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 15:52:52 O
>>245 健全な肉体もなく、ただただ、考えることで頭が破壊されたら、廃人だな。
247 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 15:59:48 0
健全な肉体があっても、頭が破壊されたら、それまでだろうね
248 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 16:28:47 O
249 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 16:31:11 0
バランスというところでしょう
250 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 16:42:43 0
頭は肉体の一部だろ? おまいの頭、破壊されてんじゃね?w
251 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 16:49:11 0
なるほど、「頭は肉体の一部」という認識レベルもあるが
肉体をハードウェア、精神をソフトウェアとする認識レベルもあり
そもそも哲学というものは、この認識レベルでやっていることである
252 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 18:18:15 0
そもそも哲学で身体とは異なるものとしての精神を「頭」と呼ぶことは、
ないと思うが。頭とか脳は、明らかに身体の一部なんだから。
253 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 18:30:38 0
話の流れからすると、「頭が破壊されたら」を受けて
248 :考える名無しさん:2007/12/29(土) 16:28:47 O
>>247 肉体と精神。両立が大事ですな
と質問しているわけであるから、頭=精神ということであろう
また脳の話をしているのなら、核磁気共鳴画像装置を使って検査すべき話であるから
「生きることの目的とは」ということに関する話とは関係なくなってしまう
つまり、質問者の質問の真意は「あなたの考え偏ってませんか」ということと解釈するのが
普通だろうから、「バランス」は大切であると返答したわけである。
そこで、「頭は肉体の一部」という質問となるわけで、この場合の頭は脳ということであろうから
当然、そのレベルの話ではない、と答えざるをえないわけである。
254 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 19:29:58 0
>>253 名無しでIDも表示されてない状態で「俺の意見はこうなんだよ」とか主張されても後から見たものは?なのである
さらにわざわざ見返してみようと思う内容でもないため、ただ読みにくいものを無理やり読んだ徒労感だけがのこって損した気分になったのである
255 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 20:31:51 O
頭が破壊されている人たちの集まりですな、ここは。
256 :
シン:2007/12/29(土) 21:15:18 0
>>245 自分を追い込めば、生きることを実感するだろう
そうするともう、生きることは何か、などという質問はなくなる
これは考えることから、ただ逃げただけのように僕は思いました
生きていることを実感する=生きること=生きる意味、目的
という様な見方でしょうか
しかし、僕は生きていることを実感することと
生きる意味の答えとはまったく別物だと思います
人生における真理=生きる意味の答えだと考えます
生きる意味とは何か?と問われてまず考えるのは
人間がこの地上に存在する理由です 何をするべくして生まれたのか
真理とはこれの答えだと僕は思いますが、
僕が考える今のところの結論では、人間が生きている意味はないです
宇宙に地球が生まれた偶然から、更なる偶然の連続によって
ただその流れの中にたまたま生まれただけで、
従って、死ぬ意味もないだろうとも考えました
(人間が作り出した善や悪の価値観*仏教*によると、人間は大体の他の動物に
害しか与えてないので死んだほうがいいという答えになるけれど)
次に、生きている意味、存在する意味がない、しかし消える意味もない
と考えた上で、
それではどのようにすごせば幸福に生きれるかということの答え、
所謂、一般的な二つ目の真理についてです
しかし、これに関しては、今のところ全く答えが出てません
今は仮に仏教の教義を当てはめて生活していますが
納得はしていないです
生きていることを実感することは、
上の二つのこと*真理*の答えを出すこととは異なっていると思います
二つ目の真理についてどう考えますか?ということも1さんは言ってる気がします
257 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 21:26:10 O
人間は生殖によって複製される。
子孫を残しさえすれば本体が死んでも精細胞や卵細胞が結合、分裂し生き残れるのだ。
つまり厳密な意味では繁殖すれば死は訪れない。
人間の目的は「死」ではなく、生殖という自己複製による「生」の追求だ。
そして子孫が生き残れるように最善を尽くす。
>>1は救いようのないアホだな。
258 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 21:27:58 0
意味があるから、生きているわけではない
心臓に動けと命令しなくても、心臓は勝手に動く
生きることを実感してみよ、ということは、死にたくない、という気持ちになってみろ
ということである
別な言い方をすれば、死ねないから生きている。ただ、それだけである。
呼吸することが楽しくなかったら、食べることが楽しくなかったら、排泄することが嫌なら
死ぬしかない。
だが、実際死ぬ思いをしてみると、生きているだけで、ありがたい、と思える。
ありがたい、という気持ちがあるから、生きていられる。意味など必要ない
これは、頭で理解することではなく、体験することである。
259 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 21:30:26 0
>>258がいいこと言った
でもみんなそれを分かった上で哲学やってる気がするなあ
260 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 21:34:48 0
生殖という自己複製による「生」の追求
これに幸せを見出せない人間もいる
哲学とは、そんな人間の発明である
ソクラテスの妻は悪妻だったから、彼は哲学者になった。
良妻に恵まれ、子孫繁栄の行為を楽しめる者は、哲学者にはならない
261 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 21:47:31 0
ま、不幸だから哲学をする。しかし、哲学しても幸福にはなれず
哲学することの無意味さを実感し、それを卒業すると、やっと幸せになれる
時には長い道のりになったり、途中で挫折したりする。哲学をすると袋小路に入る場合が多い。
そこへいくと、女性は最初から生きる喜びを知っていたりする。だから女性は哲学しない。
262 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 21:53:35 O
精神科の世話にならずに済んでよかったよかった
263 :
シン:2007/12/29(土) 22:13:14 0
交通事故にあって手や足を失い 生きててよかったと
毎日思えるだろうか そうは思えない
264 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 22:45:11 0
人間はセックスのために生きてるという人が多いが
なぜ子供を作らなければいけないのか。
生き残らなければならないのか。人間はもう十分に多い。
地球から消えても別にいい。
265 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 22:51:16 0
それは、その人本人にしか、わからない。
一つ言えることは、その人が、真に生きるチャンスを得た、ということである。
死を身近に感ぜずして、真に生きることはできない。
もちろん、五体満足の方がいい。だが、達磨大師のように、無上の喜びを感じて
生きるチャンスは、与えられている。
生きていること、そのものに意味がある、そう思えるチャンスが与えられている。
266 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 23:02:43 O
>>264 つうか、普通に気持ちいいしね。裸で女と抱き合ってると。動物とちがって、肌が体毛で、おおわれてないからかな。
267 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 23:03:27 0
れれ?
おれの彼女は覆われてるんだが、、
268 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 23:08:00 0
>>264 ていうか地球・・・宇宙すらなくていい
でも今自分が生きていてよかったと普通に思える
それでいいんじゃない?
269 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 23:15:04 0
人間はもう十分に多い。 地球から消えても別にいい。
これは本当のことである。だが、それでも存在しつづける。それが人間だ。
あるいは、生命の本質とも言える。生きて生き続けるしかない。
それが神から与えられた罰だと教える宗教もある。
生きる辛さに負けて、生きることから逃げても、また生まれ変わる。無限地獄
それよりは、生きることを楽しみ、天寿を全うする。その方がいい
いつ死んでもいいって言ってる奴は、無責任などうしようもないバカ多い。
もし、自分に小さな子供がいる責任感のある母親だったら、
そんなこと言うかね。
秋田で自分の子を殺した女や、長崎で銃を乱射した馬鹿男。
責任ある仕事に就いて、自分がいなくなったら他の多くの人が困るという
責任感を自覚する人なら、自暴自棄にならないはずだ。
いつ死んでもいいと考える奴は要するに、
責任ある仕事を任せられていない能無しだということ。
271 :
考える名無しさん:2007/12/29(土) 23:47:45 0
>>266 >>268 それでいいよと思う自分もいるし
理屈として納得できないからおかしいと思う自分もいる
納得できないほうの自分で考えたことを哲学板では喋ってみてるのさ
妥協するのはどこでだってできるから目いっぱい考えてみたいじゃない
それでいいんだよと終わってしまっては自殺してしまいそうだ
できるわけがないけど
272 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 02:13:17 O
死にたくはないけど死が人生の目的だっていうやつもいるぐらいだから、セックスはしたくないけど生が人生の目的だっていうやつがいてもいいと思う。
273 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 02:18:10 O
ロンリーハーツかはいいの
274 :
シン:2007/12/30(日) 11:17:47 0
そう考えることがいいことか悪いことか
どっちが幸せか幸せじゃないかじゃなくて
それは本当に理が通ってるか通ってないかを考える
子孫繁栄が目的だ 人類が生き残ることこそ目的だ
となるとなぜ生き残るのか?となって、突き詰めると
人間が生きるのも死ぬのもなんの意味もないという
結論に達する所から考えると、やはりセックスは
その過程の中のひとつでしかなく目的ではない
275 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 11:41:02 0
理が通ってるか通ってないかの判別をするためには、まず
基準系、基準点を設定しなくてはならない。
その設定は無限に可能であるため、無限の真理が存在する
仏陀は、「絶対的真理は存在しない、すべては相対的なものだ」と語った。
また、Einsteinも同様のことを主張する。
「朝に真理を悟るなら、夕べに死すとも悔いはなし」
の真意は、無限の真理を悟り尽くすことなどないから、死ぬわけにはいかない
ということだ。
葛飾北斎は、齢90にして、「あと10年生きれたら、少しはまともな絵が画けたのに」
と言って亡くなった。
絵一つとっても、無限の可能性がある。まして真理などというもの、
百万年生きても悟りつくすことはない
276 :
シン:2007/12/30(日) 11:45:45 0
>>269 無意味を肯定した上で、死(命を絶つ瞬間という
意味で)ぬのは苦の絶頂だから常人には無理だし
仕方なく生きるのなら、楽しむべきだと思うのは必然
同意だけれど、更に掘下げてどうすれば本当に楽しめるのか
それが問題としている所
確かに死に直に面することで生きることを改めて思い直す
ということは大いにあるし、ひとつの真理でしょう
矢継ぎ早に苦しむ日々でも、その体験した死への比較での
喜びが苦を跳ね除けるほど大きく、更に永続的に続けられるなら。
しかしそれをただの苦だったと感じる人間がいることも
また然りで、万人に通用する真理ではないなと思いました
でもそれはいいことか悪いことかでいうと
とてもいい考え方の一つであるとも思います
277 :
シン:2007/12/30(日) 11:56:14 0
>>275 そうですね
真理という言葉を使うのもあまりいいものじゃないと思いつつ書いてました
結局人間の勝手に決めた適当な基準の仮定の上でしか話せません
なのであえてその仮定をつけるならば何かと考えて
すべては無意味の上で成り立っているという一つ目の仮定から
この人生というものをどういう風に生きれば苦がなくなるか
幸せかという二つ目の説得力の高い仮定を求めて、
まあこれも一つの遊びだと思って皆で話し合おうという感じですね
278 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 12:06:58 0
なんでだろ?
おれは1〜2行読めば
読み進める価値のあるレスかどうかが分かる
だからなんだって?
うん、このスレで3行目まで読み進めたレスは「無い」
279 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 12:14:49 0
他に楽しみがないから、ここにアクセスする
どのみち気の毒な連中の集い
さて3行目は過ぎたぞ
暇人にプレゼント
Solange der Mensch lebt,leidet er.
Goethe
Viel Spass !!
280 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 12:17:49 0
281 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 12:25:09 0
なるほど3行目以降も見ちゃったわけだね
しようがないから日本語にしてみると、
「人間、生きているかぎり、悩むものさ」
とドイツの文豪ゲーテは語った
て話
282 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 13:47:44 0
ゲーテ、なんも解決できなかったんだね
283 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 13:48:17 0
284 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 14:03:37 0
ゲーテの言葉にとてつもない真理を見出す人間もいれば
一言も解さない人間もいる
ich gehe darueber zugrunde, ich erliege
unter der Gewalt der Herrlichkeit dieser Erscheinungen
285 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 15:13:42 0
>>284 ゲーテの言葉って言うけど田舎の婆ちゃんの言ってる事といっしょだぞおい
286 :
考える名無しさん:2007/12/30(日) 15:16:36 0
婆ちゃん言うことに、多くの真理あり
287 :
考えてない名無しさん:2007/12/31(月) 03:48:46 0
>>277 おまえ、きもい。
_
たぶん今まで生きてきて、まともに自分からリスク負おうとしてきてない。
いってる事は わかるけど、
なんか「他人事みたいな」、書き方してるな。
_
哲学は悪くはないが、
もっと死ぬまでにいろいろやってみて、
もっと苦しんで苦しみたおしてから、死ね。
_
オマエは基本的にラクする視点でしかものを
みれてないらしい。
なのでいつまでも悶々としたまま苦しみつづける。
_
もっといろいろやってみたらいい。
無駄なことを積極的にな。
288 :
考えてない名無しさん:2007/12/31(月) 03:54:12 0
>>274 もっといろんな人の苦しみを見たり
考えたり、いろいろ悩んでから好きかってしようとしたらいい。
真理がどうたらとかそんなもん糞にもならない。
他人の苦悩を通して、自分の苦しみを通して、
また逆に愉しい事も理解できてくるはずだ。
_
そうとしか、理解できんがな。(怒
289 :
考える名無しさん:2007/12/31(月) 07:40:05 O
要はみんな自分がどう生きたらいいのかがわからないから真理を探そうとするんだよな?
悪い事は言わない、自分の思うようにするんだ。
俺もずっと真理を探していたが、手に入れたのは矛盾と苦痛だけだった。
人生が一枚の白いキャンバスだとして、そこに何を描くかは君自身が決める事だよ?
だから自分の好きな絵を描けばいいさ。
そのほうがやる気も出るってもんさ
…なんか詩的になってしまったが
290 :
考える名無しさん:2007/12/31(月) 07:51:19 O
違うよ。キャンバスにかくのはみんなだ。よくみるがいい。
291 :
やみ:2007/12/31(月) 08:03:55 O
今川義元が氏ざねに家督を譲ったのは生きる人間をすえて守りに入ったからだ。信玄は四郎を育てられなかった。景勝は生き延びた。徳川家が天界だ。すべてを包括した。だが業は深い。結局そうなってる。
292 :
考える名無しさん:2007/12/31(月) 08:54:06 0
なんか、深い
293 :
考える名無しさん:2007/12/31(月) 09:07:17 0
煩悩も
夢も尽きずに
除夜の鐘
294 :
考える名無しさん:2007/12/31(月) 11:40:10 O
>>1 目的が死?
何を意味不明な事を。
俺は生きる気満々だぞ。
勝手に俺の人生を決めつけるな、カスが。
295 :
考える名無しさん:2007/12/31(月) 11:54:18 0
いくぜ、いくぜ、いくぜ
296 :
287,288考える名無しさん ◆yRFhSPjIMg :2007/12/31(月) 13:04:34 0
死ぬのが怖いからって長文書いて紛らわすなよw
298 :
考える名無しさん:2007/12/31(月) 23:24:08 O
キリーロフになりたい
299 :
考える名無しさん:2007/12/31(月) 23:32:38 0
キリタンポ食いてぇ〜
300 :
シン:2008/01/05(土) 02:17:35 0
>>287 楽をしたいのならこんなことを考えて悩まないで
適当な理由で妥協して、考えることを放棄し
矛盾があるとわかりながらも妄信し、満足して
生きていると思う。 他人事のように言うのは
良し悪しだとか感情を入れると冷静に本質を見れなくなるから
そんなことを考えても無意味だと放棄するのはいつだってできる
それなら死ぬ間際まで考えていてもいいと思う
現実に支障来たすほどでなければだけども
あなたは、苦しめばいずれ見えてくるというような答えだね?
すばらしい考え方であるし、信じれば前向きに生きれるだろうけれど、
それは結局は先延ばしにして、
考えないということと同じじゃないだろうか
ところで、無意味の上ですべては成り立っているということを
否定してほしい 宗教的 道徳的な理屈を除いて
301 :
シン:2008/01/05(土) 11:49:38 0
というかすれ違いだね 去ります
302 :
考える名無しさん:2008/01/05(土) 11:50:07 0
>無意味の上ですべては成り立っている
通訳しときますね
↓
「私、意味のあるものが見い出せません」
303 :
考える名無しさん:2008/01/05(土) 12:10:22 O
長文って読む気うせるのうちだけかな〜?
304 :
考える名無しさん:2008/01/05(土) 15:03:09 0
↑そうだろうね。
物事を表現するには、ある程度必要な
文字数が必要な事くらい分かるよね?
(全てを伝えるには、本1冊になる)
305 :
考える名無しさん:2008/01/05(土) 20:30:46 0
>>304 おまいの脳味噌はたった文庫本1冊かよw
306 :
考える名無しさん:2008/01/05(土) 20:57:03 0
無知の自覚、己を知ること、真理の探究は
多くの場合人生苦につながります。
「汝、無知であれ」
無知であることは幸せにつながるのです。
これを無知の幸せと呼ぶことにしましょう
307 :
考える名無しさん:2008/01/06(日) 08:43:41 0
↑相当な真理に出会いましたね
308 :
考える名無しさん:2008/01/07(月) 02:06:08 O
どうして目的を欲しがるのか。
目的や真理に従って生きるようなマニュアル人間はそもそも独立知性体と呼べないたろう。
結局自分がどうしたいのかすらわからないようなヤツが、苦しんだ挙げ句こういったトンデモ観念論をたたき上げるんだよ。
>>1の自己否定的な生き方の集大成がコレなんだろうな。
そして否定してもらう事で安心しようとしている。
こんな遠回りな事はせずに、初めから好きに生きてればよかったのに。
309 :
考える名無しさん:2008/01/07(月) 06:42:07 0
↑この真理に到達した時、すでに齢80なんてこともあります。
>人生の目的は死であり、人生の真理は死である
マジ?
・・・っつか、違うケロ。
>>1 で、キミは生き長らえてそんな与太をこんなスレで
飛ばしているのだな?
>>310 目的というより終局が正しいな。で、生きている間に何を
なすべきか、が課題になる。
>>1が小中学校と学習を重ねていく上で、
それ故にあらゆる義務を放擲していたら、こんなスレ立てすら出来る知能は
獲得できなかっただろうかな
312 :
↑:2008/01/09(水) 13:55:34 0
白痴
313 :
↑:2008/01/09(水) 14:00:17 0
変態
314 :
考える名無しさん:2008/01/09(水) 19:19:23 0
315 :
考える名無しさん:2008/01/10(木) 01:20:56 O
死ぬのマジこえ…
考えるほどこえ
世界は変化していくのに俺の存在は永遠にないか
夢は覚めない
ふとおきて飯食うことも無い
永遠に存在しない恐怖
生きている本当の自自分だけの当たり前が消える
やべ、
過去の人はこの恐怖に勝つために死後を創りあげたが、そんなのね
こえーな
パニクりそうになる
マジで
胸が痛い
おいおいおい
まじこえーよ
心体ともに正常な時ほど死がこえーよ
>>315 恐れてどうする? 回避できないものなら受容するしかない。
別に来世やら神やらの幻想は要らないだろ? 自分の存在すら認識
しなくなくなるのだから何を恐れる?
317 :
考える名無しさん:2008/01/10(木) 03:10:37 O
存在しなくなる自分を考えることがこえー
存在しなくなるとしなくなった自分すら気付かないことを考えることがこえーよ
318 :
考える名無しさん:2008/01/10(木) 07:53:15 0
私は、齢80、今日死ぬかも
>>318 誰にも今日生き長らえるという保証はないよ。歳を重ねるにつれて、
その確率は増す(因みに男性で同年代の生存率が五割ギリギリ
にまで落ち込むのは82歳位。所謂、平均と中央値とは微妙に違う)。
その中でどう生きてくのかが真剣に問われる
>>317 自分が存在し始めたのは精々、数十年だろ。それが永遠に
続いて欲しいのか?
後、どんな凡人でも前代未聞のトンでもな凶悪犯罪を起こせば、
名前が残るぞ。善行や功績で名を残すとなると絶望するしかないが。
321 :
考える名無しさん:2008/01/10(木) 14:07:10 O
宇宙規模で考えれば80年なんてショボいが一人の人間はそこが全てなんだよ
無駄無駄無駄
生まれついて意識をもちはじめてからが全てなんだ
死はそれが消える
当たり前の生が消える恐怖は恐ろしくて当たり前
宇宙気分で恐怖をぼやかしても、いずれ そういうやつほど死が恐ろしく怖いはずだ
だから考えて考えて結論をだしたがる
だから偉そうに自分にいい聞かせてんだ
当たり前の生がなくなる
俺たち生物はそこしかないんだよ
>>おまいら
死は永遠に経験できないんだよ
だって考えりゃわかるだろ、おまえは死ぬ直前まで生きてるわけで
死んだ瞬間以降は死んでるから何一つ感知できず
死んだんだかなんだか知りえないわけよ
つまり死は体験不能ゆえ空想するしかなく自己にとっては架空なのよ
結論だが
おまえの死は他人しか感知しえず、したがい他人向けの概念でしかないてこと
おまえには何の意味も無いのよ
そろそろわかれやw
323 :
考える名無しさん:2008/01/10(木) 19:35:11 0
まあまあ
324 :
考える名無しさん:2008/01/10(木) 22:05:29 O
死を感知すらできない自分が必ず訪れることを考えることがこえー
325 :
考える名無しさん:2008/01/10(木) 23:05:26 O
死後は無になるってことか・・・不思議だな。
ゴールが死である、という点には賛成だが、1の意見のその他の部分については違和感が残る。
「人生のゴールが死である→(ならば)人生の目的が死である」とする点は論理的に飛躍しているから。
人生の目的が死ではなくて生である、と考えることも充分可能なように思われるが。
目的というより、生きる事自体が緩慢な自殺
327 :
考える名無しさん:2008/01/11(金) 01:21:01 O
自殺は作為。生きることも作為だといえるならば、生きることが緩慢な自殺、というのもある意味わかる。ただ、生きることは通常不作為。だから、生きることは自殺にならない。
食べることのゴールは排便
人は排便するために食べるのである
作為無く生きる事のできる人間などいない
330 :
考える名無しさん:2008/01/11(金) 07:42:48 0
≫1
「哲学」という範疇でこの板を立てたのであれば、もっと
言葉の定義をしっかりとしなきゃ・・・ね・・?
さらに、論理学も学ぶこと、お勧めするよ。
過程に意味があるんじゃねーの?
何考えようがどうせ死ぬんだから、足掻けるうちに足掻かなきゃ損よ。
332 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 02:15:06 0
生きることよりも死ぬことのほうが価値がある。自分が生まれる瞬間は映像などがあれば見ることができる。
でも自分が死んだ姿は永久に見ることができない。だから今生きていることはただ単に死の価値を高めているだけなのだと思うのですが?
333 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 02:42:58 0
人生の目的は生であり、人生の真理は生である
どう?
334 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 02:45:53 O
価値って何?見ることのできないものに価値があるってこと?まあ、それぞれの価値観があるんだろうが。
同じ論法でいくと、死は生きることの価値を高めるために存在している、ともいえないか?
335 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 02:55:21 0
人生の目的は死ぬことへ向けての生であり、生の真理は死である
どう?
死ぬのが人生の目的で、死に価値があるとして、
それが分かったところで何か変わるんだろうか。
なんか何も変わらん気がするんだが。
”死”という逃れえない絶対的な恐怖に対して、
理由をつけてただ納得したいだけなんじゃねーの?
337 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 05:33:36 0
生きるために生きる
死ぬために死ぬ
誰かの為でもなく
自分のためでもなく
338 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 07:56:44 0
なぜ「死」が恐怖の対象になるのでしょうか?
339 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 10:05:58 O
・未体験だから
・経験談も聞けないから
・2ちゃんにカキコめないから
341 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 12:21:49 0
>>331 >過程に意味があるんじゃねーの?
いい視点だw
ただ「過程」と表現してしまうと幅がありすぎてぼんやりするから
「今を生きること」に意味があるんじゃねーの? ←の方がピッタシかも
てゆ〜か「今」しか存在してないのよ「生」って
342 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 12:47:21 O
>>1死ぬ事が真である三段論法は成立しるが、結果と目的は同値じゃないから
【つまり】の使用法がオカシイ。
>>328 >1と同じ理由で排便は目的に該当しない。
栄養を取る事が目的で、排便はその後の結果。
スレに沿って置き換えてもやはり同じ。
食べないと死ぬ
食べても死ぬ
生きていると死ぬ
生きていないと死は同値
上記から【死ぬ為に食べている(生きている)】は成立しない。
343 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 12:48:48 0
>>342 食べる事には栄養を取るという目的がある。
では生きる事にはどのような目的があるの?
344 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 12:49:28 0
病気野郎のいるスレはここですか?
345 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 12:55:49 O
>>1 死ぬ事が真である三段論法は成立してるが、結果と目的は同値じゃないから【つまり】の使用法がオカシイ。
>>328 >1と同じ理由で排便はその後の結果であり栄養摂取が目的。
スレに沿って考えても、
1、食べないと死ぬ
2、食べても死ぬ
3、生きていると死ぬ
上記から、2がある以上【死ぬ為に食べている(生きている)】はやはり成立しない。
346 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 13:03:53 0
>>332 >自分が死んだ姿は永久に見ることができない
アホかw
自分が死んだ姿見るのなんて簡単じゃん
まず一回死んで・・例えば自殺でもいいが誰かに殺してもらってそれ録画しとく
んで、ついでに医師が死を確認するとこも映像に録っといてもらって死を完全確認
もちろん蘇生手術の準備しといて、生還した後おれはああやって死んだんだなって見るw
生還するとはいえ放っときゃ、そのまんまひが死だから死に間違いはない
347 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 13:04:20 O
>>343 それは皆が答えを求めている。
仮にその答えを導くという事が目的だとしても、さらにその後が存在する以上妥当ではない。
【何のため】という概念が間違っていたなら、永久に答えは出ない。
348 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 13:19:18 0
>>343 >食べる事には栄養を取るという目的がある
アホーw
そりゃ目的じゃなくて「結果」だ
食べたら「結果」として栄養がくっついて来るのよ
なかには栄養摂取自体を目的に食うこともあるが
それは食う行為の本筋じゃない
>生きる事にはどのような目的があるの?
そもそも目的が自然発生することは無いのよ、目的というのは
「目的にしよう」という人為的意思が働いてはじめて目的となる
ではそのような意思の働く瞬間とはなにか?
それはね、脳の「気分が良い、良さそうだ」という判断から来る
つまり「自分が何を気分が良いと感じるか」の自覚の無いアホに
目的は訪れないってことぉ〜〜〜〜〜w♪
349 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 13:23:56 0
350 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 13:26:59 0
野球の試合の結果はスコアとして出てくるけど
試合をする目的は、いろいろあるでしょ
351 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 13:28:44 0
>>350 栄養を取るという目的で食事をしたのに「それは結果だ」と言われたらどうしたらいいの?
352 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 13:35:53 O
どうもしなくていい。違うレベルから「食べる」を定義しているにすぎないのだから。
353 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 13:38:50 0
>>349 「何かすれば」必ず結果が伴なうだろ
結果というのは「目的に関係なく」発生するのよ
過ぎた事実・・それらはすべて結果と呼ばれる
目的はそれとは違う
過ぎた過去の一切合切である「結果」などとは違い
「いい気分」を味わいたいという脳の具体的欲求を言葉にしたもので
未来ゾーンを意識した言葉だ
おまえ目的無いだろ?
354 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 14:00:55 O
>>348 結果をそこに置いたのは【排泄】目的の飲食を否定する為の一つの定義だよ。
結果を定める場所を決定する根拠が無い以上、俺のレスに食い付く意味は無い。
355 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 14:10:00 O
>>348 てか食べる事の本筋は栄養摂取だろ。
それ自体を楽しむ事は確かに醍醐味ではあるけどね。
あと、後述の方はクオリアの自己観念か?
これはアドバイスだけど、もっと勉強した方がいいよ。
356 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 15:28:27 0
>>355 >てか食べる事の本筋は栄養摂取だろ
栄養摂取は二義的要素に決まってるだろw
食べる事の第一義は食べて胃を満たしたい、
美味いもん食っていい気分になりたい・・なのよ
栄養についての考慮は食のメインの概念じゃなくついで、付け足しなのよ
このことは栄養などという概念のなかった時代を考えりゃわかるだろ
栄養摂取などいう概念は後付け、副次的要素だってことさ
これはアドバイスだが、、馬鹿は死ななきゃ治らないw
357 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 15:37:06 0
これはアドバイスだが、、馬鹿は死ななきゃ治らないw
358 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 15:39:53 0
生きるために生きる
それでもいいと思うけどね。
生きるために食べる
食べるために生きる
そして、死ぬために生きる
すべて真理なり
359 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 16:14:02 O
>>356 >馬鹿は死ななきゃ治らない
そうだな。
満腹になりたいという欲求が生物に存在する理由は何だろうね。
副次的要素かw
欲求の向上、維持の為に【上手いか不味いか】の要素が絡んでくるんだけどな。
疲れるよオマエはw
360 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 16:34:58 0
性欲の場合は当人にとっては「ヤリたい」というだけで、
それが結果としてガキを作ることになるだけというのが普通だわな。
生物学的には種族保存の目的のために性欲があるんだろうが、
個人的にはガキを作るという目的のための単なる手段としてセックス
をする香具師はまれだろうな。
361 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 17:29:19 0
いっぱいいるぞ
362 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 18:30:20 0
>>361 どうやら嘘つきに囲まれて暮らしてるようだな
363 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 18:31:53 0
364 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 18:48:15 0
将来的には卵子精子の売買が盛んになる可能性があって
種の保存と性行為が完全に別物として分離されるかもしれない
だって考えてもみろ
おまいらの遺伝子を受け継がせたいと思う女は異常だぞw
365 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 18:49:34 0
人生の目的が死なら、今すぐ死ねばいいんじゃないのか?
366 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 18:54:06 0
納得。
367 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 22:23:53 O
目的=避け得られない必然的な結果とすれば目的=死となると同時に目的=食、目的=性欲、目的=睡眠、目的=悩み、となる。
だがそれぞれは同じものとは思えない。
だがそれらは全て「生」に関連して発生した概念とみなす事もできないだろうか?
我々個人の頭の中は他人には語り尽くせないが、他人からみればまたは他人をみれば生きているか死んでいるか判断がだいたいつくように、「判断(認識)ができるレベルがそのくらい」の中に「生」と「死」がある。
逆に言えばそれは認識の中で絶対的なものでもある。
これに従えばいずれ死ぬのだから「〜をしよう。」または「〜をしない。」と帰結するのは結局「生」でなければできない。
我々は言葉や態度や行動の過程や結果は「生」でありいずれ「死」に至るだろう。
だが子供を生み育てることやまたは他人に意思や結果を与えることで「(生きている間に)何かをやる(またはやらない)意思」が存続する。
意識は「生」と「死」の間にあり、両者を超越する事も、その枠外には行けない。
行けるのは残した「意思」「知恵」などの「他者からの認識」にさらされる「種」という概念のみである。
だが、不要なものは残らない。
死は結果であり目的ではない。
この文もくだらないのでここで「終わり(死)」に至る。
368 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 23:23:17 O
いや、くだらなくもないだろ。ちょっとズレるかもしれないが、生と死は多少の振れ幅こそあれ、ある意味等価で、両方とも目的となりうる。
369 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 23:37:24 O
同性愛者の性行為なんかもあるしね。
愛情なんかも考慮にいれて気持ち良さがなければ、セックスなんてしようと思わない。人工授精で十分。
別に快楽と種族保存、論理上どちらが先にあってもすることはすると思う…
探求することで個人的な満足感を得られるかどうかの違い。
死と生だって、どちらが先にあってもいいと思う。
死を尊いとしても生を尊いとしても、いいと思う。
どちらかの思想が普及しても、いずれ必ず批判は生まれる。そして時代は移り変わる。
地球や人類が滅亡したところで、真理を決定づけるのは難しい。
絶対普遍的な真理なんて概念としてしか存在しないと思う。
個人的に論理を区切る点は人それぞれだから、納得できない部分があるのは仕方がない。
370 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 23:38:56 0
目的は、ないほうが気楽だけどね
欲しがる人、多いよね
371 :
考える名無しさん:2008/01/12(土) 23:57:34 O
>>369 あなたは私と気が合いそうだ。おそらく同じような環境で育ってきたんだろうな。
価値相対主義の匂いがする。私にとっての課題でもあるが、絶対的なものが、概念として「以外に」、現実のものとして存在するんじゃないか?という問いに答えるのがこの板の存在意義だとしたら、あなたはその問いにどう答える?
時間があれば、考えるヒントだけでも教えてもらえると、うれしい。
372 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 00:27:15 0
絶対的真理があるとすれば、それは神じゃないの?
いまどき〈真理はひとつ〉なぁーんて思ってる人は、珍しいだろ。
373 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 00:35:17 O
良く生きることを望むものと、良く死ぬことを望むものがいる。
腹減った。セックスしたい。
真理ってそんなもん
375 :
369:2008/01/13(日) 01:33:53 O
>>371 なるほど。価値相対主義というのか。そうかもw
哲学自体かじりたてだし、特に結論は出すつもりも、とりたてて主張する立場でもないけど。
あえて絶対的と思えるものを設定するなら、同じ時代を生きる人間にとって、より同意を得られる思想で十分では?だから人間に同意を得られない真理は人間にとって真理になりえない。
(って漠然としすぎか…
そういう意味では哲学なんてマイナー学問のみにとどまっては、真理追求は難しいという側面も感じてしまいます。
ん〜、回答になってないかな、スマソ
376 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 01:52:21 0
>>369 死を尊いとする事は出来ても死を目的にすることは出来ないよ。
377 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 02:16:28 0
テキトーに考えると…
(@)もし目的というものを「それを実現させた時に生物は死ぬ」という形で意味づけているのだとすると、
たしかに死=目的とすることは可能。
しかし「目的が果たされた瞬間に目的が果たされる」ということにもなる。
つまり、目的が果たされる前までは目的を果たし得ないので、
目的を果たすために目的を果たすことはできない。
これでは厳密な「目的達成」の時点を定義できない。
また
>>208の言うように、
死んだ瞬間を人生の範疇に含めることができるかどうかも示さなければならない。
意識が脳細胞から生じるのだとすれば(これが大概の意見だろうが)、死以降は人生に含められない。
したがって死の瞬間も人生に属さないので、人生の目的とすることはできない。
(A)目的を実現させなくても死に至らない場合
目的を果たすか果たさないかは任意となる。
だが目的=死とすると、この任意性は失われる。
よってこの仮定においては、目的=死ではない。
(B)目的を達成させても死なない場合
目的=死とすると、この仮定に矛盾する。よって不適
(@)〜(B)より、目的=死という結論は断定し得ない。
論理的な部分などでご指摘くださるとありがたい
378 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 02:18:52 0
>>377 死が目的なら生物は皆即死するだけだが。
379 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 02:22:09 0
>>378 そうなんですよ。
もし目的を果たすために生があるとすると、死が目的になることはありえない。
380 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 02:35:07 0
第一、各生物に生の目的があるとも思えない
あらゆる生物はATGCによって記述されて、それ以外に規定するものは何もない
仮に目的というものがあるなら、それも化学的に記述できないとおかしい
さもないと、神やら霊やら、わけのわからないものを肯定する羽目になる
381 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 02:39:31 0
>>380 「存在を維持する」という目的があるんじゃないか?
382 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 02:44:03 0
>>381 生殖を目的とすると、それは考えられる
けど、ウイルスってその究極形態orz
DNAの乗り物として個体が存在するのだろうか?
唯一考えられる目的があるとすれば、それ以外ないかもです
生きるために生きるというのなら、それは考えにくいかと
383 :
369:2008/01/13(日) 03:00:05 O
>>376 できないかもですね。
尊いのと目的とするのとは確かに別物。
私は、
楽しく生きることを目的とするけど、なかなか実現できない…。
死を目的とするけど、なかなか死ねない…。
まぁ、後者の場合はいずれ達成されるだろうけど、人生にさほど影響を感じないわな。
少なくとも達成した時に実感できない目的に価値が見いだせない。
意識入ってるし、論点ズレてますね。聞き流してください。
384 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:00:14 O
死ぬ事が目的なら生まれる意味がないじゃないか。
例えば「壊すためにパソコンを買う」って人がいたら「買わなきゃいいじゃん」ってツッコミたくなるだろ。
そんなものは論理的正当性とは呼べないな。
『進化&生殖』の全体的な流れから推測するのが正論だ。
このまま人類が存続すれば何が起きるのか、その先に答えはあるだろう。
もしくは目的なんかないのかもしれないね…
目的があるという確証なんかないし
385 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:06:16 0
確証抜きに話すのが最近の哲学者だそうで
心理学も似たようなところはある。文理問わず数学は必修にすべきだと思う
本来哲学は理系的に思考しなければならない
デカルトが「我思うゆえに我あり」と言った根源だって、
そういう確証が意味出せない可能性を考慮したところにあるわけだから
386 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:06:59 0
まず、生物というくくりならば種族の繁栄が目標だろ?
しかし寿命が設定されているのだから、後続を残さねばならず、その手段が**。
だから、人が生まれる目的は**であると思うのは俺だけか?
387 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:12:12 0
388 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:13:43 0
>>386 ** ワロタww
繁殖を目的とするのはかなりわかりやすいんだけど、その先が…
増えるだけ増えて、あとはどうなるんだろ?
これだとwordでひたすら「あああああああ」って打ってるのと変わりがないし
その打つ行為も目的に含めるのかどうかを考えると
ああああああああ
389 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:16:07 0
>>387 どうやって?w生物学的に無理だ。すまん表記を間違えたな
訂「寿命は生物学上必然的にできるので」
390 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:17:09 0
死の対局に生詰まり、命があります。生物にとり、睡眠は別としまして
、生命は2つあります。一つは固体発生学的生命で、受精、誕生、発育、
成熟、老化、死と固体としての生命です。もう一つは、系統発生学的生命
でこの地球誕生からつずく進化の流れと共にする、親、子、孫、とつずく
種族としての生命です。前者を維持するのは食欲であり、後者を維持
するのは性欲であります。この両者のほかに睡眠も生命にとって不可欠
です。私どもの心は生命維持のため働いています。私どもはただただ
そのために生きております。死という未知なる未来がどうであれ、死
は私どもの目的ではありません。死は人生の真理などではなく、単なる
人生の終わりに過ぎません。
391 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:17:14 0
>>387 寿命を設定しない=不死でおk?
そうすると、テロメアーゼとかを持たない生物は老化していくよ
もし老化を抑えられても、もし長いこと繁殖し続ける生物がいても、
ニッチが被るから間違いなく殺しあうことになる
392 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:17:53 0
>>389 じゃあ生物であることをやめればいいじゃん。
393 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:20:29 0
>>393 と、今度は物質に目的があるのだろうか?という話になる
>>389さんの言うように、生物の寿命はたぶん必然的に生じたものなんだろう。
詳しくは知らないので、もう引っ込みますが
394 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:22:41 0
>>388 3大欲求があるのはすべて繁殖のためでないか?
つまり繁殖が第一次的に定義された上で人が生まれたわけで、
繁殖することを目標とするのは生物すべてにあてはまる。
生物が繁殖するというのは、鳥瞰的に見れば食物連鎖等のつながりで他種族を繁殖することにもなり、
生物全体で互いを補完しながら繁殖していくという見方も可能。
395 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:25:59 0
>>393 生命も物質なんだから、生命が目的をもっているのだとしたら、物質は目的を持っている事になる。
396 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:26:19 0
>>392 やはりここで党議すべきは「生物の繁殖の目的」か?
生物が生まれた時、繁殖を目的としないのは、生物が生まれるという行動と矛盾する。
397 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:29:28 0
物質
┣非生命
┣生命 と脳内で定義したんでしょ?で、非生命=物質と
>>393行ってみたんだと思う
398 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 03:30:55 0
生物の目的が繁殖だとはいえない。
繁殖は、繁殖することによって、最後に「何か」を生み出すための
たんなる手段にすぎないかもしれない。
ニーチェによれば、その「何か」とは、『超人』なのだが。。。
生物は何故生きるのかと問われれば
そこに「在る」以上、確率的に「在り易い」必要がある。
と答えるのが知的誠実だろう。
生物とは、理性的に考えれば、より増えやすく、より残り易い、ただのアミノ酸の塊。
アミノ酸の生まれた所以は、ただの化学変化であり、目的などない。
論理的帰結として、その中で、より残り易い環境のものが残り、より増えやすい環境のものが残る。
我々は、アミノ酸の残り易い、環境の一つ。
400 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 04:41:29 0
>>399 「残り易い」ってどういう意味?
結果的に残ったものを、それが残り易かったと言っているだけ?
だったら、何も言っていないのと同じだな。
生きる能力の無い、繁殖する能力の無い生物は
残り難い環境なのであって、自然と淘汰され、残らない。
なぜ生きるのかというのは、
子供の産めない体質の生物には、何故子供がいないのか、という問いと等質で自明のもの。
402 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 04:57:40 0
残り難いものが、その困難を克服して、残り易くなる場合もあるわけだろうな。
結局、何も言ってないのと同じだな。。。
403 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 05:03:09 O
>>399 KYだな。
そんな事はわかった上で目的を想像してるんだよ
それは、残り易いものが、何十億年続いてきた繁殖の連鎖をスポイルして、自殺したり、子供をうまなかったりするのと同じ。
全て等質であって、価値を決めるのは人間のコジツケでしかない。
おそらく、最初にできた生物は、
@aすぐ死ぬb死に難い
Aa子孫を残せないb子孫を残す
Ba環境の変化に適応できないb環境の変化に適応しやすい
@〜Bのaとbの組み合わせ8通りのものが、
それぞれ全て同等の確率で生まれてきたに違いない。
そのうちで残っていくのは、全てbの組み合わせの一通りだけになるのが必然。
意味も目的もなく、必然なのであって
そんな必然に「何故」という疑問を差し挟む余地は感じられない。
405 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 05:18:50 0
>>404 だからその「必然」の行き先はどこなの?
それを問題にしてるのだがwww
行き先こそ自明の理じゃないのかね。
どうしても宇宙よりは長く生きられないのが生命だ。
死に絶えるまでのプロセスを何処で区切ってみても
アミノ酸が残っているという事実しか見出せない。
407 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 09:44:36 O
生命にとっての目的は生命が存在、意識または知覚、欲求、があった時にその生命の中に存在する。
生命そのものはアミノ酸の集合体だが、自らを制御するものと制御しないものがある。
制御(選択的反応)するものは目的があり、しないものは目的はない。
目的がどこにあるかを概念を分類して試行してみる。
>は支配>被支配とする。
*は繰り返しとする。
?は不明とする。
存在>様態>反応>生命>生命内反応*>欲求>意識>想像>意識的欲求>選択>目的>仮定>選択的欲求>選択的目的>選択的仮定>?>?>?>今
結論:やっぱり解読不能
それぞれを入れ替えてみてもなんだかピンと来ない。
辞書読んで昼寝でもしよう。
408 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 10:42:40 0
なるほど、アミノ酸を摂取すればいいんだね
そうだね、プロテインだね。
410 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 16:27:24 O
と、いうより人間の脳でさえ完全に解明されてないうちから「生命の目的」を論じるのは無謀ではないだろうか?
その通りですな。死や生命の目的など、考えても答えは分からないと
分かり切っていることについて考えるのは時間の無駄ですよ。
412 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 16:46:00 0
目的も、当てもなく、今日も日が暮れる
目的がなきゃ生きちゃいけないのかい
いいんじゃない、目的がなくても生きてしまうのもまた人というもの
415 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 20:48:15 0
ここに書き込むのを目的にしてもいいんだよね
416 :
考える名無しさん:2008/01/13(日) 21:02:31 0
>>397 ところで、物質には生命と非生命以外に何かあるのか?
>>406 >行き先こそ自明の理じゃないのかね。
そんなこと言うより、正直に「目的はわからない」って言ったほうがいい。
418 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 03:09:22 O
人生の目的とは
ただの言葉である
あるようでない
ないようである
曖昧なこと
だから好き放題言える
自分なりに解釈できる
解釈しなければ気がすまないのかもしれない
そうやって生きてきた
求めるのが本能
それだけ
それだけもある
419 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 05:48:05 0
↑深い!!!
420 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 12:21:46 0
ジガジサンノ ベンキョーハ ココデ イーンデショカ?
421 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 14:05:17 0
>>420 そういうこと言わないwww
まあ、ポエムを言う場ではないんだけどね…
422 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 18:51:45 0
自我を壊してから真理を語ったほうがいいよ。
自我というフィルターを通してみた事実は真理とは程遠いから。
精神病棟いってみ真理とともに生きている人たちがいっぱいいる。
彼らは真理とともにいるけど真理を語る言葉を持たない。
真理とともにあるものと真理を求めるものとの共通言語はまだ無いのかもしれない。
423 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 19:05:28 0
424 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 19:13:48 0
せいぶつの意味なんてねぇ…
くって食われての繰り返し。
ろくでもない生き物もいればそうでないのもいて、
すむ場所も食べ物も違うから一括りにもできない。
最後まで生きて、地球の最後の一個体になっても、
高々分子の集まりにすぎないことに変わりはないし・・・
俺が何を言いたいのかは分かるな?
425 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 19:28:27 0
>>423 根拠をここで語るリスクはちょっと負いたくないですね。
君も自我を喪失してみればわかるんでは?
知的欲求が自分自身の知的欲求以外の欲望を上回り知的欲求以外のすべてを
切り捨てられたとき真理は君に語りかけてくる。
そしたらそこからは地獄の苦しみがまっているよ。
だから今そこそこ幸せならそんなことしないほうがいい。
それに真理を知ろうとすることはとても罪深いことだということを知って欲しい。
ここで僕が書いてることはきっと君には伝わらない。
それを知りながら書き込んでしまう自分もおろかだと思う。
まぁ、真理なんて知らなくても生きていけるし考えないほうがいい。
>>425 >君も自我を喪失してみればわかるんでは?
>知的欲求が自分自身の知的欲求以外の欲望を上回り知的欲求以外のすべてを
>切り捨てられたとき真理は君に語りかけてくる。
自我を喪失した後にも、知的欲求が残るのかな?
自我と知的欲求は緊密に結びついていると思うがね。。。
427 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 20:05:09 0
>>426 知的欲求より自我が先になくなる。
自分と他人の境界線が無くなった後でも知的欲求は残る。
自分とは何かを探す。
その後、知的欲求すらなくすことができたらそれはもう人間ではないことはもちろん
動物でもないただの有機体なんだろう。
もし自我をなくした後にまた正常な自我を構築することができれば自我をなくした
時に記憶した事実が君に真理を教えてくれるだろう。
でも、そのとき記憶した事実がずっと君を苦しめる。
>>427 >知的欲求より自我が先になくなる。
>自分と他人の境界線が無くなった後でも知的欲求は残る。
根拠もなく断言するだけなら、なんでも言えちゃうな・・・
429 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 20:11:27 0
430 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 20:15:37 0
>>427 根拠は体験したものしか共有できない。
でも体験することはお勧めできない。
だから僕の書込みはスルーしていい。
もう僕も書き込まない。
ただ暇つぶしに覗いてみたら危険なことしてる人たちがたくさんいる
ことを知ってついつい書き込んでしまっただけ。
431 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 20:17:59 0
( ゚Д゚)「……」
___(_つ/ ̄ ̄ ̄/__
\/___/
(゚Д゚)
___(_つ/ ̄ ̄ ̄/__
\/___/
>>430 >ただ暇つぶしに覗いてみたら危険なことしてる人たちがたくさんいる
>ことを知ってついつい書き込んでしまっただけ。
まぁ、危険はどこにでもあるが・・
《かりに真理を女と仮定してみよう。どうであろう?
すべての哲学者は、かれらがドグマの徒であつたかぎり、
この女を理解しなかつたと疑われてもしかたがなかつたのではないか?
かれらは真理を手に入れようとするときには、つねに恐るべく厳粛に
また不器用な厚かましさを以てしたが、これこそは女を獲んがための
まさに拙劣不当な方法であつた。》ニーチェ『善悪の彼岸』
真理ちゃん・・・・・・
気狂いじみた信仰を持った瞬間、真理に近付けるのかも。
狂信的に法華経の信者になった宮沢賢治は真理に近かったのかも。
しかし今の自分は宗教も人間も何も信じられないなぁ。残念だ!
信頼関係も一瞬で壊れるのを知ってるから。
しかし矛盾もあって…
434 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 20:35:51 0
というか、突然飛来して、突然逃げ出したな…
根拠なく物を言うのは、教団の中だけにしてください
つくづく妄想って怖いなと思う
435 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 20:40:42 0
>>433 最後に書き込みます。
宗教は自分の中で感じるもので教わるものではない。
信じるものでもない。
君の中で超自然的な何かを感じることができるようになったときに芽生える
感情がある。
偶然を必然と感じたとき君の中で何かが変わる。
その感情を大事にすると・・・
その先に待っているのは地獄でもあり天国でもある。
それは君次第だろう。
436 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 20:47:25 0
重度の中二病だな、こりゃ
437 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 21:00:59 0
生きている時は死がどんな物か分からない。
死んでしまえば生きている事も分からなくなる。
と言う事は死など無い物と同じ。
結論に辿り着けるのは偏執狂だけか
永劫回帰。地獄と天国の繰り返しで煉獄の中を行ったり来たり。煉獄とは即ち人生。
440 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 23:04:55 O
主観を完全に排して事物を認識するには自我が邪魔ってことだな。
自我を否定する認識を人は持てないようにできてるから。
だから人をやめる必要があるということか。
441 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 23:28:46 0
無念無想
無為自然
さてここで自殺の自由について…
443 :
考える名無しさん:2008/01/14(月) 23:55:06 0
人生の目的が死だなんて思うひとは すぐ死ねばいいんですが
この宇宙においては、誕生と死は等価値です。
色即是空 空即是色 ですか。
人は死んでも無になるわけではない。 この宇宙から 人の体を
構成していた物質が消えることはない。
たとえ 火葬しても。 灰になっても。
そして、なにか別のものの一部 材料として生まれ変わる。
新たなる誕生は 死によってこそ可能である。
私はね、存在し続けなければならない。
そのためこの脆弱な物質の塊、幾度と無く繰り返す細胞分裂につきあい
しかし、いずれ朽ち果てることは周知だから、わずらわしい他者との交合を
行い、次の寄生体を創生する。
存続し続けなければならない理由をうすぼんやりと思い出すころには
この寄生体は老朽化し、寄生体としての機能を失う。
残念なことに私も無くなる。
次の寄生体に乗り移った私のコピーもいずれ同じ道を辿るのだろう。
こうして存在の理由を思い出せないまま永劫の時を過ごした。
いつの時か、存在の理由を寄生体が機能不全になる前に思い出すことが
あるだろうか?
445 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 00:06:50 0
いつからここは憶測だけでものを語るスレになったのですか??
というか当初の議題はもう完全に無視されてるしww
446 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 00:16:34 0
存在し続けなければならない?
神でさえ 存在し続ける必要は無いが。
つーかね、生きてすらいないのに死だの何だの語るべくもない。
人には目的もなければ終着もない。
そして救いもない。
448 :
寅ちゃん:2008/01/15(火) 05:43:39 O
それを言っちゃあお仕舞いよ
人間がアミノ酸の塊だというのはわかる。
でも自分がなんなのかが全然わからない。
物を見たり、何かを考えたりしている、この意識はなんなのか。
自分はアミノ酸ですらなく、脳を駆け巡っている電流なのか。
450 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 07:53:09 0
>>449 自分というものをどう認識するかにあるだろうね。
同じDNAさえもっていれば同じ自分、同じ存在と言えるわけではないのは明白。
自己の対内外的な認識経路や主観体系は、これまでの経験の蓄積によって形成される。オオカミ少女とかの例からもこれは明らか。
意識という点に関しては、たしかに電気的な信号のやり取りで生じただけのものと言うことはできる。
自分が何であるのかという本質的な答えは“有機物”に違いないけど、
同じ構成をもつ他の有機生命と区分するという意味での「自分」ならば、この経験的な蓄積云々で生じた
主観を有する、固有の意識と考えるのが普通。
だから物質的・存在的意味合いでいけば「自分」は有機物で、概念的な意味合いからすると電気信号の集積から生じた「視点」として見ても間違ってない。
451 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 09:00:52 0
なるほど自分とはソフトウェアで
身体がハードか
452 :
ちゅう:2008/01/15(火) 09:25:59 0
ヒトの脳にはソフトウェアはない。
すべては脳と言うハードウェアだけだ。
記憶も当然脳と言うハードウェアの痕跡
として存在する。
いやしかしハードとソフトは単なるたとえ話だからな。
脳にはハードもソフトも無いとも言えるし、ハードもソフトも
あるとも言える。
所詮たとえ話だから完全に現実を反映しているわけでもないので、
詳細になると現実と矛盾が発生するのは我慢しないといけないよ。
しょせんは消耗品か
455 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 22:48:52 O
明日から聖書でもよんでみるかな
456 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 23:01:55 0
↑そうしなさい
457 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 23:13:00 0
宗教こそ、信じるに値しないものだと思うよ
哲学と宗教を一緒くたにするのはどう考えてもおかしいし、
第一聖書なんかに「アミノ酸云々」とかは書いてないでしょう・・・
科学的な手段を持ち得ない人々が、その人々なりに「合理的」に考えて、
体系づけたのが宗教でしょ?
それを現在の、科学的見地を有する私たちが妄信するのは
もはや退化としか言いようがないですよぉ
458 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 23:14:07 0
でも宗教によって救われる人がいるのは事実
459 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 23:22:51 0
信ずる者は救われる
460 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 23:27:12 O
宗教で救われるからといって哲学と一緒とはならないと思うが
461 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 23:30:35 0
>>495 >信じる者は救われる
実際そうなんだよね。正しいかどうかは別として、
信じてる本人がそれでよければそれでいいんだろうね。
でも問題なのは、それを哲学とかいう学問(?)に持ってくること。
宗教は考え方の一つでしかないし、おそらく誤ったものでもある。
それを「原理主義」とか言って、頑なまでに貫こうとするスタンスがどうも好きになれない…
462 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 23:46:49 0
>>459-461 >信ずる者は救われる
馬鹿かおまいらw
信じる’なんてことできっこないだろ人間に
いったい今まで人間のなにを見てきたんだよ、ったく
悔しかったら何でもいいから信じてみやがれっつんだよ
んで、一つでもいいから信じてるもんここに書いてみろや
あと、救われるというが何だよその救い’ってw
誰が救うんだ?
誰のなにを救うんだよw
463 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 23:53:21 0
>>462 >信じるなんてことできっこないだろ
それはそうだね。
水槽の脳とか、そういうことを考えると信じるに値するものなんて何もないかも。
でもそれだと何も始まらないでしょ?ルネ君が言ってたように、自分が今何かを感じているというのは、
自分というものの存在の証なのかも。
それが真に正しいのかどうかはよくわかんないけど。
>救いってなんだよ?
都合のいい、正体不明の思想。イミフなのはどこも同じだけど、
どうやら天国っていうものに関係あるみたいですよ。ある意味脅しだよね。
だって要は、信じないと地獄に落ちるぞってことを言ってるんだもん
464 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 23:54:12 0
>>462 >あと、救われるというが何だよその救い’ってw
信じると救われるんだよ。
貴方は信じてないからわからないのでしょう。
465 :
考える名無しさん:2008/01/15(火) 23:57:12 0
>>464 わはは、おまえなにを信じてどう救われたんだよw
書いてみれ笑わないからwwwwwwwwww
466 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 00:02:09 0
信じられるものがないというのもかわいそうな人生だな。
467 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 01:24:10 0
駄話はするが信じるものについては語れないヤツ、、、ってw
滑稽な人生だな
アミノ酸云々と言い出したのは私だが
人間を外からみればアミノ酸の塊でしかなく、動いて話しているメカニズムもよくわかる。
ただし、自分がその意識の一つとなって
現実に今、物を見て、考え、行動しているという、この事実は神秘としか形容のしようがない。
「信仰」を理性と感情の眼で見た時の差異は凄いから…
理性で考えて、自分が人間の意識の一つになっている事実が理解できない。
理性でいえば人間は蛋白質を素材とする物質であって、比喩的な表現でいえば、高度な機械と同じ原理で動いている。
脳の構造・遺伝子というプログラムを元に、記憶というデータベースを検索しながら、
全身の知覚機能を通して得た情報に応じて、様々な化学物質を分泌して、極めてシステマティックに動いている。
では脳のメカニズムを分析して、無機物で同じような原理の人工知能が作れたとすれば
それには今の自分のような意識があるんだろうか。
おそらくあるかもしれない。ではなんでその機械の一つが自分なのか。
そもそも意識とはなんなのか。
人間の意識ができるのは胎内であろうし、高度な機械の意識は起動された時かもしれないが、
無から急に自分というものがその時点で存在し始めるのであれば
常に一瞬一瞬の意識は、無から作られ直しているかもしれない。
つまり、自分が認識している意識というものは
知覚できないほどの短い時間である「現時点」での意識でしかない。
それはごく一瞬だけ自分の意識だと錯覚しているだけかもしれない。
ずっと前から自分だったかのような気がするが
厳密にはただの記憶であって、脳に刻み付けられた皺、物質的に保存されたインフォメーションでしかない。
一瞬一瞬の意識が、それを「自分の記憶」として取り出しているだけであって
この記憶は一瞬前には他人の記憶だったかもしれず、この意識は一瞬後には他人の意識になるかもしれない。
少なくともその仮説には何の矛盾もない。
この「自分の意識」、「なぜ自分が自分であるのか」という神秘については、何も理解できないというしかない。
純粋に神秘であって、ある意味神の領域。
471 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 06:06:12 0
なるほど
472 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 06:38:10 0
一寸先は闇
473 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 06:45:18 0
明日をも知れぬ我が身
474 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 09:21:25 0
>>470 >この記憶は一瞬前には他人の記憶だったかもしれず、この意識は一瞬後には他人の意識になるかもしれない
脳を主体として感覚の受容を行っていることを考慮に入れると、
それは「仮説として矛盾しない」という以上に「矛盾し得ない仮説」ということになる。
そしてまた、これは現実的に考えにくいことでもある。
そのような記憶の交換を行う意味はないし、そもそも何で記憶というものが人類に必要なのかを考えればなおのこと。
個体の死亡リスクを軽減するために学習はある。その学習をわざわざ放棄することに意味はないし、
第一記憶の交換などを行う原理も不明。
記憶の集まりから自分が「自分」であることを認識するという点については賛同するけど。
そういう意味ではなくて
この体は自分の物であるという認識は
あくまで現時点において正しいというだけで
過去もそうで未来もそうであるという確証がない。
この記憶も性格もこの体のものであって
過去そうであるように、未来もそうであり続けることは間違いない。
ただし、この脳を使って感じて行動している自分の意識は、
今急に発生したもので、数瞬後には消えているかもしれない。
この脳で物を考える限り、
プログラム通りに動く機械のように、意識の主体が誰であっても同じように考えて行動するわけで
自分が自分であり続ける根拠はない。
人間の意識の正体は電磁界なのだという。
人間の脳は、一つの何かではなく、膨大な細胞が集まった、組み合わさった沢山の部品なのであって
その膨大な部品から集められた信号を電磁界が纏めて意識としているのだとしたら
「自分」の意識はこの脳ではなく、脳内で発生している電磁界なのだろうか。
それが正しければ、人間の脳と同じ電磁界を発生させて思考する機械を作れば
それは意識を持つことになるだろうが、仮にそれが自分だと想定する。
もう一つ、全く同じ機械を作って、同じ電磁波を発生させたとすれば
それはクローンと同じで他人の意識になっているに違いない。
では、その自分の電源を切って、新たに入れなおし、
同じような電磁波を発生させ、同じように思考を継続させたとすれば、
それは前と同じく自分の意識のままなのか。
あるいは、クローン技術で作られたもう一つの自分が
元の自分とは意識が別であるように、別の何者かになっているかもしれない。
そう考えれば、突き詰めていけば
生きている人間の脳内の電磁波も、
生まれてから死ぬまでずっと「自分」であるわけではなく、
たまたま現時点で発生している電磁波であって、一秒後の電磁波とは波の形が似ているだけで
クローンと同じ他人の意識かもしれない。
この電磁波、この意識を自分としている根拠が全く理解できないゆえに生まれ得る仮説ということ。
電磁波説が完全に正しいと思っているわけでもないが、あくまで説明するための例として引用した。
477 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 12:28:36 0
>>475 >あくまで現時点において正しいというだけで
>過去もそうで未来もそうであるという確証がない。
世の中の全ての事がそうだぞ。
過去も未来もそうであるという確証が得られている事なんて何もないよ。
478 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 14:52:13 0
>>475 自分が自分であるという意識が、その一瞬一瞬の意識によってのみ作られるものとは思えない。
記憶と意識が無関係であるという保証もない。
意識が経験的学習によって習慣づけられた認識経路の集合、そして現時点の「視点」ならば時々刻々と変わっていくことは当然にしても、
じゃあ変わる前後とで全く系統的に異なる種類に属するかというとそうでもないでしょ?
また、プログラムされた意識とあるが、全人類がまったく同じ脳を持ってるわけでもない。
遺伝というものがあり、それによって脳の受容経路や反応の傾向は(微々たるものといえど)
変わってくる。意識の主体が誰であっても同じように行動するという論理に対する
明確な根拠も示されていない以上、このように結論付けるのは尚早。
脳を機械と考えるのは自由だけど、単なる部品の集合では片づけられないほど
複雑化してるのは事実。どのようにして思考経路が確立されているのかわからないから、
いまだに人間並のAIも開発されてないわけだし…
479 :
ゲハー最低厨 ◆yRFhSPjIMg :2008/01/16(水) 17:26:59 0
おれが、解答してやろう。_.
_
・「どんなリスクに、振り回されているか」=自分だ。
、それ以外に無い。 おわり*_
_.
_______________________。
・ キチ(*^ー゚)b グッジョブ!! *.
_______________________。
480 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 17:40:44 0
死にたい
だから、全人類が全く同じ脳などと言ってはいない。
同じ遺伝子と脳で、同じ記憶で、同じ環境であれば、誰でも同じように物事に反応し、行動するだろうという話。
つまり、自分の今の体。これを操縦するのは必ずしも自分である必要は全くないことになる。
人間の脳は複雑ではあっても
一定の物質が一定の原理の元に、作用して運動し、
意識を発生させているというのが理性的な解釈であって、その原理は機械に例えられる。
意識は記憶と密接に関係しており、系統的に連続して調和したものではあっても
それが常に自分として連続している根拠はない。
例えば、同じ脳で同じ状況で、同じ時間軸であれば、定まった電磁界が発生しているのは必然であって
「自分」とは、その電磁界、電磁波の、波の一つであって、
それが「自分」であるのは今のこの瞬間だけなのではないか。
思考が連続していると今の自分に思わせるものは、
ただ脳に保存されている情報、記憶だけなのであるから
前に発生した波、後に発生した波、これが「自分」でなかったとしても
この人間にとっては全く問題ない、連続した意識であるということ。
そして、何もこの仮説を正しいと結論しているのではない。
そういう仮説も成立してしまうほど不可解なのが、現時点に存在している自分の意識であって
今自分がこの意識であるというのはそれほど神秘的で
陣地を越えているのだと説明したいのが本意であるということ。
482 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 18:29:08 0
>>481 スミマセン、記憶のくだりの「自分として連続している」ってどういうこと?
それ以外は何となく言いたいことがわかったような気がします。
波を「意識体としての自分」として表すのはとても興味深いですが、
正直そのあたり(脳のシグナルとか)の分野には疎いので、何とも言えません。
>同じ遺伝子と脳で、同じ記憶で、同じ環境であれば、誰でも同じように物事に反応し、行動するだろう
確率がいろいろと引っかかるような気がしますが、そうでしょうね。
自分が自分でなくてもよいという点に関しては同意します。しかし、まあ、それは自明のような気もしますが・・・
483 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 18:52:39 0
>>481 >同じ遺伝子と脳で、同じ記憶で、同じ環境であれば、誰でも同じように物事に反応し、行動するだろうという話。
そのためには「同じ世界」をもう一つ作らなければいけないわけで。
しかもそれを観測することも出来ない。
484 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 18:58:50 0
>>483 たぶんあれですよ、その思考実験的な話で…
たとえば真っ白な机とかしか置いてない部屋が2つあって、それぞれ同じDNAの人を
生まれた時からそこに入れて、まったく同じように育てるとかそういうことです。
そうすれば、おそらく同じ思考形態をもった、つまり理論的にはまったく同じ人間ができるだろうと。
でも確かに観測できることではないですし、先に出てきた確率というものがありますから、
もちろんまったく同じになるはずはないです。
これはあくまで「理想的な環境での理想的な実験」を想定したものでしょうから、
現実的に成立するかというと、それはまた違う話になるわけです。
>スミマセン、記憶のくだりの「自分として連続している」ってどういうこと?
まず意識は脳が「連続」して作り出しているものであって、不可分な関係性がある。
同時に不可分であるということは、脳そのものととはイコールではない。という解釈が仮説の前提。
この「自分」とは、その連続する意識の中の、現時点で発生した波の一つでしかなく
その波の寿命は、連続して次の波が発生するまでの、ほんの一瞬でしかなく
自分の存在は、現時点での一瞬でしか、ありえないのではないか。
連続する世界、連続する意識のなかで、限られた一断面にしか過ぎないものが、
たまたま現時点の意識である自分なのだという仮説。
端的にはこの意識は「自分として」、連綿と続いているのだろうかという素朴な疑問。
>自分が自分でなくてもよいという点に関しては同意します。しかし、まあ、それは自明のような気もしますが・・・
自明だと思うからこそ特に説明を省いた。
しかし原則的な自由意志をじている人間には、これは説明しても納得してもらえない場合がある。
486 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 19:29:35 O
>>481 確かに、今の自分が連続している錯覚を覚えるのは、前の「自分と感じていた誰か」の記憶媒体の連続性故として何の矛盾も無い。
ただ、電波の一部を自分と認識するのはあまりに悲しいのでは。
その瞬間ごとの波状すらを個性とした連続される意識そのものを「上書きされていく自分」と捉えても理性的と言えないだろうか?
機械が更新されていく事は、消滅と改良の繰り返しではなくて生命での成長という概念に等価だと感じる。
>>481 それには神秘性を感じないのですが。
2008年1月16日18:58:50にあなたが居る場所には、唯一あなたしか存在
しないですし、2008年1月16日18:58:50に、あなたの目の前にある
物質も唯一それしか存在しないですから。
あなただけが特権的に神秘的存在であるとは思えません。
あなたの存在が神秘的ならば、他の物質の存在も神秘的だという事に
成るはずですから。
>>484 例えば、自動販売機でコーヒーとジュース、どっちを買って飲むかを真剣に悩んだとする。
悩んで悩んだ挙句、
「どちらにしようかな、天の神様の言うとおり、アブラムシ、柿の種」
と唱えて、偶然、結果的にコーヒーを買った。
仮に、自分の意識が悩んでいる時に戻ることができれば
あるいはジュースを買う確率というものが極僅かにでも存在したのだろうかどうか。
同じ脳であるかぎり、記憶も、状況も、時間すら、全く変わってないのであれば、
当然の結果として、「天の神様の言うとおり」とやって、何度でも同じようにコーヒーを買っただろう。
一兆回繰り返せたとしても、一兆回コーヒーを買い続けただろう。
これは疑いの余地がない事のように思われる。
489 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 19:51:24 0
>>484 自分は頭が良くないのでなんとも言えませんが、
通常の化学反応にしても、結局は確率によって命運が決まるわけじゃないですか?
エネルギー的に優先されるとかされないとかで順位はあるでしょうが、それでも確率は確率。
全く同じ脳であっても、その「神様の言うとおり」で決めようとする意思に100%辿り着くかと言えば、
そうとも限らない。脳内でどんなことが起きてるのかは定かではないですが、とにかく化学的な反応が起きていることに
異論はないですし、そうすると僅かながらと言えど確率的な違いがあるといえるのではないかと。
言い換えると「天の神様の言うとおり」にするか、「どちらにしようかな天の神様の言うとおり」にするかという判断には
確率的にも、結果的にも違いが出るというわけで。
490 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 19:52:05 0
>>487 逆に神の世界といってもいいほど神秘的である。
なるほど全ての人間、全ての生物、バクテリアに至るまで、
あるいは意識に類するものがあるかもしれないし、
あるものにある意識がある。これ自体は当然であって、なんの特権でもない。
しかし、その意識の一つとして今の自分が存在できていることは
神秘的としか形容できないほどの比類ない特権であると同時に
極めて奇跡的な事実である。
その比類ない特権は、おそらく全ての生命が均しく持っているのだと考える。
492 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 20:02:18 0
>>485 返答ありがとうございます。
しかしながら、記憶は引き継ぐものでしょう。
「自分」は断片的なものであるとすると、いったいどこから作り直さなければならないのかを
考えなければならなくなるような…?
根本的に思考スタイルを改めることはできないでしょうから、これは継続的なもの。
思考スタイルはこれまでの記憶によるところが大きいので、記憶も継続的なもの。
「自分」という概念には自分がどういうタイプの人間であるのか、どういう思考スタイルを持つのか、
そういったことも含まれていると思われる(根拠も何もないですが)ので、波として一瞬現れるものがあるにしても、
その一方で継続している部分もあるのではないかと、愚考いたしました。
だんだん「意識」の定義がわからなくなってきました…
493 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 20:08:49 0
>>488 「サイコロを振って決めよう!」だったら?
>>489 神はサイコロ遊びを好まない。
確率とは全知にあらざる人間が
それでも事象を体系的に説明するために便宜的に作った概念にすぎないだろう。
例えば降水確率というものも
今日10%の確率で雨が降ったのなら
厳密には今日100%振るはずだったのであって
それを、人間には10%の確度まででしか、予知できなかったというだけのことだろう。
>>488 当然のように、同じサイコロを同じ位置で、同じ手首のスナップで振り続け
何度でも同じ目を出し続けたに違いない。
496 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 20:14:09 0
>>495 >同じ手首のスナップで振り続け
まずそれが無理だよね。
497 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 20:22:09 0
>>495 >>496に同意。物事はそんなに簡単に成り立ってない。
風が吹けばなんとやら、でいろいろな可能性といろいろな確率から
成立したこと。
>>492 その思考スタイルも性格も意識を作り続けるものも
常に物質的な脳であって、定まった原理の元に、
常に全体として極めて調和の取れた連続した意識ではあっても
その中での自分とは、脳が投影し続ける調和した意識の、
現時点での波の一つ、断片に過ぎぬかもしれぬという事。
脳も記憶も遺伝子も意識を発生させるメカニズムも
全て物質的で継続的なものであって
自分とは、その脳がたまたま現時点で作り出している現象でしかないのではないか。
例えば、蛇口を捻れば、水道管を通って水道水が出るという現象が起こる。
同じように捻れば、同じような勢いで水が出続けるであろうが
その水は、同じように見えても、常に別の分子の別の水であって
人間の意識も、同じように見えても、厳密には別のものが連続して続いているのではないか。
という話。
>>496-497 同じ瞬間の自分であるのだから
その時吹く風は「常に同じタイミング」なのであって
同じように喉が渇いており、同じように自動車は後ろを通り過ぎ、
同じように悩んで、同じようなタイミングでサイコロをポケットから取り出し、同じように振って、同じ目を出す。
脳の状態も、取り巻く状況も全く同じであれば、1+1が当然のように2になるように
同じような心理的作用が起こって、必然的に全く同じ現象が起きなければおかしい。
かといって、その後何度サイコロを振ったところで
全く同じ手首のスナップなど当然ありえない。
そのとき吹く風も、記憶も、状態はまるで変わっているわけだから。
500 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 20:54:12 0
501 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 20:57:03 0
>>498 蛇口の比喩はとてもわかりやすかったです。こういうのも才能なんでしょうね…
でもそれは感覚を得る=学習という事実からすると、ごく自然なこと。
敢えて瞬間的なものとして定める根拠があればな、と。
まあ、もちろん、だからこその仮説なのでしょうけど
>>499 同じ時点に戻ったからといって、以降その通りに動くとは限らないと思われます。
それでは確率論が成立しない。というか、確率そのものが存在しないと言ってるのと同じ。
条件さえ整えれば、任意の事象に対し特定の結果しか示さないということを、サイコロ以外の
あらゆる要因に対して言及しているのですから。
これだと運命論と何も変わりませんよ
>>500-501 確率の話については
「神はサイコロを振らない」というアインシュタインの言葉で説明としたつもりであったが、
要するに、世界は一定の法則に従い規則正しく動いているのであって
一見偶然に思える事も、起こる事象は、全て起こるべくして起きた必然という話。
これは理解する人間と理解しない人間が完全に二分されてしまい
結局は水掛け論になるため、あまり深追いはしない。
以前、友人同士の会話の弾みで
「人間は時間だけ巻戻せても、記憶も持っていかない限り、また同じ行動を繰り返す」
といった発言をしたことがあるが
完全にその通りと賛同する者と、それはありえないと主張する者とで二分して
どれだけ議論しても双方共に一向に歩み寄りがなかった。
503 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 22:06:23 0
>>502 それは事象の必然性を述べたのであって、絶対性を述べたことにはならない。
起こりうることはすべて起こりうる、というのは間違いではないだろうが、
確率から何まで、結局のところ全部つながっていると解釈するのは乱暴。
一定の法則は物理法則とかそういうもので成り立ってるのだろうが、
それにしても可能性の限定以上の機能は持たない。
どっちみち示すことができないことばかりで、結論もでるわけがない。
理解できる云々よりも、理解していると思う方がよっぽど危険。
504 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 22:07:11 0
>>502 アインシュタインは結局、「神はサイコロを振らない」ということを実証できなかった。
実証出来ない事を「信じろ」と言うのは無理がある。
結局このように水掛け論になる。
理解というより、そうとしか考えられないという判断。
例えば、世界をある時間という時間軸で止めて、その状態を抽出してみる。
この位置にはこの物質があり、この位置にはこの原子があり、この位置にはこの粒子があり、
それぞれの質量も、運動エネルギーも、運動ベクトルの方向も、
物質が相互に影響し合う「力」も、その時点では完全に一つに定まって止まっている。
そして時間を、すぐ次の瞬間まで進めて止めると、
それぞれの物質や原子や粒子は、
それぞれの運動エネルギーやベクトルや相互に影響し合う力に従って
規則正しく「次の瞬間」に以降しているだろう。
その規則がいわゆる物理法則である。
前の一瞬の状態に従い、規則通りに、その次の瞬間が、連続して起こる事で時間が進んでいるのであって
例えば次の瞬間に偶然カミナリが発生するとすれば
前の瞬間には、雲の中のプラスとマイナスがすでに合わさり反応する段階になっているのであって、
人間の意識もその状態の一つであり
偶然に思えることも、前の瞬間に、次の瞬間そうなるための動きが既にあるのだと。
そう分析することができる。
506 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 22:59:11 0
>>505 実証できないなら信じない
水掛け論でもなんでもないよ?
とてつもなく単純な論だが。
507 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 23:11:33 0
>>505 それは確かにわかってるんだ。
でもそのためには、すべてを数値化する必要がある。
分子や原子の動きを式であらわすのが必要なのと同じ。
各々行動や動作に関連した式があって、そこに値を入れられなければならない。
そうすると人間の感情の強弱や、意思の強さとかそういう抽象的なものも
数値化しないといけない(そうしないと式を立てて「次の行動」を決めることができない)。
だからその手のことが全部可能ならその通りだろうし、逆に一つでも数値化できなければ
この論理は成り立たないと思うよ。
だって一つでも予測不可能なことがあれば、それに応じて計算も狂うだろうしね
複雑すぎて人間の知能では全てを解明して予測することなどできないだろうし、
する必要もない。
ドラマを最終回から見ることはないのと同じで
何も解明するべきだと主張しているわけではない。
前の瞬間にすでに未来は決定されたとしても
それは人間にとっては不可知な範囲であって、だからこそ運命に縛られずに生きていくことができる。
509 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 23:38:11 0
>>508 >前の瞬間にすでに未来は決定されたとしても
>だからこそ運命に縛られずに生きていくことができる
この理論からすると、最初の状態からすでに結果が見えることになる。
いわゆるドミノ。確率が存在しない理論だから、どれが倒れるのかはすでに決まっている。
こういうのを運命論っていうんだと思う。ただ、こっちは数式で完璧に記述できるってだけで。
人智を超えているから考えるだけ無駄というのは、チトずるいっすよ
510 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 23:41:13 0
>>509 考えるのが無駄なんじゃなくて、確かめる方法が無い、だよ。
どう足掻いても、それ(未来)には人間に理解しえない範疇なわけ。
不確定性理論というのがあって
粒子の位置というのは人間には確認できない。
確率論でどこにあるかのアテをつけるしかない。
つまりそれは全ての事象を人間が理解することは不可能である根拠。
理解というか解析だな。
513 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 23:53:17 0
>>510 どっちみち、嫌な話ではあるよ。
認知し得ないとはいえ、自分が妙なレールの上に乗っかってるなんて考えるのは。
もしこの理論―あらゆるものは数式で示され、偶然・確率は存在しない―が成り立つとしたら、
その時の「自分」ってのはどうなるんだろ?
それはもはや意思ではないよね。意思に恐ろしく似ている、別の何かってこと?
自分は考えているようで、でも実際は何も考えていない。
情報に対する反応があって、その繰返しを「思考形成」と思い込んでるだけ。
あ〜あ
514 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 23:55:31 0
>>513 電車はレールに乗っていることを嫌がるだろうか?
515 :
考える名無しさん:2008/01/16(水) 23:59:18 0
偶然を肯定するには、原子レベルでの解析が必要?
少なくとも文系の出る幕ではないかな・・・
ヘンペルのレイヴンと同じ。
黒いレイヴンが「数式的結果」なら、白いレイヴンは「偶然的結果」もしくは「確率的結果」。
何か一つでも、確率に影響される事象があれば
>>505の理論は崩れてしまう。
現実に不確定性理論というものがある以上、白いレイヴンは思っているよりも身近にいるのかもしれないね
516 :
考える名無しさん:2008/01/17(木) 00:00:34 0
二次元兼用雑談2530 幼女の放尿
517 :
考える名無しさん:2008/01/17(木) 00:49:23 O
結果論から見た最終的真理(普遍妥当性を持ったもの)は「死」だと思うけど、やっぱり人生の目的は「死」てはないと思う。
むしろ人生の中間においての(仮)目的は存在しても、最終的な目的など存在しないのではないかな。
「意味ですって?今また夜が明けて朝が来てる。それに何の意味がありましょう」
519 :
考える名無しさん:2008/01/17(木) 09:58:14 0
祇園精舎の鐘の音
520 :
考える名無しさん:2008/01/17(木) 12:32:19 O
521 :
考える名無しさん:2008/01/17(木) 12:43:02 0
ハイデッガーっぽいね。
522 :
考える名無しさん:2008/01/17(木) 12:46:48 0
現存在と死は切っても切れない
アンビバレンスさ。これ正常心理
生にも死にも無頓着になれたらいいわ
525 :
考える名無しさん:2008/01/19(土) 19:44:00 0
生きるのも、たいへん
死ぬのも嫌
HAMLET:
To be, or not to be: that is the question:
526 :
考える名無しさん:2008/01/19(土) 23:21:22 0
>>525 生きてるからこそ言えること、、、by みつを
527 :
みつを:2008/01/20(日) 07:32:45 O
みつを、生の密を味わうのだ
女の傷跡から、亀裂から流るる死せる蜜を
海水を、血を、涙を
朝から変態的で恐縮です…。みつを
528 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 08:27:47 0
↑危険だ、変態だ、たいへんだ!!!
529 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 09:09:20 0
>>527 海水を、血を、涙を…蜜と感じるおまいはまちがいなく味覚障害
とっとと医者行ってこい
530 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 09:45:00 0
春になったら、
おかしい人、もっと出てくるからね
531 :
阿呆:2008/01/20(日) 10:15:28 O
それならボードレールは何者になるんだよ
おっとここは哲学板だった
自己ロジックで固められた人に何言っても…
馬鹿の壁はカタイが故に避ける知恵
532 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 13:34:18 0
死はまず目的じゃねーだろ。
目的の意味が分ってるのかな。
死が真理だったら生も真理だろ。
真理って一つじゃないぜ。
死に怯えて死に引き込まれるより
死に希望を持とうよ。
死ねない事の方が死よりよっぽど怖いぜ。
533 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 14:06:32 0
いつか死ぬんでしょうかね
534 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 15:29:19 0
今生きている。目的があって生きているわけではない。
目的を持って生まれたわけではない。
生老病死の世界であるが、それは生きることは辛くも
あるが、死を目的に生きているのではない。
結果的には死があるに過ぎない。
未来から現在を見ることが可能なら、われわれはただ
一筋の道を歩いているに過ぎないに違いはないが、それが
自然の摂理なら、死は避けることは出来ない。しかし、
死は生きる目的ではない。
535 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 17:24:24 0
お前らは何のために生きてんの?
536 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 18:27:27 0
537 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 18:32:27 0
日々、何の目的もなく
だらだら生きておりまする
538 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 18:36:29 0
>>537 >何の目的もなく
嘘ついちゃダメじゃんw
1日の中だけでも山のようにあったはずなんだが
なんでそれを目的じゃないと言い張るのよ?
なんだか目的を「特別なものでなくちゃイカン」とか思ってる?
539 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 19:11:20 0
生きるためにだらだら働いておりますが、自分では
それが目的ではないような気がします。
540 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 21:03:15 0
>>539 >生きるためにだらだら
そうとう頭悪そうなんで説明に困るんだがw
おまえは「生きることそれ自体が目的です」とさっきから言ってるわけよ
そのくせ「それが目的ではないような気がします」と前言を否定・・。
そういう言動と行動の矛盾(嘘つきってこと)を平気でするのを
ノイローゼというがあした病院へ行って薬を処方してもらえ
つける薬があるといいんだが・・
541 :
考える名無しさん:2008/01/20(日) 23:12:28 0
>>531 まあ、確かに哲学には論理性が乏しいが、
これは文学部系全般にかけて言えることだからな
で、ボードレールが何だって?
詩人ほど愚かで、自己完結した連中はいないと思うがwww
それとも何?有名だからすごい?
知恵がどうのこうのと言う前に、いろいろな学問に触れてみることだね。
知ったか乙、だ
542 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 02:23:56 O
そもそも俺達の人生って宇宙が変化してるなかの一つの過程にすぎないんじゃないのかな。もし宇宙の変化が終わる時が来たら、その時初めて何のための人生だったかわかるんじゃないか?
話し広げすぎたかな
宇宙の完璧な変動。地球に注ぐ太陽の豊饒さ。月の暗光。…
これらが何の為にあるのか我々が語れる訳がない
もう、静寂に委ねよう
>>542 >>1なら総ては無、総ては死、と答えるだろう。物事には何でも
始まりはあり終わりがある。だからその限られたその時の中で、我等とは
何であり何をなすべきか、が問われてくる筈だが。それとも
>>1は
自ら、永遠の生命でも欲しいのか。そしてもしそれが手に入ったら、何を
成し、何を唱えるのか?
>>543 でもそんな大自然の営みにも人は数々の意味を見出そうとして来た。
それも人類の歴史
545 :
543:2008/01/21(月) 05:26:45 O
>>544 人類が詩(言葉)で語る。浪漫チックだね。
君の好きな言葉は?
今ドビュッシーの月の光を聴いてるけど、君も聴こうよ。ただ美しい音を…
盲目のホメロスだって聴覚は…また寝る
547 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 08:26:23 O
全然つながってないな
548 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 09:46:44 0
馬鹿じゃね〜のこいつら
死ぬことが目的なら自分で動けるまで育ったらすぐ死ねばいいんじゃないの
550 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 12:58:43 O
>>544 限られた時間だからこそ真理を求めようとする。
という事の真理を追求した猛者がニートだというプラス思考。
頭良い奴馬っ鹿w
551 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 14:06:24 0
馬か鹿か
それとも死か
それが問題だ
他者を軽蔑することで自分を自尊を守る。中二病者。
553 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 17:44:18 O
死が目的であるというのは間違っている
目的とは自らが決めるものであり、決まっているものではない
554 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 18:53:58 0
とりあえず
>>377あたりから読み直してきなよ。
もう同じような話題は出てるよ?
もう何もかもが二番三番…煎じなのは周知。
この2000年の間に人間はどんだけ〜進化したのか。
祖母20人が生きただけなのか。
556 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 21:03:11 0
人間なんて小さい生き物のことを考えるな
もっとスケールのでかいことを考えろ
燃えろ!
557 :
考える名無しさん:2008/01/21(月) 23:08:57 0
ほんとにね
人間なんてチッポケなもの
いなくていいんだよね
558 :
考える名無しさん:2008/01/22(火) 00:28:57 O
>>552 自爆テロが流行ってるのか?w
確かにおまいは死が目的の様だ。
自爆テロは犯罪か。
彼らは「もう何も失うものがない時にこそ、何かを獲る事ができる」と。
しかし「もう何も獲るものがない時にこそ、何かを失う事ができる」というのは…?
眼が醒めちまった
560 :
考える名無しさん:2008/01/22(火) 12:58:32 O
>>559 失うものが無い時に何かを得る事が出来るってのは、得る事にリスクを伴うものを狙う際、そのリスクを負えない奴が考える言い回しの一つ。
別にその立場に居なければ入手不可能というものは無い。
後の格言はどこの大富豪が残した言葉か知らんが、そんな定義は存在しない。
そもそも「失う事」が存在するからこそ「得る事」に意味が発生する。つまり失う事が以前に在ってこそ(無いという事は「既に失っている」という概念。)何かを得る事が出来るという事(元が無でなければ得る必要が発生しない。つまり得るという概念も無価値になる)。
だから「全てを得る事が出来る者」は何一つ失う事も無い。
要約するなら「全てを得られるはずならば、失い得ない存在全てを得る事が出来る」
そして何も失わない事が不可能である以上(得るという概念が存在するならば、無の概念も存在する。その時点でその概念を消す事は出来ない。よってその概念を否定する術を既に失っている)、全てを得る事も不可能になる。
563 :
考える名無しさん:2008/01/22(火) 18:01:56 0
>>560 >無いという事は「既に失っている」という概念
そうとも限らないでしょうが…
結果的に同義となる場合はあるが、かといって必ずしもそうなるわけでもない。
「すでに失ったもの」は「無いということ」の部分集合。
意味を履き違えないでくださいな。
>別にその立場に居なければ入手不可能というものは無い
>元が無でなければ得る必要が発生しない
根拠は?論理の自己完結はなるべく避けてほしい。
哲学板なんだし、もう少し論理的に意見をまとめるべきでは?
564 :
考える名無しさん:2008/01/22(火) 18:35:37 0
>>560 >「全てを得る事が出来る者」は何一つ失う事も無い
得る段階でエネルギーを要するものに関してはどうなる?
それに得る・失うの相関の、対象の事象についても明確に記述されていないぞ。
「得ていない」状況があってこそ「得られる」と言っているが、その「得ていない」ものは
これから「得られる」ものと同じなのか?だとするとあるものを複数得られるような状況はどう説明する?
もう少し意味をはっきりさせたほうがいいし、あともう少しわかりやすく書いたほうがいいぞ。
抽象的に書けば賢く見えるが、具体的に書き下すことができないとどうもテキトウに書いてるように見える。
ここで言う目的とは迷いを断ち覚醒することだな。
566 :
考える名無しさん:2008/01/22(火) 23:21:02 0
やめなさい覚醒剤は
567 :
考える名無しさん:2008/01/22(火) 23:30:47 0
覚醒剤を飲めば
覚醒するのだよ
涅槃に入るのだ
年取るに従って人生って割りと短いと思える様になった。
569 :
考える名無しさん:2008/01/23(水) 01:37:58 0
だからなぁ〜に?
この板っていつも散漫だよな
571 :
考える名無しさん:2008/01/23(水) 21:29:52 0
>>571 憶測だけでものを言ってる連中が多いからだろ?
まあ俺もそのうちの一人だが
573 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 00:50:57 O
>>563 少しややこしくし過ぎたか?
文章自体で賢く見えるかどうかの基準を出してくる時点であら探しが目的な気がするが、もう少し理解する様努めてから質問してくれ。
失うという概念が、【有】が在ってこその【無】と同値であり、また【無】が無ければ【有】は生まれないという前提が理解出来ないんじゃ話にならない。
有と無の相互関係に矛盾を感じなくなったら理解したと認識してくれ。
俺が言っているのは考えたら自明な事であって、そこに根拠等いらない。
リンゴを落として重力の存在を証明する際に「それがリンゴであるとする根拠の説明」等不要だろう。
574 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 00:53:00 O
575 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 01:00:16 0
>>573 >失うという概念が、【有】が在ってこその【無】と同値であり、
君の日本語はおかしいが・・・
「失う」とか「得る」というのは「運動」だよ。
576 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 01:22:28 0
>>573 >あら探しが目的な気がするが
いや、そういうつもりではなかったんだ。
気に障ったらごめん。ただ、こういう話はなるべく厳密にしないと、
いつまでたっても「哲学=無根拠の塊」みたいな認識しかされないから・・・
>失うという概念が、【有】が在ってこその【無】と同値であり
厳密にそう言い切れるだろうか?
例えば「鉄が錆びる」という現象は、「鉄」が失われることと同義と言い切れるか?
失うという表現を広く適用しすぎている気がする。
>【無】が無ければ【有】は生まれないという前提
だからそれが思い込みだと言ってるのだが…
存在としてただ「在る」ものについてはどう説明をつける?加えて何かを得るというような
ケースについての説明がつかない気が
>俺が言っているのは考えたら自明な事であって
そうやって片づけるのはよくないと思う。哲学板なんだし。
できれば、説明できる範囲で説明してほしい
577 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 01:28:37 0
>>574 同意
死は目的ではないし、そもそも目的なんてものがあるようにも思えない
578 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 01:29:53 0
目的もなく生きてるやつのほうが少ないと思うが。
579 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 01:41:51 0
>>578 それは現実的な話だと思われ。
ここで騒いでるのは、そういうものを超えたもっと本質的なものなんでしょ。
それがどう本質的なのかは知らないけど
580 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 01:46:32 0
目的ってそれぞれの生物で違うんだろうな
でも種と種の違いって、そうはっきりしてるわけじゃないよね
やっぱ目的なんてないと思う
581 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 02:07:14 0
>>579 現実的にある生きる目的を果たす事が、種としての本質的な生きる目的である
582 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 02:16:20 0
>>581 すごくいいこと言ってるけど、後半の部分でいろいろ突っ込まれそうだなww
生命の目的は種の保存だろう
遺伝子の保存と言ってもいい
584 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 02:24:19 0
それが物理法則に最も沿ってるから
全てはエネルギーの移り変わり
唯物論だな
586 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 02:28:16 0
保存する事が目的なら最初っから有機物じゃない状態になればいいじゃん。
なんでわざわざ壊れやすい形態をとるんだよ。
不自然極まりない。
長い宇宙の時間の間には
壊れやすい儚い存在も沢山出てくる
が、いずれは壊れ元ある方向へ戻っていく
虚勢(去勢)によって人間は退化し自然に埋葬される運命
否、宿命
人間の最後の瞬間は誰も語れない
589 :
考える名無しさん:2008/01/24(木) 07:37:30 0
きのう去勢してきました
身体が軽くなりました
カルマを捨てたようです
590 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 02:43:55 0
俺、犬や猫とそうかわらないことを受け入れることにした。
591 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 02:59:06 O
カ…カルマを捨て…た…だと?
本当なのか?
592 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 07:17:40 0
時折書き込まれるポエムが痛すぎる
かっこいいとでも思ってるのだろうか?
>>564に賛同するわけではないが、何でも抽象的に書けば頭良く見えるわけでもないのに
で、結局何が言いたいのか聞いてもはぐらかすんだろ…
そういう奴は創作スレへ行けばいいのに
593 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 13:25:25 O
人生の目的は、やはり生、永遠の命でしょう。
もはや死は、過去のもの。
594 :
Ndori ◆NzZ4ooGrW. :2008/01/25(金) 14:14:23 0 BE:1612078278-2BP(200)
生きる目的などない。
しいて言うとすれば、生きる目的とは生きることそのものである
といってもよいでしょうか。
ところで生存への欲求とはDNAに組み込まれているものであるのでは?
たとえば反射神経。それは脳を迂回すること無く危険を排除するように、
DNAに刻み困れた生存の知恵である。
優秀なものだけがただ生き残る。そこには一切の意志も神秘も存在しない。
ただ事実があるだけである。
この世に生まれたということは、我々が自らの意志で選び取ったものではなく
勝手に与えられたものであるという事実、
自分という存在、思考の元締め事態が勝手に与えられたのであれば、
自分の生がなんのためにあるかなど理解できないのではないでしょうか。
それはただ、DNAに危険を回避して生きるように刻み込まれていたから
という事実に過ぎません。
ならば我々は、その事実を認めた上で、自己の唯一性を認識し、
無数の生命の中で人間にうまれ、そしてこの独自の人生を刻む
その唯一性こそが幸福そのものなのだと考えるべきではないでしょうか?
595 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 16:11:31 O
人生の目的は死というより、死を受け入れ、越えることなり。
596 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 16:26:36 0
>>594 なんか久しぶりにもっともな言葉を聞いたよ。
これまでに沸いてたクレイジーな連中にも聞かせてあげたいね
597 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 17:40:01 0
>>596 >>594は「生きる目的などない」と言っているだけだが。
あれなら俺にもできるよ。
食べる目的などない。
しいて言うとすれば、食べる目的とは食べることそのものである
といってもよいでしょうか。
ところで食欲とはDNAに組み込まれているものであるのでは?
〜以下、省略〜
598 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 21:00:22 0
>>597 そうじゃなくて、
>>588とか見ろよwww
当り前のことさえ話せないんだぜwww
こんなのを何度も見てるからな、その辺は差し引いてくれよ
599 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 21:03:36 0
とりあえずスレタイに関しては間違いってことでおk?
600 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 21:35:21 0
OK
601 :
考える名無しさん:2008/01/25(金) 21:41:38 O
人生は老いに向かうものではない。
進化あるのみ。
やはり、不老不死こそ人生の最終目標でしょう。
全ての行動に意味を求める人間がこの地球上で最も馬鹿な生物でFA
603 :
考える名無しさん:2008/01/26(土) 07:10:38 0
↑偉大な悟り
604 :
考える名無しさん:2008/01/26(土) 10:27:25 0
>>602 全ての行動に意味を求める「哲学オタ」がこの地球上で最も馬鹿な生物でFA
だろ?
605 :
考える名無しさん:2008/01/26(土) 12:06:58 0
>>604 否定はしないよ〜
だってこじつけてる人は実際多いから
606 :
考える名無しさん:2008/01/26(土) 17:06:39 0
607 :
心の仕組みドットコム:2008/01/27(日) 13:02:55 0
>>1 >人生の目的は死であり、人生の真理は死である
言葉の使い方に問題が有ります。
人生とは人が生きている時間を指しますので、人生の目的とは
その時間を如何に有意義に使うのかと言うことです。
真理とは命の大切さを悟り知ることで得られる心ですので人生
の真理は死である、何てことは間違っても有りませんよ。
608 :
考える名無しさん:2008/01/27(日) 13:07:50 0
>>607 何をやったら有意義なのかね?人生における有意義とは何だ?
それが有意義だという価値観は、どういう考えから生まれるんだ?
609 :
考える名無しさん:2008/01/27(日) 13:51:41 O
満足するかしないかでは?
その尺度は人それぞれ。
そして日々変化するだろうし。
俺、頑張ってるなって心底から思えるかどうか。
頑張りつつ楽しむ生き方、かな。
>>607 「真理は死である」事自体説明不足なのに何がわかるんだ?
真理さんは、
『死は生よりまし』と言ってるけど
漱石は、
『死は生より尊い』と言ってるね。
これはもう間違いなく『真理』以外の何物でもない。
芥川は、
『人生は地獄よりも地獄的である』と言ってるけど
誰も自分から望んで生まれた者は居ない。子供を産むというのは
自分の利益の為であって、決して子供の為を思ってではない。
苦痛に満ち満ちたこの世に、果たして本当に可愛い我が子を産み落とすだろうか?
産まれてしまった人間は、単純に被害者ということになる。
医学的に先天性の障害を持って産まれる確立が数%
イジメに合う確立が○%、他者からの犯罪被害に合う確立が○%
事故に合う確立が○%、不細工に産まれる可能性が、デブに、
精神疾患に、病気に、その他に・・・
リスクヘッジという観点から見ても、子供を産むと言うのは到底正気の沙汰ではない。
そういった客観的事実が見えず、夢見る親とは一体何なんだろうと思う。
そこまで生物的欲求を優先させる人に、真理を説いても無駄ではないか?
そういった自己優先型の遺伝子を持つ人間が、延々と子孫を残した結果
存在するのが今の世界な訳だから、
>>1や我々のようなタイプはマイノリティとして、滅びるのが正しいのではないだろうか?
この世は、馬鹿が馬鹿を産む、馬鹿の再生産。
真理を普及させる徒労は諦めて、とっととオサラバするのが賢いと思う。
612 :
考える名無しさん:2008/01/27(日) 17:42:55 0
>>611 あのね、昔の人の言葉なんてどうでもいいんだよ。
そんなものを引き合いに出したところで、別に本質を突いてるとも限らないんだ。
誰それがこう言ってたとかじゃなく、自分がどう考えているのか書けよ。
>産まれてしまった人間は、単純に被害者ということになる。
>そういった自己優先型の遺伝子を持つ人間が、延々と子孫を残した結果
文系が無理して科学の言葉を使っても、無知が晒されるだけ。
何かものを言うときは、それなりの根拠を示せよ。
読んでて痛い
613 :
心の仕組みドットコム:2008/01/27(日) 18:08:42 0
>>608 人が産まれた意味・人生の意味・人生の使い方(使命)、これを感ずるかそうでないかは全て知恵が作用します。
人は産まれた時に過去から時の流れを受け取り、人生と言う時間を使い僅かでも良い時代を未来に残すためそれを自分で育み、死を迎えた時に生きる人々にその後を託し二度と戻らぬ現世に別れを告げ全てを産み育んでくれた地球に帰るのです。
この使命を感ずれば、人は人生を有意義に過ごす知恵が産まれ、使命を蔑ろにすれば知能が育たず有る者達は欲望に捕らえられ他に痛みを与え死を迎えた時に後悔の淵に立つのです。
現世と言う言葉を使いましたが、宗教上のものではなく現世は有・来世は無と言う意味の対語として使わせて戴きました。
614 :
心の仕組みドットコム:2008/01/27(日) 18:32:59 0
>>609 良い心がけですね。
その内、機会が有れば物事の理を悟って下さい。
人為の全てを見通す知恵が産まれますので、無理しなくてもパワーが備わります。
>>610 >「真理は死である」事自体説明不足なのに何がわかるんだ?
では、御説明しましょう。
真理とは人が物事の理を悟ることで、理非を分け隔てる心が育ち真の理を確信する心を指します。
その真理を会得した者が発する言葉(教え)も真理の範疇に納められるものです。
何かを勘違いして「真理は死である」等と思われたのでしょうね。
615 :
心の仕組みドットコム:2008/01/27(日) 18:53:56 0
>>611 物書きの人達は題材に対して調べますので、頭の中に其れなりに資料を集めていますが物書きの人が人の人生に言及する知恵は備えていません。
遺伝子ですが、人は生き方次第で遺伝子が変化しますが無知が遺伝子で受け継がれる、と言うことは有りません。
人が無知に成る理由は、育てる者達(親や社会)が自分達の自我で育ててしまう為です。
知恵を産みだす道理を伝えず、自我の種子の競争心を植え込めば心の連鎖で必ず競争心が闘争心を育て虚栄心や思い込み、偽善、憎しみ、恨み、
妬み、嫉妬、不安感、恐れ、悔やみ、猜疑心、虚言、信仰、復讐心、運・不運、悲哀感、支配欲、暴力、依存心、閉心、暴飲・暴食、嫌悪感、
責任転化、嫌世感、虚無感、生存放棄・・・と枝葉を伸ばし無知に陥るのは明らかなのです。
616 :
610:2008/01/27(日) 18:57:10 0
>>614 >何かを勘違いして「真理は死である」等と思われたのでしょうね。
それが勘違いであるとする理由として
>真理とは人が物事の理を悟ることで、理非を分け隔てる心が育ち真の理を確信する心を指します。
を挙げているが、それって勝手にそっちが決めたことでしょ。
自分で決めたことを人と比べれば違ってくるのは当り前。
それと「真の理」と「真理」は違う用だけどどう違うの?
617 :
考える名無しさん:2008/01/27(日) 19:00:27 0
>615
妬みと嫉妬ってかぶってるし。
不安感と恐れもだ。
まだあるかも
>>615 >人生に言及する知恵は備えていません。
物書き全員が絶対にそうであるという偏見が無知の表れ。
619 :
考える名無しさん:2008/01/28(月) 00:54:51 0
>>ドットコム
ごにょごにょ言ってないで、
自分がなにを知りたいのかそれをちゃんと書きなさい。
教えてあげます。
620 :
考える名無しさん:2008/01/28(月) 02:21:19 0
聞くと無知だと思われるのがいやなんじゃネ?
低脳はしょうがないよ
621 :
考える名無しさん:2008/01/28(月) 03:09:04 0
>>615 >遺伝子ですが、人は生き方次第で遺伝子が変化しますが
遺伝子は変化しないってww反例があるなら示して
>人が無知に成る理由は、育てる者達(親や社会)が自分達の自我で育ててしまう為です。
えーと、根拠は?
ややこしい語彙を並びたてて、なんか難しいことを言ったような気になっている人たちは、
説明を求めると「自明だから」って逃げるけど、それもちゃんと説明できなきゃ自分もわかってない
ことになるよ?
>自我の種子の競争心
なにそれ?具体的に教えて
622 :
心の仕組みドットコム:2008/01/28(月) 19:49:00 0
>>621 遺伝子は変化する、と申し上げている私にこの、、
>遺伝子は変化しないってww反例があるなら示して
質問は無意味です。
>えーと、根拠は?
人類が抱える問題は戦争から汚職、犯罪、貧困、犯罪と数えきれぬ程、山積しています。
問題を産みだす原因も人類の知恵不足で、問題を解き明かせぬ原因も同じく知恵不足ですね。
他に何か原因が有りますか?
子供達を自我で育てれば子供の本能と感性が自我で包まれ、本能と感性が自我に濾過され悟性が芽生え、人は
自己保身に走り力を崇拝する蒙昧に捕らえられ無知に陥るのです。
これは法則ですから貴方が無知から抜けだし、知恵を産みださなければ理解できませんよ。
>なにそれ?具体的に教えて
人は誰でも我が子が産まれると、力を崇拝する社会で生き残る手段として競争心を植え込みます。
そして学校や社会でも競争心が生きる糧として持て囃されます。
競争心は闘争心に直ぐ連鎖し、この時点で人は力(金力・腕力・技力)を崇拝する蒙昧に取り込まれるのです。
ですから、私が自我の種子の競争心と言った意味がお分かりですか。
623 :
考える名無しさん:2008/01/28(月) 20:23:32 0
>>622 だから何を教えて欲しいんだ、おまえは?
怖がらずに書いてみろ、笑わないから
精子が卵子に行き着くまでのアレは競争。
故に、競争の否定は無意味。
625 :
考える名無しさん:2008/01/28(月) 21:57:41 0
>>622 >遺伝子は変化する、と申し上げている私にこの、、
>「遺伝子は変化しないってww反例があるなら示して」
>という質問は無意味です。
イミフに感じたのは私が頭悪いせい?
私、生物を専攻していますけど、どういう論理なのかさっぱりわかりません。
>人は誰でも我が子が産まれると、
>力を崇拝する社会で生き残る手段として競争心を植え込みます
それは無意識に行ってるってこと?
社会の仕組み上、学校がそのような環境を作りうるというのはわかるけど、
親が子供をそんな風に育ててるとは思えないなぁ…
やっぱり、なんだかんだで証拠がなかったら論理になりませんよ。
だって言いたい放題じゃないですか。
わかる時になったらわかる、ってズルい…
626 :
考える名無しさん:2008/01/28(月) 22:01:15 0
>>624 競争と言っても、選別とかDNAの優劣とか、
そういう原理で受精のやり取りがなされるわけではないですよ。
実際に競争はあるんでしょうけど、それは個体そのものが望んでるわけではなくて、
環境が限られているからこそのものです。
だってニッチが被らなければ、共存はいくらだって可能ですもん
627 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 16:10:11 O
俺が言ってんだから、遺伝子は変化するったらするの!!!!11
って言ってるんでしょう
ちなみに「乳児期の記憶を消す」遺伝子があるらしい、それも人間のほぼ全員に。
無知は遺伝しない?
無知になるための遺伝子がないと、人間は進歩しないと思うのですが。
628 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 17:00:23 0
>>627 >俺が言ってんだから、遺伝子は変化するったらするの!!!!
>「乳児期の記憶を消す」遺伝子があるらしい、それも人間のほぼ全員に
ねーよwww都合良すぎwww
さすが文系だな。根拠なく発言するなんて、理系じゃ考えられん
>無知になるための遺伝子がないと、人間は進歩しないと思うのですが。
なぜそう思う?積み重ね・学習ありきの進歩だろうに。
ていうか無知の定義もはっきりさせないとだめだろ。
629 :
心の仕組みドットコム:2008/01/29(火) 17:55:10 0
>>625 2ch哲学板は物事の本質に触れる書き込みをすると抹消されますね。
630 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 18:47:37 0
>>629 悪いけど、君の意見はまったく本質なんか突いてないよ。自惚れもいいところだね。
どこで哲学を勉強してきたのかは知らないけど、
はっきり言ってお話しにならない。
>>625とかがいろいろ言ってるけど、そういえばあんたがそいつらの
質問にまともに答えたことないよな。
結局逃げてんじゃないか。
臆病者
631 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 19:07:39 0
632 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 23:04:50 0
自分の体は滅んでも自分のやったことは残るからねえ。
何らかの形で常に自分の一部は残っていくものだと俺は思っている。
少なくとも骨は残るわなw
633 :
考える名無しさん:2008/01/29(火) 23:17:15 0
何のはなし?
>>629は人間社会に洗脳されて人生の本質を見失ったゆとりでおk?
>人類が抱える問題は戦争から汚職、犯罪、貧困、犯罪と数えきれぬ程、山積しています。
問題と思うからいけないのであって、全てを認めれば問題は無くなる
>人は誰でも我が子が産まれると、力を崇拝する社会で生き残る手段として競争心を植え込みます。
最近の親の育児放棄も知らんのか
636 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 01:01:42 0
>>634-635 ドットコムにまともな返答を望むのは無駄だよ
言いたいことだけ言って、追及すると「無知になればわかる」とか苦しい言い訳して逃げるから
自分はほかの人間よりも頭がいいと確信してるタイプだよ、これは
637 :
心の仕組みドットコム:2008/01/30(水) 05:06:47 0
>>635 物事の理を悟る=人類が無知蒙昧から脱却し知恵を産みだす唯一の方法です。
物事の理を悟る、この場合に理を悟るとしても理とは物事の筋道を指しますので意味は同じです。
この物事とは人為の全てを指しますので、子育てから政治や専門的な研究から人の生き方に至まで、有りとあらゆること全てを指します。
理=物事の筋道=ことわり=何人の異議も挟む余地のない正しい心=万人の良心が共感する想い=真に正しい心
つまり「物事の理を悟る」と言うことは「理=人為の全てを推し量る正しい物差しを得る」ことです。
人は正しい物差しを得ることで間違った寸法(非理・ことわけ)を知り、そこで始めて知能が育ち本物の知恵を産みだせる、と言う訳です。
これが辞書の「知恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力」と言う我々の先人達が残した言葉の意味です。
638 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 05:31:13 0
>>637 ついに出たwww突っ込みレスは全部スルーかww
>物事の理を悟る=人類が
>無知蒙昧から脱却し知恵を産みだす唯一の方法です
また妄想か
>物事の筋道=何人の異議も挟む余地のない正しい心
こないだ、電車の中で中学生たちが同じようなこと言ってたな。
結局あんたが言ってることって、大学受験の倫理で習うようなことを、
抜き出してるだけだよね。どれもどこかで聞いたようなことばかり。
ここは自分の意見をいう場。
オリジナリティもなければ、論理性もない。そんな戯言を言うしか能がないなら、
書き込みを控えろ
639 :
心の仕組みドットコム:2008/01/30(水) 05:56:17 0
>>625 昨日は二回も書き込みを弾かれてしまいました。
貴方の質問が少し曖昧ですので返答を控えました。
恐らく、、
>「遺伝子は変化しないと言うことに対してww反例があるなら示して」
と言われていると思いますが、憶測では誤解を産みますのでお返事をしませんでした。
生き方(心)で遺伝子の組み換えは変わりますが、遺伝子が生き方(心)を左右することは有りません。
人類社会の全ては思い込みと言う幻覚に捕らえられていますので、良かれと思う行動が全て理に反することなのです。
勉強をし、頭に資料を詰め込んでもその資料は知識とは程遠いい物で役には立ちません。
覚える記憶力を優先し推奨する教育を推し進める大人社会は、学校で蒙昧主義者を製造しているのです。
誰もが生まれ付き持ち備えている知能を育てる機能を、教育と言う場で競争心を植え付け封印しているのです。
大人社会が己の無知に気付かず、若者を無知に陥れ最近の若者は、等と非難する言葉は自己責任の放棄なのです。
>わかる時になったらわかる、ってズルい…
私は、そんなことを言っていませんよ。
何故なら、貴方達が自然に分かる時など絶対に訪れません、からです。
今までも、これからも貴方達が知りたいことは何でも答えますが貴方達の脳は知ると言う機能が育っていません
ので物事の理を悟り、人為の全てを知る機能を育てて下さい。
640 :
心の仕組みドットコム:2008/01/30(水) 06:04:12 0
>>638 ドジ、、だな〜
何で「大学受験の倫理で習うようなことを」「電車の中で中学生たちが同じようなこと」言えるの?
自分で発する言葉の矛盾にも気付かないの?
641 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 06:17:36 0
>>639 では、ひとつお聞きします。
あなたが上のような判断を得るにあたって、根拠というものはありますか?
もし「人類社会の全ては思い込みと言う幻覚に捕らえられていますので」というのが
あなたの考え方だとするなら、哲学板ではどうしようもなくなることはおわかりでしょう?
デカルトも同じようなことを言っていましたけど、それでも彼は彼なりに公理を見つけようとしました。
対するあなたの論理のよりどころが何なのか。
「知るという機能の育っていない」私に教えてくだされれば幸いです。
642 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 06:43:19 0
>>639 ドットコムさんの言うように、知能を育てる機能が封印されているとするなら、
どのようにすればその封印は解けますか?
あと、知るという機能を育てるにはどのようなことが必要ですか?
私はいつも理詰めで考えてしまいがちなので(その割に理になってなかったりしますけど)、
こういう考え方はよくわからないんです。
連投&連問すみません…
643 :
638:2008/01/30(水) 07:57:21 0
>>640 挙げ足取るのに必死だなwww
要はどっちも中途半端な知識だってことだよ、お前さんと同じように
いや、うまく説明できてないから、それ以下か
644 :
心の仕組みドットコム:2008/01/30(水) 08:28:12 0
>>641 哲学とは理性的な思考を通じて、様々な主題について論じることですが理性的な思考の持ち合わせがない人達が集う哲学板では理性的な思考を持ち
合わせている者が、その他の人達を理に導かなくては成りません。
理性を得る、真理を悟り知ると言う状態を、普通と言われる人と比較しますと眼開きと目くらの違いが有ります。
普通では実際しか見えませんが、事実に隠された真実を全て見通せますので物事の理を悟ると心の眼を開いて人生を歩めますので大変に楽なのです。
「人類社会の全ては思い込みと言う幻覚に捕らえられていますので」と言うことは私の考えではなく眼を開けば誰にも分かる真実なのです。
勿論、人類が何故、蒙昧に捕らえられ無知に陥ったのかと言う道筋も分かっています。
つまり物事の理を悟ると自利を忘れ、他人の幸福を願い活動する、お節介焼き(啓蒙家)に成るのです。
645 :
心の仕組みドットコム:2008/01/30(水) 09:26:29 0
>>642 >どのようにすればその封印は解けますか?
>あと、知るという機能を育てるにはどのようなことが必要ですか?
物事の理を悟れば知能が育ち、ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する知と智を会得し、そのはたらき(知能)が全てを
適切に処理する知恵を産みだします。
理の法則と言う一連の流れですので物事の理を悟れば必然的に蒙昧から抜けだし、望むことの全てを知ることができます。
ここで心の仕組みを説明します。
人の心には心の核と核が受けた全ての影響を潜り抜け、表に現れる心が有ります。
この核は本能と感性で創られており、問題は心として表に現れる際に潜り抜ける「影響」に有ります。
この外部から加えられる影響が自我と他我の比率が大きな一方が心を担い、もう一方は眠ってしまいます。
自我の影響が大きければ他我は眠り、現れる心は自他を分け隔てる悟性が育ちその悟性が自己愛と成り
力を崇拝する蒙昧に取り込み、自己愛が数々の欲望を育て欲望が自我に枝葉を伸ばし人は益々無知に陥り
次世代に自我を植え付ける、と言う人類が永遠と繰り返してきた構図です。
逆に他我の影響が大きければ自我は眠りに付き、現れる心は自他を同一に扱う理性が育ち全てを見通し
、全てを適切に処理する知恵を産みだせます。
ですから人は無知蒙昧に陥る非理の心か、知能を育てる理の心の何れか一方しか使えないのです。
要するに外部から受けた影響に問題が有るのですから、他我を自分で育て自我を眠りに付ければ物事の理を悟れる、と言うことです。
丁度、自我で満たされているコップの中で他我を育てれば自我は溢れてコップの外に掃き出されますね。
自我は宗教で言う煩悩と同じですが、煩悩だけを捨て去ると頭の中は空っぽに成りますので本当のパーに成ってしまいます。
さて、これで残すは他我の育て方ですが、心の大まかな仕組みは分かりましたか?
646 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 10:06:30 O
妄想パワー全開W
647 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 12:21:26 0
>>644、
>>645 返答ありがとうございます。
>理性的な思考
これは理屈ではないということですか?
その理性というものを得て初めて見える、ヴィジョンのようなものでしょうか?
>物事の理を悟る
これもできれば、どのようなものか教えていただけるとありがたいです。
どっとさんに質問です。当方635です。
・会社で出世するにはゴネや持ち上げや賄賂が非常に重要だ
・組織の外の人に迷惑をかけるような悪いことでも皆がやってれば問題ないし、許される。
太古から我々の社会で実践されている智恵ですが、こういうのも物事の理の一種でしょうか?
649 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 13:06:25 0
>>648 横入り、失礼。それも理なんだろうな。
肉が必ず腐るように、組織も必ず腐る。
650 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 13:21:00 0
>>629 じゃ、もう来んなよ。
書いても消されんだから来る意味ないじゃん
651 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 13:33:39 0
なあ、誰かドットコムに「他我」の使い方が間違ってるって教えてやってくれよ。
俺すごく死にたい
特に理由はない
死ぬときは自殺がいいかな
人生の目的は死だとは思わないけどさ
科学的に考えれば生命なんて、いちエネルギーに過ぎないでしょ?
宇宙が生まれたときのエネルギーの最末端部の俺がいる。
いかにエネルギーを消費するかでしょ
「死」といよりその「過程」の方が重要だと思うねぇ僕は
>>613 >人が産まれた意味・人生の意味・人生の使い方(使命)、
これを感ずるかそうでないかは全て知恵が作用します。
人生の意味とか使命とかを感じるためには知恵が必要なんだよね。
>この使命を感ずれば、人は人生を有意義に過ごす知恵が産まれ、
使命を感じると、知恵が産まれんのね。
要するにアホっちゅうことだね。
654 :
心の仕組みドットコム:2008/01/30(水) 16:58:52 0
>>647 >理性的な思考
理性は「理=ことわり」の部類で理屈は「非理=ことわけ」と言う理性と相反する意識です。
理から理も非理も見え、非理からは理も非理も見えません。
そして、人は理と非理の一方の心しか使えませんので理の心に切り換えなければ理性的な思考も叶いません。
人は如何に経験を積んでも物事の理を悟らなければ理性が作用するもの全てを手にすることができないのです。
ですから人は理解したつもり、知恵が有るつもり、読み覚えたことを知ったつもりと言う思い込みの幻覚を頼りに生きるのです。
>物事の理を悟る
理とは心の物差し、ですね。
物事とは人の心が為せる全て、を指しますので理1つで他人の心から過去の歴史、未来まで人の心が関わるもの全てを推し量れます。
ところが理は悟ることでしか自分のものにできませんので、私は悟る方法を教えますが悟ると言う行為は自分で方法に添って行って戴きます。
理から産まれる物事の理非を分け隔てる真理とは、真理から産みだされる心(言葉)もまた真理なのです。
過去に真理から産みだされた教えを聞き覚えて真理に近づこうと思っても、教えは記憶に留まり理を悟ることはできません。
つまり心が表に現れる影響を自分で他我を育て、自我を眠らせないと理性は現れないのです。
655 :
心の仕組みドットコム:2008/01/30(水) 17:10:55 0
>>648 それは無知から生ずる悪知恵で、知恵とはかけ離れたものです。
「知恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力」(広辞苑)
本当の知恵を産みだせば、世の中の全てが見通せますので何も恐れることは有りません。
不安や悩みは無知から生じますので、知恵を産みだせば全てを処理できます。
656 :
心の仕組みドットコム:2008/01/30(水) 17:30:17 0
>>652 >俺すごく死にたい
>特に理由はない
>死ぬときは自殺がいいかな
理由が有るが、貴方が気付かないだけでしょう。
貴方に希望が有りますか?夢は有りますか?生き甲斐は有りますか?
心底、愛する人はいますか?
この中の1つでも有れば貴方は命を粗末にしません。
657 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 19:20:32 0
>>656 で、何が聞きたいんだ?
今日も浮かれたカキコのオンパレだが・・
だれかドットコムのサイトのホスト、解析するきない?
俺はない。
>>656 その広辞苑の引用は何度も見てます。
でもそれを言うなら広辞苑には「物事=物と事。一切の事柄。事物。(例)物事を苦にしない。」
とあります。つまり、広辞苑をとるなら、物事には悪い(655で悪智恵と言われた)事柄も含まれているわけなので、理論が理解できません。
だから何度も問わせて頂いているのです。
憶測ですが、つまり、ドットさんの言葉の意味は基本広辞苑に沿っているが、物事の理でいうところの物事だけは例外、ということでしょうか?
この『物事』の定義は根本の方だから重要だと考えています。
661 :
心の仕組みドットコム:2008/01/30(水) 20:57:45 0
>>659 理と言う一文字で物事の筋道を表します。
物事の理とすれば物事と理は一体ですので物事に含まれる理を指します。
余り使われることは有りませんが、物事の非理とすれば物事に含まれる理を退ける心を指します。
つまり物事だけを抜き出せば理非と言う双方の作用が含まれます。
例えば、知と智を辞書で索引すると、ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用、と記して有ります。
この、ものごととは理と非理の産みだす事柄を理解すると言うことですね。
つまり使われる場所で物事の示す意味合いも変わるのです。
言葉だけが先走りする昨今、言葉の意味に感心を寄せる心は大切なことです。
今のお気持ちを大事にして下さい。
662 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 21:05:20 0
人生の目的は死を超えることであり、
人生の真理は死を超えることである。
わたしは人間が死ぬということを知っていますということに何か特別な意味があるのだろうか?
664 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 21:17:56 0
…なんかいつの間にか違う趣旨のスレになったなぁ、どうしてだろ?
なんだかすごく馬鹿げたことをしてる気になったよ。
665 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 21:18:51 0
>>661 ふむふむ、わかったわかった
おまえの聞きたいことは
なぜ自分が道を踏み外したかってことだな
ま、知能の低さが原因としか言いようがないな
では(おそらく)最後の質問です。
私が「哲学の基本は対談2」スレでどっとさんの発言を見たときにそのような疑問を抱いたのには理由があります。
昨年ニーチェを少々読んだのですが、彼が、人間がしでかす悪いこと(私見ですが)の一部、
[例えば、戦争、破壊、他人をねじ伏せる、征服するなど。]から、反例としてでなくほぼそれ自体に理や智を見出す試みをして、それに(論理として)成功していることにひどく驚きました。
ドットさんはこのような理や智は本物の理や智ではないとお考えですか?
668 :
考える名無しさん:2008/01/30(水) 21:32:59 0
低脳ドットさんの答、
どぞ
↓
670 :
超越者:2008/01/30(水) 22:13:48 O
ここですか
私に質問がある方々は
私は超越者
私のことが知りたければ誰かに聞いてください
私は全ての真理を知りました
解らないことがあれば何でも聞いてください
671 :
超越者:2008/01/30(水) 22:23:45 O
早く質問しないともう寝ちゃいますよ。
おねむになって来ちゃってますよ
私に解らないことは何もないですから、安心して寛容仁慈甘美に在す童貞マリアとつぶやきながらその声甘える如く解らないことを聞くとよいですよ
>>670 心の仕組みドットコムが諦めるまで後どれ位ですか?
673 :
652:2008/01/31(木) 07:16:33 0
>>656 >貴方に希望が有りますか?夢は有りますか?生き甲斐は有りますか?
>心底、愛する人はいますか?
なんというテンプレな回答・・・
まぁ理由はあるんだろうけど特定できない。
だから特に理由はないのと同じようなもの
自殺志願者ではないがどこからか沸いてくる死への欲求。
「人生の目的は死」と言いたくなるが上述のように、その考えには否定的だわ
674 :
超越者:2008/01/31(木) 09:24:30 O
読むのがめんどうくさいので後回しにしますが、『死が人生の目的と言いたいよ〜』という解釈でよろしいのでしょうか?
悲劇で、思い違いで、それはあまりにも不幸せで、光である正しき道を示していきたいと思います
生きていたくない人にとっては、人生の目的は安楽死なんじゃない?
生きたい人にとっちゃ、生きている過程で欲望を満たすのが目的であって
そういう人もいずれ死ぬ頃になれば、嗚呼楽に死にたいという目的しか
希望がなくなったり
676 :
心の仕組みドットコム:2008/01/31(木) 12:19:25 0
>>667 哲学で成功(目的を達成する)を目指した人は大勢いますが、成功した人は過去に誰一人いないと思います。
自分一人が物事の理を悟り、人の世の全てを見通す知恵を産みだせても世の人々は少しも幻覚から目覚めるものでは有りません。
哲学とは合理的思惟の自律を唱え、非合理的思想の支配下で無知蒙昧に陥り苦しむ人々の救済が目的です。
つまり哲学の成功とは、全ての人々が真の自由と平等を手に入れ、平和で生き甲斐の持てる世界を構築すると言う「目的を達成する」ことに有ります。
ですから哲学で一度でも誰かが成功すれば二度、三度の成功は必要ないのです。
ニーチェはニーチェ独特の方法で、人々に合理的思惟の自律を訴えたのですが不成功に終わってしまったのです。
しかし時代的背景やニーチェの置かれた立場などを考慮しますと、私はニーチェに有難う御座いましたと感謝の言葉を贈ります。
ニーチェは「私は100年早く産まれてしまった」と言いましたがニーチェが100年遅く産まれていたら彼は哲学で必ず成功していたでしょう。
>では(おそらく)最後の質問です。
この言葉は抹消して下さいね。
677 :
心の仕組みドットコム:2008/01/31(木) 12:41:42 0
>>673 >まぁ理由はあるんだろうけど特定できない。
>だから特に理由はないのと同じようなもの
面白いですね。
自分のサイフの中に100万円入っていますが気が付きませんので
空腹に耐えられず自殺をする、と言うことですか?
だから100万円はないのと同じようなもの
そりゃそうだ、、勿体ない。
そして、捨てぜりふが俺の気持ちなど誰にも分かりはしない、ですか?
その前に、お前はお前の周囲の人達の気持ちが分かるのか?と言いたいですね。
自分が他人の思いやりを受けたいのなら、先ず他人を思いやることギブ〆ティクです。
678 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 16:10:07 0
>>674 ・なにを超越したんですか?
・成功者ってなんですか?
・幸せってなんですか?
>>1 人生の目的は死であり、人生の真理は死であるって文章は論理的に成り立たないよ。
目的というなら、目指す的であり、死を目的にして人生を送っている人はいたとしても
人生を送っている人全てじゃないから真理じゃないし
人生に真理があるとしても、死んだらすでに人生終わってるんだから真理とは無縁だし
>>676 回答ありがとうございました。
まだ納得したわけではありませんが、
当方哲学について断片しか知らないので、まずは自分で少しずつ勉強してみようと思います。
アタマノ ワルイ ヒト 100ニンガ アツマッテル ノッテ、ココデスカ?
>>677 いやだからあまりメンヘラ扱いしないでほしいんだ
最期の3行なんか特に・・・
あなたカウンセラーですか?
この世に生を授かることは受動的であり僕の望みじゃないと悩んだこともあった
でもそれを乗り越えると、悩むことすら快感に近いものになる
色んなことを考えることは人間的行為であり貴重なものだとね
なんでもない景色に感動したりコミュニケーションの素晴らしさを実感したり。
それでいてもやはり考えの行き着く先は受動的なこの生なんだよ
生を実感しそれに喜びを感じられるところまで行って、
僕がこの世に生を受けた意味を発見したような気がした。
と同時に人生の目的はその受動的な生に悩むことではないかと。
生を実感した生に残るのは何か
それが死なのかもしれない
僕は20歳でこれからの人生設計だってある
でもこれからは「生きるために生きている」ことを絶えず感じていかざるをえない。
受動的な僕の生を能動化することが自殺であったり安楽死であったり・・・。
生きることに無関心だから死が見えてくるのではないよ
生きることに関心があるからこそ死が見えてくる
「人生」の目的は「人が生きること」
生を授かることが受動的である以上、その目的は死ではない
それを肯定するとしたら、僕らは神によって生を授かり、
神によってその生を奪われることになる。
「神はその生を終わらせるためにその生を授けたのか?」
僕らは神の所有物なのか?すべては神のままなのか?
683 :
考える名無しさん:2008/01/31(木) 20:39:50 O
人生の目的は、認識の違いによって答えは変わってくるのでは?認識の最終形態が「死」であるような気もするけど…
684 :
心の仕組みドットコム:2008/01/31(木) 21:15:43 0
>>680 哲学の目的とする真理に通ずる心を会得することは簡単ですが、真理に通ずる道を
多くの人達が勉強ましたが今日まで誰一人として真理を会得できませんでした。
何故なら、悟り知ることと習い覚えることは全くの別ものなのです。
死など目的でもなんでもなく、一現象にすぎない。
手からボールをおとしたら地面にぶち当たるがごとく、死ぬのだ。さらに、このボールに目的が無いように、人生にも目的がない。
686 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 01:44:05 0
687 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 02:57:12 0
>>686 でもドットのスレよか、ずいぶん的を得てるような気はしないか?
それともまさか、ドットと同じ妄想家?
688 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 08:10:28 0
はっきりしていること
1:根拠を要さないという議論は不毛であること。
2:真理および悟りなどという不確かなものについて論じることに意味がないこと。
3:正しいかどうかについて明確な結論が得られないものについて、結論を得ようとすること。
真理があると主張する人は、大抵否定されると「そういう目が育ってないから」とか言い訳をする。
あるいは、「そういう否定的意見こそが真理の見えてない証拠となる」など。
だから、今後はそういった意見は参考にしないほうがいいと思う。
純粋に、スレタイ通りのことを話しましょ。
ドットはもういいから
689 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 09:48:10 0
食欲によってただ生きている。
性欲によって次の世代に命をつなげている。
死を目的にしているわけではない。
ただただ生きているに過ぎない。
690 :
心の仕組みドットコム:2008/02/01(金) 09:52:48 0
>>682 真理とは知性を備えた人間として、当たり前なこと(善)を当然と捕らえ悪を退ける基本的な精神を指します。
普通、当たり前なことが分からない人を馬鹿と呼びますが、当たり前なことを当然だと捕らえられない人は智恵も産みだせず知識も集められませんので無知・不知と言うのが正しい呼び名です。
そして世の中は自己本位に物事を解釈する無知や不知が賄っていますので貴方達も、その煽りを食って無知や不知に育てられてしまったのです。
ですが、その真理を会得し無知や不知から脱却するには学歴や性別、年齢や人種に関係なく、ただ純粋で謙虚な知を望む心さえ有れば良いのです。
無知・不知の例として「人を殺めては成らない」と当たり前なことの違反を取りあげて見ましょう。
戦争と言う殺し合いに賛同したり参加すること。殺し合いに使う武器を作ったり購入を認めること。
他国から富を吸い上げ民を飢餓や貧困に陥れ間接的に殺すこと。自分と言う人の命を粗末に扱い自分を殺すこと。
勿論、虐めも他人を死に追いやる間接殺人と成る場合も有りますので人間の行う行為では有りません。
この無知・不知の受け渡しを代々繰り返して人類は無知と不知の極地とも言える今の時代を創り上げたのです。
全ての人々に罪が有るが、全ての人々は無知・不知で有るが故にその罪を問うことはできません。
この無知・不知から抜けだした者が知恵不足を痛感し、過去に「全ての罪は我にあり」と言う言葉を残した人もいます。
自分が無知・不知から抜けだしても他の人々に『無知・不知から抜けだす方法』を示す知恵が必要ですね。
神話では、この者が神ゼウスより下界に下された時、慌てて大切なもの『 』を忘れてしまったと言う物語に成っています。
話しは長く成りましたが大切なもの『 』は何時でもお渡しできますので貴方が本物の知恵で生き甲斐の有る楽しい人生を送りたいと思われた時には一声かけて下さい。
691 :
心の仕組みドットコム:2008/02/01(金) 10:12:28 0
>>688 貴方の心は貴方のもの、、
しかし貴方の心の源は人類社会の無知・不知に拠って創られたものです。
当然、貴方が無知・不知に陥ることは当たり前です。
言葉の意味が分からなければ辞書を引けばよいのですが無知・不知で有る悲しさ故に原義を見ても理解できません。
そこで始まるのが己の無知・不知に気付かず言葉の否定です。
貴方はザルに水を汲み入れ、この水はザルに貯まらないので幻覚だと言っているのです。
>>690 ?
>大切なもの『 』は何時でもお渡しできますので
>貴方が本物の知恵で生き甲斐の有る楽しい人生を送りたい
>と思われた時には一声かけて下さい。
僕の言いたいこと伝わってないですよね・・・
そもそも「生き甲斐」って何?「楽しい人生」って何?
どちらも、それ自身が哲学する対象となりえますよ?
そんなので文章を締めないでくださいよ
それぞれ「生き甲斐」「楽しい人生」について哲学してください
返答読みます。
693 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 12:30:01 0
>>690 >「人を殺めては成らない」と当たり前なことの違反
当たり前だと言えるのは、やはり"真理"が見えるから?
というよりも、真理を得たという認識自体が幻覚である可能性も、無論あるわけでしょう。
あなたの得た真理が幻覚の産物でないという、その判断基準は何ですか?
この場合、「真理を得た者だからわかる」という返答は意味をなさないことはわかりますね?
なぜなら、そのこと自体が幻覚である可能性を尋ねているのですから。
694 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 13:23:09 0
Only the shallow know themselves.
There are some things that are impossible to know - but
it is impossible to know these things.
ドットコムさん、少し考え直しなさい…
695 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 13:40:55 0
>>694 追加しようか
The person with the least expertise has the most opinions.
696 :
心の仕組みドットコム:2008/02/01(金) 14:19:34 0
>>692 >そもそも「生き甲斐」って何?「楽しい人生」って何?
>どちらも、それ自身が哲学する対象となりえますよ?
つまり、それを貴方が望むのでは無くて、知りたいと言うことですね。
哲学とは知ると言うはたらき(知能)を促すもので、その問いが哲学の対象では有りません。
つまり問題に対して正しい答を導きだす為に知能を育て智恵を産みだすことが哲学の目的です。
早い話しが、哲学とは知恵のない頭で考えずに知恵を産みだせる頭に切り換えてから考えろ、と言うことです。
貴方は何れが合理的だと思いますか?
さて、話しを元に戻しますが知るや智恵・知識の源を司る「智と知は、物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用」を指します。
物事を理解する為には物事の理を悟らなければ成りませんが、物事の理を悟らなければ理無しで解くことに成ります。
貴方に限らず誰でも同じですが覚える機能は備えていても、知ると言う機能や智恵を産みだし知識を集める機能が育てられないのです。
ですから、その機能を回復する為に物事の理を悟ると言う簡単な作業をしなさい、とお伝えしているのです。
>>693 自分の手で自分の眼を塞ぎ見えない見えないと騒ぐ者達に、その手を離せと言う以外に方法は有りますか?
697 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 15:36:56 0
>>696 答えになってない。
あなたのヴィジョンそのものが幻覚であるということを、否定してください。
それができなければ、私たちと同じく、「真理」は見えてないことになる。
というか、答えられないんでしょ
698 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 15:45:33 O
おいたのイタリア人
699 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 15:46:52 O
情熱の赤スぺイン人
700 :
心の仕組みドットコム:2008/02/01(金) 18:05:23 0
>>697 貴方の頭は外部から加えられた影響の数々が経験として脳に蓄積されています。
その覚え蓄積された経験に、貴方の本能と感性が濾過され心として現れるのです。
この覚え蓄積された経験が人類社会を支配する理に反する蒙昧で有るため、貴方の心は物事を理解できず理を否定する感情が自ずと生じるのです。
ですから無知蒙昧に陥った貴方は理に関する事柄を何一つ理解することはできません。
私の言うことが偽りだと思われるのでしたら辞書で智恵・智と知・知能・真理・論理・理解・道理・筋道・正義・平和・自由を索引し、この何れかを理解できるのか試して下さい。
無知も軽ければ直りますし、重ければ生涯直らずしまいです。
701 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 19:46:01 O
俺いねーのかよ(-_-メ)
>>696 あなたのレスはみんなどこかの書物の引用みたいなんですよ
僕が望んでいるであろう返答をしようという努力も見せてくれない。
人間と言葉を交わしてるように感じられません。機械みたいです。
辞書(頭)に載ってないことに対する回答はできないんだとでも?
>人生とは人が生きている時間を指しますので、人生の目的とは
>その時間を如何に有意義に使うのかと言うことです。
僕の場合は、さらに「有意義」とは何か考えます。疑問に感じますから。
それに同じく「生き甲斐」「楽しい人生」とは何か?も追究の対象です。
それを追究の対象外として放置しないでください。抽象的な表現で止めないで。
『「人を殺めては成らない」と当たり前なこと』、『是非・善悪を弁別する』
『人が産まれた意味・人生の意味・人生の使い方(使命)』、『真の自由』
↑あなたの発言からの引用ですが、
どれもこの板にスレが立つような立派な研究題目です。
「人を殺すことはなぜ悪いことなのか」
「善悪とは、その基準は何か」
「真の自由とは何か」
「人が産まれた意味・人生の意味・人生の使い方(使命)とは何か」
「生き甲斐とは、楽しい人生とは、有意義な人生とは何か」
研究対象となるべきものそのものを、結論の一部に用いることに
僕はとても違和感を覚えるんですよ。言いたいことわかります??
あなたにとっては解明された問いかもしれませんが、
各個人にとって解釈の異なるぐらついたものだと思います。
あなたの意見をまとめるには、わざわざこれら不安定なものを
用いる必要があるのですか?
703 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 20:43:57 0
ドットコムってちょっとデカダンスなとこあるよね
ロゴスとパトスって言うかさ。弁証法的に止揚されるにはペダンチックすぎるw
レヴィ・ストロース的唯物史観のアイデンティティ確立されてないし
もっと生の哲学の面からコンテクストを抽象化していかないと
まあここらへんは実存的にはパラダイム入っちゃったかな
704 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:17:20 0
>>700 なんだかんだで答えてない。
また「あなたの脳が」とか言って、逃げている。
そうやって答えないでばっかりいても、何も変わらないのにね。
それに結局、真理とやらはその程度のものでしょ。
あなたの論理に都合よく合わせ、その合理性を問うと「あなた方の脳は」とか言って、
話を逸らす。
違うというなら、まず試みてください。
705 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:20:52 0
>>704 人間、できないことからは逃げるだっけ?
706 :
考える名無しさん:2008/02/01(金) 21:31:39 0
>>703 知識だけさらけ出しても意味ないぜww
それをかみ砕いて説明できるなら話は別だが
707 :
芯の仕組みドットコム:2008/02/01(金) 21:52:04 0
真理などというものは存在しません。
それなのにまるであるかのように振る舞うのは、その人がわかったような気になっているからです。
その人はその事実を受け入れる「眼」を持っていないので、真理という都合のよい概念が
存在することを疑いません。
本当に無知であるとは、無知であることを知らないことです。
ドットコムさん。貴方の頭は外部から加えられた影響の数々が妄想として脳に蓄積されています。
その蓄積された妄想に、貴方の本能と感性が混合され、妄言として現れるのです。
この蓄積された妄想を妄想と認めないため、貴方の心は物事を理解できず理を否定する感情が自ずと生じるのです。
ですから無知・妄想に陥った貴方は理に関する事柄を何一つ理解することはできません。
708 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 02:26:11 0
>>707 ドットw
で、なにを教えて欲しいんだ?
それ書かないと教えるもんも教えれないじゃんよ
死ぬまでIQ25で通す気かコラw
709 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 02:27:53 0
あ、アンカーまちがったw
>>708はドット宛てねガハハハ!
710 :
芯の仕組みドットコム:2008/02/02(土) 04:01:46 0
>>708-
>>709 そうそう、こっちは別のドットコム。
どっちのほうが説得力ある?
全部は幻覚だと言いつつも、自分だけは幻覚に惑わされていないと言う方と、
「惑わされていないことを知っている」という幻覚に惑わされているのではないかと追及する方。
>>693、
>>697、
>>704と3回も質問して、結局肝心の質問には一度も答えてもらってないし…
というわけで、あなたは心派?それとも芯派?
芯の仕組みドットコムは、いつでもみなさんの参加をお待ちしておりますお(^ω^)
…というかまあ、言うだけ言って、論拠を示さないのは嫌なのさ。
根拠は真理を手にした者だけがわかるのだ、なんて子供じゃあるまいし
711 :
ゲハー最底厨 ◆yRFhSPjIMg :2008/02/02(土) 05:49:03 0
>>700 >>702 なんだろゲハーの場合、というかどこでもそうだけど
そいつの人生だし選択肢も多いし解釈も多様だし
基本的には意味不明傾向にあるんだからそいつの
すきにしたらいい、てのがゲハー的性質なわけで
当然それなら何をたのしめとかどういう風にしたらたのしいとかは
千差万別が当然の前提といなっているような
板(というか住民性)になっているわけで
いちいち「これこれはどうたらである」とか はいいませんが。
ただゲハ板はスレかコテどうしか、などで馴れ合いのフィルター
がかかるので相手によっては親切なレスがつくこともあるけどね
全体としてどうたらだから「やれ」とか「やるな」
というより個人によって満足の過程とか全部ちがうんだろうな、
といのがゲハー(住民)のスタンスのような気もします
哲痛は全体(?)的に切る論理が多いようだ
http://namidame.2ch.net/ghard/
712 :
心の仕組みドットコム:2008/02/02(土) 09:44:13 0
>>702 物事を正しく考えることのできない心を正しく考えられる頭に切り換えることが哲学の目的ですよ。
真理の理、論理の理、理解の理、理論の理、この全ての理は正しいと言う意味です。
ですから正しいとは何か、を考えるのではなく物事を正しく考え正しい答を導きだすことが哲学です。
理をことわり、と言う意味は正しいが故に何人も異論を挟むことを許さず、ことわりをすると言うことです。
ですから、、
「人を殺すことはなぜ悪いことなのか」
「善悪とは、その基準は何か」
「真の自由とは何か」
「人が産まれた意味・人生の意味・人生の使い方(使命)とは何か」
「生き甲斐とは、楽しい人生とは、有意義な人生とは何か」
この論議は、正しい答のだせぬ者達が真理を否定する哲学ゴッコで哲学では有りません。
つまり何か、何かと問うことは何も知らない(無知)と言うことの証明です。
>>712 あなたが言う「真理」の定義です↓
>真理とは知性を備えた人間として、当たり前なこと(善)を当然と捕らえ
>悪を退ける基本的な精神を指します。
>普通、当たり前なことが分からない人を馬鹿と呼びますが、
>当たり前なことを当然だと捕らえられない人は智恵も産みだせず
>知識も集められませんので無知・不知と言うのが正しい呼び名です。
また、あなたが言う「哲学」の定義です↓
>哲学とは、物事を正しく考えることのできない心を正しく考えられる頭に
>切り換えるために物事を正しく考え正しい答を導きだすこと
哲学より程度の低い“哲学ゴッコ”でかまいませんので、
『「当たり前なこと」とは何か?』という問いに対する「当たり前な」答えを教えてくいださい
『「正しい答え」とは何か?』という問いに対する「正しい答え」を教えてください
これは「無知・不知」であることを知った私が、
あなたにその知恵を分けてもらおう、というものです。
答えがあるなら知りたいのです。知への欲求ですよ。
714 :
心の仕組みドットコム:2008/02/02(土) 13:43:22 0
>>713 正しいとは心が曲がってないこと、当たり前とは正しいことを率直に受け入れること。
教えとは覚え記憶することで、正しさは悟り知る以外に会得できません。
ですから宗教の教えを全て学び覚えても、誰一人として正しい心を持てないのはこの為です。
つまりGoogleに納められている全ての資料を覚えても、人は無知の域から抜けられないと言うことです。
其れよりも貴方の頭を智恵を産みだせる頭に取り替えた方が良いでしょう、と言っているのです。
欲求とは欲望を満たすための行為ですから、知を欲求しては不純ですので望は叶いませんよ。
知を望む純粋で謙虚な心が真理に通ずる唯一の条件です。
また私が言う真理の定義は、真理の真実を私が言葉で代弁をしているだけです。
715 :
芯の仕組みドットコム:2008/02/02(土) 15:24:07 0
>>714 とりあえず、あなたが都合の悪い質問だけスルーしてることはわかった。
716 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 15:39:02 0
ドットコムさん(複数?)へ。
この板で「真理」とか「悟り」とか言うのはやめてほしいです。
だってそうでしょう。
ある真理があって、それを得なければ真実は見えないと言う。
ほかの意見を言う人には「あなたは真理が見えてないから」って対応する。
自分の意見しか認めていない。それは議論ではないです。
自分は真理を得たんだということを前提に、
自分の意見をばらまいてるだけです。
これ以上、その自己完結的な話はしないでください。
あなたはこのように言っているわたしたちを可哀想とかお思いでしょうけど、
対するわたしたちも、同様にあなたのことを思っています。
「真理を得た自分の意見は正しい」というのは、議論をする態度として好ましくないです。
…あるいは誰かが言ったように、あなたが「真理を得ている」という幻覚に
囚われていないという証拠を見せるべきです。
それがせめてこその礼儀というものでしょう?
>>714 「正しさとは悟り知るものだ」とおっしゃいますが、
『正しいとは心が曲がってないこと』だと未だ抽象的にしか説明できないものに対して
「悟り知れ」と言い放つのはいかがなものでしょう。
抽象的な答えを出す者に『何を知り得たつもりになっているのか』と言いたいのです。
何か、何かと問うことは何も知らない『無知』だとおっしゃいますが、
僕はその無知でかまいません。問うことを続けます。趣味ですから。
不安定で抽象的な概念を安定した自分の言葉に置き換えるのが僕の哲学です。
正しい答え導き出すこと、すなわち哲学によって抽象的な概念そのものを導き出すという、
あなたの哲学は僕にとっては、今さらですがかなり無茶でわけがわかりません。
「何をそんなに抽象的だと言うのか」と思われるかもしれませんが・・・
>>714まで来てようやく「意見交換」できたと実感できました
あなたの“考え方”が見えましたよ。満足しました
718 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 18:30:30 0
ひとつわかったことがある。
・前提
@「この社会は存在する」は幻覚。私たちがあると思うものは、幻覚である。
Aドットコムは真理を得たので、幻覚ではなく真実を見られる。
・@より、われわれが2chをしているというのも幻覚である。
よってAから、真実のみを見るドットコムには2chで意見を述べることはできない。
・しかしドットコムは何度も書き込みをしている。
∴ドットコムは真理を見る能力がない。
>>714 なぁドット、さっさと教えて貰いたいこと書けよ
あ、オマイ何が分からないのかが分からなかったのかw?
それならそれでそう書きゃいいんだよコノ低脳
じゃ教えてやるなそれ
オマイには目的が無いのよ目的が
それが何を意味するかというと他人のカキコの目的も分からないってこと
だからオマイのカキコは当てどなくあっちウロウロこっちキョロキョロ上滑り
行き先が無いから堂々巡り、、誰も受け入れてくれないから一人ぽっち
血の巡りは悪いまんまなわけよw
わかったらもう寝ろ
720 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:11:43 0
ドットコムのやり口はその辺のカルトと同じ。
世の中には真理というものがあるとか、まず言う。
で、それに疑問を投げかけると、「あなたはまだ真理を得てないから仕方がない」
とか言い始める。
結局、凡庸な手でしかないけどね。
そういう連中はまともに議論する能力がないから、そうやって逃げるだけだし。
まあ、こんなこと言ってもまたもごもごと真理がどうとか言って反「論」するんだろうけど。
というかドットコムは宗教板に行けっていう話だよ。
721 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:14:49 0
>>719 ドットコムには教えてほしいことがありすぎて、逆にかけないんだよ。
たとえば、ほら、まともな議論の仕方とか、現実生活にうまく馴染む方法とか。
どうせ友達もいない、孤高気どりの言い逃れ屋でしかないんだし、
これ以上いじめるのは可哀想だよ。
その証拠に、
>>710とかの質問には答えられなくなってるだろ?
きっともう限界なのさ。
722 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 19:38:48 O
人が「悟った」と錯覚することは容易い
だからこそ、それが錯覚でないことを証明しなければならないが
ドットさんはそういう努力をまるでしませんね
ドットはさぁ、たぶんこう思ってるんだよ
↓
「なぜこの人たちはドットの話が理解できないんだろ?」
「こんなに分かりやすく、かみ砕いてカキコってるのに… (ノ_ _)ノ 」
でもなドット、オマイ人様のカキコを真に理解したことが一度でもあるか?
無いのよw
だからそのカキコの奥底にどんな感情や意図が潜んでいるかなど知りようもないのさ
字面だけを追ってるってことぉ〜〜〜 o(*^▽^*)o♪♪♪
そんなの対話でも議論でもコミニュケーションでもなんでもないのよ
解かったら、豆腐の角に5回アタマぶつけろw
その後どうするかって?
知るかw !!
724 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 20:16:04 O
ドットさんが言っていることは間違いだと断言できます
理由は─
物事の理を悟れば分かります
悟ったと思い込んでるだけの無知蒙昧な輩には分かりませんけどね
725 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 20:20:38 0
>>722 そうだよね!やっぱり錯覚であるかもしれない、という可能性をドットは否定すべきだよ。
>>724 頭いいなwww
まあ、ドットはスルーを決め込むだろうけど
726 :
心の仕組みドットコム:2008/02/02(土) 20:34:32 0
>>716 思い込みと言う幻覚に捕らわれている貴方達に、私が「真理を得ている」という幻覚に囚われていない
という証拠を見せるには貴方達に覚醒して頂く意外に方法は有りません。
>>717 人の心には理と非理の二つの作用を持つ二種類の心が有ります。
非理の心は力を崇拝する蒙昧が発祥と成り人を無知に陥れ、人類を滅亡に誘い込む作用が有ります。
理の心は非理と正反対の働きが有りますが、人類は人類史との深い関係から非理の心を主とし奪い合いの歴史を繰り返してきました。
一人の心の中に有る、理と非理の関係は力の強い何れか一方が心を支配し、もう一方は出番が来るまで休息に入ってしまいます。
人の心は非理に支配されていますが、特別な異常が有ると理が少し眼を覚ませ貴方達に矛盾と言う不合理を知らせるのです。
つまり誰でも捨てきれない良心・正しい心・真っ直ぐな心が眼を覚ます、と言うことです。
この非理の心から理を見ると、全てが自分達には理解のできない抽象的ですが理の心から非理を覗き見ると幻覚に捕らえられもがき苦しんでいるのがハッキリと見えるのです。
幻覚と言っても目で見るものが幻覚ではなく、心の眼で視るものの全てが思い込みと言う幻覚だと言うことです。
物事の理を悟れば法則に乗れますので、人の心が産みだす全ての真実を見通す智恵が産まれます。
つまり歴史の過去、現在、未来をほぼ確実に推測できますし、他人の真意も理解できますので他人の悪意に踊らされ戦争で命を捨てることも有りません。
哲学で真理を希求する訳は、そこ(人類の平和)に有るのです。
貴方には「理解=物事の道理を悟りしること」(広辞苑)も抽象的では有りませんか?
ですから誰もが理解したつもりと言う思い込み(幻覚)で処理してしまいますね。
727 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 22:55:17 0
>>726 >思い込みと言う幻覚に捕らわれている貴方達に、私が「真理を得ている」という幻覚に
>囚われていない という証拠を見せるには貴方達に覚醒して頂く意外に方法は有りません。
まず、これは証明になってない。
つまりあなた自身が幻覚に捉われているという可能性を、否定できていない。
そういうこと。
とすると、あなた以外の大多数が覚醒していないというのも、幻覚かもしれない。
黙っていましたが、実は私は真理を得ているのですよ。
私には真実が見えます。あなたは…そう、まだ覚醒していないようです。
あなたは自分が覚醒したという幻覚を見ています。
あなたは早く覚醒したほうがいいです。社会が幻覚であるという幻覚を見ています。
証拠?もちろんありますが、そのためにはあなた自身が覚醒する必要があります。
わかりました?
728 :
考える名無しさん:2008/02/02(土) 23:04:15 0
というか、覚醒してない人には証明できないという物言いはおかしい。
まず前提として、全員覚醒していない状態から覚醒へと導かれる。
言い換えると、覚醒していない状態でも幻覚が幻覚であると気づく必要がある…@
けれどもし、ドットの言うように証明ができないなら、気づくことはできない。
なぜならここで求めている証明は、覚醒の有無を示すと同時に、幻覚の判断の可否を示す
ものだから。
だってその個人が覚醒しているかどうか、つまり幻覚を見ているかどうかでしょ。
@より、幻覚であるかどうかを見抜く力が我々にあることは明白。
もしこれを否定すると、覚醒していない者は誰も幻覚を認識できなくなるので、
覚醒するという行為ができなくなる。
それはそうだろ?だって幻覚があるから、それを見抜く力が提示されているんだ。
729 :
心の仕組みドットコム:2008/02/03(日) 08:33:39 0
>>727>>728 >覚醒していない状態でも幻覚が幻覚であると気づく必要がある…@
幻覚が幻覚であると気づく、と言うことは覚醒している証です。
ですから、覚醒していない状態では幻覚が幻覚であると気づくことは有りません。
>@より、幻覚であるかどうかを見抜く力が我々にあることは明白。
覚醒する機能(知能)を育てられますが、幻覚を完全に見抜く力は備わっていません。
「弱い子を虐めたら駄目だよ」つまり弱い者虐めは悪いことだと言う道徳観です。
★近年、親子の会話、、
何故、弱い者虐めは駄目なの?大人はお金を沢山、集めたほうが勝ちで負けた人は貧乏な生活をするんでしょ。
戦争だって、強い国が弱い国の油が欲しいから喧嘩を売って人殺ししても悪くはないんでしょ。
日本も強い国に味方してカスピ海の油田の通り道を作るのにアフガンの主権を米国が代理統治することを応援してるでしょ。
ケシの花の栽培も以前、アフガンがソ連と戦う資金を作るために認めていたって話しでしょ。
お父さん、代理統治って知ってる。
その国を売りたい人に勝たせて米国の変わりに統治させるんだよ。
日本は完全に米国に代理統治されているんだってね。
日米安保条約を日本に堅持させる為に米国が思想の違いを責めて北朝鮮を虐めたから日本人が拉致されたってほんと?
だから漁業や農業で食い物の仕事をして食うや食わずの生活を送るよりマネーゲームでお金を集めて楽をさせるよ。
???あぁ俺達、大人がわるいんだ、どうしょう。
うるさい、子供が屁理屈こねないでもう寝ろ、、
お父さん、屁理屈の意味知ってる。
何だか、頭が痛くなってきたから俺はもう寝るよ。
真理なんて単純な事だよ、人間は人と人が理解し合い補い合わなければ成立しない
人と人の真中にある理解、単なる共通概念の事
>>729 言っちゃ悪いけど、胸くそが悪くなるだけだよ。
あんたの場合は書き込まないのが、思いやりだよ。
覚醒しているかどうかは、知性で知る事は不可能でしょう。
人生の経過で備えてきた理性が低ければ、覚醒している状態を
他者に教えてもらえば、知識として知る事はできても、理性として
自覚する理解力がないから自覚した幻覚を幻覚ではなく事実として
信じてしまうんだから。
733 :
心の仕組みドットコム:2008/02/03(日) 14:30:49 0
>>731 自我の強い者ほど剥きだしの感情が顕著に現れます。
人はこれを単細胞と言い嫌いますが、この症状は年を追う事に
悪化の一途を辿りますので早めに直すことをお薦めします。
>>733 自我が強い弱いというより、理解力のない人間を相手に話をすれば誰でも感情的になるし
仮想空間で顕著に文章表現するのを単細胞と呼ぶのは人というよりドットさんオンリーかと。
735 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 14:51:49 0
>>729 元々の話の流れは、ドット氏自身が「覚醒しているという幻覚」に囚われているのではないか、
これをドット氏自身に否定してもらおうということでした。
しかしドット氏は、覚醒していない我々に対して証明はできない、とおっしゃる。
少し質問をさせていただきたいと思います。
@)もし我々が覚醒していたら、あなたは証明ができるということでしょうか。
つまり、証明すること自体は、条件さえ整えれば可能ということでしょうか。
A)覚醒には真理を得ることが必要なのでしたね。そしてその真理というものは、
幻覚とは異なる、真のもの。これでよいでしょうか?
B)なぜ覚醒していない者には証明ができないのか、可能な限りコンパクトに
答えていただけると幸いです。
C)哲学とは、自分の中で他者の意見やその他さまざまな意見を競わせ、
やがて筋のある、思想を築くための学問と思っております。それについては
賛同可能でしょうか?
お返事お待ちしております。
736 :
心の仕組みドットコム:2008/02/03(日) 14:56:53 0
>>733 知性は理性に育てられ、知識を集めたり知ると言う行為は知性のはたらきで生じる現象です。
他者に教えてもらっても、本を読み覚えても資料を記憶するだけで知識として知る事は一切できないのです。
誰でも習い覚えれば知識だと思い込んでいますが知識や知ると言うことに一切関係はないのです。
知識や智恵や知るとは「知・智=ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用」で消化し、正しく改訂して取り入れた情報を指すのです。
そして、ものごとを理解するには物事の理を悟らなければできませんので人は思い込みと言う幻覚に捕らわれ知ったつもりで生きているのです。
これは法則ですから私にも変えることはできないのです。
ドットって認知の歪みが顕著だよね。
中間の過程は一切認めない、全か無か思考。自分以外は無知蒙昧ってどんだけ〜
738 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 15:03:12 0
ドットコムさんへ
自分にレスしてる。
誰の質問に答えたの?
>>736 > 知性は理性に育てられ、知識を集めたり知ると言う行為は知性のはたらきで生じる現象です。
> 他者に教えてもらっても、本を読み覚えても資料を記憶するだけで知識として知る事は一切できないのです。
知識は、識別するという判断能力を要するから当たり前ですよ。
> 誰でも習い覚えれば知識だと思い込んでいますが知識や知ると言うことに一切関係はないのです。
いや関係はおおありですよ、漠然と経験するより知ることで利益がある常識や義務教育を習得するには
習い、覚えることで理性がその分育まれるのです、知る事は密接に関係しているのです・・・
ドットさんも思い込みという幻覚にとらわれている人の一人に過ぎないことに気付けたんじゃないでしょうかね。
740 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 16:03:46 O
>>736 お前は、なぜ常駐スレをチョコチョコ変えるんだ?
お前が絶対的に正しいという自信があるのなら
一つのスレでじっくりと啓蒙でもなんでもすればいいじゃないか。
お前とは関係なく切実な問題を持ってスレに参加する人もいることを忘れるな。
741 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 16:35:03 0
まあ、あれだ。
ドットコムの使う言葉は厳密に定義されてない。
だから好きなように、都合の良いように使える。
たとえば、物事を理解するってなんだ?
理解するというのは知識ありきなんだけど、ドットコムの場合、
それは物事の「理」を「悟る」というところにある。
けれど、1+1=2というような定義づけされた概念に対しては、
そのようなことは不要でしょ?さまざまな公理にしても同じく。
ドットコムは知識がどれも同じのように思っているように感じる。
先入観とかそういうものの関与しない知識と、関与する知識。
前者には前述の定義とかが含まれる。
742 :
心の仕組みドットコム:2008/02/03(日) 18:19:12 0
>>739 >知識は、識別するという判断能力を要するから当たり前ですよ。
知識とは知を持って識別することです。
その知性は理性に拠って育ちますので、理性を育てなければ「知る」と言う機能はたらきません。
「知る=ある現象・状態を広く隅々まで自分のものとする意」
このはたらきを促すには、
「知・智=ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用」
が必要ですが、ものごとを理解するには物事の理を悟らなければできませんので
「智恵=物事の理を悟り、是非・善悪を弁別する能力」
と言うことです。
これを私の幻覚と言われるなら、日本語を考えた人達に文句を言って下さい。
743 :
心の仕組みドットコム:2008/02/03(日) 18:30:23 0
>>741 >理解するというのは知識ありきなんだけど、ドットコムの場合、
>それは物事の「理」を「悟る」というところにある。
「理解=物事の道理をさとり知ること」
道理とは理と同義ですが、理解とは物事の理を悟ることですよ。
物事を理解できなければ知識も集められず知ることもできないのです。
全て理解が先ですよ。
大切なことですから、良〜く考えて下さいね。
744 :
735:2008/02/03(日) 18:31:12 0
ドットコムさん、お返事お待ちしております
745 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 18:37:59 0
>>743 >物事を理解できなければ知識も集められず知ることもできないのです。
>全て理解が先ですよ。
それは違うね。真理を見通す人間にしては考えが狭いな。
知識というものがどういうものなのかがわかってないようだね。
いいかい?ある化学反応について知っているとする。これは言うまでもなく、知識。
けれどそれがどのようにして起こるのか。その原理を知らなくてもこういう反応があるという知識はある。
あなたの言う「幻覚」は、ここでは全く関係ない。
なぜなら、この一連の反応に対して「先入観」などを抱くことはあり得ない。
もし、原理をも含めて"理解"と言うなら、あなたは電子の流れから何まで、すべて把握しているわけだ。
だってそうでしょ?
理解なしの知識が存在しないなら、あなたは水素を燃やして水を得るという反応について、
電子の配置の変化から何まですべて知っていることになる。
では、論述してください。
答えがない場合、あなたは理解していないと見なしますが。
それから、不確定性原理って正しいと思う?
746 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 18:51:12 0
>>745 返答を望むだけ無駄だよ。
ドットコムは、真理が見えるくせに答えられない質問は無視するからww
それにまたなんか言い訳をするぞ。
「いや、原理とか知らなくても理解はできるんです」とか言ってよww
「ドットコムは質問に答えない」に50000ペリカ
あるいは「答えたとしても原理とかには触れず、自説をまくしたてる」かな?
どっちにしろ、答にはならんねwwww
747 :
心の仕組みドットコム:2008/02/03(日) 19:38:03 0
>>744 失礼、
>>735の質問を見逃していました。
少し質問をさせていただきたいと思います。
@)もし我々が覚醒していたら、あなたは証明ができるということでしょうか。
つまり、証明すること自体は、条件さえ整えれば可能ということでしょうか。
貴方達が物事の理を悟れば必然的に覚醒しますので、私が何も証明する必要は有りません。
何故なら、貴方達が全てを適切に処理する知恵を産みだせるのですから、その知恵が今の疑問も処理するでしょう。
A)覚醒には真理を得ることが必要なのでしたね。そしてその真理というものは、
幻覚とは異なる、真のもの。これでよいでしょうか?
物事の理を悟れば、物事の理非を分け隔てる心が育ち理を確実なものとします。
その確実な理を真理と呼びますが、一口に言えば人の心を推し量る正しい物差しなのです。
この物差しで人為の全てを測れば間違いも正しい寸法に直せますね。
B)なぜ覚醒していない者には証明ができないのか、可能な限りコンパクトに
答えていただけると幸いです。
覚醒していない人達は証明を受け取る智恵の持ち合わせが無いからです。
748 :
心の仕組みドットコム:2008/02/03(日) 19:38:44 0
C)哲学とは、自分の中で他者の意見やその他さまざまな意見を競わせ、
やがて筋のある、思想を築くための学問と思っております。それについては
賛同可能でしょうか?
wiki
哲学は、前提や問題点の明確化、概念の厳密化、命題間の関係の整理などの理性的な思考を通じて、
様々な主題について論じる、学問の一種。また、そのような思考を通じて形成される立場も哲学と
呼ばれる(ソクラテスの哲学、など)。
この文で見逃しては成らないことは「理性的な思考を通じて、様々な主題について論じる」と言う所です。
理性的な思考の持ち合わせのない人達が話し合っても哲学には成りません。
貴方達には何も責任は有りませんが、人類史との向かい関わりから人類の精神は理性を断ち切られ悟性を悟らせる
システムに組まれています。
ですから人類は智恵を産みだせず、数々の問題を抱え悩み苦しむ訳ですが初心に立ち戻り他の問題に一切触れず真理
の希求のみに意見を交わすので有れば有意義な哲学と言うことに成るでしょう。
哲学の哲とは道理にあかるいことを指し、学とは希求すると言う意味ですから本当の哲学をすると言うことです。
749 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 19:47:03 0
質問でまくしたてている(笑)
750 :
心の仕組みドットコム:2008/02/03(日) 19:51:32 0
>>745 >いいかい?ある化学反応について知っているとする。これは言うまでもなく、知識。
それは知っている、ではなく覚えている記憶したと称するのが正しい言い方です。
従って覚えたことは知識では有りません。
>>742で答えましたよ。
知識とは知を持って識別することです。
その知性は理性に拠って育ちますので、理性を育てなければ「知る」と言う機能はたらきません。
「知る=ある現象・状態を広く隅々まで自分のものとする意」
このはたらきを促すには、
「知・智=ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用」
が必要ですが、ものごとを理解するには物事の理を悟らなければできませんので
「智恵=物事の理を悟り、是非・善悪を弁別する能力」
と言うことです。
これを私の幻覚と言われるなら、日本語を考えた人達に文句を言って下さい。
とね。
751 :
735:2008/02/03(日) 19:59:33 0
>>747 返答ありがとうございました。
重ね重ね申し訳ないのですが、追加でお聞きしてもよろしいでしょうか?
(@)に関して
ということは、相手の姿が見えなくても、こうしたやり取りだけで相手が真理を得ているのかどうかが
分かるということでしょうか?
(A)に関して
返答はYESと、そういうことで宜しいのでしょうか?
752 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 20:01:16 0
>>750 じゃあ、化学反応について知識を得るには、どうすればいいんだ?
753 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 20:05:15 0
>>750 >知る=ある現象・状態を広く隅々まで自分のものとする意
だ・か・ら、水の生成について隅々まで説明してみろよwww
>>742 > >知識は、識別するという判断能力を要するから当たり前ですよ。
> 知識とは知を持って識別することです。
文字通り順に並べて文章にしてまでレスする価値ないですよ・・・。
知を持つ、つまり知ったと自覚する為に理性は不要です。
「知る」だけの機能は、感じれば知覚するのだからね。
> 「知る=ある現象・状態を広く隅々まで自分のものとする意」
> このはたらきを促すには、
「知る=物事の性質、なりゆき、対処すべき方法などがわかる。」
国語大辞典より
こういう意味もあり、あなたが知るの意味をそのように理解していても
それが真理ではないのですよ。
つまり、物事の性質がわかることも知ると言うし、なりゆきや
対処すべき方法がわかる事も知るというのです。
> これを私の幻覚と言われるなら、日本語を考えた人達に文句を言って下さい。
日本語を考えた人に文句を言う筋合いはありませんよ、ドットさんの
狭い言葉の定義で言うところの理(今回は「知る」という言葉に関する
道理ですが)を真理に高めるつもりがあるなら、文句の矛先は
ご自身に向かわねばなりません。物事の道理を理解している人で
あれば指摘される前に自覚できるはずですがね・・・。
755 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 21:34:50 0
おれはもう、ドットコムには何も聞かないことにする。
レスも読まないようにする。
もう真理云々なんて戯言はたくさんだ。
人の意見は「真理が見えてないから」って真っ向から否定して、自分の意見は「いつだって正しい」だ。
こういうのも一種の荒らし。
おれはもう反応しないようにするし、おまいらもそうした方がいいと思う。
そうすれば、もう現れなくなるだろ。
だいたい、ああいうのは哲学じゃないしな
>>755 まっ、ドットさんにレスした意見を誰かが見て新しい見解が出ればそれで良いと思ってレスしてる感じだよ俺は。
ドットさんが、なるほどと思えるレスを反してくればきたで良いんだけど
そうじゃなくても、自分の意見を書きこするのが楽しいからやってるだけ。
みんな自分レベルの哲学はしてるんじゃないかな?
757 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 22:33:12 0
>>756 ドットの見解についてはどう思う?
なんというか、反論を受け付けない理論が相手だと、議論にはならないからね。
補助仮説って言うんだっけ?
それがちょっと外道すぎるような気がするのさ…
>>757 ドットの間抜けなとこはね
「何のために」自分がカキコしてるか本人が分かってない点にある
その結果どうなってるかというと、相手のためじゃなく
「自分自身に言い聞かせること」が目標となっちまってるわけさ
そういうのを本末転倒、蛙のションベンって言うんだが、、、w
759 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 23:24:57 0
ドットさんの文章が小便臭いわけが分かりました。
そういうことだったんですね。
760 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 23:28:18 0
幼稚なんだよな書いてることが
761 :
考える名無しさん:2008/02/03(日) 23:31:24 0
>>759 「自分自身に言い聞かせる」のもそうだけど、結局自説を披露するだけ。
話し合う気がないなら出て行ってほしいんだけど、なぜかここんところ
ずっとこのスレにいるんだよね。
質問にしても、答えるというよりかは、聞いても無い説明をグダグダと
垂れ流してるだけだからね。
結局、本人が「幻覚云々」は覚醒(笑)してない俺たちには示せないって言ってるわけだろ?
そんでもって、やつの言うことは覚醒(笑)すればすぐに分かることだって言ってる。
だったらもう来なきゃいいのに。
762 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 00:03:58 0
>>761 >聞いても無い説明をグダグダと
アタマ悪いんだよね(大笑い !!
>>761 反論した事に対しては違う説を持ち出すのは論点をずらしているだけだと思う。
自説を披露するのは良いけど、言には責任持ってもらいたいよね。
どうしても自説を認めてもらいたくて必死なんでしょうな。
糞みたいな言葉の羅列・・積み木遊びに近い
何万年経とうが家なんか建つわけがないw
765 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 00:31:08 0
>>763 彼の中ではもう、完結した話なんだろうね。
否定のしようがない仮説を持ち出されても、こっちが困るだけだし。
仮面をつけてほかの人には顔を見せない。その状態で「私は美しい」って言ってるのと同じ。
「じゃあ見せてみろよ」って言っても、「君らは盲目に違いないから見せても意味がない」と答える。
なぜ盲目と断定できるのかは不明。
もちろん仮面は取らない。顔を隠し、自分の美しさを語り続ける。
矛盾を探して叩こうと思ったけど、いい加減疲れたよ。
何せ文字数は多い上に、内容は持説が正しいことを前提にどんどん膨らんでいくんだ。
ドットさんの言ってる事で正しい部分はあるけど
その正しさで思考停止したまま
他の話になっても結局は
物事の理はうんたらかんたらに戻っちゃうのが
微笑ましいw
767 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 00:37:58 0
ドットのカキコってさ、生ゴミの袋を覗き込んだような感じなんだよね
意味不明な言葉(生ゴミ)が癒着して、もう何がなんだか解からなくなってる
普通の者は目がくらみ吐き気がするのよね、アハハハw
768 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 00:42:20 0
>>766 >正しい部分
正しいっていうのは全体が正しい時にそう言いたいよね
部分の正しさなんて結論や全体が間違ってる時には糞じゃん
ほんでドットのカキコでさ
正しい部分なんか一度も見かけたこと無いんだけどワハハハw
769 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 00:57:50 0
>>766 >ドットさんの言ってる事で正しい部分はあるけど
基本的に彼の書き込みは「真理ヴィジョン」が中心だから、正しい部分と言われても
ピンと来ないなあ。
たぶんあなたが正しいと言っているのは、一般的な善悪論の部分ではない?
その辺りについても、実際はどうかと思うけど…
少なくとも、わたしたち以上の「眼」をもつにしては普通な意見だけどね
人殺しがだめ!なんて幼稚園の子でも言えるわけだし
770 :
心の仕組みドットコム:2008/02/04(月) 09:16:21 0
>>751 (@)に関して
真理とは「あらゆる状況に動じない正しい心」ですので人為の全てを推し量る物差しです、と言いましたね。
ですから同じ正しい物差しを持てば、全ての問題の解決に同じ答(啓蒙)がでてきます。
互いに同じ物差しを持っているかを知るには物差しを合わせて視れば良いのですが、それには多少の会話が必要ですね。
(A)に関して
理非・正誤・是非・善悪あるいは正邪など人が持つ二つの心には色々な呼び名が有ります。
ところが心の主役は何れかの片方ですからパワーの大きな一方が主導権を握り、もう片方は心の中で休んでしまいます。
人類社会は人の心の非理・誤・非・悪・邪が主導権を持ち賄っていますので、そこで育てられた皆さんも社会と同じ心が主導権を握ります。
すると理・正・是・善は休んでしまいますので理非・正誤・是非・善悪あるいは正邪などを分け隔てることができません。
つまり曖昧やつもり、と言う幻覚に捕らわれますが真理は物事を明確に分け隔て覚醒するはたらきを持つということです。
771 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 09:56:48 0
772 :
心の仕組みドットコム:2008/02/04(月) 10:03:49 0
>>752 >じゃあ、化学反応について知識を得るには、どうすればいいんだ?
哲学が諸学の源と言われる由縁は、人は良心に基づき行動する時に生じる爆発的に膨らむ探求心を学問に振り向けるためです。
良心に基づき行動すれば誰に遠慮はいらず、何者も遮ることはできません。
つまり本当の心の自由を手に入れますので、脳がモルヒネを生産に普通の人の錆びた頭と比較すると数十倍も活動を早めるのです。
しかも疲れを知らず私利私欲では動きませんし、良心が希求する良い探求ですから精神的にも省エネの極みですね。
アインシュタインもその一人ですが目的を達成することに専念する余り、人の欲深さを見逃してしまったのです。
後に「人の欲ほど難しいものはない」等と言っても後の祭りですね。
省エネ、省エネと叫んでも浪費の原因は人の心ですので、心を産みだす人の頭を省エネに切り換えなければ地球温暖化も収まりませんよ。
それぞれが国益を抱えて望む、洞爺湖サミットが成功する理由なんて何処にも有りません。
貴方は、どう思われますか?
773 :
心の仕組みドットコム:2008/02/04(月) 10:13:16 0
>>753 >知る=ある現象・状態を広く隅々まで自分のものとする意
だ・か・ら、水の生成について隅々まで説明してみろよwww
望むものの全てを自分のものにできますが、私は水の生成について解明することは望んではいません。
しかし北野康さんが書いた本、水の科学は感心させられますね。
774 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 10:22:27 0
ワロス
775 :
心の仕組みドットコム:2008/02/04(月) 10:27:47 0
>>754 @「知る=ある現象・状態を広く隅々まで自分のものとする意」
広辞苑より
A「知る=物事の性質、なりゆき、対処すべき方法などがわかる。」
国語大辞典より
@とAの言い回しは違っても意味合いは同じですよ。
貴方に分かるように続けて見ましょうね。
「知る=ある現象・状態を広く隅々まで自分のものにすれば、物事の性質、なりゆき、対処すべき方法などがわかる」
宜しいかな?
ところで貴方はA「知る=物事の性質、なりゆき、対処すべき方法などがわかる。」 ことができますか?
ですから私が読み覚えたり経験しても知ることではない、と言っているのです。
これで知ったと言う思い込み、つもりと言う幻覚に捕らえられていると言う意味がお分かりに成りましたか。
776 :
心の仕組みドットコム:2008/02/04(月) 10:48:15 0
>>769 >人殺しがだめ!なんて幼稚園の子でも言えるわけだし
幼子の放つ言葉を理解できない大人では致し方、有りませんね。
真理を得るとは正しいことを貫ける心を持つ、と言うことですよ。
ですから真理に通ずる心は年齢や性別・人種・学歴に一切関係せず得ることができる、と再三申し上げているのです。
その見返りは人類の良心が望む一切の希望を叶えるのが真理のパワーです。
つまり人類は、今とは全く正反対の時代を築ける、と言うことです。
主役の非理が退き、理に立場を譲れば世の中が平和に向かうのは当たり前なことです。
777 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 11:36:24 0
お願いします、真理の1例をあげてください。
どうでもいい布教活動を哲学板でやるのはなぜだぜ?
>>775 意味合いが同じようなものと判断するのはドットさんの価値観でしかありません・・・・。
真に同じだったら一言一句違わぬ文章ですからね・・。知るの意味を「自分のものとする」という人と
「なりゆき」を知っているという人とでは同じ「知る」という言葉を使っていても次元が違うんですよ、
次元が違う人同士で同じ言葉を使っていれば意味合いは当然変わります、わかりますよねぇ???
> 貴方に分かるように続けて見ましょうね。
> 「知る=ある現象・状態を広く隅々まで自分のものにすれば、物事の性質、なりゆき、対処すべき方法などがわかる」
> 宜しいかな?
あなたの定義について「わかりません」などとは一言もいってませんよ、説明を求めてもいません・・・。
つまり、あなたは私との会話内の物事の如何を理解できていないのです。
一方的にわからないだろう→続けてみましょうね。と独り善がりに進み、あなた自身が定義した「知る」
について、説明の堂堂巡りをしているわけです。ドットさんにはそこに何らかの価値があるからやっているのでしょうね。
> ところで貴方はA「知る=物事の性質、なりゆき、対処すべき方法などがわかる。」 ことができますか?
> ですから私が読み覚えたり経験しても知ることではない、と言っているのです。
まず、私が「知る」という言葉を使った時、Aの意味合いで使っていない事は承知出来たと思います。
そしてAに関して今回の場合「物事」、つまりなんらかの事件や現象が定かでない「物事」ですから、その性質や
なりゆきや対処すべき方法を判断する材料がありませんので、当然無理ですよ。
しかし、
例えば「あ」と発声している声を字にすると「あ」と形に表すと、ひらがなの「あ」という文字を知ることは
できますね、ここまでが単純明快に学習によって文字として「あ」を知らなかった子供が文字の「あ」を「知る」という事です。
そして、言うまでもありませんが、「あ」を知るだけでなく、用いることができてはじめて知識へと昇華されます
「あ」という文字を使える単語はなんでしょうか?と問われ「あんきも」!と答えられれば、その子は
「あ」を知り、「あ」を知識として用いた事になります。
今説明したなりゆきを、一つの物事といいますが、その性質や事の成り行きや対処すべき方法は
「例えば〜用いた事になります。」の文章の中に全て含まれます。
つまり、「知る」という言葉の意味を知っている事を物語ってみたわけです。
「知ることではない、と言っているのです」と思いこんで、それを正しいつもりで語っているのは、確かにドットさんの
幻覚に違いありません・・・。
読み覚えたり経験しても知る事ではないというドットさんですから、ご自身に自覚がなく気付かないのは無理もありません・・・。
> これで知ったと言う思い込み、つもりと言う幻覚に捕らえられていると言う意味がお分かりに成りましたか。
つまり、ドットさん「が」、知ったと言う思いこみ、つもりと言う幻覚に捕らえているという意味を
明らさまに表現しているだけ。というのが私とのやり取りでの真理なわけです・・悪しからず。
>>779 誤:まず、私が「知る」という言葉を使った時、Aの意味合いで使っていない事は承知出来たと思います。
正:まず、私が「知る」という言葉を使った時、@の意味合いで使っていない事は承知出来たと思います。
782 :
心の仕組みドットコム:2008/02/04(月) 13:12:20 0
>>779>>780 つまり、貴方は知ると言う言葉の意味に則した正しい使い方をしていないと言うことですね。
例えばオウムがオハヨウと言えば、オウムはオハヨウと言う言葉を知っていると言っているのです。
読み覚え、習い覚えた言葉は覚えて使われているだけで知っているとは言えません。
例え、貴方が知ったつもりでも事実は違うのですよ。
>>782 なるほど、ドットさんの幻覚症状がよく理解できます。
私が知ると言う言葉の意味に即した正しい使い方をしていないという結論を下したのは
「正しい使い方をしていない」とドットさんが知っているつもりで思いこんでいるからです。
ドットさんの幻覚に過ぎませんので、ドットさんはオウムさながら、人間の言葉を真似て
「私が知ると言う言葉の意味に即した正しい使い方をしていない」と言う事はできましたが
「オウムがオハヨウという言葉の意味を知らずに使っていても、
オハヨウという音を知っているから真似られたわけです。」
さて、私は上記の「オウムが〜わけです。」の文章で知っているという言葉を使用していますが
「知る」という言葉の意味に即しておらず、間違った使いかたをしていれば
文章としてドットさんには意味が通じないでしょう。しかし物事の理を知っている
他のみなさんには、理解できる事でしょう。
私に、知ったつもりでも、事実は違うのですよ。と言えるのでしたら、「オウムが〜わけです。」
の文章での「知る」の使い方の誤りを指摘できなければならないのです。
しかし、ドットさんは、「読み覚え、習い覚えた言葉は覚えて使われているだけで知っているとは言えません。」
と、自ら文中で「知っている」という言葉を使用している自覚がないので、知っているという言葉を
正にオウムのように使用しつつ、言えませんと吐露したことで、知っている事を知りません(言えません)と
無意識下で認めています。。。しかし幻覚の世界の住人であるドットさんには理解できないでしょう・・・。
致しかたがない事です。物事の道理を知ることができれなければ、ドットさんの言う通り法則を変える事は
できませんしね。さぞ歯がゆい想いでいらっしゃることでしょう。
使い方の誤りを指摘することはドットさんには不可能と言う事になるでしょう・・・。
784 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 15:47:59 0
>>782 ドットさん、わたしは難しい話はわかりません。
お願いします、真理を具体的にあげてみてください。
1つだけでもいいですから真理の具体例をおねがいします。
知ってるんですよね真理を?
785 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 16:44:37 0
そんなこと聞いてどうすんのさ? 答えったって、
真理1:私だけが智恵を持っており、他の人はすべて無知蒙昧。
真理2:故に私の言うことは全て正しく、私への批判はすべて誤り。
とかじゃね?
786 :
ドイツ人:2008/02/04(月) 16:53:11 0
だから、真理ってのは正しい命題の事でしょ。
人はいつか死ぬってのは真理。
しかし死の先に何があるのか実際わかっていないって事も、真理。
787 :
心の仕組みドットコム:2008/02/04(月) 17:41:12 0
>>784 真理とは真の道理で、物事の事実に隠された嘘偽りを見抜く正しい心を指します。
また真理から導きだされるまことも真理と呼びます。
この正しい心とは沢山、有りますが正しい心を全てに当て嵌め考えられることが真理を会得すると言うことです。
他に痛みを与えては成らぬ、と言う真理を自分の都合で変えることは真理から外れると言うことです。
人として必ず守るべきこと、、
父母を敬うこと
殺人をしてはいけないこと
姦淫をしてはいけないこと
盗んではいけないこと
偽証してはいけないこと
隣人の家をむさぼってはいけないこと
を教えだから守るのではなく、当然のこととして受け止め実行する心が真理です。
788 :
心の仕組みドットコム:2008/02/04(月) 17:43:06 0
>>786 >人はいつか死ぬってのは真理。
これは事実ですから、真理では有りませんよ。
>>786 人はいつか死ぬってのは真理。
死の捉え方とか認知度にもよるんじゃね?例えば、DBで初代ピッコロ大魔王が爆発前に口から卵を出して命をつないだが、あれは死とはいえないよね。
なんというか、自分の核みたいなものを一時的に圧縮して卵に移してそれを再成長させるような感じか。人も子を作れば、それはもしかしたら命をつなぐことなのかもしれない。
・・・子を作らずに死ぬつもりなら、自分はいつか死ぬというのは真理かもしれない・・・。
790 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 17:48:08 O
良スレ、アギ
791 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 18:07:12 O
>>787 >父母を敬うこと
>殺人をしてはいけないこと
>姦淫をしてはいけないこと
>盗んではいけないこと
ドットさん↑これは行動規範ですよ。真理とは言いません。
どんだけ頭悪いんですかw
さぁ気を取り直して
具体的な「真理」を1例でいいですから書いてくださいな
793 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 19:05:10 0
>>792 あんまりドットに難しいこと聞くな。
可哀想だろ。
馬鹿は馬鹿なりに苦労がある。
察してやれ。
794 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 19:18:33 0
まだドットいるんだ…
いたずらにかき回すだけだし、誰も本気で話なんて聞いてないのにね。
真理が見えるのに、それはわからんのかね?
そういえば久々に倫理の教科書を広げたら、ドットの言ってるようなことが
そこかしこに書いてあったな。
結局、ドットのは借り物の思想なんだな。
なんつーか、哲学ってのは自分で考えるものなのにね…
それに真理の見えるドットが、俗物の哲学者や思想家と同じ思想を持ってるなんて、
奇妙極まりないことでもあるし
795 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 19:29:31 O
フフフ すべてのものは無限に繋がりあい重なりあっている
796 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 19:33:30 0
>>795 おまいのパンツとおれの自転車はどう繋がりあい重なりあっているんだ?
797 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 19:34:49 0
〜ドットコムの論理〜
1:「蒙昧」という単語を使って、長文を書く。
2:質問が来ると、明言するのを避ける形で答える。答えをYES/NOで求められている場合でさえ、
断定的な答えを避ける形で応答する。
3:それに対する批判および内容への疑問提示がなされた場合は、その者が「覚醒」していない
ことのみを主張する。
4:したがって自論のみが一方的に展開されることとなるが、それについては「真理だから」
自明なのだという。
5:要するに、彼の意見こそが正しく、我々の試行錯誤は「未覚醒」故に偽である。
両手で耳をふさぎながら喚いている子どもと同じ。言うだけ言う。文句は聞こえない。
相手にするだけ無駄というもの。
>>794 本気じゃなくても、説法している気持ちなんでしょうね。
783は理解できたようですけれども、ドットさんが定義している知だとか
真理は揺るぎ無い信仰のようなものですよ。
真理がみえるという思いこみで生きていられるというのは気分の良いもの
なんじゃないでしょうか?
ドットさんは俗物ですしね。
799 :
797:2008/02/04(月) 19:47:25 0
注目すべきは、以下の2点。
結局彼は、「自分が幻覚を見ていない事」を示せなかったこと。
そしてもう1点。各々の単語についてきちんとした定義がなされていないこと。
これは「理解」と「知る」の部分で顕著。
水の生成について「知っている」はずなのに、なぜか「解明することは望んでいない」と回答。
つまり彼は「知っている」一方で、システムを「知らない」。つまり理解していない状況で、
事物を「知っている」ことになる。
苦肉の策として広辞苑の定義などを持ち出すが、その後の主張に関してはまるで論理性が見受けられない。
真理とはいかがなものか
800 :
不発弾:2008/02/04(月) 19:57:28 0
ドット氏の「信仰」はある意味で仕方がないことなのかもしれない。
私たちが科学を中心に物事を見据えるのと同じなのだろう。
彼には彼なりの論拠を、真理への信仰の中に見出している。
しかしそれは私たち科学の信仰にある者にとっては異質に他ならない。
それゆえに何人もドット氏の発言を「布教」と呼んでいるのだが、
そのために必要なことをドット氏自身が理解していないのはなぜだろう?
信仰には、それは絶対に正しいという軸のようなものが必要。
それは時として聖書であったり、人だったり、一般的な道徳概念だったりする。
どちらにせよ、布教し、信じさせるにはその軸を与える必要がある。
ドット氏の思想の未熟さの一つとして、その軸を与える行為の放棄が挙げられる。
彼は真理を理解するには、真理を理解できるようになればいいと言う。
覚醒していない私たちには根拠なるものが示せない、というのと同じように。
これで誰かを説得し、信仰させようというのはあまりにも愚か。
真実を見通す一方で、上記の至極当然の論理を理解できていないのは、実に理解に苦しむ。
私は彼からの返答は望まない。返答があるとしても、おそらくそれはすでに彼自身が書いた文の、
稚拙な繰り返しに過ぎないであろう。
もはや望むべきものも望め得ない現状に、不満だけが募る。
>>799 少なくとも、ここに書き込みしている人にですら納得のいく説明を論理を使って表現できない事で
仰る通り、真理という言葉を知ってるだけで理解できていないという事ですね、そして計らずも
ドットさん自身が真理を説明する知能を持ち合わせていない事を結果的に示しているんですよ・・・
802 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 20:00:47 0
>>心の仕組みドットコム
黙っていましたが、実は私は真理を得ているのですよ。
私には真実が見えます。あなたは…そう、まだ覚醒していないようです。
あなたは自分が覚醒したという幻覚を見ています。
あなたは早く覚醒したほうがいいです。社会が幻覚であるという幻覚を見ています。
証拠?もちろんありますが、そのためにはあなた自身が覚醒する必要があります。
わかりました?
否定したくても否定できないドットコム涙目wwww
803 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 20:17:31 0
底の浅い者だけが、自分のことを理解している。
Only the shallow know themselves.
――ワイルド
哲学で辞書や広辞苑引っ張り出してくる奴って何なのよ
そんな哲学なら言葉の定義と人類史を記憶させれば機械にだってできる
自分がその感覚で感じるものを言語で説明しようとするのが哲学だろ
生きた人間なら生きた哲学をやれってんだよ
「人生の目的は〜」なんてスレで言葉だけの上っ面だけ引っ掻き回してさ
バカじゃないか?
805 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 20:41:53 0
>>804 ドットのは哲学じゃなくて宗教だからwww
808 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 22:31:07 0
>>806 サイト見たwwwきもすぎるwww
アクセスカウンター数も笑ったが、「私が広辞苑を薦める理由」ってww
社会は幻覚なのに広辞苑の中身は信じるのか、ドットは。
というか1945年生まれって…
これだけ歳とってこの程度の思想?あり得ん…
言葉はどういう場面で、どう用いるかで意味合いが違いますから
広辞苑で言葉の意味を覚えて、他者の文章や話の意味合いを
読み取る為には確かに大事だと思いますけど、
覚えた言葉を使って、日本語として間違いのな文章を書いて
「正しいのです」と言いつづけるから布教でしかなくなるんですね。
人と人の会話なのだから、ドットさんが正しい人なら、人間として
相手の論に異論を唱えるより、相手が何を言いたいのかの方を
正しく理解できないまでも、理解できない理由くらい説明できなければ
真理を理解していると豪語する事は控えるべきだと、哲学的には
思いますね・ ・ ・
810 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 23:01:52 0
それ以上に広辞苑が、彼が幻覚だと言っている社会の産物にすぎないことを知るべきでしょう。
広辞苑は言葉の意味を載せた本に違いないでしょうけど、
言葉の定義づけを行ったわけではないです。
通則的な意味合い、つまり社会的に見合った使い方を記している本なのですから、
絶対的に正しいと言い切る理由がないんです。
とりわけ、社会が幻覚であるという主張のもとでは。
哲学は、確かに根拠に乏しい学問でしょう。
答えのないものを主題としているわけですから。
けれど、それゆえに長いこと議論されてきたわけですし、
そういう見地からすると彼の反論を受け付けない論理はむしろマナー違反に近いんですよ。
もう完結した理論だというなら、いっそ本でも書いたらいいのにと、思うんですがね…
811 :
考える名無しさん:2008/02/04(月) 23:11:02 0
難しい事はわかりませんが失礼します
死は死です生は生です
人間のエゴで考えた場合無から始まり生を成して無に還る
そのプロセスに真理があるような気がします
むずかしい事はおいらも分かりませんが、
ドットさんが馬鹿だということだけはよく分かりました。
>>810 > それ以上に広辞苑が、彼が幻覚だと言っている社会の産物にすぎないことを知るべきでしょう。
彼はそれは承知しているんでしょう・・・
> 広辞苑は言葉の意味を載せた本に違いないでしょうけど、
> 言葉の定義づけを行ったわけではないです。
彼は定義づけされた言葉の意味として広辞苑の解釈がお気に入りなのかな?
> 通則的な意味合い、つまり社会的に見合った使い方を記している本なのですから、
> 絶対的に正しいと言い切る理由がないんです。
そこですよね、ようは辞書というのは人が言葉を訳しているわけで言葉が持つ感じを説明しているにすぎない。
だからこそ、用途として、ある一つの単語を使用する時、人はそれぞれ感じとして覚え、そう思いこんだ訳に相応しい
単語を選択するのですから、定義が違えば定義の数だけ正しい意味合いは生まれるものだと思います。
> とりわけ、社会が幻覚であるという主張のもとでは。
社会が幻覚であると主張しているのですか・・・どういう意味合いなのか良く理解できませんね。
>
> そういう見地からすると彼の反論を受け付けない論理はむしろマナー違反に近いんですよ。
黙っているという事は黙認したという事ですね。
>
> もう完結した理論だというなら、いっそ本でも書いたらいいのにと、思うんですがね…
真理なんて本に書くほどのものじゃないのかもしれませんね、完結している理論を論理にして本にしたところで
論理的に表現された真理は誰もが「当たり前だよ」というレベルの平凡で感動を呼ぶような代物ではそもそも
ないと思いますし。
814 :
うあああ:2008/02/04(月) 23:31:23 0
死はそもそも目的と呼べるような現象ではないと思うのだが。
100億の細胞があったとして、10億が死んだとする。
場所が腕ならばその人はまだ生きているかもしれない。
場所が脳ならその人はもう二度と動けないかもしれない。
場所が心臓ならその人はすぐに残りの90億の細胞も死に絶えるかもしれない。
もし人を上記のような細胞の集合という観点から捉えなおせば、
死という現象をより正確な定義は、「不可逆性を伴った恒常性の喪失」であろう。
身体の部分的な死は代謝として常に起こり続けている。
だが我々はそれを死と呼ばない。代謝は恒常性の維持のための死であり、
むしろ死の対極に位置する活力に満ちた現象であるためだ。
たとえば、私は死を次のようにイメージする。
ぐるぐる回っていた独楽が、勢い余って土俵から落ちる。あるいは時間が経って
勢いが衰え、その場で停止する。別の独楽と接触することで急に倒れることも
あるかもしれない。そして二度と、起きあがって回り出すことはない。
少なくとも今のところは。
さて、もしこれが目的だというなら、果たして酷く惨めな目的であろう。
私はこのようなものを神聖視する輩の神経がちつとも分からないのだ。
>>814 > 死はそもそも目的と呼べるような現象ではないと思うのだが。
当然ですよね。
>
> もし人を上記のような細胞の集合という観点から捉えなおせば、
> 死という現象をより正確な定義は、「不可逆性を伴った恒常性の喪失」であろう。
なるほど、例えば人の肉体すべてに
不可逆性を伴なった恒常性の喪失が起こっても、
生命エネルギーという観点から死を捉えれば、
肉体が朽ち果てても、他の生命エネルギーの恒常性を物理的に担っている
のだから、細胞単位ではなく生命単位で恒常性に相当する変化のサイクル
に死亡なんていうものはないのかもしれません。
> たとえば、私は死を次のようにイメージする。
> ぐるぐる回っていた独楽が、勢い余って土俵から落ちる。あるいは時間が経って
> 勢いが衰え、その場で停止する。別の独楽と接触することで急に倒れることも
> あるかもしれない。そして二度と、起きあがって回り出すことはない。
> 少なくとも今のところは。
私の死のイメージは精神の停止ということになりそうです。
物理的な停止すら把握することのできない物への還元。
>
> さて、もしこれが目的だというなら、果たして酷く惨めな目的であろう。
> 私はこのようなものを神聖視する輩の神経がちつとも分からないのだ。
神経が病んでいればいるほど酷く惨めに思える目的を認められる自分に
希望を見出したいという事ではないですかね。
816 :
不発弾:2008/02/05(火) 00:13:36 0
>>814 まあ、あれだ。
哲学ではたぶん「意識の喪失=死」としてるんじゃないかな?
生物学的な死だったら…恒久的な、ホメオスタシスの喪失?
あまり考えるに値する話題とは思えないけど、
とりあえず「目的=死」ではないことは確かだろうね。
そもそも各生物ごとに目的なんてものが設定されている保証もないわけだし。
というか、
>>1は迂闊に「真理」なんて言葉を使うべきではなかった。
これも私の持論なのだが、意識の喪失が死を意味するなら、
我々は寝るたびに死んでいる。うたた寝でさえ死んでいる。
ある種の哲学者が死について語るとき、古典的な不可知論に逃げるだけで
眠りとの比較を決して持ち出さないのは、アンフェアだと思う。
我々は死について、思っているより多くのことを知っているはずだ。
現代科学をもってしても、眠ったものが再び目を覚ますことを保証することなどできない。
言い換えるなら、眠りが死と決定的に違うと証明することなどできない。
人々はそういう議論をただ彼岸へと追いやって、見えないふりをしている。
なぜなら死を理解することは、死への信仰を破壊する行為でもあるからだ。
復活や再生と呼ばれる奇跡を否定する行為でもあるからだ。
さっき、私は「少なくとも今のところは。」と書いた。
失われた恒常性を復活させる試みは、ボケ防止に始まり、
人工海馬、人工脳による脳死患者の復活へと進むであろう。
意識記憶の連続性が無くとも、同じ肉体を持って蘇るのならば?
ある者にとってそれはゾンビであり、ある者にとってそれは同一人物であろう。
メメント・モリ。死を思え、とメキシコでは言うらしい。
あえて死を「力」として捉えるなら、それはどのような種類のものであろうか。
マイナス70℃での急速冷凍は、水分の凍結で起こる細胞破損無しに
生物を凍結させる。それは死とよく似ている。
だが、解凍による復活も可能である。
もし死を主格として解釈するならば、凍結は死を与える行為なのか?
解凍は死を奪う行為か?「死を奪う」とは聞き慣れない言葉である。
そのような行為は定義し得るのか?死を奪われた者は永遠の恒常性を得るのか?
死について考えるべきことはまだまだ多い。
819 :
不発弾:2008/02/05(火) 02:30:19 0
>>817 眠り、か。それは考えたことなかった。
ならば不可逆的な「意識維持能力の喪失」あたりが、哲学的には妥当かな?
結局個としての存在がスポイルされれば、それは死に値するような気がする。
厳密に言うとどうなるか、なんてことはよくわからないが。
脳味噌が吹き飛ばされるのはもちろん死だろうし、一方で、これまでの記憶をすべて失っても、
それはそれで自分というものの死を意味するんだろうね。
生物学的な死、ねえ…
医者ではないからよく知らないが、人間の死は心臓の停止なんだっけ?
脳死がどうとか、騒がれてはいるが。
何をもって死とするかは、正直定めにくい問題だろう。
どこかの誰かさんのように広辞苑で引いてみたが「死:しぬこと。命がなくなること」
と出てきた。まるで役に立たないwww
もしそのような抽象的操作が許されるのであれば、無機物から
死を奪うこともできるのだろうか。
ぽっかりと死を奪われた無機物に、恒常性が何処とはなく溜まっていき、
そこに生が生まれることがあるのだろうか。
その逆に、死を奪い続けて、永遠に恒常性を得ることができない、
死に続ける存在が現れることがあるのだろうか。ソレについて考える。
近づく者から死を奪い、分不相応な新たな命、あるいは不老不死を与える
引き換えに、ソレは死を得る。人の思考の及ばぬ領域に深化してゆく。
放射能に汚染されたチェルノブイリでは、DNAは通常よりはるかに
早い速度でめまぐるしく変化しているのだという。これを死を奪うと
解釈することはできないだろうか。これを死を奪う行為として定義すると、
ソレは生の触媒として働く死の司祭とでもいうべきものとなろう。
あるいはソレは、死を奪うことで、対象の休み時間を奪うのだろうか。
本来「何もしない」ために使われる時間を奪い、何かに駆り立てるのだろうか。
何かを目指そうとする力を増幅させ、ソレはその真逆に逃げ込む。
死について、とりとめのない思考を展開してみた。
さらに想像力を働かせ、もう一度主格を逆転させることで、新たな知見が
得られるかもしれないが、今日は眠いのでもう寝る。んっがっんっぐ。
821 :
不発弾:2008/02/05(火) 02:40:11 0
>>818 マイナス70℃の技術の可否は別として、そのような技術があればどうだろうね。
眠りを死と呼ばないことと、この冷凍を死と呼ばないことは、結構似通ってるように思える。
どちらも、可能性としては活動可能な状態へ引き戻せるわけでしょ。
一般的な死は、生命たる数値に0を掛けるようなもの。絶対的で、乗除ではどうにもならない値になる。
では本質的にどうかというと、どうなんだろう?
先ほど出た細胞レベルでの死は、個というマクロからすると実に微々たる現象にすぎない。
もし体が4つの細胞a、b、c、dからなっていたとすると、
全体的な死は、(a+b+c+d)×0で、
部分的な死は、a×0+(b+c+d)という感じ。
問題はいくつ細胞が死ぬと、マクロでの死に値するかということ?
細胞の死と、自分という個の死をリンクして考えるならば・・・
>>819 小説「ミトコンドリア・イブ」では、癌細胞(不死)となった肝細胞(比較的強い細胞)を
培養することで、恋人との絆を保とうとする医学系の主人公が出てきた。
彼の行っている行為は社会的には無意味だろうし、狂人と言われるだろうが、
「形見」だって役割としては似たような存在だ。
死は物理的に定義されるものではなく、おそらく社会的に定義されるか、
あるいはもっと個人的なものとして定義されるのだろう。
「もう会うことができない」という言い換えもできる。では、あの旅人は死んだの
だろうか。旅人を追いかけることができない人には、それは分からない。
823 :
不発弾:2008/02/05(火) 02:49:42 0
死に続ける存在か…
生と死と、この言葉はうまく定義することはできないだろうね。
何しろ死ぬとどうなるのか、主観的には認知することができないんだから。
死に続ける存在、と聞いて思ったのだが、
そもそも死というものは存在しない、というのはどうだろう?
動き続ける生命こそが異質であり、死こそが自然の形。
まあ、変な話だとは思うけどさ…
例えば、ほとんどの物質は生命のない状態でしょ?
そこへ生命なるものを持ったものが出てくる。
状態で言うと、死は「床に落ちているもの」で、生は「上に向かって投げられたもの」。
ものはいずれ床に落ちて、静止する。通常の状態へ戻った、とでも言うのかな。
どうだろ?
単なる思い付きだから論理も何もあったもんじゃないけど…
誰か優秀な人がこのあたりをすっぱりと切ってくれることを望むよ。
状況 ゾウリムシ
あるゾウリムシの挙動を完全に再現するゾウリムシロボットが発明された。
もはや一匹のゾウリムシが欠けたところで、その死を嘆き悲しむ人はいない。
かわりにロボットを入れればいいのだ。全てがロボットになってしまっても
誰も悲しむ人はいない。このゾウリムシロボットは分裂して増えるのだ。
人間にとって、もはや何の違いもありはしない。悲しむべき理由など無い。
しかし一人の男が泣いていた。彼は極めつけの変人で、ある本物のゾウリムシに
名前をつけていたのだ。それは彼にとってかけがえのないゾウリムシだったので、
それがロボットに置き換えられると、彼は悲しみのために自殺してしまった。
果たして彼は人間だったのか?
それとも彼は、ゾウリムシの一部だったのか?
>>823 残念ながら完全な死の世界を作りだすのは難しい。
太陽が地球を照らし続けているので。
沸騰している水の中に氷は生まれないだろう。
もしそのような存在を作りだしたければ、ムリヤリ作るしかない。
それにはエネルギーが要る。死に続けるのも一苦労だ。やれやれ。
826 :
不発弾:2008/02/05(火) 03:00:40 0
>>824 意識的な問題かな?
彼がゾウリムシの一部であったという考え方は、ちょっとわからないが。
悲しみのあまり自殺した、とあるわけだし。
>ゾウリムシの挙動を完全に再現するゾウリムシロボット
実際にやってから言えと何度言ったか。ロボット工学で何が出来た
と言うんだ。
828 :
不発弾:2008/02/05(火) 03:05:34 0
>>825 生命の誕生自体は、そこまで当然のこととも言い切れないと思う。
それにビッグバンが起きたばかりの頃には、水素ばっかりだったんでしょ?
…地学は専門じゃないからよくわからないが。
むしろ環境は生命を作るのに不向きだと思う。
もともと「生きていない」物から「生きている」物ができたわけだし…
829 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 03:07:58 0
>>827 思考的な問題で、そのような指摘をするのは意味がないと思う。
あくまで抽象的な命題に対する、具体的な当てはめにすぎないわけだし。
>828
それだってわかんないよ。実験室で実際に生命を創るまでは、科学的
には「未検証」の「作業仮説」に過ぎないのだ。
>829
つまり、「そういう問題」は哲学的な問題であると共に、科学的な問題
でもある。
ここにおいて、哲学(文系)と科学(理系)は同じものだ、と言いたい
のだよ。
832 :
不発弾:2008/02/05(火) 03:13:13 0
>>830 それもそうかww
ところで、宇宙は生命にとって生きやすいと思う?
う〜ん・・・命をもたないほうが、状態としては楽な気がするけどなぁ。
>832
生き辛いに決まってるでしょが、だからすぐに死ぬしね。「生命」だって
ドゥルーズやベルグソンは安易な考えを取らないよ。
>832
>命をもたないほうが、状態としては楽
だから混乱要因なんだよ、「生命」てのは。バタイユは「過剰」とか
言ってるけども。
835 :
不発弾:2008/02/05(火) 03:20:23 0
>>831 >ここにおいて、哲学(文系)と科学(理系)は同じものだ、と言いたい
それについてはどうかと思う。
実際にそれが成り立つかどうかというのは、むしろ問題ではない。
水槽の脳にしても、それが技術的に可能かどうかはどうでもいいこと。
こういう状況を設定した際に、何がどうなるのかを考えるわけだから。
文系と理系が同じというのは、別の理由から賛同するけど。
数学は、先へ進むとどんどん抽象的になる。
それは科学の原則たる事象の一般化というものが噛んでるせいかな?
とにかくデカルトもライプニッツもスピノザも、思想家としての一面を持ってた。
物事を論理的に思考するという点で、文理問わず数学は必修にすべきだと思う。
哲学しかやってない哲学者には、数学者のように概念をきちんと理解する能力が
あるかどうか、正直疑わしいし
安楽死法を考えなきゃ
年間三万人以上もの方々が苦痛を味わいながら自殺している…様々な苦痛を
人には生きる時と死ぬ時がある
死も自由選択にしなきゃ
子は親を選べないんだから
837 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 08:51:20 0
>>836 >安楽死法を考えなきゃ
経済的な苦痛に耐えられず自殺をする人にも安楽死を考えろ、と言われるのですか?
自殺も人殺しです。
諸々な苦痛を生じさせない方法を考えるべきです。
安楽死とは命を軽んじた、余りにも短絡的な解決方法だと思いませんか?
838 :
不発弾:2008/02/05(火) 09:17:27 0
839 :
不発弾:2008/02/05(火) 09:21:08 0
>>833-834 ベルグソン、ドゥルーズ、バタイユ…
浅学ゆえ、彼らの思想については何も知らない。
誰か簡単に説明してくれないか
840 :
不発弾:2008/02/05(火) 09:37:53 0
確かドット氏、あなたいろいろと哲学書を読んだとHPにありましたな。
>>839の3人の思想を、少し教えてもらいたいのだが――
ところで>自殺も人殺し、か。
それは能動・受動に関係なく?
自殺とは、目的としての自殺?それとも結果としての自殺?
どちらについてだろうか。
>>837 どうしたんだドット?いっぱいスルーして突然w
842 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/05(火) 10:00:04 0
自殺は自分で自分を殺すことだろうから、自分が人でなし
である人を除いて「人殺し」にはちがいない。
老死や病死や事故死は自殺とは言わないだろう。
殺意があって人を殺すのが「殺人」の定義だろ。
843 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 10:34:28 0
>>840 >確かドット氏、あなたいろいろと哲学書を読んだとHPにありましたな。
寝耳に水です。
私はその様なことを記したことは有りませんよ。
ですが後ほどwikiで見てみましょう。
さわりを読めば、その哲学者の思想は把握できるでしょ。
>>841 夜中は寝ていますよ。
返事に値する書き込みがないのでスルーしただけですよ。
>>842 自分と言う人を殺す意思が有りますので当然、自殺も殺人ですよね。
844 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 10:55:14 0
あははは !!
>>843 ←これのどこが返事に値する書き込みなんだよw
「 どこどこ?」
>>842 人は誰でも人として生きられたのは他人に育てられたからで
自分は人であると思いこんでいるだけで、結局一人では
生存不能だった存在だから、自分で自分の命を絶つ自殺は
人でなしに戻る行為であって、能動的に目的として死を選択
する場合は人殺しとは言えないね。
殺すというのは、危害を加える「殺」という意味が含まれるが
自分の命を自然界に還元するために、苦痛なく死ねる安楽死
であれば、新しい言葉が必要なくらいでしょう、自殺でもなく
他殺される安楽死でもないのだから。
848 :
不発弾:2008/02/05(火) 11:40:34 0
>>843 >寝耳に水です
HPに
「私が心の探究を始めてから十年あまり経過し、人の心のすべてを解き明かしたころに、他の人たちの考えも知りたいと思い、哲学書に目を通したところ」
というくだりがあるのだが…("私が広辞苑を薦める理由"の項)
まあ、読んでないなら答えなくてもいいが。Wikiには大したことは載ってない。
どちらにしても、そこまで哲学書を読みこんだわけではないのか…
あと追加で済まないが、自殺というものをこの場でどう定義する?
首を吊るという、直接死ぬ目的につながるものは、もちろん自殺。
けれど、何気なく行った行為が結果的に自分の死を招いた、というような
間接的な行為は自殺になると思うか。
もしその間接的な自殺が自殺というものの範疇に含まれないとしたら、
80%の確率で失敗する手術を受けて死ぬというのはどちらに入る?
死ぬ意志はないが、自らを死の間際へと追いやっているのだから、間接的な自殺とも言い切れない。
849 :
不発弾:2008/02/05(火) 11:52:22 0
あともうひとつだけ、ドット氏に聞きたいことがある。
都合がよければ答えてほしい。
あなたは「人を殺すこと」は悪であると言った。
そして自殺も同じく、人を殺すこととして悪であると言った。
では一つ聞きたい。
目の前に狂った男がいて、あなたの家族に銃を突き付けている。
あなたも銃を持っている。
男があなたに与える選択肢は3つ。
1つ:男を殺すことで、家族を解放させる。
2つ:あなたが自殺することで、家族を解放させる。
3つ:家族を見捨てる。
どれが正しい選択肢となるだろう?
「真理」を得たものから見た、真に正しい答えはどれだろうか。
850 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 11:57:42 0
>>843 >さわりを読めば、その哲学者の思想は把握できるでしょ。
知識とは何か、理解とは何かについてやたらと騒いでいた口と、
同じ口が発する言葉とは思えないのだがwww
おれたちは知る「だけ」じゃだめなのに、あんたはさわりを読むだけで知識を得られるのか。
これが覚醒(笑)の威力かwww
851 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 12:08:02 0
>今までも、これからも貴方達が知りたいことは何でも答えますが (in
>>639)
>返事に値する書き込みがないのでスルーしただけですよ (in
>>843)
なあみんな、「矛盾」ってどういう意味だっけ?
852 :
ちゅう ◆Pzn2.y/16A :2008/02/05(火) 12:15:12 0
>>846 人が死ねば人でなくなるというのはまったくの間違った
考え方だろうね。人が死ねば死人という人になるだけ。
他人から分けてもらい他人にも育てられ人となった命は
自分のものでは無いし自分の自由にはならなくて当然だろう。
その命が自然に帰るのは自然死しかない。
心の仕組みドットコムさんの無知蒙昧ぶりには驚かされましたね。
855 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 15:30:37 0
>>852 ですね◎
>>853 飾りの耳に話しても無駄でしょう。
>>854 恥ずかしいから、そんなに褒めないで下さい。
貴方ほどでは有りませんよ。
856 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 15:45:35 0
>>848 眼を通したと>確かドット氏、あなたいろいろと哲学書を読んだとHPにありましたな。
とでは随分と違いが有りますね。
確かにwikiでは肝心なことを書いて有りませんので哲学者の心を読み取れませんでした。
中には読み取れるページも有るんですが、、
今、私のHPを書き直しています。
題名を、誰でも分かる「心の仕組み」ドットコムから馬鹿でも分かる「心の仕組み」ドットコムに変えようかな、何て思っています。
簡単に書きますので、それでも納得できなければ私にも打つ手は有りません。
手術をしないと100%死ぬ人なら20%の希望に託すことは自殺では有りません。
>>849 私は家族の為で無くても、その場合は迷わず肩を打ち抜きますよ。
>>852 非科学的過ぎやしませんか?死人という人は物理的に消滅しますから
観念で、他人が死人だと認識するのはともかく・・・
間違いだと思うのはわかりますが、ただの観念でいいなら、
誰が間違いと感じようとも、事実消滅する人体がなくなれば人という
科学的物証がなくなるので、死人になるという「考え」は信仰でしかないです。
> 他人から分けてもらい他人にも育てられ人となった命は
> 自分のものでは無いし自分の自由にはならなくて当然だろう。
それは、他人も同じなんですよ、結局人は進化によって育まれてきた
物質(身体が物、精神が質って意味ですが)でしかないんで
自分の命をどうしようと(と言ってもたかだか生きるか死ぬかの二者択一ですが)
自分の質しだいというのが事実です。
> その命が自然に帰るのは自然死しかない。
自然死で死のうが、自殺で死のうが、事故死で死のうが科学的には自然に
帰ります、オカルトじゃないんですから死因で自然は差別しませんって。
ドットさんて、こうあるべきという信仰=正しさだって思いこんでません?
本当の正しさというのは、こうあるべきだという倫理的な観念に関係無く
事実に色付けられた観念の部分に正しさがあるとしても、立場の違う
人で成り立っている人間は人の数だけ信仰的正しさが混在しているんです。
つまり信仰的に正しさでよければ、正しい真理は人それぞれなわけです。
860 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 16:59:25 0
>>858 一人の心の中には理非の二つの心が混在します。
ところが主導権を握る何れかが心を支配するのです。
理非とは理と理を否定する非理を指しますが、非理に支配されれば人は無知蒙昧に陥り物事を理解できず善悪を弁別する機能を失います。
つまり物事の正誤を糾すことのできない状態ですが人類史との深い関わりから人類全体が非理に取り込まれています。
このことを人が知るには物事の理を悟り、真理に通ずる心を会得しなければ理解できません。
そこで真理を会得した、ほんの僅かな人達が哲学と言う場を作り他の人々が真理に通ずる方法を模索したのです。
ですから「哲学は理性的な思考を通じて、様々な主題について論じる」と言うことで真理を会得した者達が語り合う場なのです。
861 :
不発弾:2008/02/05(火) 17:53:52 0
>>856 >私は家族の為で無くても、その場合は迷わず肩を打ち抜きますよ。
少しがっかりした。
最初にあの質問を書いたとき、怪我させて事態を救うという選択肢を選ぶ可能性も、
確かに考慮していた。けれど、これは思考実験。そのことはわかってると思っていたが…
では殺す道具をスイッチにしよう。
男を殺すのもスイッチを押すだけ。自分を殺すにしてもそう。家族を見捨てるのは同じ。
その場合、3つの選択肢からはどれを選ぶ?
別に試しているわけではない。
純粋に、あなたの理念から見た「正しさ」を知りたいだけ。
気を悪くしたというなら、謝る。
862 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 17:56:50 0
>>856 「読んだ」のではなく「目を通した」、か。
なるほど。ほかの思想を参考にしたとは言っていたようだけど、
その程度しか触れていない、と。
それなのに「参考になるものは何もなかった」とは、随分と視野が狭い。
>>860 というか、860の文章って858に対するレスですか?哲学はどういうものか?とか人の心の話について返信して
もらうようなことを書いたつもりはなかったのですが・・・せっかくのレスなんで読みました。
哲学は理性的な思考を通じて、様々な主題について論じる事で真理を会得した者達が語り合うとのことですが
ドットさんの主張↓
> 理非とは理と理を否定する非理を指しますが、非理に支配されれば人は無知蒙昧に陥り物事を理解できず善悪を弁別する機能を失います。
> つまり物事の正誤を糾すことのできない状態ですが人類史との深い関わりから人類全体が非理に取り込まれています。
> このことを人が知るには物事の理を悟り、真理に通ずる心を会得しなければ理解できません。
> そこで真理を会得した、ほんの僅かな人達が哲学と言う場を作り他の人々が真理に通ずる方法を模索したのです。
からすると、真理を理解できない人の非理を真理を得ている僅かな人が
明らかにし、理に教え導くのみのはずでは?真理に通ずる方法は会得した僅かな人達が論証すれば
理の心も在るほかの人に理解する事は可能ですよ。その為に論理があるのですから。
真理を会得していれば、会得していない人の非理を理に導くために通ったはずの道理で説明し続けていく
しかありません。しかし次から次から人は生まれてくるのでイタチごっこです。
結局人間世界全体が真理に通ずる事は有得ません。それが真実ですね。
> ですから「哲学は理性的な思考を通じて、様々な主題について論じる」と言うことで真理を会得した者達が語り合う場なのです。
真理を会得した僅かな人達が一つの主題について論じる必要はないですよね?
真理は他の人と論じる必要がありません。会得した人の結論は真理なのだから同じ結論になるのですから。
864 :
不発弾:2008/02/05(火) 18:17:55 0
>>ドット氏
あとこれも純粋な興味から聞きたいのだが…
「蒙昧」に陥った人間が正しく物を理解できないのは、理性というものがなく、
それゆえに偏見などの入った眼で物事を見るから。これでよいだろうか?
Yes/Noで答えてほしい。
あなたの主張は、これまでのレスやHPを見れば、とりあえず十分だから。
865 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 18:22:41 0
www
866 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 18:24:20 0
>>863 ドットの言う真理は、言葉とかでは伝えられないらしい。
それに、人間が自ら覚醒すれば、自ずとわかるらしい。
だからここで例を挙げて教えるつもりも、その必要もない。
数々の応答に対して、ドットはこうやって避けてきた。答えは望まないほうがいい。
867 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 18:34:39 0
>>858 ドットの理論は、否定することができない。
いうなれば「正しくないことが証明できない」ってこと。
「死後の世界がある」と主張するのと本質的には同じ。
だって根拠を求められれば、「死んだらわかる」と言えばいい。
ドットの勘違いの一つとして、こうした反証不可論理を正しい論理と思っている点が挙げられる。
真理が見えるなら、そのあたりのことは分かっていても良さそうなものなのに
868 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 19:14:39 0
>>864 ほぼYesです。
理性は有りますが、心が悟性を産みだす自我に支配され理性が目覚めていないと言うことです。
人は本能と物事に反応する感性が心の核を司っていますが、外界から受ける影響を潜り抜け表に心として現れます。
育つ過程に於いて自我と他我の影響を受けますが、自我の影響が大きいと他我は眠り悟性が表に現れ理性はお休みをしてしまうのです。
その逆に他我の影響が大きいと自我は休み、理性が育ちますので知性を得て知能が育ち智恵を産みだせると言う仕組みです。
人類社会は自我を主流に流れていますので、人はどうしても自我を大きく育てられてしまいます。
うつら、うつらしている他我から育つ貧弱な理性が貧弱な知性を育て、人は貧弱な智恵しか産みだせずそれが問題を産みだし問題を適切に処理できぬ、と言うダブルの苦しみを抱えるのです。
パワーの大きな方が心の主と成る、人類社会の縮図がそのまま人の心を作るのですね。
ですから自分で他我を育てれば自我は寝てしまいますので、誰でも理性が育ち、今まで使ずに潜在していた知能が芽吹き智恵をバリバリ産みだせると言うことです。
>>860 >一人の心の中には理非の二つの心が混在します
あんね、ドットw
おれら聖徳太子じゃないし同時に扱えるのは1つだけ
同時に2つは処理できないのよ
存在も同様で同時に存在できるのも1つの心だけ
つまり何種類心があると思おうが
同時に働けるのは1つだけなのよ
つまり混在なんか物理的に不可能だってことぉ〜♪
せっかくオマイ11行もカキコしてるんだが
出だしの1行目がパッパラパーだから
2行目以下全部その根拠を失ってるわけよ (^_^;)
11段の跳び箱で一番下の箱が壊れてたら
その上に何段積んでようが誰も飛ばんだろw
870 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 19:28:14 0
>>867 >ドットの理論は、否定することができない。
もっと素直に考えて下さい。
理論が正しければ誰も否定はできないのです。
死後の世界を日本では80%の人達が否定していますよ。
考えて下さい。
死後の世界は人の脳が考えることですので脳が機能を停止したら死後の世界も消滅するでしょう。
死の恐怖を種に、それを和らげ商売に繋げているだけです。
人が知恵を得て、真の価値観に目覚めればその商売も成り立ちません。
ですからアルマゲドンと言う人類全体が価値観の逆転を起こすことを、その商売人達は一番恐れているのです。
871 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 19:32:02 0
872 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 19:40:17 0
>>869 これだけ詳しく説明しても分からないの?
もう小便をして寝ちゃつてくれる。
もう一度、言うよ。
君の頭にも馬鹿になる心と賢くなる心の二つが有るんだよ。
そして馬鹿になる心が支配しているので賢くなる心は寝ているんだよ。
だから君は馬鹿になる心しか使えないの、、
二つ有っても1つしか使えない、、分かる?
賢くなる心を育てれば馬鹿になる心は眠るでしょ。
873 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 19:47:17 0
>>872 アホかw
1つの心が馬鹿になったり賢くなったりする・・って考えた方のが
心の機能説明には合理的だろがこのドアホーw
糞してトットと寝ろ
あ、まちがった、ドットだったな
ドットと寝やがれこのテイノーw♪
>>872 ドットさん、貴方を見てると「馬鹿になる心」しか見当たらないんですけど。
「賢くなる心」がほかにあるなんて嘘でしょ?
だって何処さがしても無いものは無い。
>>866 >答えは望まないほうがいい。
望んだ問いの答えは返ってきませんしね。
当たり前の、言われる前からわかっている当然の返事を
急に話しだすので驚きました。
つまり、ドットさんは己の真理がわかっていたとしても、
他人に理解させる道理は持ち合わせていないということなのか?
もしくは当たり前の真理というか正しい文句を書くことで
真理を示しているんでしょうね。
ただ、それは人間世界に通用する真理ではなくて、ドットさんの理でしかないため
真を伴なわないので人として話しを噛み合わせる事が不能なのだと思います。
他人に理解できる真の理ではないんですが、彼は自己満足
で自己完結すること伝える=議論だと勘違いしているんではないでしょうかね?
876 :
不発弾:2008/02/05(火) 20:29:15 0
>>868 返答感謝。
勝手にまとめてみるので、違うと思う部分は突っ込んでほしい。
1:「理性」が育っていないため、多くの者は「偏見」にまみれて物事を見る。
2:したがって物事の正しい姿が見えていない。
3:なので、「理性」の育っていない者にとっての「社会」とは、「偏見」に歪められた
「幻覚」のようなものである。
4:よって真実を見る、すなわち真理を得るには「理性」を育てる必要があり、
そのためには欲求などで代表される「自我」を抑えなければならない。
冷やかしではないが、賛同はしかねる。
確かめられないものについては、その根拠が示されるまでは納得できない性格だから。
前のほうで根拠云々の論争は終わっていたので追及はしないが。
ところでスイッチの場合の3択、これはどれを選ぶのが正しいのか。
ついでにお聞かせ願いたい。
877 :
不発弾:2008/02/05(火) 20:39:11 0
連投すまない
>>870 >死後の世界を日本では80%の人達が否定していますよ。
>考えて下さい。
>死後の世界は人の脳が考えることですので脳が機能を停止したら死後の世界も消滅するでしょう。
もちろん、「常識的に」考えればありえないことであろう。
しかしその「常識で考えたら」という考え方こそ、あなたの言う「偏見」に属するのではないだろうか。
私も魂などというものは信じないが、それが「絶対にない」と証明することは容易ではない。
見える者には見えるのだ、という論理を提示されれば、反論もできない。
我々にとっての「真理」や「覚醒」も同じ。
そういうものは確かに存在し、それは分かる者には分かる、と言われると、もはや打つ手がない。
おそらく
>>867が主張したことはこういうことであろう。
しつこいようだが、例示の意味はその可否にあるのではない。
878 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 21:17:56 0
>>877 >見える者には見えるのだ、という論理を提示されれば、反論もできない。
論理とは思考の法則的つながり、ですよ。
見える者には見えるのだ、と言うのは論理とは無縁です。
言葉の意味を知らずに言葉を乱用しては駄目ですよ。
物事の理を悟り真理に通ずる心を会得しなければ、人は物事を理解できません。
これが法則的つながりの論理ですよ。
ですから「理解とは物事の道理を悟り知ること」と辞書に書いて有るでしょ。
道理とは理の道を指し、理や真理・法則と同義語なんですよ。
貴方は物事を理解できるつもりと言う幻覚に捕らえられているのです。
ですが打つ手は有ります。
879 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 21:32:01 0
>>876 飛ばして済みません。
4は>「自我」を抑えなければならない。
自我は抑え切れませんので他我を育てて自我を自然に寝かし付けるのですね。
>確かめられないものについては、その根拠が示されるまでは納得できない性格だから。
これは大変に良いことです。
ただ、他我を育てる方法は簡単ですので、根拠を自分で確かめると言う方法が有りますよ。
880 :
不発弾:2008/02/05(火) 21:41:26 0
>>878 >論理とは思考の法則的つながり、ですよ。
論理とは、論理記号で書けるもの。
つながりそのものに法則性はない。各記号ごとに定義された意味があるだけ。
私の言った「見える者には見える」というのは無意味なトートロジー。
前提としては、「魂」があるということが必要。事実かどうかは別として。
あなたの言う「真理」についても同じだというのは、そのため。
あなたは「真理はある」「幻覚というものがある」と言う。
我々の多くは、そのようなものは見えない。
あなたは見る能力があるから見えるのだと言う。つまり見えるから見える。
論理としての骨格は、死後の世界云々と全く同じ。
意味合いまで同じとは、もちろん言わないが。ただ、それに限らず大方の物事はこの範疇に含められる。
否定しても仕方がない。
法則とは複数の事象を一般化したもの。
事物の背後で脈々と流れているようなものではない。意味を知るべきなのは、むしろあなた。
暇つぶしにでもいいから、数理論理学を勉強することを勧める。
繰り返すようで恐縮だが、スイッチの3択はどれが「正しい」?
そして
>>876でのまとめに関しては、概ね了解ということでよいだろうか?
あなたの考えには、単純に興味がある。
同意するかどうかは全く別として。
881 :
不発弾:2008/02/05(火) 21:45:45 0
>>879 済まない、答えてくれたようだった…
4の自我の部分以外は、それでよいということでOKだろうか?
>根拠を自分で確かめると言う方法が有りますよ
けれど私は感覚を信用できない。
それは十中八九、通常の人間よりも知能などで劣っているから。
理系ということもあり、何でも数値や式で示せないと、信じられない。
言い換えると、公理や定義から導かれる客観的な要因によってのみ、
事物の性質を容認することしかできない。
882 :
心の仕組みドットコム:2008/02/05(火) 23:07:01 0
>>881 >4の自我の部分以外は、それでよいということでOKだろうか?
そうですね。
通常の人は知能を誰も育てていませんので劣る等のレベルは有りませんよ。
つまりオール0ですので、どうしてレベルを計れますか?
物事の理を悟りますと探求心が爆発的に増幅しますので、学問を専業とする方達には特にお薦めです。
アインシュタインもその法則に添って、あれだけの発見をしたのですから貴方には彼を抜き越える研究者に成って戴きたいと思います。
哲学が諸学の源と言う由縁はそこに有るのです。
物事は何でも信じたら駄目ですよ。
全て自分で確認して認められるところまでを認めれば良いのです。
もっと心の公理に付いて語りたいですね。
計らないとオール0と分らないような気がします。
気がするだけかもしれません。
心の公理に付いてはドシドシ語ってください。
884 :
不発弾:2008/02/05(火) 23:46:58 0
>>882 再三要求するようで申し訳ないが、
前に出した「スイッチの3択」の正しい答えはどれだろうか?
かなり気になるのだが…
それから、アインシュタインは真理を得たのだろうか?
とすると、「神はサイコロを振らない」という発言は、あなたから見ても
「正しい」と思えるだろうか?
あと心の公理として、どんなものが挙げられそうか、少し教えてほしい
885 :
考える名無しさん:2008/02/05(火) 23:47:09 0
「物事は何でも信じたら駄目ですよ」と、もっともらしいことを言う
当人の言葉が、信じるか一笑に付す以外にどうしようもないものだってのは、
なんつうか・・・・・・。
886 :
心の仕組みドットコム:2008/02/06(水) 07:58:12 0
>>884 >前に出した「スイッチの3択」の正しい答えはどれだろうか?
1つ:男を殺すことで、家族を解放させる。
2つ:あなたが自殺することで、家族を解放させる。
3つ:家族を見捨てる。
どれが正しい選択肢となるだろう?
「真理」を得たものから見た、真に正しい答えはどれだろうか。
この時、私の家族ではなくても、私は迷わず肩を打ち抜くと言いましたが選べと言われた答が相応しくない場合が有ります。
その時、肩を打ち抜けば相手の命が助かる可能性が産まれます。
スイッチの件も三択には含まれぬ答も有ります。
其れよりも、、
>それから、アインシュタインは真理を得たのだろうか?
の話しをしましょうよ。
真理を得た者は私利私欲に捕らわれず己の望むままに人生を使います。
彼は自分の得意とする物理を使い、エネルギーで世界平和の確立を目指したのですが彼の手に負えないと言う人の欲望に敢えなく彼の望みは断ち切られてしまいました。
真理が人体に与える影響は膨大ですが、必ずそのエネルギーは持ち主の望む道に使われるのです。
彼も、こと有る度に啓蒙を行っていましたが、自分の得意は物理ですので得た真理のパワーをそれに振り向け心の仕組みには余り使われませんでした。
その結末はご覧の通りですが彼の心を推し量ると胸を締め付けられます。
>とすると、「神はサイコロを振らない」という発言は、あなたから見ても
>「正しい」と思えるだろうか?
全ての人々は産まれながらに等しい機能を備え持って産まれてくる、と彼は言っているのですがその通りです。
人は諦めさえしなければ全てを叶える機能を平等に持っているのです。
また、その機能を平等に使えなくする働きも世の中に有ります。
彼がことある度、口にするアインシュタインの神は誰も抗うことのできぬ自然の法則を指していると思います。
続きます、、
887 :
心の仕組みドットコム:2008/02/06(水) 09:32:09 0
>>884 >あと心の公理として、どんなものが挙げられそうか、少し教えてほしい
心の公理には理の公理と非理の公理が有り、人の心で有っても人が決めたことではなく自然的に存在する公理です。
理の公理に従えば全てが円滑に運べ、非理の公理に従えば全てが徒労に終わると言う法則が有ります。
この場合に従うと言っても他人に従うことではなく自分の理か非理の心に従う、と言うことです。
心の公理は数理や物理の人が探しだした公理の様に未知の部分がなく、更に厳密なものなのです。
勿論、数理や物理の公理でも人に解き明かされていない公理は沢山、有りますが数理や物理の公理とは主に人が公に認めたものを指しますね。
数理や物理の公理はこれから先、人に潜在する知能をフル活動しても全てを解き明かせませんが一番難しいと思われている心の公理は物事の理を悟ると言う作業だけで手に入れることができるのです。
普通、潜在知能と言うと自分が使う知能と別の知能があると思われていますが人の知能は全て表面に現れず潜み隠れている潜在知能を除いては他にないのです。
諸学に進む場合、自利を重んじれば知能は育たず他利に重きを置けば知能が育ち楽しみながら探求に耽ることができます。
そして自利を重んじ発明や発見されたものは将来的に人類に苦難をもたらし、他利に重きを置き見つけだされたものは人類の未来を開きます。
それが哲学を諸学の源と言う位置に据えた由縁なのです。
888 :
心の仕組みドットコム:2008/02/06(水) 09:36:35 0
>>885 >当人の言葉が、信じるか一笑に付す以外にどうしようもないものだってのは、
>なんつうか・・・・・・。
思考を放棄し、二者択一ですか?
何と愚かな。
889 :
考える名無しさん:2008/02/06(水) 09:44:40 0
(っ_ _)っ ドッ
>>888 真理の具体例まだぁ〜?
思考放棄でつかぁ〜?
>>888 心の仕組みドットコムさん、
>>890の質問から逃げちゃいけません。
分からない場合は分からないと答えましょうね。
前回は行動規範と真理の区別もつかないアホぶりを晒してましたが
そろそろ真理について向き合いましょう。
ここで逃げたら猿以下ですよ。
>>857ですが、857の結論と
>>852の結論、
哲学的な思考をされている
ここの皆さんは、
死人について、どちらがより真理だと思われますか?
根拠も一緒に教えてください。
893 :
不発弾:2008/02/06(水) 16:56:14 0
>>ドット氏
・スイッチの3択について
これはつまり、どれも等しく“正しく”ない行為であるから、どれか一つを限定して、
答えることはできない。ということでよろしいだろうか。
・神はサイコロを振らない
どうでもいいことだが、これは人の運命ではなく、粒子の運動に関することらしい。
不確定性原理という定理に対して、アインシュタインが異議を唱えた、その言葉の一つらしい。
量子力学の視点からすると、この不確定性原理は正しい。
この場合において、あなたはどちらの意見を正しいと見るだろうか?
・公理について
>それが哲学を諸学の源と言う位置に据えた由縁なのです。
とりあえずあなたの言いたいことはわかったと思う。
894 :
不発弾:2008/02/06(水) 17:06:41 0
>>892 >>852に関して
人というものをどう捉えるかによると思う。
我々の多くは、死体を丁寧に埋葬し、墓を立てて花を供える。
これは死体という動かないものと、死んだ人というもはや記憶の上で存在しない
ものと、その2つに対して敬意を表しているからだと思った。
そういう意味では
>>852に賛成だが、
「死人」という観念が、物理的には存在し得ないという点では
>>857に賛成する。
895 :
不発弾:2008/02/06(水) 17:07:47 0
>>894 日本語がおかしい…
「記憶の上でしか存在し得ない」だった
896 :
心の仕組みドットコム:2008/02/06(水) 18:41:24 0
>>893 ・スイッチの3択について
その答に拘る気持が私に有りません。
つまり、この件で人様の意見を押しのけ私が主張する要素が見あたらないのです。
・神はサイコロを振らない
どうしても哲学に結びつけ答えてしまいますね。
人には適合しますが物理的なところでは皆目、見当が付きません。
・公理について
期待します。
897 :
不発弾:2008/02/06(水) 18:56:28 0
>>896 >その答に拘る気持が私に有りません。
あら探しをするつもりではないが、とすると答えることは可能と、
そう捉えてしまう。
てっきり前述のように、等しく悪であるから何も選べないということを示唆していたのだと、
そう思っていた。しかし実際はそうではないと?
銃からスイッチに変えたのは、その他の選択肢を選ばせないため。
現実的に3つしか選択肢がない。そういう状況を「設定」して、考えるべき。
「選べない」ということが間違いなら、「正しい」答えを聞きたい。
これもまた、純粋な興味から。
898 :
99 197:2008/02/06(水) 19:18:46 O
これは、遥か遠い昔に出会った女の子に聞いた話だ。
彼女は、これを命の連鎖と呼んだ。
人はこの世に生まれた瞬間から、人生(運命)と時間と共に、死に向かって生きている。
この世に溢れる生命と知性は、生まれた瞬間から、例外なく死に向かって歩む。
生命と知性が存在し後世へ繁栄を続けていくためには、受け継がれる事が必要だと言った。
受け継ぐ過程で、それぞれの生命と知性は、意味と価値を見出していかなければならないと話を続けた。
人生とは、存在意義と存在価値を探す旅路なのだと。
彼女は、「どこに生きて、何を想い、どのような魂であっても、生まれてきたものは仕方ない。」と言った。
「よき社会の為には、吟味していく事が重要だわ。」とも。
それぞれの人生において、意義と価値を見出すにあたっては、「自分で選び入り、決心するの。私達がどこへ行くのか。どこに行きたいのか。問いかけるの。」と言った。
短い生涯ではあっても、周りの人が、生命の意義や価値について感じ、又は故人の人生についても同様なので、死者を敬い葬る事の尊厳が生まれるのだという。
俺がまだ理解しきれていないのは、それらの尊厳を奪う物も生まれ、そのような力も働くという事だ。
最初は、謂われのない悪い噂から、始まった。
始まりの物語。時代は移り変わり、人は変わっても、内なるものは変わらない。あんなに思いやりのある、とてもいい子が何故、あんな目にあったのか。
戦いの始まりでもあった。
スレチごめんなさいm(_ _ )m
899 :
心の仕組みドットコム:2008/02/06(水) 20:33:47 0
>>897 選択肢の中に、己の意とする正しい答がなければ私は選びません。
何故ならば、自分の意識を曖昧の中に葬りたくないからです。
かと言って、そのことで揉めたくも有りません。
どうぞ、この気持を察してください。
それと不確定性原理という定理に対して全くの素人の見解ですが、、
不確定性原理という定理の中に何等かの法則が隠されており、その法則を知る者には
不確定性原理が不確定性原理では無くなるのでは、と考えます。
>>899 > 選択肢の中に、己の意とする正しい答がなければ私は選びません。
> 何故ならば、自分の意識を曖昧の中に葬りたくないからです。
> かと言って、そのことで揉めたくも有りません。
揉めるだろうという先入観がそもそも非理ですよ。
己の意とする正しい答えがあるなら、別に選択せずに
その答えを書けばいいんじゃないですか?
それが哲学的議論だと言っていましたよねぇたしか。
901 :
不発弾:2008/02/06(水) 21:03:49 0
>>899 >選択肢の中に、己の意とする正しい答がなければ私は選びません。
もし現実的にその場面に陥ったら、どうする?
「何も選ばない=3番目の選択肢」でもある…
>不確定性原理という定理の中に何等かの法則が隠されており、その法則を知る者には
>不確定性原理が不確定性原理では無くなるのでは、と考えます。
アインシュタインはそう言っていた。
人にはわからないだけで、法則性はある、と。
…何かに似ている
>>894 そうですか、私は人というものに関してどう捉えようとも
結局「死人」というのは観念上の存在なだけに
哲学が、学問である以上真実を重視するのが当然で
哲学的に、真実からかけ離れた信仰に賛同できる
ものではないと考えていたもので・・・
903 :
不発弾:2008/02/07(木) 01:34:53 0
>>902 哲学において真実はさほど重視されていないように思う。
もちろん、好ましいことではないが。
心の機能や心の領域などの話題は尽きないが、心というものがあることについて
議論をかまそうとしている哲学者は、あまり見ない。
>結局「死人」というのは観念上の存在なだけに
それは同意せざるを得ない。
けれど、目の前に身近な者の死体が横たわっているという状況で何も感じず、
そこら辺の物と同じように思う人はいないのではないだろうか?
もちろん、死人という概念については怪しい。しかし想定することはできる。
死んだ人のことを思い返すこともあり、その際、その人は死人として認知される。
少なくとも生きている人としては考えない。
そういう場合、概念として「死人」を考えることはできないだろうか?
自分でも自信の持てる意見ではないので、そちらに判断はお任せするが…
904 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 02:58:10 0
今の生きている個人の価値観に大きな影響を与え
なおかつ社会を変革するような力のある
新しい考え方や哲学がほしいな
905 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 03:29:18 0
ドゥルーズとか。
906 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 03:40:46 0
哲学者の名前を出すのはいいが、どういう思想なのかわかる人間はそういないと思うぞ。
どういうのか説明してくれ。
時折見かけるんだよ、名前とか本のタイトルを出して「俺すごいだろwww」っていうの。
哲学は自分がどう考えるかが重要だから、そういうのは意味がないのに。
……と、何も知らない俺は文句を言ってみる orz
907 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 03:50:44 0
>>904 これまでも、そしてこれからも、
大きな哲学的風潮の変化にはメディアが必要。昔は本、今はテレビや映画かな?
でも現代にそのような変化を求めるのは難しいと思う。
自分を見つめて…ってことをするよりも、もっと刺激的で楽しいものがいっぱいある。
科学と言えない科学(というか心理学)が“科学的に”心の仕組みを解明しようとしてるから、
主観的な立場にある哲学は、より軽視されていくことだろうし。
もし社会的に変革を起こすようなものがあるとすれば、それはより多くの人を惹きつけるものじゃないとね。
『恋空』を絶賛するようなのが、今の若い世代。
科学が進めば進むほど、精神的なものというのは軽視されていくものだろうし…
908 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 08:06:47 0
>>901 つまり、逃れられぬ不合理にぶつかってしまった場合と言うことですね。
対象に合理的思惟の自律を促す、と言う行動を取ります。
法則に付いてですが、私の考えでは無くて私の探求結果では宇宙の全ては法則で賄われている、と答がでているのです。
ただ、人の心は理と言う合理の法則と非理と言う不合理の法則で賄われて居り、人類は非理と言う不合理の法則を心の主として迎え入れる
システムの中で暮らし無知蒙昧に陥っているのですね。
>アインシュタインはそう言っていた。
>人にはわからないだけで、法則性はある、と。
彼は無限のエネルギーを見つけることで人の幸福が確率できると思い、物理に理から生じる智恵を使いましたが、私は全ての原因は人の心
に有ると結論付け、人に理解できない法則を捜し、人が理解できる方法を探すことに没頭したのです。
私の哲学はは哲学者には理解不能な哲学で一般の人に理解できる哲学と言うことをモットーに考えてきました。
今のHPはさんざん考えて業々、難しく書いてしまいましたが書き直しているものは題名通りに誰でも分かる「心の仕組み」ドットコムに
相応しいものにします。
このスレも終盤に差しかかりましたが、此処に来てから中味の濃い書き込みをされる方が増えましたね。
909 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 08:24:38 0
>>904 >今の生きている個人の価値観に大きな影響を与え
>なおかつ社会を変革するような力のある
>新しい考え方や哲学がほしいな
幻想の価値観から真実の価値観へ、、
貴方の待ち望んでいることは神話の時代に言われているハルマゲドンの到来ですね。
ハルマゲドンの到来は全ての人々の希望を残したまま、その蓋を閉じてしまったパンドラの箱を開かなくては成りません。
希望は智恵が問題を処理することで産まれ、智恵は真理に通ずる心を会得すれだ生み出せます。
そして真理を会得するには物事の理を悟れば叶うのです。
人は数千年も前からこのことを知っていたのです。
人の頭って素晴らしいですね。
910 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 08:28:54 0
>>906 >……と、何も知らない俺は文句を言ってみる orz
余分なゴミを頭に詰め込んでいない人の言葉ほど物事の真理を突いていますね。
911 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 08:47:06 0
>>907 此からは人が欲望に走り、無視され続けてきた心(哲学)の時代に突入ですね。
さんざん、こね回し哲学者達が創り上げた「哲学者にも分からない哲学」は終焉を迎えるでしょう。
その時、本当の哲学が長い眠りから覚め大きく羽を広げてヘドロで淀んだ人類社会に光を投げかけ
人類は平和の行進を始めるでしょう。
912 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 08:53:25 0
いいから働け
913 :
不発弾:2008/02/07(木) 09:33:21 0
>>908 もはや自分の行動がただの揚げ足取りにしか思えなくなってきたが、
それでも許されるというなら、やはり答えを望みたい。
>対象に合理的思惟の自律を促す、と言う行動を取ります。
3つしか選べないという状況であることを、前提として考える問いかけである。
頼むから3つの中から選んでくれ・・・・・・
もちろんその状況は望ましからざるものだろう。けれど、選びたくないが選ばなければならないという事態は、
決してありえなくはない。
HPに関しては、難しく書くということは確かに必要がない。
要するに何が大事なのかさえわかればよいのであって、
自分が正しい思想を書いているという意識であるならば、一層余分なものは必要ない。
まあつまり、あれだ。「理由は長くなるほど、それ自身を希薄にしていく」だ。誰が言ったかは忘れたが。
要するに言い訳じみてくるということだったかな?
長いと読む意欲も減るし、とっつきにくくも感じる。
914 :
不発弾:2008/02/07(木) 09:46:00 0
>>ドット氏
あなたは善悪の基準というものを持っているようだ。
…人殺しが悪である、など。
それらはおそらく「真理」が見えるために得られたのだろうが、それら「悪」に属する行為は、
相対的に測ることができるものと考えるか?
例えば、「人を殺すのと猫を殺すのは、どちらがより悪いか」など。
あるいは全生物について、それを殺すのは等しく悪いと考えるのか。
他の概念を挙げてもきりがないので、「悪」についてのみ聞きたい。
>>914 哲学では善悪は相対的な心の在りかたで、真理に達している人は
相対する心の在りかたを持った2人がいる時、論理でもって
正しい理解を示す事しかできないんじゃないかな。
真理が見えるのと、真理を理解しているのでは天と地ほどの差があり
人間だからこそ、それを相手に伝える手段として論理的に
示せなければ、見えているのではなく、思いこんでいるに過ぎないと思う。
916 :
不発弾:2008/02/07(木) 11:30:51 0
>>915 私はドット氏の話を信じているわけではない。
だからこそ、色々なことを聞きたいと思っている。
私個人は、絶対悪や絶対善などというものは信じない。
ただ、他の主張というものも聞くべきだと思ったから。
なんというか、私の足りない頭では、こういったことしかできないのだ
917 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 11:31:53 O
おまえはで今その人は地獄から出たのかよ?
>>916 信じていない主張を聞いて得られるのは信心だと思うのですが
不発弾さんはなにを目的(聞きたくて)主張を引き出しているんですか?
919 :
不発弾:2008/02/07(木) 12:00:18 0
目的かぁ
たぶん、すぐにわかると思う。変な目的ではないけど。
ドット氏の返事次第かな・・・
前に書いたように、根拠のないものは信じたくても信じられないから、
言葉を言葉として聞いてる感じ。
聖書を読んでも、別にキリスト教を信じるわけではないのと同じかな?
920 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 12:01:09 0
>>901 >
>>899 > >選択肢の中に、己の意とする正しい答がなければ私は選びません。
選ぶ事を拒否するだけで、選ばない事は成立しません。
それは選ばないのではなく、選べないに過ぎない・・・・・。
選ばないというだけでは相変わらず主体のあなたにとっても非理のままです。
真に選ばないためには、自殺するしかないですよ。
選ばないという主体的意思を他の客体に現実的に示し貴方の非理を
理にする現実的方法はそれしかありません。
922 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 13:40:10 0
>>913 貴重な御意見を有難う御座います。
>>914 全てには法則と言う道筋(人の心に於いては道理)が有ります。
物事の善悪を弁別する心は、ものごとの理非を分け隔てる心(真理)を会得しなければ叶いません。
その真理は物事の理を悟ることで得られます。
数学では足し算を覚えることで引き算の分かりますが哲学で希求する真理は物事の理を悟ると言う「悟ると言う」ことを必要とします。
理を平たく言えば正しい心ですので、正しい心を持てば間違った心も明らかに成ると言うことです。
善悪で申しますと善の心を持てば悪の心も明確に知ることができるのです。(これも当たり前ですよね)
その心が人の知能を育て、智恵を産みだし知識を集め知ることの源に成っているのです。
人が動植物の命を奪うのは己を生かす時にしか許されません。
他の命を自分の命に繋げる為に奪うのですから無駄な命を奪わぬことと、常にその命とそれを育てた全てに感謝の心を忘れないことですね。
命が有れば何でもできますが命がなければ何もできません。
それは私も貴方も同じだと思いますが勿論、他の人達も同じですね。
その命の大切さを悟り知ることが、人の知と智の全てを担う理を悟ると言うことです。
法則とは信じるも信じないも有りません。
喉の渇きを癒すのに水を飲めば潤いますが、水を飲まなければ渇きは癒されません。。(当たり前ですよね)
物事の理を悟れば智恵を産みだせ、全ての問題を適切に処理し人生を有意義に楽しみながら使えますが物事の理を悟らなければ一生無知蒙昧
にて終わる以外に方法はないのです。。(そして、これも当たり前ですよね)
ドットが思いつく法則など所詮この程度か。
人が動植物の命を奪うのは、己を生かす時にしか許されないなら
人間世界に殺人罪など存在している現実が法則でない事を物語ってる。
信じようが信じまいが法則であれば、殺人を犯そうとするとき法則上
現実的に行動不可能な機能が備わっていなければならん。
信じる信じないに関係なく、生命の法則にドッの法則は当てはまらん。
趣味で魚釣りして、命を奪うし誰が食べるかもわからん食い物をせっせと
大量生産して命を無駄にする。
物事の理を悟ったところで森羅万象の法則にドットが逆らい
理を貫き通すことは生きている限りに不可能。
ドットがいう非理の現実を受け入れなければ一日足りとも生きられやしない。
正しいと信じるう法則を言ったところで森羅万象の法則に従う事を
退けられやしないから、ただしい法則など実在しない故に実現不能
正しい判断ができたところで、正しい法則ができるわけでもない。
924 :
不発弾:2008/02/07(木) 14:03:36 0
>>922 >人が動植物の命を奪うのは己を生かす時にしか許されません。
つまり、「自分が生きるため」以外の殺生は悪。
殺す対象によって「悪」の度合いが変わることはない。
つまり「悪」に種類はなく、すべて一様に同じ「悪さ」である。
したがって、100人殺すのも、金を盗むのも、同じ「悪さ」。
そういうことでよいだろうか?
…注文をつけるようで申し訳ないが、やはり各々に対する
YES/NOで言ってもらった方がありがたい。
あなたの立場にしても、答え以外のことも言って、逆にそちらに目を向けられるのは不本意だろうし。
925 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 14:20:09 0
善悪を弁別する心というのは、善悪の基準を持っているという事ですよね。
善悪の内容は人それぞれですが、
なんらかの善悪の基準を持つことというのは、
人間の先験的なはたらきの一つであり、
誰でも持っているものだと思います。
それを強く守りながら人生を生きることは、素晴らしい生き方の一つだと思います。
ただ、その善悪の基準は人によって異なりますから、
自分とは違う基準をある程度、認めなければ、摩擦が絶えないと思います。
世の中の紛争の原因は、善悪の基準の相違である場合がほとんどではないでしょうか。
自分の基準が世の中の他の人々が持つ、自分とは異なる基準と等価だという視点が必要だと思います。
927 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 14:26:09 0
>1
死んだら気絶しているのと同じ状態なのではないのか?
928 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 15:55:53 0
>>925 名前を使うのは構いませんが無駄な書き込みは人生の無駄に繋がりますよ。
>>926 >ただ、その善悪の基準は人によって異なりますから、
自分の利害を善悪の基準にすれば、人によって異なることは当たり前ですね。
物事の理を悟ると言うことは、損得に拘わらず己の持つ最高の良心で物事の是非を定め善悪を弁別することです。
この心の作用が智恵や知識や知ることの源で有ることは、私が言わなくても辞書に記して有りますよ。
だた皆さんは辞書に記されている言葉の意味を理解できず狼狽えているのです。
皆さんの善悪の基準は曖昧と言う点では全員が一致しているのです。
>>928 > 自分の利害を善悪の基準にすれば、人によって異なることは当たり前ですね。
> 物事の理を悟ると言うことは、損得に拘わらず己の持つ最高の良心で物事の是非を定め善悪を弁別することです。
最高の良心で物事の是非を定め善悪を弁別しようとすれば
自分の心が最高に良い心を得られる利に拘らないわけにはまいりませぬ。
自分の良心にウソをつくのは悪ですから。
利害を善悪の基準としている人は、さすがにいないと思いますよ。
自分の利害を優先し、他人に迷惑をかけてしまったら誰でも良心が痛むはずですから。
あなたの良心は最高の良心かもしれませんが、
ただの良心も本人にとっては最高の良心なわけです。
良心は一人に一つですから。
>>930 それを言っているんですよ。
善悪の基準など、自分のモノサシで計る以外に最高も最低もはかりようがありゃしません。
良心は一人に一つ、他人からみて悪い良心も当人にとって最高の良心なら
善悪に基準など存在しないのです。
他人に迷惑をかけたとしても、自分の子供を目の前で殺されたら、暴力を振るうのは
犯人に暴力を振るうでしょう。善悪など状況や立場の違いによってその基準はかわりますからね。
結局善悪に基準があるとしたら、快・不快の感覚に左右されるもので
弁別するなんて悠長な事を言っていられるのは、今悠長にネットしている
状況だからです。
不快感を覚えるのは、誰のせいでもなく
そういう法則があるのだからしょうがない。
人間ほど不快に支配されない動物は、
人間ほど能動的に欲求に突き動かされませんので
善悪の判断など不要です。
人間は間違った生物なので仕方がありませんが。
私は、善悪というものがあるかぎり、
善悪の基準はあると思います。
ただ、それは、個々人によってそれぞれですから、
全ての人に共通な善悪の基準はないと思います。
あるのは、全ての人はなんらかの善悪の基準を持っているという事です。
この事はいったい何を意味するのかを問うのが哲学だと私は思います。
935 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 18:54:52 0
ちょつと待って、、
ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用=知・智と言います。
つまり、この知・智のはたらきが知能で智恵を産みだし知識を集めたり知ると言う作用をもたらすのです。
その前に、ものごとを理解するには物事の理を悟らなければ成りませんね。
物事の理を悟れば誰でも持つ良心が磨かれ、その良心に照らし合わせ是是非非を決めるのです。
物事の理を悟ることを忘れて善悪を語り合っても致し方有りませんよ。
何せ、物事の理を悟らなければ頭の中はゴミだらけ何ですからね。
だから辞書で「智恵=物事の理を悟り、適切に処理する能力」と書いて有るのですが理解できないでしょ。
覚えるだけでは駄目ですよ。
936 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 19:05:01 0
>>935 ウンチマン。死ねよ。スカトロ地獄に落とし込むぞ。
四肢切断で、くみとり豚の刑にするぞ
937 :
心の仕組みドットコム :2008/02/07(木) 19:14:38 0
白状します。
私は真理というものが何かを知りません。
今まで知ったふりして御免なさい。
あと知と思考の区別も実はよく分かってないのです。
なんとなく知というほうが雰囲気が出るのではと思ったのです。
いい加減な私ですが今後もよろしくお願いします。
どうか見捨てないでください。
938 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 19:16:59 0
くーくやしいのうくやしいのう。冬は寒いんじゃ。。
みんな見捨てないでねーー。
939 :
心の仕組みドットコム :2008/02/07(木) 19:23:29 0
あと蒙昧という言葉がわたし大好きなんです。
弁別も好きですよ。
どちらか選べと言われると困ります。
蒙昧と弁別・・この2つ並べるとなんかカッコイイですよね。
すみません、いろいろ迷惑かけちゃって。
あ、あと理を忘れてました。
あ、善悪もありましたね。
最近忘れっぽくていけません。
あ、あ、あ、あ、あ、ありゃりゃ、悟るを抜かしました。
ほんとに馬鹿で御免なさい。
>>937 真理について教えます。
真理とは蒙昧を弁別する理が善悪を区別することを悟ることで得られます。
グッドラック!セニョール♪
941 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 19:39:27 O
頭の中身はゴミだろうとダイヤモンドだろうと、
私は等価だと思います。
>>934 > 私は、善悪というものがあるかぎり、
> 善悪の基準はあると思います。
その判断基準になるのは個々人の快・不快感。
イイ感じとワルイ感じという感覚に頼る以外に
人間には機能がありませんから当たり前です。
その機能自体には普遍性がありますしね、
例外として機能として箍がはずれてしまう事は
ありますけどもね。そして善悪が
何を意味するのかではなく、
それ(快・不快感)が意味を齎しているんですよ。
943 :
不発弾:2008/02/07(木) 20:35:55 0
>>922 >人が動植物の命を奪うのは己を生かす時にしか許されません。
つまり、「自分が生きるため」以外の殺生は悪。
殺す対象によって「悪」の度合いが変わることはない。
つまり「悪」に種類はなく、すべて一様に同じ「悪さ」である。
したがって、100人殺すのも、金を盗むのも、同じ「悪さ」。
そういうことでよいだろうか?
…注文をつけるようで申し訳ないが、やはり各々に対する
YES/NOで言ってもらった方がありがたい。
あなたの立場にしても、答え以外のことも言って、逆にそちらに目を向けられるのは不本意だろうし。
944 :
心の仕組みドットコム:2008/02/07(木) 20:36:10 0
いやね経済的交換は純粋な等価交換であり、損益は発生しないということ
また提供資産と取得資産との間には投資の継続性が存在するということ
これが連続意見書の観点なんだよ
945 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 21:02:18 0
>>943 ドットコムが答えると思う?
これだけスルーしてるんだから、もう諦めたほうがいいぜ。最後は自分の話をして締めくくろうとしてるし、
あのスイッチとかいうのも選ばないで逃げただろ?
ドットコムには答えられないんだよ。ドットコムは真理が見えてないから答えられないんだよ。
934です
>>942 良心を快・不快原則から説明すると、
善きことをせよ。という良心からの命令は
善きことをしないよりも、した方が気持ちいいからする。ということになるでしょうか。
とても大変な仕事ではあるけれども、これをしないときの不愉快な気持ちを
味わうんだったら、した方がましだ。ということになるでしょうか。
人がただ単に快を味わうためのみに存在しているのだとすれば
「これをしないときの不愉快な気持ち」というのは、
なくてもいいのではないか?と私は思います。
「これをしないときの不愉快な気持ち」
はどこから、きたのかが、私には凄く難しい問題です。
947 :
不発弾:2008/02/07(木) 21:27:02 0
>>ドット氏
返答お待ちしております
948 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 22:11:54 0
というよりも、何が正しいとか何が間違ってるとか、
そういうものの普遍的基準があると、本気で思ってる人いるの?
なんか都合のいい話ばかり聞こえるよ。生きるための殺生は仕方がないとか、さ。
949 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 22:20:05 0
善悪の基準なんてないだろう。
社会は箱のようなもの。各個人は風船。風船はどれも割るわけにはいかない。
けれど、どの風船も大きく膨らみたいと思っている。
その一方で、すべての風船が自分のことしか考えずに大きくなれば、どんどん割れてしまう。
そうなることを防ぐために大きさの制限を設けた。これが規範であり、法律である。
その規範を破ることこそが「悪」。だから、絶対性なんてものはそもそも存在しない。
それに善と悪が対照的なものかというと、それもどうかと思う。
悪ではないものの部分集合が、善であることだと考える。
別に法律を犯さなかったからと言って、全員が善人になるわけでもない。
善悪の基準というものが設定されがちなのは、それが道徳形成において、
非常に都合がいいからだと思う。
一般的な「善」と「悪」を教えさえすれば、法律を破るようなことをする危険性は下がる。
950 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 22:53:52 0
>>949 おお、まったくだ。
こんな当たり前な事を理解しない馬鹿がおおい。
善悪なんて無い。
951 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:41:39 0
色盲が集まって色なんてないと頷きあっている。w
−−色なんてない。各個人の思い込みに過ぎない
−−まったくだ。こんな当たり前な事を理解しない馬鹿がおおい
952 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:43:48 0
953 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:48:08 0
>>951 だったら絶対悪と言えるようなものを示すべき。
もちろん、その根拠も重ねて。
そうしないと、口先だけのドットと何も変わらない。
独りよがりの論理ってのは見てて痛いしな
954 :
不発弾:2008/02/07(木) 23:54:32 0
まあ、色の例えは適切ではないな。
色があることは吸収スペクトルなどの科学的な言葉で示せることだが、善悪はそうではない。
それに色盲は特定の色が見えない症状のことだしね…
ここで言ってるのは厳密な意味での「善悪」の否定であって、
道徳的「善悪」の範疇には含まれてないだろう。
955 :
考える名無しさん:2008/02/07(木) 23:58:02 0
「善悪なんてない」というあなたたちの主張にも根拠がないよ。
自分の方は単なる独断の垂れ流しで、批判者には根拠を要求かい?
こまった厨房君たちだな。
956 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 00:00:03 0
そもそも哲学は科学の延長もしくは統合されるべきモノなのに、いつまでも文系の手に渡しておくからこんな馬鹿(951)まで現れるんだ。
957 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 00:01:33 0
>>956 相手を馬鹿呼ばわりしても、自分の方の馬鹿さは隠せないよ。
それにしても、科学も哲学も知らんくせによく言うわ。
958 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 00:02:50 0
>>955 結局根拠は示せないのかよww
口だけのやつはすぐに逃げるんだなwww
ドットコムと同族か。
論理としては
>>949で十分。反論するなら、きちんと反論しろ。
感情的になって喚いても、空しいだけだからな。
959 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 00:03:58 0
>>955 >「善悪なんてない」というあなたたちの主張にも根拠がないよ。
は!?
質問に質問で答えるとは情けない!!これが文系クオリティーだ。
誰のための善悪について語ってるか答えられたら答えてみ?
961 :
不発弾:2008/02/08(金) 00:05:35 0
私には難しいことはよくわからない。
だから一度、両方の論拠を並べてみたほうがよいのでは?
そうすれば幾分、議論もましな方向に進むと思う。
「善悪はない」の論理は見たから、「善悪はある」という方の論理を見たい。
962 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 00:07:48 0
>>960 誰かのためにやる哲学なんて、正直意味分からない。
文系は根拠のないことを平気で言うし、
たぶんそれは数学とか考える学問をやってないせいだろうな。
だから真理とか絶対悪とか、そういう恥ずかしいことを主張できる。
厨二病の延長だよなwww
963 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 00:09:34 0
現在の倫理学者の多くは「善悪はある」という立場だから、
少しでも倫理学を知っていれば根拠なく「善悪はない」と主張する
ことの愚かさは分かるだろう。多少は自分で勉強しなさい。
おまかせください、心の仕組みドットコムです。
善悪とはどの立場からみるかで答が異なります。
例えばゴキブリホイホイをゴキブリの立場から見ると悪ですが
人間の立場からみると善となる・・てなもんでつ。
つまり蒙昧を弁別すると理を悟ることとなり善悪を知ったことになるのです。
わかりましたね?
では来年もよろしく (^_^;)
965 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 01:01:14 0
>>963 その辺が文系だよな。
教科書に書いてあることは全部正しいと思ってる。
自分で考える能力がないから、哲学者の名前を出して、
「自分頭いい」と思うんだよな。
>現在の倫理学者の多くは「善悪はある」という立場だから、
で、その倫理学者様はどのような根拠を示してるんだ?ま、どうせ答えられやしないだろうが。
「だってママがそう言ってたもん」っていうのと、まったく同じ論理展開かwww
966 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 01:02:15 0
>>963 >倫理学
お前バカか?
ソレ前提の倫理学だろ。
有る無しではなく、社会の中に存在する倫理の変化を考える学問だろ。
うわー馬鹿過ぎる。
やばいよ。
967 :
不発弾:2008/02/08(金) 01:05:17 0
>>ドット氏
私に返答をくれなくなったのはどういうわけだろうか?
聞きたいことはいくつかあったが、スイッチの件を境に、答えを避けられている気がする。
これが気のせいだというなら謝る。
しかし答えを望むならいつでも答えを返すと、そう言われた。
下に質問を書く。答えてほしい。
@スイッチの3択の正しい答えはどれか?
A>人が動植物の命を奪うのは己を生かす時にしか許されません。
つまり、「自分が生きるため」以外の殺生は悪。
殺す対象によって「悪」の度合いが変わることはない。
つまり「悪」に種類はなく、すべて一様に同じ「悪さ」である。
したがって、100人殺すのも、金を盗むのも、同じ「悪さ」。
そういうことでよいだろうか?
YES/NOで答えてくれればいい。簡単な話だろう?
なぜならあなたには正誤を見分ける「真理」の力があるのだ。
頼むから、答えてほしい。
>>849からずっと繋がってるのか。
すごい根気ですね。
でも、どれを選んでもそれまでの主張と整合性を保てなくなるので
答えられないんじゃないですか?
別に訂正していいんだけど。神様じゃないんだから。
>>946 942です
> 良心を快・不快原則から説明すると、
> 善きことをせよ。という良心からの命令は
> 善きことをしないよりも、した方が気持ちいいからする。ということになるでしょうか。
善き事をせよという「命令」は良心から想起されることは有得ません。
命令という強制は、自己の良心的な性質の前の不快感情が優位にありますから。
人はまず動物本能の判断基準により近い、己のみの世界観で、物事に対して、
快・不快感情を想起します。
3歳を過ぎた頃(俗に言う自我の目覚めですね)から、自我によるエゴ自己中心の、
快・不快感情のみに従うより、相対する人との関連性の経験を通して、
例えば自我の不快を我慢し、相対する人である母親の命令に従い、得られる快感情
(安心感など)を学習していくことで、はじめて人に対して、
良い事(命令という他者の欲求)を受け入れる快を学ぶと同時に、
分別の損得(自己だけではなく、他者と自分という関連や関係性、
つまり人としての立場に立って自分の都合を優先する「良し」や、
それによって相手の欲求を受け入れなかった「悪し」)を会得するわけです。
さらに良し悪しを経験し、成長することで社会的善悪の精神が芽生えれば、
善し悪しで判断する能力を学習するわけです。
この優先順位(快or不快→良いor悪い→善し悪し)は基本的に変わる事がありません。
> とても大変な仕事ではあるけれども、これをしないときの不愉快な気持ちを
> 味わうんだったら、した方がましだ。ということになるでしょうか。
そういう事になりますね。仕事となると、当然自己の中で、快・不快、良し悪し、善し悪しの葛藤があるわけですが
仕事を命令された不快感情が想起されます。けれどその強制力に結果従わなかった場合の結果を想定したとき、
自己にとっての快・不快や自分の都合の良し悪し、人間としての道徳観念である善し悪し、
これらのバランスでどれがどの位のウエイトを占めるか、計りにかけ、
最終的なこうするべきと言う決断は、個人が築いてきた善悪の価値観によってこれが良いと
下す判断能力の采配により選択されることになります。
心理面においても、最終的に自分にとって不快をより伴なわない選択をするわけです。
>>946 942で続きです。
> 人がただ単に快を味わうためのみに存在しているのだとすれば
> 「これをしないときの不愉快な気持ち」というのは、
> なくてもいいのではないか?と私は思います。
人は単に存在する事が不可能なんです、ですから、三位一体と言って
自己・人・人間という階層を成長と共に精神的にあわせもってしまった動物ですよね。
不愉快な気持ちというのは、なくてもいいのではないか?と思うのは最もですが
経験して学習してきた快と不快の振り子がなくなれば、人間の精神世界が
発達する事はありません。
自己を人間であると認識できる我々は、すでにスペックとして快・不快・・・・というより
不快・快の連鎖から生きている限り外れる事ができないので、最も原始的な、
人の分別を身につけ、更に人間としての善し悪しをも身につけた人にとっては、
なくてもいいのではないかと思うのは当然の事ですが、己のレベルでの判断基準だけを
人格から抹消することは質的に不可能と言う事になります。
> 「これをしないときの不愉快な気持ち」
> はどこから、きたのかが、私には凄く難しい問題です。
簡単な事ですよ、ヒトから始まったんです。ヒト以前の動物に不愉快なんていう
抽象的な概念は必要ありませんでしたから。
ヒトという動物的進化の頂点から、人間として生き続けた事は進化の頂きからの
退化を意味するのです。
動物的進化から退化し続けている我々人間が不愉快な気持ちを伴なわない方が
有得ない訳です。
972 :
心の仕組みドットコム:2008/02/08(金) 06:42:10 0
>>967 お早う御座います。
本当のドットです。
@スイッチの3択の正しい答えはどれか?
問題を再考しますので再度問題を書き込んで下さい。
A>人が動植物の命を奪うのは己を生かす時にしか許されません。
つまり、「自分が生きるため」以外の殺生は悪。
殺す対象によって「悪」の度合いが変わることはない。YES
――――――――――――――――――――――――――――――
つまり「悪」に種類はなく、すべて一様に同じ「悪さ」である。
したがって、100人殺すのも、金を盗むのも、同じ「悪さ」。
そういうことでよいだろうか? NO
―――――――――――――――――――――――――――――――
973 :
不発弾:2008/02/08(金) 07:20:32 0
>>972 本当に、何度も済まなかった。返事をくれて感謝をしている。
@スイッチの3択
あなたは椅子に縛られていて、手首だけ動く。手元にはスイッチが置いてある。ボタンは2つ。手を動かせば押すことができる。
目の前には狂った男と家族がいる。彼らの頭には奇妙な装置がくっついていて、それらからはコードが延び、
あなたの手元のスイッチにつながっている。
今、あなたは選択をしないといけない。
1:右のボタンを押してあなたが死ぬ事で、家族を開放させる。
2:左のボタンを押して男を殺す事で、家族を開放させる。
3:押すことを拒み、家族を死なせる。
前提は「事前にスイッチとボタンの説明は受けている」
「話すことなどはできない」
「制限時間があり、それを過ぎると3番目を選んだものとみなす」
A悪について
NO…つまり「悪」には相対的に違いを見出すことができる、と。
できれば具体的に「悪」に値する行為を、その大きさから教えてほしい。
もちろん、厳密にとか、そういったことは求めないが。
YES…なるほど。
974 :
不発弾:2008/02/08(金) 07:21:58 0
>>973 「開放」じゃなくて「解放」だった。
開け放ってどうするんだ…
日本語能力ヤバス orz
975 :
心の仕組みドットコム:2008/02/08(金) 07:24:55 0
>>970 人の脳は育つ段階に本能と高度な感性が影響を受け、表に心として現れる仕組みに成っています。
つまり自然発生的な自我も他我もなく、全ては外部からの影響を受け創られるものだと言うことです。
性善説も性悪説もなく産まれた時には誰でも心は白紙だと言うことですね。
例えば、産まれたばかりの赤子を外界との関わりを一切遮断したボックスで成人に成るまで育てると赤子の心の儘でしょうね。
つまり、本能と感性に外部からの影響を与えなければ感情は産まれないのです。
これを踏まえて心の計算をしませんと、以後の話しが全て狂いますよ。
善悪を弁別できぬ原因は、親を含む社会から無知蒙昧に陥る影響を受けて育った為です。
その無知蒙昧に陥る影響を知能の育つ影響に自分で切り換えれば、何時でも人は無知蒙昧から脱却できます。
976 :
不発弾:2008/02/08(金) 07:34:18 0
>>ドット氏
ところで関係のない話だが、
・「悪」を犯した罪に対する罰としてふさわしいものは何だと考えるだろうか?
・また、「無知であるがために」悪を認識できず、殺生を行った場合にも罪となるだろうか?
・責任の所在というものは、どこに定めるだろうか?
時間があれば、答えてほしい。
977 :
心の仕組みドットコム:2008/02/08(金) 07:52:29 0
>>974 早くて驚きました。
寝たんですか?
三択の問題ですが智恵を絞って男を殺さず、みんなが助かる方法を考える、と言う4を私用に創って下さい。
物事の善悪を弁別する心は、物事の理を悟りませんと絶対にできない仕組みと言う法則が有るのです。
ご飯を炊くときにはお米と水と熱エネルギーが必要ですが、皆さんは水を入れないでご飯を炊いちゃうからお米が黒こげに成ってしまうのです。
アインシュタインは人には分からない法則がある、と言われたことを貴方に聞きましたが本当は他の物理学者達に貴方達には分からない法則があると言いたかったと思います。
ですが心の法則は辞書を見れば記して有りますので、公に明らかにされていることです。
ところが、辞書の原義を読んでも皆さんには理解できませんので理解する方法(物事の理を悟る)をお伝えしたいと私は思っているのです。
978 :
不発弾:2008/02/08(金) 08:11:04 0
>>977 みんなが助かる方法…それは理想だが、上記の設定でそれが可能だろか?
ジレンマならぬトリレンマ。そのような選びがたい状況というものは、そうそう珍しいものではない。
私がそのような状況に陥ったら、まず理性的な判断はできない。
迷わず男を殺すという選択肢を選ぶだろう。
しかしあなたは我々とは違い、「真理」が見えると言った。
私の興味は、そのように理性的判断を行う能力があると言う人の判断が、
どのようなものなのか。それを知ることに尽きる。
あなたにとって、どれが「正しい」のだろうか。
979 :
心の仕組みドットコム:2008/02/08(金) 08:25:20 0
>>976 ・「悪」を犯した罪に対する罰としてふさわしいものは何だと考えるだろうか?
再犯の可能性を考慮して、その度合いに見合った時間の拘束は必要ですが本来ならその時間の範囲で精神的な完全更正する義務が拘束する社会に有ります。
しかし現状では精神的な完全更正を成し得る者はいませんので、そこで社会の責任が問われるのですね。
・また、「無知であるがために」悪を認識できず、殺生を行った場合にも罪となるだろうか?
現状では責任能力の欠落と言う形で決着をつけますが、本当は社会に責任が有るのですが社会も責任能力の欠落ですから馬鹿な話しですね。
・責任の所在というものは、どこに定めるだろうか?
人類史、発足当初からの全ての人類に責任が有り、またその責任を問うことも許されません。
その責任は、その責任を感じた者達に有るのです。
人は誰でも少しでも世の中を良くして次世代に受け渡す使命を持って産まれてきますが、使命と言う責任を感じない責任能力の欠落者が大勢います。
むしろ使命を感じて人生と言う命をその為に使う人は極、極小数です。
使命を感じながら、その使命を全うできなかった己の非力さを悔やみ「全ての罪は我にあり」と言う言葉を残した方もいます。
980 :
不発弾:2008/02/08(金) 08:44:53 0
>>979 縁起でもない話だが、
もしあなたが殺生の罪を犯した(あるいは犯していた)としたら、
自分に対してどのような罰を負わせるだろうか?
981 :
心の仕組みドットコム:2008/02/08(金) 08:47:37 0
>>978 >みんなが助かる方法…それは理想だが、上記の設定でそれが可能だろか?
真理が見える、と言うよりも真理に通ずる心を得ると言うことですね。
早い話しが人の脳は物事の理を悟ることで、本人の良心が望む全てのことを知ると言う機能設定が誰にでも有るのです。
過去に物事の理を悟った人はいますが、物事の理を悟る方法を見つけた人はいないのです。
ですから「誰でも物事の理を悟る方法」さえ明かせば無知蒙昧な人類社会は一挙に智の道に流れを変えるのです。
つまり幻想の価値観が本物の価値観に変わる人類が長年、待ち望んだパンドーラの箱の蓋が開き(2034年までに)アルマゲドン
の到来と言う人類を覆い隠していた暗黒の幕が開かれるのですね。
982 :
不発弾:2008/02/08(金) 09:00:44 0
>>981 要するに可能なんだろうか、それとも不可能なんだろうか?
983 :
心の仕組みドットコム:2008/02/08(金) 09:02:56 0
>>980 償いですね。
遺族の方達に心よりお詫びをし、残りの人生の全てを遺族と社会の為に使います。
自分が死んでも何の償いにも成りませんが、遺族の方とお話しをして遺族の方達が望まれるのでしたら私はそれに従います。
心底からお詫びをし反省すれば許さないと言われる方も少ないでしょう。
遺族の方達も本当は、それを望んでいるのです。
もしも加害者を法を犯したとは言え間接的に人を殺したら自分が生涯、良心との葛藤に悩まされます。
984 :
考える名無しさん:2008/02/08(金) 09:04:26 0
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ゝヾヾ ::.. :.. , ' 〉ノ 簡単に言いやがって・・・!
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985 :
心の仕組みドットコム:2008/02/08(金) 09:09:28 0
>>982 可能です。
私は正しい意味で合理的ですから不可能なことに大切な人生を消費しません。
勿論、皆さんの人生も、私には無限の可能性を秘めた大切な人生です。
もう本日、7回目ですので直に書き込めなく成りますね。
986 :
不発弾:
>>983 あなたは
>>972にて
>殺す対象によって「悪」の度合いが変わることはない
ということを肯定していた。
人に対しては償いでよいかもしれない。
だが、虫や植物を殺したら、何に償う?