【サヨウナラ】東浩紀スレッド38【hitomisiring】
ハァ・・・本当久しぶりにスレ立てしたなぁ(;´Д`)
テキトーに立てちゃったから、後は皆さんでテキトーによろ。
やっぱ金も払わずにこき使うだけのあずまんに嫌気がさしたのがやめた原因か>人見知り
1ヶ月5人で10万=1人月2万=20時間労働(時給1000円で計算)
あんなの1人月20時間も仕事すれば終わるだろ。
ぜんぜん安くないよ。
9 :
考える名無しさん:04/09/18 10:46:27
君もヒロキファミリーに入りたいのかい?
勝又のポジションを用意して待ってるよ。
欽ドン化する東
>>8 泊り込みで編集作業しているそうだから
一人月20時間ということはありえない。
最低でもテープ起こしだけでそれ以上かかる。
ファミリー化の欲望は強かっただろうけど、
新現実をやめて波状を始めたことで
さらに拍車がかかったというか。
斎藤は柄谷ポジションか。
笠井潔なんてスガ扱い。
とはいえ:「近代文学の終り」とライトノベル」というのは
読んでみたい。
>笠井潔なんてスガ扱い。
ワラタ。
>佐々木敦:「きみ」と「ぼく」の壊れた「世界/セカイ」は「密室」でできている?――西尾維新vs舞城王太郎
この人、QJで舞城について語っていて、あずまんの舞城論を小馬鹿にしているので
アズマニアン必読。
17 :
考える名無しさん:04/09/18 14:35:34
波状って発行部数どんくらい?
800(微増中)
つか「遍在するトラウマ、壊れた世界 remix ver.」 って
元インタビューは波状のやつだろ?きっと。。。
それで原稿料もらってたら詐欺だな。
西尾目当てで波状を購読した人はバカを見たということか?
温泉とかで忙しいんだよ先生は!
あずまん軍団
東浩紀(石原裕次郎)
北田暁大(石原慎太郎)
チャーリー(渡哲也)
佐藤心(館ひろし)
mae-9(神田正輝)
hitomisiring(峰竜太)
いーたん
ビッグになったなぁ・・・
「俺が西尾の魅力を発見した」と言っていいのは講談社の太田サンだけだという事実を
東村の自称批評家たちは忘れないでほしいものだな
27 :
考える名無しさん:04/09/18 22:34:45
>>26 編集変わったから
ユリイカ最近の読めばわかるがひどくておどろくぞ
特集されたといえどあまりすごくはないな
ユリイカの臨時増刊て、最近は本当メディアミックスの商売なだけじゃん。
ほとんどマンセー記事で、言い訳程度に懐疑はや批判派の文章がちょこっと載る。
イノセンスん時の押井特集も酷かった。
東の文章は、誉められた文章だとは思わなかったけど、あの本の中ではマシだったかもしれない。
ポストモダンですから
>>19 今日偶然本屋で見て驚いたけど、
いやあ、実際、ほとんど波状そのまんまだったよ
あずまんユリイカの方向を決めつつあるなあ
31 :
考える名無しさん:04/09/19 03:11:19
_ -一-、,- 、
/三三三彡lミミ`
/〃三三三彡ノ`ヽ ミl
/,_二一テ ̄ `J _____________
l川テ~ ⌒ ⌒ l /
l川 ● ● l 柄谷さんも、政治的実践にあまりに近寄ったために、
(6l つ 〈 「探究T」の繊細さを失っています。
l _っ ヽ < アジテーションとしてはすばらしいのかもしれないが
l 〔_丿 〕 ピエさんのような「わかりやすいキチガイ」を
入 ー- / 作ってしまう点で、別の危険性も備えている。
/ へ ノ \
l \` -ー―ーフl  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\/\/ \
近況更新
>>19 波状のやつだった。
完全版読みたいなら、波状を購読しろとも書いてあった。
あとhitomisiringも原稿書いてたよ
一時期のQJみたいなもん。
すぐ元に戻るよ。
>国家によるSF的監視と市民的自由を対立させるこのような図式は
西研に「SF的」と言われて余程悔しかったのか。
ああ・・・ユリイカの新しい編集長ってアレか。
こりゃ東と笠井に好き放題に使われるな。QJ化で済めばまだしもだ。
>一時期のQJみたいなもん。
>すぐ元に戻るよ。
今月のQJのDEATH NOTE特集の面子を見ると
QJとユリイカ(西尾特集)が瓜二つに見える。
ほとんど執筆者がかぶってるじゃん。
>完全版読みたいなら、波状を購読しろとも書いてあった。
あずまんはいつからこんなに「ヨゴレ」になっちゃったんだ?
これじゃあ人脈だけで金を稼ぐ業界ゴロじゃん。
あずまんを馬鹿にするな!俊英なんだぞ!!
40 :
考える名無しさん:04/09/19 22:53:33
結局、hitomisiringはどうなったわけ?
肉体関係を求められたあるいは求めた
エロゲーやってるゲイなんて
聞いたことないよw
(二次元ショタ除く)
43 :
考える名無しさん:04/09/19 23:34:37
ズマも彰に開発されたわけだから
瞳もズマに開発されるというのは
あり得るんじゃないかな
年増のアレよりしまりのいい尻の方がいいしな
事務所で何日も泊り込みで製作作業しているうちに
ふとしたきっかけで……
世代間遺伝するトラウマ
46 :
考える名無しさん:04/09/20 00:05:00
ま、あったとしたら確実に
図間が拒否られたんだろうなw
47 :
考える名無しさん:04/09/20 00:17:42
森岡スレにあったけどこれホント?
98 名前: 考える名無しさん Mail: 投稿日: 04/09/19 20:30:20
>>97 そのレベルじゃ言葉の裏まで読めないからいずれにせよ、
糞論文しか書けない。
東クラスならフランス語出来て当然だし、実際奴がフランス語話してんの聞いた事あるけど、
日本人の俺にとってはそこそこのレベルに聞こえたのを覚えてる。
48 :
考える名無しさん:04/09/20 00:27:39
101 :考える名無しさん :04/09/19 22:45:44
>>98 日本人の俺にはそこそこのレベルに聞こえただと? 笑わせるんじゃねえ。
社会のセキュリティ化は非常に危険だ。
社会のセキュリティ化という現象は自意識を持った人間の割合が増えたことで発生した。
かつて自意識を持った人間は3分の1以下だったのでDQNの迷惑行為は仕方ないものとされた。
しかしテレビの普及によって自意識を持った人間の割合が3分の2以上となり、
DQNの迷惑行為が社会的に耐え難いものと感じられるようになって、
犯罪を犯すようなDQNはすべて殺してもかまわないという感覚が主流となってきた。
しかし実はこれは理性の自殺行為なのだ。
理性とはあくまで物質の上澄みであり、物質的基盤を否定すると理性も存在できなくなる。
DQNというのも実は理性の基盤であり、抹殺してはならないものなのだ。
だからあずまんはこう言わねばならない。
自意識を持たないDQNを増やすためテレビ放送はすべて廃止すべきだ。
もっと理想を言えばギャルゲーやネットも全廃すべきだ。
つまりあずまんは矛盾している。社会のセキュリティ化の危険を訴えるのなら、
アニメやゲームなどのおたく文化もすべて否定しなければならないのだ。
DQN警報発令
全員速やかに退避せよ
まあたしかに、バカが小利口ぶる機会は増えたな。
約800名の波状読者は知ってることだけど、
最近あずまんは、会ったこともない人から『情報自由論』を出すべきだと
書かれてうんざりしているのだそうだ。
別に出さなくてもいい。情報化/管理社会の諸問題を語るうえで欠かせない
著作ってわけでもないんだから。
こっち(読者)だって、『郵便的不安たち』以降のダラダラ本とその延長線上にある
メルマガにカネ払っていいかげんウンザリしてるんだ。
返金してくれるんならコピーなんか取らずに波状のデータ全部消すか返すかしたいくらいだ。
>>53 >会ったこともない人から『情報自由論』を出すべきだと書かれてうんざりしているのだそうだ。
誰に書かれたの?
あずまんってやせれば東大卒、東大生にしてはイケメンな顔だよね。
>僕自身も、ここのところ「『情報自由論』を出すべきだ」と
>会ったこともないひとに偉そうに書かれることが多くうんざりしている
>ので(笑)、もう他人に「〜らしさ」を求めるのはやめたんです。
俺もそんなに論壇誌とかを細かくチェックしてる訳じゃないから、
「誰に」ってのは分からない。ブログとか2ちゃんなんかのコトだとしたら、
昔浅田が言ってた通りあずまんは無駄に自意識過剰だと思う。
俺なんかは単なる普通の一読者だけど、2ちゃんには情報通の人もいるし、
東ブログやはてなへの投稿が激減してる現状では、2ちゃんとかの「反応」は
あずまん的にはそれなりに気になるんじゃないかな。
これではないかと思われる。
ttp://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20040630#azuma −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ワタシは未だもってエヴァンゲリオンを見たことがないという人でアニメ関係にはあまり興味がなく、
一方で現代思想関係もほとんどノータッチなので、元々東浩紀の仕事は、『自由を考える』までひっか
かるところが少なかった。
共著である『自由を考える』の後、中央公論に連載された「情報自由論」を読み、初めて主体的に東浩
紀に興味を持ったわけである。
崎山伸夫さんの「市民の敵としての高木浩光」(内容はともかく、このタイトルはあまりいただけない)
を読み、改めて思ったのは、東浩紀はどうして「情報自由論」を単行本化しないのかということ。刊行
されるという話を聞かないように思うのだが、連載はまだ終わってないということだろうか。
「情報自由論」こそ、今一番必要とされているものだと思うのだけどねぇ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
単行本を出してほしいという読者(=大半は会ったこともないひと)の期待は
斬り捨てか。
ますます悪い意味で柄谷化しているなぁ。
「今進行中の仕事こそ重要なんだ。それを理解しない奴はバカだ」ってことか。
6月の話しか
>57
グッジョブ。
「悪い意味で柄谷化してる」っていうのも、同意。
ただ柄谷の場合、「理論系」の仕事については、
とにもかくにも欧米でも通用するものを書くっていうこだわりがあったから、
なかなか本を出さなかった訳で、蓄積自体は相当あった。
でもあずまんには今のところそんな蓄積は全く無いもんな。
前スレでリストアップされてた書き捨ての雑文のなかで、世に問えるものが
唯のひとつでもあったのか?と小一時間、は時間のムダなので、
四半刻は問いつめたい(ry
別に柄谷化したっていいんだよ、まともにエロゲー論書けるのあずまんと愉快な
仲間たちだけなんだからさ。
61 :
考える名無しさん:04/09/20 20:27:53
>まともにエロゲー論
釣りですよね?
エロゲーじゃないの
美少女ゲーム!
OK?
同人誌1000部って少ないんじゃないのかという問いに対しては
「本とコンピューター」のインタビューで、
サブカルチャーは先鋭的な1000人に伝われば業界を変えることが出来る
とのたまっております。
この考えが正しいのかどうかわからないけど、「質が高ければ」という
条件が抜けているような気がする。
でも、岡田の本(一応万単位)もいい加減だけどそれなりに業界に影響があったからなぁ。
例:「オタク学入門」のハリウッド映画を分析した項に
乙一が影響を受けた。
>サブカルチャーは先鋭的な1000人に伝われば業界を変えることが出来る
ωαγατα..._φ(゚ー゚*)
読者に幻想を抱きすぎ
岡田の「オタクは先鋭的な人間」とほとんどかわんないレベルでしょこれ
批判してたくせに
>例:「オタク学入門」のハリウッド映画を分析した項に乙一が影響を受けた。
乙一て・・・
あずまんって「ビューティフル・ドリーマー」がマストなだけあって、
「終わらない学園祭」ノリが好きなんだろうな、たぶん。
波状ってそんな感じだもんな。。。
・自分の本は先鋭的な人が読みたくなる本である。
・自分の本は全て先鋭的な人に売れる(1000部刷って先鋭的な人1000人に届くっていうのはそういうことでしょ)
・自分の本は先鋭的な人に影響を与えるだけの質を持った本である。
この条件が満たされれていて、「コミュニケーションの二段階の流れ」説が有効ならば
業界をかえるかもねw
>例:「オタク学入門」のハリウッド映画を分析した項に乙一が影響を受けた。
「動ポモ」は「踊る大捜査線2」のネタ探しをしていた脚本家の目にとまり、
これで続編が作れると思わせたそうだ。
それで出来上がったのが、脚本が叩かれまくった「踊る大捜査線2」
(ヒットはしたけど)
>「終わらない学園祭」ノリが好きなんだろうな、たぶん。
30すぎたヒゲデブのやることではない。
学生時代、進学校で学園祭にみんながのってこなかったにしても。
>66
ワラタ。
俺は先鋭的な人じゃないから、少なくとも1部は無駄弾だったことになるな。
あずまんごめんね。
69 :
考える名無しさん:04/09/20 22:50:38
早稲田なんか入ったら年がら年中終わらない学園祭じゃねえかよw
>>67 自分が学生時代にできなかったことを今になってry
>>31 しかし、東の議論」がこの種の単純化を呼んでしまったのであって、あきらかに
東浩紀の影響だよ、そのライアンとかの講演は。自作自演とはまさにこのこと。
自分で言っといて、「世の中には単純化した見解が満ちています、困ったもんです」。
「誤配されてしまいました」。「誤読が多いのは困りものですね」、だと?。
複雑な議論のように見せて、その底はかなり単純。「動物化」の議論を見なさい。
東の誠実さを疑うのはそこだよ、そこ!
>>53 > 別に出さなくてもいい。情報化/管理社会の諸問題を語るうえで欠かせない
> 著作ってわけでもないんだから。
> こっち(読者)だって、『郵便的不安たち』以降のダラダラ本とその延長線上にある
> メルマガにカネ払っていいかげんウンザリしてるんだ。
あずまんの存在はどうでもいい、というようなことをわざわざスレに書き込んじゃうし
メルマガもついつい年間購読しちゃってる(んだよな?この書き方だと多分)この人に
激萌え。どうでも良かったらメルマガに金払うなよ・・・
>>71 > 東の誠実さを疑うのはそこだよ、そこ!
「誠実さ」とかいっちゃうこの人にも萌え。ずまそんの影響力を過大評価してるし。
信者と粘着しかおらんのかwwwww過剰な転移と否認ぶり激萌えwwwww
みんななんだかんだ言ってもあずまん子のことが好きなんだよ
ヴァルネラビリティでまくり
76 :
考える名無しさん:04/09/21 14:49:28
72=73は基本的な読解力に問題あり。
普通に本も読めねーくせに理屈っぽいこと言いたがるオタの典型にしか
見えねーぞ。10行にも満たないカキコの趣旨くらいまともに読み取れよなw
>>76 釣りは禁止です!wwwww
元カキコのどこに読み取らなきゃならないような主旨があるんでしょうか?wwwww
レッシグ来日のときに対談ひとつできない香具師が
何をかいわんや。
79 :
考える名無しさん:04/09/21 17:42:26
『批評空間』に「ソルジェニーツィン試論」が掲載された頃から読んでた身としては、
最近の東君の方向性はちょっと悲しいな。
「存在論的〜」の頃は、「おたく的」な深さでデリダを読む、ってことをやってたのに、
最近の方向性は、「おたく的」というよりも、ただの「おたく」になってしまったように感じる。
「ソルジェニーツィン試論」とか「存在論的〜」くらい書ける人なんだから、
もうちょっとがんばって欲しいな。
80 :
考える名無しさん:04/09/21 17:47:52
レッシグたんの布教活動にとって
日本支部のトップはやまがたであって
東浩紀ではありませんから
82 :
考える名無しさん:04/09/21 18:19:36
「『定本 柄谷行人集』(岩波書店)完結記念
思想はいかに可能か〜回顧と展望〜」
http://www.kinokuniya.co.jp/01f/event/event.htm#hall 講師:柄谷行人、大澤真幸、高澤秀次
ジャンルを横断し日本の内外を同時に見据える「視差」によって、
創造的な思想空間を切り開いてきた柄谷行人氏。初めての作品集成を
まとめた氏の前に、いまどのような地平が広がっているのか。
最良の聞き手を得て縦横に語る、注目の討論。
日時: 10月16日(土) 18:00開場 18:30開演
会場: 紀伊國屋ホール(紀伊國屋書店新宿本店4F)
入場料:1,500円(全席指定・税込)
主催:紀伊國屋書店
予約・問合せ:紀伊國屋書店事業部 03-3354-0141(10:30〜18:30)
相変わらず何処に居るのかわからないような敵を捏造して叩いてますが、
更科辺りと同調できた理由がわかるような気がしますね。
翻訳のように時間ばかりかかってあまり金にはならず
誤訳、誤字脱字があればツッコミをくらいまくる割に合わない仕事は
山形に任せて、
われらが東先生は高所から批評を垂れることの出来る大物なのですよ。
>>84 バカ!モノ
動ポモの英訳してるだろうが!
してるだろ! してるんだって! してるからな!
東浩紀 あるいは ポストモダンのパノプティコン
外人を騙すには「動ポモ」の英訳はいいかもね。
ああいう図式化ってアメリカ人好みだろ。
細かいところは注釈をつけたとしてもわけわかんないだろうし。
こういっちゃなんだが柄谷の「日本精神分析」の英訳がアメリカ人にうけるようなもんだ。
88 :
考える名無しさん:04/09/22 03:40:07
情報自由論よりhitomisiringがどうなたか書いて欲しい。
あずまんにアナルバージン奪われて、あずまんハウスから内股で泣きながら去っていったよ。
そういえば昔講演で、知識人は同性愛者が多い。、
セクシュアリティ=人間性、
しかし、今のフェティシズムは認知科学的に説明が出来る(=動物性)と
語ってたな。
自らゲイになって知識人化したのかw
ってもうゲイネタ飽きた。
じゃ振るなよ・・・
「情報自由論」の単行本を出してくれ、と書いたら
「会ったこともない人が偉そうに」って言われるんだろ。
読者はどうすればいいのか?
黙ってエロゲー座談会に金を払えというのか?
93 :
東浩紀:04/09/22 17:10:24
黙ってエロゲー座談会に金を払え
94 :
考える名無しさん :04/09/22 17:28:51
ユリイカ西尾維新特集での笠井の文章
柄谷の文学認識の射程と限界(「過剰性を説明できない」)を指摘しながら、
明らかにあずまんそのまんまの見解を繰りひろげているのに(清涼院エトセトラ)
「東浩紀」の名前は一言も出さない。
「なんだ東浩紀ってやつの一派か」と言われないようにするための、
笠井の用心が伺える。
ううん?俺もそれ読んだけど、なにいってんだ。
清涼院だの新本格だのを文学史に無理やり押し込むようなやり方は、
むしろ笠井がやり始めたんだぞ。笠井のここ五年くらいの文章読んでる
奴なら、またかよって思うくらいしつこく繰り返してる。
そこに乗っかって、ファウストがどうのこうの言い始めたのが東。
でも、たしかに柄谷の「自意識がやたら強いのに内面はまったくない最近の批評家」って
ところを引用しておいて、東の名前を出さなかったのには、なんとなく変だなと思ったけど。
そうだな、全体的にみれば、あの評論で東の名前が一回も出てこないのはやっぱり変かな。
空の境界の解説もまんま東とか佐藤と言ってること同じだったし
内容だけ見たら笠井さんはもう立派な東一派でしょう。
でもその参入を拒むFateが嫌いなあずまん大御所・・・
95読まずに書き込んでた
「AIR」「未来にキスを」みたいにメタ性をもったエロゲーじゃないと(AIRはあずまんの妄想かもしれんが)
いくら巧い物語であっても代表的に扱っちゃやだい、ぶっちゃげていうと僕が大好きでよく言及してる
ファウスト系やメタ系のエロゲーが代表じゃないとやだい!!
っていうあずまんの単なる我が儘なんじゃないかな。
あずまんにとってFATEはその他多数の凡庸なエロゲーと想像力や構造においては何ら変わらず、
変化のない代物だから面白くないんだよ。
ぼくはエロゲー的想像力によってさらに進化した、ポストモダンなエロゲーが最高なんだ!
ぼくはそういうエロゲーを待っているし、代表にしたいんだ!とあずまんが思ってるに五千万アズマンコ。
つうか、あずまんのフェイバリットであるビューティフルドリーマーからして
学園ラブコメにメタ的な視点を持ち込んだ作品だったし。
なんか同じところをグルグル回ってるだけのような。
もう少し芸が欲しいね。
「俺、こういうのも意外に好きだぜ」みたいな。
それでこそメタリアル批評
あずまんもovalが好きだ、とかいってるじゃん
>>94 笠井が柄谷に言及しつつ、その限界を指摘し
自分の主張に持っていく、って論理展開は
あずまんがデビューする前からずっとやっている。
>空の境界の解説もまんま東とか佐藤と言ってること同じだったし
うそつけ。あずまんと佐藤は伝奇について何も語ってないし、
特にあずまんは伝奇小説の系譜について何にも知らないぞ。
おそらく代表作すら読んでいない。
おまえ、笠井を知らんな?
>あずまんもovalが好きだ、とかいってるじゃん
ovalは好きだろうけど、その前後左右を知らないから
さして意外性はない。
芸術道場の論文審査に参加したのはこれが初めてである。だから的はずれな感想を抱いている
のかもしれないが、残念ながら、僕には、応募作の多くは、内容以前に評論としての体裁を整
えていないように思われた。その理由は、過去の評論やパラダイムへのリファランスがあまり
に少なく、与えられた課題に徒手空拳で取り組むか、そもそも課題を無視していたからである。
評論は感想文ではない。自分の言葉でものを考えることは重要だが、それはまず、他人の言葉
でものを考える技術を十分に身につけてからのことだ。批評を書くときには、批評とは本性的
にメタ批評であり、その魅力は過去の蓄積の読み直しや読み替えのうえにはじめて成立するも
のだ、ということを忘れてはならない。
ttp://www.kaikaikiki.co.jp/dojo/plo/azuma/index06.html あずまんが若手批評家を育てるってのはこういうこと?
やめといた方がいいと思うなぁ。
あずまんはファウスト一号の奈須笠井対談を読んで
伝奇を巡る状況がクリアになったとか言ってたが。
まあ場当たり的な発言だということは十分承知。
太田ってファウストを立ち上げるに当たって、小説を載せるだけでなくて
理論面からもサポートするために、あずまん、笠井、大塚に
依頼したんだよな。
しかし、大塚が例によってもめて他誌で舞城と太田批判。
残ったあずまんと笠井は伝奇をめぐって内ゲバ。
いやな業界だな。
内ゲバっつうか一方的にあずまんがエキサイトしてるだけのような…
>>103 いやあの細かい伝奇の歴史部分じゃなくて
現代の伝奇物は日常生活と怪奇が共存するとか何とか
現代ファンタジーの枠組みまんま使って説明してた。
110 :
考える名無しさん:04/09/22 23:07:42
111 :
考える名無しさん:04/09/22 23:12:37
アズマンコ
113 :
考える名無しさん:04/09/22 23:29:01
hitomiちゃん何処行っちゃったのかな
ユリイカ 瞳特集
東浩紀×瞳
*維新五番勝負!
巽昌章:きみとぼくのこなれた世界――西尾維新vs新本格
スズキトモユ:崩壊と再生――西尾維新vs麻耶雄嵩
野崎六助:維新の維新――西尾維新vs京極夏彦
佐々木敦:「きみ」と「ぼく」の壊れた「世界/セカイ」は「密室」でできている?――西尾維新vs舞城王太郎
山田和正:夢から、さめない連続体(Outside the dream syndicate)――西尾維新vs佐藤友哉
山田がhitomiだろ?
>>116 クビキリ前じゃん。いまどうしてんのかね。
ユリイカもタイミング的にはクビキリ前に原稿掲載決まってるだろうし。
あずまんはエイリアン9にコメントして以来
QJには登場していないね(必要とされてもいないが)。
id:hitomisiriing
副編集長。1982年生。別名山田和正。ライター。QJのエヴァ特集を
きっかけにサブカル化したという元オタク&宮台信者。
仕事はつねに募集中。
「Kluster」の次号は500部売ると息巻いている。
−−−−−−
副編集長だったのか。
120 :
考える名無しさん:04/09/23 14:37:04
東周辺の人たちは明日から神樹の館で忙しくなるとみた。
122 :
考える名無しさん:04/09/24 01:51:29
実はひそかに気になる吉田大助。
こいつはかなりのクズだろ。
君しか気にしてないから
えちいなことしようぜ
125 :
考える名無しさん:04/09/24 04:57:42
山田〜、カムバ〜ック!!!
126 :
考える名無しさん:04/09/24 06:55:27
hitomisiriing 萌え
自作自演多過ぎ。
実は、東浩紀の自演w
>128
そういうこといいだすあたりが非常に山田くさい。
偽hazuma事件とかもあったしね。
飽くまで僕の聞いた範疇の話です
あとここに登場するアルファベットは架空の人物なので悪しからず
編集者になりたかったkは面識のあるhに
自分を採用してくれる様に頼んだらしい。
hはkが編集に入るのは(能力的に)まずいというのを知ってはいたが
雑務程度なら構わないだろうという判断で編集補佐として事務所に
招き入れてしまう。
aはkが事務所に出入りしていることを知り激怒した。
aはそれなりに変わった道を歩んできてはいるが
危険を感じるものを極力切り捨てる様に努力してきた。
aはkを危険だと感じた様だ。
そしてaの怒りが心頭に達したのは
kが事務所から「持ち出し」をしているのがわかった瞬間であった。
それは大きな責任問題となり編集部は揺れた。
kを安易に招き入れたhがその責任を取り(以下略
今更だが『トンデモ本の世界S』を立ち読みで読んだ。
簡潔に指摘すると、唐沢俊一の主張は矛盾している。
一方で萌え要素の順列組み合わせでヒット作が作れれば苦労しないと言い、
(商品は順列組み合わせに還元できない)
一方で、昭和初期や江戸の頃から、大衆的な作品は
表層的な要素の組み合わせで、これは初歩的な事だと言う。
(商品は順列組み合わせに還元できる)
P∧¬Pで矛盾だ。このような混乱が生じるのは、自分の推測だが、
A「データベースを押さえなければヒットしない」から
B「データベースを押さえればヒットする」を読み取ったからではないか
正しい対偶はC「ヒットしているならばデータベースを押さえている」だ
これはP→Qと¬P→¬Q(裏)を同値と捉えた誤りで、
「免許証を持っていなければ運転できない」という一つの条件の提示から
「免許証を持っていれば運転できる」を読み取るのは誤りだ
(飲酒していれば運転できない)
東浩紀の側にもデータベースを明確に定義していないという不備があるのだが
もし東の主張がAでそこから唐沢がBを読み取ったならば唐沢の誤読である
そしてBはもちろん現実と明らかに違っているがCならば現状に合っている
良くも悪くも唐沢の日本語はB級なのかもしれない
また順列組み合わせだから単純だという唐沢の発想は蝉取りの子供並に単純である
例えば猫耳を付けるか付けないか、触角を付けるか付けないか…といった単純な二択形式でも
その選択が30続けば2の30乗で1,073,741,824(1G)通りの組み合わせがある
要素の順列であっても上から順番に試して簡単にヒット作を生み出す事などできない
ディープブルーの開発を上回る労力が必要になるかもしれない
唐沢の文は東批判というよりディズニー的なものとは違う日本的なアニメっていう概念を捏造した
村上隆批判だったと思う。
村上&東が宮崎ハヤオをフルアニメ志向のアニメだから日本的な止め絵アニメから
除外したことについて唐沢は宮崎がディズニーを思想的に嫌だったことをあげて
その分類は間違っている・・・とか言っていたが宮崎の資本主義が嫌いな思想的なことと
フルアニメとかリミテッドのアニメ方法論は別じゃないか?
宮崎を手製のロシアアニメの方法論で語るのは無理あるんじゃ・・・と思った。
あと昔は宮崎もTVアニメ作ってたからほかのTVアニメ作家と志向は変わらないってことも
書いてあった気がしたけど宮崎を他のTVアニメの作家と同じってのはどうだろうなぁ・・・
そんなこと言ったらみんな同じで区別できんじゃないかなぁ・・・と思った。
スーパーフラットとかの捏造の見事さに比べると唐沢のはやっぱあげ足取りにしか見えんかなぁ。
でもトンデモ学会自体がそういうコンセプトだし
動ポモもそこらへんの説明とかまったないしな。まあどうでもいいか。とも思った。
まあ、と学会自体が、すでにトンデモだからな。
いわゆる自己言及のパラドックスというやつだな。
hiroki
kazumasa
hitomisiring
azuma
kuguru
ああ
納得
139 :
考える名無しさん:04/09/25 02:48:57
hitomisiring は可哀相だったね
あさだあきらってホモなんですか?
なにも止めさせるこたぁないのでは?
>131
東は、データベースがポストモダン、現代特有の現象だと言ってるのだろう?
なら、「データベースは江戸時代からある」は立派な反証だ。
>>144 データベースがあるのと、それが前景化するのではまったく違う話だ。
>145
あくまでも131の言ってることへの反論な。
で、データベースが前景化してる、というのは、どういう状態?
作り手も詠み手もデータベースの存在を意識して、ベタな作品を作りつつ、
パロディ、自己言及をやっていた、というなら、江戸期に遡れるが。
>>130の「持ち出し」ってのは kluster の新刊作成に関わったことなのかもしれないねぇ。
148 :
考える名無しさん:04/09/25 15:32:01
シリングって、東の弟子筋では出世頭なんだろ?
このまま逝けば業界で食っていく線もあったろうに、あっさり切ったなあ。
これで波状自体萎んでいく悪寒。
東先生は宮台のわしズム執筆の件はどうお考えでしょうか。
どうせあと3ヶ月半じゃん>波状
東も来年はやらんだろう。
ヒトミは雑文は面白いけど、ユリイカ読んだ限りでは
まだ書き手としては立てないと思うな。
この業界は能力さえあればそれに見合ったクチはあるから
大丈夫なんじゃない。
データベースって現代的な視線のことでしょ。
現代の視線で江戸を見て江戸もデータベースっていっても
しょうがないじゃん。
室町時代から掲示板はあるから2ちゃん的なネット社会は
現代特有ではないって反論みたいなもんじゃん
>>149 詳しく
しかし、内容面でひとつだけ言っておくべきことがある。
『新現実』第1号の対談の席でも感じたし、
繰り返される大塚氏の批判を読んでいても思うのだが、
彼はもしかして、僕の本をほとんど読んでいないのではないだろうか。
たとえば『「ほしのこえ」を聴け』のp.199、大塚氏は、「ほしのこえ」が
僕の枠組みから外れる根拠として、「データベース理論は結局使う側の
引用する意識みたいなものが前提になってるでしょう。
東は引用する意識があるという前提だから、ああいう評論になるけど」と
述べている。しかしこれは、僕が『動物化するポストモダン』で主張したことと、
どう考えても逆である。僕のデータベース消費論は、
「引用」という意識がなくなったからこそ 、
第3世代オタクのデータベース消費(動物性)は第1世代の物語消費(シニシズム)
と区別されるという主張に支えられている。
データベース消費では「引用」という感覚がなくなることは、
『動物化するポストモダン』のp.73以下で、子どもでも誤解のしようのない文章で
はっきりと記されている。この部分は『動物化』の中核にある主張で、
ほかの箇所でも繰り返し強調されているので、それを読み落としたというのは、
少しでも僕の本を開いていれば考えられない。事実、僕の本に文句を
つけてきたひとは多々いたが、ここを読み違っているひとはいなかったのだ。
さらに言えば、大塚氏は、僕が現代文化における主題や物語の役割を
否定していると考えているようだが、それも思い違いである。
『動物化するポストモダン』では、わざわざ一節を設けて、
大きな物語から遠く離れたポストモダン的精神が、にもかかわらず
「小さな物語」を追い求める二重構造について考察している(p.108以下)。
大塚氏の東非難で決定的な役割を果たしているらしい
「物語性の回帰」「主題性の回帰」の現象は、
僕の本のなかですでに分析されているのだ。『千と千尋の神隠し』などの
ファンタジーの台頭、すなわち、骨組みしかない物語=民俗学的な説話構造の台頭は、
僕の観点からすれば、「大きな物語の凋落」をますます証拠立てるものである。
だいたい、オタク系のシーンに限ったとしても、
テーマ性や叙情性の台頭は1990年代末の「泣きゲー」から明らかだったわけで、
「ほしのこえ」の出現でようやくそれに気がついたというのがおかしい。
>151
>室町時代から掲示板はあるから2ちゃん的なネット社会は
>現代特有ではないって反論みたいなもんじゃん
現代文化に現代特有の点がある、というのは当たり前の話で、その現代特有の
点を、ちゃんと指摘できてるかという話をしてるわけだ。
例えば、その例なら、「民衆が匿名で公への愚痴を撒く2ちゃんねるの
掲示板文化。これはまさしく現代特有のものである」というふうにしか
言わなかったのなら、「そんなのは室町の頃からある。現代特有じゃない」
という反論が成り立つだろ?
東が、現代的なデータベースの現代性を、きちんと他の時代と区別できる
形で書いているなら、その通りだが、唐沢が言ってるのは、それができて
ないということだろう。
「でじこ」と「弥次喜多」は違うが、「おまえの言ってるデータベース
云々は、江戸の頃の作品と何も変わらない」という話だ。
で、前景性ってなによ?
室町時代にネット掲示板があればそりゃ現代特有といえんだろう。
ファンタジー=骨組みだけ、ってきめつけも凄い。
ずっーと昔の論争が繰り返されるのかな。
動物化大国で指輪物語やマトリクス、ハリポタのような物語性の強い、物語的な物語が
消費された事実は東&アズマニアン諸君はどう考えてるんだろう。
批判ではなく、ちょっと説明を聞きたい。
146=155≠152〜154
なわけだが。一応。
少なくとも引用とかパロディが江戸にもあるからデータベースも
江戸にあるってのは動ポモと正反対の単なる読み違いでしょう。
>>155 動ポモにおけるでじこの説明。猫耳やメイド服とかのようなサンプリングに
マグカップが本体と並列の商品だとか主体的なセクシャリティと切り離された
萌えうんぬんって説明で
ホントに弥次喜多をカバーできるの?
この展開は
ある意味
地獄!!!!!!!!!!!!!
>>132 そもそもデータベースの起源はアメリカのカタログ文化なので
ディズニーもデータベースの本家と言える。
ただしリアリズムや著作権など近代的な制約が課せられている。
東は20世紀以前と以後、しかも市場を軸に考えているので
同世代の作家に視野が限定されている唐沢と齟齬があるのは当然。
と学会がスーパーフラットのようなコンセプトを産み出す事はないだろう。
>>144 唐沢の主張の論理的な矛盾を検証したが、
次にその主張自体の正当性を検証してみよう。
162 :
考える名無しさん:04/09/25 18:41:57
>>147 >
>>130の「持ち出し」ってのは kluster の新刊作成に関わったことなのかもしれないねぇ。
どういうこと?
新現実 東浩紀×大塚英志の対談より
東 かつて人間は文化人類学的な記号を介して世界と繋がっていたけれど、
近代はそれを脱魔術化してしまったので世界と人間が直にぶつかることになった。
さすがにそれは問題なので、クッションとして持ち出してきたのが「大きな物語」や
「象徴界」、つまり共産主義やナショナリズムのようなイデオロギーですね。
しかし、この戦略も社会の複雑性がある閾値を越えると無理になるわけで、
そこでポストモダン化が始まる。そこで新たに登場するのが、
前近代の神話的世界観に似てはいるが、
歴史というより「商品」に支えられた別の世界認識の方法ですね。
ハリウッド映画の指輪物語やマトリクスやハリポタやエピソード1は
映像的なシミュラークル全開な上に物語の骨組みだけで超越的っぽい意味での
物語とか歴史は完全敗北な気がするんだが。
つうか全作品眠いんだ。横レスすまん
>>144 >>146 上のようにデータベース的な現象が江戸時代(近代以前)からある事を既に東は示している。
しかし近代以前はデータベースが歴史的に統御されており、これが人間性を保証していたと
(東の説では)考えられる。近代以前とポストモダンのデータベースは異なる。だから反証にならない。
ちなみに前景化というよりも共同体に意識され共有され引用されるという主体性が重要だろう。
>>151 >データベースって現代的な視線のこと
具体的にどういうことか分からない。
>>155 前述の通りそれは間違っている。
>>157 >>152-154 >指輪物語やマトリクス、ハリポタのような物語性の強い、物語的な物語
いや、それは小さな物語に過ぎず、大きな非物語=データベースと両立する。
>>157 >>164 『不過視なものの世界』で阿倍和重と映画について対談している。
マトリックスのようなハリウッド映画はデータベース・シミュラークル文化の典型とされている。
さらに「マトリックスと人間不在の荒野」という文章を書いていて(郵便的不安たち#収録)、
「『マトリックス』は人間不在の映画である」としている。そこでは物語はご都合主義的なものでしかない。
データベースが前景化してるんじゃなくて、データベース消費が前景化(取って代わられたくらいの意味)したってことでしょ。
>>164 なんで現代ファンタジーを骨組みだけと断じ切るのか、よくわからんのよ。
指輪が受けたのは、伝統的なそれこそ民俗学的物語の枠組みを換骨奪胎して、
主人公フロドの内面性に換喩する構造になっとるわけですな。
マトリクスは通俗革命主義から、個々の内面性の革命。テーマとしてわかりにくいけどな。
ナショナリズムの台頭もそうだけど、歴史とか物語とかへの超越性への欲求が
衰えているとは考えにくいのね。
>>165 >>指輪物語やマトリクス、ハリポタのような物語性の強い、物語的な物語
>いや、それは小さな物語に過ぎず、大きな非物語=データベースと両立する。
反証としてはあんまり意味がないような。
小さな物語(東が言うところの。リオタールのそれではく。)は、
大きな物語があっても存在するし、無くても存在する。
問題は連関の有無だろう。
なくても存在する
169 :
考える名無しさん:04/09/25 19:33:01
>歴史というより「商品」に支えられた別の世界認識の方法ですね。
こう言うところを読むと、商品としての大きな物語(というか、大きな物語のフェイク)が欲望されているということなのかな。
ナショナリズムとかはそれで説明つくが、超越への欲求自体は残存するんだよね。。。
あずまんに完全シカトされた、しろうとのアスペクト論。
その後が気になる土曜の夜。
マトリックスを革命がどうの、テーマがどうのとかいう男の子読みでまじめに語るの
ものすごくダサい気がするんだが・・・
というかそういう幾多の深読みを発生するデータベース装置のみ存在する映画だろう、あれは。
たしかそんなこと言ってたぞ。ゲームラボで。
キアヌの本棚にボードリアールのシミュラークルの本があったり・・・
1.シミュラクラと本物の間に差異はない。(ポモの基本テーゼ。)
2.大きな物語のシミュラクラと、本物の大きな物語の間に差異はない。
3.大きな物語は死んでない。(死んでないも同然。)
ナショナリズムも国家主義も「一見死んでないように見え」、そして「実際死んでない」。
172個人のださい感覚や「東そう言ってるから」というだけでは、事の正否とはなんの関係もない。
ちなみにボードリヤールはあの映画を、めちゃけなし。
まあテーマ性への欲求が無ければ、深読みも発生しないけれどな。
超越への欲求は存在する。今でもわんさか存在する。
でも、私と超越性をつなぐものがない、という話でしょう?
私と超越性をつなぐものがそれまで「大きな物語」だった。
逆だろ。
私と超越性を結ぶ架橋は、商品として提供されているってのがあずまん理論だ。
>>ちなみにボードリヤールはあの映画を、めちゃけなし。
知ってるよ。それでも単に映画を見る人にボードリヤール的読みを発生させるためだけに
映画内の本棚にボードリヤールの本が添えられている。って言いたいだけ。
そしてみんな喜んでボードリアールでマトリックスを語る。
でももちろんボードリヤールとは何の関係も無い。
>165
単純な質問だけど、江戸時代の歌舞伎や読本等におけるデータベースを
「統御して人間性を保証していた」ものって、具体的に、何?
>単に映画を見る人にボードリヤール的読みを発生させるためだけに
>映画内の本棚にボードリヤールの本が添えられている
・・・と、きみはテーマを深読みしたんだね。
ボードリヤールはあの兄弟に
「俺をろくに理解しないで主題化(テーマに)しやがって!」
って怒ったんだよ。
>>180 ボドリたんは括約筋の締まりがよろしいのですね
>・・・と、きみはテーマを深読みしたんだね。
本棚にボードリヤールの本置けば作品のテーマになる?
どんなテーマだよ。
人がそれぞれのアイテムに勝手に妄想深読みするオブジェクト指向を作品のテーマと言うのか?
>「俺をろくに理解しないで主題化(テーマに)しやがって!」
なんで自分の主題化が失敗してボードリヤールが怒るんだよ。
自分の世界観とマトリックスの世界観が似てると言う人の誤解に反論してるだけだろう。
>>182 >オブジェクト指向を作品のテーマと言うのか?
指向はテーマそのものではない。深読みの内容がテーマ性だ。
>自分の世界観とマトリックスの世界観が似てると言う人の誤解に反論してるだけだろう。
怒っているというのは単なる修辞だよ? 何を怒っているのか知らないが。
>>167 しかしやはり現代と前近代を同列に論じてはいけない。
産業革命以前にはネジ一本にも個性があり、
ある銃にはまるネジは他の銃にはまらなかった。
あるいは明治以前にはそもそも現代的な「走る」という行為が存在しなかった。
(西南戦争で農民軍は行軍が出来ず負けた)
江戸も現代も同じで単に消費が前景化したという見方では議論を見失う。
>>168 主張の主旨が分からない。
大きな物語が無くても小さな物語が存在する、
という事が
>>157への反証になるということ?
>>170 >大きな物語(というか、大きな物語のフェイク)が欲望されている
東理論ではそのような欲望は見かけだけの形骸に過ぎず、
実質的には大きな非物語への欲求が消費者を駆動している。
>超越への欲求
しかし、東は「過視的な超越性」というものも提出している。
これが動物化理論とどう折り合うのかは自分も分からない。
>>171 構ってもらうのが当然などとは思っていない。
アスペクト論は自力で構築していくつもり。
>>173 東は、それらは依然残っているがシミュラークルに過ぎず、
経済的な活動こそが歴史を決定すると考えているようだ。
>>179 歴史的に存続する共同体。
(斎藤が批判する東的な)象徴界=社会=イデオロギー。
>>183 >指向はテーマそのものではない。深読みの内容がテーマ性だ。
テーマの指向が作品や作者ではなくオブジェクトに移行したからデータベース消費なんでないの?
だから作品自体はチープな骨組みしかない。なくていい。って話じゃ。
>怒っているというのは単なる修辞だよ?
単にマトリックスのテーマはボードリヤールっぽいですね、と外野に言われるのを
ボードリヤールがうざがって怒っている(?)だけ。
それを根拠にマトリックスは主題があるといわれてもよくわからん。
まあ今更マトリックスとかどうでもいいわ・・・
最初のしか見てないし・・・落ちるよ
>185
>歴史的に存続する共同体。
>(斎藤が批判する東的な)象徴界=社会=イデオロギー。
言ってることが抽象的すぎて意味がない。
理論だけで中身が空っぽな屁理屈だ。
そのレベルで言うなら、江戸時代にも、非・象徴界的な消費はあったし、
現代だって、象徴界=社会=イデオロギーが束縛する(あるいはそのよ
うに見える)部分は一杯ある。
「具体的には」、それは、何なの?
江戸時代の共同体というのはどのようなもので、それによって作品の内容
および消費のされ方は、現代とどのように違っていたわけ?
>186
だから、テーマはないんだよ、というテーマ性をきみは読み取ってしまってるよ。というお話。
ボードリヤールの引用を引いてね。
そのボードリヤールが「あなたの『完璧な犯罪』が主題化されていますよね?」という記者の問いに、
「プラトン的問題にすりかわっているので、困っちゃう」と答えているのね。
ウォシャのテーマをボードリヤールは明確に批判しているのよ。
江戸はあえて切腹とかなんだかっていうスノビズムで人間化してたっていうけどね・・・
どうだろね。
現代のアニオタと江戸の読本オタの違い。
なんか全然違う物体のような気がするが。
江戸時代には親も社会の目を気にせず引きこもって耽溺してゲームするような環境も
大量にリリースされる作品や関連商品も揃ってない、
ってくらいじゃないかねぇ
>
>>168 >主張の主旨が分からない。
>大きな物語が無くても小さな物語が存在する、
>という事が
>>157への反証になるということ?
なんでわからないのか、わからないんだけど・・・。
両者の存在の有無ではなく、両者の関わり方の問題を見ないと、
しろうとの反証は、反証にならないよ、とゆーこと。
>>187 具体的な消費のされ方の違いを上げるのなら、作品に一回性がある。
対して現代では視覚・聴覚的なジャンルの(大衆)芸術も
言葉と同様に引用する事が可能になっている。
これは技術的な発展が可能にしたので江戸時代にはないと言える。
例えばビデオデッキは映像作家同士での映像の引用を支えている。
これがもっと進んだのが2ch近辺でも盛んなMADだろう。
FLASHのようなソフトが映像音声の断片を引用する事を容易にしている。
ここで注意すべきは先のコピペのように「引用」が無意識に行われていることだ。
作家のような主体レベルではなく神経的なレベルの欲求によって
流通・流行する萌え要素(よくFLASHになるブレイク工業の社歌とか)を
作品として再生産するだけで、世界観とか作家性とか大きな物語のような人間性はない。
もっともこれは東理論においてであって、自分の考えはまた別。
江戸の読本は、現代の印刷物やCDのように、同じものが何千何万と
複製されるわけじゃない。
江戸のエンターテインメントは、レンタルビデオ店がどこにでもある
現代のように、全国津々浦々まで流通しているというわけじゃない。
江戸時代のデータベース(的なもの)と現代のデータベースとは、
物語云々よりもむしろ生産と流通の技術的側面によって
相違している側面のほうが大きいのかもしれない。
>
>>173 >東は、それらは依然残っているがシミュラークルに過ぎず、
>経済的な活動こそが歴史を決定すると考えているようだ。
下部構造論つーか経済決定主義に回帰するのか。まーいいけど。
シミュラクルか本物かの区別に意味がないのなら、
シミュラクルの国家主義も本物の国家主義も同様に危ない。
それが下部的に決定されようが上部的に決定されようが。
>>190 だから、小さな物語は大きな非物語=データベースに還元できるから、
物語的な物語だという主張への反論になっている。
>
>>170 >>大きな物語(というか、大きな物語のフェイク)が欲望されている
>東理論ではそのような欲望は見かけだけの形骸に過ぎず、
>実質的には大きな非物語への欲求が消費者を駆動している。
だから、「東が〜と言ってる」てのは論の当否とは直接関係ないのよ。
それは東が単にそう主張しているだけ。
事実かどうかは、別。
つーか、しろうと君はこういうところ、全然変わってないねえ・・・。
>>193 イデオロギーはシミュラークルだ、というのが東の決まり文句だが、
東もシミュラークルだからどうでもいいとは考えてないだろう。
問題はデータベースの次元を見逃してはならないという事だ。
それは例えばアメリカがテロ対策に指紋などの様々な身体的
(動物的)情報をデータベース化し情報管理しようとする動きを
「華氏911」などのシミュラークル=分かりやすいお話によって
見逃してしまう事を警告しているのだ。
>>194 だから、
>小さな物語は大きな非物語=データベースにも還元できる
し、その一方で大きな物語の存在を裏付ける場合もあるわけ。
両方あるのよ。
片方の存在を取り上げてるだけでは、反証にならんのよ。
どっちもあり得るから。
>>195 だから、当然東が主張したから正しいなどという事ではなく、
議論が既出であるという事を示しただけの話、それとは別。
スクリプトのような指摘がなくらない辺り、2chは全然変わらない。
>>197 だから、マトリックスについては東はすでに主題的に取り上げた文章を書いているし、
ハリウッド映画全般も一度扱っている。大きな物語ではなくデータベースだという事は
動物化するポストモダンやその関連で言っている事なので自分がそれをそのまま再現する事はしない。
>>196 ん?
173は特にあずまんに当てた批判ではないぞ。
シミュラクラだから特に問題なしと言いたげな誰か(しろうとではない)に向けて書いた物だ。
もっとも、東の書き方には、そうしたミスリードを生む余地はあったかもしれないが。
落ちるって言っておいてなんだけど・・・さらにどうでもいい話で申し訳ないけど
>>188 >テーマはないんだよ、というテーマ性をきみは読み取ってしまってるよ。というお話。
・・そんなテーマってあるの?(メタリアルフィクションのこと?)
ポケモンにテーマはないっていったらそういうテーマを読み取ったことになるのか?
個人的にはポケモンにもマトリックスにもテーマなんて面倒なもの考えたこと無いと思ってますけど・・・
>そのボードリヤールが「あなたの『完璧な犯罪』が主題化されていますよね?」という記者の問いに、
そんな問いはしてないぞ。記者は完璧な犯罪』とマトリックスはビジョンが似てますね。
と聞いているだけだぞ。そしてマトリックスという映画は
マトリックスの外部と内部の接点を描けば面白くなっただろうに描いてない。
プラトン的に結局中と外jの世界があるだけにしたからつまらん、と批判してるのが
マトリックスにテーマがあることの根拠になるの?
>>198 >議論が既出であるという事を示しただけの話、それとは別。
ガイシュツをもっともガイシュツをしているのはきみだろう。
あずまんの主張など先刻承知だよ。
>191
>作家のような主体レベルではなく神経的なレベルの欲求によって
>流通・流行する萌え要素(よくFLASHになるブレイク工業の社歌とか)を
>作品として再生産するだけで、世界観とか作家性とか大きな物語のような
>人間性はない。
流行・流通する要素を、反射的に取り上げるのは、江戸時代だって同じだ
(仇討ちもの、心中ものetc)。
「世界観、作家性の消滅」でいうなら、でじこを含めて、現在の
アニメ・マンガのほとんどは別に「神経的なレベルの欲求によって無意識に
引用」したりはしていないわけだが。
同人二次創作であれ、商業作品中のパロディ要素であれ、引用する時は、
意識的にやっている。
出所や作家性を全く気にせずに、素材としてだけ扱って無意識に引用している
ような作品って、具体的にどんなものを考えている?
>
>>197 >だから、マトリックスについては東はすでに主題的に取り上げた文章を書いているし、
>ハリウッド映画全般も一度扱っている。大きな物語ではなくデータベースだという事は
>動物化するポストモダンやその関連で言っている事なので自分がそれをそのまま再現する事はしない。
いやまあ、それはそうだろう。
なにもきみが全て東理論を鵜呑みにしている、とは言ってないよ。
江戸時代ネタはもうお腹イッパイ
おまえら「生命」の定義でもしてろよ
>>200 >・・そんなテーマってあるの?
あるよ。メタリアルフィクションなんて言葉のないずっと昔から。
>記者は完璧な犯罪』とマトリックスはビジョンが似てますね。
>と聞いているだけだぞ。
ビジョンとは世界観であり、映像的主題のことだろう?
映画ってのは映像を通して主題を表現したり、しなかったりする物だろう?
なにかおかしいか?
200に聞きたいんだが(マジ不思議なので)、
マトリックスの1に、仮想が現実を逆転するっていうありふれた革命幻想の残滓は感じなかったのかい?
なんかアメリカじゃ、これを見て勘違いしたとおぼしき高校生が乱射事件とか起こしてるのよ。。。
>>203 カット&ペーストで済む現代と歩いていかなければ見れない前近代を一緒にしてはいけない。
例えば16色・256色時代のアンチエリアシングやベジェ曲線を用いた現代的なエロゲ塗りや
トゥーンシェードによる3D表現など工学的なレベルの表現とそれへの欲求は江戸とは違うだろう。
それから意識的という事と作家的な意識は違う。
単に売れるから323絵を真似るというのなら、
確かに(市場を)意識しているが、
市場=データベースの決定であって作家=主体レベルの決定ではない。
そしてそれ(323絵)はオタク市場ではマイナーではないだろう。
近代的な小説ではそうでないジャンルが確かに存在したし、
漫画やアニメでも萌え要素の組み合わせだけでない時期というのがあった。
ポケモンはむしろテーマ性過剰だろ。
幼児向けアニメは基本的に、物語性強いよ。
親は勧善懲悪を望むし、子供はストーリーを明確にしないと理解できない。
>>211 そもそもポケモンはゲームとのメディアミックスで
企業の広告塔としての物語でしかない。
そこではゲームでモンスターを収集し戦うという構造が重要だ。
またいわゆるポケモン事件など
身体的=動物的なレベルで注目された。
子供が小さな物語に没頭するのは良いとしても、
結局は市場やゲーム機のアーキテクチャのデータベースが決定する。
正直、
しろうとはモッチーのところにいって、モッチーと遣り合って下さい。
何度同じような議論繰り返してんだよ…
この展開こそ、シミュラクラのなれの果てだよ……
>>212 結局、物語性が高い、ってことだな。
テレビ見て、てんかん起こすのは生理的機序であって、
物語ともポストモダンとも関係ねーぞ?
215 :
考える名無しさん:04/09/25 22:41:40
そのまんま東浩紀
>>214 >結局、物語性が高い、ってことだな。
おまいの言うところの物語性の性質を言いなされ。
>>216 定義問題は揉めるのでなるべく避けたい。
定義問題まで遡るべき理由を明確にせよ。
猫耳とか妹とか外人とか人外とかが細分化、データベース化されて
順列組み合わせで作られる。
しかもあれは綾波のパロディだなとかいちいち原点を追跡しないでも素直に萌え、消費し
そういったキャラクターが無尽蔵に作られている。という話を
江戸にも心中ブームはあったとか読本あったから別に新しくない、ってのはひどいと思うな。
亀レスだが。
しかし東浩紀の理論はともかく言動には時に驚かされる
「今ライトノベルがブームなんだけど、その代表であるファウストに僕が書いていて…」
というような事をゲームラボに書いていたときにはびっくりした
ああいう雑誌でしかも2Pの連載で更に宣伝してるのにその上自慢しているのである
例えばすぐ近くで渡辺浩弐が連載していてはるかに面白い
これは東理論的にはシミュラークルに過ぎない業界の分かりやすいお話なのだが…
『郵便的不安たち』の頃から、その場で求められる芸を嫌悪しているのは分かるが
今の連載は単にいつものことを言っているだけで強度が低い
同じ連載陣の斎藤環も「この作品で僕は泣いた、君も泣け」などと平気で言うから困る
別にひどくないよ。ほんと新しくないし。
江戸っ子だって原点を知らない事の方がずっと多かったし。
草紙絵本や怪談は中国の古典をデータベースにしていたりするけど、
一般江戸市民はもちろん、漢籍読めなかったんだよ。
>>218 少なくとも、こっちから北斎の画像をコピーして、
こっちから芭蕉の俳句をコピーしてFLASHを作るというような
コミュニケーション抜きのきわめて即物的な創作形態はないと思う
それに現在は匿名でネットで発表するのが普通だけれども
昔は一子相伝で一生を賭けて芸を磨いたし
見る方もnyでダウソじゃなくて必ず劇場まで足を運ぶし
何でも同じという事はないと思う
>210
>それから意識的という事と作家的な意識は違う。
>単に売れるから323絵を真似るというのなら、
>確かに(市場を)意識しているが、
>市場=データベースの決定であって作家=主体レベルの決定ではない。
売れるから○○絵をパクるというのは、それこそ、江戸時代以前からある
だろう。
江戸時代の作者は、みんな主体的で、売れ線狙いだけで物を作るような
やつは一人もいなかった、とでも?
>近代的な小説ではそうでないジャンルが確かに存在したし、
>漫画やアニメでも萌え要素の組み合わせだけでない時期というのがあった。
現在だって、そうでないジャンルも、そうでない作品もあるよ。
今現在の作品は、全て、全部、市場への意識だけで作られて作家性皆無、
と思ってるの?
またたとえば、商業主義的な条件で縛られた作品、売れ線要素を盛り込む
ことが先行する作品であっても、その中で発揮される作家性・主体性も
あるわけだしな。
>>222 >一人もいなかった
>そうでないジャンルも、そうでない作品もある
>今現在の作品は、全て、全部
>作家性皆無
そのタイプの指摘も斎藤との対談で既出。
「四葉のクローバーもある」という主張が
「クローバーは三つ葉である」という主張を、
「鳥は空を飛ぶ」という主張を
「ペンギンは?ダチョウは?」という主張が潰す訳ではない
東の主張は動物「化」であって
作家性が少なくとも近代よりも衰退しているという主張だから
そういう単純な批判ではだめだ。
>>219 しろうとの"勇気"に涙が出た。いや皮肉でなしに。・・・いや少しは皮肉な気持ちもあるが。
情報自由論のスレはもう再開しないのかい?
おれは東の動物化論はいまいちだが、
情報自由論は結構いいと思ってるんだ。
あのスレッドは面白くて、とてもよかったよ。・・・途中までは(と、つけくわえなきゃいけないのが残念だ)。
まあとりあえず
マトリックスでもポケモンでもカードゲームでもエヴァでも何でもいいが
従来の物語よりもずっとデータベース的な、メディアミックス的物語が
巨大産業になったのは確かだろう。
>>220 中国のお化けが日本に伝わったからって
でじこのキャラ造詣とかエヴァのキャラ消費やギャルげーのデータ分割 再構成の説明とは
何の関係もないような・・・
やはりデータベースという言葉の意味が広すぎて・・・
>商業主義的な条件で縛られた作品、
>売れ線要素を盛り込むことが先行する作品であっても、
>その中で発揮される作家性・主体性もある
東なら「それは偶然でしょう」と言うかもしれない
読者から作家性に見える要素というのは
ある作家が置かれた環境の中で様々な記憶の衝突であって
主体性に見えるのは後からでっち上げたシミュラークルだと…
>何の関係もないような・・・
あるって。つーか、
>中国のお化けが日本に伝わったからって
こうやって他人の主張をシンプライズするのって、どーよ・・・
むしろ中国の古典から日本の草紙絵本へ移動の痕跡がはっきりたどれるなら
順列組み合わせとか再構成、シミュラークルとか大量消費の欲望はなかった、
薄かったんじゃないか?
>>224 東が書いてる所なら何でも見ます
一時期東関連のデータベースサイトを作ろうと思ったりしたけど…
東理論の枠組みが『動ポモ』から進まないので少し飽きたんですね
いい加減自分のアスペクト論を再開させたいですね
情報自由論の単行本が出たらスレ立てようと思ってますが…
大塚英志も柳田国男を例に取って
動物化論は自然主義だというような指摘を
新現実の対談でしているのですが
それはまた今度、そろそろ落ちます
>中国の古典から日本の草紙絵本へ移動の痕跡がはっきりたどれるなら
はっきり辿れるようになったのは明治になって書誌学が移入されてからなんよ。
勿論作者や坊さん(つまりインテリ階級)は知ってたかもしれんけどね。
>はっきり辿れるようになったのは明治になって書誌学が移入されてからなんよ。
いずれにしても
生産者によって順列組み合わせで作られて
消費者の手によって分解、再構築されるとかいう話とは程遠い気がするよ。
昔だから原点が単にわからない、知らないっていう状況と今みたいにあまりにも
多すぎて追跡不可能って状況は。
>223
>東の主張は動物「化」であって
>作家性が少なくとも近代よりも衰退しているという主張だから
>そういう単純な批判ではだめだ。
逆だ、逆。そういう主張をするには、「近代に比べて作家性が衰退した」
というのを、事実で補強しないと。
そこで、東の脇が甘いことが効いてくるわけですよ。アニメ、マンガ、
ライトノベルの実際の作品や、その消費のされかたについて、何も
わかっていない。そもそもの「でじこ」が、匿名的に作られたということ
からして、大間違いだし。
「本当に、作家性は衰退しているの?」あるいは「作家性およびその衰退
とは何をもって定義するの?」
たとえば、現在、年間数千点のコミックが出ているわけだ。
その数千点の中の「作家性」は、個人的には元禄時代の一年より、よっぽど
増えていると思うわけだが。
そこんとこどーよ?
作家性なんてものクローズアップされたのがごく最近じゃないの?
衰退したのも。
>232
「見立て」や「趣向」って知ってる?
元になるストーリーに別のストーリーを重ねたり、元になるストーリーの
キャラ立ち位置やプロットと言った基本骨子をそのままに、設定だけ変え
たり、ということが、元禄時代には日常的にされており、それを言い表す
用語があったわけ。
これは「生産者によって順列組み合わせで作られて消費者の手によって
分解、再構築されるとかいう話」じゃないのかな。
ここ数年ループしっぱなしの話題で、
いつまでチャットしているですかおまいら。
>消費者の手によって分解、再構築されるとかいう話とは程遠い気がするよ。
う〜む、それもそうだ。
でも、例えば、移入された怪談は落語講談や巷談の類を通じて、
各種の話者によってリミックスやアレンジを加えられて、
滅茶苦茶変形して、中には現代まで生き残ってるのもあるんだよ。
そういう事を考えるとポモの証左としては、ちょっと弱い気もするんだな。
>>236 しろうとの復帰祝いだ。たまには見逃せや。
でもしろうとはもっちのところいってね♥
おながいします♥♥
>233
>そもそもの「でじこ」が、匿名的に作られたということからして、大間違いだし。
コゲどんぼのことを知った上で書いてるだろ。
消費者にとってはコゲなぞどうでもよい。
セカチューは読んでも片山の他の本は売れないし、片山誰それ?、みたいな反応が多い。
ハリポタも作者の名前すら知らないのが沢山。
作家が増えているのと作家性が増えているのとは別。
>239
読者が「作者買い」するのが、作家性なのか?
だったら、オタ系漫画は、作家買いするやつが多いから、作家性があふれ
てるな。
落ちようと思ったけどちょっといいですか
一つは、東の意図は近代のツリー図式に対して
データベース図式を提出する事にあるので、
前近代と似るかどうかは大きな問題ではないんですね、別に回帰でも構わない
二つめは、しかし似ているように見えても、
工学的な数量化・情報化が大きく効いているということ
昔も帳簿は付けてるでしょうが、それでも江戸時代の目利きと違って
ジャンプにおいてはアンケートという確率・統計装置=データベースが
連載を決定していて、編集者はシミュラークル的なんです、もちろんTVは視聴率
これを押さえないといけない
つまりだ
同人誌やオタク文化は元禄時代からあった、
っていうたぐいの歴史捏造がそもそもの混乱の原因なんだよ!!
いつまでもロマンに浸ってんな!!
江戸にオタクなんてねぇっ!!って気づくんだ、ネオ!!
似てるものみつけてオタク発見とかやっててもしょうがないじゃん。
えーとツリーに対応するのはリゾームで
データベースは物語に対応のはず
主旨とは関係ないですが
まったく新しい、これまでになかったもんだっつーロマン主義もな。
なぜ、気づかない。
>241
東の「ツリーからデータベース型」というのは、だから、言葉を言い換えた
だけの、何も新しくない陳腐な理屈だと言っている。
昔より今のほうがマーケティングが細かくなっているね、というのは同意
するが、だからって、漫画とTVの全てが視聴率とアンケートでできている
わけじゃない。
マイナーな漫画、番組で、妙で面白い、独自な作品は、山ほどある。
そして、アンケート至上主義の最高峰であるジャンプ漫画は、
「萌え要素の順列組み合わせだけでできた作家性のない作品」か?
俺にはそうは思えない。
例えば「ボボボーボ・ボーボボ」を、データベースに回収してみるがいい。
あるいは富樫の「ハンター×ハンター」に作家性が無いとでも?
>>242 少なくともアメリカが挟まってる、というのが東の主張ですね
>>243 シミュラークルとデータベースの二層構造も近代のツリー図式に対比されています
小さな物語(シミュラークル)と大きな非物語(データベース)はセットです
近代 ポストモダン
ツリー図式 ←→ リゾーム図式
データベース図式(東)
いい加減本当に落ちます
岡田の歴史回帰もそりゃ困ったモンだが、東一派のアメリカ還元説も眉唾物だよ。
これは同じ物の裏返しの表現でしかないですよ?
富樫じゃなくて冨樫な。
冨樫のハンターハンターはネーム原稿で有名だけど
ものすごいデータベース的だぞ。念能力。
大量のキャラとそのキャラの念能力示しただけであとは読者がかってに遊んでください。
漫画自体はほとんど中学生の落書き。でも大人気でコミック売れまくり。
漫画版でのスレッド数くそスレ数もぶっちぎり。
そしてストーリーも世界観もまったく一貫性なし。
突然ゲームの世界に入って遊戯王的カードゲームバトルとか
すごいパッチワーク。まじで世界なしでキャラのみ漫画だよあれは。
普通に見たらふざけてるとしか思えんもん。
今はなんかホラーな趣味でまくって人気下降気味か?
荒木から冨樫へ・・・っていうのはすごくジャンプの作家性の凋落を示してると思う。
>248
「ハンター×ハンター」は、ストーリーもキャラもプロットも、売れ線を
持ってきてるし、狙っているという意味で、データベース的だよ。
でも、あの漫画を、誰か他の作者の漫画と間違えるかといえば、絶対に
ないし、冨樫以外に、あのネームが描けるかといえば、それも無理だ。
まぁ、冨樫が嫌いなら、別に荒木飛呂彦でも何でもいいんだけど、アン
ケート至上主義のジャンプの中から、そうした作品が出てくる、という
のは、「マーケティングで作家性が後退した」というのに対する反証だ、
ということだ。
>240
作家に反応している?
オタが作家の主体を読み込んでいると?
しかしナンセンスマンガとストーリーマンガの比重は時代によって簡単に推移する品。
萌えマンガ雑誌化が懸念?されたチャンピオン、最近読んだらまたヤンキーマンガが盛り返してた。
253 :
考える名無しさん:04/09/26 00:13:28
ボボボーボ・ボーボボもマジで意味を超えた確率的な不条理しかないぞ。
ほとんど2コマに1回くらいでわけわからんボケと突っ込み。
毎回そのテンションのまま始まってそのテンションのまま終り。
物語りも起承転結もまったくなし。
ちょっとギャグマンガにしてもこの確率的にとられる笑い?というか不条理の洪水はすごいぞ。
それしかないもんなマジで
ツリー図式 ←→ リゾーム図式
物語 ←→ データベース
えーとふつうにこれだろ。上下に対応はないので念のため。
>>252 萌えマンガはナンセンス漫画に区分されるのか。
…たしかにそうかもしれん? かな?
>245
> 例えば「ボボボーボ・ボーボボ」を、データベースに回収してみるがいい。
> あるいは富樫の「ハンター×ハンター」に作家性が無いとでも?
横レスだけど、この二作品に独創性という意味での「作家性」はないだろ。
方や「すごいよ!マサルさん」以降のジャンプ不条理ギャグの系譜に連なり
方やジャンプの王道マンガ(友情・努力・勝利)の系譜に連なってる。
特に富樫って「幽々白書」のときに自分のオリジナリティのなさ(何を描いても
それまでのマンガの引用のようでしかない)に一度ぶっ壊れてしまった人なのに
その人に向けて「作家性」とか言っちゃうのはなんだかなあ……。
257 :
考える名無しさん:04/09/26 00:20:55
>>256 んー、マサルさんの前に「王ロバ」。
ヘルズウォリャー魔王とかも。
あのね、冨樫は幽遊の初期を見れば分かるんだけど、
ガチガチな少年漫画に少女漫画的な「情緒」というか
センチメンタリズムと、それなりに動きのある恋愛関係を導入した作家なの。
あだち充は少女漫画そのものに近づいたのに対して
冨樫は少年漫画の文法を維持したのね。
その点では石森章太郎と魔法少女をミックスしたセーラームーンといっしょ。
結婚したし。
ついでに面白いのがナルト。
これも漫画内容が超奇抜なキャラの設定のみだけど漫画自体の形態が
なぜか完全にアニメの絵コンテ状態。
なんかアニメのタイムシートとかいうのが普通にあるらしい。
その代わり漫画的技法とかコマ割り超適当。凄まじくテンポ悪い。
その代わりアニメのクオリティがすごく高い。
漫画自体は結構不評を買ってるがメディアミックス的な強さが
ワンピースとかをはるかに凌ぐジャンプのエース。
>>256 だから冨樫だってば
>>257 冨樫は少女漫画じゃなくて気まぐれオレンジロードだろ
>>258 そうとも言うが、きまぐれオレンジロードも根は同じ。
「しろうと」ってどこかのBBSで見た「白いろ」と関係あるの?
荒木のジョジョが人間賛歌を主題に据えて
まさしく人間的な絵を描き、過剰な生命のエネルギーが
スタンドって言う能力の超特化を生み出したのに対し
ハンターハンターの表層的なキャラの絵と能力とシチュエーションの
順列組み合わせは動ポモちっくだと思うよ。すごく。
あれで絵を描く人が別の美麗絵師とかだったらもう完璧だね・・・
ファウストに乗るよ うそ
ナルトは忍空だってば。
メディアミックスで成功したところまでそっくり。
忍空自体は妙に作家性の強い変な漫画だった。
売る手法だけ残されたのは大人の事情。
忍空の作者はジャンプシステムで破壊されて病院送りになって終わったよな。
作者がコミックスとかですごく忍空のキャラを愛してる発言してただけに・・・
大人の社会の裏を見たみたいで怖かったよ。
冨樫義博は「レベルE」抜きには語れない
265 :
考える名無しさん:04/09/26 01:04:35
今夜はマンガやアニメイションが大好きな方達がお集まりのようだ。
江戸にこだわる香具師は、
今夜のジャンプ作家論議並みにディテールについて語れ。
ジャンプ作品において抜きに語れないのはパクリ論争じゃないか?
レベルEもパタリロだか夢野久作だかのパクリパクってものすごいぞ。
萌えデータベースとは違うパクリ元データベースみたいなのをみんなで
まとめて共有して冨樫氏ねとか岸本氏ねとか荒木市ねとか・・・・
オマージュとかパロディとか言うものとはまったく違う次元の、
まさしく動物的な感情で叩くためのパクリデータベース。
(実際の影響関係はどうでもいい ちょっと似てればパクリ認定)
こういうのはやっぱ漫画、ジャンプデータベースの蓄積とメディア環境の充実
が引き起こしてると思う。さすがに江戸にはないだろう
268 :
考える名無しさん:04/09/26 01:19:46
だからね。
そこなんだよ。
パクリパクリは2chの話だから。
オタキング周辺はネットの存在を大きく見ていないし、
そこについて深く考慮すべきとも思っていない。
せいぜい変人の集まりくらいにしか思ってないんじゃない?
結局、ネットを議論の焦点に入れるか入れないか、
そこがあずまんとの大きな違い。
>256
>横レスだけど、この二作品に独創性という意味での「作家性」はないだろ。
>方や「すごいよ!マサルさん」以降のジャンプ不条理ギャグの系譜に連なり
>方やジャンプの王道マンガ(友情・努力・勝利)の系譜に連なってる。
もちろん系譜はいくらでも語れるが、じゃぁ「マサルさん!」から要素抽出
して、「ボーボボ」が書けるか? 思いつくか?
澤井以外には無理だろ。
冨樫の場合、ブッ壊れた幽遊白書後期や、レベルEの毒を、友情・努力・
勝利の王道ストーリーと両立させたのは、彼の力だし、彼以外にはでき
そうもない。
そういう意味で、「独創的」だと思うけどな。
って別に岡田斗司夫の話しているわけじゃなかったな。
>267
知識の足りない厨房が、オマージュや引用の区別がつかずに、パクりだ
真似だ、と、騒ぐのは、それこそ昔からだと思うぞ。
そろそろデスノートについてなんか語ってください。
↓
273 :
考える名無しさん:04/09/26 01:25:27
なんかえらい板の雰囲気が変わったような気がするんですけど・・・
274 :
考える名無しさん:04/09/26 01:25:47
いつも疑問に思うのは、なんでオタクって、
こういう話題になると異常な熱を込めて語り始めるんだろう?
宗教系のノリ?が入ってる。
とりあえずスゲースレ伸びててびびったに一票。
>>275 まあ、冬ソナとセカチューにかんしては激しく同意。
しかしあずまんの立論を考えると、
ボーボボが超重要なのは事実だと思う。
奴はエミュによるレトロゲーム復活に相当寄与している。
エロゲプレイヤーよりは確実にコア。
データベースという点においても。
しかもあの30代向けギャグをガキに通用させているのがすごい。
>>274 私はなんでこういう話題になると「自分はおたくじゃない」と暗に主張したがる人が
出てくるのかがかねてより疑問だった。
280 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/26 01:30:57
物語消滅論ねぇ・・・いまさらオタクのないしなあ・・・
ジャンプはファウスト作家との共犯関係も深いし
アンケート主義とかも含めて
動ポモ的に面白いね。
デスノート!!!
デスノートの絵を抽出してコラボして変な話作るのメチャクチャ流行ってんだよね。
原作よりそれが楽しみですと言う人も多い。
原作者と絵師も別れてるしすごく動ポモのギャルげー抽出に似てる。
あの物語と乖離してるようなオーバーかつ美麗な表情がすごく再構築の欲望そそられる。
内容もノートに名前書いた人が死ぬとか言う厨房アイデアで世界を相手に殺しまくって
新時代の神になるとか言い出す天才君と探偵の対決の象徴界ゼロのセカイ系大量死ミステリー!
(FBIが少しでたが)
面白すぎですよ。
デスノートをセカイ系に区分するやつは信用できない、
と誰かが言っていたけど、本当に信用できないな。
ジャンプでデスノートみたいなミステリっぽい話をやるのってもしかして珍しい?
からくり人形草子 あやつり左近
あと、プロファイラーの草薙とかなんとかとか。
基本的に流行らないのは事実。
動物化するポストモダン
〜ジャンプ厨からみた日本社会〜
とかできそうじゃん。
できるなら東のオタク論のポストモダンにおける普遍性がちょっと説得力もつんでない?
急に静かなスッドレに戻ったな…。このスレっていつも大量にレスが付く時は数人がチャット状態
で回してんだよな。
>>267 >知識の足りない厨房が、オマージュや引用の区別がつかずに、パクりだ
>真似だ、と、騒ぐのは、それこそ昔からだと思うぞ。
知識が足りないんじゃなくて誰かの漫画の蓄積された記憶にちょっとでも似てるシーンがあれば
パクリ認定される。共有される記憶が多すぎる。
たとえば腕が銃に変形したら トライガンのパクリ パクリ作家市ね。
作家にもオマージュ意識なんてないし。
単純に読者の記憶とかぶらない設定なんてもう(ほとんど)ないだけ。
データベースを押さえつつ作家性を発揮って大変だね。
みんな壊れるわけですよ
>269
> もちろん系譜はいくらでも語れるが、じゃぁ「マサルさん!」から要素抽出
> して、「ボーボボ」が書けるか? 思いつくか?
> 澤井以外には無理だろ。
・・・あのな。
「『ボーボボ』と100パーセント全く同じものを澤井以外には描けない」ということを
「作家性」というなら、世界中の多くの人に「作家性」はあるよ。
ずまそんやポモの人、その他もろもろ哲学的な議論の中で「作家性」と
呼ばれてるものは、ようは一切「系譜が語れない」もののことなんだよ。
(「複製技術」の問題は敢えて省いてるのでつっこまんでくれ。>わかってる人)
新現実一号の大塚との対談でも、こげの評価を巡ってそのへんは語られてる。
意味も無く噛み付く前によくテクストを読めや。
ていうかだな、冨樫は俺も大好きなマンガ家だが
> 冨樫の場合、ブッ壊れた幽遊白書後期や、レベルEの毒を、友情・努力・
> 勝利の王道ストーリーと両立させたのは、彼の力だし、彼以外にはでき
> そうもない。
これは冨樫が「実力のあるマンガ家」である事実を指しているだけで「作家性」とは
全く関係ない。ていうか、冨樫ファンだからこそお前の盲目的な持ち上げぶりに
我慢ならん。オリジナリティのなさに苦闘してたマンガ家に対して、盲目的に作家性を
賞揚したところで、自分がその作者よりもマンガを数読んでませんと言ってるに等しい。
渋谷系を「オシャレ音楽」だと思ってたバカを思い出したわ。
まあ、確かに冨樫をみんなでよってたかって作家性とかいってちやほやする状況はよくないね。
すごい特別待遇だもんな・・・
でも怒りすぎだと思うよ。
>>288
>>288 ラス一行の怒りは、そのまま288もバカに引きずり込むよ
>288
>ずまそんやポモの人、その他もろもろ哲学的な議論の中で「作家性」と
>呼ばれてるものは、ようは一切「系譜が語れない」もののことなんだよ。
元々、「江戸時代の作品だってデータベース的じゃん。要素の順列組み合わせ
じゃん。動ポモ変じゃん」って話をしてたわけな。
それに対して、しろうとが、「江戸時代と現代の違いは、現代のほうが
作家性が後退している」と言い出したことなわけな。
288の定義を採用するなら、江戸時代の読み本とか歌舞伎とかそのへんは、
パターンの繰り返しが多く、元ネタも存在したわけだから、「作家性」は
存在しなかったことになるな。
そうすると、しろうとの主張は成立しなくなる。そういうことだ。
江戸時代じゃなくて近代と比べて・・・でしょ。
江戸への回帰でも別にいいっていってたじゃん
>288
系譜を語れないこと、分類不能なことを「オリジナリティ」というのなら、
冨樫の漫画は、その路線にはない。
「ハンター×ハンター」は、本人の作品を含む、様々な作品の良いところを
丹念に集めて、念入りに構成し、自分の情念を込め、部分の総和以上の
ものに組み上げたところにその価値がある。
ただ、そういう実力こそが、本来の意味での「作家性」だと思うんだけどね。
>292
大衆娯楽というのは、明治の立川文庫も大正浪漫も昭和の銀幕も、紅白も、
昼メロも、なにもかも、みんな、系譜があって記号性があって商業に
基づいた「作家性のない」作品なわけだが。
「近代」って、どれ?
押井守 宮崎パヤオ 大友さん ガンダムの人
>293
> ただ、そういう実力こそが、本来の意味での「作家性」だと思うんだけどね。
「本来の」って誰にとっての「本来」ですかw
・・とかいう無駄な煽りはさておき、動ポをめぐる議論をみると「作家性」という
言葉はつくづく誤解を生みやすい語だなと思うよ。
あずまんというよりかは、「作家性」という訳語を当てた人へのつっこみだけども。
authership?
>>296 新現実1号での大塚との対談で、こげどんぼに作家性を認めるか認めないかで2人が揉めた
のもその「作家性」なるものをどの水準に求めているかがすれ違ってるだけという感じだしな。
江戸時代は、引用している香具師と引用元が明示されていた。
より正確に言えば、人口も少なく、その中で文化を楽しめる人も限られたヒジョーに
狭い世界だったので、口に出さなくとも「誰々の何々を元にした何々をさらに誰々が
こういう風に読み替えたのね、ほほー」という話は通じた。
重要なのは、この過程の中で起源としての「作者」(オリジナルを生んだ香具師)と、
そこに新しい何かを加えた「作者」が意識されていること。
つまり、「オリジナルばかりが大量にあったから江戸時代は作家性が強い」じゃなくて
「起源を辿る作業(作家性を意識する作業)が容易にできたから作家性が強い」わけ。
言い換えれば、「作家性」という要素を巡るコミュニケーションが一望できた、と。
現代では、例えば萌える絵が一枚あるとする。そこに描かれた記号の起源を辿っていく。
「ほうほうメイドか、メイドといえば黒猫館だが、このフリルの表現はむしろぴあキャロに
近い感じでとなると323の影響下にある絵師のようだが、しかしむしろ全体的なタッチは
323の影響下にある飛鳥ぴょんに近いような気もするがしかしこの触覚は水無月くさい
ようでだがそもそも水無月じたいが伊藤老師の影響下にあるので〜」といったように
なって、参照項が多すぎて起源としての「作者」はよくわからないし、誰がどうやって
新しい要素を加えたかも参照項が多すぎて追えない。
つまり「作家性」をめぐるコミュニケーションが一望できない(一望できた気がしない)。
これをもって「現代は過去の時代より作家性が弱まっている」というわけ。
わぁ
オタクの人だ
サインもらっちゃおうかなぁ
厳密に作家性が成り立つのは近代の芸術についてだろう。
正直、江戸時代の文芸を芸術と呼ぶのはためらわれる。
ずまそんの議論は、オタだけじゃなく、
芸術家の作家性も変化したかどうか、検証が必要なのでは。
>299
>現代では、例えば萌える絵が一枚あるとする。そこに描かれた記号の起源を
>辿っていく。
それは、時代の差じゃなくて、明確な参照項を持つものと、起源を辿れない
ほど一般的な記号を、ごっちゃにしているだけだろ。
「メイド」という記号は広すぎて、そもそも明確な起源は存在しないわけだ。
絵柄についても、ファジーなもので、誰かの影響下にある、とは言えるが、
たいていの場合、完全に特定できるものでもない。
江戸時代であっても、読み本の元ネタなら、元ネタとして理解されただろ
うが、浮世絵のモチーフや絵柄の中には、一般的すぎて、当時の人が起源を
押さえられないものはたくさんあっただろう。
逆に、今のオタク分野だって、作り手と受け手が100%分かり合ってる
ネタ、パロディの表現が存在する。ケロロ軍曹見て、ガンダムネタに
笑う時、「作家性」をめぐるコミュニケーションは成立してる。
さすがにもう下火だな・・・
今度動ポモ論争わいたら
【サヨウナラ】東浩紀スレッド38【hitomisiring】
を最初から読んで各自判断せよ!!でいいな
みんなも覚えとこうな
ちなみに、第一世代オタとあずまんの論争もこう捉えるとわかりやすい。
第一世代・第二世代オタクにとってオタク的な文物というのは全て見通せる(ように
思える)ものだった(岡田の「ハヤカワ文庫は出た順番で全部読んでいった」発言とかに
顕著)が、第三世代オタクは先行世代の蓄積があまりの膨大で見通せないし、見通そう
ともあまり思わない。
しかし、それではまったく引用めいたことをしないのかといえばそうではなく、目に入った
範囲や手の届いた範囲である程度の文脈を作って適当に組み合わせてみせる。
たとえば、ロリぷに系の絵を描く人がいる。しかしその人はKeyのゲームをやってない。
Keyのゲームに影響を受けた絵師がお絵かき掲示板で描いていた二次創作の影響を
受けてロリぷに絵を描くようになった。このとき、何か絵の「文脈」は存在しているが
「引用」という感覚は存在していない。
監視社会論とか、哲学史的な文脈とかを意識しないで、オタク論として動ポを整理すると
こういうことなんじゃないかと。
あとはしろうとさんが起きて全レス返しして終了だな
おつかれさま・・・
>305
どの世代も、年喰うと、下の世代に、「おまえは歴史を知らん」って言う
んだよ。
そんだけのことだよ。
>たとえば、ロリぷに系の絵を描く人がいる。しかしその人はKeyのゲームをやってない。
70年代なら、あらゆる漫画家、そして読者が、その絵の起源を言えたのか?
というと、そうでもあるまい。
絵柄でもなんでもそうだが、一般化すれば拡散し、起源が意識されなくなる
のは、当時も同じだろ。
例えば、少女漫画で、バックに花背負うのの起源が誰だか言えるか?
目のきらきら星の起源は?
そうした記号を、特定の作者への引用意識を持たずに、「少女漫画だから
そういうものだ」と思いこんで、なんとなく使った漫画家、漫画家志望者は、
オタク第一世代の時代に、山ほどいたはずだぞ。
もう終りなんだよこの話は・・・
>307
> どの世代も、年喰うと、下の世代に、「おまえは歴史を知らん」って言う
> んだよ。
> そんだけのことだよ。
そうです。それだけのことですよ。
なのに岡田とか唐沢って「歴史を共有してないやつは『真の』オタクではない」とか
いうわけでしょう?
> 70年代なら、あらゆる漫画家、そして読者が、その絵の起源を言えたのか?
> というと、そうでもあるまい。
>
> 絵柄でもなんでもそうだが、一般化すれば拡散し、起源が意識されなくなる
> のは、当時も同じだろ。
あなたが何歳の人か知らないけれど、実際にオタクたちというのはそういうことを
やってきたんでしょ。
「少女マンガで下睫を描かなくなったのは手塚の『リボンの騎士』からだ」とか。
(これって逆か?忘れた)
というよりも、あなたは『オタク学入門』を読んだことがあるのだろうか。
絵柄ではないけれど、あれには、SFネタの起源を辿ったかなり詳細なマップがあるの
だけれども。
最近の人はおじいちゃん世代に比べてあんまり歴史に興味がない
終 了
>303
繰り返されてきた話だけど、作家性は「強かった」「弱まった」であって、
「消滅した」「残っている」といった議論ではない。
『ケロロ軍曹』は大好きで俺も観てるがw
しかし、「作家性を巡るコミュニケーションは全然弱まっていない」と言えるほど
『ケロロ軍曹』みたいな明示的引用による笑いをやっているマンガ・アニメは
今多いだろうか。そして、それを楽しんでいる層は多いだろうか。
ジャンプで『スピンちゃん』とかが瞬殺された今、昔ながらのパロディで笑っている
層は若年層にそんなにいないような気がするんだが。
>310
>なのに岡田とか唐沢って「歴史を共有してないやつは『真の』オタクではない」とか
>いうわけでしょう?
なのに東は、「現代のオタクは、「昔と違って」歴史を共有しなくなった」
というわけだろう?
岡田と唐沢は、どうでもいいです。
>あなたが何歳の人か知らないけれど、実際にオタクたちというのはそういうことを
>やってきたんでしょ。
オタクは元ネタ探しが好きだからさ、系譜づくりは、いつの時代でも
されてたさ。
でも第一世代オタがの全部が、少女漫画の絵柄の変遷を理解し、歴史的に
位置づけてるかというと、そんなわきゃない。
起源のわからない記号が、引用意識なしで使い回されることは、いつの
時代でもある。
>絵柄ではないけれど、あれには、SFネタの起源を辿ったかなり詳細なマップがあるの
>だけれども。
読んでるよ。
で、今のオタだって、299みたいに、メイドを語る時に「黒猫館」まで遡り、
いたる絵、みつみ絵の影響系譜を語るやつがいるわけだろ?
だから、そのへんは、東の言うような「断絶」やら「時代変化」やらとは
関係ないんじゃない? という話。
>312
強まった、弱まった、という議論をするなら、別に、昔は、ケロロみたいな
漫画が多かった、なんてことはない。
明示的なパロディをやるギャグ漫画の比率は、今も昔も似たようなもの
だろ。
「作家性」にパロディを上げたのは極端な例で、もっと一般的な、
「作者性を巡るコミュニケーション」は、「ジャンルのお約束」という
ことになる。
これ自体は、現在も、いろいろな作品で健在だと思うが。
315 :
考える名無しさん:04/09/26 04:59:45
>>307 おげー。
少なくとも花についてはフラワームーブメント
っちゅう背後関係があるわけで。
引用および原典への意識あるなしに関わらず、
(漫画以外の)文化として自覚された模倣行為だったはず。
あのころの漫画描きって、けっこうオシャレさん。
あとねえ、ケロロ軍曹はアニメ化して「ファミリー向けに」作られたのね。
これってかなり変な話で、明示的な引用をするような漫画が
明示的な引用を理解できないような子供世代に向けて発信され、
そして楽しまれているわけ。実はこれDr.スランプなんかでも起こっていたんだけど。
子供はガンダムは理解してもさすがにゴレンジャーストームは知らない。
ギャバンも知らねえよ。この置いてけぼり加減はDr.スランプより酷くなっている。
しかし、アニメスタッフは躊躇せず、「ファミリー向けとして」それを再現する。
これって逆に引用意識が混乱しているってことじゃない?
いや、どっちも、そう思わないならそうでもいいけどさ。
>313
> なのに東は、「現代のオタクは、「昔と違って」歴史を共有しなくなった」
> というわけだろう?
岡田は『オタク学入門』という本を書いて(ネタかどうかは置く)「オタクってのは
こういう歴史(前提)を共有してるやつらなんだ」と表現しました。
ところが現にギャルゲーユーザーやアニメファンに歴史を共有していない人がいます。
この現状をみて「歴史を共有してないやつは『真の』オタクではない」ということと
「現代のオタクは、「昔と違って」歴史を共有しなくなった」ということ。
前者はイデオロギー(『真の』オタク)に基づく差別で、後者は事実確認ですがな。
何をもってあなたがそう返したのかわかりかねる。
> でも第一世代オタがの全部が、少女漫画の絵柄の変遷を理解し、歴史的に
> 位置づけてるかというと、そんなわきゃない。
> 起源のわからない記号が、引用意識なしで使い回されることは、いつの
> 時代でもある。
だから、作家性の意識の「強弱」が問題で「有無」ではないのだと。
「全部が位置付けてる」ことはないが、具体的に第一世代オタクたちは絵柄の
系譜・ストーリーの系譜を具体名挙げて遡っていたでしょうが。
唐沢の美少女本とか読んでないの?
というか、あなたの発言はあずまん批判のために第一世代オタクも貶めている
わけだが。第一世代オタクたちの書いてきたものや発言も全くいい加減だと
いいたいわけですか?それならあまりのラディカルさに逆に敬服しますけど。
> で、今のオタだって、299みたいに、メイドを語る時に「黒猫館」まで遡り、
> いたる絵、みつみ絵の影響系譜を語るやつがいるわけだろ?
影響・系譜を語ったところで、強い同意が得られない(広く共有可能な「起源」まで
遡れない)と言っているわけでしょう、299は。
>>312 スピンちゃんってまた・・・
来週のジャンプにその人の新作載るよ
>>313 歴史なんて連続的にも断続的にもどうとでも取れるよ。
エヴァとそれ以降の萌え消費からエヴァ以前の作品との
大きい違いを見つけたって別に不自然じゃない。
実際唐沢とかエヴァについていけていないし語れてるとも思えない。
エヴァ以降はキャラのグッズやイラスト消費が多くなって
キャラ自体のデータベースもやたらそろいまくった(シスプリとか)
キャラデータベースの元ネタに興味はなく単に萌えるので消費しちゃう。
そういうあまりにあからさまで純朴な感覚が旧オタには
よくわからず拒否反応を示す場合もたま〜にある。
ただそんだけの話だよね。
>315
ガキの出すピースサインも、フラワーチルドレン起源だが、意識してた
ガキが何人いた?
少女漫画の花が、フラワームーブメント起源というのは知らなかったので、
典拠求む。
で、当時の漫画家、読者の全員が「自覚した模倣」をしてたわけじゃない
だろ。ベルバラ読んでた中高生が、みんなベトナムを知ってたわけじゃ
ないだろう。
ケロロ軍曹は、「ファミリー向け」だ。つまり、小さい子供と同時に、
オタクおよび親にも受けようっていう戦略だろう。うまくいったかどうかは
別として、引用意識が混乱してるわけじゃないと思うが。
>>314 ずまそん擁護をしている香具師の方が
あんたより第一世代オタの生態に詳しいな。
つうか、
> 明示的なパロディをやるギャグ漫画の比率は、今も昔も似たようなもの
> だろ。
寝言言うな。
80年代の鬼のようなパロ文化を見てきた身からすると
最近のパロディとかいってヌルすぎる。
ガイナのトップとか思い出せばわかるだろうけど、ああいう
いちいち元ネタの名前を挙げない、でもわかる奴が観れば
一発でわかるように構図とタイミングを決めた高尚な遊び、
それが第一世代オタクのパロディ遊び。そういうのを今では
想像もつかないほど大量にやっていたのが80年代。
いまそういう高尚なことをやっている作り手とわかる受け手が
どれだけいるというのか。
>316
>前者はイデオロギー(『真の』オタク)に基づく差別で、後者は事実確認ですがな。
>何をもってあなたがそう返したのかわかりかねる。
いやだから、岡田のプロパガンダはともかく、一般的なオタク(ジャンル
消費者)は、知的エリートでもなんでもないんだから、歴史を知らない
オタクは、昔っからいたということ。
だから、「現代のオタクは、「昔と違って」歴史を共有しなくなった」という
のは、事実確認じゃない。
事実は、「昔も今も、歴史を共有しないオタクはいた」ということになるはず。
>というか、あなたの発言はあずまん批判のために第一世代オタクも貶めている
>わけだが。第一世代オタクたちの書いてきたものや発言も全くいい加減だと
>いいたいわけですか?それならあまりのラディカルさに逆に敬服しますけど。
東は、社会変化について語っているわけだから、一握りのプロとかじゃなく
て、漫画やアニメの消費のされ方の変化について語ってるわけだよな?
そういう意味での「第一世代オタク」(60〜70年代のアニメ・漫画
消費者)は、別に全員が、唐沢・岡田並の知識・蘊蓄・調査力・コネを
持ってない、というのは言うまでもないな?
当時のオタクに博識の人がいた。それを言うなら、今のオタクにも博識の
人がいて、何年後かに研究本を出すかもしれない。それだけのことだ。
>影響・系譜を語ったところで、強い同意が得られない(広く共有可能な「起源」まで
>遡れない)と言っているわけでしょう、299は。
だから、昔だから遡れたわけじゃないし、今だから遡れないわけでもない。
相対的に昔のほうが遡れた、という主張も根拠がない、という話。
そうでないオタクもいたって
じゃ オタクって何なのさ・・・・
もうこういうオタク定義論争は終わらんし意味ないよ
>321
あずまんは、社会がポストモダン化し、それによって、オタクも変化し、
作品の消費のされ方が違ってきた、と言ってるわけだ。
1960〜70年代の、アニメ作品の消費の一般的な消費のされ方の例に、
オタキング岡田を持ってくるのは、変だろ、という話。
引用でもパロディでもいいけど、なんか話がごちゃごちゃになってないか。
せめて生産者(作り手)と消費者(受け手)は分けて考えたほうが
いいと思われ。
(両方兼ねている人間がいるとは言え、とりあえずそうしないと
分析も何も出来たもんじゃない)
例えば、
【生産者】
1.引用する場合
A.意識して引用する場合
a.特定の作品を意識している場合
b.特定の作品を意識していない場合
B.意識しないで引用する場合
2.引用しない場合
【消費者】
1.引用を認識する場合
2.引用を認識しない場合
とっさの思いつきなんで大ざっぱな区分けだけど、
「自分はどの局面のどのケースについて話しているのか」を
意識しながら話さないと、話がすれ違うばっかりだと思う。
ポストモダン化ってごくごく最近のことじゃないの
あずまん的には
>319
「80年代のパロディ文化」というと範囲が広すぎてわからん。
「アニメにおける構図の暗示的なオマージュ」ということなら、確かに
減ったね。アニメの製作本数が増えて、細かく作り込む余裕がなくなり、
そういう文化が途絶えたということだと思う。
「GA」とかは、明示的、暗示的なパロをよくやってるけどね。
それはそれとして、80年代の「明示的なパロディをやるギャグ漫画」って
どんなのを想定してる?
>325
> それはそれとして、80年代の「明示的なパロディをやるギャグ漫画」って
横レスだが、がきデカ、マカロニ、あーる、島本作品、ファンロード投稿、ガイナのアニメ
とかそんなとこじゃねーの?
> 減ったね。アニメの製作本数が増えて、細かく作り込む余裕がなくなり、
> そういう文化が途絶えたということだと思う。
こりゃー違うんじゃね?余裕アリアリのOVAとかでもすくねーもん、構図パロって。
今石洋之はたまに金田作画のパロとかやってるけどさー。
それくらいしかしらねー。
>320
うわ、正直絶望する。
アンタの存在こそオタクの歴史が忘却されてることの証明だわな。
> そういう意味での「第一世代オタク」(60〜70年代のアニメ・漫画
> 消費者)は、別に全員が、唐沢・岡田並の知識・蘊蓄・調査力・コネを
> 持ってない、というのは言うまでもないな?
「言うまでもな」くないよ。岡田唐沢クラスの奴がゴロゴロいたんだよ。
アニドウとか知らんの?というより当時のアニ研(大概SF研という名
なんだがw)の空気を知らんの?
岡田の本にかかれていることは、知的意匠をこらしてよくまとめては
あるなとは思ったけど、基本的に同世代のオタクとしては常識的な
ことばかりだよ。
>327
>「言うまでもな」くないよ。岡田唐沢クラスの奴がゴロゴロいたんだよ。
>アニドウとか知らんの?というより当時のアニ研(大概SF研という名
>なんだがw)の空気を知らんの?
繰り返すが、当時の消費者の平均的スタイルの話をしている。
SF研、アニ研等の濃い人間を中心に「オタク」を定義することは可能
だけど、それは、東の議論とは外れないか、という話だ。
DVDもなく、ビデオテープも高かった頃、(例えば)アニメファンの
真剣味が今より大きかったのは確かだが、逆に言えば、それは、ジャンルの
黎明期はコアなマニアから始まる、というだけの話でしかない。
SF黎明期にコアなSFファンがいて、アニメ黎明期に、コアなアニメ
ファンがいて、ゲーム黎明期にコアなゲームファンがいたわけだ。
単純に「世代」やら「ポストモダン」やらで、それを区切れるのか?
という疑問なわけだが。
>こりゃー違うんじゃね?余裕アリアリのOVAとかでもすくねーもん、
>構図パロって。
OVAだからって、余裕持って作れてるアニメなんて、最近、ほとんど、
ないぞ?
>328
> 繰り返すが、当時の消費者の平均的スタイルの話をしている。
だから、「アニメやマンガを好き」=「濃いオタク」な時代だったんだよ。
十代になってアニメ観ているというのが変人扱い(今みたいな「キモイ趣味」という
切り分けすらされず、端的にエイリアンのように人間扱いされない)される時代
だったんだから。アニメやマンガに「薄い消費者」というのがありえないの。
んで、オタクと名指されるものが、「コアな知識を持った小集団」から「アニメや
ゲームに興味がある大集団」になりました。
まず、岡田や唐沢らオタク第一世代はこれを「最近、薄いオタクが増えたよね」
という形でしか認識していません(つまり、社会的な意味での「オタク」の位置が
把握できてません)が、オタクが拡散したのは、岡田や大塚の啓蒙作業の影響
と同時に、ビデオデッキやテレビの低価格化にともなう生活空間の個室化なんかも
影響しています(これの極めつけはネットの普及)。つまりオタクという集団の変化
には戦後日本の消費スタイルの問題も色濃く刻印されているわけです。
つまり、「世代」「ポストモダン」で(きっちりやれば)オタクを語ることは可能です。
別に他の語り口(コアなオタクが段々薄いオタクに拡散浸透しました〜とか)で
語ることも否定はできないけどね。てーかそういうオタク集団内部のイデオロギー闘争
としての理論を構築するのも悪くないんじゃん?発展的抑圧に繋がるかも知れんしw
自己レス
>>330 > つまり、「世代」「ポストモダン」で(きっちりやれば)オタクを語ることは可能です。
訂正
つまり、「世代」「ポストモダン」で(きっちりやれば)オタクを語ることは可能だし
そこから逆に現代社会の問題に分析をフィードバックさせることも可能です。
>330
>だから、「アニメやマンガを好き」=「濃いオタク」な時代だったんだよ。
アニメや漫画が好きなだけで、つまはじきにあった時代、それゆえに覚悟が
必要とされた時代ではあった。だが、だからといって、誰も彼もがアニメを
自作してバンダイに殴り込んだわけじゃあるまい?
自意識やコミュニティ意識は強かったかもしれないが、「オタク的知識、
行動力に優れている」とは限らないわけだよ。少なくとも、岡田・唐沢
レベルにね。
>330
>つまり、「世代」「ポストモダン」で(きっちりやれば)オタクを語ることは
>可能です。
東理論だと、その変化は、一方向の流れのはずなわけだよな。
でも、例えば、SFファンが一番濃いオタクを輩出したのは、アニメファンが
濃かったちょい前なわけだ。
つまり、SFファンが薄くなった頃、アニメファンは濃くなったわけだ。
他のジャンルにも、それぞれ、「一番濃かった時代」がある。
例えば、アーケードゲーマーのシューター、格ゲーマー、あるいは
コンシューマーゲームでRPGを超絶やりこみするようなオタク。
みんなそれぞれ最盛期が違う。
前述のアニメと漫画だって、「漫画を読むのがOKになった時代」と
「アニメを見るのがOKな時代」は、結構隔たりがある。
逆に、この先、何か新しいジャンルが生まれれば、そこに熱狂的なファン、
濃いマニアが生まれることだってあるだろう。
それをもって、単純に「オタク第一世代より第三世代のほうが薄い」とは
言えんじゃないか、という話なわけですよ。
>333
> 逆に、この先、何か新しいジャンルが生まれれば、そこに熱狂的なファン、
> 濃いマニアが生まれることだってあるだろう。
>
> それをもって、単純に「オタク第一世代より第三世代のほうが薄い」とは
> 言えんじゃないか、という話なわけですよ。
だから、「オタク第一世代より第三世代のほうが薄い」ということが言えない位
趣味領域は細分化されていってますよ、そういう個別の領域=「小さな物語」が
大量に発生していますよ、ってあずまん言ってるじゃん。
濃い薄いといった基準で語るのは、むしろ岡田・唐沢。
基本的に第一世代オタク(いわゆる「オタク」)のイメージがわかってないよ、アンタ。
オタクってのは、なんか一つのマニアなんじゃなくて、オタクにとって基礎教養とされる
複数の領域(アニメ・特撮・SF・etc・・・)について該博な知識を持つことを言うんだって。
統一的な視点というか。
動物化ってのは「統一的な視点をもちえない、もつことを欲望しない、欲求のみ」なことを
指すわけ。「新しいジャンルの濃いマニア」っていうのは、統一的な欲望を持っているように
当人は思い込んでいる(一見統一への欲望を持つようにみえる)けれども、その「新しい
ジャンル」以外にも世界は存在するのにそこに欲望が向かっていかず(統一を欲望しない)一つのジャンル内での統一的な視点らしきもので満足するという極めて動物的な存在と
言ってもいい。
>332
> 自意識やコミュニティ意識は強かったかもしれないが、「オタク的知識、
> 行動力に優れている」とは限らないわけだよ。少なくとも、岡田・唐沢
> レベルにね。
バンダイに殴りこんだという商才のレベルでたしかに岡田には到らなかった
かもしれんけど、唐沢レベルで批評同人やってたやつは山ほどいたんだっつーの。
しかも、そいつらはちゃんとのちのち業界入ってアニメ作ったりしてんの。
唐沢ってのはぎりぎりのアグレッシブさに欠けてアニメの作り手に回らなかった
(物書きやイベンターとしてはいい仕事してるけども)から今のような「業界のご意見番」
みたいな位置をキープできたといえなくもない。
>334
>だから、「オタク第一世代より第三世代のほうが薄い」ということが言えない位
>趣味領域は細分化されていってますよ、そういう個別の領域=「小さな物語」が
>大量に発生していますよ、ってあずまん言ってるじゃん。
第一世代は歴史で第二世代は設定で第三世代はデータベース(=第三世代は
歴史観念がない)と、はっきり言ってると思うが?
>基本的に第一世代オタク(いわゆる「オタク」)のイメージがわかってないよ、アンタ。
それは「オタクのイメージ」「オタクの理想像」であって、みんながみんな
「オタク学入門」みたいなオタクだったわけじゃないぞ。
アニメファンの皆が皆、SF読んで特撮見てあらゆる漫画雑誌をチェック
してたわけじゃない。
SFとかよくわかんなくて、アニメだけ見てた人間も、アニメを毛嫌いする
SFマニアもいた。
それを「オタクじゃない」と定義するなら別に構わない。ここで言ってる
のは、東の論に反してそういう消費者が昔からいた、という話だ。
「新しいジャンルの濃いマニア」が、動物的だ、というのなら、そういう
動物的な存在は、ポストモダンになって急に現れたわけではなく、昔から
いたという話だ。
逆に、今だって、SF読んでアニメ見てラノベ読んでエロゲやって特撮見て、
その全てに、統一的な欲望を持ってるオタクも、普通に存在するぞ。
>335
つまり、335の提唱するオタクは、「あらゆるジャンルを統一的な視点で
受容しつつ、作り手に回るパワーを持つ人間」なわけだな。
そういう人間が、アニメ消費者の中の一握りだ、ということは、わかるかな?
335の定義に従うなら、アニメの消費者の中で、「オタク」(そこまでの
オタク)は少数派なわけ。
逆に言うと、そういう人間は、どんな時代にも常にいる。
OK?
>337
> 335の定義に従うなら、アニメの消費者の中で、「オタク」(そこまでの
> オタク)は少数派なわけ。
ここに関しちゃまるっきり平行線だよ。っていうか、そういう少数派が
アニメの消費者「だった」んだっての。あとはアニメの消費者といったら
子供だったんだよ。
> つまり、335の提唱するオタクは、「あらゆるジャンルを統一的な視点で
> 受容しつつ、作り手に回るパワーを持つ人間」なわけだな。
「あらゆるジャンルを統一的な視点で受容しつつ、作り手に回る『こともできる』
パワーを持つ人間」だよ。回るかどうかは関係ない(実際、唐沢ってそういう奴だ)。
> 逆に言うと、そういう人間は、どんな時代にも常にいる。
いねえって。つうか今放送されている大量のアニメを全部観て、総プレイ60時間
以上かかるゲームを何本もクリアし、ライトノベルやらジャンル小説の動向にも
目を配り、毎月出る数十冊以上のマンガ全てに目を通す、そんなことをやれてる
奴がいたらお目にかかりたいね。
つうかだな、動ポの批判者は「小さな物語」について触れたところを読んでなさすぎる。
> 第一世代は歴史で第二世代は設定で第三世代はデータベース(=第三世代は
> 歴史観念がない)と、はっきり言ってると思うが?
「歴史」とは何か?それは「全体を見通し語る統一的視座」だよ。ヘーゲル経由で
「歴史」って言ってんだし。たんなるトリヴィアルな知識の集合のことではない。
「小さな物語」として個別ジャンルにおいて語られるものは「薀蓄」であって上記の
意味での「歴史」ではない。
誤読はさせる方にもそれなりに問題があるとは思うが、それにしても
はてなの望月といいこのスレの香具師といい批判のための批判しすぎ。
ていうか、このスレでずまそん批判をしてる香具師(一名・多分)は手元に動ポが
あるならいちど読み返しなさい。最低でも「小さな物語」のところは嫁。
引用の意識
と
メタレベル思考
と
シニシズム
消費者製作者においての、これらの有無をもうちょっと前提にして考えないと困る。
結 論
「 み ん な 動 ポ モ を ちゃ ん と 読 も う 。 」
てゆうか、岡田とか唐沢とか(東もそうだけど)、評論家の個性を
それが属する世代(←これがそもそもフィクショナルなわけだが)全般に無媒介に敷衍するのは
まったく意味無いよ。
そゆのは個人的怨恨が論の形をとっているように見えているだけ。
美少女ゲーム解説本とか読めば相変わらず原点探しをやってるし、
あずまんも「雫中心史観」で歴史語りしてる。
最近の若い奴は昔を知らん、と嘆く先行世代のオタと
自らの歴史語り(東の世代論もその変形といえないこともない)をはじめた最近のオタ。
そこに差は有るのか無いか、というと、正直微妙すぎて難しいです罠。
もっちい?
「あらゆる時代のオタは同じ」と思う人は、
歴史記述に於ける「理念史」の意義が絶対にわからないっぽい。
夫馬厨の精神的同類みたいの多い・・・と、書くのも飽きたくらい。
∀ガンダムスレッドのサルの同類がいるな
性格が歪んだオタには共通点が多い
こういうのは時代を超えて現れそうだな
人は結局自分の視野の内でしか語れない。それは絶望かもしれんが、出発点だ。
東っちがオタ界に広く知られるようになったのは「庵野はいかにして80年代アニメを終わらせたか」という
エバ評論ですが、エヴァがリミックスし、デコンストラクションしよ〜と目指したのは80年代アニメだけでなく、
むしろそれ以前のデビルマン、ゲッターロボ等のテレビマンガ、特撮・SF映画、庵野自身数十回見たという
戦争映画のほうがメインだね。
案のは自我形成期から自分が接してきたメディア全般、いうならば案の的戦後史に対しての賞賛と不信とを
叩きつけたのだが、東はそれを見事にオタ世代論のプチ歴史観に矮小しちまった。
まあ東によってポモ論全体がオタクの世代間抗争に貶められたという、その後の萌芽がここに見られると
思ったりするわけですが。
ここから評論家の資質や理念を「無媒介に敷衍」すれのであれば(それは理念の変遷を追求するのとは全く違う)、
いまどきのオタク世代に関して、なんぼでも言えるよ。言わないけどな。
まあなんにしろずっと上のほうで誰か言ってるけど、歴史語りをはじめてとした超越性への欲求が、
動物的大衆からはキレイに雲散霧消している、という説明は無理だね。
その傾向が、全体としてうっすらあるのは確かだが(モダン〜ポストモダンという大きな流れ)、
オタクのような特定消費層の10〜20年といった世代的変遷のなかで語ろうとするのは、無理。
例外例が多すぎし、タイムスパンが短すぎる。
ここまでの議論で言えるのはせいぜい、
「市場規模が拡大して見通しが悪くなりました。けど見通そうとする香具師はまだまだイパーイいます」
くらいじゃないかな。
なんか面白いことになってるな
みおなさん本当にお疲れ様でしたー・・・
きっとあずまんも興味深く読んでくれてると思うよ
うん
誰か波状のお礼として131くらいからのレスをまとめて東君に送って
メーラーをパンクさせて下さい。
>>350 > 誰か波状のお礼として131くらいからのレスをまとめて東君に送って
> メーラーをパンクさせて下さい。
ついでに、hitomisiriing 追放のいきさつも聞いてくれ。
>337
>ここに関しちゃまるっきり平行線だよ。っていうか、そういう少数派が
>アニメの消費者「だった」んだっての。あとはアニメの消費者といったら
>子供だったんだよ。
例えば、アニメの「あしたのジョー」は視聴率30%いったらしいが、
あれを見た3000万人の人間の内、子供を除いた人間全員……最低
10万人程度の大人の全員が、「あらゆるジャンルを統一的な視点で受容し
つつ、作り手に回る『こともできる』パワーを持つ人間」だったと
言いたいわけ?
ぶっちゃけありえな〜い。
>> 逆に言うと、そういう人間は、どんな時代にも常にいる。
>いねえって。つうか今放送されている大量のアニメを全部観て、総プレイ60時間
>以上かかるゲームを何本もクリアし、ライトノベルやらジャンル小説の動向にも
>目を配り、毎月出る数十冊以上のマンガ全てに目を通す、そんなことをやれてる
>奴がいたらお目にかかりたいね。
登場してるオタアイテム全部に目を通すのは、無理だろうな。
だが、70年代だって、あらゆる資料を通すのは無理だった。
都会に住んでればアニメくらいならコンプリできただろうが、
原書SF読むのが教養だった時代に、原書含めたSF本、関連資料の
全部を集めるのは、まず不可能。
いたとして、アニメオタクの全員が全員、そんな超人だった、なんて
わけない、という主張は変わらない。
なんつーか、当時のアニメファンにもボンクラがいたよ〜というだけの
話なんだが、それが、そんなに理解したがいのかな。
子供除いたあしたのジョーの視聴者全員がオタクなんてありえなーい
ギャルげー好きならそれだけでオタク認定は可能だろうけど
単にあしたのジョーが好きな人をオタクとは言わないね
>>353 まず、オタクは濃い人間だけじゃない、
っていう批判については、とりわけ東浩紀だけが
矢面に立たされる問題じゃない。
それこそ「濃いオタク像」なんて岡田や唐沢が
率先して広めたイメージであって、
ほかにもいっぱいそういう話をした連中はいるはずだ。
そして今ここにも。
実を言うと「オタクは濃い人間だけだったはずはない」
という考え方に自分は同意するんだけど、
そのさいにはもう「オタク」というジャーゴンから離れる
べきだと思う。
「アニメーションは独特な表現です」
「コミックは独特な表現です」
「コンピュータゲームは独特な表現です」
「これらは互いに影響関係にあります」
と、各個撃破していけばいいだけの話で、
東浩紀やその他大勢を敵に回すこともない。
実際、コンピュータゲームを調査している人なんか
オタクとは別次元で歴史を洗っている人がいっぱいいる。
アニメ・コミックは妙に囲い込まれている気もするが、
別に正しいことを言えるなら気にすることはない。
放っておけ。
>オタクは濃い人間だけじゃない
濃い人間のことをオタクって言うんだけどね
普通は。
迂闊にオタクという言葉を使うべきではなかったのは同意。
>>352 > ついでに、hitomisiriing 追放のいきさつも聞いてくれ。
山田和正スレでも立ててくれ
オタクは「濃いオタク」ばかりではない、という発想そのものに断絶があるなあ。
アニメやゲーム、その他「オタク的」と呼ばれて来た文化(動ポ風に言えば
オタク系メディア)を研究するときにかならずしも「オタク」を参照項にする必要は無い。
そういう意味で、あずまんが「オタク」ではなく「オタク系メディア」の消費者を対象と
した立論をした(正確にはオタク系メディアの消費者の大半が以前よりもライトな
ユーザーになっていることを指摘した)ことは正しい。
しかし、そういう問題とは別に、「オタク」と名指されてきた人格類型の問題がある。
それこそ宮台の『サブカルチャー神話解体』でも読めばいいんだが。
そもそも「オタク」という人格類型は「濃い」人に対して名付けられたものなわけだ。
アニメやゲームが好きでも「オタク」ではない人というのは、当時からいた。
アニメやゲームに、特定のハマリ方をしている人を「オタク」と呼んだわけ。
分析的にオタクという概念を扱う際に「濃い」「薄い」という接頭辞をつけるのがわからんし
(岡田・唐沢が言うのは擬似階級闘争を生むための装置なので理解できる)
「オタクは『濃いオタク』ばかりではない」というのは、そういう蓄積を忘却しすぎだよ。
話しが逆転してないか?
類型化しようとするからこそ濃い人(極端例)に着目するのであって、
分布曲線の両側に広がっている裾野の層(薄い人)は、いつだって存在するよ。
極端例と一般例は共時的な対応であって、
時系列的には対応していない。
>361
それつっこみになってる?
・「オタク系メディアを受容する人」と「オタク」を分けることが大事
・(そもそもの意味での)オタクという言葉が指しているのは「濃い人」だった
というのが>360の話なんだが。
逆に、分布図で薄い人をわざわざ「オタク」として取り扱いたい人の気持ちが
わからない。
オタク系メディアの日本社会における受容形態の分析がしたいのか、
人格類型としての「オタク」集団の分析がしたいのかどっちなの?
>>362 え〜と、なんで気が付かないのかよくわからないんだが、
・先の世代に関しては極端例をとりあげて「オタク」と称し、
・一方あとの世代に関しては一般例を取り上げて「オタク系」と称する。
この両者を比較すると出てくるのは、世代的相違(時系列上の比較)ではなく
オタクとオタク系の比較(共時的)比較も含んでるだろ?
今も昔も、オタク(濃い人)もいれば、オタク系(薄い人)もいる、というだけの話しだろう。
つまりだ、時系列的比較をしたいのであれば
・昔の濃い人(オタク)といまの濃い人(オタク)
と
・昔の薄い人(オタク系)といまの薄い人(オタク系)
でなければ、公平な比較として成り立たないぞ、と。
364は訂正。これは共時的比較ですな。正しい時系列比較は、
・昔の濃い人(オタク)と昔の薄い人(オタク系)
と
・いまの濃い人(オタク)といまの薄い人(オタク系)
>>364 つまりやたらと作品の元ネタ調べたりする濃いオタクと呼ばれてる人が
第三世代にはほとんどいなくてもやたらと作品の元ネタ調べたりする濃いオタクを
第三世代に無理やり見つけ出して分析してやっぱり同じですね、オタクはいつの時代も、というわけか・・・
オタクの時系列比較になってないじゃん・・・
何を言ってるんだろ
なんかハマってる人がいるけど、一応答えておきます。
全然無理矢理でも何でもありません。例証はすでに挙げています。
反論したい場合はそれに答えてからにしよう。
裏モノ日記
私の斎藤環氏発言への批判に対し、「鼎談での斎藤環の発言への批判はどうかなと思う。
当時もサイレントマジョリティ であったろう、第一世代(つわもの揃いと思われがちな)の、
にもかかわらず薄いオ タクの実感の証言としてあの発言は受け取られるべきなのではないか」
と発言している。この発言者は1980年生まれということだが、少なくともオタク草創期である
1972年(発言中で言及されている『海のトリトン』の放映年)に おいて、
アニメオタクが“濃い、薄い”の差が別れるほど多数存在し、薄いオタクが
サイレント・マジョリティとして機能していたという、当時を知る者からすれば噴飯ものの状況把握
(たぶん、オタクでなくてもアニメ、ゲーム、マンガ等にいくらでも 接することのできる現状からの
憶測なんだろうが)を元に語っているわけだ。若いか ら無理もないとはいえ、この人には70年代における、
大学を受験する年齢になって アニメを見る、という行為の反社会性というものをイメージできるだけの
“歴覚”能 力に徹底して欠けているのである。
元ネタ探しなんてそこいら中でやってるじゃん。
ネギま!の元ネタ探しなんて凄かったぞ。
まったく流れとは関係ない話だが・・・・・・
波状言論って
某音楽誌SNO○ZERに似てるなあ。
タナソウ=東で
加藤=細野
ダイ=人見知り
みたいなカンジ。
で加藤もダイもいない今のスヌと細野も人見知りもいない今の波状は、
やっぱいくらかパワーダウンして見える。
オタクの定義がままならんのに統計とって濃いオタク薄いオタクは分布曲線の両側って・・・・
すごいな。何が濃くて薄いか自分で決めるしかないな。
あらゆるグッズ買いまくって萌えまくってるオタ消費者も元ネタ探ししてない時点で薄いオタだから
分析する価値無しか・・・
こりゃ
もっちだな
おいおい、おれはもっちじゃないし、
元ネタ探ししないからオタじゃない、と言い出しのは、366だぞ。
>あらゆるグッズ買いまくって萌えまくってるオタ消費者も元ネタ探ししてない
それはオタクではなく、オタク系なんだってさ。
>363
それは、母集団の数を同じだと考えるからでしょうが。
動ポの最初の部分を読み返してくれてもいいが、ずまそんの立論の最初は
「オタク系メディアを受容する層は社会を考える上で無視できない程いる」
とか言ってるはずなんだが。
これは岡田とかのオタク=少数エリート説の真逆、ようは「薄い」(この言葉には
色々問題があるがとりあえず使う)層が非常に増えて世間に「オタク」と名指される
集団のイメージ自体が変わりました、という話。
単純に「年齢」とか「時系列」で変わったという話ではないだろよ。そういう誤読は多いし
誤解される書き方をずまそんがしてないとは言わないが。
というか、なんかもはやわからんのだけど、要するにあなたは
「オタクってのは今も昔も変わらず濃い奴は濃い。若い奴を舐めんな」
とでもいいたいの?その批判をずまそんにぶつけるのはお門違いだと思うが。
前にもよくあった話な気がするが、そりゃ世の中どんなに変わろうと一定数の
変人・奇人は生まれるもの。確率的に。それをずまそんも否定はしてない。
鴉は黒いという命題は、一匹アルビノの鴉がいたからといってひっくり返らないのと同じ。
細野ってなんか仕事してたの?
日記とかキモクてみてらんないんだが。バカだし。
>>372 366のどこをどう読んでそうなる?
昔のオタクと同じ嗜好の人を現代に探してその現代オタクと昔のオタクの嗜好を
比べればオタク変化がわかるって・・・繰り返しじゃん、アホか
と書いてあるんだぞ。
せいぜ昔のタイプの唐沢的反社会オタクは減っているが萌えオタは腐るほど増加している
くらいしか言えんだろ、それなら
>>374 まず前半について。
母集団の数の変遷ということ? もちろんそれはあったね。
じゃあそれは時系列の変化があったいうことだ。
なにを言いたいの?
それからあずまんは「世代」といってる。
「年齢」なんて話題は、このスレでさえも、誰も言ってない。
>オタク」と名指される集団のイメージ自体が変わりました。
変わった部分も、変わらない部分もあるね。
どちらをとるかは好き好きだが、おれは両方を公平に見たいと思うだけ。
>「オタクってのは今も昔も変わらず濃い奴は濃い」。
まあ当たり前だろう。若い奴を舐めんな、は、ともかく。
>その批判をずまそんにぶつけるのはお門違いだと思うが。
???
おれがおかしいと言ったのは言ったのは360であって
(宮台の場合、類型が事後的に濃い人を見いだしている)
あずまんじゃないぞ?
>376
>366のどこをどう読んでそうなる?
ハァ?
「作品の元ネタ調べたりする濃いオタク」」っていってるじゃん。
>昔のオタクと同じ嗜好の人を現代に探してその現代オタクと昔のオタクの嗜好を
>比べればオタク変化がわかるって・・・繰り返しじゃん、アホか
わかるだろ。アホか。わからないのはオタク系の変化。
で、おまいさんは萌えオタはオタクといいたいのか、オタク系といいたいのか、どっちなんだね?
つーか366=371=376は、
「元ネタ探しに血道を上げている萌えオタ」の存在は、どう考える?
単純な図式に収まらない、こういう中間項もずいぶん多いぞ。
380 :
考える名無しさん:04/09/26 17:30:04
>>378 あのさ、366を書いたのはぼくなんだが
濃い、薄いの基準って何なんのって聞いてるの。
オタグッズの消費量?アニメに関する膨大な知識?それが何なのか示してないのに
今の濃いオタクと昔の濃いオタクを分布曲線で表示って一体何のこと?って聞いてるの。
それと聞きたいんだけどあなたは
あしたのジョーを見てる人はみんな薄いオタクだ
とか言ってた人?
>「元ネタ探しに血道を上げている萌えオタ」の存在は、どう考える?
ネギマのキャラなんてあらゆるギャルゲキャラに似すぎてそういった元ネタ、パクリ論争は
とても前世代のパロディとか知ったかの優越感とかオタクの条件と同じとは言えない。
ほとんど誰でも参入可能でいいがかり付けて遊んでるだけだよ。
>380
>濃い、薄いの基準って何なんのって聞いてるの。
なんでそれを俺に聞くんだ。お門違いだろ。
類型(事後的な?)によってオタクの濃さが決定したと言ってるのは360だろ。
なにキレてるんだ。
>あしたのジョーを見てる人はみんな薄いオタクだ
そんな話しをした香具師はこのスレにはいないようだが?
なんか勘違いしてるよ・・・
>ほとんど誰でも参入可能でいいがかり付けて遊んでるだけだよ。
それでパロったり優越感かんじてるだろ。全然同じじゃん。
優越感ていうか、どっちも遊技感覚なんでは。
まぁどうでもいいですけど。
>例えば、アニメの「あしたのジョー」は視聴率30%いったらしいが、
>あれを見た3000万人の人間の内、子供を除いた人間全員……最低
>10万人程度の大人の全員が、「あらゆるジャンルを統一的な視点で受容し
>つつ、作り手に回る『こともできる』パワーを持つ人間」だったと
>言いたいわけ?
>ぶっちゃけありえな〜い。
355 名前:考える名無しさん 本日のレス 投稿日:04/09/26 14:11:49
子供除いたあしたのジョーの視聴者全員がオタクなんてありえなーい
・昔の濃い人(オタク)と昔の薄い人(オタク系)
と
・いまの濃い人(オタク)といまの薄い人(オタク系)
でなければ、公平な比較として成り立たないぞ、と。
とかいう電波を書き込んだ人はもういないってこと?
恣意的な引用は良くないな
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
例えば、アニメの「あしたのジョー」は視聴率30%いったらしいが、
あれを見た3000万人の人間の内、子供を除いた人間全員……最低
10万人程度の大人の全員が、「あらゆるジャンルを統一的な視点で受容し
つつ、作り手に回る『こともできる』パワーを持つ人間」だったと
言いたいわけ?
ぶっちゃけありえな〜い。
いたとして、アニメオタクの全員が全員、そんな超人だった、なんて
わけない、という主張は変わらない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あしたのジョーを見てる人、みんながみんな濃いオタではないだろう、って話しじゃん。
オタクの話はもういいよ。
オタクのアイデンティティの問題に付き合うのはうんざりだ。
>>386 電波ばりばりっすね、あなた。
ていうか、罵倒しかできないなら、もう去れよ・・・。
妄想系のアホ(あれを書いたのは、あれに違いない・・・!)が一人入って詰まらなくなった。
>>387 あのさぁ・・・
その文はあしたのジョーを見てる人は子供以外全部薄いオタク以上の存在だ。つまり
昔にも薄いオタ、第三世代的なものはは存在するから動ポモは間違いだって言ってんだよ。
あしたのジョーを見てることがなんで薄いオタクなわけ?
>>391 >その文はあしたのジョーを見てる人は子供以外全部薄いオタク以上の存在だ。
それ全然逆なんでは・・・・?
-----------------------------------------------------------
10万人程度の大人の全員が、「あらゆるジャンルを統一的な視点で受容し
つつ、作り手に回る『こともできる』パワーを持つ人間」だったと
言いたいわけ?
ぶっちゃけありえな〜い。
--------------------------------------------------------
↑
これ、つまりは「濃いオタ」では「ありえな〜い」だよな?
>あしたのジョーを見てることがなんで薄いオタクなわけ?
えっと、「薄いオタ以上と言ってる」といいつつ「薄いオタなわけ」?
?
?
??
繰り返しときますけど、おれ、あしたのジョー論争には参加してませんから。
>>392 マジでわからないの?
オタクとは濃い人だけであるという問いに対しその人は
あしたのジョーを見てる人10万人のオタクたちのほとんどは濃くないのだ、
薄いオタクって言うのは間違いなく存知するのだ、と述べてるんだよ
>>394 じゃあ別に問題ないじゃん?
「あしたのジョー」の人の主張は、
>あしたのジョーを見てる人はみんな薄いオタクだ
(380)
ではなくて、
>あしたのジョーを見てる人、みんながみんな濃いオタではないだろう、って話しじゃん。
(387)
って話しじゃん。
>>395 じゃさ・・・
あなたに聞くけどあしたのジョーを見たことのある人はオタクなの?
>>368 なーるほど。
ここで重要なのは唐沢の挙げる「ゲーム」の内実ね。
コンピュータゲームがまともに受容されるのは
「スペースインベーダー」以降であって、70年代の
ゲームといえばカードゲームだとかボードゲーム、
あるいはTRPGのことだろう。逆に黎明期のテレビゲームだと
オタクというよりファミリー向けの消費財になってしまう。
つまりストレートに「おもちゃ」。
で、スペースインベーダー以降、そしてアップル2の
ウルティマやウィザードリィになると、オタクというよりは
「ハッカー文化」が主導してきた部分が大きい。
これは作り手も受け手もそうだった。
現在でもコンピュータゲームを支えているのは
プログラミングを理解する技術者を核とした集団なんであって、
一概にオタクとはいえない。むしろサブカル。
実際、スーパーマリオブラザーズは全年齢に渡って
受け入れられたんであって、ここからオタク的な商品は
「薄い」人たちにも行き渡る結果となる。
ドラクエ的な地平からは「スレイヤーズ!」なんかも登場した
そのコンピュータゲームがなぜかオタクを代表する勢力を作った。
つまり工学的な乾いた感性が文系的なオタクを追い抜く状況ができた。
これが本来の「オタク」が「オタク系」に推移していった原因だと思う。
なーんつってな。
「雪の女王」を見たことのあるロシア人の人はオタクなの?
「王様と鳥」を見たことのあるフランス人の人はオタクなの?
「白雪姫」を見たことのあるアメリカ人の人はオタクなの?
「ホルス」を見たことのある日本人の人はオタクなの?
>あなたに聞くけどあしたのジョーを見たことのある人はオタクなの?
なんでこの質問をおれにするのか、皆目見当も付かん(←嘘。ちょっとは付いている。質問者はなんか勘違いしてる)。
だいたい、おれはあしたのジョーのTVを見たことがない。
だがたぶんこの推測は間違っていないと思う。
あしたのジョーを見たことのある人。主にそれは当時の子供。若干の当時の大人。
大人には濃いオタも薄いオタもいたんだろうし、当時の子供が育った大人には
オタクの人もオタクでない人も、薄味も濃い口もいるだろう。
>>399 つまりあしたのジョーを見たからといってオタクとは言えないわけだ。
当たり前だ。
で、きみは何でわざわざ恣意的だとか言って噛み付いてきたの?
文系から理系への推移ってのは、どうなんすかね。
昨夜誰かが言ってたけど、初期オタクはSFマニアからの横滑りが多かった。
メカフェチの工学的興味はその名残だが、
現在では萌えフェチの情緒性に圧倒されてしまった感がある。
でもコンピュータカルチャーの流入は無視できない。
物語性との関連うんぬんより、そちらのほうがダイレクトに
データベース性に連結されたような感触がある。
理系?のもっちーに対する嫉妬はこんなところから来ているかも。
>400
ジョーの中の人のキモは、
>いたとして、アニメオタクの全員が全員、そんな超人だった、なんて
>わけない、という主張は変わらない。
だろう。
つまり「みんな薄いオタクだ」(380)ではなくて、
「みんながみんな、濃いオタではない」(薄い人もいる、ふつうの大人もいる)
だな。
一番重要な行を引用していない385は不当だと思っただけだよ。
>>402 ・・・単に聞かれたからコピペしてあげただけでどうでもいいんだけど・・・
オタク以外も見る視聴率30パーセントのあしたのジョーを母集団にして
ほら、オタクはみんながみんな濃いわけじゃない。
薄い人もいる、薄いオタクは全時代にいるって統計として説得力ないでしょ?
ってまあ本人じゃないならしょうがないけど。
>・・・単に聞かれたからコピペしてあげただけでどうでもいいんだけど・・・
そうか。じゃあコピペの仕方が悪かったんだな。これからは気をつけろよ。
なにこれ・・・
統計?母集団? ジョー論争のふたりはそんな話ししてねーよ・・・
これだけ相手してやったんだからもういいだろ。妄想バカはどっかいけ。
オタクって・・・
終わってるな
オタク東と東オタはとっとと消えれ
ジョー東について議論するスレッドはここですか?
で、結局オタクの嗜好は世代によりずいぶん変わった。
拡大し薄くなっただけではなくオタクの嗜好そのものもずいぶん変化した。
ってことでいいな。うんこオタどもよ
変わった物もあれば、変わってない物もある。
思想指向はあんがい変わってない。
って結論だろ、ケツだしへっぽこ野郎オタ。
裏モノ日記
私の斎藤環氏発言への批判に対し、「鼎談での斎藤環の発言への批判はどうかなと思う。
当時もサイレントマジョリティ であったろう、第一世代(つわもの揃いと思われがちな)の、
にもかかわらず薄いオ タクの実感の証言としてあの発言は受け取られるべきなのではないか」
と発言している。この発言者は1980年生まれということだが、少なくともオタク草創期である
1972年(発言中で言及されている『海のトリトン』の放映年)に おいて、
アニメオタクが“濃い、薄い”の差が別れるほど多数存在し、薄いオタクが
サイレント・マジョリティとして機能していたという、当時を知る者からすれば噴飯ものの状況把握
(たぶん、オタクでなくてもアニメ、ゲーム、マンガ等にいくらでも 接することのできる現状からの
憶測なんだろうが)を元に語っているわけだ。若いか ら無理もないとはいえ、この人には70年代における、
大学を受験する年齢になって アニメを見る、という行為の反社会性というものをイメージできるだけの
“歴覚”能 力に徹底して欠けているのである。
412に聞くけど
昔の世代の薄いオタクっていうのは一体どういう集団なの?
>>413 今、検索して気づいたんだけど、それ誰の文章?
てっきり唐沢の文章として見ちゃったけど、違うのかな。
まあ、誰が書いても関係ないけど。
>>401 まあ、文系理系はともかく
結局はあずまんが初期のころから言っているように
コンピュータカルチャーをどう見るかが
オタク世代論の分かれ目のような気がする。
416 :
考える名無しさん:04/09/26 19:12:14
唐沢によれば薄いオタク、なんてものは70年代に存在しないらしい。
最近の若い奴はマガジンばかり読んでいる!
・・・と60年世代(全共闘?)が70年世代(赤軍?)を怒ったは
オタクなんぞというアホどもが出現する遙か前だったな。
ジョーでもいいんだが、マンガやアニメを好んで見る大人が現れたのは、
そんな最近からではない。
しかも中にはそれを「格好いい」「反社会的」と感じてる香具師もいたんだな。
唐沢はな〜んかカン違いしとるな。
唐沢との世代的差異を強調する方が、自説を補強するにもって唐沢の
真偽不明確な発言を引用してるとしたら、まあそれも微笑ましい物ではある。
オタって、仲がいいねw
このスレにはもっちーがいる!
414の質問小僧は黙って半年ROMの刑。
望月はしらねーけど・・・
確実に言える。
妄想キチガイは一人いる。
マガジン読んでるから薄いオタクだ・・・・
明日のジョー見てればとりあえず薄いオタクとかいうレスと変わらない・・・
やっぱ同一人物だったのか・・・
マガジン読んでる人がみんなオタクかよ・・・
マガジンのオタ化なんてまさしく第三世代登場以降だろが・・・
>>417 いやまあ、おっさんが「我こそはオタク」っつってんだから
あーはいはい、って言うしかないじゃん。
正直、今のオタクは自分がオタクかどうかなんてどうでもいいし。
少なくとも俺はどうでもいい。
俺は
>>357で書いたように、
結局は「オタク」というジャーゴンをすっ飛ばして各個撃破するしか
道はないと思っている。
それでもオタクオタクと騒ぐおっさんがいるなら
自分なりにまとめておくしかないだろ。
もっちークラスが一人いる
>>420 きみのことですよ
>>421 いい加減消えろや。
マンガ、アニメ読むのが反社会的、それはオタクだ、っいう唐沢に反論してるんだろう。
マガジン読むのが(薄い)オタクだなんていってねーよ。
それはお前の妄想。
>>422 あんたがオタクかどうかなんてどうでもいいし
(どうしてそう思ったのか知らないけど)、
おっさんの言うことをなぜ素直に聞いてしまうのか、
よくわからない。
でもまあ、じゃあがんばってくれ。
自分の道を自分で切り開いて。
>>423 きみはきみの中の「モッチー」に怯えすぎている。
>>424 >マンガ、アニメ読むのが反社会的、それはオタクだ、っいう唐沢に反論してるんだろう。
それのどこが唐沢への反論なんだ?
>426
>マンガ、アニメ読むのが反社会的、それはオタク
と言ってるのは唐沢だろ? おれの反論じゃねーじゃん
唐沢がオタクという存在は当時反社会的だった、と記してるのを
>>427唐沢の発言を反社会的なものがオタクなんだと勘違いして受け取って反論しているわけか
他人の発言ねじ曲げる妄想系のこいつ、ある意味、東信者の典型。
オタクは反社会的存在だった≠反社会的存在はオタク
だよ 当たり前だが
>428
唐沢がオタクの要件として挙げているのが、アニメを見ることの反社会性。
勘違いしてるのは、きみ。
>>430 アニメを見るという反社会的行為者がオタク、だよ。
東信者、唐沢を必死に庇うの図。
抱 腹 絶 倒
もっちを超えてる・・・
もっちに魂を奪われて居るんだね・・・
モッチー・コンプレックス、と呼んであげるよ。
オタってコンプレックスの塊だね・・・
でさ、反社会的にアニメを見ることがオタクの条件で
つまり当時のオタクは濃かったと。唐沢的に。
でも最近はそういう条件がなくなって唐沢的に薄いオタク、
東的に第三世代が台頭していると。
で、どこに反論してるの?
なんだか入り乱れてよく分からなくなっている。
発言者間のジェネレーションギャップがすごい。
おまえらいくつだよ。
>>433 そうでもない。
たんにスレの瞬間最大オタク率が高くなっただけ。
>>438 >反社会的にアニメを見ることがオタクの条件。
というところ。
アニメやマンガを大人が見ることは、当時でもそれほど特殊なことではない。
>東的に第三世代が台頭
これは間違い・・・ともいえないかな。
第三世代オタクとオタク系は別。
>たんにスレの瞬間最大オタク率が高くなっただけ。
そーかあ? まーいいけどよw
>この人には70年代における、
>大学を受験する年齢になって アニメを見る、という行為の反社会性というものをイメージできるだけの
>“歴覚”能 力に徹底して欠けているのである。
ここを否定するわけだ。
>アニメやマンガを大人が見ることは、当時でもそれほど特殊なことではない。
あしたのジョーやマガジン読んでる奴らだってみんなオタクなんだといいたいんだな?
>あしたのジョーやマガジン読んでる奴らだってみんなオタクなんだといいたいんだな?
唐沢の、妙な定義によるとな。こりゃ違うだろう。
444 :
考える名無しさん:04/09/26 19:59:25
>>443 唐沢の定義って言うか誰の定義でも普通そんなのオタクとは言わないよ
できみに聞いてるんだけど
あしたのジョーやマガジン読んでる奴らだってみんなオタクなの?
>唐沢の定義って言うか誰の定義でも普通そんなのオタクとは言わないよ
唐沢のオタクの定義がおかしいことは認めるんだな?
>あしたのジョーやマガジン読んでる奴らだってみんなオタクなの?
全然。
むしろジョーやマガジン読んでるやつらがみんなオタクなわけない、
マンガ読んでるだけでオタクとかいってる唐沢はおかしい、
というのが俺の主張。
×マンガ読んでるだけでオタクとかいってる唐沢はおかしい、
○マンガ読んでるだけで反社会的で、それがオタクとかいってる唐沢はおかしい、
唐沢俊一自身について言うのならば、鼎談での斎藤環の発言への批判はどうかなと思う。
当時もサイレントマジョリティであったろう、第一世代(つわもの揃いと思われがちな)の、
にもかかわらず薄いオタクの実感の証言としてあの発言は受け取られるべきなのではないか。
唐沢俊一の薄いオタクに対する差別意識は時に看過し難い。そこに医者とライターの社会的格差が
絡んでくるのがまたややこしいのだが。
とりあえず、中心的な、濃い人物だけを点描しただけでオタク全体が語れるはずもないだろうに。
その時放映されてるアニメを全部見て、スタッフの名前もほとんど暗唱して、DVDも月ン十本の単位で
買って・・・なんて奴をしかアニオタと呼べないはずはあるまい。そういう濃さを様々な事情で達成できて
いない人々こそがオタクの多数派なのは自明だろう。サブカルチャー・オルタナティブカルチャーはメイン
カルチャーから見た時に圧倒的に少数派で、で、その少数派の代表の意見がメインカルチャー内で流通する
事でメインカルチャーは少数意見も圧殺しない健全さ、を主張できるわけだが、その時サブカル・オルタナの
代表者たちが彼らの文化圏のサイレントマジョリティを抑圧しているとしたら。
要はサバルタン・スタディーズって奴ですな。文系の学問的問題意識は、思いのほかまっとうである。
というか抑圧されたトリビアルなものどもに優しい目を向けるのって唐沢俊一の本来の芸風ではなかったか
なあ。唐沢俊一は”薄いオタク”を再発見すべきだ。
>>445 んんあぁ?
つまり明日のジョー見てても別に非社会的ではない。
そして当然オタクでもない。
って言ってるだけじゃないか
んなもん当たり前じゃ・・・・
唐沢の文から明日のジョーを見るとオタクで非社会的という意思を
すくい取ってそこに反論するなんて・・・すごいな。
>唐沢の文から明日のジョーを見るとオタクで非社会的という意思
非社会的、じゃなくて、反社会的。
仕方あるまい。
唐沢自身が
>70年代における、大学を受験する年齢になって アニメを見る、という行為の反社会性
などと述べてるのだから。
>>447 ああ、伊藤剛さんね…。
昨夜から変なパターンがまぎれこむなあ。
で、しろうとを批判していた約一名の人は
伊藤さんのシンパなわけ? もっちーじゃなくて?
>>450 文意を読めばその反社会性があしたのジョーやマガジンを
読むことじゃないことぐらいわかるだろうよ・・・
で、きみは薄いオタクってどういう人だと思ってるの?
単にマガジンとか読み流してる人じゃないとしたら
一体どういう主体のことなのか知りたい。
すごく注目されてる重要な点みたいだし。
この件での唐沢の頓珍漢さは一目瞭然だとおもうんだけど・・・
なんでこんなに粘着されるのかわからん・・・
>>452 文意を読めばその反社会性があしたのジョーやマガジンを
読むことを含むことぐらいわかるだろうよ・・・
>で、きみは薄いオタクってどういう人だと思ってるの?
きみはどう思うの?
まずきみの考え聞かせてよ。
>454
せっかちだねえ・・・
>>455 当時のオタク文化は反社会的な文化で
それに接するには妙な覚悟や主体性が必要だった。
要するに濃い人が多かった。
(人間的 スノビズム)
でも最近はそういう条件がなくなって唐沢的に見ると単に薄いオタク、
東的にいうと動物化した第三世代が主体的な決定もなく
配置されたオタ文化の中で主として君臨している。
徹底討論「薄いオタクは存在したか?」
現在の議題です。みんなついてこい!
>>457 >当時のオタク文化は反社会的な文化
これは唐沢の錯覚。それほどでもない。
そしていまでもそこそこ反社会的な部分はある(ロリペド・オタ)。
>東的にいうと動物化した第三世代
正確に言うと、第三世代「オタク」と「オタク系」は別物。
これはここまでの議論でも何度も繰り返されてきた。
第一世代的なオタクと同様な(例えばそこそこ反社会的な)
オタクは第三世代にも見受けられる。
オタク系はオタ文化に大した思い入れもなく、
マンガ・アニメを消費している。
いまも昔も。
459書いていて思ったけど、
やっぱり薄いオタ=オタク系なのかな。
微妙に違うところも感じるが。
東オタとしては唐沢より
>>447-448を信じるね。
このひとは網状Fも動物本もちゃんと読んでいるし。
>「薄いオタクは存在したか?」
した。間違いない!
>>459 東が特撮やゲームやフィギュアを 「オタク系文化」って言葉で表現したのは
オタク自身の定義に関する不毛なやりとりをスルーするためだぞ。
第三世代はオタク系で第一世代がオタクだ、とか
薄いのがオタク系だ 濃いのがオタクだ
なんてことまったく言ってないからな。まったく。
「オタク系文化」
>>462 それは「薄いオタクは存在したか?」という問いを設定した
458に向けられるべきだろう。
では、以降「オタク」の語は使用禁止の方向で。
「オタク系文化」を定義してくれ
まああずまんが定義問題を避けたのは、自分のインチキな定義を暴かれるのを怖れる余りだが。
>「オタク系文化」を定義してくれ
オタク系文化→コミックやアニメゲームパーソナルコンピュータ SF 特撮 フィギュアのほか
たがいに深く結びついた一群のサブカルチャーと最初に書いてある。
つうかこんなセリフ言いたくはないが・・・
動ポモ読め
話はそれからだ
「オタク系」「オタク系文化」も使用禁止だな。
薄い人も オタク系も 当然いたと思いますよ
そんなマニアックな人ばかりじゃないですよ
伊藤さんのシンパさんは 常識的なことをいってると思う
命題1:おたく趣味を嗜む女性を「やおい」と呼ぶ
なんかまた3〜4年前に戻っちゃったなw
>>245 >アンケート至上主義の最高峰であるジャンプ漫画は、
>「萌え要素の順列組み合わせだけでできた作家性のない作品」か
ところが、まさにそう言えるのです。なぜか。
有名なDB的武闘会形式というのがありますね
ジャンプの漫画は必ずこの形式に飲み込まれてグダグダになって終わります
作家性がスポイルされてまともな形で最終回を迎える事が少ない
それはデータベースに回収されているという事です
しかし個人的に富樫はグダグダに崩れたのが作家性にも見えます
>>260 関係ないですね
>>291 誤読してますよ、現代の作家性の後退は近代に対してのもので
前近代も作家性はないのですが、伝統が人間性を担保しています
>>299 >>305 そうですね。その作品が「特徴的」であるというような事はいつの時代も変わらない
ただ作家という「主体」の単位からより細分化した機械的な記号の流れに決定単位が変わったと
>>306 燃料投下でこんなに反響が起こるとは思わなかった
レスが大変なのでサイト復活させたくなりますが、
2chの外になるとみんな見ないんですよね
人間タイムマシーンキタ━━━━(´Д`υ)━━━━・・・
>>310 >『オタク学入門』
オタクはトリビアな知識欲を持つ主体というコンセプトを捏造するのはある程度成功したと思います
宅八郎みたいな痩せていて自閉的なイメージ(キモイ)から
岡田の太っていて社交的なイメージ(オモロイ)への転換は見事
ただ唐沢もそうだけど「知識こそオタク」というテーゼはちょっと後退してると思う
「単に萌えられれば理屈はいいよ」というオタクは増えてそうです
あと2chもオタク文化の圏内に入るとするとますますその傾向が強い
すると、データベースを消費するのがオタクだという東と
虚構の対象に性的欲望を持つのがオタクだという斎藤の
理論的説得力が出てくると思う
しろうとさんは和むなあ。
まあオタク「も」データベース消費する、でしかないんだけどね。
>>319 >80年代の鬼のようなパロ文化を見てきた身からすると
>最近のパロディとかいってヌルすぎる
ところがメディアミックスというか、特に90年代以降のゲーム化があります
昔は(今も)キャラゲーは糞ゲーというのが定番でしたが
メディアの境界を越えてパロディ(シミュラークル)が浸透しています
昔では想像もつかないほど大量にやっているのが00年代です
そしてゲームというのはデジタルなのでデータベースの比喩が有効です
何度言ってもみんな冨樫を富樫とかくんだね・・・・
>>323 大塚の誤解もそれに由来するので、その区分は考えときます
>>324 東浩紀が考えるポストモダン化は20世紀以降の大きな流れです
ただ70年代以降、更に90年代以降爆発的に前景化しています
ほとんど暗記しているので一々確かめないけど、『動ポモ』に図があるはず
>>330 そうですね、社会的に見るというのが重要ですね
>>340 >引用の意識 メタレベル思考 シニシズム
それらはすべてツリー図式的なものですね
>>341 前は暗記してたけど最近読んでないんでちょっと忘れてます、読みなおそ
>>347 東浩紀を越えるエヴァ批評はないです
>東はそれを見事にオタ世代論のプチ歴史観に矮小
「庵野は80年代〜」以外にもエヴァについて書いてます
>歴史語りをはじめてとした超越性への欲求が〜
唐沢の『トS』にもありましたが、ネットでの論争ではだめなんです
いつでも降りれるので形骸化したものにすぎないという(動ポモ)
>>353 >アニメの「あしたのジョー」は視聴率30%
視聴率30%にいく番組は年々減少し今ではほとんどありません
アニメに限っても週100本といいますから全部見れないでしょう
>>360 例えば「やおい」はオタクではないが
オタク系にカテゴライズされるのが興味深いのですが
岡田・唐沢は女性のオタクというのをどう想定してるのだろうか
情報自由論スレに続いてこのスレも潰すつもりかなあ・・・
しろーとさんの波状登場があったら面白いのに
>>374 >「オタクってのは今も昔も変わらず濃い奴は濃い。」
みたいなオタクの自意識はどうでもよくて
社会的な視点で見たとき、オタク系の消費文化に
どういう構造があるのかというのが『動ポモ』の主題です
>>397 「ゲーム」は重要ですね
漫画やアニメと違い、ゲームはそもそも物語ではなく
データベースを直接体現していますから
>>「オタクってのは今も昔も変わらず濃い奴は濃い。」
>みたいなオタクの自意識はどうでもよくて
「濃い奴は濃い」ってのは自意識の問題ではなくて、単に事実を述べただけだと思うがね。
>>473 東が「批評は時間的な遅延で成立する」と言ってます、まあヴィリリオなんですけど
>>475 どうもどうも。
>>476 「が」じゃなくて「も」だから、仮にオタクに関する記述が全部偽でも全体として残る訳です
>>478 知ってはいるけど入力辞書(データベース)の順番が富樫になっているんで…
>>481 このスレが潰れるなんて事があるんですか
>>482 東先生なら「こいつ俺の受け売りだけじゃん、つまんね」と思われるかもしれないですね
実際このスレではそうだけど、しかしアスペクト論は違う
>>484 >「濃い奴は濃い」 が事実だとしても、それを重視するのは自意識の問題です
一定の濃い層について記述しないというスタイルでも構わない
はっきりいって『動ポモ』は「でじこ」みたいな
固有名全部抜きでやってほしかった
普遍的にやるつもりならオタクの記述じゃなくて
データベースの定義とか理系にも通用する位ガチガチにやればいいのに
だいたい東自身が固有名とか参照しなくてもできるって考えてたのに
>486
事実を捨象して軽視するのも自意識の問題だと思うが・・・
>485
「が」じゃなくて「も」だから、仮にオタクに関する記述が全部偽でも全体として残る訳です
オタク論としては嘘だが、ポモ論としてのデータベース消費は正しいと? まあそうかもしれん。
>>484 社会的に有意な形で示せていない以上単なる自意識じゃん。
「単に事実」と思っているのは誰なのさ?
あなたにとっては「事実」かもしれないけど、そういう言い回しを共有できない人は
山ほどいる。
つうか濃いとか薄いとか
ど う で も い い
簡単にいや、アンタの思い込みなんか誰も聞きたくない、って話だよ。
一応、東は本の内部で「こういう論理展開をとればこういう結論が出ます」というのを
書いているからね。それに対する批判はありえても「俺の思っている事実と違います」
というのは何の反論でもない、ただのキモイ人。
それはそうだね
>>488 社会的に有意に形で示す、ってどういうこと? 「ネタ探し」程度ならいくらでも示せるでしょ。
「濃い人なんていまは全然いないよ」という言い回しを共有できない人だって、いくらでもいるぜ?
じゃあ事実を出してみろ、って話しだろ。
まただよ・・・
誤った、あるいは極端に共有度の低い事実から発した論理展開・結論に見いだせる意義は低いね。
事実レベルの相違をスっとばして、社会学でございと開き直った東のほうがよっぽどキモいよ。
なんで二人とも(二人だよね?)レス番号をハンドルにしなかったの?
微妙にどちらがどちらだか分からないときがある。
とりあえず東浩紀批判を展開しているのは伊藤剛シンパと見せかけて
伊藤剛と同じ思想に到達した望月もどきさんということでFA?
東批判て、おれ?
伊藤シンパは引用されただけで、直接は書いてないと思うぞ。
望月には同意部分とそうでない部分あるね。
理論の審級は、それが先行理論より多くの説明を含むかどうかで決めるべきでしょ。
東の第三世代オタクはデータベース消費をしている説
データベース消費なんて江戸時代からあった説
どっちの方が現実をより多く説明できるかで、生き残らせるべきかを考えようぜ。
今更固有の事実から出発するような帰納法はなしね。
まだループしたいのか
名無しかよ。
論理的正誤は前提に依存するだろ。
前提レベルの議論を自ら禁じ手にした東が陥った自縄自縛は感じるがねえ。
説明可能性だけに頼っていたら、理論でなく、物語に真っ逆さまだ
その説明できてるって事実wを共有できない人はどうなんのさ。
じゃ、しろうとと望月がすべて悪い、という事で。FA?
動ポモ読まずに東論と戦っているというのがまずあれで
結局 読め で終わってしまう毎度の
言い詰まると「読めてない」か。もういいよ。
ルーパーは馬鹿ばっか
>もういいよ
はげしく同意
峠は越したようだな
>東の第三世代オタクはデータベース消費をしている説
>データベース消費なんて江戸時代からあった説
逐語的に見るとこの二説に齟齬はないよね。
まあどうでもいいですね。
動ポモの話題自体NGにしね?
両方とも言い分はあるんだろうけどさー。
肯定派も否定派も正直ウザイんだわ。
つうかそんなもん昨日から散々既出
514は509と512の人にね
コンスタティブな批判も大事だけど、ただコンスタティブにやるだけではだめで
パフォーマティブな側面も考慮しなきゃだめ、っていう東の郵便本話を、オタク論で
パラフレーズすれば「2ちゃんのスレやウェブ、もしくはと学会の本で批判しようが、
読むのは元から(内容関係なく)東批判を展開したいやつか、狭いオタク内部だけ。
政治的なレベルで大敗してるから意味はない」ということになる。
東スレの中で論争が起こるたびに、コップの中の嵐だとつくづく思うよ。
オタクには他者性が欠如してる、っていうクリシェをこれだけ実感する場もないねw
だって、まったく関係なく東はオタク関係で仕事し続けてるじゃん。
そういう批判に何の意味があるやら。
じゃあ今度こそ。
動ポモ禁止! オタ話禁止!
======================= 終 了 =========================
======================= 再 見 =========================
動物かってマジ?
じゃー人見知りング引退話に移行。
いやあ、トンデモ本はかなり読まれているぞ。
結局、東はエロゲー方面に押し込まれていて、アニメとか口を出せなくなっている。
一方で岡田はビエンナーレでは森川、マンガ夜話では佐藤と仕事してるしな。
こういう勝ち負けに、なにか意味があるのかどうかは知らないけど。
まぁそういうコップの中が、みんな気になって気になってしょうがないだよね。
しろうとじゃないけど、みんな2ch以外は読まないのかなあ?
トンでも本の件はむしろ唐沢が批判されてるような・・・
あまり動ポモはやっぱトンデモだ、という話は聞かないな
最近の唐沢は、教養のなさのせいで自分がトンデモになりそうだから。
人質自演説撤回とかしてないし。
まあサイレント・マジョリティの声は届きにくいからな。
トンデモといわないまでも、動ポモってちょっと変・・・、くらいなら良く書評。
良くある書評
>>523 哲板でやってるからじゃないの。
オタクメインの場所でやったら、
「弁証法」とか「純粋実践理性」とか「言語ゲーム」とかも全部
「事実で記述できないからトンデモだ」ということになるのかも。
新書で哲学者出身の新進気鋭の批評家が
オモロイおたく話をしているだけでトンデモも糞もない。
唐沢が大げさというか私怨入りまくり。
どちらもコップの中の嵐。
終わらないねえ、ループ
弁証法も言語ゲームも事実的に記述できますが・・・
唐沢が自分の日記で最近トンデモ本に余裕がない、とかいう批判に対して
必死にいや余裕なんだこれは何を見てるんだ、と釈明してなかった?
×オモロイおたく話
○ヨタなオタク話
釈明つーか、そういう主張はしてたな
唐沢に拘るねえ・・・
やっぱりトンデモ本の影響は大きいわ・・・
いやおれもトンデモと決めつけるのはどうかと思うけど。
まあ売れてる物は売れてるし。
そうかな?最近のトンデモ本は、
唐沢本人のいろいろイデオロギー(とあえて言おう)の
発表機関化しているような。
これってコヴァが初期の面白いスタンスから、
急速に硬直したのとパターンが似ている。
トンデモにしてももっちーにしても
結局あずまんを周りが補強する効果しか生んで気もするんだが・・・
なんだろね
>>530 いや、私も出来ると思いますよ。
理論モデルによるひとつの解釈体系という意味で。
>>536 なにが、そうかな?か、よくわからんけど。
イデオロギー機関かそうでないかはともかく、
いまは影響力の話しだよ。
>>537 本当にそう思うなら、ほっといたら?
なんでこのスレでループしたがるのか、よくわからん。
ああ・・・小林ヨシリンも宮台批判というかおもいきり
こきおろしてたんだけど
ゴーセンから宮台に入って宮台信者になっちゃった
って人すごく多いんだよね。
「ひとつの解釈体系」ね。ま、そういうものかもしれませんね。
>541
まーそうなるかどうかは今後次第だね。あずまん自身、影響力落ちてるし。
唐沢への私怨たらたらだな。
すげえeffectivenessだw
でもトンデモ本の発行のおかげでこのスレが
動ポモ問題で活性化したりするの見ると
動ポモって面白い本なんだなぁ〜
っと思っちゃうよやっぱり。
トンデモ本とはなんの関係もないだろ。。。
しろうとの書き込みがきっかけ。
てゆうか、545に対するトンデモ本の影響力デカ過ぎ。。。
しろうとの書き込みが唐沢批判だったんだよ。
そうやってあずまん周りは毎度強化されていく
しろうとはもともと東信者だし。
ルーパーが溢れると、強化?
まあいいけど。
このスレはコップの中の嵐で影響力はないんだって、さ。
「影響力はない! 影響力はない!」
と必死で影響力を打ち消す人々。
実際2ちゃんの東スレッドって影響力なんてあるのかな・・・
無いと思う奴には無い
あると思う奴にはある
気にしたくないけど、気になるんですよ!
偉い気にしますね。。。
ここけっこうみてるよ
いろんな人
本人も含め
つまりだ・・・・・・
しろうとは唐沢批判を今後書くな!
それは唐沢批判の内容がどうのという話ではなく、
たんにスレがどうしようもないほどウザい状態になるからだ。
OK?
しろうとは全レスしたりする割には脆いところがあるから、
他の東ファンがフォローに回るのが大変。
>2chの影響力
斎藤環スレの場合、たまたま斎藤先生が読んでいて
ちょこっと公式本に載った(スレの写真)とかその程度ですね
しかも「何か変な香具師が粘着してるぞ」とかそういう意図なのかもしれない
>唐沢批判
前に切込とかの話も出ましたが
哲学に関係ない人にレスすると
脱線していきますね
しかし
>>131は無傷ですね
岡田・唐沢型オタクの面白みというのは
断片的な知識と体験を語るところにありますが
それ以外の論理的な主張の構築になると弱い
コミケもなるべく縦の命令系統を意識させないようにしてる(成功してるかは別)
という話ですが、そういうメタを作らない行動と関係があるのかもしれない
>>558 >しかし
>>131は無傷ですね
以降は余計だから。
内容の問題じゃなく、その話題自体を取り上げるな。
正しいか間違ってるかなんてどうでもいい。
お願いだからやめてくれ。
このテリトリーのタブーは「動ポモ」だ
「動ポモ」に関する話をすると魂を奪われるのだ
131は506は収束してるだろ。無傷ねえ・・・。
506で
はてな更新してたよ
>>561 オタクは必ず論理展開を無視して自分の体験談を語るのですが
>>131は唐沢の主張に対して
「順列組み合わせでヒット作が作れたら苦労しない」と
「昔から大衆文化は順列組み合わせだった」が矛盾する
と指摘したのです、これが無傷
あとどうでもいいんですけど、
呉智英が単に理解できないのを「裸の王様」で終わらせたのに対して
斎藤環が言語そのものの危機が面白いと書いていて
この吉田戦車を巡る評論で時代が変わったと思いましたね
トリビア型(岡田・唐沢…)からコンセプト型(東・斎藤・村上…)というような感じ
>>564 ×(商品は順列組み合わせに還元できない)
↓
○(ヒット商品は順列組み合わせに還元できない)
まあこっからして、きみはもう間違ってるけどな。
順列組み合わせ商品は昔からある。
さりとて、ヒット商品を順列組み合わせだけでつくるのは難しい。
ただそれだけ。
>>564 トリビアとコンセプトも両立可能だろう。
宮本大人みたいな地道なマンガ研究はスルーか?
呉と岡田が一緒か。すげー。
伊藤剛も大推奨の夏目房之助とかさ。
「読んでない」で逃げるのは、こいつらの常套句だな。
>>568 131を読んだ上での疑問なんだけど、どうなんでしょうか?
順列組み合わせをすればヒット作作れるなんて
しろうとは書いてないよな・・・
ていうかこんなのも読めないのか・・・
>>570 >>131で既に主張していますが
「ヒットしているならばデータベースを押さえている」
で、これは下とは異なる主張です
「ヒット商品は順列組み合わせに還元できない」
もう落ちますけど
「順列組み合わせをすればヒット作作れる」と
「ヒットしているならばデータベースを押さえている」
を混同した展開は勘弁してくださいよ
しろうとでさえ大概なのに573は性懲りもない例のアレか。
>順列組み合わせをすればヒット作作れるなんて
>しろうとは書いてないよな・・・
しろうとも書いてないし、唐沢も書いてない。
しかししろうとは、なぜか、
>商品は順列組み合わせに還元できない
と書いてる。
唐沢の要旨は
>ヒット商品は順列組み合わせに還元できない
なんだけどな。
なんか・・・ちょっと前にテンパってた人と同じだなこりゃ・・・
唐沢がヒット商品は順列組み合わせに還元できないといったぁ?
順列組み合わせのヒット作がこの世にないと!!
そりゃすごいな・・・
しろうとさんって、
自分の手に余る問いをスルーして、
不毛な争いにばかりレスする傾向がありませんか?
図星か、妄想屋w
ああ。
実際、ヒット作がヒットした要因を順列組み合わせにのみ求めるのは難しいだろう。
順列組み合わせだけでヒットした作品はあるかもしれない。
が、全てのヒット作のヒットの要因を、順列組み合わせにのみ求めることはできない。
だからヒット作はデータベースに還元できるけど
データベースに忠実に作ったからってヒットするとはいえないんだって
だからな、唐沢が反論してるのは
>だからヒット作はデータベースに還元できる
これに対してだろう。
だから、
>ヒット商品は順列組み合わせに還元できない
といってる。
唐沢が言ってるのはヒット商品は順列組み合わせに還元できないなんてことじゃなくて
順列組み合わせでヒット商品が作れたら苦労しないってことだろ・・・
それは誤読だってしろうとは反論してて・・・
つうかこんなどうでもよさげな話に毎回よく食いつくな
きみ
584 :
考える名無しさん:04/09/27 02:07:12
オタク達は「把握」されるのが嫌いなんだよ。
自分たちの文化が文字に還元されてしまうのが。
実際に還元され切れるかどうかじゃなく、他者からそう見られることに対して耐えられない。
俺たちはそんなもんじゃない!
それは誤解でもっと複雑で歴史がある、汲み尽くしきれる存在じゃないんだ!
そんなことを迂遠な形だろうが言われたところでウザいだけだ。
131にはこう書いてあるわけだ。
(唐沢は)
>一方で萌え要素の順列組み合わせでヒット作が作れれば苦労しないと言い、
>(商品は順列組み合わせに還元できない)
()内は要旨として間違ってるわけ。
正しい唐沢の要旨は
>ヒット商品は順列組み合わせに還元できない
だよ。
どうでもいいのなら、ほうっておいてくれないかね。
つまり後に引けないくなっちゃうから
自発的にスルーしてくれってことか。
なんかそんな気はしてたんだよ
すまんかったな・・・
問題を単純化したい阿呆はどこにでもいるよね。オタクに限らずね。
いや、本意は「馬鹿は去れ」だよ。
「ヒット作」と「商品」の違いも目に入らない馬鹿は、特に。
要素還元主義的に作品を語りだしたのは自分たち第一世代オタクなのに
なにをいってますやら・・・。>唐沢
物語のパターン解析とか、誰それの演出パターンとか。
そういうパターン認識は「データベース」的なものと何か違うの?
それに東の話って、
>ヒット作はデータベースに還元できる
というより、すべての作品はデータベースに還元「されてしまう」だよな。
たとえば、「綾波レイ」という固有性を持ったオリジナリティあふれるキャラがある。
しかし、一度作品が発表された瞬間に、「綾波レイ」というキャラが存在するという
こととは別に、綾波レイ=青髪ヒロイン+無口+赤目+etc・・・という要素還元されて
受容されてしまう、と。
というか、これも散々既出だけども、唐沢の批判等の何が寒いって東は
データベースはヒットの方程式だ!みたいなことはひと言も言ってないと思うんだが。
データベース的な受容の形態があります、と言っただけの話で。
むしろ、そういうことを言ったのは大塚の『物語消費論』で、唐沢がもしも
>ヒット商品は順列組み合わせに還元できない
といった批判をしたいなら矛先は大塚に向かわないと変な話なんだがな。
ああ、なるほど、では唐沢らオタク第一世代もデータベース的なのだね。
なるほど。
しばらく冷却期間を置こうか
みなさん
まあ、なんというか昨日から第三世代オタも濃いのだとかどうこう言ってる
香具師へのオチとしては
>>585だと思うけどね。まったく585は正しいと思う。
伊藤剛くさい言い回しになっていやだが、オタクは他者の視線に晒されるのに
耐えられないというか。
せめてあの人がいなくなるまで・・・
585は588に切り返されてるけどな。
オタの自己言及は怖いよ。
伊藤剛くさい物語への後退。
>591
ちゅか、「データベース」っていうのは、そういう要素還元的な見方が二次創作を含む
大量の作品群とインターネットの存在で万人に対して可視的なものになりました、という
話なんじゃなかったっけ?
そこで端的な例として挙がっていたのが検索エンジン・TINAMIの属性検索でさ。
第一世代オタク=データベースを脳内に「教養」として身に付ける必要がある
第三世代オタク=データベースはネット上とか「萌え」に特化した作品に外在化されてる
こんな話ではなかったっけか。読んだのが大分前なので記憶があやしいけども。
>>597 じゃあ第三世代をデータベース的に特化して話す必要はないね。
第一世代=内在的データベース
第三世代=外在的データベース
こんな風に。
一人相手にするのはやめようよ
初めからけんか腰だしさ・・・
そうだね。
>598
ただ、そこで「引用意識」という観点で差がでますね、っていうのが
動ポモで大塚の「物語消費」と「データベース」をわけるポイントでしょ。
内在的データベース(って、造語するのは混乱の元だけど)による作品は
引用意識に裏打ちされたものになる。この間のBSアニメ夜話での宮崎アニメ
に対する唐沢の解説に顕著だったけど。あと、押井守の自作解説なんかも
そんな感じ。
外在的データベースによる作品は、「なんとなく似てる」レベルの剽窃を可能に
するし、あと、データベースに登録されたものは要素レベルになっていて起源が
わからないから、〜〜から持ってきましたと言い難い。
例えば「極太明朝体でカットイン入れるのはエヴァからパクリました」っていって
「それは戦記映画からのパクリだよ」と返しても、「しかしエヴァのタイミングを
まるまるコピーしました」といったとき、これのオリジナルはエヴァなのか戦記映画
なのかは言えない。
そんな程度のことだろーと思う。
確認するけど、
東「データベースを押さえなければヒットしない」
唐沢「データベースを押さえてなくてもヒットする」
だよね。
データベースをおさえていれば必ずヒットする、と言ったのは誰なの?
東もいってなければ、唐沢もいってないと思うんだけど。
またルーピングスタートするのか
唐沢が東をそう誤読し批判した
>>601 なるほど。でも
内在だから即意識的、外在だから即無意識的ってこともないと思うよ。
外的基準のほうが記述的にしっかりしているから、起源もたどりやすいしね。
データベースがなければヒットしない
→DBはヒットの必要条件である(東)
データベースがなくてもヒットする
→DBはヒットの十分条件である(唐沢)
なぜ唐沢が「データベースをおさえていれば必ずヒットする、と東がいっている」といったことになってるか、不明。
>>606 立ち読んでこりゃいいじゃん
その通りのこといってるから
609 :
考える名無しさん:04/09/27 03:12:35
よし分かった、おまえら正直に言え。
今、
1.「動物化するポストモダン」を持っている
2.「トンデモ本の世界S」を持っている
上の二つに○か×をつけなさい。
先生怒らないから、な?
ちなみに議論に参加していない先生は
1はあるけど2は立ち読みで済ませた。
ごめんして。
ハンター×ハンター全巻持ってるよ
>>606 >「データベースを押さえればヒットする」を読み取ったからではないか
これは単にしろうとの推測だよ(自分でいってる)。誤読の上での推測だが。
うろ覚えだがガレージキットだってみんなオリジナリティ出すのに必死だ。
データベースとかいってあほか、みたいなことト本に書いてあったような気がするが
ガレージキットって作家性がないわけじゃないけど
市場の人気キャラをそのまま盗用したシミュラークル作品で
市場の人気キャラデータベースにすごく支配されてるような・・・
>市場の人気キャラをそのまま盗用したシミュラークル作品
これをガレキ作者が聞いたら、怒るよ〜
言葉尻とらえられてもさ・・・
でもさ、京人形とか博多人形だって先達のパクリじゃん。
「なんでおれたちだけ盗用!?」って気分になるでしょ、作る側の人は。
>471
>ジャンプの漫画は必ずこの形式に飲み込まれてグダグダになって
>終わります
……ほんとにジャンプ読んでる?
人気作品は人気がなくなるまでやる形式上、ラストが破綻することは多いが、
全部の漫画が「DB武闘グダグダ化」ってのは、ムチャクチャだぞ。
「ジョジョ」は? 「レベルE」は? 「ヒカ碁」は?
現在進行形なら、ボーボボは、DB的武闘会までやりつつ、あくまで
ボーボボなわけでさ。
>472
>誤読してますよ、現代の作家性の後退は近代に対してのもので
>前近代も作家性はないのですが、伝統が人間性を担保しています
何度も聞くが、江戸時代の歌舞伎・読み本における、「人間性を担保してる
伝統」って、具体的に何?
それに、「近代より後退している」という時の「近代の作品」って、日本に
おいては、どれ?
大衆娯楽というのは、明治の立川文庫も大正浪漫も昭和の銀幕も、紅白も、
昼メロも、なにもかも、みんな、系譜があって記号性があって商業に
基づいた「作家性のない」作品なわけだが。
>>617 てめえも引き際考えろ
同じ事でループするなよ。
その粘着ぶりは唐沢か?
うわ・・・以前とまったく同じレスしてるぞ617・・・・
こりゃわざとループさせてるぜ
294 名前:考える名無しさん 投稿日:04/09/26 03:01:06
>292
大衆娯楽というのは、明治の立川文庫も大正浪漫も昭和の銀幕も、紅白も、
昼メロも、なにもかも、みんな、系譜があって記号性があって商業に
基づいた「作家性のない」作品なわけだが。
「近代」って、どれ?
295 名前:知らんが 投稿日:04/09/26 03:06:33
押井守 宮崎パヤオ 大友さん ガンダムの人
>619
しろうとには答えてもらってない問題なんでな。
まさか、本気で、近代=押井って考えてるわけじゃねーだろ?
なにせ「手に余る問いはスルーする」しろうとですから。
一匹とんでもないのが住み着いたな・・・
もちーといい唐沢に何かもらってんのかしら・・・
妄想くん、ついに陰謀説に!
もらうとか、そういう関係妄想に興味あるだけ
やたらと唐沢とかトンデモ本の影響力とか語るし
唐沢関係者だったらかなり恥ずかしいな・・・
そりゃー異常に唐沢やと本の事を気にする人がいたからねえ・・・
問いかけをスルーしたり、妄想レスで流そうとするのってどうなのよ
なんか物凄い松方弘樹がきてたっぽいな。
630 :
考える名無しさん:04/09/27 12:36:41
マイッちんグ。
631 :
オオツカ某:04/09/27 13:15:15
唐沢も東もヒット作ないじゃんw
大塚さんにはマダラとサイコがありますもんね!
そんなこと言われても、評論でメディアミックスって出来ないもんw
いや・・・新海の浩紀タン主人公映画といいファウストといい
メディアミックス批評はまさに始まろうとしているぞ
動ポモアニメ化は近い
「ほしのこえ」に関してだけは
あずまんが一番正しく批評出来てた気がするけどね。
棲み分け批判って、そういう自分が一番、棲み分けによって守られてんだから
>>636 うっせえよブタ!香山リカとかと腐った対談しやがって!
俺のメルマガ>>>(超えられない壁)>>>愛国問答
638 :
浅田:04/09/27 16:17:06
いいから黙って尻かせ!
いいから黙って金出せ!
641 :
考える名無しさん:04/09/27 19:13:20
642 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/09/27 19:15:27
∧_∧ ミ にょふぉふぉふぉふぉふぉふぉふぉ!
o/⌒(. ;´∀`)つ
と_)__つノ ☆ バンバン
>>565 違う、唐沢の指摘「PCで〜苦労しない」は
ヒット商品を順列組み合わせだけで作れる
と東が思っている事を含ませている、それが間違い
>>573>>581>>583 その通りです
>>576 >>582 >>574-575 順列組み合わせ=データベースとします
「ヒットしているならばデータベースを押さえている」は
「ヒット商品はデータベースに還元できる」を含むので
「ヒット商品はデータベースに還元できない」とは違います
「データベースを押さえればヒット作を作れる」とも違います
>>586 唐沢が商品とヒット商品を厳密に使い分けているかどうか
もう一度立ち読みしてきますが、
たしか順列組み合わせに還元できたらPCで上から順番に試せば
ヒット作できちゃうじゃん、そんな簡単じゃねーよ、という内容だったと思う
その場合は誤読になる
>>589 「ヒット作はデータベースを押さえている」というとき、
データベースに還元出来ているが
それはデータベースを押さえればヒット作が作れる事を意味しない
>>590 >すべての作品はデータベースに還元「されてしまう」
データベース消費をする消費者の欲望があるのでその側面もあるかも
>>602>>604>>606 >なぜ唐沢が「データベースをおさえていれば必ずヒットする、と東がいっている」といったことになってるか
「PCで〜苦労しない」のたとえは東がそう考えている事を含んでいる
あと十分条件の使い方がおかしい気がする
>>609 1. 〇 2. ×
>>611 PCのたとえからそう読み取れるのは推測ではない
ただPCのたとえを用いたのはなぜかを推測している
>>634 >>636 そういうけど、NHKのテレビ討論番組なんか大変よ、話のわからないクリエイタ―とかタレントとか..
東さんに僕が期待しているのは次期コミケに金正男のコスプレで登場
してくれることだけです。
しろうとのスルーした問題
●「具体的に」シリーズ
>単純な質問だけど、江戸時代の歌舞伎や読本等におけるデータベースを
>「統御して人間性を保証していた」ものって、具体的に、何?
→
歴史的に存続する共同体。
(斎藤が批判する東的な)象徴界=社会=イデオロギー。
>「具体的には」、それは、何なの?
>江戸時代の共同体というのはどのようなもので、それによって作品の内容
>および消費のされ方は、現代とどのように違っていたわけ?
→
>前近代も作家性はないのですが、伝統が人間性を担保しています
→
何度も聞くが、江戸時代の歌舞伎・読み本における、「人間性を担保してる
伝統」って、具体的に何?
●ジャンプ漫画の作家性
アンケート至上主義の最高峰であるジャンプ漫画は、
「萌え要素の順列組み合わせだけでできた作家性のない作品」か
→
>ところが、まさにそう言えるのです。なぜか。
>有名なDB的武闘会形式というのがありますね
>ジャンプの漫画は必ずこの形式に飲み込まれてグダグダになって終わります
>作家性がスポイルされてまともな形で最終回を迎える事が少ない
>それはデータベースに回収されているという事です
→
全部の漫画が「DB武闘グダグダ化」ってのは、ムチャクチャだぞ。
「ジョジョ」は? 「レベルE」は? 「ヒカ碁」は?
※データベース的なジャンプ漫画はもちろんあるが、それだけで全部が
語れるのか?
●近代作品ってどれ?
>東の主張は動物「化」であって
>作家性が少なくとも近代よりも衰退しているという主張だから
>そういう単純な批判ではだめだ。
→
それに、「近代より後退している」という時の「近代の作品」って、日本に
おいては、どれ?
大衆娯楽というのは、明治の立川文庫も大正浪漫も昭和の銀幕も、紅白も、
昼メロも、なにもかも、みんな、系譜があって記号性があって商業に
基づいた「作家性のない」作品なわけだが。
651 :
考える名無しさん:04/09/27 22:24:19
このスレのびすぎ
実社会の共同体から完全に切断されたこの空間で
形骸化した人間性を必死に保とうとする・・・・
過視化する動物化するポストモダン
それがこのスレッドの正体です
「過視的」ってのは流行んなかったですね。
可視的と間違えられてブチ切れるほどの入れ込みようだったのに・・・
それを考えると「動物化」ってのは一応成功なんすかね。
>652
言いえて妙。ホント、このスレの存在そのものが動物化を実証しとるよなー
>>647 なるほど、どうりでふっくらしてると思った。
中原中也(1907-1937)
宮澤賢治(1896-1933)
芥川龍之介(1892-1927)
高浜虚子(1874-1959)
種田山頭火(1882-1940)
武者小路実篤(1885-1976)
菊池寛(1888-1948)
夢野久作(1889-1936)
若山牧水(1885-1928)
梶井基次郎(1901-1932)
谷崎潤一郎(1886-1965)
牧野信一(1896-1936)
司馬遼太郎(1923-1996)
三島由紀夫(1925-1970)
太宰治(1909-1948)
井上靖(1907-1991)
寺山修司(1935-1983)
江戸川乱歩(1894-1965)
川端康成(1899-1972)
坂口安吾(1906-1955)
松本清張(1909-1992)
武者小路実篤(1885-1976)
山田風太郎(1922-2001)
池波正太郎(1923-1990)
大岡昇平
福永武彦(1918-1979)
横溝正史(1902-1981)
吉行淳之介(1924-1994)
安部公房(1924-1993)
遠藤周作(1923-1996)
開高健(1930-1989)
向田邦子(1929-1981)
内田百間(1889-1971)
宇野千代(1897-1996)
柴田錬三郎(1917-1978)
小栗虫太郎(1901-1946)
谷崎潤一郎(1886-1965)
堀辰雄(1904-1953)
大佛次郎(1897-1973)
島尾敏雄(1917-1986)
芹沢光治良(1897-1993)
住井すゑ(1902-1997)
中島敦(1909-1942)
藤沢周平(1927-1997)
小林多喜二 (1903-1933)
埴谷雄高
稲垣足穂(1900-1977)
石川啄木(1886-1912)
夏目漱石(1867-1916)
泉鏡花(1873-1939)
森鴎外(1862-1922)
小泉八雲(1850-1904)
樋口一葉(1872-1896)
正岡子規(1867-1902)
幸田露伴
島崎藤村(1872-1943)
田山花袋(1871-1930)
国木田独歩
村上春樹
佐藤友哉
綿谷りさ
ポモ作家
ユヤタン
西尾維新
舞城王太郎
奈須きのこ
原田宇陀児
元長柾木
新海誠
あとはあんま知らん
10年後にポモ作家が大量に増えてるのか
あるいはなかったことになってるのか・・・・
>>662 それはあずまんがメタなんたらかんたらと言ってる人達で、
一般にポモ作家というと高橋源一郎とか小林恭二とかを
指すんでないの?
いやそれはポストモダニズム作家
真のポストモダン作家はファウスト系だけです
>>665 ずまそんて初期高橋は誉めてなかったっけか。
ポモ作家
ギャルゲ・エロゲのライター
ホモ作家は?
今の庵野には興味がないみたいだし
5年もたてばファウストにコミットしていたことも
作家を評価していたこともなかったこととして振舞うに違いない。
しかし昔は平野啓一郎を「新潮文庫しか読んでいない」とか
すごい暴言でけなしていたのにな。
(もちろん平野は新潮文庫以外も読んでいる)
新潮文庫すら読んでいない佐藤はどうなるんだ。
データベースとか確率とか動物化といえばギャルゲより
パチスロの台頭を忘れてはならない。
ギャルゲ以上の伸びだったはず
そういや以前パチンコ屋の建築はポストモダンだと
言っていたことがあったな
・小林拓己「ヴァージンな関係」(1〜4)
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812459338/249-2428031-2033112 の、アマゾンのカスタマーレビューにもあるとおり、
「めぞん一刻+ああ、女神さまっ!+エロ」
……これだけでほぼすべてが語りつくせてしまうような作品である。
「優柔不断」で「サエない」主人公がなぜだかモテまくるという
ラブコメの王道を押さえてプラス性描写、といった内容。
だから、この作品を好きだと公言することがこっぱずかしくて
なかなかできない、というのがこの作品の最大の難点であろうと思われる。
レビューにある「女神さまの同人誌買うより、こっちの方が絶対良いです。」
とは、暗に「女神さまのエロ同人誌を買うより」ということが言いたいのであろう。
なぜならこの絵は誰がどう見ても女神さまであり、メインヒロイン
赤石佳那=やることやっちゃうベルダンディ、だからである。(あちゃ〜〜)
そう考えるとこの作品自体が「禁じ手」「反則」「邪道」といった類いの
ものではないかとすら思えてくるのだが、まあ最初にやったやつが勝ち、
なんだろうなぁ。うーむ。
ということで恥をしのんで声を大にして言おう。
「私は、小林拓己『ヴァージンな関係』が大好きだっっ!!!」
(あーあ、言っちまったぜこんちくしょお。)
著者小林拓己は女流で初期の作風はレディコミ路線であったが、
男性向けエロの市場で勝ちに徹すべく藤島康介路線へと転換し、
(あくまでエロのカテゴリ内での話だが)現在ブレイク中。
漏れは一介のオタにすぎず、むずかしい理屈はよくわからん。
ということで672に書かれているようなオタクの消費行動は、
あずまん的、動ポモ的にはどのように分析されてしまうのだろうか。
データベース消費?スノビズム?シニシズム??
おしえてエロいひと。
女流高橋留美子が男向け萌え漫画の父だったりすることが面白いね。
今度ギャルゲー化する少年ジャンプの苺100%も女流で
すごい工学的な萌え漫画描いてて面白い。
なんか本物の女の子の写真加工して漫画作ってるようなかんじ。
>>673 そゆことじゃなくてね。
なんだろう?
あのね、虫眼鏡使って見た虫は拡大された虫であって、
虫そのものじゃないでしょ?
あずまんの言説は虫眼鏡がどんなものか、
いかに虫を観察するのに適しているか、
それを言っているの。
虫を持ってきて、これが虫眼鏡にとってなんなのかと聞かれても困る。
もちろん「その虫もこの虫眼鏡で観察できますよ、ほーらごらん!」
とは言えるけど、そこらへんは虫眼鏡を使う人の裁量だったりする。
そのカスタマーレビューを書いたのは実は672
>>655 首領様、日本民族を「動物化」する戦略ですか
ここまで通読してあじゅまんが
オタとオタ系とのヨコの比較を
第1世代と第3世代とのタテの比較にズラしてしまった
というのがわかった
プ
>>678 動ポモは初めからオタクではなくオタク系文化についての記述ですから
オタクを世代分けした本ですけどね
682 :
考える名無しさん:04/09/28 17:49:57
さようならひとみしりんぐ
かえってこいよ〜
いやもうこのスレにずっといるんですけど・・・
また『トS』立ち読みしたんですけど、
唐沢が順列組み合わせによってヒット作を生み出せる、という主張を
東の『動ポモ』から読み取った、という点は間違い無さそうです
PCを使って萌え要素の一覧表を作れば
向後十数年はヒット作を苦労せずに作れるだろう
しかしそんな簡単なら苦労しないというのが現場の声だそうです
これは初歩的な誤読で、例えば『カルドセプト』の如きカードゲームにおいては
すべてのカードがデータベースに収まっています、即ち数値に還元されています
そしてその順列組み合わせであるブックを上手く組む事は勝利の条件でしょう
しかし、単に良いブックを作る事が実際の勝利を約束する訳ではありません
「ブックを押さえなければゲームに勝てない」という主張と
「ブックを押さえればゲームに勝てる」という主張は別です
「ゲームに勝ったならばブックは押さえている」は対偶なので同じです
「ゲームの勝利はブックに還元不能」という命題の方は出てきません
商品とヒット商品を唐沢が区別しているかどうかは微妙なところですね
「ムーブメント」とか「人気」とか言っていてやはり前半と後半で矛盾を起こしそうです
少なくとも
>>565のような区別が自然と読み取れるように書いてない
また唐沢の後半の主張だけど、(自分は初歩的じゃなくて基礎的だと思うが)
東のデータベース論はオタクに対してオタクの文化を説明するものではなくて
外部の人間に対しての説明だから初歩的で構わない
逆にそういう初歩的な説明「すら」してこなかった唐沢たちが問題と言えます
仲間内だけでしか通用しないのが先進的という訳でもない
んなことでうでもいいって・・・
あずまんのスルー技術を見につけなよ・・・
身動きできなくなるよ
ただデータベース論は生産性があるけど
動物化論はどう応用するのか分からないから援護しない
動物化してるんじゃなくて人間性が変化してるんじゃないだろうか
>>688 確かに「でうでもいい事」に過ぎないけど
2chで身動きできないなんて事はないと思う
東浩紀はプロの批評家だから言動に制約があるけど
>685
どんなものでも、どんなやりかたでも分類することはできる。
だから、独自の分類を提示するには、なにほどかの価値、意味がなければ
ならない。
たとえば、監督がヤセかデブかでアニメを分類してもいいが、それは単に
「分類しただけ」で、意味がないだろう。分類したことによって、何か
新たな意味や傾向が出てこないと、分類する意味がない(ヤセ型の監督と
デブ型の監督で、作品傾向に大きな差がある、というのが、もし見つかれ
ば、その分類には意味がでてくる)。
東は、萌え要素によるデータベース分類が、昨今の作品群の本質を示唆すると
言い張ってるが、それでヒット作が量産できるとかいうならともかく、そうで
ない以上、「萌え要素」による分類は、「単に分類しただけ」の、表層的な、
実際的な価値のない分類じゃないか、という話だろ。
またそもそも大衆娯楽を、単にデータベース分類できる、ということなら、
最初から知れているわけだから、東の論には全く価値がない、というわけだ。
>687
後半については、あずまんが、「ポストモダンになって作品がデータベー
ス化した」と言ってるのに対し、「そんなことは昔から知られていた。昔の
作品だってデータベース化されていた」と反論してるわけだろ。
「そんなことは昔から知られていた」というのに対しては、「初心者向けに
説明が必要」という反論が成立するが、「昔の作品だって十分データベースだ」
というのについては、その反論は成り立たない。
カードゲームの例えを出すなら
1、デッキは有限のカードから成り立っている
2、ゲームに勝つためには良いデッキを組む必要がある
3、「良いデッキ」はプレイヤー間のメタゲームから事後的に決定される
唐沢は動ポモからは1と2だけしか読め取れないぞと言ってるのかな?
いや、肝心の唐沢の文を読んでないんでなんか適当な事を言ってるなと思ったらスールしてくれ…。
>>691 分類の価値の前にまず唐沢が初歩的な誤読をしていた事は押さえておきます
プラグマティックという視点で言えば岡田の「通」「粋」「匠」などより操作的です
それですぐヒット作が量産できないからといって、表層的な分類という事にはならない
例えばコード進行を知ったからといって、それだけですぐ作曲できる訳ではないし
ましてヒット曲が作れるかどうかはわからないが実際的な価値があります
しかし実際的な価値というのはこのスレでは決まらないでしょう
>>692 「昔から知られていた」という実質を詳細に見たときに
例えば大塚もプロップの物語の機能分類の手法なんかを持ってくる訳ですが
複雑系をヒントにしているデータベースは構造主義的なそれとは違うと思う
東がデータベースの定義を全然しないから本に基づいて展開できないけど
それから前も言ったけどあの本では近代に対して
ポストモダンを対置しているので昔に回帰しても全然構わない
>>693 その喩えでいくと唐沢は2の
>ゲームに勝つためには良いデッキを組む必要がある を
良いデッキが組めればゲームに(苦労せず)勝てるというように読んでいます
>「良いデッキ」はプレイヤー間のメタゲームから事後的に決定される
メタによって良さが変わるのでデッキの評価は確率的なものですよね
カードゲームの場合デッキは変わらないけど
データベースはシミュラークルによって生成するはずで
そこら辺を小泉義之が指摘してますが
東のデータベースが静的なものか動的なものかよく分からない
>>684 > いやもうこのスレにずっといるんですけど・・・
いま、何してるんですか?
698 :
考える名無しさん:04/09/29 00:50:51
それぞれの世代・身分が持つ”偶発の記録”に呼応して”適当”に発生している
”作品”をいちいち指差しては「これ、これ見てよ。正にデータベース!」と
馬鹿の一つ覚えで奇声を上げ続ける。
加熱するコミュニティから”記録違い”で外れてしまった者や
どうにかして大当てしたい”山師”達がこぞってこの男のもとへと集まる。
ここまで来ればこの男の周辺が既に一つの群れ・コミュニティであり、
他の群れとの間に大きな溝を持つ宗教団体の一種のようにも見えてきた。
>694
だから、「実際的な価値がない」という主張に関して、唐沢は少なくとも
自説内で論理矛盾はしてない、ということ。
>695
>複雑系をヒントにしているデータベースは構造主義的なそれとは違うと思う
「複雑系をヒント」?
ヒントにするのは勝手だけど、あずまんデータベースのどのあたりが、
複雑系の影響を受けていて、それは、唐沢がやったような「メロドラマの
要素分解」とは、どのように違うわけ?
たとえば、「スチュワーデス物語」を含む大映ドラマでも、「シスプリ」を含む
萌え作品でもいいけど、唐沢分類だとどうなって、あずまん分類だとどうな
って、二つの間には、どのような違いがでてくるのか、具体的に書いて
見せてよ。
>それから前も言ったけどあの本では近代に対して
>ポストモダンを対置しているので昔に回帰しても全然構わない
その「近代」とやらは、具体的に、いつの期間のどんな作品なの?
俺の考えだと、大衆娯楽は昔からデータベース性が強く、純文学的なものは
昔から作家性が強かったので、「近代」という一期間に、データベース性が
薄くなって作家性が多かった、という事実はないように思えるんだけど。
>648-650にも答えてほしいな。
700 :
考える名無しさん:04/09/29 01:26:27
しろうとはスルーしっぱなしだけど、
アニメとかマンガの研究って、
唐沢vs東とは別の軸でぼちぼち出てきているよな?
論壇プロレスよりもそういう動きの方が実質的なんじゃないの?
やっぱりここのスレ住人はプロレスに興味があるのか?
>>684 > いやもうこのスレにずっといるんですけど・・・
おかえりなさい、hitomisiring
702 :
考える名無しさん:04/09/29 02:23:40
スレの本題であるhitomisiringが、スルーされてるな。
辞めちゃったやつは叩かれもしないのか。
>>684 > いやもうこのスレにずっといるんですけど・・・
じゃあきくけど、
>>640は本当ですか?結構ショックなんだけど・・・
ヒトミ懐妊に対してあずまんが一言も触れてないのは、
ちょっと異常じゃないの?
なんか釈然としない。突然すぎる。
創作にしてはリアルすぎるな。
だよなー
まあ仕方ないのかも知れないが…
>>699 例えば今はクラッシックだろうとポピュラーだろうとあらゆる音楽の歴史資源がサンプリングとして
使用可能になったり楽器が引けなくてもPCで製作できるようになったりしてるけどどう思ってるの?
あるいはマーケティングにかかる資金の超増大。もはや商品よりも音楽家よりも広告が本質。
商品がどれだけ売れるかは売る前にわかってしまう蓄積された膨大なデータベース。
そういうの降り積もるには資本主義化してからの時間と歴史が必要だと思うけどね。
>俺の考えだと、大衆娯楽は昔からデータベース性が強く、純文学的なものは
>昔から作家性が強かったので、「近代」という一期間に、データベース性が
>薄くなって作家性が多かった、という事実はないように思えるんだけど。
純粋娯楽作品に限定すれば作家性がないのはそうかもしれないけど
社会全体で見れば近代はデザイン運動や芸術運動や文芸運動や
イデオロギーが密接に関わりあって爆発した時代。
そしてその後全部が結局純粋娯楽作品のデータベースになってしまうのがポストモダン なんでしょう
>たとえば、「スチュワーデス物語」を含む大映ドラマでも、「シスプリ」を含む
>萌え作品でもいいけど、唐沢分類だとどうなって、あずまん分類だとどうな
>って、二つの間には、どのような違いがでてくるのか、具体的に書いて
>見せてよ。
「スチュワーデス物語」自体も唐沢の文も読んだことないが具体的に考えて「スチュワーデス物語」に登場する
それぞれの女性のシミュラークルのグッズ(マグカップとか)が女性たちと等価に消費されたとか
女性の性格や語尾や属性が萌え要素データとして工学的に組み合わされ結果として
でじこやシスプリみたいな現実から浮遊する過激な超現実的デザインになってるとも思えない。
普通にスチュワーデスだ。
せめて「スチュワーデスと看護婦とメイドと教師とお母さん物語」くらいはやってほしいな。
>708
>>俺の考えだと、大衆娯楽は昔からデータベース性が強く、純文学的なものは
>>昔から作家性が強かったので、「近代」という一期間に、データベース性が
>>薄くなって作家性が多かった、という事実はないように思えるんだけど。
>純粋娯楽作品に限定すれば作家性がないのはそうかもしれないけど
>社会全体で見れば近代はデザイン運動や芸術運動や文芸運動や
>イデオロギーが密接に関わりあって爆発した時代。
1.その「社会全体」って、日本においては何年の、どのあたりを
考えている?
2.過去の芸術と現代の芸術を比べ、「このように衰退化した。データ
ベースの割合が大きくなった」というのならわかる。
けれど、現在のオタク系文化(=娯楽文化)と比較するなら、過去の
娯楽系文化と比較しないと、つじつまがあわないよな。
「明治の文芸運動」と「最近の芥川賞」という比較は意味を持つ。
「明治の講談」と「最近のアニメ」という比較も意味を持つ。
けれど、「明治の文芸運動」と「最近のアニメ・漫画」を比べて、
後者がデータベース的だという比較は、当たり前で、意味がない。
あずまんは、そのへんをいい加減にし続けている。
しろうともな。
>>709 シミュラークラが、キャラと等価に消費されている状態って、具体的に
どういう状況?
当時だって、みんなアイドルグッズは買っていたわけだが。
709本人は、「グッズをキャラと等価として」買ったことある?
それは何?
>女性の性格や語尾や属性が萌え要素データとして工学的に組み合わされ結果として
>でじこやシスプリみたいな現実から浮遊する過激な超現実的デザインになってるとも思えない。
「教官!」「どじでのろまな亀!」みたいな、頭の悪い決めぜりふを用意して、
それを連呼するのが、当時の大映ドラマ。
ストーリーの基本方向は、「逆境における女の子萌え」。
アイドルの持つ属性を中心にいじる類型的なストーリーなんだが、「不幸」の
順列組み合わせを追求するあまり、どんどん非現実的な方向に傾斜して
いった。
原作になった少女漫画や、インスパイアされた他の作品群も含め、
キャラの性格、属性、決めゼリフ、不幸パターンは、ほとんど工学的に
決定され、消費されていた、と言っていい。
>709
俺が訊いてるのは、大映ドラマ時代にデータベース性が強かったか、では
なく(大映ドラマ知らないみたいだし)、唐沢分類法と、あずまん
分類法に、どんな違いがあるか、なんだけど。
例えば、萌えゲーを、唐沢風に分類したら、この程度しか分類できない
けど、あずまんの分類法なら、こういう観点から分類できて、新たに
こういうことが言える、というのはないのかね?
俺からすると、まだ、どちらも同じに見えるんだが。
トンデモ本読んでみたが、唐沢が「ヒット策」と商品一般を混同している箇所は無かった。
寧ろそれぞれに対して、別のことを言ってる。
しろうとは自分の混同を他者の混同として転移しているようだ。かれには良くあることだが。
>>698 > ここまで来ればこの男の周辺が既に一つの群れ・コミュニティであり、
> 他の群れとの間に大きな溝を持つ宗教団体の一種のようにも見えてきた。
いやまあ、それはそれで事実なのかもしれんが、
当人達にとってみればそれは商売で、生活だ。
生暖かく見守ってやるのが吉だろう。
ここ2年ばかり東周辺の動きを追ってなかったんだが、
動ポモに続くオタ系の本は出てないようだし、
端的に言って「飽きられ気味」なんでないの??
715 :
考える名無しさん:04/09/29 13:06:10
というか、村上隆がすっかり定着して、
あずまんは90年代文化論の人と思われている。
浅田彰と言えば80年代と思う人が多いのと一緒。
716 :
考える名無しさん:04/09/29 13:07:22
ヒトミシリングは消しません勝までは
村上隆が90年代文化論の人って意味でか?
まじ往くかな
720 :
考える名無しさん:04/09/29 13:13:21
そう。
十年単位で分類する人から見れば、
宮台・村上・あずまんは全員90年代の人。
1983年・浅田彰「構造と力」
1980年代末期・浅田彰、徐々に「何でも正しいことを言う人」にシフト
1995年・浅田彰、ポモからの転向を正式に宣言
この歴史を受けて
1996年・東浩紀、初のアニメ(作家)論
2004年・東浩紀、「単なる萌えだったらいつでもやめてやる」宣言
歴史は繰り返す
暇だね結局もれぐみか?
>>710 >過去の芸術と現代の芸術を比べ、「このように衰退化した。データ
>ベースの割合が大きくなった」というのならわかる。
>けれど、現在のオタク系文化(=娯楽文化)と比較するなら、過去の
>娯楽系文化と比較しないと、つじつまがあわないよな。
過去のオタク系文化からの変遷
宇宙戦艦ヤマトや起動戦士ガンダムといった作品の消費形態からでじこやギャルゲや
エヴァ、ガンダムSEEDなんかの消費形態を比較するってそんなにつじつまあわない?
そもそも当時のオタクは伝統ではなく
近代に生まれた資本主義や大きな物語の凋落の残滓が生んでるから
純粋な娯楽ではなくものすごく変な娯楽文化になってしまった。
実際唐沢自身も純粋に娯楽としてアニメを見ることがいかに
主体性がいるのか語っているし、
作家自身がイデオロギーに傾倒してたりもしてる。
大映ドラマ・・・スクールウォーズとかヤヌスの鏡は再放送で見たけど
オタク文化というよりそれこそただの大衆文化だよね。
そしてオタク系文化産業は近年になって大衆娯楽として台頭、
急激に注目されてきた。それでいいんじゃ。
>シミュラークラが、キャラと等価に消費されている状態って、具体的に
>どういう状況?
少女漫画がTVドラマになるのとは違って
ゲームのキャラを使ってアニメ化するのは本物ともコピーともいえない
シミュラークル商品だよな。そしてシスプリのキャラはそれこそ
自分でそっくりに描く事だってできる。
オタク系文化?である大映ドラマが現代において
同じくオタク系文化であるシスプリに変貌したっていうんならそりゃ立派に
データベース性やシミュラークル性が激化したって思うよ。
>例えば、萌えゲーを、唐沢風に分類したら、この程度しか分類できない
>けど、あずまんの分類法なら、こういう観点から分類できて、新たに
>こういうことが言える、というのはないのかね?
>俺からすると、まだ、どちらも同じに見えるんだが。
別にいいじゃん。同じなら。
東はデータベースが蓄積される技術や
蓄積しようとする社会を重視するが
唐沢はそんなものは昔から大衆娯楽にあったからと重視しない。
東は社会全体のデータベース化を見て、情報や文芸のポモ論を展開。
唐沢はしない。
別にいいじゃん。
そして急速に「オタク」という下位大衆層を生んだ。
今後出てくるのはあくまでも大衆文化の作品。
オタク論者が望んだような、異種混淆の時代は終わっていると思います。
>過去のオタク系文化からの変遷
>宇宙戦艦ヤマトや起動戦士ガンダムといった作品の消費形態からでじこやギャルゲや
>エヴァ、ガンダムSEEDなんかの消費形態を比較するってそんなにつじつまあわない?
ん? オタク文化に限定して、過去と現在の消費形態を比較すること自体は
問題ないよ。「ヤマトがプレモダンでガンダムが近代だ」という比較は、あり。
ただ、その場合、分析内容に問題がある。
例えば、戦隊物は昔から今まで人気なわけだし、「エヴァでアニメが終わって
ポストモダン化した」という東の主張は穴がありすぎる。
そう指摘すると、しろうとあたりは、一般に近代とされるような小難しい
芸術作品をもってきて、現代のオタク系文化(=娯楽作品)に対置しようと
するので、それはそれで変だろう、という話だ。
>724
大衆文化が大衆文化として連綿と存続し、その中で、オタク文化が、
マニアのカルト的なものから大衆文化そのものに変わっていった、という
流れ自体は別に変じゃないと思う。
がしかし、東の主張は、「社会の変化に伴って、オタク文化がポスト
モダン化した」というものなのだから、オタク文化がモダンだった頃は、
社会全体がモダンだった=大衆文化は影が薄かった、ということになる。
それは変だろう、ということ。
>725
>ゲームのキャラを使ってアニメ化するのは本物ともコピーともいえない
>シミュラークル商品だよな。
なんで?
架空のキャラクターに元から本物もコピーもないじゃん。アニメのキャラ
だろうがゲームのキャラだろうが、演出された人格としてのアイドルだ
ろうが。シミュラークルだというなら、最初から全部シミュラークルな
わけで。
そうだなぁ。例えば、「スケ番デカのヨーヨー」と「シスプリのトレカ」は、
どこがどのように違って、消費者心理は、どう違うわけ?
>726
>別にいいじゃん。同じなら。
俺は構わないんだが、しろうとによると「複雑系にヒントを得て」いる
らしくて、分類方法自体が違うらしいから。
>東はデータベースが蓄積される技術や
>蓄積しようとする社会を重視するが
>唐沢はそんなものは昔から大衆娯楽にあったからと重視しない。
唐沢だって「データベース的な分類・発想は昔からあったけど、
それを利用したマーケティングは、近年になって、ますます激化し、
その決定プロセスが、人間的というより機械的になってきている面もある」
と言えば、別に反対しないと思うよ。
近年の東の迷走を印象論と下衆の勘ぐりのみで語ると、
スーパーフラット論→浅田にボコられる→東「ハイアートしか評価しない浅田さんにスーパーフラットは理解できない」
→アメリカのモダニズムに範を置いた村上→東「そうだ、日本においてはそもそも芸術(特にハイアート)なんてなくて、全てアメリカ経由の複雑骨折」
→東「日本の地政学的な位置を検討する際に、当初は時枝だの漢字かな混用だのといった柄谷理論に範を置いてたが脱却するべ」
→「現代美術に多大な影響を与えているオタクを対象とすることで、日本の地政学的な位置を検討しよう」
→動ポモ→動ポモ視点の普遍化→情報社会論
この流れには事実誤認もあるだろうが、とりあえず郵便本出版以降から一連の経緯を東オタ(CDRも買ったしな…)
の視点から整理すると大体妥当だと思われ。で、(1)浅田はSFなど、作品対象としてはアメリカのモダニズム
→ポップアートの再生産であり、そんなにおもろくないし、東のSF論は東自身が提起した否定神学的な図式に
すっぽりはまったという意味において後退しているという批判
→これを東は「浅田には「ハイアート」しかわからんのでしょ」という切り方で再批判したのだが、
浅田は趣味判断の問題以前に、東のSF論それ自体をデタラメと批判したわけで、それに東は答える必要が
(少なくとも批評家を自称するならば)あったはず。
(2)「日本特殊論」(「芸術」が存在しない悪い場所としての日本)を、
村上が「アメリカ」に依拠し、作品の商品化、並びにメディアミックスを通じて
解毒しようとし(「芸術なんてそもそもないんじゃ」→だから日本は最先端)、
また椹木が「日本」に依拠し、日本における前衛が常に失敗の歴史としてのみ
言説化されてきたことを検証し、言説化しようとすること(「常に前衛は敗れてきたんじゃ」
→だから日本は最前衛)で、それぞれ「特殊」論それ自体を強化していったのに対して、
東はそうした「特殊」論が生じ続ける場としての「日本」を地政学的な観点から焦点化しよう
とした。当初は、柄谷に範を置き、時枝/漢字かな混用論を大戦とアジアにおけるコロニアリ
ズムの観点から考察する計画を立てていたが、先のSF論における浅田=「ハイアート」
=ヨーロッパ/SF=「ローアート」=アメリカの対立において、自身を後者に位置付けることで
(つまり村上の戦略に乗っかる形で)、柄谷理論からの脱却を図る。芸術といえば、当初は、
岡崎乾二郎の様々な試みに賛同し、郵便本内でも言及するほどの関心をよせていたものの、
「アメリカ/SF/オタク」の三項を語るには、岡崎のモダニズムとは異なる消費社会論を
踏まえた回路を必要とし動ポモ出版。動ポモ視点の普遍化を目指し、情報社会論に手を付ける。
で、誤認かどうかよくわからんがまとめれば、東氏にとっては「芸術」(現代美術)が
色々な意味で(東氏用語を用いれば)躓きの石。だけど、躓いてもすぐに前進するところは、
やはりすごいと思う。
長文失礼。
>>734 ささいなことだが
「躓き」というのは、別に東氏用語ではなく、本来キリスト教用語で「信仰できない」の意味
「私はここで躓いた」なる物言いを
否定神学として東氏が批判したのはその文脈があってのこと
知ってたら失礼。
>躓いてもすぐに前進するところは、やはりすごいと思う。
そう思う
できる限りそうあり続けてほしいものだが
乙。
けどあずまんは最近現代美術について何か言ってる?
どこで前進しているのか、煽り抜きで興味があります。
レベル低すぎて読む気しないわ
こ、このスレがか?
「スーパフラットで思弁する」
で村上にパースペクティブ与えた東の手腕自体は評価してたような。浅田さん。
でも村上のジャパン輸出戦略自体はありきたりすぎて激しくつまらんってかんじで・・・
そんな覚えてはないけど。
しかし今回のスレはタイムスリップしてるな〜・・・
本人がやる気なしの話題を
「スーパフラットで思弁する」 でのラカン認識を
たまきんが批判してた文はウェブの批評空間にあった気がする
賞は逃したみたいね、森川のやつ
死んだと聞いてなんだか手にとってみたくなった中島らも
「しりとりえっせい」にこんなことが書いてあった。
> ただその一方で、学者にならなくてほんとうに良かった、
> と胸をなでおろしている一面もある。仮に例をあげれば、
> 地動説が出てきたときに、それに反対して天動説を支持する
> ことに一生を費やした学者も当然いたわけだ。
> その人たちの一生はいったい何だったのか。
> それを思うとゾッとする。
学問の道に生きるとは、あくまで「結果論として」また
「後世から見て」一生を棒に振るリスクを背負うということだ。
東氏も哲学者先生ならその覚悟はできているはずだ。
いや、自覚していなくても事実背負ってしまっているはずだ。
哲学や思想なら、「この時代にはこのような思想が隆盛であった」
とか、「これこれの思想を踏まえて次の時代のこんな思想が生まれた。」
というような形でまったく棒に振るということはないのかもしれんが、
中世のスコラ哲学では「天使の性別は男か女か」などということを
真剣に考えていたそうで、「その人たちの人生はいったい何だったのか」
と言わざるを得ないわな。
まあ、生きているうちに自説を撤回できた浅田彰などは幸せな
部類に入るのだろう。
ふーん
いや待て!
天使って女の子だろ?
天使はふたなり
そうか?俺はむしろ、最近の東の自閉っぷりを
10+1やインコミからの距離を取るという点から
考えれば、美術ネタでの論争未消化という説も
強ち妄想ではないような気がする。特に、磯崎
=岡崎の線から、趣都森川、中谷礼人、五十嵐、
北田という線がつながっているのであれば、
柄谷論を中谷が、オタク論を森川が、監視社会論
を五十嵐が、メディア論を北田が
それぞれ東理論の縮小再生産として分業で続けて
いるという状況がある以上、
東が浅田と切れたという陰謀論によって
本来のポジションを他の書き手に奪われた
=あるいは積極的に東が自閉したというのは
結構素敵に整合的な論だと思うが。
まぁ、現下の問題である
新現実=ファウストを東の試みにおいて
どう位置付けるかのほうが重要だが。
>メディア論を北田が
>それぞれ東理論の縮小再生産として
北田はあずまん以前からメディア論を書いとる。
ついでにいうと、森川はエヴァ論が実質デビューだから
これまたあずまんと同時期かそれ以前からオタク論を書いている。
>>747 でもどっちも「認識論」があずまん以下。
漏れも746が提唱した電波混じりの仮説がイイと思う。
過視的なものと言わなくなったのは、
美術について言わなくなるのと同時期じゃない?
セザンヌの話とかを講演でしていたのを思い出す。
749 :
考える名無しさん:04/09/30 14:02:55
七年付き合ってた彼女。。
たしか美大生だったような
あずまさんは結構、人を切りますね
皆それに気付いた。
もともと東─hitomi間になんらかの緊張感があったのではないだろうか。
そう考えるのが自然。
>>130だけではどう見てもhitomi氏を切る理由にはならない。
本人が持ち出しをしたわけではないんだから。
いやあでも東は気にくわないとすぐに人切るだろ
波状編集なんていらないと思えば切ればすむ話だし
グロコムとかはそうはいかんと思うがな
そんなにドライなの?
結構アットホームな印象があったんだけど>波状編集
切られてもいる。村上隆はもうあずまんを必要としない。
なるほど、切ったというより思わず切っちゃったという感じか。
それじゃかわいそうだな。
最近切られてる方が多いんじゃないのか?
岡崎と和解すればいいのに
すぐカーッと頭に来て失言して袂を分かつパターン多いよな
まあプロレスの範疇なのかもしれないけど
岡崎消えて欲しい
東の冒頭のコラムが面白い。
動ポモ2が文芸批評になってしまったけど
このコラム、何か別の形になるんだろうか?
西尾維新ってどうよ?
このスレ住人の見解を聞きたい。
>>761 岡崎面白いとおもうけどな。今月の美術手帖マティスとか。
内輪の学園祭(=波状言論)でさえ維持できないのかよ。
大丈夫なのかこの人は
かつて劇団運営に失敗しているから
ところで空の境界が50万部近く売れとるそうだな
波状言論は800人だ。きのこもまだまだだな。
>>757 >
>>755 > ドライというより、激しやすい。
色々理由つけてたけど、柄谷浅田ともホントはそれでしょ
770 :
考える名無しさん:04/09/30 19:10:24
気に入らん奴は粛清って、ますます現実味を帯びてきたなあずまん、金正男説
作家の引用意識とかガイナックスとか面白い話がタイムリーできたね、波状。
772 :
考える名無しさん:04/09/30 21:39:15
でもネットでのふるまい方を見る限りでは、東は山形や町山なんかよりも成熟しているけどね。
まあ 曙よりは太ってないしね
別にテクニックに長けていない
温厚に見えるけど、切れると怖いイメージ。
脱社会系=東説
あの早口でしゃべるの見ると温厚には見えんがな。
あの早口は普通ひくな・・・
威圧される
警戒心が強いことを「成熟」とは言わない。
あずまんはサイトを持つ以前から、ネットの論争には加わらないと
雑誌で書いている。
(それ以前に人と論争できるだけの能力ないじゃんっていう
ツッコミ禁止)
「ネットでセカイ系がダメって言われた」とか「ネットではてなオフはダメ
って言われた」とか日記でキレることはあるけどな。
オフもセカイ系も突っ切ってまったく問題ないのにな・・・
ネットっていうのは本当につまらんことでいさかいが起きるからな。
自分が「キレやすい若者(笑)」だと自覚しているから
ネットでの論争に警戒的なのかな。
786 :
考える名無しさん:04/10/01 02:14:06
239 名前: 吾輩は名無しである Mail: 投稿日: 04/10/01 01:08:22
この一年、東浩紀は多くの雑文で直接間接に特定の他人(主に浅田彰)への攻撃
を続けた。しかもその急所で、東は人間としての不潔さと汚さを示した。1度だけ
ではなかった。
(1)相手についての歪んだイメージを作り出す単語の選択
(2)真にフェアである代わりに自分がフェアだと周囲に認めさせたい欲望
のちらつき
(3)応酬のなかでまさに論ずるべき論点を回避し、それには決して答えない態度
(4)その場しのぎの論理構成が生む前後の矛盾への頬被り。
進行中の批評「東浩紀的なもの」の問題
>>781 警戒心というよりむしろ猜疑心じゃないかな
>>785 もはや、若者という年齢ではない。本人も自覚していて北田とか若い連中とかとつるもうとするが、....
>進行中の批評「東浩紀的なもの」の問題
の」の
鎌田の原文では
>(主に浅田彰)
ここが「柄谷行人」となっている。
コミック新現実を読んで知ったが
ガンダムの安彦氏の子供の名前も行人だそうです(もちろん漱石から取った)。
結局、しろうとのやつはスルーで消えたか。使えねぇ。
791 :
孫正義:04/10/01 10:28:15
やっぱ、ジャップのスケのケツは
タマんねぇゼ!!!
792 :
西和彦:04/10/01 10:28:54
ちんちん見せたい
793 :
考える名無しさん:04/10/01 10:29:38
なんなの?
ときどきピント外れな人な人がいます
波状について話せよ
濃かっただろ
>サイバネティクスの創始者であるノーバート・ウィーナーのおかげで、
>ポストモダンは、近代の知=理性中心主義がどうしても手放せなかった
>「人間」の概念をあっさりと放棄することが可能になった。
あずまんの語る哲学史だが
どこまで正当なのか
空の向こうまで
800 :
考える名無しさん:04/10/01 20:36:46
10時50分からの「視点論点」で森川嘉一郎が国際建築展のことについて出るらしい。
カタログ買ってきたよ
803 :
考える名無しさん:04/10/01 23:35:32
お前らは教室で「博士」などと呼ばれるタイプ!
そして、森川は少しチンポに似てる。
804 :
考える名無しさん:04/10/02 00:00:36
結局あずまんがコミケでエロゲ−同人誌を出してる間に
森川がビエンナーレでオタクを総括してしまったよ。
805 :
考える名無しさん:04/10/02 00:04:56
でも、首周りの太さではいい勝負だ。
唐沢のイヤミに対して
オタク・サブカル(の評論)は儲からないし、権威も得られないと
主張したのはあずまんだが、
森川は見事に金も権威も手に入れているわけで。
(ビエンナーレの本とフィギュアとかamazonですごいことになっている!)
807 :
考える名無しさん:04/10/02 00:40:19
結局日本はおたくで対抗するしかないんだな。
あずまん ついにフィギュア化!
デザインは村上隆!
動ポモ ついにアニメ化!
製作は新海誠!
波状 ついに書籍化!
編集はヒトミシリング!
>808
> 編集はヒトミシリング!
いちばんありえねーw
810 :
考える名無しさん:04/10/02 01:46:07
ホント、森川はうまくやったと思うよ。
金や権威どころか、ヴェネチアビエンナーレで「オタク」の
展覧会をやらかしたってだけで「歴史」にさえ残りかねない。
「侘び寂び萌え」とか言ってるのもバリバリに歴史を意識してる
からだろうし。
渋谷と秋葉などという粗雑な対比に基づいているし、
全く面白いところがない分析だと思うのだが、
不思議と敵が少ないよな、森川って。
絵を自分で書いているのがポイント?
いや、ブログとか下らんことやってないのがポイントだろうね。
「趣都の誕生」は女性が読んだら
不快でたまらない内容だと思うんだが。
でもあまり批判されていないよね。なんでだろう?
白人男性と付き合う女性のことを敗戦コンプレックスとか
ぬかしているし。戦争直後じゃないんだから。
さらに渋谷がレコード店密集地で、ある意味秋葉原どころじゃない「趣都」で
あることもなかったこととされている。
814 :
考える名無しさん:04/10/02 02:26:55
>>813 渋谷は若者向けに商業開発されたからレコード店が増えただけじゃん。
波状で舞城論書いてるやつって完璧素人なの?
816 :
考える名無しさん:04/10/02 03:47:05
とりあえず俺はhitomisiriingの次のメルマガが見たい。
817 :
考える名無しさん:04/10/02 03:51:18
>磯崎新「趣都の誕生」について
東京のいま、についてのこの新しい解釈学的視点が、
これまでの景観論、計画論、共同体論のすべてを、
無効にしてしまうだろう。
磯崎頭おかしくなったのかそれともカネ貰ったのか???
>浅田彰「動物化するポストモダン」について
オタクのいま、についてのこの新しい解釈学的視点が、
これまでのポモ論、世代論、YU-NO論のすべてを、
無効にしてしまうだろう。
これぐらい言っとけばよかったね
>817
森川は磯崎の下に一時期いたらしいし。人脈ですがな。
ところで、hitomi本人or周辺人物(kuguru?)の自演ぶりがウザいんだが。
アキバって意匠的に異様さが突出してるから特別に見えるけど
上でみんなレスしてるように特定の趣向を持つ集団の妄執が
都市に特別な変容を与えるっていう現象は
古今東西アチコチに見られる現象だと思うが。。。
いずれにせよヲタク趣味を磯崎さんって全く理解できないし、
理解するきも無さそうなコメントっぽい。まあコルビュジェ
とかベンチューリとかの西洋知性をベースにそだった75才の
男性にヲタク理解を求めるのも酷かもしれないけど・・
>820
宗教やイデオロギーはあっても、人格なんてものが指摘された
ことは今までなかったんじゃ? だから森川は「オタク」という
言葉を使う必要があったし、また「秋葉原」と「オタク」という、
誰もが了解するペアリングが効いてくるわけだ。
「渋カジ」や「コギャル」だと「流行」や「世代」に帰されてしまう。
>>821 あんたが森川を買っている事はわかった。
だが森川自身が「渋カジ」「コギャル」に類する対概念を作っているんだが。
森川にかんして誰も批判しないのは
開いた口がふさがらないだけ。
唖然、呆然。
まともに相手にしても疲れるし、得にならない。
森川が歴史に残るっちゅうのは
村上隆が歴史に残るっちゅうくらいにはな。
それこそ海外で体当たり取材する越前屋俵太くらいのポジション。
秋葉原ってそもそも問屋街のようなものだろ?
いくら巨大とはいえ「街区」なんだから、
特異な性格をもっていても何ら不思議じゃない。
で、渋谷は「街」じゃん。
性格の違う場所を消費性向で無理矢理対比させようとしている。
なら代官山とか青山と比べた方が良かった。
何か変なのがまた来たな。
そんなことよりNISIOISIN先生を分析しましょう。
NININGASINOBUDEN
おおざっぱにいえば、あずまんはある意味既にオーソライズされた
ポストモダン論を使ってオタク系文化を説明しようとしているのに対して、
森川はオタク系文化を使ってポストモダン都市の
次にくるものを予言しようとしているわけでしょ?
批評家と学者の方法論の違いとも言えるけど、
磯崎みたいな人から見たら森川の話の方が面白そうに見えるというのは
わかる気がする。
>>819 > ところで、hitomi本人or周辺人物(kuguru?)の自演ぶりがウザいんだが。
事情通を気取ったシロートのしったかだろう。本人とかkuguruはこんな見え透いた事はしない。無視無視。
ヒトミさん・・・
東や波状編集部語るのに玄人だのプロだのあるのか?
>>814 >渋谷は若者向けに商業開発されたからレコード店が増えただけじゃん
外資系ショップならともかく、中古屋が密集しているのは
西武の商業開発とは関係ないし、それに伴った周辺環境の変化は
見逃せないところだ。
中古屋だったら他の地区で発達する可能性はあったのに
結果として渋谷が一番密集している。
あとはラブホテルの(略)
>>834 アキバは渋谷と全然違うよ。森川なんぞが指摘するまでもなく。
渋谷:西武開発→若者集まる→レコード屋やラブホなども集まる
アキバ:家電市場を喪失→ヲタしかいなくなる→ヲタの聖地に
そもそもレコード屋などは誰もが使うもの。エロゲ−や同人誌の店は
ヲタしか行かない。
森川の論ではそこに集まる人間の人格類型に偏りが生じた事で街のあり方が変わっていく
のが「趣都」なんでしょ?若者が集まったからレコード屋も増えた、だけでは確かにアキバとは
違うと思うけど、クラブミュージック系のレコ屋が密集してるのは趣都の萌芽と言えなくもないかも。
HMVとかタワレコじゃなくてCISCOとかテクニークみたいなのが増えると趣味の傾きが見えてくるような。
秋葉原にはヲタ向け風俗があるらしいけど
ヲタ向けのラブホが出来てくれば、また
面白いかも。
森川の本にはかかれていなかったけど、秋葉原(のヲタ向けショップ)って
客の8割から9割が男性らしいから、その偏りが「個室化」とつながっている
ような気がする。
同じヲタでも男性と女性じゃあ空間に対する嗜好が異なるじゃん。
> ヲタ向けのラブホ
無理だろ・・。風俗と違って対象が少なすぎる。
ヲタ向けのコスプレ風俗なら可能
げんしけんのアニメ化に代表されるように
ヲタ向け雑誌に一誌に一つは(ガムやアフタヌーンなんか二つも)ヲタ(の集団)が
主人公の漫画が掲載されている。
で、げんしけんのエロ同人誌が結構出ていることから
これはヲタがヲタで「萌え」や「オカズ」を自給自足できるという
状況と考えられる。
この自給自足体制が加速すれば「ヲタ向けのラブホ」も
無理じゃない。(エセ文化論)
あずまんがメイド喫茶に言ってことがあるのは知っているけど
コスプレ風俗に行ったことはあるんだろうか?
宮台と松沢呉一は聖コスプレ学園(今でもあるの?)のことを
対談で熱く語っていたので取材に行ったことはあるはずだ。
オタク萌え
斉藤博士のことじゃないか
>言ってことがあるのは
「行ったことがあるのは」だった。
遅レススマソだが、、
波状16号の仕事のモチベーションと実存的な悩みのくだりを読み、
あずま脳の再活性化の為にはいまの奥さんとのほんわかした生活が
ぶっこわれることが必要なのかな、とオモタ。初期東ファンとしては。
本人の幸福と仕事の出来が正比例しないっつぅのは難儀やねぇ…
愛の人
>>832 すくなくとも、このスレにはしろうとがいる(藁
>>830 まぁ、決定的な絶縁関係じゃないんだから、更にこじらせるようなことはしないわな。
ヒトミさんこそ、第二のあずまんです。第一著作の帯には『動ポ』は完全に過去のもになったというあずまん師匠の
コメントできまりです。
クグル!
今更持ち上げても許されんぞ
ばーか!
>847
>まぁ、決定的な絶縁関係じゃないんだから、
もしそうなら、はてなであずまんが告知ぐらいするだろ。
他の編集部員も一切触れてないし。
誰か勇気を出してはてなに書き込めよ
気になるっす
俺?
やだ
>>727 「下位大衆層」がなんで世界三大映画祭でグランプリ取れるんですか??
なんでですか?「渋谷系」の人は今なにやってるんですか?大いに期待してますよ。
どうせ何も出来ないんなら、自らが下位大衆層であることを認めろや。
>世界三大映画祭でグランプリ
何のこと?
そういえば、最近日本の「クールパワー」で中国外交しろ、という論者が多くなって
るがーー斉藤環とか。
なにが問題かというと、斉藤自身があるいは2chでもよく言うように、最もかっこ悪いと
(自分で)言ってるわけで。にもかかわらず、斉藤自身(毎日新聞では)クールパワー
といってるのだ。ひきこもりが「クール」なわけなかろう。
オタク文化において、「クール」なわけも無く、宇多田ひかるとかjpopならわかるし
ありそうだしできそうだが(アジア文化圏は)。そこに面白みがあったのに、そこが分からんようでは。
jpopを褒めるのはたやすい。もっとも難しくかつ面白いのは、もっとも「かっこ悪い」もの
が、なんで「クール」と言いうるか、そこにパラダイムシフトがあるのだ。
ある筈なのだ。斉藤も森川も自己矛盾に気づかんようだが。
そこがわからないと、不毛なすれ違いに終わるだろう。
斉藤環的な認識においては、クールパワーならjpopに行くはずなのだ。
断じて「かっこ悪い」ひとは出る幕が無いはずなのだ。だから「オタク」には
てこずるし、だから面白いのだ。その意図をわからないと・・。
ただ、人々は頭が固いので分からないだけだろう。それはしょうがないのかも
しれないが・・・。
クールパワーなんていってないだろ(知らんけど)
アジア萌え帝国だ万歳みたいなことはゲームラボでいっとるけど
別にクールじゃない
857 :
考える名無しさん:04/10/03 06:11:10
>>851 > 誰か勇気を出してはてなに書き込めよ
> 気になるっす
> 俺?
> やだ
何で?
おまいらちゃんとあずまんのはなしをしなさい
ヴェネチアビエンナーレのカタログがアマゾン2位になってる…。
ハイアートの復権なのか、単にオタクビジネスが注目されてるだけなのか。
わたおにの続きだと思って買ってるだけだよ。
>860
正解。>859残念!
ハイアートの復権なわけねぇよなw
いや
つうかハイアートじゃないし
海洋堂
ガレージキットショップ
まんが専門店
同人誌ショップ
大型パソコンショップ
ネットワークゲーム専門アミューズメント
実は80年代の渋谷にはこういったショップがそろっていて、渋谷が
そのころのオタクにとって遊びの中心だったけど、オタク街化するこ
とはなかった。森川も世代的には渋谷の上記のスポットに通ってい
ただろうから、渋谷を比較対象にするのは何となくわかる。
>>857 勇気(言う気?)のない動物化したポストモダンだからです。
866 :
考える名無しさん:04/10/03 20:59:15
>森川も世代的には渋谷の上記のスポットに通ってい
ただろうから
残念。森川は帰国子女です。
・・・
>864
懐かしいな……週末はいつもバトルテックに仲間と通ってたよ。
言われれば、確かにあのころの渋谷はオタクの遊ぶ場所が多かった。
某アニメのせいで街巡りする奴も多かったし。
火山高とか冬ソナは吹き替えのほうが萌えていい
何がいいたいかというとドラマも全部声優で葺き替えればいいんだよ
アニメをドラマ化するとイメージ狂う というのをこれで阻止できるのだ
さあKANONのドラマ化だ わーい
東がリア厨の頃、オタクを自称するほどのアニメ体験があったのだろうか。
押井が好きだったのは分かるが、ガンダムすらスルーしてるみたいだし。
>>871 おにゃん子クラブとか、吾妻ひでおとかSFとかも好きだったらしい。
あと、たしか金田伊功が好きだったとかなんとかどっかで読んだ。
まあそれはともかく、オタクの「正史」みたいなものを背負う気はさらさらないとか
いつも言ってんだから、東はオタクかオタクじゃないかみたいな論争は意味ねーと
思うけどな。
パンピーからみりゃ、いい年こいてアニメみてるだけで十把ひとからげにみんな
オタク扱いなんだし
で、東自身はテツandトモのテツと二人で沖縄にいるわけだが。
テツandトモのテツは無理があるが、東の横分けが沖縄の海との深い
溝を感じさせる。
テツは東と新コンビ結成だな
「どーも!ぽすとで〜す」
「もだんで〜す!」
「2人あわせて、ぽすと・もだんで〜す!」
「今日は動物芸をします」
「江戸屋猫八じゃないんだからさ」
「でりだ?こんなつまらんネタ振る奴は?」
「これじゃどうにもアガンベン」
「……以後じじぇくしまーす」
寒くなったね
もう秋だしな
879 :
考える名無しさん:04/10/04 02:27:48
ていうか太って見える服着て撮らなくてもいいんじゃ。
いったいどこのオッサンかと思ったYO!
なんかね24時間テレビでも始めるのかと。
あの写真キモすぎだろwww
あんなもんのせんなよ
気持ち悪いな
>876
噴いた。
>太って見える服
あれはよく見えないけど西島大介キャラのTシャツじゃないかな。
>872
あの写真を見れば、誰もがきっと「あずまん=キモオタ」と認識してくれるはずだ。
容姿がオタなのでオタ認定でいいしょ。
「東はオタじゃない!」
と言う人にも写真を見せれば
「すいません。東はオタでした。間違いありません」
と言うに違いない。
いやあ、美しいなあ。
隠蔽的擬態というやつだな。
さすが東。考えるデブ。
>>872 ファウストの編集方針に干渉してんのも、正史を背負えるだけの知識の裏付けがあって言ってる
わけじゃないから、俺のはあくまで素人の一意見として聞いてくれってことか?何だかな…
あれは、笠井が雪山でスキーをしてるんなら
俺は沖縄でバカンスだぜ、という
意思表示なのです。
ファウスト内部のパワーバランスはどう考えてもJ>東なのに、なんで編集方針に
口出すのがどうのこうのとか言う奴がいるのか理解できん。
それから、いまどき「正史」とか言うのは歴史学的な教養のなさをアピールしてる
だけなのでやめた方がいいと思うけどね。マジキモイ。
偽史とかいって何でもありだといっているとスガ秀実になっちゃうんだよね
つーか、そもそも「正史」とか言い出したのは・・
誰なのかしら駆け抜けていく私のメモリアル
太田さんは名前のせいかもっとどっしりした感じかと思ってたよ
大塚やあずまんをオーバーラップさせてたのかな・・・
あずまんは絵も描けないし楽器も出来ない。だから・・。
愛子様かわいいー
こっち向いてー
>あずまんは絵も描けないし楽器も出来ない。だから・・。
でも演劇をやっていた。
ニューアカ、現代思想系の連中が
歴史(学)に疎く、かつ地域差に対して鈍感なのは
あたりまえだろ。
当の浅田が『「歴史の終わり」と世紀末の世界』で
サイードから聞き出している。
ところで沖縄にいるのはファウスト4号の文芸合宿とかいうのだよね
ユヤタンと西尾が相部屋で創作活動にいそしむとかいうやつ・・・
みんな暇だよね
JとAで若い作家どもを部屋に軟禁して食うんですよ。沖縄の孤島で。
おい、「しまり」がいいなあ。え? Jよ。いいもん見つけてきたよ、お前。
ふふふ、いいでしょうAさん。コレやってたら同人ホモ本なんてヌルすぎて読めませんよ。
とかやってるわけだ。今。リアルタイムで。
しかも一晩ごとにシャッフルか・・・・
>『「歴史の終わり」と世紀末の世界』
「動ポモ」を読んでポストモダンだのコジェーヴだの日本的スノビズムだの
動物化だのをはじめて知った奴が多いみたいなので
ヲタが読んでいるはずがない。
>>903 動物化ってそういう意味だったんだ...。
批評家にはモーホーが多いよね。
「いやぁ〜、ヲタクって、本当にいいもんですねぇ〜」
俺は、水野晴郎か!!
910 :
考える名無しさん:04/10/05 01:09:22
『美少女ゲームの臨界点(HajouHakagix)』って『シベ超』だったのか....
JAって、コンビ名としてはダサダサだよね?
あずまんはエヴァ好きだから「JA」でOK!!
(しかしエヴァのメタなところとアスカ【だけ】が好きなのだから
ダメか)
何で、僕のが下なんですか!!AJでしょ!!当然です。
JAシーザーとも繋がって、寺山や天井桟敷(演劇!)にハッテンしたり、
ウテナや幾原にハッテンしたりもするね。
やたらスレ消費が早かったが
次スレ題は合宿ネタかな
Jとか略してるミステリヲタきもい
ルナシーのベースの人はお前を許さないだろう
なんででちゅかねぇ〜
>>920 『メフィスト』名物の編集者匿名座談会に登場した十人目の編集者だったから。
ペンネームがわりにAから順番にアルファベット振っていって、十番目だからJね。
それが何故定着したかは不明。
あんなのが他に10人もいたらすごいな
今さら10月3日の更新見たけど、あの肥えた写真は面白すぎる
あんなのを衒いもなく晒け出してしまうあたりがずまそんの人のよさと無邪気さを感じさせるというか
>>883 西島キャラTだとして、大きめのにして、ズボンももうちょっと考えれば
身体の線は出ないわけなんだが...。
というか普段はあそこまでピチピチの着てない気が。
ピチピチなTを着るならホリエモンのようにジム通わないとな。
あずまん一派の歴史オタか
なあ、正直、一派って誰なんだ?
928 :
考える名無しさん:04/10/06 08:08:20
929 :
考える名無しさん:04/10/06 08:30:45
ttp://www.jagat.or.jp/story_memo_view.asp?StoryID=8180 シンポジウム10年後の「読者」像に関する記事が
朝日新聞に出てましたよ。
あずまんの発言は以下の通り。
−−−−−−−−−−
哲学者の東浩紀さんは「10年後の読者は、インターネットを中心においているのは間違いない」という。
東さんは自らブログを書き、メールマガジンを編集・発行している。「(出版の)編集者は情報収集力を
なくしている。ブログに寄せられるコメントの方が、編集者よりずっと厳しい」と理由を話す。
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毎度おなじみの編集者批判はともかく(大塚のが伝染ったのか?)、コメントが「厳しい」ねぇ。
コメント常連のkagamiさんとmidoさんがこれを読んだら狂喜するんじゃなかろうか。
ブログに寄せられるコメント=コメント欄の書き込み、ではないけどね。
というとメールや対面コミュニケーションにおいて
ブログについてのコメントがなされているということかな。
もっと詳しい内容が某blogに載ってた。
広告費の推移が今のペースのまま変わらない場合、大体5〜10年後には
広告費においてもネット>紙媒体となり、人材自体もネットに流れて紙媒体は
内容面においても更に加速度的に没落する可能性が云々
みたいな内容だった希ガス
実際に起こるのは2極分化だろうな
大衆・低学歴=ネット
知識人=紙媒体
他方、その中間をつなごうとする試みもあって
人の良い知識人=紙媒体とネットの併用
こんな感じ
実に低学歴の発想だ
浅羽通明「日本現代文化論」に小林よしのり降臨!★10・13,早稲田に結集せよ!!
「SAPIO」誌の新ゴー宣の欄外で、講演は嫌いだし向かないし暇もない。どうしてもというならば、
一回百万円だと釘をさしたよしりん・・・・・・。だが続く頁では、若者へ訴える必要あるばあいならばただでも赴くと彼は言い切った。
その言葉に嘘はない。謝礼二万しかでない早稲田大学教育学部国文科「日本現代文化論」のゲストスピーカーをよしりんは快諾した。
浅羽通明が頼むなら、そりゃ何でもいくねん、わし。というわけで・・・・・・↓
日時:10月13日(水) 午後4時20〜5時50分
場所・早稲田大学本部キャンパス 15−102
936 :
考える名無しさん:04/10/06 15:18:41
そういや、漫画の「ルサンチマン」で、近未来では渋谷がオタク街になってる設定だったな。
さすがにそんなくだらん短文まで揚げ足取る気にはならんな。
というかそのコメント、朝日の編集者への皮肉じゃないの?
2chに寄せられるコメントの方は、編集者よりずっと厳しすぎるので
なきものとしています。
広告や人材の流れ云々は避けられないとは思うが、紙媒体の内容の質が落ちるなんてことは
何を根拠にそこまで言い切れるのか、神経疑うけどな。具体的にどんな風に質が下がってるわけ?
で、ネットのどんな層の質が上がってるの? はてなダイアリーか?
>>933 間違い
大衆・低学歴=テレビ・週刊誌
知識人=新聞・ネット
>>938 2chの場合、厳しいというよりは
重箱の隅つつきを絨毯爆撃規模でやってると言ったほうが
いいと思われ。一種のスケールメリット。
動物化=ネコミミモード
>ブログに寄せられるコメントの方が、編集者よりずっと厳しい」と理由を話す。
ブログがつっこみどころだらけで、プロの編集者は、いちいちつっこまない
ってだけじゃねぇのか?
ネコミミモード!!
ところで動物化するポストモダンって本を見かけたとき
ああ、そういえば東浩紀が今のオタク文化はロリより
獣の耳とかしっぽの方が本質的とかなんとか語っていたな
ポストモダンにおける猫耳の重要性を語るのか〜・・・
すごい面白そうな本だなと持ったよ
ネットを検索して回ってそのシンポジウムでの
あずまんの発言を集めてみた。
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今の出版業界は、読者が求めるよりもデザイン・校閲等にコストを掛けすぎている。
ほとんどの読者には、ただテキストを伝えるだけで十分。
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先日のJAGATのシンポジウムで、東浩紀さんが「日本の本はつくりが良すぎる。職人芸も
いいけれど、もっと簡素な本があってもいい」というようなことを仰っていたが、ぼくも
彼の意見に賛成である。「安っぽさ」と同居した「つくりの良さ」とは、すなわち「無駄
な手間」である。東さんは編集面にかんしても簡素化ということを言っていたが、ひとま
ずここでは物理的な面に限る。
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自分がやっているメルマガが無編集のテープ起こし垂れ流し、誤字脱字は当たり前という
現状は、自ら招いてることだったんだね。
だったらそもそもテキストじゃなくてもいいじゃん。
インタビューや対談なら音声ファイルそのままでいい。現に自分の講演や対談をMP3ファイルに
して公開している人もいる。
また、文章は自身のサイトに無料で公開して、書籍化するときは編集・デザイン・校閲を施して
付加価値をあげて販売するという二段構えの人もいる。
有料メルマガ(間違いだらけ)→有料の書籍化って最悪のパターンじゃねぇの。
光文社ペーパーバックのような(富士通の本が売れている)
簡素化した本ってすでに出ているじゃん。
しかしたいして安くない。
今の出版界の現状で装丁の簡素化をしても、文庫に比べると割高な
くせに紙質の悪い本が出回るだけでは。
アメリカみたいにハードカバーの専門書のペーパーバックが
1年半後ぐらいに出回るような風にはならないと思われる。
ひまだね・・・
情報自由論が出れば盛り上がるさ!!
これがスカだったら、さすがにあずまんの
発言に耳を傾ける人も減ると思う。
でも、「自由を考える」は各種書評で結構絶賛されていたからな。
本の内容というより、今問題となっていることについての本という
出版タイミングでもって評価されそうな気がして怖い。
950 :
考える名無しさん:04/10/07 02:25:51
>950
あいかわらずおっそろしく現状認識の弱いオサーンだなカラヤンはw
その発言が本当に載っているとしたら。
浅田と椹木野衣との対談(週刊読書人)で
浅田が「アートよりもゲームの方が優位に立っているんだから、わざわざ批評家が
オタク文化について語らなくてもいいんじゃない?」という趣旨の発言に対して、
椹木が、「オタク文化は冷戦期の産物だから、なんとかして擁護(保護)しないと
いけない」といったようなやりとりがあった。
たぶん柄谷はオタク文化(この呼び方がすでに罠だけど)については知らないけど
週刊読書人は読んでいたから(同時期柄谷のインタビュー連載があった)、
そういう認識になったと思われる。
冷戦期とは別の意味で「左」を嫌悪する傾向が20代にみられるから、
マルクスは読まれないと思うけど。
(でも京大でマルクスのイベントを柄谷・浅田でやったら
かなりの客が入っていたので、それをふまえているかもしれない)
>オタク文化は冷戦期の産物だから
今は動物文化じゃないの?
954 :
考える名無しさん:04/10/07 11:32:37
柄谷がオタク文化でイメージしているのは、シニシズムの入ったやつじゃないの
でも、そういう、いかにも冷戦期の産物めいた文化に興味はない、というのは
あずまんも同じでしょう、むしろなくなって結構、というか
ま、メタなんとかに可能性があるうんぬんは
柄谷は何の興味もないだろうが
俺工房の時にカント読んでマルクス読んだよ
メタ何とかって、ディックヲタのあずまんが言い出したSFの衣裳替えだから
957 :
考える名無しさん:04/10/07 15:40:52
>>950 その箇所で柄谷が言うには、
オタクは30歳以上ではなく、40歳以上。
村上隆で騒ぐのも40歳以上で、20代はむしろマティスを話題にする。
彼らがなぜか僕の本を読んでくれそうな気がするのです、と。
>957
どこの二十代だ、それはw
959 :
考える名無しさん:04/10/07 16:00:04
むしろ無知な人達(若い人)はまったく無邪気に性懲りもなく
左翼のサイクル(ex内ゲバに至るまでの道のり)を馬鹿みたいに
繰り返し続けるのさ。
いい加減、このサイクルの外にずれる生き方を考えようよ。ねえ?w<柄谷さんと浅田さん
読むとしてもあずまん経由でだなー・・・
961 :
考える名無しさん:04/10/07 16:40:05
実は、30歳以上の限られた層だと思う。= あずまひろきだ。
そういいたいんだね、karataniは。
びみょうにこびられてるきぶんだがw、みょうなきたいをかたるのはどうだろうか。
でも、karataniのちょっかんはあるていどただしいとおもうよ。だいぶぶんでちがうからw
キミ、そのひらがな限定書き込みやめなさい
まあ、みんなが読むようになるとは言ってないから。
あずまんだって世代的に見てかなり特殊な人だし。
みんなあずまんのクローンじゃん