タイトルを少し変えてみました。
以前より言語哲学に関心があり、自分の思考の枠組みを拡げるためにも
この分野の初歩を学んでみたいと考えています。
科学哲学、心の哲学、脳神経科学等にも関心があります。
3 :
救世主 ◆ou2gZwaiBw :04/06/06 01:08
糞スレ
中学生に対しても「ご質問はありませんか?」と、大森は学生に丁重だった。
講義では知覚、時間、帰納法、確率論などをテーマに大森がまず自分の考えを述べ、
学生がそれを批判する。学生の批判が正しいと見るとただちに自分の非を認めた。
しかしその批判に「カントが言うには・・・」が入ると
「人様の話はどうでもよろしい」
十九世紀における何々学派の自然観はなんとか学派の影響下で云々、に対して
「田舎芝居はやめてください」
心理学の議論に数式を持ち出すと
「飾りは捨ててください」
学生は容易に思えた反論でつまずき、知識がそのままでは、役に立たない場所に
連れ出されていたことに気づく。つまるところ、自分一人の経験に照らして、
自分で問題を問い直し、それを暮らしの言葉で表現するよう強いられる。
逃げ場のないところで学生は、知覚や時間について語ることが自分の暮らしの表現となる
人物を前にして、言葉の生き死にを体得していくのである。
http://www.bukkyo-u.ac.jp/BUCD/topic/info/456_kurashi/456_kurashi.html
以上は、大森荘蔵の授業風景です。僕はこの、
「自分一人の経験に照らして」、「自分で問題を問い直し」、「それを暮らしの言葉で表現する」
ことを目標としています。
ごく当たり前のことを述べているように思えますが、偉大な哲学者を相手にすると、
このごく当たり前のことが、当たり前のように実行することが不可能になります。
高波に呑み込まれ、もみくちゃにされ、水面上に顔を出すことさえできません。
かといって、呑み込まれることを恐れ、自らの小さな世界に閉じこもっても意味はありません。
大森荘蔵をはじめ、偉大な哲学者に呑み込まれることなく彼らと議論できるようになりたいと
願っている僕にとって、彼のこの言葉は、僕の大切な指標となっています。
僕の哲学的関心を一言で言えば、「私と世界との関係」です。
「<私>という何者かが私の身体に宿り、その<私>が、私の意識の外部にある事物世界を認識する」
という常識的な世界観を、哲学者たちと対話しながら、再考しています。
そして、この世界観をベースに、現代的に変形された脳生理学的二元論、
「私の意識の外部にある世界からの信号を脳が受け取り、脳が私の知覚世界を現出させる」
というテーゼの意味を問うています。
脳と知覚風景に密接な連関があるとしても、それが即、このテーゼが真であると
いえるのだろうか?
これが僕の問題意識です。
9 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/06 01:12
乙!現象学新入生でーす!
10 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/06 01:13
あれ、もう現象学じゃないんだ・・・
11 :
考える名無しさん:04/06/06 01:26
>>8 <私>、<僕>、<俺>の違い(差異)でも検討してくれ。
12 :
考える名無しさん:04/06/06 01:55
大森の「物と心」って重要?
13 :
THE グル:04/06/06 04:04
\ │ /
/ ̄\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
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∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | |
/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
自分の名前をタイトルに織り込むスレを2本立てる図々しさは○○o〜以上。
はてなでやれよ、馬鹿。
>>7 >「私の意識の外部にある世界からの信号を脳が受け取り、脳が私の知覚世界を現出させる」
>このテーゼが真であるといえるのだろうか?
ではそのテーゼが偽であるときどういう事になるのだろうという疑問が一つ、
そしてそれが真だとしても「私と世界との関係」の問いは丸々残りますね
なるほど脳生理学などで脳と知覚世界の対応付け・条件付けは解明されます
しかし端的に物質から精神や生命が発生することは依然として謎のままです
右手を上げる(自由)意志を示す事実は存在しません
脳を解剖して神経系を把握しても、あるいは原子レベルまで遡っても
最終的にはそれ(物質)を自由に決定できないといけない
自分はそのテーゼが偽だという訳ではないのですが、
それが真だとしても、その知覚世界には依然として
(言語による)無、空白、欠損、剰余が残っているといいたい
>>12 >大森の「物と心」って重要?
哲学全体においてこの著作の重要性はわかりませんが、
大森哲学においては、もっとも脂の乗り切っていた頃の
論文集ですね。
特に、これに収録されている『ことだま論』は、発表当時(1973年)、
学会に大きな衝撃を与え、大森独自の哲学的境地を開いた記念作と
野家さんが述べています。(『哲学の迷路』)
ぼくがこの著作を読んだのは、真面目に哲学に取り組みだして
三ヶ月ほど、つまり、大森を読み出して三ヶ月、今から一年半程前
ですが、わからないなりの当時の線引きがかなりしてあります。
今読み返せばほとんどその内容を忘れていたにもかかわらず、
今だに、この論文の影響下にある自分を発見し、今更ながら驚きました。
>しろうとさん
>そしてそれが真だとしても「私と世界との関係」の問いは丸々残りますね
>>15 >しかし端的に物質から精神や生命が発生することは依然として謎のままです
哲学の問いに終わりはないですね。
ゴールを事前に決めて(=実証による正しさ)走り出す科学と異なり、
ゴール自体を問いの対象とする哲学にゴールはありません。
ただただ走り続けるだけです。少なくとも僕が関心を持つ哲学に関しては。
哲学者や哲学研究者になれるとも思えない僕が哲学に期待することは、
当たり前のように接し、僕が生きている世界、そして僕自身が不可思議な
存在であることに気づかせてくれることです。
チャップリンは『ライムライト』の中で、
「生きることが習慣になってくる」と言いましたが、この習慣からの脱却が
僕が哲学を学ぶ大きな理由の一つです。
ですから今の僕にとって、理論構築にはあまり関心がなく、驚きをもって、
いかに世界を深く見てとることができるかの方が重要ですね。
ベビーカーに乗った幼児が「目を丸くして」周囲を見回しているのを見るにつけ、
彼らの驚きのまま僕も世界と接することが出来れば、「生きているそれだけで」
価値があるだろう、といつも思います。
∩___∩
| ノ'''''' ''''''ヽ ∩
/ -=・=-∴-=・=-ノ | 結局大森オンリーなんだろ?
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, ミ /
彡、 `-=ニ=- ' /
/ __ `ニニ´ /
(___)────
20 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/08 02:10
地平線に辿り着くことは無く
どこまでも進めるのと同じで
哲学は終わりの無い旅です
>>7はわりと皆が受け入れられる主張だと思いますが
まだ驚きが隠されていないかもう一度見直してみます
実在が原因で知覚が生じるという
知覚因果説を自分は否定します
21 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/08 02:10
第一に、一般に因果関係というのは
原因と結果をそれぞれ調べて
その相関関係を確認します
しかし原因としての実在は全く分からない
だから知覚と実在の両者の関係も分からない
第二に、知覚を意識現象とか心的体験とは捉えない
知覚は世界そのもので「私の体験」ではないのです
私が外部の何ごとかを意識したり体験したりするのではなく
端的にそれが世界の一つの表れといえます
22 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/08 02:11
A
>「<私>という何者かが私の身体に宿り、その<私>が、
> 私の意識の外部にある事物世界を認識する」
B
>「私の意識の外部にある世界からの信号を脳が受け取り、
> 脳が私の知覚世界を現出させる」
ただAとBの主張、またそれぞれの解釈にかなり違いがあって
それも考察していかないと問いの輪郭がハッキリしません
1.実在−現象の因果
2.身体−意識の因果
知覚因果説では1と2の因果関係が混在していることが多いのです
Bについても1と2が含まれていて、1は拒否しますが2はそうでもない
ここは微妙な問題なのでこれから少しづつ進めていくつもりです
23 :
考える名無しさん:04/06/08 02:48
朝日出版社から『心脳問題』が出ました。
まだ読んでませんが、面白そうです。
大森も含まれていますよ。
>>7 > 「私の意識の外部にある世界からの信号を脳が受け取り、脳が私の知覚世界を現出させる」
これを信じているし、何の疑問もありません。
25 :
ぴかぁ〜 ◆wMDHqGPerU :04/06/08 10:57
ポールは現象学好きではないの?
意識はなんらかの意識である系の話はないの?
28 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/06/08 21:26
>>20-22 もっと単純に再整理します
Aの主張では<私>の外部は分からない
Bの主張では<私>の境界が出てこない
それなのにAとBを混合して、
脳生理学が<私>の(意識や現象の)
内部と外部の二元論を担保するとする
方向に傾きがちで、これを批判したいと
>717 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/05/24 23:54
>【哲学板ローカルルール】
>>653に追加
>
>● 2chへのアクセスそのものが間違っていませんか?心当たりのあるかたは次の
> 場所へ → 職安、精神科、本屋、図書館、公園、友人宅、実家、恋人宅、布団。
>● 古参は全員、初心者板へ。新参のまともな人のみ、スレッドを立ててください。
>● 寂しがりやの古参はある意味末期症状です。放置されるくらいなら、荒らし・板
> 違いスレ・コテ叩きのほうを好む困った性癖があります。注意してください。
>● 哲学板は現在、相当レベルが低いです。ここで得た知識を外界で振り回さないよう
> にしてください。嘲笑されても責任は負いません。
>● 竹田・柄谷・浅田・東・野矢・現代思想の冒険者シリーズ、のみを読んで何か悟っ
> たと思いこむのは、孫引き厨、糞コテへの第一歩です。気を付けましょう。
>● 独和・仏和辞典くらいは自費で買ってください。
>● 2chはサラ金の広告料で運営されています。マルクス厨の方はその辺を自覚し
> てから書き込んでください。
>● 個人の哲学、の存在不可能性を証明するのが哲学です。独白、日記、感想文、詩、
> 友達探し、学級委員気取り、などは見てて悲しくなるのでやめましょう。
>● 「君の2ch滞在時間が君の読書時間をオーバーしないように行為せよ!」
> 哲学板のsollenはこれだけです。それ以上の理屈付けは醜いのでやめましょう。
【ローカルルール】哲学板自治議論スレW【審議中】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1084655919/713 >● 竹田・柄谷・浅田・東・野矢・現代思想の冒険者シリーズ、のみを読んで何か悟っ
> たと思いこむのは、孫引き厨、糞コテへの第一歩です。気を付けましょう。
「国内の哲学者」でなく、「現代思想の冒険者シリーズ」としたのは、
大森だけを削除対象から外したかったからと思われる。
ポールは最終的に、自分の都合以外考えてない。
ボールの衣装部屋
・質問君
・虎
・胡頽子
・Scarecrow
・前スレ
・前スレ226
因果律に基づいた物自体が本当に存在するかどうかを確かめる方法は無い。
でも物自体があると想定することに抵抗はないです。
>しとうとさん
>第二に、知覚を意識現象とか心的体験とは捉えない
>知覚は世界そのもので「私の体験」ではないのです
>私が外部の何ごとかを意識したり体験したりするのではなく
>端的にそれが世界の一つの表れといえます
>>21 アスペクトですね。
最近ようやくアスペクト論の意味するところがわかってきました。
僕の問題意識と完全に被ってるんですね。それすら気づきませんでした(笑
科学(そして、科学的世界観を基盤に持つ我々の常識)は、パースペクト的世界観の構図を
基礎に構築されています。この最も基礎的な基盤を再検討し、別の基盤で科学を
──そして我々の常識的世界観を──新たに基礎付けることは、膨大な地平を伴った、
根源的な世界観革命となります。
二元論は我々の世界解釈の最も基礎的な部分であるからです。
まさに僕の問題意識はここにあります。
が、ここで一つの問題があります。
(以下、しろうとさんにはお馴染みの論ですが、これまでの議論を知らない人のために
繰りかえし説明します)
知覚風景を私の意識の中の現象と考えず、「物自体」と「知覚風景」の境界を取り去る考えは
かなりの説得力があります。では、”私の”「意志」や「感情」といった、通常主観に属すると
考えられる性質はどうでしょうか?
つまり、「私の〜」と言われる領域は、世界とは独立して存在するのでしょうか?
しろうとさんは知っての通り、徹底的に二元論を拒否する大森は、この「私の〜」に含まれる全てを、
──「私」と呼ばれる”袋の底を叩いて”──世界に与え返します。「私の〜」という領域の存在を
一切認めないわけです。
「世界から独立に存在する『私』など存在しない」と。
その時、通常「私の〜」の領域に含まれるもの、たとえば、「私の喜び」や「私の想像物」すらも
私の心の中に生じた現象ではなく、世界に属する──正確に言うならば、「世界−私」の
二元論が破棄されたわけだから、「『世界=私』に属する」というべきであるが──とされます。
すると、「夜道を通る時の”心細さ”という感情も、(私の心が心細く感じるのではなく)世界が
心細く立ち現れる」と、”心細さ”が世界に属する性質とされ、
「私が想像したパンも、実在のパンと同じく存在している。(ただ、存在の仕方が異なるだけだ)」
となります。この部分が、大森哲学が「間違っている」と多くの人が指摘する箇所でしょう。
受動的な「知覚」や「感情」以上に、「意志」といった能動的なものは、世界に与え返すことが
さらに難しくなるでしょう。
とはいえ、世界から独立して存在する「私」を拒否しする限り、大森が乗り越えられなかった
(と思われる)壁を自ら登り始める必要があるでしょう。
眠いので残りは後日に。
以前はさっぱりわからなかったしろうとさんの「はてな」も、再度読んでみます。
>飛べないカラスさん
>因果律に基づいた物自体が本当に存在するかどうかを確かめる方法は無い。
>でも物自体があると想定することに抵抗はないです。
その通りですね。同意します。僕も抵抗ないです。
ただし、物自体を想定することの「利便性」を抜きにして、純粋にそれが正しいかどうかを
確かめることには関心を持っています。
なぜなら、「物自体−現象世界」という二元論や、そこから派生した種々の二元論は、
科学をはじめ、我々の世界解釈の最も根源的な基盤であり、もしもそれがひっくり返れば
おもしろいだろうなぁ、と単純に考えているからです。
32 名前: ポール 投稿日: 04/06/09 22:31
>しとうとさん
~~~~~~~~~
ウィトスレに稲が来てるよ
本当だ。
>なぜなら、「物自体−現象世界」という二元論や、そこから派生した種々の二元論は、
>科学をはじめ、我々の世界解釈の最も根源的な基盤であり、もしもそれがひっくり返れば
>おもしろいだろうなぁ、と単純に考えているからです。
でも有意味な科学的結果が出るとは限らないですよね。むしろ出ないと断言できる。
科学哲学の影響から出てくるのは、ニューサイエンスのごとき、ゴミみたいなもの
ばかりな気がします。
w
ホシュ
hageポール
>>44 そのスレ、感傷的にマンセーマンセーしてて少し気持ち悪い。
多分大森が嫌っただろうメンタリティー(三島的?)丸出ししてることに気づいてないんだね。
ポールも、匹敵するぐらいキモッ。
ぴか〜ネカフェから?
分析哲学に興味を持った理由を教えてください >ポールさん
普段言ってることはあまり関連しないと思うのですが
>>44を引用した理由は、(僕が考える)哲学の特徴をよく表していると考えたから。
「あの人の言うことは間違っているが、にもかかわらず、彼は本物だ」
という評価は他の学問ではありえないのではないか。
(「哲学は学問ではないから」という陳腐な煽りは却下)
これが意味することをずっと考えてた。最近なんとなくわかって来た気がする。
>>85もおもしろい。
>>48 返事遅くなりました。
きっかけはやはり、この板にいる分析系の人達の影響でしょうね。
彼らの述べる内容というよりはむしろ(専門的な議論はさっぱりわからない)、
明快な文体と、言葉に対してとても気を使う姿勢に影響を受けました。
それにより、言葉に対してもっと敏感にならなければならないと反省しました。
参考)
http://d.hatena.ne.jp/Paul/20020102 だから哲学者が、従来使用される語が持つ固定したイメージを嫌って、
新たに造語する理由がわかりますし(例えば「人間 → 現存在」)、
「まず君が使用する語の定義をはっきりしてもらおうか」という「定義厨」も
同様です。
>普段言ってることはあまり関連しないと思うのですが
単に勉強不足なだけです。
51 :
考える名無しさん:04/06/22 23:59
そうかなあ? 「彼の理論は間違っていたが、それでも彼は立派な物理学者
だった」とかもあるんじゃない?
クワインの『経験主義のふたつのドグマ』の6章「ドグマなき経験主義」は、
わからないなりに面白かった。それに関して、『言語哲学大全』の次の説明が
印象に残った。
「(信念体系という構築物の)周辺と中心とを結びつける紐帯として働くのが、信念のあいだの論理的関係なのである」 (言語哲学大全Up244)
(科学に代表される)密画的世界観と(呪術等の)略画的世界観との間に真偽は
問えないとする、『知の構築とその呪縛』での大森に、なぜそのような奇妙な
考え方をするのか理解不可能だったが、この論文を読んで初めてわかった。
もちろん、この考えが正しいとは素直に受け入れられないが。
『V』は難しい。
僕がやろうとしていることの一つは、僕の世界に与えられる存在者の間に
敷かれている境界を先入観を取り去って検討してみること。
たとえば我々は、食べることができる実在のパンと、想像で思われたパンは
全く異なった存在者であると考えている。
同様に、僕の身体と、他者の身体、猫の体はそれぞれ異なった存在者だと
されている。はたして本当にそうなのか。
確かに、それらが異なった在り方をしているのは事実だが、根源的にもそうといえるのか。
結局は僕の世界に現れる存在者にすぎないとする一元論に還元されないのか。
>>51 その物理学者の理論が後年、物理の進歩とともに論駁され、それでも
「彼の理論は間違っていたが、それでも彼は立派な物理学者だった」
といわれることはあるだろうけど、現役バリバリの進行中であるにも
かかわらず、こういわれることはありえないんじゃないかなぁ。
56 :
考える名無しさん:04/06/23 00:10
そうか? 二つの理論が対立してどちらが正しいのかまだ決まっていな
いような場合にも、「私は彼の理論は間違っていると思うが、しかし彼
が立派な物理学者であることは認める」ってことはあるんじゃないか?
58 :
考える名無しさん:04/06/23 00:17
>>57 哲学の場合、何かを断定するときでも普通、「と私は思うが、もちろん私の
方が間違っているのかもしれない」が隠されていることとも関係あるかもね。
物理学理論の正しさは近似的なものですよ。ニュートンの物理学は実用的には
極めて妥当なものでしょう。絶対空間などは否定されましたが。
火星に探査機を飛ばすにしてもニュートン物理学で計算されています。
60 :
考える名無しさん:04/06/23 00:29
「日が昇る」という表現ですら「地動説」から見れば間違った表現ですね。
>>58 そうですね。
ただやはり僕は、大森のような、彼の論自体が主流になるどころか、
ほとんど支持者がいない学者が、「彼は偉大な哲学者(物理学者)である」
と評されるのは、哲学という学問の特徴じゃないかと思う。
(物理では、彼のような孤立無援の理論は「トンデモ」で両断されて終わりではないか)
僕が考えるに、哲学の真髄は答えではなく、問いにあるからだと思う。
言葉を代えていえば、どれだけ深く世界を見てとれるか。普通の人や、
普通の哲学専門家が当たり前のこととして受け入れている日常の思考
の中に潜む亀裂に気付く視線を持っている人。
大森はその意味で、誰よりも深く世界を見てとっていたから偉大な哲学者ではないか?
だから僕は、ある問いに整合的な回答を与える思想家よりも、人が当たり前の
こととして受け入れている日常の亀裂に気付かせてくれる哲学に関心があるし、
僕も自力で発見できるだけの深い視線を持ちたいと思う。
62 :
考える名無しさん:04/06/23 00:33
太陽は沈まないんだよ!
>>59 物理学、ひいては数学は、世界に属する性質ではなく、
人間に属する、もしくは人間が作り出した法則であるとする考えは、本当に正しいのだろうか?
人間が作り出したある規則を世界に投影しただけで、人間が月まで行けるとは思えない。
世界が物理的法則で成り立ち、それを人間が「発見」したからこそではないか?
(僕の今までの主観主義的な立場とは矛盾するようだけど)
寝ます。
65 :
考える名無しさん:04/06/23 00:39
>>61 そうか。哲学で評価が高いのは、誰にも批判されなかった説の提出者で
はなく、たくさんの人に興味を持たれ、それゆえ批判されもした説の提
出者の方ですね。あなたが言う通りかもしれない。
66 :
THE グル:04/06/23 01:06
\ │ /
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
\_/ \_________
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∩ ∧ ∧∩ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄ / /
 ̄
67 :
考える名無しさん:04/06/23 01:24
世界は物理法則で成り立っているのではなく、物事の総体として成り立っており、
それら物事の関係を物質というレベルで記述したのが自然科学です。
世界は計算機のいっしゅですがねにか?
『経験主義のふたつのドグマ』から印象に残った箇所を。
「それ(経験に極めて近い言明)にしつこく反するような経験に直面したとしても、
幻覚を申し立てるとか、論理法則と呼ばれる種類の言明を改めることによって、
相変わらず真であるとみなし続けることができる。
(中略)
排中律という論理法則の改定さえ、量子力学を単純化する一手段として
提案されている。そして、こうした転換と、ケプラーがプトレマイオスに取って
代わった転換、あるいは、アインシュタインがニュートンに、ダーウィンが
アリストテレスに、といった転換のあいだに、原理的な、どういう違いがあると
いうのだろうか」(p64)
『言語哲学大全』では、「・・(このクワインの主張は)意味不明のものとならざるをえない」
(Up251)とあっさりと片付けられてますね。
ところで、ここで述べられている量子論理、もしくは、通常の論理と異なった新しい
論理法則の可能性は考えられるのでしょうか?
量子論理は「経験的理由」をもとに提案されています。
論理の必然性を、全面的に経験に依拠しているとすることに、飯田さんは誤りであると
述べています。
現在において論理の必然性は何に由来すると考えられているのでしょう。
規約主義は、(いまいちよくわかりませんが)個別的規約が一般的規約からの帰結
であると証明しようとすれば無限後退に陥ることを理由に却下されています。
『大全』の読み進めればわかるのでしょうが・・。
71 :
考える名無しさん:04/06/30 23:13
> ところで、ここで述べられている量子論理、もしくは、通常の論理と異なった新しい
> 論理法則の可能性は考えられるのでしょうか?
「量子論理」に基づいて量子力学を体系化しようというアイデアは、結
局あとが続かなかったようですね。しかし、現在の古典述語論理が普遍
的な論理であると考える理由があるわけではないので、論理の改定の可
能性は、当然あるだろうと思います。
>世界は物理法則で成り立っているのではなく、物事の総体として成り立っており、
>それら物事の関係を物質というレベルで記述したのが自然科学です。
>>67 物質レベルで記述したのが自然科学であるのは同意しますが、一つの疑問は、
>>63で述べたように、その記述の道具である数学で描かれた世界があまりにも端正
でありすぎることです。数学が人間が発明したものであり、それを世界に投影しただけで、
人間が月まで行けるものでしょうか?
もう一つは、自然科学が物質レベルの記述ならば、独我論的記述(主観的語り)は
僕の世界に現れる世界レベルでの記述です。クワインではありませんが、そこに真偽の
違いがあるのでしょうか? ただの前提の違いに過ぎないのではないでしょうか?
数学の体系も、体系が整合的に成り立つなら公理(前提)はなんでもかまわないと
聞きます。(公理自体は証明できないでしょうし)
よって、評判の悪い独我論的世界観は誤った理論だとは思えません。
ところでウィトゲンシュタインは『論考』で、「独我論を徹底すれば、純粋の実在論に合致する」
と述べ、後にその誤りを認めたそうですが、どういう理由ででしょうか?
僕にはその通りだとしか思えません。
>「量子論理」に基づいて量子力学を体系化しようというアイデアは、結
>局あとが続かなかったようですね。
>>71 そうですか。
現在使用されている古い論理で思考しながら、(そこには収まりきれない)新たな論理を
築くというのも何かおかしいですね。
74 :
考える名無しさん:04/06/30 23:51
われわれが普通に思考をしているとき、古典述語論理で考えているかどうか
というのは、よく分からないんじゃないですか?
75 :
考える名無しさん:04/07/01 00:49
>「独我論を徹底すれば、純粋の実在論に合致する」
自分のモノ性、生命性を自覚すれば、自分がモノとしてあるのも、生き物としてあるのも
他と同等であるというようになるのではありませんか?
76 :
考える名無しさん:04/07/01 00:56
>74
思考も生成するという側面がありますね。
77 :
考える名無しさん:04/07/01 21:38
モチーフもしらんのか
ってなんですか?
test
分析哲学の方法論で語られた心身問題の基礎文献って何でしょうか?
80 :
考える名無しさん:04/07/04 13:15
ストローソン
>われわれが普通に思考をしているとき、古典述語論理で考えているかどうか
>というのは、よく分からないんじゃないですか?
>>74 そうなんですか?
少なくとも「書く」とき(=明確に思考化された状態)は、古典述語論理ですよね。
ところで、我々が世界を思考し記述する時、論理法則に則って言語化するおかげで、
論理の法則が世界の成り立ちを決定すると聞きます。
例えば僕が物を見るとき、「わたしが − コップを − 見る」と記述します。
この言語の分節がそのまま、世界の事物の分節を投影したものだと考え、
「コップ」と同様の「わたし」といった存在者の存在を考えたり、「見る」といった
動作をそれ単独で取り上げたりしてしまいます。
この例のように、論理の法則に惑わされて、誤って世界を解釈する例は他にあるでしょうか?
>>80 ストローソン?
名前ぐらいは聞いたことありますが、心身問題に関して特に有名な著書は何でしょうか?
83 :
考える名無しさん:04/07/04 13:25
>>79 デネット『解明される意識』
チャーチランド(夫)『認知哲学』
チャルマーズ『意識する心』
あたり?
つーかそれは心の哲学の分野か。
>>85 デネット、チャーチランドはもとから分析哲学の人だったはずだけど、
チャルマーズはもとは認知科学の人。
あとサールもいた。
ポール=引き篭もり
>デネット、チャーチランドはもとから分析哲学の人だったはずだけど、
>>85 そうなんですか。
本屋で見てきます。どうも。
89 :
考える名無しさん:04/07/04 14:01
> 少なくとも「書く」とき(=明確に思考化された状態)は、古典述語論理ですよね。
数学の証明を書くときはそうでしょうが、それ以外はそうでもないでしょ。
それから、「私がコップを見る」という記述は、世界を誤って解釈している
んですか? 正しく解釈するというのは、どういうことですか?
90 :
考える名無しさん:04/07/04 14:03
> 名前ぐらいは聞いたことありますが、心身問題に関して特に有名な著書は何でしょうか?
Individual って本じゃないかな。たぶんそこにある心的述語と物的述語の話って、
心身問題の基本だったと思います。
ポール=引き篭もり
92 :
考える名無しさん:04/07/04 14:13
>>89 > > 少なくとも「書く」とき(=明確に思考化された状態)は、古典述語論理ですよね。
>
> 数学の証明を書くときはそうでしょうが、それ以外はそうでもないでしょ。
この場合「少なくとも書かれたものはそうでしょうが、それ以外はそうでもないでしょ。」の方が適切じゃないすかね。
> それから、「私がコップを見る」という記述は、世界を誤って解釈している
> んですか? 正しく解釈するというのは、どういうことですか?
おれも
>>81のこの辺りは問題ありと思います。
ていうか単に言葉足らずだと思うんですが、ポールさんの今までのレスからいけばこの記述が誤っているというのではなくこの記述を唯一正解とみなす考えが誤っているといったほうが良いように思われます。
93 :
考える名無しさん:04/07/04 17:45
>>90 ストローソンの基本的な論点(の一つ)は、
普通に言われるような「心的」と「物的」という区別が
(普通に考えられているような形では)成立しない、
ということだから、このことだけからも
ストローソンの立場は心の哲学に関する主流的な議論からは
かなり外れた位置にある。
と書いてはみたものの、
この説明だと何が何だか分からないっすね。スマソ
95 :
考える名無しさん:04/07/04 18:11
ストローソンの視点って、一時代まえの主流かもしれないが、いまの主流は別の考え
方っていうんだったら、その通りじゃないかと思うんだが。
96 :
考える名無しさん:04/07/04 20:46
>>95 まあ、心の哲学の「主流」をどうみるか、ってことだと思うけど、
基本的には心脳同一説から機能主義、その後の(デイヴィドソンみたいな)
非還元的物理主義、消去主義からコネクショニズムっていったような
いかにも「心の哲学」的な展開の中では、
心的述語と物的述語の二元論的な区分に関するストローソンの批判てゆうのは
ほとんど活かされてこなかったし、その意味ではストローソンの立場はずっと
傍流に留まったんじゃないの?
むしろストローソンの論点に根ざすような形で展開されてきたのは
心の哲学よりもむしろ行為論の方だと思うんだけど。
ポールは引き篭もりで〜す。
>たぶんそこにある心的述語と物的述語の話って、
>心身問題の基本だったと思います。
>>90 『言語哲学大全V』に、ストローソンが少し出てきました。
「自然言語にそのまま形式論理を適用できないのは、自然言語の不完全性のせいではなく、
形式論理が唯一正しいと考えることが誤りなのである」と考える学派なのですね。
同じ箇所に目を引く主張がありました。
「論理学の言語は、科学の成果を表現するためのものであって、自然言語の気まぐれに
いちいち付き合う必要はない」(『V』p163)
つまり形式論理は、日常の言語を分析したものではなく、科学という客観学問を記述するための
道具であるということですね。クワインが興味深いことを言ってます。
「存在論に属する問題が、日常言語では生じるのに対して、形式論理学の助けによって
再構成された科学では生じないとすれば、こうした哲学的問題はある重要な意味で
解決されたのである」(『V』p164)
客観世界(科学)を記述するための形式論理(=物的述語)、我々に与えられた(主観的)世界を
記述する自然言語(=心的述語)といった感じでしょうか。(ストローソンはこの二分法を批判している?)
引用したクワインのこの主張は、哲学問題の特徴をよく表していると思います。
つまり、哲学問題は、他者と共有される客観的領域に存在するものではなく、
主観的な領域、私の個人的経験の領域に関わる問題ではないかということです。
また、言語の持つ性質には、我々に与えられた個人的(でしかありえない)経験を
他者と共有できるよう変換する「客観化」があります。
このことより、私に与えられた主観的世界で生じる不思議さを、他者と議論しようと
言語化すれば、その問題は客観化され、問題そのものが消滅してしまうという
ジレンマが哲学問題にはあるのではないでしょうか。
>それから、「私がコップを見る」という記述は、世界を誤って解釈している
>んですか? 正しく解釈するというのは、どういうことですか?
>>89>>92 「誤って」は勇み足でした。訂正します。
「言語の性質が、我々の認識をある方向へ誘導する」で止めといた方が良いですね。
たとえば
>>99で述べたように、言語が持つ客観化の性質は、存在論的に本来まったく
異なった存在者を同一のものであるかのように誘導します。
(前述の例を少し変えた)「私は − 彼を − 見る」という記述は、
本来、「私」と「彼」は存在論的にまったく異なった次元に存在する存在者であるにも
かかわらず、言語の客観化は、それらを同一次元にある存在者であるように誘導します。
その結果、「私が彼を見る」とは、
「(私の世界に現れる)私という身体──もしくは実体化された魂──が、物理的反応を通して、
(私の世界に現れる)彼という身体を見る」というニュアンスが強くなります。
これが科学描写ですが、これはあくまで一つの描写にすぎず、より根源的な「私」
──哲学が問題とする私──が見過ごされてしまうと考えています。
また、言語が持つ「分節性」という性質は、「私は − 彼を − 見る」という記述から、
「見る」という動作を取り出し、「私」や「彼」から独立した「見る」行為があるように誘導されます。
それは、「見る」を可能とする「意志」が存在するように思われます。その結果、
「その意志は果たして自由意志であるのか」といった哲学問題が生じてくるのではないでしょうか。
しかし、「見る」といった行為から独立した「私」など存在しません。
世界をありのまま描写するなら、「見ている私」「走っている私」「意識のない私」といった、
「ある行為をしている私」(「〜をする私」)以外ありえないと思います。
にもかかわらず、言語の「私は − 見る」という文節構造は、世界に同様の切れ目を入れ、
それ単独で存在する「私」、「(見るという)行為」そのものが存在しているかのように誘導される
のではないでしょうか。
>ポールさんの今までのレスからいけばこの記述が誤っているというのではなく
>この記述を唯一正解とみなす考えが誤っているといったほうが良いように思われます。
>>92 僕の記述(主観的語り)のみが正しいと考えるまでは、僕自身も自信がないですね。半信半疑です。
いまの段階では、語り方の違い(主観的語り、客観的語り)にすぎないのではないかというのが
僕の中での一応の答えです。
いま僕が関心があるのは、
「言語の性質が、我々の認識をある方向へ誘導する」
もしくは
「言語の誤った使用が哲学問題を生じさせる」
といった、言語と我々の世界解釈との関係ですね。
具体例あります?
結局、はてなに居られずに帰ってきた。
もう、中毒だなw
106 :
考える名無しさん:04/07/09 00:30
>>104 バンヴェニストがアリストテレスのカテゴリー論を分析したやつは?
107 :
klugscheisser:04/07/09 06:48
ちょっと横槍。
> しかし、「見る」といった行為から独立した「私」など存在しません。
> 世界をありのまま描写するなら、「見ている私」「走っている私」「意識のない私」といった、
> 「ある行為をしている私」(「〜をする私」)以外ありえないと思います。
> にもかかわらず、言語の「私は − 見る」という文節構造は、世界に同様の切れ目を入れ、
> それ単独で存在する「私」、「(見るという)行為」そのものが存在しているかのように誘導される
> のではないでしょうか。
「見ている私」と「走っている私」の中に現われる「私」は同じ「私」なのでしょうか。
仮に、「見ている私」を「私(1)」、「走っている私」を「私(2)」とでもしときますと、
ポールさんの考えを推し進めていった場合、「私(1)=私(2)」ということも言えなくなりそうですね。
すると、2つの「私」はせいぜい同音異義語(同じ形をしているが意味は違う)にすぎなくなります。
このように仮定することはもちろん自由ですが、これがはたして「私」という語の用法についての
十分な説明になっているかどうか、疑問が残るように思います。
どうでしょう?
108 :
考える名無しさん:04/07/09 10:00
ポールはせめて現象学の基礎ぐらい理解した方がいいと思う
ボールの衣装部屋
・質問君
・虎
・胡頽子
・Scarecrow
・前スレ226
・他多数の名無し
・女帝グェス New
>私、心理学の授業何個か取ったことあるけど教授が私のペーパー
>に書いた数、論式を理解してくれなくて困った思い出がある。あのクラスではよく口喧
>嘩ばかりしてたなー。w
↑
馬鹿?
111 :
考える名無しさん:04/07/11 01:51
>>104 ポールさん こんばんは 通りすがりですが・・
>「言語の性質が、我々の認識をある方向へ誘導する」
私はむしろ言語の性質→人間の物理的性質と考えて、結局上記の問題は
「人間の物理的性質(つまり生物的etc.)がある方向へ・・」となると思います
ですから、その「方向」は、原則的には人間の物理的快不快が決定していると
> 「言語の誤った使用が哲学問題を生じさせる」
三浦俊彦氏のサイトに自我意識をめぐる問題についての
氏の分析があります まさしく上記問いのわかりやすい「例題」です
でた〜、「竹田欲望論」!
>ポールさん こんばんは 通りすがりですが・・
と言いつつ、本人。
本人じゃないよ つかちと面白いこと書いてみろよ 書ければw >113
>>112 竹田さんは好きくない つか論を取ってきたんじゃなくて
そのまま文章を読めばわかるように書いてるつもりだが?
つかくどい通りすがり...
ま、本人ですから。
112=113=115=117=低能決定w
いや、低能はお前だよ。
「人間の物理的快不快」が「認識」の一端を担っているんだから「ある方向へ誘導する」もへったくれもないわけだ。
やっぱ低能だ、こいつ。
お前は「人間の物理的性質が、我々の認識をある方向へ誘導する」って言ってるんだろ。
俺は認識自体に人間の物理的快不快は含まれているのだからそれらは主述関係にはならないと言ってんの。
111=114=116=118=120=ポール
123 :
考える名無しさん:04/07/11 03:01
つまり快不快は認識によって決定づけられてる、っていいたいのけ?>121
お前の話はわからないんだよ
俺はレスをつける時は自分が言ったことができるだけ誤解されないように
書いてるんだが
本当に頭が悪いんだな、お前は。
冗談かと思ってたよ。
いや、俺が悪かった。
125 :
考える名無しさん:04/07/11 03:14
>>124 どうしてここは出鱈目なやつが多いかな
>>111の
人間の物理的性質が(我々の認識を)誘導する
に対してお前が反論するなら
我々の認識が人間の快不快までも決めてしまう
がお前の意見である以外にないだろ? なんか言えや>124
125=馬鹿
∧_∧
( )
────-o────/ \────────
\\ //\ \
.. \\// \ \
\/ ) ∴)ヾ) <ブッ
/ / ⌒ヽ
/ /| | | ←ポール
/ / .∪ / ノ
/ / . | ||
( ´| ∪∪
| | | |
| | | |
| | | |
| | | |
(´ ノ (´ ノ
乱暴でしつこくって頭も悪いって、いいとこ全くないね、この「通りすがり」さんときたら。
>我々の認識が人間の快不快までも決めてしまう
>がお前の意見である以外にないだろ?
何でお前の間尺に合わせて俺の意見がきめられなければならないんだよ。
全く馬鹿げた話だ。
俺は認識自体に人間の物理的快不快は含まれているのだからそれらは主述関係にはならないと言ってんの。
何度言わせれば気が済むんだ。
「認識」が「人間の快不快」を決めるというなら主述関係はそっくり残っているじゃないか。
129 :
考える名無しさん:04/07/11 03:31
そりゃすまんかった
>>128 >認識自体に人間の物理的快不快は含まれている
この点を説明してください
そして、だとするとなぜ
>(快不快と認識とは)主述関係にはならない
のか詳説希望
俺は、美しいものは正しく見える、という位
快不快と認識の間に主従関係があると思っている
卑近な例では砂漠でのどが渇けばオアシスの幻を見るというように
>>認識自体に人間の物理的快不快は含まれている
>この点を説明してください
>
>そして、だとするとなぜ
>>(快不快と認識とは)主述関係にはならない
>のか詳説希望
一行たりとも、理解してないってことだな。
呆れたよ。
お前は砂漠に住んでいたのか。
> 一行たりとも、理解してないってことだな。
> 呆れたよ。
w
133 :
考える名無しさん:04/07/11 03:38
あおり言葉はいいから
>>119 「人間の物理的快不快」が「認識」の一端を担っている
>>121 認識自体に人間の物理的快不快は含まれている
説明してくれ
何か勘違いしてるようだが、このスレには砂漠在住のお前と俺ともう一人いるよ。
>>133 今日はおまえの発言ずっと見てるけど、何がしたいの?
自分より下だとみると、馬鹿にしかしないのに、
相手が知識持ってそうだと思ったら、急に態度反転させてw
136 :
考える名無しさん:04/07/11 03:45
説明がないな
説明がないとまた「誤解」するかもしれないと
一応断った上で、ひょっとして
>>119 「ある方向へ誘導する」もへったくれもない
>>121 主述関係にはならない
こちらに力点があって
物理的快不快と認識は相互に影響を与えはするが、
どちらが優位とは言いかねる
こう言いたかったのか?
・・・寝るか、もう。
138 :
考える名無しさん:04/07/11 03:47
>>135 言語と認識及び世界についてのまともな話がしたいんだが
相手をしてくれるかい? >135
だから2人相手にしてるの、お前は。
逆に、俺は何で「人間の物理的快不快」と「認識」を截然と分けなければ気が済まないのかを知りたいね。
お前のように是が非でも説明しろとは言わんがね。
もう4時か、俺も寝ようっと。
まあ、あとはボールにでも聞いてくれ。
そちらの砂漠はまだ日中?
141 :
考える名無しさん:04/07/11 04:07
>>139 やっと話がかみ合ってきたな
>>111 前段再掲
>>「言語の性質が、我々の認識をある方向へ誘導する」
>言語の性質→人間の物理的性質と考えて、結局上記の問題は・・
>原則的には人間の物理的快不快が決定している
言語の性質が認識を特定の方向へ誘導する、と自分も考えている
しかし、その言語の性質は、実は云々というのが、俺の意見
なので、途中横道にそれたが、快不快と認識の関係よりも
話題にしたいのは、快不快と言語の関係
142 :
考える名無しさん:04/07/11 04:14
ただし、
>>111のレスは誤解を生みやすくわかりにくかった
言語ということで自分の頭にあったのは
いわゆる論理構造とか数学の構造だったのだが
1 これらが、実は物理的身体的<構造>に規定されているのではないか、
2 快不快が認識をゆがめて(一定程度)規定しており、それが言語構造や
言語のやりとりにも反映されるだろう
という2点が
>>111に混在してしまった
143 :
考える名無しさん:04/07/11 04:21
>>142の2について
>>139が言うように
「認識に快不快が含まれている」という言い方も
(弁証法的な意味では)可能かもしれないが
分析するに際しては分けた方がやりやすい
↑
空気が読めない馬鹿
>klugscheisserさん
>「見ている私」と「走っている私」の中に現われる「私」は同じ「私」なのでしょうか。
>>107 質問の意味がよくわからないのですが、この二つの「私」の使い方は同じだと考えています。
ただし、klugscheisserさんが指摘するように、「私」という語は同音異義語、言い換えれば、
二通りの指示対象があると考えています。そしてこの二つの「私」を混同することにより、
より根源的な「私」が隠蔽されると考えています。
この二つの「私」については幾度も述べているので繰り返しませんが、僕は、フッサール用語
でいう「心的主観」「超越論的主観」を念頭においています。
もともと他者とのコミュニケーションを図ることを目的とする言語は、その目的から、
客観的要素の強い性質となります。客観的要素の強い「私」とは、他人との認識を
共有できる私、つまり「心的主観」です。その結果、心的主観こそが「私」であると
「定義」されます。実在世界の一部を構成する「私の身体」と並行関係を持つ
「心的主観」は、存在論的に、他人の心的主観と同次元に存在します。
(他人の身体と僕の身体が同次元にあるように)
しかし、僕の心的主観と他人の心的主観とは、まったく異なった在り方をしている
ということが、僕の、そして多くの哲学者が問題とするところです。
この存在論的な差異を明確にするためには、「私」の使われ方には二通りあり、
日常用いられる語法における「私」(心的主観)では、哲学的で問題とされる「私」
(超越論的主観)が隠蔽されてしまうと考えています。
これが僕が考える、「言語の性質によって我々の認識が誘導される」例の一つですね。
全く、よくやるね。
あれだけバレバレな自演しといて、
一夜明けたら、別人の振りですか?
>>111 通りすがり大歓迎です。
>私はむしろ言語の性質→人間の物理的性質と考えて、結局上記の問題は
>「人間の物理的性質(つまり生物的etc.)がある方向へ・・」となると思います
まず、「我々の認識」と、「身体の生物的性質(や言語)」との関係について一言(言い訳)。
「言語が我々の認識を誘導する」という前提を認めれば、必然的に、「(我々の身体の)
生物学的な性質が我々の認識を〜」「我々が属する社会的・文化的背景が〜」
も認めねばならず、このような、「言語」「他者」「身体」「社会」といった客観的実在を
前提に話を進めることは、今までの僕の思考順路とは矛盾しますね。
「言語が我々の認識を誘導する」という主張は、言語を媒介に僕と繋がっている
他者の実在を前提としています。しかし僕は、今まで、他者が僕と同じ在り方で存在していることを
自明として語っていませんでしたし、むしろ、その差異性こそが僕の問題意識でした。
その意味で、言語哲学の下で世界を見ることは、客観主義への態度変更になるわけですが、
これはもちろん、今までの僕の思考手順を撤回したわけではありません。
その意味で(僕の今までの立場から)、「人間の認識は、物理的(生物的)性質に誘導される」
という前提は、そのままの形では受け入れがたいのです。
言語(ひいてはその前提となる他者)を元に世界を眺めようとしていながら、生物学的性質
(遺伝子等)で世界を眺めようとすることを拒否することは、我ながら矛盾していると思っている
のですが・・・。
(もちろん、遺伝子研究等の科学は正しいと考えています。ただ、それらとは異なった
「語り方」を、僕は探求したいのです)
「快不快」「生物的性質(身体)」「言語」「「認識」の関係については次回に・・。
毎日毎日(自演)ご苦労さん(笑
153 :
考える名無しさん:04/07/11 23:13
ポール様 レスありがとうございます 通りすがりです
えーと、自分も今言語哲学大全の3巻まで読み終えて
どこかでポール氏がやはり3巻まで読んだところだと
書いていた気がして、このスレにお邪魔した次第です(^^
まず、先に
>>111で紹介した
「言語の誤った使用が哲学問題を生じさせる」件について
哲学者の三浦俊彦氏が「「意識の超難問」の論理分析」と題して論じた
サイトのURLを紹介します
ttp://members.jcom.home.ne.jp/miurat/nanmon-c.htm もしご存知なければぜひポール氏に見ていただきたいと思います
ちなみに氏は可能世界意味論(虚構世界)を巡って
言語哲学大全の飯田隆氏と議論されています
>ポール様 レスありがとうございます 通りすがりです
(p
998 名前: この板の主役 [ageruyo♪] 投稿日: 04/07/11 22:58
この板の特徴を大雑把に云うと。
一行煽りレス多し。(ex.ポールがやれば?♪)
「はー?」とかいう無気力で自堕落なレスが多い。
あと、中の人に対する妄想のみで、バカみたいに膨大な数のレスがつくこと。
そのほとんどが見当違いにもかかわらず。にね。だぉっ♪
コミニュケーション能力が極端に低い人が多い。
だから、議論、論争という形式を取らないと他人と会話できないんだね。
(特に異性とは無理そうな人ばっかり。だおっ♪)
あとは自説をモノローグ式に塗り重ねるだけか。だね。だぉっ♪
これ、疲れるね、結構。
↑
ポールの名言
156 :
考える名無しさん:04/07/12 00:17
えーと次に
>>111では、ポール氏の以前の書き込みをほとんど読まずに
乱入してすみませんでした(^^;
このスレッドを最初から読ませてもらうと、自分の問題意識とポール氏の
問題意識が大きく重なるように思います(つか、哲学問題ってみんなこんなもんか?)
曰く「主観と独立した客観的世界は存在するや否や・・」 etc.
自分も?(実存主義→)現象学→言語論的転回と辿ってきた口です
むろん全て浅い知識ですが、あと途中にマルクスと広松氏が入ってますw
ただし、先に紹介した三浦俊彦氏の可能世界意味論等の著書の影響で
最近ではどうも、いわゆる自分が頭を悩ませている/いた自我問題は
擬似問題に過ぎない気がしてきました
参考までに三浦氏(及び可能世界意味論)によるいわゆる自我問題の解決を
書いておきます(ポール氏他ALLご存知でしたら悪しからず)
157 :
考える名無しさん:04/07/12 00:18
「私自身はなぜこのような存在なのか」→
(可能世界意味論においては)全ての状態はありえる→
かくある「通りすがり」氏もまた必然的存在者である Q.E.D.
(「通りすがり」氏は、たまたま自意識を持った存在として存在しているに過ぎない
自意識をもった存在は、単なる水素原子、単なる犬、単なる全知全能者?etc.と
存在の資格としては同等であり、(なぜなら全てが存在するから)
なんら特権的存在者等ではない)
158 :
klugscheisser:04/07/12 02:46
>>145 > >「見ている私」と「走っている私」の中に現われる「私」は同じ「私」なのでしょうか。
>>107 >
> 質問の意味がよくわからないのですが、この二つの「私」の使い方は同じだと考えています。
> ただし、klugscheisserさんが指摘するように、「私」という語は同音異義語、言い換えれば、
> 二通りの指示対象があると考えています。そしてこの二つの「私」を混同することにより、
> より根源的な「私」が隠蔽されると考えています。
> この二つの「私」については幾度も述べているので繰り返しませんが、僕は、フッサール用語
> でいう「心的主観」「超越論的主観」を念頭においています。
お答えありがとうございます。なるほど、お考えはおよそ了解できました。ただ、やはり疑問が残ります。
ひとまずポールさんの議論を受け入れて、心的主観と超越論的主観を区別するとしましょう。
が、ここではまず、あえて悪しき「自然的態度」にとどまったまま、「超越論的主観」のことは忘れたかのように述べます。
ポールさんの書かれた「二通りの指示対象」というのが、「(本来は)互いにまったく異なる二つの対象」という意味だとします。
すると、「見ている私」と「走っている私」とは本質的には何も共有していないのだけれど、単に言語の習慣上、
ある要素――「私」と呼ばれる要素――を共有しているかのように表現するのだ、ということになりそうです。
(そして、このような表現習慣にいわば足をすくわれて、ついうっかり「私」なるものが自存するかのように思い込んでしまう、等々)
この議論は、世の中には一つとして厳密に互いに等しい木の葉など存在しないが、
その差異を忘却して、あたかも<木の葉>なるものがあるかのように概念が形成される、
というニーチェの論法を思い出させます(『道徳外の意味における真理と虚偽について』)。
159 :
klugscheisser:04/07/12 02:47
このラディカルな唯名論的論法の適用範囲は、「見ている私」と「走っている私」の間だけでなく、
例えば、「(ある時点 t1 において)机の上のインク壷を見ている私」(=「私1」)と、
「ある別の時点 t2 において)机の上のインク壷を見ている私」(=「私2」)の間にも成り立ちそうです。
(論点を必要以上に複雑にしないよう、「机の上のインク壷」の(通時的)「自己同一性」は保証されている、
あるいは、さしあたり問題にならないのだということにしておきましょう)
そして、この場合にも、「私1」と「私2」があたかも「同一の私」であるかのように考えてしまうのは、
我々(「私」?)が言語的慣習によって無反省かつ無批判に引き摺られた結果だ、ということになるでしょう。
もちろん、時点 t1 と時点 t2 の間が、1年であっても、1ヶ月であっても、1週間であっても、1日であっても、
「私1」と「私2」の間の本質的非同一性には、原則的にまったく影響を与えないはずです。
(時間的に近くなればなるほど、両者の共有する性質は多くなるかもしれませんが、
「差異が忘却される」という意味では、おそらく、まったく違いはないように思われるからです)
昨日の「私1」と今日の「私2」――いずれも「“同一の” 机の上のインク壷を見ている私」――が
本質的には「二通りの指示対象」だという論法は、さらにわずかな時間差の「私」にも適用されます。
例えば、1時間前の「私」と今の「私」も同様に「二通りの指示対象」であり、
1分前の「私」と今の「私」も同様に「二通りの指示対象」であり、
1秒前の「私」と今の「私」も同様に「二通りの指示対象」であり、
0.1秒前の「私」と今の「私」も同様に「二通りの指示対象」であり、
0.01秒前の「私」と今の「私」も同様に、等々々
かくして、「同じ川に二度足を踏み入れることはできない」と言った(と伝えられる)ヘラクレイトスをもじって、
「同じ机の上のインク壷を眺める同一の<私>など存在しない」とでも言わなければならないようです。
160 :
klugscheisser:04/07/12 02:48
以上の帰結は、私には受け入れがたいように思われますが、それはともかく、こうした論法の出発点にあるのは、
「物事はいつでも少しずつ変化していくのだから、昨日と今日でまったく同一のものなど何もない」という
ある意味では、ごくごくまっとうで、かつ、常識的な判断だと言えるかと思います。
もし上の議論が「行き過ぎ」だと思えるなら、このテーゼをやや弱めて次のように言うこともできるでしょう:
たしかに、厳密にいえば、0.01秒前の「私」と今の「私」は「二通りの指示対象」であって同一ではないのだが、
実際上は「ほとんど同じ」と見なすことができるので、同じである<かのように>扱っても差し支えない。
これで、「厳密な議論」と「日常的・実際的な都合」の間の調停は果たされたかに見えますが、
このような修正をいったん認めると、また別の問題が出てきてしまいます:
つまり、(A) “0.01秒の『差異』はまあ『無視できる範囲』内だとしよう。
1秒の『差異』もまあ、ほとんどの場合、『同一』と見なしてかまわないだろう。
だが、1分の『差異』はダメだ。だから、59秒の『差異』までは『同一』と見なすことにして...”
といった具合に、同一性と差異性の線引きがごく恣意的になってしまうか、
(B) この線引きがその都度の文脈に応じて柔軟に変動すると考えるか。
(A) を支持するような議論があるようには思えないので、(B) の考えをとるとすると、
ポールさんの最初の主張をそのまま維持するのは困難になるのではないでしょうか。
例えば、もし「1時間前の『私』と今の『私』は(ある文脈においては)『同一』と見なしてよい」と言えるなら、
どうして「『見ている私』と『走っている私』が(ある文脈においては)『同一』と見なしてよい」と
言ってはいけないのかが、よくわからなくなってしまいます。
161 :
klugscheisser:04/07/12 02:49
ポールさんとしては、ここで最初の区別、「心的主観」と「超越論的主観」の区別が必要になる、ということなのでしょう。
おそらく、心的主観Aが、「見ている私」、「走っている私」、「意識のない私」、等々を「私」として言語化するのは、
ちょうど心的主観Bを指示して、「見ている彼(女)」、「走っている彼(女)」、「意識のない彼(女)」、等々を
同一の「彼(女)」として言語化するのと同様の習慣にしたがっているだけであって、
そこから、あたかも同一の「私」なるものが自存するモノであるかのような客観化が生じる、ということだと思います。
(これは、心的主観Bによる「見ている私」という言表を、心的主観Aが「見ている彼(女)」として理解しうること、
また、その逆も真であり、「私」というものがさまざまな心的主観に割当可能であることにも現われている)
しかし、このような(「自己」)客観化は、心的主観の基底で常にすでに作用し、心的主観を可能にしている
<超越論的主観>に対する、忘却・隠蔽・混同・物象化・自己疎外にほかならない、等々々
さらに、あえて言えば、<超越論的主観>なるものも、このような言葉から生じうる誤解に反して、
けっして客観的・モノ的な意味で自己同一性も保ちうる「魂」のごときものではなく、
世界の現われを可能にしている、その都度の<作用していること>それ自体なのだ、等々々
つまり、言語化と客観化が実際にはなかば避けられないかぎりにおいて
超越論的主観が心的主観と混同されてしまうことも、やはりなかば避けられえない、
が、この混同に比べれば、「見ている私」と「走っている私」の混同はせいぜい副次的な問題にすぎず、
また、超越論的主観が両者の基底に認められるかぎりで、一定の妥当性ももつのだ、という話かと思います。
162 :
klugscheisser:04/07/12 02:50
私が勝手に構成した議論なので、ポールさんの意図を歪めている可能性も大きいのですが、
上のような話でおおかたポールさんの意をくんだとしていただけるなら、私の次の疑問は次の点になります。
つまり、「見ている(心的主観としての)私」と「走っている(心的主観としての)私」という両者の
根源にある(根源である)超越論的主観の次元に、先ほど心的主観の次元で述べた困難が
ほぼそのままの形で再現してしまうのではないか、という疑問です。
いや、ことによると、より困難な形で再現してしまうように思われます。
(続きはまた今度)
凄いです、馬鹿ポールさん。
164 :
考える名無しさん:04/07/13 02:22
他人にも「心」があるだろうと思うのは、他人から見た世界像(状況)が想定され、かつ、それが保持されていると
考えるわけだ。
「哲郎君はカントの本を図書館から借りてきました」という文が理解できるのは、
「哲郎君」の行動を想い描けるからである。
「桃太郎」の話を理解できるのは他者の視点でイメージできるからである。
ポールも着実にちんぽ太郎と同じ道を歩みつつあるな。
∧_∧
( )
────-o────/ \────────
\\ //\ \
.. \\// \ \
\/ ) ∴)ヾ) <ブッ
/ / ⌒ヽ
/ /| | | ←ポール
/ / .∪ / ノ
/ / . | ||
( ´| ∪∪
| | | |
| | | |
| | | |
| | | |
(´ ノ (´ ノ
167 :
考える名無しさん:04/07/14 20:13
なんだ
太郎に虐められた口か
168 :
考える名無しさん:04/07/14 20:14
すまん
あげてしまった
169 :
考える名無しさん:04/07/14 20:22
まったくもってなんでも哲学なんでつね。
167-169=ポール=スレ立て厨
通りすがりさん
>>153 『言語哲学大全V』、ようやく読み終えました。
素人が一度目を通しただけで理解できるような代物ではないですね。
三浦氏のサイト、まだ開いてませんが見てみます。
>>157だけではわかりにくいので。
様相論理、というよりむしろ、より関心のある、可能世界意味論については
追々語ることでしょう。とりあえず素朴な疑問をひとつ。
「言語が我々の認識世界を規定する」ことは正しいと思いますが、すべてにおいて、
言語は世界を投影してものだと考えるのは行き過ぎではないかというのが
僕の素朴な疑問です。
クワインの『何があるのかについて』の、「ペガサスは存在しない」のマックスの言い分が
典型なのですが、言語で表された命題は、現実的に実在せずとも何らかの形で存在して
いなければならないと考える、「命題 − 世界」の対応関係を基とした思考法がよく
わかりません。
(ご存知でしょうが、ペガサス議論を再録すれば以下の通りです)
1. 「ペガサスは存在しない」という命題は何について語っているのか?
2. 存在しないペガサスについてどうして語ることができるのか?
3. 存在しないものについて語るとは、何についても語っていないに等しい。
4. よって、この文が意味を持つためには、ペガサスは存在せねばならない。
5. ゆえに、ペガサスは(観念として)存在する。
僕から見れば、言語は、現実世界には当然、論理空間に存在しないものさえ
言語化できると考えるのが普通です。(例、丸い四角)。
言語と世界の在り方は完全には対応していません。なぜ、言語化されたものは
指示対象を持つはずだと考え、さらには、現実世界に指示対象が見当たらなければ
別の世界を想定するほど論理を信奉するのか、いまいち納得できません。
(この問題に関するクワインの解法は「なるほど」と感心しましたが、
クワインはなぜ、この問題を問題と考えたのかは不思議に思います)
可能世界意味論にも同様の疑問を抱きます。
また、ルイスの主張するような、
「世界が複数存在することをなぜ信じるのか? それは、この仮説が役立つからであり、
それがこの仮説が真であると考えるひとつの理由となるからである」(『V』p2)
のように、「仮説の有用性=仮説が真である」を根拠として、ある仮設の正しさを
主張するのは──唯一客観世界の実在と同様に──間違いではないかと考えます。
それはさておき、可能世界意味論にどれほどの応用性があるのか興味がありますね。
ポール=スレ立て厨
>klugscheisserさん
>>158-162 長文レスありがとうございます。
興味深い内容なので、後にゆっくりとレスします。
とりあえず、klugscheisserさんが指摘する「私」の同一性と関連して、僕の関心を
以下に述べてみました。
我々が、ある事物を、何を基準に同一であると判断するかは、ロックのいう「第一性質」
であると考えられます。延長ですね。その一方、「第二性質」は、事物の同一性の判断には
なんら意味を持ちません。
たとえば、厳密には時間的空間的に異なった一枚の木の葉を考えるとき、葉っぱの色や
柔らかさ、冷たさがどれだけ変化しようが不変であろうが、延長さえ同一なら、我々の
同一性の判断になんら預かり知らぬこととなります。
その理由は、第一性質こそ物質に属する(真の)性質であり、第二性質は事物にではなく、
我々の心に生じた(偽りの)性質だと我々が考えているからでしょう。
(そしてこれこそが、大森が、ひいては僕が問題とするものです)
この二元論的思考を根拠に、我々は、同一性の「定義」として、第一性質の不変化
(形は変われど、塊としての同一性)を採用していると考えられます。
しかしそれは「定義」であるゆえ、「第一性質でなく第二性質の不変こそが、事物の同一性の
根拠である」と定義内容が変われば、また我々の認識世界はガラッと変わることでしょう。
179 :
考える名無しさん:04/07/16 01:12
>>171-174 ポール様 早速のレスありがとうございます
ポールさんが提起していただいている問題
真剣に丹念に検討し議論すべきでしょうがとりあえず2,3
もしも「言語化されうるものは全て指示対象として存在する(?)」
ということを言われるのなら、無論私もそれには同意しません
私もまごうことなき素人ですが、「この世界は神が創りたもうた」とか
「丸い四角は存在する」等など、文法的な誤りはないものの
真偽を問うことが不可能な文章、つまり、命題とそうではないもの
(ノイズ)とを「分析」によって弁別するのが、言語哲学の
イロハのイだと思っています
>ポール様 早速のレスありがとうございます
p)
181 :
考える名無しさん:04/07/16 01:29
まあ、大森はまともだよ。
すくなくても、ハイデガやヘーゲルなんかよりはさ。
でも、その大森がいちばん「なんでも」に近いってことも事実なんだよ。
182 :
考える名無しさん:04/07/16 01:37
次に可能世界ですが(何分ど素人ですので要注意(^^;)
これは、不可能世界との対比において使用されている言葉でしょう
つまり、ある前提を認めれば必然的に導出される(複数の?)事態
なので、前期と同様、無意味な事態や不可能な事態は対象にはならない
さらに、可能世界を論じるメリットは(可能世界についての評価は
定まっていないようなので戯言の類かもしれませんが)
あいまいな「様相」概念を、諸(可能)世界の存在によって
リプレイスする、ところにあるだろうと思います
□P⇔∀wPw 必然的にP⇔全ての世界でPが成り立つ
◇P⇔∃wPw 可能的にP⇔Pが成り立つ世界が存在する
ポールに狙われるソフィア。
184 :
考える名無しさん:04/07/16 01:45
まあ、可能世界意味論はまともだよ。少なくても、がちがちの表示的意味論なんかより
づーと直感的だし、論理学とも親和性が高いからね
でも、そのクリプケの可能世界意味論がいちばん「なんでも」に近いことも事実なんだよ。
185 :
考える名無しさん:04/07/16 01:48
最後に存在とは何か
物理的存在に限っても、未だ発見されていないものの存在を
頭から否定することはできない、つまり実証、検証にかからない
からといって、すなわち存在しないとまでは言えない
むしろ、現状で実証、検証されているものについての、
論理的な延長線上に(真の)存在者を認めようとさえする
(クォーク、スーパーストリングス、ビッグバンetc.)
186 :
179,182,185=通りすがり:04/07/16 01:54
さらに、可能世界について言えば、
全ての可能的存在者を認めようとするため論理的な偏向がない
物理理論さえも「この世界での=@」特定の性質と考える
そして、また異なったパラメータで存在しえる物理的世界も
「この世界@」と同等に存在する権利が与えられる
量子力学の多世界解釈や、宇宙についてのマルチバース理論さえ
登場するにいたって、可能世界が「存在する」意味は
ナンセンスとばかりは言えないのではないかと思っています
187 :
つまりさーこういうことなんだよ。:04/07/16 01:55
わけ入ずる
麓の道は異なれど
同じ高嶺の
なんでも哲学
188 :
考える名無しさん:04/07/16 10:08
>>184 「可能世界意味論」って、様相文の「表示的意味論」なんじゃないのか?
189 :
考える名無しさん:04/07/16 12:26
ソカナ?
190 :
考える名無しさん:04/07/16 16:50
まったくもってプププなスレですね。
>>188 184は可能世界意味論と表示的意味論を並置するあたり、
あれなんで近寄らないのが吉。
>通りすがりさん
最近は基礎文献を読むことに多くの時間を割いてますので、レスが遅くなり申し訳ありません。
三浦氏のサイト見てみました。
>>153 僕にはかなり難しい内容ですが、ここで述べられているテーマとその解法は、まさに僕が
分析哲学に求めているものです。
この論文において、心身問題が3つのレベルに分類されています。
僕が、そして多くの哲学者が問題としているのは「超難問」ですね。脳神経科学が発達し、将来、
脳の機能と我々の内的経験の対応関係が完全に解明されたとしても、哲学的な「超難問」は
残ります。つまり、(
>>145-146で述べた)心的主観の謎を科学が解明したとしても、超越論的主観は
謎のまま残るというわけです。
「世界に多数存在する心的主観のうちで、なぜ、ある特殊な「心的主観」だけが「私」であるのか?」
という問いがです。
三浦氏はこの論文で分析屋らしく、「それは言語に惑わされた擬似問題に過ぎない」と述べます。
しかし、(僕の直感に過ぎないのですが)「超難問」は擬似問題などではなく、解けることのない真正な哲学問題
ではないかと漠然と考えています。
三浦氏の主張に対する具体的な僕の考えはもう少し時間をください。理解するのに時間がかかりそうですから。
ところで、「ナーゲル」ってコウモリで有名なネーゲルのことでしょうか?
馬鹿
195 :
考える名無しさん:04/07/20 20:33
ポールさん こんばんは
三浦氏の話、むろん私も完全に理解できてるわけではありません
しかし、「超難問」については、自分も三浦氏と同様
心理(学)の問題ではないかと思っています
余談ですが、自分は子供〜思春期にかけて「離人症」の症状を
度々経験しています ゆえに、ということもありませんが
「なぜ自分が??????」という問いの切実さについては、
「気が狂いそうなほど」w 「理解」しているつもりです(^^
超難問の解法も、氏の議論を論理的に納得できなければ
一種の宗教(「可能世界」教?)になりかねないので
自らを戒めています
196 :
考える名無しさん:04/07/20 20:35
なお、「ナーゲル」はまず間違いなく、「コウモリさん」だと思われます
コウモリさんも読みましたが、かなり痛痒感を感じました
端的に わかりにくかったです(^^
「超難問」、「クオリア」、「自分」、(コウモリさんもそうかな)
ポールさんの見解を楽しみに待っています(^−^
凄い自演です。
竹田儲@傍聴中 ◆2FBJW0K.qY =ポール
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ=ハルカ
>>199 これは音も認知に関係してる事をよく表してる例だね、
効果音なしでは効果半減
最近忙しい。
回らない頭で、「義務的に」、クリプキ『名指しと必然性』読了。
平易な語り口だが何が凄いのかよくわからない。
>通りすがりさん
>余談ですが、自分は子供〜思春期にかけて「離人症」の症状を
>度々経験しています ゆえに、ということもありませんが
>「なぜ自分が??????」という問いの切実さについては、
>「気が狂いそうなほど」w 「理解」しているつもりです(^^
>>195 羨ましい(笑
哲学の原初の一つに、通常の世界観では割り切れない、自分と世界との間に存在する
「馴染まなさ」があると思います。その馴染まなさの原因を、言語を通して論理的に
とことん追求しようとしたところに哲学が存在するのではないでしょうか。
哲学は、哲学書の中にあるのではなく、自分と世界との間の亀裂にあるといえるでしょう。
僕にはその馴染まなさは、哲学的センスとすら思えます。
自らを振り返ってみれば、(たびたび明言していることですが)僕は世界と馴染みまくっています。
哲学書を読んで、その内容を頭で理解することは(それなりに)可能なのですが、
それを「実感」することは非常に困難です。特に現在のように、日常に追われている──これは
決して卑下しているわけでなく、非常に充実した生活をしているという意味です──思考状態から、
哲学的な世界の見方──大森哲学などその典型ですが──に切り替えるのに苦労します。
その意味で、この板でも極たまに見かける、「馴染まなさ」が身体に染み付いている人を
羨ましく思います。
ところで、三浦さんの論文難しいです。
とりあえず「α」は理解できましたが、確かにその通りですね。つまり、
「世界に多数存在する心的主観のうちで、なぜ、ある特殊な「心的主観」だけが「私」であるのか?」
>>192 という問いは、「僕の買った宝くじの番号」と同様の擬似問題ですね。
「私はポールである」≡「誰かが存在する」は納得です。
では、僕が問うとした問題は消滅したかといえば、そうではありません。
世界は僕を中心に独我的に成り立っているという事実があるのに、その僕は世界の一要素に
すぎないとされる客観主義的語りが(僕の日常感覚からも)思われる。
しかし、この「事実性」を基に、客観的語りからこぼれ落ちる雫を掴み取りたいと思います。
もう一度、問いを明確に定式化する必要がありますね。
問いを明確に言語化すれば、分析哲学者が述べているように、多くの哲学問題が解消されるでしょうから。
頭が回らないのでまた次回。
>最近忙しい。
竹田儲@傍聴中 ◆2FBJW0K.qY =ポール
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ=ハルカ
これだけ自演してりゃな。
205 :
考える名無しさん:04/07/23 23:37
独我論から言語学へ橋渡しをするには無理があるのではないの?
独我論が「全てがこの私からの発想」であるのなら、言語の習得は他者による
強制に服従した事にならないの?
それでも、私がこの強制された私が習得したとも言えるけど。
しかし、それは、独我論に他者性の要素がある事を認める事にもなるのじゃあ
ないかな?つまり、独我論は他者を前提にしているってこっちゃね。
独我論は時代遅れちゃうかな?
ううん。フッサール・・・・
206 :
考える名無しさん:04/07/23 23:40
独我論を前提にしたら、言語規則なんてあるのか?
207 :
考える名無しさん:04/07/23 23:54
ない。
208 :
考える名無しさん:04/07/23 23:58
独我論とは言語習得の場面を無視しているわけだべ。
だから、言語学より前の時代の古い論理だべさ。
つまり、言語と言うものによって、認識の形態が決まる
のに、その言語の表現形式をもって、認識する自分が
独我論とは言えまへん・・・
209 :
考える名無しさん:04/07/24 00:00
だから、言語習得も表現も認識もすべて<私>の夢なんだろ?
210 :
考える名無しさん:04/07/24 00:00
我は存在しないのだす。我とは言語によって作られたものだもん。
それをもって毒蛾とは・・・・おかすい。
211 :
考える名無しさん:04/07/24 00:04
だから、「我とは言語によって作られたものだもん」という内容の夢なのさ。
212 :
考える名無しさん:04/07/24 00:08
211はん
ようわからんのだす。言っている事が・・・?
213 :
考える名無しさん:04/07/24 00:10
だから、わけの分からないことを言う香具師が出てくる夢を君は見ているのさ。
214 :
考える名無しさん:04/07/24 00:11
では君は夢を見ていないの?
「では君は夢を見ていないの?」というレスをされる夢をみてるんでは?
216 :
考える名無しさん:04/07/24 00:15
全ては作り事であり、夢です。世界も私も夢のまた夢・・・
217 :
考える名無しさん:04/07/24 00:15
へへ、そんなことでは騙されないぞ。
>全ては作り事であり、夢です。世界も私も夢のまた夢・・・
こういうことを言い出す奴に限って「現実」に屈服してたりするんだよな。
220 :
考える名無しさん:04/07/24 00:18
騙されない私は既に騙されて創られているのだす。
221 :
考える名無しさん:04/07/24 00:20
わては初めて書きこだすよ。
222 :
考える名無しさん:04/07/24 00:22
219
は○○0〜
223 :
考える名無しさん:04/07/24 00:23
>>218 <私>の辞書に、「屈服」という言葉はない。
ぴかぁ〜じゃねえよw
225 :
考える名無しさん:04/07/24 00:23
私が存在する事をどの様に証明したと言えるのかね?
この証明が出来ないのに、現実や我と言うのは妄想だ!
226 :
考える名無しさん:04/07/24 00:25
全ては妄想の赴くままにだちゅ構築ちちゃいまちゅ?
○○o〜
227 :
考える名無しさん:04/07/24 00:27
なんに屈服しないの?
屈服は前進のためにあるでちゅ。
228 :
考える名無しさん:04/07/24 00:29
>>225 だから、最初からすべては<私>の妄想だって言ってますがな。
229 :
考える名無しさん:04/07/24 00:32
はい了解だす。
全然面白くないね。
231 :
とおりすがり:04/07/24 00:57
>>203 ポール様
>とりあえず「α」は理解できましたが、確かにその通りですね。つまり、
>「世界に多数存在する心的主観のうちで、なぜ、ある特殊な「心的主観」だけが「私」であるのか?」
>>192 >という問いは、「僕の買った宝くじの番号」と同様の擬似問題ですね。
>「私はポールである」≡「誰かが存在する」は納得です。
どうもです(^^
それと、分析哲学に期待する点、私と同様の感想を持っていただき
うれしい(?)です
私もちと忙しいのですが、哲学は決してあきらめない
ちと間隔があいても必ずまたこのスレによらせていただきます
ところで、結局精神科受診しませんでしたが
離人症体験 しゃれになりませんでした
もう10年以上ないですけども・・
脳生理学の本かなんかに、一種の機能障害であって深い意味はない位の
ことが載っていて安心した(?)記憶もあります
中島義道さんの本にも 同じような体験が載っていました
スレ違いすまそ
とおりすがり=ポール様
233 :
考える名無しさん:04/07/24 10:11
離人症なんて 統計的に 潜在者が多いんだから気にしなくていいよ。
別に特権的なことでもないしね。
234 :
考える名無しさん:04/07/24 15:35
クリプキのクワス算参照によって
君はきっと分かるはず、我々は遅れてあると言う事を。
我々は、どんなに論理的に考えても、脳細胞に遅れている。
どんなに素晴らしい数理論を見出しても、ルールに遅れてある。
ルールの正否はメタを必要とし、そのメタも高次のメタを要求される。
これを無限後退と言う。この時、我々は確定しえない一点に到達するしかない。
この点は否決定であり、ハイデガーの言う現存在の空であり、
人間が思い込むことによってしか塞がれない虚無の穴である。
235 :
考える名無しさん:04/07/24 15:44
この空を忘れる為に、「我思う」と言ったり、
悟性の範疇と言ったりして、塞いできたんだ。
しかし、それが壊れて剥き出しになったのが、
ラカン、デリダ、ドゥルーズのなだ。
フッサールは、そこの穴を認めずに、独我論を持ち出した。
そして、世界は全て私の解釈によるとしたんじゃないのでしょうか?
その欠点は、すべて遅れてある事を知らなかった事。
この空を塞いだのは、父の「ノン」。「鏡像」だった。
この事によって、「私」は私の像重なり、象徴界に存在を見出した。
つまり、A=A を疑い得ないものとした。
つまり、ごまかしです。A=Aは無条件の絶対真理ではない
と言う不安を隠したのです。
236 :
考える名無しさん:04/07/24 15:48
A=Aを無条件の真理とした事で、階層的・高次の論理の組み立てが可能となる。
その事が、形而上学的真理探究を齎し、人間の多面性・多様性を疎外した
その事が構造主義に暴かれた。そこから、脱組織・脱構築の運動が
始まった。68年5月をどう思うか。
237 :
考える名無しさん:04/07/24 15:52
この問題提起は以前誰か書いた、幾つかの「私」と同じ問題提起です。
かな?
ボールの衣装部屋
・質問君
・虎
・胡頽子
・Scarecrow
・前スレ226
・他多数の名無し
・女帝グェス
・パレルゴン
・へらへら
・竹田儲
239 :
考える名無しさん:04/07/25 00:11
238:ぴかぁ〜
240 :
考える名無しさん:04/07/25 00:27
A=Aは正しくない。
つまり、最初のAと=の後のAには時差があり、既に最初のAではない
要素に変化している為。
第二に、A=Aと認定するものは人間以外にはありえないとするならば
そのAを表す概念の正当性は証明されない。
つまり、Aと言う分節の客観的正当性は証明不可能であるからだ。
分節とは慣習・恣意性・民族性に基づいており、客観的正当性の基準では
全くないのだから。
「自同律の不快」
242 :
考える名無しさん:04/07/25 00:37
よって
A=Aは永遠に証明されない。
簡易的にA=Aが正しいと考える事は正しいと前提したまでだ。
このことによって、組織内にある真理と虚偽が二項対立的に設定され
善が悪を劣れるものとして定立する。
ここに、差別化の理念=形而上学の罪がある。
243 :
考える名無しさん:04/07/25 00:39
そう「自同律の不快」だね。
そこを超えるのがメタモルフォーゼ(変身)であり、
ドゥルーズの「なる事」なんだよ。
現象学と分析哲学の話にポモを持ち込むのは
スレ違いだと思うんですがw
ただ、かなり強引ですが話は面白いので、
適当な別スレでやることを推奨したいです
>>234-243
なんでもかんでもポモにするなよ
>>246 ラカン(象徴界etc.)、ドゥルーズ、デリダ(形而上学批判)
一般的にはポモといいますが?
248 :
考える名無しさん:04/07/25 00:50
脳細胞の研究によって、我々の認識がどのようになされるか
分かるわけはありません。
脳細胞を解明するのもこの脳細胞の思考であるならば、これは自分の正否の証明
を自分で決定すると言う矛盾に落ちるのみである。
つまり、何を言っても正しく、何を言っても間違いなのだ。
証明は不可能となる自己矛盾に陥る。または、このことはニーチェの力
に於いてしか分かりえない。良し悪し。
249 :
考える名無しさん:04/07/25 00:52
ポモとはポスト・モダンであり、ポスト・構造主義とは別物
と言う定義もあります。
>>248 わかったから 他スレへ行ってくんないかなーw
251 :
考える名無しさん:04/07/25 00:53
構造主義とポスト・構造主義は異なり
ポスト・モダンとモダンも違う。
>>251 きみはまずえいたんごをいくつかおぼえることからはじめよう!
語尾を言い切る形にする人は、人格が
新宿京王大古書市行った。
J・ホスパース『分析哲学入門』全5巻、3150円だった。
内容が古いかな?と思いつつ、定評のある入門書である上に
格安だったので、買ってみた。少し読んでみた。
なんともわかりやすい!
前知識がなくとも理解できるうえ、読みものとしてもおもしろい。
内容は古いかもしれないが、僕には『言語哲学大全』よりも、
基礎を押さえる上でこちらを先に読むべきだった。
とりあえず『意味論』を読んでるが、心身問題等、他の哲学問題について
どのような回答を出しているのか、今から読むのが楽しみ。
今回は興味深いレスが多いですね。少しずつ返答します。
>独我論から言語学へ橋渡しをするには無理があるのではないの?
>>205 >>148-149で述べたように、言語分析とは言語の存在を前提とするものであり、
ひいてはそれは、他者の存在を前提とすることにつながると思います。
よって、
>>205さんが指摘するように、それは独我論と矛盾すると思います。
それを認めた上で、僕は言語分析に関心を持っています。
その理由は、僕の「主観的語り」が、言語の誤った使用法による擬似問題にすぎない
かもしれないという淡い期待(?)を持っているからです。
いずれ、僕の主観的語りの中で言語の存在を位置付けていかねばならないですね。
一応確認しておくと、僕は、「他者に心は存在しない、他者は私の脳内現象にすぎない」
という意味での独我論者ではありません。僕は、
「世界とは、徹頭徹尾、私の世界でしかありえない」
という、僕に与えられた世界の「事実」から、我々の常識的世界観(客観的世界観)を
検証していきたいと思っています。
なぜなら多くの哲学問題は、<私>だけが他の存在者とはまったく異なった次元に
存在しているという「事実」を原因としていると思っているからです。
(「世界が現れる場 − その世界に現れる存在者」)
世界が現れる場 − その世界に現れる存在者
他我問題 私 他者
心身問題 心 身体
ポールの人格は嫌いじゃないのだけど、
いかんせんレスの内容が面白く無いのでつらい。
>我は存在しないのだす。我とは言語によって作られたものだもん。
>>210 我は存在しない・・?。
もう少し説明してもらえますか?
「我」という概念が言語によって作られたのは事実ですが、かといって、
我は存在しないとはいえないのではないでしょうか?
この理屈だと、言語が存在しなければ目の前の「机」も存在せず、
言語が発明された途端に「机」が存在し始めた、というおかしな理屈に
なってしまいます。
>とおりすがりさん
>私もちと忙しいのですが、哲学は決してあきらめない
>ちと間隔があいても必ずまたこのスレによらせていただきます
>>231 お待ちしています。
僕も地道に続けていきます。偉大な哲学者の手助けを受けて、
世界をありのままに深く見取ることができるように・・・。
>我は存在しないのだす。我とは言語によって作られたものだもん。
>>210 せっかく『分析哲学入門』を読んでいるので、ホスパースを真似てみます。
「210さんは、『我』という語の二通りの使用法を混同している。
前者の『我』が、『その語(我)によって名指されている事物についてのある事実を述べ』ていて、
後者の『我』が、『その語(我)の意味について言及』している。
言語が存在しなければ、『我』という語の概念は存在しないが、かといって、『我』という語で
指示される対象が存在しないとはいえない」
>>234以降も興味深いですが、明日以降にレスします。
よろしくお願いします。
おまえ、ポールとか言う奴、ちょっと俺のスレに来いや。
喧嘩の相手してやるから。
あんた、ちんぽ太郎っぽいな。
お前、見るからに胡散臭いな。何が「ミラクル」だよ(笑)。
恥を知れ恥を!
って、知らないのにこんなに罵倒していいのだろうか?
いや、いいさ。だってネットだもの!
ゴラー! 調子に乗んなよ! 何が「言語という不思議なメガネ」だよ。
お前、電波だろ! 電波! お前、電波決定!
って、俺ってゆかり先生みたいだな。
ん、ポールの自演扱いもされてるな。
読み進めてみたが、ポールはあそこまで哲学的教養はないだろ。
逆にあれがポールなら見直すな。
ばらすなと言ったのに。
もうバレたので帰るぞ。じゃな。
>>269 dakaranetasurenanndakaramajiresusityadame!
なんでこう哲板のコテは傲慢で優しさの欠片も無いかね?
別にイチからジュウまで説明しろ、とかそういうんじゃなくてさあ、
ちょっと「自分語」を使うのを制限するだけでだいぶ印象変わるのに。
ポールは見てて可哀相になる。いやまじで。
対話ができる子になれるといいね。
>>269 大先生って他にどのスレに来てる?
ちんぽ太郎でもそうでなくても、どっちでも良いや。
久しぶりに見たネタも出来る実力派っぽいので、しばらく
追っかけをやりたい。
275 :
考える名無しさん:04/07/27 10:33
ま、なんでも刺客の一人ナわけだがw
哲板のピンチだね!!
もういいじゃん、ポールがチンポだってバレてるって。
278 :
考える名無しさん:04/07/27 13:27
大先生が「実力派」って…
これもネタなのか?
orz
つうか、この板の中の人
実力無さすぎ
大先生は自ら太郎を名乗ってるぞ
偽者っぽいけど
>ポール
質問してみたら?
ここのタイトルも哲学からかけ離れてきているようだね。
隔離スレならもうちょっとそれっぽい名前つければいいのに。
今、ポールが大先生てコテで奮闘してるよ。
どうでもいいよ バカが隔離できてりゃ
>>278 行ってヘコましてきてくれ。
ちんぽが負けるところを見てみたい。
はああああいいいいい!!!ぴよんぴよん!!!
| | |
| | |
| ガンッ!! | |
| ,l ヽ
| / /
| 从/ / |
| _.,/ , / lノ
|_ //__' , i
/ (_(_`/- ,_, ノ
/ ゝ( 丿
これまたこれまた!!あいいいいいいいんん!!!
ぼぼぼぼぼぼぼぼぼずずずずずぞぞぞぞぞぞぞおぬるぽ!!!あい〜〜〜〜〜ん!!!!はいいいいいいいいいいい!!!
ざっざっざっざっざ!!!…!!これまた!!!はいいいいいいあべいしししし!!!!ぶぶぶっぶうぶえべべべべらららr!!!
//////////_---―――――---_\ /////////////////
// // ///:: < _,ノ , 、ヽ、_ ノ ;;;ヽ /////// //// ///
///// /:::: (y○')`ヽ) ( ´(y○') ;;| // ////// // /
// //,|::: ⌒ / ヽ⌒ ;| ///// // ////
/ // |::: |~ ̄ ̄~.| ;;;| //// ////// ////
/// :|:: | |||! i: |||! !| | ;;;| ////////// ///
////|:::: | |||| !! !!||| :| | ;;;;;;| /// ///// ///// ←ポール
////|::::: | |!!||l ll|| !! !!| | ;;;;;;| /// // // // /////
// / ヽ::::: | ! || | ||!!| ;;;;;;//////// ///// /// //
286 :
考える名無しさん:04/07/27 22:17
260
混同していないのです。
前者の「我」は状況を、後者の「我」は発生理由を説明したものである。
この世に主語が色んな事を表現できる事を否定する事はできません。
言語とは、言語の中で全て完結できないのです。
その外に利用者がいるのです。そこの所を言語学は忘れているのです。
外の思考、シンタックスの外、構造の外です。
287 :
考える名無しさん:04/07/27 22:25
完全な言語用法なんてありません。
全ては既存の決まりにすぎません。ルールは恣意的に決められているのです。
この様なルールを正しいかどうか決める論理は存在しないのです。
ルールの検証はそのルールを前提としていると言う自己言及の穴に陥る
のみだからです。
288 :
考える名無しさん:04/07/28 22:24
つまり、僕らが言語哲学をする場合に、既に、その言語を用いて
哲学をします。その時すでに、その言語の表現慣習にのっとって、
その用法の正しさを証明しようとするでしょう。
その時、証明されていない言語用法を検証せずに使います。
このことは、ラカンでは無意識の構造と言うでしょう。
つまり、自分の尻尾を噛む蛇のように、頭と尻尾とが錯乱するのです。
それを忘れて言語哲学は必死になっている。
そこが問題なのです。
そこが不思議なんですよ。
まさか本物だったとは・・・。
ひねりのないスレタイとコテ名、知性0の
>>264の煽りを見れば、
本人ではありえないと思ったが・・。
それにしても嬉しいことです。
もう交わることはないと思っていたので。
さてと、挨拶でもしてこよう。
>>286-288さん
興味深い内容ありがとうございます。
必ず返答します。
もしよろしければ、捨てハンでもつけませんか?
慇懃無礼て言葉をポールに見る
>>286-288みたいなやつが不完全性定理を持ち出して来たら気を付けろ!
間違いなくDQNだ。
パレっぽい。
294 :
考える名無しさん:04/07/29 09:02
>>286-288みたいなやつがスコーレムのパラドックスを持ち出して来たら気を付けろ!
間違いなくDQNだ。
295 :
考える名無しさん:04/07/29 10:38
スーコレムのパラドクスを持ち出さなくても
すでに間違いなくDQNだよ…
>まさか本物だったとは・・・。
>
>ひねりのないスレタイとコテ名、知性0の
>>264の煽りを見れば、
>本人ではありえないと思ったが・・。
>それにしても嬉しいことです。
>もう交わることはないと思っていたので。
>
>さてと、挨拶でもしてこよう。
きみも自演も末期だね。
>>296 こういう人って、本気でそう思ってるのかな。
本気でポールとちんぽ太郎が同一人物だと思ってるんだとしたら、病気。
ポールは原書で哲学書を読めるレベルではないよ。
太郎がここまで欠かさず哲板に来てるんであれば、もう少しこの板はまともな物に
なってたはず。雑談好きの太郎が人気で、太郎ほどの実力のないフォロワーが
生まれたせいで、ここのレベルが落ちたってのもあるとも思うけどね。
300 :
考える名無しさん:04/07/29 22:17
太郎さんと話してみたいね。
ところで、言語学にはポールロワイヤルってのがあったけど、
あれは完全無欠に言語を捉えたと考えたのでしょう。
所が壊れていく。つまり、言語を言語で証明されないと言う事の証明になっちゃう。
つまり、言語は完結し開かれた体系ではなく、言語=意味が対照的に構造化されている
に過ぎないわけで、この所が、構造主義言語学な訳ですよ。
だから、言語学は記号論に吸収される。
301 :
考える名無しさん:04/07/29 22:18
mattakumottepupupudane.
302 :
考える名無しさん:04/07/29 22:21
言語学と記号論の違いは、私見だけれども、前者が言語がある確定した
意味を表現伝達すると確信しているならば、後者は記号はあるイメージ
象徴を表現するものと考える。と言う事は、記号は受け手の解釈に委ねる
所が多く、あくまで、記号は投げ出されたものの位置に甘んじているので
その記号をどのように感じるかは受けての捉え方にかかっているのである。
303 :
考える名無しさん:04/07/29 22:30
このことは、明らかに、意味の豊饒性に道を開くアプローチである。
つまり、言語=コミュニケーションと言う考えから、
記号=解釈 と言う事になる。
つまり、この先には、脱構築の可能性を秘めている事は疑いえないのでは
なかろうか?参画=アンガージュマンとサルトルが言う時
政治運動を意味していると考えるのが一般的ですが、
深田直の「呼びかけの経験」には、この提供と言う記号論的な視点が
サルトルの小説にはあると考えている節がある。
つまり、小説を世間に出す事をもって、アンガージュとしているのである。
そうであれば、彼は構造主義的に実行していたと言う事にもなる。
304 :
考える名無しさん:04/07/29 22:37
作品の提供とは、誰かが言っていたように、「それ」としかいえないもの
として、作品は物自体的な面を保持している事になると思われる。
断定できないものとして、提供するしかないんだ。
そこが、抽象芸術作品と通底しているんだ。
作品は具象であっても一つの解釈のみに収斂されない。
だったら、もっと根源的な要素を捉え表現すると言う視点
が抽象なのである。つまり、抽象作品とは形式主義であり、
それは、構造主義とパラレルなのだ。
305 :
考える名無しさん:04/07/29 22:39
ポールさん。
わたしは、名無しでいいのです。
それの方が気が楽だし、変幻自在をモットーにしていますから。
それではまた。
306 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/29 22:46
自分が以前提出した問題を簡単に再構成します
脳生理学は「この世界は私の世界だ」という事を
証明するものではなく、むしろ前提にしているでしょう
それは歴史学が昔も大地が存在した事を
前提にしているのと同じです
身体が自分のものなのだから
「この世界は私の世界だ」というのは確かに自明です
しかし言語の介入によって
不可能なはずの他者が出現します
308 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/29 22:52
私の問題に時間の話題は欠かせない
大森の弟子筋の中島義道は
端的に過去を繋ぐ存在を私としています
例えば泥酔していたり昏睡していたり
デカルト的なコギトのない動物的な状態に
主体がなる事があるでしょう
しかし事後的にそれを「私」に回収できる
権利的な主体が「私」であると言います
そのとき私は私の身体を超えている
しろうとも馬鹿だね。
構造って言葉を便利だからって多用すんなよ。
その時点で飲み込まれてるてーの。
311 :
考える名無しさん:04/07/29 23:01
私も良くは分かりませんが、時間を持ち込むと、瞬間ごとの複数の「私」が発生する
のではと言うきがしますね。この点を感じ取ったのが、ドゥルーズの「成る事」
と言う概念、或は、分裂なのですよね。つまり、構造主義は主体を喪失したんです。
だから、時間は歴史ではなく、分裂と言う意味でしか意味はなくなる。
313 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/29 23:04
>時間を持ち込むと、瞬間ごとの複数の「私」が発生する
大澤真幸の多重人格論みたいな感じですね
>瞬間ごとの複数の「私」が発生する
>のではと言うきがしますね。
なわけねぇ〜(爆
315 :
考える名無しさん:04/07/29 23:06
歴史は全面的に否定されるのです。それは作りもの=物語になったからです。
物語と同じ作り物だと言う事だからです。その様な作り物を切断する
事が構造主義者の最初のお仕事だったのですよ。
316 :
考える名無しさん:04/07/29 23:07
314は本ものピカリン?
317 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/07/29 23:08
>>314 瞬間は言いすぎだと思うけど、
昔の自分の写真、文章を見直すと
全然違う私だという気分があるでしょう
318 :
考える名無しさん:04/07/29 23:10
変幻自在とは主体化からの逃走であり、貴方の好きな脱構築の前提です。
つまり、脱構築を主体化した不変の「私」が行為主体として脱構築している
なんて考えていたら「オー・ノオ」です。
脱構築は主体も脱構築するのです。
>脱構築は主体も脱構築するのです。
なわけねぇ〜(爆
320 :
考える名無しさん:04/07/29 23:13
317
分かるけど、それよりもっと短い瞬間に、私は1000分の1秒にも刻々と
私ではない私に脱皮する気もする。そうであるならば、私の意図したこと
は私ではない私に回収される。つまり、永遠に私は私ではない私に
スライドする。
>私は1000分の1秒にも刻々と私ではない私に脱皮する気もする。
なわけねぇ〜(爆
だってさ、時間に切れ目も点もないもんね。
323 :
考える名無しさん:04/07/29 23:17
時間って何なの?
324 :
考える名無しさん:04/07/29 23:21
だから、持続的変身って事だろう。
ベルグソンを引きずってるのよ、ドゥルーズは。
エレア派のゼノンちゃんの「飛ぶ矢」「アキレスと亀」の矛盾を
引きずっているのよ。ポスト・構造主義は・・・
325 :
考える名無しさん:04/07/29 23:23
時間は無視される。あるのはこの身体の欲動の流れ
セリーと変幻自在。この事で、形而上学、現前、対象化
を超えるのでしょう?
形而上学、現前、対象化を超えるのなんか、物理的に無理じゃん。
ポスト・構造主義は、思想以外で使ちゃうのは誤謬だよ(><)
327 :
考える名無しさん:04/07/29 23:29
ぴかぁ〜、ブログに行ったんじゃなかったのかよ?
風邪引いた・・・つらい・・・こんな姿ブログ界隈で見せられないだに。
329 :
考える名無しさん:04/07/29 23:31
ありえねースレ
今日無理して会社言ったら、目眩したなり
331 :
考える名無しさん:04/07/29 23:32
最近見ないと思ったら…
いきなりやってきた自分のことだけじゃべるとは
阿修羅キャラみたいなり・・・バイバイ
333 :
考える名無しさん:04/07/29 23:34
バイバイ
ブログやめたいなり
335 :
考える名無しさん:04/07/29 23:36
なんで?
>>300 > ところで、言語学にはポールロワイヤルってのがあったけど、
> あれは完全無欠に言語を捉えたと考えたのでしょう。
> 所が壊れていく。つまり、言語を言語で証明されないと言う事の証明になっちゃう。
あんたポール・ロワイヤル文法読んだことないでしょ。
翻訳(絶版だけど)でいいから読んでごらん。
訳は誤訳だらけなんだけど、読まないよりははるかにマシ!
664 名前: 大先生 [sage] 投稿日: 04/07/30 08:26
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338 :
考える名無しさん:04/07/30 22:26
読んだのならば、要約してちょうだい。
ポールロワイヤル・・・
339 :
考える名無しさん:04/07/30 22:27
でも、レベルの高い奴はいねのかね?
340 :
考える名無しさん:04/07/30 22:35
326 :ぴかぁ〜 :04/07/29 23:28
形而上学、現前、対象化を超えるのなんか、物理的に無理じゃん。
ポスト・構造主義は、思想以外で使ちゃうのは誤謬だよ(><)
これは、哲学だよ。つまり、思想とは言わない。
だから、現実と非現実(哲学)を分けて考えてはいけない。
この様に二項的に捉えると、哲学は学問として、知識としてのみあること
になり、外の現実(生活)とを分離してしまうと思うんですね。
学問とは現実なのですよ。だから、色々と考えては、「違うなぁ〜」と
又考える。現実と学問を分けて考えるのはどうかなぁ〜。
341 :
考える名無しさん:04/07/30 22:43
しかも、「物理的に〜」と言う発言は哲学てきではない。
物理的とは?物の道理に比してと言う事であり、
物理論が哲学に影響する事はないのです。
逆に哲学的な視点が物理論に影響を与える事はあるでしょう。
つまり、現前は対象化する事によって生まれるのだとすれば
対象化しない方法を考えればいいのです。
現前=確固としてその物は私の前にあると言う事を
私の前にあるものは何かと正確に定立出来ない。
よって、その物=Aと言うように固有名の中に定立出来ないとすればいいのです。
342 :
考える名無しさん:04/07/30 22:46
つまり、現前とは物の世界が我々人間の前に以前からあると考えるので、それを
否定すれば良いのです。
343 :
考える名無しさん:04/07/30 23:26
>>341 >物理論が哲学に影響する事はないのです。
>逆に哲学的な視点が物理論に影響を与える事はあるでしょう。
まさに哲学の傲慢ですね。
?
で、ぽーるってどこだ?
名無しカキコミに必死で、自分の名前を忘れたか?
↓ポール(自称、この板の主役だそうです)
998 名前: この板の主役 [ageruyo♪] 投稿日: 04/07/11 22:58
この板の特徴を大雑把に云うと。
一行煽りレス多し。(ex.ポールがやれば?♪)
「はー?」とかいう無気力で自堕落なレスが多い。
あと、中の人に対する妄想のみで、バカみたいに膨大な数のレスがつくこと。
そのほとんどが見当違いにもかかわらず。にね。だぉっ♪
コミニュケーション能力が極端に低い人が多い。
だから、議論、論争という形式を取らないと他人と会話できないんだね。
(特に異性とは無理そうな人ばっかり。だおっ♪)
あとは自説をモノローグ式に塗り重ねるだけか。だね。だぉっ♪
これ、疲れるね、結構。
>>物理論が哲学に影響する事はないのです。
>>逆に哲学的な視点が物理論に影響を与える事はあるでしょう。
>まさに哲学の傲慢ですね。
傲慢というか常套手段だね。
ばくはするなら見ずらものとも、理解不可能の彼方へ
なさけないよ。
一般論に変化させないで、素直に「嫌いだ」って言えば可愛げあるのにな。
糞コテは屁理屈ばっかりだ・・・、だから糞コテって言われるんだろうけど。
349 :
考える名無しさん:04/07/31 20:08
物理学批判は避けよう。
確かに言い過ぎだった。
ただぴかぁ〜さん(本物かどうか疑わしいが、と言うのは彼は関西系の人と思われる。
所が貴君は東京弁である。)が言った「物理的」と言う表現が哲学的でなく、
一般に使用される意味で使っている事を批判したかったのが本音である。
物の道理として、この空間・時間的に見て不可能と言う意味に使っているのである。
全く哲学的用法としての意味ではないのである。
350 :
考える名無しさん:04/07/31 20:12
本物のぴかぁ〜氏はその様な「物理的」と言う使い方はしないだろう。
彼はポスト・モダンに傾注しているのであり、もっと肯定的にデリダ的に
現前批判を捉えるに違いないからである。
以上から、もし、「物理的」との発言が本物のぴかぁ〜さんであるならば
詳細にこの語彙の背景を答えて欲しいのだが?
351 :
考える名無しさん:04/07/31 20:14
物理学批判ではなく「物理的」と言う表現批判である。
訂正したい。言説は哲学的なものがリードするわけではなく
全ての学門の関係が体系化されたものとして、その布置として
表現されたものであると言う事である。
352 :
考える名無しさん:04/07/31 20:24
ポールさんはどうしているの?
言語哲学の読書?
ポールは大先生=チンポ太郎のスレにいってる
では、物理的でない哲学とはいかなるものかな?
>>353 馬鹿だな。ポール=チンポ太郎なんだよ。
馬鹿だな。哲板のコテは8割が暇人なだけなんだよ。
357 :
考える名無しさん:04/07/31 22:49
物理学で表現できない哲学だろうね。
物理学では外の世界が先ずあると考えているだろう。
そうでないと、物の世界を解明しようとするその対象を失う事になる。
物理学ではない哲学とは、その前提である、物の世界が先ずあると言う事
を疑うわけだよ。そこが、哲学の広さなんだよね。
358 :
考える名無しさん:04/07/31 22:51
354さんは本当(ポスト・モダン派)のぴかぁ〜さんではないでしょう?
物理学の先端つったって、結局限界があるんだろう?
目に見えない部分を予想するのも大事なことでしょうに
360 :
考える名無しさん:04/07/31 23:00
それでも、それは物が外に客観的に存在する事を前提にしているわけさ。
そこから、例えば時間的に物体の運動がどのようになるのか
を想定する。その為には視覚的な物の裏にある引力・張力・加速度
等の数式で表現するようになる。これは、見える物体を見えない表現
によって解釈する事なんだけど、結局は物の世界は先ずあると言う考えを
否定しては成り立たない。
361 :
考える名無しさん:04/07/31 23:02
その点が哲学的思考とは全く違うのだよ。
哲学は一言で言って前提が全くないのだ。
362 :
考える名無しさん:04/07/31 23:03
その点が哲学的思考とはまったく違うのだよ。
哲学は一言で言ってなんでもなんだよ。
363 :
考える名無しさん:04/07/31 23:09
哲学は人間の全てについて真理を発見・証明しようとするんだ。
だから、物の世界も人の世界も含むんだ。
その検証は前提がないのだよ。所与もない。所与という奴は
哲学的思考を捨てている偽者であり、言語哲学・論理学・数学に多い。
364 :
考える名無しさん:04/07/31 23:17
w
365 :
考える名無しさん:04/07/31 23:22
論客の連中は何処行ったのだろう?
今日は土曜日だぜ!
読書かい?
討論はどうだ?
頭が悪いくせに頭のいいふりをしたがるやつの典型発見。
>>357 まじですか、その程度で引き留められてもなあ・・・
物理的でない哲学について語ってほしいといってるだけなんだけど。
語れるものならね。
ヒント、物理的を否定する世界も、物理的な世界であることはわかるかな。
久しぶりにチンポさんと話してます。
広範な知識と平易な語り口での解説、そして、(真面目な)初心者に親切な人柄、
今の哲板でもっとも待望される人だと思います。
哲板の面白さは、
「現実の世界では交わることの少ない、専門家と初心者との交流」
というのが僕の持論です。
チンポさんのような専門家がこれからも増えてくれることを願います。
チンポさんは、入門書でなくその哲学者が書いた著作に直接当たることを力説し、
さらには、歴史の審判に耐えてきた古典を重視する人です。
分野は違えど、もともと僕もそういう考えですから、彼の意見は極当然のことして
受け入れることができます。
目に見える「枝葉」を観察するのではなく、枝葉が生えてくる「幹」を、さらには、
その幹を支えている「根」に思考を向けること。
どの分野でも、理解が深まれば深まるほど、それが現れる原初の場へと思考が
戻っていくと思います。
ところで、チンポさんとの再会で、『自由論』を読んでいた頃の自分を思い出しました。
最近、難解で意味不明な哲学書(分析系の本は難解でさっぱりわからないが、意味不明ではない)
と格闘してません。『純理』も、「僕の知識が増えてからいずれ・・」と思い(言い訳し)つつ、
今に至っています。
というわけで、宇都宮訳『純粋理性批判 上下』を思い切って買ってきました。
序文だけ目を通してみましたが、異常に(?)わかりやすい文体です。
『言語哲学大全 W』とその周辺にキリがつけばスタートします。
今年中に読み終えます。
分析系の勉強も、形式論理を含めて継続します。
そして来年は『イデーン』を読む!
>謙虚な名無しさん
>>305 しろうとさん
読んでます。
必ず返答します。
375 :
考える名無しさん:04/08/01 09:47
ポールさんへ
チンボさんとの対話を楽しんで下さい。そして、その感想をレスして下さい。
僕はもうお分かりと思いますが、パレルゴンです。
名無しの方が自由に書けるし、間違いも許されるような気がします。
また、それは「訂正」と素直に言える気がします。また、次々と
自分の考えが打ち出せるのです。と言う事で当面「名無し」で
レス致します。また、しろうとさん等との討議をポールさん中心
に進めたいですね。
376 :
考える名無しさん:04/08/01 09:53
私は、哲学書は沢山読みましたが、解説書が多い(笑)
ポールさんの姿勢は原本(全文翻訳)を中心にして、緻密な勉強ですね。
私も、今後は、原本全訳を中心にゆっくり哲学をしようかと考えています。
私の場合には、構造主義、ポスト・構造主義を深く掘り進んで行こう
と考えています。カントは「純理」上を読んで、後は解説書でカバー
したくらいです。やはり、古典と言われるものを熟読すると、
きっと、現在の哲学のヒントが散りばめられてある事は事実ですね。
377 :
考える名無しさん:04/08/01 09:59
現在は、構造主義の歴史上を読んでいますが、僕らが考えている以上に
哲学者同士の交流は活発のようです。
例えば民俗学者レヴィ=ストロースなんかはあのラカンとの交流もあった
し、つまり、また、レヴィ=ストロースはヤコブソンの音韻論にヒントを得て
構造主義的民族学を発表したんですね。つまり、全く分野の異なる
学者同士が同じ思考の時代を開いたと言う事です。
378 :
考える名無しさん:04/08/01 10:03
そう考えると、時代の言説は、少数の天才が齎したとも言えそうですが
実際は、万人の心の変化・時代の諸学の捉えかたを少数の哲学者が読み込み
表現する。その場合には諸哲学者が相互に影響を積極的に受け合い
時代の言説を構築する気がします。
379 :
考える名無しさん:04/08/01 20:41
静かですね。
なんか、パレルゴンは自意識過剰だな。
匿名掲示板なんだからもっと気楽にやんなよ。
>>謙虚な名無しさん
名無しは基本的に全員「謙虚」なんだよ。
自分のハンドルネームをスレタイに盛り込む馬鹿とは違うんだよ。
>>381 ワラタw
いや、俺はポールのファンなんだけども、これはうけたw
383 :
考える名無しさん:04/08/02 22:17
柄谷スレは活発だけど、こっちは静かだね。
384 :
考える名無しさん:04/08/02 22:18
言語哲学の達人いらっしゃい。
385 :
考える名無しさん:04/08/02 22:24
柄谷さんって本当に世界的な哲学者なんだろうか?
英文で書いているのは知っているけど、以前数冊読んだけど、
浅田先生の方が上だと思うけどね。柄谷さんはあれもこれもだろう?
さっぱり言いたい事がはっきりしない。
日本の思想もやっているし、ジジェク・ラカン・クリプキ
デリダ・・・・いや ポスト構造主義、精神分析学、言語哲学
記号論 何だろね? 「俺は知っている。全て・・・」
と言いたいのだろうか?
386 :
考える名無しさん:04/08/02 22:28
確かに素晴らしい頭脳ではあるのでしょうが・・・
NAM,批評空間 はブッつぶれたし、
竹田さん、小坂さん、浅田さんの方が明確なのじゃあないかな?
浅田曰く、柄谷は馬鹿だからこそ偉い(要約)。
>チンポさん
煽りは放っておきましょう。
大先生偽者は、一年以上前から僕に粘着している、現実と仮想が完全に逆転した
真性の2ちゃん中毒者です。
見ての通り、哲学知識はまったくないし、煽りはワンパターンでつまらないし、
すぐ必死になるし。二言目には、「ポールが僕を馬鹿にするぅ〜(怒」ですから。
チンポさんが出てくるほどの奴じゃないです。
まあ、そんな阿呆のことはどうでもいいのですが、このまま議論が終わってしまうのは
非常に残念です。おそらく、大先生スレを見ていた多くの人がそう思っているでしょう。
もしできるならば、以下のスレで議論を続けさせてもらえませんか?
いまだ前フリの段階で、『自由論』自体に立ち入るのはこれからですし。
☆☆☆ シェリング ☆☆☆
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1081209227/
あげ
390 :
考える名無しさん:04/08/04 22:32
>>1 スレタイにコテハン名入れているから削除対象
391 :
考える名無しさん:04/08/04 22:34
ちんぼ太郎さんの教室は終了したんですか?
「一と多」の説明はしないままでしょうか?
1=神=全体
多=その神の属性=多様な現れ(スピノザ的)
しかし本当は・多=多様に現れる回収還元されぬものであり
一とは全く無縁のもの=ポスト・構造主義的
こ言うのはどうでしょうか?
392 :
考える名無しさん:04/08/04 22:40
身体=欲望的=分裂症的=一回限りの表現
還元不能のもの こう言う感じですかね。
一と多については、『講義』においてハイデガーも言及してますね。
以下参考に。
「汎神論とは・・・すべての存在者が存在者の根拠と関係しているという意味です。
『一』つまり<ヘン>としてのこの根拠は、根拠である限り、他のすべてのもの、つまり、
<パン>(全体)がその根拠において、つまり根本的に、それであるところのものを存在しています。
一が全体であり、そして全体が一でもあるわけです」(『講義』p153)
<>内ははラテン語(?)
>>388 ?
大先生スレ、最後辺りの口論は大先生もちんぽ太郎も両方偽者と思ってたんだけど俺の勘違い?
多は?
>>395 いや、あんなもんでしょう。最初の方でかいてたが、2chにストレス解消程度のものしか
期待してないのでは?
以前プロではないみたいなことを書いてたが、東を君付けしてたし、十川はさん付けだから
あのあたりと顔見知りのプロの人なんじゃないかと思う。
398 :
考える名無しさん:04/08/04 22:57
いや。神を思考する事は出来ないのですよ。
それでも、神の視点を前提としない限り、真理は表現できない。
だから、そこを乗り越えるために、認識論は存在論に席を譲った。
その事で、現存在=人間存在から その存在者の意味が現れる
事で、神の視点を剥奪した。こう言う事で形而上学は薄れていく
と言うのはどうでしょう?
399 :
考える名無しさん:04/08/04 23:00
多は神の属性として現れる存在者と言いたいのでしょう。
古典では。私は神を剥奪しているので
一=恣意的構造であり、多=この構造からの逃走・脱構築
と考える。チンボ先生とは違う。
400 :
考える名無しさん:04/08/04 23:03
ポールさんには分かり難いかもしれませんが、
存在論的とは、存在者の客観的な姿=神の属性としての個物
と言うスタンスは超えているのだと思います。
存在論的=人間による存在者の意味ですから・・・
>>397 ん?いや、そういうことではなくて、ただ単に口調などの印象からです。
まあ、俺の勘違いでも全く問題ないていうかそんなことどうでもいいんですけどね。
スレ自体はとても面白くて堪能させてもらいました。
402 :
考える名無しさん:04/08/04 23:05
構造が神に取って代わるのは、絶対視点=無限視点 が自己矛盾を
起こすからです。ゲーデルの不完全性定理がそれです。
403 :
考える名無しさん:04/08/04 23:08
だから、ポールさんもそこの所が腑に落ちなかったのでしょうか?
チンボ先生とのシェリングの討議で?
404 :
考える名無しさん:04/08/04 23:17
また、神の視点が壊れたのは、背景・前提があると言う事が判明したから
です。全ての認識には思考・論理の前提となるものがあり、その事で
真理が左右されるからです。フレーミングなんかは、僕はよく知りませんが
その様な多様な前提に枠をはめる事で、域内での真理を掴もうとする
行為ではないでしょうか?
405 :
考える名無しさん:04/08/04 23:18
どーも。ポールさんは古典的な哲学が好きなんですね。
お邪魔しました。それでは・・・
>>398さん
398さんがいう神と、チンポさんがいう神では、その語が指す意味が
まったく異なっているのではないでしょうか。
神とは、絶対視点をもつ「存在者」ではありません。
僕も幾度も指摘されたのですが、「神」という語を使われるとどうしても
誤解が生じるようです。
そうではなく、むしろ僕は、「神」を、「〜を可能とする原理、根拠」と
言い換えた方がいいのではないかと思っています。
例えば、我々が世界を認識できるのは、「認識を可能とする原理」が
存在するからであり、その次元が「存在論的」次元である。
認識そのものの探求は「存在的」次元であると。
哲学者が従事すべきは、存在論的次元であると。
たまたま、すべての物事の根底に存在する、その「〜を可能とする原理、根拠」
を考察する時、当時の西洋人は、彼らの宗教文化から、「神」という概念を
借りてきただけであって、仮に宗教としての神が完全否定されたとしても、
存在論的な「神」は残ると思います。
また、398さんが言及する「構造」も、おそらくハイデガーに言わせれば、
存在者に属するものであり、その「構造を可能とする原理、根拠」の探求こそ、
哲学の使命である。いくら存在者の次元を観察しても、存在(神)は見つからず、
それは哲学的直観(知的直観)において初めて発見されるのだ、
と反論されるのではないでしょうか?
違ってたらチンポさんに訂正お願いします。
>僕はもうお分かりと思いますが、パレルゴンです。
>>375 初めのレスで気付きました。
ですが、「大人の事情」って奴で黙ってました(笑
よろしくお願いします。
>>406-407 おお、素晴らしい。
大先生のスレではいまいち納得できなかったけど、上のレス読んで理解&納得できたよ。感謝!
>>408 「大人の事情」ワラタw。
パレルゴンの場合、議論に行き詰まったガキの事情だろw
>二言目には、「ポールが僕を馬鹿にするぅ〜(怒」ですから。
テクストを示してくださいね(笑)
>>394 ああ、やっぱ君だったんですね。
思った通りだ。
「大人の事情」↓ワラタw。
39 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/07/16 01:35
パレルゴンに質問 (yesかnoかで答えてね)
1 自分のレベルは哲板の中でかなり上だと思っている
2 フランス語が読める
3 哲学に興味を持ってから10年以上になる
42 名前: パレルゴン ◆DRyRniyr9k 投稿日: 04/07/17 20:51
だから、討議と言う、2ちゃんに傾注するよりも、新たな世界を見出すべく
新たな旅に出たいと思うようになりました。
一回り大きな世界を見て、一段と高い世界から、物事を見極める
レヴェルを求めて、願わくば、一握りの人間しか見ることの出来ない
世界に達してみたいと思っています。
その為には、討議よりも読書(熟読)を進めたいと思います。
この様な形で中断する事を申し訳なく思いますが、
皆様のご理解を頂きたく思います。
また、一回り大きくなったパレルゴンに会う日を楽しみにしていて
下さい。
きっと、帰ってまいります。とは言っても、時々「名無し」での参加
はさせて下さい。
もし、「私」だと分かったら呼びかけてください。その時は名前を
明かします。
それでは、皆様の健闘を祈りつつ、筆を置きます。
さようなら・・
414 :
考える名無しさん:04/08/05 01:17
あれ?
415 :
チンポ太郎:04/08/05 01:46
>自分哲学を展開するのは、別に構いません。
>しかし、これらの過去の偉大な遺産との対話を果たした上で、行うべきです。
>「しゃべり場」レベルの人生論を、貴方の貧弱な経験を基礎になされても、迷惑なだけです。
>
>何でも勉強しないと駄目なんです。勉強しないと、思考だってできなくなるんです。
>自分勝手な妄想を広げても、学問的な基礎がないと、それは哲学にはなり得ないのです。
>そういう妄想について話したいのなら、床屋にでも行って話したらどうですか?
>742 名前: 胡頽子 ◆Yrg04PRYDU 投稿日: 04/05/15 05:08
>
>>738 >先人がすでに通過した道を自覚できない・しようとしない営為は哲学ではありません。
>
>例えば、哲学学を批判する者がよく引き合いに出す人物に中島義道がいますが、
>彼が大森と行ってる時間をめぐる議論を見て御覧なさい。
>
>いかに多くの先人が引き合いに出され、議論を進める上での叩き台にされているか。
>
>「無からの思索」など、知的コンプレックスのかたまりが、知的努力を怠りたい欲求を
>棚上げしたままで主張する戯言なのです。
416 :
チンポ太郎:04/08/05 01:48
>・大学専門課程以上を対象としたスレッドを立てる。
>・研究室での議論と同等レベルのレスを心がける。
>・厨房レスは完全無視。厨房は他板へ除去。
>・人生哲学MY哲学は学問板である哲板とは板違い。
>
>また、厨房諸君に前もって警告しておくが、
>
>以下に、より適切な板はありませんか?
>・人生相談板、メンタルヘルス板
>・心と宗教板、オカルト板
>・電波・お花畑板、夢・独り言板
>・自己紹介板・厨房板
>31 名前: 考える名無しさん 投稿日: 04/05/16 07:17
>ローカルルール試案(草稿・審議中)
>
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/2996/tetsuita/l-rule_Ver_2.htm >
>> 掲示板一覧を見て、よく考えてからふさわしい板にスレッドを立てましょう。
>> (例:人生相談板、文学板、創作文芸板、詩・ポエム板、心と宗教板、おいらロビー板、ラウンジ…etc.)
22 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/05 01:28
417 :
チンポ太郎:04/08/05 02:04
ああ、つまらん。
ついでにいっとくが、規制議論のスレによれば、
ポールくんはproxy使ってるそうだから、スレなんていくらでも立てられるぞ。
>847 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/04 16:45
>
>>845 >アクセスだけなら俺も3,4回しましたよ。
>
>>・プロクシを使用してる人はほとんどいなかった(何故?)
>何故と聞くほうが・・・何故?
>必要ないからじゃないんですか?
>
>848 名前: 824 ◆qna7HOVbfU [sage] 投稿日: 04/08/04 17:01
>
>>846 >いやまあそうなんだろうね。
>俺の場合どこの誰が立てたかわからない板やホームページは
>プロクシ経由でアクセスする習慣があるもんだからさ。
>いちおう2ちゃんねるはひろゆきの住所も電番も公開されてるから。
>それでも読み込みはプロクシ経由だし。
彼が連続スレ立てやった本人なんだからな。
418 :
チンポ太郎:04/08/05 02:05
>850 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/04 18:28
>
>>848 >おおかたネットで常日頃から後ろめたいことでもやってるんだろうよ。
あっちでも言ったが、そうなんだろうね。
419 :
チンポ太郎:04/08/05 02:06
846 名前: 824 ◆qna7HOVbfU 投稿日: 04/08/04 16:14
えーとお話中すまない。
>>839に書いたとおり
http://jbbs.livedoor.com/study/4806/は 近日中に閉鎖する予定。
もし避難所・雑談・ウォッチでもなんでもいいけどあそこを使うようなら
このスレかあちらに書き込んでおいて。
書き込みが無ければ俺個人の実験場として少し使った後閉鎖するので。
結果報告
*制限
・cookie、リファラ、ホスト(プロクシ)によるアクセス制限は無し
・ID、ホスト情報は表示せず
*結果
・トータルアクセス:160(開設以降の数。半分はたぶん自分)
・Page View :19(アクセス解析設置後の数)
・Visit :18(同上。いわゆるユニークアクセス)
*気付いたこと(
>>841+α)
・プロクシを使用してる人はほとんどいなかった(何故?)
↑
で、たぶん、ここはポールの板だね。
あっちでも言ったが、
アクセスしないほうがいい、何か探られてるから。
そのあとに、2chで使える串なんて殆ど無いと続いているんだがw
これは本当にそう。串リストから1000超える串を拾ってきて、age2ch
で串チェックしても、使える串は一つ見つかればいい方。
このバカは、串を使うほどのスキルもない模様w
824がポールであるというのも思いこみ。
423 :
チンポ太郎:04/08/05 02:12
>>420 >そのあとに、2chで使える串なんて殆ど無いと続いているんだがw
おいおい、殆どだろ?
なら、僅かな串なら持ってるかもしれないだろ?
424 :
チンポ太郎:04/08/05 02:14
>串リストから1000超える串を拾ってきて、age2ch
>で串チェックしても、使える串は一つ見つかればいい方。
>このバカは、串を使うほどのスキルもない模様w
だから、おまえがスキル持つほど、不正ばっかしてるからだよ。
馬鹿か。
425 :
チンポ太郎:04/08/05 02:16
>824がポールであるというのも思いこみ。
それは半信半疑ながらも、ポールだろうと思うがね。
彼なら、やりかねないんだよね(笑)
まあ、自分で知恵遅れって言うぐらいだから無理だろうけど。
串なんて別にアングラでもないだろ。824だって、アドレスがほとんど固定だから
使ってるって書いてあるし。
あと俺、niftyのadslで、IPはしょっちゅう変わるからw
824ではない。
428 :
チンポ太郎:04/08/05 02:20
>>426 いや、だからね…そんなもん使って何かしようとしてるのが、
何もしてないってのが、おかしいじゃんよ?
何をやろうとしてるのか知らんがな。
>>425 そこまで粘着するのは屈折した愛情なのかしら・・・とふと思った。
それはそうと騙りは自身の品性を貶めるのでおやめになった方が良いですよ。
マゾヒスティックな嗜好をお持ちで、侮蔑されるのが快感ってことなら止めませんがね。
430 :
チンポ太郎:04/08/05 02:23
>>428 バカだな。日によってniftyからの書き込みが規制されたりするから使うんだよ。
432 :
チンポ太郎:04/08/05 02:25
>>432 自演を疑った落とし前はどうつけてくれるんだ?
434 :
チンポ太郎:04/08/05 02:27
>そこまで粘着するのは屈折した愛情なのかしら・・・とふと思った。
愛情かもね。屈折した?そうかもしれん。
435 :
チンポ太郎:04/08/05 02:29
>>433 >自演を疑った落とし前はどうつけてくれるんだ?
人が感傷に浸っている間に何だよ、
ってか、二酉騙っといてそれか?
おまえの胸に聞けよ。
粘着されているコテには、リモホを曝すことを提案。
このキチガイにはリモホの意味が分からないから無理か。
438 :
チンポ太郎:04/08/05 02:34
>リモホを曝すことを提案。
てゆうか、君、ポールがproxy使ってるなら、
まさに意味ないじゃん。
変えられることが分かってるから言ってるのも分かるし。
>>438 そのアドレスが串かどうかは、自分もそのアドレスを通してWEBに接続できるかどうか
ためせばチェックできる。
440 :
チンポ太郎:04/08/05 02:38
>そのアドレスが串かどうかは、自分もそのアドレスを通してWEBに接続できるかどうか
>ためせばチェックできる。
>串なんて別にアングラでもないだろ。
言ってもわかんないだろうけど、
これって、厨房ですって自己申告しているようなもんじゃないの?
君にマナーなんかないだろうけど。
串リストに出ている串で繋がるのなんて1つか2つなんだから、すぐ判るよ。
442 :
考える名無しさん:04/08/05 02:45
ポール牧のことだろ? まだ生きてるんだっけ?
443 :
考える名無しさん:04/08/05 02:46
パチパチパッチン
IEにも2chブラウザにも、わざわざProxyを通して接続って設定があるのは何故?
串を使うのがマナー違反というのが判らん。自分はリモホ曝すことも出来ないヘタレが。
446 :
チンポ太郎:04/08/05 02:51
>IEにも2chブラウザにも、わざわざProxyを通して接続って設定があるのは何故?
知らねえよ。おまえが詳しいだろ?
>串を使うのがマナー違反というのが判らん。自分はリモホ曝すことも出来ないヘタレが。
このさい、串はいいとしてもそれ使って、君は何やった?
それは十分マナー違反に抵触することだろ?
>>445 普段からfusianasan使うようにしたら。
449 :
チンポ太郎:04/08/05 02:53
>ちょっと待って〜。
>>429は本物だってば(´Д`;)
うん、また嘘ついたね、君も。
>信じないならそれでも構わないけどどうして偽者だって思ったのさー。
トリップつけたら、信用してあ・げ・る。
451 :
チンポ太郎:04/08/05 02:55
>騙りは辞めれば?
何で?
452 :
チンポ太郎:04/08/05 02:56
だいだい君ら、
普通に怪しいよ。
>>449 そこまで頑ななら別に構いませんですよっと・・・
もともと鳥つけてないコテに鳥つけたら信用するっていうのはこれ如何に。
454 :
チンポ太郎:04/08/05 02:58
>そこまで頑ななら別に構いませんですよっと・・・
いや、あんたも頑なだよ。
トリップつけられない理由もないのに、つけないとはこれ如何に。
>>446 プロバイダの規制があるときにしか使わない。
これは携帯から書き込んだり、他人のPCで書き込むのと変わらないじゃん。
接続速度が極端に落ちるから、固定IPの奴がセキュリティに使うぐらいしか
意味無いだろ。
>>そのアドレスが串かどうかは、自分もそのアドレスを通してWEBに接続できるかどうか
>>ためせばチェックできる。
自演をチェックするために相手のIPが串かどうかをチェックすることの、
どこがマナー違反なんだよw
あんた、Proxyの仕組みも知らずに世間的なイメージだけで決めつけてるだろ。
哲学の知識がある、無いにかかわらず、哲学に向かないよ。
だからバカにされてるの。
>>454 そうではなくて。自分は過去に鳥つけたことは一度もないです。
それにもかかわらず鳥を材料にどうやって真贋判定をするの?ということ。
457 :
チンポ太郎:04/08/05 03:04
>プロバイダの規制があるときにしか使わない。
>これは携帯から書き込んだり、他人のPCで書き込むのと変わらないじゃん。
>接続速度が極端に落ちるから、固定IPの奴がセキュリティに使うぐらいしか
>意味無いだろ。
これはいいよ、まだまだね。
>自演をチェックするために相手のIPが串かどうかをチェックすることの、
>どこがマナー違反なんだよw
>あんた、Proxyの仕組みも知らずに世間的なイメージだけで決めつけてるだろ。
>哲学の知識がある、無いにかかわらず、哲学に向かないよ。
これはいただけないね、君の意識だとそんなことすら、
わからんのかい。
なにこれ?ちんぽの騙り?
そんなに評判落としたいのか?
460 :
チンポ太郎:04/08/05 03:07
>>456 ああそう、それは悪かったね。
トリップつけても、君の騙り疑惑は晴れないわけだね。
>それにもかかわらず鳥を材料にどうやって真贋判定をするの?ということ。
君の騙りか本物かを、トリップが意味なしってことは分かったのに、
以前、君が本物かどうかは疑わしいよね?
それについて、君の本物である根拠を証拠として提出してください。
そしたら、信用しましょう。
461 :
チンポ太郎:04/08/05 03:08
>なにこれ?ちんぽの騙り?
>そんなに評判落としたいのか?
この時分に新参なんて、いる訳ないだろ?
馬鹿?
463 :
チンポ太郎:04/08/05 03:12
>リモホ曝せよ(プ
何で?
465 :
チンポ太郎:04/08/05 03:14
>本物なんだろ?
本物はお前だしな。
ありえないよな?
> 461 名前:チンポ太郎[] 投稿日:04/08/05(木) 03:08
> >なにこれ?ちんぽの騙り?
> >そんなに評判落としたいのか?
>
> この時分に新参なんて、いる訳ないだろ?
> 馬鹿?
白痴ですが何か?というレスが続く
↓
>>460 わからない人ですねー。自分は自分に恥じるような行いをしているとは
思ってないので、そこまで躍起になってあなたに信用してもらおうなんて思いませんって。
どうでも良い話でスレを伸ばすのもアレなのでもう寝るです。オヤシミー。
こういう哲学と無縁の人が、なんでここに来るのか不思議。
469 :
チンポ太郎:04/08/05 03:19
>>466 全体的に
「?」
>>467 >わからない人ですねー。自分は自分に恥じるような行いをしているとは
>思ってないので、そこまで躍起になってあなたに信用してもらおうなんて思いませんって。
わかってないのは、あんただよ、お嬢ちゃん。
躍起になって信用してもらいたいのは、何も私の役どころじゃないんだから、
君がやろうが、やるまいが…さっさっと寝ていただこうか。
470 :
チンポ太郎:04/08/05 03:20
>こういう哲学と無縁の人が、なんでここに来るのか不思議。
私の経歴知らないだろ、君は。
そんなことで、他人を知ったかぶりしないでもらいたいな。
君は何も知らないのだからね(笑)
つうか何がしたいんだ?
472 :
チンポ太郎:04/08/05 03:24
>つうか何がしたいんだ?
君こそ、自演で哲学板を自分専用板にでもするつもりか?
あれだけ自分を褒めるキャラつくっとけば、安心だからな。
経歴を見なくても、書き込み内容を見れば判るわけだが。
474 :
チンポ太郎:04/08/05 03:26
>>473 そんな君は、人生経験皆無な訳だね、そんなことで人がわかるかね?
君!君の官能は絶対じゃないんだよ。
| -==-∴-==- .::| ぺんぱっくきいてねーだろ?
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:::::|
| `-=ニ=- ' .::::::::|
\ `ニニ´ .:::::/
/.∴\___/
(∴∵∵∵∴∵∴ \
\∵ _∴ _ ∵∴ ヽ
 ̄\  ̄ \\ ∴∵ヽ
ヽ∴∵) ヽ∴∵|
丿∴./ . ヽ∴ |
(∵/ |∵ノ
477 :
チンポ太郎:04/08/05 03:28
>経歴ってこれか?
>ぺんぱっくきいてねーだろ?
わけわかんねぇよ。
寝るべ。
じゃあ、大哲学者かもしれないけど、哲学板で哲学と真逆の態度で哲学とは無縁の
書き込みをするのはどうしてなんだろうに訂正するよw
「Proxyは悪いに決まってる、悪い者は何も学ぶ必要ない」
なんていう、思いこみに凝り固まった書き込みは、哲学することとは真逆の態度だろ。
479 :
考える名無しさん:04/08/05 21:45
ポールさん=ちんぼ太郎さん=大先生
は同じ人ではないかと思うようになりました。
余りにも、似ているんですね。
シェリングなんか余り読まないでしょう。
なのに2人とも読んでいる。好きだ!こんな事は、このような素人の
書き込む2チャンエルに偶然に居ると言うのが不思議です。
480 :
考える名無しさん:04/08/05 21:49
しかも、2人とも古典であり、フッサールであり、
共通項が余りにも多い。構造主義以降に興味がない。
頑強に定立する「私」自我の存在を疑わない。
だから、独我論になるんだけれども、ハイデガーについても
読みが、ヒューマニズムを肯定した、認識主体としての
行動主体としての「我」を問題なく前提にしているのだ。
481 :
考える名無しさん:04/08/05 21:51
おいおい。シェリングなんて超有名人じゃん。
読んでいる奴たくさんいるだろ。
リクールとかになるとさすがに読んでいる奴いなさそうだが
482 :
考える名無しさん:04/08/05 21:54
お2人の問題意識にないものは、共に「我」とはどのように証明されるか
と言う事にであり、デカルトのコギトを前提に認めていると言う事です。
だから、世界を論理的に証明しよう、出来るんだと考えているのです。
ハイデガーの後期の「存在」に捕らえられてある人間存在という面が抜け落ちている
のですね。前期の実存的可能性として開かれてある人間の面を強調しているのですよ。
483 :
考える名無しさん:04/08/05 21:56
読んでるかも知れないが、シェリングならヘーゲルだし、カントでしょう。
しかも、2人のレベルが近いというのも疑える理由の一つだよ。
いつも思うのですが、その3人が同一人物としていったい何が問題なんだろうと。
485 :
考える名無しさん:04/08/05 22:00
あるいは、ハイデガー、カントでの討議ならまだ分かるが
シェリングで討議すると言うのは、かなりシェリングに傾注しなければ
討議は出来ない。つまり、カント・ヘーゲル・フッサール・ハイデガー
と言うのがドイツ観念論からの本流でしょう?
487 :
考える名無しさん:04/08/05 22:03
488 :
考える名無しさん:04/08/05 22:03
問題はないけど、他人との討議に、策略が入るので、
本当の論議が、1人2役による同意で、曲がってしまう
のではないかと思うのです。
自分の賛同者がいるように策略する事で、論議の公平性が歪んでしまう
のじゃないか?
もっとも、みんなやってるけどね?
489 :
考える名無しさん:04/08/05 22:04
>>488 ノイズを排除しようと思ってはいけませんよw
490 :
考える名無しさん:04/08/05 22:06
ただ、ポール氏の論理の展開は素晴らしいと思いますね。
チンボさんと同じ人間でないならば、ポールさんの方が分かりやすい。
と言う意味では、シェリング・レスは大変面白い。
491 :
考える名無しさん:04/08/05 22:07
この調子じゃらげや稲も同一人物とかいいかねないな。
つうか、バレルゴン自身もポールの衣装部屋に入ってない?w
493 :
考える名無しさん:04/08/05 22:10
わてはポスト・構造主義なので、論点がぼけている気がするね。
定立する「私」を問題にしていないのです。
前提とて、「所与の私」とでも言うものが問題なく前提となっている。
ポールの場合、フーサールから始まっているので、この独我論的所与の「私」
から、認識が始まる。だから、パレルゴンがその前段を指摘したのだよ。
>>493 どうでもいいがその怪すい日本語なんとかしてくれ。正直癖になるw。
495 :
考える名無しさん:04/08/05 22:21
パレルゴンはいるね。
493は臭い。
496 :
考える名無しさん:04/08/05 22:22
はいよw。
>>493 > わてはポスト・構造主義なので、
こういうこと書きながら、「所与の私」が問題だとか平気で言えるって
ある意味スゴイ!
498 :
考える名無しさん:04/08/05 22:26
パレルゴンだからだよ?
> 2人のレベルが近い
全然近くない。ポールは原語で読めない。奴のハイデガー理解が全然
チンポに及ばないことは、ハイデガー系のスレを読めば判るだろ。
ちょっと詳しい奴らには突っ込まれまくってたじゃん。
ポールを追っかけてれば判るけど、シェリングもフッサールも
チンポの影響で読み出しただけだよ。最初は大森を読んでただけだから。
チンポはデリダまで押さえてるけど、このあたりはポールはさっぱりだし。
本当は出来るのに、あえてビギナーのふりをして初心者向けの哲学講座を
やってるんだとしたら、逆に尊敬するね。対価もないのにわざわざ2chで
そんな真似をする理由が分からないが。
500 :
考える名無しさん:04/08/05 22:29
ポール・チンボ太郎さんが古典熟読派ならば、パレルゴンはフランス哲学多読
派なんだな。だから、パレルゴンが時系列的には近代であり、
古典の問題点が直ぐにわかるのだW。
501 :
考える名無しさん:04/08/05 22:32
なるほど。
分かった。チンボさんは、ポールの先生だった。
だから、チンボさんの問題意識を共有しようと、チンボさんの読んだ
本を読んでるが、今だそのレベルには遠く及ばない。
502 :
考える名無しさん:04/08/05 22:33
ところで、どうしてシェリグだったのでししょうか?
> 4 名前:小陰唇博士[] 投稿日:02/10/29(火) 05:05
> いやあ、みんな相変らず冷たいなあ(笑)。思わず笑ってしまったよ。
> みんなが小陰唇博士を警戒するのは分かる。でもな、そうやって自分の股間を
> 守る事ばかり考えて、他人の股間の具合をチェックしないような奴は利己的で
> 非国民と見なされて然るべきだと思うんだ。
>
> 君達が早々に彼女を作らんとして躍起になって、ナンパに夢中になっている
> のは分かる。そんな哀れな女に飢えた奴が小陰唇博士の周りにも沢山いるからだ。
> しかし気をつけなさい。そうやってピンコ立ちのティムポを握り締めながら
> 女の子に迫っても、結局は自分で昇天するしかないという悲しい事実に気づく筈だ。
>
> そんな状態を抜け出したい、それが君達の本望ではないのかね。
> それでこの小陰唇博士が君達を光の中に導くべく現れたのである。
> どうだね、少しは有難い気持ちになって来たかね。
>
> 5 名前:小陰唇博士[] 投稿日:02/10/29(火) 05:08
> それから、このスレは「自由論」を扱う事にする。
> いや、もっと範囲を狭めて、シェリングの『人間的自由の本質』を読む。
> レクラム文庫に注釈付きのいいのがあるのでとりあえずそれを購入しなさい。
>
> ハイデッガーの講義を参照するからそれも買いなさい。
>
> さて、諸君から問題提起をしなさい。
理由はチンポに聞いてくれ。
505 :
チンポ太郎:04/08/05 23:13
>なるほど。
>分かった。チンボさんは、ポールの先生だった。
>だから、チンボさんの問題意識を共有しようと、チンボさんの読んだ
>本を読んでるが、今だそのレベルには遠く及ばない。
これ、私の自演ね。
よく覚えとくように。
506 :
チンポ太郎:04/08/05 23:35
>382 名前: 二酉 [sage] 投稿日: 04/07/29 00:46
>チンポ先生=ヒロミGOと言われた所以は、コテに応じたキャラと、他人のレスと
>それに対する哲学的な知識をベースにした回答がすごく絶妙なバランスで
>おもしろーでためになるネタ(ここ重要)になっていたからだと思うですー。
>そう考えると今回は「大先生」っていうコテなので、先生キャラなのかもしれませんね。
>でも、お馬鹿さんと相手にしすぎて疲れてるって感じがむんむんしたですよ。
>あくまで印象でつけどね〜。
これも。
507 :
チンポ太郎:04/08/05 23:36
>おいおい。シェリングなんて超有名人じゃん。
>読んでいる奴たくさんいるだろ。
いねぇよ。
508 :
チンポ太郎:04/08/05 23:37
>お2人の問題意識にないものは、共に「我」とはどのように証明されるか
>と言う事にであり、デカルトのコギトを前提に認めていると言う事です。
>だから、世界を論理的に証明しよう、出来るんだと考えているのです。
>ハイデガーの後期の「存在」に捕らえられてある人間存在という面が抜け落ちている
>のですね。前期の実存的可能性として開かれてある人間の面を強調しているのですよ。
てゆうか、私がそんなもん考えている訳ないだろ?
考える能力がないんだからな。
509 :
チンポ太郎:04/08/05 23:38
>読んでるかも知れないが、シェリングならヘーゲルだし、カントでしょう。
>しかも、2人のレベルが近いというのも疑える理由の一つだよ。
ああ、低いよな。
484 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/05 22:00
いつも思うのですが、その3人が同一人物としていったい何が問題なんだろうと。
486 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/05 22:02
>>484 禿━━━━━━ しく同意。
>問題はないけど、他人との討議に、策略が入るので、
>本当の論議が、1人2役による同意で、曲がってしまう
>のではないかと思うのです。
>自分の賛同者がいるように策略する事で、論議の公平性が歪んでしまう
>のじゃないか?
510 :
チンポ太郎:04/08/05 23:39
>489 名前: 考える名無しさん 投稿日: 04/08/05 22:04
>
>>488 >ノイズを排除しようと思ってはいけませんよw
↑自演継続のお知らせ。
511 :
チンポ太郎:04/08/05 23:39
491 名前: 考える名無しさん 投稿日: 04/08/05 22:07
この調子じゃらげや稲も同一人物とかいいかねないな。
492 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/05 22:10
つうか、バレルゴン自身もポールの衣装部屋に入ってない?w
入ってるよ、全員。
512 :
チンポ太郎:04/08/05 23:43
>全然近くない。ポールは原語で読めない。奴のハイデガー理解が全然
>チンポに及ばないことは、ハイデガー系のスレを読めば判るだろ。
>ちょっと詳しい奴らには突っ込まれまくってたじゃん。
>ポールを追っかけてれば判るけど、シェリングもフッサールも
>チンポの影響で読み出しただけだよ。最初は大森を読んでただけだから。
>チンポはデリダまで押さえてるけど、このあたりはポールはさっぱりだし。
抑えてないよ、時系列で後から読んでる分、
差が生じてるように見えるだけ。
>本当は出来るのに、あえてビギナーのふりをして初心者向けの哲学講座を
>やってるんだとしたら、逆に尊敬するね。対価もないのにわざわざ2chで
>そんな真似をする理由が分からないが。
↓理由
998 名前: この板の主役 [ageruyo♪] 投稿日: 04/07/11 22:58
この板の特徴を大雑把に云うと。
513 :
チンポ太郎:04/08/05 23:45
>ポール・チンボ太郎さんが古典熟読派ならば、パレルゴンはフランス哲学多読
>派なんだな。だから、パレルゴンが時系列的には近代であり、
>古典の問題点が直ぐにわかるのだW。
脳内での役割分担表。
僕とチンポさんを同一人物と思っている人はまったくの初心者ですね(笑
>>499さんが「力説」せずとも、原語云々以前の問題です。
確かに僕の関心は、チンポさんが関心を持っている分野と被ります。
でもそれは、チンポさんの影響ではありません。
僕はもともと、梅原猛さんが若い頃影響を受けたという『存在と時間』を
読みたかっただけです。理解できればそれで哲学とは「さよなら」のつもり
でした。哲学は、ぼくの知的好奇心の一分野に過ぎませんでしたから。
しかし、そんな初心者にこの難解な著作が読めるはずもなく、
仕方なく多くの入門書を読んでいくうちに、大森さんに出会いました。
(永井均『子供のための哲学』)。そこで、哲学そのものへと導かれました。
もともと『存在と時間』を読みたかったこともあり、当時から、ハイデガーに
詳しく、ネタも最高のチンポさんが「シェリングを読む」というスレを立てたので、
「しめた!」と思い、参加させてもらいました。
◆◇吉田松陰シンガポールに着く◆◇
http://mimizun.com:81/2chlog/philo/academy2.2ch.net/philo/kako/1035/10357/1035781801.html
その当時は、シェリングの名前を聞いたことあるぐらいでした。
そして、ここで意地になってシェリング、ハイデガーを読んだおかげで、無事、
念願の『存在と時間』を読み終えることもできました。しかし、それでもこの著作が
理解できるはずもなく、必然的に、フッサールを読むはめになります。
(で次は、フッサールを理解する為に・・・。と、こうやって、原初へと遡っていくわけです)
まあ、こういう感じで現象学全体に関心をもつわけです。
>だから、チンボさんの問題意識を共有しようと、チンボさんの読んだ
>本を読んでるが、
>>501 それはありませんが、大森が見ている世界を共有しようと哲学を勉強している
というのはあります。ただし、チンポさんの平易で明快な文体は目標にしています。
影響という点ではむしろ、分析系の人たちの影響の方が大きいです。
>頑強に定立する「私」自我の存在を疑わない。
>だから、独我論になるんだけれども、
>>480 度々いっていますが、僕は独我論者ではありません。
僕が強調するのは、「世界は独我的に与えられている」という事実です。
哲学を学び始めて、いくつか、世界の見方の変化がありますが、この見方も
その一つです。
だから僕は、「「私」自我の存在を疑わない」のではなく、世界自体が
独我的に与えられていることを疑ってないのです。
むしろ僕は、デカルトのコギトのような、世界から分離したそれ自体で存在する「私」
といったものに疑念を投げかけています。
世界から分離した、「認識主体としての行動主体としての「我」
>>480」って何?
そんなものあるの?というわけです。
それと僕が古典を重視する理由ですが・・
まあ、時間がないので詳細には説明できませんが、古典、僕の言葉で言えば「伝統」
を軽視する人間、伝統を学ばずにそれを基盤としてもつ現代だけで理解は充分だと
考えている人はその分野の素人だと思っています。
建築の分野がそうであるように、哲学においても。
前述したように、ある分野を深く掘り下げていくと、それが現れる原初の場へと
導かれるのが必然だと思っています。
別に現代思想が駄目だと言っているのではなく、まずは原初の場へと考えているわけです。
大森が、現代思想にまったく触れていないことも、それらに関心を持たない理由でしょうし、
建築の分野でポストモダンの散々な評判もその理由かもしれません。
518 :
考える名無しさん:04/08/05 23:59
このちんぽへの粘着はなんなの?
偶にポールを叩く俺でも引くよ。
それともスルー推奨?
519 :
考える名無しさん:04/08/06 01:04
>ポールさん
よくわかりました
これからもがんばってください
520 :
チンポ太郎:04/08/06 02:21
>僕はもともと、梅原猛さんが若い頃影響を受けたという『存在と時間』を
>読みたかっただけです。理解できればそれで哲学とは「さよなら」のつもり
>でした。哲学は、ぼくの知的好奇心の一分野に過ぎませんでしたから。
>しかし、そんな初心者にこの難解な著作が読めるはずもなく、
>仕方なく多くの入門書を読んでいくうちに、大森さんに出会いました。
>(永井均『子供のための哲学』)。そこで、哲学そのものへと導かれました。
という、お話だったのさ。
521 :
チンポ太郎:04/08/06 02:21
>その当時は、シェリングの名前を聞いたことあるぐらいでした。
「聞いたこともなかった」だろ?
522 :
チンポ太郎:04/08/06 02:23
>まあ、時間がないので詳細には説明できませんが、古典、僕の言葉で言えば「伝統」
>を軽視する人間、伝統を学ばずにそれを基盤としてもつ現代だけで理解は充分だと
>考えている人はその分野の素人だと思っています。
いや、おまえがその知ったかだろ。
523 :
チンポ太郎:04/08/06 02:25
>建築の分野がそうであるように、哲学においても。
>前述したように、ある分野を深く掘り下げていくと、それが現れる原初の場へと
>導かれるのが必然だと思っています。
君は何をやってんだよ、建築?
じゃあ、終日常駐してるようじゃ駄目だろ。
>別に現代思想が駄目だと言っているのではなく、まずは原初の場へと考えているわけです。
>大森が、現代思想にまったく触れていないことも、それらに関心を持たない理由でしょうし、
>建築の分野でポストモダンの散々な評判もその理由かもしれません。
君は大森の言葉に全部反した行動ばかりしてるだろ?
524 :
チンポ太郎:04/08/06 02:25
穿鑿されると困ります。
>対価もないのにわざわざ2chでそんな真似をする理由が分からないが。
単なる暇潰しです。それにしても、貴方はいろいろと御存知のようだw
すぐに消えますのでご安心を。
ポール君も頑張ってください。ネットでの議論もいいですが、本当は実際に友達とか先生とかに
会って、議論する方が有益ですよ。そういう友達が周りにいるのが何よりです。
一人で難解な哲学書を読むのは苦痛です。ネットではなく、現実にそういうことについて語れる人が
必要ですよ。
実は、何度か、オフ会で皆さんと会ってみたいなあ、という気が起こったことがあります。
でももう遅過ぎます。僕の方もいよいよ忙しくなるし、これから皆さんと仲良くなることも
ないでしょう。でも、同じ哲学という学問に情熱を燃やしている人とは、いつも会ってみたいと
思っています。電波でなければ、ですが。
まあ、皆さん、ボチボチやってください。
もしかしたら、教室のきみの後ろに座っている学生がチンポだったり!することはないですが、
どこかで会うかも知れませんね。まあ、会わないか、会ったとしても、「実はオレ、チンポなんだ!」って
告白されてもねえw
チンポはみんな持ってるんだから、みんながみんな「オレはチンポです」と名乗る権利を持っています。
わけのわからん締めくくりですが、そういうことです。さようなら。
526 :
考える名無しさん:04/08/06 03:24
いやあ、偽者はかすむねえ。いろんな意味で
>>525 > >対価もないのにわざわざ2chでそんな真似をする理由が分からないが。
>
> 単なる暇潰しです。それにしても、貴方はいろいろと御存知のようだw
> すぐに消えますのでご安心を。
いや、チンポ太郎とポールが同一人物で、わざわざビギナーのポールのふりをして
いるんだとしたら、芸が細かすぎってこと。それも2年近くもプロパーとしては
降臨せずに。
>>525 蝉寝るの中の人みたいに、実際に文筆活動とかしてる人なの?
最後にそれだけ教えて。
>チンポはみんな持ってるんだから、みんながみんな「オレはチンポです」と名乗る権利を持っています。
人類の半分は持っていない。
530 :
考える名無しさん:04/08/06 11:25
ちっちゃいけど、クリ・チンポならあるだろ
531 :
チンポ太郎:04/08/06 16:59
昨夜のポールの発言1
1 名前: 考えるな資産 [sage] 投稿日: 04/08/06 03:07
ここ哲学板には何名か哲学の大家と呼ぶべきハイレベルなかたがいらっしゃいます。
私のような哲学初級者はそれらのかたの書き込みを読んで大いに勉強させてもらってます。
そういうハイレベルな書き込みのあるスレッドを自分で探して読むのもいいのですが、
ここさえチェックすれば2ちゃんの最先端の哲学議論を読んだことになるという
メインスレッドがひとつ欲しい。
哲学に自信のある人が「哲学のことは俺に聞け」みたいなスレッドを立てるのは
よくありますが、哲学の王者を決める客観的に認定されたスレッドというのは今まで
なかった気がします。そういうスレッドが成り立つかどうかわかりませんが、
取りあえずここに立ててみます。哲学自慢のコテハンさん、ぜひ来て議論してください。
532 :
チンポ太郎:04/08/06 17:00
>864 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/06 03:09
>ポール粘着をまずアク禁にしろよ。
>住所まで判ってるピエさんでさえいっこうにアク禁に出来ないんだから、無理なんだろうけど。
533 :
チンポ太郎:04/08/06 17:01
34 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/06 03:52
>>632 ぴかぁ〜でもあそこまでバカじゃないし、恥知らずでもない。
読まない本を読んだふりをするってことは、本当は読まなきゃいけないことを
知ってるから。粘着はリア厨かリア高だろ。なんでこの板に紛れ込んだのか知らないが。
534 :
チンポ太郎:04/08/06 17:02
445 名前: ROTTEN ◆Kp7KNidWqs 投稿日: 04/08/06 07:35
哲板のための自演講座 はじめに 1
○ 自演とは、大雑把に言ってコミュニケーションにおいて現れる、予測不能
な他者の対応や偶然性を避けるためにする行為です。不確定性を縮小する
行為と言ってもよいでしょう。この行為を2ちゃんねるという匿名掲示板
上ですると、さまざまな効果があります。哲板で自演をする動機というの
は人さまざまですが、ここでは話をわかりやすくするため、自コテ、捏造
コテ、名無し、の三つを使い分けて「自コテのステイタス向上」を目的と
して行う自演について書きたいと思います。
○ 哲板において「自コテのステイタス向上」を目的として自演する場合の注
意点はいくつもあるのですが、最も注意しなければならない一つのことが
あります。それは「自コテのステイタス向上」以外の目的を持ってはいけ
ないということ。「ステイタスの上がったコテハンで書けば、自分の書いた
ことが重視されるだろう」などということすら考えてはいけません。必ず
ボロが出ます。完全なニヒリストになってください。
○ 決して自分自身の文体で書かないでください。文章というのは怖いもので
535 :
チンポ太郎:04/08/06 17:04
自演講座するポールくん
↓
446 名前: ROTTEN ◆Kp7KNidWqs 投稿日: 04/08/06 07:37
哲板のための自演講座 はじめに 2
記号の定義
【自己】
自コテを「A」、「A」の書くレスを「a」、捏造コテを「B」、「B、」の書
くレスを「b」、捏造名無しを「X」、「X」の書くレスを「x」とする。
【他者】
他コテを「M、N」、「M、N」の書くレスを「m、n」、名無しを「XX」、
「XX」の書くレスを「xx」とする。
○ つまり、「B」「X」名義の捏造人格を使い、「M、N」「XX」らを相手に
して「A」というコテのステイタスを上げることを目的にした自演行為に
関して書かせていただくということです。
ぴかぁ〜
537 :
考える名無しさん:04/08/06 17:14
ね
チンポはそれ読んで勉強したほうがいいな。
というか偽チンポ(ポールに粘着している奴)はやってて虚しくないのか?
この際みんな「チンポ太郎」か「ポール」というコテハンに
すればいいじゃないですか。
きっと何か見えてきますよ。
541 :
チンポ太郎:04/08/06 22:02
>569 名前: まーくん ヽ(´▽`)ノ [sage] 投稿日: 04/08/06 03:55
>パパー!! 大変だったね!
>二酉タンは魅力的だからいろんな人からアプローチかけられ
>るんだよね。( ノ ̄∇ ̄)ノ
>二酉タン、やさしいから他人とキツく接っすることが
>難しいんだろうけど、仕事がんばってくだちい(´ー`*)
>
>まーくんも研究の資料集めとか解析とか教授に全部まかせられ
>て市にそうでつ。(⊃д`)
>少しぐらい自分でやってよ!ヽ(`Д´)ノ
542 :
チンポ太郎:04/08/06 22:03
たっくん→まーくん
543 :
考える名無しさん:04/08/06 22:05
>541
バカ
544 :
考える名無しさん:04/08/06 22:05
542=バカ
545 :
チンポ太郎:04/08/06 22:07
546 :
考える名無しさん:04/08/06 22:09
>545
バカ
547 :
考える名無しさん:04/08/06 22:09
545=バカ
548 :
考える名無しさん:04/08/06 22:10
バカ=545
549 :
チンポ太郎:04/08/06 22:10
550 :
チンポ太郎:04/08/06 22:11
僕の提案はどうですか?
552 :
チンポ太郎:04/08/06 22:16
却下
553 :
考える名無しさん:04/08/06 22:18
552=無限バカ
554 :
考える名無しさん:04/08/06 22:19
552=無限ループ妄想バカ
555 :
考える名無しさん:04/08/06 22:21
夜中中騒ぎまわっている割には良いレスがないなぁ〜。
シェリングとカントの関係について誰か述べよ。
556 :
チンポ太郎:04/08/06 22:24
557 :
考える名無しさん:04/08/06 22:27
フィヒテについては、小坂修平の意見を参考にすると、
カントは、認識する自我と実践する自我が分裂しているし
認識は悟性範疇に実践は道徳律に則って、アルリオリに
決定されていると考えた。この所がフィヒテは許せなかった。
だから、自我の実践は無制限であり、自我はカントと異なり
無制限と考えたって事だ。
558 :
考える名無しさん:04/08/06 22:27
for(i=0;i>=0;i++)
printf("542はバカ\n");
559 :
考える名無しさん:04/08/06 22:30
556=バカ=チンカス=便所コオロギ=淫売ホモ
560 :
考える名無しさん:04/08/06 22:31
>556
低能サル
561 :
考える名無しさん:04/08/06 22:32
この様に考えると、ヘーゲルの弁証法にかなり近くなる。
つまり、1)認識する自我2)実践する自我が交互に発生するとき
行動する自我が認識する自我をアウフベーベンする事とも考えられる。
562 :
考える名無しさん:04/08/06 22:40
アウフベーベン?
563 :
考える名無しさん:04/08/06 22:45
カントの場合は認識が悟性の範疇に則っていると考え
物自体は分からないと考えたが、実践理性では、人間の行為を
物自体としている。ここに、矛盾がある事は明白である。
そこで、ヒフィテはこの認識する自我と実践する自我を統一して
自我とする。
1)自我は根源的に絶対に、自己自身の存在を定立する。
2)自我に対して絶対的な非我、自我でないもの、自然が反定立される。
3)自我は自我の中に可分な(制限された)自我に対し、可分な非我を
反定立する。
564 :
考える名無しさん:04/08/06 22:47
557アルリオリ 561アウフベーベン 563ヒフィテ
仕込んでるんですか? ちょっとワロタ
565 :
考える名無しさん:04/08/06 22:49
この様に考える事で、フィヒテは、認識・実践を統一的に考えた。
つまり、認識=アプリオリ、実践=可能性とするカント
では持続的な転回が不可能であったのである。
この矛盾を自我に統一し自我と非我が同時に存在するとしたんだね。
アウフヘーベンに訂正だすね。
567 :
考える名無しさん:04/08/06 22:50
そうね。焦ってた。仕込んだわけではあります。
568 :
考える名無しさん:04/08/06 22:53
そう考えると、フィヒテとは、弁証法だろう。
Aが非Aを内包する、そして、突然、Bになる。
テーゼ、アンチ・テーゼ、ジンテーゼのスパイラル。
569 :
考える名無しさん:04/08/06 22:58
近いのよねヘーゲルに。だから、フィヒテを上手く吸収して、
大成したのが、ヘーゲルなのでしょうね。
570 :
考える名無しさん:04/08/06 23:00
じゃあ、シェリングはどう言う風にカントを批判したのでしょうか?
ポールどうぞ!!!
571 :
考える名無しさん:04/08/06 23:04
いずれにしても、この2人は「自我」を前提にしているのですよ。
だから、ポール君は好きなのよね。自我とは何か。
主体とは何かを問わないのですよ。アプリオリに与えられている
自我という考えなのですよ。
572 :
考える名無しさん:04/08/06 23:08
と言うのが小坂修平さんの纏めですね。
古典も歴史の流れを見る上で、重要ですが、これを持って正論とするのは
悲しい。ただの教養に過ぎない。哲学とは教養ではない。
真理探究である以上、過去の哲学をもって、説得する事も、される事も
ないのであります。
パレルゴンはほとんど病気だなw
そんなに悔しいの?
574 :
考える名無しさん:04/08/06 23:13
でも、シェリングについては、
私達の内に現存するものは、無制限な絶対的な自我であると言っている
ので、まさに、「自我」を前提にしている。
やはり、ポールさんが好きなはずです。
ポールは自我・認識する私を疑わないのです。だから、フッサール。
古典哲学に関する入門書並の知識をずらずら並べて批判しても不毛だって、
ばかぁ〜にも批判されてたじゃん
ポール君、ポールさんときて、ついにポールw 呼び捨てかよw
577 :
考える名無しさん:04/08/06 23:19
ばかぁ〜君は、入門書ずらずらですよ。
しかも、引用多く、自身で理解していない。
私は、読書量が多いので、フィヒテ、シエリングは入門書で十分理解できる。
578 :
考える名無しさん:04/08/06 23:20
哲学は読書量なり。金言。
人は入門書ずらずらではダメ、俺は読書量が多いから入門書でオーケー
ときたか。やれやれ・・・
580 :
考える名無しさん:04/08/06 23:22
「パレルゴンはほとんど病気だなw
そんなに悔しいの?」
何が悔しいのですか?
おっと、俺はパレルゴンではないんだ?
パレルゴンて年はいくつ?結構いってるんじゃない?
だからそんなに横柄な文章になると思うのだが・・・
582 :
考える名無しさん:04/08/06 23:25
専門分野はポスト・構造主義だけんね。
あんな古典はどうしようもなく、肩がこる。
寝て読むものでしょう。シェリングあたりは。マンガのように。
浅田彰先生は、マルクス資本論は寝て読めと言ってらっしゃる。
俺も寝て読んだ。
583 :
考える名無しさん:04/08/06 23:26
パレルゴン・ぴかぁ〜・チンボ太郎・ポール君は同年だ。
パレルゴン、くろしろ、ぴかぁの三馬鹿頂上決戦はいつですか?
585 :
考える名無しさん:04/08/06 23:30
学生時代は哲学書100冊読破し、もう興味をなくして、絵描きになろう
と思って、芸大に入学したかったが、親の反対にあって、
放浪しているのだ。以後哲学に傾注し、放浪と哲学を続けているのです。
586 :
考える名無しさん:04/08/06 23:31
もう決着はついている。
分かってるだろな。答えは。
587 :
考える名無しさん:04/08/06 23:31
588 :
考える名無しさん:04/08/06 23:32
くろしろって?しろうとくんでしょう?
>>585 >芸大に入学したかったが、親の反対にあって
ウソつけぇえ、芸大は入るのムズいぞ。準備にどれだけかかると思う?
590 :
考える名無しさん:04/08/06 23:33
さあ〜。パレルゴンじゃないの?
591 :
考える名無しさん:04/08/06 23:35
3年くらいかな〜。絵の練習もしないといけないからね。
絵画の歴史が好きだからね。
>学生時代は哲学書100冊読破し
うわっ、なんかこういう嘘、吐き気がする。
それでなんでそんなに知識がないの?
593 :
考える名無しさん:04/08/06 23:39
「カント全集」とか全部読破したんだろうなー
594 :
考える名無しさん:04/08/06 23:40
俺はバカだからだ。バカだから本を読んでも理解できないのだ?
100読破しても、理解していないのだ。
現在は哲学書のみ180冊読破だ。
哲学書100冊読破したやつが小坂修平なんか持ち出すわけねーだろw
596 :
考える名無しさん:04/08/06 23:42
カント古い。もっと現代の哲学を読みなさい。
ドゥルーズとか、フーコーとか、デリダから、現代の哲学に触れる
そこから、現代の問題点を紐解く為に過去へ向かうのが正道である。
>>596 そういうセリフが一番古いんですけど・・・
598 :
考える名無しさん:04/08/06 23:45
小阪の頭は凄いのである。竹田先生も仰ってらしたが、小阪の古典読解力
は、図抜けている。だから、天才の頭をかりて、読めなかった本を
理解するのです。その事で、哲学史が見える。全体の流れが見えてくるのだ。
つーか、パレルゴン、年いくつだよー、無視すんな!
600 :
考える名無しさん:04/08/06 23:46
>>596 ポスト構造主義から入るのはどうかな・・・
>>596 ゴクローさん。あほちゃいますか。D・F・Dともに
現代の哲学でもなんでもありません。現代の哲学と呼べるのは、
言語論的転回以降の英米哲学のみ。
602 :
考える名無しさん:04/08/06 23:47
君達は先ず小坂修平先生の西洋哲学史からお勉強しましょうね。
馬鹿にしないで読んで御覧なさい。
603 :
考える名無しさん:04/08/06 23:50
年齢不詳・・・
601何故だ?理由をのべよ。
小阪と芥正彦って、三島が東大全共闘と対話したときの全共闘側のリーダー格
だったんだよね、たしか・・・
だから全共闘的な権力嫌いを哲学に持ち込んでるだけなんじゃない?
605 :
考える名無しさん:04/08/06 23:53
理由もなく断定するのは、哲学をする者の発想ではない。
文学者になりなさい。そうすれば、自分の好き勝手に言える。
何故ならば、真理探究ではなく、生き様・感じ方の表現だからだ。
(このように、哲学は理由をのべなければならない。)
>>603 D・F・Dはプラトニズム=言語依存的形而上学の残りかすだから。
言語論的転回はプラトニズムの残滓をきれいに掃除するいまのところ
唯一の手法だから。
パレルゴン=芥正彦だったら笑うな。
608 :
考える名無しさん:04/08/06 23:57
ちゃいまんね。今は左翼闘争はしてません。
66年東大入学、全共闘の余波で本郷に行かず中退
以後ルンプロ生活、79年にモノかきになる。
竹田さんと共同で勉強会してたんじゃなかったかな?
609 :
考える名無しさん:04/08/07 00:01
デリダも、ドゥルーズもポスト・構造主義はとっくに
プラトンのようなイデア批判は完了しているよ。
それを分析哲学だけがと言うのは勉強不足だな。
言語論的展開について少し詳細に説明求む。
610 :
考える名無しさん:04/08/07 00:03
おっと、このスレはポールさんのっだた。
余り荒らすと叱られる。
パレルゴンのスレに移りましょう。
>>609 D・F・Dはプラトニズム批判の問題系をプラトニズムと同じ
言語の枠組みの内部でやったのさ。彼らが「外部」を問題に
する場合でも、彼らの構想自体は形而上学の言語圏内に
あった。それを根底から覆したのが記号論理学と言語分析なんだよ。
613 :
考える名無しさん:04/08/07 00:15
だから、詳細に言ってごらん。具体的に君の言う記号論理学と言語分析は
一体誰を指しているのか。D・F・Dって何の訳でしょう。
614 :
考える名無しさん:04/08/07 00:19
デリダ・フーコー・ドゥルーズ何じゃないでしょうね。
それだったら、フーコーは構造主義だから、外の思考と言っても出来ない
と自覚していたと思われる。後の二者は完全に外だった。
スキゾフレニー、器官亡き身体、コンテクスト論、追加として
ラカン、シニフィアン連鎖ってのも完全に外であると解して良い。
記号論理学はフレーゲ、言語分析の代表ははウィト、クワイン、
ダメット、デイヴィドソンだよ。
D・F・Dはドゥルーズ・フーコー・デリダだっつうの。
616 :
考える名無しさん:04/08/07 00:23
形而上学を否定すると言う形而上学であることは上記三人は
とっくに知っています。だから、否定神学批判なのですよ。
フーコーは言説を否定しても、新たに言説が生まれる事しか出来ない
と考えている気がするけど。とにかく、ドゥルーズのノマド
器官なき身体論は完全にイッテマス。あの世界へ・・・思考不可能の
世界へ
249 :パレルゴン :04/03/18 20:27
「差異と反復」は一回速読したんだけど、ドゥルーズってのは、どの本になにを
書いてあるかよりも、あそこにあんな事が、この本にこんな事がと言うように
間テクスト的に繋げたり切断したりして、全体を感じると言う読み方の方が
良いんじゃないかって気がする。特に、同時代の哲学者(デリダ、ラカン、ハイデガー)
のタームと参照しながら読む方が分かりやすい気がするんだけど。
例えば差異と反復はデリダの差延にも当たるし、襞はメルロポンティの
キアスムと言う、交叉配列の概念に近い気がするね。触れる物と触れられる物の
可逆性、見るものと見えないものなど、反転する事で、主客の二元論を越えようとしている
んだと思うんだけど。ドゥルーズの場合には、襞(プリ)は表皮に起こる感官の刺激
がトレース(引っかき傷)のように、意味を齎すような気がする。
一回速読して、・・・気がする、・・・気がする、・・・気がする、と呟くのがパレルゴン流
618 :
考える名無しさん:04/08/07 00:28
逆だと思うよ。記号論は或は言語哲学は完全に否定神学の罠に嵌っている
気がするけどね。何時までたっても。言語の無矛盾的表現ルールを模索したり
まあ、俺はクワインまでは読んだ事あるけど、言語哲学の意味は
世界が記号で出来ていて、その記号によってしか世界は開かれない
だから、その記号はどの様に世界をつくり、記号の役目・発生の背景
(二項対立)を研究した所までで、イギリスの論理実証主義以降は
余り意味ない気がするね。
619 :
考える名無しさん:04/08/07 00:32
ヴィドゲンシタインの論考と探求の落差が、言語哲学の限界を示している
と思う。無矛盾からゲームヘ。語ってはならないものは語るな。(笑)
ここが、ハイデガーの空=開け=存在論的な訳で。
ここが、ミソ。
>>618 その議論はラッセルどまりじゃないかな。否定神学の代表のように
思われてるウィト「論考」でさえ、否定神学の罠を十二分に自覚してる。
さっきはあげながかったけど、クワインの弟子クリプキは、様相論理の
厳密化の過程で、1階述語論理の外部を具体的に形式化したよ。
言語のもやのなかに問題を解消しないというだけでも、言語分析こそ
現代的と言えるんじゃないかな。
622 :
考える名無しさん:04/08/07 00:36
それよりも、真理とは、構造の要素の配置によって決まると言う構造主義的
考えで物事を一度整理する必要があるのだよ。そこを経由しないで哲学を
語る事には無理があるんだ。
「気がする」と言う語尾は断定を避けると言うポスト・構造主義的ニュアンス
があるんだよ。俺の表現は重層的な意味を含んでいるんだ。
>俺の表現は重層的な意味を含んでいるんだ
おいおいおい・・・。
自分の都合のいいことに関しては完全に断定的、一意的に書いてるじゃないか。
>>622 なんかよくわからん…それって弁解ってやつじゃないの?
625 :
考える名無しさん:04/08/07 00:45
クリプキは評価できると思う。クワス算なんか泣ける。
でも、総じて言語で、形而上学を超えるのは無理だ。
なぜならば、意味のハグラカシをするのは、むしろ
比喩・隠喩のような方法しかないだろう?
それが、ラカンのシニフィアン連鎖なのだよ。
シンニフィアンがシニフィエと繋がらず横滑りする。
ラッセルはウィトゲンシュタインに頭が上がらなかった。
自分に論文を見てもらったりしていたな。
ラッセルはタイプ理論だけが参考になった。
クレタ人のパラドックスと同じだけどね。
626 :
考える名無しさん:04/08/07 00:48
ヴィトのいってることが理解できんかったらしいねラッセル。
ヴィトがちょっとイッてしまってたわけか
627 :
考える名無しさん:04/08/07 00:53
論考が否定神学を十分に理解しているわけないな。
あれだけ必死に言語表現の真理を言語内で解決しようとしたんだから。
無理だよ。だから、語ってはいけない事がある事には気づいた
それは認めるが、だから、その語れない事を比喩に表すしかない
としたのがラカンな訳よ。
後期の探求では確かにウィトも気付いた、しかし、それは、言語が
言語のシンタックスで、言語内で全てを表せない事を認めた事になる。
でも、言語に減少はしてもある確定の意味をになわせるということの中
には、神学的な=イデアが残っていると解すべきだろ。
628 :
考える名無しさん:04/08/07 00:58
つまり、言語哲学は言語に意味をになわせると考える以上
形而上学批判は出来ない。せいぜい反証可能のように、
ある言語を流通させつつ、新たな言語を作ること位だろう。
根本的な形而上学批判は、言語の喪失か、都度言語の意味を変える
必要がある。つまり、マイナーによる誤解だ。
629 :
考える名無しさん:04/08/07 01:00
このスレ読んでの率直な感想:
「哲学は現実生活で役に立たない」
誰それはこう言った、どの本に何が書いてある、あの部分の意味はこうだ…?
ったく、カビ臭せぇんだよ、おまいらの話は。
なにか新しい意味や意義を見い出そうという姿勢も見受けられなければ、
かじったものから得た自分なりの発見や意見の披露も無い。
全員、ただの知的コンプレックノス君じゃんw
醜態、晒してろ!
630 :
考える名無しさん:04/08/07 01:00
だから、ベンヤミンの誤訳推奨が意味をなして来るんだよ。
>>627 それは違うんだよ。数学板の人たちがゲーデルの「不完全性定理」
ばかり問題にする柄谷的ロマン主義をよく馬鹿にするだろ。君の
「論考」解釈はそれと同じ。ゲーデルは同時に無矛盾な公理系の
条件を提示する「完全性定理」を証明していて、二つの定理が相補
的な関係にあるんだよ。「論考」と「探求」の断絶を言う人って、
同じタイプのロマン主義的即断に陥っているんじゃない?ウィトの
「論考」は言語体系内部での思考の閉鎖性を通じて外部を浮き彫りに
するという点では、D・F・Dのだれよりも簡明だよ。
632 :
考える名無しさん:04/08/07 01:02
言語学よりも記号論と言ったほうが、言語の豊饒性の意味に近くなる。
クリステヴァなんかが、テクスト論で、意味が増殖するテクストを
分析しているけど、この辺が完全に形而上学批判のスタイルなのだと思う。
パレルゴンは
>>631に同意または反論をきちんとすべきだよ。
でないと今夜の議論の意味は全くなくなる。
634 :
考える名無しさん:04/08/07 01:11
俺の意見はもう書いたので、読んでもらえばいいが、
ゲーデルについても、それをロマン主義的に見ている事はないよ。
残念だと思う。無限の数の組み合わせがどちらにも取れると言う事は
人間の理性に開いた風穴であり、近代のヒューマニズムの崩壊に繋がっている
んだね。僕は数学者じゃないからこれ以上ゲーデルや不確定性理論
に付いてはのべないけど、完全性定理が一つ以上あるのは、やはり
相対性の視点を否定できないんだし、ウィトの論考はやはり外を
封じたかったし、外がある事暗に示した事が形而上学批判として十分
とは言えんな。だから、黙れとほざいたんだよ。
635 :
考える名無しさん:04/08/07 01:13
了解。634で書いたとおり。
今夜はこの辺で。また、明日やろう。
面白いから。ただ、現在の言語哲学の問題点を誰か整理してくれ。
頼むよ。
>>634 もうちょっと明晰に書けないかな?
まあ、でも論点の相違が浮き彫りになったでけでもいいか。
ウィトについてもゲーデルについても、よく読まないで問題に
する人が多いのはちょとこまるな。というのが今夜の印象でした。
637 :
考える名無しさん:04/08/07 01:17
わからん事はのべるなとは強制的に、言語内で無矛盾を保護しようとした。
これは明らかに形而上学だと思う。
今日の最後の発言です。
それじゃ、明日またやろう。
638 :
考える名無しさん:04/08/07 01:25
639 :
考える名無しさん:04/08/07 01:29
>>638 w !! 立ち向かって来る勇気(?)なんか、こいつらにゃ無いだろw
641 :
考える名無しさん:04/08/07 01:37
>>640 カビたのが、現実にどれだけ通用するかを問われるってこと。
現実への翻訳力と応用力の欠如を晒す勇気、無いだろw
>>638 こういうやつって、たまたまカントとか数行読んだりすると、
とたんに哲学板は学問板ですとか調子こいてロールー議論はじめる
ヴァカだなw
議論に参加できなくてかわいちょうでしゅね。
643 :
考える名無しさん:04/08/07 01:40
644 :
考える名無しさん:04/08/07 01:41
645 :
考える名無しさん:04/08/07 01:43
>>644 議論が終わったあとで遠吠えしてるのはなぜですか?
俺は読書量が多いから、カントなんて数行で理解できるんだw
by パレルゴン
647 :
考える名無しさん:04/08/07 01:57
カントがなんぼのもんじゃいw
648 :
考える名無しさん:04/08/07 02:01
知ってて↑こう言うならわかるんだがな
649 :
考える名無しさん:04/08/07 02:10
>>648 カントが世界に基準みたいなこと言ってw
>>629 読めない者の、知的コンプしか感じません。
651 :
考える名無しさん:04/08/07 12:33
>>650 知とは「知ってること」なんですね? 思考できることかと勘違いしてますた。
事物の本質を把握し、それと自己との関係を明らかにし、
できうれば目的を示し、確固とした行動を選択するまでを言うのかと…。
まさか、「単に読む」が知だなんて誰が想像できたでしょ?
久しぶりに仰天ですw
>チンポさん
>ポール君も頑張ってください。ネットでの議論もいいですが、本当は実際に友達とか先生とかに
>会って、議論する方が有益ですよ。そういう友達が周りにいるのが何よりです。
>>525 その通りです。
僕の周りには哲学関係の人はまったくいません。まったくの独学です。
つまらないですね、ほんと。だから仕方なく(笑、こんなところに来てるわけですが。
いずれ必ず、リアルで仲間をつくります。
今回も短い期間でしたがありがとうございます。
チンポさんのレスは、常に新たな見方を示してくれます。
「存在者の総体−存在者全体の根拠」、「存在者−存在」といった階層構造の意味が、
よりはっきりと理解しえてきたのが、今回の最大の収穫です。
当たり前ですが、この二つの次元(高次の次元)を前提に読まないと、
『自由論』はまったく理解できないですものね。シェリングの「神」も納得いきました。
『講義』は最後まで読み通します。気になるところ、重要と思われるところは、その都度
シェリングスレに抜書きします。それで今回は、ひとまず中断します。
しかし、シェリングはともかく、ハイデガーのところへはまたすぐに戻ってくることでしょう。
次に出会うときを楽しみに、それではまた・・。
チンポッポ チンポッホ ゚ !!
>>651 だから、あなたが書いてみなさいよ。
こんな場所で書くのが嫌なら、そのマイ哲学を世に出してみたら良いんじゃないの?
そこで認められて、「そういえば昔2chでこんな事があった」みたいに、
ここでのことを書いたりしてみたら、チンポもポールもひれふするんじゃないの?
チンポさんに限らず、大森スレの初心者時代に出会った人たちはみんな懐かしい。
僕の中では「初心者その1」「ポール」で、はっきりと時代が分かれているので。
それで聞きたいんだけど、知ってる人いる? Kuriharaさんについて。
昔のネタ系(といってもチンポさんと同様、確かな知識を基盤とした
ネタなんだけど)Kuriharaさんと、今のKuriharaさんって別人ですよね?
一時姿が見えなくなって、復帰したと思ったらネタをまったくしない、
マジコテになってた。昔の彼なら、今の僕に絶対ちゃちゃ入れてきそうなものだけど。
「分析ですか? それはいけませんね。初心者さんはもっとマッハやヒュームを耽読すべきです」
「そうそう、つい先日、稲さんが僕にマッハについて教えを請いに来ましたよ」
とか。
当時のKuriharaさんは初代と別人だとか、共有コテだから中の人はたくさんいるって噂も聞くし。
なんか別人っぽいから、こちらから話し掛けにくいんだよね。
実態はどうなんでしょ?
>>654 まず間違いなく同じ人。
柄谷信者である以上に、広松信者であるところも同じだし。
ポールが来る頃には、ほとんど共有コテではなくなってたと思うよ。
NAMが崩壊したとき、一時岩井克人に依拠してOFWやヘーゲル
主義的マルクス主義を批判してて、2-3ヶ月時間が空いたら、スタンスが
OFWに近くなってたって事があって、断絶があればここだけど、これはまあ、
世の中を変えようと思ったら、岩井の見方は否定しないとしょうがないので、
当然といえば当然。
NAMスレやマルクススレの初期の頃は、もっとネタキャラ臭かった。
この頃は何人かのKuriharaがいたと思うけど。
>僕の周りには哲学関係の人はまったくいません。まったくの独学です。
>つまらないですね、ほんと。だから仕方なく(笑、こんなところに来てるわけですが。
いるじゃん。ほら、君の脳内でキャラ分担したでしょ?w
>いずれ必ず、リアルで仲間をつくります。
頑張れよw
>チンポさんのレスは、常に新たな見方を示してくれます
自分自身のレスだからね、それは分かりやすかった訳だw
>昔のネタ系(といってもチンポさんと同様、確かな知識を基盤としたネタなんだけど)
ようするに下ネタなら、何でも高級なんだろ?
659 :
考える名無しさん:04/08/07 14:55
652 名前: ポール [sage] 投稿日: 04/08/07 12:48
いずれ必ず、リアルで仲間をつくります。
↑似合うね、これ。今の彼の状態にピッタリ。
660 :
考える名無しさん:04/08/07 14:56
ここ(2ch)にいる自分がリアルでないだと?
ここでの他者を否定することは、ここでの自分を否定することだが…。
外部に出たものすべてが自分である、の認識も無いのか、おまい?
そうやって格好つけるほど、おまいの浅い底が見えてくるw
ここで荒らしをしている自分もリアルなんですね。
君の哲学をしゃべり場レベルのマイ哲学と談じる他者も、
リアルなんですね。
そう他人に見られていることも含めて自分自身なんですね。
悲惨ですね。
662 :
考える名無しさん:04/08/07 15:46
>>661 リアル(現実や事実)とはありのまま…その後、修正や訂正、心変わりはできるが、
起きてしまった事実・現実を変えることはできない。
現実というもは論評を付け足す作業ぐらいで、どうにもなるもんじゃない。
マイがつこうがつくまいが、リアルを哲学でかえることはできないボ♪
つまらない区分を持ち出すな、お里が知れるどw
だから、お前が他人のやっていることにいかにケチをつけようが、お前の悲惨な境遇に
変化はないって事だろw
そして2chというネット最下層においてさえ、自分のマイ哲学よりもポールやチンポの
「訓詁学」の方が支持されているというリアルに耐えきれず、また荒らしに走るとw
665 :
考える名無しさん:04/08/07 16:00
>>663-664 そういう、結論(悲惨荒らし)をFIXしてしまう態度…哲学にあるまじき
てかアルマジロ !!
だってリアルは哲学とは違うんだろww
おせっかいを承知で言うけど、
ポールはとりあえずコテハンやめたらどうかな。
おれは哲学板自治とかまったく関心ないけど、
やっぱり一部の粘着系住人からこれほど叩かれるのには
理由があると思う。こういうスレタイとか、やっぱりガキっぽいよ。
668 :
考える名無しさん:04/08/07 16:22
んだねw
というか、リアルでも2ch外のネット上でも良いけど、仲間見つけてここから去るのが賢明だろ。
Kuriharaが来なくなったのも、ここで自分を磨く段階が終わったと思ったからでしょ。
長文書いてたKuriharaは最初から1人だけだったと思うけど、多分あれは最初自分に
自信がなかったからだと思う。ネタ系共有コテをつかっとけば、厳しいツッコミが
あったとき、あれはネタでしたみたいな感じで逃げることが出来るからね。
実際最初はそんな感じなのが多かった。その後急速に伸びたけど。
670 :
考える名無しさん:04/08/07 16:27
パレルゴンも七誌になって、バカっぷりはもちろん同じだけど、
目立たなくなったのは歓迎するよ。
実力のないコテはその程度の節度をもつべきだと思う。
671 :
考える名無しさん:04/08/07 16:39
ってか粘着ってぴかぁ〜書く文章と一緒の文体だよねw
こんな時だけ名無しなのかw
>>656-659 までの粘着と、660からの粘着は多分別人。
656からのは、チンポの前スレで虐められてた知恵遅れ。
660からのはぴかぁ〜臭い。
ポール自身のためにはここから去った方が
賢明だけど、いなくなっても粘着の発狂は止まらないと思うよ。
名無しだろうが、コテだろうが気に入らない奴はポール扱い。
ピエさんと夫馬さんの関係を見れば分かる。
674 :
チンポ太郎:04/08/07 20:12
>>673 ガムスレが認められるまでは止まりませんよポールさん
>私達の内に現存するものは、無制限な絶対的な自我であると言っている
>ので、まさに、「自我」を前提にしている。
>ポールは自我・認識する私を疑わないのです。だから、フッサール。
>>574 僕のデカルト解釈は間違っている可能性が大、と断った上で、以下、
「世界から分離された自我というものは存在しない」
ということを説明してみます。
僕の(浅はかな)理解では、デカルトはすべてを疑った上でも、
「思考する自我」そのものは残ると言います。その懐疑の過程で彼は、
「私の見ている世界は悪魔に騙されているのかもしれない。それゆえ、
この世界の存在は疑え、確実ではない」とします。
ここで、自我と世界の分離が生じます。(これが主客二元論の始まりですね)
(ここで「世界」という時、知覚世界のみならず、「思考されている世界」、
例えば想像や想起のそれも入るのは自明です)
しかし僕に言わせれば、ここがデカルトの誤りでした。
「思考する我」といいますが、思考とは「〜についての思考」という
何らかの対象を伴った思考でしかありえません。それは知覚、想像等でも同様です。
対象を伴わない思考というものは存在しません。
僕なりに「我」について定式化すれば、
「世界がある。ゆえに我あり」
であり、それは、
「僕が経験している世界の存在は決して疑えない。たとえそれが悪魔に騙されていようが、
夢であろうが、存在していること自体は事実である。むしろ、その世界の中に現れる『我』
といった概念の方が疑わしい。ここからいえることは、世界から切り離された自我を
出発点にするのではなく、私に与えられた”世界”から出発しなければならないということである」
という意味です。
私に与えられた世界──繰り返しますが、知覚世界だけでなく、思考や想像さえも
私に与えられた世界の一部です──こそが「私」です。
私の自我(超越論的主観)において世界が現われるのではなく、世界そのもの(=私)
のうちに「自我」「私」という(誤った)概念が生じるのだと思います。
「私にコップが見えている。そして、その事態そのものを『私は存在する』という」
思考機能を完全に失った人でも、彼に世界が開かれていれば、彼は存在します。
仮に僕のこの考えが正しいとして、次に考えるべきことは、
「しかし私は、他の事物とは異なった『私』の存在を自明なこととしている。
では、そこで考えられている『私』とは何か? 従来の客観主義的『私』の定義は
本当に正しいのか?」
ということであり、それが今の僕が問題としているところです。
よって、
>>574さんが述べるように、世界から分離された「自我」「超越論的主観」
といったものを前提にしていないことがお分かりになったと思います。
679 :
考える名無しさん:04/08/07 20:37
半端でわかりにくいけど、自分が出てて面白そうじゃん。
続きがあるんなら、もっと書いて美奈代
>>679 あ、どうも。
いずれまとめてみたいと思います。
ただパクっているわけではないのですが(笑、この考えのベースは大森です。
念のために一応。
ベースというのは、「世界から分離された自我という物は存在しない」といった部分で、
「世界がある。ゆえに我あり」といった箇所は大森は言ってないと思います。
断っておかないと、「大森は低レベルのことを考えているのだな」と誤解されて
しまう恐れがあるので。
それにしても、どこまでが他人の考えで、どこまでが自分の考えか境界を設けるのは難しいですね。
「自分で考えた」と思っている考えのほとんどは、どこかで読んだ知識を忘れているだけだろうし。
僕としては、「誰かがこういっている」と指摘したい場合は、著書とそのページ数を指定した上で、
引用するように気をつけてます。
それ以外は、どこかで読んだ誰かの考えにすぎなくとも、さも自分が考えたように
書いています。よって、その部分の(低レベルな内容に関する)文責は、僕にあります。
683 :
考える名無しさん:04/08/07 23:37
>僕の(浅はかな)理解では、
珍しく謙虚な。
>しかし僕に言わせれば、ここがデカルトの誤りでした。
と思ったら、ポールはポールだなw
684 :
考える名無しさん:04/08/07 23:39
685 :
考える名無しさん:04/08/07 23:40
ポールは何をやりたいのかねぇ、パクリじゃなかったら、
中身はスカスカだし。
686 :
考える名無しさん:04/08/07 23:47
>コテ云々については、粘着されたことを理由に名無しになることはないでしょう。
>僕がすべきことは、今までどおり徹底放置するだけです。
64 名前: じゆん ◆Db20Np9afw 投稿日: 04/08/06 23:38
/'''''' '''''':::::::\
| -==-∴-==- .::| 毎日寂しいだろ?
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .:::::|
| `-=ニ=- ' .::::::::|
\ `ニニ´ .:::::/
65 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/06 23:42
ウソをウソと見抜いて徹底無視できないようでは
2ちゃねらーはつとまらんのだが・・・。粘着のキャラかぶりDQNは
構ったり話題にすればかえって狂喜する。どんなレスも完全無視で
そこにあっても無いのと同じようにして粛々と自分のレスだけに
集中すればよい。それがDQNに対応する唯一絶対の方法。
687 :
考える名無しさん:04/08/07 23:50
276 名前: 考える名無しさん [sage] 投稿日: 04/08/06 04:22
哲学板のガン・我 無 ◆GTMIKVL50sの狂気
・自称「白髪が混じる老人」「隠居生活中の老人2ちゃんねらー」
・実際はただのひきこもり。荒らしの温床ガムスレッドを一日中ウオッチしている。 虚言癖。
・「東海道新幹線に乗ってきました」と言い張っていたが、
その日は台風の影響で東海道新幹線は不通。その事を指摘され発狂する。 虚言癖。
・荒らしはお断り、といいつつも積極的に荒らしの相手をしている。
そのために荒らしは増える一方。
・荒らしの温床ガムスレッドは過去に10回近くスレストやスレッド削除されている。
それにもかかわらず何度もスレッドを立て直し荒らしを呼び込んでいる。
(削除人がガムスレッドを板違いと判断しているにもかかわらずスレを立て続ける蛮行)
・自称「科哲専攻」
・実際は書物からコピペしているだけ。用語の誤用について指摘され発狂する。 虚言癖。
哲学・現代思想の知識は皆無。完全に板違い。
・レスを伸ばすために煽りや自作自演は当たり前。口癖は「レスが沢山つくと楽しいでしょ」
・名無しと固定ハンドルを使った自作自演がばれる。その事を指摘され発狂する。
・ぴかぁ〜の度重なる荒らしに腹を立てた我 無 ◆GTMIKVL50s はぴかぁ〜に対して
「法的手段に訴えますよ? いいんですか? 法曹関係の知り合いに相談しますよ? だてに年取ってないんだよ!」
と勢いよく啖呵を切る。後日にこの件はどうなったのか、と質問すると「そんな事言ったっけ?」と誤魔化す。
・「哲学に関係する雑談スレッド」と言い張るが内実は荒らしのAAと低俗な雑談。クソスレにもかかわらずage進行。
688 :
考える名無しさん:04/08/07 23:53
566 名前: 二酉 [sage] 投稿日: 04/08/06 02:26
うわー。何なんだ一体・・・ポールさんのスレにここで書いた自分のレスが貼られてますたよ。
なんだかここ数日元気いっぱいな偽チンポ先生の自演ということになってるらしいです。
そういえば昨日だっけか、騙りをお止しになるよう申し上げたところ偽者扱いされましたっけ。。。
鸚鵡返しのレスといい、中傷することでしか煽れない知性といい、数日前に読み返した
過去スレを彷彿とさせるものがありますが、構ってほしいんでしょうね、多分。
これ以上被害が拡大しないように対処するようにしよう。。。
あまりに見事な餌なので、うっかり釣られそうになったらこのレス見て気分を落ち着けるようにするでつ。
なんだか個人的な話(しかも重苦しい)ばっかり続いて申し訳ないでつ。。。
感徒さん、自分のスレをほったらかしにしてここで粘着するのはやめてくださいよw
?
691 :
考える名無しさん:04/08/08 02:44
cunt /kKnt/
━ 【名】【C】 《卑》
T 女性性器; 膣(ちつ).
U 《俗》
1 女, 女性.
2 いやなやつ.
New College English-Japanese Dictionary, 6th edition (C) Kenkyusha Ltd. 1967,1994,1998
692 :
考える名無しさん:04/08/08 11:28
世界が存在すると同時に「私」が存在すると考えるのが、現象学なのですよ。
現象は「私」の中に世界として現れる。だから、世界は「私」にとっての
世界である。独我論と言う羽目になる。
この考えとデカルト的なコギト「我思うゆえに我あり」は確かに異なる。
つまり、後者が世界を疑っているが、疑う「我」を否定できない。
しかし、前者は、世界は自我の定立を基礎にして証明されるものではなく、
超越論的領野に現象として現れると考え、世界は私と共に開かれる
と考えていると言いたいのだろう。
693 :
考える名無しさん:04/08/08 11:33
しかし、本来のフッサールの現象学は、デカルトのコギトをベースに
超越論的自我を確立したのであり、そこに現れるものを現象と考えるに
いたるのであり、ポール氏の説とは同じだとは言いがたい。
ポール氏の説は、この世界と「我」の二元論を超えて、
世界は私に開かれたものであり、その世界は「私」であると考えている。
この場合世界は独我論的な様相を含み、間主観は全く見出されない。
694 :
考える名無しさん:04/08/08 11:38
それ以上に問題なのは、彼の哲学には、何の疑いもなく「主体」が歴然
として存在すると言う事である。(パレルゴンが何回にも亘って批判した点)
この点を無視している以上、彼の哲学は、古典的・ヒューマニズム・
形而上学的・歴史的な点で批判され続けるでしょう。
哲学は現在の問題点から出発し、過去を尋ねるものであり、過去の
古典を理解しても所詮知識に過ぎないのだ。
彼には哲学とは何かと言う、哲学の前段の問題が吹っ飛んでいるのです。
695 :
考える名無しさん:04/08/08 11:54
具体的な質問
1)世界は私に開かれ、私は世界と同じであるとする場合
貴方にとって、世界・私と言う分離した二つの対立概念の表現は
不可能であるはずではないか?
つまり、二項対立的に「世界」・「私」と言語で表現する事に矛盾があるのではないか?
2つの言語表現は既にある差異を表明するものであり、自説の前段で、二項的に
対立概念を引き合いに出す事はすでに、その概念を必要としている証である。
2)最も気になる問題点。
貴方は「自我」はどのようなものであり、どのように定立したと考えるのか?
私が読む限り、デカルトのコギトを否定する事で益々、貴方の自我は
不在に見えてくるのです。自我が自然に発生すると言う様に考えている
気がします。この点に貴方の論理の欠点があると言う気がします。
参考までにのべますと、「自我」は源抑圧の産物(フロイト)
「自我=主体」は構造の産物(フーコー)
696 :
考える名無しさん:04/08/08 11:59
やはり、チンボ太郎氏とポールさんは同人だと言う気がしました。
1)興味のある所が同じである。
2)ポールさんはチンボさんにほとんど反論しない。
3)ほぼ同時にレスしている。
4)3)の状態で、反論・討議が余りにも少ないなぁ〜。
5)全面的賛同が多い。
6)ポスト・モダンに興味がない。
697 :
考える名無しさん:04/08/08 12:00
692〜696はパレルゴンです。
> やはり、チンボ太郎氏とポールさんは同人だと言う気がしました。
パレも知恵遅れと同レベルか。
> ポスト・モダンに興味がない。
ポスト・モダンという括りはバカにしてるけど、特にデリダは評価してるんだけど。
研究者の頃の書き込みを見ると、ハイデガー・フッサールにはむしろそちらから
入ったように見える。
699 :
考える名無しさん:04/08/08 14:40
思ったこと:
世界が「私抜き」でも存在してるのは明らかだ。
他者の死を見ればわかる。あいかわらず世界は在るのだ。
私の死の場合だけ別、と言うことはできないw
一方、「私にとっての世界」は、世界自体の持つ本質や私以外の者に
どう映っているかに関係なく私自身によって初めて認知/認識されて存在する。
私の主観の中にしか存在してないということだ。
私が死ねば、「私の」世界は消滅する。
世界の本質とこの私の見る世界の合致した部分…それが「私」から見て
普遍性・合理性を強く感じさせられるエリア。安定領域w
そしてズレのある部分…それが私に不合理を感じさせ、世界と私を隔てる
エリアだ。不満ストレス領域w
そして世界は私より強大ゆえ、この不合理が大きければ大きいほど
私は私を貫けず、不幸となる。
幸せになりたければ、合理的に思考し行動することが必要ということだ。
従い、私も他者もこの合理的思考と行動に向かわざるを得ず、
その努力分、「私」と既に在る世界は一致に近づく。
その延長上に「すでに在る世界が我がものになった、味方につけた」の
安定世界、安らぎのある世界が存在する。
ただし非合理な思考と行動に執着すると「私」は世界に裏切られることに
なるが、そのかわり世界が私を支配できなかったという、ささやかな自己満足
をもたらす。
何を選ぶかは私(君)次第、は言うまでもない♪
700 :
考える名無しさん:04/08/08 14:44
wがやたら多いからすぐ分かるね。
>>699 「独我論」をおべんきょして、
一度死んでから来なさい。
702 :
考える名無しさん:04/08/08 14:54
素人の浅知恵で主客問題が解決するとでもry
703 :
考える名無しさん:04/08/08 15:00
>>700-702 なんだ欠点が見つからなかったみたいだなw
o(^-^o)(o^-^)o ワーイ、バカドモ、ウスラトンカチ !!
704 :
考える名無しさん:04/08/08 16:02
昨夜の君の発言1
66 名前: 突然失礼 投稿日: 04/08/08 13:50
新種【ひきこうもり】
人家の中の密室に棲み付いて、ずっとモニタにくっついている。
何をえさにしているのかはまだよくわかっていない。
夜行性で、夜中の十二時を過ぎたあたりにコンビ二などに飛来することも
あるが、まだくわしい生態などはわかっていない。
67 名前: 真・勝利宣言・復活!! 偽物パクリ低学歴死ね!! [w] 投稿日: 04/08/08 14:10
皆さんも、議論でまけ煽りでも負ける人生の負け犬になりたくないたくないなら哲学を勉強しましょうね(微笑
705 :
考える名無しさん:04/08/08 16:03
同上2
68 名前: 突然失礼 投稿日: 04/08/08 14:24
新種【ヒッキーガエル】
人家のなかに入り込んで、パソコンやテレビのモニタの前で
ひっくり返っている動物。虫を食わないで、人が食べる
ポテトチップスのようなスナックを好んで食べる。
ケーキなんかにはすぐにとび付くらしい。
69 名前: 2CHの鉄則 [sage] 投稿日: 04/08/08 14:30
|★ウザい粘着厨は「徹底無視」が対処法。
|
|★無視された厨房は煽りや自作自演であなたのレスを誘います!
| 釣られてレスすれば、さらに粘着してきます。
|
|★反撃は粘着厨の好物であり、栄養源です。くれぐれも
| アラシにエサを与えないで下さい「徹底無視」で通すこと。
|
|★枯死するまで無視し続けて、孤独に暴れさせておきます。
| そしてゴミが溜まったら、削除。これが2CHの鉄則です。
| 。
. Λ Λ /
(,,゚Д゚)⊃ 覚えておこう!
〜/U /
. U U  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
706 :
考える名無しさん:04/08/08 16:04
3
502 名前: 考える名無しさん 投稿日: 04/08/08 14:22
ポールさんとは、どうも専門分野が違う。
彼は、現象学・ハイデガー・シェリング・カント・言語哲学
私は、ポスト・構造主義をトレースしつつ、その関連本を読破する
スタイル。一つだけ共通の所があるとすれば、ハイデガー。
それも、多分読み方が違う。彼は、認識論的に、世界の開かれ方
を見ている。私は存在の空に開かれた欠如として、人間存在を見る
様にハイデガーを読む。これだけ、異なっているんでしょうね。
とはいっても、同じ哲学を学ぶ者として、意見の交換は価値ある
と思う。私は多読であるのね。
>>694 >それ以上に問題なのは、彼の哲学には、何の疑いもなく「主体」が歴然
>として存在すると言う事である。(パレルゴンが何回にも亘って批判した点)
おいおい、お前がパレルゴンだろ?まぎらわしいことしてんなよ
殺 伐 か つ \ ヽ | / /
暑 苦 し い ス レ に 割 れ る 棒 ア イ ス 降 臨 !
\ ヽ / /
‐、、 \ / _,,−''
`−、、 ┌─── 、_ , ───┐ _,,−''
`−、、 |. UU .| _,,−''
` | UU |
!`ヽ | ● UU ● | i⌒!
───────‐ ヽ、 \|:. ├──┤ .:|ノ ノ ───────‐
\_|:::... ヽ、 ノ ...:::!_/
|::::::::::...  ̄ ...:::::::::::|
_,,−'' |::::::::::::::::........UU......::::::::::::::::| `−、、
_,,−'' l:::::::::::::::::::::::::UU:::::::::::::::::::::::! `−、、
,'´\ / |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;UU;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;| \ /`i
! \ _,,-┐ \:::::;‐、::::::::::',_,':::::::::;‐、:::::/ r‐-、、 / !
゙、 `ー--<´ /  ̄| | ̄ ̄  ̄ ̄| | ̄ ゙、 .> −一'′ ,'
y' `ヽ/ / | | | | ヽ ヽ '´ イ
/ ○ ゙、 / | | l | | ヽ / ヽ ゙、
! ' ' ' l ̄! / ゙ー' | ゙ー' ヽ !ー‐| ' ' ' !
ヽ、 ノ_ノ / | ヽ ゙、_ノ ,,ノ
709 :
考える名無しさん:04/08/09 22:04
ポールさん元気でしょうか?
711 :
考える名無しさん:04/08/10 07:17
ぽうる
>パレルゴンさん
>>695に答える前に。
パレルゴンさんの僕への批判を次の二点に分けて考えてみます。
1. 言語の存在が他者の存在を証明している。
2. 僕(ポール)は、主体を前提に理論を構築している。(そしてそれは間違っている)
端的に1は間違っています。
言語によって示されるのは、「他者の存在そのもの」ではなく、「他者も私と同様に存在する」
という我々の「確信」にすぎません。これは、他者の存在そのものの証明ではまったくありません。
(「机」という語で互いの指示対象が一致したとしても、
>>209さんのいうような可能性は
決して否定できないからです)
他者の存在証明の根拠が「確信」でいいならば、フッサールも『デカルト的省察』において
どのように他者が私の世界に現われてくるかを述べています。
他者の存在そのものは決して証明できないように世界は与えられています。
その「事実」は、客観主義者であれ、独我論者であれ変わりません。
ただ、その「確信」を「信じるか」「疑うか」という判断の違いが、それらの立場の違いに過ぎません。
もう少し詳しく説明します。
「私の存在」という時、その根源的な意味は、「学校が休みになって嬉しい」といった感情や、
「テレビをつけるか」といった意志を指します。それら感情や思考や意志を存在するからこそ、
「私は存在している」と私は考えます。言い換えれば、(私の)「思考」や「感情」「意志」といった
心の働き(クオリア)こそ、「私」という語の根源的な「定義」なのです。
では、この定義を基に他者を証明できるでしょうか?
もちろんできません。他者の心は経験できないよう世界は与えられているからです。
ですから、強引に他者の存在を証明するためには、「私」の定義を変更しなければなりません。
例えば、我々が他者にも心が存在すると確信する要因である「振る舞い」や「言語使用」などです。
では、これらは「私」の定義となるでしょうか? なるはずありません。
振る舞いがなくとも私の心は存在しているし、言語を使用できない人でもその人に心は
存在するでしょうから。
何度でも繰り返しますが、世界は独我的に与えられています。
この事実がある限り、他者の存在を証明しようとすることは、「私」という語の定義上、
同じ平面に赤と青の色が同時に存在することと同様、「論理的に」不可能なのです。
また、言語の存在が他者の存在を証明するのではなく、他者の存在を前提として初めて、
「私と他者は言語で繋がっている」という命題が出てくるのではないでしょうか?
つまり、証明すべき事柄(他者が私と同様なかたちで存在している)が、すでに前提に
含まれているというわけです。
>>699の最初の三行を見る限り、パレルゴンさんは、独我論の何が問題なのか
わかっておられないように見受けられます。
それと、しつこいかもしれませんが、僕は独我論者ではありません。
そうではなく、他者とはまったく異なった在り方をしている私にこだわって
見たいと考えているだけです。そこにこそ、主客二言論を解く鍵があると
思っているからです。(これは2に繋がります)
2については質問の意図がよくわかりません。
僕は、世界から分離された『我』の存在を疑い、それを前提とせずに世界を説明しようと
試みています。
>>675-678等
にも関わらず、なぜ、
>それ以上に問題なのは、彼の哲学には、何の疑いもなく「主体」が歴然
>として存在すると言う事である。
>>694 と繰り返し指摘するのでしょうか?
「主体」とは、デカルトの「我」とは別の概念なのですか? 定義は何でしょう?
これについてはまた次回詳しく述べたいと思います。さすがに盆前は忙しいので。
ていうか、休み15日しかなさそう・・。
ていうか、15日も介助で・・。
719 :
考える名無しさん:04/08/10 21:34
ウラジオストックのストリートチルドレン(浮浪児)が子犬を可愛がって
「死ぬまで一緒だよ」と語りかけていた。
彼は独我論的には生きていない。
>>719 僕も日常生活において独我論的に生きてないよ。もちろん。
それと哲学問題としての独我論は別でしょう。
2chのログを声に出して読む僕の部屋には僕の声しかない。
>>720 で、この君の自演はいつ終わるんですか?
723 :
考える名無しさん:04/08/10 21:42
>>720 独我論も可能な哲学の一つだとしか云い様は無いね。
哲学板のほとんどのログは読んでもただの音にしかならない。
725 :
考える名無しさん:04/08/10 21:47
正しい唯一の哲学などありはしない。というのも言語は存在を把握しえず、
最後の拠り所は感性なのだから。
2chには僕には理解できないログが毎日書き込まれている。
誰かが誰かの書き込みに対応した書き込みをしている
彼らはコミュニケーションをしているみたいだけど
僕には理解できないログでしかない・・・
727 :
考える名無しさん:04/08/10 22:09
丁寧なお返事感謝。
私も忙しいので、長文の返事は止めにします。
土曜日に少し書きます。
今日は一瞥するだけにします。
ただ感じる事は、1)ポールさんは、全ての理解は「私」にとってのもの
である。2)だから他者は絶対に認識できないし、認識したと思っている
ものも、実は「他者」ではなく、「私」の感じる他者であり、
私の中のものである。
以上二点に纏められる気がします。
こう考えると、全てが「私」によって価値付けられて居り、丁度カントの言う様な
外の世界は「物自体」であり、絶対にそれ自体は分からないものになっているんです。
カントの場合は、共通の価値基準があり、他者との共通項がある訳です。
728 :
考える名無しさん:04/08/10 22:16
現象学の場合の弱点は独我論的な点です。
所が、全く逆に、全ては同じ物のように理解されるように作られている
と言う考え方も出来ます。全ての人間は同じように物事現象を理解できる
とうい考えです。
それはカントを除くと、1)デカルト的な考え。2)構造主義的な考え方
以上2つ有る気がします。
前者はコギトと言われるもの。後者はフーコーに見られるように
創られる「私」が構造の中で、共通項の中で共通の解読格子(エピステーメー)
に基ずくものです。
それでは、詳細は後日・・・。
729 :
考える名無しさん:04/08/10 22:17
「私」は「他者」に私の「見方」の間違ってないことを「尋ね」たり
「確認」したりしてるのだよ。「私」の「価値付け」も他者に大きく依存しているのだよ。
「フカキョンて可愛いよな?」とか・・・
このスレッド、みんな用語の使い方が曖昧だな。
ポールもポールへの粘着も一度、言葉の定義し直してみたらどうだ。
blogでも使ってさ。
731 :
考える名無しさん:04/08/10 22:36
729
多分その答でも、ポールさんは反論できるだろうね。
つまり、同意「そうだね。」は言語は同じでも、
理解している内容は全く違う事がありうるからだ。
例え「可愛いね。」「うん、そうね。」と言う単純な会話
でも、その可愛いと言う内容が同一とは言えないからだ。
たとえば目が可愛いと言って、同意を得たとしても、
大きい=可愛い が同じ可愛さを示しているとは言えないからだ。
732 :
考える名無しさん:04/08/10 22:39
自己移入とか感情移入を軽く考えてない?
鳥が悲しげに鳴くとき、まず鳥の鳴き声が主体を触発するのだよ。
何も無いところに自分の似姿を措定するなんてことじゃないのだよ。
733 :
考える名無しさん:04/08/10 22:40
Aは大きな目の輝きに Bは大きな目のまつげの動きに
可愛さを感じているのかもしれない。
それでは、詳細に書けば完全に同じ意味の理解に達するのかと言えば
「no」なのです。それは何故かちょっと難しいけど、
考えてみてください。ヒント:言語を言語で証明する事は出来るのか?
これです。
>>731 「可愛い」の内容が自分と他者で同じかなんて二次的なことで、
他者がいなければ「可愛い」どころか「痛い」「眠い」ということ
すら存在しないよ。
735 :
考える名無しさん:04/08/10 22:43
>>733 可愛いとか崇高とか美とかは全体的な姿かたちに対する判断なんだよ。
部分がどうじゃらは二の次なんだよ。
>現象学の場合の弱点は独我論的な点です。
そうそう、だからポールは傲慢なんだよ。
737 :
考える名無しさん:04/08/10 22:44
732
詳細に書いてみて。
>>733 また、なんでも不完全性定理かよ。永遠に柄谷読んどけw
739 :
考える名無しさん:04/08/10 22:52
>>737 先日、新聞でサルの記事があった。人が食事をするのを見せると、サル自信がエサを食べる時と
同じ反応が脳に現れた。(計測法は失念)
つまり、他者をシミュレートする能力がサルにもあるということだ。
俺が言ってるのはこれだけで云ってるわけじゃないけどね。
740 :
考える名無しさん:04/08/10 22:56
例えば独我論は、1)世界は私にとっての世界である。
2)だから、他者の世界は、感情移入によって、あるかもしれない
と言う事は分かるが、それがどのようにあるかとは断定できん。
こう言う事だろう。
そう考える時最大の問題点は
「私」とはなにか?と言う事。
言語世界以前にポール現象学は、「私」があると考えている。
その「私」が言語以前に、共通項のない、存在としてある。
だから、この言語以前の「私」が、言語と言う共通項を
持っていない、だから、全ては私の世界と言う事になる。
パレやん頑張るね、でもその辺にしときなよ。
ポールなんて馬鹿、相手にする必要ないよ。
742 :
考える名無しさん:04/08/10 23:02
勿論「私」は存在しない。という立場はあるが・・・
私が統一性を持つのは他者や私の反省に対してであり、主体としての私は
なんら限定されない。
>>741 違うよ。パレのほうが知識もないのにやけに高圧的だからみんなに相手にされないんだよ。
744 :
考える名無しさん:04/08/10 23:07
パレはポールに自信がないが優位な気分で痛いだけだ。
パレやん=ポールだとすると、高圧であるのもわかるんだけどね。
みんな気付いてんだろ?俺言っていい?ポール粘着の正体
=pika9
>>745 パレ=ポールかどうかはわからんが、二人ともかなり愚かなのは確か。
お互いの主張がコインの表裏だということに気付いてない。
現象学VS構造主義なんていう古くさい偽の対立に汲々としてる暇があったら、
もっと本を読めといいたい。
ばれるってw
学コテへの激しい劣等感、それと裏返しのぴかぁ〜崇拝
かつてチンポに馬鹿にされたことによる太郎への恨み、転じて太郎を尊敬するポールへの粘着
コピペしか能がない煽り
文章能力なし
昔の太郎、ポールのレスをコピペ
極めつけは知恵遅れの知性w
おまえしかいないじゃんwついでにいえば「なんでも」もおまえだろw
>ばれるってw
うん。
>学コテへの激しい劣等感、それと裏返しのぴかぁ〜崇拝
正確に言うと、崇拝というより、友愛。
劣等感ではなく、単に本当に馬鹿だと思うだけ。
>かつてチンポに馬鹿にされたことによる太郎への恨み、転じて太郎を尊敬するポールへの粘着
>コピペしか能がない煽り
その点は君は同一人物でしょ?
今更何を言い訳する必要がある?
>文章能力なし
>昔の太郎、ポールのレスをコピペ
まあね。
>極めつけは知恵遅れの知性w
?
>おまえしかいないじゃんwついでにいえば「なんでも」もおまえだろw
何でもは君でしょ?
人に押し付けないで欲しいな。
なるほど
751は749へ
753 :
考える名無しさん:04/08/10 23:35
へたれ君か。
まあそういうことだよw
まあ、君もこれに懲りて少しは自演を止めることだね。
自演するなってw
>自演するなってw
まったく、そのとおり。
↓
ボールの脳内パーティション
・胡頽子
・パレルゴン
・女帝グェス
・へらへら
・竹田儲
・大先生
・たっくん
あ、ちなみに、ぴかぁ〜とは全く関係ありませんので、
ぴかぁ〜に責任追及するような真似だけは慎しむようにしなさい。
あげ
761 :
考える名無しさん:04/08/11 00:28
なんであげるんだ?
えっ?
わからん…。
気がついたらあげてた。
@内容に入らずに文献(書籍)名を言い合うにとどまってしまう。
(例): 32 考える名無しさん 03/12/09 02:05
>>29戸田山和久の本あたりが、そこら辺について語ってる。
A理由を言わずに専門用語だけで説明が終了、
または、説明できないのに用語の濫用。
(例): 20 考える名無しさん New! 04/04/01 12:23
>>18プラグマティズムかな
B引用の範囲を超えて、ただの丸写しのみを長々と載せる。
C意味のない主観的な判断と決め付け。
(例): 157 考える名無しさん 04/02/24 01:42
森毅はたいした数学者じゃないが・・・。
D無意味な勝敗論。
(例): 3 考える名無しさん 03/11/16 08:19
〜(中略)〜よって、ユングの勝ち!
Eどんな問題も、自分の得意な哲学者のみに偏執的に固執をする。
Fニーチェやデリダなど、前衛的なものだけ読んで主張する
(そこに至るまでの流れが抜けている)。
G哲学的史観にのみ固執し、他の学問的な視点に極端に乏しい。
H的確でない反論をすることで、論旨がズレてくる。
I関係のない難解な数学の問題などを載せて、勝手に優越に浸る。
764 :
考える名無しさん:04/08/11 01:18
>>763 ぴかぁ〜 ←一点に集約できない。たくさん書くのがいいと思ってるww
おつむてんてんw !!
>>749 > かつてチンポに馬鹿にされたことによる太郎への恨み
どこでバカにされてた?
あるいはpika9がカミングアウトしているスレ教えて。
事実と違う点を修正するとですね、
>ぴかぁ〜 ←一点に集約できない。たくさん書くのがいいと思ってるww
>
> おつむてんてんw !!
私がここまで、完成度の高いルールつくれる訳ないじゃん。
知識、思考力、礼儀、と三拍子揃ったグルさんが作成しました。
> かつてチンポに馬鹿にされたことによる太郎への恨み
まず、
>>749はポールで、チンポ太郎とポールは同一人物ですから、
「赤の他人のチンポ太郎という人が、pika9を馬鹿にしていたのを傍観した。」
じゃなくて、
「自分がチンポ太郎という自演コテを使って、pika9という人を馬鹿にした記憶が脳内にあります。」
って、告白でしょ。
767 :
考える名無しさん:04/08/11 21:36
ポールさんへの粘着と言うのは言いすぎだ。
俺は優秀な奴にしか質問しないので、ポール・ぴかぁ〜・しろうと諸氏
へ粘着したのであるよ。
ポールさんの真摯なレスに答えて、質問・意見を述べたのよ。
私も読む本があるので、今日は多くは語る時間がないが。
768 :
考える名無しさん:04/08/11 21:46
ポールさんは、真剣に哲学をしている。だから、真面目にやればやるだけ疑問が膨らむ。
これは、知識を集めて知ったかをする奴とは違う。だから、逆に揚げ足に弱くなる。
それで、引っ込んじゃうんじゃないだろうか?
それでも、彼の哲学に対する姿勢は、パレルゴン他の姿勢とは違う。
パレルゴンは、遊学的に哲学をする。遊びのように。
どちらが優れた姿勢かどうかは言えないが、たしかに、ポールさんの姿勢には
好感が持てる。
>>768 別に引っ込んでるわけじゃないでしょうw
単に毎日来てないだけ、誰かと違って。それに最近は忙しいって書いてるじゃん。
>>768 過大評価だよ。ポールもパレルゴンも無知なのは一緒。
ポールは無知なくせに書きたがりだから無駄に長文になり、一見真摯に見える。
パレルゴンは無知なくせに軽やかさを演出しようとするから、ヒステリックになる。
771 :
考える名無しさん:04/08/11 22:06
みんな騙されんなよ、
>>768はパレルゴンだぞーw
不完全性定理って知ってる?
知らないです。
,.-‐ """''''''- 、
/ \
/ ノりノレりノレノ\ i
i ノcニつ ⊂ニュ ミ |
ノ | <@ ミ @ヽ. | |
イ | (o_o. | |
ノ ! ノ u 丶. ! ヽ
彡 ! (●) / ミ
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, ミ /
彡、 `-=ニ=- ' /
/ __ `ニニ´ /
(___)────
>ポールさんは、真剣に哲学をしている。
な訳ないでしょ、パクリだよ。
おまえら何馴れ合ってんだ?
777 :
考える名無しさん:04/08/12 22:08
「無限の数の組み合わせは在るともないとも証明できない。」
つまり、「無限数を人間の理性では理解できないのだ。」
ここに無限遠点=神 は崩壊したんだな。(パレルゴン?)
778 :
考える名無しさん:04/08/12 22:13
数学の崩壊すら引き起こしかねない、重大な問題である。
一方物理学では不確定性理論がハイゼンベルクによって提言された。
これをもって、数学・物理学と言う絶対真理探査の手段が危機に面する。
そこの所を突いたのが、ポスト・構造主義である。
>>778 はぁ?数学・物理学は絶対真理の探査をしようなんてしてないぞ。
783 :
考える名無しさん:04/08/12 23:45
無限遠点ネタ、不完全性定理ネタ、不確定性理論ネタ…。
哲学やってる人間が味噌も糞もいっしょくたに馬鹿だと誤解される元凶となるネタですね。
ほんとにいい加減にしてほしいです。
半可通が偉そうなことを言うから他の学問から漬け込まれる。
785 :
考える名無しさん:04/08/13 00:03
「人は誰も哲学者である」
漱石
>>784 日本の思想系出版業界の責任も大きいよ。
いつの時代にも、通と半可通の差なんてないんだ、という書物は大衆に受ける
ものだが、最近は特にそれに乗っかって「売るだけ」の本が多い。
787 :
考える名無しさん:04/08/13 00:05
「つまりなんでも哲学である」
漱石
788 :
考える名無しさん:04/08/13 08:51
ショーウインドウに飾りたい位の典型的馬鹿の見本ですね
>>777-778 いくら自分たちがまいた種とは言え、さすがにポモにも同情したくなるw
789 :
考える名無しさん:04/08/14 00:06
「吾輩は哲学者である」
漱石 ^^;
790 :
考える名無しさん:04/08/14 00:13
|ω・`)
ポールさん、ブログは止めたの?
またまた。
793 :
考える名無しさん:04/08/14 23:26
分析の彼方へはいつ行くの?
794 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/14 23:57
>>713 >「事実」
「私」の存在を示す経験的な証拠がないから事実ではないですよ
ポールさんが「私」が根源的になるように「私」を立てるのはいいけど
その独我論的世界が事実だというのは違和感を感じます
>>714 >(私の)「思考」や「感情」「意志」
>といった心の働き(クオリア)こそ、
>「私」という語の根源的な「定義」
クオリアが「私」というのはどうかな
>世界は独我的に与えられています。
>この事実がある限り
>「私」という語の定義上、「論理的に」不可能
脳生理学の話もそうだったけど、
事実と定義が混同されてますね
何で?
796 :
考える名無しさん:04/08/15 00:16
事実というには何らか共同性、つまり他者の承認が必要だろうね。
また、普通一人で見たという話でも大体、信用することになってるが・・・
>>794 経験的に確証できないことなんていっぱいあるぞ
科学理論が全称命題について語ってると思ってるなら
経験的に確証されえないしw
で、そもそも経験って私がするもんだから、君の理屈は矛盾してるしw
よっこらしょ、っと。
じゃ、はじめるよ。質問どうぞ。
799 :
考える名無しさん:04/08/15 20:56
ぴかぁ〜〜〜
何歳なの??
年下だったら少し引くカモ
35歳です
801 :
考える名無しさん:04/08/15 21:04
Σ(゚Д゚) !!!!!!!!
大人!!!!Σ(゚Д゚)
まあ、実際は28前後と言われていますがね。
803 :
考える名無しさん:04/08/15 22:18
28!!Σ(゚Д゚)
結構年上で・:*:・(●´Д`●)ウトーリ・:*:・
ちなみにポールも逆算して、現在27〜9歳ぐらいですから、
同い年くらいでしょうな。
>50 名前: チンポ太郎 投稿日: 01/11/21 05:30
>チンポ太郎はどこかのスレで暴露したけど25歳のオッサンです。
>>803 ふっ、大人の魅力というやつさ…。
805 :
考える名無しさん:04/08/15 22:24
キキキは32歳・:*:・(●´Д`●)ウトーリ・:*:・
偽ぴかぁ〜はつまらんな。やっぱ本家には本家なりの異才があるのかね。
807 :
考える名無しさん:04/08/15 22:25
偽者キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ッ!!!!
810 :
考える名無しさん:04/08/15 22:28
(*`д´)b OK!
デカルトの『哲学原理』読んでます。
デカルトといえば『方法序説』が一般には有名ですが、そちらは
「哲学っぽいエッセイ」の印象が強く、「デカルトはこんなものか」
と勝手に思い込んでいました。しかし、『哲学原理』は凄いですね。
これを読んでいれば、チンポさんのいうことも、より理解できたことでしょうし、
シェリングがなぜ「完全なる神から不完全な存在者が生まれてくるのか?」と問う
理由もわかります。
哲学とは常に、先人との対話、乗り越えによって進んでいくものであり、
それゆえ、過去の哲学者との対話無しに哲学は存在しない、と今回改めて
感じた次第です。
それにしても、多くの刺激を与えてくれる書物です。
哲学書はやはり、文章が平易で、論旨が明快なのがいいですね。
>パレルゴンさん、しろうとさん
なかなか返答できずに申し訳ないです。
今日も駄目そうです・・。
813 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/16 22:51
>>812 議論のレスって整合性が必要だから時間掛かりますよね
読んで頂くだけでも結構ですよ
それにレスを書くのは相手だけではなくて
潜在的な対話者であるROMの人も含みますし
ROMの潜在性がチャットと違って掲示板の開放性だと思います
補足
>シェリングがなぜ「完全なる神から不完全な存在者が生まれてくるのか?」と問う
>理由もわかります。
>>811 ハイデガーは、シェリングらドイツ観念論を、カントによる体系化挫折を乗り越える試み
であると位置付けていましたが、『自由論』に関しては、デカルト理論の欠点を補ったもの
としても読めそうです。
>しろうとさん
>議論のレスって整合性が必要だから時間掛かりますよね
そうですね。
疲れていると、ついつい、考えることよりも、惰性で読書する
方を選んでしまいますね。そういう「対話しない」読書は
意味ないのですが・・。
>>813 しろうとって普段は名無しで潜んで書きこみしてて、
固定で書いたほうが都合のいいレスにだけ固定で書くの?
>普段は名無しで潜んで書きこみしてて、
>固定で書いたほうが都合のいいレスにだけ固定で書く
コテハンなんてそんなもの。
哲学は文化遺産にすぎないのかな?
>これを読んでいれば、チンポさんのいうことも、より理解できたことでしょうし、
もうそろそろ、いい加減にしましょう。
>パレルゴンさん、しろうとさん
もうそろそろ、いい加減にしましょう。
ぴかぁ〜ってなんか不細工そうだね。発言から察しがつく。
822 :
考える名無しさん:04/08/17 13:28
雑談スレばっかり立つね〜。哲学板でやらなくてもいいような雑談ばっかしてるけど
ぴかぁ〜はこういうスレばっかになるのが望みなんだねぇ・・・
823 :
パレルゴン:04/08/17 23:16
古典を詰めていくと、確かに現代の問題点が見えてくると言う
ポールさんの意見に同感です。
ポールさんの真摯な哲学への接し方は素晴らしいと思います。
私は、相変わらず、ポスト・構造主義を中心に読み進めています。
一段落したら、古典もゆっくりと読んで見たいと考えています。
カント〜シェリング・ヘーゲルの流れは、カントが範疇にと言う絶対的な
アプリオリの認識論的視点を定立させたと同時に、
実践理性では、人間の行為と言う自由との解釈の間に齟齬が生まれた点を
アウフベーベンした言う事ではないのでしょうかね?
私も専門ではありませんが、そのような気がします。
フィヒテは認識論的な私と実践的な私を統一したかった。
ヘーゲルは明確にその統一を弁証法として体系立てた。
そんな気がします。余り短絡的に結論付ける事は、余剰が消滅するので
賛成できないですが。こう言う気がします。
824 :
パレルゴン:04/08/17 23:22
哲学は読むことから始まりますが、私もポールさんも、しろうとさんも
読むことは出来ても、話す事が出来ない。そう言う環境にないのでしょうね。
だから、もっと気楽に話しませんか?討議ではなく、情報交換の様に。
例えば、デカルトをどの様に読めば、ポールさんの問題意識に繋がるのかとか。
口語で話みたいに・・・
今日はこれにて・
825 :
パレルゴン:04/08/17 23:24
多分、しろうとさんと私の視点は、私とポールさんの視点より近い気がします。
彼も、多分、ポスト構造主義的な展開に敏感ですね。
826 :
考える名無しさん:04/08/17 23:24
>>823 カント〜ヘーゲルの流れはそんなもんかもね。まぁ他にもありそうだけどね。
828 :
パレルゴン:04/08/17 23:30
色んな読み方があってもいいし、自分の問題意識(哲学の背景)から
読んで言い訳で、断定的な読みは出来ない。こう言う複眼的見方が
ポスト・構造主義だから、それはそれで良いと思う。
ただ、ヘーゲルは行動=実践と認識とを統一する超越論的自我を前提にしている
事で、自我の内部に自我と非自我の弁証法的空間を開いたのではないかと考えるわけよ。
そこで、カントの認識と行為の矛盾を乗り越えたと言う事だろうね。
>>828 だから、そういう知ったかがね・・・以下略
830 :
考える名無しさん:04/08/17 23:32
>>828 それはなんかフィヒテの説明っぽ。俺もよく知らんが。
ちなみにポスト構造主義って、誰を読んでいるの?
831 :
パレルゴン:04/08/17 23:35
827
そうかも知れん。
でも、これ以上落とした会話をしても哲学をする人間にとって意味ないね。
だから、このレヴェルで会話できるのは、上記の2人だと思うのよね。
悪いけど、ここは哲版であって、雑談ひろばじゃないのよ。
そう言う雑談がしたい人は、そう言うスレッドがあると思う。
833 :
パレルゴン:04/08/17 23:38
デリダ、ドゥルーズ、ソシュール、ラカン、クリステヴァ
レヴィーストロース、バルド、浅田、東、この中にはむしろ構造主義というべき
人もいるね。
それでは又明日ね。
834 :
パレルゴン:04/08/17 23:40
張り付けるのはやめて、自分の文章で書いてくださいね。
開くと大変なものが多いので私は開きませんね。
835 :
パレルゴン:04/08/17 23:41
それでは。
ポールさん、しろうとさん、元祖ぴかぁ〜さん
おやすみなさい。
さっさと寝ろよ。
837 :
考える名無しさん:04/08/17 23:44
パレルゴンは何しに来たんだ?Myドイツ観念論のご披露のためか?
違うでしょ、偽ぴかぁ〜には挨拶もせずに帰っていく、恩知らずですよ!
839 :
考える名無しさん:04/08/17 23:54
>>831 知ったか、を、博識、とわざと読み間違えてないかw
パレルゴンの本音 パレルゴン≧しろうと>(超えられない壁)>ポール
でも実際は(そして、しろうとの本音は)・・・
蝉寝る>(乗り越え困難な壁)>しろうと>(絶対に超えられない壁)>パレルゴン=ポール
そうなんでしょ?正直に言っちゃえよ、しろうとくん。
ぴかぁ〜さんは比較の対象にすら入ってないのが悲しいですね。
842 :
考える名無しさん:04/08/18 22:22
ぴかぁ〜さんはなぜ「ポスト・モダンを超えて行く」のスレッドを捨てたのでしょうか?
843 :
考える名無しさん:04/08/19 21:35
1)疲れた。
2)飽きた。
3)就職した。
4)旅に出た。
5)未熟さを知って、新たな分野を猛勉強している。
その内復活する予定。
さあどれでしょう?
844 :
考える名無しさん:04/08/19 21:36
6)オリンピックを見ているので、レスする時間がない。
調子が良くなってきた。
結局、お盆中の休みは無し。仕事だけなら、普段からoff無しは慣れてるけど、
まさかのチンポ太郎さん復帰のせいでそっちをがんばりすぎた。
『ブリタニカ』スレ以来のしんどさ。
かつて「肉体派(笑」で鳴らした僕は、どこに行ってしまったのか(笑
ところで、二年前の8/17に大森スレを立てた。
この日から真面目に取り組むようなったので、僕自身は哲学暦二年だと考えている。
哲学科の学生がこなしている量と質を思えば、「二年でこんなものか」と落胆する反面、
遅遅とした歩みながらも、仕事をこなしながら継続できていることには満足している。
哲学科に在籍している人たちもそうだろうが、独学で哲学を学んでいる者はなおさら、
勉強する意味を自らに問い続ける必要がある。モチベーションは独力で高めなければ
ならない。
「続けるのも自由。止めるのも自由」という独学者にとって最大の敵である「自由」と
常に闘い続けなければならない。
この機会に、僕にとっての「哲学」「学ぶ意味」をまとめてみた。
まず僕は、過去の哲学者についての正しい解釈や、新しい理論を考え出そうという気はない。
僕の考えを専門家に認めてもらおうという気もない。少なくとも、それを目的にやっているのではない。
それ以前に、僕の能力を考慮すればそれは不可能である。
では、なぜ哲学に取り組んでいるのか?
一つには純粋な知的好奇心であるが、それだけではない。
なぜ多くの知的対象がある中で哲学かといえば、度々述べているがやはり、
もはや馴染んでしまった世界との関係に新鮮さを取り戻したい、新たな視線で
世界と関わっていたいという思いがあるためだ。
いわば、倦怠期の夫婦が、新婚当初の新鮮な関係を取り戻したがるようなもの。
僕は生きることに慣れてしまった。
僕にとって哲学とは、幼児のように世界に対する驚きを取り戻す手段だと考えている。
ベビーカーに乗せられて、その小さな空間の中の手すりから身を乗り出し、「目を丸くして」
周囲を眺めている幼児を見るにつけ、彼らにとって世界とはどのようなものなのだろうかと
いつも不思議に思っている。
確かアインシュタインだったと思うが、「常識とは18歳までに身に付いた偏見のことである」
という言葉がある。名言だと思う。
その「偏見」のうちでも、僕は、世間の常識や習慣、ものの考え方といった、いわば文化的な
偏見ではなく、より根源的な、「世界がある」「僕がいる」ということに関する「偏見」ついて
考えてみたいと思っている。それは哲学の仕事だと思っている。
「世界と私」の関係を根源的に考察してみたい。
それを僕なりにいえば、「幼児への回帰」となる。
僕の哲学観は大森荘蔵さんの影響下にあるわけだが、これは大森さんの哲学に
共感したというわけではない。そうではなく、僕──つまり大多数の一般の人たち──
とはまったく異なった見方で世界と対峙している彼の世界の見方に、前述した「世界への慣れ」
を突破する糸口を見出しているからだ。
彼の世界の見方を共有することにより、この慣れきった世界と僕との惰性関係を、
出会った当初の新鮮な関係に戻すことができるかもしれないと期待しているからだ。
だから僕は、彼の哲学理論を読むより、いわば彼の「哲学的名言集」といった彼の何気ない
一言の方が圧倒的におもしろいし、影響を受けている。
「なぜ私は私の葬式をみることができないのでしょうか?」
「生命保険を入る意味がわかりません」
「なぜ国が、私たち職業哲学者に給料を払っているのか不思議です」
「哲学とは病気です。他にできることがあれば哲学などやらない方がいい」
この意味深な哲学的名言を軽軽しく解釈することは避けなければならないが、
僕の哲学観、哲学者観は彼のこれらの言葉によって作られた。
最終的な僕の目標は、哲学書、哲学者に頼らずとも、世界を相手に自力で哲学すること。
これは、「哲学書を読まない」とか、「哲学者と対話する必要がない」という意味では
決してない。その真意は、哲学書の中に哲学的問いを見つけるのではなく、
僕の眼前に開かれているこの世界の中に問いを見つけ、自力でその問いを展開する
ということ。
もちろんその過程での哲学者との対話は、以前と変わらぬ重要性をもつだろう。
永井さんは「哲学は勉強し始める前に自力で始めなければならない」という。
僕もその意見に賛同するが、それは「哲学的才能のある人は」という条件付きで。
哲学的才能のある人、つまり、哲学的問いを初めから持っている人も少ないだろうし、
それにもまして、その問いを自力で高度に問い進めていくことはほとんどの人は
不可能だろう。
とすれば、その大多数の(僕を含めた)普通の人は、過去の哲学者の中に、自分が
わずかでも共感できる問いを見つけ、それを自らの経験の中に置き換えて、彼らの助けを
借りながら、思索を進めていかねばならない。
今の僕はこの段階だと思っている。
僕にとって哲学者との対話は、彼らに哲学的思考の基礎を鍛えてもらうためだと
思っている。彼らの思考を追体験することにより、僕とは異なった新たな思考法を
身に付ける手段だと思っている。
この過程はいわば、デッサン力をつけるために、モチーフそっくりに描く訓練をするのと
同じだろう。目的はデッサン力をつける(哲学する)ことだが、それを達成するためには
「予備校デッサン」(哲学書を正確に読む)という過程が必要であるように。
だから、僕が今まで関心を持った哲学をして、「ポールは(たとえば)現象学だ」と
いわれるのは心外。それ以上に、本物の専門家に対して失礼だし、僕が言ってない
にしても恥ずかしい。
手段と目的を混同するのはよくない。
そしていずれ、自らの問いを育て、展開していく能力を養い、一人立ちしなければならない。
一人立ちするとは、前述した、世界を相手に哲学すること。
「自分一人の経験に照らして」、「自分で問題を問い直し」、「それを暮らしの言葉で表現する」
>>5 たとえ、現在それが実行できていずとも、僕が理想とし、目標とする哲学はこれである。
大演説はブログでね?。
古典についての僕の考え。
端的に言えば、歴史の審判に耐えてきたものこそ本物だと考えている。
それは、歴史を持たない現代の思想が駄目だというのではない。次世紀にはポストモダンが
歴史に耐えてきた古典となるかもしれない。ただ、時間が無限にあるならまだしも、
限られた時間で、かつ、僕のような初心者は、「本物」から、──少なくとも「最低限」──
読むべきだと考えている。(入り口は、どこから入っても別に構わないと思う)
哲学より少々事情に明るい建築でいってみる。
僕が関心を持ち、実際に関わっているのはもちろん現代の建築。
といって、時系列的に前に位置することを理由に、日本の伝統建築が乗り越えられたと
主張する人はいない。
(もちろん部分的には──例えば防寒対策といった機能──進歩しているが、その建築を
歴史に残す根拠である「本質」が乗り越えられることはないだろう)
最先端の建築でも、表面上は伝統とまったく関係ないところで発想されているように見えながら、
多くの場合建築家にとって、意識的、無意識的に伝統との格闘、対話がなされている。
安藤忠雄などその典型。
アバンギャルドの代名詞である岡本太郎が、新たな視点で再発見された伝統の影響により
彼の作品が変化したのもけっして矛盾ではない。
現代思想の思想家で、先人との対決抜きで、彼らの思想を築いた者がいるのだろうか?
彼らの表面上の「批判」だけを馬鹿正直に受け取り、「彼らが批判しているのだから、読む必要はない」
と考える理由が僕にはわからない。
この理屈が成り立つなら、デリダもドゥルーズも過去の哲学書など一冊も読んでいないだろう。
・・・終わった、か?
俺は正直言ってポールのこの手のレスは好き。ふざけてないのがわかるし(これ大事)なにより共感できる部分が多い。だからなんか書いてあれば読みたいと思う。
だけどそれ以上に読みたいのがポールの議論。デカルトについて述べた
>>811の最終行はポール自身にも当てはまるものだと思う。
しかし、それが少ないなあ、おい!スレタイに沿ったレスがいくつある?「分析の彼方へ」って完全に名前負けじゃん!前の現象学スレに比べてもあきらかに内容が薄くなってるぞ。
まあ、一人でやれるもんじゃないからしょうがないかもしれないけど。
仕事が落ち着いてからでいいからガンバレよ!これもまた自演乙!とかいわれるんだろうけど気にすんなよ!
それよりスレタイにコテハン名入れていることについてはどう思っているのよ?
まさかガイドライン違反だと知らないわけではあるまい。
ああ、終わってなかったw
大風呂敷拡げた挙句出て来たのは結局は「竹田」じゃん。
ちゃんちゃん。
862 :
考える名無しさん:04/08/19 23:01
863 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/19 23:06
>>846 自由だから主体的でありえる訳ですね
>>847 日常の常識から哲学の常識に移行する危険はあります
>>848 ポールさんの「世界と私」論は確かに根源的ですが
あっと驚くような論点が見てみたいですね
それは日常のアスペクトが一変するような事です
ちなみに自分を棚に上げてる訳ではないです、驚くのは難しい事です
>>849 >哲学とは病気
確かに哲学が(死に至る)病だとしても
それは言語を使う人間の宿命です
すべての者が神経症者(と分裂病者)ですから
人間そのものが病気なんですよ
864 :
考える名無しさん:04/08/19 23:07
哲学は死に至る病なんのすか
しろうととパレルゴン、どちらも若気の至りでポモ厨という名の薬物中毒になってる
のは同じだが、しろうとのほうがだいぶ危険な気がするな。
パレはシンナー吸って暴れてるだけだが、しろうとは頭がいい分、もっと上質な
ドラッグを選んできちんと摂取している(笑)。正気に戻ったとき、パレは少し歯が
抜けるだけだが、しろうとには凄まじいコールド・ターキーが待っているような・・・
と感じてるのは俺だけ?
失礼なこと書いてごめんね、しろうとくん。半分は褒め言葉だから許せ。
867 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/19 23:18
>>850-853 デッサンは秀逸な比喩ですね
よく知らないですけど、建築の人もデッサンを描くんでしょう
力学的な事や美術的な事とか色々な面があるのが魅力です
>>855 >>857 ポストモダニズムは歴史的です
伝統−合理という軸と保守-前衛という軸は別で
デリダなどは伝統的かつ前衛的なんです
脱構築は記憶の再構成(夢)ですから
>>856 専門的な事は分からないですが興味深いですね
>>858 あ、どうも。
「前口上」が長くて、議論が少ないのが僕の欠点です(笑
もう少し議論に時間を費やしたいと思います。
「分析の彼方へ」ですが、分析哲学を中心に学ぶのがこのスレのコンセプトですが、
チンポさんの登場で予定が狂ってしまった。また戻ります。
>しろうとさん
どうも。前口上ばかりで肝心のしろうとさんの指摘に答えずすみません。
明日、明後日には
>>794への回答と共に、僕の独我論(とは本人は思ってないのですが)
についてもう一度説明してみたいと思います。
>ポールさんの「世界と私」論は確かに根源的ですが
>あっと驚くような論点が見てみたいですね
そうなんですよ。
新たな論点を提出するのは難しいですね。
どうしても誰かの二番煎じになってしまう(笑
忘れていた。
>このスレッド、みんな用語の使い方が曖昧だな。
>ポールもポールへの粘着も一度、言葉の定義し直してみたらどうだ。
>>730 その通りです。ご指摘ありがとうございます。
そもそも「私」とは何を指すのかわからずに、私について語ることなどできませんからね。
指摘された点を気をつけて進めていきたいと思います。
730さんの指摘が直接の原因ではないですが、岩波の『哲学・思想事典』買いました。
安くで買った平凡社のより、どうみても質が高いと思えるので。
>>867 >ポストモダニズムは歴史的です 伝統−合理という軸と保守-前衛という軸は別で
ここまではよい。
>デリダなどは伝統的かつ前衛的なんです 脱構築は記憶の再構成(夢)ですから
しかしここは完全にラリってる。意味がわからない。それとも勢いにまかせた
確信犯的レトリックかな?
>彼(ら)の表面上の「批判」だけを馬鹿正直に受け取り、
>「彼(ら)が批判しているのだから、読む必要はない」
>と考える理由が僕にはわからない。
ソーカル厨も肝に命じるべきだね。
>結局、お盆中の休みは無し。
嘘は程々にしましょう。
>しろうとは頭がいい分、もっと上質な
>ドラッグを選んできちんと摂取している(笑)。
な訳ないでしょう。
むしろ、働けないよ・・・今のままじゃ。
しろうとのレスは90%正しくて文章も正確だけど、いつも10%だけ
最悪のマイ哲が入ってるのは何故?
東厨だからでしょ、結局は。
てゆうか、ポールもしろうとも、
まともなバイトすらしたことない、夜郎自大っぽさを感じる。
877 :
考える名無しさん:04/08/19 23:53
>>875 しろうとはただの東厨じゃないよ。かなり頭いいと思う。
頭の使い方に問題を感じるけどね。
彼のレスを読んでると、まるで「現代思想」編集会議を聞かされてるような気分になる。
>>877 そうかなぁ、「なんでもアスペクト論」に終始してるような気がするけどね。
>「現代思想」編集会議を聞かされてるような気分
ムチャクチャ頭悪そうな比喩ですね。
しろうとはずーーーーーっと自分の中で蝉寝るだけを相手にし続けてるんだよ。
その部分はしろうとはとても誠実だ。
現在のレベルの低い哲板しか知らない君達にはわからないだろうけどね。
蝉寝るを、斉藤環だって本気で思ってるとしたら、相当なもんだよね。
色々な意味で。
883 :
考える名無しさん:04/08/20 00:14
884 :
考える名無しさん:04/08/20 00:18
色々な意味でおまいらは頭悪いよ
斉藤環の戦闘美少女の分析とか、正直言ってはずれまくってると思うんだけど、
そのへんどうなの?
途端に低次元になったな
889 :
考える名無しさん:04/08/20 00:39
斉藤タマキンとか
まともな香具師はもう誰も相手にしね
ちゅーの
共有コテなんで判りづらいけど、ここにいるぴかぁ〜さんは、チンポのスレを荒らし続ける
ゴミ虫さんと同一人物ですか?
自分の方が「本物」「本質」「根源」に近いとひとりよがりに確信を強めていくことは、
「世界への驚き」という感性を放棄することにつながりかねない。
ある特定の論理に束縛されることこそが「生きることの慣れ」に埋没することなのだから。
>>892 ド下手なアマチュアバンドの叫びですか?
>ド下手なアマチュアバンドの叫び
ムチャクチャ頭悪そうな比喩ですね。
895 :
考える名無しさん:04/08/20 01:53
タウマゼインは哲学の発端だというねえ
>>892 そういうのはもっと頭のいい奴が言うセリフだっつーの。
哲板のやつはカッコつけたがりばっかだな。
>>896 ちっとは気の利いたコメントできねえもんかな。
内容に突っ込めよタワケ。
だから名無しはポール牧なんてコメディアンめいたコテハンに舐められるんだよ。
>>897 >>892の文章のどこに「内容」があるんだよ。ああいうのはなあ、トーシロ向けの
入門書のあとがきに適当にくっ付ける定型句みたいなもんなんだよ、ボケ。
俺は竹田とは全く逆のことを言ってるわけだが。
>トーシロ向けの入門書のあとがきに適当にくっ付ける定型句みたいなもん
しかし、こいつ本当に比喩が好きだな。
みんな的外れだけど。
語彙がないもんで稚拙な比喩しか思い付かない。
軟弱な入門書ばかり読んでいるとこうなる。
当たらぬよう障らぬよう...だな。
まだるっこしいな。
眠くなってきた。
お前のせいだ。
904 :
パレルゴン:04/08/21 07:30
過去を参照せずに現代はありえないと言うポールさんの意見に賛成ですよ。
私は一度もそう言うことを言ってはいません。
ただ過去にのみこだわり、過去からしか、過去の物差しでしか、現在を見ない
のは問題だと言ったのです。古典をそのまま読むことは時代の表現に逆らう事
です。だから、今の状況から、過去を参照する事。こう言う事をハイデガー
やヴェンヤミンやプルーストが叫んでいるのです。
今=現前 に再帰的な過去の参照から複数の逃走線を引く事、ドゥルーズがプルーストに求めたもの
はそう言うことなのです。古典は今に繋がってセリーを引くのですよ。
905 :
パレルゴン:04/08/21 07:35
ポールさんご指摘のとおり、過去の哲学者を学ばずに、
一流の哲学者になった人はいませんね。
沢山の参照と時代の共通認識=エピステーメーを共有する事によって
時代は開かれた。しかし、今は、歴史が分解しているので、
認識論的布置がどうなのかと言えるかどうか疑問ですね。
いずれにしても、上述のポールさんの意見には全面的に賛成です。
>パレルゴンさん
>ただ過去にのみこだわり、過去からしか、過去の物差しでしか、現在を見ない
>のは問題だと言ったのです。古典をそのまま読むことは時代の表現に逆らう事
>です。
>>904 僕が主張するのは、古典を「そのまま読む」のではなく、「対話、対決をする」
ということです。この板に多いのですが、「古典を読む」というと、「自分では考えず、
『聖典』の知識を恭しく頂戴するだけ」と考える単純な人がいます。
おそらくその人は、普段から、読書とは著者と対話・対決することではなく、
ただ漫画のごとき何も考えず受け入れるのが読書だと思っているのでしょう。
僕が批判するのは、現代思想を読むことではなく、パレルゴンさんがどこかのスレで
述べていたように、現在の思想が過去の思想を批判したことを理由に、その批判された
思想を直接読まず、解説書で済ませば充分という態度です。
デリダがハイデガーを批判したならば、「彼が批判したからハイデガーは必要ない」
と考えるのではなく、「本当にデリダの批判は正しいのだろうか?」と疑い、実際に
自らの目でハイデガーのテキストに当たることこそ、真のデリダ読みであると僕は考えます。
そもそも、パレルゴンさんとは、根本的に哲学に対する考え方が異なっているように思われます。
そして、人それぞれ個性があるように、学び方も違うので、それはそれで良いと思います。
が、僕が同意できないのは次の二点です。
1. パレルゴンさんは学派に囚われすぎている。そしてその分類を人に当てはめる。
2. 哲学に進歩史観を持ち込んでいる。
1について。
これからもパレルゴンさんとは議論したいのではっきり言っておきますが、
僕を現象学だとかシェリングだとかの枠組みに押し込めるのは止めてください。
パレルゴンさんが僕と議論したいことは、ある学派(たとえば現象学)についてですか?
それとも僕の考えについてですか?
そこをはっきりしてもらいたいと思います。そして、もし、前者であるならば、
現象学ならチンポ太郎さんが、カント等の古典哲学ならGillesさんがいます。
(Gillesさんはドゥルーズも原典で読んでるはずです)
高度なレベルでの議論をしたいならば、僕のような素人に構わず、彼らのもとへ行くべきです。
僕が学派で括られることを嫌がる理由は以下の通りです。
現象学について間違った批判をされると、どうしてもそれに対して反論せねばならず、
その結果、僕がこの板の現象学の代弁者という立場になってしまいます。
しかし、僕にはその能力はまったくなく、本物の専門家から「何を偉そうに」と反感をかわれ、
相手にされなくなるのを恐れているのです。(そして僕も、それほど恥知らずではありません)
それが困るのです。
ですから、僕を現象学徒として見ることをせず、僕のレスそのものについて反論してください。
僕がここで述べていることは現象学の解説ではまったくありません。
後に述べるとおり、大森荘蔵の問題意識を僕なりに考えているだけです。
2について。
これに関しては、それだけで膨大な議論となるでしょうが、結論だけ言えば、僕は、
哲学に進歩史観を持ち込むのは間違いだと思います。
もちろん、過去の哲学の多くは現在の観点から見れば間違っています。
しかし、哲学の根っこに近づけば近づくほど、進歩史観は当てはまらないでしょう。
心身問題に解決はあるのでしょうか? 他我問題に解決はあるのでしょうか?
そしてその根本的な問題に気付いた感性のある哲学者は遥か昔の人なのです。
哲学的感性は、科学的世界観に犯された現代人よりも、プラトンの時代の方が
より鋭かったと思われます。
現代の我々にとって必要なことは、彼らの「驚き」が発生した現場に立ち戻って、
新たに、その驚きと共に世界を見ることではないでしょうか?
必要なのは、整合性のある「解答」ではなく、生きた「問い」なのです。
解答は、その生きた問いから「自ら」生み出すのです。
また、「多読」を売り物にするパレルゴンさんに対して一言。
僕とチンポさんを同一人物視することや、僕の述べていることを現象学だと思っていること
を考慮すれば、パレルゴンさんは現象学についての知識がほとんど無いのでしょうが、
(少なくとも、フッサールをじかに読まず、解説書で済ませている)、一度、フッサールを
直に読んでみてはいかがでしょうか?
ぴかぁ〜さんもそうですが、(邦訳含む)原書を読まず解説書や入門書で済ます人ほど
頭ごなしに相手を批判します。解説書に書いてある批判の受け売りでなく、あなたが批判する
フッサールを「直に」批判することがどれだけ大変なことかわかりますか?
原書を読んでそれがわかっている人は簡単にはそれができないはずです。
(批判するなというのではありません)
チンポさんは、「入門書や解説書で終わるのではなく原書を読め」といいます。
東大スレの1さんは、「入門書など読むな」と言ってました。
解説書で手軽に理解して「哲学(古典)はこんなものか」で終わるよりのではなく、
原書に当たって玉砕し、「哲学は難しい。これは腰を据えてやらないと」と挫折する方が、
長い目で見れば遥かにその人のためになると思います。
解説書で済ます人は知識は豊富ですが、深く物事を掘り下げることができません。
パレルゴンさんのレスを見るたびに、「この人は、(ポスト構造主義でさえ)原書を熟読せず、
解説書で済ませているのではないか」という気がしてなりません。僕の勘違いなら謝ります。
古典論争(?)での僕のレスで今回で終わりにします。
一応言っておくと、僕が普段主張していることのベースは、現象学でもハイデガーでもシェリング
でもありません。何度も述べている通り、大森荘蔵です。(しろうとさんはわかっているはず)
大森さんの『流れとよどみ』を立ち読みしてはいかがでしょうか。
時間も無いでしょうから、(何でもいいのですが)「はじめに」と、15章「心の中」辺りなら、
計10ページほどで、驚くほどの日常文体で語られてますから、読むのに5分とかからないでしょう。
僕が問題としていることがわかるはずです。
ここには僕が理想とする哲学とその語り方があります。
この著書の「はじめに」から抜書きしておきます。
「私の目指したのは、世界と意識、世界と私、という基本的構図を取り壊すことである。
その構図は古くから哲学を呪縛してきただけではなく、われわれの日常生活の隅々
にまで浸透している。そしてその日常の知識を発祥の地とする科学もまた、その構図の
中で成長してきたものであり、したがって現代の科学者はそれをほとんど自明のこととして
この構図の中で思考し、実験し、生きているのである。
それにも関わらず、この構図、世界と意識とをまず剥がしてそしてダブらせるというこの構図は、
錯覚であり、誤解であると私には思われる」
ついでに、以前チンポさんからもらい、僕が感銘を受けたレスをコピペしておきます。
僕はチンポさんのこの意見に全面的に賛同します。
410 名前:チンポ太郎 :02/09/27 09:54
今回は極度に物腰の柔らかい人達が参加しておりますね。
まあ、私は対立よりも調和を尊重しますのでそれはいいことなのかも知れない。
心身問題については私もいろいろと考えております。我々は常に「物と心」と
いう図式から出発して、それを批判するという事を繰り返す訳です。
どうしてこんな二元論が何千年もまかり通っているのか、私も不思議です。
それから勿論、我々は一挙にこの心身の図式を放擲して、人間存在の規定に
乗り出す事ができるのではありません。少なくとも自分はそう思う。
心身二元論がどうしてここまで根強いのか、この根強さの起源を説明する
必要があります。これは二元論の内部に侵入し、二元論を内部から解体する
作業です。大森先生はこのような解体作業をなされていたのであって、
決して心身二元論に呑まれていたのではないと思う。その位、偉大な人です。
我々は受け継がれた伝統を無視して物を語る事はできません。
従って、私が「心身という概念を用いずに」という時、私は伝統的心身二元論を
頭から無視しろと言っているのではないのです。「心身」という図式の根源に
まで遡行し、それが何に根づいているかを明らかにし、その心身二元論の「限界」を
理解するという事を言っているのです。
限界を理解した時に、心身問題の真の意味が明らかになると思います。
それはそもそも何故このような問題設定がなされたのか、という問いの起源に
遡る作業です。そして、この起源において初めて、「別の問い」、つまり、
心身二元論的ではない、全く新たな問いが可能となるのです。
私はそういう歴史的な解体作業を通じてのみ、新しく物事を始める事が
できると信じております。
最後に。
>俺が指摘するように
>彼の自説は自我が所与として存在し疑わない所が未熟である。(他スレ70)
僕は、自我を出発点に世界を説明するのではなく、
世界を出発点に「(そこに現れる)自我(私)とは何だろうか?」
を考察しています。
「自我」ではなく、「世界」の存在こそ所与として疑っていないのです。
コップが見えているとき、
「コップは幻かもしれないが、それを見ている「私」は確実に存在する」
と考えるのではなく、
「見えているコップこそ(たとえ見間違いだろうが)その存在を疑えない。
(そのコップから分離された)それを見ている「私」こそ疑うべきである」
と僕は考えます。
いわば、この世界をスクリーンに映る映像だとすれば、そのスクリーンを鑑賞している「私」
は存在するのだろうか?ということです。
そして僕は、この映像の映ったスクリーン(私に与えられた世界)そのものが「私」ではないかと
考えているのです。
この問題を考える為に、(僕やパレルゴンさんが批判している)デカルトを読んでいます。
それにしても、デカルトは凄いですよ。
時間も無く、推敲もおろそかに一気に書き上げました。
失礼な言い方もあると思います。すみません。
パレルゴンさんレベルの論客で僕の相手をしてくれる人は
僕にとって貴重な人材です。これからもよろしくお願いします。
追加
>チンポさんは、「入門書や解説書で終わるのではなく原書を読め」といいます。
>東大スレの1さんは、「入門書など読むな」と言ってました。
分析の大物コテ、稲さんも「解説書など読むな、直接当たれ」と言ってました。
917 :
パレルゴン:04/08/21 20:22
長い文章に感謝です。
先ず誤解を解きたいと思います。
1)ポールさんを論破したいと思って反論したのではありません。
私の進める哲学から、矛盾点、問題点を述べたまでです。
2)解説書・入門書に対する蔑視については、学問のやり方の違い
でしょうね。どちらが良い悪いと言う断言はどうかと思います。
哲学に上下をつける事になります。「俺は原書を読んでいるから上だ。」
と言う意味になりますからね。
解説書にも色んな本があります。例えば、「現代思想の冒険者達シリーズ」
はかなり高度な解説書です。これを入門書とはいえないと思います。
918 :
パレルゴン:04/08/21 20:30
逆にこの様に反論も出来ます。
つまり、全ての哲学書は解説書である。
なぜならば、それは、貴方も言っているように、独自で確立した
哲学はないと言う事です。全ての哲学者は他の哲学者の理論の
解釈です。ですから、解説書は劣るとはいえないと言う事です。
また、私が原書を読んでいないという断定に対してですが、
以前にも申しあげましたが、原本を全和訳本であるならば
デカルト、フーコー、デリダ、ドゥルーズ、フロイト、マルクス
等読みました。ただ、私の場合は、どれを読んだからどうだと言う
哲学の姿勢はとっていません。どのように理解したか、理解できたか
が哲学を進める上での姿勢です。
919 :
パレルゴン:04/08/21 20:35
貴方が、私のレスに対して不快を感じているのならば、レスは止めましょう。
私は大森さんについて全く知りませんし、興味もありません。
ただ、大森さんが解説者でないと言う保証はあるのでしょうか。
哲学が西洋を土壌として生まれたものであるならば、日本人の哲学は
全て解釈・解説とも言えるのではないでしょうか?
自分で考えるから、解説ではないと言う反論が聞こえてきそうですね。それはそれで解釈の違いとして
了解します。
920 :
パレルゴン:04/08/21 20:48
最後に誤解を解きたいと思います。
「1. パレルゴンさんは学派に囚われすぎている。そしてその分類を人に当てはめる。
2. 哲学に進歩史観を持ち込んでいる。」
上記の文章についてですが、1については学派による理解を進めている事を認めます。
なぜか、哲学の論理は時代と共に変わるからです。今の言葉で言えば、パラダイム
=エピステーメーに左右されているとでも言いましょうか。だから、思考パターン
に敏感になる必要があるからです。構造主義以降はこう言うアプローチの仕方
が重要になります。だから、学派別の解釈を明確にする事が僕の哲学のスタイル
にはありますね。認めます。
2.については全く逆です。進歩論を否定したのが構造主義以降のフランス哲学です。
哲学が言語でなされるとするならば、それで作られた概念とは恣意的差異
により成り立っていると考えています。詳細については、ここでは省きます。
921 :
考える名無しさん:04/08/21 20:51
>>920 現象学は古いから駄目なのではなかった。
922 :
パレルゴン:04/08/21 20:57
再確認ですが、私は、ポールさんを誹謗した事はないと考えています。
誤解があったのならば、私の至らなさによるものでしょう。
私は貴方の文章から感じる私の意見を述べたまでです。
それ以上の事は何も考えていません。むしろ、貴方のように一歩一歩
哲学を進める姿勢はりっぱだと思っています。
私は、貴方が思っているよりも、多分真面目であり、真摯に哲学に向かっています。
その所が、こう言うレスには表れてこないのでしょうね。
私も、貴方と同様真実を知りたかったと言う事から、哲学を始めました。
923 :
パレルゴン:04/08/21 21:06
921
揚げ足をとるよりも、自分の意見をきちっと書いてね。
いま、忙しいので中傷は避けましょうね。
もっとも、ここは、ポールさんのスレッドですから。
ポールさんへ922の続き。
勉強の仕方の違いはありますが、哲学に対する姿勢は大きく異なってはいない
気もします。ただ、だからと言って、ポールさん推薦の本には興味は
ありません。大森さんの哲学は知りませんが、ポールさんの説明から推察
すると、フランス哲学の読み直しの気もしますね。
多くの日本の哲学者は西洋哲学の影響を受けているのも事実ですからね。
以上はなはだ簡単ですが、返事させていただきました。
健闘を祈ります。
多くの無知な煽動がなければもっとスムーズに行けたかも知れませんね。
924 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/21 21:36
>>913 >「コップは幻かもしれないが、それを見ている「私」は確実に存在する」
>と考えるのではなく、
>「見えているコップこそ(たとえ見間違いだろうが)その存在を疑えない。
>(そのコップから分離された)それを見ている「私」こそ疑うべきである」
デカルトのコギトの逆ですね、簡潔にして明晰です
世界から出発するところはかなり自分と近いですね
自分の場合は世界を私と同一視しないところですね
私も他者も世界の相貌、アスペクトにおいて現れます
目の前にあるコップの意味というのも私と他者で変わってきます
例えば私にはただの日用品に見えるが相手にとっては思い出の品とか…
これが「意味の発信源としての他者」ですね
925 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/21 21:43
新しい「意味の発信源」がオリジナルなもの、リアルなものです
灰皿を裏返すと裏が見えるとかその程度でもいいし
円周率πが超越数で無限に数を生み出し続けるという事でもいいです
自分が先取りできない情報がある(と想定される)対象を
他者とか無限とか言ってる訳でそれは私の世界に空いた穴です
他者や無限は私の世界に収まりきらない
926 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/21 21:57
空想大食い大会で「そういうお前を喰った」という和尚のような
ポールさんの無敗論法「それも<私>の世界の〜」の件ですが
まず以前指摘したようにこれは形而上学的な主張です
独我論者も振る舞いにおいて他と変わらないんだから
しかも他者を抹消しているため他者に証明できない
もう少し丁寧に考えると<私>の存在は経験によらないんですね
世界がどう変化してもその総体である私は存在する訳だから
トートロジーが現実の像でないようなものですね
927 :
しろうと ◆AUSirOutoE :04/08/21 22:05
しかし経験世界がすなわち私ならば
動物や昆虫でも「私」がある事にならないでしょうか
自分は動物には「私」はない気がします
「私」には自由とか意図とか
色々な問題が関係していて
もう少し複雑ではないかと思う訳です
自分の主張は単純です
動物には言語がないからアスペクトもない
だから自由も意図もないのです
>もっとも、ここは、ポールさんのスレッドですから。
?
スレタイにコテハン名が入っているからかw
2ちゃんのスレッドの所有権がコテハンにあるわけないだろ。
思い上がるのもいい加減にしろよな。
>>917 >解説書にも色んな本があります。例えば、「現代思想の冒険者達シリーズ」
>はかなり高度な解説書です。これを入門書とはいえないと思います。
これはどうかな。特にしろうとやポールはこういう意見に最も反対なんじゃないの?
ああいう俗っぽさ丸出しの解説書へのアンチとして2ch哲板もあるんだと思うし。
930 :
THE グル :04/08/22 13:47
>>913 いいですか、
おっしゃっておられることが無茶苦茶ですね。
といいますのも、
>「見えているコップこそ(たとえ見間違いだろうが)その存在を疑えない。
>(そのコップから分離された)それを見ている「私」こそ疑うべきである」と僕は考えます。
とありますが、
それを見ている「私」こそ疑うべきであるとされることによって、
「私」があることは自明になっているんでして、
それは疑い得ないわけであります。
しかしながら、
そのコップは、
それが無いと仮定したり、
自身について言及できませんから、
コギトのないコップ自体がその存在を証明できませんし、
物体そのものであるコップはまた、
自然の光をもたないものとして存在し、
精神とは依存関係にないんです。
ですから、
精神の本性であるコギトが起こらないため、
その存在を幻と仮定してしまったら、
それで懐疑は終了なんです。
これが定説です。
どうかしましたか?
931 :
考える名無しさん:04/08/22 15:18
横レスだが、俺も「私」は疑い得ないとおもうなぁ
932 :
考える名無しさん:04/08/22 15:28
世界は瞬間ごとに、そのように「私」に「現れる」のであるから
「私」は世界が現れるための条件である。
933 :
考える名無しさん:04/08/22 17:10
スクリーンが映像をそこに映し出す条件であっても、映像の原因とは言えない。
>パレルゴンさん
>再確認ですが、私は、ポールさんを誹謗した事はないと考えています。
>>922 わかっています。悪気は無かったことは。
僕はここ哲板において、議論するかどうかを決める決め手は、
相手の知識の有無ではなく、議論における誠実さを持っているかどうかです。
どれだけ知識を持っていようが、有意義な議論のできそうに無い相手
(たとえばすぐ煽るとか)は、貴重な時間を取られるのが目に見えてるので、
完全無視の方針をとっています。
そしてもちろん、パレルゴンさんは議論できる相手です。
現象学批判は全然構わないんです。ただ、僕がカチンときたのは、
僕を現象学の枠組みに押し込めることもさることながら、
ポスト構造主義が現象学より後に発生した思想で、それが現象学を
批判しているという理由から、「現象学はやっても意味が無い」「古い」
「解説書で充分」「現象学の知識は吸収した」(
>>86等)というその不誠実な発言です。
なぜ、最低限の直接当たる努力をした上で、これらの発言をしないのか?
その努力をする気が無いなら、あれこそ言うべきではありません。
僕から見れば、多読を売り物とするなら、現代思想だけでなく、現象学、
言語哲学、プラトンから連なる数々の古典は当然のこと、自然科学、社会科学も
押さえて初めて多読といえるはずなのに、現代の一部の思想の視点から、
「やるだけ無駄」と切り捨てるその態度は、知的誠実さを持った人の発言とは
到底思えなかったからです。
これが、前述の「議論するだけ無駄な相手」ならいつも通り無視して終わり
だったのですが、それが誠実な議論ができる人だと思っていたパレルゴンさん
だったので感情的になってしまいました。
僕は現代思想に無知であり、パレルゴンさんの指摘の意味がわからない
箇所が多々あります。それについて、詳細な説明を願おうと思っています。
よろしくお願いします。
>しろうとさん
>ポールさんの無敗論法「それも<私>の世界の〜」の件ですが
無敗論法・・。いい表現です。
これがある限り、「独我論最強!」です。
無敗論法とはいわば、これを出したら即勝負が決まってしまう「ジョーカー」
みたいなものですが、それでは議論にならないので、使わないようにします。
>自分が先取りできない情報がある(と想定される)対象を
>他者とか無限とか言ってる訳でそれは私の世界に空いた穴です
>他者や無限は私の世界に収まりきらない
>>925 ああ、「私の世界に空いた穴」とはそういう意味ですか。なるほど。
確かに、「僕の世界」が広がっていく原因として、そういった「穴」から
流入してくる何かがありますね。
僕は独我論者ではありませんが、「世界は独我的に成り立っている」
つまり、「他者にも、私と同様に世界が存在していることは証明できない」
ということは疑っていません。
しろうとさんはこの僕の「常識」を打ち壊してくれそうで、楽しみです。
>しかし経験世界がすなわち私ならば
>動物や昆虫でも「私」がある事にならないでしょうか
>自分は動物には「私」はない気がします
>>927 この考えには、「私も、他者や動物、昆虫といった他の存在者と同じあり方をしている」
という客観主義的前提があると思います。
「昆虫には意識は無いかもしれない。しかしそれはある条件(身体的条件)が
昆虫に備わっていないからであって、条件さえそろえば、昆虫にも意識は生まれる。
なぜなら、昆虫も私も、同様の原理で成り立っているからだ」という信念です。
もちろん僕も、僕は他の存在者と同様、その他大勢の中の一存在者にすぎないとは
思っています。しかし、その考えでは、この僕の特異なあり方を見逃すことになります。
だから僕は、哲学を考えるうえで、安易に客観主義的前提を受け入れたくないのです。
世界を観察した時に何が不思議かといえば、
「なぜ世界は、僕の身体を中心に現われるのか?」
ということがつあります。
これを客観主義は、「身体(物質)が心を産み出すから、世界は身体を中心に現われるのだ」
とします。しかし、かりに物質が心を産み出すとしても、いつも決まった物質(僕の身体)を
中心に世界が現われる必要はないし、世界の中心が飛び飛びに移動していってもいいわけです。
そもそも、世界が現われる原因である物質(僕の身体)さえも世界に現われる一事物に過ぎません。
たまたま、(僕の)世界と深く関連があるゆえ、それが(僕の)世界の原因であろうと推定しているだけです。
僕が哲学に関わる前は、(僕の)身体と他の事物との境界ははっきりしていました。
しかし、哲学を学び始めることによってその境界があやふやになってきました。
「果たして、(僕の)身体だけが僕であるといえるのか?」と。
僕とは、僕の身体を含む世界全体をも包む概念ではないか?
僕の身体以外の事物(=世界)から分離された僕など存在するのだろうか?
「僕 → 世界」という図式から、世界を取り去った純粋な「僕」など存在するのだろうか?
それは、面積をもたない幾何学的「点」と同様に、思考的には存在するが、
実際には存在が矛盾する概念ではないだろうか?
僕自身、問いを明確化させることがいまだできていませんので、うまくいえませんが、
世界を見渡した時の、この奇妙さを「飛び越える」ような安定した理論を安易にいきたくない
と考えています。
すみません、またダラダラ書いてしまって。しかも時間切れです・・。
適当に飛ばし読みしてください。
残りは後日・・。
942 :
考える名無しさん:04/08/22 19:29
さすがに揚げ足取りではすまん罠>古いのだ。現象・現象で何があるのだ発言
別に指摘されたことを恥と思わず、ステップアップすればいい話。
943 :
考える名無しさん:04/08/22 21:36
>>940 自分と言うのは皮膚境界を越えて世界大に拡大する概念というのは
元々は誰が言ったか知りませんが、広松渉先生も言ってますね
ちなみに、ちゃんと考えた場合、自分もそう思います
944 :
考える名無しさん:04/08/22 22:58
ある記号に対応させる内容の任意性を論理的可能性の枠ととるなら
当然「自分」という概念の枠が世界大に拡大すると見ることはできるわな。
そういう話をしてるんじゃないって?
いやいや、そういう話だよ。
945 :
考える名無しさん:04/08/22 23:16
我々は、瞬間瞬間に現れる世界を、言わば、積分して「世界像」を構築している。
そして、この「世界像」は時間的にも空間的にも厚みや広がりを持ったものなのだ。
更にまた、それを、「世界」と見なしたりもしているのだ。
ポスト構造主義批判は全然構わないんです。ただ、僕がカチンときたのは、
僕をポスト構造主義の枠組みに押し込めることもさることながら、
現象学がポスト構造主義より先に発生した思想で、それがポスト構造主義を
批判しうるという理由から、「ポスト構造主義はやっても意味が無い」「新しい」
「解説書で充分」「初心者は『本物』を読むべきだ」というその不誠実な発言です。
なぜ、最低限の直接当たる努力をした上で、これらの発言をしないのか?
その努力をする気が無いなら、あれこれ言うべきではありません。
>>947 単純に不当だとは思わないか?
自分の態度を棚に上げて他人を批判するのって。
949 :
考える名無しさん:04/08/22 23:53
パレは実際読んでないし読む気もない
ポールは読み込んでないが知る気はある
「態度」って点で棚上げしてると思えんが
950 :
考える名無しさん:04/08/22 23:58
>>939 世界は、まず、感覚、知覚的に捉えられるからでしょう。眼も耳も体に付いているのだし。
>>949 「気はある」?
赤の他人のお前がそんなこと云々したからって何なんだ?
つまらん。
952 :
考える名無しさん:04/08/23 01:05
>>939 私は歩く。私は食べる。私は話す。・・これらは皆、体の動作ですね。
953 :
考える名無しさん:04/08/23 01:41
954 :
考える名無しさん:04/08/23 03:14
>>949 話に説得力があるかどうかでしょ
で、「私」が世界大に拡張するのは説得力を持つ
それがなぜかを分析するのが哲学 あんたのは屁理屈w
× 949
○ 944
失礼
949 名前: 考える名無しさん 投稿日: 04/08/22 23:53
パレは実際読んでないし読む気もない
ポールは読み込んでないが知る気はある
486 名前: 女帝グェス ◆1dMlI2wLRM [sage] 投稿日: 04/07/07 17:30
ちょっと前まで他人の意見をパクってばかりいたし、実際、独創性もあん
まり無いけど「考えようとしてる」ところは見えるからね。
157 名前: チンポ太郎 ◆zh1F2ePgb2 投稿日: 04/08/20 07:27
本音を言わせてもらうが、もう君達にはこっちが飽きているんですよ。
大体、君達の反応はいつもワンパターンで面白くないし、こっちだって
楽しもうと思って書き込んでいるのに、それに見合った煽りもしてくれないし、
なんか、喧嘩のレベルが低いんだよ。
多分、これは諸君の頭脳に比例しているんだろうけど、人を罵倒するのにも ←
それなりの知力が必要だということを忘れないでおきたまえ。
99 名前: ポール 投稿日: 04/06/13 02:59
がんばってるようだから一言だけ言っておく。
僕の哲板暦も2年近くになり、チンポ太郎さんやKuriharaさんらを
知ってるので、君の煽りは正直つまらない。
もう少し、頭を使って煽った方がいい。
「真の煽りは頭が良くないと出来ない」とは僕の持論だけど、 ←
このままじゃあ、君は頭が良くない方に分類されるよ。
じゃあ、おやすみ。
958 :
考える名無しさん:04/08/24 07:59
959 :
考える名無しさん:04/08/24 17:46
つい最近、大森の『知の構築とその呪縛』を読み始めた哲学初心者です。
ハイデガーの存在論を追いかけている途中でこの本に出会いました。
この本の基本的なモチーフは、ハイデガーの思想と重なると思うのですが、
大森は自分の思想とハイデガーとの関係について、何か述べているので
しょうか?それとも「人様の言うことは関係ない」と一蹴されてしまう
のでしょうか?
上はポールの自演に見せかけた、粘着アンチ。
肝心なネタ元があっても知らんフリするのは上等手段ですな。