>>220 >わたしは、運営者に「〜してくれー」みたいな結論になってしまうような問題のあずけ方は
>哲学徒として恥ずかしいことなのだと思っています。
哲学徒としてどうこう、という理屈はこの種の問題に関わりないと思います。
例えば、「クラシック音楽のファンとしてクラ板は〜であるべき」なんて議論にはならないでしょう。
哲学徒であれば規制から自由であるべきだとか、それがプライドなんだ、などの発言は
一種の「驕り」であり、かつ哲学板の退廃という現実から逃避することではないでしょうか?
どのように掲示板に携るべきか、これ以上醜い掲示板になるのを防ぐにはどうするべきか、
それを実践の問題として議論すべきです。