ローカルルールsage進行で
<「心理学」化する哲学 その2>
ドゥルーズ=ガタリはポストモダン以降の社会像として、欲望を中心に据えます。
欲望がどんどん自由に連結していくはてに、
「自由」があり、近代的資本主義を越えられる。
これはある種の楽観主義ととられますが、
先に示しているインターネットやグローバル経済はまさにそのような感じです。
ひとつひとつは無秩序なのに全体として秩序をもつ。
またわたしは2ちゃんねるについても同じように考えているといいました。
ドゥルーズ自体は自分をマルクス主義者といったことがあるらしく、
欲望は革命的であるとか、欲望が資本主義を越えていくとか、表現しますが、
私自身は情報化により好奇心(解体欲)が加速され、
資本主義経済のダイナミズムを加速すると考えています。
ボードリヤールはボストモダン以降の社会を消費社会としてとらえました。
そしてモノそのものの消費でなく、記号としての意味(シニフィアン)を消費している。
これは一種の神話作用ととらえます。
すなわちリアリティからはなれ、まがいもの世界になり(超越性)、すべてが消費されていく。
そして自分がみえなくなり、死だけが消費されず、排除される、
という悲観主義的に語らります。
このような構造を私は情報化の中で加速する好奇心で考えます。
私たちは情報化により好奇心が肥大している。
「自我を理解できないと不安である」というのは、とても当たり前のようですが、
そもそも自我は理解可能なのか?
なら現代以前の人間はもっと不安だったのか?
すなわち自我を解体したいという好奇心が肥大している。
世界には理解できないことが山ほどあるという現実と折り合いをつけにくくなっているということです。
そしてこのような満たされない解体欲がシミュラークルを生み出す。
すなわち小さな物語をつくり、あたかも解体しえたように振る舞おうとするということです。
そして小さな物語が大量に生産される中でひとつの大きな物語へと自律的に成長していく。
これが消費社会ではボードリヤールがいうところの記号としての意味であり、超越性に相当する。
たとえば女子高生の例にもどると、大衆は女子高生に興味をもつ。
好奇心により詳しく知りたいと思う。しかし中身を知ることができない。
だから女子高生に対する妄想をいだく。
大衆の妄想から「女子高生」という記号ができ、神話化する。
ということです
ボートリヤーリはこれを神話化と呼びましたが、実はこれは神話ではない。
神話化とはかつて主体と客体が分離し、主体側に生まれる幻想です。
たとえば主体として大衆が「この世界はなぜあるのか」と思う。
そこに神話が生まれます。
しかし消費社会構造では、客体であるはずの女子高生自身も「女子高生」という
記号から「女子高生」になろうと主体化する。さらに「女子高生」つくろうとします。
主体客体の関係を越えて記号がダイナミックに成長しつづけるからです。
好奇心が性的なものであった場合、本当に女子高生とSEXできたとしても満たされません。
リアリティーを感じない。
なぜならば彼がもとめているのは記号としての「女子高生」だからです
二次元アニメにはまるオタク系などは、
さらに記号化が進んでいるともいえませんね。
このダイナミズムはドゥールーズ=ガタリのしめした欲望が連結し
リゾーム化する構造に似ていますが、わたしの場合はシステム論を考えていますから
さらに秩序的で記号として現れます。
このように考えていくと、彼等が考えた自由とはなにかがのこります。
これは「生」の問題が重要になってくると思います。
しかし哲学全般にいえることですが、理性主義を根底にしている。
下等動物とは違う人間とはなにか?これが大前提です。
だから生命、生理はタブー視される。
たとえばニーチェはこのような理性主義を否定し、
「肉体は一つの偉大な理性である。」と言います。
しかしニーチェ思想は根底に進化論があると言われますが、
生存競争や人間が頂点であるというかつての間違った進化論解釈を、
思想化し、力を差別主義的にとらえてしまう。
結果的に超理性主義化してしまう。
しかしポストモダン以降の思想はフロイト以降の心理学も影響しながら
確実に「心理学」化していると思います。
8 :
ちくびぎゅーん:04/01/29 21:56
話の腰骨を折るようなことになったら申し訳ないですが、
現代と過去の対比によって自己理解の欺瞞(または不必要性)を
訴えているようですが、過去はそれこそぴかぁさんが何度も引き合いに出す
デカルトが、自己はほかの何ものを疑おうともはっきりと存在すると
考えたように、(自己は)はっきりと存在していると考えられてきたように思います。
だから現代以前の人間には自己の問題にあまりつまづかないですんだのだと思います。
それと自己の問題に行き着くのは社会がかつての社会とはかけ離れたものに
変容しつつあるというハニカム論の前提があったように思いますが。
9 :
ちくびぎゅーん:04/01/29 22:14
二人だけでやるなという批判があったことですし
帰ります。
哲学は理性主義を根底にしています。
人間は下等動物とは違う。では人間性とはなにか?これが大前提です。
しかしポストモダン以降の思想は、このような理性主義を批判する方向に向かっています。
フロイト以降の心理学も影響しながら、確実に「心理学」化していると思います。
しかしここには苦痛が伴っているように見えます。
すなわち「所詮、人間も下等な動物なのさ。」というニヒリズムに陥ってしまう。
たとえばニーチェはこのような理性主義を否定し、「肉体は一つの偉大な理性である。」と言います。
しかしニーチェ思想は根底に進化論があると言われますが、生存競争や人間が頂点である
というかつての間違った進化論解釈を、思想化し、力を差別主義的にとらえてしまう。
すなわちニヒリズムを否定するために、結果的に超理性主義的に向かってしまう。
これを避けるためには、動物であるところの「生(生命、生理)」を尊重することだと思います。
現代思想にしろ、ハニカムハーツにしろ、そこに未来があると思います。
11 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/29 22:16
今数学板で
☆キキ+キ゚Д゚♪が
哲板代表として
戦っている
また厨房が増えるってわけだな
記号組織化構造(sign-organization)
>>1に示すような好奇心が好奇心を呼び、自己組織化する記号が発生する構造を、
記号組織化(sign-organization)と呼ぶこととする。
ボードリヤールがもはや消費されないものは「死」しかないと言ったように、
現代社会では、このような自己組織化する記号が溢れている。
自己組織化する記号とは虚像である。
そして虚像は成長しつづけそれを追いかける好奇心は肥大しつづけ、依存症を産む。
再び女子高生の例では、「女子高生」という記号が自己組織化する。
そしてダイナミックに成長していく。
これはどこかにいる女子高生ではなく、記号としての「女子高生」である。
すなわち虚像である。
これは「アイドル」でも、「ロリータ」でも、「ブランド」でも、「エヴァンゲリオン」でも、
「友達」でも、「家族」でも、「自分自身」でさえも同じである。そして私は「死」も
記号化されていると思っている。
もはや好奇心により消費されないものはないのである。
東氏の「動物化するポストモダン」で、オタク系を説明したデーターベース化を
この構造で説明すると、記号組織化する記号が細分化されたと
とらえることができる。
すなわちシミュラークルの混沌は、「記号」として自己組織化していくわけであるが、
このような「記号」がいくつか乱立するということである。
自己組織化構造とは、基本として階層構造をもつ。
例えば、細胞が集まって、いくつかの臓器を産み、臓器があつまって人が形成される。
人があつまって、社会ができる。というような階層構造である。
この場合には、細胞がシミュラークルで、臓器がデーターベース内のカテゴライズされた
項目である。
多様化された領域では、記号化は一つに収束せず、いくつかの記号が並列して
組織化するということである。
たとえば「恋愛」依存では、「恋愛」という記号を消費している。
「恋愛」はTVなどのメディアを含めて、記号組織化している。
彼/彼女達は、本来に意味での愛し合うという恋愛そのものではなく、
「恋愛」という記号を消費している。そして消費することにより好奇心を満たすという、
これは自己満足的な行為である。
「援助交際」についても、本来の売春ではなく、「女子高生」であり、「援助交際」という記号を
消費しているのである。
これらの記号組織化社会で、心はどのようになるのか。ハニカム化するのである。
17 :
考える名無しさん:04/01/30 00:20
なんだか、「表層」とか「戯れ」とか「乱反射する」とかの話を聞いて
いるような気分。
記号組織化社会においては、その中心にあるのが好奇心(解体欲)である。
そしてこの好奇心が虚構の価値観の中で肥大している。
このような旺盛な好奇心は、社交性に向かうように思うかも知れませんが、
記号組織化社会における好奇心過剰はそのようには簡単ではありません。
社会は社会性という自制心を要求します。
特に社会システム自体はまだまだ近代的な規律で構成されているために、
自分の興味のあることに過剰な心は、このような規律への適応において
困難を強いるのではないでしょうか。
よくわかりません
21 :
考える名無しさん:04/01/30 01:45
印象組織化構造 image-organization
記号でなくイメージにします
心は言語でなどできていない
イメージでできている
なぜなら記憶は言語でなくイメージで保存されている
たとえば私はいま自宅にいるわけだか
とてもくつろいでいる
これは私がこの部屋のイメージの中にいるからだ
いつもと変わらない空間
しかし言語論派はほらいまおまえは、この「部屋のイメージ」と言語化したじゃないかだから
だから認識できたのだというだろう
これは間違いである
これはコミュニケーションするときに言語化されたのである
わたしの認識内ではこの部屋のイメージは言語化されず
23 :
考える名無しさん:04/01/30 02:01
引きこもりキター!!
認識している
わたしが私内で認識するときには言語は必要ない
たしかに言語とイメージの結び付きは強い
いわば言語は漠然としたイメージを囲い規定する力があるし
言語により学習する我々は先に言語という入れ物を渡されそれにイメージを入れることが多い
しかしそれでも言語化されない認識は溢れている
これは有意識と無意識に明確な協会がないことが強く影響している
26 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:10
ぴかぁ〜
もう逃げなくて良いんだよ、
君は充分やったさ、
もうゆっくりオヤスミ、、、
言語化とは強い有意識的行為である
だから言語化されない認識は弱い有意識で起こりやすいのである
たとえば街を歩いていてかわいい子が歩いてくる
そのときにあなたの中にその体験のイメージができる
つぎにまた違うかわいい子が歩いてきて違うイメージを持つ
あなたはこのイメージの違いを言語化などできない
しかし違うイメージであることは認識している
話がそれているようだか
消費されるものはなにかということである
それはイメージである
ソシュールさん、さようなら
30 :
考える名無しさん:04/01/30 02:23
イメージだと意味が広すぎて曖昧にならない?
俺は「記号」の方がニュアンスがわかりやすかったけどな。
まぁ ぴかぁ〜の言葉はぴかぁ〜が選ぶことだけど
31 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:25
ぴかぁ〜
もう逃げなくて良いんだよ、
君は充分やったさ、
もうゆっくりオヤスミ、、、
32 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:25
ぴかぁ〜
もう逃げなくて良いんだよ、
君は充分やったさ、
もうゆっくりオヤスミ、、、
記号がいやなんです
これは言語学からきていますから
しかし問題発生です
では自己組織化は大衆のコミュニケーションで生まれる
ならその媒体は?
イメージでコミュニケートできるのか!?
あした考えます…
34 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:33
ぴかぁ〜
もう逃げなくて良いんだよ、
君は充分やったさ、
もうゆっくりオヤスミ、、、
35 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:34
ぴかぁ〜
もう逃げなくて良いんだよ、
君は充分やったさ、
もうゆっくりオヤスミ、、、
36 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:35
ぴかぁ〜
もう逃げなくて良いんだよ、
君は充分やったさ、
もうゆっくりオヤスミ、、、
キキキ vs ぴかあ 2ちゃん引き篭もり王決定戦!!
38 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:36
39 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:38
キキキは何時になったらアク禁になるの?
41 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:40
キキキ vs ぴかあ 2ちゃん引き篭もり王決定戦!!
42 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:41
キキキ vs ぴかあ 2ちゃん引き篭もり王決定戦!!
↑引き篭もりってとこ直せ
43 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:41
キキキ vs ぴかあ 2ちゃん引き篭もり王決定戦!!
↑引き篭もりってとこ直せ
やっぱりぴかあと自分は同じ匂いがする? >キキ
キキキ vs ぴかあ 2ちゃんヒキコモリ王決定戦!!
46 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:44
キキキって、スレ立てまくって自分のサイトを宣伝しまくってた昔のぴかあとそっくりなんだよね。やることが。
キキキってまだ十代だろ?あまり深入りするとぴかあおじさんみたいになっちゃうよ!!
49 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 02:45
47に加えて、二人とも勉強嫌いで、でも人から知的だと思われたくて、、、そっくりじゃん!?
今のところマナーを覚えた分ぴかあが一歩リードかな?
心象組織化論(image-organization)?
記号組織化論(sign-organization)?
53 :
「バカとあほ」さん:04/01/30 03:04
ばほー
54 :
考える名無しさん:04/01/30 03:07
「記号化されたイメージ」みたいのはどう?
イメージを具体的に何かに使おうとしたときに記号化して使うって意味で。
そんでもっとも強く記号化されたイメージのひとつが言語
意味がいいんですが
記号化されたイメージ組織化
だと長いです…
56 :
考える名無しさん:04/01/30 03:13
たしかにな(笑
ぴかぁ〜は結構オシャレさんだな
57 :
「バカとあほ」さん:04/01/30 03:14
ばほっ
58 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 03:24
僕は、心配ご無用( ̄ー☆キラリーン
言霊ですから
やはり記号組織化でいきます
記号組織化構造とは、簡単には大衆の好奇心を飲み込みながら記号が成長することである
このような例はブランドイメージが典型である
バックそのものでなくプラダのブランドイメージを消費する
しかし現代ではこのような記号組織化はさらにメンタルに、さらに加速的に大衆の好奇心を飲み込み成長している
たとえば、恋愛、夢、かっこよさ、そして自分
ブランドは特定される作り手がいる商品に対する記号であるために、自律的な成長に対して、作り手の抑止が働くのに対して
これらはもともとが概念であるために
だれも抑止が聞かない
このために成長は人の好奇心を飲み込み加速度的に自己成長する
人々はこの構造のなかにいるために
価値観の形成を意味する
すなわちこのような構造の中で心を産出していかなければならない
このために人はある種の中毒、分裂症に陥る
さらにそれを加速させるのがにちゃんねるを含めたネットだと思う
ネットは無限に好奇心を吸い取る記号組織化機構をもっており
記号という収束もむずかしい
物理的制約を超越した電脳空間では人の好奇心を越えた広がりがあるために
記号として収束させるのさえむずかしい
電脳空間が海面とすれば、成長する記号は一つ一つの波頭のようなものだ
海面を波立たせようと好奇心という力による手で掻き回し
周りに小さな波は立つが、海面全体の波で掻き消される
いや手で掻き回すという表現はよくない
われわれは情報の海一部だからである
私はブランドに興味がないと思っている
有名ブランドのものはほとんどもっていないし、ほしいと思わない
ただブランドに固執するときがある
それは彼女にプレゼントを送るときだ
これが結構嬉しい
女の子はブランドものが好きだから彼女が喜ぶからということもあるが
どうもそれだけではない
考えてみると有名ブランドを渡す自分に喜びを感じている
私の中にクリスマスなりにブランド品を渡すことのかっこよさのような記号がテレビから作られていたようでが
それを実践することにより自己満足しているようだ
記号はこのように無意識のうちにかず多くしのびこんでいる
しのびこんでいるというか心の一部を、いや多くかもしれないが、つくっている
71 :
考える名無しさん:04/01/30 13:12
知る前の喜びと 知った後の喜び
72 :
考える名無しさん:04/01/30 13:15
知らずに楽しむ人 知ってて楽しむ人
73 :
考える名無しさん:04/01/30 13:15
さらに 知らないフリして楽しむ人
74 :
考える名無しさん:04/01/30 13:17
アメリカ型の 積極的にに盛り上げていく楽しみ方を
日本人は学び始めています
75 :
考える名無しさん:04/01/30 13:18
格闘技の隆盛なんか そうですね
個人が全体の一部でない自由な現代人において、相互理解しようとする行為を抜かせば、
近代の構造をもつ社会に干渉するためには記号化が必要だとおもいます。
自身が記号に近づくことによって、全体としてあることが出来るからです。
しかし、日常の中でも立場というものは色々とあります。
女子高生が「女子高生」という記号でいられるのは、例外を抜かせば学校にいる間(制服を着ている間?)だけです。
だから、常に社会に所属するためには自身を示す記号を場合によって変える必要が出てきます。
こうして一人の人間の中に様々な自分が出来るのではないでしょうか?
心の中にはこのようなかっこよさの記号の集まりではないがろうか
これらのほとんどが無意識にできている
そしてこのようにように自己分析してみると有意識できたりする
しかしこの記号は言語化できない
というか、「すべての記号は言語化などできない!」
しかし私はいま言語、それもテキストでかたっている
さきほどのブランド品の話に共鳴できる人は結構いるのではないのか
ではテキストがこのような記号を伝えたのだろうか
否、共鳴した人、それはすでにあなたの心の中にあったのですね
わたしのテキストはそれを有意識化さ
せるよう矢を放ったのだけなのです
あなたの中に記号というまとがあることを期待して
実はこれは言語の本質をついていると思います
すなわちあなたの心はたくさんの記号がつまっている
言語とはそれをあなたの無意識からだすときの名札のようなものなのです
そして無意識からだすとはどういうことかというと
コミュニケーションです
すなわち相手があるから言語がある
相手とは目の前の人かもしれないし
本のように見えない不特定多数の人かも知れないし、あなた自身かもしれない
言語は心と心をつなぐコミュニケーションツールなのです
だから言語化されなくても認識はできます
ただ自己内証的にも強く!意識するときには心の一部を言語できりてり名札をつけ
明確化することが行われる特に論理的に思考するときなどです
当然これは他者に伝えるときもです
強い意識が必要になりますから
これが「言語化されないと認識できない」という迷信につなかったのです
特に哲学は論理性が求められますから、
しかしこれは間違いです
はじめに記号ありき、です
といったものの実はこう簡単ではない
なぜなら最初に言葉という箱がつくられ、あとから記号をつめていくことが多いからです
教育はおうおうにそういうものです
たとえば、イヌの存在をあなたが知らなかったとして
世の中にイヌというものがいるんだと教えられる
まず言語という空き箱が与えられ、
実際にイヌを見に行く。
これがイヌかあと、箱に記号を詰めていく
知識の習得はこのように行われます
記号だけで実体が無いんだ!
助けて!ぴかぁ!!
おげぇぇぇぇ
早く!早く!!・・・・・・ごぼごぼぼぼ
・・・・・・
といわれてもたった数文字ではあなたの心は見えない
とうとう ぴかぁ〜哲学は 誰一人助けられなかった
よって不要! 治安維持のため、追放することにする
見えない心に矢は放つのは難しい
しかしあなたが現代日本人ニチャネェラー厨房ということでなんとか想像して矢を放ちましょう
うまく当たるといいのですが…
「オマエモカー」
当たりました?
ぴかぁ〜は自分の論議の抽象性を棚に上げ
人の言葉を理解しようとしない
言葉数だけがぴかぁ〜の正義である
そのうえ誰にとっても利益をもたらさない
よって追放する
当たったようですね
当たりました
おめでとうございます
前後賞です
追放処分は保留となりました
これからも人の気持ちを理解できる
善いぴかぁ〜を目指して勉学に励んでください
なお このテープは
自動的に消滅する
・・・・・・
矢というよりキャッチボールですかね
暴投もそちらの処理の仕方で変わります
言語の空き箱は近代まではむやみに変えていいものではなかった。
しかし、現代人は個人として独立している。資本主義とはそういうものだ。
だから、言語の空き箱も自分で変えることができなければならない。
しかし、「女子高生」などの記号は個人が作るものではなく、大衆によるものです。
「女子高生」という記号に近づきつつ、私は私だ!といいはる女子高生は矛盾している。
単に彼女達は干渉されたくないのだ。友人と話しているとき、彼女達は「友達」という記号に重なろうとしている。
そこには、親の存在などない。
なかなかいところついていますね
女子高生は「女子高生」になろうとしています
その記号が心の多くをしめてしまっている
だから画一的で自分を見失うことが起こりやすい
サイババアが「女子高生」になろうとしているのは
どうでしょうか?
ここだけの秘密ですが
言語の空き箱群の構造はかつての社会的秩序でできています
言語は思想です
ぴかぁ〜さんは夏目漱石の「私の個人主義」を読んだ事ありますか?
ないです
ぴかぁ〜さんの哲学用語なんかは2chで勉強されたものですか?
102 :
天才的電波:04/01/30 15:05
>>100 「私の個人主義」は漱石が時代の転換期において、自己本位の個人主義へ変容することを模索した過去とかを語ったものです。
短いですし、もし手が届くようでしたら呼んでみてください。
103 :
考える名無しさん:04/01/30 15:06
講演だっけ
わたしも漱石氏はすきでいくつか読みました
英国留学でノイローゼになって帰ってきたんですよね
個人主義批判はその影響もあるのでしょうかね
今言った内容をまとめると
言語学にそって言語を二つに分ける
言語表現(シエフィアン)と記号内容(シエフィエ)
以後これを言語と記号とする
106 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 16:18
人は生まれたときに心はまっ白ではない
生得的な生理に近い情報をもっている
ユング的には元型というのかもしれないが
私的には精神的なものよりもより生理(体内の機能)と結び付いて心はできていると考えている
たとえば手をばたつかせようとする、ものを見ようとするなども心の一部である
胎内で音楽を聴くらしいしな
成長しながら情報を入手していく
これらを記号内容と言語表現にわける
記号内容とは五感からえられ情報を漠然とイメージしたものである
言語表現とは言語そのものである
これらはミックスされながら心をつくる
110 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 16:29
111 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 16:30
胎内で日本語を聞いてそだつと日本語の習得が早い
だから胎内には話し掛けた方がよいです
113 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 16:32
114 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 16:34
115 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 16:39
116 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 16:40
しかし言語と記号の働きは異なる
記号はイメージであり心の無意識に作られ
言語は意識的に習得する
イメージ的には心全体は記号を含めたイメージでできているが
言語は心のあちこちにラベルをはるようなかんじである
たとえば思考することは強い意識力が必要とされるために言語のラベルが引っ張られ記号の塊がついてくるその言語を組合せ思考する
しかしゆるい意識で考えるときは言語でなく記号そのものが組合わさりあらたな記号をつくる
118 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 16:48
しかし人が体験し記号化するものは限られているために
強制的に心の空白に言語のラベルが張られ、そこに記号が作られていく
概略的には記号は心の一部であり、言語は心の整理役である
120 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 16:51
方言は勝手にその土地で暮らしてるうちに
勝手に身に付く事もありますよ
記号は心の一部、言語は心の交通整理人
記号は無意識に貯められ
言語は意識という力の道具である
123 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 17:01
ん〜…失敗…
いまのは無しです…
無意識に方言がうつることって
なーいの?
126 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 17:02
127 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 17:04
128 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 17:07
129 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 17:07
>>124 ぴかぁ〜にも筆の誤り
人間らしくて、いいじゃないの
あるでしょうね
繰り返し聞く場合など
そうですね
子供の言語習得は無意識に近いですね
132 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 17:09
ぴかぁ〜がコピペ荒らしって事知らない人多いな。
心内部は根本問題と言われ難しいです
たまにはキキキの相手もしてやれよ
まさか ききき=ぴかぁ
136 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 17:13
137 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 17:13
138 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 17:17
>>134 無理です
私は人に依存してしか自立できない弱いタイプの人が苦手なんです
すごく落ち込んだ気分になる
練り直します…
ぴかチャン♪ ぴかチャンチャン♪
ご飯食べたら、また遊ぼうねん
143 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 17:22
哲板最強のカリスマ・☆キキ+キ゚Д゚♪が満を持して再登場!
物事に表面上の美しさを求めるな、
深く掘り下げれば真実が見えてくる、、、
そんな☆キキ+キ゚Д゚♪の哲学HPはココ↓ (キキキの即興ピアノ演奏あり!)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/8862/ 僕の哲学は、学問ではない。
人間が生きていく中、背負うべき道徳なのだ。(HPより抜粋)
孤独を越え、闇から光を見出した☆キキ+キ゚Д゚♪だからこそ言える!
もう何も迷う事は無い、、、
☆キキ+キ゚Д゚♪に触れ、明日への一歩を踏み出すのだ!
144 :
考える名無しさん:04/01/30 17:26
言語は実体のない記号を”寄せ集める”ことで、
とりあえずの実体を得たものだと思うよ
だから一つの単語にもいろいろな記号が含まれてる
145 :
考える名無しさん:04/01/30 17:27
>>144の寄せ集めることでってのは
記号が言語のなることで、構成する記号そのものの質は
たいして変わらないって意味で
私のイメージは寄せ集める感じではないんですね
記号群の複雑なネットワークについたひもラベルみたいなイメージです
言語をひっぱると網の一部が持ち上がるみたいな
たとえば赤って言語を引っ張ると赤い色のイメージが持ち上がるが
それに蛸足みたいにいろんなイメージがついてきる
ある映画で見た血を見たときの感じとか
148 :
考える名無しさん:04/01/30 17:55
>>147 なるほど。たしかにそうだ。
でもやっぱり、ひもラベルのイメージでもつながってる一つ一つは記号のままで
つながり全体が言語であって、言語と記号を並列の別のものとして考えるのは無理じゃない?
たしかに…
記号表記と記号意味…
そもそも表記とはなんだろう
それは音か光でしかない
たとえば本を読むとき声にだすと読む速度が遅くなる
なぜか黙読とはかならずしも読んでるわけでなく見ているから
たとえばこういうことがあった
ある小説の主人公がとても変わった名前だった
小説を読み終え、主人公の名前を声にだしてみた
そのときこういう名前だったとわかった
すなわち読んでるときは名前を見て判断していたのだ
記号表記は文字の形とすると
形を光のパターンをから形を認識すると
記号意味というイメージをでてくる
>>15 東のデータベースは階層構造じゃないですよ。
『動物化』の第三章の「異なる階層が並列されてしまう世界」参照。
説明が複雑化してますね。
例えば「神話」とは「時間性(先後関係)の無い物語」ですね。
14 :ぴかぁ〜 :04/01/30 00:00
15 :ぴかぁ〜 :04/01/30 00:05
16 :ぴかぁ〜 :04/01/30 00:14
18 :ぴかぁ〜 :04/01/30 00:21
19 :ぴかぁ〜 :04/01/30 00:49
22 :ぴかぁ〜 :04/01/30 01:58
24 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:01
25 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:09
27 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:11
28 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:16
29 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:19
33 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:28
52 :ぴかぁ〜 :04/01/30 03:03
55 :ぴかぁ〜 :04/01/30 03:10
60 :ぴかぁ〜 :04/01/30 09:00
61 :ぴかぁ〜 :04/01/30 10:29
62 :ぴかぁ〜 :04/01/30 10:32
63 :ぴかぁ〜 :04/01/30 10:38
65 :ぴかぁ〜 :04/01/30 10:41
66 :ぴかぁ〜 :04/01/30 10:57
67 :ぴかぁ〜 :04/01/30 11:08
68 :ぴかぁ〜 :04/01/30 12:52
69 :ぴかぁ〜 :04/01/30 12:58
70 :ぴかぁ〜 :04/01/30 13:00
77 :ぴかぁ〜 :04/01/30 13:45
78 :ぴかぁ〜 :04/01/30 13:47
79 :ぴかぁ〜 :04/01/30 13:58
80 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:08
81 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:11
82 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:17
86 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:25
88 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:29
89 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:30
91 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:33
94 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:36
96 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:42
98 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:48
100 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:52
104 :ぴかぁ〜 :04/01/30 15:48
105 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:14
107 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:21
109 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:28
112 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:31
117 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:47
119 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:51
122 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:58
124 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:01
131 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:09
133 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:10
139 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:18
146 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:45
147 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:48
149 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:58
150 :ぴかぁ〜 :04/01/30 18:29
151 :ぴかぁ〜 :04/01/30 18:35
152 :ぴかぁ〜 :04/01/30 18:40
153 :ぴかぁ〜 :04/01/30 18:46
154 :ぴかぁ〜 :04/01/30 19:52
このスレって削除ガイドラインの
固定ハンドルが占用している・閉鎖的な使用法を目的としている
に抵触しないの?
163 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 20:19
>今日のハニカムハーツ
いい仕事してますね〜
165 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 20:42
言語とは記号で無いでしょうか。
例えば私が赤という言葉で表現したとき、他の人が赤という言葉で
表現するものを指していない場合がある、むしろ多いかもしれない。
赤という言葉、あるいは言語は私や私以外の多くの人に共有されているようで
実は個人のものである、といえないでしょうか。
もしそうだとすれば、言語の共有性は疑わしくなるし多くの人が
「神話」を共有しその神話という虚構に人々が自分を重ねてゆくという構図は、
「神話」が言語によって共有されているのであれば、少し難しくなるような気がします。
>>156 >東のデータベースは階層構造じゃないですよ。
>『動物化』の第三章の「異なる階層が並列されてしまう世界」参照。
>>15 「アニメやレベルという作品の単位と、その背景になる設定やキャラクターと・・・・
という異なった階層の情報が・・・・等価に並行して消費されている・・・」
これをどのようにとらえるかというと、組織化する項目は、作品単位で
あったりキャラクターであったりなんでもいいんです。これは最初の「種」です。
私がいうのは、この「種」をもとにシミュラークルが発生し、それが組織化する。
だからこれらは並列なんですね。階層的なのは、シミュラークルと「種」をもとにした組織化なんですね。
データベース化の特徴は、その「種」が本来の作品、設定、キャラクターという
作品の階層構造に関係なく、あちこちに生まれると言うことなんです。
しかしこれはそんなに特殊なことかとも思うわけです。
たとえば赤穂浪士という物語があります。この大石内蔵助は有名です。
人々の注目は、物語と人気キャラに集まる。
これを種として組織化されれば、赤穂浪士という記号組織化と
大石内蔵助という記号組織化は並列なんですね。
このような構造はそれほど珍しくない。
あえて言えば、現代は情報化によりシミュラークルの発生が盛んであるために、
物語の階層構造の、あちこちから芽がふくので、このような並列化が引き立つの
かもしれませんか。
説明、わかりますか?
167 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 20:53
哲板最強のカリスマ・☆キキ+キ゚Д゚♪が満を持して再登場!
物事に表面上の美しさを求めるな、
深く掘り下げれば真実が見えてくる、、、
そんな☆キキ+キ゚Д゚♪の哲学HPはココ↓ (キキキの即興ピアノ演奏あり!)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/8862/ 僕の哲学は、学問ではない。
人間が生きていく中、背負うべき道徳なのだ。(HPより抜粋)
孤独を越え、闇から光を見出した☆キキ+キ゚Д゚♪だからこそ言える!
もう何も迷う事は無い、、、
☆キキ+キ゚Д゚♪に触れ、明日への一歩を踏み出すのだ!
>>165 たとえばここにボールが3つあります。
赤、青、黄。
「赤のボールを取ってください」
ひねくれ者と色盲?が含まれていなければ、みな同じボールを取るでしょう。
言語による共有されているものはあります。
>「神話」を共有しその神話という虚構に人々が自分を重ねてゆくという構図は、
>「神話」が言語によって共有されているのであれば、少し難しくなるような気がします。
「神話」は言語で共有されていないと思います。
たとえば「モーニング娘」の記号は、言語では表せません。
イメージですね。しかし「モーニング娘」の記号はそれほど
共有されているか。記号組織化では必ずしも個人で厳密に共有される
必要はないのですね。差異がある個人が集まるから、記号組織化する。
そしてそこには大衆としての漠然と共有された記号が生まれるのだと
思います。
ぴかvsキキキか・・
ある意味悲壮な戦いだな
170 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 20:58
>>10 あなたのニーチェ批判的確だと思います。
確かにニーチェには進歩主義的歴史観がありそこに彼の誤謬が潜んでいるという主張は理解できます。
しかしそれならば封建社会→資本主義社会→共産主義社会と歴史が進むと主張するマルクスも
同じ過ちを抱えていると考えられないでしょうか(最終段階の共産主義が最高価値であるという考え)。
そして、自らマルクス主義者を自認するドゥルーズの構図もまた先の二人と同じ過ちを犯しているのではないかと私は思います。
>>170 マルクスをよく知らないのでなんとも言えないのですが、
(ニーチェもよく知っているわけではないのですが)
これは弁証法による考え方ですね。
ヘーゲルの弁証法自体は、ダーウィンの進化論よりも先です。
ドゥルーズの資本主義を乗り越えるは、マルクス主義的な弁証法を
受け継いでいるかもしれませんね。
172 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 21:09
>>168 あなたのその例は言語の共有ではないのではないでしょうか。
赤いボールの共有に過ぎないように思います。言語とは赤いボールを
具体的に伴うことなく赤いボールを示しうるものですから、もし言語の共有を
示したいのであれば赤いボールが実際にあってはならないように思います。
そしてイメージによる神話がどのように多くの人々に共有されるかという疑問がその後に
私には湧いてきます。イメージでは意思疎通は出来ないと自ら認めていた箇所があったように思いますが。
>>172 実はとても鋭い指摘です。
人は赤の色自体には共有性が低く、「赤」という言語に共有性を感じる。
これは神経生理学的知見です。
では、赤いボールと、青いパソコンと、黄色の液体をおいておいて、
赤い物を取ってきてくださいというのはどうでしょうか?
>イメージでは意思疎通は出来ないと自ら認めていた箇所があったように思いますが。
昨夜寝る前の疑問ですね。あのあと考えて、共有はイメージでなされていますと思います。
174 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 21:18
>>171 ヘーゲルの歴史認識こそニーチェよりもはるかに進歩主義的歴史観に
貫かれています。彼の弁証法もある種彼が最高の進歩の先端であるとする
キリスト教ドイツ社会(だったと思います)を裏付けるものであるといえなくない、
そうであるならば彼もまたマルクスたちと同じ過ちを抱いているといえるのではないでしょうか。
イメージと知覚は区別が必要じゃない?
人は赤の色自体には共有性が低く、「赤」という言語に共有性を感じる。
これは、色は脳の中でイメージとして(自己産出)生まれているからだと言われます。
そのイメージは言語によって名前付けされている。
そして人は言語を指摘される方が、色のイメージを産出しやすい。
からではないかと考えています。
ユダヤ-キリスト教的な終末史観とかも関連するわけだけど・・・
>>174 進化論に先立って進歩する歴史観を提示したヘーゲルは、
するどいと言われています。
ダーウィンの進化論は、ヘーゲルの影響があったかも知れない。
よく知りませんが、そういう時代だってのではないでしょうか。
科学的な進歩が人々に、歴史は進歩するという幻想を持たせる。
>>175 確かにこの当たり定義があやふやですね。
しかしよい言語がみつかりません。
たとえば、ひさしぶりに知っている人を見かけた。
名前は思い出せない、どこであったのかも思い出せない。
でも前にあっている!
このときイメージというか、わき上がってくるものがあります。
漠然としたその人に関する空気感というか、イメージというか、なんというか。
それが記憶の原型のような気がします。
これはなんと呼べばいいのか・・・
わかってもらえませんかね。この感じ?
180 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 21:28
>>173 具体的事物をおいては言語は共有されるという例はいえないように思います。
例えば赤いボールを書いてくださいというような例になれば赤いボールという
言葉が共有されるか否か、あるいは見方によってはどのように共有されているか、が分かるように思いますが。
ちなみにあなたの実験は赤、青、黄色ではなく
赤茶色と赤紫と赤のボールで実験すればどうなるのでしょうか。
181 :
考える名無しさん:04/01/30 21:28
やっぱドゥルーズやね
183 :
奴隷戦士マヤ:04/01/30 21:29
・ターゲット順当
1.読書会スレ(海外モノ)
2. 〃 (国内〃)
3.固有名詞入りスレ(海外モノ)
4. 〃 (国内〃)
選出基準は以下の通り。
1.ペルソナ使い
2.大衆蔑視の卑劣漢
諸君、検討(健闘)を祈る。
184 :
考える名無しさん:04/01/30 21:30
>ちなみにあなたの実験は赤、青、黄色ではなく
>赤茶色と赤紫と赤のボールで実験すればどうなるのでしょうか。
これは違う問題のような気がします。
突き詰めると、あなたが見ている赤と私が見ている赤は同じか?
という懐疑論へ向かってしまいますね。
>>182 ありますよね!記憶とはこのようなものがと思っています。
>>184 >ベルクソンの持続だと思うよ
ベルクソンですか・・・
やはりいつかは勉強しなければと思っていました。
しかし難しい・・・
187 :
考える名無しさん:04/01/30 21:34
意味は実践の中でそのつど確認されたり前提されたりするのだ。
疑うだけの能無し懐疑論は10年たっても同じことしか言えない。
ベルクソンにはなにか大切なものがあるような気がします。
次の思想をになう・・・
189 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 21:36
>>185 「あなたと私が共に赤のボールと呼ぶものは何か」
という疑問になると思います。
>>177 ヘーゲルに関しては(あるいは進歩主義的歴史観そのものに関しても)あなたの言うとおりだと思います。
微妙な色はカラーコディネータとかじゃないと分らない。というか
色の名前を知らない。たとえば深川鼠とか。
>>187 わたしもそう思います。
言語の共有性を議論するときには、懐疑論に向かわないよう
気をつけないといけない。
先ほども言いましたが、被験者達に赤のものを見せても、
脳神経の反応に統一したものが現れない。
言語で赤というと、同じような反応が現れる。
逆に視覚よりも言語のほうが共有性を高いというのは、
何を表すのか?
哲板最強のカリスマ・☆キキ+キ゚Д゚♪が満を持して再登場!
物事に表面上の美しさを求めるな、
深く掘り下げれば真実が見えてくる、、、
そんな☆キキ+キ゚Д゚♪の哲学HPはココ↓ (キキキの即興ピアノ演奏あり!)
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/8862/ 僕の哲学は、学問ではない。
人間が生きていく中、背負うべき道徳なのだ。(HPより抜粋)
孤独を越え、闇から光を見出した☆キキ+キ゚Д゚♪だからこそ言える!
もう何も迷う事は無い、、、
☆キキ+キ゚Д゚♪に触れ、明日への一歩を踏み出すのだ!
色の位相的なズレに対する判断が共通ならいいのですよ。
すなわち、赤そのものよりも、赤という記号を共有している
ということではないでしょうか。
たとえば盲目の人にも、目が見える人と同じような
赤の記号を共有しています。
この記号は、赤そのものでなく、社会にある赤のイメージ
それは派手であるとか、ショッキングであるとか
そういう記号を共有しているのだと思います。
赤は光の波長ではなく、記号なのですね。
例えば、朱色は赤から少し黄色のほうに寄っていますが、そのズレ具合が
同じように判断されればいいのですよ。
198 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 21:52
199 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 21:52
>>197 「言語化できないものは認識できない」と考えれば、
朱色の記号は認識されています。
しかし赤と朱色の間の色は?
最近はデジタル化で、色には2進数番号がありますから、
言語化されていることになるのですかね。
201 :
考える名無しさん:04/01/30 21:54
言語が赤と紫の違いを厳密に分けるれる必要はないよ
言語は記号の繋がりの一形態にすぎないと思う
記号が繋がることによって「この辺が赤」ってのをいえる様になる
みんなが折り合いをつけるための中心点を言えるようになるってだけ
紅は赤からわずかに紫のほうに寄っています。
色を専門に扱う仕事の人は50色あるいはそれ以上知ってるわけでしょう。
ぴかさー先生が言っているのはクオリアの問題ですよね?
204 :
考える名無しさん:04/01/30 21:59
>>202 分類が細かくなっても認識のズレが0になるわけじゃないよ
なんにもかわらない
205 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 22:01
>>189 「私とあなたが共に赤のボールと呼ぶ、その当の赤のボールという言葉とは何か」
に訂正させてください。
各色の位相的関係に対する判断が共通すればいいのではないかと言ってるわけです。
色から連想するに、あらゆる概念というのも
色相環のように閉じているんでしょうか。
大、中、小は閉じてないでしょう
209 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 22:06
私が言いたいのは言語が使用者である私の特殊性から離れて
何か普遍的(共有される)指示対象を示しうるか、いやされないだろう、ということなので
決して懐疑論などではないと主張したいのです。
210 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 22:09
>>209 言い換えるなら具体的指示対象を疑っているわけではなく
普遍的指示対象を疑っているということです。
「明日、中ぐらいの長さの棒を持ってきてください。」とか
その考えでいくと、「とけい」も「いす」も閉じてないですよね。
閉じているとは?
>>201 >言語が赤と紫の違いを厳密に分けるれる必要はないよ
>言語は記号の繋がりの一形態にすぎないと思う
>記号が繋がることによって「この辺が赤」ってのをいえる様になる
>みんなが折り合いをつけるための中心点を言えるようになるってだけ
いやそこが違うのです。
>>192、
>>195、
>>196に示したように、言語とそれに含まれる記号が
人の認識の共有に重要なのです。
色は感覚ですが、イスは道具なので・・・ちょっと比較が難しいですね
>>209 懐疑論を考えていなくても、その質問には十分懐疑論が
含まれてしまっているように思います。
なんかバルトっぽくなってきたな。
「とけい」も「いす」も感覚なのかもしれないですよね。
難しいですね。
感覚は閉じているか。「痛い」のクオリアが誰かにとっては「くすぐったい」
だったりすることはあるのでしょうか。
>>203 クオリアの問題ですかね?
クオリアは科学的概念であるが、観念的概念でしかないと思っていますので、
単に言語表記(シニフィアン)と記号意味(シニフィエ)の関係で
いいと思います。
さっきのぴかー先生の脳波反応の話ですが、
「赤い」は あ・か・いの文字ですが、
赤いものは具体物ですから
言語 という共通性がないので部位が分かれるのでしょうか。
>>218 なるほどそうですね。
人間は、「象徴を使う動物」であるとアタナシウス・キルヒャーは申しました。
221 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 22:22
>>213 言語によっては人の意思疎通は厳密には出来ないのではないのですか。
赤という言葉によって脳が同じ反応を示したということからは言語の共有性を
しめすことは出来ないように思います。
たとえば熱湯を人にかけたとして反射による反応という同じ反応が起こったとき
とうのその人たちが同じ体験を言語で語るとは思えない。
あくまで反応を共有しているに過ぎないのではないでしょうか。
「痛い」という言葉は「あー痛かったね」とさすってもらうとか、他人の様子をみて、又、「痛いだろ」とつねられたりする
ことで覚えたりするのかと思いますが、他人の痛みが感じられるかどうかは
微妙です。
しかし面白いですね。
個別経験より概念のほうが普遍性があるのですね。
そうしますと、これを徹底するとキリスト教の十字架とかナチスの鉤十字
とかへの反応も普遍性があるんでしょうか。このへんはどうなのでしょうか。
虚しい・・・
ぴかぁ〜が馬鹿なりもネタを提供するから、書込む誘惑に負ける奴がいる
そして無茶苦茶な文脈で会話が続く
そんで、またぴかぁ〜が馬鹿ななりにぶった切ってネタをふる・・・
こんなスレがいつも上にあるんだよな
これが哲学板の現状だとしたら、あまりにも悲しい
プロパーが近寄りたく無くなるわけだ
>>221 同じ体験を言語で語ることはできません。
なぜなら共有しているのは、言語の内の
言語表記(シニフィアン)ではなく、記号意味(シニフィエ)だからです。
目が見えなくても共有できる記号だからです。
>>192、
>>195、
>>196で示したのは、そういう意味です。
226 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 22:28
>>215 何かを疑うことが懐疑論だとしたら懐疑論でしょうが
そうだとしたらあなたが正しい指摘をしていると表現しているボードリヤールのほうが
よっぽど懐疑論の様相を帯びているような気がします。
>>223 >しかし面白いですね。
>個別経験より概念のほうが普遍性があるのですね。
普遍性といか、共有性ですね。
これは私たちが、社会という生き物の細胞だからでしょう。
これを考えるとこの共有性は社会が違えば変わってきますね。
>>224 ここ数週間でさらに過疎化が進んだ気がするな。
229 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 22:31
>>225 ならばそのシニフィエが普遍的概念であるのかという問いに移行できます。
>>226 懐疑論的なものとわけで
二つの疑問を立ててみれば、わかりやすいと思います。
>>224 全面的に同意。ぴか2chで学んだ専門用語を簡単に口に出すな。
>これは私たちが、社会という生き物の細胞だからでしょう。
これはまさに記号組織化構造を示していると思います。
大衆が主体、客体という区別なしに、共有する記号を
自己組織化的に作り上げていく。
このスレで問題しているのは、この記号組織化構造が
情報化の中で加速化していることを問題にしているわけですが。
233 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 22:35
>>229 私という特殊性を超えてシニフィエが共有されうる根拠は何処にあるのでしょう。
と続けてみます。
大衆が主体、客体という区別なしに、「赤」という記号を
自己組織化的に作り上げていっているということですね。
>>233 記号組織化構造とは簡単にいえば、社会が一つの生物である
というようなことです。
この社会生物の価値観が、記号なわけです。
100%の共有なんて無理でしょう。
私の中の記号もあなたの中の記号も絶えず変化し続けています。
社会の記号も変化しつずけている。
江戸時代の人の赤記号と、現代人の赤記号はもっと違うでしょうね。
十字、円などは文化や時代を超えて共通した概念を表すように思われます。
これはなぜですか。
「象徴そのものの自立性」があるように思います。
>>239 それは多分にユング的な問題でもあります。
そうですユングですね
なんと美しいのでしょう。
>>239 どういう意味でしょうか。
円に対する記号。たとえば完全性のようなものでしょうか。
たしかにこのような普遍性はあると思います。
ユング的には元型でしょうが、
私的にはまさに遺伝子ですね。
たとえばなぜどの動物の子供の顔が丸っこいのか。
これは親の母性本能をくすぐるためです。
動物もいわば、丸いものは「かわいい」と感じるのですね。
>>242 それは客観的な自他区別的な考え方からするとそうですが、
「円」自体の単純記号が持つ絶対的力の場と考えたらどうでしょう。
これもカテゴリーミステイクですかちくびさん。
前にも書きましたが、記憶はこのような層になっていると思います。
生得的なイマージュ=ユングの元型?
後天的な社会共有イマージュ=記号組織化
後天的な個人的イマージュ
>>242 ユングも蓄積された遺伝と言っています。
246 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 22:52
>>239 少なくとも言語による共有ではないと思います。言語は使用者である私の特殊性に
従属するように思います。そして大衆という概念は西洋の近代化の課程で
登場した概念でありそれを人類の普遍的な表れのように扱うのは問題が
多いと思います。
>「円」自体の単純記号が持つ絶対的力の場
人がいなく天体に円があっても、そこには力が発生していると
いうことですか?
ん〜・・・物理化学現象でしょうか?
ピラミッドパワーみたいなもの?
>>245 フロイトもユングも嫌いではないのですが、
なんとも言い難いものがありますね。
わかってもらえると思いますが・・・
私の経験として、
幽体離脱すると、その世界では単純記号がさまざまなことを語りかけてくる
のです。
なるべく精密な円や三角形などを書いてよく念頭して離脱する実験を
今やっています。
<心、記憶の階層>
@生得的なイマージュ=遺伝子情報=ユングの元型?
A後天的な社会共有イマージュ=記号組織化
B後天的な個人的イマージュ
このように書きましたが、私は実は@は思っている以上に
大きいとは思っています。
カントではないのですが、幾何学的なものや、色など、
生物的にも有用なものは、ユング的な元型はあると思っています。
だから「赤」のショッキングさみたいなものは、
A記号組織化構造を越えた@で共有しているところは
あると思っています。
現代日本人も古代日本人も、アフリカ原住民も「赤」のショッキングさは
もってきたのでは?と思っています。
>>248 ま、そうですが、う〜ん難しいところですね。
252 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 23:01
フロイトやユング更にラカンなどが哲学的に重要に位置を占めながら本家の
心理学では余り省みられないのは、彼らがデカルト哲学の元である自己明証性に
大きな打撃を与えたからであり彼らの主張そのものがかなり真に近いという
ものではあまりないという見方を私はしています。
赤と青で原理をあらわすのは世界中に共通していますね。
>>249 ん〜・・・幽体離脱ですか・・・・
一様、唯物論者なので、なんとも・・・
>>249 そういうことをやるのは危なっかしくはないですか?
>>252 確かに心理学では評価低いですね。心理学ではないとも言われます。
心理学は実はものすごくコンプレックスが大きな学問なんですね。
心理学は科学から、実証性が低くて、科学ではないと叩かれて、
哲学からは、人を動物におとしめる(理性批判的)で叩かれる。
かなり苦難の道を歩んでいるのですね。
だからフロイトやユング更にラカンみたいなものは、
解除することによって、科学であろうと見栄をはっているわけですね。
258 :
ちくびぎゅーん:04/01/30 23:06
まあ私が何を言おうとも遺伝子が私を保障するという話になるのでしょう
私は帰ります。
>>258 ここは譲れません。唯物論者なもので・・・
解除→排除
>>257 科学というより、職人的な「知」に近いかと・・・
そういや、羅漢のスレが無くなって随分経つな
はい、他人と共有できがたい体験だとは思っていますし、
「この現実」を深く考えることも大切な意義を持っていると思っています。
ただ、語り掛けてくる、といいますか記号や呪文が存在的重みを増すのは事実です。
あと、時間の進み方もおかしいですね。お客様に長い間かけて姿勢のコツなどを
教え、やっと私以外二人が離脱に成功しました。
「赤の書」を読む限り、ユングも離脱経験はあったものと考えています。
>>261 このような背景から心理学もわけわからないぐらい枝分かれていますね。
行動心理学などは、人の内面心理なんか考えるな!
被験者達による実験データのみを扱うんだ!という方針ですね。
>>264 そうです。実はそっち系の人間です。
黙っていてすみませんでした。
ぴかぁー先生の唯物論的思考は清涼剤を飲むような気がしますです。
自伝でもそれらしきことは書かれてますね。
270 :
良いな、これ:04/01/30 23:14
>>268 わかっていました。密教系?とかの話とか多かったですよね。
そういえば最近、空に光るモノが見えますが誰か知ってます?
>>271 ありがとうございます。そうですね。
易学と占星学が中心ですが、占術理論板はレベルが低いですね―
あと西洋神秘思想です。
脱線させたようで申し訳ありません。
274 :
考える名無しさん:04/01/30 23:18
衛星ですな
はい死者の書も赤の書も自伝的な面はありますね。
死人と話をする場面が出てきます。
ユングは35―40歳くらいの歳で離脱経験をしたものと考えています。
衛星ですか、首都圏なんですが、ずいぶん大きく見えますね。
ニュースで取り上げてたのですが肝心なとこを見逃しました。
触発されて少し見えてきました。まとめました。
<心の階層>
@生得的なイマージュ=遺伝子情報=ユングの元型?
A後天的な社会共有イマージュ=記号組織化構造
B後天的な個人的イマージュ
これは無意識の海に浸っている。
有意識は、無意識とは全く違うもので、いわば腕力のような力である。
無意識の海のある部分を照らすことである。
この照らし方の方法が言語である。
A、Bは主に(言語表記+記号内容)により作られたものであるために、
言語表記の組み立てにより、有意識化することができる。
(ただA、Bはすべてが言語により作られたわけではない。)
>>277 ずいぶんユング的になっちゃいましたね・・・
279 :
☆キキ+キ゚Д゚ ◇qpmo.OOqAo:04/01/30 23:27
( ゚Д゚)y─┛~~
280 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 23:27
ではこれでいきましょ・・・
<心の階層>
@生得的なイマージュ=遺伝子情報
A後天的な社会共有イマージュ=記号組織化構造
B後天的な個人的イマージュ
これは無意識の海に浸っている。
有意識は、無意識とは全く違うもので、いわば腕力のような力である。
無意識の海のある部分を照らすことである。
この照らし方の方法が言語である。
A、Bは主に(言語表記+記号内容)により作られたものであるために、
言語表記の組み立てにより、有意識化することができる。
(ただA、Bはすべてが言語により作られたわけではない。)
どうしても誰かに似るんですよね。
記号組織化構造はドゥルーズ的と言われるし。
ユングより、ドゥルーズより先に考えたんですけど。
(当然、私の中ではですが、)
まあ、そういうもんでしょう。
ユングでは心の全体を自己、その一部に意識化されている自我。
また無意識は生物学的ともいうべき普遍的(集合的)無意識
その上に文化的・民族的な普遍的無意識、そして個人的無意識となります。
集合的意識というのもあって、例えばイデオロギーなどがこれに当たります。
285 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/30 23:37
>>284 構造的には似ているわけですね。
しかし記号論、システム論を取り入れてるし、それなりに違うということで。
まあ、もう少し練り直して生きましょう。
生得と後天という境界必要か?
無意識ではなにか?もっと生理的なものでは?
心は私の中になるのか?
人単体で心をとらえることに意味があるのか?
この当たりが今後の課題です。
フロイトにしろ、ユングにしろ理性主義的、心身二元論的なんですね。
無意識は、意識が無いということで、意識中心的な考えですが、
もっと動物的でもいいのでは?と言う感じですね。
ユングなら現代という時代を根底で突き動かしている元型的な集合的無意識を見て取ることが
できるのかも知れませんが・・・
「現代という時代を根底で突き動かしている元型的な集合的無意識」
ですか・・・
現代性と元型が合わないような気もしますが。
ユングは身体もコンプレックス(劣等感じゃなくて複合のほう)の
一つとまで考えてます。
>>289 それを見て取るには神話、宗教、民俗とかの該博な知識や、直観力が無いと
ダメでしょう。
これでどうでしょう。これは記憶の構造と見る。
すなわち記憶は、比較的静的であり、物質です。
では心とは?ということです。
この当たりはアフォーダンスなど、環境との間で発生する方向で・・・
<記憶(内的情報)の階層>
@遺伝子情報=先天的なイマージュ
A大きな記号組織化構造=後天的な社会共有イマージュ
B小さな記号化組織化構造=後天的な個人的なイマージュ
うんちしてたら寝てしまっていました。
少なくとも、いままでのぴかぁー先生の御論説の中でいちばん
私にとって看取しやすいです。
これならば、有用なことも言えそうで嬉しいです。
記憶は、比較的静的で私の中にしかない。
しかし心は環境を含めたもっとダイナミックなものである。
では意識とは?自己とは?
<記憶(内的情報)の階層>
@遺伝子情報=先天的な記憶
A大きな記号組織化構造=後天的な社会共有記憶
B小さな記号化組織化構造=後天的な個人的な記憶
まあ、ぼちぼちいきましょう・・・
違うな。唯脳的か・・・
ユングは形象、図像、象徴、錬金術などイメージ関連の探求がスゴイので
なんと言うか・・・
>293 さんにバトンタッチ
>>290 身体もコンプレックス(劣等感じゃなくて複合のほう)の一つですか。
「心理」学的ですね。
たぶんユングから責めても、私が考える心は見えないと
思います。すでにできあがりすぎていますね。
やはりもう少し科学と言語学(これも科学か?)側から責めないと
思っています。
ユングは後期になればなるほど「元型の自立性」へと向かっていきますね。
この世に存在する自分より、原型の存在のほうがそうとうリアリティーがあるということです。
無茶苦(ry
なんで1冊も読まないで固有名が出せるんだろ?
概念を理解してるなんてとても呼べる代物じゃないのに。。。
この人達、何を話してるの?
>>298 ユングの考えている「心」というのは普通のニュアンスよりずっと
大きいですね。
「私は山奥の寺院でずっと瞑想している私を知った。そして分かった。
そうか、私の人生も何もかも、この私が見ている夢なのだ、と」
というのが最晩年の論考にあります。
それがMy哲学だ >301
ユングの「心=無意識の全体」はトランスパーソナル心理学では暗在系といわれて
いて、過去も未来もすべてが畳み込まれた宇宙だと観念されています。
ユングの考え方の問題は、この畳込まれた物じたいには階層がないように
観念されているところです。個人無意識、集合無意識などというのは「内容」
に注目した概念ではなく、「元型」というのも階層ではありません。
もし階層を観念するといきおい、その表現は神話そのものに近づかざるを得ません。
また、階層への接近など動的に観念すると仏教の唯識説そのものになってきます。
ユングの「黄金の花の秘密」は、道教の錬丹法の黄金金華経の心理学的分析ですが,
まさにイマージュの嵐ですね。面白い本です。
素敵な本です。
>>303 「私は投影されたものだ」みたいなこともどこかで言ってましたね。
>>308 ユングの若いころの夢だと思います。
霧の夜を歩いていると、霧に巨大な魔物がいた。
しかし、それは自分のろうそくによって照らされた影だった、というものです。
ただ、もっと根本的な「間違い」がユングの元型論にあるように思うのです。
>>310 本能は行動に関わり、元型は認識に関わる。元型は結晶が生成するときの
軸を決定するような働きをする。というようなことだったかと思いますが
その「間違い」を聞かせてください。
312 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/31 00:30
う〜ん 『無意識の心理』読んだ?
昔、読みましたが今はダンボール箱のどこかにあります・・
315 :
考える名無しさん:04/01/31 00:48
>>302 あんたの会話だって同じようなもんなんだよ。
316 :
考える名無しさん:04/01/31 00:48
ぴかぁーは雲隠れ
おりょ!
320 :
☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆qpmo.OOqAo :04/01/31 00:55
14 :ぴかぁ〜 :04/01/30 00:00
15 :ぴかぁ〜 :04/01/30 00:05
16 :ぴかぁ〜 :04/01/30 00:14
18 :ぴかぁ〜 :04/01/30 00:21
19 :ぴかぁ〜 :04/01/30 00:49
22 :ぴかぁ〜 :04/01/30 01:58
24 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:01
25 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:09
27 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:11
28 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:16
29 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:19
33 :ぴかぁ〜 :04/01/30 02:28
52 :ぴかぁ〜 :04/01/30 03:03
55 :ぴかぁ〜 :04/01/30 03:10
60 :ぴかぁ〜 :04/01/30 09:00
61 :ぴかぁ〜 :04/01/30 10:29
62 :ぴかぁ〜 :04/01/30 10:32
63 :ぴかぁ〜 :04/01/30 10:38
65 :ぴかぁ〜 :04/01/30 10:41
66 :ぴかぁ〜 :04/01/30 10:57
67 :ぴかぁ〜 :04/01/30 11:08
68 :ぴかぁ〜 :04/01/30 12:52
69 :ぴかぁ〜 :04/01/30 12:58
70 :ぴかぁ〜 :04/01/30 13:00
77 :ぴかぁ〜 :04/01/30 13:45
78 :ぴかぁ〜 :04/01/30 13:47
79 :ぴかぁ〜 :04/01/30 13:58
80 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:08
81 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:11
82 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:17
86 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:25
88 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:29
89 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:30
91 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:33
94 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:36
96 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:42
98 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:48
100 :ぴかぁ〜 :04/01/30 14:52
104 :ぴかぁ〜 :04/01/30 15:48
105 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:14
107 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:21
109 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:28
112 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:31
117 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:47
119 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:51
122 :ぴかぁ〜 :04/01/30 16:58
124 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:01
131 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:09
133 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:10
139 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:18
146 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:45
147 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:48
149 :ぴかぁ〜 :04/01/30 17:58
150 :ぴかぁ〜 :04/01/30 18:29
151 :ぴかぁ〜 :04/01/30 18:35
152 :ぴかぁ〜 :04/01/30 18:40
153 :ぴかぁ〜 :04/01/30 18:46
154 :ぴかぁ〜 :04/01/30 19:52
166 :ぴかぁ〜 :04/01/30 20:49
168 :ぴかぁ〜 :04/01/30 20:57
171 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:08
173 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:16
176 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:20
178 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:23
179 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:27
185 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:31
186 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:33
188 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:35
191 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:37
192 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:41
195 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:45
196 :ぴかぁ〜 :04/01/30 21:46
213 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:13
215 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:15
218 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:19
225 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:26
227 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:29
230 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:31
232 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:34
234 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:36
235 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:37
237 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:39
238 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:41
244 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:51
247 :ぴかぁ〜 :04/01/30 22:54
250 :ぴかぁ〜 :04/01/30 23:00
254 :ぴかぁ〜 :04/01/30 23:01
257 :ぴかぁ〜 :04/01/30 23:06
259 :ぴかぁ〜 :04/01/30 23:08
264 :ぴかぁ〜 :04/01/30 23:10
267 :ぴかぁ〜 :04/01/30 23:13
277 :ぴかぁ〜 :04/01/30 23:25
282 :ぴかぁ〜 :04/01/30 23:30
286 :ぴかぁ〜 :04/01/30 23:40
292 :ぴかぁ〜 :04/01/30 23:59
4〜8h代の6時間を除き、18時間連続カキコ達成。お見事!!
世の中には暇な奴がいるんだな。ヒッキーはいいな。
330 :
考える名無しさん:04/01/31 03:50
他人のレス調べて満足して寝る。こういうのが幸せというんだろ。
ぴかぁ〜・・ ・゚・(つД`)・゚・
ネットストーカー!?怖っ!
333 :
考える名無しさん:04/01/31 04:02
ストーカーは病気です。
調べるのに10分と掛からないだろうに・・・
ぴかぁ〜!!現実をみるんだぁ〜
336 :
ちくびぎゅーん:04/01/31 13:55
古い話ですが神話化の話、私は納得がいきません。
女子高生という神話(虚像)に女子高生自身が擦り寄っていくという構図は一概に
否定できない部分もありますが、それは(重要でない)一側面に過ぎないと思います。
神話化の話では始まりの神話が存在し得ないと思うからです。
少女売春をする女子高生は少女売春をする女子高生の虚像を自ら抱きその虚像に自らを重ねてゆく。
だとしたら最初に少女売春を始めた娘たちはどうなるのでしょう。そこには人よりも先に神話が存在したのでしょうか。
ぴかぁさんは社会が変われば人間(あるいは記号)も変わると主張していましたが人間(記号でも)が変わることによって
社会が変わるということを見落としている。
337 :
ちくびぎゅーん:04/01/31 14:04
神話の話で言えばもうひとつ重要な疑問があります。それは明らかにリスキーな行動である少女売春(援助交際)を
する娘たちの動機を何も語ってはいないということです。
もし彼女らが神話という虚像に振り回される、(波間を漂う)クラゲのような存在であれば
むしろリスキーな行動をとるとは考えにくい。自己防衛的判断でリスクの少ないほうを選ぶほうが妥当だと思うのです。
彼女らはたぶんに自らの判断でリスキーな行動をとっていると考えるのが妥当ではないでしょうか。
そしてそれはむしろ神話化からの逃走と言える事態だと思うのです(たとえ彼女らが自らの虚像に自らを重ねたとしても)。
338 :
ちくびぎゅーん:04/01/31 14:13
ぴかぁさんの議論には承服できかねるところがたくさんあります。
たとえばニーチェを超人志向から進歩主義的歴史観だと否定しながら、同じ過ちを持つ
マルクス主義者の進歩主義的構図は取り入れている。赤、青、黄色のボールはよいけれど
赤茶、赤紫、赤のボールは例として適さない。相対主義を乗り越える可能性があるから唯物論とは
相容れない理論を支持する。
ぴかぁさんの主張は現状維持という隠された欲望が横たわっているように思います。
私は昼休みを利用してここにきたので反論を聞くことができないことを許してください。
>1/30のハニカムハーツ
グッジョブ!
>>336-337 たぶん私の意見を読んだ人は同じようなことを思うんでしょうね。
やはり自己組織化という「概念」がわからないと、私の話はみえなんでしょうね。
始まりはなんでもいいのです。ほんの些細なところから始まるのです。
「女子高生」=「援助交際」は神話です。実際に援助交際しているのはわずかな人数です。
だからこれは「神話」なのですね。
神話は成長します。最初は狭いところに発生した神話が、
女子高生が「女子高生」=「援助交際」神話により、援助交際をしてしまう。
そして「女子高生」=「援助交際」神話がどんどん成長していく。
これは援助交際をする人数が増えると言うよりも、
「女子高生」=「援助交際」神話が多くの人に広まると言う意味が大きいですが。
私は社会が人を変えるとか、人が社会を変えるとかの還元論的な話ではなく、
社会は人が集まったものです。人が相互に影響仕合ながら、記号が成長するということです。
ただいいたいことはわかります。このようなシステム論的な小さな現象は説明しにくい。
たとえば大衆を含めて成長する「援助交際」という記号は説明できても、
わずかな人数しかいない実際に援助交際をする少女の内面的なものは、
このような神話の影響もあるにしても、社会的な背景であるとか、
家庭の事情であるとか、学校教育の問題であるとか、そういう面は残されます。
斉藤氏によると、システム論的側面と精神分析的な側面を、社会論と個人分析
で使い分ける必要があると言っています。
私はしろうと氏に前にいったのは、このような問題を哲学で語ることは不可能ではないのか。
といったことがあります。そういいながら私は社会的な側面を語っているわけですが。
だから近代からポストモダン、Fフューチャーへ向かう社会システム的な面を語っているのです。
だから彼女たちは何を考えているのかという個人の精神分析のようなものや、
たとえば援助交際はいいことなのかという倫理的なものは語らないのです。
そしてちくびさんは、むしろそのような面を語りたがっているのです。
私はそれは多様化した社会学や心理学などなど、実際にそういう少女達とかかわっている
人たちと議論するほうが有意義だと思います。
私はTVで見る以外そういう少女たちをあったこともないのですから。
343 :
考える名無しさん:04/01/31 16:18
この議論を読むと構造主義のドグマは健在なようだな
>>343 構造主義自体に無知だからな。アホ丸出しってのはこのことさ。
345 :
☆キキ+キ゚Д゚♪:04/01/31 16:26
高校中退コピペ荒しは立ち入り禁止です
いまさら村上龍や宮台の残飯嵐しても
なにも残ってません
>>338 >たとえばニーチェを超人志向から進歩主義的歴史観だと否定しながら、同じ過ちを持つ
>マルクス主義者の進歩主義的構図は取り入れている。
どのあたりでしょうか?
>ぴかぁさんの主張は現状維持という隠された欲望が横たわっているように思います。
これと矛盾していますよ。
>赤、青、黄色のボールはよいけれど赤茶、赤紫、赤のボールは例として適さない。
懐疑論との違いを明確にしないと、議論が混乱するといっただけです。
>相対主義を乗り越える可能性があるから唯物論とは相容れない理論を支持する。
この当たりは、昔にいろいろ語ったので、簡略しすぎたかも知れません。
まず私は、相対主義であり、唯物論者です。
人は絶対的な真理には到達できない存在である。と言う意味で、人の思想は
相対主義であることから逃れられない。
だからといってニヒリズムに陥るのは間違っている。
なぜならそれは私が生きているという生命感があるからです。
真理がわかることと、いきいきと生きることは違うということです。
論理思考は、環境に負けなず生き残るためには世界がわかった方がいいという
生存のための道具のひとつでしかない。
私が論理的に説明することができないと不安になる、さらに生きている意味がないなどは、
まったくの方法と目的の混同であり、ある種の分裂病傾向です。
現代人はそのような傾向を持ってしまっているというのが、私の考えですが。
>>343-345 そうなんですよね。哲学には構造主義があるために、
システム論的転回が困難なのではないかと思っています。
なんだこんなの構造主義じゃないと思ってします。
構造主義は、システム論的にいえば第一世代システムになるのでしょうか。
現在、システム論といえば第二、三世代ですから。
これは科学からできている実在的現象ですから、
なおさら理解できないのかもしれない。
351 :
☆キキ+キ゚Д゚♪:04/01/31 16:38
ぴかぁ〜は普通に荒らしじゃないの?
そういう意味では、ドゥルーズよりも私の考えの方が進んでいるのです。
これをなにを偉そうに!と思うのは間違いです。
ニュートンは相対性理論を知らない、カントは非ユークリッド幾何学を
しらない、だから私のほうが偉い!という愚問と同じです。
哲学と異なり科学にはそのような側面があるのです。
353 :
☆キキ+キ゚Д゚♪:04/01/31 16:40
おいおい
354 :
☆キキ+キ゚Д゚♪:04/01/31 16:52
哲学ちゃんヽ(゚∀゚)ノ
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ヽi~ | |__レ、l--l--レ.;---i i-、
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l~| .| | ,,,---== ヽノ i ヽノ~~~ ヽノ ~ ソ^=-.i,,,,|,,,|
.|..l i,-=''~~--,,, \ \ l / / / __,-=^~
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~^''=、_ _ ^'- i=''''''^~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^''''''''=i -'^~
~^^''ヽ ヽ i | l i / / ノ
ヽ 、 l | l l / ./ /
\_ 、i ヽ i / ,,=='
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一度真剣に精神科で診てもらって下さい。
病的です、あなたは。
_,=''''''^~~~~~~~~~^''''=,,,,
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<~ -==^~~~^ =^~~^=-=^~~^'=-~'=,
ヽ'^' __,,,,,,i~~~l===|~~i==|~~|_,,,,,..ノ
ヽi~ | |__レ、l--l--レ.;---i i-、
r'^~~~~l l | :| ∩ ∩|,-=,__,-,_| |~i^i,,
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~^^''ヽ ヽ i | l i / / ノ
ヽ 、 l | l l / ./ /
\_ 、i ヽ i / ,,=='
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358 :
考える名無しさん:04/01/31 17:10
ソフィア久しぶりだな。今日は安定してるのか。
もう来ない方がいいぞ。いつまでたっても直らないぞ。
反応はやいね。
なにが直らないの?
近頃、プロキシがどうのとか、私が忙しかったから
2ちゃんねるしてませんでした。それだけです。
こうまた2ちゃんねるを覗いてみるとまた違った印象をうけますね。
少し2ちゃんねるのノリから離れた事を感じました。
おいおい ぴかぁ〜にまともに付き合ったら精神を病むぞなもし
<記号組織化(sign-organization)するハニカムハーツ>
今まで示した来たような、好奇心が好奇心を呼び、記号が自己組織化的に成長する構造を、
記号組織化構造(sign-organization)と呼ぶこととする。
たとえば「東京」という記号が東京人と地方人の立場で考えてみる。
地方人の場合、
(主体)地方人→(力)あこがれ→(客体)東京・・・東京が「東京」として記号化する。
地方人にとって東京は客体化する。そこに「東京」という記号が生まれる。
これはマスメディアの影響が大きいかも知れない。そしてあこがれという感情が生まれる。
このような主体と客体が比較的明確である構造は、以下のような神話を産む構造に近く、
近代的な記号化構造である。
(主体)大衆 →(力)救い→(客体)理解を超えた環境・・・理解を超えた環境が「神話」として
記号化する。
東京人の例
(主体)東京人→(力)あこがれ?→(客体)東京・・・東京が「東京」へ記号化する。
・・・(主体)東京人が(客体)「東京人」になろうとする。
→(主体)「東京」という記号が(客体)東京人により変化する。
「東京」という記号化の中に東京人としての自分が内包している。
このためにあこがれという力は、自分に跳ね返ってくる。
このような主体と客体の構図が転換しながら循環する構造により、「東京」という記号が
自律的に成長する。
このようなあこがれが自分に跳ね返ってくるという構造は、
自分で自分にあこがれるというパラドクス構造を生む。
それはあこがれの「東京人」を演じるような自意識過剰を生み、
あこがれの「東京人」にならなければならないという強迫観念的を生みます。
このような自意識過剰や強迫観念などの分裂症傾向です。
これは有名人を考えるとわかりやすい。
たとえばキムタクには「キムタク」という神話があります。
キムタク本人と、「キムタク」神話には差がある。
これは単に違うものと割り切れれば、いいですが、
キムタクは「キムタク」になろうとする。
だからキムタクは人からみて「キムタク」になれているか心配する。
というようなものです。
キムタクが分裂症かどうかはわかりませんが、有名人はこのような
分裂症的なものに悩まされることが多いようです。
これは過剰な自己演出や、精神的疲労から、自己喪失や対人回避傾向を生みます。
このような社会の記号組織化は、社会の劇場化、大衆行動の演技化につながります。
若者の行為がパフォーマンス化していると言われます。
女子高生、コギャルなどは、見られる、目立つことを前提にしている。
彼女たちにとって、社会はある種の舞台であり、演技なんですね。
たとえば、成人式であばれる若者は、反体制的な主張があるわけではなく、
友達や見てる人へのパフォーマンスなんですね。
また記号組織化された記号とは虚像であり、記号組織化は好奇心を元にした
欲望消費という面が強く、中毒性が高く、依存症にいたる。
これはオタク系などが現実の女性よりも、二次元の女性という虚像にリアリティーを
感じたり、SEXよりもAVにリアリティーを感じるというようなリアリティーの喪失に
至ることも考えられます。
斉藤氏がいっていますが、かつてはひきこもりは、世界で自分だけが引きこもって
ダメな存在だと思っていたが、最近では、「ヒッキー」が記号化することによって
自分だけじゃないというような事が起こっているらしいですね。
これは自分だけじゃなくということで気持ちが楽になるというカウンセリングには
役立っているような良い面があります。
しかし60年代のヒッピーとヒッキーを比べると、ヒッピーの場合には反体制的な意味がある。
60年代にはまだ反対する近代的な体制があった。これは先に地方人からみた
「東京」の記号化に近い、近代的な組織化といえます。
そういう意味ではヒッピーは、体制に向かう外向きの力が働く外向的なものです。
しかしヒッキーは内へ向かってしまう内向的になってしまう。
そしてかつてにはヒッピーの反体制などのように社会秩序との相対化により、
価値観を産出できたといえる。すなわち社会としての「正当性」を見いだすこと
ができた。これは社会の中で「居場所」を与える。
しかし現代では、社会秩序との相対化できない「ヒッキー」や「女子高生」のような
記号組織化という浮遊した虚像でしか価値観を産出できない。これは社会としての
「正当性」を見いだせず、社会の中で「居場所」を見つけられないということが考えられます。
さらに記号組織化を加速させるのが2ちゃんねるを含めたネットだと思う。
物理的制約を超越した電脳空間では無限に好奇心を吸い取る記号組織化構造をもっており、
記号として収束させるのさえむずかしくなっている。
電脳空間が海面とすれば、もはや成長する記号は一つ一つの波頭のようなものだ。
海面を波立たせようと好奇心という力による海の中でもがくが、周りに小さな波は立つが、
海面全体の波で掻き消される。
ボードリヤールがもはや消費されないものは「死」しかないと言ったが、
現代の情報化社会では、このような記号組織化的消費に溢れている。
「恋愛」では、「恋愛」という記号を消費している。「恋愛」はTVなどのメディアを含めて、
記号組織化している。彼/彼女達は、本来に意味での愛し合うという恋愛そのものではなく、
「恋愛」という記号を消費している。そして消費することにより好奇心を満たすという、
これは自己満足的な行為である。
「援助交際」についても、本来の売春ではなく、「女子高生」であり、「援助交際」という記号を
消費している面が大きい。
「女子高生」、「アイドル」、「ロリータ」、「ブランド品」、「アニメ」、「友達」、「家族」、「恋愛」、
「夢」、「かっこよさ」、そして「自分自身」でさえも同じである。
そして私は「死」も記号化されていると思っている。
もはや好奇心により消費されないものはないのである。
368 :
Religion:04/02/01 04:15
うわ、また言葉だw
記号組織化社会においては、その中心にあるのが好奇心(解体欲)である。
そしてこの好奇心が虚構の価値観の中で肥大している。
そして社会は社会性という自制心を要求するが、好奇心という自分の興味のあることに過剰な心
による加速的な記号組織化消費は近代的な社会システムにおける規律を揺るがしている。
自意識過剰、強迫観念、過剰な自己演出、社会の劇場化、大衆行動の演技化、パフォーマンス化
虚像でしか価値観を産出できない。自己喪失や対人回避傾、依存症、リアリティーの喪失
これらは確かに悲観的な見方かも知れない。多くのひとが社会秩序をもち生活してるという
事実がある。しかし現代においてはこのような傾向が露出していると言うことである。
そしてこれらにより、心がハニカム化しているのである。
ヒッピーのカリスマはたとえばディランだね。
>>369 古いんだけど、デイビッド・リースマンなど今でも有効だと思うよ。
例えば「他者指向型」とか「内部指向型」という性格類型。
「孤独な群集」だけど。
どっちかというとギンズバーグとかケルアックですかね。
あるね、アレン・ギンズバーグ。
375 :
Religion:04/02/01 04:36
ここでは言語による議論または定義だけか・・・。
376 :
Religion:04/02/01 04:37
明日が早く来ればいいのに
377 :
Religion:04/02/01 04:37
明日という定義も怪しいなぁw
378 :
Religion:04/02/01 04:38
いっくら調べても他人だから自分を
まず知ろうよー。
379 :
Religion:04/02/01 04:38
誰か見てるんだろ?
相手してよw
ところで「本物」ってのがある。どんな製品も最後は人間の微妙な感性で
チューニングされなければ「本物」にならない。
このプロセスが欠けた製品があふれている。
>>379 おう、少しなら相手してやるよ。かなり飲んじゃってるけど。
Kuriちゃん、凄いがな!!
>>384 ははは!
確かに、お前にはお似合いだなw
しえええええええーーーーー!!!!!
387 :
考える名無しさん:04/02/01 14:54
騙しかと思ったらマジだった
597 名前: ひろゆき ◆3SHRUNYAXA @どうやら管理人 ★ [sage] 投稿日: 04/02/01 16:13 ID:???
本日の0:00分をもって閉鎖しますです。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ
マジ?
kuriちゃんてだれですか
391 :
考える名無しさん:04/02/01 19:19
392 :
考える名無しさん:04/02/01 19:21
,,,,,,.........、、、、
,,(::(:ヾヾ//ノ;;ノ;;;::ヽ,,
l ;/  ̄ ̄ ̄ ヾヾ、
l ;l = 三 = .|;;;i
l / ,--―'、 >ー--、 ヽl
i^| -<・> | | <・>- b |. / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
||  ̄ | |  ̄ |/ | 祭りだ!暑い2月だぜ
| /(oo)ヽ | <
ヽ (⌒)___ノ / \________________
_, -r┤~.l. ニ /i、__
( f | | ヾ.ー--/ |:::::::|::::::::
l.ヽ人八_ ,, ̄)\ |:::::::|::::::::::
`ー┬‐-ー' ̄
閉鎖になって私がよその掲示板に移っても
きみがついてくるのが鬱です
394 :
考える名無しさん:04/02/01 19:25
iヽ 、 _ _ __ _ __ _ ..,,クi
リ、< くヽ、Y//7ク..ヽノ
/ ミ >>〜⌒''ヽ彡ヽ
|ミ/ .// イ l! i i`Y
,イY ,〈、〈 / リノiリノi l! | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
i i ./ 1>タi ,,二`Y i < あぼーん!
Y、 〈i ` ´ 〈 Lタ〉/i | \________
〈 i i(\ 、 __ / i i
〉!ヽ!` 、.\__ .イi .l! |
/|iリヽ `'' ― ― ' 〉ノノノ
/ ノリ , ` ― ― '' ´〈 ( , へ
./ / _ _ ヽ). /ニ⊃__∧
/ ,イ―'' ´Y)`.;´.Y)`'―ヘ / ノノ( ^^ )
. / / i::. ※ Y) Y) ※. ノ / / /⊃ つ ))
/ ヽ/ |:: ※ Y) Y)※〈 >´ / ((( ,ノつ
\ \ |:: ※ Y) Y)※;ヽ. / (__/
` 、 ヽ;. ※ Y) Y)※Y)Y
`'、 `ヽ.※ Y) Y)※ Y)ヽ
`〉〉ノ〉〉※ Y) Y)※ Y). 、
´´ Y ※ Y) Y)※.Y) i i⊂ニニニニニ⊃i
| ※ Y) Y)※ Y) i | |
| ※ Y) Y)※ Y) | | ゴ ミ |
395 :
考える名無しさん:04/02/01 23:00
大嘘(藁
396 :
考える名無しさん:04/02/01 23:17
>>394 憎き山崎もそう描かれると可愛く思えるのは俺だけか?
私は記号(内容)組織化そして記号(内容)組織化消費について示したが
この記号表現に対する記号内容が自己組織化する場合の単位はなにかと言えば、
イマージュ、心象ではないだろうか
心象とはなにかといえば
主に脳内で記憶されるところの、外的五感と内的記憶が混ざりあい、構成された「もの」である
そしてわたしの内部の心象は外部への取出しが難しく、他者との共有を確認することが
困難である
このために心象は言語表現と対応される
言語表現は視覚記号や音記号であり
それはわたしたちそれぞれの中にとざされた心の心象群をつなぐ働きがある
この規則性の表が言語である
このために私たちは心の中では
言語表現を必要としない
心象により考えるだけで充分である
といいたいところであるがそうもうまくいかない
なぜなら有意識的な思考を心象というあやふやなもので組立て考えるのは困難である
すなわち思考とは内部でのコミュニケーション行為と考えればわかる
他者につたえるように
自己につたえるという意味で
内部の思考、特に論理的思考においては言語表現は必要である
またさらに根本的にはわれわれは言語意味より先に言語表現を学習するということである
これは心にまず升目が切られるようなもので
その後わたしのなかに現れる心象は必然的に言語表現の升目に肉ずけする形にならざる終えないのである
このように考えると記号組織化で組織化する単位はなにか?
どのように人の間で関係性が結ばれるかかんがえていく必要がある
402 :
考える名無しさん:04/02/02 02:57
腐ってる誰一人として俺を理解してくれる者は居ない。俺がいくら世間に真理を説こうと誤解、曲解、嘲笑、罵倒の雨霰。やる気無くした
,,r'ソ'' ''`ヽ
//' /~∃~¨ヽ、
/:/'',,...⊂二 ̄ |`-.,_
/y' ー=⊂二∩_____ノ  ̄`''-.,
/;:l ,  ̄ヽ `'-.,
ヘ''r' /o._..o、 \ \ サイババア♪
(ノレ /,,______,,ヽ |\ \
/ヘノ`l : (''"Y"''');' /ノ:|\ ヽ
ソ/彡ノ、 `ー=-'. /《川/ \,__ |
彡丿彡/ゝ -- /巛| ノ
彡'彡ノ彡ノ| `ー--- '' /;;巛ミミ /
サイババアを崇拝するスレッド
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1075290507/
>>389 コピペして内容を書きかえれば嘘を書ける
596 名前: ひろゆき ◆3SHRUNYAXA @どうやら管理人 ★ [sage] 投稿日: 04/02/01 12:31 ID:???
ぴかあ氏ね
406 :
ちくびぎゅーん:04/02/02 13:34
あなたの議論は特徴的です。四方八方に議論を分散させることによって反論や追及をかわす。
「〜ですね。」というやんわりとした、しかしはっきりとした断定で議論を打ち切って違う議論展開をし始める。
それと古い話で申し訳ないですが、
>>341での議論展開、私はそこに大きな疑問を抱いているのです。
たとえばニーチェが精神を病んでいたとしてもニーチェの議論、あるいは論理展開の真性はその理由からは
何も傷つけられることはありません。彼の真性が傷つけられるとしたらそれは彼の議論自体に真性を疑われる何かが
あったときなのです。彼自身を否定しても(精神)分析しても彼の議論は何も傷つけられないのです。
そしてそれは援助交際をしている女子高生(非女子高生でも可)においても同じことが言えます。
彼女らが援交をする理由は彼女ら自身を分析するだけでは不十分なのです。13歳の女の子がなぜ生きるため以外に自らの
体を売るのか、これは個人に属する問題ではない。あなたのよく言うシステムの問題に近い。
最後に二つ。最近の哲学の傾向は言語分析(メルロ=ポンティ)と、脱構築(デリダ)、倫理化(レヴィナス)の傾向があるといわれています。
私が援交をしている娘たちを通してしようとしていることは社会学でいうスティグマの転換にあたると考えています。
407 :
考える名無しさん:04/02/02 13:43
――――――――――――――――― 、
__ ___ |
_ / _ _ ヽ _∠___ ヽ_ |
| / ,-(_ ・b・)、| , - , -、 | | | |
| | .王ミ | 、王 |・ |・ |- | | | |
| ヽ ヽ-―┴ ´ノ | -c -´ 6) / | |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
―――――――――――――――――、 |
「ドラえもんちんこでかいね。」
「まぁな。」
408 :
ちくびぎゅーん:04/02/02 13:46
>>406 スティグマの転換は成人式で暴れた新成人たちにも適用されます。彼らは馬鹿で馬鹿でどうしようもない人間
という扱いを受けますが本当はそうではないと思うのです。なぜなら彼らに成人としての自覚を促す壇上の成人たちは
彼らの将来の金を返す当てのない借金に変えてしまった張本人たちでありその中の誰も自らの財産をなげうって成人としての自覚を
全うした人物はいないのです。そして新成人たちのためにあった成人の日は新成人以外のものたちの都合で、何の権威もない
第二(三?)月曜日に変えられてしまった。彼らはその成人たちの欺瞞を暴こうとしたといえないでしょうか。
私はむしろ暴れなかった新成人たちよりも暴れた新成人たちのほうに正当性、妥当性を感じるのです。
409 :
ちくびぎゅーん:04/02/02 14:04
スティグマとはそういうことではないでしょう。
また、断定がいたるところに見られます。
>自らの財産をなげうって成人としての自覚を
>何の権威もない
このような断定が残る限り、以後私はたわ言と見なしたい気すらします。
また、次のような
>彼らはその成人たちの欺瞞を暴こうとしたといえないでしょうか。
これも問いかけではなく、反論を許さない決め付けです。議論の基底
をしっかりして頂かない限り、わたしはあなたと話がしたくありません。
あえて命令形で言います。反省しなさい。
>>405 不覚にもワラタw
>ちくび
気づくの遅い
411 :
天才的電波:04/02/02 14:40
僕の意識は僕の生命の証明に近い。初めは無であったのに、僕の意識が発生することによって生と死が出来たように思う。
だとするなら、僕の意識は無を区分して生と死を生み出している。つまり、僕の意識は存在する時点で区分である。
感覚について考えてみると、同じ寒いでも寒帯に住む人と熱帯に住む人とでは区分が異なる。
人にはそれぞれ価値基準があってそれに基づいて感覚を区分することで様々な感覚をうみだしている。
また、感覚のない人もいる。色盲などである。彼らは他者と同じような感覚の区分がなされていない。だから感じることが出来ない。
だから、感覚は区分により発生している。この区分の種類は3っつほどあるように思う。
内区分(自分の区分・欲求の対立など)外区分(周囲の区分・どこからどこまでが何であるか)内外区分(自分と周囲との区分・どこまでが自分なのか)である。
人には十人十色の区分の仕方がある。そこで、明らかにそこで区分できるのに区分していないことを「受容」と言おうと思う。
ハニカムハーツは記号に近づくものということだ。しかも外層で衝突回避のために他者と距離を置くために、記号を複数持っている。
しかし彼らの多くは自分は他者と違うという価値観をもつ。場合に応じて彼らは自分が近づく記号を変えていることを受容しているのだ。
この受容が引き起こすのは、相互理解の不可能である。
彼らは、現在の自分が、実は演じている自分の一人でしかないことに気がついていない。そして、相手もまた、相手の一部でしかない。
いくら相手の意見を踏まえようと、自分の意見を伝えようと、それは本音ではなくなってしまう。
本来、社会を構成する者は、主体であり客体でなければならない。互いに支えあうことが出来なければ社会は崩壊してしまう。
全体主義の時代、社会の構成員は自己の客体的行動が即ち自己の主体的行動でもあった。
現在の個人主義で主体兼客体となり得るには、まず相互理解がなされなければならない。
自分が相手に対し主体であったり客体であったりする場合を知らなければならないからだ。つまり自分がどんな他者とどんな関係を結んでいるかを知るのである。
それによって、主体兼客体へと移行することが可能になる。
412 :
天才的電波:04/02/02 14:48
自分と他者との相互理解を成立させるためには、まず、自分の受容を知り、相手にも受容を知るよう促さなければならない。
さらに関係を結んでいくのだから、対立する認識は両立されなければならない。
最後に意思疎通が常になければならない。相手を常に知ろうとし、自分の主張を常に相手に伝えようと努めるべきだ。
413 :
考える名無しさん:04/02/02 15:47
ぴかぁ〜の生きる原動力って何なんだ?
我慢しきれず、さくら投入キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!
ホントまろゆきはよく分かってるね。
http://www.2ch.net/before.html >頭のおかしな人には気をつけましょう
>利用者が増えるに従って、頭のおかしな人もそれなりに出没するようになって来ています。
>頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。
>頭のおかしな人の判定基準
>・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人
> 他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通らないとコピペや荒らしなど
> 無茶をし始めるので見かけたら放置してください。
>・根拠もなく、他人を卑下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人
> 他人を卑下することで自分を慰めようとする人です。実生活で他人に褒めてもらう機会がないが
> プライドだけは高いとか、匿名の掲示板しか話し相手のいない人です。可哀想なので放置してください。
>・自分の感情だけ書く人
>「〜〜がムカツク」とか自分の感情を掲示板に書くことに意味があると思っている人です。
>何がどのようにムカツクのか論理的に書いてあれば、他人が読んでも意味のある文章になりますが、
>そういった論理的思考の出来ない人です。もうちょっと賢くなるまでは放置してあげてください。
>ちくびさん
だれがだれかよくわからない…
>天才猫さん
現代人の指針のようですね
私は認識の基本は「あること」であるといった
世界に境界を想定し内部と外部を分け、内部を存在と認識する
これはひとというより生命の認識の基本である
人においては言語認識より先にある存在認識である
>>411-412 どうやって今までの文章からああいう風に解釈できたのだろう・・・
本人以外理解不能だと思うが・・・
生命はこのような存在認識の明確さを進化させてきた
世界をより明確に認識することは生存において一つの優位性の方向である
カエルが動くものと動かないものの間に境界を引く
外部認識の向上は詳細に世界を分割する
たとえばいま目の前に見えている(認識している)存在、たとえば壁、椅子、本は言語認識の前にある
ただ本は「本」ではなく、そこにある唯一の存在である
存在認識においては世に溢れる本に共有された意味の本はない
これが言語認識の力である
間違い
存在認識にも存在表現と存在意味がある
動物においても存在表現の同一性はある
記憶に刻まれた存在表現との比較により、存在意味を呼び戻す
犬にとって肉という存在表現はよだれとなって記憶から存在意義を同一性を呼び戻す
言語認識はさらに言語内容の共有性が逆に言語表現のの同一性を呼び戻す
これはどういうことかというと
猿はバナナという存在記号からうまいという存在意味を導きだせるが
うまいという存在意味からバナナという存在表現を導きだすことができない
なぜなら存在意味は心象であるために
明確な引き出しが困難なのである
うまいという心象は言語化されることにより
「うまい」という言語表現がうまる自分自身へコミュニケーション可能となり
「うまい」という言語表現からバナナという言語表現することができるのである
423 :
考える名無しさん:04/02/02 22:28
さるも野菜を洗うよ。
さるをなめたらいかんぜよ
すなわち表現から意味は引き出せるが
意味から言語は引き出せないのである
このために言語は意味を表現化する
これは心象の言語化であり
かつては自己の外部しか存在認識できなかったものが
言語を習得することにより存在認識を自己内部に拡張しえたのである
うまい、いたい、やさしさ
こころ、愛は自己内部の存在認識であり
存在表現である
野菜という存在表現→うまいという心象→洗うという行為
心象から表現は引き出せない
うまいという心象は「うまい」と(言語)表現されることにより
「野菜」という(存在)表現が導かれる
猿は空腹のときにバナナを思い浮かべるか?
429 :
考える名無しさん:04/02/02 23:27
人の言葉を話すオウムは、どのタイプのエサが欲しいか指定するよ。
今日はBタイプのえさちょうだいっつtって
猿
「バナナ」存在表現→「バナナ」存在意味=おいしい心象
「バナナ」存在意味=おいしい心象→「バナナ」存在表現
オウムですか
言語がなければ?
夢とは心象が存在表現化することである
パブロフの犬の条件反射は鈴(存在表現)→唾液(反射行為)
or
鈴(存在表現)→おいしい(心象=存在意味)→唾液(反射行為)
or
鈴(存在表現)→おいしい(心象=存在意味)→えさ(存在表現)→唾液(反射行為)
心象から存在表現を導くとは想像である
動物が想像できるなら
言語というのはこれらを強化する働きになる
猿が空腹からくる心象からバナナを想像する
しかし猿は今自分の中に空腹という心象が「ある」という存在認識できない
おれは「はらぺこ」と思わない
生理的に空腹がおそってくるだけである
心象の存在認識化は言語の力である
436 :
考える名無しさん:04/02/03 00:39
手話で話すボノボを知りませんか。
「今日はバナナが欲しい、パンはあまりいらない、ください」
っていう複雑な会話するよ。
これも「言語があるため」になるわけ?言語を使用するところの
能力の話をしているのか、言語それ自体の組織の話をしているのか
前提と結論がめちゃくちゃだよ。
さらに猿はバナナという存在表現を記憶にとどめ
再びバナナが見えたときにそれがかつての存在表現、バナナであることを認識しえる
このときは同じくおいしいという存在意味も再現されるだろう
これに対して人はバナナという存在表現に対する言語表現を持っている
言語表現化の作用は、存在意味の分類を明確化する
バナナ、果物、細い、黄色
ボノボの手話は人に教えられて?
動物=言語無し
人=言語ありの
前提で言語の作用を考えています
439 :
考える名無しさん:04/02/03 00:55
すでに、猿にとって、バナナはりっぱな記号になっているということだろ。
バナナの模型を作って、猿をだますことができる。
ユングはどうなりました?
これは心象の言語表現についてもいえます
たとえばたのしさは
動物の内部にもあらわれる心象ですが
言語表現により様々な心象をまとめます
さらには言語体系の中の関係性が表される
たのしいとうれしいの違いは心象の違いでなく
言語体系、状況から使い分けられる
これは心象の言語表記のようで実は言語体系から導かれたということか?
ぴかぁー先生は「易」を知っていますか
443 :
考える名無しさん:04/02/03 01:08
言語と記号のちがいをはっきりさせておいた方がいいのでは?
追い詰めて、荒らし化させるなよ。
まだ、この状態の方がマシだ。
445 :
考える名無しさん:04/02/03 01:15
あべし!んぞう君の学歴も怪しいぞ!!www
>>444 貴様うるせえ まともなこと何も言わずに人を嵐だと決め付けしかできないカス
すっこんでろ アホ とっとと死ね
仮に論理展開などに不足な点があるにせよ、ぴかぁー先生の考察は板の趣旨にも
合うし何も問題無いだろ 思考自体も高度だよ
無意味な書き込みすんじゃねえうぜえんだよボケ
447 :
考える名無しさん:04/02/03 01:19
ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!
448 :
考える名無しさん:04/02/03 01:19
うっひゃひゃ
449 :
考える名無しさん:04/02/03 01:22
うぜえんだよボケ、ときましたぜ
さてどうする?
450 :
考える名無しさん:04/02/03 01:22
ほんと、ぴかぁはひとりで考えて、それをまとめて発表したほうが
いいと思うんだね。ここでいろんな意見に影響されて、わけわかんなく
なるより、その方がよっぽどいいと思うのだが・・。
それにぴかぁのは、哲学より社会学むけでしょ、このスレタイの内容はね。
451 :
考える名無しさん:04/02/03 01:22
さて、ぴかぁー先生は「易」を知っていますか?
んぞう君の学歴も怪しいぞ!!!!!!!!!!!
バナナ
存在表現=目の前の唯一のバナナ
存在意味=心象
言語表現=分類上のバナナ
言語意味=心象→言語表現化(おいしい、黄色い、長い)→それぞれの言語意味=心象発生→言語表現化…ネットワーク的延長?
454 :
考える名無しさん:04/02/03 01:24
>>450 アホかおまえ 思考過程自体を不特定多数の批判にさらし、思想の熟度を
上げ、それとともに啓蒙も図ろうというぴかぁー先生の考えなんだろうが。
内容について建設的検討もせずにやりかたばっか横槍いれんなドアホ 死ね
ぴかぁー先生、おそらく「易」は最も単純な言語です。
参考になりそうな気がするのですが。
>X
お前もうるさいよ
言語認識は
存在表現に対する心象という他者と共有性の低い自己完結性を破り、
心象を存在表現化することにより存在認識を拡張しつづける作用がある
このような拡張から
言語は体系され、文化は作られ心がつくられた
459 :
考える名無しさん:04/02/03 01:38
だいたい、心象ってなによ。まったくのブラックボックスだね、
その言葉は。
460 :
考える名無しさん:04/02/03 01:39
軽くあしらわれてやんの
461 :
考える名無しさん:04/02/03 01:39
おい、いい加減だれか面白いスレたてろや
462 :
考える名無しさん:04/02/03 01:41
擬似現象学的考察は、へたの考え休むに似たりだよ。
哲学はむいてないから、社会学に転向すべき。
>X
うるさいから二度と来ないでください。
ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
465 :
考える名無しさん:04/02/03 01:44
「犯行はおぞましいの一言に尽き、鬼畜にも劣る」
たとえば前からいい女が歩いて来た
いい女は存在表現され、心象がうまれる
心象はいい女に対する内的心象ですべては言語化できない
すなわちなぜその存在表現に対してそのような心象が現れたかわからない
しかし「いい女」として言語表現化することにより
心象は言語意味として「いい女」カテゴリーに記憶される
たくさんの「いい女」カテゴリーが集まれば
「いい女」は分析される
うるさくしてすいません どうか許してください <●>
今考察中の言語の本質論は
ハニカムハーツのどういう文脈に組み込まれるのですか?
468 :
考える名無しさん:04/02/03 01:56
またきた
または今までの様々な「いい女」言語意味と比較検討することができる
これは世界観を構築することであり
文化はそのように作られて来た
言語がなけれは存在表現に対する心象だけで
他者へ伝えることが困難である
他者とは自己認識される自分も含まれる
Xが婉曲した罵倒をしていることにぴかぁ〜が気が付いたw
いや、自作自演ということも考えられるw
いや、どちらも馬鹿であることに変わりはないのだが・・・
何でもいいんだけど、なんでこの人は、存在認識とか言語意味とか
意味不明の言葉を用いるわけ?勝手に人の概念を借用したり(イマージュとか)。
わざと意味不明にして、自分の説をありがたいものに見せたいのだろうか?
昔の哲学と一緒ジャン。少しは自分の言葉で語りなよ。
472 :
考える名無しさん:04/02/03 02:48
心象とは何でしょうか。いいかげんな概念ではないですか?
473 :
考える名無しさん:04/02/03 02:50
>>471
自分の言葉で語っているからイケナイのだよ。
474 :
考える名無しさん:04/02/03 02:50
ハニカムスーツは冬寒そう
475 :
考える名無しさん:04/02/03 02:51
ハニカムハツは冷凍もん
477 :
考える名無しさん:04/02/03 02:57
自分の都合のいいように勝手に解釈して使うのがいけないということじゃない? >476
478 :
考える名無しさん:04/02/03 03:32
よく考えもせず、連想と反射神経だけでやってるびかあ。。。
すこしは、自分のなかでよく考えてみろ。
2ちゃんにしょっちゅう出入りしてて、まともな思考ができると
思ってるのがマチガイ。
>>467 ポストモダン以降の構造を記号内容自己組織化消費ととらえました
ハニカム化の要因としても大きいと考えます
それで心の構造を言語学的(記号論)アプローチによりとらえてようと考えています
ここでは言語認識は生命に根源的な存在認識の発展系である
というかつての私の認識論をもってきて
再度心の構造解明を試みたいと考えています
480 :
とおりすがり:04/02/03 10:46
ぴかぁ〜さんは
疲労、倦怠、怠惰、自尊心
について何か考えていることはありますか。
心の構造を考えにあたり無意識という概念を排除したいと考えています
さらに生理として考えたいということですが
ここでは生理というものがとても広範囲で大きな位置をしめる
すなわち人は限りなく動物であるということです
惰性とうとうはより生理的となります
482 :
とおりすがり:04/02/03 11:20
なるほど。
疲労とか痛みとかは生理そのものといった感じがします。
レスありがとうございました。
心でなく生理であるではなく
心も生理であるということですが
484 :
とわずがたり:04/02/03 13:59
分裂だけでは心が見えない
無意識を排除するという意味がわからないが。すべては意識であると言いたいのか?
かって、三島由紀夫はそう主張していたわけだが? 夢の問題はどうする?
引きこもりこないなぁ・・
今日はバイトの日?
すべては生理であり意識は力である
唯物論的に
意識、無意識はソフト的分類
だから無意識はオカルトチックになる
無意識をもう少しハード的に位置付けすると
みたいな感じですか
489 :
考える名無しさん:04/02/03 15:29
仕事中にも2チャンネルにつながずにはおれない中毒患者の心理を分析してください
491 :
考える名無しさん:04/02/03 15:35
ぴかぁ〜先生にも計測させていただきますよ
唯物論的に
492 :
考える名無しさん:04/02/03 15:38
中毒の中で煽り中毒って。。。
493 :
考える名無しさん:04/02/03 15:40
羞恥心は幻想だ
さーあなたもエントリーを
ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1
ここまでをまとめ
認識の原型は存在認識である。存在認識とはあるものという認識である
原型とは人の認識の原型であると同時に生命の認識の原型である
すなわち人または生命はあるものとしてしか認識しえないのである
この存在認識を言語学的に存在表現と存在意味にわける
存在表現とはあるということであり
存在意味とはあるものに対する心象である
心象とはあるに対して、内的に現れるところの、感覚(人では五感)情報および内的な記憶、生理の統合された塊のようなものである
意識とはこの世界から存在を切り取る力である
世界の中に境界を想定し切り取る
すなわち存在認識能力である
人は進化において存在認識能力を向上させてきた
カエルは動くものと動かないものにしか境界を引けず存在を切り取れない
下等な動物は世界を切り取れる力、意識力が弱い
これは五感の能力ではない
人は犬の嗅覚には及ばないし、鷹の視力には及ばない
>>496 命は消えてしまうもの(変容するもの)ではなく、あり続けるもの(状態を維持するもの)としてしか認識できないということですか?
あと、しつこいようですが、ハニカムはーツは例え新しい価値観を生み出したとしても、外層で衝突回避のために他者と距離を置くため、相手にその新しい価値観を伝えることが出来ず、結果新しい価値観を自己の内部にとどめてしまうと思うのですが、どうなのでしょうか?
存在認識の基本は五感で感じた「目の前のもの」である
「目の前のもの」とは唯一無二の存在である
「目の前のバナナ」は世界のどこにもない存在である
そしてその存在表現に対して内部にあらわれる心象もまた一度かぎりの唯一無二である
ただ生命は記憶することができるし、生まれながらに記憶をもっている
生まれながらに持っている記憶とは遺伝子により伝えられた情報であり
生まれてからの記憶とは体験により得られた心象群の情報である
ぴかぁ様は目の前にバナナしかない引きこもりじゃないですよね
引きこもり言うな!
続けます
ぴいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
かああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああほ
唯一無二の存在表現に対する唯一無二の心象は記憶と比較され
ふるい分けられる
猿は唯一無二の目の前のバナナに対する心象を、記憶のバナナという心象階との比較しすることにより
唯一無二でないバナナという存在として認識する
ここでバナナの心象階とは、記憶されたバナナの心象群の最大公約数的心象であり
記憶とは唯一無二の心象をすべて記憶するのでなく
最大公約数的心象として記憶する
505 :
ぴかぁ― :04/02/03 18:08
ばあああなあああなああああのおおおお
せえええええええええいいいいいいいいいい
にいいいいいいいいいいいいいいいい
すううううんなああああああああああああああああ
あああああああああああ
続けます
唯一無二の目の前のバナナは、心象階により
唯一無二でなくなり
有り触れたバナナとしての存在表現を勝ち取る
これが存在認識の構造である
これを同一性認識と呼ぶ
この認識構造における言語認識の意味を考える
言語認識とは存在認識の拡張である
存在認識された唯一無二のバナナは、言語化されない
唯一無二の心象に対する心象階は言語化される
「バナナ」という言語表現は心象階に対応される
そして言語意味は心象階である
すなわち心象階という構造化された記憶を明確にするために言語は使われるのである
言語認識の意味はこの存在認識の明確化にある
明確化とはコミュニケーション可能である
言語はコミュニケーションの道具であることを前提に考えなければならない
ここで注意すべくはコミュニケーションとは人の間だけではなく
人の内部、自分と自分のコミュニケーションも含めた意味である
たとえば前からいい女が歩いて来た
いい女は存在表現され、心象がうまれる
心象はいい女に対する内的心象ですべては言語化できない
すなわちなぜその存在表現に対してそのような心象が現れたかわからない
しかし「いい女」として言語表現化することにより
心象は言語意味として「いい女」カテゴリーに記憶される
たくさんの「いい女」カテゴリーが集まれば
「いい女」は分析される
生命はこのような存在認識の明確さを進化させてきた
世界をより明確に認識することは生存において一つの優位性の方向である
カエルが動くものと動かないものの間に境界を引く
外部認識の向上は詳細に世界を分割する
たとえばいま目の前に見えている(認識している)存在、たとえば壁、椅子、本は言語認識の前にある
ただ本は「本」ではなく、そこにある唯一の存在である
存在認識においては世に溢れる本に共有された意味の本はない
これが言語認識の力である
そういう意味では、ドゥルーズよりも私の考えの方が進んでいるのです。
これをなにを偉そうに!と思うのは間違いです。
ニュートンは相対性理論を知らない、カントは非ユークリッド幾何学を
しらない、だから私のほうが偉い!という愚問と同じです。
哲学と異なり科学にはそのような側面があるのです。
存在認識にも存在表現と存在意味がある
動物においても存在表現の同一性はある
記憶に刻まれた存在表現との比較により、存在意味を呼び戻す
犬にとって肉という存在表現はよだれとなって記憶から存在意義を同一性を呼び戻す
言語認識はさらに言語内容の共有性が逆に言語表現のの同一性を呼び戻す
たとえばバナナに対する心象階をもちえた人は
そのバナナの心象階を共有していることを確認したいがために、バナナの心象階に対応した「バ・ナ・ナ」という言語表現をつくり、伝達するのである
存在認識の基本は五感で感じた「目の前のもの」である
「目の前のもの」とは唯一無二の存在である
「目の前のバナナ」は世界のどこにもない存在である
そしてその存在表現に対して内部にあらわれる心象もまた一度かぎりの唯一無二である
すなわち表現から意味は引き出せるが
意味から言語は引き出せないのである
このために言語は意味を表現化する
これは心象の言語化であり
かつては自己の外部しか存在認識できなかったものが
言語を習得することにより存在認識を自己内部に拡張しえたのである
ここで重要なことは言語意味=心象階があり
それに言語表現があてられるということである
たとえば違う言語圏の人が他にだれもいない閉じた空間でであったとする
彼等はコミュニケーションし、多くにおいてそれは可能だろう
それは彼等が似たような心象階をもちえているからであり
その心象階をつなぐ言語表現を取り決めればいいだけであるからだ
これは心象の言語表現についてもいえます
たとえばたのしさは
動物の内部にもあらわれる心象ですが
言語表現により様々な心象をまとめます
さらには言語体系の中の関係性が表される
たのしいとうれしいの違いは心象の違いでなく
言語体系、状況から使い分けられる
言語がなけれは存在表現に対する心象だけで
他者へ伝えることが困難である
他者とは自己認識される自分も含まれる
またこのような心象階は有形物ある必要はない
たとえば空腹感というものでもよい
内部におこる空腹感という感情も経験を繰り返し
心象階化する
やさしさのような感情も心象階化する
これらは言語表現として名前があたえらる
コミュニケーションされる
また記号組織化された記号とは虚像であり、記号組織化は好奇心を元にした
欲望消費という面が強く、中毒性が高く、依存症にいたる。
これはオタク系などが現実の女性よりも、二次元の女性という虚像にリアリティーを
感じたり、SEXよりもAVにリアリティーを感じるというようなリアリティーの喪失に
至ることも考えられます。
しかし言語と記号の働きは異なる
記号はイメージであり心の無意識に作られ
言語は意識的に習得する
イメージ的には心全体は記号を含めたイメージでできているが
言語は心のあちこちにラベルをはるようなかんじである
たとえば思考することは強い意識力が必要とされるために言語のラベルが引っ張られ記号の塊がついてくるその言語を組合せ思考する
しかしゆるい意識で考えるときは言語でなく記号そのものが組合わさりあらたな記号をつくる
ん…なんかおかしい…
たしかに言語とイメージの結び付きは強い
いわば言語は漠然としたイメージを囲い規定する力があるし
言語により学習する我々は先に言語という入れ物を渡されそれにイメージを入れることが多い
しかしそれでも言語化されない認識は溢れている
これは有意識と無意識に明確な協会がないことが強く影響している
記号組織化社会においては、その中心にあるのが好奇心(解体欲)である。
そしてこの好奇心が虚構の価値観の中で肥大している。
このような旺盛な好奇心は、社交性に向かうように思うかも知れませんが、
記号組織化社会における好奇心過剰はそのようには簡単ではありません。
社会は社会性という自制心を要求します。
特に社会システム自体はまだまだ近代的な規律で構成されているために、
自分の興味のあることに過剰な心は、このような規律への適応において
困難を強いるのではないでしょうか。
唯一無二の存在表現に対する唯一無二の心象は記憶と比較され
ふるい分けられる
猿は唯一無二の目の前のバナナに対する心象を、記憶のバナナという心象階との比較しすることにより
唯一無二でないバナナという存在として認識する
ここでバナナの心象階とは、記憶されたバナナの心象群の最大公約数的心象であり
記憶とは唯一無二の心象をすべて記憶するのでなく
最大公約数的心象として記憶する
たとえば赤穂浪士という物語があります。この大石内蔵助は有名です。
人々の注目は、物語と人気キャラに集まる。
これを種として組織化されれば、赤穂浪士という記号組織化と
大石内蔵助という記号組織化は並列なんですね。
このような構造はそれほど珍しくない。
あえて言えば、現代は情報化によりシミュラークルの発生が盛んであるために、
物語の階層構造の、あちこちから芽がふくので、このような並列化が引き立つの
かもしれませんか。
だから記号論の教科書読んでから立論しろよ。
組織化云々ならば、バルトの「記号学の原理」のどっかに
似たような議論もあったと記憶する。
この心象階は最大公約数にあらわれ、言語表現される
バナナは心象階の最大公約数である
また食べ物はバナナ、林檎などなどの最大公約数として心象階として現れるし
おいしいもまたおいしいものの最大公約数として現れる
たとえばたのしいはたのしいことの最大公約数に現れるが
問題はうれしいと何が違うのかということである
これは言語の成長を考える必要がある
はじめはひとつであった嬉しいが
たのしい、うれしいに分離したのである
心象階に対する言語表現が現れたということは言語意味は心象階そのものである
よっぽどの無知。ネットがもたらす自意識の過剰なあらわれがこのスレで
よくわかる・・・
しかし言語表記がぎゃくに言語意味に影響し
はじめの言語意味=心象階から
言語体系の中で言語意味を変化させたことを表す
現在においては言語意味は心象階そのものではなく
言語構造の中で成長したのである
これは言語表記自体が言語意味を変化させる
すなわち心をつくる働きをもちえていることである
こんな程度の文をしかもダラダラ書いて読んでくれる人がいると思ってんのか?
3流雑誌の論文の1/100の内容もないぞ。そんな暇があったらせめて読書しろ。
500冊くらい最低でも読んでから文章を書け。
533 :
考える名無しさん:04/02/03 19:54
読書くんは煽る前に反論しろ
できないならもっと読書してこいW
読む必要ない。ある程度の本を読んでいればくだらない文章を読むことが
どれほど無駄なことかわかる。読書なんてものは文章を書く人間ならば
必要最低限の前提だろう。それよりも名無しになって反論するとはぴかぁ
ってのも相当チンケだな
535 :
考える名無しさん:04/02/03 20:01
だからそのバルトがなんて書いてあったいって見ろよW
536 :
考える名無しさん:04/02/03 20:04
よんでたらもっとえらそうに自慢するだろ
537 :
考える名無しさん:04/02/03 20:05
読書馬鹿?
野次に紛れた教えて君発見!
539 :
考える名無しさん:04/02/03 20:06
>読書くんは煽る前に反論しろ
それ以前の問題だと思う
レポートでこんなんだしたら即つき返される
高卒のぴかあにはわからないだろうが
540 :
考える名無しさん:04/02/03 20:07
妄想馬鹿と読書馬鹿の争いW
そろそろコピペが来るかな?
542 :
考える名無しさん:04/02/03 20:09
レポートって、厨房かよ
相手して損したW
おしえて君というよりもぴかぁ〜ってのは人に聞いただけであたかも
自分がそう考えていたように以後振舞うぞ。受け売りってやつだ。
笑えるくらい受け売りするぞ。まえもヒュームスレがたったあとから
いきなりヒュームの懐疑論とか言い出しやがったw
544 :
考える名無しさん:04/02/03 20:11
ぴかぁーは携帯の時は文末に「W」をつける
PCのときは「(w」をつける
だから自演がすぐわかるw
545 :
考える名無しさん:04/02/03 20:12
また違う馬鹿?
なに馬鹿?W
ここは隔離施設。
放置してください。
俺もやってみよW
548 :
考える名無しさん:04/02/03 20:13
記号だとか言語だとか述べるなら、自分の城に閉じこもってないで
この板の分析軍団のスレに何でいかないの?
549 :
考える名無しさん:04/02/03 20:13
携帯とパソで自己擁護。いつものパターンの反復。
550 :
考える名無しさん:04/02/03 20:15
記号だとか言語だとか述べるなら、自分の城に閉じこもってないで
この板の分析軍団のスレに何でいかないの? >ぴかぁ
551 :
考える名無しさん:04/02/03 20:16
>>548 何故なら、「記号」も「言語」も自己流解釈だから。漢字のイメージのみで
その用語を使ってる。ちなみに「ニーチェ」も「ヒューム」も「カント」も
「デカルト」もまったく読んだ形跡がない。
自己組織化だとかシステム論だとかも受け売りだからね
この板なら知ってるやつがいないから反論されないと思ってるんじゃない?
553 :
考える名無しさん:04/02/03 20:17
馬鹿スレで馬鹿釣れまくり
おまえらなんのために生きてんの?
死んだらW
554 :
考える名無しさん:04/02/03 20:19
>>543 一番笑ったのは、ラッセルの西洋哲学史読んでますとスレ立てて
1週間後にはすごい勢いで、近代哲学批判をしだしたときだねw
あれでこいつは入門書の知識だけで垂れ流してるとわかったw
555 :
考える名無しさん:04/02/03 20:20
別に哲学書なんて読んでも対した意味を持たないかもしれないが、せめて
ヒュームだのデカルトだのシステム論だのいうのなら読んでからにしろ。
読むのがめんどうなら、ヒュームだのデカルトだの言わなければいいだけの
ことだろ?
556 :
考える名無しさん:04/02/03 20:20
記号だとか言語だとか述べるなら、自分の城に閉じこもってないで
この板の分析軍団のスレに何でいかないの? >ぴかぁ
557 :
考える名無しさん:04/02/03 20:21
イマージュもねw
558 :
考える名無しさん:04/02/03 20:22
記号だとか言語だとか述べるなら、自分の城に閉じこもってないで
この板の分析軍団のスレに何でいかないの? >ぴかぁ
559 :
考える名無しさん:04/02/03 20:23
どうした?そんなことしかいえないの?
馬鹿丸だしW
560 :
考える名無しさん:04/02/03 20:24
>>556 実は行ってるぞ。荒らしとしてだけどね。毎回議論が白熱してきたら
AAが張られる。何人かはすでに気付いていたようだし。あれだけ
張りついてるのはぴかぁ〜しかいない。荒らしが出てくる時間帯も
ぴかぁ〜がいるときに限るんだよね。
561 :
考える名無しさん:04/02/03 20:25
荒らしならくんな >ピカ
562 :
考える名無しさん:04/02/03 20:25
馬鹿にはコピベが似合う
自然体ってやつ?W
563 :
考える名無しさん:04/02/03 20:27
記号だとか言語だとか述べるなら、自分の城に閉じこもってないで
この板の分析軍団のスレに何でいかないの? >ぴかぁ
564 :
考える名無しさん:04/02/03 20:29
しろうとにも見放され、ちくびにも見放され、、
565 :
考える名無しさん:04/02/03 20:31
566 :
考える名無しさん:04/02/03 20:31
記号だとか言語だとか述べるなら、自分の城に閉じこもってないで
この板の分析軍団のスレに何でいかないの? >ぴかぁ
567 :
考える名無しさん:04/02/03 20:32
あとはおまえだけがたより?W
568 :
考える名無しさん:04/02/03 20:33
>馬鹿にはコピベが似合う
ちなみにコピぺをコピぺとよく間違える。ぴかぁ〜は。アホ丸出し(藁
569 :
考える名無しさん:04/02/03 20:33
記号だとか言語だとか述べるなら、自分の城に閉じこもってないで
この板の分析軍団のスレに何でいかないの? >ぴかぁ
来なくていい
571 :
考える名無しさん:04/02/03 20:35
記号だとか言語だとか述べるなら、自分の城に閉じこもってないで
この板の分析軍団のスレに何でいかないの?アポなの? >ぴかぁ
572 :
考える名無しさん:04/02/03 20:38
記号だとか言語だとか述べるなら、自分の城に閉じこもってないで
この板の分析軍団のスレに何でいかないの? >ぴかぁ
573 :
考える名無しさん:04/02/03 20:38
>352 :ぴかぁ〜 :04/01/31 16:40
>そういう意味では、ドゥルーズよりも私の考えの方が進んでいるのです。
>これをなにを偉そうに!と思うのは間違いです。
>ニュートンは相対性理論を知らない、カントは非ユークリッド幾何学を
>しらない、だから私のほうが偉い!という愚問と同じです。
>哲学と異なり科学にはそのような側面があるのです。
そういやドゥールーズスレも最近立ったしね(激藁
574 :
考える名無しさん:04/02/03 20:39
さあ、そろそろデカルト懐疑論とは何か?から聞いてみようかぴかぁ〜
またぴかぁ〜にいじめられてるのか
こりないやつだな
ぴかぁ逃走
577 :
考える名無しさん:04/02/03 20:44
記号だとか言語だとか述べるなら、自分の城に閉じこもってないで
この板の分析軍団のスレに何でいかないの? >ぴかぁ
578 :
考える名無しさん:04/02/03 20:45
ぴかぁ〜さん、答えてください。ぴかぁ〜さんがどんな珍答をするか
楽しみにしています。応援してますw
579 :
考える名無しさん:04/02/03 20:47
このスレの分析系は性格悪いやつ多いから楽しみですなw
ぴかぁさんの哲学で彼らの似非哲学をぎゃふんといわせてくださいw
だから腫れ物に触るなって。>ALL(禿除く)
そのうち糞スレ乱立、糞スレ上げ、荒らしがさらに行われるだろう。
ここに予言しておく。
普通に無視されると思われ
582 :
考える名無しさん:04/02/03 20:51
分析と言語学の区別できないやつって
583 :
考える名無しさん:04/02/03 20:53
>>582 ぴかぁさん!自分がやってることは言語学だと思ってたんですか?!
584 :
考える名無しさん:04/02/03 20:54
どこまで哲学から逃げれば気が済むのですか?!
585 :
考える名無しさん:04/02/03 20:57
,,r'ソ'' ''`ヽ
//' /~∃~¨ヽ、
/:/'',,...⊂二 ̄ |`-.,_
/y'<●> <●>_____ノ  ̄`''-.,
/;:l ,  ̄ヽ `'-.,
ヘ''r' /o._..o、 \ \ サイババア復活
(ノレ /,,______,,ヽ |\ \
/ヘノ`l : (''"Y"''');' /ノ:|\ ヽ
ソ/彡ノ、 `ー=-'. /《川/ \,__ |
彡丿彡/ゝ -- /巛| ノ
彡'彡ノ彡ノ| `ー--- '' /;;巛ミミ /
サイババアを崇拝するスレッド
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1075290507/
ぴかぁ〜粘着って高校生?
587 :
ちくびぎゅーん:04/02/03 22:20
場違いかもしれませんが、
同一性の認識でしたっけ、私は構造主義自体は物事を考えるのに便利であると思いますが、
対象をその対象が属するカテゴリーと結び付けて考えるということは、対象の持つ(ある種の)形を
カテゴリー(あるいは構造)という型枠にはめ込んでしまうのではないかと思うのです。
そしてその構造に当てはめることによって対象あるいは事物の「このもの性(そのもの性)」が失われてしまうのではないかと危惧します。
(蛇足)たとえば学生生活をおえると就職しある程度の期間内に結婚をし、マイホームを買う、子供をもうけるなどの構造(ある種の形式)は
結果として現在、家庭にも職場にも居場所を持てない人間をたくさん作り出してしまったように思います。私は彼らの人生を
考えるたびに彼らのことが憎くなってくるのです。何故他の誰でもない当の自分の人生をそのような構造に当てはめて自らの人生の「このもの性」を
放棄したのだろうかと。私が「わたし」の明確性をうたがうのもこの点からの動機が強いのです。
彼らがわたしの「このもの性」を放棄したのはある種の必然があったのではないかと考えているのです。
きっと反論はたくさんおありでしょうね。よければ優しく反論してください。
588 :
ちくびぎゅーん:04/02/03 22:32
>>409 ずいぶん前のことですが私はしばらくここに来ていなかったので、
何の反応もしていなかったことを許してください。
あの時は昼休み中で時間が無かったですし
赤いパンツをはいていたから興奮していたのかもしれません。
気分を害するような断定をしていたのなら反省します。
ただスティグマの転換というのは何か否定的な価値判断をされている事柄を
肯定的な判断に覆すことを言うのではなかったですか。もし私の勉強不足で
誤った解釈をしていたのなら、もう一度反省します。
またもし議論の展開に不必要な権威付けを私がしたという指摘であるならば
それはもう謙虚に反省します。
589 :
ちくびぎゅーん:04/02/03 22:52
反応ないですね、場違いと言う事ですか。帰ります。
>>587 構造主義自体は、すでにポスト構造主義などによって批判されていますので、
いまそれを批判してもあまり意味がないと思います。
たとえば構造主義の先駆けである言語論においても
すでに構造主義的な囚われから、次の展開は向かっています。
しかし言語学においての、我々の心が言語構造に制約をうけてできている
という事実は本質的な問題です。
さらにいえば、心は言語から遺伝子までの制約がなければ
構築され得ないと言う事実は動かしがたいように思います。
ようするに、あなたのいう「このもの性(そのもの性)?」という考えも
何らかの制約によりできているものでしかすぎないということです。
/\/\ /\/\
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\/\/\/\/\/\/\/\/
\ ?Q ?Q ?Q ?Q ?Q?P /
\/\/\/\/\/
\ ?Q ?Q ?Q/
\\/\//
\\//
\/
592 :
考える名無しさん:04/02/04 00:08
心の様々な制約(条件)は一方、自由の基盤でもある。言語がなければ
コミュニケーションの自由度は、はるかに低いものにしかならないだろう。
そうですね。自由は制約が規定する。
>たとえば構造主義の先駆けである言語論においても
「構造主義の先駆けである言語論」
よく知らないのですが、どのような言語論でしょうか?名前なんかで
いいので教えて下さい。
>>594 構造主義の先駆けである「言語論」 っていってんの
文脈読め ソシュールとか言語論じたいが構造主義の先駆けだろうが
ドアホ
>>595 すみません・・・
言語論というもの自体がよくわからないもんで・・・
ということは、言語論とはソシュールという人の考えなんですね?
598 :
考える名無しさん:04/02/04 01:32
つーか、ぴかぁ〜答えてあげろよ。自説を垂れ流すだけがこのスレの目的
なのか?
>>596 さん
ぴかぁー先生へのあてつけの、荒らしに近い質問かと思ったので
かっとなってしまいました。誤解でした、ごめんなさい。
いやいやたくさんいますよ。
ソシュールは自然言語に注目した初期の言語学者ですけど、
ポストモダンの思想家は多かれ少なかれ皆、言語論的傾向は持っています。
構造主義からややはなれますが、ウィトゲンシュタインやフーコー、デリダ
まで皆、いうなれば言語学者ですね。
俺はNAVERっていう日韓翻訳掲示板をよくみるんだが、
ぴかぁ〜っていう人はそこの韓国人にそっくりだな。
根拠は脳内妄想、それで高みにいると思い込み、
間違いを指摘されると火病で荒らし。
601 :
考える名無しさん:04/02/04 01:39
言語による文節、というのもわかるが、言語以前の自然な文節もあるよな
>>600 「火病で荒らし」の部分は違います。証明のしようもありませんが、
私はぴかぁー先生とは本当に別人です。一年以上この板でのおつきあいですが。
ぴかぁー先生はいつも淡々としたものですよ。
わたしがかっとなったふりをして荒らしどもを叱ることにより、
多少効果はでてきたかなと思っています。
……自己回復を図っているのでしょう。
そっとしておいてあげましょう。
沈黙も立派なコミュニケーションです。
604 :
考える名無しさん:04/02/04 01:45
>わたしがかっとなったふりをして荒らしどもを叱ることにより、
>多少効果はでてきたかなと思っています。
このスレを読むわけではないから、好きなようにやったらいいけど、
ぴかぁ〜先生は他スレでひどい人格攻撃をしたりする。俺も関わってた
スレでそれをやられた。そっちも注意してほしい。
>>604 わかりました。
ぴかぁー先生のことは尊敬していますから、もしそんなことするんだったら
かえって絶対許しません。
もしよければ具体的に指摘してもらえたら今読んでみますが、まあどちらでもいいです。
<記号の解体>
記号学では、存在を記号と考え、直接知覚できる事象という記号表現という、直接は知覚できない
記号意味でとらえられる。記号学における記号とは一般的に人工物である。すなわち記号には
直接は近くできないが無意識的な意味が存在すると考えるのが、記号学である。
では記号表現とはなにかと考えると、それは存在である。
認識の原型は存在認識である。存在認識とは「あるもの」という認識である。
原型という意味は、人の認識の原型であると同時に生命の認識の原型であるということである。
すなわち人または生命は「あるもの」としてしか認識しえないのである。
存在を認識するとは、私内部に心象を描くことである。
心象とは私内部に現れる、存在から五感を通して受けた情報がおよび内的な記憶、
生理の統合された塊のようなものである。
たとえば、赤い丸いボールの存在認識とは、外部の認識し得ないボールそのものに対して、
知覚を通して、内部に描かれる赤い、丸い、などの心象である。
意識とはこの世界から存在を切り取る力である。世界の中に境界を想定し切り取る。
すなわち存在認識能力である。
人は進化において存在認識能力を向上させてきた。
カエルは動くものと動かないものにしか境界を引けず存在を切り取れない。
下等な動物は世界を切り取れる力、意識力が弱い。
これは五感の能力ではない。人は犬の嗅覚には及ばないし、鷹の視力には及ばない。
存在認識の構造を考えてみると、存在認識の基本は知覚した「目の前」のものである。
「目の前」のものとは唯一無二の存在である。
「目の前」のバナナは世界の中で「目の前にしかない」バナナである。
それは内部に一度かぎり現れる唯一無二の心象である。
そしてそのバナナを食べた場合には味覚としてのおいしいという情報が加わり
バナナの心象は作られる。
そしてこのバナナ1の心象が記憶された場合に、
次にバナナ2を存在認識した場合には、バナナ2とバナナ1の心象の記憶は比較される。
そこで近似的であることにより、同一性が確認される。
そしてバナナの存在認識が繰り返されることにより、内部に
バナナの最大公約数的心象が形成される。
黄色く、長く、おいしいというバナナの心象層が形成される。
このように記憶に様々な心象層が存在する場合には、
「みかん」と「りんご」の最大公約数心象として、「たべもの」や「おいしい」の高位の心象層が
形成される。
また「リンゴ」と「丸い木」では、「丸い」、「赤い」などの高位の心象層が形成される。
このようにして存在認識は、階層的に心象層を形成した記憶が形成される。
やや混迷しましたが、とりあえず一歩踏み出せたような気がします・・・
認識論的転回の時の言説に完全に逆戻りしているような気がします。
逆戻りではないのかもしれませんが。
ハニカムハーツの内部に踏み至ったというようなご説明でしたが、
これは前進なのでしょうか。
私がとても確認できないような全体的前進がなされているとは信じています。
>>609 ネタの仕入れ元に感謝しないとな。読書スレとか。
>>611 ネタとかそんな次元じゃない。
「知ちゃんねる」通して読んでみろ糞バカ野郎死ね
613 :
考える名無しさん:04/02/04 02:01
バナナ1がバナナ1であることが同一性。だから同類性とか同種性というほうが
適切では。
<記号の解体> 改訂
記号学では、対象物を記号ととらえ、直接知覚できる事象という「記号表現」と、
直接は知覚できない「記号意味」でとらえる。記号意味とは、(特に人工物において)直接は
知覚できないが無意識的な意味が存在すると考える。
では直接知覚できる事象である記号表現とはなにか?
それは「あるもの」という認識、存在認識である。
意識という力により、この世界の中に境界を想定し切り取ることである。
そして存在認識するとは、私内部に心象を描くことである。
心象とは私内部に現れる、五感を通して受けた情報がおよび内的な記憶、生理の
統合された塊のようなものである。
たとえば、赤い丸いボールの存在認識とは、外部の認識し得ないボールそのものに対して、
知覚を通して、内部に描かれる赤い、丸い、など情報の総体、すなわち心象である。
存在認識は認識の原型である。原型という意味は、人の認識の原型であると同時に
生命の認識の原型であるということである。
すなわち人または生命は「あるもの」としてしか認識しえないのである。
人は進化において存在認識能力を向上させてきた。
カエルは動くものと動かないものにしか境界を引けず存在を切り取れない。
下等な動物は世界を切り取れる力、意識力が弱い。
これは五感の能力ではない。人は犬の嗅覚には及ばないし、鷹の視力には及ばない。
存在認識の構造を考えてみると、存在認識の基本は知覚した「目の前」のものである。
「目の前」のものとは唯一無二の存在である。
「目の前」のバナナは世界の中で「目の前にしかない」バナナである。
それは内部に一度かぎり現れる唯一無二の心象である。
そしてそのバナナを食べた場合には味覚としてのおいしいという情報が加わり
バナナの心象は作られる。
そしてこのバナナ1の心象が記憶された場合に、
次にバナナ2を存在認識した場合には、バナナ2とバナナ1の心象の記憶は比較される。
そこで近似的であることにより、同類性が確認される。
そしてバナナの存在認識が繰り返されることにより、内部にバナナの最大公約数的心象が
形成される。黄色く、長く、おいしいというバナナの「心象類」が形成される。
さらにこのように記憶に様々な心象類が存在する場合、
「みかん」という心象類と「りんご」という心象類の最大公約数から、「たべもの」や「おいしい」などの
高位の心象類が形成される。
また「リンゴ」と「丸い木」では、「丸い」、「赤い」などの高位の心象類が形成される。
このようにして存在認識は、階層的に心象類を形成した記憶構造を形成するのである。
生命は、言語習得の前に心象階層的な存在認識を持ち得ていたと考えられる。
そしてこの心象階層構造の複雑性は、意識という力の強さによる存在認識能力により
決定される。
そして言語とは、このような構造をより複雑にする道具として発達した可能性が高いと思われる。
619 :
考える名無しさん:04/02/04 02:18
今度はヘーゲル風味になった。
>生命は、言語習得の前に心象階層的な存在認識を持ち得ていたと考えられる。
>そしてこの心象階層構造の複雑性は、意識という力の強さによる存在認識能力により
決定される。
>そして言語とは、このような構造をより複雑にする道具として発達した可能性が高いと思われる。
いままでのご思想の痕跡は至るところに見られますが、
ここは全く違った彩りと輝きを放っていますね。気づきました。
ここにハニカムハーツ社会学と「私」主義が認識論的転回の方法論で結合していますね。
新しい地平ですね。高次統合ですね。
ここでしめす存在認識のあるものは、言語表現に先立つ。
試しに、あなたの目の前の対象物があることを認識してください。
たとえば、それがTVだとして、それをさらに意識力によって
解体してください。
画面、スピーカー、ボタン、台・・・さらに小さく・・・
すると言語よりも小さい存在に当たるはずである。
それは言語表現化される前の存在である。
>今度はヘーゲル風味になった。
そうですね。ヘーゲルの「大論理学」をポストモダンを乗り越えて止揚させた
ような感じです。涙が出てくるようです。。
確かにポストモダンを勝手に乗り越えた思っている後に、トイレで大便をした後に
けつを拭く のを忘れたような展開ですね。涙でました。。。
>>623 あえてまじめに答えます。
おそらく、あなたその皮肉は分析哲学的な思考からでしょう。
分析哲学を前提としていると、ぴかリズムの真価は見えてきませんよ。
用語が分析系なので私も長く戸惑っていたのですが、「概念の有機的発展」
にピカリズムの真価があると思っています。
625 :
考える名無しさん:04/02/04 02:39
626 :
考える名無しさん:04/02/04 02:47
ぴかは訓古学じゃなく「今」という時代を哲学しようとしてる。(持ち上げすぎ?)
>たとえば、それがTVだとして、それをさらに意識力によって
>解体してください。
>画面、スピーカー、ボタン、台・・・さらに小さく・・・
>すると言語よりも小さい存在に当たるはずである。
>それは言語表現化される前の存在である。
原子
少しは勉強したかな? 方法はともかく。
「記号意味」「記号表現」は、みたところ「シニフィエ」「シニフィアン」
と置き換えられそうだけど、ぴか氏の思考が日本語の文脈で飛躍しがち
なことと、誤解を避けるためにも、あえてこの外来語の用語で議論した
方が良いのではないか。そのうえで、意味作用(Signification)と
ラング/パロールの関係のなかで、組織化過程への射程が広がるか!?
乞う御期待!!
ってとこかな?
こころの形を言語に先立つ心象階層構造としてしめしたが
心を表すにはまだ多くの観点が抜けている
まず大きなものが個体性と集団性の階層関係である
個体とは階層の集団であり
上位層の個体の一部である
すなわち私は細胞の集まりであり、社会の一部であるということである
これの何が重要であるかといえば
集団とは単に集まったものでなく
そこに共有された「情報」が存在するということである
これは私は細胞の共有された「情報」をもち
社会の共有される「情報」をもっているということである
人は社会的動物と言われる
心象階層構造は多くにおいて他者と共有されているということである
すなわちこの心象階層構造は私という個体の内部にあるものでなく、コミュニケーションにより、社会という個体の心でもあるといえる
種すなわち人類から個人までの間には
体験を共有する密度が存在するだろう
体験の共有性とは単純には空間的な近さと、近さの時間的な持続長さである
家族や友達たちや恋人たちなどはとても体験の共有性が高い
そこにはコミュニケーションがあり、集団としての心象階層構造がおこる
彼等の中の「バナナ」の心象類はとても近いものになるはずである
この集団内の心象階層の共有では
人の内部に現れるあやふやな心象はどのようにコミュニケートされるか
という問題がある
まず大前提としてはほぼ同じ心象発生システム、すなわち生理システムをもっているということである
ここまでくるとあやふやな心象類を共有するのが
心象類に対応させた言語である
これでコミュニケーションが円滑になるといいたいところであるが
そう簡単でもない
なぜなら言語をもちえた人よりも、もちえない生物の方が
社会的集団性が高いように思うからである
ここまでくるとあやふやな心象類を共有するのが
心象類に対応させた言語である
これでコミュニケーションが円滑になるといいたいところであるが
そう簡単でもない
なぜなら言語をもちえた人よりも、もちえない生物の方が
社会的集団性が高いように思うからである
ここまでくるとあやふやな心象類を共有するのが
心象類に対応させた言語である
これでコミュニケーションが円滑になるといいたいところであるが
そう簡単でもない
なぜなら言語をもちえた人よりも、もちえない生物の方が
社会的集団性が高いように思うからである
下等動物の高い集団性はどのような共有性によるものか?
蜂などはその肉体形態まで社会性により規定されている
これは遺伝子という先天的情報によると考えられるだろう
彼等は生まれながら社会という集団性を形成するための共有された情報をもちえているのである
生命は多かれこのような先天的な共有される情報を持ち社会を維持しているのである
ではどこまで先天的でどこまで後天的か?
これはむずかしい問題である
なぜならこのような遺伝子情報はそれのみで完結していないからである
すなわち遺伝子情報は可能性を秘めた情報で
後天的な体験により現れたり、死ぬまで現れなかったりするのである
これが一番わかりやすいのが種間の強制関係ではないたろうか
ある種の植物と昆虫は、遺伝子情報はお互いの存在がいる可能性が組み込まれている
ある植物は限定されたその昆虫がやってくることによってのみ受精が可能である
これはひとについてもいえる
私たちの体には無数の細菌が生活している
うまれてもしその細菌が体に入らなければ我々は生きることができない
生まれて細菌がはいることを想定して、遺伝子情報はできているのである
すなわち後天的な体験を予測して遺伝子情報はできていることであり
いっけん後天的な体験により手に入れ
たと思われた情報も先天的遺伝子情報のスイッチでしかない
ことが考えられるのである
これを最初の心象階層構造にあてはめると
バナナを何本を体験することにより心象類がつくられる
空間的に近い個体間では類似の体験をしコミュニケートもするので、その心象類は集団内で共有されたもの、すなわち社会的心象階層ができるといった
しかしこれらが純粋に後天的体験によるとはいえないのである
わたしたちは生まれる前からバナナを知っていた可能性がある
それはバナナを見たときに遺伝子のスイッチが入り
思い出したとも考えられる
ほぼ同様な遺伝子情報をもった我々が社会的心象類を共有するのは当然となる
バナナのおいしさは食べてわかったのか?
食べる前から知っていたのか?
これはわたしの心を考えるとき
個体としての点から社会的な「共時」平面、そして進化という「通時」立体を
考えなければならないということである
そして遺伝子情報もまた進化という体験の蓄積である
進化も体験であり、存在認識が生命根源の認識能力ならば
遺伝子もある種の心象階層構造によりできていると考えられるだろうか?
>>634 言語をもちえた人よりも、もちえない生物の方が社会的集団性が高いように思う
↑は人と動物の、生命の危機からくる必要性の差を考慮に入れての話ですか?
645 :
考える名無しさん:04/02/04 15:08
はにかむあげ
自己顕示欲に満ちた臭いスレですね
647 :
考える名無しさん:04/02/04 15:53
自己顕示欲に満ちた臭いレスですね
648 :
考える名無しさん:04/02/04 15:56
647=ぴかぁ〜・・・と。
649 :
考える名無しさん:04/02/04 15:57
650 :
考える名無しさん:04/02/04 16:01
ぴかぁ〜相手してやれよ
粘着くんが常駐でまってるぞW
651 :
考える名無しさん:04/02/04 18:55
発 情 ←←←←← 出会い系大好き 子供を蒸し焼き →→→→→ 少 子 化
↓ ↑ ↑ ↓
↓ ↑ ↑ ↓
デキ婚 →→ 離婚 →→ 迷惑DQN低学歴 →→ 老後に備えることなく ↓
↑ ↓ 無職、給食食い逃げ パ チ ン カ ス ↓
↑ ↓ ↓ ↓ ↓
↑ ↓ ↓ ↓ ↓
発情期 ←← 迷惑DQN母子家庭 →→ 生活保護 ←← 失業 ←← 高齢化 ↓
↑ ↓ ↓ ↓ ↓
↑ ↓ ↓ ↓ ↓
やりたい放題 ←← 子供もDQN 福祉予算増大 ↓ ↓
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
学級崩壊 →→→ 教育水準低下 財政悪化 ←←←←←←←
↓ ↓ ↓
↓ ↓ ↓
珍 走 ↓ ↓
↓ ↓ ↓
↓ ↓ ↓
治安悪化 →→ みんなに迷惑をかけながら ←←← 増 税
被 害 拡 大
なんか駄目人間の教祖様みたいだな
駄目人間は言い過ぎたか。
教祖様とその取り巻き、そしてそれを排除しようとする住民団体の構図か。
654 :
ちくびぎゅーん:04/02/04 20:27
>>590 バナナがお好きなようなのでバナナを例に話をさせてもらいますが、
もしバナナAがメロンの味に近いバナナであったときそのバナナAを
バナナの集合(心象階層でもいいです)に当てはめてしまったとき
やはりバナナAの「このもの性」は失われてしまうように思うのです。
だからそのような構造に何かを当てはめるという行為(方法)それ自体に
対する批判なのです。
矛盾する主張ですが一方で私は構造主義がなにかを説明するときに非常に
有用であるような印象は持っています。ただ何かの理論を立てるときに
構造主義の「囚われ」を抱いたままでは問題がある気がします。
655 :
ちくびぎゅーん:04/02/04 20:31
>>590 それと以前心は言語の影響下よりもイメージの影響下にあると
主張していたように思いますが、そのあたりの整合性はどうなるのでしょうか。
>>654 心象とは味覚だけでなく、5感を元にしています。
これは構造主義ですか?ということです。
>>655 これからということです。私にもわかりません。
もう、メチャクチャ・・・
基地外に匿名掲示板
658 :
ちくびぎゅーん:04/02/04 22:07
最近はソシュールにいたく興味をおもちなようですね。私はそっちのほうには
特に興味が無い。何というか知的好奇心を満足させる、もしくは自らの知性の高さを証明したいならば
その方面は有用かもしれませんがひどく思弁的な気がします。私の主題とする現実を生きるという
方向からはかけ離れてしまっているようです。ここは私の居場所ではないのかもしれません。
ちくびさん
ソシュールよりユングですよ。ユングはどうですか
660 :
考える名無しさん:04/02/04 22:14
661 :
ちくびぎゅーん:04/02/04 22:19
ユング?私は大まかにしか知りませんが、ユングの言っていることは好きです。
しかし何か神秘主義的傾向が強すぎて議論の対象になりにくいように思います。
だから私はデカルト的(あるいは非デカルトを含む全ての)自己明証性を批判する
ときにだけ彼ら(フロイト、ラカンを含め)の議論を取り上げるように心がけています。
(永続的)留保と言えるかもしれません。
662 :
ちくびぎゅーん:04/02/04 22:20
>>660 やはり何か問題がありますか。よかったら指摘してください。
663 :
ちくびぎゅーん:04/02/04 22:52
>>660 今、目の前にあるバナナをかつて目にし口にしたバナナと結び付けて考えることは
理解を早めますし、その過程はかなり簡略化できます。しかしその簡略化と引き換えに
今あるバナナの「このもの性」(独自性と言い換えてもいいかもしれません)が失われるのでは
ないかと思うのです。例えばかつてのバナナより糖度が非常に多いとか少ないとか。
これはバナナで考えるよりも異性で考えた方が適当なのかもしれません。
プレゼントすると喜ぶとか、ひくとか、そういうたとえの方が私の意図は伝わりやすいかもしれません。
664 :
ちくびぎゅーん:04/02/04 23:06
あまり反応も無いみたいですし邪魔なのかもしれませんので私は帰ります。
665 :
考える名無しさん:04/02/04 23:16
あなた、いつもどこからどこへ帰るの
>>663 原始的な生命でさえこのような記憶システムは持っています。
記憶を否定することに意味があるのですか???
>>666 記憶システムってな〜に?
記憶ってな〜に?
>>667 きみにないものさ
馬鹿の一つ覚え、ない。
なにかが違う・・・
>>668 つまんな〜い
皮肉にすらなってな〜い
日本語に不自由な人はしゃべらなくていいよ
「きみ」なんて柄にもない言葉使いもしなくていい
早く教えてよ、ぴかぁ
早く名前欄に「ぴかぁ〜」って入れて答を書き込んでよ
672 :
考える名無しさん:04/02/05 00:53
>>670 つまんないよ、君
イタいこと言ってないで、はやくおウチにかえんなさいねw
673 :
考える名無しさん:04/02/05 00:59
ぴかぁ粘着さんって高校生ですか?
>>672 いいね〜
w←特ににこのあたり
馬鹿な人が、この板で頑張っちゃうって、なんだかわかるな〜
尊敬されたいの?
中学生や引き篭もりや電波な人に?
偉そうに断定形で語ってるんだから、記憶の説明なんて簡単でしょ?
どんな目の覚める説明が聞けるか楽しみ
677 :
考える名無しさん:04/02/05 01:06
中学生に上手く説明するのは難しいな。
でも、ぴかぁ〜ならきっと分りやすく説明してくれるさ・・・
678 :
考える名無しさん:04/02/05 01:08
記憶ってな〜に?とやら、
人が議論している途中に邪魔をするものではない。
あまりにも目についた者より
<記号意味というダイナミズム>
認識の元型は存在認識である。存在認識は心象として内的に現れる。
ここには有意識も無意識もない。それらを含めた内的なものだからである。
心象は最大公約数的な心象(心象類)をもつ。これが心象階層構造である。
すなわち、バナナ、リンゴ、イチゴの心象の最大公約数的な心象類は、「くだもの」、「うまい」などである。
このように心象は、階層構造を持ち記憶化されている。
この記憶は、遺伝子という記憶、個体体験という記憶からできている。
さらにはこれらは、個体の体験で共有された心象類、
社会的に共有された心象類、人類的に共有された心象類、生命的に共有された心象類という
構造をもっている。(例えば生命的な心象類は、ほとんど遺伝子記憶を元にしているだろう。)
言語学において
言語表現とは、(特に社会的以上の大きな範囲で共有された)心象類にそれぞれ
与えられたラベルである。
これは心象類というこころに現れる曖昧なものを、社会で共有されたに便利だからである。
言語意味とは、これらの心象階層構造を表す。
リンゴの言語表現の言語意味は、果物、丸い、赤い、木になる、うまいなどである。
記号学においては、
言語と、表現と意味は少し異なる。記号表現は意識されたもの、言語意味であり、
記号意味とは、意識の裏に潜む無意識的意味である。
そして特には、人工物について考えられる。
たとえば「テーブルの上に置かれている一つリンゴ」の記号表現は、果物、丸い、赤い、木になるである。
そして「テーブルの上に置かれているリンゴ」の記号意味は、例えば「寂しさ」を表しているとすると、
それは従来の心象階層構造、「果物−丸い−赤い−木」から、「果物−丸い−赤い−木−寂しさ」への
新たな関連性の発生である。
「テーブルの上に置かれているリンゴ」を存在認識することにより、新たな心象類の関連を
発見する行為である。
たとえば「女子高生」の記号表現は、高校、女性、若いである。
そして現代における「女子高生」の記号意味は、例えば「退廃」を表しているとすると、
それは従来の心象階層構造、「高校ー女性ー若い」へ、新たな「高校ー女性ー若い」への
新たな関連性の発生である。
記号表現は、ある意味すでに社会的に静的な価値であるのに対して、
記号意味とは、動的な価値としてとらえられることが多いのである。
私が示した、記号組織化構造とは、動的な記号意味が、現代の情報化社会の中で
ダイナミズムに成長する構造を示したものと言える。
やや強引ですが、走って見ました・・・
今日はここまで。
訂正
それは従来の心象階層構造、「高校ー女性ー若い」へ、新たな「高校ー女性ー若いー退廃」への
685 :
考える名無しさん:04/02/05 02:09
ウ
ン
コ
ス
レ
w
ぴ
か
ぁ
〜
は
糞
w
ぴかぁ〜ってホントこの板でよかったな。
こんな自演荒らししてる奴、よそならボコボコだぜ。
コテ判定”ぴかぁ〜” (5段階評価)
創造性 3
努力 5
センス 1
論理性 2
コテ判定”ぴかぁ〜” (5段階評価)
独創性 5 言葉のデタラメな定義等
努力 5 説明するまでもない
センス 1 わかりようがない
論理性 −5 まず論理以前
この心象が認識の原型であるという考えは
ソシュール言語論に対して大きな二つのことを示唆する
一つ目はソシュールの言う認識の原型は言語であることを否定すること
二つ目はソシュールの言う言語が差異構造を持つ理由が
言語に先立つ心象の階層構造にあるということである
「世界全体を知りつくそう」という近代的知の欲望は弱さ=ニヒリズム=道徳という起源をもつ
ドゥルーズ
ここでいうニヒリズムとは「生きること」がもっている無秩序性に直面しえないで、
つねに世界が整理されたものとして見ようとする弱さである
わたしが言い続けているのもまさにこの点であり、
「生」の無秩序性とは限界をしりなおもわき上がる力である
わたしは世界を理解などしなくとも
生きたいし、生きようとしている
「私主義宣言」より ぴかぁ〜
そして現代におけるハニカムハーツとはこのようなニヒリズムが加速する姿と
「生」を模索する姿の両面を表しているのだろう
「世界全体を知りつくそう」という近代的知の欲望は弱さ=ニヒリズム=道徳という起源をもつ
ドゥルーズ
社会的な心象階層構造において
心象階に言語表現が与えられるとすると
言語意味は心象階である
そして言語表現が与えられることにより
強い意識力のもとにさらされることになる
言語は言語で社会の中で自律的に変化する
ここに心象自体は二重構造を持つことになる
すなわち言語を勝ち得た心象階と
取り残された心象である
たとえばいい女を見たとき
「いい女」と言語表現をあたえ、それに付いてくる言語意味を意識するという
言語思考と
いい女を見たときにおこる心象である
ここでの言語思考は言語構造(ラング)に拘束された思考である。
それに対して心象は個人的なものである
なぁんか、いつ見てもこのスレ上がってんだけど
698 :
ちくびぎゅーん:04/02/05 20:20
>>666 原子的な生物も持っているからといってそこから無条件に何かが正しいということが
導出できるのでしょうか。
私とは(もしくは他の人とも)議論をしたくないような印象を受けます。
>>698 議論の焦点が見えにくくなってますね。
というか、私のレスの内容がスレ題とずれてきてますかね。
言語論は分スレした方がいいかなと思っています。
700 :
ちくびぎゅーん:04/02/05 21:09
ぴかぁ〜先生、こんばんは。
私がぴかぁ〜でない事を証明したいのですが。
702 :
・ ◆32reqGPkuc :04/02/05 21:24
……
703 :
・ ◆32reqGPkuc :04/02/05 21:37
さては、ぴかぁ〜さんは上戸彩のファンなんだな……
ふかきょんファンです・・・
うひゃぁ!
ふかださんはご結婚なさるじゃないですか。ファンはそんざおくですか?
ここで見いだされるのは、私たちは存在認識を越え、言語認識により、
社会という一つの生命化しようとしているようである。
しかし現実には、進化過程において、集団性を強め、全体主義化している
わけではない。
ただ遺伝子的な集団性から、言語的集団性へ写ったということがいえる。
そして言語の獲得により自意識を手に入れ、個体性に目覚めさせたのである。
それが近代以降のデカルト的認識論幻想までいたるのである。
言語社会という一つの生命において、我々は生命の自律的成長を促す「ゆらぎ」である。
そして情報化社会では、「ゆらぎ」がさらに細分化されるという無意味化と、
「ゆらぎ」が社会に対する決定的な意味を持つ可能性が増加するという相反する方向性を
持っている。
私たちはどこかで世界を支配できるという可能性から来る期待を持ちながら、
あまりに小さな可能性に、世界を支配などできるものか絶望のなかでゆらぎつづけていくのだろう。
<ポスト構造主義におけるハニカムハーツ>
構造主義は形而上学の系統であるマルキシズムへ反論を根底に
持っていますが、ポスト構造主義では、その構造主義をも越えていくと考えます。
ドゥルーズの「リゾーム」は、まさに自己組織化システムの先取りです。
そしてそのような成長の中に今を越えていけると考えます。
ドゥルーズが「生」と「力」の哲学と言われる所以です。
ここにはある種の楽観主義があります。私の考えはある意味これに近いです。
例えばハニカムハーツというのは、このような自己組織化が加速する社会における
人の適応のための一つのフォーメーション(形態)という面があると考えます。
変化への適応こそが、「生存」の意味です。だからハニカムハーツをただ悲観論で
とらえるのなく、適応と考える。たとえば、FirstFuture論で上げたように、とても多様な
クリエイティビティーを可能にします。それは加速化する世界の先鋭的な姿です。
そして変化への軋轢として弊害が生まれるのは当然です。
デリダは「脱構築」、「差延」でもう少しソフトな対応を提案しているように感じます。
かつての「差異」は、同一性というものを想定し、そこから差があると考えるのに対して、
「差延」という考え方では、先に「差異」がある。すなわち変化があり、同一性とは
その一瞬を観念的にとらえた物でしかないということです。
そして「脱構築」とは、絶えず再構築してつづけるということでしょう。
これは絶えず差異を生み出す自己組織化システムという現実と、
社会的秩序という絶対的な同一性幻想と間に生まれる「差延」をうまくとらえて
生きていこうというように考えることができます。
社会が自己組織化システムであると認めたとき、それは私たちを飲み込み成長する
大蛇のようなもので、私達のはどうすることもできない。
伝統的な西洋形而上学思想は無力化し、ただただ脱力感に囚われます。
理性や合理性などというものさえ、胃袋の中の幻想でしかありません。
しかし私たちはその外にいる存在でなく、中にいる存在であるということ、
私たちの行為が、社会の自己組織化を進めているという考えを持たなければいけないでしょう。
715 :
考える名無しさん:04/02/07 17:54
ライプニッツなんかはどうよ。
>>715 ライプニッツについて詳しくないのですが、
どのようなことですか?
717 :
考える名無しさん:04/02/07 18:02
ライプニッツは東洋の「易」にヒントを得て理想言語の構築を発案したといわれてるよ。
よくわかんね。二進法の発明は「易」によるらしい。
ウィトゲンシュタインもそうしたライプニッツの思考を受け継いでいるらしい。
718 :
考える名無しさん:04/02/07 18:07
『新普遍数学原論』について教えてください
719 :
考える名無しさん:04/02/07 18:08
>>717 ラッセルや初期のウィトゲンシュタインの論理信仰の元に
位置づけられるのでしょうか
721 :
考える名無しさん:04/02/07 18:13
ライプニッツの原理は充足理由律、矛盾律、最善律の3原理で成り立ってる
そうだけどだれか説明して。
722 :
考える名無しさん:04/02/07 18:16
>>720 それはそうだよ。
ライプニッツは哲学史上、理想言語学派のおおもとと位置付けられているからね。
>>722 言語哲学は詳しくないのですが、
不確定性原理や、後期ウィトゲンシュタインで
終わっていると思うのですが?
724 :
考える名無しさん:04/02/07 18:20
ライプニッツのモナドのダメな点というのは目的論を含むところだと思うな。
725 :
考える名無しさん:04/02/07 18:20
ぴかぁ〜 ってデリダなんて読んだことないんでしょ?
言語哲学(論理学)に対する、言語学が構造主義を経て言語意味論(記号論)へ
広がっているに対してと言う意味ですが、
>>724 デカルト認識論の亜流という意味で、
結局、認識論的限界を越えられないということですかね。
728 :
考える名無しさん:04/02/07 18:24
ライプニッツはひとつの実在をモナドと現象世界の2つの様相で展開したわけだね。
この場合現象世界はモナドの帰結ということになるけど。
729 :
考える名無しさん:04/02/07 18:27
現象世界といってもモナドを基礎にした現象と単なる現象は区別されてるみたいだけど。
つーか、不確定性原理と言語哲学どう関係あるんですか?
732 :
考える名無しさん:04/02/07 18:40
733 :
考える名無しさん:04/02/07 18:42
>>730 簡単に言うとデリダなんてまったく読んでないなって感じです。
>>733 悪く言うと、あなたが理解していないとも取れますね。
信じないわけではないのですが。
文章を理解されて反論なり書いてもらえるとありがたいですね。
デリダ論を書いているわけでなく、ハニカムハーツ論的な
デリダ解釈を書いているわけですからね。
736 :
ぴかぁ〜 :04/02/07 18:55
やはり粘着ストーカーくんか
>後期ウィトゲンシュタインで
>終わっていると思うのですが?
おいおい、冗談はよしこちゃん・・・
>>737 言語学に比べると影が薄いですよね。
最近はどの方向に向かってますか?
739 :
考える名無しさん:04/02/07 19:05
>>735 デリダ論ではまったくないことだけはわかったよ。しかしなんでわざわざ
デリダ持ち出したの?
荒らし放置できなかった時点でぴかぁ〜の負け(w
>>738 俺は浅学だから、デヴィッドソンの
「意味の理論」ぐらいしかしらんよ。
言っとくが、記号論は全然言語学とは違うぞ。
744 :
考える名無しさん:04/02/07 19:15
浅学ならわざわざ言うな
745 :
考える名無しさん:04/02/07 19:15
>>743 やはり意味論へ向かっているんですね。
>言っとくが、記号論は全然言語学とは違うぞ。
これはいくらなんでも言いすぎですよ。
たぶん言語学=チョムスキー系言語表現重視ととらえているのではないですか?
言語意味論と記号学は切り離せないですよ。
746 :
考える名無しさん:04/02/07 19:16
まともに議論できる人いないのかね?
747 :
考える名無しさん:04/02/07 19:16
ぴかぁスレに来るわけがない
いつものストカー
>>744が張り付いて
議論を妨害しようとしているようです。
放置してください。
749 :
考える名無しさん:04/02/07 19:17
「意味の理論」から>やはり意味論へ向かっているんですね。
すばらしいアナロジーですな
>>745 じゃあ、ソシュール以降パロールの言語学やった人物って誰いる?
751 :
考える名無しさん:04/02/07 19:18
743は論理学で入門レベルでバカのひとつ覚えで厨やってた奴だろ。
最近意味論知ったんだ。
>>751 >743は論理学で入門レベルでバカのひとつ覚えで厨やってた奴だろ。
>最近意味論知ったんだ。
とりあえず日本語話せ。
あと、当然カルナップ、クワイン、エイヤーくらいは読んでますが。
>>750 ラング、パロールという分け方よりも、
どちらかというとシニフィエ、シニフィアンということで
研究対象が分かれていますね。
754 :
考える名無しさん:04/02/07 19:22
進歩なし
>>752 彼はなにもわかっていないただの荒らしですから、
放置してください。
756 :
考える名無しさん:04/02/07 19:24
>あと、当然カルナップ、クワイン、エイヤーくらいは読んでますが。
はいはい
759 :
考える名無しさん:04/02/07 19:25
カルナップはほとんど翻訳ないよね
でも日本では言語学より言語哲学の方が人気がある?のは、
欧州よりも米国よりの文化的背景からでしょうか。
>>759 紀伊国屋から最近いくつか復刊したっしょ。
どーせ売れねえだろうな。
>>760 全くの誤解。
763 :
考える名無しさん:04/02/07 19:32
>>757 そうじゃなくお前〈が〉一番わかってない
>>762 へ〜そうなんだ。サンクス。たしかにカルナップよりは今はフレーゲなんかが
人気だよね。その分カルナップも読んでみたい
766 :
考える名無しさん:04/02/07 19:37
>>762 誤解というとイメージ的には、
言語哲学→大衆は訳本読む。
言語学(ポスト構造主義)→日本人哲学家が自分の思想に取り入れる→大衆は日本人哲学家の本を読む。
ということ感じですね。
>>767 何度も言うが、
記号論と言語学を誤解してる。
だから日本人には構造主義は日本人哲学家を通しての
間接体験のような気がします。
それでも日本人哲学家により日本人の問題として昇華されている分、
浸透はしているのかもしれません。
そこには構造主義、ポストモダンという単語は必要はないのかも。
あくまでイメージですが。
すべてはぴかぁの知ったかが原因
>>768 ほんとにそう思うのなら、意見を書かないと、
反論の書きようがありませんね。
>>770 最初は分析まで言語学って言ってたからな、
コイツは。そろそろ放置かな。
>>772 今日も薄気味悪いですね。ストーカーくん。
今日は荒らしかまいすぎじゃないか >ぴかぁ〜
775 :
横レスすまそ:04/02/07 19:49
論理学、分析哲学、記号論、言語哲学
これらはどう区別されたり、関連づけられたり、含まれたりしてるのかな?
>>775 私の解釈ですが、
分析哲学(言語哲学(論理学))
広義の言語学(言語学、記号論)
ポストモダン=ポスト構造主義(記号論)
778 :
横レスすまそ :04/02/07 19:53
意味論はどの学にふくまれるの?
779 :
横レスすまそ :04/02/07 19:55
780 :
横レスすまそ :04/02/07 19:56
できたら区別とか関連も述べてください
774ー776みたいなあからさまな自演は萎える
782 :
考える名無しさん:04/02/07 20:00
ぴかぁ〜、かわいい
783 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 20:02
少しこの一連の流れはつまんないように思います。私としてはなぜ言語的関心がハニカムハーツの議論に登場したかの
方が関心ありますが。
>>778 意味とは、言語記号を表現と意味にわかるところから
来ています。
だから言語哲学における意味論
広義の言語学の意味論があり、
それら全体を含めたところに位置されると思います。
785 :
考える名無しさん:04/02/07 20:07
>>784 全然違う。論理学の基礎を勉強しる。話はそれからだ。
>>783 一つ質問してもいいですか?
ちくびさんとの会話はレスの間合いがいつも不思議なのですが、
通信環境が変わっているのですか?電話回線?
>>785 論理学の基礎を勉強しる。話はそれからだ。
荒らしをかまってもむなしいだけですね。(w
789 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 20:22
>>786 電話回線ではないです。私が使いこなしてないんだと思います。
私はブラインドタッチが未熟ですし。
>>789 そうですか。
不思議な間合いでレスが帰ってくるので
ちょっと気になっただけです。
791 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 20:49
私は言語論的展開でハニカムハーツたちが救われるとは思えません。
彼らは自己内価値の変容を情報過多のおかげもあってすでに知ってしまっていると思います。
自己内価値の変容は二つの事態のどちらかをもたらすと思います。
ひとつは(しつこいですが)ニヒリズム、そしてもう一方は自己内価値の量産です。
自己内価値が変容しても(違う)最高価値があれば最高価値の無価値化(ニヒリズム)に
陥ることはない、と思います。しかしそれは根本的解決ではない。
あくまで先延ばしに過ぎないのではないかと思うのです。
792 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 21:02
>>791 しかし、一方ではこのような事態を積極的に生きることは可能のように思えます。
それは自己内価値の量産、たとえば恋愛で言えば次々と恋愛を繰り返していくこと、
を自らの一貫性が確保できない事態として悲観的に捉えるのではなく、
私にはそのような生(性)しか送ることができないことを認めたうえで、
このような価値の量産を楽しむことです。
しかしこのような楽しみには私は決定的な欠落があるように思うのです。
それは倫理的なまなざしです。わたしはこの世界に含まれていると私は思うのです。
そこから私は自らと世界との整合性を考える必要性が生まれると思っています。
つまり私は倫理的でなければならないと思うのです。
この倫理を自己内価値の量産は欠落してしまっていると思うのです。
793 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 21:03
>>792 そうでもないでしょうか。どうでしょうか。
>>791 まず自己内価値というのは、なんでしょうか。
社会的な価値基準の自己への投影というような意味でしょうか。
自己内価値の変容とは、社会的な価値の変容ということでいいですか。
ニヒリズムとは、社会的価値が変容することにより、それが投影されていた
自己内価値が無価値化する
なぜ自己内価値の量産が、最高価値なのか?
すなわち自己内価値を作り出し、最高価値とするということ?
>それは自己内価値の量産、たとえば恋愛で言えば次々と恋愛を繰り返していくこと、
自己内価値の量産が最高価値なのでは?
>それは倫理的なまなざしです。わたしはこの世界に含まれていると私は思うのです。
倫理とは社会的な価値基準では?
社会的な価値にさらされるのは、社会的価値が保たれているということでは。
矛盾しますね。
しかし言いたいことはわかります。
簡単にいえば、社会的価値があやふやになり、
自己内価値を自分で作り出さないといけないが、
それは残っている社会的価値と摩擦を生むと言うことですね。
これはかなり一般的な現代社会評ではないでしょか。
その構造の奥を探りたいということでは?
ちくびさん横からすいません。
いつも「私は帰ります」とおっしゃいますが、どこへ帰られるんです?
家以外のところにいるんですか。
想像もできないような生活形態なのですか?
人格その他は哲学系ではない院生のような感じなのですが。
たしかにちくびさんの漂わせている空気感は不思議ですね。
・・・・・・何か悪いことを聞いたのであれば無視してくださってけっこうですよ。
ぴかぁー先生との検討を続けてください。
800 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 21:32
>>797 そうです。家にはいません。院生でもありません。
帰るのは部屋ですが、なぜそのようなことに興味を持つのですか。
>>796 わかってもらえてないようです。社会的価値が、(社会という言葉の意味が
経済という言葉の意味と一致傾向にあり)すでに喪失に近い状態にある、
と私は思っています。その中で人々は私という枠組みの中に必然的に閉じこもる、
という議論の展開がハニカムハーツの発端にあったと思いますが、私はその点は
支持していますので、その展開は踏襲しています。
そのような自己内価値が変容してしまうのはニヒリズムへの扉を開きかねない、と
私は主張してきましたし、そのニヒリズムを回避するためには自己内価値を量産しなければ
ならないと考えているのです(最高価値そのものではなく方法です)。
>>800 >そのような自己内価値が変容してしまうのはニヒリズムへの扉を開きかねない、と
>私は主張してきましたし、そのニヒリズムを回避するためには自己内価値を量産しなければ
>ならないと考えているのです(最高価値そのものではなく方法です)。
>>794-795に答えてもらわないと、わかりにくいです。
もしかして携帯からですか?
802 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 21:37
>>795 「倫理」という言葉は確かにそのような誤解を招きかねない言葉だと思います。
ただ私がここで「倫理」というものは私の行動を規制し、ひいては私自身をも
規定する可能性を持つもの、という意味で用いています。説明が後になって申し訳ないですが。
基本的に、その方の言説というのはそれがいかに専門的なことであっても
その方の生きかたの裏返しだからです。
すみません職業柄、その方の言うことなどからその方の生活の全体像を思い描くのが
癖になっています。
ちくびさんはかなり特殊な生活環境にいるようですね。何かを研究するようなことをしても
いるようだ。異性の匂いがあまりしない環境にいますね。昼間の少なくとも一定時間は
集団生活に近いのではありませんか。 ・・・・・自衛隊?
プライバシーに土足で踏みこんだなら申し訳ありませんでした。
804 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 21:41
>>801 端的にいって自己内価値とは自分の好きなものという意味で解釈してもらっても
あまり問題ないと思います。
神秘的なことへの興味は普通程度ですから、宗教というわけでもないようですね。
もっとも、天理教などの二世信者の方で、ほとんど神秘的世界には興味がなく
奉仕生活はしてるような方にはお会いしたことがあります。それと近い匂いがします。
>>804 では情報過多で自己内価値が変容するとは、どういう意味ですか?
そういえば、ちくびさんの言ってることをよく読み返してみると
原理思想と矛盾しないですね。
808 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 21:46
>>803 私は昼間は仕事をしていますので集団生活をしていないとはいえないと思います。
自衛隊は結構近くにありますが所属はしていません。
809 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 21:53
>>806 情報過多で自己内価値が変容するのではなく、自己内価値が変容することを
情報過多によって知ってしまっている、という程度のことです。
たとえば恋愛においてある人物を好きだという(これまでにない)強い思い、
それもいずれ冷めてしまう、ということを経験を経ずに知ってしまっているということです。
810 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 21:55
原理思想とは統一教会の教義のことです。
キリスト教と矛盾しているから間違っているなどといわれたりしますが、
教派間に違いがあるのは当然であって、あきらかにキリスト教の一つの形ですね。
実のところ、文鮮明さんという実在の人物崇拝に結びつくところを除いては、
思想的にそのストイックさが私は好きです。
812 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 22:06
>>811 非常に端的にいって私は好きではありません。私のいった大学はプロテスタント系でしたので
たしかに私はキリスト教にシンパシーを持っていますが、誰かを通じて神とかかわるという構図が
なにか権威的なにおいがして好きではないというか、むしろ間違っていると思います。
この話題はあくまでちなみになのであまり長引かせたくないというのが個人的感想です。
>>809 なるほどやっとわかりました。
これは私のいった「好奇心という解体欲により心理学化」に
近いですね。
恋愛が解体されているということですね。
心理学化で自己内価値の確立が難しいと言うことですね。
>私にはそのような生(性)しか送ることができないことを認めたうえで、
>このような価値の量産を楽しむことです。
刹那的ですね。
>それは倫理的なまなざしです。わたしはこの世界に含まれていると私は思うのです。
>そこから私は自らと世界との整合性を考える必要性が生まれると思っています。
>つまり私は倫理的でなければならないと思うのです。
>この倫理を自己内価値の量産は欠落してしまっていると思うのです。
ならば社会倫理的に生きればいいのでは?
814 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 22:28
>>813 「社会倫理的なもの」、それは失われてしまった(に近い状態な)のです。そして失われてしまったのには
理由があると思います。
私の意見と何が違うのでしょうか。
さらに掘り下げようとしてるところですね。
816 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 22:47
>>815 相違点があるとすれば私はハニカムが予定的に破綻すると考えています。
(わたしは楽観的な見方を許容していません)
自己内価値にとどまることは自己内価値の変容によってニヒリズムの到来か、
自己内価値の量産という事態を招き、たとえニヒリズムを回避したとしても
倫理の欠損という事態によって自己内価値の基礎を成すわたしの不確定性の問題を
もたらすと思います。(わたしを規定する倫理の欠損は、アイドルになっていい私も、
ボランティアになっていいわたしも、シャブ中になっていいわたしも、
連続殺人者になっていいわたしも許容しかねないからです)
>>816 そうですね。悲観的予測と楽観的予測。
ここがまさに相違点がありますね。
情報化の中で社会の心理学化により価値が解体され、社会的な価値が保てなくなっている。
どうすればいいのか?
個人がそれぞれ趣向により価値観を産出するしかない。
そして趣向的価値観を共有できる人間と繋がりをもつ。
それは当然、いままでの空間的な近さや血縁的な近さではない。
コミュニティーが空間から位相学的になる。
それは近代的な社会価値で形成されたところからの回避ですから、
社会的な他者を回避することになります。
まさにハニカム化ですね。
しかし現代情報化、心理学化する社会では、ハニカム化しなければ、生きていけない。
逆にハニカム化することにより、現代を生き抜けるわけです。
すなわち自分の趣向に特化して、先鋭化していく。
現にハニカム化の成功例はあります。まえに中田英寿やイチローを上げました。
確かに成功はむずかしい、しかし成功する方法はそこにしかない。
ということですね。
中田英寿やイチローはあまりにも私たちには見えないですが、
社会における多くの成功者は、ハニカムハーツに見いだされてくるでしょう。
(成功とはなにか?と言う問題は残りますが。)
しかし当然、すべてのハニカムハーツが成功するとはかぎりません。
競争は激しいでしょうね。
819 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 23:24
>>817 いえ、私は「わたし」の中に特化してゆくこと、閉じていくことが不可能だと思っているのです。
確かにハニカム化(この用語が気に食わない人は現代化でもかまわないかもしれませんが)
には一方で他者に開かれているかに思える箇所もある(たとえばぴかぁさんのいう趣向による集団の形成)、
しかしそれはあくまでも自己の拡張運動であると私は思います。だからその集団内には争いのようなものが
存在してしまうと思います(その争いがクリエイティブを支えているとの主張だったと思います)。
もしこのようにハニカムが自己拡張と自己閉塞の対立的調和結合の産物ならハニカムは予定的に破綻する、と私は考えています。
なぜなら「わたし」に(もとずく価値に)閉じこもることが可能ならば私は「わたし」を愛していればそれですむからです。
しかし私は自愛に閉じこもることが(できなかったし)できない、ように思います。
ところで私はそろそろ帰らなければなりません。
まだ少しいますが、できたら反論を早めにしてもらいたいとかってながら思っています。
>>819 自己拡張と自己閉塞の対立的調和結合というのがよくわかりません。
私の言葉では、趣向コミュニティーにより位相学的に拡張し、
社会空間的に閉塞するということですかね。
愛ですか。
私は成功者という言葉を使いました。
現代における成功とは、経済的なものか、自己目標達成ですね。
愛を自己目的化しない限り、たしかに愛は入りませんね。
成功とはなにか?このあたりが争点かもしれませんね。
>ところで私はそろそろ帰らなければなりません。
>まだ少しいますが、できたら反論を早めにしてもらいたいとかってながら思っています。
土曜に遅くまでお仕事ご苦労様ですね。
822 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 23:40
>>820 (実のところ私はその「自己実現」という目標をひどく憎んでいます。)
私は自己の存在が不確定であるという観点から自己実現という目標も否定的に見ています。
だから成功という言葉自体の論争にはあまり興味がない。というのも成功とは
おそらく自己実現という概念(あるいは言葉)に行き着くだろうと思うからです。
823 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 23:45
>>822 訂正させてください。
>>820 私はわたしという存在が不確定的であるという観点から自己実現という目標も否定的に捉えています。
また倫理という側面から見ても問題があると考えています。
成功についての箇所は特に訂正しなくてもいいです。
>>821 ありがとうございます。
>>822 嫌いを通り越して、憎んでしますか。
自己実現、夢というのは、現代社会のキーワードですね。
逆にいうとそこにしか価値観が見いだせなくなっているわけです。
これは「私は誰か?」につながります。
「なんのために生きているのか?」→「夢を持ちなさい」
これを憎んでしますと、現代社会ではとても大変な状態に置かれますね。
まさにニヒリズム、ドロップアウト、最後は自己破壊行為(自殺)。
現代においては、「夢を持とう」はまさに宗教化に近いところまできていますね。
私はどちらかというと、「自己実現」指向が強いので、
逆にハニカム化を楽しめるのかもしれません。
825 :
ちくびぎゅーん:04/02/07 23:48
っていうか帰ります。ほかの人が何にもいってくれないのは残念です。
826 :
ちくびぎゅーん:04/02/08 14:11
>>812 昨日のXさんに対する対応があまりにも突き放したものになってしまったような
気がしたので今日は来るつもりではなかったですが来てしまいました。
否定的に見られているものに肯定的な側面を見出すことは重要だと思いますが、
なぜ統一教会なのかという問いを持ってほしいと私は思うのです。
なぜオウム真理教や創価学会や幸福の科学ではなく
(オウムと他の二つを同列に論じてはならないとお考えの場合はオウムをはずしてもいいです)、
統一教会であったのか、それはおそらくあなたのある種の救いを求める感情が
高まったときに、偶然それの教義がそばにあったということではないでしょうか。
他のある程度の完成された、ストイックな体系を持つ教義が近くにあればそれで代替可能で
あったのではないでしょうか。その教義が絶対的なもの、あるいは絶対的な魅力を
持っているわけではないということをまず明確にするべきだと、私は思います。
これはまったく個人的な考えであり、多くの推論に基づいているという点から
もし私の意見が気分を害するような間違った推論をしていたり、あなたとはまったく相容れない
主張であったりした場合は率直に謝りますので、指摘してください。
827 :
ちくびぎゅーん:04/02/08 14:48
>>824 私は少女売春者に共感を覚えています。私が哲学に興味を持っているのは
彼女たちに対する不当な評価をくつがえし、他方で彼女らの慟哭を
救いたいと、それを哲学によって基礎付けしたいと考えるからです。
だから私は現代社会(自己実現という価値を含めて)に対して
彼女らの慟哭を生んでしまったという点からしても、否定的に捉えています。
また自己実現というのは社会的規約が存在しないとアル中になったり、人殺しになったり
慈善活動家になったりする自由が存在してしまうことも否定的に捉える理由のひとつです。
たとえばあるひとつの点からは無数の直線が描き出されます。
しかし合理的にその無数の直線からひとつの直線が選びえるでしょうか。
無数の直線を(わたしは常にひとつの可能性しか選びえないゆえに)一本の直線に変えるには
もうひとつの点が必要になると思います。そしてそのもうひとつの点が社会的規約であり、
それはもう失われたといっていい状態にあると思います。
828 :
ちくびぎゅーん:04/02/08 15:09
むう、退屈ですね。私は間違っているのではないかと自分を疑っています。
だから何か反論を聞きたいのですが。もし同様に退屈な方がいられたら批判してもらいたいです。
それともここは本当に隔離されているのでしょうか。
829 :
ちくびぎゅーん:04/02/08 16:18
退屈ですし、せっかくきたのでもう少し書かせてもらいます。
>>792 私自身は私の議論の展開において問題があると考えている箇所があります。
それは自己内価値の量産が倫理的でないと指摘しているときの
私の倫理という言葉は社会的規約を意味するのではないか、ということです。
私自体は社会的規約の存続を楽観視する立場では到底ないですから、
このような倫理という言葉の用法は少し間違っているかなと思っています。
(私が世界に含まれるから私は倫理的でなければならないという主張からは
私の考えるような倫理〔私の行為を規制しひいては私自身をも規定する可能性のあるもの〕の導出は
なされえないかもしれない、のではないかと私自身疑問に思っています。)
830 :
ちくびぎゅーん:04/02/08 16:21
あまりしつこいのもだめでしょうし、この辺で帰ります。
ここは私が来てもあまり意味のないところのようですね。
>>830 他のスレでやったらいいのに。せっかく長文書いてるのに。。。
ちくびさんはやっぱり不思議な空気感ですね
話が循環してきましたのでつっこんだ話をしますが
感想としては考える人ではなく
悩める人というイメージですね
どうも話が見えにくいのは哲学っぽくかたろうとするからではないでしょうか
まず普通の言葉で悩める部分をかたる、自分をさらけだしてかたってみては
どうですか
でないとこれ以上話は進まない気がします
特に援助交際へのこだわりがあるようです
たぶんあなたは援助交際したことがあるタイプにみえないし
逆に経験がないとか性的なコンプレックスがあるのではないですか?
推論ですし、そのような話をする場でもないので
気にさわったら無視してください
835 :
考える名無しさん:04/02/08 19:04
風俗嬢の実存のテーマはマージャン漫画によく出てくる。
風俗嬢の実在主義?
837 :
考える名無しさん:04/02/08 19:13
>推論ですし
推論ってよく聞くけどどういう意味ですか?
>>837 検索ぐらいしませう。
⇒ すいり【推理】
(1)ある事実をもとにして,他の事をおしはかること。推論。
(2)〔論〕〔reasoning; inference〕あらかじめ与えられた何らかの前提から
新しい結論を論理的に導き出す働き。演(えんえき)的推理・帰納的推理・類推などがあり,
前提が一つのものを直接推理,二つ以上のものを間接推理と呼ぶ。
<虚像化する性消費>
もう一度、現代社会のロリコン指向を考えてみると、
以前に言ったように、80年代には「女子大生」がもてはやされた。
そして90年代以降は「女子高生」の時代へ移った。
これは「女子大生」が消費しつくされ、すでにそこに消費欲をかき立てるものが
なくなってということである。
この消費欲をかき立てるものとは、「未理解」である。
性体験が低年齢化し、すでに「女子大生」がSEXしているということには
「未理解」はない。社会的に通念においても当然であるというイメージができあがっている。
このように「女子大生」という記号意味は、「理解」され、消費欲をかき立てるものが
なくなってのである。
それに対して、「女子高生」にはまだこのような「未理解」が存在する。
突き詰めれば、「女子高生」には、処女であるか、非処女であるかの、「未理解」が
あるということに行き着くのかも知れない。「未理解」とは、社会的通念との差異である。
そしてそれは社会的通念(秩序)に対する「若さ」という「生のダイナミズム」である。
成長しつずけるという「生のダイナミズム」は、社会的通念(秩序)との大きな差異を生む。
それが「未理解」の予知である。
その差異が我々の消費欲をかき立てるのである。
しかし「女子高生」もすでに消費が進み、社会的通念との差異が減ってきている。
特に、性的な欲望が強い人たち(女性とうまくつきあえず、恋愛経験がすくない人たち)などは、
すでに「女子高生」を消費しつくし始めている。
では彼らの消費欲望はどこへ向かうのだろう。
昔からスタンダードなのが、アイドル趣向である。アイドルは作られた「未理解」である。
(これはアイドル自身が作っているという意味ではなく、プロダクションが作っているという意味である。
これが重要なポイントである。アイドル自身が作ったものは、もはや彼らをだますことは難しい。)
最近では小倉優子がもてはやされているが、彼女のような性とは離れた位置にいて、
不思議なキャラに彼らは「未理解」を感じ、消費欲をかき立てられる。
さらに最近の傾向が、低年齢化、すなわちロリコン指向である。
ロリコンというのは、往々にして妄想的である。本来性の対象でない少女を性の対象として
妄想する。これは、消費欲が、積極的に「未理解」をつりだそうという行為である。
これは二次元にも言える。二次元の製作も、積極的に「未理解」をつりだそうという行為である。
ロリコン指向と二次元指向が密接に結びついてるのはこのためである。
最近では、AVや風俗が氾濫しているが、彼らがなぜそちらに向かわないのか?
それは彼らが単純な生理的な性欲の解消を望んでいるわけではないからである。
彼らの欲望は、「未理解」を消費したいということである。
AVや風俗には、生理的な性の刺激は多いが、社会的通念との差異、(未理解)が少ない。
AVや風俗はもはや社会的通念の一部になりつつある。
「援助交際」という売春が、風俗などと違うのは、そこに「女子高生」に対する
「未理解」が存在することである。
私自身は「援助交際」をしたことはないが、実際性行為自身はあっけないものではないだろうか。
彼らが行っていることは、生理的な性行為そのものでなく、「女子高生」という「未理解」を
消費する行為である。
>>841 >ロリコン指向と二次元指向が密接に結びついてるのはこのためである。
チェック!
>「未理解」
「女子高生」から「彼ら」じゃなく「彼ら」から「女子高生」だな?
>>843 >「女子高生」から「彼ら」じゃなく「彼ら」から「女子高生」だな?
どこですか?
845 :
考える名無しさん:04/02/08 22:00
847 :
845補足:04/02/08 22:04
つまり「彼ら」が「女子高生」に対して「未理解」で、その「未理解」を消費するということだな。
<虚像化する性消費> 追記
さらに「援助交際」と風俗の大きな違いは、男→「女子高生」という一方向消費ではない
ということである。
ここには女子高生→「援助交際」という消費が存在している。
女子高生にも、男と同じように「未理解」に対する欲望がある。
それは「性行為」そのものの「未理解」であり、「援助交際」への「未理解」であり、
「女子高生」への「未理解」である。
女子高生が「女子高生」に対して「未理解」を持つというのは、奇妙に思うかも知れない。
この場合の、女子高生とは社会通念的な「高校に入学した女子高生」である。
そして「女子高生」とは、現代の記号である。「社会におけるアウトロー的なコギャルであり、
性に開放的で、援助交際などを行う」というイメージ。(このイメージは私感で必ずしも正しくないかも
しれない。記号意味とはこのような流動するあやふやなイメージである。)
すなわち女子高生は、社会通念的な自分に対する「女子高生」の差異に「未理解」を感じ、
それを消費しようとするのである。
これはたとえば出会い系に向かう少女たちの構図にも現れている。
最近はセフレなどと言われたりするが、彼女たちがそこにかつての「恋愛」を求めていない。
彼女たちは、「女子高生」、「コギャル」、「性行為」、「援助交際」、「出会い系」などの
「未理解」を消費したいと欲望しているのである。
これが現代の記号消費構造である。情報化により「未理解」を消費しようとする欲望が、
さらなる「未理解」を生むという循環構図(記号組織化構造)、ここのは
もはや主体と客体の区別はなく、全員を巻き込んで記号意味がダイナミックに
成長しつづけるのである。
850 :
考える名無しさん:04/02/08 22:26
なるほど、ということは「女装」や「武装」などの「なりきり」行為も一種の「記号消費」なわけだな。
>>850 「女装」や「武装」って、流行ってるのですか?
852 :
考える名無しさん:04/02/08 22:30
>>851 流行ではないが、「未理解」の一種で在ることは確かだと。
>>852 「未理解」の消費というのは、実は現代的なものではなく、
人の生理的な特性です。ようは好奇心と言われる物です。
現代の特徴は、情報化により社会的にこのような好奇心が肥大している。
このために記号消費が加速しているということです。
かつては記号の表現と意味は固定的で、成長することがなかった。
最近では、記号消費が活発化し、記号意味のダイナミックに
成長しつづけているということです。
854 :
考える名無しさん:04/02/08 22:44
>>853 「好奇心?マ未理解な領域への興味・関心、または未理解の消費」
「未理解」の方が細かいので論説には便利だと思われ。
>>854 ドルゥーズやボードリヤールなど、ポストモダン的には
「欲望」が使われますね。
これはかつての「理性」主義に対する反論的な意味合いがあると思いますが。
デリダは乗り越えなければならない・・・
マスメディアで取り上げられている女性の各年齢層に対する
記号(女子高生、女子大生、OL、主婦)と消費についての考察ですか?
「未理解」というマスイメージ、つまり男性の幻想のなかに潜む
処女性(聖)と穢れ(俗)という二極イメージをその女性像の年齢
のなかにみるということ。そして、女性の経験意識が低年齢に向かって
処女性(聖)に向かって逆上昇しているという幻想についてですが
その女性から見た三転目の男性像もこのように固定されているようですね。
2chとはナニって哲板看板はぴかぁ教の乗っ取り完了宣言ですか?
哲学の定義とか他の板へのリンクはどうなったのですか!!!!!!
/\/\ /\/\
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\ ?Q ?Q ?Q ?Q ?Q?P /
\/\/\/\/\/
\ ?Q ?Q ?Q/
\\/\//
\\//
\/
このような「未理解」への好奇心をもつ人間の消費行為はいわゆる
倒錯的で「きもい」というのはよくうなずけるところですね。
こういった倒錯は実際、男性にとっての成熟の拒否とそれに比例して
退行の症候群を起こしているということになります。女性というものは
生まれながらにして男性の欲動を読み取る直観があるもので、女性個人
の存在意義とか理由とかは自分ひとりでは達成されない面がある。
男性の場合はそれらのものを社会性や組織性に求める傾向にあるのに対して
女性は2者間に求めることが多い。そして、それはラカンのようなL字的
な他者欲動の読み取りにあるように思われます。そして、欲動とは音楽
やダンスという流のことであり、存在論的な時間ではなくハーモニーとして
の時間性。つまり止まらずに進む時間性のことです。そして、それは
他者の欲動が自分に向かうという存在論的な読み取りです。つまり、女性
のこの男性欲動の読み取りにおいてそれがまっすぐに自分という存在を
貫いてくるか、倒錯してこの幻想として自分を捉えているかということに
なります。つまり、この「未理解」という三転目のイメージは女性にとって
倒錯の男性でありこれは完全悪でしょう。そして、善とは真直ぐ女性の
中核を貫く男根でありしかもすごく硬くしかも強いところの直接の欲動
がその女性をとらえようとするところのものだと思います。というわけで
上述の見解には強い嫌悪感があるようにみえます。あ、男性でしたね。
まあ、男性が逆に女性のイメージを見る第四転目のイメージによって
みている場合ですねこれは。
<ポストモダンを越えていく2ちゃんねる>
東氏は、動ポス等で、オタク系文化とポストモダンの相似であることから、
現代的なポストモダン考示している。
2ちゃんねるは、オタク系文化よりもさらに先鋭的なポストモダン的特徴を備えている
ように思う。(私的には、F・Future的)
これはリオタール、ボードリアール等の示したポストモダン論の延長性にある。
私はポストモダン以降の特徴を、ボードリアールの記号消費を継承し、記号組織化構造と呼んだ。
記号組織化構造とは、近代的な社会秩序における記号意味と現代的な記号意味の差異、
「未理解」を大衆が消費したいとするところから生まれ、「未理解」→内部を解体する→
シミュラークルを作る→「未理解」を生む、という循環が無秩序に繰り返されることにより、
記号が成長することを表している。
現代では情報化により、主体と客体の区別がなく、記号組織化消費が加速化され、
ダイナミックに記号が成長しつずけている。
2ちゃんねるはこのような記号組織化消費が、装置化にまで発展させられている。
たとえばある人が「なんのために生きているのだろう」というスレッドを立てたとする。
これは「未理解」の提示であり、この「未理解」を消費しようという提示なのである。
2ちゃんねるでかつて?使われていた「〜どうよ?」という言葉は、このことを象徴的である。
それは、政治、事件、学問、有名人などなど、各カテゴリーで世界のほぼすべての事象が
網羅されている。
この「未理解」の消費には、個人のプライバシー、誹謗中傷の問題がある。これは
2ちゃんねるの運営上の大きな問題であったが、これはすでに乗り越えられようとしている。
それは2ちゃんねるの増殖、2ちゃんねる系掲示板の増殖である。2ちゃんねるのメジャー化
していく中で、2ちゃんねる系掲示板は細分化され、アンダーグラウンド化されながら、
増殖し続けている。ここでは個人のプライバシー、誹謗中傷の問題は、モグラ叩きである。
ここでは住む町や、学校、会社などの詳細な情報や、住人の噂まで知ることができる。
私は実際に友人の噂を見つけた。(私はそこにレスしたことは一度もないのもかかわらず、
私が見つけたときには、私の友人はイニシャル化され、「評価」されていた。
これはネット上のコテハンという意味でなく、社会的な彼についての「評価」である。)
これは個人のプライバシー、誹謗中傷の問題を置き去りに、世界の「未理解」が
消費され続ける姿である。
ここでいう消費とは、具体的には、参加する人は、「未理解」についてレスをつけてを解体を
試みる。または時には、「未理解」をしたように振る舞う。これは噂であり、物語であり、
シミュラークルを作りだす。
「未理解」→内部を解体する→シミュラークルを作る→「未理解」、という循環が繰り返され
記号が消費されていく。
このような速度は、オタク系文化でシミュラークルが作り出されるどころではない。
むしろオタク系文化でさえ、飲み込まれているといっていいのではないだろうか。
日々多量のレスが繰り返され、記号組織化のもはやどのような現象を生み出し、
誰にもわからない。ただただ全体として、記号が生まれ消えることが繰り返される
うごめき続ける総体しかない。
これはネット文化という現象の象徴でもあるのではないだろうか。
そして世界的に2ちゃんねる的な現象が起こっているのだろう。
このようなネット上の超加速化された記号消費化は、きっと社会をも飲み込んで行くだろう。
>>862 >「〜どうよ?」
139 :考える名無しさん :04/01/12 00:45
このスレでは1さまの基準で動いてます。
1さまが問題を提起し、結論を出し、荒らし認定をします。
1の流れ話題を変え、ここで話されてない1の主観を結論の根拠に持ってくる。
1とはいえどうよ?
>>857 マスメディアの影響は大きいですが、性の問題については
マスメディア的なタブーもあるので、このような加速化する記号消費は、
大衆の中で成長していると考えた方がいいと思います。
出会い系などは、ネットの影響が大きいですね。
三転目の男性像ってどうですか?
>>864 とても面白い例ですね。
スレにより世界のすべてが「〜どうよ?」化され消費されると
書きましたが、これは1であり、レスした人であり、
コテも消費されますね。
たとえば人格攻撃などは、匿名性という「未理解」を
消費しようと言う行為です。
これはネットで良くみられる特徴的な行為です。
>>858 >2chとはナニって哲板看板はぴかぁ教の乗っ取り完了宣言ですか?
そうです。
>>866 >匿名性という「未理解」を消費しようと言う行為です。
803 :× :04/02/07 21:39
基本的に、その方の言説というのはそれがいかに専門的なことであっても
その方の生きかたの裏返しだからです。
すみません職業柄、その方の言うことなどからその方の生活の全体像を思い描くのが
癖になっています。
ちくびさんはかなり特殊な生活環境にいるようですね。何かを研究するようなことをしても
いるようだ。異性の匂いがあまりしない環境にいますね。昼間の少なくとも一定時間は
集団生活に近いのではありませんか。 ・・・・・自衛隊?
プライバシーに土足で踏みこんだなら申し訳ありませんでした。
とりあえずsage進行でいってくんない?
>>860 レスありがとうございます。大変興味深いです。
私のレスも見事に消費されましたね(w
では逆に消費させてもらいます。
>このような「未理解」への好奇心をもつ人間の消費行為はいわゆる
>倒錯的で「きもい」というのはよくうなずけるところですね。
「きもい」。これは私のレスを関係する記号だと思いました。
あなたが考える、「未理解」への好奇心をもつ人間の消費行為はいわゆる
倒錯的で「きもい」ではなく、
これは一つの排他的な言葉ではないでしょうか。
社会的な秩序から、記号消費が加速する事への恐怖のような感じがします。
オタク、2チャネラー、援助交際などなど、これらは現代のキーワードかも
しれません。
そういう意味では、あなたは社会的な秩序性が高い女性でしょう。
>こういった倒錯は実際、男性にとっての成熟の拒否とそれに比例して
>退行の症候群を起こしているということになります。
加速する記号消費に浸る若者の特徴として、幼児化は特徴的です。
これはハニカムハーツの特徴としてあげましたが、
趣向で価値観を作る場合には、社会的な他者回避に向かい、
社会性が低下します。
>女性というものは
>生まれながらにして男性の欲動を読み取る直観があるもので、女性個人
>の存在意義とか理由とかは自分ひとりでは達成されない面がある。
>男性の場合はそれらのものを社会性や組織性に求める傾向にあるのに対して
>女性は2者間に求めることが多い。そして、それはラカンのようなL字的
>な他者欲動の読み取りにあるように思われます。
ラカン的他者欲望は女性に強いということですか。
このような男性像は近代的な社会通説のような気がします。
実際、男は女性と同じく、嫉妬深いのではないでしょうか。
男性がそのように見えるのは、男性が社会的通説にのっとって、それを表面に
出さないだけではないでしょうか。
>「未理解」→内部を解体する→シミュラークルを作る→「未理解」
消費社会において物事への深い考察とは無駄なものであり、消費とは
日々対象(人、物)への「未理解」を延々死ぬまでくり返し、どこまでも
消費し続け、人間の過去には極度に吹き溜まった雑多な消費の記憶だけ
が残る。華やかなイメージで彩られたマスイメージは人間のフェティッシュ
な関心を呼びそこに残るものがない、ということですか?
面白いことにそれでも人間は存在を示しつづける。この状況が昔の農耕中心
の日本社会に類似しているようにも見える。つまり、ゲマインシャフト的
な人間関係のなかですごく同じ日常をくり返す。そのなかにいることは
安全を意味し、これが現代の錯乱的に消費されるマスメディアに暮す人間
も個人的な存在にならないという意味で似ているようにも見える。しかし
決定的に違うことは伝統社会では情緒があり、消費社会では冷たい対象
意識があるというところでしょう。そして、伝統社会は同じこととはまったく
同じコミュニケーションのありかたであり、消費社会ではまったく違う
ことを延々に消費することによって全体から個人は引き離されている。
女性がこれを男性よりも感じているのだと思います。では個人として在る
ということはどういうことかということでしょう問題は
>そして、欲動とは音楽やダンスという流のことであり、存在論的な時間ではなく
>ハーモニーとしての時間性。つまり止まらずに進む時間性のことです。
>そして、それは他者の欲動が自分に向かうという存在論的な読み取りです。
>つまり、女性のこの男性欲動の読み取りにおいて
>それがまっすぐに自分という存在を貫いてくるか、倒錯してこの幻想として
>自分を捉えているかということになります。
>つまり、この「未理解」という三転目のイメージは女性にとって
>倒錯の男性でありこれは完全悪でしょう。
>そして、善とは真直ぐ女性の中核を貫く男根でありしかもすごく硬くしかも
>強いところの直接の欲動がその女性をとらえようとするところのものだと思います。
>というわけで上述の見解には強い嫌悪感があるようにみえます。あ、男性でしたね。
>まあ、男性が逆に女性のイメージを見る第四転目のイメージによって
>みている場合ですねこれは。
これも私としては、社会的通説でしかないと言わせていただきます。
「男性が逆に女性のイメージを見る第四転目のイメージによって
みている場合です」か。たしかに私は男性ですから、
その認識から逃れることはできません。しかしあなたは女性ですね。
私は、女性が男性のイメージを見る第五転目?のイメージではなく、
あなたという社会的秩序を重視する「真面目な」女性がみる目を感じました。
私は女性は、男性と変わらず性的に欲動的だと思います。
女性も男性も、愛を求めていますが、同じく快楽としての性を求めていると思います。
出会い系にはまる女性、セフレであることを楽しむ女性は
きもくも、倒錯的でもない。愛も求めるが、快楽も求める。
この当たりはわたしも適当に話しているわけではなく、
彼女等の身近な女性達との話の中で感じたことです。
私の回りに、性に溺れる女性がいるという意味ではありませんが。
おいおい消費はねえだろ。他者にとっては消費かもしれんが
実体を消費にするなよ
>>873 >消費社会において物事への深い考察とは無駄なものであり、消費とは
>日々対象(人、物)への「未理解」を延々死ぬまでくり返し、どこまでも
>消費し続け、人間の過去には極度に吹き溜まった雑多な消費の記憶だけ
>が残る。華やかなイメージで彩られたマスイメージは人間のフェティッシュ
>な関心を呼びそこに残るものがない、ということですか?
私は現代の加速化する記号消費を現象としてとらえ、良い面があれば、
悪い面もあると考えています。そしておそらく社会的な秩序基準が悪いと考えるよりも、
ずっと楽観的にとらえていると思います。
「延々死ぬまでくり返す」ことを虚無的にとらえるつもりもありません。
ここにある姿は、人の生命力であると捉えます。
すなわち社会構造が変化すれば、順応していく生命のすばらしさを
見ています。
>面白いことにそれでも人間は存在を示しつづける。この状況が昔の農耕中心
>の日本社会に類似しているようにも見える。つまり、ゲマインシャフト的
>な人間関係のなかですごく同じ日常をくり返す。そのなかにいることは
>安全を意味し、これが現代の錯乱的に消費されるマスメディアに暮す人間
>も個人的な存在にならないという意味で似ているようにも見える。しかし
>決定的に違うことは伝統社会では情緒があり、消費社会では冷たい対象
>意識があるというところでしょう。そして、伝統社会は同じこととはまったく
>同じコミュニケーションのありかたであり、消費社会ではまったく違う
>ことを延々に消費することによって全体から個人は引き離されている。
>女性がこれを男性よりも感じているのだと思います。では個人として在る
>ということはどういうことかということでしょう問題は
あまりに、大局的な見解ですね。
これでは、この現代社会議論でなく、単に生きることについて、
ニヒリズムにとらえているとしか思えません。
このような大局で語るなら、「個人的な存在」が近代西洋主義的な考えでしかない
言わざる終えません。
いつも時代も私たちは社会の一部でしかない。これは悲しいことでもなんでもありません。
すばらしいことです。あなたは日常を否定的にとらえすぎている!と思います。
>これは一つの排他的な言葉ではないでしょうか。
社会的な秩序から、記号消費が加速する事への恐怖のような感じがします
そんなもんじゃにゃいですよ。これはある時期における方向性の問題
であり、排他性と消費という言葉を容易に使うのはどうでしょうか?
まあ、そういう近代性が関わってるかもしれませんね。
>加速する記号消費に浸る若者の特徴として、幼児化は特徴的です
そうだと思います。しかし、記号消費に浸る若者という
観念的な言葉には些か気薄な響きがあるように思います。
それから記号消費という言葉は逆に記号からの「未理解」妄想
に少なからず類似しているようにも思えますがどうでしょう?
>ラカン的他者欲望は女性に強いということですか。
>このような男性像は近代的な社会通説のような気がします。
そうではないと思いますよ。やはり男性は自分の存在理由を全体なかの一部
に見出し、対象(共同体)→自分(男性)、女性は自分ともう一人
に存在理由を見出す、対象(特定の個人、もの)→自分(女性 )だとおもいます
だから男性は嫉妬と女性の嫉妬は厳密には違うように思います。
これらはもちろんそういう傾向にあるという括弧付けのものなので
人それぞれという言い方も正しいと思います。
>>880 そうでしょうか?あなたが「きもい」という言葉をつかったとき、
(実は私もこの言葉を日常よく使う。ギャク的にですが、)
最近、「きもい」が流行っている。これは現代のキーフレーズ
のように感じました。この記号は深いですよ。
記号消費に浸る若者については、ハニカム化ということで
かなり書きましたので、詳細省きました。
嫉妬の種類よりも、その後の、「女性の性に対する考え方」の
違いに興味があります。
私はあなたの「女性の性に対する考え方」はかなり封建的で、
現代の10代の女性にすると、むしろ疎ましい考えと
思われるのでないかと思っています。
【男性→〔女性→きもい(男性→欲望〈女性の未理解〉)〕】
→=視点
〈=記号
(=二転目
〔=三転目
【=四転目
>出会い系にはまる女性、セフレであることを楽しむ女性は
きもくも、倒錯的でもない。愛も求めるが、快楽も求める。
この当たりはわたしも適当に話しているわけではなく、
彼女等の身近な女性達との話の中で感じたことです。
別に批判してませんよ。
>あまりに、大局的な見解ですね。
これでは、この現代社会議論でなく、単に生きることについて、
ニヒリズムにとらえているとしか思えません。
このような大局で語るなら、「個人的な存在」が近代西洋主義的な考えでしかない
言わざる終えません。
いつも時代も私たちは社会の一部でしかない。これは悲しいことでもなんでもありません。
すばらしいことです。あなたは日常を否定的にとらえすぎている!と思います。
これだから(やれやれ)。あのですねーなぜこれがニヒリズムになるのですか?
これはただ単に分析しただけですよ。良いも悪いもないのです。
日常を否定的に捉えているわけじゃないんですよ。それに何が良くて
何が悪いといったことはあまり言及していないと思いますが。
問題はその裏にあるのですから
社会的な秩序(男女)→「きもい」→記号組織化構造(男性→欲望→〈虚像化する性への未理解〉←欲望←女性)〕
「きもい」は近代的な社会秩序的意味と記号組織化により虚像化する意味の
断絶を表すキーフレーズである。
ロリコン化する男性も、 SEXに快楽を求める女性も、社会基準では「キモイ」。
>>884 そうですか。
冷静に自分の文章をもう一度読んでください。
私はあなたの文章の記号意味を指摘したと
思ってもらってもいい。
西洋哲学的なニヒリズムに満ちていると感じました。
でも、なかなか面白い意見ではあります。
またご意見お待ちしております。
ねます。・・・あなたとは以前どこかで議論したことがあるように・・・
ドゥルーズにとって、問題とはつねに重要なものでしたね。ぴかぁ〜の
「未理解」も、このドゥルーズ哲学における「問題」とパラレルである
と考えていいですか。
まあ、これから過去レス読みますんで・・・。唐突な突っ込みをして
申し訳ない。ただ、このスレはなかなかおもしろい展開になっているの
ですね。
にちゃんは世界の「未理解」を解体する装置と書いた
スレ立ては「どうよ?」と解体を要請する
しかしこれは必ずしも正しくない
スレ立てが求めているのは「共鳴」である
解体は「未理解」に対する単なる好奇心ではなく
不安である
「なんのために生きているのか」このスレには純粋な好奇心からはっせられたものでなく、
そこには不安感が潜んでいる
そして不安感の共有をもとめているのである
ここにはドゥルーズのいった「すべてを理解したいと言う欲望は、生の限界を受け入れないニヒリズムである」という姿がある
これは記号組織化消費の根源的な力かもしれない
女子高生と「女子高生」の差異、「未理解」に群がる男たち
彼等はたんたる解体したいという欲望から群がるのではなく
そこには「女子高生ってどうよ?」という共鳴欲求があるのではないだろうか?
近代的な社会規範からの逸脱に対する不安
抑圧的な性意識から逸脱に対する不安
「どうよ?」がもとめているのは回答でなく
同意である
「女子高生」になろうとする女子高生、出会い系にはまる女性しかり
彼女たちがもとめているのは
求めていれのは同意である
近代的な社会価値観が崩れる中での不安感に対する
同意、共鳴
記号組織化する記号が社会規範と間で生む差異に
飛び込む
女子高生に欲情するなど
社会規範からするて「きもい」のである
「きもい」ことはわかっているが
その差異は「どうよ?」
おまえらも同意するじゃないの?
これは不安感に対して同意を求める、さらには反論してもらうにより
安心する行為である
これは荒らし行為にも繋がるかもしれない
彼等は議論を解体したいのでなく
不安を提示しているのである
彼等は注意されることを望んでいる
注意される反発することにより
自分の中の不安感が自分の中から相手へ向かうことができる
これは幼児がくずる構造と似ている
親に無理なことを
ことをいって注意を自分に向けさせ、不安感を回避する
「未理解」とは社会秩序から突出した舞台である
差異に身を置くことによりコミュニティー的共有がえられ
社会的な注目がえられる
社会に対する自分の位置がみえる
社会的なラングと個体ない心象の乖離は
人を不安にさせる
この不安の解消法が
他者との共鳴と社会からの注目である
これを言動力に記号が組織される
ぴかぁさんは女子校生という記号を駆使することによって
ガタブルを回避しようとする引きこもりじゃないですよね?
たとえば?
そうですね。社会的ラングというものの引力は大きいわけです。
問題は、かならずしも社会的ラングが「正しい針路」を取っているか
どうかが、誰にもわからない、ということじゃないかな? ハニカム化
の原因のひとつには、社会的ラングに同一化してしまう事の不安が
大きいのではないだろうか? (また後日、カキコします。)
ぴかぁさんはAVで女子校生に自己を投影するために
ここまで入れ込んで書き上げてらっしゃるのですか?
これはなんとかコミュニティーをつくろうとする生命的姿か?
それはただ記号でだけしかつながれないとしても
悲しき蜂たち…
俺、ネットでも素だから!
>ですよね?
「〜ですよね?」は対象に対して話題を急かす時と、単にストレス解消や暇つぶしのための時、
そして「わけわからん系スレ」や「板違いスレ」のスレッドストッパーとして使われている。
905 :
Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/02/09 16:24
心理学の考えと研究についての考察が無さ過ぎます。
みなさん、2ちゃんねるやめて、最寄の国立大学の本屋で心理学の講座が扱う
教科書を全て買ってきてそれを取っ掛かりの本から、図書館に一日7時間
篭って勉強しましょう。 そして教科書についての「教科書ノート」をつくって
そこから、自分の論を構築しましょう。
そして社会に出ましょう。
これなら、受験しなくても勉強できるし、24時間毎日2ちゃんねるしてる
よりも何万倍も有意義でしょう。
。。。あ、これは ぴかぁ〜みたいなタイプの人には能力的に無理なのかもしれませんが。。。
906 :
考える名無しさん:04/02/09 16:51
キチガイひさしぶり!
906
それは905の発言者以外の人を差してんでしょうね。
もし、905への発言なら返答はこうです。
「あ〜うん、キチガイくん久しぶり」
>>907 キキによく似た返答だな。かといってキキ本人でも無さそうだ。
しかし喧嘩腰でできる哲学なんてもなーねぇよ。
そういう奴が「哲学」と思っているものは大抵あげ足を取るための「話術」なんだよ。
口での喧嘩中に言い合いになったら必ず「勝つ」という事のために一生懸命頭をまわす輩。
口げんかに使われる「話術」を2ちゃんもといBBSに持ってきても、「荒らし」でしかない。
「勝った」「負けた」関係なし、喧嘩両成敗。喧嘩腰の奴は結局「きちがい・かんちがい」人間。
願わくは友好的に
>>908 ですね。
905907は全然哲学じゃないでしょう。
そんなの分かってますから大丈夫ですよ?
でも905の「教科書ノート」はいいと思います。
多くの人は日記を付けないようですが、こういう事は自分の
思考をシャープにしてくれると思います。
>>910 ならもっと余計な部分をそぎ落として書き込んでくれ。
そうしないければ「きちがい・かんちがい」人間と言われても仕方ないぞ。
わかっててやらないのがプロ。
もしそれが無理なら「名無しさん」にでもなっていた方が良いと思われ。
このように考えるとにちゃねらーとはとても悲しい存在になる
どうよ?と共感をもとも
求められないと子供のごとく荒らす
ほんとにそれだけだろうか?
「女子高生」は女子高生どうよ?と共感をもてめる「きもい」存在ということになる
たしかにガングロなどは「きもく」なろうとしているようにみえる
>911 それは私にとって「2ちゃんねるのノリ」に反すると思います。
「その瞬間思いついた事をレスする」のも、「相手の意見をよく
考えて論理的な感想をレスする」のと同じく「2ちゃんねるのノリ」
じゃないでしょうか?
>912
だから、、、ぴかぁー は「今まで読んだ思想書の事は全部忘れて
最寄の国立大学の講座の一年生からの教科書を買ってきて、最寄の図書館
で一日の内で2ちゃんねるやってる時間の8割でもいいからそれをゆ〜っくり
読んで、そして要点を見落としの無いように丁寧にチェックして
それをノートに素直な言葉で書いて整理してから実社会に出てそこで
感じた事を述べるようにしなさい。」
要約すると、「今までの思想を綺麗さっぱり捨てなさい=忘れなさい」
です。
空想のお話で話すと、「もし私がこの人の頭のリセットボタンをもっていたら
きっとこの人の為にそのボタンを思いっきり連打します。」という事です。
>>905の私の最後の行の予想を裏切ってくださいね。
917 :
考える名無しさん:04/02/09 18:47
誰か、ぴかぁ&ソヒア のあのAA持ってきてくれー!!
>>915 >「2ちゃんねるのノリ」
「2ちゃんねるってどうよ?」
>>918 この2ちゃんねるの有様そのままじゃん。
>>916 キャハハ!!
やっぱアンタ、相変らず私の思った通りのリアクションするね。
「自称エリートサラリーマン」で、「誰かが自分に恋心を抱いてるとか妄想」してて
「社会復帰が夢」で、「現代で相手にされて無いけど百年後の哲学界をリード
してる自称天才哲学者と妄想」してて24時間四六時中2ちゃんねるしてる
人は 「言うまでも無く」最早、「ずば抜けてきもい」と思いますが、
どうでしょう〜? 私が馬鹿だから判んないのかなぁ〜????
>>919 ソフィアが初めて真実を言った!
でもこいつは悲しき肉便器
>>919 ぴかぁ〜は「2ちゃんねる」や、「哲学」などを同時に消費しているんだよ。
ところで、話が変わるが「MY哲学」とはなんなのか?
「話し上手⇒頭を使う⇒考える⇒哲学」コレ間違い、⇒話術
「哲学⇒高尚⇒天才⇒天才が言う⇒哲学」コレ間違い、理があわぬば誰が言おうと⇒戯れ言
「考える⇒人の考えを読む⇒釣る⇒哲学的強さ」当然間違い、⇒心理術応用
「一人考える場所を設ける⇒ある程度の原理に近づく⇒MY哲学」
なら全ての哲学関係者はMY哲学をばらまいていた(いる)のか?
部外者や、専門家以外には根本にたどり着けないと?
それはない。
いや、もしそうなら哲学板どころか、2ちゃんねる学部のカテゴリはほとんど否定される。
>>905の>24時間毎日2ちゃんねるしてるよりも何万倍も有意義でしょう。
は公的に認められている学問を追究するだけならまちがっていない。
「○○先生はこういうことを言っている。□□□□□□(哲学者)にもこうあるしうむ。」
「へえ、△△先生はこんな本を書いていて◇◇論を展開しているんだ。」
…とこんなのを2ちゃんでやっていたら、ただの宣伝にすぎないし、そもそも板なんかいらねえよ。
雑談スレかなんかでsage進行して話してりゃいいじゃないか。第一、こんなのやってる奴等が行動に哲学を役立てるとは思えない。
「公的」に認められているってことは、「個人で展開する必要はない!」「間違いは何一つ無い!」ってことだ。
まあ数百数千年前の思想だ、間違っているわけがないのだが。
しかし、 /?Q 算数でこういう問題が出たとする。「Β=4、С=3、角a=90゜の時Αを求めよ。」(中2レベル基本)
/ ?Q
/ ?Q 正解は言わなくても解ると思うが、もし、この問題を小2(かけ算レベル)10人に見せ、
(Α) (Β)
/ ?Q 解き方を教えずに「この時答えはコレなんだよ」と教えた時、
/ Γ?Q 「Β=8、С=6、角a=90゜の時Αを求めよ。」に何人正解者が出るだろうか?
 ̄ ̄(С) ̄a
また、答えをどうやって求めたのか回答者に聞いたらなんて答えるだろうか?
当然だが、「かくへんのながさがそれぞれにばいになっているので、こたえもにばいだとおもいました(まる」
という奴が一人か二人出てくるだろう。で。そいつらにこう言ってやる。「んなわけねーだろ!」
その直後そいつ等がどういう反応を取るか想像してみな。。。激しい「葛藤」が見えるぜ。。。
哲学も同じ、要は「その論」を完全に納得し肯定すれば良いんだよ。
時にはレスを使い部分的に否定したり、足りない部分を補ったりする。
哲学板はそれができればある程度まとまった結論が出る。
これもまた哲学板の一部だろう。つまり「MY哲学」と呼ばれる物はあってもいいんだよ。
また、「MY哲学」は一種の「仮説」としても読みとれる。(話術・戯れ言・心理術応用はMY哲学ではない。)
なので、「MY哲学」を批判しようものなら、現在の哲学関係者を先に訴えるべきだ。「てめえらに今日を生きる資格はねぇ!」ってなw
つーか「MY哲学」批判者はただ現在の哲学研究者達(学歴主義含む)を潰したいだけじゃあねえのか?
そんなんだからいつまでたっても2ちゃんの悪印象は消えねえんだよ。ぼけ。
血管切れるぞ
ぴかぁーのハニカムハーツ論にとって、そんなに「女子高生」とやらが
中心的な話題なのか? 「女子高生」に大衆が関心を持っているなんて
断言されても困るな。 いま、大衆が騒いでるのは、某政治家の学歴詐称
問題であり、自衛隊へのイラク派兵問題であり、北朝鮮問題であり、BSE
の影響による牛丼廃止問題であり、鳥インフルエンザ騒動の動向であり・・・
でしょ? いったい誰が「女子高生」で騒いでるというのか?
>>926 いいや、「女子高生」は手頃な例だとおもう。
大衆が騒いでる物は倫理的に問題があっても、時がたてば忘れ去られる。
つまり絶対普遍ではない。時代に流されたら哲学なんて出来ないしな。
ぴかぁ〜は日本全国に浸透しているものとして「女子高生」をとりあげている。
>>921-923 なにげに弁護していただいているようで。
>ぴかぁ〜は「2ちゃんねる」や、「哲学」などを同時に消費しているんだよ。
まさにそうですね。私が言っている「ポストモダンを越えていく2ちゃんねる」に
つながりますね。
ソフィアさんはなかなかむずかしいですね。
議論を望んでいるわけでなく、自分でも言っていますが、
ストレスが溜まると、やってきて罵倒してすっきしして去っていく。
彼女の「MY哲学」という言葉には、蔑視があるわけですが、
この裏には「社会的に認められた哲学」という言葉が隠れています。
すなわち「MY哲学」など、「きもい」と言うわけです。
しかしそれはまさに2ちゃねらーである自分の「きもさ」との、パラドクスになっていますね。
それが普通の荒らしや、煽りでなくヒステリックな言動に繋がっているように思います。
私は、2ちゃんねるは、世界の「未理解」を解体する装置である。
スレ立ては「どうよ?」と解体を要請する。と言いましたが、
これは解体を要請するだけでなく、同意を求める面が大きい。
女子高生と「女子高生」の差異という「未理解」に群がる男たち。
このような「未理解」に対する解体欲求は、「きもい」のである。
「未理解」とは社会規範からの差異であるから。
そこには「女子高生」に興味をもつ自分が「きもい」ことへの不安感があり、
同意を求める姿がある。「女子高生ってみんなどうよ?ほんとは興味あるんでしょ。」
「女子高生」になろうとする女子高生、出会い系にはまる女性しかり
彼女たちは「性欲ってどうよ?」「SEXってどうよ?」「こんな私はきもいの?どうよ?」
という同意を求めている。
そして、「未理解」は社会規範からの差異であり、「きもい」のであるが、
共鳴されれば、舞台となるのである。社会的な注目を引くのである。
オタク、2チャネラー、コギャルは「きもい」ことが、自己存在価値化するのである。
そして、「未理解」は社会規範からの差異であり、「きもい」のであるが、
共鳴されれば、舞台となるのである。社会的な注目を引くのである。
オタク、2チャネラー、コギャルは「きもい」ことが、自己存在価値化するのである。
では、2ちゃんねるではなぜ解体欲がここまで肥大可能なのか?
顔の見えない相手とのテキストという希薄なやりとりは
肉感的現実感が失われます。
このような肉感的現実感が希薄であるが故に、欲求がむき出しになりやすい。
これは2ちゃんねるに限らず、ネットコミュニケーションの大きな特徴でしょう。
またコミュニケーションとは、自分の心象を交換し合う行為です。
ここでは当然のように、発信者は相手にうまく伝えたいために、
相手が何者で、どのようにすれば、うまく伝わるか考えます。
しかしネット上の相手は見えないために、フラストレーションを生まれます。
このためにネット上の会話では、戦闘的、煽りがちになります。
これは相手の感情を揺らして、相手の心情をもっと知りたし、伝えたい欲求にも
繋がっています。
私に長く粘着しているストーカーなどは、まさに私について知りたいという
欲求が欲望化しています。
何とかして感情的にして、心を除きたい。これは「未理解」に対する
強い解体欲とも言えます。
しかし逆に、このような情報量が欠如したコミュニケーションがまさに魅力では
ないでしょうか。
これはたとえば日本語の通じない外国などで、片言でもコミュニケーションできた
ときの喜びににているかも知れません。
通じないから、より通じようと努力する。より努力することにより、心象が露出して、
より大きな共感を呼ぶ事ができる。
実生活のコミュニケーションよりも、強く共感をもとめ、
そしてその共感が得られたときの喜びは、大きい。
ネットコミュニケーションをやっているとだれでも一度はこのような経験があるのでは
ないでしょうか。
さらには、ネットコミュニケーション上に現れるのは、コミュニケーションを目的とした主体です。
実社会では近くにいることで存在感を表せます。
しかしネットでは、レスしなければ存在しません。
レスするときに、すなわちコミュニケートしたときにはじめて実体化するのです。
このためによけいに自己アピール的になります。
これが、荒らし行為などに繋がるのではないでしょうか。
荒らしの原動力は、不安でありストレスでしょうが、レスしなければ存在しないという
空間では、自暴自棄的レスが繰り返すことにより、自己の存在をアピールする面が
大きいのではないでしょうか。
このようにネット上のコミュニケーションには、コミュニケーションそのものを純化する作用が
あるように思います。
なにか雑ぱくでまとまりがありませんが、ここまで・・・
>>926 確かに「女子高生」にこだわる私は「きもい」かもしれません。
しかしいま言っているのは、ポストモダン以降の記号消費的現象です。
その意味では、
>>927がフォローしていただいているように、
「女子高生」は手頃な例だとおもうのです。
某政治家の学歴詐称問題であり、自衛隊へのイラク派兵問題であり、
北朝鮮問題であり、BSEの影響による牛丼廃止問題であり、
鳥インフルエンザ騒動の動向であり・・・
記号的な問題ではない。どちら方というと近代的な社会システム上の問題です。
ただBSE、鳥インフルエンザ、サーズなどは、興味深い。
このような世界的な病原菌の問題の突出は、
世界的なテロの突出との繋がってように思います。(当然、テロが病原菌をばらまいているとか
そんなSFチックな意味ではないです(w)
世界的に「きもい」が顕在化してきている???
ぴかぁ〜さんの連想力は凄いなぁ……
羨ましいよ。
>>938 多くのご批判をいただきながらも、
ここは2ちゃんねるであるということを重視したいです。
「未理解」をどん欲に消費する希有な場所です。
これでは卒論にもならないとか、トンチンカンなことを
言われる方がたまにいますが、
「未理解」をどん欲に消費するとは、ジャンクやシミュラークル(まがいもの)を
生み出す場であり、消費する場です。
それでも「きもい」が無秩序に集まれば自己組織化し、
何かが生まれると思います。
それが生命力というものです。
という楽観主義で閉めます。
続けてくれていいのに……_| ̄|○
賛同の声は耐えられませんか
私にはそんな生命力はありません。
「キモい」に潰されて死ぬでしょう。
おやすみなさい。
942 :
考える名無しさん:04/02/10 02:14
そう? 某政治家の学歴詐称問題はまさに記号論的な問題と違うの?
BSEや鳥インフルエンザの問題も、記号論的な問題をはらんでいる
と私は思うけどね。。。自衛隊のイラク派兵だってそうだ。あれは、
アメリカに対する、日本の忠誠という記号じゃないのかね。
>>942 世の中すべて記号です。
記号とは、人の認識の単位ですから。
そして近代的な記号と、現代的な記号を考えています。
何が違うかというと、主体、客体の区別なくダイナミックに成長する記号です。
たとえば、某政治家の学歴詐称問題、自衛隊のイラク派兵が
どうでもいい問題と言っているわけではなく、
政治という近代的なシステムは、大衆を客体化させてしまう。
だから記号が成長しにくい。
たとえば、「政治家」という記号は、現代ではもはや陳腐ということです。
イラク派兵も政治すれは、記号消費的側面は低い。
ただグローバル化、世界的な民族主義の台頭と考えれば、
考えるところが多いかもしれません。
病原菌については先ほどいいました。
ではたとえばこれらについてあなたはどのように記号意味をとらえますか?
まずそこからはじめましょう。
945 :
考える名無しさん:04/02/10 02:48
?
946 :
考える名無しさん:04/02/10 02:52
非常に話題になっているのに、記号として成長しにくいとは
どういう事だろうか? 記号として非常に成長しているではないか。
今日は、これで寝るが、943では納得がいかないね。
>>946 話題になるのと現代的な記号組織化とは違います。
たとえば、マスメディア、ジャーナリズムが騒ぐほど、
大衆に感心は高くないことは良くあります。
このあたりはもうだいぶ話したので、あまり燃えません。
聞くだけでなく、あなたの意見があれば乗っかるかもしれませんが。
948 :
考える名無しさん:04/02/10 03:08
ぴかぁ〜さんは
>>1のような状況を憂いているの?それよりもそんな状況の
中でなお「この生を肯定するための芸術を創り出すという行為は可能か?」
と問うたほうがいいよ。
「ハニカムハーツってどうよ?」ってことです
たとえばよくここで学問系スレが育たない
荒らしのせいだとか屯ちん感なことをいう人がいますが
にちゃんねるの解体装置性がまったく理解できていない
ようはひよこさんなんでしょうが
たとえばカントどうよ?
といわれて今更解体したいと思いますか?
本読めよで終わりです
学問系でも解体欲の刺激を考える努力をおこたり
学問カテだから学問系スレが盛り上がって当然など単なる思い上がりですね
状況に対して「どうよ?」と言っても仕方ないという気がするのです。「今の状況
をどうするか」という問いには、「それをさらに推し進めてゆく」か「適度なとこ
に戻す」という意見しか出てこない。追認か復古ですが、そんなことよりも、どう
今の状況を楽しむ(軽薄な言い方だけど)か、その楽しみ方の創造こそが哲学なので
はないですか。
>>950 >にちゃんねるの解体装置性
解体するものが既にない、というのにも関わらずまだ解体しようとする人が
荒らしと呼ばれるのだと思う。俺は2チャンは「プチ精神分析装置」と呼ぶ
ほうがいいと思っています。静的な学的体系が実はいかに「対話」という動
的なシステムによって可能になっているかがはっきりするから。
>>950 >たとえばカントどうよ?
>といわれて今更解体したいと思いますか?
>本読めよで終わりです
君、1ページも読めないジャン
>950
ピカのこういうところが学哲に対しての劣等感を感じるんだよなぁ。
誰よりも哲学言語にコンプレックスを持ってるくせに気づかないのかねぇ。
955 :
考える名無しさん:04/02/10 08:47
>>954 そんな奴がポストモダンとか言ってるんだよ、今頃…
哀れみさえ漂うよ
ハニカムが寝たのが3時30分だから、起きるのは昼頃だな
それともこのレス見て出てこれないかなw
>>953-956 >私に長く粘着しているストーカーなどは、まさに私について知りたいという
>欲求が欲望化しています。
>何とかして感情的にして、心を除きたい。これは「未理解」に対する
>強い解体欲とも言えます。
自作自演とは自分が特定されないようにすることですね。
自分の姿が見えないようにすることで、
解体される事を防ぎます。
2ちゃんでは、人格さえも解体の対象です。
このために身を守るために必要な方法ですね。
お、ぴかぁ〜、もう起きたか藁)
>>958 規制議論うまくいきそうですか?
あまり盛り上がっていないようですが。
>>950は参考になると思いますよ。
過度の学問コンプレックスは楽しくないですよ。
>>951-952 >俺は2チャンは「プチ精神分析装置」と呼ぶ
>ほうがいいと思っています。静的な学的体系が実はいかに「対話」という動
>的なシステムによって可能になっているかがはっきりするから。
「プチ精神分析装置」ですか。なにか面白いですね。
説明が今ひとつわかりませんが。
にちゃんの人格消費はある意味恐いですね
たとえば私の記憶ではソフィアさんははじめはもっと純情?な感じだったと思います
そして女子大生、留学という情報は大きな「未理解」を生み
みなが一気にソフィア消費に向かいました
勝ち気でオープンな性格まあり、反応もよい
議論だけでなく、誹謗中傷などソフィアという「未理解」が進みました
そしてすでにソフィアという「未理解」は消費されつくされた感がある
もうあまりみんな見向きをしなくなった
逆にかまってほしくてさまよっている…
なぜソフィアというコテをすてられないか
そこにいまのソフィアさんの悲しさ?があるようにおもいます
消費過程でソフィアという記号は組織化しいまや共有された意味ができあがったのですね
優良コテへの回帰願望がありますが
多かれ少なかれコテは消費されます
そして記号意味が固定されます
これは「未理解」がなくなったということで
みなの興味が失います
これは世の中のブームという現象をみればよくわかります
日本語自体意味不明。
◆次のような内容の書き込みは厳に慎んでください。
人種、信条、性別、社会的身分、または門地、国籍、身体的特徴、職業などもって、
人を差別するような書き込み。
他者に不利益もしくは損害を与える、またはその恐れのある書き込み。
他者を誹謗中傷、または名誉、信用を毀損する内容の書き込み。
プライバシー情報(パスワード、住所、電話番号等)の書き込み。
犯罪、もしくは犯罪に結びつく、または罪を助長する内容の書き込み。
他人の本名、またはハンドルネームを使用し、なりすましての書き込み。
複数の掲示板に繰り返し同じ内容の書き込み(マルチポスト)。
事実に反する情報の投稿、虚偽の情報内容の書き込み。
他者が嫌悪感を抱く内容の書き込み。
卑猥な表現や、品位のない表現、その他公序良俗に反する内容の書き込み。
紛らわしい、不真面目、無責任、品位がない、他者に不快感を与える、
その他不適切なハンドルネームを使用しての書き込み。
にちゃんは消費が加速された世界ですが
実社会でも同じようなことがおこっていますね
ではどうすればいいのか
デリダ風にいえばたえずずらしていくということです
差延であり、脱構築です
記号意味が固定されないように構築しては少しずらして構築してはずらすということです
>948 名前:考える名無しさん[] 投稿日:04/02/10 03:08
>ぴかぁ〜さんは
>>1のような状況を憂いているの?それよりもそんな状況の
>中でなお「この生を肯定するための芸術を創り出すという行為は可能か?」
>と問うたほうがいいよ。
遅くなりましたが、これはぴかぁー哲学の意義に関する部分ですね。
ぴかぁー先生の御論説をまともに読み始めると最初誰もが抱く疑問ですね。
この疑問を持つ方が増えてきていることは喜ばしい。
私も昔は同じ疑問を抱いていましたが、今は解決しました。
御説明できたらと思います。
ぴかぁー先生は記述し分析することそのものを目的としているというか、
視野の開拓そのものと、またその営為を公開することの両面に意義を
見出してらっしゃるところがあるのですね。
その主張内容は、もちろんひとつひとつの文章ではあるのですが、
書き込みを継続するという一種の「行」に示されてもいるのです。
ゆえに、小説にたとえるとトルストイやゲーテではなく、プルーストを読むような感覚で
ぴかぁー先生の御論説は読み進めるべきだと思っています。
存在論認識論社会論などすべてを横断した、思想の有機的発展とご人格に
われわれは陶酔すべきなのです。
ぴかぁ〜は消費される事のできない廃棄物ですね、このプチ精神分析
空間では。。。
>>969 あなた、ずいぶん前からいらっしゃるが、ぴかぁー先生の言説の内容の充実に
ぜんぜん気づかないんですか?失礼ですが、頭は大丈夫ですか?
内容をまともに読みもしないでレッテルだけ貼り付けるのは最も下等な人間です。
留学生さんでしたね。そんなことでよく勉強していると言えますね。
知的誠実さが欠片も見られませんよ。
冷静に分析した上で知的反論を加えるならすばらしいと思いますが、
ぴかぁー先生の懐の大きさに乗じ、ちょっかいを出して反応を試すようなまねはやめなさい。
見ていて恥ずかしくなるし迷惑です。もう来ないでください。
つうか消えうせろ死ねアホ豚女
わぁ!! 信者さんまでいるんだぁ!!
びっくりしました。
ごめんなさいね。ちゃちゃ入れて。
>>972 いや、これはキキの時と同じ。
キキの時みんなでキキにさんざんぱら論で言い返したのに無意味だった。
結局最後は「氏ね」「消えろ」「逝け」「もう来るな」「USBケーブルで(ry」
みたいなことになってて、最終的には「きみアク禁要請してきた」になって。
結果「全面キキアクセス規制」になり、事態は安定した。
また、記号「キキ+キ」はホムペによりほぼ完全に消費された。
>>973も同じ経路をたどる予感。
>>973 >わぁ!! 信者さんまでいるんだぁ!!
「信者」という言葉には不快感がありますね。ぴかぁー先生のおっしゃることは
深い洞察に満ちており尊敬していますが、間違っていると思えば反論もします。
なんで反感をあおるような低脳なレッテルを貼ってくるのかね。
>ごめんなさいね。ちゃちゃ入れて。
ほんとに「ごめんなさい」に値しますね。
二度と来るな。
あるいは、「知ちゃんねる」を一読して理解されてから知的検討をしに来てください。
それならもちろん歓迎しますよ。ぴかぁー先生も嬉しいでしょう。
>>975 お願いですからsage進行してください。このような文章は見るだけでも
不快なのです。
>>976 >不快なのです。
どのへんが不快なのかしてきしてくれ。
それともSophia ◆8ADoZCl6.kの自演か?
>>976 なぜあなたが不快なのを持って私が下げにしなくてはならないのですか?
基本的にこのスレの内容はたくさんの人に読んでもらいたいですから
上げてかくことにしています。もし私がそう思わなくなれば下げて書きます。
他人に不合理なことを言うのはやめなさい。
そういうのを「自分勝手」といいます。分かりましたか。
×はぴかぁ〜の
>>961-962の発言が人として最低だってことに気づかないのか?
俺はひいたけどな。ぴかぁの考察がいいと思うならそれで結構だが
わざわざぴかぁの人格までかばってやる姿勢は信者らしいと思うけどな
「恋をして好きになり、嫌いになって愛となる」by俺
せんげとずざー
キキくんの場合はちょっと違うと思います
最初から「未理解」かすくなかった
ホームページで多くをさらしていましたから
だから消費欲がはたらかなかった
「ソフィア」のような虚像化もおこらなかった
はじめからかまってくんでしかなかったのではないでしょうか
>>979 >×はぴかぁ〜の
>>961-962の発言が人として最低だってことに気づかないのか?
まず最低ではないな。
>わざわざぴかぁの人格までかばってやる姿勢は信者らしいと思うけどな
ぴかぁ〜の人格をかばってるんじゃないよ。「信者」ではない。
それは「信じる」ではなく、「理解した」だからだよ。
ところで真似事ですみませんが、>979さんキガムカレマシタラお答えください。
>979さんはどなたですか?
人として最低ですか
なかなか深い意味があると思います
いやね〜プリッツ?
986 :
考える名無しさん:04/02/10 15:53
また真似事ですみませんが、
>>986 ↑アヒメがでてるよ
988 :
× YahooBB220028062030.bbtec.net:04/02/10 16:06
>>986 どうでもいいですが、983は私ではありません。
客観的には自演に見えるなーとは思いましたので、一応
ホストは出しておきます。もちろん983さんもホストを出してくれとは言いませんが。
自演はしません。
229 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :03/12/14 10:28
私がぴかぁ〜という人物を罵倒した心情、理由をはなします。
彼は私Sophiaが彼自身の事が好きだと断言しました。
そしてその理由は彼によると彼がSophiaの事を好きだからという事
らしいのです。
私にはそんな気は全くありません。だから、「彼がどれだけSophiaが
好きなのを理由にSophiaが彼を好きになれるのかを」証明するように
要求しました。そして、彼はしばらく消えました。っていうかトリップを
つけなくなりました。それだけです。 彼が匿名になった事から罵倒は
してないですけどね。あと、彼の論は「兄」さんとかが指摘していたように
哲学論ではなく=論理を飛ばして論じている、「言葉の意味を無視した押し付け論」
だった事を指摘したけれど逆に何か私の人格を非難するような事をいったので
非難しました。しています。
990 :
考える名無しさん:04/02/10 17:22
よくわからんな(w
991 :
考える名無しさん:04/02/10 18:14
992 :
考える名無しさん:04/02/10 18:35
わたしはソフィアさんを中傷しているわけでなく
にちゃん分析の一例としてあげてるわけですが
これがソフィアさんを傷つける面があることは同意のうえなので
人として最低という意見もでるでしょう
むしろ「きもい」のほうが適切かもしれません
994 :
考える名無しさん:04/02/10 18:41
現実社会を基準にすれば、ソヒアよりおまえんがどう見てもキモイだろ
>>993 >わたしはソフィアさんを中傷しているわけでなく
>にちゃん分析の一例としてあげてるわけですが
>これがソフィアさんを傷つける面があることは同意のうえなので
傷つけると分かっていてその言葉を口にしたら、それはもう中傷だろ。
そういう思慮の浅さが見てて不快。ぴか自身が言ってるように「きもい」のが適切か。
続けます
ソフィアさんがなぜ「ソフィア」という記号をすてないのか
それは「ソフィア」が自己組織化したからです
すなわち「ソフィア」という記号は、住人とソフィアさんによりつくられてきた
そして「ソフィア」が自己価値化し、依存しているからです
これはコテすべてにいえます。当然、私にも
これはタレントや最近の記号消費ではだれにでもおこりますが
実体がない情報のみのネット上では記号組織化は加速されます
コテはだれもどこか自己顕示的て、演技的です
997 :
考える名無しさん:04/02/10 19:08
エリート留学生年齢二十歳容姿端麗 ソフィア
30歳フリーター趣味2ちゃん哲学 ぴかぁ
続けんのかい
999 :
考える名無しさん:04/02/10 19:11
1000!
1000 :
考える名無しさん:04/02/10 19:12
v[t
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。