偽コテやめてください
さて身体の心像において逆説てきに了解は主観性を与えるが、任意の
contractionにはひとつの特異点が存在する。
それは単純な対象化を伴わない内的構造をなすところで了解の位相同
相写像を保持する。
しかし事象の系列の欠落はどのように位置づけられるのか?
探究は今始まったばかりである。
このいばらの道に立つ今の私に必要なのは認識の勇気である。
記号論的意味とは
個人的心象を動力とした変化する記号組織化構造を解明することいえるかもしれない
たえず学術的な意味でのラングとは時代の中で変化する一点を切り取り体系化した
ものでしかない
そこにはたえず変化し続ける言語との差異が存在する
そしてポストモダンにおいて記号論が大きな意味を持ち得た理由は
ポストモダンではこの差異が広がっているからである
情報化社会の中で言語記号の意味は、加速度的にダイナミックに変化しているのである
そして記号論的意味を考えるという行為もこのダイナミズムの外には出られない
とりあえずここまで
では心象とはなにかと考えれはある存在を体験したときに現れる
個体内部の変化全てに対する塊である
たとえば神経生理構造においては外的刺激そのものが内的に現れるわけではない
刺激は内的な心象として認識されるのである
74 :
考える名無しさん:04/02/06 15:58
ところで言語学では現在ソシュールの評価ってどうなん?
75 :
考える名無しさん:04/02/06 16:04
ぴかぁーって、ピカチュウなのか?
で、ゲシュタルトとの関係はどうなのよ。
76 :
考える名無しさん:04/02/06 16:10
つまんねーカスしかいねえから帰るわ
77 :
考える名無しさん:04/02/06 16:27
>>75 431 :夢魔 ◆ULFoMaooII :04/02/01 21:52
>>430 PIKER:━《名》[C][1 けちな賭博(とばく)師.][2 けちな人; 用心深い人.]( ̄ー ̄)ピカァー
そもそも指示する働きは指示するものと指示されるものとの定立における、指示するものと
指示されるものとの間に指示関係を設定することの上に成立する
これは間身体性ではなく身体内在性に他ならない
つまり折り込まれた指示関係においてはじめて意味を持つのであり、ここから「心がある」
という物象化的認識を劇的に刷新し、本来の心の様式に到達することができるだろう
だれか止めてやれよ
80 :
考える名無しさん:04/02/06 17:53
ぴかぁーすげー
ソシュールとウィトゲンシュタインをまとめて一気に乗り越えちゃったよ。
81 :
考える名無しさん:04/02/06 17:56
ラングの変化の例を具体的に挙げてみい?>ぴかぁ
>>82 ラングが変化しないなら、
共時態、通時態という概念がなくなりますよ。
名無きは天地の始め、名有るは万有の母。
<存在認識は言語認識に先立つ>
生命の認識の原型は、存在認識である。存在認識とは、存在に対して内的な
心象を描くことである。そして心象は個体内部の変化全てに対して現れる塊である。
たとえば神経生理構造においては外的刺激そのものが内的に現れるわけではない。
刺激は内的な心象として認識されるのである。
言語を持たない生物の認識では、集団に共有された集団的存在認識(心象類と呼ぶ)と
そのときに一度だけ宿る個体的存在認識(心象)の二重構造でできている。
心象類は種に渡る遺伝的なものと、後天的で社会生活で積み上げられた
文化的なものであるが、その境界は曖昧である。(これは遺伝子の開放系特性による)
下等な動物では遺伝的なものの比率は大きいだろう。
心象類は抽象的で、コミュニケートが難しいために、緩やかであろうが集団内の
コミュニケーションにより時代的に変化する。
言語を持たない生物の認識は、集団的心象類に拘束されながら、一度かぎりの
個体的心象を描くことである。
言語を持ち得た人では、心象類に言語表現というラベルを与えた。
これにより曖昧な心象類は、社会的な共有性を高め、コミュニケーションが容易となった。
さらに心象類自身を言語表現により説明することにより、社会的に共有された
言語意味を与えた。ここにラングとしての言語が体系される。
しかし心象類に言語表現というラベルを与えながら、その心象類をラベルにより
言語意味を与える行為は、存在認識を存在認識するという自己認識的行為である。
人の自意識はこのようにして取得されたのではないだろうか。
集団的な心象類が言語されたことによって、コミュニケーションが活発化する。
時代の中で無数のコミュニケーションが繰り返されることにより、言語は
自律的に変化する。これが記号自己組織化構造である。
コミュニケーションとは自己の中に生まれた一回限りの心象を相手に伝えようと
いう行為である。そのために社会的に共有された言語(ラング)が用いられるわけであるが、
心象を社会的言語(ラング)体系のみで伝えるには限界がある。
このために言語は、より心象を伝えようと道具として創意工夫され、つかわれる。
これがパロールである。
そしてパロールという言語の利便性は、時代性の中で体系化され、ラングを変化させていく。
言語(ラング)は、社会的な共有性が要求される、社会的な拘束を含んでいるが故に、
時代の中で記号組織化しつづける言語の一瞬を切り取り、体系化したものにしかすぎず、
たえず差異が存在する。
それは社会的な言語(社会的な言語表現+社会的言語意味)と個人的な心象という
二重構造によるものである。
ただこの二重構造においては、社会的な言語(ラング)構造は、存在認識により
心象を生むという構造そのものをも侵食している。
記号論的「意味」とは、社会的に体系化された言語(ラング)と、体験という個人的心象を
動力とし記号組織化しつづける言語の差異を解明することいえるかもしれない。
そしてポストモダンにおいて記号論が大きな意味を持った理由は、ポストモダン以降では
情報化社会の中で言語記号意味の記号組織化は、今までにないような加速度的に
ダイナミックに変化しているのである。そして差異が広がっているという現状が
によるものを考えられる。
そして記号論的意味を考えるという行為されも、このダイナミズムの内部にあるのである。
ここでは、
有意識とは、世界に境界を想定する力であり、
自意識とは言語により開拓された内的心象であり、
無意識とは言語化に取り残された内的心象である。
有意識とはすることであり、無意識とは心象である。
さてと、
訂正
ここでは、
有意識とは、世界に境界を想定する力であり、
無意識とは集団的な心象類(言語化)から、取り残された個人的的心象である。
自意識とは言語により開拓された内的心象である。
有意識とはすることであり、無意識とは心象である。
見えても手に触れなければ無いと言うだろう。
見えずとも手に触れれば有るというだろう。
視覚で存在認識がなされるのではない。
>>94 視覚という感覚だけを取り上げてもあまり意味がない。
存在は総合的な感覚から作り出される心象です。
極端な話、目が見えない人(視覚がない人)も見えています。
パロール的(言語表現ー言語意味)解読表
私は、コミュニケーションとは、まず私の中に心象があり、
それを以下に伝えるかという道具としての言語があるといった。
伝達されるのは言語表現としてのコードのみである。
そしてコミュニケーションする双方が同じコードを解読表(コードと意味の関連性)を
持っているために、その意味のコードのみを伝達すれば、
相手がそれを解読して意味が伝わるわけである。
これはラング的コードを解読表である。
しかし実際のコミュニケーションでは、伝えたい物は抽象的な心象である。
それをまずコード化することがとても困難である。
それでも、コードのみで相手に抽象的な心象を伝えなければならない。
ではどうするか?
まずラング的コードを解読表という共有性を拡張するのである。
実際に我々はラング的コードを解読表以上の共有性を持っている。
同じような体験をすれば、近い感情を持つ。それが抽象的な心象でも
多くにおいてそれは共有されている(ように見える)。
私たちは限りなく近い遺伝子のコピー品だからだ。
そして相手をしれば、さらに共有性は深まる。
すなわちこれは、ラング的コードを解読表を改良し、相手にあわせた限定的な
パロール的なコードを解読表を作るのである。
そのためには相手を知ることが必要である。相手を深く知れば知るほど、
パロール的な解読表は、心象を的確に伝えられるようになるのである。
たとえば熟年夫婦において「あれ」だけで、それが何をさし、どうしてほしいのか
わかるのは、パロール的な解読表が限りなく心象を伝えるのに適したひとつの例である。
しかしこれなどは、コミュニケーションが言語だけに依存していないことがよくわかる例でもある。
すなわちコミュニケーションとは心象の共有化であり、それは言語である必然もないのである。
言語が存在に先立つ……みたいな事を
この間は言ってませんでしたっけ??
?
……言ってないか
100 :
考える名無しさん:04/02/07 21:55
すごいです!
ぴかぁ〜さん、ぜひうちで出版させてください!
101 :
考える名無しさん:04/02/07 22:11
ちくびぎゅーん
こいつら言うだけ言ってますって感じだな
105 :
考える名無しさん:04/02/08 00:23
応援しています。
気になった点。
まだ
>>7までしか読んでないので、そこまでですが。
また今度続き読みますね。
>>7 >一つ目はソシュールの言う認識の原型は言語であることを否定すること
ソシュールは、シニフィアンとシニフィエとの関係に拘った。
シーニュと指示対象との関係については、それほど積極的に論じていない。
107 :
考える名無しさん:04/02/08 00:32
あとダッシュで読み飛ばした。
揚げ足取りばかりでスマン。
ほんとに今度ちゃんと読みます。
>>60 >心象階は種に渡る遺伝的なものと社会集団に渡る後天的なものがあるが
>その境界は曖昧である
>下等な動物ほど遺伝的なものに依存することになる
逆じゃないか? 遺伝的なものに依存しているほど下等であると「みなしてしまう」。
108 :
考える名無しさん:04/02/08 00:33
>>107 下等な動物ほど遺伝的なものに依存することになる?
遺伝的なものに依存しているほど下等である?
どう違うのでしょうか?
ところで心象の内容というと・・?
>>107 >揚げ足取りばかりでスマン。
どんどんお願いします。
そのためにここにいますし、刺激になりますので。
いろいろ説を打ち立てる行動力に拍手。まぁ、頑張れや。そして、言葉を送ろう。
恥 は 過 去 ロ グ に 残 る ! ! !
あんたさんざん糞スレたててたじゃん。
荒れてないのは珍しいんじゃねーの?
九論文みせてみ
118 :
考える名無しさん:
age