355 :
,めいちゃん:2008/04/18(金) 08:40:04 ID:XzDFwW/I0
↑訂正→アリーマンが太陽期に支障をきたした天使である。ルシファーは月期に支障をきたした天使と言われている、、、。
------------------------------------------------------
ちなみに、シュタイナーによると、世界は、土星期にある領域から天使がこの世と共につまり時空(物質、空間、時間:アインシュタイン方程式で
表現されている。ブラックホールとかもこの方程式によって発見された。)を創り出したと言う事らしい。
太陽期に、植物状態になり、月期に動物状態になり、地球期に人間状態になるのだが、
人間の誕生の仕方は、天使の都合によって発達が進んだものと遅れたものが居た事で、
天使が創り出した人間集まりの塊をさらに進化を進めるために進んだものと遅れたものに別けて進めた
痕跡が太陽系の惑星であると言われている。つまり、太陽系の惑星は人間の集まりの塊から発達の度に応じて
相応しい進化を遂げるために天使が、それぞれの人間を分離した痕跡であると言うのだが、
別け隔てられてその惑星でその惑星の神々に育成されたそれぞれの人間は、最後は全て地球に集まった。
ちなみに、太陽系の太陽から土星に至るまでの惑星の中心は地球とされている。シュタイナーによれば
太陽系は地球のためにあり、天王星から先は、太陽系外からやってきた惑星を天使が養生の場として
必要としたために太陽系に取込んだものであると言っているようだ。
そのことが、太陽系のそれぞれの惑星にはそれぞれの神々が存在すると言う意味をも含むことになる
といっているようなのだ。ギリシャ神話や占星術のオカルトの原型と言える。星から神(神霊・知性)が
働きかける、、、。
356 :
,ミジンコ:2008/04/18(金) 09:05:36 ID:XzDFwW/I0
人間は、死ぬと、肉体と生命は滅び魂と自我は、それぞれの惑星に留まる神々のもとに向かい
次の人生の準備を整えると言われている。その際、一般に問題にされている物質世界だけでなく、
この世には、生命世界(気、風水、エーテル界)、霊魂の世界(欲望の領域、知性・霊界に至る、、)
があり、(その領域での意図的な営みはチャクラが進化によるか修行(止めとけ)によって開発されていたら
可能との事)
その先には、何段階かの神の領域の天国があり、人間の性質に応じてたどり着くようになっているらしい。
死後、そのようにして神々に向かう者も、そのような神々の領域からこの世に働きかける生者(シャカ等)もいる。
細木数子によると、孔子による先祖供養の進めが意味するのは、神々が先祖を生者の人間に世話をさせる
ように計らった為との事。(当然、神に世話を放棄された先祖は悪魔に属する事になる。これが、悪質な権力主義
として優生学の発生源となる。暗黒時代に起こりえた事態と言える。)
シュタイナーによれば、ローマのキリスト教等の唯物論では、死後の問題はこのように扱われる事は無いとの事。
シュタイナーによると、現在は、4つの進化を遂げた地球期で、その後は、木星期、金星期、水星期が訪れるらしい。
現在は木星期に至る地球期、霊我(占星術では土星意識、伝統意識)を育成しており、金星期に至る生命霊(西洋占星術では天王星意識)
水星、ヴァルカン期に至る霊人(西洋占星術では海王星意識、アートマン・仏教用語で凡我一如)、を今後育成していく事になるらしい。
土星期 太陽期 月期 地球期 木星期 金星期 ヴァルカン期 と想定されていて、現在の地球期の説明は、
(意識状態、土星は夢の無い昏睡状態の意識、トランス状態。太陽は、催眠状態。月は夢の意識状態、
地球は、現在の覚醒状態を意味する。恐らく、『ビックバン4回分』に相当すると思われる。)
7つの意識状態のうちの地球期は、7つの生命状態の周期があり、現在は、第4生命状態の周期であり、
そして、上位神界、下位神界、魂的状態、物質状態、より完成された魂的状態、下位神界、上位神界、状態の
7つの球期のうちの物質状態の球期に至っており、物質状態の第4球期のうちのポラール時代、ヒュペルポレアス時代、レムリア時代
アトランティス時代、(洪水の後)ポストアトランティス時代、(万人の万人に対する戦いの後)、第六根幹期、第七根幹期、の
7つの根幹期のうち現在はポストアトランティスの時代に位置し、ポストアトランティス時代の、インド文化期(第1文化期)、ベルシア文化期、
バビロニア・エジプト・カルデア文化期、ギリシア・ラテン期、現在(第5文化期)、ロシア文化期、アメリカ文化期(第7文化期)
と言う事らしい、、、。
あーっ、シュタナイーについてはこれで全部言い切った。それ以上のことは無いし、わからない人は、
352-359は、読み飛ばしちゃってください。対した話でも何でもありませんので、、、。
蛇足ながら、シュタイナーの言う事が難しすぎて発狂して自殺することになったものをシュタイナーは
作り出した事もあると言う警告もしておきましょう。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1156634105/449 , : ‐ : ̄: ̄:`ー: 、――:<:. :. \
_/:. :. :.‐-、:. :.\:. :. :. \:. :..ヽ:. :. :.\
/:. :|:. :|:. 、:. :. ヽ:. :.:ヽ:. :. :.:ヽ:. ∧::::. |:.|
/:. :. :.:}:|:.:ヽ:. \:斗―‐-|:. :. :. :V/∧:::: :|:.|
//: :. :.i:|:ハ:. \く ァテテミ:ハ: :. :. :.レ: :. |:::ヽ:\
|.|:. |:. :|:レ',ニミヽミ_>ト-ソ.}_./ |:. :. :.:|:: :. :|::::::ヽ:.:\
|:|:. |:. :|:V トrヘ. " ̄ /: :.:/イ }:: .:|:::::|:ハト、_:>
|:ハ:.|:..:.ト:|. ゞ'^、 /_:.イ:. :レ::::: :. |V|::| |
ヾ>、::> ィ } |:. :.:|:::::::: ∧:∨
/ハ:|:. :ト、 ヽノ /|:. : ハ::::::. :∧:.\__
VV|:. :V ヽ、 / /:. :./::∧::::: :∧ー'´
|:. :|: :. :::::|`::ーr'´ /. :.:/:::::::∧::::: :.\
ヽ、_」:. :.`ー‐::::|::::::」 /イ/ ̄ ̄ ̄ヽ: :. : :.\
ゝ:. .>--ァく|L_/ / ヽ:. ).:. :\
/:.:/ / 辷シ' / ∨:. : :. :.ハ
/:./ / ノ _,, -へ、 へ. ',:.: :. :./: |
|/, へ===" ̄ \. \ ∨:./:. :.|
// .:::::::::... :.ヽ ∧ ∨:. :. }
/ {............. .::::::::::::::::::::::. ::::V:.::∧ ヽ: :/.|
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/ ,へ_.--======-、 /:. :/: /:. :\ ∨|
361 :
,匿名鷹:2008/04/18(金) 10:46:28 ID:XzDFwW/I0
/: : : : : : : : : : : : : : : \
/:./´ 二二_`\`::.:.:.:.:.:.:.:.ヽ
/:.:./.ヤ丁:.:.:.:.:. `\ヘ:.ヽ:.:ヽ:.:.:.:.:.
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,'ヽl :.:i:.!\ヽ \∧>jム|:.:.:.:.!=く:.:.:.:.:.l
i:.ijハ:.:ハヘ処ミ 丶` イf::圷 |:.:.:.:.|`ヽヽ:.:|
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l:.!ヽ:ヽ .:.: \ ` ./ .: /:/:.:.:ノ:l:.:.:l:l
ヾ 丶\ヾ:.个ー-イ´///イ:.:.:/:.:〃:.:リ
, -‐ァ' ヽ_>∨ヘ:〃^ヽ´ ノ{:.:レ'/`X//
/ ム_{ /l // rく -/ V zニ二\ <<、、、ギラリ、、、。
r' -‐ヘ l l'/ / \_>' / / ⌒ヾl
l 二¨) V/ / rf、\. / /´ |
| {-'ノ /// t'⌒ Y // l
ヽ }∧ ハ l{ ,' ヘ` |´ l/
jゝ‐' /{ | l //\ }ヽ!/ j
\彡'_人l | '/ / ム=‐彡 }⌒ヽ /
362 :
、:2008/04/18(金) 10:47:41 ID:XzDFwW/I0
この講義はキリスト者共同体の司祭のために行われた。講義の中で、しばしば、司祭の使命に
ついて言及されるのはそのためである。訳者としては、ここで語られる言葉はキリスト者共同
体の司祭のみならず精神科学を真摯に学ぼうとするすべての人にとっても十分に意義があ
るものと解釈し、そのような観点から翻訳作業を行うことを心がけた。、、、、。
私の愛する友人である皆さん!「黙示録」の作者が自分の考えを集中的に述べる、核心的
な部分を魂の前に描き出すとき(この点に関して、これまで私たちは、すぐにいくつかの
ことを試みてきたわけですが)「黙示録」の全体の構成と連続した内容が、私たちの前に一
挙に明らかになります。ですからここで、私たちがこれまでに行ってきたような、主な問
題点や革新的な部分に関する観察を今日、さらに続け、明日、実際にそれに続く内容につ
いて取り組み始めることが強く求められているわけです。
昨日、私は、つぎのような点についてお話ししました。すなわち「黙示録」の筆者は、あ
る種の方法で、「全キリスト教徒の上に(つまり「黙示録」の筆者が新のキリスト教徒であ
る感じる人々の上に)キリスト教徒をキリスト原理から離反させ、父の原理えと連れ戻そうとする
力がどのように入り込むか」ということを目にします。もしその力が勝利するならば、「こ
のような原理は現代において、唯物論的で自然主義的な形態だけをとることができるのです。
363 :
、:2008/04/18(金) 10:49:31 ID:XzDFwW/I0
「黙示録」の作者は、数字の秘密にしたがって事物や事象に目を向けます。より正確に
言うならば、「黙示録」の作者は数字の秘密にしたがって、物事を見たり、感じたりするの
です。音楽家が音のつながりを数字の秘密(数秘術の事)にしたがって感じ取るのと同じ
ように(最も実際には、音楽家はこのような数字の秘密をせいぜいいくつかの箇所におい
て意識するに過ぎません)「黙示録」の作者は多かれ少なかれ意識的に直感しながら、66
6のような数字と結びついている秘密を感じ取るのです。
この場合、このような666の秘密をさらに宇宙から取り出すために、私たちが宇宙その
ものの中を除き見ることが重要な意味を持っています。私たちはここで、「すべてのキリストの
啓示は、本来太陽の啓示であり、キリストは太陽からやってくる存在である。太古の時代に別
の方法で、エホバが自分より先にミカエルを派遣しておいたのと同じように、キリストは自分からや
ってくる前に、ミカエルとその一群を派遣した」という点について、よく考えてみることにし
馬賞。「私たち自身がミカエルの時代を生きている」ということを魂の前に描き出して見ましょ
う。そうすれば、太陽の被疑としてキリストの衝動と結びついているものが極めて深いほ
うほうで、私たちの前に現れることが可能となるでしょう。
キリスト教の敵がキリスト教と戦うにあたっては、まさに「キリスト教の霊性は本来太陽と結びつ
いている」という教義を撲滅することが重要な意味を持っている。」ということを、私たち
は今までよりもいっそう深く魂の前に描き出さなくてはなりません。キリスト教の敵対者たち
にとっては、人間が霊的存在としての太陽に関する見解を完全に失い、物質存在としての
太陽に関する見解のみを手に入れるように仕向けることが、もっとも重要な意味を持って
います。この点に関しては、私はすでにこの連続講義の別の箇所でお話して来ました。事
実、キリスト教世界にイスラム主義が侵入したという事実の中には、キリスト教徒に「キリストの秘密
そのものとしての太陽の秘密」を忘れさせ、人類の進化全体をミカエルの流れとは(ミカエルの流
れの役目は、人類がキリスト的進化を理解できるように準備することにあります)別の方向に
導く、大きな危険が存在していました。
364 :
、:2008/04/18(金) 10:51:41 ID:XzDFwW/I0
外面的な歴史上の発展の背後にあるものを見る「黙示録」の作者は、世界秩序の中で外面
的に生じる出来事は、超感覚的な事象に基づいて起こると考えました。ですから私たちは
まず、ここで「黙示録」の作者が外面的な出来事の背後に見る。超感覚的な事象とはどの
ようなものなのか」という点に目を向けて見ることにしましょう。
太陽を含めた太陽系の星を観察するとき、私たちはこれらの惑星費一つ一つに、さまざま
な存在たちの集まりを見出すことになります。地球の上には、現在、進化の途上にある、
人間の集まりが存在します。そして地上の人間に関して、私たちの魂の深みへと入ってい
くような表象を作り出そうとするならば、私たちは、人類が現在よりもはるかに高い段階
に到達する、さらに先の時点を観察することができます。たとえば私たちは、地球臣下よ
りも後に生じることになる、ウルカヌス進化を前に描き出すことができるわけです。
私の愛する友人である皆さんは、「ウルカヌス人の集まりを含んでいる天体としての地球と向き
合う場合、人間は地球に関してどのような霊的表彰を受け取ることになるか」ということ
を思い浮かべることができるはずです。いま、地球は、その上にすむ人間とともに、ウルカヌス
星とは別の段階にいるだけなのです。このような方法で、地球をひとつの全体として表象
し、単に現在の地球上における、人類の状態を受け入れるだけではなく、さらに現在の状
態の中に萌芽として含まれているものも受け入れること」が、そしてまた、「いま地球上に
住んでいる人間はウルカヌス状態の人間を自分自身のなかにたずさえている。地球上の人類はそ
れ自身、またウルカヌス人でもある、という事実に目を向けること」が、人間の魂にとってきわ
めて重要な意味を持っています。さて、地球以外の別の惑星にもめを向けるとき、私たち
はいたるところに、さまざまな霊的存在たちの存在に出会うことになります。私たちは、「地
球は人間の本来の進化の場所となるように定められている」といわなくてはなりません。
だからこそ、地球は太陽系の中央に位置しているのです。
365 :
、:2008/04/18(金) 10:54:04 ID:XzDFwW/I0
太陽系のほかの惑星には、たとえば現在の木星のような星があります。木星は、「そ
こに住む霊的存在たちが、地球の人間とは以下に異なっているか」ということをは
っきりと示しています。私たちは、死と新たな誕生の間に自分自身のカルマの仕上
げを行う際に、これらの木星にすむ霊的存在たちとであることになります。霊的存
在たちとこのような相対絵お思い浮かべるとき(これらの存在たちは、それぞれの
惑星とつながりを保ちながら活動しています。そして太陽に関しても、これらの惑
星と同じことが言えるのです)私たちは、14世紀までそれぞれの惑星の霊性とし
て、惑星の知的存在としてみなされていたものに出会うことになります(14世紀
までは、カトリック教父ですら、このような惑星の霊性を認めていました)私たちは、
地球の知的存在としての地球上の人類についてかたることができるのと同じよう
に、地球以外の惑星の知的存在に関しても、ひとつの現実として語ることができる
のです。このような惑星には知的存在ばかりでなく、悪魔も存在します。すでにお
話したように、教父たちは14、5世紀まで、このような事実を知っていました。
ある惑星状の知的存在に敵対するものの総体が、悪魔なのです。太陽に関しても同
じことが言えます。
366 :
、:2008/04/18(金) 10:54:30 ID:XzDFwW/I0
キリスト教のなかに太陽の守護神、太陽の知的存在(キリスト)の意味における進化を見る
とき、私たちは必然的に、キリスト教の進化に敵対するものの中に、太陽の悪魔を見出
すことになります。「黙示録」の作者が見たものとは、まさにこれだったのです。「黙
示録」の作者は、キリスト教がローマから東へと移動したことによって(ギリシア正教の成立
を指す)生じたものの背後を見ました。彼は、キリスト教が別の認識形態をとるように
なるのをみたのです。彼は、外見上、二つの方向に分かれる危険に瀕していたキリ
スト教の中に(キリスト教がローマ・カトリックとギリシア正教に分裂したことをさす)イスラム主義
の強大な対抗原理が入り込むのを見たのです。そして表面に現れた、イスラム主義とモハ
メッド主義の行為の背後に隠れているものに目を向けることによって、「黙示録」の
作者の中には、「ここに、太陽の守護霊、太陽の知的存在に対抗して、太陽悪魔が
活動している」ということが明らかになりました。ですから「黙示録」の作者は太
陽悪魔を、キリスト原理に対抗しながら人間の中で活動し、生きる存在として描き出し
ました。太陽の悪魔が活動すると、それに実をゆだねた人間はキリストの神性とのつな
がりに到達しようとする意欲を失い、低次の人間にとどまろうとするようになりま
す。「その魂のあり方において太陽の悪魔に身をゆだねた人間たちとは誰なのか」、
尋ねられたとしたら、「黙示録」の作者は、「それはヨーロッパでイスラム主義を代表してい
るものたちだ」と答えたでしょう。「このようなイスラム主義の中から、人間を獣性に
近づける、あらゆるものが(はじめのうちは物の考え方の中に、そののちは次第に
意志の衝動において)上昇してくる」ということが「黙示録」の作者には、はっき
りとわかっていましたイスラム主義の中から上昇してくるものは意思の衝動の中にも
生きている、という事実は誰の目にも明らかです。真の現実として世界で生じる、
霊的な事象は、いつも原因と作用を並列させて見ることができるような性質のもの
であるとは限りません。人々は物事の背後に隠れている、意図を、そしてその意図
がもくろんでいるものを見ようとしないのです。
367 :
、:2008/04/18(金) 10:55:47 ID:XzDFwW/I0
ですから私たちは、ここで次のように問いかけることが許されるわけです。すなわ
ち、「もしイスラム主義が、太陽悪魔の教義が完全に勝利をおさめるならば、いったい
何が起こるのだろうか」と。もし太陽の悪魔の教義が勝利を収めるならば、人類は、
前回の受肉状態から生じるカルマの作用や、実態変化を把握するのに必要な状態を
体験することができなくなってしまうでしょう。イスラム主義から流れ出したものは、
結局は人間が実態変化を理解するのを妨害する方向に向けられました。たしかに外
的な事実に注目するだけでは、このような事実を理解することはできません。しか
しながら太陽の悪魔は古い父の原理のみを、自然のつながりのみを有効なものにす
ることによって、「人間のものの考え方のなかから、秘蹟や実態変化において最高
度に結ばれるような性質のつながりを一掃しよう」という意図を秘めているのです。
「黙示録」の作者には、この666という年に太陽の悪魔がまったく特別の活動を行
うことがわかっていました。「黙示録」の作者は、一人一人の秘儀参入者が太陽の
悪魔を識別することができるように太陽の悪魔を描写しています。というのも、惑
星の知的存在、太陽の知的存在、あるいは惑星の悪魔、太陽の悪魔と呼ばれている
霊的存在たちは、それぞれ、秘儀の内部において(秘儀において、これらの霊的存
在たちは、本質的に重要な事柄にかかわりあうのです。)解読のために鍵となるも
のを備えているからです。そして太陽の悪魔は、このようなしるしを持っています。
368 :
、:2008/04/18(金) 10:56:29 ID:XzDFwW/I0
「黙示録」の作者は、太陽の悪魔を「二つの角を持った獣」として描写しています。
古代ローマの時代には(この時代に、秘儀の言語において、ギリシア的なものとラテン的な
ものが結び付けられました)人々は数字に秘められているものを読み取る方法を見
つけていました。このような読み方は、すでにいくらか外面的なものとなっていま
したが、人々はまだ数字の中に隠されているものを読むことができたのです。「黙
示録」の作者は、当時一般に行われていた、このような特別な数字の読み方を利用
しました。彼は、666という数字を記述します。つまり、彼は、この数字を、」そ
の中にヘブライ文字を含ませながら記述するのです。
400 200 6 60
Taw Resch Waw Samech
「黙示録」の作者はこれらの文字を、それに対応する数の値とともに記述します。
黙示録を読み解こうとするものはこれらの文字を、右から左へと読まなくてはなり
ません。これらの子音が(私たちはここで、これぞれの子音に対応する母音を発音
しなくてはなりません)太陽の悪魔のこのしるしを持っている、太陽の名前を明ら
かにします。それは「ソラト」です。
369 :
、:2008/04/18(金) 10:57:23 ID:XzDFwW/I0
このころ、太陽の悪魔の名前はソラトでした。「黙示録」の作者はこの印を記述し、
私たちはそれを正確に認識できることができます。「黙示録」の作者は、イスラム主義
のような方法でキリスト教に敵対して活動するあらゆるものを、ソラトという太陽の悪
魔によって代表される霊性の現われとみなすのです。
私の愛する友人である皆さん。666という数字は、ヨーロッパ文化に唯物論の刻印を押
すために、イスラム主義がキリスト教の中に進入する時代に、まず一度地上に現れることに
なります(7世紀のイスラム帝国の成立を示す)。2度目の666の数字は、それからさ
らに666年が経過した後の、14世紀の1332年に現れます。このとき私たちは、世
界の流れの中から、獣が新たに浮上してくるのを見ることになります。「黙示録」
の作者と同じように観察する人の目には、世界の出来事は666のエポックの絶え間な
い流れのように見えるのです。666のエポックごとに獣が身を起こし、真の人間と
しての本質を求めるキリスト教を脅かしながら、人間性に対して獣性を発揮させようと
します。つまりソラトがかつどうするのです。私たちは14世紀に、キリスト教の敵対
者であるソラトが再び立ち上がるのを目にします。
370 :
、:2008/04/18(金) 10:58:45 ID:XzDFwW/I0
このとき深い魂のそこから駆り立てられながら(というよりは、むしろ東洋的なも
のによって駆り立てられながら)テンプル騎士団がヨーロッパに、太陽についてのキリスト教
的な見解を打ちたてようとしました。そのキリスト教的な見解とは、再び太陽存在とし
ての、宇宙的存在としてのキリストを仰ぎ見ようとするものでした。テンプル騎士団はこ
のような見解に基づきながら、惑星や星の霊性についてある知識を獲得していまし
た。彼らは「ある惑星の存在たちだけではなく、お互い遠くはなれた惑星に属する
知的存在たちが、世界の出来事の中でどのように共同作業を行うか」ということを
知っていました。また彼らは、太陽の悪魔であるソラトのような反抗的な存在たち
によって生じる、強力な抵抗についてもあることがらを知っていました。すなわち
ソラトは私たちの太陽系の中でも、もっとも強大な悪魔のひとつであり、それは基
本的には、人間の唯物論の中で働く太陽の悪魔的な力なのです。
「もし内面的にも、また外面的にも、非常に強大であったテンプル騎士団が1312年に
壊滅するまでは、そしてジャック・ド・モレー(1295年よりテンプル騎士団の総長を務めた
人物)が1314年に死ぬまでは、心安らかに過ごすことができなかった人々がいま
した。このような人々の心と魂の中に(つまり宇宙的なキリストの、宇宙のかなたまで
目を向けようとするキリストの敵対者であった人々の心の中に)ソラトは再びよみがえっ
たのです。そしてまさにテンプル騎士団の全員を殺すために、ソラトは、少なからぬ
部分において、当時のローマ教会の以降を利用しました。当時、このようなソラトの出現
371 :
、:2008/04/18(金) 16:52:30 ID:XzDFwW/I0
は、すでに比較的はっきりと感知することができました。というのも、テンプル騎士
団が滅亡したという歴史的事実を壮大な秘密が取り巻いていたからです。このとき
拷問を受けている間に、テンプル騎士団の団員としのヴィジョンの中に生きていたものが、
どのようにソラトによって引き起こされたか」という点に関して、あるイメージを得るこ
とができるはずです。ソラトの作用を受けた結果、テンプル騎士団の団員は自分たち
の行いについて誹謗しました。そのため人々は、テンプル騎士団の団員自身の口から
出たものに対して、正当な告発をすることができたのです。このとき人々の前に、
恐るべき光景が繰り広げられました。すなわち、まったく別のもの(太陽存在とし
てのキリスト教に関する教義)を信じていた人々が、拷問にかけられている間はそれに
ついて話すことができず、むしろソラトの軍団からやってくるさまざまな霊達が、
彼らの口を通して語ったのです。つまり、テンプル騎士団に属する人間の口から、こ
の騎士団そのものについて、きわめて不名誉な事柄が語られることになったのです。
372 :
、:2008/04/18(金) 16:59:28 ID:XzDFwW/I0
このように、666はすでに二度、現実のものとして現れました。現在霊界では、
ソラトとそのほかのキリストに敵対する悪魔たちが太陽の原理を地上に入り込ませな
いように妨害する仕事にとりかかっています。しかしその一方では、ミカエルが新たな
支配を準備しながら、その軍勢とともに太陽の原理のために戦っています。ミカエルは
かつて、ゴルゴタの秘蹟よりも前の、アレクサンダー大王(在位紀元前336−323年)
の時代に地上を支配していました。それ以降の時代になると、オリフィエル、アナエル、ツァハリ
エル、ラファエル、サマエル、ガブリエル、という、ほかの大天使がミカエルに代わって地上を支配し
ました。そして、19世紀の最後の3分の1に差し掛かったころから、ミカエルは、ミカエ
ル的な方法でキリストのためにさらに働くために(かつてミカエルは、前回の地上の支配が
終わるまで、つまりアレクサンダー大王の支配が終わるころまで、キリストのために働いてい
たのです。)再び地上を支配しています。いまはミカエルは、「キリストの準備をするために、
そしてキリスト衝動のより深い理解の準備をするために地上で働く」という目的を持っ
て、再び地球にやってきたのです。私はこれまでにこの場所で、また、そのほかの
さまざまな場所で、「霊的な観点から見た場合、キリスト教はミカエルによってどのように
して導かれたか」ということを詳しくお話してきました。私は、最近の講演でも、
その一端をお話しました。
373 :
、:2008/04/18(金) 17:00:19 ID:XzDFwW/I0
つまり私はこのとき、「ミカエルの支配の下で、すでにアリストテ
レスとアレクサンダー大王の時代に、どのようにして真のキリスト的衝動が導かれたか」という
ことや、一種の超感覚的な公会議(コンタンティノープルの公会議をさす。この公会議で霊
魂体の三分説が否定された)が行われた869というとしについて、皆さんの注意を
喚起しました。こうしたことからは、さらにのちの時代まで続きました。そして意
識魂が入り込む新たな時代の始まりにおいて(この点に関しては、私はすでに詳し
くお話してきました)物質的な出来事と平衡して生じる、地上の人間に関する霊的
な出来事に目を向けるとき、私たちは、教師としてのミカエルと行動を共にする、超感
覚的な学院の壮大な眺めを目のあたりにすることになります。真のキリスト教的発展の
ために活動すべき者たちは(この時受肉していない魂であろうと、人間の魂以外の
霊的存在であろうと)あたかも大いなる超感覚的な学院を形成するかのように、大
きな集団となって、14世紀から16世紀までの間にミカエルのまわりにあつめられまし
た。そしてこのとき、ミカエルの支配の時代である、20世紀のはじめに地上に現れる
ことになる人々の魂が準備されたのです。このとき準備されたものに目を向けるな
らば、それはまさに、このような真のキリスト的な発展の意味において働こうとする、
アントロポゾフィー的な世界観であることがわかります。
374 :
、:2008/04/18(金) 17:02:08 ID:XzDFwW/I0
私たちは、古代秘儀の知恵に含まれているものの考え方や、予言的に見た未来の秘儀の
知恵の中に生きているものから、次のようなことを読み取ることができます。すなわち、
いわば「内なるキリスト教」を(つまり「霊化されたキリスト教」を)受け入れる人々は、太陽の
守護神としてのキリストを仰ぎ見ることになります。このような人々は、進化の速度を速めな
がら、この20世紀の終わりに再び出現することになるでしょう。私の愛する友人である皆
さん。私たちがこの教義の霊性を恥じすることによって、いま、この時代に行うことので
きることはすべて、きわめて重要な意味を持っています。なぜならば私たちはこの時代に、
永遠なるもののイメージを心に抱きながらそれを人類のために行うからです。それは、現代文
明の霊化に抵抗する多くのものが先に現れたあとで、大いなる、総括的な、集中的な霊の
行為となって世紀末に生じることになるものの準備なのです。
666の第二の出現のしるしのなかに、十字軍によって始められた、あのヨーロッパの大変
動が表現されていました。テンプル騎士団の滅亡によって、この事実は外的に表現されました。
そしていま、太陽の守護神の側から真のキリスト教のために活動しようと努力するものを妨害
するために」、ソラトはますます活動を続けているのです。
375 :
、:2008/04/18(金) 17:03:21 ID:XzDFwW/I0
私たちは現在、第三の666の時代、すなわち1998年を目前にしています。この世紀の
終わりに私たちは、ソラトが再び進化の流れの中から最も強く頭をもたげることになる時点に
到達します。エーテル化したキリストが可視的になることによって、そのために必要な準備のでき
た人々は、すぐに20世紀の前半にキリストを見るようになります。しかしこの第三の666の時
点において、ソラトは人々がキリストを見るのを妨害することでしょう。つまり、いまからわずか
3分の2世紀が経過するだけで、ソラトが強大なやり方で頭をもたげるようになるのです。(こ
の講演は1924年、つまり1998年の74年前に行われた)。
私の愛する友人の皆さん。最初の666年が過ぎさるときに、人々は歴史上の出来事が展
開していく過程の中に、ソラトの働きを強引に読み取ろうとしました。しかしこのとき、人々
がソラトを外面的な形態の中に見ることはできませんでした。ソラトは、イスラム主義の行為の中に
生きていましたが、それを見ることができたのは、秘儀参入者だけだったのです。第二の
666が過ぎ去るときに、ソラトが拷問にかけられたテンプル騎士団の団員の思考と感情の中に現れ
ました。この世紀が過ぎ去るまでに、ソラトは人間に憑依する存在となって無数の人々の中に
出現することによって、その姿を現すでしょう。人々は、到底本当の人間であるとは信じ
られないような人間が現れるのを見ることになるでしょう。このような人間は、独自の方
法で外面的にも発達していくでしょう。彼らは感情の中に憤怒の特徴と破壊的な怒りを備
えながら、外面的には集中的で力強い性質の持ち主となるでしょう。(カリスマ)彼らの顔
には、外面的に、ある種の動物的な表情を見ることができるようになるでしょう。ソラト的な
人間は、また、外面的にも識別できるようになります。彼らは、恐るべき方法で、霊的な
性質を備えたあらゆるものを単に軽蔑するだけはでなく、撲滅し、水溜りの中に投げ捨て
ようとすることでしょう。たとえば人類全体の地球的進化の中に組み入れられた、現在の
ボルシェヴィズムの萌芽という狭い空間に集中しているもののなかに、人々はそれを体験するこ
とになるでしょう。
376 :
、:2008/04/18(金) 17:05:01 ID:XzDFwW/I0
ですから霊性を求めて努力することができるあらゆるものが、今行おうとしていること
を実際に実行に移すことが非常に重要なのです。なぜなら霊性に対抗するものは、必ず地
上に現れることになるからです。霊性に敵対するものは、いわば自由に基づいてではなく、
運命の決定に基づいて活動するからです。このような運命の決定の結果として、この世紀
の終わりに(ちょうど黙示録の作者が、霊的なものの敵対者について詳述する際に、獣の
ような顔と獣のような強さとして、予言的に見たように)ソラトが再び解き放たれて、霊的な
ものをことごとく一掃しようとする試みが非常に数多くの地上の人間に巣食うようになり
ます。現在すでに、霊的なものに対して、実に激しい怒りの感情を抱く人々が存在しては
いないでしょうか。しかしこれは、これから起ころうとしていることの単なるほうがに過
ぎません。
このようにして私たちは、黙示録の作者がどのようにしてすべてのことを予見したかと
いうことを見て取ることができます。黙示録の作者はキリスト教の真の発展を、太陽に変わる
問題とみなしました。しかし彼はまた、このようにして太陽の悪魔が発達することの恐ろ
しさも予見していました。こういった事柄のすべてが、彼の目の前に浮かんでいました。
すなわち19世紀の終わりにミカエルが、そして20世紀前半にエーテル的キリストが人類の霊的進
化のかなに入り込むのに続いて、この世紀が終わる前に、太陽の悪魔が侵入してくるので
す。いま私たちが生きているミカエルの時代において、まさに神学的な、宗教的な領域で働こ
うと欲するとき、私たちは、とりわけ黙示録をよりどころとして学び、みずから黙示録的
に思考し、感じるための十分な根拠を(外的な事実のみに固執するのではなく、その背後
に存在する霊的な衝動にまで自らを高めていくためのあらゆる根拠を)手にします。
377 :
、:2008/04/18(金) 17:08:08 ID:XzDFwW/I0
いまや、強大な悪魔ソラトの配下にいる、さまざまな悪魔たちが進入してくる道が開かれて
います。私たちは、たとえば最初の世界大戦の出発点についていくらかの事情に通じてい
る、あの思慮深い人々と話すだけでよいのです。もし、私たちが、「この世界大戦の勃発に
関して責任ある、約40人の人間はほとんど全員、戦争勃発の瞬間に意識を鈍らせていた」
といったとしても、おそらくあの思慮深い人々から間違いだと判断されることはないでし
ょう。これこそが、アーリマン的な悪魔の力が(アーリマン的な悪魔の中で、もっとも強大なものの
ひとつがソラトです)人類の中に侵入するのに常に利用する入り口なのです。これこそが、最
初は少なくとも一時的に人間の意識の中に侵入し、災厄や混乱を引き起こそうとするソラトの
側からの試みなのです。世界大戦(第一次世界大戦)よりもむしろ、それに続いて起こっ
たものこそ、いまやそれより恐ろしく、将来さらにますます恐ろしいものになると予測さ
れるものこそ(たとえば現在のロシア国家体制(ソビエト連邦)がそれに相当します)人間の魂
に進入してくるソラトの霊が」地上に引き起こそうと狙っているものなのです。
まさに事実はこのようなものなのだ、ということを私たちは知らなくてはなりません。
真の霊性が地上に存在していたころ、司祭の活動とは何を意味していたのでしょうか。私
の愛する友人である皆さん。それは、単に地上の出来事のないぶで活動することだけでは
なく、みずからが霊的な世界の只中にいることを、神々の世界と交感することを完全に意
識しながら活動することを意味していたのです。黙示録の作者はこのような精神の元に、
黙示録を執筆したのです。人々を霊性に導こうとするものは霊的なものに目を向けなくて
はなりません。このことを、それぞれの時代がそれぞれのやり方で実行しなくてはなりま
せん。私たちは、たとえばエジプトのファラオが極めて論理的な順序に基づいて現れる際の内的
な法則性を観察するだけでよいのです。(もっともこの法則性はいくらか外面的なものにな
っていますが)。すると私たちは次のようなことを理解することになるでしょう。これらの
ファラオたちが現れる順序は、実際のところ、偶然に決められるわけではありません
378 :
、:2008/04/18(金) 17:10:07 ID:XzDFwW/I0
「ファラオの地位を継承するものはそれぞれ、何を自らの使命とみなすべきか」ということは、太古の
文書の中で定められていました。ファラオの使命を明確に証明しようとする衝動は、まさに後
の時代に「ヘルメスの啓示」と呼ばれたものから生まれました。ここでいうヘルメスの啓示とは、
現在改悪された形で知られているもののことではありません。この太古のヘルメスの知恵は、
まさに大いなる秘儀に属するものでした。この秘儀において人々は3つの聖なる啓示、す
なわち「父の啓示」、「子の啓示」、「精霊の啓示」について語りました。そしてこういった
もののすべてが、「司祭がいたるところにおいて、霊的なものの中から物質的世界へと働き
かけることが重要な意味を持っていた。司祭の仕事は、いたるところにおいて、このよう
なものとして理解されてきた。」ということを示唆しているのです。
いままで、人々が「霊的な世界の中から物質的な世界へと働きかけること」を真実だと
感じ取ることのできない時代がしばらく続きました。しかしいまや再び、霊的な世界の中
からの活動が司祭の衝動とならなければなりません。意識魂の時代になって、少しずつ、
あらゆる領域において唯物論的形態を受け入れる、人類が形成されるとともに、私たちは、
実態変化の秘蹟やキリスト教の霊的な秘密をまったく理解することができなくなりました。司
祭として活動しなければならない人間一人一人にとっても、実態変化と結びついた深い秘
儀の内容について語ることは、現代という時代の優勢を前にして、すでに一種の虚偽を意
味するようになっています。そのために、実態変化に関する、例の合理主義的な議論が繰
り返されるようになったのです。このような議論は、第二のソラトの攻撃(1332年)とともに
現れ、第3のソラトの攻撃の時期(1998年)まで拡大していくことになります。ただ注釈を
つけるようなやり方で黙示録を受け入れても、意味はありません。私たちが黙示録をより
どころとしながら、みずから黙示録の作者となり、黙示録とかかわりあうことによって、
この時代の衝動を自らの活動の衝動にすることができるように時代を理解することを学ぶ
ときに、黙示録はただひとつの意味を持つようになるのです。
379 :
、:2008/04/18(金) 17:11:23 ID:XzDFwW/I0
現代の人間は、司祭としての活動とともに、まさに次のようなことを行わなくてはなり
ません。すなわち現代の人間は、19世紀の70年代におけるミカエルの時代の始まりと、20世
紀前半におけるキリストの出現と、20世紀末におけるソラトとソラトの配下の者たちの恐るべき発展
に目を向けなくてはならないのです。時代の兆候を読み解くことのできる、理解力を備え
た人間として、私たちの時代の3つの秘蹟の(つまりミカエルの秘蹟とキリストの秘蹟とソラトの秘蹟
の)意味において人生を整えるならば、私たちは、私たちのカルマが命じた領域において、
正しい方法で活動することになるでしょう。そのとき私たちは、自らの司祭の領域におけ
る、真の司祭となるでしょう。この点に関しては、さらに明日お話しすることにしましょう。
380 :
、ミジンコ:2008/04/18(金) 17:42:57 ID:XzDFwW/I0
私が、人智学がシュタイナーによるヤミ系発祥であると言うのはお分かりですかね、、、。
ヤミ系が光系領域の問題を扱っても、やはり、ヤミ系として働く事になる。どんな難しい言葉を
使っても、現実に根づいて伝わりにくければ意味が無いんですよ、、。人智学の皆さんに現時点で言う事があれば、
とき既におそしでしたねとしか言えません。根本的にシュタイナーがかなりのペテンでオカルトの教養ある優生学的な権力志向
の傾向があったものと思われる。このことによって人体実験と情報操作と人智学の現状の説明がつく。
ヤミ系のシュタイナーが何故光系領域の問題に意識を注ぐかと言うと、黄金時代が訪れて光領域の営みに焦点が向かうからなのです。
シュタイナーは病気で当然です。ほとんど寝ることなく毎日、何時間も講義を続けて来たんです。短命です。
ヒトラーのナチズムによるゲーテアヌムの焼失による精神的ショック、、、。
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha801.html#top ほんまかいな !? 事実検証スレッド [噂話]
光系に付いた闇系か中性の人ですが、MKウルトラのヤミ系の力のほうが強かったんです。
現在人智学にはヤミ系か優生学に属する者がかなりの人数を占めている恐れがあります。
382 :
、めいちゃん:2008/04/18(金) 18:28:09 ID:XzDFwW/I0
↑ エレベートの天中殺・超カルマ・カニバリズム、 カルミネートの地中殺・カルマ・ネクロノフィリア
カニバリズムやネクロノフィリアの扱いの問題は、既に少しだけSM板で触れていますけどね、、、。
このスレでは、テンプル騎士団の事件を中心に、ヨハネとキリストとパウロの繋がりの問題、キリストのユダヤ教のエッセネ派の
問題と死海文書、ソロモン王の伝説の問題とファラオとの関係とテンプル騎士団と繋がっていたフリーメーソンの起源、
古代エジプト以前にさかのぼるエノク書の話とアトランティスとの繋がりとその内容を扱うと言う事です。
383 :
、ミジンコ:2008/04/18(金) 18:37:01 ID:XzDFwW/I0
384 :
、ミジンコ:2008/04/18(金) 18:59:56 ID:XzDFwW/I0
先ずは、シュタイナーの大予言の続きを、、、。
1959年スイスのルドルフシュタイナー出版から注目すべき本が出版されました。シュタイナー神学講義全5巻
「キリスト的、宗教的活動についての講演と講座(シュタイナー全集第342巻―346巻=GA342−346」です。
まず、この5巻の内訳からご紹介しましょう。
第一巻 刷新されたキリスト的、宗教的活動のためのアントロポゾフィー的基礎
第二巻 霊的認識、宗教感情、祭祀的活動
第3巻 キリスト者共同体設立に際しての講義
第4巻 作用する言葉の本質について
第5巻 ヨハネ黙示録と司祭の活動
386 :
、:2008/04/18(金) 19:07:53 ID:XzDFwW/I0
イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその
僕たちに示すため、キリストにお与えになり、そしてキリストがその天使を送って僕
ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、
すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。この予言の言葉を朗読する
人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が
迫っているからである。(ヨハネの黙示録1;1−3、以下の聖書の引用は
すべて「新共同訳聖書」日本聖書協会による)
新約聖書は、人間を救う神の計画が、キリストの輝かしい再臨に向かって、ど
のように完成されるかを象徴を用いて示す「ヨハネ黙示録」で終わる。これ
は迫害の元に苦しむキリスト者を励ます書である。(新共同訳聖書 聖書につい
て18p)
汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれるところに、王たちを集
めた。(16;16)
387 :
、:2008/04/18(金) 19:10:03 ID:XzDFwW/I0
私はまた、一匹の獣が海の中から上がってくるのを見た。これには10本の
角と7つの頭があった。それらの角には10の王冠があり、頭には神を冒涜
するさまざまの名が記されていた。私が見たこの獣は、豹に似ており、足は
熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と
王座と大きな権威とを与えた。この獣の頭のひとつが傷つけられて、死んだ
と思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこ
の獣に服従した。竜が自分の権威をこの獣に与えたの、人々は竜を拝んだ。
人々はまた、この獣をも拝んでこういった。「だれが、この獣と肩を並べる
ことができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」(黙示録13;1−4)
この獣は42ヶ月の間、活動する権威を獲得し、あらゆる神聖なものと戦い、
勝利を収め、地上を支配します。そして、ほとんどすべての人間がこの獣を
崇拝するようになる、と黙示録は記述しています。
私は、もう一匹の獣が地中から上がってくるのを見た。この獣は、子羊の角
に似た2本の角があって、竜のようにものをいっていた。この獣は、先に獣
が持っていたすべての権力をその獣の前で揮い、地とそこに住む人びとに、
致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。そして大きなしるしを行って、
人々の前で天から地上へ火を降らせた。(黙示録13:11−13)
第二の獣は地上の人々に第一の獣の像を作らせ、この像がものをいうことが
できるようにします。そしてこの獣の像を拝まないものはすべて殺されます。
また、第二の獣はあらゆる人間の右手か額に刻印を押させて、刻印のないも
のがものを売り買いすることを禁じます。そして、この後の部分に、問題の
666という数字に関する記述が登場するわけです。
388 :
、:2008/04/18(金) 19:13:54 ID:XzDFwW/I0
この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要
である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数
字は人間をさしている。そして数字は6百6十6である。(黙示録13:17−18)
現在のキリスト教神学は、「666」の獣は古代ローマの皇帝ネロ(37−68)をさ
す、とする説がもっとも妥当性のある解釈として認めていますが、、、、。
黙示録は単なるイメージを含んでいるのではなく、まったく具体的な事実を、
つまり、これから起こることを示唆しています。黙示録は、単に出来事をイメ
ージで暗示しようとするものだけを示唆するわけではありません。ここが重
要な点です。私たちはこのようにして、感情とともに黙示録に入り込まなく
てはなりません。
389 :
、ミジンコ:2008/04/18(金) 19:52:16 ID:XzDFwW/I0
黄金時代は、光系、闇系ともに恵まれていて、動く事の必要がなくなっていくんじゃないかと思われる。
つまり、何もしなくても恵まれている。
白銀の時代は、動く必要が出てくる。世界に働きかける必要が出る。
青銅の時代は、習慣を守る事が必須となる。
鉄の時代はどうあがいても地獄。
カリ・ユガから「万人による万人のための戦い」までのながれ
bc3101年 カリ・ユガ(暗黒時代)の始まり
BC747年 ご成婚の始まり。 ギリシア ラテン文化期
AD1世紀 キリスト地上に現れる
333年自我が悟性魂の中に入り込む
666ソラトの第一作用(ゴンディシャプールの学院)
1332年 ソラトの第二作用(テンプル騎士団の壊滅)
1413年 意識魂の始まり 第五文化期
1879年ミカエルの支配の始まり
1899年 カリ・ユガの終わり。
20世紀キリストのエーテル界への再来 普遍アントロポゾフィー協会の活動
1998年ソラトの第3の作用
3573年 ロシア文化期
5733年 アメリカ文化期
7893年 万人による万人のための戦い(最終戦争?)の直前
7893年 第六根幹人類期の始まり。
ギリシア神話では人間の時代を「金の時代」、「銀の時代」、「青銅の時代」、「鉄の時代」に分けている。: WIKI
金の時代では、人間は仏教でいうところの天人に近く、百年近い寿命を持って神を敬い平安に過ごしたとされ、
穏やかに死んだとされる。 銀の時代では、神を敬わなくなったためやがて神々に滅ぼされたとされる。
青銅の時代は、戦いに明け暮れる時代であり、人びとは殺しあって滅んだとされる。
鉄の時代が現代で、人間は仏教で言うところの修羅に近い存在とされ、愚かで戦いを好み欲望に苦しめられていると考えられた。
392 :
、ミジンコ:2008/04/18(金) 20:12:24 ID:XzDFwW/I0
これから、忙しいんでしばらく投稿は控えますよ、、、またそのうち、、、。
393 :
本当にあった怖い名無し:2008/04/20(日) 23:36:21 ID:zhHEfxEW0
,
394 :
、:2008/04/22(火) 05:50:05 ID:wEfViqBi0
,
395 :
、:2008/04/25(金) 06:25:42 ID:lN+dXDYo0
,
396 :
、:2008/04/26(土) 23:15:31 ID:/YzPVmcy0
,
397 :
、:2008/04/28(月) 09:17:02 ID:RFKKvKPv0
388の続き
ここで『黙示録』の作者は最大の謎かけを行っています。つまり『黙示録』の作者は、
「666」という獣の数字は一種の暗号であり、もしできるなら自分の力で読み解いてみなさい、
と作者に告げるのです。「黙示録」の作者が投げかけた、このような問いかけをめぐって、
キリスト教の神学者たち昔からさまざまな議論を繰り広げてきました。
現在のキリスト教神学は、「666」の獣は古代ローマの皇帝ネロ(37−68)を指す、
とする説を最も妥当性のある解釈として認めています。ネロはキリスト教を弾圧した挙句、
ローマの大火のときに、その罪をキリスト教徒に着せて、大虐殺を行いました。
つまり、黙示録の作者は666という数字を通して、キリスト教の敵対者であるネロを警戒せよ、
と告げているというわけです。
黙示録は単なるイメージを含んでいるのではなく、まったく具体的な事実を、つまり、
これから起こることを示唆しています。黙示録は、単に出来事をイメージで暗示しようと
するものだけを示唆するわけではありません。ここが重要な点です。私たちはこのようにして、
感情とともに黙示録に入り込まなくてはなりません。
398 :
、:2008/04/28(月) 09:18:17 ID:RFKKvKPv0
黙示録に描かれていることは、キリスト教神学が説明しているような、単なる文
学的イメージではなく、すべては未来に起こることに関する「まったく具体的
な事実」なのです。
もちろん黙示録の作者は、未来の何年にどこどこの場所でこれこれのこと
が起こる、と具体的に記述することはありませんでした。「黙示録」の作者
は、自らヴィジョンとしてとらえたことを象徴的な言語を用いて記述しまし
た。黙示録のイメージ言語は、一種の暗号です。中でも「666」という数字
は、この暗号の最たるものです。
666の獣はネロである、という解釈は、シュタイナーによってはっきりと否定され
ています。
暗号の解読法を知らないものの目には、黙示録は意味のない、でたらめなイメ
ージの集まりにしか映りません。黙示録というのは、解読法を知っている人
間だけに向けられた一種の暗号文なのです。
6百6十6(ろっぴゃくろくじゅうろく)ヨハネの黙示録13:18である
人物の名を暗示する数字。ヘブライ語やギリシア語、ラテン語には特別な数字はなく
アルファベットの文字がそれぞれをあらわす。数を用いた暗号は、逆に文字を戻し
て解読することができる。66についてもっとも有力な説は、ヘブライ語でネ
ロ皇帝と読む解釈である。(新共同訳聖書 用語解説 44p)
399 :
、:2008/04/28(月) 09:19:52 ID:RFKKvKPv0
666に秘められた謎を解明するためには、私たちはまず、「黙示録」が書
かれていた時代のすう秘術についてある程度の予備知識を念頭に入れてお
く必要があります。
インド起源のアラビア数字が伝えられるまで、ヨーロッパの人間はヘブライ語、ギリシア
語、ラテン語などの文字を使って数字を表していました。たとえば、古代ロー
マ帝国では、Tと言う文字が数字の1を、Xと言う文字が数字の5を、]と
いう文字が数字の10を表しました。これが現代でも西欧世界で使用されて
いるローマ数字です。
アルファベットの起源は紀元前18世紀から17世紀にかけて、セム人がエジプト文字を
借りてセム語の音あらわにしたシナイ文字にまでさかのぼります。その後、フニキア
人がこのシナイ文字を改良して22の表音文字を作りました。そのときすでに、
フェニキア人はアルファベットを文字と数字の両方に用いる習慣を作り上げていました。
コダイギリシア人は、アルファベットを文字と数字の両方に用いるという、フェニキア人の伝
統をそのまま受け継ぎました。また同時にピュタゴラス学派に属した人々は、数
字に関する神秘主義思想を発達させ、すべての数字は霊的な振動や響きと照
応し、さらに物質界にまで影響を及ぼすことができると考えました。彼らは、
自然の中の存在する全ての物の形は、それぞれ照応する数を持っていると考
えて、すう秘術と呼ばれる、数、文字、言葉、観念の関係をめぐる複雑な体
系を作り出しました。古代ギリシア人は、文字と数字のあいだに神秘主義的な
照応関係を見出したのです。
400 :
、:2008/04/28(月) 09:21:44 ID:RFKKvKPv0
一方、古代のユダヤ人も、文字が数字を兼ねるシステムをさらに発達いさせて、
ひとつの文字に含まれたいみや数字、音を組み合わせて神秘的な啓示を表そ
うとしました。これがゲマトリアと呼ばれるユダヤのすう秘術です。カバラの実践か
ら生まれたゲマトリアでは、ヘブライ語のアルファベットの文字に、それぞれ相応する数
値が与えられました。ゲマトリアでは、単語を構成する文字をそれぞれ数値に置
き換えて加算するというプロセスを重視します。このようなプロセスには、単に数
字の持つ神秘的な意味合いを強めるだけではなく、同時に、秘儀にかかわる
事柄を一般の人間から遠ざけるために暗号化する目的が秘められていました。
黙示録の666は、このようなすう秘術によって生み出された数字です。6
66はなんらかの単語を構成する文字を数字に置き換えた上で、すべて加算
することによって得られた会を表しているのです。では、その元になった言
葉とは何なのでしょうか。
すでにお話したように、現代のキリスト教神学者は古代の吸う秘術に基づいて、
まずネロの名前をNRVNQSRという文字に置き換えました。この7つの文字
に、あとに掲げたユダヤの数秘術対照表にしたがって、数字を対応させて見ます。
N R V N Q S R
50 200 6 50 100 60 200=666
401 :
、:2008/04/28(月) 09:24:21 ID:RFKKvKPv0
シュタイナーによれば初期キリスト教の秘儀においては、666という数字は400 200 6 60
として伝えられていたのです。
この段階で、ようやく数字を文字に置き換えるという作業に着手することができま
す。この4つの数字にヘブライ語の文字を当てはめて見ましょう。古代ユダヤのすう秘
術では、数字にはすべてそれに対応するヘブライ文字が定められていました。すう秘
術に基づいてヘブライ文字と現代のヨーロッパのアルファベットに数字を対応させると、次のよ
うになる。
400 200 6 60
Taw Resch Waw Samech
この場合、文字を英語のように左から読んではなりません。なぜならヘブライ
語では、文字を右から左に読むことになっているからです。ですからこの4
つの文字を逆に並べ替えてみることにしましょう。すると次のような子音の
連続が出来上がります。
S W R T
また、ヘブライ語では子音のみを文字で表し、母音を表記しませんから、私た
ちは子音と子音の間に該当する母音をおぎなわくてはなりません。すると次
のような言葉が完成します。
Sorat
「ソラト」、これこそ「黙示録」の筆者が「666」という数字で表そうとした言葉だったのです。
402 :
、:2008/04/28(月) 09:32:13 ID:RFKKvKPv0
>>399-401 基本的にヨハネの場合、数秘術は、ユダヤ教より更にかわっている
エッセネ派の動物を殺したり、肉を食わないと言う
教義によって獲得される見解によって
一般人による誤解による混乱を
前もって避けるために数の記号を使用によって
その意図を押し通したと言う事。
又、シュタイナーについて取り組むにあたって、人権の意味ではトータルでは、
シュタイナーよりはユングの方が、そして、更にユングよりはフロイトの方が
優れていると言う事について踏まえる必要があることを告知しておきます。
404 :
、:2008/04/28(月) 09:37:46 ID:RFKKvKPv0
黙示録が書かれたころ、ソラトは、太陽の悪魔をを意味しました。そして黙示
録の作者はこの印を記述し、いまや私たちはそれを正確に認識することがで
きるわけです。黙示録の作者は、このような方法でーーイスラム主義のようにー
ーキリストにてきたいするものをすべて、ソラト、つまり、太陽の悪魔によって
代表される、あの霊的なものの現れとみなしたのです。
私たちの思考の中に善い考えと悪い考えの2つがあるように、霊的存在にも
善なるものと悪しきものの2つが存在します。シュタイナーの考えに従うならば、
善とは宇宙の進化を促進させようとする知的存在であり、悪とは逆に進化を
阻止しようとする力です。一般に悪魔と呼ばれているものは、太陽系の星に
住む悪しき霊的存在のことにほかなりません。
太陽系のそれぞれの惑星には、知的存在ばかりではなく、悪魔も存在します。
教会の指導者たちは、このことを14,5世紀まで知っていました。ある惑
星の上で、知的存在に敵対するものの総体が悪魔たちです。それは、太陽の
場合も同じなのです。
405 :
、:2008/04/28(月) 09:40:11 ID:RFKKvKPv0
太陽にも善き霊的存在と悪しき霊的存在の2つが存在します。太陽に属する
全なる霊的存在の代表はキリストです。太陽に属する善なる霊的存在の代表はキリ
ストです。読者の皆さんの中には、「キリストは太陽の神である」など聞くとびっ
くりなされるかたもおられるかもしれません。なぜなら現在のキリスト教の教会
は、「キリストが太陽の守護神である」などという教義はいっさいみとめていな
いからです。初期キリスト教の時代においては、キリストが太陽からやってきた神的
存在である、という教義は守られていました。しかしその後、ローマ・カトリック教
会がキリスを太陽神とする説を異端として退けてしまったために、多くの人々
が本来のキリスト教の教えから遠ざけられてしまうことになったのです。
シュタイナーによれば、太陽の神的な存在としてのキリストは人類の進化を促進する
ために、太陽から地球に降り、自らの運命を地球と結びつけました。このこ
とをシュタイナーは「ゴルゴタの秘儀」と呼び、人類の進化の上で決定的な意味を持
つ出来事として重要視しています。
ソラトは私たちの太陽系でもっとも強力な悪魔の一人です。基本的にはそれ
は太陽の悪魔であり、人間の唯物論の中で作用します。
406 :
、:2008/04/28(月) 09:42:07 ID:RFKKvKPv0
15世紀ごろから人類はアーリマンという霊的存在の作用を受け続けています。アー
リマンは人間の関心を精神的なもの、霊的なものから背けさせ、もっぱら目に
見える物質にのみ向かわせようとします。現在私たちが教授している物質文
明、科学文明はアーリマンの影響の最大の現れです。このように見ていくと、アーリ
マンとソラトは似通った性質を備えていることがわかります。なぜならソラトもアーリマ
ン同様、唯物論を通じて人間に作用しようとするからです。
アーリマン的な悪魔のうちで、もっとも強大なもののひとつがソラトです。
この場合、ソラトは決して一人出ない点に注意してください。ソラト系の霊は複数
存在しています。ソラトとは太陽の悪魔と呼ばれる霊たちのグループの総称なの
です。アーリマンの基本的な性質についてシュタイナーは次のように述べています。
彼らが目指すものは、人間の中の自らの冷静に関する意識を抹殺することで
す。アーリマンは、「人間とは完全に形成された動物に過ぎない」という見
解を、人類にもたらそうとします。実際のところ、アーリマンは、唯物論的
なダーウィン主義の偉大なる教師なのです。アーリマンはまた、地球進化の中の、
あらゆる科学的かつ実践的活動の偉大なる教師でもあります。このような活
動は外面的で、知覚可能な人間生活以外のものを認めようとはしません。こ
のような活動は、食べたり飲んだりしたいという動物的な欲求や、あるいは
それ以上の欲求を洗練された方法で満足させるために、広範な技術を手に入
れようとします。人間の中にある「自分は神の似姿である」という意識を抹
殺し、くもらせることーーこれこそが、げんざいあらゆる精巧な科学的手段
を用いて、アーリマンの霊たちが人間の意識にもたらそうとしているのです。
(シュタイナー天使学シリーズ第一巻天使と人間63−64p)
407 :
、めいちゃん:2008/04/28(月) 09:53:38 ID:RFKKvKPv0
>>403 シュタイナー 受胎の欠如 + 優生学 超能力・オkルト能力 科学者 ルシファーとアーリマン
ユング 受胎の欠如 オカルト能力 科学者 カウンセラー ルシファー
フロイト 受胎の考慮 アンチオカルト 科学者 アーリマン
フロイトが最も無害である。
408 :
、:2008/04/28(月) 17:10:48 ID:RFKKvKPv0
アーリマンは直接人類に知恵を注ぎ込むことで、人類の文明をさらに高度なもの
にしようとします。アーリマンは、そうすることが人類のためになると信じてい
るのです。
ここで私たちは悪というものを複眼的に観察することを学ばなくてはなり
ません。アーリマンは、必ずしも自分たちが人類に害悪を及ぼしていると思って
いません。むしろ、自分たちは文明の進歩を手助けしてやっているのだ、自
分たちは善なのだ、と信じています。
事実、15世紀以降、アーリマンの影響が強まるとともに、人類の学問や科学
技術は急速な発展を遂げました。このような側面に注目する限り、確かにアー
リマンは文明の進歩に貢献しなかったとはいえないのです。
しかし、どんなに役に立つものでも、度をこすと一転して悪い影響を及ぼ
すようになるものです。それはちょうど、少量では人体によい影響を与える
薬でも、大量に摂取すると毒になるのとおなじようなものです。
アーリマンの影響があまりに強まると、人間はどうなるのでしょうか。
アーリマンの作用によって自己意識が鈍らされるとともに、人類は目に見える
物質が世界のすべてだと考えるようになり、自らの霊性を忘れるようになり
ます。このとき社会から友愛の精神は失われ、エゴイズムと動物的な欲望のみ
が蔓延するようになります。アーリマンの影響を強く受け続けると、最後には人
類は進化の道を後退することを余儀なくされるのです。
これに対して、霊と物質の間に均衡を見出し、本当の自由に至る道を人類
に示したのがキリストです。人間は自らの自我をキリストに結びつけることによって
のみ、真の個人としての自由を獲得することができるのです。
409 :
、:2008/04/28(月) 17:12:51 ID:RFKKvKPv0
いまや、人間は自己意識を備えた存在として、キリストの本質を、そしてキリストと
世界全体のつながりを認識しなければなりません。そうすることによっての
み、人間が実際に一人の「私(自我)」として活動することが可能になるの
です。(悪の秘儀79p)(真に受けるな)
シュタイナーによれば、現在、霊界では二つの勢力が激しくぶつかりあっています。
一方はキリストの側に立ちながら、人類に正しい霊性を注ぎ込み、」自己意識に
基づく本当の自由に至る道を人類に示そうとしています。もう一方の側は、
ソラトというアーリマン的な霊的存在は、まず何よりも、人間の思考方法に強い影響
を及ぼします。アーリマンは人間に、目に見える物質こそがすべてだと思わせ、
精神的なもの、霊的なものから目をそむけさせようとしています。いまや私
たちの常識となった、唯物論や物質主義の生みの親がアーリマンなのです。
最強のアーリマンであるソラトも、もっぱら人間の思考方法の中に入り込むことで、
地上の人類に作用を及ぼそうとします。ソラトは、とりわけダーウィン主義を人類
に浸透させることに大きな関心を寄せています。というのもダーウィン主義者た
ちは、人間はサルが高度に進化しただけの存在に過ぎない、と考えます。ダーウ
ィン自身はそのことをはっきり明言したわけではありませんが、進化論の発表
以来、「人間とは脳が肥大したサルである」という考え方が一般的に広まるよ
うになったのです。シュタイナーが生きた19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパ
では、このようなダーウィン主義の是非をめぐって思想界、宗教界を巻き込んだ
激しい論争が繰り広げられました。このような時代に、シュタイナーはさまざまな
論文や講演を通して、ダーウィン主義に基づく世界観が広まっていくことに一貫
して危惧の念を表明しつづけました。なぜでしょうか。
410 :
、:2008/04/28(月) 17:14:56 ID:RFKKvKPv0
それは、ダーウィン主義の下では精神的に価値のあるものがことごとく踏みに
じられてしまうからです。ダーウィン主義者たちは、人間は高度な有機体を備え
た動物に過ぎない、と唱えます。ダーウィン主義が浸透するようになると、次第
に人間は自らの中に潜んでいる動物的な欲望やエゴイズムを肯定し、道徳的な
ものに価値を見出さなくなるのです。
シュタイナーの主著のひとつである『自由の哲学』によれば、、道徳とは、道徳
とは精神的世界に客観的に存在する法則性を意味します。道徳とは外から人
間を縛るものではなく、一人一人の人間が自由意志を元に精神的な世界から
取り出してくることが可能な、客観的宇宙の法則なのです。
ところが、ダーウィン主義者たちは、目に見えないものや数量化できないもの
はことごとく否定します。ダーウィン主義の立場にたつ人たちにとって、道徳と
は国家や権力者が一方的に押し付けてくるものであり、客観的妥当性などな
い、ということになるのです。ダーウィン主義を徹底して押しすすめると、人間
は確実に荒廃していきます。人々はお互いのエゴイズムのみを主張するように
なり、共通の目的のためにお互いに協力し合うことはなくなってしまいます。
ダーウィン主義を突き詰めると、結局は「人間は動物と同じなんだ。この世はす
べて食うか食われるかだ」という世界観に行き着くことになります。ダーウィン
主義が広まれば広まるほど、おのずと人間同士の間に争いごとが生じやすく
なるのです。
ダーウィン主義に代表される唯物論的な思考方法が浸透するとともに、人間は
霊的なものに対する畏敬の念を少しずつ失っていきます。知らず知らずのう
ちに人間の内面は荒れ果て、人々は他者に対する友愛の気持ちをなくしてい
きます。そこにソラトにつけ込まれる隙ができるわけです。
411 :
、:2008/04/28(月) 17:16:23 ID:RFKKvKPv0
20世紀にはいってから、人類は実に数多くの戦争を経験してきました。
戦争はソラトが引き起こす災厄の中でも、もっとも大きなもののひとつです。
たとえばシュタイナーは、第一次世界大戦の勃発にソラトがどう関与したか、という
点について次のように述べています。
いまや、おおいなるソラトの悪魔の信奉者である、悪魔たちが入り込むため
の道が開かれています。たとえば、第一次世界大戦の出発点について何らか
のことを知っている、あの悟性的な人々と話をするだけで、このことがわか
るはずです。ここで、「この世界大戦の勃発に関して責任のある、40人の人々
のほぼ全員が、戦争勃発の瞬間に、意識を鈍らされていた」といってもまち
がいではないでしょう。このような入り口を通って、アーリマン的な悪魔の
力は、そしてこのアーリマン的な悪魔の中でも最大の存在のひとつである、
ソラトが入り込んでくるのです。まず、最初に少なくとも一時的に人間の意
識の中に入り込み、災厄や混乱を引き起こす、というのが、ソラトの側から
やってくる誘惑なのです。世界大戦ではなく、それに続いて起こり、それよ
りもっと恐ろしく、将来ますます恐ろしいものとなるものをーーたとえば現
在のロシア国家体制を旧ソビエト連邦を指す)、人間の魂の中に入り込むソ
ラトの霊が引き起こそうとするのです。
412 :
本当にあった怖い名無し:2008/04/30(水) 01:24:31 ID:yxHug9oF0
凄すぎる。
413 :
本当にあった怖い名無し:2008/04/30(水) 16:30:23 ID:MB1EtNMT0
なんだ盤古大神のことか?
アーリマン=盤古大神
414 :
、:2008/05/01(木) 18:54:58 ID:P4MmwHZh0
戦争勃発の瞬間に、意識を鈍らされていた >>
解るよね、、、イデオロギーによる重圧と言うか、、、朦朧性癲癇の大方はここから来てるんじゃないかな、、、。
場合によってはトラウマを伴う体験で、不可解な偶然が目立つ傾向があります。癲癇は昔からある病気ですから、
666に関係する出来事は昔から度々あったと判断する事になります。特にMKウルトラはこの現象を利用すると
効果を表す性質のものと思われます。その影響の発揮の準備が網の目のように張り巡らされていると言えるでしょう。
これに対抗するのがミカエルと言われているようだが、実際は、それは、居たり居なかったりするアレが事実でして、
金星の愛の呪いの力の方が実際には有用であると判断を私の場合はしていますが、、、。
415 :
、:2008/05/01(木) 18:59:07 ID:P4MmwHZh0
414>>実際は、ミカエルや金星の力も含め色々な備えがあると良いといえるでしょう。
シュタイナーによれば、第一次世界大戦が勃発したとき、列強の指導者の意識はソラ
トによって支配されていました。ソラトは自ら直接軍勢を率いて人類を襲うわけ
ではありません。ソラトは、国家の最高権力を握っている人間の意識の中に入
り込むことで、結果として戦争を引き起こすのです。
20世紀には、ほんの一握りの権力者が大きな災厄を引き起こしたという例
は枚挙に暇がありません。シュタイナーは1925年になくなっていますが、もし
その後の時代も生き続けて 、世界の歴史を目の当たりにしたら、なんと言
ったでしょうか。
ソラトが戦争を引き起こす方法は実にたくみです。なぜならこの場合、汚名
を着せられるのは、ソラトに憑依された権力者のほうであって、ソラト自体はまっ
たく人間に感知されることはないからです。ソラトの影響を受けた権力者は、
国民の中に潜んでいる憎しみや怒りといったネガティヴな感情を巧みに利用し
て、好戦的な気分を煽り立てようとします。
たう。とえばヒトラーは、ドイツ国民が抱いていた第一次世界大戦の戦勝国やユダ
ヤ人に対する怒りや憤懣を巧妙に利用しました。その結果、ヒトラーは、ドイツを
救う英雄として、圧倒的な支持を受けたのです。このタイプの権力者は、権
力の座から失墜すると、一転して激しい非難を浴びることになります。さま
ざまな罪が暴かれ、国民は皆、ようやく悪しき権力者にだまされていたこと
に気づきます。熱狂的支持から断罪へーーこれは20世紀の独裁者に見られ
る典型的なパターンです。
416 :
、:2008/05/01(木) 19:02:58 ID:P4MmwHZh0
414>>実際は、ミカエルや金星の力も含め色々な備えがあると良いといえるでしょう。 >>
つまり、何通りもある。しかし、ミカエルだとか騎士団の壊滅の後で言われてもねぇ、、、。
この場合、人々はすべてを独裁者個人の問題に還元ようとします。たとえ
ば、ヒトラーは精神病の傾向があったのではないか、などと病理学的に権力者の
精神状態を説明しようとします。つねに権力者個人のみが非難と分析の対象
となるわけです。
しかしそれだけでは、なぜ20世紀になってから悪しき権力者が次々と現
れ、世界中で戦争と殺戮が繰り返されるようになったのか、という疑問に対
する説明にはなりません。ここで私たちは歴史の表面に現れた現象のみに目
を向けるだけではなく、さらに一歩踏み込んで、権力者の内面に入り込んだ、
ある精神的な傾向に目を向ける必要があります。20世紀の独裁者たちの精
神的傾向をよく考えてみてください。かれらはすべて、同じような傾向を備
えていたのではないでしょうか。彼らはみな、争いを好み、その内面に激し
い憎しみの感情を抱きながら、時には才知や弁舌の冴えを見せ、人をひきつ
けます。それこそがシュタイナーの言うソラトの精神(霊)の働きなのです。
417 :
、:2008/05/01(木) 19:04:32 ID:P4MmwHZh0
ところが、霊的なものの存在を信じようとしない人は、権力者個人ばかり
を攻撃しようとします。そしてこれこれの権力者さえいなければ、戦争は起
こらなかった、と単純に信じ込もうとします。ソラトにとって、これは実に都
合のよい事態だといわなくてはなりません。なぜなら人間が唯物論的な思考
方法に固執する限り、ソラトはその存在を悟られずにすむからです。私たちが
目に見える物質的な世界のみを信じようとする限り、ソラトはつねに効果的に
人類に影響を及ぼしつづけることができるのです。
666という数字は、ソラトの名前を意味すると同時に、さらにソラトが人類に大
きな作用を及ぼす歴史上の年号をあらわしています。「黙示録」の作者は、
ソラトの影響は、666年を周期として、繰り返し地上に現れることになる
と予測しているのです。
ソラトの最初の影響は666年、西アジアに現れました.西暦7世紀のサ
サン朝ペルシアで最強のアーリマンとしてのソラトの影響を受けた楽員が活動し
たのです。
その発端は、529年に東ローマ帝国の皇帝ユスティアヌスが、アテネのアカデミアを閉鎖
し、古代ギリシアの学問を伝えてきた学者たちを追放した、という出来事に
までさかのぼります。このとき行き場をなくしたギリシアの学者たちを受け
入れたのが、ゴンディシャプールの学院です。学者たちはゴンディシャプールの学院で、
アリストテレスの著作をアラビア後に翻訳する仕事に没頭しました。その結果、
アリストテレスの哲学の中にアラビア的な魂が混入することになったのです。
418 :
、:2008/05/01(木) 19:21:55 ID:P4MmwHZh0
ソラトがゴンディシャプールの学院を通して、地上に撒き散らそうとしと試みた知恵
とは何だったのでしょうか。
「人類が将来獲得することになる3つの知恵」
まず、第一は、優生学、これは人間が受胎と出産を思いのままにコントロー
ルすることを可能にする技術です。
第二は精神的な医学で、これを用いることで人間はほとんどあらゆる病気を
予防することができるようになります。
第三は律動学で、人間は生命体の振動を用いて、あらゆる機会を動かすこと
ができるようになります。
人類は遠い将来において、この3つの知恵を獲得することになりますが、現
在のところ、人類はまだその段階に到達していません。ところがソラトは、な
んと666年に、ゴンディシャプールの学院を通してこの3つの知恵をじんるいに
もたらそうとしたのです。
考えてみてください。ヨーロッパではゲルマン民族がフランク王国をはじめとする諸
国を建立し、東アジアでは唐が栄え、日本では天知天皇が在位していた時代
に、これら3つの知恵が世界中に広まろうとしていたのです。
このときソラトの目論見が成功していたらどうなっていたでしょうか。
人間は、ゴルゴタの秘儀を通して、自分自身の人格の中から意思既婚を見出
し、将来さらに霊我、生命霊、霊人、へと上昇するための手助けを得るよう
に定められていました。しかし、その一方で、人間が天才的なグノーシス的学問
から霊的な開示を通して直接ある知恵を手に入れることもまた、運命的なも
のでした。もし実際にこのような知恵を人間のために決定し、そして人間そ
のものを決定する心的かつ霊的な諸存在とのつながりにおいてーーこれら
の諸存在には、イエス・キリストも属しているのです。-----自分自身で個人的に活動
することを通して見つけなければならないはずでした。ところが人間は、こ
のような知恵のすべてを天才的なものの中から開示のように受け取る道を
歩もうとしていたのです。
もしソラトがほんとうに3つの知恵を世界に広めるのにせいこうしたなら
ば、人間はあるいみにおいて、非常に楽な道をたどることになったかもしれ
ません。なぜなら、この場合、人間は3つの知恵を自分の知恵を獲得するた
めに、さまざまな失敗を積み重ねて努力する必要がなくなるからです。しか
し、もしそうなったとしたら、人間は自己意識に基づく個人としての自由を
手に入れることはできなかったでしょう。
正しい進化のプロセスにおいては、本来人類は15世紀以降、意識魂(木星
意識)を発達させる努力を続けた末に、自分自身の力でこの3つの知恵を獲
得することになっていました。ところがソラトは、「努力する必要はない、私が
必要な知恵はすべて与えてあげよう」と人類にささやきかけてきたのです。
420 :
、:2008/05/01(木) 19:26:42 ID:P4MmwHZh0
もし、ソラトの目論見がせいこうしたならば、人類が地上で意識魂を発達さ
せる可能性は永遠に失われることになったでしょう。そして、人類はこの地
上で、自己意識に基づく真の自由を獲得することができなくなったことでし
ょう。
実際には、7世紀半ばにササン朝ペルシアがイスラム勢力に滅ぼされるとともに、
ゴンディシャプールの学院は消滅し、ソラトのもくろみは失敗に終わりました。しかし、
そのときソラトが蒔こうとした種は別の形で芽を吹くことになります。
グノーシス的なゴンディシャプールの知恵は弱められはしたものの、南ヨーロッパ
とアフリカを経て、スペインへ、フランスへ、イギリスへと広まっていきま
した。またそれは、修道院という回り道を経ながら、ヨーロッパ大陸にも伝播していきました。またそれは、修道院という回り道を経ながら、ヨーロッパ大
陸にも伝播していきました。私たちは、ゴンディシャプールの知恵がこのように拡
大していく様子を、1段階ずつ、十年ごとにたどることができます。私たち
は、「ゴンディシャプールの知恵の拡大とともに、超感覚的なものがいかにして追
放され、そのあとに感覚的なものだけがーーいわば特定の意図だけがーー保
持されることになるか」という過程を追っていくことができるのです。つま、
り、ゴンンディシャプールのグノーシス的な知恵が弱められたことの中から、西洋の自
然科学的な思考が生まれてくるのです。
421 :
、:2008/05/01(木) 19:27:44 ID:P4MmwHZh0
イスラム帝国は、人類の間にソラトの3つの知恵が撒き散らされるのを未然に防
いだ、ということができるのです。しかしその一方で、イスラム教徒たちはゴンデ
ジシャプールの学院の学問の系譜を受け継ぎ、アラビアの哲学や自然科学を発達さ
せていきます。イスラム帝国は政治的にはササン朝ペルシアに敵対しましたが、学
問の分野においては、ゴンディシャプールの学院が備えていた思考方法を継承する
ことになるのです。この場合私たちは、イスラム主義が果たして善なのか悪なの
か、という点に関して即断を下すことは避けなくてはなりません。私たちに
は精神科学の立場に立ちながら、7世紀以降、イスラム教徒たちによってその後
の人類のために何が準備されたのかを、あくまで客観的に観察することが求
められているのです。
イスラム帝国では、まず、アラビア語に翻訳されたアリストテレスを基礎としてアラビア哲
学が発達しアヴィケンナ(イブン=シーナ)、アヴェロエス(イヴン=ルシ
ュド)などの学者が登場します。また、科学、天文学、医学、数学、などの
分野におぴても、アラビアの科学者たちは優れた功績を残しています。この
ようなアラビアの学問は西へと伝播し、中世のヨーロッパに多大に影響を与える
ことになります。このとき、アラビアの学問を通して、唯物論的な世界観の
ほうががヨーロッパにもたらされたのです。
422 :
、:2008/05/01(木) 19:29:38 ID:P4MmwHZh0
唯物論的な思考方法に基づく自然科学は、近代になっていきなりヨーロッパで
発生したのではありません。アラビアの自然科学が導入されるまで、ヨーロッパに
は、近代科学のさきがけとみなされるような学問はほとんど存在しませんで
した。アラビアの自然科学は、中世のヨーロッパ人の目には驚くほど進んだ学問
と映ったのです。
もちろん、アラビアの科学や哲学がヨーロッパ世界に広まっていくことに警戒
心を抱く人々がいなかったわけではありません。たとえば、中世のスコラ哲学
者たちは、アラビア哲学の中に霊的なものを軽視する傾向があることを敏感
に察知しました。スコラ哲学者たちは、アラビア哲学の中には反キリスト的な精神が息
づいていることに気づいていたのでした。しかしスコラ哲学の側からの抵抗が
あったにもかかわらず、ヨーロッパに入り込んだアラビア主義はロジャーベーコンらによ
って更に発達を遂げ、17世紀には実験と観察と推理に基礎を置く、近代科
学となって結実しました。私たちが現在享受している化学文明の基礎がこの
とき作られたのです。
なぜならアラビアの学問はこれほどまでにヨーロッパ世界の人々に受け入れられ
たのでしょうか。それは、カトリック教会の教義そのものの中にアラビアの自然科学
を受容する地盤が形成されていたからに他ならなかったからなのです。
423 :
、:2008/05/01(木) 19:31:49 ID:P4MmwHZh0
ゴンディシャプールの学院からアラビアの自然科学、そして近代科学から唯物論哲学
にまで至る唯物論的思考方法の歩みを以下にまとめる。
7世紀 ゴンディシャプールの学院の成立―――ソラトによる第一の作用
(666年)
イスラム世界の誕生―――3つの知恵
↓
9-12世紀 アラビア自然科学の発達―――唯物論の萌芽
フワーリズミー アヴィケンナ アヴェロエス
↓
中世 ヨーロッパ世界がアラビアの哲学・自然科学を導入
アラビア数字 3角法 火薬・羅針盤・印刷術
↓
13世紀 ロジャー・ベーコンの経験主義的自然学
424 :
、:2008/05/01(木) 19:34:26 ID:P4MmwHZh0
↓
17世紀 近代自然科学の誕生―――唯物論的」思考方法の基礎
ニュートン ケプラー
↓
19世紀 唯物論哲学 実存主義哲学―――唯物論の完成 唯物史観
フォイエルバッハ マルクス コント
進化論――――――――――人間とサルは同一の祖先から進化したと説き、宗教界に打撃を与える。
ダーウィン
20世紀 ボルシェヴィズムーーーーー科学的社会主義
レーニン トロツキー
このように見ていくと、「第一の666」としての、西アジアにおけるソラトの
活動は現代を生きる私たちにも大きな影響を及ぼし続けていることがわか
ります。
17世紀後半に近代科学の基本的な体系が作られてから、わずか数百年の間
に、人類の科学文明は、核兵器やコンピュータを開発するレベルにまで到達しま
した。20世紀末の現代において、唯物論的思考方法は、科学文明の発達と
歩調を合わせながら、世界の隅々にまで広がっていこうとしています。超感
覚的なものを軽視し、目に見える物質のみに目を向けようとする傾向は科学
のみならず、一般の人々のあいだにも深く浸透するまでになりました。この
いみにおいてソラトが千年以上の歳月をかけて準備してきたことが今まさに実
を結ぼうとしているのです。
425 :
、:2008/05/01(木) 19:35:42 ID:P4MmwHZh0
666 666×2=1332
333年にキリスト教会内部で起こった出来事について考察する。
1332年の事件を理解するためには、1232年以降、キリスト教がどの
ような道をたどってきたか、ということを頭に入れておく必要があるからです。
シュタイナーによると、人間の悟性魂(火星意識)は、紀元前八世紀から15世紀
にかけて形成されました。この時期は精神科学では悟性魂の時代(ギリシア・
ラテン文化期)と呼ばれています。333年という年は、悟性魂の時代のちょ
うど痛感に位置します。いったいこのとき何が起こったのでしょうか?
紀元前8世紀から徐々に発達を遂げていった人間の悟性魂は、333年にな
ってようやく自我を受け入れることができることができるまでに成熟しま
した。つまり、333年ごろに人間の悟性魂の中に自我が入り込んできたの
です。それまでの人間はいわば神と一体になって生きてきたわけですが、自
我を獲得するとともに人間の中で、神と世界、神と人間の関係に関する確信
が揺らぎはじめたのです。
426 :
、:2008/05/01(木) 19:37:21 ID:P4MmwHZh0
その結果キリスト教会の内部でも、それまでの初期キリスト教の教義に対す
るさまざまな疑念が生まれるようになりました。この後でお話しする、アリ
ウスとアタナシウスの論争やカトリック教会の成立の背景には、人間の悟性魂が自我を
受け入れるようになった、という事実が背景になってよこたわっていたのです。
また、333年という年は、666÷2=333
666のちょうど半分にあたる数字です。
333という年は、イエス・キリストが地上に現れてきた時期と、第一の666の年
の中央に位置します。333年は人間の悟性魂が自我を受け入れた時期であ
ると同時に、666年にソラトが人類に作用を及ぼすための基盤が作られた年
に当たります。そして、333年の出来事は、666の年だけではなく、「第
二の666」としての1332年の事件にも間接的に影響を及ぼすことにな
るのです。
シュタイナーによれば、333年ごろ、キリスト教は2つの危機に直面しました。
その第一はアリウス派とアタナシウス派の論争です。
427 :
、:2008/05/01(木) 19:38:34 ID:P4MmwHZh0
アリウスは「イエス・キリストが『子』と呼ばれる以上、子は父なる神とは本質を異にす
る」と考えました。「子は父から生まれることによって、初めて存在ことが
できる。生まれる前には子は存在できない。だから子は永遠の存在ではな
い。」というのがアリウスの説の骨子です。つまり、アリウスは「永遠なる神に対し
て、子であるキリストは時間的存在に過ぎない。キリストは神そのものではなく、被
造物に過ぎない」と唱えたわけです」。
じつに見事な論理です。
アリウスは弁舌の才にたけたじんぶつですから、このとき、少なからぬ人々がアリ
ウスの説を信じようとしました。
これは、当時のキリスト教会全体を揺るがす大事件でした。
このような事態を重く見たローマ皇帝コンスタンティヌスは、325年世界最初のキリ
スト教会総会議をニーケアで開きます。この会議の席で、「子は父なる神と本質
を同じくする」と唱えるアタナシウスの説が正統と認められ、アリウスは異端とされます。
428 :
、:2008/05/01(木) 19:40:30 ID:P4MmwHZh0
かくしてかろうじてキリスト教の正統な信仰は守られたわけですが、アリウス
の巧みな論理によって、一時的なものであったとはいえ、キリストの神聖が否定
された、というのはやはり大きな事件でした。このときアリウスは公然と、子な
るキリストの権威に敵対する考えを広めようとしたのです。
第二の危機はキリスト教のローマ化です。
ご存知のように、初期キリスト教の時代には、ローマ帝国はさまざまな形
でキリスト教徒に迫害を加えました。前に触れた、皇帝ネロによるキリスト教
徒虐殺もそのような例の一つです。
しかし、ニーケアの公会議に先立つ313年のミラノ勅令によって、キリスト教は
ローマ帝国によって公認されます。また、381年のコンスタンティノープルの公会議
では、先ほどお話したアタナシウス派の教義が正統なものとして確認されました。
このときローマ・カトリック教会の基礎が確立されたわけです。表面的に見ると
このときキリスト教は、華々しい勝利を収めたように思われます。ところが
シュタイナーによれば、カトリック教会の誕生はキリスト教の堕落以外の何者でも
ありません。なぜならカトリック教会はローマ帝国に従属することでキリス
ト教本来教義から離れていったからです。
429 :
、:2008/05/01(木) 19:41:54 ID:P4MmwHZh0
カトリック教会は国家権力と結びつくとともに、ローマ帝国の国家体制に
すばやく順応していきました。そしてローマ帝国滅亡後は、皇帝に変わって、
教皇がローマ帝国の頂点に君臨することになります。カトリック教会は、真
のキリスト教の精神にふさわしい国家や社会を新たに建設しようとはしま
せんでした。古代ローマ帝国そのものはカトリック教会が誕生してもまったく変
わっていない、それどころか、カトリック教会はローマ的な秩序の存続に協力
しているだけではないか、というのがシュタイナーの考えです。(エッセネ派、フリー
メーソンの考え)
私たちは、偏見を抱くことなく、最初にキリスト教が発達していった時代を振り
返らなくてはなりません。初期のキリスト教の発達は、基本的には、のちのロー
マカトリックとは何の関係もありません。というのも、ローマ・カトリックの内
部で、キリスト教は堕落していくことになったからです。ですから人類がさらに
発展していくためには、私たちはすべての問題をアタナシウスが意味したところに
基づいて決定することが特に重要です。アタナシウスはキリストの中に、まさに
直接の神的な存在を見ていました。アタナシウスはキリストの中に、現実の
心的な太陽の霊を見たのです。もっともこのような考え方は、後の時代に、
キリストを宇宙的に考えることが拒否されたために、背景に退くことになっ
たのですが。しかし霊的性質全体において、アタナシウスはキリストを実際
に、父なる神に等しい神とみなしていたのです。
430 :
、:2008/05/01(木) 19:43:12 ID:P4MmwHZh0
このようなアタナシウスの見解は、その後も作用し続けた後、869年にコンスタ
ンチノープルで開かれた、第8回目の公会議(第4回コンスタンチノープル公会議のこと)
で鈍らされることになりました。この公会議では、霊・魂・肉体の3分説が
異端として退けられることによって、第一回目のニーケアの公会議で認めら
れた教養が、基本的には破棄されることになりました。そしてそれとともに、
教会に基礎を置いたキリスト教の堕落が始まります。なぜならば、それとともに、
その後の数世紀にわたって、カトリックの教会の発達の内部で、人間が霊的なも
のの中へと成長していく可能性が徹底的にたたれてしまったからです。
アタナシウスの思想の中には、初期キリスト教の秘儀に見られた教義がそのまま息
づいていました。たとえば、「キリストは、太陽からやってきた神的な例である。」
とか、「人間は、霊・魂・肉体の3つから構成されているといった教義がそ
れに相当します。
ところが時代を経るにしたがって徐々にカトリック教会は本来のキリスト
教の教義から離れていくようになりました。アタナシウスのころには、「人間は自
らの霊性を通してキリストとつながることができる。」という教えが生きていた
にもかかわらず、カトリック教会は政治的影響力を強めるとともに、次第に人間
の中の霊性を否定するようになったのです。869年のコンスタンティノープルの公会
議において、カトリック教会は、「霊・魂・肉体」の三分説を否定し、「魂・
肉体」の2分説を採用しました。このときから「人間は肉体と魂のみからな
り、魂は特性として霊的なものを含んでいるに過ぎない。魂は一面において
霊的であるという説がカトリック教会の公式な見解となったのです。
431 :
、:2008/05/01(木) 19:44:34 ID:P4MmwHZh0
869年以来、カトリック教会から生じる西欧の文化にとって、もはや霊は存在しな
くなりました。霊とのつながりがたたれるとともに、人間は世界とのつなが
りも失ったのです。人間はますますエゴイズムのなかへ駆り立てられました。
そのため、宗教それ自体もますますエゴイスティックなものになりました。
以来、人間と神との間には深い溝が存在するようになりました。どんなに努
力しても人間は神に近づくことはできない、人間はただ全能の神に祈り、自
己救済を願っていればそれでいい、というのがカトリック教会の基本的な教義に
なりました。「魂・肉体」2分説によって霊の存在を否定されてしまった以
上、もはや一人一人の人間が自らの霊性によってキリストにつながる道はたたれ
ました。このときから、教会がすべての人の霊の代わりを務めるようになっ
たのです。「霊を持たない以上、あなたは自分ひとりで神に近づくことはで
きない。だからあなたは教会に従属しなさい。教会があなたたちの神の仲介
役を務めてあげよう」カトリック教会は信徒たちにこう説きました。教会は、人
間から霊性を取り上げることによって、宗教的にも政治的にも人々の上に君
臨しようとしたのです。
こうしてシュタイナーの言葉をそのまま借りるならば、「人間と神の間に境界を
設け、人間の中に神が内在することを認めようとはせず、神と人間の間に深
淵をおこうとする」態度がカトリック教会を通じてヨーロッパ人の間に広ま
っていくことになりました。
432 :
、:2008/05/01(木) 19:49:26 ID:P4MmwHZh0
これにたいして本来のキリスト教の教義を現代にふさわしい形で復興させ
ようとするのが、シュタイナーの精神科学です。シュタイナーが唱えている、「霊・魂・
肉体」からなる人間の三分説や、カルマについての思想は、すべて初期のキリ
スト教において守られてきた教義と深いつながりを持っています。
シュタイナーは、15世紀以降の意識魂の目覚めを経験した人間が、自己意識に
基づく認識を基礎として「子」であるキリストとつながることが元も重要である、
と考えました。なぜなら20世紀の今、人間が唯物論の限界を脱して、人間
と霊との、人間と世界との正しい関係を取り戻さなくてはならない時代がや
ってきたからです。シュタイナーが現代にふさわしい形でよみがえらせようとした
初期キリスト教教義の核心とはどのようなものでしょうか。
子(キリスト)の衝動は、魂の中に受け入れられ、魂によって手を加えられ
なくてはなりません。子の衝動は、魂が肉体の力や遺伝の力から自由になる
ように、魂を拡大することができなくてはなりません。子の衝動は人間の自
由の中へと入り込んでいきます。―――初期キリスト教の時代の人々は自由をそ
のように理解していたのですーーー。子の衝動は魂の自由の中へと入り込み
ます。そこでは、魂は遺伝の力から自由になります。子の衝動こそが、人間
を魂的に生まれ変わらせるのです。子の衝動こそが、「父親によって与えら
れた人生を送る間に自分自身を手に入れる能力」を人間に与えるのです。こ
のようにして太古の秘儀において、人々は父なる人間と、父の息子であり、
キリストの兄弟である人間とを見ました。キリストの兄弟である息子は、自分自身を
手に入れ、ある意味において肉体から自由になったものを自分の中に受け入
れます。彼は自分自身の中に新しい領域を担わなくてはなりません。それは
自然とはなんのかかわりもありません。それは自然とは別の秩序を提示しま
す。すなわちそれは、精神の領域なのです。
433 :
、:2008/05/01(木) 19:51:10 ID:P4MmwHZh0
太古の秘儀においては、父なる神と人間の関係のみが強調されてきました。
たとえば旧約聖書に書かれた、古代ヘブライ民族の教義を読んでみてくださ
い。そこには父親から息子へと伝えられる、遺伝的な血の流れが強調されて
はいないでしょうか。そこでは肉体的なものとともに霊的な衝動も親から子
へと伝えられる、ということが自明なこととしてかかれてはいないでしょうか。
父についての教義に基づきながら、太古の人間は自然の現象の中に神の力
が働いているのを見いだしました。しかし、父についての教義のみを受け入
れる限り、人間は自然に従属し続けなければなりません。
もし、遺伝的な流れから自由になって、自ら霊的な世界に参入しようと思う
ならば、人間は子なるキリストに導かれなくてはなりません。
人間の霊は肉体には拘束されません。霊は生前からやってくるものであり、
父祖から受け継ぐものではないからです。霊とは、まさにその人個人の属す
るものでリ、親が遺伝的流れを通して与えるものではないからです。
人間が行為を通して霊を肉体にまでもたらすとき、生前の結果としてやって
くるカルマが入り込んできます。このとき人間は初めて個人としての自由を獲
得するための基盤を得るのです。
434 :
、:2008/05/01(木) 19:53:25 ID:P4MmwHZh0
人間は子であるキリストの教義を受け入れるとき、初めて遺伝の流れから自由
になり、真の自分自身を手に入れることができます。このとき人間は自らの
霊性に基づきながら人間は自由な存在として精神(霊)の猟奇に足を踏み入
れます。
ところが「魂・肉体」の2分説を唱えるカトリック教会は、「父」である神と人間
のつながりのみを強調します。そこでは、人間に自由をもたらす「子」とし
てのキリストの真の役割は覆い隠されています。この意味においてカトリック教
会はキリスト以前の古い信仰形態を復活させたということができるでしょう。
シュタイナーは教会のような宗教上の権威を認めません。シュタイナーは霊的な認識に基
づく自由な個人とキリストとのつながりだけが、未来の宗教の基盤になりうると
予見していたからです。
未来において任類の中で発達することになる自由な宗教はすべて、「単なる
理論ではなく、直接的な人生の実践において、ここの人間の中に実際に神性
の似姿が認められる」ということをよりどころとするのです。そうなると、
もはや宗教が強制されることもなくなります。もはや宗教を強制する必要も
なくなるのです、というのも、そのときには、それぞれの人間がほかの人間
と出会うということがすでに宗教的な儀式、秘儀となるからです。そのとき
にはだれも、物質界に外面的な機構を持つ特別な教会によって宗教上の生活
を整える必要がなくなります。人生全体が超感覚的表現となることによって、
教会が持ちうる唯一の目標はーーもし教会が自分自身を正しく理解するな
らばーー「教会それ自体を物質界で不要なものにすること」のみになるので
す。
435 :
、:2008/05/01(木) 19:56:06 ID:P4MmwHZh0
シュタイナーは、教会がキリスト教信仰の唯一のよりどころとなる時代はもはや終
わりつつあると考えました。なぜなら教会が守ろうとしているのは、真のキリ
スト教ではなく、「見かけのキリスト教Scheinchristentum」
にすぎないからなのです。ここで以上述べてきたローマカトリック教会成立
の歩みを表にしてまとめておきます。
カトリック教会の歩み
313年 ミラノ勅令――――――――ローマ帝国でキリスト教が公認される。
↓
325年 ニーケアの公会議―――アリウス派が異端とされ、アタナシウスの説が正
統なものと認められる。以後、これにしたがう教会をカトリックと呼ぶ
↓
333年 人間の語精魂が自我を受け入れるーー神的なものへの信頼がゆらぐ
↓
381コンスタンティノープルの公会議―――ニケーア公会議の確認
↓
476年 ローマ帝国滅亡
↓
7世紀 教皇権の確立―――教皇グレゴリウス一世が中世教会国家の基礎を作る
↓
8世紀 カトリック教会とフランク王権の協調関係
↓
869年コンスタンティノープルの公会議―――霊・魂・肉体の3分説否定
アタナシウスの教義が弱められる。
436 :
、:2008/05/01(木) 19:59:43 ID:P4MmwHZh0
キリストは太陽からやってきた神的存在である」という本来のキリスト教の教義
から離れていくとともに、カトリック教会は後にソラトが地上に影響を及ぼす
ための一つの基盤を提供することになります。
私たちは、次のことをますます深く、魂の前に描き出さなくてはなりません。
すなわち、反キリスト勢力がキリスト教と戦う際には、まさに、「キリスト教の本来の霊
性が太陽と結びついている」という事実と立ち向かうことが重要な意味を持
っていました。キリスト教の敵対者にとっては、「人間たちが霊的存在としての
太陽としての見解を完全に失い、物質的な存在としての太陽の見解のみを受
け取る」ということが最も重要でした。
カトリック教会はその機構が整うのと平行して、次第に「大要の守護神としての
キリスト」に関する教義を重視しなくなり、人々からキリストの真の姿を覆いかくす
ようになりました。
一方ソラトは西暦333年から更にさらに333年が経過した666年に、先
にお話したゴンディシャプールの学院を通じて唯物論的な思考方法の種を蒔き、反
キリスト勢力としてのイスラム主義が台頭するための基礎を築きました。
437 :
、:2008/05/01(木) 20:00:51 ID:P4MmwHZh0
黙示録の作者は断固とした方法で、人間を脅かしているものを内的に予見し
ました。すなわち、「キリスト教は二つの方向(カトリック教会とギリシア正教会)に向
かって、見掛けのキリスト教へと堕落するだろう。」より正確に言えば、「キリ
スト教は霧に包まれたキリスト教になるだろう。」と。このようにあふれる水のよ
うに「黙示録の作者に権威を与えるものは666という数字を通して表されて
います。666の年は霊的な世界においては意味深い年でした。つまりこの年
には、アラビア主義の中に、モハメッド主義の中に生きているものが、いたると
ころに姿を現すのです。黙示録の作者は、この666という年をきわめてはっ
きりと記しました。黙示録的に読むことのできる人はこのことを確かに理解
します。力強い言葉で666という数字を獣の数として言い表すとき、黙示録
の作者は、666年に侵入してくるものがどのように作用するか、ということ
を予見していたのです。
666年の時点で、すでに地上には新のキリスト教徒は相いれない、2つの
潮流が存在していました。ひとつは父の教義に基づく、古い信仰へと立ち戻
ったカトリック教会、もうひとつは、アラビア主義の代表される唯物論的な思考方法
です。カトリック教会は、869年のコンスタンティノープルの公会議以降、次第に父なる
神と人間の関係のみを強調するようになり、子であるキリストに関する教義を排
除するようになります。このときカトリック教会は父の教義のみを重視すること
で、アラビア起源の西欧世界に唯物論が広まるための準備を行ったといえます。
438 :
、:2008/05/01(木) 20:02:47 ID:P4MmwHZh0
なぜでしょうか。
先にお話したとおり、父なる神に関する太古の教義とは、自然の現象の中
に神の作用を見ようとするものでした。父の原理に基づく限り、人間は外な
る自然の中に働く力を探求することができます。目に見える現象の中に自然
の法則性を見出そうとする科学者の姿勢には、父なる神の教義と共通するも
のがあります。この場合、人間は父祖から遺伝的に受け継いだ肉体の中に拘
束されているのです。
宇宙の物質的な側面(目に見える自然現象、自然の法則) →遺伝的流れを強調する父なる神の教義→自然科学、唯物論(カトリック教会 イスラム教)
ダーウィン主義
宇宙の霊的な側面(目に見えない霊性、霊的な法則、カルマの法則)
→個人の霊性を強調する子なるキリストの教義 → 精神科学
(初期キリスト教 アタナシウス) シュタイナー
439 :
、:2008/05/01(木) 20:05:07 ID:P4MmwHZh0
宇宙の中には本来、自然の法則と霊的な法則の2つが働いています。しかし、
父の教義のみを信奉する限り、人間は自然現象以外のものに目を向けること
はできません。霊的な法則、カルマの法則は自然現象を支配している法則とは
全く別の基盤の元に成り立っています。このような霊的な法則を探求するた
めには、人間は、子なるキリストの教義を受け入れ、遺伝的流れから自由になっ
た個人として、霊的な世界に足を踏み入れなくてはなりません。
しかし父なる神のみを重視するカトリック教会の教義は、人間が自らの霊
性に基づきながら、自由な存在として霊的な世界を探求するための道を閉ざ
しました。
ご存知のようにイスラム教ではアラーの神と人間のつながりのみを強調し、
神の子としてのキリストの権威は一切認めません。カトリック教会とイスラム教は一
見、何の共通点もないように見えますが、父なる神の教義のみを説き、子な
るキリストの真の役割を覆い隠している、という点においては同じ基盤の上に立
っているということができるのです。カトリック教会の側の人間も、自然現象の
背後に神の力が働いていることは認めますが、自然の法則とは別の霊的な法
則が宇宙に働いているとは考えません。ですからカトリック教会の支配が最
高潮に達した中世において、ヨーロッパ世界がアラビアの自然科学を受け入れたこ
とには、何の不思議もないのです。父の教義のみを信奉する人々の関心が目
に煮える自然現象へ、物質的なものへと向かっていくことはきわめて自然な
なりゆきなのです。
440 :
、:2008/05/01(木) 20:07:11 ID:P4MmwHZh0
父なる神に関する教義から唯物論への流れ
333年に始まったキリスト教の堕落 666のゴンディシャプールの学院
カトリック教会の発展 イスラム教の成立
(父に関する教義) (父に関する教義)
↓
イスラムの哲学・自然科学
↓
ヨーロッパの自然科学の発達
↓
唯物論 ダーウィン主義
このようにカトリックの教義とアラビアから入り込んできた自然科学が結びつ
くことによって、19世紀にダーウィン主義が誕生するための基盤が形成されま
した。「人間は進化する動物に過ぎない」と説くダーウィンの進化論は、333
年ごろ始まったキリスト教会のカトリック化と、666年に準備されたアラビア主義
に端を発するのです。
獣の数である666が上昇することによって、人間は自らをもはや人間とし
てではなく、一種の高次の獣としてしか理解することができなくなった。」
―――ダーウィン主義の中には、まさにこのことが含まれていなかったでし
ょうか。キリスト教が父の教義の唯物論的な形態に浸透されるということの中に、
子なる神(キリスト)に対するアーリマン的な抵抗の力が作用しているのを、私たち
は見て取ることができないでしょうか。このような抵抗の力は私たちの時代
に至るまで、なお、作用し続けてはいないでしょうか。
441 :
、:2008/05/01(木) 20:09:59 ID:P4MmwHZh0
ソラトの最大の目的は、人間に自分は動物と同じ存在なのだ、と思わせるこ
とにあります。このようなソラト的思考方法はの最大の現れが先ほど触れたダー
ウィンの進化論なのです。そしてこのような思考方法は、現代に至るまでなお、
私たちに強い影響を及ぼし続けているのです。
傍ら、11世紀のヨーロッパに、初期キリスト教の教義を復活させ、それを宗教
のみならず経済、社会、政治の領域における運動へと展開させていった人々
が現れたのです。彼らは何者でしょうか。また、彼らの活躍を果たしてソラ
トは黙って見過ごしたでしょうか。
第一次十字軍の遠征が終わって間もない1119年、聖地エルサレムにおい
て新しい騎士団が組織されました。このときユーグ・ド・パイヤンのもとに集ま
った騎士たちは、キリスト教への熱い信仰を胸に抱きながら、修道会の規律
を守るだけでなく、更に巡礼を保護し、武器を取って聖地の守護にあたるこ
とを固く誓い合いました。。これが、歴史上名高いテンプル騎士団(聖堂騎士団)です。
はじめは少人数で組織されていたテンプル騎士団ですが、当時のヨーロッパ
社会の指導者ペルナールから保護を受け、教皇から数々の特権を与えられるとと
もに、次第にその規模を拡大していきます。またテンプル騎士団は、ヨーロッパか
ら近東にかけていくつもの根拠地を確保するようになると、当方の通貨を手
に入れたり、ヨーロッパから十字軍の兵士たちに送金する際の銀行の役目を
果たすようになりました。最盛期にはパリの本拠地タンプルはヨーロッパの金融界
の中心となり、テンプル騎士団は莫大な財源を得るまでになったのです。
442 :
、:2008/05/01(木) 20:11:37 ID:P4MmwHZh0
このように順調な発展を続けたテンプル騎士団ですしたが、1307年10
月13日の金曜日にフランス国内で、総長ジャック・ド・モレーをはじめとするすべて
のテンプル騎士団が突如逮捕され、宗教裁判にかけられた上、全員が刑死する
事になります。逮捕の理由は、テンプル騎士団が異端的行為や魔術を行った、
というものでした。
この事件をきっかけとして、テンプル騎士団は1312年の5月に正式に廃
止されます。以来、テンプル騎士団は背教的な集団というレッテルを貼られた
まま、歴史に汚名を残すことになりました。
現在でもヨーロッパでは、テンプル騎士団は魔術に手を染めたいかがわしい集団
だった、と思っている人が少なくありません。たとえばイギリスの児童文学
者ネズビットの童話のなかでは、子供が次のように語ります。
「魔法ごっこしてもいいじゃない。テンプル騎士団になりましょうよ。あの人
たちよく魔法を使ったのよ。呪文を唱えたり、山芋とガチョウを使って何かや
ったってお父さんがいってたわ(「火の鳥と魔法のじゅうたん」より)
このような童話の一説を読むだけで、ヨーロッパでは、テンプル騎士団が魔術を
行っていた、という話が広く知られていることがわかります。しかもテンプル
騎士団の汚名は大人ばかりではなく、子供の間にまで浸透しているのです。
443 :
、:2008/05/01(木) 20:13:50 ID:P4MmwHZh0
ところが近年、歴史家の間では、テンプル騎士団は冤罪を着せられたまま滅
ぼされたのではないか、という説が有力になりつつあります。当時のフランス国
王フィリップ4世は異常なまでに黄金に執着した人物でした。どうやらフィリップ4
世はテンプル騎士団の莫大な富を手に入れるために、騎士団そのものを滅ぼし
た、というのが事件の真相のようです。またテンプル騎士団と魔術の関係に関
しても、このときの宗教裁判がどれだけ公正なものであったか、疑問視する
歴史家は少なくありません。当時の宗教裁判では、容疑者は拷問による自白
を強制されるのが常でした。捕らえられたテンプル騎士団の団員たちは拷問に
よって、自分たちが悪魔を崇拝しているという、偽りの自白を強要された可
能性が高いのです。テンプル騎士団の宗教裁判に関しては、カトリック教会の
関係者も関与していたのではないか、とする説もあります。現代に至っても
なお、テンプル騎士団は解明されない多くなのぞを残したままなのです。
シュタイナーは、早くから、テンプル騎士団事件の精神科学的意味について注目してきました。
たとえばシュタイナーは1916年の「人類の内的な進化の衝動 ゲーテと19
世紀の危機」という連続講義の中で、テンプル騎士団の霊的な役割について言
及しています。シュタイナーは時の権力者の行動に注目するだけでなく、さらにテン
プル騎士団が壊滅するように背後から操っていた霊的な力に目を向けます。
なぜなら精神科学的に見るとテンプル騎士団の責任者そのものを糾弾すること
よりも、この事件にかかわった人々を内面から突き動かしていた霊的な衝動
を解明するこのとほうがはるかに意義があるからです。このようなテンプル騎
士団についての考察は、今回の黙示録講義において、さらにいっそう深めら
れます。なぜならテンプル騎士団事件は、第二の666の年と密接なつながり
を持っているからです。
444 :
本当にあった怖い名無し:2008/05/03(土) 01:35:09 ID:qz/h4L/J0
>>410 >知らず知らずのう
>ちに人間の内面は荒れ果て、人々は他者に対する友愛の気持ちをなくしてい
>きます。そこにソラトにつけ込まれる隙ができるわけです。
友愛という表現、翻訳は適切なのでしょうか?
>>1 【追儺】胡錦濤の日本接近阻止祈願スレ2【退去】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1209634194/ 皆さんの尊き祈願を一日一つでも二つでも書いてください。塵も積もれば山となります。
この国を護りましょう。どうか一度だけでも良いので貴方の国を護りたい思いをこのスレに
打ち込んでください。5月5日までに20スレ完成で願いは実現します。世界中の人達が
中国の横暴に対して怒りに燃えているので我々日本人は先駆けてその怨念の通る道筋を
神仏に祈願するだけで良いのです。神風は吹きます。雷も落ちます。天変地異、災い
何でもありで天にお任せしながら祈りを捧げてマコトを形にしましょう。
尊き1票を!尊き1レス祈願をお願いします。
中国はチベットと同様な侵略を政治的威圧で行って来ています。今、阻止しないと
日本の数年後は悲惨です。真剣に気が付いてください。この日本の危機を!
446 :
、:2008/05/04(日) 07:44:07 ID:nIorFx9J0
当時この騎士団が1312年に滅亡するまでは、
そしてジャック・ド・モレー(1295年よりテンプル騎士団の総長を務めた人物)が1314
年に死ぬまでは、心安らかに過ごすことができなかった人々がいました。こ
のような人々の心と魂の中に(つまり宇宙的なキリストの、宇宙のかなたまで目
を向けようとするキリストの敵対者であった人々の心の中に)ソラトは再びよみが
えったのです。そしてまさにテンプル騎士団の全員を殺すために、ソラトは、
少なからぬ部分において、当時のローマ教会の意向を利用しました
テンプル騎士団が逮捕され、裁判にかけられたとき、その敵対者の中に入り込
んでいたものこそ、ソラトだったのです。ソラトは当時のフランス王国ばかりで
はなく、ローマ教会にまで影響を及ぼし。テンプル騎士団を滅ぼすように仕向
けました。
それだけではありません。
シュタイナーによれば、このときソラトは拷問にかけられた団員たちに憑依し
テンプル騎士団について偽りの自白をさせたのです。
ソラトの作用を受けた結果、テンプル騎士団の団員は自分たちの行いについて誹謗し
ました。そのため人々は、テンプル騎士団の団員自身の口から出たものに対して、正
当な告発をすることができたのです。このとき人々の前に、恐るべき光景が繰り広
げられました。すなわち、まったく別のもの(太陽存在としてのキリスト教に関する教
義)を信じていた人々が、拷問にかけられている間はそれについて話すことができ
ず、むしろソラトの軍団からやってくるさまざまな霊達が、彼らの口を通して語っ
たのです。つまり、テンプル騎士団に属する人間の口から、この騎士団そのものにつ
いて、きわめて不名誉な事柄が語られることになったのです。
447 :
、:2008/05/04(日) 07:46:30 ID:nIorFx9J0
拷問にかけられたテンプル騎士団の団員たちは、騎士団そのものを誹謗するよ
うなことを語りました。そのため、当時の人々は、それを動かぬ証拠と決め
付けていたわけですが、このときすでにテンプル騎士たちはソラトによって内面を
支配されていました。テンプル騎士の口を借りて騎士団と魔術の関係について
嘘の自白をしたのはソラトだったのです。ソラトは、テンプル騎士団の中にまで入り
込み、この騎士団を内面から滅ぼそうとしたのです。
なぜならソラトはこれほどまでにテンプル騎士団に攻撃を加え泣けてはならな
かったのでしょうか。その最大の理由はテンプル騎士団の教義にあります。
すでにお話したとおり、初期のキリスト教では「キリストは太陽の守護神であ
る」という教義が守られていましたが、カトリック教会が強大になるにつれ
て、このような教義は異端として退けられるようになりました。そして父な
る神と人間のつながりのみを重視するような教義が、キリスト教世界を支配
するようにうなったのです。
そのようななかで、テンプル騎士団は、中世のキリスト教世界で忘れつつあ
った、キリストに関する正しい教義をもう一度復活させようとしたのです。
448 :
、:2008/05/04(日) 07:47:25 ID:nIorFx9J0
このとき深い魂のそこから駆り立てられながら(というよりは、むしろ東洋
的なものによって駆り立てられながら)テンプル騎士団がヨーロッパに、太陽につ
いてのキリスト教的な見解を打ちたてようとしました。そのキリスト教的な見解とは、
再び太陽存在としての、宇宙的存在としてのキリストを仰ぎ見ようとするもので
した。テンプル騎士団はこのような見解に基づきながら、惑星や星の霊性につ
いてある知識を獲得していました。その見解は「ある惑星の存在たちだけで
はなく、お互い遠くはなれた惑星に属する知的存在たちが、世界の出来事の
中でどのように共同作業を行うか」ということを知っていました。また彼ら
は、太陽の悪魔であるソラトのような反抗的な存在たちによって生じる、強
力な抵抗についてもあることがらを知っていました。すなわちソラトは私た
ちの太陽系の中でも、もっとも強大な悪魔のひとつであり、それは基本的に
は、人間の唯物論の中で働く太陽の悪魔的な力なのです。
テンプル騎士団の団員たちはキリストの敵対者であるソラトの存在を知っていまし
た。だからこそ彼らは、宇宙存在としてのキリストについての教義を新たによみ
がえらせることによって、人類を唯物論へと向かわせようとするソラトの力
に対抗しようとしたのです。
ソラトとしてはテンプル騎士団を攻撃しないわけには行きませんでした。な
ぜならば、テンプル騎士団の力が強まり、地上に影響力を及ぼすことになれば、
ソラトにとっては、はなはだ都合が悪い事態となるからです。もしテンプル騎
士団が壊滅することなく、その後も成長を続けていったならは、真のキリストの
霊性に貫かれた社会が地上に誕生したかもしれません。そうなれば、その後
の唯物論的な世界観の拡大は未然に食い止められることになったかもしれ
ないのです。
449 :
、:2008/05/04(日) 07:48:54 ID:nIorFx9J0
このように見ていくと、十字軍の時代にテンプル騎士団とソラトの間で繰り
広げられたものは、まさに霊的な戦いであったことがわかります。結果とし
ては、テンプル騎士団はソラトの前に敗退し、太陽の守護神としてのキリストに関
する教義は再び歴史の背後へと姿を消すことになります。このようなテンプル
騎士団の壊滅こそが、、第二の666の現れにほかなりません。
1312年のテンプル騎士団事件は、二度目の666の年、1332年にそ
なえてソラトが行った強い働きかけの現れなのです。テンプル騎士団の崩壊後、
ヨーロッパの歴史は次第に唯物論化の傾向を強めていくことになります。
アラビア科学とともに唯物論的な世界観がヨーロッパに入り込み、今日のような
化学文明の基礎が準備されていくのです。
このように「第一の666」の年と「第二の666」の都市に起こった出来
事はに目を向けてみると、ソラト自身は決して歴史の表面には直接姿を現さな
いことがわかります。第一の666の年に備えたゴンディシャプールの学院創設に
しても、第二の666の年にを前にしたテンプル騎士団の崩壊にしても、どち
らも歴史上の出来事としては比較的地味な部類に属するといえます。しかし、
精神科学的に見ると、その影響力は実に絶大なものです。
ソラトは常に人間の内面に働きかけます。ソラトは目に見えないにもかか
わらず、後の人類の歴史に非常に大きな影響を与えることになるような作用
を及ぼすのです。このことは、来るべき「第3の666」の年について考察
する際にも、重要な手がかりを与えてくれます。私たちはともすれば、人目
を引く、センセーショナルな出来事にばかり注目しがちですが、精神科学の立場から
歴史上の出来事を観察しようと思うならば、その後の人類の精神のあり方を
決定付けるような、どんな些細な事件も見逃してはならないのです。
450 :
、:2008/05/04(日) 08:24:33 ID:nIorFx9J0
以上、シュタイナーの大予言2より、、、。
以下、コリンウィルソンの著作の記述より、、、。
451 :
、:2008/05/04(日) 08:26:27 ID:nIorFx9J0
ロマスとナイトは、セクエンエラ殺害(ツタンカーメン)の動機となったエジプトの儀式がエッセネ派の秘密の
ひとつであるという説得力のある証拠を示す。この秘密はイエスの死後、イェルサレム神殿の
地下に隠匿されたー―そういえばイエスの物語においても、復活は中心的役割を果たしている。
この秘密を守っていたエッセネ派は、ティトゥスによって殲滅され、神殿は破壊される。
ロマスによれば、フリーメーソンリーには、「紀元70年のナザレ派の殲滅と、このときフリーメーソンリーの
始祖たちがイェルサレムを去り、ヨーロッパ各地に散った流れを語るものがある。」という。ま
た、ロマスによれば、この生き残りたちは、「ダヴィデとアロンの2つのメシアの血統を保存して
いると信じていた。そしていつの日か彼らが到来し、地上に神の王国を打ち立てることを」。
マンダヤ教徒(エッセネ派関係)からペテン師と見なされたイエスは、聖パウロによって神とさ
れた。そしてコンシタンティヌスが、崩壊しつつあった帝国を束ねるためにキリスト教を利用
したとき、イエスの復活はキリスト教会が超自然的な権威を持つことを示すもっとも強力な根拠と
なった。
452 :
、:2008/05/04(日) 09:01:55 ID:nIorFx9J0
1307年にテンプル騎士団のほとんどを壊滅させたのは、まさにこの権威だった。だが騎
士団の艦隊は脱出し、一部はアメリカに、そのほかはスコットランドに向かった。そこにはテンプル騎士
団の最盛期である1140年に、キルウィニングという修道院が作られていた。それはグラスゴーの
すぐ南で、テンプル騎士団の中枢基地だった。当然ここは避難所となっただろう。特に、さほ
ど遠くないロスロリンにはセント=クレア家がいたのだ。スコットランド王ロバート・ザ・ブルースは教皇から破門
されていたので、テンプル騎士団はスコットランドで恐れるものは何一つなかった。
「ヒラムの鍵」で提唱された主要な仮説のひとつは、ロスロリン礼拝堂がヘロデの神殿の複製とし
て造られた、というものだ(驚くべきことだが、ヘロデの神殿というものは小教区の境界ほ
どの大きさしかなかったのだ)。その目的はテンプル騎士団の最も重要な「財宝」である貴重
な文書を収蔵することである。彼らによれば、ロスロリンの未完成の外壁は、単にその時点で工
事が中断したかのように見えるが、実際にはそれはヘロデが再建したソロモン神殿の未完
成の壁を模したものなのだという。
ではこの神殿を立てた男、ヒラム・アビフはどうなったのか?ロマスとナイトによるヒラム・アビフに関
する説を読んでいて、私は、別の興味深いつながりに気づいた。すでに述べたように、ヒラム・
アビフはテュロスの出身だ。レバノンに行く途中でテュロスに行ったことがある私は、それがフェニキア人の
都だということを知っている。フェニキア人はヤハウェの信徒ではない。なぜソロモンはフェニキア人の
建築を望んだのだろうか?
453 :
、:2008/05/04(日) 09:04:05 ID:nIorFx9J0
とはいうものの、奇妙な話ではある。フェニキア人の主神はバアルもしくはベルであり、旧約聖
書の著者たちはこの神をひどく嫌っていた。またフェニキア人の主要な女神はアスタルテで、またアシュ
レト、イシュタールなどと呼ばれる。
マイケル・ベイジェントとリチャード・リーの『神殿とロッジ』(1989では)驚くべき主張が展開され
ている。「現代の考古学的調査の結果、ソロモンの神殿は,,,,フェニキア人の神殿と明瞭な類似が見
られた。、、、、、さらに考えを一歩進めてみよう。テュロスの神殿は、フェニキア人の母神アスタルテのため
に建てられたものだ、、、、、丘や山にはーーたとえばヘルモン山には――
彼女の聖堂がたくさんある」。そして彼らによればソロモン王もまた「聖なる高台で生贄をささ
げ、香をたいていた」。
ロマスとナイトによれば、ソロモンの宗教は、厳密な政党ユダヤ教ではなかったという。
老境に達したとき、「彼の妻たちは、王の心を迷わせ、ほかの神々に向かわせた、、、、ソロモン
は、シドン人の女神アシュトレト、、、に従った。彼らはまた有名なソロモンの雅歌はアスタルテへの賛歌だ
と述べている。
それから彼らは、驚くべき問いを投げかけるー−「(この神殿)が献じられたのはイスラエル
の神か、それともアスタルテなのか?」。この問いは、一見どうでもよいかのように見えるかも
しれない。だが、アスタルテは、ギリシア人には、アフロディテ、つまり、愛の女神として知られていた
のであるー―媚薬(アフロディシアック)という言葉は、彼女の名に由来する。同様に、ローマ人には
ウェヌスであった。つまり、ソロモンの神殿を作った人物は金星の崇拝者であり、その雇い主もそ
の傾向があった。この異教の女神は、古代の儀礼を巡るこの奇妙な物語の次の章の鍵とな
る。金星は愛の女神であるのみならず、また魔術の女神でもある。その理由は、その軌道
の奇妙な性質にある。それはほかのすべての惑星と異なっているのだ。
454 :
、:2008/05/04(日) 09:06:13 ID:nIorFx9J0
今、地球が太陽系の中心であると想像して見よう(古代人はそう信じていたわけだが)。
すると当然ながら各惑星は太陽によって「蝕」とされる瞬間がある。太陽がその惑星と地
球の間に入ったときだ。たとえば水星は年に3回蝕になる。そして天にあるこの3つの点
を線で結ぶと、歪んだ3角形となる。火星の蝕は4回で、その形はゆがんだ三角形だ。実
際、すべての惑星はゆがんだ形を作るー―だが金星だけは例外だ。金星は、完璧な五角形
を描くのだ。
そして5角形の内部に5つの頂点を持つ星型を描くと、それは、歴史上のあらゆる魔術
師が親しんできた図形となる。5角星形だ。それは、しばしば人間を象徴するとされる。
なぜならそれは2本の腕、2本の脚、そして頭に見えるからだ。ダ・ヴィンチの有名な素描「ウ
ィトルーウィウス的人体」は、5角星形の形に手足を広げた人間の姿だ。
金星はまた、世界最古の宗教、自然崇拝を主宰する女神でもある。これはテュロスで行われ
ていた宗教であり、ソロモン王もまたその不肖の信徒だった。かの2人のメーソンによれば、ソロモンの神殿は金星の崇拝者、テュロスのヒラムによって建てられた。
テンプル騎士団を創った9人の騎士たちは間違えなくキリスト教徒であり、金星の崇拝者で
はなかった。だがその後の歴史、そして最終的な騎士団の瓦解を見ると、彼らが聖パウルの
言う救世主の教え、すなわちニカイエ信経のキリスト教の信者ではなかったことは確かだ。彼らは、
<天上のイェルサレム>を描いた無名の画家と同じ宗教を信仰していた。
455 :
、:2008/05/04(日) 09:07:18 ID:nIorFx9J0
1446年にウィリアム・セント・クレアがロスロリンを建立するまで存在しなかった言葉をあえて使うなら、彼らはフリーメーソンだったのだ。
だが彼らは何者なのか?いったい誰からこれらの古代の宗教を受け継いだのか?
この問いに対する驚くべき回答が提示されたのが1982年、リチャード・リー、マイケル・ベイジ
ェント、そしてヘンリー・リンカーンの書いた「聖なる血脈と聖杯」(レンヌ=ル=シャトーの謎)という本であ
った。リーとベイジェントはその本の扉にデカデカと名前を書かれているが、最初にこの本に
出くわしたのは第3の男、ヘンリー・リンカーンである。
物語の主人公は、ある村の司祭ベランジェ・ソニエール。その教区はピレネーの北、ラングドッグにあ
った。彼はきわめて貧しかったーー年収は英貨にして6ポンドほど。これで彼は自身と家
政婦を雇っていた。その名は、レンヌ=ル=シャトー。
一通りは先ずキリスト教問題は詰めましょう、、、、。
457 :
、:2008/05/04(日) 19:43:33 ID:nIorFx9J0
ロマスとナイトによればフリーメーソンリーは紀元前7600年の大洪水にまでさかのぼる知識を伝承
している。これは、巨大な天体の衝突によるもので、それは、「エノク書」にあるように「7
つの燃える山」となって落下した。
紀元前15390年ごろ、ファラオ・セクエンエラはヒクソスのファラオであるアポピの雇った3人の男に殺
害された。アポピは、ファラオを神に変容させる儀式を聞き出そうとしたのだ。だが、彼らは失
敗し、新たなファラオであるセクエンエラの息子が、叛乱を率いてヒクソスをエジプトから追放した。紀元
前1522年のことだ。彼の父を殺したのは恐らくへブル人だ。だが6世紀後、この話は、
換骨奪胎され、殺されたのはソロモン神殿をつくったテュロスの職人ヒラム・アビフということになった。
ソロモンは、フェニキア人の妻の誰かによってヤハウェ信仰から迷い、近世の女神の一人である、アス
タルテにささげものをした。彼の神殿はアスタルテの神殿に倣って造られた.
紀元前587年、ユダヤ人はネプカドネザル王によってバビロンに捕囚され、50年後に
ようやく帰国を許された。囚人の間、彼らは、メシアすなわち「油注がれたる王」を夢見てい
た。それは彼らを勝利に導き、地上に神の大国を樹立するものだ。彼らは、神殿を再建し
たゼルバベルがメシアを宣言することを望んでいたが、彼にはそのような野心はなかった。
ばれ区さんだー大王が彼らの主人になると、多くのものは彼らはメシアだとのぞんだ。だが、
セレウコス朝-―アレクサンダー大王の後継者――の王の一人が神殿にゼウス像を立てると、それが原因
でユダス・マカバイオスの乱が起こった。以後、彼の家系が世襲の祭司となった。
458 :
、:2008/05/04(日) 19:44:49 ID:nIorFx9J0
これに嫌気がさした保守派のエッセネ派はクムランの荒野に移住し、そこで禁欲的な生活
を送った。彼らの指導者は、(義の教師)と呼ばれ、奇跡を起こし、メシアを自称し、処刑さ
れた。イエスの到来より一世紀ほど前のことだ。この教師とイエスの類似ははなはだしく、研究
かG・R・Sミードは「イエスは紀元前100年に生きていたのか?」という本を書いた。
イエス自身は、4人の兄弟と2人もしくは、それ以上の姉妹の長男で、父親のヨセフはファリ
サイ派だった。ファリサイ派というのはユダヤ教の一派で、律法の厳守を主張する。イエスは
この宗教を不毛と感じて背を向けた。彼の徒兄弟である洗礼者ヨハネは、ゼガリアという
祭司の息子で、ゼガリアはアビア派の出身だった。(アビヤ派はアロンの子孫)
かなり早い段階で、ヨハネは荒野に出た。-−彼が生まれたときすでに両親は年老いてい
たので、彼は、幼くして孤児となったらしい。エッセネ派は孤児を受け入れていたのでー
−彼らは純潔を守っていたので、そうする以外に人口を維持することができなかったのだ。
-―「荒野」というのはクムランのことらしい。エッセネ派の中に徒兄弟がいたということが、
イエスと弟のヤコブが、エッセネ派に入った理由かもしれない。
イエスが処刑されたのは、ローマ人をユダヤから追放しようとする氾濫を率いたからだ。ヘロデ王
は、親ローマであるだけでなく、「ヘロデ派」と呼ばれる裕福なユダヤ人集団の支持を受けてい
た。彼らはローマの支配に満足していた人々だ。つまりイエスは、前門のトラに後門の狼という
状況で、危険な賭けに出たことになる。だが、彼がもくろんだ反乱は起こらず、イエスは有罪
とされ磔刑に処せられた。
459 :
、:2008/05/04(日) 19:46:02 ID:nIorFx9J0
とは言うものの、磔刑はわれわれが思うほど苦しい試練ではなかった。最悪の重罪人以
外では、十字架に釘で打たれるということはなく、手首と足首を縄で縛られるだけだった
のだ。さらに磔刑に処せられた人間は通常、死ぬまで何日も十字架に放置されたのに対し
て、イエスがそこにいたのは、たった6時間だった。なぜなら、その翌日が過越祭-−安息日―
―であり、過越祭を十字架ですごすことは立法で禁じられていたからである。
そこでサンヘドリン――ユダヤの最高法院-−の一員である裕福な人物がピラトに願い出てイエスの身体
をおろす許可を得た。彼はイエスの死に深く感動し、彼を近くにあった自分自身の墓に入れた。
イエスは、墓に入れられたが、アリマタヤノヨセフは、彼を公然と支援したとして数年間投獄された。
新約学者のバーバラ・シーリング(1992イエスのミステリー)によれば、イエスはその後、海面に含まれ
その後、もしもリンカーン、ベイジェント、リーが正しいなら、イエスは地中海を渡って恐らくマルセイユに
いき、そこで宣教を続けた。バーバラ、シーリングによれば、彼は、最後にローマに行き、紀元64
よりあとのいつかに死んだ。恐らく71にはなっていたはずだ。
460 :
、:2008/05/04(日) 19:47:10 ID:nIorFx9J0
そんなわけで、イエスが十字架で死んだという伝承は、アイレダ地方(後のレンヌ=ル=シャトー)で
は決して受け入れられることがなかった。なぜなら彼はその地で後半生を過ごしたからだ。
だが、もしそうなら、なぜ南フランスにはマグダラのマリアに関する伝承は根強くあるのに、イエ
スに関するものはあまりないのだろうか?たぶん、ヘロデ王もまたカリグラによってガリアに追放
され、69年にそこで死んだからであろう。逃亡者にとっては、あまり世間の耳目に集め
るのは得策ではない。
すでに見たように、ピーター・ブレイクはイエスとマグダラのマリアの墓が並んでいるんもを発見し、
その位置はブッサンの絵に暗号化されていると考えている。
もしそうなら、「王といえども彼から手に入れることはきわめて困難」な秘密とは、この
ことだろう。ことにルイ14世は偽りの王朝の王なのだから。
次の謎は、メロヴィング王朝に関するものだ。ヘンリーリンカーンが研究を開始したころ、その詳細は
謎に包まれていた。キリスト教会がたゆまぬ努力で記録を検閲していたからだ。わかっている
のは、それがフランク族の王メローヴィス(メロヴィウス)にょって開始されたもので、彼は448年に
戴冠したことだ。つまり彼はアーサー王と同時代人らしい。彼の王国はフランスの大部分を含
み、南はマルセイユから北はアルデンヌまでに及んでいた。
461 :
、:2008/05/04(日) 19:48:11 ID:nIorFx9J0
ヘンリー・リンカーンとリチャード・リーは、この人物の出生を物語る伝説に関する洞察に基づいて、『聖
なる血脈と聖杯』を書いた。つまり、メローヴィスの母親を孕ませた魚とは、キリスト教の教祖をさ
しているのではないか?初期キリスト教においては魚はイエスのシンボルとされていたのだ。ま
たリンカーンは、メロヴィング王朝の王はオカルトの達人であって、しばしば「呪術師の王」と呼ばれて
いるという伝承を引用する。だからこそ、彼らは天然の5角星型は位置を持つレンヌ=ル=シャトー
地域を重視したのだ。
リンカーンによれば、メローヴィスの息子であるヒルデリヒ一世の墓が、1653年にアルデンヌで発見さ
れた。そこには莫大な財宝もあったのだが、中には明らかに呪具と見られるものも数多く
あったー―水晶球、馬の頭、黄金の牛の頭像などだ。さらに、純金の蜂が300個も見つ
かった。奇妙なことにナポレオンは戴冠式の衣装にこの鉢を縫い付けさせた。彼がメロヴィング家
に関心を持っていたことは、その王朝の家計図を作らせたことにも示されている。この家
計図は後に国立図書館に委託された文書に含まれることになる。
メロヴィング家を巡る神話のひとつに彼らがギリシア神話のアルカディア出身だとするもの
があるー―恐らく『アルカディアの牧童』の墓の命はそれゆえだろう。
462 :
、:2008/05/04(日) 19:49:14 ID:nIorFx9J0
その後、メロヴィング家からきているゴドフロウ・ド・ブイヨンは第一回十字軍を率い、そ
の死後は弟であるボードゥワン一世が(シオンの僧院)のメンバーに例の厩舎に移る許可を得た
彼らは、そこで探していたものを発見した。――エッセネ派が神殿に隠匿した巻物だ。そこに
は、メーソンリーのシンボルを満載した。(天井のイェルサレム)もあった。これらはフランスに持ち帰られ、
カタリ派の領地の只中にあるベズの城に安置された(リンカーンによれば、カタリ派を折伏しよう
としてこの地方に行った聖ペルナールは、この異端よりも自らの教会の腐敗に唖然とし、異端
者たちの倫理的純粋を褒め称えた)。
テンプル騎士団がフィリップ端麗王に捕らえられたとき、彼らの艦隊はこの文書をつんで出航し、
ロスリンにたどり着いた。だが(僧院)のほうはバル伯エドワールの下で存続した。フリーメーソンリーは1
640年に公然たる結社となった。これに先だって、薔薇十字団の奇妙な事件があった。
1614年、薔薇十字団の『友愛団の名声』と呼ばれるパンフレットが発刊され、全ヨーロッパにセン
セーションを巻き起こした。それは15世紀の神秘家・魔術師であるクリスチァン・ローゼン・クロイツの伝
記と証するもので、彼は106まで生き、その死体はその後120年間、謎の墓にーー腐
敗もせずに----保管されているという。さらにこのパンフレットは、これに興味を持つ人々に友愛
団の加入を呼びかけ、その意思を(口頭もしくは文書で)表明しさえすれば、その者は「接
触」を受けると述べている。参加表明をするものは数百名に上がった――だが知られてい
る限り、「接触」を受けたものは誰もいない。
463 :
、:2008/05/04(日) 19:50:22 ID:nIorFx9J0
『名声』に続いて、更に二つの「薔薇十字」文書が世に出た。『宣言』(1615年)と、
大部の著作である『科学の結婚』(1616)だ。これらによって、薔薇十字団に対する熱
狂はさらに高まった。その著作はプロテスタントの神学者ヨハン・ヴァレンティン・アンドレイエであるとさ
れている。彼は「化学の結婚」の著者である可能性が最も高いが、ほかの二つに関しては
否定している。彼は理想に燃える若者で、新たな霊的運動を開始しようと熱望していたよ
うだー−当時の多くの人々と同様、今こそ新たな始まりのときと考えたのである。そして
重要なことに、彼は(秘密文書)において、(シオン修道院)の総長の一人と名指しされている。
最後に、スコットランドとイングランドで、自らをフリーメーソンリーと称する結社が1640年ごろに誕生
した。カトリック教会はこれを憎んだが、初期のころは、――特にスコットランドでは――プロテスタントと
ともに多くのカトリック信者がこれに加入していた。
すべてが明らかになったのは第二次世界大戦後、ピエールプランタールの下で、(シオン修道院)が
公に出ることを決断したときだ。その最大の成功はヘンリー・リンカーンがジェラール・ド・セードの
本を発見し、BBCにドキュメンタリーを作らせたことだった。
464 :
、:2008/05/04(日) 19:51:11 ID:nIorFx9J0
その結果として世に出た『聖なる血脈と聖杯』は世界的なベストセラーとなった。
とはいうものの、それは依然として、メロヴィング家の歴史に興味を抱いた共用ある少数者
の範囲内に留まっていた。それが2003年になって、(シオンの僧院)を扱うダン・ブラウンの
小説『ダ・ヴィンチ・コード』が空前の大成功を収め、イエスとテンプル騎士団の歴史を何千万という
読者に提示したのだ。それは恐らく、マルティン・ルター以来、最も広く読まれたカトリックへの攻撃文
書だろう。だがブラウンはどうやら、ソニエールとレンヌ=ル=シャトーをいれると話がややこしくなり過ぎ
ると考えたらしく、ソニエールの名は開巻後数ページで殺されてしまうルーブル館長の名前として
採用されただけだ。そしてそれは、本稿執筆時点において、キリスト教の歴史をめぐるこの奇
妙な物語の最新のエピソードである。
465 :
、:2008/05/04(日) 19:52:24 ID:nIorFx9J0
、、、、、、、、、、、、、。
466 :
、:2008/05/07(水) 05:45:09 ID:2uoE7qH10
,
ヘミシンクってゴンディシャプールの知識かな?
468 :
本当にあった怖い名無し:2008/05/08(木) 14:55:08 ID:hVleHZNc0
テンプル騎士団が壊滅しなかったら世界はもっとマシだったんですねw
469 :
本当にあった怖い名無し:2008/05/08(木) 23:21:07 ID:kKHDvo0mO
キリストって海に含まれたんかぬ?(´・ω・`)
きっとキリストはナトリウムかなんかでできてたんだぬ!(`・ω・´)
470 :
、:2008/05/09(金) 22:26:41 ID:hDoSbob/0
、
471 :
、:2008/05/11(日) 20:36:29 ID:ma3qvAT60
,
472 :
、:2008/05/13(火) 10:21:11 ID:Hg20klVu0
,
473 :
、:2008/05/15(木) 21:01:34 ID:wvrXOEqk0
,
474 :
、:2008/05/15(木) 21:03:17 ID:DNe1gEL70
、
475 :
、:2008/05/17(土) 07:38:39 ID:UsvE5/YD0
,
476 :
、:2008/05/17(土) 08:53:20 ID:0aBgD8GB0
,
477 :
、:2008/05/19(月) 17:58:11 ID:+aEeRN1a0
,
478 :
、ミジンコ:2008/05/21(水) 19:46:12 ID:tb7DZ85D0
以下の文は、初めは、このスレで残りは、異常心理スレにまわします、、、。
何故かと言うと少しおかしいのは明らかだからです、、、。、、、色々な意味で、、、。
タイミングも、出版と在庫も、教祖の由来も、発想と意図も、、、。とりわけメンヘラを殺していると言う事です。
すでに見てきたように、黙示録にソラトの数字として登場する666という数字
は、、歴史の年号の上に、繰り返し現れることになります。第一の666はゴンデ
ィシャプールの学院創設とイスラム主義の発達、第二の666は、1332年に備えての
テンプル騎士団の壊滅として、歴史上に現れました。そして第三の666こそ、
666×3=1998
目前に迫りつつある、1998年にほかなりません。
私たちは現在、第三の666の時代、すなわち1998年を目前にしています。こ
の世紀の終わりに私たちは、ソラトが再び進化の流れの中から最も強く頭をもたげ
ることになる時点に到達します。エーテル化したキリストが可視的になることによって、
そのために必要な準備のできた人々は、すぐに20世紀の前半にキリストを見るよう
になります。しかしこの第三の666の時点において、ソラトは人々がキリストを見るの
を妨害することでしょう。
479 :
、:2008/05/21(水) 19:48:32 ID:tb7DZ85D0
いま、私たちは、第三の666の年である、1998年を目前にしています。
シュタイナーによれば、1879年から大天使ミカエルが地上を支配する「ミカエルの時代」が始まり
ました。大天使とは天使の上に位置するヒエラルキー存在であり、その役目は地球進化の特定の
時代に衝動をもたらすことにあります。時代を支配する大天使はオリフィエル、アナエル、ツァハリエル、
ラファエル、サマエル、ガブリエル、ミカエルの7柱で、それぞれ約2000年ごとに人類の文明に作用を
及ぼすのです。
大天使ミカエルの性格とはどのようなものなのでしょうか。
大天使ミカエルはもっぱら人類の精神的な特性や精神文化に関与します。ミカエルは精神的に優
れた文化をすべての民族に広めようとする、コスモポリタン的な衝動を人類にもたらします。ま
たミカエルは、人間の知性によって、理念と思考で理解できるような霊性を人類に与えます。
ミカエルは何よりも、人間が霊的な啓示を自分自身の理念を用いて洞察することを望んでいる
のす。
すでに第4章でお話したように、太陽系の星にはさまざまな霊的存在たちが住んでいま
す。大天使ミカエルは太陽に住む知的存在です。ミカエルは太陽光線を通して、霊感に満ちた知性
を地球に届けます。ミカエルは太陽から宇宙的な知性を人類に贈り物として与える存在なのです。
すでに第4章でお話したように、太陽系の星にはさまざまな霊的存在たちが住んでいま
す。大天使ミカエルは太陽に住む知的存在です。ミカエルは太陽光線を通して、霊感に満ちた知性
を地球に届けます。ミカエルは太陽から宇宙的な知性を人類に贈り物として与える存在なのです。
テンプル騎士団の教義にも含まれていたとおり、太陽にはミカエルばかりではなく、キリストという
神的な存在もすんでいます。キリストもまた、ミカエルと同じように太陽の光を通して神的な恵み
を人間の中に送り届けます。ミカエルは、太陽の守護神であるキリストに仕え、キリストを手助けする
という重要な役目になっているのです。
480 :
、:2008/05/21(水) 19:50:01 ID:tb7DZ85D0
現在ソラトは、ミカエルがミカエルが霊的な衝動を人類のもたらすのを妨害するのを狙っています。
ミカエルが知的なものと宇宙的な霊性が結びついた文明を地上に生まれさせようとしているに
もかかわらず、ソラトは人類の知性を地上的なものにのみ向かわせようとします。そのため2
0世紀末の現在、太陽の守護神キリストのために働くミカエルと太陽の悪魔ソラトとの間に激しい戦い
が繰り広げられることになったのです。
古くから西洋のキリスト教美術では、ミカエルは手に券を持ち、竜と戦う姿で描かれてきま
した。ミカエルが戦う竜こそ、最強のアーリマンとしてのソラトなのです。
現在、霊界では、ソラトとそのほかのキリストに敵対する悪魔たちが、太陽の原理を地
上に入り込ませないように妨害する仕事にとりかかっています。しかしその一
方では、ミカエルが新たな支配を準備しながら、その軍勢とともに太陽の原理のた
めに戦っています。
中世には、第二の666の年1332がやってくる前に、真のキリストについての教義を
復活させようとするテンプル騎士団と、彼らを滅ぼそうとするときの権力者の間に争いが生じ
ました。精神科学的に見ると、このときキリストのために働こうとする勢力と、ソラトに味方しよ
うとする勢力が地上で衝突したのです。
そして、現代においては、1879年以降ミカエルの支配が始まるとともに、太陽の原理が人
類の前に広まるのを阻止しようとするソラトが活動を開始しました。いま霊界では、666年
ぶりに、キリスト勢力と反キリスト勢力の争いが起こっているのです。しかしながら、今回の戦い
は前回の第二の666の時代のものとは比較にならないほど大きなものとなっています。
というのも、20世紀前半からエーテル会にキリストが出現し、人類への働きかけをいっそう強め
ているからです。これがシュタイナーのいう「エーテル界へのキリスト再臨」です。
481 :
、:2008/05/21(水) 19:53:11 ID:tb7DZ85D0
かつてゆめみるような意識状態にいたころ、人類は透視能力によって霊界を見ることが
できました。しかし紀元前3101年から人間は次第に透視能力を失い、感覚的世界以外
のものは知覚できないようになりました。精神科学において「カリ・ユガの時代(暗黒時代)」
と呼ばれる時代が始まったのです。
紀元一世紀にキリストが地上に現れたとき、このようなかり・ユガの時代は依然として続いて
いました。このとき人類は霊的な存在を直接見ることはできませんでした。だからこそ、
太陽の守護神としてのキリストはナザレのイエスと合体することで、感覚的に知覚できる姿で人間
の前に現れなくてはならなかったのです。
しかし、このようなカリ・ユガの時代は1899年に終わりを告げました。20世紀の幕開
けとともに、まさに人類の中に霊的なものを知覚する能力が新たに目覚める時代が始まっ
たのです。いまや人間が自らの自己意識をたずさえながら、霊的な世界の中に足を踏み入
れることが可能になりました。現在1部の人間の魂の中に、すでに新しいと押し能力が芽
生えつつあります。このような人々は物質的なものばかりではなく、さらにエーテル的なもの
を知覚する能力をそなえています。
もはや、キリストはかつてのように物質体を身にまとって地上に姿を表すことはありません。
キリストはエーテル的な透視能力を備えた人々のエーテル体の中に出現します。シュタイナーによれば、20
世紀が終わるまでに多くの人々がエーテル界にキリストを見るようになります。そしてこのような
人々は、21世紀になると、さらに増えていくのです。
19世紀の終わりから、すでにミカエルが再臨するための準備をしてきました。そして20
世紀にはいって、キリストがエーテル界に再臨し、一人一人の人間が直接キリストを認識できる時代が
始まりました。自分自身でキリストについての認識を獲得した人は、、もはや宗教上の権威や文
献に依存することはありません。「もはや教会は必要ない」というシュタイナーの言葉は、このよ
うな精神科学的事実に基づいているのです。
482 :
、:2008/05/21(水) 20:12:05 ID:tb7DZ85D0
484 :
、:2008/05/22(木) 09:41:23 ID:yu+RWq380
485 :
本当にあった怖い名無し:2008/05/23(金) 07:09:11 ID:QE/Hgmv30
何?このスレ?
486 :
、ミジンコ:2008/05/23(金) 07:29:39 ID:rPoQdwkl0
>>484 1413年 意識魂の始まり 第五文化期
1879年ミカエルの支配の始まり
1899年 カリ・ユガの終わり。
20世紀キリストのエーテル界への再来 普遍アントロポゾフィー協会の活動
1998年ソラトの第3の作用
3573年 ロシア文化期
5733年 アメリカ文化期
7893年 万人による万人のための戦い(最終戦争?)の直前
7893年 第六根幹人類期の始まり。
487 :
、ミジンコ:2008/05/23(金) 07:51:32 ID:rPoQdwkl0
488 :
本当にあった怖い名無し:2008/05/23(金) 20:10:04 ID:3N2lCwIR0
2400年ころからマモンが活動始めるだって
マモンは精神ではなく肉体を崩壊させるんだって
489 :
本当にあった怖い名無し:2008/05/24(土) 15:40:40 ID:eJWYtSrZ0
ソラトは精神を崩壊させようとする
マモンは肉体を破壊しようとする
490 :
、:2008/05/25(日) 20:53:15 ID:BDl/HMJZ0
>>488-489 そうか、、、、。ソラトは無自覚な精神で、マモンは、誤った意思の展開ということだな、、、。
ソラトはイデオロギー的で、マモンは魔術的であると考えたら、、、、。何時の世でも影響はあると思うがね、、。
ソラトと同様に、、、。私には、、、、。しかし、オカルト的には黄金時代に入っているわけです、、。
491 :
、:2008/05/27(火) 08:05:31 ID:9W9JvQuv0
、
ソラトが上級アーリマンだから
マモンは上級アスラかな
493 :
、:2008/05/28(水) 19:16:27 ID:TD/3JVYb0
>>487 ルドルフ・シュタイナーはすでに今世紀の初めに、物質主義文明は近い将来ある限界に達すると予言
していました。
当時はまだ現在ほどには、環境破壊や核兵器といった科学のもたらすマイナスの側面は表面
化していなかったし、科学万能の世を賛美する風習は支配的でしたから、シュタイナーの見通し
の確かさは、これだけでも驚くべきです。
しかし、終わったばかりの第一次世界大戦の模様と戦中戦後の各国指導者の考え方の中
に、シュタイナーは危機の本質を読み取っていたのです。彼の危機意識の深さは、たとえば次の
ような発言によく現れています。
すでにしばしば強調してきたように、もし、現代の文明社会の到来とともに私たちが足を
踏み入れることになったこの衰退が、完全な廃墟になってはならないと言うのなら、非常
に多くの人間が、つぎのようなことを理解しなくてはなりません。すなわち現代文明を、
精神科学的に世界をとらえることによってのみ、もっとも広範囲に到来することになるあ
る種の衝動に満たされなくてはならないのです。
(GA197 74)
494 :
、:2008/05/28(水) 19:18:00 ID:TD/3JVYb0
「精神科学」というのは、シュタイナーが創始した学問の総称です。この当時彼が活躍したドイツ
は第一次世界大戦に破れ、戦勝国側から突きつけられた法外な賠償金の負担に苦しみ、そ
のために経済は悪性インフレに陥ってました。一方ロシアでは、レーニンの指導の下に共
産主義革命が起こり、1927年にボルシェビキ独裁のソヴィエト連邦が成立しました。
シュタイナーが「現代の文明社会の到来とともに私たちが足を踏み入れることになったこの衰
退」と述べているのは、彼がこの間の推移全体を「衰退」と見ていたことを表しています。
人類が、取り分けヨーロッパ人がこのままの考え方を続けるならば、やがて「完全な廃墟」が
到来するであろうとシュタイナーは予測し、早くも1918年には警告していたのです。
その後の歴史を見てみれば、シュタイナーの警告がまさに的を射ていたことは、誰の目にも明
らかです。
長期にわたる大不況に苦しむドイツでは、対外強硬路線を主張するヒトラーのナチスが国民の
不満を吸収して政権を掌握しました。英・米・仏など戦勝国政府は、領土的野望なとヒトラー
の危険な性格が明らかであったにもかかわらず、自国の国益のみを追求するあまり、ヒトラー
に対して妥協に妥協を重ねました。やがてヒトラーは近隣の弱小国への侵略を開始するととも
に、ドイツ同様全体主義の体制となった日本・イタリア・スペインと同盟を組み、こうして世界は第
二次世界大戦へと突き進んで行きました。
495 :
a:2008/05/28(水) 19:19:33 ID:TD/3JVYb0
一体、シュタイナーは現代の最大の問題を何処に見出したのでしょうか?
宗教 カルトに関する「大予言」
オウム事件が意味するもの
カルトや新興宗教の問題は、90年代半ばの今になって、突然持ち上がったわけではありません。
これらの問題の最初の萌芽は、すでに60年代のヒッピー文化やサイケゲリック・ムーブメントの中に現れていました。
日本では70年代半ば、ようやく学園紛争の時代が終わり、キャンパスに見気力でシラケたムー
ドが広がっていたころから、学生や若者たちの間に新興宗教が浸透し始めました。
したがってオウム事件は、過去数十年にわたって続いた世界的な新興宗教・カルトブームの総決
算ともいうべき意味を持っているのです。
オウム事件は、宗教が内包している負の側面を白日の下にさらし、満天下の人々の目にまざ
まざと見せ付けることになりました。
宗教が内包する負の側面とは、人類の進化に逆行して、前掲のミヒャエル・エンデも指摘したよ
うに、「本能的に、世界との一体性を回復しようとする」という傾向のことです。ここにカル
トや新興宗教がセックスやドラッグと結びつきやすい理由があります。彼等はセックスやドラッグの力を
借りて、現代人が失ってしまった「本能的な」宇宙との交換能力を回復しようと言うので
す。
496 :
、:2008/05/28(水) 19:22:53 ID:TD/3JVYb0
しかし、一度思考力を獲得した人間は、セックスやドラッグのようなどんな人為的手段を用い
ても、古代人のような本能的な能力を再び獲得することはできません。なぜなら、人間が
いかなる意味でもかかわることができないからこそ、それは「本能」なのですから。
そうした領域には、私たちは神聖な力の働きを感じるべきものです。いかなる宗教、い
かなるカルトの教義と言えども、そうした性や宇宙との交感のの領域に、人為的な影響力や支
配力を振るうことは本来できないのです。そうした封建的・暴力的な支配力や影響力によ
って、ひとたび過ちが犯されてしまえば、その人は破壊されてしまうかもしれません。こ
れこそマインド・コントロールの恐ろしさです。ひとたびインドコントロールをされてしまえば、それを完全
に解くには数年から、時には十年以上も要するのです。そしてカルトのマインド・コントロールの恐怖
は、本人だけでなく、その本人の属する家庭や職場などを巻き込み、それに多大な不安と
動揺を与えついには破壊させてしまうことさえ珍しくはありません。特にインド系やチベット密
教系の教団には、オウムに限らずこうした危険な傾向が強いと言わざるを得ません。
近代以降、唯物論の発展とともに、絶大な支配力を誇っていた宗教は、次第に権威を失
っていきました。現代は旧い時代の遺物である宗教が、様々な形で最後の抵抗を試みてい
る時代だとも言えるでしょう。
にもかかわらず一部には、キリスト教や仏教と言った伝統宗教の復権を唱える人たちも居ま
す。そうした意見の持ち主たちは、
「現代人は堕落している、だから宗教を通して積極的なものへと至る道を再び見出すべき
だ」
と主張しています。
497 :
a:2008/05/28(水) 19:24:52 ID:TD/3JVYb0
しかしながら宗教が、少なくとも既存の形のままで復興することはありえないでしょう。
シュタイナーによれば、近代以降人間は自我意識を発達させるとともに宗教的な権威から自由に
なったのです。これは、人類の進化の必然性なのです。
ところが過去の宗教の復興を唱える人たちは――特にインドやチベット計の宗教を信奉する
人たちは――人類進化のベクトルを逆転させようとしています。
「西欧的な自我は悪の根源であるから、これを消し去らなくてはならない。そして、それ
を消し去ることによって、人間は神と一体とならなくてはならない」
と、いうのです。これは一見最もな主張のように聞こえますが、実は大変危険な思想と言
わねばなりません。「近代の超克」という現代の歴史的課題に名を借りて実は旧い宗教的形
態をそのまま復興しようとするこうした考え方には、現代人としての個人の人格を破壊し、
道徳性や義務感を失わせ、個人の社会性を失わせて挑戦的になる、そういう現実的な危険
があります。
シュタイナーの考えでは、こうした人類進化の過程を逆に進ませようとする力は明らかき誤りで
あり、時としてそれは大きな悪であることすらありうるのです。
未来社会のための3つの原則
ルドルフ・シュタイナーは、「天使は私たちのアストラル体で何を行うか」(『天使と人間』)と言う有名な
公園の中で、来るべき未来社会の姿を、3つの原則に基づいて描いています。それは人類
が正しい進化の道を歩み続けるなら、必然的に到達しなければならない段階を示している
のです。
このようなシュタイナーの予言では、
「未来の宗教はどのようなものになるのか」
ということが、きわめて重要な意味を持っています。というのも、シュタイナーは、「これからじ
んるいが精神的なもの、超感覚的なものとどのように関わり合っていくのか」と言う点が、
必然的に未来社会のあり方を決定すると考えたからです。
それでは未来社会において、宗教はどのような形をとるのでしょうか?
498 :
a:2008/05/28(水) 19:26:39 ID:TD/3JVYb0
【大予言5】誰も、物質界に外面的な気候を持つ
特別の教会によって宗教上の生活を支える必要がなくなるだろう。
未来において人間の中で発達することになる自由な宗教はすべて、「単なる理論ではなく、
直接的な人生の実践において、個々の人間の中に実際に神性の似姿が認められる」と言う
ことをよりどころとするのです。そうなるともはや宗教が強制されることもなくなります。
もはや宗教を強制する必要がなくなるのです。というのも、そのときには、それぞれの人
間が他の人間と出会うと言うことがすでに、宗教的な儀式、秘蹟となるからです。そのと
きには、それぞれの人間が他の人間に出会うと言うことがすでに、宗教的な儀式、秘蹟と
なるからです。そのときには誰も、物質界に外面的な機構を持つ特別の教会によって宗教
上の生活を支える必要がなくなります。人生全体が超感覚的なものの表現となることによ
って、教会が持ちうるただ一つの意図は――もし教会がそれ自身を正しく理解するならば
――「教会それ自体を物質界で不要なものとすること」のみになるのです。
(「天使と人間」54〜55)
これは、現在私たちが言うところの宗教とは、まったく別のものです。それはもはや、
宗教という名で呼ぶことすらふさわしくないものかもしれません。
現在のような宗教はすべて、ゆっくりと消滅していくでしょう。そこにはもはや、教祖
と信者、出家と在家と言った区別も存在しなくなるでしょう。しかし、そうなるには、私
たちの意識が全面的に変化しなければならないのです。
私たちは理解においても、実践においても、質の高い肉体を備えているからと言って、人
間を単なる高次の進化を遂げた動物と見なすことがあってはなりません。私たちは「心的
な世界の根拠の中から示現するものが、人間の中に現れる」と言う感情を完全に発達させ
た上で、一人一人の人間と向かい合うべきなのです
(天使と人間 53〜54)
499 :
a:2008/05/28(水) 19:28:30 ID:TD/3JVYb0
これが、シュタイナーの説く未来の宗教の根本精神です。
これに対して、既存の宗教は、本当に人間存在そのものを尊ぶことを教えているでしょうか?
実際は現実に生きている人間を卑しいものと見なし、人間を度外視した「精神世界」と
証するものの中に、直接神を見出そうとしてはいないでしょうか。
現在の進化のレベルでは、人間が直接神を見たり、神に触れたりすることはありえないの
です。シュタイナーの宇宙進化論によれば、霊界は3つのヒエラルキーから成り立っていますが、人間
に直接影響を及ぼしているのは、その中で最も人間界に近いところに存在する天使たちと
四大元素霊(地、水、風、火の霊)だけなのです。
現在の唯物論的な教育において、まるで「霊界や神は存在しない」と教えられているも
同然のような私たち現代人の多くは、その結果、霊界や神についてほとんど無知同然とな
ってしまいました。
そして巷には、信者一人一人を罪深い無明のやからなど決めつけ、
「われこそは神の代理人なり」
と称して、信者に服従や「お布施」を強要してはばからないような、お粗末な「教祖様」
が数多く存在することとなりました。
一方、「人間は神性の似姿である」という罪深い宗教的哲理を悪用して、「人間は神であ
る」などと教え込むバグエワン・ラジニーシのような悪徳教祖が猛威を振るっています。人間は神
性の似姿ではあっても、正しい努力と認識に欠ければ、何処までも堕落してしまうのです。
社会的弱者や人生の道に迷う人々に、フリー・セックスや麻薬を与えて人生の重荷から開放された
と言う錯覚を与え、一方で教祖と教団幹部は莫大な富を蓄えているのです。こうしたカルトは、
オウム真理教やラジニーシの教団だけではないでしょう。
かねてシュタイナーは、こう警告していました。
500 :
、:2008/05/28(水) 19:32:06 ID:TD/3JVYb0
【大予言6】チベットの文化は、少しずつ退廃と没落に向かっている。そしてアトランティス以降に
チベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができない。
チベットの文化は極めて古いもので、その紀元は太古のアトランティスの時代にまで遡ります。――
中略――このような文化は、人間が現代とは別の条件の元に生きていた、あの太古の時代
にのみ、ふさわしいものでした。皆さんは次のようなことを思い浮かべてみるだけでよい
のです。すなわち当時、大気は今日と異なり、人間は今日のように重くはなく、人間の体
重は今日よりもはるかに軽く、当時の大気は今日よりもはるかに濃密でした。大気は常に
熱い霧に満たされ、そのため人間は今日とはまったく別のやり方で生きることが可能とな
ったのです。
――中略――
このようなチベット文化は、少しずつ退廃と没落に向かっています。そしてアトランティス以降に
チベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができません。なぜならチベッ
ト文化は、インド文化よりも古いからです。インド文化は、地球が現在のような形姿とるよう
になった後で成立しました。これに対してチベット文化は、まったく古いものです。このチベッ
ト文化は、太古の昔には比較的善い形態のうちに存続していたものを、悪しき形態のうちに
保持してきました。特にチベットの支配者(訳注ダライ・ラマのこと)の原理は、非常によくない
形態のうちに形成されました。チベットでは、支配者になる人物は心的な崇拝を受けることに
なるからです。
(GA353 264〜265)
501 :
、:2008/05/28(水) 19:33:06 ID:TD/3JVYb0
「アトランティス以降にチベットで発生したものを、現代の人間はもはや利用することができない」
という指摘は、まるで今日のオウムの事件について警告を発しているかのようです。
シュタイナーほど早く、的確かつ本質的に、こうした二十世紀末の反時代的宗教感情の台頭と
その危険に対して警告を発している人物が他に居るでしょうか。
最近、著名な作家や評論家の中にまで、
「人々がイデオロギーに頼る時代は終わった。これからは宗教の時代だ」
などという趣旨の発言をしているひとがおりますが、まことに無責任であるとしかいいようがありません。
つい最近まで、無責任な進歩的知識人たちが「平和、平和」と盛んに唱えていたかと思
えば、こんどは、「宗教、宗教」と唱える知識人が活躍する順番だとでも言うのでしょうか。
現代という時代がいかに無機的で先が見えないからと言って、人々の自我(主体性や個
人的尊厳)を奪ってマインド・コントロールをかけるようなカルトや宗教に道を譲る必要が一体何処に
あるというのでしょうか。
また、今日の宗教界の退廃については、既成の宗教界もおおいに反省すべきでしょう。
まともに信者に人倫の道を説くことも怠り、ましてや本来信者の苦しみを軽滅するためで
あるはずの「序霊」行為をカネ儲けに利用してはばからないような一部の教団の姿こそ、
退廃そのものなのではないでしょうか。
502 :
、:2008/05/28(水) 19:38:19 ID:TD/3JVYb0
第4章 医療と科学技術に関する「大予言」
1
機械に関する「大予言」
ルドルフ・シュタイナーは1920年前後に、将来医学や科学技術の分野において非常に大きな改革が
もたらされるであろう、と述べています。すなわち、
【大予言20】未来の人類の本性の中から、3つの能力が発達してくることになるだろう。
(GA186「変化した時代状況における私たちの時代の社会的な基本要求」)
と、予言しているのです。
シュタイナーがここで「3つの能力」と言っているのは、機械・性・医療をめぐるもののこと
ですが、人類の運命はこの「3つの能力」がどのような方向に発達するかにかかっている
と言っても、けっしておおげさではありません。
それではこれから、これら「3つの能力」に関してシュタイナーが何を予言したのか、そして、
その予言はどれほど当たっているのかを見てみることにしましょう。
今世紀初頭、ルドルフ・シュタイナーが活躍した時代に、主な動力は石炭エネルギーでした。それ以後わ
ずか70年の間に、エネルギ―の主役は石油になり、今では原子力エネルギ―や光エネルギーに
なっています。それにともない機会も驚くべき発達をとげました。向上では人間の変わりに
ロボットが作業し、様々な機械の中では半導体が大きな役割を担っています。
機械文明のこうした急激な発展は、さまざまの強い影響を二十世紀の人間と社会に与え
てきました。二次にわたる世界対戦、共産主義革命、ファシズムの台頭と衰退、人口の都市集
中化、公害、自然破壊等々の問題の底辺には、必ずエネルギー問題が横たわっています。
こうした大変化を、シュタイナーは何処まで予見していたのでしょうか。
503 :
本当にあった怖い名無し:2008/05/28(水) 19:40:17 ID:TD/3JVYb0
【大予言】人間は自分自身の振動を用いて、マシーンを動かすようになるだろう。
人間は、自ら生命体の中に存在する繊細な振動を、機会に衝動を与えるために利用する
ことができるようになります。人間は自分に結びついた機械を持つようになります。そし
て人間は自分自身の振動を機械に移すようになります。つまり人間は自分が引き起こした
振動を用いて、ある種の機械を動かすことができるようになるのです。
(GA186 214〜215)
シュタイナーが「振動」といっているのは、物理的な振動のことDDけではありまSけではあり
ません。そこでは人間の中に存在する生命科学的なしんどうが想定されているのです。
人間の振動を利用した機械と言えば、電話もその一つです。人間が声を発し、その声が振
動となって相手に伝わり、相手の受話器の中でこんどは振動が声に変わるわけです。
「人間が生命体の振動を使って、機械を動かす」研究は、現代の技術革新の主力となって
います。
最新の科学においても、
「あらゆる物質が原子レベルでは絶えず振動している」
ということが、常識になりつつあります。
光も振動しています。
この物質界に存在するものはすべて、肉眼ではとらえられないレベルで振動しているのです。
この一世紀はどの間に人間は
、物理学振動と生命科学的な振動を結びつけることに成功し、技術革新の大波を作り出し
ました。バイオ・テクノロジー等の先端産業は、このような傾向の現れです。
遺伝子工学という分野がさいきんことあるごとに注目を浴びています。遺伝子工学にお
いては、いままでは工学・医学・生理学にそれぞれ分類されていた複数の学問分野が混ざ
り合っているのです。
現代の学問はこうして相互に相互に影響しあいながら、私たちの予想を遥かに超える発展を遂げています。
504 :
,:2008/05/28(水) 19:41:54 ID:TD/3JVYb0
生命的なレベルのバイブレーション(波動)やエネルギーに対する認識の深まりは、急速に自然科学の
研究対象となっているばかりか、自然科学それ自体を一変させています。
また、それとは正反対の方向の変化も見られます。たとえば電子顕微鏡などの発達・発明
によって、人間の観察の目は生命体内部の今まで到達できなかった細部にまで届くように
なりました。
そうした機械や技術の進化は、動植物を問わず生命体そのものを大きく変化させています。
人間もその例外ではありません。
こうした文明のもとに生きる私たちはいま、一方では大きな期待を抱きながら、他方で
は底知れない不安にさいなまれています。
たとえば原子力がよい例です。周知のように、いずれは枯渇するに違いない石油エネルギー
に代わるものとしては、今のところ人類は原子力に期待するしかありません。しかし、そ
れも物質文明の現在の消費レベルを維持し続けるとすれば、のはなしですが。この点に関し
ては、人類がエネルギーの消費レベルを下げるように努める気配は、いまのところまったくあり
ません。それどころか石油の消費量は増える一方であり、90年代に入ってそれまで原油
輸出国だったソ連とアメリカが次々と輸出国に転落し、さらに二十一世紀初めには、中国の石
油消費量がアメリカや日本を追い抜く見込みなのです。開発途上国が次々に工業化することに
よる公害や自然破壊の深刻化を避けるためにも、クリーン・エネルギーの利用拡大が叫ばれている
わけですが、原子力の安全性にはあまりにも問題がありすぎるといわねばなりません。
私たちは心弱き人間として、こうした科学文明のが私たちの未来に安全と平和をもたらし
てくれることを祈りたいのは当然なのですが、はたしてそうなってくれるかどうかは、私
達の生き方しだいなのです。
この点に関して、シュタイナーはとても気にかかるような予言的といえる言葉を述べています。
505 :
、:2008/05/28(水) 19:45:50 ID:TD/3JVYb0
【大予言】科学技術は限界に達し、消滅するだろう。
比較的近い未来において、現代の驚嘆すべき科学技術はある種の限界に到達します。そし
て、この限界に達した時点で、科学技術はある方向によって自らを消滅させてしまうこと
になるでしょう。
(GA173 214)
「ある種の限界」とは簡単には説明することができません。しかし、「驚嘆すべき科学技術」
が、もはや心ある人間の耐えうる限界を超えていることは、確かな事実なのではないでし
ょうか。
遺伝子工学や内臓移植やバイオ・テクノロジーの領域においては、すでに、「ここまでしてよい
のか」と不安視されるような研究例が報告されています。理性によってコントロールされるべき
ものが暴走するような事態はすでに実際に起きており、今後ますます増えることでしょう。
人間の理性や倫理観は、そうした暴走を食い止めるほどには、まだ強くはなっていないの
でしょう。
人類はそこまで自分自身を信じられるほど内面的に強くはなっていないのに、科学技術
の進歩はとどまるところを知りません。このことについて、私たちは大きな不安を抱いて
います。このシュタイナーの指摘をどう受け止め、どう考えるか、それは人によって様々でしょ
う。しかし、いずれにせよ現在の自然科学に過剰に依存した物質文明がこのままでよいと
考える人は、それほど多くはないと思われます。
私たち人類は今、運命の重大な岐路にたっているのです。
506 :
,:2008/05/28(水) 19:48:35 ID:TD/3JVYb0
【大予言23】
人々はある能力を通して、調和する振動の法則の力を借りることで、広範囲にわたって機
械あるいは機械的な機構などを動かすことができるようになるだろう
人々はある能力を通して――この能力はまだ人間の中で潜在的な段階にとどまっています
が、やがて発達することになります――調和する振動の法則の力を借りることで、広範囲
にわたって機械あるいは機械的な機構などを動かすことができるようになります。――中
略――それに当てはまる振動の曲線を知ることによって、人間はほんのわずかな振動を与
えるだけで、ある種のモーターを動かし、駆動させることができるようになります。そしてそ
のことによって、今日の人間の力が必要とされている多くの事柄が、純粋に機械的な力に
よって取って代わられることが可能になるでしょう――中略――そしてこのことによって、
英語を話す人々の領域内で、人間の労働の十分の一が不必要なものになる可能性が生じる
ことになるでしょう。
(GA186 71〜72)
技術革新には、他にも無視できない問題が付きまとっています。大量失業と言う問題です。
シュタイナーが生きた今世紀初めの時代は、ヨーロッパのほとんどの国は農業国でしたから、失業
などと言う考えはありませんでした。ところが産業革命によってイギリスが工業国へと移行す
るに従い都市人口が増え始め、まもなく都市に失業者が溢れるようになりました。そうし
た社会の大変化をいち早く見通して、シュタイナーは、
「、、、、、、英語を話す人々の領域内で、人間の労働の十分の一が不必要なものになる」
と、じつに的確な予言をしたのです。
その後、現実はまさにシュタイナーの予言どおりになりました。斜陽の資本主義イギリスでは、失
業者が絶えず10パーセントを超えるようになったのです。
その後4半世紀を経て現在では、人体工学・バイオ・テクノロジーその他の先端技術を応用し
たさまざまなマシーンルイの驚異的発展により、慢性的に労働が供給過剰になっています。
「英語を話す領域内」とシュタイナーがいっているのは、当時は英語圏の国々で資本主義が発展
していたからでしょう。
507 :
、:2008/05/28(水) 19:50:24 ID:TD/3JVYb0
失業率が低いことでは有名だった日本も、社内失業と言う独特の習慣を計算に入れれば、
失業率はとっくに10パーセントに近づいているといわれています。
かつて19世紀前半のイギリスで、産業革命に伴う機械の導入とともに職を失った手工業者た
ちが、機械を破壊する運動(ラッダイト運動)を起こしたことがありました。ルドルフ・シュタイナーは
こうした社会問題についても、極めて明確な予測を語っています。
【大予言24】 不満を抱く人間の集団が反抗的な動きに出ても、それは麻痺させられてしまうだろう。
歴史は繰り返すという格言どおり、ラッダイト運動のような動きが将来再び生じても、やはり
失敗に終わるだろうと、シュタイナーは考えていたわけです。
19世紀のイギリスで機械を破壊してまわった労働者たちも、結局は高度な産業文明へと進む
歴史の流れには逆らえず、彼等の講義の声も新たに繰り出される機械の騒音の中でいつし
かもみ消されてしまったように、将来新たな機械力の誕生とともに職を失う人々も、急速
に変化していく歴史の流れの中で置き去りにされてしまうほかはないのでしょうか。
将来どころの話ではない、これは今の日本の現実の話そのものです。
今の日本では、リストラと言う美名の下に大量の首切りが進行しています。
それに対して労働組合はほとんどなすすべを知らず、むしろ経営側に協力する傾向すら
うかがえます。
「景気が回復しさえすれば、雇用も回復するだろう」などといっているうちに景気は日増
しに悪化の道をたどることでしょう。
(GA186 72)
508 :
,:2008/05/28(水) 19:52:49 ID:TD/3JVYb0
歴史は繰り返すという格言どおり、ラッダイト運動のような動きが将来再び生じても、やはり
失敗に終わるだろうと、シュタイナーは考えていたわけです。
19世紀のイギリスで機械を破壊してまわった労働者たちも、結局は高度な産業文明へと進む
歴史の流れには逆らえず、彼等の講義の声も新たに繰り出される機械の騒音の中でいつし
かもみ消されてしまったように、将来新たな機械力の誕生とともに職を失う人々も、急速
に変化していく歴史の流れの中で置き去りにされてしまうほかはないのでしょうか。
将来どころの話ではない、これは今の日本の現実の話そのものです。
今の日本では、リストラと言う美名の下に大量の首切りが進行しています。
それに対して労働組合はほとんどなすすべを知らず、むしろ経営側に協力する傾向すら
うかがえます。
「景気が回復しさえすれば、雇用も回復するだろう」などといっているうちに景気は日増
しに悪化の道をたどることでしょう。
いずれにせよシュタイナーは、このような「振動を用いて機械を動かす能力」は英語圏で発達
するだろうと述べています。そしてこの力は西暦3500年ごろまで、英語圏以外の地域
の人間をも支配するようになるだろう、というのです。
産業主義を担う一方の柱であったソヴィエトがあっけなく崩壊した――第3章で見たとおり、
今世紀初めにはすでに、シュタイナーははっきりと共産主義の崩壊を予言していました――以上
は、こうした開発を担うのはアメリカかイギリスであろうと推測するのは難しくありません。
ドイツや日本はどうかと考える人も少なくないかもしれませんが、第二次世界大戦に敗れた
両国には、もはや世界支配の野望はほとんどなく、またそうした野望を支配層が抱いたと
しても、両国の国民はそれを許そうとはしないでしょう。
しかし、世界大戦に敗れた体験がない米・英両国には独・日のような戦争アレルギーは
うすく、みずからが世界警察の役割を果たすことが当然と考えています。
こうした現代の世界情勢を考慮に入れると、先に掲げた(GA173 214)のシュタイ
ナーの言葉は、ますます意味深く感じられてくるのではないでしょうか。
509 :
,:2008/05/28(水) 20:15:50 ID:TD/3JVYb0
2
優生学に関する「大予言」
将来、人類が発達させることになるとシュタイナーが述べている「3つの能力」のうち、残り不
意辰は医療に関するものです。
そして、その一つ目は、優生学に関する能力です。
優生学とは一般に、人間を含めた生物の遺伝的素質を改良する方法を研究する学問の事
を指しますが、ここでいう優生学とはそれとは少しニュアンスをことにするもので、シュタイナーはそれを、
「人間の生殖を単なる恣意や偶然から独立させること」(GA72)
と定義づけています。
【大予言25】人間は受胎と誕生を高度にコントロールすることになるだろう。」
東洋の人々の内部で、本能的に明確な知識が発達してくるでしょう。その知識は「人口の
法則が、どのようにしてある種の宇宙的な減少と平行して進行していくか」ということに
関するものとなるでしょう。つまり、人々は、ある星の位置と調和させることによって受
胎をコントロールし、そうすることによって、善良な人間をあるいはそうでない人間を地
上に誕生させるきっかけを作り出すようになるでしょう。アジア住人の民族の連続を、地の
連続を形成している人間だけが、「今日混沌としたまま、恣意的に地球上で作用している受
胎や誕生を、どうすれば個々の具体的な場合において、宇宙の大いなる法則と調和し得て
ながら作り出すことができるか」ということを洞察する能力を獲得できるのです。ここで
は抽象的な法則は役に立ちません。ここで獲得されるのは具体的な能力です。その能力は
個々の場合において、「いまは受胎してもよい」とか「いまは受胎してはならない」という
ことを知るようになるのです。
(GA186 72〜73)
510 :
,:2008/05/28(水) 20:18:03 ID:TD/3JVYb0
有史以来人類は長い間、受胎と出産に関してはすべて自然のままにまかしてきました。子
供がいつ胎内に宿るか、いつ誕生するのかと言ったことはすべて、人間の力を超えた領域
に属する事柄とされてきたのです。また、生まれてくる子供が男か女か、勉強が得意かスポ
ーツが得意かいったこともすべて、人類は偶然の手にゆだねてきました。
ところがシュタイナーは、将来人類は受胎と出産にかかわる事柄までも居のままに操作する能
力を身に付けるようになるだろう、と述べているのです。1920年前後にどれほど医学
がまだ未発達であったかを考慮に入れるなら、その当時シュタイナーからこうした説を聞かされ
た人々は、さぞかし呆気に取られたことでしょう。
しかし、その当時から4分の3世紀を経た現在、医学の分野ではどのようなことが行わ
れているのでしょうか?
そこではすでに、遺伝や染色体を操作することによって男女を産み分けたり、遺伝的な
病気を克服したりする試みが行われています。また、薬物を用いて排卵や出産の時期をコント
ロールすることも、多くの病院で実行に移されるまでになりました。
一見荒唐無稽に移った――特に今世紀初めの人々にとっては、そうだったにちがいありま
せん――シュタイナーの予測は、当時から70有余年たった現在、ようやくその的確性を確認で
きることとなったわけです。なぜなら人類はすでに「いかにして自分の望むとおりの子孫
をこの世に生み出すか」と言う方法を探究し、相したテクノロジーの一部を実行しはじめ
ているからです前掲のシュタイナーの予言において注目すべきことは、星の位置と言う宇宙的な事象と人間の受
胎あるいは誕生との関連について述べている、と言う点です。太古の昔にバビロニアや昔の
人々は、天界の事象と人間の運命の間には密接な繋がりがあると信じていました。
当時の占星術は――占星学と呼ぶべき――学問であり、星の位置や運行に関して正確な
知識を必要としたとこから、今日の天文学の基礎が生まれました。
。
511 :
,:2008/05/28(水) 20:19:36 ID:TD/3JVYb0
ところが、近代になって自然科学が発達するとともに、占星術は迷信として退けられる
ようになりました。そして、天体を人間から切り離して研究する天文学のみが学問として
認められるようになりました。というのも、天体の運行と人間の運命の結びつきに関して
は、今日の自然科学のように物質的因果律のみによって証明することは困難だったからで
す。ところが今世紀に入ると、科学者の側からも従来退けられてきた占星術的な諸現象を
研究しようとする動きが現れるようになりました。なかでも代表的なものは、C・G・ユング
とW・パウリが共同で行った研究です。(自然現象と心の構造)。アジアの人々が、シュタイナーの示
唆する
【大予言26】医療倫理は荒廃するだろう。
優生学や医学上の問題を考える場合には、倫理上の問題を避けることはできません。体
外受精・遺伝子操作・臓器移植などの医療行為の倫理性を巡って、様々な論議がなされて
います。
しかし、医学の領域においてもテクノロジーの進歩はあまりにも急速です。それにたいして人
間のモラルの進歩はとてもゆっくりとしたものです。今のままで推移するなら、いつ何時
恐るべき事態が発生するかもしれません。いや、すでに恐るべき事態は幾つも起きている
のです。
心臓移植は1970年代にはすでに実地されています。しかし、現在では中止されてい
るようです。
なぜでしょうか?
移植手術を施した結果、患者の自我に変化を来たし、自我は別人のそれのようになって
しまったのです。
かねてシュタイナーはこう警告していました。すなわち、
「心臓はポンプではない。人間の臓器はオートバイの部品のように扱ってはならない」と。
ような能力をいつ獲得するのかはわかりませんが、すでに私たちは彼の示唆する方
向に向かって歩み始めていると言うことができるようです。
512 :
、:2008/05/28(水) 20:20:58 ID:TD/3JVYb0
人間を徹底して機能的にとらえる現代医学の外科手術は、予想もしない結果を引き起こ
しました。つまり、機能的にはとらえることの決してできない精神と言う領域に、述語の
変化が現れたのです。これは明らかに機能的・物質的因果関係では説明することのできな
い結果です。
しかし、こう述べたからと言って、決して現代医学を一面的に非難したりするつもりは
ありません。ただ、私たちが現在置かれている現実について、正確に述べようとしている
に過ぎません。
医学の新たな挑戦は今後も盛んに続けられるでしょうし、そのたびに私たちの倫理観は
大きく揺さぶられることでしょう。
シュタイナーもアジア陣が獲得するであろう優生学上の能力の前提として、
「そのためにはまず、人類が道徳的に成熟することが不可欠になるでしょう」
(GA173 215)
と、述べています。
さらにシュタイナーは、この能力はロシアかアジアの周辺地域で開発されるだろう、と予測していま
す。これはヨーロッパから見た極東地域つまり中国あたりを指している可能性がありますが、
もしかすると日本のことかもしれません。
3
医学に関する「大予言」
将来人間が獲得することになるとシュタイナーが予測した3つめの能力も、医療に関するものです。
【大予言27】神秘的な衛生学が発達し、人々は外面的な医学を必要としなくなるだろう。
513 :
,:2008/05/28(水) 20:21:56 ID:TD/3JVYb0
この能力は、「誕生から死まで続く人間の人生が病気のプロセスとまったく同一のプロセスにした
がって信仰する」と言う洞察によって成熟します。病気のプロセスは、誕生から死まで続く通
常のノーマルな生のプロセスが特別に過激に変形したものに過ぎません。私たちは自分の中に、病
気を起こす力だけではなく、健康を作り出す力をも備えているのです。――中略――未来
において、物質主義的な医学はその基盤を失うことになるでしょう。なぜなら神秘的な衛
生学の能力が発達する瞬間に、人々は外面的な物質的医学を必要としなくなるからです。
そのためカルマ的な原因によって発生する病気以外の非伝染性の病気は、心理的な方法で予防
的に取り扱うことが可能となるでしょう。この点において、すべては変化するでしょう。
現在のところ単なる夢物語のように思われるとしても、このことは非常に近い将来に実現
することになるでしょう。
(GA186 174〜175)
人間有機体を一種の機械のようなものと見なす医学は、このころ目覚しい発展を遂げつつ
ありました。
日本からも北里柴三郎(1852〜1931)などの優秀な医師が渡欧し、最新の医療
知識や技術を熱心に急襲しようとしていました。
そうした時代に、ルドルフ・シュタイナーが時代に真っ向から逆らうようなこうした見解を述べて
いたと言うことを、私たちは深く記憶しておくべきかもしれません。
514 :
,:2008/05/28(水) 20:23:59 ID:TD/3JVYb0
「神秘的な衛生学」などといわれると、どこかうさんくさいように思われる方もおられる
かもしれませんが、それはことばにこだわるからで、ここでも私たちはシュタイナー以後の医学
がどのような傾向を帯びたか、それを事実を持って検証する必要があるでしょう。
まず第一に挙げられるのは、フロイトとユングの登場です。二人は活躍した地域(オーストリアとスイス)
も年代(19世紀末〜20世紀初め)も、ルドルフ・シュタイナーとほぼ同じです。二人は協力して
フロイトが創始した精神分析学の発展に努め――後に袂を分かちましたが――、心理学の発展
の基礎をすえました。
『
フロイト オーストリアの心理学者・精神医学者。人間の心理生活を、下意識または潜在意識の領域
内に抑圧された性欲衝動(リビドー)の働きに帰し、心理解明の手段として精神分析の立場
を創始。1856〜1939.
ユング スイスの心理学者・精神医学者。ブロイラーに協力、連想検査をつくり、また、性格を外向
型・内向型に分類。フロイトの考えに共鳴し、精神分析運動の指導者となったが、後にフロイトと
別れた。1975〜1961
』
2人が当時の医学会に与えた衝撃と影響はおおきなものでした人間の病気を物質的因果関
係の枠内で考える立場は、心理や意識・無意識を研究することによって、微妙な変化をき
たしはじめました。
子供が腹痛を起こしたときには、
「何か悪者を食べたのだろう」
とか、
「朝食を食べ過ぎたのだろう」
などと外的な原因を探すだけでは不十分であり、場合によっては原因は、まったく内的―
―心理的なものであるかもしれないのです。すなわち、
「学校に行きたくない」
とか「親の注意を自分にひきつけたい」
という子供の心理的な要因も研究する必要があります。
こうして精神分析や心理学は、臨床医学にも頻繁に応用されるようになって行きました。
バーニー・S・シーゲルはこのような分野の研究者の一人ですが、がんのような病気の場合です
ら、その背後に罪悪感や愛の欠如と言った心理的な要因が潜んでいる可能性がある、と述べています。
515 :
,:2008/05/28(水) 20:26:07 ID:TD/3JVYb0
「自分のせいで病気になったと考えて罪悪感を持ったり、病気を治すことができないと敗
北感を感じたりする人は、体の治癒システムにマイナスのイメージを送っていることになる。こう
した罪悪感や敗北感は、捨てなければならない。そうすれば、生まれつき体に備わってい
る治癒能力は、否定的メッセージに邪魔されることなく、存分にその力を発揮できるだろう」
シーゲルは、これからの医学は単に物質としての肉体を治療することを目指すだけではなく、
「人間は心と身体が一つに結びついた存在である」
という考え方のもとに患者の自然治癒力を引き出すことを同時に考慮しなくてはならない、
と主張しています。
『個人のライフ・スタイルや感情が健康に影響すると言う考えは、百年前には当然のこととして受
け入れられていた。今日では、感情が身体に化学的な変化を起こすことが明らかにされな
い限り、感情に生理的影響があるとは認められない。だが幸いなことに、現代の科学によ
って、そうした変化が実際に起こっていることが証明できるようになった。生理学者の研
究により、愛が身体に与える影響は測定できることがわかっている。愛情を与えられない
赤ん坊は骨の発達が送れ、志望することもあるのに対し、体をなでてもらった赤ん坊は成
長が早いのだ。
――中略――
医学はもはや、説明のつかないものを奇跡として片付けるだけの、機械的な学問にとどま
ってはいけないと思う。治癒のプロセスについて再び勉強を始め、これに対してこれまでの医
学とは違うアプローチをするときがきている。病気と死ではなく、健康と生へ目を向ける
のだ。
医学の理論と実践においてこのような転換を行わない限り、発展は望めない」
(シーゲル博士の心の健康法)
516 :
,:2008/05/28(水) 20:27:38 ID:TD/3JVYb0
ルドルフシュタイナーがどのような意味を込めて「神秘的な衛生学」といったのかをすべてあきらか
にするのはとても困難なことですが、ここではさしあたり、
「心=外的な医学ではとらえられないもの=神秘的」と理解しておくだけで十分でしょう。
そうすれば、あのシュタイナーの見通しが荒唐無稽なものではまったくなく、それどころか大変
な先見性をもつものであったことが、誰の目にも明らかとなることでしょう。
ルドルフ・シュタイナーは、さらにこう述べています。
【大予言28】第3に、人間はさほど遠くない未来において、病気と健康についてのあら
ゆる考えかたが変革されるのに気づくようになるだろう。
医学は、精神の中でとらえることができるものによって浸透されるようになるだろう。な
ぜなら人間は、まさに病気を精神的な原因の結果として認識することを学ぶようになるからだ。
(GA173 215)
ここまでくれば、もはやシュタイナーの見通しの確かさを疑える人は居ないでしょう。二十世紀
の医学の進歩の大きな潮流の一つは、まさに「病気を精神的な原因の結果として認識する
ことを学ぶ」過程そのものであったからです。
「物質的な医学はその基礎を失うことになる」という表現はいささか強すぎるような気も
しますが、医学の基礎が外的――物質的な認識から内的――精神的な認識へと変化してい
くことを指摘したものと考えれば、理解しやすくなるのではないでしょうか。
シュタイナーはこのような衛生学の能力は「ライン川から東アジアに至るまでの地域」で発達するだ
ろう、と予測しています(GA186 75)。そうだとすると、これまで書いてきたこ
とを総合すれば、機械に関する能力を英語圏が、優生学に関する能力をアジアが、そして新
しい医学を中部ヨーロッパが担うことになります。
517 :
,:2008/05/28(水) 20:28:43 ID:TD/3JVYb0
4
人類を破滅させるかもしれない「3つの能力」
人類が精神的に進歩しないままで「3つの能力」を濫用するならば、どんなことになるで
しょうか。
ルドル・フシュタイナーは「天使は私たちのアストラル体で何を行うか」(GA182 138「天使と
人間」)と題された講演の中で、先に掲げた講演の調子とは一転して、これらの「3つの能
力」を人類を破滅させるかも知れぬ危険をはらんだものとして紹介しています。
こうした未来に暗い影を投げかけるものについて、できることなら考えたくはないという
のが偽らざるところですが、 いま をしっかり生きるためにも、シュタイナーの未来に向けた
警告に耳を貸すことも、あながち無駄ではないでしょう。
まず、主として英語圏で発達すると言われる「機械に関する能力」については、どのよ
うな危険があるのでしょうか。
【大予言29】あらゆる技術は荒廃し、人間はそれを歓迎するだろう。
人間はある特定の力に精通するようになります。この力を用いて人間は、ほんのわずかな
きっかけによって、つまりある種の振動を調和させることによって、世界に多数の機械の
力を解き放つことができるようになるでしょう。まさにこのような方法で人間は、機械的
かつ力学的な存在をある精神的な方向に向けるすべを本能的に知ることになります。その
結果、あらゆる技術は荒廃するようになるでしょう。しかしながら人間のエゴイズムにとって、
この荒廃はむしろ非常に役立ち、歓迎すべきものとなるでしょう。
(天使と人間72)
518 :
,:2008/05/28(水) 20:30:57 ID:TD/3JVYb0
「世界に多数の機械の力を解き放つ」というところまでは、すでに現実となっていると言
えるでしょう。それに続く言葉は、いささか奇妙な感じを受けますが、まさに戦慄すべき
ものではないでしょうか。
「機械的かつ力学的な存在をある精神的な方向に向ける」とは、何を意味するのでしょう
か?そもそも後半部分の表現はなぞめいていて、今のところ私たちにもはっきりした具体
的な解釈はありません。しかし、この言葉に秘められたもののニュアンスくらいは、誰でも感じ
取ることはできるでしょう。
「機械的かつ力学的な存在」とは、例えば原子力もその範疇に入るのではないでしょうか。
「ある精神的な方向に向ける」と言う言葉はまったく解釈が困難なのですが、後に「人間
のエゴイズム」と出てくることから判断して、あまりよいニュアンスを伝えるものとは思えま
せん。すぐに思い浮かぶことは、たとえば原子力の兵器利用です。現在の世界では、原子
力に限らず、あらゆる「機械的かつ力学的存在」の武器利用が計られています。そして、
それらは世界平和の維持と言う美名の下に維持されていますが、そこに一部の国家や支配
層の「ある精神的な方向=エゴイズム」が隠されていないとは、誰にも断言できません。
また、こうした国家レヴェル・地球レベルの話でなくとも、例えば一部の企業がまさに利
益だけのために秘密裡にあるテクノロジーを開発し、人類を危機に陥れるようなことは部分的に
はすでに行われていることですし、今後そうした事態が拡大しないとは保証の限りではあ
りません。
近い将来、テクノロジーは私たちの想像力をはるかに超えて、ますます発展していくに違いあり
ません。 テクノロジーは諸刃の剣のようなものです。もしそれが善用されればその利益は無限に大きな
ものとなりうるでしょうが、もしあくようされればそれはわたしたちに破滅をもたらしま
す。私たちは、無限大の希望と無限大の不安のもとに生きることを強いられているのです。
人間精神はかつてなかったほど深刻な試練に見舞われているといっても、決して過言では
ないでしょう。
すべては私たち人間の心、精神にかかっているのです。
アジア辺縁地域で開発されるという「優生学に関する能力」に関して、起こりうる最悪の事
態とは一体どのようなものなのでしょうか。
519 :
,:2008/05/28(水) 20:32:34 ID:TD/3JVYb0
【大予言30】有害で破滅的な性本能が現れ、社会生活に浸透するだろう。
すなわちこの場合、人類進化の内部で起こることに関して、「性生活と性の本質の中から本
能が、明るい目覚めたいしきの中で人類にとって有益な方法で生じるのではなく、むしろ
有害で破滅的な方法で現れることになるだろう」と言い表すことができるのです。本能は
単に混乱を引き起こすだけではなく、社会生活の中にまで移行し、社会生活の内部で形を
とるまでになるでしょう。性生活を通して地の中に現れてくるものによって、人間は他の
何者にもまして強い影響を受けます。そして地球に何らかの友愛の精神を展開する代わり
に、人類は友愛の精神を絶えず拒絶することになるでしょう。私がここでいう本能とは、
このようなものになるでしょう。
(天使と人間69〜70)
「性生活と性の本質の中から本能が、、、現れる」というシュタイナーの予言もやはり、解釈が困
難なものです。
しかし、私達はここで、何かをかすかに思い出さないでしょうか。
そう、70年代にアメリカ西海岸を中心として沸き起こったヒッピー運動(フラワー・チルドレン)です。
とりわけヒッピーたちが熱心に主張し実践したのは、フリー・セックスでした。
520 :
,:2008/05/28(水) 20:55:54 ID:TD/3JVYb0
そして、フリー・セックスが「悟りに通じる」ものだとして、宗教的意味づけと許しを与えたのは、
「堕ちた神(グル)」と呼ばれたインド人バグワン・ラジニーシ(和名 和尚)です。ここで、バグワ
ンの問題に深く立ち入ることはしませんが、この教団の姿を詳しく知りたい方は『ラジニーシ・
堕ちたグル』をお読みになってください。
バグワンの教団は多国籍型のカルトで、インドのみならずアリゾナ・マウイなどに共同体をもち、我が国
にも少数ながら活発に活動しているグループがあります。
まさに彼等の狂った教義は「社会生活の中まで移行し、社会生活の内部でかたちを形を
とる」までに、この日本でもすでになっているのです。
インドで近隣との摩擦を引き起こし、自己防衛と信者の囲い込みのために軍隊を造ったり、
アメリカで選挙運動に参加し有利に運ぶために細菌をばら撒いたり(最近ある地方新聞で報道
された)、信者にお布施を強要して莫大な富を築いたりと、信者獲得のために真の目的とラジ
ニーシの名前を隠して「セラピー」などの講座を全国各地で開く――オウム真理教の場合は「ヨガ」
ですが――など、この教団のすることはオウムそっくりなのです。おそらくオウムのほう
がラジニーシの手口を真似たのかもしれません。
しかし、性本能が「社会生活の中まで移行し、社会生活の内部で形をと」り、「有害で破
滅的な方法で現れ」ているのは、オウムやラジニーシのような極端で破滅的なカルト教団ばかりでは
ありません。
大都会の夜を彩る性を売り物とする様々な商業主義的施設もこれにあたるでしょう。
こうした堕落した性の文化の中で、多くの未来ある若者たちがそれと知らずに傷つき、人
生を台無しにしているのです。
「本能は単に混乱を引き起こすだけでなく」と、ルドルフ・シュタイナーは指摘しています。オウムが
こんなひどい「混乱を引き起こし」たかは、ここでわざわざ説明するまでもありません。
いつまでも彼等の活動――カルトはオウムばかりとは限りません――を放置するならば、家庭
も、友情も、愛も、それどころか生命までも、永遠に奪われてしまいかねないのです。
ルドルフ・シュタイナーの立場は、理想的にも信仰的にも、こうしたカルト的退廃文化を生み出した
ニューエイジ運動とはまったく無縁のものであり、断固としてそれらに反対するものです。
521 :
,:2008/05/28(水) 20:58:37 ID:TD/3JVYb0
シュタイナーのことばの恐るべき予言性に、慄然たる思いを感じるのは私だけでしょうか?
ところで、「性生活と性の本質」とはなんでしょうか?それだけでも大問題です。しかも
シュタイナーはこれとは別のところで、
「性の秘密は最高の神秘学に属することなので、いまはまだそれを明らかにすることはで
きない」
と、いっています。
「最高の神秘学」などといわれると、いささか権威主義的な感じがするかもしれませんが、
決してそんなことはありません。例えば20世紀アメリカ文学を代表する文豪ヘンリー・ミラーの主要
な作品は、あくまでも文学的な表現方法によるものですが、性の世界と言う主題のあくな
き追求に貫かれています。
また、やはり現代アメリカ文学を代表する作家ノーマン・メイラーも、「性は小説家に残された最後の荒
野であり、フロンティアである」
と、書いています。
私たちはまだ、性についてほとんど何も知らないのです。
しかし、ここでもやはり、私たちは事実を追及することができます。
第一に考えられることは、受胎と誕生に関わるテクノロジーの問題です。人間が受胎と誕生を思
いのままに操作することが近未来において実現するであろうことはほとんど確実なのです
が、その結果人体にどんな影響が出るのかはよくわかりません。
あるいはまたここで述べられていることは、エイズのような病気を予想していた可能性が
あります。「性生活を通して血の中に現れてくるもの」というシュタイナーの表現には、十分にそ
れを実感させるものがあります」。エイズは病気として出現してきましたが、それはまさに「社
会生活の中にまで移行し、社会生活の内部で形をとるまでに」なっています。シュタイナーが示
唆するものがエイズに決まっていると主張するつもりはまったくありませんが――というの
は、エイズ以外にも今後どんな病気が出現するのかは誰にもわかりませんから――すでにエイ
ズを知り体験してしまった私たちにとって、シュタイナーのこの言葉は思い響きを持つものでは
ないでしょうか。
522 :
,:2008/05/28(水) 21:01:23 ID:TD/3JVYb0
いずれにしても、シュタイナーは性および性生活と私たち人間のエゴイズムの関連を深くとらえ、
重要視しているようです。性の商業化や乱れた性関係などの底辺に、欲望と言う名のエゴイズ
ムが潜んでいることは否定しがたいことです。いまや私たち人類は、シュタイナーのこうした予言
を、事実を持って確認するだんかいにはいってしまったのではないでしょうか。それを認
めることはとてもつらいことですが、だからといってそれを否定したり無視したりするこ
とに何の意味があるのでしょうか。いまこそ事実を正面から見据え、それを意識化しなけ
ればならないのではないでしょうか。
最後に、中部ヨーロッパの人々が担うことになるとシュタイナーが指摘している「第3の能力」に
ついて、検証してみることにしましょう。それは医療と衛生学に関するものです。先にも
紹介したように、シュタイナーはこの能力は主に中部ヨーロッパで発達するだろうと予測していまし
た。
【大予言31】薬や治療に関する本能的で危険な認識が生まれ、恐るべき損害をもたらすだろう。
つまりこのとき、ある治療薬についての本能的な認識が生まれてくるわけですが、それ
は有害な認識なのです。医学に関することはすべて唯物論的な意味において、著しく促進
されることになるでしょう。人間はある種の物質や処置が備えている治癒力に関して本能
な洞察を身に付けますがそのためにまた恐るべき損害を引き起こすことになります。しか
し、人々はこの損害を、むしろ有益なものだと言い張ることでしょう。人々は病的なもの
を健康的だと考えたがることでしょう。というのも人間は、ある処置を施していると、し
だいにそれが気に入るようになってくるものだからです。人類を不健康な方向へと導いて
いくものが、単純に好まれるようになることでしょう。こうしてある事象や処置が備えて
いる治癒力に関する認識が高まるわけですが、このような認識は極めて危険な領域に足を
523 :
,:2008/05/28(水) 21:02:49 ID:TD/3JVYb0
踏み入れることになります。というのも、人間は取り分け本能を通して、ある種の物質や
病気に対する処置が生み出す効果に関して、知識を得ることになるわけですが、この場合、
まったく利己的な動機にしたがって、病気を引き起こしたり、引き起こさなかったりする
ことができるようになるからです。
(天使と人間71〜72)
先に紹介したとおり、シュタイナーは、医学がこの先正しい方向に発達していくとしたら、それ
は現在のような物質主義的な医療のあり方を乗り越えたものとならなくてはならない、と
考えていました。すなわち、人間の心と病気の結びつきに関する深い洞察に基づいた医療
が、将来現れることになるだろう、と予測していいました。
しかし、シュタイナーが想定していたことは、そうした楽観的な未来だけではありません。こ
こに掲げたようなまったく悲観的な事態も、ありうることとして考慮に入れたのです。未
来を単純に白と黒のように予想することはできないと言うのが、シュタイナーの教えです。未来
が悲観的なものとなるか楽観的なものとなるかは、わたしたち人間次第なのです。私たち
が人生を生きなければならない意味もそこにあります。
したがって、ここでもシュタイナーは、人類が精神的に進歩することを怠ったまま、なおも現
在のような唯物論的な医療のあり方に固執し続けたらどうなるか、そうした事態を想定し
て述べているのです。治療効果を追求するあまり、人類は今以上に薬物や物質主義的な医
療技術――そこには当然ハイテクノロジーも含まれます――の開発に先進するだろう、だとするな
らば、その結果人類は「恐るべき損害」を被るだろう、とはっきり断定しています。
524 :
、:2008/05/28(水) 21:04:05 ID:TD/3JVYb0
現在でもすでに大きな発展を遂げた先端医療や新薬は、めざましい治療効果をあげる反
面、さまざまな弊害をも引き起こしています。こうした現状を考慮に入れれば、シュタイナーの
予想はすでに実現してしまったと言っても過言ではないのかもしれません。新薬の投与や
臓器移植に伴う副作用の問題は、既に十分に深刻なものとなっています。しかし、医療者
にしてみれば、新薬や先端医療こそ最も効果的な治療方法なのです。
まさにシュタイナーの観察どおり、「人々は病的なものを健康的だと考えたがる」のです。
さて、こうした3つの事態が現実のものとなったら、いったいどうなるのでしょうか?
【大予言32】人間は性本能の逸脱を賛美し、醜いものを美しいとし、美しいものを醜いとするだろう。
ある種の事象や物質の治癒力に関する認識を本能的に拡大していくことに、人間は楽し
みを見出します。また人間は、道を踏み外した性本能を追求することに快感を覚えます。
超人間的で偏見にとらわれない無邪気な心が特別高度に発達したものとして、人間はこの
ような性本能の逸脱を賛美することでしょう。ある意味において醜いものが美しいとされ、
美しいものが醜いとされるのです。そして、人間はこのような事態について何も気がつき
ません。なぜなら、人間はすべてを自然の必然とみなすからです。しかし、それでは、人
類は人間自身の本質に命じられた道程から逸脱することになってしまいます。
(GA183 156〜157)
525 :
、:2008/05/28(水) 21:06:20 ID:TD/3JVYb0
シュタイナーのこの警告は、まるで75年前に、現在のラジニーシやオウムなどの狂信者集団の登場を
予告しているとしか思えません。
「道を踏み外した性本能を追求することに快感を覚える」
とか、
「超人的で偏見にとらわれない無邪気な心が特別高度に発達したものとして、人間はこ
のような性本能の逸脱を賛美する」
という指摘は、そのままカルト教団の悪魔的な本質をみごとに見抜いているようです。ラジニ
ーシが「堕ちた神(グル)」と呼ばれることは、まことに的を得ているといえるでしょう。
さらにシュタイナーは、人類はたとえ誤った道を歩むとしても、そのことにまったく気づかな
い、というのです。この指摘を理解するには、マインド・コントロールにかけられたオウムの幹部や信
者たちの状態を想起してみれば、よくわかるでしょう。
そして、事態が取り返しのつかないところまで悪化したとき、人類はようやく自分たちの
誤りに気づくのですが、これもやはり、警察に留置されて少しずつマインド・コントロールがほどけ、
ようやく人間の心を取り戻して供述を始めているとされるオウム幹部たちのことを考えてい
ただければ、よく理解できるはずです。しかし、シュタイナーはこうした問題について、決して
楽観してはいませんでした。
【大予言33】それは人類にとって極めて悲惨な目覚めになることだろう。
と、シュタイナーは述べています。
さて、このような取り返しのつかないような状況にまでたっした後に、人類はどうなるの
でしょうか?ふたたび正しい筋道へと戻る機会は与えられるのでしょうか。それとも人類
は自らなした行為によって、そのまま消滅するしかないのでしょうか?
残念ながら、ルドルフ・シュタイナーはこの先のことについては何も語ろうとはしませんでした。
この部の前半で紹介したとおり、シュタイナーは、将来人類は機械・優生学・衛生学に関する3
つの能力を開発するだろうという予測を立てていました。そして、そのことが国際間の強
調を生み出すきっかけとなるだろう、という明るい見通しを明らかにしました。ところが、
相する一方で、人類の未来に対して、シュタイナーはこのように非常に暗い予言を語っていたの
です。いったい、シュタイナーのこうした矛盾した態度を、私たちはどう受止め、理解したらよ
いのでしょうか?
526 :
、:2008/05/28(水) 21:09:21 ID:TD/3JVYb0
結論から先に言えば、未来の帰趨はあきまでも人間次第ということです。そのいみで、
人間の行為や思考は決してむなしいものではないし、意味のないものでもないのです。現
在の人間の思考や行為の中から、未来は生まれてくるのです。
したがって、
「人類が精神的にも道徳的にも進歩を続けながら、確実な基盤の上に立って3つの能力の
開発に力を注ぐ」
と言う前提に立つならば、人類は明るい未来を迎えることができるでしょう。しかし、そ
れとは反対に、もし人類が精神的に向上しないままで、現状のように、3つの能力を性急
に、しかも物質主義的な方向のままで「開発しようとするならば、遠からず破局が訪れる
ことになるでしょう。
第二部 堕天使アーリマンの受肉は目前に迫っている。
第一章 シュタイナーの「大予言」はなぜこれほど当たるのか。
1
関東大震災を警告した寺田寅彦博士
第二次世界大戦前に寺田寅彦という人物がいました。寺田寅彦は自然科学者としても有名
でしたが、文学者としても、かの文豪夏目漱石の弟子として広く知られていました。その
寺田博士が大正11年の1月に、「断水の日」と題したエッセーを朝日新聞に発表しました。博
士はそのエッセーの中で、東京と言う都市が、地震のような天災に対してはまったく備えがで
きていないことに、次のように警告を発しています。
『私の頭の奥のほうで、現代文明の生んだあらゆる施設の保存期間が経過した後に起こる
べき種々な困難がぼんやり意識されていた。これは昔天が落ちて来はしないか心配した
木己国の人の取り越し苦労とは違って、あまりに明白すぎるほど明白な有限な未来にきた
るべき当然の事実である。たとえばやや大きな地震があった場合には年の水道やガスがだ
めになるというようなことは、初めから明らかにわかっているが、また不思議に皆がいつ
でも忘れている事実である」
(寺田寅彦随筆集第一巻)
527 :
,:2008/05/28(水) 21:11:20 ID:TD/3JVYb0
寺田寅彦博士のこの不吉な予測が、はやくもその翌年には現実のものとなったのは、誰で
もよく知っている事実です。大正12年9月1日、帝都東京は関東大震災によって壊滅的
な打撃を被ったのです
それでは、なぜ寺田博士にとっては「やや大きな地震が」が、「明白すぎるほどに明白な有
限な未来に来るべき当然の事実」だと考えられたのでしょうか?
それはまず第一に寺田博士が、大都市東京の構造上の弱点を、冷静な科学者の目で徹底
的に観察したからにほかなりません。『断水の日』を読むと、大正10年12月に東京でか
なり大きな地震が起こり、水道の溝渠が崩れる騒ぎがあったことがわかります。
そのとき、ほとんどの人は、水道が復旧するとともに、地震のことなどはすっかり忘れて
しまいました。
「のどもと過ぎれば暑さ忘れる」という諺どおりに、人々が地震をけろりと忘れる様子を、
寺田博士は「不思議」だと評しています。
しかし、優れた科学者である博士の目には、さまざまな不安要素が映りました。
断水の日に、寺田家では電気のスイッチが壊れました。また銀座では煉瓦が破損しました。
こうした事実から、寺田博士は次のように考えました。
『水道の断水とスイッチの故障との偶然な合致から、私はいろいろの日本でできる日用品につ
いて、平生から不満に思っていたことを一度に思い出させられるような心持になってきた
――中略――水道にせよ木煉瓦にせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し
根本的に行き届いていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、
そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的系統的の検定を経た上でなければ、
誰も容認しないことになっていたのならば、恐らくそれほどのことはないと思われる。』
しかし、それでは寺田博士は、こうした防災に関する意識や対策のみで、不安を克服でき
ると考えたのでしょうか?
もちろん、防災に対する意識や対策がなんの役に立たないなどと考えるべきではありませ
ん。全力を尽くしてそうした対策に取り組むべきであることは、ここでわざわざ強調する
までもありません。それは、先進国の中でも特に対策が遅れていると言われているわが国
では、特に強調されるべきことです。
528 :
,:2008/05/28(水) 21:14:11 ID:TD/3JVYb0
2
政治家や役人は、なぜ都市計画を骨抜きにするのか?
しかし、はたして現代のあまりに巨大で複雑な大都市を、地震の様な大災害から守りきれ
るのでしょうか?
現代科学というものを、私たちはそこまで信用してよいものでしょうか?
百歩譲って信用するとしても、それでは平素から、
「科学的考え方以外に信用できるものはない」
と明言している政治家や行政官などの実務家たちは、これまで一体何をしてきたでしょう
か。彼らは科学者の警告に従って完全に科学的な対策を施してきた、と胸を張って言い切
れるのでしょうか?
信用できる一級の科学者である寺田博士が、
「これは昔天が落ちては来はしないか心配した木己の国のとりこし苦労とは違って、あま
りに明白すぎるほど明白な、有限の未来に来るべき当然の真実である」
と認定したことを重要視して、政治家や行政官が関東大震災後に本格的な都市再建と防災
対策に取り組んだでしょうか?
事実はその反対です。
彼らは関東大震災後に提出された本格的な再建案をよってたかって骨抜きにしてしまった
のです。
第二次世界大戦後の事情も、これとたいした違いはありません。
政治家や行政官・経営者などの自他共に実務家と認める人たちこそ、科学を軽視してきた
のです。「科学を信じる」ことだけしかモットーらしいモットーを持たない彼らこそ、実際には自ら
の信念を裏切っているのです。
寺田寅彦博士は「断水の日」を、次のような言葉でしめくくっています。
529 :
,:2008/05/28(水) 21:15:23 ID:TD/3JVYb0
『
こんなことを考えていると我々の周囲の文明と言うものがだんだん心細く頼りないものに
思われてきた。なんだかコタツを抱いて氷の上に座っているような気持ちがする。そして
不平をいい人を責める前に我々自身がしっかりしなくてはいけないと言う気がしてきた。
断水はいつまで続くかわからないそうである。
どうしても「うちの井戸」を掘ることに決めるほかない。 』
現代文明に対する科学者寺田寅彦博士のこうした正直な危惧と不安は、まことに古くて新
しいといわねばなりません。科学的な問題意識だけではこの物質文明の先行きに確かな展
望をもてないことを、寺田博士は80年近くも前に予感していたのです。
その後、こうした現代文明に対する危惧や不安は少しでも軽滅したでしょうか?軽滅どこ
ろか、人類はその生存も危ういところまで来てしまったのです。
私たちの文明の危惧は、すでに回避不能なところまで来てしまったのでしょうか?先進国
では物質世界に閉じ込められた人々はとらえどころのない不安と悩みを抱えながら、何と
かして物質世界を超えて宇宙や見えない世界との意識のつながりを求めようとしています。
それは決してたやすいこととは思われませんが、人類の意識に大きな転換が起きているこ
とだけはたしたなようです。
530 :
,:2008/05/28(水) 21:27:20 ID:TD/3JVYb0
4
「科学信仰」という名の迷信とは?
私はここで、
「予見などと言う非科学的なものを、私は信じない」
という意見を全面的に否定しようとしているわけではありません。ただし、私がここでそ
ういう人にたずねてみたいことは、
「あなたは科学を信じると言いますが、そういうあなたはどれほど科学を知りもせずに相
した信念のみに従っているのなら、それこそ科学信仰という名前の迷信なのではないでし
ょうか?」
ということです。
そもそも科学は認識の対象であっても、信仰の対象ではないはずです。
それなのに、現代には科学信仰というなの迷信が蔓延っています。
だれも気がつかないそうした事実を最初に指摘したのは、ルドルフ・シュタイナーです。
シュタイナーがまさに偉大な預言者のように、共産主義の崩壊とその年を正確に予言したことは
第一部で書いたとおりですが、そのとき以来現在に至るまで、マルクス主義者は自分たちのイデ
オロギーを「科学的」社会主義と呼んできました。こうした事実には、それこそ迷信と呼ぶべ
きいいかげんな科学信仰が見られるのです。そして、4分の3世紀前のシュタイナーの予言どお
り、共産主義社会はあきれるほどに非科学的であった実態をさらけだして、あっけなく崩
壊してしまったのです。
ところで、私たちがよりどころとしている近代の分析的な知性は、必ずしも予言と言う
ような信仰的な行為と矛盾するとはかぎりません。むしろ、この二つを対面的にとらえて、
どちらか一方を絶対否定するような考え方にこそ問題があるのです。
531 :
,:2008/05/28(水) 21:29:18 ID:TD/3JVYb0
ルドルフ・シュタイナーが1920年前後に語った未来予測は、今世紀の歴史に照らし合わせてみ
ると、きわめて正確な見通しだったとわかりました。すなわち共産主義の崩壊(これは具
体的な年まで予告しました)・国家(政治国家)の衰退・医療の荒廃・性のモラルの乱れ・教
育の荒廃・ヨーロッパ列強に対する日本の抵抗と、日本のアジアへの裏切り=第二次世界大戦の
勃発・都市の破滅・産業資本主義の崩壊などです。
最後の二つについては、まだ都市が破滅したわけでも、産業主義が崩壊したわけでもない
ではないかと思われるかもしれませんが、第二次世界大戦ではヨーロッパや日本の主な大都市
はほとんどシュタイナーの予言どおりの壊滅しましたし、最近では地震によって神戸が崩壊しま
した。また、産業主義の未来については、すでに深刻な危機に陥っているというのが良心
的な専門家の間では常識となっており、その予兆は最近の金融界の混乱・エネルギー危機・自
然破壊および公害問題・貿易戦争などにも見られるのです。
産業主義のチャンピォンたる私たちのこの国が現在陥っている大不況も決して循環的・一過
性のものではなく、今度ばかりは抜け出すのはそう簡単なことではないということが、よ
うやく認識され始めています。もしかすると共産主義の崩壊は資本主義の崩壊の序曲に過
ぎなかったかもしれません。
6
人間の心に衝動を与える宇宙的な存在は実在する。
「物質的なものの現れのうちに、精神的な力の働きを見よ」
というのが、シュタイナーの教えなのです。
例えば共産主義を考える場合に、その理論やイデオロギーの妥当性、運動の階級性や党派性な
どを検討するだけでは、不十分なのです。その運動と思想を支えている精神的エネルギー、す
なわち衝動を洞察しなければならないのです。そして、その衝動が物質的なものに向けら
れているか、それとも精神的なものに向けられているかを見通さねばなりません。シュタイナー
はマルクス主義を信じた労働階級の人々がその要求の矛先を富の平等な分配に向けること
を深く理解していましたが、それらの人々の関心が富と言う物質的なものにばかり向かっ
ていくことに、強い懸念を抱いていました。
532 :
,:2008/05/28(水) 21:30:40 ID:TD/3JVYb0
カール・マルクスは、
「精神的なものは物質的なものの上部構造に過ぎない」という考えの下に精神を軽視した
わけですから、その思想を辛抱するプロレタリア階級の運動がもっぱら物質的なものにだけ関心
を向けるのは、当然と言えば当然のことです、
「科学は物質的なものにのみを対象とする。したがって、同じく物質的なもののみを追求
する共産主義も科学的である」
というマルクス主義者の思想(迷信?)の背後に、物質的なものに向かう精神エネルギー、すなわ
ちアーリマンの存在をシュタイナーは見て取ったのです。こうしてみると、
「物質的なものの現れのうちに、精神的な力の働きを見る」
という態度のうちにこそ、20世紀の主要な出来事をまことに正確に予言したシュタイナーの秘
密が隠されていると言うことができるでしょう。
第5章 堕天使アーリマンは、西暦2千年代に地上に降りてくる。
1
科学的人間と精神的人間
大型フォークリフトが大きな騒音を立てながら、まるでカマキリのように盛んに首を上下に振っていま
す。ダンプカーが列をなして行進し、リフトのシャベルがほおりだす泥を、荷台で受止めています。
あたりは、思わず両手で耳をふさぐような騒音と、まともに目も開けていられないほどひ
どい埃です。
533 :
,:2008/05/28(水) 21:32:14 ID:TD/3JVYb0
こうして干潟が埋め立てられたり、森林が伐採されている光景を目にして、心臓がちくち
くと痛むような、なんともいえない、嫌な気がしたことがある人も少なくない事でしょう。
あるいは、コンクリートやアスファルトで塗り固められたビルの谷間の歩道を歩いていて、周囲を取り
巻く無機的なものに圧倒されて、なんともいえない疲労感を覚えた人も、決して少なくな
いでしょう。
「こんなに自然を破壊して、私たちはこの先無事に生きていけるのでしょうか?」たいて
いの人が一端はそう思って不安になります。しかし、すぐにその思いを打ち消すような、
内心の声が囁きます。
「しかたがないだろ。だって、こうしなければ大勢の人が失業してしまうんだ。そんなこ
とをいっているおまえだって、勤め先の会社がこの工事に加わっているじゃないか!そん
な弱きのことでどうするんだ!それとも失業していいのかい?さあ、さあ、いつまでもつ
まらないことを考えてくよくよしないで、さっさと出勤しなさい」
まるで心の中に2人の人間が棲んでいて、正反対の考えを吹き込もうとしているかのよう
です。前に掲げたシュタイナーの予言が思い出されます。個人は2つに分裂し、その二つが戦う
ようになるであろう」
と。
こうして具体的なドラマを思い描いてみると、シュタイナーのこの予言はますます不気味に感じら
れます。いまから80年も前に、シュタイナーは人間がここまで追い詰められることを、正確に
見抜いていたのです。
「二つに分裂した個人」とは、私たち人間の精神が2つに分裂する危機を意味しています。
そして、科学が進歩すればするほどこの危機は深まる、とシュタイナーは予測しています。
アーリマンだの宇宙だのと聞かされると、
「そんなの迷信さ。ばかばかしくて話にならないよ」
と感じる人が圧倒的に多いことでしょう。そういう人に限って、必ずこう言い添えるのです。
「こんなに科学の進んだ時代に、君はなんてばかばかしいことを考えているんだ!」
と。
私たちは、「信仰と科学」・「精神と科学」を対立するものと考え、その間を行ったりきたり
するようになったのです。
534 :
,:2008/05/28(水) 21:33:45 ID:TD/3JVYb0
だからこそ、「個人は二つに分裂し、その二つが戦う」ようになると考えられるのです。一
人の人間の中に、「科学的人間」と「精神的人間」と言う二人の人間が棲みついてしまった
のです。
こうした変化の背後に、私たちの精神を眠らせ、孤立させ、分裂させ、狂気に導き、戦わ
せる目に見えない力の存在を、私たちは見ることも感じることもできないのです。
私たちには良心の声が聞こえます。しかし、その声に率直に従うことはできません。不安
が邪魔するのです。
そうした声に従う代わりに、私たちは数字や統計に従うのです。
なぜなら、そうすることが「世間の常識」だからであって、真実だからでありません。
私たちの人間の心を操るそうした目に見えない力こそ、アーリマンの力なのです。
アーリマンとは人間の観念が生み出した幻像や比喩などではありません。あるいは生命のない概念でもありません。
アーリマンとは具体的で、生々しい実在なのです。
2
【大予言43】アーリマンは、西暦2000年代に西洋に人間として現れるだろう。
【大予言43】アーリマンは、西暦2000年代に西洋に人間として現れるだろう。
紀元前3000年紀(紀元前2000年代)のはじめにルシファーが受肉したのとまったく同じ
様に、またゴルゴタの秘儀の時代(紀元後一世紀頃)にキリストが受肉したのとまったく同
じ様に、私たちが今の地球上に存在したしばらく後に、つまり3千年紀(西暦2000年
代)にアーリマン存在が西洋に受肉します。
(悪の秘儀 第3章)
535 :
,:2008/05/28(水) 21:35:21 ID:TD/3JVYb0
ところで、目に見えない霊的な存在たちが「受肉する」とは、どんなことを言うのでしょ
うか。アーリマンの精神は受肉することはできませんが、人間の肉体に入り込むことはできます。
つまり、一時的に人間の魂に浸透し、人間の肉体を貫くことはできるのです。するとアー
リマン的な知性の見事な、光り輝くような、ぬきんでた精神は、個々の人間の中で働く場
合よりも強いものに、遥かに強いものになります。アーリマンの精神に貫かれたその人間は、そ
れまでに、つまりアーリマンに貫かれるまでに、非常に多くのことを学んでいるかもしれません。
この人の物質対つまり肉体が学んだ事柄によって完全にとらえられるならば、あるアーリマンの
精神が、しばらくの間、その人の肉体に入り込むことができるのです。そうなれば、その
人の目を通してみているのがアーリマンだということになります。つまり、その人の指を動かし
ているのがアーリマンです。その人となって鼻をかんでいるのがアーリマンです。
(GA237 160)
すなわちアーリマンは、この世に人間として誕生するのではないのです。
アーリマンの精神は、現に生きている人間の中にしばらくの間入り込むのです。たとえば、私た
ちが学校で習う歴史は、次のように教えています。
「アレクサンダー大王の遠征を通じてギリシアの文化とアジアの文化が出会い、一つに溶け合って、ヘレ
ニズム文化という新しい文化が誕生した」
まさにその通りです。
しかし、ここで説明されているのは出来事の外面に過ぎません。
したがって、私たちはここからの出来事の「結果」を知ることはできますが、「原因」を知
ることはできません。
私たちがこの出来事の「原因」を知ろうとすれば、アレキサンダー大王の心の内を探らな
ければならないのです。
つまり、この場合なら、アレキサンダー大王の「動機」とか「衝動」を知る必要があるのです。
そうした「動機」や「衝動」を含む目に見えない働きを、私たちは、「精神」として知って
います。
こうしたいわば人間の「内的な観点」から歴史を見るならば、同じ一つの出来事がまった
く違って見えることに気づくはずです。
536 :
,:2008/05/28(水) 21:38:54 ID:TD/3JVYb0
さきほどの事例を再び取り上げるなら、
「アレクサンダー大王の中にある精神がやどり、ギリシア文化とアジア文化という異なる二つの文化を
一つにまとめよう、そして新しい文化を生み出そうと言う衝動が生じた。この精神は地上
に作用を及ぼすために、アレキサンダー大王と言う実力ある大人物を通じて、人間の関心をコスモポ
リタン的な方向に向かわせ、偉大なヘレニズム文化を創造した」
と、見ることができるのです
3
日本政治の謎
ここで、最近のこの国の出来事に目を転じてみましょう。
皆さんご承知のように、1970年代にT氏という一人の政治家が活躍しました。このT
氏の信念は、
「政治は数である」というものでした。
そう、数です。
前の章でも詳しく論じましたが、現代の特徴的傾向の一つは「数を好む」ことです。こう
した傾向は特に学問に強く現れていますが、学問に限らず現代生活すべての分野に見て取
ることができるものです。
T氏はこうした現代人の精神的傾向を政治に持ち込んだのです。
多くの人々がT氏を「天才的政治家」として称賛しているのは、あながち理由のないこと
ではありません。
なにしろT氏は、選挙民の心を見抜くことに掛けては、抜群の才能を発揮したのですから。
少なくとも次のように見ることはできるでしょう。
「T氏は、70年代の日本人が備えていたある精神的な傾向を体現する人物だった」、と。
こうした内なる観点から政治的傾向を見つめてみると、面白いことに気づきます。
与党は常に「数」を頼み野党は常に「イデオロギー」を頼んだ、と言う事実です。
537 :
300 KB:2008/05/28(水) 21:40:49 ID:TD/3JVYb0
「数」といい「イデオロギー」といい、それが現代人の精神内容を特徴付けるものであること
は、すでに本書を読み進んでこられたみなさんは、よくご存知のことでしょう。「数」の中
にも「イデオロギー」の中にも、理想主義や暖かい人間性は生きることができません。したが
って、「数」や「イデオロギー」を大切にする政治は、崇高な理念に従うことはできないのです。
「水と油のように決して溶け合わない自民党と社会党が、独立政権を作っているのはおか
しい」
と言う意見をよく耳にしますが、こうしてみると、それは外面的な浅い見方だということ
がわかります。両政党が水と油のように見えるのは、実は見かけだけのことなのです。本
質的には、両党とも「数」や「イデオロギー」に頼むという現代的な内的――精神的本質を持
っているのです。
共産主義陣営の崩壊によって「イデオロギー」を頼む政治が終わりを告げると、この国の政
治が「数のゲーム」になってしまったことも、こうして「内なる観点」を持つことによっ
て、初めてその謎を解くことができるのです。
4
【大予言44】十字軍の中に堕天使アーリマンがいた!
私たちは「ヨーロッパ信仰の力が、かつてローマ人がカネを送り込んだ地域にどのようにオー
ラを送り込むか」と言うことを知っています。十字軍に従事した人たちは、ローマ人がもたら
した金と、持ち込まれたカネの結果として東洋に生み出されたものに出会いました。つま
り、一方ではローマの黄金と、他方では東洋のグノーシスに出会ったのです。私たちは十字軍が起
538 :
,:2008/05/28(水) 21:43:19 ID:TD/3JVYb0
こったときのこのオーラを観察しなければなりません。それはまったく、」ヨーロッパ的信仰の力
のオーラでした。これが、十字軍と言う絵を構成する一つの色調です。そしてこの色調の中に
ーーその気になれば、ただ一つの色調として絵をかくこともできるはずですーー生まれつ
つある意識魂の時代の別の絵を置いて見ましょう。この絵を、どのようにしておくべきで
しょうか。私たちはここに、1108年生まれのベネツィア共和国の提督ダンドロを置けばよい
のです。ダンドロは昔コンスタンティノープルにいたとき、トルコ人に目を潰されたことがありました。こ
のダンドロこそ、アーリマンが受肉した人物です。そして、ダンドロは目が見えなかったにもかかわ
らずベネツィアの提督を務めました。このベネツィアが、いまお話したダンドロの精神の中に、アーリマン
の精神を入り込ませたのです。このダンドロ提督がコンスタンティノープルを征服して、最初の十字軍
の精神とその後の十字軍の精神の間の橋渡しをした瞬間は、世界史の上でもきわめて重要
なものでした。それはどのようなものだったのでしょうか。最初のうち十字軍に従事した
人たちは、取り残されている聖地や聖遺物が集められはしたものの、それはすべて資本を
形成するために利用されたのですー―。ベネツィアの影響を受けて、聖遺物はしだいに株券の
ように取り扱われるようになりました。聖遺物の価格はどんどん上がっていきました。資
本主義的なオーラが広がり初めました。このダンドロこそ、アーリマンの精神が受肉した人物なので
す!
(GA181 355)
十字軍(1096〜1270)は当初、宗教的な情熱の支えられて、イスラム教徒から聖地エルサ
レムを奪い返すために開始されました。しかし、回を重ねるごとに本来の宗教的意識はうす
らぎ、次第に指導者の政治的・経済的思惑に支配されるようになりました。
539 :
,:2008/05/28(水) 21:48:23 ID:TD/3JVYb0
ここでシュタイナーが述べているコンスタンティノープル占領とは、悪名高い第4回十字軍(1202〜1
204)のことです。
第4回十字軍を操っていたのは、ベネツィアの商人たちでした。そして、この十字軍は聖地回
復と言う本来の目的を捨てて、あろうことか同じキリスト教国であるビザンティン帝国の首都コンスタン
ティノープルを攻めたのです。ベネツィアは奪い取ったコンスタンティノープルにラテン帝国(1204〜126
1)を建設し、ここを拠点として盛んに商業活動を始めました。十字軍の兵士たちは、各
地で略奪や暴行を繰り返すようになりました。もはや十字軍本来の宗教的な情熱はま
ったく失われ、あさましいまでの経済上の利益追求と人心の荒廃だけが目立つようになりました。
ベネツィア提督エンリコ・ダンドロは、第4回十字軍の立役者でした。ダンドロは聖なるものや精神的
なものへの畏怖の念など、かけらも持ち合わせていませんでした。そして、聖遺物を単な
る商品と見なしたのです。この男はまるで来るべき資本主義社会の精神を先取りしたよう
な人物でした。
シュタイナーは、この男ダンドロにアーリマンの精神がやどったのだと語りました。
アーリマンの精神は、ある人物の心の中に入り込むのです。そして、その人物の行動を通じて地
上の世界に影響を与えるのです。
ここに一人の人物が居ます。優秀な頭脳の持ち主で、知性主義的で物質主義的な思考方法
を身に付けていたとします。このような人物を、アーリマンは自分の目的を果たすのにおあつら
え向きの人間として注目するのです。そして機が熟したとみると、一定期間その人物の中
に入り込むのですこれがアーリマンの受肉です。
アーリマンは胎児として母親の胎内に宿るのではありません。たとえばダンドロは生まれたとき
はごく普通の人間でした。しかし、後にトルコ人に目を潰されたとき、彼の心の中には暗
い怨念の炎が燃え上がったに違いありません。
「いつか必ずトルコ人に、東方世界に復習してやるぞ!」
と思ったに違いありません。
540 :
,:2008/05/28(水) 21:50:00 ID:TD/3JVYb0
ダンドロは、次第に優れた政治経済に関する能力を身に付けていきました。
優秀な頭脳を持ち、しかも激しい憎しみの念を抱いているダンドロに、アーリマンは白羽の矢を立
てたのです。アーリマンは知性と悪意が結びつくのを好みます。知的なものによって、人と人が
争うのを見るのがすきなのです。
アーリマンは、こうして地上の世界に大変化を引き起こすのです。
5
【大予言45】地球の文化はすべて堕天使アーリマンの手に落ちるだろう。
再度、歴史を振り返ってみることにしましょう。こんどは中世だけでなく現代に目を移し
て見ましょう。
人類社会に巨大なダメージを与える存在というものは、いつでも登場したばかりの頃には
大衆の熱狂的な支持を受けるものです。
例えば、アドルフ・ヒトラー(1889〜1945)がそのいい例です。
シュタイナーはアーリマンの登場について詳しく次のように語りましたが、わずか十年後にドイツにヒトラー
が登場した歴史的事実を、読者の皆さんはどうか意識をなさって読み進んでください。
さて、政権を獲得したばかりの頃のヒトラー人気は、すさまじいばかりのものでした。
その人気はドイツ国内にとどまらず、それを見たイギリスやフランスの政府までが、当初はヒトラーを指
示してきたのです。
こうした現象は、ヒトラーの場合に限らず、歴史上数多く見られます。
541 :
、:2008/05/28(水) 21:53:52 ID:TD/3JVYb0
もし人間がアーリマンへと続く流れを正しい方法で理解し、洞察し、つい先日お話したような正
しい軌道へと向かうことがないならば、何が起こるでしょうか。そうなれば、アーリマンが特定
の時期に西欧世界に受肉するとすぐに、人類の文化はアーリマン化されることになります。アーリマ
ンは何をもたらすでしょうか。アーリマンは見事な技術を用いて霊視的な知識に関して、それま
では大変なくろうと努力と引き換えにすることによってのみ獲得することができたあらゆ
るものをもたらします。それがいかに計り知れないほど快適なものになるか、考えてみて
ください。人間は何もする必要がなくなるのです。人間は物質的に安心して生きることが
できるようになるでしょう。人間は戦争の破局(訳注 この講演は第一次世界大戦直後に
行われた)がやってきた後ですら、食べたり飲んだりすることができるようになるでしょ
う。そして、何らかの精神的な努力について、心を煩わせる必要もなくなるでしょう。アーリ
マン的な流れは、「美しく、善く」進行していくことでしょう。正しい時期にアーリマンが西欧世
界に受肉するならば、アーリマンは巨大な秘儀の学院を創設するでしょう。この秘儀の学院では
きわめて壮大な魔術が行なわれ、かつては苦労することによってのみ獲得できたものすべ
てが、人類の上に注ぎこまれることになるでしょう。私たちはここで、「地上に降りてくる
アーリマンが一種の悪魔のような姿をして、人間に対してできる限りの悪を働く」などと、俗物
的なことを考えてはいけません。そうではないのです。「私たちは精神科学について何も知
りたくない」という不正な人たちはみな、アーリマンの魔力に負けてしまうのです。というのも、
アーリマンは壮大な方法で、魔術によって非常に多くの人を例死者にすることができるからです。
アーリマンは個々の人間を恐ろしいほど霊視的にするでしょう。しかし、どのように霊視的にな
るかは、ここの人間でまったく異なっています。一人の人間の見るものは、2番目の人間
542 :
,:2008/05/28(水) 21:57:38 ID:TD/3JVYb0
には、そして3番目の人間には見えないのです。人々は混乱し、霊視的な知恵の基礎を受
け取ったにもかかわらず、争いになったり、喧嘩したりするようになります。なぜなら、
様々な人間が見るものは、それぞれ極めてことなったものになるからです。しかしながら
最終的には、人々は自分の霊視能力にとても満足するようになるでしょう。というのも、
かれらはそれぞれレイシを覗き見ることができるようになるからです。しかし、その結果、
地球の文化はすべてアーリマンの手に落ちることになるでしょう。自分の力で身に付けなかった
ものをアーリマンから受け取ることで、人類はアーリマンの手に落ちるでしょう「今の状態にとどま
りなさい。君たちが望むなら、アーリマンは君たちを全員霊視的にするだろう。なぜなら、アーリマ
ンは大きな力を持つようになるのだから」というのは、人間に与えうる最も悪い助言になる
でしょう。その結果、地球上にアーリマンの王国が建設され、地球全体がアーリマン化されるでしょ
う。そして、それまで人間の文化によって築きあがられてきたものは、いわば崩壊してい
くことになには、そして3番目の人間には見えないのです。人々は混乱し、霊視的な知恵の基礎を受
け取ったにもかかわらず、争いになったり、喧嘩したりするようになります。なぜなら、
様々な人間が見るものは、それぞれ極めてことなったものになるからです。しかしながら
最終的には、人々は自分の霊視能力にとても満足するようになるでしょう。というのも、
かれらはそれぞれレイシを覗き見ることができるようになるからです。しかし、その結果、
地球の文化はすべてアーリマンの手に落ちることになるでしょう。自分の力で身に付けなかった
ものをアーリマンから受け取ることで、人類はアーリマンの手に落ちるでしょう「今の状態にとどま
りなさい。君たちが望むなら、アーリマンは君たちを全員霊視的にするだろう。なぜなら、アーリマ
ンは大きな力を持つようになるのだから」というのは、人間に与えうる最も悪い助言になる
543 :
,:2008/05/28(水) 21:58:34 ID:TD/3JVYb0
でしょう。その結果、地球上にアーリマンの王国が建設され、地球全体がアーリマン化されるでしょ
う。そして、それまで人間の文化によって築きあがられてきたものは、いわば崩壊してい
くことになるでしょう。現代の人間が無意識的な傾向の中で欲しているよくないことが、
るでしょう。現代の人間が無意識的な傾向の中で欲しているよくないことが、
すべて実現されることでしょう。ここで問題となるのは次のような点です。つまり、霊視
的な種類の未来を再びアーリマンの手から取り去らなくてはならないのです。私たちはここで、
「本は1冊しかない。知恵は二つ存在しない。一冊の本だけが存在するのだ」と、言うこ
とができます。ここで問題となるのはその本を持つのはアーリマンなのか、それともキリストな
のかという点です。人類がそのために戦わないならば、キリストはその本を持つことはで
きません。そのために戦うことができるようになるためには、人類は「私たちはアーリマンが地
球上に現れる時点までに、自分自身の努力を通して精神科学の内容を獲得し終えていなく
てはならない」と、自らに向かっていう必要があります。これが、精神科学の果たすべき
宇宙的な仕事のないようです。精神科学の果たすべき宇宙的な仕事の本質は、「未来の学問
は、このままアーリマン的であり続けることはできないだろう」という点にあるのです。
(GA191 274)
544 :
,:2008/05/28(水) 22:00:00 ID:TD/3JVYb0
再びヒトラーに話を戻しましょう
こうしてヒトラー人気は国の内外に急速に広まっていきました。ヒトラーの説くナチズムは「美しく、
善き」ものとして、熱狂的に受け入れられたのです。
ヒトラーが「美」に執着したことは有名な話です。「美」に執着したこの独裁者は、絵画や古
美術の名品を世界中から掻き集めてコレクションしました。また、ヒトラーの元で開かれたベルリン・オリ
ンピックは、「美しい」ゲルマン民族の優越性を世界に見せ付けることを目的として開催されたの
です。シュタイナーはあるとき、シュトゥットガルト――一時期ここは人智学運動の本部がありましたー
ーの街頭に立ち、
「やがてこの都市も瓦礫の山となるだろう」
と、つぶやいたといわれています。
第二次世界大戦末期の連合軍の空爆によって、シュタイナーのこの予言はまさに現実のものとな
ったのです。
「自分の力で身に付けなかったものをアーリマンから受け取る」
というシュタイナーの言葉について、少し考えて見ましょう。
「あなたの潜在能力を開発する」といった触れ込みの講座が、いつも大流行です。いわく、
「頭がよくなる講座」「対人関係に強くなる講座」「人よりも早く本を読み、その内容を理
解するための講座」「積極的思考によって成功するための講座」など、数え上げればきりが
ありません。
たとえば理解力を身に付けるためには、本来私たちは何年も何十年も学習を続け、努力を
傾けなければならないわけですが、こうした講座では、それを短期的に、楽に身に付ける
ことができるというのです。なぜなら、そこでは誰かの手で開発された一定のプログラムにの
っとって能力開発が行われるからです。つまり能力を開発するのはその人ではなく、プログ
ラムなのです。
また、少し、前には、α波開発法というものがブームになりました。リラックスしている人間の脳
波を測定してみると、α波と呼ばれる波動が検出されます。。だから、人工的に人間の脳に
α波を発生させるようにすれば、ストレス解消にはなるし、集中力や記憶力も高まるというわ
けです。
545 :
,:2008/05/28(水) 22:01:58 ID:TD/3JVYb0
α波を開発したいと思う人は、ホッドフォンで特殊な音波を聴かせます。あるいは、点滅する
光を長時間見続けるように指示されます。たしかにその人の脳はα波を発し始めます。
つまり、自分の力ではリラックスできない人間を外側から機会の力でリラックスさせようというのです。
α波開発法のほかにも、CDやビデオなど様々な種類のリラクゼーション・グッズが売り出されてい
ます。またリラックスするための各種セラピーもあり、さらには薬物の類を用いてリラックスしようとす
る人も決して少なくありません。
現代人の多くは不安やストレスから自分を解放するために自分の思考方法を改めるのでなく、
現在の価値観にしがみついたままで、何らかの外的――機械的な方法でそれを実現しよう
としているのです。
これこそまさに、シュタイナーが予言した「秘儀の学院」ではないでしょうか。
アーリマンはこれからも、外側から物質主義的に人間の精神を変えていく方法を広めることでし
ょう。
こういう方法がさらに徹底されていくならば、もはや真に自由な人間は居なくなり、無図
からの精神のありようを機械や薬など外的・物質的なものに頼るほかない奴隷のような人
間が増え続けるのではないでしょうか。
6
【大予言46】人類の身に降りかかる困窮の中で、人々は非常に発明の才に恵まれるようになる。
アーリマンはある一人の人間となって、「地上の諸力の中から呼び出すことのできる力を洞察力
を用いてすべて利用するならば、人間はいかに途方もない洞察力を身に付けることができ
るか」ということを、人々に示すことでしょう。
(GA191 200〜201)
546 :
,:2008/05/28(水) 22:03:14 ID:TD/3JVYb0
シュタイナーがこう語った1919年から22年後に、世界は第二次大戦に突入しました。まさに、
「きわめて近い将来に人類のみに降りかかる困窮」
という予言の的中です。
それでは第二次世界大戦中に何がおきたでしょうか?
発明ラッシュです。ちょっと考えただけでも、原爆、細菌兵器、ロケットなどの発明が思い浮かび
ます。まさに、
「人々は非常な発明の才に恵まれ」
た、というわけです。
さらに、シュタイナーの予言に耳を傾けてみましょう。
【大予言47】世界の諸力や物質の中から、人間に栄養を与えるものがいくつも発見され
るだろう、、、しかし、人間は食べたり飲んだりすることで賢くなるが、精神的になること
はない。
、、、世界の諸力や物質の中から、人間に栄養を与えるものがいくつも発見されることでし
ょう。しかし、そうしたものが発見されるとき、人間は同時に「物質的なものがどのよう
に悟性の器官とー―精神の器官ではなく、悟性の器官とー―つながりあっているか」とい
うことを認識することでしょう。人々は、本当に賢くなるためには何を食べ、何を飲むべ
きかを学ぶようになるでしょう。人間は食べたり飲んだりすることで精神的になることは
できませんが、そのことによって非常に賢く、つまり洗練された方法で賢くなることはで
きるのです。
数年来、ドコサヘキサエン酸(DHA)のような物質を含んだ食物が、「頭のよくなる食品」とし
て注目を集めるようになりました。他にも健脳食とか頭脳開発食などと銘打たれた食品は
続々と売り出されています。こうした健康食品ブームはまさに、シュタイナーが今世紀初めに予
言したとおりの事態となっているのです。私たちは食べることを通じて、できるだけ賢く
なろうとしているのです。
前章でも別の角度から見たとおり、現代人の知性に対する欲求はそれほど強いのです。
しかし、ここでシュタイナーが指摘している「賢くなる」ということと、「精神的になる」という
ことは、どのようにちがうのでしょうか?
さらにシュタイナーの言葉に耳を傾けてみることにしましょう。
547 :
,:2008/05/28(水) 22:04:34 ID:TD/3JVYb0
7
物質的な脳は、抽象的な思考を生み出す。
人間は実際、すべての素質としては精神的―魂的なものからなりたっています。この精神
的―魂的なものは、私たちが受胎し、誕生する前から生きています。精神的―魂的なもの
は、以前の地球上での受肉から次第に生じてきたものです。それは霊界を通過してきたの
です。そしてそれは、この地上で肉体を受け取ることによって、神経システム、骨格システム、
血液システムから成り立つ物質的な構造を作り出します。つまりここに「精神的―魂的人間」
と、その似姿である「物質的―肉体的人間」の二つが出来上がることになります。そして、
私たちが通常の抽象的思考をするとき、何が私たちの内部で考えているのでしょうか。そ
のとき考えているのは、精神的―魂的人間ではありません。私たちが抽象的に思考し、地
上的な論理を最も働かせるまさにそのとき、私たちの中では肉体的な脳が思考しています。
「脳が思考する」という唯物論者たちの主張は、抽象的な思考がなされる場合にはまった
く正しいのです。物質的な脳は、精神的な脳の摸造に過ぎません。そして、この摸造とし
ての物質的な脳が、抽象的思考という一つの構造を生み出すのです。私たちがこのことを
知っておくのは、とても重要なことです。ですから私たちは「抽象的に思考する場合には
脳が考える」と、いうことができるのです。
(GA197 124〜125)
548 :
、:2008/05/28(水) 22:22:28 ID:TD/3JVYb0
脳だけを働かせる場合には、私たち人間は地上的な論理の世界にのみ関わっているのです。
人間と自然あるいは自然の諸現象相互の関連や、人間と宇宙との繋がりなどは、抽象的な
論理でとらえることはできません。それは、私たちが精神や魂を働かせて思考するときに、
初めてとらえられるものなのです。したがって、食物によって脳を刺激しても抽象的すな
わち論理的な思考力(=悟性)は発達することがあるとしても、精神や魂はまったく発達
することはないのです。
論理性ばかりが発達し精神や魂が発達しなければ、私たち人間は何をするか、何処へ行
くか解りません。
私たちの周辺で、毎日のように起きている忌まわしい出来事の数々、特に青少年が起こし
ている諸事件は、何を物語っているのでしょうか?
一日も早く相した社会問題の真の原因を理解し、これまでの生き方・考え方を改めなけれ
ばならないと、それらの事件は私たちに教えてくれているのではないでしょうか。
ルドルフ・シュタイナーの大予言―――了