秦(はた)一族とは?

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1天之御名無主
仮説ではヘブライ人の血筋とか・・。一体何物?
2天之御名無主:02/10/06 16:04
もうおなか一杯です。
3天之御名無主:02/10/06 16:45
オカルト板をおすすめします。
4天之御名無主:02/10/06 17:19
>>1
重複
日ユ同祖スレで激しく既出
5天之御名無主:02/10/06 21:30
秦氏は渡来人で、新羅系ですね。能登半島の先端、珠洲市の珠洲神社は神主は秦という姓だ。
6天之御名無主:02/10/06 22:03
7テラ銭ドロボー:02/10/06 22:31
人類みな兄弟!一日一善!
8天之御名無主:02/10/07 00:20
>5
新羅系というな。ツングース系のフヨ族や秦の乱で半島に逃れてきた
西域雑居ペルシャ系や柵外の秦人らが秦韓をつくり、さらに馬韓、伽羅(任那)
の3国時代をつくった。伝説では高句麗王ヘブルの息子の一人フツ(山彦)が
日向のフツに天孫降臨。
新羅、出雲、河内遠征で初期大和朝廷の始祖ニニギー神武ー応神となった説もあり。
日本書紀では一応、応神天皇の支援を受け、新羅攻撃をかわし逗留地の百済から
2万人の人民を抱え秦氏ウズマシャ(族長)弓月王が古代最大規模の移住をなしたとしている。
(勿論氏族伝説、弓月クアンユは自称秦始皇帝15世)





9天之御名無主:02/10/07 00:21
応神、仁徳と巨大化する墳墓と馬具出土は、その後続く秦氏系渡来とは無関係ではない。
最古の存在確認がなされている秦大津父は初代大蔵卿で、記紀によると次期天皇の夢に現れ
捜索され召抱えられたのち、古代律令制の基盤となっていく庸、調などの税収を先例として
全国の秦氏一族に課すことで基盤の弱かった天皇家の藩屏としたらしい。
大化の改新以降、藤原氏が後に妻をたびたび秦氏からとっているように、祭祀、経済、文化
の基盤領域からでることはなく、日本独特の二重構造の礎もなす。
10天之御名無主:02/10/07 00:22
おなか一杯というより、すでに体調を崩して死にかけているような予感・・・
11天之御名無主:02/10/07 00:22
京都を開墾し聖徳太子の上宮家
パトロンをしていた有名な6代目河勝の半島、中国チャネルは、列島が倭人から日本人の国に
変貌した事実をアジア諸国に知らしめ,故地のシルクロードとの交流にも役だった。
後に近江秦氏ら全国の秦氏協力による平安遷都のおり、河勝の邸宅は都市開発の要である
御所になっている。松尾神社、賀茂神社のお水とり、広隆寺の牛追い、伊勢神宮の移動型
神殿、天皇家の祭祀と秦氏らが体系化した神道の関係に、東方カバラ、原始ユダヤキリスト教
の影響をみるエンターテイメントが明治以降華盛り
12天之御名無主:02/10/07 01:22
>>8 ツングース系のフヨ族や秦の乱

なんていうと民俗板の祖、柳田某、折口某とかが戦後徹底してアンチ騎馬民族説
にたってるから、ここではカルト扱いされてしまうよ
ここの連中はいまだに土俗の倭人が巨大墳墓をつくり、鉄器と列島にいなかった
馬の存在を無視したままで、日本文化の根源とやらを研究してるみたいだからw
ていうか、門外漢だけど、日本の神話学って存在してるのか?

伊勢の常世信仰も、記紀では「秦河勝こそ神のなかの神、常世の神」
と謡われたといってるし、秦氏は蛇,狼を助ける貴人として描かれている
渡来氏族にしては異様な分量で何人も登場し、極端に聖徳太子をあがめる
日本書記の狙いが、秦氏と連携をもつ藤原不比人の複雑な政治宗教状況を
物語っている(確か中臣は対馬の亀甲占い師だよな)
13天之御名無主:02/10/07 01:33
カルトとオカルトを混同するヤシに語ってもらいたくないのう
>>all
重複 。
日ユ同祖スレで激しく既出 。
14天之御名無主:02/10/07 02:10
江上の師匠の佐伯博士は
アラム語のイエフダ(イスラエル?)−ハダ(秦)と読んだ
よって、スレタイの「秦(はた)一族とは? 」は
秦(はだ)の間違い?
書紀にも「媛の吉備鴨氏の葉田(はだ)に応神が逗留
して、鴨氏の息子達が競って饗宴をした」とでてくる
大和天皇家は最初から女系は秦氏だったかもしらん
鴨氏は今も続く賀茂神社の天皇祭事葵祭りを司る鴨氏

秦(はた)説は、波坦(パタン・海を渡る)の韓国学者説ーーー×



15天之御名無主:02/10/07 02:27
>騎馬民族説がオカルト
なら奈良あたりで発掘されてる3世紀以降のオンドルや、馬具、ポシエット
あれなんだよ?長江あたりの大陸弥生人のものか?(w
せめて日ユ論と秦氏論は切り離して語れや
ちなみに佐伯氏の「景教ーー秦氏論」は本人もその後否定している
16:02/10/07 02:38
17天之御名無主:02/10/07 22:19
まぁ、ここも日ユ同祖スレみたいになっていくんだろうけど(w、
せめてsage進行でいってもらいたいもんだ。
18ふ〜ん:02/10/10 04:06
いや、タイトルがマイナーなんですぐに消える運命
19天之御名無主:02/10/11 21:24
日本史板でし
20ヘレ夫:02/10/12 18:22
nnnn
21スノーク:02/10/12 18:39
これまた はたはった
22天之御名無主:02/10/12 19:55
秦氏ネタで卒論を書こうとしているお嬢さんに何かアドバイスをください。
23天之御名無主:02/10/12 20:10
>>22
まず自分の画像をうpしる
2422:02/10/12 20:53
>>23
俺は♂だよ
お嬢さんは俺の友人だよ
25ふーん:02/10/13 03:03
成城大にたしか専門研究者がいて、本をだしてる
最初の律令制度、隼人など披征服豪族の藩屏化、などの主題で
おそるおそる天皇制度確立へのフィクサーとしての秦氏を
地味にやっていたような。
巨大土木工事、平安京建築、神社建設、蚕とかの殖産などについては
たんたんと流していた、ミステリアスすぎて取り扱いしずらいんだろうな
けっしてアスカ本などの影響で、カバラうんぬんはやらないようにw
やはり、聖徳太子と河勝あたりからやるのが、基本でしょう
子孫の世阿弥から現代の東儀までにみる、雅楽などペルシャの大和分化
への影響などをいれれば、オリエンタルテーストで好感度も高くおしゃれでし。
26天之御名無主:02/10/17 01:06
なんだ、ふーんはこっちにいたのか
日本史板に秦タイ人説というスレがあるが、説教しなくていいのか
27天之御名無主:02/10/17 01:10
はた→秦
たい→泰
 
ああ、似てる、似てる。はいはい。
28天之御名無主:02/10/19 13:26
はためいわくで、おめでたいはなし
29天之御名無主:02/10/20 02:58
大化の改新のちょっと前に秦河勝が常世信仰を東国で広めている大生部多と
いう人物を撃ったっつうのを前になんかで読みました。でも秦氏は常世姓を
賜わってたり常世信仰とは深い繋がりがありそうだす。こりはようするに同
族が同族を撃ったということなのか。12の言うとおり河勝自身が常世神な
場合は殺す必要はないはずだが?なにか裏がありそうだ
30天之御名無主:02/10/20 08:39
電波入ってるね、ここ。
31天之御名無主:02/10/24 13:07
>>30
こっちのほうがすごぞ。

【ロマン】日ユ同祖論が真実ならばPart2【妄想】
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/min/1018626657/

Part1からこのスレの最初のころまでは、まだ、否定論者の人たちが
一つ一つぷちぷちと反論していたけど、そのうち、圧倒的な電波量に
あきれたかレスがなくなり、それと同時に、ロマン派を自称していた、
歴史的事実はどーあれ楽しもうという人たちも、一方的な電波垂れ流
しにあきてしまっていなくなった。

おかげですっかり電波隔離スレに。正直、最初からスレに目を通すと
頭がくらくらしてしまうので、要注意(w
32山崎渉:03/01/11 03:19
(^^)
33天之御名無主:03/01/31 02:29
>秦氏は常世姓を
>賜わってたり常世信仰とは深い繋がりがありそうだす
常世さんって人は渡来系?赤染氏も。
34天之御名無主:03/01/31 04:49
>>29は支離滅裂。
常世氏はもとは赤染氏といって後に改名したもの。最初から常世氏だったわけではない。
つーかそもそも秦氏ではない。
35天之御名無主:03/02/25 21:41
何故、平安時代以後は歴史の表舞台から消えてしまったんだ?
36天之御名無主:03/02/27 23:57
秦姓だと祭事、技術職、税務職の専門に押し込まれるので、藤原姓に
すりかわった
37天之御名無主:03/02/28 00:57
>藤原姓にすりかわった

また、はっきりした証拠もないことを自信満々に断言するなぁ・・・。
38天之御名無主:03/02/28 05:36
>>37
詳しくは知らんが、あれだけ強大な勢力を誇り、京都を支配していた秦氏が
なぜか消滅に等しい状態になり、逆に消滅寸前だった中臣氏(藤原に改名)が
突如として強大化して京都で栄光に輝き出した。
この藤原氏と秦氏は系図上、濃密な姻戚関係で結ばれていたことになっている。
それって、ずばり、「藤原氏=秦氏じゃないの?」という仮説は成り立つ。
39日本@名無史さん:03/02/28 05:59
聖徳太子の側近にしてもその後の天智の側近にしても邪魔者は殺されてる。
秦氏がその後、各地で信仰の対象になったことも考えると、やはり歴史の表舞台
から抹殺されたのではないだろうか。想像だけど。
40天之御名無主:03/02/28 10:55
>逆に消滅寸前だった中臣氏(藤原に改名)が
>突如として強大化して京都で栄光に輝き出した。

中臣氏が消滅寸前だった?
藤原氏の祖である中臣鎌足は、当時、有力貴族しか入れなかった南淵請安の私塾にも通っているし、皇極3年には朝廷祭祀官への要請もなされている。
しかも、これをわざわざ固辞して別宅に退き、軽皇子や中大兄皇子との関係を深めていたのだから、消滅寸前というのはおかしいだろ。

あと、藤原氏が強大化した理由は小学生の教科書にも載っていると思うんだが。
41天之御名無主:03/03/01 15:23
長宗我部氏も秦氏だよ。歴史から消えてはいない。
42天之御名無主:03/03/01 18:45
秦氏と関係が深かったのは蘇我氏じゃなかったけ?
43天之御名無主:03/03/01 20:26
44天之御名無主:03/03/10 01:03
秦対加茂の権力争いも興味有るな
45天之御名無主:03/03/10 02:14
>>44
秦族と上賀茂族・下鴨族は、山城の地で仲良く共住していたのではないのですか。
46天之御名無主:03/03/10 05:17
秦氏と上賀茂族・下鴨族は同祖同族だろ
47天之御名無主:03/03/10 07:41
元はカザフの王族ってまじ?
48天之御名無主:03/03/10 12:47
秋田名物 八森 はたはた
男鹿で男鹿ぶりこ
ハイ、サカサッサー
49山崎渉:03/03/13 12:48
(^^)
50天之御名無主:03/03/14 01:21
age
51 :03/03/14 09:10
日ユ同祖論すれ、誰か立てて。
52天之御名無主:03/03/14 09:33
>>51
★★★★★日本とユダヤの関係って★★★★★
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1044945069/
ほらよ
53( ;‘e‘)チャーニィたん ◆rcccharnyg :03/04/07 01:15
( ;‘e‘)<秦氏や藤原氏の子孫って今何してるの?
       日本の中枢の要職に就いているの?
54考える名無しさん:03/04/07 19:59
けっきょく、秦氏と藤原氏は別物? 
55ハタハッハ:03/04/09 21:39
菊池山哉好きだけど、
秦氏原住民説だけはいただけない。
どういう思考過程を経てそう思うにいたたっか、
小一時間 以下略
56天之御名無主:03/04/09 23:16
秦氏から羽田孜までの系図を教えて
57天之御名無主:03/04/10 04:24
はたはった
58天之御名無主:03/04/11 01:09
秦の時代に日本に来た、徐福の一族というのは、
ガセネタですか?
59山崎渉:03/04/17 09:18
(^^)
60山崎渉:03/04/20 04:57
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
61山崎渉:03/05/21 22:46
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
62782:03/05/27 14:21
http://www2.odn.ne.jp/~caj52560/seinohousoku.htm こちらを参考にしたらいいですよ
637gれrj:03/05/27 14:23
64:03/05/27 14:27
http://www.museum.comet.go.jp/hasegawa/exhibition/shouzui.pdf
こんなのもあります。根気よく読んでみて
65山崎渉:03/05/28 14:50
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
66山崎 渉:03/07/15 12:50

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
67天之御名無主:03/08/21 14:13
68天之御名無主:03/08/21 15:56
古田のせいで外野に追いやられますた。
69天之御名無主:03/08/21 21:19
◎弥生人は朝鮮を経由していない!!

「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」
http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html

ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
ところが、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず
70リアル秦:03/09/17 14:36
こんにちは、秦です。
71天之御名無主:03/09/25 17:36
秦氏=秦朝の子孫、って伝承は、どのくらいの時代までさかのぼれるんだろう?
文字の一致から出てきた伝承だろうけど「秦の滅亡時に王子が東海へ逃れてきて……」
なんてそれらしい尾ひれが付いてたりして、結構古い時代からあった話なのかも
しれんと思ってたんだが。
72天之御名無主:03/10/13 13:56
秦教って宗教(?)って秦氏となんか関係あるんですか?
73天之御名無主:03/10/13 21:51
>>72
>秦教って宗教(?)
ローマのことを中国で「大秦」と呼んでいて、大秦からきた宗教であるキリスト教を
「大秦教」「秦教」と呼んだようでつ。

>って秦氏となんか関係あるんですか?
日ユ同祖論の傍証のひとつとして、「秦」の字の一致を、なんらかの関係がある
だろうとする見方があるようでつ。
74天之御名無主:03/10/22 23:25

1・全国の8割の神社仏閣が秦氏建立。
2・平安京は秦氏がつくった

もし秦氏が言われているように景教キリスト教 だったなら、
日本は世界有数のキリスト教国になってしまうんだな。
75天之御名無主:03/10/23 16:54
神道は道教の影響が強いのでは?
道教のルーツはチベット密教?
薬師如来と12神将は原始キリスト教の民を
仏化するのに利用したの?
76天之御名無主:03/10/23 16:58
イエスは内モンゴルの景教寺院で教育を受けた
のか・・・???
77天之御名無主:03/10/23 17:01
202 名前: 天之御名無主 投稿日: 02/08/16 04:38

イエス キリスト教開祖。アリアン人。エッセネ派ラビ。ユダヤ異邦人地区に住むエッセネ派の両親のもとに生まれ、東方組織で教育を受ける。
エッセネ派 ユダヤ教の一派。預言者エリアと関連。アリアン人によって構成された東方組織。イエスは12歳から同教団のチベット、インド僧院で学んだといわれる。
モンゴル 景教 ネストリウス派キリスト教 内モンゴル景教寺院から、ユダヤ教エッセネ派の文書が発見された。イエスはエッセネ派のメンバーで、東方で教育を受けている。

契丹族 モンゴル、バイカル湖地域。騎馬民族。北倭人と関連。

トルファン トルファンの黄金冠 スキタイ人彫金技術   中国トルファン地方 
  敦煌 新羅朝鮮半島 経由  渡来王族   奈良藤ノ木古墳 
78天之御名無主:03/10/23 17:43
薬師如来は日本以外では敦煌や半島にしかないらしいけど・・・・
79名無しさん:03/10/26 11:05
司馬遼太郎のペルシャの幻術師という、短編集の文庫のなかの短編のなかに
まさに秦氏のユダヤ人説の実証系小説が!!
80天之御名無主:04/01/16 14:08
ユダヤ人って本当なのか
81天之御名無主:04/01/30 14:14
羽田孜元首相はユダヤ人(の末裔)だったのか!
82天之御名無主:04/02/05 20:05
>15
>ちなみに佐伯氏の「景教ーー秦氏論」は本人もその後否定している

その後の記状に「秦氏=原始キリスト教徒で間違いない」としている
83天之御名無主:04/02/06 02:54
近作『精霊の王』とかで、
秦氏に注目した中沢新一が、ユダヤー景教譚を
かなり注意深く避けてたのはなぜなんだろう?
中沢新一なんて、その手の話に最も食い付きのいい香具師かと
思ってたんだけど…。
84万年救護大本尊の朴蓮     :04/05/17 20:19
秦って苗字の家を見つけたりすると「おおっ」って思うよね。

もっとも浄土宗の開祖法然上人の母親の名前は
「秦氏の君」なのだが。

実は秦氏ってさぁ 仏教教団にかなり紛れてるんじゃない?

朴の実家は真言宗だけどそこの経文の発行元を見てみたら
なんと「徳島県秦の庄」とかって地名になってるんだよね。

真言宗も浄土宗も「仏」様の名を借りて
実はヤハウェをまつっているんだと思うな。

85天之御名無主:04/05/18 01:28
>>15
きみの例に挙げたは既に軒並み論破されている。
騎馬民族説渡来批判本をきみは実は
まったく読んでないだろ?
86天之御名無主:04/05/18 01:34
>>12
古墳は秦氏渡来以前から巨大化してましたよ。
本当に
「門外漢」
だね。
87天之御名無主:04/05/18 09:43
補足しておくが、秦氏渡来人説はほぼ学者の間でも意見は一致している。
騎馬民族説が否定された、と言うだけ。
支那や半島から馬に乗らなきゃ日本にやって来れない、という事はない。
あと鉄器はともかく馬は一般に思われている程効率的な道具ではない。
実際すぐに馬はロバや駱駝にその地位を奪われている。
ナポレオンなんかが実際に乗っていたのもロバ。
88天之御名無主:04/05/18 17:13
羽田孜はヘブライ人か……
89天之御名無主:04/05/18 19:04
JUDEかどうかは分からないけど、鉄工技術をもった中東系の集団と若干混血があったことは確かだね。鉄勒人っていうくらいだからね。浄土宗にJUDEの影響があるにしても仏教化しているし、混血比率では北東モンゴロイド以外の何ものでもない。
90天之御名無主:04/05/18 21:17
>>12の誤りをもう一つ指摘しておく。
秦河勝を讃える詩は正確にはこう。
「太秦は 神とも神と 聞こえくる 常世の神を 打ち懲ますも」
(太秦…秦河勝は神の中の神と言える。常世の神を打ち破ったのだから)
これは要するに、当時社会現象と化していた常世信仰の祖、多生部多を討ち取った秦河勝を讃える詩であって、秦河勝が常世の神と言うのでは無く、「常世の神」を討って懲らしめてしまう秦河勝は神の中の神だ、と言っているわけだ。
あの引用だと後半部分をどう言うわけか略しているので、意味が逆転してしまっている。
91天之御名無主:04/05/19 06:59
中沢新一もそこまで馬鹿じゃないって事だろ。

埋蔵教典(笑)「チベット死者の書」
に引っ掛かった経緯があるしな。
本人に一杯喰わされた自覚があるかどうかは知らんが。
オウム事件の時もオウム擁護にまわって株を下げたし、少しは軽率な発言を謹むようになったんじゃないの?
…少ししたらまた元に戻るに一万ペリカ。
92天之御名無主:04/05/19 07:20
>>87
ナポレオンはチビだったからでは?
93天之御名無主:04/05/19 21:54
>>92
この話をするとみんなその台詞言うから凄いよな(笑)
ナポレオンの背丈は関係ない。純戦力として考えると馬はけっこう燃費が悪い。
94天之御名無主:04/05/20 22:00
このスレは書き込みしてる人間の知識次第ですごい良スレになるはずなんだが…騎馬民族説が敗北した時点で秦氏の謎は深まる一方。
95天之御名無主:04/05/24 17:52
都人
96天之御名無主:04/05/29 01:08
畑姓と畑作はやはり関係があるのか?
97天之御名無主:04/05/29 01:12
秦→畑に転化
98万年救護大本尊の朴蓮  :04/05/29 23:45
「畑」って名の有名人はムツゴロウさんしか知らないや。
99天之御名無主:04/05/31 00:27
>>97
畑は国事。
支那ではそれに似た漢字として、火因 があるが、相関関係は不明。
100天之御名無主:04/05/31 07:30
10199:04/05/31 08:22
>>100
そりゃ支那人だって思いつかねぇつーの。
飛鳥ファンはこれだから
102天之御名無主:04/05/31 20:21
推論しているうちは、五十歩百歩だべ? へへへ
103天之御名無主:04/06/01 00:22
キャッチャーやってた頃は中途半端だったけど、
外野手一本になったぐらいから、元々良かった打撃がよくなりだして、
晩年は左の代打の切り札。
なんシーズンか、「はた」でボードに名を連ねてた
104万年救護大本尊の朴蓮  :04/06/05 23:19
田がエデンの園かぁ

で、畑が失われたエデンの園?

ふーん なんか深いね。


105天之御名無主:04/06/06 01:15
大学に秦という中国語の教授がいます。
106サイ九郎:04/06/06 08:34
>>104
わかりません、あまりに奥が深すぎて…!!!
107天之御名無主:04/06/06 19:25
とりあえず太秦にきなよ
すべてがきっとわかるから
108天之御名無主:04/06/07 02:53
古語ジュウイツに、秦氏の記載あり。
「百済と秦と漢は、それぞれ1万人程度の民となっている喜ばしい」

ここ重要。秦や漢は百済出身とは認識されていないのだ。別なのだ
やはり、弓月国なんだろうな
109天之御名無主:04/06/07 03:08
言っとくが、古代の氏族は血族ではないぞ。ここ大事。
110天之御名無主:04/06/07 18:37
111天之御名無主:04/06/08 00:23
>>108
秦は「柵外の民」
も意味するのでそれは早計。
112天之御名無主:04/06/08 05:48
「木綿調の君」、つまり、生業を繊維縫製製品製造業とする集団
の入国移民をその国民経済への波及効果を認め、その指定居
住地への居住を許可した、こういう風には考えられんか。
113天之御名無主:04/06/08 05:52
すなわち、中国古代史の秦とは無関係乃至は薄い関係で実質的には
機織を職業とする人々が大勢渡来したってことさ。
114天之御名無主:04/06/08 07:59
夕月のツキは搗きに類似した作業で終戦後小学生が教科書
との交換のため桑の皮を剥いたものを干して供出したもの
であるが、それをほぐす作業で、究極的には繊維を得るこ
とと解釈してはどうか。飛騨を中心に東北方向に分布する
とされる縄文晩期の石冠という石器は祭祀に使われたよう
であるがこれも本来はそうした作業用のものであった可能
性が残る。TEXTURE/TEXTILE/TEXT等の印欧語の起源は石器
時代の搗くというオペレーションとする解釈があり、日本
語のTUKUも石器時代のユーラシア共通語から派生したもの
かなーとも思う。
115天之御名無主:04/06/08 10:04
秦氏=機織り集団説
は相当苦しい。
需要と供給のバランスを考えた方がいい。
「ウズマサ」の語源はうずたかく絹が積まれた様、と言う俗説もあるが、誰も相手してない(笑)
116天之御名無主:04/06/08 10:25
絹というのは出てこないけど麻はある。調布、麻布なんてのは
武蔵に渡来した連中がうずたかく麻を作って謙譲していたと見
るべきでは。養蚕って桑の栽培、蚕室、保温装置など極めて
複雑なシステムなので、オンドル技術のある地方の渡来者が
関与していることは考えられるけど、かといって麻も捨てがたい。
117天之御名無主:04/06/08 20:52
それだったら素直に麻も絹も一手に牛耳ってた連中って考えたら?
太秦が打ち破った
「多生部多」
(名前がちらっとあがってましたね)
の提示した
「常世信仰」

「蝶の幼虫に似た虫」
を神と呼んで民衆に崇めさせてたって話だからね。
これを秦氏とは別ルートで上陸(ないし袂を別った)養蚕産業の形と見るのは当然可能。
なんでも多生部多はその
「神」
を使って奇跡を起こしたそうだ。
グロテスクな蚕の吐き出す糸から見事な織物を造って見せたら昔の人には奇跡と映ってもおかしくない。
118天之御名無主:04/06/09 07:52
一般化された繊維縫製業者的概念だとは思っていたが養蚕とは
まことに驚き、あれは神業だから。
119天之御名無主:04/06/10 03:02
で、ユダヤ説には与しなかった中沢新一の
『精霊の王』秦河勝論は、皆さんどう思ったの?
120117:04/06/10 21:45
いま本屋で立ち読みしてる最中だが、蚕と秦氏についての解釈は俺とほぼ同じ見解か。
不 名 誉 だ。
(笑)
121天之御名無主:04/06/28 10:17
>>113
古来からの大きな神社の8割以上が秦氏が建立、応神天皇陵・仁徳天皇陵等、巨大古墳造営・・・
単なる機織職人とはちがうんだよ。

で、結局、通説をまとめるとどうなるの?
トンデモ説じゃない立場からの結論が欲しい。

ちなみに、うちの近所にいる秦さん、とってもいい人だよ。 w
122霹靂:04/06/28 11:13
はた織部と関係ありますか?神奈川県秦野市と関係ありますか?徐福と関係ありますか?八幡と関係ありますか?秦始皇帝と関係ありますか?騎馬民族ですか?調子わりい
123天之御名無主:04/06/30 10:17
age
124天之御名無主:04/08/31 00:40
あげてごめんなさい。
親戚なんですが、「稲倉」という姓は、稲荷神の稲倉魂神と関係ありますか? そして稲荷つながりで秦一族にもつながるのでしょうか?
125天之御名無主:04/09/01 12:46
↑の124です。私なりに調べてますが、自分の想像が安直だったのに気づきました。逝っときます・・・失礼しますた。
126天之御名無主:04/12/04 19:37:06
過疎みたいなんで、上げておく。

秦河勝。能楽の金春家と雅楽の東儀家が共に祖先にあげているねぇ。
個人的には、金春禅竹『明宿集』(『金春古伝書集成』表章・伊藤正義に原文が所収)にある、
秦河勝が「ウツボブネ」に乗って、播磨国坂越へ行き、
その地で祟りを起こし、「荒神」となったって著述に興味がある。
「うつぼ舟」と言えば、謡曲『ヌエ』にも出てくるし、蛭子にも通じる。
『明宿集』によると、秦河勝は聖徳太子作の「柔和・憤怒の」2面を授かったとされている。
秦河勝を祀った赤穂の大避神社には、今でも2つの面が伝わっている。
ひとつは、雅楽「蘭陵王」に似た面。
もうひとつは、
雅楽「採桑老(舞うと死ぬという伝承で有名)」か、もしくは翁と目される面。

トンデモな話は分からないけれど(笑)、
室町時代の日本において、こういう秦氏観ができあがっていた事はおもしろいと思う。
127天之御名無主:04/12/04 19:50:48
ついでに
文化元年(1894)に発刊された『播磨名所巡覧図会』には、
「大避神社…祭神、秦ノ川勝(ママ)の霊といへり。(中略)
 皇極三年に、東国富士川のほとりに、大生部ノ多といふ者、
 異虫を養ひて、常世の神也と号け、信ずる者は財宝心にまかすなどと、
 郷里の人をたぶらかす。河勝、是を悪みて、大生部を捕へて、
 妖術を糺明す<日本紀>。」

 常世虫=蚕と見ている説が多いけど、他説を知っている人がいたら教えて欲しいです。
 
128天之御名無主:04/12/04 19:56:27
はた織部の人達は「服部」になったんでしょう
129天之御名無主:04/12/05 09:10:20
>>128
 服部も秦氏が元だとか。
 (ネットの情報なので、決定打に欠けるけど)
130天之御名無主:04/12/06 00:12:42
131天之御名無主:04/12/08 15:12:17
古代ユダヤは日本で復活する
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1096463926/l50
132天之御名無主:04/12/14 02:20:14
つのだじろうの家系は、実は秦氏の系列なんだって。
ムーのマンガに本人がそう書いてた。
133天之御名無主:04/12/14 14:57:07
バイト先に、秦って言う人がいる。ものすごく気になる。
それとも、四国(徳島、香川あたり)にはそれなりにある苗字なのかな?
134天之御名無主:04/12/21 23:04:46
土佐の長宗我部は秦氏の末裔などと称していた
135天之御名無主:04/12/22 19:31:28
韓国の昔ハタと呼ばれていたところに秦と
言う姓の人が大量にいたらしい
そして、秦氏は加羅にいた時にすでに
秦からきたと言う伝承を持っていたらしい
136天之御名無主:04/12/22 19:44:07
高知県にはモロ「幡多郡(はた)」があるぞ。
137天之御名無主:05/01/03 02:38:30
>>12
>秦河勝こそ神のなかの神、常世の神...
◆◆    秦河勝は何者だ??? ◆◆
http://mentai.peko.2ch.net/history/kako/1005/10056/1005678839.html
138スサノオの子孫:05/01/03 15:47:30
秦一族とは、・・・・お前のことだよ日本人。
139天之御名無主:05/01/03 15:57:17
>>97
>秦→畑に転化
はないだろ。>>113の機織りも>>121の言うように、もっと広汎な工業技術集団だし。
やはり東漢氏と同様に出身地名か。ハタって地名あったかな。
140天之御名無主:05/01/03 18:43:56
おれの実家もろに「秦」って地名だ。
古代に秦氏が支配していたとかいう。高知市の北のほうだが。
141天之御名無主:05/01/03 20:02:36
>>140
高知市の北のほうだと、>>136の幡多郡内とは違いますね。
秦氏が土佐国一帯に広がり、生業は何だったのかな。
142天之御名無主:05/01/03 23:42:27
桓武天皇737〜806の寵臣で造長岡京使藤原式家宇合の孫種継737〜785の母が
秦氏出身。秦忌寸朝元の女。
143天之御名無主:05/01/04 01:41:40
土佐は流刑の地だからなぁ。
都を追われた渡来人かね、秦氏というのも。
そういや幡多郡は古代は土佐国とは別の国だったな。
144天之御名無主:05/01/08 01:22:09
桓武天皇の第五皇子葛原親王の子で、桓武平氏の祖
高見王の母は一説に秦忌寸福代の女。
145 :05/03/14 00:40:40
age
146天之御名無主:05/03/19 13:06:41
はたと言えば丹古母鬼馬二
147天之御名無主:05/03/19 23:14:36
ところでさ あなたたち職業は何?ここに書き込んだ後社会生活送るの凄いストレスにならない?
僕はもう疲れたんだよ 自分からおかしい人になっておかしいことを貫き通したいものだけど狂人が何か行ってもああまたかくらいなものだからな 
金を稼ぐのは大変なことだ
148天之御名無主:05/03/20 02:33:19
はた坊だじょー
149天之御名無主:2005/03/25(金) 21:18:55
こんなこと聞いちゃいけないかな?
ハタはハタというおさかなさんじゃないかな?
150天之御名無主:2005/05/20(金) 15:49:18
徐福age
151天之御名無主:2005/06/13(月) 02:26:36
でもこのスレ、もうネタ切れですから! 残念!

「波田陽区ともども賞味期限切れ」 斬りっ!
152天之御名無主:2005/06/21(火) 15:57:37
友達に幡手って人がいるんだけどやっぱり関係あり?
153天之御名無主:2005/06/29(水) 05:42:34
幡多
154ニッカ:2005/08/18(木) 00:54:17
秦氏は改名するのが常。
だいたいの日本人に秦氏の血はある。

綿矢りさ 金原ひとみ
高橋 橋本 石橋 小橋 橋田 柴田 
大幡 鳥畑 鳥山 居鳥
斎藤 後藤 藤原 藤井 藤岡 藤本
服部 羽鳥 畠山 
もっとある。
秦氏の特徴は 静か 目立たない 猫 神社みたい
155ニッカ:2005/08/18(木) 01:00:41
秦氏探しは楽しい。

原 小原 大原 和田 大和田 小和田 綿引 
佐藤 工藤 堂本 藤木
渡辺 渡部 鍋田 太田

秦氏はヘブライ語は古いので捨てて漢字を創造した。

特徴 偽装が得意 うそつきだ。きれい好き

 
156ニッカ:2005/08/18(木) 01:04:43
北陸にも多いらしい。
そこから関東や北海道に移動したらしい。
秦氏は遊牧民の魂を持つ。

平安京は秦氏の作品だが札幌の作りと似ている。
157ニッカ:2005/08/18(木) 01:10:55
失われたイスラエル10支族と2支族が秦氏。
そのまえの日本は弥生人と縄文人とどこかの先住民族だったはずだ。

とぶけど秦氏の先祖はアダムで天地創造の7日目に創られた。
ニッカのオリジナルの新説だ。
恵まれた多くの人は6日目の金曜日に作られた。
5日目に獣
6日目に人
7日目に人の形を真似した人形
158ニッカ:2005/08/18(木) 01:15:42
塚は墓の意味で神社と同じ要素をもつから秦氏だろう。
秦氏は連想ゲームみたいにして名前を作る才能がある。
ニッカも秦氏だから感覚がすごくわかる。

漫画の祖 手塚治虫 赤塚不二夫 ハタ坊も登場してるし
静かなるAVの祖 ヘンリー塚本

小林 林 麻原 。。
159ニッカ:2005/08/18(木) 01:23:28
香取慎吾 香取神社 
草薙剛 熱田神宮の草薙の剣

神社に関わっていれば秦氏だ。
先住民族にそんな名字与えないはずだ。

中居の居は鳥居の居だ。あやしい。
肌は浅黒い。秦氏だ。
松本人志と浜田も肌の色からみて秦氏だ。
娯楽の王になれる。

華原朋美 篠原ともえ も。

みんな名前 漢字 に騙されてる。秦氏の偽装の技だから。
160ニッカ:2005/08/18(木) 01:33:16
加護亜衣のかごは籠神社を連想させる。
辻望美のつじは十字架が入っている。
矢口真里の矢はヤー(神)だ。矢追もそうか。ついでに江原もそうだ。
つんく 寺田光男の寺は神社と同じ要素だ。
名に神がつけば秦氏だろう。
プレステのキングスフィールドは神という名字の人が作った。
すごく静けさのあるゲームだった。

村上龍は秦氏である高橋と結婚した。
群れる神 多神教につながる。神道は多神教だ。
坂本龍一の坂は天の逆矛のさか。うーん。。

秦氏のガド族は天皇家だ。支配する血があるはずだ。
161ニッカ:2005/08/18(木) 01:43:29
神社は赤い
赤西仁 あかほりさとる 赤井秀和

青はどうなんだろ。
倉木麻衣は青野麻衣だしな。

宇多田ヒカルは間違いない。
藤のつく親もいるし。宇佐美神宮の宇だし。

浜崎あゆみの歌詞も神社っぽい。つまり人を神聖な気持ちで考えさせる。
そして宗教的な二元論思想が多い。
松浦もあやしい。

秦氏は天地創造の土曜日生まれ。
土曜の文字は十字架で死んだイエス。
土からアダムが創られた。
だからお墓につながり神社につながる。お祭りにつながる。
土曜日は娯楽を提供するのが使命だ。
やすらぎの日。安息日だ。休みの日。
162ニッカ:2005/08/18(木) 01:50:55
ちなみにニッカの高校の土地の名は小幡だった。
やはり秦氏は秦氏にゆかりある地や人に導かれる。
甲子園ではったりホームラン打ったのも橋本だった。
橋を変換すれば端がでてくる。はたと読む。

服も秦氏の得意分野。服部として名も残る。
福のつく人も秦氏だろう。
土曜日は幸福になるために作られた日だから。
福山雅治 福富
ニッカは茨城の25の男だが富山の福光のスタンドで運命的に
車にぶつけられ、そこからレンタカーアリオン(有音)で旅をすることになったんだ。
はじめに音があった。音から言葉ができた。言葉は神だった。
163ニッカ:2005/08/18(木) 02:55:25
ニッカは神武天皇が日本を征服したようにこのスレを占領する。
崩れたものを立て直すのが秦氏だ。
偉そうだが主従関係がないと日本はダメになる。
ボス リーダー 師 モデルは絶対に必要だ。

もっといろんな人に会って血を調べたい。
名前と顔と性格と思想とか調べたい。

ごとー勉もとうがつくので秦氏。

だいたい文化 時代を創るのは秦氏だから。
周りを気にしないでマイペースに1位をとってしまう高橋尚子。
人の常識を超えてメダルをかじってしまう。
まさに秦氏テイストだ!
164天之御名無主:2005/08/18(木) 05:05:41
日本は秦の子孫ばっかりじゃねーか
漏れが純血の倭人。
165天之御名無主:2005/08/18(木) 07:08:23
 
 ★★★ また韓国、意図的な、でっち上げ反日報道 ★★★

 韓国の大手テレビ局が8月15日夜のニュース番組で報道した“旧日本軍による生体実験”と称する映像が、実は中国映画の盗用でっち上げだった。

 韓国のマスコミは、反日キャンペーンのために、この種のでっち上げ“歴史歪曲(わいきょく)”をよく行うが、今回の事件で「日本糾弾ならウソも平気」といった体質が、あらためて確認された。

 報道は戦前、旧日本軍の細菌戦研究七三一部隊が「自ら撮影した」生体実験の様子だとして、生きた人間から臓器を取り出す“残酷場面”などを「白黒の記録フィルム風に」紹介した。

 しかしニュースを見た視聴者から「映画の場面と同じだ」との指摘や非難、抗議の声が上がり、MBCは調査の結果、悪質なでっち上げが判明した。

 この中国映画はカラー作品だが、テレビでは本物に見せかけるために「白黒に」変えられ、意図的なでっち上げであることが明白になっている。

 日本の民主党(岡田党首)は、日本国内に数十万人いる反日的な在日韓国・朝鮮人に、日本の選挙権を与えようとしている。
 
166天之御名無主:2005/08/18(木) 07:17:47
何言ってるだに。
それ秦の子孫だに。
167ニッカ:2005/08/19(金) 01:02:43
168天之御名無主:2005/08/19(金) 17:36:12
>>165
嫌韓中親米台反民主親自民工作員ご苦労様!
この長文のソース出せよ!
板違いだから出てけ!
169天之御名無主:2005/08/19(金) 18:55:49
>>168
おまえもでてけよ
170天之御名無主:2005/08/23(火) 20:42:22
>>167
地下家に秦姓三上氏があったの思い出したw
171ニッカ:2005/08/31(水) 05:00:30
林が秦なんだから木や森も秦なのか。
森田一義。
森山直太郎。

森→守→主イエス

こういう高級な漢字を土着民につけるのか?
172天之御名無主:2005/09/02(金) 04:14:57
大阪の寝屋川に、「秦」というそのものズバリな地名があるよ。
近隣には「太秦」の地名も。

また、同市内の「蔀屋北遺跡」からは
馬の全身骨格や大量の製塩土器が発掘されてる。
土坑跡から出土した木枠は、廃船となった西都原式古代船から
転用されたことがわかってる。
当時はこのあたり一帯が河内潟とよばれる広大な湿地帯で、
生駒山系のすぐ近くであるこの地域まで船が入れたらしい。

ということで、古代この一帯には日本最大の馬の放牧場があり
秦氏を中心とする渡来人が、大陸の馬産技術を使って
馬の育成を進めていたんじゃないか……?

……とか考えています。
にわか考古ファンなもんで、穴があったら申し訳ないです。
173ニッカ:2005/09/03(土) 05:36:41
騎馬民族渡来説を強化する情報でいーんじゃないすかー。
もっとないかな。
174天之御名無主:2006/03/17(金) 17:46:22
175天之御名無主:2006/03/17(金) 18:10:58
聖徳太子の側近といかサポート役に秦河勝ってひとがいたな。・・
176天之御名無主:2006/03/17(金) 18:20:41
>>175 中沢新一も注目してたね。

蚕の社の三本鳥居、見に行った。
向いてる方向が意味ある方向らしいけど
そんなノウハウって、どこから来たもんなんだろう?
それ以前にそれが意味ある事なんだろうか???
177天之御名無主:2006/03/17(金) 18:27:50
秦氏はがんばって三井家になりました。

「あれ?三井さんって藤原じゃなかったの???」

「うっさい ボケ!!」
178天之御名無主:2006/03/17(金) 18:40:32
     ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ                           .  |
    ミ   ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡                          .|
     l  i''"        i彡                          |
     | 」  ⌒' '⌒  |          
    ,r-/  <・> < ・> |      ボク
    l       ノ( 、_, )ヽ |                            |
    ー'    ノ、__!!_,.、|                           ..|
    丶.   ヽニニソ  l                           . |
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    /   l | /  | |                            ....|
__/    | ⊥_ーー | ⊥_ ___________________|
   |  `ーヽl_l_l.} ヽl_l_l.}                                \
  (、`ーー、ィ   } ̄`   ノ                                 .\
    `ー、、___/`"''−‐" 
179天之御名無主:2006/03/17(金) 19:05:59
>>176
>それ以前にそれが意味ある事なんだろうか???

生命の樹の三本柱のことだろ。そんなの当然じゃん
180左危機!:2006/03/17(金) 19:13:27
あの、朝鮮の方々には受けたのでしょうか?
181天之御名無主:2006/03/17(金) 21:21:07
>>179 意味って言うのはいわゆる
一種の呪力が発散されてるのかな?って意味です。
自己満足だったら、なんだかつまんないし。
純粋な信仰心を否定するわけじゃないけど。

ホリエモンは三井には愛されてなかったでしょうね。
『ロンドン』の『三越』にわざわざ事件の新聞貼ってたし
それが繰り返し報道されてたし
182天之御名無主:2006/03/17(金) 21:46:31
>一種の呪力が発散されてるのかな?

発散ってよりも結界封印してるんじゃない?
見えるわけじゃないが。
183181:2006/03/17(金) 22:09:25
>>182 そうだね。封印かもしれないですね。

でもあんな薄暗い森の中に建ってるとは。
もっと明るい所でしげしげと見たいような気が…

隅田川の三井の方はどうなってるんだろう?
184天之御名無主:2006/03/18(土) 18:24:09
三囲神社
185天之御名無主:2006/03/18(土) 19:23:51
関係ないかも知れないけど一応・・・
クラスに秦って苗字の人がいる。
186天之御名無主:2006/03/18(土) 22:55:52
畑正憲
187天之御名無主:2006/03/19(日) 22:40:32
>>176
「いさらいの井戸」はイスラエルのことみたい。やっぱダビデの星でユダヤ人で正解?
http://www.hi-ho.ne.jp/kyoto/kaiko.html
188天之御名無主:2006/03/20(月) 22:34:02
秦の始皇帝
189天之御名無主:2006/03/23(木) 13:41:13
春に稲がどうとかって説明されたなー
190天之御名無主 ◆OyHIfoErVU :2006/05/21(日) 19:50:49
のびないな
191天之御名無主:2006/05/22(月) 09:52:26
三囲神社の近所に住んでるが、三角鳥居はこじんまりとしていて
見ても「なんだこんなもんか」と思うかもしれない。
でも神社の雰囲気はちょっと不思議な空間に感じられる。
敷地内にはいろいろ祭られているものがあるのだが
なぜこの場にあるのか、なんで祭られることになったのか、
いまひとつよくわからないものばかりなのだ。
192天之御名無主:2006/05/23(火) 00:07:26
流れも過去レスも読まずにレス(>_<)

秦氏ってペルシャ人だろう。
京都にある太秦(うずまさ)は大秦国、すなわちアケメネス朝ペルシャから来た渡来人が築いた街だよな。
ウズマサって読みはペルシャ語由来だろ。
193天之御名無主:2006/10/10(火) 19:13:48
羽田首相
194天之御名無主:2006/10/10(火) 22:51:39
ここみんなむちゃくちゃなこと書いていますね〜
最初から秦大津父が「記紀」に書かれているとか、
ちょっと驚いてます。
なんというか古事記は継体天皇から推古天皇にかけては皇子皇女や后妃の事以外は
物語としては何も書かれていないんです。
秦大津父は継体の皇子の欽明天皇が探し出して寵臣とした、というのですが
そういうのは日本書紀のみが書いているのです。
日本書紀と古事記、風土記、新撰姓氏録の研究、あたりはちゃんと読んでください。

ところで秦の子孫で騒ぐんでしたら島津のお殿様なんかいかがです?

でもともかく多くの従者を引き連れてきたわけで、その従者も秦と言い出したら
おおよその日本人はどこかで秦の血が入っているでしょうね。
なぞの多いそれだけ魅力的な氏族です。

大和岩雄さんの『秦氏の研究』大和書房なぞ、なかなか面白いですよ。
本気で興味がある方にお薦めです。
195天之御名無主:2006/10/17(火) 21:39:42
羽田恵理香
196天之御名無主:2006/10/18(水) 02:32:39
185
シバいとけ!
1971/2:2006/11/24(金) 23:29:49
古代AD701年の大宝律令の制定によって日本の律令制が加速し
中央集権国家として官僚制による地方政治の統治が確立した
そして朝廷で官僚として政治を司っていたのは半島からの渡来人で
超ばっくり分けると百済系と新羅系の二大勢力
その二派がその時々の天皇を味方に引き込み、他方を排斥するということを繰り返してきた
わかりやすいのが平氏・藤氏=百済、源氏・橘氏=新羅

AD794年の平安遷都にて時の桓武天皇に取り入った百済系氏族が
それまで官僚として表舞台で政治を取り仕切ってきた新羅系氏族の多くを排斥し
政治の表舞台から追放しただけでなく尊卑の位の卑の地位に一部の新羅系氏族を落とした
そのときの卑の位が現在の被差別部落に繋がっているというのが有力な説
新羅系氏族は当時の科学芸術神事医学分野において世界トップレベルであったので
そのまま建設土木治水製鉄演芸生物解体などが被差別部落民の主な生業となった
卑の位に落とされなかった例でわかりやすいのは神事仏事を司る役職
卑の位とせずにそのまま新羅系氏族に引き継がせた

新羅系氏族で超一大勢力を誇っていたのが秦氏一族で
日本の神社の9割以上の神官宮司は今でも秦氏による世襲である
八幡神社、稲荷神社、白山神社などすべて秦氏のものであり
現在の皇室に関わる神宮の神官宮司なども秦氏系
学習院などの皇族系教育機関や皇宮警察などの長も秦氏系氏族の世襲が現代まで続いている
ちなみに仏教を日本に伝来させたのも秦氏で古代は神仏分け隔てがなかった
1982/2:2006/11/24(金) 23:30:32
関西において被差別民の多くが寺社の管理下に置かれていたのはそういう背景があったから

関東では穢多頭の弾左衛門の支配下で各地域ごとに非人頭をおいて被差別民を管理していた
弾左衛門は秦氏族であり白山神社を信仰していたのもそのせい

関東では非人頭を長吏と呼ぶが、関西では寺社の首長僧を長吏と呼ぶ
天台宗や真言宗の総本山の延暦寺、三井寺(園城寺)、高野山金剛峰寺などの首長僧も長吏
長吏の大元は中国の漢代における官吏の呼称で、官位の高い者のことを長吏と呼んだ

ちなみに秦氏は中国の秦の始皇帝氏族の末裔で
朝鮮半島を経由して倭(日本)に移動してきたという節が有力で
その大元はペルシャ系ユダヤ民族であると言われている
現在の秦氏は国家という枠から離れ
一族による秘密結社的なネットワークを形成しており
日本の政治経済と被差別部落という尊卑の世界を裏で支配しており
その利権を手中に収めることにより日本社会をコントロールしているという節が有る
世界経済を裏で操るロスチャイルド家の日本版ということ

間違っている点があったら指摘修正よろしくエロい人
199天之御名無主:2006/11/25(土) 00:13:27
羽田空港はその名からして秦氏が造った空港である可能性が高いと思われる
200天之御名無主:2006/11/25(土) 10:26:13
>>197
>>198
というより、まずソースを提示してくれ。

 よくまとまってるけど、これじゃあ日本にきた大陸系渡来人は百済・新羅人
しかいなかった事になる。
要するに、いつもの
「日本のものは全部朝鮮のもの!朝鮮民族が古代日本の中心だった!」
史観の1パターンでしかない。
当時の日本には高句麗人もいたし坂上田村麻呂の出身豪族だった、中国系の漢
氏もいた。
ペルシャ系なら秦氏よりも蘇我氏だろう。

秦氏が各地に建設した神社のスタイル、建造物の配置、祭礼の形式等がキリス
ト教やユダヤ教のものに似ている事から、日ユ同祖論とのつながりで秦氏のル
ーツ探しが話題になったが、ペルシャ系ユダヤ人と言うよりはユダヤ人原始キ
リスト教徒の方が近いのではないだろうか。
201天之御名無主:2006/11/25(土) 17:33:25
>>198
うちは秦氏だけどBは一族中が大嫌いで忌み嫌ってますよ
202天之御名無主:2006/12/02(土) 10:35:03
能登半島は越の国や山陰地方及び北九州と並び、古代大陸や朝鮮半島の先進文化を直接に吸収し、大陸や半島と同質の文化圏を形成していた地域である。
従って、当地方は渡来系といわれる人々が多く住み着いていた。
中でも新羅・加羅系の文化が栄え、渡来人の中では新羅系の秦氏が多かったようである。
神社については、能登半島の神社の八割が渡来系の神であるといわれている。
新羅神社に関係が深いといわれるのは田鶴浜町の白比古神社で、古くは新羅神社といわれていた。
中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社も、新羅の天日槍と同一人物といわれている都怒我阿良斯等神を祭神としている新羅(加羅)系の神社である。

能登を含めた越前・越中の地方は古代、越(高志)の国といわれ、対馬海流を北西の季節風に乗り対岸の朝鮮半島から多くの渡来があった。
なお、当地方も越の国と同様に、弥生時代には水稲耕作と玉造りの兼業が行なわれていたようである。

能登半島の神社で有名なのは気多神社(羽咋市)、白比古神社(田鶴浜町)、久麻加夫都阿良加志比古神社(中島町)、更に渡来人の子孫といわれる秦澄の創建した白山比刀iしろやまひめ)神社である。
白比古神社と久麻加夫都神社の由緒は夫々新羅系と高句麗系といわれているが、現在に残る祭りの形態等から考えると、二社は共に新羅系の渡来人が祭った神社であると思う。
203天之御名無主:2006/12/02(土) 10:36:13
若狭地方は北九州・山陰・北陸などの地域と同様に日本海沿岸の古代日本の先進的地域であった。
若狭(ワカサ)の語源は、朝鮮語のワカソ(往き来)であるともいわれている。
弥生時代の水稲は朝鮮半島から直接に伝来したものであろう。
若狭地方は敦賀市から小浜市に渡る若狭湾に面した地方である。
湾内には敦賀半島、中外海半島、大島半島をはじめ数多くの入江や島が存在し、西隣は丹後国である。

当地方も新羅・加耶系氏族に係る伝承や伝説が多く、神社の祭祀氏族としては、秦(はた)氏(朝鮮語のパタは海の意で、渡来海人であろう)が圧倒的に多い。
秦氏については古代中国の秦氏の移民説や加羅氏族説など、異説が多い。
当地の神社で新羅神社と標記される神社は現存しないが、標記の方法を変えて新羅(しらぎ)信仰を今に伝えている神社がいくつか残っている。
敦賀市の「白城(しらぎ)神社」(所在地・白木)、「信露貴彦(しろきひこ)神社」(沓見(くつみ))、小浜市の「白石(しらいし)神社」(下根来(しもねごり))などである。
これらに加え「気比(けひ)神社」「角鹿神社」「須可麻(すがま)神社」なども新羅・加羅系の氏族が祖神を祭ったといわれている。
当地方は応神天皇や継体天皇とのつながりが強い地方であり、いわゆる古代三王朝の内、二王朝、即ち応神王朝(応神―武烈)・継体王朝(継体―現在)が、越前・若狭地方と関係している。
両王朝共に新羅・加羅等と係わりが深かったであろう。

継体天皇は近江で生まれたが、越前で育っており、越前・若狭・近江などを含んだ地域は一つの文化圏といえる。
この時代、敦賀と大和の間を結ぶ重要な交通路である琵琶湖西岸には三尾氏、東岸には息長氏が勢力をもっていた。
204天之御名無主:2006/12/02(土) 10:37:45
京都府には北部から南部まで新羅の神々が祭られている。
北部では丹後地方、南部は山城地方の宇治市である。
南部の京都盆地には「新羅牛頭(ごず)山に座す素盞鳴尊」を祀る八坂神社や新羅系渡来人秦氏とつながりの深い賀茂神社がある。
丹後地方は古来、大陸や半島との往来が頻繁にあり、弥生時代には王国があったといわれている。
特に弥栄(やさか)町の新羅明神(溝谷神社)は渡来の人々(特に新羅系、或いは秦氏系の氏族)が祭ったといわれる。
丹後地方は但馬の出石郡に隣接しているが、出石郡は地理的には丹後の一部であり、新羅の渡来人、天日槍(あめのひぼこ)と縁の深い土地である。
また、京都府の太秦や園部町から続く丹波地方も新羅系渡来人の痕跡が非常に濃い。
205天之御名無主:2006/12/02(土) 10:38:36
新潟県は弥生時代の古代から新羅(加羅)系氏族が勢力を持っていた。
越の国といわれ、中でも新潟県は越後と称された。

新羅明神を祭る神社は頸城(くびき)郡妙高村関山の関山神社である。
妙高村関山は、正式には新潟県頸城郡(久比岐)妙高村関山といい、長野県との県境に近い。
妙高山の麓にあり、妙高山やそれに連なる山岳地帯を流れる関川に沿った街である。

元々当地方を開拓したのは日本海を渡って移り住んだ朝鮮半島や中国大陸の人々であり、
新羅(加羅)系の人々が本格的開拓を行ない、従前の信仰の対象である妙高山や関川と共に祖神を祭ったのであろう。
従って、当地方の開拓神は恐らく素盞鳴尊であった。
つまり出雲族と同族である。
206天之御名無主:2006/12/02(土) 12:36:53
半島からの密入国者=渡来人
北朝鮮工作員=渡来人
207天之御名無主:2006/12/07(木) 07:53:24

912 名前:桃太郎 :2006/12/06(水) 23:51:12
いいよ〜、みのもんた〜
今夜の12チャンネルは意外によかったよ。特に秦河勝亡命の地、赤穂の
「大壁神社=ダビデ祖霊」は説得力があった。坂越面は、秦氏世阿弥でも有名だから
中世当時から中東渡来伝承は上流には知られていた。うつぼ船。
でも、いすらいの井戸の12石構造ははじめて知ったよ。12氏族というより、
エルサレム教団のイエス12使徒との関係じゃないかな。
すでに源氏物語に「昔はなにかのいわれがあったという広隆寺のいすらい井戸」
という逸話がでるほどに、秦氏と井戸は古来より深い関係。松尾の神。
日ユ同祖定番の葵祭りや祇園祭り伝説を紹介しなかったのは、時間が
なかったか、有名すぎるので省略したんだろうね。
秦氏ユダヤ文化伝承説の立場で、続編きぼんです。
スタッフは、おつかれさま。みのさん、朝からいつも見てますよ〜
208天之御名無主:2006/12/07(木) 07:57:17
末裔の皆さん、日本史板もよろしく、四国、吉備、宇佐方面の秦王国末裔が
集まります。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157465721/l50#tag697
【シルクロード】日本人と謎の秦氏?【始皇帝】

1 :秦氏末裔 :2006/09/05(火) 23:15:21
全国の秦氏末裔よ、なにかとネタにされる秦氏だが、逆襲といこう。
秦人(騎馬遊牧北方系)は、西域〜中国西北部の土木・水利技術 集団?
秦造系氏族は始皇帝15世弓月王が率いる古代最大の大規模移民団?
吉備瀬戸の秦王国が応神大王と同盟して大和朝廷連合、大規模古墳時代が到来?
赤穂山城の秦氏太秦(族長)河勝が聖徳太子顧問として、17条憲法など律令税収にトライ?
正倉院、宮内庁雅楽に残るペルシャトルコ中東由来文化は、景教徒説秦氏の力技?
209桃太郎:2006/12/07(木) 08:29:48
>>194「大和岩雄 1993 秦氏の研究 大和書房」
国内でもっとも分厚く高額な研究書だが、総合的な構想力に欠ける。
それぞれの課題研究は、古い研究者各氏の自説紹介レベルで断片的。
ハダ・ハタ、の語源や随書の秦王国研究についても、吉備=葉田=応神・仁徳天皇の
外戚などのことは無視。ましてや吉備秦の紀元8年の王蒙の貸せん発掘など、古代華僑コロニー
の時代のハダ氏の記述はなし。つまりこの人は末裔や秦氏系神社によく取材していない。
加羅新羅系の7世紀以降の 新規渡来秦氏の祭司宗教関連の伝承研究の集約はよくされています。
(ただし、よくコピペされる江戸期の被差別頭弾左衛門のネタとかも誤解が多い)
吉備王(秦氏拠点)は、大和連合朝廷始祖の応神天皇に軍事同盟し、兄媛をいれ外戚として
半島南部諸国との同盟強化で、北九州、百済、新羅をけん制し、現在につながる天皇家強化に
協力しています。昨夜のみのもんた特番で話題になった弓月王の127県渡来伝承も、吉備秦では
いまも末裔に語り継がれる事実であり、神話ではない。華僑系コロニーの住民として大陸と
交易していた太秦グループの研究としては、リカバー率40%くらいかな。天皇制度確立に
17条憲法や12クラス制度で、蘇我氏ら在地豪族に対立しつつ、ユダヤ立法的な律令を求めた
建国の功臣、聖徳太子顧問=秦川勝の研究とかが弱いのも奇妙。
210きじ:2006/12/10(日) 12:38:00
雅楽のとうぎさんが
秦氏の末裔だと はじめって知ったよ
よく皇居で遊んでいると言っていたが
まじだったんだな
211天之御名無主:2006/12/13(水) 17:48:35
桃太郎さん 194です。
面白いご意見ありがとうございました。
実は一つ伺いたいのですが、大和岩雄さんの著作物のなかに
「最澄も秦」というのがあるのです。そこがいまひとつ私には分からないことなんです。
どういう根拠で秦というのか。裏づけが知りたい。
秦系の渡来人が多かった香春山と最澄の伝説があって、最澄と秦は何かしら繋がりはあるような気は確かにするのです。
また比叡山のあたりが新羅系だということも分かるのですが 新羅=秦とも言い切れないですし。
「最澄も秦」というなにかを知りたくて、と、ご本人に一度お手紙でもしてみようかと思いつつ10年は経つかな〜(笑)
桃太郎さんは何かご存知ですか?
212天之御名無主 :2006/12/13(水) 23:01:36
秦の河勝のやしは
川の堤防技術にすぐれていたんだろうなー
で、川に勝つで「かわかつ」かな?
ちん○の皮を、割礼したやしと言う意味じゃーないよなw
仏教では、そんな儀式はしない。
213月光仮面:2006/12/16(土) 12:35:14
基本的には馬韓月支国功満王の集団。カザフスタン・南露・東欧と移動したキプチャク・
クマンと同義で、アルタイクマン族であろうが、対日進出は燕人衛満の南下の頃から
始まり、前漢武帝の頃にはすでに出羽に達していたようだ。ユーラシアからアフリカを
席巻したフンの前身とでも言うべき存在であり、シュメール・インダス・夏・殷商文明を
生んだものであろう。カワカツとはコーカサスといって意味であろうか。ユダヤなども
秦集団の影響を受けている可能性がある。コーカサスには磐舟のあるアララト山と
バン湖があり、物部などの持つ磐舟神話はこれを伝承したものだろう。
214月光仮面:2006/12/16(土) 12:52:06
スサノオにより鹿・亀の背に乗ってヤカミから気多神社に案内されるケト人はクマンと
行動を共にするアファナシエフ・アンドローノボ文化系の鹿飼いであり、コーカソイド。
そして能登を越えると「なまはげ」、これは、鹿児島県甑島にも残るが、白馬を四隅突出
御柱型祭壇で田の神、大地の神に捧げ、首と生皮を葬儀などの儀式に使用するもの。
沖縄、青森、クラコフなどに春駒として儀式が残る。クラコフのはタタールが導入したもの。
ナマハゲの面はスイスにも入り、儀式自体はアメリカでクリスマスとして商業化されている。
クマンは臼のことをsokoといい、むぎこがし、うどんを好み、おわん、まげわっぱ等の白樺
の木工技術に長じ、岩手・黒石寺のようにコマギをばら撒いたり、餅投げのようにむぎ製品
をばら撒くと言う。人間のことをキジというが、木師とにており、吉備津彦のイヌ・サル・キジ
が狗奴国、猿田彦(土公)国、木師(越、出羽)のスキタイ連合軍によるウラ(山戎系か)との
第一次戦争であったのではないかと思われる。
215月光仮面:2006/12/16(土) 13:04:54
クマンというのは白鳥人という意味であるものの、熊の頭を顎のところで木に縛った
ものを上が二股になった柱の上に持たれかけるという。日本の本州浦日本側に
この白鳥伝説が広がっている。また、オオクニヌシが助けたウサギ(宇佐の人間かな)
の皮をはいだワニとは、和邇<ウワニ<烏丸ではないかと思う。琵琶湖の瀬田大橋の
近所に烏丸半島という地名があり、京都にも地名が残り、琵琶湖西岸には和邇川が
ある。彼らも生ハギ習慣を持っていたのだろう。
216月光仮面:2006/12/16(土) 13:27:57
岩手の黒石寺近辺は蛇紋石の産地であり、渡来系蝦夷と坂上田村麿の攻防は
蛇紋石資源をめぐるものとも考えられる。殷の時代にタリム盆地小河墓遺跡に
小麦文化と共に到来した小河墓遺跡文化集団は南方500kmの崑崙山から輸入
した蛇紋石を死装束に縫い付けている。小河墓遺跡の墓標には六角形のものが
多く、驚嘆すべきは木棺を初めとするで、木工技術の高さであり、この起源が非常に
大きな謎であったが北方のアルタイ文化から出たものと解釈するとつじつまが合う。
また崑崙山脈における蛇紋石採鉱、玉加工も遼河文明の方向から来たものと解釈
できるのではなかろうか。
217月光仮面:2006/12/16(土) 13:37:48
>>214
狗奴国とは古の高句麗、つまり、菊理媛の白山神社、飛騨、犬山方面にあった
イヌカイ、トルコカンガール犬などと同じ語源で現在にチベタンマスチフのような
狗(Hound)うぃ軍用犬のように駆使する部族でなかっただろうかと思う。日本では
いち早くイヌカイとなったが、フヨでは国名となったのであろう。
218月光仮面:2006/12/16(土) 14:36:00
>>214
カミヤライ、国譲り、天孫地祇等は歴史的事実ではなく、単なる出来合いの神話であった
可能瀬衛が強い。と言うのはアルタイ、クマン族の神話では:
「天界の王の弟、魔界・冥界の王エルリクは最初の全能のカム、すなわち、シャーマン
によって冥界に落とされるが、激戦があり、完全にエルリクを撃破することができな
かった。このため、人々は天界の王ウルゲンだけではなくエルリクにも又お供えをし
なくてはならないのである。」つまり、スサノオとか出雲をあいてとする戦争等はなか
ったのかも知れない。では倭人伝の狗奴国との戦争は魏から鏡を貰うための詐欺行為
だったのかと言うと・・・ムー、やはりなんかあったのかなー。
219月光仮面:2006/12/16(土) 14:59:08
大シャーマン・カメネクは天界の王ウルゲンの娘と地上に駆け落ち、ウルゲン第二の
世界のものと一緒になった娘に大いに怒り、3度彼女を蹴った。このため彼女の生んだ
子は長男がどもり、次男が巨人、三男がビッコであり、三男はウルゲンがクマン族に
偉大な鍛冶屋、シャーマンを生むようにした。・・・この話記紀にも一部あった記憶がある。
220月光仮面:2006/12/16(土) 15:22:26
エルリクというのはラップ神話にも出てくるという。↓
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/Erlik.html
ロシアとフィンランドの国境付近のオネガ湖畔からはBC7千年紀から新石器時代
BC3千年紀の間、モンゴロイドとコーカソイド両方の墓が運営されてきたとのこと。
最近Y-HgのN型の研究でもこうしたことが裏付けられている。
221天之御名無主:2006/12/16(土) 19:46:54
秦礼子
222天之御名無主:2006/12/18(月) 05:45:26
秦河勝の末裔は奈良県田原本町です。
知り合いです。
歴史詳しくないのに来ちゃいました。
223天之御名無主:2006/12/18(月) 12:44:51
系図とか残っていたら凄いが・・。
224月光仮面:2006/12/18(月) 13:26:06
中国神話には神農、共工、蚩尤など牛頭であり、羌、姜などの西戎との関連の深そう
なものがあるが、失脚するものが多い。これはスサノオにも似ているが、その背景には
これら神話がもともとえらるアルタイのウルゲン・エルリクの天界・冥界の対立から出て
いるので、テクノクラートの神は失脚するしかないのかもしれない。話は変わるが銅鐸に
蚩尤のような神があるが、時代的に言ってアルタイの神ではないかと思われる。これを
兵主信仰にしてしまうのは山東半島から秦始皇帝時代に渤海湾を横断した方士徐福の
子孫ではないかと思う。
225月光仮面:2006/12/18(月) 13:33:59
「ウラル」アルタイのエルゲン・エルリクというのが間違って入力されていた。
226月光仮面:2006/12/20(水) 07:51:31
>>224
しかし、アルタイのウルゲンは鍛冶屋とシャーマンをもたら
したものであり、考古学的に新疆ウイグルに鉄器時代の到来
するのはBC10世紀頃の黒海スキタイ文化の普及と同じ頃のこ
とである。これは中原には及ばないようだが沿海州・北部
九州にはこの時代の鉄器の出土及び鉄器を使用したのではな
いかと見られる杭などの出土報告がある。この頃冥界神が必
要悪とでも言うように完全に抹殺されないのは地下資源を採
取するシャーマンが天界地上を支配するシャーマンに従属する
神話体系があったのではないかと考えられる。これは鉄器
時代以前、銅・青銅器時代からそういうことがあり、中国の
蚩尤・共工などは失脚するのであろう。
227天之御名無主:2006/12/24(日) 00:48:34
月光仮面ってヤシの話、ウザくて一人で盛り下げてる。
228天之御名無主:2006/12/24(日) 12:36:55
同感
月光仮面 正義の味方ならもう消えろ
229月光仮面:2006/12/24(日) 13:12:06
香具師の神は神農、山師の神は共工・蚩尤ではないかと言うことだが、ヤマシイことが
あるかな?
230月光仮面:2006/12/24(日) 13:25:02
クダラというのはギリシャ語のスクーター、弓を射るという意味の言葉がスキタイ
となったらしいんだが、月弓、月支、月氏、クダラ、月読命とは皆同じ意味となって
しまう。くだらないことではなくクダルことかもしれない。
231月光仮面:2006/12/24(日) 13:34:17
穴師の里に三輪そうめんを持ち込んだ香具師は薬も持ち込んだスクナヒコナ
ではなかろうか。
232月光仮面:2006/12/24(日) 14:39:38
中締めとして、三韓はスキタイが支配していた。ハタというのはスキタイの神官であり、
白い服(ハタ)を着ていた。軍事担当にはサカ族(大避、大酒、坂上、佐伯等に残る)、
貿易鍛冶担当がアラン族であり、裏日本・西九州とは弥生時代から通商関係があった。
有馬の殿様とはアーリア族であった・・・これはあまりにも遠いか。しかし、穴師と安羅
任那は相当近いだろう。
233月光仮面:2006/12/24(日) 14:55:26
しかし、スキタイに混じってユダヤ系のようなのがいるようだ。
「欽明 六月
百済の使、久貴・馬次文が帰国することになり、
倭王は阿賢移那斯、佐魯麻都等が勝手に高句麗と通じていたことについて
仔細を捜査、追求する人材を送ることと、」
http://homepage1.nifty.com/moritaya/mimana2.html
阿賢移那斯・・・これはなんだかユダヤ系の気がするんだが、
佐魯麻都・・・これはスキタイのサルマートではないか。
234月光仮面:2006/12/24(日) 15:08:03
スキタイにはクダル、シロキ、ロクサラン、サラパル等もいる。シロキなどは直に日本に
入ってきたのかもしれない。
235天之御名無主:2006/12/24(日) 19:45:25
月光仮面、遠慮せずに続けろ

半分くらいは使える。
236月光仮面:2006/12/25(月) 07:45:42
言語的に日本、朝鮮の場合はインドにアーリア語が入る前のドラビダ乃至タミール語
が入る状態と似て、同じ膠着語のアルタイ語が入り、印欧系はアルタイ系の匈奴に
よって三韓において流入が阻止され、遺伝子的にも消滅乃至は追い返されたのでは
ないだろうか。しかし、新羅に残る古墳、装飾品は紛れもなくスキタイのものであるし、
推古・斎明時代のトカラ人の来朝などではコーカソイドの入ってきたことがわかる。
神話では初めにイザナギ・イザナミ型(2神)からスキタイ構造というか3貴神に移行し
ている。そして月読命、スサノオが失脚し、アマテラスの一神教改革的な形をとる。
これは天地型の方形周溝墓、四隅突出墳丘墓、楯築中円双方墳、前方後円墳などに
対応する。
237月光仮面:2006/12/25(月) 07:59:47
皇室は男系でなくてはならないという制度はユダヤのラビなどの制度であるが、
こうしたものが確立する時代に記紀がユダヤ・キリスト教的内容によってまとめ
あげられたのだろう。しかし、朝廷がこうした皇室典範のような制度を取り入れた
ということとユダヤ人が皇室の祖であるとするのは全く話が違うと思うが。
238月光仮面:2006/12/25(月) 08:16:21
最初にアルタイ語が入った時は明石屋サンマが北朝鮮のテレビキャスター
をやらされるような抵抗があったんじゃないかと思うんだがなー。
239天之御名無主:2006/12/25(月) 10:39:20
煽るから またいい気になって 始めたじゃないか
もう いいから 黙れ
240天之御名無主:2006/12/25(月) 11:49:33
皇室は男系でなくてはならないというのは明治になってからできたんじゃ
常識だけどな〜
241天之御名無主:2006/12/25(月) 15:06:50
法的に定めたのが明治であって、
文書化しなくでも口伝奥義として伝わってきた。>男系。

女性天皇と女系天皇は違う・・という事すら今の人たちはわかってない。
それなのに一端の顔をして、あーだこうだという。
無知の状態に人を置いて、その場の雰囲気で投票させ
多数決です、ハイ決まりましたでは、奥義も伝統もあったものではない。
242天之御名無主:2006/12/25(月) 21:00:25
そうね 孝謙称徳天皇以来、たしかに暗黙の、という意味では

243天之御名無主:2006/12/25(月) 21:01:06
そうね 孝謙称徳天皇以来、たしかに暗黙の、という意味では

244天之御名無主:2006/12/26(火) 23:28:31
親戚は技術者多し、先生も多い
先祖は商人系
親は近江と伊賀
頭は天然パーマ
顔は外人顔
ウィトゲンシュタイン(ユダヤ人)が最大の感心事
異質なものになぜか惹かれる。
よく子供のとき鳥の絵を書いていた(鳥葬を連想)
そういえば親戚の家が十字紋(島津との繋がり)
245天之御名無主:2006/12/28(木) 03:24:44
得意分野は祭祀と軍事と薬学じゃなかったっけ
246天之御名無主:2006/12/30(土) 19:07:39
俺秦氏の子孫だよ。母方だけど。母方の親戚みんな濃い顔してるよ。
シルベスタースタローンみたいなのとか、若い頃のチャップリン(素顔)
みたいのとか。
俺も大学生の頃は塾の生徒(小学生)達に「アメリカ人」とか言われてた。

俺の親戚の多い特徴といえば トイレ。
ウンコのときはオシッコが出ないというヨーロッパ的特長。

俺は違うけどね
247天之御名無主:2006/12/30(土) 19:26:52
バカだね、それ迷信だよ。↑
うんことおしっこは同時にでるよ
ヨーロッパ人もスカトロポルノみてしった。
248天之御名無主:2006/12/31(日) 13:23:12
1.いまのイスラエル人、ユダヤ人 外人系のかお。
2.で、秦氏、ユダヤ人かも。??
3.だから秦氏の顔、外人臭い・・という連想止めれ。

イスラエルが認定した、ヤウマトウのマナセ族の顔みろ。
全くの弥生顔。

秦氏も騎馬民族のモンコロイドらと混血して外人系の顔には
なってないと思うぞ。似ていて縄文顔。
249天之御名無主:2006/12/31(日) 23:58:04
http://inri.client.jp/hexagon/img/jjmark.gif
↑これがユダヤの家紋ですか?西武もユダヤ系なんですよね?近江はチョンの国という説がありますが、これはアルタイ系と混血をした結果、ということですか?
250天之御名無主:2007/01/01(月) 11:46:48
正確には古代イスラエルの各民族のマークだな。
んで、そのマークの分類がちょっと違う。


当初子宝に恵まれなかったアブラハムだが、エジプト人の女性ハガルとのあいだに
イシュマエルが生まれ、これがアラブ人の祖先となった。その後正妻のサラからイサクが
生まれアブラハムはこれを後継者と認め祝福した。そのイサクは双子をもうけ兄をエサウ、
弟をヤコブと言う。ヤコブは後に神と格闘して負けなかったので祝福を与えられ
「イスラエル(神に勝つもの)」と名乗る事を許される。ここからがユダヤ人
(イスラエル人)となる。

その子孫が12人いて各支族の長となる。聖書によると

1.ルペン  2.シメオン  3.レビ   4.ユダ   5.ダン   6.ナフタリ
7.ガド   8.アシェル  9.イッカサル10.ゼブルン11.ヨセフ 12.ベニヤミン

となっているが、一般的に3.レビは祭儀専門支族で別格とし、11のヨセフの息子11−1.
エフライム、11−2.マナセが独立させた支族を指し含みて「12支族」として扱うのが
通例である。(「聖書」はエフライムの言葉を使うのを避けるために敢えて違う分類法を
採ったとされる。エフライムは北系10氏族の中で一番の力を持ち「北」の象徴的存在の
部族であったが、それは偶像崇拝している北の背教の象徴でもあると「南」はみていた。
自らが正統ユダヤであるとする「南」は、聖書に背教を象徴する部族の名前を入れたくないと
いう意思から、このような処置をしたものとされている)

251天之御名無主:2007/01/07(日) 09:17:32
普通に機織り氏族と思われ・・・・
252天之御名無主:2007/01/07(日) 13:03:41
只の天皇家だよ
253天之御名無主:2007/01/07(日) 14:37:17
秦氏の得意技は「土木」

繊維産業ではないことは
本流の考古学会でも
だんだん見直されている事。

天皇家は十支族。
秦氏は2支族。
254天之御名無主:2007/01/07(日) 18:14:30
芸人に波田陽区っているだろ?正月の特番にこの人の兄貴が映ってたんだが、
兄弟ともに顔が長くて鼻が大きくて・・・
正直、日本人には珍しい顔付き
秦氏と関係あんのかな(w
255天之御名無主:2007/01/07(日) 22:23:37
商業経営も得意でそ
近江商人あれ秦氏ね
あと芸能もね
それから宮内庁と警視庁は秦氏の縄張りね
256天之御名無主:2007/01/07(日) 22:50:32
>>254
日本人のほとんどは秦氏の血をくぐっていますよ
秦氏だらけです
257天之御名無主:2007/01/08(月) 18:28:25
煮詰まってる○スレ
258天之御名無主:2007/01/08(月) 22:06:25
>>254天皇系の顔だな。
ちなみに彼は山口県出身
259天之御名無主:2007/01/10(水) 15:15:44
>>253
土木の目立った業績は葛野大堰ぐらい。
だから土木は葛野の秦氏(秦氏の中心)がやった程度。
秦氏全体の得意技が土木なら日本全土で大活躍してるわ。アフォくさい。
260天之御名無主:2007/01/11(木) 13:13:11
>>259
日本全土で大活躍してますがww
秦氏の作った何の変哲もない溜池とか解体して
現代の建築家が舌を巻いてるよ。

逆に繊維は漢氏とかが専門とか言われてるんだよ。
261天之御名無主:2007/01/11(木) 23:06:20
>>260
そうだったのか知らなかった。
ぜひ文献・資料を紹介してください。
262天之御名無主:2007/01/12(金) 13:26:58
>>261
何年か前の京都新聞文化欄
漢氏は何かの本。

スマン詳細は手元に無い。
新しく刊行された個体資本なら書いてあると思う。
263天之御名無主:2007/01/15(月) 00:50:04
>>255
宮内庁と警視庁は秦氏の縄張りってどういうこと?詳しく知りたい。
264天之御名無主:2007/01/15(月) 08:16:09
秦氏状
ジャイアンへ

放課後体育館の裏へ来い!

    のび太
265天之御名無主:2007/01/15(月) 13:33:07
>>263

おれは255ではないけど、秦氏は大酒神社祭っているので
解るように十支族ではないから。

宮内庁はレビだから、両方に寛容されている。

警察はしらない。ユダヤ人なら何族なのよ。
266天之御名無主:2007/01/16(火) 01:23:26
う〜ん。皇族ですら自分達に出自がよくわかってないのに、秦氏が渡来人で、
もとは朝鮮半島にいて、そのまえはユダヤで、日本の神社の神主系列で、
土木技術で日本を席巻し、各地に地名を残し、今でも○○という苗字は秦氏の子孫...
なわけないよんぁ。
秦の国王の子孫だと言い張る大規模な集団が、ある程度の土木技術を持って京都の一部に住んでいた。
今は同化してどうなったか変わらないが京都とそのほか一部に地名としてのこっている。
ぐらいしか分からないだろう。
近江商人が渡来系なんて思っている人は日本人のごく一部。
大阪には数十万人の韓国・北朝鮮国籍がいるが、通名で暮らしているから、
戸籍を見ないと分からない。戸籍がなければあっというまに同化しているでしょう。
人間は物忘れが激しいので、自分の祖先の事、他人の祖先の事などすぐ忘れる。
血族なんてほとんど妄想です。
秦氏なんて、すぐに他の氏族と混じって、わけわからんことになっているでしょう。
267天之御名無主:2007/01/16(火) 13:48:27
>>266
皇室の出自がわかってないというのは嘘。
皇室に苗字がないというのとおなじ。あえて言わないだけ。
何故言わないのかという説明をしなくてはならないから
「ない」とされているだけ。

秦の国王の子孫と言うのは、ただの箔付け。当時のほか豪族もやっている。

当時の渡来人と今の外国人を並べる事自体がおかしい。
何故帰化人と呼ばずに渡来人というか調べてみろ。
当時の外国人の立場を勉強するべき。

自分の血族祖先を忘れるのは、一般人には関係ない情報になってしまっているから。
しかし、例えは現政権の要職や、大企業の幹部の血筋を調べるだけで「ええーっ」となるぞ。
大企業といっても成金は関係ないからな。間違えるなよ。

支配する側と、される側は、はっきりと別れている。
ただし一発屋はちがうから間違えるな。


昔は、いわゆるその成金や一発屋を許さない体勢だったが
今は許容されている。それだけだ。それが日本の
民主社会主義といわれる所以だ。
268天之御名無主:2007/01/17(水) 04:37:57
その通りだな
269天之御名無主:2007/01/18(木) 18:37:36
系譜は調べられても血筋は調べられん
270天之御名無主:2007/01/19(金) 00:37:56
>>266←バカ?( ´,_ゝ`)プッ
271天之御名無主:2007/01/21(日) 01:34:38
>>246
昔ヤクルトに秦真司という選手がいたのだが典型的な日本人の顔をしていたよ。
どう見てもスタローンやチャップリンの若い頃には見えない。
272天之御名無主:2007/01/21(日) 08:53:09
そりゃ、どの秦氏も同じ混血度なわけじゃないからあたりまえ。

田舎に住んでって関係者ばかりと結婚してれば特徴は残るし、
都会に住んであれこれやってれば名字だけが残る。
273天之御名無主:2007/02/03(土) 12:35:32
愛知川周辺
274天之御名無主:2007/02/10(土) 18:01:04
えちがわ?
275天之御名無主:2007/02/17(土) 23:27:11
天皇家の姓は「姫」氏という説がある件
よみかたは「き」
276天之御名無主:2007/02/17(土) 23:36:26
坂上田村麻呂
277天之御名無主:2007/02/18(日) 08:43:43
>>272
たとえば特徴ってどんなの?
278天之御名無主:2007/02/18(日) 23:06:55
>>275
周の姫昌の姫?
279天之御名無主:2007/02/19(月) 01:00:51
>>275
そそ。姫
平安時代に歌会だか勉強会だかで天皇さん自ら言ったんだっけ
280天之御名無主:2007/02/19(月) 01:13:33
>>278
姫昌の伯父、太伯の子孫説はあるよ。

邪馬台国に魏使が来たとき、ルーツをそう説明して、それなりに
納得(刺青などが理由、姫氏国と呼ぶ習慣もそう)された。

太伯は呉に行った、日本の水稲のDNAを調べると中国江南産、
天皇家の先祖が船で稲穂を持ってきたことになってるなど
状況は一応つじつまがあっている。

あと、平安時代くらいの日本書紀の注釈本に
Q.天皇家の氏姓が姫と言われることがあるけどどうして?
A.ぶちゃけ分からんけど、女神が先祖だからかもねー。
みたいな注釈がある。
281天之御名無主:2007/02/23(金) 23:10:38
易姓革命を防ぐ(もし起こっても万世一系にみせるためか?)ために
天皇家が姓を捨てた(隠した)という説もありますな
この説は非常に興味深いと思ったよ
282このはな:2007/03/13(火) 01:14:01
噂の、2ちゃんねるを最近、よく読むようになりました。なにぶん、ネット初心者なので、お手柔らかに。子供の頃から皇室に興味があり、それ系から読んでいました。
さて、私は東海地方ののどかな県に住んでいるのですが、子供の頃、離婚して出て行った父の母方の苗字が、宗、というのが気になっていました。
283このはな:2007/03/13(火) 01:18:38
↑の続き
(ちちの出身地は長崎県五島列島)なので、数日前、地元の図書館で調べてみた所、宗氏は秦氏の嫡流とあり、出雲系、対馬系があり古代にはコレ(←りっしんべんにふるとり)宗と名乗っていた、と載っていました。
284天之御名無主:2007/03/13(火) 01:45:48
対馬守護代の宗氏は表向きは平姓だよね
285このはな:2007/03/13(火) 03:31:47
284さん、優しく答えてくださってありがとうございます。初めて書いたので、ドキドキしていました…。宗氏のこと、自分のルーツのこと、秦氏のこと、もっと知りたいとは思うのですが…父関係はもう他人も同じだし、その戸籍を調べるのもタブーのような気がして。
286このはな:2007/03/13(火) 03:34:33
(続き)
2ちゃんねるを通して、もっといろいろなことを知ることができたらいいなーと、思っています。
287天之御名無主:2007/03/14(水) 13:08:29
大和民族の血筋
ttp://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/53137594.html
いずれにしてもいま、12CHのクルーがユダヤ同族探検隊と取材同行しており長野県の諏訪大社から調査がはじまるらしい。
”みのもんた”の27日(?)の特番をおみのがしなく。
288カゲトラ:2007/03/14(水) 17:18:52
一説に云う所に、秦氏=徐福伝説につながると言うのもあるんだけどね〜!あくまで伝説!徐福が熊野にたどりついたのだ!っやつ!
289このはな:2007/03/14(水) 22:50:43
うち田舎なんで12ch観れないんですよ〜(T_T)
昔、何かでユダヤ人と日本人は頭脳が高いって聞いたことがあります。
徐福のことも、前に世界不思議発見でやってましたよね♪
290このはな:2007/03/14(水) 22:54:06
いずれにしても、DVだった父に似ていることが嫌だったのですが、自分の血にも日本人であることにも少し誇りが持てるようになってきました。
291天之御名無主:2007/03/16(金) 01:06:43
>>287
>”みのもんた”の27日(?)の特番
それなに?
292天之御名無主:2007/03/16(金) 13:21:02
>>291
貼ってあるリンクを読め
イスラエルの調査隊が
諏訪神社に行ったのを同行取材だとよ。
293天之御名無主:2007/03/16(金) 22:47:56
宗道臣

ごめん>由貴
294天之御名無主:2007/03/17(土) 08:07:34
神奈川県に秦野ってあるけど、秦氏が住み着いたとか?
295天之御名無主:2007/03/17(土) 09:19:46
畑と書いてハタと読む一族も同族なら、





ムシゴロウも同族だなw
296天之御名無主:2007/03/17(土) 09:47:50
三井財閥の三井さんは秦氏だ
297このはな:2007/03/18(日) 02:35:45
宗道臣って、誰ですのん?
298天之御名無主:2007/03/18(日) 23:15:32
知識も常識もないのに限ってコテハンになるな
299月光仮面:2007/06/02(土) 08:50:45
【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1166287199/menu986-990
蘇民将来説話は呉の銅鏡工人による白人系秦氏差別によるものなのだろうか。
300天之御名無主:2007/06/02(土) 11:56:09
>>298
透明あぼーん、しよう。
逆に常識のないのや荒らし体質、他人を見下さずにおれない連中が
名無しで暴れるほうがウンザリする。
301月光仮面:2007/06/02(土) 12:05:20
選民思想とは嬰児大虐殺とセットになっており、アウシュビッツ、ポグロム等
http://yoshua.egoism.jp/kirisuto3.html
常に選民思想、差別の結末として付きまとう。この「小子部スガルは、天皇から蚕を全国
から集めよとの命令を勘違いして子供を全国から集めてしまった。そこで、天皇にその
集めた子供を自身で養うように命じられる。」
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
小子部スガルというのはこうした選民思想で嬰児大虐殺実行の準備をはかり、天皇の
罰を受けたのであろう。これはユダヤ教の影響だろうか。
302月光仮面:2007/06/02(土) 12:15:47
選民思想はユダヤに強いが、セム系のイスラムにも多分に多民族の生命を無視する
テロ礼賛の傾向は強い。セム系、その宗教であるイスラム・ユダヤ・キリスト教の根底
にある考えで、八百万の神を敬う日本・エジプト・欧州・インド・東洋とは一線を画している
ようだ。秦氏はユダヤ人とする根拠は全くなく、逆に、秦氏は分け隔てなく神社仏閣を
造り、宗教、殖産を起こした民族と見たほうがすっきりしている。
303月光仮面:2007/06/02(土) 12:57:16
「苒閔は軍隊を率いて羯族の大虐殺を行い、20万人以上も殺したという。
その中には「鼻が高く、髭が多い」ために、まちがって殺されたものが半数近くいた
と史書に書かれてある。」
http://miya.cande.iwate-u.ac.jp/china/ketsu.htm
中国人もヒットラー同様にジェノサイドを行い、この場合、犠牲者は小月氏の子孫
だから百済月支国、秦氏とも血のつながりのある部族。こういう事件の後百済に
逃亡したものがいたかもしれない。
304月光仮面:2007/06/02(土) 13:03:26
ところが、大犬座シリウスを信奉するバシコルトと秦氏には共通する点が多い。この
バシコルトは遺伝子的にユダヤ人と同じ。しかし、当初の宗教はシリウス、ゾロアスター
系統から始まり、全く違う。
305月光仮面:2007/06/02(土) 18:00:41
アミン・ベクはバシコルドの伝承による人物で聖書のヨセフと同等視される。
アミンベクは両親によって隊商に奴隷として売られる。ヨセフは兄弟によって井戸に投げ
込まれ、同様にされる。アミンベクは自ら井戸の底に水がないか確認するために井戸を
這い降りる。水の代わりに黄金を発見した彼は隊商の長に井戸に桶を下ろしてくれと
頼むが、隊長は黄金をアミンベクと山分けするのを嫌い、縄を切り、アミンベクは井戸の
底に残される。そこには善玉の龍がいるがアミンベクは楽器を弾いて癒してあげる。
龍は彼を井戸から出して、隊商にまで届ける。彼は、キャラバン長から市内の自分の
妻に当てた手紙を託され、盗み読みすると「この男は近づけるな」と書かれていた。
この手紙を「自分の娘を、隊商が帰国する前に、この男の嫁にやるよう」に書き換える。
娘をものにして、夕刻ぶらりとしていると、ファラオの宮殿に行き当たり、ファラオとの
国土をかけたチェッカーに勝つ。富豪に成り、名声を博して、子供の時から彼を商人に
させたかった両親を呼び寄せる。その他の点ではエジプトに奴隷に出されたヨセフと似
た話。商人はイズマイリト-マディアニトと呼ばれる。モーセがファラオの怒りに触れて
身を寄せたのもマディアニト。これはユダヤ人の親戚。モーセはマディアニトの首長の
娘と結婚。アブラハムはカルデア、ウラの出身。クルドの伝承によればアブラハムは
ウルファ生まれ。アブラハムがウラから約束の地にいたる順路はイラク、トルコ、シリア
にま致している。モーセが駆け込んだのは鉱山仲間。ヘブライ学者はモーゼはメサー
引き出すという動詞から出ているというが、クルド語でモーセとはペンチのようなはさみの
ことで、メングレル、アブハズ語でもその通り。アブラハムはシナイ縦坑銅山の人夫。
306月光仮面:2007/06/02(土) 18:04:51
大避というのは中国語で死刑の意味であり、大避神社の井戸は這い上がれないように
細工がしてあるように見えたが、そうした悪い意味ではなく、秦氏の遠祖は鉱山関係
であり、三つ鳥居というのもシナイ半島の縦穴式鉱山のウィンチと考えれば合点が行く。
307月光仮面:2007/06/02(土) 18:08:11
アミン・ベクの話はBC3000年頃、アブラハムはBC1850年頃の話であり、秦氏とか
三井の先祖がパミールのラピスラズリをエジプトに売っていたのはエジプト先王朝
時代の頃のようである。
308月光仮面:2007/06/03(日) 10:25:04
>>303
逆に、日本の秦氏が遺伝子的にコーカソイドではなく、モンゴロイドであることは、
太古においてユダヤ人集団、つうか、クルド人集団と同じ交易集団にあったものが
中国、朝鮮と移動を続けるうちにモンゴロイド要素のみを生存さすような人為的選択、
これこそ、羯族虐殺を招いたものかとも考えられるが、そうした、東アジアの環境下で
現在あるがままのモンゴロイド集団としての秦氏になってしまったということが考えら
れる。日本に残る蘇我氏、坂上田村麿等がコーカソイド形質であったという伝承は
そうした過渡期の最後の段階を物語るのではなかろうか。
309月光仮面:2007/06/03(日) 10:47:59
アルタイにはZhu銅山遺跡というのがあるが
「讙兜(かんとう)が共工の挙用を進言したが堯は無理だと言った。だが、試しに彼を
工師(百工の長)にしてみたら話にならないほど酷かった。四岳は鯀を治水に挙用する
よう進めたが、堯は無理だと言った。だが、岳が強く試すことを請うので、これを試した
が功なく、百姓は不便になった。三苗が江水(長江)と淮水(淮河)にいて、荊州で何度
も乱を起した。舜が帰って帝堯に共工を幽陵に流すことを請うたので北狄に変転した。
讙兜を崇山に放逐したので南蛮に変転した。三苗を三危に遷したので西戎に変転した。
鯀を羽山に左遷したので東夷に変転した。
 一説には、共工が洪水を起したので民は皆、丘陵や樹木に殺到した。舜は禹に治水
工事を命じて水を東の海に注がせた。そこでは海が東に在るのは共工のせいだとさ
れる。」
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/sinwa/sinwa-2-5kyogon.htm
共工/北狄、三苗/西戎、この辺にアルタイ青銅器文化と殷の青銅器文化の接点が
潜んでいるのではないかと思う。
310月光仮面:2007/06/03(日) 11:34:45
>>鯀を羽山
羽黒山に近い鳥海山麓遊佐では殷の刀子が出土するが、周辺縄文人はこれを
模った土器を作成するようになっている。越の国一帯に殷の亡命集団が渡来した
ということだろうか。
311月光仮面:2007/06/03(日) 21:26:52
【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1166287199/menu988
蘇民将来由来のもう一つの解釈は、これを出雲族の非常に古い伝承と見ること。
出雲族を日本青銅器文化の中心と見る。出雲族は蘇民つまり三苗民族の子孫と見る。
そして物部をモン族、久米をクメールと見る。彼らは仰韶時代に共工の影響を受けるが、
後に、中原の祝融、漢族に追われ、甘粛方面からオルドス、遼東と時計回りに中国周辺を
回り朝鮮半島経由日本に到達したと考える。
312月光仮面:2007/06/04(月) 13:14:03
敦煌(三危)における蘇民(苗民)と巨旦(ホータンサカ族)に対する共工(あるいは、
スサノオ、シバ神、ディオニュソス(酒神))の選別的ホロコーストと解釈しておこうか。
313月光仮面:2007/06/05(火) 12:30:33
邪馬台国は、出雲、北部九州を征圧、後漢帯方公孫、魏との楽浪貿易を確保、後漢
末には呉の青銅器工人をも確保した感じがする。平原国産大型内行花文鏡、末期
銅鐸の文様変化にその形跡がある。そして出雲を宗教的本拠としていたオルドス系
の技術を駆逐したのであろう。この間の工人集団間の宗教的再編成が国譲りとか、
天孫降臨、神武東遷の神話となったのであろう。
314月光仮面:2007/06/05(火) 13:07:19
秦氏の夕月国とは新疆ウイグル、東突厥国であろう。現在では白人とモンゴロイドが
混血しているようだが、日本に渡来した当時は分離しており、モンゴロイドは後にチベット
に南下するタングート羌系及びバイカル方面から西進したツングース系でなかったkと
思われるのだが。
315月光仮面:2007/06/11(月) 10:49:47
>>306 三つ鳥居については鉱山のウインチというのはおかしい。というのは↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/4/45/%E8%9A%95%E3%81%AE%E7%A4%BE%E4%B8%89%E6%9F%B1%E9%B3%A5%E5%B1%85.jpg
この写真の池は原初の海、石山は原初の陸地、そうすると三つ鳥居はあくまでもその
原初の陸地になる砂、泥を海底から咥えて浮上した水鳥、つまり、鴨の止まり木と考え
るのが順当。するとこれは鴨氏が本来持っていた神話を具象化したものと見るべきで
ある。つまり、秦氏はOEMの祭祀集団であって、クルド人のように非常に習合的であっ
たのであろう。
316天之御名無主:2007/06/11(月) 12:56:04
なつかしいなあ。阪神大震災までは
そんなフウに一応水が湧いていたのになあ。

今はもう御足洗の時だけ
井水汲み上げてるだけだものな。
317月光仮面:2007/06/30(土) 14:36:28
どうも秦氏はソグド(タジク)人と非常に近く、チベットに同族が多いようだ↓
日本人どこから来たんだ?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1165607012/menu743

318天之御名無主:2007/07/07(土) 23:11:20
199X年ヤクルト最強打線

飯田
荒井
古田 ← 現在ヤクルト監督
広沢 ← 現在阪神コーチ
ハウエル
池山 ← 現在楽天コーチ
秦  ← 現在このスレで注目されている   
ハドラー
投手
319天之御名無主:2007/07/08(日) 01:14:27
秦氏=木地師
木地師の総本山=小椋
320天之御名無主:2007/07/15(日) 19:10:54
神奈川県の県央地域は
秦野市『秦氏』・綾瀬市『漢氏』・伊勢原市『伊勢』とルーツを意味する地名が連なっている。
321天之御名無主:2007/07/15(日) 21:16:25
波多野氏は有力武士だな
322月光仮面:2007/09/08(土) 07:49:43
タイ、バンチャンで世界最古の鉄、BC1600年とか、が発見された。西蔵、雲南に近いが
この方面にYAP+が多い。YAP+の多い地方では奴隷売買が行われたりもするが、日本
の秦氏にも三井があったりして古代商業との関連が考えられる。YAP+はどうも羌、テイ
族と秦氏を結びつける。鉄の開発者は秦系であったのではないだろうか。どうも秦氏、
YAP+の評価が過小のようだ。また、バンチャン出土土器を見ていると南西アジア、黄河
の彩陶土器と似ている。ここにも轆轤技術の国際的移動を見る想いがする。
323月光仮面:2007/09/08(土) 07:55:08
バンチャンから遠からぬミャンマーではイスラエルの失われた支族、マナセが発見され
帰還したし、ドルメンがある。ドルメンはどうも古代青銅器流通経路上に多い。ユダヤと
秦氏の接点はこの辺にあるのかもしれない。
324月光仮面:2007/09/08(土) 08:27:17
秦氏が西蔵青海高原の商流を押さえ、後にユダヤの祖であるとか、イラン系犬戎に
バンチャンの青銅資源、彩色土器、鉄資源を卸していたと考えたいところではあるが、
では何故中国の呉越方面で鉄が始まるまでに千年以上もかかるのかが謎。秦氏は
メソポタミア、エジプト経済の末端であり、二里頭経済には属していなかったのか。
325月光仮面:2007/09/08(土) 08:43:48
いかにせん 鵜坂の社にみはすとも 君がしもとの 数ならぬ身を 源俊頼
(平安朝歌人) 尻打祭
http://www.genbu.net/data/ecyu/usaka_title.htm
ヤギと犬をいけにえとしてささげる儀式の後、腰布をまとった若い男たちが若い女たち
を鞭(むち)で打ちながら走り回り、この鞭に打たれると子宝に恵まれると信じる女性
たちはすすんで肩をあらわにしてこれに応えた。
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/feature/0501/index2.shtml
このつるめそ、神人との同類が犬をたたきで食べたと見られるアーリア遺跡がボルガ
流域で発見されている。日本とローマのいずれが本家かわからないが、秦氏がイラン
系と同じ集団でカーストを形成していたことが考えられる。ローマに入ったイラン系と
日本に入るアルタイ系は現在のタタール同様印欧語、アルタイ語のバイリンガルであり、
日本に入るのはアルタイ系であり、秦氏もシノ・チベット語を話さないところから、
アルタイ系カーストの下部構造に入ったのかもしれない。


326月光仮面:2007/09/28(金) 16:33:01
From ユダヤ=秦氏は鬼・悪魔
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1159451054/menu328-354
牛頭天王、八坂神社/祇園社、江原道牛頭方、狛、穢、沃祖、高句麗、發、山戎、
兀良哈、烏梁海・・・日中韓・三国通史
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/index.htm
韓国人と日本人のYDNA
http://www.geocities.com/vetinarilord/korean.pdf
これで全てはつながる。そして秦氏というものは多分戦国期に燕方面から衛満
と共に韓国日本に流れた民族移動の一部であり、九州に甕棺↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan.html
をもたらしたものと軌を一にしており、表面的には殷周秦と続く中原稲作漢族である
ものの、これに隠れ、満州の野人(戎、物部)、倭人(海人族)が「沿岸沿いに」
裏日本、東シナ海、瀬戸内に入り、彼らがYAP+のキャリヤーであったのであろうと
推測できる。


327月光仮面:2007/09/28(金) 16:44:30
朝鮮半島、日本列島の住民を怖がらせたであろう鬼の面はナマハゲ、トシドン、
モンゴル、スイス・レンチェンタールに残るが、最も西欧的なのがトシドンで、
東洋的なのがレンチェンタールである。全ては年の暮れに子供怖がらすもので
ニューヨークでクリスマスとして商業化が始まって百年足らずという。
328月光仮面:2007/09/28(金) 16:59:20
九州の甕棺が戦国末とすると、その頃から近畿東海に銅鐸が入り始め、倭人が入り始
めるのは、これが箱型石棺墓、四隅突出型墳丘墓、高地性集落の頃で、新旧の対立
があったかもしれない。最終的には阿讃播の古墳文化が大和朝廷を纒向に作り、
銅鏡集中が近畿で始まり、日本が誕生したのであろう。
329天之御名無主:2007/09/28(金) 20:24:25
ユダヤ人到来説考察
2007年9月21日にテレビ東京で放送された「新説!?みのもんたの歴史ミステリーSP」
に「ユダヤ人が日本に渡来していた」という説があり、最初は半信半疑だったが、ある可能性
に気が付いてググってみた。
可能性とは中近東とインドの間の貿易ラインに乗って、まずインドまで移動、その後、チャンパ
等、古代の東南アジア貿易で活躍した民族の商船をチャーターして中国沿岸部へ移動、さらに
日本へ移動したという図式で、「海のシルクロード」がヒントになった。
まず古代の中近東とインドの貿易だが、旧約聖書に登場する「シバの女王」の国、イエメンが
インドのコーチンという港町までルートを持っていて紀元前の時代からユダヤ人が住み着いて
いたという(実際にユダヤ人街がある。)。
後はチャンパ(インドの影響が色濃い王国で中国とも盛んに貿易していた。)を媒介に南中国へ
移り、そこから日本へ渡航するという方法なら陸路を1万1千キロ移動するよりは安全だし
船なら大量に移動出来た筈だ。(それでも何世代か、かかったろうけど。)
問題なのは何故わざわざ当時の東アジア最大の帝国だった中国ではなく、辺境の島国だった
日本へ移動したのかだが、日本の九州沿岸部で産出する貝紫(ロイヤルパープル)が目当て
だったのではと推論してみた。
貝紫というのは古代地中海世界で珍重され、同じ目方の金と交換されたと言われるほど希少な
染料の事である。これを採取しインド経由で地中海方面へ輸出すれば多大な富を得られると
考えれば、日本に移住する事も考えられるだろう。(経済的理由が総てでは無いにしても
大きな原動力になった筈だ。)
諸君による推敲を求む。
330月光仮面:2007/09/29(土) 09:32:46
古代エジプト人の人種分類↓
エジプト人-人(他民族は劣等とする)、赤い肌、あごひげなし
黒人-黒い肌、あごひげなし
セム人-浅黒い肌、あごひげあり
リビア人-白い肌、あごひげ、髪はカール
ヒッタイト人-黄色い肌、あごひげなし、髪は後編み
ターリム盆地に入るトカラ語は月氏であり、馬韓月氏経由日本に入るが、
トカラ語とヒッタイト語は日本語・韓国語のようによく似た兄弟語。
ヒッタイトが羌あるいは秦である可能性もある。
331月光仮面:2007/09/29(土) 11:26:24
ヒクソスの語源であるが↓
「エジプトの史家マネフォンは幼児よりアジアセムの通称が"ameu"であることを
熟知し、著書「エジプト学」においてアジア族の王を表す正しい名称を"heku ameu"
(羊飼い族の王)乃至は"kheku khasut" (異国王)としたが、これはエジプト人の伝統的
なアジア人への加えて祖国の占領者への、憎しみの国民感情を表し、主観的に、
曲げて、古代エジプトの"ameu"を羊の意味から"sos"という豚を意味する罵倒語
ギリシャ語のタグに変えた。
ヒクソスとは近東においてBC17世紀以前に形成された部族連合 shasuの指導者
の称号khekuを合成した古代エジプト語-kheku-shasu-のギリシャ語変形。」
出雲に侵入してきた月氏王はヒコハニであり、造語法の類似があるが、アジア族と
セム族が羊飼いということで共同体を形成していたことが背後にあり、この辺に
ユダヤと秦の接点があるのではないか。
332月光仮面:2007/09/29(土) 11:34:02
纒向で発見された仮面は小河墓の表面に散乱していた仮面に類似するが、辟邪の
意味で、オペラ座の怪人、のようにマントで獅子舞のようにして悪魔を祓ったのでは
ないか。これもアファナシエボ・トカラ・月氏・馬韓のつながりであろう。
333月光仮面:2007/09/29(土) 11:40:02
>>325
鵜坂の社の神官、つるめそ、ローマの狼僧は同一民族である可能性がある。
334月光仮面:2007/09/29(土) 12:19:32
ミャンマーのTV放映に映る顔にはモンゴロイドと浅黒い彫りの深いのがある。後者は
マナセ・チン族の関係かな。支石墓は日本にもつながるし、ランユーというポールは
小河墓の墓標の先端と同じだ。チン-秦、似ているではないか。アンダマン諸島と
モンゴルのハルハは同じYAP+であるし、ブリャートには子安貝があり、モンゴル、
チベットにはほら貝がある。
335月光仮面:2007/09/30(日) 09:16:20
>>326
>殷周秦と続く中原稲作漢族
O-SRY+465 O-47z
韓国 13.8% 5.6%
日本 6.5% 19.4%
これらY-DNA遺伝子は河南省、山西省南部黄河流域から出て朝鮮半島に
無紋土器時代に移住したものでO-SRY+465よりO-47zが派生した。日本において
新型O-47zが多いのは朝鮮半島において新型が多くなってきた時代に、
衛氏朝鮮に追われる箕子朝鮮のような形で日本に移住したのではなかろうか。
こうすると吉野ヶ里に到着する甕棺文化がそれらしい気がするのだ。
336月光仮面:2007/09/30(日) 10:40:11
筑紫野・小郡市一帯から出土する弥生人が、最も縄文人とは遠い、いわば典型的な
渡来系弥生人の特徴を持った集団・・・らしい↓
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/146.html
337月光仮面:2007/09/30(日) 17:29:55
「ハプログループDE-YAPは日本人にだけ高頻度であるが、その他の東アジアでは
まれ。この結果は以前の研究でYAP+が東アジアではチベットと日本の住民にのみ見ら
れるとする発見と整合する。しかし、今回サンプリングしたその他の東北アジアにおい
ても、ハプログループDE-YAPは低頻度で発見され(日本を除くと全体で2.4%、日本を入
れると9.6)が、南アジアでは2つのポピュレーション(全体で0.8%)であり、韓国YAP+が南
アジアから来ることはありそうにない。YAP+が中央アジアに多いことは東アジアポピュ
レーションには北西方向から、多分、中央アジアから遺伝子の流入があることを示唆
するものである。」(YAP+は日本34.7% 韓国2.5%)
http://www.geocities.com/vetinarilord/korean.pdf
日本ではYAP+ D-M174が34.7%で内訳は
D-P37.1 3.9%
D-M116.1  16.6%
D-M125 12.0%
D-P42 2.3%
http://img438.imageshack.us/my.php?image=japan9zr.gif
338月光仮面:2007/09/30(日) 17:35:49
弥生人の大量渡来↓
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-12.html
これは単にO47z等の中国起源のものだけではなく、中央アジア、外蒙、満州経由の
YAP+が含まれていると考えるのが順当ではなかろうか。
339月光仮面:2007/10/01(月) 07:45:32
日本書紀雄略紀上道臣田狭事件はダビテがヘテ人ウリアとの話と似ており、
更にその中に「ある町に富む人と貧しい人がいた。富んでいる人はたくさんの羊や牛を
持っていたが、貧しい人は大切に大切に育てたたった一頭の小さな子羊しか持ってい
なかった。あるとき、富んでいる人のところにお客さんが来た。すると彼は遇しのために
自分のものを惜しみ、貧しい人の子羊を取り上げ、それを調理して客を遇したと。これを
聞いてダビデは怒りました。「主は生きておられる。そんなことをした男は死刑だ」 
しかしナタンは言います。「あなたがその男です。あなたはヘテ人ウリヤを剣で打ち、
その妻を自分の妻にした」(12:7-)と。」」・・・これは牛頭天王蘇民将来の話と似ている。
これはヘテが秦氏であり、ソロモンは秦系であり、キリストを祝福した東方の博士も
秦氏であったということかもしれない。少なくともヘテ族とユダヤの間の倫理水準の
差を言うものではないか。
340月光仮面:2007/10/01(月) 07:57:27
これをもって吉備は高潔な秦系であり、雄略は戎的なJewであるとは言えず、単に
強権的な雄略の治世における国内に隠然としていた不満を表したものかもしれないが(w
341月光仮面:2007/10/01(月) 08:13:58
>>339
失礼、ソロモンはダビデがヘテ人ウリアの妻に産ませた不義の実子であった。ダビデ
の悪質な隠ぺい工作が有力な情況証拠を成立させている。
342月光仮面:2007/10/01(月) 08:21:13
エジプト人にとってアジア遊牧民、セム遊牧民は「嫌悪以上のおぞましい存在」
であったとされるが、ヒッタイトはエジプトに君臨しており、ユダヤよりも高潔であった
ようであるので、「嫌悪以上のおぞましい存在」のかなりの部分はアジア系ヘテ人
よりはセム系に対するものであったのではないかと思うんだが。
343月光仮面:2007/10/01(月) 08:41:06
政の父、子楚(後の荘襄王)は趙の人質となっていたが、大商人呂不韋の力を借りて
帰国し、秦の王になることができた。このときに子楚が呂不韋の愛人をもらい受け、この
愛人が政の生母となる。しかしその愛人は、子楚に渡されたときにはすでに身ごもって
いたと言われる。つまり始皇帝の父親は子楚ではなく、呂不韋であるということになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D
秦河勝とか、ユダヤ人とかは商人の一面を持つが、始皇帝もそうである。しかし、始皇帝
の出自とソロモンの出自とが似ているのは偶然ではなく英雄譚にはこうした話を入れる
ものかもしれない。政権が変わった際に一族皆殺しを避ける意味があったのかなー。
344月光仮面:2007/10/02(火) 17:01:55
>>339 >>341
聖典によればダビデはユダが義理の娘を犯すということと買春という二つの重罪により
法を犯してカナンの女、タマルに生ませたペレスがダビデの先祖とのこと。なんだか
素性の悪いのが偉くなるようである。現代人の倫理から古代人のパラダイムを推測
するのは難しい。
345月光仮面:2007/10/02(火) 17:13:20
イスラエル考古学会による発掘調査結果によると推定されるダビデの時代にユダヤ
国家が存在した形跡はないとのことであり、聖典の話に根拠があるわけでないので
これでもってイスラエル人をどうのこうの言うのはまったく当たらず、またヒッタイト
を秦とするのも全く根拠がない。しかし、伊勢神宮の式年遷宮とウラル・アルカイム
で年毎に円形集合住宅を焼き払う習慣があったこと、朝鮮には火賊というのがある
こと、北方からエジプトに向かって村々を焼き払いながら南下する民族があったこと
には何らかな関係があったのではないかと思う。
346天之御名無主:2007/10/04(木) 03:49:30
ユダヤ人到来説考察(2)
前回は中近東から海路でインド、中国を経れば日本へ来る事自体は可能という考察を行ったが、
今回は何故、124県とも言われる大勢の秦氏が日本へ移住したのかを掘り下げて考えたい。
公式には中国にユダヤ人が住み着いたのは12世紀以降の開封という街だけという事になっているが
記録に残っていないだけで他にも存在していた可能性はある。
秦氏が来朝したのが応神天皇の14年(西暦284年らしい)とされている。
これより前に、秦氏が居住していた場所で何か大きな出来事が起こったのだろうか?
実は西暦280年に晋の武帝(司馬炎)が三国(魏、呉、蜀)を統一している。
2世紀は三国志の動乱の時代でもあり、この時期に貿易の為に訪れた外国人が街を作っても
歴史に残りにくい(もっと大きな事件が山ほどあるわけだから。)だろう。
たぶん、中国南部(呉)に居住していた秦氏達は呉の滅亡に際して他国への移動を余儀なく
されたのではないか?
中国南部から朝鮮半島伝いに4年近くかかって日本へ移動したとすれば、時間的にも説明が付く。
彼らが呉に住んでいた記録は戦乱で散逸し、闇に消えたと考えれば歴史に残らなかったのも
不思議では無いだろう。
347天之御名無主:2007/10/05(金) 08:28:32
失われた12支族が日本に来たという伝承の話は紀元前の話。2700年前の話だ。
これに対して泰氏の話は紀元後の話だろ?

話に整合性がないぞ。

ここんとこ説明しろよ。なんで二回に分けてユダヤ人が日本に来る必要があったのか。
348天之御名無主:2007/10/05(金) 12:38:09
>>347
ヨセフ・アイデルバーグは紀元1世紀まで中央アジアの諸国にユダヤ国家を建国し留まった後、
1世紀以後から東胡や鮮卑や漢を通り抜け、一部は中国に留まり、本体は半島を経て日本列島へ
入っていったと記している
349天之御名無主:2007/10/05(金) 14:02:18
じゃあ12支族が日本にきたという日ユ同祖論の根底は崩れることになるな。

あれはあくまで日本建国、日本の黎明期にユダヤが影響していたという説であって、
すでに大和の原社会ができてから云々という話はなかったはずだ。
350天之御名無主:2007/10/05(金) 14:06:06
ウィキペディアにはこうある。

北のイスラエル王国がアッシリアに滅ぼされ祖国を追われた同国民がいずこかへと
消え失せたのが西暦紀元前721年。世界史屈指の謎とされるイスラエルの失われた
10支族である。今日10支族の痕跡が色濃く見られる地にはインドのカシミール地方・
アフガニスタン・中国などが上げられるが、これらを地図上から検証すると彼ら
10支族の行程としてシルクロードが浮かび上がる。神武天皇の誕生年は紀元前
711年であるが、一方でイスラエル10支族が失踪したのは紀元前721年とその差は
僅か10年となる。これらの事から神武天皇=失われたイスラエル10支族を意味し
東征神話=イスラエルから日本へ達した彼らの旅路を示すものではないかというものである。

これと紀元後の泰氏渡来説を両立させると、ユダヤが二回にわけて(しかもその間は
数百年の間をおいて)日本にわたってきたことになる。これはいかにも無理のある話だ。

351天之御名無主:2007/10/05(金) 15:05:18
「ユダヤ」って言い方が悪いんだと思うよ

ヒトラーは「アーリア人」って呼んでたよ


カースト制度のバラモン階級に属し長年の間、血統を残してた

このバラモン血統を持つ空海や聖徳太子や東王父仙人とかが、大和があったとされる美濃に入って来て、密教の修行場を建設してるよ

武蔵坊弁慶は、そこの修行場で修行もしてた
352天之御名無主:2007/10/05(金) 15:10:50
10士族って言ってもユダヤ人とは全く別

ユダヤ人もアーリア人もヒトラーの言うように、シュメール文明の場所で栄えた民族だよ


これが
エジプト、ユダヤ、ヒンズー、仏教、神道、イラク、アフガン、、
って事ならまだわかる

ただインダスやマヤやオージーやインディオも、この士族の1つな気がするよ


南米アメリカは、キリスト教に文明や宗教ごと士族も滅ぼされてるよ
353天之御名無主:2007/10/05(金) 15:16:36
神話や神の位置付けが似てるのも当たり前だよ

アーリア人って言っていいかどうかはわからないけど、現代文明はインダス辺りから広がってる訳だから

キリスト教ってのが異端なだけだよ
あれはローマ帝国が民衆を奴隷支配する為に400年頃に立ち上げた新興宗教だから
354月光仮面:2007/10/12(金) 08:40:28
【先祖は】日本とユダヤの共通点【ユダヤ】からトピずれのために引越し↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1154159177/menu248-249
「遊牧民ではないが、紀元前8世紀にアッシリアは、騎射を行う弓騎兵を活用して世界
帝国に発展した。中国では紀元前4世紀に北で遊牧民と境を接していた趙の武霊王が
胡服騎射を採用し、騎馬の風習は定住農耕民の間にも広まっていった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC
瀛非子の頃には馬の放牧、搾乳程度で、秦は未だテイ族としてアルタイから甘粛に
到着したばかりであったのだろう。完全な白人で、言語は原チュルク語であったのでは
ないか。ただし周辺の炎帝の子孫羌族を抱え込んでいたであろうが。
355月光仮面:2007/10/12(金) 08:49:23
推古斎明時代に渡来する多くの白人はトカラ・舎衛というがテイ族の子孫とか、サカ
族もあったことであろうし、バイブル・ケン教の解釈にはソグド人も関与したこともありえ
よう。馬韓は世界的なエトランゼの租界、カスバの女で有名な・・・なんとかいったっけな
・・・みたいなものであったのかも。
356月光仮面:2007/10/12(金) 08:53:09
炎帝が牛頭天王の形をとるのはヤーヴェとか、ドゴンの仮面のようにサハラ方面
の新石器時代の風習かもしれない。つまり、遊牧民の発生と関連しているのでは
なかろうか。
357月光仮面:2007/10/12(金) 09:19:22
奈良盆地東南と北西の政争が半島・九州を二分する規模に高まり、その結果
河内王朝時代に入るという背景で三韓からの王族を含む渡来があったということ
だろうが。
358月光仮面:2007/10/12(金) 10:47:36
秦氏はアルタイのカラスク時代にかけてのものであろうが、これ以前にアファナシエ
ヴォ-トカラのターリム盆地到来があり、これは月氏につながる。↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Chariot_spread.png
また、その後のアルタイ・パジリク文化は匈奴に影響を与えるが、これらと
秦氏の間には並立の関係があったと思う。
359月光仮面:2007/10/12(金) 11:33:22
ユダヤ、バシコルトにヒクソス時代を背景とすると見られるヨセフ・アミンベク伝承
が残ることは、秦氏にも同様の伝承があり、蘇我氏滅亡で失われた情報と道昭
遣唐使ミッションが入手した景教バイブルに多くの共通点があり、景教バイブルを
蘇我氏の根源的伝承と捉え、記紀に挿入したと考えることが出来る。秦氏が
ヘテ人としてヒクソスの一翼を担っていた可能性も大きい。ミタンニのキックリは
菊理姫とも通じる。ただキクリヒメは高句麗白頭山嶽神信仰であろう。
360天之御名無主:2007/10/12(金) 12:53:40
秦一族が八幡信仰と癒着していたことはどう説明するんだ?
361月光仮面:2007/10/12(金) 13:03:26
やべー、ヤーヴェと似てるなー。
362月光仮面:2007/10/12(金) 13:13:28
八幡信仰については↓
「祭祀の中心は豊前国綾幡(あやはた)郷あたりにあり,ここにヤハタ神の名が発生した
のかもしれない。やがてこの信仰は宇佐地方に入り,宇佐の比黄(ひめ)神をまつる信仰
と融合する。この間この祭祀集団の司祭者は雄略朝には豊国奇巫,用明朝には豊国
法師として天皇の治病に参内したと伝えられる。欽明朝のころ大神比義(おおがのひぎ)
というシャーマンが宇佐に入りヤハタ神に応神天皇の神格を接近させたようである。」
363月光仮面:2007/10/12(金) 13:21:48
やはり豊前に秦王国があったのでは↓
http://homepage.mac.com/toshihak/sohgen/s1020.html
という気がするなー。
364月光仮面:2007/10/12(金) 13:40:03
しかし、基本的に馬の家畜化は犬の家畜化と比較すると極めて新しいものであり、
逆に犬は黄帝にも出てくるように非常に古く、秦氏が馬時代民族とすると、狼、犬
をトーテムとする民族とは、例えばテイと羌のような区別があるだろう。いずれにせよ
稲作専業の中国南部とは違った遊牧民という点で共通する。
365月光仮面:2007/10/12(金) 14:02:20
> 『書紀』には、武寧王は大和朝廷との交流の途上、鎮西町加唐島と推定される島に
>おいて生誕し、島で生まれたので「嶋君」と呼ばれたことが記されている。この記事は
>韓国ではあまり信用されていなかったが、出生に関する同様の記録が武寧王陵から
>も発見され、信ぴょう性が高まっている。
馬に焦点をあわせ、中国史を鑑みると、「司馬」でもって帝位を表現しようとしたことも
ありえよう。
366天之御名無主:2007/10/15(月) 21:21:43
島根県の四隅突出墳丘墓を見てきました。西谷の四隅突出墳丘墓の規模はたいした
ものでした。帰りに安来市の荒島墳墓群も見ましたが、ここは西谷以上の墓数があ
り、弥生/古墳時代の区別なく見てみると、全国最大級の造山、大成の大方墳があっ
て、四隅突出→出雲型方墳の進化の過程がよく分かりました。越の四隅突出墳丘墓
とは違い、貼石がはめ込まれていたのは、岩を砕く鉄製工具が豊富だったことが示
唆されますね。
367月光仮面:2007/10/16(火) 13:21:47
山陰の方形墓の起源は、下記のブリャートモンゴル考古学会の論評に合致する。
http://www.bell.jp/pancho/travel/izumo/images/history-10.jpg
「埋葬遺跡は伝統的文化においてあの世への旅立ちに関係する場所だけでなく、そこ
は再生の場所(大地のへそ)であり、毎年儀式を行う場所でもあり(正月から始まって
生活サイクルの一切の儀式、つまり、共同体全員の誕生日、婚礼、共同葬儀と法要
が大地崇拝儀式を行うものの、天の崇拝は行っていなかったことが想定される。この
関係で、「戎」は「野において贄の供養を行う」民族であるとされることが想起される。
これは石棺墓文化人による先住民の鹿石(鹿メンヒル)の頭頂部に籠められた聖なる
太陽/火の属性破壊を象徴するように、鹿石(鹿メンヒル)を上部からさかさまに地中に

埋めることによって、鹿石(鹿メンヒル)を再利用するということにも現れている。アルタイ
語族形成地域における西部と東部への分裂(天孫と地祇)は 突厥可汗諸国でも見ら
れる。」
http://www.bell.jp/pancho/travel/izumo/nisidani%20funbogun.htm

368月光仮面:2007/10/16(火) 13:46:55
秦氏、八幡(太陽)信仰は上記とは違う。
馬文化の流れとして参考になるのは印欧族の移動であり、これは印欧拡大クルガン
仮説によるも、印欧サテム系拡大ではないかと思うが
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/2/20/Kurgan_map.png
これは印欧全体であるが、発生源をコーカサス周辺に置く諸説もある。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5a/IE_expansion.png
これは基本的には白人拡大だが、古代においては相当東に伸びていたようで
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Chariot_spread.png
これが現在の状況で、日本等には白人遺伝子は存在しない。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b0/Y-Haplogroup_R1_distribution.png
369月光仮面:2007/10/16(火) 13:48:11
一方、新石器時代の遼河流域には興隆窪文化があり、
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/sympo/20040201-r-2c.gif
「最古の環濠集落は、内蒙古自治区に集中する。例えば、赤峰市興隆窪(こうりゅうわ)
遺跡は、183×166メートルの楕円形の環壕集落で、韓国や弥生時代の初期環壕
集落を見るようだ。しかし、年代は紀元前6200年〜紀元前5400年、日本では縄文
時代の早期だ。」
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/ine/kangoune.html
「箕の国は当時の殷の最北端にあたり、北方の異民族(土方、鬼方など)の力が強い
地域であったが、箕子は良く治めてこれらを畏服させることに成功した。その功績を認
められて中央に戻ると帝乙や帝辛に仕えた。 箕子は農事・商業・礼法などに通じ、箕子
が政治を執っているあいだ殷は大いに栄えた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95%E5%AD%90
燕時代には
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/4/41/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3%28%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D350%E5%B9%B4%E9%A0%83%29%E5%8C%97%E6%96%B9%E5%9C%B0%E5%9B%B3.PNG
近辺には、夏の時代にアルタイオークニェフ文化があり↓
http://www.hyperborea.ru/RU/MAP.HTM
匈奴時代にはバイカル湖を中心に石板墓文化↓ がある。これが出雲・伯耆に入った
のだろう。
http://www.baikalfoto.ru/library/articles/fold_01/fold_01/006.htm
里山風景が共通しており、日本に入ると「九州の甕棺」↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan.html となる。
370月光仮面:2007/10/17(水) 16:42:59
>>368
神功時代は日本史のグレーゾーンであるが「この饒速日命から八代後が膽咋連
(いくいのむらじ)である。「日本書紀」では、仲哀天皇が崩御し、政情不安になることを
恐れた神功皇后は竹内宿禰と諮り、一時期その死を隠そうとする。その際、相談する
四名の重臣のなかに膽咋連が登場している。」
http://www.nippon-bunmei.jp/tsurezure-10.htm
「物部氏の出自
 天降り伝承を持ち、緑なす森林を崇拝する氏族、朝鮮半島以北の緑の少ない地域の
出であろう。 北方系の蒙古族が朝鮮半島を経由して天降り・神宝などの伝承を取り
込み、日本列島に渡来した説もある。
 秋田物部氏の王国
 鳥海山から雄物川中流あたりを支配した。船で雄物川を遡り支流の逆合川を遡上
して日殿山に「日の宮」を置いたと物部文書には記載されている。 神祭りの土地で
ある。農耕文化とは疎遠であった暗示する。 」
http://kamnavi.jp/mn/higasi/karamatu.htm
「日の宮」であるが↓
http://www.nippon-bunmei.jp/gazou-5.JPG
ブリャートモンゴルではkereksurというが、これは日天/日霊(sur)が「渡る橋又は駕する
役獣」(kerek)から来ている。モンゴル入りしたイタリア調査団報告書
http://www.irpi.cnr.it/Progetto_Mongolia_CNR-MAE-Regione_Veneto/download/ricerca2005_Field_Report_English.pdf 
これのP48-49にその画像がある。これは唐松神社に関する地元伝承が正しいことを
意味するが、それだけではなく、神功が戦った高句麗が東北に侵入する(粛慎参照)
可能性が大きく、神功の政府が二面作戦防衛策を取ったことを物語るのではないかと
考える。神功説話の裏を語るものであろう。


371月光仮面:2007/10/17(水) 16:57:55
山陰-東海に侵入した狼、犬、狛を祀り、狗奴国を形成したと見られるグループも
日野宮を作る↓
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/gazou/hi-miya21.jpg
http://www.mitene.or.jp/~hayamine/hinomiya.html
しかし、それは方形の三段ピラミッドであってケレクスルではなく、大地崇拝を
習俗とするものであり、上記の秋田ケレクスルとは明確に違う。ここに天孫と
地祇の違いがある。
372月光仮面:2007/10/17(水) 17:15:44
>>370
応神王朝が九州王朝であれば秋田にケレクスルを築く政治力はありえない。それは
機内に立地し、越、東海、関東、東北を治めていない限り不可能である。神功とは
九州・百済の太陽崇拝思想を大和朝廷が近畿に取り込み、三韓・日本を版図に入
れた体制の基礎を作る政治判断の象徴ではなかろうか。そうして倭の五王、雄略
が生まれる。
373月光仮面:2007/10/17(水) 17:17:35
機内で携帯を使ったのではないが畿内がうまくでていない(w
374月光仮面:2007/10/17(水) 18:43:42
ケレクスルが日の宮なのはよいが、前方後円墳の後円部分については、纒向等の
例から太陽の方向と関連しているとはいい難い。これはパオで生活する遊牧民には
北極星信仰もあり、天御中主のような形で入り込んできていることもからんでいるの
ではなかろうか。纒向に入ったものには太陽崇拝の風習はなく、東海地方と同様で
あったと考えるのがいいのかも。方向性のない三角縁神獣鏡の採用がそれを意味し
ているようだ。
375月光仮面:2007/10/18(木) 08:56:31
弥生千年の終末期、環濠集落チェーンの統合時代に、おそらくは曹操に討たれた
烏桓の流民等が山陰に漂着、これが古墳建設を下支えしたのではなかろうか。
天皇が古墳を建設したのではあるまい。
376月光仮面:2007/10/18(木) 15:48:46
>>374
そうすると平原墳丘墓は方形周溝墓で絵はあるものの内行花文鏡主体であり、
鹿柱、回向柱を想起さすものがあり、ケレクスル・太陽を含有し、八幡信仰に
結びつくものと考えられるが、こうなると邪馬台国前夜に九州と畿内に基本的に
天孫地祇の対立があったということになるが・・・
そしてその対立を残したまま神功の時代まで近畿を中心とした地祇系の勢力が
あった、すなわち、高天原の意向に服さぬのは出雲/大和ということになろうか。
377月光仮面:2007/10/18(木) 16:03:34
こうなると、一大率とは建内宿禰の前身であり、平原女王の系統のもので、これは
仲哀とは関係が薄いか、乃至は、本来敵対したものであるが、息長族がこれと提携し、
八幡信仰による応神王朝を築いたということかもしれない。
378天之御名無主:2007/10/18(木) 16:46:34
酉の市の熊手は縁起物とされるがこれはメノラー
熊手はかなり古い時代に持ち込まれた
酉の市は神武東征の証で関東地方にしかない
近隣国にも熊手状のものを縁起物とする風習は無い。
熊手を掃除の道具として使用する習慣は古代ユダヤ教が廃れた証拠か
昔の蝦夷がメノラー状の神具を持ち、崇めていたどうか確かめたい
379天之御名無主:2007/10/18(木) 16:51:33
恐らく神道を嫌う蘇我系仏教徒が熊手を逆さまに使い始め全国に広まってしまったのではと考えた
これは神道派にとっては屈辱だったに違いない
380月光仮面:2007/10/19(金) 12:23:57
おそらく太陽信仰のハヤヒワケ・肥前肥後地域は後の関東に鎌倉・江戸幕府が
存在するのと同様の形で、一大率の幕府として甕棺文化圏の伝統をまもり、磐井が
「近江毛野は共に三韓に出兵し、日韓・九州本州ベクトル合わせを行った故事を
忘れたのか」といったように、その気質は西南の役まで続いたのであろう。
籠神社の前漢・後漢教はハヤヒワケから出土するものと同じであり、ニギハヤヒ
とはハヤヒワケの出自であろう。
381月光仮面:2007/10/19(金) 12:37:39
平家が須磨、屋島、壇ノ浦に逃れんとする歴史的精神構造は全ての日本人が
共有する歴史的本能であり、それは神武東遷のも現れている。しかし、モンゴルとか
突厥諸国にもこうした国民的コンセンサスがあったようである。物理学で言う
ビッグバン以前の揺らぎが宇宙を生んだように。
382月光仮面:2007/10/19(金) 15:51:10
筑紫幕府の将軍職は建内宿禰と呼ばれたのであろうが、一大率、ソツ彦、嶋宿禰
等といわれるのも何らかの官職のようである。神功時代には挙国一致幕閣であったが
畿内の反乱で六波羅探題、京都所司代が形成されるように逆幕府が葛城に形成され
後の蘇我氏などを生み出したものであろう。蘇我氏については三韓時代の百済系
豪族であろう。
383月光仮面:2007/10/19(金) 16:08:58
しかし、満蒙にいたYAP+は中国・朝鮮半島に遺伝子を残さず全て日本に移住したのだ
から、秦氏にせよ、蘇我氏にせよ日本人であるとしかいいようがない。日本の学界の
ようにYAP+はアイヌであるとすれば逆にアイヌが満蒙・半島に住んでいたことになるが(w
話は変わるが欧州に侵入したフン族の出土人骨遺伝子を調べると日ハム、ロッテのように
監督連中が白人で、メンバはモンゴロイドだったという。ヒッタイトもモンゴロイドが多
かった可能性がある。
384月光仮面:2007/10/19(金) 16:18:59
弥生人にはYAP+でない、O47zなど中国オリジンであり、韓国にも多く残るYDNA
遺伝子があるが、これは殷の滅亡と共に開始される無紋土器、弥生時代の農耕
民俗であり、山岳、海洋・水辺、シャーマン、警備等第二次産業的なものとは違った
と思われる。
385月光仮面:2007/10/19(金) 16:35:29
もしモンゴロイドのチュルク文化人が渡来したとするなら黒竜江中流POLITSE邑婁の
鍛鉄鉄斧は名古屋朝日遺跡出土のものと関係し、邑婁は岐阜や千葉の養老と関係する
んじゃないかと思う。
386月光仮面:2007/10/21(日) 15:21:35
「日ユ同祖論」はエジプト、ギリシャ、ローマに影響を与えたアルタイのアジア人
秦族の文化的影響の流れを逆に捉えたものである。つまりセム系の宗教集団
の立場から秦氏の歴史的意義を見ているもので、事実は全く逆である。秦氏は
ヒクソスの主要部分としてエジプトに君臨している。
「1つ明らかであるのはこの時代には下エジプトで、「アジア人」の勢力が増大し
ていたことである。彼らアジア人は少なくても第1中間期以来、傭兵や奴隷、
そして時には外敵としてエジプトに入っていた。彼らはエジプト人の歴史叙述に
おいては「侵入者」と見なされるが、実際には中王国時代にアジア系の高官が
輩出しており、その人的交流は相当に活発であった。こうしたアジア人の地位向上
が第13王朝の統制力を次第に弱めていったかもしれない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC13%E7%8E%8B%E6%9C%9D
387月光仮面:2007/10/21(日) 15:31:33
ユダヤ人は中東の流通民族であるが、秦氏は中東・欧州・アジアを結ぶ流通民族
であった。ユダヤ人は多くのことをヘテ人(秦人)から学んだが、ギリシャ人もしかり。
「ヒュペルボレイオス(Hyperboreios)は「北風(ボレアス)の彼方に住む人々」の意味で、
ギリシア神話に登場する伝説上の民族。永遠の光に包まれ、幸福に満ち溢れた地で
彼らは自由に空を飛び、平和に暮らしていたと伝えられている。太陽神アポロンを崇拝
する民族として知られ、彼らの住む国は一種の理想郷と捉えられていた。アポロンは
誕生の際にゼウスの命令に背き、白鳥の馬車に乗り、ヒュペルボレイオスの住む地
にやってきたと言われる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%82%B9
ここに言われる白鳥の特性は初期大和朝廷のヤマトタケルにあるものであり、秦はその
高潔さにより聖書においてもユダヤ人とは区別されている。
388月光仮面:2007/10/21(日) 15:51:47
ニジェールのドゴン族には河伯・鰐を思わす神像・仮面がある↓
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/w-africa/PICT04640.JPG
ポセイドンのトライデント、蚩尤の手をはじめ、銅鐸、中国の神像に
多く現れる。一様に神の持つ武器でインドでは三鈷杵
http://homepage2.nifty.com/daiitoku/3kosyo.htm
からされに多くの枝分かれを見せる。この背後にあるのはエジプトのセベク (Sebek) で
セベク (Sebek) は古代エジプトの神。ソベクとも。鰐または鰐の頭を持ち、角・太陽
円盤・羽を組み合わせた頭飾りを付けた男の姿で現される。第12王朝や第13王朝の
時代には特に熱心に信仰され、ソベクネフェル(セベクは美しいの意味)やソベクホ
テプ(セベクは満ち足りる)と言った王名の由来ともなっている。後の時代にはラーと
習合しソベク・ラーとなり太陽神として崇拝された。プトレマイオス朝時代にはギリシア
神話のヘリオスと同一視されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%99%E3%82%AF
秦氏は中央アジアの二輪戦車と共にこれを夏・殷に持ち込んだ蚩尤・共工・炎帝
の関係で、中国に燭陰
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%AD%E9%99%B0
伝説を残したが、これこそSobekに他ならない。
389天之御名無主:2007/10/22(月) 01:21:04
月光仮面=秦(やすし)さんオツカレさまです・・・
390月光仮面:2007/10/22(月) 08:59:57
燭陰におけるセベクの理解が自然そのもののであるのに対し、
「聖書「ヨブ記」によれば、レヴィアタンはその巨大さゆえ海を泳ぐときには波が逆巻くほ
どで、口から炎を、鼻から煙を吹く。口には鋭く巨大な歯が生えている。体には全体に
強固な鎧をおもわせるうろこがあり、このうろこであらゆる武器を跳ね返してしまう。その
性質は凶暴そのもので冷酷無情。この海の怪物はぎらぎらと光る目で獲物を探し
ながら海面を泳いでいるらしい。本来は番で存在していたが、あまりにも危険なために
繁殖せぬよう、雄は殺されてしまい雌だけしかいない。その代わり、残った雌は不死身に
されている。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Leviathan
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%B3
というのはいささかひねりすぎ、本来の趣旨の一面しかとらえていない。これはセムは
アジア(ヘテ)と違うステータスにあったということであろう。

391月光仮面:2007/10/22(月) 09:10:23
ということは燭陰はエジプト12-13王朝時代であり、聖書情報はそれより時代が下る
ということでもある。日本に来ると↓
「鰐鮫と龍蛇」
http://homepage2.nifty.com/amanokuni/wanizame.htm
こうなるとユダヤどころではない。ユダヤと同じく海に関係する鮫も出てくる。
川から海へと「海の民」、海人族が生まれるのであろう。
392月光仮面:2007/10/22(月) 10:41:16
「天嶺絶頂の九頭龍は白山明神,すなわち伊弉諾尊(いざなぎのみこと)で,妙理
大菩薩と称した。別山小白山大行事も大汝峰大己貴も妙理大菩薩の眷属神であると
いう。この所伝は,本地垂迹思想の発達した平安中期以後の潤飾があり,菩薩号や
本地仏の配当などは,その思潮に応じて生まれたのであろう。しかし,泰澄が白山を
開き,白山明神を奉祀したことは信じてよいと思われる。白山の主尊は九頭龍である
から水神の性格を持つものであり,それが白山信仰の根幹となった。」
http://www.kkhokuei.com/sub17.htm
天竺霊鷲山の鬼神である。薬師如来の十二神将の筆頭・宮比羅大将(くびらたいしょう)
を指す。ヒンドゥー教のガンジス川の神クンビーラが仏教に取り入れられ宮比羅大将と
なり、神仏習合によって弥勒菩薩(他に十一面観音菩薩など諸説あり)の垂迹神として
金毘羅大権現が成立した。なお、クンビーラは同じくヒンドゥー教の神で毘沙門天の
前身であるクベーラと名前が似るためよく混同されるが両者は全くの別物である。
クンビーラがガンジス川に棲む鰐を神格化した水神(ちなみに同じくガンジス川を司る
ガンガー女神のヴァーハナ(乗り物)でもある)であったことから、日本では海上交通の
守り神として信仰されてきた。特に舟乗りから信仰され、一般に、大きな港を見下ろす
山の上に祀られている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AF%98%E7%BE%85
393月光仮面:2007/10/22(月) 10:44:37
上記は共にソベクがアルタイからインド亜大陸、満州・朝鮮半島、日本へと伝播する
結果であると見られる。
394月光仮面:2007/10/22(月) 11:09:51
似たような山としては鳥海山、大物忌神社があるが
http://www9.plala.or.jp/thoukai/kami/index.html
ただ、極めて複雑な経緯があるようである。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-5-5.htm
395月光仮面:2007/10/22(月) 11:58:07
アルタイ・トゥーヴァ国立大学アバーエフ教授によれば、「[スキタイの竈神]Tabiti及び
族名tumat がフン(匈奴)の族長Tumanに転じたと見られ、このために朝鮮固有の河川
である豆満江は「地母神門河」と解釈できる(豆満江に付随する地域が太古より朝鮮の
固有領土である点についての詳細はZabrovskaya参照)。本地域はフン(匈奴)の
最盛期、朝鮮族の祖先と北西から来た(当然、北方からの原蒙古たる鮮卑及び
ツングース満州族も含有するが)フン(匈奴)民族集団の強い相互活動地帯であった」
とのこと。・・・これは白山の水神よりエジプトのソベクにより近い。
396月光仮面:2007/10/22(月) 12:04:46
しかしながら、白頭山は黒竜江POLITSE鉄器文化、邑婁族が越前・飛騨から朝日
遺跡に向かう途上にある。白山との関係は疑わざるを得ない。
397月光仮面:2007/10/22(月) 16:19:10
「Tibetの別名"Tibod"と"Toba"、"Tuva"、 "Tuba"は同一であり、色んな点からして
スキタイの竈(囲炉裏)及び大地の神Tabitiを起源とするもので"Khor-Tumat"という
合語の形で出現する古代チュルク・モンゴル族"Tumat"とも関係する。」(アバーエフ
教授)・・・これは倭人伝で「投馬国」という「狗奴国」レベルの広域行政乃至は民族区
であるとか、阿讃播、河内、大和の「鳥見山」、「トミヒコ」、「天富彦」、そして、秋田の
鳥海山も関連するかもしれない。
398月光仮面:2007/10/22(月) 16:24:13
何故チベット、日本にだけYAP+があり、それはどこから来たのかを考えると、アルタイの
山戎石積文化がチベットに南下したことを民族移動と結びつけるAbaev氏の考えに
大きく同感し、日本では山陰から阿讃播にかけて開始される古墳時代と特定のYAP+
の到来の関係を疑わざるを得なくなる。
399月光仮面:2007/10/22(月) 16:52:54
同氏はアルタイトゥーヴァ(トィヴァ)、ハカス国の古称が"khooray"、"khongoray"、
"uryankhay"であり、高句麗とは烏梁海、兀良哈であるとしている。この読み方で
行けば高良玉垂とはTumatの山城と読める。するとミタンニの調馬師キックリも、
菊理姫もアルタイ出身ということになる。
400月光仮面:2007/10/23(火) 15:21:43
チベット-シャンシュン語辞書地名辞典に含まれる地名を復元するとBC3世紀頃の
イラン世界から見た中近東世界地図が数字の通り復元されるとのこと。(アレクサンダー
より詳しく、かつローマ支配の以前であり、パルティア系情報でないかとされる)
http://gumilevica.kulichki.net/maps/art09.gif
Сарматыサルマート Кангюй康居
Динлины丁霊 Юечжи月氏
Шаншунシャンシュン
Хунны匈奴 Кяны羌 Диテイ
Империя Маурьяマウリア王朝
Империя Хань漢王朝
401月光仮面:2007/10/24(水) 09:54:22
上記地図上で重要な意味のある地点を辿るとヒンズークシ、アフガニスタン、アラビア
半島を経てソマリア経由エジプトにいたる交易路が浮かぶが、これと
▼海上交易の範囲、プントはどこか▼
http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page003.html
これには関係があるのかもしれない。
402月光仮面:2007/10/25(木) 12:04:26
現在のプントランド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89
そこにはベータイスラエルと呼ばれる失われたユダヤ支族のダン族の国があった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Beta_Israel
http://en.wikipedia.org/wiki/Land_of_Punt
The Wonderful Land of Punt
http://touregypt.net/featurestories/punt.htm
403月光仮面:2007/10/25(木) 12:36:20
こうした地理的関係は「渡来人研究会HTML 第7章 記紀編纂期と原本成立期に流入
した外来思想」の背景となっているものではないかと思われる。↓
http://www.asahi-net.or.jp/~rg1h-smed/toraijinkenkyuu/kaihou0603.htm
404月光仮面:2007/10/25(木) 15:29:13
チベットは三韓同様、「馬」を含む三つの州「仏法の州ウーツァン
(dbus gtsang chos kyi chol kha) 」、「人の州ドトェ (mdo stod mi'i chol kha) 」、
「馬の州ドメー (mdo smad rta'i chol kha) 」に分かれ、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E4%B8%89%E5%B7%9E
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e0/MapAK1.JPG
既述北西アフリカ・東地中海・中近東地図情報のあるガリ地区は「仏法の州ウーツァン (dbus gtsang chos kyi chol kha) 」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AA%E5%9C%B0%E5%8C%BA
であり、秦は「馬」がらみであり、遺伝子的にも↓こんな感じなのに対し
http://www.gesanmedo.or.jp/imgs/sg_bp_photo/bema.jpg
http://www.gesanmedo.or.jp/uli244.html
サンシュン/ンガリ地方は別の遺伝子であった、北方系ではなかった可能性もあろうかと
思うんだが。
405天之御名無主:2007/10/25(木) 20:12:29
漢の武帝の時代西域には三十六国があった。東トルキスタンの周辺。
狭い地域に数十もの国があるのは倭に似ているね。
西域の諸国の名前わからないかな
406月光仮面:2007/10/26(金) 12:01:08
http://www2u.biglobe.ne.jp/~dnak/sangoku/saiiki.htm
↑値段も手頃で非常に役立つ。
407月光仮面:2007/10/27(土) 16:14:11
秦(はた)一族とは?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1033886907/menu404
ヘテ人ウリアの妻とはこんな感じ↓
>秦は「馬」がらみであり、遺伝子的にも↓こんな感じなのに対し
http://www.gesanmedo.or.jp/imgs/sg_bp_photo/bema.jpg
色魔ダビデは
http://www.asahi-net.or.jp/~hw8m-mrkm/kate/12/1214.html
当時のカナーンにはアジア系の墓があり、ヒクソス撤退時に破壊されているらしい。
ユダヤ人の傭兵となったためかもしれない。
408月光仮面:2007/10/27(土) 16:24:41
ユダヤ人という遺伝子はなく中東人という遺伝子があるだけなので、遺伝的に
ユダヤ人がどうのこうのということは出来ない。ただし、東洋人は比較的に
淡白なところがあり、これがああいう土地柄に入ると目立つのかもね。
409月光仮面:2007/11/03(土) 11:27:06
「周代 秦は伝説によれば殷の紂王に仕えた奸臣悪来の末裔とされる。しかしこの始祖
伝説はおそらくは秦が中国に入った後に作られたものと思われる。秦の本当の出自は
後に穆公が西戎の覇となることから考えて、西戎そのものではないかと考えられる。
紀元前900年ごろに周の孝王に仕えていた非子が馬の生産を行い、功績を挙げたの
で?の姓を賜り、大夫となり、秦の地に領地を貰ったと言う。しかしこれも実際にあった
ことなのかは不明である。秦が最初に興った所は現在の甘粛省礼県であったらしく、
この地より秦の祖の陵墓と目されるものが見つかっている。紀元前770年に周が犬戎に
追われて東遷した際に、襄公は周の平王を護衛した功で周の旧地である岐に封じら
れ、これ以降諸侯の列に加わる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6
この頃モンゴリア西部のユーロペイド・ケレクスル(日宮石積円墳)・鹿柱(鹿頭石柱)
文化はモンゴリア東部石板墓(石積墳)(東胡・モンゴロイド)に追われ、オルドス・甘粛
に南下する。彼らは戦闘二輪車から次第に騎乗に移行してゆく。秦氏と東胡とは本来
ユーロペイドとモンゴロイドの対立であった。これは天孫地祇の対立としてユーラシア
大陸から半島経由日本列島に舞台を移す。ロシア学説によればユーロペイドであるが
ヒクソス等はコングロマリットであり、秦氏は戦闘の他銅山開発、利権確保、交易を
専らとする国際人集団であり、人種的には多岐にわたっていたのでろう。
410月光仮面:2007/11/03(土) 12:09:29
この頃九州北部の縄文人は殷の崩壊と共に朝鮮半島に到来した水稲文化を
吸収し弥生時代が開始され、中国起源の遺伝子も流入が開始される。ただ、
本格的に西戎、山戎、東夷の里山文化が到来するのは戦国末期となる。
411月光仮面:2007/11/03(土) 15:17:43
ピラミッド、ユダヤの幕屋、始皇帝廟、将軍塚、方形周溝墓等が四角いのに対し、スキ
タイ、イランのクルガン、百済、新羅、西都原等には円墳がある。これらは狩猟民族の
移動式テントのようなものと、農業文明の思想の差であろう。秦始皇帝廟が四角という
ことは秦族は単純な天孫ではないことを示している。百済・新羅に円墳を持ち込むのは
モンゴリア西部からオルドス・甘粛に南下した後中山国を建国した白人系が流れ流れて
百済・新羅にいたるものであろう。中山国はテイではないかとするのがロシアの見方。
ヒクソス時代にエジプトで活躍した神官は秦氏ではなかったのかと思う。
412月光仮面:2007/11/04(日) 14:07:41
ロシアの表記ではテイだか、テキだか判然としないが、白、赤に分かれるとしているので
テキ/狄かもしれない。さて、エジプトに侵入するのは「農耕犬族」であり、これは犬戎で
あり、バシコルトの伝承ではエジプト入りしたユダヤのヨセフ同様の人物がある。他方、
秦氏のトーテムは馬、周のトーテムは羊のようだ↓
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kozoku/kozoku6-touko.htm
413月光仮面:2007/11/04(日) 14:23:52
周のトーテムというか、「南羌族は周王朝建国の功労者「太公望」の故国であり、後に
漢民族の大姓となって同化する。彼らのトーテムは当然「羊」である。」・・・姜姓
は斉国だ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%89_%28%E6%98%A5%E7%A7%8B%29
414so7.cty-net.ne.jp:2007/11/04(日) 20:08:47
fusianasan
415天之御名無主:2007/11/13(火) 17:05:25
日本には中東のDNAも入っているようだ。ユダヤ商人の可能性は高い。

日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名である。
世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっているが、
他の世界のどこにもほとんど存在しない。さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島
や中国人がアジア特有のO系統であり、孤立したD系統を持つ日本人の異質さが際立っている。
416天之御名無主:2007/11/18(日) 13:10:06
秦にはイエスキリストの呪いが掛かっている。
417天之御名無主:2007/11/19(月) 13:19:12
秦氏は、イエスキリスト、12使徒直系の 
原始キリスト教教団の流れを伝える者 
418月光仮面:2007/12/16(日) 13:28:27
夏、殷(商)王朝を語ろう。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1066779333/menu418
ヒクソス王朝時代のシナイ半島銅山開発に参加した秦族がアルタイ・カラスク、
内蒙古、湖南、タイバンチェン等の開発に参加した可能性がある。最終的には
弁辰の鉄の経営に従事した後日本に移住するがこの間シリア、印度、欧州、
中央アジアそして極東へと移動する。つまり、秦族とはユーラシア隊商ネットワーク
上における鉱物資源開発、交易に従事していたセム、欧州、アジアの商人群の
一員であった可能性がある。これに引き換えイスラエルはアブラハムの生誕地を
鉱物資源の豊かであったトルコ東部とする神話を作り上げたセム系羊飼い集団
であり、規模と歴史において秦氏とは異なる極めてローカルな出自のものであった
のであろう。多くの文化が秦氏側からセム系に流れたということもありえよう。
419月光仮面:2007/12/16(日) 14:11:41
永遠に商売があり、就職があり、繁栄があるためには何が何でもテロで決着おいう
原理に基づく集団は困るのであり、秦氏が日本の要素であるのは当然のこと。
日本の宗教はほとんど秦氏が関与し、日本の経済プロジェクトは世界を助けている。
420月光仮面:2007/12/24(月) 21:22:05
秦氏がヒッタイトに入るのはアルタイ地方の銅山開発に関連し、コーカサス方面、特に、
グルジア方面と接触が出来て移動し、ユダヤ人の先祖のセム系と接触をしながら
小アジアに入りヒッタイトの一員としてエジプトに入り、ヒクソス時代、ヒッタイト時代が
終了すると共に新疆・甘粛方面に帰還、秦氏となるといったことかなー。
421月光仮面:2008/02/22(金) 14:23:08
http://touregypt.net/featurestories/hyksos1.jpg
↑ヒクソスというのは日本人に多い華南、呉越の民であり、おそらくは蘇民であるとか、
三苗であるとか、羌、倭の類であろう。ブリャート、モンゴルではない。エベンキとは
似たところがあるかもしれない。言語はセム語、フルリ語、印欧、特にアーリア語を話した
ようであり、少なくともバイリンガル以上の語学力を持つ商業民族であり、軍事民族で
あったようだ。コーカサスにチベット羌系の能格言語を持ち込んだのかもしれない。
「能格言語では自動詞の主語と他動詞の目的語が同じ形式(絶対格)で示される。
例:
太郎B(絶対格) 倒れる。
太郎A(能格) 花瓶B(絶対格)倒す。 」
Bに日本語の「こと」を代入すると、日本語も立派な能格言語だ。ちなみに日本、朝鮮は
「が」、「は」を器用に使い分けるが、中国人にとってこれは至難の業のようだ。
422月光仮面:2008/02/22(金) 14:34:04
http://www.ingushetiya.ru/history/book/photos/004.jpg
↑新石器時代近東支那コーカサス文化遺跡というのがあるが、これは興隆窪
文化時代からの移動遊牧民移動の結果でないかと考えている。秦氏の先祖は
先ずヒッタイト方面に橋頭堡を築いたのではなかろうか。そしてその後馬、二輪車
等の貿易でエジプトに出島のような橋頭堡を築く。とまー、こんなもんだろうな。
423月光仮面:2008/02/22(金) 14:56:57
ヒクソスの最大の貢献は、多分、文学科学両方の著名なエジプト文書の保存を行ったこ
とだろう。第5代「大ヒクソス」王Apophisの御世に、エジプト文書が失われないよう書記に
コピー作成業務が託された。これは、エジプト人の研究による具体的な特定臨床例、
検査、診断を伴うもので、人体の明確な展望図を示す、約紀元前3000年頃の、他に類
例を見ない文書である。また、エジプト人、アラブ人にはない鉱物資源、冶金、牧畜知識
であるとか、アラブがシュメールから独立したり、印欧語族にも歴史的発展の機会を与
えたのであろうが、おそらく中国に筆記であるとか、漢字の基本を伝えたのも帰還した
ヒクソスであったのであろう。しかし炎帝の功績は黄帝の功績に切り替えられ、殷商は
先駆者であるヒクソス、厳允、羌族から全てを奪った。しかし、彼らの子孫が秦氏として
始皇帝を生み、匈奴の冒頓単于を生み、そして、日本を生んだのであろう。

424月光仮面:2008/02/22(金) 15:10:44
最近のコール、チョールヌィフ等は欧州から新疆まで白人が青銅器文化の主役
であったかのような書き方であるが、そんなら、黄色人種のヒクソスがエジプトに
君臨するのはおかしいのではないか。ヒクソスがエジプトを撤退し、中原に殷商
の起こる頃、東地中海では青銅器文明の崩壊が発生するがこれはヒクソスという
ブレーンが中原に移動したからであろう。中原に志を得なかったブレーンは朝鮮半島に
下野し弥生日本に入ってくるが、それはおそらく古墳時代の終わりごろであろう。
425月光仮面:2008/02/22(金) 16:19:59
アファナシエヴォ・トカラの前身はトリポリエであり、支那コーカサス族(su, subir, subarei, khurrity, urarty)に連れられて甘粛に移動。マイコープの支那コーカサス族イングーシは
ヒクソスと共に遼東、山東に帰還して支石墓を建設・・・とも考えられる。
426天之御名無主:2008/02/23(土) 12:35:35
【不買運動】アウトドアファッションの「パタゴニア」が「捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものです」と宣言!!!【テロ支援】
アウトドアファッションメーカーの「パタゴニア」が
先日、日本の捕鯨船に対して攻撃を仕掛けた狂信的反捕鯨テロ集団シーシェパードを支援していることが明らかになりました。
「パタゴニア」はこの事実を指摘されて
今後もシーシェパードを支援していくと明言、
捕鯨は残酷的かつ暴力的であり、不必要なものであるとして、
反捕鯨の立場を明確にしました。
日本の捕鯨は長い歴史と伝統の中で
海の恵みに感謝しながら鯨のすべてを利用して
採り尽くさないように環境にも配慮しながら
行われてきたものです。
白人のように鯨の油を取る為だけに
鯨を殺戮した捕鯨とは違います。
パタゴニアはそのような日本の伝統を無視して
「捕鯨は悪」決め付けて白人の一方的な価値観を
日本に押し付けようとしています。
パタゴニアはアウトドア用品などを売って
人間が自然に入り込んで環境を破壊することに加担しておきながら
反捕鯨と言うことで何か環境に良いことをした気分になっている
自己満足の偽善者たちです。

日本文化の破壊を目論む反日テロ支援企業に対する
不買運動と抗議メールの送信にご協力下さい!!!
427天之御名無主:2008/02/23(土) 20:07:56
日韓併合っていうか
かの地が日本の領土だった時代って
断続的にかなり頻繁にあったよね
有史以前から

私は在日ではないけど、韓国人大嫌いだけど
悲しいかな、朝鮮半島に強い縁があることが
わかります。今現在の韓国朝鮮人には全くシンパシーを感じませんが。
428天之御名無主:2008/02/23(土) 23:39:54
日本は世界の縮図、塊、魂。
すべては、日本の文化に吸い込まれる定め。

みんな同祖、宇宙から生まれた。

終わり
429天之御名無主:2008/02/23(土) 23:43:54
日本製品の世界シェア
アニメ 60%
漫画 50%
船舶受注 35% 
電化製品 30%
430天之御名無主:2008/02/25(月) 00:49:08
ヒュペルボレイオス(Hyperboreios)は
「北風(ボレアス)の彼方に住む人々」の意味で、
ギリシア神話に登場する伝説上の民族。永遠の光に包まれ、
幸福に満ち溢れた地で彼らは自由に空を飛び、
平和に暮らしていたと伝えられている。

太陽神アポロンを崇拝する民族として知られ、
彼らの住む国は一種の理想郷と捉えられていた。
アポロンは誕生の際にゼウスの命令に背き、
白鳥の馬車に乗り、ヒュペルボレイオスの住む地にやってきたと言われる。

登場する物語

* デルポイの神託

デルポイのアポロン神託を始めたのはヒュペルボレイオスの
オーレーンという人物であったとされる。

* ペルセウスのゴルゴン退治

ペルセウスがゴルゴン退治に赴いた際にこの地に立ち寄ったとされる。

* ヘラクレス

アルテミスの鹿を生け捕り、この国でアルテミスの女神と和解した。

431天之御名無主:2008/02/27(水) 11:28:43
かつて中央アジアに優れた文明で覇を唱えた
ヒッタイト族という民族がいた
やがて分裂しその一部は黄河上流にたどり着き
ついには秦帝国の樹立に貢献する
ヒッタイト族は古代エジプトではハッティと呼ばれ恐れられた
これはヒエログラフにも記述がある
秦帝国は漢民族の数の前に敗れるがその末裔は日本にわたってきた
古代日本の権力者が彼らに
秦とかいて「ハタ」という読み方を与えたのも決して偶然じゃあるまい

とゴルゴ13と言う漫画
「北緯90度のハッティ」という話に載っておりました
432月光仮面:2008/02/28(木) 11:31:10
天山東方の秦の祖先、羌族がアンドローノボ-カラスク文化圏においてフルリ人として
小アジア、シナイ半島、ナイルデルタに進出した後、殷・周・秦を経て日本に渡来、
ペトラ遺跡、モーセの時代、バアル神話等を岩戸神話、オオクニヌシ、スサノオ神話
として日本に残したと考える。これはYAP+遺伝子を羌族に固有なものと考えることで
チベット・ミャンマー・タイ・スマトラと日本のつながりを説明する。羌族のエジプト進出は
テラ噴火によるミケーネの弱体、カザフスタン錫鉱床の開発によるセイマ・トゥルビノ文化
の形成という出来事に基づいている。
433月光仮面:2008/02/28(木) 14:13:52
アンドローノボ-カラスク文化圏とは世界のシルクロードであり、そこには双方向の
無数のチェーンがオアシス的ポリティーの点を線で結んだが、又そこには青銅器、
ラピスラズリ、軟玉、トルコ石、金属製品、繊維製品のチェーンがあった。ローソン、
セブンイレブン、ピザのようなものである。陶業、冶金に関する川上から川下にいたる
製造ノウハウを共有するエンジニアリング集団もあった。こうした複雑な流通は単一の
民族では出来ず、分業、協業の必要も生まれた。「共工」という神などはこうした
産業別遊牧民シンジケートの感じが残っている。
434月光仮面:2008/02/28(木) 17:22:00
このメディア人男性は大和三輪神社の御神像と同じである↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/66/PLATE2BX.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD
大和にはオオクニヌシを祀るものとして大和大国魂神社もある。兵主神社も金属兵器
関連で、冶金とは関係がある。他にも金屋とか、出雲の地名は多い。また、伊勢神宮
には天照大神と一緒に鉱業関係の萬思兼命が祀られる。しかしながら、出雲勢が大和
伊勢に入るという史実は全くない。つまり、鉱業関係の神々は建国記念の神々で、丁度、
モーセがアーロンと共に(オオクニヌシはスクナヒコナと共に)エジプトを出てカナンに
帰還した故事を踏襲している感がある。
435月光仮面:2008/03/01(土) 09:48:41
>>431
カナンに住む民族を何度となく列挙する中において聖典は彼らを原住民としてあげて
おり、旧約のkhetty (khatta)族はカナン風の名前を持つが、アモル人は彼らをカナンに
おける「不法在住民」とみなしている。
著名なヒッタイト・アッシリア学者Oliver R. Gerni博士はヒッタイト本来の基層住民は
アルメノイド人種ではないかとしている。五書においては3度重罪として糾弾されており、
広く行われていたことが伺える獣姦、これを犯した罪人をアッカド語では
"khatti, khetty"、ヘブライ語では"khatta"と呼んだことに由来するのであろう。・・・
秦は人種的にアルメノイドであるこの"khatta"ではありえず、チベット語のハタグ、
ハダが日本語の布を意味し、ミイラとか赤ん坊をくるむ布、(蚕の繭のように生命を
育むもの)という言葉から来たのではあるまいか。
ヒッタイトに入るフルリ人こそ秦の先祖の羌族あるいは羌とエニセイ羯族等の連合
民族ではなかったかと思う。
436月光仮面:2008/03/01(土) 10:07:07
卜部阿比留氏とか日向国の吾田邑の吾 平津姫(あびらつひめ)等というのが
エジプト・パレスチナから帰還した羌とエニセイ羯族等の連合民族の末裔、
秦氏と関係しているのかもしれない。ハビルというのはウラル・ボルガ方面
の古代犬戎を意味している。
437月光仮面:2008/03/01(土) 10:46:53
東方三博士の救世主ノウハウで三韓・筑紫・倭統一のノウハウを取得した神功皇后は
稀代の智者であるが、高句麗との二面対決に備え秋田唐松神社に南シベリア・モンゴリ
アケレクスル形式天日宮を築き、物部膽咋連と北辺を固めるが、その際に下賜する
「腹帯」、これこそ東北におけるオシラサマ、オセンダクの起源となったのではないかと
思う。
438月光仮面:2008/03/01(土) 12:50:17
フルリ語は基本的にピジン・アーリア語であったようで、現代のエイヌ語がピジン・イラン
のトルコ語であるようなものであろう。考えてみれば日本語も、韓国語も中国語の語彙
を借用するピジン中国語のようなものであり、又、日本神話も世界各国の神話の寄せ
集めである。キャラバン・サライというのが現代で言えばモーテルのようなものだが、
人々はギルガメシュ、アルゴノート、大国主命、イワレビコのような英雄譚を繰り返し
語っていたのであろう。死人とは銅鏡で防がなければ化けて出るといった話は、死人が
太陽の舟によって別世界に生まれ変わるといった話に切り替えられる。そして石積墳
は横穴墳に変わる。
439パンティー仮面:2008/03/01(土) 17:12:02
月光仮面のおじさんボクとちょっと遊ばない界?
ボクは人よんでパンティー仮面・・・なんちゃってw

>>434
>出雲勢が大和 伊勢に入るという史実は全くない。

大和にはカンナビ信仰のメッカ三輪神社=大物主がいるじゃないか?
これは大国主、スクナヒコ、大物主の三輪=三位一体が父、子=イエス
聖霊のトリヌルティーでもあるんだが・・旧の矛で言えばモーセがシナイ山
で燃え盛る柴=アロンの杖を授かった故事も踏まえてると思うんだ。違ったけ?


440パンティー仮面:2008/03/01(土) 17:31:33
これを書いている今「エホバの証人」から招待状が届けられたぜw

>>435
>カナンに住む民族を何度となく列挙する中において聖典は彼らを原住民としてあげて
おり、旧約のkhetty (khatta)族はカナン風の名前を持つが

「宗像教授伝奇考」でも見たんだが三輪山の神奈備信仰と鉄と大麻と忌部氏
が関連付けられてた。カナン地方を意味する言葉がそのままそこの植物を意味
するとポットプラネットという本でみたな・・Kinebosin(ヘブライ語 良い香りの茎) Kannb(バビロニア)Canabis(英語)

神はモーセに約9ポンドのKinebosiで聖別の油をつくるよう命じる
                              聖エジプト記(30−23)
441パンティー仮面:2008/03/01(土) 17:39:22
でもkhettyという語はおいらのイメージではカナビスと似てても
その他の中近東の麻薬性植物 カートKhatやカナン(kanann)
もイメージするんだよなそれこそゾロアスターのハマオ酒みたいに
ミックスされるというか・・そういや大和の岩舞台古墳郡なんか巨石信仰
のメッカだし酒船石なんかマジでハマオ酒とかつくってなかったのか?
442パンティー仮面:2008/03/01(土) 17:47:01
>>439
>燃え盛る柴=アロンの杖を授かった故事も踏まえてると思うんだ。違ったけ?

ネフシュエタン=青銅の蛇っていう見たいね。
でおれ・・エホバの証人ではないが前物見の塔みたんだが
あれケッコウ面白いカメ〜ンねw

矛型(フィガル)リアリズム象徴表現法、甲乙照応型。
旧約聖書の事件 甲 が新約聖書の似た事件乙の矛型予表
であるというする。

このメモは物見の塔経由じゃなかったかもしれんが・・
443月光仮面:2008/03/01(土) 17:51:38
>>439
考古学上日本誕生は庄内式土器、布留式土器、前方後円墳、三角縁神獣鏡
等が近畿で開始され各地に拡散する形で始まり、出雲・筑紫はこの前の青銅器
時代の中心地乃至は中継地。三輪神社というのは鎌倉時代に出来たもの。
ただ縄文時代から翡翠、黒曜石関連で各地に流通・生産拠点のようなものは
あったようだね。
444パンティー仮面:2008/03/01(土) 17:51:46
>出雲勢が大和 伊勢に入るという史実は全くない。

大物主(大和との繋がりは)神話だが史実に近いところでは確かに大国主は
日本海から海ずたいに福井、富山、岐阜へとくだったな。
これは布勢の道と呼ばれてるんだ。
だから太平洋づたいの伊勢の道とは交わるわけないか?
445月光仮面:2008/03/01(土) 17:56:09
日本が考古学上重要なのは後進性にあり、世界の考古学的発展を短期間で
高画質のスナップショットのように残していること。破壊がそんなにひどくないこと。
今後文化財保存だけでおまんまが食えるほど貴重な資源が転がっている。
メリハリをつけてがんばろうぜ。
446月光仮面:2008/03/01(土) 18:01:01
大僻神社の社宝に能面があるが顔つきは明らかにかぎ鼻のアルメノイド、こいつは
ヒッタイト、アーリア系統だ。値段がいくらになるかわからない。
447パンティー仮面:2008/03/01(土) 18:27:55
あんた月光仮面と名乗りつつ
考古学上とか・・考古学上はとか考古学者か?オツム堅物とちゃうか?

考>古学上日本誕生は庄内式土器、布留式土器、前方後円墳、三角縁神獣鏡
等が近畿で開始され各地に拡散する形で始まり、出雲・筑紫はこの前の青銅器
時代の中心地乃至は中継地。三輪神社というのは鎌倉時代に出来たもの。

dだデmんm派止めてくれよ・・といういうこっちがdだデンパになったかな?
448月光仮面:2008/03/02(日) 12:27:46
教育勅語伝聞による被告弁論の長引く事実審査がいいか、DNA鑑定を含む物的証拠
がいいか、古代史ファンの好みにもよろうが、先行き長くない人間は真実の決着が
早く見たいものだ。不眠症の人が床の中で教育勅語とか般若心経をやるのはそれは
それなりの効用もあろうが。
449月光仮面:2008/03/02(日) 13:58:18
>>442
>燃え盛る柴=アロンの杖
>ネフシュエタン=青銅の蛇
これらはメディアナイト方面の出エジプト、フルリ(カラスク系)、ハビル(犬戎、犬を食べる
高句麗・渤海方面の民族かな)、シャス(アラブ・ユダヤ)がミタンニ・シンタシュタ・アルカ
イム方面で冶金・青銅加工技術を身につけていた、特にフルリ、ハビルだろうな、ということ
がエジプト人に対して差をつけていたということではないか。一夜にして蛇から花をつけた
樹木に金型を交換するのはかなりのハイテクだ。
450パンティー仮面:2008/03/02(日) 16:51:14
ヤッパンティーの繊維が付着してたらかなり怪しいカメ〜ん?
でも月光仮面おじさんも素顔見られるのが恥ずかしいM?
451パンティー仮面:2008/03/02(日) 17:06:45
メディアナイト方面ってメディア王国のこと?
メディア人の6部族の中にマゴイ(マギ)族ってのがいて
それがゾロアスター教の祭祀者マギの源流ってことだよね?
マゴイ=ツマゴミ、そのメディア王国の首都にはエクバタナ
には7重の城壁がはりマグラされていたと言う・・
でスサノオ命の
「八雲たつ 出雲八重垣 ツマゴミに 八重カキ つくる その八重垣を」
って日本最初の歌を思い出したのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD
452パンティー仮面:2008/03/02(日) 17:17:20
>>449
>蛇から花をつけた 樹木に金型を交換するのはかなりのハイテクだ。

ってのは「生命の木」を連想させるね。蛇と木、知恵も?
メソポタミアの「生命の木」ってのはエンキとエンリル神が向かい会う
形で表されてる一つの木のもう一つの呼び方なんかもな?
その図は雑誌「ムー」で見たんだけどスサノオがメソポタミアのウルから
の渡来神ってのもムーをよんだせいかな?でも生命の木をずーとみてると
二つの顔と死を背負ってる人が見えるんだよな。
453月光仮面:2008/03/03(月) 10:32:42
>>450-452
>メディアナイト方面ってメディア王国のこと? ちがう、銅山のあるシナイ半島一帯みた
いだ。
「紀元前2,000年期の後半に北西アラビアのミディアン(Midian)地域で都市化文化が生
まれた。その文化の下ではレヴァント(Levant)の青銅器時代後期の灌漑、銅の採鉱と
使用および精巧な陶芸が実践されていた。これはグライヤー(Qurayyah)の大きな丘の
上の都市遺跡での調査発掘で明らかにされた。グライヤー(Qurayyah)の住人はシナイ(Sinai)半島のチムナ(Timna)でエジプト新王朝の銅の鉱山業と深い関わりを持って
いた。チムナ(Timna)は恐らく原始シナイ(Proto-Sinaitic)アルファベットが作られた地域
の一つである。その市は多分既に出現していた南西アラビアからの主要陸上交易路の
戦略上の要所に建って居た。この人々は明らかに家畜化した駱駝を使ったと云う重要
な事実があり、それによるパレスタインと西アラビア間の陸上輸送すなはち陸上交易路
の起源はこの時代まで少なくとも遡れ、本当はミディアナイト(Midianite)時代以前まで
広がっていると思われる。この現れつつある文明が紀元前1,000年期の前に中央アラビ
アまで浸透した度合いはまだ非常にぼんやりとしか分かって居ない。今日での僅かな証
はリヤドの北西300 kmにあるアルーガシム(al-Qasim)地方の’ウナイザー('Unayzah)近
くのズバイダー(Zubaydah)遺跡から得られている。そこでは紀元前2,000年期後期の集
落と銅製品製作の跡が見つかっている。北西アラビアのミディアナイト(Midianite)遺跡
とほぼ同時代である。この様に中央および西アラビアはサムディク(Thamudic)の文字と
言語の地域であった。」http://www.jccme.or.jp/japanese/riyadh/riyadh_najd.cfm#senjyuusyuuraku
454月光仮面:2008/03/03(月) 12:44:27
モーゼとアーロンの間には大きな溝があった。モーゼは定着民型の偶像ではなく、
個人の心の中で神を見ようとしした。これに対してアーロンはドナウ河、コーカサスから
近東に入ったアブラハム系統ではあるが、バルカンの黄金崇拝、牛崇拝とエジプトの
牛崇拝を結びつけた宗教を考えていた。アーロンの考えは後のスキタイ、新羅、東漢、
そして、善光寺等に片鱗の残る神牛の導きであった。一神教は既に出エジプトの段階
においてファリサイ、サドカイ、大乗、小乗、旧教、新教の分裂の卵を擁いたまま世界に
広がっていった。
455月光仮面:2008/03/03(月) 12:59:35
考えようによってはアーロンが天台宗最澄、モーゼが空海、キリストは法然・親鸞の
類であるのかもしれない。
456月光仮面:2008/03/03(月) 16:57:17
>>453
八百万の神は世界遺産ペトラに逃げ込んだ天照大神を引き出した。モーセというのは
エジプトからこうした八百万の神を引き出したのだから似ているといえば似ている。
モーセは鉱業の神の娘を嫁にとることにおいては大国主命であろう。頼りない協力者
スクナヒコナとはアーロンのことか。オオクニヌシのお目付けになるアメノホヒとはエジプ
ト語アムアポピ、ヒクソスのラストエンペラである。
457月光仮面:2008/03/03(月) 17:19:32
ユーラシア広しとはいえ、久本雅美、柴田理恵様方とこのヒクソスhttp://touregypt.net/featurestories/hyksos1.jpg
のような方がおられるのは日本以外にどこがあろうか?
458月光仮面:2008/03/03(月) 17:25:52
内モンゴル紅山文化4700-2900BC、ドナウ河Suvorovo墓地文化(日本同様の御物石、
御物石器、独鋸石、子持ち勾玉が出土、ドナウ河欧州文化を破壊)4200-4000BC、黒海
東岸Maikop文化(黄金の牛像とドルメン)3900-3200BC、フルリ人カスピ海西岸Kura-
Araxes文化(アゼルバイジャン)3500-2300BC、カザフスタン馬家畜化Botai文化3500-3000BC、甘粛・斉家文化2400-1900BC、[ヒクソス文化はこうした興隆窪文化圏出自
モンゴロイドのブーメラン的移動遊牧活動の一環]カザフスタン西シベリアSeima-
Turbino文化2000-1700BC、アルタイ・カラスク文化1500-800BC[こうして夏、殷、周に
つながる]・・・そしてこの主体はYAP+羌族であっただろうというのが私の結論。
459月光仮面:2008/03/04(火) 08:35:14
http://users.hartwick.edu/anthonyd/opening.html
このSeima-Turbino horizon, dated 2000-1700 calBCこそ博多、唐津、洛東江、
ナイルデルタに入るもので、天日矛、銅剣銅矛文化圏もその記憶を残すものと考える。
460月光仮面:2008/03/04(火) 08:45:25
ヨセフのファラオ、アメノホヒ命は今も出雲大社でわが国を守っている。
http://www.gracethrufaith.com/ask-a-bible-teacher/josephs-pharaoh
461月光仮面:2008/03/04(火) 11:03:43
>>452
コノハナノサクヤビメは一夜で身篭るが、ニニギは国津神の子ではないかと疑った。
疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、本当の子なら何があっても無事に産める
はずと、産屋に火を放ってその中で「はじめちょろちょろなかぱっぱ、赤子泣いてもフタと
るな」ホデリ・ホスセリ・ホオリの三柱の子を産んだ(天孫降臨#コノハナノサクヤビメの
出産を参照)。ホオリの孫が神武天皇である。冶金・窯業熱処理加工のポイント、金属
相の変異点の推移を表現するものであろう。木の花の佐久がごとき金型製作は冶金の
匠の究極の業を言ったものと見る。
462月光仮面:2008/03/04(火) 11:16:14
出雲の神無月もしかりだ。エジプトのファラオSeti I (1290 BC頃)は死海の真南東方、
Taru (Shtir-)要塞から "Ka-n-'-na"に至る地方アラビア遊牧民Shasuを征圧、
Ramesses III (1194 BC頃)は"Ka-n-'-na"にアメン神神殿を建立したとされる。
"Ka-n-'-na"への巡礼の月が神無月であろう。考古学者は前13世紀のエジプトの
記録はShasu遊牧民における唯一神Yahweh信仰の起こりを示すものとする。この
Yahweh信仰が 早期ヘブライ民族にあった多神教を駆逐したのが(650 BC頃)Josiah
王の頃以降であることに間違いはないとされる。
463月光仮面:2008/03/04(火) 11:28:34
「呂尚(りょしょう)は、紀元前11世紀ごろに活躍した周の軍師、後に斉の始祖。姓は姜、
氏は呂、名は尚または望、字は子牙または牙。謚は太公。斉太公、姜太公とも呼ば
れる。一般的には、太公望(たいこうぼう)という呼び名でも知られる。周に仕えるように
なった経緯については、#伝承における呂尚像の節で後述するもの以外にも諸説紛々
としており、推測の域を出ない。また羌の出身とも言われているが、実際のところ不明。
周の軍師となり、文王の子武王を補佐し、殷の帝辛(受王)を牧野の戦いで打ち破る。
後に斉に封ぜられる。兵法書『六韜』の著者とされたがこれは全くの創作(後代の
戦略家による著作)である。」太公望におかれては「旧約聖書」・・・なんじゃい、それは
バックトゥーザフューチャーの話か、と申されても無理はない。
464月光仮面:2008/03/04(火) 11:34:57
しかし、斉の国にはアモル人の北ユダヤ、ゴラン高原、黒海東岸のグルジア、遼東
同様に支石墓が多い。そしてそれは弥生時代の始めに背振山系東南部に展開を
開始し、そして突帯文・弥生土器は東方に移動を始める。
465月光仮面:2008/03/04(火) 11:45:07
米軍放送ポール・ハーベー「もう、皆さん話の続きはご存知の通り」
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/suitonoko/noko.html
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan.html
↑歴博の守備は堅いのである。
466月光仮面:2008/03/04(火) 13:50:53
山戎とは綏遠・サヤンアルタイからコーカサス、吉野熊野などに入るもので、モーゼ、
始皇帝、円小角、雄略、天武、後醍醐等に共通行動パターンがあるが、中国では山戎
は女陰、手形を敬うといった曲解がなされている。これは「新約聖書のマタイ福音書第7
章第13節にあらわれる、狭き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より
入る者おほし。というイエス・キリストの言葉」これはこんなところか。↓
http://www.genbu.net/data/izumo/kankama_title.htm
「高所恐怖症及び、極度の肥満体型は参拝不可能。・・・ロープや手摺がなく、一歩踏
み出せば、転げ落ちる。のぼった場所に手水鉢らしきものがあるが、その先に道が
ない。周囲を見回すと、右手に数十センチの岩の裂け目。裂け目の向うに、石組みが見
える。斜めになった裂け目に身体を押し込み、注意しながら進む。抜けた先、石組みの
上に社殿があるが、石組み周囲にも手摺はなく、石組みの上も、狭い。」[写真]「立岩の
間を通って社殿へ」・・・しかし、ペトラへの入り口は間口3M高さ、91-182M、奥行き
1900M(一マイル)、地下には警備兵の石室がるようだ。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/a/a5/First_Glimpse.jpg
キリストが駱駝が針の穴を通るといった比喩を使っているがこの辺のことだろう。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/da/CamelsPetra.jpg
手形というのは、大雄山最乗寺の天狗の団扇→葉団扇
http://park3.wakwak.com/~kame/saijyouji/d43.JPG
http://www.diana.dti.ne.jp/~morooka/ryokou1/tenngg.jpg
にもあるが、おそらくはメノーラーであり、
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/71/Menorah7a.png/120px-Menorah7a.png
ちなみに、これは日本経由で南米にまで行っているようだ↓
http://tak0719.hp.infoseek.co.jp/qanda2/dpFV3QQ6289.htm
467月光仮面:2008/03/04(火) 17:52:46
>>439 パンティー仮面君。家庭内と同じ話し方してるの?俺なんかどこ行っても
同じだけけどなー。パンティーなんて拾うのには炭をつかむ火箸のよう用具で毎朝
燃えるごみに入れてる。頭が寒いからパンパーでも買って防寒頭巾にしようかな。
最近烏より獣が多い
468月光仮面:2008/03/04(火) 17:56:25
今年はクマネズミ退治に専念しなくっちゃね。
469月光仮面:2008/03/04(火) 18:52:03
英国までウリナラなんて言える国じゃないし、DNA鑑定なんて個人情報がらみでどうこう
言えるもんじゃない。2ちゃんの強みもあるか、歴史の根源は人間の倫理観史といった、
ウィンドーウズで言えばAUTOEXEC CONFIGSYSといった形而上学的領域に入るのだ
ろうか。お前ら、どう思う?
470天之御名無主:2008/03/04(火) 23:56:24
>>467
「ナンちゃって」はたまに使うよ(ポッ・・なんちゃって」
クマネズミがいるってことは北海道界?
おじさん先週のTBSの世界遺産見た?あの遊牧民の金細工はすごかった
471月光仮面:2008/03/05(水) 09:38:08
>>470
>あの遊牧民の金細工
これってなんなの?
472月光仮面:2008/03/06(木) 11:17:24
>>451
>メディア人の6部族
パルタケノイ族 (Paraetaceni)
パルタケノイとはパルタケネ山周辺に拠点を置いた遊牧民を指す。
↑これなんかこの地域に先行したミタンニからの残留山戎の感がある。ヘロドトス
の歴史におけるダリウス・キュロス、更にはマケドニアのアレクサンダー等の多国籍軍
編成は古代のヒクソスの編成を踏襲しているのだろう。アメンホテップ二世のカナン
遠征抑留捕虜はフルリ36300人、シャス15200人、ハビル3600人とされる。このフルリ
人が満蒙朝鮮方面にいたころ倭人はコウライ、クレといった風に呼んだのであろう。
これをイラン・エニセイ方面白人と共生していた羌・三苗(蘇民・呉)系ではないかと
考える。

473天之御名無主:2008/03/06(木) 13:37:02
ベニバナ。紅:ベニはクレナイで、呉の藍が訛ったもの。
呉から秦氏が伝えたとされるが原産地はエジプト。
最新の調査で日本には2世紀の卑弥呼の時代の遺跡から
見つかったものが最古でエジプト・イスラエルからのユダヤ人の
渡来が2世紀頃である裏づけとなりうる。
474月光仮面:2008/03/06(木) 16:36:14
>>473
秦氏の大きな特性の一つである殖産活動から見てこの可能性は大。
475月光仮面:2008/03/06(木) 17:25:32
トゥーヴァ大学アバーエフ教授は「高句麗"koGURyo"との意味同一性に関連する
"HOR", 天神"tenGRi" 及び烏梁海"URyabjhay"にある民族文化的概念の相互関連」
の中でユーラシア中央部遊牧民族文明を築いたサヤン・アルタイ、中央アジアのチュ
ルク・モンゴル諸族の国家宗教における"khor" という概念の重要な意味はその宗教に
おける「天神」の主要形容辞、つまり、トゥーヴァ語天神Kurbustu, 参照トゥーヴァ語"khulbus" -鹿、又、"kur"帯[日本語も江戸時代まではこの意味があり、現代は
グル]また、"khooray" - 城壁のある都市[日本では高良大社の高良がこれか]、
476月光仮面:2008/03/06(木) 17:27:29
"khuree"神社、天神は別にKorbustanというが、ブリャートモンゴルではKhormust、
イラン語ではKhormazd[日本では秋田が唐松、岩手がクロマンタ(これは沖縄等にも
残るようだ)]の基本的な意味の他に、多数の民族名称となっており、"uyGUR" (khoy - khor)、"KHOORay", "khonGORay" (ハカス国古称i)、ブリャート族名"khonGODOR", "eKHIRit", "KHORI-buryat"、他には"KHORO-yakuty", "KURrykan", "GURan", "URyankhay"等があるとし、
477月光仮面:2008/03/06(木) 17:28:04
高句麗KoGURyoとか、高霊KORyoとか言うのはおそらくは匈奴によって媒介された同じ
「天神」の意素であろうとする。この説を延長すればクレ、コウライなどは明らかに
「天神」だろうが、私はこれをフルリ人、クラ川(アゼルバイジャン)にも適用できると
考える。
478天之御名無主:2008/03/30(日) 22:19:00
「御輿の黙示録」ってサイトが面白い。

ところでユダヤの定義は難しいけどたしか女系相続だったよな?
身を忍ばせつつ時の権力(男系)に寄生して殖産・金融に励むののには都合よさげだ。
479天之御名無主:2008/03/30(日) 22:22:38
まちがえた、「神輿の黙示録」(日本人とは何者か)だった。
480月光仮面:2008/03/31(月) 09:47:20
祇園の奥座敷で政治家と、というと、永田町体質のようではあるが、忠臣蔵
等でもよく使われる。秦始皇帝の父親にもそういう面がある。
481天之御名無主:2008/05/01(木) 21:30:21
角倉了以の一族も秦?
佐々木・吉田の系列になってるけど
女系の筋が遡れないんだよな・・・。
あちらでは女系で連綿と伝統・文化・教育を継承するので表に記録が残らない・・・。
482天之御名無主:2008/05/20(火) 23:18:19
 島根県安来市に天界酒造という、結構由緒のある酒蔵があった。
ここはもう店を閉めてしまったが、かつてそこの女将に四隅突出の
謎の話を聞いた。しかし歴史がひっくり返りそうなので止めておく。
483天之御名無主:2008/05/24(土) 07:45:21
やめるなら書くな。
484天之御名無主:2008/05/25(日) 21:55:48
大久保長安は猿楽衆で金山奉行
武田から徳川に上手に乗り換え
この人物も一族の可能性があると思う。
485天之御名無主:2008/07/21(月) 14:55:04
秦氏を西方に求める考えとしては
景教徒、ユダ王国の原始キリスト教徒等あるが、
そこまでいじくらなくても中国のユダヤ教徒、あたりで良いと思う。
漢の時代には既にユダヤ教徒がいた。
486天之御名無主:2008/07/21(月) 15:15:27
>>484
秦氏⇒惟宗氏⇒薩摩島津氏 子孫とされている。

全国守護官職に任務されたのが秦氏系子孫達です。
487天之御名無主:2008/07/21(月) 16:47:33
>守護官職に任務された

日本語でok
488天之御名無主:2008/07/21(月) 17:19:37
>>480
ロシア語OK
ΓΨΛπΣΗΒκЁИЭЙф ロシア語OK
489天之御名無主:2008/07/22(火) 21:41:16
490天之御名無主:2008/07/23(水) 00:25:36
>>463
トイレはトイレがあらうーのとか言う時の松岡の渇ききった口に似てる人の事だよね?
491天之御名無主:2008/07/23(水) 21:54:52
秦を失われたイスラエル10支族の国にするには

秦の建国が紀元前778年、イスラエルの滅亡が紀元前722年。
この2つの出来事の間には56年の差があり、時代が合わない。
ところで、ユダヤ教神秘主義カバラにおいては物事は左右逆にして見る。
従って、56は65になる。
65、即ち60と5。60を5で割る。
すると12になる。
12。それはイスラエル12支族を意味する。
従って、12を基調とする56。この数を、実際の秦の建国年代に足して、秦の歴史を古く見せる。
これで納得が…いく人間はまさかおらんだろうな。
492天之御名無主:2008/07/23(水) 22:47:34
波多は秦より古いぞ
493天之御名無主:2008/07/23(水) 23:10:05
羽田首相が、秦の子孫だと言ったが本当なのか?
A:波多から羽田に改名したことは解っているし、
B:秦から波多を貰った事も解っている(その後太秦)が、
C:神功皇后に従って三韓征伐に行ったのも波多&武内宿禰

古い順に言うと
C>B>A かな
494天之御名無主:2008/07/24(木) 02:35:31
失われた10部族
八族がまとまって一つの神に統一したのが八幡宮
あと二部族は
賀茂と、、、誰だ
495天之御名無主:2008/07/24(木) 03:19:51
弾左衛門スレで知ったんだけど大分の秦惣兵衛という穢多頭も秦系?
496天之御名無主:2008/07/24(木) 07:32:24
我が先祖は、香川県高松市で塩田業を
営んでいました。
一説によると、日本で一番最初に
塩田を始めたのが、うちの一族らしいです。
うちの一族は、やはり秦氏の子孫なのでしょうか?
ちなみに、姓は中村です。
497天之御名無主:2008/07/25(金) 18:39:04
三井って越後屋じゃなかったけ?
秦氏だったの?
それと林、森、金、吉なんかの姓は明治以降に渡日
してきたアジア人(中国、韓国)でしょ。色も同じく。

ファン(黄)
チン(青)
とかね。

それよか北陸に秦が多いってなぜ?
柴田姓が出てたけどなんか関係あんの?

うち北陸で20代くらい前にまで柴田で今は芝田なんだけど。
498天之御名無主:2008/07/25(金) 19:38:06
新潟県北部には「新発田」市もあるな。
戦国時代までは新発田氏が治めてた。
499天之御名無主:2008/07/25(金) 19:39:25
ごめんなさい書き忘れた…「新発田」もシバタと発音します。
500天之御名無主:2008/07/27(日) 16:51:34
>>494 高良玉垂神
501天之御名無主:2008/08/31(日) 08:31:36
出雲には秦も波多も八幡もあるよ
502天之御名無主:2008/08/31(日) 15:58:09
隋書「倭国伝」608年
百済を渡り、行きて竹島に至り南にタン羅国を望み、都斯麻国を径、
はるかに大海在り。又、東して一支国に至り、又、竹斯国に至り、
又、東して秦王国に至る。其の人華夏と同じ。以って夷州と為すも
疑うらくは、明らかにする能わざるなり。

503天之御名無主:2008/08/31(日) 20:03:00
>>502

秦国王は中央アジアのトルキスタン北部辺りが故郷なの?
同じ民族が秦国王になったということ?
朝鮮の百済経由で日本に来たのが同じ民族てこと?
竹斯国ってどこの辺りなんだろう・・・・・
この秦氏の宗教は何だったのだろう・・・・・

以上の疑問を持ってます。意見や資料が
あればよいのだけど。
504天之御名無主:2008/08/31(日) 21:31:15
>>503
諸説はありますが、一般的な訳を入れとくよ!
608年隋の煬帝は裴世清を倭国に派遣した。
百済を渡り、行きて竹島に至り南にタン羅国(済州島)を望み、都斯麻(対馬)国を径、
はるかに大海在り。又、東して一支国に至り、又、竹斯(筑紫)国に至り、
又、東して秦王国に至る。其の人華夏(華夏族=初期の漢民族)と同じ。
以って夷州(台湾)と為すも 疑うらくは、明らかにする能わざるなり。
>>501ここの秦王国(山背とは別物)は出雲説もあるが・・・
505天之御名無主:2008/08/31(日) 21:48:35
>>497
噂では、三越の本店と各支店に三囲神社の分神が祀られている
506天之御名無主:2008/09/01(月) 12:42:33
>>503 竹斯国=筑紫=福岡近辺だろう。 竹=建=武  武内宿禰=たけしのうちのすくね。 たけし国を収める大王。
507天之御名無主:2008/09/02(火) 12:05:08
中国の秦より亡命した秦韓の住民が日本に渡来した
だから裴世清の見た秦王国は華夏(中国文化)だったのさ
508天之御名無主:2008/09/03(水) 12:33:23
>>507
秦といえば、ペルシア人のことよ。
ペルシア人が打ち建てた国家が秦。
509天之御名無主:2008/09/03(水) 15:47:29
>>508
文献とかあればヨロ!
510天之御名無主:2008/09/04(木) 14:56:23
>>509
別人だが、これはいろいろ当時の中国等の
本に出てくるよ。同祖論とか関係ない本とか
一杯あるから。>秦−ペルシア

そういえば、祇園祭りのテレビ中継でも
ペルシアは中国で秦と呼ばれていて・とか
アナウンサー言ってたよ。

おれ一番最近聞いたのはそれだな。
511天之御名無主:2008/09/14(日) 09:42:21
埼玉県深谷市にも幡羅っていう地名がある。また利根川ぞいの旧妻沼町にも
渡来系を連想させる地名が多い。
512天之御名無主:2008/09/14(日) 22:20:19
「秦」という名前はペルシャ語起源ですか?
513天之御名無主:2008/09/15(月) 13:55:42
当方アムル語の
ユダヤという意味アラム語ヘブライ語の
「イエフダー」。

イヤハダになりヤハダ−ハダとなった。
始めは波陀でハダとよんでいたが
「はた」になった

イヤハダは弥栄
ヤハダは八幡などいまも残っている。

514天之御名無主:2008/09/20(土) 05:19:24
なるほどどうも。
ところで、ユダヤを表す「イエフダー」には、
もともとヘブライ語でどんな意味があるんですか?
515天之御名無主:2008/09/20(土) 12:16:43
大学の友人に、「秦」さん、がいるけど

この苗字の人は、秦一族ってこと?

別に、じみで真面目な人だけど、

516天之御名無主:2008/09/20(土) 13:21:24
>>514
イエフダーは、「讃美・感謝」の意味です。

>>515
{この苗字の人は、秦一族ってこと? }

その可能性はありますが、確定してません。

養子や入婿もあるでしょうし、明治の
氏姓法改正のときに、適当につけた秦さんも多数います。
そう言うのは、血統的に何の関係も無いでしょう。

517天之御名無主:2008/09/21(日) 01:40:57
父の母方は京都で川勝姓。母の父方は伊勢の渡会姓。

当家は秦氏の系統でしょうか?
518天之御名無主:2008/09/21(日) 12:52:05
>>517
可能盛大ですね。

どこかの神職かと思えるような
組み合わせですね。
スゴイww

519天之御名無主:2008/10/04(土) 12:04:13
上賀茂社家
賀茂社を奉祭した賀茂県主の後裔が社家を務めました。
上賀茂社の社家は賀茂氏を名乗り、系図は「賀茂社家系図」。社家名を挙げると、
岡本・松下・林・森・藤木・大池・梅辻・座田・鳥居・小路・富野・西池・芝・山本・梅蔭の諸家がある。
賀茂県主以外の社家には、藤原姓の今原・川上、平姓の小池などがあります。
賀茂氏と秦氏の関係は深い。加茂という地名は全国にあるけど、京都太秦も地名も
秦からきているように思う。ヤタガラスはJリーグのシンボルだったけな。
520天之御名無主:2008/10/04(土) 19:40:48
日本代表のヤタガラスは採用までの経緯がすごい適当だったはず
521天之御名無主:2008/10/05(日) 01:51:05
>>519-520
平安貴族の蹴毬
神社・社家・八咫烏 天皇家・公家・地下家

都の貴族社会です。
522天之御名無主:2008/10/05(日) 01:55:55
>>521
『華麗なる貴族ファミリー』
京都
天皇家・宮家・朝廷・公家・地下家・社家・武家(守護代)
などはファミリーです。
523天之御名無主:2008/10/05(日) 09:29:43
学校に蹴鞠家業の家系の先生がいた
たしか下の名前に麿がついてて、いまだに麿とかつけちゃうんだーとか思ってた
524天之御名無主:2008/10/05(日) 17:16:45
>>520-523
蹴毬は平安貴族の遊び蹴玉=サッカー(フットボール)
八咫烏 日本サッカー協会のシンボルマーク
525天之御名無主:2008/10/07(火) 11:47:35
歴史に疎いんですが興味あります。

実家父方は1600年頃から現在まで瀬戸内海沿岸在住。
赤穂とは縁が深いそう。
古来からの言い伝えでは日本海側から来たと。
16世紀からの古文書と家系図があり。
水利土木系の事業をしたと記録あり。
昔から異形?外国人?の容貌が多数出ていると。
曽祖父から自分、自分の子に至るまで特に強く出て
彫り深く中近東+白人のようだと言われる。
髪はみな赤茶。
526天之御名無主:2008/10/07(火) 13:10:03
ほぼ新モンゴロイド形質のなかで胡散臭い話だがどの程度の
彫り深か知らんがDNA調べてみろよ。
527天之御名無主:2008/10/09(木) 21:51:36
>>519
京都賀茂家もルーツは出雲の田舎の加茂だと思ってます。
528天之御名無主:2008/10/10(金) 15:54:21
>>527 違うよ。 九州出身だよ。 秦とも縁が有りそう。 宇佐神宮で結びつく。
529siraki:2008/10/11(土) 02:39:52
新羅 宇斯岐 阿羅斯等
朝鮮 伊斯今 弓月 大培達 阿波陀 八幡
意富加羅 天日槍 大己牟都 牛頭牟楸
530siraki:2008/10/11(土) 02:45:21
朝鮮 秦=鮮
新羅 新=秦

531siraki:2008/10/11(土) 03:12:41
波奈流 阿那利 伊那利 豊沙美 家都美 伊利加須美 伏見 伊那利
朝鮮波遣武鷺 大韓 新羅王劍 彦火火出見
532天之御名無主:2008/10/16(木) 04:11:57
秦って漢民族が打ち建てた国家?
533天之御名無主:2008/10/17(金) 05:57:40
ウィキペディアの漢民族の項目に↓の記述があるけど、ここに書いてある秦族ってのが秦を建国したの?

中国の歴史は絶え間ない民族・人種の混合であった。古くは殷周交代にまでその傾向を見ることができる。当時中原に住み、より東方起源と推定される殷族と西方からやってきた周族が混交し、今にいう漢民族の母胎ができあがったのだが、その母胎はすぐに秦族に撹乱された。
また、春秋戦国時代の国家である楚、越も中原とは多分に異なる民族であったと考えられている。
また中国は4世紀頃から北方の遊牧民族に北部を支配されるが、その過程で多分に北方民族の血が混ざっている。日本の学界では唐王朝の皇帝の一族もまた鮮卑系の北方民族に近いものであると考えられている。
534天之御名無主:2008/10/17(金) 15:31:58
秦のことだね。
535天之御名無主:2008/10/17(金) 15:34:28
秦一族には舟の家紋を持つものが多く、
十支族のゼブルン族が舟の紋章を持つこととの関係も指摘されている)。

秦氏=ゼブルン族
536天之御名無主:2008/10/21(火) 16:57:42
>>527 賀茂には2系統ある

1) 本家 山城国葛野 九州系
山城国葛野を本拠とし代々賀茂神社に奉斎した賀茂県主(かものあがたぬし)は、八咫烏に化身して神武天皇を導いた賀茂建角身命を始祖とする。
賀茂県主は、同じ山城を本拠とする秦氏との関係が深い。

2) 賀茂朝臣 系 大和国葛城 出雲系
大和国葛城(現 奈良県御所市)を本拠地とする賀茂君、後の賀茂朝臣(かものあそみ)は大物主の子の大田田根子の孫の大鴨積を始祖とする。
537天之御名無主:2008/10/22(水) 17:55:43
太秦も山城国葛野の中に有ったんだね。 能の賀茂では秦の娘と賀茂氏が結婚してたことをほのめかせている。
秦、賀茂神社、宇佐神宮も深いつながりが有るらしいね。
538天之御名無主:2008/11/09(日) 11:56:57
ユダヤのユダヤたらしめているあの宗教の話が絡んでこないのだが。
539天之御名無主:2008/11/20(木) 01:35:46
●伊勢神宮などに、古代イスラエルの三種の神器がある?(飛鳥氏の説を含む年表)
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/seishotonihon060829excelshousaisintou.htm

http://www.geocities.jp/bluewhitered34/index.html

●陰謀説、日ユ同祖論を含む、全存在の図表
http://www.geocities.jp/bluewhitered34/zensonzainohyou0831tensiweb0809choushousai
540天之御名無主:2008/11/22(土) 13:04:13
>>511
あの辺は面白いよね
血洗島だかの地名が無かったっけ?
島っていっても中洲程度だろうけど
541天之御名無主:2008/11/24(月) 12:49:01

ここはとんでも秦氏論しかないのか?
古代の倭は半島も無論だが楽浪郡、帯方郡、中国本土とも接触し知識がある。
秦氏が始皇帝の後であるかは疑問だが、中国系と自ら述べているし、
当時の倭人も駄法螺を真に受けるほど無知ではなかった思われる。
中国語が読み書きでき話せ、もちろん中国の諸事情に通じていたのだろう。
この秦氏を新羅系朝鮮人とみなす説が多い。

では質問する。白村江の戦いで倭は唐・新羅連合軍と戦ったが、
秦氏が新羅系朝鮮人であれば唐・新羅連合軍に内通して利敵行為をする可能性もある。
それを防ぐには秦氏を弾圧するか、隔離するなどのなんらかの対応が必要となるが、
それらしい形跡はどこにもなく、白村江の戦いの後も秦氏は大切に扱われている。
唐・新羅連合軍の国内の前線に近い九州には豊前という秦氏王国もあるにもかかわらずにである。
なぜなのか反論して欲しい。

もちろん私は秦氏中国人説を支持するし、吉士(祝)も同じく中国人であると思う。








542天之御名無主:2008/11/25(火) 16:37:27
秦氏は東地中海の文化を夏・殷時代の中国に伝え、中国文明の礎を築いたものなのだが、その中核が
丸ごと日本に到来してしまった。日本には数多いYAP+遺伝子は羌、姜と重なる部分があり、中国にも
遺伝子的にチベット、四川、雲南にも同族があり、優れた宗教、青銅器文化を残しているが、日本文化が
これほどにも開花したのは秦氏の日本移住がなくてはありえなかった。半導体、車、鉄、建築は秦氏を
抜きにしてはありえなかった。それはエジプト新王朝以降の地中海文明がモンゴロイドのヒクソスの
もたらした馬と二輪車を抜きにしてはありえず、ギリシャ・ローマ文明も多分に馬・二輪車をもたらした
東方からの後期青銅器文化の上に成り立っている。秦氏抜きに今日の日本はなかった。
543天之御名無主:2008/11/25(火) 17:15:05
秦氏は夏といわれるノマド共同体時代から、商、周の時代をイラン系・ヒッタイト系・アラム系等と共に
ユーラシアを駆け巡った。最終的にはキルギス系(地下横穴墳)熊襲と戦わざるを得ない羽目になったり
するが、根っからの商人・テクノクラートであり、政治の表に出るのではなく、裏で何代もの施政者に
仕える中東のユダヤ人的な才にも長けていた。キルギス系は沖縄で隋軍に殲滅されたか、或いは
大陸に逃げ帰ったのか、沖縄・鹿児島方面には遺跡的にのこるが、遺伝子的にはモンゴロイドの
ブリャートの血統のみが残ったようだ。
544天之御名無主:2008/11/25(火) 17:24:01
>>542 >>543

気は確かか? 働いているか? 
545天之御名無主:2008/11/25(火) 18:18:01
隋書琉求(琉球)國伝
「人は深目長鼻で胡(中国北方種族)によく似ている。」
「凡そ宴会があると酒を摂るものが、名を呼ぶのを待ってから飲む。
 王に酒を奉る者も亦王の名を杯で一緒に飲むこと。突厥(西方の種族)
と全く同様である。」
http://w1.nirai.ne.jp/mic/zuizuiz.htm
「煬帝は兵を義安郡(広東省潮安県)から派遣し、これを攻撃させた。高華嶼に至り、また東行二日で
クヘキ嶼に至り、更に一日で流求に至る。南方諸国の人を従軍させていたが、その中で崑崙人が流求
の言葉を非常に良く理解した。」
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/4/2_4.htm
隋が流求国から持参した戦利品を見た倭国人は此夷邪久(琉球)
國人所用也る物だと言ったのを記録しているのである。
このあと倭国は隋国との国交が絶えてしまう。
http://w1.nirai.ne.jp/mic/zuizuiz.htm
 「隋の煬帝は、海に入り異民族を求めさせた。命を受けたものは流求国に到ったが、言葉が通じず、
一人をさらって帰った。翌年、再び使者を派遣して、流求を服属させようとしたが、流求はこれに従わな
かったので、その国の(麻)布製のよろいを奪って帰った。ちょうどその時、倭国の使者(遣隋使)が来て
いて、これを『夷邪久(イヤキウ)国の人が使うものである。』と語った。
 「煬帝は兵を義安郡(広東省潮安県)から派遣し、これを攻撃させた。高華嶼に至り、また東行二日で
クヘキ嶼に至り、更に一日で流求に至る。南方諸国の人を従軍させていたが、その中で崑崙人が流求
の言葉を非常に良く理解した。」
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/4/2_4.htm
546天之御名無主:2008/11/25(火) 18:31:42
この頃アルタイでは地下横穴墓で頭に隼人紋の刺青をした白人が、匈奴に追われてバクトリア、インド
にはいる月氏の交代ににはいり、殷と欧州の間を取り持ったカラスク人とも交代している。日本に入った
秦氏の松尾大社は匈奴の石板墓の石組みを持ち、松尾が冒頓の訛りであることは鳴鏑の神であること
から秦氏の一部には烏桓のような東胡系のものも入り込んでいたと見られるが、百済の月支国と
バクトリアの大月氏国とはこの関係で行くと歴史的に問題もあり、夕月の民というのは地域的にアルタイ
の民と言うことで、その中には堅昆の祖先である、タシュトィック文化人もシ歳人として入っていたのか
なと考える。
547天之御名無主:2008/11/25(火) 18:43:13
昨夜テレビで古代ローマのスパルタカスの乱をやっていたが、あれは西南の役とどことなく似ている。
サムライは荒野では食ってゆけないのだ。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/fb/ThracianTribes.jpg
これは隣国ギリシャの東方であるがよく似た名前の話がある。ここに出てくるオルフェウスというのは
オオクニヌシとか甲賀三郎とかで日本にも来ている。このトラキアの墓がなんともご立派な地下横穴墓
なんだ。はるばるシベリアくんだりまで遠征したのかもしれない。
548天之御名無主:2008/11/25(火) 19:01:09
彼が何を言ってるのかまったく理解できない
549天之御名無主:2008/11/25(火) 20:47:45
古代ギリシャと日本国内最後の内乱の西南戦争?
550天之御名無主:2008/11/30(日) 10:32:58
「1つ明らかであるのはこの時代には下エジプトで、「アジア人」の勢力が増大していたことである。彼ら
アジア人は少なくても第1中間期以来、傭兵や奴隷、そして時には外敵としてエジプトに入っていた。彼ら
はエジプト人の歴史叙述においては「侵入者」と見なされるが、実際には中王国時代にアジア系の高官
が輩出しており、その人的交流は相当に活発であった。こうしたアジア人の地位向上が第13王朝の統制
力を次第に弱めていったかもしれない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC13%E7%8E%8B%E6%9C%9D
551天之御名無主:2008/11/30(日) 10:36:53
「セベクヘテプ4世の跡を継いだアイ王(前1720頃)は、第13王朝の王の中で上下エジプトにその名を
記した記念建造物を残す最後の王である。彼の時代以降、下エジプト地方では地元の有力者やアジア
系の有力者が政権を打ち立てて第13王朝の統制は完全に及ばなくなった。下エジプトでアジア系の人
々が築いたとされるのが第15王朝であり、やがて彼らアジア系の支配者はヒクソス[6]と呼ばれるようにな
った。マネトの記録によればヒクソス(第15王朝)は第13王朝のトゥティマイオス王の時にメンフィスを陥落
せてエジプトの支配権を握ったとされている。このトゥティマイオスとは恐らく他の史料に登場するドゥディ
ス1世であろうと言われている[7]。彼以後、数名の最後の第13王朝の王達は恐らくはヒクソスの宗主権の
もとで上エジプト(ナイル川上流)を統治したのであろうと言われている。こうしてエジプト第2中間期と呼
ばれる分裂の時代がはっきりと訪れた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC13%E7%8E%8B%E6%9C%9D
このアジア人が帰国し、殷王朝に入る。それが秦氏であると考える。

552天之御名無主:2008/11/30(日) 10:45:56
欧州から朝鮮半島、九州に広がる支石墓、これが山東省、遼東半島、楽浪に普及するが、これら
地域は工人の神である蚩尤・共工の没したところとされる。つまり、青銅器文化の一つの終着点だ。
エジプトではそうした工人の神としてPtahがある。日本ではフツの御霊、布津主などとされる神があるが
刀剣の神と言う意味合いで出現する。
553天之御名無主:2008/11/30(日) 15:41:37
参照→ユダヤ=秦氏は鬼・悪魔
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1159451054/menu590-594
欧州巨石文化のドルメンは地母神を祀るものとされている。ところがエジプトには工人神Ptahというものが
あり、いろいろな神と習合されている。中国にも工人の神のようなものに蚩尤・共工がある。しかし、それは
必ずしも秦氏に結びつくものでもない。日本における秦氏は多様な職業に関連しているが、特に神社・仏閣
といった宗教関係が多いようである。秦氏は広隆寺牛祭りマダラ神を祭るようであるが、これはミトラス教
に似ており、更にはエジプトの牛・アピスとかとも関連するのかもしれない。又、ミトラス教で天蓋を支える
神としてのミトラスは、エジプトのPtahであるとか、オシリスであるとかが冥界とも関連し、再生の機能を
表すことに関連するのかもしれない。日本では牛に引かれて善光寺、の善光寺には真っ暗闇の地下道
があり、再生の体験が出来るし、この寺の近所にはミトラス教のような石窟寺院もある。
554長州人:2008/11/30(日) 16:37:59
関係ないのですが
近所に波多野さんとか多々良さんとかいるんですよ
波多野とか多々良って名前が日本らしくないですが
渡来系である秦氏と関係はあるんですかね?
555天之御名無主:2008/11/30(日) 18:17:02
まったくない
むしろ日本人らしい姓
556天之御名無主:2008/12/16(火) 08:39:35
あげ ハタハタ
557天之御名無主:2008/12/16(火) 09:16:34
あるでしょう。
小幡や畑なんてのも系統らしいよ。
558天之御名無主:2008/12/16(火) 16:36:26
馬と二輪車でもって王朝に食い込んだのはエジプト王朝に入るアジア人、殷王朝に入る秦、だから
秦はヒクソスではないかと考えたくなる。新石器時代の中国に突如MRIやCTスキャナーで人体を
透視する技術を持ったものが現れ、チベットにはエジプト同様死者の書が残る。エジプトではミイラ
作りのために死者の内臓を壺に分けて入れる。この際に生前の故人の行状もつぶさに聴取される。
世界でこれほど医学の発展に良好な環境はありえない。そして、インド、チベット、中国に流れてくる
医学情報の起源としてこれほど確かなものはない。
559天之御名無主:2008/12/16(火) 16:39:39
俺は伝統ある太秦出身
560天之御名無主:2008/12/17(水) 08:35:44
太秦出身の朴さん?
561一族:2008/12/26(金) 05:52:17
無知な奴が多いんだな
ユダヤ?ギリシャ?王朝? ある訳ねーだろw

秦一族の真相は、中国の秦の始皇帝の頃、黄金のジパングに永遠の命があるいう話が、皇帝に伝えられた。
それを信じた皇帝の命により、ジバングに永年の命を求めて部下を派遣。
その派遣された部下は永遠の命を見つける事が出来ず、戻るにも戻れない状態になる。
申し訳なく思った部下が、自分の子孫に秦という名を付けたというのは、日本における秦氏の始まり。
主にその当時は四国に辿りついたと言われている。
その後、大陸の知恵を元に、一度は歴史に名を残す豪族になるが、時とともに衰退してしまった

わが一族に伝えられている話だ。
まぁこんな事知ったところで役に立たないけど。
562天之御名無主:2008/12/26(金) 06:08:13
永遠の命を追い求めるという発想自体がエジプト・ユダヤ人のもの
563天之御名無主:2008/12/26(金) 06:29:04
絶対的権力を手に入れた人が、考える事はただ一つ
永遠の命しかない
564一族:2008/12/26(金) 06:55:19
代々伝わっている話だから本当w

血筋は朝鮮よりの中国系、職業は元商人だったと伝えられている。
日本の歴史に名が登場したが、秦の始皇帝の後から数百年経ってからっていうのは
日本に住み着いてから豪族になるのに時間がかかったからw
565天之御名無主:2008/12/26(金) 07:14:21
短命政権だったけど羽田さんが総理になったから天下はとってるのかな。
566天之御名無主:2008/12/26(金) 09:54:08
秦氏と言うのは中国・東南アジアに青銅器文明の始まる前に中国の陝西・甘粛・青海方面に存在し
ていた部族の一部。中国は窯業には優れた基盤を持ちながらも、軍事力の要である馬・馬具の金属化
については殷・周から漢にかけてまで北方の遊牧民族に及ばなかった。秦氏は殷の時代からこの技術
を中国に導入し続けた。
567天之御名無主:2008/12/26(金) 10:01:06
日本に渡来した秦氏がユダヤ・イランの思想的影響を深く受けているのは、秦氏が前2千年紀の初めから
中近東・中央アジアにおいて、犬、四輪者、馬、二輪車、騎乗で武装化するモンゴロイドとコーカソイドが
共生する移動遊牧民の群れに入っていたから。この群れに入っていたのは秦氏だけではないが。
568天之御名無主:2008/12/26(金) 10:11:49
中国の窯業には恐るべき力があり、一度青銅の存在を知るとたちまちにそれを世界最高の技術水準
にまで押し上げた。これを仲介していた移動遊牧民は後期青銅器時代にそれを車両、武器に活用し
中近東・地中海の青銅器文明を破壊し、更には素材を鉄に換え、地中海に世界最高の文明を築くに
至ったが、「モーセが黄金の牛像を投げ捨てた」ように、遊牧に徹する民族はこの文明から一歩退き
塞外の民となっていった。日本の弥生はまさにこういう世界史的背景において始まった。
569天之御名無主:2008/12/26(金) 14:11:00
長江文明の喜界カルデラ大爆発による、四川文明の大地震による環境悪化はそれんりに、農民の
離散、一部には遊牧民化をもたらし、アッカド・サルゴン、ユダヤのヨセフ、バシコルドのアミンベクの
ようななり上がりが定着民の王となる。そうしたエピソードが繰り返されたもので、中国では太公望
のような話となる。
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/grafics/chizu-iran.jpg
「1970年代に江上波夫博士が既に指摘していますが、この彩文土器群が中国の甘粛・青海地方、特に
馬廠期と幸店期に属する彩文土器との間に土器形式、彩文文様において多くの類似点が見られたから
です。」
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/saimon-04.html
上記の地図の通り中国と中近東・地中海の交易は存在しtものと考えられる。
570天之御名無主:2008/12/26(金) 17:55:30
「豊穣をもたらす神獣である。長江の上空を飛ぶある鳥も特別な存在で、それは稲を実らせる太陽を運
ぶ神使であった。約七千年前の湖南省・高廟(こうびょう)遺跡から出た土器には、両翼に二つの太陽を
抱えた怪鳥が描かれていた。下流域の河姆渡(かぼと)遺跡からは、二羽の鳥が五つの太陽を抱える
象牙が出土している。稲作にとり、太陽は決定的に重要であったのだ。高廟遺跡の「鳥」にはトサカがあ
り、どうもニワトリがモデルのようだ。それに対して、河姆渡遺跡のものは水鳥がモデルと思われる。五千
年前の三星堆遺跡の神樹については別記したが、そこに止まる「鳥」はカラスである。」
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-73.html
鳥トーテムの発生は長江下流。
571天之御名無主:2008/12/26(金) 17:59:56
長江文明の担架者がイラン文化と出会うのがこのアンドロノヴォ文化地帯であり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A9%E6%96%87%E5%8C%96
ここに出現する神話は東西文化の折衷
http://homepage2.nifty.com/Mithra/Mihrijja_200612_Henotheistic_Myth.html
であるが、この神話日本神話のイザナギ・イザナミ、三貴神と同じ構想を取っている。
572天之御名無主:2008/12/26(金) 18:06:03
中国・高句麗・百済等では卵生部分しか存在しておらず、チュルク系には高木神が存在する。牛が
出てくるのは東欧から中原に続くステップ地帯。秦氏のマダラ神には牛が登場する。秦氏の三つ鳥居
の下は海と嶋と柱・宇宙構造を象徴している。
573天之御名無主:2008/12/26(金) 20:34:32
バビル2世は日本人だけどオリエントの血をひいてるんだよな。
574天之御名無主:2008/12/26(金) 21:26:59
ロスチャイルドが祇園祭に強い興味を持って、
秦氏系列の人のDNAを調べたら、D系統(notアジア系)だった。

ここらあたりが、秦氏=ユダヤ系の噂の出所。

以降天皇家にロスチャは貢いでるってはなし、
旧宮家なんかを維持していくのは税金を使えずなんだか大変そうだしね。
575天之御名無主:2008/12/26(金) 22:45:44
魚ヘンに神と書いて「鰰」ハタハタ。ハタ氏は神か?
576天之御名無主:2008/12/26(金) 22:56:06
銅鐸が出土する辺りに「カモ」と名付く地名が多いのはナゼ?
加茂岩倉遺跡

銅鐸と加茂銅鐸と加茂 銅鐸に興味をもってから、最初に気が付いたことが
加茂地名との符合です。 自分ではすごい発見のように思い歓喜して加茂と
の共通点を探していました。 しかし、 その道はすごく多くの先人たちの
歩んだ道でした。 このことは歴史に関してほとんど ...
homepage1.nifty.com/moritaya/kamo.html - 3k - キャッシュ - 関連ページ
577天之御名無主:2008/12/26(金) 23:20:19



この「八口」って文字を見ると「ヤコブ」に見えてしょうがないな。
「船」「商」「沿」「浴」って旧約聖書の話と符合する。
出雲大社、雲太の大階段はヤコブの階段と符合する。
578天之御名無主:2008/12/27(土) 09:21:03
>>571
「南シベリアとカザフスタンではアンドロノヴォ文化はカラスク文化(紀元前1500-800年頃)に引き継がれ
る。この文化の担い手は非印欧民族といわれる一方で、原イラン民族との推定もある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%A9%E6%96%87%E5%8C%96
カラスク文化は殷の刀子を持つ。カザフスタン方面の文化要素も持つ。形質的にはソグド方面のコーカソ
イドと内モンゴル・オルドス方面の細面のモンゴロイドの混血・並存状態にある。秦の悪来が殷に食い込ん
でいる時代でもあり、秦氏と犬戎・匈奴の先祖の一緒になっていた時代であろう。オクサス・マルギアナ
方面にはカラスク人に先行して同様のモンゴロイド系集団オークネフ人がBC2000年頃に進出する。
ロシアによって暗号解読技術を駆使して行われた墳墓の女神像の調査からこの民族はズルワーン教
に近い宗教と、極めて高度で日食、月食を算出できる天文学知識を持っていたことが判明している。
宇宙卵信仰も持ている。この民族が南シベリアからパミール高原を越えてインダス峡谷に移動する際
に残した遺跡がある。日月星を3個の目として神像に残しており、ヒンドゥー教、チベットに残る頭に牛の
角と第3の目を持つ神像の起源はこの民族にあるのであろう。
目はこの民族の
579天之御名無主:2008/12/27(土) 09:34:45
上記オークネフ人がアルタイにいた頃、その東のバイカルには刻目突帯文土器文化を持つグラスコフ
文化人がいたが、ここにおいて鰐が太陽を口に挟むデザインが見られる。この思想はオークネフ文化
において太陽の蝕として天文学的に表現される。日本においても熊本県に多い装飾古墳に太陽の船
というエジプト思想が発現している。更に西方のボルガ川沿岸のバシコルト人にはユダヤのヨセフと
そっくりのアミン・ベクと言う人物がエジプトの王になる伝承が残る。アマルナ文書にある犬の農民と
言うのはバシコルド乃至はクルド人であるとしている。
580天之御名無主:2008/12/27(土) 09:39:49
グラスコフ刻目突帯文土器文化はBC1300年頃に匈奴に追われるようにいなくなり、沿海州、朝鮮半島、
日本に早期弥生の突帯文土器が出現する。
581天之御名無主:2008/12/27(土) 13:34:50
>>577
古事記に記載されている日本最古の和歌
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

出雲大社がヤコブの出合った神の神殿とそれに続く階段を模したものなら
八雲とはヤコブのことで八重とはYHWHのことかもしれんな
582天之御名無主:2008/12/28(日) 11:15:21
>>566
http://ushimachi.web.fc2.com/image44.jpg
http://ushimachi.web.fc2.com/newpage63.htm
「何故、斉家文化の盾形牌飾が二里頭文化に伝わったのか
  岡村秀典博士の「夏王朝・中国文明の原像」(写真3)を読むと、夏王朝つまり二里頭文化の大部分ル
ーツは斉家文化ではなく、河南龍山文化の王湾類型が母胎だ書かれている。  それでは何故、斉家文
化の盾形銅牌飾が斉家文化に取り入れられたのか。それは二里頭文化つまり夏王朝は、貴族政治が始
まった頃なので、その王様とか貴族の権威を高めるために、周囲のいろいろな文化から小道具を借用し
たらしい。玉器などがそれであり、玉器はそれを持っていると、「俺は偉いのだ」とうことになり、銅器もそ
れで酒器を作り儀式に用い、権威を高めたようである。だから盾形銅牌飾も、身分の高さを示すために、
斉家文化から取り入れられたのだろう。しかし斉家文化の初めの頃の盾形牌飾ではあまりに素朴すぎて
取り入れられなかったのではなかろうか。斉家文化の晩期の頃の精巧な物(写真1)位になって、これな
ら権威を感じると言う取り入れることにしたのではないだろうか。この盾形銅牌飾はルコ石象嵌の美しさと
か、銅の輝きとかに権威が感じれたのだあろう。胸の辺りにつけていたらしい。発掘時の配置図を中国の
論文で見られるのだが、発掘時に人骨の胸の辺りから出土したのである。」







583天之御名無主:2008/12/31(水) 22:04:26
>>541
新羅も百済と同じように元は倭人が建てた国だが白村江の頃はすでにワイ人
に乗っ取られてしまっていたからだろう。
584天之御名無主:2008/12/31(水) 22:07:31
どうも古代は国家ごとに民族が分かれていたのではなくって、
いろんな民族が入り乱れている場所を「ここまでが俺の国だぁ」
と武力で統一していったようだ。
585天之御名無主:2009/01/01(木) 11:52:28
年の はじめに: 京都の古代の風景に想いを馳せる
http://www.bell.jp/pancho/travel/hata/preface.htm
586天之御名無主:2009/03/05(木) 17:15:43
ハタ=ハッティ(ヒッタイト)は案外良い線突いてるかも知れない。
587天之御名無主:2009/03/06(金) 09:26:25
カタカナ起源 = ヘブライ語(ユダヤ人の言語) 日本人のルーツ =ユダヤ人

http://www.naritacity.com/journal/japan/images/heburai0511.gif
カタカナとヘブライ語の驚くほどの類似性を指摘するユダヤ人学者がいる
http://inri.client.jp/hexagon/img/jew_kana.gif

ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグは、 カタカナとヘブライ語の驚くほどの類似性を指摘している。
また、日本語の中にヘブライ語の単語が混在していることも指摘している。彼は次のように述べている。
「私は14年の歳月をかけて世界各地の言語を調べあげた。世界には中南米のマヤ人をはじめ、
いくつも“失われたイスラエル10支族”の候補となる民族がいるのだが、日本語のようにヘブライ語起源の言葉を多数持つところはなかった。
一般に日本語はどの言語にも関連がないため“孤語言語”とされているが、ヘブライ語と類似した単語が優に3000語を超えて存在している。」
伊勢神宮には三種の神器のひとつである「八咫の鏡」があるというが、本物は誰も見たことがなく、その写しである皇室の神鏡にはヘブライ語が書かれているという。
『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』には、ヘブライ語学者の左近博士が、それを解読するために宮中に呼ばれたと書いてある。
そして鏡の文字は「わたしは“わたしはある”という者である」と読めたという。これは『旧約聖書』でモーセが神にその名を問うたときの神の答えの言葉に他ならない。
この話は一時、新聞に紹介されたことがあるらしく、
日本在住のユダヤ人ラビ・M・トケイヤー氏が、個人的によく知っている三笠宮にこの記事をご存じか、
またこの鏡を見たことはおありかと尋ねたという。ところが、古代オリエントの歴史に造詣が深く、
ヘブライ語にも熟達しているという三笠宮でさえ、「新聞記事のことは知っているが、鏡は見たことがない」とお答えになったという。
殿下でさえ、この鏡を見ることができず、更に驚いたことには、殿下の兄である天皇陛下でさえこれを見ることは許されないというのである。
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html
588天之御名無主:2009/03/06(金) 11:46:24
>559 残念だけど太秦は関係ないよ。


>561 が言ってるのは始皇帝期の徐福伝説の由来だよね。
その他の皆さんは、秦国成立以前のハタのルーツを考察推論しているんだよ。
589天之御名無主:2009/03/09(月) 02:25:55
>>581
出雲地方の地図を見ていたら
八重山というのを見つけたよ
590天之御名無主:2009/03/09(月) 04:43:33
秦河勝は現在の被差別部落の守り神であったりはするんですか?
特に、西国。高知の幡多郡などでは。
あと、阿波の人形浄瑠璃などの守り神なのかな。
591天之御名無主:2009/03/14(土) 08:48:51
よく考えたら「太秦」って漢字は漢語で「偉大なるローマ」って意味だな。
592天之御名無主:2009/03/14(土) 14:12:03
高校生の頃、秦っていう苗字の人は中国人かと思っていた。
593天之御名無主:2009/03/14(土) 20:57:29
>>590
秦河勝を守り神としているわけではないが、四国の長宗我部氏は秦氏を自称している。
また長宗我部氏は関ヶ原の合戦で西軍に付いたため、江戸幕府の成立後には、
長宗我部氏の家臣らは、郷士となったものや、場合によっては差別の対象ともなった。
現在高知城のある大高坂山と、小高坂地区の間にあった「中高坂山」は、高知城の築城のための
埋め立てのために削られたが、南海誌などの資料を分析すると、旧長宗我部家の家臣は
中高坂山跡地、いまの大膳町の西の方に集めて住まわされたらしいことがわかる。
秦氏の家臣の一族が、ある意味では、江戸時代の期間、被差別民とされていたのである。
594天之御名無主:2009/03/14(土) 22:34:05
越前の神保薩摩の島津も秦氏の流れを組むこれ豆な
595月光仮面:2009/03/15(日) 18:02:42
あのデザインはユーラシア・戦士・祭司・女王/司母の守護神牛・虎で、それから発展し、饕餮
となったが、周に倒された後には意味を失った、日本で言えば銅鐸の文様のようなものとなったのでは
ないかと思う。饕餮→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%86%E3%83%84
596月光仮面:2009/03/15(日) 18:04:04
↑変な独り言になっちゃったなー。
597天之御名無主:2009/03/21(土) 01:43:25
このスレ以外でも秦一族にふれてるなぁ
598天之御名無主:2009/05/04(月) 14:07:19
>>594
清和源氏も、実は秦氏なの?
417 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 07:07:28
源満仲の出自については 経基が天慶二年に讒言の罪により半年以上衛門府に拘禁されていた
ときに接触を持ち利害の一致をもって養子としたと考えるのが妥当であろう。
つまり、武力は無いが皇胤である者と一生地下止まりの暴力のプロとの利害である。
武蔵介のときの坂東でのヘタレ振りと後年藤原純友の追捕使としての活躍の差からも窺がえる。
満仲の前身は地下止まりの衛門府の武官(氏神から推察するに八幡神の社家であった秦氏)であり、
皇胤との養子縁組により出世の足掛かりを狙ったと考えられる。
武家源氏本流・河内源氏
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1137954759/417
599天之御名無主:2009/05/08(金) 23:45:09
魏誌東夷伝には
異国風の風俗、背が高く周囲を清潔にし特別な言語や風習をもつ人々
王は馬に乗り、高い文化をもつ人々と記されてるな
600天之御名無主:2009/05/14(木) 06:57:35
ウンコがしたい。
601天之御名無主:2009/05/15(金) 07:30:33
俺は秦だから興味あって秦氏関連たまに検索したりするが、マジレスすると、深すぎて日ユ同祖論はじめ、関連キーワードが大杉w
学説はいろいろあるが要はロマンだなw深すぎるし、よう分からんのが結論。
ただ景教関連については中国大陸をすっとばして数百年前に日本に伝わったというのが?と思っているのだが、俺が不知なのかな?八幡繋がりで邪馬台国との関係あるかもw とか思ってるくらいだから…
602天之御名無主:2009/06/21(日) 15:51:07
秦さんは確かにオーラがあったな。  他の女とは違う。
603天之御名無主:2009/07/15(水) 10:48:36
>>601

救世主よ、頼む。    
 俺にいい仕事を与えてくれ!
604天之御名無主:2009/08/31(月) 16:39:42
秦氏は西戎(せいじゅう)と呼ばれていた夷で
遊牧民。
漢民族では、全然ない。
音からするとJewに繋がるのかも
wikiの何かしらの項目で、
秦の民族はアラム語を話していたことが
海外の書籍で書かれている、とのこと。
同祖論項目(日本語)だったかな
605天之御名無主:2009/08/31(月) 21:39:30
いまでもインド北部はアラム語だよ
ちなみに6世紀の法隆寺の香木にもソグド文字(アラム語文字)がかかれてる
606天之御名無主:2009/09/01(火) 01:12:35
>>605
トン♪

日本の国宝の中に(法隆寺だったと思う)
ソグド文字による文書がある。
インド北部なら、チベットにも繋がる。この辺り、
日本人の何割かと遺伝情報が被さる。
日本の関東の人形塚古墳出土の埴輪。髪型とか髭とか。出雲の
大国主に描かれる髪形とも共通しているような。(みずら←ヘブライ語っぽくない?)
607天之御名無主:2009/09/01(火) 01:45:35
法隆寺 聖徳太子(仮名だろうけど) アメノタリシヒコ?  アマ族・天族・海族
秦・始皇帝の王子(長男のほう)→万里の長城建設の苦役→命を狙われ
秦の水軍で、東方に亡命?新羅に民を置き、本人は百済に人質?
ツングースの南下で日本列島に南下?出雲?→
中国側史料:「不思議だ 秦国の人は秦の人と同じだ、同じことばを話している」
秦(扶蘇・蘇我氏?)→秦国(出雲?出雲大社は明治までは扶桑寺と呼ばれていたらしい)

調べ中
我們呉人来了 浙江省(杭州)寧波(ニンポー、ニッポン?)市・港
   →沖縄にも足跡あり→新羅人と交易あり

誰かまとめて!
608天之御名無主:2009/09/01(火) 01:49:29
秦・始皇帝の王子(長男のほう)→ 長男の名前:扶蘇

蘇我 蘇は我?

ソガ氏の言葉はアラム語(ヘブライ語)で決まり?
609天之御名無主:2009/09/01(火) 02:18:49
>>397
出雲の古社の宮司、富氏の口伝では、
トミノナガスネヒコは、出雲の出だとしている
610天之御名無主:2009/09/15(火) 11:17:00

日本人(Japanese race の者)は、洗脳されているというより、いくらか都合よく自己暗示をかけているにすぎない。

「日本人は有色人種の中では特別な立場にある.」というのは誤りである。

以前は確かに“お金いっぱい持ってるかも”といったところで振る舞われていたかもしれないが、

今も昔も基本的には“有色人種のアジア人種だ”と認識されるものであり、
(正真正銘の)白人からすると、アジア人種の典型は中国人と認識しているので、
中国人類似の者らでしかない。

日本人がいくらなにがしかの自己らに都合のよい思い込みを強めようが、
白人には“まさに有色人種だ.”といった印象を与えるにすぎない。、

日本人が本音で所望しているような「立場の改善」(白人であるかのような立場の確保)といったものは、
社会的不公正を求めるようなものだ。

白人が日本人を“有色人種のアジア人種だ”と認識することは、別に人種差別ではない。
それは、むしろ、他者(この場合は日本人)を正確にとらえようとしている態度によるものにすぎない。

611天之御名無主:2009/09/15(火) 14:05:59
文明発祥地は白人居留地じゃないのでね
612天之御名無主:2009/09/17(木) 14:20:49
>>606
日本の遺伝子とチベットの遺伝子は遠い親戚というだけで関連性は難しいぞ。
それからあの独特な中国式とは違う?巻いたようなみずらは、南米のナスカの
古代インディオにも似たようなのがあったから、ただの原住系の形態変化かもしれない。
ちなみに、南米シカン王国には日本のアイヌと近縁な人たちがいたようで
ナスカ人と同祖のような、そういう縄文系が東日本に居たというだけかもしれない。

ただ、仏教や太陽信仰視点で見ると日本とチベットとインドは明らかにつながってるので
見過ごせない点もあるし、明らかに日本のカナはソグド系文字を意識してるので
やはり中国隋・唐代に入ってきた景教の影響か???という感じもする。
613天之御名無主:2009/09/17(木) 14:29:39
上のほうであったけど、これ面白いな。

これなら幾分信憑性は高い。
http://www.naritacity.com/journal/japan/images/heburai0511.gif



有名なこの文字表じゃ、あてつけという感じしかしないがw
http://inri.client.jp/hexagon/img/jew_kana.gif
614天之御名無主:2009/10/05(月) 15:50:52
知り合いにマンマ、秦さんがいます。
代々、自営業(自然食品製造)で社長さま。
いつもニコニコ、恰幅の良い、ユッタリとしてエビス・ダイコク様のようです。
615天之御名無主:2009/10/05(月) 21:15:48

秦氏という姓の氏族はちゃんと存在したんだよ、中国の1世紀頃の本に書いてある。
秦氏と称しているのは始皇帝の血族だからだと思うね、
あるいは始皇帝に近い集団が名乗ったかもしれない。
これが楽浪帯方郡経由で半島、そして列島へ渡ったのだ。
文字を読み書きできる祝や土木工事、鉄製武器職人などが含まれている。
列島に渡ったのは、列島からの要請があったのだろう。
同じ民族が列島にいてそれが呼んだ可能性が高い。
いまの朝鮮人のルーツの新羅人ではないな、明らかに。
文明を日本にもたらしている。



616天之御名無主:2009/10/07(水) 23:11:41
大秦帝国おもしろかった
617天之御名無主:2009/10/08(木) 00:39:09
秦氏の言語はアラム語だよ。
ユダヤが書いてるそうだわ
ウィキの同祖項目で、書物の題名入りで紹介している。秦氏の言語はアラム語(ヘブライ語方言)
618天之御名無主:2010/03/05(金) 13:47:14
フェニキア文字の方が似てるぞ
619天之御名無主:2010/03/14(日) 09:51:59
この前、大阪市阿倍野区の秦さんに出会った
背が低く、頭は禿げ、小汚い服を着ていた
鼻はやっぱり高かった
働き者のようだった
620天之御名無主:2010/03/14(日) 14:42:33
秦氏も倭人と同じ民族なんじゃないか?
621天之御名無主:2010/03/19(金) 23:26:20
秦は古朝鮮言語でハルォトゥすなわち劣った者という意味である
世界で一番優れた民族が住むべき大韓半島にふさわしくない劣った者を東韓に追放し
土人を治めさせ植民地化したのである
622天之御名無主:2010/03/20(土) 00:09:40
>>615
徐福伝説は秦氏が持ち込んだ、もしくは改変創作したのかねえ・・・
623天之御名無主:2010/03/28(日) 20:25:35
神社関係の名字は秦氏
624天之御名無主:2010/04/22(木) 17:12:39
秦→三人ノ木
625天之御名無主:2010/04/29(木) 16:00:35
秦氏=ダン族 シンボル 蛇 邪悪な存在
626天之御名無主:2010/04/29(木) 16:19:18
なんだミトラの教義だったのね
627天之御名無主:2010/05/11(火) 21:42:04
ミトラ超古代の予言という高橋義夫さんだかの本があった。未来仏、弥勒の
予言から景教、拝火教を経て西欧のミトラ教にいたるスケールの大きな背景
だった。役行者の描写が面白かったのと富士講の流れをくむカルトが弾圧を
うけるあたりが印象に残っていて、不思議な魅力があった。自分は四国の秦
気に東京から養子にだされた者だが今はそこを出た。剣山にあるという古代
ユダヤの秘宝に興味があったが、先日インディジョーンズのハリソンフォード
が<失われたアーク>は日本の剣山にある、といっているのを動画で見て改めて
驚いた。養家の周辺には2,30軒の秦姓があったが愛媛の方である。が、何
となく徳島の方から来た漠然としたイメージをもっていた。実子なら詳しく調べ
べていたと思うが。今は実家、養家とも縁を切り自由な旅人である。

628天之御名無主:2010/05/11(火) 22:42:57
秦さんは何で三人ノ木 なんですか?
629天之御名無主:2010/05/12(水) 09:26:02
その家では券の囲いを使っていたが高校受験の時、担任の国語の先生が、そういう字
使えないとかで秦にして願書を出した。区別のための記号のような役割が
あったらしい。確かに自分自身、他では見たことがなく、その字で書くと
?の人が殆どだろう。秦と書いても読めないイリテレイトの人結構いるんだ
から。
630天之御名無主:2010/05/12(水) 10:51:06
>>628
キリストを含めた3人の磔の図か。
三柱のT。三柱の木。
通常のクリスチャンは一つだが、秦氏は3倍なのか??
631天之御名無主:2010/05/12(水) 12:53:54
秦犬丸 というのがいるからな

 ケレブ{犬 ヘブライでは最低の存在}を自ら名乗る賊
がいる以上、あるいは。
632天之御名無主:2010/05/13(木) 12:14:18
秦 杵で打穀する形

 鳥頭人体の神を祖霊とする一族の国で、

 音はcina の源音ともなった。
秦さんのところにこない。
633天之御名無主:2010/05/18(火) 14:35:47
世界市民思想に影響を受けたアレクサンダー大王のパトロンがアメン(ゼウス)神官団。そのアレクサンダー大王の作った都が
アレクサンドリア。聖母マリアの神聖性を認めたのがアレキサンドリア学派アレクサンドリア総主教キュロス。
要するにアメン(ゼウス・オリンポス)=軍神ミトラ(弥勒菩薩)=偽聖母マリア(女神イシュタル・女神イシス)のアレキサンドリア学派バビロニア・ペルガモン連合と
それに反する聖母の神聖性を否定し大淫婦の権力の邪魔に成るネストリウス学派があった。秦氏は元々チームバビロニアの天敵ネストリウス学派
でも中央アジアや中国を超えて日本に来たときにはミトラ(弥勒菩薩)とキリストを混合してしまっていた。
バビロニアチームとしては一人でも多くのネストリウス出身の秦氏を偶像崇拝漬けと女神信仰漬けにしたい逆。にキリスト側はネストリウス出身の秦氏を
連れ戻したい ここでミトラ(弥勒菩薩・メタトロン)とキリストの争いが起きる 
フリーメイソンの予言歌劇といえる魔笛にはゾロアスター教とフリーメーソンとオシリスとイシスの救世主として日本人をモデルにした王子タミーノが描かれているが
王子タミーノは恐らく秦氏出身。彼が原始キリスト教の為に聖ネストリウスの諸刃の劔になるか、それとも女神イシスとバビロニアのメシアになろうとするかで
物語は大きく変わるだろう。最終戦争の舞台は日本
634天之御名無主:2010/05/25(火) 01:13:35

百済経由で列島に来た秦氏とか吉士(祝)は日本全国に神社を建てている。
社稷を祭っている。中国の神官だなんだよ。
635天之御名無主:2010/05/25(火) 01:15:17
泰山道教の可能性があるよ。
636天之御名無主:2010/05/27(木) 13:21:00

八幡宮は、たいがい道教的な色彩の強い神社である
637天之御名無主:2010/05/27(木) 20:47:07
日本は文化文明の東の果て。宗教には特にそれが表されていて本当に興味
をそそられます。皆様の博識にはついていけませんが自分なりに勉強した
いと思います。<627>
638天之御名無主:2010/05/27(木) 21:08:36
だから土佐には勤王の志士が多かったのかな?
639天之御名無主:2010/05/28(金) 01:07:45
広島山口の毛利なんて承久の変で天皇倒しているじゃないか。
勤皇とか大嘘だろ。
640天之御名無主:2010/05/28(金) 14:14:41
うちに文句あんのか
641天之御名無主:2010/05/29(土) 10:45:28
だって、秦氏は、あんなことしたりこんなことしたりする五胡十六国なんでしょ?
おまいらが好きな始皇帝や除福と直接関係がない
エビスさん達が宝船に乗ってやってきたんだもの。
642天之御名無主:2010/05/29(土) 11:06:11
おまええらっそうやの
643天之御名無主:2010/05/29(土) 12:41:18
毛利の先祖は、順徳天皇を流刑にしている鎌倉の有力者なのだから
何をいわれても、仕方ないよ。民度の差だよね。
やはり、毛利はエビス蛮族の集団。広島山口は、蛮族の集まる蛮地。
644天之御名無主:2010/06/03(木) 03:02:44
素戔嗚尊崇拝者って、ただの神社、八幡宮の氏子だろ?
素戔嗚尊の氏子って渡来海神族で、平家や源氏のような、6世紀代の10天皇家の末裔だろ?
紀元前からの天皇家の末裔には、安倍氏の先祖の孝元天皇がいる。
言わば、桓武平氏や嵯峨源氏、清和源氏の時代で言えば、安倍とは、孝元安倍氏と称するが正しい。
素戔嗚尊崇拝者には、安倍氏の流れを組む安東氏がある。
それだけの事。
645天之御名無主:2010/06/03(木) 03:09:31
>>643
毛利氏って、系譜上で辿ると、徳川家康方の永井氏と同じく、平氏の平良兼の末裔だろ。
平野氏も、永井氏のからの枝分かれに系譜上で見えた。
646天之御名無主:2010/06/03(木) 03:32:11
>>643
源平合戦期には、嵯峨源氏の光源氏(源融)の曾孫の渡辺綱の孫の源久が造った松浦党が、平清盛天下の平安時代に、永井庄家を拠点に松浦党の渡辺氏(渡辺党)と平戸氏、波多氏に御厨氏として松浦党に籍を置いている。
嵯峨源氏勢は、主に、元軍の防陣の任を受け持ち、古来より山口や佐賀県、所在して来た。
国内では、奥州安倍氏、清和源氏、桓武平氏が群雄割拠していたが、基本、国内には、正眼して、時より内乱に加勢していた位なので、源平合戦期と、足利時代には、藤原氏方の少弐氏の水軍としてしか、参戦していない。
後は、倭寇と戦国末期の朝鮮攻めと位。
その松浦党の末裔には、近代日本の歴史貢献した者も少なくない。
647天之御名無主:2010/06/03(木) 10:00:42
>>1
秦一族は呪われているのだ
関東では、妬み嫌われている
奴らの子孫は、根絶やしにしなけりゃならない
単なる「害虫」のようなもの
首都圏では「お呼びではないのだ」
高句麗人もそうだ
だって結界の外だしさ
まっ、行って見りゃわかるけどさ
648天之御名無主:2010/06/03(木) 10:34:04
増やして・躾けて・まさに奴隷だ
秦一族を「根絶やし」にしてしまえ

巻き添えくらったら駄目だぜ
>>647
間違えた、奴らは結界の内側だった
まっ、奴隷として人生に何の疑問も抱かずに
生きていく宿命だな・・・呪われた一族だ
649天之御名無主:2010/06/03(木) 11:08:55
呪われている・・・あそこが

私には、恐ろしくて
これ以上申す事は出来ません
650天之御名無主:2010/06/14(月) 02:19:51
>>647>>648
お前みたいな馬鹿は黙っていろ。
651天之御名無主:2010/06/14(月) 06:43:25
>>644 安倍は姓じゃない。
652天之御名無主:2010/06/14(月) 23:50:32
死ぬ一族やの
653天之御名無主:2010/06/18(金) 02:50:21
>>607
物部は前期秦氏ともいえる。ヨゼフ(徐福)は中国歴史書に記されている様に何回も東シナ海を行き来している。
何ルートかあるが、主流は南西諸島経由で日本列島に入った。
後期秦氏、いわゆる応神前後の秦氏は皆様が記している通り。
654天之御名無主:2010/06/18(金) 03:48:32
> 何回も東シナ海を行き来している。
「釋氏六帖」なんて10世紀に書かれた書物だよ
655天之御名無主:2010/06/18(金) 04:38:46
史記に書かれている
656天之御名無主:2010/06/18(金) 11:08:24
史記には、行き先が平原広沢としか書かれてないわ!
657天之御名無主:2010/06/19(土) 03:42:41
違うだろ!
確か史記には、
始めは海上に化け物が出て行く手を遮るから、弓の名手が要ると戻ってきて、
次は蓬莱の島に着いたが、そこの仙人から貢ぎ物がないと島の物を取ってはならぬと言われ戻って来て、
次に出航して帰って来なかった、
と記されている。
658天之御名無主:2010/06/21(月) 07:27:57
史記でも秦始皇本紀・封禅書・淮南衡山列伝と3人の徐福がでてくるのだが。
659天之御名無主:2010/06/21(月) 21:45:57
大分大学か九大の「秦氏と宿神」という論文を見たことがある
被差別民だとのこと
660天之御名無主:2010/06/23(水) 07:40:24
やはり、被差別部落の人たちは、
被差別という形をとって純血を守ろうとしている
ヘブライだかシュメールだかの人なんだろうね。


661天之御名無主:2010/06/23(水) 13:51:03
>>659
そりゃその教授が知能低い、簡単に言えば馬鹿なだけ。
662天之御名無主:2010/07/03(土) 22:37:55
もうさ、半島や大陸から来ないでくれるかなー。
みんな帰れ!
663天之御名無主:2010/07/08(木) 10:46:19
誰も越えられない壁のすぐ手前まで来た一族?
664名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 02:27:16

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665名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 14:06:44
ダン族は朝鮮人じゃないか?
666天之御名無主
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