なんか、このスレみんなのほほんとしてるねw
47 :
日本@名無史さん:02/10/06 22:09
1の再臨はまだー。
48 :
日本@名無史さん:02/10/07 03:42
なぞがまだ解けないので、あげ。
49 :
日本@名無史さん:02/10/07 03:46
>>44 なわきゃない。(■■) ただの誤字に5000ぺりか。
雲南省には一部の日本人のルーツはあるらしい。
そう本に書いてあった・・・
木造建築や白壁土蔵もそうかな。
51 :
日本@名無史さん:02/10/07 06:59
>>50 鳥居もある。しかも木製の鳥もくっ付いている。神社建築のルーツがある。
漬物や納豆とか、食文化も含めて明らかに日本文化の故郷。
>50-51
安田喜憲センセや佐々木高明センセの広葉樹林帯文化論っすね。
53 :
日本@名無史さん:02/10/07 10:04
今、いる京都人の何割くらいが秦氏の子孫だ?
54 :
日本@名無史さん:02/10/07 11:46
関西人は出っ歯が多いね。
辻元とか。あれはなんで?
55 :
日本@名無史さん:02/10/07 11:56
宇佐神社の神主は秦一族ということは、古代から宇佐神宮は天皇家と深い
つながりがあった。例えば弓削道鏡の神託事件など。つまり天皇家は
古来朝鮮から秦一族と一緒に。どちらかと言うと秦一族を従えて来たの
だろう。つまり天皇家は朝鮮からの渡来一族だったのである。
終了。
56 :
日本@名無史さん:02/10/07 12:25
もっくんの「聖徳太子」の秦河勝役の俳優かっこ良かったね。
何て俳優さんなのかな。
57 :
日本@名無史さん:02/10/08 00:36
58 :
日本@名無史さん:02/10/08 01:06
宇佐八幡は卑弥呼のお墓だよ〜〜〜!
>>38 地元が大分市だけど、「秦」姓は多かった
はすごいね。
>>55 本物なら結構深いよ。学者先生は知ってるのかな?
>>54-55 ご先祖崇拝は呉・越からの習慣と聞いたが。
つまり大和民族は腐れ高麗族ではないということだ。
粘着と歴史捏造はちょんとアズマであることは、大分定着してきたようだ。
秦一族は秦の始皇帝の子孫と言うがその真偽はさておき、
応神天皇のころ融通王が韓国南部の一二七県の民を率いて移住して
きました。仁徳天皇は融通王を秦王と呼び、波多公の姓を与えています。
秦一族の長は代々王号を称し、以下、真徳王、普洞王、雲師王、武良王の
名が『新撰姓氏録』に見えます。普洞王の代に親百済・反新羅の雄略天皇に
弾圧されて、一族の九〇%が四散したと言われます。
ていくことで秦氏は新羅氏です。
62 :
日本@名無史さん:02/10/08 20:22
はたあげ
63 :
日本@名無史さん:02/10/08 20:52
八幡信仰は新羅の神を祀ってるって前に何かで読みました。
聖徳太子の「太子」という言葉も新羅の信仰に由来がある
みたいですよ。61の言ってることは本当ぽいと思います。
jisakujien-dempa
>64
61のsさんとは別人なんですけど・・・
宇佐神宮へ行ったことがあるよ。宇佐にある八幡神社の総本山ってやつ。
明治の廃仏毀釈で今はすっかり神道っぽい神社になってるけど、
江戸時代までは神仏混交の激しいところだったらしい。
むしろ、寺っぽかったんじゃないかな。
古代の仏教伝来にも一役買ったとか聞いたことがある。
奈良の大仏開眼の時も、参列したとか読んだことがある。
仏教って、朝鮮半島から来たみたいだし、宇佐っていうのは渡来人の秦一族が
自分達の神様を祭ってたのかもしれないよ。神様じゃなくて実は仏様かもね。
67 :
日本@名無史さん:02/10/08 23:29
秦を「はた」「はだ」と読ませる由来は新羅の地名「波旦」であるとする説がある。
この地名「波旦」の実在は蔚珍の新羅古碑の銘文で証明されている。
68 :
日本@名無史さん:02/10/08 23:30
春一番のスレはここですか?
「波旦」は海と関係あるかい?
70 :
日本@名無史さん:02/10/09 02:19
>>69 蔚珍は韓国の南東海岸あたりですよね。
で、「波旦」は「なみに朝日」
「日出る処の天子」聖徳太子の腹心秦河勝の一族の出身地域として
最高過ぎる符号ですね。
71 :
日本@名無史さん:02/10/09 06:04
>69,70
「波旦」は単に地名の音を漢字で表しているだけでしょう。
もちろん元の「ハタン」という言葉にも意味はあったでしょうが
それは不明。
72 :
日本@名無史さん:02/10/09 09:51
三井財閥は秦氏と関係あるですか?
日本書記には神宮皇后が新羅征伐を二回しているから、
応神天皇は新羅と関係があると思われ。
忍者のスレッドを探しているのですが、
ここですか?
そうです。しかし、誰から聞きました?
しかし、秘密を知ったからには生かしておけんな。
77 :
日本@名無史さん:02/10/09 14:35
>>72 三越の屋上に三本足鳥居があるってほんと?
78 :
日本@名無史さん:02/10/09 21:21
>>73 日本史の教科書によると家康は2回豊臣家を攻めている。
家康は豊臣家と関係あると思われ。
>>70 日本では地名に当て字を使うのは良くあることだけど、朝鮮でもそうなんだろうか?
81 :
日本@名無史さん:02/10/10 13:39
忍者あげ
82 :
日本@名無史さん:02/10/14 22:54
復活。
83 :
日本@名無史さん:02/10/14 22:59
忍者は不死身
84 :
日本@名無史さん:02/10/14 23:41
宇佐八幡の神主は、秦氏ってホント?
なんで秦氏が神主なの?
85 :
日本@名無史さん:02/10/15 00:16
八幡神がもともと渡来系の神だからです。
86 :
日本@名無史さん:02/10/15 06:16
>79
好太王碑を見てごらん。
地名は当て字の氾濫だ。
意味を取った漢字で地名を表すようになるのは後世のこと。
87 :
日本@名無史さん:02/10/15 08:44
88 :
日本@名無史さん:02/10/15 13:06
http://www.kcn.ne.jp/~tkia/mjf/mjf-51.html 『隋書』倭人伝である。608年、小野妹子は隋使・裴世清を伴い、
帰国した。裴世清は、筑紫から瀬戸内海に入ったとき、中国人が住むという
「秦王国」の存在を知らされる。「秦王国」とは、渡来帰化人の秦氏が多く
住んだ豊前の地(現在は福岡・大分両県に二分される)のことであった。秦
氏は、秦の始皇帝の血を汲む氏族で朝鮮経由で日本に渡来した、と自称
していたのだ。
さて、この秦氏というのが、ものすごい。論者がそれぞれに主張するこ
とを合わせれば、半島の文明文化のすべてを運んだと言ってもいいく
らいだ。例えば、畑作とは実は「秦作」であり、秦氏が畑作を広めたとい
う主張がある。また、鍛冶や鋳造技術に優れ、養蚕や機(ハタ)織りに長
けていたと言う。後述するが、仏教や道教の普及者でもあり、日本最多の
社数を誇る「神社」稲荷ももとは秦氏の信仰である。
確かに秦氏は相当の多数で渡来し、豊前に留まらず山背国南部(太秦:
うずまさ)など日本全国に拡がり、様々な活躍をしたことは間違いない。し
かし、ここでは秦氏の神・八幡神の変貌を中心に記述し、彼らの信仰が
いかにニッポン人の信仰へと流れ込んでいったのかを考えるため
の「補助線」を何本か引いてみるばかりである。
89 :
日本@名無史さん:02/10/15 17:55
そう言えば1はどこへ行ったのだろう?と遠くを見る目。
『南京事件』を読んだら鬱だ。
その秦はとりあえずこのスレとは関係ない
秦の皇帝の子孫だとか発言してる資料が無かったっけ?名前忘れた。
93 :
日本@名無史さん:02/10/18 20:54
あげ。
94 :
日本@名無史さん:02/10/18 20:57
秦氏はユダヤ人だろ?
95 :
日本@名無史さん:
ユダヤ人は秦氏だろ?