952 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 13:52:35
橋本元首相は岡山県総社市秦というところが出身地なのだが
秦氏となにか関係があるのかな 高梁川の西岸沿いの村だよ
953 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 14:39:53
橋本は関係ない
>>951 >大避
現代中国語ではdabi(だーびー)と発音するしな。
955 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 16:14:02
>>950 関係があるというのは
どういう関係があるんだろう?
丹後の海部氏
伊勢の海部氏
尾張の海部氏
956 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 16:30:21
愛知県に海部郡(あまぐん)というのがあるけれど
伊勢の海部氏(かいふし)と関係有るのかな?
957 :
955:2006/12/09(土) 16:44:55
>>956 関係がありそうですね
ちなみに私はその海部郡生まれです
律令時代に海部郡と呼ばれてた場所ですがw
958 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:07:39
ようするに秦氏族つながりでしょ
959 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 17:59:50
海部俊樹
960 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 20:53:02
加茂郡も京都の賀茂氏が領地をもらい、領有したので鴨郡なので、海部郡も
海部氏が領有した
961 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 21:20:41
愛知県 海部郡 (あまぐん)
徳島県 海部郡 (かいふぐん)
和歌山県 海部郡 (あまぐん)
962 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:04:12
963 :
桃太郎:2006/12/10(日) 00:49:52
>>952 ハシリュウ本家は秦氏系統かどうかは不明だが、末裔のうちの一族の縁戚ではある。
重要文化財の秦廃寺礎石の一部を実家は所有しているはず。
まあ多くの家が礎石や瓦をもってるし、秦氏遺跡の本格調査がされていないので、
掘ればたくさんお宝がでるだろうけどね。奈良より古い最古の五条理説もあり、
その遺跡の上に村落があり、昔は一面シルクロードのオアシス都市のような
マスカット畑が続いて、独自の吉備式瓦はかなりでたし、網の重しなどの用具もでる。
昔ナガヤマウサブロウという人が遺跡調査をしたらしいが、その資料本は実家から
も紛失して詳細不明。近郊のH古墳を国内最古の墳墓というひともいる。
卑弥呼の四獣青銅鏡もでてきた聖山正木山は、吉備真備や宮廷歌の題材でもある。
きっとなにかある。
964 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 00:59:15
ふーん 詳しいね
965 :
桃太郎:2006/12/10(日) 01:11:08
>>962 これは、禁じられていたユダヤのバールや地母神信仰だな。
小林よしのりも実家の福岡の寺の牛頭天王を調査するうちに、混乱してきて
漫画で描くのはやめたらしい。最古の海部氏の籠神社あたりが、古代歴史トリック
をうまく説明してくれるといいのだが。
元伊勢28社は、口伝もふくめ、そろそろ説明すべきだね。
966 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 02:55:23
愛知県の海部郡には五条川という川があり
石作神社・須佐之男神社・月之宮神社がある
967 :
桃太郎:2006/12/10(日) 08:15:36
>>石作神社はイサクと呼ぶのかな
日本の神社遺跡祭事に、旧約聖書ユダヤ風習がらみのものは少なくない
長野諏訪大社の御頭祭は、創世記のイサクの物語とほぼ同一なのが不思議。
この別名ミサクチ祭りは、ヘブライ語のミイサクティンのなまりらしい。
968 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 08:32:57
969 :
月光仮面:2006/12/10(日) 11:49:39
970 :
月光仮面:2006/12/10(日) 12:16:14
足の守護・服部天神宮 由緒
「その昔、朝鮮から機織の技術を我が国に伝えた人々に「秦氏」の姓氏を与えて、
これらの子孫の多くがこの地に住まいました。
「服部」の地名は秦氏の人々の住むところとして「機織部」から成りたったものと思われ
ますが、第十九代允恭天皇の御代に、織部司に任ぜられ、諸国の織部を総領した
「服部連」の本拠地がこの服部であります。(新撰姓氏録、第十八巻摂津国神別)
外来部族であった秦氏は、外来神であり医薬の祖神である「少彦名命」を尊崇して
いましたので、当神社はこの服部の地に古くから、おまつりしていたものと思われ、
その創建は菅公御生前より遠く、相当古い年代であったと推定されています。」
http://kamnavi.jp/en/settu/hattori.htm
971 :
月光仮面:2006/12/10(日) 12:35:30
大宰府あたりはろくすっぽ入国審査をせず、つーか、能力がなく、朝鮮から入ってくる
ものが漢字で何かを述べるとメクラ判で秦族としたのでしょうか。ハタとされた
渡来人は全てが中国人ではなく、実際は西域、満蒙のアルタイ系民族とか、更には
イラン・ソグド・トカラといった人種もあったのだと思われます。みのもんたの番組で
放映されたお面などは蘭陵王よりも更に欧州系の顔でしたね。
972 :
月光仮面:2006/12/10(日) 13:10:41
東儀さんがおっしゃっておられたとおり、秦氏というのは、「芸術を愛する」(国境を越えた)
集団と言うのが本当の意味なのかもしれない。ただ、伎楽だけではなく宗教、寺社建築、
絵画、造園等その分野は日本文化全般にわたったことであろうが。
973 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 15:19:47
>>966-967 石作神社の読み方は(いしつくり)もしくは(いしさく)でしょう
石作神社は伊和大神(オオナムヂ神)を祀る神社で
太陽神である火明命=天照大神系の石作氏によるもの
伊和大神(オオナムヂ神)は水神・雷神
その子である火明命(饒速日)は太陽神・暴風神
ちなみに火明命は天照大神のこと
そして火明命の子→兄が海部(大綿津見神)、弟が山部(大山津見神)
石作氏は山部からでた氏族のひとつ(他には物部氏、越智氏、久米氏など)
石作神社=天照大神(アマテラス)
月之宮神社=月夜見尊(ツクヨミ)
須佐之男神社=須佐乃袁尊(スサノオ)
いわゆる三貴子(サンキシ)=イザナギ最後の子の三神
974 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 18:34:36
ユダヤのことをjewという
jewfishという魚がいるが、これは日本語ではハタという魚のことで
この繋がりは偶然なのか
975 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 18:59:06
そういえば、某大企業にいたとき、京都出身の秦というのがいたが
風貌がなにやらユダヤ人に似てたね
976 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 19:44:34
>>974 ジューフィッシュ(ハタ科くえ、九絵)
ハタ科の魚は縦じまの模様がついてるものが多い、ユダヤ教のラビが腕に
縦じまのテープを巻いてる様に、ユダヤ教徒は新年に魚をツミレ状にした
ゲフィルトフィッシュって料理食べるね。ハタも気になるけど九も気になる
鳩、九絵、くえと言えばスサノオと関係有った様な気がする。
977 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 19:51:45
葛といえば秦氏
葛という地名には秦氏族が何らかのかたちでかかわっている
978 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 23:49:23
二ジューでハタちってか?
979 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 00:51:29
太秦(うずまさ)の由来は、渡来系の秦氏がヤマト政権に税を納める際、
用いた絹が「うずたかくつもられた」ことから、朝廷から「うずまさ」の姓を与えられた。
そこから、太秦の漢字に朝廷から与えられた姓の読みを当てた。
太秦地域は渡来系秦氏の拠点であったことから、その拠点一帯をうずまさと呼ぶようになった。
他方、古代ヘブライ語で「ウズ」(光)、「マサ」(賜物)が語源という説もある。
由来を証明するように、太秦には秦氏が支援した広隆寺が建立された。
秦氏は聖徳太子との関係も強く、参謀として活躍したことも知られるが、この関係が起因してか、
広隆寺には聖徳太子ゆかりの遺品が多く奉納されるようになった。
980 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 00:54:22
太秦(現在の右京区あたり)=かつての葛野郡
981 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 12:13:13
寝屋川の太秦には 近くにくずはらがあるけども意味はわからん
982 :
サガミハラハラ:2006/12/11(月) 12:38:59
太秦とはもともとはオオハタであったろう。太は太郎とか太田と同じく字義は秦氏の本拠といういみである。
秦氏は本拠地を現京都の西、葛野の一角ウズマサというところにおいた。
それ以来秦氏の本部を地名のウズマサとよぶようになったが、字で表記するときは、本来の太秦とかくことになった。
よって、ウズマサとは秦氏が京都に引っ越してくる前からの地名なのであり、意味はウズ=髪または髷、マサはマサキカズラ(テイカカズラ)のことであろう。
つまりテイカカズラの生い茂る草原だったわけである。
983 :
月光仮面:2006/12/11(月) 13:20:46
>>962 >>966 >>973 朝日遺跡近辺の銅鐸鋳造遺跡が日本最古とされることと、上記トピの内容における
牛頭、月読、石づくりの組み合わせが記紀の神話体系よりも古いこと、特に馬を持って
朝日、東方を表すことがアルタイ地方と同じであること、付近に春日(朝陽、陽鹿)の
地名があること、また、牛頭、とんがり帽子に巻きつく二匹の鼬は蘭陵王の原型と見
られる小河墓遺跡の辟邪であるが、中国では2つの辟邪は北魏時代には縦一列の
ユニコーンとなるのに反して朝日付近では横に展開していることでこれまた古形である
等から興禅寺にある木造牛頭天王像等には可及的速やかな最大限の保護が望まれる。
心ある人の注意をお願いしたい。馬が東を表す考古学的証拠が立証されれば世界遺産
級となると思う。
984 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 15:30:10
何言ってんだかさっぱり分からん
985 :
月光仮面:2006/12/11(月) 15:40:19
小河墓の老女ミイラの仮面が蘭陵王面の原型、フェルトとんがり帽子の二匹の
鼬が北上し、バルハシ湖方面からアルタイ西麓に侵入するスキタイ文化の持ち込んだ
馬を太陽とする信仰とが合流したのではないかと考えているんだがね。それが、パジリク
カラスク、オルドス、遼寧、そして、三韓地域、出雲、東海地方へと入ったのではないかと
見る。
986 :
月光仮面:2006/12/11(月) 16:16:44
アルタイのクマンディン族は夜明け前に馬の四足を4本の柱に縛りつけ、
背中に杭を打ち込み、頭を東に向け、噴出す鮮血を太陽に向け、「クルイ・
クルイ」と唱えると言う。四隅突出古墳、サルボボ等にはこうした太陽信仰が
残っているのであろう。スサノオはアマテラスに彼らの習慣として馬の生ハギ
の毛皮を贈答し、かえって疎んじられ、ヒゲを抜かれるなどの刑に処せられ、
月読命も食物生産の違いで紛争を起こしたのか遠ざけられる。こうしたアマテラス
の稲作民族行動規範から外れた神々が名古屋の朝日遺跡付近で残っていて、
その辺から日本最古銅鐸鋳型が出土すると言うのはただ事ではないと考えるのだ。
諏訪の御柱なども朝日遺跡方面から伝わったものかもしれない。
987 :
月光仮面:2006/12/11(月) 16:34:27
988 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 16:42:13
>フェルトとんがり帽子の二匹の
まで読んだ
989 :
月光仮面:2006/12/11(月) 16:43:06
コーカサス北西方面のドルメンの多い地方から牛の背中を杭が貫く青銅製
祭器が出土しているが、これもアルタイ同様大地の神に捧げるものではない
かと思う。話は変わるが、日本の田の神は冬になると山に帰るが、山の神、
天の神、天神の機能もあるようである。他方太陽の神としては、高句麗、百済、
日本には小童神があり、どうもこれはオリジンが違うようである。
990
991 :
月光仮面:2006/12/11(月) 17:05:56
アルタイというのは金山、一方カグツチのカグは鹿児島県などの解釈を取ると金となり、
カグツチは金山神であろう。これが母の産道を焼いて生まれイザナギに切り殺され、
スサノオ、月読命(月支国渡来人)が失脚する原因となったのは上記の名古屋・朝日
遺跡、熱田神宮近辺の狗奴国と邪馬台国の戦争の結果銅鐸の廃棄、鏡の強制となる
事件があったことの反映と解釈するとドンピシャと来るんだ。例のヤマトタケルの行動
などもね。
992 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 17:36:34
真面目に知りたい奴がかわいそうだなw
このスレ
993 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 17:59:19
994 :
サガミハラハラ:2006/12/11(月) 18:08:08
私のは982スレ違いではありませんよ。
995 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 18:46:09
スレ主「Part2」たのんます。
996 :
月光仮面:2006/12/11(月) 19:10:11
997 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 19:44:20
埋め
次スレは不要です
998 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 19:52:54
きゅうにしんざんしゃがあらわれたね
999 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 19:59:45
埋め
1000 :
日本@名無史さん:2006/12/11(月) 20:01:25
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