【戦前】 旧制の学制について 【教育】

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1名無しさん@お腹いっぱい。
1
2名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 12:54:30 ID:GJVboR7IO
NHKスペシャル「明治 第1集 ゆとりか、学力か」は必見
3名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 22:51:19 ID:zD68UhF/0
実業学校に進学した人はどういう意識で進学したのだろう。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 05:29:28 ID:6l6p5ikx0
尋常小学校6年(5年修了可)
中学校5年(4年修了可)                                      高等小学校?年
                                          陸軍幼年学校
高等学校3年 各私立大学予科 専門学校 海軍兵学校機関学校 陸軍士官学校
帝国大学   私立大学

大体こんなだと思うんだけど、詳しい人、追加・修正よろ。

・時代によるぶぶんもあるかと
・厳しかったのは大学入試より高校入試。
(高等学校の定員より帝大の定員の方が多かった)
・兵学校、士官学校も難関。(但し、陸軍は幼年学校出身でないと出世しにくい)
・小学校の2年だか3年だかで通常男組と女組にわかれたはず。
・師範学校をどこにいれるのが適当なのかわからない。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 05:48:58 ID:qUad15Zw0

■現存する旧制大学設置年表■

1877 東京★
1893 学習院大学科(旧制学習院大学) [学習院学制法]
1986 [帝国大学令]
1897 京都★
1907 東北★
1911 九州★
1918 北海道★[大学令]
1920 慶應義塾 早稲田 國學院 中央 日本 法政 明治 同志社
1921 東京慈恵会医科  京都府立医科
1922 龍谷 専修 立教 立命館 関西 東洋協会(拓殖)
1924 京城(ソウル)★ ※ただし現在のソウル大学側は、京城帝国大学の後身とは認めていない。
1923 大谷
1924 立正
1925 駒沢 東京農業
1928 台北(台湾)★
1926 日本医科 高野山 大正
1928 東洋 上智
1931 大阪★
1932 関西学院
1939 名古屋★
1943 大阪理工科(近畿)
1946 愛知 東海
※旧帝国大学と現存する旧制大学のみ。★は旧帝国大学。()内は現在の大学名
6名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 18:00:47 ID:qUad15Zw0

■東大と学習院のトップ争いと緊密な関係の歴史■

1868年 京都学習院(現在の大学・大学院に相当)
吉田松陰が京都学習院を庶民の通える日本一の教育機関(今の東大)にするよう主張 長州系志士達に意思を託した
遷都していなければ、京都学習院が現在の東大・東大院になるはずだった。

1868年 京都学習院に対抗して昌平学校(今の東大・東大院)を東京に設立。日本一の高等教育機関のポスト(現在の
東大のポスト)を巡って激しく争った。

その後、京都学習院は大学校代に、昌平学校は大学校になったが、東京遷都により、日本一の大学争いは、京都の
学習院が敗れ、東京にある現在の東大の勝ちとなった。結果的に敗れた京都学習院は一旦廃止

その後1888年に東京に場所を移し、かつての京都学習院に与えられていた『学習院』の勅額が改めて下賜されて
宮内省管轄の官立学校として再出発した。

1893年 学習院に大学科を設置した。★この時点で大学は東京帝大と学習院大学科の2つしか日本になかった。
(なお1872年の学制実施で、現在の大学に繋がる専門学校はたくさんできたが、まだ大学ではなかった)

しかし、東大との覇権争いの再燃を恐れたのか、学習院大学科と東京帝大が重複するという理由で 1905年に
学習院大学科を廃止し、学習院大学科の代わりとして東京帝大を充当した。(ある意味、東大と学習院の合体)
これにより学習院大学科在学生は全員東京帝大に移籍、その後も旧制学習院高等科からは無試験で東京帝大に
進学できることとなった。のちの三島由紀夫、吉田茂など
学習院がこれ以降終戦まで大学部門を持たなかったのは、東京帝大を旧制学習院大学として代用していた為である。

GHQの意向により、1947年に、政府により学習院学制法が廃止され、再び大学部門を創設し学習院は私立として再出発
しかし、戦前からの伝統は引き継いでいたので、東大との緊密な関係は続いたまま現在に至ることとなった。
その為、現在でも学習院大学教授陣のレベルは東大と並び日本一の水準を誇っている。

★古い大学ランキング★ @東京帝大 A学習院大学科 B京都帝大 C東北帝大 D九州帝大 E北海道帝大
★国立大教授の人事異動時の格付(現在)★ @東大 A学習院大 B京大 C東北大 D九州大 D北大 D阪大
7名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 01:31:43 ID:e65rn4kO0
飛び級制度は、合理的だと思う
今の教育システムは悪平等であり、優秀な人材の芽を、あたら潰している
国家的な損失(=国民全体の利益)は計り知れない
8名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 18:29:39 ID:LqMOzKgQ0
でも、戦前の飛び級制度でも
小6飛ばして中学に入る奴はほとんどいなかったらしいね。
中5を飛ばして高校はいる奴はそこそこいたみたいだけど。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 01:19:27 ID:4GFWvgTX0
本来、中等教育は中高一貫つまり旧制中学があるべきすがただとおもう。

第二次世界大戦終結直後は無理としても、戦後はやいうちに新制高校を義務化できなかったのがくやまれる。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 15:58:23 ID:2VN3wSxj0
>>9
宮大工とか中卒で鍛えないと出来ない職業は壊滅するだろw
11名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 16:14:18 ID:lp+hEjan0
>>4 師範学校は高等小学校終了で行けたので中等教育としての側面もある。
どこの地方でも中学校と師範学校は仲が悪かった。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 16:24:57 ID:lp+hEjan0
>>9 その場合、現行の都道府県立高校と義務教育として市町村立中学の流れをくむ
新高校とで、旧制の高等小学校と中学校みたいな複線になる。
公立高校で中学部を作る動きが最近あるがそれがもっと加速するだろう。
「地獄への道は善意の布石から!」 >>9さんが意図したことと逆になると思う。
美濃部知事が推進した学校群制度を思い出す。

今の高校で教えている内容は結構高度で、旧制中学と同じく同世代の25%くらいの
頭脳を前提としている。義務教育化すると大幅な見直しが必要になるだろう。
底辺高校ではほとんど成り立ってない。試験の前に丸暗記させて単位を通しているだけ。

アメリカなど高校を義務教育にしている国は飛び級を推奨していて縦方向の学歴
で差をつけている。

13名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 16:48:18 ID:lp+hEjan0
>>5 長崎医大など旧六医大や東京工大はどこに入るのですか?
14名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 17:26:02 ID:4GFWvgTX0
>>10
つ定時制
15名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 17:29:05 ID:4GFWvgTX0
最低でも職業高校の希望者全入はやるべきだった。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 17:48:02 ID:lp+hEjan0
>>15 工業高校は中堅の技術者を養成するはずだったが入学者の
品質が悪いためブルーカラー養成機関になり下がっている。
本来、工業高校に期待されている機能は今は高専が担っている。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 17:56:35 ID:4GFWvgTX0
>>16
中等教育は、高等教育機関への登竜門あるいは中堅ホワイトカラーの養成のためにあったのが、
第二次世界大戦の日本では高度経済成長による急激な学歴インフレがおきてしまったのがいび
つな発達をまねいてしまったような気がする。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 17:58:14 ID:4GFWvgTX0
第二次世界大戦→第二次世界大戦後
19名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 18:08:12 ID:4GFWvgTX0
第二次世界大戦まえの学校制度は少数のホワイトカラーが大多数のブルーカラーを
指導するという職業構造を想定したもので、大多数のブルーカラーとなるべき国民は
よみかきそろばんさえできればいいというものであった。

戦後の学校制度もそれをある程度ひきずっているのだが、第3次産業の発展にあわせ
た改革ができなかったのがいたい。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 07:51:24 ID:Jh8+teE50
金錨の軍帽に純白の制服を着た海軍兵学校の学生が、夏休みに帰省すると
楽しいことがいっぱいあったんだろうなぁ・・・
21名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 13:44:09 ID:Qy7InTSR0
>>20 学生×  生徒○
そこらへんの事情は豊田穣氏が自伝的な小説で書いている。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 13:49:48 ID:Qy7InTSR0
テンプレ 戦前の学制 (1935頃)
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/3/33/SchoolSystemJapan.jpg
23名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 13:50:21 ID:RTD3wMqY0
戦前の学制は、19世紀後半ごろの米英を参考。
エレメントSch.(4〜6年)≒尋常小
ジュニアSch.(1〜2年)≒高等小
ミドルSch.(5年前後)≒中学校
ハイSch.(3年前後)≒高等学校
カレッジ(2年前後)≒大学教養課程
ユニバース≒大学専門課程
24名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 20:29:56 ID:sRYsek830
ウチの親父は工専卒
時局のための学校ね
25名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/28(日) 23:47:07 ID:QX0AQONr0
>>24 うちの親父も九大の特殊工専。
帝大の工学部に戦時の臨時工専部ができたんだね。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 00:40:38 ID:pNpdNJkh0
>>25
大体、今、国立大学の工学部になってんね
27名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 09:27:36 ID:BLHF0P120
>>26 戦時特殊工専にかぎらず旧帝大に併合した例と独立した工業大学になったパターンが
ある。東北帝大工学部+仙台工専=東北大学工学部、名古屋工専は独立した名工大になった。

東北大学の学生だった頃、教授に「SKK(仙台工専)を併合して格が落ちたのでは?」
と質問したことがあるが「いや、東北帝大になかった土木工学科とかSKKがもってきて
くれたので、こっちにもメリットがありました。」と言われた。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 22:34:22 ID:pNpdNJkh0
>>27
明治工専が九州工大ね
29名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/04(土) 20:18:18 ID:RCe99W+X0
私大は、法律系か、宗教系かだったんだろ、明治時代は。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/06(月) 12:33:44 ID:b9YPob/Z0
>>29 1918年(大正7年)の大学令まで日本には私大は存在しなかった。
私立専門学校が自称していたことはあっても公的なものではなかった。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/06(月) 14:25:55 ID:tgfzBxtr0
>>30
日本女子大も自称、ほんとの大学になったのは戦後
32名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/06(月) 20:35:07 ID:aiT+z1vvP
しかし残念ながら慶應義塾は明治23年(1890年)大学部に医学科を既に擁していた。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/06(月) 20:43:08 ID:rvo26MRCO
法的には医学専門学校じゃないの?
34名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/06(月) 21:43:26 ID:tgfzBxtr0
>>32
それがいまの慈恵なんだろ
35名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 02:25:12 ID:cRzwBb6kP
医学所廃止後→大学部医学科→医学部
しかも慶應義塾は文部省区分では「各種学校」

唯一、専門学校上がりの私立大学ではなく、唯一の総合大学だったのだ。
36名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 08:45:10 ID:Su2ufNNXO
「各種学校」は大学じゃねえw
それに、早稲田だって大学令以前から理系の学部を持ってたわな。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 08:52:53 ID:z1JOe4qcP
和田w
旧制専門学校の枠では無かったから各種学校扱いで徴兵免除も東京大学と同等。

江戸時代から医学・理学をやっている。
和田みたいなゴミとはレベルが違う。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 08:59:26 ID:cRzwBb6kP
>>36
東京専門学校が理系?
帝国教育会や大日本教育会に送り出した教育者って誰か居るのか?

後藤牧太みたいな
39名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 10:01:25 ID:0Ws9o4Dx0
>>38
理学から始めてコケたんだよ
40名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 15:48:00 ID:Su2ufNNXO
>レベルが違う。

なんだ。学歴自慢するなら板違い。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 17:52:25 ID:FutDqkJP0
親戚のお爺さん(大伯父)は日本医学専門学校に入学したが、1926年の大学令によって
旧制日本医科大学となりそのまま居続けて学士として卒業でき幸運だと言っていた。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/07(火) 18:12:34 ID:0Ws9o4Dx0
>>41
日医と慈恵だけだもんな、戦前から大学の私立医大は
43名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/08(水) 00:33:49 ID:Ft3hhLEn0
>>42
慈恵も今はかなり入学難しいんだな。
金さえ積めばOKの私立医大というイメージだったけど。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/08(水) 06:52:20 ID:Ff2QA7Zw0
>>43
金だけは、底辺私立医大ね
45名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/08(水) 13:28:18 ID:lfaIJbJ/0
>>35 今でいえばアメリカの大学が作っている日本校みたいなあつかいだな。
講義のレベルは大学だが法的には各種学校。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/08(水) 14:06:05 ID:Ff2QA7Zw0
でも戦後しばらくは、私学なんぞ、、
大学いくなら国立という時代だった、
たとえ早慶でもね、
47名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/09(木) 16:59:27 ID:RijAi1Ie0
>>46 今でも田舎ではそうだよ。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/10(金) 00:08:42 ID:bcWYf+zsP
歴史の無い大学は駄目でしょう。
地方の国立大といっても日本は藩校の流れを汲む所が多い。

ポッと出の私立法律専門学校と一緒にされては困る。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/15(水) 10:02:21 ID:TVa5tmsa0
>>47-48 田舎と言っても県庁がある街で県立高校をでたけど、「慶応の推薦」というのが
毎年回ってきていた。模試はからっきしダメだが真面目で中間期末テストが好成績の
子が決まっていた。一般入試なら地元の駅弁にすら入れないくらい頭は悪いけど
超真面目な子を救済する良い制度だとおもった。

のちに東京で働くようになって慶応大学の社会的地位が高いのに吃驚した。
50名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/15(水) 10:53:27 ID:grTNlKNN0
>>48
創立百年なら、まあ歴史だろ
51名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/15(水) 21:13:23 ID:QrBgxc0o0
>>49
慶應法は30年前と今とでは結構偏差値が違うようだ。
52名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/16(木) 00:42:13 ID:dxr2kJSTP
旧制大学昇格時に早稲田ではなく二松学舎を昇格させれば良かったのになあ
まあ、時代のせいか薩長のゴキブリ官僚が作った大学ばっかりが早く昇格したし。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/16(木) 01:49:42 ID:ZgFY80gb0
>>10
>宮大工とか中卒で鍛えないと出来ない職業は壊滅するだろw
そういった職業は前期中等教育が義務化されるまえは尋常小学校をでてからなるひとがおおかったとおもうが、
よく前期中等教育の義務化がうけいれられたとおもうよ。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/16(木) 10:06:12 ID:X5rOzw0Z0
>>53 いまどき中卒を集めるのも難しいと思うが、あえてやると不登校とか
の問題がある子がきてしまう。どうしても若年から鍛えなくては成立しないなら
歌舞伎役者みたいに世襲制でやるしかないだろう。

 舞妓さんも今では高卒18歳以上でずいぶんトウが立っている。
戦前は尋常小学校卒12、13歳でなっていたわけだ。今の円光どころでなく
おびただしい数の少女売春が戦前には行われていた。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/16(木) 23:35:37 ID:ZgFY80gb0
>>54
学歴インフレ化の負の面だね。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/24(金) 11:06:52 ID:XgUqPvIB0
大正頃までに県立中学はほぼ各郡に1校づつ整備されたけど、
県立の高女や農学校は各県に1,2校しかなく、地域の要望に応えて
高女や農学校が郡立で設立された。
元々仕事といえば学校を作るぐらいと言われていた郡は大正時代に廃止され、
郡立の学校は県に移管されて県立となった。
57名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/01(土) 05:35:32 ID:zK64nSkU0
青年学校といって尋常小学校や高等小学校を卒業して就職したひとのための学校があり、
第二次世界大戦中には19歳まで義務化しようとしていたらしい。

これは結構いいしくみだったはずで、戦後もひきつがれなかったのは残念なような気がする。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/01(土) 05:46:22 ID:mTrFvTeo0
今は稲田さんとかが徴農しようとか言ってるから
青年学校をデフォルメしたような発想は、
まだどこかにあるような気もする。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 18:38:59 ID:Iuoh+C6Y0
>>57

> これは結構いいしくみだったはずで、戦後もひきつがれなかったのは残念なような気がする。

軍事教練を受ける人口を増やしただけのものだと思ってた。
「いいしくみだったはず」のあたりをくわしくききたい。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 21:18:40 ID:vFZmEHVe0
■神戸一中の進学状況(昭和)
          32   33   34   35   36   37   38   39   40

東商大予科    8    6    5    7    2    9    9    3    4   
阪商大予科    2    3   10    2    9    4    3     6
神商大予科                                          
県立神戸高商 21   24   28   23   20   20   14   14   17  
神戸高工     6   10    9    5   14    8    8   11   12  
東京高師     1    4    2         3    1     1         1  
広島高師     1    2    1    2         2    2    2    3   
慶應予科     2    6    9    9   14   22   22    9    6   
陸士        1    1    1    1    1    1    3    3  
海兵        3    1    1              2    2    1
61名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/04(火) 21:44:42 ID:Iuoh+C6Y0
>>60
昭和39年に陸士・海兵が存在してるように見えます。
1930年代の数字ですか?
62名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/05(水) 01:00:15 ID:0ISYKCRp0
kyuusei kookoo ni haitta mono wa 9 nen kan 1 hitori mo inei noka.
kyoto no 3 koo niwa ukaru mono nasi?
seiseki zyun ga areba naho omosiroi ze.
63名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/05(水) 22:59:27 ID:C8raGYAA0
>>60
神戸一中だろ。
メインで進学してたのは旧制高校のはず。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/06(木) 20:30:59 ID:oofNbjxm0
旧制神戸一中卒業生の進路
h ttp://ci.nii.ac.jp/naid/110004048742
「プレビュー」で上位15校の一覧表が見られるよ。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/06(木) 20:41:25 ID:EucxHx740
>>59
>「いいしくみだったはず」のあたりをくわしくききたい。
どの国民も後期中等教育程度の学問を身につけられるしくみにできたかもしれない。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/10(月) 17:33:39 ID:+VHbQHwf0
>>64 おまいらが大好きな陸士・海兵がほどんどいないね。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/10(月) 18:56:38 ID:AuLW5omy0
転載

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海軍兵学校と陸軍士官学校について
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1288680742/95

95 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/01/07(金) 12:58:24 ID:O6jYjsUl0
うちの爺さんは昭和13年に地元の中学を卒業。進路を卒業生名簿で見ると
(大学卒は最終学歴になっていて高校名は不明。大学名も新制大学名になってる
のもあり当時の名前のもあり、ややこしい)、学年180人中、陸士5名、
海兵1名、東大6名、他の旧帝大7名、東工大・一橋・東京外大など他の国立大11名、
私立大33名、師範学校7名、国立医大6名、医専11名、歯薬専2名、
高商・高工・高専32名、陸工・予科練など軍学校6名、実務学校19名、
芸術系大2名、高校4名、になってる。

この数は卒業者で、「陸幼に受かった奴は中学2年で行ったし、中学4年で
一高に受かった秀才は名簿に入ってない。卒業してないからOB会も入れず、
彼等のほとんどが音信不通で気の毒だ」と言っていた。

ちなみに戦死者22名。海兵や海軍関係の学校行った3名は全滅。
陸士は5名中戦死は1名。陸工など陸軍関係の学校行った4人中戦死は1名。
ちなみに爺さんも戦争で死にたくないから陸軍主計学校を受けたが落ちて、
仕方なく早稲田の予科に行った。5つ上の兄の世代は「一高突破」が
中学生の最大の目標だったが、軍国色が強まると軍学校の難易度が
ぐっと上がったと言っていた。当時、二等兵で引っ張られる初年兵教育のエグさは
誰でも知ってたから、皆がなんとか軍学校に滑り込んで将校になりたかったらしい。

関東の田舎だがら陸士目指す者が圧倒的に多く、海兵は少なかったみたい。
ちなみに師範学校は全員地元。私大も2名を除き東京の大学。早慶・日大・中大が多い。
(東大除く)旧帝大や国立医大は当たり前だが全国に散ってる。台北大や満州医大のような
外地も多い。時節柄だろうが実務学校も満州が多い。満鉄付属学校や満州の外語学校とか。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/17(月) 01:57:49 ID:yuzaUnRs0
母校が府一高女(を前身とする普通の高校)。
百年史見たら、戦前でも意外に上の学校への進学が多くて驚いた。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/17(月) 20:03:19 ID:1+Ljmr0+0
■旧制神戸一中卒業生の進路
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004048742

1 神戸高等商業学校 380
2 第三高等学校 205
3 関西学院大学 110
4 慶應義塾大学 108
5 第六高等学校 106
6 第一高等学校  80
7 神戸高等工業学校 77
8 大阪高等商業学校 55
9 早稲田大学 51
10 第七高等学校 48
11 第八高等学校 40
12 大阪高等工業学校 36
13 同志社大学 36
14 第五高等学校 34
15 大阪高校 26

70名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/30(日) 12:38:15 ID:a6TuxWT/0
>>54
「月給百円」サラリーマンという本をよんだのだけど、第二次世界大戦まえの複線型教育制度は
社会階層の断絶をまねき、下層市民が軍部を支持する原因になったようだ。

戦前は労働者の保護に関心がはらわれていなかったから小学校をでて就職した労働者は酷使
されていたみたいだ。いまでも勉強しないやつは中卒で就職して手に職をつけろというひとがい
るが、もっと戦前の実態をしるべきだとおもう。

「月給百円」のサラリーマン―戦前日本の「平和」な生活
http://amzn.to/fjvul0
71名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/01(火) 13:18:02 ID:4+57fRRi0
>>70 戦前のものを読んでると「貧乏」なサラリーマンの家にもかならず
女中さんがいるんだよね。生きている家電みないなもんなんだな。
いかに、農村から出てきた人の人件費がやすかったことかがわかる。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/02(水) 17:57:52 ID:Z6pFHruj0
>>71
大正時代に、累進課税の強化、国公立学校の無償化、高等小学校の義務化、農村の振興をやっていればな。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/05(土) 23:00:06 ID:O9vL5Tak0
鉱業は秋田
獣医は帯広
農学は北海道
繊維は信州、東京農工
水産は旧東京水産大
通信は電気通信
商学は一橋
電機は蔵前
商船は東京、神戸
暖地農業は愛媛
74名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 10:51:07 ID:dPD4qKwI0
通信は東北のほうが上
75名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/06(日) 16:10:45 ID:O2dE5w/20
>>74
旧高等専門学校で比較しているのだから東北帝大を持ち出すのは反則。
>>73
一橋と蔵前は途中から旧制大学に昇格したのでリストにあるのも変だな。
なぜ、東京広島両高師をいれなかったんだろ? 大学までふくめるのなら
長崎、千葉医大などもいれるべきだろ。

>通信は電気通信
これは戦後の名前で「逓信省なんとか講習所」とかじゃなかったか?
76名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/12(土) 22:01:33 ID:HwM7go7V0
学制改革のとき第二次世界大戦まえの教育制度を検証する余裕がなかったのが残念だとおもう。

戦前でも高等教育の大衆化による大卒の価値の低下というのがおきていたわけで、高等小学校を
義務化して、あとははたらきながら職業の知識を身につける職業学校をつくり、そのなかから専門職
と研究者をそだてる大学に進学するというのがよかったかもしれない。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 10:08:26 ID:0qGKs95P0
>>76
>はたらきながら職業の知識を身につける職業学校をつくり、そのなかから
 専門職と研究者をそだてる大学に進学する

それをやった中国は何年も遅れましたけど。
78名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 10:11:59 ID:0qGKs95P0
>>76
そもそも、どっちが上ということではなく「技術」と「技能」は別なもので育て方も違うんだよ。
少し前まで大企業でも高卒技術員をとっていたけど作業服の下にネクタイをさせて工員とは区別していた。今、そのポジションに高専卒がついている。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 13:42:30 ID:6U25Ughx0
旧制高等学校のカリキュラムの中で
特に漢文、英語について
教養としてどういった本がよく読まれてた
のでしょうか。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 20:32:00 ID:yrCcUnX60
>>73
園芸は千葉
8176:2011/02/13(日) 22:16:26 ID:dvyy1mue0
>>78
おたくは学歴インフレに対処するにはどういう方法がいいとおもっているの。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 22:21:21 ID:dvyy1mue0
学歴インフレへの処方箋 井上晃宏
http://agora-web.jp/archives/805354.html
「学歴社会 新しい文明病」(R.P.ドーア)

いささか古い本だが、著者はまだ健在だ。

ドーアは「学歴インフレ」という病が世界中で蔓延していると書く。

最初は初等学校卒だけで十分に威信の高い職業に就けたのに、教育が整備されるにしたがって、
初等学校卒だけでは差別化できなくなる。このため、社会上層部への移動を目指す人々は、中等
学校に進学するようになる。同じことが、高等学校、大学でも繰り返される。

学校定員を増やさないことは政治的に困難であるが、財政的な制約がある。また、野放図に高等教
育を整備すれば、教育の効率低下を招く。農夫に細菌学はいらない。何らかの方法で、「高等教育
が必要な人」を選抜しなくてはならない。

学力試験、知能テスト、くじ引きなど、さまざまな方法を比較検討した上で、ドーアは、どれも一長一
短があるという。

ドーアの提案する選抜方法は、「職場における選抜」だ。義務教育終了時点で、全員をいったん就職
させ、勤務成績の良好な者を、その仕事に直結する高等教育機関に送り込むべきだという。これなら、
教育目的が明確になるし、卒業後の就職問題が発生しない。

「職場における勤務成績」とは何を意味するのか、どうやって就職場所を割り振るのかという問題は
あるが、Ph.Dが就職できなくて、教育費用が無駄になる、いわゆる「高学歴ワーキングプア」が発生
している昨今では、検討する価値があると思う。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 21:12:05.06 ID:Pzf+dYIZ0
戦前の東京には府立中学(高女)と市立中学があったけど、
都制施行で両方都立になったということなのかな?
84名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 20:29:45.09 ID:74WJHFRt0
東京六大学は、東京八大学の予定だった。
帝大加入後も、国学院や明治学院や中央とかと模範試合していた。
アイビーリーグが8校。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/25(金) 23:51:30.99 ID:95szR8lE0
>>83
九段高校は東京市立
86名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 15:52:31.31 ID:ja1itKuM0
>>84
国学院は日大と共に加盟を申請して断られている
明学は慶應と仲がよかった為逆に敬遠されたという話がある
(早稲田と慶應は20年近く対立して試合しなかった)
中央は創部が昭和5年で、この時既に六大学黄金時代
わざわざ声を掛ける可能性は低いし勧誘したという証拠も無い
大正時代に早稲田のコーチが中央の学生に野球を教えていたという記録はある

当時は私大5校は予科生まで試合に出られたのに対し帝大は大学生だけだった
帝大のリーグ加盟初戦は法政で、その時先発した法政のピッチャーは
後に帝大に入学して、「一年生」としていきなりリーグ開幕戦のマウンドを任された
この記録に数十年ぶりに並んだのがあの斎藤佑樹
87名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/27(日) 16:18:40.51 ID:XbQqqbQQ0
>>86
旧制の予科1年は普通に尋常小6年卒・中学5年卒で進学すると17歳だね。
新制の大学1年より一つ年少になる。
尋常小5年修了・中学4年修了だと15歳=今の高1。
まあ、その手の優秀かつ野球やってるような身体頑健な奴は私大に進学
すること自体まず有り得ないだろうけど
88名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 23:06:10.01 ID:lsUmudoX0
>>12
禿同です。
競争ダメで横並びにして、結果として個性を殺していくのはサヨクの常道ですね。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/07(月) 14:44:58.91 ID:RoJBm94k0
>>87
早稲田の予科は3年制で、旧制中学4年終了で受験資格があったんじゃなかった?
あと女子師範や女子専には4年制高女卒業者のための予科があった。
90 忍法帖【Lv=19,xxxPT】 :2011/04/05(火) 09:46:02.50 ID:3w0u/AB30
?
91名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 09:20:29.12 ID:lqd91AZE0
>>71
日本人と結婚したインドネシア人の女性が、日本は国は豊かでも国民は貧しい
夫の給料では女中一人を雇うこともできない、私の実家は金持ちではないけど
運転手とコックを庭師と女中がいたと言ってた話を思い出した。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/14(木) 23:49:57.43 ID:JgdGQg+00
>>91

それで思い出したけど、中流家庭というのはあらゆることを
自分達家族だけでこなしていく家庭であると本で読んだことが
ある。

中流家庭が存在しない世界では上流と下流の家庭しか存在せず、
お互いに依存していないと生きていけない状況下にあるけど、
中流家庭は他者に頼らず自分達家族だけで物事を解決していく
家庭であり、それこそが近代精神なのだということだった。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/15(金) 11:29:33.30 ID:BxETDfXy0
>>91-92 九州の田舎には昭和30年代でも賃金を払わないで衣食住だけで
働いてくれる文字通りの「奴隷」がいたよ。その時点で年よりだったkら
戦後突然 「解放」されてもこまるわけだが。
94 【東電 80.6 %】 :2011/04/25(月) 21:54:52.27 ID:z+OHL8KV0
統一前の各大学の修業年限(大学予科)
4年
東京帝国大学
3年
京都帝国大学
2年
慶應義塾大学
1年6ヶ月
日本大学、早稲田大学、明治大学、東京法学院大学(現・中央大学)、法政大学
95名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/02(月) 13:39:14.98 ID:3hTJE+fS0
戦後教育は底上げとしては成功したけどエリート教育では旧制の学制に分があるな。
80年代まで社会の指導者は旧制高校や陸士海兵の経験者だったけど、彼らがいなくなってから
日本が衰退していったと思う。
96名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 00:21:28.64 ID:E1QAn+n+0
英国を見習って学制行政を行うべきだった。
ドイツ流にしたのがそもそもの間違い。
97名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 07:25:23.83 ID:uVnvru5j0
>>96
ドイツは藩みたいな小国が近代になって統一されてできた国だから
事情が似ていて憲法をはじめ法体系が導入しやすかったんだよ。

戦後、アメリカ式にしたのはもっともっと間違い。
98名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 12:20:48.91 ID:MfZwLdH30
『戦前の少年犯罪』という本を読むと、旧制高校がDQNの集まりだったかのような
印象をうけるけど、実際はどうだったの?
99名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 13:53:09.08 ID:g6AAN/Ue0
>>98 旧制高校がというより社会全体が未開だったんだよ。
今の中国みたいなもんだ。戦後、昭和40年代くらいまでオヤジの立ちション、
放痰はデフォルト動作だった。田舎でキャンプしていると棒をもった
村の青年が襲ってきた。
100名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/12(木) 21:42:37.04 ID:PuU+7rON0
>>97

アメリカは画一的な国では無いという印象を持っているんだけど、
それは誤りなのかな?
101名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 09:41:38.21 ID:x7MZDt3G0
>>100 アメリカの青春ドラマをみてごらん。チアリーダー、フットボールのヒーロー
卒業時のプロム 日本の高校よりステレオタイプで画一的だから。
102名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/14(土) 13:20:02.11 ID:r6QVs+VkO
>>101
ドラマまで全てをわかった気でいるわけ?
103名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 12:28:41.41 ID:LNQYjnUp0
>>99
自動車もスピード出してたね。
今みたいに歩行者優先ではなく自動車優先。通学路だろうがお構いなし。
雨の日などは車が跳ね上げた水しぶきで全身びしょぬれになって学校に来るやつがよくいた。
http://www.youtube.com/watch?v=eCF0IJQEiC4
104名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/17(火) 16:02:54.05 ID:XTkn22Ns0
>>103 今の若者が三丁目の夕日とか憧れても、当時の荒っぽさとか
悪臭とかタイムスリップしたら耐えられないと思う。清潔で静かな日本が
昔から存在してきたと若者は本気で信じていて中国とか馬鹿にするけどね。
105名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 09:18:11.94 ID:o21Jryq40
研究者や専門医は帝大、町医者は医専という養成区分は変えなかった方がよかった
気がする。

106名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/19(木) 09:31:47.95 ID:tUMRwjPn0
>>105 すべての分野で旧帝大は大学院だけにして旧学士=新修士と
読み替えればよかったんだよ。旧制高校は文理大とかの名称にする。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 18:10:13.87 ID:6EhYEFtq0
それは今の感覚。
108名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/23(月) 19:44:07.48 ID:LKDd9PAX0
>>106

というよりも戦後アメリカ型の学制を導入すると言いながら、
肝心な所を真似しなかったのが問題なんじゃないのかな?

アメリカでは大学で主に教養教育をやって大学院で専門教育と
研究をするようになっているのに、日本では大学で教養と専門
教育・研究をやって大学の延長・大学のつけ足しのような存在
のままにしてしまったのが問題だと思う。
109名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 11:32:12.98 ID:cjX9GcLB0
>>77
>それをやった中国は何年も遅れましたけど。
>>78
>「技術」と「技能」は別なもので育て方も違うんだよ。

小卒・新制中学卒からブルーカラーになっても技術者や研究者になるために学校にはいりなおすしくみが
ととのっていればまだよかった。

日本は10代で進路をがちがちにきめすぎるのだよ。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 12:29:24.25 ID:sYEjuuIq0
>>109 戦前の方が企業内の工手学校とか優秀な工員のためのコースがあった。
また、師範学校は授業料無料だった。
戦後でも新制中学卒で新日鉄に工員で入って工学博士を取らせてもらった人を
知っている。昔は経済的理由で低学歴にならざるを得ない人が多かった。

今でもIQの高い中卒・高卒者はいるけど、経済的な理由より生活習慣が駄目だとか
さらにメンタルを病んでいる子が多い。自分は大手自動車会社に勤めていたが
中卒者を取って教育する社内の工業高校みたいなのは90年ころに廃止された。
あまりにも素行の悪い子ばかり集まるからだ。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 13:02:22.36 ID:cjX9GcLB0
>>110
勉強ぎらいの生徒にいかに勉強してもらうかが義務教育永遠の課題だよね。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 13:08:28.24 ID:sYEjuuIq0
>>108 旧制高校・高専をアメリカの学部、旧制大学をアメリカの大学院
と読み替えることができなかったことが悔やまれる。

東北帝大と師範学校を合併させたりと無茶苦茶をやった。もっとも
宮城教育大学として独立して旧にもどったけど。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 13:37:04.27 ID:sYEjuuIq0
>>111 貴方の心優しき面は素敵だけど現実には逆恨みされて火をつけられたりするからね。
親戚でそういう被害にあった教育学者がいる。

田舎から東京に出てきてわかったのは、都会の良い面として職業の貴賎が
無くなりつつあることだ。飲み屋で医者や大学教授と職人さんが仲良く話していたりする。
田舎ではこうはいかない。
114名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 14:04:56.00 ID:cjX9GcLB0
>>112
せめて東大が他大学からの学部3年編入学をみとめていればここまで受験戦争がひどくならなかったとおもうのだけどね。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 14:28:15.32 ID:QWV5xtdDO
全て日教組槙枝が悪い。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/24(火) 14:28:43.44 ID:sYEjuuIq0
>>114 日本中の旧制高校から東大に行っていたのに戦後は駒場(一高)から
しか行けなくなった。戦前は縦の学歴、戦後は非公式の横の学歴社会になった。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 07:27:59.57 ID:KpmWcZZ60
昔は高専と帝大という縦学歴社会だったのをむりやり平等にしたもんだから
いまだに「旧」帝大なる言葉が残っていて歪な横学歴社会になった。
お医者さんの社会でも「旧」六(旧制医大)なる言葉が残っている。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 13:56:37.05 ID:TfotPLRU0
>>108
日本の学校制度は大学を重視するアメリカ型か中等教育を重視するドイツ型かどっちつかずになっているよな。
それが新制中学、新制高校の機能の曖昧さにつながっているような気がする。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 16:29:13.52 ID:guwOc4690
東大出と言ってもプロパーの学部卒の方がロンダで他大学から
院に入った修士より偉いと思われている社会だからな。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 10:29:29.38 ID:YIBB97ZM0
>>116
槙枝はお前らの大好きな帝国陸軍憲兵大尉だったんだよ。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/28(土) 15:47:45.33 ID:tWeef15SO
>>120
海軍万歳、陸軍死ね。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/31(火) 00:53:38.37 ID:+t4Rc/g00
世代を選ぶレスになってしまうのかな?
「超法規」発言の栗栖弘臣、
一高、東京帝大法、高文首席、内務省、短現海軍士官、
戦後弁護士、警察予備隊、陸自、最終的に統幕議長なんだぜ。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 23:09:55.59 ID:WH4p8n9Z0
戦前の学校制度は最後まで勅令で定められていたようだけど、
理由はなんだったんだろう?
124名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 11:50:31.31 ID:cB/MwpPd0
若い人が思っているように今のようなヘタレな戦後社会がいきなり出来たのではなく
戦前の学制の遺風が1960年代くらいまで残っていました。
小学校の時、中年以上の教師は師範学校出で軍隊経験もある人が多かった。
日教組がアカハタを振っている一方で毎週軍艦マーチで行進して日の丸を掲揚
して朝礼をやっているなどサヨクとウヨクが混在した不思議な空間でした。
制度は戦後で意識は戦前という状態が暫くは続いていたのです。

戦前の遺風で良いと思うのは勉強ができる子にはリーダーシップの経験を積ませ
ようとしていたことです。勉強だけができるという状態は許されませんした。
自分の子供達を見ると平等主義が徹底していて学校のしごとも級長とか委員長でなく
「日直」として全員で持ち回りしています。


125名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 12:00:21.16 ID:OVg62UGR0
>>124
何年生まれか教えてくださると有難く存じます。
もし、よろしかったら。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 12:48:33.74 ID:cB/MwpPd0
>>125
1957です。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 13:06:00.59 ID:Gl7PNG6x0
>124
その、戦前の遺風が残っている時期の日本が、戦後で一番少年による凶悪犯罪が多かった時期なんですけど。

少年犯罪統計データ
http://kangaeru.s59.xrea.com/toukei.html

世界的に見ても希なほどに犯罪の少ない平和な日本というのは、わりと最近の姿で、
この時期の日本はなかなかに物騒な社会だったみたいですよ。
128名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 13:29:34.24 ID:cB/MwpPd0
>>127
それを言うなら戦前は少年犯罪がもっとすごかったです。

社会が未開だったからで今の中国みたいなもんです。
おやじの放尿は当たり前でした。女性が歩いているとこでも性器を出して
立ちションしていました。犬みたいでした。
1970年代、調査で田舎に大学院生がキャンプしていると村の若者が
棒をもって攻めて来ました。

列車のなかでも弁当がらを平気で通路にすてていました。一番マナーが
良いとされていたのは座席の下に捨てることでした。

衣食足りて礼節を知るをいうか、ある程度社会が豊かにならないと
どんな政治体制でも民度に関してはダメですね。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 22:06:56.42 ID:OVg62UGR0
「最良の刑事政策とは最良の経済政策である」(うろおぼえ)
という言葉を習った記憶があります。

統計上、不況の時や、(勝っても負けても)戦争直後は犯罪が増えると聞いています。

もちろん、学校教育が完全に無関係ではないのでしょうけれど。
130名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 22:20:44.85 ID:Gl7PNG6x0
戦争の後に犯罪が増えるのは、戦場での荒々しい気分を持った兵士達が
復員して市民生活の中に戻ってくることにも要因の一つがあると思う。

日清日露の頃から先の大戦まで、大日本帝国だったころの日本は10年くらいごとに
戦争を戦ってきて、最後の15年くらいは戦争をし続け立ったから、
市民生活への影響も相応にあっただろうね。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/19(日) 22:48:23.62 ID:Yot3o96DO
うちの田舎ではガキが野糞してる横で高校生の男女が畑で性交渉してました。1960年代は不思議な空間というのは言い得て妙だと思います
132名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 02:31:39.95 ID:NjMbAFJu0
>>124
それが高校三原則が徹底しなくて高校の序列化がすすんだ最大の理由ではないかとおもう。

高等専門学校ができたときに学制を9年制の義務教育学校 - 5年制の高等専門学校 - 3年制の大学(修士程度)に再編すべきだったのかもしれない。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 18:45:08.95 ID:OW0u2N+f0
戦前に、日本人が朝鮮の最高学府であるソウル大学を卒業するのは、普通のことでしょうか?
朝鮮を併合して支配してたから、日本人もたくさん朝鮮に行って、朝鮮の大学を卒業していたのでしょうか?
134名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 21:59:00.39 ID:UyD2ZcxS0
>>133
戦前にソウル大学はありませんでした。京城帝国大学を卒業している日本人はたくさんいます。
もうほとんど死んでしまいましたが。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 22:01:03.95 ID:UyD2ZcxS0
今のソウル大学関係者は京城帝国大学との連続性を認めていません。
同じ敷地に戦後新たに出来たことになっています。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/20(月) 22:10:16.99 ID:UyD2ZcxS0
>>133
調べてみたら内鮮共学が強く唱えられていたにもかかわらず、京城帝国大学で
朝鮮人学生の数が日本人を上回ったことは有りませんでした。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/21(火) 11:52:34.42 ID:djdWTtM10
>>136
自分は東北大学出身(もちろん戦後)だけど学生に占める現地人の割合は
40%くらいだったよ。朝鮮支配が今でもつづいていたらこのくらいの
感覚なんだろな。

>>133 内地の高校や高専を出て大陸の大学に行くのが覇気ある若者と思われて
いた時代があった。旅順工大や哈爾濱工大を出ているお爺様を何人も知っていた。
内地の中学を出て高専レベルの外地の学校に行った人も多い。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/21(火) 22:14:27.98 ID:0F8SJfJH0
併合時代の京城帝国大学卒業のステイタスを、現代の日本に換算すると
どのあたりの大学になるのでしょうか?
139名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/22(水) 15:47:22.98 ID:ebmo5xrn0
>>138
現代の大学と違って帝大には偏差値による優劣がないのでなんともいえない。
強いて言えば北大か筑波大くらいじゃないかな。
140田中:2011/06/26(日) 14:14:41.16 ID:OJyVpFmQO
俺の田舎は未だに夜這いの風習がある。俺も15才で夜這い→筆おろし。まぁ相手はおばちゃんだけどな。
おかげで今でも熟女好き
141名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/26(日) 16:16:12.90 ID:/lTyEaHM0
>>132
高等専門学校は5年制の学校を作ろうとしたのではありません
高大一貫教育の中学卒業生対象の大学を作って大学入試のチャンスを2回にしようとしたのです

これに大反対したのが東大、中学生のときにこの大学に落ちたものが東大を受けることになり、
天下の東大は落ちこぼれが行く大学になってしまいます

大学協会の圧力により骨抜きにされたのが現在の高専
大学の先生に教育を語らしたのが失敗の始まりでした
142名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/26(日) 19:10:46.39 ID:n50cY7gH0
>>141
文部省から離して通産省商下の「産業士官学校」とかにしておけば7年制に出来たかもしれないね。
今の高専みたいに全国やたたらにつくらないで東西2校くらいにするとか。
143田中:2011/06/26(日) 20:50:23.94 ID:OJyVpFmQO
バカロレア アビトゥ〜ア
144名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/26(日) 23:07:58.48 ID:K0jn6VAV0
>>141
教養高専なら旧制高校の復活になるから大学関係者にもうけいれられやすかったはずなのだけどなあ。
145名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/27(月) 13:05:54.18 ID:azed/bBG0
>>142
産業士官学校って、もろフランスのエコール・ポリテクニークだな。
日本に作って東大の理系以上の成果をあげることができるかな。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 19:20:16.97 ID:UvssgHwv0
東工大に千葉大のデザイン学科をくっつけていたらあげれたかも
147名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/28(火) 21:31:55.01 ID:72W9c5BI0
>>146
九州芸術工科大学ってそれ狙ったんだが駄目だったね。
田舎につくるのが無理があった。
148名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/05(火) 22:29:56.23 ID:AoCiORr00
東大が9月入学になるようだ。大正時代まで帝大は秋入学だった。
少しづつ旧制にもどりつつあるのかな。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 23:04:56.93 ID:WkFKvtRE0
「若者の高学歴化、就職にはつながらず」労働経済白書
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E2E5E2E1858DE2EAE2E5E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2
細川律夫厚生労働相は8日の閣議に2011年版「労働経済の分析(労働経済白書)」を提出した。
大学進学率が1990年以降20年で急速に上昇する一方、教える内容が社会のニーズに合ってい
ないと分析し、若者の高学歴化が必ずしも就職につながっていないと指摘した。卒業しても仕事
がない若者を減らすには、大学の就職支援や、学生に教える内容の再検討が必要だと強調した。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/08(金) 23:08:05.92 ID:bIJ1W/Hb0
大学進学する必要のない人間が進学したからこうなっただけ
中学レベルの英数国がまともにできない奴は大学に行く資格なし
151名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 13:26:55.17 ID:YYFvnkTx0
大卒を技能職(工員)として採用するルートを作ればよい。
無理にホワイトカラーにこだわって派遣になるよりよい。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/11(月) 23:51:17.57 ID:kmZB5I9E0
大学進学する必要のない学力の人間が多すぎるんだよ
経済学部なのに中学レベルの数学ができないとか話にならんのよ
経済学部なら入試に数学を必須にすべきだろう
数学がわからなくて経済学はわかるわけがない

工業高校や商業高校をトップクラスの成績で卒業して就職した人間の方が、底辺大学の文系卒より即戦力で使えるのは企業も良く分かっているので、そのようなルートは用意しない
大卒で給料は高く払わないといけない上に仕事では使えない人間を正社員として雇うほど企業はお人よしではないよ
153名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/12(火) 01:22:37.24 ID:dFGKWhLE0
20前後のペーパーテストの出来(入試・公務員試験 etc.)が、
そいつの能力とただちに比例するわけじゃないのは、
ほんのちょっとでも実務に関わったやつなら、言うまでもないことだと思うんだが、
しんどいんだよね、ほかの評価基準導入するの。
ペーパーテストの成績って、一応公平だし数字で出るし。

ま、実務経験したあと、学校に行くのがハンディキャップにならないようにするだけで、
随分かわりそうな気はするけど。

底辺校の名ばかり学士も馬鹿げてるとは確かに思う。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/12(火) 06:43:38.70 ID:1Fx9I/pk0
>>152-153

80年代くらいまでは大手証券会社とかでも高卒の役員は普通に居た。
今高卒でトップの人達は例えば公務員初級職で入って中小企業の大卒管理職より良い給料を貰っている。
大企業でも研究補助職などに地方の工業高の一番をとっている。自分は筑波大学を蹴って地元の市役所に
入った人も知っている。アタマが良いのに経済的理由で大学に行けなかった人たちはなんらかの方法で
リカバリしているよ。

一時期AO入試とか流行って「学力より人間性」とか持てはやされたが、企業ではAO入試の子は
実は評判が悪い。自分は慶応の理工で慶応高校からあがってきた人と仕事をしたことがあるが
基本的なことを知らないのでびっくりしたことがある。例えば化学なら入試を経験した人は
周期表が頭の中に入っているが、その人は「そんなもん見ればよいだろ」という態度だった。
クリエイティブなことをやるにしてもある程度の暗記のベースがないとスピートが違いすぎる。
慶応高校で一流の先生から化学を履修したとしても、入試を経験していないとすぐに取り出せる
知識になっていないんだ。文系のことは分からないけど大学入試が日本の科学技術を支えているのは事実。

文系は「地頭とリーダーシップ」しかいらないなら、世の中「サラリーマン金太郎」みたいな
人がもっと採用されているはずだ。そうはならないのは、それだけでは不十分だということだ。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/12(火) 13:34:50.58 ID:W1AqWvKu0
受験戦争が加熱してる時は水を吹っかけて頭を冷やし、弛んでる時は尻を蹴っ飛ばして
勉強させないといけないのに真逆の教育政策を取ったのが文部科学省。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/14(木) 05:13:07.57 ID:T4V8Yokz0

【社会】二宮金次郎像を"漫画に熱中して歩くオタ像"にデフォルメした少年が補導 (画像有り)
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1306046832/
157名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 10:00:22.44 ID:/C0Gfg7R0
>>86-87
尋常小6年→高等小2年→中学5年→
高校3年→帝大3年または予科2年→本科4年。
どちらも最終学年は24〜25歳。

…で、日本の学制なら早生れのベーブ・ルースが、
25〜27歳で54〜59本塁打したので、
学卒以降も野球を続けてレベルを上げようと作られたのが、
都市対抗そして職業野球。
158名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/06(土) 10:10:23.59 ID:LvSHlyvZ0
>>157
尋常小6年→【高等小2年】→中学5年→  これはほとんどない例。

家が貧しくて中学を受けられなくて高等小学校にいったが、
誰かの援助で中学にいけることとなったとか。それにしても
昔の同級生が2学年先輩だったらいたたまれないだろう。

優秀な人は 尋常小6年→中学4年終了→高校3年 
159名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 11:51:49.05 ID:Lrn9NXLz0
旧制の工専て、時局に合わせて出来たんだが難しかったんか?
160名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 14:02:52.66 ID:bbo9k+rJ0
>>159 もともと明治時代から高等工業はあった。1939年時局に合わせて
官立7校が増設された。理系は兵役が延期できるからそれなりに難しかった。
入試より教育が軍隊式で厳しかったという。

今でも単独で残っているのは室蘭工大くらいだな。
161名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 16:02:46.73 ID:Lrn9NXLz0
親父が多賀工業専門学校
今の茨城大工学部か、、
工専て、官立絶対の時代だから、私立よりは難関だったんだろ?
162名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/12(金) 18:06:06.98 ID:bbo9k+rJ0
>>161 当時の受験事情はわからないが、数少ない私立も明治時代からあるものも
ありそれなりに伝統があったと思われる。例えば東京物理学校「東京理科大」
とか東京電気学校「東京電機大学」とかだ。これらが工専と認められたのは戦前でも
かなり後のことだ。

正規の学校とは別に大企業の中に優秀な職工さんを勉強させて技手にする学校があった。

家が貧乏で中学に行けなくても、社会にでてからチャンスがあった。師範学校は官費だし
戦前の方が今より社会階層間の撹拌があったと思われる。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 02:23:57.05 ID:U+uS9cWq0
ここは学歴板と違って良スレですね。あっちは偏差値輪切り&就職・資格状況
のコピペしかネタがなく、稚拙極まります。
164名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 09:49:23.13 ID:8P9YucuT0
>>163 旧制を鏡として現代の教育を論ずることは良いです。

自分は1957年生まれだけど10歳くらい下の人から旧制のことが
わからなくなっている。親も教師も新制出身だから当然か。
ここにくる若い人がやたらに詳しいのは相当マニアックなことだな。
165名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/15(月) 19:52:27.08 ID:8N3hBso00
>自分は1957年生まれだけど10歳くらい下の人

丙午のちょい後生まれだけど両親は共に昭和一桁世代ですが何か?
166名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 07:30:51.11 ID:uLcX3NUS0
>>162

> 家が貧乏で中学に行けなくても、社会にでてからチャンスがあった。師範学校は官費だし
> 戦前の方が今より社会階層間の撹拌があったと思われる。

「戦前」をどの範囲に想定しているのかによるけれど、
賛成できない。
貧富の差は格段に縮小し、
学力があっても貧困のせいで進学不能なんてケースは、
皆無に近くなってるのじゃないだろうか。


>>164

本が何冊か出て、それほどマニアックな知識でもなくなってますよ。
167名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/16(火) 14:14:12.25 ID:IA4YLwjZ0
>>162
確かに社会階層間の攪拌はあったと思いますが、明治・大正期にその傾向が
より強かったと思います。昭和に入る頃には、中産階級が定着しつつある事
で現在に近い状況を呈していたと思います。旧制中学から旧制高校への進路
は、現代の私達の感覚以上に狭き門、エリートコースだったでしょう。但し
学歴以外でのセーフティネット機能(職業人としての自立機会)は、現在より
は選択の幅はあったであろうと思います。むしろ現在のほうが階層の固定化
は着実に進んでいると思います。中学、特に難関の国立や私立中高一貫校へ
進めるかどうかで、後の東大、京大等の旧帝大、或いは医学部や早慶などへ
の進路が概ね決まってしまうからです(勿論、若干の例外はあるにせよ)
かつてはそのレールに乗れなくても、別の方策で職業選択の道はありましたが、
現代は殆どそのような余裕はありません。閉塞感を感じるのも首肯できます。


168名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/21(日) 12:49:23.07 ID:Tf+mfbhy0
学制改革で教育コースが単線化され、義務教育期間が延びたおかげで
国民の間に最低限の学力・知識が普及し、戦後の復興・成長に役立ったことは確かだと思う。
一方現代では、学校形態が画一化されすぎて硬直的に思えることがある。
世間では中卒後、高校進学以外の進路をとろうとすると「外れもの」とみなされることが多いようだし、
教育学者の中にも、6・3・3の枠組みにこだわって特に一貫校を戦前の不平等教育への回帰と批判する人もいる。
169名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/22(月) 10:10:34.20 ID:keUABWZI0
>>168 公立一貫校が解禁になったことで中等教育の戦前回帰は止められないだろう。
6・3・3の枠組みにこだわったあまり、私立の台頭を許し社会階層が固定化してきている。

京都、広島など左翼が強い地域ほど名門公立高校が壊滅し、金がないと良い教育を
受けられなくなっている皮肉。つまり、「地獄への道は善意というレンガで敷き詰められている」だ。

公立一貫校は貧乏だが頭の良い子にとって希望の星だ!!!
170名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 19:02:09.00 ID:Sz38EjrQ0
>>168
学校教育法によって学校のランク(1条校とそれ以外)ががちがちにきめられてしまったことがおおきいとおもう。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 20:09:31.06 ID:4yBlj9Bd0
>>169
いくら勉強できても塾通いが前提となっちゃってる難関校の現状じゃ、貧乏な子は逆にチャンスないのにバカだね。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/23(火) 23:14:22.95 ID:A/f6S7eS0
>>169

平等教育を声高に唱えていても、自分の子供だけは有名私立進学校等に
行かせている教師や有識者は多いと書籍だけでなくネットでも見かけた
ことがある。

大阪において地元集中運動を推進していた教師の話だけど、自身の教え子
には地元の高校に強制的に行かせるのに、実子を有名進学校に進学させ、
さらにそれを教え子達に俺の子供は賢いと自慢していたという書き込みを
見かけたことがある。
173名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 09:20:06.88 ID:D69HCYj90
>>170 18歳未満は90数パーセント以上が1条校に行っているわけだからランク
とは言えないと思う。ただ戦前の方が学校設立はやりやすかった面はある。

あおぞら文庫 ああ玉杯に花うけて 佐藤 紅緑
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000575/card3585.html

軍国化する前の戦前の雰囲気が良くわかる。
174名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 15:51:29.54 ID:ZdbQkyZs0
大正〜昭和にかけて公立・私立の旧制夜間中学や女学校が増加するが、
実業学校の夜間部が正規課程として昭和初めに認められた一方で、
中学校・高等女学校のそれは戦時中の中等学校令施行まで認められず、
長らく各種学校に位置づけられていた。
こうした学校が正規の機関になるまでの救済策としては、
「専検指定」制度や軍事教練の導入による徴兵猶予認可があった。
専検指定制度は、専門学校入学者検定が専門学校令によって規定される際に発足した。
本来は中学校や高等女学校並みの教育を行いながらも、
宗教教育など独自の方針を守るために各種学校に留まらざるを得ない学校の卒業生に対し、
上級学校への進学に便宜を与えるために定められた、無試験検定である。
それは、文部省が指定願いを申し出た学校のカリキュラムや教材、施設を審査し、
問題がなければ該当校の卒業生に高校や専門学校への入学資格を与えるというものだった。
この指定制度を拡大解釈することで、夜間中学や女学校の地位向上が図られた。
実際、専検指定と徴兵猶予さえ認めてもらえれば世間では中学校として扱われたようで、
夜間中学の中にも、昼間の難関中学校のように入試倍率が数倍を超えるところもあった。

>>173
しかし、物語の主人公が後半から通学する黙々塾は、文中から察するに学校としての
認可すら受けていない私塾のようである。
こうした場合に高専入学を目指すには、めいめいが専検や高検などを受けて入学資格を得てから
志望校の入試を受けなければならない、非常に厳しい道が待ち受けている。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 19:58:53.13 ID:3QoG3Gwy0
日本は戦後指導者の育成に失敗した。
平等の偽善を真に受けて実行したから、破滅する。
エリートは必要である。無しでは破滅する。
社会的平等の一つはクジである。総理大臣を全国民からクジで選ぶ。平等だ。
しかし猛反対するだろう。危険と損が見えているからだ。
平等主義も一枚裏を見ると損得主義だ。
だとしたら、エリートをそだてて指導者にするのが筋だ。
エリートと非エリートの共通点は、愛国心だ。
この民族主義でつながっているい以上、役割分担で割り切るべきだ。
アラブでは人間は手の指のようだという。
親指に生まれたものも小指に生まれた者もいるということだ。
全員親指ではないのだ。
駿河山人「がんばれ産経新聞」より転載
http://pub.ne.jp/surugasankei/
176名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/24(水) 20:48:23.12 ID:P8q5DXW80
>>175
しょーもないウヨコピペ貼るな
177名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/28(日) 23:30:34.40 ID:544MrfZd0
>>171
確かに難関私立中高一貫校の入試問題で合格点を取るのは、ヘタな大学入試
問題よりも難しいです。では公立中高一貫校はどうか?こちらは『受験』で
なく『受検』、つまりスタンスとしては「入学検査」という事で、お気楽に
考える父兄も居るようだが(学費の安さ等も視野に有る)難関私立対策ほどで
はないにせよ、普通の学童が安易に取り組めるほど甘くない。やはり相応の
対策が必須です。将来的には、戦前のエリート養成的な性格になる可能性を
秘めています。経済的負担軽減から公立校を選択するどころか、子供やその
家庭環境の文化資本、経済資本の優位性によって選択される、という格差の
急速な拡大に歯止めが掛からなくなるでしょう。>>175の気分も分からなくは
ないものの、最早『大和魂』や『精神注入棒』ではどうにもならない所に来て
いると言えます。教育現場は『精神注入』どころか『資金注入』によって環境
整備(ソフトもハードも両面で)が必須でしょう。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 01:57:51.60 ID:T7JfYP1I0
じゃあ、最高税率が上がって現場に注入されれば良いのかもしれないね。
消費税をアップさせすぎるといろいろ現場がしんどくなるだろうな。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 10:44:55.68 ID:8saBNind0
だんだん英国式に似てきた。私立一貫校がパブリックスクール、公立一貫校がグラマースクール
普通の中学校がコンプリヘンシブスクールと言えるのではないだろうか。

願わくば、東大合格数を競うだけでなく、エリートとしての心構えとかまで
教育してほしいものだ。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 10:51:26.69 ID:8saBNind0
ここ、興味深いね。

ttp://pr.inter-edu.com/110722/
181名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 20:39:49.99 ID:PK18n3hk0
>>180
東急 都市大
東武 武蔵
西武は?
182名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 22:55:42.80 ID:lOyHNUbT0
旧制中学をぶったぎるかたちで新制高校と新制中学をつくったのは失敗だったような気がする。
中等教育の理念が曖昧になってしまったというか。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/29(月) 22:59:10.20 ID:lOyHNUbT0
高等小学校を高度化させるかたちで9年制の初等教育学校をつくればよかったとおもう。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 00:28:23.94 ID:Xls6hvYv0
>>181
西武の教育に対する貢献は学校設立よりも、むしろ谷保村に大学町を造成して東京商科大学を移転させたことにある。
直接作った学校としては国立学園小学校があるが、これは中学校以上の教育機関を誘致するための呼び水的な意味で
置かれたきらいが強い。あとは当時の私立小学校の例に漏れず新教育を展開していたことくらいか。

>>182
>>183
戦前から高等小学校を強化して尋高小学校の課程を義務化させる計画は幾度もあがったが、
実現寸前に内閣が解散したりするなどして最後まで阻まれた。
高等小学校課程の義務化は、1941年の国民学校令と1943年の中等学校令で、
国民学校高等科と中等学校第2学年までの課程が同等のものとされた
(中等学校には高等科修了者を受け入れる後期2・3年のみの課程の設置が認められた)ことで最も前進するが、
時局が時局なだけに終戦まで猶予されることとなってしまった。
結局なし崩し的な形で、学制改革時にそれぞれ年限を1年増やすことで、
中等学校前期と国民学校高等科(2年制)を新制中学校に、中等学校後期(2年制)を新制高校に充当することで
ケリが付くことになる。

昨今PISA上位といって何かと持ち上げられている北欧諸国の義務教育は、
現在は小学校6年+中学校3年を統合した9年間の総合学校(その上に選択制の第10学年がある)
に大体まとめられているようだ。また、教育バウチャーを導入したスウェーデンでは、
公費補助を受ける私立学校は授業料を取らないことになっているとか。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 01:22:11.77 ID:Xls6hvYv0
完全に余談だが。
学制改革によって、新しい教育の場として新制中学校・新制高校は発足したが、
現場は必ずしもそのように受け止めたわけではなかった。学校種の名前に引きずられ、
生徒や教職員の間で、旧制中学校や旧制高校の真似をすることが各校で流行した。
それまでエリート養成機関だった学校の名前がやってきたから、
得意がって背伸びしようとしたのだろうか。
新制高校では制帽に白線を入れて下駄をはいてマントを羽織ったり、
寮歌祭やストームを企画して張り切る姿があちこちで見られたという。
一方、都市部では小学校に併設された新制中学校を元・高等小学校だからと毛嫌いし
(設備が劣悪だったこともあるが)、余裕が多少あれば、施設が比較的健全で伝統・実績もある
私立の旧制中学校や高等女学校の併設中学校に子どもを通わせようとする家庭が多かった。
こうした風潮は中学校が新制に完全に切り替わり、新制高校が大衆化していくとともに
沈静化していくが、国民の意識の切り替えが円滑に進まなかったことが、
後に高校間の格差やひずみを生んだ原因の底に横たわっていると思われる。
186名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 10:31:19.31 ID:JVnkhL9S0
>>185 新制切り替え後、しばらくは新制高校に付属中学があったんだね。
それを残しておけば実質的に旧制の複線教育を維持できたのに惜しかった。
今、一貫公立高校がこの路線に戻りつつある。

建前で新制高校は平等ということにしてしまったため学校間格差という
「横の学歴」がはびこることになった。東北地方の中都市では、県立名門高校
に入るため浪人する子供までいる。そこを落ちるといきなり「動物高校」
になるからだ。仙台くらいの大都市だと中間の選択肢がいろいろあるが。
187名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/30(火) 10:39:13.40 ID:JVnkhL9S0
>>185
生徒や教職員の間で、旧制中学校や旧制高校の真似をすることが各校で流行した。

それは気持としてはわかるね。旧制7年生高等学校があったからね。
新制高校3年生は旧制高校2年生と学齢が同じになる。
188名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/31(水) 01:08:54.72 ID:0S5H/reR0
新制の話に続けてしまうが、北陸と東北の中等教育レベルの差はいったいどこに由来するんだろうね。
案外、交通機関が充実しているかどうかのような気もするが。
189名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/01(木) 00:28:41.19 ID:vRSoZ9+I0
>>187
ハリポタの魔法学校は7年制だね。先生たちはプロフェッサーと呼ばれているし
新制の中高一貫校ではなく旧制7年制高等学校なんだな。
190名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 00:14:17.99 ID:iLglb2yZ0
日本の教育界が「平等」に極めてうるさいのはどうして?
戦後教育が「戦前のエリート教育と庶民教育の二本立て教育制度は失敗した」こと
前提に成り立っているから?
191名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 00:28:11.26 ID:MdDW8sZB0
そもそも今の日本の教育界が「平等」に極めてうるさいなんてこと全く思わないわ。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 00:32:51.25 ID:TPxV1Zn60
いや、平等だろ?
女は尋常だけで十分だ
193名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 12:42:47.73 ID:SfsLTkcy0
建前の「平等」を追及したため同じ制度の中での学校間格差『横の学歴』が
はびこってしまった。

高校生のとき「わが校のような進学校では・・」といったら教師がえらく怒って
「それは全日制普通科高校のことですか???」といった。
通りの向こうの動物高校とわが校がおなじわけないと、大人の偽善に反発した。
まあ田舎の県立名門高校程度で今考えるとこっちもたいしたことなかった。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 13:11:18.28 ID:TPxV1Zn60
世の中に平等と言うほど矛盾した言葉は無い
理想はあくまでも理想、実際には何事も平等では社会自体が成り立たない
言葉で平等と言っても、平等でないのが現実
むしろはっきりと線引きしたほうが自然である
その線引きはその時代の価値観だが

女は尋常だけで十分
健全な社会構築の為これは未来永劫変わらない
195名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 16:14:02.62 ID:nJJmrCFq0
安住財務大臣の出身校である早稲田大学社会科学部の前身は
旧制専門部の政治経済科及び法科ということでいいんでしょうか?
196名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 16:16:39.07 ID:nJJmrCFq0
それとも早稲田専門学校の政治経済科・法科・商科になるんでしょうか?
197名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/14(水) 23:20:19.66 ID:i0Vopt+10
>>195
>>196
早稲田社学の前身は第二政経・第二法・第二商の3学部。
学制改革の際に、昼の第一学部の長は旧制の各学部長が、夜の第二学部の長は専門部の各科長が
兼任しているので、第二学部は専門部(昼間)と早稲田専門学校(夜間)を母体にしてできたというべき。
早稲田専門学校は、当初は専門部第二部として作られるはずだったが、専門部の学生が反対したので
わざわざ別個の学校として設置されることになった経緯がある。

・早大専門部政治経済科+早稲田専門学校政治経済科=第二政治経済学部
・早大専門部法科+早稲田専門学校法科=第二法学部
・早大専門部商科+早稲田専門学校商科=第二商学部
ということ。
なお、第二理工学部は専門部工科の単独移行。戦時中に附属の各種学校だった早稲田高等工学校を
夜間の工業専門学校に昇格させる話もあったがそれは実現しなかった。
また、専門部・早稲田専門学校共に文科は置いていなかったので、第二文学部は全くの新設。
教育学部は高等師範部の単独移行で第二教育学部は作られなかった。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/24(土) 23:41:06.94 ID:Ds60Qe/C0
今でも大学応援団員で着用する者もいますが、明治・大正・戦前・戦後の
一時期までの大学制帽を集めています。大別すると早稲田大学・同志社大学
の角帽、帝国大学・官立大学・その他私立大学の角帽、慶應義塾大学の丸帽、
という事でしょうか?一番多い『帝大型』角帽も、明治・大正期の物と昭和期
の物、さらに私立大学では関西大学、拓殖大学など、微妙に形状が異なるよう
なのですが、これは各地の帽子製造店の違いという事で解釈して良いのでしょうか?
この辺りの分類、トリビアルについて御存じの方は書き込みお願いします。
199名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 08:08:27.45 ID:h2N17Kb90
>>198
昭和三十年代、近所に下宿してた九州大学の学生たちに遊んでもらいましたが
いつも学生服でしたね。応援団の人と言う訳ではなかったようです。
帽子がどうだったかは覚えていません。

卒業式の時だけガウンに角帽という習慣は今でも海外の大学や高校でも見られるが
日本はなんで廃れたんでしょうね。
200名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 22:53:55.12 ID:yD/czbOF0
>>198
丸帽のタイプ別に一高型と三高型の分類がありますが、
天井の縁が丸い一高型に対して、三高型は縁にうねりが付いてます。
この2つの型の名はそれぞれ旧制の一高と三高に由来するのですが、
両校とも校則の服制では「制帽は海軍型とする」とされていました。
下のサイトによれば、三高型制帽は大正末に作られ始めたようですが。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~tbc00346/component/tyuu9.html

また、制定された当初の帝大型角帽は、後代のに比べるとやや頭高に仕立てられていたように見えます。
時代が下るにつれ変化していったのは製造者の入れ替わりや流行の変化によるものかと。
201名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/25(日) 22:54:50.40 ID:yD/czbOF0
話が脇道にそれますが、東大が定めた服制は、「大學」の二文字を帽章にした角帽に、
金ボタンを5個付けた詰襟服と、今の学生服の原型をなすもので、
そのボタンの模様は一対の桜の枝を交差させた上に「大」の字を置いたものでした。
それが他の帝大や官立大にもそっくり採用されるのですが、
神戸商大や広島文理大、神宮皇学館大といった一部の大学はボタンに独自の模様を使い、
東京商大の場合は帽章についても高商時代のマーキュリーを角帽に使い続けました(辛酉事件の影響か)。
202200:2011/09/25(日) 22:59:27.95 ID:yD/czbOF0
>>201の訂正
×辛酉事件
○申酉事件
203名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/26(月) 21:43:01.65 ID:3RzCa+8D0
>>199>>200

>>198です。情報ありがとうぞざいます。【一高型】【三高型】の分類は首肯
するところがあります。【帝大型角帽】(私立大学も含めた定番型)にも製法で
生地を直接に縫製する型(三高型縫製?)と生地の接合部分に玉縁(細いコード状
の紐)を縫製する型(一高型?)が有るようです。天井の四角形は、制定当初の時期
は古写真等を見ると大型で、時代が下がるにしたがって小型になっているようです。
学生服の釦の話については「目から鱗」です。国立大学の釦は制定以来、ほぼ不変
ですね。東京商大の角帽徽章が『マーキュリー』なのは、成る程と思いました。

引き続き、各大学の制服・制帽や、固有の学生文化等の情報がありましたら
書き込みお願いします。
204名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/26(月) 22:07:05.37 ID:8Bbok6UI0
大学生はいつ、どうして詰襟の学生服を一般的に着なくなったの?
今は一部の体育会とか応援団しか着ないよね。
205200:2011/09/27(火) 00:03:18.86 ID:s3a9WfLJ0
>>203
帝大型の中の差異には今まで気が付きませんでした。玉縁を噛ませるのが本式ではあると思いますが。
早稲田や同志社の座布団型は一枚布で天井を作るので帝大型より角が鋭く、天井も平たく仕上がりますが、
こちらのほうが欧米の房付き角帽にシルエットが近いですね。関西大と拓大のは座布団型と帝大型の折衷式のよう。
正岡子規が使用していた帝大の角帽の写真がありました。やはり大正・昭和の頃より天井が大きいです。
ttp://blog.goo.ne.jp/hajimete01/e/5fb38672ee1cd6bd4d336ddd33a84850

学帽は基本的に、小学校・中学校・高等学校・専門学校は丸帽、大学は角帽のイメージがありますが、
大学の専門部や一部の専門学校は角帽を定めていました。修業年限が長かった医専は殆どの学校が角帽でした。
中学校の中にも角帽を使っていたところがあり、岡山県立岡山朝日高校や福岡県立育徳館高校は今でも角帽だそうです(着用は自由)。
丸帽の装飾は、無地、白線、黒の蛇腹布がメジャーかと。白線は高校の象徴でもありますが、蛇腹は実業学校や専門学校に多く用いられました。
大学の予科では白線の学校と蛇腹の学校とがそれぞれありました。

変わったところでは、成城高校、東京高等工芸学校、昭和期の東京音楽学校など、背広の制服だった学校では、
ソフト帽やお釜帽を制帽にしていた学校があります(東京府立五中など、制服は背広でも学帽は普通の丸帽の学校もありました)。
ただし成城高校では、他の高校のような白線帽を希望する生徒が改定運動を起こしたこともあります。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/02(日) 23:59:05.58 ID:t8zULWDm0
>>204
大学から学生服が消えたのは70年安保世代あたりかららしいが・・

http://unkar.org/r/history2/1252843043
207名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 11:21:32.88 ID:bFp06UdqO
自分は大学生なんだけど、高校の頃の友人のお祖父さんが、昔、高校の校長やってた人だったな。
広島の高等師範学校を出て英語教師になり、高校の教師から校長になって定年退職した人だったそうだけど。

教員養成の仕組みが変わって相当年数経ってるし、公立の学校で教師になった人はことごとく定年退職してるだろうけど、
当時の高等師範学校卒業している人って、今は最低でも何歳くらいになってるのかな?
やっぱり現在で最低80歳代くらい?
208名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 13:19:57.26 ID:ca0b+C6h0
>>207 高校生だったのは70年代だけど当時西日本の高校教師の主流は広島高師だった。
九大や東大より偉いという感じで、その派閥が新制広島大学まで続いていたもんだ。
いわゆる、職人教師みたいな人が多く、自分はあまり好きではなかった。
旧制広島高師は戦後もしばらく存続していたのが、やはり最少年齢は80歳くらい
だと思われる。

九州の高校から東北大学に行って仙台の高校で教育実習もやらせてもらったが、
高等師範出の教師は皆無で東北大学の理学部文学部が主流だった。
東日本にも東京高師があったのだが広島みたいな強烈さはなかったようだ。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/12(水) 18:29:33.89 ID:bFp06UdqO
>>208
そうなのか、ありがとう。

北部九州の県なんだけど、広島高師卒の高校教師が主流の時代が、
うちの県にもあったのかもしれないな。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 15:30:10.47 ID:K4qzJ//M0
高等だろうがなんだろうが、師範は所詮師範、戦前は大学ではなかったし、
でもしか教師の養成機関にすぎない
211名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 15:43:20.04 ID:9B5ZRX8u0
高等師範学校と今の地方教育学部では難易度が違いすぎる
高等師範→文理大学への進学で大学卒教師はいた

高等師範の難易度は旧制高校並みだった
212名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 15:50:05.87 ID:9B5ZRX8u0
それと、小学校教師、中学校教師、高校教師では難易度が全く違う
旧制中学(現在の中高一貫校みたいなもの)の教師になるには高等師範以上の学歴でないと駄目
師範学校は小学校教員養成校
213名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/13(木) 23:51:43.28 ID:2arNw7a90
えっと、戦前の教員養成校の入学資格について、
ナナメ読みしたのをまとめたんだけど間違いがあったら指摘をお願い。
1943年師範教育令改正前までのまとめのつもり。

・師範学校本科第一部・女子師範学校本科第一部(5年制)
 高等小学校(2年制)卒
 中学校or高等女学校2年修了(実家が急に貧しくなったなどのケース、まれ?)

・師範学校本科第二部・女子師範学校本科第二部(2年制)
 中学校or高等女学校卒

・高等師範学校・女子高等師範学校(4年制)
 中学校or高等女学校卒

各学校に存在していた専攻科についてはよく分からないので省略。
あと、師範学校の第一部って実業学校の2年修了でも入学資格有ったのかな?
214名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 02:11:22.95 ID:hLSnYobE0
>>213
実業学校全般は、昭和初期に専検指定(高専への進学に際して中学校・高等女学校と同等に取り扱われる)を
受けるようになったので、どれほど遅くともその時期からは、師範学校への接続も他の学校種と変わりなかったと思われる。
それより前からも、中学・高女中退者に混じり、実業学校を辞めて師範第一部に入りなおしたケースがあるが、
数が少なかったのであまり気にされなかったのだろう。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 08:18:22.70 ID:SJ8/MQCh0
夏川りみの涙そうそうにちなんだドラマシリーズで、主演の女教師が担任する
広島市内の高等小学校のクラスが男女共学だった。
戦前は法律でも小学校の男女別学が定められており、これはありえないはず。
過疎地の複式学級ではそういう例もあったらしいが当時の爆心地に近い広島市内で
そんな例は考えられない。
216名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 15:24:21.96 ID:mtSbPZSJ0
尋常小学校でもそうなの毛?
24の瞳はどうなん?
217名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 17:10:16.77 ID:t5Cq0yn40
>>211
でも、大学ではなかった、、と、、
218名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 17:27:44.00 ID:JoNwJP430
戦前の評価
旧官立大学(旧帝含む)>旧制高校>高等師範=官立専門学校=早稲田大学・慶應大学>早慶以外の私立大学

大学って言っても、私立だと評価が低かった
私立の場合、はっきり言って世間的には大学として見てなかった
219名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 17:38:42.97 ID:JoNwJP430
昔は今と違って、尋常小学校教師と旧制中学校教師では給料が大きく違っていた
確か1.5倍くらいの差があったはず
220名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 17:46:01.64 ID:JoNwJP430
今の地方大教育学部は戦前でいう師範学校
今も卒業生で教師になる人はほとんど小学校教師
教育学部卒で高校教師になる人は少数
高校の授業を地方大教育学部卒では教える事は学力的に不可能に近い
221名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/14(金) 18:18:31.13 ID:ZDQtxJwti
>>220
だよなあ、青森だけど、教師ほとんど弘前大だもんな
222名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/15(土) 09:17:36.20 ID:OXyFeCXP0
>>216
高学年では男女のカリキュラムが違っていたから
それも広義の複式学級だね
223名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 15:43:53.91 ID:uJghKnCG0
俺の父は、戦後の旧制中→途中で新制高に通ってたが、
1学年200人程度で、全校900人程度だったって。
全員男子で、当時の日本の人口は今の半分程度だから、
割合としては現在とほぼ同じ位と言ってた。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 18:53:28.01 ID:Qaw6/hDY0
俺の親父は、旧制工業専門学校卒。
戦時に合わせて出来た学校。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 20:03:35.41 ID:aoCsR1zI0
旧制中等学校(旧制中、高女、実業)の最後の入学生は昭和21年組。
翌年の22年から新制中学がスタートし、旧制中等学校の2,3年生は
旧制中等学校に併設の新制中学の生徒になった。
併設中学は21年組が併設中学を卒業するまで続き、一般の新制中学生
と区別して彼らは併設中学生とよばれた。
226名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 20:54:51.98 ID:PMCkAKfv0
>>225
併設中学残しておけばよかったのにね。最近公立の中高一貫とか戻しつつあるけど。
227名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 22:58:34.12 ID:00K8ujOD0
旧制中等学校の設置は、学校教育法の施行される直前の昭和22年1、2月までは、
次年度の昭和22年4月から開校する場合でも認められることが多かった。
そのときは開校と一緒に新制中学校も置き、翌年度に新制高校を開いて対応していた。
なお、中等教育での新制開始後には、旧制学校の設置はできなくなったが、
金沢高等師範が戦争末期に置いた附属の特別科学学級を、例外的に4月以降に旧制中学校に移行させたケースがある。
これは新制中学のみの設置にすると、旧制中学の新4年生にあたる生徒の収容先がなくなってしまうことから
行われた措置である。この翌年度に新制高校に改組され、今の金沢大学附属高校となる。
ちなみに、金沢大学附属中学校は石川師範学校の附属小学校高等科の流れを引くため、
中高間の連携は今に至るまで十分とはいえない状況である。
228名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 01:13:42.71 ID:dIQ4HvGR0
放送大学が BSでも 放送 するように なったけど、旧制高校の 授業って
放送大学みたいな 感じだったのかな。
229名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 04:43:53.35 ID:/99szJB6O

戦前の人間の在り方について非常に興味があるのですが、当方、歴史は素人であります。
そこで質問なんですが…田母神さんの発言の中に
『敗戦国は戦勝国により過去の歴史を闇に葬り去られる。』つまりGHQにより闇に葬り去られたアメリカに都合の悪い部分が気になっております。
@日本人が何事においても、何故に早い段階で己を立っせえた理由は教育にあると思います。つまりその秘密は何かについて。
A戦前教育科目の中にあり、戦後抹消された教育科目について。その目的は何だったのかについて。
B明治維新の偉人の根底にあるのは恐らく陽明学かとは思われる偉人を排出出来たルーツとは?

アメリカにとって抹消したかった本質の部分とは、要は日本人の底力だと思っております。
特に今の現代人に必要であろう内容について比較してご教授願えると光栄です。
230名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 06:08:50.72 ID:EHMAWxHW0
>>228
経験者に聞いたけど語学がものすごく重視されていて語学学校みたいだったそうだ。
また理系でも哲学とか語れないと馬鹿にされた。
231名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 06:25:14.74 ID:EHMAWxHW0
>>227
高等師範学校は、広島と東京しか知らなかったが戦時中に金沢と岡崎にできたんだね。
金沢は文理大学までできれば北陸帝国大学になっていたと思う。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 10:03:24.66 ID:w6mFjYgm0
@磯田道史によれば天明の大飢饉以降、 松平定信ら寛政の改革が画期になったという。
この改革は蘭学の禁止やら質素倹約の強制やらで評判がわるいのだが、この改革以降、
幕府はじめ諸藩の文教政策の強化や、民生への積極的(それまでの収奪的な消極的関与
ではなく)関与をはじめたとする。

A修身ですな。国史も入るのかな。

B戦士階級である武士が特権的・有閑階層となり文教をになっていたこと。司馬遼太郎にいわせれば
そういうことらしいですな。アーネストサトウやイザベラバードに言わせれば汚職を憎み名誉を非常に
重んじる文化は他の中東・近東・極東アジアとは隔絶しており驚嘆したらしいですな。

ありきたりのレスでごめん・・・
233名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 11:43:00.29 ID:/99szJB6O
>>232

有り難うございました。
修身と国史ですね?
ちなみに修身とは内容はどのようなものだったのでしょう?
修身が立身の為のガイドライン的役割を有していたのですか?


アーネストサトウもよく見ていたんですね。
確かに汚職が少なかったというのはなんとなく分かります。
恥を重んじる文化を何世紀もかけて国内で風潮を作った結果かと思います。
もし倫理を著しく乱し逸脱すれば、厳しいお仕置きが待っていたのでしょうし。
極刑は打ち首で梟首で晒されれば、極悪人でも留まり考えを改めると思いますし。

234名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 12:43:22.34 ID:dIQ4HvGR0
>>230
もともと 外国語で 授業を する 大学の 予備校として つくられた わけだから あたりまえかな。
235名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 13:07:21.01 ID:lN4taGjD0
>>232-233
戦前の教育というより江戸時代の家庭教育がよかったんだな。
学校の漢文とはべつに家庭で「素読」をさせる習慣は大正生まれの人まで
残っていた。明治にいきなり英語で本を書いたり講演できたのは漢文で
脳が鍛えられていたから。

陽明学はそういう地道な努力を否定するとこがあるので朱子学をやったうえで
入門しなさいと言っていた陽明学者も多い。昭和の軍人はそこらへんを
早とちりしていきなり陽明学や日蓮宗のカルトにかぶれたりしたんだな。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/18(火) 14:32:45.25 ID:sQ5MLvEXO
色々ご教授有り難うございました。
私も現代人ですから、無粋にも色んな方向から疑い深く見てしまうんですが…
例えば良い意味でも悪い意味でもマインドコントロール的な要素などはなかったのかについて。

朱子学は封建主義や軍国主義な社会に向いている教育でもある気がします。
若干、人を歯車や駒にしたかった部分はなかったのかとか…。その1つ1つのパーツを高める教育なのでは?
つまり国家から、または元首の視点から見て都合の良い民の在り方を説いたモノではなかったか?
と思ってしまいましたが浅はかでしょうか?
一方、陽明学はかなり個人主義を主体としたかなり現代的で民主主義、資本主義社会に寧ろ向いている気がしています。
現代でも様々な会社の社訓に陽明学を参考に作られたのではないか?と思ってしまう様な何節かはある様な気もしますしね。

237名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 05:09:55.42 ID:2wgTiz1AO
229の者です。
>>229にある通り、一番興味深いのは…戦前も戦前の幕末〜明治維新を成功させた若い世代についてなんです。
そもそも高杉晋作の享年が29歳を知った際に、他の松下村塾下の生徒達はそれよりも若い年小の者が多かった訳で…
松下村塾自体が幕末の志士を輩出できえたのは、吉田松陰の教えの才もあるのでしょうが…
果してそれだけでしょうか?実稼働4年にも満たなかった吉田松陰が教鞭をとった期間ですからね。
確かにかなり強引なやり方で列強は日本を侵略せんと強気で迫ってきて…
清が列強の餌食にされて、アングロサクソンに対する憎悪は当時の日本国内強かった事は想像できますが…
攘夷を掲げた以上は、幕府の敵になるという事。つまりは『賊軍』になる事を顕すのであって、
今でいうテロリスト的な立場だった事を考えると、よく成し遂げられたものだと、世界中が感心した成功体験だったと思います。
238名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 05:14:38.75 ID:2wgTiz1AO
237の続き。
既成のモノ【幕府】を淘汰するなんてのは、どんな時代においても生半可なものではない筈なのです。
高杉晋作などは50倍に相当する幕府軍を相手に立ち向かったと言われていますしね。
その度量たるや人間の常識をはるかに越え、ロシアでは『ナポレオンだってそんな無謀な事はしないぞ!』と言って驚愕して紹介された様です。
こんな奇想天外な史実は世界を探しても例は無い様に思います。
この大きな時代の変革を起こした幕末の若い世代を現代の我々と比較した際に強く思うのは…
自主性と使命感に満ちた実に男らしい生きざまなんですよね。
畏敬の念を表さずにはいられません。それはあくまで子孫の我々への為だったのですから。
幕府に対する『賊軍』の汚名をあえて自ら着て、自ら改革するという精神的なタフさ。
更にはハングリーさ、行動力、度量、器、判断力、決断力どれを取っても人として感心する様なマンガの世界の様な史実が本当に日本にはあったんだ!
と考えると…その原動力になる教育の内容がどうしても知りたくなる訳です。

とにかく『必死!』捨て身上等のその神業たる偉業を支えた教育のディテールとは…!

239名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 06:30:21.08 ID:gu0J7CFa0
朱子学は感情の学問というところがありますね。怒りや憎しみというものを
積極的に肯定し、理が通らないことを罵倒するのをよしとするところがある。
美しいことばで言えば性即理・「内面や実践を重視する」てことでしょうけど。
陽明学はもっと実践的で、もっと人間らしくほがらかに他人をおもいやりながら
やっていきましょうよという部分があり、>>235さんが言うように朱子学から入門
しなければ完全に陽明学を誤解してしまうところがありますね。
240名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 06:39:51.62 ID:0rLwdNad0
精神論は別のスレでやってね?
241名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 15:59:40.99 ID:gu0J7CFa0
精神論ってなんですか?別のスレってどこですか?
242名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 01:38:29.50 ID:pmglPp7fO

いや、単に『遮二無二…』っていう様な精神論だけじゃないだろう。

243名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 03:36:57.02 ID:+lVRt0Mk0
性即理なんだから仕方ないじゃん。朱子学の説明したら「精神論は別のスレでやって」とか
いうほうが意味わからん
244名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 05:13:09.60 ID:pmglPp7fO
まず、人として生きる上で…
知力にせよ実力にせよ武力にせよ…真剣にレベルを高めようという試みは、過去から実際1つの『真理』として信じられてきた。
そのガイドライン的役割が朱子学であり、陽明学であっただけ。
人は人としていかに高めていくかを競いあいもしたが、結局は自分との闘い対話に行き着く事を知る。
その過程をいかに楽しんで結果を残したり、形にしたりしたものをようやく自信に変えられる訳じゃないですか?
そして高めようとすれば、苦痛が伴うのは必然であって、それはいわゆる経験値としてかけがえのない自信という財産に変わるんだと思う。
目的は『高める』後でついてくる過程が苦痛はついてくるが、ならばその高めるんだという過程を楽しんではいかがかな?
目的は見失わない。高まった自分は多分、以前の自分より更に好きになれると思うよ。

その目的を見失い、過程だけの苦痛だけを捉えて単に精神論などといった言葉で結論づけるのは愚の骨頂。
ただ悪戯に自分を痛め付けるだけ。逆に言えば目的を見失うのが最も不幸だろ。

245名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 05:18:21.55 ID:pmglPp7fO
>>243

四六時中エロの事しか頭にネェバカはピンク板行っとけ!カス!
君は丁度『愚』という岩の頂上にいるバカに過ぎない。

246名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 06:54:54.59 ID:MfRVcH1r0
>>245
釣りで言っているのか??? 性」の意味を知らないとか無いだろうな??????
まさかほんとうに「エロ」だとは思ってないよね!!!!!!
247名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 08:23:46.16 ID:+lVRt0Mk0
2ch流の、この「名無し」が「罵倒」しあう、この態度は朱子学的といえなくもない。
儒教を軸とした学問体系は聖人君子の学であるが、これは反照として統治される側に
無記名で流動する大衆、部民、群集を想定している。カオナシの「被統治者」であり
つねに無責任な暴民を対手としたさいに君子・士太夫はどのようにふるまうべきかを
論じている。ところが朱子学・陽明学となると、その視点は王侯がどのようにふるまう
べきか、という頂点から、士太夫は、部民はどのようにふるまうべきかという位置に
降りてきており、これは「名無しの、カオナシの大衆がいかにふるまうべきか」を論じた
大衆学の呈をなしている。日本において天皇を中心とした国体論が、天皇がいかに
あるべきかではなく、天皇を尊崇する部民がいかにあるべきかを論じるようになったのは
このためである。儒学でありながら、視点は孔子のものとは逆転しているわけだ。
248名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/20(木) 15:35:43.17 ID:2yPIXsLn0
>>205
古写真や帽子店業者の話を元に、明治・大正期頃まで用いられていた角帽
を製作している(と言っても、製作依頼があれば、の話)帽子店で古式角帽
を誂えました。国語教科書/参考書等で散見する、芥川龍之介が帝大時代に
久米正雄、松岡譲、成瀬正一らと詰襟・角帽姿で写した写真のアレですね。

>>231
京城帝大や台北帝大は別として、ナンバースクールは八校だった訳だから
内地の帝国大学も八校目として『北陸帝国大学』案が浮上したのも首肯出来る。
そう考えると、北陸・中国/四国地方に帝国大学が無かったのは興味深い。もし
候補だったら、金沢の他には、岡山だろうか。
249名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/21(金) 07:40:53.32 ID:fix5RKJv0
>>248 北陸帝国大学構想があったことは金沢大学関係者から聞いた。
名古屋が駆け込みで帝大になったことを悔しがっていた。
名古屋帝大も医大を母体にしているから中国地方につくるとしたら岡山だろね。

戦前の体制がいまいまで続いていたら千葉、長崎、熊本とか帝大インフレになり
乱立したかもしれない。
250名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/22(土) 18:00:32.26 ID:8VxIefgRO
>>246

私が間違っておりました。

251名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 15:46:34.69 ID:KkD4k1iX0
自分の爺さんは明治23年生まれ(自分はバブル世代)だが
その爺さんの残した手記によると明治40年代初頭に中学から大学へと
進んだようだ。
大学の名称は「東京農科大学」で、よくよく調べてみると現在の東大農学部
らしいことが分かった。
ちなみに、その爺さんの職業は銀行マン(第一銀行)だった。
252名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/23(日) 20:51:05.94 ID:EFrOsz4M0
>>225>>227
高等小学校卒業が入学資格の中等学校は22年も新入生を募集してる

23年から新制高校がスタートしているが奄美大島の大島中学と
奄美高女は1年遅れの24年まで旧制で存続した
253名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 10:52:00.84 ID:dK4yevd/0
>>251 もう旧制高校が確立いしていたからそれは無いと思ったが
よく調べてみると中学から行ける帝国大学農科大学『乙科』というのがあったんだ。
貴重な情報ありがとう。

>自分の爺さんは明治23年生まれ(自分はバブル世代)だが
すごいね。昔の男は結構、高齢になってから子供を作っている。
自分は昭和30年代生まれで爺さんが明治30年代生まれだ。
254名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 11:33:50.51 ID:dK4yevd/0
小中学校の教員養成課程を含んでいないのが旧帝大の特徴なら
東京学芸大学は今でも別に存在するから筑波大学は戦後にできた
「新」帝大と言えるのではないか?

師範と高等師範が合併している広島大学はこの資格を失った。
255名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 12:16:59.98 ID:+xfBAFCE0
>>254
東京教育大学のリベラリズムをつぶすために筑波にしたんだろ
256名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 18:24:37.37 ID:7kg0ppOV0
>>253
>>よく調べてみると中学から行ける帝国大学農科大学『乙科』というのがあったんだ。

爺さんの手記には「東京農科大学の実科」と記して有りましたよ。

>>すごいね。昔の男は結構、高齢になってから子供を作っている。

自分は一番下の末っ子で、父親も末男、爺さんも末男、爺さんの父親も末男。
気が付いたら先祖の史料や遺品の管理をしているのがすべて末男なんです。(笑)


257名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 21:05:05.55 ID:NWhiBqrDO
戦前中等教育が別学なのも、中学行けなかった人のために専検制度があったのも知ってたけど、
女子専検っていうのがあったのは今日初めて知った。

これって、当時の中学・高女に合わせて、専検の科目が男女別だったと考えて良いのかな?
258名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/24(月) 21:25:45.43 ID:SJ9pAoyN0
>>257
ある女性の回顧録ですが、女子専検とは明記されていませんが
試験科目のうち、裁縫、家事は明らかに女子のみの科目ですね
http://d.hatena.ne.jp/kikue85sai/20061010
259名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/25(火) 03:43:38.39 ID:ICR+48aW0
>>257
専検は男子・女子に分かれて試験内容が異なり、
それぞれ男子専検は中学校、女子専検は4年制高等女学校の卒業時点と同レベルの学力試験が課された。
試験科目もそれに合わせ、女子の場合は家政に関係する科目などが出題された。
専検合格した女子は上記の通り4年制高女卒業とみなされ、
女子専門学校予科や女子高等師範学校など上級学校の入試を受けられるようになった。

ちなみに、中学4修からの高校入学が認められたのに合わせて、
男子のみを対象にした高等学校高等科入学資格試験が大正期に新しく作られたが、
こちらは合格しても受験できる学校が高校の高等科や3年制大学予科くらいに限られていた。

そのほか、専検の運営・監督は、内地では文部省、朝鮮・台湾では両総督府、
樺太は樺太庁、満州方面は関東庁と、地域ごとの最高行政機関が担っていたが、
大体は文部省が主導する形をとり、検定合格者はいずれの地域でも同じ取り扱いを受けた。
260名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 13:32:10.92 ID:ZvTF50yT0
戦前の中学生が考える難易度
一高、三高>それ以外のナンバースクール及び海軍兵学校>ナンバースクール以外
の旧制高校及び東京商大クラスの官立大学予科>陸軍士官学校>早慶クラスの私大予科
>それ以外の私大予科及び専門学校

ただし陸士や海兵は特殊な学校なので一高並みの学力のある者が行く事もあったらしい。
261名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 23:01:25.84 ID:pV3n/N860
帝大予科、官立工専、高等師範などは早慶以下ということはないのでは?
北大予科を高校の滑り止めにしていたという話を聞いたことがあります
また横浜高商は並みの高校よりも入学が難しかったとも
262名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/26(水) 23:33:29.60 ID:Fk4e7A2h0
都市部の学校は専門学校でも官公立、かつ大学附属なら進学・就職ともに
地方の学校より充実していただろうし、志望者も多数いたことは想像に難くない。
東大・京大から遠く離れた高校よりも、横浜の学校ならかえって入学希望者が殺到しただろう。
大学まで進むことは考えなくても、都会の学校や学生生活に憧れた人間は昔も多かった。

田舎の高校の中には、官立校だというのに文科の入試から数学を免除してまで人を呼ぼうとした学校もある。
263名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/27(木) 11:32:04.45 ID:GKLWDjtz0
私立は、低かった。
東北帝大在学中に敗戦を迎えた親父が言ってたぞ。
官立優位は、学園紛争の終わりくらいまで続いた
264名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/27(木) 19:26:25.21 ID:KGAN4NHX0
今でも田舎へ行けば行くほど国公立絶対優位が強まっていく
265名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/27(木) 20:49:27.34 ID:/i3ItwYh0

中野剛志先生がTPP賛成論者の詭弁を全滅させたようです
http://www.youtube.com/watch?v=9amjatPD_l4
http://www.youtube.com/watch?v=8G29qFqId2w


中野先生が敗北宣言、暗殺される?
日本が米国の植民地に。すでに99%手遅れか?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15973549


テレビ・新聞にだまされるな。
気づいたら、
「my日本」で検索
266名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/28(金) 00:49:20.70 ID:tSdN7DOa0
>>263
官立大学や官立高商の優位性は、新学制後も随分と続いたようだ。
私立大学の社会的評価が高まって来たのも、戦後になってからで
早慶や上智、明治、立教、同志社等が難易度(偏差値。科目数は違うが)
で旧帝大系に並んできたのが1980年代頃からだろうね。逆に旧高商系や
師範学校系の、俗に言う「駅弁大学」の凋落が顕著になったのも同時期
辺りからだろうね。そして昨今の経済情勢等の事情から復権の兆しが見え
て来てはいる。
267名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/28(金) 09:55:18.31 ID:+gkmFNix0
>>266
そして、この不況でまた、地元志向に回帰中
地元に弘前大学や、青森公立大学があるのに、なんで、都の私立に、、、そんな金ないわという、、
268名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/29(土) 13:35:11.39 ID:FhvdHuAp0
>>108
>というよりも戦後アメリカ型の学制を導入すると言いながら、
>肝心な所を真似しなかったのが問題なんじゃないのかな?

国の幹部職員(いわゆるキャリア)は博士号もちから採用すればよかったのだが。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/29(土) 14:26:34.36 ID:v2KmysV00
文科系の博士号取得がほとんど不可能だという点は、日本の大学の性格を
よくあらわしていますね。2000年代の改革でかなり改善されたようですが、
むかしなら大学の教授職でも博士号をもたない人はいっぱいいた。今でもかな。
270名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 08:53:39.66 ID:Ul10gIVV0
戦前は国公立といえども授業料は非常に高かった。公立の中学や高女であっても
月5円前後、官立の大学でも年100円前後の授業料が必要だった。

戦後GHQは公立学校の無償化を図り、結局実現はしなかったけど公立学校の授業料は
非常に安くなった。
271名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 10:06:50.04 ID:LAMUMuVp0
>>270
当時の月5円って今のお金に換算するといくらくらい?
272名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 10:22:12.80 ID:+RDtgwaW0
>>271 自分の祖母が大正時代小学校教員で月給40円だった。
それを20万円と考えると2-3万円くらいだな。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 10:42:29.22 ID:NiwYNI47O
274名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 10:54:58.93 ID:r2tjzMpC0
昭和二十年頃は高等小学校(国民学校高等科)卒あたりが世間的には並の学歴?
275名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 11:26:27.65 ID:GVWkgXzL0
昭和50年高校入学の私の授業料は月1200円、諸費用が別に月2000円程だったと思う。
インフレの時代だったので次年度入学生からは授業料は一気に3200円に値上げされた
と記憶している。
私立高校は2万円程と聞いていたので公立とは10倍以上の差があった。
276名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 15:55:57.32 ID:GqxhsQim0
戦前の国公立の授業料が高かったというのは初耳でおどろきました。
なんとなく官費学生という漫然としたイメージを持っててはいけないんですね。
277名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 16:17:56.06 ID:iZ8W51pG0
そそ、だから、義務教育以外は、金がないとたとえ官立でも行けなかった、
というか、家のもんは、はやく働いて欲しかった、とくに農家は。
278名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 16:36:04.55 ID:+RDtgwaW0
師範学校は官費だった。貧乏で頭の良い子は軍人か教師になるしか
上の教育を受ける手段がなかった。
279名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 16:51:45.06 ID:1+d0Zb5PO
師範学校は確かに貧しい家庭の子もいたけど
実際は良家、素封家の子弟が多かったらしい
280名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 16:58:13.37 ID:1+d0Zb5PO
あと、陸軍幼年学校の授業料は月20円です
経済的理由で中学に進めない子ならなおさら
陸軍幼年学校への進学は不可能です
281名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 17:02:01.60 ID:ER0fGwX50
だから高木惣吉みたいに、小卒から独学で海軍兵学校に
合格するような人も出てくるわけですな
282名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 19:34:10.01 ID:Ov00yS3T0
>>272

>>70でも紹介されている『「月給百円」サラリーマン 』によると
当時の教師は高給取りで女性でもまともな給料が出たそうです
http://hiki.cre.jp/history/?Gekkyuu100YenSalaryman#l0
283名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 20:44:03.42 ID:Bb3tqcWX0
>>274
昭和初期にもなると、都市部では高等小学校卒業以上が大多数派になり、
恐慌の時には最低でも中卒でないと職に就けないと言われていた。
1936年の時点では尋常科卒業者の66%が高等科に進んでいた(中等学校へは21%)ようだ。
ただ、スラム街・被差別部落・水上生活などの貧困環境のせいで
尋常小学校すらまともに通えない児童も一定の数で存在し続け、
彼らを対象とした夜間小学も公立私立を問わず存在した。
学生改革によって旧制の夜間中学は新制高校の定時制になるが、
夜間小学は新制の夜間中学に役割を譲る形で消滅した。
284名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/02(水) 23:23:16.74 ID:0YgI1dVA0
>>278

戦前の日本においては、小学校教師は凄く尊敬される職業だったと
昔、本で読んだ。
285名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/03(木) 11:26:58.88 ID:N+oYre+B0
二十四の瞳の大石先生も新米なのに村民に敬愛されてたね
286名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/04(金) 07:59:01.97 ID:9QOsPxo80
村の公式行事などには三役として
村長、駐在、校長が出席したほどだからね
287名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/04(金) 21:58:54.05 ID:aAtXmrSy0
戦前の村落共同体の有力者の跡取り息子(長男)は地元を離れるわけにいかない。
長男は師範学校に進んで卒業と同時に地元の小学校訓導になる。
教員生活の傍らに農地や山林などの資産管理と墓守などの祭祀(光栄なる義務)に務めた。
当時は長子相続で実家の資産はすべて長男の者になるのだから当然といえば当然。

家が裕福なのだから進学させようと思えばいくらでも進学させられるが、
どんなに成績優秀であっても旧制高校→帝大の進路を取らせるわけにいかなかった。
こういうのは次男三男の進路。次男三男は帝大出てどんなに偉くなっても、長兄に頭が上がらなかった。

ちなみに、郵便局長(旧三級郵便局、後の特定郵便局)というのも村の有力者の一人。
特定郵便局の沿革や特定郵便局の業界団体が強力な政治力を有する圧力団体であったことを思い出そう。


288名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/04(金) 22:03:03.62 ID:jXFeXokG0
>>287 そう子供のころ田舎の郵便局長がなんで世襲職なのかわからなかったよ。
289名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/06(日) 17:30:25.44 ID:iaFuEIFY0
>>272
>>282
大正生まれの祖父が、
昭和10年代の1円=今の5000円ぐらい
昭和一桁の1円=今の1万円ぐらい
大正後半の1円=今の2〜3万円ぐらい
って言ってた。
290名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 08:07:16.03 ID:aZmsP0el0
戦前は今よりも遥かに貧富の差があったから
階層によって貨幣価値は全然違うだろうね
農村はほとんど自給自足で現金収入は少なかったし
291名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 08:39:35.94 ID:uTKLq+Yh0
貧乏人の子供がキャリアを目指そうと思ったら、秦野章のように夜間学校→
大学専門部(夜間)→高等文官試験の勤労コースか、逓信管理練習所、
鉄道省鉄道教習所、水産講習所に部内から入って俸給を貰いながら
勉強して高等文官試験の目指すコース
292名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/07(月) 09:51:33.07 ID:0/Flvt9X0
鈴木善幸元首相は、水産講習所
293名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/08(火) 17:18:45.01 ID:8GAvSCRE0
作家の金達寿は中学を卒業していないが、書類を忘れたと言って日大の入試を受け
その後も卒業証明を提出せず曖昧なまま日大に入学してしまった。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 10:34:15.11 ID:Pkbos/8S0
まあ、また戦前のように戻るんじゃないでしょうか。
295名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 10:41:03.03 ID:ksfuk7vv0
>>294 実質的に戦前に戻す方法。

公立一貫校を推進する。県立名門高校にはかならず中学の設置を義務付ける。
旧帝大は学部生の募集を停止する。すでにほとんどの教授は大学院所属になっている。
駒場はすでに4年生までいるのだから東京文理大学として独立させる。
奨学金制度を充実させ頭が良ければ貧困層からも出世できるようにする。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 20:07:38.73 ID:ipVJowX+0
私大を30に減らすんだな、それで
297名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/09(水) 20:12:49.37 ID:eaKesYfT0
>>295
天才とまでは言わないが本当にアタマのいい奴(全国で1学年あたり50人ぐらいか)
を選抜して徹底したエリート教育を施してくれよ。
受験勉強が上手いとかいうレベルの奴じゃ国家の指導は無理だよ。
このままだと冗談じゃなく日本終わるよ。
298名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/10(木) 22:08:56.38 ID:hAXiscRR0
ベーシックインカムの議論でおもったのだけど、はたらかないですむのならば
ほとんどのひとは義務教育さえおえれば十分になるとおもう。義務教育では
生活管理をきちんとおしえることが中心になるだろう。
299名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/10(木) 22:39:43.08 ID:rNCp31fc0
>>298 確かに今の義務教育の内容でベーシックインカムを導入したら
パチンコ屋が大繁盛するだけだと思う。江戸時代の武士なんか金銭のための
労働はほとんどしなかったけど子供の家庭教育とか熱心にやっていたわけだ。
今は偉くなるほど拘束時間が増える。
300名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/11(金) 08:31:18.74 ID:ftBhtXyk0
武家の教育は藩によってよってかなり違うよ。佐賀藩では藩士の子は6歳で弘道館に入り
スパルタ教育を受け、25歳で卒業できないと家禄没収の厳しさだったけど、
薩摩藩は武士に学問はいらない、今で言う中卒程度の教育でいいという考えだった。
幕臣などは完全に放任主義、したがって易きに流れ、学問や武芸も熱心な家庭以外は
まったく無縁、武士のくせに刀も満足に振れないありさまだった。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 17:33:34.12 ID:OoYyDfyg0
>>286

スレ違いだけど、駐在所の巡査さんも一目置かれていたということ?
302名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/13(日) 20:40:39.16 ID:ZMVF/BVw0
>>301
昭和40年代くらいまでそうだった。
303名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/14(月) 09:50:34.90 ID:5YnqA9kf0
戦前というか昭和の大合併の前の町村は小学校の学区の範囲だったからね
304名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/14(月) 11:08:22.06 ID:lSrqcycT0
駐在さんは公務員としての階級は低いけど尊敬されていた。

江戸時代の感覚が残っていて 村長、校長、郵便局長(名主層)
駐在さん(藩から派遣されてきた下っ端の侍)として機能していたと思う。
305名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/19(土) 12:00:20.47 ID:0H6I2zzM0
高女って私立もあった?
あるか、旧制中学も私立あったしな
306名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/19(土) 14:32:30.37 ID:ePtQSLbj0
>>305
私立学校が最後まで参入を許されなかったのは教員を養成する師範学校、高等師範学校の分野。
といっても専門学校が大学附属の「高等師範部」を名乗るケースはいくつかあった。

また、1941年の国民学校令では私立の国民学校は設置が認められなくなり、
それまであった私立小学校は各種学校になるか、公立移管して廃校となるかの選択を迫られた。
実のところ、文部省は国民学校の発足と同時に私立小学校を全廃させる予定だったが、
小学校を運営していた慶應義塾や成城学園などがこれを聞いて猛反対し、撤回させたという話が残っている。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/19(土) 14:48:02.10 ID:8ej1mTeu0
相愛高等女学校とか。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 10:11:49.95 ID:sHVVHdgO0
>>304
駐在は藩政時代の名残かもしれないね
旗本領の代官なんて軽輩の家臣だし
309名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/20(日) 10:56:30.07 ID:sHVVHdgO0
「おまわりさん」は江戸時代からある言葉
町奉行所の定回り同心が決まった順路を巡回してたことが由来
310名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 10:10:01.65 ID:ne8fDENP0
昭和2年(1927).10.24〔慶応大学生が軍事教練中に酔って暴れる〕
 千葉県下志津の陸軍演習場で、慶応大学生350人が1週間の軍事教練を受けていたが、
 10.24深夜1時に数十名が抜け出して料亭で酔って暴れ、帰り道でも商店の看板を壊して回り、
 派出所の看板まで投げ捨てたので逮捕、憲兵隊が取り調べ。

昭和6年(1931).5.5〔慶応大学生が軍事教練で風紀を乱す〕
 群馬県高崎市相馬ヶ原の陸軍演習場で、慶応大学生1200人が4.16〜4.30に軍事教練を
 受けたが、著しく風紀を乱したので憲兵隊が捜査を開始した。兵舍で酒を飲んで暴れて
 机や扉を壊し、農家の娘を温泉場のカフェーに連れ出したり、東京から女を呼んで
 ドライブなどしており、温泉旅館の主人が注意しても「我々は銀座で鍛えた腕だ」と
 云って聞かなかった。

http://kangaeru.s59.xrea.com/gakounai.htm
311名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 12:40:21.81 ID:4530aCol0
>>310 昔のエリートさんは元気があると言うかDQN特性を持っている。

戦時中に中学入試が廃止され内申書による選考に変わったが案の定不正が起きた。

昭和18年(1943).4.23〔中学校入学不正事件大摘発〕※参考
 全国において大学から中学まで入学試験での買収が問題となり司法当局は大規模な摘発を断行した。
 特に受験競争の激化から中学入試が廃止されて内申制度になったため、小学校の内申書や成績簿を
偽造する教師が多く、「優」ひとつが何十円と相場が決まっており、禁止されている家庭教師料名目
などで当然のようにして大金を受け取っていた。また、有力な父兄の子弟には特別の便宜を図っていた。
 東京都だけで小学校71校131人、中学校と女学校21校68人、父兄2370人が逮捕された。
最終的に起訴されたのは極めて悪質な者だけで、収賄側小学校教師30人、中学教師と校長28人の合計58人、
贈賄側の父兄や受験ブローカー10人。父兄209人には略式命令により罰金刑が科せられた。
起訴猶予となった教師も懲戒免職、諭旨退職などの処分にされた。この年の銀行員大卒初任給75円。
312名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 13:08:33.34 ID:Bcq7e+pT0
>>124
1980年代うまれは日本史上はじめての「お行儀のよい世代」ではないかとおもう。
もちろん、本格的なゆとり教育をうけた1987年度以降うまれなどに愚行がみうけ
られるのだがそれでもほかの世代にくらべればどうってこともないのだよね。

1970年代前半うまれにくらべるとスケールがとぼしいというか。
313名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 13:54:02.61 ID:KWeA9LJU0
お行儀のよしあしは家庭の問題だから、世代で横切りにするのは無理があるだろう。
1970年後半から80年くらいまでの世代は、小学校のころにファミコン(スーパーマリオ2etc)
に直撃された世代だから、なんらかの性向(インドア志向)はあるかもしれない。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2011/11/23(水) 14:35:13.58 ID:Bcq7e+pT0
>>313
それらの 世代は ものごころ ついた ときは ものが あふれかえっていたから
ぎらぎらした 欲望が とぼしいのだと おもう。
315名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/02(金) 11:10:11.12 ID:nKw2UAOR0
詩人の高村光太郎に「火だるま槐多」と形容された画家の村山槐多はいまなら精神病院に収容されていてもおかしくない。
316名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/02(金) 11:12:21.06 ID:nKw2UAOR0
槐多もエリート層に属していたのだけどね。
317名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/06(火) 17:26:07.25 ID:PUu/xWPF0
陸士、海兵って、いまだと、どこ大学レベル?
318名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 20:35:16.53 ID:DxRqQ6bd0
ちなみに戦前の教育事情を把握すると今の教育に役に立つの?
319名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/07(水) 20:40:23.70 ID:MU9sJVor0
三島由紀夫は、無試験で東大入ったの?
320名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 00:25:11.38 ID:qAz5w6Ek0
>>317
独断と偏見だけど、
海兵で阪大クラス、陸士で地帝クラスってとこじゃないかな。
321名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 09:34:54.80 ID:W/wZQ7Wm0
>>317,320 期によって大きく違うと思う。人数を絞っていた時期の海兵なら
東大+体力テストだろう。
322名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 19:20:55.94 ID:i+DVXDgh0
海大、陸大はどのレベル?
323名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 20:00:04.31 ID:W/wZQ7Wm0
海大、陸大は大学とは違うからレベルの比較しようがない。
今でいえば自衛隊の指揮幕僚課程、幹部高級課程に相当する。

造船とか造兵など工学が必要な場合は帝大に国内留学させていた。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/08(木) 22:00:15.18 ID:JEhwmpee0
>>323
内部推薦だったんだよね?
陸海大は?
325名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/09(金) 00:40:42.30 ID:51L8orzl0
>>324
受験資格が現役士官(陸軍なら大、中尉。海軍なら少佐、大尉)のみ。
教育内容もあくまでも参謀養成機関であって、
大学校と名乗っているが、一般の高等教育とは全く関係ない。
故に卒業しても、修士や博士等の学位がつくこともない。
ちなみに、今の警察官も警部昇任時には警察大学校警部任用科に入校することになるが、
もちろんこれも一般人には受験資格はない。

例えるなら、企業の研修所みたいなもの。

受験には上官の推薦が必要だが、あくまでも選抜は学科試験。
ガタルカナルに向かう若い士官の中には、輸送船の中で陸大の受験勉強してた人もいたそうで。

というわけで陸大や海大に一般人が入校するということはありえないが、323氏のおっしゃる通り、
陸士や海兵は陸海大と違って、旧制高校や高等専門学校等の前期高等教育機関と同等扱いをされていたので、
命令により帝大に入学し、大卒の資格と学士の学位を授与された軍人はそれなりにいる。
326名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/09(金) 22:29:29.57 ID:BVPNLK8H0
ところで第二次世界大戦まえの日本では中等教育でえられる知識を
学校以外のところでてにいれることはたやすくできたのだろうか。

講義録といういまの通信教育にあたるものはあったみたいだが。
327名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/10(土) 03:13:28.84 ID:28e4+yg90
>>326
学校で教わる知識を独学で仕入れるなら、中学講義録による勉強が一般的だったろうが、
そのほかには親が直接指導したり、またお金がかかるが家庭教師を特別に付けてもらうなどの方法があった。
たとえば、講談社を興した野間清治は「中学以上に行かなくても立派な人間になれる」という持論を立証するため、
長男の恒を小学校卒のままにして、特別に講師を雇ったり、剣道の稽古などを通して教育させている
(なお恒は剣道界では大剣豪の名誉を得たが若死にしたため、父の教育の総合成果については不明)。

ただ、独学に付きまとう問題としては持続の可否がある。
講義録を買ったとしても、学習者は多くが勤労の傍らに学ぶというスタイルが多く、
最後までやり通せた人はそう多くなかったはずである。
上級学校に進みたいなら、さらに専検を通る必要があり、
それ用の参考書や過去問も別に発行されていたわけで、漫然と知識をかじるだけならともかく、
進学を前提とした独学は非常に厳しい道のりの連続であった。
328名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/10(土) 09:08:09.18 ID:dPcwtl9L0
旧中5卒、師範学校1部、専検等と同等の学歴資格
・旧普通試験令による普通試験の合格者
・旧裁判所書記登用試験規則による試験の合格者
・旧国民学校令による国民学校准教員免許状の所有者
・外地教育令による中等学校又は在外指定学校規則により指定された中等学校の卒業者
・旧電信協会管理無線電信講習所選科の卒業者
・旧無線電信講習所選科又は特設普通科の卒業者
・旧普通逓信講習所高等部の卒業者
・旧看護婦規則による指定看護婦養成所(高小卒を入学資格とする3年のものに限る。)の卒業者
・保健師助産師看護師法による准看護師養成所(乙種看護師養成所も含む。)の卒業者
・旧鉄道教習所中等部又は普通部(これと同等とみなされる部及び科を含む。)の卒業者
・旧陸軍幼年学校、旧陸軍兵器学校又は旧陸軍工作学校の卒業者
・旧陸軍経理学校予科の修了者
・旧海軍甲種飛行予科練習生(中学校第3学年修了以上の入隊者に限る。)又は乙種飛行予科練習生(乙種飛行予科練習生(特)を除く。)の課程の修了者
・陸軍各廠技能者養成所の見習工員科、養成工員科(いずれも高小卒を入学資格とする修業年限3年以上のものに限る。)又は青年工員科本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限5年又は4年のものに限る。)の卒業者
・旧海軍軍需部青年勤務員養成所本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限4年以上のものに限る。)の卒業者
・旧海軍工作庁工員養成所見習科(高小卒程度を入学資格とする修業年限3年(実習課程を含む。)のものに限る。)の卒業者
・旧航空機乗員養成所本科の卒業者専検等と同等の学歴資格
・旧普通試験令による普通試験の合格者
・旧裁判所書記登用試験規則による試験の合格者
・旧国民学校令による国民学校准教員免許状の所有者
・外地教育令による中等学校又は在外指定学校規則により指定された中等学校の卒業者
・旧電信協会管理無線電信講習所選科の卒業者
・旧無線電信講習所選科又は特設普通科の卒業者
・旧普通逓信講習所高等部の卒業者
・旧看護婦規則による指定看護婦養成所(高小卒を入学資格とする3年のものに限る。)の卒業者
・保健師助産師看護師法による准看護師養成所(乙種看護師養成所も含む。)の卒業者
・旧鉄道教習所中等部又は普通部(これと同等とみなされる部及び科を含む。)の卒業者
・旧陸軍幼年学校、旧陸軍兵器学校又は旧陸軍工作学校の卒業者
・旧陸軍経理学校予科の修了者
・旧海軍甲種飛行予科練習生(中学校第3学年修了以上の入隊者に限る。)又は乙種飛行予科練習生(乙種飛行予科練習生(特)を除く。)の課程の修了者
・陸軍各廠技能者養成所の見習工員科、養成工員科(いずれも高小卒を入学資格とする修業年限3年以上のものに限る。)又は青年工員科本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限5年又は4年のものに限る。)の卒業者
・旧海軍軍需部青年勤務員養成所本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限4年以上のものに限る。)の卒業者
・旧海軍工作庁工員養成所見習科(高小卒程度を入学資格とする修業年限3年(実習課程を含む。)のものに限る。)の卒業者
・旧航空機乗員養成所本科の卒業者
329328:2011/12/10(土) 09:14:30.59 ID:dPcwtl9L0
↑ごめん、ダブってしまった
330名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/10(土) 13:35:53.34 ID:amWfScYs0
こうして見ると軍や役所におびただしい中等教育同等の養成所があったんだね。
もちろん、これ以外にも大企業にも工員養成所があった。
自分は大手自動車会社に勤務していたけど80年代まで中卒者をとって
教育する社内だけで通用する工業高校のようなものがあったものだ。ところが
「貧乏だけど優秀な子供」は年々いなくなり、素行が悪く生活指導が大変になった
事も廃止理由のひとつだった。トヨタさんには今でもあるみたい。
他には自衛隊の少年工科学校くらいかな。
331名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/11(日) 20:19:43.49 ID:qFV1ZTlJ0
test
332名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/11(日) 23:02:27.68 ID:5EzC5WtH0
職業系も含めて色々複線的なのは悪いことじゃないと思う
戦後は18歳での選択に集約されすぎかな
333名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/12(月) 17:23:47.04 ID:UMDbQl1R0
少年工科学校か・・・折口
334名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/18(日) 03:00:08.27 ID:5KS1oWdN0
>>330
それをかんがえると職人の人材確保はこれからますますむずかしくなってくるのだろうな。
335名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/19(月) 10:29:27.40 ID:N5nwPYe70
>>334 工業高校の一番なら大企業に入れる。大企業のブルーカラーで工長さんに
なったほうが中小企業の営業課長さんより高給であることが一般に知れ渡ると
流れが変わるかもしれない。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/21(水) 12:11:18.92 ID:hjveJ5oo0
東電学園も廃校になってたんだな
337328:2011/12/22(木) 10:28:58.96 ID:RgURIgVi0
328はダブってる上に中5卒と師範1部卒を同等と書いてしまう致命的間違いをしてしまいました
このままでは自分としても気分が悪いので度正しいデータを再掲します。

学歴区分中5卒
(1) 旧中学校令による修業年限5年の中学校、高等女学校又は実業学校(高小卒を入学資格とする修業年限3年以上の者を含む。)の卒業者
(2) 旧師範学校又は青年師範学校予科の修了者又は師範学校第1部3年(高小卒を入学資格とするものに限る。)の修了者
(3) 旧師範教育令による高等師範学校附属中学校又は女子高等師範学校附属高等女学校の卒業者
(4) 旧青年学校令による修業年限4年又は5年の青年学校本科の卒業者
(5) 旧専門学校入学者検定規程による検定試験の合格者
(6) 旧専門学校入学者検定規程第11条による指定に関する規則により中学校卒業者と同等以上の学力を有すると指定された者
(7) 旧実業学校卒業程度検定規程による検定試験の合格者
(8) 旧高等試験令第7条により中等学校卒業者と同等以上の学力を有するものと認められた者及び同条による試験の合格者
(9) 旧普通試験令による普通試験の合格者
(10) 旧裁判所書記登用試験規則による試験の合格者
(11) 旧国民学校令による国民学校准教員免許状の所有者
(12) 外地教育令による中等学校又は在外指定学校規則により指定された中等学校の卒業者
(13) 旧電信協会管理無線電信講習所選科の卒業者
(14) 旧無線電信講習所選科又は特設普通科の卒業者
(15) 旧普通逓信講習所高等部の卒業者
(16) 旧看護婦規則による指定看護婦養成所(高小卒を入学資格とする3年のものに限る。)の卒業者
(17) 保健師助産師看護師法による准看護師養成所(乙種看護師養成所も含む。)の卒業者
(18) 旧鉄道教習所中等部又は普通部(これと同等とみなされる部及び科を含む。)の卒業者
(19) 旧陸軍幼年学校、旧陸軍兵器学校又は旧陸軍工作学校の卒業者
(20) 旧陸軍経理学校予科の修了者
(21) 旧海軍甲種飛行予科練習生(中学校第3学年修了以上の入隊者に限る。)又は乙種飛行予科練習生(乙種飛行予科練習生(特)を除く。)の課程の修了者
(22) 陸軍各廠技能者養成所の見習工員科、養成工員科(いずれも高小卒を入学資格とする修業年限3年以上のものに限る。)又は青年工員科本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限5年又は4年のものに限る。)の卒業者
(23) 旧海軍軍需部青年勤務員養成所本科(高小卒程度を入学資格とする修業年限4年以上のものに限る。)の卒業者
(24) 旧海軍工作庁工員養成所見習科(高小卒程度を入学資格とする修業年限3年(実習課程を含む。)のものに限る。)の卒業者
(25) 旧航空機乗員養成所本科の卒業者
338名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 13:01:40.86 ID:PAUUbp5Y0
>>337 旧と言う字が頻発していることからこれは戦後つくられた上級学校受験資格とかの
学歴換算表ですね。新制大学は旧制中卒では受験資格がなかったようですが、一年分認定を
うけるための講習とかあったのでしょうか? 親が生きていたときに聞いておきたかったです。
339名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/22(木) 21:39:47.79 ID:6+SdqdF80
>>338
事情通なら、「ああ、あの先生のことだな」とわかるような話ですが・・・
大学時代の恩師が旧学制から新学制に切り替わるときに旧制中学の在籍していました。
恩師は昭和8年3月末日生れ。昭和20年4月に旧制中学に入学。
3年次の秋に現在の高等学校卒業程度認定試験(旧大学入学資格検定)に相当する検定試験に合格。
当時は年齢制限がなかったので、翌年新制大学を受験して合格。このとき16歳。
新制大学制度の初年度だったそうで、学制切替えの混乱から新学期はその年の秋から始まり、
3年半の在学期間で新制大学卒業となったそうです。

この恩師は、在学中に現在の司法試験に相当する試験と国家T種法律職に相当する試験に合格。
未成年者の合格は当時の最年少記録だったそうです。
誕生日は3月末日だったので卒業式の時はまだ19歳。
翌年度4月1日付けで学士助手に採用され、24歳で助教授昇進、32歳で教授に昇進されました。
博士学位は30歳の時に論文博士で取得されたようです。

「先生は大秀才だったんですねぇ〜」と感嘆の声が挙がると、
「いやいや、あの時代は戦後の混乱期で、制度の運用も今のようにきっちり詰められていなかった。
 いわば混乱期のどさくさで、潜り込んだという感じだよ。
 今の時代で年齢制限がなかったら、僕よりもっと若くして大学に入学する人が出てくるんじゃないかな」
とおっしゃっておりました。
340名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/23(金) 10:18:07.14 ID:x2m28nyL0

昭和40年の
341名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/28(水) 14:37:10.25 ID:weFhCO3z0
>>339
1932(昭和7)年2月生まれの藤木英雄氏は5修4修で1953年に大学を卒業されてますが
こちらは旧制ですね。
342名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/28(水) 22:17:40.24 ID:sHRcEMj+O
満州建国大学、東亜同文書学院、ハルピン外語大のレベルは台北・京城帝大と同じくらい難関だったのでしょうか?
343名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/30(金) 20:37:59.61 ID:JxneG0PL0
高等教育は全て男女別学だと思っていたけど東京音楽学校は女子がいたんだね
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300391_00000&seg_number=002
東京美術学校はどうだったのかな?
344名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/31(土) 02:28:00.77 ID:WmfjQ/lQ0
>>341
>>339の先生は、おそらく九大にいた手島孝先生のことだと思いますよ。
藤木先生は旧制、手島先生は新制ですがご両人とも昭和28年のご卒業ということになりますね。
手島先生のケースでは、旧制での5修4修よりも
さらに1年早く大学卒業となっている点で興味深いですね。
戦後の混乱期らしさを感じます。
345名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/31(土) 09:40:27.38 ID:MkkshTSg0
終戦により軍学校は解散となり、在校生達は繰り上げで卒業証書または
修了証をもらって帰郷することになりました。
例えば海軍兵学校は75期生が卒業証書、76・77・78期生には修了証
陸軍士官学校では59期生が卒業証書、60・61期生には修了証が渡されました。

軍学校生徒達はこの卒業証書・修了証で他の学校に編入したり、出身学校に
復学したりしたのですが、この修了証を元に中学4修の生徒よりも早く
編入で旧制高等学校に潜り込むことが可能だったそうです。
346名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/31(土) 10:30:32.95 ID:I7jLUe2+0
慶應義塾大学配属将校
歴代配属将校

大浜石太郎 大佐:大正14年7月10日 - 昭和3年8月10日
服部保 大佐:昭和3年8月10日 - 昭和5年8月1日
伊藤義雄 大佐:昭和5年8月1日-昭和7年1月9日(第1師団司令部附)
石原常太郎 中佐:昭和7年1月9日-昭和8年8月1日(第1師団司令部附)
栗田小三郎 大佐:昭和8年8月1日 - 昭和9年8月1日(第1師団司令部附)
手塚省三 大佐:昭和9年8月1日 - 昭和11年3月7日(第1師団司令部附)
青木敬一 歩大佐:昭和11年3月7日 - 昭和12年11月24日
丸山 定 大佐:昭和12年12月4日 - 昭和13年12月10日(留守第1師団司令部附)
寺田繁一 大佐:
川生馨 大佐:
永沢三郎 大佐:昭和16年8月10日-昭和18年3月1日(東部軍司令部附)
木原義雄 大佐:昭和18年3月1日-昭和19年12月16日(東部軍司令部附)


http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%85%B6%E6%87%89%E7%BE%A9%E5%A1%BE%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%85%8D%E5%B1%9E%E5%B0%86%E6%A0%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7&diff=prev&oldid=40521377
http://www24049u.sakura.ne.jp/db/%E6%85%B6%E6%87%89%E7%BE%A9%E5%A1%BE%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%85%8D%E5%B1%9E%E5%B0%86%E6%A0%A1
347名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/01(日) 23:22:58.05 ID:nYHLgYMt0
>>342
ハルビン外語大なんて知らないけど。ハルビン学院ならあるけど専門学校だから帝大とは比較できない。
建国大学は満州国の法律でできているし、東亜同文書院大学が日本の大学に昇格したのは昭和14年
のことだから帝大より、はるかに格下だ。
>342
一応ここは学問板なので興味本位で聞く前に自分でも調べてから書いて下さい。
348339:2012/01/04(水) 03:42:26.36 ID:397paAkv0
>>344
ご指摘の通りです。
もしかして同窓の方でしょうか?
349名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 06:59:40.03 ID:8Iu4pHid0
時折、横浜の山手学院とか最近はトヨタがつくった海陽とか英国のパブリックスクールや
旧制7年制高校を目指している中高一貫校ができるけどあまり成功しないね。
海陽の一期卒業生はどうなるかな。 新設ならリーダーシップとかいわないで東大合格数だけ目指す
本音の受験少年院の方が清々しい気がする。
350名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 21:25:49.95 ID:RxuXMnyd0
>>349
トヨタが金出したわりには、生徒の大半が「医者になりたい」と言ってたのが笑えた>海陽
351名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 21:38:02.71 ID:54JNUP030
>>349
中高一貫校は大都市圏以外は成功例がすくないとおもう。
お受験はおかねがかかるからね。
352名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/08(日) 09:55:59.05 ID:YexX/CHy0
>>351
リーダーシップとかパブリックスクールとか変なことを言わないで、
本音で地元駅弁医学部合格に徹したとこは地方でも成功している。

かって公立王国であった、長崎県の青雲、佐賀県の弘学館 など。

一番リーダーシップに成功しているのは実は地方の県立名門高校なんだな。
高校三年になっても夏までは運動会の応援合戦に命をかけている。
353名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/08(日) 17:09:24.64 ID:7asqoCFr0
西日本方面の高校の運動会って学校だけじゃなく
地域の人たちにとっても大イベントなんだね
九州出身のやつが東京の運動会は客がいなくて予行演習みたいだと言っていた
354名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 14:32:47.40 ID:61EpnbEa0
◆◆◆戦前の大学など 関係図◆◆◆

■旧制大学(今の大学・大学院)■
---------------------------------------------------------
★天皇陛下が恩賜の銀時計を授与 ★帝大は地域名(地域単位か都道府県単位)

 学習院大学科(日本で最初の大学、後に東京帝大と合併) 東京帝大   陸軍大学校 海軍大学校

 京大(東大の分校として設立) 東北大 九大 北大(東北大から独立) 
---------------------------------------------------------
★恩賜の銀時計は授与されなかった ★帝大は都市名(市町村単位) ★他の帝大より格下として扱われた
 
 阪大 名大 
---------------------------------------------------------
■旧制高校など■

 旧制 高校(今の高校・大学)  例)  一高 → 東大  かなりの難関

 旧制 専門学校(今の高校・大学) 戦前は誰でも入れた 例)  明治専門学校 → 明治大学

 旧制大学専門部(今の予備校・専門学校) バカでも入れた 例)  明治大学専門部(今ならタダの予備校)
---------------------------------------------------------
■誤解しやすい、★旧制専門学校(今の大学) と ★旧制大学専門部(今の予備校・専門学校)■

★旧制専門学校設立(今の大学) 例 ●旧制 明治専門学校 → 明治大学

★金儲けの為に、各私立大学などが付属機関として、旧制大学専門部を設立
                      例 ●旧制 明治大学専門部 → 今の予備校・専門学校 村山元総理の母校

 ●紛らわしいので、明治工作員がよく印象操作工作に使っているので注意が必要
  村山元総理は明治大学専門部の出身なので、大卒ではなく専門学校卒(現在なら予備校に相当)である
355名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 15:08:47.39 ID:UzGBI7k70
専門部を予備校呼ばわりという時点でデマゴーグもいいところ。
現代と比較するなら、短大卒だろ。
356名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 16:15:22.24 ID:XFDJZc040
>>354
学習院に大学科ができたのは1893年で、日本最初の大学では決してない。
そもそも、教育内容はともかくとして、学習院大学科は、形式上は
宮内省が管轄する学習院の上級コースであって、文部省の管轄する「大学」ではない。
なお、東京大学が設立されたのは1877年。
また、今の明治大学が過去の前身校で「明治専門学校」なる名称を使ったことはない。
「明治専門学校」という学校は確かに存在したが、その後身は九州工業大学である。

この表からは、これを作った人間は、官立学校が好きで私学(特に明治大学)が嫌いだという印象を受けるが、
それにしてはあまり勉強していないことがよくわかった。
357名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 17:02:35.27 ID:p4SBvJHJ0
>>353
そんなのは娯楽の無い田舎ならどこでもそうだよ
358名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 17:19:49.07 ID:usD/UPt40
おや、コピペにマジレスだったかな。お恥ずかしい。

恥かきついでにツッコむなら、いくら恩賜が出るからって、
陸大、海大をさも大卒であるように並べてるのもアレですな。
銀時計じゃなくて恩賜の軍刀だし。
359名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 18:22:13.53 ID:61EpnbEa0
>>356
それは2回目の設立のときだよww

東大と学習院は何度も合併と分離を繰り返してるからね
360名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 18:29:11.13 ID:61EpnbEa0
>>356


専門学校とは呼んでなかったみたいだな。その点は訂正するが
明治法律学校時代は、「専門学校」だったのは確かだから、本質的には間違いではない

学習院大学科が日本初の大学で間違いない

また
宮内省が管轄しようが文部省が管轄しようが
官立大学=現在の国立大学であった点では、東大も学習院も何も変わりはなかった



361名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 18:30:39.20 ID:61EpnbEa0
>>356
■大学設置年表 日本の大学の歴史■

1868 漢学所大学校(学習院系) 皇学所大学校(東大系) [太政官布告]
1869 大学校(東大系)
1870 大学校代(学習院系)
1873 @ ◆学習院大学科◆ 日本で最初の大学 その後東大と合併し一旦廃止 
1877 A ◆東大(実質的に東京帝大)  高級官僚養成機関として設立
1893    ◆学習院大学科再設立(実質的に学習院帝大) [学習院学制法]  高級官僚養成機関として設立
1897 B ★京都帝大 [帝国大学令] 東大が東京帝大となる その後学習院大学科と再合併
1907 C ★東北帝大
1911 D ★九州帝大
1918 E ★北海道帝大
1920 専門学校から昇格 慶應義塾 早稲田 國學院 中央 日大 明治 法政 同志社 [大学令]
1921 東京慈恵会医科  京都府立医科
1922 龍谷 専修 立教 立命館 関西 東洋協会(拓殖)
1924 F ★京城帝大 ※ただし現在のソウル大学側は、京城帝国大学の後身とは認めていない。
1923 大谷
1924 立正
1925 駒沢 東京農業
1928 G ★台北帝大
1926 日本医科 高野山 大正
1928 東洋 上智
1931 H ★大阪帝大
1932 関西学院
1939 I ★名古屋帝大  1943 大阪理工科(近畿)

※帝大ができる前にできた大学は、東大と学習院大のみ
※帝国大学レベルの扱いの大学は、東大、学習院、京大、東北大、九大、北大、ソウル大、台北大、阪大、名大のI校
※天皇陛下から恩賜の銀時計が下賜されていた大学は、 旧帝クラスでは、東大、学習院、京大、東北大、九大のみ。
  あとは陸軍大学校・海軍大学校など
362名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 18:45:42.48 ID:61EpnbEa0
>>355
> 専門部を予備校呼ばわりという時点でデマゴーグもいいところ。
> 現代と比較するなら、短大卒だろ。

学士はもちろん何の称号も得られなかったし
明治の専門部を出ても、旧制高校に入らないと大学受験資格も得られなかったから
予備校か専門学校だな
363名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 19:02:33.94 ID:usD/UPt40
>>362
詭弁だね。
実際問題、旧制の大学専門部を出ていれば、現代社会でも少なくとも短大卒程度の社会的待遇は受ける。
予備校出てそれだけの待遇をしてくれる会社や公的組織は文字通り全くない。
364名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 20:40:58.63 ID:BxRm3HOF0
80年代に入社して 年配の上司は旧制卒だった。 旧専門卒は公式には短大あつかいだが
実際の運用としては新制大学の学士と同格に扱われていた。陸士海兵もそうだった。

「今の○○大学の前身だよ」と本人たちは説明していた。
365名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 21:28:09.52 ID:usD/UPt40
つーか、大学専門部だって、専門学校令に基づく専門学校の一種なんだから、
学位が出なくても高等教育機関であることは、専門学校令の第一条で定義されとるわな。
現行の学校教育法の一条校でない予備校や専門学校と同等視出来るわけがない。

実際、医科大学の専門部から海軍の短現で軍医少尉に任官した例もゴロゴロしてるしね。
まあ、大卒ならいきなり中尉だから差は付けられてるけど、今の専門学校出て自衛隊に入っても、単なる「二士」だろ?
366名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/10(火) 23:16:44.26 ID:61EpnbEa0
>>363-365
何の根拠もない詭弁だなwww
短大卒扱いだったというソースは?

それに
万一仮に、短大卒扱いだったとしても
明治専門学校(法律学校)卒の扱いにはできないだろww
367名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 00:45:41.13 ID:4PHQR6Un0
>>366
>何の根拠もない詭弁だなwww
>短大卒扱いだったというソースは?

君のところに国勢調査が来たら、学歴書く欄見てごらん。
高専や大学専門部、陸士、海兵は短大卒扱いになってるから。

> 明治専門学校(法律学校)卒の扱いにはできないだろww

そりゃ大学本科と専門部は違うし、当時その学歴に差があったのは事実だが(だから中尉の少尉の差がつく)、
専門部が現代の予備校や専門学校と同列に扱うのは明らかに間違い。

そして多くの旧制専門学校や大学専門部が新制大学移行時に大学の方に吸収されてる以上、
高等教育が大学と短大に統一されてる現代において、
その違いを言う意味は、君のような悪意で貶めるため以外無いと思うね。
現実の社会では>>364氏が書かれている通りに運用されてたんだから。

ソースを言うなら、戦後社会において、同じ私立大学の旧制大学卒と大学専門部卒で
どれくらい社会的地位に差があったかを出してもらいたいね。
368名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 02:21:32.49 ID:lf94ifWc0
>>367
国勢調査で短大扱いにしたのは 今ではない制度の学校だから
高校と大学の中間をとって短大相当としただけだろww

君の理屈だと
★なんで明治専門部卒は旧制高校卒として認められず、改めて旧制高校に入って卒業しないと、
旧制大学の受験資格すら得.られなかったのか
(これって、明治専門部を出ても、旧制中学卒の扱いのままだったってことだぜ。つまりただの予備校だ)

★なぜ明治法律学校とは全く扱いの違う、学士ももらえなかった別の学校法人の明治専門部卒が
明治法律学校卒として、明治法律学校OBとしてカウントされてるのか

説明できないね 説明してごらん

--------------------------------
じゃあ百歩譲って、仮に、あくまで仮にだが
明治専門部が短大扱いだったとしよう。

その場合

★別法人の、明治の短大 と 明治大学 を同じ明治大学卒と扱っていいわけがないが
これはどう説明するね?
学習院短大と学習院大学などは全くの別扱いだし
同志社短大と同志社大学も全くの別扱いだぜ
そもそも、明治専門部と明治法律学校は入試も法人も違うのに
なぜ、同じ学校として扱えるんだよw
369名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 03:43:48.67 ID:m7eEDOGA0
>>354

専門学校令に基づいているものは旧制専門学校でも旧制大学付属の専門部でも同格だよ。
帝大受験資格が無かったのはどちらも同じ。但し東北帝大だけは受け入れていた。
370名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 04:02:10.14 ID:m7eEDOGA0
>>368

明治法律学校と明大専門部は同時代には存在していない。
大学令により旧制大学に昇格したときに明大専門部ができた。

大学昇格以前にも専門学校令に基づいているものの明治「大学」と自称していた。
その時代から本科と専門科があったがそのことを言っているのか???

もちろん大正8年以降、大学令に基づく明治大学卒と明大専門部卒は今日の
>学習院短大と学習院大学などは全くの別扱いだし
>同志社短大と同志社大学も全くの別扱いだぜ
と同じ。




371名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 04:03:26.96 ID:4PHQR6Un0
>>368
>高校と大学の中間をとって短大相当としただけだろww

君が比較に持ち出す予備校や現代の専門学校はそもそも学歴対象にすら出てきてないんだけどww

>なんで明治専門部卒は旧制高校卒として認められず、改めて旧制高校に入って卒業しないと、
>旧制大学の受験資格すら得.られなかったのか

そもそも旧制専門学校が進学を前提とせずに作られた高等教育機関だからだろうな。
そして、予備校や現代の専門学校は高等教育機関じゃないぜ。

>なぜ明治法律学校とは全く扱いの違う、学士ももらえなかった別の学校法人の明治専門部卒が
>明治法律学校卒として、明治法律学校OBとしてカウントされてるのか

ええ?カウントしているのは誰なのかね?
明治大学側なのなら、それは大学公認で専門部もOB扱いしているということでないのかいなw
実際、専門部のあった大学はたいがいどこの大学でも専門部卒をOB扱いしてるけどな。

>(これって、明治専門部を出ても、旧制中学卒の扱いのままだったってことだぜ。つまりただの予備校だ)

おいおい、上のレスを読んだか?海軍の短現の受験資格は旧制中学卒じゃ無理だぜ。
他にも社会的に旧制中学卒と大学専門部卒では待遇に明らかに差がある。
直線的教育制度が当たり前の現代の視点で、戦前の複合的教育制度を当てはめること自体、無理があるんだよ。

>別法人の、明治の短大 と 明治大学 を同じ明治大学卒と扱っていいわけがないが

まず、学校法人はどちらも同じだと思うぞ。
で、明治短大卒が明治大学卒と履歴書や選挙公報に書けば駄目に決まってるが、
別に明治OB、OGと言うのはいいでしょ。
実際、キャンパスもサークル活動も一緒にやってたみたいだしさ。
そういう、学園生活を4大生と同一にしてる大学はたいてい、短期大学部の子もOG扱いしてるよ。
例えば、龍谷大学とかもそうだね。短大の子も龍谷OG。

繰り返すけど、違いはあるけど、現代においてその違いにたいした意味はなくなっている。
それとも、村山元総理は選挙公報で明治大学卒と書いてて、明治大学専門部卒と書いてなかったのかね?
372名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 11:36:19.10 ID:abpEkY7W0
横から失礼します。
大学専門部は専門学校令に基づく教育機関で、人事院の初任給基準表の
学歴免許等資格区分では短大卒に区分されます。

http://www.city.fujieda.shizuoka.jp/docs/reiki_int/reiki_honbun/word/501340161.pdf
373名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 11:56:13.24 ID:lf94ifWc0
>>371
> >>368
> で、明治短大卒が明治大学卒と履歴書や選挙公報に書けば駄目に決まってるが、
> 別に明治OB、OGと言うのはいいでしょ。
> 実際、キャンパスもサークル活動も一緒にやってたみたいだしさ。
> そういう、学園生活を4大生と同一にしてる大学はたいてい、短期大学部の子もOG扱いしてるよ。
> 例えば、龍谷大学とかもそうだね。短大の子も龍谷OG。
>
> 繰り返すけど、違いはあるけど、現代においてその違いにたいした意味はなくなっている。
> それとも、村山元総理は選挙公報で明治大学卒と書いてて、明治大学専門部卒と書いてなかったのかね?




ないないww
ていうか
わりとマトモなことを言ってるなと思って読んでたが
一番肝心のところは、「いい加減でもいい」って答えかよw

結局、明治の捏造を認めたってことじゃねぇかwww
374名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 15:43:01.71 ID:nKYIqcYf0
>>373
> ないないww
よくわからんが、これは
> 村山元総理は選挙公報で明治大学卒と書いてて、明治大学専門部卒と書いてなかったのかね?
を受けての「ないない」かね?
確かに公的文書でならそれはいかんことなので、ソースを示してほしいね。

で、そうではなくて、短大を併設している大学がその短大のOBをどう扱ってるかについての
「ないない」なら、己の不勉強を反省したら?としか言いようがないな。
ちょっと調べたら、たいていの大学が学内ではそう扱ってるのがわかるよ。

> 結局、明治の捏造を認めたってことじゃねぇかwww

俺は最初っから「明治大学の言ってることがすべて正しい」なんて言ってないぜ。
「厳密に言えば不正確だが、現代の社会では、その違いにもう大した意味はなくなってる」だよ。
大学専門部を予備校や現代の専門学校呼ばわりするのは明らかに捏造だけどね。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 22:31:55.62 ID:ZAMF1eCM0
>>371

質問なんですが、旧制専門学校でも研究活動のカリキュラムが存在したんでしょうか?

もしそうであるなら、旧制専門学校卒=新制大学卒とみなしても差し支えないと
個人的には思うんですが・・・。

376名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 22:36:22.81 ID:PUpzM5Hp0
時間があったから気になったことを調べてみた。
>>361
・学習院大学科の創設について
『学習院百年史』、『学習院大学五十年史』、『学習院125年』を読んでみたが、
一番詳しい『〜百年史』にも、1873年に学習院に大学科が設けられたとの記述は見当たらなかった。

〜学習院大学科について〜
学習院に「大学科」の名前が出てくるのは、1890年に置かれた別科(高等科修了者対象)が3年後に大学科に改称したときが初めて。
教育の中身については、一応帝大並みを目指していたようで、第1期生が卒業するときには、
文部省に断りを入れた上で学則を改正し、大学科卒業生に「学習院学士」の称号を与えることができるようになった。
誤解のないように言っておくと、当時純然たる「学士」号を管理していた法令は学位令であって、
文部省が仕切る帝国大学と札幌農学校の卒業生にしか与えられないものであった。
この学位令が改正して学習院大学科卒業者も帝大出身者と同じ学士号をもらえるようになったということではない。
あくまでも身内のルールでそういう決まりにしただけ。

しかし、大学科に改称した同じ年、帝国大学令の改正によって講座制が導入されると、
帝大教授の多くが他校との掛け持ちをやめるようになって、学習院も教員の確保が難しくなる。
やがて高等科の卒業生を帝大や海外の大学に進めさせ、大学科は将来に再興させる約束で一旦休眠という方針に変化した。
だがその2年後、新しく院長に就いた近衛篤麿は、華族は外交官としても活動すべきという自身の信条を活かすために、
大学科を外交官養成所として復活させるのである。このときの大学科で学んでいた一人に吉田茂がいる。
しかし、大学科が一旦休止した際、成績優秀で院長の推薦を受けた高等科卒業者は帝国大学へ無試験入学できる制度が確立してしまったことと、
誰もが外交官を志望するわけではないことから、思うように学生が集まらず、大学科は結局近衛院長の死後に廃止された。

このスレの古いレス(>>6)に京都・東京の首都問題とか東大との覇権争いが学習院大学科が廃止された理由に挙げられているけど、誇張しすぎな観がある。
教員と学生の確保に行き詰ったのが廃止の直接的な原因だろう。
それで、1873年に学習院大学科が設置されたとの情報は、どの文献・資料にあるのか教えてほしい。
377名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/11(水) 23:21:26.87 ID:U+/xcrYQ0
京都帝国大学は戦前は学者以外では弱かった。学習院も爵位を持った人物は多かったが、政治には参加してこなかった。
むしろ東京帝大の一人勝ちで、追うのが慶應大と高等商業学校という構図。



■戦前の天皇・憲法の最高諮問機関である枢密顧問官一覧の出身校。
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rekishi44.html

帝国大学(東京大学及び前身含) 30名
慶應義塾(慶應義塾大学) 15名
高等商業学校(一橋大学) 3名
陸軍士官学校 7名
高等師範学校 2名
海軍兵学校 3名
獨逸学協会学校 1名
新潟大学 1名
東京法学院大学 1名
同志社英学校 1名
378名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 01:01:24.64 ID:Lriz0rPR0
>>361
>1893    ◆学習院大学科再設立(実質的に学習院帝大) [学習院学制法]  高級官僚養成機関として設立

「学習院学制法」 というのは明確に誤り。
「学習院学制」という「勅令」が根拠法令だ。
法律ならば帝国議会の「協賛」が必要。
華族の教育機関である学習院の根拠法令に、
下々の代表である衆議院の関与が必要な「法律」は似つかわしくない。
379名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 01:49:28.37 ID:puACfNab0
>>376
そんなかたい公式資料に覇権争いのことを書くわけないよ。ホンネの話なんだからw

ただ、学習院と東大は
大学校の頃から何十年も争ってきたのだから、その流れで、来たのは間違いないね

一旦沈静化して、
学習院系の漢学所大学校を、東大系の皇学所大学校に吸収合併して
教授の多くも東大系の皇学所大学校に移籍して、ケリがついたと思ったら
また東大内部で大ゲンカして、再度分離 (これ以前は、東大系を学習院系に吸収合併させたこともあった。)

(明治維新の志士達は当初は学習院をトップ校にするつもりだった。なぜなら皇室のあるどの国でも、皇室の通う大学は
その国のトップ校だから。これは2012年現在も同じで、トップ校でないのは世界で日本だけ)

結果的に、東大は大学校を作って、学習院は大学校代を設立
(「代」というのは別に副とか準という意味ではなく、格的には完全に同格の機関として設立されたとのこと)

ところが東京遷都で、何でも東京中心になっちゃったから、学習院系の大学校代が次第に衰退して廃止
またまた東大系に吸収合併されて教授も生徒も東大系に移籍

しかしまたもや、東大系内部で大げんか、本家争い、東大に衣替えしてからも、尾を引いていたので、
また学習院系の大学を再興しようということになって、作ったのが学習院大学科

当然東大側は面白くないし、政府もいつまでもゴタゴタが続くと困るから、適当な理由をつけて
東大に再度吸収合併させたというのが真相


380名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 02:05:31.78 ID:puACfNab0
>>376
>>あくまでも身内のルールでそういう決まりにしただけ。

学士の資格を、身内のルールで決めるなんて、ありえないよwww

君の言う「身内」というのが宮内省のことであるならば、それは「身内」でもなんでもなく
政府が公認した公式のものということ

それから君は文部省なら公式で、宮内省なら非公式というか格下みたいに思っているようだけど
逆だよw

戦前の宮内省は他の省庁 とは一線を画す特別な存在だったんだから。
規模も大きく、権力も絶大だった。
文部省にお伺いを立てる必要なんかなかった

戦後の価値観で、戦後の宮内庁と同じに考えちゃだめだよw


381名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 02:31:33.77 ID:V1A8ty170
明治大学OBです(言うまでもなく新制大学卒です)私大の場合、早稲田や法政
中央なども専門部の名称で、その存在があったようです。新制の学制で比定
する制度が無いので何とも言えませんが、短大と言うよりも、法学部、商学部
といった学部の二部的な性格だったろうと思います。二部は夜間部ですが、
専門部の講義時間帯については、夜のみではなく変則的であったようです。
382名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 02:42:48.62 ID:V1A8ty170
>>381
連投失礼します。明治大学では、旧制では法・商・政経の三学部でしたが、
文学部のみ「専門部文科」として存在しました。従って文字通り正規の
学部以外の「専門的」な分類となる独立した専攻科、と見るのが妥当と
思われます。既出の予備校云々の件は、各私大には旧制高校や帝大進学の
為の予備校を設置(と言うか経営していた)していた所も確かにありました。
明治大学では、大正期に学生達がそのような「予備校」を廃止せよ、との
運動を展開した記録もあり、大学令による総合大学昇格の前哨戦的な運動の
嚆矢となりました。そういった気運の中で誕生したのが、有名な「白雲なびく」
で始まる明治大学校歌でした。
383名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 10:43:16.87 ID:ML5yDtTf0
>>379 確かにその構想は惜しかったね。
学習院をロイヤルアカデミー、東大を工学、医学、法学の実学コースにしていたら
素晴らしいのだが。基礎学問は貴族のような生活の不安が無い人たちが担うと
うまくいく場合が多い。今は下層階級出身者が勉強の力だけで理学部や文学部の
教授になってそれが生活基盤と村社会の利権になっているのが問題。
もちろん階級差を超えるくらい優秀な人への支援はもっと充実するべきだろう。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 10:48:22.28 ID:ML5yDtTf0
>>382 専門部と言うのは >「専門的」な分類となる独立した専攻科
ではありません。「大学令」ではなく「専門学校令」に基づいた学科と言う意味です。
現代で言えば「短期大学部」に相当します。
385名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 23:54:16.40 ID:V1A8ty170
>>384
「大学令」により、私立大学も制度上は帝国大学などと同様の大学になった
訳ですが、「専門学校令」も同時に存在していたという事ですね。
386名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/13(金) 22:51:56.57 ID:Za//LUTd0
■旧制神戸一中卒業生の進路
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004048742

1 神戸高等商業学校 380
2 第三高等学校 205
3 関西学院大学 110
4 慶應義塾大学 108
5 第六高等学校 106
6 第一高等学校  80
7 神戸高等工業学校 77
8 大阪高等商業学校 55
9 早稲田大学 51
10 第七高等学校 48
11 第八高等学校 40
12 大阪高等工業学校 36
13 同志社大学 36
14 第五高等学校 34
15 大阪高校 26
387名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/14(土) 08:31:14.39 ID:Uvcx0QV+0
>>384
もちろんそうです。戦前の学制は複線が基本です。昇格には、厳しい認定基準がありました。
関西学院大学に大学令が適用され昇格したのは1932年(昭和7年)になってからです。
388名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 18:06:51.80 ID:oTAMwTY40
二次大戦終了時で、旧制大学+旧制専門学校は約300。
現在、硬式野球の大学リーグに参加してるのが約300で同じ位。
389名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/16(月) 11:03:50.82 ID:EzoHyzJ40


    官僚の丁寧な指導がなければ日本民族なんか
    滅びてしまう かもしれない。

 
390名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/16(月) 17:00:00.01 ID:/r31hvsj0
新制の高専はなぜできたのだろう? やはり即戦力を財界がもとめたからか。
大学になった旧制高専がアカデミックにふりすぎて機能しなくなったのだろうか?

商船高専とかは高専ならだろうけど工学部は大学だけでよかったのではないか?
看護学科とか高専の特徴が生かされるだろうけどなんでできなかったのだろうか?
391名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/17(火) 07:14:11.72 ID:IQj2eeCk0
>>386
なぜ 陸士海兵がいないんだろ!?
392名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/17(火) 13:41:23.02 ID:96hbBV8p0
進学先上位15校に入ってないだけでは?
1910-32年の統計だから陸士海兵の定員がまだ少ない頃で進学者が少なかったのだろう
393名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/19(木) 02:57:21.18 ID:X/gkyEKb0
旧制静岡高校(現静岡大学)なんてのを見掛けることあるけど、
あれ、不適切だと思うんだ。
「旧帝国大学教養部静岡校舎」みたいなもんだったわけでしょ?
394名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/19(木) 09:10:54.60 ID:CAo/pXRT0
>>393
生徒の立場から言えばそうなんだけど、
教職員の立場からすると、静岡高校がそのまま静岡大学になってるのよね。
395名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/19(木) 09:40:34.27 ID:Nu1CnJ920
>>394 自分は80年代に就職したけど会社の上層部はまだ旧制出身だった。
大学でならった教授はほとんど帝大出身で旧制高校経験者がデフォルト。
>旧制静岡高校(現静岡大学)
このころから、旧制を新制に換算するためにこういう言い方は良くされていた。
90年代以降に会社に入ってきた世代は、親が新制なのでこういう風にいわないと
通じない。逆にここの若い皆さんがよく知っているのには驚かされる。

旧高専は正式には短大相当だが繰り上げで新制大学同等とみなされていた。
396394:2012/01/19(木) 12:23:15.03 ID:CAo/pXRT0
>>395
私も40前なんで、若くはないですよw
ただ、学徒出陣に興味を持っていろいろ調べているうちに、芋蔓式に知識が増えました。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/19(木) 22:33:25.25 ID:l8QvAZhA0
文学作品に良く出てくる帝国大学や旧制高校に興味があって色々調べていくうちに、旧制の学制について詳しくなってきたな
旧制学制は進路が多様でこれは非常に素晴らしいと思いました
398名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/23(月) 10:34:01.71 ID:ds5wdl1i0
秋入学への全面移行を本格検討している東京大学が、京都大など9国立大と早稲田、慶応の2私大の計11大学に、
秋入学移行について話し合う協議体の設立を呼びかけているそうだ。
北海道大▽東北大▽筑波大▽東工大▽一橋大▽名古屋大▽京都大▽大阪大▽九州大▽早稲田大▽慶応大

早稲田慶応は準旧帝大格ということか? エリート校だけ秋入学になるのか有象無象も追従するのか
楽しみだな。秋入学は別に秋卒業と言うわけでなく5月末に卒業するから、企業は4月に入った組は
工場実習させるなどして調整できると思う。
399名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/31(火) 20:15:03.39 ID:UP9UGgTs0
>>397

もし戦後も戦前の教育体制を固守し続けていたら、
今頃、日本の教育はどうなっているんだろうと
思うことがある。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/31(火) 20:58:17.47 ID:6GhD3mg20
>>399
もし複線型を戦後も続けていたとしても、
義務教育の課程を尋常小学校までに留めておくことはさすがにできなっただろうね。
実際、第二次大戦前の大正から昭和初期にかけて、学制改革の議論が幾度か持ち上がった中で、
高等小学校を強化して義務課程とするべきであるという意見も出ていたし、
戦争で延期されたものの、国民学校高等科までが義務教育とされたわけで。
あるいは青年学校ベースで中等教育の完全義務化が達成される可能性もあったか?
401名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/31(火) 21:42:00.18 ID:rDWJf2Yo0
>>399
旧制は今も欧州で生きている。ハリーポッターの学校は新制中高一貫校ではなくて
旧制7年制高等学校だ。先生もプロフェッサーと呼ばれている。

カナダのフランス語圏のメル友でユニバーシティに行く前にカレッジに行かなくては
ならないと言われた。外国には旧制高校が生きている。
402名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 06:23:01.47 ID:i6yQH+nL0
>>401
>ハリーポッターの学校は新制中高一校ではなくて
>旧制7年制高等学校だ。先生もプロフェッサーと呼ばれている。

それがパブリックスクールなのかな?
403名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 10:58:28.10 ID:DrVHxZR90
>>402 そうだよ。パブリックスクールには学齢で13年生(小学校からとおしで)
までいるとこがおおい。大学の教養課程を含んでいるわけだ。
旧制7年制高校はパブリックスクールに範を取った。

Wikiより
7年制高等学校(尋常科4年・高等科3年)は制度的に高等教育機関と位置づけられているものの、
実質的には一つの学校で中等・高等教育機関を兼ねていた。7年制高等学校構想には当時の先端的な
教育思想を信奉する教育家や英国流のパブリックスクールに傾倒していた国際派経済人が飛び付き、
多くの7年制高等学校はスマートな気質の学生を育てることを目指した[20]。
武蔵高等学校のように、スポーツを禁じ、落第者・退校者を多数出すことも辞せず、
東京帝大への入学率で一高を抜いた学校すらあった
404名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 14:12:57.20 ID:i6yQH+nL0
>>403
なるほど、サンクス。
小学校から通しとはね。今の慶應みたいなもんかなあ。
405名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 20:02:31.91 ID:DrVHxZR90
>>404 小学校が併設されているわけでなく単なる学年の数え方だよ。
欧米(特に米)は通しで学年を数える。日本でも中等教育学校とかできんのだから
高3は12年生といえばよいのに。

アメリカは小学校は5年までで6年生から8年生までが中学生。高校は4年間ある。
406名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 21:25:21.81 ID:wvTTfvt90
>>405
小中高を通算すると12年というのはどこの州でも同じだが
どの学年で小中高を区切るのかは州によって違うよ
407名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/01(水) 22:40:45.12 ID:y8KQ5hiK0
>>403

英国ではオックスフォード大やケンブリッジ大を優秀な成績で卒業していても、
その卒業者が名門パブリックスクールのOBでなかったら英国では出世できない
と何かで読んだけど、本当なのかな?
408名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/02(木) 10:13:59.43 ID:Gyr3KtYX0
>>407 日本でも地方都市では県立名門高校を出ているかどうかが効くよ。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/02(木) 19:46:07.24 ID:2yLqwji00
22日に岩波から橘木さんの『三商大 東京・大阪・神戸』が出るね。
旧制商大・高商系の大学は旧制高校や帝大・有名私大と比べこれまで
あまり取り上げられなかったので楽しみだ。
(この人の『東京大学』は正直イマイチだったけど)

てなネタはスレ違いですかそうですか。
410名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/02(木) 20:08:52.68 ID:Gyr3KtYX0
70年代長崎で高校生だったけど長崎大学経済学部キャンパスの事を
「ケイセン」と言っていた。年配の教師がそう呼ぶので若者も真似をしていた。
411名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/03(金) 21:57:20.47 ID:dWeisyzm0
長崎高商が戦時中に「経専」(経済専門学校)って改称したんだよな。
経済学部の片淵キャンパスが離れてるのは旧制校の校地を引き継いだからで
(旧制医科大学の医学部(坂本町)キャンパスもそうだけど)
経済学部キャンパスに入るときに渡る橋と「瓊林会館」は旧制以来の建造物。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/04(土) 23:19:26.25 ID:9R9eCnr20
>>408

英国から米国に渡っていった人は相当数いるけど、その中には
英国に存在する階級社会を嫌って新天地に逃げて行った人も
それなりにいたのかもしれないな。
413名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 06:28:40.61 ID:AjV3P1DP0
橘木は典型的な慶應嫌いのゴミ著書しか無いくせに、岩波から出すのかw
414名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/05(日) 21:22:48.66 ID:2rGZ+zO50
>>413
岩波では立場無きさんの大学シリーズは今度で三冊目だよ。
しかし東京大学のは大半が立花隆『天皇と東大』からの引用で酷かったな。
せめて東大のオフィシャルヒストリーから引用しろと。
415名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/06(月) 21:56:39.08 ID:LUTF+1D50
>>399
産業の 高度化で 中等学校への 進学率が あがって 高等小学校は 児童不足が 問題になっていたと おもう。
416名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 10:18:58.56 ID:GqEs4S9R0
>>406
GHQの教育担当官が自分の州の教育制度を押し付けたんだよね
あと高校三原則も押し付けてきたけどこちらはあまりうまくいかなかった
417名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 11:48:37.91 ID:rS2G9WVk0
>>416
高校三原則「小学区制・総合制・男女共学」で普及したのは男女共学くらいか。
総合制は商業高校とか独立で作る余裕がないへき地では機能している。
小学区制を導入した地域は私立名門高校がはやり貧乏人が勉強の力で
社会階層を抜けることができなくなった。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 19:52:43.56 ID:mjbSW6xM0
>>417
高校三原則で おしかったのは 公立校への 希望者全入が 実現しなかったことかな。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 20:02:11.76 ID:hs75HLon0
>>417
小学区制が廃れてきた後にも「学校間の学力較差を憎悪する」思想は、
左派系の教育関係者のなかにくすぶり続けて「総合選抜制」となって結実し、
つい最近までかなりの都道府県で残り続けたよね。

「学校間の学力較差を憎悪する」思想が左派系の教育関係者から支持され続けたのは、
戦前の中等教育の教員は学力はあっても経済力のなさで、
授業料無料の師範学校や高等師範学校に
進まざるを得なかった階層出身者が多かったからといわれている。
県立一中→旧制高校→帝大のコースを歩むような
エリートコースへのルサンチマンが強烈だったんだよな。

>>417氏の指摘の通り、
彼らが「総合選抜制」を強力に推進した都道府県では、
かつての名門公立高校は見る影もないほどに消え去ってしまい、
名門進学校は私立ばかりになってしまった。
結局富裕な家庭の指定が恩恵を受けるばかりとなり、
貧しくとも学力のある生徒が夢を描くことができなくなってしまった。

左派系の教育関係者は意図とはまったく逆に、
階層の固定化を強力に推進していく結果となったのは皮肉なことだ。
420名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 20:06:33.17 ID:mjbSW6xM0
>>419
試験に 合格すれば どの大学でも 進学できる バカロレア資格みたいな しくみを とりいれなかったのが
失敗だったと おもう。

そうしていれば 理屈の うえでは どの 高校からでも 東京大学に いけるわけで。むろん、定員オーバー
になれば 二次試験を うけなければならないのは おなじだったろうが。
421名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/09(木) 20:39:06.68 ID:rS2G9WVk0
>>420 合格者2~3万人くらいで旧帝大、東京工大、一ツ橋、筑波大、国立大学医学部を
自由に選べるようにすればよい制度になると思われる。
422421:2012/02/09(木) 20:50:52.43 ID:rS2G9WVk0
どんなに大甘にしても合格者10万人が限度だな。高校の勉強は結構高度で
まともに理解しているのは上位10%くらい。例えば授業の英語だけで
英検2級(高卒程度とされている)を取れる層を考えるとそれくらいだろ。
423名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/10(金) 06:32:24.11 ID:x7SZclW30
新制高校では、アメリカのように生徒個々が選択した授業に応じて教室を異動する
ホームルーム制度を導入したけれど、これもすぐに頓挫した。
その名残として一部の高校では、例えば2年3組を23ルームと呼ぶ風習がある。
424名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/10(金) 20:37:59.73 ID:iBo37Wxo0
自分の高校では昭和30年代くらいまでホームルームは地区別だった。
おなじホームルームに1年生から3年生まで兄弟姉妹のように暮らしていたそうだ。

そのなごりだろうか。クラスのトップを委員長とか級長ではなく「室長」と
呼んでいた。少年院みたいだと当時は囃していた。
425名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 09:29:17.60 ID:PKPp25Fj0
始業前と終業後に行うミーティングをホームルームを呼ぶこと自体が
ホームルーム制の名残だね



426名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 10:24:36.23 ID:laozKiUP0
>>425
ホームルームと授業単位がほぼ一致してたけど、剣道か柔道、美術か音楽か
のときだけ再編成されていた。大学の教養課程だけなぜだか他学科と混成で
アメリカの高校みたいなホームルームがあった。そのあとは工学部の
同じ学科の人だけ集められて高校生に戻ったみたいになった。

アメリカのTVシリーズを見ると高校時代を懐かしむものが多い。アメリカ人に
とって人生最良の時なんだな。日本人にとって最良の学校時代はいつだろうか?
最近、単位制高校とか増えたけど楽しいのだろうか???

427名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 11:28:54.00 ID:laozKiUP0
1950年代にはアメリカ式をもとめたがその後に揺り戻しがあった。
自分は1970年代に高校生だったが、旧制から奉職している教師がまだいて
剣道の先生(一般体育は教えない)や漢文の先生(現代文は教えない)が
成立していた。 他の地方の旧帝大に進学したが、年配の教授から
「お 君は◯◯中出身かね!」よく言われたもんだ。また地元の名門県立高校
出身者が仲間として接してくれた。なんか旧制の「におい」みたいなもんが
まだ残っていたのだと思う。今母校は公立なのに中高一貫校になっており
制度上でも旧制に戻りつつあると思う。
428名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 21:57:56.35 ID:4DY1ba8Z0
>>426
普通高校は 勉強ができないと たのしいところではないと おもう。
わたしも 勉強ができなくて いやな おもいばかりしたが。

>>427
なんで 旧制中学の 意識を なくせなかったのだろうね。
大学も にたようなものだが。

第二次世界大戦後の 警察にしても はじめの ころは アメリカなみの 自治体警察を
やろうとしていたのに 実質的に 国家警察に 逆もどりしてしまったからな。

福島第一原発事故で 戦前の システムを やっと 清算することになるかもしれない。
429名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 22:53:07.19 ID:LHbv5oa80
>>428
新制よりも旧制の方が良かったという意識が強かったのだろう。
新学制は、細かい実情を考慮に入れずに形式的な制度だけを
進駐軍に押しつけられたせいか、完全なアメリカ型になりきれず、
中途半端なものになったから、旧学制に賛成する人に不満があったのは当然としても、
新学制に賛成する人からも不満はあっただろう。

書き込み内容から判断するに
>>428さんは、いわゆる戦後民主主義者のようだから、新学制に好意的なようだけれど、
私は旧学制をベースに義務教育期間の伸張や共学化をはかる方が良かったと思っている。
430名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/11(土) 23:36:17.90 ID:4DY1ba8Z0
>>429
アメリカの 教育制度に ならうのだったら 新制高校までを 義務教育にして
高等教育機関に すすむことを あたりまえに すべきだったのだよね。

日本の 学制改革の 失敗は 大学を つくりすぎたこと、新制中学を 小学校と
一体化しなかったこと、公立高校を 希望者全入かつ 無償にしなかったことだと
おもっている。
431名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/12(日) 00:41:34.64 ID:b6OwuQHn0
>>430
初等中等教育の問題点についてはその通りだと思う。

ただ、高等教育も含めてアメリカの教育制度をモデルにするならば、
学部の4年間は原則リベラルアーツの一般教育課程(≒大学予科としての旧制高校の課程)とし、
本格的な専門課程は大学院修士課程(≒帝国大学の学士課程)からとすべきだったと思う。
戦後混乱期のの日本の状況ではとてつもない贅沢だっただろうけど。

高等教育における新学制の功罪の「罪」の部分としては、
結果的に新制の高等教育が旧制のそれと比較すると軽量化されてしまったこと。
いまだに学部段階までは高等教育の本流という意識が強く、
修士課程相当の課程が付属品のような扱いを受けていること(理工系は除く)にあると思う。
欧米のエリート層では最低でも修士レベル場合によっては博士レベルの教育を受けているのが常識なのに、
日本のエリート層では未だに学士レベルの教育しか受けていないのが主流で、
下手をすると大学院レベルでの専門教育を受けているのは
学部卒の段階で就職できなかったレベルの低い人たちという認識が強い。
結果的に知性軽視の傾向が蔓延する一つの要因になったと思う。

ちなみに、英米仏などの大学の課程は日本でいえば大学院修士課程に相当するものだし、
日本の大学の教養課程は、パブリックスクール(英)・ギムナジウム(独)・リセ(仏)が担当している。
パブリックスクール(英)・ギムナジウム(独)・リセ(仏)は、敢えていうなら旧制の7年制高等学校に類似している。
432名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/12(日) 01:05:56.14 ID:mUzmJMUd0
旧制大学と旧制専門学校が一緒くたに新制大学にされてしまったのが誤りだったと思う。
改革前の段階で、旧制高校が40校、大学が50校位しかなかったのに専門学校は300校弱と学校数があまりにも釣り合わなかった。
新制大学が学部中心の体制になって、後に教養教育が弱まって実学に傾いていくのもこれが原点じゃなかろうか。
このときに新制大学に移行できない専門学校を救済する策として短期大学ができるわけだが、
そうした貧相な専門学校を取り潰して整理統合するなどして、強硬ではあるが数を調整したほうがよかったと個人的には思う。
433名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/12(日) 01:08:21.98 ID:J4BryJuE0
>>431-432
なるほど。
434名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/12(日) 08:29:31.28 ID:hPFkPKf+0
>>431

余談だけど、フランスでは大学の他にグランゼコールと呼ばれる
高等教育機関があって、特に有名なグランゼコールについては
大学より評価が高いらしいね。

日本でも明治初期に工部大学校が作られたけど、この学校は
フランスのグランゼコールの一つであるエコール・ポリテクニーク
を模範にしたものだったとのこと。
(アメリカのMITも同様らしいが)
435名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/12(日) 09:12:50.24 ID:0XIJGwAT0
ドイツは同じく敗戦国なのに戦前の学制を維持できたのはなぜだろう。
日本側には進駐軍を利用して「新制」を広めたかった勢力がいたのではないか。
436名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/12(日) 09:17:13.86 ID:b6OwuQHn0
>>434
エコール・ポリテクニーク(日本では理工科学校と訳されている)は、
創設以来現在まで軍の管轄で、卒業生が元々軍の技術士官となることを想定していたんだ。
築城学だとか土木工学だとか陸軍には欠かせないからね。
いまでは軍の以外にも国家の高級技術官僚となるための学校でもある。

ちなみに、ウエストポイント(米国陸軍士官学校)のモデルはエコール・ポリテクニークだそうだ。
米陸軍が兵站や技術を重視するのはエコール・ポリテクニークをモデルにしたことに理由があるらしい。
ウエストポイント創設の際に、教官候補者をエコール・ポリテクニークに多数留学させて、
そのシステムを導入したらしい。

戦前の陸軍士官学校と比較すると
現在の防衛大学校のカリキュラムは理工系重視の姿勢が明確だが
これはウエストポイント経由でエコール・ポリテクニークの思想を取り入れたともいえなくもない。

437名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/12(日) 09:20:22.11 ID:b6OwuQHn0
>>436の続き
元来のグランゼコールは高等教育機関というよりも高級官僚養成機関といった方が良い。
授業料無料で給料まで支給されるから。
敢えて喩えるのなら学生はちょっと前の司法研修所の司法修習生(給料支給あり)に近い。
エコール・ポリテクニークなどは技術系士官学校と言ってよいだろうし、
戦後創設のENAなどは行政官僚養成機関で日本風にいうなら
国家T種合格者を集めた「行政研修所」で学生は「行政修習生」とでも言うべきかw
面白いのはエコール・ノルマル(高等師範と訳されている)かな。
元々はリセの教員を養成するための学校なのだが、
実学以外の学問領域(人文社会系・理学系)では最も多くの研究者を輩出している。
著名な思想家・研究者はたいていここの出身。パリ大学よりも権威がある。

みすず書房から出ている『レーモン・アロン回想録』(全2巻)を読んでみるといい。
そこに出てくるアロンの同級生(サルトルもその一人)の友人たちの名前を見てみるとよい。
旧制高校よりも規模の小さい少数精鋭の学校ゆえ
同級生のみならず上級生下級生はみな顔見知りの世界で驚く。

>>435
私学関係者が旧制高校を廃止するべく動き回ったらしいという話を聴いたことがある。
これなどは進駐軍を利用して「新制」を広めたかった日本側勢力といえるかもしれない。
438名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/12(日) 09:55:54.46 ID:hPFkPKf+0
>>437

> 元来のグランゼコールは高等教育機関というよりも高級官僚養成機関といった方が良い。
> 授業料無料で給料まで支給されるから。

今の日本における防大や気象大のような省庁立大学校に近い存在なのかな?

それにしてもエコール・ポリテクニークという学校は他国に大きな影響を与えたというね。
まず数学・物理学・化学等の基礎科学を徹底的に叩き込み、その後工学教育を
行う学校というのはそれまでほとんどなかったらしい。
439名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/17(金) 08:50:00.44 ID:uJXHWXFe0
>>417
男女共学は西日本ではGHQの担当官が急進的で、中学と高女の生徒教員を半分ずつ
交換したり、中学と高女を合併させたりとかなり強引に進めたが、
東日本は特に強い干渉はしなかったので女子校化した旧制高女が多かった。
今でも関東では群馬・栃木・埼玉は旧制中学・高女が男女別学になっているところが多い。
440名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/18(土) 07:33:11.53 ID:06X37HWL0
>>439
九州の高校から東北大学に行って「公立の男女別学」が存在していることに
驚愕した。最近は仙台は共学のようだ。北関東は今でも共学化が進まないのだろうか。
441名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/18(土) 10:23:15.29 ID:IvO8DE3m0
うちの学区(旧郡)はトップ校が元旧制中学で以前は女子が少なく年男子と全校女子で
フォークダンスをやってもなお男子があまって女役に回るほどだった。
2番手校は元旧制高等女学校で建前上は男女共学であるが実質女子校化していて
1980代には現状を追認して女子のみの募集となった。21世紀になり再び男子を募集したところ
かつては全然男子が全然集まらなかったのに今度は生徒の半数が男子になった。
トップ校のほうも現在ではほぼ男女半々になっている。
442名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/25(土) 10:19:10.23 ID:6NHP5gFx0
>>419

総合選抜制を今でも維持し続けているのは京都府のみか・・・。
時代が変わったな。
443名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/25(土) 14:48:05.45 ID:AgB12XUv0
>>442
長崎だけど合同選抜の頃は新設の北南が伝統校の東西を大学進学でしのいでいた。
先生たちが新設校でがんばった成果でもある。

合同選抜をやめて学校ごとの募集に切り替えた途端、新設校はみる影もなく
伝統校が復活した。長崎東高校は中学部まで作って旧制のノリになったよ。
これは西岡武夫先生の悲願でもあった。
444名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/25(土) 15:24:13.44 ID:4amoEO/t0
他の県では名門公立高校は私服のところが多いみたいだけど
千葉県では200校余りの高校のうち、私服のところは一校だけ
そして旧制中学の流れをくむ高校ははとんどが今でも黒の詰襟
新スタイルの制服は底辺校の改造服対策のためあったから当然か
445名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/25(土) 16:07:15.27 ID:u9XGBFVd0
>>444
中国・四国・九州の公立高校には、私服の高校はただの一校もないよ。
俺は私服の公立進学校出身だが、こっちに来て驚いたよ。
しかも、公立小学校なのに制服の学校もあるらしい。
土地柄のなせるわざかねぇ
446名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/25(土) 19:39:06.86 ID:6NHP5gFx0
>>443

それにしてもなぜ京都だけ総合選抜が残っているんだろうと思う。

単独選抜にされると不利益を被る勢力が強いんだろうか?
447名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/29(水) 15:17:35.75 ID:aMBS0Bc70
>>399
旧制の 学制が つづいた ばあいを シミュレーションした アニメや 漫画を みてみたい。
13歳くらいの メイドとか でてきそうだが。
448名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/29(水) 17:53:02.91 ID:WGJu1pDQ0
>>447 高等教育の大衆化。共学化はすすむだろうから、
パラレル世界の旧制高校を見たいなら東大駒場のキャンパスを
あるいてみるとよい。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/29(水) 18:41:36.03 ID:MHC45NAs0
>>447
ネタスレっぽくなるけど、ドイツのように従来の学制が続いていたら
どのようになったのかシミュレーションしてみるのは面白そうだね。

大学レベルでなら現存する七帝大の他に北陸帝国大学が設置予定だった。
それ以外ならおそらく岡山医大を母体とした中国帝国大学が設置されていただろう。
新設の帝大はさしあたり医・理・工・農の理系学部群によって構成されることになると思う。
東北帝大と九州帝大の法文学部は史実通りに法・文・経済の文系学部に発展的解消され、
北海道帝大・大阪帝大・名古屋帝大も、
史実通り法文学部設置→法・文・経済の文系学部に発展的解消という経過をたどったと思う。
新設の北陸帝大・中国帝大も後を追うように同様の詠歌をたどることになるだろう。

旧制単科大学(文理・商・工・医)はそれぞれの領域の最高学府としての地位を保ち続けるだろう。
岡崎・金沢の高等師範に接続する文理大学も早晩新設されたと思う。
高度経済成長を考えると、東京・神戸・大阪の三商大以外に、
官立商科大学が新設される可能性はあったと思うがどの高商に接続させる形をとるのかちょっと想像できない。
老舗の高商は山口・長崎・小樽だが戦前はともかく戦後は商都と言うには足りない。
強いて考えると名古屋高商あたりが妥当なところか。

私立大学は早慶を含めてあまりパッとしない存在のままだったであろう。
都会の富裕層の子弟の進学先は、現在のように有力私大附属校ではなく、
官公私立の七年制高等学校に向かったであろう。
首都圏・京阪神圏には富裕層の子弟を当て込んだ私立七年制高等学校が新設されると思われる。
旧制高等学校が核となるのなら敢えて早慶を目指すことにはならないだろう。
450名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/01(木) 09:36:01.11 ID:wSexdlSR0
>>449 ドイツは同じ敗戦国でも旧制の学制をまもれだんだね。
日本は「国体の護持=天皇の助命」に条件をしぼったためどんな
改革もうけいれてしまった。

旧制大学の数はもっと増えていると思う。旧制高校が増える分受け皿が
必要になってくるから。もしかしたら医学専門学校は全部医大に
なっていたかもしれない。戦時にできた粗悪な医専は淘汰されるはずだ。

私立7年制高校が流行るとだろうけど、麻布、開成、灘などは
中学校からの昇格を目指すのだろうか?
451名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/02(金) 01:55:12.63 ID:cVTRZtGA0
>>450
戦前の麻布、開成、灘などはただの私立中学で特にレベルが高いわけではなかった。
当時は官尊民卑だから府立中学や神戸一中の滑り止めにすぎない。

七年制高校としては、官立の東京高校、東京府立高校、
私立の成城高校・成蹊高校・武蔵高校、関西なら私立の甲南高校なんかがあった。
小学校卒業と同時に事実上帝大への入学が保障されるのだから大人気だった。

この種の私立の七年制高校がいくつかできたんじゃないのかな。
その一方で、通常の旧制中学からナンバースクールを経て帝大に行くというルートは
最も正当なルートとして評価されたんじゃんなかろうか。
七年制高校は現在のエスカレータ式附属校のように
どこかズルをしているような見方がされるかもしれない。
452名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/02(金) 12:28:10.31 ID:cVTRZtGA0
《資料》 他板にあった関連スレの過去ログ
 ※dat落ちのためログ速等の保管ログを併記

◆戦前の旧制専門学校を語れ!◆
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/joke/1241009543/
http://mimizun.com/log/2ch/joke/1241009543/
■マータリ =旧制の学制について語る= その2■
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/joke/1248501239/
http://logsoku.com/thread/gimpo.2ch.net/joke/1248501239/
■マータリ =旧制の学制について語る= その3■
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/joke/1262256397/
http://logsoku.com/thread/gimpo.2ch.net/joke/1262256397/
【戦前】 旧制の学制について語る 【戦後】その4
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/joke/1275131295/
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/joke/1275131295/
【戦前】 旧制の学制について語る 【戦後】その5
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/joke/1287833889/
http://logsoku.com/thread/toki.2ch.net/joke/1287833889/
453名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/02(金) 13:26:45.40 ID:Gqwjk7bk0
>>452 旧スレに以下の情報があった。>>337と矛盾してるが軍術科学校の
あつかいはどうだったんだろう。

98 : エリート街道さん : 2009/08/07(金) 05:29:28 ID:KVTAnASW [1/1回発言]
いくら優秀でも食うや食わずの貧困家庭の子では陸軍幼年学校や陸士・海兵に進むのは物理的に困難。
こういう少年達は軍隊に志願して術科学校の練習生となり、衣食住が保証された中で勉強して資格をとった。
術科学校出身者は中学に負けていないというプライドがあったようで、かつて国勢調査の最終学歴の項目で
なぜ術科学校を中学相当と認めないのかと抗議したことがあった(ちなみに予科練は中学扱い)。
454名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/02(金) 16:07:54.22 ID:/9YIk2si0
>>453
海軍水雷学校や海軍通信学校は高等科を含めても中4卒資格にわずかにわずかに年限が足りなかった
年数は短くても数学物理などかなり密度の濃い授業内容だったそうだけど
陸軍少年戦車学校は確か中四か中五卒資格が認められていたはず
455名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/03(土) 22:56:33.12 ID:JO7vWiGO0
>454
海軍では昭和16年に通信兵よりもさらに若い特別年少兵が創設された
海軍特別年少兵は高等小学校を卒業して志願した多数の少年達の中から選抜された
非常にポテンシャルの高い集団だった。
彼らには中学に匹敵する3年間の基礎教育を受けさせて海軍中堅幹部に育てる
目論見であったが、戦局の悪化で1年半に短縮されてに前線に駆り出されてその多くが戦死した。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/04(日) 18:08:56.00 ID:M8H4ekJL0
参考までに。
旧制最後(1947年)の中等(翌年から高校)野球の選手権は、参加1256校。
一番多かったのが2002〜03年の4163校。
457名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/06(火) 21:37:44.15 ID:YkxBfdND0
田舎の中学や高女は1学年2〜3クラス、100〜150人程度のところが
多かったから単純に比較はできない。
でも最近は少子化のせいか1学年360人が標準だった公立高校も
低偏差値校は120〜160人程度になってるね。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/08(木) 16:02:44.01 ID:2nImdHL30
(札幌農学校)北大
(駒場農学校)東大・農工・筑波
(高農・旧帝)岩手・鹿児島・ソウル(韓国)・九大・鳥取・三重・宇都宮・京大・岐阜・宮崎・千葉・中興(台湾)・京府
(農専)山口・帯広・阪府・慶北(韓国)・愛媛・信州・新潟・岡山・山形・静岡・島根・香川・東北
(新設)茨城・神戸・広島・高知・琉球・名大・弘前・佐賀・福井県立・滋賀県立・秋田県立・石川県立
459名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/15(木) 20:21:56.98 ID:gCdQXsA80
《資料》 他板にあった興味深いスレのご紹介

【悲惨な】総合選抜と地元集中について【青春】
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/edu/1327240604/l50
460名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/16(金) 22:36:11.98 ID:BGCq2EBQ0
>>459
読んでみたよ。大阪の日教組の傍若無人ぶり反吐が出そうだ。
大阪ではつい数年前まで地元集中運動が猛威を振るっていたとは・・・
大阪が「大阪民国」と揶揄されるのも無理はない。
これなら橋下が圧倒的支持を受けるというのも理解できる。
総合選抜・合同選抜それに地元集中運動が
高校三原則を奇貨として行われたことを考えるとGHQは罪深い。
(府教委・日教組が悪いのは当然だが)
461名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/17(土) 12:14:34.74 ID:FFF9ZoJT0
>>460
合同選抜時代の長崎東出身だけど、>>459にも書いてあるけど長崎は合同選抜の
数すくない成功例ではないか。合同選抜のことを「長崎4校のちに5校」といっていたが
中学校で上位30%に入っていないと受からなかった。45万人の街で4−5校しか公立普通科
がなかったのだ。今関東在住だが長崎のほうが厳しかったのだと思う。先生ががんばって新設の北南
の方が名門の東西を大学進学数ではしのいでいた。

勉強は厳しく早朝、放課後、夏休みの補習があった。大学受験は学校のプリントだけで
塾に行く必要はなかった。その反面、高校3年になっても文化祭や体育祭に手を抜くことは
許されなかった。成績は100番まで廊下に張り出されていた。100人というのが微妙な数で
「紙に載る子、載らない子」という社会階層みたいなもんがあったんだ。すごいのは高校3年の
クラスは ほぼ「紙に乗る」子だけ集めて4クラス進学クラスが編成されたことだ。
その一方で就職クラスも一クラスだけあった。今や中学部までできて旧制中学にもどったようだ。

会社に入ってから東京の学校群の公立から東大に入った人や大阪から京大の人と話をしたら
「なぜそんなことが許されたんだ!」と怒られた。「田舎だからだよ」と答えておいた。

長崎県は合同選抜を経験したことによって全体レベルがあがった。もしやっていなかったら
長崎東西、佐世保北以外だけが燦然と輝き、新設高校は動物高校になっていただろう。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/17(土) 17:07:14.61 ID:6gQoIenV0
>>461
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/edu/1327240604/216
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/edu/1327240604/223-224
長崎以外では岡山が、合同選抜後も比較的うまくいっていた稀有の例として挙げられているね。
それに対して京都・兵庫・広島・大分、大阪(こちらは地元集中運動)の惨状は目も当てられない。

http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/edu/1327240604/222
これによると、進学先選択の自由なかったという問題点はあるが、
思想的に偏った偏向教育が行われることがなかったし、
入学後の進学指導はきっちりとしていたようだ。

463名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/06(金) 19:55:54.55 ID:5+iXV6uR0
>>455
台湾少年工も忘れてはいけない
国民学校高等科卒以上の少年たちが対象で海軍工廠で働きながら学び
中等学校卒の資格を、中等学校卒業者なら大学予科卒の資格を得られるはずだった
多くのものは卒業前に終戦を迎えたため卒業証書を得ることができなかったが

韓国がその少年工OBたちに同じ強制連行された被害者として連帯を求めてきたが
我々は志願して高い競争率の中から選ばれたんだと少年工OBたちを怒らせた
464名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/09(月) 23:36:26.65 ID:Bb5fpGM60
>>459-462

結局、バランスが重要ということなのかな?

465名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/10(火) 00:16:07.39 ID:4yzNNdaO0
>>464
あのスレを精読したらバランスなんてことは言えないぞ。
大阪の地元集中運動はバランスなんていうような生やさしいものではないぞ。
人権侵害そのものと言っていい。
466名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/19(木) 16:50:28.27 ID:Nu4Veqmx0
それにしても
なんで入試は簡単で卒業や進級を難しくするっていう考え方が広まらなかったんだろうか
それなら総合選抜や地元集中も生まれなかっただろうに
467名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/19(木) 21:26:00.19 ID:wcig0VuN0
>>466
入口を緩くして出口を厳しくするというやり方は、費用便益の観点から効率が悪いからだろう。
つい最近まで、そういう贅沢ができるほど、日本は豊かではなかったんだよ。
468名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 09:34:40.12 ID:6bXdVtnR0
参考文献(7)旧制高校の基本的性格と終焉
http://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-11063107478.html
469名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 08:06:30.59 ID:kEQGQ53V0
>>306
みんな御曹司で小皇帝として育ってきたからね
470名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/22(日) 00:32:39.56 ID:WsSn71S/0
《第一次史料》
昭和11年の日記出て來たから一日づつ載っける
http://logsoku.com/thread/hayabusa.2ch.net/news4vip/1334508676/

昭和11年元旦から大晦日までの日記。
日記の執筆者は医学校進学を希望する受験生。
帝大予科、私立医大予科、官公立医専、私立医専を受験して、
大阪高医(大阪高等医学校、現・大阪医科大学の前身)に進学。
1年間の生活を淡々と綴っているところに現実味があり却って興味深い。
471名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/22(日) 05:13:48.12 ID:ApJCeFiw0
>>470
さんきゅ。
個人的に頗る興味深い。
472名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/22(日) 09:40:49.77 ID:Do5zSbVT0
仮に学制を戦前に戻そうと思ったらどれくらい大変なのかな
473名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/22(日) 11:15:59.33 ID:8jWBdF2l0
>>472 大日本帝国が存続していても社会の大衆化は起こるから戦前の旧制そのもの
ではないと思う。複線教育としての旧制の精神を鑑み制度を変えるのはそんなに
難しくない。下記の2点だけで実質旧制に戻る。

1)都道府県立の名門高校は6年制一貫校とする。既にその動きがある。
2)旧帝大は学部の募集を中止して大学院大学とする。すでに教授は大学院
  の所属になっているから問題ない。東大駒場は4年制の過程がすでにあるので
  東京文理大学として独立する。東工大、筑波なども追従するから 
  「旧帝大」という括りもなくなる。

新制の問題点は建前平等で実質「横の学歴(学校間格差)」がはびこっていることだ。
本来縦だったものを横にしたからそういうことになる。再び横になったものを
縦にもどすだけ。「戦後民主主義者」が死に絶えたら即できると思う。
遅くとも20年後には実現できる。
474名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/22(日) 16:15:52.22 ID:Do5zSbVT0
>>473
あと、小中高大の学校に特色つければいいんだよな
募集のやり方や入試にしても配点や問題に科目、内申点をどうするかとか

あと小学校から職業教育を入れるとか
学習指導要領撤廃で科目は選択制とか

進路を多様にして学校の特徴がはっきりしてくれば偏差値で比較は難しくなるし
左翼がよく言う教育格差はなくなっていくと思う

理想論過ぎて現実考えると壁は大きいけどw
でも学制に関して教育関係者があまり声を上げないからね
475 忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2012/04/26(木) 18:06:00.84 ID:C5cCUXAR0
オイラの高校は、旧制中学と旧制高等女学校とが合併してできた高校なんだけど、
年一回の創立記念祭の時は、新制高校の校歌に加えて、旧制中学−旧制高等女学校の校歌も歌った。
( 卒業式や入学式は忘れた )

オイラのところみたいに、合併してできた高校での前身学校の校歌の扱いってどうなんだろう?
盛岡第一高校みたいに、旧制高等女学校を合併していないと、旧制中学の校歌をそのまま引き継ぐ様だけど・・・・・
476名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/27(金) 10:08:50.72 ID:kITFwePs0
>>475 長崎東だが中学と女学校が合併したのはいっしょだけど、再編成して
2校になったんだ。西は中学校、東は女学校の校舎を利用していた。
校歌は新しいものしかなかったな。女学校時代からいる家庭科の婆先生が
男子がいることが気に入らなくていつもヒステリックに反応していた。
477名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/27(金) 10:19:08.50 ID:kITFwePs0
>>455 戦前のほうが「貧乏で頭の良い」子にチャンスがあった。
戦後も大企業には中卒者を中堅技術者に養成する社内の工業高校みたいな
ものがあったが、集まる子供の素行が悪すぎで生活指導がたいへんになり
次第になくなってきた。

逆に現代ではエリートでも没落する可能性が大きくなってきたので
こういうものがまた必要になってくるかもしれない。
478名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/27(金) 10:41:25.93 ID:8vBR/Pmb0
>>477
それは幻想。
「貧乏で頭の良い子」のチャンスは戦前とは比較にならないほど今の方が多い。
今ならパートタイムのアルバイトで生活ができて成績に問題がなければ
奨学金で学校へ通えるが、戦前は教育のない若者はフルタイムで働いても
自分一人食っていくのが精一杯。
479名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/27(金) 21:13:30.49 ID:lPwCfKU20
>>476
ウィキペディアを見る限り、
長崎東高校−長崎西高校は、旧制中学と旧制高等女学校とをガラガラポンしてできた学校みたいだから、
その辺りは、残念な感じがする。

ウィキペディアでザッと各都道府県の代表的な公立高校の歴史を見たけど、
旧制中学或いは旧制高等女学校がそのまま昇格したのが多数派で、
合併してできた方が少数派だなぁ・・・・・
480名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/28(土) 08:47:55.94 ID:7OXqAvk70
>>479
西日本では中学と高女は強制合併させれれるか、さもなけれは
近隣の中学と高女の生徒を半分ずつ交換させられている

481名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/30(月) 22:34:21.41 ID:2hPFRE/i0
各地区のGHQ教育担当官によりかなり温度差がある
北陸東海地区はジョンソン旋風が吹き荒れて
否応なく中学と高女が合併させられた
482名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/04(金) 08:08:48.40 ID:OYfoeDJ70
>>409
■ 学術書執筆作法,その若干感想 ■
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=4301386

橘木俊詔『三商大 東京・大阪・神戸−日本のビジネス教育の源流−』が、
このブログで、俎上に上げられているよ。
プロの経営学者によるものだから結構辛辣だ。
ただ、自身がプロがの経営学者であることを明かして論評するのなら、
身元を明かして意見を述べるべきだろうなとは思った。
483名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/06(日) 15:21:55.12 ID:ZyHwHmPR0
義務教育は小学校までで充分
484名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/10(木) 07:25:06.34 ID:b9aFEZTP0
>>428 旧制から商大だったのは一橋だけだと思い込んでいた。
勉強になった。
485名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/11(金) 02:06:39.00 ID:AHMbo3wK0
このスレの300番台に、旧制専門学校卒業者は旧制大学の学部へ進学する資格を持てず、
旧制高校を介さないと大学には進めなかったと書いてあるが、これは不正確な話である。

第二次高等学校令の施行に合わせて、文部省は認定された専門学校の卒業者に対し、
高等学校高等科卒業者と同等の学力を持つとみなすように規定を追加し、
わざわざ学校に入り直さなくても、専門学校から試験を受けて学部に入学できる道を定めている。
考えてみれば大学専門部の卒業者が系列大学の学部に入れないというのはさすがに酷な話だろう。
なお、官公立なら東京美術学校・東京音楽学校を除いて無条件で、
私立は審査の上で適格と判断された専門学校が高等学校高等科と同等であると認定された。

ただし、学部入学で優先されたのはもちろん高校や予科の卒業者であり、
専門学校などからの入学者は概して補充要員的な存在であったことを断っておく。
486名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/11(金) 22:35:49.57 ID:ckD38sbd0
>>485
このスレの300番台なんて書かずに、ちゃんとレスアンカーで示せ
487名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/12(土) 08:56:20.10 ID:OKbIo81V0
>>485
東大京大以外は高校生に人気がなく、予科や専門学校からの傍系入学で定員を埋めていた
というのはこのスレでは常識の事柄で、何度も触れられてる。
488名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/13(日) 17:33:30.80 ID:5X3mCRmy0
女子の師範学校や、女子高等師範学校について関心があるんだけど、どんな本を調べれば良いのかな?
当時の学生生活や、何を学んだのかとか知りたいんだけど。
489名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/14(月) 08:47:34.47 ID:r/sDRwRU0
>>488
女子師範ならとりあえず地元の図書館の資料室で校史を読むことから
490名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/14(月) 08:48:47.05 ID:muNBnDhc0
>>488
女子師範ならとりあえず地元の図書館の資料室で校史を読むことから
491名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/17(木) 09:06:32.83 ID:Eon4s5e10
>>488
女子師範ならとりあえず地元の図書館の資料室で校史を読むことから
492名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/17(木) 09:36:52.84 ID:OlaEqx4Z0
>>488 経験者のお婆さん達、祖母を含め何人も知っていたのだが。
10年前に質問してくれればなんでも聞いてあげたのに。
493名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/22(火) 01:45:48.02 ID:XMAgmKc30
熟専ヤリチン現る!!!!
494名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/24(木) 13:34:59.74 ID:yoU3T9Sz0
>>106>>431同意。新制大学は旧制では高校・大学予科・師範学校・専門学校。新制大学院修士は旧制大学本科、新制大学院博士は旧制大学院に相当する。
>>269「末は博士か大臣か」という考えが大きくて、博士は新卒ではなく定年という考えがあったからね。逆に取りやすいのが医学博士なんだよな。
理由は戦前が医師国家試験が無かった事、戦後は医学修士が無かった事がその理由。よって>>152グローバルスタンダードの時代に逆行する。
>>344>>7現在だと、この人がこれに該当する。http://www.nishiohirokazu.org/ja.html博論は英語だったけど、山中伸弥の薫陶を受けていた事が解る。
495名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/29(火) 11:10:45.59 ID:s16YbZuh0
>>106 今からでも公務員1種試験を修士以上にすれば実現できると思う。
技官に関してはすでに修士以上がほとんどだし。文系はロースクールの受け皿になる。
496警察庁 野島(横濱)榮五郎(遠山榮太樓)の孫 慧吏載地衛 繪亞瓏:2012/06/01(金) 21:54:23.26 ID:lEPZj0mYO

仔之弭 匙乃鼻 差廼尾 此乃尾 使之鞴 斯廼眉 止野味 孜廼毘 積野枇 獅乃美…

慧吏載地衛 帝跿(徒) 衛鴉瓏 繪璃奈
穢驪廼貭 懷椏隴 穢吾篭 江亞梁 江亞楼 衣吾蝋 穢亞瓏 慧吏載地衛 衛亞瓏 帝跿 哇狸野雉会 匯蛙労 野慈蚕 優多野手頭

世界中の著名(有名)な方々が、不法滞在の諛荼輻系フィリピン人の偽酒元蔆眞と妾の親族の朝鮮工作員のサイバーテロリスト一族『朝鮮総連』に横須賀で監禁、拘束されている。

この3年間の一族の元イアンフと親族の会『朝鮮総連』の被害者数と人質をアジアに御確認下さい。クーデターでは無い…
戦争中のプロパガンダだと理解出来ます。

arena8order/MisutDe/Mitelettrica@Twitter
497遠田静治(蓙甌惺貮・瀞辭=伊達政宗の孫)の孫 江亞梁 江亞楼:2012/06/01(金) 21:55:22.40 ID:lEPZj0mYO

正真正銘のクラッカー組織…世界中の有名な組織や企業の方々は詐欺師集団の朝鮮工作員一族『朝鮮総連』に脅迫で集められただけ。横須賀で監禁、拘束されている。
日本に居る元イアンフと親族の会『朝鮮総連』の親族の『華喃』はユダヤ系フィリピン人とも判明。

詐欺師集団 朝鮮工作員…世界のサッカーや競馬等の『八百長』犯の『朝鮮総連』…
被害甚大の脳障害は諛沱邪(ユダヤ)と窩難(カナン)の民『朝鮮総連』が製造した『白い悪魔の媚薬・人肉カプセル』や税関を通らない一族の上陸(入国)による
『害虫性脳障害・脳の破損(損傷・欠陥)性擬似発達障害』と『人タンパク質脳症』他。

世界中の著名(有名)な方々が、不法滞在の諛荼輻系フィリピン人の朝鮮工作員のサイバーテロリスト一族『朝鮮総連』に横須賀で監禁、拘束されている。

この3年間の一族の被害者数と人質をアジアに御確認下さい。クーデターでは無い…戦争中のプロパガンダだと理解出来ます。

arena8order/MisutDe/Mitelettrica@Twitter
天皇家 織田 繪璃奈(横濱・野島えり)Eleonora de' Medici. chocolat@湘南台 de' 闇将軍@藤沢市 еёжЭЮЯабЧЦХЛθ γδεζηθ еопое νξδεζηθ Eri Yokohama(Nojima)
Freemasonrey & Microsoft USA co.tp.
498名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/04(月) 09:57:51.47 ID:cojWFr860

>文部科学省は、都道府県を超えて国立大学の学部の再編を進める方針を固めた。
>一つの国立大学法人の下で複数の大学の学部を集約し、例えばA大は医学部と理工学部、
>B大は法学部と経済学部、C大は文学部に特化することなどを想定している。
>予算や設備、人員を学部ごとに集中させて教育の質を高め、優秀な人材を育成する狙いがある。

例えば九州なら九大傘下にするのだろうか?それとも別に「九州総合大学機構」ができるのだろうか?
別組織にするなら九大は大学院だけにしたら実質旧制に戻ると思う。
499名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/07(木) 07:52:54.69 ID:xYWWy0BI0
>>494
旧制高校は現在の大学1年2年(教養課程)、旧制大学は大学3年4年(専門課程)+修士課程だと思うが
旧制高校は新制大学移行後に大学教養部として機能していたわけだし
500名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/07(木) 11:17:01.32 ID:AMA0wqYF0
>>499 70年代に東北大学に行ったがまだ教養部が完全2年制で独立色がつよかった。
二高の話とか聞けたし、今でも二高の校歌や逍遥歌が歌える!!!!
工学部だから学部(専門課程)と修士課程が一体みたいな感じで実質まだ旧制だったとおもう。

今では東大の駒場くらいしか旧制高校の名残はない。
501名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/13(水) 22:52:56.65 ID:9wsOSy7N0
昔栗本慎一郎が週刊朝日で連載していた「間違いだらけの大学選び」で
知ったんだけど、文化学院という専修学校は専修学校でありながら、
有名大学並みに人材を輩出しているのに未だに大学になっていない
特異な教育機関らしいね。
502名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/13(水) 23:52:14.01 ID:UgLrkY6+0
>>501 中途半端に大学にすると偏差値でランキングされるからだろ。
また、有力専修学校で「付属」として大学を経営しているもある。
だがあくまでも専修学校が本体だ。例として
日本工学院専門学校[付属」東京工科大学、神田外語大学「付属」神田外語大学など。
503名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/14(木) 01:28:18.43 ID:4hk+74ay0
>>502
偏差値云々よりも、監督官庁からの規制にできるだけ縛られない自由な学校運営を目指しているからだろう。
学校教育法1条校である大学にすると監督官庁(大学は文部科学大臣)からあれこれと規制を受けるが、
専修学校のままにしておけば、監督官庁(専修学校は都道府県知事)の干渉はよほどのことでもない限りない。
文化学院は大正モダニズムを文化的思想的背景としているから特にその理念が強いのではないのかな。

文化学院 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%AD%A6%E9%99%A2
504名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/15(金) 10:05:10.11 ID:uisXNBv+0
秋田の国際教養大学。ここがある意味、現代的な旧制高校だと思う。
ttp://www.aiu.ac.jp/japanese/index.html
戦後日本の文系にありがちな知性軽視のアンチテーゼになっている。
今まで大企業は「一流大学の入試をパスした知能がある人材が体育会でしごかれて
いったん馬鹿になって入社してほしい」が本音だったがもうそれでは
立ち行かなくなってきた。

疑問点;
大企業への就職内定率を売りにしているのはよいが専門教育(大学院への進学)
についてはどうか。ビジネススクールとかつくらないのか?

理系のコースがないのはどうしてか。
505名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/15(金) 23:54:32.58 ID:zEcodcR70
>>504
AIU(国際教養大学)アメリカ流のリベラルアーツ・カレッジに徹しているんじゃないのかな。
もともとICU(国際基督教大学)をモデルにしていたらしいし。
ICUは日本にある唯一のアメリカ流リベラル・アーツカレッジだったけど、
田舎の全寮制大学という点ではむしろAIUの方がリベラル・アーツカレッジらしいと思う。
リベラル・アーツカレッジなら院からは英語圏に行けばいいんだよ。
実際ICUにはそういう学生は珍しくならしいし。
506名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/20(金) 14:29:41.69 ID:pdoBFAJq0
旧制高校合格者は文科だと東京帝大の法・経済学部以外無試験進学可能なんですね。
507名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/20(金) 17:31:54.55 ID:zjj+1YTa0
橋下が教育改革で小学校と中学校の学区をなくそうとしているね
正直、学区や内申点なんかいらないと思うんだがな
生徒の集まらない学校はたかが知れているレベルなんだし
508名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/20(金) 21:15:58.94 ID:omvtpPJ+0
中学はまだしも小学校の場合、校区ないと通学距離・通学時間が長くなって大変だと思うな
内申点はいらないと思うけど、内申点ないと公立中学は今以上に無法地帯になりそうだ
509名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/21(土) 00:29:27.88 ID:wY7n5FCl0
今は知らないけど俺の卒業した大阪市立小学校は変な校区で
子供の足で30〜40分かかるとんでもない遠隔地から通っている子がいた(何故その家から10分の処にある小学校の校区でないのか不明)
卒業した児童の内で一人だけ違う中学の校区に含まれていて、そいつだけが隣の中学校へ(引越したわけでもないのに新学期から転校生状態)
510名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/21(土) 00:55:57.68 ID:Xz3WKC3G0
大阪市は学区に厳しいらしいね
勉強出来る人の学校、スポーツ出来る人の学校、遊んでいたい人の学校
学校に特色があってもいいと思うのに
511名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/14(火) 20:19:59.35 ID:brOnj24x0
それにしても戦前の政治は曲りなりにも教育に力を入れてたのに、戦後政治の無策ぶりはひどいね
やったことといったら学習時間を減らすとか(バカ田)大学の数を増やすとかばっか
512名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/15(水) 07:01:13.66 ID:XylmxxR+0
無能な働き者が一番たちが悪い。
513名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/15(水) 12:49:12.54 ID:sVghg2Wn0
>>511
1970年代から学区制やら内申点重視やら学校群やら始めて公教育がおかしくなったな
それ以前から京都や広島は総合選抜で終わっていたけど

あと、戦前は学費が高くて教育の質を重視できたのかもね
514名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/17(金) 10:17:15.96 ID:EBCnoVWy0
>>513 戦前の教育はエリートを早い時期から選別することが目的だからね。
実質旧制に戻すのは意外と簡単で下記の2点を実行するとできる。

公立名門高校はすべて中高一貫とする。すでにその動きがある。
旧制中学の欠点であった高い授業料はとらない。

旧帝大は学部生の募集をやめて大学院大学とする。すでに教授は
大学院所属だからできるはず。

高専は工業と商船以外にも看護、観光など分野を増やす。
中高一貫校に逝けなかった人の受け皿にする。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/17(金) 14:24:33.42 ID:Jy5jM6SG0
>>514
商業高専や外語高専などの人文・社会系高専には賛成だ。
実質的に高商や語専の復活だな。
516名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/17(金) 14:27:54.98 ID:uHGYoueF0
>>514
中高一貫というか中等教育学校にすればいいんじゃないかな
今の大学前期を旧制高校に戻して

あと学年制じゃなくて単位制にして実質飛び級容認したり

エリートじゃない職人や即戦力を養成する学校も増やして
戦後の新設高校なんかはそれに生かせるんじゃないかな

そもそも職業高校が戦後になぜ軽視されたんだか
517514:2012/08/17(金) 14:45:36.01 ID:EBCnoVWy0
>>516 大学前期だけ分離させるのは抵抗が大きいので現行の学部を
4年制旧制高校、大学院を旧制大学相当としてしまえば軋轢がないとおもったからです。

一番の反対者は東大法学部の教授で「学部生のいない法科は考えられない」
からだそうです。

職業高校が駄目になったのは生徒の質があまりにも悪いからです。
工業高校は初級の技術者養成のはずが工員供給源になりさがっています。
有るべきポジションに工専がわりこんでしまいました。
518名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/17(金) 15:11:47.83 ID:uHGYoueF0
>>517
現状は初等教育と中等教育に掛ける時間が長すぎて
高等教育に掛ける時間が短すぎるんじゃないかな

現状の
小学校は小学校のまま
中学校・高等学校を旧制中学校
大学を旧制高校
大学院を大学

これでいいんじゃないかと思う
あと小学校と中学校を4年間にして高校と大学を2年増やして4年間にして4・4・4・4で
519名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/30(木) 12:47:33.73 ID:JOE6I8dI0
>>517
工専どころか大卒者が工員をやる時代がくるようだ。

【雇用】三菱重工、現場に大卒を起用へ…競争優位性を高める狙い [08/29]
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1346240749/l50
三菱重工業は大学卒業者の技能職採用を制度化する。
新卒採用で大卒者が増える中、採用の幅を広げることで製造現場に高度な人材・技術を蓄積する。
教育制度や海外研修などのキャリアパスも整備する。

円高環境下で新興国との競争が激化する中、モノづくりの基礎である現場に優秀な人材を配置し、
競争優位性を確保する。年度内にも細部を詰め、早ければ2013年度にも運用につなげていく。

三菱重工業は8種類の職群があり、新卒者は事務技術職群か技能職群に大別される。
製造現場の実務担当者である技能職群は高卒・高専卒者が基本。
大卒者は事務技術職に配置されるなど、採用が明確に分かれており、入社後の職群間の変更は皆無だった。

賃金や昇給などの処遇は今後詰めるが、海外工場への研修などキャリアパスを設けることで、
モチベーションの向上につなげる。

http://www.nikkan.co.jp/news/nkx0120120829aabf.html
※全文は登録しないと見られませんが、この部分だけで大まかな読解可能と判断しました。
520名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/30(木) 13:19:19.09 ID:1wEPXUvR0
>>519 これは良いことだと思う。中小企業の課長さんより
大企業の職長さんの方が収入が良い現実があるから志望者が
多いと思う。実際は肉体労働というより検査とか準直業務だとおもう。
自分は現役のとき自動車メーカーに勤めていたが、鉄鋼メーカーから
技能員を受け入れた時、体力が無いのに驚いた。聞いたら計器を
監視するような仕事についていたらしい。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/19(水) 21:12:48.09 ID:3SKBpOuF0
旧制私大より、官学の高等工業や高等商業のほうが評価されてたんだろ?
522名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/07(水) 11:51:17.16 ID:aI2hdCZQ0
いま、田中真紀子文部科学大臣が大学設置をみとめないことで論争になっているけど、
父の田中角栄氏の最終学歴は中央工学校卒なのだが、この学校は旧制中学などとくら
べて一般庶民は入学しやすかったのだろうか。
523名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/07(水) 17:45:52.74 ID:zzh5yVCL0
>>522 この手の学校は基本夜学で働きながらいけたから庶民の
中等教育機関とも言える。
524名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/10(土) 01:57:46.16 ID:Bx0zibijO
角榮って小卒じゃないの?
525名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/18(日) 08:20:13.26 ID:vRrfFB2l0
>>524
地元の高等小学校を出たあとに上京して土建屋の住み込みで働きながら
夜通っていた学校が中央工学校(土木科)
今も老舗の専門学校として残っている

その後は徴兵まで建築技師として働いていた
526名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/18(日) 19:31:54.09 ID:CAJiFuNq0
旧制の高等小学校卒は新制の中学校卒にあたるんだよね
ただ高等小学校は義務教育ではなかったが
527名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/19(月) 14:19:48.15 ID:zRWBc2NX0
学歴デノミを実施する時期だろうな。
旧帝・三商・二文理・東工及び医学部医学科以外は
専門学校にするくらいの乱暴な事をするとかさ。
528名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/26(月) 02:54:10.52 ID:KWKzHKYW0
101 :774mgさん:2008/07/23(水) 16:11:18 ID:e8wmoF7n
アリの巣コロリってあるじゃん。
蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。
邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。
そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。
そいつをマネして何匹も入る。
毒とも知らずにツブツブを運び出す。一匹が一粒づつ。
いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。
黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。
一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。
蟻さんって働き者だなと思う。俺も頑張らなきゃなと思う。
次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。
ほんとにいない。探してもいない。泣きたくなった。       


このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・
それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。 
信じるか信じないかはあなた次第です。
529:2012/12/14(金) 16:17:46.99 ID:Jrm78k2m0
ところでライズは閉めたのか?


群馬県鎌原村の東さん
530名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/02(水) 07:32:36.67 ID:saKr42R/0
戦後、学制をアメリカ式の単線型にしたのは成功だったのだろうか
531名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/02(水) 08:03:58.05 ID:15yJ9u6o0
アメリカ式の、大卒後の修養がむしろホンバンなシステムも入ってれば
良かったんだろうけどね。
532名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/03(木) 16:29:02.39 ID:iIilSgXT0
>>531
アメリカ型を志向するのだったら職業教育は大学以上でやるべきだったと思う。
戦前の実業学校を職業高校というかたちで残してしまったのが高等専門学校の設立や
専修学校といった戦後の職業教育の混乱を招いてしまったような。
533名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/06(日) 00:17:29.10 ID:Xmw2qiBv0
自民党は複線教育復活させるとか言っているけど
どうせなら旧制高等学校も復活させたらいいのに
534名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/06(日) 09:37:17.52 ID:cpwXjDfn0
旧制高校は復活してほしいなあ
535名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/06(日) 16:24:54.01 ID:iJm3JDHE0
旧制高校に郷愁を抱いてたのにゆとり教育を始めた中曽根大クンニ
536名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/10(木) 12:47:28.76 ID:19X5t6+w0
旧制高校的なものをやるなら30歳前後の一流企業の社員を集めて
全寮制でやればよいとおもう。昔に比べて大人になるのが
遅くなっている。松下政経塾が近いか。
537名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/16(水) 11:13:08.89 ID:JtU6OkuP0
松下政経塾出身者の政治家見る限り、その教育が成功してるとは思えないな
野田前首相なんてもう・・・・
538名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/26(土) 19:06:59.97 ID:FO0Q4vsP0
京城と台北の帝大は総督府の機関という位置づけだったけど、文部省に移管すべきという
話はなかったのかな?
539名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/27(日) 20:17:10.14 ID:kwTyC7dg0
国策を誤って日本を焼け野原にした帝大だの旧制高校だののエリート養成機関
の復活なんて必要無し。
540名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/28(月) 18:27:22.24 ID:gwav6djb0
台北帝大は「法学部」という名称が許されず「文政学部」だったのはなぜ?
541名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 00:19:56.62 ID:LEpMS1uJ0
>>539
学校で日本史は習いましたか?
542名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 03:22:24.57 ID:dAZXR0CE0
>>541
軍部が暴走したと言いたいんだろうが、それはマチガイだ。その前に、
大蔵省のエリートの皆さんが円高政策と緊縮財政で日本をボロボロに
したから、右翼と軍部が跋扈するようになったんだよ。本当のA級戦犯
は浜口と井上だ。
543名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/04(月) 07:18:35.33 ID:/VIW+fS70
>>540
ウィキペディアによると、設立の段階で哲学科、史学科、文学科、政学科からなる文政学部と理農学部から出発した経緯があるからみたいだね。

政学科っていうと、政治学科みたいに見えるけどそうではなく、憲法や行政法の講座に、「心理学」か「土俗学・人種学」の講座を加えて政学科って称したっぽい。
544名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/05(火) 02:18:47.12 ID:EX8TxkIC0
>>542
結果論過ぎるでしょw
それを言うなら統帥権問題や脆弱な内閣制度、巨大な官僚組織を造った明治の先輩方の責任はどうなの?
545名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/14(木) 01:40:42.91 ID:vGJ07JYcO
加藤 六月 岡山・旧姫路高・
546名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/14(木) 17:00:30.39 ID:qYRcC2+y0
>>105
私立の薬科大学(戦前は薬専だった学校)に行っていたけど、在学中、本当にそう感じていた。
「ここは一体どういう学校なんだ?」と思っていた。
薬剤師を養成するところなのか、薬について学問的に研究するところなのか、一体どっちなんだ?
前者ならば卒論研究は不要なはずだし、後者ならば国家試験対策講義は不要なはずだろう。
一体どっちなんだ?
戦前はこれがきちんと立て分けられていた。前者が薬専で、後者が帝大薬学部だ。

なんだかどちらも中途半端で徹底していない印象をぬぐいきれないまま、卒業することとなった。
547名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/16(土) 14:24:37.02 ID:e9LhihOr0
岸信介と佐藤栄作は兄弟だがその上に長男佐藤市郎がいた。
市郎は海軍兵学校、海軍大学校を経て最終階級は海軍中将、
信介は一高、東大法学部、農商務省を経て総理大臣、
栄作は五高、東大法学部、鉄道省を経て総理大臣となったが
頭の良さは市郎、信介、栄作の順番だったが野心は栄作、
信介、市郎の順番だったと岸信介が語っていた。
548名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/17(日) 01:16:54.73 ID:802giwJs0
>>546
私立は実学や資格に重きを置いたほうがいいと思うけどな
研究やろうとすると国立の方が有利だし
549名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/17(日) 02:42:10.80 ID:BWgXRlB10
>>547
野心じゃなくて度胸じゃなかったか?
岸は法学部で次席なのも凄いわ
550名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/18(月) 11:49:29.70 ID:LwSmHPJM0
昭和2年(1927).5.4〔一高1年生4人など7人が不正入試で退学〕
 一高生4人、二高、浦和、静岡高校各1人の7人が、3.17の高校入試試験で
 不正を行ったため退学処分となった。山形、姫路高校など5人が引き続き
 取り調べ。印刷局技師(43)が盗み出した試験用紙を事前に買ったもの。
551名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/18(月) 20:34:13.61 ID:6UKRDFbw0
「ビルマの竪琴」を書いた竹山道雄は一高のドイツ語教授だったが、戦後の入試改革で
メンタルテストが導入された際、百点満点を取った受験生がもう一回テストをし直したとき
8割程度しか取れなかったことから問題が漏洩したのではないかと「六百万分の一の確率」
というエッセイに書いていたな(『乱世の中から』に収録されてる)
552名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/19(火) 09:07:12.08 ID:ZDz149Cl0
ここでよく引用される『戦前の少年犯罪』はネトウヨの間では
日本を貶めようとする左翼の陰謀という評価になってるようですw
553名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/19(火) 09:23:23.65 ID:Y70wZxR60
>>522 戦前は 2chの英雄クラスが週替わりで出現していたからな。
小学生や幼児の殺人事件が多いのは家に刀やけん銃があったから。

日本にかぎらず世界中まだ野蛮だったんだよ。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/20(水) 00:45:04.94 ID:kEmE3t3a0
「ネトウヨガー」と敵の存在が、気になって気になってしょうがない在日は
こんなスレまで監視下においていることに厭きれた…
555名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/20(水) 16:31:53.08 ID:X5tHWZt/0
戦前は朝鮮人はみんな日本人だったからチョンの犯罪が全て日本人の犯罪に
されてる事実に触れてないないから信用できないよな
556名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/21(木) 08:17:29.65 ID:MIXPlfvZ0
慶應SFC入試にまさかの「数独」出題 受験予備校「いかがなものか」と苦言
http://news.livedoor.com/article/detail/7429040/

戦後行われた進学適性検査も、判断基準が曖昧だ、勉強した努力が反映されないと
不評の中で従来の入学試験に回帰した。
557名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/23(土) 13:01:44.65 ID:9YuKNcND0
ttp://www.tyg-archives.jp/exhibition/tt20120528/
このスレを見ている人たちは知ってるかな?
来月末で終わるけど、東洋学園大学の本郷キャンパスで、
戦後特設高校の旧制東洋高校の展示が開かれているよ。
といってもパネル数枚の解説しかないので正直物足りないし、
自分たちの解説に終始していたので、
もっと特設高校全体を論じて欲しかった。
まあ資料が残っている所は少ないだろうけど。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/30(土) 06:05:16.69 ID:3QYXsEdG0
 >>399
  ――
  │ │
  │院│
   ――――──―――
  │        │専 │ 
  │         │攻 │_________
  │  大学    │                │
  │_____ │                │__
  │  高等学校 │  専門学校/師範学校  │専 │
  │   ____│___________│ 攻 │_______       ______
  │尋│                                       │  
  │常│                中等学校                   │
  │科│         (中学校/高等女学校/実業学校)         │
  │_│___________________________│
  │                                          │     義務教育課程
  │                                          │
  │                  小学校                      │
  │                                          │
  │                                          │
  │_____________________________│     ______
559名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/01(月) 22:37:48.58 ID:c09H4bdN0
昭和22年と23年には女子が旧制高校を受験できたけど、このとき四修で進学することは出来たの?
特に昭和23年の旧制高校は広き門だったから、受験資格があったとすれば、
4年で合格して17歳で新制大学1期生になった女子がいたんじゃないかと。
560名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/02(火) 13:56:23.64 ID:YQd/AgvP0
>>558 戦後も昭和25年まで旧制だったから年寄りに聞けばわかると思う。
男女共学は進んだと思う。あるいはフランスやドイツに旧制が残っている。
561名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/03(水) 18:05:59.54 ID:rEfkxaxGi
>>559
時間があったので『文部省年報』S22・23年度で調べてみた。
22年度入学の女子1期生は官公私立合わせて30人。4修の女子は山口高校理科に1人、特設の日本高校理科に5人の計6人。
23年度入学の女子は全部で24人。4修の女子は松本高校理科に1人、水戸高校文科に1人の計2人。
終戦直後なのと学制改革のせいでどこまで正確かはわからないが、予想以上に旧制の女子高生って少なかった。50人ちょっとしかいなかったとは。
ちなみに男子入学者は22・23年度とも1万人弱。
すでに女子の間では女子専門学校が高校に代わる存在として定着していたとみるべきか、または数年でなくなる旧制高校に特段魅力を感じなかったのだろう。
562名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/03(水) 19:15:56.10 ID:Svdx6Nd80
サンクス。旧制女子高生がそんなに少なかったとは。
そうなると、旧制高校の女子学生の過半は、大学になれなかった女子医専の在校生が、
医学を断念して特設高校に留まったパターンってこと?
563名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/04(木) 19:53:37.48 ID:5Zz//qHv0
>>562
女子医専を前身に持つ特設高校は、
秋田県立と山梨県立の2校。
他に、女子歯科医専で昇格できなかった東洋と日本の2校がある。
秋田県立と山梨県立は高校設置と引き換えに医専は廃止されたが、
東洋と日本は歯科医専の教育を特設高校と並行して続け、S25年3月に一緒に廃止されている。
で、医専から高校に移った女子がいたかどうかだが、歯科医専を存続させた東洋と日本についてはいなかったみたい。
秋田県立はデータがないので不明で、山梨県立は男子のみだったよう。
なお、旧制高校の中で一番女子が多かったのは東洋の19人(S23年度)。
同じく医専から転換した高知県立女子専門学校についても今度調べてみる。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/16(火) 08:10:27.08 ID:i4azcV9c0
学部は廃止して専門知識は大学院で学ぶ方法に変えた方が良い
旧制高校に相当するのは大学で昔の大学が大学院と
なぜアメリカの方式を真似なかったのか?
今の日本には教養教育が欠けてるよな。

あと戦前の医学部って修業年限はどのくらいでしょうか?
慶應義塾医学予科が開講されたのが1917年ですが第一期生が卒業したのは何年度でしょうか?
565名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/16(火) 08:21:12.14 ID:i4azcV9c0
追加レスすまん
自民党はどうする気なんだろう?
アメリカ式にするのが良いと思うが
今の教育は中途半端過ぎる
566名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/16(火) 08:34:32.83 ID:i4azcV9c0
またまた追加すまんw
日本の大学で問題なのは入試がペーパーテストのみなのと卒業が簡単な事
多様性が無い事,そして大学間の流動性が高くない事かな。
今の時代求められるのは英語が話せて教養がある人間なんだから
教養部のみにして既存の学部は専攻の一つにすればOK
567名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/17(水) 00:17:07.10 ID:ft2PUG4+0
大学の数が多すぎるから実学や職業教育中心にした学校に改編した方がいいと思うけどなぁ
せめて何か一つ特化した技でもあれば
568名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/17(水) 07:10:30.44 ID:IeEclOBr0
>>557 戦後の旧制高校というのが興味深いね。
旧制医専が旧制医大に戦後変わったので旧制高校が多量に必要に
成ったのだね。
569名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/18(木) 13:16:01.86 ID:5G6PvCB80
>>567
実学は院でやればいいよ
今必要なのは英語と幅広い教養だから大学ではそれらをみっちりやるべき
570名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/18(木) 23:24:33.51 ID:wlnlg8gT0
>>565
日本の国情から言ったら、アメリカ式よりフランス式の方が向いていると思う。

>>569
日本の場合、新制高校が高等教育相応の内容まで踏み込んで教えていて、
一般的なホワイトカラーに求められる程度の教養は、センター試験によって保証されている。
新制大学の教養教育が手薄なのは、それが屋上屋を架しているに過ぎないから。

エリートを養成するための本格的な教養教育も必要ではあるけれども、
それは東大文科の1200人を対象にやっていれば十分。
もっとも、経済学部の学生に初歩的な機械設計をやらせてみるとか、
理学部の学生に学部1年レベルの民法を教えるとか、その程度であれば役立つだろう。

一番要らないのは、マーチ以下の私大や駅弁大学の文学部と理学部。
研究者と高校教諭の需要を満たせる程度にまで集約した方がいい。
571名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/19(金) 09:39:55.49 ID:MHYKS3l/0
普通に私大は理系だったら歴史無かったり文系だったら数学無かったりで
一般的な教養があるとは思えない。早慶であっても
それにここら辺は最近ローカル化してるし内部生が多くて多様性がまるでない
572名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/19(金) 10:05:33.36 ID:MHYKS3l/0
追加
自分も私立文系型だったから分かるが数学が嫌いか苦手だから
文系っての多いしな。もちろん文系科目が好きってのもあるけど
573名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/23(火) 13:36:57.88 ID:PFB0U1Tn0
旧制高校文科の進学先って東京帝大の法・経済学部以外は結局無試験なんだな
高校入試さえ通過すれば京都帝大法・経済学部進学は保証されてたわけか
574名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/23(火) 21:05:42.51 ID:V5F+a3YB0
>>573
今の東大大学院だって専攻によってはFランからでも入れるよ。
575名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 01:49:18.99 ID:hWOGOr6z0
改編なんかしなくても既存の大學が全人教養主義的教育から
実践的職業訓練にシフトしていけばいいだけの話で、現に低偏差値の大學はシフトしつつある。
576名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/30(火) 09:54:19.25 ID:FuFCW3rl0
>>575 低偏差値大学が実践的職業訓練で旧制専門学校、高偏差値大学は学部はリベラルアーツ、
専門は大学院でと実質的に旧制に戻りつつある。

旧帝大の教授はほとんど大学院所属だからもう学部の募集は止めればよいと思う。
577名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/30(火) 21:08:03.61 ID:eClZ4uS60
旧帝は院だけで良いよな。
教授もそっちのが研究に集中できるし良いんじゃない?
早慶はどうなるだろう?
578名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/02(木) 21:36:01.45 ID:92rbFzw10
道州制が施行されれば国立大も州立大に移行されるのかな
579名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/08(水) 23:59:58.96 ID:KmHhsSPe0
580名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/14(火) 16:44:11.23 ID:tcSvgrLf0
かつての旧制高校みたいな教養を学ぶ場を作るべきだよな
特にエリートほど
海外のエリートは理系でもシェークスピアや聖書(新旧)に詳しいし
ここまで大学進学率が上がった今となっては学部を教養を学ぶ場にして
院で専門をやるようにすべき
581名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/16(木) 15:57:00.45 ID:ctSTNrkv0
どこも就職が先にありきになっていて
じっくり教養を深める場がすくなくなっているという面はありそうだな
たしかに社会の上層の人間は深い教養をもつべきだとおもうな
582名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/17(金) 21:21:22.85 ID:ZAQdcfIV0
理系の素養のない官僚が科学予算の振り分けするしな
新卒一括採用は終身雇用故だろう。
労働者の流動性が無さすぎる
583名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/19(日) 03:22:52.24 ID:RTKE38hsO
自民が提案している444制は発達段階に適した良い学制だと思うが、現実的には困難だろう
584名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/19(日) 20:54:22.83 ID:lvD7TDg80
小学4年中学4年高校4年?
さすがに10年くらいの飛び級は駄目だが1年くらい別にいいじゃんと思うけどな-
585名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/22(水) 08:04:27.18 ID:tz/uGdQ80
一年二年の飛び級が何の便益を産むんだよ
馬鹿だろお前
586名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/22(水) 09:29:49.80 ID:fQN1y8210
1年でも2年でも早い方が良いだろうがw
587名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/24(金) 03:04:55.13 ID:zK/4bfi90
>>580
日本にはエリート教育そのものが存在しないんだよな。
日本にもわずかながらエリートはいるけど、みんな海外に留学している。
この国の不幸は、阪神大震災、東日本大震災のとき、
エリート教育を全く受けていない者を宰相に戴いていたこと。
日本型の受験システムは、エリート教育と相性が悪い。
陸士・海兵が一高と並び称され始めたあたりから既におかしくなっていた。
588名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/25(土) 07:19:01.72 ID:FX+qBxDj0
>>587

そもそも日本人には、エリート教育が向かない気もするが・・・。
589名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/25(土) 08:36:34.77 ID:q5cr+y670
何で戦後、日大は大阪法律学校(現近大)や付属校を別法人にさせられたの?
特にGHQの財閥解体に何故、学校法人である日本大学の解体が入ってたのか理解不能
大学では唯一、財閥解体論に引っ掛かって?解体させられたな
GHQの日本国弱体化計画の中に日本大学解体が入ってたのだろうか?

そういや戦前は名門大学だったのに戦後は廃校危機から学生数増加をして
制御できなくなった学生運動(全共闘)でトドメを刺されたとされている

実態はどうなのだろう?
590名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 22:30:50.56 ID:LQWZKx0e0
>>587
今の首相なんて超低学歴だろ
591名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 23:23:18.74 ID:JEKQosCC0
今の首相も旧制高校の後進校出身だろ
592名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/29(水) 00:20:02.19 ID:7FyZGi9N0
>>590
小学校から成蹊でアメリカ帰り。典型的なエリートコース。
進次郎みたいのも、学力は低かれエリートの範疇に入る。
逆に、みずぽとかは法律のスペシャリストとして他人に使われるべきだった人。
593名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/29(水) 04:42:43.57 ID:4M7qtyxD0
皆知ってると思うが帝大(東大)は戦後、急速に左巻きにして難を逃れている
余り知られてないが学習院も戦後帝大と分離して出来た大学
この時、日本の伝統や誇りを守るためにアメリカをはじめとする
連合国側にヒヨらなかった大学の面々が凋落させられた
その時の洗脳が今も偏差値という序列で守られている

日本を守ろうとした大学が分割させられたりして凋落させられて
「意図的に」ダサい、低学歴と日本人自身が嫌うような風潮にして、
天皇制を解体しよう、破壊しようと考えてる過激派左翼系の大学や、
ミッションの大学を「先進的、格好いい」と評価されてるのは皮肉だね
594名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/29(水) 12:29:59.37 ID:B3CssNQ20
>>593
学習院大学の前身は学習院高等科で、旧制高校に相当する。成蹊大学や武蔵大学と同じ。
あと、帝大は戦前からアカの巣窟だろう。
戦時中に教壇を追われた連中が戻ってきただけの話。
595名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/30(木) 05:03:10.64 ID:q8mY+16A0
>>594
そういやナベツネが共産党員で運動してたらしいね
596名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/04(火) 15:46:38.91 ID:w5ekVVw30
ナベツネは小泉政権時代にエリート教育の必要性を主張していたな
無教養な奴が市場原理主義をふりまいてけしからんと
597名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/04(火) 20:37:42.45 ID:JuA89L7n0
トヨタ出資の中高一貫校はどうなった
598名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/09(日) 12:40:00.74 ID:iSeQAwHl0
海陽は早くもオワコン。

特別給費生はタダだけあって優秀だけど、一般組には地頭の悪いボンボンしかいない。
海外進学とか標榜してたくせに、実際の進学先には私立医大が多い。
1期生から東大11人合格したけど、学年を追うごとにレベルは下がって来てるし。

弘学館が崩壊した時点で、全寮制高校の市場は飽和していた上に、
立地がよりにもよって超公立王国の愛知県。
はっきり言って、誰が学校を経営しても成功するわけが無かった。
599名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/10(月) 03:16:32.56 ID:9vd+vifF0
新設の私立の全寮制学校って例外なく規則とか厳しくて本当にアカデミックなことしたい人は来ないからな
そもそもそういう学校を卒業した所でそれを誇りに出来るかって言ったら疑問だし
600名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/13(木) 21:30:40.92 ID:9LA7Z++40
>>598

弘学館って、注目の新興進学校として
昔テレビで特集組まれていたのを
見たことあったけど、今は良くないんだ。
601名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/14(金) 11:16:47.82 ID:ggEcJZCg0
>>598 ぼんぼんが中小企業の社長になれれば目的は果たしていると思う。
602名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/20(木) 14:10:41.36 ID:W+A2ECEm0
大阪理工科大学は旧制大学ですがその後、合併して近畿大学になりました
この場合、名前が変わったから近畿大学は旧制大学とは違うのでしょうか?
なんだか、微妙な学校ですよね
そういう意味では一ツ橋大学も同じですね
603名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/24(月) 08:02:52.27 ID:JKNTScgu0
>>602
近畿大学は大阪法律学校って日大が関西に投資した法律学校が起源
そこが財閥解体により大阪理工科大学と大阪法律学校が合併し今の近畿大学になった
近畿大学としては新制かもしれないが祖を見ると
旧制・日本大学が作ったので旧制と名乗ってもいいと思われ

でも近畿大学は沿革で日大が作ったということを意図的に削除している
604名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/26(水) 18:04:21.87 ID:CllRo/vm0
今でも近大って
日大によく似てるけどね。
605名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 00:18:10.86 ID:k7zYS8Np0
最後の旧制大学が、東海大学だったけ?
606名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 03:35:48.19 ID:MJeqHniVi
>>589
あまり指摘されていないが、日大はすでに戦前からマンモス学園だった。
マンモス学園という言葉が悪ければ学校のデパートというべきか。
首都圏には大学附属の中学校4校、商業学校4校、工業学校1校、専門部は10学科余、大学学部も7つを抱えており、大阪にも附属の大阪専門学校と大阪中学校を持っていた。
大阪の附属学校は戦時中に独立して今はそれぞれ近畿大学と大阪高校になっている。
なお、戦後に附属校を別法人に移管したのを財閥解体とする意見もあるが、それはさすがに穿ち過ぎに思う。
607名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/11(金) 03:45:32.50 ID:MJeqHniVi
>>605
医専からの昇格を除けば、1947年2月に設置認可された玉川大学が最後の旧制大学である。医専昇格組を含めるなら、1948年2月に弘前・前橋・松本・米子・徳島の医科大学5校が最後の旧制大学となる。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 00:12:39.55 ID:tVwvkTLS0
玉川大学もそうだったんだ。
609名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 00:14:40.76 ID:tVwvkTLS0
玉川大学もそうだったんだ。
610名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 00:15:37.81 ID:tVwvkTLS0
玉川大学もそうだったんだ。
611名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/12(土) 22:42:36.10 ID:DpboXAOT0
アニメのアイカツのスターライト学園は旧制だったら実業学校に分類されていたのだろうか。
612名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/31(木) 12:37:59.42 ID:nOz3MbUY0
旧制高校は、戦後の末期に女子を入学させたところがあるらしいけど、
旧制の実業専門学校は、そういう風に戦後に女子を入学させたりしなかったの?
613名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/06(水) 20:49:16.56 ID:ZWZiRXMH0
 明治大学女子部を進学希望するも一日違いで願書は締め切り。
 やっとの思いで日大芸術学部に受け付けてもらった。
 当時日本全国で女子大生は10人しかいなかったから大変貴重な存在である。


「木暮実千代 知られざるその素顔」
http://scn-net.easymyweb.jp/member/sundaikai/
614名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/26(木) 21:08:55.55 ID:EAkygb1O0
千葉工業大学は旧制興亜工業大学からの歴史があり、都心まで30分という立地のよさ。
千葉工大などというローカルな名前を付けなければ今頃は結構偏差値の高い大学になっていたかも。
615名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 19:56:37.22 ID:ZJhC0Ype0
>>614
千葉には東京ディズニーランドがあるし東京ドイツ村もある
成田空港も旧名は新東京国際空港
千葉工大も東京を冠につけても罰はあたらなかっただろう
616名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/31(火) 22:03:30.22 ID:wy4l88ry0
>>612を読んでふと思い出しました。

今年の8月に朝日新聞の別刷りで、八千草薫さんに関する記事が載っていました。
その記事の中に、「中二の時に神戸の空襲にあった」という一文がありました。
何気に読みすごしましたが・・・・・・・

「中二」???

すると、当時中等学校は、女子も入学できたのですか?
617名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/01(水) 19:22:13.49 ID:st9PDYUc0
多分「高等女学校2年」じゃわかりづらいから、そう書いただけかと。
途中で新制に切り替わった世代だし。

ちなみに、中等学校って言った場合、旧制中学のみならず、女学校や実業学校を含むので、その意味ではイエス。
旧制中学の女子在籍はあんまり聞いたことないが、私立の中等部なんかだとどうだったか?
618名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/01(水) 20:38:41.69 ID:bvytEI0V0
>ちなみに、中等学校って言った場合、旧制中学のみならず、女学校や実業学校を含むので、その意味ではイエス。

ああ、わかりました。
ありがとうございます。
619名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 11:23:40.30 ID:8Yt2MI2H0
旧制中学は中学校であって中等学校の略称ではない
620名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 16:57:47.84 ID:q/kQhVKc0
そうしでしたか。
昔の甲子園大会の写真に、「全国中等学校野球選手権大会」とあったので、
中学校は、中等学校の略称かと思ってました。
中学校、高等女学校、実業学校など、中等教育をする学校の全体を中等学校と呼ぶようですね。

八千草薫の「中2」の件は、記者の単純な勘違いでしょう。
621名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/02(木) 20:45:52.95 ID:MV4CwnSmO
捏造てしょうなぁ。お得意の。今の中二なら高等二年相当だぞ。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/03(金) 08:36:27.53 ID:ZNY1LDak0
>>621
>捏造てしょうなぁ。お得意の。今の中二なら高等二年相当だぞ。

高等二年と言っているのは高等小学校のことですか?
もしかしてあなたは旧制の教育制度は尋常小学校→高等小学校→
中等学校(中学or高女or実業)のコースを辿ると思っているのですか?
623616:2014/01/04(土) 20:26:59.42 ID:NACKeISs0
最初に八千草薫氏の件かいたものです。
616、618、620、を書き込みました。
みなさん詳しいですな。
参考になります。
どうぞよろしく。
624名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 22:09:06.45 ID:5L8WPjmD0
よく考えてみたら旧制中学・実業学校は使い勝手のいい学歴だったのだな。
当時ならかなりいい職業につけたし。

新制高校も21世紀になるまではそんな感じだったが。
625名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/08(水) 22:26:54.92 ID:WYjTmXgR0
石川啄木も中学中退→正則英語学校卒なのに朝日の記者だよな
「『坊っちゃん』の時代」読んでると石川のカスっぷりに呆れる
626名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/14(火) 13:56:28.71 ID:ZZsdVGdx0
>624
しかしそれらの学校へいくにも親の経済力が求められたというからな
戦前は階級社会だよな
627名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 00:16:22.94 ID:ywX+Vd+20
うちの祖父、祖母4人のうち、小学校6年まで行けたのは、1人だけだよ。
あとは2年や4年で中退ばかり。
みんな1900年前後の生まれだった。

ちなみに、当時は小学校は6年までいかなくてもよかった、4年でやめてもよかった、
てうちの父が言ってるが、本当なんですかね。
あまりそういうことは聞いたことないが。

仮にそのとおりで4年でやめてもよかったとしても、
父方の爺さんはその4年も行けずに2年か3年でやめている。

このようにこのひとたちは中学校はおろか、小学校もまともに行ってない。
みんなその後、奉公に出された。

そのせいか、このひとたちは、素朴に大卒を尊敬していた。
628名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 20:22:37.93 ID:ygz0zdEl0
貧乏な家だとできるだけ早く働いて
家計の助けにならないといけなかったのだろうな
大正時代ぐらいになると都市部ではだい改善されていたようだが
629名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/26(日) 02:05:49.57 ID:J35e/ay+0
せめて公共図書館を充実する方向にいけばよかったのだがな。
630名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/27(月) 20:20:05.43 ID:dS9fBG5I0
ああ、そうした場合、いくらかちがったかもしれない。
身の回りに知的資源があるとないとでは、かなりちがうからね。
631名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/29(水) 15:26:02.08 ID:lDgY4iQ30
戦前は子供に高い学歴を積ませようとする家庭=裕福な家庭だったということだな
昭和のはじめごろでも全体の8割ぐらいは高等小学校か尋常小学校までしかいかなかった
632名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/31(金) 20:32:21.94 ID:qoNRQ/PJ0
良スレだね。
633名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/14(金) 12:20:27.30 ID:w74gG1OZ0
旧制の中等以上の学校は国公立でも学費が高かったというしな
634名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/17(月) 15:51:17.32 ID:/6Thslzj0
>>631
地域によりけりだよ
東京府下では昭和5年に上級学校への進学率が5割超えている
ちなみにわが県・岐阜は昭和38年ごろだったと記憶してるが、
当時は夜間高校も数多くあって、全日制・昼間部だと昭和41年ごろだといわれている。
635名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 00:35:28.53 ID:JkTm8Onc0
>534
都市部と農村部の経済格差が大きかったというのもあるだろう
都市部には比較的裕福な自営商工業者が多く
そういう家庭の子供は中等教育機関への進学が可能だったということだろう。
636名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 00:45:04.33 ID:pTQjQN9N0
旧制中学だけならまだ少なかっただろうけど、
実業学校まで含めると、都市部は相当、学校数自体も増えてた。
637名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 01:21:28.76 ID:JkTm8Onc0
実業学校や高等女学校はかなり増設されたが、エリート候補を育てる旧制中学は
学校ごとの役割分担が不明確になることを嫌って、増設に慎重だったようだ
638名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 02:04:18.87 ID:IOKV6nYk0
実業学校で、屈指の高偏差値校に変化を遂げたのは早稲田実業と滝実業の二校しかない。
639名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 08:44:03.88 ID:pTQjQN9N0
「屈指の」でなければそこそこあるけどね。関西大倉とか。
640名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 11:49:13.34 ID:vfCbVBYH0
しかし旧制において実業学校卒は相当な高学歴として評価されただろう
641名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/18(火) 16:00:42.48 ID:pzKYXt5l0
都市部でも高校や大学専門学校まで進学する人の家庭は
中産階級よりもっと裕福な家庭が多数をしめていたようだ
642名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 00:07:17.72 ID:B5GrFwDU0
>>640

大阪では、金がある商家でも、子息を中学に行かせずに
実業学校で済ませるケースがあったらしいね。

早めに学校を卒業させ、家の仕事を覚えさせて、
家業を継がせることに重点を置いたところも多かったという。

大阪は、有名な学校を出て役人・サラリーマン・軍人などの
勤め人になった人より、自分で商売をして生計を立てている人の方が尊敬される
社会だったらしい。
643名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/19(水) 18:41:44.14 ID:0dhm8cd40
>642
当時は自営業者の比率が今よりずっと高かったからな
家業を継がせる場合は実務力重視で、進学先を選んだのだろう。
644名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 15:20:59.94 ID:FKuGFrop0
【世相】若者に広がる、「工業高校離れ」--このままでは、いずれ日本の工場から若者がいなくなる [03/14]
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1394754665/
645名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 16:46:01.16 ID:Fh8piHw40
旧制中学卒のは約4割は卒業後就職していたという
最終学歴が高等小学校卒以下が全体の約8割だった時代には
旧制中学卒や実業学校卒あるいは高等女学校卒者の社会的評価は
かなり高かったのだろう
646名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 17:53:19.86 ID:RQGxX9yz0
>>645
それ具体的にいつ頃の時代?
明治後期?大正前期後期?それとも昭和前期?
647名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 20:16:52.73 ID:Aa8dj49K0
>646
昭和初期です
648名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 20:55:44.93 ID:RQGxX9yz0
うちのジイさん(明治23年生まれ)は中学卒で帝大(農科大学)入ったくちだよ。
時代によって結構違うよね。
649名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 21:05:48.33 ID:xUh4uiOa0
阿川弘之の「軍艦長門の生涯」に載ってた話だったと思うけど、
同じ中学を同期で出て、一人は水兵として海軍に入り、一人は海兵の恩賜組、てな例もあったそうだからね。
卒業後の進路が今ほど画一的でないのは、当たり前の感覚だったんだろう。
650名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 21:51:21.44 ID:TqeWLkAG0
亀井勝一郎が旧制中学に通っていた時、優秀だったけど郵便局の小僧になった小学校の
同級生に出会って「君はいいなあ」と何の邪気も無くいわれたことがトラウマで後に新人会に
入るきっかけになったとか
651名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 23:28:27.02 ID:JvzLUdvR0
基本的に旧制中学は高校や大学、専門学校等へ進学することを前提にした教育内容だったが、
卒業してすぐ就職する人も多かったということ。
高等小学校卒が多数派の時代には、旧制中学卒で高い学歴だったわけだ
652名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/21(金) 23:55:11.25 ID:3FWSJ++Q0
>>649
一兵卒として召集されても、中学を出ていれば幹部候補生になることも出来た。
俺の爺さんは中学でトップクラスだったのに金が無くて師範学校(二部)に行ったんだが、
太平洋戦争のときは満州とニューギニアでちょっと遊んできただけで、
速攻で幹部候補生として内地に戻ってきた。
653名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 06:47:40.56 ID:+3ANi7BV0
そう考えると、戦前の大学生ってのは超超超エリートだったんだね。
割合的には現在の一流大学行く人達の中でさらに絞ったエリートの人達かな?
654名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 08:58:56.42 ID:mAfMbwSs0
旧制高校の入試問題見たけど、数学は現代口語訳すれば中学生でも出来そうな内容だった
655名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 13:29:29.36 ID:WWbBPvCG0
親の経済力に左右される部分が多かったからな
成績が優秀だけど経済的理由で中学や高校にいけない人がいる一方、
親が金持ちの馬鹿大学生もいたようだ。
656名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 14:10:08.68 ID:xaDElt3b0
>>655
その反省から第二次世界大戦後の教育政策は徹底した無償化に行くべきだったのにな。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/22(土) 17:41:33.49 ID:2AEVNQbg0
>656
戦後GHQの圧力で中等以上の国公立学校の学費はだいぶ安くなった。
658名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 13:28:41.82 ID:uLtfPTSv0
ナンバースクールなどの難関高校を卒業をした大学生は高く評価されたようだ
どこの高校でたかが重要だったみたい
659名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 20:18:30.20 ID:MfynfMIV0
六高は実務家的な人を多く輩出してたらしい、その代わり文化的な方面の人はほとんどいなかったらしいけど
660名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 22:07:49.43 ID:TyC26IVf0
>>658
そりゃ、帝大自体ではさほど差はなかったからなあ。
661名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/24(月) 22:29:27.72 ID:bSgBooXn0
それほど難関ではないネームスクール→東京帝大
ナンバースクール→東北帝大

この両者を比較したら、前者の方がどう考えても評価は高い
特に省庁の場合、東京帝大法とそれ以外で偉い違い
662名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/25(火) 11:39:30.07 ID:h/xR3o0n0
東大法学部のような入るのが難しいところだったら高く評価されたのだろうな
人気のない文学部なんかだと出身高校で判断されそう
663名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/30(日) 23:56:16.68 ID:RIP/Z5TG0
東大は文学部以外は定員超過で試験で選抜してたから評価されてたと思うよ
東大以外は医学部を除いて基本的に定員割れしていた
京大法は定員無視の全入で、旧制高校卒なら希望すれば全員入学できた
旧制高校生にとって、東大にこだわって東大文にするか、京大法にするかは悩みどころだったらしいわ
664名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 02:26:41.84 ID:r1+/GfUG0
池田勇人は東大法落ちて京大いったんだよな
665名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 17:19:13.18 ID:20x7cyCX0
まあ高校生というだけで超エリートだったそうだが
666名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 20:32:09.23 ID:H3/s77Pq0
松高生というだけで芸者が贈り物してくれる時代があったらしいとマンボウが書いてた
667名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/31(月) 22:43:07.69 ID:ISt6P/kD0
お金持ちの子弟が多かったというからな
良い客だったのだろう
668名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 06:19:55.05 ID:Pj4O1wTO0
こう見てるとお金持ちしかいい教育を受けられない時代の方が良かったんだろうか
ある意味割り切れるんだし
669名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/01(火) 18:55:25.28 ID:H5kiYter0
社会階層がはっかりしている分
住み分けができていたというのはあるかもしれない
670名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/02(水) 19:46:56.85 ID:Ac69gcsO0
今のほうが子供が過度の期待をかけられやすい面はあるかもしれないな
671名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/04(金) 19:51:22.67 ID:TIp2SzaV0
黒柳徹子は旧制高等女学校を出た最末期の世代になるのか
672名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 14:44:01.31 ID:Clsh2Ywc0
>>665
エリートと言っても同世代の男子の1%弱だから、今のトップ大学(東京一工国医)とあまり変わらない。

20歳男子数と旧制高校卒業者数との比率
明治26(1893)年 0.13 %
明治41(1908) 0.29
大正14(1925) 0.86
昭和 5(1930) 0.90
昭和15(1940) 0.72
http://www.wakei.org/kyobunblog/?p=89

2014年入試
東大3109名 京大2935名 一橋958名 東工大1070名 (以上合格者数) ここまで8072名
国公立医学部5744名 (定員) うち東大理三100名 京大医医112名 (合格者数)
合計 8072+5744-100-112=13604名
18歳人口比 13604/1180000=1.15%
http://www.wakei.org/kyobunblog/?p=89
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/01/__icsFiles/afieldfile/2014/01/27/1343622_01.pdf
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpab200701/002/003/004/2_3_3.pdf
673名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/05(土) 14:49:52.57 ID:Clsh2Ywc0
ごめん>>672の医学部定員のリンク先を間違えてた。
http://www.keinet.ne.jp/topics/13/20131217.pdf
674名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/06(日) 06:04:44.25 ID:otapQizd0
【ニッポンの分岐点 大学(1)】
旧制高校廃止 消えた“贅沢品” 大衆化招く
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140405/edc14040509410010-n1.htm
675名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/07(月) 18:42:34.31 ID:MFV6KV070
高度成長期以降世の中全体の階級意識の希薄化、大衆化が進んだからな。
学制がそのままだったとしても、あまり今と変わらないじゃないかな
676名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 15:30:13.11 ID:Dv9NGaGi0
むしろ問題は新制高校に旧制中学の序列が受け継がれてしまったことだな。
677名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 15:32:12.64 ID:Dv9NGaGi0
>>671
扇千影氏は生まれるのが10年くらい早かったら女学校に行っていたのだろうな。
678名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 15:47:53.62 ID:Dv9NGaGi0
黒柳氏も扇氏もほぼ同じ歳だからよくわからないが。
679名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 17:49:01.19 ID:IC0qLmzC0
>>676 値陽明門県立高校はそうだけど東大に多量に入れている私立は戦後の新興勢力だよ。甲子園と似ている。
680名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 19:15:33.30 ID:FPYIyfrN0
>676
総合選抜制度で序列が完全に崩れたところも多いだろ
681名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 20:24:56.37 ID:9b/y/RUx0
黒柳徹子と扇千景は昭和8年生まれだから最後の高等女学校卒業ではなく
昭和21年、最後の国民学校尋常科卒の高等女学校入学生。
昭和22年から6・3制実施により併設中学の2年生に横滑りしたので
高等女学校は1年間のみ。
なお、扇千景は入学時の県立第一神戸高等女学校が旧制神戸一中と合併して
卒業時は県立神戸高校。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 23:05:23.22 ID:RiqjfmAa0
なんかこのスレ、必要以上に学習院を持ち上げようとしている奴がいてキモいな。
もし帝大並みの格式が有るんだったら、成城成蹊ごときと四大戦何ぞしないだろうに。
683名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/09(水) 23:19:21.47 ID:WSCtUne20
黒柳徹子の場合は、高女ネタよりも
小学校時代のインパクトの方が強すぎるからなあ。
684名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 10:22:08.75 ID:2AaRIQAl0
昭和21年度に旧制中等学校に入学した生徒は新制高校を卒業するまでの
6年間のうち4年間は最下級生だった。
685名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 16:19:15.21 ID:0fhCzLjH0
>>682
成城・成蹊は中高一貫の旧制高校だったからね・・

私立の雄だったんだよ、、早慶なんか3流以下
686名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 17:34:44.71 ID:ZtR/Bc4m0
母親が昭和3年生まれ。

福岡女学院の高女、当時も今でも「ミッション」といえば福岡女学院のこと。

昭和16年 女学校1年生でまだアメリカ人の教師がいた。開戦後、交換船で
帰国されたとの事。旧姓高女でネイティブから英語を教わった最後の学年になった。
687名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 17:38:37.54 ID:ZtR/Bc4m0
大日本帝国が存続して旧制の教育がつづいたとしても
高等教育の大衆化は進んだと思われる。高校、陸士、海兵も男女共学。

旧帝大は学部の募集をやめて大学院だけにすれば実質旧制になるとおもう。
いまほとんどの教授は大学院所属だからできるはず。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 18:11:08.88 ID:BngiSgUq0
明治後期に帝大に行った先祖が居るんですけど、その当時の大学進学率はどれくらいなんですか?
689名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 19:23:49.38 ID:bPNFPycy0
>688
1%未満だな
その先祖の家庭は裕福ではなかったですか
その当時高校や大学、専門学校へ子供を通わせる家庭は
裕福な家庭がほとんどそうだから。
690名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 19:27:10.37 ID:bPNFPycy0
>687
大衆化するには中等以上の国公立学校の学費を安くする必要がある
GHQの圧力なしにそれをやったかどうかはかなり疑問だ。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 20:45:06.93 ID:BngiSgUq0
>>689
ありがとう、そんなに少なかったんですね。
因みに帝大に行った先祖の父親は幕末生まれの陸軍将校です。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/10(木) 22:50:26.19 ID:kkKsAtjs0
昭和の初め頃でも旧制中学の進学率は8%程度だったからな
庶民からすると大学は本当に高嶺の花だったのだろう
693名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 12:55:37.22 ID:PeFBR8bI0
>>592
> 小学校から成蹊でアメリカ帰り。典型的なエリートコース。
下から上までエスカレーターって、一番お馬鹿ちゃんパターンなんだけど。
まともなエリートコースに行きたければ、高校から国立大学を受験するのが当たり前。
その次は中学高校受験組ね。小学生なんて親の財力で決まるようなもん。それでもお受験幼稚園が有るのが不思議だけど。
694名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 15:49:56.53 ID:28mSooR50
安倍の子供時代だと「金持ちの子弟は金がかかる私立にいくべき」という観念がある頃じゃなかった?
695名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 18:53:19.26 ID:4NOvfIcd0
旧制での私立の中学や高校は、
あまり勉強ができない金持ちの子弟向けの学校が多そうだな
696名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 20:11:16.12 ID:9oxt6EKn0
私立でも旧制高校はレベルが高い
旧制高校は帝大進学が保証されていたんだから
武蔵、成蹊、成城、甲南、学習院の五校は官立公立と同じ扱い
697名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 22:05:23.86 ID:JVSauLoS0
旧制私立4高校はいずれも7年制高校
さらに成蹊は付属の小学校からのエスカレーター
まさに親の財力で帝大入学が保証された
698名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 22:30:29.85 ID:9oxt6EKn0
旧制学制時代は、官立公立でも授業料高かったから財力ないと無理だよ
それに7年制高校は旧制中学を経由せずに帝大入学が保証されていたから、旧制中学よりも遥かに難関だった
ほとんどが名家の生まれだから、財力だけでなく頭脳も優秀なのが多い
昔の成蹊と今の成蹊と一緒にしたらいかんよ
それは出身者を見れば一目瞭然
699名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 22:35:45.64 ID:9oxt6EKn0
訂正だけど学習院は当時は私立じゃないな
官立だ
700名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/11(金) 23:04:01.41 ID:6VKwr/XI0
よく知らないが勉強できないけど親の財力で帝大に進学するルートはありそうだな
701名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 09:42:54.18 ID:kLLJ7K9q0
>>698
7年制高校は官立の東京、台北、公立の浪速、富山、府立(都立)があって
こちらは絶対的な学力が必要だと思うけど、例えば成蹊高校や甲南高校は
財界人の子弟を帝国大学へ送り込むためのルートであり、単純に学力とは
言えないと思う

>>699
旧制の私立4高校といえば武蔵、成城、成蹊、甲南のことだよ
神田5大学や教育3原則などと同様の、この板では自明のキーワード

なお、私立4校が尋常科4年、高等科3年の7年生なのに対し
学習院は中等科5年、高等科3年の8年生だった
702名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 18:34:15.46 ID:3q6FLUwb0
大日本帝国が続いたらできたかもしれない教育機関

新設帝大
北陸帝国大学  (医大を母体)
廣島帝国大学 (高等師範を母体 岡山医大も合流?)
四国帝国大学(母体がないから無理か?)
東京第二帝国大学(仮称)(高等師範、医大、商大、東工大を母体)
釜山帝国大学(九州帝大分校として発足)

空軍士官学校(陸軍航空士官学校を母体)

旧制高校 各県に一校 県のナンバーワン中学を尋常科として吸収して7年制
703名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/12(土) 19:10:13.43 ID:TgE8SycJ0
各県に一校は増えすぎじゃね?沖縄は高等学校が出来るかもしれんけど
704名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 00:01:30.42 ID:ov5MkDWG0
旧制中学卒の社会的評価は現代でいうと
偏差値60クラスの大学を卒業したぐらいのかんじか
705名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 00:20:39.55 ID:Hv3sKLq50
>>704
そんなとこだろうね。
戦後しばらくまでは、旧制中学前身校の高卒が、一部上場企業でもざらに働いていたし。
706名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 11:29:34.75 ID:BB3jxvvu0
末期の師範学校について質問。

昭和18年の学制改革で師範学校が専門学校と同格になって、

中等学校4年+専門学校3年
中等学校4年+師範学校本科3年
国民学校高等科2年+師範学校予科2年+師範学校本科3年

で19歳卒業ということになったけど、戦後に中等学校が5年に戻ったときにはどうなったの?
昭和17年までと同じく予科3年+本科2年?それとも予科3年+本科3年で専門学校レベルを維持?

昭和17年中等学校入学→昭和22年に5年で卒業→師範学校卒業は昭和24年?25年?
昭和18年中等学校入学→昭和22年に4年で卒業→師範学校卒業は昭和24年?25年?26年?
昭和18年中等学校入学→昭和23年に5年で卒業→師範学校卒業は昭和25年?26年?
昭和17年国民学校高等科入学→昭和19年師範学校予科入学→卒業は昭和24年?25年?
昭和18年国民学校高等科入学→昭和20年師範学校予科入学→卒業は昭和25年?26年?
昭和19年国民学校高等科入学→昭和21年師範学校予科入学→昭和26年師範学校卒業?昭和28年新制大学卒業?
707名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/13(日) 13:57:18.11 ID:+asQZ5E00
体育会系のあいさつの「押忍(オス)」は、京都にあった武道教師養成機関
大日本武徳会武道専門学校(略称:武専)のあいさつが起源といわれている
「おはようございます」が「おす」に短縮したものらしい
708名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/16(水) 17:43:55.61 ID:WFUDHKWU0
たしか武専は漫画の舞台になった事あるね。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/16(水) 18:36:26.44 ID:Ie0cZ3wX0
村上もとかの「龍 -RON-」だね
710名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 22:46:01.04 ID:mhag6Du00
うちの祖父さんは私立旧制中学卒
明治38年生まれ
農協職員として一生を終えたが、ラテン語が読めて漢文も素読した

現代の偏差値60の大学生よりインテリだとおもうね
711名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 23:42:39.07 ID:81136Sqn0
昭和10年代の旧制中学の進学率が8%程度だが、それ以前はもっと低かった
明治38年生まれ世代の旧制中学卒は相当なエリートだろうな。
それと経済的な理由で上級学校へ進学できない人が多かったので
低学歴でもすごく優秀な人も多かったと思われる。
712名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/17(木) 23:43:54.22 ID:mhag6Du00
現在は県立高校に改編して地域一番手高になってる
東大京大が1名ずつ出るくらいのレヴェルですがね

孫の自分は旧帝国美術学校つまり某美大卒なんで祖父さんの学力は尊敬している
713名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 08:53:30.88 ID:b+XQj1U60
最近、公立でも中高一貫をはじめているので旧制に戻りつつあるといえる。

旧制のよいとこは中1から高校教師に教われること。
714名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 08:55:14.19 ID:b+XQj1U60
>>711 金持ちの豪商でも子供は中学にいかせずに商業学校が多かった。

軍の学校をはじめ、逓信や気象や鉄道など貧乏で優秀な子供にもチャンスはあった。
715名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 16:59:30.10 ID:tf55oWfx0
>710
旧制高校を中心に高等教育就学者にあったいわゆる教養主義文化が、70年代以降急激に廃れたからな
今は難関大学の学生でも特に博識なわけではないだろう。
716名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 17:05:47.23 ID:qVNed9L70
旧帝大で、
今も教養学部残してるのは、
東大だけか。
717名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 17:23:13.25 ID:b+XQj1U60
>>715
今の時代は「地頭」とリーダーシップ至上主義で、これくらい教養を蔑視している
時代は日本史にはなかった。戦国時代でも武将は教養があった。
718名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 17:46:22.58 ID:tf55oWfx0
全く就職に結びつかないからな
むしろ企業から嫌われるだろう
旧来型の教養主義者は
719名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 19:14:08.54 ID:cD9fzj510
80年代頃までは旧制高校卒者が企業内にたくさんいただろうから
旧来の教養を重んじる文化は企業内にもあったと思うんだけどな。
720名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 19:18:34.24 ID:b+XQj1U60
>>719 日本の衰退期がその人達がいなくなった時期と一致している。
地頭だけだとその場の最適化しかできない。あのソニーがなすすべもなく
衰退してしまった。
721名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 20:12:17.58 ID:Tr7Kzpxi0
欧米では今でも教養を重視してるよな
教養がないといくら金持っていても尊敬されないみたいな雰囲気がある
なぜ、日本だけ教養軽視の流れになったのか
戦後、アメリカが日本が再び力を持たないようにするために教育制度を変えさせたというアメリカの陰謀説があるが、実際のところはどうなんだろうか
722名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/18(金) 23:29:57.12 ID:GPeHyLDP0
高齢の高学歴の人は紳士然とした人が多い気がする
戦後生まれ世代は難関大卒でも庶民的な雰囲気な人が多い
723名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 09:11:00.20 ID:QEKzHEHb0
映画「華麗なる一族」で万俵財閥オーナーが、相互銀行から普通銀行に昇格した
合併相手の銀行の役員たちを「経専出」と侮る場面があった
724名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 11:02:50.81 ID:acsc/zr20
その経専は旧制実業学校?それとも旧制専門学校?
725名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 11:20:49.07 ID:acsc/zr20
>713
旧制高校は今の大学教養課程にあたり、卒業すれば帝国大学への進学が保障されていたのにたいし
今の高校は後期中等教育機関であって、大学受験に備える勉強をする学校という機能が強い
だから中高一貫校が増えたから、旧制に戻っているとはとても言えないとおもう
旧制に戻るなら旧制高校的なものを復活させる必要がある
726名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 12:57:33.50 ID:FVIX9a6q0
旧帝大を大学院大学にして旧制高校を大学に改組すればよかったのに
727名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 13:05:05.00 ID:t+apjfgk0
どのみち
「ほぼ無試験で、しかも違う学校に進学できる」
という条件を、しかも現代でクリアする制度は元々難しいよ。
728名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 13:26:55.36 ID:c5RIEnnx0
もし、旧学制のまま21世紀突入していたら、どんな弊害とメリットが起こったと思う?意外とそんなシミュレーション無いよなw
729名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 18:43:42.09 ID:rFJKmMJM0
>>722
たしかに知人の60歳の北大出のおじさんは下品で庶民的といえば庶民的
その人の父は東京大学出だが泰然自若とした紳士だったそうな
大正12年生まれで理系なので学徒出陣免除で生き残ったんだと。
730名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 19:04:47.37 ID:mKH688GK0
>>728 今のヨーロッパをみればだいたい旧制のままだから想像がつく。

英国のパブリックスクールは13年生(日本の大学1年相当学齢)まである。
ハリーポッターの学校は戦後日本の中高一貫校ではなく旧制の7年制高等学校だ。
先生はプロフェッサーと呼ばれているだろう。
731名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 19:10:12.23 ID:mKH688GK0
>>725 新制高校が発足したとき、新高校3年は旧制高校2年(中学4終了)と学齢が同じだったので
県立の名門高校では旧制高校のレベルをめざすという考えがあったのだよ。

地方の名門県立高校でみられる帽子の白線、応援団の高下駄などは旧制中学からの伝統ではなく
戦後、旧制高校の遺風を取り入れたためで意外と新しい伝統なんだ。

高校が全入に近くなった今、見る影もないが。
732名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 19:14:33.96 ID:rFJKmMJM0
>>728
旧制中学でて専門学校のパターンかな自分だったら。
大学帝大しかないんだもんな
あとはみんな専門学校wあと経済格差も甚大だ
陸士や海兵いく頭も体力もないわーw

よかったよ現代で大卒なれて。
733名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 19:14:58.85 ID:mKH688GK0
旧制大学一覧

意外と多いことが分かる。千葉工大や近畿大学は現在の偏差値から考えられない
くらい格が高かったんだな。

ttp://d.hatena.ne.jp/shakespeare-ni-naritai/20110707/1310033472
734名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 19:27:31.92 ID:mKH688GK0
日本がお手本にしたドイツの教育制度

大学1年制が14年次なのでまだ旧制であることがわかる。
ttp://www.city.amagasaki.hyogo.jp/dbps_data/_material_/localhost/sosiki/004/koryu/augsburg-seinen-hokoku014.pdf
735名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 19:31:24.60 ID:/RP8f+Bz0
>733
そもそも大学へ進学するということ自体の格が
今とは比べものにならないくらい高かっただろうしな
736名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 19:33:29.31 ID:F04/RKs+0
英数国漢という言葉に象徴されるように、旧制時代の教育は語学偏重だった。
かわりに理数系、特に理科の教育が手薄になっていた。

昔の人は16歳(四修ストレートの場合)でこれだけ難しい文語文を読みこなしていたが、
http://id.fnshr.info/2013/02/10/s4ichikokokugo/
数学の学力はこの程度だった。
http://id.fnshr.info/2011/01/03/math_exam/
物理のクソっぷりが目を引く。化学生物地学はそもそも無い。
http://ameblo.jp/shinkawa-koutai/entry-10520956668.html
737名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 19:41:48.57 ID:mKH688GK0
>>736 中学4年レベルで出題しているから。
今の数1とそんなにかわらないだろう。微積は高校入試ではでなかったそうだ。
理科は科学自体が今ほどすすんでいないからしかたがないとも言える。

それより驚くのは試験時間の長さ。昔の人は「じっくり考える時間を与えられなくて素早く解く」
ということが出来なかったらしい。タイムマシンで一高合格者を連れてきても
今の東大には受からないと思う。
738名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 19:53:05.05 ID:rFJKmMJM0
母は昭和9年生まれの新制中学卒だが学力は自分がみてもたいした事無い
英語読めないしな戦後まもなくだから
女子に学問必要なしってわけじゃないが新制高校に通うのに2時間以上かかるので
行かなかったと言っている和裁洋裁学校出

大正時代、旧制中学を全甲で卒業した祖父のほうが素敵
739名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 20:03:04.02 ID:/RP8f+Bz0
受験競争の厳しさは上級学校への進学に対する経済的障害がずっと小さくなった
今のほうがずっと厳しいだろうからな
740名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 20:32:06.92 ID:F04/RKs+0
>>737
参考:慶応志木高校の入試問題 (試験時間60分)
http://school.js88.com/scl_h/22004670/100/id-5297.html
741名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/19(土) 20:36:31.11 ID:rFJKmMJM0
早慶は大学入試も問題量多いらしいもんな
742名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 10:29:27.61 ID:i8/8uGJo0
バカロレアやアビトゥーアみたいな制度を導入すればいいのに
743名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 12:10:37.92 ID:stPlf2XC0
>>742 今はエリートを貶める風潮があるので何をやってもダメだと思う。
744名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/20(日) 14:24:18.38 ID:FcWxYUIP0
70年代以降テレビのお笑い番組がエリート文化の破壊に大きな役割を果たしたようだ
745名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/21(月) 01:06:19.30 ID:zJT7oJA10
うちの爺は旧制の商業学校出て、最終学歴は京大医学部だった
ベルリンオリンピックに出た高知商業の水泳選手も京都大学に進んでたな
746名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/21(月) 11:48:18.84 ID:LjCgdfoO0
>745
その商業学校とは旧制実業学校ですよね?
747名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/21(月) 18:33:38.26 ID:YoobQfB50
軍医がたくさん戦地から引き上げてきて医者あまりで医学部が農学部とおなじくらい
簡単だった時代が戦後の一時期あったそうです。
748名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/22(火) 23:28:15.70 ID:1dBEQBnq0
私立の中学高校は官立校の受験に失敗したお金持ちの子弟が多かったようだ
749名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/23(水) 01:33:12.39 ID:PhUMeUaz0
官立って、今で言うところの国立ですよ?

旧制中学・旧制高校自体、私立とか関係なくお金持ちの子弟だらけです
750名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/23(水) 10:46:37.11 ID:sWMitz8f0
子供を上級学校へ進学させようと考える家庭は
一定以上の経済力のある家庭だったのだろうな
751名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/23(水) 20:51:53.04 ID:eChUsxZl0
面白いのは太平洋戦争が激しくなるに連れ、中等学校への進学者が増え
徐々に中等学校が大衆化していったこと
752名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 09:39:47.19 ID:iXbE/ZBJ0
受検改革とかあったから国家として奨励したのではないですかね。
753名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 12:54:15.36 ID:nkV6K4ks0
高等小学校卒で就職するのが難しくなったからかもな
754名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/24(木) 16:08:19.92 ID:7Lu5XSbJ0
徴兵されたときに、幹候の受験資格が中卒以上だからだろ。
誰だって一兵卒よりは上の階級でいたいもんだ。
755名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/25(金) 17:41:39.43 ID:OnyGBsFT0
高等小学校卒者の就職先は町工場などが多いが
旧制中学や実業学校卒者は大企業に就職している人が多い
親としてはお金が融通さえきけば旧制中等学校はだしたいと考えただろう
756名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/25(金) 20:08:07.31 ID:GfN4RYWB0
>>755 70年代位まで上場企業の役員で最終学歴が旧制中学の人は普通に居た。
757名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/25(金) 20:31:52.04 ID:ywYVsf0u0
>756
昭和10年頃で旧制中学の進学率は8%くらいだからな
今でいえば偏差値60以上の大学出たくらいのかんじだろう
758名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/25(金) 21:08:38.39 ID:KQFdYAE40
旧制中学卒ってことは、新制高校卒になるわけだが、戦後10年くらいは新制高校ですら進学率50%切ってたもんな
新制中学を卒業して就職するのが当たり前の時代だったわけで、70代以上の世代では新制高校卒であれば大企業でも割と出世できた
工業高校卒の工場長が当たり前のようにいた
まあ、今の工業高校と昔の工業高校では生徒のレベルや授業のレベルは雲泥の差だったようですが
759名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/26(土) 14:11:21.86 ID:oVtTnnoK0
中学の工業は難関で、佐倉、木更津、長生といった
760名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/26(土) 14:19:02.39 ID:oVtTnnoK0
すみません759は書き損じなので再アップ

昭和30年代の千葉工業高校は難関で、佐倉、木更津、長生といった
前身が旧制中学の田舎の地区トップ校より入学が難しかったと
中学の時、年配の先生が言っていました。
761名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/26(土) 19:18:06.56 ID:BmdMZ3/50
>>760
どこもそうだったよ
うちの県でも小学区制だった時代は旧制からの名門が男:女=4:6の割合だったみたい
男で出来る子は県全学区の商業・工業するから、普通高校は女が多かった
762名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/26(土) 22:04:23.58 ID:PaKQ8aoD0
>>761
初期の頃は知りませんが千葉県は小学区制ではなく、ほぼ郡単位の学区制で、
各学区は旧制中学、複数の旧制高女・旧制実業、多数のベビーブーマー校・
新設校で構成されていました。
各学区とも、優秀な生徒は男子は旧制中学、女子ならば旧制中学または旧制高女を
前身とした高校へ進学していました。

>>760の話も、地区トップ校へ進める学力を持った生徒会長が工業高校へ進学した
いうことで先生が話してくれたものです。
763名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 10:12:12.57 ID:MmvWezWA0
過去の教育制度は合理的だよね…
7割以上が16歳で教育を終わっていて子供を作っている。
そりゃ人口増えるよ。

小学校で能力を判別して専門の学校に進学していることは良いことだと思うのだけど
何で能力の無い人まで無理に大学まで進学させないと駄目なんだろうね。
別に能力が無い人=仕事ができない訳でもないのだから…

韓国や中国の人達を見ていると日本の戦後教育システムが無駄が多いかわかる。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 10:26:49.12 ID:QKOgWvJK0
>>763
上のレスでもあったけど、
多分戦前の制度のままでも経済成長するにつれて帝大や官立大、私大がもっと増えて価値が下がり、
恐らく中学は全入時代となって、今と大して変わらんことになっていたと思われ。
765名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 19:23:00.58 ID:MPw/rEqT0
>>763
わが県では小学区は昭和23年〜32年ごろまでだったかな
旧制一中に通っていた人が小学区制の導入で地区の学校に移ったとかの話はある
商業に通ってた人も新制高校に附設された商業科に移管された
766名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 19:53:41.00 ID:r/n9qQMD0
旧制では上級の学校に進学するかどうかは能力より
親の経済力に左右される部分が多かった
なぜなら中等以上の学校は公立でも学費が高かったから
今と同じ感覚で考えないほうがいい
767名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 20:40:03.34 ID:MPw/rEqT0
確かに・・
戦前の長者番付の本が実家の蔵書にあったわ、、毎年買わされてたのか喜んで買ってたのか・・
768名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 21:29:27.16 ID:/oJW1fHn0
尋常小学校→高等小学校→師範学校のコースなら、能力さえあれば経済力があまりなくても大丈夫だったよ
高等小学校にも行かせない、行かせられないような家だとどうしようもないけど
それと経済力の低い家は、子供が優秀でも、親の考え方が馬鹿で高等小学校や師範学校にすら行く事を許さない場合もあったから、親の経済力に加えて親の考え方にも大きく左右されていた
それでも経済力の低い家は大半が親子とも能力が低い事が多いから大きな問題はなかった

今も昔も、経済力と学力に正の比例関係にあったのは間違いはない
769名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/27(日) 22:23:59.42 ID:/Z6Y7hUG0
>768
経済力の低い家庭の多くは学校通うよりできるだけ早く働いてほしいと考えていたのだろうな
ただ都市部と農村部の意識の差は大きかったようで、都市部では農村部より中等学校への進学率が高かった
これは都市部のほうが経済力のある家庭が多かったことも影響しているのだろう
770名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/28(月) 17:33:14.21 ID:kQBMYtNw0
田舎の旧家では家を継ぐことが学歴より社会的地位があった。
庄屋さんの家でも長男は家を継いて次男三男を学校にいかせてた。
公務員として生計をたてさせるためだ。
771名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/28(月) 19:14:45.77 ID:ou+Qzh6O0
都会で就職するのには、学歴は大変重要だったが
田舎に残るのなら、学歴の必要性は低かったのだろうな
772名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/28(月) 21:43:03.35 ID:C3S/84Wv0
農家や商家でも地元の有力者は、長男であっても実業学校くらいには行かせてたとは思うんだが、実際どうだったんだろう
773名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/29(火) 00:21:21.91 ID:4BFyhVdm0
家業をつがせるために実業学校や専門学校まで進学させることは多かっただろう
774名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/29(火) 00:33:38.78 ID:F8oet/W+0
「花子とアン」でも甲府の地主の息子が実業学校に進学してるな
775名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/29(火) 01:45:24.10 ID:4BFyhVdm0
田舎から中等以上の学校に進学する子供は
親が地主とか庄屋とかそういう階級の子がほとんどだったようだな
田舎は尋常か高等小学校卒が標準的な最終学歴だったようだ
776名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/29(火) 16:09:02.18 ID:P49/VXJs0
>>763
【調査】 親が高所得ほど子どもの成績良好・・・文部科学省
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1395992931/461
461 名前:名無しさん@13周年@転載禁止[] 投稿日:2014/03/29(土) 03:12:28.17 ID:kV9mvBiv0 [1/8]
>>445
実はそれはよろしくないんだよ。
学校成績に応じた振り分けが行われると、
日本にとって大事な職人階級が頭の悪い人の吹き溜まりになってしまう。

昔は頭が良くとも小卒で職人になったりする人がいたからこそ、
料理でも手工業でも日本の産業は進めたのです

【社会】学歴・収入で子に学力差=勉強習慣、親の関与も影響―学力テストで分析・文科省
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1395981328/50
50 名前:名無しさん@13周年@転載禁止[] 投稿日:2014/03/28(金) 14:03:36.00 ID:APY1Bk5h0 [3/6]
スポーツに関しては、わりとキチンと素質を見て
できない奴は排除するのに
 
なぜ勉強は素質と関係なく
全員を鍛えようとするのだろう

誰もがオリンピックどころか高校野球の県大会にも
出られないのが普通
777名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/01(木) 01:15:26.99 ID:PL3JF28N0
戦前は階級社会だったのだろう
階級によって生き方や価値観が違う
778名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 20:02:36.18 ID:Xbd98r+j0
>>776
>日本にとって大事な職人階級が頭の悪い人の吹き溜まりになってしまう。

職人という言葉のイメージが学問はなくとも教養のあるクラフトマンから
ニッカボッカはいた兄ちゃんというイメージに変わってきたね。
779名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 21:55:11.67 ID:Nx9Y5lCs0
階級意識のある時代だと全体の規範となる上流文化があって
それが全体のモラル向上に一役かっている面もあったが
今はそういうものを失って、ヤンキー文化が蔓延しているのかもしれない
780名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/03(土) 01:39:09.79 ID:BSO3uESj0
>>778
2000年代になってからブルーカラーを低賃金で酷使するようになってきたからな。
781名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 02:24:16.70 ID:6xoV6cb/0
無教養な人間が企業経営者になるようになってから
労働者を酷使するようになったのかもしれない
真のリーダーにふさわしい人物が戦後教育ではうまれないのかもしれない
782名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 04:04:54.52 ID:WbJ9QdKp0
>>781
日本の場合、つい最近まで博士号持ちが少なかったし、
博士号持ちの優遇もなされているとは言い難いからね。
783名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 08:26:42.14 ID:gQcbreGe0
医学部志望動機が偏差値ヒエラルキーの頂点だからという人が少なくないけど、
中等教育終了時点で医学進学の選択が不可能で、かつ最上位層のプライドを担
保できるコースが別にあれば、上記的動機の医学部受験が今より減らないかな?
定員が新制東大の1割強しかない旧制一高とか。

医学部に成績優秀者が行くこと自体が問題ではなく、成績最優秀層が一特定分
野に集中しすぎることが、社会全体からみれば損失だと個人的には思うから。
まあこんなこと言うと受験技術と研究能力は違うとか反論されそうだけどね。
784名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 12:10:21.74 ID:e91BpoV40
>782
旧制高校卒者などが企業幹部にいた時代のほうが
バランスのとれた経営をしていたのではないかな
785名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 14:51:21.33 ID:C/bSJvHn0
>>783
専門家を大事にしない日本で医者は唯一健康を担保にして好待遇を引き出している。
お医者さん自体が医学部に頭脳が集まることに危惧している。ノーベル賞をとるかも
しれない頭脳の持ち主が勤務医でDQNの爺に怒鳴られながら説明しているのを見ると痛い。
786名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 18:05:31.36 ID:zY61sVHi0
戦前の大卒大企業会社員は
課長クラスで今の価値で年収4千万円ぐらいもらっていたらしい
今もしそういう待遇だったら、成績優秀者の多くは医者ではなく
民間大企業を目指すのだろうな
787名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/04(日) 23:53:32.54 ID:WbJ9QdKp0
>>786
だからこそお手伝いさんを雇えたのだろうね。
これが本当の意味での中産階級と言うか。
788名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/05(月) 00:26:02.43 ID:GKcl4A6C0
>787
今の基準でいえば当時の中産階級は上流階級だな
789名無し:2014/05/05(月) 02:23:37.54 ID:Cuav0rHz0
柴崎勇太(開智高校、明治大学)は窃盗犯で傷害事件の加害者。
790名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/06(火) 15:02:35.92 ID:7eyqB5380
>787
給与水準は別として、かっては28歳くらいの若いキャリア公務員をいきなり税務署長や警察署長にしていたが今はそういう育て方はしないようだね。
791名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/07(水) 16:13:52.34 ID:FgAbQh8v0
アメリカのリベラルアーツカレッジって日本の旧制高校みたいなイメージなのかな
日本の旧制専門学校に該当するような大学が数としては圧倒的に多いんだろうけど

日本の旧制大学   = アメリカの大学院
   旧制高校   =      大学(リベラルアーツカレッジ)
   旧制専門学校 =      大学(一般)
   
792名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/07(水) 17:24:00.93 ID:zXNSmm+j0
旧制大学と旧制専門学校の区分は残してほしかった。
旧制高校も大学予科として残してほしかった。
793名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/07(水) 18:55:00.80 ID:BrthNNjw0
>>792
今からでも旧帝大は学部の募集をやめて大学院にすれば実質旧制に戻ると思う。
教授はすでに大学院所属だから問題ない。横学歴の偏差値競争から昔のように
縦学歴になる。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/07(水) 21:25:50.63 ID:M0j44oCM0
旧制大学は、新制大学専門課程(大学3-4年)+新制大学院修士課程
学部募集をやめるのはちょっと違うと思うな
大学学部入試は旧制高校入試と同じと考えてよい

旧制の名残を残しているのは、三年時に学部学科を選択する東大くらい
旧制に近づけたいなら、旧帝大が東大方式を取るのが現実的だよ
795名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/08(木) 07:57:49.95 ID:IcBTaC4E0
さらに教養学部を分校化して複数配置する(東北大学教養学部弘前分校≒旧制弘前高etc.)。
旧制時代は優秀層が地方に分散していた。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/09(金) 20:15:22.41 ID:66NESwDo0
安倍総理がOECDで神政策を発表 「今後、日本の大学では学術研究でなく職業訓練を行う」
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1399605845/
797名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/10(土) 00:36:34.39 ID:NtltTfLm0
>796
旧制の大学と専門学校の区分を復活させるともとれるな
学術研究=大学
職業能力につながる高度専門教育=旧制専門学校的なもの
といったかんじか
798名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/12(月) 21:07:40.53 ID:Ej+UioNK0
>>793
そうなりそうだね
旧帝大はかつての役割に戻る
799名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/12(月) 23:20:37.16 ID:OszUgeem0
旧制大学+旧制高校+旧制専門学校が新制大学だろ
帝国大学の学部はあくまで新制大学の専門教育部門だから
旧帝大が大学院だけになったら旧制に戻ったとはとてもいえないだろう
800名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/14(水) 06:22:06.74 ID:ZLLs8EVZ0
>>797-799
旧学士を新修士と読みかえればいいんですよ。
理系の先生は賛成だけど、文系が反対するだろうな。
801名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/14(水) 15:41:41.56 ID:JIXLcixl0
実際全ての大学が旧帝大みたいな学術研究型を目指すのはナンセンスだわな
それより職業教育に特化した方が良いだろ
看護専門とか工学専門とかなら需要はある
経済とか文学とかは総合大学だけでやればOK
802名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/14(水) 15:46:32.76 ID:JIXLcixl0
個人的に気になるのは一橋や早慶みたいな文系が強い所
研究型か職業教育かどっちにするんだろ
803名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/14(水) 16:19:28.29 ID:qHBw6V/N0
高等教育機関もだけど、現状は普通高校が多すぎる気がする
で、中学校の勉強のやり直しみたいな事やるだけで終わったり
804名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/14(水) 22:28:44.54 ID:ZLLs8EVZ0
>>803 実業高校はもっと悲惨だよ。本来、工業高校が負うべき任務を
高専(新制)が担っている。初級技術者を養成するはずの工業高校が
ブルーカラーとしてしか使えない。
805名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/14(水) 23:04:55.58 ID:qHBw6V/N0
>>804
実業高校の悲惨さはおっしゃるとおり、でもそれは単なる現状の分析だし、それをいえば普通高校卒もサービス業の末端としてしか使えないんじゃない?

前提として、残念だけど多くの人は高等教育の必要がないし、受ける能力もないと思う

新制高専方式もしくは実業高校+専攻科みたいなコースがもっと充実すれば、いまの行く意味のないような大学とか、それに行くの前提のもっと行く意味のないような普通高校は減らせる
806名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/14(水) 23:12:40.91 ID:pKqu1xIX0
工業高校は同レベルの普通科高校と比較したら、社会の役に立つ人材を育てていると思うわ
レベルの低い普通科高校は、ホントに中学レベルの勉強を復習してるようなものだが、工業高校は技能を習得させているだけまだマシと言える
普通科の数を減らして、実業科を増やした方がいいんじゃないかと思う
高校レベルの座学を理解できない層には、ダラダラと座って授業受けさせるくらいなら技能を身に付けさせて方が本人のためになる
807名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 00:22:37.58 ID:GDfmVG6l0
正直大卒ホワイトカラーって現在進行形で需要が減ってると思うんだけど
理由としては機械による自動化とIT化でのアウトソーシング
特に事務作業なんかは物凄く減ってるしこれからさらに減るだろう
そう考えるとやっぱ普通科は減らして実務系を増やした方がいいと思う
808名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 02:39:23.15 ID:AlCYPbzz0
>801
旧制での大学と専門学校の区分をなくしたのがまずかった
旧制専門学校は専門学校として残すべきだった
809名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 14:32:58.82 ID:GgG/bJiG0
>>791
今の日本だとICU教養学部経由東大ロースクール進学っていう感じなのかな
810名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/15(木) 17:30:36.29 ID:GDfmVG6l0
アメリカの院=日本の学部
アメリカの学部=日本の高校

旧制高校=今の学部
旧制大学=今の大学院

進学率とか難易度考慮するとイメージとしてはこんな感じだな
もちろん違う所も多いけど
811名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/18(日) 23:29:57.83 ID:+g9kijktO
戦前の日本女子大や東京女子大が法律上は専門学校なのに「大学」を名乗っていた理由が気になる
あと戦前の日本女子大を卒業した瀬戸内寂聴のwikiに文学士と書かれていたが法律上は専門学校だから違うのでは?と思った
812名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/19(月) 15:40:50.40 ID:dLk309N30
>>811
今の海外大学日本分校が法的には各種学校を名乗っているのに
大学と名乗っているのと同じ。早稲田も慶応も大正時代に大学令
が出来る前は各種学校なのに大学を自称していた。
813名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/19(月) 15:44:51.75 ID:dLk309N30
>>811
瀬戸内寂聴の文学士は新制東女から出ていると思う。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/20(火) 12:44:32.85 ID:Z2Tc6Y1SO
あら?本女と東女を間違えた(滝汗)
でも再度調べたら瀬戸内寂聴は昭和18年9月卒業となっていた(戦時中なので卒業が半年繰り上がったらしい)
815名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/21(水) 20:54:03.35 ID:p28JwLzP0
>>781
働かないものに選挙権・発言権を与えたからだろう
勤労者に対する一定の尊厳って希薄になってきてるな
816名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 12:56:50.59 ID:Y3hrKPW30
>>815
そりゃ基本的人権なんだから当然
戦前のが良かったは幻想だよ
タコ部屋なんかあったわけだし
エリートに任せれば大丈夫ってのも違う
817名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 19:05:16.72 ID:Vxv4bD9n0
>>816
すいません、タコ部屋って戦後も60年代まで存在し、首都高速初期工事区間には人柱の人骨が多数埋められてる事実を看過ですか?
818名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 20:35:58.38 ID:DHh3RRTS0
>>817
すいません、最近宇宙人がやってきて様々な陰謀について語ってくれるんですが、誰も相談相手がいなくて困ってます。
あなたなら事実と信じてくれそうなので僕とお話してくれませんか?
819名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/22(木) 21:40:35.10 ID:V9DhHskA0
>>817
タコ部屋が60年代まで残ってたというのは確かに聞いたことある話だが、
首都高に人柱、てのは流石に初耳だなあ。
そう言うからには、常紋トンネル並みのソースはあるんだろうね?
820名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/23(金) 02:49:01.96 ID:Rxv+mRD70
>首都高速初期工事区間には人柱の人骨が多数埋められてる事実を看過ですか
なんかちゃんとした証拠は有るの?
821名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/25(日) 23:52:53.49 ID:QJjSN4jy0
>816
ホワイトカラー層の好待遇にたいして
ブルーカラー層は長時間低賃金労働だったというからな
822名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/26(月) 10:05:25.34 ID:u+b9qeOu0
>>819 人柱はわからないけどタコ部屋は父親がその当時、土木技師だったから本当らしい。
可哀想でなんとか保護してやりたいが、洗脳が入っていて怯えまくって
手を差し伸べても拒否するということだった。

昭和30年台まで九州の田舎には奴隷がいた。何百年も家に無給で使えていた一族。
もっとも戦後はお爺さんで逆に養ってあげるという福祉の意味が強かった。戦前どころか
江戸時代が存続していた。

一方、大企業のブルーカラーは中小企業のホワイトカラーより高給だった。
今では考えられないが若い工員が給金を溜めてスポーツカーを乗り回していた。
日産シルビアとかブルーカラーを対象にした車が商品開発されていた。
今で言えば現業職公務員が全製造業にいたようなもの。
823名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/26(月) 10:07:11.74 ID:u+b9qeOu0
>>815−816
戦前でも男だけだが普通選挙(納税額に関係ない)は実現していた。
824名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/27(火) 02:48:03.83 ID:DNqn7Ubz0
大正から5.15事件まで
二大政党制と選挙による政権交代も実現していた。
825名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/29(木) 03:26:10.89 ID:SEYfgpVO0
>822
大企業の工場では労使が交渉する工場委員会がつくられるなどして
待遇の改善がはかられていたそうだな
826名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/29(木) 10:44:01.23 ID:vBnzKw5p0
>>825
僕は現役時代、N自動車にいたけどまさに社会主義国の会社かとおもった。
会社の職制上の管理職と組合の委員が同格だった。
827名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/02(月) 14:29:33.93 ID:tUou5jlw0
>>826
結局は外資系の会社になっちゃったもんね
そういえば組合長がCIAのスパイとか言われてたな
828名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/03(火) 13:59:08.42 ID:oQGUoeHF0
>>811
そんなん言ったら戦中世代の医師・歯科医師の多数が専門卒でしかないで。
戦後大学になった医歯薬私大は元は専門だ。

たとえば2,30年前に年寄り開業医に診てもらったとして
その医師が専門卒だったらニセ医者め!と告発するんかよ。
歯科医なんか殆どそうだっただろうに。
829名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/03(火) 14:16:24.99 ID:jtpxQfwK0
>>828
国家資格に基づいて診療行為してるのに何云ってるの?
830名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/06(金) 07:51:02.59 ID:6bFrnxcM0
20年位前、あるおじいさんが、「俺が高校の頃は」って言ってたんで、
「えっ、旧制高校?」って思ってよくよく聞いていたら、高等小学校のことだった。

たしかに、義務教育を終えた人が、とりあえず行くって言う意味では
高等小学校卒≒新制高校卒
に近いかもしれない。

となると、
尋常小学校卒≒新制中学卒
旧制中等学校卒≒新制大学卒

後者の場合いろいろバリエーションあるだろうけど、
昭和10年代の進学率からみればさほど間違ってた認識でないと思う。
831名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/07(土) 20:18:35.44 ID:s6noajIq0
昭和初期の高校生は超エリートだからな
832名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/08(日) 10:14:07.44 ID:h6aTaw1u0
>>830

旧制中等学校卒≒新制大学卒 
81年新制大学卒業だけど同世代シェアが25%でおなじくらなので
これはよく旧制世代から言われた。
今の大卒はもっと多いので価値が薄いと思う。むしろ大学名による
「横学歴」の格差が大きい。戦前は「縦学歴」だった。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/22(日) 02:27:31.18 ID:x7rmtzc50
>>822
> 今では考えられないが若い工員が給金を溜めてスポーツカーを乗り回していた。
今もそういうのはあるよ。
大企業の正社員なら簡単にローン組めるし、実家暮らしで交代勤務やってれば普通に返せるし。
834名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/22(日) 02:43:44.59 ID:x7rmtzc50
>>814
1922年5月生まれなら、普通なら1940年3月に高等女学校を卒業して、
専門学校を1942年9月に繰り上げ卒業することになるはず。
どこかで1年足踏みしているのか、あるいは高等師範に相当する4年制課程だったのだろうか?
835名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/26(木) 12:00:51.48 ID:+WlrGpotI
ほとんどの旧制中学生と旧制高校生は、オーダー仕立ての詰襟学生服と革製コートを着たら
、バンカラスタイルでかっこいい。
旧制高校生は、テーラー仕立ての制服とレザーロングコートを着たら、
バンカラスタイルでかっこいい。
旧制高校生は、白い白線帽を被ったら、バンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学校と旧制高校は、カッターシャツは、ダブルカフス式は、バンカラスタイルでかっこいい。
旧制高校は、オーダー仕立ては、バンカラスタイルでかっこいい。
旧制高校生は、黒いキャンバスシューズと黒色のストレートチップの革靴と将校が履く黒色のロングブーツを履いたら、かっこいい。
旧制中学校と旧制高校は、裾ダブル5cmのストレートズボンと乗馬ズボンは、前は、ボタン式と
サスペンダーは、ボタン式を履いたら、バンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、ズボンは、サスペンダーは、ボタン式を付けたら
バンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、白いカバー付きの学生帽を被ったら、バンカラスタイルで
かっこいい。
旧制高校は、白い学生帽を被ったら、バンカラスタイルでかっこいい。
ほとんどの旧制中学生と旧制高校生は、オーダー仕立ての詰襟学生服とレザーロングコートを着たら、
バンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生の学生服は、スーツのような生地をしている。
旧制中学校と旧制高校の制服の生地は、羅紗とサージをしている。
旧制高校の制服は、スーツ仕立てのような生地である。
ほとんどの旧制中学校と旧制高校は、オーダー仕立ての詰襟学生服と革製コートを
着たら、バンカラスタイルでかっこいい。
836名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/02(水) 20:47:01.53 ID:0VArZJEQ0
旧制中学卒の祖父はmarch以上の大卒の価値があるってことか
親戚の大正時代初期に早稲田大学出た人もわが一族の伝説となっている
祖父の出た今の新制高校行きたかったな
国立100名以上現役合格する学区トップ高校だが
祖父は全甲で卒業している
837名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/02(水) 21:12:50.39 ID:0VArZJEQ0
知人の亡くなった親父さんは府立一高から東京帝大理科卒業
昭和20年卒業で学徒出陣は理系なので免れたが職員待遇で横須賀鎮守府に技術者として徴発されたそうだ

自慢気に言ってくるがやはり教養のある家はみんな学歴が高いな
知人は北大だから認めざるをえない
838名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/03(木) 22:37:42.07 ID:1jwvVXAx0
祖父は旧制大成中学卒
現千葉県立長生高校だ
今年は東大が出なかったが
茂原の雄
千葉といえばハマコーだが、彼は木更津中から日大
長嶋は佐倉高校から立教
千葉田舎御三家は佐倉、木更津、長生
皆65〜69の惜しい偏差値だな

でも千葉市の千葉東あたりよりは田舎の一番校のが精神的に良いみたいだな
伝統高校は価値がある

旧制中学ナンバースクールのほうが自分は好きだな、憧れる

まあ、そんなおれは中堅高校から有名美大に行った裏技人生だ、昔の美術学校卒
デザイン科だから飯は食えています
ホントは東京美術学校(東京芸大)に行きたくて2浪したが失敗したんだな
お祖父さんと違って博打人生だよ
839名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/08(火) 19:03:14.88 ID:ocwxJlDRI
旧制中学校と旧制高校が被る白い学生帽は、
バンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、白い白線帽を被ったら、バンカラスタイルで
かっこいい。
旧制中学校と旧制高校は、白い白線の付いた学生帽は、夏服専用
ではなく、「日本の将来は海上にあり」として、旧制中学生と旧制高校生は、
「学校の船乗り」と呼ばれた、という意識から通常に着用された。
旧制中学生と旧制高校生は、白線の付いた白い学生帽を被ったら、バンカラスタイルで
かっこいい。
旧制中学校と旧制高校が被る白い白線帽は、夏服専用ではなく、バンカラスタイルで
かっこいい。
旧制高校生は、ドイツ軍将校が着る革製コートを着たり、白い学生帽を被ったり、
黒いキャンバスシューズを履いたら、バンカラスタイルでかっこいい。
白線の付いた白い学生帽を被ったらバンカラスタイルは、旧制中学校と旧制高校は、「学校の船乗り」と呼ばれた。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/08(火) 19:12:53.60 ID:ocwxJlDRI
旧制中学生と旧制高校生が被る白い白線帽は、夏服専用ではなく、
バンカラスタイルでかっこいい。
白線の付いた白い学生帽は、旧制中学校と旧制高校は、フルシーズン用として、バンカラスタイルで被る。
841名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/08(火) 19:18:13.37 ID:ocwxJlDRI
学生帽に付いている白いカバーは旧制中学生と旧制高校生であること
を示す。
旧制中学校と旧制高校は、白線の付いた白いカバー付きの学生帽を被ったらバンカラスタイルで
かっこいい。
842名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/09(水) 09:28:31.36 ID:V+bFc3hQ0
>>837
>府立一高
府立高等学校の間違いでは? 7年制高等学校

あるいは府立一中>一高>帝大 か
843名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/10(木) 13:57:30.83 ID:thrdpYx80
旧制成蹊高校は附属小学校を持っていたので
附属小学校に入れば帝国大学への入学が保証された
844名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/10(木) 17:08:30.46 ID:0kUxmWpII
高等中学校は、 4年制で進学校、高卒
実業学校は、3年制で専門教育、中卒
基幹学校は、3年制で義務教育の専門教育、中卒
845名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/11(金) 09:17:07.95 ID:9nFG97Bl0

どこの国の教育制度?
846名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/11(金) 09:20:27.88 ID:TbMgjf600
明治初期じゃないの。
847名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 01:04:42.55 ID:LTKcGwc+0
将来のの日本には、3年制(12歳〜15歳)の中学校の修了後、
大学・旧制高校進学準備教育を提供する4年制(15歳〜19歳)の高等中学校(進学校に相当)
卒業後高等専門学校を進学し、多くは就職する3年制(15歳〜18歳)の実業学校(専門教育に相当)
及び卒業後就職をする者が進学する3年制(15歳〜18歳)の基幹学校(義務教育の専門教育に相当)に
3つの学校種に分かれる。
848名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 01:53:25.70 ID:LTKcGwc+0
将来の日本の教育制度は、入試制度と給食制度無しになる。学生食堂になる。自動販売機になる。
日本の将来の教育制度
小学校6年制(6歳〜12歳)
特別支援学校初等部6年制(6歳〜12歳)
中学校3年制(12歳〜15歳)
特別支援学校普通部6年制(12歳〜18歳)
高等中学校4年制(15歳〜19歳)
実業学校3年制(15歳〜18歳)
基幹学校3年制(15歳〜18歳)
高等学校普通部7年制(12歳〜19歳)
教育学校3年制(19歳から22歳)
高等専門学校3年制(18歳〜21歳)もしくは医学科4年制(19歳〜23歳)
大学予科3年制(18歳〜21歳)もしくは4年制(19歳〜23歳)
高等学校高等部4年制(19歳〜23歳)
共和国大学3年制(23歳〜26歳)もしくは医学科4年制(23歳〜27歳)
文理大学3年制(23歳〜26歳)
商科大学
商業大学
工科大学
工業大学
教育大学
医科大学4年制(23歳〜27歳)
大学院 年限不定(28歳〜)
849名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 02:00:21.96 ID:LTKcGwc+0
高卒資格は受けるのは2回までである。
高卒受験は2回しか受けられません。
一回落ちたらもう一回受けられるけど2回で落ちたら卒業ができなくなくなる。
高卒資格は2回で落ちたら高等中学校をやめる。
高等中学校は、留年は2年までとなる。
2年間長期欠席すれば、実業学校へ転校させられる。
2年間長期休学すれば、下の学校へ転校させられる。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 02:14:51.37 ID:LTKcGwc+0
高等中学校は留年は許されない。
欠席が2年間長期化すれば専門教育へ転校させられる。
2年間長期欠席すれば退学して専門教育へ転校させられる。
長期休学すれば実業学校へ転校させられる。
851名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 02:17:51.99 ID:LTKcGwc+0
女子生徒の言葉

女子高等中学生=女子高中生
女子実業学生=女子実校生
女子基幹学生=女子基校生
852名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 08:09:14.90 ID:Y+cS/SCU0
>>844>>847-851は頭の中で空想した本人が理想とする教育制度だろ
そういう前置きもなしに妄想はられてもドン引きだけど
853名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 09:04:49.64 ID:88jelkKI0
せめて妄想だと断ってから書き込んで欲しいもんだ。
854名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 13:02:21.00 ID:LTKcGwc+0
高等中学校、中学校の成績上位者、高卒
実業学校、中学校の成績中位者、中卒
基幹学校、中学校の成績がもっと低い、中卒
855名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 13:04:08.87 ID:LTKcGwc+0
旧制中学生と旧制高校生は白い制帽を被ったらバンカラスタイルでかっこいい。
856名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 14:39:31.54 ID:LTKcGwc+0
旧制高校では校内で喫煙している。
857名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 14:54:33.02 ID:LTKcGwc+0
旧制高校生は、校内で喫煙と飲酒するのは、自由である。
将来は、4年制(19歳から23歳)の旧制高校にしたい。
旧制高校の校内で喫煙は自由である。
旧制高校生は、大人である。
旧制高校の制服着るのは大人である。
大人の人は学生服着て欲しい。
旧制高校生の年齢は19歳から23歳くらいである。
将来は、4年制の旧制高校を造りたい。
学生服と学生帽の着用は義務付けられる。
大人の人が旧制高校の学生服を着てほしい。
ドイツ軍将校が着る革製コートはダブル12個(6つで2列)で全部6つ留めるタイプである。
ドイツ軍将校が着るレザーロングコートの色は黒色か灰色である。
旧制高校生が着るドイツ軍将校が着る革製コートを着たらバンカラスタイルでかっこいい。
白い制帽を被ったらカッコイ。
旧制高校生が被る白線の付いた白い学生帽をかぶったらバンカラスタイルでかっこいい。
858名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 15:01:39.58 ID:LTKcGwc+0
将来は、入試制度と給食制度なしにしたい。
小学校と中学校と特別支援学校と基幹学校と実業学校と高等中学校と夜間学校は、
学生食堂と自動販売機があってほしい。
入試制度なしにして欲しい。
給食制度なしにして欲しい。
859名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/12(土) 20:03:43.77 ID:2E/PwH5E0
LTKcGwc+0さんへ

アスペルガー症候群や多様性障害児に対する特殊教育も
充実させたほうがよいと思われます
860名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 08:49:04.37 ID:T37wYuDi0
>>855 旧制中学は校則が厳しくバンカラスタイルは禁止されていた。

新制高校の初期に旧制高校のファッションを真似る風潮がありそれがあたかも
伝統のように受け継がれている。

ttps://www.youtube.com/watch?v=sebDvnfmm6k
861名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 08:56:34.90 ID:T37wYuDi0
旧制高校生や帝大生はエリートであったがDQNでもあった。
社会が甘やかしそれを元気があるとみなした面もある。

昭和5年(1930).8.17〔一高と京大生100人以上が大乱闘〕
 京都府京都市の路上で夜11時過ぎ、一高応援団と京都帝大剣道部生100人以上が大乱闘、
京大生が仕込み杖を抜いて一高生の腕を斬るなど数人のケガ人を出したが警官隊に取り押さえられて、
それぞれの主謀者が逮捕された。京大生が詫び状を書き、説教を受けただけで1時間後に全員釈放。
三高との野球の試合で勝った一高応援団が、酔って一高寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」を大声で
歌いながら京都市中を練り歩いて、三高卒業の京大生が激昂したもの。
862名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 11:58:25.22 ID:SOreE9tLI
将来は、旧制高校を復活して欲しい。
863名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 12:04:28.64 ID:SOreE9tLI
旧制高校は、校内で喫煙するのは、自由である。
864名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 12:15:17.57 ID:SOreE9tLI
将来の教育制度
進学校の高校→4年制の高等中学校
専門教育の高校→3年制の実業学校
義務教育の専門教育の高校→3年制の基幹学校
865名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 12:16:18.39 ID:SOreE9tLI
将来は、偏差値無しにしたい。
866名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 13:16:44.30 ID:SOreE9tLI
旧制中学生と旧制高校生は、学生服の上が、ドイツ軍将校が着る革製コートを着たらかっこいい。
旧制中学校と旧制高校は、学ランの上に、ドイツ軍将校が着るレザーロングコートを着たらバンカラ
スタイルでかっこいい。
旧制高校生は、学生服の上に、ドイツ軍将校が着る革製コートを着たら「バンカラ軍人」と呼ばれて
かっこいい。
867名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 13:23:19.40 ID:SOreE9tLI
旧制高校生は、学ランの上に、革製コートを着たらバンカラスタイルでかっこいい。
校内で喫煙をすることが多い。
寮は、泊まらずに家から登校したり、下校する人は、多い。
旧制高校生は、アルバイトをしたり、働いたりするのは、自由である。
868名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 13:29:54.02 ID:SOreE9tLI
夜間の旧制高校は、ありますか?
定時制旧制高校は、あるよ。
869名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/13(日) 13:31:17.84 ID:SOreE9tLI
旧制高校生は、寮を泊まらずに、家から登校したり、下校する生徒は、多い。
旧制高校生は、アルバイトをする。
870名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 13:33:52.26 ID:Lzo6vnuZI
将来は、義務教育12年にしたい。
小学校と中学校と基幹学校と合わせて、義務教育12年である。
国民は、普通教育を受けさせた後、専門教育を受けさせる権利
専門教育は、義務教育である。
871名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 13:42:11.15 ID:Lzo6vnuZI
全日制旧制高校と定時制旧制高校は、2つある。
全日制旧制高校は、4年制である。
定時制旧制高校は、3年制である。
全日制旧制高校高等部は、4年制
定時制旧制高校高等部は、3年制
872名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 14:21:18.88 ID:Lzo6vnuZ0
将来の教育制度、入試制度と給食制度無し、将来は学生食堂と自動販売機あり
小学校6年制(6歳〜12歳)
特別支援学校初等部6年制(6歳〜12歳)
中学校3年制(12歳〜15歳)
特別支援学校普通部6年制(12歳〜18歳)
高等学校普通部7年制(12歳〜19歳)
高等中学校4年制(15歳〜19歳)
実業学校3年制(15歳〜18歳)
基幹学校3年制(15歳〜18歳)
高等専門学校3年制(18歳〜21歳)もしくは医学科4年制(19歳〜23歳)
短期大学2年制(18歳〜20歳)もしくは3年制(19歳〜22歳)
教育学校4年制(19歳〜23歳)
大学予科3年制(18歳〜21歳)もしくは4年制(19歳〜23歳)
高等学校高等部全日制課程4年制(19歳〜23歳)もしくは定時制課程3年制(19歳〜22歳)
共和国大学3年制(23歳〜26歳)もしくは医学科4年制(23歳〜27歳)
文理大学3年制(23歳〜26歳)
商科大学
商業大学
工科大学
工業大学
医科大学4年制(23歳〜27歳)
大学院年限不定(26、27歳〜)
873名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 14:28:15.42 ID:Lzo6vnuZ0
高等中学校では入学試験はないです。
中学校で成績が決まります。
874名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 14:48:48.07 ID:Lzo6vnuZ0
旧制高校は、白線の付いた白い学生帽を被ったり、学生服の上にドイツ軍将校が着る革製コートを着たりする。
学生服の下がカッターシャツは白色とナチス親衛隊が着る褐色のプルオーバーシャツを着たり、
シャツの袖は、ダブルカフス式を着てカフスボタンを付ける。
旧制中学生と旧制高校生が着るカッターシャツの袖は、折り返しカフスはバンカラスタイルでカッコイイ。
旧制中学生と旧制高校生が付けるカフスボタンはかっこいい。
カフスボタンは、バンカラスタイルでかっこいい。
カフリンクスはバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学校と旧制高校の校則で決まるカフリンクスは、チェーン式とスナップ式である。
カフスボタンは、チェーン式とスナップ式はばんからすたいるでかっこいい。
学生服の上にドイツ軍将校が着るレザーロングコートを着る。
旧制中学生と旧制高校生が履くズボンに付けるサスペンダーは、ボタン式でバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学校と旧制高校のズボン吊りを履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
ズボンにサスペンダーボタン式を履いたら、バンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校はズボン吊りを履いたらかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生はカフスボタンを付けたらかっこいい。
875名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 14:59:46.74 ID:Lzo6vnuZ0
女子高等中学生が付けるカフスボタンはかわいい。
女子高中生が着るカッターシャツの袖は、ダブルカフス式を着たら可愛い。
女子高等中学生は、カッターシャツの袖は、折り返しカフスを着たら可愛い。
女子高中生はカフリンクスを付けたら可愛い。
女子高等中学生は、カッターシャツは、折襟とウィングカラーとスタンドカラーは白色と
ナチス親衛隊が着るプルオーバーシャツはオレンジ色の袖はダブルカフス式を着たら可愛い。
女子高等中学生はカフスボタンを付けたらかわいい。
女子高中生はカッターシャツの袖はダブルカフス式を着たら可愛い。
876名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 16:00:44.90 ID:Lzo6vnuZI
尋常小学校卒=小卒
高等小学校卒=中卒
旧制中学校卒=高卒
877名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 16:02:52.98 ID:Lzo6vnuZI
基幹学校卒=中卒
実業学校卒=中卒
高等中学校卒=高卒
878名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/14(月) 16:03:57.60 ID:Lzo6vnuZI
旧制中学校卒=高卒
879名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/15(火) 09:03:21.62 ID:AgOydJDS0
良スレだったのに嵐で台なし。
880名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/15(火) 23:32:46.29 ID:pnogu9S40
旧制高校は今でいうと大学教養課程だからな
呼称は学生で喫煙も自由だった
881名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/16(水) 08:53:17.25 ID:hf+Uam/Y0
喫煙は黙認だろw
882名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/16(水) 08:59:35.08 ID:1a5fLZ9V0
>>880 旧制高校生の呼称は生徒です。
883名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/16(水) 16:12:16.37 ID:Upp9vU6D0
旧制中学生と旧制高校生は、ズボン吊りを履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
学生サスペンダーボタン式はバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学校と旧制高校はズボン吊りは、バンカラスタイルでかっこいい。
884名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/16(水) 16:28:10.60 ID:Upp9vU6D0
旧制中学校と旧制高校の制服
紺色と黒色の詰襟学生服は、黒ボタンと金ボタンと海軍士官型のホック留めと
胸ポケットはハコポケットとアウトポケットと袖ボタンは2つと袖ボタンなしと
上着は、通常と短いである。
学生ズボンは、ノータックと帯付きとループなし前閉じはボタン式とパンツ裾は、ダブル5cmと
パンツ脇ポケットは、斜めと後ろポケットは、片玉左右ボタン付きとサスペンダーボタン式(ズボン吊り)と
バックストラップとVカットである。
紺色と黒色の学生帽は、白線2条と3条と4条と白線なしである。
ドイツ軍将校が着る黒色と灰色の革製コートは、ダブルボタン12個(6つで2列)である。
旧制中学生と旧制高校生が履くズボン吊りはバンカラスタイルでかっこいい。
885名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/16(水) 16:35:28.42 ID:Upp9vU6D0
旧制中学生と旧制高校生は、学生サスペンダーボタン式をズボンにつけたらバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、ズボン吊りを履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
886名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/17(木) 13:06:28.33 ID:sMeZ01ow0
>882
wikipediaでは学生となっているよ
887名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/17(木) 13:34:42.41 ID:/jzrGLrF0
>>886
Wikipediaが当てになるわけ無いだろw
888名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/18(金) 00:17:03.11 ID:mQ1gPPNs0
将来は、旧制高校と大学予科を復活したい。
将来は、旧制高校を復活したい。
889名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/18(金) 00:26:22.24 ID:mQ1gPPNs0
旧制中学生と旧制高校生のファッション
白線付きの白い学生帽とドイツ軍将校が着る革製コートとナチス親衛隊が着る褐色のプルオーバーシャツとカッターシャツの色は白色の袖は
ダブルカフス式と乗馬ズボンと学生ズボンはサスペンダーボタン式(ズボン吊り)
と将校が履くロングブーツとコンバースみたいな黒いキャンバスシューズとストレートチップの
革靴とサイドゴアブーツ(ゴム脇シューズ)はバンカラスタイルでかっこいい。
890名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/18(金) 00:28:22.86 ID:mQ1gPPNs0
旧制高校生の年齢
19歳〜23歳
将来は、19歳〜23歳の旧制高校を復活したい。
891名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/18(金) 00:45:01.74 ID:mQ1gPPNs0
旧制中学生と旧制高校生は、サスペンダーズボン吊りを履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、サスペンダーボタン式ズボン吊りを履いたらかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、ズボン吊りを履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と急性高校生がカッターシャツの袖に付けるカフスボタンを付けたらバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生はカッターシャツの袖はダブルカフス式を着たらバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、カッターシャツの袖は折り返しカフス式を着たらカッコいい。
旧制中学生と旧制高校生はカフリンクスは、チェーン式とスナップ式を付けたらバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、カフスボタンのチェーン式とスナップ式を付けたらかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、カフスボタンを付けたらかっこいい。
旧制中学校と旧制高校は、ズボン吊りを履いたらかっこいい。
旧制中学校と旧制高校は、ズボン吊りを履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学校と旧制高校は、サスペンダーボタン式ズボン吊りを履いたらかっこいい。
旧制中学校と旧制高校は、サスペンダーボタン式ズボン吊りを履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
892名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/19(土) 20:17:21.34 ID:pKXOyO3o0
旧制中学校と旧制高校は、学ランの上にドイツ軍将校が着る革製コートは、ギムナジウム
スタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、学生服の上にドイツ軍将校が着るレザーロングコートは
ギムナジウムスタイルでかっこいい。
ギムナジウムはバンカラスタイルと呼ばれる。
旧制中学校=ギムナジウム
893名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/19(土) 20:21:16.57 ID:pKXOyO3o0
高等中学校4年制=ギムナジウム
実業学校3年制=レアルシューレ
基幹学校3年制=パウフトシューレ
普通科高校=高等中学校
専門科高校=実業学校
義務教育高校=基幹学校
894名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/19(土) 20:24:40.64 ID:pKXOyO3o0
将来は、義務教育12年にしたい。
小学校と中学校と基幹学校は12年の義務教育
日本の基幹学校は、義務教育の専門教育である。
895名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/20(日) 09:02:38.67 ID:WEn0ugVh0
林周夏は低学歴のバカ
896名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/20(日) 17:46:24.48 ID:LIpm4rVs0
将来は、国民は専門教育を受けさせる権利
897名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/20(日) 18:09:10.99 ID:LIpm4rVsI
将来の義務教育
義務教育年限は、47都道府県のうち31か所が6歳〜17歳の11年間、
16か所が6歳〜18歳の12年間。初等教育6年、中等教育5、6は、12年。
国民は、中学校卒業後、専門教育を受けさせる義務である。
898名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/20(日) 18:11:34.50 ID:LIpm4rVsI
憲法によって、国民は、専門教育を受けさせる義務である。
899名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/21(月) 13:21:38.09 ID:Tr51JLlTI
将来は、国民は、職業教育を受けさせる義務である
900名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/21(月) 13:23:04.20 ID:Tr51JLlTI
将来は、職業教育を受けさせる権利
901名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/21(月) 13:32:04.51 ID:Tr51JLlTI
義務教育は、31か所で11年16か所で12年
31か所は、小学校6年、中学校3年、基幹学校2年
16か所は、小学校6年、中学校3年、基幹学校3年
小学校と中学校と基幹学校は、義務教育である。
日本は、将来、基幹学校をあって欲しい。
日本の基幹学校は、義務教育の職業教育である。
日本の基幹学校は、義務教育の専門教育である。
902名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 18:05:27.08 ID:jKDo/5W4I
韓国人は、ローファーを履く
日本人は、ストレートチップとサイドゴアブーツを履く
韓国の女子高生は、ローファーを履く
韓国人の学生は、ローファーを履く
日本人の学生は、ストレートチップとサイドゴアブーツを履く
韓国の学校の靴は、ローファーを履く
日本の学校の靴は、ストレートチップとサイドゴアブーツを履く
903名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 18:07:19.79 ID:jKDo/5W4I
学生服を来て黒色の革靴は、ストレートチップとサイドゴアブーツを履いたら、
バンカラスタイルでかっこいい。
904名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 18:39:23.43 ID:jKDo/5W4I
学校の制服のズボンは、前は、ボタン式とサスペンダーボタン式ズボン吊りと
バックストラップと裾ダブル5cmは、バンカラスタイルでかっこいい。
学生ズボンの前は、ボタン式とサスペンダーボタン式ズボン吊りと
バックストラップと裾ダブル5cmは、バンカラスタイルでかっこいい。
905名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 18:51:11.11 ID:jKDo/5W4I
韓国の学校の靴は、ペーニー・ローファー(コイン・ローファー)を履いたら、かっこいい。
学校制服似合う靴は、黒色のストレートチップとサイドゴアブーツを履いたら、かっこいい。
906名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 19:12:13.45 ID:jKDo/5W4I
旧制中学校と旧制高校の制服は、紺色と黒色の詰襟学生服は、
金ボタン5つ、7つと黒ボタン5つと海軍士官型のホック留めと
その他は、ブレザー型のシングル2つ、3つである。
旧制中学校と旧制高校の制服のブレザー型と海軍士官型ホック留めも存在する。
旧制中学校と旧制高校の制服は、背広型も存在する。
旧制中学校と旧制高校の制服は、紺色と黒色の詰襟学生服は、
金ボタン5つと黒ボタン5つと海軍士官型ホック留めの後ろは、ノーベントである。
旧制中学校と旧制高校の制服は、ブレザー型のシングル2つと3つは、サイドベンツと
センターベントである。
旧制中学校と旧制高校の制服は、紺色と黒色の詰襟学生服は、金ボタンと黒ボタンと
海軍士官型の上着は短い、後ろは、ノーベンツである。
旧制中学校と旧制高校の制服は、紺色の背広型のブレザーのシングル2つ、3つの上着は普通、
後ろは、サイドベンツとセンターベンツである。
旧制中学校と旧制高校の制服は、紺色と黒色の詰襟学生服は、ノーベントと紺色のブレザーは、
サイドベンツである。
907名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 19:44:07.58 ID:jKDo/5W4I
将来は、普通科高校から高等中学校にしたい。
高等中学校は、中等教育である。
高等中学校の制服は、紺色と黒色の詰襟学生服は、金ボタン5つ、7つと黒ボタン5つと
海軍士官型ホック留めは多く、紺色の背広型ブレザーは、少ない。
詰襟学生服は、白線付きと白線なしの学生帽を被ったりブレザーは登山帽を被る。
高等中学校の学生ズボンは、前は、ボタン式とサスペンダーボタン式ズボン吊りと
バックストラップと裾ダブル5cmと後ろポケットは、フタなしで、両ボタンは、
バンカラスタイルでかっこいい。
高等中学校の制服は、カッターシャツは白色の袖は、
ダブルカフス式とプルオーバーシャツは、褐色の袖は、
ダブルカフス式である。
カフスボタンは、チェーン式とスナップ式で決まっている。
高等中学校の制服は、紺色と黒色の詰襟学生服は、金ボタンと黒ボタンと海軍士官型ホック留めの
後ろは、ノーベントである。
高等中学校の制服は、紺色の背広型ブレザーは、サイドベンツとセンターベントである。
高等中学校は、学生帽の着用は、義務付けられて無帽は、おかしい。
高等中学校は、学生帽を被る義務がある。
高等中学校で学生帽を被ってない人は、いけないし、指導される。
高等中学校は、ドイツ軍将校が着る黒色と灰色のレザーロングコートを着たら
バンカラスタイルでかっこいい。
高等中学校の靴は、ストレートチップとサイドゴアブーツと将校が履くロングブーツとコンバース
みたいな黒色のキャンバスシューズを履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
高等中学校の学生ズボンは、ストレートズボンと乗馬ズボンは、ズボン吊りを履いたらバンカラスタイルで
かっこいい。
高等中学校の制服は、紺色と黒色の詰襟学生服金ボタンと黒ボタンと海軍士官型ホック留めの後ろはノーベンツと
紺色のブレザーは、サイドベンツである。
908名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 20:55:48.36 ID:jKDo/5W4I
旧制中学校と旧制高校は、オランダの木靴(サボ)を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
ギムナジウムは、オランダの木靴(サボ)を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
高等中学校と高校は、オランダの木靴(サボ)を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
ドイツ人の学生は、ドイツ軍将校が着る革製コートを着たり、オランダの木靴(サボ)を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
旧制中学生と旧制高校生は、ドイツ軍将校が着る革製コートを着たり、オランダの木靴(サボ)を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
高等中学生は、ドイツ軍将校が着る革製コートを着たり、オランダの木靴(サボ)を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
ドイツ人は、オランダの木靴(サボ)を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
ギムナジウムは、ドイツ軍将校が着る革製コート、オランダの木靴(サボ)は、バンカラスタイルでかっこいい。
ギムナジウムは、オランダの木靴(サボ)を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
909名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/22(火) 21:04:06.24 ID:jKDo/5W4I
旧制中学校と旧制高校は、オランダの木の靴を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
ギムナジウムは、オランダの木の靴を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
高等中学校は、オランダの木の靴を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
ドイツ人は、オランダの木の靴を履く。
旧制中学生と旧制高校生は、オランダの木の靴を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
高等中学生は、オランダの木の靴を履いたらバンカラスタイルでかっこいい。
910名無しさん@お腹いっぱい。
かっこいい君嵐絶好調!