うちの爺さんは昭和13年に地元の中学を卒業。進路を卒業生名簿で見ると
(大学卒は最終学歴になっていて高校名は不明。大学名も新制大学名になってる
のもあり当時の名前のもあり、ややこしい)、学年180人中、陸士5名、
海兵1名、東大6名、他の旧帝大7名、東工大・一橋・東京外大など他の国立大11名、
私立大33名、師範学校7名、国立医大6名、医専11名、歯薬専2名、
高商・高工・高専32名、陸工・予科練など軍学校6名、実務学校19名、
芸術系大2名、高校4名、になってる。
この数は卒業者で、「陸幼に受かった奴は中学2年で行ったし、中学4年で
一高に受かった秀才は名簿に入ってない。卒業してないからOB会も入れず、
彼等のほとんどが音信不通で気の毒だ」と言っていた。
ちなみに戦死者22名。海兵や海軍関係の学校行った3名は全滅。
陸士は5名中戦死は1名。陸工など陸軍関係の学校行った4人中戦死は1名。
ちなみに爺さんも戦争で死にたくないから陸軍主計学校を受けたが落ちて、
仕方なく早稲田の予科に行った。5つ上の兄の世代は「一高突破」が
中学生の最大の目標だったが、軍国色が強まると軍学校の難易度が
ぐっと上がったと言っていた。当時、二等兵で引っ張られる初年兵教育のエグさは
誰でも知ってたから、皆がなんとか軍学校に滑り込んで将校になりたかったらしい。
関東の田舎だがら陸士目指す者が圧倒的に多く、海兵は少なかったみたい。
ちなみに師範学校は全員地元。私大も2名を除き東京の大学。早慶・日大・中大が多い。
(東大除く)旧帝大や国立医大は当たり前だが全国に散ってる。台北大や満州医大のような
外地も多い。時節柄だろうが実務学校も満州が多い。満鉄付属学校や満州の外語学校とか。