【超A級戦犯】裕仁の戦争責任1【公開処刑】
バカウヨ追放汁!
今、ヒロヒトを殺してきた。
つまらない戦争をおこし260万人虐殺した罪を泣いて悔いていたが、
後悔は地獄でしてもらうことにした。
部屋の角に追いつめたヒロヒトに柄の長さが九十pはある斧を振り
下ろせば四肢は次々と切断され、
たちまちのうちに苦悶の表情人間だるま。
切り口には焼きコテを当てて止血、やすやすと失血死はさせない。
その断末魔の引きつり濁った絶叫が1時間2時間とコンクリート
の防音壁に響く。
くすんだ瞳でまだ哀れみの表情を俺に投げつける。
ヒロヒトが苦しむのは嬉しいがさすがにこちらの鼓膜が辛い。
そろそろ終わりにしよう。
斧の血を洗い流して研ぎ直し、気合いもろとも額に一撃を
加えるとヒロヒトの頭蓋は断ち割られ、
血と脳漿が天井まで吹き上がった。
仕上げに首をバッサリと刎ねる。俺はヒロヒトの血で全身紅に輝く。
ヒロヒトよ。地獄で苦しめ。これはお前が自ら望んだ結末なのだ。
今夜は良い夢が見られそうだ。
3 :
日本@名無史さん:2007/11/22(木) 16:55:19
クルセーダー:2007/11/16(金) 08:03:53
江戸初期からの庄屋は 大半土豪か、大半御家人崩れ。
よほど江戸期の下級武士より圧倒的に由緒も名門。
実際俺の母方は、戦国期は土豪 江戸は庄屋だが 鎌倉期は新田義貞にたどり着く。
実際 江戸期に武士担った奴らの大半は 信長の兵農分離により
街のチンピラや 農家の次男三男の食いっぷちのない奴らがほとんど。
そいつらが下級武士になっていった。由緒なんかあったもんじゃない
4 :
日本@名無史さん:2007/11/22(木) 16:56:12
信憑性が薄くなるんだけど
俺の家は、さっき言った新田義貞の流れらしいんだけど
現存する、読める系図は
「八幡太郎義家よりはじまり、新田義貞八世の孫」って始まりになるのよ。
その八世の部分が書かれてると思われる巻物は、風化してて、開こうとすると
ポロポロと炭みたいになる・・・・。
地域の修復師みたいな人に聞いても「それ、もう無理」って(笑)
昔の巻物が10本以上、解体した母屋の屋根裏倉庫より出てきたんだけど
開けたのは、有名な書の模写が2本のみ。
残りは、開こうとすると、粉々になるみたい。
でも捨てられずに保管してるんだけどね。
そんな状態になってる巻物がある、家ってけっこうあるんじゃない?
それをどうにか解明できたら、けっこう正確な自分のルーツ見えそうなんだけどなー。
5 :
日本@名無史さん:2007/11/22(木) 16:56:45
おれ、源氏のながれで新田義貞の子孫らしい。
ずいぶん遅く担って歴史好きになって、親や親族からの話しを聞くようになったが
結局、そういう家系の流れって、子供がいないときは、血の近いところから子供をもらうとか
金持ちが、家系図を買って、自分の家系のように語るとか
現代まで繰り返されたはずだから、自分の家系は、そういう伝統を大切にする家庭ってことは
事実であっても、その流れが本当かどうか怪しいものだと思う。
特に、成金家庭で「我が家は●●の流れなんだよ・・・」って言われて育った人は
一度自分の家庭を疑うべき(笑)
ただ「そういう家系や血筋を伝え続けた家庭が本物だ」って考えもあるらしい。
みんなはどう思う?
6 :
日本@名無史さん:2007/11/22(木) 16:57:23
クルセーダー:2007/11/17(土) 08:32:40
おい てめーーら 馬鹿じゃね?
何一つ 俺の論述ろんぱもできねーーーで 今度はちょんから 荒らし認定かよ?
おめーーら馬鹿のくせに 何団結してんだよ?馴れ合い日本史おたってか?wwwwwはずかしい
遣唐使まで属国と信じてたのが 足利まで属国と傷かされて自暴自棄か?www
まず基礎知識付けろよwww
990 :日本@名無史さん:2007/11/22(木) 17:14:01
>>988 そのむちゃくちゃな法解釈はいいとして、権利譲渡の場合欠落があれば残りの権利者に回るだけ
民法1028条遺留分を読んでみろよ
993 :日本@名無史さん:2007/11/22(木) 17:16:58
>>990 しってんだよぼけ 全員その3新党がいないと仮定して言ってんだよ それを江戸の風習に置き換えていってんだよばかが
だから先祖探しはせめて6新党までが同属だといってるんだよカリにひーひーひー爺さんの家が武士だとして
だからってそいつもその本家と同じ武士の身分ないよう相続すんかこるあ?
996 :日本@名無史さん:2007/11/22(木) 17:18:36
>>993 やーいひっかかってやんのwwwww
民法1028条は確かに遺留分だが、権利譲渡に関しての条文ではありましぇーんwww
まんまと引っ掛かったねww
なにを「しってんだよぼけ」なんですか?wwwwww
ミトコンドリアイブがおいらの先祖です byクルセーダー
9 :
日本@名無史さん:2007/11/22(木) 18:15:03
ていうかさ 本家でもない人 あげくは実家でもない 他人の家訪問とか、先祖じゃないじゃんそれw
そんな規模で先祖探せば 日本人みな兄弟だろ。
いい加減本家か親の実家程度にしろよ。
その親の親戚の一族が武士とか言うの辞めてくれない?www
はずかしいよ他人の家自慢してこじつけで自分も武士気取りとかw
江戸時代でもそいつにその遠い親戚の親戚ズらどんだけできるわけ?wwww
恥ずかしい奴らだよ先祖マニアは。そもそも自分の家で分からないような奴は
もはや他人の家と化してる自分のルーツと身分探しても、だから自分がその親戚と同じである!ということになると思ってるの?ww
10 :
日本@名無史さん:2007/11/22(木) 18:23:37
本家というか だれでもたどってけば鈴木だって本家あんだろ?
いい加減どんだけよくても三親等までにしろや?
民法で規定されてる親族姻族の規程しらねーの?歴史おたわ
まったく 。そもそも母親の実家だって俺と関係あるの?交流も恩恵もうけないだろ
せめて民法にのっとり三親等までだろ
11 :
日本@名無史さん:2007/11/23(金) 03:29:23
16代くらいあるけど
墓は普通ないはずです
墓は永久モンなんてのは近年の墓石業界の作り出した売り文句で、
家墓制度なんてほとんど戦後始まったものです。
旧来は各家々あるいは共同体に墓地があり、ひとり死ぬごとに一箇所ずつ埋めていきます。
五十年くらいで土に還るので、順番に埋めていった後に場所がなくなれば、
五十年経過したものから順に再利用していきます。そうしなければ日本中がすべて墓場になってしまう理屈です。
この目印として木塔の墓柱を使います。朽ちて折れる頃が土に還る頃合いです。
だからそんなに古い墓石が残ってないのは当然なのです。
12 :
日本@名無史さん:2007/11/23(金) 03:46:32
家系図は昔から売買の対象なので
あまり由緒正しすぎる家系は信じない方が無難でしょう。
また各時代々々においての変革期で系統はしばしば途切れますから、
二期間以上を越えた記録はほとんどないかあっても薄い信憑度と思われます。
直近の変革期は維新になりますが、その前は江戸幕府開府・応仁・建武・鎌倉開府などなので。
江戸期以前の系図だとかなりなことということになります。
うちの菩提寺は隣の市にあるのですが、私の曾祖父の頃家が
あった場所からかなり距離が離れています(自転車で30分くらい
墓自体は家の近所にありますが新しいもので、同じ敷地には戦時中
くらいに立てられたお墓などがあります)。
この場合、家がもともと隣の市にあったか、近い時期になって
菩提寺を移したと考えるのが自然なのでしょうか。
>>13 ああ、それは関係ないッスよ
そんなことよくあるから
城下町のお寺じゃなきゃどこもおんなじ
>>13 旧土地台帳でも見れば、どこに家があったかぐらい追えるんじゃないか?
16 :
日本@名無史さん:2007/11/29(木) 02:02:14
耳垢がベタベタだから、俺の祖先は縄文人…
17 :
日本@名無史さん:2007/11/29(木) 02:32:43
元禄年間に大阪から奥州に下って、その墓石が残ってる。
分家してからずっと墓石が残ってきているのでおそらくは
300年くらい前までは遡れてるんだろうなという感じだが
系譜もあるが、石川源氏の末端を詐称してる様です。
奥州に下った時点で貴種も糞も無いのにな。
江戸期の墓石ならゴロゴロしてる地域から電波発信してみますた。
江戸期はたんなる関所役人。
うちの墓で一番古い文字は風化してもはやよめん。
その一つ前が江戸初期の年号。
ちなみに、武士・・・・・・・、ではなく由緒正しき農民。
はとこと同級生とか、石を投げれば親戚に当たるとか、そんな感じ。
19 :
日本@名無史さん:2007/11/29(木) 18:33:41
>>17 奥州にいるからこそ貴種ともてはやされるんじゃねーの?<石川源氏
江戸時代は、本家当主はみんな同じ名前です。
700年ほど前からすんでいますが…
なぜか明智光秀の子孫ですw
江戸時代に偽造家計図作りましたすいません。
後、なぜか新田義貞の子孫でもあります。
江戸時代に2つも作るなよ、先祖。
ちょっとなごんだ
22 :
日本@名無史さん:2007/12/01(土) 16:59:18
珍しい姓なので期待せずに調べたら、奈良時代にその姓を名乗る女性がいたらしいことを知った。驚いたが、先祖かどうかは知らん、調べようもない。
私は瓦林と言う者で、ひょっとしたら瓦林政頼の遠い子孫かも知れません。
珍しい姓ね
うちの親戚は全国で3家しかなく、全部親戚同士
この位希少姓じゃないと同姓の有名家と先祖が繋がってるとは言えないんじゃないかな
>>23 瓦林城落城の時に落ち武者狩りをした土民の末裔さんコンニチハ
26 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 22:25:55
1
27 :
日本@名無史さん:2007/12/08(土) 22:28:55
苗字が秦氏の別名だから、祖先は渡来人で朝鮮半島から来たんだろーなぁー
秦氏は中国北部あたりから来たらしい
ユダヤとかあのあたりの説もあるね
今の朝鮮人とは別の民族だよ
29 :
日本@名無史さん:2007/12/12(水) 11:28:20
>>9 はげしく同意。「はとこ」に会ったことすらない。w
30 :
日本@名無史さん:2007/12/22(土) 11:41:22
30
31 :
日本@名無史さん:2007/12/22(土) 11:42:40
age
32 :
日本@名無史さん:2007/12/22(土) 12:22:47
徳川なんちゃらの子孫が知り合いにいる。
「五」がつく台数の将軍の兄弟の末裔らしい
名字は「菅野」だが、だれかしらないかな…
徳川スレあるからそっちで聞いてみたら
34 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 12:45:59
34
35 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 12:46:59
36 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 14:19:32
五のつく将軍の兄弟で子孫がいるのは慶喜だけ。
慶喜の兄弟なら山ほどいるから、養子先や女系の子孫なら可能性はあるだろうな。
37 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 03:37:16
戸籍で分かった範囲
父のほう
3代前(曽祖父) 文久3年(1863)生まれ、大正15年没
4代前 名前のみ
母のほう
3代前(曽祖父) 明治23年生まれ
4代前 慶応2年(1866)生まれ、昭和21年没
5代前 天保3年(1832)生まれ、明治21年没
6代前 名前のみ
明治の終わり頃に生きていた人の戸籍が手に入る最後なので、
そこに書いてある「前戸主亡父○○○○」までしか分からないですね。
1800年代までいけたなら御の字じゃね
過去帳とか見ておいでよ
お布施は結構かかるけどね
39 :
日本@名無史さん:2008/01/13(日) 18:06:20
あ
家に家系図のようなものがないみたいなんだが…
除籍謄本でも取ればいいんじゃね
俺の場合
・東叡山の寺領に家康入府とほぼ同時期に土着
・実家の墓には享保年間から戒名が彫られていて、一番古いのは禅定門クラス
ただし、過去帳はもっと古くからあって、過去に行けば行く程ランクが上がっていている状態
(過去帳の原本は寺に、その写しは本家当主の祖母が持っている)
・一番古い墓は享保年間かな昔の個人用のぼろいやつだけど
菩提寺がずーっと変わっていないから、幸いにも古いのは残っていた
・戒名は大禅定〜信士か、大禅定〜居士のどっちか
村役人だったから多分前者のハズ
・一番解らないのは、本家分家全部が、戊辰戦争の時刀を持っていた事。
ただ、領地に軍役みたいなのがかかったみたいだから手伝いに行っていたのかもな
農家なのに家康入府と一緒に移動できたのは事情があるはずだから、
調べろって教授がいうんだけどわかんねえよ!
750 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/01/22(火) 17:32:55
うちの場合、なにがなんだかさっぱりわからない
本家、分家、全部が刀大小を持っていた(上野戦争時)
本家の一番古い墓(四角いやつに三角屋根がついた形)は、戒名と俗名のセットになっていて、苗字が付いている
ちなみに、年代は享保年間
墓の戒名は大禅定門〜信士まで(古くなればなるほどしょぼくなっていく)
(ただし、昭和以降のぶっ飛んだ戒名は除く)
で、東叡山寛永寺の寺領で、在郷
名主ではない
上野戦争に巻き込まれている
凄い人は、軍資金1000両拾ってきた
戦争後、没落しかかって、分家の土地を全部巻き上げた
これお前だろ
>墓の戒名は大禅定門〜信士まで(古くなればなるほどしょぼくなっていく)
真逆なこと書いてるな
ウチにある最近書かれた家系図、
奥平昌邁の後が破線になっていて、
「昌」の字がつかない人Aに結ばれている。
昌邁には昌恭・昌國という息子が居るが、
彼らよりAの子であるBの方が早くに生まれている。
Aは一体何者なの?
昌邁(1855-1884)
A(-1893)
B(1863-1900)
昌恭(1877-1948)
昌國(1880-1940)
その最近書いた人に聞けよ
書いたのは大伯父さんなんだけど、去年の冬に亡くなったんだ。
結構なおじいちゃんでさ……もう誰も知る人がおらん。
Aは養子なんじゃね
実の子が無能・不具・病弱・早逝したりした場合は有能な養子を迎えることがある
養子は娘の婿養子としてだったり、他家から養子にもらったりと色々だ
それが、Aもその息子のBも奥平を名乗ってはいるんだけど、
ともに住んでいたのが北海道で、昌邁が住んでいた
九州・四国とは遥かに隔たりがあるんだ。
養子だとすればもっと近くに住んでいていいと思うんだ。
それとも、屯田兵(1874-1904)・西南戦争(1877)と関係あるのかな。
もとは南で養子とされて住んでいたんだけど、のち北海道へ、とか。
>>48 除籍謄本とか過去帳で辿ればいいんじゃね
系図なんて信用できんものよりも、よっぽど信憑性がある
50 :
天皇さま:2008/02/18(月) 16:53:37
50
51 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 17:00:52
余程の下賤でない限り、檀家制度に従って作られた寺院の過去帳に
先祖歴代の記録が残って居る筈ぢやぞゑ。
それも不分明な者は穢多か非人か帰化人であろうぞ!
52 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 18:04:33
>>51 それって、今でもすべての檀家の寺に
きちんと保管されているものなの?
何百年分も?
53 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 20:25:51
昌邁は、後継が無くAと養子縁組したが、後から実子が生まれた。
それで、Aとは養子縁組を解消したが、
奥平姓は名乗ることを許した。
Aは他家の次男か三男で実家に戻れないのため、維新後北海道に渡った。
こう考えればつじつまが合う。
宗門制度では被差別民も宗門人別帳に記されます。神職さえ寺院の檀家にならなければいけなかったのが宗門制度です。
武家なら、由緒書、親類書を時に提出することがありました。
仕官などする時は、芸術書もつけた。芸術は技芸。今の資格・特技にあたるもの。
近年寺院ではあまり過去帳を見せませんが、檀家なら別でしょう。
問題は、戒名ばかりで俗名を記してない例も多い、ということでしょうか。
最近、御先祖様のことに興味を持ち始めたものです。
除籍謄本を取りたい時、申請理由は
何と言えば一番良いのでしょうか?
(遠方ですが役所に出向きたいと思ってます)
父方は判っているのですが
母方は今から調べるつもりなので・・・
ちなみに父方の生まれは
高祖父 天保13年
曽祖父 安政4年、
曾祖母 元冶元年
と、日本史ではよく聞く元号で思わずうれしくなりました。
「墓地の被埋葬者の生没年の確認」 とか
そういうのでいんじゃね。
もし突っ込んで聞かれたら、墓地に墓誌を建てることになったんで
正確な記録が必要になった とか答えとけばいいよ
59 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 12:53:30
うちの墓なんて『平成18年』って刻まれてるw
60 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 13:45:59
61 :
日本@名無史さん:2008/03/20(木) 13:49:38
禁・情報公開庶民資料<公文書>...ぢんしんコセキ『現在は各地方の法務局に厳重に保管されており、戸籍簿自体の閲覧は不可能』アアアおわた
62 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 17:49:12
別にそんなのに頼らなくても百姓や下級武士以外なら公文書が残ってる
何も残ってないような家ならその程度の身分だったってことだ
63 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 18:00:46
5代前までは過去帳に載ってた。
それ以前は敷地内の2つの墓石に刻まれてるんだが、風化していて読み取れない。
64 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 19:09:19
永久に公開も閲覧もできないようなものを、なんで保管する必要があるのだろう?
存在してても見ることも利用もできないのなら、存在しないのと同じこと。
しかも、閲覧できない理由がヤバイ理由なら、なおさら保存する必要などない。
壬申戸籍はさっさと焼却するなり、裁断するなりして廃棄すべきだ。
正攻法で行くからだろ
社会は綺麗なことや正しいことだけで出来てない
むしろ汚いことがまかり通る世界だっつの
66 :
日本@名無史さん:2008/03/25(火) 23:36:11
そんなヤバイもの、あえて保管しておく意味はあるのか?
さっさと廃棄した方が世のため人のためだろうに。
大多数の人にとって別にやばくもなんともない
>>66 ああ、なるほど
お前にとってはやばいんだなw
69 :
日本@名無史さん:2008/03/27(木) 10:20:17
余談だが三菱財閥だって元々は行商の家系だわな。
どこも商人じゃね
一応家に残ってる資料では、13代分の生没年と名前が伝えられてたな
といっても、終戦時に進駐軍に本家の蔵の中身持ってかれたとかで
どこかで教授やってる親戚が必死に調べなおしたものらしいが。
親戚が捏造したって線もあるぜ
本家は600年近く神主してるらしいからなあ
流石に捏造するなら13代なんて半端にはしないと思う。
うちは確か400年で13代ぐらいあった気がする
>>73の家が長生きなのか、うちが代がわりしすぎなのか
いや、それ以上前の人の生没年とか分からなくなってるだけ。
神社建立がいつだとか、そういうのは伝わってるんだけどな
神社なら600年なら新しい方。もっと古い記録が残ってるはずだよ
戸籍の記録が残っているとしたら…確か庚午年籍は全国的な公文書だったはず。
78 :
日本@名無史さん:2008/04/16(水) 10:20:13
自分の妹の旦那の実母は何親等?誰か教えて!
思いっきり他人じゃん
80 :
天皇さま:2008/04/17(木) 12:36:48
age
81 :
日本@名無史さん:2008/04/29(火) 15:10:56
競走馬のような血統図あれば面白いかもしれないと思った
うちの母方の祖母(今年で70過ぎくらい)はお墓新しくするとき役所で除籍謄本貰って
先祖を調べたが、文政生まれの人までさかのぼれたぜ?
何代前?
>>83 おいらから数えて祖母の祖母の祖父が家長だったので、7代前か。
名前だけならば、そのもう一世代前まで判明してた。
よく考えたら、除籍謄本さえ破棄されてなきゃ
若いヤツは5代以上遡れやすいんだよなw
あたりまえだけど小学生低学年の5代前と80代の5代前じゃ相当違うわな
87 :
日本@名無史さん:2008/05/19(月) 03:26:48
あげるね
>>85-86 だから、次はスレ名変えなきゃ駄目だよ。
てゆうか、いらないけど‥‥
89 :
日本@名無史さん:2008/06/23(月) 19:35:09
父方 武門橘氏嫡流。平安時代初期より、北面、随身、滝口などを歴任。
母方 大友家臣団。将軍。大和大三輪氏族、大神部直の末流か?
90 :
日本@名無史さん:2008/06/23(月) 20:26:39
92 :
あ:2008/06/23(月) 21:03:16
なにが庄屋くらいですか
こんな雑魚一家 庄屋にしないでくださいよ 気持ち悪い
庄屋はどれほど名門かまだわからないのかよ
93 :
大室靖一:2008/07/01(火) 18:39:19
高校時代の現代社会知らないやつ大杉。
「6代前までが親戚」って高校で習わなかった?w
95 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 11:21:04
墓参りに行ったことがない
>>63 うちの田舎の墓石は江戸時代の初期まで読み取れるよ。石の違いかな。
石もだけど気候風土によって違うね
温暖で多湿な地方は保存状態がどうしても悪くなる
うちのお墓も苔だらけ
98 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:47:13
父方も母方も明治初期の曾祖母までしか分からん
子供の頃に亡くなった明治37年生まれの祖母に話を聞いておくべきだった
御旗本の家系でも後期から幕末・明治にかけて系譜が曖昧なんだよな
100 :
大室靖一:2008/07/14(月) 14:05:30
100
101 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 15:16:06
1200年くらい前のご先祖様がわかる家ってレアですか?
○○麻呂って名前なんですけど。
うちの一族で一番の有名人が、一遍上人...
微妙すぎる家系だから、捏造ではないだろう
河野氏なんか騙っても、メリットないだろうし...
104 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 20:25:15
>>96おそらく後の時代に作り直したものだろう。江戸初期だと今のお墓とは
形態が異なる。
105 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 21:23:26
慶応4年没の先祖の五輪塔が
急ごしらえだったのか、軟質の砂岩で出来ていて、
風化が進んで倒壊の危機にあります。
(その前の代のは御影石製でしっかりしているのですが)
やはり、新しく作り直すべきでしょうか?
捨てちゃダメ
107 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 06:28:59
幕末に五輪等とは珍しい。
108 :
105:2008/07/17(木) 00:04:32
>>106-107 ありがとうございます。
なるべく大切にしたいと思います
幕末の五輪塔は少ないのですか?
いままで、気にも留めていませんでした。
ご教示有難うございます。
祖先がわからないのはしかたない。
問題は子孫がわかるようにどうやって記録を残すかだ。
110 :
日本@名無史さん:2008/09/03(水) 17:14:45
僕んちは平安時代に帰農してからずっと同じ名字を名乗ってるよ。
途中の記録は曖昧だけど江戸時代の家計図に書いてある。
家計図というと、江戸時代の食費や交際費が書かれてある図ですね
112 :
日本@名無史さん:2008/09/04(木) 00:55:42
江戸時代の家系図ほど怪しいものはありませんよ。
俺の家は父方が久保田藩士。
曽祖父が第五師団で日露戦争に従軍した。
祖父は太平洋戦争でインドシナに行った。
母方は安政年間〜昭和30年代までささやかな呉服屋さん。
我が家の家訓は「借金の保証人」になるな。
114 :
日本@名無史さん:2008/10/01(水) 10:58:59
江戸の後期に九州から流れてきた小川ってのが及川の家に世話になって養子を貰ったそうだ。
それがうちなんだが、この場合は俺は小川家を調べればいいのか及川家を調べれば良いのか・・・
流れてきた奴が一応こっちの初代と言うことで良いのか。
墓石はそこからスタートしてるな。
曾婆さんが明治生まれで(今は亡くなったが)イロイロと小川家についても教えてくれたんだが。。
家紋は桔梗紋なんだが、九州小川家の分家ということなのかね・・・
江戸時代に流れてた奴のことまでは調べられねえよなぁ
一応ちらっと調べる限り、及川は及川で戦国時代の初期までは武家だったみたいだが。
母方は戦国にはいる前に帰農した武家らしいな。
仕えてた殿様の神社の管理を最近までしてたらしい。
115 :
日本@名無史さん:2008/10/01(水) 23:56:01
原爆で菩提寺があぼーん。県の戸籍は疎開させてたから5代前まではわかる。
116 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/10/02(木) 00:08:58
>>112>>111ほか
家系図なんて今でも作られてるよ。江戸時代に作成されたように見えるのもあるし。
巧妙なのはそういう家系図はそっと同姓のちょっとした名家につながるように細工されてたりする。
偽系図はあんまり欲張らないで控えめに作られたりするwいかにも本当っぽいからねw
当の子孫とか偽系図を作った奴の(偽ということを知らない)子弟はバカだから鵜呑みにする。
彼らに科学的実証的精神など期待しても猿に知性を求めるようなもんで仕方ないからね。
名家の家系図ですらインチキがあるからな。
江戸時代につくられた家系図がある。
先祖は平清盛。
いくらでつくらせたのやら。
そう祖父(県議会議員)の従兄弟が総理大臣
高祖父は士族(250石)
墓(我が家は分家)は8代前まで名前が書いてある。
本家は関ヶ原の鎧や刀、大藩の殿様から貰った徳川家紋入りの道具など文化財多数。
120 :
日本@名無史さん:2008/10/03(金) 06:08:21
祖父の母の実家に跡継ぎがいないため
次男である祖父が戸籍上高祖父の養子になっていたのだが
流行病で長男が死んで姓の違う実の子供が育ってしまった
既に高祖父は死んでおり祖父が戸主になっていたので復籍できなかった
そのため男系で繋がる家は絶えてしまった
121 :
日本@名無史さん:2008/10/03(金) 06:30:05
5代どころか50代前までわかるよ。
122 :
日本@名無史さん:2008/10/03(金) 10:25:19
文化文政生まれの5代前が古い戸籍でわかった。
じいさまに聞いたら、尾張藩中級士族出身で名前も
変わってないので江戸初期までは簡単にわかるそうな。
代々の墓は名古屋市東区の古い寺にあるらしい。
尾張藩士末裔の人、だれか調べたことある?
123 :
日本@名無史さん:2008/10/03(金) 20:46:05
今時の東宮家の家系図はウソ
誰を養子、養女に出したとか隠ぺいのオンパレード
124 :
日本@名無史さん:2008/10/03(金) 20:50:01
大室系被差別部落の家系図というか人間図はおもしろい
被差別部落子孫を守る国家権力とかも
メーソンの成就社会ということでOK?
125 :
日本@名無史さん:2008/10/04(土) 07:26:12
537 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 11:33:33
まあ、日本人の9割は先祖代々小作人だろ。
残り1割で3,4分が侍、残り大多数が足軽程度の軽輩で
又、その残りが庄屋や旧家と呼ばれる家。
126 :
日本@名無史さん:2008/10/04(土) 12:18:39
5代前は〇衛門。
平安中期に赴任して居心地よかったらしくそのまま滞留(日記ありw)し地方豪族化
系図もしっかり残ってるしその地方のことを記した平安鎌倉室町期の文書にも
よく「家」としては出てくる
ざっとでおよそ1000年は遡れる
が・・・日本史的にみても地方史的にみてもまるで「これはなかなか」といった業績を
残してない
ただの一人もただの一度たりとも@@;
父曰く「千年無駄飯食ってきた家系だから何かをがんばるとか向いてないぞ」
128 :
日本@名無史さん:2008/10/06(月) 01:24:32
>>122 愛知県内の図書館に行けば分かると思うけど。
尾張藩の分限帳(着到帳)を置いてあると思うよ。
その中から氏名を探せば簡単です。
129 :
日本@名無史さん:2008/10/08(水) 19:41:15
>>128 122です。ありがとうございます。
その後色々調べたら、東京の徳川林製研究所にも
その類の本が数冊あるとのことなので、調べて
みます。ググってみたら当方の姓がきちんと出て
いましたので、簡単にわかりそうです。
公職持ちや町人は分限帳他で割と簡単に調べがつくからいいよね
水呑みやそれ以下の子孫は名前も苗字もほぼ残ってないだろうから先祖調べは難しいだろう
まだ子孫を残せた小作はまだましだろう。
部屋住みで子孫すら残せない次男、三男もたくさんいるからね
戸籍がデータベース化されたこの先の未来は、消したくても消せなくなるんだろうな。
132 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 11:58:44
>戸籍がデータベース化されたこの先の未来は、消したくても消せなくなるんだろうな。
無駄なスペースをとる戸籍。
それを80年経つと即刻消せるよう管理してくれるのが
中途半端に導入されたコンピューター。
これが現状。
いざデータベースを作ろうったって、たいして遡れないんじゃないの。
うち、元々は戦国大名だから、家系図が全部残ってるんだけど
かなり早期に負けて、今の地に移ってきたもんで
辿っても辿っても百姓ばっかり...
>>131 今の流れからいくと、そのうち見たくても見れなくなるよ。
苗字が違う家(母の苗字)のを請求すると、曽祖父の除籍謄本ですら
窓口で3人くらい集まって「これ出せますかね?」「どうします?」とか相談し始めるからな。
日系ブラジル人にはあっさり出してくるのにな。
136 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:11:04
墓の登記とか明治初期のままのことが多し田舎の土地も使い道の無い山林なんて
放置状態だからね。後々を考えると廃棄は現実的には無理でしょ。
137 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:43:12
>>136 甘い。
廃棄証明しかもらえなかった。明治のですら。
財務省かどこかに保管されている分は別だろうけど
誰も見られないっていうし。
138 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:58:06
正直、明治時代の戸籍なんかさっさと廃棄してほしい。
あれこれ調べられて晒されたらイヤな人だっているだろうし。
電子化したら日本人全員の戸籍もハードディスクひとつじゃないのか?
たいした情報量じゃないだろうし。
winnyとかに流出しそうだな
140 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 23:18:24
あれこれ調べられて晒されたりしないように法律が厳しくなっているよ。
今年五月にも変更があったしね。
保管されている分は身分が書き込んであるせいらしい。
それなら仕方がないけれど
(2chのレス見てもエタだ大陸人だ下級武士だと罵るバカが多いから、反論できないよ)
身分以外をデータベース化して公開してほしい。
ただ、それには膨大な人件費が必要だろうし
保険庁みたいな入力ミス問題も起こりかねないから
あまり期待はしていない。とても残念だ。
141 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 23:33:41
>保険庁みたいな入力ミス問題も起こりかねないから
身分表記間違えちゃったりして・・・
142 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 23:40:06
イギリス系日本人わたしがきますか
保険庁クラスだと、戸籍偽装、入力ミスなどなど情報のほとんどがウソになりそうだな…
144 :
140:2008/10/23(木) 22:38:26
>141
身分表記なんかしないに決まってるでしょ。
そのせいで公開しないんだから。
曽祖父が長命だったおかげで、曽祖父の曽祖父(天保生まれ)までは遡れた。
この系統は大した家じゃないが。
146 :
日本@名無史さん:2008/10/24(金) 20:09:28
じゃ、大した系統は明治に興った系統?
147 :
日本@名無史さん:2008/10/27(月) 06:37:13
デジタル化すれば入力ミスなし
148 :
日本@名無史さん:2008/10/27(月) 14:02:27
まかり間違っても高貴な血統じゃないんだろうな。
曾祖父の代までなら父方は知多半島の漁師、母方は美濃の農家。
これくらいしか分からない。
149 :
日本@名無史さん:2008/10/27(月) 15:05:20
戸籍調べてすごい可愛い子と血縁関係とか発覚したらいいのに
150 :
日本@名無史さん:2008/10/27(月) 17:02:41
ご先祖がどうだこうだと知りたい人は夢があって幸せだよ。
うちなんか大藩の家臣で明治は士族の家なんだけど今では見る影もないよ。
祖父が大正末期に一旗挙げようと田畑を売り払い満州へ渡り結構財を得たらしいが
敗戦で無一文。故郷へ帰っても住む家さえなかった。
子孫の俺はただの人!ご先祖に申し訳ないよ
>>147 デジタル化して、入力ミスと改ざんばっかりの社保庁だったんだよ…
152 :
日本@名無史さん:2008/10/28(火) 15:48:38
>>150 ご先祖さまに申し訳ないと思う気持ちがご先祖さまへの一番の供養です。
153 :
日本@名無史さん:2008/10/28(火) 16:35:59
大藩の家臣だの士族だの、さりげなく自慢してるだけだろ。
先祖代々、名もない水呑み百姓で、明治以降も貧乏人のままでパッとせず、
調べても何にも出てこない大多数の家の人間はどうなる?
>>153 >先祖代々、名もない水呑み百姓で、明治以降も貧乏人のままでパッとせず、
調べても何にも出てこない大多数の家の人間はどうなる?
明治以降の旧士族が経てきた自慢でもなんでもない実話や苦労話を聞いても
>大藩の家臣だの士族だの、さりげなく自慢してるだけだろ。
と、いかにも下賎の出らしいひねくれた受け取り方しかできないようになります。
155 :
日本@名無史さん:2008/10/28(火) 16:59:42
ひがむな。本音だから!
156 :
日本@名無史さん:2008/10/28(火) 17:14:25
ていうか、水呑み百姓→小作人か肉体労働者→安サラリーマン
みたいな家系がほとんどだろ。そりゃ、士族とか庄屋にひがむわな。
157 :
日本@名無史さん:2008/10/28(火) 17:20:20
庄屋は元々農民です!
農民代表者であり農村の頭であり
大名行列の際には宿泊施設として利用可能
戦の時は庄屋からは出さず農民から数人出す。
庄屋は武士ではないので刀は差さない。
158 :
日本@名無史さん:2008/10/28(火) 17:26:42
>>151 スマ祖。デジタルギャラリーが使っている画像化技術を云いたかったんだが。
159 :
日本@名無史さん:2008/10/28(火) 17:32:29
庄屋が農民といっても水呑よりはマシだろ。
160 :
日本@名無史さん:2008/10/28(火) 17:36:38
戦前の総理大臣のひ孫です 今は自宅を警備してます
161 :
あ:2008/10/28(火) 17:44:37
>>150 チャンコロ乙
>>157 おまえバカだろ?庄屋は江戸初期 どのような家が庄屋になったかいってみろや
土豪豪族地侍戦国大名上がりがみんな関東の庄屋になってんだよぼけが
また江戸初期 譜代家は藩士の上級武士には庄屋クラスの有力者を希望性で城下に登用してんだよ
で、下級武士だのといわれてる、江戸時代では武士扱いされてない卒や足軽は、出自は小作だろがぼけ
庄屋は刀もってないだ?名字対等が許されてんだよ庄屋は。さらに家老クラスの屋敷や門構え、書院ずくりに蔵まで許されてるのは一部の家老と庄屋だけなんだよ低農
また江戸初期 庄屋になるには上士から帰農しなければなれない。
中級武士の次男三男は 武士やめても庄屋になれた例なんかねえぞこら
なにが庄屋はたかが農民だよ たかが中級武士以下と 由緒や財産や土地までどれほど違うんだかいってみんかい!
滅亡大名家改易大名家が下級武士等になった
162 :
あ:2008/10/28(火) 17:45:49
滅亡大名家改易大名家が下級武士等になったのいるんか?
これらが庄屋になった例などくさるほどあんだよこら
勉強しろよぼけ
163 :
あ:2008/10/28(火) 17:55:00
>>157 そう 庄屋は大名家本陣にもつかわれる 格式
で 下級武士や 卒クラスが 大名家と謁見できてたなんてきいたことがねえよ
現実見ろよばか
164 :
あ:2008/10/28(火) 17:58:13
>>159 ふざけんじゃねえよおたんこなすやろう
今の首相 麻生家も庄屋だぞこら
江戸器以前は 宇都宮家支流の戦国大名だぞぼけが
また 麻生から遡ること十代以内の総理で庄屋家は何人いるとおもってんだよたこ 約半数だぞ屑が
現実おもいしれよぼんくらが
漏れの祖先は庄屋をしていますた。
庄屋の記述の中に"帯刀御免"と書かれていますた。
"帯刀御免"とはどんな意味でしょうか?。
〉幕藩体制での名主(庄屋)は、ふしぎな存在だった。
〉士農工商でいえば農なのだが、晴れの日には、大小を帯び、武士の姿をする。むろん、姓も公称した。
〉しかも屋敷たるや、小藩の家老屋敷のように大きく、土塀をめぐらし、長屋門などをかまえていた。門を入ると玄関があり、式台があり、また、座敷は書院造りだった。(ただの百姓は、門も玄関も書院座敷もゆるされなかった・・・中略)。
〉そのような容儀からみれば、庄屋(名主)どのは立派な上級武士である。しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである。
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
ttp://www.kurikomanosato.jp/to-siba14-edo.htm
うちの藩だと、大庄屋やってた家が江戸期に旗本家と正式婚姻してるよ
御三家当主をお迎えして歌会とか開いてたしね。
下級藩士と大名では同席とかはできないけど、庄屋と大名では主従関係がないからか
割とフランクにつきあってたみたい。
身分序列も明治の学者が勝手に作ったもので、実は士農工商という序列ではなかった
ってのが今の日本史の見方だよ
坊主か茶の湯の師匠と似たような扱いってことだろ
>>165 普段の生活で帯刀するのを許されてるって事だ
御免にもいろいろあるからググって調べてみると面白いよ
171 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 15:30:02
だいたい 武家は武士だなんて思ってる奴 ばかじゃね?
足利器までの武家なんて全国に三百家くらいだろ
一県に四家くらいだ
あとはぜんぶ 庄屋に江戸器になっていったような家が戦国器に武士になってんだよ上級武士によ
だいたい足軽は 当時応仁の乱で混乱期に乗じて 小作や無宿 渡世人のようなあぶれた人口が、武士の死体から武具かっぱらって暴徒化盗賊かしたものを
信長などが常備群として下級武士にしてったものだぞぼけが
代々庄屋に江戸期になってる家の応仁期あたりは、大体が地侍や土豪、裕福な豪農がほとんど。
だからよほど下級武士より庄屋は出自は名門。
そもそも徳川譜代家はほとんどがこれら地元の地侍だったやつらなんだよこら
榊原や鳥居 本多などは三河の地侍だったやつら が大名になった。
しかし関東や東北に代々地侍だったやつらはほとんどが庄屋に帰農された。希望すれば江戸初期、騎馬武者クラスの上級武士として城下に移された。
172 :
171のつづき:2008/10/29(水) 15:38:29
じゃあ地侍くらすがなぜ武士にならず庄屋に帰農したやつがめちゃ多いのか疑問なんだろ?
当時 武士なんて別に支配者ではない
土地を多く持つものが荘園領主たる支配者かいそうだった。
さらに武士を選択する場合、庄屋クラスは土地はかなりの面積を保有するが、これらはほとんど没収され、でかい屋敷も差し押さえ。
それで城下の官舎に住まわされる
ようは、町一番の金持ち社長【庄屋】が、自衛隊に入れば大佐にしてやると言われ、財産屋敷車全て国に没収されて官舎に住まわされても大佐になる・・
といった感覚だ
だから関東の庄屋層の出自は ほとんどが豪族や滅亡大名家、またその有力家臣団、地侍などの名門だらけ。
武士は生まれも育ちも武士あがりとか、ばかじゃねこいつら?W
庄屋層のほうが近世武士よりよほど中世名門出自だらけだぼんくらが
勉強しろよぼけが
173 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 16:30:13
>>172 近世武士にも鎌倉、室町以来の御家人、奉公人なんてザラにいるがな。
だいたい戦国期の負け組は庄屋で勝ち組が武士になったって感じ。
174 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 16:53:13
470: 2008/10/20 10:43:17
自分から進んで百姓になったのに、逆恨みして自分の家が家格が上だなどと
寝言をほざく馬鹿。
175 :
あ:2008/10/29(水) 17:09:27
>>173 じゃあ武士ってなんですか?どの階層の武士が勝ち組枠なんですか?
例えば下級武士と現代で言われている、江戸期には武士と認められてなかった卒と足軽以下でも勝ち組なの?
こいつらは家すらなく、苗字すら持たされてない例も多い。また着る服すらBと同じで制限され、また身分保障なんてまるでない契約社員の身。
また給金生活なんて名ばかりの超ピンハネ無賃奉公人。やってる副業はエッタ避妊と同じ川剥ぎや傘張り、死体処理や土木
家中扱いもされておらず藩の分限帖からも除外されている。
また下級武士といわれるこれらの次男三男は例外なく町人工人になっとる
また代々世襲的身分が保障されてさえおらず、刀も武光がかなり多いのが現実
176 :
あ:2008/10/29(水) 17:23:47
また庄屋は、屋敷は家老なみに大きく、四足門 長屋門 蔵 書院ずくり 馬 などは上級家老クラスに許されている唯一の身分が庄屋。
また着る服も上級武士と同じ服が許されていたのも庄屋のみ。
また土地、財産、に至っては家老クラスどころか旗本クラスがほとんど。
出自は地侍や土豪、旧大名家家臣団がほとんどの名門。
地方藩では在地代官に任命されていたのはほとんどが庄屋。
村の支配者である庄屋の役は、
村という知行地の
裁判権 警察権 裁量権 税収徴収権 税率改定権 商業登記権 斡旋仲裁権など 村という知行地の大名。
農家といっても別に畑を耕すのではなく 小作を多数抱えた五十人扶持くらすの旗本並み 。
苗字対等もゆるされたり、 大名家本陣になっていたり、一揆を藩命により大将として討伐任命されたのも庄屋。
庄屋の蔵には武具甲冑だらけ。
晴れの祭りごとの際には武士と同じ装束まで許されるほど。
歴代首相は庄屋だらけ。勿論麻生も。
177 :
あ:2008/10/29(水) 17:32:08
どっちが勝ち組ですか?
どっちが偉いんですか?
きちんと現実みて調べて述べろよ
水戸黄門ばかりみて 今現代の偽りの武士像に洗脳されてないで 歴史ガすきならきちんとした現実の実態のもとに評価しろや
どいつもこいつも 武士という名前のかっこよさにばかり捕らわれ 現実がまるで見えてない
この屑どもが。 庄屋=上級武士というのが現実なんだよぼんくらが
178 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 17:43:11
ハリウッド映画
『THE LAST SHOYA!』
(笑)
179 :
あ:2008/10/29(水) 18:34:19
それは固定観念だろ
日本人からしたら武士という響きすら格好いいんだろうが、外人からしたら庄屋も武士も呼び方なんて同じだ
それに庄屋という響きのなにがおもしろいんだこら サムラ〜イだってたいしたことねえだろ
庄屋はなんでどいつもこいつも見下すんだ、こんちきしょう
庄屋は実際かなりの上位支配者層なのによ 現実みろよ 呼び方バカにしてんのは固定観念だろ 武士なんて外人からしたら庄屋とかわんねいよ
180 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 19:01:30
>>179映画「夜明け前」
滝沢修 乙羽信子 (1953年)
庄屋・問屋目線での幕末〜明治の映画
庄屋は役人所行く時も刀など差して行かなかったぞ!
庄屋は元は農民・本陣・問屋・庄屋
宿場町
農村街道沿いにあり
時より大名行列の宿泊施設として大名が泊まる。
戦の際は本陣問屋庄屋主からは出ず
武士の命令により百姓や農民から数人出す習わしである。
明治に入り庄屋問屋廃止された。
庄屋は俵勘定係と大名や治なり時世
庄屋の先祖農民だぞ!
農村の頭ではあるが武士ではない。大名家宿泊先が
181 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 19:03:48
庄屋先祖は農民だぞ!
刀など差さないよ武士じゃないから
江戸時代は 庄屋 問屋 町人は刀差
さない武士ではないので
182 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 19:08:15
>>175 だから、勝ち組の土豪が武士になり、負け組の土豪が士分から立ち退いたと書いてんだよ。
武士の子供が庄屋になったり、庄屋の次男三男が藩士になるのも多いんだが
あのあたりの層って結構流動的だよ
184 :
あ:2008/10/29(水) 19:41:05
185 :
あ:2008/10/29(水) 19:43:01
またさらに 塩爺こと塩川清十郎の家は 本家が庄屋。分家は直参旗本家が二家
なめんなよ庄屋を
186 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 19:45:04
>>184 庄屋の結果、武士ではなく先祖は農民です。
庄屋は農村の頭であり棟梁ではありますが、残念ながら武士ではございません。
187 :
あ:2008/10/29(水) 19:47:34
だったら下級武士や卒も武士じゃないだろよ
188 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 19:56:14
>>182 旧今川領だと幕府奉公人の国人が滅ぼされて寄子になり、江戸期に庄屋になったのと、
同族でもすぐに今川に従って士分になり、江戸期は御家人や陪臣になった家の二つに別れてるね。
二俣城の寄子のリストにも在地の幕府奉公人国人だった家と同じ名字が蔭山を筆頭に結構あるんだよな。
>>183 それも多いね。特に養子のやりとりならけっこうあるよね。
189 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 19:57:00
武士は食わなくと高楊枝
下級武士の先祖は足軽です。
庄屋の先祖は農民であり農村暮らし
街道面した庄屋
の屋敷は
殿様参勤交代など宿泊施設になる。
庄屋は農民の頭であり現代でいえばホテルオーナーや農民会社て訳です。
武士ではないので農民頭である庄屋は戦は参加しません。
190 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 19:58:00
武士は食わねど高楊枝だろ!
191 :
あ:2008/10/29(水) 20:06:39
>>189 だからまず勉強してからほざけっつーの
江戸期の一揆討伐は庄屋が筆頭に征伐してんだよ
まず勉強しろよ
192 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 20:14:21
>>191 藩による役人など征圧を頼むだけで庄屋だけではにもできないだろ。
一揆抑制など庄屋だけで征圧はできない。
一揆など会社のストライキと同じ
農民や庄屋が武装しても農具での武装か竹槍ぐらいだぞ。
193 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 20:28:43
>>183 江戸時代初期限定でもそれほど多くないと思うよ
194 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 20:32:32
ハリウッド映画
『THE LAST DONBYAKU-SHOYA!』
(笑)
195 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 20:47:52
>>191 >江戸期の一揆討伐は庄屋が筆頭に征伐してんだよ
百姓の問題はおなじ百姓どうしで解決しろ ちゅうことだよ
196 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 20:58:00
>>195 征圧するほど時間ない、数多い農民がよく庄屋を潰してたよW
会社も同じだが、農民の頭である庄屋としての問題だからな。
元農民の庄屋も百姓の気心わかる庄屋なら何もない。
百姓に分配せず横領する庄屋が潰されただけだ。
うちの場合は元農民じゃないなあ
関ヶ原で西についた主君が負けて帰農して庄屋になった
落ちて配下になったから、元々その土地の人間でもない
まあいろいろパターンがあると思うよ
>>193 ググってみそ。初期に限らずけっこうあるよ
200 :
日本@名無史さん:2008/10/29(水) 23:50:52
>>169さん 有難う御座いました。
実は漏れの祖先も庄屋から武士に成りますた。
記述が残っています。
203 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 00:09:48
ガスだね
二行も空けんなよ。
206 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 00:34:10
身分低くても武士は武士
庄屋は農民
まさに。
208 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 00:39:45
209 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 00:46:14
〉幕藩体制での名主(庄屋)は、ふしぎな存在だった。
〉士農工商でいえば農なのだが、晴れの日には、大小を帯び、武士の姿をする。むろん、姓も公称した。
〉しかも屋敷たるや、小藩の家老屋敷のように大きく、土塀をめぐらし、長屋門などをかまえていた。門を入ると玄関があり、式台があり、また、座敷は書院造りだった。(ただの百姓は、門も玄関も書院座敷もゆるされなかった・・・中略)。
〉そのような容儀からみれば、庄屋(名主)どのは立派な上級武士である。しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである。
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
≫しかし身分は藩の徒歩よりも下なのである
ttp://www.kurikomanosato.jp/to-siba14-edo.htm
210 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 00:48:19
身分が低い上に捏造は捏造。
妖怪の時代はとっくに終わりました。
清澄の 空から見えし カラ国の
遅れし者は サイシュウに届かず
211 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 00:50:10
>>208 まあ、徒士より身分が低かろうが、こんなボロボロの長屋に
住むより庄屋や豪商のような邸宅に住んで豪勢な暮らしを
する方がよっぽど良いね。
大名ならともかく、足軽に憧れる奴はいないだろ。
まさに
213 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 00:54:17
カスだね
>>192 >農民や庄屋が武装しても農具での武装か竹槍ぐらいだぞ
それは時代劇等で見られる虚構の世界。
竹槍や農具を持って一揆を起こすのは、領主に対して抵抗の意を表する
形式的なデモかストライキみたいなもの。
実際の農村には刀も鉄砲もかなりの数を有していた。
216 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 01:37:18
庄屋の家には普通に壁に槍やら長刀やら立て掛けてあるのをみかける
217 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 01:42:19
武士と百章のである庄屋では住む世界がちがうんだよね
218 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 01:51:05
>>216 現代なら、ヤクザ家に拳銃置くような物。
銃刀法違犯であるが
何故か拳銃所持するヤクザ
骨董自慢とか見せ掛けな物であり。武家の文化が流れ江戸時代では豪華な暮らしはしていただろうがな
結局、庄屋は農民
220 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 01:56:19
>>218苗字帯刀がゆるされてる旧家の庄屋はヤクザの違法銃刀とは違うでしょ。それに法条家家臣団などが帰農した庄屋などは立派な武具を所持してる
>>218 江戸時代に銃刀法なんて法律自体が存在しないのだが。
武士に限らず町人ですら一本差ししてた。
下級武士はたった2間の猫の額みたいな長屋に住んで、
毎日のお飯にさえ事欠く極貧生活。
もちろん長屋には床の間もなければ書画骨董を買う財力なんてありはしない。
下級武士なんぞは小作農の二男、三男から取り立てられたものが大半。
中世の豪族いらいの系譜を持つ庄屋と、家系図もなく3代前の素性すら
分らない下級武士とでは格が違う。
どうあがいても下級武士は「土民」以下の下層民。
222 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:06:14
庄屋じゃなくても銃・具足・刀剣類等の武具くらい所持してるから庄屋に限った話じゃないね
大量に持ってたのは質屋かな
うち庄屋の家系だが戦前までは武器蔵があり刀剣、槍、拳銃等あったが
戦後警察が来て根こそぎ持って行ったらしいが・・・今あるうちはどうしたの?
224 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:14:33
土に埋めて隠しましたw
225 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:15:34
>>223 拳銃か骨董品にしては珍品だな。
拳銃か・・・・
ナチュラルな農民ですね!
害獣駆除用の名目で農民は火縄銃を常備していたからな…
今でも農家の納屋から出てくる。
227 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:17:52
何でも溜め込んでいかにも百姓らしいw
228 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:19:13
>>226 ひひ火繩だと! 骨董品にしては珍品過ぎる!
家宝にしなさい。その時代火繩銃など持つ武士はいないし 珍品中の珍品!
229 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:25:45
農家から出る火縄銃は刀剣に比べると価値が評価されないから家宝ってほどには・・・
ちゃんと警察に届けて教育委員会に登録しろよ
230 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:30:50
普通に庄屋でも甲冑も江戸期から所持してたのなんて腐るほどいるし・・・
231 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:35:04
>>230 江戸時代骨董市とか売られたからな。
買えるほど懐が厚かっただろう。
名品かもしれない骨董商見てもらえ!
232 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:37:34
農村は時が止まってるからなー
都市部と違って。
土地も無尽蔵にあるし
それに百姓特有の性質も加わって、歴史の過程で手にしたものがいつまでも残る。
233 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:38:04
骨董商なんて信用できない。大体が出所の家の由緒と照らし合わせて信憑性を決めてるのが大半。名家の旧家庄屋武家所有というだけで、偽物も本物とされる
234 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:44:49
>>223 回収に来た人がこれは良い物だから隠しときなさいと言って持ってかなかった
鑑定団に出せばいいよ
庄屋のお宝に間違いなしって言われるほど、必ず本物だしね
236 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:46:30
農村 農民である庄屋の家には骨董品や珍品あるかもしれない。
骨董市で買った品だろうけど
貴重な珍品かもしれない。
237 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:52:27
庄屋の先祖は元農民だが、珍品や名品あるかもな!
江戸時代の骨董品市とか質屋とかに横流しされた品を庄屋が買ったかまな!
238 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:54:53
庄屋代々農民だが豪農である。
裕福な庄屋なら珍品の火繩拳あるかもな!
>>236,237,238
朝から精神病院へ行くといいよ
3レスも同じこと書くってかなり異常だ
240 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 03:03:26
火繩拳が見たい一心だよ!
241 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 03:04:56
庄屋に限らず百姓の家ってのはお宝、珍品が以外とあるものなんだよ。
戦後まもない頃は東京など大都市に住む良家なんかでは、まるっきり食うための手段を奪われて、その日の食料にも事欠く有り様になった家も多い。
そんな時に家に伝わるお宝、珍品、それに高級な反物などを持って農家に行き、米やその他の農作物と交換してもらったのだ。
明治期やさらにそれ以前にも、その時々の情勢に合わせて同様のことがあっただろうことは容易に想像がつく。
242 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 03:16:55
>>232 田舎でも場所によりけりだ。本当に田舎だと家屋敷まで江戸期そのもの。住んでる人間も雰囲気もまるでかわらない。多少違うのはアスファルトと標識があり、たまにトラクターが通るくらいで、本当に変わらないところは変わらないな
243 :
日本@名無史さん:2008/10/30(木) 13:18:25
戦後なら拳銃は没収されて当然だろw
田舎行くと本当に時が止まってるよな
町並みは昭和初期あたりのまんまだし、山の方の道へ少し逸れると
江戸時代、いやもっと前から変わってないんじゃねって感じだ
未だに屋号で呼んでたりするしね
江戸時代の農民は、とやかく理由をつけて武装していたからな…
だから細かい一揆でも厄介だった。
害獣駆除の火縄もそのひとつ。
虐げられた農村のイメージは、左翼史観だよ
または、農民ではなく小作の世界観
地域によっては土地が豊かなところと貧しいところもある。
同じ庄屋でもピンきりだよ。
>>225明治初期に東京に行くとき峠峠で追いはぎが出るためもって行ったらしい
247 :
日本@名無史さん:2008/10/31(金) 19:55:37
今必要とされている人材は今川義元タイプ
武士の誉れを再興し大衆の幸せに結びつかせること
先祖は名主だったので建物が文化財として残っていて1800年までは簡単に遡れた
そこから前がはっきりとしない
飛んで1600年〜名主で同じ苗字の一族が、近くの地域(1800年の)にいるんだが、これは何か繋がりがあるかなぁと...
どちらも近い地域で発展している
これって繋がりがあるかね?
庄屋って遡ると地侍だったりというが多いらしいのな
祖父の叔父は先祖でいいの?一応いいだろ
大庄屋と庄屋は違うの?
>>250 大庄屋は数か村から10数か村の範囲を管轄する役職
近隣数か村の庄屋家々のトップみたいなもんかな
>>248 一見関係ない地域から情報が出る場合もあるよ。
うちの場合は、700年前の米の受取書がはるか遠い伊勢から出たし。
200年前には隣の村だったとおころの神社の創建者として名前があった。
区の郷土史の対象になるから、勝手に調べてくれたんだけどね。
米のやり取りだと場合によってはかなり古い情報ものこっているんじゃないかなと。
寺や神社関係から出やすいよ。古記録がたくさん眠ってるから
総代とかじゃないと見せてくれないかもだけど
あと、何代も前の親戚の家に面白い文献が寝てることも多い
ただ昔のみみずのような字が読めないと豚に真珠だ。俺がそうなんだけどなw
身分の高い旧家ってお寺さんとの繋がりが強いんじゃないですかね。
身分どうこうというより地主なんかは自分の土地内に神社を建てることは多々あるよね
神社はセレブの基本ですからね。
どこの書き込みかは忘れたが。
神社絡みで個人情報を晒しまくっていたことに気が付いていないツワモノがいたな。
確かに神社は日本のセレブだが。
最初2行と最後の行に繋がりが感じられないんだが
>>180島崎家は苗字帯刀許されてるだろ.小説のなかに記述あり・
261 :
日本@名無史さん:2008/12/11(木) 16:40:21
ねあげ
262 :
日本@名無史さん:2008/12/11(木) 17:42:47
古い帳簿
神社や寺に保管されてます。
関東で、爺さんの時何十年か前に、墓を土葬から骨壷式への建て直しで、
墓碑を作り寺の過去帳で16代遡れた。初代は家康の入府ごろ
百姓で姓が無いのと何代か同じ名前を襲名してるわ
江戸時代のうちの先祖、当主は全部同じ名前なんだがwwwww
同じ名前の墓がいっぱいあるwwwwww
265 :
日本@名無史さん:2008/12/12(金) 01:59:42
うちの先祖も何代か襲名してる期間があります。
調べて見た鍛冶職人で結構有能だったみたいです。
266 :
日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:30:47
うちは代々土地持ち百姓だが、17代は確実に遡れた。
家紋から察するに元は中臣氏だろう。名字も中臣氏の連と一致するし。
父方の祖母はかなり裕福な庄屋のお嬢様だったとか。
267 :
日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:48:54
ちなみに、祖母の父は北陸の特定郵便局の局長をさらにまとめるポストで、能登島も先祖代々の土地だったそうだ。
破産して手放したけどね。
>>266 へぇ
れっきとした馬の骨百姓だったのか
>>268 うん。そうそう。
亡くなったおじいちゃんも「うちは由緒正しい農家だよ!」とか言ってたwww
270 :
日本@名無史さん:2008/12/15(月) 00:51:17
ほぼ確実な記録だと、平安末期まで辿れたけど、その先が分からない。
先祖は平安時代末期に京都から下って来て、以来800年以上も同じところに住み続けている。
271 :
日本@名無史さん:2008/12/15(月) 01:27:52
すごいじゃん
記録って過去帖かい
272 :
日本@名無史さん:2008/12/15(月) 11:57:16
>>271 家系図、過去帳、位牌、墓、古文書などです。
家系図は複数あった。
そりゃすごいな。墓、位牌っていつ頃からある?家系図はどんなに名門でも信憑性は薄いが
当時の勢力を計ることは出来る.いくつかあるようだが写し?それとも源氏、藤原等別々にある?
274 :
270-272:2008/12/15(月) 15:25:56
>>273 系図は嫡流、本家、分家などの分を含めて5通り程ある。一応、藤原氏(魚名流)末裔となっている。
その中の一つは、ご丁寧にも天児屋根命(アメノコヤネノミコト)まで遡って書いてあった。
この地方に下って来る以前(平安時代末期)の家系図は、教科書や歴史書に出て来る系図とほぼ一緒だ。
5通り程の家系図は、ところどころで違っている。多分写し間違いだろう。
家系図によると、嫡流とは安土桃山時代に分かれたことになっている。
↑の安土桃山時代に分家した先祖を祀った「塚」が今も本家筋の家の前に残っていて、
この「塚」を本家の人が今も管理している。「塚」とは別に墓もある。
私の家は分家筋だが、分家筋の家の前にはお地蔵さんがあるが、この地蔵を作ったのも
私の先祖。今も残っているので、分家筋の人が丁寧に祀っている。
他には、庚申塚が残っているが、庚申塚にも先祖の名前が刻まれてあるので、
家系図を参照すると、その先祖が生きていた時代を確認する傍証なる。
刻んである名前が読みにくい場合は、ペットボトルの水を掛けると、読みやすくなる。
墓に関しては、平安時代に下って来た先祖の墓まで残っている。
ただ、墓石自体は江戸時代のものらしい。江戸時代に墓を建立し直したと家系図に書いてあった。
古文書、手紙、庄屋日誌の類は家で保管されている場合もあるし、博物館や図書館に保管されて
いる場合もある。
自分語りがちょっとウザかったかな。スマン、消えますわ。
北陸で魚名の系統なら利仁流かね?
276 :
270,272:2008/12/15(月) 15:43:56
すまん、北陸じゃない。
たまにこのスレのぞきに来るわー。
278 :
日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:13:14
あげとく
他人の祖先の資料を隠匿している元家臣の子孫に不幸は降りかかるのだろうか。
元家臣の位まで上げてるありさま。
280 :
日本@名無史さん:2009/01/04(日) 07:36:07
↑意味がわからん
281 :
日本@名無史さん:2009/01/09(金) 23:10:48
親戚に有名人(亡くなったらTVニュースになるだろう)がいて、先祖調べをした。
その人は祖父の弟の長男で、分家したのでうちが本家。で、系図を作ったのがあるが、天皇から始まってて何十代とあるがどうもうそくさい。
確実なのは、墓石のある6代前の、天保11年没の酒屋をやってた人まで。
過去帖も見に行ったらしいが、無かったそう。
無いとはどういうことなのか、、
単なるミスか、移住してきたのか?
酒屋はすくなくとも3代続いた。昭和30年頃まで敷地内に倉があったそう。あー壊さないでとっとけばよかったのに。どうせ更地だから。
疑問は、酒屋をいつ始めたかと、その前は何してたか。その前から続けてたのか?それとも酒屋を始めて儲けたので墓を建てるようになったのか?
そもそも農民が簡単に起業できたかというのも謎だ、、
もし素封家であったのなら寺に代々の戒名が刻まれた巨大な位牌があるもんだぞ
283 :
日本@名無史さん:2009/01/11(日) 03:26:02
谷中や護国寺の墓地を歩くと、爵位持ちの墓が結構あるね。
○○伯爵、子爵、男爵とか。勲功家族が多いが。
>>281 農民の長男以外はたんぼもらえなかったんだから、仕官するか起業するか出家するしかないわけで
過去帳がないのは宗派を変えたか、別の土地から来たか、見せてもらえなかったかだろうね
焼けたってのは付き合いのないよそ者に見せたくない為の嘘で、大空襲や大地震直撃地域ならともかく
普通の火事程度でなくなるような保管の仕方はしてない
Bとかだと過去帳ないのかもしれんが・・・
まあ、宗門人別帳とか、都会なら町人別帳とか、土地所有の記録を見てみれば?
冠婚葬祭で顔あわす程度の人も遠い親戚だったりするから聞いてみるとかね
285 :
281:2009/01/12(月) 00:33:10
いや家系図はあるんだけどねw
そんなもの残すから、、
「こうこういう理由で過去帖に無く、これ以上は調べられなかった」とか書いてくれたほうがよかったのに、どうしても立派な系図を作りたかったんだろうな、、(もう故人なので話を聞けないが)
ふとおもったけど、その人は分家だから見せてもらえなかったのかもしれない。そういう理由でみせないことってよくあるの?
>遠い親戚だったりするから聞いてみるとかね
曽祖父は婿養子で、その実家(っていうの?)とは親戚づきあいしてる。ここが第1候補。父は面識あるんだけど、漏れはつれられて家(250年前くらいに建てたという古ーい農家)にいったことがある程度。長男だからそういう顔つなぎもしなきゃいけなくなるのかなあ、、、、
>>64 戦前は実はお役人は庶民の出自を知ってた。 だからまだ日本は階級階層社会だった まさに天皇制 今は出自は階層にならない
一部の上流層は真の日本歴史を何も知らず天皇家や他の旧家の 今や廃れた権威 にあやかり自家の保身と考えてる まさにまさにアナクロニズムに浸る人達 庶民はそんな上流階級のまやかしエゴに騙されたり搾取されてはならない
>>138 天皇制と一体化した歴史資料ですから 庶民が天皇家を最古の貴重な家系と崇める限り保存されるでしょう。
消却されたら江戸以前と明治以降近現代が完全に実生活上断たれて 日本はアメリカ化(欧米化)を一層進展させざるを得なくなる 現実と歴史が別物になり、日本歴史はただの考古学になる
>>285 系図は信用できるものではないってのが、歴オタの間じゃデフォなんだが
家系図って偽物多いんだよ
父の母方の家の墓に元禄時代の物らしいが
源 朝(麻)臣 ○○ △△△
麻、朝どっちか聞いてないから分からない知ってる人教えて
○○ 苗字
△ 名前?
290 :
日本@名無史さん:2009/01/20(火) 10:18:16
次、いって見ようか
291 :
日本@名無史さん:2009/01/24(土) 04:54:42
継体天皇って五代さかのぼらないと
天皇家の血筋にたどり着かない他人なのに
即位したんだよな 五代遡りOKなら俺も即位できそう
毎日うんこ見られるぞ
じいさんになっても定年なくて、死ぬまで働くんだぞ
珍獣と同じ扱いでソープもいけないしエロビデオも見れないぞ
俺はごめんこうむるわ
祖父にも会ったこと無いから分からないなあ
一度でもいいから曾祖父の話しを聞いてみたかった
立派な人なら誇れるけど、極悪人とか超自己中とかだったら存在知らない方がいいと思うけどな
295 :
日本@名無史さん:2009/01/26(月) 07:35:45
祖先探し業者は闇の戸籍売人だから気をつけろや。
嘘みたいだが戸籍売買人って昔からいるんだよなあ
外人の子が日本国籍取れるような悪法も通ったから、ますます売買増えるだろうね
たかるにはおいしい国だから
戸籍売買人は無縁仏になりそうな墓を探す嗅覚がプロ。
先祖を探してやると甘い文句をかざしながら、実は無縁化が進んでいる寺社を漁るのが日課。
鴨が見つかると無縁仏は戸籍売買し、子孫が五月蝿く口を挟まない墓を見つけ当ててネタにする。
鬼畜の商売だ。
すごい事に気がついた・・・そうでもないか。
江戸後期に勃興して庄屋を勤めた家を(近所の家なんだが)調べたのだが庄屋になってからの婚姻が
庄屋だらけ(当たり前だが)で戦国期の城主ばかり・・・やっぱ成り上がるなら江戸時代だわ。
血筋的に色んな名家入りまくり明治以後は当然士族と姻戚だし
成り上がるもなにも勃興して庄屋になるような家は、新田開発できるだけの金持ちだよ
そんな金は突然空から降ってくるもんじゃないから、たいていは金持ち上級武家の跡取りやスペア以外の息子とかがなる
元を辿ると地侍や国主、江戸時代までは城主ってのばっかだよ
そんで江戸時代も士族と婚姻もしてる
明治以降は士族よりも財閥になるような大商家や政界と婚姻ってのが多い
うちも落ちぶれるまでの婚姻相手の家は豪勢なもんだよ
>>299いや、その家は普通(といっても土地持ち百姓だが)で兄弟何人かの下の方で兄に保証人になってもらって
村の地主から土地借りて酒造始めたのが幕末(ちょうど免許制があやふやになった時期)で後に金貸し→銀行
新田開発って他村の名主数名と住民代表で開発願い出してる場合が多いがみな金持ち?
>>302 時代や藩によって違うんじゃないのか
>>301 知り合いだと幕末は造り酒屋→銀行→現在議員ってパターンが多いな
銀行が潰れなかったらそのまま地元の名士、銀行が潰れてたら落ちぶれてたりね
>>281だけど、
>>301 うちは清酒の酒造を始めたのは文政年間らしい。免許制あやふやとか関係あるのかなあ??
その後は、明治年間に酒屋やめて、東京で煉瓦製造会社始める。が、早くに亡くなって、会社清算(事業はうまくいってなかったと読める文書が残ってる)、その後は会社員、、
あのまま会社がうまくいってたらなあ。いやつぶれかけでもいいから、続いてさえいれば、バブル期に土地売ってウマーだったのに、、
酒造量が株で決められいて江戸後期にそれがなくなって又明治中期頃いろいろ規制が
306 :
日本@名無史さん:2009/02/01(日) 00:51:49
>>305 wikiで調べた。
>文化文政年間は豊作の年が続き、幕府は文化3年(1806年)にふたたび勝手造り令を発し、酒株を持たない者でも、新しく届出さえすれば酒造りができるようになった。
うちが始めたのもこのあと、これを受けてのことだろう。(にごり酒屋をやっていた可能性もあり)
明治に廃業があいついだのは、重税に耐えられなくなったためらしい。
>国家歳入の酒税に頼る割合は依然として高く、明治30年(1897年)には33.0%に達したため、
取りすぎだろjk。
まあその後の消費低迷とか考えると、廃業は正解かもな。むしろ今まで続いているほうがレアケース。
307 :
日本@名無史さん:2009/03/10(火) 07:21:37
俺の知り合いで山中鹿之助の子孫いるけど、確かに酒、強いわ。
>>1 東京だけどさぁ、墓が数個あって江戸時代の年号、刻まれてるよ、その寺で一番古くてボロボロだけどさぁw
308 :
日本@名無史さん:2009/03/11(水) 00:08:46
先祖マニアはどうしたのか??
先祖スレのコピペアフィブログが儲からないから立てないんだろ
別に誰が立ててもいいんだから欲しいならスレ立てすればいい
俺はどうでもいいから立てないが
310 :
日本@名無史さん:2009/04/09(木) 04:07:42
クルセーダーは生きているのか?
みんな死んだよ。おめでとう
312 :
日本@名無史さん:2009/05/06(水) 21:37:17
ほー
これから自分の家系を辿ってみたいという人に参考になる本とかってないですか?
本読むより除籍謄本や過去帳見た方が早いんじゃね
315 :
日本@名無史さん:2009/07/29(水) 16:13:40
保守
婆ちゃんが調べた過去帳では、
年代が確実なのは自分から7〜8代目あたり前まで分かった。
元号でいうと寛政。お墓もあった。
普通の家ならそのぐらいで充分
庄屋藩士家なら戦国時代辺りまで遡れるのが普通
神社や寺だと奈良平安時代、神代の時代まで遡れるのが近畿だと普通
318 :
日本@名無史さん:2009/08/16(日) 17:03:31
寺社関係はどれくらい身分が高かったんですかね。
寺社といっても宮司なのか末端の神官なのかで全然違うがな
寺社格もあるし千差万別
うちも自分からさかのぼって7代前までだったな
文化10年没らしい
321 :
日本@名無史さん:2009/11/08(日) 22:50:42
父系で無ければ神代まで遡れたよ。
清和源氏→戦国大名から没落して、代々農家だから、出自だけははっきりしてる
...あくまでも代々農家だけどな
323 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 12:23:59
母方の家系を遡ると、桓武平家⇒桓武天皇⇒神武天皇⇒天照皇大神まで行き着くぞ。
324 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 13:05:02
旧官幣大社の社家の子孫ですが神代までは遡れます
うちの先祖は4代前まで豪農だったことが立証できるが、それ以前は書物で「武田家重臣、、、」と書いてある。
ガキの頃は自慢したものだが、今は封建体制整った江戸期に数代に渡って水呑から豪農にのし上がった気骨のDNAが身の内に受け継がれていると感じて満足してる。
326 :
日本@名無史さん:2009/11/09(月) 23:59:53
327 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 03:36:43
何だかんだ言っても貴方にも貴女にも
高い確率で天皇家の血が入っていることを
お忘れなく
ほとんどが流れてねえよ
どう考えても先祖は遙か昔に朝廷からまつろわぬ者とされて
コテンパンにシバかれた一族だったとしか思えねぇ…。
330 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 17:20:29
ばあちゃん曰く、寺に行けば分かるらしいが、その寺がどこの寺かわからんらしい
ちなみに3代前があずき相場で失敗→北海道に移民して、本家はそっちらしい
自分は一人のこって借金返した、ひいひいじいちゃんの子孫なんだとさ
>>330 流れてないよ
ほとんどが同身分同士の婚姻だったんだぞ
流れてるなら証拠出せ
333 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 20:08:51
>>332 多くの人はそう言いますね
確率的に殆んどありえないのに
(貴方が天皇の血筋でない確率)
遺伝子のデータでも出さない限り、あるとかないとか言うだけ無駄
海のような物で、どぶみたいな水も珊瑚礁がある水も繋がってるからねw
血も然り。
336 :
日本@名無史さん:2009/11/15(日) 23:25:37
私の同じ考えの人もいるようです
http://munya.dtiblog.com/blog-entry-320.html 血を絶やさないことと
血の拡散防止は相反する行為であるため
完全な拡散防止は=血の断絶
に他ならない
血の継続が確保できた時点で亜流の子孫は皆殺しなんて
物理的に有り得ない話なのです
また、2000年にわたる膨大な子孫がすべて経済的に裕福であった
可能性も極めて低く
解っている子孫・系図のほうが氷山の一角であると考えるのが
普通なのです
細かい検証は割愛しますが
一般人の逆ピラミッドは遡ると早い段階で=人口となり
天皇血筋ピラミッドも上から早い段階で人口に近づく
両方のメッシュが人口という狭いトンネルの中で長期間一度も接点がなかった
とは考えられないのです。
なるほど
339 :
日本@名無史さん:2009/12/29(火) 21:02:38
家系図と血統図は分離してる
例)信長とお市かたの間の子が淀君。大野ハルナガと淀君の間の子が秀頼
>>325 さすがに水呑からのし上がるようなケースは
至極稀なんじゃないか
341 :
日本@名無史さん:2009/12/30(水) 16:18:34
父方ー武門橘氏。平安初期より、安土桃山時代まで北面、帯刀舎人、随身、検非違使などを歴任。
また、天皇直属の忍びも。鉄砲伝来を機に明治終わりまで、某国一の宮大宮司家。
母方ー天正年間、豊後の大友宗麟に仕えた。大納言。将軍。大友氏没落後、肥後熊本に移り、加藤清正に仕官。加藤家改易後、本家は細川家奥医師。分家、熊本藩医。
分家、肥後八代大庄屋。総高一万七千石。
ほぉー
清和源氏の子孫なら先祖は
15代応神天皇でいい?
いやそこは26代継体天皇だろ。
清和源氏とかは武家だと先祖が適当につけてるからなあ
武家の由緒はほとんど信用できねえ
346 :
日本@名無史さん:2010/01/14(木) 10:14:41
r
>>345 養子とかでなく、「勝手に」つけられるの?
そう。勝手に名乗ってた
大名とかでも勝手にね
349 :
日本@名無史さん:2010/01/19(火) 16:07:04
ほとんど全部じゃねw
幕府を開いた徳川氏自体が家系捏造してる。
家康自身が吉田兼和に金を握らせて、三河の豪族だった
得川氏の子孫であるという事にしてもらった。
実際は流れ乞食坊主が三河の松平郷に流れ着いて
豪族化したと言われており、血統もくそもない
まさにどこの馬の骨かわからん状態。
一応婿入りしているというのは信じていいんじゃないの。
乞食坊主に切り取られまくる国ってのは誰も居なかったわけじゃないだろう。
353 :
日本@名無史さん:2010/01/22(金) 17:32:37
901 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 13:19:54
10代目織田信真 1842年〜?
11代目不明
12代目不明
13代目不明
14代目不明
15代目織田重治 1917年〜?
これが説明つかないんだけど
間に四人挟まってるっていうのは理解し難い
902 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 16:07:11
おじいちゃんが、父親の名前覚えてないってのが理解不能www
903 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 17:09:24
嘘でも何でも名前言っとけばよかったのに
904 :日本@名無史さん:2010/01/19(火) 17:10:18
なぁみんな!
なぜ世論に提起しないんだ!
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1072618541/901-1000
354 :
日本@名無史さん:2010/01/22(金) 17:33:37
355 :
日本@名無史さん:2010/01/22(金) 17:37:02
織田なんかどうでもよかろうもん
自分の血統祖先を語ろうや
だれか信成の戸籍謄本とってみたら
つうか間に4代って多すぎない?
代々14歳ぐらいで子供作らないといけないし
>>358 若くして無くなって養子がはいっているんだろ
360 :
日本@名無史さん:2010/02/10(水) 21:59:40
ウチは養子が入りまくって、なんとか続いている。
平安末期まで(限りなく鎌倉時代に近い)遡れた。
(文書、家系図、伝来品は博物館、図書館にあるし、写しは家でも保管していある。墓は各所に点在)
そこ(平安末期)からいきなり公家の家系に繋がるので、ここで家系図捏造しているな。
まあ、ここまで遡れたので良しとするか。
片田舎にずっと住んで移動していない(800年以上)から、レアケースか。
361 :
日本@名無史さん:2010/02/10(水) 23:13:10
362 :
日本@名無史さん:2010/02/11(木) 00:53:10
代々名主だったが何代遡れる?
363 :
日本@名無史さん:2010/02/11(木) 01:45:21
>>362江戸初期ぐらいまで続柄はわかるだろ。それ以前は名前程度分かるぐらいだと思う。
内の宗家筋は郷土史的に有名な家で鎌倉時代まで遡る伝承はあるが家系図はない。
でも墓、過去帳で江戸初期までは確実に分かるが、それ以前は古い文書に記されてる名前
程度でどういった続柄かまではわからない。
364 :
日本@名無史さん:2010/02/11(木) 05:44:50
>>361 どこかの馬の骨が婿入りしてんじゃねえの
うちの始祖は源平合戦後に九州に移住した関東武士団の一員で漢学者だったと、死んだ爺ちゃんが何かにつけて自慢してたらしい
本家は毎年系図開きしてるようだが、遠距離な上に全く付き合いないから如何ともしがたい
でも系図自体、捏造当たり前の世界らしいしなぁ
なんかもう怪しさ大爆発www
366 :
日本@名無史さん:2010/02/12(金) 13:51:29
おまえら曽祖父か祖父の代までしか知らないだろ
うちは千家と変わらん長さだぞ
笑えるだろ
昔、俺の小学校でちょうど士農工商の勉強してるとき
「自分の先祖を調べましょう」という、無体な宿題が出た。
今だったら部落の問題とかあるからありえない宿題だけどな。
結果、ほとんどのヤツが「武士でした」と答えた。真面目に「農民でした」と
答えたのは2-3人。家柄が不明なほど捏造に必死になるのは在日もあんたも
同じ。
おれはどうどう胸を張って答えたよ「商人でした」って。みんなは馬鹿にして笑ったが
先生は笑わなかったな。家がどういう家系か知らない人はいない土地だったから。
因みに家にある恩賜の銀杯はベルサイユ条約締結のときに外交官だった
曽祖父が、その労をねぎらわれ、いただいたもの。
葬式は仏式でやった後、勅使、今だったら役人を迎えるために突貫で神式に
切り替える。家は文化財に指定されてるので勝手に改築できない。
有名な知人は2親等〜4親等まで腐るほどいるので、挙げ切れない。
どこの旧家も大体こんなもんだろ。
先祖が「昔XXの大名に使えた武士(がどんな文献にも載っていない)、
遠い親戚や大昔にそれなりの職業についている、を連呼するのは
典型的な下層出身者。
小学校の話しをされてもな〜
370 :
日本@名無史さん:2010/02/15(月) 16:06:39
371 :
日本@名無史さん:2010/02/15(月) 19:43:04
文献に載っていないのはそりゃ駄目だけど、城下町で人の出入りが少ない地域だと、
武家が多くても不思議じゃなかったりするのかな。
基本的に城下に武家はいないよ
明治維新で城下に住む事は禁じられ外へ移り住んだからね
もちろん後に城下へ移り住んだ家はあるけど
373 :
日本@名無史さん:2010/02/15(月) 21:46:59
>>372 そうなんですか?江戸だけではなくて?
うちは一応武家ですが、大正時代に別の所へ移った時の話を聞いた感じでは、
その時まで武家屋敷街のまま残っていたのかなという印象を持っていたので。
(話に出てくるご近所さんも武家でした。)
大きな家でなければ平気だったのかな。
374 :
日本@名無史さん:2010/02/16(火) 07:58:01
>>368 本物の旧家なら色んな繋がりがあるからな。
祖父母から更に曽祖父母へと辿って行くと、地域の名族全てに繋がる。
源平から藤原氏、歴史ある寺社関係まで関係あり。
>>372 初めて聞いたんだが。
せいぜい一部の地域、一部の階層だろう。
戊辰戦争の朝敵藩くらいだろ。
たしかに南部藩、仙台藩、会津藩そして幕府(静岡藩)は移封されたが、
全国的にいって武士という理由だけで城下町を追放になったなんてことはない。
そんな簡単に私有財産は取り上げられない。
没落した士族が屋敷を売り払うことはあったろうが。
376 :
日本@名無史さん:2010/02/16(火) 17:06:25
>>368 ある大学生(20歳)に先祖調査アンケートしたら75%の人が曽祖父の名前を知らなかったそうだ。
>>372 どこの話だ?適当なこと書いてんじゃねえよ
祖父の名前さえ知らないと思うけど
じいちゃん、ばあちゃんで用は済んじゃうからね
祖父母がすでに他界していたら尚更名前なんてしらないだろうし
元気でも遠距離で疎遠なら知らないことも多い。歴史に興味が
なければ曽祖父なんて全く興味がないのが普通だよ。
友人は田舎の旧家出身だけど、地元の博物館に行くと、
「○○家所蔵」「○○家寄贈」という説明文があったな。
鎌倉時代くらいまでは遡ることができるらしいが旧家では歴史は浅いほうと言う話だった。
自分の家系でわかるのは江戸時代の後半くらい。
婆さんの曾爺さんがちょっと金を持ってる農民で、
地元の寺に金を寄進した人たちの中にいたらしく、
寺の石碑(?)に名前が彫ってあった。
なるほど
>>380 百姓だと姓を書く事は不可能で本当に名しか書いてないはずだけど何で自分の家だと分かったの?
>>379 普通の家なら親戚付き合いで嫌でも一定の範囲は知らざるを得ない
祖父母の名前すら知らずにいられるなんてその時点で普通の家ではない
我が家には12代に亘る直系家系図があるよ。
初代から7代目までは6代目が作成(複製)したものに8代目以降は父が追加したもの。
本物は出身地の図書館に保存してある。
興味深いのは初代から妻の父親の名前が全て記載があること(例・妻○○又左衛門○○女)
残念だけど初代から先は「此前不知」と記載してあるけど、初代は記載文の内容からして
桃山期で今から400年以上前の先祖にあたる。
どうでもいいけど
東野幸治はいつまで
「自分のひいひいじいちゃんは間宮林蔵」と言い続けるのだろう
江戸時代の人口比率で言うと武士は1割以下。
なのに現代では「先祖は武士」
なんていう人が多い。
いかに捏造が多いかだ。
捏造した本人は後ろめたさを感じて生きるが、
その子や孫の世代になると堂々と子孫と名乗りだす。
で、いつのまにかやたら「先祖は武士」が増えた。
387 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 22:14:52
武士かどうかは藩分限帳、県士族帳を見ればわかるけどね。
389 :
日本@名無史さん:2010/02/26(金) 22:56:01
「先祖は武士」が多いわけ。
一、武家は側室を複数持って子を為せる。
一、落城等の後に帰農した者の子孫が歴代農民だった以前の武士だった時代を強調する。
一、武家出身の婿養子が1人入っただけでも名誉だと思い、子孫は武士の子孫と言い続ける。
一、商人等が献金郷士などになった場合も、近い先祖である武士(郷士)であった先祖を強調する。
一、藩主直属ではない雑兵のような軽輩の者で、農家商家の二男三男からなったとしてもあくまで武士と伝わる。
以上のような理由から、捏造ではなく事実を述べたとしても武士の子孫自称者は多くなる。
>>386 むかしは侍の惣領か、養子に行った先が侍の場合だけ
侍身分でだった
いまはそういう制度が忘れられているから、単に分家した
次男・三男の子孫でも(世が世ならば)残らず侍だと思っている
だから捏造ではなく、無知なだけだ。
また武士の家を相続していない次三男の子孫でも
「先祖は武士」だったは間違いではない
391 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 04:36:20
>>389 側室や養子により身分の高い武家の血が入った家系と、
直系だが身分の低い武士スレスレみたいな家系…。
正直、前者の方にロマンを感じる。
帰農の場合も、貴族→武士化→帰農ってケースもあるわけで、
必ずしも江戸末期まで武士身分だった方が、価値が高いわけじゃない。
てか、江戸時代は終わっているわけなのだから、
今から見たら江戸時代も鎌倉時代も平等に過去だと言える。
つまり、鎌倉時代の武士の子孫だって「武士の子孫」には違いない。
ただ、古い記録については信憑性に多々問題があるというだけ。
>>390 自分は分家の長男で、従兄弟が直系の18代目なのだけれど、
もしも今が戦国の世なら戦で一番活躍しそうなのは、うちの弟。
従兄弟も俺も戦死して、弟が跡を継いでいきそうな予感…。
身分の線引きは難しいね。結局農民から武士までいる。それは当然。武士は元農民だから。
私の先祖は角倉了以に繋がる。武士であり商人であり医者であり学者でありと何でもあり。
屁理屈だな。
日本人なら皆、天皇の子孫みたいな考え方だ。
「先祖は天皇」って言ってたら失笑ものだが。
「先祖は武士」と言えるのは、それなりの家系に限られると思うけどね。
せめて幕末時どこかの藩の藩士名簿にひいじいさんの名前があるとか
でないと恥ずかしいじゃん。
それでも陪臣だし、禄によっては小身で藩士の下限ですいませんて感じなのに。
394 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 11:32:48
>>393 >「先祖は武士」と言えるのは、それなりの家系
俘囚蝦夷や半島帰化人のことでつか?w
395 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 11:42:26
みんな最初は、半島から流れてきたんだろうが
396 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 12:20:24
>>393 >「先祖は武士」と言えるのは、それなりの家系
せめて江戸初期から武家で分限帳にもあり、さらに明治の士族帳にもある家は
「先祖は武士」と言えるんだろな
397 :
日本@名無史さん:2010/02/27(土) 16:45:27
珍しい名前は結構検索してみたりするんだけど、源平藤原とか○藩士は
滅多にいないな。数千件あるような名前でも○郷発祥かとか出自不詳が多い。
数パーセントといわれるとそんな気がする。
やたら先祖を武士にしたがる連中は百姓というより水呑みか穢多の類いだろう
本百姓なら自分達より酷い生活をしている武士などたいした興味もない
>>397 私見だけど、○郷発祥とかの土着氏族のほうが好きだな。
源平藤橘などはトヨタ傘下とか三菱傘下というのと同じこと
(親分子分の関係を結んで仮冒してるだけ)
独立独歩の中小企業の親父のほうが好きだ
400 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 00:43:43
>>391 なるほど〜
確かに江戸時代の身分も過去のものなんだよなぁ
まぁ確実なのは江戸時代なんだけどな
関ヶ原以前に負けて帰農した高貴な家もあるのも確か
郷土史に確かな記録がある場合は認めるよ
402 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 03:04:57
うちはいま現在で神主の親戚とかいるけど
一般の人で先祖が戦国武将だとかその家臣とかいう人は半分ウソだと思って聞き流してる
そういう人はいま現在どうなってるのって
>>402 3行めイミフ??
だいたい、ロマンと思って聞けばいいだけじゃんw
新興宗教は過去を否定するからな
405 :
日本@名無史さん:2010/02/28(日) 17:26:34
そもそもなんで400年くらい前の混乱期の武士なんかにルーツ求めたりするのかなと思うんだよね
つながったらもっと時代を遡れるでしょって思うのね
小説とかドラマでわかりやすいからそういうのかな
あるいは士農工商の士でありたいっていうのを引き摺ってるのかなって
混乱期だからルーツを求め易いんだよ
江戸時代の将士なんて大半が怪しげな出自だから繋げやすい
逆に名家は戦国時代に消滅したものが多いから
その没落家系の末裔を名乗っても確定も否定もできる要素がない
いずれにせよ詐称しやすい
407 :
日本@名無史さん:2010/03/01(月) 01:33:18
はっきり言って武士なんて単なるソルジャーですよ。
寺社関係の方が1000倍高貴ですからね。
408 :
日本@名無史さん:2010/03/01(月) 04:11:13
高貴な家は武家にも寺社にもあると思うけど、
一口に寺社といっても、結構時代が下ってからのも多いんじゃないっけ?
>>407 具体的な例を出してくれよ
自己満足してないで
>>399 なんで本物を無視するの?ww
それに仮冒だとしたら、元はあなたの言う土着民で、
ある時代以降記録に残る身分になった家だろうに。
なんか、東大出に理不尽な陰口を言っていた中小のおじさんを思い出したw
史料編纂所調査 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
幕末の先祖の日記の写真撮りでしたけど。
412 :
日本@名無史さん:2010/03/03(水) 17:42:58
>>411 おぉ。素人でも読む気になる感じの書き方だった?
>>412 意外と癖の無い書体だったので、
「古文書解読のテキストに使ってもいい?」とは聞かれました。
内容は、藩からの御触れとか、農作業の進捗とか様々です。
変ったところでは、極たまにお城に呼ばれた時の酒肴の献立なんかも
書いてありました。
414 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 18:30:57
ほほー
いいね。こちらは古文書相談会に持っていったら面倒くさそうに「大切に
してください。」で終わったよ。
416 :
パンツ ◆amC16oijRg :2010/03/22(月) 09:01:21
とりあえず、父方は400年ちょっと前まで、
母方は350年位前まではわかってる。
父方は兵農分離の際土着した草分け百姓の総名主、ただしうちは江戸末期からの分家、
親父の実家の隣が本家。
母方の方は、わざわざ調べた親戚がいて、お楽の方ってのを出した家系だと判明。
普段は百姓でいざという時にクワを刀に替えて
川中島の合戦に行くのはやはり百姓ですか?
禄貰ってるなら武士
ないなら百姓
419 :
日本@名無史さん:2010/04/25(日) 21:19:45
だからなんやねん
420 :
日本@名無史さん:2010/07/16(金) 23:59:12
うちは戦国時代は毛利の家臣だった。
関ヶ原で毛利が豊臣方について周防・長門2ヶ国の37万石に大減封された
ため、うちの先祖は武士をやめて浄土真宗の寺をはじめた。
父は次男だったんで長男の伯父が寺を継いだ。
浄土真宗は世襲なんでうちは400年前までは遡ることができる。
武士の割合って数%だったって言うけど
家督を継いでない兄弟の家とか、嫁や婿に来た人の実家まで先祖とか言い出すと殆どが武士の子孫だな
むしろ完璧に百姓の血しか継いでない家があったら大名家なんかより希少価値あるな