1 :
日本@名無史さん:
■日本史全般の質問スッレドです
■回答は混乱を避けるためなるべく、アンカ(>>レス番号)
を付けるように心がけてください。
■荒しは完全にスルー。相手にしないでください。
■礼儀をわきまえた書き込み方でお願いします。
■age・sageの規定は設けません。
導尿カテーテル2げと
3 :
3:2007/06/30(土) 03:37:28
3げとー
5 :
最低人類0号:2007/07/10(火) 16:07:59
6 :
最低人類1号:2007/07/15(日) 01:46:38
7 :
日本@名無史さん:2007/07/21(土) 12:08:36
質問です
日本の歴史が編纂される時期の動機について教えてください
歴史書が書かれた理由とか
8 :
日本@名無史さん:2007/08/01(水) 10:40:51
後の世に伝える為じゃないの?
9 :
日本@名無史さん:2007/08/05(日) 01:29:27
班田収受の法についてなんですが
死亡すると次の班給時に収公されたとありますがどういう意味ですか?
ノーテンパーの私にわかりやすく教えてください
>7
隋唐帝国成立に伴う東アジア社会の激動への対処。
独立国としての国際的自覚の発露。
>9
例えば班田年の翌年に死んだとすると、4年後にやってくる班田年
までは収公されないってこと。
11 :
日本@名無史さん:2007/08/05(日) 02:16:11
死んでる間もその人のものということでしょうか?
ありがとうございます
12 :
日本@名無史さん:2007/08/05(日) 02:26:50
首都って
皇居OR幕府どっちですか?
13 :
日本@名無史さん:2007/08/05(日) 02:35:57
幕府です
14 :
偽朝:2007/08/05(日) 02:56:11
ええっ?!!!!!!!
16 :
日本@名無史さん:2007/08/06(月) 19:15:00
守護は各国ごとに1人任命され、その任務は直轄地である関東御領の管理であった
という問題がありますがどこが間違っていますか?
17 :
日本@名無史さん:2007/08/06(月) 21:07:54
>>10 そういや、過去の栄光への逃避って大学で習ったなあ・・
どう思う?
馬鹿どうしで雑談しているスレはここでつか?
重複とか言ってる奴はスレタイをよく嫁。
このスレは高度で専門的な質問を扱うスレだ。
20 :
日本@名無史さん:2007/08/07(火) 01:48:52
摘男てどう読むんですか?テキナン?
21 :
日本@名無史さん:2007/08/07(火) 06:12:37
22 :
日本@名無史さん:2007/08/07(火) 06:43:35
あいず
>>16 >>21 よくわからんのだが、関東の御領というのは各国にあったものなのか?
24 :
日本@名無史さん:2007/08/07(火) 12:46:08
ぐぐればわかることを聞いてくるやつはスルー汁
25 :
日本@名無史さん:2007/08/07(火) 13:00:46
26 :
日本@名無史さん:2007/08/07(火) 13:13:06
27 :
日本@名無史さん:2007/08/07(火) 13:14:13
当たり前 臣=役職 連=地名
28 :
日本@名無史さん:2007/08/07(火) 13:21:46
29 :
◆IkRsyyrA6U :2007/08/07(火) 14:19:19
あつがなつい
30 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 00:54:28
ググってわからないからここで聞いています
31 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 01:18:23
ググッてわかんねーから聞いてだけどね。答えれないなら回線切って首ちって下さいね^^
32 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 03:40:51
>>25 そう。
蘇我氏のような在地土豪はウジ名を地名から採るのが通例。
もちろん平群氏、巨勢氏、紀氏、三輪氏、和珥氏とかもね。
奈良県橿原市曽我町に宗我都比古神社があって、蘇我氏の氏神を祀っている。
このあたりをかつて真菅村といい、近鉄の真菅駅がある。こうなると、曽我にかかる
「真菅よし」という枕詞が『万葉集』にあったことが思い出される。古代に菅は神聖視
されていたらしく、その植生地にはスガ(スカ)という地名が一般的に存在していた。
それがソガやマ+スガ、ア+スカ(飛鳥)、カ+スガ(春日)などに派生したといわれる。
33 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 05:12:02
34 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 07:17:39
うちの猫はチーズが大好物なんですが、あげても問題無いでしょうか?
猫って腎臓がデリケートだから、人間用に味付けされたものはやらない方が良いらしいですが。
犬猫用の煮干しなんかは売ってるけど、チーズは見たこと無いです。
チーズは多量の塩分を含んでいるから猫には向かないよ。
猫は腎臓が弱いくせに塩辛いものが好きだから食べ物には要注意。
>>32 くわしそうなので、分かったら教えて。
スガって、菅由来と砂地(洲)由来の須賀があるように思っていたのですが、
砂地に菅が生えやすいとかで同根でしょうか。菅は沼地に生えるから砂地
とは別?
38 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 23:24:51
39 :
日本@名無史さん:2007/08/08(水) 23:29:27
40 :
日本@名無史さん:2007/08/09(木) 17:48:51
ググってもわからないからきてるんだけど
夏休み利用してがんばりたいんだけど
わかるように教えてよおっさん
んじゃ首でもククって下さい。
実際ぐぐればわかるもんなのかな?と思ってやってみたが、
ウィキペディア見ただけで頭が痛くなった。
43 :
日本@名無史さん:2007/08/10(金) 02:49:54
おっさん教えてよぉー
wiki見て分らない人間がここで説明して貰っても分るはずが無い。
あきらめて首くくれ
45 :
日本@名無史さん:2007/08/10(金) 15:35:58
おっさん暇なんだろ?教えてくれよー
夏休みの宿題なんだよ
暇なのはお前だこの厨坊!
漏れは、・・・・これから暇だ。やっと夏休みだ。遊ぶぞー!
47 :
日本@名無史さん:2007/08/10(金) 22:57:42
48 :
日本@名無史さん:2007/08/10(金) 23:14:38
>>16 高1のおねえさんが教えてあげるよ、夏厨くん
多分関東のなんちゃらじゃなくて任務は在国の地頭の監督だよ
ってゆーか日本史は2年からだから中学のときの知識しかないけど。
違ってたらごめん
日本史の宿題があるなんて羨ましいな
>>16 関東御領じゃなくて関東御分国の管理。だから国ごとにいた。
51 :
日本@名無史さん:2007/08/11(土) 00:24:55
どうしても分からないんでお聞きしても宜しいでしょうか?
江戸幕府成立後に、幕府が朝廷から任命権を取り上げた官位とはどういったものがあるのでしょうか?
因みに大老在任時、その官位の任命権を実質支配していたのは大老なんでしょうか?
>>51 >因みに大老在任時、その官位の任命権を実質支配していたのは大老なんでしょうか?
大御所です。
>>51 禁中並公家諸法度に「武家の官位は公家とは別物とする」と明記されてるんだから
「全部取り上げた」というのが正しいんじゃないか。
公家の官位についても禁中並公家諸法度で「家柄だけで摂政・関白になるのはダメ」と
されているから、少なくとも摂政・関白の人事には幕府が介入したはず。
官位の任命権については、田沼意次みたいな奴もいるから、必ずしも大老が最高権力者
というわけではないでしょ。
54 :
日本@名無史さん:2007/08/11(土) 19:08:54
誰か、安政の大獄時の徳川慶篤の位階と官位を教えて下さい。
58 :
日本@名無史さん:2007/08/12(日) 13:42:19
違うだろ
59 :
日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:49:06
>>48さん
>>49さん
ありがとうございました!!
後、もう1つ質問があります
井伊直弼、勝海舟、西郷隆盛、坂本竜馬について具体的かつ代表的な政策(行動)が知りたいです
自分でググっても書いてあることが多すぎてやんなるので・・
どなたか、簡単にまとめてくれれば嬉しいです
ちなみに、パソコン持ってないので基本的にググる
という概念がありません
素晴らしいネタスレw
61 :
日本@名無史さん:2007/08/13(月) 12:13:00
58に誰か答えてちょーだい
徳川慶篤(1832〜1868)
正四位下左少将(1844)→従三位権中将(1845)→権中納言(1850)→将軍目代(1863)
従いまして、従三位権中納言が正解。
親父斉昭と一緒。跡を継いだのですから当たり前ですが。
>>63 真面目に答えてどうする。っと言うか、まず琉球守につっ込めよ。
琉球守って役職は使った人もいるからなあ。
それよりも官位と役職があっていないことをつっこむのが先かと。
>>66 いや、あれは「漏れが征服するからみんな手を出すな。特に島津」っていう意思表示の入った特例だし。
まあ、○○守が太政大臣と同格ってのもつっ込み所だな。
大名って中納言はいるけど少納言はいないよね?
女みたいだから嫌だったのかな?
69 :
日本@名無史さん:2007/08/14(火) 16:33:40
徳川が一門に見栄張ってごみでも大納言を上げた結果
有力譜代・親藩・外様は中納言に留められることとなる。
70 :
日本@名無史さん:2007/08/14(火) 18:41:11
>>68 もともと朝廷でも大・中納言と少納言は別扱い。
大雑把に言えば、大・中納言は閣僚で少納言は事務方の職員。
71 :
日本@名無史さん:2007/08/14(火) 19:07:38
式部と少納言ってどっちがえらい?
72 :
68:2007/08/14(火) 21:26:14
>>70 そうだったのか!
枕草子の作者だけが妙に出世しているのは変だと思っていたが
たいしたことはなかったのか。
>>72 つーか清少納言は少納言じゃないんだが
(親族の役職名からということだが、山野野衾さんの話では
元ダンナの位から来てるんじゃないかということだ)
74 :
72:2007/08/14(火) 22:41:04
>>73 >清少納言は少納言じゃない
今wikipediaで確認してきた。紫式部や和泉式部も式部じゃないみたいだ。
山野野衾さんて以前民俗板の質問スレでお世話になったけどwikiも書いてるのかな?
75 :
日本@名無史さん:2007/08/15(水) 02:40:45
>>67 琉球守を僭称していたのって、亀井茲矩じゃないの?
76 :
日本@名無史さん:2007/08/15(水) 02:41:54
少納言は中世以降は、基本的に菅原氏系の公家の独占。
清少納言は少納言じゃないよね.
「清少」が苗字で「納言」が名前なんだから。
78 :
日本@名無史さん:2007/08/15(水) 17:54:26
>>77 質問スレで釣りか?
平安時代、皇室に嫁いだ女性以外で本名が判ってる女性がいると思ってるの?
藤原道長の妻、源倫子
80 :
鎌倉に詳しい人、質問:2007/08/15(水) 22:47:08
鎌倉時代の鎌倉の住人って、どういう人達で占められてたの?
人口はどれくらいだったの?
御家人は色々な雑務で鎌倉に一定期間住んでたらしいけど・・・
81 :
日本@名無史さん:2007/08/16(木) 17:48:01
82 :
河越氏:2007/08/16(木) 19:49:22
石見国司の歴任者の詳細がわかる資料を探しています。誰か知っていますか。
84 :
河越氏:2007/08/16(木) 22:55:06
国司補任でもいいです。教えてください。
85 :
日本@名無史さん:2007/08/16(木) 23:33:13
国司補任読めよ
87 :
日本@名無史さん:2007/08/17(金) 16:45:21
国司が地方官としての実態を完全に失い、単なる称号になるのはいつ頃からですか?
88 :
日本@名無史さん:2007/08/17(金) 20:19:57
>>87 回答でなくてすみませんが
「完全に失い」という記述を使うと誰にも答えられなくなると思いますよ
1.第二次大戦中には特攻隊があり多くの若者が黄泉の国へ旅立ちました。
軍国教育が徹底していて一種、洗脳状態だったのは分かるのですが
死ぬと分かっていて逃げ出さなかった背景には何が有ったのでしょうか?
2.第二次大戦中、当時の政府は日本が有利であるかのような宣伝をしていたのですが
アメリカの力は遙かに勝っていました。
当時の有識者のなかには「あのように宣伝しているがこの戦争は日本が負ける。
でもそんなこと言ったら非国民として弾圧されるから黙っておこう」
と考えた人はいたの?
3.明治の初期頃にはまだ江戸時代の生活そのままに送る人もいたの?
それとも一気に切り替わり近代化したのでしょうか?
4.歴史的に見ると人は性悪説と見ていいのでしょうか?
5.昔話には幽霊や妖怪の類が出てきますが昔は生息していて
現在は絶滅した希少な動物などだった可能性はあるの?
>>91 >1
洗脳されてたからでしょ。
死ねば本当に神になれるんだったら死ぬのは怖くないよ。
>2
一杯いる。
ポイントは、そういった人たちのかなりの部分が敗戦後の社会主義革命を夢見ていたこと。
>3
一部超特権階級と一般庶民の暮らしは激変したわけじゃない>明治維新
片方は贅沢三昧を続け片方は貧乏暮らしのまま。
ただし、庶民のほうにはやがて徴兵制という新しい重圧がのしかかってゆきます。
一気に切り替わったといえるのは武士階級ぐらい。
>4
そりゃそうでしょ。
>5
幽霊・妖怪の本質は寓意です。
吸血鬼とは人民の血税をむさぼる貴族や官僚、資本家や地主のこと。
狼男とは選挙のときだけ調子のいいことを言って、当選後には野獣の正体を明らかにする政治家のこと。
言論の自由の無かった時代には、庶民はバケモノ話にやるせない思いを託したのですよ。
93 :
91:2007/08/18(土) 07:26:52
>>92 早速のお答え ありがとうございます。
史学科卒と拝察します。
釣り堀はここでつか?
いえ単なる雑談スレですよ。
96 :
マリエン:2007/08/18(土) 19:28:00
1.過去30年を振り返った時、年表に載るような
ことは起きていませんか?
2.過去や現在の日本の実質的支配階級は華々しい反面、相手との戦いの中で
不利益や時として生命の危機に陥ることも少なからずありました。
それを考えると農民のように細々とでも後世に遺伝子を残す方が賢明なのでしょうか?
97 :
日本@名無史さん:2007/08/18(土) 20:05:52
>>96 1 過去三十年の年表を作ってみればわかるかと思います。
2 生物学的優劣論と歴史的認識は異なると考えます。
現在の私たちが後世に残せるのは子供・子供への教育しかないの?
過去30年で年表級の出来事って阪神大震災ぐらいか。
天皇代替わりなんかどうでもいいし。
平和な時代だな。
坂本龍馬やそのほかの幕末の志士達は
江戸から明治への転換点だから活躍出来たわけで
江戸期中盤の平和な時代では活躍など覚束無かったのでしょうか?
また仮に現在、民主主義から社会主義への転換の過程だとしたら
凡庸だと思われていた人物が歴史に名を残すということも考えられるのでしょうか?
>>100 幕末以降の話は近代史板で聞いて下さい。
>>102は初心者用の質問スレです。
ここは高度で専門的な質問を扱うスレなので性質が違います。
まぁ96や100のように
釣りなのか書き込む板を間違えているのか厨房なのか
判断しかねる香具師用の隔離スレってことでいいんじゃねいの(苦笑
高度で専門的な92が電波な怪答をしてくれるさ
>>99 バブル崩壊は歴史に残るできごとかと。
おそらく世界中の経済学の本に未来永劫のり続けるんじゃないかい?
106 :
日本@名無史さん:2007/08/20(月) 20:16:25
>>105 近代日本経済史では大きいけど経済史抜きの歴史的にはどうか
たとえば200年のちの歴史書でいかほどの扱いを受けるのか
これからの日本史における土地担保経済が変革したときに
歴史的に大きな転換点と記述されるぐらいと判断する
つまり今後の歴史がどう変わるかによってバブルおよび崩壊は
歴史上の扱いは変わると思うが
日本の黄金時代が終わった日だからな>ブラックマンデー
これが終わりの始まりだとは、そのときは誰も思ってなかった。
108 :
日本@名無史さん:2007/08/20(月) 22:24:58
井沢スレがあるのに、
なんで司馬遼太郎スレが無いの?
死んだから
110 :
日本@名無史さん:2007/08/20(月) 22:35:47
死んだら著作に価値無いの?
司馬は例外といってよいけど小説家なんて普通は死んだら終わり。
嘘だと思うならかつてのスーパー流行作家で文壇の巨頭といわれた
川口松太郎、源氏鶏太、丹羽文雄といった人たちが現在どんな扱いを
受けているか本屋さんで見てくるといいよ。
Amazonで検索するだけでも結構寒々とした気分になれる。
>小説家なんて普通は死んだら終わり
まだ生きている(よな?)赤川次郎の凋落の方が漏れ的には寒寒とするがな・・・
藤沢と池波ぐらいかな別格は?
陳舜臣と宮城谷昌光はビミョウ
松本清張や海音寺潮五郎・戸部新十郎・白石一郎(没後)は十年もしたら本屋の棚から無くなるだろうね
>>112 それは厳しすぎないか?
陳御大と松本清張は残ると思われ。
海好きの漏れとしては白石一郎にも残って欲しいが無理だろうな。
114 :
日本@名無史さん:2007/08/21(火) 00:40:21
日本史板に居る人は、知識豊富でいまさらな人が多いのか
井沢スレで、井沢より司馬を嫁って有ったんだけど
何読めば良いか教えて
司馬より安部龍太郎・永井路子を推薦しておく。
どんな流れの中の発言かにもよるけど、おそらくは
「井沢の本で歴史解ったような気になるぐらいなら、
小説読んでた方が害がない。」程度のことと思われ。
2chをやる人間は10代が圧倒的に多い。(どこだったかの新聞調査より)
今の10代は司馬の長編を読む知力はないだろう。
118 :
日本@名無史さん:2007/08/21(火) 23:22:01
>>117 >今の10代は司馬の長編を読む知力はないだろう。
それ、キミのことぢゃん。
井沢さんも読むような自分が言うのもなんだが
個人的な好みでは海音寺さんと永井路子さんは
あまり従来スポットに当らない時代についても多く書いているから
読めるんなら読んでおいた方がいい。
歴史小説なら古代に偏るけど黒岩さんもいいかもね。
まあ将来淘汰であろう歴史小説だけれど史料を徹底して分析し
自説を盛り込んだ海音寺、黒岩、永井を超えるマイナー時代の作家は出ない可能性もあるからね。
>まあ将来淘汰であろう歴史小説
何故?
121 :
112:2007/08/22(水) 03:10:27
永井路子はNHKの歴史番組でそこそこ聞けるコメントをしてくれるので評価したいのだが
いかんせん小説がな・・・
悪霊列伝ぐらいかな読み終えた後捨てなかったのは
歴史板で小説ネタを続けるのは気が引けるが、
女流作家のものは、男には向かない面があるが、女性には好まれる要素があるらしい。
カミさんが買って来るんでたまに見るが、自分も女流作家のものは、書き方がクドイと
感じる。
澤田ふじ子のものは、考証部分に知らないことがママあるので、よく見はする。
123 :
日本@名無史さん:2007/08/22(水) 11:52:18
小学館刊の『ビジュアルNIPPON 江戸時代』を読んでいたら。
検地帳に記された「石高」は、今まで「生産高」と考えられていたけど、これは「年貢高」ではないかという解釈が最近出てきたとのこと。(p.86-87)
ええー、って思った。
これ、どうなるのかな。
なんか基本的なところがくずれるような気がするけど。
「なんとか藩○○万石」って、○○万石が生産高だよね。
ある藩のある年の検地帳が全て残っていたら、もっと早くわかってたと思うから、そういうのはなかったんだろうけど。
検地帳記載のものが「生産高」か「年貢高」かで、藩の収入が全然違う。
根幹的な問題だと思うけど、ご教示お願い。
>>123 時代により解釈が拡大されているんで、いつどこの話か限定しないと混乱するんでは
なかろうか。
軍役令での基礎のころは、生産高だったんではないか。
年貢は毎年米の出来具合で決めていたんで、変動する。(検知帳はこれが記載され
ている可能性がある)
松前藩は米が出来ないけど、江戸城での席順などの格式のため、認定石高だった。
長州藩は、格式を上げてもらおうと、50万石を申請したら、7掛けになったとか。
更にこの藩は幕末実高100万石とも言われている。
移動しようにもこのスレにはもう誰も…
127 :
日本@名無史さん:2007/08/26(日) 15:26:44
戦国大名や武将ってなんで何回も改名したりするんですか?
また、幼名はどのようにつけられるんですか?
128 :
日本@名無史さん:2007/08/26(日) 15:40:55
まぁ出世魚みたいなもん
奇妙な顔してるから、奇妙丸
3月7日に生まれたから、三七丸
適当です
昔、華族や士族だった人は現代も金持ちで特権的なものを
持っているのでしょうか?
また、実例があったらお願いします。
130 :
日本@名無史さん:2007/08/26(日) 16:07:45
華族のうち公家華族はもともと貧乏
大名華族の多くも、外様や親藩の大大名を別にすればあまり裕福ではなかった。
しかも、昭和初期の恐慌と終戦後のインフレと財産税で没落した家が多数。
資産家として残ってるのは尾張徳川家や薩摩島津家など、一部の大大名くらい。
そういう家は資産管理会社とか財団法人を運営している。
士族の大半は人力車夫などの都市細民として労働者階級に呑み込まれていった。
ここは近代史板ではありません。
近代の華族の話なら近代史板でやれ。
133 :
日本@名無史さん:2007/08/27(月) 12:34:53
江戸時代の農民が年貢として納めた米以外の米について。
それらの米の消費はどうなっていたんでしょう。
種籾用、自分の家で食べる、加工して別の食品にする、売る、個人的に備蓄する。
また当時、種籾から何倍の収穫量があったのでしょうか。
134 :
日本@名無史さん:2007/08/27(月) 15:01:44
安土桃山城ってありますか?
135 :
日本@名無史さん:2007/08/27(月) 15:33:38
>>136 一般農民が食べることができないほど米はとれなかったのか?
ずいぶん高級品だったんだね。
過去の歴史を見ると日々の食べ物にも困窮していたようです。
それを考えると今、命ある私たちは恵まれてますか?
>>137 ビクトリア湖のナイルパーチと一緒だよ。
いくら取れたって、高く売れる都会に全部持って行かれてしまう。
高く売れるといっても、販路を持たない地元民は買い叩かれまくって
結局カスみたいなものしか食えない。
米を基本的に食べていなかったのなら
米が凶作の場合、現金収入はなくなるけど、とりあえず食べるものはあったということか。
粟・ヒエ・芋 あと野菜類はじか栽培なんじゃね
ヒエなんてほっときゃウジャウジャ生えてくるからなあ。
当時の人口と生産高を考えると、食べていないと考えるのは難しい。
大量に廃棄されていたとか、輸出されていたのなら別だけどね。
でも両方とも聞いたことないから、密貿易で輸出されていたのかなあ。
でも海外に行くほどの船もなかったんだよなあ。不思議だなあ。
江戸の町民は米食えるのが江戸っ子の自慢だったという話しもあるし
都市部の商工業従事者は、貨幣経済にもう乗っかってるでしょ
江戸・大阪他、大都市圏の城下では普通に食べてたと考えた方が良いんで無い?
もちろん、酒とかその他で消費されてるとは思うけど。
145 :
日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:46:17
農民人口がおよそ8割だから
士・工・商が満足に米を食べれて農民がほとんど食べれないと言う事は、
人口に対して25%ぐらいの生産量しかなかったんだ。
天保元年(1830)には3055万石とあるから、江戸時代の人口は1億2000万ぐらいだったんだね。
(もちろん豊作・凶作があるので1億ぐらいと見ておいたほうがいいか)
146 :
日本@名無史さん:2007/08/28(火) 00:00:07
畿内説、九州説、邪馬台国論争はどういった場合に決着が付くの。
一石って一人が一年間に消費する量じゃないの?
慶長年間(17世紀初頭)で、1500〜1600万人
享保年間(18世紀初頭)〜弘化(19世紀半ば)と
幕府統計から推定される人口は3100とか3200万人
程度で、ずっと安定していたというのが定説じゃ?
そういえば大河功名が辻で50石取りの山内一豊じゃ
4,5人分の生活費で一杯一杯って言ってたよ
1人当り、米消費量含めて生活費に年10石くらい要るみたいな話しでてたけどね
>>144 >江戸の町民は米食えるのが江戸っ子の自慢
ビタミンB不足で脚気になる人が多かったとか。
あと眼病(都市化と冬季の空っ風のせい)が、
江戸の二大風土病だったとかw
>>146 卑弥呼の金印が発掘された時点で決着。
されないだろうけど。
151 :
日本@名無史さん:2007/08/28(火) 07:30:00
上杉謙信と男色関係にあった武将・家臣は誰ですか?
教えて下さ〜い!
時代劇見てると饅頭とかぼた餅とかよく食べてるけど
砂糖はどこから調達したの?薩摩藩?
>>145 網野さんによれば専業農家はもっと少なかったらしい。
農民というより雑民って感じだね。
156 :
日本@名無史さん:2007/08/28(火) 18:55:33
>>153 重複スレって意味知っている?
こっちが先に立ったのだから、そちらが重複スレだと思うのだが。
>>156 真性のバカ発見w
このスレは
>>153のスレ(日本史板質問スレpart20)の前スレ(part19)の重複スレだったんだよ。
158 :
日本@名無史さん:2007/08/28(火) 21:42:46
私の実家は農家ですが、田植と稲刈の時期以外にはこれといって作業もないので
みんな普段は近所の工場などで働いています。
江戸時代の農民は大変厳しい生活を強いられていたとよく言われますが、
私の見るところでは専業農家なんてほぼ一年中遊んで暮らしてるようなものです。
いったい彼らは何をしていたのでしょう?
>>158 ちょっと前までの農家の道具など並べてある資料館を見たことないのかな。
鍬鎌鋤などの鍛冶屋の工作物、大工仕事の込み入った木工工作物以外は全部
手作りだったはず。籾や米の入れ物だって自分で作らないといけなかった。
畠や山の仕事、牛などを飼っていればその世話。味噌、醤油、漬物などの
保存食の時期時期の仕込み。ところによっては着るものだって自己調達だった。
電気、ガス、水道、ガソリンなどの燃料がない状態でどう生活するかを想像
すれば大変なことが分かろう。
160 :
158:2007/08/29(水) 07:24:16
>>159 なるほど!
暮らしの基盤が全然違ってたんですね。
勉強になりました。ありがとうございます。
>>158 貧しいけど心は豊かでみんな貧困ではなくて貧しいなりの幸福感あふれる
人々だったと多くの外国人の記録がある。(幕末)
162 :
日本@名無史さん:2007/08/29(水) 18:52:35
少しばかりスレの本筋とは異なるんだけど
なんで昔の人は米が食えないという妙な話を信じるのかな
もちろん余裕があったとは言わないが凶作でなければ
食えるだけの収穫があったから人口が激減した記録がないのに
もちろん米以外のものを食べていたのは確かだろうけど
全ての米を売って買うものって何かを考えれば変だとわかるはず
昔の人は米が食えないという妙な話を信じてる人がどこいるの?
164 :
日本@名無史さん:2007/08/29(水) 20:40:17
現代でも、ネットカフェ難民といわれる人たちは無料のドリンクとポップコーンで
どうにか命をつないでいる状況らしい。
俺がよく行く漫喫も2年ぐらい前から妙に殺伐とした雰囲気が感じられていたが
なかなか大変な時代だ。
>>164 当時の若者の多くは下宿代も払えずネットカフェで寝食していたという。
それを実証する数多くの文献が存在している。
階級の分化が進行しつつあるのだ。革命の日は近い(棒読み
漫画喫茶で料金も払わずに何日も居続けた挙句に
無銭飲食で逮捕される奴が続出した時期があったんだよな。
あの頃は変な奴らだとしか思わなかったが、
今にしてみればあれが前兆だったんだな。
「ネットカフェ難民って言うな!」
だそうです。
業界の人達
今のネットカフェは一種のアジールだからな。
眠気をこらえながら鳴らないケータイを待ち続けるお前らを
網野先生がどこかで見守ってくれてるさ。
169 :
日本@名無史さん:2007/08/31(金) 07:04:08
アジールとは違うだろw
うんこさえ出れば長屋に住めるってのは嬉しい
171 :
日本@名無史さん:2007/08/31(金) 18:52:07
便壷の隣の部屋だけどな。
172 :
日本@名無史さん:2007/09/01(土) 19:39:30
173 :
な:2007/09/01(土) 22:16:55
日本史のセンター対策でなんかいい参考書ありますか??
174 :
日本@名無史さん:2007/09/01(土) 23:38:17
センターの過去問過去何年か分の赤本が売ってるはず。
それをやって、あとは知識をつければ9割くらいはいける。
176 :
日本@名無史さん:2007/09/02(日) 17:38:10
>>175 amazonのカスタマーレビュー最低なんですけど、この本。
>>176 歴史書・教科書としてどうかという点はともかく、入試問題を解く上では意外に使えるのでは。
現代史だけ勉強しても合格できないけどさ。
>>157 バカはそっちだ。
だったら、重複スレが残っているが分かっている場合には重複スレを新スレとして用いて新スレを立ててはいけない事になっているのだが。
つまり、その誘導先は立てた時点でこの時点の重複スレとして削除対象になる。
お前の主張は語るに落ちた自己矛盾。
180 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 12:37:52
織田信長に寵愛された小姓・万見仙千代と
信忠の寵童だった美少年・万見仙千代とは
どういう関係なのでしょうか?
181 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 13:20:53
大身旗本の家老とかって士分だったの?
幕府の家臣=幕臣、大名の家臣=藩士はわかるんだけど
武士の家臣って身分的にどれに当たるのかなって
有名な吉良上野介(大身旗本)の家臣は武士だったと思う。
>>179 基地外発見。そんな貴様だけの脳内ルールを強弁されてもなぁw
184 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 15:30:00
>>181 陪臣も士分は居るよ
禄高低いとか直接お殿様にお目見え出来ないとか制約も多い
185 :
日本@名無史さん:2007/09/03(月) 23:36:54
>>181 家臣とか陪臣とかいうんじゃなくて、親が士分なら自分も士分なんだよ。
それが階級社会。
主君を失って浪人になっても武士という身分にかわりはない。
奈良の大仏は当時どのような測量技術で大きさを決めたのですか?
近現代史の質問ですが。
昔ですが、生物学で、ルイセンコ学説が持ち上げられましたけど、その後はどうなっているのですか。
当時は、その説を、もちあげた人はどうなってしまってのでしょうか?
日本のアカデミックポジションの人はいたのでしょうか。
188 :
日本@名無史さん:2007/09/04(火) 19:37:03
>>188 なんか書き方が変でした。すいません。
基準などはあったのか、です。
>>187 ぐぐれや。
というか、ぐぐってみたら結構面白かった>ルイセンコ
>>187もぐぐれぐぐれ。
ルイセンコって少なくとも農業技師としては有能な奴だと思ってたが
何もかも絵空事だったみたいね。
大名行列に参加している人物の役職名や地位ってどんな物があったのでしょうか?
藩や時期によって色々違う事は検索してなんとなく分ったので、
代表的な大名として尾張や紀州の大名行列の詳細を調べましたが、
検索の仕方が悪かったのかどうにも見つけることができませんでした。
大名行列の内容に関して詳しく解説しているようなHPとかありますでしょうか?
194 :
日本@名無史さん:2007/09/06(木) 10:32:50
丹羽長秀は十五歳で小姓として信長に仕えた
と聞き及びますれど、その典拠とされる
文献と出典箇所を教えて頂き度う御座います。
よしなに頼み参らせまする。
他のスレで問うてみたものの、誰も返答して呉れませなんだ故
頼りに思うて今一度ここの板にておたずね致します。
196 :
日本@名無史さん:2007/09/06(木) 19:24:05
幕府の徒士とか同心は武士身分なんですか?
他の藩だと武士扱いされてないことがありますけど。
>>196 同心は足軽身分。徒士はどこでも士分じゃね?
中村主水も足軽なの?
結構ちゃんとした家に住んでたけど。
200 :
日本@名無史さん:2007/09/07(金) 02:05:57
江戸時代の通貨「両」って今の何円ぐらいになるのですか?
あと、石高でいう「1石」は何両になったのですか?
201 :
日本@名無史さん:2007/09/07(金) 08:51:35
202 :
日本@名無史さん:2007/09/07(金) 10:29:20
>201
同心だよ
>199
ヒント:モンドは入り婿
>>200 【初心者】スレッド立てる前に質問をPart20【歓迎】
の100あたりで詳しく議論されてる。
杉浦日向子さんのマンガ見たら主水の服装は与力のスタイルだね。
同心のいうのは丈が短くてスネがむき出しのいかにも下っ端という服を着ている。
同心でも三廻りになれば付け届けで裕福な暮らしが出来たようだ。
「主水」の読みは正しくは「もとどり」
207 :
日本@名無史さん:2007/09/08(土) 11:00:58
神武東征って出典は日本書紀?
あと、これって事実?
>>191 板違いでした。日本近代史の板には気が付きませんでした。
どこの板に書き込んでよいのか分からず、結果的にマルチとなってしまいました。
先の書き込みが不愉快に感じられたら、御免なさい。
(187です。)
>>209 因みに何箇所マルチしたの?なんかあっちこっちで見たんだが。
211 :
日本@名無史さん:2007/09/11(火) 22:19:39
江戸時代の幕府の財政は「どんぶり勘定」だったとなんかの本で読みました。
歳入・歳出の予算をたてることなしに、いきあたりばったりだと。
そのあたり、お教えください。
>>211 そもそも世界史から日本をみて「予算」の概念がそう遅れていたのかねえ?
しかも近世日本は社会政策、経済政策などを行っており、同時代の消極的な
欧州列強とは異なる。それでいて「予算」という概念がないといきあたりばったりになるだろう。
仮に歳入が安定していたとしても歳出がなあ。困ったらとりあえず緊縮財政だし。
講談社現代新書の『側用人の時代』に歳出に関する規制(部門別の上限)がされたみたいだから
上に書いたほど、当時の財政感覚は酷くなかったのかも知れない。
都市商人層の勃興にも影響があるかな?とは思わなくもない。
>>211 家重の採用した第一の対策は、予算制度の導入です。吉宗の亡くなる前年である1750年から実施されているので、
この改革が、大御所吉宗の影響はほとんどなく、家重自身の主導性の現れと評価できるのはまず確実です。
これにより、享保の改革期のような、単なる一般的な倹約から、きちんと目標を設定しての倹約策に切り替えられたわけで、
その財政上の意義はきわめて大きなものがあります。歳入をきちんと積算し、それに基づいて、各部局に予算高を割り当て、
歳出をその範囲内に押さえさせようという内容のもので、非常に近代的な予算制度でした。
いや、近代を飛び越して、現代的な予算制度という方が正しいかもしれません。
なぜなら、その後に誕生した欧米の近代予算制度は、夜警国家理念に基づいた歳出中心の、すなわち歳出に必要な
歳入額は増税等で当然に賄うことができるということを前提とした予算制度であったからです。
我々日本人にとっては、限られた歳入でどのように歳出を賄うか、という発想は自然のもので、明治初期の予算から、
既にはっきりとそのような目的で予算は編成されています。しかし、欧米の場合には、こうした発想は、主として
第2次大戦後の現代予算制度まで待たなければ、表れてこないからです。
我々財政に志す者としては、この予算制度の導入という一事だけからでも、家重の名を忘れることがあってはならないでしょう。
なお、比較のために世界の予算の歴史を簡単にみるならば、イギリスにおいて1664年に、特定の収入をオランダとの
戦争目的にのみ使用するように議会が決議しているのが、予算制度の濫觴とされていますから、家重の予算制度の導入は、
それよりは若干遅い時期です。しかし、フランスやドイツには、まだ予算らしきものはまったく無く、米国に至っては
国も生まれていませんでした。また、イギリスの場合にも、ここで予算と呼ばれているものは、特別の租税収入だけを
対象にしたもので、幕府のそれのように、毎年行ったものでもなく、また、毎年のすべての歳入、歳出を統制したものではありませんでした。
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/rekisi/05edo.htm
江戸時代後期って貨幣改鋳が重要な収入源になっていたんだよな。
なんかすごい。
今の世で言えばお札刷って財源にしてたようなもんだよな。
そのつけが幕末の物価高騰
216 :
匿名:2007/09/13(木) 20:01:20 BE:547533937-2BP(0)
例えば、『日本歴史』などに収録されている論文ってどうやったら手に入りますか?
217 :
日本@名無史さん:2007/09/13(木) 20:21:13
日本最古の哲学者と言える人物は誰でしょうか。
空海最澄あたりになるまで存在しないのですか?
漏れは『竹取物語』を哲学書だと考えておりますが何か?
219 :
日本@名無史さん:2007/09/13(木) 23:10:31
そですかあれは物語ではないのですか
あれが哲学ならギリシャ神話も哲学であろかと
221 :
匿名:2007/09/14(金) 18:55:15 BE:730044847-2BP(0)
小林秀雄先生が日本初の思想家は聖徳太子だと言っておられなかったか?
野蛮な世界への怒りに燃えながら物部軍団に突撃していったとかなんとか。
223 :
日本@名無史さん:2007/09/16(日) 16:51:02
言語学で言うと「哲学」時代は明治期の言葉だから明治以降にしか哲学者は存在しない
一般的な人間なら誰でもある年代になれば哲学っぽいことを考えていたと思う
古今東西を問わずに
下品な質問で申し訳ないのですが、江戸時代の江戸の街は男女の人口に大きな差があって
男が圧倒的に多い社会で、平均寿命も低かった、若い男がたくさんいたと聞きます。
女郎や夜鷹の値段はそんなに高額ではなかったとも聞きますが
誰もが誰も女を簡単に買えたとは思えません。
江戸時代の男は一体どんなオナニーをしていたのですか?
春画は嫁入り道具の一つに入っていたと言いますが、春画をオカズにしたのでしょうか?
紙はまだ高価だと思うのですが、出した精液の処理は?
下らない質問で申し訳ありません。
225 :
日本@名無史さん:2007/09/19(水) 05:45:18
戦国時代の正室に〇〇の方って言い方しました?
側室だけでなかった?
226 :
日本@名無史さん:2007/09/19(水) 16:40:12
>>224 春画について言えば、板行された浮世絵の七割から八割は春画だったんだよ。
この方面に興味のない人はあまり知らないだろうけど。
春画は浮世絵の一部じゃなくて、事実上「春画≒浮世絵」。
>>224 いわゆる最低辺の飯盛り女みたいのはたまには買えたんだろうな。
自慰についてはその道の解説書みたいなのがあったと思う。
いわゆるその手の道具の作り方みたいなの。
>>224 性処理は後家さん。当時は死に別れが結構多かったから。
落語や艶笑話には、村のほとんどの男の筆卸をしておいて
情を移し、困ったときに逆に助けてもらうたぐいの話がある。
戦前生まれの小説家が体験談として書いてるのもあるから、
実話なんだと思う。
後処理は浅草紙だと思う。生理用品やトイレットペーパーとして
くず紙を集めてすきなおした再生紙が浅草紙。江戸のリサイクル率は
かなり高かったという話。田舎はちょっと分からん。
>>226-228 お答えいただきありがとうございます。
浮世絵のほとんどが春画だとは知らず、驚きました。
ブロマイドみたいなものだと認識していたので…
現代にてらしてみるとアイドル雑誌よりエロ本のほうが
流通の総量が多いから考えてみれば不思議でもなんでもないですね。
春画をオカズに処理は浅草紙、時々器具を作って試したり。
オカズと器具の種類とクオリティが上がっただけで現代とさほど変わらないですね。
>現代にてらしてみるとアイドル雑誌よりエロ本のほうが 流通の総量が多いから
おい!普段どんな本屋へ行っているんだ?
>>230 いやマジな話アイドル雑誌て何誌あるのよ
得ろ本の種類はいっぱいあるけど
ちなみに俺は229じゃないけどさw
233 :
日本@名無史さん:2007/09/21(金) 09:22:14
日本史は伊藤が旧自由党員や官僚を組織して
立憲政友会を結成した
この文ってあってますか?
「日本史は」ってとこが意味不明
235 :
日本@名無史さん:2007/09/21(金) 10:45:23
>>234 悪いまちがえた。
伊藤が旧自由党員や官僚を組織して
立憲政友会を結成した
これってあってる?公務員の試験ででたんだが
あってる。伊藤が指すのが伊藤博文なら。
237 :
日本@名無史さん:2007/09/21(金) 11:54:24
詳しい人教えて
ドラマ風林火山で
長尾景虎と宇佐美は初めは敵対していたようだが、
小説「天と地と」だと、そんなことはないのですけど
どちらの方が史実に近いですか?
「天と地と」の宇佐美は架空の人物だったようなきがした。
勘介みたいなもん。
239 :
日本@名無史さん:2007/09/21(金) 22:07:23
幕末の薩摩、長州は両方とも最初から攘夷派でしたよね?どうして敵対してたんでしょうか…
薩摩は佐幕を装いながら内心では虎視眈々。
長州はガチ倒幕だったので相性が悪かった。
>>239 七卿落ちの政変など、京都のテロ活動で薩摩らにシメられたことへの逆恨み。
>>239 島津斉彬は公武合体派だったんじゃない?
>>238 宇佐美が架空の人物?新説だなw
あと、山本勘助も実在の人物。
>>239 共産党と現社民党が仲が良いわけではない
それを踏まえてみるがよし
245 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 07:28:25
質問です
関が原の戦いとか大阪の役の事を
当時の人たちは何て呼んでんですか?
今と同じように大阪夏の陣とか冬の陣とか呼んでたの?
それとも単に戦?
一件落着したあとで論功行賞の便宜のために戦に名前を付けるわけです。
リアルタイムでは関が原で西軍が壊滅して戦闘が終了するなんて誰もわからないし、
大坂城がひと夏で陥落するともわからない。
>>243 山本勘助は架空の人物が定説。「ヤマモトカンスケ」という名前の人間は
いたようだがいわゆる山本勘助は架空と考えてよい。
500年後、プロ野球の歴史を調べたら巨人の「星」は実在したことが判明。
(本当に在籍してる)大リーグボールも事実だったかみたいなもん。
249 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 10:47:46
T帝国大の杉山イワオって、院生?使えるの?
ぐぐっても2本くらいしか論文が出てこん。
しかも史料紹介だし。
250 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 15:50:19
天草四郎と誰かが雑煮の話で喧嘩をしていたというのは本当ですかね?
251 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 19:30:14
>>246 ありがとうございます
>一件落着したあとで論功行賞の便宜のために戦に名前を付けるわけです。
つまりそこで初めて大阪夏の陣等の名前がつけられて
それが一般名詞化したんですか?
>>251 第三者的な立場でネーミングを行う報道機関などは存在しない時代なので、戦争の名称は勝者側が付けます。
名前を付けたらそれが感状とか恩賞状とかの公文書に載って歴史上の通称になってゆくわけです。
いつの時代でも公文書は最上級史料ですから。
現代ではだいぶ状況が違っていて、こんな感じです。
公式名 通称
砂漠の嵐作戦 → 湾岸戦争
イラクの自由作戦 → イラク戦争
希望の回復作戦 → ブラックホークダウン事件
253 :
日本@名無史さん:2007/09/22(土) 22:14:49
>>252 それは少し変
公文書と言う場合の「公」の意味合いはなんでしょう?
また公式名と通称についても国家間の場合には相手側では別の名称がつくでしょう
遡って
>>245については日本史板にはふさわしくない答えですが
当時の人たちは当時の人たちが区別のつく言い方であれば何とでも言っていたでしょう。
これは現代でも同じです
日本で一般的に「先の戦争」と単純に言えば「第二次世界大戦」の事と通常は理解します
第二次世界大戦では日本の戦争よりも範囲が広いとなれば「大東亜戦争」という言い方をするかもしれない
「大阪の役」と言う言葉も「夏の陣」「冬の陣」という両方をあわせて生じた言葉であって
>>252氏の言うとおりであれば「冬の陣」と言う言葉が生じるのは「夏の陣」があったからであって、感状に「冬の陣の功績云々」などという文言は夏の陣終結前には書けないわけです
あくまで日本史の中で区別が付くように現代の都合や慣例から名称はあるのであって
>>245の質問は「関が原の合戦」という名称はいつ生じたのかという個別の問題なら答えはあるでしょう。私はそれは知りませんが。
正式名称とか言うなら沖縄戦は氷山作戦。
256 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 15:47:43
質問者はもういなくなったのかもしれないが253だけど
>>254-255 にあるように名称なんて誰が使うかまたは時代が違えば変わる
質問者はもういなくなったのかもしれないが
257 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 17:53:57
携帯から失礼します。
ググってみたのですが知りたい情報が得られなかったので質問します。
江戸時代末期にシャボン玉(もしくは似たようなもの)はあったのでしょうか?
258 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 17:55:00
259 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 18:22:10
>>257 平賀源内が発明しています
といわず戦国時代にはあった
260 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 18:33:11
臣下初の皇后が光明子と言われていますが
仁徳天皇の皇后の磐姫は葛城氏の出だといわれていますよね
磐姫はカウントに入れないんですか?伝説だから無視?
>>259 ありがとうございます、助かりました。
その時の名称も『シャボン玉』と言っていたのでしょうか?
重ね重ね申し訳ありません。
262 :
245:2007/09/23(日) 19:21:39
みなさん、レス遅くなってすみません
ありがとうございました
特定するのはなかなか難しいようですね
できれば江戸時代に書かれた関が原の戦いや大阪の役に関しての文献
もしくはそういったものに関して書かれた本を読んでみたいのですが
何かいいものがあるでしょうか?
263 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 19:32:39
>>261 どの本で読んだのか既に記憶にないので出典は示せないが
「しぼん」であったような気がする
ブルーバックスだったか化学系の新書だったとは思うが・・・すまんこってす
264 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 20:12:37
>>263 成る程、しぼんですか!
そこまで知れれば十分です、改めて本当に有り難うございました。
>>262 「関ヶ原陣」「関ヶ原御陣」「大坂陣」「大坂御陣」「大坂冬陣」「大坂夏陣」
などで検索すると色々出てくる。
266 :
245:2007/09/23(日) 21:04:56
>>262 江戸時代に書かれた文献ってことは当時の史料を読みたいわけだよな?
だったらまず大日本史料の第12編を読むべきでは?
新選組の中島登についての資料を探しています。
勧められて「誠の道」神月明菜著は読みましたが、駄作でした。
他に御存知の方がいらしたら、教えて下さい。
宜しくお願いします。
>>269 板違い。幕末以降の日本史は日本近代史板、小説は文学板。
直江兼続に関する本を探しています。
できれば、脚色とか著者の主観(好き嫌い)の入っていないような
もので、軍事〜内政面まで幅広く事績に触れているものが良いのですが。
272 :
日本@名無史さん:2007/09/25(火) 18:36:07
>>271 >できれば、脚色とか著者の主観(好き嫌い)の入っていないような
個の条件はかなり厳しい、脚色はなんとか妥協しても主観は避けられない
江戸時代の高田屋嘉兵衛は商人なのに何で苗字があるんだっけ?
>>273 貧しい猟師の出と言われているが、先祖は郷士だったこともある家の出らしい。
本人は択捉開拓の功で名字帯刀を許されている。
>>271 『大日本古文書』の上杉家文書でも片っ端から読めば?
276 :
小石です:2007/09/26(水) 23:43:44
先祖探ししています。小石といいます。
武士だと思うんですけど情報下さい。
277 :
日本@名無史さん:2007/09/27(木) 07:06:23
かわらにでも行ってろ
278 :
日本@名無史さん:2007/09/28(金) 01:58:46
小石ばかりの使えない土地に追いやられた最下層の農民の末裔でしょう。
279 :
日本@名無史さん:2007/09/28(金) 10:03:06
そんな殺生な・・
武士から農民になった人とかいると思うけど。
280 :
日本@名無史さん:2007/09/28(金) 10:32:12
飛鳥時代の庶民は、どんな名前が多かったのですか?
wikiから引っ張ってくると「清原氏女(きよはらうじのむすめ」
とかですか?
クマとかハチとか、2文字くらいの動物の名前も居たとか聞きましたが
本当ですか?
>>279 都知事も「石原」だから、気にすることはない。
「小沢」とかも似たようなモンだろう。
>>280 基本的に女性の名前は権門でも残らないことが多い。
清原氏女も、氏女は名前ではなく、清原さんとこの女(むすめ)
程度の意味。
283 :
280:2007/09/28(金) 20:12:32
>>282 ありがとうございます。
では、飛鳥時代の庶民になるとどんな名前だったか分からない訳ですか。
でも名前自体はちゃんとあったんですよね?
男の名前も残っていないのですか?
>>281 でも、石原や小沢っていう武士はいるからな。
俺の知る限り小石姓で一番の大物はマジシャンw
285 :
日本@名無史さん:2007/09/29(土) 01:14:43
>>284 アイザックアジモフの著書の邦題では宇宙レベルだ。キニスンナ
飛鳥期はちょとわかんないけど、律令時代初期なら郡司の戸籍が当主から
奴婢の名前まで、女性も含めて残ってて「大日本古文書」に掲載されてますよ。
専門じゃないので断言できませんが、それほど違いはないんじゃないかと。
287 :
日本@名無史さん:2007/09/29(土) 15:37:07
日本で女性に選挙権が認められたのは何年ですか?
288 :
287:2007/09/29(土) 15:47:41
すいません
解決しました
290 :
日本@名無史さん:2007/09/29(土) 16:06:02
>>280 時代が下るけれど、「万葉集」には女性に読みかけた歌の中に
「桜児」とか「蔓児」とか、庶民と思われる女性の名前が出てきますね。
民謡に近いのかもしれないけれども。
291 :
小石です:2007/09/29(土) 17:23:30
武士は諦めます。貴族の可能性にかけてみます。
293 :
日本@名無史さん:2007/09/29(土) 19:01:54
>>291 それが史料が残っている可能性にかけるのならいいけど
氏素性で自分の価値は変わらないよw
大石内蔵助という大ヒーローもいることだし、
小石というのも先祖をたどれば結構立派な
人物がいるかも。
295 :
日本@名無史さん:2007/09/29(土) 19:29:13
ここは小石クンの先祖をみんなで決めるスレにすればいいんじゃね?
小石元俊の子孫ということにしようじゃないか
297 :
日本@名無史さん:2007/09/29(土) 21:13:18
ずっと、義経はチンギスハンと信じているのですが…。
299 :
日本@名無史さん:2007/09/29(土) 22:00:56
>>小石
ちょっとずつ誤魔化せばいいよ。
まず君が中石と名乗って子供を大石にしよう!
つまり出世石だ。
300 :
小石です:2007/09/29(土) 22:49:42
もっと真面目に考えて下さいよ。
マロが付く名前の人とかいないかなぁ。
マシュマロ
302 :
日本@名無史さん:2007/09/29(土) 23:21:06
>>小石
じゃあ小石岩石麿。こいつは強いぜ。信長も恐れた猛将だ。
しかも麿だから品が違う。子孫の君は皇室にも匹敵するよ。
不敬罪で通報しますた
304 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/30(日) 01:34:32
306 :
日本@名無史さん:2007/09/30(日) 10:57:40
>>300 真面目に考えるも何も他人の先祖なんてどうでもいい話だよ
そろそろ先祖探しスレに池w
>>300 堂上公家には小石なんていないよ
そもそも小石って地名探してみれば?
なけりゃ小石だらけの河原で生活してた最下層者の末裔だよ残念ながら
308 :
日本@名無史さん:2007/10/01(月) 00:08:24
小石クンは中学生なの?
小石藤吉郎
小川、小田、小野、小池、小林、小杉、小橋・・。
小石よりスケールの小さい名字ってなかなかないねw
でも、そんなの関係ねぇ!おっぱっぴーだよ小石君。
311 :
280:2007/10/01(月) 07:15:20
遅くなりましたが、庶民の名前に関する
質問に答えてくださった方、ありがとうございました。
大日本古文書や万葉集を調べてみます。
手がかりが掴めただけでも、本当に助かります。
参考になりました。
312 :
小石です:2007/10/01(月) 20:35:58
僕は公務員ですよ。若く見えるけど意外と年とってますから。
小石氏 若狭国林野氏族
314 :
小石です:2007/10/01(月) 20:52:51
詳しく教えて下さい。それ良さそうな感じですよ。
林野氏 若狭 出自未詳 (姓氏家系総覧B)
小石氏 若狭 林野氏の族である (姓氏家系総覧A)
316 :
小石です:2007/10/01(月) 21:30:09
検索しました。元俊って人ですね。蘭学者なんてかっこいいなぁ。
小石家って結構凄いかもしれない。引き続き情報待ちますよ。
こうやって自称子孫は増殖していくのかw
318 :
日本@名無史さん:2007/10/02(火) 08:00:42
いつからここは小石家専用スレになったんだw
小石君に希望を与えようと一致団結してますからw
320 :
日本@名無史さん:2007/10/03(水) 19:10:00
321 :
日本@名無史さん:2007/10/03(水) 19:45:09
小石元俊の小石は改名して自ら名乗った姓だろ。
武士みたいに勢力を伸ばした姓じゃないから、こじつけ辛くね?
322 :
小石です:2007/10/04(木) 19:32:02
これだ!って思えるのがなかなか見つからないなぁ。
僕は特別な存在だと思うんだけどなぁ。
>>322 紀元前5963年頃、たぶん巨大隕石が衝突した。
隕石に乗って宇宙人がやって来たことは内緒だぜ。
隕石は宇宙スケールで見るなら小石。
彼等は小石と名乗り、超古代文明を・・。
325 :
日本@名無史さん:2007/10/04(木) 21:22:30
326 :
日本@名無史さん:2007/10/04(木) 22:13:54
西洋の石の文明は全て小石一族によるものだろうな。
ピラミッド作ったのは間違いなく小石王朝のファラオだよ。
巨石一族なのに謙虚に小石と名乗るところに品を感じるね。
327 :
小石です:2007/10/06(土) 20:21:35
もっとファンタジーなのがいいです。
竜を倒した魔法戦士とかにして下さい。
328 :
日本@名無史さん:2007/10/06(土) 21:50:56
承久の乱で一条信能は遠山氏に殺されたことになっているが実は
逃げたらしいぜ。
329 :
勝田呂:2007/10/06(土) 21:55:10
おま、そんなこと言うたら、河越重頼の嫡男、重房は実は逃げたらしい。
その子孫を称するひとに聞いたから間違いない。そういう隠れた事実があるんだよね。池波正太郎に教えたらいい時代小説書いてくれそうっだね。
日本史の先生に、「元寇と倭寇はどっちが強いですか?」と
きいたやつがいた。先生はあきれていた。しかし俺も思った。
元を倒した明に負けないんだから、
>>330 朱元璋が倒した頃の元軍は高麗軍にすら勝てません。
332 :
日本@名無史さん:2007/10/07(日) 17:17:41
武田信玄を源晴信、毛利元就を大江元就と表記してる本があったんですけど
どいうことでしょう?
333 :
日本@名無史さん:2007/10/07(日) 17:23:53
年号?がわかりません。
紀元前だのBCだの何なんですか??
縄文→弥生→平安→室町→鎌倉→江戸→明治でおk?
>>332 古文書等の史料でしょうか?
現代の本だと一番通ってる名前で書いてあることが多いですが…。
武田とか毛利とかいうのは”苗字(名字)”で、各家が名乗り始めた物。
これに対して源とか大江とか(他に藤原とか平とか)は”姓”で、朝廷から与えられた物。
なので特に正式な文書(朝廷から出される文書など)ではこちらが使われることが多い。
例えば家康が征夷大将軍を受けた時の文書だと『源家康』と書かれています。
信玄は(ちなみに謙信も)出家したときの法号であって、正式な名前ではありません。
なので公式な文書では以前のまま晴信と書かれます。
wikipedia-本姓 も参考になるかと
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A7%93
335 :
日本@名無史さん:2007/10/07(日) 20:10:45
国府と国衙ってどうちがうの?
338 :
日本@名無史さん:2007/10/07(日) 23:40:25
ここは小石君と愉快な仲間達のスレですよ。
339 :
日本@名無史さん:2007/10/08(月) 00:44:57
341 :
小石です:2007/10/08(月) 06:39:54
おはようございます。みんな応援ありがとう。
僕が凄い人の子孫だとわかったら、みんな家来にしてあげるからね。
そりゃどうも、小石の殿様
344 :
日本@名無史さん:2007/10/08(月) 13:26:39
>>334 家康が征夷大将軍になったときの口宣案にどう書かれていたか知ってる?
346 :
日本@名無史さん:2007/10/08(月) 18:46:36
三種の神石があるのは、小石神宮と小石大社と大小石神社だっけ?
小石君は現存する唯一の殿様ですよ。
名誉白人として白塗りとチョンマゲで勝負ですよ。
でび夫人
350 :
大学受験生:2007/10/08(月) 21:58:38
何で江戸時代には日本海側の酒田にいちいち西回り航路、東回り航路を置いたの?普通に大阪・江戸の南回り航路だけでいいと思うんだけど?
蝦夷へ向かう酒田市民の小石君
山手線と一緒で内回りと外回りを作らないと不便だからじゃね?
酒田藩150万石藩主、小石上総守の命令でそうなった
>>352 名古屋市営地下鉄名城線では「左回り」「右回り」っていうよ。
>>346 大石倉之助の大石神社には、小石君の三種の神石にあやかって、そのレプリカがおいてあるって聞くけど。
>>356 おおぅ、耳寄りな情報サンクス!
>>353 確か、今の藩主は上総守だけど、先代は常陸守、跡継ぎは上野守
っていうんだよね。
さすが親王様
359 :
日本@名無史さん:2007/10/09(火) 05:35:51
何なんだこのスレはw
360 :
日本@名無史さん:2007/10/09(火) 09:51:11
藤原四子の時代の「他氏排斥」の意味を教えて下さい。
小石君の三種の神石を、他氏が持つことを排斥したから他氏排斥。
だから
>>356の大石神社にあるのはレプリカ。
砥石城で小石を拾いました。
最後は捨石にされました
364 :
日本@名無史さん:2007/10/09(火) 17:06:02
名門小石家を語らずに歴史を語る奴って何なの?
石は小石に限るとじっちゃんが言ってた
366 :
小石です:2007/10/09(火) 22:36:18
なんか照れるなぁ。でも気持いいよ。
367 :
日本@名無史さん:2007/10/10(水) 01:09:17
現行条約励行 と 内閣弾劾上奏 の意味を教えてください
>>367 意訳すると「小石君が恋しい」って感じかな?
意訳しすぎw
小石君と書いてセレブと読むんだよね。
三文字同士だからちょうどいいし。
小石藩の藩邸は小石川にあるよ。
372 :
日本@名無史さん:2007/10/10(水) 03:51:48
20XX年、小石君が小石幕府を開きます。候補地募集中です。
君達も男なら幕府誘致で村興ししてみては?
373 :
日本@名無史さん:2007/10/10(水) 16:22:53
聖遺体将軍の小石君は十字架にはりつけになって伝説になるよね。
八つ墓村なんかナウいから本拠地っぽくね?
374 :
日本@名無史さん:2007/10/10(水) 18:25:56
小石のよみは「こいし」ではない。
公家の石井(いわい)家と同じで、こいわと読む。
すなわち元は小岩氏を称しており、甲斐源氏武田氏の分かれである。
なるほど374の話をきくと372の話も頷ける。
征夷大将軍につくのであれば、是非蝦夷の地仙台に幕府を開いてもらいたい。
新小石とかいて「ちんこいわ」と読む。
377 :
日本@名無史さん:2007/10/11(木) 18:10:37
ヤバいよヤバいよ。
おれ小石踏んじゃったよ。
不敬罪だよね?
378 :
日本@名無史さん:2007/10/12(金) 12:04:29
荘園について馬鹿でもわかる説明いただけませんか?
380 :
日本@名無史さん:2007/10/12(金) 12:53:22
小石スレに馬鹿は来てはいけません。
382 :
日本@名無史さん:2007/10/12(金) 19:31:50
>>379 小石スレですれ違いだが
合法的でもないんだな
383 :
日本@名無史さん:2007/10/12(金) 19:44:34
荘園を持つといいことがあるのですか?
不労所得
385 :
日本@名無史さん:2007/10/12(金) 21:59:19
荘園が不労所得となったのは後に名義を貴族のものにして
名義代を払うようになったから、土地を管理することもなく収入が得られるようになった。
これにより律令制は崩壊し、このとき栄華を極めた小石家は長き雌伏の時期が来ることを知らなかった。
386 :
日本@名無史さん:2007/10/12(金) 23:55:41
保元の乱について質問です
天皇方と上皇方ってありますが?
上皇って何ですか?
天皇は1番えらいと解釈していいのでしょうか?
>>386 太上天皇(だじょうてんのう)の省略語。
太政大臣って言葉もあるが、要するに「元天皇」という意味。
大宝律令などで定められている正式な地位。
持統天皇から始まって今に到るまで計62人の上皇がいる。
天皇と同じ権力を持っているとされている。
日本で一番偉かったのは「治天の君」と呼ばれていた方。
これは天皇であったり、上皇であったり、時代世代によって違う。
普通は天皇が皇太子に位を譲って隠居しないと上皇にはなれない。当たり前の話だが。
現在では天皇は生涯位を譲れないことになっているので誰も上皇にはなれない。
ただし、天皇の養子になって位を譲ってもらった天皇が(天皇ではなかった)実父に上皇の名を贈ることはあった。
これは正式には「准太上天皇」と呼ぶ。太上天皇に准ずるという意味だ。
>>387 尊号一件というのが、天皇の親父に上皇号を送ろうとして
幕府ともめたやつだっけ?
足利義満はどういう理由をつけて上皇になろうとしたの?
>>385 でも小石君は、のちに小石院領という膨大な荘園群を集積して大荘園領主に成長しますよ!
>>387 天皇は三種の神器を持つけど、治天は小石君の三種の神石を持ちます。
>>382 あと必ずしも免税地でもない。
もっとも小石院領の荘園は100%不輸不入だけど。
394 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 08:03:09
やっほ
395 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 08:05:53
皆さん知識ありますね
396 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 09:48:43
元天皇がいるように「未来の天皇」もいる。
光り輝くその原石のことを敬意を込めて「小石」と呼ぶのだ。
小石君が将来の日本の象徴であることは間違いない。
397 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 11:24:55
天武天皇の頃にいた豪族って何ですか?
公地公民制を徹底化して八色の姓を制定し天皇を頂点とする身分秩序に豪族を序列化した
と書いてあります
豪族とは?
小石臣
小石連
小石首
小石直
小石造
399 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 15:27:52
徳政令って借金消してくれぇーって幕府に要求すること?
よくわからん(泣)
どなたかネ申教えてください
400 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 15:39:06
>>398 おい下三つ違うw
小石一族は源姓を賜るまで姓は無い。
ちなみに姓は朝臣な。
せい と かばね の読み分けに注意
401 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 15:43:49
>>399 徳政令とは朝廷なり幕府なりが臣下に対して下す令。
要求に応じた事はあるだろうが、権力側の都合。
「徳」を示すために行うが、「徳」が無いから徳政令を出すのは常識。
当然ながら小石様は徳政令など出さなくとも天下をお納めになっていた。
402 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 16:19:52
小学生レベルにわかるように説明していただけませんか?
馬鹿で死にたいです
403 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 16:37:08
>>402 どの質問もしくは回答がわからないんだ?
404 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 16:48:29
生活板から誘導されてきました。
江戸時代の庶民にとってのストレスの原因の多くは何だったのでしょうか?
405 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 17:06:18
407 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 17:33:24
>>399 鎌倉幕府が出した徳政令は、御家人の借金をチャラ
もしくは半分なりに軽減するもの。
室町幕府の出した徳政令は、借金には特には触れず、
貸し手(土蔵)に幕府への献金を強要するもの。
当然小石幕府はそんな悪政は行わず、小石をもって借金の返済に充てるという
素晴らしい政策を採っている。
408 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 17:59:35
どういうスレだよw
小石ヲタ、うぜー
412 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 00:27:52
>>404 小石君のブロマイドが発売されてなかったこと。
413 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 00:53:24
414 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 07:44:33
豪族と御家人の意味がわかりません
415 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 07:48:12
>>414 御家人とは配下の武士。家人→御家人。鎌倉幕府成立後に言われる。
豪族とは勢力を持った一族。古代よりある。
小石様は元々天皇家のご一族。古代は近畿の豪族であったのかも知れぬ。
417 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 09:19:39
鎌倉幕府の徳政令は配下の武士の借金をチャラにしよう
という政策ですか?
どうしようもないですね
>>417 今でも自己破産という制度があるんだから別におかしくはない。
>>417 どうしようもないのは室町幕府の徳政令。
京都近郊で徳政令一揆(借金チャラにしろ一揆)が起きると借金問題には何も触れず
「幕府に献金しろ」という内容の「徳政令」を出す。
420 :
リカルデン ◆.81/SDBF.k :2007/10/14(日) 18:15:02
日米和親条約で
下田・箱館を開港しましたよね。
日露和親条約で
下田・箱館・長崎を開港しましたよね。
日米修好通商条約で
長崎・神奈川(横浜)・下田(後に閉港)・新潟・兵庫(神戸)を開港しましたよね。
けど…………
片務的最恵国待遇がアメリカにあるはずだから、日露和親条約を結んだ時に長崎を開港するはずじゃないんですか?
用語集だと日露和親条約条約を結んだ時にアメリカ・イギリスに長崎が開かれたみたいですけど……
教科書は日米修好通商条約のときに長崎が開かれたような記述がされてるんですよね………
421 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 18:18:39
寛文騒動の後、船岡城を預かった柴田家というのは、原田甲斐を
斬った柴田外記の一族なのでしょうか?
なんで僕はヤリチンなの?
425 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 22:08:11
1641年に鎖国体制完成なのに
幕府は中国、オランダを相手に長崎貿易を行ったのは矛盾してませんか?
426 :
小石です:2007/10/15(月) 22:13:25
余は満足じゃです。
427 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/15(月) 23:13:51
>>425 最小限の安全弁だよ。
なかったら夜郎自大になるし、情報文物も入ってこなくなる。
幕府は世界情勢をそれなりに視野にいれてるしさ。奸智にたけてるよ幕府は。
吉宗の態度なんかその最たるものかな
428 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 23:38:33
↑もすこしお馬鹿な私にわかりやすくお願いいたします
429 :
日本@名無史さん:2007/10/15(月) 23:43:55
むしろ、気になるのは、清との国交はどうだったの?
日本が清に朝貢してるって話は聞かないし、
かといって、朝貢貿易以外認めなさそうだし
密貿易だったのかな?
>>429 断交状態。事実上の仮想敵国。
とはいっても、民間での(今で言うところの)貿易はやっていた時代で
統制的な「貿易」は既に過去のこと。
李氏朝鮮は日本に朝貢させてるつもりでいたんじゃないかな?
日朝貿易は対馬藩の管轄なので幕府は関係ないけど。
433 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 00:15:03
幕府だの朝廷だのどっちがえらいんですか?
仲はいいのですか?
434 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 00:20:01
尊皇攘夷派って何ですか?どういうやつらですか?
幕府率いてたのは誰ですか?
長州藩には誰がいたんですか?
わけわかんないっす
435 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 00:27:31
勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城とはなんですか?
436 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/16(火) 00:36:30
答えるのに本一冊相当必要な質問は謹んで下さい。
なーんちって。ひとことで答えられるわけないし、必ず反論がくるよこういった質問群は
>>429 >>430氏とかぶるが、
国家レベルでの外交はなさそう。
ってか、鄭成功が日本に援軍求めたり、
朱舜水みたいに明の遺臣が日本に亡命したりで、
どちらかというと当初は緊張した関係かな。
ただ、日本は清との貿易はしたくて、
実質薩摩藩支配下だった琉球を
清の役人が来るときだけ偽装して
朝貢貿易を行っていたと読んだ記憶がある。
>>425 海禁政策…いわゆる鎖国と呼ばれているものは色々な意味で国家を防衛する為の
対外政策なのだが、やるべきことは、「私貿易および私的交流の禁止」ただ一つ。
逆に言えば、『公(を通して)ならば』 貿易や交流はOKとするもの。
何でこうするかというのにも色々事情があるのだが、要は犯罪かそうでないかの
明確な一線をここに引くことが一番だからさ。
公でもやらないとなったら、裏の世界でやられるようになり、それが止まらなくなる。
そうなるに決まっている。莫大な利益を得ることができる世界なのだから。
裏に浸透すると公はもう手をつけられなくなる。血で血を洗う取締りをしても無理。
究極的には反政府勢力の台頭を招き、自国の安定性も損ないかねない。
これでは何のための禁止かわからなくなる。だから、公的なパイプしか認めない
というスタンスで内外に臨むべきなのさ。
オランダかエゲレスかイスパニアかポルトガルか。
日本にとってはキリスト教布教の事情が大きかったということもあるのだが、
これらの国は当時、お互いが敵対関係、それもかつてないほど激しい戦争を
繰り広げていた時代だったってことも頭に入れておいたほうがいいよ。
欧州にとって日本は世界の果てではあったけれども、日本としてはこれらの国を前にして
どこと友誼を結ぶべきか…ということは当然考えなくてはいけないこと。
いわゆる同盟を結ぶほどのことはないにせよ、複数の国を受け入れてしまったら
幕府にとっても日本にとっても、彼らの抗争に無駄に巻き込まれることに
なりかねないのだから。
>>437 南明問題があったからね。
「中国」にしてみれば、敵対する勢力の最後の逃げ場、最後の後ろ盾に日本がいる
という意識があるところからしても、清は日本と友好関係を結ぶのを躊躇うよ。
これは今の台湾問題と共通する中国のスタンス。
しかし今でもそうだけれど、(漢方)薬、顔料や玉などの鉱物類、陶磁器、織物…
日本が中国から輸入している物資は莫大なものだったからね…
>>438さんありがとうげざいます
家庭教師になってください(笑)
ところで、電話で勉強教えてくれるみたいなシステムってないのかなぁー
ちょっとしたことがわからないとき非常に困りますよね(泣)
ウチは孫が電話で聞いてくるなあ。
親に聞いて分からないときでないと答えない。
高校位までの知識ならまだ孫の親に負けない気でいる。
幾何の証明を電話でやるのはムツカシイな。
おじいちゃんの頃とは日本の位置もだいぶ変わってるんじゃないでしょうか?
>>441 今の高校の知識=おじいちゃんの頃の中学の知識
なんだろうな
>>411は、
小石君を「コイシクン」と読んでるんじゃね?
「コイシノキミ」なのに。失敬なヤツめ!
>>439さんは
いったいいくつなんですか?(汗
時代も代わりましたよね
そういや万葉集で
こいしきみ
という言葉を勘違いしていた俺は
世の中をしらなかったと反省
>>446 「小石」は、公家の石井(いわい)家みたいに「こいわ」と読むって上のほうに
あったよ。
他にも旧国名の石見(いわみ)とか、あるよね。
よって「小石君」は正しくは「こいわのきみ」となる。
旧仮名遣いに準拠すれば「コイハノキミ」だね。
450 :
日本@名無史さん:2007/10/19(金) 16:50:03
我々小石家臣団は、小石君を殿下と慕い、政権奪取を目指すのでありますです。
これが後世に名を残す小石党の旗揚げの瞬間であった。
ていうか、もうネタスレになったんだから上げんなよ。
間違って質問しにくるヤシが出てくるじゃん
452 :
小石です:2007/10/19(金) 21:32:37
僕の独裁ならみんな幸せですよ。
良い独裁者とは自分以外が幸せになるんですよ、小石様。
>>450 殿下を名乗るということは、小石政権は摂関政治ですな。
常春の国マリネラも摂関政治なのか?
456 :
日本@名無史さん:2007/10/20(土) 17:53:02
お前ら質問スレでネタやるのはやめてください。
まじめに勉強したい人たちの邪魔です。
>>451 質問スレの本スレのほうも頻繁に上がっているから、それほど神経質になることはないかと。
>>449 「小石君」の「小石」は、現在では「こいわ」と読むが、
古代の万葉仮名表記では、「乎位波」などと書かれるので、
元々は「ヲイハ」と読んでいたと推測される。
>>458 × 乎位波
○ 乎伊波
「乎位波」では「ヲヰハ」になってしまうな。
460 :
日本@名無史さん:2007/10/20(土) 21:48:55
君が代は 千代に八千代に
細石の 小石となりて 苔の生すまで
(詠人知らず)
461 :
日本@名無史さん:2007/10/21(日) 14:54:52
奈良時代の貴族等はベットを使ってたのに、何故平安時代に入ると硬い畳になったのでしょうか?
枕草紙を読むと、布団と云う概念が無くなってるような・・・。
462 :
日本@名無史さん:2007/10/21(日) 15:08:38
一番の贅沢は小石を敷き詰めた上に横たわり適度な刺激をツボに受けることだ。
つまり、小石がキーワードなのだよ少年。
463 :
日本@名無史さん:2007/10/21(日) 20:45:42
世界史は苦手だったけど小石川の上流に栄えたのが
世界三代文明のひとつ小石文明であるってのは覚えてるよ。
常識だよな。
まぁ四大文明まで広げても様々な組み合わせで必ず入るのが小石文明だし
セレブご用達のライスといえばご存じコイシヒカリ!
三粒で家が建つといわれる幻の逸品ですよ。
結局のところ細川政元は何がしたかったのでしょうか?
小石君はウンコしないよ。
470 :
日本@名無史さん:2007/10/24(水) 22:28:20
>>470 ここは小石スレなので、答えは向こうに書いた。
>>462 でもそれは、小石君から許可を受けてからやらないと、不敬罪だよ。
474 :
日本@名無史さん:2007/10/25(木) 00:50:38
「明退候処」って何て読むの?
小石君が恋しいと読む。
476 :
日本@名無史さん:2007/10/26(金) 00:11:44
新幹線の駅と小石家がない県はド田舎だと言われてるよね。
大阪の陣で豊臣側に勝ち目が出る可能性はなかったんかな?
私も、小石です。小石は近江甲賀の名族であり、天孫族の一派。大石党の内の
一族です。応仁の乱で大石家直系は絶えましたが、その遠縁にあたるのがお馴染み
の大石内蔵之助です。
若狭小石は、旧小浜藩と言われますが、京都で医院を営む方はこの系統です。
本来は、林姓であったのが流浪している間に、小石と称したとも言われてい
ます。
まだ、解明出来ていませんが、我が家には徳川家由来のものや、文書は少し
ですが残っております。
滋賀県の旧甲賀には、小石姓はすでにありません。しかし、我が家には、旧
甲賀との関係?に近い言い伝えはあります。
よろしければ、いろいろ情報お伝えください。
479 :
日本@名無史さん:2007/10/27(土) 01:30:22
大石党の中で優秀な者を選別した精鋭集団が小石と呼ばれました。
故に小石氏の家系は代々文武両道であり、IQは平均150以上といわれる。
徳川の黒幕ともいわれ、現在に至るまで日本社会に大きな影響力を残す。
あのロスチャイルド家が最も恐れるのが小石ジャパンなのである。
小石家が安泰である限り、日本の世界的優位は動かないといえよう。
480 :
日本@名無史さん:2007/10/27(土) 16:01:49
日本史を携帯かパソコンで勉強したいのですが、おすすめのサイトを紹介してください。出来れば、漫画などで楽しく勉強できるものがいいです。
481 :
日本@名無史さん:2007/10/27(土) 16:09:51
毎年のように時代劇で忠臣蔵ありますよね。その赤穂浪士に
関してなんですけど、幕府はこの事件でどのような処置をと
ったのでしょうか?幕府内にはこの事件に肯定や否定もあった
と思うのですが?
482 :
日本@名無史さん:2007/10/28(日) 10:32:33
江戸時代、人や荷物の運搬に馬が使われることはよくありました。
また米や釣り鐘など重い荷物を運ぶ時は、大八車も利用されました。
でもなぜか、馬車は存在しませんでした。
平安時代以来、牛車はあったのですから、馬に荷車を引かせる発想はできたはずです。
ではなぜ、馬車がなかったのでしょうか?
江戸幕府はオランダから当時のヨーロッパの情報を得て知っているんだよな。
>>482 馬車はあった…というよりも、知られてはいました。
普及しなかった理由は
(1)平野部は川が多く船での輸送が圧倒的に有利だった
(2)人口密集地間は大陸に比べ距離が短かった
(3)在来種は小さく、蹄装技術もなかった。また馬は総じて高温多湿に弱い
(4)山が多く馬車を使えるほどの安定した道路維持は困難。馬に直接載せたり人が担ぐほうが有利だった
(5)稼ぎ扶持が減ると輸送業者らから反対があった
などなど…
484 :
名無し:2007/10/28(日) 11:39:25
鎌倉時代→室町時代→戦国時代→安土桃山時代→江戸時代 これは
(1)鎌倉時代→鎌倉に幕府があった時代
(2)室町時代→京の室町に幕府があった時代
(3)江戸時代→江戸に幕府があった時代
では安土桃山時代は?
安土は織田信長が安土城を築きそこで政務を執ったから解かるが
豊臣秀吉は大阪に大阪城を築きそこで政務を執った。
ならば安土大阪時代が正しい呼称だと思うがどうだろうか?
安土桃山時代という呼称を現在も使うのは少数派でつ
と、ネタスレでマジレス
486 :
名無し:2007/10/28(日) 12:01:57
>>485 そうなんだ知らなかった。っで今はなに時代っていうんだ?
487 :
日本@名無史さん:2007/10/28(日) 14:18:26
金田一耕助の映画で、終戦後のどっかの離島が舞台の話で
本土から刑事と一緒に着た警官隊は開襟シャツで丸腰の制服だったのに、
島の駐在は戦前のままの白の詰襟にサーベルの制服だった。
なんで制服がちがうんだ?
488 :
日本@名無史さん:2007/10/28(日) 14:21:41
>>484 大阪城が天下人秀吉の居城というイメージが強いが、
実際には関白になってからは聚楽第、太閤になってからは伏見城が居城。
文禄の役のときは名護屋城での滞在期間も多かった。
案外、秀吉自身は大阪城で過ごした期間が短い。
489 :
日本@名無史さん:2007/10/28(日) 15:08:55
>>484 「安土桃山」の「桃山」とは、秀吉の居城伏見城の地名。
ちなみに伏見城一帯が「桃山」と呼ばれるようになったのは、
関が原後、伏見城跡地が桃畑になったためで、秀吉の生前に桃山と呼ばれたことはない。
秀吉は関白となったときに、内裏へ参内するために本拠地を
京の聚楽第に移したが、甥の秀次に関白を譲ったときに聚楽第も一緒に与えた。
伏見城は太閤となってからの居城で、秀吉はここで没している。
大阪城は石山本願寺の跡地に秀吉が建てたが、ここが豊臣政権の本拠地となるのはむしろ、
秀吉の死後、秀吉の遺児秀頼が遺言により入城してから。
490 :
日本@名無史さん:2007/10/28(日) 15:48:34
大阪人が「大阪城は太閤ハンの城や」と豪語するのは、
秀吉の持ち城の一つという意味ではウソではないにしろ、
天下の中枢のニュアンスで語るのは誇張しすぎの感がある。
実質的に日本史は最初から最後まで小石時代ですよ。
「小石恋し」という歌が小石君を象徴しています。
>>491 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
494 :
大学受験生:2007/10/29(月) 17:55:03
日本史って言うかなんと言うか質問なんだけど、
国会議事堂の前の通りにの電柱に国旗がつけてあるんだけど、それと共に青を下地にした見たこと無い旗あるけどあれはなんなの?
なんか憲政の歴史とか?
問1 文永の役におけるモンゴル軍の出兵の目的を答えなさい
問2 鎌倉幕府の御家人が13世紀の後半に貧しくなった理由2つ答えなさい
問3 14世紀の後半に、明の皇帝から最初に日本国王と認められた勢力を答えなさい
問4 足利尊氏が京都に幕府を開いた理由を2つ答えなさい
問5 15世紀の初めに、朝鮮国王が対馬を突然、武力占領した理由を答えなさい
中間テストでこのような問題が出てきたのですが
答えがわかりません どなたか教えてくれませんか?
>>496 答えは、全て「小石君が恋しくなったから」
>>496 答えは、全て「中間テストの問題にするため」
問1 文永の役におけるモンゴル軍の出兵の目的を答えなさい
答
問2 鎌倉幕府の御家人が13世紀の後半に貧しくなった理由2つ答えなさい
答
問3 14世紀の後半に、明の皇帝から最初に日本国王と認められた勢力を答えなさい
答
問4 足利尊氏が京都に幕府を開いた理由を2つ答えなさい
答
問5 15世紀の初めに、朝鮮国王が対馬を突然、武力占領した理由を答えなさい
答
問1 文永の役におけるモンゴル軍の出兵の目的を答えなさい
答 気分だよ気分
問2 鎌倉幕府の御家人が13世紀の後半に貧しくなった理由2つ答えなさい
答 風俗通いすぎ
問3 14世紀の後半に、明の皇帝から最初に日本国王と認められた勢力を答えなさい
答 邪馬台国
問4 足利尊氏が京都に幕府を開いた理由を2つ答えなさい
答 そこに京都があるから
問5 15世紀の初めに、朝鮮国王が対馬を突然、武力占領した理由を答えなさい
答 気分だよ気分
問1 文永の役におけるモンゴル軍の出兵の目的を答えなさい
答 空気嫁つーか読んでください お願いしまつ
問2 鎌倉幕府の御家人が13世紀の後半に貧しくなった理由2つ答えなさい
答 半年ROMってろ
問3 14世紀の後半に、明の皇帝から最初に日本国王と認められた勢力を答えなさい
答 ゲイツに聞け
問4 足利尊氏が京都に幕府を開いた理由を2つ答えなさい
答 ダメ! 絶対!!
問5 15世紀の初めに、朝鮮国王が対馬を突然、武力占領した理由を答えなさい
答 アサヒるって知っていますか?
宿題でこんな問題が出たのですが、よく分からないので誰か教えて下さい。
問1 南北朝は後醍醐天皇が小石君の献策を無視した為に起こったとされていますが、
その献策の名称と内容を答えなさい。
問2 南北両朝合一時、小石君の果たした役割を答えなさい。
小石一族と噂される有名人といえば、
キムタク、イチロー、ヒルトン姉妹、ヨン様、おすぎ、ミルコ、つんく♂。
豪華すぎる。
【問1】南北朝は後醍醐天皇が小石君の献策を無視した為に起こったとされていますが、
その献策の名称と内容を答えなさい。
【答】
【問2】 南北両朝合一時、小石君の果たした役割を答えなさい。
【答】
>>505 つまり分からないのですね。
分からないなら回答しないで下さい。
【問2】 南北両朝合一時、小石君の果たした役割を答えなさい。
小石家の家宝、三種の神石を吉野から京都へ渡御し奉った。
>>504 おすぎは入るのにピーコは入らない!小石家は一味違うね。
509 :
日本@名無史さん:2007/11/05(月) 09:08:05
175 :日本@名無史さん:2007/11/04(日) 13:17:25
>>172 長州藩なんかでも、経済的理由で武士の農村土着を認めていた。
井上馨の実家(上士、100石・大組)も山口の湯田温泉あたりに在住していて、
息子の馨が萩で殿さまの小姓をつとめていた。
↑
こういうのは「郷士」になるのですか?
510 :
日本@名無史さん:2007/11/05(月) 17:07:10
先ほど、NHKで「奇兵隊」についてやっていたのですが、
長州征伐で10倍近い15万の幕府軍をやっつけたとやっていたのですが、
幾ら、近代的な装備とはいえ、幕府正規軍に対し、農民上がりのにわか兵士が勝つとは
到底考えられないんですが。
私個人の考え方では、戦う前に幕府軍は戦意を喪失していて、戦端が開かれると同時に
幕府軍が敵前逃亡を図らないとどうやっても、長州は勝てないと思うんですが。
死傷者等どれ位ガチで戦争したのか、調べても良く判らなかったので、詳しい方お願いします。
511 :
日本@名無史さん:2007/11/05(月) 17:21:47
長州藩は大英帝国を築いたイギリスから直輸入の武器をそろえましたから
鎖国時代の武器しか持たない幕府軍との軍備の差は歴然としていたでしょう
奇兵隊は長州藩において身分制度にとらわれずに編成された軍隊で
農民は勿論、旧武士階級だった人も参加していました
奇兵隊は、遊郭への出入りを禁止するなどの厳しい規律が設けられ、
日夜訓練に励んだそうです
武士階級の出身とはいえ長年戦に出たことがなく、
果てには遊郭に入り浸っていた幕末の志士たちと違い相当厳しかったようです
512 :
日本@名無史さん:2007/11/05(月) 18:09:14
>>511 やっぱり、それが理由なんですかねぇ。
でも、幾らなんでも10倍は無いだろうと思ったんですが。
本当に幕末の幕府は腐っていたんですね。
今でも役人=汚職みたいなイメージがあるぐらいだから。
513 :
日本@名無史さん:2007/11/05(月) 18:29:36
幕府が動員した軍勢は、イヤイヤお義理で出兵してるところが多い。
小倉口では福岡藩、肥後藩など九州諸藩が出兵しているが、実際に戦ったのは
幕府兵と小倉兵を除けば肥後兵のみ。
名前だけの兵力は大きくても、実働人員はずっと少ない。
514 :
日本@名無史さん:2007/11/05(月) 18:37:21
幕府直属の軍勢はこの時点でもけっこう近代化されてはいる。
周防大島を松山兵とともに襲撃したのは幕府精鋭の洋式歩兵隊だし、
小倉を守っていた艦隊も富士山丸など洋式の幕府艦隊。
ただ、前者は士官は洋学者あがりや直参でも、兵卒が博徒や渡り中間などの類。
後者は実戦経験が乏しく奇襲攻撃に動揺した上、将軍急死で敵前逃亡。
515 :
日本@名無史さん:2007/11/05(月) 19:16:09
>>513 イヤイアだから、隙あれば撤退しようと言う気だったのでしょうかねぇ。
それに、実働が少ないって言うのは納得できる理由ですね。
>>514 幕府軍が全員、武士階級の人間だった訳では無いんですね。
それなら、幕府軍が奇襲で潰走するのも納得できます。
ただ、NHKの番組では、長州征伐のとき、幕府軍は5方面から侵攻して、
どの方面でも、10倍近くの兵力差、どこか一箇所でも突破していれば、
挟撃できて有利になったのに、どの方面でも惨敗。
死ぬ気でやれば、多少の武器の差があっても、突撃飽和攻撃でなんとか
なったんじゃないかと、素人考えで思ったんです。
おまえら、武士だろしっかりしろと(w
変に、武士を美化したりする番組や人物がいるけど、この幕末に限り、
今の役人に毛が生えたていどだったんですね。
会津藩なんかが頭に有ったもんだから、もう少しできると思ったんですけど。
516 :
日本@名無史さん:2007/11/05(月) 19:43:14
多方面から侵攻といっても、一斉総攻撃だったわけではない。
しかも幕府軍の内実は士気も低く、装備も錬度も揃っていない寄せ集め集団であって、
新式装備の幕府直属部隊は兵員の質が悪く、譜代大名の軍は関が原当時の旧式装備。
九州方面の外様大名ははじめからやる気なしで、形だけのお義理の出兵。
大坂に滞在している旗本・御家人の中には物見遊山の気分で大坂見物している者も多く、
また出兵そのものを嫌ってさっさと隠居して、未成年の子供に跡を譲った者も多い。
まあ、幕臣はこの時代には高等遊民化していたから、それも仕方ないが。
なんか小石スレがのっとられてる
518 :
日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:00:08
長州征伐で幕臣が役立たずの集団であることが判明したので、
勘定奉行の小栗上野介は旗本自身の軍役を免除する代わりに兵賦を課した。
旗本から税をとって、その金で庶民出身の傭兵を雇うというわけ。
519 :
日本@名無史さん:2007/11/05(月) 21:50:23
>516
>大坂に滞在している旗本・御家人の中には物見遊山の気分で大坂見物している者も多く、
>また出兵そのものを嫌ってさっさと隠居して、未成年の子供に跡を譲った者も多い。
>まあ、幕臣はこの時代には高等遊民化していたから、それも仕方ないが
なんか、2ちゃんねらーかニートの集団みたいですね。
>518
>勘定奉行の小栗上野介は旗本自身の軍役を免除する代わりに兵賦を課した。
>旗本から税をとって、その金で庶民出身の傭兵を雇うというわけ
え、マジですか!
武士道の「ぶ」の字も当時の武士には、300年の間に喪失していたんですね。
こんなんじゃー徳川慶喜も政権放棄したくなりますね。
本当に当時の幕藩体制は、柱が腐りきった納屋みたいなもんで、それを
倒すのに、それほど力は要らなかったと言う感想を持ちました。
本当に幕府は制度疲労を起こしていて、どうしようもなかったんですね。
それにしても、よくまーこんなんで300年もったなと感心します。
黒舟がなければ、長州藩や、薩摩藩も幕府に対し反旗を翻す事もなかっただろうし、
江戸時代に入ってから日本人は突然安定志向になってしまったのか、
それとも、意外と幕藩体制と言うものが日本人にあった政治体制だったんだろうかとか
またまた色んな疑問が浮かんできます。
またそれは、自分で調べてみます。ありがとうございました>レスの皆様。
質問させてください。
郷士は、一般的に下級藩士という扱いなんでしょうか?
地主経営をしつつも軍役がある以上、藩士であると理解して問題ないでしょうか。
>>520 YES.
たいてい徒士(下級武士)ですが藩士です。
ありがとうございます。謎が解けました。
SEX教団「リトル・ペブル同宿会」と小石君の関係を教えて下さい。
524 :
日本@名無史さん:2007/11/06(火) 15:35:31
小石君の巨根について聞きたいのかい?
525 :
日本@名無史さん:2007/11/06(火) 20:46:55
ミシマ先生の巨根について
日本史を受験で使おうと思って勉強方法でいいやり方あったりしたら聞きたいんですけどスレ違いですかね・・・?
>>526 とりあえずセンターなのか2次なのかで全然違うわけだが
神聖なる小石君スレで、スレ違いな長文レスを延々と垂れ流した
>>509-522は、
おそれ多くも小石君に対する不敬罪により、死刑!!!
>>526 日本史板は「学問・文系」のカテゴリーにあって、学問としての日本史を扱う板だから、受験勉強としての日本史は板違い。
受験系の板で聞くべき。
日本史を勉強・暗記科目としてしか見れない奴って人生むちゃくちゃ損してると思う今日この頃
教科書とかに「源氏は平氏を打ち破り、頼朝が鎌倉幕府を開いた。1192年」
とか書いてあっても、まったく面白くない。
当時の武器・戦術、合戦の戦場、いろいろなものを調べて初めて「日本史を学んだ」ことになると思う。
教科書の活字を暗記するだけなんて、もったいないやもったいない
532 :
日本@名無史さん:2007/11/07(水) 21:51:42
鎌倉幕府の政治の中心地ってどこかあったんですか?
室町幕府-室町殿、江戸幕府-江戸城みたいな感じで。
それとも、源氏や北条氏の私邸が中心地?
なんで戦争ばっかりなんだよ
軍オタだけがやってろって
>531
公式を使って計算し答を導き出すのを喜ぶのが数学オタ。
公式を考え出した学者の名前や経歴を覚えて喜ぶのが歴史オタ。
社会に役立つのは、圧倒的に前者なんだなこれが。
でも俺は歴史が好きなんだ〜
539 :
日本@名無史さん:2007/11/08(木) 12:10:12
大岡裁きの【子争い】を観てて思ったのですが、大岡越前や側に控
えている役人や二人の母親が着ている着物にはそれぞれ名前がある
んですよね?身分に応じた。
どなたか詳しい方がいらっしゃったらその名前を教えて下さい。m(_ _)m
540 :
日本@名無史さん:2007/11/08(木) 13:04:08
>>532 鎌倉幕府の中心地は鎌倉殿。
場所はいずれも現在の鎌倉市内で、時期によって
大蔵幕府跡(源氏三代の頃)鶴ヶ岡八幡宮東側
宇都宮辻子幕府跡(源氏が滅びた後幕府終焉まで)北条泰時邸の北側
と呼ばれています
>>540 ありがとうございます。詳しく調べてみます。
>>540 ありがとうございます。詳しく調べてみます。
>>540 小石幕府の中心は小石殿(小石御所)だよ。
>>532>>540 マジレスすると「鎌倉殿」「室町殿」は、特定の建物を指すのではなく将軍個人を指す言葉。
ということで、とりあえず小石君マンセー!!!
548 :
日本@名無史さん:2007/11/09(金) 14:13:32
小石君は名門小石家の130代目のイケメン貴族だと聞きました。
本当でしょうか?
勘違いかもしれないけど質問させて下さい。
江戸時代の武士って自分の藩から余所にでるのが難しかったの?
だとしたら、小さな藩だとかなり窮屈ですよね?
郷士=地主とのことですが、郷士は誰から土地をもらったんですか?
江戸時代から郷士になった人間などは、やはり殿様から給地を与えられたんでしょうか。
551 :
名無し募集中。。。:2007/11/09(金) 20:41:12
野口武彦さんはどうしてあんなにハイペースでご本が書けるんですか?
>>549 武士といってもピンキリですが、藩士は激務なところもあればそうでないところもある。
暇と言っても何日かに一度は登城しないといけないし、家族の面倒や冠婚葬祭もある。
今でもそうですが、敢えて動く理由もないのならそうそう遠出はしないもの。
ましてや今のように高速な交通機関などないし、それに通行手形が要ります。
武士の場合は藩庁に発行してもらったそうです。
難しいというよりも、手間とお金がかかることですから。
その点、大名行列に従うときは楽なもので、江戸についたらジャンジャン遊ぶ藩士も
多かったようです。
>>550 元々地主であり、大名にそれを承認されて郷士になった(取り立てられた)と
みるべきかと。
>>550 >厳密な意味での郷士は、「郷士」「在郷給人」「郷足軽」などの身分名称を持ち、
>大名権力による家臣団の秩序の中に組入れられている者である。
>扶持・知行や給地と呼ばれる無年貢地を与えられ、
>年貢地と併せて耕作し(小作地として農民に貸与し、地主経営をする場合もある)、
>かつ軍役を負担することが多い。その意味で、
>百姓・町人で単に名字帯刀を許された者と郷士は別物であると言える。
とwikipediaに書いてあるのですが、
厳密な郷士は「扶持・知行や給地と呼ばれる無年貢地を与えられ」ということは、
誰かから土地なり蔵米を与えられて郷士になった、という意味ですよね?
554 :
553:2007/11/10(土) 00:20:57
すみません、アンカーを間違いました。
>>552さんへのレスです。
>>553 誰からかと問われると、大名からとしか答えようがないのでは。
>>491 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
559 :
549:2007/11/10(土) 08:18:56
560 :
日本@名無史さん:2007/11/10(土) 10:05:30
日清戦争で日本はなぜ清に勝てたのですか?
当時の清は最強の呼び声高い国だったと聞いたので気になりました・・
>>560 >当時の清は最強の呼び声高い国だったと聞いた
嘘を教えられただけ。
>>560 それは近代史板でのテーマだとおもいますが…
「日本は最高の武官を充て、清国は最高の文官を充てた」などともいわれますが、
結局は近代的な軍であったかどうかの差だったと思われます。
「眠れる獅子」は欧州ペーパーの修辞に過ぎないのではないかと。
でなければ、綻びを見せたときに列強はさっさと攻め込んだりしません。
>>560 なにかしっくりこないので赤ペン先生してあげよう
日露戦争で日本はなぜロシアに勝てたのですか?
当時のロシアは最強の呼び声高い国だったと聞いたので気になりました・・
清と露のまちがいじゃないのか?
日清・日露ともに日本の方が弱いと当時考えられただけ。
清が最強の呼び声高いということを当時誰も言っていないとは言わないが
最強なら当時から列強が狙ったりしない。
国力はあっても侵略は出来ると踏んでいたから当時の情勢がある。
>>560 小石君が大日本帝国に味方したからです。
>>563 小石君が大日本帝国に味方したからです。
>>564さんありがとう
しかし、中国はあんなに人数いるのに何で弱いんですかね?
>>567 チャンコロは傍若無人で小石君を敬わないから。
>>657 人数は無関係でしょw
シナは何度も漢民族以外の王朝が立っているが、漢民族より人数が多い異民族って何だという話。
570 :
日本@名無史さん:2007/11/10(土) 22:31:27
日米新安全保障条約反対の安保闘争はなぜ起きたのですか?
アメリカと条約結ぶのは悪いことなんですか?
それとも、日本にとって不具合な条約だったんですか?
>>570 近代史だって、それは。
単純な見方は冷戦体制は日本国内の政治体制にも影響を与えたから。
冷戦が崩壊しても、今だ過去の主義主張にとらわれている人はまだまだ多いよ。
なんか年若そうな質問だけど、こんなところ(にちゃん)で質問してると
逆方向に困ったチャンになりそうな感じがするな。
少し小石様の偉大さを知ってから出直しなさい。
572 :
日本@名無史さん:2007/11/10(土) 23:16:58
小石家の代表的な家臣といえば誰を思い浮かべますか?
家臣でさえセレブすぎて僕は絞ることができません。
573 :
日本@名無史さん:2007/11/11(日) 02:13:03
公家って何ですか?
鳥羽上皇と後鳥羽上皇は違う人でつか?
>>572 小石一族の
小石上総守
小石常陸守
小石上野守
が小石家の有力な重臣層のなかでも特に目立つ存在かな。
>>574 上野守は皇族だけだろ?
それとも「小石」というのは天皇家の姓なのか?
577 :
日本@名無史さん:2007/11/11(日) 14:56:27
やっぱ2チャンのお馬鹿さんたちに聞いても意味ないわ
あばよ哀れな子羊達よ
579 :
日本@名無史さん:2007/11/11(日) 16:37:01
卑弥呼は小石族。古代史の鍵を握るのは小石君なのである。
>>578 小石君は神祇伯の白川家みたいに当主になると「○○王」と王付きで呼ばれるんだよね。
581 :
質問:2007/11/11(日) 21:50:39
西郷隆盛って新政府に対抗した反乱軍ですよね。国賊でしょ?なんで賞賛されているのでしょうか?
また、坂本竜馬って何やった人ですか?リアルでお願いします。
2ch来るくらいならまずググればいいのに
せめて、1行目くらいおながいします
584 :
日本@名無史さん:2007/11/12(月) 05:49:06
西郷隆盛は江戸城無血開場をしたから偉大な人物なのだ
坂本竜馬は薩摩と長州を和解させた
日本人として初めて新婚旅行という制度を確立した人物なんだよ
>>581 明治維新の功労者の中でも武士出身ながら温厚な西郷隆盛は
少年だった明治天皇のお気に入りだったらしい
西南戦争で国賊とされたが、明治22年2月、明治天皇の勅命に
よって名誉回復がなされ正三位が贈られた
それからは国賊と呼ばれることなく銅像も作られて日本人に親しまれたようだ
>>584 西郷隆盛は、もともと将軍家と最後の一人まで徹底抗戦する覚悟であった
幕府側には江戸城を枕に死にたいという士族も多くいたらしい
もっとも当の将軍徳川慶喜の戦意喪失
次いで幕府側勝海舟の徳川家を生き残らせて新政府に組み込むという妥算が生きた
西郷隆盛は戦なしで江戸城が明け渡されるならそれでよかろうと応じたことは事実だが
結局この判断により明治維新後も将軍権威の剥奪などに手間取った
当初はむしろ武力で一気に根こそぎ旧幕府勢力を抹殺したいという考えだった
586 :
581:2007/11/12(月) 16:23:26
>>584-585 どうもです。
>明治天皇の勅命によって名誉回復がなされ正三位が贈られた
これは何故に・・・
いつまでも隆盛が朝敵だと、西郷従道(弟)、大山巌(従兄弟)らの立場がまずいから。
588 :
581:2007/11/12(月) 17:41:18
>>587 ああ、体裁の問題ですか・・・
じゃあ、自分の中では隆盛は反逆者の謀反殿と思っても全く問題ないや
島津家の方ですか?
ならスレ違いだなw
>>586 西郷隆盛の正三位は大日本帝国憲法発布の恩赦
国賊には違いないが恩赦を受けるとまもなく
翌年完成の西郷隆盛像に明治天皇が御下賜金を与えたり
明治天皇自身は西郷をさほど憎んでは居なかったらしい
西南戦争も天皇に弓引くものではなかったというスタンス
弟の西郷従道は西南戦争の頃も兄には従わず
新政府に残ったために罰も受けなかった
592 :
581:2007/11/12(月) 19:21:42
>>591 へえ、どうもです。兄弟の立場が真逆だったとは・・・
西郷どんの人望好みっつってな
下野した後は担がれただけだ
明治期にはただのでくのぼうだよ西郷は
幕末の行動はすげえが
まぁ、西郷自身は戊辰戦争後に鹿児島に引っ込んだりして大事には関わらないようにしたのだが、木戸あたりに押されて苦境に立ったので強引に東京に呼び入れようと画策したのが大久保だったのだが……。
西郷は、
小石君によって
名誉を
回復されました。
以上
郷士が名主(庄屋)などの村役を兼ねることはあったんでしょうか
教えて下さい。私が学生時代『いい国(1192)作ろう鎌倉幕府』と習った覚えがあるのですが今は違うと聞いたのです、どうなのか教えて下さい。お願いします
>>597 1180年10月から頼朝は鎌倉へ入り幕府作りに専念。
1192年というのは頼朝が征夷大将軍に就任し、鎌倉幕府が名実共に確立した年で
実際にはもっと前に成立はしていたということ。
1180、83、85、89年説がある。
ちなみに頼朝が実際に戦かったのは1180年7月の石橋山の戦いだけでその時は敗戦。
つまり頼朝自身は一度も戦いには勝っていないという事
>>598ありがとうございました。では今の教科書は何年と書いてあるのですか、教えて下さい
>>599 一応、1185年〜が鎌倉時代となっているようです。
>>600すぐに教えて下さり本当にありがとうございました。
でもな鎌倉入りを鎌倉時代とするより
征夷大将軍という名目を勝ち取ったときの方がいいような気がするのは
1192派だからか?
1185年の契機は守護地頭でしょ
忠臣蔵の浅野長矩は殿中刃傷に及んで江戸城を血で汚したから切腹なんですよね?
刃傷で切腹なら、殿中自殺した人間はどうなるんですか?
>>605 小石御所で抜刀したら、それだけで切腹ものです。
607 :
日本@名無史さん:2007/11/16(金) 23:03:06
江戸幕府の将軍の名前は誰が決めているのですか?
江戸幕府は諸大名から年貢的なモノを徴収していたのでしょうか?
基本的には直轄領の収入のみで運営されていたのですか?
>>608 実のところいいますと資料が残っていないのでその実態はよくわかっていません。
勘定方が明治新政府に資料の譲渡を拒否・湮滅したからです。
また、江戸時代でも初期・前期・後期では財政事情や経済が大きく異なりますので
一概には言えないところが現実です。
大まかに言いますと、蔵入米(つまり年貢米)、工商税、普請、改鋳といったところでしょう。
年貢だけではなく、経済操作による財源確保も行っているのが特徴かと。
610 :
日本@名無史さん:2007/11/17(土) 19:59:10
質問があります。
儀典の慣例で、古くからある呼称の順番について詳しい方いらっしゃいませんでしょうか?
例えば、東郷平八郎氏なら「元帥海軍大将従一位大勲位功一級侯爵」と言われていますが、この順番は何か決まりがあるのでしょうか?
元帥海軍大将?
>>609 ご回答ありがとう御座います。
幕府と諸大名の力関係を知りたかったのですが。。。残念
大名側の研究が進むことを期待してます。
614 :
日本@名無史さん:2007/11/18(日) 06:54:11
>>602 ちなみに室町幕府は
1136年 建武式目制定(幕府の施政方針が確立)
1138年 足利尊氏、征夷大将軍宣下
で幕府の機構が確立したときをもって、始まりとしている。
615 :
日本@名無史さん:2007/11/18(日) 07:39:39
>1136年 建武式目制定(幕府の施政方針が確立)
>1138年 足利尊氏、征夷大将軍宣下
なんで、12世紀なん?
ケアレスミスか?
>>all
このスレでは、
小石幕府の
話題以外は
スレ違い。
つまり吉宗の上げ米のようなものが江戸通じてあったのかということか?
ないんじゃね?
ただ御手伝普請とかはある意味税のような気もするが
>>617 小石君に対しては、みんなが心服して進んで年貢を納めています。
>>491 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
超名門といわれる小石家の家紋◎は、究極に磨かれた石印なのである。
やはり!
超名門といわれる小石家の「小石」は正しくは「코이시」と書く。
623 :
日本@名無史さん:2007/11/23(金) 02:25:16
神小石磐余彦尊
624 :
日本@名無史さん:2007/11/23(金) 13:19:17
カムコイシイハレビコノミコト
625 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 15:00:58
ゴロスレが無いんで質問させていただきます。
鎌倉文化の宗教と開祖のいい覚え方はないでしょうか?
626 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 16:10:18
化政文化の川柳で「五右衛門はなまにえの時一首よみ」とうのがあるのですが、どういうことなのかよく分かりません
自分でも色々調べてみたのですが、なかなか意味がわからないのでお願いします
長文スミマセンorz
629 :
日本@名無史さん:2007/11/24(土) 22:46:33
小石君は偉大なり!
631 :
日本@名無史さん:2007/11/25(日) 19:18:05
小石君の命により、
>>631を討ち取りにきますた。
勇気を出して言ってみるけど
小石って糞庶民臭い苗字じゃね?
小石ってちゃちな苗字だな
637 :
日本@名無史さん:2007/11/27(火) 23:09:00
小石って同級生がいたが見事に小さかったw
638 :
日本@名無史さん:2007/11/28(水) 10:24:23
オイラの知っている、大石さんもそんなに大きくはなかったけどナ。
>>633>>636-638 小石君は河原者の子孫で、ネタもろくに出来ない小石厨に祭り上げられただけのかわいそうな人。
そんな小石君を最下層貧民だ、チビだ、短小だ、包○だ
事実有根なことを並べ立てていじめるなんて、恥を知りなさい
日本語読めないならここにくるなよ
641 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 06:47:35
戦時中、金属供出された金属には様々な材質のものがあったと思います。
それらを兵器に加工する際、雑多な金属を混ぜて使っていたのですか?
それとも目的の金属を抽出して使っていたのですか?
また、金属供出によって多くの文化財クラスの金属製の古美術品も
失われてのでしょうか?
643 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 10:17:05
644 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 10:24:52
近現代以前に初潮を迎えた女子との性交を罰していた時代って有りますか?
和強姦は別として妊娠出産可能な女子との不義密通以外での咎の存在が有ったことって有りますか?
645 :
日本@名無史さん:2007/11/30(金) 10:31:45
649 :
日本@名無史さん:2007/12/04(火) 15:17:56
明日テスト&今まで授業一回も聞いてない&テスト範囲を今知った
この状況で俺が助かる道はある?
age
高2です。
651 :
日本@名無史さん:2007/12/04(火) 15:52:53
他スレにした質問なんですが
朝鮮人に言わせると、”未開な倭人が半島に領地を持ったなんてとんでもない”
と任那がまるでイスラエルのように侵略され切り取られた領土であるかのように言いますが、
任那が部族連合であったことから自然に考えると、最初から半島に倭人はいたのではないですか?
倭人のルーツが黒潮に乗った海洋民族(あるいは中国系)とすると、流れ着いた当初から半島南部と北九州は交易が出来たように思えるのです。
つまり、戦争によって明確になる”国家”ではなく、同じ血縁のものが交流する範囲という意味での倭人の国、というのは百済新羅任那西日本と、すべてまたがっていた。
そして半島で戦争によって国家と民族の範囲が明確になり、任那も国家になっていく。当然日本もです。
この時点では大和朝廷は近畿あるいは北九州に拠点を置いているため、やはり任那とは別個の勢力であったことがうかがえます。
しかし本来対等であった同族国家任那は百済と新羅に押され衰退していきます。
そうすれば頼るのは?百済ではなく同族である大和朝廷です。
そうして任那は大和朝廷に吸収される。
このような考え方は上でも少々見かけますが、学会的には多数なのでしょうか?
天皇家、天孫神話ともからみ微妙なので質問してみました。
652 :
日本@名無史さん:2007/12/04(火) 23:01:24
スレ違いだったらごめんなさい。
岐阜県に墓がある有名な僧侶って誰でしょうか?
653 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 00:44:08
だれか、「西洋には西洋の、日本には日本の文明開化あり」みたいなこといった人知らない?
前にNHKでやってたんだけど、幕末あたりの人物で、蒸気機関みたいのとか、いろいろ妙な発明してたらしいっていうのしか覚えてません。
確かお坊さんだったような。
654 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 01:18:04
シカの島で発見された金印がなぜ本物とされているのか
ごぞんじの方教えてください。
常識で考えたら本物はずはないとおもうのですが。
へびのかざりもぜんぜん迫力ないし、とても名人の作とは思えません。
>>654 ・正方形の一辺が、後漢時代の一寸と一致する。
・近年、同時期の物と思われる類似の金印が中国本土で見つかった。
この辺が根拠でしょうか。
656 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 01:36:59
>654
その常識ってどんなのかゆうてみてー
657 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 02:08:38
中国のへびのついたのは迫力があります。
私が偽物と思うの国が国に対してあのような
芸術性の低い作品を送るわけがないと思うのです。
中国で昔作られた贋作が日本に入ったと考えるほうが
自然です。私は骨董美術品を良く見るものですが、
あれはどう見ても偽者です。
小石家の家宝、三種の神石に勝るものはありません!
659 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 03:47:43
660 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 04:09:50
多少なりとも審美眼があればあのバランスの
悪さ、へびの力のなさ等を考えれば一流の
人間の手によるものでないことは明らか。
あれを真作とする背景にむしろ興味を持ちます。
学者にも最低限度の美的センスが必要です。
661 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 04:15:15
真作の方が話題作りによいということでしょうか。
歴史学の有用性の低さの表れでしょうか。
663 :
日本@名無史さん:2007/12/05(水) 09:43:37
前に京都の新撰組の芹沢鴨が暗殺された場所にいったのですが、その時にできた刀傷をみたのですが少々新しい傷に見えました
100年以上たってるのに…
本当ですか?
>>654 >>657 >>660 金印が発見されたとき、山脇東洋の孫弟子で儒学者だった亀井南冥が『後漢書』を引用して言い出したこと。
あの金印を偽物という人はいるが、史書で奴国に金印を下賜したことを書いているのだから、
論点はあの金印が下賜されたオリジナルか否かというところにならざるを得ない。
単に芸術性に欠けていることを偽物の根拠とする論調は如何なものかと。
文化レベルが低いと判断した国に与えるための、書体なんじゃなかろうか。
邪馬台国とか奴国とか使う漢字もパターンがあるし中華思想って
死ぬまで直らないっぽいw
666 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 02:58:13
664へ
まさにオリジナルの可能性のないものをなぜ真作とするのかが問題です。
私が不思議なのは中国でへびのついた金印の発見が本物の根拠であることです。
逆に私はあれを見て日本のものが贋物と確信しました。
全体のバランスとへびの存在感が全くちがいます。
日本のは腕の悪い職人の作に間違いなく到底お抱え職人のものでなく
そんなことは骨董品を見慣れたものには一目瞭然です。きわめて幼稚な
作品で作者の息吹が全く伝わりません。
やはりなにか意図があると思わざるえません。旧石器の件を思い起こします。
667 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 03:38:58
テン王之印が発見されるまで蛇が使われる例は文献を含めて存在しなかったんだけど?
江戸時代以前の贋作職人はどこでそれを知ったの?
金印の真贋も、666の芸術センスの真贋も、この場判断するのは不可能。
でも、666の存在がスレ違いなことだけは確かだと思う。
669 :
日本@名無史さん:2007/12/06(木) 11:21:57
古事記で、須佐之男命が祭殿に屎を撒き散らしたくだりで
天照大御神が「酔って吐き散らしたのでしょう」と奇妙な弁護をしていますが、
当時の「屎」は「嘔吐物」の意味を含んでいたのでしょうか。
逆に「吐く」が「排泄する」の意味を含んでいたのでしょうか。
それとも、神ともなると口から糞を垂れるものなのでしょうか。
>>670 >当時の「屎」は「嘔吐物」の意味を含んでいたのでしょうか。
ない。
>逆に「吐く」が「排泄する」の意味を含んでいたのでしょうか。
これもない。だから言い訳だとわかる。
672 :
日本史@名無しさん:2007/12/08(土) 14:11:39 BE:312876926-2BP(0)
『史学』『日本歴史』『地方史研究』などの雑誌って、
どうやって探せばいいんですか?目録みたいなものが
あるとは思うのですが、詳しく教えて頂けませんか?
673 :
日本@名無史さん:2007/12/09(日) 15:04:21
小石記を読むと大小石命が神々の頂点に君臨していたことがわかる。
古代史を勉強すると小石家の偉大さに感極まってしまいますよ。
>>658 > 小石家の家宝、三種の神石に勝るものはありません!
それは、ヤタノコイシ、ヤサカニノコイシ、アメノムラクモノコイシ
であってますか?
676 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 04:36:04
豊臣秀吉の名字は羽柴だけど
平清盛の名字は何?
677 :
日本@名無史さん:2007/12/11(火) 13:24:18
こんちわ。日本史板初めて来ました。スレタイ見てるだけで面白いです。
えーと質問させてください。
日本史上での、「裏切り」事件を教えてください。
大学受験は世界史だったんですが、世界史上に裏切り者はたくさんいます。
それと比べて日本史では裏切り者は相対的に(むしろ絶対的に?)少ないという印象があります。
いま少し調べてみましたが、いわゆる戦国時代周辺の話しか見つけられませんでした。
一般人で思いつくのは明智光秀だけって言っても問題ないのではないでしょうか?
そこで歴史にたいへん造詣の深いこちらの住民の方にお聞きしようと思ったわけです。
お暇な方いらっしゃいましたら、少し知識を分けていただければ嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
大石なんて苗字は裏切りだよ。小石様より大きな態度とるなよ。
680 :
677:2007/12/11(火) 16:29:29
>>679 >>1にあげさげ自由って書いてあんじゃん? って重複スレかよここwww
初めて来た板でそんなことわかるか!
って仕方ないからもう一回書くか。誘導してよ、もう。
こ こ は 小 石 君 マ ン セ ー ス レ で す ! ! !
小石君は原石なのである。大宇宙を支配する宇宙皇帝になられるプリンスなのであります。
683 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 20:22:23
2007年12月12日、新快報は「文化をめぐる中韓の戦い」と題した連載を開始した。近年繰り
返される文化起源・世界遺産申請をめぐる争いを取り上げているが、特に近年韓国の一部
学者が主張している「漢字韓国起源説」に注目している。
近年、韓国では「中国文化が実は韓国起源だ」との主張が相次いで発表されている。儒教の
始祖である孔子や古代の美女・西施、中国医学の名著「本草綱目」の著者・李自珍はみな
朝鮮人で、そればかりか漢方・風水などの中国文化も半島起源だという。これらの韓国起源
説はたんなる主張で終わらず、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)に世界遺産として
登録しようとする動きも見せていると中国では警戒されている。実際、韓国の「江陵端午祭」が
世界無形文化遺産に登録されたことは中国に大きな衝撃を与えた。
今、特に注目を集めているのが「漢字韓国起源説」。去年10月10日、朝鮮日報は韓国ソウル
大学の朴正秀教授による「漢字は朝鮮民族が発明した」との学説を紹介した。同教授は半島
で生まれた漢字が大陸に持ち込まれ、現在の中国文化を形成したと主張し、韓国政府に漢字
の復興と世界遺産申請とを求めているという。
先日、国際先駆導報は「あまり好きではない国」とのアンケート調査1位に韓国が選ばれたと
報道したが、ネット掲示板を中心に韓国の「中国文化略奪」ともいえそうな動きに反発が
強まっている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071213-00000010-rcdc-cn 日本史板でも友好国韓国の人々の意思を尊重し、漢字をやめて韓字と表記しませんか?
こ こ は 小 石 君 マ ン セ ー ス レ で す ! ! !
今の天皇と最古の天皇って血がつながってるんですか?
あと天皇の血に韓国の血が混じったときの韓国人は日本に来て何代目の人なんですか?
ググレ(AAry
最古の天皇は小石君の先祖に養われた孤児でした。
でも小石君の家は江戸時代には没落して六条公麿三位中納言の家人として水戸のご老公と戦って斬られ、家族は流浪人となりました。
688 :
日本@名無史さん:2007/12/16(日) 19:43:10
なぜ江戸時代、髭を生やさなかったの?
689 :
日本@名無史さん:2007/12/19(水) 02:11:04
氷河時代日本と朝鮮は氷でつながれていてひとつだったことを
思うと日本と朝鮮の区別は無意味と思いますがいかがでしょうか。
日本と半島が陸続きだったとき、人は居なかったのだが?
北の方は最後の氷河期でも陸続きだったけどね
691 :
日本@名無史さん:2007/12/19(水) 03:03:36
690さんへ
ふたたび氷河期がくればまたひとつになりますね。必ず来ますが。
692 :
日本@名無史さん:2007/12/19(水) 08:29:33
稲葉正休の父親を殺害した家老は何という姓名の人物ですか?
また、主君を弑した理由は奈辺にあったのでしょうか。
694 :
日本@名無史さん:2007/12/20(木) 16:29:37
>>693 そは、まことかゑ?
して諱は何といふたのでせうか?
695 :
日本@名無史さん:2007/12/21(金) 04:50:10
道鏡てほんとにでかかったんですか。
>>676 名字と呼べるものがあったわけではありませんが、
清盛は「福原殿」と呼ばれることもあったので、
これを家名とみなすならば、名字も「福原」になったでしょうね。
697 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 05:17:14
30センチといわれています。
698 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 07:01:45
公家の大原家の祖の栄顯は葛岡宣之という人の実子だそうですが
葛岡宣之という人の実父を調べてもわかりません
おそらく庭田家の縁者だと思うのですが
700 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 13:21:26
祖国防衛の戦争とかだと、後世に「国民的英雄」として崇められる人物が現れたりすることが多いと思うんですが
(南宋の対金抗争における岳飛 李氏朝鮮の文禄・慶長の役における李舜臣 明治日本の日露戦争における東郷平八郎など)
祖国防衛戦争であった元寇(文永・弘安の役)の場合、日本側にそういう英雄扱いされるような人物は居ないんでしょうか?
昔学校で習ったかぎりだと、元寇の際の日本側の重要人物はせいぜい執権の北条時宗くらいしか挙げられず、
その扱いも他の「英雄的な」人物達と比べると小さく感じるのですが。
701 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 13:47:39
李舜臣は大勢にまったく影響を及ぼしてないし、主力決戦から避けまくってる。
マンセー講談話を真にうけるなよ。
702 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 13:49:01
>>701 いや、そういうマンセー講談話に取り上げられるような人物が居ませんか?ということで。
703 :
日本@名無史さん:2007/12/23(日) 14:06:09
>>700 安達泰盛か肥後国御家人竹崎季長くらいしかわからない。
704 :
日本@名無史さん:2007/12/28(金) 11:51:36
>>700 元寇が日本の首都(京あるいは鎌倉)に迫る勢いまで追い詰め、
それを日本人が追い払ったのならば、英雄談になったのだと思います。
だけど、元寇は日本人の手柄と言うよりも、季節はずれの台風で勝手に自滅。
本土に上陸することも無く去ってしまったので、
当然日本側にも元寇を追っ払った英雄が存在しなかっただけだと思います。
>>704 1回目の攻撃の時は台風はふかなかったという説もあるようですね
>元寇は日本人の手柄と言うよりも、季節はずれの台風で勝手に自滅。
>本土に上陸することも無く去ってしまったので
何コノ日教組史観?
>>696 清盛の嫡子重盛は「小松殿」と呼ばれていましたが何か?
まあとりあえず、小石君マンセー!!!
>>694 親族に、小石上野守と小石上総守がいます。
上杉謙信は実は女だったというサイトを見たことありますが
実際にはどうだったのでしょう?
711 :
日本@名無史さん:2007/12/30(日) 22:05:42
三河時代とはいつのことでしょうか?
712 :
日本@名無史さん:2008/01/03(木) 04:36:18
参考書によって同じ問題の答えが違うんですけど
皆さんわかりますか?
明治政府は1871年に廃藩置県を行ったが、
その結果の記述として正しいのは次のうちどれか。
全国の土地と年貢が新政府の統治下に置かれ、
中央集権的体制としての国内の政治的統一が確立された。
(A参考書はこれが答え。
B参考書では土地は既に版籍奉還によって政府の統治下に置かれているから、誤りである)
集権体制を整備するために三院制とし、
その下に各省を置く制度がとられ、
薩長を中心とする藩閥政府の基礎がほぼ固まった。
(A参考書では、
中央集権体制を整備するために行われたのは太政官制の改正である。
よって誤り。
B参考書では正解)
どっちが正しいですか?
l
1 /|⌒ヽ ヽ / | |
.|/ | ノ / し |
ノ (_ ∩∩ ノ
(7ヌ) ∩
/ / ゆとり世代万歳! (ヽ)
∧_∧ゆとり / /∧_∧ ∧_∧ ∧ ∧ /
( ´∀`) ∧_∧ ∧ ∧(´∀` )∧. .∧(´∀`∧ ∧ (´∀`)∧ ∧ ゆとり
m9. ⌒(´∀` )( ´∀`)" ⌒(´∀` ) (´∀`) ∧ .∧(∀` )
| ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄∪ ̄ ̄∪ ̄ ξ_ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|・暑いからと20メートル下の川に飛び込み死亡 |
|・部室を涼しくしようとコールドスプレー撒いた直後に煙草に火をつけ、爆発
|・盗んだ灯油を車に入れ、車が壊れた所を見つかり逮捕
|・水深1.1メートルのプールに頭から勢いよく飛び込み、首の骨を折って死亡
|・児童少年院を抜け出して川の岸壁に隠れていたところ、川に転落して溺死
|・高さ30メートルの岸壁で遊んでいて戻れなくなる。救助されるも反省の様子皆無
|・授業中に教室を走り回ってテレビ台に激突、落ちてきたテレビが直撃し死亡
|・友達同士で飲酒して泥酔し、9階のベランダから下に吐こうとして転落し死亡
|・卒業式直前に火薬遊びをして暴発、指が2本吹き飛ぶ重傷
|・悪口を言われたらしいので仕返しに小指を切断
|・野糞していた女子高生が電車にはねられ死亡
|・同級生と悪ふざけしてトンネルで寝転んだ中3、ひかれ死亡。
|・携帯通話を注意されカマで斬りかかる。
|・ゲームしていた事を注意され祖父を殺害。
|・おもしろ半分でポリ袋をかぶり酸欠死。
|・友人の運転する車の屋根にしがみついてスタントマンごっこ→転落して意識不明
|・ワンセグ携帯見ながら自転車を運転、用水路に転落して死亡
|・2ちゃんねるでSEX相手募集し、卒業写真入手されネットで晒し者にされる。三重県津市の私立中高6年制卒の女。
715 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 02:19:10
明治維新によって四民平等が確立され四民平等になりましたが明治も15年
を過ぎると再び身分制による国家体制になったのは何故ですか?
こ こ は 小 石 君 マ ン セ ー ス レ で す !
なぜ歴史オタって何で明智光秀の話題になると
光秀=天海
ってネタを飽きもせずに書くのですか?
笑いのセンスがあると思ってるんですか?
718 :
日本@名無史さん:2008/01/04(金) 23:21:03
>>718 いや明らかにトンデモとわかっててネタとして書いているのが多い。
同じネタを繰り返し繰り返し、何でこんなことして楽しいのかと。
数あるオタの中でも歴史オタは相当な重病じゃないかと。
小石君に憧れないような奴は死ねばいいのに。
兵脳分離以前に知行を受けていた侍身分は平時には知行地に住んでいたのでしょうか?
723 :
:2008/01/08(火) 10:59:48
昔の葬儀で数日に渡る場合は途中で腐敗し
腐敗臭が漂ったりしたの??
724 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 20:24:10
1.江戸時代にも今の銀行のようなところがあったの?
2.江戸時代の庶民は一生、小判をみなかったってホント??
725 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 22:07:02
官位について質問だけど、官と位の違いは軍隊や警察の役職と階級みたいなもん?
例えば官が大隊長で位が少佐とか、官が警察署長で位が警視みたいなさ
726 :
日本@名無史さん:2008/01/08(火) 22:28:33
まあ、そういうこと。
律令国家では官位相当制により、原則として位階と官職が対応していた。
明治以降、終戦までは位階と官等と階級と役職があってややこしくなる。
727 :
725:2008/01/08(火) 22:42:17
>>722 例えば山間部の地侍では「家」は名主として村落の長という位置づけで
その親族(二男以下とか)が武家奉公しているという状況がある
この場合武家奉公に出たやつは別に知行を受けているわけだが
そいつがどこに住んでたかは読んだ論文には書いてなかったな
「家」というまとまりでで見れば勢力基盤である在地にいるってことにはなるだろうな
>>491 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
730 :
日本@名無史さん:2008/01/09(水) 15:54:06
人類が石器を使い始めた頃から、日本に君臨していたのが小石一族です。
小石を使って様々な道具を作ることを、無知蒙昧な原人に教えたんだね。
縦穴式小石城には大理石の表札に「小石」と刻まれていたらしい。
小石一族が進化して神の領域まで進出したので、地上は神武クンに譲った。
神話の大半は小石一族の輝かしい家族史ですからね。
どこに質問したらよいかわからないのでとりあえずここで質問します。
魚鱗の陣について教えていただきたいのですが、
『多勢を突破するのに役立つ』と、どこ見ても出てくるわけですが、
陣形の先頭から順に包囲されるような想像しか出来ず
『どういう風に』機能するかが今ひとつピンと来ません。
接触して速攻で一人分の穴を開け、
そこに三人くらい殺到して、
三人分開いたら五人殺到する・・・といった感じなのでしょうか?
>>731 なんか読み違えてる気がするぞ
最後の三行はなんだ
ゲーム脳だなw
かっこよく魚鱗というからこうなるんだろうが密集してりゃ突破しやすいってだけだろ
>>732 確かに、ゲームなどでしか見てません。
で、そゆ所だと皆「さんかっけいの頂点で突き刺す」みたいに書いてあります。
で、わからなくなったんです。
キレイな三角形であればあるほど多勢に当たったとき、数の少ない先端が壊れて停まるんじゃないのか、って。
フツーに二列くらいの横隊の方が良さそうに思えてなりません。
>>731 ――――――――
↓
――――▲―――
▲▲ 一人分の穴に次の列が突っ込む
↓
▲
―――▲▲―――
かなって思ったんです。
レスアンカーミスりました。
>>733 >>732 の順です。
>>733さま
お答えいただきありがとうございました。
“打撃を与えるなら面のほうがいいのに、初撃が点の方法で突破しやすいとかどういう事よ?”
っていう点が疑問でした。
736 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 05:45:19
幕末の薩摩を扱った「篤姫」に何故に男色シーンが登場し無いのぢやゑ?
如何に「婦女童蒙」向きの大衆ドラマだとて、はてさて面妖な限りぢゃて。
当時の鹿児島では衆道が、まだまだ盛んで、男尊女卑は身分の上下を問わず
徹底していた筈であろうに(つい近年まで男女の衣類は一緒に洗濯せなんだの)
脚本家は、原作者よりも非道い歴史に何の関心もナイ無知な人物なのぢやな?
西郷や島津公らの男色場面は何としても描く可きぢゃぞゑ!
737 :
日本@名無史さん:2008/01/15(火) 05:53:01
幕末の薩摩を扱った「篤姫」に何故に男色シーンが登場し無いのぢやゑ?
如何に「婦女童蒙」向きの大衆ドラマだとて、はてさて面妖な限りぢゃて。
当時の鹿児島では衆道が、まだまだ盛んで、男尊女卑は身分の上下を問わず
徹底していた筈であろうに(つい近年まで男女の衣類は一緒に洗濯せなんだの)
脚本家は、原作者よりも非道い歴史に何の関心もナイ無知な人物なのぢやな?
西郷や島津公らの男色場面は何としても描く可きぢゃぞゑ!
わけを教えてたもれ。
>>735 江戸時代の実戦経験のない連中が考えた机上の空論だろ。
せいぜい横長に陣をしくか縦長にしくかくらいの違いじゃないかな。
739 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 07:29:17
何故、過去に、神道から仏教に改宗した天皇が居たのでしょうか?
これは、ローマ法王やイエス・キリストが、キリスト教以外の宗教に改宗するほどの大きな出来事ですよ。
740 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 07:35:04
仏教は最先端の科学だったから。神道と呼ばれる営みとは、整合性をとることが必要でも
二者択一の対立関係とは見ていなかったから。
741 :
日本@名無史さん:2008/01/16(水) 07:42:29
カトリックで進化論を認めるかどうかでグダグダな議論をしてたのと似たような状況。
現代人は苦笑はしても宗教対立とは認識しないだろう。
宗教という概念自体が判断を惑わせているだけ。
>>491 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
>>737 そんなことよか、無邪気なヒメがどうヨメいびりするババアになるんか
の方に興味。
744 :
日本@名無史さん:2008/01/18(金) 16:26:43
薩摩の島津豊久(1570−1600)にも、
後の時代の史料ではあるが「寵愛の小姓○○」などというのが出てくる、
という話を聞きました。
これは何という史料で、寵童は何という名前なのか、ご存知の方
いらっしゃいませんか?
魚鱗は一の備が中央を押した後左右に展開、同時に疲れてない二の備えが中央を押し、左右に展開。この繰り返し。
最終的には中央突破して背面展開を目指す陣形だったとおもう。時間かけすぎると半包囲されるけどね
>>370
>>745 二の備えってのはこの場合、「密集陣の前方内側」って事ですよね?
だから頭で考えた代物をさもあったかのように書くのやめろって
大化の改新はなぜ有名なんでしょうか?
日本書紀に書いてるから
750 :
なぜ:2008/01/29(火) 01:25:37
天皇制はなくならないのですか?
いくら隔離スレとはいえ、マルチで埋め尽くされてるとはw
>>750 あの自由平等原理主義国家のアメリカでさえ天皇制を廃止する事ができなかったんだ
核なんかで日本まるごと殲滅でもせん限りなくならんよ
何その頭の悪い質問
えーと・・・質問はここでよいのでしょうかね?
1.現在、日本で発見されている銅鏡のなかで一番古い物は
いつ頃の時代でどこのなんと言う遺跡から出た物でしょうか?
2.日本だけでなく副葬品として
鏡が用いられだしたのはいつ頃からなのでしょうか?
3.鏡を副葬品として用いる意味はなんでしょか?
以上よろしくお願いいたします。
>>755 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
757 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 03:44:54
今CMで宣伝されてる日本のミステリー本2を買ったんだが,徳川家康影武者伝説の疑惑の真相が載せられてたんだが,皆さんはどう思われますか?
>756
えっと・・・・
具体的に数字を示していただけるとありがたいのですが。
不勉強で申し訳ありません。
って答えになってねーよ!!!!!!11
つ【ここは重複スレ】
日明貿易で大量に銅銭が輸入されたことについて誤っているものを一つ選びなさい
1以前に輸入された宋銭は流通しなくなった
2民間で造られた私鋳銭も流通した
3商取引の時に貨幣の品質を調べる撰銭がおこなわれた
お願いしますm(_ _)m
>760
Yes
>761
>1以前に輸入された宋銭は流通しなくなった
悪貨は良貨を駆逐する
>2民間で造られた私鋳銭も流通した
貧すれば鈍する
3商取引の時に貨幣の品質を調べる撰銭がおこなわれた
上に政策あれば下に対策あり
763 :
日本@名無史さん:2008/02/02(土) 16:16:33
すいません大学の入試問題なんですよこれ
絶対合ってるのは抜かしたんでどれかが間違いのはずなんですが・・・
携帯から失敬
764 :
日本@名無史さん:2008/02/02(土) 16:19:10
第一次、第二次世界大戦または現在の戦争でも結構です。
国際的にどこでも通用する正しい降伏の仕方っていうのは
あるのでしょうか?
また降伏した捕虜はどう扱うべきなのか?
でも実際はどういった扱われ方をしたのか?
実際に捕虜となって生きて帰国した体験談などありましたら
教えてください。
現在、日本国内の各自治体で反日勢力が非武装都市宣言を行わせようと画策しているが、
>国際的にどこでも通用する正しい降伏の仕方っていうのはあるのでしょうか?
>また降伏した捕虜はどう扱うべきなのか
日本を侵略する可能性のある国、北朝鮮・中国・露西亜は、この種の条約には一切係わっていない。
大和魂(大和心?)に関する記録について知りたいことがあります。
以前、流し見していた番組で話していたことで、うろ覚えなのですが。
その番組によると、大和魂(もしくは大和心)に言及した最も古い記録というのが、平安時代(多分)のある親子(?)の会話の中で
漢文(論語?)の勉強に苦労していた息子が親に対して「日本には古来から独自の文化があるのに、なぜ外国の文化を学ぶ必要があるのか」と不満を言いました。
それに対して親は「外来文化を砥石として、日本古来の精神を磨き上げたのが大和魂というものだ」というようなことを語った話があると言っていました。
なるほど、明治の頃の和魂洋才と同じようなことを古代の日本でも言っていたんだなと、感心したのですが
後になってその話を詳しく知りたいと思い、ネットで調べたのですが、その逸話に関する資料を見つけることができません。
どなたか、この話について知っている方がいましたら、教えてください。
よろしくお願いします。
767 :
日本@名無史さん:2008/02/02(土) 21:00:02
奈良時代の外交って唐以外にも新羅や渤海にもわたっていたのに、
なぜ中国との外交のみがクローズアップされているのでしょうか?
768 :
日本@名無史さん:2008/02/02(土) 21:31:49
岩倉使節団が出発した後、西郷隆盛や板垣退助らが
留守政府を構成し、学制の公布や徴兵制の導入など急進的な近代政策を
実施した
この正誤判断をお願いします
また何が間違ってるのかも教えてください
>>767 たくさんの留学者が赴き、たくさんの文物が入ってきたからではないでしょうか。
>>766 親=光源氏
息子=夕霧
出典=源氏物語『少女』
だと思う
771 :
高:2008/02/02(土) 22:42:04
韓流に狂ってしまった叔母、祖母の家に遊びに行ったらチュモンとかいう高句麗の初代の韓国ドラマを見ていた。
ドラマでの高句麗の町並みは三国志の魏の帝都のようにしっかり整備されて建物もきちんとしていた。
叔母が、「韓国は日本がイノシシ追っかけている時代に凄い文化だねぇ 日本も色々教えていただいた云々感謝
しなきゃ」という話しをしていたので、
1 漢が金印を与えたのは文化度の高い国の王だけ 朝鮮半島では金印をもらっていない
2 古墳も日本のものは凄い技術の作品が多いが、半島のは質素ていうかチャチィ
3 李氏朝鮮のソウルでも、こんなまともな街並みじゃない
点を挙げ、別に古代日本が朝鮮様に色々ご指導いただいて感謝するような事ではないので
は?と言ったが、「宮廷料理のドラマ(最近流行ったらしい)は日本の室町時代だよ。
日本よりもずっと上」「魏志倭人伝の全文を読んだら日本なんてバカにされている」
「中国と国境を争っているということは、国境を接しているということで、中国と同じ
文化水準だった」などとわけのわからない攻撃をされました。
結局特別権力関係で黙りましたが、詳しく出てる本とかありませんかね。
古代日本と朝鮮の文化水準についてとか。
772 :
766:2008/02/03(日) 12:42:40
>770
紫式部でしたか。
「和魂洋才」も、当時から言われていた「和魂漢才」から来た言葉だったのですね。
助かりました。ありがとうございます。
韓流かぶれに何言っても無駄。
>>755 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
武家諸法度の読み方の正しい区切り位置を教えて下さい。
1)武家 諸法度
2)武家諸 法度
3)武家 諸 法度
776 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 14:17:27
銅鐸、銅矛ってどこから伝わりました?
779 :
こ:2008/02/04(月) 22:56:13
そういえば 大きな城って日本海側にはなく 太平等側にあるじゃないですか?例えば名古屋城、大阪城、姫路城、岡山城、などなど これは何ででっすかね? わかったら教えてください
780 :
大阪城代:2008/02/04(月) 23:27:39
>>779 江戸時代の巨大な城は徳川の防衛策。仮想敵国は勿論薩摩。あと長州。熊本城から始まって、福岡、小倉、岡山、姫路、大阪、名古屋…と続く。勿論徳川親派の大名を置く。
781 :
775:2008/02/04(月) 23:39:50
>>778 サンクス。
生徒に嘘教えてなくて良かったー。
大政奉還からいきなり資料がカタカナになるのはどうしてなんですか?
日米和親条約なんかまでは平仮名なのに。
(なんでだかカタカナの資料は恐いイメージがあります…
日英同盟破棄したの何年だっけ?
784 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 21:46:41
山陰道の篠山城や津山城
東海道の二本松城や白河城
も忘れるな。
785 :
日本@名無史さん:2008/02/05(火) 22:17:33
>>782 明治政府の方針で、カタカナ混じり文を原則としたから。
戦前は、尋常小学校で学ぶ子供たちはまず最初にカタカナから習った。
当時は、新聞などもみな漢字とカタカナで書かれてあった。
もしかして、外来語のカタカナ表記もこの明治政府の方針の名残?
787 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 00:55:33
>>1 名前:日本@名無史さん 投稿日:2007/06/30(土) 02:04:30
>>■日本史全般の質問スッレドです
スッレドってどういう意味ですか?
788 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 01:42:07
富士山が日本一高い山として認識されたのは、何時ぐらいなんですか?
>>785 そうだったんですか!すっきりしました、ありがとうございます*
モシソノ時代ダッタラ
書き込みもこんな感じか…気持ち悪い
790 :
日本@名無史さん:2008/02/06(水) 09:29:44
日本で馬車が発達しなかった理由はなんでしょうか?
箱根とか甲斐とか山でしか使わなかったのは?
ヨーロッパでは重要な交通機関だったのに。支那でもあまり
発達しなかったようだが。日本馬が小さいといっても
かごで担ぐよりはマシなはず。
>>790 高温多湿の地域の舗装されてない路では使い物にならない
>>790 江戸時代だと既存の運送業者の権益保護の為に馬を使った運送に規制をかけたとかなんとか
でも俺もこの権益保護や規制の内容を詳しく知ってるわけじゃないので、誰か知ってる人は検証ヨロ
>>787 隔離スレなんだから、深く突っ込まないようにw
794 :
武陽隠士:2008/02/06(水) 23:26:56
>>789 昔から言われてることだけど、手書きの場合、カタカナ文ってけっこう楽だよ。
伊丹万作が病床で書いた日記もカタカナなんだけど、やっぱり書きよいと伊丹記してたね。
高橋是清じいちゃんが可愛くて仕方ないんですけど
そう思うのは俺だけですか?
796 :
武陽隠士:2008/02/07(木) 00:14:21
797 :
日本@名無史さん:2008/02/10(日) 20:45:17
歴史上の人物で
悪い者や団体に騙されてたりしたけれど
結婚を機に、または恋人や結婚相手の説得などによって
騙されているのに気が付いてその洗脳みたいなのが解けたって例はあるの?
それは別の洗脳に染まっただけではないかと。
その手の人の大部分は一生治らない気がする。
799 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 09:51:37
幕末の質問です
薩摩は会津と組んで公武合体を働きかけ結局幕府を見限る形になりましたが
一番のきっかけはなんでしょうか?なにかないと見限るとはないと思うので
教えてください
800 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:32:02
はじめまして。加藤清正についての質問です。
とあるサイトで、
加藤清正の辞世の句で、
「我が死なば 具足を着けさせ 太刀かたなを佩かせ
棺に入れ納むべし 来世の軍神たらん」
とあったのですが、
この言葉は、そのサイトにしかありませんでした。
本当に加藤清正にこの言葉があったのでしょうか?
801 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 16:57:22
江戸と大阪っ都市の成立としてはどっちが早いんだろ?
大阪は秀吉が来るまでは野原だったのかな?家康の江戸開発は大阪が成立してからだから大阪の方が早い?でも関東平野には北条氏がいたから都市があった?
802 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 17:38:10
家康が入った段階の江戸は太田道灌の朽ち果てた城があっただけの野原。
大坂は石山本願寺の寺内町として発展していたのでは?
804 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 17:47:53
大坂は石山本願寺の門前町。それ以前は、京が平安京で定着して以降、淀川水運の発達によって
河口部の今の大阪あたりに要衝として町屋が建ち並んだってさ。
>>801 質問スレとは言えあまりにも知識なさすぎじゃないか?
もうちょっと調べてからでもいいような気がするぞ。
>>802 一体、いつの説だよwwww
大田道灌が城を築いたのは、荒川河口の港湾に目を付けたからで曲がりなりにも港町があったから城が出来たというのは近年では定説だが。
807 :
日本@名無史さん:2008/02/11(月) 21:59:46
鎌倉時代の歴史を書いた吾妻鏡によると東京〜千葉の湿原地帯の埋め立てをして大開発をしてたらしい。
室町期には東京湾の河川流通が発展してたが利根川などの河川氾濫にも悩まされてたので人口がなかなか増えなかったとか。
巨大台風がくると武蔵国は埼玉東北部を中心に水が暴れ江戸まで水害が広がる事もあったらしい。
京〜大坂の湿原地帯や淀川などの大氾濫や治水工事について知ってる人いる?
本願寺は高台だから水害はないだろうけど。
最近家の実家の土地が実は昔、城があったそうだから
県のほうからそこに公園作りたいって言われたらしいんだが
上杉謙信の爺ちゃんが死んだ城で神保氏が立てた城らしいんだが
何か知らんかね?
810 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 00:40:00
2月11日が建国記念日とする根拠は?
811 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 00:44:05
金沢って前田家の出身地じゃないと聞いたんですが、本当ですか?
地元では、利家はすごい人やってイメージなんやけど・・・
>>804 嘘コケ。オーバーに言うな
実際、秀吉が入るまで河内国(大阪)はショボかった。
813 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 02:01:03
>>811 前田利家は尾張(愛知県)の出身だぎゃ!
814 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 02:06:32
815 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 02:28:40
中継貿易だか集積所だかわからんが堺湊から京への物資輸送のために
堺から淀川へさらに輸送したのか?
それとも堺→奈良→京への飛鳥・平城京の古来からのコース?
816 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 02:35:26
大坂は河内国だったんだ。摂津かと思ってた…
>>810 いつか誰かから指摘されるだろうから敢えてここで君のために書いておく。
2月11日は『建 国 記 念 日』ではない。
818 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 02:44:16
819 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 03:19:55
質問があります。
日露戦争において、日本は帝政ロシアの内部崩壊を狙ってロシアの社会主義者
たちを支援していたという話を聞いたことがありますが、それは本当でしょうか?
本当だとしたら、その出典を教えていただければありがたいです。
820 :
日本@名無史さん:2008/02/12(火) 04:39:44
821 :
uso:2008/02/12(火) 15:08:23
建国神話を唾棄する日
日本史板を覗くと、教科書には載っていないΣ(゚Д゚;)アラマッ
(載せられない?)ことが多いので、本当の意味での勉強になる
杓子定規の教科書より、真実の日本史が深くより見えてきますね。
825 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 00:09:44
それが日本史板のいいところだね
ナルホドナ〜という新理解も多いけど、脳内妄想も多い。
826 :
808:2008/02/13(水) 00:53:57
ふむふむ、へえ・・・・佐々成政も関わってるのか・・・・・
やった好きな武将NO.2だ!
で能影はここら付近で討ち死にってことでOKなの?
というか為影の塚二つもあるのね・・・・
つうか何で墓が新潟じゃなくてここにあるんだ?
春休み帰ったとき見に行ってきます
827 :
日本@名無史さん:2008/02/13(水) 01:35:56
邪馬台国論争は
奈良のはしはか古墳=卑弥呼の墓により
決着したんですよね?
828 :
武陽隠士:2008/02/13(水) 22:54:09
>>827 違うね
ただこれが俗に言われる釣りなのか?
829 :
日本@名無史さん:2008/02/14(木) 18:37:17
>>755 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
質問です。
日本人は何処から来たのですか?
色々説はあるみたいです。
本当のところはどうなんですか?
日本人はどこからやってきたと言うより、あっこちから列島に寄り集まってきた、
いやむしろ流れてきた人達がいつしか一体感を持ち日本人が形成されたのだと考える。
経路は違うけどみんなアフリカからやってきたらしい。
近くにいる自称ホモ・サピエンスを超えちゃった人達は土着かもしれない。
ホモ・エレクトゥスから直接進化したのかもしれないから。
まあそうだとしても時期が古いだけで出発点はやはりアフリカらしいが。
いくらなんでもオランウータンの方がチンパンジーより近縁とかそこまではないだろう。
もともと日本に住んでいた人達ってアイヌ以外にいるのですか?
>>834 「アイヌ以外の古代日本人」がそれにあたると思うがな。
単純に「東夷=日本先住民=アイヌ」といえるものではないのよ。
じゃあ西日本にはいたの?アイヌ以外に東夷はいたの?と言われたら、いたとしか言いようがないから。
アイヌといっても、樺太や千島やオホーツクあたりからの移住が頻繁に繰り返されてきたし
文化も日本の古代文化を最も色濃く残してきたというだけのことで、それも13世紀ころの成立といわれている。
つまり「唯一近代まで生き延びた北方系日本民族」に過ぎないのであって「先住民族」と解するのはどうかと。
秋田県には白人との混血が多いと言う事を聞いたことがあります。
だとすれば何故白人系の遺伝子が日本列島にやってきたのですか?
これはシルクロードを通ってきた古代ユダヤの人々なのかな?
>>836 アイヌ=コーカソイド説も同じだが、遺伝子学的に否定されていたんじゃないか。
838 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:18:05
慶應法を目指してる高2ですが、何をすればいいのかわかりません。誰か助けて下さい。
839 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 01:45:33
伊藤博文はロリコンと聞きましたが
どういうことしたんですか?
840 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 12:12:18
はじめは西南戦争で西郷は有利だったのに、なぜまけたんですか?
戦略で勝てなかったんですか?
841 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 16:20:20
>>840 2月15日、西郷隆盛指揮する薩摩軍が薩摩を出発
2月21日、熊本城を包囲
この状態をもって西郷軍が有利といっているのかな?
この時点ではまだ官軍が熊本に到着していなかった。
はじめて官軍と西郷軍が衝突したのが2月26日。
このとき衝突したのはいずれも双方の小部隊で、
双方負傷者を出し引き揚げた。
3月の1か月間に及び、人数の少ない西郷軍はゲリラ作戦で
多勢の官軍の侵入を食い止めようとしたが、
4月に入ると官軍は西郷軍の陣を次々侵食しはじめ、
4月15日、西郷軍は薩摩へ撤退。
官軍は西郷らを追って薩摩へ進入、
以降、地の利を生かした西郷軍によるゲリラ戦となる。
しかし、官軍は次第に薩摩各地の拠点を落としていき、
9月24日、西郷隆盛らの自決によって西南戦争は終わる。
>もともと日本に住んでいた人達ってアイヌ以外にいるのですか?
ごく少数の先住民をのぞけば、
縄文人が日本の原住民。
東日本人はアイヌのひとたちも含めて、
おおむね縄文人の子孫です。
アイヌ白人説は過去の遺物。
843 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 17:11:32
>>836 秋田美人=色が白い、から出たもの?
日本人は遺伝子的にはモンゴロイド(モンゴル人)に一番近い。
モンゴロイドは氷河期に日本列島に渡りさらに
太平洋を北から氷づたいに東へ向かって
アメリカのインディアンになった。
白人との血縁はかなり遠く、古代に混血した可能性は低い。
蒙古斑は、モンゴル、中国、朝鮮、日本、インディアン(アメリカ先住民)などに
現れる特徴。
なんで縄文、弥生時代にこういうくらしをしてたとか、
○年に卑弥呼がいたとか、
大昔の出来事が分かるのですか?
>>844 縄文時代や弥生時代はほとんど考古学です。
古い地層から出てきた遺物を見て、
こんな生活をしていたんだなあ、ということがわかります。
卑弥呼という女王がいたことは、中国の歴史書
「魏志倭人伝」に書かれてあることからわかることです。
ここには当時の倭(日本)の風俗や生活に関する記述もあります。
こちらは考古学ではなく文献史学の立場からわかることです。
846 :
日本@名無史さん:2008/02/17(日) 22:56:33
武田、上杉が上洛しようとしましたが、あの頃、先の武田の時点で織田は
堺周辺を抑え大勢力なんですが。病気がなければ武田は京都までこれたんで
しょうか?
また、上洛直前に死んだ、上杉寿命があればも京都までこれたんでしょうか?
自分は、補給線や物量の差で無理な気がします
詳しい人教えて下さい。
847 :
日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:22:32
今日の「アッコにおまかせ」に出川が出演していませんでしたが、
歴史が動いた瞬間と捉えて問題ないでしょうか?
848 :
武陽隠士:2008/02/18(月) 00:32:54
>>847 日曜日、家にいるときはご飯食べながらよく観てるんだけど、
その認識は違うんじゃない?
「アッコにおまかせ」の出川は準レギュラーでしょ。
松村とかもそうだしさ。
レギュラーの峰が出なかったらコトなんだけど。
>>755 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
>>846 上杉謙信本人は何度か京に入ったことはある(海路で)。
織田軍柴田勝家を相手に好戦しながら途中で追撃をやめるなど、
謙信自体は自領の保全のために戦をしただけで上洛を目指してはいなかったともとれる。
死ぬ直前、遠征をかける準備をしていたという説もあるが、
自領の拡張が目的で、上洛が目的ではなかったかもしれない。
将軍足利義昭の織田信長追討の教書をもとに上洛を目指した武田信玄の場合、
どうなっていたかはわからない。
織田信長は当時、織田包囲網の中で、進軍する武田信玄ばかりではなく、
浅井・朝倉連合軍、石山本願寺の一向宗とも戦わねばならず、
信玄に敗れて敗走した徳川家康にわずかな援軍しか送ってやれなかった。
もっとも、多勢の今川義元を少勢の織田信長が破った例があるので
運はどちらに味方したかはわからない。
ただわかるのは、信玄出陣後、徳川家康は敗走、
織田信長は信玄以外にも敵が多く、家康に充分な援軍を送っていやれなかったということ。
状況的には信玄有利と見る人が多いが、歴史はどちらに転んだかわからない。
851 :
808:2008/02/18(月) 13:09:28
天下五剣の中で現存してるものってありましたっけ?
あっミスった・・・・・
854 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 23:12:56
邪馬台国は「やまのだいのくに」で阿蘇山
大和国は「やまのとのくに」で奈良盆地
じゃだめなんですか?
855 :
日本@名無史さん:2008/02/20(水) 23:35:31
会津白虎隊の悲劇って本当にあったんですか?
あった。
>>843 スサノオとその子孫らしき人々の名前は蒙古系だしな。
858 :
日本@名無史さん:2008/02/22(金) 09:00:26
>>824 自分で専門書とかを読んで勉強したほうがもっと色々な発見や
驚きがあるよ。
白虎隊の悲劇
@馬鹿殿が家臣の反対を押し切って京都守護職などになってしまったこと。
A大勢が決したのだから大人しく恭順しておけば、
多くの犠牲者も出さず、10万石程度の厳封で済んだはずなのに、
藩内強硬派を抑えきれず開戦してしまったこと。
Bほとんど未熟練者ばかりである白虎隊などを編成してしまったこと。
C隊長等幹部とはぐれてしまったこと。
D若者ばかりで早まって自殺してしまったこと。
E没後百年以上たつにに未だにその死亡が観光や売名に利用されていること。
F今後も間違いなく利用され続けるであろうこと。
1994年の東大の問題で、倭の五王の外交と聖徳太子の外交の相違点
を述べよっていう問題なんですけど、赤本、青本をはじめ論述問題集の
解答をみてみると大体「太子は対等外交を目指した」って書いてあります。
でも代ゼミの八柏先生の参考書には「対等外交というよりかむしろ仏教理念に
基づく積極外交を目指したの方が的を射ている」って書いてありますし、本人も授業で
そういってました。どちらが正しいのでしょうか。
そんなの好きな方って言うか、読んで自分が納得できる方で良いんじゃないの。
で済む話だけど、問題としての正当が知りたいのなら、
出題者がどちらの立場に立っているか調べれば良い。
その当たり難しいからなあ
資料が中途半端にあるとかえって成否の判定が難しくなるんだよな
どっちも納得できちゃうんでかえって複雑なんですよね。
出題したのはどの教授でしょう。
東大の日本史の論述は採点してる教官が「あ、なるほど!」と
納得する斬新な答案でないと点がこない…なんて説が俺の頃は
あったね。
だとすると八柏さんのほうが答案としては優秀だということにもなるけど、
そんなことを言ったら大半の受験生は日本史0点になってしまう。
八柏先生が言うには、それだから日本史の平均点は毎年低いそうです。
866 :
日本@名無史さん:2008/02/26(火) 02:43:07
もしかしたら板違いかもしれませんが古文書解読(漢文、くずし文字)の入門書でおすすめないですか?
隔離スレをageるな
歴史なんてそれぞれの俺史観だから正否とか無意味。
ただ学術学究と試験の知識ではかなりの開きがある。
>>866 辞書買って本物見て練習したほうがいいよ
江戸幕府の残したものなんかはとても読みやすい
逆に庄屋文書は字が下手でとても読みにくい
便乗質問です
「御分国中郡村○帳」(○は読めない、「付」かも)
って延享の古文書が家にあるんだけど
中身は仙台藩中の全村名が羅列してあるだけ。
なんの目的でこんなの作って持ってるんだろうか?
阿波にも天保期に作られた村名・組名とその長の名前のっけた帳面があるな
なんか天保期くらいにそういうのをまとめる命令が幕府から出たとか当時の先生に聞いた記憶があるが曖昧だ
ただ延享だと100年近く古いし村名だけの羅列か。
よくわからないなw
872 :
池田大作 ◆NmGvY4xptU :2008/02/28(木) 14:45:38
>>860 > 1994年の東大の問題で、倭の五王の外交と聖徳太子の外交の相違点
> を述べよっていう問題なんですけど、赤本、青本をはじめ論述問題集の
> 解答をみてみると大体「太子は対等外交を目指した」って書いてあります。
じゃ、倭の五王はどんな外交をしたと解答には書いてあるの?
朝貢外交じゃないの。
日本史を好きになりたいけどどうしても好きになれません。
この人のおかげで、この本で考え方が変わった等ありましたら
ご教授ください。
>>875 はい、そうです。ヘタレでダメ人間なものですから
浪人することになってしまいました。
受験する大学のレベルにもよるけど、石森章太郎の「マンガ日本の歴史」でも
まず通しで読んでみたら?
漫画と思って子供向きだと思うと、大学受験のレベルを超越するような内容も
含まれているよ。取っ掛かりとしてはいいと思う。
公立の図書館に行けば大抵全巻揃ってる。
>>877 漫画ですか。ありがとうございます。
ぐぐって見たら全48巻あって少しひるみました。
多いので一度図書館で探してみることにします。
879 :
池田大作 ◆NmGvY4xptU :2008/02/28(木) 19:24:15
>>873 どうもです。
>>860 > でも代ゼミの八柏先生の参考書には「対等外交というよりかむしろ仏教理念に
> 基づく積極外交を目指したの方が的を射ている」って書いてありますし、本人も授業で
> そういってました。どちらが正しいのでしょうか。
じゃあ、代ゼミの八柏先生のいう『仏教理念に基づく積極外交』とはどんな外交なの?
ヘンな手紙を送ったのが積極外交と言えると思うけど、
『仏教理念に基づく積極外交』とは何でしょ?
>>755 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
881 :
日本@名無史さん:2008/03/05(水) 21:12:14
明日テストなのですが…
良い暗記方はありませんか?
883 :
日本@名無史さん:2008/03/05(水) 21:27:03
884 :
日本@名無史さん:2008/03/05(水) 21:29:59
今「逆説の日本史」って本読んでるんですけどこの本はどうですかね?
聖徳太子は重度のノイローゼだったけど温泉に行って治したって書いてあるんすけど・・・
誰か知ってたら教えてください。
小石一族は神武天皇の兄の子孫だと聞きました。兵隊さんの位でいうと未来戦士ですか?
時代劇や大河ドラマを観てると、
「何万両」とか「何万石」とか出てきますが、
実際の金額が分からないので「ふ〜ん」てな感じでリアリティが有りません。
○両=○円 ○石=○円 てな感じの変換式を教えて頂けないでしょうか?
>>883 いや、あんな糞スレ全く焼くに立たないよ…
>>886 変換式は作れません
当時のモノの価値と現代のモノの価値が全く違うから,何を基準にするかによって数値が変わります。
単純に金の価値で考えた場合を一例に
質のいい小判(慶長・正徳・享保)は5匁で純度85%(厳密には端数あるが)くらいだから
3.75g×5×0.85≒16g
今の金は1g≒2500円なので1両≒40,000円
889 :
日本@名無史さん:2008/03/06(木) 15:23:31
戦国時代の識字率ってどんなもんですか?
特に農民について知りたいです。村の有力者ってレベルなら平仮名くらいは読み書きできたのか。
他、大名や豪族やら商人やら、身分によって「漢文までOK」「平仮名カタカナだけ」とか違うと思うんですが、良かったら教えてください。
891 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 17:47:07
892 :
日本@名無史さん:2008/03/07(金) 19:36:24
>>888 換算は、難しいですね
俗に「10両盗めば首が飛ぶ」というから、上記の換算だと
当時の命の値段は、40万程と云うことになってしまいます。
現代だったらとても割に合いませんw
小石君マンセー!
894 :
武陽隠士:2008/03/08(土) 00:40:57
>>890 >>891 戦国時代の識字率が正確に分かる訳ない。
だいたいの数だって分かるのものか?
何をいってるのだろう。
史料がたくさんある江戸時代だって識字率は傍証的にしか割り出せない(初期は低い。江戸後期、末期になると爆発的に寺子屋が増える)。
それと私は知らなかったが、フロイスが「日本人の識字率は高い」なんて書いてるのか?
手元にあるフロイスの『日欧文化比較』にもそんな記述は見あたらない。
第一聞いたこともない話だ。
ネット上のバカな奴らのホームページみて勉強すんのはいい加減やめろ。
単なる能なしバカだ。
まあ江戸初期の文盲の多さからみて、戦国時代はすごく識字率低かったろうな。
895 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 00:50:00
フロイスは世界中で最低の民族って書いてるよ。
重複スレでマジレスつーのもアレだが、ここが真っ当なスレだと勘違いしている人が偶に居るので一応誤りは指摘しておく
>895
まー釣りだろうが惜しい実に惜しい。正確にはフロイスの後任者がそういう傾向にある
>894
本スレでは無いから相手をしてやるだけで勘違いしないように(苦笑
>戦国時代の識字率が正確に分かる訳ない。だいたいの数だって分かるのものか? 何をいってるのだろう。
網野善彦氏の『日本論の視座』でも嫁。 つーか何その素人コメント? 何をいってるのだろう
>史料がたくさんある江戸時代だって識字率は傍証的にしか割り出せない
>(初期は低い。江戸後期、末期になると爆発的に寺子屋が増える)。
戸籍制度の整った近(現)代日本以外の国家(除日本の旧支配地域)は須く傍証的(w)にしか割り出せないと思うが?
江戸時代の識字率は研究者によって区区だが寺子屋が増えたからといって識字率に直結するわけではない
おまいさんは今でも高次方程式が解けるのかい?日常生活で活用しない知識なんか直に忘れてしまうものだ
重要な事は日本では下層民であっても文字を介する文化が有ったということ
>それと私は知らなかったが、フロイスが「日本人の識字率は高い」なんて書いてるのか?
>手元にあるフロイスの『日欧文化比較』にもそんな記述は見あたらない。
>第一聞いたこともない話だ。(以下略
自らの無知を喧伝する必要は無い
おまいさんが(別の意味で)読むべきなのは『フロイスの日本覚書』だな
>まあ江戸初期の文盲の多さからみて、戦国時代はすごく識字率低かったろうな
歴史学の素人が言う妄言より、網野さんの考察を漏れは支持する
秀吉のちゃちゃ宛ての手紙で
文末の自称が「てんか」って書いてあるんだけど
天下?殿下?どっちの意味だろう
898 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 09:58:02
はじめまして。
来年慶應法学部と早稲田法学部を受けるものです。
今まで日本史を勉強してきて、基本事項や教科書基礎レベルはわかってるのですが、教科書や参考書などを読むのがとても退屈です。
テレビとかでそのとき歴史は動いたなどを見てるとすごい覚えられて楽しいのですが・・・
小説や新書のような感じで受験でも使えるような内容の本はありませんか?
ほんの少し雑学が入ってしまったり、量が大目になってしまってもかまいません。
何かありましたらアドバイスお願いします。
901 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 11:28:22
天下茶屋(てんがちゃや)
902 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 14:20:42
903 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 15:09:04
>>898 ここは学問板なので、学問とは別物である受験勉強としての日本史の話は、
受験板の日本史スレをご利用下さい。
904 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 16:35:58
でも自称を殿下っておかしくね?
茶々を二十才くらいで側室に迎えたそうだが、秀吉なりのギャル語なのかもしれん。
907 :
日本@名無史さん:2008/03/08(土) 23:48:04
中近世における殿下は、摂関を指す一般名詞みたいに考えたほうがいいんじゃないの?
908 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 02:35:24
殿下渡領
909 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 04:53:35
本スレage!!!
910 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 05:03:50
おう
911 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 05:41:48
912 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 14:08:11
小説のような感じで日本史が学べる本ってありませんか?
文庫本や新書などで・・・
よかったら教えてください
913 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 16:02:15
新高3の日本史初心者なんですけど、詳説日本史研究をやったほうがいいと言われたんですがどう思いますか?
MARCH以上を狙ってます
914 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 16:09:32
答えがわからないんで教えてください!!
帝国議会開設当初は衆議院の民党勢力と真っ向から対立した藩閥政府も議会運営を重ねるうちに民党側との妥協を余儀なくされた
1898年の大隈内閣以前の問題です
なぜ議会運営を重ねるうちに民党側との妥協を余技なくされたのか?
この中から間違っているものを教えてください
1.政府が対抗措置として衆議院を解散しても、総選挙の結果は民党側が優勢のままであったため
2.政府は公正な選挙運営で民党候補者への配慮を示したが民党側の政府攻撃がやまなかったため
3.税負担に基づく選挙権を行使して民党を支持した地主の意向を無視できなかったため
4.議会で発揮された民党の力は、大日本帝国憲法に規定された衆議院の正当な権限に基づいていたため
915 :
つづき:2008/03/09(日) 16:10:57
政党の存在そのものが否定されて、1940年に政党組織はすべて解消した
なぜ政党内閣は安定した政治を接続することはできなくなったのか?
誤っているものはどれか
1.金融恐慌や昭和恐慌など深刻な経済不況が続いたため、国民の不満を抑えることができなかった。
2.内閣強化のために軍部大臣現役武官制を改めようとしたことが、統帥権の干犯として軍部の反発を招いた。
3.衆議院以外にも権力が分散して存在する政治体制であったため、内閣主導の政治運営が困難だった。
4.関東軍の勝手な軍事行動や、それに呼応する国家改造運動の高まりを抑えることができなかった。
916 :
つづき:2008/03/09(日) 16:13:10
重要産業統制法について述べた文章として正しいものはどれか?
1.カルテルの結成を禁ずるものであった。
2.施行の結果、経営難にあえぐ多くの中小企業が活況を呈するようになった。
3.施行の結果、主要財閥の統合が進んだ。
4.施行の結果、新興財閥の日産や日窒は、多くの企業を吸収して経営基盤を強化していった。
917 :
つづき:2008/03/09(日) 16:22:49
マッカーサーについて述べたうち誤っているものを選べ
1.日本に着任したマッカーサーは、円滑な占領統治のために天皇を利用する姿勢を示した。
2.マッカーサーは、軍政による直接統治方式をとった。
3.朝鮮戦争が勃発して戦局がゆきづまってくると、マッカーサーは中国東北部への爆撃を主張した。
918 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 17:31:50
誰も答えてくれないの?
919 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 17:36:09
室町時代のスレにも書いたのでマルチになりますがお願いします。
応えあったらむこうの方にその旨書きます
室町時代の犯罪の逮捕権ってどうなってたのでしょうか?
農村とかだと落書(らくしょ)で決めて、家財没収の上追放、とか独自でやってたらしいですが、、、。
殺人とか、通り魔とか、そういうのの取り扱いは何処が管轄してたのかな。
ど素人ですみません。
920 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 17:45:05
自力救済だよ。
犯人は被害者の遺族が自力で捕まえて役所に突き出さないと刑事裁判は行われない
921 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 17:50:43
ありがとうございます。結構シビアだったんですね、、、。
しかし、あまり良い問題だとは思えないな。
924 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 18:59:13
>>922 日本史の問題なんだから日本史板で何がいけないの?
925 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 19:52:18
>>922 自分の脳内ルールを他人に押し付けないように
926 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 20:11:47
自作自演はおまいだろ
928 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 20:28:47
本スレage
929 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 20:31:13
受験板いけ
930 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 21:59:09
ここでいいよ。受験の話を排除しちゃうと話題がない。
931 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:27:44
班田収受の法についてなんですが
死亡すると次の班給時に収公されたとありますがどういう意味ですか?
932 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:29:28
どうしても分からないんでお聞きしても宜しいでしょうか?
江戸幕府成立後に、幕府が朝廷から任命権を取り上げた官位とはどういったものがあるのでしょうか?
因みに大老在任時、その官位の任命権を実質支配していたのは大老なんでしょうか?
933 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:31:45
1.第二次大戦中には特攻隊があり多くの若者が黄泉の国へ旅立ちました。
軍国教育が徹底していて一種、洗脳状態だったのは分かるのですが
死ぬと分かっていて逃げ出さなかった背景には何が有ったのでしょうか?
2.第二次大戦中、当時の政府は日本が有利であるかのような宣伝をしていたのですが
アメリカの力は遙かに勝っていました。
当時の有識者のなかには「あのように宣伝しているがこの戦争は日本が負ける。
でもそんなこと言ったら非国民として弾圧されるから黙っておこう」
と考えた人はいたの?
3.明治の初期頃にはまだ江戸時代の生活そのままに送る人もいたの?
それとも一気に切り替わり近代化したのでしょうか?
4.歴史的に見ると人は性悪説と見ていいのでしょうか?
5.昔話には幽霊や妖怪の類が出てきますが昔は生息していて
現在は絶滅した希少な動物などだった可能性はあるの?
934 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:34:07
安土桃山城ってありますか?
>>933 1.モルヒネかヒロポンを打ってたという話もあるよね。
2.吉田茂はじめ、外務省の親米派などもいたわけです。
3.WW2後までは、山村部ではわりとそのままだったというのが通説
4.知らない
5.河童がかわうその見間違いだったという説は有力らしい。
936 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:42:10
臣下初の皇后が光明子と言われていますが
仁徳天皇の皇后の磐姫は葛城氏の出だといわれていますよね
磐姫はカウントに入れないんですか?伝説だから無視?
937 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:43:58
飛鳥時代の庶民は、どんな名前が多かったのですか?
wikiから引っ張ってくると「清原氏女(きよはらうじのむすめ」
とかですか?
クマとかハチとか、2文字くらいの動物の名前も居たとか聞きましたが
本当ですか?
938 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:46:06
武田信玄を源晴信、毛利元就を大江元就と表記してる本があったんですけど
どいうことでしょう?
939 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:47:47
藤原四子の時代の「他氏排斥」の意味を教えて下さい。
940 :
日本@名無史さん:2008/03/09(日) 22:48:20
現行条約励行 と 内閣弾劾上奏 の意味を教えてください
>>932 武家、つまり大名・旗本がつく官職です。これは公家とは別枠で定数に入りません。
五位以上なので左衛門尉や弾正忠を除くと、国守・寮頭・職亮・八省輔・衛府佐以上です。
上は大臣(将軍のみ)、大納言(将軍・紀伊・尾張のみ)、中納言(御三家・御三卿)
以下参議、中将、少将、侍従。
なお大臣から侍従までは序列としての意味がありますが、
武家の場合その他の官職には全く意味がありません。
>>936 伝説だからだと思います。あるいは律令の規定に反して初という意味かも?
>>937 日本古代人物人名辞典とかみると良いかも。
確か8世紀以前の天皇以下の何らかの形で記録に残っている有りとあらゆる人名を網羅。
>>938 天皇から与えられた本姓が源朝臣・大江朝臣だからです。
武田とか毛利とか言うのは同族と区別するために本来は私的に名乗ったもの。
従って官位を貰ったりするときは当然に本姓を名乗るべきものです。
937じゃないけど
>日本古代人物人名辞典
へー、こんなんがあるんだ。俺が知らないだけか
いいことありがとうございます
943 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 04:26:18
侍従って官位相当表にあるっけ?
944 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 04:31:37
>日本古代人物人名辞典
日本古代人名辞典(吉川弘文館:全7巻:竹内理三・山田英雄・平野邦雄編)の誤り
日本古代人物人名辞典(1冊もの)の方は9世紀以後の人物も掲載されているが網羅物ではない。
平安人名辞典とかも網羅物だな。
1000年時点生存者(推定含む)と1060年時点生存者(推定含む)。
もっとも1060年時点は女性・僧侶編はまだ未刊のようだが。
編者は1030年分も作成しているけど出版の目処が立たないとか。
30年ごとに前後に延ばしていって平安時代を網羅できたら凄いな。
>>943 侍従は従五位下相当。しかし実際は中納言が兼務することなどもあり、扱いがよくわからない官職。
江戸時代の武家官位では従四位下ないし従四位上が通常。老中は従四位下侍従。
高家の場合は従五位下侍従も普通にある。この場合、単なる従四位下より少なくとも幕府内では上位。
徳川(源朝臣)とか織田(平朝臣)とか前田(菅原朝臣)なんかは偽証っぽいけど、
武田や大江は信憑性高いんじゃないの?
948 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 11:15:18
大江広元自体が本当に大江なのか怪しいし。
949 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 12:15:11
950 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 12:23:28
甲斐武田は鎌倉時代の消息がほとんど不明だし
侍従、清華とかやっとおしめが取れたくらいの幼児の初任の職だったりする、
そうかと思えば相当な年輩で非参議三位や中納言になった後に侍従とか、
わけがわからない官職。
和泉事典シリーズ
平安人名辞典―康平三年〈上〉
ISBN:9784757603967 (4757603967)
529p 26cm(B5)
(大阪)和泉書院 (2007-01-20出版)
・槇野 廣造【編】
[B5 判] NDC分類:281.03 販売価:\18,900(税込) (本体価:\18,000)
康平三年(一〇六〇)、平安時代の藤原摂関期が終末を迎え、院政期に入る直前の頃、いかなる人物が、
生き、死に、笑い、泣き、和み、争ったのか―。
康平三年時に、生存していたと思われる人物を諸種の資料から収集し、身分別に編纂された、
壮大なスケールの人名辞典。
第1部 皇族
第2部 一般男子
第3部 姓不明者
1000年版は出版社が違う。
953 :
日本@名無史さん:2008/03/10(月) 23:54:20
954 :
日本@名無史さん:2008/03/11(火) 00:18:56
サンマの落書ってなんですか?
956 :
日本@名無史さん:2008/03/11(火) 11:26:47
wikipediaなんて上げたって不親切だろ。
せめて『臥雲日件録』の康正元年1月6日条参照とかいえばいいのに。
957 :
日本@名無史さん:2008/03/11(火) 11:42:28
>>755 細かく時期区分すると、
小石時代早期
小石時代初期
小石時代前期
小石時代中期
小石時代後期
小石時代末期
小石時代晩期
の7期に区分されますね。
958 :
日本@名無史さん:2008/03/11(火) 11:43:20
>>956 WIKIに参考文献とかも載ってるじゃん。
960 :
日本@名無史さん:2008/03/11(火) 13:23:19
山は死にますか
海は死にますか
前世で戦士だったものです。コイシ、アポロ、ディートリアス、セイヤという
名前に何か感じた方、ご連絡ください。
963 :
日本@名無史さん:2008/03/11(火) 20:50:47
>>961 「小石くんの先祖について発表するスレ」
がスレタイですか?
964 :
日本@名無史さん:2008/03/12(水) 00:41:45
OKでつ
965 :
日本@名無史さん:2008/03/12(水) 13:47:19
965
966 :
日本@名無史さん:2008/03/13(木) 00:36:33
966
967 :
日本@名無史さん:2008/03/13(木) 03:03:04
967
968 :
日本@名無史さん:2008/03/13(木) 03:47:54
968
969 :
日本@名無史さん:2008/03/13(木) 14:34:40
969
970 :
日本@名無史さん:2008/03/13(木) 14:48:18
970
971 :
日本@名無史さん:
971