なぜ日本人は盾を持って戦わなかったのか?

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1日本@名無史さん
なんか気になってしょうがないので
君達の考察プリーズ
2日本@名無史さん:2006/05/24(水) 15:55:02
盾使ってるじゃん
並べて矢を防ぎ、その陰から矢を射る楯突戦はデフォ
3日本@名無史さん:2006/05/24(水) 15:56:26
古墳時代までは持つタイプの盾もあったよね
それ以後は置き楯かな?
4日本@名無史さん:2006/05/24(水) 15:57:04
日本人という民族は横の関係やつながりを重視するから
それゆえではなかろうか
5日本@名無史さん:2006/05/24(水) 16:03:24
古墳時代にはシンプルな盾と
隼人の盾のような怪しげな文様が描かれた盾の二通りがある
6日本@名無史さん:2006/05/24(水) 16:44:37
持ってたよ

【石器時代】
木の枝や鶴を君で作った持ち盾。クリップ式の石刃槍、石斧、長弓、投石。

【青銅器時代】
木板の持ち盾。ソケット式の鉾とクリップ式の石刃槍、銅製直剣、石斧、ボウガンと長弓、投石。

【鉄器歩兵時代】
木板の持ち盾と置き盾、クリップ式の長巻、鉄製の刀、長弓、投石。

【鉄器騎兵時代】
木製置き盾、クリップ式の薙刀や槍、鉄製の刀、長弓、投石。
騎馬して楯を持ち、槍や弓を使えなかったことと甲冑の進歩により持ち盾衰退。
守城戦用に木製持ち盾は一部残存。

【火縄銃時代】
木製の置き盾、竹束製の持ち盾や置き盾、クリップ式の槍、鉄製の刀、火縄銃、大砲、長弓、投石。
守城戦用に金属製持ち盾は一部残存。

【明治〜昭和初期】
盾はほぼ消滅。塹壕や鉄メット、防弾チョッキ、装甲人員輸送車に替わる。
銃剣付き小銃、機関銃、突撃銃、大砲、艦砲射撃、空爆、火炎放射など。

【昭和後期】
盾は内乱鎮圧に使用された。ジュラルミン製。

【現代】
盾は防弾製を高めた複合素材製のものと、
非銃器暴動鎮圧用の樹脂製盾が用いられている。
7日本@名無史さん:2006/05/24(水) 16:47:13
中国史のように、マントを着る騎馬武者も殆どいなかったよね。
盾の使用も、中国と比較すると、あまり一般化しなかった。
8日本@名無史さん:2006/05/24(水) 17:23:12
>>7
>マントを着る騎馬武者
数本の短い投げ槍を背負ってたり、
腰にはボウガンを吊してたりするよね。
手裏剣も尾布付きの大きめで重めの短剣。
91:2006/05/24(水) 17:23:29
すみません言葉足らなかったのは承知してたんですが
古墳時代の盾や鎌倉〜戦国で使われた置き盾の件は了承です。
なんていいますか中世ヨーロッパの騎士が持っていたデカイ盾とか馬上で使う盾とか
中国に関してもそうですが、同年代と比較しても日本人ってそのような明瞭な盾って
使用してませんよね?
漠然とした書き方ですみません。
簡単に言っちゃうと戦国時代に盾持って日本刀振り回していた武士っていたんでしょうか?
篭手が盾代わりと言われてしまえばそれまでなのですが。。。
10日本@名無史さん:2006/05/24(水) 17:26:38
日本では律令制時代の軍が保侶依(マント)を使用してたみたいだね。
11日本@名無史さん:2006/05/24(水) 17:36:42
>>7
>盾の使用も、中国と比較すると、あまり一般化しなかった。
そんなことはないよ。
>>6 に書いたように、多くの時代で一般的。
持ち盾は12世紀には、日本、中国、印度、モンゴル、中東、
東欧、西欧、トルコ、イラク、エジプトで既に廃れていたよ。
完成度の高い甲冑、強力な短弓や弩、丈夫な長槍の前で非力だったから。

ただし、本州、四国、九州に銅武器と鉄武器が
ほぼ同時期に入ってきたため、大陸とは違う形になった。
欧州や印度、中国と比較して日本には金属兵器の伝来が遅れた。

銅矛や銅鏃矢の時代には、柔らかくて重い銅での金属甲冑は
普及せず、持ち盾も有効だった。
鉄鏃矢や長巻の時代には、硬くて軽い金属甲冑が普及して、
持ち盾の意味が減った。

大陸では、先ず戦車の時代があり、鐙とくつわの発明により
騎兵の時代が来て、戦車が消滅した。しかし、日本には
騎兵の時代がダイレクトに来たために戦車が伝わらなかった。

石器時代の槍と石斧にみられる中子式の刃固定方式は、
長巻き、なぎなた、日本刀、日本槍に残った。
竹の目釘は折れやすく、中子式自体が突き方向の強度に劣り、
日本刀の柄も使用中によく粉砕したり分解した。
弓もいつまでも当たらず、飛ばずのままだった。

しかし、大陸から離れてたため、そのまま明治を迎えた。
12日本@名無史さん:2006/05/24(水) 17:43:36
>>9
>戦国時代に盾持って日本刀振り回していた武士っていたんでしょうか?
戦国時代にも持ち盾は使っていたよ。良く探して御覧、
絵巻物にも出てくるし、現存するものもある。戦国以前の
持ち盾と鉾を手にしての祭りは、今も出雲などで行われているよ。

戦国時代は、弓矢、鉄砲、投石、長槍が主兵器。
刀なんか現代戦のピストルと同じ程度の儀礼用や
護身用の飾り。戦死者の首狩りにも使っていたけどね。

それから、北海道や東北に住んでいた日本人、
アイヌ人やその他の北東アジア民族は
ボウガン、投げ槍、持ち盾を使っていたよ。
それに奄美や沖縄に住んでいた日本人、
琉球人たちも、短槍や持ち盾を使っていたよ。
今でも亀甲盾と短槍の演武が明治神宮への
古武道奉納大海などで見ることができるよ。
ティンベーとかローチンでぐぐってね。
13日本@名無史さん:2006/05/24(水) 20:29:12
ていうかさ、剣の使い方の違いじゃねぇの?
ヨーロッパの剣ってひらたくて分厚くて、叩いて殺すような武器っしょ
だから鎧も全身鉄だし、致命傷から逃れる為には持ち盾は必要になってくる。
切りつけて切り落とすタイプの剣、つまり刀だけなら、ある程度しっかりした鎧さえあればいらない
だからといって、全身鉄のような鎧は攻撃面に影響でてくるからあいう形になったんじゃねぇ?
中国なんかは、投擲やハンマーで勝負してくる超人大会な部分もあったから、
はたから見れば中途半端な形、ヨーロッパと日本の間みたいな結果になったんじゃないん。よくわからんけど
14日本@名無史さん:2006/05/24(水) 20:49:45
>>13
>ヨーロッパの剣ってひらたくて分厚くて、叩いて殺すような武器っしょ
日本でも、中国でも、インドでも、東欧や中東、西欧でも
甲冑を相手にして戦場で刀剣で戦うときは、みんな同じだよ。
刀剣は長大で重いものになり、両手で振り回して殴りつける。
よく研いだ鋭利な刃でなぎ斬ったり、鋭利な剣先での刺突はほとんど無駄。
甲冑が発達すると、メイスやフレイルが出てくる。
巨大ハンマーや、鋼鉄球付きの鉄棒でぶっ叩いて甲冑ごと潰す。
また、持ち盾に対してはフレイルがとても有効。東アジアでは、
宋軍や金軍が多数の長梢子棍を正式装備していたよ。
15日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:07:48
>>11
あんた、また書いているのか・・。
いろんなところでつまみ食いしてますな。

一応言っておきますけど、石器時代の石器を枝に差し込むのを茎(なかご)とは
普通は言いませんよ。
初期の薙刀はソケット式→茎(なかご)へと変化した。
石器時代の石器を枝に差し込む方式が、残ったのではなくて、
強化のために積極的に開発工夫したのが茎(なかご)。

嘘だとおもうなら、ソケット式と茎(なかご)の槍でも薙刀でも作って
ぶっ叩いてみればいい。
どっちが頑丈かすぐに分かる。

つまみ食いした知識をもっともらしくまとめて、素人さんを騙すのは止めたほうがいいと思いますよ。
161:2006/05/24(水) 21:08:20
>>11さん
レスどうもありがとうございます。
鉄と銅の強度と盾の関係などなるほどな〜と思いました。
持ち盾は12世紀には世界的に役目を終えていたとのことで
当然戦国時代においてもポピュラーな存在では無かったとのことで了解です。
ただ>12のレスにあるようにまったく使用していなかった訳でもないようですね。

>>13
盾と対をなす武器の関係は当然ありますよね。
斬る叩く刺すそれぞれ性質ありますもんね。

>>14
斬る印象の強い日本だけど、やっぱり撲殺が多いのかなぁ。
最近の研究で関ヶ原で死んだ兵士も打撲が多かった(投石含む)と言いますし
大河で見るような印象とは随分違うのでしょうね。
17日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:23:04
>>15
>ソケット式と茎(なかご)の槍でも薙刀でも作って
>ぶっ叩いてみればいい。
>どっちが頑丈かすぐに分かる。
ソケット式が強いだろ。
どうして日本以外の国では、
ソケット式に長槍や長柄の刀剣が
なっていったかを考えてみよう。
実際に作っても同じだよ。
愛国心には感服するけど、事実は事実。
あしからず。
18日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:29:19
洋剣を日本刀で斬れるとか、
パイク槍より日本槍が強いとか、
洋弓や蒙古弓に和弓が劣ることはないとか、
棒手裏剣や十字手裏剣が戦場ダーツに劣らないとか、
日本古来の拳法がムエタイに対抗できるとか、
残念だけど、全部妄想だよ。
19日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:30:13
戦国期の太刀は鉄棒だと思ったほうが実際に近い。
もちろん刃は付いていますけれど。
鎧で切れないから、ぶっ叩くしかないです(そのための鎧だから)。

刀の使われ方に関しては、やはり非正規戦や陣中での小具足(軽装)のときの武器だと思いますね。
もちろん、そんなことを言ったっていざとなれば何だって使うのは当たり前ですが。
ついでに、日本刀の柄は室町時代あたりまでは、使うときに剥き出しの柄に紐を自分で巻く風習が一部には残ってました。
さすがにそれだと打ったときに衝撃がでかいので、柄を別に作ってはめ込む方式が主流になっていきます。
柄も鞘も基本的には消耗品で、特に目釘は予備を何本も用意するのが当たり前です。
柄と刀身の間に適度な『ゆるみ』を持たせるために目釘があるのです。

天下太平の江戸中期の刀は細身で目釘も一本のものも結構ありますが、
実用刀とは言い難いですね。
拵えの出来栄えを含めておしゃれアイテムでしょう。
20日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:34:26
知ったかぶりの巣窟
21日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:38:09
ソケット式・・・というのは要するに日本で言えば袋槍のことですな。
九州地方のとある国では、袋槍は城の備品として重宝されてました
(ほかの地域でもあったかもしれませんが)。
長い枝があれば、穂先に差し込むだけで槍の出来上がり。
コストパフォーマンス的には茎(なかご)式の槍をつくるよりも上。
茎(なかご)式の武器は作成するのに、少々手間がかかる。
雑兵用に迅速に大量に槍を用意するにはこちらが適しています。
戦は結局は数の勝負ですからね。
ちなみに、マタギが愛用していたというナガサもこの袋槍式で、
熊と戦うときには適当な枝を差し込んで槍として使ってました。
22日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:42:18
>>19
>刀の使われ方に関しては、やはり非正規戦や陣中での小具足(軽装)のときの武器だと思いますね。
全く同意。
西欧でも中国でも日本でも戦場の主役は槍か長柄の刀剣。
細身の刀剣は、儀礼用、指揮タクト代わり、お洒落用、
私闘や喧嘩用、戦死傷者相手の首狩り用に使う程度。
江戸時代に武芸が実用を離れておかしな形に変容したために
伝承古武器に対するファンタジーが肥大化した。
23日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:45:58
>>18
>>洋剣を日本刀で斬れるとか、
細身のサーベルを戦場刀で叩き割ることは或いは可能なのかもしれませんが、
バターを切る様にはいかないでしょう。
江戸時代の林子平(海国兵談を著した人)がそんなことをやったと記録にありますが、信憑性はどうなんでしょう。。

>パイク槍より日本槍が強いとか、
>洋弓や蒙古弓に和弓が劣ることはないとか、

誰かそんなことを言ったのですか??
強い弱いなんか、口先で分かるはずないじゃないですか。
日本人としては日本のものが勝ってほしいとは思いますけどね。
それでも強い弱いを語るなら、史実をもってするのがいいかと。
歴史板だし。

>棒手裏剣や十字手裏剣が戦場ダーツに劣らないとか、
いやだからそんな話を誰が言ったのかと・・。

>日本古来の拳法がムエタイに対抗できるとか、
格闘技板の話ですかね??
俺には分からんです。

>残念だけど、全部妄想だよ。
あなたの言葉が妄想に見えるのですが・・。
大丈夫ですか


24日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:49:13
日本刀って結構重いからねえ。(重さに加えて長さがあるから、モーメントの
関係で振り回すと大きな遠心力が働く)
日本刀は、重さ(遠心力を使う)と刃物の切れ味の両方で叩ききる道具。
馬上で片手で振り回すのって結構大変だったそうな。(騎馬武者をそろえる
のが大変なのは、馬の絶対数だけの問題じゃなかった)
片手で扱うのが大変だから、宮本武蔵の二刀流もあまり流行らなかったw
日本刀は、両手で持つのが基本だよね。(叩ききる道具だから、切る瞬間は
全体重を乗せていて、切り損ねたときに勢いで刀を落とさないようにするには
相当腕力が居るので、どうしても両手で持つ安定性が必要)
それ故、手が余らないから盾をもてないw

日本刀で首をちょん切る場合、刀に体重移動させて叩き切る。
そういった扱い方法で切りつけるから、鉄器製の武具に当たれば切れはしな
いが、物凄い打撃を受ける。
雑兵でも、鉄器の付いた鉢巻をしてるから、正面から切り付けられれば切り傷は
些細だが脳天かち割られる。
胸の心臓に近い部分に強い打撃を受けると、心臓震盪を起こして死ぬことがある。
(スポーツ中の事故死に多い)
胸を武具で守っていても、重い日本刀で叩ききってこられたら、心臓震盪を起こす
かもしれない。

ちなみに銃で撃たれて死亡する人の一定割合は、命中時の衝撃によるショック死
だそうな。(心臓震盪とみられている)
25日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:54:41
被害妄想とか、関係妄想という言葉を知っていますか?
統合失調症という病気の症状です。

あなた個人やその論説を誰も非難してはいません。

世の中に、日本マンセーみたいな人がいますね。
という嘆きです。

別に
フェンシングに日本剣術が勝てなくても、
フィリピンカリに小太刀術や杖道が勝てなくても、
タイ式ボクシングに日本空手道が勝てなくても、
アーチェリーと弓道の間に月とスッポンの差があっても、
日本武道の値打ちは少しも落ちることなんか無いよ。

日本で手に入る素材で武器を作り、その使い方を研究し、
汗と涙を流しながら研鑽を重ね、家族や隣人を守るために
命を捨てて戦ってきた、俺たち先祖の血の証だからね。

26日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:55:40
日本刀(だけじゃないですが)はやはり手入れができてなんぼ。

手入れの仕方とか、目釘とか、湿り気とか、いろいろな知識あってこそ
うまく使える。
手入れもしないで、日本の出刃包丁をすぐに錆びるから使えネエ!というのは間違いでしょ?
プロでなくとも、ちょっと使い慣れた人は手入れくらいは当然していることです。
この辺の知識(ノウハウ)が断絶すると、途端に出刃包丁は手入れが面倒なだけの使えない包丁になります。

あまりに華奢な刀は論外ですけど、目釘や柄巻きくらいは戦国期は山賊でも知っていたでしょうね
27日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:57:04
攻撃こそ最大の防御也
28日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:58:17
>>25
被害妄想という言葉は知ってますけど、この場合貴方のほうがそれに該当するかと。
>>18なんてそれが顕著い現れてますよ。

唐突にムエタイの話とか、わけ分かりませぬ。
29日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:59:07
弓馬の道が武士のたしなみだったんだよ。
日本刀なんか最後に敵の首を切るためのもの。
弓手に弓を持ち馬手に手綱もって、どうやって盾を持てと?
30日本@名無史さん:2006/05/24(水) 21:59:09
現代日本は盾だけで国防している。
矛を持つことは憲法で禁じられている。
観念的なことだけどね。
31日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:04:46
>>25
ちなみにアーチェリーは弓が戦場の主武器でなくなった後に、
スポーツとして洗練されてきたものです。
同じように弓道も弓が戦場から遠ざかった後に、
心身鍛錬として洗練されてきたものです。

前者はスポーツとして道具を工夫してきました。オリンピックのアーチェリーは
最新の素材を使って常によく当たるように改良されている世界です。
よく飛ぶゴルフボールをつくるようなものです。
弓道は道具を固定しているのでアーチェリーのように変化しません。
心身鍛錬として続いてきたので、ぶっちゃけ道具を改良して当たりやすくする必要はありません。

この両者を比べることは、文化的には面白いですけど、強弱にはあまり意味がないですね。
32日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:10:56
>>28
>唐突にムエタイの話とか、わけ分かりませぬ。
同じアジアの国、王を頂く国。欧米からの独立を守ってきた国。
世界にアジア武術をひろしめた国。ムエタイはアジアが誇る世界武術だ。
武術ムエタイには、有名な拳術の他に、持ち盾術も剣術も棒術も槍術もあるよ。
33日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:13:50
>>32
あまり理解されてないようですね・・
タイやムエタイが分からないのでなくて、あなたの論法が分からないのですよ。

34日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:15:32
>>31
>両者を比べることは、文化的には面白いですけど、強弱にはあまり意味がないですね。
元寇の時には、そんな悠長なことは言ってられなかった。
蒙古弓と和弓は差がありすぎた。
命中精度、飛距離、威力、連射性、可搬性、メンテ性で…。
まあ、暑さものど元過ぎれば、で改善はされなかったけどね。
朝鮮造船業界が元軍に売りつけた軍船がボロすぎて、
勝手に水没して敗走してくれたので助かったんだよね。
35日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:18:03
>>33
>タイやムエタイが分からないのでなくて、あなたの論法が分からないのですよ。
ワールドレベルの武術を前にして、
日本の武道や武器で、実際性に優れたものは
ほとんど無いと言うことだよ(皆無とは思わない)。

悔しいけどね。
36日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:20:07
>>35
ひどい無知・・・・
37日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:22:42
世界の武術について、今はインターネットで調べることも、
興味を持ったら現地に飛んで本物の師範から実際に習うことも出来る。
東京やニューヨークに住んでるなら、サファーデ杖術でも
カリ棒術でも本気で習おうと思えば、なんとかなる。
史実を委細に調べることも出来る。再現のための模擬戦を
有史で準備したり、実際に甲冑をつけ槍や刀を手に全力
疾走してみたり、楯や甲冑を射たり撃ったり突いたりも出来る。
38日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:23:28
井の中の蛙にならず、見識を広く持とう。
39日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:26:28
>>37
コンバット気でも習えば?w
40日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:27:00
>>34
>蒙古弓と和弓は差がありすぎた。
>命中精度、飛距離、威力、連射性、可搬性、メンテ性で…。

蒙古襲来絵詞や八幡愚童訓などで語られている蒙古弓の飛距離には
確か2種類あります。
具体的には失念しましたが、やたらと飛距離が出ているほうの記録は
ボウガン(石弓)だろうというのが主流だったはず。
もう一つの飛距離の記録は日本弓よりも小さかったはず。
ちょっと資料が見つかったら報告したいとは思いますが・・。

蒙古弓は馬上で操作しやすく、連射が利きます。動物の皮や腱を使っているので弓のサイズの割りに
威力もあります。
そのうえ馬の機動力と組み合わせれば無類の強さを誇ります。
でも、飛距離と威力ではやたらと馬鹿でかい日本弓(長弓)のほうが上ですね。

で元寇ですが、文永の役では蒙古軍は「矢が尽きた」と称して、
引き上げてしまっています。
また、少弐景資が元将劉復亨を射倒したりしてますね。
つまり射撃戦では、どっちもどっちみたいなんですな。

41日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:29:56
なんか日本を貶めたくて仕方ないらしい変なのが沸いてるな
スレ違いの馬鹿を相手にすんなよ日本語読めないんだから。
だいたいなんでそんな奴が日本史板にいるんだよ
ってまあ理由は一つかw現実で嫌な思いしたからってここで発散すんなよ。だから在日は・・・
42日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:32:26
>>40
>つまり射撃戦では、どっちもどっちみたいなんですな。
捏造だよ。韓国並みw。
43日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:35:52
>>34
>朝鮮造船業界が元軍に売りつけた軍船がボロすぎて、
>勝手に水没して敗走してくれたので助かったんだよね
それはいわゆる日教組史観というやつですね。
高麗が作った船に乗るのは高麗兵ですから、自分で自分を苦しめたのでしょうw

それにそもそも、文永の役で蒙古軍は謎の撤退をした後、帰途で遭難しています。
なので船がぼろいのは日本軍とは関係ないです。
弘安の役では、元軍は一ヶ月以上上陸できていないので、完全に上陸戦の失敗です。
ま、最後は台風で沈没しましたね。このときには船をつないでいたために被害が増したようです。
この場合は船がボロイおかげもあったかもしれませんけど。

>>37-38
いやだから、なんであなたに説教されなければならないのかとw
前後の話の流れが分からんとです。
教師にでもなったつもりなのかと・・

44日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:36:58
日本をはずかしめたいのか!
在日が!

↑こういうことを言えば勝ちだとでも思ってるんだろうか・・・
日本にも韓国みたいな自国マンセー、捏造なんでもありの人が増えてきたなぁ
事実を言うだけで「愛国心がないのか!」と別次元の反応をされるし・・・
この人たちにとっては事実かどうかなんかどうでもいいんだろうね
45日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:37:14
ネットには
リアル学校教師や本職の殺陣師も混じってるよ
46日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:40:47
>>44
俺もそう思った

日本の武術、武芸、武道を愛し尊重し誇るのと
史実や客観的事実を絞殺することとは別物だ。
47日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:42:05
>>44
いやこの場合、事実じゃないので・・・。

>>45
リアル教師もいい加減ですから。
高麗兵のサボタージュで蒙古襲来を撃退できたと教えるリアル教師もいますから。
ましてや殺陣師が歴史に詳しいという保証もない・・。

48日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:42:30
朝鮮造船業界の杜撰さが元軍壊滅最大の原因というのは、
米国ディスカバリーチャンネルの特集番組
「元軍 フビライ軍の難破船」で断言してたね。
まあ、娯楽教養番組だけど。
ttp://japan.discovery.com/episode/epiintro.php?id1=845386&id2=000000
49日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:44:40
>>48
期待してみたけれど、がっかりしたね。
侍が白兵戦で押しのけた、という感じ。

まるで硫黄島の戦いの日本軍を再現したかのような・・
50日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:47:27
>>46
俺は不十分ながらも頑張って資料・史実を思い出す限り上げているのですが・・
あなたがいつ客観的事実を出したのかと・・。


51日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:49:15
>>49
>侍が白兵戦で押しのけた、という感じ。
チャンバラ接近戦だけは日本兵が強かった、って
くだりで、みてて笑ったよ。その前に射倒されたり
取り囲まれて槍で刺殺されたんだよ。

ただ木造船残骸の歪んだほぞ穴には、朝鮮業者の
無責任なやっつけ仕事が見えて、背筋が寒くなったね。
蒙古兵や宋兵が気の毒に思えたよ。
52日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:50:20
俺って言われてもどこで判断すればいいのか
53日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:58:49
>>51
なんで、チャンバラを笑う眼がありながら、
朝鮮業者のやっつけ仕事に納得してしまうのか???


なんだかものすごく歪んでませんか?
俺はあなたが気の毒に思えたよ
54日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:02:34
>>51
ところで、文永の役、弘安の役の流れは納得していただけましたか?

文永の役で、蒙古軍の軍船が難破したのはその帰途ですよ。
弘安の役では、元軍は上陸戦に失敗し上陸できずに一ヶ月以上経過しています。

これらは一応資料から辿れる客観的資料です。
米国ディスカバリーチャンネルの「元軍 フビライ軍の難破船」を見て
朝鮮業者のやっつけ仕事に背筋を寒くしたことは客観的事実ですか??

した
55日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:22:21
文永の役での蒙古軍の内訳。
総数約2万5千人でそのうち高麗兵は約1万2千人。

弘安の役での元軍の内訳。
東路軍は約5万人でそのうち高麗兵は約2万5千人。
江南軍は約10万人で、そのほとんどが南宋人。
ただし、江南軍は寧波から出発するので高麗で作成された軍船は
使用されなかったものと考えられます。

「朝鮮業者のやっつけ仕事」が事実とするならば、最もその被害を受けたのは高麗兵ということになります。
自業自得??
56日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:26:21
>>55
>「朝鮮業者のやっつけ仕事」が事実とするならば、最もその被害を受けたのは高麗兵ということになります。
>自業自得??
同胞の犠牲無視、共食いOKはコリアンの本性だろ。
57日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:34:55
大型肉食獣相手の狩猟が
日本に少なかったのも
持ち盾と関係するかもね

月の輪熊とニホンオオカミくらいだろ

ヒグマや虎を相手にするのに
少人数で狩るときには盾があった方が
有利なこともあったのかな?
58日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:37:59
たとえば今世界各地にいる狩猟生活をする『原住民』でも
草原にいる人達と森林に住む人達で道具が違いますよね。

これは印象でしかないですが、草原などに住む人達は盾が多い?
遮蔽物がない分、手で持つと。
59日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:42:45
東南アジアの国では
持ち盾を16世紀くらいまでは
持ち盾と投げ槍を使ってたね

反対に
元軍が欧州やバグダッド、エジプトに
攻め込んだときには、持ち盾は僅少で
甲冑も軽装だったという
60日本@名無史さん:2006/05/24(水) 23:56:16
欧州でも甲冑が出回るようになると、持ち盾は下火になります。

13〜14世紀の元軍と欧州では、元軍のほうが軽装でしょう。
軽騎兵ともいうべき存在が蒙古軍の主役。
機動力が草原を制した。

話はずれますけど、蒙古の例は典型例で、戦闘は機動力を駆使できたほうが勝ちます。

61日本@名無史さん:2006/05/25(木) 01:39:10
62日本@名無史さん:2006/05/25(木) 02:30:35
>>1が言いたいのはイメージの問題じゃないかな?
戦国モノのドラマや映画を見ても、盾を持った歩兵が進むみたいなシーンはまず映らない
実際には盾を使用したんだろうけどさ
多分江戸時代に入ってからの武士道の確立と共にそういうイメージが刷り込まれたんだろうけどさ
あとそれと繋がる話だけど、欧州やイスラム、中国の武器ってのは禍々しい形をしてるのが多い
明らかに武器に「殺意」がある
残酷は殺し方になる
それは異民族同士の戦いになるからだろうと思う
それに比べ鎌倉時代、室町、戦国時代の戦争っていうのは、日本人同士なんだよね
そういう「仲間内での戦争」に必要なのは敵を殲滅して虐殺できる武器なんじゃないんだ
むしろ精神的で美意識に彩られた死生観を持った者同士の争いになるわけだから
盾を使うのは卑怯者なんだよ
刀一本でフェアに殺し合わないとダメなんだよ
63日本@名無史さん:2006/05/25(木) 02:37:55
>>62が言いたいのはイメージの問題じゃないかな?

妄想では無くきちんとした事実に向き合わないとダメなんだよ
6462:2006/05/25(木) 02:54:49
>>63
だから言ってんだろ
日本人のメンタリティから生まれたイメージってことだ
日本語読めないのか?
国語力なさすぎ
要点を読め
屁理屈を言うな

このスレ読んでると「実際には盾使ってたんだよ。コレコレこういう・・・」
ってのが多すぎるwww
お前らは新しい用語覚えたての中学生か
>>1の言いたいことをまったく理解できてないw
こりゃダメだ
6562:2006/05/25(木) 02:57:43
特に典型的なのが>>6なwwww
そんなことはどうでもいいんだよ
「なんでサムライは盾を持って戦わなかったんだ?そこにどんな文化的背景があるんだ?」
ってことが要点なんだよ論点なんだよ
お前らは頭悪いもんだから論点ズレてんだよ
実際に使用してた盾の名称列挙したって100点はもらえないんだよ
分かる?このニュアンス?
ほんと馬鹿ばっかだな
66日本@名無史さん:2006/05/25(木) 03:25:42
まあ、>>6 で回答は出ている。

最初の問いが間違っている。
それを指摘した時点で、実は終わり。

日本のチャンバラ漫画、TVや映画の時代劇で
持ち盾が出てこない理由は何なんでしょう?

これが >>1 が書くべきだった問いだ。
67日本@名無史さん:2006/05/25(木) 03:31:02
夜中に何を必死になってるんだ?
文章の半分以上叩いたり煽ったりみたいだが、VIPいけVIP。たくさん人いるぞw
ちなみに、>>62の「残酷は殺し方になる」まで読んだ。留学生君、日本語の勉強がんばれよー
68日本@名無史さん:2006/05/25(木) 11:36:50
まあ口は悪いが65の言うことはその通りだと思う。
なんか途中で元冦の話とかはじまっているし・・・。

あと盾の有無を美意識に求めるのはちと違うかと。

69日本@名無史さん:2006/05/25(木) 11:42:49
日本で持ち盾が一般的でなかった理由はなんですか?

が正しい問い。


持ち盾が描かれている資料は何とか上人の絵巻物しかないのでは?

琉球とかはまた別の文化圏だから分けて考えたほうがいいかと。琉球は中華文化圏に近い。

70日本@名無史さん:2006/05/25(木) 11:49:07
名を名乗り戦う、馬鹿な戦術だから!
71日本@名無史さん:2006/05/25(木) 11:59:58
>>69
そんなの日本人や、日本人的な考えしてるなら>>1読んだらわかるだろ
頭悪いだの馬鹿だの言ってる奴は人の粗を誇張してただ叩いてるだけ
口が悪いっていうか自分の意見にそぐわないレスは、ほとんど相手の人格否定ばっかじゃん
思いっきりニート丸出し。叩き煽りはつきもんだが、自分が馬鹿だって証明してるって気付かないが可哀想
72日本@名無史さん:2006/05/25(木) 12:01:53
ヨーロッパはローマ兵の盾も中世騎士の盾もカッコイイよな
どうも日本の盾は弥生・古墳時代のも中世の置き盾もいまいちだなぁ。
ただグリップを握るだけで、腕を通すタイプでもないし。
7369:2006/05/25(木) 12:10:07
71
同意です。

わざとなのか無意識なのか、いろんなもの羅列する人がいるのでw

74日本@名無史さん:2006/05/25(木) 13:18:22
日本人て戦う時突っ込んでいきそうじゃない?攻撃する事ばっか考えてそうだな
75日本@名無史さん:2006/05/25(木) 13:25:26
スレ違いだけど何で日本ではボウガンが
流行らなかったんですか?
確か中国には有りましたよね
普通の弓より使いやすそうだけどなあ
技術的に難しかったのかな??
76日本@名無史さん:2006/05/25(木) 14:00:22
なぜ日本では斧が武器としてつかわれなかったの?
77日本@名無史さん:2006/05/25(木) 14:14:22
ボウガンは古代にはあった。
速射力が優美よりおちるので使われなくなった。

ところで、隼人の盾はかっこいい。
78日本@名無史さん:2006/05/25(木) 14:48:38
日本でも鎌倉時代あたりまでは斧や鉞を使う武者もいました。
ただ対人兵器としてはナギナタや後世の槍の方が適しているのでいつしか見えなくなっていったんじゃないでしょうか。ナギナタなら斧的な使い方もできますし。重心の関係上、斧よりも長柄にできます。

持ち盾とも関係すると思うのですが、やはり両手で扱う長柄武器の魅力には勝てなかったのかなあと。

79日本@名無史さん:2006/05/25(木) 14:56:24
すると今度は逆の疑問が出てきます。
持ち盾を使う地域はなぜ長柄武器を放棄してまで持ち盾にこだわったのか?ということです。

甲冑の発達や武器防具の素材などが絡んでいるものと思われます
80日本@名無史さん:2006/05/25(木) 15:42:03
お前らごちゃごちゃうるせーんだよw
あのな、中国や欧州に比べて、日本の戦争時代なんてのは短いんだよ
軍師なんてものも存在しなかったし
騎馬隊も存在しなかった
兵站の概念も存在しなかった
つまりすべてにおいて未熟だったんだよ
後世の創作物に洗脳されすぎ
日本の戦争においては「戦略」なんてものは皆無だったんだよ
ほとんどが奇襲
そのためには盾が邪魔だっただけさ
簡単なこと
81日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:01:16
>>80
強引杉
もうちょっと正確に書くべき
82日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:11:37
>>72
>日本の盾は弥生・古墳時代のも中世の置き盾もいまいちだなぁ。
日本は多民族国家

1.北半分の日本人:持ち盾とボウガンを使う
アイヌ人、ウィルタ人、ニブヒ人

2.中央部の日本人:質素な刀槍を好む
本州南半分、四国、九州在住のヤマト人

3.南部の日本人:持ち盾と短槍、くるまん棒を使う
奄美人、沖縄人
83日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:14:05
>>80
大胆だけど、ほぼ合ってるね

日本刀ファンタジー厨が怒り狂いそうだ
84日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:37:28
元々、日本の戦は一騎打ちが主流。
団体戦になったのは元が攻めてきて初めて知ることになる。
んなもんで、戦車、弓は特に必要性がなかったのでは?
楯も一騎打ちの美学からは必要ないものと判断したんじゃないの?
違うかな?
85日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:40:05
具足の垂(だったかな?)の部分が手持ち盾の役目を果たしてた、とかどっかで見た覚えがある
86日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:54:22
皆さん、お楽しみのところすみませんが、まがりなりにも歴史板なので史実に基づいてお話くださいね。


武器スレになると妄想炸裂させる人がいますがほどほどにお願いします。
87日本@名無史さん:2006/05/25(木) 16:55:43
80
つまり奇襲最強だな
88日本@名無史さん:2006/05/25(木) 17:02:56
89日本@名無史さん:2006/05/25(木) 17:15:41
>>84
>戦車、弓は特に必要性がなかったのでは?
古代世界で戦車はかつては強力な武器として大活躍した。
西アジアでもインドでも、少し遅れて中国でも、だ。
農耕生産や大規模治水によって生まれた古代帝国が
耕作用作業馬車を戦闘用に改装したものが戦車の起源だ。

戦車には強敵というか天敵がいる。騎馬兵だ。
農耕民の戦車は遊牧民の騎兵に囲まれると負けた。
しかし、古代帝国にあって騎馬して戦うことには、
大変な技術訓練を要したため、数が揃いにくく、
歩兵相手の戦いでは戦車が活躍していたが、
乗馬法の発達や馬自体の品種改良により集団化した
騎兵が増えていき、次第に戦車は使われなくなった。

中国では秦代あたりが戦車の消滅期にあたる。
日本では卑弥呼様の治世よりずっと前の時代だ。
だから日本には戦車が伝わらなかった。

4世紀に中国で戦史上の大発明があった。
鐙(あぶみ)や鞍(くら)が考案、実用化されたのだ。
貴族や上級戦士以外のものも騎馬して戦えるようになった。
これによって、戦車は全世界的に全く過去のものとなった。

90日本@名無史さん:2006/05/25(木) 17:21:24
>>84
>弓は特に必要性がなかったのでは?
紀元前5世紀頃に中国で発明され、
12世紀に元軍が欧州に伝えた
クロスボウ(ボウガン、弩)も、
北日本と南日本では使われたけど、
本州南半分と九州、四国ではあまり好まれなかったね。
91日本@名無史さん:2006/05/25(木) 17:36:09
飛道具で殆ど決着するうえに、馬の大きさがポニー位となれば、手持ちの盾はあまり役に立たないべ。
置盾があれば充分。
92日本@名無史さん:2006/05/25(木) 17:42:14
日本では弩は律令軍団制の頃だな
弥生時代からの出土例もあるが
実用品か祭具かは判らないそうな
93日本@名無史さん:2006/05/25(木) 17:53:37
日本馬がポニー並の馬格というのは確かなのですが、蒙古馬も同じサイズなんですよね
94日本@名無史さん:2006/05/25(木) 21:20:40
なにせ日本では幕末まで馬車すらなかったですから、戦車が使われる可能性は
極めて低いですね。
なぜ日本で馬車がなかったかというと(貴族の牛車はあったけれど)、
日本は平原が極めて少ないから反対に不便だからです。
基本的に馬という生き物は山道は苦手です。その上、起伏のある道で馬車を引くとすると
乗り心地はあまりよくありません。
明治になってから、道路が舗装整備されてから、やっと馬車が西欧諸国への見栄もあって
使用されるようになりました。
というわけで、日本で戦車は使用される状況ではないと思います。
95日本@名無史さん:2006/05/25(木) 21:48:09
>>84
>元々、日本の戦は一騎打ちが主流。
>団体戦になったのは元が攻めてきて初めて知ることになる。

八幡大菩薩愚童訓にある一騎打ちを望んだ武士が敵軍に囲まれて討ち取られた、という
記述が有名になってますが、同じ資料には日本軍の集団戦も記述されています。
確か平安期には矢による面制圧が行われていた記録があります。
よって元寇は未だに良く言われるような一騎打ちvs集団戦という図式とは少し違うのではないかと思います。
なぜなら、菊池武房などは自分の手勢を巧みにあやつり、上陸してきた元軍を
撃破しています。

元軍が日本軍に比較して、何より優れていたのは『てつはう』でもなく、
毒矢でもなく、全軍での進退運動だと思います。
日本軍は各御家人が勝手に作戦を建て勝手に突撃していました。
全軍での進退運動というものがほとんど機能していません。
これは、本質的には封建社会の癖であると考えられます。
つまり、御家人はそれぞれに親分なのです。
文永の役ではこの悪癖が露骨に表れ、司令官(なんと現地の御家人が日替わりでやっていた!?)
の命令を誰も聞きません。
弘安の役ではこれは改められ、鎌倉より北条の者が九州までやって来て御家人に命令を下しています。
それでも、被害も省みずに名誉と恩賞を目論んで、夜襲などは勝手にやっていたようですから、
当時の武士は向こうからみればキチガイの類ですw
というわけで、「やあやあ」と一騎打ちがあちこちで起きていたのが日本の戦、というのは違うと思います。
一騎打ちもあるにはありましたが、身分の合う、名のある相手としかやりません。
96日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:28:59
たしか、弥生時代には楯を持って戦っていたと思う。
国立歴史民俗博物館には展示してあったぞ。
97日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:31:40
>>6 で既出。
98日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:38:17
皇居の前に不遜にそびえ立つAIG日本支社 

小林興起氏の『主権在米経済』(光文社)だが、年次改革要望書に基づいて、
日本の「共済」が、保険業法の縛りを掛けられたと
いうことがあきらかにされている。保険業界といえば、
郵政民営化の際に、米保険業界と郵政民営化準備室は5度も会合を持ったそうだが、
保険業界というのは、国際金融資本の本丸である。

例えば、外交問題評議会(CFR)の理事の一人は元AIG会長のハンク・グリーンバーグ
Maurice R. Greenberg であるし、
ヘンリー・キッシンジャーHenry Kissinger はAIG国際諮問委員会の委員長
(チェアマン)である。アメリカの外交経済政策を動かしている
中核にあるCFRの主要メンバーを保険業界を代弁する人物が占めている。
(この国際諮問委員会にはなんとあの宮内義彦も名前を連ねている)


国際金融資本のニッポン進駐は、六本木ヒルズ(ゴールドマンサックス)だけではなく、<皇居の真ん前>という
日本の最も“神聖”であるべき場所にまで及んでいる。
中国の言葉だけの内政干渉にいちいち目くじらを立てるよりも、
日本の民族派・右翼・愛国派は、この恐ろしい実態に対して怒りの声(街宣車?)を挙げるべきである。

http://amesei.exblog.jp/


アメリカ合衆国の怖さを披露しよう  上にある 昨日←   →翌日 でクリック、お好きにどうぞ。
マリリン・モンロー暗殺の真相
 
http://csx.jp/~gabana/Zaakan/hibi0506/hibi-niisi-050607.htm#



99日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:52:46
弩というのは、実用的なのかそうでないのか判断難しいですね・・。
なんか機械仕掛けで物凄い性能がありそうなイメージなのですが、
歴史上はそう簡単にいきません。

西欧では、イングランド(長弓)VSフランス(ボウガン)で、両者は衝突したようです。
上で誰かが書いている通り、ボウガンは速射性で熟練した長弓に劣っていたようです。
イングランドはフランスを撃破し続けました。
100日本@名無史さん:2006/05/26(金) 02:16:40
>>66
チャンバラ映画/時代劇に限定すれば、江戸時代には体系的な剣術が普及していた
ので、刀の扱いは諸手が基本。ゆえに楯は持たない(持てない)と推量される。
それより遥か以前の平安時代頃は、太刀は主に護身用の武器で、片手使いが基本。
後のチャンバラ時代劇の如く「斬る」と言うより「打つ」と言った感じである事は
今昔物語集などに散見される。鋭利な刃物という印象とはやや異なっている。
まだ体系的な剣術も未発達で(太刀が主たる攻撃武器ではなかった事が推定される)
力任せに振り回す、といった扱いだったからではなかろうか。ゆえに楯を持って
戦う、というような形態は小規模な戦い(せいぜい野盗などと戦う程度)では発生
しなかった、と見るのが妥当ではないだろうか。
>>95
そのような認識が普通と思います。そもそも一騎打ちなどと言うものは、源平内乱
の時期よりも遥か以前の、今昔物語集にある合戦談にあるような(平良文と源宛の
決闘など)「見世物」的な場合にしか該当しないと思います。
101日本@名無史さん:2006/05/26(金) 05:36:39
>>99
それは農耕国家フランスが
海賊国家イングランドより弱かっただけだよ

対仏戦での長弓が優勢になった話、
ファランクスでの剣が槍を圧倒した話は、
例外的な話だから語られるものだ。
102日本@名無史さん:2006/05/26(金) 07:37:19
>>95
元寇のときは、まさに日本列島の存亡がかかっていたので、夜襲も積極的に行ったのでは?
103日本@名無史さん:2006/05/26(金) 08:00:55
なけなしの平地はたいてい水田だしな
104日本@名無史さん:2006/05/26(金) 08:36:39
巳午は賀藤主計頭請取りて、何も、竹たば、持盾、亀の甲
それぞれの攻め具、丈夫に物し、仕寄ける。
埋草以て堀を埋め、平地に成し処に城中より松明を投、焼けにけり。
翌日又亀の甲の焼けぬやうに拵へ、六月二十七日掘りへ着て、
寅卯の方の石垣の角石を引き落としければ、櫓傾きぬ、・・・
一番に庄林隼人祐が旗、二番に森本儀太夫が馬効、飯田角兵衛
105日本@名無史さん:2006/05/26(金) 09:45:02
すみませんが、出典と解説をおねがいします。


106日本@名無史さん:2006/05/26(金) 10:03:13
クレシーの戦い当時のボウガンは一分間に一発、対する長弓は一分間に5、6発という説があります。
これが事実とすると速射性には実に十倍もの差があることになります。
ボウガンは熟練していない兵士も使用でき、正確性や飛距離では長弓より優れていました。
ただ横方向に打つことができない(小回りが利かない)、速射性に難ありという点で、武器としてはイングランド長弓に敗れたと結論づける説が多いようです。イングランドでは庶民に給料を払って長弓の訓練をさせていました。
長弓のポイントは熟練度のようです。
107日本@名無史さん:2006/05/26(金) 12:40:32
長弓は矢幕を張るのに優れている。

飛距離、命中精度、威力では弩に劣る。
108日本@名無史さん:2006/05/26(金) 13:21:50
イングランドの長弓と
日本の長弓ってどちらの方が優れていたんだろ?
109日本@名無史さん:2006/05/26(金) 15:45:06
長弓はボウガンに比較して、速射性と機動力に優れますね。但しある程度の技量は必須です。
飛距離と正確性ではボウガン。
まあ地形と運用次第ですね。
私には優劣わかりません。

イングランドの長弓は確か弾力に富むイチイの木で作られていて、合成ではなかったはず。
日本の長弓は、鎌倉期だと竹の合成弓・・・でしたっけ?
弦の摘み方が決定的に違うとか何とか。
110日本@名無史さん:2006/05/26(金) 20:14:31
盾どうのこうの言う前に、日本の鎧と武器について考えたほうがいいんじゃないの?

腕は胴や肩と違って、鎖が縫い付けてあるか、しっかりしたものだと前腕に細い鉄を何本か縫い付けたものがほとんどのようだけど、刀なんかはあれで大抵の攻撃はガード出来たんじゃないの?

弓による攻撃で当たりやすい場所は頭、胴、肩、腿あたりだろうけど、そこは板や札を縫い付けたしっかりしたものになっていると思う。

胴や、頭に対して腕は軽装ってのが日本の鎧の印象なんだけど。
111日本@名無史さん:2006/05/26(金) 20:44:15
>>110
>弓による攻撃で当たりやすい場所
長弓の矢幕だと、どこにでも当たるよ。
112日本@名無史さん:2006/05/26(金) 20:50:18
だいたい日本の弓って何メートル飛ぶんだよ
113日本@名無史さん:2006/05/26(金) 20:58:21
約3km
114日本@名無史さん:2006/05/26(金) 21:02:59
戦闘時のそれは、手による投石と同程度だよ。

遠的競技では60mくらい。長銃身のピストルと同程度。
30度〜45度で上方に向けての曲射弾道で遠射すれば
100mくらいは飛ぶこともある。

三十三間堂通し矢が60mくらいだろ。
115某研究者:2006/05/26(金) 22:15:52
日本の鎖帷子の強度と言うのは
ギャンベゾンも無いし
西欧の物に比べてどうなのかだが
手首の部分は大概は篠が付いて居るし
通常当たる様なコンパクトな打撃で
骨折する事が有るのかどうかだが
上腕部は鎖だけだろうし
この部分に当たればコンパクトな打撃でも
可也ダメージを受け得るかも知れぬが
116某研究者:2006/05/26(金) 22:17:05
手足の鎖の部分も穴が空いているし
この部分に突きを受ければどうなのかだが
綿鎧や袖は下に有るだろうから
掠めた程度なら保つかも知れぬが

117日本@名無史さん:2006/05/26(金) 22:25:24
弓を頻繁に使うって観点から見ると、十字軍みたいな盾はやっぱり邪魔になりそうだ。
戦いが弓ばっかでもないんだろうけど、槍とほぼ同等ぐらいには皆持ってるとしたら盾を持ち運ぶスペースはなさそうだ。
また、片手で槍つかうと戦い方が限定されそうだし、メインウエポンの邪魔になるから十字軍みたいな持ち盾はNG
だったんじゃないかなーと。
土嚢を積んだ防御陣地みたいな、置き盾を置くことはは戦闘技術のない人でも出来ただろうし。
まー結局想像にしか過ぎないんですが。
118某研究者:2006/05/26(金) 22:26:52
雑兵同士なら盾と短槍より
長槍の方が強力かも知れぬが
飛び道具で戦うならどうなのかだが
(まあしかし雑兵も飛び道具を防ぐ為の盾を
 持っているかも知れぬし
 接近戦は長槍の方が強いだろうから
 この組み合わせが最強かも知れぬが)

強い兵同士でも
組み討ちには盾は邪魔だろうし
大概は組み討ちで決着が付いて居るなら
盾は無用な訳だろうか
119某研究者:2006/05/26(金) 22:28:21
ピストル騎兵に槍騎兵が負けた時代も有っただろうし
弓と剣を可也扱える兵は脅威では無いのかだが
(アドルフの様にサーベルで突撃しても
 やられ得る訳だろうし
 近接する前に弓で可也ダメージを受ける訳だろうか)
120日本@名無史さん:2006/05/26(金) 22:29:39
西欧でも楯を持って戦うのは中世の頃のイメージ。
実際にそのような戦闘していたのか?
121某研究者:2006/05/26(金) 22:30:40
強い兵同士ならローマ兵や
スイスの剣を持つ最精鋭歩兵を見る限り
剣が一番強力と言う
意見も有るだろうし
鎌倉時代の騎馬武者は兎も角
戦国時代の槍を持つ騎馬武者は下馬して騎士に
勝てるのかどうかだが
(乗馬した剣やポールアームを持つ相手にも
 弱いかも知れぬが
 馬を槍で狙うと言う方向も有るだろうか)
122某研究者:2006/05/26(金) 22:31:42
騎馬武者も下馬突撃時は盾を持った方が
射撃でダメージを受け難いだろうが
下馬突撃時は盾を持つ歩兵と合流していたのだろうか
123日本@名無史さん:2006/05/26(金) 22:33:32
ヨーロッパの鎧は防御には優れるが機動力に対応できない。
124某研究者:2006/05/26(金) 22:35:20
プレートアーマーも機動力は結構有ると言うし
盾無しで銃や弓に対抗出来ると言うのは
戦術の柔軟性が増して有利かも知れぬが
125&rlo;!!!き好大ケリタモ:2006/05/26(金) 22:38:14
>>120
十字軍のころの絵画や資料とか見たら分かるだろ
普通に使ってる
126某研究者:2006/05/26(金) 22:43:28
15世紀の騎士相手なら騎馬武者の方が
乗馬戦闘なら槍の装備率が多いので
馬を狙えば恐らく勝つだろうし
16世紀の騎士相手なら
片手で操るランスが主体であるなら
騎馬武者が両手で振るう槍で此れを打ち払って
倒せるかも知れぬが
下馬戦闘では槍を剣やポールアームで踏み込まれて
勝てないかも知れぬが
127某研究者:2006/05/26(金) 22:50:55
騎馬武者も乗馬騎士を倒した後
乗馬突撃で
西欧の剣を持つ精鋭歩兵や
下馬騎士を倒した後で
騎馬武者を下馬させて突撃すれば
西欧の兵にも勝てるかも知れぬが
乗馬突撃時に歩兵の飛び道具でやられると言う
可能性も有るだろうか
128日本@名無史さん:2006/05/26(金) 22:56:42
>>1の楯を持って戦うという勘違いからヲタクの某研を呼んでしまったな。
129某研究者:2006/05/26(金) 23:04:35
15−16世紀の西欧の精鋭歩兵は両手剣を持ち
13−14世紀の歩兵は両手用の短槍が多いだろうが
バイユーのタペストリーでは盾と槍を持つ
歩兵が多いだろうか
(騎士は15世紀迄は盾を
 持って居る者も多いだろうか)
130日本@名無史さん:2006/05/26(金) 23:26:37
>>129
礼儀を知らない奴だな、ここは日本史スレだぞ。
131日本@名無史さん:2006/05/26(金) 23:30:20
>>120

中世の末期 特に ばら戦争辺りから、プレートアーマーの普及率が上がり盾は一部(バックラー)を除いてほとんど使用されなくなったようだ。
普及率が上がったといっても15−20%(部分的なプレートをした人や、胴にブリガンダイン着けた人も含むのかも知れない。)
その他大部分を占めるジャックとゆうクロスアーマーを装備した人はビルやハルベルトで戦ったようだ。(この中にもチェインメイル装備した人もいるし、腕だけプレートとかの人もいるみたい)
ロングボウを使う兵士(腕にもよるのだろうけど)は騎士を除いた中では、エリートでこの時代には珍しく給料のようなものを貰っていたらしい。(中世はなんとゆうか、戦の時に金は貰うが今の軍隊みたいに平和時に定期的にお金は貰えなかった)

後は、 ばら戦争 装甲騎士の時代ってのが 新紀元社から出てたんで、それ見ると、なんとなく分かるかも。
値段は、1000円ぐらいだと思った。
132日本@名無史さん:2006/05/26(金) 23:49:21
ttp://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Honjo_Shigenaga_parriying_an_exploding_shell.jpg

錦絵なので考証の資料としては役に立たないかもしれないけど、あくまでも参考という事で…
133日本@名無史さん:2006/05/27(土) 00:25:42
スルー耐性がないのか新参者なのか知らんが某研は相手にするな

>130
数ヶ月前のデジカメ板初心者質問スレでもこいつは本性をいかんなく発揮していたよ
礼儀などという言葉はこの中年オヤジの辞書には無い

>128
某研のレスで勘違いしていないレスなんかないよ(全て誤った認識に基いた妄想)
今更>1を責めるのは如何なものかと・・・


134山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/27(土) 00:26:50
敢えて流れを読まずに書き込んでみると。
『法然上人絵伝』に見える様な歩兵用の「手楯」は存在しており、大型の矢
防ぎ用の楯を手に持って移動する姿も多くの絵画史料で確認出来ます。
武士の本分である騎射芸の障害となった事から、専ら歩兵用としてしか用い
られず、それだけに装飾や防御面での過度の発達は見えなかったのでは。
鎧や刀は有名ですが、とにかく武具というものにはお金がかかっている。
楯にはそれだけの資金を投与する必要性が見出されなかった。
135日本@名無史さん:2006/05/27(土) 00:34:47
(  ̄ノ∇ ̄) ̄ー ̄)ヒソヒソ
136日本@名無史さん:2006/05/27(土) 00:43:11
>>132
わざわざ探したの、ありがとう。
137日本@名無史さん:2006/05/27(土) 00:45:37
ファイナルマッチです

某研VS山野

両者ファイト!
138132:2006/05/27(土) 01:54:50
ttp://mdat.ff.tku.ac.jp/korea/N016.HTML
ttp://mtsbm6ar.ld.infoseek.co.jp/taiheiki24.jpg

もひとつ参考までに。

なお、下の方の後藤又兵衛は、朝鮮の役での場面らしいので
向こうの軍の盾を奪ったか拾ったかして使用してるっぽいです。
139日本@名無史さん:2006/05/27(土) 01:58:27
>>138
明治時代の絵だから想像画だな。
140日本@名無史さん:2006/05/27(土) 02:20:15
何かさぁnhkで元寇の時に、
元軍の方の弓の射程が長くてアウトレンジされて、

その次の来襲の時には日本側が新弓で元軍アウトレンジした
って事に成ってるけど

その時でも弓の射程って60mとか100mとかなの?
その時の弓の射程が知りたい
141日本@名無史さん:2006/05/27(土) 02:30:29
>>134
確かに手楯を持ってる場面が描かれてますね。横30cm、縦50cm位か?
「手だてが無い」(方法、手段が無いの意味)の語源は、手にする楯が無い、
から来ているものですね。法然上人絵伝に描かれた持楯のような、小型の個人
が携行するタイプは大規模な合戦では使われなかったようです。この絵巻の
内容は、法然上人の父、美作国の押領使・漆間時国が源内武者定明の夜討ちを
受ける場面が描かれています。双方合わせても数十人規模の戦闘と推定され、
その程度の戦闘では個人携行の楯を用いたのでしょう。もっとも、前九年・後三年
合戦の頃には、矢合わせに備えて平楯を用いたのは周知の事です。
142日本@名無史さん:2006/05/27(土) 15:39:06
140
NHKのは違うような・・・。
どの資料見てそういう結論に達したですかね?
飛距離ということに関しては基本的には日本の弓が上回っていたようです。
蒙古の弓で馬鹿長い飛距離を書いてあるのは後世の写し(書き間違い)という人もいますし、ボウガンを指しているのだという人もいます。
143日本@名無史さん:2006/05/27(土) 16:50:19
中世馬の耐久力とか弓の威力とか
どっかのテレビ局が金掛けて当時の馬具や鎧や弓の複製品を使って
実験・検証してくれないなぁ、永久保存にするから。
144日本@名無史さん:2006/05/27(土) 17:06:42
そのとき、馬は少しは調教して欲しいですね。
何の訓練もない馬に甲冑に身を固めた武者を乗せて走らせても、
ポニーどころかサラブレッドでもすぐに疲れます・・。

145日本@名無史さん:2006/05/27(土) 18:06:59
サラブレッドどころかポニーでもすぐに疲れます・・。?
1461:2006/05/27(土) 18:47:47
こんにちは^^
ここまで色々と読まさせていただきました。
出典・資料というより、ある程度科学的な根拠や日本人のメンタリティから推測なんかを
やっぱり期待してまして、レス読みながらなるほどな〜などと思っておりました。
地形・機能性・他の武器防具との融和、なかなか答えの出ない問題なのかも知れませんね。
147日本@名無史さん:2006/05/27(土) 19:58:47
>>142
>飛距離ということに関しては基本的には日本の弓が上回っていたようです。

またトンデモなことを言う奴がわいてる…

和弓の有効戦闘射程は30m以内。
固定的に当てる有効射程は60m以内。
ただ飛ばすだけなら100m程度。

モンゴル弓は和弓の3割り増しで、命中精度も威力も高い。
148日本@名無史さん:2006/05/27(土) 20:06:50
>>144
役立たずサラブレッド
足が折れますよ〜
149日本@名無史さん:2006/05/27(土) 21:08:48
>>147
ソースキボン
脳内資料でつか?
150山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/27(土) 21:20:06
>>141
矢合用の楯を持つ姿は、『春日権現験記絵』や『十二類合戦絵巻』に顕著で
すね。『平家物語』では屋島の平家の兵がやっている。
手楯の方は、『源平盛衰記』や古辞書類にも出て来ます。
ただ、見えていたのは専ら平安〜鎌倉時代。
『十二類合戦絵巻』には龍が手持ち用の楯を持った姿も描かれていますが、
異国風の意匠であり、分けて考える必要がありそうです。
龍を異界・異国のものとして、敢えて描き分けたのかもしれません。
いずれにせよ、『倭名類聚抄』も記している通り手楯は歩兵の持つものであ
り、矢合用のものも騎乗可能な武士が持つ事はまず無かった。
手楯が手段(テダテ)の語源かどうかは、微妙な所だろうと思います。

>>146
>出典・資料というより、
それではこの板の主旨から離れるのでは?
高橋昌明先生も言われた通り、中世の武士は現代人が当時の格好をしていた
訳ではなく、必ずしも現代人の考える「合理的」行動はとっていない。
151日本@名無史さん:2006/05/27(土) 21:39:11
>>147
モンゴルの弓が3割増というのは、単一素材の同じサイズと比較して、
という意味ではないでしょうかね?
鎌倉期の長弓は既に合成の弓であったのではないでしょうか?

自信はありませんが・・。
152山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/27(土) 21:47:19
鎌倉時代の弓なら、真巻弓ですよ。南北朝期までには三枚打弓になっています。
丸木弓も已然として使用されていましたが。
「和弓」と言っても何時の時代のものかで扱いが変わって来ます。
153日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:04:52
モンゴルと日本の弓の話も面白いのですが、本題に戻るとしまして。

私が印象に残っている資料があります。
『聖徳太子絵伝』のなかで、左手に弓を持ち腕を曲げて大袖に隠し、
右手に太刀を持ち突き進む武者の絵です。
近距離から放たれる矢から身を守るべく、顔を俯け「袖を真向に当てて」防御の体勢をとりつつ、歩んでいる図です。

聖徳太子と言いつつも、描かれている武装は平安〜鎌倉のそれなので、何かの参考になるかと

武士は弓も太刀も
これが一般的なスタイルだとは言えないかもしれませんが、
154日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:06:08
最後の2行不要です
155日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:14:51
>>146

私も山野氏の意見に賛成かな。
資料的根拠がないとファンタジーと大差ないんじゃない?
科学的根拠、メンタリティってのも 当時の資料なんかから推測するしかないんじゃないでしょうか?
156日本史@名無史さん :2006/05/27(土) 22:41:50
まぁ一つ確実に言えることは
畳の上に胡坐をかいて妄想しているこのスレの香具師に比べると
昔の武士はもっと合理的(真面目)に戦争を考えていたということだ罠


単に史料が無いと結論づける前に、史料を探す方向性がずれているということに思いいたらないのだろうか?
それとも想像力の欠如だろうか・・・
157日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:52:54
>>152
確かに鎌倉時代以前の弓は、後世の合成弓(三枚打や三本弓胎など)よりは
弾力(と言うか復元力)が弱かったようです。時々、弓道場で的前練習を
しますが、現代の弓道用の弓はグラスファーバーなどの材料が多く、その
弱さ(笑)は平安時代以前の丸木弓と同じ位と思われます。弦を引く重さは
10kgから15kgが主流です。これは矢束いっぱいに引き絞った「会」と
呼ばれる状態の時で、それでも28m先の的までは楽勝で届きます。上級者
ですと初速は毎秒60m位になります。初めて弓を引かれた方は、15kgの
張力でも凄く重く感じるそうです。平安時代中期頃からの伏竹弓で張力が40kg
から50kgもある強弓など、現代の上級者でもまず扱うのは至難の業でしょう。
有効射程は矢の振動が減衰する、13mから14m位が最も威力があります。
但し、飛翔距離だけなら400m位は飛ぶようです。
158日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:57:53
>>157
追記すると、現在の弓道は居合道などと同様、あくまでも「型」が
大切(と言うか重視)なので、往年の合戦などでは実戦に即した射法
であった事は容易に推察されます。
159日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:12:57
盾と言うか日本人は攻撃は最大の防御と言うみたく、防御をするより攻撃を優先するみたいよ。

日本の鎧も案外弱く、種子島で撃たれると穴があきやすいみたい。
家康が外国の鎧と日本の鎧の良いところを合わせた鎧を造り、防御を優先的にしたものにしたんだとさ
160日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:22:28
「日本の鎧」とか「外国の鎧」ってまた豪快なくくりだなw
161日本@名無史さん:2006/05/28(日) 01:12:40
突っ込みどころは一行目だろw
日本戦史を少しでも知っていれば
遭遇戦や野戦より攻城戦や陣地戦の方が
はるかに多いことぐらい気づく罠
162日本@名無史さん:2006/05/28(日) 01:31:37
>>161

結局、資料的な根拠がない想像ってこんなものじゃないか。
資料を投げつけながら、妄想と疑問文だけを投げつける冒険先生みたいな人もいるようだけど。

1の人が159みたいなレスを期待してるのかどうかは分からんけどね。
163日本@名無史さん:2006/05/28(日) 09:41:56
民族性・国民性やそこに由来する美意識によって武具に差が出る・・・というのは
ないとは言えませんが、それはそれは他の理由を出し尽くした最後にそっと付け加える程度にすべきだと思います。
考古学では用途不明な遺物が出土すると、その遺物の用途は『宗教儀式のため』と
言ってしまえばみんな納得するという技(?)があります。
これを真似する必要はないかと。

いかに現代人が理解不能でも、実際に道具を使用していた当時の人間には
合理的な理由があるはずだと思います。

164日本@名無史さん:2006/05/28(日) 12:12:40
【石器時代】
木の枝や蔓を組んで作った持ち盾。対人用と対熊用。
武器はクリップ式の石刃槍、石斧、長弓、棍棒、投石。
【青銅器時代】
木板の持ち盾。小規模戦闘時の矢よけがメイン。
ソケット式の銅矛とクリップ式の石刃槍、銅製直剣、
石斧、ボウガンと長弓、棍棒、投石。
【鉄器歩兵時代】
木板の持ち盾と置き盾。
クリップ式の長巻、鉄製の刀、長弓、手斧、投石。
【鉄器騎兵時代】
木製置き盾。
クリップ式の薙刀や槍、鉄製の刀、長弓、投石。
騎馬して楯を持ち、槍や弓を使えなかったことと
甲冑の進歩により持ち盾衰退。守城戦用に木製持ち盾は一部残存。
【火縄銃時代】
木製の置き盾、対銃撃用に竹束製の持ち盾や置き盾。
クリップ式の槍、鉄製の刀、火縄銃、大砲、長弓、投石。
守城戦用に金属製持ち盾は一部残存。
【明治〜昭和初期】
盾はほぼ消滅。塹壕や鉄メット、防弾チョッキ、装甲人員輸送車に替わる。
銃剣付き小銃、機関銃、突撃銃、大砲、艦砲射撃、空爆、火炎放射など。
【昭和後期】
盾は内乱鎮圧に使用された。ジュラルミン製。
【現代】
盾は防弾性を高めた複合素材製のものと、
非銃器暴動鎮圧用の樹脂製盾が用いられている。
165山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/28(日) 12:48:51
>>156
>合理的
逆に必ずしも合理的でない戦い方もしていたという点も考えておくべきでし
ょう。騎乗自体が資格化していて騎馬のみの編成に難があった、など。
身分やしきたりなどのしがらみがなくなって「合理的」に出来る様になった
のは、寧ろ近代からでは。そちらの方に注意するのも重要です。
166日本@名無史さん:2006/05/28(日) 13:00:55
日本内戦の真実

1.合理(遠間合い、飛び道具と長柄の武器優先、対コスト効率の追求)
2.恐怖(死や負傷への恐怖、怒りや恨みなど負感情や呪詛への恐怖)
3.迷信(祖霊の守護、祟り、怨霊、妖術、占い)
4.見栄(面子)
5.農繁期や漁労期とのバランス
167日本@名無史さん:2006/05/28(日) 13:10:14
165
現代日本でも不合理な「真夏にネクタイ・スーツ」というのもありますしねw

それはそうとまた変なのが来た・・・。山野さん、相手してあげてください
168日本@名無史さん:2006/05/28(日) 13:13:33
考えも資料も述べずに、いきなり何かを羅列するねはやめて欲しいのですがね。
169日本@名無史さん:2006/05/28(日) 13:22:08
ソフィーティア使いだから今日も盾を活用しまくってます。
170日本@名無史さん:2006/05/28(日) 13:26:46
>>1
射向の袖。

>>156
>畳の上に胡坐をかいて妄想
流鏑馬せんせ。
171日本@名無史さん:2006/05/28(日) 13:39:52
>>94
明治になって馬車が登場したわけじゃなくて、
江戸幕府が車輪の使用を禁止していたからなんだけど。
なんで輿にのっていたと思っているの。
(一部の地域では公認されていたそうだが)

石畳ではないにしろ、それなりに、都市部や街道は整備されてまっせ。
172日本@名無史さん:2006/05/28(日) 14:04:55
日本は盾を使ってた。
持ち盾も、置き盾も使ってた。絵になりやすい
騎馬武者が持ち盾を使わなかっただけの話。

日本は盾を使わなかったというのは
テレビや映画の時代劇を見ての感想
そんなものは江戸時代の講談や商業芝居の世界
漫画やアニメと同じ

時代劇を見てもお歯黒の女もいないし、
農民の子弟が浴衣みたいな着物を着ていて
ツーピースの着物がいない。

合戦を見ても、投石戦の様子も、
稲こき棒で戦うシーンも出てこない。

農民や町人が侍と戦うシーンに、
大八車や梯子、投網もまず出てこない。

江戸時代の泰平が生んだチャンバラファンタジー厨のバカさよ。
173日本@名無史さん:2006/05/28(日) 14:14:54
大八車って、明治以降なのか。
174日本@名無史さん:2006/05/28(日) 14:38:47
>>173

大八車は江戸前期から使用されているよ。
Wikipediaでもどこにでも書いてあるから調べてみな。

祭事に使われた同名の「大八車」は12世紀頃からある。
175日本@名無史さん:2006/05/28(日) 14:41:41
民俗・神話学板の盾スレの議論は充実してきたぞ

日本の盾
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1043468879/
176日本@名無史さん:2006/05/28(日) 17:01:27
>>157
時代によって違うとは思うんだけど一般的な日本の弓の張力ってどのくらいだったんだろう?
177日本@名無史さん:2006/05/28(日) 18:26:42
セイント性矢のドラゴンのクロスみたいな盾だったら
日本刀の邪魔にもならずに役に立ったんじゃないっすか?
178日本@名無史さん:2006/05/28(日) 19:38:46
>>172
このスレに関するかぎり『チャンバラファンタジー厨』という人はいないように思いますよ。
また、時代劇のおかしなところはたくさんありますが、このスレとはあまり関係ないかと思われます。

私個人に限って言えば、持ち盾に関しては>>134で山野氏が言っている、
法然上人の絵図でしか見たことがありません。
大きな置き盾を並べている図は一般的ですが、持ち盾もこれと同じほどに
一般的ならば同じ程度に絵図などに記載されるだろうと思います。
資料があれば挙げて欲しいのですが・・。

私が印象に残っているのは、>>153でも書きましたが、
『聖徳太子絵伝』のなかで、左手に弓を持ち腕を曲げて大袖に隠し、
右手に太刀を持ち突き進む武者の絵です。
大袖を盾にして射撃から身を守る姿勢は、軍記物によく出てきます
(「鎧の袖を真額に当てよ(源平盛衰記)」)。
事実、大鎧の大袖は可動式で、左半身になり大袖を前に移動させ、自分の額に付けることが可能です。
大鎧に関しては、射撃に対する防御は大袖を利用するのが弓を射ること(太刀も)を妨げない
最も合理的な防御だと思われていたのではないかと。
179sporran:2006/05/28(日) 21:47:31
盾関連で参上いたしました。
武士がなぜ盾を使わないかは私の研究テーマですし、幾つかのHPでも論議がありました。
盾の問題はつまるところ「左手は何を持ったか」です。
今のところ、弓を使う。薙刀、槍を両手で使う。というのが見解です。馬上でロングボウを取り扱う不思議さはあってもつまるところ武士は重装騎馬弓兵でした。
私が述べるまでもなく大鎧は馬上での弓戦に特化したものです。
また、初期の兵士達は薙刀でした。これは槍以上に両手を必要とします。源平の中心となった武士や兵士達が盾を持たなかったのはこのような理由でしょう。
その後、盾で身を守るのは置き盾のみになり個人装備の盾が見られなくなったのは、盾技術が消失したからという理由があるのではないでしょうか?
戦国に入って薙刀は槍に変わりましたが槍を片手で持つという発想自体がなかったのでしょう。
片手に槍、片手に盾は多くの文化に見られる一般的なものですが、日本は古代の一時期だけでした。
古代国家は中華の影響が強く兵装やその他も中華様式でした。しかし、これは日本になじまなかったのでしょう。
盾と槍の組み合わせはマサイのライオン狩りに見られるようにもともとは狩猟の様式です。槍を逆手に持つのがそれですが、日本に投槍のないこともこの証拠と考えます。
つまり、もともと狩猟文化であれば盾と槍は自然発生的に起こりえたと考えます。
しかし、日本はそれがなく槍はポールアームは初めから両手で持つものとして登場しました。
だから盾の持ちようがなかったのです。
JMK氏は奈良時代の後期に政治と軍の大きな改革があり、それまでの中華式兵装は一掃され武士が台頭したと考えています。
これには証拠がありませんが、可能性があります。
武士はその誕生の時から基本構造は完成されています。その後戦国に入っても当世風になたっとは言え大きな変化はありません。
逆にいうとそれ以前の埴輪武人に見られる盾と圭甲、短甲の鎧から一気に大鎧が登場し、その間の移行が見えません。
西洋の例では鎧は徐々にアイデアが加わり変化するものなのです。
私は山野様にこの間の資料を提示して欲しいと思います。
180山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/28(日) 21:50:54
手楯は『源平盛衰記』などに部分的に登場しますが、絵では『法然上人絵伝』
ぐらいでしょう。歩兵用の簡素なもので、あまり出番もない。
>鎧の袖を真額に当てよ
第37の一の谷あたりですか。延慶本にもほぼ同じ記載がある。
『前九年合戦絵巻』に、射向の袖で顔を覆う場面がある。
なお、弓矢を構えている時にはこれが出来ませんでした。
181sporran:2006/05/28(日) 21:57:12
私も法然上人絵詞以外見たことがありません。平家物語には「しころかたむけてへんうたすな」と記述がありますね。
盾が発達しなかった理由に接近戦が少なかった可能性があります。弓の威力や飛距離は詳しい方にあげてもらうとして多くの合戦は弓と槍までで決着がつきショートウェポンとパーソナルシールドを使ってまで接近する必要がなかんったとも。
182山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/28(日) 22:07:47
>その後戦国に入っても当世風になったとはいえ大きな変化はありません。
>逆にいうとそれ以前の埴輪武人に見られる盾と圭甲、短甲の鎧から一気に大鎧が登場し、その間の移行が見えません。
>西洋の例では鎧は徐々にアイデアが加わり変化するものなのです。
圭甲は、挂甲の事ですか。大鎧は平安中期にこの挂甲から変化したと考えられています。
当初は草摺があたって動き難いという難がありましたが、12世紀末以降は下馬して戦
わねばならない状況が増えたせいか、それから一世紀ほど後には改造が見られる様にな
り、全体的に体に密着した、動き易い大鎧が開発されています。
しかし、結局は南北朝時代以降の鎧は大鎧から元来は歩兵用であった腹巻や胴丸の改造
されたものに移行し、大鎧は儀仗用に収まっています。
また、軽快な分危険性の高い腹巻着用時の危険を軽減するため、小具足と呼ばれるパー
ツも南北朝時代以降に発達しました。
南北朝時代というのは、下馬戦闘やゲリラ戦の出現など変化が大きかった時代です。
そして、こうした変化を経て当世具足が生まれる、と。

14世紀に見え始めた下馬戦闘志向は15世紀後半から顕著になり、戦国期には
騎射がほとんど見えなくなっており、大坂の陣までには組打もほとんど見えなく
なっているなど、大きな戦闘法の変化だけでも無視出来ません。
183山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/28(日) 22:14:36
>接近戦が少なかった可能性があります。
騎射をやる前から馬が射られ、騎射が減少(戦国期には益々顕著に)し、騎
乗戦自体が減少する始めが12世紀末です。
騎士は矢は使わなかったと思いますが、一方武士の方は元々弓馬が本分だっ
た訳ですから、騎士が楯を、武士が両手を塞いだ弓を求めたという事もあっ
たのでは。楯があるのが当然と考えると見えなくなる。
南北朝時代以降は、馬上での騎射以外に馬上での打物も見えており、白兵戦
に便利な小具足も発達していますが(脛などの防御)、楯を生じさせるには
至りませんでした。
それまでに手持ちの楯と言えば歩兵(下賤)用のものだという固定観念が完
成していた為、騎兵用の楯という発想には結びつかなかったのでしょう。
必ずしも「合理的」でなかったというのは、こういう事です。
184山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/28(日) 22:44:19
挂甲は隋・唐で使用されていたものが導入されていましたが、大鎧への具体
的な変化が、よく分かっていません。
(挂甲には大陸式のものと古墳時代以来のものがあり、前者が大鎧に、後者
が腹巻に発展していったものと考えられている)
現存するものの中では法隆寺と例によって大山祇神社に奉納されたものが古
く、『伴大納言絵巻』に登場するものに似て、院政期の作と考えられていま
すが。挂甲から大鎧への変化が11世紀だろうというのはほぼ間違いない。
185日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:23:01
本来の武士の誇るべき技が騎射だということは確かで、大鎧が射撃戦に特化したものであることは事実だと思います。
ただ鎌倉後期の大鎧には隙間を覆う小物類が多く(多いが木製や布類なので消耗し後世に残りにくい)、
これは刀剣類での戦が増えていたことを示す、と言う人もいます。
蒙古襲来絵詞で下卒が脇引をつけて隙間を塞いでいる図があります。
大鎧はすでに武家の象徴として確立した地位があったため大きく変化することが
難しかったが、戦の実態はすでに徒歩戦が増えつつあったのではないでしょうかね?

186日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:24:54
>165
>合理的

通常の社会生活を営む者であれば現実というものを弁えている。
つまり、限られた予算・人員・資材・時間の中で何事かを成さねばならず、その為にはある種の妥協は止むを得ず、
限定された規範下において如何に合理的(効率的)な判断を行なうのかが問われているのがこの世の現実である。
これは(社会人としての)常識である。
合理的であるか非合理であるかを論じる前に当時の常識(規範)は前提として受け入れるべきであろう。
その前提を無視しして議論が成り立つのだろうか。
然し乍ら、机上の空論を信条とし言葉遊びを楽しみたいというのであればソレも又一興。
御相手致しましょう(ノ_-;)ハア…


>「合理的」に出来る様になったのは、寧ろ近代からでは。
いきなり「近代」ですか・・・
>160の言葉を借りれば豪快なくくりですな。
武士においては身分制が、近代(明治以降?)の軍においては文民統制は規範(絶対則)であると考えますが
興味深い御意見です。両者を比較した際、戦時に文民統制下の軍は武士の軍よりも合理的に行動できるという
御説の根拠を賜りたく存じます。

>騎乗自体が資格化していて騎馬のみの編成に難があった。身分やしきたりなどのしがらみがなくなって
海軍航空隊の搭乗員に聞かせてやりたい名言ですね(苦笑
陸・海軍は身分やしきたりなどのしがらみがなく、武士社会よりも合理的に運営されていたのですか・・・
よろしければソースを御掲示いただけますか?
187日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:26:10
>逆に必ずしも合理的でない戦い方もしていたという点も考えておくべきでしょう
はて?戦いとは非合理なものです。如何なる観点に注意し重要視すれば合理的でない戦い方を俎上に載せ得るので
しょうか。
165のレスは極めて非合理ですね。どういう観点から何を主張したいのか読み手には全く理解できません。
議論には一定の枠組みが必要なのではないでしょうか。前提を無視して何ら至当性の無い事由を持ち出されても
困ります。
>156の言う“合理的”とは、自らや知己縁者の身体生命を損なわないために、最大限の知恵を揮ったであろうという
極めて当然の見解を示したまでです。
誰が何所で何のためにどの様な防御手段を講じるのかでは無く。単に限られた知識に基いて、有った無かったを
論じるのでは、子供にも出来ます。このスレが厨房臭くなってきたので釘を刺した心算だったのですが何を仰りたい
のでしょうか。

武士の盾使用を論じている(はずの)スレで合理的では無い根拠として
>騎乗自体が資格化していて騎馬のみの編成に難があった
>身分やしきたりなどのしがらみがなくなって「合理的」に出来る様になったのは、寧ろ近代
騎乗の資格や騎馬のみの編成(『信長公記』?何の話でしょうか?)身分やしきたりのしがらみ、果ては近代の軍
ですか(´。`)はぁ・・・。
>165のレスは、論じるに当たって一定の枠組みが前提として在するのではなく、果てしない連想を御心のうちに
湧き上がるのを押し留めもせずに只書き連ねただけのように見受けられます。
これでは児戯に等しい。
188日本@名無史さん:2006/05/28(日) 23:38:52
>>176
157です。大まかな分類ですが、古い時代の弓は梓などの木を用いた単材で
堅い為に弦の張力も40kgから50kg位あったそうです。今時、米俵なんぞ
滅多に見ませんが、あれを片手でヒョイと持ち上げる位の力は必要です。時代が
下がって木の単材に竹や弓胎(ヒゴ)を合わせた合成弓になると、柔らかく弾力
性もある為20kg前後になります。現代の弓道で使うグラスファイバー弓で
12kgから15kg位です。弓道を経験された方ならばご存知のように、弓を
引く動作は単に弦を力任せに引き絞る、と言うものでは無いので多少の強弓ならば
扱いは可能と思います(ユガケと言う革手袋を使うので。日本の弓は弦を親指の
内側で引きます。世界的には矢の根元を摘まんで引く、アーチェリーのように
人指し指・中指・薬指で弦を引く、などの分類があります)但し、乱戦時には現代
の弓道のように「型通り」に引くのは難しい事が想像され、また「矢継ぎばや」と
言う言葉にあるような矢の連射技術が重視された事でしょう。

>>184
私もこの点については、以前より興味を持っていた事です。直刀から反りのある
太刀に推移して行く時期と、大鎧の完成時期については具体的な物証や史料が
殆ど無いからです。大鎧の完成期については、私も山野氏の考察に大筋で首肯
しますが、鎧の構成部品である革糸/組糸を連結する手法(所謂、威し)が古式
の「縦取り威」である大鎧の形態は、もう少し時代を遡って良いと考えます。
189sporran:2006/05/28(日) 23:44:04
山野様183のご回答は大変よくわかります。
盾がないとおかしいというこちらの固定観念が問題でした。
190山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/29(月) 00:05:47
>>185
>ただ鎌倉後期の大鎧には隙間を覆う小物類が多く(多いが木製や布類なので消耗し後世に残りにくい)、
>これは刀剣類での戦が増えていたことを示す、と言う人もいます。
延慶本『平家物語』の藤平真光の発言によれば、馬を射る事が(絵画史料からも
確認出来ますが)、治承・寿永の内乱期から見られ、「徒歩立ち」になる事がそ
れまでよりも増えていた様ですね。
隙間を気にするのは弓矢対策でも同じですが、南北朝時代になって突然現れたと
いう訳ではなく、騎射が衰退(これにも反論はありますが)した時点で、打物や
組打を想定した装備は次第に発展しつつあっただろうと思います。
『蒙古〜』の時代は、過度期の筈ですが、余り使えそうな史料が無いのが困る。

>188
>もう少し時代を遡って良いと考えます。
面白いお話ですので、今後よろしければ折を見てお話下さい。
太刀の出現もよく分かりませんね。一般に10世紀末だと言いますが、11
世紀まで下らせる論者もいる。
『今昔物語集』に登場する橘則光の使用した刀は明らかに太刀だろうと思い
ますが、これがどういう史料に基づいて書かれたのか分からない。

>189
騎士方面にはうといので、穴も多いとは存じますが。訂正を願います。
191山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/29(月) 00:13:54
>南北朝時代になって突然現れたという訳ではなく
打物対策の事です。14世紀初期の『春日権現験記絵』では、馬上で長刀や
熊手が使用される他、鉞などの武器も登場するなど、打物が進化している。
『蒙古襲来絵詞』でははっきりとは確認出来ませんが、春日の四半世紀ほど
前の時代ですから、相応の変化があったというのは間違いない。
その点、185氏のお話には興味がひかれました。
>蒙古襲来絵詞で下卒が脇引をつけて隙間を塞いでいる図があります。

>>186-187
まず、人に話を聞いてもらおうという態度ではありません。
そもそも、>>156のレス内容自体、根拠を示さずに高説ぶっているだけです。
文章としても脈絡がなく、武士の話をしているのに突然「海軍航空隊」の話
が出てきたりと、まとまりも無いので反論以前の問題というもの。
192日本@名無史さん:2006/05/29(月) 00:21:59
>191
>165のレスを読み返しなさい
近代を持ち出したのは当方では無い
問われたから答えたのであって
相手にしたくないのはお互い様

愚かな文言を書き連ねるレスにまともな反論を期待するのは如何なものかと・・・
193日本@名無史さん:2006/05/29(月) 01:03:56
みんなの意見をまとめると
日本は縦社会だから
盾が必要なかったって事でいいじゃん
194日本@名無史さん:2006/05/29(月) 01:44:53
>>178
>持ち盾に関しては>>134で山野氏が言っている、
>法然上人の絵図でしか見たことがありません。
さがしてみなよ。ネット上にも戦国時代以降に作られた
守城用持ち盾の写真があるよ。
195日本@名無史さん:2006/05/29(月) 01:51:52
>>179
>片手に槍、片手に盾は多くの文化に見られる一般的なものですが、日本は古代の一時期だけでした。
中部日本(九州北部、四国、本州南部)はそう。

しかし、北日本と南日本は違います。持ち盾+片手槍、弩、フレイルを使います。
北日本(本州北部や北海道のアイヌ、ウィルタ、ニブヒ)は盾+片手槍があるし、
南日本(鹿児島の一部、奄美、沖縄)にも盾+片手槍はあります。
もちろん、過去の事実上も現在の法制上も、
アイヌ、ウィルタ、ニブヒ、奄美、沖縄の人は日本人です。
196日本@名無史さん:2006/05/29(月) 02:02:52
右手だけで軽くて短い刀剣を振り回すより、頑丈で長いカタナを両手で振り回す方が押しに強いんだろ。

盾を持ってるにしても左手一つで支えてる訳で、
両手で渾身の力を込めて振り回されるカタナの打撃を弾くのはキツい。
197日本@名無史さん:2006/05/29(月) 02:20:23
防御施設に篭る側が寄せ手の接近を容易にするはずは無く、
飛び道具による攻撃が最大の効果を得られるように配慮したことは自明。
また、攻城側が何の対応も取らず剥き身で接近したと主張できる根拠は何も無い。
人命を使い捨てにできる用兵は近代以降である。
飛び道具による攻撃が矢から鉄砲に変わりはじめると竹を用いた盾が文献に登場することや、
竹を用いた盾には様様なバリエーションが存在するという事からも実戦での試行錯誤の跡が見て取れる。

朝鮮の役のときに諸大名が事前に盾を用意するように喚起していた事は当時の武士が実戦における
盾使用をどのように捉えていたのかその事を考察するに際して思考の一助となるであろう。
野戦において双方が盾を使用して攻防戦を行った事は藤木氏の著作にも挙げられている。





二、三年前の過疎期を底に現状のこの板は人の入れ替わりによってやや持ち直していると思う。
だが五年前なら、こんな話は質問スレで数人の回答者がソースを基に答えこそすれ
単独スレで何時までもダラダラと実の無い会話を続けるような事は無かった。
過疎期を乗り越え残ったのは自らの頭でモノを考えることのできない僅かな知識にしがみついている哀れな小者だけ。

他人から与えられた餌を何時までも咀嚼し続ける事を何時から学問と称すように成ったのだろうか・・・
198日本@名無史さん:2006/05/29(月) 07:55:20
>>197
盾と書いてあるのは、持ち盾なのか置き盾なのか明記していただけませんか?
199sporran:2006/05/29(月) 08:16:08
>.195
フレイル?フレイルがありますか。知りませんでした。それは純粋に軍用として?それともクワのように日常品を代用して?
196 ビギナーが盾、はロングソードが経験5年でも容易に勝てません。日本刀よりはるかに重く、裏刃で盾の裏も攻撃でき、盾あいてのテクニックがあっての剣ですらそうですから
片刃、そり身の日本刀だと非常に難しいですよ。
そもそも満身で力いっぱい振り回すのはビギナーの証ですし、そのような攻撃でも普通に耐えられます。
200日本@名無史さん:2006/05/29(月) 08:23:16
>>195
北日本、南日本という呼び方は現代から見て、ということですよね?
確かにその地域は今は日本であり、日本文化圏ですが、
古代の話をする際には無理に『北日本』『南日本』という範疇に含めないほうが
混乱しないかと思います。
アイヌの武具、と明記したほうが理解しやすいと思います。
201日本@名無史さん:2006/05/29(月) 08:56:50
盾を持った時点でその兵は弓と槍(長柄)は選択できなくなりますね。
やはり戦術の違いではないかと
202日本@名無史さん:2006/05/29(月) 13:19:58
>>201
騎兵のシールドはたいてい負い革がついてるので
弓やポールアームを使う際には背負っておくことができる。
203日本@名無史さん:2006/05/29(月) 14:26:16
>>201
腕に縛り付ければいいんじゃね?
204日本@名無史さん:2006/05/29(月) 14:28:25
なるほど。それは便利ですな。
では例えば弓兵がにわかに弓を捨て持ち盾を構えて白兵戦を始める、というようなことは結構あったのでしょうか?

205日本@名無史さん:2006/05/29(月) 19:53:22
もしかしてこの中にセンゴクの考証なんかを監修してる人いる?
206日本@名無史さん:2006/05/29(月) 20:22:17
>>204
モンゴル人や遊牧トルコ人なんかだと敵陣に大量の弓矢を打ち込んで
隊列が崩れてきたことろへ抜刀して突撃、みたいのがデフォらしいね。

面白いのが、17世紀中国の「神器譜」には馬上で3連銃身の鉄砲を撃ったあと
抜刀して突撃する軽騎兵が描かれてるけど、撃ちつくした銃を左手に持ち替えて
盾として使っている。
207日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:11:26
>>199
>フレイル?フレイルがありますか。知りませんでした。
沖縄武術の「車ん棒」(kurumanbo)は、奄美にも、
鹿児島にもあります。片手持ちのものとっ、両手持ちの
ものがあります。大日本武徳会に唐手術が空手道として
参加するときに、制定型(套路)から削除されたものです。
持ち盾、短槍、車ん棒は「日本武道に見えない」と
カットされました。持ち盾、短槍、車ん棒は、関東以北の
北日本にも同様の武具がありました。マタギやアイヌにとって、
熊狩猟のための持ち盾、片手槍、クロスボウは普通にあり、
12世紀〜14世紀にかけて対盾戦闘用に車ん棒相当の武具も
用いていました。
208日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:13:52
209日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:36:38
>>207
アイヌについては知識がないのでなんとも言えません。
マタギは盾を持ちましたっけ?
古代では持っていたということでしょうか?
ちなみにマタギが『タテ』と称する道具は、ナガサを棒に差し込んでつくった簡易式の槍のことだったと思います。

さて日本の古代律令制では大陸に倣い盾が装備でした。
同時期、日本の各地でも持ち盾が高頻度で使用されていた地域があったとすると、
結局、なぜそれが消えたのか?という疑問にたどり着きます。
平安中期に武家が興ったとき、すでに持ち盾は一般的ではなく資料にもほとんど登場しません。

この間に何があったのか?ということです。
平安期の武士の本分は騎射であり、打ち物での戦いは主に下卒のやることだったわけですが
(少なくとも建前では)、
その下卒も持ち盾を持っていません。多くは薙刀です。

この理由に一つに甲冑の発達を挙げたいと思います。
と言いつつ、時間がないのでまた今度に。

210日本@名無史さん:2006/05/29(月) 23:17:35
>>209
>マタギは盾を持ちましたっけ?
火縄銃出現前、熊狩りには槍と共に使ったよ
211日本@名無史さん:2006/05/29(月) 23:26:13
>>210
あまりマタギに執着するのもどうかと思いましたが、それってタテ違いでは?


・タテ…クマ槍のこと。銃が普及してからも長く携帯されていた。クワ、イタヤ、ナラなどの木の柄に穂先を取り付けたもの。

http://www.pref.akita.jp/fpd/matagi/matagi-02.htm
212日本@名無史さん:2006/05/30(火) 00:38:46
>>207
琉球唐手は元々身近にある農具を武器に使用するために確立した武術であって
武器として存在したとは言い切れないんじゃ?
213日本@名無史さん:2006/05/30(火) 00:46:08
武術ならその為に使う道具は武器なんじゃない?
214日本@名無史さん:2006/05/30(火) 00:50:51
禁武政策が布かれた琉球じゃ武器なんて御法度だもんね。農機具ならセーフだけど。
215日本@名無史さん:2006/05/30(火) 01:07:20
>>211
違うよ。
銃器が登場しサブに回った狩猟槍をタテと呼ぶようになったんだよ。
銃器登場以前は、北日本の狩猟者は槍と持ち盾を使っていたよ。
アイヌ、ニブヒ(オロッコ)、ウィルタ(ギリヤーク)が
ヒグマ狩りに盾を使っていた。東北アイヌ(蝦夷)や子孫のマタギらは
ヒグマ狩りをしないが、本州での熊狩りにも盾を使っていたよ。
樺太や沿海州に暮らす、アイヌ、ニブヒ(オロッコ)、
ウィルタ(ギリヤーク)も、ヒグマや虎を狩るときには
盾と片手槍を使っていたよ。
216日本@名無史さん:2006/05/30(火) 01:16:42
>>214
>禁武政策が布かれた琉球じゃ武器なんて御法度だもんね。農機具ならセーフだけど。
中国から派遣されてくる冊封士に対して、
「歌と踊り」&「武術」を奉納していたんだよ。
この「武術」は冊封士の護衛官たちがその力量を
示すものでもあったんだ。だから、拳、剣、刀、斧、鎌、
槍、棍、多節棍などの武術が組織的に練習されていたんだよ。
その多くは中国武術の色彩が濃いものだったけど、南洋武術というか
フィリピン〜台湾〜沖縄〜奄美につながる素朴で力強いものも含まれたんだ。
「車ん棒」は、中国の制式武具「長梢子棍」の沖縄名称だよ。
宋軍や金軍が大量装備していたり、明や清の宮廷警護隊の制式装備。
現在も、競技化された中国武術の中に組み込まれて練習されている。
通販でVCDやDVDの教材を買って、日本で独習するのも一興かと思います。
217日本@名無史さん:2006/05/30(火) 01:17:41
>>188
40~50kgですか・・・大体、イングランドの長弓と同じくらいですね。
自分はアーチェリーをやっていましたが20kgくらいがいいところでした。
合成弓では20kg程度ということですが威力は単弓に比べて下がらなかったのでしょうか。

218日本@名無史さん:2006/05/30(火) 02:02:45
>>217
188です。自分はアーチェリーは経験が無いので分かりませんが、
室町時代以降に登場した合成弓は、それまでの伏竹弓などよりも格段
に弾力(と言うか復元力)がありますので、威力はそれ程低下して
いないと思います。

>>209
平安時代以降の戦闘形態を考察するのは、結構難しいですね。
源平争覇期の騎射戦闘の祖形を、東北地方の俘囚戦闘経験を
基にしたもの、或いは都の衛府の官人が体系立てた武技を基
にしたもの、と様々な説がありますが、佐藤義清(後の西行)
が藤原秀郷以来の武芸故実を代々記録として受け継ぎ、その
内容を見ると後者の説が有力のようです。このレスに限らず
類似レスの参考には、有職故実の泰斗、故/鈴木敬三先生の
研究文献、笹間良彦先生の研究書籍などが参考になると思い
ます。
219日本@名無史さん:2006/05/30(火) 07:18:01
215
本当かな・・・。
銃器以前までと言えば古代を大きく越えている

資料はありますか
220日本@名無史さん:2006/05/30(火) 20:58:10
>>218
>源平争覇期の騎射戦闘の祖形を、東北地方の俘囚戦闘経験を基にしたもの

蝦夷戦争や俘囚から騎射戦術を学んだのは、源平期より遡った9世紀の話ですよね。
東北蝦夷から学んだ事実は、地方の豪族子弟の騎兵・衛府官人の騎兵、ともに当てはまる。
10世紀以降の将門や秀郷・貞盛など『兵』段階では、自力救済の世界で練磨。
武士の登場は、それからさらに待たなきゃならないけど。


>都の衛府の官人が体系立てた武技
>西行の武芸故実

その流鏑馬説は徹底的な都(神戸w)視点で、他専門家諸氏の反論を浴びまくっている。
・実戦での考察が全くされていない。
(狭く平坦な馬場での静的動作『流鏑馬』に終始)
・古代史と東国馬文化とを、まるで無視している。
・武士と狩猟にも触れず・・・。

衛府の武芸を考えるなら、実戦と離れた9世紀以降はストップしてるでしょ。
衛府の武芸そのものが、蝦夷からみれば二番煎じに過ぎない。
近衛府舎人は地方豪族出身者が多かった。
221日本@名無史さん:2006/05/30(火) 21:01:57
関係ないことをダラダラ書く人が多い・・
222山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/30(火) 21:35:00
>>192
近代人と同じではない、それぞれの時代に信仰や封建制特有のしがらみが存
在したと書いているのと、近代の軍の話を突然持ち出して比較するのとは、
=で結ばれないと思いますが。

218と220は、高橋昌明説とそれに対する反論ですね。
「馬文化」というのは初耳ですが、騎馬や狩猟の環境が東国にばかりあった
のかという点では、疑問があります。楯から外れるので深入りしませんが。
223日本@名無史さん:2006/05/30(火) 21:46:28
>>222
例を挙げれば・・・

信濃と高句麗人
壬申の乱と甲斐の勇者
東国防人
東国舎人
関東後期古墳と副葬品としての武器
東国に多い馬牧と、西国に多い牛牧
西国の馬文化なら隼人、牛馬牧など九州でしょうか。
224日本@名無史さん:2006/05/30(火) 21:57:00
日本の持ち盾の衰退を甲冑の発達の観点から語れる人はいませんか?


225日本@名無史さん:2006/05/30(火) 22:01:30
>>224
記録が無い。
226日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:07:40
>>220
218です。武芸故実の「祖形」と申し上げていますので、御説のように
治承/寿永の内乱の時期までは三百年近い年月がありますから、当然に
その間の様々な実戦経験を経て来た、と言う事は申せましょう。ただ、
十世紀に入り恒武平氏が下向した頃は、既に大規模な俘囚の争乱は沈静化
しており群盗追捕的な戦闘であったろうと推察しています。故に九世紀初頭
の坂上田村麻呂の東征で得た実戦経験が、都の軍事貴族達に継承されたのでは?
と推察した訳です。まあ、直接にしろ間接にしろ蝦夷の戦術を学んだと言う事
には違いないと思います。あと申し添えるならば、自分は歴史学には全くの素人
で、都の視点?と言うのもイマイチよく分かりません。また自分は生っ粋の
武蔵七党の系譜ですので、心情的には坂東武者を贔屓したいのですが・・・(笑)

>>224
或る博物館で大鎧の装着体験というイベントがありました。武蔵御岳神社に
畠山重忠が奉納したと伝えられる、赤糸威大鎧の模造です。着用して納得(笑)
射向けの大袖と冑の吹返しが丁度、楯代わりになります(矛で突かれるような
攻撃には不十分ですが・・・)但し、吹返しは顔面の防御に有利ですが、同時
に視界もかなり妨げられて弓を引き絞る、弓道で言う「会」の体勢は困難と感じ
ました。
227日本@名無史さん:2006/06/01(木) 06:52:27
>>226
高望の下向は9C末だけど、9C中〜10Cにかけて騎馬で広範に活動したような群盗が横行してた。
『三代実録』貞観三(861)年の「凶かつ党をなし群盗山に満つ」ような状況ですよ。
秀郷なんかは前科者(916年)で群盗みたいなもんでしょ。
「兵」に繋がる武芸を考えるなら、この時期から形成されたと見る事も出来そうかな?
【坂東】兵站基地⇒俘囚基地⇒自力救済(無警察な)世界

田村麻呂の東北遠征と軍事貴族とでは、直接的には繋がらないと言えますね。
組討のイメージが強いのかもしれないけど、七党出身の武士も東国の縄文的な狩猟文化を
濃厚に受け継ぐ弓射騎兵ですよ。その本質は。


『書紀』には色々な種類の盾の名前が出てくるようだけど。
有名な盾といったら石上神宮の鉄盾かな?
ttp://www.city.tenri.nara.jp/kanko/bunkazai/bunkazai04.html
228日本@名無史さん:2006/06/02(金) 09:44:34
日本では、でかい規模で、長期の戦いがなかったから、
12世紀までの一時期、持ち盾の利用機会が減っただけ。
229日本@名無史さん:2006/06/02(金) 10:38:56
マントやクロークって盾としてはどうなんだ?
鉄の盾ってむちゃくちゃ嵩張りそうだぞ。だから山がちな日本じゃ廃れたんじゃないか?
230日本@名無史さん:2006/06/02(金) 11:57:25
でかい戦、長期の戦と盾の関係が分かりません。
それに一時期持ち盾がなくなったのではなくて、少なくとも平安中期以降は完全に衰退しています。
というかスレ読んでいる?


231日本@名無史さん:2006/06/02(金) 12:15:28
例えば雑兵に腹巻着せるて盾を持たせるのはコストがかかります。
腹巻きと盾、コストや作成労力を考えると盾なのですが、腹巻にすると両手が空くので重く長い武器が扱えます。
盾は剣(もしくはそれに類する武器)がセットになります。盾と長い槍というのは集団運用あってのもの。個人で使うには複雑な扱いが難しい。小回りがきかない。

つまり盾を持つか持たないか?という選択肢ではなく、盾を持つか腹巻きを付けるか?というのが分岐点ではないかと思います。

どういう理由かは分かりませんが、日本は後者が前者を駆逐していったと
232日本@名無史さん:2006/06/02(金) 13:49:14
長槍も鉄砲も使わず、速く移動する必要も無いヤツは、盾が必要になる時点で9割方アウト。
でもそれは西洋でも同じはずなのに、なぜ西洋では盾が残っているのか。
本当は近世以降は向こうでも盾は廃れたけど、イメージで残ってるように思ってるだけじゃないのか。
233日本@名無史さん:2006/06/02(金) 14:20:55
たしかヨーロッパでも実際は銃器の登場を待たずして盾は下火になっていたはずです
234日本@名無史さん:2006/06/02(金) 15:10:25
>>230
>スレ読んでいる?
うん、盾は古代から現代までずっと使われてる。
使われてなかったのは、北海道と沖縄を除く本州・四国・九州に
限定しての江戸の泰平期と明治中期から昭和初期の軍国時代だけ。

>>184 が最新のまとめだろ

あなたもきちんと読もう。
235日本@名無史さん:2006/06/02(金) 15:15:58
>>233
>ヨーロッパでも実際は銃器の登場を待たずして盾は下火になっていたはずです
そうだよ。蒙古の軽装騎兵が欧州の重装騎兵&歩兵軍団を打ち破った頃には
軍用としての持ち盾は、両陣営とも既に廃れていた。元軍の欧州攻めでは
火器も元寇の時のようには使っていない。強力な弓、騎兵の槍、強固な甲冑の
前に持ち盾は、欧州でも中国でも14世紀以降はシンボリックなものとして
残っていただけだよ。
236日本@名無史さん:2006/06/02(金) 15:17:45
集団兵法では古代西アジアでもなけりゃ盾いらないんだよね。
ついでに、重い甲冑も集団が相手じゃ命取りになる。

ではなぜ、古代西アジアとかでは両手で持つような長槍は無かったのか。
237日本@名無史さん:2006/06/02(金) 15:20:31
置き盾は少なくとも平安〜幕末までは使われていたとする資料がありますが、持ち盾がずっと使われていたとする資料はありますか?
絵画資料だと法然上人しかないと思われるのですが・・・。あればあげて欲しい。
使われていたよ、と言われるばかりではこちらも頷くわけにもゆきませんから
238日本@名無史さん:2006/06/02(金) 15:24:43
持ち盾のメリットは何?
デメリットは、重さと嵩張ること。
しかも同じ重さでも、鎧みたいに身に着けられるのと腕で持つのとでは違う。
持ち盾の方が特殊なんじゃなかろうか。
正式な決闘でもバックラーとかドラゴン聖衣みたいな小盾だし、それも腕に括りつけて
入場したらしい。
239日本@名無史さん:2006/06/02(金) 15:24:56
米に比べ圧倒的に収穫量の少ない小麦中心では行き届いた訓練を行うことができず
状況に応じ即座に方向展開ができないために長槍は使われなかった、ってとこじゃないかな?
240日本@名無史さん:2006/06/02(金) 15:25:22
そういえばマタギが盾を使っていたという資料はどうしたの?
241日本@名無史さん:2006/06/02(金) 15:35:49
>>239
>米に比べ圧倒的に収穫量の少ない小麦中心では行き届いた訓練を行うことができず
>状況に応じ即座に方向展開ができないために長槍は使われなかった、ってとこじゃないかな?
沖縄、台湾、フィリピン、東南アジアは盾をずっと使ってましたが。
242日本@名無史さん:2006/06/02(金) 16:47:01
盾というのは射撃戦専用アイテムだから、前線に立つ足軽が持ってたんじゃね?
さすがに鉄砲玉ばんばん飛んでくるところへ両手に槍持ってうわああって突撃しないだろw
一旦乱戦になったら刀に持ち替えて戦うみたいな。
当然すぐあぼんだから個体数が残ってない。と。
243日本@名無史さん:2006/06/02(金) 16:47:14
でもその辺は軍事的にはあまりぱっとしない地域だよな
244日本@名無史さん:2006/06/02(金) 19:27:46
>>241
>沖縄、台湾、フィリピン、東南アジアは盾をずっと使ってましたが
盾を持ちながら長槍を使っていたのか。ふ〜ん
245日本@名無史さん:2006/06/02(金) 19:33:43
長柄の槍と盾+西洋剣だったら槍が勝つよな
246日本@名無史さん:2006/06/02(金) 20:40:57
>>234
そこで>>184を持ち出す理由は??
噛み合っていないというか何と言うか・・。
247日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:13:54
盾を使う地域・時代は鎧がショボいという事実。

248日本@名無史さん:2006/06/03(土) 02:30:24
>>244
>盾を持ちながら長槍を使っていたのか。ふ〜ん
東アジアの太平洋沿い(鹿児島以南)とか
東南アジアでは、

持ち盾+短槍 または 持ち盾+投げ槍

沖縄のティンベーとローチンとかさ
249日本@名無史さん:2006/06/03(土) 06:42:45
>>247
例:弥生時代
250日本@名無史さん:2006/06/03(土) 06:47:03
なんだ241は妄想厨か。危うく騙されるとこだった
251山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/06/03(土) 10:34:44
馬の話は後日調べておくとして。
>>242
『十二類合戦絵巻』には、矢防ぎ用の大型の楯を持って前を歩む兵たちが描
かれていますよ。鉄砲が相手だと貫通されてしまいますが、近世(安土桃山
時代以降)の記録を見る限りでは、まず最初に矢や鉄砲を放ち、然る後に敵
にかかっています。
それ以前でも、まず矢を射かけあってから馳せ、組み合っており、いきなり
白兵戦を挑んではいません。
252日本@名無史さん:2006/06/03(土) 11:18:17
>>248
それは長槍ではないのでは?>>244との会話が成立していませんが。。

>>247
弥生時代が、鎧がしょぼい例をいうことを言っているのですか??
言わんとすることがつかめません。。


盾云々以前に、せめて会話くらいは成立させましょうよ。


253日本@名無史さん:2006/06/03(土) 11:38:08
鉄砲を防げる鉄張りの盾という発想は生まれなかった。だから弓矢衰退後は流行らなかった
254日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:01:19
>>252
>>>248
>それは長槍ではないのでは?>>244との会話が成立していませんが。。
244が突然に盾と「長槍」を持ち出したから
違うよ、とソフトに諫めたんだろ。
255日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:03:57
>>253
>鉄砲を防げる鉄張りの盾という発想は生まれなかった。

砦や城壁を守るための鉄盾は
火縄銃普及以降にも対銃撃戦に
使われたし、現存してるものもあるだろ。
重いから歩兵や騎兵は使わなかったけどさ。
256日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:04:42
銃弾用の設置式の鉄盾はあるよ。
257日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:16:18
>>253
鉄甲船あったんだし、発想くらいあったかもね
でも防弾できる程の鉄の盾ってめちゃくちゃ重いんじゃないかな
戦車並みに馬力がないと意味が無かったのかもね
258日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:35:48
ファランクスを見ても分かるとおり、持ち盾というのは本来射撃を防ぐというよりも白兵戦のためのもの。
であるからには、やはり持ち盾と甲冑は対で考えるべきではないかと。
甲冑を備え、その上に盾を持つというのは、コスト的には耐えられないでしょう。
戦術的にも耐えられなくなるかもしれません。
盾を持つか持たないのか?という選択肢ではなく、盾を持つか甲冑を着用するか?という選択肢なのです(たぶん)。

古代軍装を色濃く残した地域ほど、盾が普及したままです。
日本も古代の一時期そうでした。
259日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:09:08
まぁ片手に盾で両手持ちの日本刀を防御するのは至難の業だしね
チャンバラ世代ならわかるだろうけど
軌道が変わるスピードに片手では余程の達人じゃないとついていけない

260日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:17:41
>>258
ギリギリまで長くした槍持った足軽10人が槍衾作るのと
盾と剣持った人間が10人とで戦うとどっちが勝つかといわれると前者のが強いと思うんだよ
なんだかんだでリーチじゃないかな
突いてくる槍を巧みに盾でかわしながら間合いを取るって難しくね?
261260 :2006/06/03(土) 19:44:19
まぁ俺のイメージだけどなw
262日本@名無史さん:2006/06/03(土) 20:41:53
>>260
私もそう思います。
ただ裏付けとなる記録がないので、断言するに至らないというところです。
だから私もイメージだけなのです・・。

郎党(雑兵)に腹巻程度の甲冑と長い得物を持たせることができるならば、
持ち盾と片手で捜査できる範囲の武器を持たせるよりも、効果的ではないかと。
ネックは簡素な盾よりも簡素な腹巻のほうがコストと作成労力がかかるということでしょうか。
また、長い得物の柄も一つの技術的課題のように思いますが、さらに想像をつなげることになるので割愛します。
263日本@名無史さん:2006/06/04(日) 00:51:34
264日本@名無史さん:2006/06/04(日) 09:38:57
ふと思ったんだが、盾を使っていたのは鎧着て中東攻めたりすると、水の確保でさえ難しいのに
あんな暑苦しいかっこうしていたらすぐ脱水症状起こしてしまうんで、あんな暑苦しい鎧より盾にすっか!となったとか。
あくまで妄想だが
265日本@名無史さん:2006/06/04(日) 11:11:59
体格が小さくて、防御能力が期待できる程の盾が
携帯出来なかったのでは?
戦場まで持っていく→疲れて働けない→いらね。みたいな。
266日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:06:09
体が小さくても、一時間も立っていられないような今の若者よりもずっと肉体的にタフですよ。
特に持久力はとんでもないです。
都会では無理かもしれませんが、昔ながらの農家の爺さん見ていれば良く分かります。

また、近代以前に体が小さいのは世界的な傾向であって、特にラテン系の国では
日本人とあまり新調は変わりません。
267日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:15:10
熱田神宮を見学した事がある人なら必ず目にしてると思うが、
刃渡り3メートルくらいはある戦国時代の大太刀が展示されている。

あまりの大きさにパワードスーツ用かと思ったぞ。
268日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:18:02
でも、5〜6キロのポン刀片手に、盾もって闘える化け物は、
ある程度の体格必要。
269日本@名無史さん:2006/06/04(日) 13:38:31
通常の打刀で約1キロ程度、背負うような大太刀だとそれよりは重くなりますが、
5、6キロはないかと。

たまに神社に奉納されているような大太刀を片手で振り回すのはさすがに厳しいです。
まあでもそういう大太刀は奉納用で、実際に戦場で使われたかは不明です。
まず地に伏せておいて、騎馬武者の馬の足を薙ぎ払うくらいしかありません。
270日本@名無史さん:2006/06/04(日) 14:47:49
妄想厨乙
271日本@名無史さん:2006/06/04(日) 14:56:07
五尺(約1.5b)の大太刀でも柄鍔入れて3kg前後。

実戦といえば真柄兄弟の太郎太刀(五尺二寸)次郎太刀(四尺三寸)が有名だけど
流石に片手では使われてないと思われ。
後にその使い勝手の悪さから大太刀は長巻へと変化したと云われるだけに、重量というより
持ち部分とのバランスの悪さが問題なんだろうな。
272日本@名無史さん:2006/06/04(日) 23:11:00
>>262

あんたって、あちこちで珍説披露してる人?
某スレの120・161とか。
(http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145427487/l50)
何か似てるよ。
273日本@名無史さん:2006/06/04(日) 23:29:48
>>272
ちょーwwwここにも俺のコピペがw
274日本@名無史さん:2006/06/04(日) 23:33:51
>>267
その手の長い刀は布を巻きつけての両手使いがデフォ。
槍の登場と集団戦によって廃れていったが室町までは普通に使われていた。
275日本@名無史さん:2006/06/05(月) 01:53:26
>>264
板違いだが・・・十字軍の頃の鎧は全身を覆う鎖帷子。
防御力が不十分だったので盾を用いなければならなかった。
276日本@名無史さん:2006/06/05(月) 06:59:38
>>272
私が>>262を書きましたが、その「昔から疑ってかかっていた日本史の通説」スレには
全く関係していません。
主張する内容もそれほど関連はないと思うのですが。
277日本@名無史さん:2006/06/05(月) 07:20:37
>>276
訂正

正確には、120と161は私ではありません。
そのスレの167,170,172,176が私です。

何か問題が?
278日本@名無史さん:2006/06/05(月) 16:56:22
日本人の戦闘的思想と基本的に両手持ちで使用する日本刀の影響があるような
気がする。 薩摩示現流なんかとくに。 チェストー!

慶長の役をウィキで調べてみたら、泗川の戦いの内容が出てきてたがすさまじ
い内容だ。 島津兵は阿修羅か? 明の軍隊だって対騎馬民族に貼り付けていた
兵隊たちを動員してたはずだから強かったはずだ。 そして明の兵隊は20万
の説のほうが正しいだろう。

泗川の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%97%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
279日本@名無史さん:2006/06/05(月) 17:26:02
暇な時に土手ですべって遊べるから盾は遠足には必要だと思う
280日本@名無史さん:2006/06/05(月) 18:06:45
>>278
20万は捏造。正確には5万。これでも十分凄いんだけどね
281日本@名無史さん:2006/06/05(月) 18:53:42
>>278
鉄砲の数とか使い方の差じゃないの?
282日本@名無史さん:2006/06/05(月) 22:00:33
泗川の戦いを最後に明軍は戦争を継続する意思がなくなってしまったから、
凄いものです。
日本側からするとあの戦は戦略的失敗ではないかと思うのですが
(明国を陸から攻めて切り取ろうとは!港の拠点を攻め占領して行けば少しは違ったのに!)、
明国(後に清国)から見た場合の記録には、「全く勝ち目がなかった。」で概括されています。

あの戦はきっと現代でも通じる教訓を得られる戦だと思います。
283日本@名無史さん:2006/06/05(月) 22:13:05
つ日中戦争
主要港は全て日本軍が占領
284日本@名無史さん:2006/06/05(月) 22:13:22
ただ、朝鮮出兵の頃示現流の開祖、東郷重位はまだ薩摩で示現流を広めていなかったはずです。

朝鮮出兵がこのスレに関係あるとすれば、持ち盾のない日本軍がそれを理由に苦戦したという記録がないということでしょうか。
285日本@名無史さん:2006/06/05(月) 22:15:11
>>283
近代日本の戦略では言いたいことはあるのですが、スレ違いなので・・。

286日本@名無史さん:2006/06/05(月) 22:57:14
薩摩芋
287日本@名無史さん:2006/06/06(火) 18:10:20
>>282
言葉が通じない、文字も知らなきゃ礼節義もなきゃルールもない。
占拠して維持するとなれば、かなり苦労する。
288日本@名無史さん:2006/06/06(火) 18:13:05
???
289日本@名無史さん:2006/06/07(水) 11:41:37
反対に問うと、持ち盾を使用した地域はなぜ長い武器を使わずに盾と剣を選択したのか?
290日本@名無史さん:2006/06/07(水) 13:46:59
日本と言っても室町〜江戸時代の本州南半分、四国、九州だけだろ。
北日本の日本人(アイヌ、ウィルタ、ニブヒ)は持ち盾を使ってたし、
南日本の日本人(奄美、沖縄)も持ち盾を使ってたよ。
291日本@名無史さん:2006/06/07(水) 14:45:14
つまり原始的な軍装の地域は持ち盾と。
甲冑を一定量普及させる地域は次第に持ち盾は廃れてゆくと。日本しかりヨーロッパしかり
292日本@名無史さん:2006/06/07(水) 14:50:16
近代以前の文化の話をするときに、アイヌや沖縄を日本に含めてしまうのは混乱の原因かと思いますよ。

琉球は中華文明圏と日本文明圏の間にあるし
293日本@名無史さん:2006/06/07(水) 16:26:17
琉球は琉球文化圏です。
事大しないでください。
294日本@名無史さん:2006/06/07(水) 20:40:46
>>289


かっこいいから



295日本@名無史さん:2006/06/07(水) 23:45:18
>>293
>琉球は琉球文化圏です。
>事大しないでください。
「琉球」という名称を使うと
ベトナム、フィリピンと接する
「台湾+沖縄+奄美」のことになる。
台湾まで日本に組み込むと、マレーや
ポリネシア系後や文化まで含むので、
南日本というなら奄美と沖縄でいいよ。
広げても鹿児島の島嶼部と一部沿岸までだ。
296日本@名無史さん:2006/06/07(水) 23:50:56
琉球=「台湾+沖縄+奄美」で
南日本=「奄美+沖縄」ですか???
なにかがおかしいような・・。

だからそんなことより、近代以前の文化の話をするときに、アイヌや沖縄を日本に含めてしまうのは混乱の原因かと思いますよ。
無理に南日本などという区分けを用いるより、沖縄は沖縄、アイヌはアイヌと称したほうがよほど分かりやすい。
297日本@名無史さん:2006/06/08(木) 02:50:56
日本は牧洋に適さずでっかい皮がとれなかったから、軽い手持ちの盾は量産できなかった。
刀の使い方としては体当たり+しゃがんで防御うすい股下や、胴丸と草摺りの間、ワキ等に突き上げるのが有効だった(上杉兵の証言)から盾ではふせげん。
太い鉄棒かさねた小手で舞わす刀はふせげた。
298日本@名無史さん:2006/06/08(木) 08:39:52
欧州の盾は基本的に木製です、たしか。森林資源の豊富な日本ならば木製の盾は必要ならば大量生産できました。
鎧をつくるより労力もかからずコストも低いですし。
何か積極的な理由があったはず
299日本@名無史さん:2006/06/08(木) 10:07:33
鉄砲って木製の盾程度なら貫通するんかな
300日本@名無史さん:2006/06/08(木) 11:10:19
乱戦時ともなれば投石とかどこから何が飛んでくるかわからんし
一方しか防げない持ち盾の効果は薄いから鎧の方が便利だろう。

攻撃方向が定まっている展開では個々で持ち盾するよりも
集団で置き盾使って詰めたほうが良いし
301日本@名無史さん:2006/06/08(木) 12:50:30
>>299
>鉄砲って木製の盾程度なら貫通するんかな
鉄砲が普及した15〜16世紀にはユーラシア大陸の
温帯以北の大国ではどこでも廃れているよ。
西欧、東欧、モンゴル、中国のいずれの
正規軍や国軍で持ち盾なんか実用軍装品としては
まともに使っていないよ。儀礼用とか特殊装備程度。
302日本@名無史さん:2006/06/08(木) 12:59:38
刀を片手で斬る概念がなかっただけじゃ?

303日本@名無史さん:2006/06/08(木) 13:12:42
普通にありますよ
304日本@名無史さん:2006/06/08(木) 13:21:46
そもそも鉄砲以前に盾は廃れている
305日本@名無史さん:2006/06/08(木) 13:49:21
盾は使用されていましたよ
ただ 欧米のような騎乗兵がもっていなかっただけです。
また、戦国時代の戦闘方法によって 盾を使用しなかっただけだとおもいます。
306日本@名無史さん:2006/06/08(木) 13:52:54
戦国時代 最初に石、弓(後期に鉄砲)を相手に
射かけて 兵力を減らした後に
足軽が「槍ふすま」となって突入します。
相手の陣形が崩れた所に 騎馬兵が突入し
本陣を目指します。
よって 盾を使用する決闘方式の闘いが消滅した。
307日本@名無史さん:2006/06/08(木) 13:59:34
両手で機敏に振り回すデカくて堅牢な日本刀は、軽くて短い片手剣よりも有利だからでしょ。
鍔競り合いになればヤワな片手剣がポッキリ行く虞もあるし、
それを避けて盾で受けるにしろ片手で支えるのは同じだから防ぎきるには無理がある。
308日本@名無史さん:2006/06/08(木) 14:53:40
〉〉305
記録はありますか?
309日本@名無史さん:2006/06/08(木) 15:39:26
>>307
>堅牢な日本刀
目釘は折れやすいし、柄はバラけやすい。
日本刀の弱点は竹製目釘(1本でも2本でも)と
柄の脆弱さだよ。刀身が曲がったり折れるのを
避けるために、先に壊れるようにしたというのは、
後付けの言い訳。戦場で柄から抜け落ちた刀身を
拾って逃げてくる武者なんかいないよ。

チンピラの私闘ならまだしも、
戦場でのメインウエポンになったことなど無いよ。
310日本@名無史さん:2006/06/08(木) 16:10:59
>>308
根来寺蔵の絵巻物の中にあったのは確かですが
表題を覚えておりません。すみません
311日本@名無史さん:2006/06/08(木) 16:18:31
盾というか機動隊が使う透明なやつくらいなでかさの木の板を
使い方も機動隊みたいに集団で並べて防いだりしてはいるけど
これは盾じゃないの?
312日本@名無史さん:2006/06/08(木) 17:26:51
一対一でドツキあうなら盾持ちの方が有利だよ
313日本@名無史さん:2006/06/08(木) 18:20:36
歴史上、コストと運用の関係で盾と甲冑は共存しません。
盾を持つということは鎧は貧弱であることを意味します。
314日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:01:55
>>311
アレはある意味特殊でしょう
警察は基本的に人は殺さないからね
何持ってるかもわからない相手を
殺さず捕えるのを優先すると、ダメージは覚悟せにゃならん
最初から銃ぶっ放していいなら盾なんか持たないだろうね
しかし機動隊の盾は何でできてるんかな?
強化アクリル?
315日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:05:24
防弾盾(拳銃弾程度)はジュラルミン+複合素材
透明盾はプラスチック
316日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:09:15
>>307
両手持ちの日本刀の方が片手持ちの西洋剣より軽い。
重さ:ロングソード>レイピア≧日本刀(定寸)

>>308
>戦場で柄から抜け落ちた刀身を・・・
実際いないからねwww
毛抜形太刀ならオケ?
317日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:12:53
>>313
つまり、ガンダムとギャンはお腹がプヨプヨって事だね
318日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:41:00
>>309
江戸の模造刀的な物を基本に妄想されてもな。
柄は元々荒縄縛って使うのが基本だ。信長だけがしてたわけじゃない。
319297:2006/06/08(木) 20:05:38
>298
まず日本で手持ち木盾つかう武者が極少数だったのは、火矢では燃えやすく、軽量化のために薄くすれば割れやすい弱点のためだろう。
もちろんヨーロッパのは木製が多いが、戦跡で発掘される盾はとんど皮付き(もっとも純木製は腐れやすく土になってしまうが)
耐火とゴム応力効果を期待して厚く丈夫な広い皮で補強していた。
純木製は専ら競技訓練用でしょう。
皮が足りなかったのが理由。

320日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:16:58
目釘には鉄製のものや、鯨のヒゲを巻きつけたりもしたらしいぞ。
それからレイピアが日本刀より重いって一体何の話だよ。
321日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:20:40
刀を両手で握り締め、一撃一殺を日本人の理想としたからでしょ。
322日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:22:03
>>321
るろうに剣心の読みすぎ
323日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:32:52
319
なるほど。
でも日本で甲冑にかける材料と金と労力をもってすればそれほど難しいことではないと思うのですが。
甲冑に使う鉄板よりずっと少ないし、細工も少なくてすむ
324日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:36:22
日本刀は戦場では腰の飾り
死んだり大怪我した奴相手の首狩りくらいにしか役立たない
325日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:37:15
日本は、主武器は常に遠距離武器。弓矢の後は鉄砲(ちょっと怪しい)。
だからこそ、侍を称える称号として「海道一の弓取り」とか言われた。
平安末期の一騎打ちでも、互いに弓を射ていたりする。
そして、弓矢は両手を使う。案外、この辺が落としどころなんじゃないか。
立ち止まって射撃=持ち盾じゃなく、遮蔽物としての大型の盾でOK。
騎乗での射撃=鎧着込んでいれば、盾の役割半減。むしろ持ち替えしてたら、
次の射撃が遅れる。
みたいに。
326日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:41:45
>>324
「刀と首取り」はそれなりに説得力はあると思うけど、
飾りとするには、大小二本、場合によっては鎧通しも含めて三本。
結構な重さになるこれらを携行した理由がよく分からん。全く役に立たないなら、
実戦主義の戦国時代に、絶対脇差のみとかになっているはずだが、
一部を除いて、大小差すのは廃れていないのよね。
327日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:43:39
ユーラシア大陸を征服した現帝国のモンゴル兵たちも
機動力を生かした弓騎兵が主戦力だから、持ち盾なんか
ほとんど使わなかったし、鎧さえ最小限で軽装なものだった。
328日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:55:07
>>326
>大小差すのは廃れていないのよね。
東アジアで大小二刀を腰に差すのは、
雲南省のアチャン族など山岳高地民族と
日本の大和民族だけ。共に細身で片刃の
やや湾曲した大小二刀を腰に差す。日本周辺の
朝鮮人、満州人、漢人、ベトナム人、奄美人、
沖縄人、アイヌ人、台湾高山族にその習慣はない。
実用と言うより、伝統的な何かがありそうだね。
このアチャン族は大和民族と同じように、漢族や朝鮮人には
存在しない、YAP+遺伝子を持つ民族。
http://members.at.infoseek.co.jp/ikokunotabibito/minzokuishou/y149c.JPG
329日本@名無史さん:2006/06/08(木) 22:44:28
>>327
そういう視点が実は一番大事ですな。
武装は戦術と共に考えねば。
ついでに戦術は機動力と同義と言っても大袈裟ではないですからね。


>>328
そのリンクはどういう意味があるのか・・
330日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:09:18
戦術は機動力と同義

331日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:15:46
>>328
武士の大小が定着したのは、江戸期からです。

ただ古代東アジアに共通すると思われる鉄器信仰ともいうべき、
お守りと実用を兼ねた刃物の携帯は身分を問わずに古来日本の風習です。
戦国期に刀を何本も携帯するのは、やはり実用主義でしょう。
すなわち、一本駄目になったら次を使い、それが駄目になったら次をつかうという寸法です。
当時は戦で刀が曲がると板をあてて足で踏みなおし、刃こぼれしたら持参した砥石で
荒っぽく研ぎなおし、次の戦に備えました。

刀が戦場のメインウェポンではないというのは同意ですが、それは刀が飾りという意味ではありません。
二度の世界大戦、欧州戦線での白兵戦では、銃剣よりもスコップが役に立ったと言う兵士の意見があります。
スコップに刃を付けると、人の頭蓋も切り落としたそうです。
銃剣は長く、まるで槍です。スコップは短く、まるで刀です。
もちろん全ての局面でスコップが銃剣よりも役立ったと言うわけではないでしょう。
銃剣突撃はありますが、スコップ突撃はありません。
スコップが役立ったのは塹壕のなかという狭い場所での白兵戦、或いは銃剣が壊れたときの代用としてのようです。
狭く不自由な場所での戦闘のための武器、臨時の武器。
これがサブウェポンの役割ではないかと思うのです。




332日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:18:34
>>320
重さ:レイピア≧常寸日本刀は現実の話

>>331
メインウェポンではない=飾り の方が馬鹿にはわかりやすいw
333日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:31:13
スコップに刃では刀じゃなくて手斧か鉈ですね
334日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:32:45
メインウェポンではない=飾り ではありません。
一体、日本刀を戦場で使っていないという話は一体どこから出てきたのですかね?
サブウェポンは重要ですよ。

日本刀という言葉が表すものが、時間的には千年、種類も大きな長太刀から
小刀まですべてを含むから、人により念頭においているものが結構違いますね。
335日本@名無史さん:2006/06/09(金) 00:36:05
>>333
どっちもお好きなように。

この場合、サブの武器にも必要な局面があると言いたかっただけなので。

336日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:00:37
>>334
使ってないつか戦闘以外の首取り専用って話でしょ。
これは刀に漠然としたイメージしか持ってなかった奴らが、
鈴木氏の著書の極端なフレーズに洗脳されてるだけ。
あとその又聞き
んでメインではない=使えない=飾り と脳に優しい解釈をしたってことでしょw
337日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:18:53
首取り専用ならば短刀のほうが都合が良いし、事実鎧通しなどは必ず持っていますからね。

338日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:30:14
>>336
確かに鈴木真哉氏の著書を読めば、通説の漠然としたイメージと違って
突拍子も無い様な印象を受けるが、史料を渉猟してデータを集積した結果
から述べているのだろうから、敢えて否定する事も無いであろう。同時に
著書を鵜呑みにする姿勢も賢い態度ではあるまい。太刀・打刀が戦闘で
使われなかった、と言う事で無く、僅かしか使われた形跡しかない、と言う
事であろう。
339日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:31:21
まぁジタバタする相手と取っ組み合うなら、折れないし間違って自分を切ったりしない
鎧通しでグリグリしたほうがええわな。

戦利品の鼻とか耳とか取るのに切れる刃物は必要だから短刀も必要だし
340日本@名無史さん:2006/06/09(金) 02:40:52
>>338
鈴木氏の説の根拠となったデータは軍忠状の記録による統計だが、
まず飛び道具での負傷率を理由に日本の遠戦志向を説いています。
ですが、戦のやり方を考えたときに、古今東西、射撃(飛び道具)のない突撃は
ありません。
射撃で被害を与えた後に突撃で決戦。
武田信玄も、ナポレオンもこの点は同じです。
負傷者の数を見れば、飛び道具によるものが多くて当然ではないかと。

そして軍忠状は恩賞をもらうための記録なので、負傷は記録してある反面、
討死は討死とあるだけです。
通常、討死の理由までは記録されていません。
接近戦になったならば、死亡率が高いために単に討死と記されている可能性もあります。
これはカウントされていないでしょう。
341日本@名無史さん:2006/06/09(金) 03:34:37
亀の甲羅が盾がわり
342日本@名無史さん:2006/06/09(金) 05:18:40
>>340
禿胴。
特に鉄砲が無いときの死亡率はマジでほとんど飛び道具で、槍、薙刀ですらかなり少なかった記憶がある。
刃物スレのどっかでのっけてたの見ただけだけどよ。
こうなると接近戦自体ほとんどなかったってことになり、刀の強弱がどうの以前の問題な気がする。
343日本@名無史さん:2006/06/09(金) 06:04:36
>>338
>>340の言うように、鈴木某の説に出てくるデータは負傷原因だけで、死亡原因は書いてない。
遠くからの矢石で負傷した兵は後方に下がったり逃亡したりで生き残る可能性はかなり高いが、
自らの安全の為にもその場でとどめ刺される事も多いだろう接近戦じゃ、
負傷者の生存率低過ぎるだろうな。
刀はサブウェポンではあるが、槍の穂先が斬り落とされたり折れたりした場合、
槍の叩きあいからどちらかが崩れて混戦になった場合などで普通に使われたと思うのだが。
344日本@名無史さん:2006/06/09(金) 06:57:55
>>342
意外と投石による被害もでかかったりする。石投げられて無傷な人間なんていないしなー。
打撲、最悪骨折したり死ぬ。
345日本@名無史さん:2006/06/09(金) 07:17:45
主人の槍を持つ槍持ちや旗持ちなんかだと、いざという時には腰の刀を使うしかないよ。
346日本@名無史さん:2006/06/09(金) 08:20:48
まあ現代の戦場でのピストル程度のものだよ
日本刀なんてものは

そんなものでの死傷者は限りなくゼロに近い比率
347日本@名無史さん:2006/06/09(金) 09:12:27
>>301
15〜16世紀なら東欧の軽騎兵が盾を装備してるよ。
348日本@名無史さん:2006/06/09(金) 09:27:18
>>344
投石も射撃もありますが、最終的には敵陣地へ突撃しないと、雌雄を決することができず、
戦が展開しません。
射撃戦のみだと両軍延々と痛めあって両軍疲弊します。
機を見ての突撃・決戦が戦の効率化、早期終了には必須。
この機を逃すか否かが戦の分かれ道であると考えます。
実に古代以来変わらぬ戦の展開であります。

>>346
ピストル程度と言いますが、一時期は騎兵がピストルが主兵器の場合もありました。
あまりこのスレと関係ないですが。
349日本@名無史さん:2006/06/09(金) 10:01:08
鈴木説のロジックでナポレオン軍を見るならば、死傷者原因の最も多い砲撃を理由に、ナポレオンは遠戦志向と言い切ることができます。
一説によるとナポレオン軍の戦闘における約六割から七割の死傷者は砲撃によるものだとあります。

350日本@名無史さん:2006/06/09(金) 12:14:54
野球に例えるならば、射撃(砲撃)戦は投手戦で白兵戦は打撃戦です。

どちらも必須です。最も効率的かつ安定した勝ち方は、投手が完封し、チャンスに確実に点をとる試合です。
打撃戦ばかりでは出たとこ勝負で安定しませんし、投手が完封しても点を取れなければ勝てません。
351日本@名無史さん:2006/06/09(金) 15:05:32
>>347
>15〜16世紀なら東欧の軽騎兵が盾を装備してるよ。
だから大国になれなかったんだよ
奴らが元帝国の支配下に入れられ
モンゴル貴族や中国人官僚に
ペコペコしたのは国軍が弱かったからだ
352日本@名無史さん:2006/06/09(金) 15:27:50
>351
モンゴル帝国は13世紀。当時手盾を使ってなかったのは鎌倉武士ぐらいだ。

15〜16世紀のポーランド、モスクワ大公国、オスマン帝国は
ヨーロッパリーグでは大国といえる方だろう。
353日本@名無史さん:2006/06/09(金) 15:52:06
モンゴル帝国軍も持ち盾なんか主要装備としては使っていないよ。
同時代の日本武士が置き盾や持ち盾を使った程度以下だろう。

持ち盾は大型の猛獣相手に狩猟をする民族、
農耕民族で大平原で長期の歩兵戦を行う民族、
南洋で甲冑なんか暑くて着込めない民族のもの。

騎兵が強い弓を持ち、大軍で突撃するのには
重いフルアーマーも持ち盾も不要。
354日本@名無史さん:2006/06/09(金) 15:54:07
16世紀以降、火縄銃が普及した後も
盾を使って板の軍隊はバカの国だけ。

15〜16世紀のポーランド、モスクワ大公国、
オスマン帝国はその端境期にあっただけ。
355日本@名無史さん:2006/06/09(金) 21:53:02
唐突に近世日本がバカの国と言われても・・・
356日本@名無史さん:2006/06/09(金) 22:09:30
>>353
>モンゴル帝国軍も持ち盾なんか主要装備としては使っていないよ。
>同時代の日本武士が置き盾や持ち盾を使った程度以下だろう。

それはいい過ぎ。日本では鎌倉時代すでに手盾が廃れていたのに対し、当時のイランの細密画には
籐製の丸盾をもったモンゴル騎兵がしばしば描かれており、欽察汗国の墳墓からは手盾の破片が出土している。
モンゴルの中でも貧しい連中は剣すら持ってなかったようなので、主要装備といえるのは弓矢ぐらいだろう。

>持ち盾は大型の猛獣相手に狩猟をする民族、
>農耕民族で大平原で長期の歩兵戦を行う民族、
>南洋で甲冑なんか暑くて着込めない民族のもの。

ステップ遊牧民も戦争の際には手盾を使ってたよ。ロシアの考古学者ミハイル・ゴレリクの本によると
古代スキタイの時代から既にあったらしい。

>騎兵が強い弓を持ち、大軍で突撃するのには
>重いフルアーマーも持ち盾も不要。

甲冑や盾はべつに弓射の妨げにはならないのだが。
ただ腕部の防具は、間接の可動範囲を確保するためかロシア、中近東や中央アジアでは
肩甲とヴァンブレイスが一般的だったようだ。
それ以外では全身を覆う鉄のラメラー・アーマーなんかも用いられていた。
357日本@名無史さん:2006/06/09(金) 22:11:24
>>354
端境期というなら16世紀はどこもそうだよ。まだ火器の威力が防具を完全に圧倒するには至っていない。
西欧で盾使用が廃れたのは銃弾の威力というよりも、騎兵の場合は甲冑の発達、歩兵の場合は両手武器の
パイクと小銃が歩兵戦の主役になったからでは?
実際16世紀のスペインでも剣士隊やヒネーテは盾を使い続けているし、中近東やインドの絵画史料では
剣と盾をもって戦う歩兵が普通に描かれている。中国では19世紀まで籐牌が現役だった。
16〜17Cムガル朝の細密画
ttp://www.amazon.co.jp/gp/reader/0415239893/ref=sib_dp_pt/249-6542631-5451554#reader-link

また当時の防具が防がなければならなかったのは銃弾だけではない。弓矢や斬撃などもいまだ脅威だった。
フサールやストラディオトのような軽騎兵はスピード重視のためにろくなボディ・アーマーを着けていなかったので
唯一の防具として盾に頼らなければならなかった。
(ちなみにポーランドのフサールは軽騎兵と重騎兵の中間)
358日本@名無史さん:2006/06/09(金) 22:18:33
まあ、そいつらは馬鹿だからな
359日本@名無史さん:2006/06/09(金) 22:33:05
別板の某コテが、ビミョウに文体を変えて書き込んでいるようなキガス・・・
何で日本史板なのに日本の史料で反論せずに、板違いの小ネタが溢れているんだ?
360357:2006/06/09(金) 22:52:14
>>359
板違いと知りつつスルーできず申し訳ない、でも

>別板の某コテが、ビミョウに文体を変えて書き込んでいるようなキガス

いくらなんでも某研究者なんかと一緒にしないでくれ・・・
361日本@名無史さん:2006/06/09(金) 23:12:08
最近なりを潜めている武板の冒険氏ではなくて…

まあ、多くは語るまい

12〜13世紀に持ち盾は全世界的には廃れていた
持ち盾と甲冑に頼った北半球の旧帝国はモンゴル軽騎兵に敗れた
14〜15世紀にモンゴル軍が去った後でも持ち盾は地域によっては残っていた
元帝国と明帝国が全世界に伝えた銃砲により持ち盾はもちろん、
甲冑、メイス、フレイル、長槍、弓が順次姿を消していった

16世紀以降の大国では、細身の剣術や徒手武術が興隆した

持ち盾や長槍はシンボリックな装飾品や儀礼用に19世紀まで一部は残った

蛮族においても19世紀までは戦場でみることができた

現代では暴動鎮圧用程度に使われている
362日本@名無史さん:2006/06/09(金) 23:20:25
>360
いや漏れが連想したのは世界史板のコテ
某研と混同されて不愉快な思いをしたのなら申し訳ないm(_ _)m
詫び、というわけでもないが↓でもご覧くださいな。蒙古が手盾を用いているところが描かれている絵巻物です。(絵8)
http://www.museum.pref.kumamoto.jp/education/kyouzai/report/kaitou/01/index.html

もっともこの程度のことはご存知でしょうが(;^_^A
他の絵巻もwebで用意に観れる時代にならないと、このスレの思い込み厨を黙らせるのは中中に困難かと・・・
363日本@名無史さん:2006/06/10(土) 02:17:52
>>362
>。蒙古が手盾を用いているところが描かれている絵巻物です。(絵8)
腰のプロテクターのことか?
364日本@名無史さん:2006/06/10(土) 11:40:37
その絵に手盾ある?
よく分からない
365日本@名無史さん:2006/06/10(土) 13:38:47
むしろ蒙古軍が置き盾を並べているほうが目立つ
366日本@名無史さん:2006/06/10(土) 14:59:27
>>362
絵巻物や合戦屏風を根拠に出しても否定厨は素直に納得しないよ。
時間が経ってから描かれた物は信用できないだのなんだのと粗探して噛み付いてくるぞ。
367日本@名無史さん:2006/06/10(土) 15:11:27
一応言っておきますが、蒙古が持ち盾を使うかどうかはこのスレの本題ではありません。

そして今のところ、日本で持ち盾が使われたことを示す絵画資料は、このスレで挙げられたなかでは
法然上人のものだけです。
私自身もこれ以外に見たことがありません。
文献ではもう少しありますが、やはり少数と言わざるを得ません。
よって、日本では少なくとも律令制度の崩壊した平安中期以降は
持ち盾は主流ではないと考えています。
ここまではこのスレの多くの方は賛同して頂けているものと思います。


いやそうではない、と言う方がいるならば、根拠となる何らかの資料・記録を挙げて貰えると
議論になります。個人的にも興味あります。
でも、「(日本でも)持ち盾を使っていたよ」とだけ言われても議論になりませんし、
あまり生産的でもありません。
368日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:06:58
逆の立場からも同じことが言えるよね

ある時代の日本の一部(九州、四国、本州)で
盾を使っていなかったとソースを見せろ、とね
369日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:27:55
まず、ないことを証明するのは悪魔の証明です。
そこはご理解くださいね。

日本で持ち盾の使用が記録にわずかに登場するのみであり、現存する盾も古代のものである以上、平安中期以降の日本で持ち盾が一般的であったという仮説は出てきません。

何かまずいですかね?

370日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:31:27
それは言えないだろ。
371日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:34:02
日本の資料や記録に持ち盾がほとんどないのに、日本では持ち盾が一般的だったと判定する思考が私には理解できかねます。


372日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:57:02
別に衝立があれば十分だろう。時代劇みたいに戦場でチャンバラしてたわけじゃないしな。
373日本@名無史さん:2006/06/10(土) 22:48:23
>366
正しく。だから漏れは初手から見物をきめこんでいます。

古人の偉業をみて心をうごかされる者もいれば何も感じない者もいる。
(暗喩として)鴉の鳴き声を聞いて悟入できる者もいれば何も感じない者もいる。
前九年合戦絵巻や太平記絵巻を見ることで何事かを覚れる者もいれば何も感じない者もいる。

問題の所在をきちんと認識できていない者にとっては、太平記絵巻の成立年代こそ問題にすべきと
考えるのであろうが、その考え方こそがこの問題を拘泥させている元凶だとは理解できない。
理解できるのであれば何が問題なのかは蒙古襲来絵詞をみればわかる(苦笑

まぁ現物が現存しているのだから、絵巻物や合戦屏風のみを根拠にしているわけではないのだけど
僅かな知識のみを根拠に、先ず否定ありきの某コテを黙らせるためには相当な文量が必要なのでね。
まともに相手をしてやれば>366の言うとおり難癖をつけ、材料がなくなればこちらの質問には答えず逃げる。
常識が無いと説教してやればファビョル・・・
労力に見合う何事も漏れには無いのだから、知識の総量で正誤を決定するような愚かな試みに加わろうとは思わない。

そもそも“盾”の話は某コテが(本スレより下がっている)重複スレで質問に反応するというマナー違反を
起こしたのだから某スレが責を取るべきであろう。
漏れは某コテが踊り狂うのを眺めていることにするよ。

偶に茶茶はいれるがw
374訂正:2006/06/10(土) 22:53:44
起こしたのだから某スレが責を取るべきであろう。

起こしたのだから某コテが責を取るべきであろう。
375日本@名無史さん:2006/06/10(土) 23:52:16
お歯黒(平安時代〜江戸時代)なんかは
資料や実物がたくさん残っているのに
時代劇でも見ない。無かったような気も
するけど、確かにあった。

現実の合戦では、日本刀なんかよりはるかに
重要なウエポンだった投石についても同じ。

残存資料だけだと元寇から置き盾を
日本は学んだようにさえ思う奴もいるだろう。
376日本@名無史さん:2006/06/10(土) 23:52:40
>>373
某コテ云々など少々話が見えないのですが、つまり日本では持ち盾を使っていた、
もしくは一般的に使用されていた、という主張なのですか?
その根拠が蒙古襲来絵詞であると。
377日本@名無史さん:2006/06/10(土) 23:58:03
>>375
別に時代劇を見て、持ち盾はない、と論じているつもりはありません。

お歯黒については記録もあれば資料もあります。
合戦で槍鉄砲が使用されていたこと、その配分まで記録にあります。
絵画資料も現物も残されています。

ですが、持ち盾については(何度も言いますが)、法然上人のものしか描かれていません。
本当にそれしかみたことがありません。
ほかに資料があるならば挙げて欲しいと言っているのです。
文献では、このスレの上方で諸氏が言及されていますが、極めて少ないです。

>残存資料だけだと元寇から置き盾を
>日本は学んだようにさえ思う奴もいるだろう。

今まで、そういう人に出会ったことがありません。
あなたはありますか?

歴史板なのだから、記録・資料に重きを置くべきでしょう。
推測、仮説はそれにそれに基づくべきだと思います。

378日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:00:33
まとめ
【石器時代】
木の枝や蔓を組んで作った持ち盾。対人用と対熊用。
武器はクリップ式の石刃槍、石斧、長弓、棍棒、投石。
【青銅器時代】
木板の持ち盾。小規模戦闘時の矢よけがメイン。
ソケット式の銅矛とクリップ式の石刃槍、銅製直剣、
石斧、ボウガンと長弓、棍棒、投石。
【鉄器歩兵時代】
木板の持ち盾と置き盾。
クリップ式の長巻、鉄製の刀、長弓、手斧、投石。
【鉄器騎兵時代】
木製置き盾。
クリップ式の薙刀や槍、鉄製の刀、長弓、投石。
騎馬して楯を持ち、槍や弓を使えなかったことと
甲冑の進歩により持ち盾衰退。守城戦用に木製持ち盾は一部残存。
【火縄銃時代】
木製の置き盾、対銃撃用に竹束製の持ち盾や置き盾。
クリップ式の槍、鉄製の刀、火縄銃、大砲、長弓、投石。
守城戦用に金属製持ち盾は一部残存。
【明治〜昭和初期】
盾はほぼ消滅。塹壕や鉄メット、防弾チョッキ、装甲人員輸送車に替わる。
銃剣付き小銃、機関銃、突撃銃、大砲、艦砲射撃、空爆、火炎放射など。
【昭和後期】
盾は内乱鎮圧に使用された。ジュラルミン製。
【現代】
盾は防弾性を高めた複合素材製のものと、
非銃器暴動鎮圧用の樹脂製盾が用いられている。
379日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:01:46
>>375
一応整理しておくと、日本で持ち盾があったことは否定していません。
古代律令制の軍では持ち盾は主装備でした。
ですが、平安中期に武家が興った時点では、もはや持ち盾は主装備であるとは言い難い状況となっています。

ここまではある程度このスレ的には共通認識が得られていると思っているのですが。




380日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:05:13
381日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:05:34
>>378
ですから、まとめるのは結構ですが、なんらかの資料を基にしてください。

失礼ながら貴方の「まとめ」「整理」は、いつも記録・資料の裏付けが欠けていて
唐突過ぎます。
なので話が噛み合わず、論理展開もよく理解できません。
382日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:06:56
>>380
ですから現存する持ち盾は、古代律令制時の軍装であると何度も言っています。

383日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:11:33
古代の武器・武具・馬具
季刊考古学 第76号
特集 古代の武器・武具・馬具

古墳弥生時代から律令時代まで、とくに古墳時代を中心に、
強い影響を受けた朝鮮半島・中国をも視野に入れて
武器・武具・馬具の系譜や生産の問題を概説する。
武器は刀剣と弓矢、武具は甲冑と盾について述べ、
馬具は馬そのものの生産についても触れる。

ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9974946999

ご参考になれば
384日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:22:12
日本の律令制は7世紀〜10世紀。

その時代を古代というのは勝手だが、
欧州では中世だし、中国では唐代。
12世紀にはモンゴル軍が勃興し、
13〜14世紀には世界帝国を築く。

10〜11世紀までは持ち盾があり、
12世紀以降は持ち盾が廃れたのは
ユーラシア大陸では全体的な傾向。

重装歩兵(海兵隊?)のヴァイキングが廃れたのも、
軽装騎兵のモンゴル軍が台頭したのも時代の流れ。

日本が特殊だったわけではない。
律令時代までは持ち盾があり、
その後に持ち盾が急速に廃れたのは
どこでも同じ話だ。
385日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:36:09
>>384
通常日本史では平安期も古代に分類されます。
これに倣い、律令時代は平安期以前ですから古代と言っています。

人違いならば簡便して欲しいのですが、
あなたは持ち盾が日本史を通して使われていた、と主張していたのではなかったのですか?
火縄銃登場以前のマタギも持ち盾を使っていたと主張していましたよね?
386日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:44:40
何度も何度も言っていますが、古代日本(律令制まで)で持ち盾が主装備であったことは間違いないだろうと思います。
ですが、その後平安中期以降、武家が興った時点では持ち盾は主流ではなくなっています。
それはなぜなのだろうか?という問いとそれに対する仮説がこのスレの大半であったはず。
387日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:50:57
よって、>>383はその問いに対する記録・資料としてはずれていると言わざるを得ません。
古代日本の軍装を見るには良いけれども。

そのうえで付け加えるならば、現存する持ち盾も、銅鐸と同じで日本では装飾品・儀礼用として利用された可能性もあるため、
本当に戦闘で使用されたかどうか?という疑問はあります。

388384:2006/06/11(日) 00:55:07
>>385
>人違いならば簡便して欲しいのですが、
>あなたは持ち盾が日本史を通して使われていた、と主張していたのではなかったのですか?
>火縄銃登場以前のマタギも持ち盾を使っていたと主張していましたよね?
人違いです。

持ち盾は
12世紀前後に日本でも北中国でも欧州でも、
急速に廃れます。盾の内側を攻撃できるフレイル、
盾ごと破壊するメイス、楯や甲冑を貫く強力な弓や弩、
強靭な槍、高性能な甲冑、騎乗して推進力を生かしての刺突、
それらを原因として消えていきます。

また長期に及び城塞都市相手の大規模歩兵軍による包囲戦などが
火砲の登場(14世紀)により、その姿を大きく変えたことも
大陸で持ち盾が廃れたことの理由になりました。

「なぜか」ということへの回答です。
大陸での部分を除けば、それが回答です。
389日本@名無史さん:2006/06/11(日) 01:10:58
>>388
人違いならば失礼しました。
たびたび登場する、>>172>>378の発言者かと思ったためです。

中国北部(おそらく遊牧民族のことでしょう)と持ち盾の関係は私は詳しくありませんが、
欧州でも日本でも持ち盾が衰退していったという点は同じ意見です。
ただ、日本では12世紀よりもかなり早い時期に廃れたであろうと推測します。
推測の理由はやはり文献・絵画資料での扱いの貧弱さです。
この辺は大鎧の出現と同様に、10〜11世紀に資料的空白の期間があり、前時代からの連続性が見えません。
欧州もそうであるように、日本でもおそらく甲冑の発達が持ち盾の衰退を促したのでしょう。どういうわけか日本では
甲冑(含胴丸、腹巻)が比較的早くから普及したためであろうと。
これを裏付ける資料を探しているのですが、良い資料がありません。


390日本@名無史さん:2006/06/11(日) 01:39:47
>>389
>この辺は大鎧の出現と同様に、10〜11世紀に資料的空白の期間があり、前時代からの連続性が見えません。
日本史の謎の部分だ。ミッシングリンク。
冊封という中国の属国から独立国になる流れが決まった
重要な時期なのに資料が少ない。ドイツなどの剣術資料も
この時期以前のものがなかったりする…。ローマ時代との
間が欠落していて、後世の研究者を困らせている。
391日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:03:03
日本は最初から独立国ですが・・
392日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:14:19
突っ込みどころはそこでは無いような・・・
393日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:46:06
ローマ時代とドイツ剣術の間、どんだけミッシングリンクなんだよと。
何世紀も

時間的にも地理的にも差がありすぎ!


>>391
こんな感じすか
394日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:51:04
>>391
>日本は最初から独立国ですが・・
九州以北東北以南は室町時代までは中華帝国の冊封地域です。
沖縄は明治時代まで中華帝国の冊封地域です。
395日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:53:36
Wikipedia 冊封

南北朝時代、自勢力の正統性を証明する為に懐良親王などが
「日本国王」として冊封を受けた。室町時代になると、倭寇
撲滅など明との貿易を意識した3代将軍足利義満が朝貢して
「日本国王」に冊封され、室町幕府が滅びるまで朝貢形式の
勘合貿易が続く。従属的な朝貢形式の貿易は日本のメンツを
傷つけるものとして4代将軍義持の時に一時中断されるが、
莫大な利益をもたらした明との貿易と幕府の財政状況の悪化を
考慮し、6代将軍義教の時に再開。国内の商人や倭寇に中国人も
多数いたためか明側の要望もあり、その後、室町幕府が滅びるまで続いた。
396日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:58:22
蝦夷の王も7世紀に冊封を…
397日本@名無史さん:2006/06/11(日) 03:08:57
スレとは違う話題で荒れる予感。。


あれあれ
398日本@名無史さん:2006/06/11(日) 06:40:33
中国の皇帝からの国書に「日本国王」とあって、この国・王とあるのは
直接の服属国でなく被冊封国ではない、不臣の意味もあるらしいよ。
中華の中心円から離れる野蛮といえば・・・
399日本@名無史さん:2006/06/11(日) 09:46:42
中国の周辺属国としての日本地域は…
琉球(台湾、沖縄、奄美)、倭(九州、四国、本州南半分)、
蝦夷(本州北半分、北海道、樺太)。

倭が冊封から離れたのは室町時代の終わり頃。
400日本@名無史さん:2006/06/11(日) 10:25:42
室町時代の国号が倭?。

「新唐書」日本伝  
咸亨元年(天智九年、六七〇)、遣使賀平高麗。
後稍習夏音、惡倭名、更號日本。使者自言、國近日所出、以爲名。
401日本@名無史さん:2006/06/11(日) 10:59:40
>>399
いろんなものがごちゃごちゃです。

スレ違いに付きいちいち言いませんが、近代以前の日本を語るときに
琉球やアイヌ(或いは蝦夷)は分けて考えないと混乱の原因になりますよ。
なんども忠告しているはずです。
402日本@名無史さん:2006/06/11(日) 11:09:47
分けるのがおかしいと何度も指導しているぞ
403日本@名無史さん:2006/06/11(日) 11:13:12
404日本@名無史さん:2006/06/11(日) 11:15:24
何度も指導?
私は指導された覚えはありません。
そのような言葉はこのスレで今始めて聞きました。

それで、分けてはいけないその理由は如何に?
現代の日本の国境線を過去(近代以前)に当てはめて、北日本、南日本と称しても
誤解を招く原因と思っているのですが。
琉球は琉球、アイヌはアイヌと称すれよいだけのこと。
それが他文化を認めるという態度でしょうし。
405日本@名無史さん:2006/06/11(日) 11:19:03
>>403
一応、史実の人かと思いますが、そのイラストの武装はあまり信用できないと思います・・。

406日本@名無史さん:2006/06/11(日) 11:21:33
日本は全土アイヌの国だったんだから
蝦夷が大本、琉球が次いで古く、倭は新興だろ。
407日本@名無史さん:2006/06/11(日) 11:30:00
はい?
いまのところ、日本古代史を「〜こうだ」と断定できる人はいません。
日本人のルーツは有史以前に遡り極めて多様です。

そもそも、それが事実として、それと今までの話とどういう関係があるのですか?
古い国をさしおいて、新しい「日本」で呼びましょうということすか?
あなたの論理展開はいつも唐突で分かり難いです。
ポンと単語を出したり、羅列されても私はあなたではないので分かりません。
会話を成立させるのが難しい・・。
408日本@名無史さん:2006/06/11(日) 11:30:25
「日本的」であるとは先ずはアイヌ的であり
次いで琉球的であり、最後に倭的であることだ。
日本史を語るとは、アイヌ史を語ることであり、
次いで琉球史を語ることであり、最後に倭史を語ることだ。
409日本@名無史さん:2006/06/11(日) 12:19:34
厨っぽい疑問ですまんが
アイヌが中華の冊封下で
いるメリットって何?
410日本@名無史さん:2006/06/11(日) 12:39:43
盾がないよ。
411日本@名無史さん:2006/06/11(日) 13:30:24
琉球は12世紀まで文明がなかった。
412日本@名無史さん:2006/06/11(日) 14:46:53
413日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:02:50
沖縄には3万年前から人が住む。
旧石器時代から福建や九州と交流していた
ことが出土品から判明している。
彼らは黒潮に乗って南から沖縄にきたのか?
それともその時代に日本全土に住んでいた
アイヌの先祖が取り残されたものなのか?
台湾北部の山地に住む沖縄人と同じな小種族は
北から来たという伝承を持っている。
まだ根拠は少なく、調査が待たれる。
琉球が中国史に登場するのは8世紀だ。
414日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:28:34
ちょいとそこの旅人さん、話があるですがね。


冊封体制が語りたければ、こちらへいらしてください。

【古代足利義満】日中冊封関係史★2【電波】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1142495882/l50


日本人のルーツが語りたければこちらへ。

日本人の先祖って
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1007903243/l50


沖縄が語りたければこちらへ。

【沖縄】第二尚氏王朝は沖縄人の王朝ではなかった
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1104776763/l50


合言葉は、『電波なら、専用スレで 好きなだけ!』

カタギのものに迷惑をかけてはいけやせんぜ
415日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:34:08
おまけにもう一つ。

鎌倉武士はアイヌと近縁である
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1149868119/l50

416日本@名無史さん:2006/06/11(日) 15:58:48
この話題、またやってたのかwww
417日本@名無史さん:2006/06/11(日) 16:00:06
まとめようよ

大陸も日本も12世紀より前には楯を使ってた

日本には金属兵器が来たのが大陸より大きく遅れたので
青銅製の矛や木盾の活躍する期間は短く、戦車は来なかった。
そのため大陸に比べて楯の資料も残存遺物も極めて少ない。

13世紀を過ぎると大陸も日本も盾なんか使わなくなった
矢や投石をよけるのに木板製の置き盾を使ったり
城や砦を守るのに対銃弾を意識した金属楯は少しだけ使われた

古代西洋や中東が舞台のチャンバラ映画、北欧バイキング映画、
ハリウッド映画でのアフリカの土人襲撃シーン、
東南アジアなどの鎧を着込めないほど高温多湿な土地での
籐製の楯が出てくるのを見て、「なぜだろう?」と思うのは自然だけど、
そもそも、日本が特別に楯を使わなかったわけではなく、
青銅兵器と鉄製兵器がほぼ同時に伝わったため、
1.軽量で丈夫な鉄を利用した甲冑があるのに楯を使う必要がなかった
2.青銅兵器より鋭利で丈夫な鉄製兵器(矢を含む)は強力で楯は役不足だった
3.中国で4世紀に発明された鐙が金属兵器と同時に入ってきたため
 騎乗したまま矢を射たり、槍を抱えて突撃できるようになったため
 歩兵の楯が陳腐化した
といった理由で、楯を使う時期が短かっただけ。

>>1 の問題提起自体が誤解に基づく誤りと言うことだ。
418日本@名無史さん:2006/06/11(日) 16:16:59
鐙(あぶみ)が欧州や東アジア周辺部に本格的に伝わったのは13世紀以降ね。
419日本@名無史さん:2006/06/11(日) 16:48:23
>>417
もちろん、それはあなたの思い込み史観のまとめだろ?


まとめ厨
420日本@名無史さん:2006/06/11(日) 16:49:52
清国では17世紀でも盾を使ってますが・・・
421日本@名無史さん:2006/06/11(日) 16:54:26
なんで武器スレになると、壊れたテープレコーダーみたいな奴とか、
ピントはずれの話題を延々と話す奴とか、
勝手にまとめを羅列して自己満足に浸る奴とかが沸いてくるのか?


議論というものができないのかよ。
まるで欠陥ロボットが会話しているようだ。
422日本@名無史さん:2006/06/11(日) 16:56:45
山野氏とかいた頃がまだよい。
文献に即して語ってくれるから。
423日本@名無史さん:2006/06/11(日) 17:20:46
中華王朝では、周辺国は中華の徳をもって治めることが建前であって
中国の史書ではどんなに無理があろうと、周辺国からの使節はみんな『朝貢』であり、周辺国はみな冊封体制だと記録する。

それがデフォルトであることを理解しないと。
424日本@名無史さん:2006/06/11(日) 17:39:33
( ^-^)つ竹の持ち盾

軽い、剛健、製作簡単
425日本@名無史さん:2006/06/11(日) 17:53:55
コスト安っも入れないと。


でも使い方としては、あくまで小型の弾除け、矢除けだから、接近戦になれば捨ててしまうものっす。
426日本@名無史さん:2006/06/11(日) 17:55:30
>>420
>清国では17世紀でも盾を使ってますが・・・
その時代に
日本でも置き盾はその時代に使っていただろ。
威嚇や儀礼の目的では中東や東欧でも使ってたし、
東南アジアやアフリカでは小規模戦闘には近代まで使っていた。

大国の正規軍が楯を並べて実用品として使った時代は12〜13世紀までだよ。

話を「鐙」中心に話すね。

中国での「鐙(あぶみ)」の発明が、騎兵の戦力を飛躍的に大きくした。
騎兵は鐙を踏みしめて弓や長柄の刃物を振り回して戦えるようになった。
それで盾はユーラシア全域で衰退したんだよ。
427日本@名無史さん:2006/06/11(日) 17:55:59
>>421
お前の頭が悪いだけだよ。
428日本@名無史さん:2006/06/11(日) 17:57:57
おまえもな
429日本@名無史さん:2006/06/11(日) 17:58:47
>>426
>その時代に
日本でも置き盾はその時代に使っていただろ。

置き盾の話はしてねえよ
430日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:02:17
鐙が発明されたとする時期は約4世紀、盾が衰退した(と言っている)のが12世紀。

時間差ありすぎ
431日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:10:12
>>430
鐙が中国で発明されたのは4世紀。
ユーラシア大陸全域に鐙が広く伝播したのは13〜14世紀だよ。
432日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:17:44
念のため

一ノ谷の戦いは12世紀末、
元寇は13世紀、
武田の騎馬軍団は16世紀、
伊達の騎馬鉄砲隊は17世紀。
433日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:19:32
蒙古も持ち盾もって突撃しとるがな
434日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:21:25
伊達の鉄砲騎馬はゲームの世界っす

435日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:28:01
武田の騎馬軍団も騎兵隊にはあらず、というのが主流ですぜ。

■  昔から疑ってかかっていた日本史の通説  ■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145427487/l50

そもそも騎兵集団が活躍(機動力の発揮)できる地形というものがある。
もちろん平原であって、それを日本でやろうとしても無理。
障害(山地や泥地)で速度が鈍る。日本は平原が少ない上に戦場となるのは山城が圧倒的に多い。
速度の落ちた騎兵は歩兵の餌食。

日本では、騎馬武者が突撃する際は周りに徒歩の武者をセットで引き連れて突撃するのが一般的。
どうせ速度が鈍るならば歩兵をセットにしたほうが、騎馬の弱点を補えるためだろうな。
436日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:42:10
日本の馬は小さいからね。

だけど、鐙の伝来が騎兵の群れを生み、
戦術や戦略を大きく変えたのも史実だ。

日本の馬がミニサイズだと言うが、
13世紀にワールシュタットで
欧州初稿連合軍が元軍が跨ってたモンゴル馬が
小さいことを大笑いしたそうだから、馬のサイズが
騎馬戦が出来たかどうかの根拠にはならないだろうけど。
欧州軍は大馬に跨った立派な甲冑騎士、
蒙古軍はチビ馬に跨った軽装の弓騎兵。
437日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:46:45
というか騎馬武者は弓矢遠距離攻撃、敵が接近してくると郎党の徒武者が薙刀で撃退という感じ。


盾を持てる筋力を使うなら、もう片手にはそれだけの重さの武器しか持てない。で、日本刀は刺突に向いているのだろうか?

防御に優れた盾と短剣タイプ(ハルバードやフレイルなら盾は無力化される?)、リーチの長い薙刀タイプ、どちらがおすすめですか?
438日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:47:51
>>433
元帝国の主力騎兵軍団は持ち盾なんか使っていないよ。
持ち盾をほとんど使わないこと、甲冑も最小限なことが元騎兵の特徴。

朝鮮半島で拾ってきた現地高麗人の土民兵とかの盾はあっただろうけど。
立派で派手な装備で威嚇が得意な宋農民兵の化粧盾とかね。
439424:2006/06/11(日) 18:58:02
>>425
え?矢除け投石除け弾除けだけだとダメなの?

合戦のはじめに持ち盾を用いつつ敵陣に接近、近付いたら盾を放棄して乱戦へ突入ってのは攻城ではありうると思う。
もちろん使い捨ての安物だから価値無いし、わざわざ保存しておく必要も無いけど。

攻城戦ではなく、野戦白兵戦での持ち盾について論じてるんでしょうか?
440日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:08:22
>>439
投石や持ち盾は、江戸の侍ファンタジー娯楽の中で
切り捨てられ、忘れ去られたんだよ。フレイルとかも。
441日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:10:10
>>437
鎌倉期以前の騎馬武者ならその通りで、騎射が廃れ始める鎌倉末期あたりから
室町あたりには騎馬武者の突撃が行われている。

>>439
もちろん別にダメってことはないす。
使用方法が若干違うことを言いたかっただけでござんす
442日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:11:26
>>440
その話100万回聞いたからもうだまってろ
443日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:21:26
>>440
ファンタジー娯楽で切り捨てられた持ち盾をおまえはどこで眼にしたんだよ。

すでに鎌倉期には主流じゃないのだから江戸の講談で切り捨てられても仕方ねえな
444日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:32:19
江戸時代の侍ファンタジーで切り捨てられたもの

1.持ち盾(素朴な木枝盾、木板盾、鉄製盾)
2.投石(素手、投石紐、投石器)
3.手投げ矢(素手、投げ棒)
4.手投げ小刀(尾羽、尾布、尾紐が付いている)
5.フレイル(大型の稲こき棒)
6.棍棒やナタ、手斧やマサカリ
7.対侍戦闘用具としてのハシゴや大八車、投網

江戸時代の侍ファンタジーの中からわいてきたもの

1.鉄扇
2.印字打ち
3.手裏剣
4.居合い
5.個人用フレイル(鎖鎌、乳切木、万力、振り杖、微塵)
6.合気
他.畳の縁を叩いて畳を立てる…
445日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:35:08
侍ファンタジーではないけど
喧嘩煙管とかも江戸時代の流行。

小柄を使った手裏剣というのも酷い噴飯ファンタジー。
446日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:37:37
>>444
その話もう99万回聞いたからだまってろ


何度も何度も同じもの見せられるのはまるで拷問だぜ
447日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:39:15
ファンタジーファンタジーとうるせえんだよ


時代劇批判がしたいなら違うところでやれってこった。

448日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:39:31
>>444
焙烙玉も入れて〜
449日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:40:23
ファンタジーって中国武術のことでしょ?

中国拳法=オッサンが適当に妄想して作った武術
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1112626040/l50
450日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:45:42
江戸時代の侍ファンタジーの元ネタの多くは
明代や清代の中華武術だから当然だよ

武術傘なんてものがあったり、飛銭術とか
日中共通のへんてこ武術だよ
451日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:47:57
>>448
>焙烙玉
最近、元寇の合戦場近くの海底から
モンゴル軍の遺物として発見されてるね。
ディスカバリーチャンネルの番組で見たよ。
452日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:50:05
ヘンテコ武術を探して100万里。好きだね、そういうのが。
欧州にもたくさんありそうだな。
騎士のトーナメントなんかファンタジーの結晶だろうな。懐古趣味。

でも、おまえが一番ファンタジー世界に詳しそうだ。
453日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:52:07
焙烙球といえば普通は戦国期の火薬兵器を指す。

元寇時の蒙古軍の通称『てつはう』は、まだそれほど殺傷力はない。

454日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:53:08
長いスレだが、相変わらず何のスレだかわかんねえ。
相変わらず脱線しまくり。
455日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:54:03
えへへ。実は好きだよ。

侍ファンタジーマニアが高じて、
中華武侠もインド古武器も欧州騎士の世界も
楽しんでるよ。近代兵装や現代軍事のマニアでもある。
456日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:00:21
散々否定しているくせに、おまえが一番ファンタジー厨じゃないか・・・。

そういうのが一番トンチンカンなんだよw
大事なものもつまらぬものも、あれもこれも知識を披露するから
結果として何が言いたいのか分からなくなる。
ヲタの典型
457日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:13:06
チャンバラファンタジーは好きだけど、
実際にリングで戦う格闘技オタでもある。
古式型や套路を練習している武術愛好者でもある。
拳銃やナイフの海外コンバットスクールにも参加する位。

だから、ファンタジーとリアルの区別はいつも付けようとしてるよ。
458日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:20:06
でも、ついつい混同してしまう。

そんなカワイイ46歳(独身)。
459日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:22:13
まともな奴はみんな去った。
残っているのはカスばかりだ。

このまま突っ走るぞ
460日本@名無史さん:2006/06/12(月) 02:04:20
>439
正解。
日本では野戦より攻城戦の方が圧倒的に多い。
そして攻城戦は高低差のある山城攻めが圧倒的に多い。
必然的に日本では、攻撃時に(一般的分類としての)掻盾を使用することは少なくなる。

攻城戦のイメージは、今週TV放映される浅間山荘事件なんかが参考になると思う。(多分・・・やっぱ駄目かな・・・)
漏れの記憶が確かなら太平記絵巻の図柄と絵的に似たシーンがあったように思う。

もっとも大坂攻めのときに家康から拝領された鉄盾なんかは戦場で簡単に捨てられる性質のものでは無く
城方が逆襲にでたときはこのスレ好みの持ち盾形式の壮絶な戦闘が行われていただろうが(妄想

このスレの基本的な問題点は二つ。
一つは絵画史料のイメージに引き摺られている事。
もう一つは大陸のスタイルを払拭せずに(日本と大陸の違いを明確に区別せずに)混同している事。

日本と大陸が毛色の違った軍事システムで構築された事は、秀吉の唐入りの際、明の将軍李如松が端的に表現している。
以下、日本において持ち盾と掻盾の区別が何故無意味なのかの説明は長くなるので省く。

問い。なぜ日本人は盾を持って戦わなかったのか?
回答。ほとんどの戦場で使用されていた。

問い。なぜ日本人は持ち盾を使って大陸のような戦い方をしなかったのか?
回答。日本の戦術は国内の戦闘条件に最適化していたから。
461日本@名無史さん:2006/06/12(月) 07:28:46
462日本@名無史さん:2006/06/12(月) 07:30:31
>>460
戦術面からの見方、ということですな。
戦術面からみて、日本と大陸のスタイルを明確にすることは必須ですな。
持ち盾云々というよりも、戦術の違いを論じるスレがあると個人的には面白いですね。
例えばしばしば例として挙げられる蒙古の騎兵も、平原に最適化した軍団編成でしょう。
事実、平原の終わり、ベトナムやインド、日本ではそれまでの速度が鈍り苦戦しています。
高麗の済州島にたてもこった三別沙など、制圧するまでに数年を要しています。



463日本@名無史さん:2006/06/12(月) 08:55:47
>4 今さらだが突っ込んでおく。おいっっ!
464日本@名無史さん:2006/06/12(月) 16:16:48
>>463
あ、それおれ。 しかしなんで今さらw
465日本@名無史さん:2006/06/12(月) 16:18:06
460
明の李如松が日本軍をどう表現していたか、よかったら示してもらえますか?
軍隊編成について興味あります。
日本で当たり前のことは国内の記録に残りにくいから外からの表現は面白い。

盾から離れて、ちょっとわき道しても許されると思います。
このスレずっと脱線しまくっているから今更平気
466日本@名無史さん:2006/06/12(月) 19:09:47
脱線していいなら、なぜ弩が廃れたのかもチョットだけ語って欲しい。
467日本@名無史さん:2006/06/12(月) 19:25:51
何かにつけて時間と手間がかかるから
468武芸からきました:2006/06/12(月) 20:19:38
とりあえず、ここを読め>>6
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage55.html
469日本@名無史さん:2006/06/12(月) 20:47:09
>>466
集団歩兵戦用の武器だから。
470日本@名無史さん:2006/06/12(月) 21:02:41
>>466
小回り効かない、速射ができない。
日本の戦の大半を占める山岳戦やゲリラ戦チックな戦闘には不向き。

日本で大砲が普及しなかった理由に似ている。
471日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:07:43
472日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:11:04
弩(クロスボウ)は東北以北に暮らしていた
アイヌ人、ウィルタ人、ニブヒ人が使っていたよ。

ヒグマや鹿を狩るための仕掛け弓としては近年まで使われていた。
北海道登別の熊牧場の資料館で実物を見ることができるよ。
473日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:13:07
>>471
いいことが書いてあるねえ

>クロスボウはあらゆる甲冑に対して効果があり、
>比較的、使用が容易だったからです。クロスボウは
>ヨーロッパに伝えられると、山賊や用兵たちの間に
>広く用いられるようになりました。

山岳戦やゲリラ戦チックな戦闘に向いてたんだね。
474日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:23:21
弩は春秋戦国時代の中国で発明され、
12世紀に欧州に伝えられた。

欧州でクロスボウが普及した時期と持ち盾が衰退した時代、
十字軍やヴァイキングが衰退した時代は重なるね。

連射性に優れる短弓を装備し、
鐙を踏みしめて騎乗した軽装モンゴル兵が
世界帝国を打ち立てたのはその直後だ。
475日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:47:19
>>473
まあクロスボウを用いたフランスは長弓兵のイングランドに負け続けているけど・・。


話がループしとる
476日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:51:42
>>473
何のリンクかと思ったら、ミニチュアのペイントのやり方じゃん。
それって、戦国武将フィギュアの説明をここにリンクするようなものだよなw
477日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:52:03
集団ストーカーというのがよく話題になりますが、これを実施しているのは警察です。
部落民・朝鮮人というのは秘密の連絡網を持ち、秘密結社を形成していますが、
公安警察がこれを利用しています。
公安警察というのは部落民と朝鮮人によって成り立っていますが、彼らのネットワークを利用して、
一般人に嫌がらせをするというのが、集団ストーカーの正体です。
つまり、実行部隊として動いているのは、部落民と朝鮮人であり、命令は警察から出ています。。
部落解放同盟と警察はベッタリの関係ですからね。
また警察と朝鮮人は「警察=パチンコ=北朝鮮」というラインで繋がっています。
標的がどのようにして選ばれるのか、そういったことは不明です。
よって、集団ストーカーの被害を警察に訴えても、全く無意味です。
北朝鮮問題の解決とは、警察を北朝鮮の影響下からいかに脱却させるか、ということでもあります。



集 団 ス ト ー カ ー を や っ て い る の は 警 察 で す

や っ て い る 実 行 部 隊 は 部 落 民 と 朝 鮮 人 で す
478日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:52:48
>>472
狩猟で使うのもアリなの?
479日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:54:53
>>461で、スレが再びまともに回り始めるかと思いきや、再びクソスレ化してきました。

やっぱ武器ヲタクが入るとダメだな。
480日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:59:43
クロスボウのフランスはイングランドに負け続け、
弩を使う明軍は日本軍に負け続けた。

武器ヲタの屁理屈よりも史実は残酷だ。
どんな仕掛けがあっても運用なくして、人は殺傷できない。

481日本@名無史さん:2006/06/12(月) 23:29:41
クロスボウは特殊部隊やゲリラ戦、甲冑武者暗殺、遠距離狙撃用だろ。
曲射弾道で矢幕を張るような大規模戦闘には弓が向いていることは元軍の世界征服が証明している。
482日本@名無史さん:2006/06/12(月) 23:34:23
つまりクロスボウは脇役。


特殊部隊って何さ。いったいいつの時代だよw
イングランドに負け続けたフランスはクロスボウを狙撃用に使ったわけでもないし、特殊部隊が射たわけでもないw
483日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:17:18
装填に時間かかりすぎるよね、
484日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:38:11
2500年前の昔から
第二次世界大戦でサイレンサー軍用銃が実用化されるまで
クロスボウは各国の特殊部隊で使用され続けてきたよ

現在も、高酸素分圧空間内、宇宙空間内などでの
戦闘に使用が検討され続けているよ
485日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:44:21
武器は適材適所に用いるもの

クロスボウで弓と大規模正面戦闘をするのはバカ
486日本@名無史さん:2006/06/13(火) 06:24:19
アホは宇宙でクロスボウやってろよ

487日本@名無史さん:2006/06/13(火) 07:53:02
頭の悪い武器ヲタはすぐに関係ない知識を並べるからスレが劣化する
488日本@名無史さん:2006/06/13(火) 08:31:07
鎧通しを装備した盾って
ゴツくて怖いよな
489日本@名無史さん:2006/06/13(火) 08:35:01
【政治】"脱北者の保護・支援に努める" 与野党が「北朝鮮人権法案」で一本化…今国会で成立へ★6
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1150066359/

テラヤバス!北朝鮮人権法案
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/recruit/1149957738/l50


朝鮮人が大量移籍+重税を防ごう(;´Д`)ハアハ
http://ex11.2ch.net/test/read.cgi/campus/1149991616/l50


皆さん 日本 が 大変です!!!!!

北朝鮮の難民が大量に日本に移籍し この国の財政を圧迫し

税率が大幅にアップします

これを防ぐためにも・・・抗議活動をしましょう!!!

情報統制がされていて 一般のマスメディアにはまったく 流れません!!!


これを色々な板の色々なスレに貼ってくれ!!!!!
490日本@名無史さん:2006/06/13(火) 08:49:13
>>484
つかおまえ、以前に刃物版の
朝鮮刀問題【その弐】スレにいた鈍器儲の馬鹿だろ?w
491日本@名無史さん:2006/06/13(火) 09:01:06
盾とボウガンを手にした
宇宙戦士ものでも観たんだよ

無反動兵器とか
電子兵器が使えない
磁気嵐が吹きまくる
惑星での戦いとかね
492日本@名無史さん:2006/06/13(火) 14:34:12
>>485
兵馬俑から出た飛び道具は、圧倒的に弩が多くなかった?
493日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:23:50
イングランドフランスのときは、ボウガンは1分間に一発、長弓は1分間に6発
494日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:52:55
1だけ見てレスすると、槍も弓も日本刀も両手で使うからジャマイカ?
495日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:35:21
あっ、それだ
>>1>>494だけをみてレスするわけだが
496日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:26:36
>>492
立派に見えるから、自慢だろ。
497日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:28:08
>>493
イングランドは長弓を使ってて、持ち盾は使わなかったの?
498日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:44:19
>>480
イングランドも日本も武器云々じゃなくて猛烈に凶暴だから強かったんだよな、
きっと。 現代ではイギリス人も日本人も紳士というイメージがあるけど、
凶暴でモラルのある人種は戦争が強い! 凶暴=残酷って意味ではないよ。
朝鮮人なんか残酷で卑怯の極みのような連中だけど戦争弱いから。
侍っていろんな武器使えなきゃいけないから盾は邪魔だったのかなあ?
攻め重視、攻撃力重視の考え方だったのかねえ?
499日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:13:20
またえらく初歩的な奴がきたな。
持ち盾なんかにいつまでもしがみついている国は、国力のない国。
甲冑(雑兵は胴丸、腹巻の類)が大量生産できないから、盾で間に合わせているだけ。
両手が開けば、なんでも使える。
500日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:21:31
で、イングランド軍が長弓と持ち盾を使ってた矛盾はどう説明するの?
501日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:34:04
なぜそれが矛盾なのか、順を追って説明しろ。

説明能力がないと社会ではやっていけない。

502日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:22:43
長弓が短弓に劣るのは明白なのに、中世日本はなぜ長弓にとどまったのか。
長弓より威力と精度に勝る弩は、中世日本でなぜ普及しなかったのか。
投げ槍は、中世日本でなぜ普及しなかったのか。
日本刀は目釘と柄の強度が致命的に弱いのに、なぜ改善されなかったのか。
日本武士はなぜ大小二刀を腰に差すことにこだわったのか。
日本槍は石穂槍同然のクリップ式のままでパイク槍になぜ進化できなかったのか?

不思議な点は多い。
503日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:25:35
新しくランキング始めました。
いろいろな見解をお聞きしたいので、
投稿をお願いいたします。

http://web123.breeze.jp/rank/index.shtml
504日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:28:11
>1しか読まないでレスすると古代には持ち盾使ってた。
505日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:36:09
鎌倉以前の武士は、何故馬上で2メートル以上ある長弓を使う事にこだわったのか?
506日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:58:04
>>502

>長弓が短弓に劣るのは明白なのに、中世日本はなぜ長弓にとどまったのか。
兵器の性能は運用次第で変化するのは常識。
短弓のメリットは馬上で使いやすいこと。長弓のメリットは距離と威力。
ボウガンはさらに威力があるが、速射性悪し。
後は地形と運用次第。
初歩中の初歩。

>長弓より威力と精度に勝る弩は、中世日本でなぜ普及しなかったのか。
上に同じ。

>投げ槍は、中世日本でなぜ普及しなかったのか。
意味がないから。
持ち盾が主流じゃないから、その盾を潰す必要がない。
盾ではなく兵自身を狙う武器としては、間合いも殺傷率も中途半端。
結局、投槍は持ち盾と同じくらいマイナーな武器であり、運用にとどまる。

>日本刀は目釘と柄の強度が致命的に弱いのに、なぜ改善されなかったのか。
日本だから仕方がないが、ここには日本刀の話しかない。
切れた、折れた、曲がった、目釘折れた・・。
じゃあ、ほかの刀は、折れず曲がらず壊れないのかと。
日本刀と比較すべき刀剣のデータが少なすぎ。
それに馬鹿の一つ覚えのように目釘が欠陥商品の代名詞のように言っているが、
目釘は腕へのショックを吸収する優秀な仕組み。
目釘が折れた話ばかり集めて、日本刀を脆弱呼ばわりするのは日本刀マニアではない俺も腹立たしいw
蛇足だが、室町期まではむき出しの柄に縄や紐巻きで振りまわす習俗もまだ残っていた。
でも使い勝手が悪かったのだろう。戦国末期にはほぼ消えた。

507日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:59:11

>>502
>日本武士はなぜ大小二刀を腰に差すことにこだわったのか。
鎧通しのような小刀を含めれば戦場では二本どころか、三本も四本も持つ。
戦のない江戸期でも二本持った。江戸期は二本差しは武士の特権。
一本は自裁用という人もいるが後世のこじつけだろう。
理由は、一本がダメになったときの代用。戦国期は太刀と打刀、後は打ち刀と脇差。
新撰組の某も、この理由で長い脇差を好んだとか。

>日本槍は石穂槍同然のクリップ式のままでパイク槍になぜ進化できなかったのか?
クリップ式ってなんだ?茎(なかご)のことか?自分用語を使うなよ、ガキじゃあるまいし。日本の槍の穂先は古代のソケット状から、茎式に進化した。
理由は強度補強のため。突くだけならば大した違いはない。
長柄の武器で対象物を打った場合、穂先と柄の結合部にかかる負担はかなりのもの。
これを補強するため、茎を長く作り、これを柄に差込み、その周りを鉄板その他で固めた。

>不思議な点は多い。
不思議な点はお前の脳みそ。
日本の槍を石槍同然のクリップ式ってw

こいつは同じ内容の「自分用まとめ」を繰り返し繰り返し書き続けるのだろうなw
これだから武器ヲタは迷惑なんだよ。
会話に成立しねえ。
508日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:09:31
クリップ式の槍が打撃に強いなんてバカの戯言

日本や南洋の小国のいくつかだけが、
ソケット式について行けずに
クリップ式に戻ったんだよ

どうして斧など打撃用ヘッドの付いた槍を
考案したり採用できなかったかが謎だろう

また打撃用の長柄の武器や
長柄のフレイルが普及しなかったのかも謎だ

日本の武具は種類が少なく、
作り方も簡易なものが多い
509日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:10:49
槍か長刀(薙刀)


刀より先だろが!


後、飛び道具の弓


名を名乗り死ぬ馬鹿なす。
510日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:13:24
日本武士はなぜ大小二刀を腰に差すことに
こだわったのか、については謎のままだ。

タイ北部のアチャン族と
日本のヤマト族だけが
鉄刀が伝来して少し経つと、同じように
少し湾曲した細身の刀を二刀差しする
スタイルを好んだ。不思議である。
511日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:15:23
そういえば、少し前の武板で

クリップ式の日本槍が打撃に強いなんてバカの戯言を垂れて
嗤われてたのは 507 か。

いつまでもバカが直らないみたいだな。
512日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:18:33
お前さんの言うクリップ式がなんだかしらねえが、
日本の槍は甲冑武者相手に、打つ、斬る、払えるができるように工夫されているからな。

石器時代の石槍の穂先と、戦国期の槍のつくりを同一視できるお馬鹿さんには、理解できないだろうが・・

513日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:22:11
ソケット状の穂先は横殴りの衝撃に弱いというのは、常識だと思っていたようだが、
反対に考えているお馬鹿さんもいるようだw

そのため西欧の打撃武具では長さを押さえ、またソケット状の部分を延ばす或いは補強具を付けるなどしてこれを補っている。
ソケットそのままで打撃に使えるなら、日本国中が袋槍になっているよ。安いし簡単だし。
514日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:29:05
「槍」という漢字一文字でも
それが日本の「やり」なのか中国の「qiang」なのかわからん。
意味してるものがspearやpikeなのかhalberdなのかもわからん。
だから構造からクリップ式と呼んでるだよ。その方が、台湾高砂族や
ニューギニア高地人の槍と比べて、話がしやすいからだ。
茎(なかご)なんてローカルな呼称だと、定義が本質的ではない
枝葉がうるさくて、煩瑣に過ぎるからだ。

日本の槍が「叩き」に強いと武道板で主張して
ズタボロに論破されたことを思い出せよ。
ほんの数週間前のことだろ。

アルツハイマーなら、アルミ食器の使用を控えろよ。
515日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:35:22
クリップ式なんてローカルどころか、おまえしか通用しねえだろ。
いきなり『自分用言葉』使われても、赤ちゃん言葉と同じだな。
分かるわけねえだろw

しかもこのスレで高砂族やニューギニアの槍の話なんか出てないしな。
武器ヲタがなんでもかんでも知識出したくてたまらないのは分かるが、
なんでも披露すりゃいいってもんじゃないことを覚えような。



516日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:40:55
>514
おまえは自覚がないのだろうが、おまえが言っていることはだいたいピントはずれだ。
このスレだけでもよく眺めてみれば分かるが、皆あんたを相手にしていないだけだよ。

武板だかどこだか知らないが、俺は論破された記憶はないけれど、おまえがそう言うのならおまえの想像世界では、俺は論破されているのだろうなw
おまえの想像世界は俺には関係ないからどうでもよし。
517日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:43:23
日本の槍、特に長槍の使用方法が主に叩くことだということは日本史板の人間なら普通は知っているのだが。
518日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:44:26
お前も独りよがりな骨董品屋の用語から出てこいよ。
新しい言葉はどんどん作れば良いんだよ。
意味が分かれば使えばよいし、分からなければ使わなければよい。
気に入らなければ罵ったり無視していればよい。
もっといい分類名を思い付けば、お前が突然に使い始めればよい。
定義を聞かれたら回答すればいい。
今は世界中の盾も槍も刀も剣も比較される時代だ。
過去も現代の基準から何度でも定義され直すし、
区分の名前も付け直される。

いいかい、「分かる」とは「分ける」から来た言葉だ。

自分で学び、自分で分けて、新しい分類を見付けられた
学習者は幸せ者だ。学ぶ喜びの一つだ。
519日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:45:28
>>517
クレヨンしんちゃんの劇場版でも描かれていたね)w
520日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:48:44
521日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:51:43
>>518
また、ピントはずれのお話がはじまったよ・・。
しかもなんか偉そうに。

もう武器ヲタはイラネ。
522日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:52:39
>>468
>http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage55.html
日本軍の盾、試作品も実用品も含め、楽しいね。
523日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:54:59
しばらく一人で楽しんでニヤニヤしていてくださいね。
524日本@名無史さん:2006/06/14(水) 01:02:14
試製亀甲型防盾は、装着した姿が亀仙人みたいでユーモラスだ。

九三式軽防盾は、飛来する銃弾の前に1枚の鋼板でも立てたいという
切なさが見える。九三式重防盾は8.5kgと重い。

幕末に新撰組が丸竹の束を1つは左手で前にかざし
1つは背負って、匍匐前進しては斬り込んだという、、、
そんな発想の延長線上にあるこれらの盾もまた日本的なものだ。

九三式転動防盾は、銃座に載せた軽機関銃に防弾プレートを
付けた欧米のものと変わらない、普通のものに見える。
525日本@名無史さん:2006/06/14(水) 02:07:11
魏志倭人伝には下のように書かれてる。
「兵器として矛・楯・木弓を用いる」
「竹の箭(やがら)に鉄製の鏃をつけたり骨製の鏃をつけ」

日本最古の楯出土品は原の辻遺跡から発見されている。
526日本@名無史さん:2006/06/14(水) 02:11:14
魏志倭人伝には
「兵用矛楯木弓」
「木弓短下長上竹箭或鐡鏃或骨鏃」
と記されている
527日本@名無史さん:2006/06/14(水) 02:26:39
12〜15世紀の琉球

1.弓は日本式(畜皮や腱を不使用の長弓)
2.槍は中国式
3.長巻や薙刀も中国式(大刀:dadao)
4.刀は日本式(15世紀までは大小二刀を腰に差す、
 その後は片手持ちの中国式刀剣に変化)
5.銃火器の伝来は種子島へのそれよりより100年早い
6.楯は牛綾楯、木製楯、中国式の籐牌、亀甲楯
528日本@名無史さん:2006/06/14(水) 02:51:25
日本の中世、戦国時代の現存する鉄盾としては
岡山県津山城の鉄楯がある。四角い持ち盾。
徳守神社に保存されている。
森忠政が大坂の陣で使用 したヤツ。
ttp://219.111.223.234/sandex/kiji/2004/11/09/K_20041109050543_005.HTM
529日本@名無史さん:2006/06/14(水) 03:09:45
秀吉は朝鮮半島晋州城攻撃の際に、木製と鉄製の
持ち盾を急ぎ作り揃えて使い、さらに銃弾よけに
結束竹束(「竹編」と呼んだ)を使用したのは史実。
530日本@名無史さん:2006/06/14(水) 05:54:52
問題はそれが一般的かどうかだ。
531日本@名無史さん:2006/06/14(水) 06:46:26
古代の盾も、夏の陣の家康から拝領した盾も、すでにスレに出ているがそれを主流だとするかどうかは
また別の問題。
一事をもって全てを語るわけにはいかない。
そこが過去を探る作業の難しいところ。

日本史で持ち盾があったか否かと問われれば、あった。
それが日本史で一般的だったかどうかと問われれば、一般的とは言い難い。

いまのところ、そんな状態。
532日本@名無史さん:2006/06/14(水) 07:34:10
つーことで、結論は…
>>439>>460

の話でオケですね?
533日本@名無史さん:2006/06/14(水) 08:16:20
俺はOKと思う。
地域の地形や特性無視して大陸>日本を主張するまとめ厨以外は納得していると思う。

その上で面白いのは、古代以外の日本の持ち盾(竹製のやつを主にイメージしているのだが)は弾よけ矢よけが主目的であることだな。
置き盾を簡易化したという点で、白兵戦での使用を主目的とした古代日本や他地域にありがちな持ち盾とはちと趣が違う。

強引にこじつけるなら、上にある日露戦争時の日本軍の盾と同じ思想ですな。
534日本@名無史さん:2006/06/14(水) 09:05:23
>>532-533
結論纏め厨。
535日本@名無史さん:2006/06/14(水) 09:08:17
リアルまとめ厨が来た!
536日本@名無史さん:2006/06/14(水) 09:12:53
まとめてもいいが、人間らしい会話しようぜ。
受けて返す、なぜ武器スレではそれができないのかと。
会話できずに、まとめ厨、羅列厨、ピントハズレ厨、他人の発言聞かない厨は迷惑
537日本@名無史さん:2006/06/14(水) 09:17:53
ざっと読んだけど

とりあえず鐙のために弓や長柄が使えるようになったってのは俗説。
鐙の伝播時期が13〜14世紀とかでたらめ過ぎ。
538日本@名無史さん:2006/06/14(水) 12:50:49
>>537
>鐙の伝播時期が13〜14世紀
西欧への伝播はそんな時期だというのが常識だよ。
539日本@名無史さん:2006/06/14(水) 12:58:43
>>530
>問題はそれが一般的かどうかだ。
秀吉の海外派兵戦闘で一般的になり、その後の島原平定とかにも利用された。
江戸時代以降の武芸講談や武者もの語りでは割愛されたり好まれなかった。

戦国末期以降の銃撃に対して、鉄盾や結束竹束を手にして戦ったのは
一般的傾向。鉄笠も使われた。結束竹束は幕末の内戦でも使われたが、
元込めライフル銃を前にして消滅。鉄笠と鉄盾は第二次世界大戦まで
形を変えつつ、継承された。
540日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:24:23
>>537
>鐙の伝播時期が13〜14世紀とかでたらめ過ぎ。
日本にそんな時期に伝わったとは、このスレのどこにも書いて無くないか。

日本への馬自体の伝来は、馬自体、馬フィギュア、馬術、馬具共に
鐙や鞍が4世紀に中国で発明されて以降のものだろう。
大陸から銅矛と鉄槍がほぼ同時期に日本に伝わったように、
日本への馬の伝来には鐙や鞍がセットされてたと考えられる。

参考
ttp://www.mahoron.fks.ed.jp/kiyou/2001_17_1.htm
541日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:26:42
家康からの鉄盾は異例じゃないのか?
多用されていたならその分現存するはずだが、刀槍甲冑に比べて極めて少ない。
542日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:31:47
>>538
伝播だけなら、6世紀にアヴァール人が持ち込んだとする説が一般的。
6〜8世紀のヴェンデル文化の遺跡から鐙が出土しており、またカロリング朝時代の騎乗をあらわす
語彙の変化から鐙の使用が考えられている。
ドイツやフランスで鐙がはっきりと描かれるようになるのは9世紀で、まだ当時はそれほど普及して
いなかったようだが、その後、11世紀のへースティングの戦いの同時代史料「バイユーのタペストリ」
では、すでに騎兵は全員鐙を使っているし、当時の聖書や写本の挿画も同様。

13〜14世紀では明らかに遅すぎる。
543日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:36:11
>>540
>>431で「ユーラシア大陸全域に鐙が広く伝播したのは13〜14世紀」
と書いてたので。

というかスレ違い気味か・・・失礼しました。
544日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:41:56
↑確かにそれなら妥当だね。
545日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:51:34
543
これからも是非お願いします。
546日本@名無史さん:2006/06/14(水) 14:03:51
戦国期に持ち盾が一般的ならば、竹製或いは木製オンリーの持ち盾はともかく、鉄盾や鉄の飾りなどはそれなりの数が残っていても不思議ではない。

現存する他の武具と数を比較すれば、おおよその数はわかるのでは?
547日本@名無史さん:2006/06/14(水) 15:07:27
>>539
武田、北条が城攻めで使用してない?竹束
南部の九戸攻めでも使われた記述があるし、普及時期はもっと早い気も
548日本@名無史さん:2006/06/14(水) 15:59:01
発案者は武田の家臣だろ。
549日本@名無史さん:2006/06/14(水) 16:18:22
米倉重継か
550日本@名無史さん:2006/06/14(水) 16:25:56
なるほど、白兵戦用というわけではないのか

1を見て、持ち盾=白兵戦と固定観念で見てしまっていたが、弾よけ用としては少なからず使っていたと。


551日本@名無史さん:2006/06/14(水) 18:55:13
残ってる数が少ないのは格好悪いからだろ
552日本@名無史さん:2006/06/14(水) 19:13:12
553日本@名無史さん:2006/06/14(水) 19:14:28
刀が盾だったという事を聞いた事がある。
刀鍛冶のムラマサとマサムネの話に出てくる。
554日本@名無史さん:2006/06/14(水) 20:07:30
551
またまたご冗談を
555日本@名無史さん:2006/06/14(水) 21:50:21
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!  <>>551またまたご冗談を
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556日本@名無史さん:2006/06/15(木) 02:32:43
チャンバラ夢物語に
弾よけは格好悪い(T_T)

無かったことにしたい気持ちは分かる
557日本@名無史さん:2006/06/15(木) 02:52:14
>>556
夢ね・・・
起きてから書き込んでくださいw
558日本@名無史さん:2006/06/15(木) 06:54:09
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!  <>>556またまたご冗談を
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _
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559日本@名無史さん:2006/06/15(木) 06:56:02
軍記物にも絵巻物にも置き盾も柵も描かれているのに、持ち盾だけが描かれないはずがない。

560日本@名無史さん:2006/06/15(木) 18:31:30
趣味の問題だろ
投石も絵師に好かれない
561日本@名無史さん:2006/06/15(木) 18:55:24
    (ζ:::::::::γ::::〜::::::::
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>>556またまたご冗談を
562日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:25:10
「大阪冬の陣図屏風」には関東勢が竹束を使っている様子がハッキリ描かれている。
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=F08&processId=01&col_id=9737&Title=%91%E5%8D%E3%93%7E%82%CC%90%77%90%7D%9B%A0%95%97&Artist=&Site=&Period=&FromNo=&ToNo=
563日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:41:26
夏の陣では明らかに以下のことが分かる。

「戦国期日本では、弾除けに竹束が使われた。」

青竹を長さ八尺、幅四尺にわら縄で束ねた竹束を持ち盾を呼ぶのかどうかはなかなか微妙だが、
あとは各自好きなように判断するように。


564日本@名無史さん:2006/06/15(木) 19:48:39
無用の長物
565日本@名無史さん:2006/06/15(木) 23:23:01
>>563
>「戦国期日本では、弾除けに竹束が使われた。」
秀吉などの海外派兵では鉄笠や鉄盾も使った、と。
566日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:09:00
鎧。立てなんていらない。
567日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:16:45
使うには使ったが、鉄盾、鉄傘は現存数はほかの武具に比較して極めてすくないことから
鑑みて、竹束以上に特殊だと考えるのが妥当。
竹束は朽ちてしまうが、戦で使用頻度が高ければ鉄盾鉄傘は一定数残っているはず。

竹束にしろ、鉄盾にしろ、間違っても皆がイメージするような古代ファランクスや中華軍の歩兵の如く
剣と盾を武器に突撃するというスタイルではない
568日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:30:08
>>567
>現存数はほかの武具に比較して極めてすくないことから
>鑑みて、竹束以上に特殊だと考えるのが妥当。
全然妥当じゃないよ。

海外戦地で大量に製造配備して使ったものだし、
それが江戸の太平記を通して、美術品として
愛好コレクションの対象にならなかっただけだろ。

また木板の置き盾や金属製ではない陣笠に比べて、
持ち盾や全鉄笠は嫌われたことだろう。

同じ事は、明治時代に沖縄唐手術が大日本武徳会に
参加して、日本空手道になる際にも見られた。

持ち盾と短槍、くるまん棒、いくつかの拳脚技が
「日本的でなく異国的」という理由で制定形からカットされた。
そういうことが日本武道の伝承にはあるんだよ。
あったものも無かったことにされるんだ。
何か不思議な美学というか「趣味」が漂っている。

鉄盾と鉄笠は、美術コレクションとしては特殊と言うことだろう。
569日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:34:33
一応確認しとくが
盾は兵卒が使うもので
将が装備するものでは無い
ということを踏まえて言って
いるんだよな?

仮定として、鉄盾鉄傘が一定数残っていたとする
消耗品であり即製可能でもある鉄盾鉄傘を
平時に一定数残しておかねばならない理由って何?
570日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:40:08
唐手術が空手道になる途中で、
持ち盾、長梢子棍、長棍が除かれたのは史実だね。

>近代空手道の技術体系は旧武徳会へ加盟するに当り、
>沖縄に含まれていた藤牌、車棒、棒術などは除かれ
>純粋な徒手空拳として新しく出発することとなった。
>このとき流儀の制定形として申告したのは、
>松濤館流(十五形、七十七本)、糸東流(三十ニ形、八十三本)
>和道館流(十六形、百十本) 、剛柔流(十三形、四十七本)
>これが日本空手界の四大流派として集約されるようになった。

「空手道の沿革」
ttp://homepage3.nifty.com/inami_shoto/shoto.html
571日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:44:47
>>541
>家康からの鉄盾は異例じゃないのか?
銃弾による貫通穴が空いてるところを見ると
飾ってたんじゃなくて実用に供したんだろ。
それも、相当数が使われたと見るのが妥当。

>徳川家が豊臣家を滅ぼした大坂の役(一四〜一五年)で、
>忠政の軍が使ったとされる鉄盾には銃弾の貫通跡があり、
>戦いの激しさを物語る。
ttp://219.111.223.234/sandex/kiji/2004/11/09/K_20041109050543_005.HTM
572日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:45:02
刀も槍も鉄砲も第一線で使う武具だが、鉄盾に比較してその数には格段の違いがあるのはどういうわけか?


573日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:47:13
>>569
>消耗品であり即製可能でもある鉄盾鉄傘を
>平時に一定数残しておかねばならない理由って何?
そんな理由はないだろ。
農具や民具、別の見てくれがよい武具に打ち直すのが普通の考え。
574日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:47:49
亀の甲羅を楯に使う。
575日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:48:18
大阪の役でつかった鉄盾は持ち盾なの?
576日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:49:41
>>572
殺傷できるように鍛えられた刀槍や鉄砲などの武具は
取っておきたいだろうし、豪華絢爛で高価な鎧甲冑もそうだろう。

ただの鉄板に取っ手を付けたものや、
粗末な鉄兜なんかとっときたくないだろ。
577日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:50:30
578日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:51:19
>>575
>大阪の役でつかった鉄盾は持ち盾なの?
そうだよ。
579日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:52:36
鉄盾をつぶして、「見てくれのいい武具」にしてしまうのだとしたら、
当時の日本人は鉄盾に対して、甲冑や刀剣を大事にするのと同じような価値観は
以っていなかったことになる。
どうでもいいものと思っていたことになっちまう。

実際、どうでもいいとまでは言わないが、木製の置き盾よりは弾除けに使えるぜ!
程度の認識だったんじゃないの?
実際、大阪の役では弾丸が貫通しているというし、それほどの信頼性がないんじゃないの?
580日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:54:31
>>579
同意。
581日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:59:28
唐手術→空手道 の時の話といい、
日本人には持ち盾を好まないというセンスがある。

12世紀までは中国から伝来した持ち盾をそのまま使っていたが、
13世紀〜15世紀には、その使用に空白期が訪れる。

戦国時代末期の国内外での対銃器戦闘、
幕末内戦での対銃器戦闘、
太平洋戦争末期での対銃器戦闘では
仕方なしに持ち盾を使っている。
582日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:02:06
>>579
>大阪の役では弾丸が貫通しているというし、それほどの信頼性がないんじゃないの?
その時代から今日に至るまで
それぞれの時代の軍用小銃弾に対抗できる
持ち盾やアーマーの利用はほとんど無いよ。
583日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:02:50
ともあれ、細かい点は脇に置いておくとして、弾除けに竹束や鉄盾の類を用いていたことは事実。
そこまではよく分かった。

ここで、もはや登場しない1を引っ張り出すとw
1が言っている「盾を持って戦わなかったのか?」という問いの際に
念頭においているのは、やはり白兵戦で盾で敵の剣を受けて、自分の剣を振るう、というものだろう。
sporran氏やほかの諸氏も鼻からそれをイメージしていたんだろうな。
日本においては、そっちの線はほとんどないと。

上のほうで日露戦争時の個人が隠れられる盾が紹介してあったが、
発想としてはそれと全く同じ線上にあるんだな・・。
戦国も明治もおそるべし日本軍
584日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:13:17
>>582
じゃあなんのために竹束や鉄盾があるのかとw

ま、実際のところは、距離の関係で完全に防げるというわけでもないが、
ある程度は防いでくれるというレベルだったのでは?
当時の鉄砲は有効射程距離は比較的短いから。
585日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:17:57
竹束を持ち盾のように言う人もいるけど、長さ八尺、幅四尺は巨大すぎ。
片手でひょいと持って、片手で剣・・などと言っていられる大きさじゃねえな。

586日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:21:58
いくら竹とはいえ、自分のベッド以上のサイズの束を持つのはそれなりに力がいるだろうな。

弾丸の雨のなか、まさににじり寄るようにして接近していったのだろう。
587日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:35:59
>>584
弾丸以外の投石や矢からは守られるし、
射撃角度の浅い銃弾、流れ弾や跳弾からは…
貫通しても威力が弱まった弾は殺傷力が…
焙烙玉や手榴弾の破片からの防護には…
短筒や拳銃から発射された銃弾の防護には…
炸裂砲弾の破片からの防護には…

現在の戦場、例えばイラクに派遣されている
米軍兵士や自衛隊のメットやアーマーが
AK-47小銃からの直撃弾に耐えられなくても
一応は、装備して戦場に出るのと同じでしょ
588日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:36:58
>>586
>いくら竹とはいえ、自分のベッド以上のサイズの束
小型のものもあったようだ
特に幕末で新撰組が使ったものとかは
589日本@名無史さん:2006/06/16(金) 01:52:42
小型の竹束なんてまさに、ないよりはまし状態だな。
590日本@名無史さん:2006/06/16(金) 02:23:29
小型の竹束の場合
中には石や粘土が詰めてあるので
けっこう重かったりする

まぁ現代風に言うと複合装甲だ罠
物理の知識は無くとも経験上効果が
あることを当時の人は認識していたと
思われ
591日本@名無史さん:2006/06/16(金) 02:24:42
銃弾を相手に追いつめられると
盾や鉄笠を突然持ち出す傾向は
よその国よりあるような気がする

普段はそんなもの眼中にないような
涼しいポーズしてるのにね
592日本@名無史さん:2006/06/16(金) 02:25:21
>>590
>小型の竹束の場合
>中には石や粘土が詰めてあるので
>けっこう重かったりする
おおお、勉強になった。
593日本@名無史さん:2006/06/16(金) 04:07:26
やっと読み終わったのでカキコ

洋の東西を問わず、持ち盾の役割を分類して考察すると、
a.相手の遠距離攻撃を防御
b.相手の近接攻撃を防御
(c.相手を攻撃する)
こんな感じでしょうか

最初期の盾はこれらの役割を複合的に担っていたと思われます。

時代が下って鎧が発達し、同時に鎧を貫通する遠距離武器の威力が増すと
a.の役割は鎧で代替され、b.の役割には持ち盾では耐えられなくなり、衰退してゆく。
さらに武器の威力が増すと鎧自体が衰退してゆく。

このような一般的な傾向が、日本史ではどのような具体的展開を辿ったのか。
594日本@名無史さん:2006/06/16(金) 07:39:32
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!  <>>581またまたご冗談を
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _
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"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
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595日本@名無史さん:2006/06/16(金) 07:46:37
>>593
古代の『持ち盾』(法然上人の絵巻物にでてくる手盾もこちら)は、
あくまで鎧の代用品、という位置づけですな。
後世の竹束も鉄盾も、個人で持っている以上『持ち盾』だけど、
どちらかといえば置き盾の延長線上にあるものだよな。
596日本@名無史さん:2006/06/16(金) 08:43:33
13〜15世紀の鎧がそれまでの持ち盾の代用品なんだよ。

12世紀以前の持ち盾が騎乗することや弓や長柄の刃物を
使うために、より便利な鎧の形に変化した。その一方で、
同時代の木製置き盾は投石と弓射からのシェルターとして使われた。

16世紀に火器が出てくると、
木製置き盾は竹束盾や鉄製の持ち盾となり、
海外戦闘経験を得たと同時に、持ち盾が復活し、鉄笠が現れた。

現代戦場まで残っている歩兵の装備としては、
分隊支援火器としての軽機関銃(二脚銃座付き)の
防弾シールド、複合素材のヘルメット、同じ素材の
防弾アーマー。暴動鎮圧用の金属製盾や樹脂製盾。

置き盾:軽機関銃のシールドに変化
持ち盾:内乱鎮圧用のジュラルミン盾、暴動鎮圧用の樹脂製盾
鎧甲冑:歩兵や警官が着込む防弾アーマー
鉄製笠:防弾ヘルメット

597日本@名無史さん:2006/06/16(金) 09:04:01
12〜15世紀では?
源平合戦でもすでに鎧を着てたはず。
598日本@名無史さん:2006/06/16(金) 09:28:20
無理に結論出さずに人の話聞け
599日本@名無史さん:2006/06/16(金) 09:44:24
では次に、弾よけ用の竹束、鉄盾がどれくらいの頻度割合で用いられていたのかを考えようぜ。

どうにも鉄砲対策にスポット的に使われた観がぬぐえないのだが
600日本@名無史さん:2006/06/16(金) 09:53:05
国内で大阪城攻め以外に鉄盾の使用が記録されている文献はどんなのがある?
601日本@名無史さん:2006/06/16(金) 10:18:57
>>597
>12〜15世紀では?
>源平合戦でもすでに鎧を着てたはず。
そうだね。
12世紀が持ち盾(衰退)と甲冑(充実)の端境。
16世紀が置き盾(衰退)と持ち盾(復活)の端境。
602日本@名無史さん:2006/06/16(金) 10:20:54
>>600
島原の乱の時のものがあるだろう

それに豊臣秀吉の朝鮮半島出征やその後の
海外派兵でも日本武士は鉄盾と鉄笠を使ってる

あえて「国内」に限る必要はないだろう
603日本@名無史さん:2006/06/16(金) 10:28:27
いずれも戦国末期の鉄砲が大量に使用された戦というわけか。

604日本@名無史さん:2006/06/16(金) 11:08:03
日本で
持ち盾が衰退し置き盾が優勢だった時期は
12世紀後半から15世紀後半までの300年くらい、短期間なんだね
605日本@名無史さん:2006/06/16(金) 13:56:08
いや、今までの話を信じるとすると、
持ち盾→置き盾→持ち盾と切り替わっているのではなく、
持ち盾→置き盾→置き盾+持ち盾(弾除け)ということだな。

古代の持ち盾と、戦国期の竹束・鉄盾を同じ「持ち盾」と称するのは
決して間違いではないけど、まぎらわしいよな。
主目的が全然異なる。
前者はふつうに皆がイメージする、盾と剣(或いは矛)の歩兵集団で白兵戦用、
後者は弾除け用の簡易式の壁。
大鎧と当世具足以上に差がある。
このスレみていても、諸氏で話が噛み合っていなかったはそのせいだな。

で、上にも書いたが、戦国期の竹束・鉄盾は鉄砲対策のためのスポット的な使用法だったのではないかと思う。
スポット的、というと語弊があるかもしれないが、要するに例えば、
「今回は城攻めで敵方は鉄砲も大量にある。竹束(鉄盾)用意しておくか。「盾」をもって銃剣突撃はしない。
というような。
現代の我々が竹束・鉄盾の認識がイマイチなのは、軍記者やら絵師やらの美意識で除外したせいだ、
と決め付けるのは容易だが、恐らく当時の日本人も竹束や鉄盾を「武具」というよりは「道具のひとつ」
という捉え方だったんじゃないの?
戦国期とはいえ甲冑は結構な数が伝わっているのに、鉄盾の類は時期的にも数的にもわずかしか現存しない。
きっとハシゴややぐらと同じ扱いだったんじゃないか。
武具なら大事に残すが、ハシゴは残さないしな。

606日本@名無史さん:2006/06/16(金) 13:58:45
訂正
×「今回は城攻めで敵方は鉄砲も大量にある。竹束(鉄盾)用意しておくか。「盾」をもって銃剣突撃はしない。

○「今回は城攻めで敵方は鉄砲も大量にある。竹束(鉄盾)用意しておくか。

607593:2006/06/16(金) 14:45:03
1さんがイメージしてる「盾を持って戦う戦士」像と、そこでの盾の役割をハッキリさせることで
論点も明確になってくるのではないでしょうか。

A.ギリシア重装歩兵のホプロン(丸盾で肩から膝までを覆う)
B.ローマの重装歩兵(BC3〜AD1)のスクゥトゥム(方形で肩から足首まで)
C.バイキング・初期の十字軍(AD11〜12)のカイトシールド(涙滴型で肩から足首まで)
D.中期以降の十字軍・百年戦争前期(AD13-14)のヒーターシールド(アイロン型で型から膝まで)

この辺りでしょうか。
608日本@名無史さん:2006/06/16(金) 15:01:56
置き盾優勢の時期は一瞬で、太古〜12世紀は獣骨や亀甲、蔦や木枝や木板(一部金属や全金属)の持ち盾時代。16世紀以降は竹束や鉄盾の時代。
609日本@名無史さん:2006/06/16(金) 16:04:41
そこまで言うとちょっと違うんじゃないの?
文献・絵図に登場する置き盾と弾よけ持ち盾には、数的にも質的にも差があるから。
鉄盾ならば現存する可能性も高いのに、現実にはそれほど残っていないしな。
戦国期の竹束鉄盾は鉄砲対策、ワンポイントリリーフのような扱いだったろう。だからそれが武装のメインには登場しない。

また、「持つ」か「置く」ではなく、「白兵用」か「弾よけ用」かという視点でみると、
白兵用(持ち盾)弾よけ用(置き盾)弾よけ用(置き盾+持ち盾)
だから、本質的というか戦術的には古代とそれ以降の間の溝がやはり大きいな
610日本@名無史さん:2006/06/16(金) 18:25:24
西欧と日本との盾に対する考えの違い
ヒント
キリスト教

日本では鉄製の盾が残ってないのはなぜ?

ヒント
湿度
611日本@名無史さん:2006/06/16(金) 18:48:24
ヒント

鉄の産出量
612日本@名無史さん:2006/06/16(金) 18:50:57
必須武具なら錆びたら新しいの用意するだろ
613日本@名無史さん:2006/06/16(金) 19:32:32
必須武具?まぁ刀は必須ではないなぁ。

614日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:14:55
刀はある意味必須。なぜなら刀を持たない雑兵はまずいないから。
日本の習俗とも関係しているが、身に刃物を帯びるのは成人男性は誰でもやるからな。
615日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:17:12
湿度が理由で鉄盾が残っていないなら、甲冑刀剣はどうして少なからず残っているのかと。

616日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:25:50
刀より槍のほうが武家の表芸だったよね。それにしては、戦国期の槍は刀より残ってるかな?

刀は必須武具ではなく、たいして使わなかった。

鉄盾の鉄と刀の鉄は同じじゃないよ。
うちんトコにも天正の刀が一振りあるけど、ほとんど錆びてない。刃こぼれしてるトコが少し錆びてるだけ。
617日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:29:33

>>610は馬鹿
618日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:52:59
「ヒント」なんて誤魔化さずに

西欧と日本との盾に対する考えの違いの原因は
キリスト教にあるんじゃないかな〜って気がするんですよ
いや、なんとなくそんな気がするだけなんですけどね
根拠とかはないんです
キリスト教と盾が具体的にどう結びつくのかとか
キリスト教以前の盾の使用はどう説明するんだとか
そういう細部も一切詰めてないんですけどね
でもなんとなくそんな気がするんです

と書いてくれればまだ正直な分だけましなんだが
619日本@名無史さん:2006/06/16(金) 21:21:22
>>610
>日本では鉄製の盾が残ってないのはなぜ?
大東亜戦争で供出したとか…
620日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:54:42
溶けて護国の楯とならん
621日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:38:52
木製盾(対矢)にしろ鉄製盾(対鉄砲・矢)にしろ何度も修理をして使うようなものでは無い罠
一度でも使用すれば劣化する盾を、鎧や刀のような工芸品と同列に扱うのは如何なものかと・・・
閑話休題
>598
ワロタ

>583
>1が言っている「盾を持って戦わなかったのか?」という問いの際に
>念頭においているのは、やはり白兵戦で盾で敵の剣を受けて、自分の剣を振るう、というものだろう。
否定はしない。だが何時迄たっても論点が噛み合わないのは、正にこの認識に依拠している者が後を絶たないからではないだろうか?

中世の日本における戦いの大半は対防御施設(野戦陣地・城)戦である。
広大なフィールドで両軍が陣形を組んで前進し戦いを行うという経験は中世の日本人には無かった。
日本人が書物上の知識として捉えていたこの種の事例を目にする事は古代以来秀吉の唐入りまで絶えて久しい。
換言すれば、古代において日本で盾が用いられていたという事実は戦術システムを中国式に踏襲していた時期の日本軍が、
軍装(剣と盾や弩)も中国に見習っていたにすぎないということである。
しかしながら武士の台頭と共に戦術システムや軍装は国内戦の実情に合わせて特化していくことになる。
この事を明の将軍李如松は「軍に法無く人人自戦を為す」と表現している。
日本における盾使用について古代と中・近世を同一の時系列に置くことは実態を見誤ることにしかならない。

盾の使用は例外的。と主張する者の問題点を指摘しておこう。
例外的であるべき少数の遭遇戦を根拠に自説を敷衍していること。
人間の数が国力に直結している時代に、盾の使用を認めない将と盲目的に突撃する兵という図式を完成させていること。
盾を飛び道具防御と固定的に捉えている為、鎧でも代用可能であるから盾を使用する必要が無いと考えていること。
山城攻めの際、鎧で落(転)石による飽和攻撃や熱した油や熱湯を防げるのだろうか?

盾の使用は例外的。と主張する者は↓を説明する必要があるのではないだろうか。
盾を使用しなくても攻撃側が容易に防御施設へと近接できた戦例。もしくはその方法。
盾無しで防御施設に肉薄した結果、多数の死傷者がでた戦例。もしくは兵卒を無駄死にさせる戦法が周囲から支持される合理的解釈。
622日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:46:54
>>621
>山城攻めの際、鎧で落(転)石による飽和攻撃や
>熱した油や熱湯を防げるのだろうか?
同意。
天草四郎の乱の時に、剣を振るう間もなく
担架で運び出されたのは甲冑姿の宮本武蔵。
623日本@名無史さん:2006/06/17(土) 02:04:51
銃弾が飛び交う戦場が登場した
新時代の剣法として二天一流ではなく
左手に金属楯という選択もあっただろうに

もっとも決闘や私闘用に
右手に長剣、左手にダガーは
流行の先取りでもあるんだけどね
624日本@名無史さん:2006/06/17(土) 04:12:57
盾が残らないなら鎧も残らないだろ。
それに鎧を何度も使える物ではない。甲冑も武器も使い捨てみたいな物。

625日本@名無史さん:2006/06/17(土) 11:58:45
>>621
>盾の使用は例外的。と主張する者は↓を説明する必要があるのではないだろうか。
>盾を使用しなくても攻撃側が容易に防御施設へと近接できた戦例。もしくはその方法。
>盾無しで防御施設に肉薄した結果、多数の死傷者がでた戦例。もしくは兵卒を無駄死にさせる戦法が周囲から支持される合理的解釈。

それは置き盾を使える、というか置き盾のほうが便利だからだろう。
少なくとも武家登場以降に置き盾が使われていたことは、このスレでも一貫して支持されているしな。

で、鉄盾の現存数が少ない理由だけど、
まず、大名がそろえるべき武具の優先順位的に低いということ。
甲冑や鉄砲、雑兵に貸し与える腹巻・胴丸、長柄槍、刀剣類、ここまではどんな戦にも必須。
それに対して竹束・鉄盾は戦に応じて配備すべきもの、だったと思う。
大量の鉄砲がある、ついでに城に立て篭もった相手との戦だ云々。
大阪の城攻めで真田丸で前田利長軍が苦戦したのは、そこで戦をするつもりがなく、
鉄砲対策の竹束がなかったからだという説もある。
つまり竹束は場合に応じて用意すべきもの、である。
さらに、コストの関係上鉄盾をそろえるのは裕福な戦国大名に限られ、多くは鉄砲対策として
竹束を使用したと。竹束はさすがに鉄と違って、残らないから、竹束が多く使われたとしても
現存する可能性は低い・・と。
626日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:00:05
>>621
>広大なフィールドで両軍が陣形を組んで前進し戦いを行うという経験は中世の日本人には無かった。
>この事を明の将軍李如松は「軍に法無く人人自戦を為す」と表現している。

これは完全に同意というか我が意を得たり、という感じだ。
特に、「軍に法無く人人自戦を為す」という表現は、俺が勝手に推測していた日本軍の戦ぶりが
正しいことが証明された(?)のだ(この言葉あちこちで使わせていただきます)。
ここでいう「法」とは恐らく戦闘ドクトリンを指し、「自戦」とは各部隊が各々戦闘する様だろう。
古来、欧州や中国大陸では、両軍の陣形同士が運動しぶつかり合うことによって雌雄を決したため、
その陣形と運動が研究されてきた。
ところが、俺にはずっと日本史にはこの戦闘ドクトリンがないように見えた
(もちろん日本にも一応野戦はあったし陣形の工夫もあったが、かなり日本式にカスタマイズされている)。
理由を言うならば、「有効な戦術は地形に拠る」の一言に尽きるだろう。
日本のように山河によって細かく分断された地形で、しかも山城やその合間の陣地をめぐる戦では、
欧州や中国式の戦の仕方では全く通用しなかったのだろう。それが律令制式の軍団の崩壊の根本原因だろう。
そこで発達したのが、機能的に完結する小集団が個別に行うゲリラ的な戦、である。ゲリラ的というと語弊があるだろうけれど、
他に適当な言葉が思いつかなかったので、そこはご勘弁を。
ただ日本で普通のことは日本の資料にはわざわざ記録されない。そこで異国での日本軍の戦ぶりを表現する
資料が貴重になろうかと思ったのです。
ちなみに、蒙古襲来の際の蒙古軍の全軍運動と、各御家人の突撃をみるに、
封建武家社会日本の癖というべきですな。

蒙古襲来のときも上陸戦を制していたし、唐入りのときに明軍との戦闘も、戦闘自体はこれで勝ってしまっているのだから面白い。
互いの戦ぶりを見て、こっちはこっちでびっくりするが、相手も相手でびっくりするという、異文化対決ですな。
ただ、全軍統一の指揮官に強い権限がないと、個別の戦闘では勝利しても大局的(=政治的)には失敗するというのも
また日本の悪癖・・。
627日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:36:24
日本は太古から12世紀まで持ち盾を使っていた。
13世紀から15世紀まで鎧と置き盾が流行った。
しかし火縄銃の普及により鎧と置き盾はお飾りグッズになった。
さらに海外に進出しての軍事行動では、鉄盾と
鉄笠が無ければ裸も同然という事実に驚愕し、
兵装を急遽チェンジした。
16世紀以降は鉄製の持ち楯と鉄笠の時代が続いた。
明治になって持ち盾は防弾衣と機銃付属楯になり、
鉄笠は鉄メットになった。

まとめたぞ。
628日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:39:03
またまたご冗談を
629日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:44:55
>>626
面白いですね。ヨーロッパの十字軍と同じようなパターンだ。
630日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:45:00
まとめ厨はネタ供給係として非常に優秀。
631日本@名無史さん:2006/06/17(土) 14:39:16
鉄傘は関ヶ原当時でも平塚為広の足軽の物が珍しかったんじゃないのか?
珍しいから家康も鍋にもなると感心したんじゃなかったか
632日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:02:56
633日本@名無史さん:2006/06/18(日) 01:36:28
ざっと読んだ感じだと
対白兵戦用の盾と対射撃武器用の盾は違う系譜と思っていいのかな。
634日本@名無史さん:2006/06/18(日) 03:24:02
古代と近代か
635日本@名無史さん:2006/06/18(日) 03:44:59
太古の頃:木枝、蔦、竹、獣骨、亀甲で作った。
     弓矢や投石や投げ槍からの防護用。ごく希に白兵戦用。
古代の頃:木板、または金属や獣皮でそれを補強したもの。
     矢や投石や投げ槍からの防護用。白兵戦には不使用。
中世前期:持ち盾が衰退し、木板の置き盾が流行った。
     弓矢や投石からの防護用。
中世後期:置き盾が役立たずになり、鉄製の持ち盾や竹束が出現。
     銃弾、弓矢、投石、筒矢、弩矢、投げ槍からの防護用。
幕末の頃:敗走する幕府側兵士が竹束を使用するが役に立たず。

明治以降は割愛。

「盾で白兵戦」は日本では太古から近代まで
ほとんど見られなかった戦い。大盾を持った数万からの
大軍同士が対峙するような戦いは、日本史には一度もない。
636日本@名無史さん:2006/06/18(日) 03:46:35
>>635
>筒矢、弩矢、投げ槍からの防護用。
朝鮮半島など外地での戦いね。
637日本@名無史さん:2006/06/18(日) 22:53:41
>625
>それは置き盾を使える、というか置き盾のほうが便利だからだろう。

取り回しがきかない
機動性が落ちる
傾斜地に盾を立てても矢が命中したときの衝撃で簡単に倒される

陣を高地に築くのは戦術の初歩だし、攻撃に置き盾が使えるというか置き盾のほうが便利という発想は全く理解できない・・・
何故便利なのだろうか?
つーか一度でも山城を見に行けば、攻撃側が置き盾を使用するという考えがいかに非現実的か理解できるであろう

この世には摂理や物理法則よりも優先すべき思想があるというのであれば、もはや議論とはなりえない

上町台地にあるとはいえ、交通の要衝であり整備された街道を備える大坂城を攻めるために製作された鉄盾の
重量やサイズを参考にすれば攻撃側が用いる盾の限界値は自ずと明らかになるのではないだろうか
638日本@名無史さん:2006/06/19(月) 00:09:01
史学板なのだから困った時は文献・遺物に帰らないと。
想像で話しても仕方ない。

楠正成軍が城から熱湯を浴びせた時、幕府軍は持ち盾を以てこれを防ぎつつ前進したのか?

639日本@名無史さん:2006/06/19(月) 00:23:30
傾斜地に置き盾を立てると矢が命中したときに倒れる云々というが、置き盾は盾の後ろに兵が隠れ盾を支えるものなので、ひとりでに立っていた置き盾が矢を受けてバランス失って倒れるようなことはまずあり得ないす。
640日本@名無史さん:2006/06/19(月) 00:24:27
そもそも大鎧や大袖の付いた腹巻きは、大袖が矢に対する盾となるので。実際、大袖を盾にしながら矢を防ぎつつ、接近する武者の図があるし。
少なくとも矢に対しては持ち盾よりも大袖のほうが機動力もあり、両手もフリー。
641日本@名無史さん:2006/06/19(月) 00:32:44
日本は持ち盾をずっと使ってた。
13〜15世紀に持ち盾が流行ったけど、
朝鮮半島の戦いなどですぐに持ち盾に戻った。
それだけのことだ。

鉄砲出現前は枝や板が中心。金属製のは儀式用が多い。
鉄砲出現後は竹や鉄が中心。置き盾は国内小競り合い用の装備になった。

鉄砲出現前も、持ち盾を白兵戦に使うなんてことはここ二千年間はない。

なぜなら、数万を超える大軍同士が盾を前にしてジリジリと歩を進めつつ
大平原で対峙するような大規模戦闘が一度もなかったから。
642日本@名無史さん:2006/06/19(月) 01:07:05

13〜15世紀に流行ったのは「置き盾」。元軍襲来の絵巻をみると、モンゴル側が装備してるから、それを真似たのかな。
643日本@名無史さん:2006/06/19(月) 01:57:17
>史学板なのだから困った時は文献・遺物に帰らないと。
>想像で話しても仕方ない。
家康の鉄盾を否定する理由は?

>楠正成軍が城から熱湯を浴びせた時、幕府軍は持ち盾を以てこれを防ぎつつ前進したのか?
?どういう文献・遺物に帰ればこの種の発言が史学板に相応しい発言となるのか根拠が不詳

>傾斜地に置き盾を立てると矢が命中したときに倒れる云々というが、置き盾は盾の後ろに兵が隠れ盾を支えるものなので、>ひとりでに立っていた置き盾が矢を受けてバランス失って倒れるようなことはまずあり得ないす。
どういう状況なのか全く理解できない。
ここでいう置き盾の寸法は?それと関東平野の真ん中で暮らしていて山登りの経験は全く無いの?
厭きれてモノが言えない・・・
どうやら宗教論争になりそうだねw

>640
将が落石に当たって死亡したのを愚かな行為と称した史料もある。
兵卒全員が大鎧や大袖の付いた腹巻きを着込んだ史料名をキボン
史学板なのだから文献・遺物を明らかにして発言しないと・・・




そろそろ言うかw
「それらは全てあなたの思い込みでつ」
644日本@名無史さん:2006/06/19(月) 09:42:49
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!  <>>643またまたご冗談を
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 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ 
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"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ /
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645日本@名無史さん:2006/06/19(月) 09:51:17
そもそも置き盾ってみんなどんなものか知っているのかよ?
支えを固定しずらりと並べる形式もものもあれば、一人ないしは二人ないしで持ちながら(担ぎながら)前進するものもある。
これはもはや置き盾なのか持ち盾なのか判別不能だが。

>>643
なんか、支えを固定した置き盾を斜面に並べた光景を想像しているんじゃないの?
登山もいいが、まずは置き盾の種類を知って欲しいす
646日本@名無史さん:2006/06/19(月) 09:55:24
裏につっかえ棒があり置くこともできるし、またその棒を持って前進できるようにもなっている。
こうした折衷的な盾を置き盾と呼ぶのか、持ち盾と呼ぶのかは俺には分からん。
当時の人にはどうでもいい分類ですな。
647日本@名無史さん:2006/06/19(月) 11:05:26
>>643
>そろそろ言うかw
>「それらは全てあなたの思い込みでつ」
俺もそう思う

ハリウッドのインチキなローマ剣奴ものとか
剣と魔法と龍が出てくる中世騎士ものあたりを
みて、なんで時代劇に出てくる日本の武士は
持ち盾を持って戦わなかったんだろ?

と単純に思い込んでいた厨なんだよ、きっと。

それが日本史の一時期を除いて太古、古代、中世、
そして鎖国&泰平期をカットして明治〜平成と
持ち盾は、軍事や警察でずっと使われてきたというのが
飲み込めなくて、屁理屈で強弁を続けているんだよ

江戸時代の講談や娯楽絵草紙がベースの時代劇ドラマや、
骨董品屋やお城パークのほこりをかぶった
デコレーション武具しか見えていない

粗末な持ち盾で投石戦に耐える雑兵とかは
厨のオツムの中にはいないんだよ
648日本@名無史さん:2006/06/19(月) 11:35:03
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!  <>>647またまたご冗談を
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _
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 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ 
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649日本@名無史さん:2006/06/19(月) 11:36:07
>>643
>>647
自作自演乙
650日本@名無史さん:2006/06/19(月) 11:39:11
>>647
あんた人をファンタジー&時代劇呼ばわりするけど、
このスレで一番ファンタジーと時代劇を持ち出しているのはあんた自身だよw

荒れて欲しいのか?
651日本@名無史さん:2006/06/19(月) 11:50:33
通常の置き盾の高さは人の目の高さで幅は身幅(約150cm×約50cm)。
裏に横木を張り、がつたりと呼ばれる板を付けそこに支え(足)をつける
(江戸期の鉄砲立ては足が二本あり、鉄砲窓が穿たれている)。
これを3枚一組で横に固定し並べる形を「うし形」と呼び、3枚を互い違いに置く形を「めどり羽」と呼ぶ。
また、一枚の盾を両手で持ちながら前進を行うこともある。
運ぶ時には盾を背負い、支え(足)を肩に担ぐ。
ちなみに手盾と呼ばれるものは、約50〜60cm×約40cmで裏に取っ手が付いている。
平安期から幕末まであまり変化はなし。
652日本@名無史さん:2006/06/19(月) 11:52:29
流石に・・・
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!  <>>647またまたご冗談を
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _
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   //:::::       ',    /    ,:'゙
と窘めるべきや?
653日本@名無史さん:2006/06/19(月) 13:32:57
           秋田から来ました
                     ''';;';';;'';;;,.,                
  やっと離れられる、         ''';;';'';';''';;'';;;,.,   秋田から来ました
      3年間はちょっと・・・       ;;''';;';'';';';;;'';;'';;;   ザッザッザッザッ
                        ;;'';';';;'';;';'';';';;;'';;'';;;
       目の前に来るな        vymyvwymyvymyvy     顔を出さないように
                      MVvvMvyvMVvvMvyvMVvv、
 秋田の土は           Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^Λ_ヘ  山奥で一生過ごすんだ!  
 二度と踏むんじゃねぇぞ   ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ
               __,/ヽ_ /ヽ__,.ヘ /ヽ__,.ヘ _,.ヘ ,.ヘ
     /\___/ヽ    /\___/ヽ   /\___/ヽ  /\___/ヽ   
   /ノヽ       ヽ、/ノヽ      ヽ、/        /ノヽ      ヽ 秋田から永久追放
  / ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' :::ヘ/ ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' :::ヘ⌒''ヽ,,,)ii(,,r'''''/ ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' :::ヘ
  | ン(○),ン <、(○)<::| ン(●),ン <、(●)<::|(●),ンii<(●:| ン(○),ン <、(○)<::| 
  |  `⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒´ ::|  `⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒´::::l⌒,,ノ(、_, )ヽ |  `⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒´ ::l 
  ヽ ヽ il´トェェェイ`li r ヽ ヽ il´トェェェイ`li r;/ il´トェェェイ`li ヽヽ il´トェェェイ`li r ;/ 
  /ヽ  !l |,r-r-| l! ::/ヽ  !l |,r-r-| l!  /\ l |,r-r-| l!/ヽ  !l |,r-r-| l!   /ヽ 帰って来るな
 /   ヽ、`ニニニ一'/   ヽ、 `ニニ´一/   \'ニニ'-/    ヽ、 `ニニニ´一"  \ 
          
   会ったら殺す   いじめられた分強くなったべ   いつもの声で男ひっかけんなよ
              俺たちに感謝しなさい
   秋田から来ました                       秋田から来ました
654日本@名無史さん:2006/06/19(月) 16:03:58
>>651
>盾の高さは人の目の高さで幅は身幅(約150cm×約50cm)。
大盾という防御メインの持ち盾のサイズに近いね。盾の
内側には水筒、弁当、短弓(16世紀の日本では半弓と呼んだ)と矢、
手投げ矢、手斧、焙烙玉などを装着できた。
大規模な城攻めや平原での膠着戦に用いた。
矢や投げ槍や投石への防護が主に用途。

戦闘メイン用の手持ち盾の場合は、蒙一回り小型で、
下部に1〜3本の鎧通しが付くことが多かった。
持ち盾で倒れた兵士を上から刺し貫くためのもの。

共に銃器の普及と共に、より小型の鉄盾に変化した。
雑兵は竹束、少し上の兵は鉄笠と鉄盾。

置き盾は、江戸時代に入ってからはシンボルとしてのみ残存。
銃器戦がメインの海外勢力との戦いには鉄盾と鉄笠がメイン。
幕末の内戦でも置き盾は何の役にも立たず、新撰組や会津が
弾幕の中、竹束を手に持って斬り込んでは骸を曝し続け敗走した。
655日本@名無史さん:2006/06/19(月) 16:17:58
武田家に盾無の鎧ってありますよね?
656日本@名無史さん:2006/06/19(月) 16:21:00
無理にまとめずに人の話聞けよ、ボケ

657日本@名無史さん:2006/06/19(月) 16:28:03
一枚150センチ×50センチの盾は普通。
別に防御用だとか、戦闘メインだとかの区別はない(それはヲタの脳内だけの分類)。
その盾を必要な場合には組み合わせ補強するし、戦線を移動する場合には一人が持って前進する。
機動力確保のために一人分の身幅に合わせて盾一枚の大きさが設定されている。
また150センチ以上の盾を大盾と呼び、区別している。
658日本@名無史さん:2006/06/19(月) 16:36:37
【ヲタの習性】

2506年、とあるヲタが2006年の遺物『メイド喫茶のチラシ』を入手する。

ヲタ興奮。2006年の日本では『メイド喫茶』が普通だった!と発表する。

専門筋「またまたご冗談をw」

659日本@名無史さん:2006/06/19(月) 16:42:30
長崎市内の孔子廟博物館に展示してある
大型の持ち盾(レプリカ)は面白いよ

内側にいろいろなポケットが付いてる
660日本@名無史さん:2006/06/19(月) 16:45:14
置き盾なんていう、
投石や矢をよけるためのシェルター板が
ほんの少しの間だけ使われたことに固執する
バカがおるな
661日本@名無史さん:2006/06/19(月) 16:47:30
>ほんの少しの間だけ
日本国内での大規模な戦は、コノほんの少しの間に集中してるじゃないかな?
662日本@名無史さん:2006/06/19(月) 16:50:17
持ち盾を見つけただけで、置き盾がほんの少しだけと言っているのは一部のヲタだけ。

ひとつ見つけたら、全てがひっくり返ると思っているのがヲタ。


663日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:00:00
日本史上の文献及び絵画資料、現存する遺物の数と時代性を見る限り、平安期以降は連結可能な置き盾が主流なのは常識。
この置き盾を持つこと=持ち盾だ、と言うならば、それもありだけど。
そもそも時代性も局面も限定されている鉄盾を見ただけで、それがひっくり返るというのはおかしいと思うが。

あるものが存在することと、それが主流であることは同義ではないはず。
664日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:08:20
12世紀以前の日本では
持ち盾が主流だろう

元寇の絵巻物でモンゴル側の
置き盾などが見られるから
13〜15世紀は置き盾が流行ったんだろ

秀吉の朝鮮攻め以降の
日本の海外での戦いは
持ち盾が主流だろう
(ヤクザの出入り程度の内輪もめは除く)
665日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:11:16
>>663
>置き盾を持つこと=持ち盾だ、と言うならば、それもありだけど。
小型の置き盾と大型の持ち盾はダブるよ。
ユーラシア大陸で使われた大型の持ち盾は
それを立てたまま、食事や仮眠を取ったりも
したものだよ。膠着戦とはそういうものだ。
666日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:19:42
>12世紀以前の日本では
>持ち盾が主流だろう


12世紀といえば平安末期〜鎌倉初期。
すでに武家が興ってから久しいが、持ち盾が主流だとは聞いたことがない。
何か裏づけとなる資料があるのかと。

>元寇の絵巻物でモンゴル側の
>置き盾などが見られるから
>13〜15世紀は置き盾が流行ったんだろ

なぜモンゴルが置き盾を使っていると、13〜15世紀の世界が置き盾が流行したことになって、
日本も流行したことになる???
それ以前から日本では置き盾は普通に文献記録にあるが・・?
そもそも、地形が違えば戦術も違う。戦術が違えば有効な武具も道具も違うはず。
あんたの脳には地形と戦術の関連性がないのかw

>秀吉の朝鮮攻め以降の
>日本の海外での戦いは
>持ち盾が主流だろう
>(ヤクザの出入り程度の内輪もめは除く)

朝鮮攻めを基点にする理由が分からないが。
国内ですでに大量に鉄砲を用いている。朝鮮は日本の鳥銃を知らず、距離と威力に驚いている。
鉄砲対策に鉄盾があったからと言って、置き盾がなくなったわけじゃあるまいし。
また鉄砲が大量使用されるようになってからも、弓矢は生き続けている。
江戸期も置き盾は存在している。

667日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:20:58
>>665
勝手に膠着してろ
668日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:23:21
持ち盾と置き盾の定義が問題。

ある人は、日本でよく見る盾を置き盾と称するが、
ある人はそれを持って前進するから持ち盾と称する。

669日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:28:46
柴五郎が活躍し、日英同盟の遠因ともなった北清事変のとき、
清国民間人は銃撃戦のなか、我関せずで物を売りつけに来てたりする。
質の悪い兵士がダラダラとやる気なくなるのが、シナ流の膠着状態。


良鉄は釘にならず、良民は兵にならず・・・
670日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:35:26
なぜ盾を持って戦わなかったのか?って書いてるんですけど…
やっぱ白兵戦の事ですよね?
671日本@名無史さん:2006/06/19(月) 18:17:18
俺もまとめ厨になってやる。

「置き盾」の最小単位が丁度一人分の幅でできていて、必要ならば連結補強し、必要ならば各兵が持って前進する。
竹束も鉄盾も、それまでの「置き盾」の延長線上にあるだけ。
対飛び道具用にいろいろ補強した。
別に騒ぐほどのことはなし。
そんだけ。

平安期以降の日本で一番異質なのが手盾と呼ばれるもの。
矢避けとしてはあまりに小さいため、恐らくは接近戦用(推測)。
しかし、少数。

672日本@名無史さん:2006/06/19(月) 18:22:03
トドの盾しかなかったから
673日本@名無史さん:2006/06/19(月) 18:53:35
置き盾は持ち盾の変種

もしくは飛び道具よけの簡易シールド
674日本@名無史さん:2006/06/19(月) 19:26:00
その根拠は
675纏め厨D:2006/06/19(月) 20:18:45
盾を持って戦わなかったのか?


置き盾を持って戦っても、別にいいんじゃない?
盾はあったが、片手に武器、片手に盾を持って白兵戦を戦うといった形式はほとんど見られなかった。以上!
676破壊天使:2006/06/19(月) 21:14:06
盾が必要無いぐらい強力な鎧を装備していたからじゃないの?
677日本@名無史さん:2006/06/19(月) 21:55:53
>>676
12〜15世紀はね

だけど銃器普及の前に
鎧甲冑も木板の置き盾もふっとんだ

朝鮮半島へ遠征しての戦いでは
鉄笠と鉄盾なしで戦うことの無謀さと惨めさを知り
鉄笠と鉄盾の装備に励み、装備改善に努めたんだよ
678日本@名無史さん:2006/06/19(月) 21:59:05
>>675
>片手に武器、片手に盾を持って白兵戦を戦うといった形式はほとんど見られなかった。
そんな戦い方は太古の時代か、南洋の土人。

片手に刀槍、片手に武器を持って戦うなんてしてないって。

同じ時代の大陸も全く同じだよ。
モンゴル軍も宋軍や明軍も同じ。
盾は対・飛び道具の防御ツール。
679日本@名無史さん:2006/06/19(月) 22:28:57
銃器と甲冑は共存していますが何か?

銃器といっても時代により性能はピンキリ

なんでもかんでも銃器を境にくっきり変化しねえよ
ゲームじゃあるまいし
680日本@名無史さん:2006/06/19(月) 22:33:00
まとめ厨(本家)はつまるところ何が言いたいんだ?

まぎらわしいからHN付けてしばらく語れ
681日本@名無史さん:2006/06/19(月) 22:38:40
まとめ厨の脳内には地形と戦術の関連もないから、世界の同時期に世界のどこでも武装が同じように切り替わるものと
信じている。
で、しかも大陸>日本を主張してやまない。

現実は中華王朝の軍隊は常に辺境の異民族(日本含む)に戦闘で敗れ続けているというのに。
682日本@名無史さん:2006/06/19(月) 22:53:06
大陸は東アジアの大国だけでなく、インドも欧州も同じだよ。

もっと視野を広く見よう。

地形の制限があるから、
日本は置き盾が流行った時期があるんだけど、
朝鮮半島に出て行ったりすると国際標準に
追いつこうと努力したんだろう。
それはそれで誇るべきだよ。
683日本@名無史さん:2006/06/19(月) 22:54:53
>>679
>銃器と甲冑は共存していますが何か?
今でもアサルトライフルとアーマーは共存してる。
もちろん直撃弾に耐えられるアーマーは無いに等しい。

そんなことは誰でも知っているし、
このスレでも既出。つまんない。
684兵部どの:2006/06/19(月) 23:01:20
当初から楯が無かったわけではありません。
飛鳥・奈良時代の土偶や記述などには楯の存在が見えます。
つまり朝廷軍は楯を使っていたわけす。

しかし後に廃れてしまったようですね。
日本の合戦史上において楯が使われにくかったというのは、
鎧の進化はもとより武器の形状も影響しているのではないかと思います。
というのも、日本の槍、刀というのは両手で扱わなくてはならないものばかりです。
戦国時代から一般的だった打刀は構造的にも片手での戦闘を想定するものではありません。
いえ、使い方次第では可能なのでしょうが、本来の威力を十分に発揮するのはやはり両手で扱うのが妥当かと。

また、鎧の重さも影響したのではと思います。
確か源平時代の大鎧は60キロ近かったはずです。
戦国時代後半にはとても軽くなって、それでもフル装備で24〜30キロはあったと思います。
当時の方にしてみれば、こんな重い装備の上、更に楯を持つ必要はないと考えたのではないでしょうか。

しかしだからといって楯の使用が皆無であったわけではないようです。
戦国時代の小田原の役で井伊直政が鉄楯の使用をした記述を見かけたことがあります。
出展は名将言行録だったと思います。
篠曲輪という小田原城の出城を攻撃した際、直政は自ら鉄砲を打ちかけるも暴発。
支えていた左手を負傷し、その補助の名目で楯を使用したようです。

古い時代ばかりですみません。
参考になったかはわかりませんが、私の知っている事は以上です。
685日本@名無史さん:2006/06/19(月) 23:03:20
センゴクの置き盾、いつの間にか小さくなって持ち盾になってないか?

読んでねーか
686日本@名無史さん:2006/06/19(月) 23:07:42
隣国中国の12〜15世紀の
主要武器も槍と大刀で両方とも
両手で扱うものだよ。
687日本@名無史さん:2006/06/19(月) 23:09:03
鎧についても
元寇時代の
モンゴル騎兵の鎧は
鎌倉武士のより軽いよ
688日本@名無史さん:2006/06/19(月) 23:26:36
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!  <>>684大鎧は約30キロ
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=.  _〜:、         /_.}'':,
 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ 
 ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:'  ノ゙ノブ
"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ /
   //:::::       ',    /    ,:'゙
689日本@名無史さん:2006/06/19(月) 23:28:24
>>677
>朝鮮半島へ遠征しての戦いでは
>鉄笠と鉄盾なしで戦うことの無謀さと惨めさを知り
>鉄笠と鉄盾の装備に励み、装備改善に努めたんだよ

その根拠は?
そんな説はじめて聞いた。
根拠は?

なにしろ、戦闘では朝鮮軍は論外として、明の大軍を何度も打ち破っている。
その後の改良が必要なのは、明軍ではないのかと。
690日本@名無史さん:2006/06/19(月) 23:30:30
150センチ×50センチの盾を、持って移動すれば持ち盾、連結すれば置き盾。

持つの置くのと区別することに何の意味があるのかと。
691兵部どの:2006/06/19(月) 23:30:34
686・687>>
わ、そうなのですか!
中国史あまりやってなかったので知りませんでした。
ちょっと調べてみます、ありがとうございます!

あとお話変わりますけど、戦国時代に鉄砲が使用されるようになると、
竹を束ねたものが楯として使われていたみたいですね。
いわゆる楯の形のもあったみたいですが、当時はどちらかというと
身体を守るというよりも弾除けとして考えられていたみたいです。
692日本@名無史さん:2006/06/19(月) 23:34:44
>>691
つまり、それまでの盾を同じ用途であり同じ発想。

ただ違うのは、それまでの盾は主に矢を防ぐものであったのが、
竹束・鉄盾は鉄砲の弾よけを主目的にしていること。鉄傘はマイナー。

693日本@名無史さん:2006/06/19(月) 23:35:55
まとめ厨のマイナー好みと戦術無視にはついてゆけん
694日本@名無史さん:2006/06/20(火) 00:05:04
今、テレビ東京で
日本刀を持った暴漢を
盾と特殊警棒を手にした
警官が制圧する映像が流れてる…
695日本@名無史さん:2006/06/20(火) 00:07:51
>>689
>その根拠は?
>そんな説はじめて聞いた。
>根拠は?

戦国時代末期の朝鮮半島での
戦史を真面目に勉強しろよ
696日本@名無史さん:2006/06/20(火) 00:09:08
>>689
>戦闘では朝鮮軍は論外として、明の大軍を何度も打ち破っている。
>その後の改良が必要なのは、明軍ではないのかと。
お前はコリアンか?
ウリナラマンセーのフィルター越しに
真実が見えないのは、日本人同士として恥ずかしいぞ。
697日本@名無史さん:2006/06/20(火) 00:32:18
倭城の保存をめぐる近況 『日本歴史』606、110-119頁 服部英雄
ttp://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~hatt/wjho.html

一部引用

>四万七千人の明、朝鮮軍対一万三千七百人の日本軍との戦い。
>「宇都宮高麗帰陣物語」(『文禄慶長の役』二四一頁)には
>惣構の塀より三十四、五間隔てての攻防戦が具体的に記述されている。
>(敵が)「鉄楯、木楯、鉄笠を付立て魚鱗の如くに押し寄せた」
>「楯の内より鉄砲、半弓、筒矢を放し懸候」。この記述の具体的な
>姿・様子は、「征倭紀功図巻」にもよく画かれている。
698日本@名無史さん:2006/06/20(火) 01:46:31
>690
>持つの置くのと区別することに何の意味があるのかと
意味はあるよ。一から説明するのはアレだが・・・

ただ、このスレでは最早無意味という意味なら同意。

このスレで持ち盾の描かれた図絵名を何十と列挙しようと何の意味もない。
例えば東京国立博物館所蔵の某模本には、中央に持ち盾と薙刀を携える○○と
掻盾と薙刀を携える○○が描かれていて、当時の平地での戦闘を考察するのに
様様な示唆を我我に与えてくれるのだが、物理法則ですら否定できる御仁の前では無力。

僅かな知識による思い込みが全ての御仁には、あらゆる史料・遺物は何の役にも立たない。
曰く「持ち盾に比して、掻盾には何の利便性がなくとも中世の日本人は掻盾を使用せねばならない」だそうなw
699日本@名無史さん:2006/06/20(火) 07:34:48
置き盾を持てば持ち盾、持ち盾を置けば置き盾。
用途は同じ。
あとはヲタの好み。



700日本@名無史さん:2006/06/20(火) 07:44:10
>>695
結局、根拠なしか。
自分で朝鮮が契機で武装が変わったと思い込んでいるんじゃないの?
日本国内の鉄砲保有量は、朝鮮半島のそれとは比べようもないほどの開きがある。


>>696
意味不明。
馬鹿ジャネエノ。
朝鮮軍が鳥銃に驚くさまは記録で残っている。なんで俺がコリアンかと。
まったく朝鮮好みは日本史を見えなくするな。
701日本@名無史さん:2006/06/20(火) 07:50:31
平安以降の同じ盾を見ても、持ち盾厨は持ち盾と言い、置き盾厨は置き盾だという。

くだらなさすぎ。


702日本@名無史さん:2006/06/20(火) 07:53:17
一応言っておくけど、置いて並べれば置き盾、各自持って前進すれば持ち盾。
どっちもできるし、どっちも想定されてます!
ここで防いでいるのは主に飛び道具。


それ以上に何の答えがあるの?
703日本@名無史さん:2006/06/20(火) 08:05:19
>>694
それは日本史でいうならば白兵戦(〜律令制)までの戦の様相。
それ以降の日本史上の盾は飛び道具を想定したもの。

その事件の場合言ってみれば警官と犯人は白兵戦をしている。
ま、警官は犯人を殺傷するわけにはいかないから、そのような状態が出ているけど、
より重装備の警官(皇居護衛など)であれば、より長い警棒(両手で持つ)を持っている。

警察が相手を安全に殺傷するなら、それこそ盾を前面に置いて少しずつ間を詰め、
機を見て相手よりも長い武器(槍など)で突けばいいでしょ。
これが日本の合戦の模様でしょ。
片手に盾をもって、片手で剣(棒)を振り回すのは、日本史上では古代(〜律令制)までしか
登場しない。
704sporran:2006/06/20(火) 08:49:16
>>690
持ち盾と置き盾は本来用途は全く違います。武術的にも両者は別です。
日本の場合は置き盾と持ち盾に流用したていどの扱いです。
持ち盾は盾を扱うシールドテクニックというのはソードテクニックと同様に扱いの技術として確立されています。
置き盾流用では盾のテクニックと言うほどまでは発達しません。
つまり持ち盾の定義はシールドテクニックがあるかどうかで決めてもよいのではないかと。
705某コテと間違えられた人:2006/06/20(火) 10:05:47
>>678
>>686
宋、元、明の歩兵は槍や弓、弩を使っていたが
それとは別に一定数の「刀牌兵」がいた。
西洋風にいうとソード&バックラーね。

明代の「紀効新書」に見える刀牌兵
ttp://www.cn6000year.com/UploadFile/2006-2/200621310184437091.gif

蒙古騎兵の盾使用については>>356で書いた。

>>687
使節としてモンゴル宮廷へ赴いたプラノ・カルピニの報告では
こんな鉄製のラメラー・アーマーが出てくる。
ttp://www.tgorod.ru/contentimage/shpak/dzys_mongol.jpg
14世紀のミニアチュールでも材質は分からないが
重厚な甲冑が多く描かれている。

ただ日本の大鎧なんかはラメラーのフレキシビリティを犠牲にして
防御力を上げてたらしいですね。
706日本@名無史さん:2006/06/20(火) 10:33:23
704
例えば古代地中海域、或いは中世欧州の国での集団での戦闘教義としての白兵用盾の使い方(シールドテクニック)があったとしても、個人でシールドテクニックと呼べるような洗練されたものがあったのか疑問。
よってシールドテクニックの有無を持ち盾の定義にするのは不安あり。
それよりも盾の使用目的が、白兵戦用か射撃防御用かで分けた方が良いのでは?
日本では少なくとも平安中期以降は、射撃防御用が盾の主目的(ちなみに日本で白兵用のシールドテクニックと呼べるものは陣笠を使う一部の流派以外見たことがない)。
置くか持つかに大した意味はないのではないか。


707日本@名無史さん:2006/06/20(火) 10:55:28
>>703
銃器によらない現代の対日本刀暴漢制圧

1.透明樹脂盾と特殊警棒
2.杖や棒(杖での制圧は技術が必要)
3.さすまた(さすまた側が単独で取り押さえはなかなか難しい)
4.投網(専用の器具がいくつか考案されているが普及していない)
708日本@名無史さん:2006/06/20(火) 11:35:37
余計な話はイラネ
709日本@名無史さん:2006/06/20(火) 12:49:59
盾周辺の話として楽しいよ

現代日本でも警察は盾を使ってるわけだし
710日本@名無史さん:2006/06/20(火) 13:07:51
日本の古代遺跡から"Bone Shield"は出ないのかな

大型哺乳動物の肋骨や肩胛骨をうまく使い
さらに人頭骨を威嚇用にアレンジしたようなヤツ
711日本@名無史さん:2006/06/20(火) 13:13:44
警察は殺傷を目的としていないので、比べるなら江戸の捕り物。

軍と比較するとまたトンチンカンな方向へゆく
712日本@名無史さん:2006/06/20(火) 13:26:34
江戸の捕り物で対ポン刀だと

戸板とか大八車、ハシゴで
アウトレンジからどつきまくり

ttddさんがいうところの
シールドテクニックに近い
技術があったような気がするね
713日本@名無史さん:2006/06/20(火) 13:33:24
しねえよ
714日本@名無史さん:2006/06/20(火) 13:40:30
大八車や戸板で押し込めるのがシールドテクニックだというならそれも構わんが、戦とは違うね
715日本@名無史さん:2006/06/20(火) 15:55:35
日本軍は
7世紀に白村江で唐軍に大敗し、      …持ち盾の時代
13世紀に九州北部で元軍に侵入され、    …元軍が置き盾を使う
16世紀に朝鮮半島に進入するも明軍に敗れ、 …鉄製の持ち盾が復活
20世紀に太平洋で米英軍に大敗した     …鉄盾と鉄帽は作ったが負けた
716日本@名無史さん:2006/06/20(火) 16:05:02
>>715 13世紀以後の記述はネタだよね?
717日本@名無史さん:2006/06/20(火) 16:16:45
史実じゃん
718日本@名無史さん:2006/06/20(火) 16:41:29
言い方は別にして本当のことだ
719日本@名無史さん:2006/06/20(火) 16:48:36
まとめ厨の脳内では本当。
まとめ厨のなかでは明軍は日本軍に勝ったことになっている
720日本@名無史さん:2006/06/20(火) 18:18:53
明軍に何度も負けて、朝鮮半島から撤退したのは事実。
721日本@名無史さん:2006/06/20(火) 18:24:55
またまたご冗談を
722日本@名無史さん:2006/06/20(火) 18:27:18
3代将軍足利義満は明に朝貢して「日本国王」に冊封されただろ。
6代将軍足利義教〜室町幕府滅亡まで日本は中国の冊封体制下だ。
723日本@名無史さん:2006/06/20(火) 18:32:26
朝鮮出兵の際、数多い戦闘で日本軍が敗走したことは当然あるが、決戦ではほぼ日本軍の圧勝。サーチョンの戦いは有名。
明軍は戦闘する意志がなくなり、朝鮮の頭越しに日本軍と和睦。

724日本@名無史さん:2006/06/20(火) 18:37:47
朝鮮半島から撤退したのは史実。
侵入はしたが、日本国内の武将らに
領地を与えるという目的は遂げられずに
引き上げたんだよ。それを「撃退された」と呼ぶ。

それに朝鮮なんて中国の一部。頭越しも何もない。
725日本@名無史さん:2006/06/20(火) 18:40:56
魏志倭人伝でも、
日本人は盾を使うとあるけど、
白村江で中国軍に大敗してから
軍の装備に変化はあったのなぁ。
726日本@名無史さん:2006/06/20(火) 18:42:07
それは戦争目的の話。
戦闘と混同するからおかしくなる。
だから俺は戦闘と表現している。

朝鮮出兵を日本からの視点で概括すれば、戦闘に勝利し戦争に負けた(失敗した)、ということだ。
727日本@名無史さん:2006/06/20(火) 18:45:49
まとめ厨は、地形と戦術の関連も理解してくれないし、戦争と戦闘の違いも理解してくれない。
728日本@名無史さん:2006/06/20(火) 18:55:05
ヘタな言い訳がバカらしがられてんだろ
729日本@名無史さん:2006/06/20(火) 19:25:45
戦争と戦闘の違いは戦争論の初歩の初歩なんだが・・・。
まとめ厨は自分の気に入った知識を自分が気に入った分類でまとめ披露するだけで、会話をする気はないようだね。
730日本@名無史さん:2006/06/20(火) 19:27:49
バカらしがられる・・・。

日本語おかしい
731日本@名無史さん:2006/06/20(火) 19:59:33
>>729
>戦争論
んなもん、誰もこのスレに期待しとらん。
732日本@名無史さん:2006/06/20(火) 20:31:22
欧州や中東には
盾付きの槍もあるけど、
日本では見たことがないな
733日本@名無史さん:2006/06/20(火) 20:33:32
>>731
自分で自分を叱っているわけだな。

戦争目的と戦闘を混同した、悪い例。

-----------------------------------------------------
724 :日本@名無史さん :2006/06/20(火) 18:37:47
朝鮮半島から撤退したのは史実。
侵入はしたが、日本国内の武将らに
領地を与えるという目的は遂げられずに
引き上げたんだよ。それを「撃退された」と呼ぶ。
-----------------------------------------------------

誰も戦争目的の話なんぞ期待しとらん。
このスレは戦闘を扱うべきだろう。

どうしても、
「領地を与えるという目的は遂げられずに
引き上げたんだよ」
という話がしたいなら、以下のスレでどうぞ。

【文禄慶長】 秀吉の朝鮮出兵スレ4 【壬辰倭乱】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150604376/l50
734日本@名無史さん:2006/06/20(火) 21:09:44
誰か、盾でど突かれて
吹っ飛んだことある?
735日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:02:25
そろそろこのスレも某研にトドメをさしてもらうか


出でよ!某研!焼き払え
736日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:23:13

>>715
>日本軍は
>7世紀に白村江で唐軍に大敗し、      …持ち盾の時代

盾とどういう因果関係があるのか?
倭軍が大敗したのは舟戦だが。

>13世紀に九州北部で元軍に侵入され、    …元軍が置き盾を使う

蒙古以前から置き盾は普通に使われているが・・?

>16世紀に朝鮮半島に進入するも明軍に敗れ、 …鉄製の持ち盾が復活

鉄砲が大量に戦に登場すると鉄盾は登場しているが、これは鉄砲の弾除け。
古代の持ち盾は弾除けではなく白兵戦用。
復活とはこれ如何に?
さらに言うならば、明軍との戦闘ではたびたび大勝しているが、
それと盾とどういう因果関係が?

>20世紀に太平洋で米英軍に大敗した     …鉄盾と鉄帽は作ったが負けた

唖然呆然、少なくともこれだけはギャグでしょ?な?
頼む、そうだと言ってくれ・・。

737日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:23:55
昔なつかしく耳になじんだ
置き盾とか甲冑の話だけを
2006年になっても語りたがるstone headが
いじましい言い訳連発で
つまらなくなってきたよな

もう少し人の話を聞いたり
他の国や人類史全体の中で
自国の歴史を学び語らないと
バカだと思われるのに
それが判ってない…
738日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:25:41
それは>>715に言っているんだよな?

それなら同意。
人の話聞けと。ほんと715はバカだよな。
何を学んできたのかと。
739日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:27:25
やはり某研が片付けるしかないようだな。


来い某研!
740日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:31:53
>もう少し人の話を聞いたり
>他の国や人類史全体の中で
>自国の歴史を学び語らないと
>バカだと思われるのに
>それが判ってない…

ほんとそう思う。
ひとりでまとめて会話できない厨房はバカですよねw
大陸と島国で戦術が違うことも考慮に入れず、
戦争目的と戦闘を区別することも知らず、
歴史なんか語れないのに。
全世界がのべ〜っと同じように、変化するはずないのにねw
全く他の国や地域を蔑ろにする思想だよね

741日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:35:36
>>736
>古代の持ち盾は弾除けではなく白兵戦用。
こういうヤツがバカなんだよ。
昔から、持ち盾は飛び道具よけだよ。
投石、投げ棒、投げ槍、矢をよけるためがメイン。
白兵戦に盾なんて、日本の古代にそんな戦いはないだろ。

白兵戦に盾なんてのは、旧石器時代〜縄文時代の話だろうよ。

古墳時代、奈良時代、平安時代のいつの時代に
白兵戦で盾なんか使ったんだよ。
742日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:37:21
>>737
日本の持ち盾に拘っているのはお前だけのようだが。
脳内で無理に大陸仕様にあわせる必要がどこにあるのか。
んで、大陸>日本と言う必要がどこにあるのか。
中華王朝は少数の異民族に負け続け、屈服している征服王朝。
少数の異民族はいつも、『進んでいるはずの』中華軍の武器を粉砕して入城する。


石頭とは中華大好き人間のことか。
743日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:39:30
>>703
>日本史でいうならば白兵戦(〜律令制)までの戦の様相。
こいつもバカだと思うよ。
なんか妄想が脳にこびりついてる。
744日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:42:19
ひとりでご苦労なことですね。ぷ
745737:2006/06/20(火) 23:44:04
>>621
この方のお話が一番に客観的で的を得ているように思う。
746日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:45:12
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!  <>>まとめ厨、ご苦労
 :~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、|         _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=.  _〜:、         /_.}'':,
 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ 
 ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:'  ノ゙ノブ
"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ /
   //:::::       ',    /    ,:'゙

747日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:50:13
>>745
概ね賛成できるが、「盾の使用は例外的。と主張する〜」のくだりの盾とは
何を指しているのかが不明確。

置き盾を並べること、置き盾を持ち隠れつつ前進することは、平安期以降の日本史では
普通にやっているし、それを否定している人はいないから、『盾が例外的』と主張している
人もいないです。
748日本@名無史さん:2006/06/20(火) 23:57:46
>>742 すまんが、「大陸>日本と言う必要がどこにあるのか」
この「大陸>日本」って何を指して行ってるの?
話を読んでいてそういう風に表現されてる部分が見付からなかったので。
強いてあげれば主となる戦闘方法が違うってことくらいかな。
ちなみにだが、武器の優劣を指していっているなら被害妄想に駆られてるからね。
749日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:00:29
>>747
>置き盾を並べること、置き盾を持ち隠れつつ前進することは、平安期以降の日本史では
>普通にやっている

盾を置き並べることも
盾を持って前進することも
平安期以前でもやってるだろう

日本人が平安期以前は
片手に盾で片手に短槍の土人だとでも?
750日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:01:44
>>748
>武器の優劣を指していっているなら被害妄想に駆られてるからね。
俺もそう思う。どっか意固地になってる気がする。
751日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:02:07
律令制下での軍装は大陸に倣った。このスレで関係あるのは盾と矛(剣)。
>>705氏が述べている通り、中華では明代でも古代以来の刀+盾の部隊が一定数あった。
日本では、そうした軍装は平安中期の武家の台頭のころには消えていた。
その理由の推測を>>626に書いた。ここでは簡単に。一言で言えば日本の実情(地形、体制)に適応できなかったため。

古代日本(律令制)の日本が、盾を白兵戦用に使用していたとしても不思議ではない。
ただ、日本でそれが消えたのはそれなりの理由があり、大陸で白兵用の盾が残ったのはそれなりの理由があるということ。
地形と戦術は不可分の関係で、そして軍装は戦術に拠るのだから、近代以前の軍装は個別的、地域的なものである。

それをまるで念頭に置いていないと思われる御仁の意見には、首を捻らざるを得ない。
752日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:03:38
自作自演が紛れ込んでいますな。

ご注意を。
753日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:13:17
>>749
平安期以前でもやっているかもしれないが、俺はその資料を手にしていない。
他の人は知らないが。

律令制では大陸直輸入の軍装である持ち盾が標準であり、
平安中期にはそれが消えていることがこの話のポイント。

それにしても片手に盾で片手に矛(剣)が土人、とは酷い扱いですな。
貴殿は少々極論が過ぎますな・・。

中国明代では普通にその武装の部隊も存在している(>>751で書いたので略)。
律令制下での日本で、これを倣っても当然。
一方は早く消え、一方は遅くまで残った。
754日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:21:34
755日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:26:18
だれか首吊って当時の人に聞いてこいや
756日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:31:33
まあ、ここは日本での盾を論じるスレなんだけど
中国のことを語りたがる人がいるから少し書くけど、

>片手に防御用の楯を持ち、片手に剣・刀などの
>攻撃用の武器を持って戦う武技は、もとより世界各地で
>見られるところでありますが、中国のそれは、楯という
>防禦兵器に、投げ槍・腰刀という長短二つの攻撃兵器を
>組み合わせたところに特徴があります。
【下頁より引用】
ttp://kodenkarate.jp/history03.html

日本で平安時代以前にはあった「投げ槍」が
どうして廃れていったかも、十分に語られていない。
この「投げ槍」は「盾」と深く関わってくる。
「投げ槍」はアフリカ、中東、欧州、インド、中国、
そして東南アジアや南太平洋の島嶼部でも広く見られる。
数本の投げ槍を盾と共に持ち歩く歩兵、孔雀のように
数本の投げ槍を背負い込んだ騎兵がどうして日本では
成立しなかったのかについても、考察は面白いだろう。
757日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:33:42
あっしには関わり合いのねえことでござんす
758日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:36:44
高温多湿な土地、ジャングル、小国、山国や島国でも
盾、投げ槍、短弓、弩、投石紐、メイスやフレイルはある

時代を混同してはいけないし、
太古から現代まで続くテクノロジー革新についても
見逃してはならない

地形や気候の問題では明らかにないようだ

そんな戯言で「日本の盾」を総括してはいけない
759日本@名無史さん:2006/06/21(水) 01:30:58
本人は一生懸命良いことを言っているつもりなんだろうな。
その意気でまとめ厨から卒業して欲しい。
760日本@名無史さん:2006/06/21(水) 01:34:08
ピントハズレのまとめを得意げに語られても困るし、会話にならないからね
761日本@名無史さん:2006/06/21(水) 02:27:39
女性が貞操という盾を放棄してる件について
762日本@名無史さん:2006/06/21(水) 02:54:12
>>751
>地形と戦術は不可分の関係
こんなつまんない呟きは不要だよ
763日本@名無史さん:2006/06/21(水) 07:43:08
晒しあげ
764751:2006/06/21(水) 08:36:09
>>762
地形も戦術も考えずに、盾の話ができるのか・・・・?
俺には全く想像できない。
それがこのスレの主旨ならばそれに従うが。

つまり、1のスレタイを正しく言うと

「なぜ日本人は盾を持って戦わなかったのか?地形と戦術を抜きにして考える。」

ということ?
765日本@名無史さん:2006/06/21(水) 09:03:26
土人あげ
766日本@名無史さん:2006/06/21(水) 10:52:01
地形と盾の話は
よその土地のことを考えると確かに乱暴な感はある
767日本@名無史さん:2006/06/21(水) 12:20:07
ランボーあげ
768日本@名無史さん:2006/06/21(水) 12:33:11
まとめ厨も他も、言葉のキャッチボールしろよ。
数多く自説を垂れ流したもの勝ち、みたいな真似すんな。
あと自演くさい真似もするな。
堂々とやれ
某研のほうがマシだぞ。

769日本@名無史さん:2006/06/21(水) 19:12:55
1の疑問が勘違いだったというのが結論。

日本ではずっと盾を使ってきた。それだけのこと。
770日本@名無史さん:2006/06/23(金) 11:56:56
盾がもっとも有効に使われるのは密集戦法を取った時。
密集して盾を構えれば、互いに死角をカバーできるので鉄壁の防御になる。
日本ではこういう密集戦法は無いよね。
771日本@名無史さん:2006/06/23(金) 12:50:42
>>770
足軽の長柄組を知らんのか?
772日本@名無史さん :2006/06/23(金) 13:05:50
日本の足軽には、盾のの配給がなかった。
武将の頭に、盾でみを守るのが、恥であるとの意識が強かった。
太平洋戦争のゼロ戦も操縦士をまもる盾(後部座席)が無かった。
アメリカの戦闘機は、操縦士を守る為、分厚い盾(後部座席)が
存在した。
武士道精神とやらの非情な側面とでも解釈したらよいかと。
773日本@名無史さん:2006/06/23(金) 13:11:43
ゼロ戦は武士道とかいう問題ではなくてですね
774日本@名無史さん:2006/06/23(金) 13:26:01
>>772
バカ出没。

丁髷(ちょんまげ)と月代(さかやき)の意味を知らないのか?

ヘルメットを被ったときにメットとヘッドの間の
衝撃吸収用のクッション役が丁髷。

月代はヘルメットを被りっぱなしの時のムレムレ対策。

江戸時代のチョンマゲも清時代の弁髪も同じスタイル。
まあ共に鎖国とか禁海の政策をとって安寧を楽しんでた。
775日本@名無史さん:2006/06/23(金) 13:32:40
>>772
>武将の頭に、盾でみを守るのが、恥であるとの意識が強かった。
それなら兜や陣笠も被らず、鎧も着込まずに褌一つで突撃すれば良い。
城も砦も造らず、置き盾も使わず、卑怯な飛び道具も使わなければ良い。

そんな感覚なら、日本武士団は相撲力士の集団になってただろう。
裸でドスコイ!張り手でペチペチ!
776日本@名無史さん:2006/06/23(金) 13:45:25
>裸でドスコイ!張り手でペチペチ!
おもしろすぎw
777日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:09:33
>>687
>>720
>>774
>>775
半島に帰ったらどうですか?
そろそろ、貴方達には住み難い国なってきたと思います。
778日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:16:19
 ↑
こいつが本物の在日コリアン工作人。皇道派朝鮮人?
しつこいし、会話が成り立たない思い込みの強い奴。
お前たちの相撲は時代ごとにモンゴル式、満州式、日本式の
全部パクリだから、日本や周辺国の伝統が羨ましいんだろ。
相撲について軽く触れただけですぐに反応する。
779日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:21:15
>>777
所詮は馬鹿ネトウヨ。
食い物板まで出てくんなよ、ウゼェ。
チョン板にずっと篭っとけ!!
780日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:26:29
>>778
>>779
工作員の方たちへ
もっと、現実を見ましょう

45 中道左派=ネット右翼 (06/06/23 06:06)  4TmOM2JJxg P
「いいひともいる」
これはなんの解決にもならないことを日本人は理解すべきでしょう。
そんなことは当たり前のことです。問題はそれらが反日同胞や
犯罪者の「温床」になっていることです。自分たちで自浄できない
のであれば、制度として対策を取らざるを得ないのです。
「いい人もいる」
これは創価学会員がよく使うごまかし口上と全く同じです。
これとて、組織に属している以上、組織的な行為を認めていることと
同義であり、なんら問題を解決しません。
在日については自浄能力がないのですから、一度、不当な
特権は全て剥奪し、外国人に対して平等・公正な日本に
しなければなりません。

http://020.gamushara.net/bbs/news/html/0002_1.html
781日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:33:34
>>777
「半島」という用語自体が
在日コリアン右翼の用語だ
782日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:41:44
>>781
世界に例を見ない程厚顔無恥であり、かつ残忍で、力のあるものに対しては恥も配分も無く媚びまくることによって自らの保身を図るという、
誰の目から見ても見下げた行為を、呆れるほど躊躇無くやってしまう人間の形をしたウジムシ野郎の朝鮮民族の生殖器を切断することによって、
民族浄化を行うという行為が、[ちょん切る」というコトバの意味であることを、>>781さんも理解していらっしゃるんですね。
なら早く日本から出て行って下さい、お願いします。
783日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:44:09
在コは死ねお( ^ω^)
784日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:45:48
>>783
日本語でおK
785日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:53:11
>>783
>>784
お願いだから、もうやめてちょんまげ。
786日本@名無史さん:2006/06/23(金) 17:02:48
777 が在日コリアンのくせして
しらじらしいことするからだよ。
787777と786の正体ww:2006/06/23(金) 17:20:54
    ____
   ,/:::::::::::::::::::::\
 /::::::::::::::::::::::::::::::::::\
 |:::::::::::|_|_|_|_|_|
 |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ
 |::( 6  ー─◎─◎ )
 |ノ  (∵∴∪( o o)∴)
 |   <  ∵   3 ∵>
/\ └    ___ ノ
  .\\U   ___ノ\
    \\____)  ヽ

キモオタ同士の対決乙wm9(^Д^)プギャー
788日本@名無史さん:2006/06/24(土) 00:46:03
赤坂城や千早城を攻める話が出てたね。

城からは、当然投石や矢が投射されたと思うけど、まさか盾無しで丸腰で山城に攻め込むようなバカはいなかったよね〜。
789日本@名無史さん:2006/06/24(土) 01:47:46
足軽、雑兵=盾だったからいらなかったんでねが?
790日本@名無史さん:2006/06/24(土) 02:06:16
>>788
分かっているとは思いますけど、盾の存在を否定している人はこのスレにはいません。


それにしても、もうこのスレも某研にトドメを差してもらわねばならないようだ。
末期症状。


出でよ某研!
791日本@名無史さん:2006/06/24(土) 13:35:11
1の疑問が勘違いだったというのが結論。

日本ではずっと盾を使ってきた。それだけのこと。
792日本@名無史さん:2006/06/25(日) 14:20:13
いや、古代と近代の武装と、野戦全般と白兵戦、持ち楯と置き楯、ををごちゃ混ぜに
語っているからループするんだよ。西洋でも全員楯を持ってたワケじゃ無いんだろ?
ふつうに戦術の違いだろ?

日本の地形は山と湿地が大半なんだから基本的に持ち楯は行軍に邪魔、鎧を強化し馬で突撃した方が
戦術として効率が良かったのではないだろうか?
モンゴル軍をみても馬の戦術も重要だと思う。
また、地形や戦況。山や草木の状態。昼か夜か。風雨雪の多少によっては持ち楯の有無は重要としない。
基本的に楯が必要なのは正面攻撃か防御の時のみと思う。

大鎧の時代は防壁としての置き楯が有れば戦術的には十分だったという事だろう。
足軽の時代になると槍を主軸とした機動力のある戦術が重視されてきたのだろう。
793日本@名無史さん:2006/06/25(日) 15:55:20
1の疑問が勘違いだったというのが結論。

日本ではずっと盾を使ってきた。それだけのこと。

盾を置いても持っても盾は使ってきたんだし、
地形も戦術も他国や他事大と比べてみると無駄話に過ぎないことが判る。
794日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:25:00
>>793
スレタイ「盾を持って」
「使って」じゃねぇだろ。
795日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:38:58
運ぶときには持つし
持ってる間にも戦うし
持って戦った期間の方がずっと長い

盾を持って戦ってきた日本人に
異議を持つヤツがバカ
796日本@名無史さん:2006/06/25(日) 21:54:54
3000年前には蔦や枝や獣骨や亀甲で作った盾を持って戦った
1300年前には木板で作った盾を持って戦った
300年前は鉄で作った盾を持って戦った
130年前は外地攻略用の鉄兜と防弾アーマーと機銃鉄盾の試作開発に着手
30年前はジュラルミンで作った金属盾で内乱を鎮圧して戦った
現在は樹脂製透明盾を手に内乱や外国人犯罪者と戦った
797日本@名無史さん:2006/06/25(日) 22:54:54
何がおかしいといって、『まんが日本史』じゃあるまいしそんなきれいに変わるはずがない。
縄文人が弥生人に滅亡されて征服された、と言い切るよりも大雑把で意味のない歴史観。

それを恥ずかしげもなく、得意げに何度も何度も並べ立てる『まとめ厨』はゴミ。

俺にはそんな真似できないw
798日本@名無史さん:2006/06/25(日) 23:04:44
また荒れるな
799日本@名無史さん:2006/06/25(日) 23:49:22
現実はシンプルなものだ。

1の疑問が勘違いだったというのが結論。

日本ではずっと盾を持って戦ってきた。それだけのこと。
800せつこ:2006/06/25(日) 23:51:02
何で蛍すぐ死んでしまうん?
801せつこ:2006/06/25(日) 23:59:59
なんでみんなクソスレにするん?
802せつこ:2006/06/26(月) 08:53:04
何ですぐにまとめてしまうん?
803日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:03:08
男はまとめる

女はとっ散らかす
804せつこ:2006/06/26(月) 22:29:22
何でつまらないこと言うん?

びちびちやねん
805日本@名無史さん:2006/06/26(月) 23:52:13
そうだね つまらんことはもうゲップ

1の疑問が勘違いだったというのが結論。

日本ではずっと盾を持って戦ってきた。それだけのこと。
806せつこ:2006/06/27(火) 00:07:33
何でおなじこと言うん?

にいちゃんにいちゃんにいちゃん
807せいた:2006/06/27(火) 10:32:48
せつこ、もうやめとき。

今滋養のあるものたべさせてやるからな
808日本@名無史さん:2006/06/27(火) 11:14:46
あぽっぽい自作自演や暴言はみんなPUの仕業!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
から確認してね
809日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:46:29
刀 護身用兵器 ピストルなど
槍・弓 面制圧用兵器 小銃・機関銃など
置き盾 簡易的な遮蔽物 塹壕・蛸壺
810日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:28:10
つまらんことは見飽きたから要らない。

1の疑問が勘違いだったというのが結論。

日本人はずっと盾を持って戦ってきた。それでいいじゃん。終わり。
811日本@名無史さん:2006/06/28(水) 10:30:04
人は人、てめえはてめえでござんす。

おまえさんに指図される覚えはないでござんす。

812日本@名無史さん:2006/06/28(水) 14:16:03
1の疑問が勘違いだったというのが結論。

事実:日本人はずっと盾を持って戦ってきた。
813日本@名無史さん:2006/06/28(水) 14:33:03
誤解を招く言い方だね。
わざと?

じゃあ、清国やバイキングのような切り合うための盾が日本にほとんどないのはなぜ?

814日本@名無史さん:2006/06/28(水) 15:31:15
>>811
(;^ω^)…キメェ
815日本@名無史さん:2006/06/28(水) 17:49:21
>>813
火縄銃や槍が主兵器だったからかな?
816日本@名無史さん:2006/06/28(水) 18:04:44
バイキングが活躍してた時代は日本も持ち盾の時代
817日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:05:16
持ち盾の定義は?

818日本@名無史さん:2006/06/28(水) 19:14:13
あんまり好きじゃないけど、wikiより。

ヴァイキング
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0

ヴァイキング(バイキング、Viking)は8世紀から300年以上に渡って西ヨーロッパ沿海部を侵略した
スカンディナビアの武装船団(海賊)である。しかし、これはキリスト教徒からの一方的な見方であり、
後の研究の進展により「その時代にスカンディナヴィア半島に住んでいた人々全体」を指す言葉に変容した。
中世ヨーロッパの歴史に大きな影響を残した。
<以下略>


日本の持ち盾の定義にもよるが、時期的にはう〜ん・・・
西暦800年から300年間とすると、すでに武家の登場以降の時代も含んでいるしね。

答えを言い切れる学者はいないんじゃないの?

819日本@名無史さん:2006/06/28(水) 22:24:08
古代の日本人は盾を持って戦ってきた。
投石、矢、投げ棒、投げ斧、投げ槍から身を守って戦った。
日本が律令制になっても盾を持って戦った。
中世の日本人も盾を持って戦った。
投石や矢は鎧兜だけでは防げないから当然。
盾を持って進み、盾を置いて隠れ、また持って進んで戦った。
銃が出現してからは竹束を盾として持って進んだり、
置いてその陰に隠れたり、背負って匍匐前進して戦った。
より防弾能力を高めた、鉄盾や鉄笠も使って戦った。
820日本@名無史さん:2006/06/29(木) 01:04:42
律令制での正式な装備の盾は大陸流の切り合い用持ち盾。おそらくほかの時代と同様の盾もあったろう。なぜなら源平合戦の頃にはすでに矢による面制圧が行われていたため。

武士の時代の盾は置いて並べる盾。主に矢を防ぐため。律令制で見られた切り合い用の持ち盾はほぼ消滅
821日本@名無史さん:2006/06/29(木) 01:07:56
無修正がダメならなに貼れちゅうんじゃ(゚Д゚)ゴルァ!
822日本@名無史さん:2006/06/29(木) 01:28:00
>>820
>切り合い用持ち盾
オイオイ、無知に任せて適当な、まとめ方をするなよ。

そんなものは12世紀後半、源平合戦の時代には
大陸でも完璧に廃れておりドマイナーだよ。

何か誤解しているようだけど、持ち盾は日本よりも
中国で先に廃れたんだよ。持ち盾(籐牌)+片手刀(短槍)は
古代の兵装であり、すでに時代遅れ。当時の軍隊の中に
残っていたのは、儀礼用の部隊と内戦鎮圧用の部隊だよ。

大軍同士の戦いでは、大型の楯を単独もしくは複数の兵が持って
進み、投石、弓射、投げ槍、銃撃が激しくなると、それを地に置いて
身を隠し、機をうかがっては突撃したんだよ。宋代の戦い方だ。

軽装弓騎兵と長槍がメインの軍隊。宋の正規国境守備軍には
長梢子棍という、長柄のフレイル装備部隊があり、
持ち盾+片手武器の蛮族歩兵を殲滅するのが目的だったよ。

持ち盾が復活するのは、銃砲が普及してからだ。
青銅式の引き金のない銃や火縄銃といった先込め銃の時代、
鉄盾や鉄笠が普及する。
823日本@名無史さん:2006/06/29(木) 07:09:54
もうちょっとでスレが終わるから、最後まで頑張れ
824日本@名無史さん:2006/06/29(木) 07:14:08
>>821
>>切り合い用持ち盾
>オイオイ、無知に任せて適当な、まとめ方をするなよ。
>
>そんなものは12世紀後半、源平合戦の時代には
>大陸でも完璧に廃れておりドマイナーだよ。

いつの間に中華の盾はマイナーになっちゃったのw
↓は?

明代の「紀効新書」に見える刀牌兵
ttp://www.cn6000year.com/UploadFile/2006-2/200621310184437091.gif



山野やスポランや、まともに話せる奴は早々にいなくなった。
残ったのはカスだけ。
825日本@名無史さん:2006/06/29(木) 09:28:30
蒸し暑いんだから、どっちでもいい

寒いギャグ希望
826某コテと間違えられた人:2006/06/29(木) 09:48:15
>>821
別にそれは宋で始まったのではなく、三国時代から五胡十六国にかけて
筒袖鎧、明光鎧や馬冑で装甲を固めた重騎兵の突撃が行われるようになると、
密集して大盾の壁を作る戦術が一般化して、漢代の歩兵が用いた戟などの
振り回す武器は使えなくなり、代わって槍が普及した。
それにもかかわらず、14世紀の明の時代になっても通常の軍隊の一部として
ソード&バックラーで戦う兵士が確保されていた。
明の洪武帝の勅令で定められた歩兵百人の部隊の構成は

槍兵 40名 弓兵 30名 刀牌兵 20名 銃兵 10名

となっており、この時代になるとすでにタッチホール式の銅銃が普及しているけど、
槍と投射兵器がメインの陣立にほとんど何の影響も与えていない。
刀牌兵が2割いて、たぶん敵の隊列を乱したり散兵として戦ったんだと思うが、
銃に対応するための兵科だったという証拠はない。
この頃はむしろ銃弾より矢のほうが脅威だっただろう。

ところで「持ち盾+片手武器の蛮族」ってどっち方面の連中ですか?
西や北は騎兵が主力だから南方かと思うが、苗族なんかはむしろ弩で有名だったし・・・
827某コテと間違えられた人:2006/06/29(木) 09:51:29
すいません上のは>>822です。

というか盾の壁は匈奴の弓騎兵に弩で対抗してた頃からあったのかな?
欧州の有名なジェノヴァの弩兵も大盾をもつ兵士とセットで行動してたし・・・
828日本@名無史さん:2006/06/29(木) 11:18:05
ナニコノクソスレ
829日本@名無史さん:2006/06/29(木) 11:42:00
中華文化圏の外れの島での武具史を語るのに
本体の歴史について、まともな知識がないから
クソスレになるんだよ
830日本@名無史さん:2006/06/29(木) 12:17:52
というか軍事スタイルにおいて「中華文化圏」というものが一体として存在するのかどうか。
漢字文化圏に限定しても、華北と華南と朝鮮とヴェトナムと日本の軍隊に共通するものが
どれだけあるかというと・・・
831日本@名無史さん:2006/06/29(木) 12:18:20
と中華主義者が申しております。

異民族に連戦連敗のくせに本体ツラするのが笑えるw
832831:2006/06/29(木) 12:21:19
831は829へ
833日本@名無史さん:2006/06/29(木) 12:23:29
無理矢理に中華中心にまとめようとするから訳分からなくなる。

だから中華主義者は嫌いだ
834日本@名無史さん:2006/06/29(木) 12:44:41
829がまとめ厨の本音?


日本は中華文化圏か?
中華文化圏では軍事・戦術・武装は同じか?

835日本@名無史さん:2006/06/29(木) 13:14:20
>>826
>別にそれは宋で始まったのではなく
源平合戦を出してきたから
たまたま宋の話をしたんだよ
836日本@名無史さん:2006/06/29(木) 14:01:53
そうですか
837日本@名無史さん:2006/06/29(木) 15:38:59
武士道に反するってのは既出?
838日本@名無史さん:2006/06/29(木) 18:06:35
いろんな意味でそれはない
839日本@名無史さん:2006/06/29(木) 18:11:21
なぜ盾をって?面倒だからでしょ
840日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:38:14
こりゃまた一気に初期化したな
841某コテと間違えられた人:2006/06/29(木) 20:54:48
>>835
「宋代の戦い方」ってのについ反応してしまったので、申し訳ない。
842日本@名無史さん:2006/07/04(火) 00:49:09
過疎
843日本@名無史さん:2006/07/04(火) 06:30:21
盾がそこに無かったから
844日本@名無史さん:2006/07/04(火) 08:28:42
鉄が少なかったからじゃないの?
西洋って伝統的に重装歩兵による集団戦がメインだろ。だから、投槍とかの威力の
ある兵器が必要だったし、逆に弓兵はあまり活躍しなかった。一撃必殺の両手武器
でぶつかって行っても、厚い装甲を持つ重装歩兵の集団に跳ね返されて、反撃され
てアポーンだったから、盾を使い続けたんだろう(ガリア人とローマ軍団兵みたいな)。

日本は、歩兵を重装化するほどの鉄がなかったんだと思う。必要がなかったという
より、やりたくても出来なかったんじゃないかな。だから、足軽のような軽装歩兵
がメインだったし、それへの対処は、弓や両手武器で十分だった。

こんなとこでどうよ?
845日本@名無史さん:2006/07/04(火) 10:27:58
話を初期化させんな
ぼけ
846日本@名無史さん:2006/07/04(火) 12:47:03
ゆとり世代はリセット機能が標準装備ですが何か?
847日本@名無史さん:2006/07/04(火) 14:41:45
1の疑問が勘違いだったというのが結論。

事実:日本人はずっと盾を持って戦ってきた。
848日本@名無史さん:2006/07/04(火) 22:16:04
おめえも何度も同じこと繰り返すな
ぼけ

あほかおまえら
849少佐:2006/07/04(火) 23:23:37
日本でも古代においては盾が使われてた時代はあるようだぞ。
戦国時代などでは人間が持つ縦は使われてないが、その代わりに馬の
機動力で敵の攻撃を回避したり、鎧兜で防いだり、攻撃用の武器で防いだり、
塹壕、竹の束、砦、城などを盾代わりにしたりということは行われている。
「機動防御」とか「攻撃は最大の防御」という防御戦術もある訳で防御は
幅広い概念で考えるべきだろう。
850日本@名無史さん:2006/07/04(火) 23:24:59
何度も同じやり取りするなz
ぼけ
851日本@名無史さん:2006/07/05(水) 02:22:26
1の疑問が勘違いだったというのが結論。

事実:日本人は太古から現代までずっと盾を持って戦ってきた。
852日本@名無史さん:2006/07/05(水) 06:27:25
おめえも何度も同じこと繰り返すな
ぼけ
853日本@名無史さん:2006/07/05(水) 08:05:23
持って戦わなかったのかって書いてんのになぁ…
ところで、日本にはなんか有名な盾は、残ってんでしょうか?
854日本@名無史さん:2006/07/05(水) 16:27:38
1の疑問が勘違いだったというのが結論。

事実:日本人は太古から現代までずっと盾を持って戦ってきた。
855日本@名無史さん:2006/07/05(水) 21:06:43










856日本@名無史さん:2006/07/06(木) 00:22:52
1の疑問が勘違いだったというのが結論。

事実:日本人は太古から現代までずっと盾を持って戦ってきた。
857日本@名無史さん:2006/07/06(木) 06:56:47
>>853
有名なのは、むしろ「盾無の鎧」だからなぁ。
「大君の御盾」ってのも、人間のことだし。
858日本@名無史さん:2006/07/06(木) 07:03:17
何度も同じやり取りするなz
ぼけ


859日本@名無史さん:2006/07/06(木) 07:33:34
盾を持ちながらの騎射は難しい。
徒立ちならば盾の合間から弓を引けるが。
860日本@名無史さん:2006/07/06(木) 08:29:12
>盾を持ちながらの騎射は難しい。
腕が三本あれば出来る。
861日本@名無史さん:2006/07/06(木) 08:40:28
マジレスすると騎馬民族やイスラムの騎兵の盾はストラップがついてて
両手を使う際には背負っておける。

これもいいかげん既出だが。
862日本@名無史さん:2006/07/06(木) 14:16:04
>>859
>盾を持ちながらの騎射は難しい。
クロスボウ(弩)なら出来る。
863日本@名無史さん:2006/07/06(木) 20:39:57
弩の片手撃ちなんて聞いたことがない。
不可能じゃないだろうけど命中率は落ちるだろうな。
864日本@名無史さん:2006/07/06(木) 23:27:29
ハンドクロスボウは普通の武器だ。
865日本@名無史さん:2006/07/07(金) 08:25:58
>ハンドクロスボウ

検索してもよく分からなかったけど、片手で使えるクロスボウ?
騎兵や弩兵が現役だった時代にあったんですか?
866日本@名無史さん:2006/07/07(金) 12:06:42
明清代の講談絵巻の
三国志とか水滸伝などの
武者絵の腰にぶら下がってる
867日本@名無史さん:2006/07/07(金) 13:06:06
これかな。「単刀法選」の模写だが。
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/tantou/tantou2.jpg

リロードも片手でできたのか?
鐙に足を掛けて引っ張るタイプのようだが。
868日本@名無史さん:2006/07/07(金) 14:50:54
>>867
>リロードも片手でできたのか?
できないと思う。
でも、ハンドクロスボウは投げ槍よりはコンパクトだろ。
手綱を握ってても、盾を持ってても一発なら射てる。

中国武者の飛び道具は弓やフルサイズ弩の他…

1.何本も投げ槍を背負って投げる
2.手投げ矢(うちねのようなもの)を投げる
3.片手操作できる弩で短矢や石を射つ
4.尾布の付いた短刀や短剣を投げる
5.投擲用に配慮して造形された手斧や棍棒を投げる
6.投石紐で石や爆裂弾(焙烙玉のようなもの)を投げる
869日本@名無史さん:2006/07/07(金) 19:00:57
7.銃器、火箭
870日本@名無史さん:2006/07/07(金) 22:50:59
8.筒矢
871日本@名無史さん:2006/07/08(土) 01:38:03
9.志村後ろ!
872日本@名無史さん:2006/07/08(土) 01:46:02
弩、皆が思うほどずば抜けて有効でもない。

言ってみれば、自転車に対する電動付き自転車くらい。

873日本@名無史さん:2006/07/08(土) 01:50:20
弩を捨てた日本
874日本@名無史さん:2006/07/08(土) 02:32:39
日本は
欧州やインド、中国と比較して
弩を作る素材と技術が乏しかった。

大型の獣を狩るための仕掛け弓も
東北や蝦夷の猟師以外はあまり使わなかった。

さらに材質素材の点から
短弓や半弓も普及しなかった。

弩を輸入することはあっても
自作するための条件に欠けていた。

バカだったわけではないが、
大型獣の狩猟のための仕掛け弓を
国中で作ってるのでもなかったので
普及したり定着したりはしなかった。
875日本@名無史さん:2006/07/08(土) 02:52:32
弩は、他の飛び道具と同様に万能兵器じゃないのは当たり前。

適材適所で用いるなら、便利で有効な兵器だよ。

たとえば、
農民兵が立派な甲冑をつけた正規軍武者を
狙撃して射殺するのにはかなり有用だろ。
876日本@名無史さん:2006/07/08(土) 09:36:31
>874
奈良時代など大陸風の軍隊だった頃は普通に使ってたと思うが。
日本で弩がすたれたのは騎馬弓兵=武士の台頭のためだろう。
>875
狙撃みたいな使い方は、守城部隊なんかでは無くもないかも知れんけど、
野戦では、中国でも欧州でも弩兵隊は斉射戦術をおこなっていた。
877日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:23:08
>>874

何度も言うように、その「バカじゃない」はずの大陸の軍勢は、
異民族に何度も何度もの敗れている。

878日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:28:14
何度も既出だが、フランスvsイングランドではフランスのクロスボウはイングランドの長弓に何度も何度も敗れている。
弩やクロスボウを、「進んだ兵器」と見るのは素人のみ。

日本で言えば、鉄砲をあっという間に普及させた技術と生産力があれば、本当に弩が日本の戦場で有効ならば
とっくに大量生産されていると考えるのが普通。

879日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:34:14
>>876
急峻な地形では、力いっぱいに弓を引き、遠くから狙い済まして狙撃する
必要があるんじゃないかと思われ。
モンゴルや華北の平原での戦い方とは、おのずと異なる希ガス。
880日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:38:15
見せ掛けと機械仕掛けで、武器の優劣がいつでもどこでも決まると考えるのが
中華の悪い癖ですな。
武装はシンプルで応用のできるものが結局多用される。


武装は戦術に依存し、戦術は地形に依存する。
それをつまらないことだと言って来た御仁がこのスレには常駐している。
881日本@名無史さん:2006/07/08(土) 11:08:09
長弓は短弓に劣るから
大陸の戦場のほとんどから駆逐されたんだよ
882日本@名無史さん:2006/07/08(土) 11:25:00
大陸式の短弓(蒙古式)は騎射とセット。
12〜14世紀、馬の機動力を生かした軽騎兵の集団が草原・砂漠で猛威を振るった。
大陸で短弓が多いのは遊牧民の戦術とそれを生み出した地形風土。

弓だけ取り出して優劣を語っても、それほどの意味なし。
883日本@名無史さん:2006/07/08(土) 11:35:22
中国の長くて先まで太い箸と、日本の短く先が細い箸、どちらが優れているか?

日本で中国式の箸をつかって、焼き魚でも食べてみれば分かるが、
先が細くないと不便だし、あまり長いと力が入らない。
中国では比較的かたいものをむしって食べるという食事は実はあまりない。
また大皿に豪快に盛ったものをみんなで食べる。
日本式の箸は短く不便。先が細くても意味がない。

食生活が違うのだから、どこでも通用する答えなんかあるわけがない。
食生活を無視して、箸だけ取り出しても意味がない。

武器も同じで、戦術と地形を語らずに優劣をつけるほうがどうかしている。

884日本@名無史さん:2006/07/08(土) 14:19:10
>>881
真の意味で騎馬戦ができるような、至近距離で弓を撃てるような戦い方が
できたということではないの?
885某コテと間違えられた人:2006/07/08(土) 14:33:07
>>874で「材質素材の点から短弓や半弓も普及しなかった」ってのはあってるような気が・・・
木材、動物の腱、骨角を魚膠で張り合わせた蒙古弓(彎弓)は乾燥した気候でないと
破損しやすかったらしいので。
朝鮮でも彎弓を使ってたけど保管の仕方を間違えると破損しまくりだったらしい。

インドのムガル朝も騎馬民族系の征服王朝だったけど、高温多湿な気候のため
彎弓がよく駄目になるので「鉄の弓」を開発したとか。
886日本@名無史さん:2006/07/08(土) 20:25:43
弩、長弓、短弓、半弓、筒矢、手投げ矢を
選択可能な方が文明度は上だったと思う。

世界を見渡してみると、
銃火器登場以前に、その歴史の大部分で長弓しかなかった民族は
熱帯や亜熱帯などの高温多湿気候の地にいた民族くらいしかいない。
887日本@名無史さん:2006/07/08(土) 20:57:30
文明度まで言い出して、中華を崇めたいか・・。
古代に限らず、戦国期でも日本人が弩に接する機会はざらにあったに決まっている。
海を通じて南蛮その他で公式、非公式問わずに交流しているのだから。
そうして鉄砲も受け入れた。
弩が有効ならば戦国大名は大金はたいて大量生産している。
選択可能というよりも、取捨選択したと考えるのが道理。


眼の前に数多くの武具を並べることと、それが使いこなせることはまた別なのであります。
中華の軍装は、中国武術家がたくさんの技と武器を披露しても、滅法弱いのと同質の問題を抱えているように思うのであります。
888日本@名無史さん:2006/07/08(土) 21:05:44
重装歩兵戦用の弩は廃れたという事。
889日本@名無史さん:2006/07/08(土) 21:39:14
スレ違いだしスレの答えは出てるな。
890日本@名無史さん:2006/07/08(土) 21:42:37
>>888
だね。どんな地形で、どんな相手と、どんな戦い方をするか、という条件で絞り込んで
いった結果、弩は捨てられた、と考えるべきだろう。
広い平原のような地形で、隊列組んで進んでくる重装備の相手に、遠距離から矢の雨を
降らせるような戦い方をするなら、弩は有効だったと思われ。
湿気の多い複雑な地形で、軽装の相手に、接近遭遇戦のような戦い方をするなら、速射性
に優れる弓の方がよかったのかもしれない。
891日本@名無史さん:2006/07/08(土) 23:32:16
どんな凄い武器も、歴代中華大軍の負けっぷりのせいでイメージダウンという現実・・・。

かわいそ
892日本@名無史さん:2006/07/09(日) 01:07:01
弩は撃つのに時間も体力もかかるし、そのわりには横風とかに弱かった希ガス。
形も楯以上にじゃまくさい。
刻々変化する戦場では、ふつうに源平騎馬武者の強弓やモンゴル軍の角製弓で撃破出来るだろ。
893日本@名無史さん:2006/07/09(日) 01:26:41
>>892
弩はリロードに時間がかかるけど、腰のベルトにつけたフック等を利用して弦を引くので
強弓を何度も引くよりは消耗しない。
弩のアドバンテージってのは基本的に威力と射程距離、それと弓より短い訓練時間で
マスターできることだろうね。
894日本@名無史さん:2006/07/09(日) 01:41:40
西欧の弩兵は体力のある大男を使ったと聞いたけど、一般人でもOKということ?
乗馬のさいの機動性や横風についての情報は何かご存じありません?
895日本@名無史さん:2006/07/09(日) 07:06:06
>>893
>弩はリロードに時間がかかるけど、腰のベルトにつけたフック等を利用して弦を引くので
>強弓を何度も引くよりは消耗しない。
>弩のアドバンテージってのは基本的に威力と射程距離、それと弓より短い訓練時間で
>マスターできることだろうね。
正論だね。
農民歩兵が重装騎兵を射殺するのに有用だった。
896日本@名無史さん:2006/07/09(日) 09:45:15
>>894
>体力のある大男を使った

そうなんですか? ジェノヴァ傭兵とか?
考えてみると「フック等で引くから楽」じゃなくて「フック等を使わなければ引けない」
だったのかも知れないw
訓練については、「青春をドブに捨てた」イングランドの長弓兵などに比べれば
短時間ですんだらしい。
馬上での使用にははっきりいって不向きじゃないかと。

ドイツの武術教本では「馬上で弩をもって槍に対処する方法」ってのもあるけど
ttp://ardamhe.free.fr/biblio/talhoffer/cheval%20pique%20arbalete%20hergsell.htm

横風の影響は普通の弓の場合と比べて違うんですかね?

>>895
しかし「武経総要」なんかでは「然張遅、難以応卒。臨敵不可三発、四発而短兵巳接」
といっている。
897日本@名無史さん:2006/07/09(日) 09:45:21
ベトナム戦争で、射程距離と威力と正確性にすぐれる米軍の最新の銃器よりも、
耐久性とリロードにすぐれるAKの方がジャングルで有効だったという事実。

898日本@名無史さん:2006/07/09(日) 19:29:48
>>896
>横風の影響は普通の弓の場合と比べて違うんですかね?
同じか、長弓より矢が短くても
威力や飛距離が落ちにくい
弩の方が横風には有利だよ。
899日本@名無史さん:2006/07/09(日) 19:47:13
ところで、武装と戦術、戦術と地形の関連を分かって頂けたか?

900日本@名無史さん:2006/07/09(日) 19:57:49
 ↑
議論に無関係か、関係の少ない、スジずらしの無駄話は不要。
901日本@名無史さん:2006/07/09(日) 21:10:09
このスレ自体すでに不要。
902日本@名無史さん:2006/07/09(日) 22:26:23
>>900
スレ違いどころか、大いに関係あるがw
903日本@名無史さん:2006/07/09(日) 22:32:25
武装を語るのに、「>>900議論に無関係か、関係の少ない、スジずらしの無駄話」と言う御仁がこのスレには常駐している。

日本のことを「>>829中華文化圏の外れの島での武具史」と言う御仁がこのスレには常駐している。


だからこのスレは最後までクソスレ。
904日本@名無史さん:2006/07/10(月) 00:38:06
>>829は中国人でしょ。
905日本@名無史さん:2006/07/10(月) 01:39:15
中国冊封の小さな島国での得意な武器史なのはそうなのだが
906日本@名無史さん:2006/07/10(月) 07:15:00
1000000000万歩譲って、日本が『中国冊封の小さな島国』だったとして、
冊封体制下の国が皆同じ武装になるはずがない。
中華の史書で『朝貢国』と記載したかどうかで、武装が決まるわけじゃない。


大抵の日本史板の人間ならばそこんとこは理解してくれるよな?
907日本@名無史さん:2006/07/10(月) 08:04:31
冊封体制って中華の自己満足だろ?

908日本@名無史さん:2006/07/10(月) 12:17:20
つか、日本は唐・新羅の連合軍と戦争してるわけで。
909日本@名無史さん:2006/07/10(月) 14:28:58
で、唐軍に日本軍は大敗したと
910日本@名無史さん:2006/07/10(月) 17:04:21
戦争しているのに冊封体制とはこれいかに
911日本@名無史さん:2006/07/10(月) 17:10:44
逆らうと軍隊が来るんだよ
支配されている内に中国で政権交代があると
支配がほったらかしになる

ベトナムや日本は、そのタイミングで距離を取っては
したたかに形式上の被冊封、実質上の独立を
タイミングをみては、ゲットしてきたんだよ
912日本@名無史さん:2006/07/10(月) 18:51:06
形式上の冊封ったって、強いて言えば足利義満くらいだろ?

それにどんなに無礼な返事しようと古代以来日本には蒙古以外の中華の軍隊は来ていない。
その蒙古も日本は撃退した。
913日本@名無史さん:2006/07/10(月) 19:04:31
義満は中華の使者に自分の御輿を担がせていたとかいないとか。


914日本@名無史さん:2006/07/10(月) 19:08:56
>>896
いや、元ネタはたしか漫画の「アルカサル〜王城」のペドロT世弩兵親衛隊のEPなので
詳しくは知らないのだスマソ。しかも十数年前の記憶w
ただ兵書にも「短者持矛戟、長者持弓弩」とあるので弩は普通に大男が使うモンとオモタ。

>>898
あースマソ、ちょと聞きたかった意味が違う。説明不足だったみたい。
日本や蒙古では矢が親指側にあるのは、たしか騎射のさい進行方向からの風を受けても
弓手側の矢が外れないためだとか何かで読んだ気がした。
弩の騎射では風圧を受けるとどうなるのか、何か対策の工夫があるのか聞きたかった。
横風という表現が余計だったようだ、失敬。
915日本@名無史さん:2006/07/10(月) 19:28:17
>>914
あちらでは近接兵器を短兵、飛び道具を長兵というらしいから
もしかしたらそっちの意味かも
916日本@名無史さん:2006/07/10(月) 23:48:47
>>915
>近接兵器を短兵、飛び道具を長兵

短兵:近年は短器械という。刀や剣などの比較的短い武器のこと。
   刀剣、片手鎌、手斧、ハンマー、片手操作の鋼棒など。

長兵:近年は長器械という。棍や槍などの長柄の付いた武器のこと。
   大刀(薙刀のようなもの)、矛、両手操作の大斧(マサカリ)など。

軟兵:近年は軟器械という。皮鞭、鎖を繋いだ九節鞭や棒を繋いだ
   梢子棍や三節棍などの柔軟性のある武器。
917日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:06:09
マサカリと斧は全然違うよ。
918日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:21:46
斧と鉞

オノやマサカリは、鋭い刃先をもつ鉄部に細長い柄を
取り付けた道具で、石器にも原形が見られる原始的な
道具の一つです。
一般に刃部の刃先幅が狭いオノを斧(別名与岐ヨキ)と書き、
これより刃先幅の広いオノをマサカリ(鉞)と呼んでいます。
これらを総称して斧という場合もあります。
古辞書には広刃の斧を鐇(タツキ)と呼んだと記されています。

斧や鉞は、木を加工する道具であるだけでなく、しばしば
権威や神聖な力の象徴として儀礼的にも用いられています。
中国では天子が諸僕を一軍の将に任ずる時、大きな斧(鉞)を
与えてその印としていたことや、手に鉞を持つ雷神の伝説が
世界のあちこちに残されているように単なる道具以上の意味を
持つものと考えられてきたようです。
斧や鉞の物を断ち切る力が、武器としても木材加工の道具と
しても貴重であり、また刃先をきらめかせたその姿が人々に
畏怖の念を抱かせるのに充分であったためかもしれません。

引用
ttp://www.takenaka.co.jp/daiku/msakri/
919日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:23:21
オノやマサカリは
持ち盾攻略に有効な武器だよ
920日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:25:18
921日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:27:40
「父」という漢字の由来

左上を向いてとがった部分は、男のシンボルで、マサカリであり斧。
儀礼用の斧は指揮権の象徴。夫として、主(あるじ)として、子供を
育てる最後の責任を持つ父の姿。

引用:甲骨・金文事典より
922日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:31:15
後継スレは

民族・神話学板の【日本の盾】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1043468879/
923日本@名無史さん:2006/07/11(火) 02:06:10
>「短者持矛戟、長者持弓弩」
検索すれば出てくるYO

呉子曰く、戦いを教うるの令は、短者は矛戟を持ち、長者は弓弩を持ち、強者は旌旗を持ち、
勇者は金鼓を持ち、弱者は廝養に給し、智者は謀主となす。

[訳]
呉子は言う。戦いを教えるときの指導としては、背の低い者には近くの敵を攻撃するための長いヤリを持たせ、
背の高い者には遠くの敵を攻撃するための機械じかけの大弓を持たせ、力の強い者には
行動を指示するための大旗や手旗を持たせ、勇気のある者には進退を合図するためのドラや太鼓を持たせ、
弱々しい者には後方で炊事を担当させ、知恵のある者には作戦計画の策定に関わらせます。
924日本@名無史さん:2006/07/11(火) 02:33:58
キリストもまだ生まれていない
春秋戦国時代の書物の話かよ…

まあいいけどさ。

その後の武器、甲冑、馬具、戦法の発達で
すぐに陳腐化してしまった書物だよ。
925日本@名無史さん:2006/07/11(火) 07:16:45
>>921
共和制ローマ時代、執政官の護衛も、儀式的な斧を持ってたね。
926日本@名無史さん:2006/07/11(火) 07:38:55
日本が冊封体制の外にあったこと、
冊封体制下の国だからといって、武器が同じにならないこと、

納得したのかしていないのかはっきりしろよ。
いつもだらだらとスレと関係ない知識垂れ流して満足しているのは誰だよ。
927日本@名無史さん:2006/07/11(火) 09:23:47
>926
俺とまとめ厨とあと一人くらいですね。いつもすいません。
>923
それって槍の頭越しに矢を放つのかな?
928日本@名無史さん:2006/07/11(火) 11:00:21
>>927
>それって槍の頭越しに矢を放つのかな?
春秋戦国時代の軍装に槍はあったかな?
929日本@名無史さん:2006/07/11(火) 17:30:24
短者は「矛」や「戟」を持ち・・・かな? なぜ長者は弓弩なんだろうね?
930日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:09:45
短兵の「兵」は兵器(武器)のこと、
長兵の「兵」も兵器(武器)のこと。
931日本@名無史さん:2006/07/12(水) 07:30:47
短者、長者は短兵、長兵とは関係ないと言うことでFA?
932日本@名無史さん:2006/07/12(水) 11:51:48
>>915 への亀レスだろ
933日本@名無史さん:2006/07/16(日) 16:01:24
1の前提が間違ってた(-_-;)
934日本@名無史さん:2006/07/16(日) 21:56:47
うるせーぼけ
935日本@名無史さん:2006/07/17(月) 10:22:34
たまたま大河ドラマなどのTV時代劇で持ってないだけで、本当は持っていたかも
しれん
936日本@名無史さん:2006/07/17(月) 12:47:24
>>863
>弩の片手撃ちなんて聞いたことがない。
漫画や映画の話で悪いけど、

「七剣」という娯楽映画観たら、
清兵が至近戦闘で使ってたね。
遠間で矢幕を張るときは弓、
市街地戦闘では弩を使ってた。
舞台は清初の頃だ。
ttp://wwws.warnerbros.co.jp/sevenswords/index2.html
937日本@名無史さん:2006/07/17(月) 12:59:20
938日本@名無史さん:2006/07/17(月) 13:35:41
宋代の装矢用リング付き弩
ttp://sts.nthu.edu.tw/mengxi/story10.html

弓と弩の比較
ttp://vm.nthu.edu.tw/history/shows/show01/sung.siege/defence-h01.html

中国古代の弩
ttp://www.booksir.com/culture/junshi/1/GDBQ/jg-8.htm
ttp://photo1.imat.cn/photos/1130946205891f_k4492u2j.jpg

拳銃によく似たハンドボウガンの出土品(2千年前のもの)
ttp://www.china.org.cn/chinese/2002/Dec/253907.htm
現代のハンドボウガン
ttp://gudi.name/pictue/0512/2693.jpg

強力な設置型の弩
ttp://elib.lib.tsinghua.edu.cn/techlibrary/image/imageware/more/military/19.jpg
ttp://record.museum.kyushu-u.ac.jp/nippon/4bunsatu/062.html

日本古代の弩
ttp://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/photo-page/hakkutu-jyouhou99/ijijyou99/do2.jpg
ttp://www.miyagi-ann.org/exca/1999/99ijijyou014111.jpg
古代律令政府(大和朝廷)が8世紀後半、陸奥国経営の拠点として
置いた宮城県栗原郡築館町城生野の「伊治城(いじじょう)」跡から、
「弩(ど)」と呼ばれる弓の一部が見つかった。
939日本@名無史さん:2006/07/18(火) 11:08:02
悪いがどうでもいい話だ
940日本@名無史さん:2006/07/18(火) 12:08:18
>「七剣」

あれは酷かったね。
回転する刃がついた盾とか出てきて、ちゃんと時代考証してくれって感じだった。
満州人もただの殺戮集団に描かれてて不快感しか残らなかったよ。
941日本@名無史さん:2006/07/18(火) 15:31:26
日本人は臆病で貧乏性だったから。
臆病なので弓鉄砲が主要兵器。
一人づつ盾を持たせるのはもったいない、大盾おいて数人で使え。
ニダ
942日本@名無史さん:2006/07/18(火) 16:04:20
>>941
氏ね
943日本@名無史さん:2006/07/18(火) 18:00:39
>>941
史ね
944日本@名無史さん:2006/07/18(火) 23:06:06
>>941
盾より具足のほうが金がかかるのだが・・。

史ね
945日本@名無史さん:2006/07/18(火) 23:32:01
いつもうだうだと関係ないリンク貼っている人がいるけれど、
実は一度も見たことがない人は神
946日本@名無史さん:2006/07/19(水) 02:14:16
>>940
>回転する刃がついた盾
あれはツイハーク監督の好みだ。
ドラゴン城とかにも出てきた。
マンガな描写を楽しむところだ。

ただ、まともな使い方の盾は
明代末〜清初という時代設定から
出てこなかった。

ハンドクロスボウは劇中では片手撃ちしていた。
947日本@名無史さん:2006/07/19(水) 06:47:02
>>946
>ハンドクロスボウは劇中では片手撃ちしていた

あれもマンガ的描写。
シナの兵学書では弩は両手で保持している。
948日本@名無史さん:2006/07/19(水) 14:09:41
アサルトライフルを片手撃ちするのは
市街戦や室内戦でのテクニックとしてあるから
クロスボウの片手撃ちは普通にあっただろう。

14〜16世紀の欧州だと
クロスボウと木製盾pavise(縦長:1〜1.5m、
重量:4〜8kg)はセットで運用されてた時代がある。
ttp://www.arms-armor.cz/index.php?src=gallery_more&code=ga045&PHPSESSID=16233f3f969f02fa33c5d85b49f7f122

ttp://www.soldiers-russia.com/kolobob/knight_rv05.htm

置き盾としての運用(クロスボウは両手撃ち)が中心だが、
片手でもって移動しつつ運用するときのクロスボウは片手撃ち。

参考:
ttp://www.arms-armor.cz/gallery_window.php?
code=ga012&pic=1&heading=Footsoldier%20with%20pavise&PHPSESSID=16233f3f969f02fa33c5d85b49f7f122

ttp://www.hobbybunker.com/images/products/3604.jpg

日本のパビス兵?
ttp://www.hobbybunker.com/images/products/3609.jpg
949日本@名無史さん:2006/07/19(水) 14:21:30
小型クロスボウと現代のPDW(P90やMP7)

PDWの要件
1.有効射程距離にして200〜300メートル程度の能力がある
2.多くの兵士が扱える操作簡易性を持つ
3.片手撃ちが可能なサイズもしくは形状である
4.発射反動が片手操作で扱える範囲にある
5.上記射程範囲で対物貫通力が小銃並に高く、装弾数が可能な限り多い

小型クロスボウ
1.有効射程距離にして150〜250メートル程度の能力がある
2.多くの兵士が扱える操作簡易性を持つ
3.片手撃ちが可能なサイズもしくは形状である
4.発射反動が片手操作で扱える範囲にある
5.上記射程範囲で対物貫通力が弓並に高く、携行可能矢数が弓より多い
*.連射能力は弓に大きく劣る…

なかなか良い武器だったみたいだね、クロスボウ
950日本@名無史さん:2006/07/19(水) 18:30:24
>>948
14世紀頃から弩兵の本場だったイタリア半島では、弩兵とは別にパヴィサリ(大盾兵)がいて
パヴィスを持って移動するのはそいつらの役割だった(近接兵器として槍も装備)。

戦場では一人のパヴィサリと三人の弩兵が組になって行動していた。
いわゆる鉄砲三段撃ちのような交代射撃をパヴィスの背後で行っていたという説もある。

クレシーの戦いでジェノヴァの弩兵がイングランドの長弓兵に壊滅させられた原因のひとつに
パヴィサリが盾をもっていなかったという事があったらしい。

>置き盾としての運用(クロスボウは両手撃ち)が中心だが、
>片手でもって移動しつつ運用するときのクロスボウは片手撃ち。

無意味な行動。突撃するための兵科は他にある。
951日本@名無史さん:2006/07/19(水) 18:41:26
ついでにいうとトリガーの形を見ただけで片手撃ちに向いてないのは一目瞭然だと思うが
952日本@名無史さん:2006/07/19(水) 19:23:05
>>951
>トリガーの形
いろいろあるから安易なことを書かない方がいいよ
953日本@名無史さん:2006/07/19(水) 19:28:05
>>952
そうなん?
上に引くやつがヨーロッパでは一般的だったと思ったけど
954日本@名無史さん:2006/07/19(水) 19:37:05
そういや古代中国の弩は手前に引くトリガーだっけ。
でもトリガーとグリップの長さが同じくらいなかったか? 片手で撃ちにくそうだけど。
955日本@名無史さん:2006/07/19(水) 20:35:25
956日本@名無史さん:2006/07/19(水) 23:15:56
古代中国の弩とヨーロッパ弩では装填法や破壊力に、どのていど違いがあったん?
957日本@名無史さん:2006/07/20(木) 00:29:50
ヨーロッパのは、中国のが1千年以上遅れてから
伝わっただけだから、ほとんど同じだろ
958日本@名無史さん:2006/07/20(木) 00:57:44
それほど遅くはないと思うけど。
たしかギリシャ・ローマ時代には使われていた。

装填法については、ラチェットやウィンドラスを使った機械式は
中国には無かったと思うけど。

威力については、ヨーロッパ側の詳しいデータは手元にない・・・
宋代に開発された「神臂弩」から放った矢は、340歩先にある楡の木に
矢長の半分までめり込んだとかいうけど。
959日本@名無史さん:2006/07/20(木) 02:41:29
弩の発明は2500年前の中国。

ギリシャ時代、ローマ時代の
中国では使われていたが、
ギリシャやローマでは使われていない。
ヨーロッパに中国から伝わったのは
モンゴルの膨張があった12世紀。

12〜13世紀に中国から欧州に伝わり
普及が開始したものは以下の3つ。

1.クロスボウ(中国での発明は紀元前5世紀)
2.火薬、ロケット、銃砲(中国で発明され、実用化は10世紀)
3.馬具としての鐙(中国での発明は4世紀)
4.羅針盤(中国での発明は11世紀)
5.活版印刷(中国での発明は11世紀)
960日本@名無史さん:2006/07/20(木) 08:00:59
まとめ厨、大活躍!

クソスレももうすぐ終わりだから、グダグダと語りまくれ
961:2006/07/20(木) 08:55:37
いわゆる戦国時代、武将達は『ここに居るぞ!』と言わんばかりの目立つ姿で戦場に出た。その理由を考えると、盾の必要は無いと考えられる。要はプライドの問題。盾で攻撃を避ける行為は、死んでも無理だったのだろう。
962日本@名無史さん:2006/07/20(木) 09:07:09
>>959
古代ヘレニズム世界にも「ガストラフェテス」という歩兵用の弩があった。
こういう腹に押し当てて引くタイプ。
ttp://sfr.ee.teiath.gr/historia/historia/graphics/20/20-30.jpg

大型の弩は攻城兵器に使われてたね。
963日本@名無史さん:2006/07/20(木) 09:11:22
あと、鐙の伝来が12〜13世紀てのは遅すぎ。
>>542で詳しく書いたけど。
964日本@名無史さん:2006/07/20(木) 09:28:16
まとめ厨に何を言っても無駄。

冒険のほうがまし
965日本@名無史さん:2006/07/20(木) 09:42:36
楯など必要ない
966日本@名無史さん:2006/07/20(木) 10:01:41
やーやーわれこそは方式だから・・・。
967日本@名無史さん:2006/07/20(木) 10:30:29
それはない。
源平合戦ですでに集団戦は行われている。
八幡愚童訓には名乗りをあげた武士が蒙古軍に取り込まれて討ち取られた記述も、日本軍が蒙古軍を囲い込んで討ち取る様も記述もある。
蒙古軍の特筆すべきは全軍統一での集団運動。
日本は御家人単位。
これもすでに何度も書いた。
968日本@名無史さん:2006/07/20(木) 12:40:21
>>962
>古代ヘレニズム世界にも「ガストラフェテス」という歩兵用の弩があった。
ファンタジーゲームと混同してないか。
ストラフェテス、オキシベレス、バリスタ、スコルピウス、
オナゲル、ケイロバリスタ、、、。現れては消えた
試作武器の数々。それらは継承されなかったんだよ。
中国がゴルフの起源国だと強弁してるようなDQNさだね。

西欧のクロスボウが中国由来ではないと言ってる
まともな歴史学者は今時いないよ。
969日本@名無史さん:2006/07/20(木) 12:51:20
>>963
>鐙の伝来が12〜13世紀
欧州での普及はその頃だよ。

鐙自体は
3世紀の中国〜ササン朝ペルシア帝国〜イスラム勢力 経由で
6世紀末に欧州に伝わっている。

しかし欧州での鐙普及の時期はもっと後だ。

冷静に史実を調べよう
970日本@名無史さん:2006/07/20(木) 14:04:03
まとめ厨は何事にも中華主義オタだから気にすんなよ。
おまえが一番勉強しろよと。

971日本@名無史さん:2006/07/20(木) 15:42:47
まとめ厨は若いと思う

米ディスカバリーチャンネルの話ぶりに似てる
972日本@名無史さん:2006/07/20(木) 16:21:34
米中の接近を背景にして
中国寄りに傾いてるのは昨今の流行だよ
973日本@名無史さん:2006/07/20(木) 17:53:08
流行かよっ!

974日本@名無史さん:2006/07/20(木) 18:21:56
米中接近で中華オタできちゃうのかよっ!
975日本@名無史さん:2006/07/20(木) 19:48:24
まとめ厨は中国人そのものじゃないのか?

いつも微妙に話が噛み合っていないのだが。
976日本@名無史さん:2006/07/20(木) 19:50:47
>>968
それはどうかな?
弩はヘレニズム期の徒花として消えたわけではなく、古代末期の4世紀になってもヴェゲティウス・
レナトゥス著「軍事論」なんかで相変わらず弩が言及されてる。
手元にあるMedieval Warfare Source Bookって本によると、西ローマ時代のガリア地方の彫刻には
狩猟用の弩がみえ、回転するナットがついた、中国とは異質な形式のものだそうだ。
ナットの実物はイングランドやスコットランドの墳墓から発掘されており、また中世初期のピクト人の
彫刻にもはっきりと弩が描かれていると。
たぶん暗黒時代にも狩猟具として細々と生き残っていたのでは?

というか13世紀のモンゴル侵攻を待たなくても、11世紀かそれ以前に弩の軍事利用は復活してるけど。
例えばビザンツ皇女アンナ・コムネナの著作に、ノルマン人が1096年に弩兵隊を用いていたことが
述べられているし、弩のキリスト教徒に対する使用を禁じた(飛び道具全般を禁じたという説もある
らしいが)第2回ラテラノ公会議が1139年。12世紀の十字軍でも普通に弩は使われている。
モンゴルが来るまでヨーロッパで弩が知られていなかったというのはあり得ない。

バリスタ系の大型兵器が試作品で終わったってのは初めて聞く話だ。
977日本@名無史さん
>>969
>欧州での普及はその頃だよ。

>>959で「12〜13世紀に中国から欧州に伝わり」とはっきり書いてなかったっけ? まあいいけど。

>しかし欧州での鐙普及の時期はもっと後だ。

うん。こっちの知ってる限りでは、9世紀末のPsalterium Aureumに描かれているカロリング朝騎兵はすでに全員鐙を使用しており、
11世紀になると絵画史料の中で鐙をつけていない方が珍しかったはず。だから12〜13世紀ではないだろう。

>3世紀の中国〜ササン朝ペルシア帝国〜イスラム勢力 経由で

南ロシア経由でアヴァール人が持ち込んだという説の方が一般的らしいけど、ペルシャ人も鐙は使ってたらしいね。
ただアラブ人は当初鐙の使用を軽蔑していて、7世紀末にホラーサーンの軍団が使い始めたのが最初らしいので
「イスラム勢力」は経由してないかもしれない。