日本人の先祖って

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914900:2006/07/29(土) 07:56:52
>>906
どの時期か、どういう人かというのを限定していないので、議論が成立しないのかも
知れないが、百済が滅んで亡命者が来た時、近江地方へ定住を勧めたということなど
を考えると、手付かずの地方が結構あったと想像する。ましてやそれ以前ではまだまだ
逃げ込む場所はあったろう。

傍証でしかないが、諏訪神社の所在地が点々としてあるのを見たりすると、当時は氏族
の固有の神を祭る習性があったことを考え合わせると、そのルートで奥地へ移動したと
想像できないか。

交易路の重要性を否定するものではないがが、交易路の発見にまさか船団を組んで海路
調査とかやったわけでもないだろうと思う。何日間が漂流して運良く帰った人が東へ行
くと緑豊かな島があったとか言ったと思う。どの星がどの辺に見えたとか知見が集積さ
れたのではないだろうか。
915日本@名無史さん:2006/07/29(土) 08:18:42
>>912
沖縄は、縄文人の顔だろう。
縄文人は。北方古モンゴロイドであって、南方人では無いらしい。
一昔前の定説では、縄文人=南方系 だったが、最近ではそうでは
ないらしいという話だ。
916日本@名無史さん:2006/07/29(土) 08:22:49
>>909
>舶来品を好む

これはそう。
特に近代以前は、色白で切れ長の目が美人とされたから、公家や武家は
競って薄顔美形と結婚したと思う。もともと先祖は縄文顔だったかも
しれないが。

ところが現在は、薄顔=平べったい顔、となってあまりイメージが良く
なくなった。だから、皇族も積極的に濃い顔の人と結婚している。
917日本@名無史さん:2006/07/29(土) 10:20:40
>>916
そんなこたーない。
現在こそ、うす顔、無毛の天下。濃い顔、多毛は男女ともにイメージ悪い。

「皇族も積極的に濃い顔の人と結婚している。」←馬鹿w
918日本@名無史さん:2006/07/29(土) 10:36:24
多分、鬼女板の読みすぎでマサコを「濃い顔」と勘違いしてるんだろうな。

「濃い顔」ってのは、男なら平井堅や川平慈英、村上弘明みたいな顔。
女なら仲間由紀恵や中山エミリ、遠藤久美子のような顔をいうわけで、
キコもマサコも全然濃い顔ではないんだがw

マサコは顔がむくんだせいもあるけど、普通に日本の中年オバチャンの顔。
919日本@名無史さん:2006/07/29(土) 11:12:35

【黒色磨研土器】 縄文後期(BC11C〜13C)

 縄文土器のうち、表面をヘラなどでみがきあげた土器を磨研土器といいます。この種の
土器ははじめ赤褐色であったが、後期ごろから黒色化する傾向をしめし、ことに九州を
中心に後期後半ごろから、器面が黒色の光沢をもちロクロを使用したと思われる、
黒色磨研土器が普及します。この土器は、縄文文化独自の形成とみるべきではなく、
江南の各遺跡から多量に出土している黒陶の関係をかんがえなければなりません。

**鴨緑江流域一帯の積石塚からは褐色磨研土器、黒色磨土器、灰色土器などの土器類と
環頭大刀、合口、槍、鉄斧などの鉄製武器、銅鐸、透彫り文装飾、小釘打ち薄銅版の青銅器
と装飾品が出土し、褐色磨研土器と黒色磨土器は紀元前3世紀の遺物として認められている
http://www.himawari.ed.jp/nuki_e/nukigawaiseki.htm
http://www.e-obs.com/rekisi/kodai/sousetu/sousetu1-1.htm
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/category/hakubutsu/kouko2.html
http://www.vill.tsumagoi.gunma.jp/siryoukan/kannai.htm
920日本@名無史さん:2006/07/29(土) 11:14:27
これ>>919と比べて見てよ、よそに有ったコピーだけど黒陶だな

17番の「陶釜」なんて雰囲気がよく似ているんではないかい?
他にも色々あったが、面倒なので一個だけにする。

http://inoues.net/museum/mikata_museum_kaboso.html
921日本@名無史さん:2006/07/29(土) 12:58:05
アメリカに渡った人たちは、北方系?
922がいやまん:2006/07/29(土) 13:21:40
↓これはアメリカに渡ったのはバイカル・モンゴル辺りからとしている:
http://www.nyas.org/ebrief/miniEB.asp?ebriefID=357
923日本@名無史さん:2006/07/29(土) 13:22:43
縄文後期中頃に伝わった遼東・朝鮮経由の黒陶擬似の黒色磨研土器ね。

朝鮮半島の無文土器の遺跡では黒色磨研土器や丹塗磨研土器もよく出土する。

なぜ朝鮮経由なのかと言うと、黒色磨研土器が伝わった縄文後期中頃(BC15C前後)
の中国では既に原始磁器時代に入り、主流が灰陶であったのと、
やはり中国土器の代表器形である三足器形が無いからである。

それに甑や豆などの器形も無い。

また縄文後期(BC20C)と河姆渡文化時代(BC50C)では時代が3000年ほども
違う事もお忘れなく。
924日本@名無史さん:2006/07/29(土) 13:40:38
日本人は大陸・半島より古い血を多く持ちながら新しい血の文化を
積極的に取り入れることで発展してしまったブレンディ民族ということかね。
アイヌ・琉球は新しい文化と同化することを拒み、ただ自然と共に生きることをより好んだ。
日本人も、自然への憧憬をもつがそれ以上に集団存続の危機のとき
敵国文化を積極的に取り入れて、自然を逆に壊すことさえ厭わないように思う。
925日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:00:50
■歴代天皇【日本版ダヴィンチコード】■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1148778771/49-54

卑弥呼は、神功皇后ではないようだね。
卑弥呼は垂仁天皇と同時代の人間だから・・。

第13代=成務天皇の時代には、卑弥呼はすでに死んでいる。
926日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:30:02
>>925
天皇の年代を記紀のまま考えるのは意味ないだろう。

記紀にかいてあることは、なんらかの事実や古い言い伝えを
反映したものであるという見方に立ったとせよ、
(私はその考え方をある程度支持するが)
書いてある年代をそのまま信じるのはオカルトだろう。

神武天皇が仮に実在したとした場合、鏡や鉄器などの習俗からして
その年代は紀元後になるだろう。

岩戸隠れのエピソードは卑弥呼トヨ関係のエピソードではないかと思う。

アマテラスの存在自身は神話であり、中国江南を中心に大陸に広く類型的にある
3貴子伝承だが、岩戸隠れのエピソードは日本オリジナルで、
女王が立って戦乱を収め、死後に男王が立ったら国が混乱して、また女王を立てて収めた
という記憶を、類型的神話の中に織り込んであるように見える。

なぜなら、岩戸とは墓の蓋のことだし、再臨したアマテラスは性格が全く違ったからだ。
再臨したアマテラスは、何事もタカムスヒやオモイノカネに相談するようになった。
(以前は独断で決めていた)

アマテラスの系図を見ると、アマテラスの息子の嫁がタカムスヒの娘でオモイノカネの妹である。
この人が2代目アマテラスだと考えると、タカムスヒとオモイノカネに相談するのは筋が通る。
その人の名前は、萬幡トヨ秋津師姫命。台与がモデルなのかなと思わせる名前である。
927日本@名無史さん:2006/07/29(土) 15:08:26
しかし、わっかりやすい捏造をわざわざするかな〜と思ってみる。
当時の人間もそんな馬鹿じゃないだろう。
あくまで仮説としては聞くが事実として語られると違和感ありすぎ。

戦国時代の文書は各武家で戦の勝敗の見方がかなりちがうことがあるが
俺はすべて真実であると思う。あるいはすべて捏造だと思う。
なんちゅうか人間てありのままを見ることできんと思う。
928日本@名無史さん:2006/07/29(土) 15:52:49
>>923
朝鮮半島の無文土器の遺跡では黒色磨研土器や丹塗磨研土器もよく出土する。


朝鮮半島からのは、新しすぎないか、ロクロも定説と違うな(定説ではAD4C)
929日本@名無史さん:2006/07/29(土) 17:30:30
あっ み〜つけたあ〜

黒陶、灰陶、工作員は半島自慢してるって事は半島人か、在日か、
あちこちでコピペしてるな、毎日毎日ごくろうさんです、暑いけどがんばれ。
一日50ヶ所位コピペしてるん、儲け過ぎだよ少し回してくれよ!
930日本@名無史さん:2006/07/29(土) 19:49:13
>>908-909
言語の交じり合いは、日本ほど多いのはないんではと疑問に思った。
同じ意味の用語の言い換えは一杯あるし、方言もいろいろ。
908 では、言語からのルーツを探すのは投げ出したようにみたが、沢山ある用語を
仕訳けてそれぞれの語源を探すなんて、労多くして功少なしってことでもう止めた
ってことですか。
多くの用語に付き合ってきたせいで、ひらがな、カタカナ、漢字、横文字など
に抵抗感はなくなった代わり、一方英語は何年習ってもダメも多い。なんかあり
そうですよねえ。
931日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:04:42
>>918
この、たわけ----っ!!

川平滋英は、母親がアメリカ人だよっ。
932日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:05:44
滋英じゃなくて慈英か。
933日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:21:19
「高校生のための論理思考トレーニング」には面白いこと書いてあったな。
八百万の神様の思想があるとかなんとか。なんかこじつけくさいと思ったが面白くはあった

個人的には聞き取りが問題だと思う。
日本人は文語は得意でも、口語はまるきしだよね。本番一発で勝負するよりおうちでしこしこが好きな人種なんだね
934930:2006/07/29(土) 22:26:04
>>933
時間的空間的に多くのグループがやってきて、それぞれが固有の氏神さまを持って
いて、縄張り争いをするところは別にしてナアナアでやっているうちに、神さまは
みんなのを拝んで置かないとモメルってんで、神式ではああいう祝詞になったんか。
なんか納得するところある。
時も丁度、梅雨明けで各地の神社の御祭りが始まっているが、もう忘れてしまった
共通の祖先=氏神を持ち出して、お互いイジメ合うのは止めようとか、助け合おう
とか、意識無意識は別にして、確認しているんだろうねえ。

落下傘で領主になった殿様が、土地のお宮に寄進したりお参りするってのは、その
土地(住民)への表敬だもんな。
935白馬青牛:2006/07/30(日) 00:20:55
>>914
陸兵を従軍する時期を新航路を造った唐代より前とした方が良い。
逃げ込む場所を探すのも容易でない。交易路で、自由に移住言う出来る
ほど、移住も簡単では無く、少数では現地民に喰われるし、ある程度の
集団で渡来せんといけん。
渤海使節が現地民に虐殺されたのも少数であった訳で、オホーツク文化人の
ように、ある程度の集団で移住すれば、なめられることもない。交易路で
移住するとなると、海路調査とまで行かずとも、軍事力かあるいは経済力、
技術力に、原住民より高度な技術を持つ集団であったろう。倭人に対する
漢人商人のように。交易路は陸地の見える地域を目指したのであろう。
また漂流した部族において漂流先で、種を残した部族の実例も無い。
その場合、奴隷化されるのがおちであろう。
936日本@名無史さん:2006/07/30(日) 08:19:34
>>935
>倭人に対する漢人商人

文献等あれば、教えてください。
937白馬青牛:2006/07/31(月) 02:25:59
>>936
>935は、前文を削ったので可笑しゅうなった。波の荒い新航路は
渤海〜日本も含め、唐代以降ということです。
漢人商人については、>730に挙げたサイトの文を読まれると良いで
しょう。港市に漢人が出向いてなかったのであれば、倭人伝ももっと
曖昧なものになると思う。文化度の高い民族が交易に出かけ、文化度の
低い民族が隷属するのは当然で、例外の事例があるのであれば、挙げて
いただきたい。日本が島国で独特とかの一国中華思想ではなく。
938日本@名無史さん:2006/07/31(月) 12:59:09
>>937 倭国のシナへの隷属度は、海を隔てていたので、地続きの半島より低かった
のでは?まあ、楽浪郡という植民地を作るほどだから、当然、半島の方が隷属的
だったのだろう。

 漢人が海外進出して華僑が現地経済を牛耳るようになったのは、中世以後の話で
秦、漢時代に海外進出していただろうか?シナは大陸国家として拡大しただけでは
ないか?


939白馬青牛:2006/08/01(火) 00:27:46
>>938
『魏志』韓伝において、韓人は反乱を起こし漢人に抵抗しておるので、
倭人のように隷属、従順であったと云い難い。人種は別として倭人も
韓人も越系文化要素が強いが、倭人の方が漢人に隷属した海人系、
韓人の方は農民系要素が強いとも云える。朝鮮が海洋的になるのは、
高句麗・百済の影響が強いのであろう。統一新羅は海洋王国とも云えるが、
海賊の親分の張保皐が海民として新羅中枢部から軽視された事、
高麗期においても、楊水尺が賤視され事等、朝鮮は内陸の陸地民要素が
強かったのでないか。一方日本は、海洋王国新羅と違い、白村江以来
内陸国家的となったが、瀬戸内・九州沿岸の海洋性は無視出来ん。
漢人は、武帝が衛氏討伐の為、陸路と海路の両方を使うたが、海路は、
海を渡って朝鮮を攻めた。海軍を率いる楼船将軍は楊僕。王険城が容易に
陥落せんかったのは、陸軍と海軍の作戦不一致にあろう。我が国に
おいても帝国陸軍と海軍の関係同じようなもの。「史記、朝鮮列伝、
第五十五」に出ておるよ。黄海は後の、渤海の山東襲撃と遼東から
海路攻める場合もあり、山東・遼寧(満洲)・朝鮮は、黄海海洋文化圏とも
云える。中華帝国が大陸要素が強いのは事実であるが、海のシルクロードと
云われる江南〜東南アジアの南海路や黄海海民文化もあり、古代から
大陸要素だけで、説明出来ん。
940日本@名無史さん:2006/08/01(火) 01:54:41
>>939 海のシルクロードと
云われる江南〜東南アジアの南海路や黄海海民文化もあり、古代から
大陸要素だけで、説明出来ん。

・・・そのわりにはシナ人が台湾へ移住したのが清初というのは、どういう
ことなのだろう?華僑の進出も日本人の南方進出時代と変わらないようだ。

 倭寇が初期の日本人中心から後期のシナ、朝鮮人中心に変わって行った
のも日本人の方が先行している。

941白馬青牛:2006/08/01(火) 22:24:11
>>940
中国人が台湾へ移住したんが遅かったんは、東支那海流が北から南へ
流れ、沖に出ても黒潮は北上するので安定した航路でない。
しかも交易利益は南海路「真珠街道」の方が良く、東支那海の東側より、
南の扶南等の東南アジアの方面に関心があった。
倭寇以前に新羅人が北九州を度々襲ったので、日本列島の住民が先行しとる
と云えん。倭寇や古代の倭人が中国、朝鮮の海民も含むエスニック集団で、
列島住民のみでないことは同意。
942日本@名無史さん:2006/08/02(水) 00:25:52
>>941 倭寇以前に新羅人が北九州を度々襲ったので、日本列島の住民が先行しとる
と云えん。

・・・それ以前に倭人が渡海して新羅の王城を7日間?ほど包囲したり、高句麗と
戦ったりしていたので、列島住民の方が先行しているのでは?このときの倭人は
エスニック集団ではなく倭人のみと思われる。

943日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:05:18
神様
944白馬青牛:2006/08/02(水) 01:36:42
>>942
高句麗にはボロ負けしたけどね。倭人集団は。エスニック集団でないと
する根拠は?倭人は列島のみでなく、半島も含む海民集団じゃろう。
以前と云うても、結果として本土日本人が、人種的に琉球やアイヌ人と
違い、東北アジア系となったのは渡来系に人種的にも圧迫されたと云う
こと。在来系は渡来系に支配されたと云うことじゃろう。
945日本@名無史さん:2006/08/02(水) 02:58:20
>>944 この時の倭人がエスニック集団だったとしても新羅を攻めるのに新羅人は
含まれていないだろう。倭人に百済人が混じっていたかも知れないが。

 渡来系といっても高句麗語、百済語と日本語は関係あるかもしれないが、新羅語
とは関係が薄いらしい(by 李基文)。言語は軍事または文化の優れた方が支配
するのだから倭人の方が支配勢力として残ったはずだ。

946日本@名無史さん:2006/08/02(水) 10:06:14
ちなみに、高句麗語は事実上復元不可能に近いらしい。
これ以上言うと、いい〜やそうではない、という意見が続出するからやめる。
947日本@名無史さん:2006/08/02(水) 13:52:53
>>946 高句麗語が復元できるのなら、魏志倭人伝の倭人語から古代日本語を復元
できるだろうな。高句麗語は倭人伝の倭語以下程度しか分かっていないようだ。

948日本@名無史さん:2006/08/02(水) 23:35:52
縄文語の復元が一時期流行ったが、あれは何だったんじゃ?
949白馬青牛:2006/08/03(木) 00:42:13
>>945
新羅とする民族集団が形成されておったと断定出来んけどね。
倭人の方が韓人より、漢人に隷属する等、文化的に先進的であったとは
思う。じゃが、小国の新羅に対しても、倭人集団は、結局攻略出来ず、
新羅を大国化させたので、軍事的優位とまで云えん。
倭の軍事文化的序列と云えば、江南の南宋の官品から高句麗と較べると、
高句麗の463年車騎大将軍、480年驃騎大将軍と第二品に対し、
朝鮮南部に支配権を主張した倭は、438年〜478年、第三品下位の
安東大将軍。ようやく479年の鎮東大将軍。百済は458年既に
第三品上位の鎮東大将軍であり、百済よりも低い。所詮倭は朝貢する
わりに、南朝からも相手にされてなかったと云うことじゃろう。
950白馬青牛:2006/08/03(木) 00:55:44
>>949
の、補足として、高句麗の車騎大将軍・驃騎の将軍は第二品。
四征・四鎮(鎮東)の将軍は第三品上位。四安(安東)・四平・
征虜・冠軍等の将軍は第三品下位。
951日本@名無史さん:2006/08/03(木) 05:43:14
>>949 倭の五王は加羅、新羅、百済、弁韓、辰韓などの半島南部の軍事
支配権をシナに認めさせたのではなかったか?

 その後、新羅が唐と組んで百済、高句麗を滅ぼす大国になったのは唐の
時代という後世のことだ。
952日本@名無史さん:2006/08/03(木) 20:48:02
■歴代天皇【日本版ダヴィンチコード】■
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1148778771/49-54

どうやら、百済を建国したのは神功皇后のようだ・・・。
百済が最初に建国されたのは西暦314年。
神功皇后の時代と重なる。

 百済国=百姓国(はくせい国)
  百姓=多くの姓=百官(多くの官吏)

やはり、楽浪郡の役人たちの亡命政権らしい。
953白馬青牛:2006/08/03(木) 22:40:18
>>951
倭は、百済まで加えようとしたが、江南政権の宋に拒否され、江南政権から
見て倭より格上の百済は認められてない。江南と倭の関係が如何に
薄かったかと云うこと。
新羅は徐々に大国化したので、唐代に突如大国となった訳でもない。
>>952
語呂合わせは、馬鹿馬鹿しい。西尾氏も韓国ナショナリストと同じく、
江南思想の儒教朱子学(攘夷思想)で同じ穴の狢。韓国人と嫌韓人は、
性質が同類であろう。
954日本@名無史さん:2006/08/03(木) 23:44:44
くだらない!
955日本@名無史さん:2006/08/04(金) 00:49:45
『新しい歴史教科書をつくる会』の設立者の一人であり、
文学博士である西尾幹二氏が、朝鮮民族の性質について鋭い意見を述べているので紹介します。

【外が見えない可哀そうな民族】−西尾幹二氏−月刊誌『正論』より

我々はイスラム教徒が毎日時間がくると一斉に座して、手を前につき、アラーの神に祈りを捧げる風景を見て、
我々とは異なる宗教社会の存在をありありと感じることが少なくないであろう。
しかし、朝鮮半島となると、これは近隣で生活上の見かけも似ているので、我々とは異なる宗教社会が
あそこに存在するとは、なかなかに気がつかない。実は韓国人と韓国社会は、イスラム教とイスラム社会と
同程度か、あるいはそれ以上に、日本からはへだたる異質な社会なのである。
(省略)
西尾幹二先生の論文、実に素晴らしい。韓国人の妄論をバッサリと斬り捨てています。

【外が見えない可哀そうな民族】
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/jsdf/1150817829/217-223
956日本@名無史さん:2006/08/04(金) 17:25:01
しかし、朝鮮半島となると、これは近隣で生活上の見かけも似ているので、我々
とは異なる宗教社会があそこに存在するとは、なかなかに気がつかない。

・・・北鮮のジョンイル教や南鮮の統一協会、摂理、原理運動などを日常的に
見ているので、日本と異質な社会だと誰でも気付いているだろう。

 気付いていないのは、地球市民や左翼小児病者だけだろう。

957日本@名無史さん:2006/08/05(土) 11:15:06
日本に来る韓国のタレントの、日本での報道を韓国ではどう見ているかを日本で
報道すると日本人によく事情がわかると思うがそういうのはみないねえ。
韓国では、韓国で人気がないから日本へ行っているくらいの扱いかも知れない。

韓国で人気があるタレントで、日本に来るのと来ないのとの情報もないよねえ。
こうなると芸能ダネでなくなるか。
958日本@名無史さん:2006/08/07(月) 15:54:52
先史日本語と関係があると思われる沖縄の言葉を紹介
沖縄(本島)の言葉には母音「あいうえお」が「あいういう」となっている。
つまり「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化したものが多いのである。
日本標準語の母音を「あいういう」にすれば、沖縄の方言になるものが多い。
米(こめ=kome, 「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化する法則を使えば
    →kumi=「くみ」と発音される
酒(さけ=sake, 「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化 する法則を使えば
    →saki=「さき」と発音される
心(こころ=kokoro,「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化する法則を使えば
 →kukuru=「くくる」と発音される
手(て=te,「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化する法則を使えば,
→ti=「てぃ」と発音される。
の(no, 「えe」が「いi」に、「お0」が「うu」に変化する法則を使えば
→nu=「ぬ」と発音される。(例)島人ぬ宝=島人の宝 親おやoya→uya「うや」と発音される。
♪てんさぐの花tensagu nu hana」→tinsagu nu hana「てぃんさぐぬ花」
この(kono→kunu=「くぬ」と発音される。
清ら(きよ)ら=kiyora、「お0」が「うu」に変化する法則を使えば
→kiyura(きゆら)→chura(ちゅら)と発音される
(例)この清ら(かな)こころ→「くぬちゅらくくる」と発音
 他にも音声変化の法則があり、また古語に属する言葉も多く残っている
ので、方言をべらべらーっとまくしたてられると他県の人は外国語を
聞いているように思うだろう。 (例)敬語的表現の「〜そーれ」→「候え」、「給り」→「給われ」
東風平(こちんだ)→「東風(こち)吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」(菅原道真)
南風原(はえばる)の南風(はえ) とぅじ(妻のこと)→刀自(とじ)など
文法上の構造も、語源的にも 日本語と同一であり、中国語とは異なる。
沖縄の言葉は現代日本語より、むしろ中世以前の日本語に近い言葉であろう。
おきなわ の ことば     → うちなあ ぬ くとぅば
959日本@名無史さん:2006/08/07(月) 23:28:04
琉球語のフラットなイントネーションと、九州全土、北陸、東北、北海道
なんかのフラットなイントネーションが非常に似ていると感じる。


声調の変化にも似た抑揚の大きな関西弁は、際立って異なる趣を感じる。
960日本@名無史さん:2006/08/07(月) 23:30:40

八咫烏,八咫鏡の話

咫というのは、中国(周の時代)の一寸に当たる単位で大きい意味も、八咫烏は
『日本書紀』では頭八咫烏と表記され、頭が八寸もある大きな鳥を意味する。
また足は三本であったという。これは太陽神の使いであるからで、
「太陽には三本足のカラスがすむ」という中国の神話に基づくものであろう。

八咫烏と言えば紀(キ)の国、熊野神宮、周王朝の姓は姫(キ)咫は周の一寸
これはなんか、クサイな!!八咫烏は東方扶桑の木の枝から昇と言う。クサイな。
961日本@名無史さん:2006/08/08(火) 00:43:36
>>959 四国も関西アクセントだが、渡来人は九州、中国を飛び越えて、近畿、
四国へ大量に渡来したのか?
962日本@名無史さん:2006/08/08(火) 00:47:51
>>959 声調の変化にも似た抑揚の大きな関西弁は、際立って異なる趣を感じ
る。

・・・朝鮮語はフラットだから、関西、四国へはシナ人が渡来したという
のか?



963日本@名無史さん