ちなみに、前スレの「倭の五王は天皇じゃない説」だが、「雄略天皇の鉄剣」で論破可能。
埼玉県稲荷山古墳において「ワカタケル」と称される人物の鉄剣が出土しているが、
同じ物が熊本県江田船山古墳においても見つかっている。即ち、鉄剣に刻まれてい
る人物は埼玉から熊本に到るまでを支配していた人物である可能性が高い。
この時期は倭の五王の宋への朝貢時期と重なっており、九州から関東を支配していた
人物を置いて、別の誰かが半島の支配権を主張したとは考えられない。
因みに、ワカタケル=武=雄略だとされている。
48 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 14:57:30
でもその鉄剣、中華の年号が刻まれていないんだよなぁ。
干支の組み合わせの年号だと思う。
卑弥呼の鏡なんか、中華の年号が刻まれているからなぁ。
たとえ国産品だとしても中華の年号を刻むということは精神的に屈服したことだろう。
>>48 古代の日本人なんてみんなそうだよ。
因みに鉄剣を刻んだとされるのは順安と呼ばれる中国人。
50 :
日中冊封関係史1の1@名無史さん:2006/04/04(火) 00:15:56
>>48 精神的に屈服していたのですかね?
今の中国でTOYOLA、HONGDAを作るように当時の最先端製品を模倣していたような印象を
持っています。
当時の倭人が年号の政治的意味もどのくらい明瞭に理解していたか分かりませんし・・・。
古事記日本書紀でも倭という字自体の差別的意味など意に介していないように思える
ので、いわば西暦や「JAPAN」という呼称を使うような感じで使っていたかもしれませんよ。
三国時代の中国が日本列島または朝鮮半島南部の倭人勢力圏にどれほど圧迫感があったか、
どれほど中国についての情報が入り、中国の年号や文字が単なるデザイン以上の政治的重み
を持って受け入れられていたかがカギでしょうが不明ですね。
51 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 22:42:35
古代足利義満w
551 名前: 日本@名無史さん 2006/02/26(日) 04:47:02
>このスレを見ていると、
>
>>447 >は同一人物か、組織的な工作員(可能性は低いが)が
>再三にわたって朝鮮系の屈辱的な歴史を露呈されることにちょっかいを
>だしている。
>前半のほうで「豚」と呼ばれて論戦に負けた奴だ。
>「豚」呼ばわりした奴は口は悪いが一匹狼的な卓越した書き手だけど。
>
>スレは面白い。
>
>>447 >関連の人物が怨恨か何かしらないが、突如として出現するところが玉に瑕。
今見ると痛々しい自演w
53 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 20:19:21
あの漢倭奴国王の金印本当に中華皇帝が渡したのかなぁ。
朝鮮人が日本人をののしるとき「倭奴」(ウェノム)といって罵るだろう。
古代の中国人だって大概周辺の国には匈奴とか二文字で悪い字を当てているだろう。
それに倭の字から人偏をはずした上体で印鑑を作っているではないか?
奴とかわざわざ人偏をはずしているのに、金印なんて何で送るのだろうか?
銅とか陶器で上等だと思うのだが、
これが人偏をつけた倭で、奴の文字ももっといい寺を当てた上での金印だと
話がわかるのだが、
それでも人偏をつけるだけ日本人は一目を置かれていたのかもしれないなぁ。
ほかの民族だとそれこそ獣偏をつけられるもんなぁ。
ここまで一目おかれた国はアメリカくらいしか見当たらない。
アメリカ人は中華と始めて接触した頃からどういうわけか美しい国だもんなぁ。
文革の時代でさえ、美しい国帝国主義打倒だもんなぁ。
54 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 12:11:27
逆に「魏」みたいな自虐的な国号の中華王朝もあったし。
日本人は倭を和と変えて
日本の事物を和
大陸の事物を漢、唐(から)と
呼んでいた
代表例:和歌と漢詩
明の永楽帝は足利義満に「日本国王」という称号を送った
中華側が日本の国名を日本(ひのもと)だと認識していた点は評価出来る
本居宣長は、中華の物事を漢(から)風と記述しても
支那風と記述した事は無かったのは流石だ
まあ宣長とネット右翼とを同類にしたら、それは流石に
宣長に失礼だわな
当たり前。
中国の正史では「日本」となってるんだから。ただ所々の叙述では「倭」となっていたりするが。
ところで「支那」を最初に使い始めたのは明朝だったか、中国側で近代に入って対外的な名称としてつけたのは孫文だったりする。
59 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:37:42
三国志
60 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 03:55:36
自分たちで支那と自称し始めたから日本人も支那と呼ぶようになっただけなのに、
「日本人が支那と呼ぶのは差別」
なんて寝言をほざき出した。
確かに漢字文化圏で支那という言葉には日本よりも下等な存在という語感が付随するようになっていたのは事実だが、
だからといって「支那と呼ぶのは差別だから中国と言い直せ」なんて強制しても無駄。
日本よりも下等な存在を指し示す言葉が「中国」に変更されれば、
中国という言葉に日本よりも下等な存在という語感がつきまとうばかりだ。
朝鮮をコリアと呼び換えてる連中も支那人と同じ間違いに陥ってる訳だな。
61 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 04:08:59
足利義満も天皇の臣下。
62 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 19:42:24
今年は中国に輸出するからという理由でナマコの値段が跳ね上がったのだが、
中国は古来降伏した武将にナマコを食わせてもてなしていたんだなあ。
角栄やニクソンが訪問したときもナマコを食わせていたんだよなぁ。
ほんとに中華は奥が深いというか、手の込んだことをするんだなぁ。
63 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 20:55:52
魏の意味を知らない奴がいるとは!
64 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 20:56:00
そんな細かい芸、中国人以外には通用せんがなぁ。
65 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:04:23
中国人の底意地の悪さは京都人に似ているところがあるからな。ww
66 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 07:15:25
>>54 現代の台湾人も福建人も「閩南語」に誇りを持っているよ。
門構えの中に「虫」が有るけどね…。
「越」なんていうのも、野蛮人の総称みたいなもんでしょう?
上・中・下越や「三越」なんて、思えば最悪なネーミングだなぁ。
67 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 09:12:15
魏の意味を調べてみろ!
自虐的な国名などとゆうマヌケな考えは無くなるから。
68 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 21:42:47
そういやぁ。日本国は北方遊牧民族が天下を取ったときは、例え彼らがいくら
強大でも、国交を持とうとはしないなぁ。隋や唐などは出自は遊牧民族でも
天下を取った頃には彼ら自身中華民族だと思っていただろうし。
南北朝の時代でも北魏のほうには使者を送った形跡がないし、
金王朝やモンゴルも国交を持たずにいつまでも宋のほうに愛着を感じて
いたし、明は結構横暴で、懐良親王に対しては軍隊送るぞとまで脅しつけ
日本国王に任命してやるといわれても、なんだかんだといっても国交を
維持しようと努めているし、清は割合名君が出たにもかかわらず、
結局徳川幕府は国交を結ばなかった。
69 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 21:47:37
日本人は、昔から騎馬民族が大嫌いなんだよ。
簡単に言えば「蔑視」している。
中華に対して「野蛮」だと理解している節があるな。
無学文盲の馬乗りぐらいにしか考えていなかったようだ。
70 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 22:15:38
倭国が一時期「俀」国としたのも、「野蛮人の隋が皇帝気取ってんじゃなぇよ」っていう
反骨精神が原因なんじゃないかと言う人もいた。
71 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:25:47
そういや、今でも似たような感覚があるなぁ。
今の中凶政権は明王朝に似ているといわれている。
毛沢東は一応漢民族だから、多少の無理難題をいわれても、なんだかんだと
いって何とか関係を維持しようと努めているなぁ。
その上にあるジンギスカンの末裔のロシアに対しては、生理的に嫌っている
ところがあるなぁ。ww
人間を比べてみると、中国人や朝鮮人よりは絶対にロシア人のほうが
人がよさそうだし、最近では北方領土意外では日本人に対して最近は無理難題を
吹っかけないのに、遊牧民族の末裔だけあってそれなりに洗練された
文化も持っているのに何故かロシア人は嫌われるのだなぁ。ww
その点中国人はやっていることは極悪非道で、無理難題を吹っかけ、
何かとイチャモンをつけるにもかかわらず、どこかみんな親しみを感じていて
民間交流は盛んで、何とか関係を維持しようと努めているもんなぁ。
足利時代でも、懐良親王には、グダ愚だ言うと攻め滅ぼすぞと脅迫文みたいな
国書を送りつけ、そのあともやれ、倭寇をまじめに取り締まっていない
(倭寇は必ずしもすべて日本人ではない、中国人も相当な割合でいた)
お前を日本国王に任命してやったぞ、皇帝に感謝しろみたいな国書を
送りつけたりするもんだから、懐良親王は、それなら一戦交えようかと
返事を返し、足利義持は何で中華の皇帝に日本国王と任命されなければ
いけないんだと怒り出したりしたのだが、いつの間にやら朝貢をしたりして
関係を維持していて、まるで今の小泉外交みたいだな。
歴史は繰り返すワイww
72 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 06:47:18
本当だわい。
ところでロシアって遊牧民か?!
西洋の大国が、南下して中国や東亜を支配する事を恐れていたから、中共も
安心しなかったというのが本当のところでないの?
73 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 08:28:51
プーチンが今何をやってるか考えてから、ロシア人は人が良いなんて事を言え。
74 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 12:39:51
義満は売国奴
75 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 13:44:54
冊封体制というと、宗主国、属国、支配、隷属、なんてイメージがあるが
それは近代文明人が見るから。
近代文明においては「独立していること」が異常なほど価値を持つ。
今は、日本人も韓国人も中国人も、独立を絶対正義とし、従属を悪とする。
しかし、古代から中世にかけての東アジアの人間が「独立」なんてことに
どれだけの価値を置いていたか?
「独立」を、今でいう孤立や仲間はずれというイメージで見ていたかもしれない。
「柵封」を、今でいう国際組織への加盟、参加というイメージで見ていたかもしれない。
76 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 22:28:00
独立を守るため、内政干渉されないために、
朝貢していたと思う。
77 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 22:35:51
貿易で儲かるからに決まってるだろう。
78 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 00:13:13
国内での権力基盤が弱いときに、中華に朝貢に行くような習性がある。
>>77 明清の頃はね。
>>78 逆。中国の政権が弱い時にやたら異民族に朝貢を呼びかける。
81 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 13:14:17
age
82 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 13:39:39
か
ん
84 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 03:21:25
なにが古代足利義満だw
85 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 09:29:45
>>1が【電波】なんて不要な言葉を入れたのが、そもそもの間違い。
ネタスレなのか、マジスレなのかわからなくなった。
本来はこうすべきだった。趣旨としては古代から義満にかけての関係史ってことだろ。
↓
【古代】日中冊封関係史★2【足利義満】
86 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 12:14:06
前スレの「天皇家の祖は朝貢などしていない。倭の五王は
古代の足利義満。倭王を僭称した半島人。」
っていう電波説があまりにも面白かったからだろう。
87 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 10:00:04
馬鹿馬鹿しい
88 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 10:46:37
江戸時代に朝鮮は日本に朝貢していたよね
89 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 11:36:56
通信使が朝貢なんて言ったら、日本史で落第だなw
琉球の慶賀・謝恩使は朝貢使節と言えるけど。
むしろ、対馬藩が朝鮮に朝貢していた。
90 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 17:50:06
江戸城の正門から入城できなかったんだから朝貢みたいなもんだろww
91 :
日本のななし:2006/10/24(火) 17:54:47
>>89 朝鮮が勝手に思ってただけだろw
朝鮮に朝貢の「形」はとってたけど{経済的利益のため}
朝貢国とはできないなw
92 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 19:09:13
やれやれ、日本オタか・・・
93 :
日本@名無史さん:2006/10/24(火) 19:18:15
倭の五王が天皇の誰か5人と同一人物だとすれば、
ちゃんと誰の事だか日中両国の記録で照会出来る筈
何の根拠もなく天皇に結びつける方が電波だよ。
94 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 07:28:37
この間北朝鮮が核実験をした時に金正日が中国の特使に「核実験をやって申し
わけないと」謝ったと韓国の新聞が報道していたが、(真偽は不明)
新羅が白村江の戦いの後、唐の国と戦って勝った後、謝罪使を送ったことがあった
なぁ、あと高句麗の国が隋だか唐だか戦って勝った後、自分の国のことを
糞の国(糞土)と蔑んだ謝罪文みたいな国書を送ったことがあったなぁ。
そういう伝統からすると、朝鮮人の感性からすると、金正日は当然
中国に頭を下げるべきだとなってしまうわけだ。
これが日本だと、正式な国書で謝ったことはほとんどないのではないか?
少なくとも日本側の正式な記録には残っていないのではないか?
懐良親王は脅迫文みたいな国書にたいして、何ならこちらから攻めてやろうか
と返事を出したし、
日中国交回復時の角栄でもなんだかんだといっても土下座をしたわけでもないと
いえるわけだし、
誤ったと称する文書は大抵偽造か、もしくは談話と言った形だからなぁ。
95 :
日本@名無史さん:2006/10/26(木) 20:40:41
>>94 >懐良親王は脅迫文みたいな国書にたいして、何ならこちらから攻めてやろうか
>と返事を出したし、
その懐良は、結局、明の臣下として日本国王に冊封されたわけだが。