天智天皇と天武天皇は兄弟じゃないらしい…

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1うひゃ
うちの講師によると慶安の御触書も実在しなかったらしい…。
2日本@名無史さん:2005/11/24(木) 15:43:33
天智天皇=百済の王子余豊

天武天皇=新羅の忍者
3香蘭 ◆KORAN.CNq. :2005/11/27(日) 23:12:13
根拠を示せよ、根拠を。
4日本@名無史さん:2005/11/30(水) 09:16:49
逆説の日本史を読んだからといって、内容を鵜呑みにするのはどうかとおもうよ。
5日本@名無史さん:2005/12/04(日) 01:19:19
>慶安の御触書も実在しなかった

これは有名ですね
6香蘭 ◆KORAN.CNq. :2005/12/06(火) 00:27:45
>慶安の御触書も実在しなかった

部落史の問題。
スレ違い。
7ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 20:32:29 BE:105619673-##
     //
   _//
/ ||_ノ          __________________
\/// ̄\      /
 |> <_> \     | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。
 く\___|    <
 |∇     \   | 明日宮内庁を爆破する。
  \__/       \
    |≧||≦ ̄|       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜
天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので
あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景
には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差
が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、
天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。
さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう
ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民
はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消
し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。
世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的
意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー
そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。
8日本@名無史さん:2005/12/15(木) 01:45:09
>>7
これ通報したら逮捕される?
それにしても天皇スレ多いですね。
9日本@名無史さん:2005/12/15(木) 02:02:32
実は兄と妹だった
10日本@名無史さん:2005/12/17(土) 17:22:54
>>9
どっちが兄でどっちが妹か。
11日本@名無史さん:2005/12/19(月) 23:36:55
>>10
天智兄ちゃん
12恐るべき日本史のカラクリ:2005/12/21(水) 20:18:11
>>7 ttp://blog1.fc2.com/m00m/ ゴルゴ14 
●維新の立役者たちの正体(上) -米英に操られた幕末の日本-
(一)司馬史観の正体 (二)生麦事件はイキリスの謀略 (三)ジョン万次郎は米国の工作員
(四)坂本龍馬と勝海舟の正体
.....イギリスと薩長の間には早くから提携関係が生じてをり、文久三年(一八六三)に起きた薩英戦争での奇怪な動きは、既に記した通りである。
この年、長州藩も下関で外国船を砲撃し、翌年八月に英米仏蘭の四国連合艦隊による報復砲撃を受けた。
こゝで注意すべきは、主力のイギリス軍と長州が交戦してゐないといふ事実である。
 戦闘は、米仏蘭と長州藩内の本物の攘夷派の間で行はれ、藩内の親イギリス派は事前に連絡を受けて戦闘に加はらないやうにしてゐたのである。
 かうして勢カを温存した親イギリス派は主導権を握り、倒幕へと邁進して行つたのである。 .....
(五)明治憲法制定に関与したロスチャイルド
.....「伊藤博文らは、十九年後の一八八二年に明治憲法法を作るために再びイギリスに渡り、ロスチャイルド家の世話になつてゐる。.....
.....ロスチャイルドは、『日本のような後進国にはイギリスの最先進国の政治体制(コンスティチューション)は似合わない』として、
ブロイセン(プロシア)ぐらいが丁度良いだろうと判断して、プロイセンから来ていた意法学者のグナイストやシュタインを紹介した。
 このグナイストに家庭教師をしてもらつて作つたのが明治憲法である」 グナイストやシュタインはユダヤ系 .....
●田中角栄を殺したのは誰だ
.....明治六年、政府は欧米列強の強い要求に屈して、切支丹解禁に踏み切っている。.....
.....王政復古と新政権登場の直後から、十数年にわたって続いためまぐるしい政局の転変は、ことごとくユダヤ・フリ−メーソンの仕掛けによる。
つまりユダヤに同調しない国枠派、民族派、日本精神派、穣夷派を、入念な計画で罠にはめて陥れ、排除してゆく過程ではなかったか。
そして彼らが日本民族を操作する手品の種は、安政不平等条約であり、それを改正するためには、日本がより欧米化=国際化(ユダヤ化)することが必要だ、
というエサを投げ与え、どこまでもユダヤ化し、ユダヤ的欧米白人の忠実な番犬となるようにおぴきよせる手口である。こうしてつくられた明治新政府.....
13日本@名無史さん:2005/12/27(火) 04:37:03
聖徳太子は存在しない
14日本@名無史さん:2005/12/27(火) 16:52:38
>>11

J( 'ー`)し おにいちゃん わたしほんとうは女なの

(`Д)   うるさい死ね こんなごつい妹いるか

J( 'ー`)し ごめんね。額田ちゃんあげるからゆるしてね。

(`Д)   うるさいくたばれ、でもいちおうもらっとくぞ

J( 'ー`)し  あとつぎにしてくれなかったから、大友くんヌッコロしちゃいました

(`Д)   死ねくそ女
15日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:36:31
>>14
すると大海人と額田はレズ関係だった訳ですね。
16日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:38:33
>>2
このレス他スレでもあったけど、根拠も提示せず認定するのはキモイんだけど。
何かあっちでは日本の偉人が皆半島人だと捏造されているらしいね。
中田も在日認定されて抗議した事あったけど、その説も同じデンパ?
17日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:44:22
聖徳太子と山背大兄王も親子ではないとの説が・・・。
18日本@名無史さん:2006/01/12(木) 01:08:07
>>17
マジ!?
詳しくキボン。
19日本@名無史さん:2006/01/13(金) 07:08:52
>>1
歴史の話だし、スレ立てするのなら詳しい根拠書いてホスィ。
20日本@名無史さん:2006/01/13(金) 17:55:05
このスレはいまから『天智と天武』スレの次スレになりました。

だれか前スレのリンク貼ってくれ。990くらいまでいってDAT落ちたらしい
21日本@名無史さん:2006/01/13(金) 18:21:49
22日本@名無史さん:2006/01/13(金) 21:15:38
前スレであったのは天武は宝大后と先夫の子の漢皇子説と
九州説だっけね。
23日本@名無史さん:2006/01/13(金) 22:30:06
金多遂説は出てなかった?w
24日本@名無史さん:2006/01/14(土) 00:28:58
>>23
デンパなのでスルーしますた。
25日本@名無史さん:2006/01/14(土) 10:30:29
>>22
漢皇子説と九州王朝説は、まだ議論出来る仮説(学説)だが
天武天皇半島人説はさすがにデンパだろう
文献史料的に見れば、天武天皇は漢皇子だったと言う大和和雄説が
通説である天武天皇=大海人皇子説に対抗出来る仮説か?

やはり皇極即位前紀には記述がなかった漢皇子の存在が、斉明即位前紀に
出て来る点は重要かも
皇極即位前紀では無視した漢皇子だから、斉明即位前紀でも無視出来たはずなのに
わざわざ記述された理由が不可解で悩ましい
26日本@名無史さん:2006/01/14(土) 15:59:44
皇極即位前紀には、天智・間人・天武も登場しない。
逆に斉明即位前紀では、漢皇子に続いて、舒明との間に二男一女を儲けた
(舒明紀に見ゆ→すなわち天智・間人・天武のこと)との記事が続く。
小学生程度の読解力があれば、この部分を漢皇子=天武の傍証とすることは出来ない。
27日本@名無史さん:2006/01/14(土) 16:29:02
斉明即位前紀以外には史料に登場しない漢皇子を
天武天皇とするのは無理があると思うが、天武の没年齢が
日本書紀では不明な点が・・・
しかし天智天皇の没年齢を算定できる記述も
文飾が成されているから素直には従えない
少なくとも舒明朝において、葛城皇子が山背大兄王や
古人大兄皇子を押し退けて、既に皇太子であったとは思われない
葛城の舒明朝における立太子に疑惑がある以上、16歳という年齢記述も
正しいと断定は出来ない
28日本@名無史さん:2006/01/14(土) 17:49:40
たしかに日本書紀時代の年齢記載は当てにならない。
舒明13年の最後の一文(天智16歳で誄す)は、追書という意見もある。
とって付けたような文章だし、「東宮開別」や「年十六」は天智関係の記事では異例。
翌年発喪の誄の際に天智は出てこない。まだ年若だったんだろうね。
29日本@名無史さん:2006/01/14(土) 22:37:46
日本書紀の年齢記述が信用出来ないという点に同意
酷い話しでは親である仁賢天皇と子である武烈天皇の
年齢差が1歳

親子の年齢差が1歳なんて事は人間の親子とは言い難い

この他にも日本書紀の天皇没年齢は、先に編纂が終了した
古事記との違いが多過ぎる

日本書紀の編纂者達は、古事記の記述を信じなかったのか
ほとんど参考にしてなかったと思われる
30日本@名無史さん:2006/01/15(日) 00:39:14
異なる年代に同じ記事が重複してるのも日本書紀にはでてくるよね。どっちが本当なんだって。
たとえば名前しか出てこない人物には蚊屋皇子とかいるし、疑いだすときりがない。
しかし、漢皇子が用明孫高向王の子だとすると皇位継承の資格は十分あったと思われ。夭逝したのであろうか。
31日本@名無史さん:2006/01/16(月) 09:03:58
>>29
日本書紀の編纂者達はその年齢差に疑問を持たなかったのか…?
1才差の親子ってww
32日本@名無史さん:2006/01/16(月) 09:54:25
>>29
仁賢天皇40才のときの子が武烈天皇
33日本@名無史さん:2006/01/16(月) 10:48:01
>>32
仁賢天皇は允恭38年(449年)誕生〜仁賢11年(498年)8月没、50歳
武烈天皇は允恭39年(450年)誕生〜武烈8年(506年)12月没、57歳

つまり親子で1歳しか歳の差がない
34日本@名無史さん:2006/01/16(月) 10:56:00
天皇年五十七歳、八年冬十二月己亥、小泊瀬天皇崩。
35日本@名無史さん:2006/01/16(月) 11:14:56
>30
蚊屋皇子の子孫は三島真人氏、五世孫の代になり
皇族待遇じゃなくなったので渋々一族総出で出仕した。

>29,31-34
(男大迹=継体)天皇年五十七歳(の時)、八年冬十二月己亥、小泊瀬天皇崩。
ここまでの文で単に「天皇」とあるのはすべて継体「天皇」のこと、良く読め。

中世史料を元に都合(?)の良いトコだけ摘むな
36日本@名無史さん:2006/01/16(月) 11:59:53
二人は兄弟でしょ
二人とも母親は斉明天皇
ただし父親が違う異父兄弟だと思われる

天智天皇の父は舒明天皇で良いだろうが
天武天皇の父は舒明天皇ではない可能性が高い
しかも天武天皇のほうが兄である可能性もある

37日本@名無史さん:2006/01/16(月) 12:02:43
>>36
漢皇子説では異父兄弟だよね。

>>1の言っている『兄弟じゃない』って何かなぁ?
38日本@名無史さん:2006/01/16(月) 20:53:19
武烈天皇の没年齢を18歳としているのは、扶桑略記と水鏡
どちらも中世の史料だから、18歳説のほうこそ中世の史料しか
史料的根拠がない

それともう一つ、摂関期や院政期ならともかく天皇が実際に権力を
握っていた古代において、10歳で即位する事は考えにくい
39日本@名無史さん:2006/01/16(月) 21:20:45
大海氏が資養氏族だったと考えられるから、「大海人皇子」=天武でいいと思うんだが。
漢皇子だとしたら、なんで斉明前紀にわざわざ父の名前とともに書くのかわからん。
大友皇子よりはるかに漢皇子のほうが皇位継承の資格は高く、出自を隠す必要はないようだし。
40日本@名無史さん:2006/01/16(月) 23:00:07
大海人皇子が吉野を脱出して向った国は、伊勢、尾張、美濃
海人氏=尾張氏の勢力範囲も伊勢、尾張、美濃
つまり大海人皇子は、海人氏=尾張氏を養育氏族とした
実在の皇子である可能性が極めて高い
41日本@名無史さん:2006/01/16(月) 23:46:49
漢=建
42日本@名無史さん:2006/01/17(火) 03:15:32
>>41
早世した中大兄皇子と遠智娘の子だっけ。
年齢が違いすぎない?
口が利けなかったらしいし。
43日本@名無史さん:2006/01/21(土) 00:51:14
>>40
伊勢神宮と天皇家が強く結び付くのはやはり壬申の乱以降ですか?
44日本@名無史さん:2006/01/21(土) 09:58:14
用明天皇の皇女が伊勢神宮の斎宮になっているから
以前から天皇家と伊勢神宮結び付きはあったけど
大海人皇子が伊勢神宮で戦勝を祈願し、壬申の乱に
勝利してから、その繋がりが更に強固になったと思われ

大伯皇女を伊勢神宮の斎宮にしたことや、十市皇女と
阿閇皇女(天智皇女)を、自分の代理として伊勢神宮に
参拝させたことはその証しとも言える
45日本@名無史さん:2006/01/22(日) 03:20:36
尾張氏というとどうしても継体天皇とのかかわりを想起しますね。
隋書に見える「姓はアメ、名はタリシヒコ」ともあわせて、大王家そのものが海人の出身だったかも
46日本@名無史さん:2006/02/12(日) 02:38:14
もし、異母(父)兄弟なら書紀には証拠は残さないと思うので
天武=漢皇子説には納得できない。
47日本@名無史さん:2006/02/12(日) 11:08:56
白村江の戦いに敗れた天智天皇が、大友氏を頼りにして
その基盤である近江に遷都したように、大海人皇子は
海人氏=尾張氏を頼りにしたから、尾張、伊勢、美濃という
海人氏=尾張氏の基盤を自分の根拠地にしたんだろう
その点から言っても天武天皇は大海人皇子だと思われ
48日本@名無史さん:2006/02/13(月) 14:29:24
大化の改新で公地公民と学校では教えられたが怪しいもんだな
少なくとも尾張、美濃方面には天武の私有地私有民が設けられてたんだろうな
49日本@名無史さん:2006/02/13(月) 14:42:15
前の飛鳥浄御原宮の発掘調査のとき
かの国は天武が実は高句麗の何たらって珍説を
通説の様に書いてたのには笑った。
50日本@名無史さん:2006/02/20(月) 12:16:29
>>49
中田在日捏造報道の様な物か。
51世界@名無史さん:2006/02/20(月) 21:47:25
日本の電波・珍説の類でウリ民族に都合のよさそうな説を
向こうの在野がチョイス、更にそれを朝鮮向けにアレンジ→それが向こうで流布。
なんでもこういう流れがあるらしいなw
52481:2006/03/01(水) 18:07:13
社会版:
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1139132859/
の投稿222を読んでいただけないでしょうか?

社会生態学的に分析した場合、
オーム真理教が「皇室犯罪」と仮定した時には
東京大学農学部にて、サリンが製造され、
地下鉄で多数の命を奪っていた可能性も考えねばなりませんが、
万一その場合、毒物製造を担当した東京大学農学部の教員陣は
殺人罪で検挙されるべきかと思うのですが、
この点の検証は行われつつあるのでしょうか?

オーム真理教が「皇室犯罪」か否かで
地下鉄毒物殺人事件の当事者が違ってきます。
東京大学農学部がサリン製造を担当していたかどうか
慎重な検証が必要と考えます。
53日本@名無史さん:2006/03/01(水) 23:45:56
実弟に、娘3人もあげね〜だろ!!
54日本@名無史さん:2006/03/02(木) 00:11:15
源氏物語でも嫁。
昔の殿上人は血が近い人間の方を信用してるんだよ。
原始は、皇女は皇子としか結婚できなかった頃もあるくらいだ。
55通りすがり:2006/03/02(木) 00:14:35
天智天皇=百済系
天武天皇=新羅系
これ以上は謎だな


56通りすがり:2006/03/02(木) 00:28:12
天智政権とは、「百済の亡命高官」が横滑りの形で倭国の高官となる「奇異な政権」で
あったことを付け加えておきたい。
57日本@名無史さん:2006/03/02(木) 06:46:44
だから拉致暗殺されたのですね?

沓だけ残して行方不明の場所が宮内庁によれば「唯一の根拠確実な古代王墓」
なのでつね?
58日本@名無史さん:2006/03/02(木) 09:51:27
じゃあ親米派の小泉はアメリカ人かwwwwwwwwwwwwwwwwwwww









59日本@名無史さん:2006/03/02(木) 11:57:52
亡命百済人は位は、高くても政治に介入する権限は無かった。
壬申の乱で処分された高官の中にも百済人はいない。

官位を与えたのは日本側が半島に干渉するため。
60日本@名無史さん:2006/03/02(木) 15:10:00
>>53
皇女は原則として皇子か皇族としか結婚出来ないからな
それと3人ではなく4人
大田皇女、讃良皇女、大江皇女、新田部皇女の4人が
大海人皇子の妃になった

代りに葛城皇子も大海人から額田女王と十市皇女を奪った
額田は自分の妻にして、十市は息子の伊賀皇子の妻にした
61名無的発言者:2006/03/02(木) 19:08:33
古墳の発掘と皇族の強制DNA検査キボン〜〜。
62日本@名無史さん:2006/03/05(日) 04:36:14
>>53
この時代は近親婚が多いんだよ。
欽明天皇も宣化天皇の娘を3人も娶っているし、
押坂彦人大兄皇子(中大兄と大海人の祖父)なんか妹を3人も娶っているよ。

>>55-56
デンパウゼー。
半島人だと強弁するのなら根拠汁。歴史版なんだからさ。
63日本@名無史さん:2006/03/05(日) 11:05:08
>>55 以前エンジョイコリアに投稿してましたよねw
64ねえ、名乗って:2006/03/05(日) 11:40:23
>>62
選ばれし者だけが知ってたらいいんだよw
文献で語るやつは馬鹿w
65日本@名無史さん:2006/03/05(日) 12:37:32
デンパは史料を否定するw
66ねえ、名乗って:2006/03/05(日) 12:47:29
教えてもらえないからって僻むなよw
67ねえ、名乗って:2006/03/05(日) 12:49:23
あ、序にいうと電波も知ったかだけどねw
68日本@名無史さん:2006/03/05(日) 14:06:03
大海人皇子を朝鮮人にしたがってる連中って在日ですかw
69日本@名無史さん:2006/03/05(日) 14:08:12
在日朝鮮人の特徴
何でもかんでも半島に結びつけたがる
70日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:22:28
>>64
>>66
根拠も無しし決め付ける方がデンパだよ。
根拠提示出来ないからって火病起こすなよw
71日本@名無史さん:2006/03/07(火) 02:31:24
>>64
選ばれし者って半島人の事?ww
72日本@名無史さん:2006/03/07(火) 02:35:14
常識で考えて、そんなに朝鮮人が権力の座に居たのなら日本には普通に朝鮮語やh朝鮮の風習がいきわたってただろうな
73日本@名無史さん:2006/03/07(火) 02:45:24
>>64
文献で語る奴はバカって、
じゃ>>64は何を根拠に語っている訳?
74羽之 ◆God.sPqZzk :2006/03/07(火) 14:48:20
>>71
m9(・o・)プギャー

あんなやつらと一緒にするなよw
別に信じなくてもいいですよ。
優越感に浸ってるだけだからw
75羽之 ◆God.sPqZzk :2006/03/07(火) 14:49:46
>>73
根拠根拠いってる人には一生理解できませんw
根拠なんか出せるわけないでしょうがw
76羽之 ◆God.sPqZzk :2006/03/07(火) 14:53:05
>>55
一般人ではそこまでの電波が限界ですよねw
貴殿はもしかしてその先も知っているのでは?w
77日本@名無史さん:2006/03/07(火) 20:27:54
てか今の天皇家は天智系だよね?天武天皇の血は称徳女帝で途切れた。
78日本@名無史さん:2006/03/07(火) 21:24:09
その通り、光仁天皇は天智天皇の孫で志貴親王の子
天武系の子孫達は皇族にも居ないだろう
みんな臣籍降下したからね

高市皇子系が高階氏
長皇子系が文室氏
舎人皇子系が清原氏
新田部皇子系が氷上氏
79日本@名無史さん:2006/03/07(火) 21:58:51
井上・不破内親王とその子供を謀反人にしたのは
やはり天武の血を皇統から一掃させる為?
80日本@名無史さん:2006/03/07(火) 23:27:58
>>78
皇族として留まった天武系は結構おられます。

>>79
藤原式家の策謀という面も強い。
81日本@名無史さん:2006/03/07(火) 23:45:34
>>79
山部親王(諡号桓武)を天皇にする為の藤原百川たち式家の陰謀

順当なら井上皇后(聖武の娘)所生の他戸親王(聖武の孫)の方が
母が卑母である山部親王(母は百済系帰化人高野新笠)より
断然皇位に近かった(他戸は皇后所生の為に皇太子だった)

しかしそれでは、山部を皇位に付けたかった百川たち式家にとっては
非常に困ることだから、井上・他戸親子を陰謀により排除したのが
真相だと思われる
82日本@名無史さん:2006/03/07(火) 23:47:02
>>80
どの皇子の子孫が皇族に留まったの?
83日本@名無史さん:2006/03/07(火) 23:59:23
>>1はバカ、 日本の首都は 1192年以降 鎌倉 京、 安土、 大阪
京 江戸、 幕末は再び京、大阪、 そして  東京、 一時 広島
つまり政治の中心だよ。
84日本@名無史さん:2006/03/08(水) 00:20:06
>>82
高市とか刑部とか長とか舎人とか新田部とか。
85日本@名無史さん:2006/03/08(水) 01:26:09
>>84
結局は臣籍降下しているよ
5世王以降だと令の規定で皇族としての特権を失うし
それなら臣籍降下して姓を持ち、中流程度の貴族として
生きていく方が得策だからね
86日本@名無史さん:2006/03/09(木) 19:01:03
そりゃ、いつかは臣籍降下してます。
ただ、光仁・桓武朝に、天武帝の曾孫・玄孫が皇親として多数存在していたのは事実。
中には、わざわざ復籍させている例もあります。(淳仁廃位に伴って処分されていた人がほとんど)
称徳女帝によって都から追われた不破内親王も、光仁朝に復籍して二品まで上りました。

天武帝は天智系を根絶やしにしなかったどころか、従来の身分を保証していますし、
奈良朝にはむしろ、天武系内での対立・緊張関係が間々見られます。
要は、この時代は天智系vs天武系といった単純な図式だけでは捉えられないということです。
87日本@名無史さん:2006/03/09(木) 19:29:25
此の二人は歴とした摩羅兄弟だよ。



88日本@名無史さん:2006/03/09(木) 21:26:18
天智は額田を孕ませられなかったダメ男ですw
89日本@名無史さん:2006/03/09(木) 21:32:30
不破内親王は息子の氷上川継と共に
桓武天皇によって謀叛人の
レッテルを貼られて都から追放処分
桓武は他戸親王に続き、氷上川継を潰す事で
聖武の孫(天武系)が皇位に就く可能性を
完全に消し去った
90日本@名無史さん:2006/03/10(金) 02:02:18
>>56、57
何も知らないただの歴史好きからすれば、
よく蘇我氏が実は改革派だったって説があるじゃん?
で、天智・鎌足コンビがのっとったと。
で、天智が百済系で天武が新羅系なら
もともと純日本系?の蘇我氏の政権を百済人がクーデターで
のっとったんじゃない?
横滑りって事はそういう憶測もできるのか?
91日本@名無史さん:2006/03/10(金) 02:08:39
蘇我氏は仏教をいち早く取り入れたり、
東漢直を眷属に従えたりする勢力だから純日本派ではないぞ
物部氏のほうだろ、純日本派というなら
92日本@名無史さん:2006/03/10(金) 03:31:03
天智晩年の台閣の構成メンバーは

太政大臣:伊賀皇子
左大臣:蘇我赤兄
右大臣:中臣金
御史大夫:蘇我果安、巨勢比登、紀大人

上記のように皇族と飛鳥以来の名門豪族で占められており
百済系帰化人は、一人も議政官になってない
93日本@名無史さん:2006/03/10(金) 05:47:33
>>74-76
根拠の無いデンパならチラシにでも書けば?
頭のオカシイ人にしかみえんが。
94日本@名無史さん:2006/03/11(土) 02:40:58
>>92
蘇我氏って物部よりも後発の渡来系って言われるよね。
時間たってるからこの場合は数えないのか
95日本@名無史さん:2006/03/11(土) 12:59:07
>>94
この時点では既に飛鳥の名門豪族だわな
蘇我稲目−蘇我馬子−蘇我倉麻呂−蘇我赤兄
(倉麻呂は蝦夷の異母兄弟)
96日本@名無史さん:2006/03/11(土) 13:14:36
>>95
仮に麻智を百済人と仮定しても、蝦夷の段階で来日6世か。
ただ、渡来かどうかのアイデンティティって案外母方が重要な
気もしなくはないけど。
97日本@名無史さん:2006/03/19(日) 08:31:56
被葬者がて天武の皇子説あるので貼っとくね。

【文化財】キトラ古墳で銀の大刀発見、被葬者の高い身分裏付け 
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1142612486/l50
98日本@名無史さん:2006/03/19(日) 09:40:10
いまさらながら、天智天皇の「天智」という字がかっこよく見えてしまう件
99日本@名無史さん:2006/03/19(日) 09:46:25
高松塚古墳も被葬者は直木孝次郎説だと
天武天皇の皇子で知太政官事だった
忍壁皇子(刑部親王)
100日本@名無史さん:2006/03/19(日) 10:08:32
100
101日本@名無史さん:2006/03/19(日) 10:23:16
森鴎外によると「天智」とは殷の紂王が
最期まで身につけていた宝玉の名です
102日本@名無史さん:2006/03/19(日) 11:40:06
では開別天皇に「後武烈天皇」の号をおくろう
103日本@名無史さん:2006/03/20(月) 03:06:55
>>101
不吉な…。
104日本@名無史さん:2006/03/20(月) 03:27:09
>101,>103そんな諡号を決めたのは、天武かな…
天武は武帝・光武帝からかな?
105日本@名無史さん:2006/03/20(月) 03:49:24
天武という諡号が武力で皇位を得たということを表していると思う。
106日本@名無史さん:2006/03/20(月) 03:59:27
天智が紂王なら天武は武王姫発ということです
107日本@名無史さん:2006/03/20(月) 04:31:39
>106成程! ヤパリ兄弟ではないな…
記紀も纂奪者(天武)の息子が編纂だしね。
108日本@名無史さん:2006/03/20(月) 04:47:03
天智・天武等の漢風諡号を考えたのは
大友皇子の曾孫淡海三船だけど…
109日本@名無史さん:2006/03/20(月) 05:20:32
>>107
なんでそれが兄弟では無いになんの?
110日本@名無史さん:2006/03/20(月) 12:56:54
例え天武天皇が大和説通りに漢皇子でも天智と天武は兄弟

通説では天智と天武は兄弟(兄天智、弟天武)
大和説でも天智と天武は兄弟(兄天武、弟天智)

兄弟の順序が変る事と、異父兄弟にはなるが、兄弟である事に
変わりは無い

天智と天武が兄弟では無いと言う説は、史料に基づかない
単なる電波・妄想の類w
111日本@名無史さん:2006/03/20(月) 15:31:02
天智は純正日本人蘇我朝の天下を簒奪した百済系の韓人。
天皇を僭称したチョンである。
藤原氏ともども本朝最大の悪人。
天智の支持者は日本人の皮をかぶったチョンの先遣隊。
誅殺してよし。愛国無罪。
112日本書紀紀年法研究家 ◆BjJDo8V/fA :2006/03/20(月) 15:52:37
>>111さん
天智天皇について、根拠もなく勝手に百済系の韓人と決め付けておられる>>111さんこそ、
「日本人の皮をかぶったチョンの先遣隊。」であると思います。
天智天皇という日本の天皇について、肯定的発言を行っただけで、
>>111さんのおっしゃるようなレッテルが貼られてしまっては、
日本人のほとんどが、レッテルを貼られてしまい、まともな研究ができなくなります。
わたくしは、近著において天智天皇について扱いましたので、
わたくしは、>>111さんの誅殺対象になっていることになります。
「誅殺してよし。愛国無罪。」とは、看過できないあまりに酷い発言ですので、一言申し上げました。
113日本@名無史さん:2006/03/21(火) 10:49:15
ともに新羅人に囲まれて育った大海人皇子とウノ皇女
二人が同志的にも結び付いたのが天智にとってはまずかったな
114日本@名無史さん:2006/03/21(火) 13:45:45
大海人皇子と鵜野讃良皇女じゃ年齢差20以上あるんじゃねーの?
115日本@名無史さん:2006/03/21(火) 18:06:11
>>111
根拠も無く日本の天皇を百済系の韓人とか半島起源認定している方が余程あっちの人っぽいんだが。
116日本@名無史さん:2006/03/21(火) 20:18:02
>>111
天智天皇の何処が韓人なんだよ。
百済人と入れ替わったとか、天皇家は半島出身とかってデンパ説でも鵜呑みにしたのか?ww
117日本@名無史さん:2006/03/21(火) 20:58:49
いちいち絡んでる奴もウザイ訳だが

手元に資料が無いから確認出来ないのだが
桓武天皇は即位当初は天武陵を篤く祀っていたものの
途中からは放置、天智陵を篤く祀ったらしい。
これが本当だとしたら天智も天武も同じ皇統に属する天皇という事にならないか?
もし光仁・桓武が「天武系から皇統を取り戻した」のなら
天武陵を祀ったりはしないと思うのだが
118日本@名無史さん:2006/03/21(火) 22:21:39
そもそも天皇家が存続していると確実に言えるのは平安時代以降。
この時の実権者・藤原氏が簒奪をしなかったため。
飛鳥時代は蘇我氏が簒奪して皇族を名乗ったかもしれなかった。
結果は別の豪族が簒奪して「中大兄皇子」を名乗った。
コイツは別に天皇家でもなんでもないタダの人だった。
そして次に別の豪族が簒奪して「大海人皇子」を名乗った。
藤原氏以降は簒奪をしないことによる慣習が出来上がった。
119日本@名無史さん:2006/03/21(火) 23:38:18
全く根拠の無い「かも知れなかった」で
天智が別の豪族という結果になっている>>118のデンパにワロス。
120日本@名無史さん:2006/03/22(水) 18:38:17
日本書紀は天武系の人間の手になるのに生没年不詳・・怪しすぎますね。
121日本@名無史さん:2006/03/22(水) 19:47:27
舒明は義慈元年に倭国に派遣された男。
天智は百済王子の余豊。
天武は新羅人の忍者。
122日本@名無史さん:2006/03/22(水) 19:47:31
★ 倭寇の正体は朝鮮人だ!! ★

韓国朝鮮人は、
「日本の海賊=倭寇が、過去に何度も韓国を侵略し、我々韓国人に多大な被害を与えた!」と、
主張して、日本人をよく非難する。
しかし、韓国人のこういった主張は大ウソなのである。倭寇の正体は韓国人=朝鮮人なのだ。
韓国朝鮮人は、金氏新羅の時代から活発に海賊活動を行っていた。
そして、朝鮮海賊にとって、第一のターゲットは、常に日本人であった。
我々日本人こそが真の被害者であり、韓国朝鮮人は加害者なのである。韓国朝鮮人は侵略者なのだ。
新羅時代、朝鮮海賊が対馬海峡や九州西岸海域に出没し、日本人を襲って殺傷する事件が多発した。
大和朝廷は、大宰府の水軍に対し、海上警備の強化を命じた。大宰府の取り締まりが厳しくなった結果、
朝鮮海賊は「商売アガッタリ」状態になった。そのため、しかたなく、朝鮮海賊は自分たちの国の人間を
襲うようになった。
この時、彼らは朝鮮人らしく悪ヂエを発揮して、新羅王府の取り締まりから身を守るため、
自分たちが朝鮮人である事を隠し、日本人に偽装した。
「オレたちは倭人だぞォ!」と、アピールしながら海賊活動を展開したのだ。
これが倭寇の正体なのである。倭寇とは朝鮮海賊のことなのだ。

★きままに歴史 『元寇と高麗』★
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/genko/genko.htm
123日本@名無史さん:2006/03/22(水) 19:48:04

舒明は義慈元年に倭国に派遣された男。
天智は百済王子の余豊。
天武は新羅人の忍者。
124日本@名無史さん:2006/03/22(水) 19:49:50
天智天皇の没年齢も天智紀に記述されてませんが何か?

舒明紀の「舒明十三年十月十八日条、東宮の開別皇子は十六歳」は
明かに捏造

葛城皇子は舒明朝では立太子してないから、東宮(皇太子)と言う記述は
完全な捏造記述、したがって捏造記述中にある16才も信用性は低い

*葛城皇子が立太子したのは孝徳朝になってから
*上宮王家の総帥である、山背大兄王が健在のうちに
  葛城皇子が立太子出来る訳がない
125日本@名無史さん:2006/03/22(水) 19:52:50
史料に基づかない妄想モノと、日本書紀の捏造記述に気づかない
愚かモノが、このスレに蔓延しているw
126日本@名無史さん:2006/03/22(水) 21:53:59
義慈元年に倭国に派遣された男って誰だよw
その年の内に舒明帝は亡くなってしまうわけだが・・・
何をしにいらっしゃったんすか?ww
127日本@名無史さん:2006/03/23(木) 03:14:00
温泉めぐり
128日本@名無史さん:2006/03/23(木) 04:01:14
>>121-123
うぜーよ半島起源認定厨。
根拠の無いデンパはチラシにでも書いてホルホルホルしてろ。
129日本@名無史さん:2006/03/24(金) 01:32:57
>>121
>>123
半島の掲示板でやれ。
130日本@名無史さん:2006/03/24(金) 09:26:22
>>123
バカ?
同じ時期に海を隔てた百済と日本に存在している2人が何で同じ人なんだよ。
ワープでもしてたのかww
131日本@名無史さん:2006/03/24(金) 12:36:22
大海人皇子新羅忍者説は完全な電波・妄想の類

大海人が新羅の忍者なら、なぜ海人氏(尾張氏)の
勢力圏だった、尾張、美濃、伊勢を、自らの根拠地に
出来たのが説明不可能

大海人皇子はその名前から分かるように、海人氏に幼少時に
養育されたと思われるから、尾張、美濃、伊勢の三カ国を
自らの根拠地に出来たのであろう

そして皇子なら分かるが、新羅の忍者を海人氏が養育する訳がない
132日本@名無史さん:2006/03/24(金) 14:11:50
>121,123
舒明が豊章だ、覚えとけ。
天智は生粋の倭人、ブレインの鎌足など百済系の人材に囲まれてただけ
のお飾り天皇だ。

>130
馬鹿は喪前だw
忍者の舒明帝は親父殿だぞ、忍者に決まってる
だから日本側の舒明帝は影武者だ

>131
忍者、忍者と騒ぎ立てたが、本来は女装の達人で花郎と
書くべきだったな、済まない訂正する。
133日本@名無史さん:2006/03/24(金) 21:08:51
尾張・美濃は新羅人の製鉄遺跡が残っている
尾張氏が軍事・経済援助をしたことは間違いないが
そのバックに新羅人がいたことも勝利の原動力になった
134日本@名無史さん:2006/03/24(金) 21:29:39
>>132
もうね、わざとやってるのか釣りなのか・・・w
135日本@名無史さん:2006/03/25(土) 05:48:54
>>132
根拠が全く提示されて無いじゃん。
メンヘル板に行けば?
136日本@名無史さん:2006/04/06(木) 22:37:27
>>132
鎌足の先祖の何処に百済人がいるんだよ。
根拠を全く提示せずデンパを撒き散らしている方がバカだよ。
当時の資料の何処に舒明が百済人だとか書いてある?
137日本@名無史さん:2006/04/07(金) 11:25:00
田村皇子(舒明天皇)が百済人だと記述されている
史料なんて無いと思われる
138日本@名無史さん:2006/04/08(土) 00:59:50
>>137
ハングルで書かれた資料が根拠だったりしてww
139日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:56:32
ハングル文字では論外だなぁ
同時の島国や半島の書物は
大陸で発明された漢字で
書かれていたからなぁ

同時の書物と称しながらハングル文字、平仮名、片仮名で
書かれた書物は、それだけで捏造された書物だと分かる
140日本@名無史さん:2006/04/11(火) 17:30:49
所詮はヒガミ鮮人の電波説。
141日本@名無史さん:2006/04/15(土) 04:05:24
>>132
舒明帝が影だって根拠が何処にあるんだよww
あるんなら提示してみろよデンパwwwwww
142日本@名無史さん:2006/04/15(土) 05:07:33
少なくても穴兄弟ではあるはず、額田王の存在は大きい
143日本@名無史さん:2006/04/15(土) 10:43:37
電波説ならもっと面白いのを書いてくれよ。
144日本@名無史さん:2006/04/16(日) 01:32:47
>>132

      r;ァ'N;:::::::::::::,ィ/      >::::::::::ヽ
.      〃  ヽル1'´        ∠:::::::::::::::::i
       i′  ___, - ,. = -一   ̄l:::::::::::::::l
.      ! , -==、´r'          l::::::/,ニ.ヽ
      l        _,, -‐''二ゝ  l::::l f゙ヽ |、 ここはお前の日記帳じゃねえんだ
        レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_   !:::l ) } ト
       ヾ¨'7"ry、`   ー゙='ニ,,,`    }::ヽ(ノ  根拠皆無のデンパはチラシの裏にでも書いてろ
:ーゝヽ、     !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、       ,i:::::::ミ
::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{   __)`ニゝ、  ,,iリ::::::::ミ    
::::::::::::::::::::Vi/l:::V'´;ッ`ニ´ー-ッ-,、:::::`"::::::::::::::;゙ ,  な!
:::::::::::::::::::::::::N. ゙、::::ヾ,.`二ニ´∠,,.i::::::::::::::::::::///
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::::::::::::::::::::::::::::::! :|.\;::::::::::::::::::::::::::::::/ /

145ニセモノ皇族(長州藩部落住民系)に関する学術論議:2006/04/17(月) 02:56:55
内容(「BOOK」データベースより)
幕末は慶応二年十二月から翌三年夏にかけて、長州、岩倉の一味によって強行された、
孝明天皇父子弑逆事件とその徹底的な隠蔽、そして長州による大室寅之祐明治天皇スリ替え事件。
明治維新という未曾有の大改革によって誕生した大日本帝国なるものは、
それらの大謀略を経て築かれた偽政体であった。このような大異変は、
日本民族のそれまでの歴史の流れから、絶対に生まれるはずのない性質のものである。
それは何故なのか?なぜ、起きたのか?そしてその本質は何なのか?
今や、この問題に答えを出さなければならない秋は来た。
本書はこの平成の御代まで連綿と続く、西洋かぶれ売国奴政治屋の悪辣悪行をあぶり出し、
家畜・羊の群れと堕した現代日本人に強い覚醒を促す書である。

内容(「MARC」データベースより)
明治維新という未曾有の大改革によって誕生した大日本帝国とは、
大謀略を経て築かれた偽政体であった。「孝明天皇父子弑逆」
「大室寅之祐明治天皇スリ替え」など、長州売国奴が封印した日本史の超タブーを暴く。

参考文献:長州の天皇征伐〜日本の悲劇は全てここから始まった〜  太田龍
成甲書房、¥1,995 (税込) ISBN: 4880861898 ; (2005/10/20) 、以下URLはアマゾン書評(見る価値あり)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880861898/503-4909883-0820712
皇族とか天皇が犯罪犯したらどうなるの? (偽皇族はオウム真理教殺人被疑あり)
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1137727591/l50http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1137727591/l50
146日本@名無史さん:2006/04/22(土) 04:15:09
>>142
しかも義理父子だな…。
兄弟で義理親子って今も感覚だとキモいな。
当時は普通だったかも知らんが。
147日本@名無史さん:2006/04/22(土) 08:35:30
漢皇子って

あやのみこ?
からのみこ?

おとこのみこ
ではないだろうし、やっぱアヤでしょうけど。
不思議な名前だ。

148日本@名無史さん:2006/04/22(土) 17:48:11
東漢直という百済系の渡来氏族がいて
そいつらの土地に忍坂彦人大兄皇子の墓があるんだけど
それと関係あるんじゃないか?
149日本@名無史さん:2006/04/23(日) 00:19:47
>>148
他にも西漢氏って居たよね。
元々はどちらも漢氏だったんだっけ。
150日本@名無史さん:2006/04/26(水) 16:31:46
ttp://www.rondan.co.jp/html/mail/0602/060208-3.html
 秋篠宮 (文仁) 殿下が、天皇実子でないという噂は、関係各位に根強く伝承されている。

噂の出所は、天皇一族の警護、護衛を主務とする皇宮警察。
 酒が入れば、口も軽くなり、同期生が集まれば、ここだけの話が、あっちこっちで交わされるのである。
「ここだけの話だが、秋篠宮が、天皇の本当の子供でないってこと、お前知ってるか?」 ここだけの話の一つが、それである。 それが酒席の冗談で終わらなかったのは、それなりのバックボーンがあるからだ。

 そこで代々の宮内庁長官に、一つの言葉が引き継がれることになった。 「皇位継承者は浩宮の血脈から ・・・」 と、である。

秋篠宮 (文仁) 殿下は成長するにつれ、天皇一族とは明らかに異なる特徴を見せつける。 体型、思想、行動の全てである。 皇太子や、黒田清子さんが、一目で陛下のお子さんだと分かるのに比べ、秋篠宮の体型は似ても似つかぬものがある。

それよりも何よりも、ナマズの研究にかこつけて、タイ女性にうつつを抜かしたり、祖父である昭和天皇の喪が明けぬ内に結婚を決行するといった傍若無人の精神性を露出する。 挙げ句の果てには、兄である皇位継承一位の皇太子を、公然と批判したりするのである。

菊のカーテンの奥に潜む機密事項が、小泉総理にもたらされたのは、今から一年以上も前になる。 雅子妃殿下の病状が思わしくないこと。 おそらく、お子さんは愛子内親王お一人でありましょう。
「だからこそ、皇室典範を改訂し女性天皇、女系天皇への道筋をつけて戴きたいのです」 さもないと、神武天皇以来続いた万系一世の貴種は、今世をもって終焉するかも知れません。 万が一にも秋篠宮家に第三子が誕生し、それが男子であったなら ・・・・・・・

流石の小泉も、菊の秘事を耳にして腰を抜かさんばかりに驚いたという。 郵政もさることながら、皇室が大変なことになるのである。
結果、総選挙に大勝し、郵政を片づけた小泉内閣は、早速大事案である皇室典範の改訂に取りかかる。何としてでも片を付けてみせると決意を固めた矢先である。

秋篠宮紀子妃殿下が十一年ぶりに懐妊したとのニュースが日本全土に配信される。
このことが万々歳でないことは、美智子皇后が突然体調を崩されたことからも察することが出来る。(一部略)
151日本@名無史さん:2006/05/10(水) 08:37:04
天武天皇は古人大兄皇子と同一人物。
152日本@名無史さん:2006/05/10(水) 10:56:14
新たなる珍説の降臨キタ━━━━(°Д°)━━━━!!!!
153日本@名無史さん:2006/05/11(木) 12:47:15
漢皇子の父(用命天皇の前の旦那)である高向王ってのがまた、謎の人物なんだな。
系図も何も出てこないもんね。

で、最近の半島系アホ学者は「天武天皇(=漢皇子?)本人が在日」説の流布がうまくいかないので、
この「高向王在日説」に切り替えてデムパの指向性を変えてるらしい。

資料の少ないもの、不確かなものは、すべて都合よく半島起源にしてしまう「ウリナラ歴史建て直し運動」
あの連中の存在自体が、毒以外の何物でもありません。
154日本@名無史さん:2006/05/11(木) 23:50:57
吉野つながり
155日本@名無史さん:2006/05/24(水) 09:49:19
高向王=高向玄理じゃないの?
156日本@名無史さん:2006/05/24(水) 09:55:31
小林惠子じゃないの?
157日本@名無史さん:2006/05/24(水) 10:33:18
>>155
まず当時の慣習として、女性皇族が臣下と結婚する例は
ほとんどありません

唯一の例外は、藤原鎌足と結婚した鏡姫王くらいです
(鎌足の功績に対する恩賞的な意味合いが強い婚姻)

*鏡姫王は、鏡王の娘で額田姫王の姉

それに臣下と一度結婚した宝女王が、皇后になると
言う事もあり得ない
臣下と結婚した後に、皇后となった例は、存在が確実な
皇后の中では一人も居ません

したがって、高向王=高向玄理は、あり得ない電波・妄想説!
158日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:55:25
>>153
用命天皇じゃなくて皇極・斉明天皇じゃなかった?

>>155
皇極天皇が高向王と結婚して漢皇子が出生したと思われる時期には
高向玄理は小野妹子と隋に行ってたような気が。
日本に帰って来たのは皇極天皇が舒明天皇と再婚して天智天武間人出生後
159日本@名無史さん:2006/06/13(火) 01:21:36
なんかぐぐったら高向王は高向玄理だとか百済の王族だとか
シナの帰化人だとか本当は皇族でなく豪族出身だとか色々出て来たw
http://www2.plala.or.jp/cygnus/k13.html
http://www2.plala.or.jp/cygnus/k11.html
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/8918/abenoamaro.2.html
http://www.asahi-net.or.jp/~ds3s-oomr/kodai/Ref-novel-s01.htm

>>高貴王=高向王=高向玄理
>>(高向玄理や天武(蓋蘇文)の先祖は、漢の高祖の血を引き、高句麗に渡った中国人の一族である(高天原=高句麗))
>>(高貴王は大臣に任じられ、妻は斉明(宝皇女))
>>(天武(蓋蘇文)は、玄理が唐で現地の女性との間に作った子)
http://blogs.yahoo.co.jp/eraser1eraser/25596476.html

( ゚д゚)ポカーン
160日本@名無史さん:2006/06/13(火) 07:42:52
天武天皇の系統は途切れ、血筋は一滴も受け継がれていないんだから彼が何人でもどーでもいいじゃん?
161日本@名無史さん:2006/06/13(火) 13:53:50
皇族の名は養育を担当した氏族の名とか、
養育された場所等の地名が使われる事があるんじゃなかったか。
王の名と同名の氏族がいる事は他にもあるし。
(舂米女王、長谷王、日置王、波止利女王、大海人皇子、紀皇女、等)
そんな事言ってたら氏族と同名の名を持つ皇族は皆その氏族の人って事になっちゃうよw
高向も氏族の名だよね。
同じ高向と言うだけで高向王は高向玄理だと言うより
高向と言う氏族が養育を担当した等の関係故の命名だと考えた方が自然では。
162日本@名無史さん:2006/06/13(火) 14:52:53
>>157
鏡姫王って天智の妻だったんだよね。
なんか嫌な恩賞だな……。
でも当時としては名誉な事だったのかな?
163日本@名無史さん:2006/06/13(火) 15:01:19
トンデモにそんなまじめにレスしなくてもw
164日本@名無史さん:2006/06/13(火) 15:18:04
>>153
高向王は用明天皇の子か孫じゃなかったか。
165日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:22:18
>>164
書紀によると高向王は、用明大王の孫
但し、高向王の父が誰なのか史料からは不明

用明大王→不明→高向王→漢王

用明大王の王子は
厩戸王
久米王
殖栗王
茨田王
多米王
麻呂古王
の5人

このうち、厩戸王を除いた4人が高向王の父親候補
166日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:24:36
>>165
訂正

の5人×
の6人○

このうち、厩戸王を除いた4人が高向王の父親候補×
このうち、厩戸王を除いた5人が高向王の父親候補○
167日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:18:23
>>165
あれ?
田目王子は?
蘇我稲目の娘との間の子で、厩戸王の母親と再婚した人。
168日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:46:15
>>167
ちゃんと入ってますが何か?
169日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:13:40
>>168
ありゃ多米王=田目王子か。スマソ。
そっちの名は知らなかったんで。
170日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:29:24
高向王の正体は渡来人
171日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:44:55
>>170
歴史板なんだから根拠書けよ。
根拠の無いホルホルホルならblogでも作ってすれば?
172日本@名無史さん:2006/06/14(水) 03:39:44
用明大王の孫と書紀に記述されているのだから
もしかしたら高向王は厩戸王の子供かも知れない

そして上宮王家の後継者の地位を山代大兄王と争い
その争いに敗れた高向王の事は、上宮王家関係の史料に
一切記述されなかったと言う可能性はある

用明大王→厩戸王→高向王→漢王(天武天皇)
173日本@名無史さん:2006/06/14(水) 03:51:13
天武天皇(漢王)が、聖徳太子(厩戸王)の孫だったら
天武の皇子である舎人親王が、編纂総裁をした日本書紀で
厩戸王を絶賛し、聖者として記述した理由も納得出来る

厩戸王(聖徳太子)は、天武にとっては祖父、舎人にとっては
曽祖父になるからな
174日本@名無史さん:2006/06/15(木) 09:45:26
しかし漢王=天武天皇とする事自体が根拠浮薄過ぎて無理があるからな。
175日本@名無史さん:2006/06/15(木) 12:40:38
確かに漢王=天武天皇という証拠は史料的には非常に乏しい

しかし、斉明(宝女王)即位前記に、宝の前夫とし記述された高向王と
宝の子と記述された漢王の存在が悩ましい

無視しても良いはずの、前夫(高向王)や、その間に出来た子(漢王)の事を
わざわざ即位前記に記述した、その理由とは一体何か?
176日本@名無史さん:2006/06/15(木) 12:46:52
単なる事実を記すのに何の問題もない。
無視していい「はず」だの「わざわざ」記述したのと
ことさらにフレームアップするのは電波の常套手段。
177日本@名無史さん:2006/06/15(木) 13:44:24
漢皇子≠天武天皇
漢皇子=中大兄皇子
百済恵王=用明天皇(斉明前紀)
百済某王子=高向王
178日本@名無史さん:2006/06/15(木) 17:30:39
高向王の父=用明大王の子の名前が、史料上一切不明なのは何故か?
それは高向王の父が厩戸王(聖徳太子)だからだと思われる

厩戸王以外の用明の子供が、高向王の父親ならば、本朝皇胤紹運録等の
史料にその名前が記載されたと思われる

日本書紀の編纂者は天武天皇の祖父が厩戸王だという史実を隠しつつ
厩戸王を聖人・偉人として称賛したと思われる
179日本@名無史さん:2006/06/15(木) 17:56:09
単に事実を記載したと言うのならば、斉明紀の即位前記ではなく
皇極紀の即位前記に、高向王や漢王の事を記述しても良かったはず

皇極朝と斉明朝の違い
皇極が大王位に付いた時には上宮王家は存在していた
斉明が大王位に付いた時には上宮王家は滅亡していた

つまり、高向王・漢王親子は、厩戸王の子・孫である
上宮王家と関わりがあったと思われる
180日本@名無史さん:2006/06/15(木) 20:35:35
書紀の編者にとって、皇極紀だろうが斉明紀だろうがどっちでもいいのでは?
舒明紀に蘇我蝦夷の娘が記述されてないとか、記述されていない事項はあるわけで
都合がわるけりゃ、高向王、漢王のことも書かなかっただろう
181日本@名無史さん:2006/06/15(木) 21:34:13
日本書紀という正史における過剰な程の厩戸王に対する絶賛も
用明大王→厩戸王(聖徳太子)→高向王→漢王(天武天皇)という
血の繋がりによって容易に説明可能

日本書紀において、継体大王以降の人物で、偉人として絶賛され
否定的な記述が全く無いのは、聖徳太子と天武天皇だけ

天智(葛城・中大兄)大王でさえ、批判的な記述がある中で
書紀の聖徳太子と天武天皇に対する絶賛ぶりは異様とも言える
182日本@名無史さん:2006/06/15(木) 21:43:55
天智(中大兄)天皇は、男(父)系・女(母)系とも、敏達系に属しているのに対して
天武(漢)天皇は、男(父)系では用明系であり、女(母)系でしか敏達系に
属してなかったと思われる
183九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/15(木) 22:04:40
天智はアメ大王(あめみことひらかすわけのみこと)
天武はアマ大王(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)
全く別の系統。
184日本@名無史さん:2006/06/16(金) 07:25:12
>>177
だから根拠の無いデンパで日本の偉人は朝鮮人ホルホルホルはblogにでも書け。
185日本@名無史さん:2006/06/16(金) 18:28:46
>>181
高向王に対する絶賛ぶりが見られないのは何故?
186日本@名無史さん:2006/06/16(金) 19:10:02
高向王は宝女王との間に漢王が生まれた後
直ぐに死んだのかも知れない

それに厩戸王には、王族で一番最初に
寺院(斑鳩寺=法隆寺)を、建立したと言う
事実としての実績があるけど、高向王には
そのような実績が無いから、絶賛のしようが
無かったと思われる
187日本@名無史さん:2006/06/16(金) 21:20:28
高向王は、来目皇子の子・高椅王だと思う。
188日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:53:08
漢皇子が大海人皇子の別名なら
高向王も誰かの別名の可能性も考えられます
189日本@名無史さん:2006/06/17(土) 06:30:16
>>187
高って字が同じだけでそれは無理があるのでは。
190日本@名無史さん:2006/06/17(土) 06:40:59
漢皇子は夭死。50過ぎまで生きた天武とは別人。
191日本@名無史さん:2006/06/17(土) 08:38:59
漢皇子は建王の別名です。
高向王は鏡王の別表記
192日本@名無史さん:2006/06/17(土) 09:05:54
>>191
だから根拠を書けと(ry
193日本@名無史さん:2006/06/17(土) 10:00:09
>192
('A`)メンドクセ
194日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:20:14
>>190
漢王が夭折したのなら健王と同じく幼年で死んだと記述されるだろう
しかし漢王が夭折したという記述は書紀のどこにも無いぞ
195日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:51:34
山背大兄皇子は聖徳太子の子だという記述が書紀のとこにも無いのと同様
漢皇子が夭折した記事の無いことは問題になりませんね
196日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:38:22
書紀にはなくても、上宮聖徳法王帝説に山代大兄王は
厩戸王の子供だと記述されていますが何か

だいたい書紀の山背大兄王という記述自体が間違っているしw

額田部大王治天下の時代には、山背は山代と記述されていた
つまり書紀の山背大兄王は誤りで、帝説の山代大兄王の方が
正しい名前
197日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:41:31
>>190
漢王が夭折したと言う証拠は、史料上一切無い
198日本@名無史さん:2006/06/17(土) 13:43:59
>>187
高向王が久米王の子供だという確率は1/6はある罠
199日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:21:17
また珍説かよ
200日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:53:26
このスレ自体が珍説ホイホイなのだから仕方ねぇべ
201日本@名無史さん:2006/06/18(日) 11:21:30
そんなスレしか天智天武スレが無い件について
202日本@名無史さん:2006/06/18(日) 12:12:05
壬申スレではだめか?
203日本@名無史さん:2006/06/18(日) 12:39:32
天武天皇の歳が特定出来ない事と、資料によっては年上な事。
天武系の天皇が、別な寺に祭られてる事。
天智天皇の娘が4人天武天皇に嫁いでる事。
あたりが、兄弟にしてはちょっと???
204日本@名無史さん:2006/06/18(日) 15:50:08
>>203
天武系から天智系に皇統が移った、と言うか奪ったからじゃない?
当時は叔父姪の結婚どころか異母兄弟の結婚が珍しく無かったし
宣化天皇の娘も3人が弟の欽明帝に嫁いでいるし、
敏達天皇の娘に至っては3人が息子の押坂彦人大兄皇子に嫁いでいるよ。
205日本@名無史さん:2006/06/18(日) 15:53:05
また捏造スレか
206日本@名無史さん:2006/06/18(日) 16:52:59
桓武天皇と早良親王
藤原兼通と藤原兼家
崇徳院と後白河院
後深草院と亀山院
足利尊氏と足利直義
織田信長と織田信行
伊達政宗と伊達小次郎
徳川家光と徳川忠長
徳富蘇峰と徳富蘆花
鳩山由紀夫と鳩山邦夫
徳仁親王と文仁親王
ノエルギャラガーとリアムギャラガー
若と貴
俺と弟

どうして同母兄弟ってのはこうもまあ……

207日本@名無史さん:2006/06/18(日) 19:47:57
>>205
創作スレです。
208日本@名無史さん:2006/06/19(月) 20:18:49
大海人皇子=天武天皇を覆せるだけの史料はない罠
209日本@名無史さん:2006/06/20(火) 09:27:35
>>157
>臣下と結婚した後に、皇后となった例は、存在が確実な
>皇后の中では一人も居ません

でもそもそも、誰か別の人物との婚姻歴があるのに、再婚相手の皇后と
なったという例からして極めて珍しいのでは?
他に例がほとんど無いからありえないという論法でいくと、舒明天皇との
結婚以前に他の相手がいたということ自体も否定しないとおかしいように思う。
210日本@名無史さん:2006/06/21(水) 00:28:17
兄弟だったら、皇統が移るとは言わないんでねが?
211日本@名無史さん:2006/06/21(水) 01:15:47
それでは、はっきり言う。
臣下と結婚した後に大后になった人は居ない
したがって高向王=高向玄理は単なる電波説

もし高向王=高向玄理という史料があるのなら
それをまず示して欲しい

史料に、基づかないモノは仮説ではなく電波!
212日本@名無史さん:2006/06/21(水) 08:53:14
>>209
田村と宝は即位前に結婚して中大兄が誕生しているから、実績が物を言ったんじゃない?
確か当時は皇族しか大后にはなれなくて、田村の妃で皇族って宝と田眼だけ。
田眼には子供はいないから。

>>211
論法ではそーだけど、結婚前の夫が皇族かバンピーかじゃ全然違うと思われ。
そもそも宝が田村の前に高向王と結婚して漢王子を生んだ事は
きちんと歴史資料に記されているので前例が無いから否定するという程疑わしい物では無い。
そんな事言ってたら前例が無い事は全部否定しなければならない。

だが高向王=高向玄理なんて記されている歴史資料は皆無な筈。
この2つ(宝に前夫が居た事と高向王=高向玄理)は説の根拠の時点で全く違うから同じ論法で語る事は無理があるかと。
213日本@名無史さん:2006/06/21(水) 08:56:34
ゴメソ。間違えた。
>>211>>209
214日本@名無史さん:2006/06/21(水) 12:29:42
全ての大后(皇后)の履歴を調べても、臣下と結婚した後に
大后(皇后)になった例は一例もない

したがって、高向王=高向玄理は単なる電波説である!

まあスレタイがスレタイだから、電波受信者が沸くのは仕方がないが(苦藁
215日本@名無史さん:2006/06/22(木) 02:14:01
文献が無さ過ぎる
日本書紀も天武マンセーだからな
216日本@名無史さん:2006/06/22(木) 05:48:53
高向王=高向玄理のデンパ説は、その上漢皇子=天武、=天武は朝鮮人、と斜め上に飛ぶんだよね。
歴史上の偉人を根拠も無く朝鮮人認定するデンパ説は半島に多いらしいが、
日本人でそれを支持する奴って何なのかね。
217日本@名無史さん:2006/06/22(木) 09:39:52
現生朝鮮人≠古代半島人
218日本@名無史さん:2006/06/22(木) 17:38:21
遅レス
>>91
物部も仏教取り入れてますが?
崇仏論争なんて言って蘇我と物部を二極化するけど、そんな単純じゃないな。


ところで持統天皇って天智系とは言わないの?w
天武と天智で区別するけど、天武・持統の子が継承してるんだし…。
って考えは素人でつか?w
219日本@名無史さん:2006/06/22(木) 20:03:31
皇位継承は男系主義だから、持統も元明も天武系になるのです

つまり持統が天皇になれたのは、天智の皇女という理由ではなく
天武の皇后だったから
また、同じく元明が天皇になれたのも、天智の皇女だからではなく
草壁の皇太子妃+文武天皇の母親だったからなのです
220日本@名無史さん:2006/06/22(木) 22:11:40
男系主義なら天智系だろうがよ。
221日本@名無史さん:2006/06/22(木) 22:21:26
男系だから天武系なんですが・・・
妻(持統・元明)は、夫(天武・草壁)の
系統に組み入れられるのですよ
お分かりですか?
222日本@名無史さん:2006/06/22(木) 22:44:00
>>219
なるほど。妻は夫の系統になるわけでつね。

古代は専門外だからよくわからんのですが。
関裕二?だっけ?が持統天皇は
「血は天武を継承させ,実際は天智系復活を目論んだから持統天皇は即位した」
とか言ってたと思うけどどなんかな。
223日本@名無史さん:2006/06/22(木) 23:40:21
>>222
そんな訳ないです
持統の即位は孫の珂瑠王(草壁皇子の子)が即位するまでの
中継ぎの役割を担ったのです
224日本@名無史さん:2006/06/23(金) 05:35:12
>>221
おわかりですかって・・・。
男系ってイコール父系だろ。持統天皇や元明天皇の父は天智天皇なんだから
父系なら天智系以外にありえないだろうが。
言葉の意味も理解してないのに、何を偉そうにしてるんだ・・・。
225日本@名無史さん:2006/06/23(金) 06:16:55
と言うか高向玄理の高向氏って渡来人は渡来人でもシナの方じゃね?
226日本@名無史さん:2006/06/23(金) 09:21:58
高向氏は東漢系の氏族。後漢霊帝の後裔が応神の時代に
渡来したとも伝えているので信憑性は薄いが
先祖が楽浪郡あたりからの亡命漢人で半島(百済)を経て
渡来したという点は確実だわ
227日本@名無史さん:2006/06/23(金) 10:45:58
質問:藤原光明子は「天武系」ですか?
228日本@名無史さん:2006/06/23(金) 11:53:04
いじわるすんな
229日本@名無史さん:2006/06/23(金) 12:36:09
>>223
今どき中継ぎ論ですか。笑われますよ。
回天くらい嫁
230日本@名無史さん:2006/06/23(金) 18:43:53
>>228
いじわるでもなんでもないじゃん。
231日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:25:30
持統は中継ぎだろうw
称制中に草壁皇子に死なれたから正式に即位して
15歳になった珂瑠王に譲位した

これが中継ぎでなければ中継ぎなんてあり得ない

元明も中継ぎだけど、男子の孫が珂瑠王しか居なかった
持統とは違って、男子孫が首皇子と膳夫王と居たので
持統の時ほど単純ではなかった
232日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:27:31
皇后としては天武系だわな>光明皇后
だから聖武と光明の娘である孝謙も天武系の天皇
233日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:29:10
持統や元明を天智系だと言ってる人は
本当に史学科の学生さんですかw
234日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:32:46
史学科の学生さんは全ての時代のことを詳しく知っているのだろうか?
235日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:33:18
天武系から天智系に皇統が移ったのは、光仁天皇の即位からです
236日本@名無史さん:2006/06/23(金) 19:51:50
元明天皇は、よっぽど娘の吉備内親王が可愛いかったのか
律令の男系原則を勅命を発して破棄して、吉備の子供達を
2世王(皇孫)待遇にしてしまった

まあ長屋王自身、元明にとっては同母姉の子供だから
甥にあたる罠

同母姉の子である大津皇子を殺した持統
同母姉の子である長屋王を、自分の娘の夫に選んだ元明
同じく天智の娘の持統と元明だけど、その性格はかなり違う

また、吉備内親王の夫である長屋王は、2世王の父という事で
事実上(擬制上)親王待遇になり、宮中や太政官でその地位が
更に強固となった
237日本@名無史さん:2006/06/23(金) 20:56:42
天武系の時代はいつ女系天皇が出現してもおかしくなかった。
明仁まで男系が続いたのは結果論といえなくもない。
238日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:59:59
持統が天武在位中に死ぬか、草壁が長生きしてりゃ何の問題もなかったのにな。
聖武、孝謙・称徳時代に腐るほどいた天武の男系の孫、ひ孫は殆ど粛正されるか、
臣籍降下してしまった。
239日本@名無史さん:2006/06/24(土) 08:48:01
>>236
同母姉、甥との関係もかなり違うのでは?
持統と大田は確かに同母の姉妹ではあるが、同時に天武天皇の妃として寵を争う関係でもある。
そして大津は甥であると同時に夫と他の女の子でもあり、草壁の邪魔になる存在でもある。
しかし元明と御名部は夫が違う。
長屋王と軽の関係は知らないけど。
240日本@名無史さん:2006/06/24(土) 12:15:58
うわさの真相掲示板
世の中のあやふやになっている真実を書き込んでほしい

http://8005.teacup.com/zhi/bbs
241日本@名無史さん:2006/06/27(火) 00:43:42
高向王で2chサーチ&ぐぐったらデンパがヒットしまくりんぐ…。
242日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:36:01
ぶっちゃけ不比等って天智天皇の息子だと思うんだよね
だから藤原家は天皇家を簒奪しなかったんだよ
だってオカシイだろ?
世界のどこを見回しても王より権力を持った部下ってのは必ず王位を簒奪してる
日本だけ無いなんて、これほど不自然なことはない
さらに時代を進めれば、源氏が分かりやすい
源氏とは「天皇家と源を同じくする」って意味だ
つまり天皇家の血筋なわけ
だから平氏・源氏がどんだけ権力を握ろうが絶対簒奪はしなかった
同じ一族から簒奪しても意味がないからだ
つまりアレだけ権力を握ってた藤原家も同じく天皇家から血統が始まってるんだろう
だから簒奪しなかった
ってことでOK?
243日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:15:15
ほほう。
源氏将軍の絶えた後、摂家将軍や親王将軍を迎えた北条氏は
摂関家の子孫かつ清和天皇系源氏の子孫ということかw
244日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:30:31
>世界のどこを見回しても王より権力を持った部下ってのは必ず王位を簒奪してる
アッバース朝のカリフ
245日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:28:05
国体と政体を区別するのが日本スタイル
246九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/28(水) 03:38:15

国体と政体を区別する日本的スタイルは、
卑弥呼以来の長い歴史伝統で続いています。
247日本@名無史さん:2006/06/28(水) 04:17:48
>>242
蘇我氏は簒奪してないよ
248日本@名無史さん:2006/07/02(日) 11:54:50
ん?
249日本@名無史さん:2006/07/04(火) 23:40:42
秋田県立大および偽皇室のオウム殺人犯罪容疑
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1137727591/416-423

2 名前:藤本しゅういち :2006/06/22(木) 13:54:13 ID:r/NLr5NA0
ヤバイ!!教員の●盗もうとして捕まっちまったよ!! 誰か助けて!!もうショック!!
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1151149645/

255 :非公開@個人情報保護のため :2006/06/15(木) 06:59:11
小説救急車殺人企画事件を考える
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/truck/1109449154/463-469

275 :↑しつこいキチガイ女め :2006/06/13(火) 17:08:16 ID:???
ヒットマンではなく 直接してやる。覚悟しろや。】ヒットマン ププ
http://www.akita-pu.ac.jp/bioresource/b_aisatsu.html

311 名前:実名攻撃大好きKITTY :2006/06/24(土) 19:13:31 ID:zgdswjAI0
それ俺の親友。マジショック…

188 名前:最低人類0号 :2006/06/22(木) 01:01:05 ID:2CWmvqaB
お前のせいで私の人生終わったよ。 このまま柵のついた窓がある病院で一生を終えるなんてイヤだ。
http://www.akita-pu.ac.jp/bioresource/dbe/rural/staff.html

176 :学籍番号:774 氏名:_____:2006/06/27(火) 15:34:50 ID:nPFLGkCv
●●殺人大学は、人の殺し方や死体の処理の仕方を教えている。

957 :学籍番号:774 氏名:_____:2006/06/26(月) 01:02:44 ID:8gqYcyr7
(括弧内補足:入学者激減により)来年度の収入見込みは絶望的であるがこのような状況化においても
学生の募集を続けていることは、学生の将来を無視した、学長の自己中心的な判断だと言える

601 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/06/26(月) 16:17:18 ID:ZaBaB4mj
まぁ、警視庁が動き出したってのは事実でしょ 事実出ないことをブログにのせる奴はいないし
250日本@名無史さん:2006/07/05(水) 22:16:38
>>1 だいたい天天の頃はまだ末子相続なのに、隠したからややこしくなる。
251日本@名無史さん:2006/07/10(月) 20:33:19
天天て誰だww
キョンシーの女の子かと思った。
252日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:22:47
天天ワロスwwwwww
253日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:53:49
入鹿と斉明の子が天武
254日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:58:00
天天兄弟 いいね
255日本@名無史さん:2006/07/15(土) 03:01:09
舒明・斉明・天天でDNA鑑定すれば簡単に分かるのでは?
陵に骨残ってないの?骨からもDNA鑑定出来るらしいが。
漢皇子と高向王の墓は判明してないんだっけ?
256日本@名無史さん:2006/07/15(土) 03:50:49
>>255
天皇陵なんて、適当。
古墳・陵に骨が残っていたとしても、その天皇の骨とはかぎらないし(笑
出鱈目がばれるから、宮内庁が調査を禁止している。
257日本@名無史さん:2006/07/15(土) 03:53:52
>>256
天皇陵ってその天皇とか共に埋葬された身内の以外に骨があるの?
258日本@名無史さん:2006/07/15(土) 10:17:07
舒明・天智・天武陵はまず間違いないでしょう。
斉明陵は牽牛子塚でしょう。
259日本@名無史さん:2006/07/15(土) 10:58:15
>>257
墓泥棒で、仲間割れで生き埋めになったヤツの骨とかありそう。
260日本@名無史さん:2006/07/15(土) 11:11:30
なぜ間違いないんですか?
261日本@名無史さん:2006/07/15(土) 11:22:50
>>216
漢皇子だったら、東漢氏系だから、
山東系半島人の孫正義みたいなルーツの人だろう。

>>259
江戸時代以前にも盗掘が行われていたりしたらしい。
仁徳天皇陵も修復される前は、ボロボロだったでしょう。
何か判らんがお宝が埋まってる場所、という程度の認識
だったのかも..
262日本@名無史さん:2006/07/15(土) 11:35:43
>>261
名前が漢だからって漢氏系だとは限らないんだし。
263日本@名無史さん:2006/07/15(土) 11:58:41
>>255
天武陵の発掘調査して欲しいな。扉付きでかなり荘厳な造りだったとか。
264日本@名無史さん:2006/07/15(土) 12:36:23
天武&持統陵は間違いないでしょうね。
鎌倉時代に盗掘が行われ様子を記した
史書が残っている。それによれば
墓室内は棺から引きずり出された
天武天皇の遺骨と白髪が散らばっており、
火葬されて銀の壷に納められていた
持統女帝は壷だけ盗まれ遺骨は外の道に
遺棄されていたようです。
265日本@名無史さん:2006/07/15(土) 13:55:52
>>257
「○○天皇陵」といっても、明治時代に伝承などを基に決めたもの。
ほんとに○○が埋葬されてたかどうかはわからない。
別の天皇かもしれないし、豪族・貴族かもしれないわけ。
科学的な調査をするべきなのに、宮内庁が禁止してるからできない。
266日本@名無史さん:2006/07/15(土) 20:07:57
>>260
陵の所在地・墳形・規模・築造年代から、まず間違いないでしょう
267日本@名無史さん:2006/07/15(土) 23:33:15
それは間違いです。
268日本@名無史さん:2006/07/16(日) 09:52:31
>>264
天武天皇の頭蓋骨は人よりも大きかった、という内容も書いてあるよね?
天皇の頭蓋骨って・・・何だか実感がわかないな。
269日本@名無史さん:2006/07/16(日) 11:02:13
>>261
>>漢皇子だったら、東漢氏系だから

何で?
漢皇子は皇極天皇と高向王(用明天皇の孫)の子だよ?
270日本@名無史さん:2006/07/16(日) 13:28:20
よし、天武天皇は漢皇子だったとしよう。
天皇の曾孫というのは皇位継承にはチト弱いが、孝徳天皇だってそうだ。
しかも母さんの方は天皇経験2回のベテランだから、コソコソ出自を隠す必要なんて無いと思う。
こう言うと、高向王は新羅系渡来人だからやはり隠す必要が・・・となるが、

よし、天武天皇の父は新羅人だったとしよう。
日本には後にも先にも、母系のみのDNAで天皇になった人なんかいない。
そんな人物に、古来よりの名族大伴氏を初めとする各氏族が付いて来るとは思われない。

既説の小さなホコロビを突っついても、却ってでかいホコロビが出来るだけ。
高向王の出自がイマチチはっきりしないのは「若死にして、影が薄かった」
とする方が、確証は無いことに違いはないが、何倍も確からしいと思う。
降水確率90%だと、フツーの人は傘持ってくよ。
271日本@名無史さん:2006/07/16(日) 18:30:14
でも、大海人の正体は新羅人の忍者だったって方が面白いじゃん。
272日本@名無史さん:2006/07/16(日) 21:13:24
日本人って古代史に関しては半島にコンプレックス持ちすぎw
273日本@名無史さん:2006/07/16(日) 21:28:45

ぬいぐるみとお手ふりする笑顔の愛子さま
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060620163120.jpg

ピンクのワンピースを着て微笑する愛子さま
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060708144549.jpg

雅子さまにもたれかかって嬉しそうな愛子さま
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060713144648.jpg

正面くるまから微笑む愛子さまと皇太子さま
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20060713144536.jpg
274日本@名無史さん:2006/07/16(日) 22:10:20
>>224
うへっ
人はみな父の子(母の子でもあるが)ですよ?
275日本@名無史さん:2006/07/16(日) 22:47:45
>>272
そりゃぁ、韓国人が電波を振りまいて日本人を苛立たせているのが原因。
276日本@名無史さん:2006/07/17(月) 02:01:51
>>272
半島で日本の歴史上の人が根拠も無く半島人認定されるからキモウザがっているだけなんだが。
277日本@名無史さん:2006/07/17(月) 02:07:11
増健 亘志さま(ますつよし のぶゆき)
本名 柳川宮信仁王 生年月日 昭和49年 1月22日
出身地 東京都小笠原村沖ノ鳥島 初土俵 平成 8年 1月 幕下
所属 三保ヶ関[10] 新十枚目 平成10年 3月
改名歴 柳川→増健→柳川  
最高位 十 6

有栖川識仁王の第三皇子で、学習院初等科3年生までは野球を経験されたが 4年生から本格的に相撲を始められて学習院中等科
や高等科でも全国大会で活躍された。学習院大学へ進学され、4年生の全国学生相撲選手権大会で優勝を果たされた。夏
の頃から力士を志ざされていらっしゃったので、天皇陛下にご相談されて自分に合った部屋をお選びいただいて、皇族初の
力士としてご入門あそばされた。
増健のお名前は「お膝が悪いのでケガをされないように」との願いを込めて高円宮憲仁親王が命名された。
左を差して寄る重厚な取り口だが、半身の体勢が多く勝ち味が遅かった。
お短気。
お印は「柳」(やなぎ)
趣味は文学鑑賞。
ご廃業後は平成天皇の廃位に伴い、第126代天皇にご即位あらせられた。
278418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 00:16:38
超長文いくよ

聖徳太子の子孫は全滅してないと思う。

聖徳太子と長屋王 一生
ttp://heimac.com/sakura/syoutokunagaya.html
太子49歳で没す。
その21年後に上宮王家滅亡。その時、山背大兄王恐らく50歳くらい。
死んだのは15人の王子含む一族22人ということだから
それは山背大兄王、その息子、その孫達と思われ。
太子の息子8人。この8人兄弟や他の姉妹達全員が山背50歳くらいまで
たった一つの宮に住んでいたとは思われない。
跡継ぎの山背以外の弟達は所帯を持って出ていったと思う。
また王女の多くは嫁に行ったと思う。
山背、舂米の子7人と孫が住居を継いだのだろう。
だって厩戸自体、弟達と一生同じ住居にいた、なんてことはないし
今まで皇族で、いや、豪族でも、そんな人は全くいないと思う。

実は645年蘇我氏滅亡ということになってるけど、
滅亡したのは毛人入鹿一家であって、毛人の異母兄弟の家や
その他は存続している。
太子の家も蘇我家と同じじゃないのか?

聖徳太子をめぐる人々
ttp://umayado.fc2web.com/who/hito/index.htm
(注「父・長谷王母・小手子(こてこ)郎女(大伴)」←ここは恐らく間違い)
279418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 00:17:21
押坂彦人大兄皇子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E5%9D%82%E5%BD%A6%E4%BA%BA%E5%A4%A7%E5%85%84%E7%9A%87%E5%AD%90
> 桜井弓張皇女は来目皇子(厩戸の弟、603年に没)にも嫁いで王子を儲けており
> 妃:桜井弓張皇女(さくらいのゆみはりのひめみこ、桜井玄王。敏達天皇の皇女)
> 山代王(やましろのみこ)
> 笠縫王(かさぬいのみこ)

来目皇子は大姫の同母妹 桜井弓張皇女(彦人大兄皇子の未亡人)との間に
王子を儲けたらしい。桜井弓張皇女は彦人大兄皇子との間にも二王子儲けている。
また、膳美郎女の妹も妻にした。

厩戸28歳、膳美郎女17歳くらいで結婚しているので
来目がその妹をもらったのは当然その後だと思われる。
もらってじきに亡くなったし、膳氏との間には子供があるかどうかは不明。
来目皇子は妻が二人とも厩戸の妻二人の妹だし、厩戸と仲がいいと思われる。

用明天皇
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A8%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87

同母弟
来目皇子(くめのみこ、久米王) 登美真人の祖(→山村王)
殖栗皇子(えくりのみこ) 蜷淵(みなぶち)真人の祖
異母弟
麻呂子皇子(まろこのみこ、当麻皇子) 当麻公・当麻真人の祖
280418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 00:18:39
厩戸皇子の弟4人のうち、3人は家系が続いている。
昔は異母兄弟間、叔父姪、叔母甥、従兄妹など
血縁関係の近い間柄で婚姻していたから
厩戸の王女達は、弟の家の正室として嫁に行った可能性が高い。
正室とは同居、正室以外の妻のところには通っていたと思われるから。
んでもって、厩戸の弟達の家系は真人(皇族の子孫)として存続している
から、娘達の子孫は続いていると思う。
実際、田目皇子の娘と厩戸の息子が結婚しているし。

聖徳太子の時代の資料は矛盾だらけだから、聖徳太子の女系まで
含めて全滅ってのは信憑性がない。
はっきりいって、ほとんど信憑性がないから、実は実在の人物じゃないとか
いう珍説まであって、あのころの話は諸説が入り乱れている。

来目皇子と桜井弓張皇女の王子の子孫の家が続いていると思う。
厩戸と正妻の大姫の共通の甥でもあるから繋がりが濃いし
推古女帝の孫息子でもあるし、来目と厩戸は仲がいいから、
推古との仲を強化するためにも、来目の息子の所へは
厩戸の王女が嫁に行ってると思うけど。。。
来目と桜井弓張皇女の息子も二人いたそうだ。
281418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 00:19:17
スマン。来目皇子は妻が二人いたが、二番目の妻(膳美郎女の妹)との間にも
子がいたみたいだ。とりあえず、推論部分は無視してもらう。
オリジナルの資料はこれ↓
「上宮記 (逸文2) 聖徳太子平氏伝雑勘文 上ノ三 上宮太子御子孫竝后等事 より」
ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/dassai1/jyouguuki/gen02.htm

ttp://www.geocities.jp/darabojp/pakuri5.html
> 「久米王 父ハ用明 母ハ孔穂部 娶他田宮治天下大王女子名由波利王生兒 
> 男王 星河女王 佐富王 三王也 又娶食菩支支弥郎女弟比里古郎女生兒 高椅王也 一也」

> 五番目が2来目皇子だ。筑紫で亡くなった来目皇子=久米王には妻子がいた。
> 敏達の皇女「由波利王」=桜井弓張皇女[書紀]・桜井玄王[古事記]を娶っている。
> 2−1男王と2−2佐富王という二人の皇子がいたらしい。
> 用明の妻「孔穂部」とはこれまた穴穂部間人皇女のことであろう。
> そして、比里古郎女に2−3高椅王がいる。

> 高向王に一番近いのはこの「高椅王」だろうか。先程、長谷部王のところで、
> 菩岐々美郎女の姉か妹が話題となったが、比里古郎女こそ菩岐々美郎女の妹だ。

来目皇子は桜井弓張皇女との間に2王1女王、菩岐々美郎女の妹との間に1王儲けている。
どちらの妻との間の息子でも繋がりが深いから、厩戸の王女の嫁ぎ先にうってつけだ。

ところで、もし皇極天皇の最初の夫である用明天皇皇孫の高向王=高椅王ならば、
皇極天皇が正室になっていただろうから、厩戸の王女は桜井弓張皇女腹(正室腹)の
息子の方に正室として嫁いでいただろうと思う。
282418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 00:20:33
もう一つ、超長文載せるよ。

●天武天皇=漢皇子 仮説●

・なぜ、聖徳太子の子孫は女系も含めて全滅したと言われているのか。
・なぜ、聖徳太子は神聖化されたのか。
・なぜ、天武の子孫は一生懸命、自分に無関係の蘇我氏のもたらした仏教を
 大事にしたのか。
・なぜ、天武は天智の皇女達を独占禁止法なんのその、必死に自分や息子の嫁に
 したのか。天武必死だなw
・なぜ、舒明天皇、孝徳天皇、天智天皇は名門蘇我氏、阿倍氏などから妃を
 もらえたのに、皇太弟でしかも天智の同父同母弟のはずの天武は蘇我や阿倍から
 妃を一人ももらえなかったのか。

その謎が解けた。。。。ような気がする。
隠された真相:天武天皇=皇極と前夫・高向王との子・漢皇子だから。。。
天智の異父兄なので、もちろん同父同母の皇太弟というのも嘘。
まさか父系が用明系の天武が即位するとは予想されなかったから、敏達系の
舒明、孝徳、天智と違って、蘇我や阿倍から妃を一人ももらえなかったのだろう。
天武天皇:父系は用明天皇第4世孫として、母系は皇極天皇皇子として即位。
そして高向王とは、厩戸を大好きな来目皇子と厩戸愛妃美郎女の妹の息子。
天武は厩戸を尊敬し、慕う祖父来目皇子の血を引いた内孫。
しかし、というか、だから、皇位継承権については、だいぶ脆弱なものがある。
同じ来目皇子の血でも、来目の正室桜井弓張皇女の血・つまり推古女帝の血を引く
来目の息子とその正室(厩戸の王女)の血まで引く、来目皇子の本家本流の王達には
毛並みが劣る。
また、厩戸の子孫(男系)については、山背王子の子孫は全滅したが、山背の弟らと
その子孫は生きていたと思われる。
彼らよりも当然皇位継承の正当性が劣る。
だから、来目の孫息子として、聖徳太子の血筋には憧れを抱きつつも、
「聖徳太子の男系の血筋も、女系の血筋も子孫は全部全滅した!」と
あえて嘘を主張して、彼らの存在を「ないもの」としなければならなかった。
283418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 00:29:55
多少毛並みのいい王子がいても、当時の天皇皇后等の主流から
外れると、皇位継承の目がほとんどなくなってしまうものと
考えられる。例えば、欽明天皇は皇后と同腹の皇女を3人も妃にしていて
その腹からも皇子達が生まれていた。
皇后腹の敏達の死後、敏達の異母弟達として、皇女腹の皇子達がいたにも
かかわらず、蘇我腹の推古女帝が皇后だったため、蘇我腹の皇子ばかりが
皇位継承にクローズアップされ、
皇女腹の毛並みのいい皇子達はスポットライトが当たらずに皇位継承の
候補にさえなれず、密かに脇へ追いやられていった。。

舒明には、同腹(糠手姫皇女腹)の兄弟が二人いる。
異腹の兄弟(桜井弓張皇女腹)が二人いる。
(血筋としては皇后の子の桜井弓張皇女は夫人の子の糠手姫皇女よりもずっとよい)。
彼らはもう死んでしまったかもしれないが、彼らの王子達がいるだろう。
彼らの方が天武よりも、皇位継承の正当性が高い。
用明の4世孫に過ぎない天武の皇位継承正当性は低い。

母系皇極天皇の血に頼って即位した天武は必死で天智天皇の皇女達を自分や
息子の嫁にした。また、自分の父系の血筋をごまかした。
自分自身である漢皇子(王じゃなくて皇子としてあるのは母が天皇だから)が
死んだことにし、自分を逆に天智天皇や間人皇女の同父弟であると歴史書を
改ざんした(父高向王とほぼ同時に漢皇子も死んだなんて、都合が良すぎる。
出産時に母子がほぼ同時に死ぬならともかく、父子が同時に死ぬなんて偶然は
珍しい。当然捏造)。

なお、持統天皇は夫天武系(用明朝のしかも傍流)よりも父天智系(敏達朝)
の方を重視し、自分が天智系であることを殊更強調していたようだった。
また夫の子孫であるが、天智天皇の皇女の血を引いていない
皇子の皇位継承を嫌がっていたようである。
つまり、天武の血オンリーの皇子や王子には末代までの皇位継承の
正当性がない、天智の血をもしっかりと引いていてこそ、初めて
末代までの皇位継承の正当性が認められるような雰囲気だ。
284418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 00:31:16
これは継体天皇の時と似ている。継体の血オンリーを引く安閑や
宣化は結局皇位継承権の安定性は認められず、子孫もそれ以後誰も天皇になっていない。
継体の皇后(前王朝の正当な皇女)の産んだ前王朝の血を引く欽明天皇のみが
皇位継承の正当性を認められ、以後、欽明の血筋のみが天皇になった。
天武天皇=継体天皇。天智天皇=前王朝の天皇。
また、継体も必死で前王朝の皇女達を自分や息子達の嫁にしている。
そうすることによって、皇位継承の正当性をまとおうとした。
天武と同じだ。

再掲●天武天皇=漢皇子 仮説●
この仮説によると、非常に多くの謎が解ける。
■謎:山背の同母弟二人は舂米の同母妹一人と一妻二夫の変則的夫婦で
当時、キモイと思われていたそうだ(漫画のように馬屋古ではないが、
財王と日置が久波太、波止利のどっちかと)。

菩岐々美郎女の産んだ女は4人で、舂米の他にまだ3人もいるんだから
なんで1人だけを共有するのか、他の2人のうちの一方と結婚すれば
いいのに、と不思議に思っていた。謎だった。聖徳太子の子供達は、
ずっと一緒に住み続けたからこそ、女系の子孫も含めて全部滅亡したと
思っていた。つまり、娘たちは誰も他のところへは嫁がなかったと
思っていたからだ。

■真相:当然、厩戸の王女達は有力な王子達のところへ次々と嫁にいった。
桜井弓張皇女が産んだ、父親が2種類の、計4王子は推古女帝の孫息子だし、
他にも来目以外の弟の息子のところなど嫁ぎ先候補は沢山。
だから美郎女の産んだ舂米以外の娘3人のうち2人は他所に嫁いで行ったと
思われる。よって1人だけ山背の同母弟のところに、と考えられていたが、
二人が王女の取り合いをして、仲良く?キモく?和をもって尊しとなす、の
履き違え?か、一妻二夫となった。他の2人が嫁に行かずに残っていれば
ありえないことだ。
このことからも、厩戸の王女達は有力な王子達のところへごく普通に
どんどん嫁に行っていたと考えられる。
285418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 01:00:54
●仮説 終わり
286日本@名無史さん:2006/07/25(火) 01:19:13
>>270
天武天皇の父は新羅人だったら、新笠さんの時以上に半島が大騒ぎしそう。
287日本@名無史さん:2006/07/25(火) 05:52:50
>>418 ◆4yFf8OMaXk
ここ天智天武スレだから聖徳太子の子孫についてはスレ違いだと思われ。
それと処天のスレ番コテいらなくない?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1029917483/801-900
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1047200156/401-500
288日本@名無史さん:2006/07/25(火) 05:57:19
>>418 ◆4yFf8OMaXk
>>http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/rcomic/1152058398/430

元スレでもきいたんだけど、父高向王とほぼ同時に漢皇子が死んだなんて記述のある歴史資料あった?
>>418 ◆4yFf8OMaXkさんの推測?
289日本@名無史さん:2006/07/25(火) 06:30:04
>>286
でも根拠の無いトンデモでしか無いから。
漢=大海人はまだしも漢の父、高向王が新羅人だなんて有り得ないよ。
まー竹島とかでもトンデモばっかだけど。
290418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 08:07:17
>>288
どっかの著者の推測。
「恐らく夫が死んで、ほどなくして幼子も死んだのだろう」みたいなのを読んだ。
291418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 08:10:16
>>287
天武は来目皇子の孫かも

厩戸と来目皇子の関係
292418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/25(火) 08:14:04
>>287
> それと処天のスレ番コテいらなくない?

なりすまし防止。
293418 ◆4yFf8OMaXk :2006/07/26(水) 22:56:17
こっちにも別のを貼った。興味あったら読んで。
偉大な政治家藤原不比等
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1039141039/438-462
●天智天皇と同母妹間人皇女の隠し子の引受け役としての藤原鎌足●
294日本@名無史さん:2006/08/02(水) 13:11:59
糞レスのせいですっかり過疎ってしまったな
295日本@名無史さん:2006/08/03(木) 11:46:49
>>294
ここは元々過疎スレorz
296日本@名無史さん:2006/08/03(木) 12:27:08
>>282
>>自分に無関係の蘇我氏のもたらした仏教を大事にしたのか。

仏教をもたらした者が関係あるか無いかがそんなに疑問な事?
誰がもたらした者であっても有益だと判断すれば、或いは信仰すれば大事にする物では?
天武の妃嬪には蘇我氏の娘と蘇我氏を母に持つ皇女2人が居て皇子を儲けているし。
297日本@名無史さん:2006/08/03(木) 12:41:25
>>282
大蕤娘は天智朝で左大臣だった蘇我赤兄の娘だよ。
直接では無いが持統天皇、大田皇女は蘇我氏の母を持ち、新田部皇女は阿倍氏の母を持っている。
胸形君徳善の娘もいるし。

天武の妃が天智の皇女を多く嫁にしたのは天智の意向だった可能性もあるのでは?
同母弟であっても皇位継承の上で何れ自分の子と争うかも知れないから
娘を多く嫁がせて関係を強化して防ぐつもりだったのかも。
結局駄目だったけどね。
298日本@名無史さん:2006/08/03(木) 12:49:01
>>278
実はも何も歴史家・歴史オタの間では宗家以外が残った事は常識だと思うけど。
存続しただけじゃなく重用されて大臣とか御史大夫とかいるし娘を何人も皇族の妃嬪にしているし。
蘇我氏滅亡ってのは歴史に詳しくない人が蘇我氏が全部滅んだと勘違いしたか、単に宗家滅亡を省いただけでは?
滅亡の意味が全然違うのに
>>太子の家も蘇我家と同じじゃないのか?
ってのは無理があるかと。
299日本@名無史さん:2006/08/07(月) 21:15:08
>>290
後世の人の推測では
>>父子が同時に死ぬなんて偶然は珍しい。当然捏造、
ってのは無理が無い?
300日本@名無史さん:2006/08/16(水) 11:45:59
 天武天皇の正体は竹田皇子、天智は百済王の子豊璋で聖徳太子を殺害
 継体天皇は、応神天皇の子孫という事になっているが皇位を奪われた
側の天皇で、その正統性を証明する古文書が「真清探桃証」なのです。
しかし、この文書は孤立無援で、他のすべてはこれを否定している。
 444年第20代安康天皇が従弟に暗殺された。皇位継承の第1候補
は履中天皇の第1皇子市辺押磐皇子ですが、安康天皇の弟(嘘)の雄略
天皇が彼を狩猟に誘い出して暗殺した。彼の二人の皇子億計、弘計王に
魔の手が伸びる事を直感した、日下部使主は二人を丹波に逃れさせよう
と出発した。すでに、追っ手が先回りしていたので真清田神社のある一
宮へ逃れた。すると、弟の弘計王に子が生まれ、根尾で養育してもらう
ことになった。しばらくして、雄略天皇は亡くなり、清寧天皇が病に伏
した。皇子の無い天皇(正統でない皇統の男子は絶える)は市辺押磐皇
子の遺児に後を継がせようとして探索させた。億計王が皇太子になる事
が決定したが、自分がなると弟が天皇になる機会が無くなるので、先に
弟に譲った。こうして、顕宗天皇、仁賢天皇が誕生した。根尾にいた男
大迹王(継体天皇)も大和へ上京することになり、別れの記念に桜木を
植えたのが淡墨桜として残りました。
 継体天皇の孫用明天皇は欽明天皇の皇太子で、用明天皇の皇太子が聖
徳太子なのです。聖徳天皇(聖徳太子)は大化の改新で中大兄皇子(百
済王の子豊璋)らに暗殺され、日本は朝鮮人に支配される事になった。
 大阪府太子町の叡福寺は「上の太子」と呼ばれ、聖徳太子の墓が石柱
で2重に結界が結ばれている。この寺は聖徳太子の怨霊封じの寺です。
羽曳野市の「中の太子」と呼ばれる野中寺の弥勒半跏像には、天智6年
に「中宮天皇」の病気平癒を願い、作ったとあります。境内の墓には鬼
追(怨霊)という姓が刻んである。この寺は高市皇太子の怨霊封じの寺
です。八尾市の大聖勝軍寺には「縁起絵巻」があって、聖徳太子などが
毒殺されたという姿が描かれていた。この寺は長屋親王の怨霊封じの寺
です。これら三太子はそれぞれ天皇になって、長屋親王は毒殺されたと
分かります。
301日本@名無史さん:2006/08/16(水) 22:30:37
>>300
だから根拠の無い在日認定デンパはウゼーよ。
302日本@名無史さん:2006/08/17(木) 01:59:40
>>300
長文読む気しないしソースがないからなぁ・・・
303日本@名無史さん:2006/08/17(木) 10:08:24
 京都の太秦にある広隆寺には聖徳太子の等身大の木像が安置されており、
歴代の天皇が大嘗祭で身に着けた衣装をこの木像に着せることになってい
ます。と言うことは今の天皇家が聖徳太子を殺害し、皇位を奪ったため、
聖徳太子の祟りを恐れて慰めるための行事だと分かります。 
 聖徳太子の正体は用命天皇の第1皇子の押坂彦人大兄皇子である。
すると、聖徳太子は皇位継承の第1候補者で、天皇に即位していたはずで
す。推古天皇(女帝)の治世下の摂政になっていたというのは嘘になりま
す。
 根拠
「日本書紀」によると、用命2年(587)4月物部派の中臣勝海が彦人
皇太子(押坂彦人大兄皇子)と竹田皇子の像を作って、呪い殺そうとした
が、それが、難しいことを知り、彦人皇太子に帰順した。水派宮の彦人皇
太子の家臣亦見赤壽(トミノイチヒ)は、中臣勝海が退出するところを刀
を抜いて殺害したとある。
覚什著の「太子伝記」によると、物部守屋が用命天皇と聖徳太子を呪詛し
たことが書かれ、勝照3年(587)7月、聖徳太子率いる4将軍の中に
亦見赤壽(トミノイチヒ)(「伝暦」では太子の舎人となっている)がい
て、この人物が物部守屋を弓矢で射殺している。
この二つの事件は587年に起きた物部・蘇我氏による神仏戦争の中での
出来事であることは一目瞭然で、同時期に亦見赤壽(トミノイチヒ)は彦
人皇太子と聖徳太子の両方の家臣になっている。こんなおかしな事はあり
えません。彦人皇太子と聖徳太子は同一人物であると特定できます。
なぜ、聖徳天皇の業績が残らなかったのか。聖徳天皇を暗殺した事実を隠
蔽するためなのです。645年、天皇になっていた聖徳天皇(聖徳太子)
は、三韓の使者の挨拶を受けていた時に、中大兄皇子(百済王の子豊章)
と中臣鎌足(新羅の武王)によって殺害され、日本は朝鮮人に乗っ取られ
てしまったのです。
大化の改新では聖徳天皇を蘇我入鹿にすり替えられてしまいました。
中大兄皇子は祖国復興のために、日本軍を白村江の戦いに派兵して、大量
の犠牲者を作りました。
304日本@名無史さん:2006/08/17(木) 10:18:19
>>302
 フリーメーソンに洗脳されてだまされている馬鹿ども。ほんとうの歴史が理
解出来ないとは情けない。お前たちの能力では逆立ちしても真実をつかむこと
は出来ない。馬鹿につける薬は無いとはよく言ったものだ。
305日本@名無史さん:2006/08/17(木) 11:07:00
塞上=中大兄皇子≠豊璋≒鎌足
306日本@名無史さん:2006/08/17(木) 12:08:15
>>300=>>303=>>304
唐突に脈絡のなくしかも改行位置が変で読みにくい長文をうpし
一方的な勝利宣言をするあたりはまさしくデムパです
本当に(ry
307日本@名無史さん:2006/08/17(木) 13:36:33
真・清・探・桃・証
308日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:17:08
>>304
根拠も無く認定されて本当だと思う訳無いだろ。
2chでは歴史に限らず情報の根拠を確かめる物だし。
本当だと言うなら当時の歴史資料などの根拠を提示汁。
捏造ホルホルホルはblogででもすれば?
309プラム自作自演中↑:2006/08/17(木) 22:07:30
:日本@名無史さん :2006/08/07(月) 15:22:38
おい、プラム!
邪馬台国は何処にあるんだ?その理由もキチンと書けよ!

完璧に撃ち破ってやるよ!
あんまり酷いと相手にもされないかもね。
又逃げるのか?!

お前が思っているのでいいですよ!
良く解るように説明してください!


:プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/08/06(日) 22:29:43
私としても>>247に同意。そうして貰いたい。

論破されれば“2ちゃん”から消える

これからはアホなカキコには完全スルーの予定


:プラム ◆TOfHBAKZgM :2006/08/07(月) 15:28:52
解りました。
今、余り時間が無いので(仕事中)今日中に自分のスレに書いときます。



○プラムは論破されたら消える約束でしたが、論破されましたが今でも朝から晩まで生息して、馬鹿レスばかりしています○


310 ◆VtQlcKJeQw :2006/08/18(金) 01:33:50
311日本@名無史さん:2006/08/18(金) 07:57:11
>>284
>>当然、厩戸の王女達は有力な王子達のところへ次々と嫁にいった。
>>嫁ぎ先候補は沢山。
>>だから美郎女の産んだ舂米以外の娘3人のうち2人は他所に嫁いで行ったと思われる。

嫁いだって根拠はあるの?
憶測だけなのに当然?
312日本@名無史さん:2006/08/18(金) 11:18:00
>>308
 おまえは低脳児か。300の根拠は真清探桃証であり、303の根拠は日本
書紀と覚什著の「太子伝記」だと言っているのにこれらの文書も調べないで何
をほざいているのか。中大兄皇子が白村江の戦いに日本兵を派兵した理由は祖
国復興しかないのだ。百済が滅び。それを復興させるための籠城戦の救助のた
めに、なぜ日本兵が助けなければならないのか。日本にとって百済が滅びても
痛くもかゆくもない。まして、この時代の海運技術では補給が続かない。百済
を助けることは無理である。このような援助すべき義理もない。すなわち、百
済復興以外理由はないのである。だから、中大兄皇子は百済王子である。こん
な道理が理解できないとはもう一度幼稚園からやり直せ。
313日本@名無史さん:2006/08/18(金) 11:42:18
百済から義慈王の王子二人を人質にしていることは、
宗主国として、危機のときは救援だろ。
義慈王→豊璋
   →余善光→昌成→郎虞→敬福
314日本@名無史さん:2006/08/18(金) 14:33:32
豊璋の目的が百済復興でないのは
鬼室福信殺害の件でも明らか
315日本@名無史さん:2006/08/18(金) 14:49:01
舒明は義慈王だとか、義慈元年に倭国に派遣された男とか聞いたことある。
天智が余豊というのはけっこう有名だ。
316日本@名無史さん:2006/08/18(金) 16:20:59
半島方面から強力なデムパが(ry
317だれかプラムに通訳してください:2006/08/18(金) 16:24:42
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】

318日本@名無史さん:2006/08/18(金) 16:39:33

あんたの顔見飽きた!何処っかへ行けや!用が有ったら呼んだる!
         
    %%%%%%%%%    ←←オ〜マ〜エ 
    6| -σ-σ |     
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

319日本@名無史さん:2006/08/19(土) 02:53:18
>>312
その文書の何処にも天智が豊章だなんてないだろが。
根拠にもなってない事を根拠にしてホルホルホルする奴の方が幼稚園行けば?
320日本@名無史さん:2006/08/19(土) 02:54:19
>>315
その説をマジに支持している学者がいる?
有名な説なのに支持している学者がいないの?w
321日本@名無史さん:2006/08/19(土) 03:27:43
ぶっちゃけ、異なる名前の二人を同一人物とする時の一定の条件って学会にあるの?

古代には〇〇=☆☆って説が多いが、正直いってどんな条件をクリアすれば同定を認められるのか分からんから、ほとんど信用しとらんです
322日本@名無史さん:2006/08/19(土) 04:26:36
>>321
漢皇子と大海人とかはまだしも
半島人と同じ人って無理あり過ぎだろ。
日本の偉人は皆在日認定説捏造されていてキモス。
余程偉人がいないのか?
323日本@名無史さん:2006/08/19(土) 07:42:42
安易に同一人物説を持ち出すのはたいてい歴史作家に類する人たち(自称歴史研究家等)やそのファンで
彼らは確信犯と真性電波の二種類に分類できると思います
確信犯の場合、当然何らかの目的を持っていることになります
分かりやすい例をあげると日本書紀における神功皇后と卑弥呼について考えてみるといいでしょう
結論からいいますと紀編者は編年上両者が同一人物でないことを知っていながら
年代の引き延ばしのために読者にミスリードさせたい意図があったといえるのです
324日本@名無史さん:2006/08/19(土) 09:13:13
舒明は義慈王
天智は余豊
325日本@名無史さん:2006/08/19(土) 14:26:45
 日本の白鳳時代は農業国家で、文化も唐から入ってきた発展途上国ではない
のか。そんな国の技術の兵器で朝鮮を侵略したり宗主国になれるものか。日本
の歴史学の学会はフリーメーソン(華僑系)が支配しており、日本は侵略国家で
あると洗脳するために神功皇后の三韓征伐と言うでたらめを作文したのだ。も
っと常識と自分の頭で考えろ。馬鹿な学者の意見など鵜呑みにするな。
 偽科学が常識を盲信させる
 非ユダヤ人、特に日本人において、科学の盲目的信仰が功を奏しているよう
である。幼い頃から唯物主観(金・もの主体)を叩き込まれ、学校の教科書で教
えられる事がすべて正しいと信じる。科学的に証明されていないことには、決
して耳を貸そうとしない。こういった人々にとっては権威ある有識者や学会が
言うことのみが正しく絶対なのである。ところが、超一流と言われる学者、専
門家等により構成される団体はシオンの賢哲らにより、彼らの目的達成のため
に利用されている。
 ユダヤ議定書(第2議定書)
 「非ユダヤ人は歴史を基礎とする観察を怠り、専ら理論上の旧弊に囚われて、
その結果に対する批判的工作を忘却している。我々は新聞雑誌を利用してこの
科学理論を盲目的に信用させる。非ユダヤ人の知識階級は自己の知識を誇りと
して、科学から得た知識でものを考えようとする。その知識を論理的に吟味も
せず、その知識なるものが、人間を我々の目的の実現に向けて、教育するため
に作られた事に気がつかないのである。悪魔の世界制覇に向けて。我々の主張
を根拠なきものと思ってはいけない。我々の仕組んだところのダーウィン、マ
ルクスの教説の成功に注意なさるがよろしい。これらの教説は非ユダヤ人の心
に破壊的作用を及ぼした。彼らは神を信ぜず、金の亡者となっている。ダーウ
ィンの進化論は常識となっており、人間は猿から進化したものと思い込んでい
る。チンパンジーは何時になったら人間となるのか。急には進化できないから、
その中間の形態のものが存在しなくてはならない。 
326だれかプラムに通訳してください:2006/08/19(土) 14:51:22
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
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http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

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327日本@名無史さん:2006/08/19(土) 16:46:13
 天皇家はフリーメーソンだった
 狛犬を研究して分かった事だが、神社の前に護りの神獣として据えてある狛
犬の起源は古代イスラエルまでさかのぼる。向かって右の狛犬は獅子であり、
左のものは狛犬で本当の姿は一角獣の麒麟である。右左で阿吽の形になってい
る。
 古代のイスラエルは北王国ヨセフと南王国ユダの二つに分裂していて、ヨセ
フ王国の紋章が一角獣(ユニコーン)であり、ユダ王国の紋章が獅子である。皇
室に伝わる紋章には右に獅子が、左に一角獣(ユニコーン)が描かれ、中央には
12匹の獅子が描かれている。これはイスレエル12支族を表している。
 ヨセフ王国の10支族が中央アジアに移った。彼らは肌の色が白いことから
白狄族と呼ばれ、ヘブライ文明の高い技術力で騎馬軍団を組織して中国を制覇
し、秦帝国を築いた。秦帝国滅亡後、北魏を建国した。後に朝鮮に移って百済
王家にとって代わった。
 百済王子豊璋と新羅王武王が三韓の挨拶の時に聖徳天皇を殺害し、中大兄皇
子(百済王子豊璋)は一時難波へ逃れ、聖徳太子の子高市皇太子と孫長屋親王を
殺害して、草壁皇子にすり替わったのである。その前は中大兄皇子に化けてい
て、大化の改新の後ずっと、天皇に成れなかったのは聖徳太子の子が天皇に成
ったためで、推古、皇極天皇などの女帝は虚構で、その後に天智天皇となり、
自分の子を文武天皇にしたのある。こうして、日本はフリーメーソンの陰謀に
よって乗っ取られたのです。
328日本@名無史さん:2006/08/19(土) 16:46:55
農業国家ってナニ?
意味がわからん。
329日本@名無史さん:2006/08/19(土) 21:43:17
この後自演レスが続きます
330日本@名無史さん:2006/08/20(日) 23:35:49
>>324
>>325
>>327
      r;ァ'N;:::::::::::::,ィ/      >::::::::::ヽ
.      〃  ヽル1'´        ∠:::::::::::::::::i
       i′  ___, - ,. = -一   ̄l:::::::::::::::l
.      ! , -==、´r'          l::::::/,ニ.ヽ
      l        _,, -‐''二ゝ  l::::l f゙ヽ |、 ここはお前の捏造ホルホルホル帳じゃねえんだ
        レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_   !:::l ) } ト
       ヾ¨'7"ry、`   ー゙='ニ,,,`    }::ヽ(ノ  blogにでも書いてろ
:ーゝヽ、     !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、       ,i:::::::ミ
::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{   __)`ニゝ、  ,,iリ::::::::ミ
::::::::::::::::::::Vi/l:::V'´;ッ`ニ´ー-ッ-,、:::::`"::::::::::::::;゙ ,  な!
:::::::::::::::::::::::::N. ゙、::::ヾ,.`二ニ´∠,,.i::::::::::::::::::::///
:::::::::::::::::::::::::::::l ヽ;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ /
::::::::::::::::::::::::::::::! :|.\;::::::::::::::::::::::::::::::/ /
331日本@名無史さん:2006/08/21(月) 02:15:30
朝鮮人は信用しちゃダメダメ!
【反日>真実】
なので気をつけよう。
我が民族は優秀と思いたいだけ。
日本の歴史を捏造しようと必死です。
すぐにわかりますからバカにしてやりましょう!
332日本@名無史さん:2006/08/21(月) 07:33:39
>>331
歴史だけじゃないよ。
スポーツ・芸能でも在日認定しまくりんぐww
333日本@名無史さん:2006/08/21(月) 12:53:34
>>331
 お前は馬鹿か。朝鮮人の偽者の天皇と侮辱しているのに、反日の朝鮮人が書
いたと誤解している。私は純血の日本人で、本当の日本の歴史を研究している
ものだ。これで文章の内容をよく理解できずに書き込んでいることが明白だ。
このような理解力では嘘の日本史にだまされても仕方がない。
334日本@名無史さん:2006/08/21(月) 13:05:16
 何回言ったら分かるのか。日本史学会はフリーメーソン(華僑系)に支配され
ていて、日本を侵略国家にするために神功皇后の三韓征伐というでたらめを作
文したのだ。聖徳太子暗殺の事実を隠すために聖徳太子架空論を出してきてい
るのだ。明智光秀有罪論も日本の正当な天皇を闇に抹殺して、朝鮮人の天皇を
正当化するためのプロパガンダなのだ。君たちはまんまとその罠にはまってく
だらない事で議論しているのだ。馬鹿につける薬はないとはよく言ったものだ。
 天武天皇の正体は竹田皇子、天智は百済王の子豊璋で聖徳太子を殺害した悪
者だ。だから、両者は兄弟ではなく、赤の他人で年齢の食い違いが出てきてい
るのだ。お分かりかな。
335日本@名無史さん:2006/08/21(月) 13:43:17
なんで学問板なのに電波説がこうも湧くのかな?

住み分けして欲しかです
336日本@名無史さん:2006/08/21(月) 17:38:49
電磁気学は立派な学問ですw
337日本@名無史さん:2006/08/21(月) 23:02:10
ここは理系板だったのか・・・
338日本@名無史さん:2006/08/22(火) 06:46:34
>>334
根拠も無いデンパなんて何度言ってもまた変なのが沸いてんな〜キモッとしか思わないよ。
デンパ説で荒らすなよ。blogにでも書け。
339日本@名無史さん:2006/08/22(火) 12:17:34
 中大兄皇子が白村江の戦いに日本兵を派兵した理由は祖国復興しかないのだ。
百済が滅び。それを復興させるための籠城戦の救助のために、なぜ日本兵が助
けなければならないのか。日本にとって百済が滅びても痛くもかゆくもない。
まして、この時代の海運技術では補給が続かない。百済を助けることは無理で
ある。このような援助すべき義理もない。すなわち、百済復興以外理由はない
のである。だから、中大兄皇子は百済王子である。こんな道理が理解できない
とはもう一度幼稚園からやり直せ。
 天皇家はフリーメーソンだった
 狛犬を研究して分かった事だが、神社の前に護りの神獣として据えてある狛
犬の起源は古代イスラエルまでさかのぼる。向かって右の狛犬は獅子であり、
左のものは狛犬で本当の姿は一角獣の麒麟である。右左で阿吽の形になってい
る。
 古代のイスラエルは北王国ヨセフと南王国ユダの二つに分裂していて、ヨセ
フ王国の紋章が一角獣(ユニコーン)であり、ユダ王国の紋章が獅子である。皇
室に伝わる紋章には右に獅子が、左に一角獣(ユニコーン)が描かれ、中央には
12匹の獅子が描かれている。これはイスレエル12支族を表している。
 ヨセフ王国の10支族が中央アジアに移った。彼らは肌の色が白いことから
白狄族と呼ばれ、ヘブライ文明の高い技術力で騎馬軍団を組織して中国を制覇
し、秦帝国を築いた。秦帝国滅亡後、北魏を建国した。後に朝鮮に移って百済
王家にとって代わった。
 百済王子豊璋と新羅王武王が三韓の挨拶の時に聖徳天皇を殺害し、中大兄皇
子(百済王子豊璋)は一時難波へ逃れ、聖徳太子の子高市皇太子と孫長屋親王を
殺害して、草壁皇子にすり替わったのである。その前は中大兄皇子に化けてい
て、大化の改新の後ずっと、天皇に成れなかったのは聖徳太子の子が天皇に成
ったためで、推古、皇極天皇などの女帝は虚構で、その後に天智天皇となり、
自分の子を文武天皇にしたのある。こうして、日本はフリーメーソンの陰謀に
よって乗っ取られたのです。
340日本@名無史さん:2006/08/22(火) 12:57:24
舒明こと大王田村王子の正体は義慈王
天智こと大王中大兄王子の正体は余豊

これ定説。
341日本@名無史さん:2006/08/22(火) 13:20:45
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】

342日本@名無史さん:2006/08/22(火) 14:21:47
きっと、毛沢東は朝鮮人だから祖国復興の為、朝鮮戦争に介入したんだろうね
343日本@名無史さん:2006/08/23(水) 15:24:23
 連合艦隊司令長官山本五十六はフリーメーソンだ
 宇垣纒参謀長は「戦藻録」と名付けて膨大な日記を書いた。昭和16年10月
22日の記事に「南雲長官と草鹿参謀長を更迭し、長官後任は小沢治三郎中将と
することを山本長官に進言し、長官は同意された。」とある。南雲は真珠湾作戦
を心配し、神経衰弱気味だったからである。ところが、この記事が戦後何者か
によって削除された。削除前に千早正隆参謀が遺族から借りて英訳しておいた
ことから判明した。日本の敗戦原因を隠すためである。
 真珠湾攻撃でなぜ第2次攻撃を加えなかったのか。海軍工廠や石油タンクを
温存させたために米国の反撃を許した。
 ミッドウェー作戦は島の軍事施設を攻撃して敵空母を誘い出す作戦なのに、
不必要な第2次攻撃のために、魚雷を陸用爆弾に換え、敵空母発見の報で陸用
爆弾を魚雷に兵装転換して、爆撃機の発進が遅れて敵の攻撃の餌食となった。
インド洋作戦でもこれとそっくりな兵装転換を行っている。これは負けるため
に故意に行ったのです。
 山本五十六はいくつかの予言を言っている。「三国同盟を結ぶと対米戦は避
けられない。日米戦争となれば海軍は一年は大いに暴れてお目にかけるが、そ
れから後は自信がありません。東京が空襲(ドリットル隊の)を受けたら海軍は
何と言われるか。」これらは事実となった。これは、山本が米国の作戦を知っ
ていたからです。
 真珠湾攻撃の騙まし討ちによって、ルーズベルトの思うつぼとなり、山本五
十六はフリーメーソンの命令で日本が負けるように仕組んだのです。
344日本@名無史さん:2006/08/23(水) 15:26:40
 JR福知山線脱線事故は中国系工作員による置石事故
 当初専門家が指摘したように、100キロ程度の速度では脱線しない筈です。
100キロで脱線するようなら、新幹線は常時脱線し、車は高速道路で中央分
離帯に激突する。半径300メートルのカーブとはゆるやかなカーブで危険性
は低い。
 なぜ、高見運転手が非常ブレーキをかけた姿で亡くなっているのにレール上
にその痕跡が残っていないのか。
 脱線の痕跡であるフランジがなぜレールの粉砕痕の直後にみられるのか。粉
砕痕が敷石の巻き込みによるものなら、なぜフランジの痕跡より後方へ飛んだ
のか。敷石は車輪と衝突して進行方向(前方)に飛ぶはずです。
 他の脱線事故に比べて脱線痕が少なすぎる。
 事故発生時刻の2分後、対向していた特急電車が現場の50メートル先の踏
切脇にある信号発光機の赤色点滅によって緊急停止した。この発光機は踏切内
の障害物を発見する物で赤外線センサーが人と車に感知する。非常ボタンでも
作動するが、事故2分後では無理です。なぜ、作動したのか。事故現場から逃
亡する人を捕らえたのではないか。
 この電車はブレーキが利かないように工作されており、車掌が車掌用ブレー
キを使用して駅に停車していた。非常ブレーキをかけた時にはブレーキは不能
になっていて、置石が踏み台となって、ジャンプするようにして脱線して、ビ
ルに激突した。
 車掌は事故発生の報告が遅れた理由を脱線したとは思わなかった。と述べて
いる。衝撃音と衝撃によって感じる体の衝撃の感覚が分からないとは腑におち
ません。所掌の言動にはおかしなことがある。
 この事件の前には、計画された中国の反日運動が起こっており、日本をかく
乱するために中国系工作員が起こした置石事故と思われる。
 政府もマスコミも知っていたが、情報操作によって、国民をだました。
345日本@名無史さん:2006/08/23(水) 15:31:42
 旧石器発掘ねつ造報道は虚構である
 東北旧石器文化研究所副理事長であった、藤村新一氏が宮城県築館町の「
上高森遺跡」で、自分の手で穴を堀り、石器を埋める行為をしたという姿
をビデオで撮影され、ねつ造を告白したと報道された。
 しかし、私の手元にある「上高森遺跡」の発掘写真は、ブルーやピンク色
などの石器が発掘されて、石器にこびり付いた石化した赤土が削り取られ
た、破片と共に輪状に並んで埋まっているものです。赤土が削り取られて
いるのは石器の表面の色を表に出す処理なのです。ですから、ビデオのよ
うに土の中へ埋め戻すような子供だましで学者が騙される筈がありません。
 新聞で報道された写真をよく見てみると、デジタル処理された微妙なモザ
イクがはいっています。早朝に撮った映像なら、朝日の光が斜めから射し
て、足下にうつる陰影が長く、暗くうつる筈だが、映像は明るくて、はっ
きりしている。私も報道の後に現場に行ってきたのだが、すでに、完全に
埋められてしまっていた。遺跡の東面はすすきの原っぱに、西面は田んぼ
に、南面は下り斜面に,北面が小高い土手(山の切り崩しによる。)にな
っており、撮影は北面からしか撮れない状況です。 
 毎日新聞社の撮影隊はいつ来るかわからない藤村氏をずっと待っていた
のでしょうか。石器を埋める姿が正面から撮られていますが、これは北面
からしか撮れないのに、偶然、彼がこちらを向いて、埋めてくれたのでし
ょうか。ビデオには足の折り畳んであるテントが映っていますが、発掘調
査期間中にいちいち折り畳むでしょうか。やらせ映像と心神喪失状態の自
白は証拠にはなりません。
346日本@名無史さん:2006/08/23(水) 20:38:56
コピペで流そうとしてもダメ

舒明こと大王田村王子の正体は義慈王

天智こと大王中大兄王子の正体は余豊

これ定説
347日本@名無史さん:2006/08/24(木) 09:00:19
義慈王の正体が舒明天皇
余豊の正体が天智天皇

同感です
348日本@名無史さん:2006/08/24(木) 11:11:44
兄弟説のほうが定説。だから学校教科書では・・・
あんた等に言っても無駄かw
349日本@名無史さん:2006/08/24(木) 12:44:29
舒明天皇が百済へ渡り義慈王になった経緯を知りたいです。
350日本@名無史さん:2006/08/24(木) 14:03:58
義慈王が倭人だったとするとしっくりくる
東海曾子の東海とは倭国の意味で天智を百済から追放した理由は
武王の実子だからだろう
351日本@名無史さん:2006/08/24(木) 14:56:33
中大兄皇子が白村江の戦いに日本兵を派兵した理由は祖国復興しかないのだ。
百済が滅び。それを復興させるための籠城戦の救助のために、なぜ日本兵が助
けなければならないのか。日本にとって百済が滅びても痛くもかゆくもない。
まして、この時代の海運技術では補給が続かない。百済を助けることは無理で
ある。このような援助すべき義理もない。すなわち、百済復興以外理由はない
のである。だから、中大兄皇子は百済王子である。こんな道理が理解できない
とはもう一度幼稚園からやり直せ。
 日本の白鳳時代は米作中心の経済国家で、文化も唐から入ってきた未開の国
ではないのか。そんな遅れた国の技術の兵器で朝鮮を侵略したり宗主国になれ
るものか。
 日本の歴史学の学会はフリーメーソン(華僑系)が支配しており、日本は侵略
国家であると洗脳するために神功皇后の三韓征伐と言うでたらめを作文したの
だ。もっと常識と自分の頭で考えろ。馬鹿な学者の意見など鵜呑みにするな。
 何回言ったら分かるのか。日本史学会はフリーメーソン(華僑系)に支配され
ていて、日本を侵略国家にするために神功皇后の三韓征伐というでたらめを作
文したのだ。聖徳太子暗殺の事実を隠すために聖徳太子架空論を出してきてい
るのだ。明智光秀有罪論も日本の正当な天皇を闇に抹殺して、朝鮮人の天皇を
正当化するためのプロパガンダなのだ。君たちはまんまとその罠にはまってく
だらない事で議論しているのだ。馬鹿につける薬はないとはよく言ったものだ。
352日本@名無史さん:2006/08/24(木) 15:09:18
 京都の太秦にある広隆寺には聖徳太子の等身大の木像が安置されており、歴
代の天皇が大嘗祭で身に着けた衣装をこの木像に着せることになっています。
と言うことは今の天皇家が聖徳太子を殺害し、皇位を奪ったため、聖徳太子の
祟りを恐れて慰めるための行事だと分かります。 
 中大兄皇子が白村江の戦いに日本兵を派兵した理由は祖国復興しかないのだ。
百済が滅び。それを復興させるための籠城戦の救助のために、なぜ日本兵が助
けなければならないのか。日本にとって百済が滅びても痛くもかゆくもない。
まして、この時代の海運技術では補給が続かない。百済を助けることは無理で
ある。このような援助すべき義理もない。すなわち、百済復興以外理由はない
のである。だから、中大兄皇子は百済王子である。
 日本の白鳳時代は米作中心の経済国家で、文化も唐から入ってきた未開の国
ではないのか。そんな遅れた国の技術の兵器で朝鮮を侵略したり宗主国になれ
るものか。
 日本の歴史学の学会はフリーメーソン(華僑系)が支配しており、日本は侵略
国家であると洗脳するために神功皇后の三韓征伐と言うでたらめを作文したの
だ。聖徳太子暗殺の事実を隠すために聖徳太子架空論を出してきているのだ。
明智光秀(長屋親王の子孫)有罪論も日本の正当な天皇を闇に抹殺して、朝鮮人
の偽の天皇を正当化するためのプロパガンダなのだ。君たちはまんまとその罠
にはまってくだらない事で議論しているのだ。もっと常識と自分の頭で考えろ。
馬鹿な学者の意見など鵜呑みにするな。 
353日本@名無史さん:2006/08/25(金) 03:18:53
天智天皇と天武天皇が兄弟じゃないって言う説が根拠にしてるのってどっかの寺に有るという、天武天皇が65歳で亡くなったって言うまず間違いなく書き損じくさい、文書だけ?
354日本@名無史さん:2006/08/27(日) 14:13:17
日本書紀に隠されていた暗号
 なぜ、男性天皇であった伝統が聖徳太子の時代から女性天皇に変ったのか。
このことに疑問を感じないのは不思議である。日本書紀は矛盾点が多く改ざん
されている可能性があるため、内容が難解で改ざんしにくい先代旧事本紀大成
経を調べてみると、推古天皇治世の中に突然、欽明天皇の事績が出てくる。こ
れにも改ざんの魔の手が伸びていた。何か手がかりがないかと見ていると、見
出しが目に入った。帝皇本紀上巻上に継体天皇の事績が書かれている。その後
を推定すると、上巻下が安閑天皇、中巻上が宣化天皇、中巻下が欽明天皇、下
巻上が敏達天皇、下巻下が崇俊天皇となる。次が聖皇本紀上巻上となっている。
聖徳太子の聖の字と一致するから、聖徳天皇に推定する。上巻下は高市天皇、
下巻上は天武天皇、下巻下は長屋天皇となる。このように推定した根拠を示す。
 日本書紀によると、欽明天皇と石姫皇后の間に2男1女が生まれ、皇太子は
箭田珠勝大兄皇子と言い、二男は渟中倉太珠敷尊と言う。ここでおかしいのは、
二男の名前が本名でなく、諱(死後の尊称)であり、珠の一字からこれは箭田珠
勝大兄皇子の諱である。すると二人の天皇のうち一人は偽者であると言う暗号
になり、用明天皇の存在が消えてしまうのである。敏達天皇が亡くなればその
皇太子・彦人大兄皇子が天皇になればよい。敏達天皇と広姫皇后の皇太子押坂
彦人大兄皇子の又の名を麻呂古皇子と言い、用明天皇と広子の長男も麻呂古皇
子と言う。同じ名前なら入れ替えても同じであると言う事は入れ替わったと言
う暗号である。押坂彦人大兄皇子は麻呂古皇子(朝鮮人)に入れ替わったのであ
る。彼は皇太子なのに天皇になれず、いつ亡くなったのか分からない。まるで
聖徳太子とそっくりである。聖徳太子の正体は押坂彦人大兄皇子で、皇位継承
第1候補者で天皇になっていた。このことを隠すための嘘の女帝が推古天皇で
ある。用明天皇は聖徳太子の血筋を朝鮮人に卑しめて、天皇になれなかったと
するための虚構である。高貴な天皇家が朝鮮人を妻とする筈がない。
355日本@名無史さん:2006/08/27(日) 14:25:06
朝鮮人が聖徳太子を暗殺したことが証明された
 日本書紀によると645年に大化の改新の政変が起こり、蘇我入鹿は中大兄
皇子と中臣鎌足らに暗殺された。それを目撃した古人大兄皇子は走って帰り、
「韓人、鞍作臣(蘇我入鹿)を殺しつ、吾が心痛し。」と言った。朝鮮人が蘇我入
鹿を殺した。胸が張り裂けそうだと言った。史学会の学者は現場に朝鮮人がい
ないので、朝鮮の政治がらみで殺したと歪曲した解釈にした。騙されている先
入観でものを考えるから、判断を誤るのである。朝鮮人は中大兄皇子(百済王
豊璋)と中臣鎌足(新羅武王)らである。
 大阪府にある野中寺の弥勒半跏思惟像には次のように書かれている。天智5
年(666)栢寺の智識ら、中宮天皇の大御身労き座しし時に詣り、誓願して弥
勒の御像を奉る。栢寺の縁者が中宮天皇の病気平癒を祈願して弥勒像を贈った。
中宮とは皇后と言う意味ではなく、宮に中(あ)たると言う意味で天皇を指す。
上宮が聖徳太子であるから、中宮は聖徳太子の子・高市皇太子、下宮はその孫
・長屋親王となる。高市天皇は毒殺された。
 二人は天武天皇の血筋ではない。
 天智7年(668)に中大兄皇子は天智天皇になる。23年間皇太子のままで
いたのはおかしい。成れない事情があったのです。高市天皇が亡くなって成れ
た。この時の斉明天皇は嘘。中大兄皇子が生まれた年は625年で、大海人皇
子は621年である。天武天皇の方が兄である。中大兄皇子の周りは胡散臭い。
 文武元年(697)に軽皇子は文武天皇になる。高市皇子が亡くなるのを待っ
ていたように。この高市皇子は嘘で長屋親王である。この時の持統天皇は嘘。
女帝は聖徳天皇らを隠すための隠れ蓑の役割である。聖徳太子の暗殺を隠すた
めに645年を挟んで太子の事跡を前年にずらし、長屋親王が太子の孫である
ことを隠すために彼の事跡を後年にずらしているのです。
356日本@名無史さん:2006/09/02(土) 13:09:05
長屋親王は天皇になっていた
 天皇は中国語読みではてんのうだが、日本語読みではあめのすめらきと読む。
天孫降臨説から天を前につけているが、皇の一字で天の下を治める尊と言う意
味である。また、王は1国を治める君主である。皇子は天皇の嫡流の子で親王
はその孫である。王子は嫡流外の子を指す。
 昭和63年から長屋親王邸の木簡の発掘調査が行われた。邸宅は5.7ha
の広さで、不比等邸に匹敵する。
 宅地東辺に掘られた溝から大量の木簡が発見された。
 長屋親王宮大贄鮑十編
 これは長屋親王に献上された干しアワビに付けられた荷札で、大贄とは天皇
の食物を表す。長屋親王は皇太子になる前に、天皇の代理を務めていた?献上
する者が親王と尊称し、大贄と書いた。
 吉備内親王大命以符 婢筥入女進出
 吉備内親王の命令で端女の筥入女を呼び出す。大命とは天皇の命令を表す。
これは長屋天皇の死後、その室である吉備内親王が天皇の代理を務めていた?
 長屋親王御命符
 長屋親王の命令書に御命が使われており、これも天皇の命令を表す。
 長屋皇宮俵一石舂人夫
 長屋天皇の宮で人夫が米一石搗く。
 後皇子 後皇子命宮
 後天皇の子 後天皇の子の宮殿
 芳野幸行用貫簣
 天皇の芳野御幸(外遊)用荷物
 長屋親王邸の木簡が千年以上の間保存出来た理由は、粘土によって密閉され
て、空気と水から遮断されていたからです。溝に廃棄後すぐに、粘土で埋めら
れたと考えられる。すると、この木簡を後世に残そうとした意図が読み取れる。
 以上のことから推論すると、長屋親王が前皇(聖徳天皇)の孫で後皇(高市天
皇)の死後、長屋親王が天皇の代理を務めたのは祖父、父が相次いで殺された
からである。後に天皇になったが藤原氏の陰謀によって毒殺された。その室吉
備内親王が天皇の代理を務めていたが、長屋天皇一族すべてが殺された。その
事実を後世に残そうとして、家臣が木簡を土に埋めて隠したのである。
357日本@名無史さん:2006/09/02(土) 13:57:10

インド人が朝鮮経由でアメリカに移民したら朝鮮人か??

在日朝鮮人がアメリカに移民したら元日本人か??

もう少し頭使おうよ!!
358日本@名無史さん:2006/09/02(土) 14:34:33
>>357
 民族大移動でイスラエル12支族が世界各地に移り住んでいる。当地の民族
と結ばれて混血化した。朝鮮人の祖先は秦帝国を築いた始皇帝の末裔だ。この
フリーメーソンが世界制覇を目指すために日本を侵略したのだ。藤原氏は日本
の政界、学界、財界、宗教界を支配して、日本人を戦争の地獄へ落として来た。
今度は本当の地獄に落とされるのだ。
359日本@名無史さん:2006/09/02(土) 15:00:23
キムチの食いすぎで幻覚症状でてるな、先生に診てもらったら。
360日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:14:34
舒明こと大王田村王子の正体は義慈王

天智こと大王中大兄王子の正体は余豊

これ定説
361日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:23:31
いつからオカ板になったんだよ
362日本@名無史さん:2006/09/02(土) 20:46:06
キムチ食い過ぎで
363日本@名無史さん:2006/09/03(日) 13:22:55
舒明は義慈王だとか、義慈元年に倭国に派遣された男とか聞いたことある。
天智が余豊というのはけっこう有名だ。
364日本@名無史さん:2006/09/04(月) 23:26:04
このスレはもうダメですか?
365日本@名無史さん:2006/09/05(火) 10:38:57
>>364
デムパネタホイホイとしては有効です。
366日本@名無史さん:2006/09/05(火) 10:46:41
>>364
今更何したいの?
367日本@名無史さん:2006/09/13(水) 22:44:50
>>363
だったら根拠とその説を支持している学者出せよ捏造厨。
368日本@名無史さん:2006/09/16(土) 14:09:25
大海人は 自分の甥であり、娘婿であり、妻の弟である大友皇子を
殺して皇位を奪った
369日本@名無史さん:2006/09/16(土) 14:27:56
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    ●         ●           ●  
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        ●    ● ●      ●__ ____,,,... --‐'''^~   ヽ   ゛゛:ヽ
         ●  ●    ●  ●:::::::::....:""""  ・    ・  . \::.   丿
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            ●●●●●-‐‐ ''^~
370日本@名無史さん:2006/09/16(土) 14:57:57
大友皇子は自殺
371日本@名無史さん:2006/10/08(日) 15:31:38
>>165
正解は多米王
372日本@名無史さん:2006/10/28(土) 19:34:29
戦時中、島嶼では玉砕と称して日本兵はお互いに足を引っ張り合いながら団子になって死んでいった訳だが、
生き残った人が「彼らの死を無意味だったとは遺族には言えない」と言っていた。
どうすれば彼らの死を無駄にさせないことが出来るか、思い悩んでいる様でもあった。

日本では、未だに戦争の張本人、責任者である天皇の戦争責任が問われていない。
これを明らかとし、二度とこの様なことが起きない様に天皇制を廃棄する事こそが、彼らの死に報いることではないだろうか。
そうして初めて、戦争で死んでいった数百万の日本人の死が無駄ではなくなるのである。
373日本@名無史さん:2006/10/29(日) 02:51:42
薩長藩閥政府は天皇を以上に神格化したのと
天皇の譲位を否定した事が原因
明治以前は、天皇だろうと太上天皇(上皇)だろうと
戦いに負ければ、廃帝あるいは流刑にされる例が多かった

そして近衛が考えていた天皇の譲位と仁和寺での出家生活が
戦争責任の取り方としてはベストだった
374日本@名無史さん:2006/11/19(日) 03:50:51
>>372
天皇制のせいで戦争起こった訳じゃないだろ。
デンパキモイ。
375日本@名無史さん:2006/12/25(月) 17:17:42
>353 天智天皇と天武天皇が兄弟じゃないって言う説が根拠にしてるのってどっかの寺に有るという、天武天皇が65歳で亡くなったって言うまず間違いなく書き損じくさい、文書だけ?

昔一度だけ聞いた天地天武は兄弟じゃないよ説。確かめようがなかったんだけど、ここで335さんがおっしゃっている根拠となった資料の名前を具体的に教えて!長年ひっかかってたの!!お願いします!
376日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:53:02
>>375
つwiki
377日本@名無史さん:2007/01/05(金) 11:20:11
天武の没年齢を65歳にしてる史料は天智の没年齢を58歳と
記述しているから、その史料の上では、天智兄、天武弟で
整合性は取れている

その史料とは「本朝皇胤紹運録」
378日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:34:18
>377さま
ありがとうございます!さっそく史料にあたります。
ようやく安心して眠れます。本当にありがとうございました。
379日本@名無史さん:2007/01/06(土) 20:47:29
あっ、勘違いしてしまった。
でも嬉しいです。
やっぱり史料に当たります。

 で、どなたか天智天武非兄弟説の根拠になっている史料を教えてください…。
380日本@名無史さん:2007/01/10(水) 22:16:35
>>379
そんな史料はありません
日本書紀に出て来る漢皇子が天武天皇でも
漢皇子と中大兄皇子は異父同母兄弟です
つまり天智天皇と天武天皇が兄弟じゃない
という根拠は全くありせん
381日本@名無史さん:2007/01/16(火) 00:30:21
弟のほうが年長のわけないだろ。
兄弟のわけがない。
382日本@名無史さん:2007/01/17(水) 03:13:12
例えばA,B二つの史料があって、Aの天武がBの天智より年上の場合がある
というのがこの説の根拠ですよね?
383日本@名無史さん:2007/01/17(水) 17:29:29
大和岩雄元社長の著書はどうかね
384日本@名無史さん:2007/01/17(水) 18:08:17
 生年      天智 天武
日本書紀     626 ---
一代要記 619 622
仁寿鏡 614 614
興福寺略年代記614 622
神皇正統記 614 614
神皇正統録 614 622
和漢合符 614 615
如是院年代記 614 614
本朝皇胤紹運録614 622
385日本@名無史さん:2007/01/19(金) 17:30:15
同一史料で天武天皇が天智天皇より年上という史料は無い

同一史料内では

天武の年齢は不明(日本書紀)
天智と天武は同じ年(仁寿鏡、神皇正統記、如是院年代記)
天武は天智より年下(一代要記、興福寺略年代記、神皇正統録
              和漢合符、本朝皇胤紹運録)

と言う事になる
386日本@名無史さん:2007/02/04(日) 08:21:45
天智天武非兄弟説ってどちらかが朝鮮人認定されているデンパ説ぐらいじゃないのか。
387日本@名無史さん:2007/02/04(日) 19:27:08
井沢元彦氏も言ってたが、
定説の天智天武「同母同父兄弟」以外の説をひっくるめて非兄弟説と言うらしい・・・

その中では比較的まともなのが「天武異父兄」説だが、
それがホントだとすると、今度は逆にそのことを隠す必要がなくなってしまう・・・
388日本@名無史さん:2007/02/04(日) 19:27:14
井沢元彦氏も言ってたが、
定説の天智天武「同母同父兄弟」以外の説をひっくるめて非兄弟説と言うらしい・・・

その中では比較的まともなのが「天武異父兄」説だが、
それがホントだとすると、今度は逆にそのことを隠す必要がなくなってしまう・・・
389日本@名無史さん:2007/02/05(月) 03:10:52
>>387
誰が言い出したんだろな。紛らわしい…。
390日本@名無史さん:2007/02/05(月) 16:54:20
当の井沢氏自身だ(笑)。異説の方をまとめたいい呼称が無かったみたいだ。
混乱させて済まないみたいなこと言ってた。
391日本@名無史さん:2007/02/10(土) 02:37:39
392日本@名無史さん:2007/02/10(土) 02:45:18
仲の大江の応じ
393日本@名無史さん:2007/02/10(土) 19:44:17
受信料の支払いは当分の間控えさせていただきます。
394日本@名無史さん:2007/02/15(木) 08:20:21
日本人と韓国人は兄弟。
395日本@名無史さん:2007/02/15(木) 11:02:22
新羅の最初の王様は倭人だったみたいだし
396日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:51:03
hoho-
397日本@名無史さん:2007/04/07(土) 22:08:19
>>395
マジ?
398日本@名無史さん:2007/05/15(火) 20:38:24
ほう
399日本@名無史さん:2007/07/28(土) 11:07:49
ソースは?
400日本@名無史さん:2007/07/28(土) 15:07:22
倭人は大陸から来たからな
401日本@名無史さん:2007/07/29(日) 16:02:11
十市皇女の扱いからして、額田女王は実は皇女だった説も大きい。
母の身分が子供の身分の時代だから。
402日本@名無史さん:2007/09/07(金) 17:33:19
額田王は「王」を冠していることからも、天皇から五世以内の皇族だった可能性は高い。
もっとも、多夫多妻制の社会で、天皇から五世以内の子孫は相当数いたことが想像される。
額田王が、天皇の娘、すなわち皇女であったという説は無理。
額田王は大海人皇子の最初の妻であったにもかかわらず、正妃にもなれず、
あとから天武に嫁いだ大伯皇女や持統天皇らに、完全に圧倒されているし。
403日本@名無史さん:2007/09/07(金) 18:07:16
>>395
「三国史記」百済本紀によれば、第4代新羅王は、
倭国の妃殿下が、赤子ではなく卵を産んだので、不吉だとして卵を海に流したところ、
朝鮮に流れ着いて卵からかえったという人物であるらしい。
のちに百済王の娘と結婚して百済王家を継承したという。
「新撰姓氏録」では、新羅王の祖先は日本の神武天皇の兄であるとし、
「日本書紀」では、神武天皇の兄稲飯命は、母の国である海へ帰ったことになっており、
関連性があるらしい。
404日本@名無史さん:2007/09/08(土) 01:39:22
血が繋がっていようといまいと
額田を通じた穴き うわっなにをす(ry
405日本@名無史さん:2007/10/15(月) 22:05:59
ほう
406日本@名無史さん:2007/10/28(日) 19:35:11
額田はどっちが好きだったんだろう
407日本@名無史さん:2007/11/20(火) 00:28:11
額田王と額田姫王説は、あまりメジャーじゃないのかな?
408日本@名無史さん:2008/01/02(水) 17:16:43
>>1
前スレ?
天智天皇と天武天皇 2001/01/29-2001/06/25
http://mentai.2ch.net/history/kako/980/980713415.html
409日本@名無史さん:2008/01/09(水) 13:38:34
>363
義慈王は唐に連れ去られ、後新羅の外交団の宴席に現れて、酒の酌をさせられていた
という記録がある。舒明になるのは無理。
余豊章についても、百済陥落後、北へ敗走したと史書には書かれているが?
関裕二のとんでも説を真に受けるやつがいるのか?
410日本@名無史さん:2008/01/09(水) 13:48:08
そこはそれそっちは影武者で本物は日本に来たとか言い出すんだろう。
411日本@名無史さん:2008/01/09(水) 14:34:32
通説を無視した皇国史観馬鹿は日本史の点数は取れない。
教祖の戯言を必死になって勉強して社会の常識からかけ離れて行く。
右翼か朝鮮カルトに入信して皇国史観を暴力で流布するしかないんだよね。
ああ、2ちゃんねるで工作もあるか。
412日本@名無史さん:2008/01/10(木) 02:10:57
大和岩雄が主張するように天智と天武は異父兄弟と考える。
すなわち高向王と斉明天皇(宝皇女)の間に生まれた漢皇子が天武天皇である。
ちなみに高向王は蘇我入鹿のことと思われる。

広瀬満
http://www.kojikiden.com
413日本@名無史さん:2008/01/10(木) 02:35:37
整合性の取れている同一テキスト内の関係より異なるテキストを
比較することで見える矛盾を重視することは正しいか?
414日本@名無史さん:2008/01/10(木) 02:58:46
今年は2008年。
1300年遡れば708年。
再来年には平城遷都、さらに4年後には国史撰定の詔が発令されるという時代状況。
壬申の乱といえば36年前の672年。
これを現代に置き換えると1972年。
広瀬さん1960年生まれらしいすけど、このあたりどう感じられます?
つまりこういうことですよ。
『平成の今上天皇は昭和天皇の子供ではない。
 すなわち三笠宮と香淳皇后(久邇宮良子女王)の間に生まれた皇子が今上天皇である。
 ちなみに三笠宮は東條英機のことと思われる』
どっかのスレで今上天皇は三笠宮の子供というのがありましたが、
広瀬さんもそういうのに心動かされちゃうタイプ?
まあ、大和ナントカとか井沢ナントカにも言えることですけど...
415日本@名無史さん:2008/01/10(木) 03:30:58
初めてレスするが・・・
思い込みだけで実証を欠く結論を書くのは学問的とは思えないのだが
確かにこの時代の唯一の基礎史料である「日本書記」には疑問も多い
だからと言って扶桑略記等平安時代の文献ならともかく
中世の文献(ほとんどある意図のために編纂された今でいう電波本の類い)によって改変するのは無理だと思う
それよりも

1.いわゆる大化の改新の実像は?
2.書記によれば天智は実質的最高権力者なのに20数年間なぜ皇太子のままなのか、特に斉明崩御以降はなぜ?
3.この時代天智の股肱の臣とされる藤原鎌足の実像は?

いろいろ考えたが人に言うほど自信のある説明は思いつかない
ただ一つヒント
天智の和風諡号「天命開別」
書記の年紀を知ってる人には分かると思う
416日本@名無史さん:2008/01/10(木) 03:36:49
>>413
年齢の矛盾だけなら異父兄弟説はさほど説得力のある説とは思えない。
しかし天智の娘が4人も天武に嫁いでいるということを考えれば
天武が天智の実の弟とは考えにくいのではないか。
もっとも私が天智と天武が実の兄弟と考えるのはこれだけではないが・・

広瀬満
http://www.kojikiden.com
417日本@名無史さん:2008/01/10(木) 04:16:39
>>415
何の根拠も無きままこのようなことを主張しているのではない。
実証するには文面が不足するのでこの場では結論だけとさせていただいている。
実証は私のHPにおいて『大国主伝』として纏めておいたので関心のある方は参照してほしい。
たしかに年齢の矛盾は中世の文献に基づくが弟が兄の4人の娘を娶っているのは「日本書記」の記述である。


1、大化の改新の実像について
蘇我氏の内紛と考えている。おそらく百済を巡る政策で対立があったのだろう。

2、藤原鎌足の実像が20数年間なぜ皇太子のままであったのか
蘇我馬子や蝦夷がそうであったように蘇我の宗本家は皇位継承の決定権を持っていた。
大海人皇子が蘇我入鹿の子だとすると大海人皇子に皇位継承の決定権があったことになる。
大海人皇子にしてみれば父の仇の中大兄が即位することをそう簡単には了承する気にはならなかったのだろう。
この気持ちが天智即位後の宴で大海人皇子が槍を突き刺したという事件につながっていると思う。
天智が天武に多くの娘を嫁がせているのは天智のほうから天武に関係の改善を求めた結果であろう。
ちなみに藤原鎌足の娘も天智には誰も嫁いでいないのに天武には2人が嫁いでいる。

3、藤原鎌足の実像の実像について
残念ながらよくわからない。東国の出身という気はするが。
なにかよい情報があれば教えてほしい。

広瀬満
http://www.kojikiden.com
418日本@名無史さん:2008/01/10(木) 05:09:03
>>414

現在と1300年前を同列視して論じるわけにはいかないが
1300年前の日本書紀完成時にも天武天皇の出自の真実を知っていたものはおそらく多くいたことであろう。
したがってうそを書くわけにはいかない。そうかといって都合の悪いことをそのまま書くわけにはいかない。
このような場合、最も良い手段は沈黙である。
壬申の乱についてあれほど多くの記述を残す日本書紀がそれ以前の天武天皇についてほとんど何も語らないのも
天武の出自に都合の悪いことが多いことを物語っている。

天武が蘇我入鹿の子であるという説は現時点では大胆な説かもしれない。しかし大胆だからといって『平成の今上天皇は・・・』
というような説と同列視するのは偏見というものであろう。
わたしがこのような説を主張するのも根拠があってのことである。

私は大和岩雄の主張は重視するが井沢元彦の主張は実証不足だと思う。

広瀬満
http://www.kojikiden.com
419日本@名無史さん:2008/01/10(木) 06:36:00
木を見て森を見ずってやつだな
近い時代でも
欽明は兄の娘を数人
敏達は異母妹を
彦人も異母妹を
用明も異母妹を
舒明は兄弟の娘を
娶っているので天武が兄の娘を何人娶ろうが問題ない
420日本@名無史さん:2008/01/10(木) 08:07:12
>>416
兄弟姉妹で結婚するのが当たり前だった当時、
叔父と姪が結婚するのは普通すぎる。
天智天皇が天皇家最大の外戚蘇我氏を倒し、
天皇家の血筋の保全を図ろうとした結果、
皇女の嫁ぎ先は皇族にしか求められなくなり、
天智天皇の粛清の結果皇族も減っていたから、
自分の弟にぐらいしか自分の娘の嫁ぎ先を見出せなかっただけの話。
まあ、天武がそれまでの皇統を全く引かない赤の他人だったら、
天武天皇の実の娘である持統天皇が天武を殺して即位する
くらいのことはやったでしょう。
421日本@名無史さん:2008/01/10(木) 08:19:23
>>418
>現在と1300年前を同列視して論じるわけにはいかないが
>1300年前の日本書紀完成時にも天武天皇の出自の真実を知っていたものはおそらく多くいたことであろう。

そう言うのは簡単ですけどね、人と人との関係性というのは古代も現代もそれほど変わるものではないと思いますよ。
つまり広瀬さんは、西暦708年頃生きていた人たちは……天武系のみならず天智系の皇族も諸王も大臣も大納言も、
神祇伯も博士も国司も舎人も高僧も遣唐使も百官の役人も、ついでに大宝・和銅の戸籍に名前を遺している庶民も、
36年前に壬申の乱という大事件を引き起こし、一国の帝王にまで登りつめた天武の本当の出自を知っていたが、
その名が歴史上変更され、家族関係までが改変されるという事態に当たっては、みんなで知らんぷりを決め込んでいたと?
しかしですね、いくら壬申前の記録が薄弱だと言ったって、天武がいきなり何処かからパッと現れ、
短期間に味方を掻き集めて古代最大ともいわれる内乱を起こし、戦いに勝利して皇位をモノにした訳ではないでしょう?
それまでの何年かの間に、朝廷内での人間関係を構築し、それなりの地位を固めてきたはずですよね?
じゃなきゃ、十市も高市も草壁も大津も生まれて来ない。
まあ幸い大化期以降は、木簡などの文字資料が、まさに歴史の生き証人として遺され始めてる時代ですから、
新しい史料の発見を願いつつ、今後の発掘調査に大いに期待し、注目していくこととしましょうや。
422日本@名無史さん:2008/01/10(木) 11:54:38
>>421
多くの者が知っていたといっても日本全国津図浦々、庶民まで知っていたとは思わない。
中央の支配階級に限られると思う。その人たちは天皇の権威に寄り添って生きる人たちである。
また一旦、国の正史に書かれてしまえばそれに個人が異を唱えることは出来なかったであろう。

広瀬満
http://www.kojikiden.com
423日本@名無史さん:2008/01/10(木) 12:50:49
>>419
何を寝ぼけたことを言っているのか!
欽明天皇は宣化天皇の娘を4人娶ったことになっているが欽明天皇と宣化天皇は異母兄弟である。
弟が父も母も同じ実の兄の娘を、しかも4人も娶っているのは不自然だといっているのである。

広瀬満
424日本@名無史さん:2008/01/10(木) 14:34:24
>>423
419ではないのだが、それでは広瀬君、
同時代で皇族以外に嫁いだ皇女(天皇の息女)の例を挙げてみよう。
どちらが無茶を言っているかがわかりますね。
叔父が同母兄弟の娘(つまり姪)を娶った例はあるから、
系図を見てみようね。

あと、天武の後宮に天智の娘が4人いることね。
このうち、天智天皇が存命中に天武に嫁いだことが確実なのは、
太田皇女と持統天皇だけね。
天智天皇は、671年に没。
ところが、残る2人、新田部皇女、大江皇女の場合、
新田部皇女が天武との間に一人息子の舎人親王を生んだのが676年。
大江皇女の子、長皇子、弓削皇子は舎人親王の弟であることが分かっている。
つまり、767年以降の出生。
天智天皇没後、大友皇子が討たれたことにより天智系は壊滅的な打撃を受け、
叔父の天武天皇が未婚だった姪を引き取って妻にし、面倒を見た可能性が高いわけ。
「4人も」といっても、新田部皇女、大江皇女は天智没後、近江朝廷滅亡後に
天武の妃となった皇女たちだから、勘違いしないでね。

425424:2008/01/10(木) 14:41:10
>大江皇女の子、長皇子、弓削皇子は舎人親王の弟であることが分かっている。
>つまり、767年以降の出生。

訂正
長皇子、弓削皇子は676年以降の出生。
426日本@名無史さん:2008/01/13(日) 10:28:57
舒明は義慈元年に倭国に派遣された男らしいよ。
427日本@名無史さん:2008/01/13(日) 11:03:32
ウノのサララといえば新羅人の巣窟だった地
428日本@名無史さん:2008/01/17(木) 10:02:24
天智は本当に天皇家の血をひいていたのか?少し疑っている!
429日本@名無史さん:2008/02/24(日) 17:53:02
天武天皇が蘇我入鹿の子であることの傍証

 私が天武天皇を蘇我入鹿の子と考えるのは大国主が天武天皇、スサノヲを蘇我馬子と考え大国主、
スサノヲが直系の関係にあることからの類推であるが、天武天皇が入鹿の子である、すなわち蘇我宗本家に
位置する人物であることは「日本書紀」などからの記述からも伺えるので次に列挙してみたい。

1、壬申の乱において天智天皇からの譲位を断り、近江から出て大海子皇子が向かったのは飛鳥であるが、
皇子は飛鳥に着くと嶋宮に入っている。また壬申の乱の戦いに勝利し、飛鳥に凱旋したときも嶋宮に入っている。
これらのことから嶋宮は飛鳥における大海人皇子の居宅であったことがわかるが、この嶋宮は元は蘇我馬子の旧宅で
あったといわれている。
 大海人皇子は馬子の嫡流であったからこそ嶋宮を自らの居宅としていたと考えられる。
430日本@名無史さん:2008/02/24(日) 17:54:27
>>429の続き
2、吉野を脱出した大海人皇子には多くの舎人が随伴していたがその多くは東漢氏の一族であった。
しかも皇子の手足となって重要な役割を果たしていた。また乱において東漢氏の多くは大海人側につき奮戦している。
これらのことから天武天皇と東漢氏は特別な関係にあったと坂本太郎氏や大和岩雄氏は主張している。
乙巳の変において入鹿が殺された後、残された蝦夷を守るため東漢氏が武装して集まってきたことからわかるように
東漢氏は蘇我宗本家の配下の氏族であった。
天武天皇と東漢氏が特別な関係にあったのは天武天皇が蘇我宗本家に位置する人物と考えればわかり易いであろう。

3、吉野を脱出し東国に向かった大海人皇子たちを中心になって迎え入れ、支援したのは東国の尾張氏といわれている。
甘樫丘(あまかしのおか)にあった蘇我蝦夷や入鹿の邸宅を警護していたのは東国の兵たちであった。
 また宣化天皇の那津整備の詔によれば、皇室・物部氏・阿倍氏は同族の物に穀を運ばせているのに対し、
蘇我稲目は尾張氏を遣わしてそれを行っている。これらのことから尾張氏と蘇我宗本家は主従関係にあったと見られている。
尾張氏が大海人皇子を支援したのは皇子が蘇我宗本家の人物だったからである。
431日本@名無史さん:2008/02/24(日) 17:55:31
>>430の続き
4、推古天皇が即位したのは蘇我馬子の強い意向だったといわれている。また推古の死後、その後継者を選ぶ際に当初、
蝦夷が一人で決めようとしていたとの記述が「日本書紀」にあるように蘇我宗本家は皇位継承の決定権を持っていた。
中大兄皇子が27年間も皇太子のままで即位しなかったのも弟の大海人皇子の存在が障害になっていたと考えられる。
大海人皇子は父の敵が即位することをそう簡単には承認する気にはならなかったのである。中大兄は即位したくとも
蘇我宗本家の大海人皇子が皇位継承の決定権を持っていたため即位することができなかったのである。
大海人皇子が皇位継承の決定権を持っていたことは乱の直前の近江宮における天智天皇と大海人皇子の会話からも伺い知ることができる。

 天智天皇からの譲位の申し出を断った大海人皇子は皇后を即位させ、大友皇子を太子として政治の実務を行うように進言している。
大友皇子は皇太子だったから大海人皇子が即位しないのなら大友皇子が即位するのが当然で、このようなことを譲位を断り、
吉野に出家することを決めていた大海人皇子が言い出すのは異例のことである。古人大兄皇子も即位を断り、
吉野に出家したがこのようなことは言わなかった。天智天皇にしてみれば大きなお世話というしかないが、
弟の大海人皇子が天智天皇に向かってこのようなことを言えたのは大海人皇子が蘇我宗本家として皇位継承の決定権を持っていたからである。
432日本@名無史さん:2008/02/24(日) 17:57:08
>>431の続き
5、高松塚古墳、キトラ古墳の被葬者は様々な人物が取り沙汰され、その議論は錯綜した状態にあるが「日本書紀」の
記述どおりに天武天皇を天智天皇の実の弟、舒明天皇の子として考えたのではその被葬者の名前は絶対に出てこない。
なぜなら束明神古墳の被葬者は草壁皇子であることはかなり確実とされているが、その墓には壁画はおろか、
漆喰も塗られてはいなかった。しかもその位置は高松塚古墳に比べて天武天皇稜よりかなり離れた位置にある。

 皇子は天武天皇と持統天皇の子であるが、持統天皇の次に即位した文武天皇は皇子の子、次に即位した元明天皇は妻、
次に即位した元正天皇は文武天皇同様草壁皇子の子である。つまり天武から元正までの間に即位していた天皇は
すべて草壁皇子の家族である。
 草壁の皇子より序列が下位の皇子や臣下が草壁の皇子より立派な墓でしかも天武の墓により近い位置に葬られると
いうようなことが許されるとは考えられない。現に壬申の乱の功労者で大津皇子、草壁皇子に次ぐ高い序列の皇子であった
高市皇子の墓は明日香から遠く離れた広陵町にあったと文献には残されている。
433日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:00:16
>>432の続き
 また高松塚古墳、キトラ古墳に描かれた四神図や星宿図は帝王の墓に描かれてこそ意味のある壁画であり、
国を支配していたような人物の墓でなければ描けないような壁画である。序列の低い皇子や臣下の墓に描けるような壁画ではない。
 天武天皇を天智天皇の実の弟と考えたのでは被葬者に該当するような人物はまったく見当たらないのである。

 しかし天武天皇を蘇我入鹿の子と考えれば高松塚古墳、キトラ古墳は蘇我蝦夷、蘇我入鹿の墓と考えることができる。
二人は朝廷を牛耳り事実上倭国の支配者であったから四神図や星宿図が描かれていても不思議ではない。
天武天皇の祖父と父であったならその墓が天武天皇の近くにあって当然である。また遺骨の鑑定結果からキトラ古墳の
被葬者の年齢は熟年、高松塚古墳の被葬者の年齢は熟年以上と推定されているがこれは皇極天皇(蘇我入鹿の妻であったことになる)の
年齢から推測される蝦夷、入鹿の年齢とほぼ一致する。


広瀬満

http://www.kojikiden.com/
434日本@名無史さん:2008/02/24(日) 18:28:12
マジ!?
435日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:38:59
.
436日本@名無史さん:2008/02/25(月) 19:52:42
>>433
日本書紀に蝦夷と入鹿は生前の同時期に並べて墓を作ったとあるのだが・・・
高松塚とキトラでは場所が離れすぎ。
しかも、高松塚よりキトラのほうが築年数が古い。
普通に皇族の墓ととらえるべき。
437日本@名無史さん:2008/02/25(月) 21:52:19
>>436
 日本書紀に蝦夷と入鹿は生前の同時期に並べて墓を作ったとあるが
それは石舞台古墳とその南にある都塚古墳と考えている。
 高松塚とキトラは壬申の乱の後に天武天皇によって作られた二人の改装墓である。
 高松塚よりキトラのほうが築年数が古いとされているがあまり根拠はないようである。
 四神図や星宿図は図の意味から考えて普通の皇族や臣下が自らの墓に描けるようなものではない。
 国を支配していたような人物のみが描くことができるものだと思う。

広瀬満

http://www.kojikiden.com/
438日本@名無史さん:2008/02/26(火) 21:08:34
.
439日本@名無史さん:2008/03/01(土) 08:33:42
当時の宮廷の中枢が百済人だったというのは
本当なのか?
まずそれだけハッキリさせろよ
440日本@名無史さん:2008/03/04(火) 19:25:08
>>439
すべて百済人だったとは考えていない。
しかし百済人がいたことは確かである。

広瀬満

http://www.kojikiden.com/


441日本@名無史さん:2008/03/04(火) 20:02:14
こいつバカなのか…
なぜ論拠を書かない?それとも他人を見下してる手合いか?
442日本@名無史さん:2008/05/04(日) 10:03:48
上宮聖徳法王帝説に
「乙巳年六月十一日、近江天皇〈生廿一年〉殺於林太郎」
とあるが

この天智天皇の〈生廿一年〉は生年が二十一歳ではなく推古二十一年生まれではないだろうか。

そうすると613年生まれとなり、紹運録などの614年生まれと僅か一年の誤差となる。
443日本@名無史さん:2008/05/04(日) 10:07:03
天智と天武は穴兄弟
444日本@名無史さん:2008/05/04(日) 10:14:22
経基王と源満仲は親子じゃないらしい。
445衣笠宮:2008/05/04(日) 17:14:24
・用明天皇の孫の長谷王が葛城王という息子を残して早世している。
・用明天皇の孫の高向王に嫁いだ宝王女(皇極天皇)は漢皇子を産み夫と死別し
 舒明天皇と再婚している。息子の天智天皇は葛城皇子を名乗っている。
・葛城皇子(天智天皇)は父舒明天皇崩御、母皇極天皇退位、叔父孝徳天皇崩御の
 三度のチャンスにおいて即位せず、母天皇が661年に崩御してもなお即位せずに
 政務を執り(称制)、668年にやっと即位し671年に崩御している。
あくまで私説ですが、これらにより私には次のような系譜が思い浮かびます。

聖徳太子  ―長谷王(高向王)―天智天皇(葛城王=漢皇子:母は皇極天皇)
押坂彦人皇子―舒明天皇   ―天武天皇(大海人皇子  :母は皇極天皇)

何故、天智天皇がなかなか即位しなかったのか(できなかったのか)、
何故、天武天皇が大勢の支持を得て壬申の乱を制すことができたか。
それは、天智天皇が皇極天皇の長男で実力者ではあるが、舒明天皇の皇子
ではなく皇位相続資格者ではなかったからとすれば納得できるのでは...
446日本@名無史さん:2008/08/29(金) 18:42:31
なんで舒明天皇の皇子じゃないと皇位相続資格がないの?
447日本@名無史さん:2008/08/30(土) 14:41:40
3度のチャンスって、
舒明天皇崩御時、中大兄皇子は満15才。どこがチャンスなんだ?

皇極天皇退位時でも満19。満18の聖徳太子だって天皇にならず女帝が即位した。
年長者である天皇の同母弟が即位して不思議か?(クーデターの首謀者が即天皇はマズイと言うのもほぼ通説)。

結局問われるのは孝徳天皇崩御時だけ。
448日本@名無史さん:2008/09/18(木) 17:29:58
「舒明・天智天武非親子説」
とかないの?
449日本@名無史さん:2008/09/18(木) 17:51:40
天智天皇=中大兄皇子はいいとして、
天武天皇の大海人皇子というのは、
ちょっと違った意味がありそうだ。
大海原を連想させるよな。
どっかから海を渡って来たんじゃないのか?
450日本@名無史さん:2008/09/18(木) 17:57:24
天智の近江王朝は百済人だらけの政権だったらしいぞ。
オレが読んだのは井沢元彦の『逆説の日本史』。
井沢がどこから引っ張ってきたかは忘れた。
451日本@名無史さん:2008/09/23(火) 22:43:22
天智天皇の和風諡号は「天命開別命」。
なんか新王朝を築く感じがしないか?
452日本@名無史さん:2008/10/25(土) 23:25:45
天武天皇=物部氏
なんて説はないのかね
453日本@名無史さん:2008/10/27(月) 03:07:03
史料によっては同年生まれってのがあるから
双子説はどうだ!もしくは同一人物説・・・
454日本@名無史さん:2008/10/27(月) 17:33:59
11ヶ月違いの兄弟だっているが。
455日本@名無史さん:2008/10/27(月) 19:54:09
>>449
この時代の皇子皇女は養育した氏族の名で呼ばれる。
中大兄皇子の名は葛城皇子。
葛城氏が養育したから。
(通称の中大兄皇子は、長兄の古人大兄皇子の「大兄(長兄)」に対して
「中大兄(次兄)」ぐらいの意味でしかない)
大海人皇子は凡海(おおしあま)氏が養育者だったことからこう呼ばれた。
海を渡ってきたとか関係ない。
456電波ぷらす:2008/10/29(水) 00:34:06
ふるひと=ふるう人=孟人=継承権を有する庶長子
中大兄=仲=継承権を有する嫡出子の次男
オオシアマ=嫡出でも皇位にはつけないはずの、その他大勢の「叔」
457日本@名無史さん:2008/11/01(土) 09:37:19
俺もデムパを飛ばしてみるか

大和岩雄の天智天武非兄弟説(天武は異母兄漢皇子)は示唆に富んだ部分もある
同じ論拠を使ってこういうのはどうか

仮説 天智は用明の孫漢皇子、天武は書記の記載どおり

根拠
1.大王は有力豪族によって推戴されるという慣習がまだ生きてるこの時代では
 権力だけで正当な後継者と認められるには難があり、従って長期間皇太子のままだったこと
2.後継者の大友皇子も王族の間でさえかならずしも正当性が認められていない(兵動員時の吉備太宰、筑紫太宰の対応)
3.それに比べ天武は後継争いの過程でも豪族達の広範囲の暗黙の支持があったと考えられること
4.天智の諡号「天命開」は漢語で新王朝を開くの意味、称制年が辛酉というのも示唆的(神武即位年と同じ)
458日本@名無史さん:2008/11/01(土) 09:53:05
×天智は用明の孫漢皇子、天武は書記の記載どおり
○天智は用明の孫高向王の子漢皇子、天武は書記の記載どおり
459日本@名無史さん:2008/11/04(火) 01:39:43
×記
○紀
読み返してみるとオソマツorz
460電波ぷらす:2008/11/04(火) 23:19:41
>>457
最後の部分は天智に合わせただけだとも言えるね。
461日本@名無史さん:2008/11/04(火) 23:27:56
もう天武=金多遂で良くね?
462日本@名無史さん:2008/11/04(火) 23:34:50
イクナイ
それで良いと思っているのは半島民と頭が逝ってしまっている一部のマニアだけだ
463日本@名無史さん:2008/11/05(水) 23:07:38
天智=漢皇子
てのはどうだ?
464電波ぷらす:2008/11/05(水) 23:10:01
葛城皇子という名を伏せられているような気がする。
465日本@名無史さん:2008/11/06(木) 08:59:52
斉明の子としての漢皇子と孫としての建王はイメージが被る
漢皇子を本名(?)と考えると彦人大兄皇子の妃の兄に漢王という人がいて
「漢」とは何かというと東漢氏の「漢」ではないかと思うわけであります
彦人大兄皇子の陵墓と思われる牧野古墳は東漢氏の土地と考えられるので
天智天武のどちらかに東漢氏と強い結びつきがあればその人が
漢皇子の可能性があると考えられませんか?
466電波ぷらす:2008/11/06(木) 22:54:31
息長氏の流れと違うん?
467日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:40:42
>>460
まさにそれが神武紀元になった理由だと
>>465
考察の必要がありそうですね
468日本@名無史さん:2008/11/07(金) 05:05:33
天武、神武、武帝、光武帝などのように、武力で新王朝を打ち立てた皇帝には「武」が付けられる事が多い

そして歴史書なんて物は時の権力者が自らの支配を正当化するために都合良く書き換えるのが常道だから、何の信用価値も無い

確かに美濃尾張の豪族を引き連れて朝廷軍を破った男は実在するかも知れんが、その男がたまたま天智の弟である確率は限りなく低い

万世一系とかいう神話を正当化するためとはいえ、権力闘争から逃げるために一旦尾張に避難したとかいう設定は無理有りすぎだろ
469日本@名無史さん:2008/11/07(金) 07:50:43
歴史書は何の信用価値も無いから、天智はいた可能性も限りなく低い。
470日本@名無史さん:2008/11/07(金) 15:32:53
天智はいたんじゃねーの

それでも天武との連続性は限り無く低いだろうが

「天武は天智の弟」なんてのは、万世一系を正当化するために後からでっち上げた嘘
471日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:15:22
歴史書は何の信用価値も無いんだから、歴史書にのってる人間全員存在しないよ。
472日本@名無史さん:2008/11/08(土) 01:41:29
>469
お前に先祖は倭人と漢人の混血だから
473日本@名無史さん:2008/11/08(土) 08:10:51
天智は居たと思うが、大化の改新・乙巳の変の首謀者だったかどうかは怪しい。
大体、当時の皇子なんてのは、あくまで「次期天皇最有力候補」と言うだけで、
政治的権力とかは特に無い。
年上の天皇を自分の傀儡にする権力なんか毛頭ない。
大化の改新・乙巳の変の首謀者は本当は孝徳天皇だろう。
474電波ぷらす:2008/11/08(土) 19:17:50
大兄でアタマ一つ抜ける理由にはならんね。
475日本@名無史さん:2008/11/09(日) 01:49:39
>>473
どこでそう考えたか教えて欲しい
まさかNHKの番組を見てじゃないよな?

この事件(大化の改新・乙巳の変)は書紀に書かれてる事
学者の考察でも改新詔が当時のものかは疑問が多くだされてる(こちらの方が多数派)
ただ蘇我入鹿謀殺については異論はない、その後の事態の推移についても異論はほとんど見ない(書紀に準拠すれば当然)
最近遠山美津男という人がこの時代についていろいろ書いてる
読んでみたが書紀の事実関係は概ね認めながら、歴史は後の権力者に書き換えられるという蓋然性に基づいて論じてるにすぎない
仮説提起はいいが全く実証を欠いてる
476日本@名無史さん:2008/11/09(日) 01:52:06
歴史書に登場する人物は実在したと思うが、書いてある内容は丸っきりアテにならんよ

時の権力者達が自分の支配を正当化するために、改竄していないはずが無いから

例えば「反逆者入鹿を討ったのは中大兄自身だから権力を握るのは当然(実際は中大兄の功績ではない)」とか
「確かに大海人は朝廷を討ったが天智の弟だから許される(実際は血縁無し)」とかな
477日本@名無史さん:2008/11/09(日) 02:04:30
天智天皇陵は数少ない確実な本人が埋葬された天皇陵と
されているから実在したのは100%じゃねえ。
むしろ実在しなかったと言う証拠を出す方が難しいだろ。
478日本@名無史さん:2008/11/09(日) 02:40:14
天智・天武は血縁無し・・・。
しかし奈良時代には皇族(皇親)として、天武の子孫のみならず、
前王朝の天智の子孫もいたし、その前の舒明や彦人や敏達や用明の子孫もいたと・・・。
万世一系のために?・・・。

ほんとかなあ???
479日本@名無史さん:2008/11/09(日) 15:08:56
>>476
>時の権力者達が自分の支配を正当化するために、改竄していないはずが無いから
一般論として有りうるがこの箇所じゃなくてもいいから具体例を指摘できるかな?
鵜呑みしないのは当然すぎるほど当然だが、紀のような文献を論じるには
その成立過程、現在までの来歴等文献学的知識ぐらいはないと

歴史の改竄というのは意外と難しい
結構前後関係や些細なことから矛盾をきたした例が多い

権力者うんぬんだけで根拠のない想像を主張しても
それこそまさに歴史の改竄
480日本@名無史さん:2008/11/09(日) 17:24:18
>>473
「乙巳の変」の直後に即位したのが孝徳天皇だったという点で
孝徳がこの政変にかかわっていたと見る人は多いよね
皇極が至上初の生前譲位を行って弟に位を譲っているあたり
皇極が位を譲らねば生命が危ういような異常事態があったとも考えられる

先日の日経新聞に乙巳の変の考察が出ていたね
乙巳の変の首謀者は軽皇子(孝徳天皇)だったのだが
天智系を抹消して即位した天武天皇が
天智政権が血まみどろの政権争いの上で成立したと天智をおとしめるために
中大兄皇子を入鹿殺害の首謀者に仕立てあげたという説もあるらしい
481日本@名無史さん:2008/11/09(日) 17:38:55
おとしめるどころか、中央集権国家への端緒を開いた英雄ポジションだろうよw
482日本@名無史さん:2008/11/09(日) 18:38:12
日本国()は建国後しばらくは新羅の王族を司政官とした。
天智と天武は実は新羅王武烈と文武で、共に日本の地を踏んだことはなかった。
後に百済王(くだらのこにしき)敬福の子に文鏡、武鏡、道鏡、玄鏡という四人がいて、
道鏡とその兄の文鏡改め光仁が、それぞれの色仕掛けで新羅人の色ぼけ女帝の皇位を奪った。
それは道鏡が考え出した天智を新羅王武烈と百済王子豊璋という合成人間にかえる、
すなわち皇統賦を偽造するという一大トリックによってまんまと成功した。
483日本@名無史さん:2008/11/09(日) 20:51:39
>>480
>孝徳がこの政変にかかわっていたと見る人は多いよね

専門家にいるか?
前に名前が出てた人ぐらいじゃないか

>先日の日経新聞に乙巳の変の考察が出ていたね

読んでないので署名記事だったら名前を教えて欲しい
マスコミは話題性があるものは取り上げることが多いから、話半分ぐらいに聞いといたほうが無難
それこそ史書に書かれてるからと言って丸呑みはダメという姿勢でいかなくちゃ

>天智政権が血まみどろの政権争いの上で成立したと天智をおとしめるために
 中大兄皇子を入鹿殺害の首謀者に仕立てあげたという説もあるらしい

ここまで行くと脳内妄想のレベルだな
484日本@名無史さん:2008/11/09(日) 20:58:58
天武政権自体が壬申の乱という血みどろの政権争いを経て成立してるんだもんねw
485日本@名無史さん:2008/11/10(月) 02:25:19
天武は、彗星帝国系
天智は、ガルマンガミラス系
486日本@名無史さん:2008/11/10(月) 03:17:22
>専門家にいるか?

首謀者か否かはともかく、何かしらの関与を認める専門家は増えたよ。
487日本@名無史さん:2008/11/10(月) 09:08:59
>>484
捏造するなら、天智が天武に譲ったことにすればいいだけの話だな。
488日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:14:44
全くその通り。
改竄、改竄と言ってる人は、どこの部分が改竄でどこの部分が改竄でないかどうやって判断してるわけ?
「乙巳の変」があったこと自体は認めて、中大兄が首謀者なのは認めない。
天武が天智の娘4人と結婚してることは認めて、天智・天武が兄弟ってのは認めない。

すごい恣意的。
489日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:40:21
>>488
「乙巳の変」の当時の中大兄にそんな政治的権力があったかどうか怪しい。
何故実の弟に娘を4人もやるのか。何で実の姪を4人も嫁にするのか。
これぐらいの事は考えないか?
まあ、「天皇家は想像もつかないような所」なのかも知らんが。
490電波ぷらす:2008/11/10(月) 23:45:33
大和朝廷にあっては別に珍しい例でもないと思うが。
491日本@名無史さん:2008/11/11(火) 01:14:25
>>489
ここ数日レスしてる人みたいだな
NHKのデムパにやられてなければ良いが

根拠らしきものでも提示してくれれば少しは聞くのに・・・
492日本@名無史さん:2008/11/11(火) 02:19:17
>>489
実の弟ってことが捏造じゃなくて、娘を4人もやったのが捏造なんだろうw
493日本@名無史さん:2008/11/11(火) 17:43:15
>>492
実の兄弟と言う線を疑う状況証拠は色々とあるが、
娘4人のエピソードが捏造であることを示すのものは
状況証拠すらもないよ
494日本@名無史さん:2008/11/11(火) 20:31:17
>>489
この時代の皇女は皇族と結婚するのが当たり前だったから
むしろ天智の娘の婿になれたことこそが天武が弟であった証。
天智には滅ぼした異母兄を除き、天武しか兄弟がなかったから
他に皇女を嫁がせるべき皇族が見当たらなかったんだろ。
天智の娘たちのなかでは生まれの早い
大田皇女、う野皇女は父天智の存命中に天武に嫁いだことが認められるが、
新田部皇女、大江皇女の2人は所生の皇子の生誕年から見ても
おそらく天智生存中はまだ幼く、天武に嫁いだのは父天智の没後だと思われる。
壬申の乱に勝利した天武が、庇護という名目で
2人の姪を新たに妃に加えた可能性が高い。
495日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:23:09
>>493
状況証拠らしいものが見つからないんだが。
496日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:59:28
>>493
>実の兄弟と言う線を疑う状況証拠は色々とあるが

没年齢のこと?
天智の没年齢は紀の本文から46と推定されるが天武は紀からは不明
中世文献から天武の没年齢からして上記と考えあわせると見かけ上天武のほうが兄になることもあるが
個々の文献ごとには天智の没年齢は紀からの推定と異なりいずれも兄になる年齢が記されてる

他にある?
497日本@名無史さん:2008/11/12(水) 02:19:26
日本古代史の常識じゃん
墓をみればわかる。天智系統と天武系統で別々。
兄弟じゃないどころか同族でないのも明らか
498日本@名無史さん:2008/11/12(水) 02:37:41
>>497
嘘はいくない
墓???
49948:2008/11/12(水) 04:12:58
>>498
泉涌寺(御寺)のことじゃない?
墓ではないが歴代天皇の菩提から
天武〜称徳までがスッポリ抜け落ちている。
天智→光仁→桓武→平城・・・って感じ。
オレも兄弟じゃないなと疑ってます。
でも、少なくとも同族ではあるんじゃないかなあ。
500日本@名無史さん:2008/11/12(水) 04:28:45
>>499
泉涌寺が天皇家の菩提寺になった経緯、時期を知ってるかな?
この時代の歴史を考える上で関連付けるのは時間的に無意味
50148:2008/11/12(水) 04:39:25
無意味じゃないと思うがね。
先祖祀りが変則なのには意味があるんじゃないですか。
時間を超えて。
正直、経緯や時期は知らない(調べてみます)から
その後で恥かくかもしれないけどw
50248:2008/11/12(水) 04:51:53
やっぱ、あなたの見解には納得できない。
「時間的に無意味」と切って捨てるのは
いささか乱暴、傲慢ではないのかなあ。
こういうことは時間なんか関係ないものでしょ。
もっと調べてみますけどね。
503日本@名無史さん:2008/11/12(水) 05:27:47
48さんの事を悪く言うつもりは全然ない
泉涌寺を持ち出すまでも無く平安時代中期以降、天皇の即位時に祭祀が奉げられる対象は
ごく初期を除けば天武系は皆無でそれどころか外戚(生母だけでなく藤原北家の当主まで)まで加わるようになる
以上を勘案すれば天智天武の頃の話の傍証にさえ成り得ないと思うのだが
504日本@名無史さん:2008/11/12(水) 05:35:24
48さん
泉涌寺のことは理解して貰えたとおもうが?
50548:2008/11/12(水) 05:38:56
う〜ん、それならなおさら
天智と天武の関係が尋常じゃなかったって傍証にならない?
レスの読み方、間違ってますか。
何か話がかみ合ってないようなw
ごめんなさいね。
506日本@名無史さん:2008/11/12(水) 05:46:51
>>505
こちらこそ
507日本@名無史さん:2008/11/12(水) 08:22:23
>>499
天智が始祖と祭られてるってことは、天智は斉明以前と無縁ってことだね。
50848:2008/11/12(水) 15:12:13
>>507
それはどうなんだろう。分かりません。
天智を筆頭にしておけば、それ以前は言うまでもないってことかもしれないし。
でも、そうか、逆もあるのか・・・。
面白いね。しばらく妄想を楽しめそうだw
509日本@名無史さん:2008/11/12(水) 19:24:49
>>508
お前さんの言ってることは>>507と同じくらいつまらない妄想だよと
言いたかったんだが、逆効果になったか。
510日本@名無史さん:2008/11/12(水) 20:51:43
何故奈良時代と平安時代を分ける必要があったのか?
511日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:12:08
>>497
いわゆる天武系が排除されているのは、後に皇統を取り返した天智系から見れば反逆者だからだろ。
兄弟じゃない洋子にはならないし、何より経緯はどうであれ即位氏のものは有効だから、「別の所に墓」って形になったんじゃないのか?

天智天皇と天武天皇が兄弟じゃないなら、桓武天皇やその父ちゃんにとって、嘘をつき続けなkればばいけないりゆうは何?
自分たちの皇位継承の正当性は第一に「天智天皇の直系」であることなのに。
51248:2008/11/13(木) 12:38:58
>>508
まあ、そう言うなよ。
オレの楽しみなんだからさ。
でも固定観念に縛られるよりは良いと思っている。
513日本@名無史さん:2008/11/14(金) 00:49:30
泉涌寺のHPによれば、祀られているのは「天智天皇、光仁天皇そして桓武天皇以降の天皇・皇族方」とある。
ある意味祭祀対象の基準点となっているのは、京都を開いた桓武天皇であるとも言えるし、
天智が頭で、続いて光仁−桓武−……という図式は、国忌や十陵の加除の推移なんかに傾向の類似性を見出せる。
「天武系の排除」ばかりが殊更に言われるけれども、天智の子で光仁の父である施基親王が含まれていないのも実はポイントで、
親王が祀られていないのは、天武系が祀られていないのと究極的には同じ理由によるものであろうと思う。
514電波ぷらす:2008/11/14(金) 00:51:15
施基皇子は天皇号持ってんやん
51548:2008/11/14(金) 01:26:45
>>513
ちょっと強引では?
オレといい勝負だw
天皇とそのほかの皇族では、扱いが天地の差だと思うが。
例外は聖徳太子くらい。
516日本@名無史さん:2008/11/14(金) 01:38:02
扱いが天地の差であるはずの天皇とそのほかの皇族が、
桓武天皇以降は一緒に祀られているのですよ。
51748:2008/11/14(金) 01:47:51
>>516
そうなんだ。
じゃあ軽率なレスだと謝らないといけない。
先に泉涌寺を調べてみると言いながら、
ぜんぜん進んでないもんだから。
もっと勉強してからまた来ます。
518日本@名無史さん:2008/11/14(金) 17:48:52
>>496
そう言われても、
俺は天智の方が年上という事には普通に賛成なので
何にも痛くないのだが。

天智天武非兄弟or異母兄弟を主張する人間の多くは、
「天武が舒明の子じゃない」と主張しているが、
じゃあ天智の「天命開別命」と言う名は何だ?
519日本@名無史さん:2008/11/14(金) 18:08:08
中大兄と呼ばれたのは「2番目」ではなく「真ん中の」という意味ですので
下に弟がいることは自明なんですが・・・
520日本@名無史さん:2008/11/15(土) 20:03:28
>>518

>>415>>496も書いたの俺だけど・・・
415にデムパと書いた理由は
・天智が傍系王族だとしても紀が出自を偽る積極的理由が見当たらない
 (紀は天武の頃に編纂が始まり持統〜元明朝にはほぼ完成してたと思うので)
・実証できないもの(自分でも半信半疑、自負は有るけど)を軽々に主張出来ない

>>519
前後かも知れんぞ?
前(あるいは上)=古人大兄
後(あるいは下)=記述なし

最後の大兄は天智
521日本@名無史さん:2008/11/15(土) 20:08:28
520です
518さんにいうには>>457と言うべきだった
522日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:02:08
>>483
日経新聞読みなよ。
ちゃんとした著名な教授の名前が出てたから。
ネット新聞には出ていないから引用はやめておく。
日本経済新聞なんてマイナー紙じゃないんだから
簡単に入手できるだろ。
2ちゃんねるで吠えてないで
図書館でも行って自分の目で読んでくれ。
523日本@名無史さん:2008/11/16(日) 01:33:06
>>522
483じゃないけれど、レスを読むと皮肉を言ってるように思えるが。
524日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:23:16
男系で見た場合において兄弟ではないということでしょ

説T
兄:天武天皇(父高向王、母皇極天皇)
弟:天智天皇(父舒明天皇、母皇極天皇)
説U
兄:天智天皇(父高向王、母皇極天皇)
弟:天武天皇(父舒明天皇、母皇極天皇)

525日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:48:22
だったら史書にそう書きゃあ良い話。
説Tなら、天武帝は男系では傍系王族の末裔出身で、継体帝の例と似ることとなり、
新王朝の始祖を標榜した天武にとってはむしろ相応しい系譜関係。
説Uなら、男系では三世王に過ぎない天智を排除し(孝徳帝も三世王であった)、
あるいはその後を襲って、嫡流たる天武が皇統を本来の系統に引き戻したと。
526日本@名無史さん:2008/11/17(月) 02:34:01
まじで?兄妹やったん?おお。萌え。
にーちゃん死んで山からやってきた美少女が大友くんを掃除して、
ちょっとアレなかんじなんですね
52748:2008/11/18(火) 17:10:47
日本書紀の読み方次第で、いろんな見解が出てくる。
オレは梅原猛説にいちばん納得がいく。
天智・天武の兄弟、非兄弟には直接には触れてないけどね。
皇極の前の夫・高向王と、その間に生まれた漢皇子の2人は、
どこに消えたんだ? こうした疑問を集めていくと、天智・天武の謎は深まるばかり。
日本書紀に書いてないことは相手にしないってんなら、2人はもちろん兄弟でしょ。
528日本@名無史さん:2008/11/18(火) 17:36:03
間人皇女とテンチ天皇は近親相姦していたって社会で習った(大分県出身)
52948:2008/11/18(火) 17:47:19
大分県には、思い切ったこと教える先生がいるんだねw
何か「間人」の名がついてる女性は不倫してたんだって説がある。
聖徳太子の母親の穴穂部間人皇后もそうだってさ。
ホントかウソか、よ〜く調べてから採るか採らないかを決めないとね。
530日本@名無史さん:2008/11/18(火) 18:34:23
それ万葉学者の吉永登がいいだし直木孝次郎が広めた
可否は微妙だが事実とすれば天智天武非兄弟説の補強にはなる
531日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:05:14
ん? なんで妹(姉)が不倫するとその兄と弟が兄弟じゃなくなっちゃうんだ?
532日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:52:19

天智天武の時代は漢字を読み書きできるのは渡来系の吉士や史という連中、
白川静は百済語などを研究してすべて当時は百済系と断言している。
それなのに天武は漢字を読み書きする能力があった可能性がある。
道教や薬草に関する深い知識があるからだ。誰にどこで習ったかという疑問がある。
533電波ぷらす:2008/11/18(火) 22:55:53
可能性だけで語られても
534日本@名無史さん:2008/11/18(火) 23:19:50
>>531
天智と間人が異父であればおぞましい関係が少しはマシ
535日本@名無史さん:2008/11/20(木) 18:04:24
異母兄妹の結婚は当たり前だったけど、異父の場合も問題なかったのかな。
536日本@名無史さん:2008/11/20(木) 19:18:36
人間は幼い頃から長く同居した異性には性衝動は起きにくいみたいだ
夫婦も長く同居すると・・・
この場合はやりすぎて飽きたという方が正解かな
537日本@名無史さん:2008/11/21(金) 03:25:10
天武天皇は、M78星雲から来た宇宙人の末裔でアトランティス人じゃよ。
538日本@名無史さん:2008/11/21(金) 03:26:12
1 :広瀬満:2007/04/22(日) 19:13:38
私は長年、古事記の研究をしていますが近年大国主の神話が天武天皇の物語であることに気づきました。

例えば身の危険を感じたオオナムヂが木の国に逃げ、そこも危なくなったので根の堅州国に脱出、
そこで試練に耐えて力をつけ、根の堅州国を出て八十神の兄弟たちを倒し、
葦原中国の王となり国づくりを始めるという神話は、身の危険を感じて吉野に出家した大海人皇子が、
その後東国に脱出し、近江朝廷を倒した壬申の乱と同形の話です。

すなわち大海人皇子が天皇に即位したいきさつが大国主の神話として語られていたのです。
したがって出雲大社には天武天皇が国作りの神「大国主」として祀られていることになります。

また日本神話は飛鳥時代の天皇達、出来事をモデルに書かれていることも判明しました。

 大国主、ヤマサチヒコは天武天皇
 ウミサチヒコは天智天皇
 スセリヒメは持統天皇
 ヤガミヒメは額田王
 スサノヲは蘇我馬子
 アマテラスは推古天皇
 ニニギは舒明天皇
 コノハナノサクヤヒメは斉明天皇
 タマヨリヒメは元明天皇

この研究成果は最近ホームページ上に[大国主伝」として公開しました。

ホームページのアドレスは以下のとおりです。

http://www.kojikiden.com

この説に対する批評、意見を広く求めます。

広瀬満
539日本@名無史さん:2008/11/21(金) 03:27:27
205 :広瀬 満 :2008/10/28(火) 16:41:41
◆HPアドレス変更のお知らせ◆

従来はkojikiden.comにてHPを公開していましたが事情により
下記のアドレスに変更しました。

 http://www.ookuninushiden.com/
540日本@名無史さん:2008/11/21(金) 03:29:34
>>538>>539という書き込みを下のスレで見つけたなり

天智天皇と天武天皇は兄弟じゃないらしい…

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1177236818/
541日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:42:09
で、天武天皇が国譲りした相手って誰になるわけ?
542日本@名無史さん:2008/11/22(土) 03:29:39
神話伝説というのは夾雑物の集まり
伝承の間に変形、付加、混入は当たり前
現在の形を具体的に論じても余り意味は無い
根本に事実に基づいてる可能性が有ったとしても

一般の歴史とはまず切り離して考えたほうがいい
54348:2008/11/24(月) 10:41:43
「神」がつく諡号と
「天」がつく諡号。
これに何か意味があるとすれば、
天智、天武と続いたのは興味深い(弘文くんは明治時代のおくり名ね)。
544日本@名無史さん:2008/11/25(火) 20:23:35
神武−元正までの漢風諡号は勅を受けて淡海三船が答申したと言われてるけど
正史にはない
私見だけどこれをしそうな天皇、政治家の組み合わせとすれば
淳仁・恵美押勝(藤原仲麻呂)しか考えられない
嵯峨を除けば淳和まで和風諡号はあるし

545電波ぷらす:2008/11/25(火) 23:40:21
淳和は和風じゃないだろ
546日本@名無史さん:2008/11/25(火) 23:58:29
>>545
日本根子高譲弥遠尊
レスは歓迎だけどもっと調べてから書いてね
547電波ぷらす:2008/11/26(水) 00:01:41
いや、意味を取り違えてた。ごめん。
548日本@名無史さん:2008/11/26(水) 00:09:16
>>547
こちらこそスレ違いを書いて悪かった
天智天武に戻ろう
549日本@名無史さん:2008/11/26(水) 01:08:40
>>543
素直に考えて、天智・天武は同格って事を現したかったんだと思う。

何で天武系はそんなに正当性にこだわるのか?
やはり天智と天武は兄弟で無いのでは・・・なーんて思うはずない。
ンナ可能性0,01%の説いじくり回すより、もっと可能性高いヤツあるだろ。

大友皇子即位説。非兄弟説の約1000倍、10%程度の可能性はあるだろう。
550日本@名無史さん:2008/11/26(水) 03:22:45
そもそも前提がおかしい。
前者が99パーセントだとしたら後者は0.1パーセント程度だから安心しろ。
551日本@名無史さん:2008/11/26(水) 12:50:48
大化改新の施策は馬子と太子によって準備されていた!
しかし、藤原と中大兄皇子によって中断するも…天武は2つを統一して行く事になる。
55248:2008/11/26(水) 12:53:06
1%だとか、0.1%だとか、おかしな話だ。
天武と天智が兄弟じゃないってのは5分5分だよ。
何か、自分の意見じゃなくて、誰かに迎合してないか。
オレは迎合するやつは大嫌いだ(間違いだったらスマン)。
55348:2008/11/26(水) 13:11:30
井沢説で、極悪な殷の誅王(字が違うね)が
最後まで身につけてたのが「天智玉」だという。
王朝交代期だよな。
これには何の意味もないの?
554日本@名無史さん:2008/11/26(水) 17:51:51
何の意味があるの?
55548:2008/11/26(水) 18:25:40
だから王朝交代。
天武の「武」は中国では初代皇帝の諡。
556日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:39:50
>>555
天智天武の漢風諡号は奈良時代末期の成立と推定され由来も今ひとつはっきりしない
過大に考えるのは危険
井沢はいい問題提起も有るが、明白な事実誤認もあって俺としては信を置きかねる
天智玉については原典を読んだことが無いのでわからないが
557日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:58:26
>>555
前漢の武帝は初代皇帝だったのか。
55848:2008/11/26(水) 20:11:10
>>556
はい。オレも原典は読んでません。
オレのレスも問題提起の意味にとどめてください。
>>557
前漢は違ったの?
でも、中国では初代「武」2代「文」が通常じゃないの。
間違っていたら謝る。
ってか、いまからすぐ調べるけどね。
559日本@名無史さん:2008/11/26(水) 20:49:52
>>555
周の初代は文王魏の初代も文帝、周の武王は文王の息子なのに対して魏の武帝は皇帝として即位していない文帝の父親。

>>557
前漢の武帝は7代目くらいじゃなかったか?
56048:2008/11/26(水) 21:12:48
周の武帝は、父親の文帝がやり残した天下布武?をやった。
魏の武帝は曹操でしょ。初代が文帝でも納得。
でも、中途半端な知識で書くもんじゃないね。
すいませんでした。
561日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:22:26
>>560
>オレは迎合するやつは大嫌いだ

史料には全っ然出てこない天武新王朝説が50パーセントの確率とは、どんな独自成果を引っさげて言うわけ?

F=ma は正しい。と言うのも迎合か?
根拠無しの珍説切って捨てるのは、定説への迎合とは違う。
562日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:29:18
↑ちょっと訂正。 根拠無し→根拠に乏しい
56348:2008/11/28(金) 14:49:40
>>561
迎合というのは、
任那の日本府や聖徳太子を教科書から消したりする、
何かある意図を持った勢力への迎合という意味。
誤解を招いたのならすまん。
天智・天武非兄弟説はいろいろ出ている。
すべてを読んだわけではないが、それぞれ一定の説得力はあった。
天皇・天武の年齢が確定できないこと、天智の諡号が殷の誅王(漢字がでてこない)に
ちなんでいること、そのほか決して無視できない力がある。
少しくらい読みました? いくつか読んでみるといいよ。
564日本@名無史さん:2008/11/28(金) 15:59:01
大海人皇子は、日本の未曾有の危機でもあった
百村江の戦いの時も出て来なかったし・・
それ以前も、皆無に等しい程度・・
万葉集には幾つか歌があるが、持統天皇に対しての歌はない・・
尾張氏との関係・・壬申の乱の時に天武が尾張に行った途端
天智勢は恐れたみたいだし・・
それと、意外と蘇我氏と仲が良かったのかな?
まあ、俺が知ってるのはその程度だ・・
565日本@名無史さん:2008/11/28(金) 16:00:52
【政治】 総選挙で、在日外国人の参政権実現へ。民主、公明とも「付与」強調…民団、根回し着々
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1227844155/l50#tag837

民主党に投票したら日本はが外国人が支配する国になってしまいます。

犯罪を犯した為に朝鮮総連にたいして捜査を行おうとしている警官にたいして
差別だ!人権侵害と騒ぎたて公務を妨害する朝鮮人達です、民主党は彼らにたいして
参政権を与えようとしています・・・
こんなやつらに参政権与えるのか?

http://sankei.jp.msn.com/photos/affairs/crime/081127/crm0811270955006-n1.jpg
http://sankei.jp.msn.com/photos/affairs/crime/081127/crm0811270955006-p2.jpg

566日本@名無史さん:2008/11/28(金) 16:04:00
>>563
天智紀の7年7月の条に
「時人臼天皇天命将及乎」という記事があるのを知ってる?
岩波大系本の頭注には”「天命将及」は中国で王朝交代の意”とある
56748:2008/11/28(金) 16:25:45
>>566
日本書紀だよね。
知らなかった。読んだ本にあった記憶がない。
これが殷から周への、つまり誅王(天智)から武王(天武)への
王朝交代を暗示してるってことか。
もっとも周の初代は文王だって、このスレで教えてもらった。
ここに一ひねり(中国王朝初代は武王が多い)あったとすれば、
納得いくんだけどね。
56848:2008/11/28(金) 16:54:28
天命将及・・・やっぱ易姓革命かなあ。
また「根拠が薄い」と怒られそうだけどw
569日本@名無史さん:2008/11/28(金) 17:52:16
>>568
唐突に出てくるので解釈に皆苦労してるみたい
ちなみに同書の訓読文では「すめらみこと みいのち をはりなむとする か」(大野晋による)
だがこれでは前後の文脈から浮き上がってしまう(私見では漢語を文字にとらわれて無理に訓読した悪い例)

二通り解釈が可能、勿論俺の独断(デムパ?)だが
1.天智の和風諡号と考え合わせると、天智から新王朝が始まったことを暗示している
2.天智で旧来の王朝は途切れているのを暗示している

これじゃあ兄弟説などどっかに飛んでいってしまいそうだが
部分、語句のみにとらわれた珍説ともいえる
57048:2008/11/28(金) 18:29:12
難しいねw
571日本@名無史さん:2008/11/29(土) 12:51:56
そりゃ妄想をごり押ししたい人には難しいだろうね。
57248:2008/11/29(土) 13:10:24
>>571
アホw
573美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 14:23:13
イワレビコとニギハヤヒがナガスネヒコを倒した後、即位したのが天智天皇だよ
(イワレビコが天智天皇として即位したかどうかは良く解らない)
57448:2008/11/29(土) 15:09:28
神武天皇=天智天皇?
あんまりトンデモ風なんで耳を疑った。
マジレス?
575美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 15:17:51
>>574
神武天皇が天智天皇だとは言ってないよ
辛酉年に東遷して都を遷都して即位した天皇は天智天皇だって言ってるんだよ


576美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 15:33:41
>>574
そもそも「神武天皇」なんて天皇は記紀には出てこないよ

あとイワレビコは神武天皇って名前じゃなくて「神日本イワレビコなんとか天皇」って名前なんだよ

57748:2008/11/29(土) 15:45:26
和風諡号と漢風諡号のこと言ってるの?
それにしたって訳が分からんが。
何でもいいから「ふつうの人」に分かるよう書いてくれ。
それが一種、マナーってもんだろ。
578美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 16:09:28
>>577
「神武記」
始駄天下之天皇を、号けたてまつりて神日本磐余彦、火火出見天皇と曰す


「神代記」
狭野尊、亦は神日本磐余彦と号す




神武天皇って、神武記の時の天皇って意味なの?
日本書記の神武記の時の天皇の事を「神武天皇」って呼ぼう
見たいな事?
579日本@名無史さん:2008/11/29(土) 16:23:23
仮に兄弟じゃなくても穴兄弟なのでモーマンタン
580美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 16:28:58
>>577
天皇の名前は和風と漢風で2つあるって事?
つか「天皇(尊)」って「あまのすめらぎ(のみこと)」でしょ?

大王(おおきみ)や天王(てんのう)とは意味が違う称号だと思うよ
天つ神の血統を引いてるって意味でしょ?
581美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 16:46:46
神武、天智、推古、継体、、、
これって元号の名前で天皇の名前とは関係無くね?
孝明天皇の事を当時の元号にあわせて慶応天皇なんて呼び方しないよ

「元号は天皇の即位崩壊に従い一世一号とする」
なんてなったのは明治時代になってからだよ
神大和磐余彦火火出見天皇 ってのが天皇の名前だよ
582美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 17:58:06
天智天皇→中大兄皇子、葛城皇子、天命開別尊

天武天皇→天惇中原真人天皇、大海人皇子、浄御原天皇、天武帝


同じ氏族ではあるけど兄弟では無いかもね
あと中大兄皇子の方は別に天皇に即位はしてないかもよ
583美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 18:23:24
辛酉年に橿原に遷都して即位した天皇は、天武天皇だ
773年の辛酉年



天智天皇じゃないや
間違えてた
58448:2008/11/29(土) 19:14:15
美濃もん太さんは
自分の考え方の基本を言ってないんじゃないの?
だから、何を言いたいのかさっぱり分からん。
自分だけ分かっていて、お前らバカには教えてやんね、
って依怙地な爺さんみたいだw
要は記紀の読み方がなってないってことか?
585美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 19:35:20
>>584
いや、自分でも今、いろいろ調べて考え中っす

磐余彦とニギハヤヒ、それにナガスネ彦
山幸彦(ホオリ命)と海幸彦(火照命)、それにホスセリ命
大海人皇子と中大兄皇子、それに大友皇子

イワレビコ(火火出見命)と山幸彦(穂穂出見命)はおそらく同一人物だし
天智天皇と天武天皇もきっと同じ話な気がするんだよ
58648:2008/11/29(土) 19:43:25
う〜ん、神話から人皇になったころの記述が
天智・天武の時代に投影されている(あるいは逆)ってこと?
そういう話なら、和風の諡号が需要になるなあ。
漢風のほうは後付けだからね。
587美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 19:59:50
磐余彦の「磐余」ってのは葛城の旧地名の事だね
磐余を葛城って地名に変えて治めたみたい

つか磐余彦の足取りは例えば「初めは豊国の宇佐宮に行き」ってあるけど、ここは大分じゃなく扶桑の宇佐宮の事で九州から遠征して来た訳じゃないと思うよ
あと因幡の白兎ってのも伊奈葉(岐阜)の事だし

あと大穴ムジの神の国造りの話も同じ時代の話の気がするし
58848:2008/11/29(土) 20:09:58
「扶桑の宇佐宮」も畿内なの?
ってことは日本神話は畿内と、それから東のほうであった話?
神武の東遷はなかったと?
国つくり神話も出雲じゃなく、やっぱ畿内?
面白いけど、しかし、君も手間がかかる人だねw
読む人が分かるように書かないと不親切だぞ。
589美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 20:19:17
>>586
名前の呼び方が沢山有りすぎてこんがらがるんすよ
例えば山背大兄王って蘇我氏でしょ?
あと中臣鎌足とかさ

それにこの時代は記紀では「近つ飛鳥」と「遠つ飛鳥」と書いてあるように、「飛鳥も2つある」

1つは蘇我石川麿呂の蘇原の飛鳥田寺周辺の濃尾にあった飛鳥
もう1つは大海人皇子の葛城(磐余)の浄御原の飛鳥

その間にあるのが中大兄皇子の遷都した近江大津宮って言う位置関係とは思う
て事は中臣鎌足は諏訪大明神なんかな?


なんか上手く整理つかないや
59048:2008/11/29(土) 20:25:14
きっと面白い発見、あるいは発想なのだと思うが・・・。
君の頭の中は君が整理するしかなさそうだねw
飛鳥が2つあるってのは分かる(史料で確認できる)。
でも、それが鎌足の諏訪大明神に飛んだら、一般には分からんぞw
上手く整理つけなさいねw
591日本@名無史さん:2008/11/29(土) 20:30:02
48と美濃もん太 ◆hF.jG29Cew
日本史板の糞コテハンのスレ
592美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 20:31:03
>>588
畿内じゃなく美濃尾張にあった宮だよ


扶桑略記の中に宇佐宮の様子は詳しく書かれてるけど、巨石の磐座が奉られてる弥勒山があり、弥勒寺を立ててたのが宇佐宮
今の愛知県の春日井市周辺の旧地名だよ
あと2つの飛鳥の内の1つは蘇我石川麿呂の飛鳥宮と飛鳥田寺とかは岐阜の蘇原だよ
59348:2008/11/29(土) 20:38:28
オレは591みたいなのが
いちばん嫌いだ。
人として認めたくないくらい嫌いだな。
まともなレスしてみろ。
まともじゃなくても、自分の言葉を書いてみろ。
あるいは自分は何を言いたいのか、したいのか、
はっきりしろよ、蛆虫野郎。
59448:2008/11/29(土) 20:48:58
>>592
いずれにせよ、系統立てて書いてもらわないと、読んでも理解できない。
まず、頭を整理してみて、整理し切れたとこから書いたらどうだ?
何か地名がキーワードみたいだと、いまのままじゃそれくらいしか分からん。
君が頭を整理し切れてないんじゃ、読むほうは余計に分からんでしょ。
もっとよく整理してから書き込んだら。
595日本@名無史さん:2008/11/29(土) 20:49:02
>>593
蛆虫野郎ねえ。
ウジ虫はお前だろ。
お前の知能の低さがわかるな。
こんな奴の相手してるのは暇なコテハンだけだろうな。
596日本@名無史さん:2008/11/29(土) 20:50:06
48は他のスレで連投して追い出されて
今度はここで連投。
ここを追い出されたらまた他で連投だな。
ニートは暇でいいね。
597日本@名無史さん:2008/11/29(土) 20:56:27
>>594
そうするっす^^
大国主の時代からの国造りの流れからが書いてあるのが記紀だと思うけど、とにかく上手く説明出来ないっすよ(T_T)

平安時代以前の日本の歴史はなんかややこしいすよ
598奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/29(土) 21:08:45
美濃尾張の話題なら本コテで参加させてもらおうか。
599日本@名無史さん:2008/11/29(土) 21:14:29
>>597
大国主は出雲系ですよね
尾張氏、海部氏の系譜からすると天孫氏はそちら
出雲と天孫氏の融合が大和朝廷の成立だとすると
天智と天武は同じ氏族だとしても
より出雲より、天孫よりの立ち位置だったんじゃないでしょうか?
滋賀の都にしても位置的に尾張氏、海部氏を分断する位置にありますし
天武が頼ったのは関の向こう側ですし
600美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 21:42:11
>>599
うん。出雲系と天高原系に分けるとするなら大国主は出雲系(中つ国)っす


大国主は芦原中つ国を「海の向こうから小舟に乗ってやってきた蛾の服を着た神(多分、日本に蚕を伝えた渡来人の秦氏)」なんかと協力して統治した
けど天高原(天照系)の神が「私の息子が治めるべきだ」って言って国を譲らせたんだよ

んで高天高の氏族は芦原中つ国に自らの氏族を送って国を譲り受けて統治した
日向三代などの天孫ってのも、この時に統治に向かった天つ神系の氏族だよ
天皇ってのも、この天つ国原の神の血統継承者って事だよ
大和を統治した人が天皇じゃなく、血統と三種の神器を継承した人が天皇すよ
601日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:12:24
古代大和朝廷の成立が豪族間の連合で、連合の中の首長(リーダー)のしるし
それが三種の神器なら
確かに今の感覚で言う万系一世は違うでしょうね
ただ大和朝廷を組織した連合豪族同士、複雑に婚姻関係はあったでしょうから
後々の天智や天武の立ち位置が出雲より天孫よりとなっても
辿ればどこかで血は繋がってしまってた
つまり同じ氏族になってたと思います
出雲でも神器を持った者が出雲を治める者
と形態があったなら大国主と直系は舞台から姿を消しましたが
出雲王族系に連なる系譜を持った豪族
これは残り当然、大和朝廷に参加していたのではないでしょうか?
大和朝廷の最高位者(天皇)を巡り複雑に婚姻で絡みあった豪族同士が政争をしていた
天智、天武は割と大和朝廷内の二大ラインみたいな大きなラインの争いに発展してしまったのではないかと思います
ちなみに蘇我氏
大別すると、この氏族も出雲系だったのではないか?
と思います
602日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:27:54
>>572
リンク先を間違えてるよ。
>>571>>572が正解
60348:2008/11/29(土) 23:04:58
>600、601。
三種の神器はどういう経路で、
つまり誰から誰に受け継がれたの?
これって大事なことだよね。
オレは単純に記紀に記された天皇間で受け継がれてたと考えてた。
604美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 23:13:14
>>603
元々は10種あったって話もあるしね
俺的には家系や血統を証明する「家紋」見たいなものだと思ってますよ
複数の氏族の血統を継いでるから三種なんじゃないのかな?
あと消失した神器なども多数あるだろうし
例えばアマテラスの恵那山の神器は八つの鎌ですよ
けどもう現存してないすよ
60548:2008/11/29(土) 23:18:29
>>604
あなたは不思議なソースを持っていそうだけど、
何か惜しいね。もっと知りたいが、期待した答と微妙にズレるw
やっぱ整理し切れてないのか。
606美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 23:18:29
それに南北朝時代は「あっちの持ってる神器は偽物だ!レプリカだ」なんて、やりあってたみたいだし
ただ三種の神器に限らず日本の神社に奉納されてる古くからの現存する神器ってのは当時から残る本物だと思うよ
日本は天皇家血統以外の血統も歴史と由緒ある血統な訳だしさ
607日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:19:01
>>603
三種の神器
それぞれ一つ一つは天孫族や出雲王族に伝わる物で
大和朝廷を組織した時、三つをして大和朝廷のリーダー
つまり天孫族、出雲王族を束ねた者みたいな物だったかもですね
憶測ですみませんが
少なくとも一つ一つの物は大和朝廷成立以前にあった物でしょうし
大和朝廷をして三位一体の神器になったのではないでしょうか?
後世でも後付けの言いがかりみたいな言い方でも
宮家の血筋を引いていても、これを保有してないと天皇として正統性を失う言い方
これを持っている方が正統性がある
なので豪族同士で複雑に血縁関係を数世代何百年も続けている以上は
血より三種の神器の保持者である
が重きをなすと思いますよ
60848:2008/11/29(土) 23:27:51
>>607
なるほどね。
玉と太刀と鏡でしたっけ。
玉は日本海側のイメージだし、
太刀は石上神社に七枝刀なんてのもあったな。
鏡はやっぱ卑弥呼のイメージかな。
卑弥呼はアマテラスのようにも思うし・・・。
分からんなって言えば、これがいちばんの正解かもねw
609日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:43:46
>>608
草薙剣これは熱田大宮司で尾張氏が
鏡は勿論、鉄でなく青銅器でしょうね
そして勾玉
出雲地方に今もある玉造
神器の勾玉は玉造の物で
出雲王族の象徴だったのではないでしょうか?
出雲大社に何故、勾玉が御神体としてないか?
大国主の国譲りとして出雲王族の神器勾玉が
大和朝廷の三種の神器として天孫族の保有となったのではと思います
少なくとも三種の神器の勾玉はかつて出雲の統治者を表し
三種の神器の勾玉として出雲の統治権を握る
と意味があるように思います
草薙剣は尾張氏の場所、熱田大宮司の場所から行くと、こっちが元々、天孫族(卑弥呼の一族)の持ち物だったと
後は鏡ですね…
610美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 23:54:44
>>608
アマテラスは恵那山に奉られてる神で、イザナミがアマテラスを産んだ時の伝承も詳しく残ってるよ
http://www.google.co.jp/gwt/n?u=http%3A%2F%2Fwww.ja-higashimino.or.jp%2Fhiroba%2Fstory%2Fn%2Fagihuro.html%3F_gwt_pg%3D0&hl=ja&source=m

イザナミや天照はイワレビコやスサノオより昔の人すよ
天岩戸の頃には既に死んでるすよ
天岩戸の話は祈祷の儀式でアマテラスを降臨させた見たいな事だと思いますよ

ちなみにイザナミイザナキは飛騨から中津に来た神様で、飛騨の伝承では「天照は奇形だった」って話も在りますよ
記紀でもイザナミイザナキは最初は奇形の子供しか作れなかった事が書いてあるし
61148:2008/11/29(土) 23:57:16
>>609
伊勢神宮にある鏡は白銅鏡だと聞いたことがある。
亡くなった樋口清之(考古学者)から直接、聞いたんですけどね。
だから何だってのは、いまの自分じゃ分かりませんw
61248:2008/11/29(土) 23:59:29
いかん、樋口清之先生でした。
613日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:10:06
>>611
伊勢神宮となると天武とは相容れなくなって来ますね
勿論、現物は天皇家が持っていて、あくまで神社の御神体はその霊力を移した物と思いますが
三種の神器を保有できる者=天皇
ですが元々神器の三つを供出した豪族(つまり三豪族です)にしか三つを全て保持できないのでしょうね
トンデモ説なのですが蘇我氏は本来、勾玉(出雲王族)の保持者に連なるか
鏡(これは私にはわかりません)の保持者の氏族だったのではないでしょうか?
61448:2008/11/30(日) 00:20:09
蘇我氏が勾玉と鏡。
太刀は尾張氏(推古帝の息子・尾張皇子と関係あり?)。
となると、曽我氏って、いまさらながら興味深いですね。
中臣(藤原)との力関係もまた興味深い。
ところで、天智・天武から離れてしまうから、これでやめましょうか。
615日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:57:03
>>614
横道に反れてすみません
結論でいけば天智、天武は同じ氏族で血縁もあった
ただし二人の立ち位置は違う
天智はかつての出雲豪族系の支持を持ち蘇我氏を吸収し三種の神器の保持者になった
しかし次の代で大海人皇子を支持するかつての天孫族に、やり返された
かなり乱暴な書き方ですが、こんな風に考えてます
616日本@名無史さん:2008/12/04(木) 09:05:56
日本の古代史スレに出没するコテハンには疲れる
自信があるからコテハンを付けんるだろうが
知識、情熱は認めても我が仏尊し(結論が先で反論は無視)という人が大部分

俺の私見では万人が認める実証は史料の少なさからして無理
とはいえ蓋然性(有ったかもしれない位の意味)の話は楽しいが
61748:2008/12/06(土) 11:33:34
>>616
それは誤解です。
もっとキチンとレス読んでください。
618日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:50:15
>>617
早速登場のコテハンか
619日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:24:06
流れを断ってすみませんが、
>>566
>>567
>>568
>>569
意味ありげな分からない文章、出てきますよね。
書紀の、讖緯説・陰陽五行説に基づく記述は、学者はあまり語りたがらないという印象があるんですが、どうなんでしょう?

讖緯説
http://dictionary.www.infoseek.co.jp/?ii=11&sm=1&sc=&gr=ml&qt=%A4%B7%A4%F3&sv=KO&lp=2
陰陽五行説
http://act9.jp/fan/report/ai/oni/inyohgogyoh.htm

日本書記659年(斉明5年)
「狐が出雲国於友郡の葛の末を食い断って去った。また狗が死人の手臂(タダムキ)を食いちぎり言屋社に置いた」
これと対応する百済本紀659年の記事
「2月、狐の群れが宮中に入り一匹の狐が上佐平の机に座った」
讖緯説的説明
●狐が宮に入り、しかもその部屋に主人がいないのは、いくばくもなく国が滅びる予兆(by『隋書』志・五行上)
●犬禍 おかしな犬(狗)の出現は、木が金を損なう時の予兆(by『漢書』志・中之上)

620日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:28:58
書記670年(天智3年)
「上が黄色で下が黒、背中に申の字が書かれた亀が現れた」
●五行で黒は天、地は黄 つまり、ひっくり返る(=クーデター)の暗示。「申」は「日」を貫く字。

書記671年(天智4年)
「大炊寮にある八個の鼎が次々に鳴りだした」
●鼎が鳴るのは木が金を動かすからで、木が金を損なうの意 (by『漢書』志・五行)

天智は金徳、天武は木徳です。つまり、俺の言いたい事はお分かりでしょう。

他にも、637年の天狗星の出現とか、628年2月2日の日蝕(2日に起こる日蝕は君の行い暴急にして外に畏れらるに象る by『漢書』志・五行之下)とか、青油笠を被り唐人に似た風貌の人が 龍に乗って生駒山に飛び去った(655年)とか…、
こういう記述をした意図について、天智兄・天武弟の兄弟説支持者(=たぶん書記の記載内容を基本的に信じる人←皮肉でも何でもないです)の考えを聞きたいな。
621日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:10:23
>>620
書紀集解、小島憲之博士の研究を見れば大半は漢籍潤色と分かる
ただここに挿入した編者の意図は考えてもいいかもしれないが

>たぶん書記の記載内容を基本的に信じる人←皮肉でも何でもないです
慎重な言い回しにもかかわらず貴方の主観がかい間見える
貴説を書くのが先では?
622武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2008/12/10(水) 07:48:09
大海人皇子とマルコス、どっちがより悪役の面構えだったのだろうか?
623日本@名無史さん:2008/12/11(木) 05:09:46
>>622
天智の顔=>近藤正臣
天武の顔=>松平健

テレビでみたから間違いない
624日本@名無史さん:2008/12/15(月) 12:46:25
持統天皇って今でいうところの女系天皇だったのかよ。
625日本@名無史さん:2008/12/16(火) 19:02:42
未だに「男系女系」と「男性女性」の違いが分からないようなやつは黙っていて良いよ。
626日本@名無史さん:2008/12/17(水) 17:03:55
天智と天武を考えるにあたり、
天武が異父・異母兄弟だとか非兄弟だと言うのはよくあるが、
天智の方が舒明、もしくは斉明の子ではない、という事は
あまり言う人間は居ない。
一人、天武が漢皇子だと言う人間は居るが。
627日本@名無史さん:2008/12/17(水) 17:05:39
一人、天武×
一人、天智○
628日本@名無史さん:2008/12/17(水) 22:43:16
このスレ的には、小林惠子説はデムパ扱いなんだろうねえ…
629日本@名無史さん:2008/12/18(木) 16:59:37
>>628
まだ漢皇子だって言ってた頃は良かったんだがね。
高句麗の将軍泉蓋蘇文って言い出した頃から…
生涯を通じた親高句麗派って、高句麗は天武が死ぬずっと前に無くなってるし。
まだ佐々克明(彼が最初に通説を疑ったんだったかな)の
「天智=扶余豊章(百済王子)・天武=金多遂(新羅の中流貴族、佐々は王族と言う)説」
の方が分かりやすい。
630日本@名無史さん:2008/12/19(金) 02:47:42
>>628
金多遂だってありえないぉ
631日本@名無史さん:2008/12/28(日) 11:34:39
異父兄弟の双子だろ
632天野照男:2008/12/30(火) 11:55:55
初めまして。私も天智と天武が同父母兄弟ではなかったかもしれないと
思っている一人です。あちこち調べても見かけないのですが、記紀神話
における皇祖神の二元性がその根拠なのですよ。
本来の皇祖神は高皇産霊で、天照大神の皇祖神化は天武・持統朝から、
というのがほとんど定説になっていますよね。隋書を見ても推古朝での
太陽神には皇祖性はなさそうですし。

すると天照大神が皇祖神とされる理由は?と考えた時に天武の血統が
それまでとは異なっていたのではないか、という選択肢はありうると
思うのですよ。
その際ホノニニギから見て天照大神が父系祖母、高皇産霊が母系祖父
ですから、天武の父が従来の王家の人間ではなかった可能性はある
んじゃないかと。皆さんはいかが思われます?
633日本@名無史さん:2008/12/30(火) 14:21:29
嘘をついてまで天智天皇の同母弟のふりをしようとして起きんがら、その痕跡を残すはずがないし、
血統による継承があり得ないなら、「不徳の王を倒した新王」で良いし、血統が弱いなりに皇族ならごまかす必要がない。
634天野照男:2009/01/01(木) 08:16:49
明けましておめでとうございます。
反応が薄いようですね。もう一つ、養老令の継嗣令にある
「およそ皇兄弟と皇子、皆、親王と為す。女帝の子も亦同じ。」
という条文で、大宝令でも同様だったようです。この条文が対象としている
親王は、と考えてみると漢皇子しかいないのですよ。
大和氏は天武・持統朝では天武の出自を隠そうとする意識はなかった、
としていますし、大宝令は文武朝での成立ですが、その基となった
飛鳥浄御原令は天武・持統の仕事です。
この条文は天武が漢皇子だったために必要だったのではないでしょうか。
635日本@名無史さん:2009/01/01(木) 08:44:03
将来ひょっとしたら生まれるかもしれない、女帝と天皇ではない夫との間に生まれる子供の事を考えていたという可能性はないの?
元正天皇や孝謙天皇が生涯独身を強いられるとはその時点では分からなかったのでは。
636天野照男:2009/01/01(木) 18:05:50
>635
もちろんその可能性を否定するつもりはありません。ですが、それしかない、
というほど強い可能性ではありませんよね。
他にも旧唐書の「日本国者倭国之別種也」を加えてもいいでしょう。日本という
国号の成立は天武・持統朝の可能性が高いですから。
天智・天武非兄弟説というと、証明不可能な年齢問題とか、何とでも解釈できる
四妃問題がとりあげられますが、他のアプローチもあるのでは、という事です。
私が疑問に感じたのは632で書いたとおり皇祖神の二元性からですが、私自身でも
「ならば光仁以降も天照大神を皇祖として敬ったのは何故か?」という反論くらい
想定しています。
いくつかの天照大神論や伊勢神宮の起源についての本を読んでみたのですが
納得できるものは一つもなかったのですよ。
隋書の記述や、日前神が天照大神と同一視され、内宮と外宮が殆ど同じレベルの
神格を持つ理由など無視している説が多いのです。
私見は天武=漢皇子ですが、確信しているわけではありません。ただその
可能性を無視できないでいるのです。
637日本@名無史さん:2009/01/03(土) 01:55:13
日本史の分類で奈良時代のカテゴリーがあるのは
奈良時代が天武系の天皇が治めていたから?
638日本@名無史さん:2009/01/03(土) 02:52:48
>>634
>「およそ皇兄弟と皇子、皆、親王と為す。女帝の子も亦同じ。」

これは一般的には漢皇子を想定したものと言われてるね
ただ、漢皇子は斉明の連れ子だが、当時の慣習でも律令継嗣令でも女性皇族は男性皇族へ嫁ぐようになっている

だから、天武=漢皇子と想定してみても、男系が途切れるわけではないし、継嗣令が男系主義を否定しているわけでもない
639天野照男:2009/01/03(土) 09:05:06
>637
平城京遷都から平安京遷都までの殆どの期間、平城京に宮があったから、と考えて
良いんじゃないでしょうか。あまり細かく区分すると面倒くさいですし。

>638
鎌足の正室は、鏡王女とか鏡姫王と呼ばれていますよね。この女性が亡くなる前日には
天武がお見舞いに行っていますから、かなり親しかったのでしょうね。
かつての恋人だったとか、近い親戚だったとか。名前から判断しても
皇族と考えて良いと思いますよ。

一例でもある限り、皇族女子と皇族以外の男子との婚姻はありえないと
否定するのは無理だと思うのですが。
640日本@名無史さん:2009/01/03(土) 09:42:20
鏡王女は額田の姉と習ったがな
違うのですか?
641天野照男:2009/01/03(土) 10:58:23
>640
糠田王とする人もありますよ。糠田王の父親が鏡王という名だからでしょうね、
642日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:37:55
>>639
鏡王女は出自が不明すぎてなんとも言えないね

ただ、継嗣令には、親王を一世とした場合の五世王は王を名乗ってもよいが皇親に含まないとある
また、臣が五世の王を娶ることを許可し、五世の王が親王を娶ることを禁止している

つまり、継嗣令によって、王を名乗る女性が臣下に嫁いでいても不思議ではない

問題は律令以前がどうだったかだが、唐令と比較してみないとわからんね
皇族の範囲から一世代離れた者にも、王と名乗ることを許可するような条文が唐令に無ければ、日本独自ってことで、律令以前からの慣習であった可能性もでてくる
643天野:2009/01/03(土) 20:51:50
>641
すみません。×糠田→○額田でした。
644日本@名無史さん:2009/01/07(水) 10:42:29
壬申紀の最後に書かれている「韋那公高見」が鏡王らしいが
宣化の末裔ということになるのかな?
645天野照男:2009/01/08(木) 07:15:14
なるほど韋那公高見は鏡公と呼ばれていたのですね。初めて知りました。
鏡王女の死は薨とされていますし、天武とかなり近い人間でなかったら死亡記事が
書記に載ったりすることはないと思うのですが。
正体不明なだけに皇族であることを、肯定するのも否定するのもむずかしいですか。

天照大神についてはどうでしょう。こちらが本命です。
伊勢信仰による神社分布や荒木田氏の所領をみると東日本に偏ってますよね。
天照大神の主な信仰圏は東日本にあったと思うのですが。オモイカネを祀る神社も
長野と埼玉ですし。
646天野照男:2009/01/10(土) 12:46:16
天武にしても東国と縁が深いですよね。壬申の乱では伊勢・尾張・美濃の兵が主力
になっていますし、信濃や甲斐の兵も加わります。
天武13年には信濃に都を造ろうともしています。

天武の父系が上毛野氏ということはないですかね?
先祖にあたる豊城入彦の同母妹の豊鋤入姫は初代斎宮とされていますから、天照大神と
上毛野氏の関係を暗示しているとも思えますし、生母の出身地は紀伊ですから日前神が
天照大神と同一視される理由もなんとなくわかります。

日本書紀では応神から天智まで天照大神の名は見えませんから、いわゆる三輪王朝の
皇祖神が天照大神だったのかもしれませんよ。無理があるかな?
647日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:45:46
天武の父系はエフタルだよ
648日本@名無史さん:2009/01/11(日) 00:23:51
俺の読んだ本では、天武が天智の兄とか書いてあったけど、信ぴょう性は知らない……

蘇我入鹿って民から人気あったんでしょ? 一方の天智は、人望があまり無いから長い間天皇になれなかったとか。


というかこの頃は天皇自ら軍を率いてたのに、なんで軍事を武士に任せちゃったのかな・・・
649日本@名無史さん:2009/01/11(日) 00:40:00
仏教思想が広まるにつれ、それまでにもあった穢れがどうのという話と相まって殺生を生業とする者が差別されるようになった、という話は同和差別がどうのという話で聞いたことがある。
650日本@名無史さん:2009/01/11(日) 00:50:48
上毛野の豪族が東海の兵を集めて事を起こしたと推理可能なら、
不遇の皇弟が東海の兵を集めて事を起こしたとしてもおかしくはないわな。
ていうか皇弟だからこそ事を起こせたといった方がいいかな。
それと、天照大神は「続日本紀」にも出てこないよ。「日本後紀」には出てくる。
651天野照男:2009/01/11(日) 07:29:37
>>650
上毛野の豪族が壬申の乱を起こしたわけではありません。私見は天武=漢皇子で、
父系が上毛野氏だったのでは?といっています。
漢の父、高向王が用明の皇女と上毛野氏系の嫡系男子の子であり、このために、
東国の豪族たちの支持が得られたのではないか、ということです。

もう一つ、650さんは天武以前から一貫して天照大神が皇祖神だったとお考えですか?
続紀に天照大神の名が見えないのは知っています。でも伊勢神宮はかなり出てきますよね。
この伊勢神宮で祀られた神が天照大神なのは明らかですが、応神以降天智以前に天照大神が
祀られていた痕跡を探すと、先ず雄略から用明までに伊勢に送られた5人の皇女、仁徳40年の
「伊勢神宮」、賢宗3年の「日神」、敏達6年の「日祀部」くらいだと思うのですよ。


賢宗3年の日神は伊勢とは無縁ですし、敏達6年の日祀部も他田坐天照御魂神社(祭神はホアカリ)
との関係が強そうですし、仁徳朝の記述を「はい、そうですか」と鵜呑みにするわけにはいきません。
皇女たちが仕えた伊勢大神も、必ずしも天照大神とは限りません。「外宮先祭」という慣習が
意味するのは内宮よりも外宮が古くから祀られていた、ということのようですし。

650さんは隋書に見える
「倭王以天為兄,以日為弟,天未明時出聽政,跏趺坐,日出便停理務,云委我弟。」
という記事をどう解釈しますか?私には倭王は「日」を格下と考えているとしか思えないのですよ。

652天野照男:2009/01/11(日) 09:44:04
>>651
「外宮先祭」という慣習が意味するのは内宮よりも外宮が古くから祀られていた、
ということのようですし。

言葉が足りませんね。皇女が仕えたのは外宮の神だったのではないかという事です。
653日本@名無史さん:2009/01/12(月) 10:04:35
>漢の父、高向王が用明の皇女と上毛野氏系の嫡系男子の子であり、このために、
>東国の豪族たちの支持が得られたのではないか

書いたご本人に訊くのも何ですけど、正直どうです? これが歴史の真実だったと思いますか。
私は、「絶対に無い」とは言いませんが、この説が真実であった可能性は限りなくゼロに近いと思います。
普通に、用明2世王と敏達3世女王との間に生まれたのが漢、時の大王と大后との間に生まれた大王家の次男坊が大海人で問題なく、
繰り返しになりますが、先朝の有力者で東国に食封を持つ皇弟が、後年不遇となりかつ身の危険をも感じて兵を挙げたのが壬申の乱と見る方が十分自然でしょう。

皇祖神については何とも言えません。深く研究していないので。
ただ、農耕社会に根差した「日の神」であったろうとは思っています。
天武朝の「天照大神」については、王朝が替わったから「神」も替わったというより、為政者(ここでは天武)の個性とか政治的・社会的な要請とかがあったのではないでしょうかね、うまく言えないですけど。
天武は他の神祭りも行っているし、仏教行事にも熱心だった。平安時代には伊勢と並んで宇佐神宮が二所宗廟と言われたりもする。
逆に質問させていただくと、天武の天照大神が応神〜天智紀の伊勢神宮とは関係ないが、神功紀以前の天照大神とはリンクするという根拠は何なのでしょう。
654日本@名無史さん:2009/01/12(月) 10:06:24
(つづき)
隋書の「天」と「日」についても何とも言えません。
ただ、「天」が応神〜天智の神、「日」が三輪王権と天武の神、的なものではなかったろうとは思います。
それと、中国史書は記述に結構いい加減なところがありますので、額面どおりに読み下して強引に解釈を構築するということは避けようと思っています。
日常的交流が無い相手との、しかも外国語での会話ですから、今の翻訳ソフトレベル、こちらが言葉足らずであったり、あちらが誤って認識したりといったことは大いにあり得たでしょう。
逆に質問させていただくと、「天」と「日」について貴殿はどのような捉え方をしていらっしゃるのですか?

外宮先祭は別に否定しません。そこに天武が新しい「神」を加え、再編成したということではないでしょうか。王朝交替でなくとも君主が改宗、宗旨替えをするなんてことは歴史上例もありますし。
655天野照男:2009/01/12(月) 19:02:25
>>653>>654
実を言ってしまうと、私自身どこかで馬鹿げていると思っています。

仰るとおり天武は天照大神だけを崇めたわけではありません。天武・持統朝での伊勢の出現頻度は
けして高いものではなく、記事の多さなら「広瀬・竜田」が凌駕します。
天武朝での天照大神は国家祭祀の対象ではなく、天武の私的崇拝の対象だったように思えるのです。
国家祭祀の対象となったのは、文武以降でおそらく持統の意志によります。

ですから、私は天武が天照大神を皇祖神として祭り上げたとは思っていません。どころか、書紀の
完成した720年の段階ですら、本書を見る限り公式な皇祖は高皇産霊だったと思います。
ですが、天照大神が皇祖性をもっているのも事実です。
仰るとおり君主が宗旨替えをするのは珍しくありません。ただ、そのとき新たな神に皇祖性を
持たせる必要は全くないですよね。にもかかわらず、天照大神は皇祖性を持つ。
天武が私的に天照大神を崇拝したのは「血統上の祖」と考えていたからではないか?
という思いが拭いきれないのです。(つづく)







656天野照男:2009/01/12(月) 20:21:30
>神功紀以前の天照大神とはリンクするという根拠は何なのでしょう。
先ず、神功紀以前の書記の記述を鵜呑みにしているわけではありません。
まぁ、当然ですが。ですから崇神朝に見える豊城入彦と豊鋤入姫の兄妹の
実在は肯定も否定もできません。ただ何らかの伝承があったとは思っています。
しかし崇神から垂仁にかけての伊勢鎮座譚は造作だと思います。古事記には見えませんし、
豊鉏入日売は「拝祭伊勢大神之宮」とありますから古事記では崇神の時点で伊勢に鎮座
していたことになります。
古事記の内容が成立した後に何らかの必要が生じて造作されたのだと思います。

その上で質問に答えるなら、天照大神という固有名詞が天武紀と神功皇后紀以前に
しか見えないから、ということになるでしょうか。
α群編纂時には天照大神という固有名詞がなかったからとも思えますが、持統紀にも
伊勢大神が見えます。別の神とは考えられませんか。

>「天」と「日」について
すみません、「貴殿」はちょっと勘弁してください。
正直私もよくわかりません。ただ強いて対応する神を探すなら「天」は高皇産霊、
「日」はホアカリ(ニギハヤヒ?)ではないかと思います。





657天野照男:2009/01/15(木) 19:46:01
>>610
恵那山って近くに昼神があるのですね。オモイカネを祀る阿智神社が座すところですよ。
埼玉の秩父神社もオモイカネを祀りますが、「先代旧事本紀」の「国造本紀」知知夫国造条に
「拝祠大神」とあります。
やはり天照大神は東国の神ではないかと…しつこいですか?
658日本@名無史さん:2009/01/22(木) 01:42:11
天智と額田驚きブログ
額田生まれ変わり?
http://blog.goo.ne.jp/ryuru071213/e/18ab5a3dbf6b8c1c6d40f65d5842a511
659日本@名無史さん:2009/02/22(日) 15:56:51
おい、小林惠子ファンはいないのか?
彼女の説を、このスレの詳しい人に吟味してもらえ。
じゃな、また来るぜ。
660日本@名無史さん:2009/02/22(日) 23:12:43
>>659
ここはSF板じゃないからなぁ。


天智=余障 って言っている人がいるけど、実は
一番アリバイという状況証拠上臭いのは鎌足。
鎌足が日本で活躍している時には余障は何もせず、
余障が半島で暴れている時には日本で鎌足が何もしない。
半島から余障が撤退すると日本で鎌足が活動を始める。
661日本@名無史さん:2009/04/14(火) 06:11:19
天智系近江派は親唐百済
天武系は親新羅や物部等の蘇我〜天智時代に疎外されてた豪族達

物部はニニギと関係あるし、かなり広い範囲に関連氏族豪族がいる。美濃や三河に
天武が勢力を求めたのもそうだが。

親戚が三重で代々小さい神社やってるんだけど、祭神は饒速日命・伊邪那伎命・伊邪那美命で
壬申の乱の時に天武方で出てる苗字なんだが今は三重や伯耆美濃に多い姓。
かなり符合してると思うんだが。
662日本@名無史さん:2009/04/26(日) 01:34:39
天武の時代斎宮って大来皇女でしょ。
なんで彼女になったか?
天武と天照大神を語るならばここは大事では?
弟は持統に殺されてるよ。
663日本@名無史さん:2009/05/09(土) 14:21:51
吠えなさんなよ。
664日本@名無史さん:2009/06/07(日) 13:50:16

結局、残ったのは天智系だからな!

665日本@名無史さん:2009/06/10(水) 15:35:40
どうなんよ?

天武天皇の諱名(いみな)は,「天渟中原瀛眞人天皇」.
「瀛」は,古代中国では「大海中の秘境」の意味でした.
「瀛州(よんじゅ)」は,済州島(耽羅)のことでした.
「瀛州(よんじゅ)誌」は,済州島に伝わる歴史書です.
この「瀛州(よんじゅ)誌」に「碧浪国」が出てきます.
「瀛」が,済州島(耽羅)を表す文字であることを,
古田先生をはじめ,日本の歴史学者は気づきませんでした.
『日本書紀』の読み方が,いかに浅かったか! 
天武天皇の諱名の中にある「瀛」という文字を,済州島(耽羅)と読み…,
『日本書紀』が百済国の歴史書であることに気づけば…,
天武天皇(大海人皇子)による「日本建国の謎」が全て解けてくるのですが….
666日本@名無史さん:2009/06/10(水) 17:26:41

そして、朝鮮半島南部に前方後円墳が、何故あんなにいっぱい有るか?

667日本@名無史さん:2009/06/10(水) 19:50:21
天武系て42文武・45聖武除いて女帝ばっかりだろ!
41持統・43元明・44元正・46孝謙(48称徳)
オマケに舎人親王の息子の47淳仁を殺すわ!道鏡を天皇にすると言い出すわ!
結局、天武に系統を大事にする考えが無かったからだろな。
絶えてよかった。

668日本@名無史さん:2009/06/10(水) 19:53:45
>>667
補足
一応、41持統・43元明・44元正は天智系でもあるけどね。
669日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:16:07
しかし、38天智と40天武の関係て凄いね!近親相関が。
天智の娘(41持統)を天武が嫁にして、その子供の嫁(43元明)にまた天智の娘がなる。
その子供(42文武)に藤原不比等の娘が嫁に行く。藤原不比等は38天智の子供だと言われてるし、中臣鎌足は天智の嫁さんを分けて貰ってる。
670日本@名無史さん:2009/06/11(木) 02:42:20
天武は、大友皇子に自分の娘を嫁がせてもいる。
天智は、天武に自分の娘4人も嫁がせているけどね。
671日本@名無史さん:2009/06/11(木) 03:40:34
>>670
大阪の陣の千姫の物語は、十市皇女の物語を元に創作された
672日本@名無史さん:2009/07/06(月) 11:08:12
>>7
明治政府の正体は、政府を操っていた
藤原氏に決まってるでしょ

コイツ等が、
アジアの戦争は、全部軍人の一部でもあった
皇族が主導した。
軍人は利用の主体ではなかった。
道具として使い捨て。
支那大陸の流れ者の藤原天皇家外戚は、
日本の、増殖するガン。
掃除しないとまた暴れだすよ
まだ中枢で蠢いているしな
673日本@名無史さん:2009/07/11(土) 03:56:54
この兄弟をついては基本文献(日本書紀)だけで考えても不思議な記述が多い
1.皇極紀には舒明の子としてはっきり系譜が記されてるのに斉明紀では異母兄として漢皇子の存在が唐突にでてくる
2.舒明紀の最後に東宮開別皇子がしのびごとをしたあるが前後をみても直接の後継者自身がしたとの記述は皆無
3.天智が娘を天武の妃(四人も!)に送りそれのみならず天武後継の草壁、大津、高市に娶あわしてる
4.大友皇子の妃も天武の娘(前項に関連するが普通に考えればこういうのを政略結婚というのではないのか?)
5.天智は実権者にもかかわらず長期間皇位に就いていない(特に斉明死後の称制期間に注目)
6.天智紀の記述から官位、律令の制定に関して後の時代への影響は無視できない
7.天智の和風諡号天命開別は漢字の意味で解釈する限り新王朝を開いたと取れる
8.壬申の乱でも皇族、旧来からの豪族の大部分は天武に付いた

いずれにしても天智は政治家として日本史於けるエコップメイキングな人物
674日本@名無史さん:2009/07/11(土) 04:38:23
×エコックメイキング
○エポックメイキング
675日本@名無史さん:2009/07/11(土) 06:03:35
当時の歴代天皇の大半は、実際の血縁関係などないんだから。
年齢差がへんてこなのは当たり前。
先代より年上の「子供」が皇位を継いでいても不思議ではない。
676673:2009/07/11(土) 06:19:34
読み返してみるとおそまつ
×>1.皇極紀には舒明の子としてはっきり系譜が記されてるのに斉明紀では異母兄として漢皇子の存在が唐突にでてくる
○>1.皇極紀には舒明の子としてはっきり系譜が記されてるのに斉明紀では異父兄として漢皇子の存在が唐突にでてくる

申し訳ありませんが訂正させてください
677673:2009/07/11(土) 06:33:44
>>675
こういう主張(根拠なし)はどうだろ?
ここまで書くなら自説ぐらいあるんだろ?
678日本@名無史さん:2009/08/17(月) 01:51:50
今の日本の原型って天武天皇の時代にできた気がする。
679日本@名無史さん:2009/08/17(月) 02:52:16
>>678
しかし、天武の後は41持統43元明44元正46孝謙48称徳と女帝の乱立が続いて、坊主の道鏡を天皇にしようとする。天武の系統はそこで途絶える。
680日本@名無史さん:2009/10/15(木) 04:32:10
保守
681日本@名無史さん:2009/10/15(木) 20:58:29
>>679
厳密にはその後も天武の系統は続いていた。
称徳天皇の後擁立された光仁天皇は聖武天皇皇女井上内親王の婿であることが重視された。
光仁天皇の皇太子には井上内親王の息子である他戸親王が立てられており、
女系で天武の血統は続くはずだった。

厳密には天武の系統から外れたのは他戸親王を廃して擁立された
桓武天皇から。
682日本@名無史さん:2009/12/20(日) 11:29:18
そうなん?
683日本@名無史さん:2010/01/04(月) 23:19:10
私説
天智天皇と天武天皇は母系では兄弟だが、父系ではまたまたいとこ
現天皇家は聖徳太子の子孫、だから一万円札にもなった。
欽明嫡出系
欽明天皇-敏達天皇-押坂彦人皇子-舒明天皇-天武天皇-草壁皇子-文武天皇-聖武天皇-称徳天皇×
欽明庶出系
欽明天皇-用明天皇-聖徳太子 -長谷王 -天智天皇-施基皇子-光仁天皇-桓武天皇-嵯峨天皇→
         (厩戸皇子)  (高向王) (漢皇子)
684日本@名無史さん:2010/01/12(火) 14:30:23
天武が新羅から来たなんてのはデムパだと思うが
同母兄弟説論者が異母兄弟なら「ではなぜそう日本書紀に記載しないのか」
には納得できない。
日本書紀は紀元前660年から皇室が日本を治めてきたと
いいたいための書。
新興の天武が皇統を乗っ取ったなんて書けるはずがないし、
書く必要もない。
それでは天武の正当性が失われる。
685日本@名無史さん:2010/01/12(火) 17:41:07
686日本@名無史さん:2010/01/12(火) 17:43:07
途中で送信してしまった。
>>684の「異母兄弟」は「異父兄弟」だった。
687日本@名無史さん:2010/01/12(火) 21:33:14
>>684
父親が違うにしても、皇族の息子に違いないので嘘をつく必要がないのだが。
ぶっちゃけ血筋を理由に跡継ぎを決めるようになったのは天智天皇以降でしょ。
それなら天武天皇が(皇族であるのは前提として)実力で皇位に就くのは「天智がそもそも例外」ですむ話。
688日本@名無史さん:2010/02/27(土) 11:21:35
ほほー
689日本@名無史さん:2010/02/27(土) 18:37:27
天智と鎌足って金春秋と金ユ信をモデルに創作された人物でしょ?
690日本@名無史さん:2010/02/27(土) 18:39:27
天智=余豊(百済王子)・天武=金多遂(新羅の貴族)
691日本@名無史さん:2010/02/27(土) 22:24:34
>>687 血筋を理由に決める例は継体即位の時にはあるわけでしょ?
じゃないとわざわざ迎えになって行かないし。その前の仁賢・顕宗の
時にもあったか。

舒明の子であることが重要になってくるからじゃないの?漢皇子じゃ、
血が遠いから。

692日本@名無史さん:2010/02/27(土) 22:46:27
継体の例があるんだったら、漢皇子で問題ないだろ。
継体は5世孫だが、漢皇子は3世孫に過ぎないぜ。
それに、記紀編纂期は「女帝の時代」で、必ずしも「父系唯一一辺倒」ではなく、
父が3世王でも母が斉明女帝なら正統性は十分確保できる。
だいたい、記紀編纂が710年頃で、壬申の乱が672年でしょ?
1972年頃の「異父弟兄」が、2010年には「同母兄弟」になっちゃうのかよ、って話だよ。
693日本@名無史さん:2010/02/27(土) 23:46:38
>>692 誰もいない断絶の危機にある継体時期と一緒にしては
いけないのでは?

漢皇子の時代は皇子はたらふくいるわけだし。
大事なのは最近の血筋。
694日本@名無史さん:2010/02/28(日) 06:17:41
>1972年頃の「異父弟兄」が、2010年には「同母兄弟」になっちゃうのかよ、って話だよ。

1972年頃に仮面ライダーの死神博士編や地獄大使編を見ていた3歳児が、40年近く後に
具体的に番組の内容を記憶してるかどうかという疑問もあるが。
695日本@名無史さん:2010/02/28(日) 12:03:15
百済の王子が日本に来たのは事実だとしても、
日本の大王の庇護下にあっただけで日本の大王を滅ぼして
即位したという説は納得いかないなあ。
日本の大王天智天皇の後継者大友皇子を差し置いて、
地方豪族が朝鮮人の天武天皇を押したって?
いくらなんでもそれはないでしょ。
696日本@名無史さん:2010/02/28(日) 13:30:40
>>693
だとして、天武の、出自という超基本プロフィールに変更が為されたのはいつのこととお考え?

>>694
番組の具体的な内容と一国のトップの「超基本プロフィール」とを同列に語れるのか?
ところで、私は「仮面ライダー」には詳しくないのだが、
死神博士や地獄大使ってのは、「仮面ライダー」の周辺にいた人々(スタッフ・キャストや視聴者・ファン)ですら、
2010年にはその「超基本プロフィール」が分かんなくなっちゃうようなモンなのか?
697日本@名無史さん:2010/02/28(日) 16:52:07
メインのライダーの設定(性格、バイク、衣装)ですら、
数年後のゲスト出演の際にはわかんなくなってる例もある。

V3と対等だったライダーマンがV3に敬語使ってたり、
乱暴者のキャラだったストロンガーが穏和なオッサンになってたり・・・
698日本@名無史さん:2010/02/28(日) 20:18:06
>>696私は一応天武は舒明の子だという考えでやっているので。
  
   最初、山背大兄王の子の甲賀王ではないかとも思ったのだけど、
   皆さんが仰るとおり、それならば記載するだけでいいわけで。

   結局必要なのは最近の天皇の血ではないかと思いました。
   改修がもし成されたのであれば、いろんな事情を知っている
   元明からでしょう。記紀もその頃ですしね。

   彼女の最初の改修の必要性は自分の子である文武に
   汚点がつかないことだと思うので。
699日本@名無史さん:2010/02/28(日) 22:41:23
とまあ>>697のように番組の内幕に詳しい人は2010年にもいらっしゃるようで。
このような人がいる中でも、番組の細かな設定の内容変更が
知らず知らずのうちに行われることが可能だったというわけだろうが、
それと個人の超基本プロフィールの改変とはやはり釣り合わんだろう。
「仮面ライダー」内の設定がコロコロ変わるように、
岸信介と佐藤栄作の関係が兄弟から弟兄になったり、遠い親戚になったり、
赤の他人になったりコロコロと変わるのか? ってこと。

>>698
要は、たとえば元明の時に天武の出自設定が変更・決定されたという意見に立つ場合、
それ以前は、天武は全く別の人格(超基本プロフィール)を持った人物として存在していたことになりますな。
つまり、飛鳥京や藤原京からは多くの木簡などが出て、人々の生活の痕跡が遺されているわけだが、
彼らの生きた時代には、天武は少なくとも「天智の同母弟とは認識・周知されていなかった」わけですな。
700日本@名無史さん:2010/03/01(月) 00:25:15
>>699 もしだったとするなら、ですよ?
   
   推測にしかなりませんが、元明は知っていたことになるでしょう。
   姉の夫であり、夫の父親である人の出自ですから。
   ただ、下の位の人たちが知っていたかどうか。
   元明のような微妙な立場の王族は知りえる事実ですよね。
   臣下は口伝で伝えることは出来るでしょうが、秘伝になりますよね。
   もしも都合が悪ければ。

   問題はもしそうだとして、どうして素直に書けなかったか、という事。
   そこから半島系の話も飛躍して生まれてくるわけです。
   そして結局は私のように書紀は正しい、と思う人間が出てくるんです。
701日本@名無史さん:2010/03/01(月) 00:35:54
ただ>>692の方のように30年で個人のデータ改竄ができるのか?
という疑問は残るわけで。

もしも元明が握りつぶしたのが漢皇子のデータだとすると、それの
何が、彼女の気に障ったのだろう?
702日本@名無史さん:2010/03/01(月) 01:32:50
>>693
たらふく皇子がいた、その中に「実力で皇位に就いた」間違いなく皇位継承権を持つ人物がいた。
なんで、自らの皇位継承権の根本に関する部分を捏造する必要があるの?

703日本@名無史さん:2010/03/03(水) 18:37:00
ここまで、翹岐(糺解)の名が一度も出てきて無いな・・・
704日本@名無史さん:2010/03/21(日) 19:00:43
なにそれ?
705日本@名無史さん:2010/04/06(火) 21:30:33
舒明=百済武王?
706日本@名無しさん:2010/04/11(日) 21:46:19
大友皇子は「弘文天皇」と公式に記載されている125代の天皇の一人。
天武天皇は生年が不明。

以上の二点を見れば、確かに不自然だね。仔細は不明だが、「タブー」はあると思うね。
707日本@名無史さん:2010/04/13(火) 00:47:08
タブーの存在なんて知られている。
天武天皇のやったことは弘文天皇に対する反逆、そして簒奪。
だから明治まで弘文天皇は天皇扱いされなかったんだし。
708日本@名無史さん:2010/04/13(火) 02:32:47
兄弟間の権力移動なら簒奪とはいわないね、よく知らないけど。
まあ俺は『簒奪』支持者だけどね。
709日本@名無史さん:2010/04/13(火) 14:32:40
天武系は称徳天皇の死後、連なる皇族はほぼ始末されたから、最終的には天智系大勝利。
710日本@名無史さん:2010/04/13(火) 14:34:35
>>707
疑問におもうのだが、称徳の死後、なんで大君認定されなかったのかな。
日本書紀は改ざん多いとおもうが、天智系が政権奪回後も即位の儀を
したとの確証が得られなかったんじゃないか?
711日本@名無史さん:2010/04/14(水) 00:16:37
>>708
反乱起こして、武力で奪っておきながら「身内だから簒奪じゃありません」が通るわけ無いだろ。
現在の皇室典範ですら、天皇は皇族からさらに別格扱いだぞ。

>>710
そりゃあ、天武の後どれだけ時間が経ったと思っているんだ。
「即位していた根拠」なんて本当に即位していたとしてもその頃には残ってないよ。
712日本@名無史さん:2010/04/14(水) 03:57:18
>>710
仮に当時記録がなくても口伝(ことよせ)などで実際にはついていたと
伝承あってもよさそうなものだが・・・・今でも実際に即位の儀したかしてないかで
論争になっているが、本当に即位していたなら、天武系の皇族をほぼ根絶やしに
した時点で歴史書再編纂するなりどうにでもできたと思うが、実際は明治に
なるまで誰も諡号送らなかったんだよな。

713日本@名無史さん:2010/04/14(水) 10:54:24
ひ孫の三船にもシカトされてるし、一時は天下の主だったとしても
せいぜい大友皇子は手研耳命くらいの認識だったのかもな
714日本@名無史さん:2010/04/14(水) 16:20:35
史料の裏付けなく推理するが、天智が死ぬ寸前から政務の大半を大海人皇子が掌握していて、
天智が今わの際に側近の重臣を集めて大友王子を後継にすると盟約させた時には既に
外堀固められていて、死とほぼ同時に挙兵して大友派を軟禁し政権を掌握して大友を処刑したんでは。

壬申の乱そのものが捏造(近江朝廷に追い詰められやむなく挙兵したという状況設定自体がフィクション)も
ありえるんじゃないかとおもうのだけど、どうだろう?

715日本@名無しさん:2010/04/14(水) 20:45:19
>>714
そんじゃ、どうして、弘文天皇って記載されてるんだ?
716日本@名無史さん:2010/04/15(木) 00:03:43
おいおい天皇なる称号を用いたのは天武朝からが通説だぞ。
弘文天皇なる人物は明治政府が諡号したに過ぎないぞ。
717日本@名無しさん:2010/04/15(木) 00:59:59
明治政府の「諡号」が間違いって言いたいのか?
だったら、皇統譜を書き換えないといかんだろよ。125代の一人だぞ。削って124代に書き換えるのか?
718日本@名無史さん:2010/04/15(木) 17:55:30
>>717
何を頓珍漢なレスしているんだお前は。
大友皇子は即位していない可能性が高く、天武系皇統が絶えた後も
その認識は変わらなかったということ。
このスレの流れを把握できてないのなら黙ってろ。
719日本@名無史さん:2010/04/17(土) 16:36:33
紀で弘文がはずされた時点で怪しい。

クーデターまでは書いている。弘文は即位していた。だけど徳があって自分が
即位した。

故意に弘文の事蹟を消した。

各家伝を一纏めにして記紀を作る案を出した天武が考えそうなこと。
720日本@名無史さん:2010/04/18(日) 05:52:38
>>621
すごい亀レスですまんが、今もこのスレにいるよね

> ただここに挿入した編者の意図は考えてもいいかもしれないが

「いいかもしれない」どころか、その『意図を考える』ことこそ重要だろ
721日本@名無史さん:2010/04/18(日) 07:42:55
言うまでもないが、意図とは百済分家が大王家であるという自明の史実を倭人が隠蔽したのだ。
そして、独島は韓国領土だ。
722日本@名無史さん:2010/04/18(日) 08:28:03
>>721
へぇ〜、そうなのw

ところで天智の称制期間てさ、ずいぶん長いけど何でだろ?
723日本@名無史さん:2010/04/18(日) 14:23:18
722
wikiに大体の説がでているじゃん 確定はしてないけど
724日本@名無史さん:2010/04/26(月) 01:35:03
大刀契・・・
725日本@名無史さん:2010/07/14(水) 21:22:32
中大兄皇子が、長いこと即位しなかったのってなんでなんだろ?
当時、既に頂点にいたはずなのに。
726日本@名無史さん:2010/07/15(木) 15:14:26
某家系図では、漢皇子って、
漢が滅びた時に日本に逃げて来た王子の何代か先の子孫と
皇極天皇(宝皇女)との間に生まれた子なんだよね。
何で漢皇子=天武天皇説が出回るのかよく解らないけど、
別人でしょ。
727日本@名無史さん:2010/07/15(木) 15:26:53
ttp://nihonnsi.blog.so-net.ne.jp/2006-02-01
↑こんなソースしかないけど、
天智天皇即位、崩御前後の約10年は
もちろん遣唐使もあったし、唐からも多くの人が来てるし、
日本と唐が歴史上もっとも国交が頻繁に行われてるかもしれない時期。
もしかしたら、日本存亡の危機だったかも。
外交とか軍事で頑張って日本を守った当時の祖先に敬意を表したくなるね。
728日本@名無史さん:2010/07/17(土) 15:53:19
ちなみに、女帝皇極天皇の父方の祖母は「漢王の妹」なんだよね。
このおばあさんは、これ以上家系が辿れないので、どういう先祖か不明だけど。
729日本@名無史さん:2010/07/21(水) 10:44:43
>>725
大化の改新をやったので、地方豪族とか反対勢力も多かったからでしょう
730日本@名無史さん:2010/07/22(木) 14:37:11
翹岐=中大兄=筑紫都督

壬申の乱=近江朝を百済の亡命政権と見なした唐(+新羅)
が仕掛けた新羅VS百済の代理戦争
731サガミハラハラ
ある講師のお話ですと、兄弟で間違いないとのことです。
ただ、兄弟でないほうが面白いので、その説を論じているようです。