日出処の天子 第ニ十一戦目

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多少毛並みのいい王子がいても、当時の天皇皇后等の主流から
外れると、皇位継承の目がほとんどなくなってしまうものと
考えられる。例えば、欽明天皇は皇后と同腹の皇女を3人も妃にしていて
その腹からも皇子達が生まれていた。
皇后腹の敏達の死後、敏達の異母弟達として、皇女腹の皇子達がいたにも
かかわらず、蘇我腹の推古女帝が皇后だったため、蘇我腹の皇子ばかりが
皇位継承にクローズアップされ、
皇女腹の毛並みのいい皇子達はスポットライトが当たらずに皇位継承の
候補にさえなれず、密かに脇へ追いやられていった。。

舒明には、同腹(糠手姫皇女腹)の兄弟が二人いる。
異腹の兄弟(桜井弓張皇女腹)が二人いる。
(血筋としては皇后の子の桜井弓張皇女は夫人の子の糠手姫皇女よりもずっとよい)。
彼らはもう死んでしまったかもしれないが、彼らの王子達がいるだろう。
彼らの方が天武よりも、皇位継承の正当性が高い。
用明の4世孫に過ぎない天武の皇位継承正当性は低い。

母系皇極天皇の血に頼って即位した天武は必死で天智天皇の皇女達を自分や
息子の嫁にした。また、自分の父系の血筋をごまかした。
自分自身である漢皇子(王じゃなくて皇子としてあるのは母が天皇だから)が
死んだことにし、自分を逆に天智天皇や間人皇女の同父弟であると歴史書を
改ざんした(父高向王とほぼ同時に漢皇子も死んだなんて、都合が良すぎる。
出産時に母子がほぼ同時に死ぬならともかく、父子が同時に死ぬなんて偶然は
珍しい。当然捏造)。

なお、持統天皇は夫天武系(用明朝のしかも傍流)よりも父天智系(敏達朝)
の方を重視し、自分が天智系であることを殊更強調していたようだった。
また夫の子孫であるが、天智天皇の皇女の血を引いていない
皇子の皇位継承を嫌がっていたようである。
つまり、天武の血オンリーの皇子や王子には末代までの皇位継承の
正当性がない、天智の血をもしっかりと引いていてこそ、初めて
末代までの皇位継承の正当性が認められるような雰囲気だ。