【初心者】スレッド立てる前に質問をPart9【歓迎】

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1日本@名無史さん
分からないことをスレッド建てて聞く前にこのスレで質問してください。
専門的な質問は各分野のスレでより詳しい説明がもらえるかもしれません。
回答に時間がかかったり、回答がもらえなくても怒らないでください。
質問が続くようでしたら、名前やトリップ付けることをお奨めします。
なお、このスレは常時age進行でお願いします。
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前スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart8【歓迎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1093006082/l50
2日本@名無史さん:04/10/20 19:35:38
2
3日本@名無史さん:04/10/20 19:36:26
過去スレ
●初心者歓迎:スレッド立てる前に質問を●
http://academy.2ch.net/history/kako/1026/10268/1026810759.html
【初心者】スレッド立てる前に質問を Part2【歓迎】
http://academy2.2ch.net/history/kako/1041/10416/1041658641.html
【初心者】スレッド立てる前に質問を Part3【歓迎】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1052089841/l50
【初心者】スレッド立てる前に質問を Part4【歓迎】
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart5【歓迎】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1069410597/l50
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart6【歓迎】
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart7【歓迎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1088214802/l50
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart8【歓迎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1093006082/l50
4日本@名無史さん:04/10/21 12:58:57
東京圏で時代をさかのぼると
現在の言葉が通じるのは何時代ぐらいですか?

当時読み物に書かれた文体を日常会話でも使ったのですか?
5日本@名無史さん:04/10/21 20:24:25
うるせーよクソ餓鬼。
前スレのこってんだからそっち書き込め低脳。
6日本@名無史さん:04/10/22 03:22:40
江戸時代の剣術道場の道場主(師匠)の身分について教えてください、
ドラマではいろんな若いサムライが通い、先生と呼ばれてとても
偉そうに見えますが、殿様の指南役以外の師匠は浪人なんでしょうか? 
7日本@名無史さん:04/10/22 04:14:27
>>5
うるせーよクソ餓鬼。
新スレ立ってんだからこっち書き込め低脳。
8日本@名無史さん:04/10/22 07:56:23
ヤクザの親分や悪徳商人はチンピラには「てめえら」「お前たち」と言ってるのに、
用心棒の貧乏浪人には「先生方、お願いします」と低姿勢なのはなぜ?
9日本@名無史さん:04/10/22 09:30:44
>>6
基本的には浪人。
それどころか、近藤勇や浅利又七郎のように、農民だったり浅蜊売りだった有名道場主もいた。

どうにもこうにも、変な左翼教育のせいで江戸時代は士農工商の身分制度がガチガチで、
身分間の行き来がなかったと思い込んでる香具師大杉。
農民だった近藤や土方が士分を与えられたり、逆に百姓や町人になる武士だって多くいた。

儒教道徳が厳しかった時代、師弟の誓紙をかわした以上、師匠が偉そうにしてるのは当然だろ。
将軍ですら、自分の学問の師の講義を受けるときは上座を譲り、武術の師には礼を尽くす。
欧米の身分制度とは異なり、日本の身分制度は緩やかなもの。
10日本@名無史さん:04/10/22 11:50:05
蘭学者とかハッキリ出自が分からんからな。
いつの間にか士分に取り立てられてどっかの藩のお抱えになっとるし。
11日本@名無史さん:04/10/22 18:24:27
昔のエタ・非人の中に、大名や豪商なみの大金持ちがいたって事実ですか?
12日本@名無史さん:04/10/22 18:58:53
豊臣秀吉が太閤検地を行なったことについて。

事実上は織田信長が最初に行なったと書かれていたのですが、
実際はどうだったのでしょうか?
豊臣と織田の太閤検地の違いは何なのでしょうか?
13日本@名無史さん:04/10/22 19:42:50
戦の途中でうんこしたくなったらどうしてたの?
草むらに隠れてやってたわけ?
14日本@名無史さん:04/10/22 20:36:16
江戸時代を含めた日本中世の商売事情に興味があります。
例えば三越はxxxをyyyして大もうけしてのし上がったとか、
堺の商人Aはある商品BをCしてヒットさせたとか。

こんなことが書いてある書籍を教えて下さい。
15日本@名無史さん:04/10/22 20:41:39
>>14
「日本経営史」我が師の著作でも嫁
16日本@名無史さん:04/10/22 20:52:41
>>11

非人頭 浅草 弾左衛門
あたりでぐぐって見るべし
最近の時代小説なら佐伯泰英が良く使ってる
17日本@名無史さん:04/10/22 21:52:45
幕末前後の日本が海外からさまざまな圧力を受けていた時代に
来日中の外国人(確かロシアだったような・・)を日本人が切り殺して
裁判が行われたが、死刑を希望する外国人の母国の要請に反し
日本の裁判所が法律にのっとって判決を出したために
日本が独立した法治国家であるとして
外国からの評判を高めたという事件があったと記憶していますが、
この事件の正式な名前はなんというものでしょうか?

名前や関係国が思い出せないためにグーグルで詳細を調べられずに困っています。
ご存知の方ご教示よろしくお願いします。。
18日本@名無史さん:04/10/22 22:02:13
>>17
それ斬り付けたのが日本の警官で、被害者がロシアの皇太子だった事件?
19日本@名無史さん:04/10/22 22:03:39
だとしたら『大津事件』だね。(書き忘れ)
2017:04/10/22 22:09:51
なるほど!「大津事件」でググって関連ページを調べたらわかりました。
ロシアの皇太子は死んでなかったんですね、記憶違いでした。
どうもありがとうございました。

ほかにも当時に外国人を傷つけて問題になったような話しはありますか?
21日本@名無史さん:04/10/22 22:20:34
生麦事件、堺事件など枚挙にいとまなし
22日本@名無史さん:04/10/22 22:33:29
ありがとうございます。ググって調べてみます。
23日本@名無史さん:04/10/23 00:48:25
>12
>事実上は織田信長が最初に行なったと書かれていたのですが、
何に書いてあったのですか?

>実際はどうだったのでしょうか?
今川・後北条・武田・毛利も行っています。

>豊臣と織田の太閤検地の違いは何なのでしょうか?
・・・指出,古検・新検あたりの用語を調べてください。
どのレベルでの質問なのか判断しかねます。
24日本@名無史さん:04/10/23 11:14:10
>>17
死刑を希望したのはロシアでなくて、
関係悪化を恐れた日本国政府。
明治天皇をすぐにお見舞いに行かせている。
外国からの評判は別に高まっていない。
25日本@名無史さん:04/10/23 11:18:11
日本史教科書の江戸時代を読んでると、幕府の財政改革は失敗ばかりしているように読めます。
しかしまがりなりにも250年以上続いた政権の、財政事情が下り坂ばかりだったというの考えづらいのですが、
どうなんでしょうか?
26日本@名無史さん:04/10/23 12:47:55
豊臣秀吉に関する、無駄な知識(トリビア)はありませんか?
出来れば、教科書に載ってない・受験にも出ないようなトリビア。
(明智光秀でも可)
27日本@名無史さん:04/10/23 14:49:24
>>26
ググればいくらでも出てくる。
28日本@名無史さん:04/10/23 14:52:22
>>25
反対に考えてみなよ。
「250年続いたのはなぜか?」って。
それに幕府の財政が悪いと言っても、今の日本だって国民一人当たりの借金はとんでもない金額だぞ。
だからって今の政治体制(民主主義)が倒れるか?
29日本@名無史さん:04/10/23 20:04:31
江戸時代の関所について教えてください、時代劇や漫画などでは、
通行手形を持ってない人が、関所を抜けるのに相当苦労をしている
のを見ますが、関所を通らずに、山の中(針葉樹や広葉樹の茂る)を
2,3時間迂回したらいいように思えるのですが、難しいのでしょうか?
30日本@名無史さん:04/10/23 21:53:43
つかまったら死罪だよ。
31日本@名無史さん:04/10/23 22:14:34
何で死罪にしたのでしょう、今でいえば密入国でしょうけど、
在日も・・・
32& ◆NSFK5TLPsY :04/10/24 16:42:54
東条英機の妻、東条勝子の誕生日は??
33日本@名無史さん:04/10/24 17:12:58
>>32
1890年(明治23)10月8日生〜1982年(昭和57年)5月29日没
34& ◆ZUTChMCAUM :04/10/24 17:40:49
>>33
どうも ありがとう
35日本@名無史さん:04/10/24 18:42:57
見廻組肝煎格
70俵5人扶持

というのは、今風に言うとどんな給与体系ですか?
36日本@名無史さん:04/10/24 18:57:18
永楽銭は近世初頭において通用を禁止されたのですか?
それとも基準貨幣として扱うことを禁止したのですか?
誰か知っている方がおられたら教えてください


37日本@名無史さん:04/10/24 19:28:23
他スレにあったんですが
「 郷士の士族編入は明治5年の太政官布告から。
その後段階を追って明治33年の郷士を平民に移籍する太政官布告により再度平民に編入している。 」

このへんの経緯と理由はわかりますでしょうか?
38日本@名無史さん:04/10/24 20:18:07
>>35
土方じゃん(w

見廻組肝煎格の役料(手当て)があったかは知らないが。
70俵5人扶持は旗本としては徒士(かち)ですから、現代の平社員のようなものです。
石高に直すと37石だいたい5.5トン程かな。
39日本@名無史さん:04/10/24 20:23:19
>>17
>日本の裁判所が法律にのっとって判決を出したために
>日本が独立した法治国家であるとして
>外国からの評判を高めたという事件があったと記憶していますが、

最高裁の児島なんちゃらって人が司法の独立を確立した事件だ
40日本@名無史さん:04/10/24 21:36:12
>>35
見回り組の場合、佐々木只三郎が300表で平隊士が70表。

ただ元の身分が違うから新選組とは直接比較できないけどな。
41日本@名無史さん:04/10/24 21:40:32
>>70俵5人扶持

年間70俵の米(これは年間3回に分けて支給)と
5人扶持(1日あたり玄米5合が1人扶持だから、その5倍。毎月1回まとめて支給)
42日本@名無史さん:04/10/24 21:46:04
>>36
江戸幕府ははじめ銭勘定に永楽銭を用い、1604年(慶長9)永楽銭1文を
鐚(びた)4文替えとしたのは、東国の通貨遺制によった。
08年永楽銭1貫文を鐚4貫文とし金子1両を鐚4貫文にあて永楽銭通用を禁じた。
以後、〈永〉は金貨計算上の単位に用いられた。
43日本@名無史さん:04/10/24 22:05:20
>>41
すると「一石」の基本的な値はどうなるのでしょうか?
70俵5人扶持のと30石の武士の所得はどちらが豊かでしょうか。
素人ですみません。
44日本@名無史さん:04/10/24 22:44:56
>>43
基本的なことだと何石のような石で表される場合は石分の領地を与えられます。
俵のばあいは領地がなくお給料です。豊かさはわかりませんよね。
45日本@名無史さん:04/10/24 23:23:11
そうなんですか。
「30石でその年は●●俵の収入」
みたいなことってわかるのでしょうか?

30石でなくてもよいのですが。
46日本@名無史さん:04/10/25 03:08:03
30石取りと言っても、不作の年は収穫量は減ると思いますが、
○○俵○○扶持の方は不作でもかわらないんでしょうか?
47日本@名無史さん:04/10/25 03:09:22
>>41
>年間70俵の米(これは年間3回に分けて支給)と
(1日あたり玄米5合が1人扶持だから、その5倍。毎月1回まとめて支給)

のどちらかを選択するということですか?
48日本@名無史さん:04/10/25 03:15:53
>>47
選択は出来ません。
現代的に言えば契約社員か正社員かが近いと思います
49日本@名無史さん:04/10/25 07:29:08
>>47
選択ではない
両方とも貰えるという意味
蔵米(70俵)と扶持米(5人扶持)では支給形態が異なる
50日本@名無史さん:04/10/25 17:45:53
>>42
ありがとうございました
51日本@名無史さん:04/10/25 19:04:15
北条経時の名前は九条頼経の一字拝領と思うのですが、
時頼、時宗は、それぞれ九条頼嗣、宗尊親王の一字でいいのでしょうか?

北条氏の通字の「時」が将軍の一字より上というのは違和感があるのですが。
52日本@名無史さん:04/10/25 19:49:17
蜂須賀小六と正勝は同一人物ですか?
武勇伝なんかあったらお願いします。
53日本@名無史さん:04/10/25 20:56:23
松平清武や清水重好は前将軍の実弟なのに、なんで将軍になれなかったの?
54日本@名無史さん:04/10/25 21:19:18
終戦の詔書が中国との戦争に言及していないのは、
昭和天皇や日本政府のどのような意図や認識によるものなんですか?
55日本@名無史さん:04/10/25 21:24:01
経時は44年将軍を更迭、頼経の子頼嗣(6歳)を新将軍とし、
翌年妹檜皮姫を頼嗣室とした。
56日本@名無史さん:04/10/25 21:25:10
>>52
同一人物
57日本@名無史さん:04/10/25 21:33:39
>>54
一応共同宣言を受託ということで中国にふれてるけどね。
ポツダム宣言受託の放送だから。

朕ハ帝國政府ヲシテ米英「支」蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨
通告セシメタリ
58日本@名無史さん:04/10/25 22:27:58
>>51
主君から拝領した一字を、イミナの先頭に冠する慣例が出来たのは室町中期義持の時。
義満の時には鎌倉公方氏満が一字拝領してるがこれはイミナの後ろだね。
59日本@名無史さん:04/10/25 23:08:08
スイマセン。
質問させてください。

幕末から明治に活躍した人物の写真が載っている
サイトご存じないですか?
アノ時代に生きた人達の顔を見たいのです。

お願いします。
60日本@名無史さん:04/10/25 23:23:09
>>58
こういうの高校時代に知っていたら、江戸時代の時代認識が楽だったと
思うね。手遅れだが。くやしい。
6158:04/10/25 23:24:03
>>59
ズバリ幕末写真館で検索してみ。感動するよ。(笑
オレはマジ感動した。
6258:04/10/25 23:48:01
>>60
時代が下って江戸になると何でもかんでも拝領ってのが慣例化して
十八松平を始めとする当主は元服とともに拝領となるから名前を見ただけで
誰の治世か解りやすいのは確か。元々は元服に際して烏帽子親の付随的意味合いで拝領したり、
報償の代わりとして与えたことからもわかるように、主従を明確にする武家特有の習わしなんだよね。
名前をみれば主従が明らかになることを利用した義満は着眼点が卓越してたとみるべきかもね。
ただ一字拝領にも異例があって、たとえば足利一門で最高格の斯波家は将軍の通字(義)を
代々拝領しているし下の名も将軍によって決定している。
看記には斯波義郷の元服に当たって将軍義政が義の字拝領とともに佳字を三つから選んだ記述がある。
また異例の拝領といえば今川の家督に際して、家宰伊勢長氏が烏帽子となった今川氏親は
異例中の異例かも知れないね。
63日本@名無史さん:04/10/26 02:35:46
秀吉が六本指だという話はかのルイス・フロイスが「日本史」で書き残している
曰く
「彼は身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主で、片手には六本の指があった。
目がとび出ており、シナ人のように髭が少なかった。」

他にも前田利家の逸話を集めた本「国祖遺言」や
朝鮮征伐で日本に来た朝鮮人姜の「看羊録」にも同じような記述が見える。
64日本@名無史さん:04/10/26 04:38:10
>>53
重好は後継者候補には挙がったが田沼意次と一橋治済(11代将軍家斉の
父)に阻まれた。
重好の母の実家が遊女屋だったのもマイナスだったらしい。

清武ってのは6代家宣の弟だっけ?
だとしたらまず前将軍(7代家継)の実弟ではなく叔父です。
家宣は遺言に「自分の血筋が絶えたら尾張に」と言っていたので
その時点で後継者候補から外されていたと思われる。
一説によると天英院(家宣の正室)は彼を推薦しようとしたらしいが
吉宗を将軍にしたかった水戸綱条に説得されしぶしぶ吉宗を
推薦したらしい。

まあ両者に言えることはライバルに比べ根回しが足りなかった
ということでしょう。
65日本@名無史さん:04/10/26 05:13:24
江戸時代も全国から江戸にチャンスを求めて人が集まったんだと
思いますが、通行手形って簡単に出して貰えたのでしょうか?
66日本@名無史さん:04/10/26 05:21:21
>>65ですが、チャンスってのは違いますかねぇ?
次男坊・三男坊などは江戸に行きたがった人、
多いんじゃないかと思いますて。
67日本@名無史さん:04/10/26 09:19:38
質問をさせて頂きます。

1.日清戦争真っ只中の日本では、日清戦争の事をどう呼んでいたのでしょうか?
2.日露戦争真っ只中の日本では、日露戦争の事をどう呼んでいたのでしょうか?
3.第一次世界大戦真っ只中の日本では、日本と独逸との戦争をどう呼んでいたのでしょうか?
4.日中戦争真っ只中の日本では、日中戦争の事をどう呼んでいたのでしょうか?
 支那事変?日支事変?それとも日華事変でしょうか?
5.太平洋戦争の日本側正式名称は「大東亜戦争」で正しいのですよね?

どうぞヨロシクお願いします。
68日本@名無史さん:04/10/26 09:24:15
>>64
二人とも将軍になるチャンスが来たときには高齢で、かつ子供がいなかった
ことが大きい。越智松平家は養子を迎えているし、清水家は断絶している。
69日本@名無史さん:04/10/26 10:40:32
ちんこやまんこはもともとなんでちんこまんこというようになったのか
由来を教えてください
70日本@名無史さん:04/10/26 11:13:44
GHQって何の略称でしたっけ?
71日本@名無史さん:04/10/26 11:16:16
>>70
General Headquarters
72日本@名無史さん:04/10/26 22:11:51
朝日新聞に太平洋戦争でフィリピン人が百万人位死亡って書いてあったけど
日本はそんなに殺したの?
73日本@名無史さん:04/10/26 22:16:01
護送船団方式ってどういう意味?
74日本@名無史さん:04/10/26 23:04:16
ぐぐれよ・・・こいつら
75日本@名無史さん:04/10/26 23:18:08
大日本帝国憲法制定時に、例の事件のように皇室を騙って金を稼いでいた
人間はどのような処罰を受けるのでしょうか?
不敬罪?大逆罪?
76日本@名無史さん:04/10/26 23:56:12
>>72

日本軍が殺人の達人なら、米兵相手に負けていなかったと思う。
77日本@名無史さん:04/10/27 00:11:41
>>76
アホが答えるなよ。
78日本@名無史さん:04/10/27 00:13:21
答えがないやつや付け加えたいやつを知ってる範囲で。詳しい人のフォローよろしく。

>>12
23の言うように、自分で調べるのが重要だが。検地自体はどこの戦国大名もやってたが、実際は新しい支配地の代表者に、
田畑の大きさと取れ高を提出させてた。これだと手間は少ないが、自己申告なので当然実際の取れ高よりも少なめの申告する。
柳生のように、隠し田を持っていて誤摩化す連中も多かった。太閤検地は、秀吉が部下に直接田畑の面積を正確に調べさせた
と言う意味で画期的だった。信長もこれをやろうとしたが、自分の支配地の一部にとどまった。太閤検地は全国規模で
行った点も重要。

>>13
小便は専用の竹筒があって、尿意を催したらそれを使って袴の隙間から出していたが、うんこは事前に出しておく。
どうしても合戦中にもよおしたら、垂れ流し。現代ほど衛生意識が強かった訳ではないし、ウンコ漏らす方が死ぬよりまし。

>>14
井原西鶴の『日本永代蔵』とか。

>>25
享保の改革は失敗という評価だが、上げ米や常免法などの涙ぐましい努力で1732年以降の10年間では米4万8千石、
金35万4千両もの黒字を生み出すことに成功している。また田沼意次の重商主義政策など、長い目で見れば
失敗だったり政敵に邪魔されて 幕府を完全に立て直すほどには至らなくても、カンフル剤とはなっていた。
79日本@名無史さん:04/10/27 00:52:00
>78
>太閤検地は、秀吉が部下に直接田畑の面積を正確に調べさせたと言う意味で画期的だった。
>信長もこれをやろうとしたが、自分の支配地の一部にとどまった。太閤検地は全国規模で行った点も重要。

太閤検地によって全国津々浦々の田畑の面積を直接正確に調べられた訳ではありません。
大名の自己申告に従った地域もけっこうあります。

信長が検地を行ったのは畿内や北陸ですから
正確に言うと新たな占領地において信長は初めて検地が行えた。という表現の方がよろしいのでは。
80日本@名無史さん:04/10/27 01:08:16
>>29
関所が一カ所なら、その手もアリだろう。実際間道や山道を歩いて突破した人間もいる。幕末の脱藩浪士もそう。
坂本龍馬も愛媛の方の山道に迂回して脱藩している。だが、そうやって関所を突破しても宿改めとかで発覚する可能性も
あったしね。江戸時代はそうやって人別を明確にする事で、子供が財布を木の根本において遊びにいっても、
ほとんど盗まれないという治安の良さを生み出していた。

>>65
もらえない。交通が発達していなかった時代なので、江戸に流入したのは関東近隣の人間。こういう人間を生国に戻すため
人返し令とかが頻繁に出された。また、無宿人は処罰された。長谷川平蔵が人足寄せ場を作って無宿人に手に職を
つけさせて、自立支援する形にした。

>>66
行きたいからといって、ハイそうですかで遊学できる時代ではない。基本的に旅ですら形の上では伊勢だの富士だの
信仰にかこつけてのものしか許されていない。ただし江戸だと、江戸近隣の農家の人間が農閑期に季節労働者として
やってきたりしていた。これを「椋鳥」と称していた。

>>69
ちんこは幼児語の陰茎を表す「ちっこ」から。まんこは大言海に説明有り。下の本と合わせて自力で調べるように。
http://www.kawade.co.jp/bookdata/bookdata.asp?ISBN=4309012523
ぼぼやべっちょなどの方言は、日本書紀にもある古語「ほと」の訛り。
ほと→ぼぼ→べべ→べっちょ→へっぺ or ちゃこ

>>70
ギャグで「さっさと地獄へ逝け!」の略というのがあった。ごうとぅへるくいっくりぃ。回答じゃねーかw
81日本@名無史さん:04/10/27 01:13:33
>>79
その方がより正確だね。
全国規模で実施したが、完全に全国測量できた訳ではないので。
?ォクス。
82日本@名無史さん:04/10/27 12:44:28
>>37 はどうなりましたでしょうか?ご存知の方いらっしゃいませんか?
83日本@名無史さん:04/10/27 14:40:11
>>82
回答してもお礼を言わないやつが増えたから放置です
84日本@名無史さん:04/10/27 17:07:25
けっ、お礼言われるために回答してんのかよ
85日本@名無史さん:04/10/27 18:19:53
念がいったところは、お礼参りする。という使い方をする。
英語では、「以上」の代わりに Thank you ということもある。
参上してお辞儀して口上を述べて手土産・礼金を出すだけが
お礼ではない。
86日本@名無史さん:04/10/27 18:56:19
質問にこたえるのがお礼ありきってわけじゃなくて
回答があったらソレに対して何らかの反応をしめすのは当然だろう
だって質問した以上このスレに必ず再度訪れるはずなんだから
お礼を言わない=無視ってことだよ
無礼だとはおもわんか
87日本@名無史さん:04/10/27 19:07:49
俺は色んな板で質問しっぱなしだよ。
あ、そういえば質問したっけって時々思い出す程度。
88日本@名無史さん:04/10/27 19:27:02
その都度お礼があったらスレの進行が無意味に速くなって見にくい。
89日本@名無史さん:04/10/27 19:36:19
>>86
お礼に関するご指南ありがとうございました。
90日本@名無史さん:04/10/27 23:23:57
どうして日本では「ど(イシユミ)」が兵器として発達(普及)しなかったのでしょうか?
91日本@名無史さん:04/10/27 23:57:00
美智子様の着物姿はよく見ますが、 
天皇陛下が和服(紋付 袴)などは着ないのは、
それは着る機会がないからでしょうか?
92日本@名無史さん:04/10/27 23:59:03
イギリスでは13世紀後半に長弓が普及し,百年戦争におけるクレシーの戦(1346)では,
弩を使用したフランス軍(ジェノバ人弓兵)をエドワード3世の率いる長弓隊が打ち破った。
その原因は,弩を使用した傭兵の未組織性と訓練不足にもあったが,弩が長弓に比して
貫通力,射程距離(最大射程は弩の約360mに対し,長弓は約255m),命中精度のいずれにも
優ったにかかわらず,長弓が毎分約6本(最大12本)発射できるのに対し,弦の巻上機を
使用する弩が,毎分約1本しか発射できなかったためであろう。
93日本@名無史さん:04/10/28 00:09:17
三浦按針の子孫はどうしてるんですか
94日本@名無史さん:04/10/28 00:28:36
>>91の質問ですが撤回します、天皇陛下スレで聞いてみます。
95日本@名無史さん:04/10/28 01:11:09
>>91
撤回したのであえて答える(笑)。皇室では洋服が正装だから。

一時期、天応陛下に着物を着ていただこうという運動があったが、皇室の伝統的な行事以外は、基本的に洋服が正装なので
めったに着られない。以前、上野千鶴子と宮田登らが論争してたが、元々日本の皇室は外国に対して唯一の開かれたチャン
ネルというか、正式な形での外交を許可できる存在という性格があったらしい。これは、もともと王権というのが洋の東西を
問わず、シャーマニズムとして凡人には伺い得ない神の声を聞くと言う部分からスタートしている。ゆえに、外来文化との
接触というのにたいしても、初期の呪術的な王権は特別な権利と資格を持つと考えられている。

数物論争や遣唐使、鎮護国家仏教の導入など、朝廷自体は古来、外来文化に対する積極吸収派であり、幕末になって海外との
交易に対して、幕府が急に朝廷の勅許云々を言い出したのも、問題先送りの部分もあったが、かつての朝廷の外交への
優位性を思い出したのではなかろうか。

鎌倉から江戸時代への武家政権の台頭によって、天皇というのは有職故実の権威の方へと押し込まれていったが、
本来は外来文化との接触者であり、そういう文物を積極的に取り入れる側面もあった。今となっては頑固で古風な人間という
イメージがある江戸っ子が実は新しい物好きのように、朝廷も実は外来文化には柔軟な部分がある。また、国粋主義への
警戒感からも、あえて洋装を正装としている部分もあると思う。伝統的に、皇室は右翼に対しては冷淡だしね。
皇后陛下が和服を着るのは、欧州でも民族衣装を奥さんが着る事が多いため。それでも、晩餐会とかはともかく、
国家行事の際は洋装に小さな王冠みたいなの(名前を失念)をつけるのが正装のようだね。
96日本@名無史さん:04/10/28 01:31:02
>>90
92同様臆測だが、私見を。

http://www.web-sanin.co.jp/orig/news2/9-0512a.htm

こちらのサイトに詳しくまとめられているが、けして日本に弩がなかった訳ではない。でも普及しなかった。
弓というのは複数の素材を張り合わせた、合成弓が一番威力がある。一般に、木や獣皮などを複数張り合わせて作り上げる。
一番威力があった弓はトルコの合成弓で、大きさは日本の弓の半分以下なのに、征矢で500メートル以上の飛距離があった。

ところが、日本の弓は合成弓の技術が発達せず、小型軽量で威力のある弩も発達せず、流鏑馬などに代表される騎射の方向に
形式が進んでしまったようだ。出土した弩も、華奢なつくりで充分愛力は出せない祭祀用と見られている。
充分な威力が得られないのなら、連射できる通常の弓の方が戦闘には有利であり、
また東国の武士団の戦闘方法がそのまま踏襲されてしまったのではなかろうかと。
97日本@名無史さん:04/10/28 02:16:10
>>95
詳しいご説明ありがとうございました。
9879=92:04/10/28 02:17:25
>96=78?

長弓は、だいたい二メートル以上で、握り部が一般に中央より下部にあり縦形式に使用し、
森林の弓と云われ、主として海洋民族系のものであった。
南洋民族系や日本の弓がこれに属し、南洋のものは単一弓であるが、日本のものは単一弓
から彎弓の合成弓(木と竹)に発達した。
http://www.kcn.ne.jp/~toyo/yumi/yu_reki/gensi.html

日本武道全集第三巻、弓術.馬術.より抜粋です。
99日本@名無史さん:04/10/28 13:34:15
源平合戦以前から、日本には、
長距離だが命中率が低い弓と、
命中率が高いが短距離の弓があったよ。
100日本@名無史さん:04/10/28 15:37:35
>>37 はどうなりましたでしょうか?ご存知の方いらっしゃいませんか? またまたすいません。
101日本@名無史さん:04/10/28 16:14:57
>>100
わからんなあ。
同和問題や差別関係の本なら戸籍や身分の取り扱いについて詳しい記述があるかも知れん。
力になれず申し訳ない。
102日本@名無史さん:04/10/28 16:26:30
>>100

太政官布告を丹念に調べるしかないんじゃない?
103日本@名無史さん:04/10/28 17:03:34
>>101-102 ありがとうございます。太政官布告について詳しく調べたいのですが、本の題名などご存知でしょうか?
104日本@名無史さん:04/10/28 20:50:56
幕末にきた黒船に、幕府の忍者が忍び込んだと言うのはウソですか?
105日本@名無史さん:04/10/28 22:29:13
テレビなどでもう顔が知れ渡っているから
天皇がぶらぶらと街を散歩してて、市井の人と触れ合うことって
あんまりなさそうですが、
明治・大正時代の天皇や、江戸以前の将軍達は
そういう機会をよく持っていたんでしょうか?

時代劇でそういう場面をよく見かけますよね。
本当にあれほど自由だったのかな?
106日本@名無史さん:04/10/28 22:34:42
>>105 家光はぶらぶらしてたそうだが・・・。
107日本@名無史さん:04/10/28 22:37:41
>>106
今「大奥」を見てて、家光はぶらぶらしてたのを見て
こんだけ気軽に出掛けられたんかな?と思ったのでした。
108日本@名無史さん:04/10/28 23:21:24
質問させていただきます。

どこかで「葉隠は陸軍では必須の書」と聞いたのですが、
戦時中、葉隠は本当にそんなにメジャーな書だったのでしょうか?
109日本@名無史さん:04/10/28 23:22:28
>>107 勝海舟の「氷川清話」に出てた気がする。読んでみ!
110日本@名無史さん:04/10/29 08:34:58
ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする

これのメロディわかる人いますか?
111日本@名無史さん:04/10/29 08:53:09
>>39
児島じゃなく、兒島な
112日本@名無史さん:04/10/29 12:09:27
>>108
陸軍はバカが多かったからなぁ。
113日本@名無史さん:04/10/29 18:50:21
>>110
書生節ですね書生達が世相を皮肉った歌詞に適当に節を付けて唄っていた。

114日本@名無史さん:04/10/29 20:53:38
>>113
適当って事はどんなメロディでもOKなんですか?
地方によって違うとか
115日本@名無史さん:04/10/30 01:10:02
>>98
いかん、合成弓ではなくて複合弓だったようだわ。
動物の皮とか裏打ちしたりとかして、合成弓よりさらに強度が高いやつね。
フォローサンクス。
116日本@名無史さん:04/10/30 02:13:10
>>115
完全に鼬害だけど・・・
ラップド・ボウ(強化弓)(wrapped bow)
ラップド・ボウは弓の作り方のひとつで、単弓に動物の腱を裏打ちしたり、革を巻いたりするものを指します。
威力、射程は単弓よりは優り、合成弓よりは劣る・・・といった程度です。
http://osaka.cool.ne.jp/willis/library/arms/a-ra.html#wrappedbow

補足
コンポジット・ボウ(合成弓)(composite bow)
弓を作り方によって分類した場合の種類のひとつ。
コンポジット・ボウは異なる複数の材質を張り合わせたものです。通常、木材や動物の腱が用いられました。
弓の材質を複数にするのは単純に弾力を増すためのもので、それによって手軽に射程を伸ばすことが出来ました。
ただし、その結果、弓を引くときの負担も大きくなります。
コンポジット・ボウは3種類のうちで最も威力も到達距離もありますが、その代償として最も負荷のかかる弓にも
なっています。外見的には弓の両端が大きく反っているものが多いです。射程距離は 150〜550mもあります。

合成弓と複合弓は何が違うの?
117日本@名無史さん:04/10/30 18:37:55
入唐八家の請来目録全部を解説してる本って売ってないの?
訳だけでもいいけど
118日本@名無史さん:04/10/31 00:06:02
マルチよくない
119日本@名無史さん:04/10/31 02:59:14
>>116
うろ覚えで書いてたのでけっこう間違いがあったね<m(__)m> ちゃんと文献に当たって整理・訂正しとくわ。
 
弓は単弓・強化弓・複合弓に分類されて、複合弓はさらに合板弓と合成弓に分類される。
単弓は単一の素材で作られた弓で、木だけ、または竹だけで作られた物。
強化弓は木に動物の腱を裏打ちしたり、別種のしなやかな木材を裏打ちして強化したもの。
複合弓の合板弓は、同じ材質(通上は木材)の薄板田を3枚以上貼り合わせたもの。
そして合成弓は3種類の材質、木材・角・腱を貼り合わせたもの。

ただし、これは竹という素材に恵まれなかったヨーロッパの武器分類であって、竹と木を使った
日本の弓(藤を巻いた重藤弓も含む)は厳密には合成弓でも合板弓でもない分類になる。
そのためマール社の『武器 歴史 形 用法 威力』では、重藤弓は合板弓に分類されている。
敢えて言えば、しなやかな木の代わりに竹を用いているので強化弓と分類すべきかな?

代表的な合成弓であるトルコ弓の場合、木の芯を角の薄板が張り合わされ、背側から動物の腱で
裏打ちされている。木の芯自体もさらに3枚の薄板から作られており、北インドの合成弓も、
木の芯に弓腹に角、弓背に腱が張り合わされた講造。旧ソビエトのバシュキルの弓は弓腹の先端に
角を重ね継ぎして弓背に腱を裏打ちした講造。こういう講造のものを合成弓とすると、
竹と木を貼り合わせた日本の弓は合成弓よりは、強化弓か合板弓に分類した方が然るべきだと思われる。

続く
120日本@名無史さん:04/10/31 03:12:40
続き
>>96の合成弓の説明はそれでいい訳で、>>98で複合弓と強化弓がゴッチャになってるね、漏れ。
申し訳ない。

正確には>>98で「日本の弓は合成弓ではなく合板弓か強化弓であって合成弓とは言えないのでは?」と
書くべきだったようだね。単弓と強化弓はともかく、合板弓・合成弓・複合弓の分類に、書籍による
見解の相違があるようですな。

ついでにトルコ弓はラルフ・ペイン・ギャルウエイ卿の実験で、征矢で400メートルの飛距離があり、
遠矢で600メートル以上の飛距離があった、に訂正しておくわ。

射流しによる日本の弓の飛距離の記録は、曾根正康氏が昭和13年に出した212間(385.5メートル)が
自分が調べたかぎり最高記録のようですね。江戸時代の京都三十三間堂の通し矢によって、日本の弓矢の性能は
飛躍的に向上したとされるので、日本の弓を合成弓に分類するのは、やはり無理があるのではなかろうかと。

弩に関しては、コンゴやビルマ、タイの弩のように単弓講造の物もあったが、ドイツの弩は合成弓、
中国の物は複合弓(合板弓と合成弓の両方がある)なので、日本では弩に充分な威力が持たせられなかった
というのがやはり、普及しなかった原因ではなかろうかと。わざわざ両手でひっぱったりレバーや
巻き上げ機を使わなくても引き絞れる弓ならば、弩ではなく弓として射した方がいいわけで。
小型で威力のある弩が作れなかったので、長大な弓によって威力を稼ごうとしたんじゃなかろうかと。

以上、私見&妄想。あとは武器の専門の人、フォローよろしく。
121日本@名無史さん:04/10/31 10:46:28
>>119
弓の分類・定義の話を何時までも続けるのもアレなので話を板とスレの主旨に戻します。

>96
>日本の弓は合成弓の技術が発達せず、小型軽量で威力のある弩も発達せず、流鏑馬などに代表される騎射の
>方向に形式が進んでしまったようだ。出土した弩も、華奢なつくりで充分愛力は出せない祭祀用と見られている。
複合弓は、伏竹弓(平安時代中期)→三枚打弓(平安時代後期)→四方竹弓(室町時代中期)→弓胎弓(江戸時代初期)と発達してきました。
伏竹弓(ふせだけゆみ)は、在来の木弓の外側に竹片を張りつけたものです。
三枚打弓(さんまいうちゆみ)は、伏竹弓に内竹を付したものです。
四方竹弓(しほうちくゆみ)は、三枚打弓の木質部の両側に竹をつけたものです。
弓胎弓(ひごゆみ)は、現在作られている竹弓の構造と同じく、木で竹を挟んで芯にしたものを
両側から竹で挟んだものです。
歴史が進むにつれて材料として用いられる竹の割合が増えている事がわかります。
やはり竹が弓の材料として優れていたからこの様に進化していったのでしょう。
日中の飛具比較(参照)↓
http://www.cuiweiju.com/htmpage/126/12697/19.htm
122日本@名無史さん:04/10/31 10:47:11
弩発見の意義
これまで古代における弩は、文献上ではしばしば現れていたものの、実際品に関するものは不詳であり、
日本では普及しなかったとする考えもあった。そうしたなかで、今回の弩の発見は初めてその具体例を
示したものであり、古代兵器の実体を明らかにしていく上で貴重な発見となった。
http://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/do/do-hakken.html

10世紀に武士が誕生し、武士を基盤とする国衙軍制が成立すると、弩の使用は廃れて消滅に向かった。
主として少人数のゲリラ的な襲撃戦を主体とした田堵負名層の反受領闘争鎮圧の任に当たり、長弓を
用いた騎射による騎馬追撃戦を主体として戦った武士によって、大軍団の歩兵による迎撃戦に適した
弩は武士の家芸としての武芸には向かず、兵器として採用されなかったためであろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A9

日本で弩が廃れたのは「弓馬の道」を重んじた武士の存在があるように思えます(私見)w
弩のような機械的兵器では儀式等での有難みがありませんから・・・
日本の長弓が世界最大級なのは小型化出来なかったのではなく、「はったり」の要素が大きいように思えます(妄想)
123日本@名無史さん:04/10/31 21:22:19
弩は防人とかが使ってた。素人武装集団にはちょうどいい。
プロには弓矢の方が強い。

>日本の長弓
長距離戦闘用です。
近距離戦闘では短い弓です。
平家物語などを読めば出てきます。
124日本@名無史さん:04/10/31 21:26:00
長弓は、先頭初期の攻撃方法。
接近してきたら、短弓で勝負!
125日本@名無史さん:04/10/31 21:32:13
弓に関しては色々説がありますよね。

日本国内で発掘された弩は金属の機械の部品なんですが、
あの時代に日本列島で、そのような技術力があるのですか?
126日本@名無史さん:04/10/31 21:34:39
>>125
大陸からの輸入品だったが日本の国土では役にたたなかった。
127日本@名無史さん:04/10/31 22:41:20
弓ひとつでもいろんな意見があるんだなぁ。
てか、藻前ら詳しすぎw

映画の「HERO」を見たら、弩弓を足を使って引いてる描写とかあったけど、
確かにアレでは連射はきかんわな。
集団戦ならともかく、一騎打ち形式の平安〜鎌倉の様式美と相容れないかもね。
128日本@名無史さん:04/11/01 00:03:53
>>125
「延喜式」では国衙で弩の製作を行ったことが、記載されており、白河軍団が多賀城で弩を支給され、
所持したことは明らかである。その時の弩は伊治城跡のものと同型のものである可能性は高い。
弩を構成する部品は、弓・弦・臂(銃床部)機である。機は牛・懸刀・牙・栓塞とこれらを覆う郭からなり、
伊治城跡のものには中国では見られない外金具が付く。
弩機は中国のものと比べると、小型で、全体も小型になると予想された。
http://www.mahoron.fks.ed.jp/nenpou/nenpou2001_35.htm
129日本@名無史さん:04/11/01 04:01:32
素人の横好きですが、堺の豪商、天王寺屋一族について調べてみたんですが、
道叱の生没年とか分かりますでしょうか?
130日本@名無史さん:04/11/01 20:07:21
「忠臣蔵」の逃げ出したとされる家老・大野某は、
一代で家老に召抱えられたのでしょうか?
財政担当のプロとして?

また石高はいかほどだったのでしょうか?
131日本@名無史さん:04/11/01 20:19:01
仮に昔の日本にタイムスリップできるとして
現代の言葉(標準語)が通じる限界の年代は???
江戸時代なら確実に通じるとおもうが
教えてくだちい
132日本@名無史さん:04/11/01 21:52:26
>>130
大野は一代家老で650石、大野の父も一代家老。
ちなみに大石は世襲家老で1500石。
133日本@名無史さん:04/11/01 22:14:18
JAPANって名前はいつ誰が決めたんですか?
フランス語っぽいけど、どーなんだろ
ルーツが知りたいです。
134日本@名無史さん:04/11/02 01:42:52
>>133
現代中国語では日本の発音は「リーウェン」に近い発音ですが、中国語は地域差が激しく、
標準とされる北京語と広東語や福建語では意思疎通ができないぐらいだとか。地域によっては
隣の村の人間と言葉が違うというぐらいだそうです。王貞治氏の父・仕福さんの故郷が、
そんな感じらしいです。だから北京では餃子を「チャオズゥ」という感じの発音なのに、
なぜ日本では「ギョウザ」と発音するかと言うと、最初に餃子を持ち込んだ人の中国語が、
そういう訛りなんだったと考えられています。

で、ジャパンの由来ですが、マルコ・ポーロの『東方見聞録(世界の記述)』で紹介された
ジパングが語源です。フランス語ではなくベネチア商人のマルコですからイタリア語ですね。
で、なぜジパングなのかと言うと、マルコが東方の黄金の国の話を聞いたとされる船乗りが、
福建訛りの中国語を喋っていたため、「リーウェン」が「ジーベン」に近い発音だったからだと
されています。この「ジーベン」の「ン」の発音がいわゆる鼻濁音で、香港を英語を書くと
hong kongと書くように、日本人は鼻濁音の「ng」と普通の「n」の発音を厳密には分けませんが、
欧州の人間だったマルコは耳で聞いた音を「jipang」と表記したのでしょう。

自分はイタリア語はわからないので、jipangを現地では「ジパング」と発音するのか「ジパン」と
発音するのかわかりませんが、ルーツ的にはこんな感じで良いと思います。
135日本@名無史さん:04/11/02 02:00:00
補足として。

漢字の読み方には、漢音と呉音があります。呉とは三国志で有名な江南地方の事で、
佛教の伝来とともに日本に入ってきた漢字の読み方で、仏教用語に多く見られます。
また、民衆への浸透の時期が早かったため、わりと庶民的な言葉に残っています。
漢音は律令制などの導入など、遣隋使・遣唐使の時代に主にもたらされた言葉です。

例えば、日という感じは普通は「にち/ひ」という読み方が一般的ですが、
「元日」と書くと「元日」になりますよね。「弟子」と言う字は本来なら
「ていし」と読むべきですが、仏教伝来とともに伝わった言葉なので「でし」という
言葉の方がポピュラーですよね。で、6世紀頃に日を「ジツ」と読んでた福建の商人が、
鎌倉時代頃に「日本」を現地の発音で読むと「ジッポン」「ジーベン」に近い発音を
していたと考えると、ジパングの謎もそんなに不思議ではないのではないでしょうか。

中東の方の東方黄金の国伝承ではその島を「ワクワク島」と言うのだそうですが、
これは「倭国」の訛りではないかという説もありますから、一見別物に見える言葉も、
ルーツは意外と身近な言葉だったりするのかもしれませんね。香港にある
キャセイパシフィック航空のキャセイが「契丹」だと知った時はちょっと驚きましたが。

あとは詳しい人、突っ込みよろしく。
136日本@名無史さん:04/11/02 04:34:43
質問をさせて下さい。

1.日本の由来は日出処天子から来ていますが、
 倭の由来は何なのでしょうか?
 なぜ日本成立以前の日本は倭と呼ばれたのでしょうか?
2.白村江の戦いが起こった同時代(600〜700)で、
 白村江の戦いよりも大規模な海戦では何があったのでしょうか?
 白村江の戦いは同時代(600〜700)で言えばどれ位の規模の戦いなのでしょうか?

ご回答の協力をお願い致します。
137日本@名無史さん:04/11/02 05:41:59
白河上皇と後白河天皇って同じ人?
なんで「後」がとれたりついたりするの?
138日本@名無史さん:04/11/02 08:49:44
>>137

釣られないぞ!w
139日本@名無史さん:04/11/02 11:42:24
>>130
>1.日本の由来は日出処天子から来ていますが、
日出処は、多少関係するが、天子は関係ない。

>倭の由来は何なのでしょうか?
半島の他の民族より小さかったからです。
140日本@名無史さん:04/11/02 16:45:23
>陸軍はバカが多かったからなぁ。

台湾沖航空戦の戦果判定みたいな馬鹿をやった海軍よりまし
それと、海軍士官ども、戦争末期まで食事で贅沢しすぎ
141日本@名無史さん:04/11/02 18:16:30
142日本@名無史さん:04/11/02 22:14:08
>>139 >>141

どうもです。
アリガトウ御座いました。
143137:04/11/03 00:34:24
>>138
本気でわかりません。
144日本@名無史さん:04/11/03 00:38:54
>>142

・・・・・・初心者スレだからマジレスしとくけど
>倭の由来
日本国名的由来
http://www.sznews.com/n/ca591949.htm

つまり『山海経』(せんがいきょう)に初出。

詳しい解釈は↓
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/5739/san_tai.htm
145日本@名無史さん:04/11/03 08:47:49
>>143

2ちゃんに書き込むヒマがあって、辞書を引くヒマがないとは言わせない。
辞書がなきゃGoogleで引け

あ、釣られてしまった
146146 恋する青年:04/11/03 20:18:22
結婚を申し込む場所を探してるんですが、
東京近辺で法隆寺みたいに、
政府が変わろうと戦争が起きようと
恐らく残されそうな歴史的建物ってありませんか?

尊敬する家康公が眠る、日光東照宮でも良いのですが
もし家康公関連で考えたら、東京から気軽に行けるところ教えてください_(._.)_

老夫婦になってもそこに行ったら
時間を越えて永遠の愛を忘れずに生きたいのです。
147日本@名無史さん:04/11/03 20:30:11
>>146
江戸城本丸天守台、上野東照宮。
148日本@名無史さん:04/11/03 20:46:06
>>146 皇居!
149日本@名無史さん:04/11/03 20:50:16
>>146
目黒庭園美術館
150日本@名無史さん:04/11/03 20:52:15
上野の寛永寺でしょう。
あるいは、東京国立博物館の中庭か裏庭。
151日本@名無史さん:04/11/03 21:04:04
海外から日本への移民、その逆の日本から海外への移民について
詳しく解説しているサイトや書物についてご存じないでしょうか?
日本への移住はいつごろから行われているんでしょうか
152日本@名無史さん:04/11/03 21:05:34
すみません、大和朝廷の源流は邪馬台国でいいのでしょうか。
それとも一度邪馬台国は滅びて、完全に別の国家の大和朝廷が
権力を握ったと考えるべきでしょうか?
153日本@名無史さん:04/11/03 21:42:06
>>152

それは日本古代史上、最大の問題のひとつで
このスレでは回答不能です
154146 恋する青年:04/11/03 21:48:06
変な相談に素早くお答えいただいて、ありがとうございます _(._.)_

>江戸城本丸天守台、上野東照宮。
お調子者の藤堂高虎が建てたのが、気にかかります。

>目黒庭園美術館
100年も歴史が無いので、不安ですね。

>上野の寛永寺でしょう。
せめて当時のまま残っているところがいいです。

>あるいは、東京国立博物館の中庭か裏庭。
同じく100年も歴史が無くては、、、

江戸の歴史はあまり古くないので、
東京1の史跡って、なんですか?

あと、家康公関連であれば、家康公を祀ったのではなくて
家康公自身がゆかりのあるところのほうが、よりどころになります。

どうかお願い!!
155日本@名無史さん:04/11/03 21:55:23
日本史板でコテハンを名乗る香具師は電波・・・
156日本@名無史さん:04/11/03 22:01:16
天皇って、何がどう偉いんですか?
天皇のお仕事って何ですか?
愛子さまは、生まれながらにして様付けで呼ばれるのは何故ですか?
辞書に書かれている事はチンプンカンプンです。
難しい事を言われても理解出来ないので、簡単に教えてください。
おバカですみません・・orz
157日本@名無史さん:04/11/03 22:39:25
>>156
誤らなくて良いよ。
諦めればそれで良い。
158日本@名無史さん:04/11/03 22:42:18
わかりやすく言ってやろう。
天皇はデギン公王、愛子はミネバみたいなもんだ。

ガンヲタのおまいでも、よおくわかっただろ。
159156:04/11/03 22:45:25
教えてくださーい・・・・orz
160日本@名無史さん:04/11/03 22:47:46
>158
この人の頭は幼稚園児並なのでたぶん理解できてませんよ
161146 恋する青年:04/11/03 23:03:16
>>155
あなたも電波になるくらい、恋してみなよ。
162日本@名無史さん:04/11/03 23:29:20
弓関係のレスでレベルが上がったと思ったら、またブサヨが荒らしてやがる。
何が楽しいんだ、おまえら?
163日本@名無史さん:04/11/03 23:33:24
学芸員になりたかったけどなれなかった人、探しています。
どこで探したらよいですか?
164日本@名無史さん:04/11/04 09:10:34
江戸幕府の将軍継嗣問題で、家定や家茂の後に田安慶頼は全く候補に
ならなかったのですか。
165日本@名無史さん:04/11/04 12:49:30
歴史上の事件を○○の変などといいますよね。
「これは変」「これは事件」などの基準はあるのでしょうか?
166日本@名無史さん:04/11/04 13:11:40
167日本@名無史さん:04/11/04 13:27:55
切腹のさいに介錯してくれるひとがいますが、
具体的にどこを切ってくれるのでしょうか?
首を落とすわけではないだろうし。頚動脈を切断でしょうか?
168日本@名無史さん:04/11/04 13:46:33
>>167
首は切り落として、副介錯人が検使に見せることになっています。
169日本@名無史さん:04/11/04 21:24:14
>>165
反乱とかしようとしたけど結局鎮圧されて
首謀者が氏んだり刑に処されたりしちゃったら変
170143:04/11/05 00:31:18
>>145
別人というのはよくわかりましたが、なぜもともとある名前に「後」をつけた名前がよくあるのでしょう?
後白河、後鳥羽、後醍醐・・・など。
171日本@名無史さん:04/11/05 01:03:15
>165
「合戦」と「戦(戦い)」は“局地的な”戦闘行為をあらわすのに用いられることが多く(石山戦争=石山合戦は例外か?),

「乱」は政府・現政権に対する“反乱”や“武力による抵抗”という意味合いで用いられます(たとえば壬申の乱は大海人皇子による近江朝廷への反乱ですね)。

「事件」は戦闘行為を伴わない出来事の呼称としても用いられますが,戦闘行為を伴ったり,武力が使用された出来事をさす場合に使われることもあります(特に江戸幕末期以降に多い)。
単発的な出来事に対して用いられることが多いのですが(四国艦隊下関砲撃事件や満州某重大事件・ノモンハン事件など),
長期にわたる戦闘行為(「戦争」)のなかの局地的な出来事であっても“謀略的”あるいは“偶発的”であれば「事件」という呼称が用いられます(柳条湖事件や盧溝橋事件)。

また,「〜の変」という表記もあります。これは“政治的な陰謀・政変”や“政権担当者側が不意に襲われた場合”に使われます。後者では武力が用いられることもありますが,
本能寺の変や桜田門外の変・坂下門外の変・紀尾井坂の変などがそれにあたります。
ただし,両者に該当せず,戦闘行為が伴っていたとしても「〜の変」と表記されるものもあります。薬子の変と元弘の変がその代表です。
“天皇・上皇が乱=反乱を起こす道理がない”という立場(必ずしもそんなことはない)から「〜の変」(つまり単なる“政治的な陰謀・政変”)と表記されるわけですが,
薬子の変は平城上皇による嵯峨天皇に対する反乱なので“平城上皇の乱”,元弘の変は後醍醐天皇による鎌倉幕府に対する「謀叛」
(当時の史料にはこのように表記されている)=反乱なので“元弘の乱”と表記することもあります。ちなみに,承久の乱は大正期ころからは“承久の変”と表記されることが多くなっていました。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tsuka/theme/kosyo.html
172日本@名無史さん:04/11/05 01:22:47
エッチな単語を昔の言葉で何と言うか網羅してるサイトってご存知無いですか?
スワッピングとか3Pとか…何時代のでもかまいません。
小説書く時の参考にしたいんです。
173日本@名無史さん:04/11/05 04:45:54
質問スレは上げ進行でお願いします。
174日本@名無史さん:04/11/05 11:20:29
>>171
非常に丁寧な回答、ありがとうございました。
すごくわかりやすかったです。
175日本@名無史さん:04/11/05 18:22:11
新聞にあったんですが山本五十六って山本勘助の子孫なの?
176日本@名無史さん:04/11/05 18:28:03
今日Z会の模試受けた厨房なんですが。

二十一ヶ条の要求
二十一ヵ条の要求

これってどっちでもいいんですよね?
177日本@名無史さん:04/11/05 21:46:06
>>176
どっちでもいいんじゃないの?
一応、漏れの辞書だと「二十一ヵ条」
子供向けの本だと「21か条」
178日本@名無史さん:04/11/05 23:49:49
「箇」を「カ」と読むんだが、「箇」の竹かんむりをとって、「ケ」と書いたと
習った憶えがある。「ケ」は漢字の代わり。
179133:04/11/06 04:56:57
>>134
どうもです。
やっぱ中国って日本のルーツですね。
180日本@名無史さん:04/11/06 04:59:53
皇国>>帝国>>王国>>大公国>>公国

順位はで正しいんですよね?
181日本@名無史さん:04/11/06 05:43:13
歴代の天皇の名前が後○○天皇というように「後」をつけてる名前がわりと多いのはなぜですか?
182日本@名無史さん:04/11/06 07:31:02
>>179
リーウェンってのは「日本」って漢字を中国では
リーウェンって読むのかな?
韓国ではイルボンだよね。
183日本@名無史さん:04/11/06 07:55:57
歴史ヲタってメガネデブが多いって印象あるね。
文学ヲタはメガネかけてても痩せてるイメージなのに、何故だろうね?
184日本@名無史さん:04/11/06 13:50:10
>>181

後醍醐は自分で醍醐天皇にあやかって付けた
他はそれぞれ似たような事跡って事で後から付けられた
185日本@名無史さん:04/11/06 18:16:49
参考書で調べて見てみても仁明天皇がよくわかりません。誰か仁明天皇のこと教えてください。
186日本@名無史さん:04/11/06 20:35:30
>>183

ボキがそうだからかもしれない
187日本@名無史さん:04/11/06 21:17:40
仁明天皇 810‐850(弘仁1‐嘉祥3)
にんみょうてんのう

第54代に数えられる天皇。在位833‐850年。名は正良。嵯峨天皇と皇后橘嘉智子の間に生まれる。
823年(弘仁14)叔父淳和天皇の皇太子となり,833年(天長10)淳和天皇の譲位によって位につく。
父嵯峨上皇の家父長的権威のもとに,政情は安定を続け,弘仁・天長年間(810‐834)に発達した
唐風儀礼や漢詩文の文化は,この天皇の承和年間(834‐848)に最盛期を迎えた。842年(承和9)7月,
嵯峨上皇の死に際して承和の変が起こり,皇太子恒貞親王(淳和天皇の皇子)が廃され,
天皇と藤原冬嗣の女順子との皇子,道康親王(のち文徳天皇)が立太子したが,その後政情はまた平穏で,
天皇40歳の算賀行事は盛大をきわめた。《続日本後紀》はこの一代18年間を記した正史で,
869年(貞観11)完成をみた。その陵である深草陵により,深草帝(ふかくさのみかど)とよばれる。
目崎 徳衛(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.
188日本@名無史さん:04/11/06 21:34:40
質問です。近代における民主化運動っていったら幕末あたりを指しているんですか?
189日本@名無史さん:04/11/06 23:19:13
ちがう
190日本@名無史さん:04/11/06 23:55:17
幕末の官軍の将兵が被っている黒いやつや、赤い色の付け髪の名前ってなんていうんですか?
191188:04/11/07 00:07:45
>>189近代における民主化運動はいつをさしてるんですか?
192日本@名無史さん:04/11/07 00:16:45
>>190
通称は「しゃぐま」
色分けがあったというのは「戊辰物語」がそう記しているからで、この記述は誤りとされています。各人バラバラというのが正解らしいです。
ちなみに赤を「しゃぐま=赤熊」、白を「はぐま=白熊」、黒を「こぐま=黒熊」と言います。材質は中国四川産のヤクの毛でした。
193日本@名無史さん:04/11/07 01:11:48
補足説明をまとめて。

>>167
頸椎の間に刀を入れるのが良いとされたらしい。骨に当たると刀を鵜ためるので。
あと、最上の介錯は喉側の皮を残して、完全に斬り落とさないようにする事だと。
切腹は打ち首と違って名誉ある武士の死に方だったので、首が転がらないようにとの配慮。
実際は上手く行かない事も多く、山田朝衛門や弟子に代行してもらってた藩もあったらしいよ。

>>176
出版社の用事用法として、最近は「ヶ」はできるだけ平仮名の「か」を使うようにしている。
あと、>>178はちょっと違う。
「ヶ」は「个(文字化けしてるかもしれないので書いておくと、介という字の左側の払いがない字)」の崩し文字。
「箇」の字の代字として使われていたのだが、片仮名の「ケ」との見間違いしやすいので、
出版社や新聞社ではできるだけ使わない方向になっているらしい。「ヵ」は、「ヶ」だと紛らわしいし、
「か」だとどうも字面が良くない、「箇」は使用漢字制限で使えない時に使用されだして定着したようだね。

>>179
ちなみにベトナムは漢字で書くと「越南」。呉越同舟の越の国の南側という意味だけど、
日本語の読みの「えつなん」と「ベトナム」って、やっぱり音が共通してるよね。
ハノイは「河内」でホーチミンは「胡志明」だったかな、漢字で書くと(うろ覚え)。

>>190
その質問、もう3度は見てるんだがw
本当に知らないのか、質問するだけして回答を確認していないのか、ただの荒らしか。
一応補足しておくと、江戸城に秘蔵されていた物を、江戸城無血開城後に戦利品として官軍が押収して被るようになった。
ゆえに、テレビで江戸城無血開城以前に官軍が被っているのは、おかしいって事になるのだが。
194日本@名無史さん :04/11/07 01:27:47
>>191
板垣死すとも自由は死せず?
195日本@名無史さん:04/11/07 01:55:14
>>175 スルーするなよ!
196日本@名無史さん:04/11/07 03:00:52
山本勘助は実在していたかどうかも疑問視されている人物です。
五十六が勘助の子孫というのは?
高野五十六が養子に入った長岡藩の家老家であった山本家には
そのような伝承もあるようです。
197日本@名無史さん:04/11/07 04:20:29
>>195
あまりに初歩的な質問だったので、書き忘れたよw

http://www.sankei.co.jp/news/041104/sha063.htm
産經新聞は誤解を招くような書き方をしているが、
山本五十六は、戊辰戦争で切腹した山本帯刀の死後に入った 養 子 だ。
元の姓は山野だ。196氏が言ってるのはその事。

あと、昭和44年に発見された市川文書によって山本勘助(山本管助)の実在は確認されている。
信玄の名代として出向いてるのでそれなりの地位にいた武将だったという説と、
後世の甲陽軍鑑によって過大に喧伝されただけで並みの武将だったという説、
いや諜報謀略が主任務だったので表立っての記録が残されにくい立場だったという説、
いやいや当時の武田家は譜代の合議制だったので余所者の山本勘助には発言権はなかったという説、
いやいやいや当時の軍師は吉凶を占う陰陽師的な側面がありアドバイザー的な立場で影響力があったという説、
いろいろあるようだが。

ただし、市川文書の発見以前はその実在すら疑われていた人物だから、
当然確かな縁戚関係も、子孫の存在も系図も存在などしないと考えるのが妥当。
自称●●の子孫ってのは、言ったもん勝ちだ。徳川家すらそうなんだから、
滅びた武田家の、そのまた討ち死にした家臣の子孫なんて、いくらでも自称できる。
198日本@名無史さん:04/11/07 04:24:51
あと、「山本五十六 山本勘助」でググればわかるような事を質問しといて、
195みたいな物言いはないんじゃないか?
質問する前に自分で調べてみろ。それでもわからなけりゃあ質問しろ。
質問して答えがなくても切れるな。
199日本@名無史さん:04/11/07 04:28:23
>>198
解答する奴こそ切れるなよ。
200191:04/11/07 06:26:40
>>194まちがえました。近代における民衆運動は何を指してるんですか?
201191:04/11/07 08:01:26
明治初年一揆 士族の反乱 学制反対の一揆 福島事件秩父事件 足尾銅山鉱毒などのことでいいんですか? 
202日本@名無史さん:04/11/07 09:50:58
>>199
つまんねえ煽り一行レスする奴って、バカ?
>>198は当然のことしか書いてないだろ。
203日本@名無史さん:04/11/07 10:45:23
架空人物説を説く奥野高広氏を除けば、管見では、「市河文書」の「山本管助」イコール
「山本勘助」にはっきりと疑義をはさんでいるのは、笹本正治氏だけである。
あとは「『甲陽軍鑑』が説くような軍師ではなかったが、信玄の使者として他家へ派遣される
ほどの重要な役割であった」とか「実在はしたが軽輩の者だった」という譲歩つき(?)の
意見がある程度で、ほとんどが「市河文書」で山本勘助実在!と大して検証もせずに決めつけてしまっている。

たぶん、「市河文書」に出てくる山本管助は軍師山本勘助のモデルだろう。それはいい。
甲斐武田家臣に山本一族がいたこともほぼ確実だ。だが、現在のところ、実在したのは山本管助であって、
山本勘助ではない。ここははっきりすべきであろう。
当の山本管助は弘治年間と推定される「市河文書」の中に登場したきり、その消息は知れない。
http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x105.html
204175:04/11/07 12:10:20
>>196-203 皆さん詳しくありがとうございます。
205日本@名無史さん:04/11/07 13:14:46
>>201
明治なら自由民権運動。
大正なら、護憲運動か米騒動。あと、多くの小作争議や労働争議。
206日本@名無史さん:04/11/07 14:38:27
>>182
日【ri】陽平(第二声)
本【ben】上声(第三声)

コレに、発音は同じでも音調が異なる四声が加わるのと、
表記上はbenでも実際の北京語は濁音の発音がほとんど聞き分けづらいので、
「リーペン」「リーウェン」に近い近い発音になる。

韓国語はよくわからないが、たとえばよくある姓の「李」にしても、
北と南では「リ」と「イ」というように、発音に差があるそうだ。
韓国語ではR音が脱落しやすい傾向があるのかもしれないね。


「本」は日本でも「ほん」という発音なので、韓国で「ぼん」と発音するのは、
日本や韓国に伝わった当時の中国語では「本」を「ぽん」とか「ぼん」と発音
していたのかもね。

「日」は【ri】のR音が脱落したのか、【hi】のH音が脱落したのか、よくわからないなぁ。
日は呉音で「ニチ」、漢音で「ジツ」なので、韓国語の「日」の発音のルーツは、
もっと新しいかも。唐音や宋音の発音を調べてみたがよくわからなかったので、
詳しい人ツッコミよろしく。
207日本@名無史さん:04/11/07 21:11:42
山本五十六は「高野」家の出
208日本@名無史さん:04/11/07 22:15:05
戦後に昭和天皇が、マッカーサーに土下座して命乞いをしたというのは有力な説なんですか?
それとも左翼がつくった異端な説なんですか?歴史学的に見て有力な説なのかそうでないのか
教えてください
209日本@名無史さん:04/11/07 22:28:02
「私の身はどうなってもいいから、国民を助けて欲しい」
と言ったのは、どうも通訳の記録などから嘘のようです。
マッカーサー自伝は事実でないことが多いので史料になりません。
ウヨの伝説のようです。
210日本@名無史さん:04/11/08 00:06:17
>>176
>二十一ヶ条の要求
>二十一ヵ条の要求
>これってどっちでもいいんですよね?

ヶは>>193氏の言う通り、「个」の崩し文字であり、正確な読み方は「こ」である。
国語学から言えば、それは間違い。
211201:04/11/08 00:07:50
>>205ありがとうございます。そもそも民衆運動ってなんですか?どこまでを民衆運動というのか。民衆運動のなかに民主運動は内包されているんですか?
212日本@名無史さん:04/11/08 01:38:22
>>207
ツッコミサンクス。
213日本@名無史さん:04/11/08 01:58:00
>>208-209
荒しの自作自演に付き合うのもバカバカしいが、暇なので付き合ってやるかw

皇室の財産目録を風呂敷に入れてマッカーサーのところに持参し、
「これで国民を食わしてやって欲しい」と頼んだそうだ。
その上で「絞首刑になっても構わない」の言葉が出た。

生物学者であり、戦時中もダーウィンの胸像を飾っていたぐらい、昭和天皇は理知的な人なんだよ。
好きで天皇家に生まれた訳でも、なりたくて天皇になった訳でもないのに、
御輿として担がれて最高責任者となり、敗戦の責任を問われる自分のままならぬ運命に対して、
悄然と受け入れる覚悟を持っていたんだ。ちっとはそう言う人間に対して敬意とか同情とか持ったらどうだ?

左翼の言説が、大衆の支持を得られなくなったのは、「朕はたらふく食ってるぞ」式の、
ルサンチマン丸出しの卑しい批判の仕方をやったからだ。
おまえゴミみたいな人間が当たり前に憲法で保障されてる、
職業選択の自由や、政治結社の自由、転居の自由、すべて封じられているのが皇族だ。

大衆は愚劣かもしれんが、皇族が皇族であることをイヤだとも言えず、
ただ天皇家に生まれたと言うだけでバカサヨから自宅にロケット弾を打ち込まれても、
自分が皇族に生まれた責任を推敲しているのに気づいている。
だから、おまえらを支持しないんだよ。それが「大衆の良識」てやつだ。

本当に天皇制を解体したいのならば、そういう卑しさやさもしさからのアプローチではなく、
「天皇家に人権を!」という形で、天皇家と連帯することで天皇制の解体を目指す方が、
より広範な支持と共感を得られると思うが、いかがだろう。
214日本@名無史さん:04/11/08 02:51:46
>>213
仮にも学問板で発言の出所を示さずに書きこむのはいかがなものか。
215日本@名無史さん:04/11/08 05:26:23
日本の天皇や天皇制について正しい知識を学びたいのですが、何か良い本などないでしょうか?
216日本@名無史さん:04/11/08 08:38:01
>>213
>皇室の財産目録を風呂敷に入れてマッカーサーのところに持参し、
>「これで国民を食わしてやって欲しい」と頼んだそうだ。
>その上で「絞首刑になっても構わない」の言葉が出た。
ほぉ。出展は?
先日の外務省の記録公開では、このネタは一行も出てなかったが、
いつ発表になったんだい?
開戦に徐々に積極的になっていく様子はだいぶ書籍が出てきてるけどねぇ。
217日本@名無史さん:04/11/08 08:45:16
>>213は、バカウヨの釣り。
それにつられてマジレスの>>216カコワルイw。
218日本@名無史さん:04/11/08 12:54:30
>>214
>>208-209は仮にも学問板なのに発言の出所を示さずに書きこんでいるのに
スルーなのは何故かと聞いてもいいですか?
漏れのレスもスルーですか?
219訂正:04/11/08 12:56:19
>>214
>>208は仮にも学問板なのに発言の出所を示さずに書きこんでいるのに
スルーなのは何故かと聞いてもいいですか?
漏れのレスもスルーですか?
220日本@名無史さん:04/11/08 13:47:02
>>219
お前本物の馬鹿か?
天皇の発言の真偽が分からなくて質問している>>208がソース出す必要があるかよ。
221日本@名無史さん:04/11/08 21:22:29
208=220=アレ
222日本@名無史さん:04/11/08 22:55:15
質問スレはage進行でお願いします。
223日本@名無史さん:04/11/09 00:23:24
>>士 族:しぞく
明治維新後、旧武士階級に与えられた族称。
明治2年(1869)6月、華族の創設に続き、各藩の藩士は一門から平士に至るまで士族と称する事が定められ、
12月、その下位に卒が置かれた。1872年1月、世襲の卒が、又2月には旧藩士の一部が士族に編入され、11月、
任官中の平民も士族をして扱うとされた。


>>任官中の平民も士族をして扱うとされた
 任官とはどの程度からですか?最下級官吏である戸長とかもそうなんですか?
224日本@名無史さん:04/11/09 02:07:33
あのさ、天海と崇伝って
結局どっちが黒衣の宰相なの?
225日本@名無史さん:04/11/09 11:30:22
>>224
崇伝
「黒衣の宰相」と呼ばれ策謀家と受けとられがちであるが、
実態は五山僧としての内外古典の学殖によって家康の側近
に登用された実務家
226日本@名無史さん:04/11/09 12:36:06
赤穂浪士関係の本を読んでいてちょいと疑問が生じました。

  肥後熊本藩主・細川越中守綱利・・・熊本なのに越中??
  伊予松山藩主・松平隠岐守定直・・・松山なのに隠岐??
  仙台藩主・伊達陸奥守綱村・・・なんかいい感じ

などなどです。 初心者ですいませんが、役職等の制度上、何か決まりごとがあるのでしょうか?
     
227日本@名無史さん:04/11/09 12:42:20
だって勤務実態がなかったんだもん。
戦国期の武将みたいに僭称じゃないだけマシ。
228日本@名無史さん:04/11/09 13:32:08
いろんな時代の天皇やら事件の名称(○○の乱など)がごっちゃになってしまいます。
なんかオススメの覚え方ありませんか?
229日本@名無史さん:04/11/09 13:32:40
>>226

1年に何回もでてくる質問だね。最下等の入門書にも出てるのに
230日本@名無史さん:04/11/09 17:34:56
>>229
それは可哀想な言い草。常に新参者はいる。
231日本@名無史さん:04/11/09 18:00:00
「農民と油は絞れるだけ…」なんとかと言った人は誰ですか?
232日本@名無史さん:04/11/09 18:31:28
>>231
8代将軍吉宗のもとで勘定奉行を勤めた神尾春央。
233日本@名無史さん:04/11/09 18:52:51
もうすぐ1099999999のスレッドが立ちます!
234231:04/11/09 18:56:57
>>232
ありがd
235日本@名無史さん:04/11/09 21:42:21
>>226
 遅レスですが、江戸時代の武家の役職名と実際の領地との間には
 あまり関係がありません。
 私の記憶だと領地と役職名が一致しているのは
 前田(加賀)・伊達(陸奥)・島津(薩摩)くらいです。
 外様の大大名の石高ベスト3ですね。
 親藩・譜代でも一致していません。(例えば会津松平家は肥後守)
 そもそも大名だけでなく高級旗本も官職名を持っているので(大岡越前守や吉良上野介とか)
 役職名が足りないため、同じ役職名を複数の人が名乗ったりしています。

 逆にタブーだったのが武蔵守(将軍家お膝元で恐れ多いから)や尾張守(いちおう戦国時代
 下克上やった陶晴賢とかの役職名だからと言われているけど”おわり”という言葉を
 嫌っただけのような気もします)だったと思います。

 私は、専門家ではないので間違い、足りない点はご指摘よろしくお願いします。

236日本@名無史さん:04/11/10 00:17:51
尾張守は北条氏を裏切った松田憲秀からとも。
237日本@名無史さん:04/11/10 00:21:32
◎ 松平加賀守(加賀前田)
◎ 松平薩摩守(薩摩島津)
◎ 松平陸奥守(仙台伊達)
× 細川越中守(肥後)
◎ 松平安芸守(芸州浅野)
△ 松平筑前守、備前守、美濃守など(筑前黒田)
○ 松平大膳大夫、長門守(長州毛利)
× 松平内蔵頭、伊予守など(備前池田)
× 松平相模守(因州池田)
△ 松平肥前守、信濃守(肥前鍋島)
◎ 松平越前守(越前松平)
× 藤堂和泉守、大学頭(伊勢)
× 松平肥後守(会津)
◎ 松平阿波守(阿波徳島)
◎ 松平土佐守(土佐山内)
× 上杉弾正大弼(出羽米沢)
238日本@名無史さん:04/11/10 02:35:40
>黒衣の宰相
回答どもです。

てか、おいらも黒衣の宰相=崇伝だと思ってるんだけど、
結構色々なところで、黒衣の宰相=天海って書かれてるよね。
あれ、何でなんだろう???
239日本@名無史さん:04/11/10 09:15:23
>>237
松平讃岐守(高松松平)
は違いましたっけ?
240226:04/11/10 11:12:50
遅くなりましたが226の者です。

230の方、あたたかいお言葉ありがとうございます。
235〜237の方、ありがとうございます。
241日本@名無史さん:04/11/10 15:02:48
質問させてください。
昭和天皇に「ご進講」した歴史学者の一覧てどういう資料を見ればいいんでしょうか?
やはり宮内庁書稜部?
そこまで行かないと公開資料はないんでしょうか?
人名、年月日、内容が知りたいです。
242日本@名無史さん:04/11/10 21:25:47
日本あるいは天皇の戦争責任について右翼左翼双方の主張が読める本って無いでしょうか?
できたら双方が議論をしている、あるいは片方の主張に対してもう片方が反論をしている本が
ありましたら教えてください。

双方の一方的な主張の本は多々あるのですが、客観的な本がどうしても見つかりません。
この問題についての定本があればベストなのですが・・・
どなたかご存知でしたらどうかよろしくお願いします。
243日本@名無史さん:04/11/10 21:34:01
>>242
「客観的」な本などこの世に存在しない。

まあ、賛否両論の討論なら、
『激論!日本の右翼 朝まで生テレビ!』所収
「第4章 天皇のあり方と戦争責任と右翼」あたりをご覧になったら?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4881311549/qid=1100089895/sr=1-6/ref=sr_1_10_6/249-2234829-5306741
244日本@名無史さん:04/11/10 21:49:04
>>243
懐かしい!
当時としちゃ物凄く画期的な企画だったよね。
類書が見当たらないもんな。

しかし>>242さん、こんな本から引用して論文書いちゃだめよ。
245日本@名無史さん:04/11/10 21:50:25
>>241については全く答える知識はないけど、俺も知りたい・・・
246242:04/11/10 22:07:25
>>243
速レスありがとうございます。
教えていただいた本は買えないみたいなので図書館で探してみます。

他に良い本は無いでしょうか?
もし討論的な本がないのでしたら、まともな双方それぞれの本でも結構です。
どなたかよろしくお願いします。

>>244
あまりにも低レベルな右翼や左翼に反論したいだけで論文書こうとは思ってないです。
247日本@名無史さん:04/11/10 22:24:57
>あまりにも低レベルな右翼や左翼に反論したいだけで論文書こうとは思ってないです。

煽りじゃないけど・・・242氏の考えている天皇の戦争責任の法的根拠は何?
間違い無く荒れそうな話題なので横レスはしないでね>all
248恋する青年 週中に再び:04/11/10 22:33:43
結婚を申し込む場所を探してるんですが、
東京近辺で法隆寺みたいに、
政府が変わろうと戦争が起きようと
恐らく残されそうな歴史的建物ってありませんか?

尊敬する家康公が眠る、日光東照宮でも良いのですが
もし家康公関連で考えたら、東京から気軽に行けるところ教えてください_(._.)_

老夫婦になってもそこに行ったら
時間を越えて永遠の愛を忘れずに生きたいのです。
249日本@名無史さん:04/11/10 22:46:54
154 名前:146 恋する青年 投稿日:2004/11/03(水) 21:48
変な相談に素早くお答えいただいて、ありがとうございます _(._.)_

>江戸城本丸天守台、上野東照宮。
お調子者の藤堂高虎が建てたのが、気にかかります。

>目黒庭園美術館
100年も歴史が無いので、不安ですね。

>上野の寛永寺でしょう。
せめて当時のまま残っているところがいいです。

>あるいは、東京国立博物館の中庭か裏庭。
同じく100年も歴史が無くては、、、

江戸の歴史はあまり古くないので、
東京1の史跡って、なんですか?

あと、家康公関連であれば、家康公を祀ったのではなくて
家康公自身がゆかりのあるところのほうが、よりどころになります。

どうかお願い!!
250242:04/11/10 22:57:55
>>247
いえ、私は天皇に戦争責任がある、と決め付けているわけじゃないです。

例えば右翼のDQNがアメリカに石油輸出を止められたから日本は戦争をするしかなかった、
と言ってる馬鹿に対して、じゃぁ北朝鮮やキューバが今核撃ってもいいんだな?って答えたり、
左翼のDQNに東京裁判で天皇は有罪と認められた、と言ってる馬鹿に対してお前
その罪状は戦前に日本が批准してた国際法で決まってたのか?って答えたりしているのですが、
ときたま頭のいいウヨサヨがいます。
で、その場では私はきちんと背景事情を調査してないのでそれが正しいかどうかが
分かりません。
なので、出来るだけ客観的に双方の主張を載せている書籍、あるいは双方が議論している書籍
もしくは、>>242に書いたような書籍を読んで自分なりの答えを出したいだけです。
きちんとした情報無しに答えを出したくなので。
251日本@名無史さん:04/11/10 23:15:20
幕末(坂本竜馬中心)を描いた本で、脚色無しの小説等ありますか?お薦めとかあったら教えて下さい。
252247:04/11/10 23:18:15
>250
事情はわかりましたが、ここは初心者質問スレです。
そういう荒れそうな話題は独立したスレでやっていただけませんか?

あと、余計なことだと思いますが、>250で示されているような掲示板?で何を意見しても無駄のような
気がするのですが・・・
私にはウヨ・サヨという邪教を盲信している信者にしか見えません(溜息
それと“DQN”“馬鹿”“お前”等の文言を使用するのは如何なものかと・・・
既に毒気に当てられていませんか?
253日本@名無史さん:04/11/10 23:31:19
>>250 >>例えば右翼のDQNがアメリカに石油輸出を止められたから日本は戦争をするしかなかった、
と言ってる馬鹿に対して、じゃぁ北朝鮮やキューバが今核撃ってもいいんだな?

 時代がちがく内科?今時油断したぐらいじゃ攻められる事はないが帝国主義時代隙あらば領土拡張を目論んでる。
まあ、太平洋戦争前だと欧州勢はそんな気はないかも知れんがアメリカはありそうだしロシアだって・・・無力だと分かったら
満州にロシアが乱入するしょ。時代感覚がない椰子に客観的判断能力出来るはずがない。
254日本@名無史さん:04/11/10 23:37:17
>>251
安岡章太郎『流離譚』
255日本@名無史さん:04/11/10 23:41:11
>>251
大岡昇平『堺港攘夷始末』もいい。
256242:04/11/10 23:45:12
>>252
はい。私も自分の考えについてこちらでやるつもりは全くありません。
あくまで書籍などの参考資料を教えていただきたいだけです。

掲示板でやりあっているのではなくて、実は私を「広告塔」として引き込もうと
しているみたいでして・・・
言葉が悪かったのはすみません。ネットなので過激になってしまいました。

>>253
すみません。こちらのスレで内容について議論をするつもりはありませんので
ご了承ください。


で、本題に戻って、どなたか他に参考書籍がありましたら教えてください。
257日本@名無史さん:04/11/10 23:50:02
しかし、どいつもこいつも、
「客観的」な本とか「脚色無し」の本を教えてくれって、
よく平気で言えるなあ・・・
258日本@名無史さん:04/11/11 00:00:21
一つ、宛所の「御宿所」てどうゆう意味ですか
これで文書を発給した人間との関係とかもわかります?

もう一つ、通常、○○の○世孫といったら
北条時政の五世孫の場合には、時政(一世)―義時(二世)・・・時頼(五世)となり、一世は時政、五世孫は時頼になりますよね。
これが皇族の○世王の場合、賜姓のさいに一世源氏、二世源氏とか言いますから
後嵯峨天皇―宗尊親王(一世)―惟康親王(二世)・・・でいいんでしょうか?


>>238
黒衣=坊さん程度の意味じゃなかったですか?
259日本@名無史さん:04/11/11 02:55:46
明治新政府成立後(太政官制がとられていた時)、
左大臣が空位だったのはなぜですか?
1873年に島津久光が左大臣になっていますが
その間の空位の理由がわかりません。
ご存知の方、よろしくお願いします。
260日本@名無史さん:04/11/11 12:26:23
質問です。
「天皇」ってどこからきたのですか? 出自というか、どうやって天皇に決まったのか教えてください。
261日本@名無史さん:04/11/11 14:53:53
ご存知の方教えてください.

今日本地図の画像を探していまして,探しているのですがなかなか見つからずに困っています.
ほしいのは,

江戸時代の藩別の日本地図.
戦国時代の武将勢力地図.
現代の県別日本地図.

これらが同一の地図フォーマットで存在していると嬉しいのですが..
そんな画像を置いているサイトをご存知でしたらご教示下さい.
262日本@名無史さん:04/11/11 15:38:37
>>261

ペラペラな参考書(数百円)として普通にいくらでも売ってる。スキャンしろ



263日本@名無史さん:04/11/11 17:10:32
よく史実っていいますが、史実の定義ってありますか?
史料にのっていれば史実でいいんでしょうか?
史料によってのっていることが違う場合は
いくつも史実があることになるのでしょうか?
また、史実と事実はどうちがうのでしょうか?
基本的な質問ですみません。
264日本@名無史さん:04/11/11 18:03:38
>>260
5世紀 金官加羅から来た傭兵隊長が簒奪した。
6世紀 北陸の在日オヤジが乗っ取った。
7世紀 百済の王族が義慈王の名代として派遣されてきた。
    その後、新羅人の忍者が簒奪した。
265日本@名無史さん:04/11/11 18:29:34
>>264
それぞれ誰?
6世紀のは継体天皇だよな
266日本@名無史さん:04/11/11 18:52:50
足利直冬っていつまで生きたの?
義満の時代に降伏したって記述があるんだから、結構長生きしたのでは…
267日本@名無史さん:04/11/11 18:58:38
『歪められた日本神話』(萩野貞樹,PHP新書)
http://www.asahi-net.or.jp/~kr2m-nti/wound/next/dokusho75.htm

↑現在、古代史を専攻している方方のこの本の評価は如何?
268日本@名無史さん:04/11/11 19:03:25
>>265
5世紀 応神大王
6世紀 継体大王
7世紀 舒明天皇→天智天皇(百済系)
    天武天皇(新羅人の忍者)
269日本@名無史さん:04/11/11 19:20:02
継体天皇は海を越えてきた順帝です!
日本は漢の正統な後継者の国です!
270日本@名無史さん:04/11/11 20:07:15
どっかに上杉慎吉の画像ありませんか?
穂積ならなんとか見つかるんですが・・・

なければ上杉の写真が載ってる書籍など教えてください。
よろしくお願いします。
271日本@名無史さん:04/11/11 20:27:05
ええ?
天智と天武って同父母の兄弟じゃなかったの?
272日本@名無史さん:04/11/11 20:29:57
>百済の王族が義慈王の名代として派遣されてきた。
舒明と天智の間って誰かいなかったっけ?天智の母親だっけ?
273日本@名無史さん:04/11/11 21:20:11
1人変なのが混じってきたな
巣にお帰り

【暗殺?】天智と天武【兄弟?】
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1045471651/
274日本@名無史さん:04/11/11 21:47:30
>>266
1366年12月までは記録があるが、その後不明。没年も不明。
275日本@名無史さん:04/11/11 22:05:41
皇極・孝徳
276日本@名無史さん:04/11/11 23:08:42
街宣右翼には在日朝鮮人が多いと聞いたのですが、
経緯とかがまったく分かりません。

誰か詳しく教えていただけないでしょうか。
277日本@名無史さん:04/11/12 00:26:58
「そっち系の板で聞け」と言おうと思ったが、
今の2chじゃあまり冷静な話は聞けないかも知れないな。

っていうか、俺も知りたい。
278日本@名無史さん:04/11/12 02:29:24
荒らすのが目的の香具師に釣られたような気もするが、
世界史板の醜態をこっちでやられるのもアレなのであえてレスする。
この種の話題はもうここでは止めてくれんか>ALL

イギリス国営放送BBCによると、
街宣車で街を占拠する右翼の主張は天皇制復活、日本民族の国粋主観等だが、
実際の構成員は国粋主義者とは相容れない筈の韓国、朝鮮人、また天皇制と言う
身分階級の下では最下層に位置され最も身分制度の被害者であったはずの被差別
出身者で90%を占めていると指摘した。
韓日友好の右翼
http://www.mkimpo.com/image/yasukunix/2003/P8150003s.jpg
「日韓」でなく、「韓日」友好
279日本@名無史さん:04/11/12 02:31:35
さきタイムマシーンで長屋王と握手してキタ。朱雀大路で迷子になりまつた。
280日本@名無史さん:04/11/12 04:06:16
だから、その90%を占める理由が問題なわけで
90%を占める事実などどうでもいい
281日本@名無史さん:04/11/12 04:48:50
戦前の日本語はひらがなではなくてカタカナ主体で(各種条約を見ると)、
右から左へ文字を書くのですね。

なぜ敗戦後の日本はカタカナからひらがなに改められたのですか?
なぜ敗戦後の日本は右から左ではなく、左から右と改められたのでしょうか?
282日本@名無史さん:04/11/12 04:51:16
各種条約文書を見ても解るとおりに、
戦前の日本語はカタカナ&漢字ですよね?
戦前のひらがなはどう扱われていたのでしょうか?
283日本@名無史さん:04/11/12 05:29:20
>>220
スパイと言うのは便利だよね。
内部分裂も組織の評価も落とすことが容易に出来る。
日本国のことが好きでせつせつと自国の大切さを訴える、
これに対抗するにはその人間の評価を落とすと楽だよね。
右翼と言う立場にたち企業などにゆすりをかける。
そうすると右翼と言うのはどうしようもないな、
と印象付けることが出来るんだよ。
284日本@名無史さん:04/11/12 05:43:08
>>283での>>220>>280に訂正
失礼
285sage:04/11/12 06:00:07
>>261
>現代の県別日本地図
こんなもん、各都道府県庁に言えYO
286sage:04/11/12 06:03:08
>>251
>脚色無しの小説
そんなもん、小説じゃねぇYO
287日本@名無史さん:04/11/12 06:59:43
>>281
漢文
288276:04/11/12 10:15:25
荒らすつもりで質問したんじゃないんです。

90%も在日が占めるんですね。
でも何故そうなったのかって言う経緯が知りたいんです。
289日本@名無史さん:04/11/12 10:29:19
>>288
>>283
に書いてあるが、これってどうなのかね?
これじゃあまるで思想的に右の人間は基本的に真っ当だけど、まともに見えない
右の人間はみんな在日ですよって感じ。
わざわざそんな事をするためだけに90%も占めるようになるの?
290日本@名無史さん:04/11/12 10:41:46
>>289

なにが言いたいのかまったく分かりません。
分かりやすく書いてもらえますか?
291日本@名無史さん:04/11/12 10:45:38
ハングルで書いてもらえば意味が通じるんじゃないの?
292日本@名無史さん:04/11/12 10:52:17
>>290
290=276?
それとも別人?
それによって書き方が変わる。
293日本@名無史さん:04/11/12 11:28:22
あほな質問で申し訳ないのだが国が他所の国の土地を合法的に買うと
そこは買った国の領土になるの?

あと日本人が外国に土地買ったらそこって日本領になる?

日本が沈没したときにために買いあさっておくというのはどうか
オーストラリア中央部とか地価安そうだし
294日本@名無史さん:04/11/12 11:39:53
>>293
そりゃないでしょ。
295日本@名無史さん:04/11/12 12:18:46
文部省発行歴史教科書もあるのかな?
296日本@名無史さん:04/11/12 12:31:54
>>293

領土は国家間で売買した時代もあるけど

たとえば日本人がハワイに土地付き別荘を買っても、日本領になるわけないでしょ

例外的なものは大使館とか、入港した軍艦とか
297日本@名無史さん:04/11/12 15:55:08
最近メジャーどころの歴史はもう食傷気味でマイナーなほうに興味が移りつつあります。
(例えば中央のより離島や遠隔地のとか)
日本史に興味を持って高々10数年の分際で傲慢であるとは思いますが
何か面白いものないですかね。
298276=288=290:04/11/12 16:59:33
>>292

です。
俺のしてることって荒らし行為なの?
よくわからなくなってきたよ。
299日本@名無史さん:04/11/12 18:11:45
>>298
んじゃ、答える。
つまり、日本や天皇制の評判を落とすためには、日本大好き天皇制万歳って
普段から言いつつ、蛮行を繰り返せばいい。そうすれば周囲から、右翼って
ろくでもない連中だな、日本の国粋主義者や天皇制支持者はとんでもない奴
だなって眉をひそめられるでしょ。って話を>>283はしているんだよ。
自分の嫌いなものを敢えて逆に好きだって公言しながら自分はDQN行為を繰
り返すと、自分の嫌いなものの評判が落ちるわけさ。
>>289は本当にそんな理由だけで90%も占めるようになるのか?って事だし、
街宣車で周囲に迷惑かけてる右翼全部が全部在日なのか?在日以外の純粋な
日本人の右翼はまともな活動してるのかって話。
300日本@名無史さん:04/11/12 18:14:38
>>298
君の好きな歴史上の人物は誰だ?
君の好きなスポーツは何だ?
君の好きなミュージシャンは誰だ?
君の好きな食べ物は何だ?

どれか一つに答えたまえ
301日本@名無史さん:04/11/12 18:29:37
舒明天皇の正体は義慈王
天智天皇の正体は余豊
302日本@名無史さん:04/11/12 18:33:02
>>297
宮本常一著作集(未来社)読破をすすめる
303日本@名無史さん:04/11/12 18:45:11
日本史板に常駐しているネット右翼も在日ですか?
304日本@名無史さん:04/11/12 19:02:49
お前ら↓でやれ初心者質問スレをあらすな

●あのぉ〜右翼・左翼って何ですか??●
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1056369917/l50

何故、日本史学者はサヨクばかりなのか?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1090490062/l50
305303:04/11/12 20:47:57
解答がないんですが・・・・・。

2ちゃんのネット右翼も在日右翼なんですね。
306日本@名無史さん:04/11/12 21:00:44
なにをもって君が右翼としているのか知らんが、2ちゃんでよく見られるような意見は、
右翼ですらない、せいぜい中道右派程度。君が極左だからそう感じるだけだと思われ。
307日本@名無史さん:04/11/12 21:02:42
>>302
いいね。ただ宮本氏の話は検証が必要だから、そこがわかってれば、
かなり面白いよね。

>>305
街宣もネットも右翼のほとんどは日本人です。
なぜか低学歴が多いです。
308日本@名無史さん:04/11/12 21:08:47
右翼とか右派というより、単なる「なんちゃってウヨ」だな。
面白がって極端なことを書いている連中も、本当は常識的な小市民。

わざとレイシストやファシストを気取って面白がってる厨房さ。
309303:04/11/12 21:12:47
日本は天皇の国→天皇は朝鮮出身→日本は朝鮮人の作った国

そんな論調に導きたい人達がいるように感じられたものですから。
310日本@名無史さん:04/11/12 21:16:25
荒らすなと言われて別スレへの誘導が貼られているのに何時までも続けている
>>307がこの板での低学歴筆頭


>>307がファビョて自作自演で荒らし続けます見物してくださいw
311日本@名無史さん:04/11/12 21:16:44
チョンヲタと天ヲタはかぶってるからな。
312日本@名無史さん:04/11/12 21:17:15
>>276
何故多いのか、それは在日や部落ってのは社会の爪弾きモノだから。
部落はまだいいとしても、民族学校出なんてマトモな就職先なんてあるわけがない。
日本に馴染もうとしない人間が、日本で職を探せるわけないでしょ。
学歴だって中卒扱いだしな。
その場合生き付く先は、ヤクザ、パチンコ、街金となる。つかこの三つは殆どつながっているけどな。
親の家業も同じであることも多いから、ほぼ同じ路線。

で、その中でもヤクザとそれに近い業種が表看板として、右翼団体を名乗るというわけ。
313日本@名無史さん:04/11/12 21:22:23
>>309
韓国のメディアは皆そんな感じ。
ふたばのニュース板へ行けば良く分る。(ほぼ毎日その種の話題をやっているから)
劣等国の寝言に説得力があると少しでも考える藻前の頭がおかしい。
314303:04/11/12 21:25:49
>>313
ごめんなさい、ふたばのニュース板なんて知らないし。
寝言を見に行くこともないので、あなたのようにはね。
315日本@名無史さん:04/11/12 21:41:08
>>314
>日本史板に常駐しているネット右翼も在日ですか?
>2ちゃんのネット右翼も在日右翼なんですね。

韓国のメディアは皆そんな感じ。ふたばのニュース板へ行けば良く分る。(ほぼ毎日その種の話題をやっているから)

>日本は天皇の国→天皇は朝鮮出身→日本は朝鮮人の作った国そんな論調に導きたい人達がいる

劣等国の寝言に説得力があると少しでも考える藻前の頭がおかしい。

荒らすなと言われているから、もう止めるが漏れはふたばのニュース板でのトリップ所持者。
嫌韓厨にうんざりしてスレ立てを止めたのに、こっちで厨房から妙なレッテルを貼られるとはね・・・

二時間以内にレスが付かないことが不満なようだから、ふたばのニュース板へ行けと言っているんだよ。
理解できたか?もうこのスレには来ないでくれ。少しでも分別があるのならな。
316303:04/11/12 21:46:09
>>315
なんで命令するの?
317日本@名無史さん:04/11/12 21:48:02
新潟県下越地方は歴史的に東北と認識してよいのでしょうか?
おしえてください
318303:04/11/12 21:49:19
>>315
トリップ持っていると偉いの?
それが自慢ならここで晒してみてください。
319日本@名無史さん:04/11/12 21:54:35
食うに困って思想団体ならわかるんだけど、なんで右翼?
左翼でも宗教団体でもいいじゃない。
在日が右翼の9割を占める理由がわからない。
本当に日本の国粋主義に対する嫌がらせの為だけなのか?
320日本@名無史さん:04/11/12 21:56:35
余り詳しくないんだけど、右翼でさ、韓国や北朝鮮を激しく糾弾する団体も当然あるんでしょ?
彼らもまさか在日?
321日本@名無史さん:04/11/12 21:59:16
>>319
それは左翼じゃ金が集まらないから。
何故って左翼には貧乏人が多いから、運動資金なんて殆ど集まりません。
それも左翼の地盤は、共産党ががっちり握っており、他所に流れる恐れがなく、
労働組合も昔は社会党、今では民主党の支持母体でやっても無駄。
プロ市民に援助金が来ると思っているのか?
322日本@名無史さん:04/11/12 22:01:14
在日団体でも北系と南系があるよ。
323日本@名無史さん:04/11/12 22:03:25
>>317
大化の改新までは東北では?
324日本@名無史さん:04/11/12 22:04:01
>>320
韓国を非難する団体と、
北朝鮮を非難する団体、だね。
どっちの在日も仲がいいとは言えないので、そりゃあるでしょうね。
部落もあるし、中には普通の日本人もなかにはいるだろうから、
不思議じゃないだろ。
流石に全てが全て在日じゃなかろうしな。
人口に対して、圧倒的に比率が高いだけだし。
325日本@名無史さん:04/11/12 22:05:57
>>315
>>ふたばのニュース板でのトリップ所持者。

過疎掲示板のふたばちゃんねるかよ。
326日本@名無史さん:04/11/12 22:12:59
>>317
大化改新以後つくられた越(こし)国の蝦夷に接触している地域で、
7世紀の半ば阿倍比羅夫が蝦夷経営に活躍し、渟足(ぬたり)柵、
磐舟(いわふね)柵がつくられた。7世紀末に越は越前、越中、越後の3国
に分かれた。このころの北限は不明であるが、沼垂(ぬたり)、石船2郡
がある。南限は信濃川河口と考えられるが、702年(大宝2)越中国より
頸城(くびき)、魚沼、古志、蒲原(かんばら)4郡が越後国に編入された。
708年(和銅1)出羽郡が設置され、征越後国蝦夷軍がおこされ、712年出羽郡
は分割されて出羽国となり、当国の北限が決定された。以後出羽、陸奥両国
の征夷軍の支援地域となった。
327日本@名無史さん:04/11/12 22:15:30
統○教会などの宗教関係や企業団体から右翼に潤沢な資金が流れるからね。
328日本@名無史さん:04/11/12 22:17:22
作る○教科書にも、宗教関係や企業関係がたくさん裏についてるね。
329日本@名無史さん:04/11/12 22:18:18
日○財団は右翼への資金供出やめたのかな?
330日本@名無史さん:04/11/12 22:22:36
自○党の支持母体と、右翼へ資金出してる団体で、
かぶってるってのもあるよね。
331日本@名無史さん:04/11/12 22:28:02
そこらへんがますますわからん。
心から憂国の士として右団体を支持してるのか、
それとも右思想家への嫌がらせをサポートするために右団体を支持してるのか。
自民党を支持して更に右支持ってのは前者?
332日本@名無史さん:04/11/12 22:30:09
真面目な右翼団体もあるのかも・・かな。
333日本@名無史さん:04/11/12 22:44:45
>>317
もちろん東北。未来永劫にね。
334日本@名無史さん:04/11/12 22:58:19
>>331
自民党も右翼団体から攻撃されているというのを分かってくれ。
335日本@名無史さん:04/11/12 23:01:10
古代(とうかなんというか)の名前って明らかに今と違う雰囲気なんですが
いつぐらいから今のような名前になったのでしょう?
名乗りじゃなくて本名のほうです
創始改名みたいなのがあったんですか?
昔の名前のほうがかっこいいのに・・・
336日本@名無史さん:04/11/12 23:23:23
>>334
じゃあ、なんで自民党を支持しながらその自民党を攻撃する
右翼団体を支持するのさ
337日本@名無史さん:04/11/12 23:55:57
>>335
東漢直と書いてヤマトノアヤノアタイと読む。
と、言われても、、、
慣れれば、どうということもないのかも知れんが漏れは嫌だなw
338日本@名無史さん:04/11/12 23:59:59
素朴な疑問なんですが、新潟の地震が中越地震と言われているのは何故なんですか?
今は新潟を越の国と呼ぶんですか?
富山や福井の人はどう思っているんだろう。
339日本@名無史さん:04/11/13 00:15:59
越前・越中・越後

越後の
上越・中越・下越
340日本@名無史さん:04/11/13 00:27:16
>>339
即レス多謝。

新潟は長いから、そういう分け方をしているんですね。
ありがとうございました。今夜はよく眠れそうです。
341日本@名無史さん:04/11/13 01:14:17
>>336
右翼も自民党も支持団体も一枚岩ですか?
自民党に投票した人は、自民党を批判しないとでもいいたいのか?
342日本@名無史さん:04/11/13 01:41:43
太平戦争中徴兵された場合大学卒は将校として少尉か中尉だそうですが、少尉中尉はどうやって決まるのでしょうか?
祖父は一番有名な私立大卒でしたが少尉、祖父の弟は中堅私立大学でしたが中尉でした何故でしょう?
343日本@名無史さん:04/11/13 02:59:59
旧陸軍の幹部候補生制度は、本来、中学校の学校教練に合格した者が
徴兵後に志願、受験して幹部候補生となり、2年間の訓練終了後に
見習士官を経て予備役少尉となるというものであったようです。

日華事変後になると、大学卒業者(当時は社会的エリート層)と言えども
一兵卒として徴集される可能性が高くなってきたので、大学卒業者達の多くは、
どうせ兵役に服する事になるのなら、上記の制度を利用して将校に成っておこう
と考えたようです。元来、中学校(現在の高校)卒業者なども受験する試験であったので、
彼ら大学卒業者にとってはそれほど難しいものでもなく、結果として大半の大学卒業者は
少尉任官と同時に予備役編入、そして即日召集という形で軍務に就いたようです。

また、昭和19年には「特別甲種幹部候補生制度」が制定されました。
これは、速成士官を養成するための制度であり、学徒出陣者の多くは
この制度で少尉に任官していたようです。
対象は大学、高等学校、専門学校に1年以上在学した者及び師範学校卒業者です。
従来の幹部候補生制度との相違点は、採用と同時に伍長に任官し、その後予備役少尉
となるという点です(従来の制度では、2等兵から始まる)。

以上の各幹部候補生制度の陸軍内での位置付けとしては、
とにかく戦時下で消耗の激しい下級将校(小隊長クラス)を
十分に確保しておきたいという狙いも下で実施されていたようです。

お尋ねの件はどちらの方も陸軍でしょうか?
344日本@名無史さん:04/11/13 07:10:37
>>334
嵯峨天皇の頃から。嵯峨天皇が中国かぶれで中国風の名前を流行らせた。
ただし半島とちがうのは漢字二字で書いてもむりやり訓読みしたこと。
345日本@名無史さん:04/11/13 10:06:22
>>343 詳しくお答えいただきありがとうございます。お尋ねの件ですが祖父は陸軍、弟の方は海軍です。

346日本@名無史さん:04/11/13 10:09:34
初歩的な質問ですが、下級将校の消耗率が高いのはなぜですか?
先頭に立って突撃するからでしょうか?
347日本@名無史さん:04/11/13 11:15:04
>>344
中国は伝統的に一字姓な訳だが・・・
なんで日本は二字姓が主流なの?
348日本@名無史さん:04/11/13 13:10:39
1945:9.2〜1952:4.28までの日本は、連合国の植民地だったのですか?
349日本@名無史さん:04/11/13 13:28:42
軍事占領と植民地とは同義ではない。
350日本@名無史さん:04/11/13 17:17:34
明治時代の質問。
1881年に政府が10年後の国会開設を約束したわけですが
なぜ10年あいだを空けたのでしょうか?
351日本@名無史さん:04/11/13 17:37:56
>>349

植民地の定義には

(2)特定国の経済的・軍事的侵略によって、政治的・経済的に従属させられた地域。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%90A%96%AF%92n&kind=jn&FROM=USER

とありますが、
日本は米国の軍事的侵略を受けて政治的に従属させられた訳ですよね?
十分に植民地だと言えると思いますが…。
352日本@名無史さん:04/11/13 17:59:21
>>351
>政治的・経済的に
この2つの要素が揃う必要があるかと。
353日本@名無史さん:04/11/13 19:41:56
>>348

Occupied Japanの記述はあってもcolonyと記された史料は存在しない。
当時も現在も誰も植民地だとは思っていないのに何故そんなに拘るの?
354日本@名無史さん:04/11/13 21:00:28
>>350
民権派をつぶしておいて、
藩閥主導の内閣と天皇中心の憲法を先につくっておくため。
355日本@名無史さん:04/11/13 21:28:18
>350
明治維新後の日本は不平等条約を改正し、欧米列強と対等の関係を築くために近代的憲法を必要としていた。
しかし、当時欧米諸国以外で立憲政治を実現した国は無かった。民間の憲法案も多数発表されたが、
憲法起草の中心になった伊藤博文に言わせれば、「実に英、米、仏の自由過激論者の著述のみを
金科玉条のごとく誤信し、ほとんど国家を傾けんとする勢い」だった。
伊藤の懸念には根拠がなかったわけではなく、1870年代後半にトルコが立憲政治を始めたが、
わずか一年足らずで憲法停止・議会解散に追い込まれていた。
伊藤は日本の歴史と文化に根ざした憲法を目指した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E6%86%B2%E6%B3%95
356日本@名無史さん:04/11/13 21:54:21
>>350
1881年1月、伊藤博文、井上馨、大隈重信の3人の参議によるいわゆる熱海会議
がもたれた。自由民権運動に対応して、国会開設や新聞発行などをめぐって意見
が交わされたのである。しかし、具体的構想については必ずしも意見は一致しな
かった。伊藤、井上の慎重論に対して大隈は急進論を唱えていたからである。

その大隈が、督促によって3月、左大臣有栖川熾仁に憲法意見書を提出した。
この大隈の意見書は、すでに出されていた他の諸参議の官僚的漸進論に対立的
な急進論で、基本的には欽定憲法を認めてはいたものの、イギリス流の政党内
閣制を主張し、ただちに憲法を制定し、82年末から83年初めにかけて国会を開け、
というものであった。執筆には福沢諭吉門下で大隈のもとにあった矢野竜渓(文雄)
があたっていた。
6月、太政大臣三条実美を通じてこの大隈意見書を借覧した伊藤は、君権の放棄だ
と大隈を非難し、右大臣岩倉具視と結んで、皇室の基礎を強固にし、天皇の大権を
確立する国家組織の方針を固めた。そのためにも大隈とその背後にあるとみられた
福沢一派の交詢社系をたたき、薩長藩閥体制の強化を図らなければならないと考えた。

357日本@名無史さん:04/11/13 21:55:23
>>350
そこに開拓使官有物払下事件が起こった。これが民間にもれるや、藩閥政府攻撃の世論は高まり、
民権運動は激しさを加えた。政府部内には大隈が反対していたから、矛先は大隈攻撃に
向けられ、いわゆる大隈陰謀説が流された。大隈は薩長藩閥打倒のために河野敏鎌農商務縁らと謀り、
輩下の官僚に働きかけて福沢ら三田派と通謀し、後藤象二郎、板垣退助ら土佐派の民権家と気脈を通じ、
政商岩崎弥太郎(三菱)に資金を出させ、陰謀をはかっている、というのである。

当時、すでに伊藤と大隈の対立は不可避になっていた。薩派(黒田・西郷従道ら)
と大隈との間にも対抗関係があったから、開拓使官有物払下事件をきっかけに
、それらが表面化したのである。大隈に対する薩長派の対立・緊張関係が、伊藤と
黒田とを結びつけ、大隈追放劇としての明治14年の政変を進行させた。
 
358日本@名無史さん:04/11/13 21:56:05
>>350
政府は開拓使官有物の払下げを中止するとともに、大隈の罷免、1890年を期し
ての国会開設を約束した詔書の発布という三つの措置に出た。それはおりから
高まる自由民権運動を弾圧するためにも必要な政治的処断だった。1881年10月
12日、大隈が参議を免じられ、一派と目されていた農商務縁河野敏鎌、駅逓総
監前島密、判事北畠治房以下、矢野文雄(統計院幹事兼太政官大書記官)、犬養
毅(統計院権少書記官)、尾崎行雄(同)、中上川彦次郎(外務権大書記官)、小野
梓(一等検査官)、島田三郎(文部権大書記官)、中野武営(農商務権少書記官)ら
も相ついで罷免され、あるいは職を辞した。

そして、10年後に国会開設を約束する詔書は、岩倉―伊藤ラインの懐刀として
活躍した井上毅がいうように、それによって多数の人心と中立派を政府側に
ひきつけ、また、反対派には抵抗を呼び起こして敵と味方とを明確にせしめる
という政治的意図が秘められているとともに、政府反対派へは、「処スルニ国
典ヲ以テスベシ」と弾圧を明確に宣言していたのである。
359日本@名無史さん:04/11/13 21:59:07
日本は建国何年なの?
360日本@名無史さん:04/11/13 22:00:34
天武からだとすると、1300年くらい。
361日本@名無史さん:04/11/13 22:02:11
初代天皇が即位したのって西暦何年だっけ?
1000年以上の歴史がある国って珍しくない?
362日本@名無史さん:04/11/13 22:13:15
信長がたしか旅行中?に
誰かの裏切りに合い 一度は寺かどこかで自害を決意したが 
相談して逃げる選択した事件ありましたよね
キーワードが解らないからぐぐっても見つけられないよ。。。
教えてください
363日本@名無史さん:04/11/13 22:13:21
初代天皇は架空の人物ですから
残念
364日本@名無史さん:04/11/13 22:17:30
>>361
皇紀元年=神武天皇即位とされる年=西暦BC660年
ご参考まで。今年は皇紀2664年になりますかね。
36554:04/11/13 23:13:22
>>57
激しく今更だけど、どうもありがとう。
366日本@名無史さん:04/11/13 23:14:36
>362
金ヶ崎退陣の話なのか山岡荘八の小説なのか、、、
なんか微妙に違うな。
367日本@名無史さん:04/11/13 23:38:16
>>366
説明不足ですまそ
金ヶ崎退陣ではありません 
今でいう大物武将5人ぐらいで旅行中?の事件(家康もいたような)
土民の槍に殺られるよりはと自害を決意
武将の誰かが反対して脱出したと記憶してるんだけどな
小説の話だったらはずかしっ





368日本@名無史さん:04/11/13 23:51:42
>367
家康らが堺滞在中に本能寺の変がおきて
土民の槍に殺られるよりはと自害を決意
武将の誰かが反対して伊賀経路で脱出した話と

信長が尾張一国でくすぶっていた頃、家臣数人と上洛
した際刺客に襲われそうになるが、信長が先手をうって
刺客の部屋に乗り込んでいったという小説の話がごっちゃに
なっていない?
369日本@名無史さん:04/11/13 23:56:02
>>362
対足利・朝倉戦?

足利を攻めてるところに
朝倉勢に奇襲されピンチになった
370日本@名無史さん:04/11/14 00:27:25
摂津野田・福島城攻略戦?
371350:04/11/14 12:08:30
>>355->>358
回答ありがとうございます。
参考になりました。
372日本@名無史さん:04/11/14 12:30:30
明治時代の選挙ってなんであんな厳しそうな警官とかいるんでしょうか?
373日本@名無史さん:04/11/14 14:18:43
>>347
日本の姓は日本語をもとにしてるから二字姓が多いのが当たり前でそ。
でも中国かぶれの時代にできた姓は一字姓もあるよ。
源氏とか平氏とか橘氏とか、そうじゃん。
374日本@名無史さん:04/11/14 15:54:46
投票用紙に、名前を書かせ印を押させ、「民党に入れるなよ!」
と言ってるからです。
375日本@名無史さん:04/11/14 17:21:27
>>367

歴史とゲームの区別がつかない方でつか?
376日本@名無史さん:04/11/14 17:55:03
昔の身分の高い人(公家・武将)は隠居して剃髪するケースが多かったようですが、
あれは本当に「出家」して仏門、僧籍に入っていたのでしょうか?

「出家」後も法体しているだけで、俗人同然の生活を送っているようですし、
妻子との縁も切れてないし、側室に子供を生ませた人もいるようです。
真宗以外は妻帯、女犯は禁止だったのに・・・
しかし、西行こと佐藤義清は出家のとき妻子を捨てたと言われているから、
身分の高い人だけの特例だったんでしょうか?

あと、江戸時代の松平不昧とか島津重豪の隠居大名の剃髪は出家ではなく、
単なるヘアースタイルの変更にすぎないのでしょうか?
考えていいんでしょうか?
377日本@名無史さん:04/11/14 20:09:57
林セン十朗のスローガンの『祭政一致』とはどういう意味ですか?
378日本@名無史さん:04/11/14 20:38:28
>>376
貴族や武士の出家って、頭を丸めて袈裟を着るだけの「なんちゃって出家」だから、
僧籍に入ってないような気がする。いわゆる「在家」と解釈していいのかな。
379山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/15 18:49:05
大病を患った時や、死の直前に出家する習慣はありましたが、若くして遁世
にまで至った例は稀です。『多武峰少将』や、『宝物集』に見える僧正遍照、西行
や慶滋保胤(沙弥名は心覚、受戒して寂心)の様な話は、本来あるべきもの
でないからこそ感動を誘った。
ただ一絡げには言えない問題でしょう。いちいち日記などを読んで確認して
みないことには、安易に結論を出せません。個人の宗教心もありますし。
また、元々中世には僧侶でも魚鳥食・飲酒が容認される傾向がありました。
380山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/15 19:01:46
『栄花物語』にも書いてあることですが、病床にある人間が(回復ないしは
往生を望んで)受戒する場合、「たもつ」と答える必要がありました。
『古事談』巻四の多田満仲は、本分が武士なので殺生戒の時だけは「たもつ」
と答えなかったといいますが、やはり受戒した以上は肉食などは避けたかと。
ただ「沙弥」という場合、わが国では単に剃髪して妻子を構えたまま仏道
修行を行なう人の事も(鎌倉時代から)指しており、この場合本来いうと
ころの沙弥の行動(十戒に沿ったもの)から外れた行動もとる者もいたと
思われますが。
やはり各時代の各個人をあたって頂きたいと存じます。
381日本@名無史さん:04/11/15 19:30:03
質問です。
江戸時代以前、浪人ってどうやったらなれたんですか?
自分で武士志望・見習いと名乗ればイイの、誰でもなれるの??
382日本@名無史さん:04/11/15 19:38:11
>>342
考えられるのは
1、弟さんの方が先に軍隊にいってた
2、実はお祖父さんは乙種幹候で、下士官から少尉に進んだ
3、何らかの事情でお祖父さんは進級しなかった

まあとにかく、いきなり中尉に任官されることはありません。
お祖父さんの弟さんも最初は少尉です。
383日本@名無史さん:04/11/15 21:23:36
維新の元勲の黒田清隆と
洋画家の黒田清輝は、同じ一族ですか?
384日本@名無史さん:04/11/15 21:32:52
>>383
ずーっと遡れば一緒の一族かも。
385日本@名無史さん:04/11/15 21:48:03
先祖は薩摩藩士で同族だったと記憶しています
ちょっと本を図書館に返してしまったので(汗

ソースは『「さつま」の姓氏』(高城書店)
386日本@名無史さん:04/11/15 22:22:58
例の方と婚約と報道された、黒田さんの家柄を教えてください。
387日本@名無史さん:04/11/15 22:34:08
まだ情報が少なすぎて何とも言えない。
少なくとも福岡の黒田家とは関係なさそう。
その根拠として、次の2点があげられる。

1.福岡藩主黒田家ほどのメジャーな大名家だったら、はっきり報道される。
2.紀宮の勤務先の山階鳥類研究所の所長は福岡藩主直系の黒田長久氏。
  もし、あの黒田さんと一族なら、なんらかの言及がないと不自然。
3.黒田家自体が華族なら、「祖父が○爵」とか書くはずなのに、血の通ってない
  親戚の旧華族しか出てこないあたりは、黒田さんとこが華族じゃないから。
388日本@名無史さん:04/11/15 22:36:53
少なくとも黒田長政の家系ではないみたいね
389386:04/11/15 22:46:15
別板で拾った情報(正しいかどうかも不明)



802 名無しさん@5周年 04/11/15 21:47:18 ID:isTJeHQa
黒田家

慶樹さんの亡くなったお父さんの一番上のお姉さんが、
明治維新で活躍した薩摩藩藩主で枢密顧問官を出した税所家に
嫁いでいらっしゃる。
また、慶樹さんのお兄様の慶一郎さんは、宮崎・高鍋藩の藩主で
昌平坂学問所奉行や維新後は貴族院議員を出した秋月家の治子さ
んと結婚なさっている。
伯母様は、旧華族の税所家に嫁いで、伯父様の夫人はやはり秋月
家の出身であります。

390日本@名無史さん:04/11/15 22:52:04
>>389
その情報は、既に報道されてます。
ただ、お父さんの兄弟姉妹が結婚したのは、戦後もある程度たった時期なので、
旧華族も平民と普通に結婚している時代です。
391日本@名無史さん:04/11/15 22:55:17
>>390
旧華族も平民と普通に結婚している時代であってもそこいらの庶民ではないな。
392日本@名無史さん:04/11/15 22:57:25
都心のマンションに住んでて車道楽できる程度の金持ち
393日本@名無史さん:04/11/15 23:01:15
>>390 うちは平民だが戦前に華族と結婚してるが・・・
394386:04/11/15 23:02:35
でも車ロータスエリーゼだけど、事故車でこみこみ150万円だったとの書き込み
もあったよ。三井銀行出身で現在推定年収750万。
怪しい情報だけどね。真偽混在の情報だね。
395日本@名無史さん:04/11/15 23:36:58
>>389
読売の報道と同内容ですね。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20041114ic26.htm
不思議に思うのは、父・慶次郎氏の姉の嫁ぎ先とか、
父・慶次郎氏の兄がどこから嫁を迎えたとか
どうでもいい話だけしか出てこないこと。
この黒田家がそもそもどういう一族なのか、全く報道がない。
ということは、特別な系図・特別な功績を有する一族ではないということだ。
江戸時代は農・工・商のどれかで、特に記事にするほどの家柄ではないのだろう。
396日本@名無史さん:04/11/16 00:05:13
宮様の御学友でずっと学習院ってことはそれなりの由緒ある家柄じゃ
ないかなーと思うのですが。
単なる同級生でたまたま同じサークルの仲間じゃないんですよね?
秋月家とは2代にわたって婚姻しているみたいだから(伯母と兄)、秋月家臣の家柄とか?

397日本@名無史さん:04/11/16 00:29:44
浩宮や秋篠宮の時代は、学習院も普通の私立学校です。
同じクラスになれば、当然、親しくもなるし、友達にもなるでしょう。

別に由緒ある家柄でなくても初等科から入れるし、宮様の友人にもなれます。
398日本@名無史さん:04/11/16 00:33:21
秋月家は医師会のドン、故武見太郎(単なる平民の医者)にも娘を嫁がせてる。
秋月と縁組してるから、由緒ある家ってことにはならない。
399日本@名無史さん:04/11/16 00:41:47
先祖はどうあれ現在は上流階級じゃん。
400日本@名無史さん:04/11/16 00:41:54
御学友=単なる同級生ってことですか?
(黒田氏は秋篠宮様とはたまたま特に仲がよいクラスメイトというだけ)
すると何百人も御学友がいるのか。

うーん、幼稚園くらいの年齢の内から何人か選抜されているのかと思ってました。
選ばれた何人かだけ特別に御所に遊びにいけるとか、そういう感じ。
401日本@名無史さん:04/11/16 00:47:39
宮様の入るクラスは家柄の良い子と身元の確かな勉強の出来る子を集めたある種の特殊学級。
402日本@名無史さん:04/11/16 00:47:43
大体、浩宮は大学時代、学習院のオーケストラに入っていたけど、
あのメンバーがみんな上流階級や華族のわけがない。
秋篠宮はサークル仲間の紀子さんと結婚したけど、これも上流ってほどの家じゃない。

浩宮や秋篠宮の友人がみんな華族や名門の人間と思ってる方がイタイ。
403日本@名無史さん:04/11/16 00:50:13
宮様と同級生にしたいが為に、宮様のご入学の時は競争率が上がるとも云われています。
404日本@名無史さん:04/11/16 00:54:11
俺は旧子爵家の長男で、東大卒37歳独身なんですが、何でサーヤの相手候補の
打診すらこなかったのでしょうか。
405日本@名無史さん:04/11/16 00:54:12
>>401
学習院初等科に入学できる時点で、十分、選別された家庭だろう。

ま、黒田さんのところは戦後とはいえ、旧華族と何度も縁組してるくらいだから、
平民とはいっても普通の家ではないと思うが、黒田家そのものは華族じゃないよ。

黒田家自体が旧華族やその分家だったら、最初からはっきりそう書くはず。
書きたくても書ける事実がないから、非血縁の親戚の話しか書けない。
406日本@名無史さん:04/11/16 00:56:21
黒田如水の子孫とか黒田清隆の子孫だったら、マスコミがスルーするはずないな。

華族ヲタは夢見すぎw
407日本@名無史さん:04/11/16 00:56:50
>>405
親戚は血縁なんですが・・・。
408日本@名無史さん:04/11/16 00:58:03
>>406
黒田清隆の子孫だったらスルーするかもしれん。
酒乱で嫁さん斬り殺した人だから。
409日本@名無史さん:04/11/16 01:03:01
「ご学友」という言葉に振り回されて、過剰な想像してる人がいるけど、
単なる同級生、クラスメートってことだよ。
雅子が結婚したときだって、マスコミは普通人の小和田雅子の同級生のことを
「ご学友」なんて言ってたじゃない。

あと、今の天皇のご学友の中にも、なんとか言う作家の人で非華族の人がいたよ。
確か学生時代の天皇を町に連れ出した人。
410日本@名無史さん:04/11/16 01:05:00
411日本@名無史さん:04/11/16 01:05:32
>>407
日常会話じゃ、義理のおじさん(実のおばの旦那)も「親戚」って言うよ。
ま、縁者に訂正しといてもいいけど。
412日本@名無史さん:04/11/16 01:08:42
>>410
今の時代、旧華族だけのわけないだろ。
それに黒田家そのものが平民でも、良家であることと矛盾しない。
413日本@名無史さん:04/11/16 01:19:27
>>412
現代日本における「良家」の定義をご教示されたし。
414日本@名無史さん:04/11/16 02:57:36
だが、ここまでことさら「普通の家庭」を強調されると、勘ぐりたくなるんだよなあ。
戦前まで何らかの爵位があったんじゃないのかって。伏せてるんじゃないのかって。
415日本@名無史さん:04/11/16 05:52:00
この板の連中がなぜ黒田家についてのスレを立てない
のかが不思議でしょうがない。

皇室ネタは興味は非常にあるはずなのに。
416日本@名無史さん:04/11/16 07:40:30
まあ、贅沢してるというだけなら、バブル期の土地成金とか
最近のIT成金のほうが、天皇よりいいもん食ってると思うが。
チョンが日本の象徴ってのが腹立つ。
あいつ等が釜山に帰って、信者の金で今よりもっと贅沢しても
べつに羨ましくないし、腹も立たん。
417日本@名無史さん:04/11/16 09:42:46
チョンであっても、日本一の名門の家系であり、歴史上
日本の中心であった時期も長い一族だろ。

別に右翼じゃないけどさ。
418日本@名無史さん:04/11/16 09:55:40
先生!お願いします!

中先代の乱を起こした、北条時行は後に後醍醐天皇側について
足利尊氏に対して隠居地の伊豆で反乱を起こしますが、なぜ彼は
後醍醐天皇側についたんでしょうか?
幕府は滅亡し、信濃に逃れて建武親政に不満を持って天皇に対して
反乱まで起こしたのに…
419日本@名無史さん:04/11/16 15:51:10
「みすず書房」の名前の由来が「みすずかる」という信濃にかかる
枕詞だと聞きました。
恥ずかしながら、国名に枕詞があったとは知りませんでした。
全国のを知りたいのですが、ググってもうまく出てきませんでした。
詳細や一覧があるサイトなどを教えていただければ幸いです。
420日本@名無史さん:04/11/16 16:24:21
421日本@名無史さん:04/11/16 16:47:05
>>418
時の政権に対抗するために南朝に走った者は少なくない罠
細川定禅しかり足利義尊しかり
中央の政争に破れた者たちが政権に対抗するためのいわば駆け込み寺の側面を南朝が有していたわけ。
中先代もその意味で南朝を利用し、南朝自体も節操なくそういった人間を迎えていたわけよ。
422421@旧赤松スレの>>1:04/11/16 16:59:26
余談だが嘉吉でぶっ潰された赤松遺臣が何の疑いもなく南朝にすんなり受け入れられたのは
南朝側の「来るもの拒まず」の姿勢によるもの。
赤松遺臣はその後南朝の「玉」小倉宮の裔をぶっ頃して神璽を奪還、
幕府への帰参とお家再興が叶ったと応仁記にあるけど互いに必死だったんだ罠。
423日本@名無史さん:04/11/16 17:30:56
嘉吉の頃の南朝って後南朝最末期でしょ?
本当に後醍醐天皇の子孫か分からんぞ……
424日本@名無史さん:04/11/16 20:04:07
戦前の国定教科書では、足利尊氏は逆賊という評価だったそうですが、
時の天皇が足利尊氏を毛嫌いしていたという話は無いのですか?
425日本@名無史さん:04/11/16 21:21:30
昭和天皇は後醍醐の政策に失策あるのではと、わざと質問したとか。
北朝の末裔だからねw。
426日本@名無史さん:04/11/16 22:24:58
岩倉具視は明治天皇を教育するときに、ダメな天皇の例として
後醍醐帝を上げたんだってね。
427日本@名無史さん:04/11/16 23:19:38
でも、南北朝時代はそっちの無能な方が正式な朝廷だって
認められているんでしょ。
428日本@名無史さん:04/11/17 02:20:52
>>419です。国名は無いようなので、あらためて教えを請う次第です。
具体的に伊予・豊後・駿河の枕詞をご存知でしたら教えてください。
たびたび本当にすみません。
429日本@名無史さん:04/11/17 03:34:50
駿河→打ち寄する

伊予・豊後は知らん。そもそもこの両国にも枕詞なんぞ有るんですか?
と逆質問。
430日本@名無史さん:04/11/17 09:44:45
「神風の」は伊勢にかかる枕詞だろ。他にもいろいろあるよ、よく調べれ。
調べるのがマンドクセーなら、古文漢文板に逝け。
431日本@名無史さん:04/11/17 11:21:38
やあ、質問です! 
「歴史の偽造をただす(中塚明著)」を読んでレポートを書かねばならないのですが、どうもドッキュンというか怪しげな記述満載な気がしてなりません。
佐藤文庫の歴史的正当性なんかは現在どのように評価されているのか、ご存じの方はいらっしゃいませんか。
また中塚明氏の歴史家としての評判なども併せて教えて頂ければ幸いです。

そもそもこの質問はここに書くんで良いのかどうかも教えて頂けるとありがたいです。ヨロシクッス!
答えてくれた方には愛情満載の電波送信します。
432日本@名無史さん:04/11/17 11:26:12
薩摩サツマ        隼人ハヤヒトの
筑紫ツクシ        しらぬひ
淡路         御食ミケ向かふ
出羽←「出イで立つ       群鳥ムラトリの」
伊豆←「出イづ         青雲の」
讃岐サヌキ        玉藻タマモよし
出雲         八雲立つ
吉備キビ        真金マガネ吹く
近江アフミ         楽浪ササナミや
壱岐←「行き         降る雪の」
多禰←「た          衣手の」
松浦←「松          遠つ人」
唱更←「はやぶさ       高行くや」
熊襲←「くま         梯立ハシタテの」
伊勢         神風カムカゼの
韓カラ         言コトさへく
河内←「かは         蛙カハヅ鳴く」
大和ヤマト        そら(に)みつ
山城         つぎねふ(や)
紀          麻裳アサモよし
志摩←「しま         玉勝間」
吉野         御心ミココロを
隠岐←「沖          玉藻タマモ刈る」
伯耆←「羽          しろたへの」
433日本@名無史さん:04/11/17 11:27:07
甲斐カヒ        なまよみの
駿河スルガ       打ち寄する
美濃         百岐年モモキネ
越(高志)コシ         しなざかる
越路コシヂ       細サザれ波
能登←「能登香ノトカ       ひも鏡」
和泉←「いづみ        蛙カハヅ鳴く」
信濃         み篶スズ刈る
東アヅマ        鳥が鳴く
安房アハ        息長鳥シナガドリ
相模サガム       さねなし
陸奥←「道          玉桙タマボコの」
若狭←「わ          魂極タマキハる」
百済クダラ       言コトさへく
新羅シラギ       タク(栲)衾ブスマ
日向←「日          茜さす」
漢アヤ         囀サヒヅらふ
遠江←「遠トホ         霰アラレ降り」
尾張←「を          玉垂タマダれの」
対馬ツシマ        在アり根よし
長門←「なが         績ウみ麻ヲなす」
安芸←「秋          露霜の」
434日本@名無史さん:04/11/17 19:03:22
>>428
古文・漢文
http://academy3.2ch.net/kobun/
こっちいったほうが早いだろ
435日本@名無史さん:04/11/17 21:39:34
>>433
そういえば、長野土産に「みすず飴」ってあったね。
なるほど。
436日本@名無史さん:04/11/17 21:52:25
あげたら?
437日本@名無史さん:04/11/17 23:05:34
質問です。

>山県有朋は私欲のために陸軍を私物化し、権勢を振るい、日本を壊滅に
>追い込んだ陸軍の体質を作り上げた極悪人というのが日本史学界の
>定説のようですが、ただ閨閥のようなものには関心を示さなかった
>と近所の図書館に置いてある本に書かれていました。

>これはどこまで事実なんでしょうか?

別のスレにこれを貼ったんですが、このスレが本スレだったんですね。
よろしくお願いします。
438日本@名無史さん:04/11/18 00:58:07
地蔵ってもともと何宗のもの?
439日本@名無史さん:04/11/18 13:18:25
>>438
何宗で特に重要視されてると言うことはなかったような。。。
ちなみに
日本で特に信仰されるようになったのは平安末期からと言われています。
それ以前には地蔵菩薩像の作例がなかったような。。。お経で出てくると言う程度だったかと。

後は神社・仏閣板とか心と宗教板とかの方で聞いてね。
440日本@名無史さん:04/11/18 15:03:45
奈良から伝わっていたが、広まりは平安浄土。
天台が保護。
旧仏教は保護的。
鎌倉新仏教は否定。
441日本@名無史さん:04/11/18 21:16:59
『地蔵菩醍霊験記』には地獄から蘇生した話が多く見られます。
功徳の集積が容易な貴族たちの間では死後の地獄の恐怖がさして切実でなく、
地蔵への関心が薄いのに対し、浄土往生の功徳を積むすべのない民衆の間では、
「地獄は必定」という深刻な地獄観の下で、地獄に入って人々の苦しみを代わりに受ける
地蔵の信仰が発達したのではないでしょうか。
442日本@名無史さん:04/11/18 23:53:05
>>283
成る程、卓見ですね。とすると社会系の板を乗っ取っている
「ネット保守」などと称される2chウヨも実は在日のスパイ活動の可能性が大きいわけですか。
日本史板なら>>213や3がスパイかも。
443日本@名無史さん:04/11/19 12:38:10
>>438
正倉院写経文書によれば、日本にはすでに奈良時代に《十輪経》など地蔵経典
は伝来していた。しかし当時の地蔵造像の例は、阿弥陀、観音、弥勒などに比較
して非常に少なく、その傾向は平安時代に入っても9世紀後半まで続く。
おそらく現世利益信仰が仏教の主流を占め、来世の六道輪廻の恐怖がそれほど深
まっていなかったこの時代には、地獄の救済を特色とする地蔵の信仰は、あまり
人々の関心をよばなかったためと思われる。

10世紀末の源信の《往生要集》は、《十輪経》の一節を引き、地獄に入って衆生の
苦を救う地蔵の徳をたたえており、浄土教の発達にともない地蔵の利益は天台宗の
僧侶や貴族の間でようやく注目されはじめたのである。
しかし当時の天台浄土教では、地蔵は多くの場合、弥陀五尊の造像形式にみられるように、
阿弥陀をとり囲む聖衆(しようじゆ)の一員として礼拝されるにとどまり、単独で
造像崇拝される専修的信仰はまだ発達していなかった。
 
444日本@名無史さん:04/11/19 12:39:06
平安時代後期、民間にも仏教が広く浸透するにつれて、地蔵信仰は大いに発達した。
11世紀の中ごろ三井寺(園城寺)の僧実睿が民間地蔵説話を集成した《地蔵菩醍霊験記》
は後に散逸したが、その説話の多くは《今昔物語集》巻十七に再録されており当時の
民間地蔵信仰の特色をうかがうことができる。功徳の集積が容易な貴族たちの間では
死後の地獄の恐怖がさして切実でなく、地蔵への関心が薄いのに対し、浄土往生の
功徳を積むすべのない民衆の間では、〈地獄は必定〉という深刻な地獄観の下で、
地獄に入って人々の苦しみを代わり受ける地蔵の信仰が発達し、〈ただ地蔵の名号
を念じて、さらに他の所作なし〉といった地蔵専修さえ成立したのであった。

445日本@名無史さん:04/11/19 12:40:20
鎌倉時代になると、法然、親鸞らの説く他力易行の浄土教が民間にひろまり、
阿弥陀専修の立場から地蔵信仰否定の動きもみられた。
これに対し、旧仏教側の無住の《沙石集》など阿弥陀にみられぬ地蔵の身近な
利益を強調したこともあって、地蔵はむしろ現世利益的な面で民衆に信奉され
るようになった。浄土に住まず、人々の間に交わり、大悲をもって罪人の苦を
代わり受けるという地蔵の利益は、地蔵が信者の欲する力をもった人間となって現れたり、
危難を被りそうになった信者の身代りになってくれるといった、〈身代り地蔵〉
の信仰へ発展した。こうして鎌倉時代から室町時代には、地蔵が僧の姿になって信者
の看病をしてくれる話とか、信者に代わって田植をしてくれる〈泥付地蔵〉の話
などが生まれ、地蔵の治病神・農耕神的性格もみられるようになった。
また武士の間では、地蔵が戦場に現れて危急を救う〈矢取地蔵〉や〈縄目地蔵〉の話
がもてはやされた。足利尊氏が深く地蔵を尊び、みずから地蔵像を描いて人々
に与えたのは有名である。こうした武士の地蔵崇拝は、甲冑をつけ、右手に剣を
とり左手に幡をなびかせ、戦に臨めば向かうところ敵なしという、日本独特の
〈勝軍(将軍)地蔵〉を生んだ。
 
446日本@名無史さん:04/11/19 12:41:11
一方、14、15世紀ころから、仏教各派は民衆の間に浸透定着しようとして、死者
の葬送追善儀礼を十王信仰と結びつけて強調した。日本偽斤の《地蔵十王経》では、
地蔵は、亡者を裁断する畏怖すべき閻羅(閻魔)王の本身であるとされ、民衆の
素朴な冥界の恐怖を背景に、地獄の鬼から亡者をまもる慈悲の面を代表するもの
として信奉された。六道をめぐって衆生を導くという信仰は、嶋々の六地蔵を生み、
あるいは地蔵が小僧の姿で現れるという日本古来の通念を基盤に、在来の道祖神
などとも習合して、地蔵が地獄の鬼から子どもを救う〈賽の河原〉の信仰も発達した。

江戸時代には、延命地蔵、腹帯地蔵、子育地蔵、片目地蔵など無数の身代り地蔵が
民衆によって創出されるが、こうした身代り的現世利益とともに、地蔵は来世救済
の面も兼ねそなえ、日本人にとってもっとも親しみ深い菩醍として今日にいたっている。
447山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/19 15:16:28
>>438
『枕草子』「仏は」の中に、現世利益色の強い仏とともに紹介されています。
阿弥陀と共存出来なかった事については、速水融先生の御本や『沙石集』
を御覧になって下さい。院政期には六地蔵が登場しています。
炎摩と同体とする説は『日本霊異記』に既に見られるもの。堕地獄におけ
る救済といいますが、寧ろ蘇生させてくれる仏としての信仰色が強い。
堕地獄譚とは、即ち(その後約束された)往生譚であったとも。
448山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/19 15:17:29
>>443
検索して出たものの丸写しには、あまり意味がなさそうですが。
ttp://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/jizou.html
449日本@名無史さん:04/11/19 15:34:20
闇将軍っていたんでしょうか? 
例えば秀忠に対する家康(院政者)とかのことでしょうか?
450日本@名無史さん:04/11/19 17:17:56
近代の日本の流れを描いたわかりやすい漫画ってなんかないですか?
たけき黄金の国とか国が燃えるみたいなような。
451日本@名無史さん:04/11/19 17:54:28
浄土教と浄土宗って何が違うの?
452日本@名無史さん:04/11/19 18:43:24
>>450
漫画は所詮漫画。
小説は所詮小説。
嘘・誇張ありまくりで時代考証とかいい加減で間違った知識の掃き溜めでしかない。
453山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/19 19:40:21
>>451
浄土といってもいくつもありますが、主に阿弥陀佛を教主とする西方極楽浄土
を希求し、穢土・輪廻からの離脱を求めた信仰の事です。方法としては観想・
称名の弥陀念仏のほかに、『法華経』による往生も存在しました。
「浄土宗」は、弥陀称名念仏という易行による救済を主張した法然房源空の門
弟らによって、師が遷化した後に教団が組織されたもの。『法華経』や地蔵・神
祇への信仰・他行を否定したため、『沙石集』に見られる通り批判されました。
454日本@名無史さん:04/11/19 19:49:03
紀宮さまの婚約相手の黒田さんって、あの福岡藩主の家柄?
455日本@名無史さん:04/11/19 22:04:17
>>山野
私のはその部分を書いているH氏の文章で、そのサイトが引用なのだが、わからないのか?
何か不都合でも?

菩薩の一つ。サンスクリット名クシティガルバKoitigarbha の訳。
六道および五濁悪世を選んで救済活動にあたり,弥勒の出現まで活躍する。
〈わが名を唱える人を苦から救う〉という誓願をたて,梵天,夜叉,狼,閻魔
などさまざまの姿をとって衆生を導く。  定○氏
456日本@名無史さん:04/11/19 22:25:52
>浄土教
飛鳥期における大陸からの弥勒像の伝来にともなう弥勒浄土信仰に始まる。
弥勒信仰は白鳳期を経て奈良時代前期にはかなり栄えたが、奈良時代後期
には遅れて伝来した阿弥陀信仰の方が優勢を占めるようになる。
つぎの平安時代初期に樹立された天台宗の教団内に阿弥陀信仰の浄土教が
おこり、とくに円仁が入唐して五台山に巡礼し法照の五会念仏にもとづく
念仏三昧法を移入し、ついで源信が「往生要集」を著して地獄と極楽の詳細
を描き出してから、浄土教の全盛時代を迎えるにいたる。
457日本@名無史さん:04/11/19 22:26:10
バカを叩くときにコテ使うから、、、
また、粘着が暴れるぞ、、、
458日本@名無史さん:04/11/19 22:31:23
>浄土宗
平安末期から鎌倉時代にかけて、ひとえに善導によると称した法然は、
源信の教義をも受けて専修念仏を強調し、「選択本願念仏集」を著して
浄土宗を開き、その弟子の親鸞は「教行信証」を著して絶対他力の信仰
を鼓吹し、浄土真宗の祖となり、また一遍は全国を遊行して念仏をすすめ
時宗の祖とされる。
彼らは、いずれも「浄土三部経」を所依の経典としたが、なかでも法然が
「観無量寿経」を重視したのに対し、親鸞は「無量寿経」を、一遍は「阿弥陀経」
を重んじた。
浄土真宗は、室町時代に蓮如が積極的な教化活動をしたことにより日本最大
の本願寺教団を生み出し、近代に至った。
蓮如らは「法華経」や地蔵・神祇への信仰・他行との両立をはかり、
拡大につとめた。
459日本@名無史さん:04/11/19 22:33:53
>457 名前:日本@名無史さん :04/11/19 22:26:10
>バカを叩くときにコテ使うから、、、

この書き方って、特徴あるよね。
彼だねw。
460日本@名無史さん:04/11/19 22:55:20
彼ってオタのこと?
461山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/19 23:35:36
>>455
>私のはその部分を書いているH氏の文章で、そのサイトが引用なのだが、わからないのか?
すみませんが、中国語の機械翻訳の様で、意味がつかみとれません。
あなたの引用されたのと同じ速水氏の文章が、上記のサイトに引用されたという事でしょうか。
とにかく言えることは、引用されるのであれば、省略された前後の文章や、注釈に相当
するものを付け加えられるべきでは無かったかという事です。
例えば、『地蔵菩薩霊験記』自体は散逸しているのに、どうして『今昔物語集』と同じ内容
の説話があったと分かるのか、と言った説明が不足している様に感じられました。
こうした点について、あなたなりに説明を加えられるべきだったのではありませんか。
462日本@名無史さん:04/11/20 00:52:30
>461
地蔵菩薩霊験記【じぞうぼさつれいげんき】
(1)地蔵菩薩の霊験を説いた説話集。三井寺の実叡著の「地蔵霊験記」を増補し,鎌倉期に成立。著者不詳。〔古典文庫〕
(2)地蔵菩薩の霊験を描いた絵巻。現存のものは鎌倉時代半ば以降。フリーア美術館本,妙義神社本,根津美術館本などの伝本があるが,詞書のみを残す説話も多い。
地蔵信仰の性格に対応して,絵巻の内容には庶民の生活に関わる得難い画像が多い。
と、岩波 『日本史辞典』には、ありますが、、、

荒れるからバカの相手をするなと言っているのに、どうしても何か主張したいことがあるのなら私が代わります(溜息

お地蔵さまの霊験を書いた古い本「地蔵菩薩三国霊験記」十四巻に152話が戴せてあり、
これは平安朝の初期から室町時代末までのことを、三井寺の実睿および良観が編集し、
貞亨元年(1684)の刊行です。また「地蔵菩薩利生記」六巻(37話)を求化幻人浄慧が撰述して、
貞亨5年に出され、同じく浄慧の「地蔵菩薩利益集」五巻(61話)が元禄4年に執筆されています。
また明治20年には関無学禅師の「地蔵菩薩明治霊験報道篇」があります。
http://www.fuchu.or.jp/~jizo/txt/m_13_99.htm

『地蔵菩薩霊験記』という書物は、平安時代から鎌倉初期にかけて成立したものに、
室町時代や江戸初期を通じて増補されたもので、それぞれの時代における地蔵信仰の実態を伝える、
きわめて貴重な記録として注目されるものであった。この新しいテキストは、
これまでにほとんど紹介されていない、大正大学所蔵の版本にもとづいて、
できるだけ正確な本文を示すとともに、それぞれの説話の位置づけにもつとめたものである。
http://www.miyaishoten.co.jp/main/003/3-2/jizobosatsu.htm

類話が『今昔物語集』にあるのは御存知でしょ?
ここは初心者質問スレですよ>461のレスをみた初心者に、検索・コピペ厨が互いに罵りあっていると
誤解されそうな書き込みは如何なものかと、、、
463山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/20 01:09:01
>>462
いや、提示された様な事は百も承知の上です。461で止めておくつもりでしたが。
464日本@名無史さん:04/11/20 01:30:50
>463
目欄は見てくれてますよね?
繰り返しますが、ここは初心者質問スレです。
あなたのために提示した訳ではありません(念のため

御理解いただけたようなので私も止めます。
465日本@名無史さん:04/11/20 03:12:12
ここは初心者向けのスレなんだから、やたら詳しければいいというものでもなかろう。

浄土教と浄土宗のちがいとか、くどくど書かれてもピンと来ないのじゃないか?
(まぁ漏れがよく理解できないということなのだがw)

ようするに、「浄土教」とは、「浄土を希求する傾向」みたいなもので
それが組織化して門閥・教団を形成すれば「浄土宗」ってことでいいのかな?
466日本@名無史さん:04/11/20 05:55:41
(\ ⌒⌒ /) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 l ∂ ∂ l < 今の天皇家は日本に代々伝わる天皇家とは全く関
(   ▽  ) \ 係ありません。2000年続くといわれる皇室
          の系統はとっくに途絶えています。話は明治維
          新の頃にさかのぼりますが、江戸時代の最後の
          天皇である孝明天皇およびその子供が暗殺され
          る事件がありました(犯人は長州藩といわれて
          います)。この時、長州藩の手により、全く別
          の人間が次の明治天皇として即位しました。
          背景の事情については省きますが、大きな勢力
          が裏で動いていたことはたしかです。

           ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

↑の真偽と解説をお願いします
467日本@名無史さん:04/11/20 08:56:04
>>466

馬鹿は無視しましょう。相手にすると伝染しますよ
468日本@名無史さん:04/11/20 11:26:25
大室猫之助煽り。
469日本@名無史さん:04/11/20 13:43:00
931 :臣高山 :04/11/14 12:13:37
雛人形の右左は上方、江戸で違っていたし、
それは上方は伝統的な男の天皇を
江戸では徳川系の女の明正天皇を意識してたから。

935 :日本@名無史さん :04/11/15 00:14:36
>>931
明正天皇を意識していたのなら、未婚だから男雛はいらないはずだが…

936 :日本@名無史さん :04/11/15 00:31:51
女雛を左に置くのは上方だけではない。

http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/saijiki/3/16hina/hina-ex3.htm
これは岡山の掛け雛だが、女雛が左。

http://www.wsnet.ne.jp/~hakodate/keijiban/00hina/00hina.html
これは函館の雛飾り。
幕末から明治初年の物と推定されているが
やはり女雛を左に置いている。

なお明正天皇云々が馬鹿馬鹿しいのは
>>935の指摘の通り。
470日本@名無史さん:04/11/20 16:58:16
前回の大奥で、
キリスト教徒迫害の理由について、
宣教師たちが日本をヨーロッパの植民地にしようとしているから、
とかいうような話をしていたけど、
宣教師=偵察部隊っていう認識って、いつ頃からあるんですか?
歴史を勉強する人にとっては、常識的なことなんですか?
471日本@名無史さん:04/11/20 18:13:43
雑誌で読んでわからなくなったのですが紀宮様が男子を産んで養子にすれば男系が継続とあったのですが・・・
父方の血が入るだけで男系でよろしいんでしょうか?男子→男子ということにはこだわらないのでしょうか?
472日本@名無史さん:04/11/20 18:22:47
娘が嫁いで生まれた子(外孫)が男子でも、それは男系とは言わない。
雑誌の記者が無知なだけ。
473日本@名無史さん:04/11/20 18:36:12
>>471
皇室典範
(昭和二十二年一月十六日法律第三号)
第九条  天皇及び皇族は、養子をすることができない。
474日本@名無史さん:04/11/20 18:40:01
>>473 その話は載ってた。それを改正したらという話。
475日本@名無史さん:04/11/20 18:44:09
上海紡績社長の黒田の孫を養子にするくらいなら、
昭和天皇の孫の東久邇宮を養子にすればよかろうに・・・
476山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/20 18:50:04
>>470
天正15年(1587)の伴天連追放令には、
「日本は神国たる処」、「神社仏閣」を破却し、「日域之仏法を相破」る様な真似
をして、「天下よりの御法渡」にも従わない。よって追放する。
しかし、商売人でなくとも、「仏法のさまたげを成ささる輩」は渡航を許可する、
といった主旨のものがあります。「神国」とは仏の垂迹した神々の国の意。
これは幾分観念的ですが、他にも切支丹への強制的改宗・高位の人物の改宗の制限、
海外への日本人の売却の禁止、牛馬の屠殺禁止の盛り込まれたものもあります。
もっとも、この時点ではまだ「心次第」での改宗が可能でした。
しかし徳川政権下で出された伴天連追放文では、より厳しいものになっています。
英・蘭両国人の渡来もあり、侵略的意思がはっきり示された為でしょう。
なお17世紀にインドを訪れたフランス人医師ベルニエは、ポルトガル人が侵略
的行為によって追放された国の中に日本を挙げています。
他に、東南アジア・インドにもペグー他ポルトガル人を追放した国がありました。
477日本@名無史さん:04/11/20 18:58:30
>>474
皇室典範を改正するんなら
女帝を容認するように改正すれば済む。
478日本@名無史さん:04/11/20 19:05:42
曽我宮ジェンキンス親王
479日本@名無史さん:04/11/21 03:02:11
質問です。
当方高校の日本史の教科書レベルの知識しかない者です。

太平洋戦争について書かれた小説で
お勧めのものはあるでしょうか?

司馬遼太郎の坂の上の雲のような感じのものがあれば
いいのですが。

あと、満州、台湾経営についての小説についてもお願いします。

480日本@名無史さん:04/11/21 11:46:04
>>479
山岡荘八「小説太平洋戦争」
481日本@名無史さん:04/11/21 11:46:06
『回想 満鉄調査部』
482日本@名無史さん:04/11/21 14:38:46
有難うございました。
探してきます。
483日本@名無史さん:04/11/21 21:50:36
age
484日本@名無史さん:04/11/21 22:26:05
一石ってどんな広さ?
485日本@名無史さん:04/11/21 22:42:17
>>484
すみません自己解決しますた
一石=米150キロ
ですね
486日本@名無史さん:04/11/21 23:30:41
>>475
>昭和天皇の孫の東久邇宮を養子にすればよかろうに・・・
東久邇宮は、ほとんど追放に近いかたちで皇籍離脱している。
487日本@名無史さん:04/11/21 23:31:10
>>471
どこの馬鹿記者がそんなこと書いてんの
朝日?毎日?金曜日?

>>478
台場宮孝太郎親王
蝦夷宮晋三親王
平壌宮正日親王
浮沈宮康雄法親王
488日本@名無史さん:04/11/22 00:52:49
>>487
文春か新潮だったと思う。
489日本@名無史さん:04/11/22 00:55:45
http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/
▼紀宮さまに男の子が生まれたら?

http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/
・「男の子」を授かったら「皇位」はどうなるか?

「馬鹿=サヨク」という条件反射は何とかならないものか。
490日本@名無史さん:04/11/22 01:52:18
だってバカなんだからしょうがない。
このスレを荒らしてるバカ左翼を見ればよくわかるじゃん。
491日本@名無史さん:04/11/22 02:05:31
>>470
秀吉は天正15(1587)年に、いわゆる伴天連(バテレン、宣教師)追放令を九州平定後の博多で発布しています。
この法令は、キリスト教を邪宗とし、宣教師の20日以内の国外退去を命じたものです。
出された背景の一つとして、大村純忠が天正8(1580)年に長崎を教会に寄進していたことがあります。
パレード達が信者を扇動して神社・仏閣を破壊し土地を占有していることを秀吉は好まなかったのでしょう。

しかし、貿易を奨励しているので、この追放令は緩やかなものでした。
この時、キリスト教の信仰を捨てなかった播磨明石城主高山右近は領地を取り上げられましたが、
一般人の信仰は「その者の心次第」として禁じませんでした。

同時に秀吉は、宣教師に海外に売られた日本人を直ちに帰国させるよう命じており、
まだ日本の港にいる日本人奴隷は買い戻すよう命じています。
492日本@名無史さん:04/11/22 02:06:26
天文年間、弘治年間頃から主に九州の日本人、特に女性が売買の対象となっていました。
弘治元年十月(1555年11月)、マカオの宣教師カルネイロは、多くの日本人がポルトガル商人に買われ、
マカオに輸出されていると手紙に記していますが、彼ら宣教師は人身売買を、日本への布教を妨げると判断し、
それを受けたポルトガル国王は、元亀元年三月六日(1570年3月12日)、
ポルトガル人が日本人の売買に関わることを禁止しました。
合わせて日本人奴隷の解放と、それに反する者の全財産を没収することが決まりました。
しかし、一部の宣教師が人身売買に反対しても、イエズス会自体が人身売買を許可しており、
国王の発布した法であっても拘束力は弱く、その後も日本人の売買は続いています。
イエズス会が禁令を出したのは、慶長年間になってからです。
慶長元年、イエズス会は奴隷商人への破門を議決。
慶長二年四月、インド副王はポルトガル国王名で、日本人奴隷の売買、日本刀の輸出を禁じました。
このようにイエズス会も日本人売買禁止令を出しますが、従うポルトガル人は少なかったようです
493日本@名無史さん:04/11/22 02:07:37
慶長元年(1596)、サン・フェリペ号が土佐沖で座礁。この船には三百名近い黒人奴隷が乗っていました。
増田長盛は日本の慣習法により、サン・フェリペ号の積荷を接収しようとしましたが、
船員はこれに激怒しスペインの領土が西洋からアメリカ大陸、アジアに及んでいると脅しました。
これは長盛を恫喝するためであったが、この時船員はさらに布教によって内部に味方を作る戦略が
領土拡大につながったと告げたのです。フィリピン総督もサン・フェリペ号の積荷接収に抗議しましたが、
秀吉は「貴国は布教によって他国を制圧していると聞く。日本人が貴国で神道を説こうならば貴国の王は
喜びはすまい。これを考えろ。サン・フェリペ号の積荷は返そうとしたが、伴天連追放令に違反しているために
接収した。この判断に誤りはあるまい。貴国において貴国の法に従わない日本人がいるならば、
それは大いに裁いてもらって結構である」と言い放ちました。

追記
秀吉は、日本人が人身売買に関わっていることも認識しており、そうした仲介人や船主を磔刑としています
494日本@名無史さん:04/11/22 05:30:00
>>488
週刊新潮だよ。漏れ読んだからわかる。
495日本@名無史さん:04/11/22 11:19:44
もし、現代人がタイムスリップしたら、どの時代まで言葉が通じます? 筆談ではなく、口頭で。
496日本@名無史さん:04/11/22 11:27:02
うわ、今読み返したら同じ趣旨の質問があった。
絶対無いとたかをくくってたのに、文脈までクリソツだ。
でも、回答がないようなので、誰かわかる方がいたら、ご教授キボンです。
497日本@名無史さん:04/11/22 12:35:34
戦後日本の消費者の行動についての代表的な研究教えてください。
498日本@名無史さん:04/11/22 17:30:46
昭和天皇の身長を教えてください。写真を見る限り170は無いような気が
499日本@名無史さん:04/11/22 20:09:22
>>495
高度成長以前に生まれた世代なら、室町時代までならなんとか勘で分かりそう。
バブル以後に生まれた世代なら、その親の世代までしか通じないw
500日本@名無史さん:04/11/22 22:05:00
曽我宮ジェンキンス親王
501日本@名無史さん:04/11/22 22:55:43
>>490
バカって、雛祭りの人のこと?
502山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/23 00:02:52
>>499
そもそも、程度問題であるものに明確な線引きを求める質問が無茶な気もし
ますが。確かに、室町時代辺りの語彙であれば北東北・南九州の方言に残存
している場合もありますね。場合によっては鎌倉時代まで遡れる。
口語を知りたければ、『おあむ物語』、『雑兵物語』、文明以降の抄物に、鎌倉時代
末期であれば『是害坊絵詞』や『天狗草子』でしょうね。
摂関期のかな文学にも、当時の女房らの話言葉が反映されているという。
上記の文献を御覧になられた上で、判断なさって下さいとしか申し上げられません。
503日本@名無史さん:04/11/23 12:24:27
寺子屋のテキストに「商売往来」ってのが使われたとかいいますが、あれは
全国版ですか。関東と関西では違いますか。
504日本@名無史さん:04/11/23 14:20:58
>>503
寺子屋は関西にしかない。関東のは手習所だ。
505503:04/11/23 18:10:01
>>504
厳密な方のようなので、序に。
東北、北陸、九州などは、どうなっていたんでしょうか。全国の名前が分かったら
改めて、503の質問をさせて貰います。
506日本@名無史さん:04/11/23 18:25:02
久々に厨っぽいレスをみたなw
もうじき冬休みだね

議論しにきたのか他人の善意を期待しているのか、どっちだ>505
507日本@名無史さん:04/11/23 18:46:23
質問するフリをして自分の知識をひけらかす香具師ってうざいよね。
だれが、というわけじゃないが。
508日本@名無史さん:04/11/23 22:35:25
惣村、村とどう違うですか?
広辞苑にも載ってないYO・・・
509日本@名無史さん:04/11/23 23:15:57
>>508
惣、惣中 で載ってない? うちのPC辞書には載ってる。
510日本@名無史さん:04/11/24 00:42:33
>>509
惣で載ってた!ありがとう!
511日本@名無史さん:04/11/24 01:44:09
近代日本で、陸軍士官学校、大学校を優秀な成績で卒業すると、
軍刀がもらえたとききますが、どのぐらいの順位まででしょうか?

また、東京帝大では銀時計だったそうですが、こちらもどのへんまででしょうか?
東京以外の帝大でももらえたのでしょうか?
512日本@名無史さん:04/11/24 01:45:55
>>511
陸大は6人
513日本@名無史さん:04/11/24 02:21:50
帝大優等卒業生10数人に毎年、天皇から「恩賜の銀時計」が贈られ、新聞は優等卒業生全員の氏名を紙上に掲載しました。
http://www.yomiuri.co.jp/yomidas/meiji/meiji34f_02.jpg
514日本@名無史さん:04/11/24 02:22:21
陸大は・・・望遠鏡?それは海大だったかな?!
515505=503:04/11/24 08:42:16
>>506
オレの関心は、テキストが全国版かどうかってことだった。もし全国版なら
言葉が全国共通になる効果があったのではと思ったからだ。
しかし、関東では、手習い所で、関西が寺子屋と言わないと、応えられない
といわれると、東北の×××、北陸の○○○、九州の△△△などでは、
どうかということも含めて、教えてもらうには、それぞれの名前が分からな
いと、ダメだと理解した。(ぐぐっても分からなかった)
寺子屋は、関西だけかも知れないが、極普通には、手習い所も含めて、その手
の教育機関の代名詞で使われている。
質問の趣旨をはぐらかし、入り口で撃退するヤカラはいるもんで、驚くには
当たらないが、教えてもらうモノとしては、辞を低くくするのが礼儀と思った
からだ。とはいえ、なめられるといけないのでちょっと芥子を利かせておいた。

NHKの道中なんとかでは、英輔師匠が「商売往来」が全国版と言っていたよ
うに思うが、ぐぐるとそうでもないようなので、聞きたかった。
516日本@名無史さん:04/11/24 09:01:51
陸士は銀時計
517日本@名無史さん:04/11/24 10:41:29
商売往来は、往来物の中では、全国で一番使われたようです。
特に都市近郊では多かったのでは?
518日本@名無史さん:04/11/24 14:41:30
家康、秀吉の配慮に礼状 小田原攻め前に綱引き?
http://www.asahi.com/culture/update/1122/011.html
家康は、秀吉に養子を送って同盟関係を結ぶ一方、北条氏にも養子を出していた。



於義丸?
519日本@名無史さん:04/11/24 15:20:35
天地人って誰のことなんですか?
520日本@名無史さん:04/11/24 16:33:27
江戸時代の殿様が、病気の時に頭に巻いてる白い鉢巻きの名称、知ってる方います?
521503=505=515:04/11/24 18:12:24
>>517
レスをありがとうございます。
都市近郊ですか。
澤田ふじ子の小説に女中奉公の女の子が町を歩きながら、看板見て、漢字を
憶えるシーンなんて、ありましたねえ。
522日本@名無史さん:04/11/24 21:25:44
すみません。
福沢諭吉って征韓論を唱えてましたっけ?
523日本@名無史さん:04/11/25 00:21:17
山縣有朋の「隣邦兵備略」の表ってどのように下して読むのでしょうか?
524ハン板住人:04/11/25 08:22:28
>>522
朝鮮の近代化を手助けしよう=>関るな、と変わっています。

当初、李朝を改革しようとしていた金玉均を支援していましたが、
金は李朝により凌遅刑(往来で群集が肉をこそぎ落とし、ときにはその肉を食べる刑)で殺されます。

当時、李朝は何もせずロシアと中国と日本の間をふらふらし、
日本に対して朝鮮は近代化する、と確約していたにもかかわらず、何もしないどころか、
実際の近代化の運動には弾圧していたわけです。

「脱亜論」で、もうアジアとつるむのはやめて日本だけで近代化しよう、と唱えました。

最近韓国では、この「脱亜論」を、欧米と一緒にアジアを征服しようと言う意味=「征韓論」だ、と言っていますし、
徴用は広義の強制連行だと言っている人たちの中にも広義の「征韓論」だ、と言っている人がいるようです。

ですが、「脱亜論」を「征韓論」と言うには無理があります。

長文ですが、縦読みではありません。謝罪はしますが賠償は(tbs
525520:04/11/25 09:51:42
自己解決。病鉢巻っていうらしいっす
526日本@名無史さん:04/11/25 11:55:10
>>522
福沢脱亜論の要旨
「西洋最新の文明を基礎とした列強の勢力の世界への侵出は、阻止しえない必然性
をもつ。日本が独立を達成するには、西洋文明を導入してアジアの旧套を脱却し、
列強から存在を認められるようになる以外にない。
一方、中国や朝鮮は東洋の伝統に惑昏して文明化を図らないから、列強による分割
を免れえないだろう。
日本は西洋列強から中国や朝鮮の同類とみなされないように努めるだけでなく、
列強によるその分割が行われる場合には、隣国だからといって遠慮せず、分割
に加わっていくべきである」

福沢がこう説く背後には、一つには東アジアに対する列強の帝国主義的侵出の急迫
という事情があった。このため、中国などと連帯して列強の侵出に対抗するという
従来からある態度をとっていると、日本もいっしょに分割の対象となると危惧した
わけである。
二つには朝鮮をめぐって中国との関係が緊張を増していたという事情がある。
前年末の甲申政変では実際に日清の軍隊が衝突したが、〈脱亜論〉は直接的に
はおそらくこの事後処理のためまもなく開かれることになっていた日清交渉を
念頭におき、日本が大国清を恐れず、西洋列強が清国に対するのと同様の態度
でこれに臨むよう説こうとしたものであろう。
527日本@名無史さん:04/11/25 12:37:44
>>520
病鉢巻(やまいはちまき)。
528日本@名無史さん:04/11/25 15:17:39
対中戦略爆撃は、重慶爆撃以外で大規模なものは何があるのでしょう?
529日本@名無史さん:04/11/25 16:38:35
南京爆撃、上海爆撃
530日本@名無史さん:04/11/25 16:54:31
スレッド建設依頼が ないので、ここに書きます。

「強姦は銃殺刑」はウソ

「昔、日本軍では、強姦した兵士は銃殺刑だった。それほど厳しかったからこそ、日本軍は紳士的だった。」
こんな都市伝説を聞いたことがある。実際、ネットで検索した限りでも、かなりの証言が見つかる。

**********************************************************
軍規は厳しく、強姦などは軍法会議で死刑になります。同時期の南方で蘭人女性を暴行した日本軍兵士はキッチリ銃殺されています。
http://waiwai-net2.com/0501/turi.cgi?mode=one&namber=4479&type=4292&space=420

戦場でも強姦や無差別虐殺は処罰されます。日本軍も軍規違反兵を銃殺した
http://choco.2ch.net/news/kako/1007/10073/1007360016.html

軍規(強姦致傷は銃殺)
http://waiwai-net2.com/0501/turi.cgi?mode=one&namber=4537&type=4485&space=15

強姦は銃殺だったので憲兵にばれると困るから殺したそうですが
http://www2.tomato.ne.jp/~leo/main.htm

**********************************************************
しかし、そんな軍規は実在しない。陸軍刑法によると、強姦は最大でも無期懲役だ。強姦致死の場合のみ死刑がある。
ようするに、昔の日本兵は強姦後に少女をなぶり殺しにしていたからこそ銃殺されたのだ。日本軍は紳士的どころか鬼畜だ。

陸軍刑法
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/rikugunnkeihou.htm#ryakudatu

強姦で銃殺、というのは右翼が生み出した都市伝説だった。皆も間違えないように注意してほしい。
531日本@名無史さん:04/11/25 16:55:17
ザビエルは何でてっぺんはげなんですか?
532日本@名無史さん:04/11/25 18:22:57
>>531
イエズス会ははああいう出家方法を作法としていたから かと思う
世界史板のほうがいい回答が出てきそうな悪寒
533日本@名無史さん:04/11/25 20:31:50
>>524>>526
ありがとうございました。
これで心置きなく兄とのケンカに勝つことが出来ます。
534日本@名無史さん:04/11/25 21:04:46
なあ
参考書買いたいんだが
菅野と石川 どっちがわかりやすいんだ?
535日本@名無史さん:04/11/25 21:11:58
>>529

ご返答をありがとう御座います!!!
536日本@名無史さん:04/11/25 21:56:02
>535
皮肉が通じなかったようで・・・
537日本@名無史さん:04/11/25 23:33:24
>>534
もちろんユウコウ氏
受験のとき実況中継のおかげで偏差値70いきました
538日本@名無史さん:04/11/26 00:08:34
>532

俺はイエズス会じゃないのにてっぺんはげなんだけど
539日本@名無史さん:04/11/26 00:11:39
>>528
戦略爆撃とは、前線の敵部隊ではなく後方の生産拠点や交通(鉄道・道路)にたいして組織的な爆撃を加え、
敵国の国力を減衰させることを目的としたもの。

無差別爆撃と戦略爆撃は区別してね。
540日本@名無史さん:04/11/26 00:23:11
541日本@名無史さん:04/11/26 11:33:01
奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代と
分類されますが、その後は明治、大正、昭和と天皇が代わるたびに分類
してますね。でも明治維新後敗戦までがひとつの時代だと思うのですが、
そのような考え方はしないのでしょうか?
542日本@名無史さん:04/11/26 16:54:47
初心者丸出しの質問ですいません。
大東亜戦争中、軍部の力が強かったというのなら、
なぜ東条ヒデキ内閣は倒されたんですか?
543日本@名無史さん:04/11/26 17:15:43
>>541
「戦前(戦中を含めた)」
544日本@名無史さん:04/11/26 17:40:51
>>537
今日、ジュンク堂行ってきた。
菅野と石川、どっちも捨て難くて迷っていたんだが・・・
その時、おまいのレスを思い出して、結局菅野に決めたよ。
だが、菅野の実況中継はすでに絶版になっていて、菅野の似たような講義録の参考書を買ったよ。
今更なんだがレスサンクス。
おまいがいなけりゃずっと迷ってた
545日本@名無史さん:04/11/26 18:09:03
嘉永7年って18??
546日本@名無史さん:04/11/26 18:52:33
>>542
元々海軍系の重臣は反東條だし、参謀総長兼任で、陸軍内部にも反感を抱く者が
ぽつぽつでてきた。さらにサイパン失陥で国民の間にも漸く東條に対する不信感が芽生えていた。
マリアナ決戦の敗戦を機に重臣たちの倒閣運動は活発となったが、しかし東條も辞める気はさらさらなく、
内閣を改造し強力な挙国一致内閣をつくろうとした。そこで国務大臣のポストを一つ空けるために
岸信介に辞めて貰おうとしたが、裏から重臣の手がまわっており、岸は辞表の提出を拒否。
内閣改造に失敗し、自分に対する(特に重臣たちの)反感の強さを痛感した東條は失意のうちに桂冠した。
547日本@名無史さん:04/11/26 18:55:19
がんだむ【願陀無】
古代日本で信仰された宗教、又は神のこと。
 当時、字音の座句が台頭をはじめており、その影響を恐れた朝廷が奨励した。
魏書によれば「倭人の者たちその像に見入りて飯も食わぬが如く」
 とあり、当時の信仰者たちの熱心ぶりがうかがえる。
 朝廷の布教後、直接の従事者でない「賀乃汰」と呼ばれる信仰者たちの
 相互作用によって更に広まっていった。
548日本@名無史さん:04/11/26 19:27:41
それ楽労懐中に話人あり
549日本@名無史さん:04/11/26 21:31:38
>>542
軍閥という映画が秀逸・必見!
550日本@名無史さん:04/11/26 22:35:31
>>545
1854年だけど、安政元年。
551日本@名無史さん:04/11/26 23:09:12
11月27日改元だから、安政元年と呼べるのは、厳密には1ヶ月強しかない。
552日本@名無史さん:04/11/27 00:49:14
私は鎌倉時代のお坊さん「明恵上人」が大好きです。はっきり言ってファンです。
ただし、日本史は本当の素人です。
こんな私が明恵上人のスレを建ててよろしいでしょうか?
それともそれは無謀でしょうか?

それとも仏教板に建てるのが無難でしょうか?
どうか、ご意見を聞かせて下さい。
553日本@名無史さん:04/11/27 00:54:35
>>552
坊主総合スレにしたほうが無難だと思うよ。その中でとりあげればいいじゃない。
554552:04/11/27 01:19:00
>>553
レスありがとうございます。
でも、私、お坊さん他に知らないんです。法然も親鸞も栄西も一遍も道元も空海も名前だけ
何です。で、私が好きなのは明恵上人だけ。他の人には興味ないんです。

明恵上人ってあまり人気ないんでしょうか?
555日本@名無史さん:04/11/27 11:32:58
古墳時代〜飛鳥時代〜奈良時代の対外戦役と乱を除くと、
記録されている合戦では大きなもので何があるでしょうか?
556日本@名無史さん:04/11/27 11:40:54
>改元

明治より前の改元の詔は「○○年を以て○○に改元する」という形式であった
ため、改元はその年の元日に遡って適用され、それ以後に書かれる書物では、
改元前の月日のことでも原則として改元後の元号で書かれた(ただし、現在と
同様に改元の詔の日から適用するという説もある)。
557日本@名無史さん:04/11/27 12:12:48
昔の日本人の名前ってどうしてあんなに長くて覚えにくいの?
日本史の勉強したくても舌噛みそうな名前ばっかで全然面白くないよ(;´Д`)
558日本@名無史さん:04/11/27 12:23:18
>>556
嘉永7年正月1日から同年11月26日までに書かれた文書には
「嘉永7年」と書かれています。
例えば帳面などの場合、表紙に「○○年○月□□帳」と年記が書かれている場合が多くあります。
もし「嘉永7年4月□□帳」と書かれているなら、目録にはその通り書きます。
「安政元年□□帳」と訂正することはありません。
559日本@名無史さん:04/11/27 12:23:49
すいません、いつもお世話になっています。

この間、その時歴史が動いたを見ていたら、

松平春獄を中心に徳川慶喜の新政府入りを掛けた争いといった事をやっていたんですが、

そのときに番組の結びで出ていた、

春獄のことばを引用したいのですが、

どこかネットにのってないでしょうか?

内容は、
自分が正しいと思っていない場合は曙(ザコキャラ)と戦うのにもガクガクブルブルしちゃうけど、
自分が正しいと思っているときは、ヒョードルとミルコが千人(幾万の大群を前にしても)ぐらい襲い掛かっても、
勇敢に臆することなく戦う事ができる!!

といったないようですよろしくお願いします。
560日本@名無史さん:04/11/27 13:23:12
>>559
■松平春嶽の墨書と全文
霊山歴史館所蔵の書。常設展示はされておりません。
中国の古典・『孟子』の一節で、孔子が語った「大勇」についての言葉です。
墨書の全文は、「吾嘗て大勇を夫子に聞けり。『自ら反りみて縮からずんば、褐寛博といえども、吾惴れざらんや。自ら反りみて縮かれば、千万人といえども、吾往かん。』」
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_syokai.html#02
561山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/27 14:14:19
>>554
私は好きですが、鎌倉時代初期仏教綜合スレの方がいいでしょう。
間口を栄西・法然・重源・貞慶にまで広げておいた方が無難です。
562日本@名無史さん:04/11/27 15:57:50
>>560
お、ありがとう。

つーか、思いっきりNHKの番組ホームページにのってるんですね。

563日本@名無史さん:04/11/27 16:24:16
>>541
一世一元制を勉強しろ
564日本@名無史さん:04/11/27 16:28:05
>>530
軍規にあろうがなかろうが、それは都市伝説ではない。
少なくとも、当時の兵士は「強姦=死刑」という認識であった。
565日本@名無史さん:04/11/27 16:35:39
日本軍は中国で強姦やりまくりだったんですが。
566日本@名無史さん:04/11/27 16:49:27
日本軍と日本人は区別してね
567552:04/11/27 20:42:21
>>561
レスありがとうございます。
じゃあ、その方向で行こうと思います。ただ、私、もう少しお勉強してからにします。
スレ立てたら書き込みに来て下さいね。
568日本@名無史さん:04/11/27 20:52:13
なんで、藤原家が九条とか鷹司とか五摂家に分かれたのですか?
それまでは、閑院流とか小野宮流とか分かれていても、藤原家だったわけで…。
五摂家の成立時に、嫡系相続の「家」制度が出来上がったのは、なぜなんでしょうか?
569日本@名無史さん:04/11/27 21:44:45
>>568
鎌倉幕府の執権北条貞時が、藤原氏の力を分散させるために五摂家に
分裂させたと聞いております。
↓詳しいひとの解説。
570日本@名無史さん:04/11/27 22:01:35
>>569
貞時が執権になる前から五摂家は分立してたのでは?
五摂家が成立したのって院政期とか鎌倉初期だったと思うが。
と言っても、漏れも>>568の質問は答えられないので、詳しい方オネガイ
571日本@名無史さん:04/11/27 22:25:52
>>558
よく読んでね。
572日本@名無史さん:04/11/27 22:28:34
藤原氏は北家出身の良房・基経父子が摂政・関白となって以来、その子孫
が相ついで摂政・関白となり、同時に氏長者を兼帯したが、このように
摂政・関白を出す家を摂関家または摂家といった。

ところが鎌倉時代の初頭に、源頼朝の推挙により兼実が兄基実の子基通に
代わって摂政・氏長者となり、基通の近衛家に対して九条家を興した。
ここに摂関家は近衛と九条に分立したが、さらに兼実の孫道家は、その子
教実・良実・実経を相ついで摂関につけ、良実が二条家を、実経が一条家を
興して教実の九条家と3家に分かれた。
また近衛家も基実の曾孫兼経が弟兼平に摂政を譲補して、新たに鷹司家の
分立を認め、摂関家は5家に分かれた。
573日本@名無史さん:04/11/27 23:41:06
>>569>>570>>572
レスありがとうございます。
五摂家が鎌倉初期に成立したのは知っていたのですが、
何故それまでの「〜流(閑院流とか四条流とか)」という称号から、
「〜家(近衛家とか三条西家とか)」に代わったのでしょうか?
三戦版で尋ねたら、このようなレスがありました。
>それまでの〜殿(〜流)は個人の居住地を指し、
>例えば父親は堀河殿でも、息子は小一条殿と言うように、
>親兄弟でも居住地が異なり、別々の称号を名乗っていた。
>んで、院政期あたりに親兄弟全てをひっくるめた「〜家」という
>「イエ」の概念が生まれて、
>五摂家をはじめ、それぞれの家名が固定化した。
「イエ」の概念が生まれて〜というのは、何故なのでしょうか?
574日本@名無史さん:04/11/28 03:06:17
>226さんの質問に関連することなんですが、

**守とか**守護職とかいった官命って、適当にきめてるんでしょうか?
それとも格式とかがあって**守は一級で+-守は二級、とかいうレベルの違いがあったりしますか?
575日本@名無史さん:04/11/28 07:27:36
>>573
その頃の日本では嫡子一系相続でなく兄弟分割相続が流行だったから。
南北朝の分裂も同じ流れが背景に。他の有力家でも似たような事情。
576日本@名無史さん:04/11/28 09:15:33
「無尽講」って何ですか?
宝くじみたいなものですか?
577日本@名無史さん:04/11/28 10:15:59
>>541

わたしは「帝国時代」と称せないものかと考えている。
578日本@名無史さん:04/11/28 10:29:18
旗本の家臣や上級武士の家臣(陪臣)というのは、「士分」でいいのでしょうか?
たとえば千石の武士の家にいる用人とか侍のことです。
579日本@名無史さん:04/11/28 10:36:55
一概には言えないかもしれませんが、だいたい
田堵=大名田堵=負名=開発領主=名主
で良いんですか?平安時代の荘園のところです。教えてエロい人。
580日本@名無史さん:04/11/28 10:40:15
>>574
江戸時代に守護職はないんじゃね?
581日本@名無史さん:04/11/28 13:24:40
>>576
日本で一般の人々の間で古くからあった相互扶助的な金融方式。
頼母子とも呼ばれる。一定の口数を定め加入者を集め,一定の期日ごとに
各口について一定の出資(掛金)をさせ,1口ごとに抽選または入札によって
所定の金額を順次加入者に渡す方式でお金を融資するもの。
582日本@名無史さん:04/11/28 13:40:44
>>577
いいかもね。
583568 :04/11/28 13:56:39
>>575
確かに鎌倉末期から南北朝期にかけて、武家を中心に
それまでの分割相続から惣領を中心とする単独相続に移行していきますが、
それは院政期から鎌倉初期にかけての公家にも当てはまるのでしょうか?
院政期には、嫡子が家督相続に重要な意味を持つ家伝来の文書や、
家領を相続するのが一般化しますが、武家よりも早く公家の方が惣領制を取り入れたと言うことでしょうか?
また、それまでの個々の「流派」が父系的集合体となって「家」になったのは、何故なのでしょうか?
584日本@名無史さん:04/11/28 14:09:52
>>574
上級国と中級国みたいなくくりで4つくらいあったようなきがする
古典常識の本の中でみたことがあるから古典板できいてくるといいかもしれない
585584:04/11/28 14:12:25
あったあった、守護職じゃなくて国司とか守だけどな

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%8F%B8
586日本@名無史さん:04/11/28 15:02:05
>>583
答えではありませんが、長子相続が決定的になったのは、家康が3代目に家光を
指名したからだとどこかで見た気がします。中国では古来長子相続制があった
ようですが、平安時代、もし長子相続があるなら、それを参考にした可能性が
あります。南北朝や応仁の乱も相続制があいまいのため起きたという話があり
ます。戦国時代は実力主義でしたので、相続もできのいい子供にという考えだ
ったように思います。
分割か長子かは、土地の問題が主要因だと思いますが、分割相続で持分の田が
減るのを「田分け」といい、「タワケモノ」がバカな人の呼称になったという
話もあるようです。(相変わらず分割相続する人を批判したんでしょう)
神奈川県松田町の246号線には、「総領」、「庶子」の地名の表示があります。
土屋には、「庶子分」というバス停があります。鎌倉時代からだと思いますが、
長子ではなく、総領という概念は、この頃既にあったと思えます。
587日本@名無史さん:04/11/28 15:17:52
イエの成立は院政期ころから。
摂関家など公家もそう。
588568:04/11/28 15:35:25
>>586
それまでの混沌とした戦国期では優秀な子が「嫡子」として選ばれていたのでしょうが、
天下泰平になってから御家騒動などが起きないように、
「長子」=「嫡子」というのが固定化したのかもしれませんね。
八代吉宗も、聡明な次男ではなく、暗愚な長男に将軍職を譲ってますしね。

>>587
何故「イエ」というものが成立したのでしょうか?
それが「五摂家は何故成立したのか」と繋がるかと思うのですが…。
平安期までは公家の嫡流でも零落していたりしますよね。
もちろん天皇家との外戚関係が築けなかったからとか、政争に敗れたから
といった理由はあるでしょうが…。
中世以降の公家は五摂家をはじめ上流公家は養子まで迎えて「家」を存続させています。
そして「家格」や「家業」なども、代々伝わっていく…。
この変化は何故なのでしょうか?
恐らく論文や本を読めばいいのだと思いますが、
まだ大学生ではないので、論文も入手できず…
と言って、高額な本は買えませんし読解力もありませんので、
詳しくご教示お願いします。
589日本@名無史さん:04/11/28 16:10:57
日本史をたのしく学べるゲームってないですか
590日本@名無史さん:04/11/28 16:18:05
>>589
ノブヤボは良いよ。戦国以外でも興味持てるようになったもん。
591日本@名無史さん:04/11/28 16:30:22
信長は基本ですね
592日本@名無史さん:04/11/28 16:43:16
>590
テッポー強すぎ
593日本@名無史さん:04/11/28 18:31:54
>>588
佐藤進一「王朝国家」(同『日本の中世国家」第一章、岩波書店、1983))
これなら、2200円。

「イエ」の成立についてストレートに書いてあるわけではないが。
594越中やもり:04/11/29 00:26:58
越中、加賀藩高岡城下を作る為にまず造られた町の1722年の町割り図面を
見たところ、各家の名前の左下に持分という小さな字が書いてあるのを見まし
たが、これはどんな意味を持っているんでしょうか、数十軒あるなかで持分と
書いてあるのは4軒ほどしかありません。加賀藩2代目前田利長の命により
造られ、木材と廻船の特権を与えられた町です。
どなたか、明るい方お教えください。
595日本@名無史さん:04/11/29 01:13:29
>>594
マルチは良くない。
草分の町人屋敷なのかなという気はするが
これだけの情報で答えろというのがそもそも無理な話。

>高岡城下を作る為にまず造られた町
これは放生津のことなのか、それとも高岡城下のある町のことなのか
廻船云々からは前者のような気がするが、この書き方ではよくわからん。
放生津なら新湊市博物館で聞くのが一番だと思うが
まさか来年3月から行われる「企画展 射水の絵図展」の準備をしている人間が聞いてるんじゃないだろうな。
596568:04/11/29 02:56:26
>>593
すいません…。うちの地元の本屋には置いてありませんでした…。
今度図書館で探してみます。
ただ、こういった専門書に書かれている内容は、
往々にして、ある程度の日本史知識がないとちんぷんかんぷんだと思うので、
私には到底理解できるかどうか…。
なるべく噛み砕いて書かれている一般向けの本はあるでしょうか…(できれば安価の)
それより、こちらでご教示頂けたら、幸いです。
597日本@名無史さん:04/11/29 21:43:27
>イエ
婚姻を核とする一定の親族集団を〈いえ〉と呼ぶことは古代にすでに行われて
いたが、中世以降注目されるのは、家が単なる婚姻親族の人的側面に対する呼称
であるだけでなく、社会生活全般の基本単位となっていった事実。

中世に確立する家とは、種々の点からみて、以下の四つの側面を備えたものと
考えられる。
第1に、家は人的には夫と妻を核とし直系尊族・嫡系子孫を不可欠の要素とし、
多くの場合傍系子孫・親族や非親族使用人(家人、所従、下人、奉公人等)をと
りこんで構成されていた。
第2に、家は同時に私産(土地、家屋、動産)所有の単位であり、家の成員は成員
としてとどまるかぎり主要な私産を自由に個人的に所有できず、家長の一括所有
または彼の管理の下に使用するのが通例であった。家の形成とともに作成された
貴族・武士らの譲状にはこのようなあり方が如実にうかがえる。
第3に、このような私産に支えられた家は経営や社会的活動の基本単位であった。
貴族の荘園領有や官人としての職務が彼の家の政所や家人らに担われていたこと、
武士の所領経営や戦闘が上述の一族や家人・所従らによって行われた事実などは
これをよく示している。
第4に、以上の条件をもつ家は、それがもつ社会的機能を公的に果たすべき単位
として法的・社会的に理解されていた。朝廷が摂関の地位を摂関家に、官務の職
を小槻家に認め、幕府が御家人役を御家人の家に求め、惣村の寄合が各百姓の家
に惣の所役を課したことなどはその典型事例。
598日本@名無史さん:04/11/29 21:50:38

ばかせスレからのコピペ
反応しないように>all
599日本@名無史さん:04/11/29 23:59:40
質問があります。
日本語の医学に対するオランダの影響、という事について書かれている
良い文献をご存知の方はいらっしゃいませんか?
何かご存知の方があればご教示下さい。
よろしくお願いします。
600越中やもり:04/11/30 01:27:48
>>595さんへ。
有り難うございます。
高岡城下の木町という町です。1609年利長は富山城が焼失した為、高岡を
造るにあたり、資材の集荷地として利便性に富む木町に特に木材業の特権
を与え専業権として保護し、他町の木材業の扱いには厳しく対処しています。
戦略的にも北部の海上からの、また能登方面からの敵の侵入を阻止する為の
重要なポイントであるため、藩政として重要視していたものと私は考えて
います。持分ですが恐らく、その土地が自己所有である、との意味だと思い
ますが、江戸時代の町人の土地所有はどの程度のものであったか、又、木町は
加賀藩の重要な町であったため、持分以外の人達は貸与えられていたものなの
か、そのあたりを知りたいと考えます。
詳しい方、宜しくお願い致します。
601日本@名無史さん:04/11/30 01:43:24
てめえで往生しろ!マルチ無礼者よ。
602日本@名無史さん:04/11/30 13:33:41
>>597
どこの本でも出てる。内容は大体正しい。
603日本@名無史さん:04/11/30 15:28:20
中一の子供が
「鎌倉時代に、天皇の即位の際に必要な道具を3つ挙げよ」
という問題を出されたんですが、
どなたかこの答えを知っている方か
そのようなものがのっているサイトをご存知の方いらっしゃいませんか?
よろしくお願いいたします。
604日本@名無史さん:04/11/30 15:33:50
三種の神器(じんぎ)でグーグルしてみると出てきますよ。>>603
605日本@名無史さん:04/11/30 15:41:08
>>604
ありがとうございます!
みつかりました♪
606日本@名無史さん:04/11/30 16:59:28
自衛隊は曹以上が職業自衛官で、士は二年間の契約制です。
旧軍はどんな感じでしたか?
607日本@名無史さん:04/11/30 17:03:29
語呂合わせが、沢山載ってるサイトを教えてくださいませ。
608日本@名無史さん:04/11/30 17:03:47
下士官(伍長・軍曹・曹長)は判任官なので、武官=公務員。
兵は国民の義務として服役しているので、今で言う「公務員」ではありません。
609日本@名無史さん:04/11/30 17:42:52
>>608
それ、詳しくまとまってるサイトないですか?
610日本@名無史さん:04/11/30 17:45:57
611568:04/11/30 18:14:40
>>597
中世に確立する「イエ」は、
@当主を核とした大規模な親族集団で、
A家産(家記や家文書、家領など)の嫡子一極集中相続が浸透し、
B家司・家人など家政機構が成立し、
C家業、家格の固定化も進んだ。
ということですかね?
とりあえず、山川出版社の日本史リブレット20
「中世の家と性」高橋秀樹著(800円)
を地元書店で見つけ、読むことにしました。
引き続きこちらでもご教示お願いします。
612日本@名無史さん:04/11/30 21:33:12
ポツダム宣言を受諾するか否かの御前会議で、
最終的に昭和天皇自らが受諾を決めたそうですが、
そのとき「朕はどうなってもいい」と言ったのは本当ですか。
613日本@名無史さん:04/11/30 21:59:33
最後まで受託に反対した阿南陸相に、
あとで、「大丈夫、国体(天皇制)は護持される」と言ったそうです。
614日本@名無史さん:04/11/30 22:05:44
>>611
そういうことですかね。

リブレットは、平安末〜鎌倉時代が中心ではない?大丈夫?
というのは、貴族層で成立してきたイエが、
一般階層に広まるのは戦国期。
それまでは、夫婦は別の氏に、別々の財産。
それを子どもらにばらばらに分けていた。
615日本@名無史さん:04/11/30 22:41:51
今、日本の古代史、真実が明らかにされた。
日本で唯一、結社集団の秘密を明らかにしたHP。
本物の文章を読みたい人へ。
さあさあ、集え集え。
いざ、参られ。
http://j1.ax.xrea.com/l.j?id=100229383
http://w1.ax.xrea.com/c.f?id=100229383
http://w1.ax.xrea.com/l.f?id=100229383&url=X
616日本@名無史さん:04/11/30 23:15:54
>>611
官司請負制や、皇位継承問題、さらには摂関継承問題といった
直接的に「イエ」の成立の契機になった問題をきちんとみないと
不十分ではないかと。

さらには、挙げられた「中性の家と性」はむしろ「女性史」の本であるので、
ミスリードされないようにご注意くださいませ。
617日本@名無史さん:04/12/01 02:10:57
中世の史料にぽこっと出てきた坊さんについて調べるにはどうしたらいいんでしょう?だれか教えてくださいまし。
618568:04/12/01 02:35:49
>>614
「イエ」というものが多少見えてきました。
まだ全部読みきってないのですが、
リブレットは院政期から鎌倉にかけてがメインですね。
>貴族層で成立してきたイエが、一般階層に広まるのは戦国期。
やはりすんなりとは「イエ」という概念は浸透しなかったのでしょうね。
まして、日記や所領などの「家産」や「家格」などに縛られない一般民衆ですから、
従来通りの家族体制で支障はなかったのかもしれませんね。
戦国期の「イエ」について書かれた本などありましたら、教えて下さい。

>>616
>官司請負制や、皇位継承問題、さらには摂関継承問題といった
>直接的に「イエ」の成立の契機になった問題
鳥羽天皇の践祚に当たって、天皇の外戚であった藤原公実が、
今まで外戚でない摂政はいないとして、自ら摂政に就任しようとしたところ、
代々摂関の子孫でない者が摂政になった例はないとして、
その願いは退けられ、鳥羽天皇とは外戚関係のない忠実が摂政に就任。
以後摂関職が御堂流の継ぐべき地位として確定し、
外戚とは関係ない「摂関家」というものが確定したそうです。
これも「イエ」の成立を現す一つの事例であり、「イエ」成立の契機とも言えると思います。
>官司請負制や、皇位継承問題、さらには摂関継承問題
とは具体的にどういった問題なのでしょうか?
浅学で申し訳ないですが、ご教示お願いします。

>挙げられた「中性の家と性」はむしろ「女性史」の本であるので、
>ミスリードされないようにご注意くださいませ。
なるほど。どうしても知識がないので、
専門書などに書かれている事を鵜呑みにしがちですが、
それも著者の一見解に過ぎないんですよね。
そういう点に留意して読み進めていきたいと思います。
619日本@名無史さん:04/12/01 05:22:32
>>612
(前略)
自分はいかになろうとも、万民の命は助けたい。この上戦争を続けては結局我が邦は
またく焦土となり、万民にこれ以上苦悩を嘗めさせることは私としてはじつに忍び難い。
祖宗の霊にお応えできない。和平の手段によるとしても、素より先方の遣り方に全幅の信頼を
おきがたいもは当然であるが、日本がまったく無くなるという結果にくらべて、少しでも種子が
残りさえすればさらにまた復興という光明も考えられる。(中略)
この際私としてなすべきことがあれば何でもいとわない。国民に呼びかけることがよければ
私はいつでもマイクの前にも立つ。一般国民には今まで何も知らせずにいたのであるから、
突然この決定を聞く場合動揺も甚だしかろう。陸海軍将兵にはさらに動揺も大きいであろう。
この気持ちをなだめることは相当困難なことであろうが、どうか私の気持ちをよく理解して
陸海軍大臣は共に努力し、よく治まるようにして貰いたい。必要あらば自分が親しく説き諭しても
かまわない。この際証書を出す必要もあろうから、政府は早速その起案をしてもらいたい。

(下村海南『終戦秘史』)
620日本@名無史さん:04/12/01 09:39:47
>>619
そういう発言は開戦前にしてもらいたいな。
感想なのでsageときます。
621日本@名無史さん:04/12/01 12:21:58
>>617
例えば誰よ?
622日本@名無史さん:04/12/01 13:01:04
>>617
辞典類に出てこないのなら
僧侶の日記を丹念にあたって、どんな人物かを調べるしかないと思う。
623日本@名無史さん:04/12/01 14:01:30
>>618
>>官司請負制や、皇位継承問題、さらには摂関継承問題
>とは具体的にどういった問題なのでしょうか?

摂関継承問題は>>618に書いておられる忠実の鳥羽摂政就任のことです。
この事件が「イエ」の成立における画期であることはその通りですが、
「なぜ、こうなったか」を考えるときに、忘れていけないのは、
やはり「後三条践祚」であろうと。

また、天皇の「イエ」である王家の成立にあたっては、
「治天(王家の長)が皇嗣を決する」という慣習の開始、
すなわち「白河による院政の開始」が重要な意義を持っているわけですが、
その目的が実仁・輔仁の兄弟の皇位継承を阻止することにあったことも
忘れるわけにはいかないでしょう。
以上の理由から、論点として皇位継承問題を指摘しました。

官司請負制については、「家産」の問題として重要だと思います。
624日本@名無史さん:04/12/01 14:07:08
むむむ。国史大辞典にものってないような寺社のなりたちを調べるにはどうしたらいい?教えてプリーズ。
625日本@名無史さん:04/12/01 14:43:43
>>624
(1)平凡社の『日本歴史地名大系』シリーズで調べる。
(2)その寺社が存在する地域の自治体史を見る。
626624:04/12/01 16:20:23
ありがとう。
627日本@名無史さん:04/12/01 17:15:46
レス番号を年代に置き換えて、
書き込んだレス番号の年に起きた出来事を
書いていく、というようなスレはありませんか?
1〜1000年と1000〜2000年があればいいんですが。
628日本@名無史さん:04/12/01 17:39:19
>1〜1000年と1000〜2000年があればいいんですが。
日本史板だと、前者の1が書けないのではないか。
後者だけで十分では。
629日本@名無史さん:04/12/01 18:09:21
>>628
確かにそうですね…。
メインを1000〜2000年にして、
適宜0〜1000年も入れてよい、
というものにするとどうでしょうか?
630日本@名無史さん:04/12/01 20:59:06
南北朝がわかる初心者向けの読み易い本を
教えていただけないでしょうか?
631日本@名無史さん:04/12/01 21:04:52
さいとうたかおの太平記とか?あれじゃダメかな・・・
戦国が江戸時代?でお金を稼ぐだけ稼いだら全部使い切って また溜めればいいやっ
て感じの武将がいたそうなんですが誰の話でしょうか?
632日本@名無史さん:04/12/01 21:05:07
岩波ジュニア新書か集英社「日本の歴史」の該当巻
633日本@名無史さん:04/12/01 21:05:28
↑ 戦国か江戸でした すみません。
634日本@名無史さん:04/12/01 22:05:56
下士官は判任官という話だったが、陸士、陸幼の生徒は「官」なの?
635日本@名無史さん:04/12/01 22:10:18
陸士の生徒は在校中に兵から軍曹、曹長へと昇級する。
636日本@名無史さん:04/12/01 22:37:38
>>631
>>632
ありがとうございます。さがしてみます。
637日本@名無史さん:04/12/02 00:31:37
こんにちは

なぜ前田利家は拾阿弥という人を惨殺したんですか?
638568:04/12/02 01:54:15
>>623
なるほど。
もともと異母弟・実仁親王の成人時までの中継ぎとして即位した白河が、
先帝・後三条の遺命を無視して、実仁に皇位を譲らず、
また実仁の死後も、実仁の同母弟・輔仁親王に皇位を譲らず、
実子である堀河を即位させ「院政」が成立するわけですよね。
自己の血脈に王統を継承させようとする白河の「直系継承」の意向は、
「イエ=嫡子継承」を知る上で、確かに重要な点ですね。

「イエ」=貴族社会にばかり目がいっていて、院政期の皇位継承問題は、
つい見逃していた点でした。ありがとうございました。
639日本@名無史さん:04/12/02 06:13:32
新撰組のトップは何故「組長」ではなく「局長」と呼ぶのですか?
640日本@名無史さん:04/12/02 12:53:29
木曾義仲はなぜさっさと都を離れなかったんですか?
後白河と後鳥羽を擁して都落ちしていればもう少し何とかなったんじゃないのか。
641日本@名無史さん:04/12/02 16:24:07
>>639
新撰組の歴史をちゃんと考察しているサイト見ればすぐ分かる。
642日本@名無史さん:04/12/02 16:49:20
征夷大将軍の意地か?
宇治川が破られてからは脱出を試みているが間に合わず敗れた。
京都は守りがたく攻めやすいといわれてるのにね。
彼にとっては京都で戦うから意味があったのかも?
643日本@名無史さん:04/12/03 01:31:45
>>639
会津藩などでは、公用方などのことを公用局と呼ぶ
644日本@名無史さん:04/12/03 01:38:31
645日本@名無史さん:04/12/03 02:17:04
>>643
初めて聞いたよ。
646日本@名無史さん:04/12/03 09:40:06
今介錯してやると殺人罪になるのですか?
執行猶予つく?人道的な意味だと思うけど>介錯
647日本@名無史さん:04/12/03 19:38:03
自殺幇助罪では?
648日本@名無史さん:04/12/03 23:41:14
江戸時代の大名は幕府に納税していたのでしょうか?
ときたまの名産品献上はあったのでしょうが。

幕府に隠し田や鉱山を知られたくないのは、取り潰しの危険と、
なんらかの吸い上げのシステムがあったのでしょうか?
将軍吉宗のときの涙ぐましい米上納制度は知っています。
649日本@名無史さん:04/12/03 23:58:36
>>644
わぁ、ありがとうございました。
チュウ
650日本@名無史さん:04/12/04 00:29:29
明治頃の文章(漢文調のとか、文語体など)を読めるようになりたいんですが、
どういう勉強をすれば良いんでしょうか?
651日本@名無史さん:04/12/04 00:31:55
>>648
大名は献上という形で土木普請や結婚祝いで相当な出費をしてた。
「税」という名はついてないけど、幕府の威光を恐れた大名達は納税する感覚だったと思う。
将軍への献上以外にも大奥への「見舞い金」とか合わせると物凄い金額。

献上の金額・規模は大名の家格や石高、将軍との姻戚関係で違ってくるので
大名は新しく開墾した土地や密貿易での収入は幕府に報告してなかった。
幕末になって薩摩藩が幕府の要人に密貿易について報告したけど、
これは欧米諸国が日本近海にやってきて開国を迫っていた状況下で
その事を知らせる必要があったりしたから。
652日本@名無史さん:04/12/04 02:13:39
戊辰戦争で、薩長土肥以外に戦闘に参加した藩はどのくらいあるのでしょうか?

また、土佐などの主力の活動がわかる情報があれば教えてください。
653日本@名無史さん:04/12/04 03:26:41
にほんとにっぽの違いを教えて下さい。
ググったらサッカー板に行きました。。。
654日本@名無史さん:04/12/04 03:28:39
↑んが抜けてました。
にっぽんです。
655日本@名無史さん:04/12/04 04:05:10
>社会党は左右両派が一緒になって日本社会党ができたんですが、
>左右が合同したことから「日本」ではなく「二本」と揶揄されていました。
http://www.taku.net/voice/show_text.php3?ID=6LAzX
656日本@名無史さん:04/12/04 08:44:29
来歴的には「にっぽん」が正しい。大日本帝国も「だいにっぽんていこく」だしね。
公的な文章では基本的に日本を「にっぽん」と読む。
ただ、慣用的な地名はこの限りではない。「日本橋」とかね。

このネタも定期的に書き込まれるが、ちょっとググればすぐ出るだろうに。ネタか?
657日本@名無史さん:04/12/04 13:43:10
>>655
有り難うございます
>>656
ネタじゃないです。
にほんとにっぽんの違いとニホンとニッポンの違いでググっ2chの根拠の
なさそうなのしか出てこなかったので質問しました。
658日本@名無史さん:04/12/04 13:58:37
>>657
http://www.koho.or.jp/research/qa/a_activity37.html
結論から言うと、どちらが正しいということはなく、両方の読み方があるようです。
国名の「日本」については、昭和9(1934)年に文部省臨時国語調査会が「ニッポン」にすることを決議しましたが、政府での採択がないまま今日を迎えています。
ちなみにNHKでは、「日本」を正式の国名(国号)として読む場合は「ニッポン」、そのほかの場合には「ニホン」と言ってもよいとしています。
また、NHKの最近の調査結果では、「ニホン」派が61%、「ニッポン」派が37%とのことで、若い人ほど「ニホン」派が増える傾向にあるようです。
659日本@名無史さん:04/12/04 16:23:46
「倭」は蔑称なのでしょうか?
660日本@名無史さん:04/12/04 16:26:55
本来は蔑称なんだろうが、
聖武か桓武天皇あたりまで、自分で使ってるので、
中国命名で喜んでる面もあったのでは。
661日本@名無史さん:04/12/04 16:39:14
そもそも大王家の姓は「倭」だしな。
662日本@名無史さん:04/12/04 16:53:16
>>659 にんべんは人を表すから良いという人もおる。他の国は獣へんなど。
663日本@名無史さん:04/12/04 17:53:39
>>662

私も以前から不思議に思っていたのですが、
にんべんが入っているから蔑称とは違うような気もするのですが…。
どうでしょうか…?
664日本@名無史さん:04/12/04 17:55:47
>>660

「倭」って中国が命名した言葉なのですか?例えばJapanみたいに。
665日本@名無史さん:04/12/04 17:59:31
あの、質問ですが中華思想ってもう既に後漢の時代からあったのですか…?
古代と中世の中華思想は別物の気が致しますが…。

後漢の時代の中華思想がよく巷で言われる中華思想と異なっていた場合、
倭は蔑称と違う気が致しますが…。
666日本@名無史さん:04/12/04 18:14:24
蔑称という説(別称の中ではまだマシであるという説)も蔑称ではないという説もある。
667えせ壊人:04/12/04 18:52:02
聖徳太子は同時に10人と会話をしたというのは有名な話ですが
では、その時に彼と会話していた10人は全員
同時に発せられる10の声から自分に対する声だけを聞き取る事ができたのでしょうか?

聖徳太子は人間である…仮定@
正常な人間であれば舌は一つのみを持つ…仮定A
一枚の舌で同時に2種の発声は難しい…仮定B
聖徳太子は同時に1人しか存在していない…仮定C

上文の@〜Bが正しいとするとCが間違っている事になります
よって、聖徳太子は10人いたということが証明されます

どなたか解答をお願いします
668日本@名無史さん:04/12/04 19:47:59
>>667
命題に誤りがあるような気がする。
「聖徳太子は同時に10人の話を聞き分けた」
じゃないのか?
669日本@名無史さん:04/12/04 20:35:51
違うスレで答えてもらえないので、こちらで書かせてもらいます。真田信繁と真田幸村の関係詳しく分かる方いますか?
幸村は信繁モデルに作られた架空ですか?
それとも改名した事実とかあるんですか?
670日本@名無史さん:04/12/04 21:17:10
真田幸村の名が信繁。
信頼の置ける史料では幸村とはかかれていない。
幸村の本名が真田信繁。
671日本@名無史さん:04/12/04 21:43:58
倭の五王の姓は倭。
でも、小さかったから倭だとも言われている。
672日本@名無史さん:04/12/05 03:22:29
宇佐八幡宮神託事件で和気清麻呂が都⇔宇佐を往復しております。
その旅程(どこに立ち寄ったか)を知りたいのですが、ご存じの方はおられませんか?
以前、どこかの書物で読んだ気はするのですが、書名を失念いたしまして。
よろしければ書名だけでもご教示いただければ幸いです。
673日本@名無史さん:04/12/05 04:24:48
忠臣蔵のドラマなんかでお家取り潰しの時に城を枕に徹底交戦みたいなシーンが
ありますが実際、取り潰しにあった大名で徹底交戦した事例ってないんでしょうか?
福島正則とか関ヶ原で破れた大名とか・・・
674673:04/12/05 04:26:23
補足で島津は領地が削られるなら戦うっていってたような・・・
でも実際は戦っていないし・・・
675日本@名無史さん:04/12/05 09:55:23
皇族の人って、男子でも本人が希望すれば、
平民になれるのですか?


676日本@名無史さん:04/12/05 13:34:56
>>672
『続日本紀』等を見ても具体的な行程は載っていなかったと思われ。
和気清麻呂の流刑のルートが明らかになっている史料は無いような。

推定ルートなら何かの論文で載っているかも。

>>675
釣りのようだが、釣られてみるw
三笠宮寛仁親王の10数年ほど前のケースで分かるように、実際は希望しても無理かと思われます。
法的にはその辺について語られている条文はなかったかと。
677日本@名無史さん:04/12/05 15:20:27
士官学校卒とか志願兵以外の
赤紙で集められるような連中にも給料出るんですか?
それは敗戦しても出るのですか?
それとも「負けたら給料なし。飯代稼ぎたければ死ぬ気で勝て」って感じだったんでしょうか?
個人的にはこういうイメージが強い。

あと終戦後に生き残った敗残兵にも敗戦国は給料出さないといけないのでしょうか?
やっぱり「お前らが弱いから負けたんであって払う義理は無い」とかなんでしょうか?
678日本@名無史さん:04/12/05 15:46:42
>>677
家の爺ちゃんは兵学校卒の元中尉だが(従七位だかなんかの見せてくれた)
月に大体40万近く年金貰ってる。
とはうえ、戦後合成繊維の開発でかなり上級職についていたし、
そのせいもあるのかもそれないけど。
でも、多分この中には軍人時代のものも含まれてると思うので
敗戦してももらえるのでは?

詳しくないからよくわからんスマソ
679日本@名無史さん:04/12/05 15:56:07
いや、出ないと思う
丘陵なんかのことで文句言ったら軍法会議抜きで銃殺でしょう
そして負けたら銃殺。軍隊ってそういうところですよ。
もちろん不満とかいってやめようととしたら敵前逃亡で一族まとめて死刑。
自衛隊だってイラク行きたくないからやめた連中なんて
一族まとめて公開処刑者ですよ、本来は。あめリカとかだったら今でもそうでしょう
たしか戦闘中の信号弾見落とすと本人のみならず親兄弟とも死刑だったはず。
たまたま日本は平和ボケしてたから生き延びれただけです>逃げた連中。
>>678の祖父は士官だからそうならなかっただけで
代えのいくらでもいる兵卒なんてバンバンつぶしても問題ないでしょう
当時だったらなおさらね。
680日本@名無史さん:04/12/05 15:56:58
大体病床兵撤退の邪魔だから遺棄したり殺してたぐらいだし>旧軍
681日本@名無史さん:04/12/05 16:12:16
682日本@名無史さん:04/12/05 16:21:44
財政難なのに兵士ごときに金なんか払ってるから負けるんだよ>旧軍
アメリカ並になってから給料払えや
683日本@名無史さん:04/12/05 16:55:14
>>677
勝とうが負けようが、俸給は戦死するまで出ますよ。旧陸軍なら二等兵で月6円。



684日本@名無史さん:04/12/05 17:04:59
>>682
日中戦争期の軍事費の9割近くは物件費。
人件費の占める割合は非常に小さい。
685日本@名無史さん:04/12/05 17:07:06
>>668
横レスすまん
昔 小学館とかから出てたマンガによると
聖徳太子は 同時に10の発音をして喋っていたように書いてあった
それを 話し相手が聞き分けられていたかどうかは忘れた

実際に、俺の友達でもゲームしながらチャットしながら携帯で喋っているヤツがいるし
慣れたらできない事も無いと思う
686日本@名無史さん:04/12/05 17:08:45
>>685
……えーと、その友人のしていることと、同時に10種類の声を出せるかどうかはまったく別だな?
687日本@名無史さん:04/12/05 20:30:34
有馬藤太について教えてください。
近藤勇を捕らえた人物と、検索したら満州義軍に加わったらしいとか。
そのほか詳しいことがあれば教えてください。
688日本@名無史さん:04/12/05 21:33:26
質問です。

現在の日本政府は建前上、大和朝廷の末裔であるという
考えでよろしいのでしょうか?
689日本@名無史さん:04/12/05 23:15:26
前テレビで駒場公園に陸軍士官学校の何かがあったとかやってたんですが何でしょうか?
690日本@名無史さん:04/12/06 03:53:48
>>688
外務省だか宮内庁だかのHPを見る限りでは一応そうなっている
建国4世紀ごろ大和政権確立とかそんな感じ。

実はこれって世界に現存する国家では群を抜いて古いので
マンセーするつもりは無いけど世界に一つぐらいこういう珍妙な国があってもいいじゃん?
エチオピアは滅んだし・・・
きっと数百年後にも残ってるンじゃないかと思われる国家の筆頭だぞ?
欧州やアメなんか微妙だし。
691日本@名無史さん:04/12/06 17:41:17
質問っす

昔の行政区分(下野だの武蔵だの相模だの)が現在の何市かを調べるにはどうしたらよいでしょか
692日本@名無史さん:04/12/06 17:41:19
クスコの変について質問させてください。
敗北した藤原仲成は射殺となっているのですが、この時はまだ鉄砲は伝わっていないと思うのですがどういうことでしょうか?
693日本@名無史さん:04/12/06 18:20:13
弓矢
694日本@名無史さん:04/12/06 18:21:14
質問です
士農工商に芸人坊主が入ってませんが
どのへんにはいるものですか?
695日本@名無史さん:04/12/06 18:23:47
水野祐氏の「三王朝交代説」と江上波夫氏の「騎馬民族征服王朝説」は
歴史学や日本人の歴史においてどんなインパクトを与えたんですか?
696日本@名無史さん:04/12/06 18:57:46
>>694
芸人坊主は神人なので身分制の規定外。
っていうか士農工商っていう制度自体幕府も厳密に実施してたわけじゃあない。
中世・近世の職業に関する本を読んでみれば。
697日本@名無史さん:04/12/06 19:02:09
>>659
これも何度も何度も出てくるなぁ。漢字は偏や旁に意味があるのは知ってるよね?
倭という字の作り、コレは矮小の矮という字と作りが同じで、小さいと言う意味がある。
当時から日本人は体格があまりよろしくない、または姿勢が良くない(猫背?)という
印象があったんだろうね。

志賀島の金印は、人偏がない倭という字だが、これは割と中国の文献ではある例のようで、
完全に蔑称という訳ではないが、どちらかと言えばあまりよろしくない字である。
上で誰かが書いているように、ミャオ族とか昔は全部獣偏だったので、そういう意味では
人間扱いしているとも言えるが、魏志倭人伝の場合は、書かれた当時の晋王朝の司馬氏が、
邪馬台国の朝貢に関わったため、司馬氏の手柄を強調するため、邪馬台国を西の大月氏に匹敵する
超大国として描いたと言う指摘もある。倭の人偏も、その流れかもしれない。
大国だけどチビという字なので、バランスをとったと。

いづれにしろ、後の大和朝廷は和と言う好字に、大という字をつけて「やまと」と
読ませた訳だから、倭の字がチビと言う意味を嫌って、さらに反動として大までつけたのが伺われる。
明治維新で大日本帝国になったようなモンだね。日本人には事大主義と自大主義と言う、
アンビバレントな性癖が昔から同居するようだ。コンプレックスの裏返しなんだろうが。
698日本@名無史さん:04/12/06 19:03:01
>>661
アメまたはアマのほうが有力。
699日本@名無史さん:04/12/06 19:19:18
>>665
中華思想と言うか、正統の概念は司馬遷が史記を著して以来、より明確になった。
正統の概念とはすなわち、皇帝の正当性の由来。中国人が黄帝の子孫と自称するのは、
黄帝以来の正統(血統ではなく権力の根拠)が連綿と受け継がれてきた、という意識だね。
ただ、実際問題として中国は北方騎馬民族には戦争では負け続けていて、
漢代初期は実質的には貢ぎ物や皇女を差し出していたので、中華思想を誇ろうにも、
心の底からそれを信じ込めない部分はあったと思う。

黄巾の乱以降は中国人も激減し、トルコ系の人間が中国人の主流になったし、
唐王朝に至ってはトルコ系(突厥)なのがハッキリしているしね。
いわゆる中華思想は宋学であり、滅びゆく王朝の「俺たちが正統なんだ!」
「武力では負けても文化では上だ!」と言うルサンチマンの産物だからね。
そういう意味では、古代と中世の中華思想は違う。

ただし、その過激度や理論武装の細部はともかく、司馬遷が歴史という形で正統の概念を
明確にする以前から、そういう外敵に対する敵愾心と蔑みを核にした中華思想の原型はあったと思う。
倭の字に対する私見は上を参照。
700日本@名無史さん:04/12/06 19:30:12
>>685
漫画的表現と、事実をごっちゃにしないようにね。

別の説として、聖徳太子は渡来僧に学問や仏教を学んでいたので、
半島の言葉や中国語が読み書きできて、場合によっては仏典のパーリ語などの
音訳語彙についての知識も、当時の日本人としてはかなり詳しかったために、
その比喩として10人の言葉を聞いて云々の伝説が発生したのではないかと言う説もある。
半島も高句麗とかと新羅では、かなり違う言語だったようなので、
バイリンガルやトリリンガルの人間が、外国人の意味不明な言葉を聞いて会話している姿は、
当時の人間には驚きだったので、こういう伝説が生まれても不思議はないかも。
701日本@名無史さん:04/12/06 19:32:24
>>695
凄いインパクトを与えた。
クレーターができるぐらいの。
702日本@名無史さん:04/12/06 20:46:32
日本で、本が登場するのはいつ頃なのでしょうか。
巻物ではなく本の形態で書かれたもので一番古いものって何なのでしょうか。
703日本@名無史さん:04/12/06 21:33:07
大石内蔵助はなぜ「たゆう」と呼ばれるのでしょうか?
赤穂藩だけの風習でしょうか?
704日本@名無史さん:04/12/07 03:09:28
>>702
現存する最古のものは聖徳太子直筆とされる
「法華義疏(ほっけぎしょ)」なるもの。
大体615年くらいのものらしい。
>>703
否。「たゆう(大夫)」はもともと五位の者の称だが、
のちに大名家の家老とか神主などにも用いるようになった。
つまり「御家老様」と呼んでるのだと思えばよろし。
705日本@名無史さん:04/12/07 03:25:47
質問!
日本人は何時から無宗教になったの?
706日本@名無史さん:04/12/07 18:01:55
江戸時代大藩では1万石を超えるような家臣が居ますけど
その人たちの家士の扱いってどうなるんですか?
普通に主人の藩の藩士になるんでしょうか?
でもそれだと藩と家士の間に主従の関係は存在しませんよね
707日本@名無史さん:04/12/07 18:50:14
なんで、小円遊と歌丸は仲が悪かったのですか?
708日本@名無史さん:04/12/07 19:15:38
軍板から移ってきました。

4世紀やそれ以降の、朝鮮半島での日本軍対朝鮮・中国では、
日本の兵装は大陸側の兵装と、決定的に違ったりすることはありましたか?
それから、辺境国が文明大陸と戦うのって凄くね?
おねがいします。
709日本@名無史さん:04/12/07 19:23:36
すみません、前に「物凄い勢いで沖田総司が吐血するスレ」があったと思うのですが、
どなたか知りませんか?
710経済学部:04/12/07 19:23:45
素人な質問ですみませんが・・
2・26事件についてなんですが、これは秩父宮様が、昭和天皇を退位させて
自分が天皇になろうとして参画していた、しかも天王星を廃止して完全議会政治の
国家を作ろうとしていたという話を昔福田和也さんだか誰かの本で読んだのですが、
それは事実なのでしょうか?また、そもそもその様な説はどの様な根拠に基づいて
唱えられているのでしょうか。


711日本@名無史さん:04/12/07 20:17:04
みんな、そんな矢継ぎ早に質問するなよ
712日本@名無史さん:04/12/07 22:09:37
>これは秩父宮様が、昭和天皇を退位させて自分が天皇になろうとして参画していた、
あわよくばという気持ちはあったかも。青森から東京に来て、皇居に連行され、
否定したようです。

>しかも天王星を廃止して完全議会政治の国家を作ろうとしていた
これは、ないでしょう
713日本@名無史さん:04/12/07 22:30:42
素朴な質問です。
なぜ、江戸後期には貧乏サムライが増えたのですか?
714日本@名無史さん:04/12/07 22:33:39
>>713 もともと貧乏だったとか?商人が金持ちになった・・・
715日本@名無史さん:04/12/07 22:37:37
>710
福田和也って、かなり評判悪いよ。
つか歴史学者じゃ無いし・・・
716日本@名無史さん:04/12/08 08:57:43
>>713
マクロ的な環境としては元和堰武と鎖国政策によって、
絶対的なモノ・金の流れが減少し国内流通のみ回転率が高まった。
武士の家計としてみると戦がなくて恩賞を受けられる人数が減った上に、
男子の生存率が高まり分家が増え家産の分散が進んだ。
これらによって家計数は増えていったが、家計一単位あたりの家産は減少していった。

こんな感じでわかるかな?
717日本@名無史さん:04/12/08 12:46:01
>>716ありがとうございます
718:04/12/08 15:13:39
志賀島の農夫・甚兵衛が、嵐で崩れた
溝を修繕していると、「漢委奴国王」と
刻まれた「光武帝の印綬」が見つかった……
この故事の初出文献は何ですか?
719日本@名無史さん:04/12/08 17:51:52
>>709
生きてはないみたい。
自分で心当たりのあるワードで探してちょ
板もわからんし

http://www.domo2.net/search/
http://www1.odn.ne.jp/mimizun/
720日本@名無史さん:04/12/08 18:03:46
>>718
文献というか史料だけど、発見者の甚兵衛自身が天明四(1784)年、
金印発見の二十日後に役所に提出した口上書でしょうな。
これに、田んぼの水はけが悪いので直してたところ云々・・・という発見当時の
状況がレポートされてます。

光武帝から贈られた金印だと最初に比定したのは、亀井南冥の「金印弁」かな。
721日本@名無史さん:04/12/09 17:20:44
>>708
>4世紀やそれ以降の、朝鮮半島での日本軍対朝鮮・中国では、
>日本の兵装は大陸側の兵装と、決定的に違ったりすることはありましたか?

ないです。何百年にも渡って文化交流もあり互いの情報もあった上での戦争。
あるとすれば、馬の種類とか船の操作技術とか。刀剣の差はあっても軍事的に決定的な影響はない。

>それから、辺境国が文明大陸と戦うのって凄くね?おねがいします。

べつに凄くないです。そんな例はいくらでもあるしむしろ周辺国の方が強いこともある。
722日本@名無史さん:04/12/09 20:13:31
徳川家康が子供の頃、石合戦の勝組を予想したエピソードが
ありますが(もっともこれは後世の創作らしいですが)
当時の子供達は本当にそんな危険な遊びをしてたんですか?
723日本@名無史さん:04/12/09 20:35:01
>>722
マジ。
印字打ちと呼ばれる石合戦は庶民の間に結構流行って、死人も多数出たので
しばしば禁止令がでたほど。
724日本@名無史さん:04/12/09 21:12:41
>>722
印字打ちは実際の戦闘でも使われていました。
戦闘序盤に敵を混乱させる目的です。
特に有名なのが甲斐の武田家です。
725日本@名無史さん:04/12/09 21:17:54
古代から昭和まであるよ>石合戦
聖性があるといわれ、禁止にしたから天災が起きたといわれ、
北条泰時は禁止令を取り消したことがある。
726日本@名無史さん:04/12/09 21:31:39
>>721
船の大きさや鉄の量の違いは?
作戦の差みたいけど。
727日本@名無史さん:04/12/09 21:42:23
楠正成なんかもね
728日本@名無史さん:04/12/09 21:43:51
朝鮮半島の文化の影響らしい>石合戦
729山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/12/10 01:32:43
後白河院が対木曾義仲戦に駆り出した「市民軍」が投石を行っていたほか、
京都の庶民がしばしば投石を行ったことが、『中右記』や『日本紀略』に見
えています。『年中行事絵巻』の例といい、祭の時にはよく出ました。
白河院政期の権大納言藤原経実は武芸を好んだ人で、始終隣近所に投石
を行っては喧嘩を売るという、かなり面倒な人物でした。
ただ、弓箭を扱うことに比べると、下賤の業とされた様です。
吉凶を占う年中行事としては、上記の通り昭和までありましたが、怪我
人とは縁の切れないものでした。
730日本@名無史さん:04/12/10 02:02:49
1.)佐賀の乱を起こしたのは誰か?
2.)明治時代に行われた薩摩藩や長州藩の出身者を中心とする政治は何と言うか?

明日提出のプリントで分からない部分があるので宜しければ教えて下さい。
731日本@名無史さん:04/12/10 02:05:18
1.江藤新平
2.藩閥政治
732日本@名無史さん:04/12/10 10:06:39
ここに来て居るんだからぐぐるのは知って居るんだろうと思うが、
質問して誰かがすぐ答えるというのは、「読解力」低下になって
いないのか、例の日本の学力低下の話題を思い出した。
733日本@名無史さん:04/12/10 20:56:00
質問です。

Wikiの"任那"に関する頁を読んでいたら、

>かつては倭の任那日本府の支配下にあったとされていた。
>しかし近年の歴史学では否定的な言説が支配的である。

とあり、自分が学生時代に任那が日本の影響下であったと習った事と
変わっていて驚いたんですが、既に学会では任那日本府説は否定説が
主流の説になってるんですか?
734733:04/12/10 20:57:21
すみません。
当のWikiのURL忘れてました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3
735日本@名無史さん:04/12/10 21:56:57
>>733
一応、現在の歴史学では否定的にみられている「ということになっている」。
しかし、実際の諸論文をみてみると、言い回しをかえているだけで、
日本(倭国)の権益があったことは認める説が多数。
とりあえず任那日本府という言葉(漢字熟語)はなかったということと
戦前の日帝の侵略を合理化する学説はけしからん、と前の方か後の方で
形だけでもいっとかないと本も出せない、という形式主義が横行してるよ。

韓国の学界と仲良くしとかないと現地遺跡の調査旅行にもいけないし
日本の学界でも出世できないからね。
アカデミズムの中にいたら言えないことを在野の歴史マニアがいって援護射撃すべきなのに
実際には在野の歴史研究家の方が70年代の左傾時代の学説しか知らなかったりして
学界の正常化(右傾化)に追いついてない。書店にならぶ古代史本はむしろ左巻きの電波本が多い。
736733:04/12/10 23:44:16
>>735
丁寧な回答ありがとうございました。
737日本@名無史さん:04/12/11 00:21:55
再度
一つ、宛所の「御宿所」てどうゆう意味ですか
なんで個人名のみや館ではなく御宿所なんでしょうか
これで文書を発給した人間との関係とかもわかります?

もう一つ、通常、○○の○世孫といったら
北条時政の五世孫の場合には、時政(一世)―義時(二世)・・・時頼(五世)となり、一世は時政、五世孫は時頼になりますよね。
これが皇族の○世王の場合、賜姓のさいに一世源氏、二世源氏とか言いますから
後嵯峨天皇―宗尊親王(一世)―惟康親王(二世)・・・でいいんでしょうか?
738日本@名無史さん:04/12/11 01:24:23
>>737
本当は子が一世孫、孫が二世孫、曾孫が三世孫・・・・と数えるのが正しい。
しかし当人を「○○一世」と想定する場合は、子は二世、孫が三世、曾孫が四世
になってしまうというだけ。
739日本@名無史さん:04/12/11 06:10:50
井伊(藤原)共保について知りたいんですが、教えてください。お願いします。
740無名さん:04/12/11 19:54:49
日本人が歴史年表を暗記するのに西暦を基準にし出したのは何時頃からですか?
紀元前2589年ピラミッド完成、等という元号以前の歴史はどの様に扱っていたのでしょうか。
741日本@名無史さん:04/12/12 12:31:31
明治からじゃないか?
20世紀突入時は、流行語だったし。
742日本@名無史さん:04/12/12 12:46:11
魏の使節団が最初の上陸地点に宗像市付近の港だとした説他に誰か知りませんか?余りにもの発想に自分ながら戸惑っています。 壱岐島⇒宗像市付近の港
743日本@名無史さん:04/12/13 18:25:28
間宮林蔵についてのスレを建てたいんだけど、需要あるかな?
744日本@名無史さん:04/12/13 21:54:20
ウヨが荒らしそな予感
745日本@名無史さん:04/12/14 01:09:18
工藤平助やら林子平ら地政学論をとりまぜたら・・・
746日本@名無史さん:04/12/14 10:50:43
年賀状の由来についてですが、

・年始の挨拶回り→形骸化して家に寄っても玄関先に書状をおいておくだけになった
というのと、
・遠くてなかなか年始の挨拶にいけないところに飛脚で書状を届けた
というのと二通り聞いたのですが、どうでしょうか。

11世紀ごろにすでに年始の挨拶回りの記述があったり、
室町時代には飛脚で年始の挨拶状を届けたなどとあるみたいです。
747日本@名無史さん:04/12/14 11:11:19
年始の訪問→訪問の欠如を文面で済ます
でしょう。
748日本@名無史さん:04/12/14 11:33:21
ということは文面を自分たちで運んだり飛脚に頼んだりしたというわけですね。
年始の挨拶回り自体はいつごろからあるんでしょう。
749日本@名無史さん:04/12/14 17:16:08
日本の年間降水日数ってどれくらいですか?
750日本@名無史さん:04/12/14 17:48:54
赤松則繁ってどんな人だったんですか?
強いらしいんですけど。
751日本@名無史さん:04/12/14 20:04:34
赤松範資・赤松則祐・赤松則村なら知ってる。
752日本@名無史さん:04/12/15 00:11:06
>>749
気象庁に聞けや(#゚Д゚)ゴルァ!!
753日本@名無史さん:04/12/15 02:50:57
世界史板のスレに山野さんの正体が皇太子とあったのですが・・・マジ?
754日本@名無史さん:04/12/15 09:38:11
>>753
師等ね。
755日本@名無史さん:04/12/15 11:44:44
江戸時代の一両の現在での貨幣価値を教えてください。
両以下の貨幣の名称と現在での貨幣価値も、ついでに宜しくです
756日本@名無史さん:04/12/15 12:30:41
4万円?
757日本@名無史さん:04/12/15 14:24:49
>>755
江戸時代といっても長い。始めの頃は、生活感覚で10万円とも100万円とも。
幕末は、2.5万円とも。中期以降は、>>756 の方のような。
(悪代官が賄賂を取るときの、水戸黄門のころと幕末では大いに価値が違う)
一両=米一石=一人一年の食い扶持。××藩が何万石とかいうのも、略、人口に
近く、いわばその藩のGDP。商品経済が進展して米だけではなくなるので、幕末
になるほど、正確ではなくなる。(一石=10斗=100升=150kg)
一両=4分=16朱=...4000文。但し両替料が取られるので目減りする。
銭は、鋳造の種類でも両替料が異なる。この他、大阪では銀本位で、両替が
発生。両替は相場で変わる。銀は基本は重量基準。せんべい見たいに割って
使える。金一両=銀50匁、後60匁。(1000匁=1貫目=3.75kg)
以上、うろ憶えの部分があるかも。正確には、ぐぐって。
758日本@名無史さん:04/12/15 16:22:04
千人同心に石黒家ってある?
759755:04/12/15 17:09:57
ありがと。
でも、10万ー2.5万が1年間の食費つうのは、今の北朝鮮状態だね。
760日本@名無史さん:04/12/15 17:19:52
携帯からの板の立てかたおしえてください。
761日本@名無史さん:04/12/15 17:40:33
弥生時代が500年繰り上がることはどういう意義を持つのでしょうか。
また、それによってこれまでの定説が覆される可能性は高いのでしょうか。
762日本@名無史さん:04/12/15 17:46:59
>>755

一両の現在価値は簡単なようで難問
以前は簡単に米価で算出していたが、このごろは職人の賃金を
基準に換算するのがトレンド
日銀のHPに記載があると聞いたので、参照されたし
763日本@名無史さん:04/12/15 22:35:59

旧日本軍による中国重慶爆撃のことについて検索してみたんですが
2ch内では「もう過去のこと」や「日本もアメリカにやられた」という論調で
あまり説得力ある意見はないみたいなんです。
中国のことだから重慶爆撃のことも実は裏があるんじゃ?とおもってたんですが・・
日本もアメリカにやられたからという弁論では、国際法違反の米軍の無差別虐殺というのが
ぼやけてしまう危険があると思うのです。
 日本人にとって重慶爆撃は弁論の余地のない汚点なんでしょうか?
できるなら詳しく書かれたスレまたはサイトをしっていたらどなたか教えてもらえないでしょうか?
764日本@名無史さん:04/12/16 22:17:55
弁論する余地なし。以上。
765日本@名無史さん:04/12/17 07:55:17
766日本@名無史さん:04/12/17 14:17:28
汚点。以上。
767日本@名無史さん:04/12/17 19:31:22
六条河原の落書って印を踏んでて唱えてると小気味よく
世界最古のラップ音楽の一つだと思うのですがどうでしょう?
何でもかんでもウリジナル認定はしたくないので
意見を聞いてみたいのです。
お経もある意味ラップなのかなぁ
768日本@名無史さん:04/12/17 19:33:10
あと、日本って結構凄い国なんじゃないかと大学入って色々調べるうちに思いだしました
769日本@名無史さん:04/12/17 20:45:45
高山って誰ですか?
770日本@名無史さん:04/12/17 20:47:43
>>769
高山だけじゃ分からんよ。
高山右近かえ?
771日本@名無史さん:04/12/17 21:02:29
>>765
有難う御座います。
勉強したいと思います。
772日本@名無史さん:04/12/17 21:10:48
臣高山です
773日本@名無史さん:04/12/17 21:17:59
774日本@名無史さん:04/12/17 21:59:56
>>767
俺も思った。
まあ都都逸とかも小気味いいけど

ラップっていうより韻を踏んでて
リズム感溢れるのって漢詩もそうだよね。
775日本@名無史さん:04/12/17 23:07:41
あの・・・二条河原でした・・・
無学ものですみません
六条は秀吉のとかでした・・・
ごめんなさい
しばらく書き込み控えますorz
776日本@名無史さん:04/12/17 23:13:04
まぁ落ち込むな
しかし落書って面白いな
2年後の卒論のテーマにでもしようかなw

あと例の創った人天才だね。個人的な意見だけど。
777日本@名無史さん:04/12/17 23:17:26
2ちゃんのこぴぺみたいな物なのかなぁ
当時の感覚だと。政府批判が多いけど。
ドレも残ってるのは上作(当然だわな。詰まらんのは残らんもん)だし
川柳とかと混ぜると日本人のこうゆう感覚って面白いなぁ
あやかりたいものだ
778日本@名無史さん:04/12/17 23:54:23
2chねらの御先祖様ってことかw
779日本@名無史さん:04/12/18 00:00:39
>>738
○○の何世孫のような数え方は誤用だけど、それが一般的になったってことですか?
それぞれの数え方はアレであってますよね。

ググると館と同義とか書いてあったりもするんだけど御宿所のほうはどうなんでしょ。
780日本@名無史さん:04/12/18 03:40:12
↑館とか御宿所とかなんの話?誤爆?
781日本@名無史さん:04/12/18 05:27:02
江戸城ってさ、内部の平面図みたいなのはよくあるけど、

外から見た姿を描いた絵図ってないよね?
あるの?
782日本@名無史さん:04/12/18 10:23:07
外からなんて当時にスりゃどこからでも見えたので書かなかった
783日本@名無史さん:04/12/18 14:06:36
慶喜は江戸城に1度も住んだことはなかったと見ますが、
どこに住んでいたのですか?閣議とかで江戸城に逝くこと
は当然あったわけですよね?
784日本@名無史さん:04/12/18 15:02:18
>>781
例えばこんなものがあるが
http://www.rekihaku.ac.jp/gallery/edozu/
785日本@名無史さん:04/12/18 16:18:11
>>783
慶喜は京都滞在中に将軍になり江戸に逃げた後は上野寛永寺にこもったので、将軍在職中江戸城に行っていない。
将軍になる以前ならば一橋邸。
786日本@名無史さん:04/12/18 17:40:24
>>782
>>784
なるほど、あってもこのくらいか・・・。
あんがと。
787日本@名無史さん:04/12/19 11:29:45
その慶喜、井伊大老に抗議して父斉昭や兄慶篤とともに不時登城して、
一橋家の隠居になってますが、そのときはどんな身分だったのですか?
一橋家の当主は不在で、数年後に再承したのですか?
788日本@名無史さん:04/12/19 11:48:34
御三卿ってのは当主がいなくても構わないんじゃないのか。
清水家なんか当主のいない時期がしばしばあるし。
789祭政一致:04/12/19 14:51:35
平沼騏一郎を研究したいのですが、おすすめの本を教えてください
790日本@名無史さん:04/12/19 15:52:59
手当たりしだい読め
791日本@名無史さん:04/12/19 16:52:29
日本の平均年間降水量ってどのくらいでしょうか?
792日本@名無史さん:04/12/19 16:54:23
屋久島と東京とではかなり違うから
>>791のような質問は無意味かと。
793日本@名無史さん:04/12/19 17:01:07
なおデータは下記リンク先の11〜14ページに出てくるから
知りたい場所のデータを自分で見てくれ。
http://www.data.kishou.go.jp/stat/tenko2003.pdf
794日本@名無史さん:04/12/20 14:27:48
司馬遼太郎作品の史実と創作部分を比較するスレたてたいんですけど
ホストのせいでたてれません。だれか建ててくれませんか?
795日本@名無史さん:04/12/21 00:13:21
既存の司馬スレに行くか
書籍板にでも立てろ
796日本@名無史さん:04/12/21 00:14:08
>>780
>>737でも訊いた質問の一つ
御宿所がたんに館と同義なのか、仮の宿というような意味があるのか。
だとしても(例えば)780殿(とのへ)、とすればいいものを780御宿所とするのは何故なのか
そこから文書を発給した人物と受給した人物の関係は探れないのか。
797日本@名無史さん:04/12/21 03:31:14
深く考えたことないなぁ。
(御)宿所って、ただ単に「住んでるところ」とか「自宅」くらいの意味じゃないの?
『信長公の京における「御宿所」は本能寺』とかさ。
宛名の○○御宿所ってのは、いかにも日本的なぼやかしって言うか、
直接的なことを嫌う国民性の発現なんじゃ?

と、役にも立たなさそうなことを書いてみる。
798日本@名無史さん:04/12/21 03:40:08
そもそも御宿所って人物を指してるのか?
799日本@名無史さん:04/12/21 08:12:47
江戸の武家屋敷はほとんど黒板塀の塀だったそうですが、地方に行くと武家屋敷は土塀が多いと思うのですが
何かしら意味はあるのですか?宜しくお願い致します。
800コピペ:04/12/21 16:39:31
3 名前:日本@名無史さん :04/12/21 10:21:07
天領の代官って

・どこの役所の所属?
・現地派遣?
・旗本クラス?

勘定奉行の下
現地に赴任する
200俵程度の旗本が多い。御家人ではない
801日本@名無史さん:04/12/21 16:43:18
戦国最強の強兵軍団と言えば、武田軍・上杉軍が有名ですが、
薩摩軍はこの二つに比べてどうだったのでしょうか?
802日本@名無史さん:04/12/21 16:49:05
>>800 派遣が主だが後期になると在地代官なるものも出てくる。。。
803日本@名無史さん:04/12/21 19:35:25
水戸藩は水戸学で尊王だと思うのですが、なぜ徳川家でありながら、
天皇マンセーの水戸学が水戸徳川家で主流になったのですか?

水戸黄門あたりから、水戸学がさかんになったと聞きますが。
御三家の中で低い扱いを受けた反発あたりなのでしょうか?
804日本@名無史さん:04/12/21 19:37:22
光圀の場合、尾張義直の影響もある。
805日本@名無史さん:04/12/22 03:48:35
>>803
水戸は朝廷側につくことによって万が一朝敵として本家や他の親藩が
潰されても徳川の血筋を残せるように家康が指示した。

と井沢元彦が言ってた。
806日本@名無史さん:04/12/22 06:35:27
坪の石文って何?
807日本@名無史さん:04/12/22 15:32:51
>>803
ま、歴史の皮肉っていえば終わりだけど、水戸も光圀もいろいろあってということ。
1.なぜ水戸に御三家の一つを置いたか。仙台の押さえなら会津がある。でヒマになった。
2.佐竹の残党が多かったから、御三家を持ってきたのか。
3.光圀の父親は紀州に遠慮してか、光圀の兄を跡取にしていない。
4.光圀は流産させられる運命にあったらしいが、家臣が隠して産ませ育てた。
5.その家臣の妻が京都の出で、乳母よろしく夜な夜な天朝さまはエライと刷りこんだ。
6.兄を差し置いて水戸の跡取になって若いときは放埓だった。
  後、兄の子を(二人も)跡取にしている。
7.儒教に熱心だったが、儒教は歴史を重んじる。よい歴史書がなかった。
  儒学者朱舜水を保護して勉強した。明の没落など考えるところのあったのでは。
8.歴史がきちんと残されていないから将軍跡取問題が権力闘争になっていた。
  別の観点では、文治政治の確立を考えていたのではないか。
9.鎖国は家光の時代に始まったのだが、古代から鎖国と思いこんでいる輩が多かった。
  ご禁制の大船を作って蝦夷地探検など試みている。
10.御三家という格式ながら実高は少なく、貧乏だった。
  将軍家のため、江戸定府といえば聞こえはよいが、警戒されていたのではと疑って
  みる必要もありそう。将軍家も身内からの揉め事に苦労した。

乳母が刷りこんだというのは、村上元三の小説にあるんだが、史実かどうかは別にして
本当なら、乳母の計略は200年後に花が開いたということになる。
808日本@名無史さん:04/12/22 16:40:49
「鎖国の祖法」って古代から鎖国って意味なん?
そんな勘違いしている奴は、うっかり八兵衛くらいなもんだろ。
809日本@名無史さん:04/12/22 17:33:31
>>808
「祖法」といっても「建国時」っていう意味じゃなくて「徳川幕府創成期にできた」っていう意味で使われて多様だ。
ペリー来航前後の徳川斉昭とか阿部正弘の書簡には、
徳川幕府以前に蛮国(ポルトガルとかスペイン)と交易してた頃は
どうのこうのという話が結構出てる。

そういう事は余程身分の低い武士以外周知のことであったようだす。
810807:04/12/23 11:51:24
>>808
幕末、京都で暴れまわった攘夷派浪士は、鎖国を200年前に始まったこととも
知らず、開国を大和魂を冒涜するもとのと標榜していたようだ。
世の中が不穏になるようけしかけていた一派の「やらせ」ではあるが。

今の若者で、国連憲章の敵国条項を知っているのはどれ位いるやら。この条項の
ためにいくら金がかかっているのか。できれば新潟、出石などへ回したいところ。

と、書いてひょいと思ったが、井伊直弼が開国条約結んで専断との評価になったが、
鎖国のときは勅許を得たのだろうか。
811803:04/12/23 13:04:58
よくわかりました。ありがとうござました。

812日本@名無史さん:04/12/23 14:14:40
幕末に京から江戸まで情報が届くのに何日くらいかかったのですか?
伝達手段は早馬ですか?
情報伝達使は昼夜兼行で同一人物が駆け抜けるのですか?
813日本@名無史さん:04/12/23 15:33:44
京・江戸の一番早い飛脚は3日で届きました。
当然1人では走れません。宿場ごとに交替します。
814日本@名無史さん:04/12/23 15:37:31
それから、京・江戸くらいの距離になると馬で情報を伝えることはありません。
なぜならこれだけの距離を1頭の馬で駆け抜けることはできませんから
替え馬が必要になりますが、江戸時代にはそういうシステムは作られていないのです。
山が多いので、馬を使うとかえって手間を食うという発想があったのではないかと思います。
815日本@名無史さん:04/12/23 16:24:24
質問
松平家は徳川家に改名した訳ですが、この「徳川」という名字は
どこから持ってきたんですか?それとも家康の創作ですか?
816日本@名無史さん:04/12/23 16:26:52
新田の支流の得川氏
817日本@名無史さん:04/12/23 16:34:06
>>816
どうもです
818日本@名無史さん:04/12/23 16:39:32
質問です。
明治の元勲の奥さんで芸者出身の人がいますけど、
愛人ではなく正式な妻にするのに親戚から反対とかなかったのでしょうか?
元勲ならもっといい家柄の奥さんを迎えられると思うのですが
当時は奥さんが芸者出身でも世間体は悪くなかったのでしょうか?
819日本@名無史さん:04/12/23 16:59:15
>>818は誰のことを言っているのかな?
伊藤がお梅と結婚したのは維新前のことだし
幾松は長州藩士岡部利済の養女として木戸と結婚している。
820日本@名無史さん:04/12/23 17:20:26
皇太子が中世交通史という地味な分野を専攻した理由は?
821日本@名無史さん:04/12/23 17:31:23
それは皇太子に聞いてみないとわからないでしょう
822日本@名無史さん:04/12/23 20:47:47
大久保さんが暗殺されず生きていれば、日本の歴史は変わりましたか?
823日本@名無史さん:04/12/23 21:08:01
>>822
これもわからないとしか言いようがない。
現実に起きた出来事を相手にするのが歴史学なんだから
>>822のように考えることに、あまり意味があるとは思えない。
もちろん思考実験としての意味を否定するものではないが
その場合はこういう目的で思考実験をするいうことを明記すべきだろう。
824812:04/12/23 21:18:35
>>813>>814
ありがとうございます。
時代劇だと書面に書けないようなことは使者に言い含める場面がありますが、
ああいうのを想像してました。
825日本@名無史さん:04/12/23 21:48:37
江戸時代末期に広島藩は、明治維新になにか
働いたのでしょうか?
なにを明治維新のためにしたのでしょうか?
826日本@名無史さん:04/12/23 21:51:13
>鎖国のときは勅許を得たのだろうか。

当時の政治状況からは必要がない。
827日本@名無史さん:04/12/23 22:11:19
>>824
重要な使者が直接急いで向かう場合は、早駕籠なんかを使うわな。
>>814
テキトーな事書いてんじゃねえよ。江戸―京間には
宿場ごとに充分な数の替え馬が常備されてたっての。
いわゆる伝馬制だな。江戸幕府の交通行政の根幹中の根幹だろうが。
828日本@名無史さん:04/12/23 22:11:59
>>824
もちろんそういう情報伝達のやり方もあります。
顕如だったか教如だったかの手紙でそういう文言を見た記憶があります。
ただしそれだと使者が直々に出かけるわけで、早くは伝えられません。
829日本@名無史さん:04/12/23 22:13:36
>>827
伝馬というのは荷物を運ぶのに使います。
もちろん手紙を運べないことはないのですが
馬をトボトボと歩かせて荷物を運びますから
人が走る方が早いのですよ。
830日本@名無史さん:04/12/23 22:26:32
付け加えておきますと
宿駅に常備されている馬は上に書いたような使い方をされてますので
誰かが騎乗して早馬として使うように訓練されていません。
したがって替え馬のシステムがないと書いたのです。
831827:04/12/23 22:51:12
ふむ・・・。そういう意味ね。ならまぁ、同意だ。
ちと言葉が乱暴であったわ。悪かったの。
832日本@名無史さん:04/12/24 10:56:49
>>820
中世史を専攻したのはいいが、身内(天皇・朝廷)のことをやるわけにはいかない。
そこで師の安田氏が選んだ史料が『兵庫北関入船納帳』だったみたい。
833日本@名無史さん:04/12/24 16:02:36
始めて軍板行って驚いたんですが
h ttp://mltr.e-city.tv/faq99.html#01326
ってマジな話なんですか???
834日本@名無史さん:04/12/24 16:52:45
warota
835日本@名無史さん:04/12/24 22:47:40
日中戦争の原因は、上海での蒋介石の侵略が原因だという
バカにはなんて言ってやればいいんでしょうか?
836日本@名無史さん:04/12/24 22:56:44
>>832
しかし、そういう地味な史料を素直に受け入れた皇太子も大人やねw
普通、地味すぎて嫌がるだろ。
837日本@名無史さん:04/12/24 23:44:21
>>836
一般の人から見れば地味な史料なのかも知れませんが
業界では非常に有名な史料です。
838日本@名無史さん:04/12/25 00:00:02
地味い・ヘンドリックス
839:04/12/25 15:39:28
思いついても恥ずかしくて書けない
840日本@名無史さん:04/12/25 15:53:09
それが日本史板住人のセンスなのさ。
841日本@名無史さん:04/12/25 15:59:00
地味い武男
842日本@名無史さん:04/12/25 21:14:44
>>835
そういうバカは放置しなさいw。
843日本@名無史さん:04/12/25 23:06:04
武田信玄は牡蠣が好物だって本当なんですか?
ttp://main.health.msn.co.jp/alter/dic/
844日本@名無史さん:04/12/25 23:15:31
どのレスとは言わんが、日中戦争スレで言い負かされた某、
このまえも別スレで注意されたのに、未だ愚痴を書いているね
ちとわろた
845日本@名無史さん:04/12/26 15:32:29
日中戦争の原因は、上海での蒋介石の侵略
846日本@名無史さん:04/12/26 16:44:03
>>845
釣りか・・・
847日本@名無史さん:04/12/26 16:46:44
>>844
どのレス?書いて
848日本@名無史さん:04/12/26 16:54:33
皇太子が朝幕関係史を研究できない理由って何ですか?
別に学問的研究なんだし、現実の政治に関わるわけではないのだから、
前近代なら政治史を研究しても問題ないと思うのですが?
849日本@名無史さん:04/12/26 17:28:41
>>844
この人はトンデモ本を紹介して笑われて逃げた人か?
850日本@名無史さん:04/12/26 17:59:33
2ちゃんで「〜をキボンヌ」という表現を見かけるが、
これは「〜を希望」とイボンヌという人名をかけているのですか?
851日本@名無史さん:04/12/26 18:08:48
>>848
当時の中世史の流行は荘園史。
朝幕関係史研究が盛んになるのはもっと後。
852日本@名無史さん:04/12/26 18:37:53
数年前、皇太子が母校で非常勤講師?をやったというニュースを見たが、
いまでも彼は研究を続けているのか?

あと、文系の平成天皇や秋篠宮が魚類の研究やってるのはなんでだろ?
853日本@名無史さん:04/12/26 18:53:24
秋篠宮は博士(理学)という学位を持っているはずだが。
854日本@名無史さん:04/12/26 19:04:14
昭和天皇の直系子孫は学者肌の人が多いのに、傍系の皇族はオリエント史家の
三笠宮崇仁以外はワケのワカラン人が多いのはなんで?
855日本@名無史さん:04/12/26 19:53:11
家茂公とか慶喜公とか呼んでおkですか?

なんか正宗公だと正宗って忌み名かなんかで
あれだとか聞いたんですが。
856日本@名無史さん:04/12/26 20:05:52
亡くなった将軍のことは「文恭院さま」とか「慎徳公」とか言ってました。
徳川実紀の表題も、家茂までは「○○院御実紀」であり、最後の慶喜のみが
「慶喜公御実紀」です。
857日本@名無史さん:04/12/26 20:20:58
ありがとうございます。
いまNHKの新撰組総集編みてて「家茂公」といっていたのでどうなのかなと
思ったわけです。
858日本@名無史さん:04/12/26 20:57:55
三谷のドラマの犠牲者か。
それと政宗ね。
859日本@名無史さん:04/12/26 21:00:27
存命中の将軍は上様とか公方様とか大樹公。実名では呼ばない。
860日本@名無史さん:04/12/26 21:12:32
861日本@名無史さん:04/12/26 21:55:44
日中戦争の原因は、上海での蒋介石の侵略が原因だという
バカにはなんて言ってやればいいんでしょうか?


862日本@名無史さん:04/12/26 21:56:29
>>861
生暖かい目で見守って上げてください。
863日本@名無史さん:04/12/26 22:18:31
随所で「武田」なる人物が問題になっているようですが何をやらかしたのですか?

最近きたので素朴にわかりません。
あと、この質問が荒れるもとになるならスルーしてください。
864日本@名無史さん:04/12/26 22:23:19
隊の公金拝借して河合の切腹の原因作ったんだよ。
865日本@名無史さん:04/12/26 22:24:28
武田は長篠で無謀な突撃やらかしたんだろ。
866日本@名無史さん:04/12/26 22:48:01
× 日中戦争

〇 支那事変
867日本@名無史さん:04/12/27 00:28:57
↑ODとかいうコテが主張している正しい歴史用語?
868日本@名無史さん:04/12/27 11:18:47
○ 日中戦争

× 支那事変
869日本@名無史さん:04/12/27 12:44:14
○支那事変
870日本@名無史さん:04/12/27 15:04:56
○ 日中戦争

× 支那事変

871日本@名無史さん:04/12/27 16:44:45
シナなんて死語、普通に使う奴は80代以上の老人だろ。
若いくせに、わざわざ使ってる奴は慎太郎にかぶれたネトウヨくらいだ。
872日本@名無史さん:04/12/27 16:45:50
慎太郎なんてレイシストを知事に選んだ東京人の見識を疑う。
873日本@名無史さん:04/12/27 17:30:57
支那事変は支那事変だよ。右とか左とか関係ない。
事実から目を背け妄想の中に生きる輩はいずれ報いを受ける。
今サヨクが思いっきりそのしっぺ返しを食らってるけど、
ウヨクの馬鹿さ加減を見る限り、連中もいずれ同じ運命を辿るだろう。
874日本@名無史さん:04/12/27 17:31:29
旗本の「扈従の士」とは、どういった人が勤めるのですか?
代々の陪臣とか浪人の召し上げとか、幕臣の次男三男とかでしょうか?
875日本@名無史さん:04/12/27 17:39:10
>>861
国府の攻撃で支那事変が始まったというのは、
真珠湾攻撃で大東亜戦争が始まったというのと同じ程度に事実ではあるけど、
支那事変の前段には北支事変があり、北支事変の前段には
日本の分治合作工作があるわけだから、
少なくとも大東亜戦争がルーズベルトに誘因されたと論ずる人間は、
支那事変を蒋介石のせいにしてはいけないわな。
それこそダブルスタンダードだ。
876日本@名無史さん:04/12/27 17:41:23
>>873
同時代に使われていた用語ということなら、「支那事変」で間違いない。
しかし、歴史用語というのは後世の人間のつけた名称であることの方が多い。
「三世一身の法」や「墾田永年私財法」なども、後の人間の命名したもので、
当時の人間がそう呼んでいたわけではない。
また、「鎌倉幕府」という名称が鎌倉時代にあったわけではない。
「朝鮮出兵」も当時の呼称に忠実に従うなら、「唐入り」とか「高麗陣」だ。

歴史的事象は後世の人間が評価し解釈するものである以上、何でもかんでも
当時の名称に従う必要はない。
877日本@名無史さん:04/12/27 18:35:38
安土桃山時代にいたっては、
当時の伏見は桃山と呼ばれてすらいなかったしな。
878日本@名無史さん:04/12/27 19:44:30
生類憐みの令とか鎖国令とかも。
879日本@名無史さん:04/12/27 21:45:40
バカウヨ退散
880日本@名無史さん:04/12/28 20:17:17
881日本@名無史さん:04/12/29 12:16:08
石原将軍マンセー
882日本@名無史さん:04/12/29 15:35:02
藩名で記された日本地図のあるサイトとかご存知ありませんか?
軽くスレ違いですが。
883日本@名無史さん:04/12/29 20:12:49
そもそも江戸時代の末期まで藩なんて一般用語じゃないぞん
新井白石が著作でつかいだしたんだからネ
884日本@名無史さん:04/12/30 11:45:53
なかにし礼の「赤い月」を見てて思ったんですが
終戦直後に満州にいる兵士と妻・子供って
どういう経緯であそこにいるんでしょうか?
885日本@名無史さん:04/12/30 11:48:34
日本が満州を侵略して内地から移民した食いつめ者
886日本@名無史さん:04/12/30 21:46:40
食いつめ者? 今、大連とかへ行ってる連中は気分害するだろうな。
887日本@名無史さん:05/01/01 21:41:12
日本が満州を侵略して内地から移民した食いつめ者


888日本@名無史さん:05/01/01 21:42:00
日本が満州を侵略して内地から移民した食いつめ者


889日本@名無史さん:05/01/02 00:45:28
日本史で古代とは平安時代まででいいのでしょうか?
890山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/01/02 01:33:45
一般的には院政期以降が中世、でいいのでは。
891日本@名無史さん:05/01/02 02:10:19
織田信長は自分のことを神と称したと聞きますが、この場合の神というのは、神道の八百万の神なのか、それともキリスト教の絶対神なのかどちらなのでしょう?
892日本@名無史さん:05/01/02 02:35:09
信長がキリスト教的な絶対神を正しく認識していたかどうかは
それこそ「神のみぞ知る」というやつですね。

別な言い方をすると、信長がキリスト教的な絶対神に自らを比すということは
その世界観を彼が受け入れることを前提にしますが、そのような歴史的事実は
ありませんし、何より彼の宗教政策が根本から覆ることになります。
893日本@名無史さん:05/01/02 02:41:22
神は称してないけど第六点魔王なら称したぞ。
894日本@名無史さん:05/01/02 09:22:55
江戸の専門家の人に質問を一つ。 

以前から思っているのですが、東京は区画整備など、何故こんなに都市としての設計がお粗末なのか
という事です。その原因は歴史的に、江戸の町の設計自体がそうだったからと良く聞きます。しかし、
では何故そんなに江戸の町をゴチャゴチャにしたのかというと、その理由の一つとして「火事を広め
ない様に、袋小路を多く作ったため」と聞いた事が有りますが、それは本当なのでしょうか。また別の
理由としては「敵が攻め入る時に、区画が入り乱れていると攻めにくいから」というのも聞きましたが、
ちゃんと確認出来ていません。どれが一番強い理由なのでしょうか。 
895日本@名無史さん:05/01/02 11:29:52
関東大震災で多くの江戸の面影は姿を消した。後藤新平が壮大な都市計画
を作ったが、カネがかかりすぎるので却下された。日本橋の上の首都高速
道路は確かに醜いが、江戸時代の街並みとは関係ないでしょう。
896日本@名無史さん:05/01/02 12:18:22
>>896
そしたら、今の東京のゴチャゴチャは、大正時代以後の都市整備政策の悪さが原因なんですか。  
そしたら、東京は「世界に冠たる区画整備の悪い近代都市」って感じですね。
897日本@名無史さん:05/01/02 12:34:22
>>896
君はその近代都市なるものをどれくらい知ってるのDQN
898日本@名無史さん:05/01/02 12:45:31
>火事を広めない様に、袋小路を多く作ったため
広小路と袋小路を混同してないか?
899日本@名無史さん:05/01/02 13:03:32
>>897 
私は、パリ、ローマ、ボン、ワシントンDC、ロンドン、ワルシャワなどの首都は全部見て来ましたが。
(もっと小さな国では、スイスのベルン等も入れましょうか。首都以外の近代都市で、見て来た都市なら、
もっと数が増えて来ます。第一、私はヨーロッパの都市に数年、ワシントンDCに何年も住んだ人間ですよ。
それに、都市の整備等については、何年も住まなくてもひと目で分かりませんか。) 
残念ながら、都市整備に関しては、東京は、そのどれよりも見劣ると言うしかないです。

なんか、>>897になって急にレスのレベルが低くなって来ましたね。私は'DQN'扱いされる身に覚えは
何一つ有りませんが。それとも、ここは、日本史のスレなので、世界の他の国との比較をする人間は、
'DQN'として厳しく「差別」される掟でも有るとか。 
900日本@名無史さん:05/01/02 13:11:55
>>899
あなたが近代都市をどれだけ知っているかどうかについて私は興味はありません。
それより>>898に答えてくれませんか?

袋小路って行き止まりの狭い道のことですから
行き止まりの部分で家と家とが隣り合わせになっています。
つまりその部分はもっとも延焼しやすくなるわけで
袋小路を増やすことは、むしろ火災の被害拡大につながります。
こういう簡単なことがわからないようでは
いくら世界の都市を見ていても無意味かと思います。
901日本@名無史さん:05/01/02 13:38:08
>>900 
袋小路と広小路の単語の違いなどは、中学生でも知っているでしょう。
繰り返しますが、>>894に有る言葉は「袋小路」で「広小路」では有りません。
袋小路が有ると、強い風が吹き抜けにくいので、火事を広めない効果が有る
という可能性については、貴方は微塵も思い付かれなかったのですか。

>>897
>君はその近代都市なるものをどれくらい知ってるのDQN

これは貴方が書かれた文でしょう。それから、>>900のこれも

>あなたが近代都市をどれだけ知っているかどうかについて私は興味はありません。

人に言葉の知識を正している人自身が、誤解され易い言葉を使った質問とか、
矛盾した主張を無責任にお書きになったわけですか。
902日本@名無史さん:05/01/02 13:44:14
>>901
http://www.tjk-net.com/news/11-20/11-4.htm
●袋路の問題点
 しかし、火災など防火面で大きな問題を抱えているのは事実です。
木造の建築物が多く、ひとたび火災が生じると、大きな被害が予想されます。

これは今の京都に関する見解だ。
袋小路が防火に役立つという見解を誰が主張しているのか。
ソースをきちんと出して欲しい。

ちなみに>>897は私の書いたものではない。
903日本@名無史さん:05/01/02 14:00:10
なお付け加えておくと、江戸/東京の袋小路については以下のような見解がある。
防火ではなく、地形に規定されたものと考えるべきだろう。

http://yma2.hp.infoseek.co.jp/topo/Paper/1999b5/AIJ-b5.html
2.江戸期の身分制度に基づく土地利用区分
 身分制度に基づく土地利用区分は、早くから都市開発が始まった東京山の手特有のものであり、空間形成の出発点となっている。
江戸期に白山地区の台地上に存在していた大名敷地は、明治以降、官有地等へと用途を変え多少の細分化はしたが、現在も基本
的には当時の大規模な敷地割りを継承している。台地下に入り込む道路は、この大きな敷地割りに規定され袋小路となる。こうして
現在でも閉鎖的で隔絶感の強い空間が形成されているわけだが、その素地は既に江戸期に作られていたことになり、長い時間を経
た現在もその影響を空間に見出すことができる。
904日本@名無史さん:05/01/02 14:18:46
>>902 
>袋小路が防火に役立つという見解を誰が主張しているのか。
>ソースをきちんと出して欲しい。 

ソースが分からないから、このスレで確認しようとしたのに、本末転倒ではないですか。
それぐらいは、>>894を読み返せば明らかでしょう。ちょっと考えただけでも、袋小路の方が
消火には不便だから、その説が不信に思ったので、>>894で質問した事ぐらいは想像は付きませんか。

第一、>>894を読み返せば分かる様に、そこで使われている言葉は「袋小路」なのは文脈から
明らかです。「広小路」を多く作ったら、逆に都市がゴチャゴチャしなくなるハズでしょう。

いずれにせよ、>>902さんは、大正時代以来の東京の区画整備が良くない事には同意される
わけですね。私が質問した云々とは無関係に、東京の区画整備が近代都市として良くない事は
客観的に明らかなのでしょう。 
905日本@名無史さん:05/01/02 14:21:23
質問です。
日本史板でも時代劇板でも榎本武揚の箱館政権を「蝦夷共和国」という人が多いのですが、
時代劇板ならともかく、日本史板でその用語を使うのは不適切ではないでしょうか?

歴史読本あたりの読み物ならまだしも、まともな学者の本にはそういう用語は使ってないし、
「共和国」であることは否定されているはずです。
906905:05/01/02 14:26:17
私が読んだ限りでは、箱館の榎本政権は旧幕脱走軍の寄合い世帯をまとめるために
入れ札による幹部公選を行ったにすぎず、榎本本人も日本国からの離脱の意思はなく、
徳川氏の一門から頭首となるべき人を迎えることを新政府に願い出ていたはずです。

どう考えても「蝦夷共和国」というのは史実を歪曲していると思うのですが?
907日本@名無史さん:05/01/02 14:33:01
>私はヨーロッパの都市に数年、ワシントンDCに何年も住んだ人間
仮に↑が正しいとしても、それは子供の頃の話で欧米の都市にかんして
何らかの知識を所有しているわけでは無いでしょ。
釣りでは無いのであれば、もう少し真摯な姿勢をみせてくださいね。

>都市整備に関しては、東京は、そのどれよりも見劣る
都市整備が何を指しているのか分かりませんが、十八世紀以前に江戸よりも
優れた水道を敷設していた都市がどこかにありますか?

>894(と、思うが)が根本から勘違いしていることは、欧州の都市は中心部に
軍勢の集結する広場があり、軍が迅速に移動できることを前提に都市計画が
なされているということです。(パリ大通りは十九世紀)
そして日本とは違い、欧州(Massachusetts等古い米都市も含む)の都市の近代化は
古い町並みを残すことが前提でドーナツ状に新しい居住区が拡大していることです。
19世紀後半に大改造されたパリはむしろ例外です。

この程度のことは専門知識が無くても、観光で訪れたさい地図をひらけば
ある程度推察できることではないかと、、、
日本史の板なので、世界の他の国との比較なんかできないだろうと、お考えで?
異なる文化圏に日本が存在しているという、その差異が重要なのではないでしょうか。
それともパリのように、都市大改造のためなら住民の反対運動を軍隊で鎮圧することが、
近代的で優れた施策であると思っておられるのですか?
908日本@名無史さん:05/01/02 15:50:57
建白書を書こうと思うのですが、何をどうすれば良いでしょうか。
909日本@名無史さん:05/01/02 15:52:23
船中八策でも読んでください。
910日本@名無史さん:05/01/02 16:25:35
>>907
質問スレなんだからそんなに強く指摘しなくてもいいのでは?
話にならない低レベルな質問は他にたくさんあります。
>>894は改行がおかしいだけで、質問内容や文体に問題がるとは
思えません。
911日本@名無史さん:05/01/02 16:52:35
>>904
東京といってもいろいろでして
世田谷のようなもともと農村だったところに関しては、以下のような見解もあります。
http://www.shopbiz.jp/contents/news_SB/55_102.phtml
912日本@名無史さん:05/01/02 16:57:18
スレタイに初心者歓迎ってあるしね。
913日本@名無史さん:05/01/02 17:20:58
まぁ、ふつう広小路だけどな・・・
914日本@名無史さん:05/01/02 17:24:04
蝦夷共和国って俗説が一人歩きして、識者が誰も訂正しないのはまずいな。
時代劇や司馬遼や井沢でストップしてる一般人はマジで信じてるぞ。
915日本@名無史さん:05/01/02 19:48:36
ないよ>蝦夷共和国
916日本@名無史さん:05/01/02 19:52:52
>>906
ならば、諸外国に認められ、各国の公式文書に残っているのは何故か?
917日本@名無史さん:05/01/02 21:40:37
横レスすいません。

大河ドラマ『義経』のムックに、

木曾義仲(きその・よしなか)
佐藤継信(さとうの・つぐのぶ)
梶原景時(かじわらの・かげとき)

と表記されているんですが、「の」が入るのが正式なのですか?
918日本@名無史さん:05/01/02 21:48:00
>>917
「木曽冠者義仲(きそのかじゃ・よしなか)」または「源義仲(みなもとのよしなか)」
「佐藤三郎継信(さとうのさぶろう・つぐのぶ)」または「藤原継信(ふじわらのつぐのぶ)」
「梶原平三景時(かじわらのへいざ・かげとき)」または「平景時(たいらのかげとき)」
のいずれか一方をもって呼ぶのが正式です。
大河ドラマのムックは、両方をいいかげんに折衷して知ったかぶりをしているだけです。
そのまま信用するとよそで要らぬ恥をかきます。
素人はごくふつうに「の」を入れずに呼ぶのがいちばん安全です。
919日本@名無史さん:05/01/02 22:18:28
>>918
早速のレスありがとうございます。
以前何かで、「平」「源」「藤原」のようなウジ(?)には、「の」を
付けると読んだので、「木曾」のような苗字(?)に「の」が
つくのは「へんだなあ」と思ったのです。
(このムックは、大河の監修者はノーチェックなのでしょうか?)
通称の「の」だったのですね。

ちなみに同ムックでは、「北条時政」は「ほうじょう・ときまさ」でした。
920日本@名無史さん:05/01/02 22:20:19
>>917-918
きそのよしなか、という言い方は今や市民権があると思うが?
世間一般にはそう呼ぶ人が多いぞ。理想論じゃなくて現実の話。
あと、かじわらのかげとき、もそう。
ただし、佐藤は今となってはごくありふれた苗字のため、その
まま、さとうつぐのぶ、と呼ばれる事が多いようですぞ。

>大河ドラマのムックは、両方をいいかげんに折衷して知った
>かぶりをしているだけです

とは一概には言えない。確かに変な言葉のある本ではあるが、
所詮お芝居の役名なのだから「世間並み」に敢えて書いたりも
するのです。
本ばかり読んでいないでもう少し広く世間と付き合っては?
921日本@名無史さん:05/01/02 22:25:56
>>920
でも個人的には、ちょっと混乱したので・・・・

あえて「さとうの・つぐのぶ」「さとうの・ただのぶ」とルビうってあるので
深い意味があるのだろうか、と思ったのです。
「さとうの・ごはん」じゃあるまいし。
922日本@名無史さん:05/01/02 22:27:17
もちろん、正確には>>918さんの読みが正しいのですよ。
しかし、世間での通称は理屈どおりにいかない事も覚悟
しておいてください。
両方を自由に行き来できればよいと思います。
もちろん、どちらが正確かは分かったうえでね。
923日本@名無史さん:05/01/02 22:29:36
天皇、皇太子の名字はどういうのでしょうか?
924日本@名無史さん:05/01/02 22:32:22
>>921
アハハ、確かにね。さとうのごはんじゃあるまいしね。
芝居の制作側も、もう少し歴史用語に気をつけて欲しい
ものですね。
北条時政は「の」なしで佐藤継信は「の」あり、とか、
この辺、確かに制作側の不勉強でしょう。
925日本@名無史さん:05/01/02 22:32:58
同ムックで、義経郎党が、

伊勢三郎 いせの・さぶろう
駿河次郎 するがの・じろう

とあるのは、苗字+「の」+通称ってことでいいの?
926日本@名無史さん:05/01/02 22:35:02
>>923
浩徳仁
927日本@名無史さん:05/01/02 22:35:03
義経の監修者って、奥富さんだろ?
928日本@名無史さん:05/01/02 22:39:40
>>927
ムックには、「時代考証 奥富敬之」とあります。
929日本@名無史さん:05/01/02 22:41:35
>>922 >>924
ご示唆ありがとうございました。
すっきりしました。

>>927
奥富敬之という方です。
930日本@名無史さん:05/01/02 22:42:00
奥富さんのゴーストライターかもしれんぞ
931日本@名無史さん:05/01/02 22:43:42
>>920
「きそのよしなか」はまだしも「かじわらのかげとき」って言うかフツー?
どういう世間で生きてるのキミ?
932日本@名無史さん:05/01/02 22:46:35
>>930
こちとら門外漢だが、O先生みたいなタイプ?

ところで「豊臣秀吉」は「とよとみの・ひでよし」が正しいのかな。
933日本@名無史さん:05/01/02 22:51:29
>>926
浩さんと呼ばれるのか
いい年したジジイが公の場でニックネームみたいな感じで呼ばれたら恥ずかしいだろ
934日本@名無史さん:05/01/02 22:59:58
>>926
名字はもともと他人と区別するための記号だから天皇や皇太子には名字はありません。
必要ないからです。ただ「天皇」「皇太子」と呼べば誰だか区別できるでしょ?
935日本@名無史さん:05/01/02 23:02:37
>>932
「とよとみのひでよし」が正しいんだろうな。
「ふじわらのひでよし」から「とよとみのひでよし」に改めたんだから。
936日本@名無史さん:05/01/02 23:04:29
>>919
ベースになってる「平家物語」はもともとは語り物だから、
「きそのかじゃよしなか」「かじわらのへいざかげとき」のように
間に「の」を入れて響きをよくしているという側面もあると思ふ。
937日本@名無史さん:05/01/02 23:05:00
>>935
そっかー、読み癖で「とよとみ・ひでよし」になったのか。
うちの先生はそう発音するが、周りではだれもそう言わんので
結構迷ってたよw あまり賢い先生じゃないし。
938日本@名無史さん:05/01/02 23:07:28
>>936
話題のムックでは、間の通称を省いて「梶原景時」に「かじわらの・かげとき」
とフリガナしてるから、混乱招いてるんだと思う。

939日本@名無史さん:05/01/02 23:09:39
割り込むけど、
源平藤橘のほかに、「の」を挿入する氏はなんですか?
大江とか、菅原、ありわらぐらいですか?
940日本@名無史さん:05/01/02 23:12:03
清原・・・って違ったけ?
たしかウジとかカバネとか言ったんじゃね? こういうのって。
941日本@名無史さん:05/01/02 23:12:17
この
「の」問題って、いつもあまり発展性ないね。
942日本@名無史さん:05/01/02 23:15:04
>>939
氏なんて書き切れないくらいいっぱいある。
んで、皆が名乗りたがった貴姓の代表格が源平藤橘の四姓。
943日本@名無史さん:05/01/02 23:15:11
>>939
氏(うじ)は基本的に全部「の」が入ります。
清原でも多々良でも上毛野でも惟宗でも小槻でも「の」が入ります。
944日本@名無史さん:05/01/02 23:15:11
>>939
にしきの・あきら。

日本史上屈指のスター。
945日本@名無史さん:05/01/02 23:18:12
昔は側室がいたわけだ。

月火水木金土日と日変わりで7人側室を持つなら、みんなは誰が良い?
芸能人とか著名人で頼む。
946日本@名無史さん:05/01/02 23:18:53
>>942 >>943
ウジはそんなにいっぱい在るんですか。
鎌倉以前のそういう類(蘇我とか大伴・和気)はみんなウジで
いいのですね? 日本史概説で、天皇から頂いた「姓」がウジで、
「の」を付けると習ったのですが、それでいいですか?

947日本@名無史さん:05/01/02 23:20:59

義経つながりで、奥州の安部氏っていうのも、
「氏(ウジ)」なの? アベノ・サダトウとか言うよね。
948日本@名無史さん:05/01/02 23:22:40
西洋某国のファミリーネームの前に来る"de"もそうだね。
20年くらい前から、だんだん使われなくなって来ているみたいだけど、
これも「の」ですね。

949日本@名無史さん:05/01/02 23:24:54
フォークダンス・DE・成子坂

ヴァスコ・ダ・ガマもそうなんかいな。
950日本@名無史さん:05/01/02 23:31:16
>>947
もともとの飛鳥貴族の阿部が氏だもんね。
>>946
あと、遣随使や書道・武門で有名な小野も氏だし、
紀とか秦とかも氏だよね。
951日本@名無史さん:05/01/02 23:51:45
>>950
そういわれてみればみんな「の」ですね。
「の」がつかない苗字の「はしり」は誰なんでしょう。
有名人だと・・・九条さんとか一条さんなのかな。
952日本@名無史さん:05/01/03 00:16:39
苗字と氏は別物なのだが。
953日本@名無史さん:05/01/03 00:18:44
>>951
九條も一條も藤原氏ですよ。
藤原を名乗るときは「の」が付きます。
954日本@名無史さん:05/01/03 00:29:01
>>952 >>953
ちょっと書き方が悪かったですね。
日本史の教科書とかで、氏でなく苗字で登場する有名人の初出は
だれなのかなー、というレスのつもりでした。
手元に教科書ないんで確認できませんが。
955日本@名無史さん:05/01/03 01:21:43
氏姓は何度も質問されるけど、
もともと血縁関係をもとにした「うぢ」が基本だった。
その「うぢ」には天皇側が指定した階級があり、これを「かばね」という。
「かばね」はときにより変更になったが最終的に最上位の朝臣であるもののうち有力な源、藤原等を名乗る家が多くなった。
本来は源朝臣が正式でありこのとき「うぢ」と「かばね」の間に「の」をいれてよんだ。
したがって本来は源朝臣頼朝等というのが正式。
ただ後に苗字と混同するようになり、明治になってその別が廃止となったため、
ますます苗字と氏、姓が混同されるようになった。
956日本@名無史さん:05/01/03 01:32:17
>>955
>本来は源朝臣が正式でありこのとき「うぢ」と「かばね」の間に「の」をいれてよんだ。

でも、「某部某麻呂」みたいに「かばね」を持たない庶民もいるよ。
この場合も「うぢ」と名の間に「の」が入るんでしょ。
957日本@名無史さん:05/01/03 01:46:22
>>956
質問。その「某部」とかの場合、「うぢ」になるの?
「某」という「うぢ」の部民だよね。
958日本@名無史さん:05/01/03 02:11:08
>>957
口分田を班給された公民らに多かったのが「某部」という「うぢ」。
下総国葛飾郡の孔王部(あなほべ)姓なんかが例に挙げられることが
結構多いと思うんだけど。
959日本@名無史さん:05/01/03 03:10:16
大河つながりで・・・
「大塔宮」は「おおとうのみや」か「だいとうのみや」なのかは、どっちが正しい読みか結論でたの?
今ググッたけどなんか結論でてなさそうだけど。
960日本@名無史さん:05/01/03 03:17:28
元中日ドラゴンズの大塔は「だいとう」だったな。
961日本@名無史さん:05/01/03 03:22:42
>>957
孔王部(穴穂部)に属する部民でしょ?
もちろん氏集団を構成するけど、それを氏といっていいの?
962日本@名無史さん:05/01/03 04:44:46
>>959
「おおとう」が正しく「だいとう」が誤り。でもこれは比較的最近に確定したことで
昔はどっちが正しいかわからなかった。南朝の親王に多い「〜良」という名前も
「〜なが」でなく「〜よし」が正しい。これも比較的最近に判明したことで
昔の本だと両方のルビが入ってたりする。
963日本@名無史さん:05/01/03 04:48:22
ウジ(姓・氏)には「の」入れ、名字・苗字には「の」入れないってのは
けっこういい加減だったんじゃないの?
江戸時代あたりに国学者がうるさくルール立てしたんじゃないのかな?

>>936が重要な指摘をしていると思う。実際、平家物語にはそんなルールまったくないよ。
964923:05/01/03 08:06:13
>>934
レスありがと。
昭和天皇なら、戸籍謄本にはヒロヒト天皇となっていそうなのですか?
皇太子の弟なら、アキシノミヤが名字の代わりみたいになっている
のですか?
965日本@名無史さん:05/01/03 11:06:09
>>962
「良」を「なが」と呼ばせる根拠は義良親王だよな。
で、義良は何と読むのだ?のりよしか?
966959:05/01/03 11:15:12
>>962
thanks
967日本@名無史さん:05/01/03 12:30:24
質問です。

山県有朋は現代の日本史学界では評判が悪いようですが、
近代日本の制度を作り上げた傑物だったというようなことを
「日本の歴史」(中公版)の対談で書かれていました。

これは事実なのでしょうか?
968日本@名無史さん:05/01/03 12:34:44
>>964
天皇家の一族は「皇族」であって国民ではありませんので、戸籍謄本に
名前はありませんです。
そのかわり、皇統譜と呼ばれる名簿に記録されることになります。
紀宮さまのように結婚により皇族の身分を離れる場合は、ここから籍が外されて
新たに国民としての戸籍が作られるんですな。
969日本@名無史さん:05/01/03 12:47:52
2ちゃんでまで紀宮に「さま」をつける必要などないわけだが。
970日本@名無史さん:05/01/03 12:57:59
>>969

2ちゃんで「紀宮さま」と書き込んで非難される筋合いも無いわけだが。
971日本@名無史さん:05/01/03 13:05:10
紀宮は皇族でなかったら田嶋陽子やヤワラレベルのブ○
2ちゃんでは十分叩きの対象


よって「さま」付けの必要なし
972日本@名無史さん:05/01/03 13:12:28
そういう話は他のスレでやってくれ。
ここは質問スレだぜ。
973日本@名無史さん:05/01/03 13:43:58
>>967
山県を批判する人は政治家に対して金銭面に汚点を許さず、
議会での話し合いで全ての物事を決めていくべきだと考えている人が多いと思う。
山県を評価する人は強引で金銭の面で不正があっても、
時代に合った制度を作れる実務家は必要だと考えている人が多いと思う。

明治日本を官僚国家にし、その官僚が太平洋戦争を引き起こし敗戦したとして
山県や大久保利通にその責任を押し付ける歴史家や評論家がいる。
しかし、大久保は明治11年に死亡、山県も大正11年には死亡してる。
彼らの死後太平洋戦争まで20年ほどあるんだよね。
大久保・山県が中心になって作った制度に不備があったとしたら、
彼らの死後の人物は何もしなかったのか?
そういう観点が抜けたまま大久保・山県を批判している人たちものすごく多い。
山県が死去した後に「憲政の常道」と言われる時期があったのに、
その頃政党は地方利権の代弁者として詰まらん足の引っ張り合いしかせず
それによって国民の信頼を失い軍部台頭の素地を作っただけじゃないの?と俺は思うわけです。


岡義武や服部之総なんかは古い学者だけど、
近代国家を作る際に山県のような人物がいなかったら上手くいかなかっただろうと考えていた。
このレス見たら分かる様に俺は完全に岡や服部の考え方と同じなんでかなり偏ってるとおもう。

>近代日本の制度を作り上げた
という事で政党政治家と山県がそれぞれ何をやったのか具体的に箇条書きで示した時にどんなものが
示されているのかを見てみればあなたなりの答えを出せるのでは?
もちろん山県が藩閥政府内で確固たる地位を確立していたことと、
政党政治家が在野の士だったことは十分に考慮しなければならんけど。
974日本@名無史さん:05/01/03 15:19:43
「BBM が止まっています」てのはなんのことですか?

975967:05/01/03 17:01:04
>>973

レスありがとうございます。

明治の元勲の中では、ある意味理想化肌だった伊藤博文は人気があると
思いますが、陰のイメージが強い山県有朋は不人気ですね。

私自身は山県有朋自体はそんなに悪い政治家だったとは
思っていなかったので967のような質問をしてみました。

976日本@名無史さん:05/01/03 17:27:40
山縣は同郷の井上と並んで、元祖汚職みたいなものだからね。
江藤の追及で失脚したときに西郷がとどめを刺せばよかった。

誰か次スレ頼んだ。
977日本@名無史さん:05/01/03 17:51:53
氏姓だけでもテンプレにしとかない?
誰か要領よくまとめてホスイ
978日本@名無史さん:05/01/03 18:07:12
時代劇の脚本家でも、氏姓や通称、忌み名の区別がついてない人が多いね。
テレ東の「国盗り物語」の中で、織田の重臣が官位をもらって喜ぶ場面があったが、
秀吉の位記が「木下筑前守藤吉郎」だったのには呆れたよ。
979日本@名無史さん:05/01/03 19:04:15
テンプレ、ついでに「質問のふりをしたアンチ皇室の自作自演・自問自答・煽りは禁止」とか入れとけ。
980日本@名無史さん:05/01/03 19:19:36
フツノミタマは石上神宮にあるのでしょうか?
それとも鹿島神宮でしょうか?
981日本@名無史さん:05/01/03 19:38:05
>>978
そうだね。官位は姓に対して与えられるもの。
もし、当時、秀吉が「筑前守」という官位をもらったのなら、
豊臣姓以前に、何らかの姓を称していたか、筑前守を受位する時に、何らかの姓を称したはず。
そして、藤吉郎という通称ではなく、何らかの諱を使用していたはず。
少なくとも信長の家臣として身分が上がれば、姓や諱は決めているはず。
982日本@名無史さん:05/01/03 19:55:51
「信長記」によれば秀吉が筑前守に任ぜられたのは天正3年7月だが
永禄8年11月には「秀吉」と名乗っていたことが坪内文書によって確認できる。
983日本@名無史さん:05/01/03 20:37:52
>>965
別に根拠じゃない
もともと義良親王も「のりなが」とかよまれてたし
984日本@名無史さん:05/01/03 20:48:34
>>978
ただ、同じ場面の光秀の位記には「惟任日向守源光秀」と書いてあったから、
秀吉が「羽柴秀吉」と名乗る場面を描写するための意図的な歪曲かも。
985日本@名無史さん:05/01/03 20:55:02
>>961
籍帳に登録される彼らはすでに部民ではなく歴とした公民です。
公民がうぢ(令制では「姓」と称することが多かったが)
を持っていたことはご存知でしょ。

ところで、>>956に対する答えを聞きたいのだけど…
986日本@名無史さん:05/01/03 21:18:54
>>981

「木下筑前守秀吉」だったらOKですか?
それとも「羽柴筑前守秀吉」?
987日本@名無史さん:05/01/03 23:01:18
蘇我入鹿の本名は「鞍作」で「入鹿」は蔑称である、と聞いたのですが、
なぜ「入鹿」が蔑称なのか感覚的に分かりません。
「和気穢麻呂」や「狭虫」なら蔑称なんだろうな、と分かるんですが。
分かる人、教えてください!
988日本@名無史さん:05/01/03 23:05:22
それは門脇禎二さんの説にすぎず、定説というわけではないでしょう。
989日本@名無史さん:05/01/03 23:11:35
NHKのドラマ「大化の改新」の時代考証が門脇禎二なのは驚きましたが。
990日本@名無史さん:05/01/04 00:21:58
流石に首が宙に舞わなかったな。
991日本@名無史さん:05/01/04 00:49:59
過去スレ
●初心者歓迎:スレッド立てる前に質問を●
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【初心者】スレッド立てる前に質問を Part2【歓迎】
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【初心者】スレッド立てる前に質問を Part3【歓迎】
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【初心者】スレッド立てる前に質問を Part4【歓迎】
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【初心者】スレッド立てる前に質問をPart8【歓迎】
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992日本@名無史さん:05/01/04 00:53:01
↑スマソ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart10【歓迎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1104767260/l50
993日本@名無史さん:05/01/04 03:08:27
>>987
乳母が鞍作氏だったんだろうから鞍作が本名だろうというのはたぶん間違ってない。
ただし入鹿が蔑称なのかどうかは、蔑称説・非蔑称説、両方あってよくわからない。
個人的には、庶民の名としては普通だが上級貴族の名としては蔑称っぽいような気がするけど。
994日本@名無史さん
>>988,989,993
サンクス!
一説に過ぎないんですね。
昔の人の命名の感覚って分かりにくい。。。
日本史の教科書か資料集に、「うじのかいたこ姫」(漢字難しい)という名前を見て、
なんじゃこりゃ、と思ったことがあります。