任那日本府説

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1バトルロワイヤル ◆GBxyAKINYA
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/07/22/20040722000059.html

これを唱えてる歴史学者は誰だ!?じゃなくて
っていうかっつーかこれって通説だよな

でももう取り下げよう!
偉大なる大韓国人の自尊心を傷つけてしまうから!!
2日本@名無史さん:04/07/23 01:35
>>1
既出
3日本@名無史さん:04/07/23 01:36
2なら銀紙を奥歯で噛む
4バトルロワイヤル ◆GBxyAKINYA :04/07/23 01:37
奴らの歪んだ民族主義とは戦う
韓国や韓国人の全てを敵に回そうというのではない
極端すぎるだろ
いくら愛国心が強いからと言って歴史の事実を曲げるのは行き過ぎだ
日本は韓国を下に見て「任那日本府説」を唱えているのではない
彼らは何故か知らないがいちいち日本の悪意をねつ造する
ばっかじゃね!!
原爆でも落としてやれ
ごめん言い過ぎた
5日本@名無史さん:04/07/23 01:38
>>3
良かったね
6バトルロワイヤル ◆GBxyAKINYA :04/07/23 01:38
つーかぶっちゃけ、いつまでも中世以下の暮らしぶりをしていた韓国を
近代の人類らしい暮らしぶりに向上させてやったのは日本
日本に感謝こそすれ恨むなどもってのほか
恩知らずとは韓国のような恥知らずのために用意されているような言葉
連合国の一員のつもりでいること自体がどうかしてる
7日本@名無史さん:04/07/23 02:02
>>1や6は中国人。高句麗をはぐらかすために
任那で日本と朝鮮(韓国)を論争させようとしている。
これが中国の兵法。
 

8バトルロワイヤル ◆GBxyAKINYA :04/07/23 02:08
なわけねぇだろ
武家の出だ
9日本@名無史さん:04/07/23 02:13
「後漢書」の馬韓については「その北は楽浪と南は倭と接し、辰韓の東にあり」と記している。
また弁韓についても、「辰韓の南にあり、その南また倭と接す」とある。「三国志」も同じく
「馬韓は南で倭と接す」とある。さらに「弁辰は十二国のうち、讀盧(どくろ)国は倭と界を接す」
とある。 http://www.searchnavi.com/~hp/rekishi/omoide/10.htm

1. 韓は帯方郡の南にあって、東西は海をもって境界とし、南は倭と接して 
 いる。韓の広さは4千里四方ほどである(韓伝)。
2.弁辰の国々から鉄を産出する。韓族・わい族・倭族が皆鉄をとっている。
 どの市場の売買でも、みな鉄をもちいていて、それは中国で銭を用いるのと
 同じである。(中略)男女の習俗は、ともに倭に近く、また、男女ともに文
 身(いれずみ)をしている(第一弁辰伝)。
3.弁辰の涜廬国は倭と境界を接している(第二弁辰伝)。
5.帯方郡から倭にゆくには、郡を出発して、まず海岸に沿って航行し、韓族
 の国をへて、しばらくは南に、しばらくは東に進んで、その北岸の拘邪韓国
 に到達する。その間の距離は七千余里である(倭人伝2)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm018.html

『魏志韓伝』によれば「韓は帯方の南、東西は海を以て限となし、南は倭と接す」と
書かれてあり、朝鮮南部にも倭があったように認識されています。
  同様に、かの『魏志倭人伝』でも倭の北岸は狗邪韓国、現在の金海市とされており、
弥生時代に朝鮮半島にも倭があったのは間違いがないと思われます。
http://www1.jca.apc.org/aml/200001/15493.html

「広開土王碑文」辛卯年条
広開土王が逃げる「倭」を追って「任那加羅従抜城に至」ったという記述から考えれば、
そこ(任那)が「倭」にとって逃げ帰るべき拠点であることが分かります。
http://homepage2.nifty.com/toka3aki/history/iwai_3.html
10日本@名無史さん:04/07/23 02:17
一般的な認識では、「弁韓=弁辰=任那=伽耶」が基本的な理解。
そして、馬韓→百済、辰韓→新羅、弁韓→任那 という具合に発展したと考えられている。
ところが、実は、馬韓の北半分の国々が独立して百済が建国され、新羅も同様に一部の
国々が辰韓から独立し、一時、馬韓、辰韓、百済、新羅、任那は共存していた。
そして、任那も弁韓地方の南半分が倭の直轄地として独立したもので、弁韓と任那も
一時共存したと思われる。
安本美典氏の著書でも、半島南部の推定地図では、百済、新羅、弁辰(弁韓)、倭が
あって、弁辰国に接してその南に倭国の領土(任那)が描かれている。
そして、弁辰領内に涜廬国があって、倭との国境付近に位置づけられていた。
11日本@名無史さん:04/07/23 02:19
まあ高句麗史を韓国史とするのは無理があるだろ。
12日本@名無史さん:04/07/23 03:54
中国外交部、「任那日本府説」も紹介
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/07/22/20040722000059.html

中国外交部が最近、インターネットホームページの韓国史概況から高句麗史を削除したのに続き、
日本史概況で日本が主張する「任那日本府説」を紹介していることが22日、明らかになった。

中国外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)は日本史について説明し、
「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期にその勢力が朝鮮半島(韓半島)の南部にまで拡大した」と歪曲した。
また、独(トク)島問題と関連、竹島と韓国名の独島をめぐり領土紛争が起きていると紹介した。

これと関連、外交通商部(外交部)の某当局者は「中国外交部のホームページに
誤った内容が掲載された経緯を把握したうえで、対応を議論する」とした。
13日本@名無史さん:04/07/23 09:01
昔、朝鮮学校の奴がデタラメな好太王碑文改竄説を出して
日本の朝鮮半島支配を否定しようと工作して、売国NHKなども便乗したが
幸い好太王碑は中国領にあったので現状保存されており
現地の学者が詳細に再検討して否定し、北鮮系エセ学者を厳しく批判した。

中国正史にも日本の半島支配は書かれ、前方後円墳など考古資料も揃っているし
火病を起こして反対する鮮人の言っていることはナンセンス。
14日本@名無史さん:04/07/23 09:11
>>11
高句麗は満州から南下して半島を勢力化に置いたのだから
日本列島から半島南部を支配したヤマトと同じく征服者だよな。

高句麗語の4つの数詞(三、五、七、十)の読み方が分かっていて
それは朝鮮語とは全く違っていて日本語に良く似ている。
15日本@名無史さん:04/07/26 04:17
高松塚古墳の壁画が、古代版の鹿鳴館といえる中国文化のコピペであるように
「高句麗」壁画古墳も中国文化なのに、北朝鮮の歴史捏造により捻じ曲げられている。
かつてのまともな韓国考古学者の発言を読めばよく分かる。
東晋の武将・冬寿の墓を平気で高句麗・美川王の墓と捏造する体質に呆れる。

金元龍・編(1989)「韓国の考古学」(講談社)
「313年の楽浪郡滅亡後から427年平壌遷都までの約1世紀間、平壌地方の楽浪旧領は、
中国系住民、新来の亡命中国系勢力者たちを住まわせた一種の自治的特殊区域であったと
筆者はみている。ここで、楽浪セン築墳から石室墳への転換が行なわれ、また357年の
安岳3号墳が示すように、・・・。
 この絵が中国系画家の手になったことを示すものであると筆者は考える。北朝鮮では、
この古墳が冬寿の墓ではなく美川王(331年没)のであり、冬寿はこの古墳築造の総監督者か
または墨書銘自体が後世の落書であるとみているが、古墳築造者の名前は書きながら
墓主の名前を書かないということはあり得ない。これは間違った愛国思想であり、学問ではない」
16日本@名無史さん:04/07/26 05:09
>>9
>「広開土王碑文」辛卯年条
>広開土王が逃げる「倭」を追って「任那加羅従抜城に至」ったという記述から考えれば、
>そこ(任那)が「倭」にとって逃げ帰るべき拠点であることが分かります。

その通り。それが重要なところだ。
しかも「任那加羅」は地名あるいは国名であって人や軍隊の名前としては
出てこない。考古学からはこの当時の金官はまだ大きな軍事的要素であるのに。
対照的なのは安羅であって、ちゃんと軍隊の名前として出てくる。
また従抜城は降伏するが、逃げ込んだ倭軍がどうなったのかよくわからない。

要するに広開土王碑は倭と金官(任那加羅)を区別していない。一体のものとして
書いている。
17日本@名無史さん:04/07/26 08:20
やはり加羅諸国は、朝鮮半島に残った倭人の残存勢力でないですかね。
倭と呼ばれることは、やはり小さかった。日本人の体が大きくなったのは食糧事情が良くなった高度成長期以降。
神功皇后の出兵伝説は、朝鮮半島に残されて倭人の残存勢力防衛だったのでは。
18邪馬台国=古墳発生地:04/07/26 08:42
倭奴というのと烏桓、和邇などの発音に共通点があるのが気がかり。
19日本@名無史さん:04/07/26 09:40
>>17
加羅諸国と一口に言っても、金官は倭との関係において特別の地位にある。
なぜなら倭の畿内と共通する筒型青銅器や巴型青銅器は、金官からのみ出て、
周辺加羅諸国からは出ないからだ。
20日本@名無史さん:04/07/26 10:59
筒型青銅器や巴形銅器など
倭から持ち込まれたと推定できるものが多いらしいね。
21日本@名無史さん:04/07/26 15:19
筒型青銅器は矛の石突きらしい。矛と言っても、筒型青銅器のなかに
舌を仕込んで矛を突き立てたときにじゃらんじゃらん鳴らすものだ。
巴型銅器は木製盾の飾りらしい。
すなわちどちらも武器ではあるが祭祀的武器。

いっぽう、金官固有のものはこの時期の倭にはない騎馬戦術用の
鉄製甲冑、鉄矛など実用武器を埋めた。

北方系の実用武器と倭系の祭祀用武器、この二つの関係は実に謎だ。
22日本@名無史さん:04/07/26 19:49
金官加羅に比定されている金海大成洞古墳群では
弥生時代の遺跡からは、北部九州に特徴的な多量の小型倣製鏡と中広形・広形銅矛が
古墳時代の遺跡からは、大和の首長墓に特徴的な巴形銅器・筒形銅器・碧玉製品類が出土している。

日本本土の権力が北部九州→畿内に移ったことに対応しているのだろう。
23日本@名無史さん:04/07/27 08:26
白村江の戦いはヒントであるが、超大国唐と、隆盛期にある新羅との連合軍を相手に、
如何に仲が良かった百済のためとはいえいったんは亡んだ国の再興のために、
下手をすれば亡国の憂き目に遭いかねないような救援軍の派遣を何故決めたのか?

658年(斉明4年)阿倍比羅夫は、船180艘を連ねて日本海側から北方の
蝦夷・粛慎の討伐を開始した。百済と新羅とが戦火を交えているときによくもこんな
大軍を奥州に派遣できたものである。660年には3度目の蝦夷征討を行っている。
日本との関係深く、後には当時の超大国唐を相手にその復興をかけて援軍まで
送った百済が660年に唐の大軍によって崩壊したまさにその年、
超大国唐と日本と伝統的に不仲な新羅がすぐそこに迫っているとき、
なぜ朝廷は3度目の蝦夷征討を行わなければならなかったのであろうか。
24日本@名無史さん:04/07/27 08:45
>>23
日本と新羅は伝統的に不仲ではないぞ。
朝鮮正史「三国史記」によると新羅始祖の重臣の瓢公は倭人で
第4代王は倭国から渡って来て王になったと書かれている。

「日本書紀」「古事記」に記された新羅王子・アメノヒボコの和名であり
任那王ツヌガアラシト、百済人アチキなどと名前が全く違う。

「隋書倭国伝」には新羅・百済は倭を大国として敬仰し、通使・往来すると書いている。

元々は倭国の衛星国だった新羅が徐々に強大になって対立を深めたのだろう。
25日本@名無史さん:04/07/30 23:13
漢字が50文字以上ある文は読まん
26日本@名無史さん:04/07/30 23:21
>>25
漢字が読めない鮮人かよ ( ´,_ゝ`)
27>20:04/07/30 23:32
弥生時代から多いよ。少なくとも伊都倭国の時代から勢力下にあったと見るべきですね。
28日本@名無史さん:04/07/30 23:49
>>27
ただし#22も言っているように、弥生時代(狗耶韓国の時代)は九州系、
古墳時代(金官加羅の時代)は畿内系というふうに変化する。

これをどのように解釈するかだ。
29日本@名無史さん:04/08/02 02:21
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=868329&work=list&st=&sw=&cp=4

voji 閲覧数 : 606

日 : アメリカ ヒストリーチャンネルでも任那日本府を紹介。
作成時刻 : 2004.07.31 13:47:58


中央放送 関係者は "報道が 出た 後 米 本社に 正式で 抗議を した"と "アメリカ ヒストリー チャンネルで 製作した 韓国 関連 プログラムは
朝鮮戦争 及び 北朝鮮 関連 一部 プロ グラムしか なくて 全世界 ヒストリー チャンネルから 放送で よる 歴史 歪曲は ない"故 言う だ.

これ 関係者は また "ヒストリー チャンネル ウェブサイト(www.historychannel.com)に 載せられた 国別 テキスト 案内資料は
アメリカ ヒストリー チャンネルの 公式的な 歴史観が なくて アメリカ カール ロムビアデハックで 製作した 百科事典を 転載 契約して 抜純.載せた 資料"と 説明した.

これ 関係者は "アメリカ ヒストリー チャンネル 側は コラム非我大学に 百科事典の リアリティーに 台 たいてい 検証を するように 要求した"故 付け加えた.

バンクの 朴奇態 飾りは "去る 5月 コラム非我大学に 抗議 メールを 送ったし, 大学 側 銀 現在 韓国史 歪曲と 係わって 内容 修正 などを おいて 円卓会議 中だと 知らせて来た"故 言った.

ヒストリー チャンネル ウェブサイトは 中国の 東北公正と 日本の 任那日本府説を 支持する 内容を 紹介する など 韓国史 全般に わたって 誤った 情報を 載せて 衝撃を 与えた.


http://j2k.naver.com/j2k.php/japan/news.naver.com/news/read.php?
3029の続き:04/08/02 02:22
na7946 : 韓 - 過ちを認めて削除したと言います. どことは違いますよね ^^ (07/31 13:50)

redmarine8 : 韓 - これが日本の長所であるメスラヌンゴだ.
世界色々国に資料や学会等を買収して自国民たちまで勘違い
するようにする日本政府の緻密な意図.....やっぱり... (07/31 13:50)

historji : 韓 - 何回か, 何度も net, 電子メール, 電話抗議の
花瓶韓国人に降伏したのだが. *^^* (07/31 13:56)

historji : 韓 - そうだとして世界史家たちの常識が変わらないです *^^* (07/31 13:56)

fester72 : 韓 - 過去東アジア研究学者たちが日本で教育を受けて本国に
帰ったから考えなしに親日本籍な場合が多いですが,
論争と考えをするようにしてくれれば良いです.
ほとんど悩みなしに日本人たちの主張を収容したことだからですよ. (07/31 14:11)

fester72 : 韓 - 面白いことは, こんな問題は関連研究に
対して韓国で研究資金を出す事をたくさんすれば解決されるというのです. (07/31 14:13)

fester72 : 韓 - 例えば, 日本文明の成立話す人にエジプト文明,
ギリシア-ローマ文明レベルではなくイギリス文明,フランス文明,
オランダ文明,バイキング文明などで文明社を論議するのかと
悩みを要求すればどんな悩みや論争なしに
その単語を使って来たことを続くのがたじろがれます. (07/31 14:18)

japanandus : 日 - 日本の古代の半島南部支配の記述は、中国側の史料による物ですよ。
だから、世界の歴史学の認識は変化しないです。 (07/31 17:
31日本@名無史さん:04/08/02 02:23
中国外交部、「任那日本府説」も紹介
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/07/22/20040722000059.html
 中国外交部が最近、インターネットホームページの韓国史概況から高句麗史を削除したの
に続き、日本史概況で日本が主張する「任那日本府説」を紹介していることが22日、
明らかになった。

 中国外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)は日本史について説明し、「5世紀
はじめ、大和国が隆盛した時期にその勢力が朝鮮半島(韓半島)の南部にまで拡大した」と
歪曲した。また、独(トク)島問題と関連、竹島と韓国名の独島をめぐり領土紛争が起き
ていると紹介した。

 これと関連、外交通商部(外交部)の某当局者は「中国外交部のホームページに誤った
内容が掲載された経緯を把握したうえで、対応を議論する」とした。
32日本@名無史さん:04/08/02 02:32
日中韓の史料から見て日本の勢力が
朝鮮半島に及んでいなかったと言うほうが無理がある
33日本@名無史さん:04/08/05 04:28
>32
電波。朝鮮の勢力が日本に及んでいたが正解。
夏坊はチョン高で勉強でもしテロ。
34日本@名無史さん:04/08/05 09:36
ますます支那チョンの揉め事が大きくなっているな

「高句麗は中国の一部」か 歴史認識めぐり 中韓対立が激化
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040805-00000012-nnp-int
35邪馬台国=古墳発生地:04/08/05 10:47
朝鮮族は何時頃から半島に進出したのか。漢は何時頃から満蒙に影響力を
及ぼすのかを考古学的に立証する能力のある財力、余裕のある国がないのが
残念。ソ連などはあれほど残酷な国でありながら案外学術には力を入れていた
んだがね。今のままではユーラシアのほとんどと米州は縄文人といわれても
仕方がない。全く科学を無視する国ばかりだもんねー。
36日本@名無史さん:04/08/05 13:41
>>35
「朝鮮族が半島に進出した」という考え方からしておかしい。
実際は新羅人を中心として、種々雑多な民族から、朝鮮半島内部で、
朝鮮民族が生成したのだ。
37日本@名無史さん:04/08/05 17:28
朝鮮民族自体が、新羅人が母体だろ。
朝鮮語の祖語は新羅語だし、新羅が北進して朝鮮民族を形成していったと言う歴史を無視しとるな。
38日本@名無史さん:04/08/06 00:58
新羅語は現代朝鮮語とは全然違う言語だろ
39日本@名無史さん:04/08/06 02:08
>>38
現代朝鮮語の祖語は新羅語ですよ。
40日本@名無史さん:04/08/19 07:25
対米戦争に負けた後遺症で、チョンの歴史捏造工作に押し捲られ
任那日本府についての正当な主張をしないのは駄目だな。

チョンは半島の前方後円墳の方が古いという願望を述べたが
実際には倭国が任那に勢力を拡大した時代のもので
チョンおなじみの自爆になったわけで。
41日本@名無史さん:04/08/19 09:07
チョンの自爆はデフォ ( ´,_ゝ`)

「親日行為」追及の韓国党首−父親が日本の憲兵で苦境
http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200408/sha2004081805.html
42日本@名無史さん:04/08/21 00:12
任那スレあるのに…
43日本@名無史さん:04/09/09 05:49
とりあえず、任那スレを使い果たすまでは、ここ凍結にしましょう。
44日本@名無史さん:04/10/01 22:00:28
45日本@名無史さん:04/10/26 08:51:33
661 耽羅国,日本に使臣を派遣。
666 耽羅,日本に使臣を派遣。
667 耽羅,日本に王子である故如を派遣,貢献する。
669 耽羅,日本に掾磨を派遣,貢献。
帰国の時に錦,纈,紺布,桃染布,斧,月子等を得てくる。
674 耽羅,日本に久麻伎王子等を派遣して貢献。五穀種子を得てくる。
676 耽羅,日本に王子である久麻芸,都羅,宇麻等を派遣,朝貢を捧げる。
日本に調使として久麻伎を派遣。
677 耽羅王姑如,日本で難破(大阪に到着)。
678 日本,耽羅の客人に船一隻を遣る。
679 耽羅,日本に都羅王子を派遣,朝貢を捧げる。
耽羅人(都羅王子),日本から帰国。
685 高句麗と耽羅に派遣されていた日本の使臣が帰国。
686 日本,使臣を耽羅に派遣。
688 耽羅に派遣されていた日本の使臣帰国。
耽羅王,左平職の加羅を日本に派遣,朝貢する。
46ちかつ宮家:04/11/01 16:48:27
中世の公家の日記にも任那をとりかえさないといけない。といった記述が出てきます。会ったことは確実です。
47日本@名無史さん:04/11/05 19:33:41
広開土王碑にも任那はある。
宋書にもある。
ないわけなかろう。
48日本@名無史さん:04/11/05 19:35:47
ただ時期によって範囲が違うけどな。
49日本@名無史さん:04/11/24 09:21:33
中世の公家の日記ってのがすごいなあ

任那は日本の固有の領土だったわけか
50日本@名無史さん:04/11/25 14:13:44
>>48
範囲が違うのは時期によってではなく使う方の立場によってだと思う。
日本書紀にも、欽明記など読めば同じ時期に広義と狭義の任那が入り乱れている。
それで意味が通じている。

今日の文章で奈良県にあたる地方を示す「大和」と日本全土を示す「大和」が
入り乱れても読めてしまうのと同じ。
51日本@名無史さん:04/12/05 20:29:34
「任那日本府」という言葉は『日本書紀』の欽明紀にしか出てこない。
日本府に限定しても雄略紀に1例あるのみで大半は欽明紀です。
欽明紀は6世紀、任那日本府が滅んだとされる、
加耶諸国が最終的に滅亡した時期です。
最後の段階にしか現れない任那日本府を、
『日本書紀』が言ってもいないのに「任那日本府は4世紀から存在し、
それが金官国に移り、安羅国に」という想像までしてきたわけです。
これは『日本書紀』を越えた理解です。しかしかつての考え方はそうだった。
52日本@名無史さん:04/12/08 11:32:41
53日本@名無史さん:04/12/24 02:56:48
あげとこ
54日本@名無史さん:04/12/26 19:00:45
あげとく。
55日本@名無史さん:04/12/26 19:05:30
任那日本府なんてなかったんだよ。
56日本@名無史さん:04/12/26 19:15:04
↑ 赤魔
57日本@名無史さん:04/12/27 09:10:13
>>51
ではあなたは「日本書紀が言っている」欽明記の任那日本府は信じる
のですか?
58日本@名無史さん:05/01/03 03:36:09
59日本@名無史さん:05/01/04 15:53:32
>>23
コピペ乙。
白村江の不思議 ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-43.html
60日本@名無史さん:05/01/04 16:12:44
チョンコロって大昔から情けなかったんだね
61日本@名無史さん:05/01/04 20:56:28
>>9
長い間貿易をしていれば港の近くに居留地ができても不思議ではない。
「倭」という国が朝鮮半島にあったとか、進出していた(軍事占領など)と解釈しなくてもいいのでは。

「讀盧(どくろ)国は倭と界を接す」は、讀盧(どくろ)国の端っこに倭人の居留地があったという事でしょう。

「 韓は帯方郡の南にあって、東西は海をもって境界とし、南は倭と接している。」
韓の南端に倭人居留地があったという事。倭人と貿易をしていたという事でしょう。

「弁辰の国々から鉄を産出する。韓族・わい族・倭族が皆鉄をとっている。 」
倭人の商人が鉄を買い付けに来ていたんでしょうか。

「弁辰の涜廬国は倭と境界を接している(第二弁辰伝)」
弁辰の涜廬国も倭と貿易があったんでしょう。ここにも倭人の居留地があったのでしょう。

>同様に、かの『魏志倭人伝』でも倭の北岸は狗邪韓国、現在の金海市とされており、
>弥生時代に朝鮮半島にも倭があったのは間違いがないと思われます。
これも倭人商人らの居留地でしょう。
62日本@名無史さん:05/01/04 21:00:37
この頃、日本という国はなかったのだから日本府ではなく倭府でしょうね、あったとしても。
63日本@名無史さん:05/01/04 21:36:08
古代日本の半島南部支配は
第3者の中国の史料に多く出てくるから
世界の東アジア史では常識になりつつある。
64日本@名無史さん:05/01/04 21:47:55
カンコックなさけねーなー
65日本@名無史さん:05/01/05 04:33:32
>>62
日本府というのは奈良時代の漢語。実際にあったのは「倭宰(やまとのみこともち)」。
一応、任那関係の過去ログではさんざん既出なんですが。
66日本@名無史さん:05/01/08 16:24:51
「倭宰」ってどんな意味なんでしょうか?
67日本@名無史さん:05/01/10 01:18:01
都督府の言い換えが「倭宰」じゃないのかな?
唐の一機関である都護府に支配されている属国統治機構のこと>都督府
68日本@名無史さん:05/01/10 08:21:03
半島南部にあって「倭宰」という名称は変だな。
ふつう「倭」ではなくて「任那宰(にんなのみこともち)」とか
「安羅宰(あらのみこともち)」とか設置場所の名を
冠するものだと思うんだけどね。
69日本@名無史さん:05/01/11 14:38:23
>>68
だから「任那倭宰」ですよ。倭宰といったのは「日本府」。
「みまなにあるやまとのみこともち」。
宰(みこともち)というのは倭国側からの呼び名。三韓では「吉(きち)」といった。

>>66
みこともちは派遣官の意、きちは大人・首長の意。
三国史記に「倭国大臣・倭使臣」という言葉がみえ、
これが関係あるとすれば駐在武官のような存在かと思われ。
一大率の系統をひく太宰帥のようなものがあったとすれば、玄界灘をはさんで対になっていた機関だろう。
「日本府行軍元帥」などの文字から察するに倭五王のもっていた「三韓諸国への
軍事指揮権」を実際に行使するための駐在武官だったとも考えられる。

70日本@名無史さん:05/01/19 17:27:17
河内については推古天皇の時代には大和王朝が支配していたと考えられる。

吉備についても同じくその蓋然性が高い。加えて、仮に吉備王朝が当時に
存立しえたとして、隋との交渉をして使者を派遣していたとすると、
九州をその支配下に治めていなければほぼ不可能であると思われる。
さらに、阿蘇山と思われる記述などから確実に九州圏を含むといえる。

以上により、隋と交渉していた王朝は九州圏を少なくとも支配下においており、
また、当時存在がほぼ確実な大和王朝ではないと思われるため、
隋と交渉していた王朝はを九州王朝と呼ぶことは妥当と認められる。
71日本@名無史さん:05/01/19 18:01:55
朝鮮学校の歴史教科書見てみたいね
72日本@名無史さん:05/01/20 01:07:07
>>70
最後の2行以外は同意。
73日本@名無史さん:05/02/04 09:51:03
隋と交渉していた王朝は九州圏を少なくとも支配下においており、は、OKなのか。

まあ、そうかもしれん。

唐に占領支配された王朝も同じなんだろう。
74日本@名無史さん:05/02/04 10:21:34
>>73 唐に占領支配された王朝も

日本も半島も、そろって唐に反発したので
唐は融和策に切替えています。
75日本@名無史さん:05/02/07 00:26:52
倭国は都督府を置かれ、唐の属国となりました。
反発どころか敗北・降伏しています。
76日本@名無史さん:05/02/07 17:19:55
あったって なくったって きょうの晩御飯になんか影響アンのかよ
77日本@名無史さん:05/02/07 20:34:09
根拠なしの珍説はスルーでよろ。
78日本@名無史さん:05/02/10 18:59:41
>>77
根拠が無いどころか
日本書紀以外に
中国の史料に多く掲載されている。
79日本@名無史さん:05/02/10 19:36:30
日本人なんていない、コリア系渡(略 U
80日本@名無史さん:05/02/10 20:12:45
>>79
君が必死なのは分かるけど
古代、半島の南部を支配していたのは事実。
81日本@名無史さん:05/02/11 00:32:38
>>78
じゃ出典を引用してみせてくれよw
82日本@名無史さん:05/02/11 01:45:57
漢籍読めば書いてあるだろ
83日本@名無史さん:05/02/11 01:56:57
>>82
漢籍といってもたくさんあるからなぁ。なんという漢籍に書いてあるんだ?
84日本@名無史さん:05/02/11 02:44:07
世界の考古学の権威では
任那日本府という名称の真偽は別として
古代日本が、半島南部を鉄利権目的で
支配していたのは、殆ど既成事実だよ。
85日本@名無史さん:05/02/11 10:19:55
>>84
権威とか定説とか持ち出すのは意味ない。
「わかたける」だって鉄剣銘が出る前は「たじひの」なんとかが権威の間の
定説だった。
半島支配に反対しているわけではないよ。
86日本@名無史さん:05/02/12 10:41:27
>>61
>「 韓は帯方郡の南にあって、東西は海をもって境界とし、南は倭と接している。」
>韓の南端に倭人居留地があったという事。倭人と貿易をしていたという事でしょう。
>「弁辰の国々から鉄を産出する。韓族・わい族・倭族が皆鉄をとっている。 」
>倭人の商人が鉄を買い付けに...
「 」文は、>>9のように素直に読めば、半島南端に倭人が定住してたってこと
だろう。倭人の商業出張所と読める文脈ではないし、出張所ならそう書くだろう。
鉄をとっている主語に韓族と並記されてるってことからしてもね。
87日本@名無史さん:05/02/12 10:48:29
>>86
倭人定住の傍証のひとつに国名の語根の類似があるね。
『三国志魏書東夷伝』からは、半島南部に韓族に接して倭人が居住していたと
考えられる記載がありますが、「倭人条」(俗に言う「倭人伝」)に載る倭人
諸国と同名ないし類似の国名が、半島南部に見受けられ...
半島南部の倭人国家
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=a1yga4faffckdcidca4nffa1z&sid=1835208&mid=692
88日本@名無史さん:05/02/25 09:35:00
半島南部に倭人がいたのはどうみても明らかだけど、
認めない勢力が学会にいるってほんと?
89日本@名無史さん:05/02/26 07:21:41
>>88
倭人がいなかったといってるんじゃなくて
倭国の勢力が半島に及んでることを認めない人たちがいるってこと。
90日本@名無史さん:05/03/05 18:37:52
任那日本府なんてなかったんだよ。
91日本@名無史さん:05/03/10 05:05:04

近年卓淳を昌原市に比定する研究者がいますが、その根拠は何ですか?
92日本@名無史さん:05/03/10 08:23:36
>>91
いってる本人はその方が日本書紀の記事を説明しやすいといってるが
どうだろう?なにがどう説明しやすいのかわからないねー。
旧説どおり大邱で問題ないと思うがな。
93日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:08:55
やっぱ、継体の半島政策がまずすぎ。後悔。
94日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:48:13
継体天皇は必ずしも暗愚だったわけではない。
入り婿状態で古参の群臣や皇后一家に気を使う立場だったから
発言力が弱い。四県割譲は金村の判断では正しい。
藩塀たる百済が弱体化したままでは任那の存続もないわけだから。
継体の補佐は前期は金村、後期は安閑・宣化の二皇子。
この時期は金村が老衰して二皇子の時代にバトンタッチする狭間の時期で
当局に空隙があったために、この時期の影の実力者はナンバー2の蘇我稲目だったのです。
百済が調子づいて四県に加え二郡までとろうとしたのは背後に稲目の入れ知恵があったんだろう。
そんなことをすれば加羅が倭国に不信任をつきつけるのは分かり切ったこと。
実際に、蘇我はこれを持ち出して金村を失脚させることに成功している。
95日本@名無史さん:2005/04/11(月) 06:45:04
四県割譲の金村の判断が正しい根拠は?

賄賂とのうわさが日本書紀に明記されている理由は?
96日本@名無史さん:2005/04/11(月) 08:05:32
百済が崩壊したら任那もくそもないだろ。
百済を強化するのはこの当時の判断としては間違いではない。

賄賂の噂は実際にあったんだろう。蘇我や物部など
大伴の失脚を期待する連中はいくらでもいたろうし。
物部はドキュンっぽくて陰謀めぐらすタイプじゃないだろう。
百済べったりの蘇我がそそのかして二郡を侵略させたんじゃないのか?

本当に賄賂があったのか真相は不明だが、金村は失脚した後、
欽明の代になっても気を遣ってもらっているし
代々の天皇の信頼が厚かったと思える。

金村が失脚した後、べつに倭の外交がましになったかといえば
そんなことはないね。むしろ金村が補佐した武烈〜宣化の頃がうまくて、
金村なき後の欽明朝からは百済べったりの蘇我とドキュン物部の
主導権争いでぼろぼろになっていくように見える。

97日本@名無史さん:2005/04/20(水) 19:06:09
98日本@名無史さん:2005/04/20(水) 22:16:00
>>97
田中俊明は結構うまい新説だしたりして新進気鋭の若手というイメージ。
実際は若いのか爺さんなのかよく知らないが。
でも朝鮮人に媚びまくりな時もあって、学者はたいへんだなぁと思うよ。
99日本@名無史さん:2005/04/21(木) 01:06:32
>>97
朝鮮人のオナニーサイトじゃねーかよ
100日本@名無史さん:2005/04/23(土) 07:00:40
新羅と対立する弁諸国が百済と筑紫に臣下の礼をとり国防の基地をもうけた
筑紫の君の基地これが和府。これを日本書紀が九州王朝記事の転用する時に
日本府と書いた。韓国人の馬鹿がわめくものや、日本のウヨがムキになるも
のと違う。別の王朝のものだ。
101日本@名無史さん:2005/04/23(土) 07:24:50
日本が強力な中央集権統一国家体制になるのは、
大化の改新〜持統朝までの紆余曲折の時代までかかるからねぇ。。
倭人が強い影響力を持っていたんだろうけど、日本府と考えていいのかどうか。
筑紫の磐井の乱なんかを考えても、畿内の連合部族政権といえる大和朝廷が、
どこまでちゃんとコントロールできる体制だったか。
倭人の中で、
朝鮮半島南部と九州に地盤を持つような航海が得意な氏族がいたんだとは思うけどね。
橋頭堡的、交易拠点的な存在だと想像するけどね。
102日本@名無史さん:2005/04/23(土) 09:58:16
>>100
ヤマト朝廷が近江臣毛野を派遣しようとした時、
筑紫君磐井は新羅の要請で近江臣毛野を阻止しようとしたのが磐井の乱。

九州王朝信者には専用スレがあるのでそちらへどうぞ。
103日本@名無史さん:2005/04/23(土) 10:01:53
>>101
律令的中央集権と部族連合の両極端しか考えられないのか?

3世紀の倭国の政治体制はかなり中央集権的な制度だし
4世紀の巨大古墳の存在もそのことを裏付ける。
氏族制といってもそれぞれの氏族の政治的自立性が高かった様子はないね。
104日本@名無史さん:2005/04/24(日) 19:00:42
475ソウル陥落後、三国史記では倭国筑紫君と百済は、新羅と和睦。高句麗と戦。
筑紫と百済は友好国の、日本国河内ヤマト朝廷と、吉備国と、日本国の属国の毛野、
の兵を、弁辰国境に配置。バランサーにしていたらしい。これで日本書紀の半島出兵の
の記録がつじつまあう。
イワイ戦争で倭国は日本国に属国にされる。このとき混乱が起こり新羅王が裏切り、
弁で、主君の筑紫兵百済兵と日本兵を皆殺しにして征服活動。
105日本@名無史さん:2005/04/24(日) 19:04:13
敬体天皇の日本統一と、新羅真興王の同盟裏切りが、ミナマ府滅亡のもと。
106日本@名無史さん:2005/04/24(日) 19:23:26
石人石馬は何のためのものか。中国の将軍の墓の真似だ。
九州王調説を馬鹿にスルナよ。中国の、リョウ書、斉書、宋書は嘘ではない。
いちばん阿呆の騎馬民族説は「珍説奇説」といわれて仕方が無い。文献無視。
一方で、日本書紀も尊重してこそ真実がわかる。
日本書紀と中国文献の両立が大切。
107日本@名無史さん:2005/04/25(月) 23:50:40
>>106
広開土王との戦いが「文献」に書かれてないのはなぜ?
108日本@名無史さん:2005/04/26(火) 02:25:01
>>106
まるで宋書・梁書・南斉書に九州王朝説がかいてあるような言い草だな。
だからバカにされるんだよ。
109日本@名無史さん:2005/04/26(火) 05:10:36
中国史書の地理の記述を性格に読めよ。九州王朝説は正しい。
110日本@名無史さん:2005/04/26(火) 07:17:36
九州王朝は専用スレがあるのでそちらへどうぞ。
111退職教師:2005/04/26(火) 16:05:34
109、古代史は分からないことだらけだ。正しい説など無い。謙虚になれ。
110、騎馬民族説や聖徳太子架空説のような珍説奇説は専用スレに押し込め
られてもしかたがないが、ほかの説を差別するな。おまえは荒らしなのか。
お前の物の言い方はスレ私物化の極み。みんなの敵になりたいのか。
112日本@名無史さん:2005/04/26(火) 21:56:44
>>111の脳内では

九州王朝=みんな

非九州王朝=荒らし

のようですね
113日本@名無史さん:2005/04/27(水) 18:36:56
112、おれは111に肩入れしないが、君は傲慢だよ。
114日本@名無史さん:2005/04/27(水) 20:32:53
おいおい、>>113よ。おまえは何を逝ってるんだ?
古代史はわからないことだらけだといいながら、
聖徳太子架空説と騎馬民族説は珍説奇説だという癖に九州王朝説はそうじゃないと特権化して
しかもそんな偏った考えに同調しない者を「差別だ」「荒らし」だのと騒いでる>>111の方が
どう考えてもはるかに傲慢だろう。
学界で相手にされてないって意味ではまったく同格なのに。
現在の評価ではむしろ聖徳太子架空説の方が多少まともな位置に近いだろう。
まぁいずれどうなるかはわからんが。

まるで宋書・梁書・南斉書に九州王朝説がかいてある
ような >>106の言い草は傲慢な上に手抜きだな。

>>109みたいな、議論ぬきに「正確に読めばあってるはずだ」なんて
「正しい」宣言は傲慢な上に信仰告白以上の意味はない。

>>106,>>109,>>111の共通点=九州王朝そして傲慢。>>113よ。自演なんだろ?
115日本@名無史さん:2005/05/04(水) 05:17:44
自演なわけがないだろう。近畿説は中国史書を日本書紀より低く見る者の妄説だ。
宋書で倭王武は朝鮮のことを海北と書いた。これは八女から見た表現だ。
近畿なら海西と表現する。他の中国史書も、伊都や志摩の斜めだとか、
百女国以北は〇〇だとか、竹斯国に至るとか、九州中心の地理表記だ。
石人石馬の中国将軍職仕様の墓作る国と、埴輪の国とどちらが先進国か
馬鹿でも分かるだろう。近畿地方以外の人間に時代遅れの説を押し付けるのか。
116日本@名無史さん:2005/05/04(水) 05:20:36
114、真実は今後の発掘に任せるしかないな。君の九州説排除の陰謀は潰える。
117日本@名無史さん:2005/05/06(金) 14:48:19
【日韓】「研究の成果、日本の教科書に反映すべき」 韓国側が主張…日韓歴史共同研究[05/06]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1115356865/
118日本@名無史さん:2005/05/09(月) 03:36:00
>>115
妄説?じゃ日本の学界は妄説だらけですな。
早く学界であなたの素晴らしい説を発表して目を覚ましてあげたら?

韓国は九州からみて北なんだからべつに海北で問題ない。だけどそのことは九州が近畿王権
の一部でなかったという理由にはならない。たんなる地理上の事実にすぎないのだから。
日本書紀にも九州の北の海を「海北道中」といっているが、日本書紀は九州王朝が書いたわけじゃあるまい。
伊都国がどうのは経路の説明で同日の談ではない。

>>116
今後の発掘に任せるしかないといいながら未来を断言するような
支離滅裂な人間に理屈が通じないのはよくわかったよ。
119日本@名無史さん:2005/05/21(土) 17:11:04
とにかく
任那日本府は
中国の史書のほうに
多く出て来るんだよな。
120日本@名無史さん:2005/05/21(土) 18:28:46
玄海灘なんて単にバカデカイ大河ってなもんだろ
半島南部にいた倭人が倭族になっただけ
それが任那ってことだ
121日本@名無史さん:2005/05/25(水) 14:24:13
倭王朝と大和朝廷は別モンだったの?
122日本@名無史さん:2005/05/25(水) 14:24:39
倭王朝と大和朝廷は別モンだったの?
123日本@名無史さん:2005/05/25(水) 17:00:16
つか邪馬台国と半島に在った倭(任那)は別もんだったんなんじゃないの?
だから魏志で半島の国は「倭」と呼び、大海之中にある国には「倭人」と
区別したのだと思う。
124日本@名無史さん:2005/05/25(水) 17:16:34
辰韓伝には、「国は鉄を出す。韓、倭は皆これを取っている。…楽浪、帯方二郡にも供給している。」
つまり、倭は辰韓の鉄を自由に取りに行けたことになる。
倭人伝に記された国のうち、朝鮮半島に最も近い対馬国で千戸ばかりの家、
おそらく海産物を以って南北に交易し、穀物を買い入れていたという程度だろう。
辰韓の鉄を取る「倭」の根拠地は、やはり朝鮮半島に求めるべきで、
倭→任那がそれだと思う。
125日本@名無史さん:2005/05/25(水) 17:35:23
へー 漏れみたいな素人だと倭=日本ってイメージなんだよね勉強になりますた
126日本@名無史さん:2005/05/25(水) 18:44:30
韓国は、日本書紀の記述を参考にして古代史を読み解くことはあるが、
ミナマ日本府だけは認めたがらないが。何か。
127日本@名無史さん:2005/05/26(木) 18:10:42 BE:280071959-
任那は「みなま」「みまな」どっちの読みが正しいの?
128日本@名無史さん:2005/05/26(木) 21:00:20
みまな
129日本@名無史さん:2005/06/01(水) 02:26:14
「日韓歴史共同研究委員会」最終報告書発表。日韓の隔たり大
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1117556644/
なんで日本側まで任那を認めないの?
130がいやまん:2005/06/01(水) 07:58:42
>>124
「本拠地」は列島各地、九州、近畿、山陰、北陸であるが、「根拠地」は三韓全土で、
鉄関連は弁辰、その中でも倭同盟の代表国が御那(王の国)、鉄以外は銅などの
中国関係貿易の中継地点等を行っていたと見るべきでは。もちろん、シロ、ハクサイ
等には楽浪・帯方からの亡命朝鮮族とか、根っからの地元民と言うのがいた可能性
もあるが。
131日本@名無史さん:2005/06/01(水) 09:09:54
>>123
>だから魏志で半島の国は「倭」と呼び、大海之中にある国には「倭人」と
>区別したのだと思う。

うそを書くな。
たしかに魏志倭人伝の最初は「倭人」だ。
>倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。

しかし、あとはずっと「倭」で統一されてる。
>郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓國をへて、あるいは、南しあるいは東し、その北岸狗邪韓國に至る七千余里。
(略)
>今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。
(略)
>倭の地は温暖にして、冬・夏生菜を食す。
(略)
>租賦を収む、邸閣あり、國國市あり。有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。
(ココの「大倭」は、役人の役職かもしれん)
132がいやまん:2005/06/01(水) 09:45:09
>>租賦を収む、邸閣あり、國國市あり。有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。
(ココの「大倭」は、役人の役職かもしれん)
これは既に国家が機能している状況だから、邪馬台国建国後の状況、つまり、魏使
訪倭見聞録に基づくとしか考えられないね。
133がいやまん:2005/06/01(水) 09:50:05
例えば現在の北朝鮮のように国家が十分に機能していないと判定されれば、国交の
樹立はなかっただろうね。
134がいやまん:2005/06/01(水) 10:10:12
古墳時代、中国朝鮮で無数の国が消長を繰り返す中、倭は大和朝廷に発展するのだ
から「日出る国」という感覚にも一理はある。その間中国は国際的に大きく成長し、日本
の先生のようになったのもこれまた事実ではあるが。
135日本@名無史さん:2005/06/01(水) 14:55:16
>>131
従郡至倭循海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓国七千余里

頭を使いましょう
136日本@名無史さん:2005/06/01(水) 16:02:44
>>131松本清張氏は倭と倭人が使い分けられていることに着目していますね。
で支持している者ですが

夫余伝………夫余は長城の北に在り
高句麗伝……高句麗は遼東の東千里に在り
東沃沮………東沃沮は高句麗の蓋馬大山の東に在り
韓伝…………韓は帯方の南に在り
倭人伝………倭人は帯方東南大海の中に在り

倭人伝以外は同じ形式で、国名の後、その位置を書いていますね
韓伝は「東西は海を以って限りとなし、南は倭と接す、方四千里ばかり、
三種あり、一は馬韓といい、二は辰韓といい、三は弁韓という」
と続きます。
弁辰伝に「其のトラク国、倭と界を接す」と記されています
これは同じ内容をより精密に語ったもので
倭人伝の冒頭に「倭人は帯方東南大海の中に在り」と記されていますから、
魏志倭人伝の著者、陳寿は、よく似た国ではあるが、朝鮮半島に在ったで似比倭と
区別するためにも、大海の中に在るものを倭人と表現したようです。
137日本@名無史さん:2005/06/01(水) 23:05:44
倭、倭国、倭人、倭王、倭種、倭兵、倭軍、倭冦・・・

ぜんぶ同じものだよ、結局は。
138日本@名無史さん:2005/06/02(木) 02:28:58
朝鮮に任那があると困る輩はだ〜れ?↑
139137:2005/06/02(木) 03:03:13
>>138
任那があったら困るのはヒガミ鮮人。
140日本@名無史さん:2005/06/02(木) 07:34:39
新羅も元々は倭人の海賊が建てた国だしな〜
141日本@名無史さん:2005/06/02(木) 11:43:40
>>136
南朝鮮にあったという「倭国」と大海の中にある「倭人国」の区別だな。
つーことは、古社の神が海に由来が深かったり
やはり倭人は東シナ海〜日本海を萬居する海上民族だったんだな。
142日本@名無史さん:2005/06/02(木) 15:16:09
海人族ってどうやって生まれたの?
エロイ人教えて
143日本@名無史さん:2005/06/02(木) 20:02:23
舟作って海に出て、
綿津見の神を祭り魚を獲って暮らせば
君も今から海人族だ。がんばろう。
144日本@名無史さん:2005/06/02(木) 22:49:36
魚釣るだけじゃなく海水から塩作ったり、
内陸に向けて商売すると良いと思うぞ。
145日本@名無史さん:2005/06/02(木) 23:43:47
もちろんゲイ面文身を忘れずにな。
146日本@名無史さん:2005/06/13(月) 22:14:20
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/06/13/20050613000074.html

3つの分科のうち、唯一座談会の会議録と個々の委員の個人的感想を残した1分科(古代史)も同様に難航した。
高麗(コリョ)大学の金鉉球(キム・ヒョング)教授は「韓半島南部で活躍したとされる『倭』の定義からして、
相反する見解で少しも歩み寄ることができなかった」とし、「かえって、見解の差が極めて大きく堅固だという点に、
両国の学者があらためて驚いたのではないかと思う」と述べた。
147日本@名無史さん:2005/06/13(月) 22:29:33
任那は日本固有の領土ニダ。
148日本@名無史さん:2005/06/14(火) 00:43:35
>>146倭の定義、それは朝鮮族とは異種である、ということを
ニダ学者らは認めているのかな?
倭人≒朝鮮族の片割と思っていそうで、なんか嫌だな。
純粋に列島にいた倭人族と同種のものが韓半島南部で活躍していた
と、日本人は思っているんだけど。
ニダ学者の決死の抵抗に梃子摺ってるのが目に浮かぶ。
149日本@名無史さん:2005/06/14(火) 08:26:43
倭≠日本
倭≒九州≒馬韓
北朝鮮≠南朝鮮
満州≒任那≒日本≒北朝鮮

150日本@名無史さん:2005/06/15(水) 00:56:53
日王は韓半島にルーツがあると昔聞きました。
邪馬台国に韓半島から先進文化を伝えに来る人達
大和の人と結婚で文化や技術を子に伝えました。
優れた子供が村の尊重や役人になりました
そして国を納めたりしました。
文化や技術を持った昔の韓国人が倭王になって
天皇になったです
151日本@名無史さん:2005/06/15(水) 04:17:26
国定教科書を丸暗記するのが歴史の勉強だと思ってたらそれは大間違いですよ
152日本@名無史さん:2005/06/18(土) 17:46:28
私はしろうとですからね、しろうとなので、同じ日本列島の東日本や南九州でさえ、
中央政権に従わない勢力がいたというのに、そういうことが果たしてありうるのかな、
という素朴な疑問を持ってしまうわけです。ええ、持って当然の疑問だろうと思います。

元寇とか秀吉の朝鮮征伐より何百年、千年も前のことですからね、
当時の造船テクノロジーの水準で、海外に領地を保ち続けるというのは相当難しい話だろうと想像します。

で、仮に朝鮮半島南部と倭国の政権に密接な関係があったのが本当だとすると、
もしかすると、主と従が逆だったのではないか、という可能性も考えるわけです。

つまり大和の政権が本拠で朝鮮半島南部がその支部だったのではなく、
朝鮮半島南部が本拠で、大和にあったのは実はその支部、
戦争やって半島から追い出された結果、難を逃れた人達が支部を本体とせざるをえなくなった。

意外とありそうな話だと思いませんかね。
153日本@名無史さん:2005/06/18(土) 17:59:21
国益や利権(鉄・技術)が絡むとなると、いつの世も少々の無理は付きものです。
出先機関なりを任那に確保しないと、後進の日本国は半島との差をますますあけられてしまいますよね。
154日本@名無史さん:2005/06/19(日) 15:07:26
大臣瓢公が同じく倭から渡ってきた脱解に家を奪われるという話や
智証の前代まで倭による攻撃記事から推測すると、
海に近く定まる「城」を拠点にする新羅は
天皇がいる場所が流動的に「都」になる日本にとって攻められやすく
その反撃も難しい。

任那は半島経営における動かし難い拠点であり、
その結束力の脆さもあって日本に対する攻撃対象に選ばれ
奪取されるべく奪われた。
155137:2005/06/20(月) 00:09:28
>>152
>当時の造船テクノロジー

「古代日本の軍事航海史」(松枝正根/かや書房)に詳しいよ。
156日本@名無史さん:2005/06/24(金) 12:28:05
江上波夫は、南方から海路でやってきた倭人が、九州西北部と朝鮮半島南部に定着したと言ってたな。
南方起源の水稲耕作を日本や半島部に持ち込んだのは彼らだとも。
たぶん、漢民族の膨張に押されて、大陸から追い落とされたのだよ。
157日本@名無史さん:2005/06/25(土) 03:15:30
倭人というより南方系縄文人だどさ。ホントはね。
だけど判断が難しいから、無難なこと言うんだよ
悔しいね馬鹿。
158日本@名無史さん:2005/06/25(土) 05:07:05
>>156
田植えはもともと東南アジア・華南地方のもの。華北や朝鮮半島では田植えは適さない気候。
今の朝鮮半島では田植えが普及しているが、これは植民地時代の日本の遺産。
日本では弥生時代の稲作当初から田植えがあったとされているから、南方起源で間違いない。
159日本@名無史さん:2005/07/06(水) 00:55:39
ほほう
160日本@名無史さん:2005/07/06(水) 01:01:35
違う。
単に縄文漁労民が江南から技術を持ち帰ってきただけ。

日本人からは中国や南方系の遺伝子やハプロタイプがほとんど出ない。

水田稲作が始まって700年後、北方から弥生人が朝鮮半島を素通りして
やって来たが、単に農業技術を持ち込んだだけで、もとは稲作民ではない。
161曰本@名無史さん:2005/07/06(水) 01:40:31
>>160

弥生人が持ち込んだ「農業技術」ってなんだろうか?
灌漑? 鍬鋤の類? 牛馬の家畜化? 

水稲の耕地面積拡大の原動力が弥生人だとして、
その稲作に転用された持ち込み技術というのは具体的には何でしょうか?
162日本@名無史さん:2005/07/06(水) 16:44:49
渡来系弥生人と在来系弥生人を区別しないと。

前10〜8世紀頃、在来系弥生人(縄文人の子孫)が
江南と交流して水田耕作の技術をもちこんだ。
この際、江南系渡来人もいたかもしれないが
遺伝子や人骨を残さない程度の少数だった。

それからだいぶたってから
前5〜4世紀、呉王夫差と越王句践が抗争した頃
江南地方からきた難民が吉野ヶ里タイプ弥生人。
この時すでに日本では水田耕作がはじまったずっと後。
吉野ヶ里タイプ弥生人はあんまり広がらず消滅。

前3〜2世紀、斉の田単と燕の楽毅が戦った頃
山東半島からきた難民が土井ヶ浜タイプ弥生人。
これはその後、海岸線に沿いながら全国に広がった。

163日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:37:02
164日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:22:28
ウホッホ
165日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:32:12
竹島と松島の名前の錯誤ぶりなんかを見てると(これは日本の話だが)
倭がどこで倭人がどこにいるかなんて、漢人にははなはだどうでも
いいことだったんだろうなと思う。
166日本@名無史さん:2005/08/24(水) 22:49:36
金が採掘されるようになるまではな。
167日本@名無史さん:2005/08/28(日) 02:39:10
168日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:54:07
>>167
見たけど。初歩的な勘違いばかりで得意げにしてる朝鮮人は哀れだな。
169日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:19:49
そうか
170日本@名無史さん:2005/09/16(金) 19:59:38
 加耶(任那)が韓国のもの?
違うだろ、出雲のものであり日本のものである。
新羅が加耶を滅ぼしたので、日本海沿岸に朝鮮半島系倭人が
拡散し、出雲を日本の中でも独特な文化にしたのだ。
171日本@名無史さん:2005/09/17(土) 01:47:27
じゃ出雲文化は6世紀以後のものか?
デンパもたいがいにせいよw
172日本@名無史さん:2005/10/05(水) 23:43:37
そうやろ
173日本@名無史さん:2005/10/06(木) 03:47:34
関西弁は白痴っぽいからやめれ
174日本@名無史さん:2005/10/11(火) 15:26:03
百済人=倭人?
175日本@名無史さん:2005/10/11(火) 22:11:25
>>174
どうしてそういう白痴っぽいつっこみを平気でできるのか
本当にうんざりするなー
176日本@名無史さん:2005/10/26(水) 20:48:36
んなこたあねえ
177日本@名無史さん:2005/10/31(月) 21:47:39
178日本@名無史さん:2005/11/23(水) 02:54:55
>>177
読めない
179日本@名無史さん:2005/11/27(日) 12:19:03
読めるべ
180日本@名無史さん:2005/11/27(日) 13:09:54
>>177
それは後で否定された。
181日本@名無史さん:2005/12/10(土) 18:19:44
なんで?
182日本@名無史さん:2005/12/10(土) 21:33:58
前方後円墳じゃなかった。
てか古墳ですらなかったらしいな。ただの岩。
183日本@名無史さん:2005/12/10(土) 23:23:26
なぞの古代の日本の勢力形態は、中世の日本の勢力形態と同じということらしい。
基本的に、日本は国土の80%が山間部である島国であり
稲作農耕の人口密集地帯だ。こういうところは、
農耕社会を通じて、同じような歴史を繰り返すらしい。

例えば、戦国時代、畿内・濃尾の織田家と、瀬戸内海周辺の毛利家が
事実上、覇権をかけて戦っていたが、
同じく3世紀も、畿内・濃尾の狗奴国(大和王権)と
瀬戸内海周辺の邪馬台国(吉備)による覇権争いだったらしい。
どちらも、中国から日本国王だと思われていたのは
瀬戸内海周辺の 毛利家と邪馬台国。

その後、中世では、豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたが
古代でも、応神天皇が朝鮮出兵していたとか...

また、最後のクライマックスとして
中世では、関が原の戦いがあったけど
古代では、壬申の乱が不破の関(後の関が原)であった。
184日本@名無史さん:2005/12/11(日) 00:01:18
それが何か?「歴史は繰り返す」という言葉をご存知ないですかな?
185日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:39:27
>>183
お花畑板に帰れ
186日本@名無史さん:2005/12/26(月) 00:51:03
歴史読本最新号の韓国人の任那に関する記事はなんじゃあれ。推論、仮定、ダブルスタンダードのオンパレ
ード。どうしても百済を上位にもっていかないと気が済まないらしい。
187日本@名無史さん:2006/01/03(火) 01:21:30
         
188日本@名無史さん:2006/01/03(火) 21:09:08
>>186
俺も読んだ。仮定に仮定を重ねている。酷い論考

通説は崩れたが、新たな説はないとか言っているが。
そもそも通説は崩れてないっての。
そうすれば、百済と任那が日本の丁稚、で終了なのに。
百済が上位で、日本から「傭兵」を要求したとは、よく言うよね。
189日本@名無史さん:2006/01/06(金) 13:18:27
鉄を見返りにした傭兵だったって説か
190日本@名無史さん:2006/01/06(金) 13:47:05
上でも下でもいいが百済王に舐めた態度を取られた倭王としては
散々出費した割には見返りが少ないじゃ済まないわな。
高句麗と同盟組んで挟撃すれば百済新羅は無くなるんじゃね?
二国が倭国に任那を領有させる理由はここにあると思うよ。
191日本@名無史さん:2006/01/06(金) 17:18:24
なんで韓国人は人質を差出し、貢物を差出している百済を上位だと評価しているんですか?
192日本@名無史さん:2006/01/06(金) 19:16:37
>>191
頭がトチ狂ってるんですよ。
193日本@名無史さん:2006/01/06(金) 19:21:19
>>191
反日教育の賜物だろう
194日本@名無史さん:2006/01/06(金) 19:59:07
大国や強国が信義の証として小国に人質を出す例もある。
第一、金石史料の七支刀では、百済王がその「侯王」である倭王に刀を与えたとある。
195日本@名無史さん:2006/01/07(土) 11:47:22
189
ぶっちゃけ当時でも、山陰のほうでそこそこ製鉄されていたから、
鉄目当てで、態々出兵までしないよな。
>>194
あー、その説も見た事あるな。
だけどそれは、与えたわけじゃなくて貢物でしょう。
七支刀や日本初期の文面からみても、それが妥当だし。
それ以外の解釈はむしろ曲解というべきだろう。
当時の倭と百済の国力比は、十倍はゆうにあるわけだしね。

ついでに人質を出す場合もあるにはあるが、非常にレアなケース。
普通は小国が大国に送る。
また大国が送る場合、戦争になったら、即座にころされてもいいように、後継ぎ候補から外れた子供を、
処分もかねて送るケースが多い。
196日本@名無史さん:2006/01/07(土) 17:31:54
>>194
「侯王」というのは倭王のことではなくて
「この剣はめでたいもので王侯によろしい」
という文章。「王侯一般」の意味だよ。
もし「百済王に服属してる倭王」だったら
百済王が与えた爵位を称号としてよぶだろ。
基本的には>>195が正しいと思う。
197日本@名無史さん:2006/01/07(土) 22:12:34
なんで半島の奴等はこうもデンパばかり飛ばすんだろう・・・
悔しくて仕方がないんだろーが事実を事実として認識できるようにならないと、
いつまでたっても独り立ちできないことになぜ気が付かないんだ?
198日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:20:28
あれってどちらも、東晋の冊封を受けていたから、
その倭の爵位をさして(安東将軍だったっけ?)
侯王に相応しいとか言ったんじゃないの?

ま、百済のほうが立場が低いことには変わらないが。
199日本@名無史さん:2006/01/08(日) 03:14:49
最近出た「日本の歴史」中公文庫新版にはどう書いてあるんだろ
旧版では当然のように任那日本府があり百済が属国として書かれていたが
200日本@名無史さん:2006/01/08(日) 04:01:58
岩波だったら、どんなこと書くのか想像がつくんだがな〜
201日本@名無史さん:2006/01/09(月) 23:16:05
わざわざ買う気も起こらんし
202世界@名無史さん:2006/01/10(火) 17:43:28
大和政権が支配していたに決まってるだろう!
それに新羅が朝鮮半島を統一出来たのも日本列島に住んでいる
倭人の鉄技術が渡ったから。
203日本@名無史さん:2006/01/10(火) 22:33:54
「侯王」は、(百済と)同じシナの侯王という解釈で間違いない

そもそも中華秩序において「王」の侯王なんてありえないから
204日本@名無史さん:2006/01/10(火) 22:39:16
倭人、必死だなw
205日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:07:43
任那を認めると領土を割譲しなきゃならんとか思ってるんじゃね?
何しろ対馬が両属状態だった時期があることを口実に韓国領土だとか電波飛ばす連中
つまり自分達の尺度で測ってるんだよこちらを
206日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:15:48
今月号の歴史読本は古代日朝関係史だったが
相変わらずチョン学者の電波っぷりには恐れ入る
日本の百済への出兵は先進文化供与の見返りであり「傭兵」ということになってた
207日本@名無史さん:2006/01/11(水) 09:27:48
長らく任那の調を怠っている奴等に発言権があるのか?
208日本@名無史さん:2006/01/14(土) 23:13:10
ま、倭王旨が百済の「侯王」として刀を下賜された事実は否定しようがない。
209日本@名無史さん:2006/01/15(日) 02:55:21
献上だろ。
つか倭がいつ百済から、王号を賜ったんだか。
210日本@名無史さん:2006/01/15(日) 22:42:39
>>207
刀を下賜してくださる国がなぜ皇太子を人質に出すんだ?
211日本@名無史さん:2006/01/16(月) 08:04:56
状況が変わったんだよ、
漢字は嫁ねぇと高括ったのがマズかった。
212日本@名無史さん:2006/01/18(水) 19:04:43
百済は所詮倭の属国
倭の援助がなければ国さえ維持できないほど弱体していた

しかし新羅の子孫のチョンと在が百済を誇るなと言いたいw
213日本@名無史さん:2006/01/19(木) 01:45:14
>>208
スレ読んでないねw
214日本@名無史さん:2006/02/01(水) 19:23:39
図書館で歴史読本読んだけど、あれが朝鮮学者のスタンダードなんすかね・・・
論文半ばで頭がクラクラして、通説の定義すらわからなくなってきた。
願望とか切り離して研究できないものか・・・
215日本@名無史さん:2006/02/01(水) 19:39:47
ま、大国が信義の証として小国や目下の国に人質を送る例もあるから、
百済の太子が倭の送られたからといって、倭の属国とはいえんよな。
216日本@名無史さん:2006/02/02(木) 02:01:53
地政学的に考えられないってw
そもそも高句麗に圧迫され続け、新羅にも圧迫されている百済がどう解釈すれば大国になるんだよ
それこそ大陸百済やらのチョンの妄想のように百済を捉えなければそんな結論には絶対にならんよ
217日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:06:41
百済は大国ではなかったかもしれんが
倭のおかげで存続できてたのは事実だろう。
倭人軍がたくさんいたんだろう。
じゃなきゃ人質とか送らないだろ。
218日本@名無史さん:2006/02/19(日) 22:14:16
朝鮮半島が新羅とその子孫に乗っ取られたように
現日本が在日に乗っ取られるんじゃないかという妄想に
とらわれている、最近。
219日本@名無史さん:2006/02/20(月) 09:38:32
お上にまともな人間いないししょうがない
220日本@名無史さん:2006/02/20(月) 23:00:37
【古代史】韓国の古墳にクスノキの棺…鉄の見返り、日本から運ぶ?”新しい歴史像も浮上”[2/20]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1140406217/
221日本@名無史さん:2006/03/04(土) 11:44:47
222日本@名無史さん:2006/03/24(金) 21:45:56
   
223日本@名無史さん:2006/04/04(火) 14:11:22
  
224日本@名無史さん:2006/04/04(火) 20:23:03
◆◆ 和漢共栄時代から三民戦争時代へ。カラ半島の古代史 ◆◆

3世紀以前のカラ半島は、半島北部地方は、漢民族が楽浪郡を置いて支配し、半島南部地方は、
倭人(日本民族)が、志良岐と任那を建国して支配していた。この時代が、『和漢共栄時代』である。
しかし、313年から314年にかけて、満州地方のフヨ人(高句麗人)が、漢人が支配する楽浪郡を
攻撃して滅ぼしたため、これ以降、『三民戦争時代』に突入する。
三民戦争時代とは、カラ半島北部の高句麗を支配するフヨ人、任那・百済を支配する倭人、そして、旧帯方郡の
東部地方に住んでいたが、356年に倭人国家=志良岐(シラキ)を乗っ取り、新羅を建てたワイ人(穢人。朝鮮民族の先祖)
が、カラ半島の支配権をめぐって戦争を繰り返した時代である。
当初、ワイ人国家=新羅は高句麗に朝貢し、倭人勢力と戦争していたが、433年に高句麗に対して反乱を起こした。
そして、倭人国家=百済・任那と同盟を結び、今度は高句麗と戦争した。
だが、550年代になると、ふたたび倭人勢力とワイ人勢力の関係が悪化し、新羅と百済の間で戦争が再開された。
643年には、敵対関係にあった倭人とフヨ人が反新羅で同盟を結び、ワイ人国家=新羅を攻撃した。
倭人とフヨ人は協力してワイ人国家=新羅と戦ったが、660年、唐と手を組んだワイ人勢力=新羅によって、
百済は滅ぼされた。
668年には、フヨ人国家=高句麗も、ワイ人勢力=新羅と唐の連合軍の攻撃により都を落とされ滅びた。
最終的に、カラ半島はワイ人によって統一された。このワイ人が、後の朝鮮民族である。
倭人=日本人勢力は、663年の白村江戦争で敗北した後、カラ半島の領土を手放した。
しかし、白村江戦争以降も、ワイ人=朝鮮人勢力は、海賊活動を中心に何度も日本侵略を繰り返した。
これが、古代カラ半島の真実の歴史である。7世紀以前のカラ半島は、三つの民族が領土戦争を展開して
いた地域だったのである。


225日本@名無史さん:2006/04/06(木) 19:04:56
↑いつまで逝ってんだ、痴れ者が。
226日本@名無史さん:2006/05/04(木) 16:09:08
>>94
>藩塀たる百済が弱体化したままでは任那の存続もないわけだから・・・
百済が弱体化すると、どうして任那が滅亡に瀕するんだ?
そもそも何に対する藩塀?百済が滅ぶと何国が攻撃してくるんだ?
宋に478年倭王武が倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓の7国都督の
安東大将軍称号を申請時に、百済のみを削られて6国都督将軍で叙爵されて
いる。宋は、百済は倭の支配下にはないと認識していたわけだが。
227日本@名無史さん:2006/05/05(金) 03:58:03
>>226
最初からちゃんとスレ嫁与・・・・
228日本@名無史さん:2006/05/13(土) 21:05:04
>>94
>継体・・後期・・影の実力者はナンバー2の蘇我稲目だったのです。
百済が調子づいて四県に加え二郡までとろうとしたのは背後に稲目の入れ知恵・・
継体朝後期、金村を実力者ナンバー1とすると、ナンバー2は物部氏の
長だったんだが。磐井乱への政権の対処をみても明らか。

>蘇我はこれを持ち出して金村を失脚させることに成功・・・
往時の任那政策を問責したのは、物部尾興。失脚金村の孫世代は、
物部・蘇我抗争をみても蘇我氏の配下に低落。
どうやら歪曲色眼鏡話の類を耳学問で、記紀を読んだこともない
ようだな。
229日本@名無史さん:2006/05/13(土) 21:23:27
>>96
>倭の外交がましになったかといえば ・・・・・
>金村なき後の欽明朝からは百済べったりの蘇我とドキュン物部の
>主導権争いでぼろぼろになっていくように見える・・・・
どの外交策破綻のことを、言っているんだ?蘇我・物部主導政権でも
親百済姿勢で一貫しているが。
230日本@名無史さん:2006/05/13(土) 22:09:27
>>94
>継体・・後期・・影の実力者はナンバー2の蘇我稲目だった

なんでお前がそんなこと知ってるんだ?
どの文献に書いてあったのだ?
根拠を示せ!



問題1
下の(A)〜(E)を答えよ。

1、江戸幕府の影の実力者はナンバー2の(A)だった。
2、豊臣政権の影の実力者はナンバー2の(B)だった。
3、室町幕府の影の実力者はナンバー2の(C)だった。
4、鎌倉幕府の影の実力者はナンバー2の(D)だった。
5、桓武天皇の時代の影の実力者はナンバー2の(E)だった。
231日本@名無史さん:2006/05/14(日) 14:38:38
>>94
>継体・・後期・・影の実力者はナンバー2の蘇我稲目だった

影の実力者はナンバー2とか、漫画っぽいよね(笑)
空想じみているよ。

では、>>94に聞くが、現代日本政府の影の実力者でナンバー2は誰なの?
現代のペルー政府の影の実力者でナンバー2は誰なの?
現代のアメリカ政府の影の実力者でナンバー2は誰なの?
現代の北朝鮮政府の影の実力者でナンバー2は誰なの?


影の実力者でナンバー2なんていねーよ。存在しねーんだよ。
漫画の読みすぎ!ドラマの見すぎ!
現実を考えろ!!
232日本@名無史さん:2006/05/15(月) 01:49:47
>>228-231
おまえみたいな俄しったかぶり小僧には答える気にもならん。
おまえのツッコミはどれも言葉の遊び。
ろくにスレ読んでるとも思えないし。
233日本@名無史さん:2006/05/15(月) 02:11:59
>>232

俺は231だが、他のヤツと混同するな!
お前こそ、継体後期の影の実力者はナンバー2の蘇我稲目だと断言できるんだよ?
根拠を示してみろ!

現代日本政府の影の実力者でナンバー2は誰なんだ?
現代のペルー政府の影の実力者でナンバー2は誰なんだ?
現代のアメリカ政府の影の実力者でナンバー2は誰なんだ?
現代の北朝鮮政府の影の実力者でナンバー2は誰なんだ?

答えてみろ?
答えられないだろ!!
なぜなら影の実力者でナンバー2なんていねーからだよ。
そんなもん存在しねーんだよ。
漫画の読みすぎだ!ドラマの見すぎだ!
現実を考えろ!!
234日本@名無史さん:2006/05/15(月) 16:44:08
影の実力者でナンバー2(笑)
ププww

漫画や映画に出てくる、高級外車に座って猫とか抱いている人だろ?
初登場は顔がわからなくて、手元しか写ってない人だろ?

でも、あれって作者がネタ作りに困って、ボスを影で操っていた実力者って設定で登場させただけじゃないのか?
235日本@名無史さん:2006/05/16(火) 16:30:45
適当にあしらわれて火病おこしてるバカがいるな。
236日本@名無史さん:2006/05/17(水) 11:57:35
そのうち闇の組織が登場しそうだ。
237日本@名無史さん:2006/05/24(水) 04:35:44
随書には、倭は大国で、百済、新羅は(倭を)敬仰している、と書いてある。
倭が日本でないとすると、加羅諸国のどれかということになるが、どれも大国ではない。
倭は日本しかありえないし、大国だというのだから九州限定の王朝でもない。
広開土王がが百済、新羅を属国扱いして、倭を破ったことを大きく書いてるのもそれを裏付ける。
宋書には、倭国王武が「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍」に任じられてる。

238日本@名無史さん:2006/06/22(木) 10:59:13
あげ
239日本@名無史さん:2006/06/22(木) 12:34:12
日本書紀の記述が嘘とは思えない
何か荒削りで逆に信憑性を感じる。
240日本@名無史さん:2006/06/23(金) 04:05:43
前に向こうの学者が広開土王碑は高句麗側の視点で書かれていて
倭が主体として書かれているのも高句麗の誇張だとかいってるの見たけど。
朝鮮最古の史書が12世紀なんだろ?
時代はすでに高麗、むしろその史書こそが編纂過程で
三韓以外の記述で本格的に都合の悪い部分を巧みにカットしたとは考えられないのだろうか。
241日本@名無史さん:2006/06/23(金) 07:45:59
>>1 歴史の事実探求は韓国人の自尊心とは何の関係も無い。
242日本@名無史さん:2006/06/24(土) 03:03:45
>>240
三国史記は金富軾の御都合主義で書かれてるのは常識。
自分の先祖の金ユ信を三国統一の功臣に仕立てるために編纂された。

三国史記には新羅本紀・高句麗本紀・百済本紀があるのだが
この段階でもうすでに何かおかしい。
なぜ新羅(昔の辰韓)と百済(昔の馬韓)があるのに
なんで加羅本紀がないのか?加羅は昔の弁韓なのに・・・
それになぜ高句麗本紀があるのに渤海本紀はないのか?
新羅と同時代の国なのに・・・

新羅は高句麗の一部を奪い取ったにすぎないのに
高句麗を含めて三国統一とムリヤリ言いくるめる一方、
高句麗を叙述範囲に含めているのになぜか渤海は関係ない扱い。
これは渤海本紀を立てると三国統一が嘘だとバレてしまうから。

一方、金ユ信の家系は新羅に滅ぼされた加羅国の王家。
だから加羅本紀を立てると本来仇敵の家系だったことが露呈
してしまう。それで加羅本紀はあえて立てなかった。
243日本@名無史さん:2006/06/24(土) 05:12:41
取り合えず4世紀〜6世紀の文字資料の新たな発見をキボン
小墾田や飛鳥以前の宮から木簡出土とか
宮の跡さえ発見できれば
まぁ何か出る可能性はあるだろ。
244日本@名無史さん:2006/06/24(土) 19:27:37
王仁や司馬曹達など文官がいたらしいからな。
245日本@名無史さん:2006/07/01(土) 19:09:45
何の進展もないだろう
246日本@名無史さん:2006/07/12(水) 18:30:15
ばとる
247日本@名無史さん:2006/07/19(水) 15:28:40
【歴史】「任那日本府説批判、日本の歴史解説書では主流」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/11/20060711000036.html
248日本@名無史さん:2006/07/19(水) 17:19:06
【隋書 倭国伝】
新羅と百済は皆、倭国を大国として、珍しい文物が多いとし、恐れ敬い、通使を往来させている。

隋書とは中国の正史です。隋帝国(581年 - 619年)を扱った書物です。
「新羅と百済は倭国を大国とみなし、恐れ敬っていた。」ということが中国の歴史書に明記されています。


【広開土王碑】
そもそも新羅・百残(百済)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。
百済と新羅は高句麗の属国であったが、日本が高句麗と戦争をして勝利し、日本が百済と新羅を属国にしたと明記してあります。


【宋書 倭国伝】
今に至り、甲を練り、兵を治め、父兄の志を述べんと欲し、義士と勇士、文武に功を尽くし、白刃を前に交えるも、また顧みることなし。 
もし帝コの覆戴を以てこの強敵を挫き、勝って方難を鎮めるも、前功に替えることなし。
密かに開府儀同三司を自ら仮称し、その余も皆、各々に仮授(して頂ければ)、以て忠節を勧める」。 
詔を以て倭王武を使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙爵した。

宋書倭国伝には倭王を新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸を軍事的に支配する「安東大将軍」に任じたと記述してあります。

【三国史記】
402年 新羅は倭国に王子を質に出す http://www.koreandb.net/Sam/bon/samkuk/04_030_2000277.htm
397年 百済は倭国に太子を質に出す http://www.koreandb.net/Sam/bon/samkuk/04_250_2001365.htm

好太王碑、宋書、三国史記という系統の異なる史料が新羅と百済は倭の属国だったと記述しています。

【中国外交部】
ホームページ(www.fmprc.gov.cn)
「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期にその支配が朝鮮半島(韓半島)の南部にまで拡大した。」
現代の中国政府も朝鮮半島南部は日本の支配下だったという認識を示しています。朝鮮半島支配の点では、日本と中国は共通認識です。
249日本@名無史さん:2006/07/21(金) 01:18:53
中国外交部は発表は朝鮮半島を支配するために準備だろう。
それの前文に「高句麗は中国人が建てた国。」というものがある。
つまり、朝鮮半島南部は日本の支配下だったが、朝鮮半島北部は中国の支配下だったということだ。

中国による朝鮮半島支配は時間の問題だな。
その次は台湾か。最後は日本を支配化にして、東アジア覇権の完了か?
中国は怖いね。
250日本@名無史さん:2006/07/21(金) 01:48:50
>>249 シナが日本を支配しようとすれば、米欧を敵に回して戦争する覚悟
が必要になり、最悪、シナの分裂も覚悟しなければ実行できないことだ。

 インド、ロシアも敵に回すことになるだろうし、せいぜい北鮮を支配でき
れば上出来だろう。
251日本@名無史さん:2006/07/21(金) 15:39:03

【 ☆ 決定 ☆ 朝鮮族の母体はエベンキ系「沃沮、濊狛」人  】

(イルクーツク=連合ニュース) 金兵曹記者 ="バイカル湖隣近の少数民族
エベンキ族'は現在までアリラン'と `スリーと'という単語を使っています"
アリランは迎える、スリーは感じて分かる『アリランスリー』と'は
古代北方シャマニズムの葬礼文化で 「魂を迎えて別離の悲しみをたえる」と言う
今は朝鮮族も忘れてしまった、意味だったことに推定される"と強調した。
エベンキ族の祖先は「熊と人間の女との間に生まれた」と檀君神話と同じで有る。
沃沮人はオンドルの発明者、虎が好きで体を浮かす様な舞をする、ソッテも大事。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&page=2&nid=1661088&st=writer_id&sw=wakatakeru

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1553866
252日本@名無史さん:2006/07/21(金) 15:40:52

【 ☆ 決定 ☆ 朝鮮族の母体はエベンキ系「沃沮、濊狛」人  】

その風俗は山川が重なり、山川には各部族がおり、みだりに干渉することはできない。
同姓は婚姻できない。多くの忌諱があり、(家族が)疾病で死んだときは、すぐに旧宅を
廃棄し、更(通典では夏)に新居を建てる。麻布があり、蚕糸で絹を作る。 夜明けの星宿
(二十八宿の占い)から、その歳の作物の豊穣を予想する。珠玉を宝としない。
 常用十月の節句(重陽の節句。旧暦9月9日)に天を祭り、昼夜に酒を飲み、歌い踊る、
これを「舞天」 という。また虎を神として祭る。その邑落は互いに侵犯するが、刑罰とし
て相手に生口(せいこう=奴婢) と牛馬を差し出す、これを「責禍」という。人を殺した
者は死をもって贖(あがな)う。強盗は少ない。・・・・『三国志、魏書、濊伝』・・・
253日本@名無史さん:2006/07/22(土) 00:42:50
>>249

中国の歴史歪曲はすごいな!!
本気で言っているの?
254YAP?:2006/07/22(土) 21:51:51
倭の五王の「六国諸軍事」だが、「任那・加羅」が平気されていることから考えると、「任那」と「加羅」は、本来別な地域・概念だったと考えるべきだろう。
「任那」はいわば、倭王の「屯倉」(県)であって、半島における直轄領であり、それは、大伴金村が百済に割譲したとされる、己汶・帯沙など四県であり、
「加羅」諸国のような「旱岐」といった首長層は存在しなかったのだろう。

これに対し、「加羅」は、「六伽耶」あるいは「五伽耶」といった部族国家の連合体であり、栄山江流域の「任那」と、洛東江右岸の加羅の地理的・政治的性格の
相違は明らかだろう。

この「任那」と「加羅」の性格の違いを無視して「混同」したことにより、「任那日本府」問題が、紛糾したのではないか?
255日本@名無史さん:2006/07/22(土) 23:16:47
【「高句麗は中国史」に続き「渤海も中国史」 】

中国がかつての渤海(7〜10世紀に中国東北地方から朝鮮半島北部にかけて存在した国)の首都だった「上京龍泉府」遺跡の復元作業を進めている。
黒龍江省が「唐渤海国上京龍泉府遺址保護条例」の草案をまとめ、今月中に省の人民代表大会で審議するという。
中国が渤海の遺跡を復元した後、2007年にユネスコの世界文化遺産への登録を目指す計画だといわれている。
上京龍泉府は渤海が926年に滅亡するまで、160年にわたって首都だった所だ。
韓国の学界は、このような動きを中国の渤海遺跡復元が渤海の歴史を中国史の一部に含めようとする「東北工程」(東北地方歴史見直し研究作業)と関連したものとみている。
中国が作った「唐渤海国上京龍泉府遺址保護条例」という条例名も、渤海が独立国ではなく「唐の地方政府」であったとする「東北工程」の主張が盛り込まれている。
しかし渤海は、唐と形式的な冊封関係にはあったが、独自の年号や諡号(しごう、国王の死後に贈られる贈り名)、「皇帝」の称号を使っていたため、独立国家であったというのが広く知られている事実だ。


中国が高句麗に続き、渤海をも中国の地方史に組み入れようとする「東北工程」を引き続き進めようとしているのは、このプロジェクトが体制の安定と結びついているためだ。
中国は1949年以後、現在に至るまで自国領土内に存在する56の民族を全て「中華民族」とみなし、その歴史を中国史に含める「統一的多民族国家論」を主張してきた。
少数民族の分離・独立運動を防ぎ、これを中国に統合しようとする目的で、伝統的に敵対関係にあったウイグルやチベット、モンゴルの歴史をも中国史に組み入れている。

256日本@名無史さん:2006/07/23(日) 01:07:10

長江河口地域での甕棺の風習が見られなくなる頃から北部九州で甕棺の風習が
始まったと考えられます。それから遅れて韓半島南部でも甕棺の風習が始まること
を発掘結果は示しております。残念なことに現段階では日本と同様に韓国でも土器
編年が主流で放射性炭素による年代測定は殆んど行われておりませんので甕棺の
風習がはじまる正確な年代はわかっておりません。一応、北部九州では紀元前2世
紀末ごろ、韓半島南部では4世紀ないし5世紀とされておりますが正確な測定が行
われれば今少し古いことが明確になると考えられます。(一部ですがそれを裏付ける
データも得られております)
257日本@名無史さん:2006/07/23(日) 19:15:53
中国の東アジア戦略は恐ろしいな。
258日本@名無史さん:2006/07/23(日) 19:41:34
何も中国だけじゃないw
259日本@名無史さん:2006/07/24(月) 09:42:08
「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期にその支配が朝鮮半島(韓半島)の南部にまで拡大した。」

まぁこれが正しいんだろうな。
260日本@名無史さん:2006/07/24(月) 22:33:20
>>259
中国外交部はわざわざホームページ(www.fmprc.gov.cn)で
「5世紀はじめ、大和国が隆盛した時期にその支配が朝鮮半島(韓半島)の南部にまで拡大した。」
と日本を援護した狙いはなんだろう?
261日本@名無史さん :2006/07/24(月) 23:03:25
朝鮮半島南部の過去は日本のもの、北部の歴史は俺のもの
ってこと?
262日本@名無史さん:2006/07/24(月) 23:08:31
半島南部は戦前の満州国状態、そして半島東海岸北部からは
エベンキ系、沃姐人、ワイ狛人が侵入して来て新羅をつくった。
まるで満州国にロシア人、モンゴル人、中共が侵入を狙って居た様に
そして百済の白村江で終了ってとこか!
263日本@名無史さん:2006/07/24(月) 23:48:04
>>260
本命は高句麗が韓国の歴史ではなく中国史の一部であるとすること。
つまり>>261の言うように北朝鮮併合ないし現状の準植民地支配の正当化にある。
264日本@名無史さん:2006/07/25(火) 00:20:20
中国政府が任那日本府説を支持してくれるのがありがたいが、裏がありそうで恐いな。
中国にとって歴史とは捏造するためにありそうだね。
50年には、任那日本府なんて存在しないって手の平を返されたりして。
265日本@名無史さん:2006/07/25(火) 17:17:41
中国にとって歴史は政治的道具にすぎない。
266日本@名無史さん:2006/07/31(月) 12:54:40
>>255

中国政府が渤海も中国史だと言っているのか?
中国は本気で言っているの?
任那日本府説を支持しているのも、政治的な絡みがあるそうだね。
267日本@名無史さん:2006/07/31(月) 13:01:31
>>266
任那日本府説を支持しているのも、政治的な絡みがあるそうだね。

・・・これは事実を事実として認めているだけだろう。

268日本@名無史さん:2006/07/31(月) 13:15:52
日朝同祖の逆利用でっせ。あんま甘く見てるとw
269日本@名無史さん:2006/07/31(月) 16:07:51
>>264 中国政府が任那日本府説を支持してくれるのがありがたいが、裏がありそう
で恐いな

・・・事実なのだから別にありがたいこともないし、シナが何を考えていても
関係ないことだ。
270日本@名無史さん:2006/08/02(水) 06:08:46
>>266
共産党一党支配の中国が正直な政治なんかするわけない。
任那日本府説も極東支配のシナリオの1つだろう。
中国政府は文化大革命で3000万人の人間を殺した政府だ。
そして、中国国内で「文化大革命」で検索しても、何も出てこない。
そんな言論統制された国にまともな政治ができるわけがない。
271日本@名無史さん:2006/08/02(水) 07:55:07
>>269
まったくだ。だから何だ?と言うしかない。
訝っている香具師は、この説に大反対なんだろう。
272日本@名無史さん:2006/08/05(土) 02:16:44
日本の半島南部の統治をみとめた。
つまり日本も朝鮮も中国の影響下にあるんだよ、わかったかボケといいたいんだろ。

そういやこないだ、日本の学者(だと思うが)で剣は下賜したものです、
当時の半島は凄いんですー
とか真面目に言っている馬鹿が、テレビにでてたなあ。
自分で自分のいっていることに疑問を覚えないのかな。
273日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:10:34
うん
274太国=プラム:2006/08/22(火) 18:12:18
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】


275日本@名無史さん:2006/08/22(火) 20:05:08
『日韓同祖論』という妄説がある。
学問的な根拠がまったくない、まさに妄説であり、狂説である。
日本人と韓国人が、何の関係もない別種の民族であることは、
両民族の言語を分析すれば すぐに理解できる。

【日本語】 【韓国語】        【現代北京語】
空(そら)→ ハヌル          コン
稲(いね)→ ビョ           タオ

白(しろ) → ヒンセク        パイ
白い(シロい)→ ヒダ         パイティー(白的)
頭(あたま)→ モリ          トウ
目(め)――→ ヌン          ムー
手(て)――→ ソン(またはパル)   ショウ
足(あし)―→ ダリ          足(ツー)、脚(チアオ)

犬(いぬ)―→ ゲ           犬(チュアン)、狗(コウ)
猫(ねこ)―→ ゴヤンイ        マオ
虎(とら)―→ ホランイ(またはボム) フー

刀(かたな)→ カル          タオ
弓(ゆみ)―→ ファル         コン
槍(やり)―→ チャン         チアン

比較してみれば、まるで違う言語であることが分かるであろう。
『日韓同祖論』がいかに馬鹿げた説か、理解できますね。
276日本@名無史さん:2006/09/05(火) 16:56:48
なるほどここにきて、やっぱり任那は日本の植民地だってわかった。
中央公論社の歴史シリーズも、最近の参考書もみんなそうではない、
みたいな書き方をしているからな。
277日本@名無史さん:2006/09/10(日) 13:59:05
★『日本国』という国号は、なぜ生まれたのか★

日本という国号ができたのは7世紀頃で、最も確実に明文化されたのは、飛鳥時代の701(大宝元)年に
制定された大宝律令からである。
 720(養老4)年に編纂された日本書紀には、日本の名があるが、こういった資料をひもとくと、
少なくとも674(天武天皇3)年はまだ「倭」という国号であったことが分かる。従って、国号の変更は
674〜701年の間に行なわれたと考えるのが妥当であろう。
 大宝律令よりも前に『日本国』の国号が成立した時期として、最も可能性が高いのは、飛鳥(あすか)浄御原令
(きよみはらりょう)が成立した689(持統天皇3)年6月29日頃である。

 隣国の支那へは、702(大宝2)年に粟田真人(あわたのまひと)により、『日本国』という新国号が
伝えられた。彼は浄御原令の編纂にも関わっており、日本という国号は彼が発案した可能性もある。
 なぜ、大和朝廷は、大和国から日本国へと国号を変更したのだろうか。
 やはり、6世紀に九州地方で起きた「盤井の乱」が大きく影響しているのだろう。
古代九州は、自ら『日の国』と名乗っていた。ヒの国は、『火の国』でもなければ、『肥の国』でもない。
あくまでも『日の国』である。この国号が意味しているのは、日神=天照大神の国という意味である。
 九州地方は、天皇家の先祖であるニニギノミコトの出生地であり、まさに『日の国』なのだ。
『日の国』という国号には、「我々こそがニニギノミコトの正統なる後継者である」というメッセージが
込められている。
 大和朝廷は、九州勢力が『日の国』と名乗ることに危機感を抱いていた。
 だからこそ、自分達(大和国)のほうがニニギノミコトの後継者であることを、国の内外にアピールする
ために、『日本国』と名乗る必要があったのである。
 これが、『日本国』の国号が誕生した真相なのだ。

278日本@名無史さん:2006/09/18(月) 00:09:47
中国が任那日本府を支持している内に、足元を固めておけ
279日本@名無史さん:2006/09/20(水) 07:12:13
任那日本府を支持ねw
その話には戦略的なオチがあるな、味噌も糞も一緒にしてハシゴを外しにかかるだろうなw
280日本@名無史さん:2006/09/27(水) 10:05:36
>>94
>継体・・後期・・影の実力者はナンバー2の蘇我稲目だった

なんでお前がそんなこと知ってるんだ?
どの文献に書いてあったのだ?
根拠を示せ!



問題1
下の(A)〜(E)を答えよ。

1、江戸幕府の影の実力者はナンバー2の(A)だった。
2、豊臣政権の影の実力者はナンバー2の(B)だった。
3、室町幕府の影の実力者はナンバー2の(C)だった。
4、鎌倉幕府の影の実力者はナンバー2の(D)だった。
5、桓武天皇の時代の影の実力者はナンバー2の(E)だった。
281日本@名無史さん:2006/10/01(日) 13:13:56
>>280
金村が老衰したからだろ。
大臣大連クラスで年功順でいえば稲目がナンバー2だよ。
ところでなんで噛み付いてんの?
「ナンバー2」に文句あんなら単に「有力者」でもなんでもいいよ、別に。
282日本@名無史さん:2006/10/02(月) 01:17:30
安倍政権の影の実力者はナンバー2は誰なんだろう?
それよりも安倍総理の親父が朝鮮人という噂は本当だろうか?
283日本@名無史さん:2006/10/02(月) 08:15:47
週刊新潮の記事か???
元家政婦の告白の記事だろう。
どこまで信頼できるんだか。
284日本@名無史さん:2006/10/02(月) 12:20:39
>>282
400年前に来た渡来人だとか1000年前に来た渡来人だとか
めちゃくちゃ言われてるねw
285サガミハラハラ:2006/10/02(月) 12:38:52
「蓋国はきょ(金偏に巨)燕の南、倭の北、倭は燕に属す。」という記事があります。
解釈するに、蓋国とは、箕子朝鮮のことで、その領域は半島の南半の韓族を含み、倭に接しているとみることができるのではないだろうか。
286日本@名無史さん:2006/10/02(月) 14:00:31
>>283
立読みしながら思わず吹出したもんな。
素人が骨格で日本人と朝鮮人を区別できるなら、
人類学者のあの苦労はなんだろうな。
287ヤマタノオロチ:2006/10/02(月) 14:13:51
>>282
東日流外三郡誌によれば、安倍総理の先祖は安倍貞任で、結局はナガスネヒコではなかったろうか。
288日本@名無史さん:2006/10/03(火) 12:15:48
安重根とかの『安』だろ
289日本@名無史さん:2006/10/03(火) 22:00:49
元家政婦は見た!!!
「安倍家は朝鮮人の子孫だった。」
290日本@名無史さん:2006/10/25(水) 02:09:34
倭宰=「日本府」
291日本@名無史さん:2006/10/25(水) 12:59:15
日本書紀や宋書などの古い文献が共に「百済と新羅は倭の属国」と解説してあれば疑う理由がない。

歴史の取り扱いに長けた支那人は朝鮮人みたいな馬鹿ではない。

都合の悪い記述を片っ端から歪曲して結局は嘘が露見する朝鮮人とは異なり、
隠蔽出来ない事実に手を加えたりはしないよ。
292日本@名無史さん:2006/11/06(月) 00:19:29
任那日本府はあったんやろか?
293YAP?:2006/11/06(月) 23:48:32
任那に倭人がいた以上、その統治機関を束ねる倭人の有力者がいたはずだ。
それが、「任那倭宰(任那のみこともち)」だろう。
で、それを百済人が、倭国が「日本国」と改称したときに、「任那日本扶」と
呼び変えて、記紀編纂時に史料提出したのだろう。

このあたりは、「任那」=「加羅」と考えると理解しにくいが、「加羅」は、
洛東江西岸、任那は、栄山江流域と考えると、理解しやすい。
倭の五王の称号の「六国諸軍事」で、「任那」と「加羅」が、並列されている
点からも、別個の地域を指したものと考えるべきだろう。
294日本@名無史さん:2006/11/07(火) 16:02:45
>>292
組織としての「府」は無かったのでは。
ただ任命された人達が力を持ってたのは確かだけど。
295日本@名無史さん:2006/12/14(木) 23:19:03
中国の学者は任那日本府はあったと認めているな。
296日本@名無史さん:2006/12/14(木) 23:20:14
一説いくらで?
297日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:05:22
>>296
中国の社会科学院の学者は多くが認めているところです。
たしか1980年代から認めていて、その考えは全くは変わらない。
何故なら、歴史資料に多く載っているし
中国の場合、漢文で書いてある古代史書は
中国だろうが、日本だろうが、韓国だろうが
全部、調査しまくっています。
だから、中国では、任那日本府どころか、日本の国家成立過程まで
見破っています。あいつら、資金を投入して
すごい相手国を調査していますから。
298日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:08:04
>>297
>日本の国家成立過程
?どういうものですか?中国が調べたものって。
299日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:15:36
>>298
残念ながら、日本の古代史の研究は
日本よりも中国のほうが圧倒的に進んでいる。
日本の場合、日本国内の抵抗勢力が強すぎて厳しいわけで。
一方、中国は何の抵抗も無く調査している。

中国の考古学者の話だと、邪馬台国は九州の話で
九州南部の狗奴国と争っていたという考え。
大和国が覇権を握ったのは、西暦300年ごろと書いてあった。
大和国は当然、畿内。
神武天皇は卑弥呼よりも前の時代の人で
九州にあった王朝(狗奴国か?)の派遣軍で畿内へいったという考え。
300日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:19:37
>>299
失礼ですがソースは?
301日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:28:14
>>299
ソースを提示していただけないなら、
それこそ中国という虎の衣を借りた「邪馬台国九州説者」の
捏造にしか思えないんですけどね。
第一、>>297では「中国は見破っている」って書いてあるのに
>>299では「中国ではこういう考え」て自信が縮んでるし。
302日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:33:29
だいたい>>299は目新しい意見じゃ全然ないし。
303日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:38:52
304日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:45:37
>>303
その本に>>299みたいな日本人でも言ってるようなこと改めて書いてるの?
それじゃ別に中国、日本、限らずの個人の意見って範囲じゃない?
第一、中国人が日本国内の考古学に大々的に立ち入ってるわけでもないのに
いきなり研究が進んでるもないもんだと思う。
だいたい、中国なんか、自分の国の歴史さえ分からないぐらい
入れ替わり立ち代りで国を焦土にしてきたってえのに、
305日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:49:14
>>303
ついでに付け加えるなら、韓国や日本の韓国系の学者は
捏造だって騒いでいますw
広開土王碑文の日本軍改竄説も
中国社会科学院(ここは実質的に中国の国家機関)のその二人の学者さんがリーダの
グループが、改竄はしていないと言っています。
もう10年以上も前から。
しかも、この学者さんたちは、高句麗問題も研究していて
当然、韓国から目の敵にされています。
中国の東北工程の研究は、高句麗・扶余だけじゃなくて
任那日本府まで巻き込んでやっています。
306日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:52:20
>>305
なんかイマイチ信用できないな。その中国のセンセー。
日本はおろか、韓国の実地探索なんかできない立場でしょう。中国人が。
客観的に研究しているというよりは、新たな神話、それも自国に有利な
神話を作ろうとしているだけじゃねえか?
307日本@名無史さん:2006/12/15(金) 00:58:03
>>304
中国語(大陸・簡体字)のサイトで任那日本府について調べたら
韓国が日本の右翼勢力って批判しているけど、
中国社会科学院の王健群は日本の説を支持しているって書いてあったと思う。
また、台湾は日韓両方の説を載せていたが、任那日本府説が有力で
彼らの掲示板にいったら、韓国民族主義者は楽浪郡までも消したがっている、
高句麗も韓国のものにしたがっているって、批判していたな。

あと、王健群は、邪馬台国は九州で、もともと分家のような存在だった
畿内王権が、九州王朝を食ったみたいな解釈だったと思う。
いずれにせよ、中国共産党って、日本書紀・万葉集・古事記の研究を
党が金を出してやっているらしい。
とくに日本書紀・古事記は漢文で書いてあるから
中国人にも読みやすいので、日本が戦後、これらの研究がタブーになったのを
利用して、徹底的にやっているとか...
308日本@名無史さん:2006/12/15(金) 01:03:48
>>306
というか、その学者って、高句麗騒動が起こる前から
ずっと任那日本府説を支持していた。
最近になって、支持したわけではない。

それと、中国社会科学院は馬鹿には出来ない。
ここは事実上、中国の国家研究の最前線。

韓国人の妄想とは違って、恐ろしいほど、日本のことを研究している。
日本の家制度(中国・韓国の氏族制度とは違う)の研究なんかもすごい。
309日本@名無史さん:2006/12/15(金) 01:18:50
>>308
正直言って>>299程度の研究なんてスゴイなんて思わない。
スゴイって言えるのは、それが真実と「証明」されたときだけだ。
それに最前線だろうが研究費がふんだんいあろうが間違えるときは間違える。
別にそんなに怖がることないよ。
それにだいたい、本当に日本の秘密掴んでいるなら、日本人にすぐ漏れるような
ことするわけない。
310日本@名無史さん:2006/12/15(金) 01:49:12
>>309
で、おまえ、任那について、どう思うわけ?
311日本@名無史さん:2006/12/15(金) 01:50:47
>>310
いきなり、おまえ呼ばわりする奴の質問に答える義務なんかない。
312日本@名無史さん:2006/12/15(金) 01:54:22
>>311
きみ、もしかして、朝○...
313日本@名無史さん:2006/12/15(金) 10:06:36
>>312
正解!!
314日本@名無史さん:2006/12/15(金) 10:43:38
>>312>>313
惨めだね。
315日本@名無史さん:2006/12/15(金) 11:59:25
というか、他のスレだと
任那は当たり前のようになっているぞ。
近々、記紀の正確な西暦年代が確定される
方法がある程度、解決されるだろうし。
316日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:40:09
任那日本府は捏造だって最初に主張した北朝鮮の学者も任那には日本の勢力が何らかの拠点を置いていたってところまで渋々認めてるわけだが。

それにしても任那日本府を消し去りたい日本の左翼教科書には腹が立つね。
任那日本府を学ばなければその後の歴史の意味も理解し辛くなるよ。

例えば、高句麗の南進に対抗した倭国の軍事行動はどう説明するの?
半島南部から出土しまくる倭国仕様の古墳や甲冑や装飾品は?
あと、聖徳太子が隋の煬帝を怒らせた例の一文。
あれはあの場面だけ見れば井の中の蛙って感じの突拍子も無い事の様に思うけど。
大和朝廷はそれ以前からも支那の大国に対してそういう外交をしてた歴史があるんだよ。
「宋書」倭伝には高句麗の称号より下なのが我慢できずにそれ以上の爵号を要求した倭の五王の記録がある。
これは中華帝国を中心とした冊封体制下ではとんでもないことなんだよね。
だけどこの辺りの歴史を教えない教えたくない人達がいるのはなぜ?
それは大和朝廷の勢力がかなり強大であった事を示し任那日本府の当然の裏づけにもなるからだよ。
何世代か前の先祖が支那の大国に対してやった強行外交を聖徳太子も恐らく知ってたんだろうね。
歴史は繋がっている。
どこかを捏造したり抹殺したりすると必ずほころびや矛盾がでてくる。
任那日本府の存在を否定するなんて黒を白と言うようなものだよ。
317日本@名無史さん:2006/12/29(金) 11:08:54
扶桑社の教科書には任那日本府がちゃんと記載されてたんだけど文部科学省のバカサヨ役人が削除させたんだよね。
318日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:09:33
日本書紀では、伽耶諸国を任那とするが、500年頃に統治権があったようには読めない。
むしろ、各地に王が存在して統治し、任那はそのうちの一部のみを実効支配したと読める。

朝鮮では、「任那」ではなく「伽耶」の国々とされていた。広開土王碑の倭軍が「任那伽耶」に
逃げ込んだというのも、伽耶の一地方である任那に逃げたと読める。しかし、出兵により任那
を通して、一時的には伽耶諸国全体や百済、新羅に影響力を持っていたと考えられる。

日本は370〜400年頃の朝鮮出兵の威を借りて、伽耶諸国を「任那」を通して統治するという
建前を取り続けていたが、その後は出兵も少なく、統治の実態がなくなっていた。

4県の譲渡は、百済が実効支配していたのを、名実ともに百済領とする追認を与えたもの。
任那復興会議も、現実性のない「任那復興」を方便に「任那調」という対価を得たと考えられる。

百済も新羅も自分が日本を敵に回すのがイヤだが、日本の出先機関である任那が形骸化して
権力を失っていたのを見過ごさず、伽耶諸国を併呑し続けて、「任那調」という名目的対価で
済ませたと言える。日本としても、朝鮮に介入する実益がなくなってきたので任那にテコ入れ
せずに、滅亡させたと考えられる。

結局、任那日本府と呼ばれた時代に任那全体への統治権があったとは到底考えられない。
319日本@名無史さん:2006/12/30(土) 10:08:34
統治権が問題なの?
それだったら日本列島各地にも豪族が割拠しそれぞれが統治してたよ
ていうか明治時代まで警察権も裁判権も徴税権も藩がそれぞれ持ってたし
伽耶諸国が高句麗や百済や新羅に併呑されずにいれたのはやはり大和朝廷の拠点であり勢力圏だったと考えるのが自然
実効支配が任那だけだったとしてもそれが伽耶諸国が独立した存在だったという根拠にはならないよね
広開土王碑や宋書という貴重な資料をなぜわざわざ無視するのかが理解できない
無理に理屈を捏ね回さなくても素直に資料を読めば伽耶諸国は日本の勢力圏内だってハッキリしてる
大規模な拠点が無ければ404年の帯方郡地域まで日本軍が進軍した事実の説明がつかないよ
320日本@名無史さん:2006/12/31(日) 22:20:29
中国の学者は、大部分が
任那日本府は事実だと断言していたな。
321日本@名無史さん:2007/01/01(月) 19:19:36
5世紀末ごろから大和の求心力が弱まって、500年頃は日本列島内でさえまともに統治できてないような
継体天皇あたりは皇位継承の正当性さえ怪しいし
半島での求心力も当然ガタ落ちになるだろう。
322日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:40:16
>>320
まあ普通に歴代中華帝国の史記を読めば任那日本府は当たり前のように文献に記されてるからね。
否定する方がおかしいでしょ。
323日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:31:12
『 正論 』平成19年2月号

 ●誤りを正すに国境なし--中国人学者の歴史検証(上)
「任那日本府」歪曲に見る北朝鮮史学界の荒唐無稽
 延辺大学教授 全春元
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0701/mokji.html

     ↑
中国人学者が任那日本府の存在を認め、南北朝鮮の学者を批判している。
324日本@名無史さん:2007/01/14(日) 11:48:06
日本という国名も表記もなかった時代に「日本府」なんてあるわけないだろ。
325日本@名無史さん:2007/01/14(日) 14:58:00
>>324
あとでそう呼んだだけだろ。
326日本@名無史さん:2007/01/14(日) 15:07:10
後付の呼称を当たり前のように使う厨ばかりだな。
327日本@名無史さん:2007/01/14(日) 16:03:13
日本書紀は、例えば「評」を「郡」と書き直している。
だから「倭」を「日本」と書き直した可能性はある。
「任那日本府」は「倭府」であったかも知れない。
328日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:19:54
「倭」府か「日本」府かってそれほど問題ではないと思うが。

↓これどっちも「ヤマト」タケルノミコトで同じ人だし
「倭」建命
「日本」武尊
329日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:49:25
それに韓国人も「昔、韓国が日本に文化を教えた」類の電波を飛ばしている。
韓国なんて昔はなかったのにねw
330日本@名無史さん:2007/01/16(火) 03:06:39
そもそも今の韓国・朝鮮に百済人・新羅人・任那人の子孫っているの?
331日本@名無史さん:2007/01/16(火) 10:23:14
韓国人のように遥か昔のことを根拠にやれ対馬は韓国領だとか中国東北部も朝鮮人の領土だとかほざいてるわけじゃないんだから
歴史的なことに現代の政治を持ち込むなっての
まぁ、清国時代の版図を理由にウイグルや西蔵に大軍送り込んで未だに占領中の中国よか喚くだけだからまだマシだろうが
332日本@名無史さん:2007/01/16(火) 10:28:25
韓国といえば捏造
333日本@名無史さん:2007/01/16(火) 21:50:19
■中国の古代史書に記された三韓の正式国号(日本名)■
馬韓→ 任那
弁韓→ 志羅紀
辰韓→ 志羅紀北部

ちなみに、3世紀の時代に百済は存在しない。
百済は4世紀(315年)に、ヤマト朝廷が帯方郡の漢人・倭人たちを支援して
日本領=任那の北部に建国した。

334日本@名無史さん:2007/01/16(火) 23:55:28
建国当初の百済の支配領域は帯方界に限定されるのは同意
南進のきっかけは漢城落城
335日本@名無史さん:2007/01/17(水) 09:32:57
高句麗に続いて南朝鮮史も削除?

その次に来るのは日本史削除?
336日本@名無史さん:2007/01/18(木) 11:37:56
>>331
昔の話なら、新羅も百済も日本の支配下にあったことは日本書紀も支那文献も
好太王碑文も一致して書いているからな。
朝鮮併合は歴史的根拠があるな。
337日本@名無史さん:2007/01/20(土) 20:55:48
岡崎久彦氏は、日本人と韓国人を「同祖」だと思っているようだが、間違っている。

岡崎久彦:『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか』
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/31805481

 日本人と韓国人は、まったく別種の民族である。言語も異なっている。
日本語と韓国語は似ていない。
 岡崎氏は、韓国人がワイ族の子孫であることを知らないようである。
古代カラ半島北部に、ワイ族という、倭人とは別種の民族が住んでいたことも
知らないのではないか。
 韓国人はワイ族の子孫なのである。

書籍名:『なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか。 隣の国で考えたこと』
 価格:980円(税込)

<本の内容>
第1章 日本人の好きな国・嫌いな国
第2章 日本人の常識の空白
第3章 日本語に一番近い言葉
第4章 日本人の唯一の親類
第5章 統一新羅と日本
第6章 日本と韓国の歴史の岐路
第7章 近代化の神話
 終章『韓国の人々に訴える』
338日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:41:43
朝鮮人が好きな国民なんかいないだろ・・・
339日本@名無史さん:2007/01/22(月) 18:10:52
>>337
韓国人がワイ族の子孫と思ってるお前も間違っている。
魏書東夷伝読め。
340サガミハラハラ:2007/01/23(火) 09:07:44
任那(ミマナ)の呼称は、漢の時代までさかのぼると思います。
元々半島の南沿岸部は倭の領域まのであり、ミマナのマは邪馬台国のマと同じ意味です。
341日本@名無史さん:2007/01/25(木) 21:36:12
>>339
魏の軍隊が楽浪郡を攻めた時代に、ワイ族が南下してシラキの北部に
住み着いたのが、新羅(朝鮮)の始まりだろ。
この新羅が辰韓じゃん。
本来のシラキは弁韓だろ。

342日本@名無史さん:2007/01/25(木) 22:23:45
いや違う
343日本@名無史さん:2007/02/24(土) 02:16:41
>>339
それ最近多いコピペ。
344日本@名無史さん:2007/02/27(火) 19:00:19
歴史新教科書、朝鮮半島の青銅器時代を1千年早める
ttp://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?NEws_id=2007022300070088
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/25/20070225000010.html

中国に対抗するために朝鮮半島の青銅器時代を1千年早めたり、檀君朝鮮を史実にしてしまうといった具合に、政治的な目的や、民族主義的自尊心を満たすためならば何でもありなのが半島の史学なんだな。
日本の任那支配否定論も元々は朝鮮人の政治的な目的のためや、民族主義的自尊心を満たすために作り上げられたもの。

例えばこんな風に
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/18/20060418000023.html
>例えば任那日本府説の場合「その土地は、昔日本の土地だったから取り戻そう」という
>極論さえ出て来かねない。中国もまた、東北工程により高句麗史を中国史に含めようと
>している。
日本が古代に任那支配していたからといって現実に日本が領土要求するなんてありえないのに、この連中は被害妄想に取り付かれて、まるで領土要求でもされるみたに思い込んで、それを防ごうと任那を否定して歴史を歪曲している。

或いは日本が古代に半島の一部でも支配してたなんて事は彼らの自尊心が受け入れられないからといって否定してるだけ。まず結論ありきで決して学問的なものではない。
目的のためなら「広開土王碑文改竄説」なんて有りもしない嘘を捏造して主張するような悪質なことまでやってのけた。
こんな連中に迎合して日本まで任那を否定してしまうのはやめないといけない。
345日本@名無史さん:2007/02/27(火) 19:13:16
日本書紀は任那や半島情勢について膨大な記述がなされた東アジアの古代史を知る上での貴重な資料である。
その貴重な資料を、本国と在日の朝鮮人が結託して、任那を否定する目的ために日本書紀がまるで偽書であ
るかのように信憑性の無い資料として社会的に定着させようと工作していると感じざるを得ないことが多い。
このような歴史歪曲行為を許してはならない。
346日本@名無史さん:2007/02/27(火) 19:51:58
まあ、日中の歴史学者は朝鮮の史学を相手にせず、日中だけで古代史を
論じているそううなので、相手にする必要はないだろう。
347日本@名無史さん:2007/03/01(木) 22:18:41
韓日共同執筆の通史教材、きょう韓日同時出版
ttp://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=2007030100120088&FirstCd=03
>日本が古代朝鮮半島南部を支配したという「任那日本府」について全く言及されていない。

ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/18/20070218000014.html
>七支刀に関連する多くの学説を紹介している

神功皇后記の七支刀が送られた経緯については無視か。
348日本@名無史さん:2007/03/01(木) 22:25:30
執筆者名簿
ttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/18/20070218000016.html
日本側執筆者に東京学芸大学に係わる奴が多い

東京学芸大学は入ってはいけない大学
349日本@名無史さん:2007/03/04(日) 23:36:22
wikiの「任那」は、あのままでいいの?
350月光仮面:2007/03/07(水) 09:30:49
狗邪韓国、日下国、西方国、つまり、その東方に倭国対馬があったということで、
国名からして倭語だから、居住民は倭人であり、弁辰讀盧国が国境を接している
わけだから讀盧国→狗邪韓国→勅島→海といった感じであったかな。ちなみに、
クサカ 西 日が沈み暗くなる
キサカ 北 キサカ姫、夏至の日に黄金の矢を射る、太陽が一番北
アサカ アスカ 東 東のア、方角のサカ
ヒサカタ 南 日がさすから
これってどうかな。
351月光仮面:2007/03/07(水) 10:25:42
アスカは葛飾と同様、明るく耀く鹿とも解釈できる。では春日はどうなんだというと
カはカツシカのカツの末尾子音であったツが省略されたもので、それに鹿がついた
ものだからカツシカと同様、明るく耀く鹿といえる。アルタイ語でチャーゾンというのが
明るく耀く鹿という意味であり、朝鮮はこれから来たのではとしているが、こうなると
コレアンは何人なのか、本当にいたのかと言うことになるんだが、無紋土器とか、
櫛目文土器とかがあり、それに対応する人間はいたのだと思うんだが、問題は
渡来人的なものと、原住民的なものを味噌糞にするもんだから困る。逆に、日本人は
何から何でも渡来人としたがる傾向はある。
352月光仮面:2007/03/07(水) 10:41:56
高句麗、百済、新羅なんていうのは原住民の上に君臨した征服ノマドの名称であり、
これらが文化的影響を与えたことも事実だが後の高麗へと発展するのはやはり日本
でいえば弥生人、古墳人のように、無紋土器人といったもので、これが正しい朝鮮民族
の見方だろう。
353月光仮面:2007/03/07(水) 10:49:49
日韓両国も、ユーラシアノマドの大きな影響を受けたが、櫛目文・無紋土器人と
縄文・弥生土器人が争ったとかいうことはなく、何万年の歴史を善隣友好の精神で
生き抜いてきたんだという歴史的認識に立ち直るのが当然だ。教科書問題の
原点はここに置くべきであり、一時的な侵略問題に拘泥してはならない。
354月光仮面:2007/03/07(水) 10:58:48
>>350
狗邪韓国の倭人、丹波からヘッドハントされる脱解王も移動するノマドという意味の
倭人と考えればいい。新羅からも次第に原住民の王が出てくるようになるのだろう。
日本には三韓から大量の渡来人が入り、飛鳥・奈良文化を建設する。この移動する
ノマドなしに日韓両国の文化はなかったのだ。
355月光仮面:2007/03/07(水) 11:07:44
さて任那、英語で言えばコンセッション・ランドという意味だろうが、土地代を徴収
していた母体は馬韓に管理を委任された辰王、辰韓の王であったのだろう。これは
アカルヒメを追いかける天日矛の姿、逃げ出したテナントを追い回す家主のような
ものである。崇神が任那を任命したなんてのは言葉の遊び。あれは崇神が大王の
つまり、ミマの、キ、つまり、古墳に埋葬されたというおくりなから出たものであろう。
アカルヒメの任那における国は弁辰接塗國、摂津国で間違いなかろう。
356月光仮面:2007/03/07(水) 11:21:34
韓国の学者は英国人が韓国人の子孫といっているが・・・
確かにピット・コーム土器というのは北欧の文化であり、フィンランドの東方には
古代モンゴロイドとコーカソイドが同居別居している集落が何千年も続いている。
そして、九州西部は世界最古の土器が出るところだから、櫛目文土器は縄文土器
同様日本発かもしれないが、文化と人種を味噌糞にして英国人はどうのこうのという
のは、英国の土器で古いのはビーカー式といって北欧のとはちと違っており、ちょっと
難しすぎる、つーか、無理な主張ではないかと思う。ただし、土器は東洋からと言うのは
一理あると思うが。
357月光仮面:2007/03/07(水) 12:09:55
弁辰は産鉄鉱区を倭、ワイ、その他に切り売りし、出来高払いで、鉱区使用料を辰王
に支払っていたが、各国はヒメの神託で鉄を取っており、アカルヒメの場合はいくら
良い神託を出しても、資源が枯渇し切って先行きがなかったのかもしれない。九州に
円滑に入っていたのは肥後、肥前方面、後に山陰では伯耆、丹後方面への入荷が
潤滑になるところを見ると、狗邪韓国とは肥前肥後が九州の日下、西方国であること
もあるし、たしか、高句麗方面から肥後に亡命した後、三韓に戻った人物がいたはず
で、こうしたいきさつから付いた名前かもしれないが、狗邪国というのもある。軍彌國
というのは丹後の方面の久美浜か。この辺のヒメは優秀であったのであろう。
358月光仮面:2007/03/07(水) 12:16:41
国際的太陽神のヒメを倭国に置けば世界の太陽使用税は倭国で徴収できるという
発想が細烏女、延烏郎の対馬、壱岐方面への移動であり、平原の女王もこれに関係が
あるのではなかろうか。当時の新羅阿達羅王は随分うっかりしていたものだと思うが、
後になって返還を求めに来た際に女王は絹織物を贈呈している。のんびりした時代で
あったようだ。
359月光仮面:2007/03/10(土) 15:30:22
>>351
春日の意味は、このエジプトの牛↓
http://www.kjps.net/user/pharaoh/egypt/musium/tut019.jpg
が鹿によって置き換わったもので、バイによっては龍、蛇、獅子に置き換わる
こともあったのであろう。
360日本@名無史さん:2007/03/11(日) 17:42:27
変なのが来た
361月光仮面:2007/03/11(日) 21:07:22
362日本@名無史さん:2007/03/31(土) 20:37:31
ほー
363日本@名無史さん:2007/04/12(木) 09:25:02
またキチガイが湧いてるのか、たくもう…
364日本@名無史さん:2007/04/29(日) 21:35:19
【日韓】「日本」の用語が出来る前から「日本府」?・・・任那日本府説は日帝御用学者の捏造で侵略の道具だった[04/29]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1177810590/
365日本@名無史さん:2007/04/30(月) 09:00:16
652 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:13:02
中国の学会では、
任那日本府はほぼ事実だと受け入れられている。

前方後円墳は3世紀中頃の日本の畿内で始まり
4世紀には、ほぼ九州から関東まで全国へ拡大し
5世紀終盤潤オ6世紀初頭には、朝鮮半島の南部に出現する。

日本書紀や古事記の記載の大枠どおりだ。


653 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:18:45
三国時代墳墓の高塚化過程について・・・チェ・ビョンヒョン韓国考古学会会長
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=73998

韓国の考古学会でも、権威のほうでは
その考古学会者としての探究心から
大和政権の三韓への勢力拡大は既定路線で語られてきている。
中国の社会科学院でもそうだ。

認めたがらないのは、韓国右翼と韓国マスコミだけ。
366日本@名無史さん:2007/05/04(金) 02:00:12
>>364
韓国では、韓国が成立する以前のことなのに、韓国・韓国人が日本に文化を
教えたと主張しているのだがw
367日本@名無史さん:2007/05/04(金) 20:23:47
っていうか日本の訓はやまと
「みまなにほんふ」ではなく「みまなやまとふ」
が正しい
368日本@名無史さん:2007/05/06(日) 15:03:39
地名や人名などの固有名詞が様々に表記されるのは極ありふれた事。
日本書紀と古事記でさえも地名や人名の表記は違う。
369日本@名無史さん:2007/05/06(日) 15:17:30
ヤマトは元々“倭”“日本”“東”と様々に表記されていて
“大和”と表記されるのは後になってから。
元々“日本”の表記が存在しなかったことをもって実態を否定するならば
大和も存在しなかった事になる。
370日本@名無史さん:2007/05/06(日) 15:18:07
重要な事は日本が任那を支配していた実態であって
資料の編配纂時点での表記法が任那支配時代に存在したか否かはたいした問題ではない。
371月光仮面:2007/05/06(日) 16:19:54
>>808
エジプトと高句麗の類似は高句麗将軍塚
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~jnaka/china1/china13.htm
信州に入った百済人系石積墳、合掌型石室(ピラミッド内部にこうした構造あり)
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2012.html
更に、日本独自には、太陽神を意味するイラン語khormazd>ブリャートモンゴル語khormusta>日本語「クロマンタ」のピラミッド
http://www008.upp.so-net.ne.jp/k-hime/kuromanta.html/
等があり、又、エジプトで太陽を表す↓
http://www.kjps.net/user/pharaoh/egypt/musium/tut019.jpg
これが日本では鹿の角に挟まれる形となっている。↓
http://www.genbu.net/data/dewa/yudono.gif
この姿。
http://www.genbu.net/data/dewa/yudono_title.htm
372月光仮面:2007/05/06(日) 16:24:44
間違えて→【シルクロード】日本人と謎の秦氏?2【ダビデ】 を入れてしまい失礼。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1166287199/menu811
373月光仮面:2007/05/06(日) 16:39:47
その国は鉄を産出し、[シ歳]・倭・馬韓は相従ってこれを買う。およそ諸々の貿易を行う
際は皆、鉄を貨幣とする。・・・この際、利権者は辰韓であり、辰韓の採鉱は辰韓が行い、
弁韓はワイ、倭、馬韓に鉱区が割り当てられ各国が乗り込んで採鉱し、一定の歩合で
鉄テイで採鉱、製鉄された鉄、衣食住実費を支払うと言う制度であったと考えるのが
妥当だろう。
374日本@名無史さん:2007/05/06(日) 20:06:04
>>367
日本府は「やまとのみこともち」と訓むんだよ。
もとは「倭宰」と書いた。
日本書紀の時代になって当て字の仕方をかえて「日本府」と書いただけ。
375日本@名無史さん:2007/05/07(月) 18:18:01
★謎の民族=カラビトの正体★

 古代のカラ半島南部に住み、日本語を話していた謎の民族=カラビト(韓人)とは何者なのか。
『渡来人』とも呼ばれた彼らの正体は、「倭人」である。
 カラビトは、カラ地方(韓)に住んでいたことから、韓人=カラビトと呼ばれたわけだが、
彼らが話していた言語は日本語であり、大和言葉の方言である。古代カラ半島には三つの国が存在した。
シラキ、ミマナ、クタラの三国である。これらの国に住んでいたカラビトは、日本にも移住し、
古代日本の繁栄に貢献したが、彼らは倭人(日本人)なのである。
 つまり、古代日本に、朝鮮人は移住していない。古代日本に朝鮮人は来なかったのだ。
戦後、朝鮮人は「古代日本には多くの朝鮮人が移住し、日本文化の発展に貢献した」という宣伝を組織的に
展開しているが、これはデタラメなのである。古代日本に移住したのはカラ半島に住んでいた倭人=カラビト
(韓人)であり、彼らは日本民族だったのである。
 カラビトは、現在の朝鮮半島に住んでいる朝鮮人とは、民族が違うのだ。
現在の朝鮮半島に住んでいる民族は、志良岐(シラキ)の北方=ワイに住んでいたワイ人の子孫なのである。
 古代日本人と友好関係にあった韓人(カラビト)と、現在の半島に住んでいる朝鮮人(ワイ人)を、
混同してはならない。

カラ=カヤの国とは何か?
http://www.kase-hideaki.co.jp/k005/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=1237&e=res&lp=1216&st=0
376日本@名無史さん:2007/05/08(火) 23:45:12
>>375
それは無理があるよ。
魏書東夷伝でも韓人と倭人は明確に別けられてるしね。
まあ韓人地域に少なからず倭人が住んでた可能性は高いが。
377月光仮面:2007/05/09(水) 07:29:07
「弁辰は辰韓と雑居し、城郭・衣服は皆同じだが、言語・風俗には異なる
点がある。
その人々の体は皆大柄で、美しい髪を持ち、衣服は清潔である。
刑律は峻厳である。その国は倭に近く、故に入れ墨をしている者が非常
に多い。」
大柄で刺青というのは、当時パジリクのミイラでも刺青が見られるので、
弁辰の基本的住民はコーカソイド系であったということではなかろうか。
朝鮮族は漢四郡の下層にあり、逃走して来た古朝鮮は
「朝鮮王準が衛満に破れると、その残りの部下数千人を率いて逃走
して海に入り、馬韓を攻めてこれを破り、自立して韓王となった。
準の子孫が滅んで絶えると、馬韓の人間がまた自立して辰王となった。」
数千人入ったことはあったが子孫は滅んだとされるので、マイノリティー
であったと思われる。月支というのは秦族のことで、馬韓は全体として
コーカソイド系秦族(秦徐福の子孫の中には漢人がいたかもしれないが)
と見ていいのでは。
378日本@名無史さん:2007/05/09(水) 09:52:05
>>375
同意
韓人と朝鮮人は別
379日本@名無史さん:2007/05/09(水) 19:56:08
『日韓同祖論』という妄説がある。
学問的な根拠がまったくない、まさに妄説であり、狂説である。
 日本人と韓国人が、何の関係もない別種の民族であることは、両民族の言語を分析すれば
すぐに理解できる。

 【日本語】 【韓国語】
 空(そら)→ ハヌル
 稲(いね)→ ビョ
 米(こめ)→ サル
 家(いえ)→ チプ

★米について

 韓国人は、「古代韓国(そんな国は存在しないが)から弥生人(韓国人は古代韓国人だと主張)が日本列島に移住して、
古代ヤマトを建国した。稲作も韓国人が日本列島の原住民(日本人の意味)に教えた」と主張するのだが、
そんなことはありえないのである。
 なぜなら、日本語と韓国語では、『稲』『米』の呼称がまったく違うからである。
 日本語では、稲は「いね」であるが、韓国語では「ビョ」である。日本語では、米は「こめ」であるが、韓国語では「サル」である。
本当に、古代日本列島に韓国人が移住し、稲作を伝えたのなら、日本語と韓国語で『稲』『米』が同じ呼称でないのはおかしいのである。

日本語と韓国語◆その違い
http://cgi.members.interq.or.jp/asia/showashi/cgi-bin/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=1542&e=res&lp=1488&st=0
380サガミハラハラ:2007/05/09(水) 20:44:36
従来の民族説では、半島南部には韓族と倭人のみが居住していたとして論ぜられるのであるが、
拙がかんがえるに、馬韓国の北部には北シナ系人が、馬韓の海岸部には呉越系の東テイ人が居住していたようである。
日本の稲作については、この東テイ人の影響を考慮することがこれからの研究において重要であると思う。
381月光仮面:2007/05/10(木) 07:20:29
後漢書韓伝によると辰韓については「辰韓は、古老たちは自ら秦の亡命者であるとい
い、苦役を避けて韓国に行き、馬韓がその東の果ての地を割いてこれに与えたという。
国を邦といい、弓を弧といい、賊を寇といい、行酒(杯を回す事)を行觴(こうしょう)と
いい、互いに徒(ともがら)と呼び合い、秦の言葉に似た所があり、故にこれを秦韓と
呼ぶ者もいる。」言語的には始皇帝時代のチャイニーズを使用するものの、
「子が生まれるとその頭を平らにしようとし、皆これを石で押さえつける。」という習俗は
大月氏国トカラ族にのみ特有であり、人種的にコーカソイドであるものの言語的に
チャイニーズではなかったのではないかと思われる。
382月光仮面:2007/05/10(木) 08:41:46
>>380
後漢書倭伝に引用されているトウテイ人ですが、呉越とは通交しているようですね。
つまり、後漢時代までは秦系のたたりを恐れていたということ。地名的には土佐、伊野
とかに近く、また、「会稽の東冶県に、海に出て風に遭い、[シ亶]洲に流れ着いた人間
がいた。(トサに近い発音だ。)
居所は非常に離れており、往来する事はできない。(※沈瑩(しんえい)
の臨海水土志に曰く。夷洲は臨海の東南、郡を去る事二千里である。
土地は霜や雪が降らず、草木が枯れる事は無い。四方を山や谷に囲まれ
ている。(プロ野球のキャンプが張れる程度の気候だ。)
人は皆髪を剃り、耳に穴を開けるが、女人は耳に穴を開けない。
土地は肥沃で五穀が全て実り、また魚肉が多い。犬がいるが、尾は短く
麕(のろ)の尾のような形をしている。この夷人は舅・姑・子・妻が
ともに一つの大きな床で寝て、互いに避ける事はほとんど無い。地に
は銅・鉄があるが、ただ鹿格(鹿の角)で矛を作って戦闘し、青石を
研いで矢の鏃を作る。生魚の肉を取り、大きな素焼きの器の中に混ぜ
貯めて塩漬けにし、一月余りした後これをに食べ、上等の肴だとする。)」
この銅、鉄は豊前方面との交易によるものと考えられます。
383月光仮面:2007/05/10(木) 08:45:40
上記で塩辛のような風習がありますが、これは東北の慣習であり、縄文時代から鹿児島、
宮崎、高知、和歌山等は東北の影響下にあったものと考えられます。
384月光仮面:2007/05/10(木) 08:53:49
土佐の異骨相といいますが、ごつい感じであり、土佐の東端には巨石遺跡があります。
時代的には多分飛鳥時代に百済から石づくり能力のある白人トカラ人の渡来が多く、
離島に放棄しようとしたされる頃ではないかと思われますが、後漢書韓伝にある尾長鳥
のいる馬韓方面から渡来したのではないかと思われます。
385月光仮面:2007/05/10(木) 09:40:11
>>383
塩辛はたとえが悪かった。どうも、クサヤの感じ。中国の人にすればあんな腐ったような
ものがよく食えるなということかも。
386フレンド:2007/05/10(木) 18:42:38
★カラとは何か★
 加羅と書いてカラと読む。韓と書いてカラと読む場合もある。
カラの語源は、日本語古語の離る(カル)である。カルとは「離れる」という意味の大和言葉である。
このカルが変化してカラとなった。「大和から離れた土地」「海の向こうの土地」という意味である。
 また、伽耶(カヤ)の語源も日本語である。日本語古語の離ゆ(カユ)は「離れる」という意味であるが、
カユが変化してカヤとなったのである。つまり、カラとカヤは同じ意味の地名なのだ。
 カラ=カヤの地には、紀元前から多くの倭人(日本民族)が住み、華やかな日本文化が栄えていた。
カラは倭人の世界だったのである。
 現在、カラ半島に住んでいる朝鮮人は、4世紀頃(300年代)に、カラ半島北部から南下してきた
ワイ人の末裔なのである。
 結論は、朝鮮人はカラビトではない、ということである。


カラ=カヤの国とは何か
http://cgi.members.interq.or.jp/asia/showashi/cgi-bin/trees.cgi?log=&v=1542&e=res&lp=1542&st=0
387日本@名無史さん:2007/05/10(木) 20:46:54
4世紀に新しく北から民族移動があったとしても元からの在地の民がいなくなった訳ではない。混血しただけでしょ。考古学的に文化は三韓いずれの地でも連続していますが。
中国側はずっと「韓」と認識し「倭」とは区別していますが。
デタラメ過ぎ。
388日本@名無史さん:2007/05/10(木) 21:12:36
韓人=韓に住む住民

倭人=倭に住む住民

韓人=倭人の同族。そういうことだな。韓人は韓国人ではない。
389日本@名無史さん:2007/05/13(日) 15:55:44
>「かる(離る)」に、接頭語の「あ」を付けたものが、
>「あかる(明るい)」となる。
  ↑
間違い。「明る」は、赤+る。赤には「美しい」という意味もある。
赤に接尾語の「る」を付けた言葉が「あかる」だ。赤は日の色で、光のこと。

>これは、「あがる(上がる)」にも転化する。
転化しない。

>つまり、太陽が天高く上がった(地平線から離れた)という意味の言葉である。

間違い。天に上がることは「のぼる」「たく」「いづ」という。

離る(カル)の『カ』は、「遠い」「遠くの」という意味。
彼(カレ)、神(カミ=彼命)の『カ』と同じ。

390日本@名無史さん:2007/05/29(火) 00:37:34
http://imgnews.naver.com/image/001/2007/05/28/PYH2007052801170005200_P2.jpg

(昌原/釜山=聨合ニュース)六世紀以前、洛東江東地域に新羅や伽揶ではないもう一つの古
代国家が存在した可能性を見せてくれる遺跡が発見されて古代史学界の気を引いている。

慶南文化財研究院は釜山-蔚山高速道路建設区間の釜山機張郡(キジャングン)大羅里(テ
ラリ)遺跡を発掘調査した結果、六重の木柵で取り囲まれた三国時代祭祀遺跡と祭司が暮
したと推定される大型掘立柱建造物の敷地を見つけたと27日明らかにした。

多くの木柵で取り囲まれた三国時代の祭祀遺跡が発見されたのは今回が初めてで、これ自
体が力強い中央権力の存在を証明するものだと発掘チームは説明した。祭祀遺跡は楕円様
の木柵で取り囲まれ、一番外側の木柵は短い直径60mで長い直径は70mにのぼった。

この遺跡が発見された丘陵全体を囲む木柵が六重にもなることは、祭祀遺跡が簡単に近付
くことができない神聖な所だったことを見せてくれる。祭祀遺構南側の大型掘立柱建造物
の敷地底面積が横28m縦5mにもなる大規模なもので、祭司が居住して祭祀儀式を主幹した
と推定された。

木柵で発見された立入路2ヶ所を通れば祭祀遺跡とこの建物敷地が繋がり、木柵がこちらを
保護するための装置であることを確認ができる。出土遺物を根拠として見る時、この遺跡
の年代は五世紀中盤から六世紀前半、新羅が洛東江下流の機張・東莱・金海で勢力を広げ
ながら伽揶征服に力を注いでいたころ、と研究院側は明らかにした。

ソース:naver/聨合ニュース(韓国語)釜山機張で古代国家跡発見
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSS2D&office_id=001&article_id=0001648660

http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1180357702/
391日本@名無史さん:2007/06/04(月) 01:33:03
任那日本府は長崎県の飛び地ということが判明!!長崎ちゃんぽん なんかが
食べれたらしい・・・
392日本@名無史さん:2007/06/16(土) 18:32:58
韓国は生意気!
日本にも中国にも勝てない雑魚は小さい領地で十分
北部は中国へ返還
南部は日本
竹島やるから全員そこに篭ってろ
393YAP?:2007/06/16(土) 22:35:18
[任那」を、日本側で「みまな」と呼んでいたことははっきりしているが、これは、
「みま+な」でその「な」が、「土地」を意味する「な」(地)であることは、
誰も異存がないだろう。上代日本語の「な」は、「の(野)」(その古形は「ぬ」?)の
「母音交替形」であると考えられている。
まあ、満州・ツングース諸語の「地」の意味の「na」とか「naa」と同源であることは
間違いないだろう。
問題は、「みま」の解釈だ、これが韓国朝鮮語の「nim」の転だというのは、頭子音がnとm
で異なっており、無理だろう。語中や語尾では、n,m,bの転訛は良くあると思うが。
まあ「nim」説よりは、まだ「ミマキイリヒコ」や「ミマツヒメ」の「ミマ」と関連付けるほうが、
ましだろうが。

「み」は、敬称の「み」 (御)かその起源と言うか古義の「み(霊)」、或いは数字の「み」(三)
かもしれないが、これらは、「ミ甲類」だ(「水」の「み」もそうだが)。
「ま」はさっぱり意味不明と言うか解釈困難だが、「間」か「真ということになるのかな?
394日本@名無史さん:2007/06/17(日) 17:23:50
★謎の民族=カラビトの正体★
http://www.kase-hideaki.co.jp/k006/trees.cgi?log=&v=1237&e=res&lp=1237&st=0

 古代のカラ半島南部に住み、日本語を話していた謎の民族=カラビト(韓人)とは何者なのか。
『渡来人』とも呼ばれた彼らの正体は、「倭人」である。
 カラビトは、カラ地方(韓)に住んでいたことから、韓人=カラビトと呼ばれたわけだが、
彼らが話していた言語は日本語であり、大和言葉の方言である。古代カラ半島には三つの国が存在した。
シラキ、ミマナ、クタラの三国である。これらの国に住んでいたカラビトは、日本にも移住し、
古代日本の繁栄に貢献したが、彼らは倭人(日本人)なのである。
 つまり、古代日本に、朝鮮人は移住していない。古代日本に朝鮮人は来なかったのだ。
戦後、朝鮮人は「古代日本には多くの朝鮮人が移住し、日本文化の発展に貢献した」という宣伝を組織的に
展開しているが、これはデタラメなのである。古代日本に移住したのはカラ半島に住んでいた倭人=カラビト
(韓人)であり、彼らは日本民族だったのである。
 カラビトは、現在の朝鮮半島に住んでいる朝鮮人とは、民族が違うのだ。
現在の朝鮮半島に住んでいる民族は、志良岐(シラキ)の北方=ワイに住んでいたワイ人の子孫なのである。
 古代日本人と友好関係にあった韓人(カラビト)と、現在の半島に住んでいる朝鮮人(ワイ人)を、
混同してはならない。
395日本@名無史さん:2007/06/17(日) 19:42:49
もはや都市伝説
なんの根拠もないんだよな
396日本@名無史さん:2007/06/17(日) 19:56:09
>>395

つ日本式古墳
397日本@名無史さん:2007/06/17(日) 21:35:07
文献史学が史学の王道。
任那日本府の存在に疑問の余地はない。
398日本@名無史さん:2007/06/17(日) 21:41:38
日本が戦争に負けていなければ、朝鮮半島は独立させてたかもしれないけど、
南部は任那として残していただろうな。そして朝鮮人がテロを起こして
でもそのうち停戦してって感じで。まさに北部アイルランドと同じ感じに
なっていたかと。
399サガミハラハラ:2007/06/17(日) 23:24:52
>>393任那のマは居間、客間、土間、床の間の間と同義語です。
つまり、当時の倭は領内をいくつかに区切り、それぞれを間といったのです。
400日本@名無史さん:2007/06/18(月) 04:07:49
>>6
北朝鮮なんて日本帝国にそっくりだよね
401日本@名無史さん:2007/06/19(火) 10:07:23
山川の『詳説日本史』は、入試問題はここから良く出るって事で
採用している高校も多いと思うが、これがとんでもないクソ教科書
親父の頃の教科書と比較してみると
任那が削除されていて、伽耶に書き換えられている
で、下の片隅に小さく、『日本書紀』では伽耶諸国を「任那」とよんでいる
などと日本側の史料を貶めていて、日本のみがそのような呼称をしなかったような記述だが
中国側の史料である『宋書』倭国伝の倭王武の上表文(それにはちゃんと任那が明記されてある)を掲載してるにもかかわらずである。

それと親父の頃の秀吉の朝鮮征伐は
『前後7年にわたる朝鮮出兵は、明と朝鮮の反感をかい、国内的にはぼう大な戦費と兵力をついやして』となってるが、今度のは
『前後7年におよぶ日本軍の朝鮮侵略は、朝鮮の人びとを戦火にまき込み、多くの被害をあたえた。また国内的には
ぼう大な戦費と兵力を無駄についやす』と、『侵略』を用いて、ことさら日本軍の残忍性を強調している。

それならば、元寇はどうかというと、親父の頃は
『南宋をほろぼした元は勢いに乗じてふたたび大軍をおくってわが国を侵略しようとし』とあるが、今度のは
『南宋を滅ぼした元は、ふたたび日本の征服をめざし』
と、なんと姑息にも『侵略』の文字を消し去ってしまっている。
これが日本の教科書なのである。

因みに巻末の執筆者一覧を見たが、これが阿保クソサヨで名高い売国奴ばっかりに代わってしまっている。
こいつらは多分在日チョンないし、帰化した連中でなかろうか?
でなければ、こんな全面的に改悪するなど出来ないはずだ
どこの国でも国史を良いように書くものである。それがこれほどにまで貶めてるのだから、もはや何をか言わんやである。
これだけ醜く歪めた教科書の存在は許しがたい
そう思われる方は、[email protected] へ抗議のメールをどんどんしよう!
402日本@名無史さん:2007/06/20(水) 01:43:57
酷いのでは、この前本屋で立ち読みした高校生用の参考書では
「任那に関する日本書紀の記述は捏造」と明記してたぞ。
こんな胡散臭い教材で教育されてるのかって思った。
こういうのを見ると任那抹殺工作が行われてるのが実感できる。

ついでに言うと、任那とか、日本の百済・新羅への優位な関係を抹殺したいがために
日本書紀そのものを偽書化しようという工作も色んな所で行われている。
403日本@名無史さん:2007/06/20(水) 09:07:27
>>401-402
教科書や受験参考書で正しい國史を学べるわけないだろ。
公立図書館の子供向け日本史の本は素晴らしくて破り捨てたくなるよ。
404月光仮面:2007/06/22(金) 08:06:36
韓国学会でも倭人が弁辰に進出し、鉄を取っていたのであろうとしているし、遺伝子的
にも日本人遺伝子が韓国に残っていると言うから間違いないだろう。仲哀の頃伊都
県主が先祖はウルサンに降臨したと言うが、これは辛国息長帯姫大目尊もそうだが、
福岡県を中心とする勢力が海外領土として弁辰に利権を持っていたことに他ならない。
ただ、難波のアカルヒメが天日矛に追われて逃げ帰るように、基本的に鉄資源の権利は
馬韓月支国から辰韓に任命される、多分秦系と思われるが、現地勢力が持っていた。
一方神武の先祖等もウガヤ・フキアエズのように海外領土を持っていた可能性はある。
問題はこの頃縄文人などと同様なステータスの古朝鮮族はどうなっていたのかということ
であるが、多分各地の農民層となっており、共同国家意識などが生まれる前の段階
でなかっただろうか。
405月光仮面:2007/06/22(金) 08:59:32
「昔脱解の神話 東海の多婆那国の王と女王国の女が結婚して大卵が生まれたが,
不祥なこととして卵は箱船に入れて海に流され,新羅の阿珍浦に漂着した。一老婆が
これを引き上げ箱を開けてみると中に一人の神童がいた。これが脱解であり新羅第4代
の王となった。」・・・これは丹波から弁辰に出稼ぎに出ていたものが出世して新羅王
となるということであり、新羅王は馬韓月氏系に限るという原則があるのだとすれば
逆に丹後半島、更には、尾張・海部系は渡来人かということになる。いずれにせよ
難波から近江に広がる銅鐸技術は渡来技術であることには間違いない。
406月光仮面:2007/06/22(金) 10:16:18
丹波には竹野遺跡と言う古くからの文化があり、初期大和朝廷の開化、垂仁の皇妃
を出しており、鉄を制するものは天下を制するの通り、大和朝廷の大きな基盤となった
可能性がある。脱解というのは竹野の王であったのであろう。
407日本@名無史さん:2007/06/22(金) 10:48:28
山幸彦かも?
408日本@名無史さん:2007/06/22(金) 12:33:25
竹島は当然としても、任那と鬱陵島、済州島の奪還は古代日本の失地回復。
409日本@名無史さん:2007/06/22(金) 13:38:02
鬱陵島、済州島は違うだろ
つーか南韓より北鮮の方が価値あるよ
410月光仮面:2007/06/22(金) 13:46:54
神功の三韓征伐と言うのは記紀編集の奈良時代の文人がいろいろな知識を駆使して
造ったのであろうが、今で言う集団的自衛権を行使して高句麗に対抗すると言うことで
対馬海峡安全保障条約が成立したということ。これは倭国が強要したとかではなく、
三韓側からの申し出があったのではなかろうか。現代で言えば在韓米軍基地のような
ものが任那日本府におかれたのだろう。
411日本@名無史さん:2007/06/23(土) 14:01:57
済州島は任那日本府の領域。
大和国の九州島と朝鮮半島南部の任那日本府とを結ぶ中継地として
壱岐島、対馬島と共に非常に重要な領土だった。
412月光仮面:2007/06/23(土) 16:25:24
「耽羅(たんら)国(済州島)の三姓始祖神話 良乙那,高乙那,夫乙那の3神人が地中
から湧出した。一方東の海浜に紫泥で封印された木箱が漂着して中から3人の処女が
現れた。彼らは3神人の配偶者となるため日本国より渡来したと告げ,おのおの成婚
して国を開いた。」
413月光仮面:2007/06/23(土) 16:42:09
「馬韓の西、海上の島に州胡国がある。その人々は背が小さく、頭髪を
剃り、韋衣(革の衣)を身に着けるが、上だけで下は無い。
牛・豕(豚)を飼う事を好む。船に乗って往来し、韓の国内で売買を
行う。」・・・北方系の感じがするね。九州には河童伝承が多いので
五島列島経由筑後川方面とつながっていたのかも。
414日本@名無史さん:2007/06/24(日) 07:03:08
みまな≠チて呼びにくくないですか?
ついついみなま≠チて呼んでしまうのは私だけでしょうか?
415日本@名無史さん:2007/06/24(日) 17:13:19
>>411
よーは、任那日本府は対馬海峡の対岸にある大和朝廷の海外領土で
そこに大和軍が駐留して朝鮮半島情勢制圧の為の前線基地に成ってたと。

任那日本府は、同盟国百済防衛と、隣国新羅、強国高句麗警戒の
前線基地と成っていた訳だ。

しかし、古代朝鮮半島に於いて、我々の先祖の大日本民族が威風堂々と
駆け抜けていたと考えると何か爽快な気分に成るぜ。
416日本@名無史さん:2007/06/24(日) 17:25:33
『朝鮮人の『反日主義』は、2000年前から始まった』
http://cgi.members.interq.or.jp/asia/showashi/cgi-bin/trees.cgi?log=&v=1565&e=res&lp=1565&st=0

 多くの日本人が、朝鮮・韓国人の『反日主義』は、戦後に始まったものだと思い込んでいる。
あるいは、次のような思い込みがある。

(1)明治時代に日本が朝鮮半島を併合したことが原因で、朝鮮民族は反日主義になった。
(2)高麗時代に、『倭寇』という日本人海賊が高麗(朝鮮)を襲ったので、朝鮮民族は反日主義になった。
(3)豊臣秀吉が『朝鮮征伐』を行ったことが原因で、朝鮮民族は反日主義になった。

 上記の説は、全て誤りである。特に(2)は間違っている。倭寇とは朝鮮海賊であって、
日本人は無関係なのである。倭寇の正体は、高麗の三別抄(傭兵軍団)とその残党である。

【気ままに歴史】『元寇と高麗』『高麗の無法集団=三別抄』
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/genko/genko.htm

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 実は、朝鮮民族の『反日主義』が始まったのは西暦1世紀頃からなのである。それは、古代のカラ半島をめぐる
『領土戦争』が原因なのだ。
 朝鮮民族が、半島南部の日本領土(シラキ・ウルマ・ミマナ・クタラ・タムラ等)に対し、執拗に侵略を繰り返したために、
日本民族と朝鮮民族の間で『領土戦争』が起きた。それが、朝鮮民族の『反日主義』の起源なのである。
417日本@名無史さん:2007/06/24(日) 18:50:49
◆朝鮮の陶磁器について◆

★朝鮮の陶磁器は優秀だったのか?(その1)★
http://cgi.members.interq.or.jp/asia/showashi/cgi-bin/trees.cgi?log=&v=1562&e=res&lp=1562&st=0

 最近の文化考察が好評のようだ、と勝手に考え、朝鮮半島を代表する文化とされる陶磁器、
特に李朝と呼ばれる李朝陶磁器について考えてみよう。
 ここまで、他国が誇る文化のことをバラす必要も無いような気もする。が、あまりにもホルホルと
威張っているので、まあ、与太話として聞いてもらおう。
 まず、基本的な話として、朝鮮半島でなぜ、文化・文明が育たないか、の理由を述べたい。
それは、朝鮮半島の伝統的価値観、労働・勤労をきわめて低いものと蔑む、劣化儒教思想に原因があるのである。
 額に汗して、良いものを作ろうとする事を蔑む社会では、芸術・文化などが育つはずが無い。
今でこそ、チャングムとなど、いい始めているが、料理人は極めて身分の低い人が行う、蔑むべき労働と
されていたのだ。
 そんな中では「おいしいものを食べさせたい」という食文化が育つわけが無い。陶工職も同じで、
労働して生活する身分の低いものと扱われていたのである。そんな中で、良い陶磁器などできるわけが
無いのである。
 李朝陶磁器はその名声と裏腹に、「古い」というだけで、芸術的な価値などほとんど無いのである。
418日本@名無史さん:2007/06/24(日) 19:38:52
中国外交部も任那日本府の存在を認めている。
ソースはこれ。
http://www.chosunonline.com/article/20040722000059
419日本@名無史さん:2007/06/24(日) 19:41:43
そもそも天皇家も任那出身だと。
420日本@名無史さん:2007/06/24(日) 21:03:11
それはないね。
421日本@名無史さん:2007/06/24(日) 21:15:09
わざわざ海を渡る大事業…秀吉の出兵や明治以降の進出は旧地回復のための日本人の帰趨本能だね。
朝鮮南部の領土を日本は要求すべき。
422日本@名無史さん:2007/06/25(月) 01:56:19
豊臣秀吉の朝鮮征伐にしろ、大日本帝国の朝鮮併合にしろ
かつての失地回復の一環に過ぎない。
423日本@名無史さん:2007/07/09(月) 01:07:58
古代の任那支配と文化伝播

韓国は古代に文化を日本に教えたと優越意識を持っているが、韓国側に資料は
なく日本書紀などの記述を根拠としている。しかし古代に日本が朝鮮半島の任
那を支配していたと日本書紀などの記述を根拠として主張すると、そんなこと
は有り得ないと日本側の資料を真っ向から否定する。
424日本@名無史さん:2007/07/09(月) 01:09:10
「日本のイメージ」 鄭大均 1998 中公新書
今日の日本論の体たらくぶりを、日本古代史の専門家という立場から批判して
いるのは金絃球高麗大学教授である。
<1985年、(中略)H大学アジア文化研究所主催で、「東洋古代文献の信憑性」
というテーマのシンポジウムが開催され、私は日本文献に関する発表者として
参加することになった。発表に先立って市内の某ホテルで主催者側と発表者が
事前集会をもった。当時私は血気にあふれており、また韓国史の大家であるL
教授と同席したこともあって平素抱いていた韓国の学界についての不満をぶち
まけた。「わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の
文化が日本に伝えられた話が出てきますが、その内容は日本古代史書である
『日本書紀』を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。ところ
が、日本の学者たちが『日本書紀』を土台にして、古代日本が200年余り韓半
島南部の伽耶(日本では任那という)地域を支配したという「任那日本府説」
を主張すると、韓国の学界では、それは(中略)信じることができない資料な
ので、その学説も信じることができないと主張しています。(中略)これは明
白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るので
はありませんか」と、身のほどを知らぬ質問をした。そうしたらL教授は黙り
込んで答えず、横におられたC教授が「自信がないんだよ」とおっしやった。
『日本書紀』には日本が『任那日本府』という機構を置いて韓半島南部を支配
しつつ三国文化を運んでいったようになっている(中略)。しかし、韓国の中
・高等学校では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もさ
れず、ただ高句麗、新羅、百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えて
いる。そこで、学生たちは日本を客観的に理解できず、無条件、対日優越意識
だけを助長する結果をもたらした。外国に出かけたわが国の学生が、日本側の
主張をそのまま取りあげた任那日本府説(中略)に接して戸惑うのも無理がない
> (金絃球)
425日本@名無史さん:2007/07/09(月) 11:58:28
あんなクサい土地今でもいらねーよ
426日本@名無史さん:2007/07/09(月) 15:32:58
中国外交部、「任那日本府説」も紹介
高句麗 | 独島
 中国外交部が最近、インターネットホームページの韓国史概況から高句麗史を削除したのに続き、日本
史概況で日本が主張する「任那日本府説」を紹介していることが22日、明らかになった。

 中国外交部のホームページ(www.fmprc.gov.cn)は日本史について説明し、「5世紀はじめ、大和国が隆盛
した時期にその勢力が朝鮮半島(韓半島)の南部にまで拡大した」と歪曲した。また、独(トク)島問題と関連、
竹島と韓国名の独島をめぐり領土紛争が起きていると紹介した。

 これと関連、外交通商部(外交部)の某当局者は「中国外交部のホームページに誤った内容が掲載された経
緯を把握したうえで、対応を議論する」とした。

李河遠(イ・ハウォン)記者 [email protected]

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
427日本@名無史さん:2007/07/13(金) 02:29:18
>日本による任那支配は古代以来今日まで一貫して記録され語り継がれてきた事
>項である。しかし、今日、韓国、北朝鮮では国家規模でこれを否定しようとし
>ている。韓国政府は任那日本府を日韓の外交問題とし、政治的圧力による歴史
>の抹殺が図られている。(歴史教科書問題)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BB%BB%E9%82%A3&oldid=11702442
428日本@名無史さん:2007/07/15(日) 10:34:24
奴らがムキになって主張する事はいつも「嘘」
従軍慰安婦しかり
429日本@名無史さん:2007/07/15(日) 14:20:23
任那日本府ハ朝鮮半島南部・洛東江流域カラ
全羅道地域及ビ済州島ヲ支配領地トシテイタ。
430日本@名無史さん:2007/07/16(月) 09:18:54
任那日本府をもう一度教科書に!!
431日本@名無史さん:2007/07/18(水) 23:40:15
>>430
扶桑社の教科書もかなり問題あるね
432日本@名無史さん:2007/07/19(木) 00:45:34
扶桑社の教科書も腰がひけてるな。
433日本@名無史さん:2007/07/22(日) 03:29:10
現役高校生だけど、教師が「任那日本府は存在しない」って力説してたな。その教師曰わく「任那日本府は、日本の朝鮮支配を正当化するためのものであり、歴史歪曲だ。戦後、やっとその誤りが改められた。」らしい。
434日本@名無史さん:2007/07/24(火) 07:16:43
>>433
日教組の影響だろう?
現場の高校教師は、日教組史観の影響が強いからね。

逆に日教組が一番崇拝している中国のほうが
任那日本府を完全に否定するのは難しいと解釈しているのは笑える。
435日本@名無史さん:2007/07/24(火) 07:35:13
>>401
自分も明確なことは分からないけど
要するに、任那って伽耶諸国の一部だったんじゃないの?
ここんとこ、朝鮮半島の諸国に関しては
かなり複雑なような気がする。
新羅なんかも、辰韓諸国最大の国だった斯盧国から成長したと言われているし
中国側の資料だと、任那と伽耶を分けているんだっけ?

>>433
自分の教科書は15年位前だが、任那は消えているが
資料集のほうには、どうしても登場する。
だから、教科書に消えても、倭王武や広開土王碑文で
どうしても、それらしき物が登場するから
完全に消し去ることは不可能だわな。
436日本@名無史さん:2007/07/24(火) 22:03:29
>>435
任那にも加羅(伽耶)にも広義と狭義がある。
広義の加羅は加羅諸国のことで、この加羅諸国は広義の任那の一部。
広義の任那は加羅諸国と慕韓(四県)と秦韓を含む範囲で、
要するに新羅でも百済でもなく両国に挟まれた地域の総称。
狭義の任那と狭義の加羅はどちらも加羅諸国の中の一国で
これはどっちも加羅諸国(広義の加羅)に含まれる。

広義の任那>広義の加羅>(狭義の任那+狭義の加羅)
437日本@名無史さん:2007/07/25(水) 00:28:25
任那、加羅、伽耶
新羅、百済、高句麗
高麗、李氏朝鮮
大日本帝国領朝鮮地方
韓国、朝鮮
438日本@名無史さん:2007/07/25(水) 21:58:20
地名には狭義と広義の意味がある場合が多い。
例えば古代の「ヤマト」と言えば、狭義では現在の奈良県を指すし、広義では日本全体を指す。
外国の例だと、三国志の「蜀」と言えば、狭義では成都周辺の限られた地域のみを指すが、広義では北は漢江上流域から南は雲南まで跨る劉氏が支配した地域全体を指す。
「呉」といえば狭義では南京周辺の長江下流域のみになるし、広義では北は長江中下流域から南は北ベトナムに跨る孫氏の支配域全体を指す。
ヨーロッパでも、古代ローマ時代、狭義で「ローマ」と言えばローマ市のことになるが、広義では三大陸に跨る広大な帝国領土全体を指すことになる。
「任那」にも狭義と広義の意味があり、広義だと慶尚道洛東江流域から全羅道にかけての広い地域を指す。
狭義ではもっと狭い地域となるが、明確に狭義の場所を特定はできない。

439日本@名無史さん:2007/08/06(月) 00:57:47
>>ある本には、21年に任那は滅んだとある。
>>俗に統括して任那というが、分けると加羅国、安羅国、斯二岐国、多羅国、率麻国、古嵯国、子他国、
>>散半下国、乞ン食国(こつきんのくに)、稔礼国の合わせて十国であるとある

…って、日本書紀の認識なので、「任那=加羅(伽耶)」ってカンジでは無いんじゃ?
ただ、宋への上奏文で、軍権が及ぶ国として、最初は「任那」、あとは「任那・加羅」ってなってるから、
「馬韓・百済」のような変遷をしたのかも。

もっとも、高句麗からみても「(倭兵は)任那・加羅に逃げていった」ってあるから、少なくとも日本(と百済亡命組)、
(日本の上奏を審査した)宋、高句麗の三国がキチンと文章に残しているのに、現代の配慮で、これを無かった
こととして歴史を歪曲するのは、学問とは言えないよな。
440日本@名無史さん:2007/08/06(月) 02:37:16
韓国でいう「伽耶」とは「任那」の東半分の小国群地帯。
441日本@名無史さん:2007/08/06(月) 02:40:37
ところで「任那」は日本書紀以外でも宋書や広開土王碑文といった日本以外の史料にも
記載があるけど、「伽耶」って三国史記や三国遺事以外に記載あるのか?

いやね、
「任那」は複数国の史料に記載がある(しかもそれが4〜5世紀といった当時代の史料を含めて)
「伽耶」はずっと後の12世紀成立の三国史記にある名称
比較すると「伽耶」より「任那」のほうが名称として明らかに正当性があると思うんだけど。
教科書が「任那」の名称を消して、「伽耶」に変えるのって可笑しくね。
442日本@名無史さん:2007/08/07(火) 14:10:35
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90019&servcode=400§code=400
新羅王がひざまずいた“任那日本府説”の掛け軸、米国博物館で展示(中央日報)
443日本@名無史さん:2007/08/07(火) 18:24:05
日教組は天皇を朝鮮半島になぜ結びつけたがるんだろ
444日本@名無史さん:2007/08/07(火) 20:22:38
ルサンチマン
445日本@名無史さん:2007/08/08(水) 02:15:13
>>439-441
>可笑しくね

もちろん思いっきりおかしいよ。

朝鮮人に媚びて
「任那という名称は学問的でない。伽耶というべき」
とほざいてきたのが日本の学者の実態。
こいつらに天皇陵の発掘など許可してはならない。
446日本@名無史さん:2007/08/08(水) 03:48:32
42 :本当にあった怖い名無し:2007/08/07(火) 07:36:16 ID:9rlUPCRn0
中国政府の研究機関が、日本の稲作の伝来を科学的に照明した。
諸外国の研究機関も納得している。
韓国だけが感情的に反対しているがw
日本の歴史教科書や世界の教科書も大きく書き換えられるかもな。
遺伝学的、農学、植物学、生態学でみて、
稲の伝来は、中国南部→日本列島→朝鮮半島
詳しくはここ。


日本から朝鮮半島への米の伝播
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12585608.html
>日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで、
>水稲栽培で3200年程度前まで遡ることが判明している。
447日本@名無史さん:2007/08/11(土) 22:48:28
【韓国】神功皇后の新羅征伐を描いた絵巻物に怒り拡大。美術館への抗議FAXスタート、日本大使館にも抗議へ [08/08]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1186590539/

■「歴史歪曲の日本絵巻物」本紙報道に、「直ちに撤去せよ」と米州・韓国で怒り拡大
  〜 韓国系諸団体、展示会開催中のサンフランシスコの美術館に強力抗議

本紙を通じて、歴史歪曲素地がある日本の絵巻物をサンフランシスコのアジア美術館が
展示している事実が伝えられると、南カリフォルニア地域のみならず韓国でも、美術館に
対する非難世論が拡大している(訳注:「絵巻物」とは14世紀に描かれた「八幡大菩薩
御縁起絵巻」のこと。図柄についてはKBS動画↓ご参照)。
mms://newsvod.kbs.co.kr/news//newsplaza/2007/08/08/300k/180.asf

特にロサンゼルス地域の韓米連合会(KAC)など諸団体は抗議書簡を送って、絵巻物の
撤去を要求するなど強力対応する方針だ。

米州地域にある約200の韓人会の連合体である米州韓人会総連合会は、各地の韓人
会に対して今回の歴史歪曲事件に関する公文書を発送して米州韓国系社会の総意を
取りまとめたうえで、日本大使館・領事館およびサンフランシスコ・アジア美術館(AAM)
に抗議書簡を送り、今回の事態に対して強力に対処することを決めた。
448日本@名無史さん:2007/08/11(土) 22:49:16
総連合会側は、「常にそうしてきたように今回も、日本がこんなやり方でで歴史を歪曲し
ている。既にサンフランシスコ韓人会の会長と緊密に連絡を取っており、今後の対策を
検討中だ」と明らかにした。

韓米連合会(KAC)のロサンゼルス支部は、サンフランシスコ支部と連携して対応する方
針だ。グレース・ユ事務局長は、「是正文言を入れた(訳注:下記関連スレご参照)とい
うが、歴史的な事実を歪曲する恐れが大きい」と声を高めた。

また在米同胞愛国行動本部も、「まずファックスで韓国系社会の怒りを博物観測に伝え
た。国家の威信がかかった問題であることから、領事館や文化院などがより積極的に
乗り出すべきだ」と語った。

一方韓国では、中央日報、世界日報、KBSなどを通じて絵巻物の展示事実が報道され
ると、これを正すべきだという雰囲気が拡大しており、インターネットサイトでは憤慨した
ネチズンたちの書き込みが殺到している。

問題となっている絵巻物は、今年10月21日まで開かれる「説話特別展」の展示品の一
つであり、日本の代表的歴史歪曲である「任那日本府説」に基づいて新羅王が日本の
神功皇后にひざまずいて赦しを請う様子が描かれている。

▽ソース:中央日報米州版(韓国語)
http://www.koreadaily.com/asp/article.asp?sv=la&src=metr&cont=metr&typ=1&aid=20070807202115200200

▽関連スレ:
【米国】韓国系市民ら、神功皇后の新羅征伐を描いた絵巻物(14世紀)に反発。美術館側に是正要求 ★4 [08/03]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1186438292/l50
449日本@名無史さん:2007/08/12(日) 20:17:41
[ 再び 見る 韓国歴史]<4> 任那日本府説の 虚構< 上>
http://www.donga.com/fbin/output?n=200704210084


[ 再び 見る 韓国歴史]<5> 任那日本府説の 虚構< 下>
http://www.donga.com/fbin/output?n=200704280040
450日本@名無史さん:2007/08/12(日) 22:11:53
>>449
その記事日本語板では無いな。
東亜日報の歴史歪曲がばれるから隠してるな。
451日本@名無史さん:2007/08/12(日) 22:18:28
>>449
読みにくいのを我慢して機械翻訳して少し読んだ所で
騎馬民族征服説みたいなことが書いてたのでアホらしくなって止めた。
452日本@名無史さん:2007/08/17(金) 21:49:33
「秀吉時代や明治以後の植民地政策に利用されたから無かった事にしよう!!」と
言うほうがよっぽど歴史歪曲。

【米国】「深く反省しております」 … 神功皇后の新羅征伐を描いた絵巻物に対する韓国系市民らの抗議を、美術館側が受け入れ [08/15]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1187276576/
453日本@名無史さん:2007/08/17(金) 21:50:17
■日本絵巻物の「神功皇后の伝説」、「韓国侵略の口実に使われたと明示します」
  〜 韓国系社会による持続的抗議で、「歴史歪曲」に初言及へ

サンフランシスコのアジア美術館(AAM)に展示中の日本の絵巻物(訳注:14世紀に描かれ
た「八幡大菩薩御縁起絵巻」のこと)に対する韓国系社会の抗議が続いた結果、美術館側
が「日本の歴史歪曲企図」に関する追加説明文の掲示を決めた。

「神功皇后の伝説」絵巻が含まれた「説話特別展」担当の Forrest McGill 首席キュレータ
ーは、13日の本紙の電話取材に対して、「今度のことについて、今月10日にAAMの韓国館
を含む内部キュレーターと長期間論議し、日本が『神功皇后の伝説』をいかにして朝鮮半島
侵略の口実にしたのかに関する文言を説明文に追加することを決めた」と語った。

これまで、新羅の王が日本の女帝にひざまずいたという絵巻物の内容の真偽にだけ焦点を
合わせてきたMcGillキュレーターが、「神功皇后の伝説」を日本の歴史歪曲と直接結びつけ
て言及したのは今回が初めてであり、こうした立場の変化は本紙を含む米州・韓国メディア
による相次ぐ指摘と韓国系社会の持続的な是正要求の賜物だと評価されている。

McGillキュレーターは、「今まで、韓日間の『微妙な関係』について知ってはいたが、具体的
に日本がどのように『神功皇后の伝説』を政治的宣伝の道具として使ったのかは知らなかっ
た」と率直に述べたうえで、「カナダからも抗議の手紙を受け取り、先週末に日本の秀吉時
代・明治時代末期などについてそれなりに勉強した結果、日本が『神功皇后の伝説』を朝鮮
半島侵略の口実に使ったという確信を得た」と語った。

同キュレーターはまた、「新たに追加される文言が、すべての人を満足させることはできない
が、これ以上の是正が必要ないよう最善を尽している。追加される文言を通じて、韓国系市
民がなぜ憤慨しているかついての歴史的背景知識と、日本が新羅を征伐した事実は無いと
いうことを強調する計画だ」と付け加えた。

▽ソース:中央日報米州版(韓国語)(2007.08.14)
http://sf.koreadaily.com/asp/article.asp?sv=sf&src=metr&cont=metr&typ=1&aid=20070814174154200200
454日本@名無史さん:2007/08/17(金) 21:50:57
■「日本の新羅征伐は虚構です」 … 日本の絵巻物の説明文を訂正
  〜 サンフランシスコの美術館:「韓国系市民などの感情を傷つけたことを反省」

サンフランシスコのアジア美術館(AAM)に展示されている「歴史歪曲日本絵巻物」に対して
韓国系社会の抗議が続いた結果、美術館側が「韓国系市民を含めて観覧者たちの感情を
傷つけたことを深く反省しております」との内容の追加説明文を掲示した。

美術館側は、今週から新たに掲示したこの説明文で、「『神功皇后の伝説』絵巻に描かれた、
日本が昔の新羅王国を征伐したという説話内容について、全世界の歴史学者たちは虚構と
見ており、日本の新羅征伐がこの当時にあったという証拠はどこからも見出せない」、とした。

韓国系社会の関係者らは、美術館の今度の措置は本紙を含めた米州・韓国メディアによる
相次ぐ指摘と韓国系社会の持続的な是正要求の賜物だ、と評価した。<後略>

▽ソース:中央日報米州版(韓国語)(2007.08.15 21:36)
http://koreadaily.com/asp/article.asp?sv=la&src=metr&cont=metr30&typ=1&aid=20070815202141200230

▽関連スレ:
【米国】韓国系市民ら、神功皇后の新羅征伐を描いた絵巻物(14世紀)に反発。美術館側に是正要求 ★4 [08/03]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1186438292/
【韓国】神功皇后の新羅征伐を描いた絵巻物に怒り拡大。米国美術館への抗議FAXスタート、日本大使館にも抗議へ [08/08]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1186615184/
455日本@名無史さん:2007/08/17(金) 21:52:54
史実を無視した朝鮮人のごり押しで歴史が決められて良い物か。
456石川:2007/08/17(金) 23:14:06
嘘。
457日本@名無史さん:2007/08/17(金) 23:47:25
韓国人が日本書紀を引用して、こんなこと言っているんだが・・・。

>高麗若光は、日本書記によれば、666年に高句麗の使者として来日した。
>668年に唐と新羅の連合軍に高句麗が滅ぼされると帰国の機会を失った。
>『続日本紀』によると703年(大宝3年)に、文武天皇により高麗王の氏姓を賜ると有り、
>従五位下に叙された。

なぜ、若光を高句麗人だと言い張るのか?
666年といえば、高句麗の騎馬軍団は、もう平壌(ピョンヤン)まで後退しており、
日本に使者を送る意味など無いのだが。
そもそも、高句麗には船が無いではないか。とうぜん、航海技術もない。
日本に来ることは不可能であろう。仮に船があり、航海技術もあったとして、
何の目的で、高句麗人がこの時期に来日するのか?
コマ王若光は、やはり百済人(コマ人)であろう。高句麗人であるわけがない。
コマとは百済(百済のコマ県)のことだろう。
そうに決まっている。
458日本@名無史さん:2007/08/18(土) 01:37:25
459日本@名無史さん:2007/08/18(土) 01:46:21
恣意的に記事を日本語版と韓国語版で使い分ける
韓国メディアの実態が明らかとなりました。
460日本@名無史さん:2007/08/18(土) 19:44:37
70年代まではキーセンによる売春が最大の外貨獲得手段だった事も教えないね。
しかも韓国政府主導
461日本@名無史さん:2007/08/18(土) 19:48:16
朝鮮史って本当のこと教えると子供の教育に有害な事ばかりだね♪
462日本@名無史さん:2007/08/21(火) 11:24:55
想像してみろ、自分の国が恥ずかしい事ばかりならどうなるかを…
人様に誇れるものなど何一つありはしないそんな歴史の国に生まれたら
おかしくなるのは当然だろ?

やつらは正常だ!
463ひどい話だな ◆2mbPN9vm72 :2007/08/24(金) 00:00:40
韓国古代史研究の争点と韓国学界の研究水準(下)
ttp://www.chosunonline.com/article/20070822000067

>4世紀中盤、百済近肖古王の征伐後、全羅南道地域が百済の領域になったということは学界の通説だ。

史書にそんな記述は一切無い。『三国史記』にも無い。
史書にあるのは、『日本書紀』の神功皇后49年、日本が荒田別と鹿我別を将軍として派遣、
七カ国を平定した後、軍を西に転じて、百済肖古王と共同で西方の四邑を平定した記事。
これを歪曲してこんな話をでっち上げるな。


>全羅南道高興郡浦頭面吉頭里の雁洞古墳などの遺跡から、百済様式の金銅冠や履物が発掘された点から見るに

この雁洞古墳とは、日本の古墳と同じように竪穴式石室が“朱塗り”になっているとともに、副葬品に日本の古墳と同じように甲冑や環頭太刀などの武具が埋葬されていて、極めて倭系色が強い古墳だ。
この重要な事実を隠した挙句「百済様式の金銅冠や履物」だけ報道するのは歪曲報道そのもの。
そのあとに「任那日本府」が「伽耶側が対倭交渉のために設置した外交機関」だとか
「日本側が伽耶に派遣した外交使節」などと、史書に何の記述もない説を載せるなどは歴史捏造もいいところ。

また、この雁洞古墳の築造時期は5世紀前半。
この5世紀前半という時期は、『広開土王碑文』で
「391年 倭が海を渡って百済・新羅を破り臣民にした。」
「404年 倭が(百済を越えて平壌に近い)帯方界にまで侵入。」
と記録されている時期の直後。
『三国史記』でも、金城が包囲されるなど、新羅が度々倭の攻撃を受けたり、百済や新羅が王子を人質をして倭に送ったりしている。
そういった時期に倭系色が極めて強い雁洞古墳が任那の地域に築造されているのだ。
この意味するところは説明するまでもないだろう。
韓国メディアはそういった報道はせずに真実を隠す。悪質としか言いようが無い。

所詮日本の任那支配を否定する説など史書を無視した妄想に過ぎないものであって歴史を歪曲するひどい話だ。
464日本@名無史さん:2007/08/24(金) 00:13:04
お隣さんが絡むとなあ
不思議でしょうがない
465日本@名無史さん:2007/08/24(金) 00:31:48
七枝刀も倭国への貢物なのに、
授けてやった、と嘘を誇らしげに語る下衆教師共
466日本@名無史さん:2007/08/24(金) 00:38:18
もうなかった事でええやんけ
あっちはキチガイの国なんだから
467日本@名無史さん:2007/08/24(金) 02:17:40
スレ違いになりますが七子鏡ってどこあるの?
468日本@名無史さん:2007/08/24(金) 07:43:47
>>463>>466
中国がそれを許すませんがな。

中国の学会が、倭の半島南部への影響力を隠すことは
韓国の歴史の隠蔽だということ。
469日本@名無史さん:2007/08/24(金) 07:47:45
この任那日本府については、中国の学会と
協力したらよいんだよ。
じゃないと、永遠に研究が出来ないわけで。
470日本@名無史さん:2007/08/24(金) 08:15:05
323 :日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:31:12
『 正論 』平成19年2月号

 ●誤りを正すに国境なし--中国人学者の歴史検証(上)
「任那日本府」歪曲に見る北朝鮮史学界の荒唐無稽
 延辺大学教授 全春元
http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0701/mokji.html

     ↑
中国人学者が任那日本府の存在を認め、南北朝鮮の学者を批判している。
471日本@名無史さん:2007/08/24(金) 08:22:00
任那日本府を中国史学界あげて
認めてくれたら、
日本府領以外の半島全域を東北工程に取り込むことを
日本史学界あげて認めよう。
472日本@名無史さん:2007/08/24(金) 14:28:23
42 :本当にあった怖い名無し:2007/08/07(火) 07:36:16 ID:9rlUPCRn0
中国政府の研究機関が、日本の稲作の伝来を科学的に照明した。
諸外国の研究機関も納得している。
韓国だけが感情的に反対しているがw
日本の歴史教科書や世界の教科書も大きく書き換えられるかもな。
遺伝学的、農学、植物学、生態学でみて、
稲の伝来は、中国南部→日本列島→朝鮮半島
詳しくはここ。


日本から朝鮮半島への米の伝播
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12585608.html
>日本の稲作開始は陸稲栽培で6700年程度前まで、
>水稲栽培で3200年程度前まで遡ることが判明している。
473日本@名無史さん:2007/08/25(土) 00:50:01
>>454
それって、要するに
韓国には、かかわりたくないということだろう・
で、そのサンフランシスコの美術館に
どれほどの美術館なんだよ。
474日本@名無史さん:2007/08/25(土) 01:00:51
1.勾玉の起源
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku241.htm

面白いことに朝鮮半島における勾玉の出現時期が『広開土王碑』の時代と一致するね。

面白いことに朝鮮半島における勾玉の分布域が『宋書倭国伝』の
倭王珍「自称使持節都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王、表求除正。」
倭王武「自称使持節都督倭百済新羅任那加羅秦韓慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王。」
の範囲と一致するね。宋もこの範囲の百済以外の軍事権を認めたし。
475日本@名無史さん:2007/08/25(土) 01:03:04
勾玉について語ろう
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1129187004/133-141

133 :出土地不明 :2006/11/29(水) 17:06:31 ID:eCnHUF5K
勾玉起源捏造の韓国TV
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=73431

137 :出土地不明 :2006/12/14(木) 01:04:57 ID:flQAki/Q
今、勾玉ウリナラ起源が盛り上がってるみたいだね

138 :出土地不明 :2007/01/25(木) 19:16:03 ID:VJ9Q+SaK
韓国の研究では、三国時代(新羅や百済)に見られるコの字型の珠(いわゆる勾玉、韓国では曲玉)
は国内で発達したという主張が主流。青銅器時代に発達して定型化した
天河石製の曲玉が、その後三国時代に見られる形態になった、というのがその起源論。
でも、定型化した天河石製曲玉は左右のバランスの取れた優美なもので、
頭部の発達した、いわゆる勾玉と形態違うんだよね。
それと、三国時代前に日本型勾玉が登場するまで、時間が空くことも指摘した論文多いのに
みんな「説明がつかないが、でも半島製」みたいな。
あとそれらと、日本の勾玉がどういう関係にあるかは実際研究上ではほぼふれていない。

日本では、日本の勾玉は縄文時代に祖形があり、弥生時代に定型化したという、
一連の発達が研究されており、当然定説。
三国時代の日本と同じ形態の勾玉に関しては、その形態は当然日本由来だと思っていて
いまさらいわない。
もしくは下手にいうと、感情的な反論されそうだから黙ってる、って状態なのかな?

141 :出土地不明 [sage] :2007/03/08(木) 02:18:47 ID:ihQS4jNA
ttp://210.178.146.5/jpn/cyber/sunsa/age/sa_ch_yu.html
これが天河石製曲玉ですかー
476日本@名無史さん:2007/08/25(土) 03:05:10
韓国と同じく反日国家の中国でさえ「任那は日本の植民地」と教育
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pschool&nid=80410

477日本@名無史さん:2007/08/26(日) 02:02:39
断固、釜山市の返還を求めるものであります!!
478日本@名無史さん:2007/08/26(日) 17:53:52
ぶっちゃけ、あの国の歴史学(古代史)って、よその国でどれだけ受け入れられているのかね?
自国でワイワイ言ってるのは判るんだが、それが中国や日本での学界や欧米の東アジア史の学界で
受け入れられた、なんて話はちっとも聞かねえな。

誰か詳しい人いる?
479日本@名無史さん:2007/08/26(日) 20:21:20
ソウルの民族博物館、戦争博物館を観たが、兎に角馬鹿デカい
しかし戦前の物は全部とんでもない作り物ばっかりだぞ
併合前のみすぼらしいソウルの町並みの写真なんか1枚も展示していない。
あれで外人騙すつもりなんだろうな
余っ程都合悪いのだろう、パンフレットすら無い
そもそも歴史すら殆ど残っていないのが現状だろう
480日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:04:16
>>478
だからさ、世界の出版社とかに対して
必死に工作活動をしているんだろう?
481日本@名無史さん:2007/08/27(月) 02:34:48
歴史を創る力はあるな
いちいち怒らんで後世のためにその様を記録しておくべし
482日本@名無史さん:2007/08/27(月) 04:24:04
お隣さんにはまいるけど
地理的な条件から古代から周辺の政治情勢に翻弄されて来たのが現実
ヨーロッパでも似たような国いくつもある
戦後独立(しかも自力でない)したとはいえ同民族間での戦争は悲劇
これじゃ歴史を有るがままに見る事が感情的に出来にくいのは理解してやろうじゃないか
しかし本当に不愉快
483日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:23:45
史実に向き合わなければ、
未来を切り開くことなどまるでできないことを、
彼らは知らなければならない

しかし、半島に生まれなくてよかったと、つくづく思う
かわいそうな人たち
484日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:51:54
韓国では嘘の自国史を教えるより、
世界史をきちっと教える方が余程役立つと思えるがな。
そんな事すら頭に無いんだろうな
485日本@名無史さん:2007/08/29(水) 19:56:29
>>457
いろんなところに張っているが
日本書紀→続日本紀
どっちが馬鹿なんだかわからないことはやめろ
486日本@名無史さん:2007/08/30(木) 08:30:36
>>482
そうだよねwww
長い期間奴隷であり続けるとあんな風になってしまうんだね・・・
そう考えるとチョット可哀想な気がする・・・
487日本@名無史さん:2007/08/30(木) 21:05:55
でも油断しているとトンデモないことになる。
中国ホロン部のいう事を本気で信じた森村誠一が『悪魔の飽食』を書いて大ベストセラー
その後、日本軍=悪魔が極東の常識となる。
488日本@名無史さん:2007/08/31(金) 07:16:02
あの国が「まともなこと」語りだす方がヤバい。

いまのままでいいよ。ずっと永遠に。

>中国ホロン部

ジュンガル部の隣に、あったりして。

489日本@名無史さん:2007/09/05(水) 21:21:53
任那もこれと同じ。
韓国との歴史研究の実務協議場面でのやり取り

関川: ‥‥先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。

古田: 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。‥‥日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は
立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料は
そうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。

関川: 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を
優先させるようですから。‥‥

古田: 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。当然、
それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。

櫻井: それは韓国の大学の歴史研究者ですか。

古田: イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、
みなこれですから。要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という命題が実証
不可能なんです。この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想にほかなりません。

櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」


(文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69〜70頁)
490日本@名無史さん:2007/09/06(木) 07:18:16
半島の学会が「まともなこと」言い始めたら
かえってこまる。いまのままでよい。
マスコミは時々正論書いてるけど、半島では無視されるなあ。
例のナントカ幹細胞のときも、ウソップ教授に疑問を呈した
テレビがあったけど。
491日本@名無史さん:2007/09/19(水) 19:23:05
末松保和以降ひたすら退化し続ける日朝古代史
492日本@名無史さん:2007/10/12(金) 01:07:33
【大和に想う】「任那の滅亡」で失ったもの 八木荘司
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/88984/
493日本@名無史さん:2007/10/17(水) 21:20:16
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
494日本@名無史さん:2007/10/18(木) 00:02:29
>>493
片思いの娘にコクる前に 口臭なおせよーwww
495日本@名無史さん:2007/10/18(木) 00:13:17
と、生まれてこの方女に触ったこともない童貞チョンはわめいていますww
496日本@名無史さん:2007/10/23(火) 01:27:41
【大和に想う】古代の海外出兵と兵制のなぞ
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/92829/
八木さんは控えめだがはっきり言うと
教科書に古代の海外征討の記録が出ないのは、
任那関連で半島人におもねて隠してるから。
497日本@名無史さん:2007/10/31(水) 19:33:24
なーんで、ここまで証拠が揃っているのに否定しようとするのかねー?
むしろ、チョンなら、こう言うべきではないのかな?

「日帝の支配で文化が破壊された! たくさんの慰安婦が拉致された! 謝罪と賠償を!」
498日本@名無史さん:2007/11/11(日) 14:46:12
任那って、”那の国に任せた”場所ってことでしょ?
そしたら、今の福岡の一部ってことじゃん。

任那日本府って、太宰府みたいなものだから、
結局、当時大和朝廷支配下にあった九州北部と一緒で
半島の一部も日本の支配下にあったことだな。
499コピペしなさいよ:2007/11/11(日) 17:40:20
■洪潤基氏の「天皇は韓神を祭る」の説
 http://toron.pepper.jp/jp/kodai/kigen/koujyunki.html

「天皇家に韓国語が伝わっている」と主張しているのが、洪潤基氏(韓国外国語大講師)だ。
(中略・・・)
 洪潤基氏の「学説」の特異な点は、日本の天皇家が「韓神」という神を祀っており、神前で奏上される祝詞が
韓国語であるという点である。

 日本の天皇は「韓神」すなわち韓国神の霊魂を祀って祭祀を行ってきた。
 日本の天皇は、彼らが住んでいる皇居で、韓神と園神など韓国神を祖先として祭り、毎年の新嘗祭という宮中行事を
秋の取り入れの後に挙行してきたのである。彼らは、言うまでもなく韓国人であった。

【園神・韓神とは何か?】
 この洪潤基という人物はバカですかね。日本の皇室は、朝鮮・韓国とは何も関係が無いのに、無理やり関連付けようと
していますよ。
 あのですね。園神(そのかみ)というのは、『曽の神』のことなんですよ。これはクマソの神、クマソの鎮守神なんですよ。
韓神(からかみ)というのは加羅神のことなんですね。日本領=カラの鎮守神なんです。朝鮮人と朝鮮は関係ない。
 つまり、クマソとカラは、上代から政治的動乱が多発していた地方であり、ヤマト朝廷にとっては頭痛の種だった。
 天皇家は、クマソとカラが政治的に不安定で、常に動乱が絶えないのは、これらの国の鎮守神が朝廷に対して不満を
持っているためだろう、と考えていた。
 だから、これらの地域の鎮守神の怒りを鎮めるために、『曽の神』と『加羅神』を宮中で祭っていた。
園神と韓神は、奈良時代までは宮中で祭られていたが、平安時代に入ると祭られなくなった。それは奈良時代に日本領=韓が
失われたからであり、その結果、兵隊として韓に送られていたクマソ人(九州人)も半島へ派兵されることがなくなり、
クマソの反乱もおさまり、九州も政治的に安定したためなのだ。
 園神と韓神は、ひじょうに政治的な動機で祭られた神なのである。

 そういうことなのです。朝鮮・韓国は何も関係ないんです。勘違いしないでください。
お願いしますよ。
500日本@名無史さん:2007/11/11(日) 21:08:02
めんどくさいからコピペ

古代の話を
知ってか知らずか現代の視点に置き換えて
グダグダ言うヤツ
お隣さんのお家芸
501日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:21:41
【韓国歴史】 「国史教科書、任那日本府説の根拠に悪用されるかも」〜北東アジア歴史財団学術大会[11/16]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1195228118/
ソース:聨合ニュース(韓国語)
<"国史教科で任那日本府説根拠されるかも">北東アジア歴史財団学術大会で指摘
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/11/16/0200000000AKR20071116185000005.HTML

>新羅と争う勢力が「倭を主軸とする伽揶」という
>誤解を生むかもしれないということだ。

「倭を主軸とする伽揶」←これが誤解じゃなくて、正解に近いだろ。

それにしても相変わらず日本語版には任那の記事を載せない韓国メディア。
載せたら嘘がバレルから。
502日本@名無史さん:2007/11/18(日) 00:36:13
古代朝鮮半島では、日本人が我が物顔で朝鮮人を蹴散らして居た。
503日本@名無史さん:2007/11/18(日) 16:11:46
韓国人の歴史観と日本書紀

韓国人は民族的自尊心を満たすための歴史観を作り上げ、歴史的事実よりもこれを優先する。
     ↓
そのため、まず先に「任那はあってはならない」ということを神聖不可侵の命題として掲げる。
     ↓
命題達成のために不都合なものは排除しなければならない。
     ↓
任那について書かれてある日本書紀は“問題が多い史料”に仕立て上げ、その価値を貶める。

さらには、任那を語るのは「軍国主義」「右翼」「再び韓国を侵略しようとしている」といった
政治的批判を浴びせ、政治的圧力を加え、自身に都合のいいように歴史を改竄しようとする。

こうした韓国人の姿勢には歴史的事実を真摯に解明しようとする意図は皆無である。
504日本@名無史さん:2007/11/18(日) 16:12:46
韓国人は日本書紀を“問題が多い史料”に仕立て上げ、その価値を貶めている。
ただし
「半島を通じて日本に文化がもたらされた」といった事は自慢タラタラと書きまくる。
しかし、こういった記述は半島の史料には一切無く、
日本書紀などの日本側史料にのみ記述されているのだ。

例えば日本書紀によると
神功皇后の時代、荒田別(アラタワケ)等を将軍として派遣し、任那を平定。
その後、この荒田別が百済から王仁を連れてきて典籍等が日本にもたらされたとある。
韓国ではこの日本書紀の記述を根拠に「韓国が日本に先進文化をおしえてあげた」と悦に入っている反面、
神功皇后の時代、この荒田別が任那を平定した部分については抹殺しようとしている。
どちらも同じ荒田別の業績にも係わらずだ。
505日本@名無史さん:2007/11/18(日) 18:35:08
韓国なんてそんなモンだよ。
低能国。
506日本@名無史さん:2007/11/19(月) 00:16:39
「韓国の前方後円墳は倭人の墳墓」
ttp://www.chosunonline.com/article/20071118000001

>西暦4世紀中盤、百済・近肖古王代に日本へ伝わった七支刀がよい例だ。
>全く同じ銘文を巡り、韓国の学者は「倭王に下賜したもの」と読み、

日本書紀に百済が献上したって書いてるだろ。
三国史記読んでも、百済・新羅、が倭に人質を送ってる状況だぞ。
新羅に至っては首都まで倭に攻め込まれてるじゃないか。
三国史記でも広開土王碑でも両方だ。
この状況で「百済王が倭王に下賜」なんて有り得ない。
507日本@名無史さん:2007/11/19(月) 14:12:44
「神功皇后は実在した」には七支刀は369年に百済で造られ、372年に倭王(応神天皇)におくられたとあり、
紀では神功52年のことだとあります。しかし372年は神功32,33年にあたります。
これは紀の編者が外国資料の372年に贈与の記事をうごかさず、神功紀の年代を操作したからです。
ですから七支刀は372年に百済から応神天皇に贈られ、それは神功32,33年のことであるとなります。
508日本@名無史さん:2007/11/19(月) 16:31:09
厳密な年代に拘ってもなあ
509日本@名無史さん:2007/11/19(月) 16:34:13
けどそれが歴史学なのです。
510日本@名無史さん:2007/11/20(火) 07:11:20
東北工程

                         ∧∧        
ニダニダニダニダニダ ∧__∧  ≡○⊂≡ /中 \シナシナシナシナシナシナ
ニダニダニダニダニダ <;`Д´>≡ ○⊂ ≡(`ハ´; )シナシナシナシナシナシナ
ニダニダニダニダニダ( 三≡○ ≡○⊂≡⊂≡三 | シナシナシナシナシナシナ
ニダニダニダニタ ニダ…  Y  ≡○⊂≡   Y  人 シナシナシナシナシナシナ…
           レ(_フ          (_) し  

511日本@名無史さん:2007/11/23(金) 17:50:27
>>506
それ、ソースの先を読んだら
なんとかして、前方後円墳の開始時期を遅らせようと必死な感じだなw
ちょっと前までは、完全に否定していたのに。
512日本@名無史さん:2007/11/24(土) 18:16:22
今度は>>463の雁洞古墳から出土した甲冑は
倭式ではなく百済式ニダ!らしいぞ。

http://www.chosunonline.com/article/20071123000032
513日本@名無史さん:2007/11/25(日) 00:22:24
捏造し放題
514日本@名無史さん:2007/11/25(日) 04:14:13
>>512
>大田大のイ・ハンサン教授(考古学)は、「日本で出土している同様の形態
>の遺物は、5世紀中盤以降のものであり、雁洞古墳の出土品より新しい。

雁洞古墳は5世紀前半だな

だが日本では↓
>鉄製の短甲は4世紀代の古墳から出土し始めますが
ttp://museum.city.fukuoka.jp/jg/html/65/65_06.htm

この連中の思考パターン
   ↓
「まず始めに任那否定ありき」
   ↓
「ここは倭の支配下ではなかったことにしよう!」
   ↓
「百済の支配下にあったことにしよう!」
   ↓
「甲冑を百済製ってことにしよう!」

もう無茶苦茶。
515日本@名無史さん:2007/11/25(日) 04:30:10
任那を唱える事さえ認めずに
「まず始めに任那否定ありき」

このような偏向した状況では
真実を追究する機会は失われ
嘘と歪曲しか生まれてこない。
516日本@名無史さん:2007/11/25(日) 04:50:52
ttp://db.yamahaku.pref.yamaguchi.lg.jp/script/detail.php?no=553
>鉄製の鎧(甲冑)は、わが国では古墳時代の前期(4世紀)に登場します。
517日本@名無史さん:2007/11/26(月) 05:45:25
日本人の多くが思い始めている。
朝鮮半島を中国から独立させたのは間違いだったと。

古代史論争では、完全に
日本・中国VS朝鮮半島だからな。
518F.C.:2007/12/04(火) 00:57:09
すんません、朝鮮人に言わせると、”未開な倭人が半島に領地を持ったなんてとんでもない”
と任那がまるでイスラエルのように侵略され切り取られた領土であるかのように言いますが、
任那が部族連合であったことから自然に考えると、最初から半島に倭人はいたのではないですか?

倭人のルーツが黒潮に乗った海洋民族(あるいは中国系)とすると、流れ着いた当初から半島南部と北九州は交易が出来たように思えるのです。
つまり、戦争によって明確になる”国家”ではなく、同じ血縁のものが交流する範囲という意味での倭人の国、というのは百済新羅任那西日本と、すべてまたがっていた。

そして半島で戦争によって国家と民族の範囲が明確になり、任那も国家になっていく。当然日本もです。
この時点では大和朝廷は近畿あるいは北九州に拠点を置いているため、やはり任那とは別個の勢力であったことがうかがえます。

しかし本来対等であった同族国家任那は百済と新羅に押され衰退していきます。
そうすれば頼るのは?百済ではなく同族である大和朝廷です。
そうして任那は大和朝廷に吸収される。


このような考え方は上でも少々見かけますが、学会的には多数なのでしょうか?
天皇家、天孫神話ともからみ微妙なので質問してみました。
519日本@名無史さん:2007/12/04(火) 06:05:06
>>518
統一した学会なんてないけど
一般的には、倭がこの時代に、朝鮮半島南部の権益を
獲得していたことは、学界でも広く認められているよ。
教科書にもそういうふうに記載されている。
任那日本府という名称がないだけで、
6世紀前半に、倭は朝鮮半島南部における勢力を後退させたと
明確に記載されているし
資料集を見たら、そういう記載をいやごうなく見てしまう。
520日本@名無史さん:2007/12/04(火) 07:42:22
大宝令で朝鮮を藩国と決めたからその根拠を説明するためにでっち上げたのが
神宮皇后と任那日本府だ。
521520:2007/12/04(火) 07:43:31
「神功皇后」に訂正
522日本@名無史さん:2007/12/05(水) 01:42:50
>>520
>大宝令で朝鮮を藩国と決めたからその根拠を説明するためにでっち上げたのが
>神宮皇后と任那日本府だ。

kwsk
何を主張されてるのか
大宝令に藩国?なんて規定はない
523日本@名無史さん:2007/12/06(木) 06:48:07
520はネタだろ?
524日本@名無史さん:2007/12/06(木) 17:50:15
朝鮮人に言わせると、三国史記にある新羅や百済が倭に送った「質」は
日本を治める地方司令官らしい。じゃあ同じく高句麗に送った「質」も
司令官なのかと尋ねればガン無視w
とにかく日本が半島支配していたという史実はどんな確実な証拠が出ようと
未来永劫認めることはないだろう。
日韓併合も100年後の教科書は「我が国が日本を巧みに利用して大戦を乗り切った」
と記述になってるはず。
525日本@名無史さん:2007/12/06(木) 19:17:09
任那日本府は実在しませんでした。

九州(倭)王朝府はありましたが、なにか?



526日本@名無史さん:2007/12/06(木) 19:20:16

本州も四国も九州の植民地です。
527日本@名無史さん:2007/12/06(木) 19:24:12

日本の上流階級は九州出身かその出自の人間で占められています。
528唐松山:2007/12/06(木) 20:16:24
迷想中
古事記の干支が 本物であったら
西暦273年 癸巳 神功元年,日蝕
西暦293年 癸丑 仁徳 誕生
西暦296年 丙辰 應神元年
西暦300年 庚申 新羅 倭国と国使を交換
西暦312年 壬申 新羅 倭国が王子の花嫁を求めこれに応ず
同年       百済 獻七枝刀一口
西暦315年 乙亥 百濟肖古王薨
西暦326年 丙戌 神功 六十六年 【是年 晋武帝泰初二年 (西暦266 丙戌)
西暦329年 己丑 神功崩御
西暦334年 甲午 応神崩御 ここから古事記の干支
西暦367年 丁卯 仁徳崩御
西暦429年 己巳 雄略 崩御
西暦527年 丁未 継体天皇

継体の 時代が 1世代繰り上がってしまった。 でも継体治世27年位とすると
西暦501年 面白いかも。

百済が倭に送った「質」は  最新の物で 百済人も未だ 自分の物としていない

漢字も 百済に入ってから 10年位で 日本に入っている。
529日本@名無史さん:2007/12/06(木) 21:33:56

おまいらw
九州及び朝鮮半島南部を倭国と言ったんだぞ。
憶えておけww
530日本@名無史さん:2007/12/06(木) 21:36:34

おまいらw

九州及び朝鮮半島南部を倭国といったんだぞ。
憶えておけww


531日本@名無史さん:2007/12/06(木) 21:38:55
>>530
日本=倭でしょ
朝鮮南部にも倭の勢力圏があったんでしょ?
九州だけなのはなんで?
532日本@名無史さん:2007/12/07(金) 17:20:53
>>531
本州・四国は未開の地だろw
533美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/12/07(金) 20:14:30
>>530
それは有り得なく無い話な気がする
534日本@名無史さん:2007/12/07(金) 20:22:57
>>530は国家としての倭
>>531は地域としての倭を言ってるんだから並立できるだろ

535日本@名無史さん:2007/12/07(金) 20:52:54
古代は史料が少ない分妄想家が沸きすぎて面白くないね
536日本@名無史さん:2007/12/07(金) 21:18:57

白村江の敗戦は倭国版レコンキスタの失敗だろw




537日本@名無史さん:2007/12/08(土) 13:34:43
一時期、渤海とタッグ組んで新羅挟撃計画とかもあったんだよな。
538日本@名無史さん:2007/12/18(火) 00:15:35
>>506
【日韓歴史】 昔は韓国が日本に与えてばかりだったって?〜朴天秀著『新しく書く古代韓日交渉史』[12/14]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1197814818/
539日本@名無史さん:2007/12/18(火) 20:01:59
>>538
うわぁ!まともなこといってると韓国の場合豚箱逝きなのにw
540日本@名無史さん:2007/12/18(火) 21:21:46
秀吉の朝鮮出兵も明治の韓国併合も全てレコンキスタです。(いやマジ)
541日本@名無史さん:2007/12/19(水) 01:22:55
>>540
元はと言えば神功皇后による侵略行為です。
542美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/12/19(水) 03:56:09
>>541
その時代は漢半島と言って漢民族の曾褒里の漢城で漢王朝が収めてた時代です
朝鮮人はこの時代にはまだ漢半島に住んでませんよ
漢半島を朝鮮人が統治したのは明国の属国として統治した李氏朝鮮王朝が最初
400年ぐらい前から朝鮮人が統治して住んでるだけ
543日本@名無史さん:2007/12/19(水) 04:35:55
任那日本府というと仰々しいけど、単に朝鮮の港に掘っ立て小屋一つ
建っていたと考えれば良いのではないですか。今でも何とか営業所って
いうと雑居ビルの一部屋だったりするわけで。別に国とか書いてあるわ
けではないでしょ。もっとも国だったとしても100人ぐらいの集落
でも国だし、それぐらいの規模の日本人集落が朝鮮の港にあっても
そんなおかしなことでは無いと思うけど。
544美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2007/12/19(水) 04:54:44
>>543
任那も百済も新羅も高句羅も加那も倭人が統治してた国だってば

そもそも、その時代に漢半島には朝鮮人なんていないよ
545日本@名無史さん:2007/12/19(水) 08:55:42
×漢半島
○東支那半島
546日本@名無史さん:2007/12/21(金) 00:55:15
>>543
中世の「倭館」と、イメージがごっちゃになってないか?
547日本@名無史さん:2007/12/23(日) 09:55:31
日本府を完全に切り捨てる山川出版の教科書を、誰か正常化させてくれ
548日本@名無史さん:2007/12/23(日) 11:12:52
任那日本府

任那日本府(みまなにほんふ、やまとのみこともち)とは、古代、朝鮮半島南部の任那にあったとされる
大和政権の統治機関である。その実態については諸説あり、韓国の学者をはじめとして日本国内においても
架空のものであるとされることもある。

しかし、『日本書紀』をはじめ、中国や朝鮮の史書にも朝鮮半島での倭の活躍が書かれていること、
倭が新羅や百済を臣民とした等と書かれている『広開土王碑』の改竄が否定されたこと、またいくつもの倭独特の
前方後円墳が朝鮮半島で発見され始めたこと、そして新羅・百済・伽耶の勢力圏内で日本産のヒスイ製勾玉が
大量に出土(高句麗の旧領では稀)したこと等により、近年では少なくとも伽耶地域の一部への倭人の集住を
認める論考が相次いで出され、倭人等のヤマト朝廷と深い関連を持つ集団(ヤマト朝廷から派遣された官吏や軍人、
ヤマト朝廷に臣従した在地豪族)が伽耶地域において一定の軍事的影響力および経済的利権を有していたことに
ついてはほぼ確実視されるようになっている。

これらの倭系豪族と日本府との関係には諸説あり、組織としての民政統治については疑問も出されている。
なお、任那日本府の称は、国号が日本と定まった後世に呼称されるようになったものであり、任那日本府が存在したと
される時代にあっては、倭府と称したとみる向きもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BA%9C
549日本@名無史さん:2007/12/27(木) 02:42:54
任那もな

【韓国】 「韓国の歴史学はイデオロギーに左右され過ぎ」 [12/26]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1198657454/
550:2007/12/27(木) 02:44:22
551日本@名無史さん:2007/12/27(木) 19:30:18
★★小泉純一郎と安倍晋三は朝鮮人★★
コピペして各板に貼り付けよう 知人にも話そう
小泉純一郎 
・戦前大臣を務めた祖父小泉又次郎は純粋な日本人とされる。だが、純一郎の帰化朝鮮人である父が鮫島姓を買い取り
 又次郎の娘をたぶらかして婿として小泉家に入る そこで小泉家は帰化朝鮮人である純一郎の父に乗っ取られた
 参照http://    上下くっつけて
  ja.wikipedia.org
  /wiki/%E5%B0%8F
  %E6%B3%89%E7%B4
  %94%E4%B9%9F
・父親の純也は、鹿児島東加世田の朝鮮部落の出身者といわれる 日大卒業名簿には、純也の日本名はなく、
 見知らぬ朝鮮名が書かれているという  
 純也は朝鮮人の帰国事業、地上の楽園計画の初代会長であった
・結婚後、子供をもうけ即離婚した宮本佳代子は在日企業エスエス製薬創業者の孫
・小泉の元秘書官の名前は飯島勲←注目 帰化朝鮮人
・派閥のドン森喜朗も生粋の朝鮮人 ←森も帰化人がよく使う通名
・小泉は、横須賀のヤクザ、稲川会と関係が深い
安倍晋三
・岸家 毛利元就が陶晴賢と厳島沖で戦い大勝を収めた際、寝返って毛利方についた船の
 調達人が「ガン」と称する帰化人であったという 毛利はその功績によって「ガン」を
 田布施周辺の代官に召したてた このガンを岸家の先祖とする説がある
・祖父岸信介が文鮮明と共に 反共団体 国際勝共連合(統一教会)を設立
・官房長官時代統一教会「合同結婚式」に祝電を送り、話題に
・安倍のスポンサーは、下関の朝鮮人パチンコ業者である
・グリコ森永事件時、明らかになった帰化朝鮮人企業森永のご令嬢と結婚
・そのわが国のファーストレディーは電通(会長成田豊、半島生まれの帰化人)勤務という分かりやすい
 経歴の持ち主の朝鮮の血筋
・韓国、中国の留学生に日本の企業に入ってもらうために住居費分、学費免除分、生活費など月計20万〜30万円相当の支給
 日本人のワーキングプア層を全く省みない また帰化系在日系朝鮮人が日本の企業で技術を盗み、半島の現代などの企業に
 伝授していることが深刻な問題になっている 
・多くの朝鮮人が差別を主張し、警察、原発、自衛隊で職を得ている
552日本@名無史さん:2007/12/28(金) 02:27:02
>>539
>うわぁ!まともなこといってると

原文を自分で読む習慣をつけろ。
たとえ(韓国語)であったとしても機械翻訳を使ってだ。
訳されてる部分だけ見るとまともに見えるが
任那日本府を完全に否定してるぞ。
まあ、これでもあの国の中ではまだマシなほうなんだろうけどな。
553日本@名無史さん:2007/12/28(金) 10:24:00
高句麗、新羅、百済がそれぞれ言葉が異なっていたとしたら倭だけが別扱いされる理由は
ない。半島諸国と倭の対立などなかった。三国時代は倭を加えた四国時代だ。倭(日本)が
半島から撤退し、半島が新羅に統一されて、半島と倭(日本)の対立が確定する。
554唐松山:2007/12/28(金) 13:24:15
百済本記に 日本が出てこないのは,
西暦272年 神功渡海時に 倭が 現地人を使って建てた国だから
任那は 渡海した 倭人の支配地

敵対するのは,新羅だけ
555唐松山:2007/12/28(金) 14:04:48
百済は,楽浪、帯方郡と倭の中間地点
楽浪、帯方郡と倭の貿易中継基地で在ったが魏の滅亡により 存続の窮地に立たされる
こんな時期に 神功渡海 倭を受け入れるか 敵対するか 2者択一

百済は 倭を受け容れ 支那と倭の交易を司る
倭に朝貢とは 百済にとって 交易品の倭に対する引き渡しでしかない 

倭に入ってきたものは 支那の文物であり 百済の物ではない。
556唐松山:2007/12/28(金) 14:09:25
設定を 60年下げたら 受け容れられない 説です。

557日本@名無史さん:2008/01/02(水) 12:47:54
>>9
「鉄」と「馬」が、鍵らしいね。
3 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2001/07/02(月) 07:50
 ・・・古代の両者を結ぶキーワードは、第一に「鉄」だ。劣等は弥生時代後期(1〜2世紀ごろ)には鉄器時代に入っている。
 しかし、当時はもちろん、少なくとも古墳時代の5世紀までは、確実な製鉄の跡が国内にはない。列島の鉄は加耶地域に
 当たる半島の東南部から入手していたのだ。
 双方の地で全く同じ鉄てい(鉄の延べ板)が出土していることからも裏付けられる。
 問題は、日本列島のどの勢力がこの鉄を手に入れたかだ。
 「弥生時代の終わりから、後の大和政権につながる広域の政治連合ができてくる。その契機は朝鮮半島の鉄資源の入手ルートを
 めぐる確執ではなかったか」と、国立歴史民族博物館の白石太一郎教授は推測する。列島の政治的統合が進むきっかけは、対半
 島交渉の主導権争いだったというのである。
 鉄資源は初め、玄界灘沿岸の北九州地区が独占してきた。しかし、それより東の勢力もぜひ欲しい。そこで、瀬戸内海沿岸・畿内
 地域の諸国が鉄入手を目的に結束したのが「邪馬台国連合」だと白石教授は見る。そして、3世紀初め、邪馬台国側が北九州勢を
 破ったと推測する。この時期、中国鏡の一つ「画文帯神獣鏡」が急に畿内で増えるのがその根拠という。
 キーワード2は「馬」だ。4世紀末から5世紀初めにかけて高句麗が巨大化し、朝鮮半島を南下した。百済、新羅、加耶諸国は国家
 存亡の危機を迎える。そこで、百済は倭に援助を求める道を選んだ。倭自身も、鉄という最重要資源を依存する地域の紛争である
 以上、積極的に関与していった。
 この時、高句麗の強力な騎馬軍団と戦うため、馬の生産や飼育、馬具の製作技術などの馬文化が列島に初めて導入された。百済の
 援助の下、国家的事業といえる規模で行われたらしい。さらに、窯で焼く硬質の陶器である須恵器の製法、鉄製品の高度な加工技術、
 メッキや象眼の技法も伝えられ、文字の使用が本格化したのもこの時期だという。倭が一気に文明化・・・
 2001年7月1日毎日新聞朝刊深読み日本史
★任那日本府説ついに決着!!★
http://mentai.2ch.net/history/kako/994/994026593.html
558唐松山:2008/01/03(木) 14:58:43
鉄の輸入に係わったのは、 海人熊襲
鉄の輸入が暫時増えるのが 邪馬台国時代
鉄の配分権が 熊襲にあれば 鉄の最終消費者 邪馬台国や大和は困るわけで
熊襲征伐となる
最終的には 輸入も自分で仕切る=神功
559日本@名無史さん:2008/01/11(金) 19:02:52
そういえば釜山あたりで見つかった伽耶でも新羅でもない祭祀施設はどうなったんだろ。
ttp://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LPOD&mid=etc&oid=001&aid=0001648660
詳細知ってる人いますか?
560日本@名無史さん:2008/01/17(木) 15:31:40
任那否定もそうだけど、極度に政治的なんだよな。この国の歴史学は。

【韓国/コラム】実在の人物となった”檀君”・・・戦犯英雄視の日本や中国の歴史歪曲へ効果期待[01/16]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1200482792/1-4
561唐松山:2008/01/21(月) 21:50:46
神功渡海が 西暦272年なら
任那の 古墳は 倭人の墓。
562siraki:2008/01/21(月) 22:00:12
太陽が浮び上がる 伊勢の伝説の手始め...

天材 siraki 伊勢 突破!!!

http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=99367
563日本@名無史さん:2008/01/22(火) 16:05:04
車騎将軍 高句麗
  ↓
鎮東将軍 百済
  ↓
安東将軍 倭
564siraki:2008/01/22(火) 17:35:40
565日本@名無史さん:2008/01/24(木) 00:15:40
>>548
『広開土王碑』の改竄って否定されたんだ。中学から今までずっと真実だと
思っていた。浅はかでした。
566日本@名無史さん:2008/01/24(木) 02:20:39
東城王は家臣達に任那の地名を冠した将軍号を南朝に求めたんだよな
567日本@名無史さん:2008/01/25(金) 01:28:59
>>566
kwsk
568日本@名無史さん:2008/01/28(月) 22:18:35
>>565
任那日本府って今の若い衆は日本書紀の捏造だと思ってるのかの
569日本@名無史さん:2008/03/13(木) 21:24:41

神功皇后以来100年以上に渡って行われた侵略を真摯に謝罪します。
570日本@名無史さん:2008/03/17(月) 02:17:07
>>563
高句麗の官位が高いのは朝貢を始めた時期が早いから。
年功にあがっていくから、後から参入した倭王が低いだけ。
478年以降も続けていれば倭王も高句麗と同じところまであがったろう。
それやめちゃったのはまた別な理由があったわけだが。
571日本@名無史さん:2008/03/17(月) 03:06:47
おいおい高句麗よりも百済のが早いだろ
572日本@名無史さん:2008/03/17(月) 18:10:32
>>529
それは邪馬台国の支配範囲(30ヶ国)、倭國はもっと広い百余國だろ。
573日本@名無史さん:2008/04/24(木) 14:42:17
前方後円墳のウリナラ起源を唱えてたころは、
半島で前方後円墳が次々と見つかったのに
ウリナラ起源の可能性が無くなった途端に
もう前方後円墳が見つからなくなる不思議。
574唐松山:2008/04/26(土) 12:15:55
”檀君”も 名前からして 中国人
教科書から消える日も遠くない。

このごろ MR−1遺伝子の書き込みが多いから 半島の稲作を見つけようと思っているが
日本より古い物が出てこない、 判る方 書き込みよろしく。
575日本@名無史さん:2008/04/28(月) 03:06:47
>>498
>半島の一部も日本の支配下にあったことだな。

任那日本府説はそれを認めるのが嫌な韓国と
サヨク学者に潰されたってことでいいの?
576日本@名無史さん:2008/04/29(火) 00:42:54
>>575
また妄想を
577日本@名無史さん:2008/04/29(火) 00:47:58
>>575

学術的にそうなるってのがわかっていたが、朝鮮人と脳内お花畑のバカ研究者が
抵抗してたってこと。
578日本@名無史さん:2008/04/29(火) 01:50:18
>>577
またまた妄想を
579日本@名無史さん:2008/04/29(火) 03:01:06
魏志東夷伝に出てくる大同江沿岸にあった弥烏邪馬国という国名はどう見て
も邪馬台国の分国だろう。

 倭人が半島南部にまで進出していた証拠だ。
580美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/04/29(火) 04:03:41
弥烏邪馬國・邪馬國
邪馬台國・邪馬壹國


つか同じ國な気がするけどな
どちらも倭人の國だし
581日本@名無史さん:2008/04/29(火) 04:34:46
>>579
それは間違い。

倭人が半島南部にまで進出していたのではなく
半島南部および九州が倭国であった。
任那・百済を失って後のレコンキスタが白村江の戦い。
白村江の敗戦の後の唐進駐軍の占領から逃れた大津亡命政権の内紛が壬申の乱。
唐・新羅の支持を得た大海人皇子が勝利し天武天皇となる。
日本独立の条件として唐より国法として律令の制定を求められる。

まあアメリカ占領下での日本国憲法制定と同じですわ。

582581:2008/04/29(火) 05:53:25
なぜ壬申の乱は短期決戦で行われたか?

当時、倭国の都があった大宰府は大唐帝国の進駐軍に占領され、倭国亡命政権は
大津京に東遷していた。

天智天皇亡き後(誘拐暗殺の可能性)天智朝の存続を認めない唐は天智の弟とされる
大海人皇子を利用することにした。
それは大津政権内で内紛を起こし新政権を樹立させることだった。
長期戦になれば混乱をきたし占領統治が困難になる。
クーデターは短期決戦が条件であった。

大宰府の大唐帝国占領軍と意を通じ 北九州の大豪族宗像氏を妃の実家に持つ大海人皇子は
西国諸勢力・瀬戸内水軍を手中に収め、用意周到に決起したのである。

大海人皇子と大津亡命政権の勝敗は既に決していた感がある。
が、しかし短期で戦を収束させるにはその帰趨は東国及び北陸の情勢によるところとなる。
大海人皇子方は吉野で挙兵すると同時に二正面作戦をとることにした。
摂津方面の西国との遮断を目的とした西部戦線、伊勢・美濃・尾張の東国の兵力確保を目的とした
不破の関方面の東部戦線である。

関ヶ原付近での戦闘に勝利した大海人皇子方は琵琶湖東岸および湖上交通も押え大津京側と北陸の遮断に成功する。
西部戦線とも呼応し大津京側を完全に包囲し挙兵からひと月足らずで滅亡させてしまうのである。

天皇に即位した大海人皇子は大唐帝国の期待に答え内政改革を断行し律令制を導入したのである。
新国家に生まれ変わったのを確認して大唐帝国の占領軍は撤収したのである。


太平洋戦争の敗戦・米軍占領統治・日本国憲法の制定からバブル崩壊後のハゲタカ・ファンドの企業買収
小泉・竹中改悪による郵政民営化がまさにこれやね。

583美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/04/29(火) 06:56:23
>>581
そもそも新羅と百済って倭人(日本人)が納めてた国だよ

584日本@名無史さん:2008/04/29(火) 06:57:45
肖古王に仮託され古い時代設定にされているが
南馬韓の倭人が駆逐されたのは聖明王の時期でーす
585581:2008/04/29(火) 07:00:21
わからん奴だなー
だから倭国と言ってるだろうに。
586581:2008/04/29(火) 07:57:20
新羅と百済は国というより倭国の衛星国。

民族移動でワイ族が倭国領内に流入。ということ
587581:2008/04/29(火) 08:11:31
鉄器がそれを証明している。

倭国の製鉄基地は半島南部。ようするに国内で生産されていたわけだから
九州および列島内で生産する必要はない。

半島南部を失ってから国内自給のため製鉄基地が中国地方に移された。

国力のバロメーターである鉄器を外国からの輸入で賄われたとする既存の学説は空論。
588唐松山:2008/04/29(火) 10:55:11
>鉄器を外国からの輸入で賄われた
これは 半島人を鼓舞するために 作られた定説。
とんでもない自説を主張する輩が増えた今 正しい歴史認識に発つ必要がある。
正しい歴史
ホ34002       ミマキのミヨミマナのアヤ より
 ツノひとつ あるヒトこゝに たゝよえり‥ ワレはカラクニ キミのミコ‥ 
 ヰトセにたまふ ナはミマナ カゾミネニシキ クニツトに かえるアラシト ミマナクニ これタチソメぞ
 シラキのアダに
 おさめゑず ホコをたづねて タミいきず トミねがわくは クニむけの オシをこふのみ‥
 ミコトのり シホノリヒコを ミマナオシ
 ムソヰホフヅキ ミマナクニ ソナカシチして ミツギなす

つまり 西暦200年頃 崇神時代 ツノガアラシトと共に 渡海 任那国を建国
西暦265年魏が滅び 半島は、独立の時代になる
西暦273年神功元年日食
280年代より 新羅に出兵。
589581:2008/04/29(火) 11:01:48
>>588
俺の言ってる通りだろ。
590日本@名無史さん:2008/04/29(火) 11:18:48

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
591581:2008/04/29(火) 11:28:02
>>590
コピペして何が言いたいんだ?
592日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:01:59
ばか?
593日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:21:11
任名・百済は倭の領土だろ。
594日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:31:29
>>593
訂正→任那。
595唐松山:2008/04/29(火) 14:29:47
>590 の言わんとするところは、 「半島の学者は、能なしだ」と言いたいらしい。
遺伝子を判りやすく説明すると 人間の血液型に相当する、
一度入った血液型を抜くことは出来ない、 こんな簡単なことも判らないんだ。

 中国の史書には、人肉の膾(なます)とか出てきます。 唐時代には人肉市場も存在しました。
現在も人肉の闇市場がある国です。 日本の歴史に人肉食がないだけで、
中国史書にも朝鮮王朝実録にも記載されていることです。
こんな事をしても 血液型を 抜けると思うか?
596日本@名無史さん:2008/04/29(火) 14:50:53
意味不明
597唐松山:2008/04/29(火) 16:10:23
米は、日本から半島に伝えられた。

これが考古学の見解です。
598日本@名無史さん:2008/04/30(水) 11:21:05
age
599日本@名無史さん:2008/04/30(水) 12:24:37
>>597
米ではなく水耕稲作でしょ。
600美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/04/30(水) 12:44:20
>>597
元々、朝鮮では「五穀は海から来た神によってもたらされた」って神話もあるし

あと日本が百済や新羅を統治したさいに農地を開拓して五穀を伝えたって話もあるし
601唐松山:2008/04/30(水) 22:37:46
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

半島の方は、この様におっしゃているんですが、日本にある (半分以上を占める)遺伝子が半島からでないのですよ
半島にある最も古い 水田遺跡も 半島南端にある 此処で作られた稲作が日本に伝わるためには、
RM1-b遺伝子が 半島で見つからなければ、ならない。

599さんのように訂正
畑作として 別の遺伝子を持った稲が 半島経由で伝わった可能性までは、否定しません。
ただし 日本の焼き畑文化は、照葉樹林文化を色濃く残している。 
北方系焼き畑も多少有るが、神功以降の大量渡来時 ともとれる。

韓国で客をもてなす時冷めた料理を出すのは失礼に当たる、 言い換えれば 冷めたおにぎりを客に
食わすのは 失礼に当たる。=冷めたら食えない代物 ということ。
602日本@名無史さん:2008/04/30(水) 22:46:03
>>601
RM1-b遺伝子稲作さんの正体は唐松山さん?


603唐松山:2008/05/01(木) 00:45:03
まっとうな話の出来ないときも、名乗ってる。
 
604唐松山:2008/05/02(金) 16:33:07
弥生時代 情勢図
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/g01.files/12/ad50jousei.gif

半島南部は、九州より渡った 倭人の土地
時代が下って 北方民族の南下 現在の韓国人となる。
605サガミハラハラ:2008/05/02(金) 16:41:46
>>604国譲りの年代をAD50年としているのは私と同じですね。
606唐松山:2008/05/03(土) 19:53:04
私の紀年は、古伝妄信の初めから読んで下さい。
昨日は、書記、古事記を合体させました。
サガミハラハラさんにも是非 議論に加わっていただきたい。


崇神6年秋 大国魂の国譲り。
607日本@名無史さん:2008/05/26(月) 01:14:37
【韓国歴史】 高句麗・広開土大王碑の複製建立「高句麗の気象、雄飛せよ」〜日本が歪曲した碑文は?[05/24]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1211640893/
【日韓歴史】歪曲だらけ日本の教科書〜韓国無視・歴史歪曲内容、古代から近現代まで網羅[05/23]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1211550422/
608日本@名無史さん:2008/06/03(火) 06:59:07
>>13
中国の正式な国史に何度と無く朝鮮半島南部まで
倭族が住んでいる地域であることは書かれているわけで
つまりその国史がウソを書いてるとか偽書とか言われてるのと同じだから
そんなもん絶対に中国は認めないし、はっきりと白黒付けようとするだろう
日本政府みたいにヌルくないし、韓国朝鮮が国内でそんな主張を広めてる現実も
中国で理解深まれば、宗主国様はそのまま捨て置かないだろね。

つーわけでこの件に関しては、韓国考古学会&政府の恣意的捏造問題を
中国人民に広めたら解決するだろな
(予断だが、政治パワーバランス的に中韓の思想対立を煽ることは日本に利かもしれないな)
609日本@名無史さん:2008/06/03(火) 07:05:23
>>581
進駐軍説は無理があるよ。
そんなの中国の国史がことさらに皇帝の権威を示すため書かないはずがない。
高句麗に新羅にと、朝鮮半島は漢族にとって遠い。しかも任那なんてずっと倭族支配地
さらに遣唐使ですら毎度遭難したりの日本海を不慣れな連中が渡って
勝てるとは思えない。

単に任那失って、最終本土決戦の危機感を持った大和朝廷が遷都して
近代化を進めようとしたということだろう。
つまり薩英戦争に敗れて近代化の必要性を感じ明治維新というのに近いと思う。
610日本@名無史さん:2008/06/03(火) 10:35:28
そもそも任那ってなんで反大和朝廷だったの?
意味分からん
611日本@名無史さん:2008/06/26(木) 08:21:01

皆さん、知らないだろうから教えてあげる。

昔、スサノウが朝鮮に渡って子孫を残してきたんだ。

みんな知ってて言わないだけだよ。

612日本@名無史さん:2008/06/26(木) 10:57:10
記紀神話におけるスサノヲが新羅から戻ってきた件であるが、これは主人公のすり替えであって、子供を連れてもどってきたのは氏名不詳の別人です。
この主人公のすり替えは近い時代でも多くみられる。
たとえば、弘法大使のため池などほうぼうにあるが、すべてが弘法大使がかかわっていたわけではないだろう。
613のんびりひまじん:2008/08/24(日) 17:55:19
近頃、こういうスレ見つけた。今まで知らないなら参考になりましょう。

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1219219817/

614のんびりひまじん:2008/08/24(日) 18:01:13
>>613補足
これって、朝鮮半島の文献でしょう。 安羅倭府 とあります。
http://gall.dcinside.com/list.php?id=history&no=233623&page=1
誰か読む能力者見つけて解読してもらってください。

615日本@名無史さん:2008/09/03(水) 18:23:28
続日本紀のほうには、任那倭宰って書いてあるんだよな。

これは、要するに、大和朝廷が地方を管轄するために置いた役所。
つまり、この時代、半島南部は、
日本が政治的・軍事的に影響力を行使できるようになっていたわけで。

半島南部には一応、数カ国の独立国はあったが
そこに日本軍が駐屯し、それらの国々の内政に干渉するようになっていた。

今で言うところの、在韓日本軍みたいなもん。
616日本@名無史さん:2008/09/18(木) 23:18:38
在任那日本軍と言うより、任那日本大使館みたいなもんだと思う。
当時の任那には倭人が結構いたからね。
617日本@名無史さん:2008/09/18(木) 23:53:34
混血児で構成さられた軍閥では?
618日本@名無史さん:2008/09/19(金) 01:18:40
 古代の関東軍みたいなものではないか?
619日本@名無史さん:2008/09/19(金) 16:48:25
古代日本人 = 倭人 X

古代日本人 = 奴隷 O

倭人 = 南方モンゴロイドを総称

後代に倭=日本列島 倭人=日本人で意味が縮小

http://www.k3.dion.ne.jp/~hougen/essay/e2/2-1.htm

http://enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmything&nid=36026
620日本@名無史さん:2008/09/19(金) 22:37:57
今の所考えている説
・任那日本大使館説
・在任倭人自治組織説
621日本@名無史さん:2008/09/20(土) 14:21:41
  金印>銀印>銅印>泥印  中世の琉球(金メッキ銀印)

日本は古代より金印(公印)>韓国は泥印(公印)銅印(私印)であり
中世の地位は琉球(金メッキ銀印)>朝鮮,銅印(公印)でしたとさ。
哀れ韓国。
http://www.geocities.com/lookeast20022002/wa.html
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfriend&page=13&nid=50586

「倭国」・・「漢委奴国王」・金印
「邪馬台国」・・「親魏倭王」・卑弥呼,金印紫綬
「クシャン朝」・・「親魏大月氏王」・ヴァースデーヴァ(波調)金印紫綬
「雲南,滇王」・・「滇王之印」・金印
「光武帝の子」・・「廣陵王璽」・金印
622日本@名無史さん:2008/09/20(土) 14:23:19

後漢光武帝の建武元年(25年)に復設された制度として、諸侯王には金璽綟綬(きんじれいじゅ)、
公候には金印紫綬、九卿などの中二千石・郡太守などの中二千石・校尉や中郎将などの比二千石には
銀印青綬、以下は銅印黒綬、銅印黄綬が与えられている。

「倭韓遂屬帶方」倭韓は
帯方太守の管轄下にあったはずであるが、太守の銀印青綬より位の高い金印紫綬を卑弥呼は得ており、
「難升米を以て率善中郎將となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮し」ということで、彼等が
同等となり、太守の心境は複雑であったろう。

使いの者と帯方太守が同等とは、倭国の評価がそれだけ高かったと言える。
623日本@名無史さん:2008/09/23(火) 19:35:11
>>620 俺は下記の様に思うが。

漢の時代に有った「真藩郡(後の馬韓マハン?)」「辰王」が治めた藩国(皇帝に従属する藩王の国)
だったのか、「月支国」に居たと云う。後に邑君の蘇馬匙が韓(ハン)侯を名乗る初出。

「辰」とは星の事で「北斗七星の北辰」「星辰信仰の妙見菩薩」メソポタミア地方では
「月神」の事を「シン」って言うし、秦氏は何故か月に絡む月読尊、弓月王、慶州の
半月城も関係有りか「秦韓」。
624日本@名無史さん:2008/09/23(火) 20:02:06
>>623
ごめん北辰は北極星。
北斗七星×
北極星 ○
625日本@名無史さん:2008/09/23(火) 21:27:15
王>侯>邑君

AD30年…旧臨屯郡系の東部都尉を廃し、日本海側7県を放棄、在地の<シ歳>(穢貊)
を侯に任じて統治を委託した(不耐<シ歳>侯、華麗<シ歳>侯、沃沮<シ歳>侯の三侯)。
AD32年…下句麗侯」を「高句麗王」に戻す
AD44年…韓人の蘇馬ィを邑君に任じる(漢廉斯邑君)後の韓侯が、「韓」の初出である。
AD57年…倭人を漢委奴国王に任ずる。王号の初出。
AD107年…安帝の永初元年(107)倭国王(倭面土国王)帥升等、生口160人を献じ請見を願う。
AD238年…卑弥呼を親魏倭王とし、金印紫綬を授けるとともに銅鏡100枚含む莫大な
下賜品を与えた。また、難升米を率善中郎将、牛利を率善校尉とした。
626日本@名無史さん:2008/09/23(火) 23:03:40

蘇馬ィは蘇我氏の先祖か?

辰王は秦氏の先祖か?
627日本@名無史さん:2008/09/24(水) 15:18:46
なに?あげましょうね。
628日本@名無史さん:2008/09/25(木) 00:10:55
韓国の韓(ハン)は藩王の藩(ハン)か中国の漢(ハン)では叱られるし
古代中国の地方王朝名、韓(ハン)ならまあ良いかと蘇馬ィのパクリか。

ちなみに日本の薩摩藩、土佐藩、も幕府の従属藩侯、周王朝の行政のマネらしい。
629日本@名無史さん:2008/09/25(木) 04:45:34
韓氏は中国からの亡命漢人という説がある


六世紀の時点で金氏の始祖は金星漢というのだから
読んで字の如く金星人の可能性もあるらしい…
630日本@名無史さん:2008/09/25(木) 20:40:39

使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国書軍事、安東大将軍、倭国王

任那は半島南部植民地を管理する関東軍指令本部が有った瀋陽旧称は奉天みたいな物か。
631日本@名無史さん:2008/09/27(土) 19:23:15
俺最近このスレで質問した覚えがあるんだが、そのときのレスが見当たらない。
632631:2008/09/27(土) 21:20:35
たしか朝鮮の歴史上有名な人物はほとんどが中国人とか
百済の氏族はすべて外国系とか言ってる人に
詳しく教えてほしいって書き込んだんだけど
そのレスが見当たらない
633日本@名無史さん:2008/09/30(火) 00:00:06
呉=干=汗=藩=韓=倭=干越=呉越、 古代中国では左記の様だな。

魏志鮮卑伝には、「鮮卑王、檀石槐が烏侯秦水までやって来たが、川に魚が見えるのに
捕えることができない。汗人が魚を捕えるのに巧みであると聞き、東方に軍を出して
汗国を討ち、千余家を捕えて烏侯秦水のほとりに移住させ、魚を捕えて食料不足をしのいだ。
今に至るまで、烏侯秦水の付近には汗人数百戸が住んでいる。」という注が見られます。
この汗人は干人(呉人)とも、干(カン)は呉の別表現とされ、呉越は干越と表記されています。

後漢書では、この汗人が倭人に置き換えられているのです。中国、春秋時代の後半、
長江河口部には「呉」という国が栄え、南方の「越」や西方の「楚」 北方の「斉」と激しく対立していました。
長江河口部北方、呉の領域に干という地名が存在したようです。
これは【呉越同舟】で知られる「呉」の国のことです。
634日本@名無史さん:2008/09/30(火) 00:01:59
比干(ひかん、紀元前1092年〜紀元前1029年))は中国殷代の王子。帝辛(紂王)の叔父に当たる。
名は比で、干の国に封じられたので比干と呼ばれる。紂王が暴政を行い、西の周の西伯昌(後の文王)
の勢力が増大していた頃、紂王を諌めたが聞き入れられなかった。周で文王が死んで発(後の武王)
が立つと周の勢力はますます増大し、殷の他の者達は逃げ出してしまったが、比干は「臣下たる者は
命をかけて諫言しなければならない」と紂王に対して諫言をした。しかし紂王はこれを聞かず、
「聖人の心臓には七つの穴が開いているそうだ。」といって比干を殺害した。

その後、紂王は周の武王に討たれ、殷は滅亡した。武王は比干の墓に厚く土盛をして比干に対する
哀悼の念を捧げた。武王が比干の忠烈を称え比干の子の堅に「林」という姓を与えたことにより、
比干は林姓の始祖とされる。
635日本@名無史さん:2008/09/30(火) 11:16:22
>>628 韓(khan)、漢(khan)と藩(fan,ban,pan)では発音が違うだろ。
636日本@名無史さん:2008/10/01(水) 18:58:48
WONDER
古代に遡ってもH音、F音、P音、の音韻は混在していた。
そこでじゃが、ほれ、昔、邪馬 ... 実は、中国人の発音のH音が、日本ではK 音に訛る
ことがあるのじゃ。 海は、日本では"カイ"というが、中国では"ハイ"じゃ。 ...
www115.sakura.ne.jp/~byunbyun/wonder1/wonder01.html - 30k - キャッシュ - 関連ページ
637日本@名無史さん:2008/10/01(水) 19:01:30
P音考

B音の出た清音は決してH音でもなく、F音(ふぁ、ふぃ、ふ、ふぇ、ふぉ)でもない。
つまり、純粋な唇的清音P音でなければならない。 ... しかしか行に発音させられる
理由は、当時の我国にH音がなかったため、これの類似のK音に写したと考えられる。 ...
www.utougi.com/hogen/pon.htm - 8k - キャッシュ - 関連ページ
638日本@名無史さん:2008/10/01(水) 19:12:51
当時の朝鮮半島の情勢、特に百済と倭のベッタリ具合からして任那はあったと考えるのが正常だろうね

639日本@名無史さん:2008/10/01(水) 19:33:17
邪馬台国の時代から朝鮮半島南部には倭地(投馬国)があった。
640日本@名無史さん:2008/10/02(木) 08:09:34
狗邪韓国だろ?
三国史記などでも『狗』の文字は倭を暗示する地名に使われている
641日本@名無史さん:2008/10/02(木) 22:27:50
素人が考えてみた

三韓の時代
半島全域が小国分立
任那は倭人(民族的分類)の小国分立。産鉄により比較的優位に過ごす。

三国の時代
百済、新羅の王権が確立してくると、任那の小国は産鉄だけでは対抗しづらくなる。
倭国(後の日本)も大和朝廷の王権が確立してくるので、実力はある。
任那の小国は、百済にせよ新羅にせよ配下に入れば実質的に臣下扱いが決定。
鉄の供給を条件に倭の配下に入れば形式的な臣下扱いで百済、新羅に対抗可能。
倭国が百済か新羅と同盟を結べば、任那は同盟国からは攻められない。
百済にせよ新羅にせよ、倭国+任那+倭の同盟国を敵に回しての戦いは避けたい。
任那の小国は安泰。

倭国での鉄の国産化が進展
任那の鉄の重要性低下。
重要性が低下した形式的臣下のために、倭国は軍事的負担を負う。
倭国の任那防衛の意欲低下=任那+倭国の軍事力低下=任那は百済、新羅に対抗できず。
642日本@名無史さん:2008/10/03(金) 01:07:03
日本人が 反韓である理由

王.貴族=朝鮮人
農奴=関西人
奴隷=関東人
流民=アイヌ

下層民たちの不平不満wwwwwwwwwww

http://enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmything&nid=36026
643日本@名無史さん:2008/10/03(金) 01:18:08
>>642
紀元後 6世紀まで石器時代??... 本当なの?
644日本@名無史さん:2008/10/03(金) 11:23:38
韓国の釜山・莱城遺跡、勒島遺跡などは
九州系弥生遺物が出土する倭人の鍛冶遺跡だ。
特に莱城遺跡では出土土器の94%が九州系弥生土器だ。
その九州に3世紀後半あたりから前方後円墳が作られる。
九州が何らかの形で畿内勢力の傘下に入った証拠だろう。
事実、半島南部から出土する日本系遺物も、九州系から畿内系へと変化する。
これらは大和朝廷が半島南部の豊富な鉄資源を手に入れた事を意味してる。

任那日本府はもちろん存在した。
645日本@名無史さん:2008/10/03(金) 12:29:54
「会會」という字は北京官話でhuiと発音するが
「会計」の場合は不思議なことにkuaiと読んで
頭子音がKの有気音になる。
646日本@名無史さん:2008/10/03(金) 17:15:07
>>642  金印>銀印>銅印>泥印

日本は古代より金印(公印)>韓国は泥印(公印)銅印(私印)であり
中世の地位は琉球(金メッキ銀印)>朝鮮,銅印(公印)でしたとさ。

哀れ韓国。
http://www.geocities.com/lookeast20022002/wa.html
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfriend&page=13&nid=50586

「倭国」・・「漢委奴国王」・金印
「邪馬台国」・・「親魏倭王」・卑弥呼,金印紫綬
「クシャン朝」・・「親魏大月氏王」・ヴァースデーヴァ(波調)金印紫綬
「雲南,滇王」・・「滇王之印」・金印
「光武帝の子」・・「廣陵王璽」・金印
647日本@名無史さん:2008/10/03(金) 17:16:13
>>642
後漢光武帝の建武元年(25年)に復設された制度として、諸侯王には金璽綟綬(きんじれいじゅ)、
公候には金印紫綬、九卿などの中二千石・郡太守などの中二千石・校尉や中郎将などの比二千石には
銀印青綬、以下は銅印黒綬、銅印黄綬が与えられている。

「倭韓遂屬帶方」倭韓は
帯方太守の管轄下にあったはずであるが、太守の銀印青綬より位の高い金印紫綬を卑弥呼は得ており、
「難升米を以て率善中郎將となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮し」ということで、彼等が
同等となり、太守の心境は複雑であったろう。

使いの者と帯方太守が同等とは、倭国の評価がそれだけ高かったと言える。
648日本@名無史さん:2008/10/03(金) 18:07:49
韓国陶磁の歴史 [伊藤 郁太郎].... 朝鮮半島は縄文人の生活圏か?

朝鮮半島における近年の考古学上の収穫の一つは、土器の起源に関する新資料の発見である。
いうまでもなく、陶磁の歴史は先史時代の原始土器をもって幕を開けるが、朝鮮半島の場合、
櫛目文土器を最古のものとする見解が、従来の通説であった。ところが1969年から71年にかけて
釜山市影島区東三洞貝塚における櫛目文土器の層の下から、縄文土器系の尖底・円底無文土器
や平底隆線文土器などが発見され、注目を浴びるところとなった。それらは櫛目文土器とは
明らかに異なる特徴を持ち、その層位や伴出石器などから見て、櫛目文土器より古い文化層
に属するものと考えられている。放射性炭素年代測定によると、紀元前4000年紀を示し、それを
前提とする限り、西北シベリアの影響を受けたと考えられて来た櫛目文土器より、大幅に時代を
遡ることとなった。これら先櫛目文土器と名づけられたものは、東三洞のほか、慶尚南道新岩里
や咸鏡北道西浦項貝塚などからも発見され、最古の土器文化がひろい地域にまたがっていた
ことが推測される。そして、それらの中に含まれていた豆粒文土器が、わが国の長崎県泉福寺洞穴
や福井洞穴などから発見される日本最古[紀元前12000年紀]と考えられている豆粒文土器と
類似することは、日本との交流の歴史を考える上できわめて興味ある間題を提出している。
649日本@名無史さん:2008/10/03(金) 19:09:05
>>648
と言う事は縄文人が住んでた半島に、櫛目文土器を抱えたシベリア人が
やって来たと言う事か?エベンキ族!!
650日本@名無史さん:2008/10/04(土) 14:30:04
スレ違い
651日本@名無史さん:2008/10/04(土) 15:32:30
朝鮮半島南部は倭の国と言われだしたら
朝鮮半島南部の倭と倭国の倭は別人って言い出す奴が多くなったには笑える。
65248:2008/10/04(土) 16:05:01
三韓時代=馬韓(百済)、弁韓(伽耶。任那か?)、辰韓(新羅)。
この人たちが、いわゆる韓族だろ。それが、
三国時代=高句麗(扶余族。満州あたりから南下)、百済(支配層が扶余族。被支配層が韓族)、新羅(韓族)。
になっていた(伽耶または任那は百済と新羅に挟まれて逼塞)。
これって、明らかに大陸から半島へ扶余族の侵略があったってことでしょ。
この後は、600年代に新羅が半島を統一、900年代に高麗(後高句麗)が新羅を滅ぼして再統一。
現代になって「朝鮮民族」と称している人たちは、ここからつくられて高麗時代に成立する。
以上、あまり間違っていないと思うんだが・・・。
65348:2008/10/04(土) 16:23:25
つまり、いま「朝鮮民族」と称している人たちは
非常に新しいから「韓国がすべての起源」説はとても無理だね。
一方で任那に関しては、倭国から介入したのか、伽耶から申し出があったか。
それは分からないが、緊密な関係を持ったと考えるのが自然だよ。
もっとも、扶余族をキーワードに考えると、天智・天武の謎を解く必要はあるが、
現天皇家と百済・高句麗の関係は否定できなくなるな。
654日本@名無史さん:2008/10/04(土) 16:49:03
韓国の申敬チョル教授は金官加羅じたいが扶余だという説を、
考古学的根拠から唱えているな。
655唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/10/04(土) 16:52:09
任那は現地の王族が倭に亡命 その子孫の申し入れを聞いた崇神が後押し
半島に任那国建国 西暦二〇〇年頃
AD263 若帶日子命/成務L 崩御 庚午年6月11日45 ?
AD265 大帶日子命/景行K 崩御 戊午年11月7日86
AD266 百済 新羅を攻めるも敗退= 新羅266 百済侵入
AD266 倭女王壱与(五百野姫)が晋に朝貢する。
AD272 帶中日子命/仲哀M 崩御 己卯年3月15日52 
AD273 日食
AD274 神功元年
AD279 香坂王/仲哀子 死亡 丙戌年12月9日30 
AD280 忍熊王/仲哀子 死亡 丁亥年7月15日28
AD285 五百木入日子命/景行子 死亡 戊寅年6月3日46
AD286 百済 新羅と和親を求める=新羅286 百済が講和を求める
AD287 新羅 倭人が侵入 292,294も同様
AD295 新羅 倭人討伐を議するも水上戦闘不慣れにより中止
AD297 新羅 北方の伊西国が侵入したが神兵が現れて撃退 神兵=倭
AD300 新羅 倭国と国使を交換
AD312 新羅 倭国が王子の花嫁を求めこれに応ず
AD312 若建王命/小碓子 死亡 戊寅年11月6日55
AD329年 神功52年 七支刀

これで 壱与(五百野姫)以降が読める。


65648:2008/10/04(土) 17:13:53
>>654
金官加羅=扶余?
それって「トンデモ」じゃなくて?
論文も読んでないのに疑うのもナンだが、
かなり思い切った説だなあ。
65748:2008/10/04(土) 17:37:53
>>655
君の年表だと神功が何者かがポイントになりそうだ(長生きすぎるし)。
七支刀は百済からの朝貢品でOK?
「謎の4世紀」はなかなかねえ・・・。
658日本@名無史さん:2008/10/04(土) 18:43:55
                             
 皆さん、面白い事実を教えてあげましょう!!

 実は、古代の京畿湾(黄海に面する京畿道の湾)に、倭人が住んでいたんですよ。
中国の歴史書=漢書・地理誌に、その記録があります。

「夫れ楽浪海中に倭人有り、分れて百余国を為す。歳時を以って来り献見と云ふ」
<漢書・地理志>

『楽浪郡の海の中に倭人が住んでいる。100ヵ国あまりの倭人国がある』
と、いう意味です。どうですか、面白いでしょう。
 「楽浪郡の海」っていうのは、黄海のことですね。半島中部の西側。それは京畿湾しかない。
今の江華島、永宗島、喬桐島、席毛島、霊興島、仙才島、大阜島、これらの島々に倭人が住んでいたと
記録されているんですよ。
 つまり、半島の南部はもちろん、半島中部(西側)も古代日本領土だったということです(笑
楽しい話でしょう。


659日本@名無史さん:2008/10/04(土) 19:06:33
                    
■百済は日本人が建てた国である。神話は存在しない。

 朝鮮には、下記のような百済建国神話があるという。


 朱蒙には3人の息子がいた。長男の琉璃(ルリ)が高句麗の王位を継いだため、弟の沸流(プル)と温祚(オンジョ)は
国を出て南へ向かい、それぞれ国を作った。
 海辺に建国した兄の沸流は失敗し死んだが、山辺に建国した弟の温祚は成功して百済の始祖となった。


 兄弟が争い、海辺に住んでいる兄が敗北し、山辺に住んでいる弟が勝利する、というこの「朝鮮の話」は、
明らかに日本神話の『海幸彦と山幸彦の伝説』を基に創作されたものである。
 また、建国王が北から南へ向かうというストーリーも、朱蒙伝説の焼き直しである。

660日本@名無史さん:2008/10/04(土) 20:19:33
>>656
トンデモではない。実に綿密な発掘に基づく、まじめな説だ。
661唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/10/04(土) 21:20:12
泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
読める文字のみで 西暦を読むと
訂正 AD329はAD326の誤り
AD326年丙戌 3月辛卯朔(16日に直すと丙午であり5月辛卯朔を否定する物では無い)
これが 神功52年なら その50数年前に AD273年日食がある。

神功、応神、仁徳を 無闇に圧縮すると 4世紀は見えてこない。
662唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/10/04(土) 21:36:49
書き込めなかった?
訂正 AD329をAD326に訂正
泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
この文章の読めない文字を抜かして読むと
AD326 東晉明帝太寧4年丙戌 3月辛卯朔(16日丙午)
私の計算値ですので5月辛卯朔を否定する物では無い。
AD326年=神功52年とすると 50数年前がAD273年日食

神功69年をそのまま肯定するわけでないが 書紀に神功時代はこの辺を
意識して書かれている。
4世紀を見るためには、神功、応神、仁徳を無闇に圧縮しないこと。
履中元年の干支は、AD400年の干支で朔まで同等。

663日本@名無史さん:2008/10/05(日) 00:22:32
>>654
4世紀ごろから蒙古式冑や騎馬用甲冑の文化を持った集団が伽耶に来てるという事だね。
申教授は江上の騎馬民族説に何とか摺りあわせたいのだろうけど、
日本にはそのような文化(蒙古式冑や騎馬用甲冑)は正式武装になってない。
だいたい伽耶のその集団の墓は高塚でなく地下式墳墓。
大和朝廷から高塚を作ることを許されなかった地位の低さを物語ってるね。
66448:2008/10/05(日) 00:34:33
江上氏の騎馬民族説も疑問だよ。
たまたまだけど樋口清之(故人、考古学者)さんの話を聞く機会があって
「江上先生が唱えた説とは思えない。思いつきか冗談でしょう」と言ってた。
そのとき「(朝鮮半島に住む)あの人たちはまだ新しいから」とも言ってた。
考古学者が言う「新しい」ってどのくらいか、聞いておけばよかったと後で反省したw
665日本@名無史さん:2008/10/05(日) 05:08:48
>>663
>申教授は江上の騎馬民族説に何とか摺りあわせたいのだろうけど

申教授の説は江上説とはまったく独立。
しかし4世紀の任那のことを考えるのなら、申教授説の根拠になっている
発掘成果を抜きにはできない。
666日本@名無史さん:2008/10/05(日) 07:09:29
>>663
まず伽耶が大和朝廷の支配を受けていたことを実証しよう。
667日本@名無史さん:2008/10/05(日) 08:16:07
参謀本部が碑文まで改竄して捏造したのが古代日本の南朝鮮支配の妄説。これが定説。
668唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/10/05(日) 09:14:35
日本に騎馬が本格的に導入されるのは
AD297 新羅 北方の伊西国が侵入したが神兵が現れて撃退 神兵=倭兵
この時の 伊西国の捕虜を日本に連れ帰ってから。
馬の頭数とも連動するので 急に普及したわけではないが。
66948:2008/10/05(日) 09:16:33
>>667
苦し紛れにウソ言うなよw
それはとっくにひっくり返されているでしょ。
過去の定説なんぞ持ち出すな。
670日本@名無史さん:2008/10/05(日) 09:26:43
>>667碑文の改竄などなかったというのが現在の定説です。
中国で祭器になって発見された最古の拓本と同じだそうです。
671日本@名無史さん:2008/10/05(日) 09:33:57
日本書紀の記事が律令官僚の机上の述作であることも証明されたし倭の半島支配の根拠はすべて
崩れ去った。
672日本@名無史さん:2008/10/05(日) 10:13:31
>>665
>>666
申教授は、5世紀中ごろの伽耶から日本系武具が登場する事象を、
「伽耶西部と日本の強い結びつき」などと、
まるで任那日本府を容認するかのような発言をしてるよ。
673日本@名無史さん:2008/10/05(日) 13:33:54
>>668
日本には元々野生馬はいたの?
674日本@名無史さん:2008/10/05(日) 13:56:30
>>668
>AD297

4世紀前後から?
そんなの初耳だ。
箸墓古墳の木製鐙をどう考えるかという問題もあるが、
日本での馬の導入は実質5世紀前後だろ。

ただ5世紀前後から乗馬習慣がはじまったというだけで、
日本での騎馬軍創設はもっと後だよ。
675唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/10/05(日) 15:08:56
>671
日本書紀の記述が本物であることを 七支刀の銘文が物語っている。
 泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■ は、
AD326年 東晉明帝太寧4年3月(5月)16日丙午 である。
これが神功52年のことですので 54年前がAD273年日食
是に新羅の歴史を合わせれば3世紀末からの歴史となる。
七支刀の朝貢は、領土割譲の返礼。
倭なくして百済なし。

676唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/10/05(日) 15:47:52
AD272年神功渡海で
半島の前方後円墳が説明できる。

日本に野生の馬は、居ない。魏史には、(野生の)牛馬無しと書かれている。
3世紀に半島経由九州、及び輪島半島経由(もっと北かも)の2ルートで入る
677日本@名無史さん:2008/10/05(日) 15:52:12
7世紀後半に朝鮮半島諸国の藩国視化が進んだときにそれの正当化として神功皇后の物語が述作された。
最終的には斉明天皇の遠征が挫折した後に完成して日本書紀に定着した。神功皇后関連の系譜には
疑わしい点が多く、事跡も史実とは考えられない不合理なものばかりだ。また、皇后が生きたとされる
三世紀は倭は朝鮮半島の一方的影響の下にようやく王権が形成され始めた時期で、朝鮮が倭に征服
支配されることなどありえない。七支刀は倭王が臣従の褒賞として百済王から下賜されたと考えるのが
最も合理的。
678日本@名無史さん:2008/10/05(日) 16:01:52
>>676
馬だけ輸入しても乗馬用として飼い慣らすには、世話する人や馬具を作る人も
必要だから、そういった職人の集団ごと連れてきたのかな。
関東には馬の放牧地である牧がたくさんあったらしいがそれとなにか関係あるのかな。
679日本@名無史さん:2008/10/05(日) 18:48:28
>>677
>三世紀は倭は朝鮮半島の一方的影響の下にようやく王権が形成され始めた時期で、
>朝鮮が倭に征服支配されることなどありえない

三世紀といえば巻向に前方後円墳が築かれはじめる時期だが、
朝鮮の影響なんてあるのか?

逆に釜山・莱城遺跡、勒島遺跡などは、
倭人の鉄の採掘場だ。
莱城遺跡などは出土土器の94%が九州系弥生土器だ。
680日本@名無史さん:2008/10/05(日) 18:50:45
広開土王(好太王)碑文などの金石文や韓国南部の前方後円墳などから、
朝鮮半島南部の4,5世紀の状況がかなり明らかになってきましたね。

学術的に朝鮮半島における任那日本府の存在が明らかになったとしても、
歴史的に当時の日本が朝鮮半島南部を支配していたことを理由にして、
イスラエルがパレスチナの領有権を主張するようなことは認められないだろ。
681日本@名無史さん:2008/10/05(日) 18:50:49
>>676
>AD272年神功渡海で
>半島の前方後円墳が説明できる。

できない。
時代が無茶苦茶。
半島の前方後円墳は5世紀。
682日本@名無史さん:2008/10/05(日) 18:53:15
>>680
そんなことを主張する奴はだれもいないし、大半の日本人はもうあの半島には関わりたく
ないという気分でいっぱいだよ。
金海や現在の釜山地域が倭人居住地域だったとすると、

そこから移住してきた秦氏や漢氏は倭人だったの?

彼らは自称は始皇帝末裔や漢朝皇族末裔だけどw、それは別として。
684日本@名無史さん:2008/10/05(日) 22:34:35
>>663
なんでそんな発想になるのだw
半島南部に倭人も多くいたという事。
倭人だけでないし韓人だけでもないという事。
今の慶尚南道が倭韓雑居(同じ町・村に混在していたとは限らず)だったのはほぼ間違いないか。

前にネットで加羅、伽耶、金海などと検索したら、韓国の研究チームのホームページにもそんな風に書いてあった(日本語訳文)。

しかし、対馬とは目と鼻の先なのに、対馬以上に備前・筑前・豊前・長門との往来・交流が盛んだったと書いてあったような・・・

肥前・筑前・豊前・長門との交流が盛んだった理由は忘れた←鉄が云々と書いてあったような。
686日本@名無史さん:2008/10/06(月) 08:40:50
>>684
単に住んでいることと、支配被支配とは別。
倭系も韓系も合わせて、一度は北方系の侵入者に支配された、という
こと。
687日本@名無史さん:2008/10/06(月) 08:42:02
>>683 九州の倭人も呉の太伯の末裔と称していたんだから、同じようなものだろう。

 大陸と関係なくなるとあちこちで天皇家の子孫とか源氏、平家の末裔とか
自称するようなものだ。
68848:2008/10/06(月) 11:52:33
中国(中華)の外にあった半島と列島は、
どんな興亡が繰り返したか整理するだけでも大変だ。
日本なら日本書紀、高麗(半島)なら三国史記と、
国史ができたあたりに、いまに続く国家ができたと考えていいんじゃない。
この板にも「日本は韓国がつくった」なんてスレがあるけど、
韓国って何だ?
百済か、新羅か、高句麗か、高麗(その後継の李氏朝鮮)か?
任那がどうしたって言ってる場合かい、貴国は・・・。
国内でも、アイツはどこの出身だとか、いまだに不毛な差別をし合ってるんだろ。
国内の意思統一に日本を利用するなよ。
迷惑このうえない。
689日本@名無史さん:2008/10/06(月) 13:01:21
>>686
そうかな。
広義の意味で大和の配下だったと思うがな。
その北方系の侵入者というのは、
あんなしょぼい地下墓しか作れない連中だからな。
690日本@名無史さん:2008/10/06(月) 15:56:36
>>689
いや、大和との関係は別。
北方系の支配者が狭義の任那の韓系、倭系住民を支配し、
さらには周辺の任那諸国を支配した、ということ。

大和との関係は謎だ。
4世紀の狭義の任那から出る倭系出土品を、ある人は
大和の支配の証拠だと言うだろうし、またある人は
鉄の代償の輸出品だと言うだろう。
691日本@名無史さん:2008/10/06(月) 23:28:28
>>690
二世紀ごろまで、釜山・莱城遺跡、勒島遺跡などでは北九州の倭人が鉄を採掘していた。
莱城遺跡では出土土器の94%が北九州系だ。
その北九州に3世紀後半あたりから前方後円墳が出来はじめる。
北九州は大和の支配下に入った。
大和朝廷は北九州を通じ鉄を手に入れた。
そして半島での鉄採掘部門をそのまま北九州人に任せてた。

その半島南部にに北方系が来た。
彼らは鉄テイ(延べ板)にみられるような高度な製鉄技術を持ってた。
また鉄を運搬する馬も持ってた。
彼らのおかげで著しく製鉄の効率が上がった。

つまり大和朝廷は半島の鉄採掘部門でそれまでの北九州系を降格し、
高度な技術を持つ北方系に代えたのだ。
伽耶の北方系地下墳墓が示すのはそういう事だ。
692日本@名無史さん:2008/10/07(火) 08:46:28
>>691
北九州に前方後円墳ができたことが大和支配が及んだ証拠であり、
任那に前方円墳ができなかったことが大和支配下に入った証拠だ。
ということでいいかな?

>また鉄を運搬する馬も持ってた。

馬は騎馬戦術用の馬、というのが申教授の説だ。
北方系なら鮮卑との長い戦いで騎馬戦術を鍛えられている。
大和にない騎馬戦術を持ち、鉄と製鉄技術を持ち、海峡という防壁を持つ
任那の北方系支配者が簡単に大和の支配下に入るのか?

693日本@名無史さん:2008/10/07(火) 09:50:15
>>692
なんだやっぱりおまえだったのか、久しぶりだなw

まずその北方系とやらは言うほど人数が多くない。
で、騎馬戦術と聞けば我々現代人は、後世のチンギスハーンを想起して、
恐ろしく強いというイメージを持ちがちだがそうでない。
倭軍の重装弓兵や長槍兵で充分。

4世紀に入ってさらに日本で大規模古墳が作られ始めるが、
豊潤な鉄具があったのは当たり前。
伽耶の鉄を思う存分支配出来てた証拠だろう。

韓国側は、申教授もそうであろうが、
倭は伽耶に鉄に対してどういう代価を持ってきたのかと考えるだろうが、
思いつかないはずだ。
なぜならそんなものはないからだ。w
694日本@名無史さん:2008/10/07(火) 10:09:51
当時の日本の物産で大陸で喜ばれるものといったら、生口(奴隷)あるいは真珠ぐらいじゃないのか。
695日本@名無史さん:2008/10/07(火) 10:45:09
参謀本部が碑文を改竄して捏造したんだったよね。
696日本@名無史さん:2008/10/07(火) 11:32:45
今では、碑文改ざん説は完全に否定されています。
697日本@名無史さん:2008/10/07(火) 11:58:08
>>693
4世紀の大規模古墳が鉄を支配した証拠だって?
メキシコの石造ピラミッドは鉄を知らない民族が作ったんだが。

>倭は伽耶に鉄に対してどういう代価を持ってきたのかと考えるだろうが、
>思いつかないはずだ。
>なぜならそんなものはないからだ。

日本語になっていないが、言いたいことはわかる。
申教授は代価は「労働力」つまり「人間」だと言っている。
労働力と言っているが、よく読むとそれは「兵力」のことだ。
兵力なら有無相通じているな。

698日本@名無史さん:2008/10/07(火) 12:00:18
古代の日本が、大陸にしばしば兵を出していたのは事実だからね。
傭兵働きの代価だったんかな?
699日本@名無史さん:2008/10/07(火) 12:48:01
>>697
メキシコ先住民がどうやってピラミッドを作ったのかは知らないが、
今は鉄を知ってた日本の話しをしてる。
古墳作るのに鉄具使ったのは当たり前だろう。

>兵力なら有無相通じているな。

通じてない。
兵力といってる時点で自分達に力がないと認めてる事になる。
伽耶は国かどうかもあやしいな。
700日本@名無史さん:2008/10/07(火) 13:31:58
>>696
日韓友好のためには否定しないほうがいいのでは?
701日本@名無史さん:2008/10/07(火) 14:39:47
>>700
日韓友好のためには、はっきり否定しようよw
702日本@名無史さん:2008/10/07(火) 17:24:50
>>699
>メキシコ先住民がどうやってピラミッドを作ったのかは知らないが、
>今は鉄を知ってた日本の話しをしてる。
>古墳作るのに鉄具使ったのは当たり前だろう。

ごまかすな。お前は前方後円墳を作るのに「豊潤な」鉄が必要だから
前方後円墳が倭の鉄支配の証拠だと言ったのだ。

私はそれが「証拠」にならないことを示すためにメキシコのピラミッド
の話をしたのだ。4世紀に鉄が「知られていた」かどうかとは別の
ことだ。前方後円墳の工法がわからない以上、「大量の」鉄を要した
かどうかはわからない。

>通じてない。

伽耶は騎馬戦力と鉄はあるが兵力(歩兵)が足りない。
大和は人的資源はあるが鉄も馬もない。
この両者が互いに有るものを融通し合うことを「有無相通じる」
というのだ。日本語わかるかな?

>兵力といってる時点で自分達に力がないと認めてる事になる。

コルテスは馬と新兵器を持っていたが兵力が足りなかったから
トラスカラから万単位の兵を借りて征服を成就した。
これはコルテスが力がなかったことになるのか?
あるいはトラスカラがコルテスを支配したことになるのか?

703日本@名無史さん:2008/10/07(火) 17:25:25
>>701
それと一緒に、碑の読み方の自由な研究もな。
本当に日本は百済と新羅を家来にしていたのか。
まあ、だから日韓併合は正しいという事には繋がらないが、
つなげようとする奴は他の読み方をするとキれる。
704日本@名無史さん:2008/10/07(火) 18:12:03
そう言えば碑文改竄説を言い出して結局は全面的に否定された李進熙はその後どうなったのかな。
705日本@名無史さん:2008/10/07(火) 18:13:14
>>702
騎馬民族説が下火なんでいらついてるのか?
おまえがごまかすな。
誰が見たってあんな大墳墓は鉄具がなければ作れないことを、
何とか否定したいがためにメキシコだなんだの例を探してきただけだろうが。

コルテス?
[古墳時代前期・中期を通して、「倭」軍中核は装甲長槍歩兵集団です。
装甲長槍歩兵集団にとって、騎兵がさしたる脅威にならないことは、
ご存知だと思います。まして、騎兵が短弓しか装備していないと仮定するならなおさらです。
しかも、「倭」軍は弓と長剣を装備した軽装歩兵も豊富でした。

騎兵(可能性があるとすれば鮮卑族のそれでしょうか?)が
「倭」軍に接近すれば、その短弓の射程外から、
重量級の平鏃族をさんざんに射込まれる。
これで馬ごと消耗せざるを得ない。
幸運にこれを突破した騎兵が残ったとしても、
その前には重い置楯の列が並んでいる。
それを排除ないし突破あるいは迂回できたとしても、
そこには装甲歩兵長槍の槍襖が待っている。
それを突破できた勇者が仮にいたとしても、
1メートルを超える長剣を構えた軽歩兵が群がって来る。(考古学者・岡安光彦)]

半島南部にいたコルテスとやらはさっぱりワヤだったようだなw
706日本@名無史さん:2008/10/07(火) 18:17:00
>>703
5世紀、日本の武装である帯金短甲が百済地域に派生してる。
家来だったかもなw
707日本@名無史さん:2008/10/07(火) 18:27:27
>>702
言い忘れた。

「鉄製武器は、すでに弥生時代から日本列島でさかんに使用されています。
剣も大刀も鉾も槍もあります。
鉄鏃も、古墳時代前期に大きさ重さともに半端なものではなくなっています。
もちろん鉄製の甲冑もあります。楯も大小揃っています。(岡安光彦)」

君の

>大和は人的資源はあるが鉄も馬もない。

というのを訂正しろ。
708日本@名無史さん:2008/10/07(火) 22:16:16
どこで見つけたのか知らんが、岡安だかなんだか、歴史小説みたいな
ものをいくら書いてもなんの証明にもならない。
倭/任那連合軍が高句麗に負けたのは高句麗の騎馬戦術のためだ、
と言ったのはお前じゃなかったか?

>大和は人的資源はあるが鉄も馬もない。 というのを訂正しろ。

相変わらず時間軸のない奴だな。
北方系の侵入以前、クヤ韓国の時代なら鉄はあったさ。
交易もあったし、倭人の進出もあっただろうからね。
しかし任那および任那諸国を北方系の侵入者が押さえてしまった
以降は、鉄の入手源がなくなった、ということを言ったのだ。
念のためだが、この時代、列島で自前の製鉄はまだ行われていない。
709日本@名無史さん:2008/10/07(火) 22:31:20
>倭/任那連合軍が高句麗に負けたのは高句麗の騎馬戦術のためだ、
>と言ったのはお前じゃなかったか?

俺は騎馬戦術なんて大したことないとずっと言ってる。
倭が高句麗に苦しんだのは高句麗が多軍だから。

>しかし任那および任那諸国を北方系の侵入者が押さえてしまった
>以降は、鉄の入手源がなくなった、ということを言ったのだ。

最古級の3世紀の古墳であるホケノ山古墳から鉄具が出土してる。
古墳造営に鉄具があったのを疑うやつはいないだろう。
そして4世紀から5世紀、さらに古墳が作られていく。
すこぶる豊潤な鉄があった証拠。
「北方系に押さえられ、鉄の入手源がなくなった」なんて君のタワ言だ。
710日本@名無史さん:2008/10/07(火) 22:41:26
高句麗と渤海は中国の歴史上の国です。
711日本@名無史さん:2008/10/08(水) 08:22:42
>>709
日本は事実上、石油資源を有しないが、輸入した石油をじゃぶじゃぶ使い、
ある程度国家的な備蓄も持っている。
この状態を指して、「日本には石油がある」とか「石油を持っていることが
日本の強みだ」とか言うか?

お前が4世紀の日本の鉄について言っていることはこれと同じことだ。
712日本@名無史さん:2008/10/08(水) 08:49:50
>>711
北方民族とやらが日本への鉄の供給を滞らした事を証明してみろ。
4世紀以降、日本で古墳の造営が順調に拡大してる事実から見て無理な話だろが。

かつて半島に高度な製鉄技術をもつ集団がいた。
秦氏や漢氏だ。
彼らは騎馬文化を持ってた可能性が高いが、
その騎馬文化と鉄の供給源を握ってるという理由で、
日本に対して何かしらのアドバンテージを持ってたのか?
それどころか彼らは日本を頼って亡命してくるよな。

まぁそういう事だ。
鉄の供給源を握ってるから日本に対して優位に立ったなんてのは、
朝鮮人学者のたわ言。
713日本@名無史さん:2008/10/08(水) 09:51:56
お前らナショナリズム、もしくは反朝鮮感情から離れろ。
うざったいぞ。
714日本@名無史さん:2008/10/08(水) 10:30:25
>>705こう読んでいきますと、騎馬隊はさしたる驚異ではないようにとれますが、それでは歴史的にみて、騎馬民族が圧倒的に
歩兵中心の民族を撃破征服したのはなぜなのでしょうか。
中国にも装甲長槍歩兵はいたとおもいますが、鮮卑族やモンゴール兵に簡単にやられていますが。
715日本@名無史さん:2008/10/08(水) 10:37:04
>>714
ギリシアはほぼ歩兵のみの戦力で騎兵備えたペルシャ軍を撃退しているし。
やはり歩兵主体のローマ兵は騎馬民族含む当時の古代世界を制覇している。
状況しだいで、一概にいえるいことではない。
716日本@名無史さん:2008/10/08(水) 10:47:49
日本書紀でも、任那は結局新羅に滅ぼされたことが書いてあるんだから。
最後には負けたわけで。
717日本@名無史さん:2008/10/08(水) 11:03:44
>>712
滞らせなかった、ということも証明できない。
たとえば10年間、鉄の供給が止まったら倭にとっては大ごとだが
そんなことは考古学的にはわからない。考古学の年代推定の誤差範囲は
10年どころではないからだ。
ただ、金官が滞らせることが可能なポジションにあった、ということは
言える。
718日本@名無史さん:2008/10/08(水) 11:11:28
>滞らせなかった、ということも証明できない。

 出た!悪魔の証明。

「考古学的にはわからない」のなら証明できないという事だな。

逆にこちとらは、
秦氏や綾氏が、、騎馬文化を持ち、鉄の供給源に関わってたのに、
日本に亡命してきた例を出してる。

君が、秦氏や綾氏が騎馬文化を持ってたゆえに日本にアドバンテージを持ち続け、
日本を乗っ取ったという暴論を展開するなら別だが…w
719日本@名無史さん:2008/10/08(水) 11:25:26
積極侵攻ならともかく、大陸で負けて逃げてきた連中が、朝鮮勢力圏を放棄した日本の懐に逃げてきたわけだろ?
技術者・知識人として重宝はされても、のっとりは無理じゃ?
720日本@名無史さん:2008/10/08(水) 14:43:05
任那日本府があったと主張する人は南京大虐殺はなかったとか慰安婦はなかったとか思ってるわけ?
721日本@名無史さん:2008/10/08(水) 16:07:46
>>720
まるで、中韓のいう南京大虐殺や慰安婦が本当にあったみたいな言い方に聞こえるよ
722日本@名無史さん:2008/10/08(水) 16:44:00
>>721
あったけど何か?
723日本@名無史さん:2008/10/08(水) 18:09:18
>>720
任那日本府と、南京大虐殺や慰安婦が何の関係があるのだ?

帰れシッシッ!
724日本@名無史さん:2008/10/08(水) 18:42:58
本当に任那日本府があって百済や新羅を属国同然にしていたんなら
日本の歴史教科書にちゃんと記述すべきだろう

だが日本の歴史教科書にはそんなことは書かれていない
つまり任那日本府は確証がないんだろう
725日本@名無史さん:2008/10/08(水) 19:11:20
>>723
関係あるよ。歴史修正主義。
72648:2008/10/08(水) 20:00:07
>>725
御国は歴史捏造主義だろ。
天にツバするな、みっともない。
727日本@名無史さん:2008/10/08(水) 20:15:38
百済は倭人の国じゃないのか?

728日本@名無史さん:2008/10/08(水) 21:17:04
>>727
■百済1300年前の「黄山伐の戦い」が現代によみがえる

http://www.chosunonline.com/article/20080928000005

百済の階伯将軍率いる5000人の決死隊の闘魂が渦巻いた「黄山伐の戦い」が、1300年
余りの歳月を経てリアルに再現される。それも、映画ならぬイベント会場で。
黄山伐の戦いとは、西暦660年に唐・新羅連合軍が百済に侵攻した際、現在の
忠清南道論山市論山一帯で繰り広げられた戦い。この戦闘に破れた影響で、百済は
滅亡の道を歩むことになった。

黄山伐戦闘再現推進委員会(委員長:ハ・ギス)は、10月4‐5日午後6時30分から
2時間、忠清南道論山市大橋洞の論山川河川敷で、黄山伐の戦いを再現する。
これは、10月3日から12日にかけて公州と扶余で同時に開催される「第54回百済文化祭」の
イベントの一つで、百済人の護国の意思を振り返ると共に、観客に斬新な催し物を
提供するために初めて企画された。


完全に韓国の歴史にされてるねw
しかも唐、新羅連合軍に百済が戦ったことになってるw
実際は『唐、新羅』×『百済、倭』なのに倭が無視されてるw
729日本@名無史さん:2008/10/08(水) 22:41:56
>>725
歴史は修正の連続だろ
730日本@名無史さん:2008/10/08(水) 22:58:55
任那日本府があったのは確実。
5世紀から日本の帯金短甲という甲冑が出土する。
これを倭人が着てたなら実質日本の支配地という事になるし、
倭人以外が着てたにしても、武装が日本のものという事で、
韓国の学者でさえ「日本の強い影響」と言ってる。

どっちにしてもその後、韓国に前方後円墳ができるので、
任那日本府があったのは間違いないのだが。
731サガミハラハラ:2008/10/08(水) 22:59:40
>>724元学校の先生としていわせてもらえば、学校では正しいことをすべておしえているとはかぎりません。
大人になったら、学校で学んだことをあらためて反芻し、判断しなおすことが大切です。
73248:2008/10/09(木) 00:23:24
>>731
正論だと思います。
でも、若いときにはそんなの分かんないですよ。
学校の先生が、授業でそのままズバリ、そう言ってくれるといいのに。
後で言うなよって思う人も多いですよ、きっと。
733日本@名無史さん:2008/10/09(木) 02:42:53
自分自身で真実を見抜く目を持ち
自分の考えを持てる大人になれと>>731氏は言ってるんだよ
734日本@名無史さん:2008/10/09(木) 08:21:54
>>715
>歩兵主体のローマ兵は騎馬民族含む当時の古代世界を制覇している。

それもまた一概には言えない。
カンネーの戦いで、カルタゴ軍が歩兵4万、騎兵1万だったのに対して、
ローマ軍は歩兵8万、騎兵7千だった。
たしかにローマ軍は歩兵の比率が高いが、両軍の騎兵同士では兵力は伯仲
している。そしてローマ軍はその歩兵隊が包囲される前に、まず騎兵同士の
つぶし合いで敗れた。
言えることは、相手が騎兵を備えたらこちらもそれを備えないと戦争に
ならない、といういことだ。

またアレキサンドル軍の打撃力は長槍歩兵だったが、最終的にペルシャ王
を捕捉したのは、アレキサンドル自身を含む騎兵だった。
735日本@名無史さん:2008/10/09(木) 08:40:26
中国を支配した騎馬民族に高句麗は入らないから。
高句麗とどれだけ関係あるか知らんが、女真族は別に騎馬民族じゃないし。
736日本@名無史さん:2008/10/09(木) 11:28:28
日本府、はありえないだろ。
日本、という国号を使うようになったのは天武天皇時代から。
あったとしても倭府、じゃないの?
737日本@名無史さん:2008/10/09(木) 11:29:40
>>734
カエサルは、ファルサロスの戦いのとき、騎兵を歩兵で封殺して勝利しているが。
だから一概にはいえない、ひとつの戦ですべてを断定するのはアホのやること。
738日本@名無史さん:2008/10/09(木) 11:36:21
だから、全体的にみて、騎兵が有利であったことは、騎兵を主力や常備した国や民族がつよかったということではある。
739日本@名無史さん:2008/10/09(木) 11:49:36
>>738
ではない。どうみても我田引水。
740日本@名無史さん:2008/10/09(木) 12:01:30
農耕民族が、遊牧民を支配下に収めて騎兵とするケースだって珍らしくないからねぇ。
カルタゴ戦争では、ローマ軍を打ち破ったカルタゴのヌミディア騎兵は、最終的にローマについている。
支配下に収めて使った、を支配下に押さえ込まれた騎兵もちのほうが、強い、とはどうやっても言い換えられない。
741日本@名無史さん:2008/10/09(木) 12:07:18
バックにあるのが、騎馬民族である●●は××に勝っている、だから任那は〜という露骨な片手落ちだからねぇw
742日本@名無史さん:2008/10/09(木) 12:59:13
>>736
「やまとのみこともち」に宛てた字ならどちらでもいい。「倭府」を妥当とするには
「倭府」が用いられていたことを証明しなければならない
74348:2008/10/09(木) 14:16:09
敏達天皇が言った「内官家」(うちつみやけ)は任那だろ。
内官家って言い方は、どうみても「親戚」くらいの意味はありそうだよね。
父・欽明の父祖の地? じゃあ敏達には祖国?
伽耶(任那)は韓族(馬韓、弁韓、辰韓)の国だから、天皇家は韓族かな。
ただ、この韓族はいまの朝鮮民族とは違うよな(韓国の「韓」はパクリw)、
念のためだけど。
744日本@名無史さん:2008/10/09(木) 15:42:59
>>743
欽明は「任那は棟梁(むねはり)ぞ」とも言っているね。
単に鉄の供給地と言うだけでこんな言葉を使うだろうか。
745日本@名無史さん:2008/10/09(木) 15:44:24
天皇家の故郷だったりして。
746日本@名無史さん:2008/10/09(木) 15:52:00
>>718
出自のわからない謎の氏族が5世紀にやってきたことが、
4世紀のはじめに金官が鉄の供給を滞らせなかったことの
証明になるというのか?

最大の謎はお前の頭の構造だな。
747日本@名無史さん:2008/10/09(木) 16:20:04
>>746
>出自のわからない謎の氏族が5世紀にやってきたことが

5世紀にやってきたのではない。
秦氏は4世紀には伽耶にいて、
君の好きな騎馬文化を知ってて、
鉄に関わってた。
そして5世紀前後、日本に亡命してきた。
君の大好きな北方系民族は秦氏である可能性が高いのだが。
748日本@名無史さん:2008/10/09(木) 16:25:18
737 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 11:29:40
>>734
>カエサルは、ファルサロスの戦いのとき、騎兵を歩兵で封殺して勝利しているが。

そりゃ戦闘にはいろいろな局面がある。ワーテルローの戦いでも英国軍の歩兵が
ナポレオン軍の胸甲騎兵の突撃を止めたことが分かれ目になったしね。

私は「騎兵は常に歩兵に勝つ」と言っているのではないよ。
>>715で君が
>歩兵主体のローマ兵は騎馬民族含む当時の古代世界を制覇している。
と言って、ローマ軍が主として歩兵からなるような印象を与えたから
是正しているだけだ。
君のいうファルサロスの戦いでも、カエサル軍の構成は歩兵22000、
騎兵1000で、ちゃんと騎兵はいた。
このときはカエサルの騎兵がポンぺイウス軍の7000の騎兵に蹴散らされた
から、歩兵に負担がかかったのだ。
749日本@名無史さん:2008/10/09(木) 16:29:39
>>748
間違ってないじゃん。
ローマ軍の主体は歩兵。
補助兵力として騎兵はつくが、主力は歩兵ですよ?
彼らはいわゆる工兵も兼ねていたが(今でも残る遺構は軍団兵によって作られたものが多数)
騎馬は攻撃に優れるが、防御と継続戦力に欠けるため、一時の略奪を事とするのならともかく、継続戦争となると主力を勤めるのは厳しい。
750日本@名無史さん:2008/10/09(木) 18:01:59
任那日本府の存在が明らかになった以上は、日本だけの研究ではなく、
現地の韓国側の更なる任那日本府研究の発展に期待したいですね。
751日本@名無史さん:2008/10/09(木) 18:27:25
>>750
韓国側も本音は任那日本府があったのは分かってるのだ。
でもあんな国だからなかなか認めない。
だから伽耶で産出される鉄を、
倭人が買いに来たという論理で進めたいのだろうが、鉄の対価が何か分からないのだ。
分からないあげく、鉄の対価は倭の武力というアホな説が出てきてるのだ。
実際は対価らしきものはない。
何故なら実質大和朝廷の管理地だったから。
752日本@名無史さん:2008/10/09(木) 19:27:52
>>747
>5世紀にやってきたのではない。

私が「5世紀にやって来た」と書いたのは「伽耶にやって来た」では
なく「日本にやって来た」の意味だ。これはほぼ確実だからね。

>秦氏は4世紀には伽耶にいて、

その根拠が聞きたい。
753日本@名無史さん:2008/10/09(木) 19:43:20
>>749
>補助兵力として騎兵はつくが、主力は歩兵ですよ?

「主力」というのが「数が多い」という意味なら、どこの軍隊も
歩兵のほうが数が多いのはいっしょ。ジンギスカンのモンゴル軍
を除けばね。

>騎馬は攻撃に優れるが、防御と継続戦力に欠けるため、<中略>
>継続戦争となると主力を勤めるのは厳しい。

当り前だ。騎兵は戦闘のための兵種であって、占領や駐屯のための
兵種ではないからね。
私が言いたいのは騎兵が当時の正規戦にとって「必須」であった、
ということ。今日の正規戦にとって航空兵が必須であるのと同じだ。
そして航空兵だけで占領や駐屯はできない。

念のため書いておくが、ファルサロスの戦いはローマの「内戦」とされる。
7000の騎兵を持っていたポンペイウス軍もローマ軍なのだ。
754日本@名無史さん:2008/10/09(木) 20:16:31
だから任那日本府が事実なら日本の教科書に書けって

中国では高句麗史だけでなく百済、新羅(馬韓、弁韓、辰韓)などの
朝鮮半島の歴史まで自国の歴史に編入しようとしているんだぞ
モンゴル人のチンギス・ハーンも中国人だと言ってるそうだ

その内沖縄、日本まで中国史の一部になるかもな
755日本@名無史さん:2008/10/09(木) 20:43:59
日本の教育界は日教組に毒されて終わってるからな

聖徳太子まで居ないかのように教える馬鹿教師も居るんだぜ
「聖徳太子」という呼称が後世のもんだから不適ってなら他の皇族同様に、上之宮王と記せばいいけど
明らかに仏教に超詳しく、程度はどうあれ、仏教中心に政治活動を上宮王はやっているし
当時の偉人であるのは疑いようないでしょ。

そもそも生前でなく後世の呼び名だからダメってのも理解不能だけどな
天皇号だってできる前の大王に天皇って記しちゃダメだし
教科書に後世の呼び名で載ってる人なんて大量に要るじゃん。

しかも聖徳太子の名は死後ほどなく既に尊敬集めて使われているし
教科書で代替で使おうとしてる厩戸王なんて呼称こそ、そんな名で誰も呼んでない!ってもの。
いかに日教組が日本の孤高を決定付けた聖徳太子が憎いか分かるね。
75648:2008/10/09(木) 20:44:08
なんだ、いまは教科書に書いてないのか。
トシを感じるなw
757日本@名無史さん:2008/10/09(木) 20:49:45
しかも邸宅に付随したもので他の皇族の例から言って最も普通の呼称であろう上宮王でなく
ウマヤド王なんてのを本名のごとく持ってくるあたりも悪意感じるな
75848:2008/10/09(木) 21:51:35
そうだよ、日教組の連中は頭悪すぎ。
イデオロギーを教育、学問に持ち込んだらロクなことにならない。
こんな明白な、いまや高校生にも分かる常識が、
ヤツラにはまるで分かってない。分かっててても気がつかないふりをする。
人間として最低、そんな連中に教育のプロデュースなんてできるもんか。
聖徳太子という天才を架空の存在としか考えられないとこなんか、
まさに日教組だ。自分たちの枠内でしか世界を捉えられない。
ホントはヤツラに子弟教育をする資格なんぞないんだよ。
75948:2008/10/09(木) 21:54:13
その意味じゃ、自民の中山、コイツも
極めつけのアホだけど、日教組への嫌悪感だけは共有できる。
760日本@名無史さん:2008/10/09(木) 22:00:51
>>752
>その根拠が聞きたい。

応神天皇の世、5世紀前後に来たのだから、
半島にやってきたのはその前という事で4世紀という事になる。
伽耶にいたと言う理由は彼らが優れた製鉄技術を持っていたこと。
761日本@名無史さん:2008/10/09(木) 22:19:33
日本書紀に書かれている時代の任那日本府は安羅にあったとされる。
私は、任那日本府は4世紀末に高句麗の侵攻を契機として衰えた金官の
亡命政権だと思う。
金官の故地(狭義の任那)はすでに新羅勢力下にあって(新羅の傀儡政権が存在)
危なかったから一時的に安羅に間借りしているうちに定着してしまったのだ。

こんな政権だから、欽明記に書かれているように、大和からも百済・任那諸国からも
なんとなく仲間はずしというか、浮いた存在になっているのだ。
762日本@名無史さん:2008/10/09(木) 22:23:06
これが百済再現団地だとさ、奈良の建物と良く似ている
史料がないから中国や日本の建築物を見て建てたんだと
日本からの観光客も誘致するそうだ
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=105789&servcode=700§code=700
763日本@名無史さん:2008/10/09(木) 22:25:27
百済と加羅は日本の兄弟国 竹島は日本の領土
76448:2008/10/09(木) 22:44:24
とにかく、半島側の一次資料は広開土王碑文しかない。
そのうえ韓国では、いまだにこれを日本の捏造だって言ってる。
中国と日本によって、とっくに捏造疑惑は晴れてるのにさ。
オレは任那日本府はあったと思っているが、あんな文化的後進国にそれを
認めさせるのは無理だね。何十年、何百年か経ってもっと民度が上がってくれないと無理。
ヘンな連中だ、まったくw
765日本@名無史さん:2008/10/09(木) 23:51:18
百済って日本の呼び方だよな、確か中国は朝鮮三国を馬韓、弁韓、辰韓と呼んでたんだろ)
当時の史料がないのに韓国が百済って呼んでるのは日本の文献から取ってるんだろ

なのになんで百済が先進文明を倭国に伝えたとか言うことになってるんだ?
そんなことが古事記や日本初記に書かれているのか?
766日本@名無史さん:2008/10/10(金) 08:07:38
>>764
あのさ、一次史料の意味、わかってる?
当事者が、直接記録した史料のことだよ?
しかも、史料的価値と中身の信頼性はまた別問題。
そんな無茶苦茶な基準で一括切捨てなんて、コヴァが広めたでたらめなのに。
767日本@名無史さん:2008/10/10(金) 08:10:09
>>765
>百済って日本の呼び方だよな

374年に近肖古王が東晋に遣使して“鎮東将軍領楽浪太守百済王”に冊封
されている。
つまりこの時点で国名「百済」が中国に公認された記録があることになる。
倭の五王時代にはまた別の、百済王の称号がある。

ただし「くだら」という倭の訓読みの由来は別だよ。
また当時の百済語の訓読みもあったかもしれない。
768日本@名無史さん:2008/10/10(金) 08:48:50
日本府、と呼べるものがあったのなら。
当然、日本から出された公文書や命令書に当たるものが残っているんじゃない?
単に貿易所として開かれていた、とか有事に兵站基地として貸与されていた、とかいう程度の可能性もあるし。
領土と呼べるような排他的支配があったという証拠がないからな。
中華王朝に貰う称号の水増しに、支配外の地域名を出すのはザラだったから証拠としては怪しいし。
769日本@名無史さん:2008/10/10(金) 09:40:31
豊臣秀吉による壬辰の倭乱の際に全て失われてしまいました。
770日本@名無史さん:2008/10/10(金) 09:41:42
だいたい日本府があった説自体、朝鮮併合を正当化しようっていう政治的背景の産物だしねぇ。
771日本@名無史さん:2008/10/10(金) 09:51:34
>>770
参謀本部が碑文を改竄して捏造したんだよね。
772日本@名無史さん:2008/10/10(金) 09:52:49
>>771
いやそれは違う
だいたい、敵連合軍をおっかけて任那まで追撃しましたって話でしかないし。
773日本@名無史さん:2008/10/10(金) 09:58:17
現在の自国家正当化の背景もった論を批判する日韓の学者の間では、任那自体が小国連合のひとつ(あるいはそのもの)であった、倭や新羅等はその同盟国ないし敵対者として変遷したに過ぎぬ、という意見が多いね。
774日本@名無史さん:2008/10/10(金) 10:12:52
>>752
>私が「5世紀にやって来た」と書いたのは「伽耶にやって来た」ではなく
>「日本にやって来た」の意味だ。これはほぼ確実だからね。

ほぼ確実という根拠は?
775日本@名無史さん:2008/10/10(金) 12:14:44
隣国と共有できる歴史観でなければ21世紀の日本は生き残れないよ。
776日本@名無史さん:2008/10/10(金) 13:32:45
隣国と共有できる歴史観でなければ21世紀の韓国は生き残れないよ。
777日本@名無史さん:2008/10/10(金) 14:09:20
隣国と共有できる歴史観でなくても21世紀の韓国は生き残れないよ。
77848:2008/10/10(金) 14:26:55
>>777
「あっても」だろ。
779日本@名無史さん:2008/10/10(金) 15:20:34
隣国と共有できる歴史観であってもなくても21世紀の韓国は生き残れないよ。w
780日本@名無史さん:2008/10/10(金) 15:38:27
>>743
>敏達天皇が言った「内官家」(うちつみやけ)は任那だろ。
>内官家って言い方は、どうみても「親戚」くらいの意味はありそうだよね。
>伽耶(任那)は韓族(馬韓、弁韓、辰韓)の国だから、天皇家は韓族かな。

伽耶には倭人がいましたから。
その倭人達を「内官家(親戚)」とよんでるのでしょう。
伽耶どころか新羅も建国から倭人が活躍してましたから。
781日本@名無史さん:2008/10/10(金) 17:06:49
>>774
>ほぼ確実という根拠は?

お前じしんが5世紀と言っているのだから、私が根拠を言う必要はあるまい。
話をもどそう。この話はお前が>>712で:

>かつて半島に高度な製鉄技術をもつ集団がいた。 秦氏や漢氏だ。<中略>
>騎馬文化と鉄の供給源を握ってるという理由で、 日本に対して何かしら
>のアドバンテージを持ってたのか?
>それどころか彼らは日本を頼って亡命してくるよな。

と言ったことに始まる。この文章でお前が言いたいのは、「伽耶にやって
きた北方系は秦氏、漢氏などである。彼らは日本を頼って帰化するほど倭に
依存していたのだから、倭への鉄の供給を滞らせるはずがない」ということ
だ。(たぶん)

しかし、秦氏、漢氏などが北方系かどうかはともかく、彼らが倭国に帰化した
のはお前も言うとおり5世紀のことだ。
これに対して、私が提起しているのは、「3世紀末〜4世紀始めに北方系に
よって金官が成立して鉄産地の伽耶を押さえた時点で、それまでの倭への
鉄供給はどうなったのか?」という問題だ。
この問題に対して、100年後の状況、すなわち高句麗の侵攻を経てすでに
任那の崩壊が始まっている時代の状況が、なにかの証拠になると言うのか?

お前の言っていることは、例えば日本の現在の国際関係をもって、日露戦争
の頃の日本の国際関係を説明できる、と言うのと同じではないか?
782日本@名無史さん:2008/10/10(金) 17:53:51
>>781
どうせおまえの言いたい事は分かってる。
4
世紀前後から伽耶にいる北方系が、
鉄の供給という圧力でもって、
大和政権に参画したのじゃないかという、
朝鮮人顔負けのスケベ話だろ。

だから言ってるじゃないか。
3世紀から始まった日本の古墳造営が、
豊富な鉄具によって4世紀にはさらに拡大してる。
また鉄の代価らしきものも伽耶に見当たらない。
大和政権が豊富な鉄を手に入れてたという事だ。

これらの事実は4世紀前後から伽耶にいる北方系の、
日本への鉄の供給断絶を説明できないじゃないか。
さらに彼らの文化(騎馬用甲冑など)は4世紀の日本にない。
ずっと後だ。

以上、彼ら北方系は、
ただ鉄の産地・伽耶にいて製鉄に関わってたという以外にないのだ。
それが5世紀前後にいなくなるのだから、秦氏だったらピッタリくるよね。
783日本@名無史さん:2008/10/10(金) 19:56:38
>>771
さすがに李進熙の碑文改竄説はもう通用しないだろう。

任那日本府の存在を根拠に半島南部の領有権を主張するような
日本勢力が登場するようなら断固としてはねつけるのは当然だが。
78448:2008/10/10(金) 21:44:21
>>783
そんなこと考える日本人はいないだろw
オレ自身、君のレス読んで「その手もあるのか」と初めて気付いた。
いずれにせよ日本人の感覚じゃない。
785日本@名無史さん:2008/10/10(金) 22:06:15
>>782
なんで秦氏が北方系でなければならないのかがわからない。

当時、百済も鉄を産した。七支刀は鉄売り込みの製品見本だという説も
あるくらいだ。秦氏が製鉄技術を持つというのなら、それは秦氏が百済
から来たという日本書紀の記述と整合するではないか。

また秦氏は新羅系であるという説も根強いが、新羅も当時は倭より技術は
進んでいただろうから、鉄の原料は産しなくても製鉄技術はあっただろう。

さらに言えば秦氏が伽耶出自だというのなら、別に北方系支配者でなくても、
クヤ韓国以来の土着民であってもよい。土着民であれば倭系である可能性
だってある。

これらの可能性のなかで、なんで北方系を選ぶのかがわからない。
786日本@名無史さん:2008/10/10(金) 22:15:33
>>782
>伽耶にいる北方系の、 日本への鉄の供給断絶を説明できないじゃないか。

別に私は、鉄の供給を断絶した、と断定しているわけではない。
彼らは鉄の供給に関してフリーハンドを持った、つまり断絶してもよい
ポジションにあった、と言っているのだ。

このポジションはなんらかのメリットにつながったはずだ。
ちょうど核の香りだけで食糧、燃料を手に入れる北朝鮮のようにね。
それを否定するなら、北方系は鉄の産地を手に入れるや否や、自発的に、
ただで、周辺諸国に鉄を供給した、ということになる。
お前の言っているのはそういうことか?
787日本@名無史さん:2008/10/10(金) 22:26:08
>>785
俺は大和岩雄の『秦氏の研究』を読んでないので、読んだ人のブログより


大和氏によると、秦の民は朝鮮半島の南端にあった加羅(伽耶)、特に金海地域から移住してきたという。
秦氏たちは、自らを秦の始皇帝の末裔だと称していた。
秦の一族は伽耶の前にあった弁辰という国の出身だが、その地では弁辰人と辰韓人が雑居していたといわれる。
この二つの種族が混在して渡来したのが秦氏であり、その中にいた辰韓人が秦始皇帝の末裔だと称したというのが大和氏の説だ。
788日本@名無史さん:2008/10/10(金) 22:30:45
>>786
わかりやすく言えば、
総合商社「大和」の製鉄部門の技術者さんたちだ。
789日本@名無史さん:2008/10/11(土) 00:12:57
で、秦氏は今の韓国人なの?
790日本@名無史さん:2008/10/11(土) 00:41:53
>789
部族ごと渡来してきてるので、
今の韓国人とは何の関係も有りません。
791日本@名無史さん:2008/10/11(土) 08:53:30
ウヨクが感情剥き出しで煽るのが邪魔だな。コテつけてくれよ、あぼんが楽だから。
792唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/10/11(土) 11:09:25
3世紀後半より 半島南部に前方後円墳が造られる。
272年頃神功渡海 この時を書紀で見ても戦らしい戦をしていない
つまりこの頃には、崇神以来の任那国が半島に存在し、魏国滅び半島は、空洞化
新羅、百済が次第に国としての形を整える、中央の小国群は両方から圧迫される。
そこで 任那国は、神功を招き入れ 此所に倭国の屯倉を置く。
倭国は、魏から金印を授受された国。百済は、魏国の群支役所が置かれた程度の国
百済は、神功と通好を結ぶ(新羅に対し有利)。

神功が後40〜60年後では、こうは行かない。
793日本@名無史さん:2008/10/11(土) 22:42:22
>>792
いやだからそれが事実なら日本の教科書に載せろよ
日本の教科書では百済や新羅などから鉄や最先端技術、仏教が倭国にもたらされた
って類で書いてるだろ
倭が半島南部を制圧して間接的にでも治めていたのなら、それが事実なら
日本国民に教えるべきだ
794日本@名無史さん:2008/10/11(土) 23:00:02
>>793

同じことしか言えないのかお前?
日本の教科書ってのは選択することができて、任那日本府の記事がある
ものだって存在する。
ただ、任那日本府と言われる政治集団とヤマト王権との関係性が学会で
も諸説あるからこそ、多くの教科書は慎重な態度でいるんだ。
最も、朝鮮半島南部の前方後円墳や巴系腕輪・糸魚川産のヒスイ製勾玉
の存在が、当時半島南部に日本人勢力がいたことを示しているが。

所で、韓国ではありもしない檀君朝鮮を本気で教えているようだが、それは
事実なのか?
795日本@名無史さん:2008/10/11(土) 23:57:40
>>792
>3世紀後半より 半島南部に前方後円墳が造られる。

今のところ確認されてないし無理かな。
でもいつか見つかるかもしれない。
北九州に前方後円墳が造られるのがその時期なので。
796日本@名無史さん:2008/10/14(火) 05:34:14
朝鮮人が必死な件
797日本@名無史さん:2008/10/15(水) 16:41:40
うん
798日本@名無史さん:2008/10/15(水) 16:46:25
みまなのやまとのみこともち、というと、いかにも任那日本府が天皇の詔勅
を受けとってこれを諸国に伝達しているように聞こえるが、欽明記を読むと
事情は異なる。
任那日本府に天皇の勅は行かない。
任那日本府は、天皇の勅が届いたと人づてに聞いて、その内容を知るために
百済に使いをやるのだ。

任那日本府は、あれだけ欽明記に具体的に書いてあるからには、存在した
と思うが、その性格を考えるには、上記のようなことも考慮しなくては
ならない。
799日本@名無史さん:2008/10/15(水) 17:59:51
そのまえに、欽明記に「日本」の呼称があったことを証明せよ。
800日本@名無史さん:2008/10/15(水) 19:24:26
>>799  この事じゃないか。
癸未年八月....「日十大王」隅田八幡神社人物画像鏡

「癸未年」がいつに当たるかについては多くの説があるが、西暦443年
とする説、503年とする説が有力である。

「日十」を「日下」と読み日下大王、即ち大草香皇子のことではないか
との説もある。(森浩一)(ヒノモトノクサカ)
801日本@名無史さん:2008/10/15(水) 20:07:11
河内のクサカが日本国だというわけ?
802日本@名無史さん:2008/10/15(水) 20:26:21
河内の日下の近くにナガスネヒコを祀る石切神社、元春日の枚岡神社、
神武東征の盾津の湊が有るし歴史は深いよ。
803日本@名無史さん:2008/10/15(水) 20:40:01
今、BSで「チュモン」って韓国ドラマやってるけど日本のダサイ古代服なんかより
全然凄いね、ハデで繊細でカッコイイ高句麗時代の芸術的な古代服
品のあるハチマキみたいの巻いてるが日本のみたいに下品ではない、家紋が印刷されている
実はハチマキも韓国起源かなw
同時代の中国の古代服よりも断然カッコイイかも

兵隊の鎧や甲冑までも日本の戦国時代(1570年頃)よりも力強く、デザインも
キメ細かく鮮やかでいかにも強そうだ
紀元前から600年ぐらいの間に栄えた国らしいけどその頃の日本にはこんな
洗練された服は絶対作れないよ
やっぱ韓民族は偉大だね
804日本@名無史さん:2008/10/15(水) 20:41:29
枚岡神社の比賣御神がヒミコだったわけか。
805日本@名無史さん:2008/10/15(水) 23:22:20
朝鮮人が必死な件
806日本@名無史さん:2008/10/16(木) 08:47:21
>>799
>そのまえに、欽明記に「日本」の呼称があったことを証明せよ。

もちろん、欽明記には「日本」も「日本府」も「天皇」もある。
証明しなくても読みさえすればよい。
これらの言葉が欽明記に使われているのは、これらの言葉がすでに
できていた時代に欽明記が書かれたからだ。
こんにち、我々が欽明の時代を語るのに、これらの言葉を使うのと
同じことだ。
これらの言葉が実際に欽明の時代において、どんな形をとり、どんな
風に発音されていたかは別問題だ。
807日本@名無史さん:2008/10/16(木) 08:51:47
>>803
「チュモン」の風俗は、すべてドラマ制作者によるデザインです。
古代の高句麗の、実際の風俗とは関係ありません。
808日本@名無史さん:2008/10/16(木) 09:23:04
王莽に斬首されたのがチュモンだっけ?
80948:2008/10/16(木) 13:31:23
半島からの電波は無理やりコジツケたやつばかりだから、
すぐボロがでるなw
ギャラをケチらないでもっと優秀なのを雇えよ。
読んでいて面白くない。
810日本@名無史さん:2008/10/16(木) 17:11:48
「このドラマはフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係がありません。」
>>809  韓国ではドラマの後にこの一文入れてないの?
811日本@名無史さん:2008/10/16(木) 17:33:54
>>810
釣られ過ぎですな
81248:2008/10/16(木) 17:37:53
>>811
別にいいじゃんw
813日本@名無史さん:2008/10/16(木) 18:34:31
>>807
■朱蒙=チュモン

紀元前37年、その高句麗を建国したとする人が「朱蒙=チュモン」であり、王名を
「東明王」といいます。神話では東扶餘の地で、水神・河伯(ハベク)の娘「柳花(ユファ)」
は天から降りた強い光によって身籠もり、不思議なことに大きな卵を産む。
卵がかえり、男の子が産まれ、武芸に優れた凛々しい若者に成長する。
この若者が後の高朱蒙(東明王)となります。
http://homepage3.nifty.com/tommy1949/Koguryo.htm

紀元前37年にあんな奈良や京都にあるような建物や、金や銀に輝く鎧や甲冑
高句麗の聖服などは日本の1600年代の水準よりも上だと感じた

紀元前37年なんて日本はまだ多数の部落が存在していた弥生時代で統一国家さえできてない
本当にドラマ「朱蒙」のようなあんな優れた文明を持っていたんだろうか?

814日本@名無史さん:2008/10/16(木) 19:43:49
中国南北朝時代の「宋書」から倭の五王についての官位・爵位。

421年 讃 叙爵
438年 珍 安東将軍・倭国王
443年 済 安東将軍・倭国王
451年 済 安東将軍・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事
462年 興 安東将軍
478年 武 安東大将軍・倭国王・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事
815日本@名無史さん:2008/10/16(木) 20:02:25
倭王旨は百済の侯王だったという。
816日本@名無史さん:2008/10/16(木) 20:22:33
何も残って無いって便利だな、何でも出来るって事だものな。
817日本@名無史さん:2008/10/16(木) 21:18:03
http://www.chosunonline.com/article/20081016000044
こんな感じ
戦国の織田信長の甲冑よりカッコイイよマントもついてるしw
818日本@名無史さん:2008/10/16(木) 22:40:32
>>813
彼の国では高句麗人が韓国人と同じだと本気で思ってるからかなり脚色はあるだろうが、
とりあえず漢と同時代なんだからそれなりのものはあっただろう
819日本@名無史さん:2008/10/17(金) 03:21:43
魚羊族は遺伝子レベルでレイプ民族である。
朝鮮王国時代には奴隷制度があって、人口の4割が奴隷だったのだ。
奴隷女(婢)は主人にレイプされ放題で、その結果生まれた子供は男も女も奴隷となる。
そしてその奴隷女の娘は、主人か主人の息子に近親レイプされるのだ。
このように近親レイプによって500年かけて濃縮された遺伝子を持つのが、魚羊族だ!
820日本@名無史さん:2008/10/17(金) 03:24:30
何も遺物がないのをいいことに捏造し放題なチョンは世界のゴミだな
821指並太郎リターンズ ◆GPDV33Riho :2008/10/17(金) 09:44:59
>>817
鉄の甲冑ってほとんど威信財だろ。
日本でも古墳時代中期あたりから副葬されてる。

実戦にあんなもの重くて使えない。
822日本@名無史さん:2008/10/17(金) 09:50:15
>>819韓国や在日朝鮮人の性犯罪が多いのは、先祖以来のレイプ遺伝子をうけついでいるからということですね。 
823日本@名無史さん:2008/10/17(金) 10:23:21
韓国が破綻して支那領になったら任那について研究が進むかもね
824日本@名無史さん:2008/10/17(金) 13:26:03
>>803
あれは日本の戦国時代や古代の資料を参考にして恥ずかしげもなく
でっちあげた、まあ学芸会の衣装のようなもの。時代考証もなにもない、
よせあつめの妄想デザインだ。ストーリーだって空想ファンタジー。
ハリウッド映画や日本の時代劇のパクリだろう。
825日本@名無史さん:2008/10/17(金) 16:14:17
>>799>>806
欽明「紀」だよ。
826日本@名無史さん:2008/10/17(金) 21:01:43
■よりによって日本がノーベル賞受賞の日に韓国は盗作でニュースに・・・まあ韓国らしいですね

ソース:NAVERニュース(元配信はハンギョレ新聞。)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=105&oid=028&aid=0001969668

韓国の科学者が論文盗作で再び国際的に恥をさらすことになった。

イギリスで発刊されている著名な科学ジャーナル <ネイチャー>8日分で「国際学術誌
<実験的老学者(Experimental Gerontology)>に掲載された1999年の論文”微重力と
超重力が老化・長寿に及ぼす影響”が韓国学術誌の論文としてほぼそのまま盗作され
ていた。」とし“露骨な盗作”であると報道したのである。

このジャーナルではアメリカ研究チームが盗作検索ソフトウェアを使用し捜し出した世界
科学論文の盗作実態を伝える一方で国内英字学術誌<韓国生物科学ジャーナル>に掲載
された金学烈前高麗大教授(生物学・2005年退任)の2000年論文を代表的な盗作事例と
して扱っている。

これに対し金前教授は「当時老化関連シンポジウムの主催者がこちらの昆虫分野での
論文に合わせて そちらも数を揃えてもらえないかと言われ、その日のうちにあわてて
幾つかの論文 を整理し急遽使用してしまった。」とし「シンポジウム主催者に合わせよう
として、このように なってしまい後悔しています。」と語った。

国内生物学研究情報センター(ブリック)の掲示板には「日本科学者がノーベル賞を受けて
韓国の科学者が盗作をしたという記事がよりによって同じ日に<ネイチャー> のニュースと
して掲載されるなんて絶句する。」、「純粋なハングル版の学術誌にまで調査範囲を広が
れば 単純翻訳版の論文が数えきれないぐらいヒットするんじゃないか。」などの嘆きの
声が続いていた。

関連スレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1223620133/
82748:2008/10/18(土) 08:03:18
>>826
その関連スレ、超オモロ!
小一時間ほど、腹かかえて笑っちまった。
朝鮮人のみなさんには同情しますよ。
いや、ホントにw
828日本@名無史さん:2008/10/18(土) 18:09:21
中国南北朝時代の「宋書」から倭の五王についての官位・爵位。これが半島の現実。

421年 讃 叙爵
438年 珍 安東将軍・倭国王
443年 済 安東将軍・倭国王
451年 済 安東将軍・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事
462年 興 安東将軍
478年 武 安東大将軍・倭国王・使持節・都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓6国諸軍事

829日本@名無史さん:2008/10/18(土) 20:22:32
朱蒙=チュモン見てると 日本がいかにショボイ国かよく分かるだろ
紀元前35年にあんな精巧な甲冑や聖服、壮大な瓦建築をすでに確立していたなんて
高句麗が東アジアのローマ帝国と呼ばれる所以なわけだ
日本はその頃、国家もない部落の弥生時代だからねw

高句麗は隋や唐に幾度も攻められたが撃破し独立を守った偉大な国
200万の唐軍に攻められても打ち負かし、百済、新羅領域に進出してきた劣等な倭軍
もあっさり追い払った偉大で優秀な民族

現在の韓国人にとっても百済や新羅より高句麗が好きだと言う人が多い
我々には誇り高き高句麗人の血が流れているのだから倭人とはできが違うのだよ

日本の聖徳太子を教育してやったのも偉大な高句麗人だしね
少しは感謝しなよ倭人のみなさんw
830日本@名無史さん:2008/10/18(土) 20:31:28

「このドラマはフィクションであり、実在の人物・団体等とは一切関係がありません。」

>>829  韓国ではドラマの後にこのテロップ入れてないの?
831日本@名無史さん:2008/10/18(土) 21:53:04
>>830
>>829は朝鮮半島というのは因果律と時間を逆行して、その後1900年間文化と文明が退化した
と言いたいんだよ
近代にはいってようやくハングルと言う文字を作り自前で自分達の言葉を文献に残せるようになった国だ
李氏朝鮮の現実を紹介した朝鮮紀行
明らかに文化、文明が退化して行った証拠だな
832日本@名無史さん:2008/10/18(土) 22:19:01
>>829

>>824
そういうことだ。
833日本@名無史さん:2008/10/19(日) 01:42:59
釣られすぎ。
834日本@名無史さん:2008/10/20(月) 08:29:10
>>828
同じ時期、百済王のほうが格上だったって、知ってた?
835日本@名無史さん:2008/10/20(月) 13:25:18
雄略の時に百済より上の扱いを受けるのに成功したんだよな
836日本@名無史さん:2008/10/20(月) 14:57:47
>>835
倭王武の時代に漸く実態を反映した評価になったと言うことだろう.
837日本@名無史さん:2008/10/20(月) 23:32:00
韓国人は百済より高句麗に誇りを持ってる
838日本@名無史さん:2008/10/21(火) 00:37:12
>>837
韓国人

「百済」⇒日本を属国にしたと思ってる。
「高句麗」⇒満州を占領した朝鮮最大の王朝だと思ってる。
839日本@名無史さん:2008/10/21(火) 01:00:41
>>834
百済が日本に朝貢してたじゃんw
840日本@名無史さん:2008/10/22(水) 08:10:00
>>839
周辺国同士の関係と、中国から見た周辺国の支配者の「格」とは別問題。
841日本@名無史さん:2008/10/22(水) 11:51:14
中国からは日本は同格または別格と見ていたみたい。
842日本@名無史さん:2008/10/22(水) 20:30:32
AD438年 宋 元嘉15年

珍 これより先、倭王讃没し、弟珍立つ。この年、宋に朝献し、自ら「使持節都督・百済・新羅・
任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」と称し、正式の任命を求める。(『宋書』倭国伝)

4月、宋文帝、珍を安東将軍倭国王とする。(『宋書』文帝紀)
珍はまた、倭隋ら13人を平西・征虜・冠軍・輔国将軍にされんことを求め、許される。(『宋書』倭国伝)
843日本@名無史さん:2008/10/22(水) 20:32:48
AD477年 宋 昇明1年

武 11月、遣使して貢物を献ずる。(『宋書』順帝紀)

これより先、興没し、弟の武立つ。武は自ら「使持節都督倭・百済・新羅・
任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東太将軍倭国王」と称する。(『宋書』倭国伝)
844日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:35:53
http://www.chosunonline.com/article/20081021000036
この帽子ってなんなの?w
845日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:44:30
■韓国文化に惹かれて写真集を出版…渡辺恒子さん

日本の伝統文化の礎石は韓国が築いてくれたものだということを知った」と明らかにした。
それとともに「日本はかつて韓半島の芸術や宗教を受け入れて最初の文明を生んだ。
日本人はこれに対して感謝の心をもつべきだと思う。
韓国の伝統文化は日本人の胸に重い響きを与えている」と話す。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=106175&servcode=400§code=430
中央日報

日本人が認めてんじゃんwww
846日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:54:15
渡辺恒子さんが認めてることがなぜそんなに嬉しいのか聞いてみたい
847日本@名無史さん:2008/10/23(木) 00:39:28
>>840
ははw
その中国はツングース王朝に朝貢して自ら格下だって認めてたっけなw
848日本@名無史さん:2008/10/23(木) 06:24:15
日本の朝鮮半島進出の証とされる好開土王の碑文や
半島南部の前方後円墳の研究は今どうなっているのだろうか。
849日本@名無史さん:2008/10/23(木) 21:19:23
>>847
>周辺国同士の関係と、中国から見た周辺国の支配者の「格」とは別問題。

実例を挙げればわかりやすいだろう。
高句麗が滅んだあと、唐は遼東に高句麗王朝の血を引く傀儡国を立てた。
その支配者は「国王」である。
しかし実際はその北方の、同じく高句麗王朝の血を引く渤海のほうが強勢
であった。傀儡国はおそらく両属していただろう。
しかし唐は渤海の支配者を、傀儡国の手前、国王に封じるわけにはいかな
かった。だから渤海郡王にした。国王より格下だ。
渤海郡王が国王になれたのは、渤海が傀儡国を実力で滅ぼした後であった。

中国から見た周辺国支配者の「格」と、その実力あるいは周辺国同士の関係
が一致しない例だ。
850日本@名無史さん:2008/10/23(木) 21:52:50
七支刀の銘文だが、百済王世子奇生(近仇首王、貴須王)が「侯王」たる「倭王旨」に
七支刀を下賜したと解釈できないこともない。

この場合、「倭王旨」の「旨(シ)」は、オ「シ」ロワケ王(景行天皇)かもしれない。
851日本@名無史さん:2008/10/24(金) 01:12:52
>>849
だから、ツングース金や匈奴に朝貢してたんだから「中国から見て相手が格上」と認めてたんだろw

>>850
日本に朝貢していた百済が下賜できるわけないだろw
852日本@名無史さん:2008/10/24(金) 02:16:27
>>850

日本の帯金式短甲が百済にまで波及してる。
百済が日本の配下であった証拠だ。
853日本@名無史さん:2008/10/24(金) 02:59:13
漢文知らずのアホは、残念なことに学者の中にもたくさんいて
彼らが珍妙な解読説をいいだすわけだが
漢文の読み方に関しては江戸時代や明治など昔の方がはるかに正確。
854日本@名無史さん:2008/10/24(金) 06:50:27

土地だけは返して貰うか?土地代をとるかだな!

855日本@名無史さん:2008/10/24(金) 08:00:23
851
>金や匈奴に朝貢してたんだから「中国から見て相手が格上」と認めてたんだろ

それどころか、中国(南宋)は金に対して「以後は臣従します」という一冊まで
入れている。だからこそ中国は金の支配者を国王に封じたりしてはいない。
金は中国から見て「格外」だったのだ。

私は、「倭が百済より強勢であることが、直ちに、中国から見て倭の支配者が
百済の支配者より格上であることを意味しない」という話をしているのだからね。

856日本@名無史さん:2008/10/24(金) 08:02:39
>>855
t訂正
誤:一冊  正:一札
857日本@名無史さん:2008/10/24(金) 22:37:44
4世紀末から5世紀にかけて百済が倭国に質を送ったことについては、
大国や上位の国が信義の証として下位の国に質を送ったものと解釈されている。

百済王世子が「侯王」たる倭王に刀を下賜したことと矛盾しない。
858日本@名無史さん:2008/10/24(金) 22:54:04
すると同時代の中国の王朝も百済に質を送ったわけっすね
859日本@名無史さん:2008/10/25(土) 00:39:14
同時期の新羅は倭と高句麗に人質を送っている。
>大国や上位の国が信義の証として下位の国に質を送ったものと解釈されている。
とすると
慶尚道の半分程度の領土しかない新羅が
倭に対しても上位
高句麗にに対しても上位
となる。

スゴイわ。
860日本@名無史さん:2008/10/25(土) 01:10:56
>>855
百済が日本に朝貢してたんだから格下だろw

>>857
>4世紀末から5世紀にかけて百済が倭国に質を送ったことについては、
>大国や上位の国が信義の証として下位の国に質を送ったものと解釈されている。

どんだけウリナラ解釈だよw
さすがは、元に征服されたことを「高麗がモンゴルを吸収した」と学校で教えてる国だけあるw
861日本@名無史さん:2008/10/25(土) 04:30:52
日本書紀読んでも韓国人が言う、任那が無かったニダ!なんて信じられねーw
あんだけ人名やら地名やら出てきて泥臭さとリアルさがあるものが嘘とか、どんな名作家だよwwww
862日本@名無史さん:2008/10/25(土) 05:49:35
三国史記のテンシ王についての記述を読むといい。
明確に「質」と書かれている。
また、彼の父王がなくなった際、弟との王位継承争いを
倭王の力を借りて制している。
特にテンシ王が倭王に泣きながら帰国を請う場面を読めば
両国の力関係は明らかだ。
863日本@名無史さん:2008/10/25(土) 08:11:23
>>860
>百済が日本に朝貢してたんだから格下だろw

百済が倭の朝貢国であったことは私も認めるのだよ。
「上位の国が下位の国に対して与える信義の証」などというのは韓国の学者、
あるいは韓国におもねる日本の学者が考えた苦し紛れの説だ。
しかしなんども言うが、それは周辺国同士の上下関係だ。

その上下関係が、中国が周辺国に与える形式的な「格」の関係とは
一致しない、ということを私は言っている。だから、中国が与える
称号をもって、周辺国同士の上下関係を云々することはできないのだ。

たしか、倭の五王時代の、すくなくとも武以前においては、中国は
「鎮東将軍」に「大」をつけるかつけないか、などのテクニックで、
百済王のほうを上位においていたのではないか?
86448:2008/10/25(土) 10:28:08
>>863
こういう意見はいいね。
素直に考えさせられる。
同意するかどうかは別にしてね。
倭の五王までは、半島と列島はほぼイコールくらいの緊密な関係。
最後の武王・仁徳あたりから、列島が独自の歩みを始めた。
どうもそんな気がするが・・・。
865日本@名無史さん:2008/10/25(土) 21:54:29
小林恵子って作家は、
仁徳天皇陵を高句麗の好太王の墓だとか言ってるらしいね。

おそろしい電波作家だなw
866日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:21:00
中国史料における任那

『日本書紀』(720年成立)よりも古い記述を含み、信頼性が高いとされる。
『三国志』魏書東夷伝・弁辰諸国条の「弥烏邪馬みわやま」が任那の前身とする説がある。
広開土王碑文(414年建立) : 永楽10年(400年)条の「任那加羅」が史料初見とされている。
『宋書』では「弁辰」が消えて、438年条に「任那」が見え、451年条に「任那、加羅」と2国が
併記される。その後の『南斉書』も併記を踏襲している。『梁書』は、「任那、伽羅」と表記を変えて併記する。
525年前後の状況を記載した『梁職貢図』百済条は、百済南方の諸小国を挙げているが、すでに任那の記載はない。
『翰苑』(660年成立)新羅条に「任那」が見え、その註(649年 - 683年成立)に「新羅の古老の話によれば、
加羅と任那は新羅に滅ばされたが、その故地は新羅国都の南700〜800里の地点に並在している。」と記されている。
類書の『通典』(801年成立)、『太平御覧』(983年成立)、『冊府元亀』(1013年成立)もほぼ同様に記述している。
867日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:23:21
朝鮮半島史料における任那

朝鮮半島史料では任那は次の2つの記載しかない。
『鳳林寺真鏡大師宝月凌空塔碑文』(924年成立) : 大師の俗姓について
「任那の王族に連なる新金氏」としており、ここでの任那は金官伽耶を指すとされている。
『三国史記』(1145年成立) : 本紀には現われず列伝に1例が認められるのみである
(巻46・強首伝:「臣本任那加良人」)。
868日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:26:41
日本史料における任那

『肥前風土記』(713年成立)松浦郡条に「任那」が見え、
『日本書紀』(720年成立)崇神天皇条から天武天皇条にかけて「任那」が多く登場し、
『新撰姓氏録』(815年成立)に「任那」、「弥麻那」、「三間名」と見えている。
地理上、任那が朝鮮半島における日本に最も近い地域であり、重要な地域であった
ことに由来し、日本の史料が最も豊富な情報を提供している。これらの史料によると
日本(倭)は、任那滅亡後に新羅に「任那の調」を繰り返し求めており、従来日本(倭)
に対し朝貢していたように書かれている。なお、646年(大化2年)、高向玄理が新羅へ
派遣され、質(人質の意だが実質的には外交官と推察されている)を送ることと引き替えに
、これまで「任那の調」の代行納入を新羅に求めることは廃止され、質として
金春秋(後の武烈王)が来日している[15]。

869日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:29:25
魏に続く晋代になり、290年頃に八王の乱が起きて中原が乱れると、鮮卑の慕容氏が
強勢になって遼東と遼西に進出し、楽浪・帯方両郡は中原との陸路の連絡を絶たれ
弱体化した。そして高句麗の攻撃を受けて、313年には楽浪郡が、翌314年には帯方郡
が滅亡した。346年には前燕(慕容氏)による高句麗の一時的壊滅と、さらに357年の
前燕の中原進出に伴う高句麗の再起と、朝鮮半島南部への政治的圧力関係は、めまぐるしく
情勢が変化した。この間に朝鮮半島南部の政治状況は一気に流動化したと考えられ、
魏代の弁辰(弁韓)諸国は任那に再編成されたと推測される。一つの仮説ではあるが、
その時期は320年から350年代、しぼってみると345年から355年頃ではないかと考えられる。

870日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:34:46
1983年に慶尚南道の松鶴洞一号墳(墳丘長66メートル)が前方後円墳であるとして
紹介されて以来、朝鮮半島南西部で前方後円墳の発見が相次いでおり(その後の調査
により、松鶴洞一号墳は築成時期の異なる3基の円墳が重なり合ったものであり、
前方後円墳ではないことが明らかになった[10])、これまでのところ全羅南道に11基
、全羅北道に2基の前方後円墳が確認されている[11]。また朝鮮半島の前方後円墳は
いずれも5世紀後半から6世紀中葉という極めて限られた時期に成立したもので、
百済が南遷する前は金官伽耶を中心とする政治的領域の最西部であったとする説[5]が
ある地域のみに存在し、円筒埴輪や南島産貝製品、内部をベンガラで塗った石室と
いった倭系遺物を伴うことが知られている[11]。そのため、ヤマト朝廷と深い関連を
持つ集団(ヤマト朝廷から派遣された官吏や軍人、ヤマト朝廷に臣従した在地豪族)
が伽耶地域とその西隣の地域において一定の軍事的影響力および経済的利権を有して
いたことについてはほぼ確実視されるようになった
871日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:36:59
ヤマト朝廷の勢力を示す他の傍証としては、新羅・百済・任那の勢力圏内で大量に出土
(高句麗の旧領では稀)しているヒスイ製勾玉などがある。戦前の日本の考古学者は、
これをヤマト朝廷の勢力範囲を示す物と解釈していたが、戦後、朝鮮から日本へ伝来
したものとする新解釈が提唱されたことがあった。しかし、朝鮮半島にはヒスイの原産地
がなく、古代においては東アジア全体でも日本の糸魚川周辺以外にヒスイ工房が発見
されないこと[13]に加えて、最新の化学組成の検査により朝鮮半島出土の勾玉が
糸魚川周辺遺跡のものと同じであることが判明し、朝鮮半島由来説は否定された[14]。

872日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:44:27
倭の五王の上表文

倭王武(わおうぶ)は、宋の昇明2(478年)年5月、宋の皇帝順帝(じゅんてい)に上表文を奉っている。
「封国は偏遠(へんえん)にして藩(はん)を外に作(な)す。昔から祖彌(そでい)躬(みずか)ら
甲冑(かっちゅう)を環(つらぬ)き、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)に
遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。渡りて海北を
平らぐること、九十五国。王道融泰(ゆうたい)にして、土を廓(ひら)き畿を遐(はるか)にす。
累葉朝宗(るいようちょうそう)して歳(としごと)に愆(あやま)らず。」(『宋書』倭国伝)

倭王武は、祖先の功業の成果として、東国の毛人の国々のみならず、対馬海峡を渡って南朝鮮の国々まで、
ヤマト政権の威力が行き渡っているかのように誇らしげにうたいあげている。この第1段とも謂うべき
ところが特に有名である。この上表文には、『春秋左氏伝』・『毛詩(もうし)』・『荘子』・
『周礼(しゅらい)』・『尚書(しょうしょ)』等から引かれているものが見受けられるという。例えば、
「躬ら甲冑を環き、山川を跋渉す」などは『春秋左氏伝』にも見られる字句である。この上表文を書いた
雄略朝官人の漢文の教養の深さが窺われる。 「倭の五王」のうちの倭王武は、雄略天皇に比定されている。(→古墳時代)

873日本@名無史さん:2008/10/25(土) 23:12:18
>>865
聖徳太子はエフタルの王子なんだって。
874日本@名無史さん:2008/10/25(土) 23:36:40
◆「任那」(中国語版)◆wikipedia
任那(369—562年)是古代被認為存在於朝鮮半島的地域,相當於三韓中的弁辰,弁韓的地。
過去曾被認為受古代日本(倭)的任那日本府統治。

◆「任那日本府」(中国語版)◆wikipedia
此機構是否曾確實存在,至今仍有不同說法,並無定論。
日本書紀等日本史書及中國與朝鮮的史書中存在反映倭國在朝鮮半島有一定影響力的記錄。
記錄新羅與百濟服屬於倭國的廣開土王碑的竄改說近年被否定。
朝鮮半島開始發現日本列島獨特的墓制前方後圓墳,舊新羅、百濟、伽耶地域亦大量出土日本產的翡翠製勾玉(舊高句麗地域稀少)。
因此等諸因素的存在,近年出現若干承認伽耶地域倭人的集中居住或倭國的影響力的說法論斷。

此類研究成果說明了與大和朝廷存在緊密關聯的某種集團(大和朝廷派遣的官吏與軍人或臣服於大和朝廷的當地豪族等)
在伽耶地域存在一定的軍事影響力及特殊經濟權利等。
然而此等倭系豪族與日本府的關係究竟如何,存在不同說法,亦有意見對是否存在民政統治組織表示懷疑。

"任那日本府"的名稱,是後世"日本"國號出現之後的稱謂。
當時名稱為"倭府"。
875日本@名無史さん:2008/10/26(日) 01:23:05
>>863
百済が日本に朝貢してることを理由に席次を改めさせたことがあったろ
876日本@名無史さん:2008/10/26(日) 02:13:08
>>873
>聖徳太子はエフタルの王子なんだって。

奈良の猫塚から出た冑がエフタル系とかで…って話?

猫塚からは他にも数点の冑が出土してて、
その中の一つなんだけどね。

現代人に、ジーンズはいてるからアメリカ人だろ?と言うのと変わらないアホさだよねw

877日本@名無史さん:2008/10/26(日) 08:52:47
>>863
>百済が日本に朝貢してることを理由に席次を改めさせたことがあったろ

それは唐の時代になってからの話。
上で言っているのは倭の五王時代の話。

しかし、唐の時代になってもなお、「百済のほうが上席」という意識が
百済側にあった、という証拠にはなっている。
もちろん、対中国の席次だよ。間違えないように。
878日本@名無史さん:2008/10/26(日) 11:03:09
新羅じゃなかった?
879日本@名無史さん:2008/10/26(日) 14:02:29
>>873 聖徳太子=突厥の達頭とかいうのがシナに追われて日本へ逃亡したという説だったが。

(「聖徳太子の正体」)
880日本@名無史さん:2008/10/26(日) 15:18:11
>>878
そうだったね。
618年 唐建国
630〜659年 第1回〜第4回遣唐使
660年 唐による百済の第一次滅亡
663年 白村江の戦い(百済の第二次滅亡)
753年 吉備真備、新羅と席次争い

百済との席次争いがあったとすれば上記第1回〜第4回の遣唐使の
ときか、それ以前の2回の遣隋使のときだが、どうもそのような話
はないようだ。 
881日本@名無史さん:2008/10/26(日) 19:17:13
>>879
小林恵子も江上波夫も、
敗戦というトラウマを背負ってるからね。
日本を必要以上に小さく情けなく感じてしまい、
逆に大陸の諸民族を強く逞しく感じてしまうのだろう。
戦後生まれの俺たちには敗戦を経験した彼らの精神状態は経験できないし、
したがって無為に批判はしないが。

まぁこの人たちは反日というより喪日と言った方がふさわしいかもね。
88248:2008/10/26(日) 19:30:46
小林恵子氏は1936年生まれだと。もう70過ぎか・・・。
でも、このトシで学界常識に真っ向挑戦の新説を唱えるなんて、
十分、尊敬に値する。ただ、その説を信じるかどうかは別だけど。
斬新な説には間違いない。オリジナルまったく無しの多くの日本人学者
より数十倍も偉いよ。
883日本@名無史さん:2008/10/26(日) 19:38:17
席次は中国が決めたんだから、中国が新羅を日本より上と見てたんだろ。
884日本@名無史さん:2008/10/26(日) 19:42:42
喪日か。すごい造語力だな。感心した。
885日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:01:27
反日とは自分を受け入れない日本社会が基本的に大嫌いなやつらだけど、
喪日とは好きだった日本が戦争に敗けちゃって、
一瞬とはいえアイデンティティを喪失しちゃった人たちだろうね。
886日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:05:07
>>882
学者は小説家じゃないのだから、
斬新な説を作る必要もないよ。
887日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:33:01
>>883
>席次は中国が決めたんだから、中国が新羅を日本より上と見てたんだろ。

その通り。8世紀になっても中国の意識はこの有様だったのだ。
それは中国の立場になって見ればわかる。
地続きで来れて、毎年遣唐使を送ってくる相手と、
海の彼方だから遣唐使は15年に一回でいいよ、と言って
ある相手と、どちらを重視するか?
888日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:46:25
>>885
「反日日本人」とは
「戦後長い間続いた自民党右翼勢力独裁政治に嫌気が差した日本人」
の事である。
政府が国民から批判されるのを「国民が国を愛していないから」と
逃げるのは阿呆のやること。
戦前の日本、北朝鮮、中国と何も変わらない。
889日本@名無史さん:2008/10/26(日) 23:09:56
自民党右翼勢力独裁政治wwwwwwwwwwwwwwww
890日本@名無史さん:2008/10/26(日) 23:42:26
>>887
中国からみれば日本は外国だけど、新羅は朝貢国、身内だからな、
子分は大切にするさ。
891日本@名無史さん:2008/10/26(日) 23:51:39
>>888
選挙で勝ってきたのだから独裁じゃないじゃん。
野党が完敗してただけ。
892日本@名無史さん:2008/10/27(月) 01:14:04

土地代を取れよ!


893日本@名無史さん:2008/10/27(月) 01:45:17
>>883>>887
国として上か下かっつうんじゃなくてたまたまそのときの情勢の重要度が影響してるだろ
遣唐使だったか忘れたが、雲南のイ族が謁見のとき第一席で日本が二席だったこともある
半裸の男たちが日本よか席次が上だったが、これはしばしば戦闘が起きる雲南を鎮撫したい
思惑があってのこと
894日本@名無史さん:2008/10/27(月) 08:51:16
>>893
>国として上か下かっつうんじゃなくてたまたまそのときの情勢の重要度が
影響してるだろ

それもその通り。
新羅は半島を押さえるために提携しなければならない相手だったし、
薄気味悪い渤海に対抗させる必要もあった。
また形式的な朝貢貿易を補完する、民間の海上貿易の担い手でもあった。

海の彼方にあって、遣唐使さえまともに送れない日本よりも、「そのときの
情勢の重要度」が上だった。それが周辺国同士間の上下関係よりも優先した
のだ。

たまたま、吉備真吉備の声が大きかったから、その場を取り繕ったけどね。
895日本@名無史さん:2008/10/27(月) 13:34:35
>>881
海峡を越えてのノルマン人の征服を認めてる英国人は「喪英」なのか?
896日本@名無史さん:2008/10/27(月) 14:06:56
あれはそもそも事実だろう。
897日本@名無史さん:2008/10/27(月) 16:13:37
>>896
事実であればなおさらだ。
征服者の後裔を王とあがめる被征服者の英国人は「喪英」でないのか?
898日本@名無史さん:2008/10/27(月) 16:38:34
「喪英」というか「喪ゲルド」というか「喪ログレス」かな。。
ジョンレノンは「イギリス人に生まれてたらよかったのに・・・」
みたいな曲を書いてたと思う
899日本@名無史さん:2008/10/27(月) 17:03:17
>>897
まず敗戦による喪日が諸々のdでも・・・失礼、の源という主張に対しての
比較対象として相応しいのか?それw
900日本@名無史さん:2008/10/27(月) 20:08:06
>>899
江上説がトンデモだというのは、それもまた一つの説だから別に構わない。

しかし江上説が「反日」や「喪日」だというのはまことにおかしい。
歴史というものが数知れぬ征服被征服の集まりだということを無視している。

もし天皇家が畿内出身だというなら、その他の地方はまず天皇家に征服
されているではないか。いや、同じ民族同士だから征服ではないというの
なら、古代においてすでに畿内も地方も「均質」な「日本人」であったた、
ということを証明しなければならない。

百歩ゆずって、均質であったとするなら、その均質はすでに弥生人による
縄文人の征服を含んでいるではないか。われわれは「喪縄文」なのか?
しかも弥生人は海外から来たのだから、列島内部の征服被征服ではない。
江上説の征服と同じだ。
その征服された縄文人でさえ、シベリアか南島か、どこか海外から来た。
そのときすでに日本原人がいたかもしれない。われわれは「喪日本原人」
なのか?
90148:2008/10/27(月) 21:24:01
>>900
その考え方は実に正しいと思います。
いつ、いわゆる「日本人」が成立したかが問題だね。
オレはいちおう日本書紀ができた720年あたりと考えることにしている。
それ以前は、朝鮮半島と日本列島は意識としてかなり近かったんじゃないかと思う。
朝鮮半島にも多くの倭人が住んでいたみたいだし、
日本列島にも多くの百済人、新羅人、高句麗人が住んでいた。
朝鮮人の成立は同じく三国史記ができたあたりと考えるべきだろうから、
12世紀半ばってことかな。韓国の成立は昭和20年ねw
902日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:57:06
>>900

そういう屁理屈でなく、
古墳からの出土品の中に、
わずかに騎馬民族のものがあるだけで、
すぐに騎馬民族による「征服」まで飛躍してしまう発想の源に、
敗戦を経験した江上や小林恵子世代の、
恐怖心からくる大陸人への異常な過大評価があるのじゃないかと言うことだ。
903日本@名無史さん:2008/10/27(月) 22:54:59
>わずかに騎馬民族のものがあるだけで

これまたいいかげんなことを。
わずかに馬具があるだけで、ならわかるが。
904日本@名無史さん:2008/10/27(月) 23:18:15
>>903
>わずかに馬具があるだけで、ならわかるが。

何がいい加減なのだ?
日本で出土する鐙などは鮮卑族に源を発するのだが、
鮮卑を騎馬民族と言って何がいい加減なのだ?
905日本@名無史さん:2008/10/27(月) 23:37:39
>日本で出土する鐙などは鮮卑族に源を発するのだが.

鮮卑族に源を発するのだが、?????????
906日本@名無史さん:2008/10/28(火) 00:03:27
>>905
日本や半島から出土する鐙は、
慕容鮮卑・三燕である北燕の馮素弗の墓から出土する木芯鉄板貼輪鐙がルーツだ。
また鞍では、応神天皇陵・誉田山古墳の陪塚丸山古墳から出土した2領の国宝の
「金銅製透彫鞍金具」のうち特に2号鞍は、
中国遼寧省喇嘛洞UM101号墓で最近出土した鮮卑族の鞍と
「細部に至るまでほとんどまったく同一だ。
907日本@名無史さん:2008/10/28(火) 00:19:13
>>906
つまりどう言うことか簡潔に説明して下さいな
908日本@名無史さん:2008/10/28(火) 01:05:39
>>907
鮮卑の馬具を入手してたという事。
日本の古墳から騎馬民族の馬具が出土するから、
日本は騎馬民族に征服されたというのが江上のアホ説。
江上の場合は鮮卑でなく扶余という説だったが。

野球に例えれば、ミズノ社製のバットやグローブを使ってるアメリカ選手に、
日本のミズノを使ってるのだからあなたは日本人ですか?と言ってるようなもの。
909日本@名無史さん:2008/10/28(火) 08:33:13
中国史料の百済王と三国史記の百済王は違和感を感じる
三国史記の百済王は日本書紀を元に作ったんではないかな?
910日本@名無史さん:2008/10/28(火) 17:35:26
つーか朝鮮南部の古墳出土の木簡やら鉄器に刻まれた文字が
明らかに日本語なわけだが。
オオキミがどーたらとか書いてあるのに。

一方で、百済や新羅とは通訳を必要としたことが
日本書紀などに記されているから
やっぱ異民族の百済や新羅を属国にして支配してたんだろう
911日本@名無史さん:2008/10/28(火) 22:31:43
■新説、飛鳥、奈良、平安だけでなく鎌倉幕府も韓国人が作った

見たよ「新説日本ミステリー」いや〜またしても韓国人の影響力が露呈されたね
鎌倉幕府を開いた源頼朝の側近に朝鮮半島から渡来した比企一族達だ

伊豆国出身の「北条氏」と武蔵国出身の「比企一族」とは鎌倉幕府の2大有力武将
北条政子に棟梁を暗殺され衰退してしまったが、当時の比企一族は
鎌倉幕府成立に果たした恩賞と頼朝の熱い信頼から今の埼玉県から北陸にかけて
広大な土地を任され勢力化に置いていた幕府成立の立役者だった

思えば古墳時代の応神天皇、飛鳥時代の蘇我氏、奈良、平安時代の藤原氏など
その時代の日本の政治の実験を握っていた渡来系韓国人達は鎌倉時代にも日本初の
武家政権成立にまで多大な貢献を果たしていたのだ

「日本の政治を動かしているのは日本人ではない帰化した韓国系日本人達だ」

伊藤博文、松方、近衛、岸、小泉、阿部などの歴代首相も帰化した渡来系韓国人だが
古代、中世、そして現代もその韓国人支配の構図が引き継がれている
こうなるともはや日本を作ったのは日本人ではなく韓国人と言っても過言ではないだろう

頼朝の死後に執権となった「北条氏」により失脚させられた「比企一族」の子孫達は
今も主に埼玉県に住んでいる
912日本@名無史さん:2008/10/28(火) 23:05:28
>>911
是非韓国の歴史教科書に載せてほしいな
ひょっとしてもう載ってるのかもしれないが
913日本@名無史さん:2008/10/28(火) 23:13:46
比企氏
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E4%BC%81%E6%B0%8F

>詳細な史料が残らず、系譜も明らかではないが、
>平安時代末期に武蔵国比企郡(現在の埼玉県比企郡)を領した事から
>比企を名乗った

何で渡来系なの?
日置という高句麗系氏族があるけどね。
914日本@名無史さん:2008/10/29(水) 00:14:01
>>910
>>オオキミがどーたらとか書いてあるのに。

マジで?
915日本@名無史さん:2008/10/29(水) 00:45:30
>>913
新説日本ミステリーで歴史学者が比企一族は朝鮮半島から渡来した一族で
当時の高麗と深い関係にあり、鎌倉の実権を握ったにっくき北条に復讐するために
高麗に働きかけ元寇を画策したと言ってた

事実、埼玉県東松山などには高麗駅や高麗神社など朝鮮ゆかりのモノがあった
埼玉古墳の渡来人も高句麗人だって言うしね
916日本@名無史さん:2008/10/29(水) 01:30:01
高麗神社みたいな名前の神社って全国に点在してるけど、
それほとんど朝鮮と直接のかかわりがあるわけじゃないんだよな。
ご利益があるだの病気に効くだのなんだのでそうなってるとこがほとんど。
917日本@名無史さん:2008/10/29(水) 01:59:43
>>新説日本ミステリーで歴史学者が比企一族は朝鮮半島から渡来した一族で
>>当時の高麗と深い関係にあり、鎌倉の実権を握ったにっくき北条に復讐するために
>>高麗に働きかけ元寇を画策したと言ってた

さすが新説日本ミステリーというか何というかw
918日本@名無史さん:2008/10/29(水) 07:58:21
>>916
埼玉県のは、帰化人を入植させたという記録がある場所だそうだ。
昨日、テレビでやってた。
919日本@名無史さん:2008/10/29(水) 08:47:18
「朝鮮半島から渡来した一族」と「高麗と深い関係にある」には相当な距離があるな。
920日本@名無史さん:2008/10/29(水) 19:01:24
そもそも高句麗は韓族の王朝ではない。
921日本@名無史さん:2008/10/29(水) 22:57:56
そもそもって言うかね。
そのことを知らない半島人が大多数なわけで
922日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:04:12
 
韓国人は新羅はのちろん、
高句麗、百済、扶余、伽耶のそれぞれに、
その時に応じてアイデンティティーを感じる都合のよさを持ってるんだよ。

また半島を通過して日本に行っただけの秦氏や漢氏にもアイデンティティーを感じてるみたい。

ある意味可哀そうだな。
923日本@名無史さん:2008/10/30(木) 02:13:54
のちろんって…Orz

のちろんはもちろんもちろんの事だ。
924日本@名無史さん:2008/10/30(木) 13:56:43
いやー秦氏と漢氏は名前とは裏腹に半島南部出身ではなかったっけ
それともそれよりもずっと昔まで遡れるのか
925日本@名無史さん:2008/10/30(木) 14:33:34
半島南部より渡来したが、
秦氏と漢氏、両氏とも出自自体は半島ではない。
926日本@名無史さん:2008/10/30(木) 20:00:43
秦氏に関しては中国の史書にも
秦からの難民が半島に流れ込んだが
現地人はそれを嫌い南部に住まわせたそれが秦韓であるとかあったはず。
そして秦氏はそこから倭国に亡命してきた。
927日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:55:22
辰韓在馬韓之東,其耆老傳世,自言古之亡人避秦役來適韓國,馬韓割其東界地
與之。有城柵。其言語不與馬韓同,名國為邦,弓為弧,賊為寇,行酒為行觴。
相呼皆為徒,有似秦人,非但燕、齊之名物也。名樂浪人為阿殘;東方人名我為阿,
謂樂浪人本其殘餘人。今有名之為秦韓者。始有六國,稍分為十二國。

東夷伝辰韓条。
「それを嫌い」にあたる文字はない。
辰韓のことを秦韓と呼ぶ人もいる、と言っている。

928日本@名無史さん:2008/11/01(土) 12:03:41
任那を回復しよう。
929日本@名無史さん:2008/11/01(土) 12:41:27
>>928
朝鮮半島における任那日本府の存在が証明されても、
ユダヤ人のパレスチナのように現地人を追い払ってまでして、
日本人が半島の故地を回復しようとは思わないだろう。
930日本@名無史さん:2008/11/01(土) 16:37:05
今の日本人は他に例を見ないほど優秀で建設的だからな。
当然、世間から侵略と取られるような行為は繰り返さないよ

ただし・・だ。

にも関わらず韓国が調子に乗って竹島まで自分たちの領土であるかのように騒ぐ様は
正直、お痛が過ぎるんじゃないか?と思う
それは眠ってる日本人の戦闘民族としての血を再び呼び起こさせ
朝鮮半島南部における、我が国固有の領地の回復運動に繋がるかも知れん

韓国政府は何とか先進国の仲間入りを目指して
日本を目の仇にすることによって国民をまとめてきたのかも知れんが
いい加減、自国のバカ共を自分らの力で収集することに務めなければならないよ

でないと日本海に浮かぶ小さな島1つの為に
大きな犠牲(あくまで韓国側の立場を尊重して)を払うことになる
931日本@名無史さん:2008/11/01(土) 17:01:05
>>927
読み下し文があった。

「辰韓は馬韓の東にあり。その耆老、伝世し、自ら古の亡人にして秦の役を
避けて韓国に来適し、馬韓その東界の地を割きてこれに与うと言う。
城柵あり、その言語は馬韓と同じならず。名づけて国を邦となし、弓を弧と
なし、賊を冦となし、行酒を行觴となし、相呼びて皆を徒となすは、秦人に
似るあり、ただ燕・斉の名物にあらず(?)。楽浪人を名づけて阿残となす。
東方人は我を名づけて阿となし、楽浪人は本その残余人という。今これを
名づけて秦韓と為す者あり。」

(?)のところはたぶん、誤訳だろう。
最後の文章の「これ」は「楽浪人」のことか、「辰韓」のことか、
わからない。
932日本@名無史さん:2008/11/01(土) 17:10:30
地中海地域は古代ローマの領土だったが、これらの地域が現代イタリアの領土にはなるわけではない。

任那が古代日本の領土であったが、現代日本の領土になるわけではないし、そのような事を唱える輩は2chのネタを除けばまず存在しない。


第二次世界大戦のとき、ムッソリーニは古代ローマの栄光の回復を唱え
地中海地域をイタリアの勢力化に置く事をヒットラーに要求した。
だからといって今地中海地域が古代ローマの領域でなかったなどと歴史的事実を歪曲してはならないし、そんな輩はいないだろう。

日韓併合から第二次世界大戦まで、朝鮮を植民地化した。その正当化理由の一つとして任那を利用した。
だからといって今任那が古代日本の領域であったという歴史的事実を歪曲してはならない。
歴史的事実は歴史的事実として受け止めるのが文明的行為である。
任那が古代日本の領域であったことを否定するような行為は馬鹿げた愚行といえるだろう。
933日本@名無史さん:2008/11/01(土) 20:33:39
>927-928
「任那日本府」なるものが倭国(旧・大和朝廷)の領土ではないことはほとんど確実だが、
930の発言にも一理あると思うので、

韓国の主張する荒唐無稽な領土論争への対抗のために、あえて「任那は日本領」と喧伝するのもアリかなとは思う。
934日本@名無史さん:2008/11/01(土) 21:59:13
「任那は日本領」は喧伝ではなくて歴史的真実です。
935日本@名無史さん:2008/11/01(土) 22:11:08
そう。歴史的事実です。
竹島に対する韓国の荒唐無稽な暴論と違い
任那日本府は過去に実際に日本国領土の一部でありました。
これは分けて考えなければならない。

ただし韓国の暴走が過ぎるようなら、我々も自国の領土の返還を求めても
誰にも咎められる筋合いはない事実であるという点もハッキリしておかなければならない
936日本@名無史さん:2008/11/01(土) 22:14:56
>>644
94%って凄いな。
937日本@名無史さん:2008/11/01(土) 22:16:55
任那の地図とかってどこかにない?
だいたい正確な版図とか百済に割譲した四県がどことかわかるような。
938日本@名無史さん:2008/11/01(土) 22:21:24
今の釜山周辺
939日本@名無史さん:2008/11/01(土) 22:24:46
だいたい魏志東夷伝に出てくる狗邪韓国の彌烏邪馬国というのはどう見ても
日本語で倭人のクニだったんだろう。

 邪馬台国と関係がある国名だ。倭人伝には邪馬国もある。
940日本@名無史さん:2008/11/02(日) 01:30:32
任那=保護領
日本府=総督府
941大和島根:2008/11/02(日) 09:46:34
いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
 西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。
942日本@名無史さん:2008/11/02(日) 16:04:28
元々倭人や後の秦氏(秦系楽浪人)韓人達が建てた辰韓12国が有り志羅紀、新良貴、斯蘆
と云う中心国家が慶州辺りに有ったと思われ、そこではローマ、中央アジア風の文化が栄た
指導者層は倭人、秦氏、其処へ回りから色んな、種族が集まった特に北方東海岸沿いにワイ族系
の種族が南下し都市の回りに村を作り勢力を拡大、ついに奈勿尼師今が(356年)に即位国名を
「新羅」と宣言、秦氏、倭人系の王族達は圧迫され西南部に移動し加羅、伽耶諸国と連合し
「任那」連合倭府(のち書記では日本府)を樹立したと思われる、スサノオ、天之日矛、ツヌガアラシト
『新撰姓氏録』に神武の兄稲飯命(いなひのみこと)は新羅王成りの記述などは、新羅、任那の
経緯を良く物語っている。

943日本@名無史さん:2008/11/02(日) 16:33:17
>>942のつづき
危機感を感じた百済は倭国王と東晋の太和四年(369年)ころ
七支刀を送り同盟関係を結び、辛卯年(391年)倭の大軍侵攻が始まる。

日本の歴史学は奈勿尼師今の(356年)以前の志羅紀、新良貴、斯蘆 と
以後の新羅をごっちゃにするから混乱が起きてる、韓国の三国史記でも
倭人系の王朝が有った事ははっきり書いてる、(漢風姓、朴氏、昔氏)など。
944日本@名無史さん:2008/11/02(日) 16:38:38
任那日本府は、せいぜい(近代の)総領事館みたいなもの。
対等とは言いかねる力関係があるとは言え、相互に独立国。

任那自身は倭に朝貢する朝貢国だが、倭/日本/大和朝廷の領土ではない。

倭国にとって必要不可欠な国だったのはたしかだろうがな。
945日本@名無史さん:2008/11/02(日) 18:03:41
広開土王碑,迎日冷水碑,蔚珍鳳坪碑,中原高句麗碑,日本書記に書いてある
高句麗王が新羅王を東夷之寐錦。また高句麗が寐錦以下の官に衣服をの

「寐錦」「尼師今」と言う王の称号名は和語で今の日本人しか発音出来ない、
「寐錦」などは日本書記や上記の碑文には刻まれているが三国史記には一切
出てこないし史記を書いた頃には忘れられていた。日本人は普通に使う言葉だよ。
946日本@名無史さん:2008/11/02(日) 18:22:24
正始元年(240)新太守となった弓遵は、魏の明帝の詔書・金印紫綬を配下の梯雋に
持たせて卑弥呼のもとへ送った。ところがこの弓遵は、同6年(245)に嶺東へ遠征
して濊を討った後、郡内の韓族の反乱にあって居所の崎離営を襲われ、あえなく戦死する。
それまで帯方郡が所管していた辰韓八国を楽浪郡へ編入することになり、その決定を
現地に伝えたところ、通訳が誤訳を犯して臣幘沾韓を激怒させたというのだ(『魏志韓伝』)。
この「臣幘沾韓」が馬韓条の「臣濆沽国」のことならば(岡田英弘『倭国』1977年)、
たとえば朝貢路の変更による権益喪失など、その一国の存否に関わる重大な事態が想起される。
ほどなく鎮圧されたとはいえ、馬韓55国・弁韓12国・辰韓12国の韓族各国の利害関係と、
楽浪郡・帯方郡の統治関係との複雑さをうかがわせた一件である。

そして同8年(247)弓遵から引き継いだ太守・王頎は、倭の使者から邪馬台国と狗奴国
との交戦の報告を受け、自ら上洛して官の決裁を仰ぐが、魏朝から邪馬台国へ援軍が
送られることはなく、魏の少帝の詔書と黄幢を携えた塞曹掾史(外交官、軍使、軍司令副官
など諸説あり)の張政が派遣されるに留まった。

(>>ほどなく鎮圧された)この時倭軍の応援が有り其のまま任那地域に駐留したと思われる。
947日本@名無史さん:2008/11/02(日) 19:38:30
>>943
韓国の三国史記って何?
韓国にそんな古い文献はないんじゃないの?
中国の文献だろ
948日本@名無史さん:2008/11/02(日) 20:07:17
三国史記そのものは10世紀か11世紀あたりの成立で、
日本の六国史より新しいよな、たしか。

原史料は新羅統一前からのものが使われたらしいと言われているが、
その史料とて、記紀より大幅に古くからあったとは言えまい。
(百済本紀など、書記に引用されたモノも含まれるようだが)

4世紀ごろの半島については、日本列島と同様、考古学に中国文献を加味する程度だろ。
949日本@名無史さん:2008/11/02(日) 21:40:52
>>944
任那大使館説がちょこちょこと書き捨てられていますけど、なにか根拠があってのことなのでしょうか?
それともただの願望?
950日本@名無史さん:2008/11/02(日) 22:17:07
>>942
トルコの地中海沿岸にあったギリシャ人諸都市と、アテネとの関係があったと
すれば、任那と大和の関係もそのようなものと考えればいいわけだな。
ではなぜ、トルコのギリシャ人諸都市が、アテネにとって「棟梁」なのか?

ちなみに「棟梁」とは、任那を指して言った欽明の言葉。
951日本@名無史さん:2008/11/02(日) 22:23:08
http://jp.youtube.com/watch?v=k3VN-RRDJMI&feature=related
【歴史】中国は韓国領土だった
952日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:14:54
>>950
「棟梁」とは現場総監督の事で卑弥呼時代の九州だと伊都国
平安時代だと大宰府、半島南部カラクニ地方の現場総監督が
「任那」だと言う事で棟梁、親方様、的な意味じゃ無いかな。
953日本@名無史さん:2008/11/03(月) 07:37:57
>>952
なるほど。しかし、欽明がこれを言った時点では、欽明が指した「狭義の
任那」(すなわち金官)はすでに新羅に乗っ取られている。つまり、欽明
が「任那を立てよ」と言うときは、「金官を再建(あるいは奪還)せよ」と
いう意味である。

そうすると、「棟梁」とは新羅に乗っ取られる前の金官の地位を表している
わけだな。
954日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:09:46
どうして新羅を倭人達は志良岐「シラキ」と言ってたか、其れはね表意文字で表すと
「白着」なんだよ、此の国の住民は穢れを嫌い身の潔白を表わす為に白い服を着てたんだよ、
日本の神官や花嫁衣裳の白無垢と同意、でも王の様な尊敬される者は特別に錦の服を着てた
だから志羅紀の王を「尼師今=ニシキ」錦の御旗のニシキって言うんだよ。
ちなみに渡沙寐錦の「寐錦」はミカ(甕、神酒などを入れる瓶の事、高貴な人を埋葬する甕棺
高貴な人をミカヒト、帝ミカドと同意)ミキ(神酒、神に供える神聖なの意味)
御ニシキ、ミニシキも有りかも。?
955日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:47:21
なんで新羅や高麗の神社が日本にあるんだ
だから神社の発祥は韓国とか言われるんだよ
956日本@名無史さん:2008/11/03(月) 22:22:21
■百済で作られた青銅菩薩立像が出土、熊本の「鞠智城跡」で (読売新聞)
http://news.www.infoseek.co.jp/entertainment/story/20081103_yol_oyt1t00497/

4世紀中頃、朝鮮半島南西部に興った百済は大和朝廷と友好関係にあり、百済から
多くの渡来人が文化を運んだ。大和朝廷は663年、百済を支援した白村江の戦いで、
中国・唐と朝鮮半島の国家・新羅の連合軍に敗れ、逆襲に備えて7世紀後半に鞠智城を
築いたとされるが、菩薩像の年代は鞠智城の築造時期とも符合するため、築城に携わった
身分の高い百済人が持ち込み、仏堂に安置したか、携帯していたとみられる。

>百済から多くの渡来人が文化を運んだ。
>百済から多くの渡来人が文化を運んだ。
>百済から多くの渡来人が文化を運んだ。
>百済から多くの渡来人が文化を運んだ。

日本人が認めてんじゃんwwww
957日本@名無史さん:2008/11/03(月) 23:13:20
正しくは「漢文化」
958日本@名無史さん:2008/11/04(火) 00:18:04
>>955
そういうのは厄払いだとか病気にきくだとか言うのでそう名前のついたんだって
959日本@名無史さん:2008/11/04(火) 01:18:22
>>955
へぇ、そんな主張してるのがいるんだ?
960日本@名無史さん:2008/11/04(火) 02:43:20
>>956
>4世紀中頃、朝鮮半島南西部に興った百済

百済が4世紀中頃建国と言ったら韓国人は歪曲歪曲と騒いでファビョるよ。
紀元前の建国と言わないと気がすまないらしい。

それと朝鮮半島南西部に興ったというのは誤りで
当初百済は現在の京畿道付近、即ち半島中部に興った国。
961日本@名無史さん:2008/11/04(火) 03:43:09
興ったというか、北方から侵入してきた勢力なのではなかったっけ?
馬韓ではなく扶余系だったよね。
962日本@名無史さん:2008/11/04(火) 14:08:55
半島中部に扶余系が南下して国を興したでいいでしょ。

全羅道方面については百済の支配下に入るのは
5世紀末の百済一時滅亡後、南遷再興以降のこと。
963日本@名無史さん:2008/11/04(火) 19:07:55
>>962
百済が再興した5世紀半ば〜末頃に全裸南道の栄山江流域に前方後円墳が築造されるのでしたね。
百済の影響力の南下に対抗するため和国の傘下に入った馬韓人領主が被葬者だとする説と、東城王を擁立した九州の
倭人豪族が被葬者だとする説があるようですね。
964日本@名無史さん:2008/11/04(火) 20:10:11
>>963
埴輪があったり、石室にベンガラ朱が使われてたり、
間違いなく倭人でしょう。
韓国側は、被葬者が倭人だと言ったなら、
それは任那日本府を認めることになるので、
意地でも言わないでしょう。
965日本@名無史さん:2008/11/04(火) 20:51:40
百済の王を意味する「コンキシ、コニキシ、コキシ」は

「ニニギの命」の別名「アメニキシ天邇岐志,クニニキシ国邇岐志...」
の「クニニキシ」が変化し「クニキシ、クンキシ」に訛ったと思われる
志羅紀のニシキ、久多良のコニキシ、伊都国の官,爾岐ニキ、ニニギ、ニギハヤヒ
等々のニギ、ニギシは(賑わし処,国村)から古代の倭人語と思われる。

この意味からの発生で後、良き人能力の有る人文官などを「吉師」キシ、キッシ
と呼ばれる様に成る。例、王仁吉師
966日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:53:19
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-2/ad346a.htm
百済の建国

http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=ttalk&nid=1147479
百済は日本の属国だった(エンコリ)

エンコリでの韓国人の主張見てみw


967日本@名無史さん:2008/11/05(水) 01:11:33
どうして新羅を倭人達は志良岐「シラキ」と言ってたか、其れはね表意文字で表すと
「白着」なんだよ、此の国の住民は穢れを嫌い身の潔白を表わす為に白い服を着てたんだよ、
日本の神官や花嫁衣裳の白無垢と同意、でも王の様な尊敬される者は特別に錦の服を着てた
だから志羅紀の王を「尼師今=ニシキ」錦の御旗のニシキって言うんだよ。
ちなみに渡沙寐錦の「寐錦」はミカ(甕、神酒などを入れる瓶の事、高貴な人を埋葬する甕棺
高貴な人をミカヒト、帝ミカドと同意)ミキ(神酒、神に供える神聖なの意味)
御ニシキ、ミニシキも有りかも。?
968日本@名無史さん:2008/11/06(木) 08:42:33
漢籍にあるように5世紀後半百済から亡命してきた百済貴族が
新羅王になったことを事実とすると、それ以前の新羅王はどうなったんだろう?
969日本@名無史さん:2008/11/06(木) 10:52:26
<ヽ`Д´>…九州の倭人豪族の墓だと?
いや…九州へ移り住んで九州を支配していた韓民族の豪族が
故郷に墓を作って欲しいと韓半島に前方後円墳を建設したに違い無いニダ!
970日本@名無史さん:2008/11/06(木) 20:33:33
■倭の王(天皇)は古墳時代に韓国人に乗っ取られている

『古事記』によれば、天日槍は応神天皇の時代に、逃げた女房・阿加留姫
(あかるひめ)を追いかけて来日したとされている(『日本書紀』では崇神天皇の時代)。

天日槍とは新羅の王子で阿加留姫とは倭国に渡って仲哀天皇の王妃となった
神功皇后のことである

つまり天日槍は逃げた自分の妻を追って倭国にやって来たら、大和王権の仲哀天皇と
結婚し神功皇后となっていた元妻を取り返すべく立ちあがり各地の豪族達を纏め上げ
勢力を拡大して有力豪族となり、後に新羅征伐で対立した仲哀天皇を暗殺し
阿加留姫(神功皇后)を取り戻した、そして生まれたのが応神天皇

つまり天日槍も阿加留姫もどっちも新羅王族だったわけで倭人ではない
倭人の天皇は仲哀天皇で途絶え応神天皇以降は新羅人の血が入っている

新羅人は今の朝鮮民族である韓国人の先祖



971日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:52:54
>勢力を拡大して有力豪族となり、後に新羅征伐で対立した仲哀天皇を暗殺し
>阿加留姫(神功皇后)を取り戻した、そして生まれたのが応神天皇


天日槍は但馬国の出石に行っただけ。
以上。
972日本@名無史さん:2008/11/07(金) 01:09:02
■「日王は百済の末裔」韓国人学者の主張

日本の大阪市内の百済駅。貨物を専門に扱うこの駅の漢字名は百済駅だ。
辺りには百済高校まである。日本列島に現在まで残る百済の痕跡だ。
日本王室の宝を収蔵している奈良市にある東大寺の正倉院。朝鮮半島から渡来した先進文物が
相当数保存されているこの場所は、まず建物の姿形からして高句麗民家に良く見られる
桴京(プギョン)とまったく同じだ。

日本列島のあちこちに残っている朝鮮半島の文明の跡を見付ける度に歴史学者らは興奮する。
朝鮮半島からの移住民たちが日本に渡り先進文明を伝えたことのみならず、日本王室の根を
形成したという主張は、実は韓国内ではこれまで少なからず出されてきた。

歴史学者らが韓-日古代関係史を疎かにしている間、これらの主張は古代史の世界を興味津々に
伝逹し、相当の大衆的な認識を構築してきた。

明仁日王は8世紀後半桓武日王(在位781〜806年)の母が百済系という程度のみを認めたが、これらの
主眼は400年以上さかのぼる。15代応神日王が百済系という主張がそれだ。

82年に『沸流百済説』を提起した金聖昊(キム・ソンホ)韓国農村経済研究院顧問は、広開土大王碑から
出てきたように396年、沸流百済最後の応神が日本に渡り15代日王となったという。
金顧問は沸流百済は本来中国にいた呉族が朝鮮半島に渡り発展した倭族が作った国であり、したがって
応神日王は朝鮮半島南部に居住した倭族だったと主張する。
http://www.chosunonline.com/article/20011224000021

>明仁日王は8世紀後半桓武日王(在位781〜806年)の母が百済系という程度のみを認めたが
>明仁日王は8世紀後半桓武日王(在位781〜806年)の母が百済系という程度のみを認めたが
>明仁日王は8世紀後半桓武日王(在位781〜806年)の母が百済系という程度のみを認めたが
>明仁日王は8世紀後半桓武日王(在位781〜806年)の母が百済系という程度のみを認めたが

天皇自身が認めてんじゃんwww
973日本@名無史さん:2008/11/07(金) 01:29:36
>>972
こういうの読むと、向こうにまともな学者って居るの?
974日本@名無史さん:2008/11/07(金) 01:54:17
いないよ
妄想だけだから
975日本@名無史さん:2008/11/07(金) 03:52:43
>>644
逆にこれだけの割合で日本で韓式土器が出ることってあるの?
94%てもうそこ倭じゃん。
976日本@名無史さん:2008/11/07(金) 03:56:27
北九州が朝鮮の一部でした。

今でも。
977日本@名無史さん:2008/11/07(金) 04:13:12
逆だろチョン公w
978日本@名無史さん:2008/11/07(金) 08:29:22
>>968
>それ以前の新羅王はどうなったんだろう?

脱解王から続く倭系王が日本に帰ってきたとしたら、
スサノオの話と辻褄が合うね。
製鉄技術を持ってきたのならなおさらだ。
979日本@名無史さん:2008/11/07(金) 10:26:45
「クダラ」の語源は日本語の「降る」

つまり倭から見て下国(属国)という意味。
980日本@名無史さん:2008/11/07(金) 13:40:46
>>973
いると思う
しかし、公の場でまともなことがなかなか言えない国でもある
あの国でトップクラスの歴史家が李泰陣だと言うことは憶えておくべき
981日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:28:39
>>975
逆にこれだけの割合で日本で韓式土器が出ることってあるの?

須恵器は朝鮮半島起源と言われているから、それだけ出る所なら
100%だ。
982日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:42:19
>>982
もうそろそろだな!
983日本@名無史さん:2008/11/07(金) 22:35:34
>>981

須恵器はもともと中国の高温土器生産が起源だから、その理屈だと朝鮮半島
全域は中国の領土だ(当たらずとも遠からずだが)。

須恵器と違うからこそ「韓式」土器だろうに。
屁理屈はもうやめな。
984日本@名無史さん:2008/11/07(金) 23:27:30
半島南部と九州北部から同じ遺物が出るのは当たり前だろ
これらは皆「辰王家」の領土なんだから、墓制が同じ甕棺墓と支石墓
混交文化だろ後に北から中国人が侵入して来るが、甕棺墓なんて半島
北部からは僅かしか出てこないだろ。
985日本@名無史さん:2008/11/07(金) 23:34:23
>半島南部と九州北部から同じ遺物が出るのは当たり前だろこれらは皆「辰王家」の領土なんだから、

なるほどなるほど。
じゃあ、ヤマトと同じ遺物が出土する朝鮮半島南部にヤマト王権の支配が及んでいたと。
納得。
986日本@名無史さん:2008/11/07(金) 23:58:54
>>975
逆にこれだけの割合で日本で韓式土器が出ることってあるの?

大阪の長原遺跡で伽耶の土器がかなり出るみたい。
5世紀初めと後半のもので、
ちょうど高句麗の好太王の南下時期と一致してるみたい。

伽耶からの避難民のものでしょう。
987日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:04:41
辰王家の一族の墓は甕棺墓で甕の事を「ミカ」って言うんだ
王家の者は特別にヒト(現在でも名前にヒトを付ける一族有)の敬称を
付けて「ミカヒト、後にミカド」と民の者達は呼ぶ様に成ったんだよ。
吉野ヶ里では甕棺墓から鏡、剣、勾玉、のセットが良く出でた。
988日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:06:08
須恵器の話が出てるが、
伽耶の地下式墳墓と秦氏が関連してるのではないかという説の、
根拠の1つに須恵器がある。
少し前、日本最古の須恵器が京都の宇治から出た。
宇治って秦氏の本拠・山城国だよね。
やはり関連あるのではないか。
989日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:08:45
>>987

辰王家って何だ?
あいまいな呼称を出すな。

990日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:31:51
>>989
高句麗や百済の建国より前、BC2世紀頃より古いかも?
馬韓地域に有った中国史に出て来る王国だが。
991日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:41:15
>>990

ソース。
992日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:42:33
>>990
任那日本府はだいたいが4世紀以降の話だ。
時代をずらさないでくれ。
993日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:54:06
>辰王家

調べてみたが・・
国名でしか出てこないじゃないか。
しかも情報が少ないと来た。

王家なんて一言も書いてないが。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B0%E5%9B%BD
994日本@名無史さん:2008/11/08(土) 01:02:17

辰王家の王墓ってのを見てみたいもんだw
995日本@名無史さん:2008/11/08(土) 01:26:44
>付けて「ミカヒト、後にミカド」と民の者達は呼ぶ様に成ったんだよ。

ミカドの語源は「御門」。
御所の門を言い、天皇自らを指し示すことを避けた言い回し。
もちろん古代には出てこない。

いい加減なことは言わない方が良いぞ?
996日本@名無史さん:2008/11/08(土) 01:40:22
B層しか騙される子はいないと思うけど
997日本@名無史さん:2008/11/08(土) 03:02:04
998日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:02:02
うめ
999日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:04:30
うめ
1000日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:06:55
うめ
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