【本物】★★初心者質問スレ★★【本物】

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1日本@名無史さん
正常化のための、まじめな初心者質問スレッドです。

自作自演は、もう一つの
【自作専用】☆☆質問&答え☆☆【自演専用】
で、お願いします。
2日本@名無史さん:04/06/22 19:57
2getさ
3日本@名無史さん:04/06/22 20:08
質問: 摂政と関白ってどう違うの?詳しく勝つ簡潔にお願い!
    どなたか偏差値の高いエロい人、教えてチョンマゲ。
4日本@名無史さん:04/06/22 22:01
>>3
ここは、まじめなスレですので、以下へお願いします。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1087894653/l50
5日本@名無史さん:04/06/23 06:20
倭って卑称なんですか?
6日本@名無史さん:04/06/23 14:09
卑称という説と、日本語1人称の「わ」という説など、決定打はないようです。
しかし、卑称だとしても、古代の日本人は気にしてなかったようで、
桓武天皇なども、8世紀になっても倭とか倭国とかみずから言ってたようです。
朝鮮とは、相互に対馬藩の詐欺的妥協案で使ってもいたようですが、
倭国が半島の国より、歴代中国から決して上の地位をもらえなかったことから、
朝鮮としては自己の位置確認認識のために、あえて使っている面もあるようです。
ざっとですみません。
7日本@名無史さん:04/06/23 14:43
『隋書』倭国伝
新羅・百済、皆倭を以って大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬仰し、恒(つね)に通使・往来す。
大業三年、その王多利思比孤、使を遣わして朝貢す。
その国書に曰く、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや、云々」と。
帝、これを覧(み)て悦(よろこ)ばず、鴻ろ卿にいって曰く、「蛮夷の書、無礼なる者あり、復(ま)た以って聞するなかれ」と。

『旧唐書』倭国日本伝
日本国は倭国の別種なり。
その国、日辺にあるを以って、故に名となす。
あるいはいう、倭国自らその名を悪(にく)み、改めて日本となすと。
あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたり、と。
その人、入朝する者、多く自ら矜大、実を以って対(こた)えず。
故に中国焉(こ)れを疑う。


ご参考まで
8日本@名無史さん:04/06/23 16:08
遣唐使が「日本」を申し出たようですね。
理由を聞いて「納得いかない」と言われたそうですけど、
中国も、唐の合い間の何とかって国の時で、
例の女帝が認めたようですね。
作戦としては、倭→日本はいいタイミングw。
9山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/23 16:34
周の武則天です。
10日本@名無史さん:04/06/23 16:45
お願いします。
天皇号が、7世紀はじめからか7世紀後半からか、
学説も分かれているようですが、どうなんでしょうか?
個人的には天武=天皇号創出=日本創出が単純でいいんですけど。
11日本@名無史さん:04/06/23 18:00
最近時々スレで見るんですが郷士(例えですが)など厳密に分けると士と庶民の区分けはどのへんでしょうか?
足軽は庶民として・・・庄屋は身分的には庶民ですが大庄屋を庶民扱いするのもどうかと
12日本@名無史さん:04/06/23 23:01
515事件の歴史的要素が大きいのは
政党政治が終わったことですか?
軍人が首相官邸で堂々と「明」殺されたことですか?
首相を殺しても大して罰せられない雰囲気を作り出したことですか?

どっちのほうがより重要ですか?
13日本@名無史さん:04/06/23 23:07
>>11
各藩によって制度が違いますので、なんとも言えませんが
統一日本史として教育し試験に出す為には単純化したほうがいいですから。
14日本@名無史さん:04/06/23 23:08
>>12
死刑が大きな罰ではないと?
15日本@名無史さん:04/06/23 23:29
>>14
http://homepage1.nifty.com/zpe60314/515.htm
裁判は大甘だったじゃん
16日本@名無史さん:04/06/24 22:34
世論が操作されてた??
17日本@名無史さん:04/06/25 13:28
「福沢諭吉」についてのいい本ありませんか?
伝記的な概説的な、客観的なのがありましたら教えください。
18日本@名無史さん:04/06/25 20:34
概説でも伝記でもないが、井上毅との戦いがわかる
「維新と人心」伊藤彌彦(東京大学出版)は、かなり興味深いぞ。
19日本@名無史さん:04/06/26 14:07
>>18
ありがとうございます。
新書かなんかありませんでしょうか(恥。
20日本@名無史さん:04/06/27 14:57
ア○ゾンでもくぐれ!
21日本@名無史さん:04/07/21 02:09
http://www.asahi.com/culture/update/0719/004.html

↑なんて書いてるの?
竜馬の字が踊っていてよく読めません
全文読める人いますか?
22まさと:04/07/21 02:24
武田騎馬隊で検索したら、戦国時代にはそもそも騎馬隊という部隊は無く、騎馬武者は身分の高い指揮者だけだったそうです。他にも本を読んだが、どうもそれが定説になりつつあるようです。
そうなんですか?

23日本@名無史さん:04/07/24 15:57
太平洋戦争で日本が沖縄の人たちに自殺を強要したって学校で習ったんですけど
2ちゃんでは日本は自殺は強要なんてしていない、って言う人がいます

どちらが正しいのですか?
24日本@名無史さん:04/07/24 17:00
強要はしていない、自分たちで勝手に集団自殺した。
日本軍は、捕虜になったら暴行されレイプされて殺されるから、
自分たちで死になさいといって、刃物を用意させ、手榴弾などを渡しただけ。
25日本@名無史さん:04/07/24 17:01
>>24
強要してんじゃん。それって!
26落武者:04/07/24 19:54
洗脳して道具を与えた。
実行したヤツが悪いのか道具を与えたヤツが悪いのか。
なんだかどこかの教団の事件を思い出しちゃうよ。
27日本@名無史さん:04/07/24 21:36
日本刀で100人斬り殺せるほどの戦闘力をもち、銃剣と単発銃のみで40万人
殺すなど原爆以上の破壊力を持つ携行兵器を誇り、各植民地で無駄に現地人
を殺してまわるほど武器弾薬が余っていて、揚子江の川幅を2m以下にしたり
するほどの高い土木技術を持ち、

沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が出せる
ほど命令系統がしっかりしていて、

日本兵の数を上回るほどの従軍慰安婦を
一日に一人あたり何十人も暴行するほど体力と食料があって、
開戦前からオランダ占領時のインドネシアにも日本軍用の慰安婦を送り込むほど
先見性があり、AVが無かった時代にも関わらず慰安婦に顔射するほど独創性に富み、
韓国で文化施設はもちろん 一般家庭にある辞書から料理本に至るまで処分
してまわるほど暇で、保護するために植民地ではなく併合したにも関わらず、
韓国の運気を捻じ曲げるために、山の頂上に鉄杭を埋め込むほど風水に明るく、
当時の朝鮮の人口のおよそ半数近くを日本へピストン輸送するほど燃料と
船舶が豊富で、中国で家々に火を放ちまくり無駄に虐殺した民間人の死体を
一カ所に集めて、たっぷりとガソリンをまいて燃やすほど石油資源に余裕があり、
韓国の優れた建築施設・街・鉄道を全て接収することなく破壊し尽くした上、
新たに日本の駄目な建築物に建て替えるほど資源と資金が有り余っていて、
11歳が戦場で暴れ回るほど若い内から逞しく、終戦後になぜか強制連行を
行いまくるほどの軍備と余裕があり、圧倒的科学力を誇る朝鮮の反日勢力に
なぜか圧勝するほど運がよく、朝鮮人を殺しまくりながら人口を2倍にするという
魔術を持ち、敗戦国でありながらGHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすよう
コントロールするほど政治力と外交能力に長けた日本が敗戦したことは信じられない
28日本@名無史さん:04/07/24 21:46
バカは何やっても負けるといういい例だな>軍国日本
2927:04/07/24 21:51
まさかこのコピペを全部読んでレスする香具師がいるとは思わなかった・・・


バカってのはどこにでもいるんだな・・・・・・
30日本@名無史さん:04/07/24 22:13
海外で韓国人の見分け方

誰も尋ねもしないのに「私は日本人です」と言った場合50%の確率で韓国人

入店を断られて「私は日本人だから入れなさい」と喚きちらした場合ほぼ韓国人

迷惑行為を注意した時に「すみません、私は日本人です」と言った場合絶対韓国人
31日本@名無史さん:04/08/05 07:34
すみません、スレ立てお願いします。>2以降は私がレスしますので…

タイトル:各社の『日本の歴史』シリーズ

著者、内容、時代背景などを語り合ってください。

代表的なものは>2-6に掲載。

姉妹スレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1061375498/

32日本@名無史さん:04/08/05 09:25
日本史を通史的に一通りマスターするのに良い本は?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1082215819/l50
33日本@名無史さん:04/08/27 13:57
古代史系の個人サイト見てると百済王子豊璋を中大兄(天智天皇)あるいは藤原鎌足と
同一人物と見る説があるようですが、電波臭(藁)のするところばかりでその根拠を明解
に展開しているところを見たことがありません。
この説の真偽は別としても、いくらかでも史料に基づきこの説を検証ようとしてるサイトが
有れば教えて下さい。またネット上以外で(紙媒体など)その辺の事情を説いている物が
あったら教えて下さい。
34日本@名無史さん:04/08/27 14:20
関裕二という作家がそういう説を唱えてる。
本もたくさん出してる。かなり電波だと思うが。
値段は安いけど、とりあえず立ち読みでもしてみれば?
35日本@名無史さん:04/08/27 15:42
戦前の日本にもプロ市民とか人権団体とかいたんですか?
3633:04/08/27 23:27
>>34
早速のご回答有り難うございました。↓この人ですね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/index%3Dbooks-jp%26field-author%3D%E8%A3%95%E4%BA%8C%2C%20%E9%96%A2/250-8842191-9383451
まずは図書館で借りてみます。文庫は買っちゃっても良いかなと思ってます。
37日本@名無史さん:04/09/03 07:30
★★★★★★★★★★★★★★★荒らしの心理学★★★★★★★★★★★★★★★

心理学者アルフレッド・アドラーの言葉を引用するまでも無く、なんらかの劣等感に
強くさいなまれる者は、それを補償しようとして『権力への意志』を強める傾向にあります。
しかしひとたびそれが失敗すると無為、逃避、破壊衝動に陥いることになってしまう…。
つまり、荒らしとは劣等感に悩み、克服するためにひとかどの人間になろうとしたが
それに挫折してしまい、他者の尊厳をむしり取ることで自らを慰めている人たちなのです。

そんな荒らしを私たちはを軽蔑するのではなく、むしろ憐れむべきではないでしょうか。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


38日本@名無史さん:04/09/03 10:26
秋山淳五郎真之

昔の人は、よくこのように下の名前が2つあるみたいですが、なぜですか?
使い分けをどうやってしていたんでしょうか。
いつこういうスタイルは廃れたんでしょうか。
39日本@名無史さん:04/09/03 10:42
>>38
通称 諱でぐぐってみ
40日本@名無史さん:04/09/16 22:53:47
質問1
甘糟りり子は、甘粕正彦の孫なのですか?

質問2
伊藤野枝と、女優の伊藤裕子の顔が似ているような気がするんだけど、
子孫なのですか?
41日本@名無史さん:04/09/16 23:03:06
42日本@名無史さん:04/10/03 01:35:38
教えて下さい。
先日、大河ドラマみたんですが、その時、お龍
の若い頃の写真が紹介されてました。
私の記憶だと、もしかするとそうかも知れない、という
話だったと思いますが、いつお龍写真として確定したの
でしょう。
ばばあお龍の写真ばかりだったのに・・・。

もう一つ、西郷の写真かも、ってのが秋田の角館で
みつかったと思いますが、あれの確定(真偽含む)はまだですか?

教えてエロい人!!
43日本@名無史さん:04/10/03 11:35:51
先日会津(福島県)に行って鶴ケ城いったんですが
「荒城の月(作:滝廉太郎)」はこの鶴ケ城をモデルに作られたらしいですが
地元大分の岡城で作られたとも聞きます。
どちらがホントなんでしょうか?
44日本@名無史さん:04/10/03 12:13:48
>>43
土井晩翠が会津若松城や仙台城をイメージして書いた詞に、
滝廉太郎が岡城をイメージして曲をつけた。
45日本@名無史さん:04/10/07 00:10:23
教えてください。
武田の騎馬隊長の名前ってわかりますか?
46日本@名無史さん:04/10/09 13:19:25
>>45
臨時編成なら有ったかもしれないが、
常設の騎馬隊はなかった。

騎馬武者というのは部隊を率いる幹部のみ。
まあ、最低でも伍長以上に相当する。
(部隊全体の兵員のうち、騎馬武者は1〜2割だから)
47日本@名無史さん:04/10/10 09:48:37
>>46
丁寧な回答ありがとうございます
48日本@名無史さん:04/10/12 16:34:28
戦国時代の宣教師が、
本国に送った書簡をまとめた本ってありませんか?
49日本@名無史さん:04/10/16 09:18:39
質問です。

「内南洋・外南洋」は「うちなんよう・そとなんよう」と
読んで良いのでしょうか?
50日本@名無史さん:04/10/17 22:09:15
質問です
幕末の「雄藩」の定義てなんですか?
それと雄藩の藩名を教えて下さい
51日本@名無史さん:04/10/26 22:27:08
平安貴族というか、皇族が子供の政所・侍所の雑事を始める(御堂関白記にて)ってどういう意味ですか?
通過儀礼なのかなんなのかよくわからなくて…。調べても出てこなくてここの力をかしてもらうことに。
誰かわかる人、教えてください
52日本@名無史さん:04/10/27 01:26:16
>>50
西南雄藩=薩長土肥。これに宇和島を加える事も。

雄藩=定義なんかあるかい。江戸時代の300以上ある藩の中で、15万石以上ある藩は十数藩しかない。
上位5%ということで、ここら辺がだいたいの目安じゃねぇの?
53日本@名無史さん:04/10/27 01:28:24
>>48
フロイス『日本史』
54日本@名無史さん:04/10/28 21:03:45
すみません質問です。
佐竹有家というのは清和源氏義光流の佐竹家の縁者でしょうか?
55日本@名無史さん:04/10/31 14:52:27
江戸幕府滅亡の最大の要因について教えてください。
5650:04/11/01 17:59:20
>>52
質問に答えていただきありがとうございました。
57日本@名無史さん:04/11/09 21:22:28
織田備中守といえば一般に誰を指すのでしょうか?
58日本@名無史さん:04/11/13 22:30:37
何故 鎌倉武士の死因は時宗を含め心臓病がいるのですか?鎌倉武士の食生活みたいな本では 当時は玄米・野菜・鰯・豆腐みたいなモノと書いてました。最も心臓病に程遠い食生活なのですが。
59日本@名無史さん:04/11/15 22:31:24
北条高時以降の北条氏は鎌倉から逃れて どこに行ってどうなったのですか?1333年に一族は全滅はしてないと本で読みましたが・・・。
60日本@名無史さん:04/11/16 11:41:11
学生時代は歴史が苦手で、勉強も苦痛だったのですが、最近
お寺などをまわるうちに興味が沸いてきました。
日本史を勉強(というか知るため)にお薦めの本を教えて下さい。
61日本@名無史さん:04/11/16 21:32:05
関東武士は1日3食、肉も食ってた。肉体作りのため。
62日本@名無史さん:04/11/16 22:35:23
>>59
時行の子供が伊豆にいる。
63日本@名無史さん:04/11/16 23:42:57
質問です。

山県有朋は私欲のために陸軍を私物化し、権勢を振るい、日本を壊滅に
追い込んだ陸軍の体質を作り上げた極悪人というのが日本史学界の
定説のようですが、ただ閨閥のようなものには関心を示さなかった
と近所の図書館に置いてある本に書かれていました。

これはどこまで事実なんでしょうか?
64日本@名無史さん:04/11/21 00:36:27
朱印船貿易でも長崎貿易でも生糸は主要輸入品なのに、幕末の貿易では生糸が主要輸出品になりますよね。
この間にどんな転換があったのですか。教えてください。
65日本@名無史さん:04/11/21 00:49:27
>>63
山県は大名、公卿、財閥などとは縁組していない。
養嗣子は姉の子をもらっており、娘は旧広島藩士の船越衛の子と結婚した。
66日本@名無史さん:04/11/21 05:34:37
学校の教科書ってどうなの?
67信長:04/11/21 15:38:28
>>57
備中守てソースは?
68信長:04/11/21 15:39:38
>>66
つまらん
69日本@名無史さん:04/11/21 16:07:52
日本史の初心者です。
子供の頃に読んだ歴史漫画で興味をもった信長・秀吉・家康あたりについて、
もう1度ちゃんと学んでみたいと思っています。
そこで本屋へ向かったのですが、歴史書や歴史上の人物の書籍はたくさんありすぎて、
どれが初心者向けか判断が難しかったんです・・・
もしもオススメの著者や本があれば教えていただけませんか?

あと、女性なので女性が活躍したお話にも興味があります。
もし何かこれは?というようなものがありましたらぜひお願いします。
(紫式部についてはたくさん読んだので、他の方を希望です)
70山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/21 16:58:20
女性史ですか。「中世を考える」シリーズの、「仏と女」、「家族と女性」
はいかが。田端泰子、脇田晴子、服藤早苗先生の御本とか。
服藤先生は、御自身がジェンダーフリー論者な分、都合よく解釈さ
れた様にもとれる箇所もありますが、よくまとまっています。
紫式部については、少々読んだところで理解出来ません。角田文衛
先生の御本には、単行本になったものも多いので、お探しになられ
るとよろしいでしょう。
広く浅くなら、小学館の『日本歴史館』。小学生にも理解出来ます。
7169:04/11/21 18:04:42
>>70
ありがたく参考にさせていただきます。
ネットで色々検索してみましたが、本当に多いですね・・・<書籍
あたりをつけてから実際に本屋さんへも行ってみようと思います。
72日本@名無史さん:04/11/21 19:42:24
真田幸村の父、真田昌幸の官職「アワ守」のアワは房総の安房ですか、
四国の阿波ですか?
73日本@名無史さん:04/11/21 20:48:43
御堂関白記の「御前除目に候無し」の御前とは天皇の意で取っていいのでしょうか?
74越中やもり:04/11/29 00:43:14
越中、加賀藩高岡城下を作る為にまず造られた町の1722年の町割り図面を
見たところ、各家の名前の左下に持分という小さな字が書いてあるのを見まし
たが、これはどんな意味を持っているんでしょうか、数十軒あるなかで持分と
書いてあるのは4軒ほどしかありません。加賀藩2代目前田利長の命により
造られ、木材と廻船の特権を与えられた町です。
どなたか、明るい方お教えください。
75日本@名無史さん:04/12/03 22:30:34
真田信繁は何故真田幸村と呼ばれるようになったんですか?
本人が改名したわけじゃないでしょ?
76日本@名無史さん:04/12/04 15:11:28
すみませんが教えてください。
どうすれば北海道に台湾のような立場の政府(幕府)を樹立させることができますか?

http://knowledge.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=1604201

この質問って、新スレッドにした方がいいですか?
77日本@名無史さん:04/12/04 21:04:58
まず経済的に独立できること
次に外交的に諸外国の承認を得られること
軍事的に自国の防衛を達成できること

(´-`).。oO(榎本総裁の北海道共和国
78日本@名無史さん:04/12/05 02:14:19
>>75
真田幸村という名は俗説。
本当は真田信繁が正しい。
幸村の名は江戸時代の講談や軍記物などの史料的価値の低い書物等から流布した。
79たぷたぷ:04/12/08 20:48:05
悲劇のヒーロー「真田幸村」、俺は好きです
ただ、語り継がれてる幸村像を分析すると、貧乏大名の次男坊だからこそ、出来た武勇伝だと・・
やはり、兄の信之に共感が持てる私は、長男坊
80日本@名無史さん:04/12/08 21:09:42
田沼時代と寛政の改革とを比較した川柳、「白河の清き流れに魚住まずにごる田沼の水ぞ恋しき」の意味がわかる方、教えて下さい。お願いします。
81日本@名無史さん:04/12/08 21:14:39
白河の清き流れに魚は住まない
にごる田沼の水が恋しい
82日本@名無史さん:04/12/08 21:40:33
上の方教えていただきましてありがとうございます。意味は読んだままのかたちでいいんでしょうか?
83日本@名無史さん:04/12/08 21:43:06
綱紀が粛清され、不正の一掃された世の中(白河の清き流れ)は
そりゃ結構ですがね、なんか息苦しくてかなわんです(魚住まず)、
ちょっとくらい情実や不正、賄賂が通用するような世の中(にごる田沼)の方が
人間味があって住み良かったよなぁ・・・(恋しき)

っつー意味かな。
84日本@名無史さん:04/12/08 21:43:37
粛清→粛正ね
85日本@名無史さん:04/12/08 21:48:44
84さんありがとうございます。参考になりました。これが明日のテストにでるということなので、ばっちしです!! ありがとうございました。
86日本@名無史さん:04/12/11 13:22:14
>78 激しく遅レスだがサンクス!!
87日本@名無史さん:05/01/02 18:33:32
ふと気がついたのですが時代劇に出てくる歩兵って西洋みたいに盾を持って突撃しないですよね?
なぜ盾をもたないんでしょうか?
88山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/01/02 18:44:42
『法然上人絵伝』の夜討の場面などに、手持ちの楯は登場しています。
ただ武士の本分が騎射にあり、弓矢を構えていては盾の使用が不可能である
事から、盾職人というものに到らなかったのでしょう。
鎧同様の発達を見せていれば、丈夫な雑兵用の盾も生産される様になったで
しょうが、肝心の騎乗する武士が使用しないのに、お金のかかりそうな金属
製の盾が雑兵の為だけに生み出される事も無かったかと。
楯といえば、楯を挟んで矢を射掛けあう「楯突戦」が連想されましたから。
戦闘経験はほとんどそれだけというぐらい、戦場では白兵戦よりも飛び道具
を使用する機会の方が多かった様です。それなら金属製の「盾」より、木製の
「楯」の方が必要になるでしょう。
89日本@名無史さん:05/01/02 18:59:14
>>88
早速詳しい解説ありがとうございます。

「楯突戦」でググったらこんなスレがありました。
こちらも読んでみます。

なぜ日本には盾がない?
http://piza.2ch.net/log2/history/kako/946/946063699.html
>>88
釣り?
91日本@名無史さん:05/01/16 16:19:47
日本の最盛期っていつなんでしょう?
織豊時代(日本の大航海時代。日本人街多数)?
幕末から第一次大戦まで?
それとも第二次大戦前半(ミッドウェー前。支配領域は日本史上最大)
それともそれとも戦後の好景気時代でしょうか?

全て過ぎ去ったじだいですがコレから最盛期が来るとは思えないので
92日本@名無史さん:05/01/19 07:57:17
中世から近世への女性の結婚観の変化について教えて下さい
93日本@名無史さん:05/01/20 01:06:06
一国平均役って何ですか?誰か教えてください
94日本@名無史さん:05/01/20 06:29:17
明治まで腰巻しか下着つけてなかった女性は整理の時どうしてたんですか?
垂れ流してたんですか?
95日本@名無史さん:05/01/20 23:33:20
>>94
垂らしません

誰も大小便を垂れ流さないでしょ
生理も一緒だよ
96日本@名無史さん:05/01/21 00:53:33
じゃ、どうやってたんだよ
ふんどしと違って下に布ないじゃん
腰巻って巻いてるだけなんだから
97日本@名無史さん:05/01/21 10:35:41
はぁ?

漏れないように自分の力で締めるんだよ
98日本@名無史さん:05/01/24 23:54:41

大杉栄は、なぜ殺されたのですか?
即答してください。
誰に聞いても教えてくれません。
気になって仕方ないんです。
近代で、あれほど悲惨な死に方をした人も珍しいから。
99日本@名無史さん:05/02/03 04:32:04
鹿苑寺の義満生前の呼び名は北山殿或いは北山第らしいですが、それぞれ読み方はどうなるんでしょうか
100日本@名無史さん:05/02/12 12:44:13
今の日本の地名は誰がどのように考えそして決定したのかきさまら教えて下さい
101日本@名無史さん:05/02/12 13:41:05
>>98
労働統一戦線(穏健〜アナーキスト〜共産主義者)の要だったから
102日本@名無史さん:05/02/12 18:05:05
何故豊臣恩顧の武断派は家康側についたんだろう?
三成嫌いは口実で秀頼を見捨てただけ?
103日本@名無史さん:05/02/12 18:06:10
関ヶ原スレへ逝け
104日本@名無史さん:05/02/12 19:31:02
殉死の数が最も多かった武将は誰ですか?
殉死の数が多い=家臣から信頼が厚かった
ということは一概には言えないのでしょうか?
105日本@名無史さん:05/02/12 19:39:03
歴史地理公民
社会全般の良い勉強法早く覚えられる方法・頭から離れない方法教えて下さい!
社会がかなりせっぱつまってて やば
皆頭良さそうだから教えて下さい・・・本気です 受験生より
106日本@名無史さん:05/02/12 19:41:10
>>62
それじゃ>>59の答えになっていない。
(高時の死後の北条一族について訊いているのだから、時行を知らない可能性がある)
1335年、高時の次男の時行が諏訪氏に擁立されて鎌倉を一時占拠しているが敗北。
その後、後醍醐天皇と足利尊氏が対立すると、時行は前者と和解して南朝軍に加わるが1353年に足利軍に捕らえられて処刑されている。
107日本@名無史さん:05/02/12 20:57:58
105にお返事を
108日本@名無史さん:05/02/12 21:04:10
みんなすごい
109日本@名無史さん:05/02/12 22:49:07
変な質問ですいません
斉藤の軍師で、城を数人で落としたって人の名前

思い出せなくて気持ち悪いので、教えていただけないでしょうか?
110日本@名無史さん:05/02/12 22:52:51
自己解決
竹中さんですた
スレ汚しすまそ
111日本@名無史さん:05/02/13 02:38:32
妹がこの前課題として読まされていた本が中国人の強制連行に関する本でした。
朝鮮に対してならよく聞きますがこのような事実はあったのでしょうか?

ここで質問していいのかわかりませんが、できれば教えていただけないでしょうか
112日本@名無史さん:05/02/13 03:41:57
(上海における中国人の日本人捕虜虐殺行為に関するCNNレポート)
http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/index.html

(CNN紙に掲載された虐殺光景)
http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/image1.lg.jpg
http://www.cnn.com/WORLD/9609/23/rare.photos/image2.lg.jpg
113日本@名無史さん:05/02/14 00:05:08
戦後、というかその前後にできたという「財閥」って
何々家でしたっけ。いくつかありましたよね
114日本@名無史さん:05/02/16 21:13:51
漢風諡号の読み方って、誰が決めたんですか?
115日本@名無史さん:05/02/16 21:48:12
質問です。
明治政府に対してなぜ士族反乱が頻発したのでしょうか?
教えてください。
116日本@名無史さん:05/02/20 17:44:33
>>114
古代の天皇のものは奈良時代末期に淡海三船(弘文天皇の曾孫)が定めたと言われている。
117日本@名無史さん:05/02/22 20:14:03
伊達ではない、の「伊達」って、伊達政宗のことですか?
118日本@名無史さん:05/02/22 22:44:46
>>117
そうの通り。
四捨五入して説明すると、
伊達政宗が上洛したとき、その行装が美々しかったことから
「カッコイイ」ヤシのことを「伊達者」というようになりました。

そこから派生して、「飾りじゃない」という意味で
「伊達じゃない」という言い方ができたのでしょう。
この言葉だけみると「伊達」という言葉は悪い意味に聞こえますが、
基本的に、「伊達」単独で使う場合はいい意味に使います。
119117:05/02/22 23:08:14
>>118
わーありがとうございました
ためになりました(・ω●)
120日本@名無史さん:05/02/27 13:22:24
徳川秀忠は家康の長男でもないのに、どうして征夷大将軍になったのですか?
兄弟に問題でも有ったのでしょうか?
どなたか教えてください。
121日本@名無史さん:05/02/27 13:39:34
秀忠は3男。
長男の信康が信長の命で切腹し、次男の秀康はブサイクで親父に嫌われていた上、
秀吉の養子になっていたので、3男で親父に従順だった秀忠が後継ぎになった。
122日本@名無史さん:05/02/27 13:48:32
>>121
ありがとうございましたっ!
123日本@名無史さん:05/02/27 14:54:38
江戸時代には浪人が武士の未分を捨てて町人になる人がいたとは聞きますが、
逆に三代、四代と代々浪人を続けていく家もあったのでしょうか?
124日本@名無史さん:05/02/27 16:54:02
これは本当ですか?

383 名前:日本@名無史さん :05/01/10 16:59:33
名字は公称できないだけで、ほとんどの人が持っていたらしい。(江戸時代)


384 名前:日本@名無史さん :05/01/10 17:11:58
「日本の近世」のシリーズで大店の奉公人の記述を読んでたら、
手代(ということは丁稚も)とかでも普通に苗字を持ってたようだ。
125日本@名無史さん:05/02/27 16:58:04
>>120-122
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1106873764/
三戦板のスレだが、家康の後継問題についても論じられているから、こっちも参照したらどうか?
126日本@名無史さん:05/02/28 07:25:22
江戸時代の兵庫県域で宿駅が置かれた地を調べております。
五街道であれば載っている文献も多く、また山陽道や因幡街道
くらいの街道までは見つかりました。しかし、三木駅、淡河駅、
伊福駅くらいになると図書館で漁ってもうまくヒットしません。
市町史誌といったものを根気よくあたるしかないのでしょうか。
127126:05/02/28 20:35:28
街道や宿駅の設置は幕命によるものでしょうか。あるいは街道沿いの各藩が必要に応じて
設置することも出来たのでしょうか。
128日本@名無史さん:05/02/28 21:08:24
日本史には牛車は既に平安時代には登場していますが、馬車が明治時代までないのはどうしてですか?
129日本@名無史さん:05/03/01 13:07:07
亀レスでスマソだが知ってる範囲で
>>57織田備中守名乗ってるのは織田信照(信長の異父弟)しか思いつかん。
>>72真田昌幸は安房守。
130日本@名無史さん:05/03/01 13:13:29
>>128
日本の馬は小さくて馬車を引けなかった
馬借も荷は乗せるが本人は乗らない
131日本@名無史さん:05/03/01 13:55:46
日本は牛も小さいと思うのだが・・・
132日本@名無史さん:05/03/02 03:11:48
>>128
目から鱗だ〜。なんでだろ? 犬だって橇ひけるんだから小さくても連結
すればひけるはず・・・
牛の在来種の方が多少大きかった? 貴族が乗るにはマターリ歩く牛のがよかった?
貴族がいるのは京都。それ以外の都市では道が悪く、また、武士、領民の区別等も
あり、徒歩か単身騎乗となった?田舎に牛車ってないよね?今川義元あたりだと、
持ってたかなw?
133日本@名無史さん:05/03/03 12:28:36
>>132
牛車は維持費がかかるので貴族が衰退した中世以後は私的な外出にはもっぱら輿が使われた。
応仁の乱以後は牛車は事実上消滅。
134日本@名無史さん:05/03/03 15:03:58
美濃の御嶽城城主の小栗信濃守と、常陸の小栗氏は同属でしょうか?
同族でしたらいつごろ美濃に土着したのでしょうか?
どなたか教えてくださいませ。
135日本@名無史さん:05/03/03 17:16:34
大老の井伊直弼というのは、
戦国武将の井伊直正の子孫なの?
136日本@名無史さん:05/03/03 19:06:51
>>135
はい。
137日本@名無史さん:05/03/04 18:24:17
>>136

そうなんですか
ありがとうございます
138日本@名無史さん:05/03/13 18:40:08
>>90
山野氏に釣り?はないだろう。
139日本@名無史さん:05/03/16 00:54:55
琉球守は亀井茲矩が初めて称したのでしょうか?
また、彼しか与えられてないのでしょうか?
140日本@名無史さん:2005/03/22(火) 19:27:08
彼岸で墓参りに行ったときに気がついたのですが
家の先祖の墓に
沖縄県宮古島島司 従七位(先祖の名前)
と書かれていました。
わが家は昔から千葉に住んでいたはずなのですが
なぜ沖縄や宮古島の名前が出てくるのでしょうか?
141日本@名無史さん:2005/03/22(火) 20:05:54
ご先祖が地方官として沖縄県に赴任してたからでしょう。
沖縄県○○島司とか従七位とあるから、おそらく内務省のお役人でしょう。
142日本@名無史さん:2005/03/23(水) 13:43:32
>>141
なるほど、政府に派遣されていたのですね。
ついでに島司や従七位とはどういう意味でしょうか?
143日本@名無史さん:2005/03/24(木) 00:34:11
親戚関係で、武田信長は武田信玄の何にあたりますか?
144日本@名無史さん:2005/03/24(木) 00:40:12
>>142
宮古に住んでいるので、手元に官位の資料があるのですが、残念なことに琉球王朝時代のものでした。

お役に立てなくて、すみません。
145日本@名無史さん:2005/03/24(木) 01:03:08
中学生の頃に見た資料集Or何かの本に明治天皇の弟宮の名の記載がありました。
夭逝したようではなく成人されたようなのですが
いくらググっても弟宮の存在さえ出てきません。
私の勘違いだったのでしょうか、真相を教えて下さい。(大室何とかの話は止して下さい)
宜しくお願いいたします。

146日本@名無史さん:2005/03/24(木) 07:47:06
>>128
江戸時代には禁止されていた。
道が狭くって危ないのほか戦略的に禁止の意味もあった。
大きな川とかに橋を架けるのを禁止ていたのと同じ様なもの
147日本@名無史さん:2005/03/24(木) 12:42:29
>>128
日本に馬を去勢する風習がなかったため、馬の性格が荒かったため、危険。
なので、江戸時代には禁止されていたんではないかな。
148日本@名無史さん:2005/03/24(木) 14:24:39
第2次大戦の時の日本軍って強かったの?
例えば同数の
日本対アメリカ
とかやったらどうなの?
ゼロ戦対B29とか
149日本@名無史さん:2005/03/24(木) 16:13:24
「古を、記せる文の、後もうし。さらずばくだる、世ともしらじを」

この歌の意味を教えてください。
安宅冬康という戦国武将が詠んだ歌らしいのですが。
150日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:12:51
>>148
歴史系の板での認識だと、第二次大戦の時代の戦争は、
国家の経済力やらなんやら全てが動員されて、
その合計で勝負が決まる「総力戦」、
というのがおそらくは最大公約数の見解だろうから、

「ある戦場にどれだけ多く、どれだけ質の良い兵器と軍隊を動員できるか」

が軍隊の強弱の基準になるわけで、
「同数の両軍の強弱」をここで聞くのはナンセンス。

あくまで「同数」にこだわるなら、軍事板のほうがおすすめ。


151日本@名無史さん:2005/03/25(金) 12:24:40
>>143
武田信長が上総武田・真里谷の祖の人のことなら、信長の兄の5代目の子孫が信玄。
152芦屋大学:2005/03/25(金) 12:25:59
153紫電改のワシ:2005/03/25(金) 13:39:14
ゼロ戦にはターボファン(過給機)がついていないため、
高空で戦闘が出来ません。
爆撃機迎撃用の「雷電」(ターボファン装備)ですら、
高度が上がると出力不足になり

ス ピ ー ド で B29 に 負 け る

ような状態だったんですから。
(それでも多数のB29を撃墜したのはスゴイが)

ゼロ戦が高高度を維持するためには、
絶えず機首を上に向けて、フルスロットルしかないッ!
哀れだ。(泣)
154歴史好きのヒキコモリ:2005/03/25(金) 15:16:36
>>142
島司は、現在の支庁長。従七位は叙勲されたってことだろ。政府の役人で、ある程度の階級以上で、満期退職した人は確か、叙勲されたと思う。

>>145
宮内庁に問い合わせたところ、明治天皇の兄弟で、天皇以外で最も長生きした方で三歳なので、あなたの勘違いであると思われる。

>>148
零戦は戦闘機、B29は爆撃機で、比較できない。
あと戦闘機同士の場合でも、燃料の問題もある。同じ数の戦闘機、同じ燃料という前提での戦闘なら、日本に軍配が上がる。
155日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:37:36
ABCD包囲網からハルノートへのつなぎが良く解りません。
ハルノートの提出はアメリカだけでなくて、ABCD各国の要請(要望)によるものだったんですか?
156日本@名無史さん:2005/03/26(土) 22:46:09
>ABCD包囲網
日本だけが勝手に行ってたことハルノートと関係はない
157日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:03:48
>>145です
>>154さん、わざわざありがとうございました。
やはり、記憶違いだったのですね。
158日本@名無史さん:2005/03/27(日) 10:16:37
>>155-156
関係ないけど、関連ゼロでもない。
日本の南進政策に対して利害対立国が共同歩調で組んだ経済封鎖網がABCDでその盟主たる米国との交渉でABCDを解除しようとしたけれど、ハル・ノートでおじゃんになったのだから。
159日本@名無史さん:2005/03/27(日) 13:39:35
インドシナと中国から軍事撤退。
みたいな項目があったような気がするんですが。
そのあたりは各国の要望、みたいのに合致しますよね。
160日本@名無史さん:2005/03/27(日) 17:43:39
中国は当事国
インドシナが日本の手に入れば、次は自分の植民地が危なくなるイギリス・オランダ。
そして、アメリカ…。
161日本@名無史さん:2005/03/27(日) 21:41:44
>>158
大体合ってるんだけど、>>156の言うとおり、ABCD各国が自分たちをABCD包囲網と
自覚して結束してたわけじゃないからね。ABCD包囲網という言葉は太平洋戦争開戦直前、
日本が国内向けに用い始めた言葉で、「皇国の敵・ABCD包囲網を打ち破れ」みたいな感じで
主に国民の戦意高揚のための宣伝に使った用語なんですな。
>>159 >>160
ハル・ノートの策定に関して、ハルはBCD、それに豪とかの外交担当者と確かに協議を
おこなってはいます。ただ、これはおそらく、「十中八九戦争になるから、関係各国は警戒されたし」と
注意を促した程度のものじゃないかと思います。
中国大陸からの撤兵条項なんてのも、あれは中国市場の開放と機会均等を求めるアメリカ自体の思惑ですし、
BCDの要請とか要望とかってのはあまり関係ないんじゃないスかね。
162日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:01:51
『雪』作戦
 1955年11月、旧ソ連国家保証委員会(KGB)の元対米諜報担当者であったビタリー=パブロフ氏は、
当時財務省特別補佐官であったハリー=デクスター=ホワイトが旧ソ連の協力者であり、
諜報工作の対象者だったことを明らかにした。
それはホワイトを利用してアメリカの対日交渉に働きかけようとするものだった。
 「ハル・ノート」には仮条約案から成る「暫定協定案」と本案から成る「基礎的一般協定案」から成っていた。
そしてその本案である「基礎的一般協定案」が作成された場所が財務省内であり、これはモンゲソー案と呼ばれていた。
しかし、これは本来財務長官であるモンゲソーの側近であるホアイトが原案を作成した。
そしてこれは「ホワイト試案」と呼ばれた。
 ホワイトは1934年に財務省に入り、ニューディール派の理論家として頭角を現し、戦後アメリカを代表して
国際通貨基金(FIFA)創設に尽くし、そして46年に国際通貨基本総裁に就任した。
しかし、その後マッカーシズム旋風に巻き込まれ、ソ連のスパイ容疑で下院非米活動委員会に喚問それたが、
証言のないまま48年8月に服毒自殺をした。
当時、ホワイトはモンゲソーに絶大な信頼があり、ホワイトの出した案はほとんど修正されることなく通ったという。
マッカーシズム旋風以来「ホワイトはソ連のスパイではないか」と言われ続けて来た。
それは「ハル・ノート」の元々の原案となる「ホワイト試案」にソ連が関与していたということにつながることであるからだ。
そしてパブロブ氏の証言はこの問題のベールをはぎ取り、この様に明らかにしたのであった。
163日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:36:56
↑どっから拾ってきた文章か知らんけど、だから何?
164日本@名無史さん:2005/03/30(水) 17:15:02


韓国の極一般的な小中学校で行われている、社会科の授業風景。


http://www.animar-japan.com/cgi-bin/history/imgbox/img20050330170149.jpg


2年程前にテレビ朝日が、取材した時のキャプ画像より。




 
165日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:38:44
この板雑談スレ無いの?
166日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:50:08
記念ケイチョー
167日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 02:44:21
慶長記念書き込♪ 極東より〜
168日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 19:00:49
聖武天皇の皇子時代の名前ってなんですかぁ?
169日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:09:27
今日はデフォルトの日付が皇紀ですが、"歴史的に見て"日本って少なくともいつの頃からあるのでしょうか?また、どの天皇から実際に実在しているのでしょうか?
自分は勝手に、景行天皇あたりからは確実なのではないのかと思っているのですが。
170日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:52:14
>>168
首皇子(おびとのみこ)だよ。
171168:慶長410/04/01(金) 23:14:39
>>170
トン♪
172日本@名無史さん:2005/04/04(月) 12:59:46
>>72
関東の方の安房
173日本@名無史さん:2005/04/07(木) 06:48:11
卒論スレあたりが適当だったのに、なくなってしまったので、ここでお尋ねします。

縦書きの文で時々出てくる反復記号の「く」(の長いやつ)。
これを横書きにする場合は「へ」(の長いやつ)にすればよいのでしょうか?
174日本@名無史さん:2005/04/07(木) 08:31:44
>>173
「々」を使え
175日本@名無史さん:2005/04/07(木) 14:18:15
旧石器時代から新石器時代へと移るにつれて
地球が氷河期が終わりあたたかくなり大型動物が減ったとあるんだけど
なんであったかくなると大型動物が減るんだ?
頭いい人教えてください。
176日本@名無史さん:2005/04/07(木) 15:11:05
自己解決
177ハメ太郎 ◆IEUzTmkaDc :2005/04/07(木) 17:12:12 BE:120111168-#
VIPから来ますた。
もしかしたら史実と違う真実がVIPにはあるかもしれない。
どうです?ワクワクしてくるでしょう?

Vipperの力で他板の悩める住人を救ってやろうぜ
http://ex10.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1112858687/
178日本@名無史さん:2005/04/07(木) 19:07:43
実際の所、竹島って元々どっちの領土だったの?
日本の領土だった時期があれば韓国の領土だった時期もあったの?
179日本@名無史さん:2005/04/07(木) 19:31:56
>>178
ただの岩でもともと無人島。
ただ日本側はアザラシ漁でちょくちょく使ってたけど韓国側にそんな資料は一切なし。
そんな島だったので日本は国際的な手続きに則って明確に日本領としただけ。
韓国の主張は全て妄想。
180日本@名無史さん:2005/04/07(木) 19:57:17
竹島ぐらい、韓国にくれてやれ。
あんなの持ってても意味ねぇだろ。天然資源があるわけでもなく、人が住んでいるわけでもなく。
181日本@名無史さん:2005/04/07(木) 20:10:20
180よ
お前が生きていることよりオサカナ1000匹のほうが価値がある。
182日本@名無史さん:2005/04/07(木) 20:16:56
沖ノ鳥島は岩だと支那は言ってますが、僕にも岩にしか見えません・・・
どうなんでしょう?
183日本@名無史さん:2005/04/07(木) 20:26:57
>>182
岩ですw でもどこからも文句は言われませんでした。
しかし中国も南沙で同じ理屈で自国の領土だと主張している岩があります。
中国とはそんな国です。
184日本@名無史さん:2005/04/07(木) 20:30:13
>>181
うん? 朝鮮人が何戯言吐いてるんだ?
185日本@名無史さん:2005/04/07(木) 20:35:54
>>180
えっとね、李ラインって知ってる?
島根県やらの何人もの日本の漁師さんたちが、
日本海で韓国人に殺されてるんだよ。

その口実のひとつが、「竹島は韓国領」。
それから、韓国人は「対馬も韓国領だ」って宣言してるんだよ。

天然資源だって海底に眠ってるかもしれない。
漁業資源については、日韓漁業協定で
「竹島付近は共同で管理しましょう」って約束したのに、
その約束を破って、共同管理を行う気配すらない。

竹島問題は、韓国が日韓漁業協定を誠実に履行していれば
起こらなかった問題なんだ。
こんなこと書くと「嫌韓厨」っていわれるかもしれないけど、
韓国が「日帝36年」を口実に、約束を破ったことがことの本質なんだよ。
186日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:41:19
プッ
187日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:46:54
大日本帝国の最大版図って何km2か分かるような資料ってありますでしょうか?
内地・外地・準外地が分けてあるようなものだと、より有り難いんですが…
188日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:50:44
>>185
殺されてはないでしょ?
189日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:56:46
もし日本が李承晩ラインみたいなことしてたら、向う100年は叩かれ続けるだろうな
190日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:58:17
>>175
生物板で聞いた方がいいと思うのだが……。
寒さによって奪われるエネルギーと体重の相関関係から、大型である方が寒冷に耐えられるんじゃなかったかな?
熊とか、緯度が高くなるにつれて大型化する。
191日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:59:44
>>180
お前バカか?国土から200海里が領海なんだから竹島があるだけで日本の領海がふえるんだよ。少しは考えてから書けよ
192日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:05:48
【2ch発の宗教】  age真理教
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1112878508/

強烈な電波を放っています。
193日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:23:46
>>191
それで?
194日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:26:37
南京では大量虐殺はあったんだよ
被害者が語ってるからしょうがない
加害者が必死に否定しても誰も信用しないよ

ドイツ人がホロコーストなかったと言っても誰も信用しない
195日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:37:33
>>194
南京大虐殺はなかったし、あったとしても、ナチス・ドイツのホロコーストとは全く次元が違う。
196日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:53:14
>なかったし、あったとしても

たった一行の文章もまともに書けんのか

「南京虐殺は中共が吹聴するような規模ではない」ですむ話だろ
197日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:58:01
>>191
200海里は漁業権の管轄範囲だアホ・・・・
領海の範囲は12海里。小学生レベルだぞ。
198日本@名無史さん:2005/04/07(木) 23:15:30
>>196
>「南京虐殺は中共が吹聴する規模ではない」ですむ話だろ
すまねぇよ。虐殺事件なんてものがねぇんだからな。
日本軍が捕えた支那の間諜を処刑したことはあったがな。
199日本@名無史さん:2005/04/07(木) 23:32:15
>>187
準外地ってのがわからん。
大東亜戦争で日本軍が進出した最大地域というのなら日本史の教科書に載ってるんじゃないか?
俺の10年前の教科書には載ってる。面積までは分からんがね。
200日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:00:43
つかぬことを伺いますけど、源頼朝さんの姓は何ていうの?
201日本@名無史さん:2005/04/08(金) 01:51:12
教育勅語について調べていますが、成立過程が理解できない。
明治維新後、富国強兵を目指していて西洋の技術を取り入れようとしたけど、儒教の精神は忘れるなってこと?
はじめは儒教重視だったのが軽視されてきて西洋の学問の同等になってきたの?
なんか学制とか教学誓旨とかいろいろでてきて並びが全然わからない。
教育勅語が成立する前史、成立過程、なぜ教育勅語を制定することになったか教えてください。
202日本@名無史さん:2005/04/08(金) 01:57:53
>>188
殺されてるよ。
203日本@名無史さん:2005/04/08(金) 19:11:10
>>202
殺されたのは、たかが民間人だろうが、ヴォケ!!
国家間の問題には、一切関係ない。
204日本@名無史さん:2005/04/08(金) 19:14:47
工エェ(´Д`)ェエ工
205日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:16:23
>>203
お前の言っている事は

殺されたのは、たかが日本人だろうが、ヴォケ!!
国家間の問題には、一切関係ない。

っと言う事な訳だが。
206日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:27:17
>>202
ソースを教えて
207日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:32:32
発布にいたるまでには,さまざまな教育観の対立があった。学制公布
(1872)当初は文明開化に向け,個人の〈立身治産昌業〉のための知識
・技術の習得が重視された。しかし自由民権運動の昂揚に危機を感じた
政府はこれを直接弾圧するとともに,ふたたび自由民権思想が起こらぬ
よう学校教育の統制に乗り出し,1879年の〈教学聖旨〉で仁義忠孝を中核
とした徳育を教育の根本にすえることの重要性を説いた。儒教主義の復活である。
これを促進した天皇の侍講元田永孚が勅命によって編纂した《幼学綱要》(1882)は,
全国の学校に修身書として下付された。
208日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:33:46
一方,鹿鳴館の舞踏会に代表されるような,条約改正のための欧化主義
が華族や官僚上層部にひろがっていた。さらに開明官僚であった初代文相
森有礼は,富国強兵のための教育をめざしながら,道徳教育の基礎を西洋倫理学
に求めようとした。すでに〈教学聖旨〉が出されていたが,なお学校の徳育
の基本は混乱していたのである。1889年2月11日の大日本帝国憲法発布によって
国策の基本がすえられ,これに応じて教育とくに徳育の基本方針を明確にせよ
との意見も出されるようになった。
209日本@名無史さん:2005/04/09(土) 11:35:19
翌90年2月に開かれた地方長官会議では,いぜんとして民権派の影響や西洋思想
の浸透により,徳育が困難な状況にあるとの報告が各地から行われ,この際勅諭
の形式で教育方針を示してほしいとの要求が政府に出された。この要求は閣議で
とりあげられ,徳育には関心のない榎本武揚の後任文相に内務官僚芳川顕正が任命
されたとき,天皇から徳育の基礎となるべき箴言(しんげん)の編纂を命ぜられた。
首相山県有朋は〈軍人勅諭〉(1882)の発布によって軍隊の思想統制に成功した経験から,
教育にも同様の勅諭がほしいとの考えをもっており,文部省にその草案作成を命じた。
はじめ文部省は帝国大学教授中村正直に草案執筆を委嘱したが,完成した草案の
哲学論的・宗教論的色彩を法制局長官井上毅に批判され,この草案はしりぞけられ,
この井上が山県の要望にこたえて草案を起草した。中村案,井上案とは別に案を起草
していた元田永孚も,井上案ができるやこれに意見を述べ,結局井上案が基礎となり,
細部にまで検討が加えられ練り上げられ,第1回帝国議会開会直前に発布にこぎつけた。
210207-209とは別人:2005/04/09(土) 12:04:00
ついでにいえば、教育勅語の制定から10年ほど後に文部大臣だった西園寺公望があまりにも保守的に国際的でないということで教育勅語の改訂(「第二教育勅語」)が試みられたが、内閣交代に伴う西園寺の辞任でお蔵入りになっている。
211日本@名無史さん:2005/04/09(土) 12:09:06
>>206
李承晩ライン廃止までの抑留者数・拿捕された船の数および死傷者数 抑留者数:3929人
拿捕された船の数:328隻 死傷者数:44人
死者の中には、娘が生まれたばかりの若い漁師も居た。赤ん坊は、生後数ヶ月で父を殺された。
抑留された被害者は、日韓漁業協定が成立する1965年まで抑留され、韓国に人質として利用された。
その年月、最大13年。
日本政府は、彼らを帰してもらうために、在日朝鮮人の犯罪者を仮釈放して、
在留特別許可を与えた。その犯罪在日朝鮮人の数、472人。
韓国は国際法上認められていない、自称”平和線”によって拿捕された漁民を人質として利用し、
日韓条約と日韓漁業協定を韓国に圧倒的有利な内容で締結させた。

李承晩ラインか竹島・漁船・拿捕でググれ
212日本@名無史さん:2005/04/09(土) 12:35:03
>>211
死傷者ではなくて、死者は何人かわかりませんか?
213日本@名無史さん:2005/04/09(土) 12:36:01
鎌倉時代の地頭って、御家人でなくてもなれたの?
214203:2005/04/09(土) 12:52:08
>>205
北鮮との国交回復のために、外務省が躍起になって拉致事件を揉み消そうとしていた。
アメリカからの輸入果実に、発ガン性があるとして日本で禁止されている農薬が含まれていることが判明したが、それらを農薬ではなく〔添加物〕として扱っているために、いまでも普通に輸入されている。
日本政府はこういう政府なんだよ。
215日本@名無史さん:2005/04/09(土) 18:24:19
>>212
人数の問題じゃないでそ。

昭和28年2/4午前8時半、福岡の漁船第1大邦丸(57トン)は第2大邦丸(57トン)と
済州島沖10マイル、農林第274漁区で操業中、韓国船の昌運丸が近づき、
「魚は獲れそうか」などと漁場の様子を尋ねてきた。その5分後、突然、
韓国船昌運丸に乗り込んでいた韓国軍憲兵、韓国陸軍下士官らが発砲し、
第1大邦丸漁労長の瀬戸重次郎(34)が頭を撃たれて重態となり、
韓国に船ごと連行された後、死亡したのだった。
当初は済州島から第1大邦丸が脱出する際に追跡されて銃撃されたという話
だったのが、現実には公海上の事件であった

216日本@名無史さん:2005/04/10(日) 02:16:28
南京虐殺は人数の問題では無いと言いつつ際限なく人数と地域を拡大することに拘るが
韓国人が日本人を虐殺した際の死傷者では死んだ人数を問い質さないと気がすまない


それがサヨククオリティー
217日本@名無史さん:2005/04/10(日) 17:53:57
この手の話は
http://money3.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1111774463/
でやれば、受けると思うよ。
218日本@名無史さん:2005/04/10(日) 20:12:51
1人死んだのかぁ
219日本@名無史さん:2005/04/10(日) 20:31:31
戦国時代は武田信玄が所領、甲斐と信濃合わせて何万石程のあったのでしょうか?
又、当時の金 一両を現在の価値に換算するといくらほどの価値だったか教えてください
220日本@名無史さん:2005/04/10(日) 23:47:27
>>219
甲斐23万石弱、信濃40万石。
最終的には駿河を始めとする周辺の領地も手に入れて130万〜140万石くらい。

金座、銀座、銅座の3貨が統一されたのは江戸時代だから、一両と言っても…
戦国期は重さで価値が決まるんじゃないの?
武田領の金は石高以上の利益を上げてたとは聞くが。
221219:2005/04/11(月) 00:07:37
>>220
レスサンクス
最近、大河ドラマ 武田信玄に嵌ってて、越後 信濃 相模 駿河 甲斐とそれぞれ
の石高やドラマに出てくる 武田領内(甲斐)の金山の一部から50万両の採取が
見込めるというシーンがあったが 一口に50万両と言われても現在の価値で換算しない
と50万両と言う価値がピンとこなかった物でレスしました。

それから戦国時代の各国で力のある国の大名には、必ず良い家臣団が存在していた
んだと思いました。  武田 織田 毛利 徳川等  それから上杉謙信の元に武田
の家臣団のような優れた家臣が沢山いたならとも思った。


222日本@名無史さん:2005/04/11(月) 01:10:26
「奈良」はウリナラの「ナラ」ではないのです。土地が平たく均(なら)されたところ(今の奈良盆地?)
という意味で何度か古書に出てくる。JR奈良本線の駅に「平城山(ならやま)駅」もありますわな。
誰が言い始めてウリナラ起源説が流行ったのか分からんが・・・、浜村淳が訂正してくれれば良いんだけど。

大学で歴史学科とか専攻してる奴には常識かもしれないけど
意外とウリナラ起源と勘違いをしてる方が多いのが気になります。

朝鮮の歴史書を見ると、ウリナラは近代のみ、高麗で「ナラカ」「ナラハ」だったのは確認済、
それ以前は全く情報なし。
一方、奈良は飛鳥時代以前から「ならやま」という地名も、「ならす(均す)」と
いう動詞もあったことが確認済。年期が日本の方が千年ほど古いんだ。
223日本@名無史さん:2005/04/11(月) 22:05:31
灘亀こと永井亀吉について詳しく知りたいのですが、
詳細な資料が掲載されているHPあるいは書籍などはありますでしょうか?
224日本@名無史さん:2005/04/11(月) 23:49:14
尊王攘夷を実行するというのは具体的にどういうことなのでしょうか?
225日本@名無史さん:2005/04/12(火) 10:05:34
>>221
現在の価値に換算して意味があるとは思えないんだが……
だいたい、何を基準にするかで簡単に変わってくるもんでしょ。
当時の他の大名の金産出なんかと比較した方がいいんでないか?

>>222
この人なんでこんなところで演説してるの?
226日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:59:24
コピペ
227日本@名無史さん:2005/04/13(水) 22:13:01
>>225
物価だって生活水準だって違うわけだし…。
228178:2005/04/14(木) 16:12:14
>179
レスありがとうございます。
亀レススマソです・・・
229日本@名無史さん:2005/04/17(日) 20:33:44
日本史を勉強するのにお薦めの本等はありますか?
山川の教科書と岩波新書の日本の歴史を1、2、3を現在は使っています。
230中国の残虐行為も教科書に記述するべきだよね?:2005/04/17(日) 20:45:58
/::::::::::::::::::::::::::::::; :;:::"'
  /:::::;;:::::::::::::::::::::::::;;;ノ ヽ;:::\賛同者はコピペ願います。
 /::::::::ノ""'''''‐‐-‐'''"    ヽ:;::|
 |::::::::::|      ●       .|ミ|   ■中国側の残虐行為には、通州事件、
 |::::::::::|              .|ミ|  
 |::::::::|    ,,,,,,, ノ ヽ,,,,,   |ミ| 済南事件、漢口事件などがあります。  
  |彡|.  '''"""    """'' .|/      
 /⌒|  -=・=‐,   =・=-  |      「新しい歴史教科書」で「本当の歴史」を
 | (    "''''"   | "''''"  |  
  ヽ,,         ヽ    .|    学びましょうよ。
    |       ^-^     |    
._/|     -====-   |  学校関係者の方、北京史観は、もう止めましょう。
::;/:::::::|\.    "'''''''"   /   

■この意見は、きちんと資料に基づいてます。詳しくは↓
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/doyoyon/doyoyo11.html

231日本@名無史さん:2005/04/19(火) 01:41:40
撫順戦犯管理所について正しい認識をお願いします
232日本@名無史さん:2005/04/19(火) 21:04:52
>日本の国土の5つの都市を(京都・奈良・金沢・鳥取・札幌)以外は
>一般市民諸共絨毯爆撃を受け50数万人が死亡していますし、
>おまけの仕上げが広島の原子爆弾と長崎の水素爆弾の実験場になり

↑これは、あるメルマガ中の記事ですが、
京都・奈良・金沢が爆撃対象外だった理由はだいたい分かりますが、
鳥取、札幌が対象外だったのは何故ですか?
233日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:14:58
京都は原爆投下予定地だったって知ってるの?
あと、水爆ってまだできてなかったよw
234日本@名無史さん:2005/04/19(火) 23:05:41
孫文か蒋介石の孫か息子が日本に留学していたと祖父に聞きました。
昭和18〜20年ごろだと思います。昭和5年生まれの祖父は当時同じ学年で、
そのことは戦後に知ったそうです。
その後その人は暗殺されてしまったらしいということです。
235日本@名無史さん:2005/04/20(水) 13:27:36
長崎に水爆って笑える
どんなバカが書いたのやらw
236日本@名無史さん:2005/04/21(木) 16:24:51
みずばくだん
237日本@名無史さん:2005/04/21(木) 16:49:03
質問です。織田信長はどのような手段で外国人と話をしたのですか?
238日本@名無史さん:2005/04/21(木) 16:56:17
ボディランゲージ
239日本@名無史さん:2005/04/21(木) 20:18:04
で、あるか。
240日本@名無史さん:2005/04/21(木) 23:44:46
ザビエルにも通訳いたじゃねーかよw
なんか犯罪犯して東南アジアに逃げて更正したとかいう日本人。
そんな風に既に東南アジアなんかに日本人が来ていて、そこでスペイン人やポルトガル人と接触があった。
241日本@名無史さん:2005/04/23(土) 18:22:05
質問、江戸の名奉行とされている遠山景元の戦国期の先祖は美濃の豪族の方ですか? それとも後北条の重臣だった方ですか?
242日本@名無史さん:2005/04/23(土) 20:23:21
>>241
美濃の豪族遠山氏の分家筋ですたい。
243日本@名無史さん:2005/04/24(日) 15:39:18
>>233
京都も投下候補地だったが陸軍長官が日本人の憎悪や国際社会の批判を高めるとして許可しなかった。
244日本@名無史さん:2005/04/24(日) 15:47:23
日本史のフラッシュを取り扱っているサイトとかわかりませんか?
けっこう勉強になるものばかりあったんで知りたいです
245日本@名無史さん:2005/04/24(日) 16:00:53
武士の髪型がちょんまげで上の部分を剃るのはイツからですか?
246日本@名無史さん:2005/04/26(火) 12:51:00
北海道で最初に米が栽培されたのはいつですか?
247日本@名無史さん:2005/04/26(火) 22:31:44
>>243
京都は原爆落とす予定でしたよ。
都市伝説です。
248日本@名無史さん:2005/04/26(火) 22:33:49
>>245
鎌倉時代から

>>246
本格的には明治
249日本@名無史さん:2005/04/30(土) 14:25:27
軍事板雑談スレの某氏が連休に写真撮影したものをうぷしてくれたけど、
この旗模様ってどういう意味あるの?
半分が黄色で上が家紋になっているけど。

605 名前:名無CCDさん@画素いっぱい ◆tNItiRenXY 投稿日:2005/04/30(土) 14:20:34 ID:???
さてDV買いにでかけるべ。

老けた戦士
ttp://www.xxx-www.com/bbs/269/uploads/00269-00081.jpg
250日本@名無史さん:2005/04/30(土) 18:37:09
>>247
では、スチムソン長官のエピソードが誰の創作なのか教えてください
251日本@名無史さん:2005/04/30(土) 22:21:58
憲政の常道と新体制運動について2000字以内で論述してください。
宿題なんです。助けてください・・・
252日本@名無史さん:2005/04/30(土) 22:40:35
>>250
スチムソンは確かに反対した。

スチムソンも恩人とは言い難い。何故なら、京都は原爆投下の目標として
スチムソンのもとで決定されていた。また、スチムソンは原爆の事前警告案
を取り払った人物である。警告をして、原爆が失敗したらみっともないという
のがその理由である。
 スチムソンは、何故京都の投下に反対したのか。それは、京都に投下した場合、
日本のそれに対する反発は相当なもので、戦後、日本がアメリカに同調せず、
ソ連に味方するようになることを懸念してのことであり、文化財自体のことは
考えられていなかった。京都の除外は政治的理由によるもので、文化財保護説
は戦後、アメリカ内外から出た原爆の批判に対する、戦争中にもかかわらず、
文化保護を考慮したという弁明から生まれた。
253日本@名無史さん:2005/05/03(火) 14:55:06
>>252
チェスに「僧正」のコマがある様に文化財保護といっても所詮は政治的な大義名分作り。
254日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:14:09
>>251
百科事典ででも調べれ
255日本@名無史さん:2005/05/05(木) 01:30:22
卑弥呼の旦那さんの名前教えて下さいなm(__)m
256日本@名無史さん:2005/05/05(木) 13:55:31
未婚
257日本@名無史さん:2005/05/05(木) 14:27:18
引退後、結婚したという話も・・・・
258日本@名無史さん:2005/05/05(木) 15:01:02
江戸時代の地図を見たら、ウチの村はA藩、となりはB藩、
その隣はC藩で、更にその隣は幕府領と、かなり複雑な支配になっていました。
この場合、隣村への行き来や警察権というのは、どうなっていたんでしょうか? 
259日本@名無史さん:2005/05/06(金) 15:12:56
>>257
熟女か、萌えるね
260日本@名無史さん:2005/05/06(金) 22:14:15
>>259
今みたいに栄養よくないから、25すぎると急激に老ける。
今みたいに食いものやわらかくないから、25すぎると
歯はぼろぼろで抜けていく。

結論:前近代に熟女は存在しない。
261日本@名無史さん:2005/05/08(日) 18:10:06
>>260
フランス革命前のフランス農村にも似たような記録を残した人がいたな。
262日本@名無史さん:2005/05/08(日) 18:31:17
江戸後半の文化で“衣(髪型も含む)”の事が、詳しく書かれている
いい資料本はありますでしょうか
263日本@名無史さん:2005/05/08(日) 21:02:27
一冊でズバリという本がパットでない・・・
『原色日本服飾史』(光琳社出版)→但し髪型の方は余り詳しくない
『日本の髪型』→こちらは女子の髪型のみ
264262:2005/05/09(月) 19:04:12
>>263
ありがとうございます
調査してきます〜
265日本@名無史さん:2005/05/14(土) 22:22:03

質問があります。

今日放送のあった、NHKスペシャル  明治第三集 「税制改革、官と民の攻防」 で、気になった箇所があります。
一揆のイメージ映像で、打ち壊しのシーンと、建物が燃えているシーンが使われていました。
打ち壊しのシーンは、わかるのですが、
付け火(放火)までに及ぶ一揆が、江戸から明治初期にかけて実際にあったこともあったのでしょうか?
266日本@名無史さん:2005/05/14(土) 22:24:21
いくさにまでなりました。

267265:2005/05/14(土) 22:28:08
>>266
放火もよくあったと言うことなのでしょうか。
イメージ映像では、建物が隣接していような街中のように見えたのですが。
268日本@名無史さん:2005/05/15(日) 11:24:01
日本人の民度もその頃はそんなの高くない。
時代的に一緒にするのも難だが、豊臣秀吉の刀狩の最大の目的は一揆の防止ではなく、庶民レベルまでトラブルを武力による実力行使で解決する悪習の打破が真の目的だったといわれている。
269日本@名無史さん:2005/05/15(日) 11:37:17
厨房が未熟な作文を書くスレはここですか?
270日本@名無史さん:2005/05/15(日) 17:28:24
>>269が消防並みの未熟な作文を書くスレはここです
271日本@名無史さん:2005/05/15(日) 19:09:57
>>265
番組でとりあげられてた地租改正反対一揆は、役所や地租改正
に関わってる人の家を焼いたりしてたみたいよ。
ソースは中公の日本の歴史だけどW
272日本@名無史さん:2005/05/15(日) 23:19:41
すいません公害対策基本法で典型七原則ができたんでしたか?それとも環境基本法?二冊の本で違う事書いてまして…
273日本@名無史さん:2005/05/15(日) 23:22:07
間違えた七公害です
後江川達也表紙のシリーズいいですか?
274日本@名無史さん:2005/05/16(月) 01:43:50
鎌倉時代の土地支配についてなのですが、
よく「没収した土地に地頭を配置」などという記述があるのですが、
この場合それまで直接土地を支配していた荘官等はどうなるのでしょうか?
そもそも同じ土地に荘官と地頭が置かれるということはあったのですか?
275日本@名無史さん:2005/05/16(月) 04:45:52
>同じ土地に荘官と地頭が置かれるということはあったのですか?

むしろそおゆうところが多い。
これこそが中世社会の最重要課題と言っても過言ではない。
276日本@名無史さん:2005/05/16(月) 14:02:57
>>275
レスありがとうございます。
277日本@名無史さん:2005/05/17(火) 16:56:56
>>268
>>271
なるほど、サンクス。
278日本@名無史さん:2005/05/17(火) 18:28:32
川中島において上杉謙信と武田信玄が一騎打ちをしたのは本当ですか?
すごく嘘っぽいんですけど。
279日本@名無史さん:2005/05/18(水) 16:22:32
うそでう
280日本@名無史さん:2005/05/18(水) 22:40:41
サンフランシスコ条約とサンフランシスコ講和条約とサンフランシスコ平和条約は全く同じ条約なんですか?
281日本@名無史さん:2005/05/18(水) 23:22:22
近世史を研究している人に質問です。
史料にある合字の「より」をパソコンに打ちたいんですけど、
どうしたらいいでしょうか?
教えてください。
282日本@名無史さん:2005/05/19(木) 14:47:37
>>280
同じ
283日本@名無史さん:2005/05/19(木) 21:25:34
>>281
大体そこ空けて手書きでやっちゃうね。
あそこちゃんとワープロで出してるのって、見たことないような・・・

今昔文字鏡だと漢字だけっぽいし・・・
これなんかどうなんだろう?
http://www.eonet.ne.jp/~kotobukispace/ddt/itaizy/itaizy.html
284日本@名無史さん:2005/05/20(金) 01:38:56
信長が本能寺で死んでからすぐ秀吉が明智光秀を討ちに戻ったことでなんか、ことわざみたいのありませんでしたっけ?
285日本@名無史さん:2005/05/20(金) 02:07:18
>>284三日天下
286日本@名無史さん:2005/05/20(金) 04:53:06
ペリーが浦賀に来航したのって何年ですか?マジレスお願いしますm(._.)m
287日本@名無史さん:2005/05/20(金) 07:04:14
1853年7月(嘉永6年6月)
288日本@名無史さん:2005/05/20(金) 07:49:06
【成瀬川土左衛門】 なるせがわ どざえもん〔江戸時代の力士、土左衛門の体つきや肌の色が溺死者に似ている事から溺死者の事をどざえもんと言う!知ってた(@_@;)
289日本@名無史さん:2005/05/20(金) 21:02:39
>>284
中国大返し
天下分け目の天王山
洞ヶ峠

明智VS秀吉で生まれた言葉ってこのぐらいかな?
290日本@名無史さん:2005/05/21(土) 07:13:28
>>289 どうも助かりました。
291日本@名無史さん:2005/05/21(土) 10:39:20
平城京で南北の大路は朱雀大路ですが東西の大路は?という問題が出たのですが調べてもピタリ合うのがなかったので、どなたか教えて頂けませんか?
292日本@名無史さん:2005/05/21(土) 10:41:13
平城京で南北の大路は朱雀大路ですが東西の大路は?という問題が出たのですが調べてもピタリ合うのがなかったので、どなたか教えて頂けませんか?
293日本@名無史さん:2005/05/21(土) 12:49:28
知ってたて紀伊店だろうがよー塵ども!
294日本@名無史さん:2005/05/21(土) 13:57:50
>>291>>292
ttp://www.nabunken.go.jp/site/img/i_jyoubou.jpg

>>293
>紀伊店だろうが
何の店の紀伊店?w
295日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:12:42
日本軍の戦闘服は日露戦争からカーキ色になったそうですが
それ以前は何色だったのですか?
また、どの国の軍服を模倣したのですか?
296日本@名無史さん:2005/05/25(水) 10:14:46
弥生時代の人達はどうやって早稲とか晩稲とかを一斉に実るようにしたんですか?
297日本@名無史さん:2005/05/25(水) 11:49:48
一斉に実ったのか?
298日本@名無史さん:2005/05/25(水) 13:20:14
と言われたんですが…
299日本@名無史さん:2005/05/26(木) 23:01:17
坂本龍馬の家来だった寝待ノ藤兵衛は坂本の死後どうなったのか教えて下さい
300日本@名無史さん:2005/05/26(木) 23:11:06
あげます
301日本@名無史さん:2005/05/28(土) 18:31:57
寝待ノ藤兵衛は司馬遼太郎が「竜馬がゆく」で創作した全くの架空の人物ですぞ。
302日本@名無史さん:2005/05/28(土) 23:54:19
過去にも今にも1度だけ天皇が暗殺された事件があったそうですが
詳細お願いします
303日本@名無史さん:2005/05/29(日) 13:22:56
そりゃ崇峻天皇のことですな。蘇我馬子の肝煎りで天皇に即位(馬子は義理の兄弟)、
したものの、即位したあとでも政治の実権は常に馬子が握っており、
次第に不満を感じるように。
ある日天皇に猪を献上する者が。天皇は笄刀(こうがい)を抜いて
その猪の目を刺し、「いつかこの猪の首を斬るように、
自分が憎いと思っている者を斬りたいものだ」と発言。
そのことを聞いた馬子が、天皇は自分を嫌っていると警戒し、
部下に暗殺するよう命令。
そして東国の調(ちょう)を進めると偽って天皇を儀式に臨席させ、
その席で東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)の手により暗殺。
304日本@名無史さん:2005/06/01(水) 10:28:55
安康天皇は?
305日本@名無史さん:2005/06/01(水) 16:17:13
石高と石盛の違いを教えてください。
306日本@名無史さん:2005/06/01(水) 17:11:31
公定収穫量が石高、その計算過程が石盛
307日本@名無史さん:2005/06/03(金) 21:52:05
どうして「大岡越前守忠相」という表記になるのでしょうか?
律令制度が関係していると聞きましたが。
308日本@名無史さん:2005/06/03(金) 23:27:14
>>307
マルチ死ね
309日本@名無史さん:2005/06/04(土) 12:14:14
お願いします。弥次喜多とは何をした人で、なぜ有名なのでしょう?
架空の人ですか?検索してもへんなサイトや飲食店ばかりでてきます…
どなたか教えてください。
310日本@名無史さん:2005/06/04(土) 12:36:35
じゃあ次は「十返舎一九」または「東海道中膝栗毛」でググってみよう。
それでも判らなかったらまたおいで。
311日本@名無史さん:2005/06/04(土) 12:38:13
>>309

東海道中膝栗毛で検索しる
312日本@名無史さん:2005/06/04(土) 12:50:21
>>307
つまり
「大岡越前守忠相」
「越前守大岡忠相」
「大岡忠相越前守」
の違いを論じろと??
313日本@名無史さん:2005/06/04(土) 16:23:04
質問があります。凄く変な質問ですが、
1978年1月に大体4年ごとに起こった事故?(慰霊祭が毎年開かれる)
出来事ってなんでしょうか。自分でも散々調べたんですがわかりません。
教えてください。
314日本@名無史さん:2005/06/04(土) 16:34:01
「小泉純一郎総理大臣」
「総理大臣小泉純一郎」

「小泉総理大臣純一郎」
315日本@名無史さん:2005/06/04(土) 17:45:34
>>313
そんな話、どこで知ったんだ?
316日本@名無史さん:2005/06/04(土) 18:42:56
317313:2005/06/04(土) 21:57:23
>>315
友人から質問というか、なぞなぞみたいな感じで出されたんですよ・・・。
318日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:05:54
場所はどこか?
319日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:09:00
>>317

おもちゃにされやすいタイプですね
320日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:24:54
実際のところ、
旧暦と西暦の一ヶ月のずれはどう扱われているのですか。
旧暦12月は西暦ではほぼ翌年になっているはずですが、
教科書や辞典ではどうもそこをごまかして前年のまま表しているようですが。
例えば赤穂浪士討ち入りの年。
国際的な学会では赤恥をかくのでは?

言っていること分かります?
321日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:32:43
別に恥ではない
322日本@名無史さん:2005/06/04(土) 22:39:04
ということは、
やはり間違いが通用しているということ?
323313:2005/06/04(土) 22:41:57
>>319
よく言われます・・・。そこまで見抜くなんて凄い!!
戦争関係らしいのですが、ホントわからなくて困ってます・・・。
324日本@名無史さん:2005/06/05(日) 08:05:13
辞世の句や詩は死に際で即興でみんな作ってるんでしょうか?
それともあらかじめ「コレ辞世ね」って幹事で作っておくものなんでしょうか。
句とか詩作れるだけでも凄いのに死に際の切羽詰った時に即興でひねり出してるとしたら
凄すぎる・・・
畳の上で死んだ人ならともかく義輝とか急に死がきちゃった人や処刑や切腹した人は
やっぱりその場で作ってるんでしょうかね?雰囲気とかもあるし。
325日本@名無史さん:2005/06/05(日) 13:53:59
>324
戦国時代みたいにいつ死ぬかわからなかった頃は
実際は死を迎える数日前、数ヶ月前等に用意しておくことが多かった
後、本人じゃなくて親しい人物が詠む場合もあった
326日本@名無史さん:2005/06/07(火) 17:54:38
>>320-322
現行のグレゴリオ暦自体が500年ほどの歴史しかないわけだが…。
327日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:16:27
自分がみたい史料がマイクロフィルム化されてある、とあるのですが
みたい場合は、そのマイクロフィルムをコピーさせてください、
といえばいいのでしょうか?
変な質問なんですが、マイクロフィルムがどんなものなのか
あまりわからないもので...
よろしくお願いします。
328日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:43:51
図書館またはその保管場所で、
「〜のマイクロフィルムが見たいのですが」と言えば、
出してきてくれる。
機械を使うがやり方は簡単。その機械で見ながら欲しい場所のコピーも取れる。
機械苦手の私でもできたから平気。
ただし、やりすぎると目が悪くなるとも言われる。
私は、ある記事の追っかけで、数年分の古い新聞を見た。
329日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:49:05
おそらくフィルム自体のコピーはしてくれないでしょうね。
どのみち機材持ってないと読めませんし。
直接読みに行くのが一番。
330日本@名無史さん:2005/06/07(火) 23:00:04
フィルム自体は無理でしょう。
紙へのコピーはできます。
331327:2005/06/07(火) 23:27:11
>>328さん、>>329さん、>>330さんありがとうございます。
再び申し訳ないのですが、紙へのコピーができるとは、それは
何か機械を使って行うのでしょうか。
332日本@名無史さん:2005/06/08(水) 00:36:17
>>331
そこら辺は、図書館に直接行って聞いた方がいいかも。
もしくは、国立国会図書館のサイトを参照すべし。
333日本@名無史さん:2005/06/08(水) 21:57:47
>>328
知ってる史料編纂所の人が大学院時代にそれで目悪くしたって言ってな。
334日本@名無史さん:2005/06/08(水) 22:46:19
>>331
マイクロフィルムを見る機械に紙にコピーできる機能がついてます。
拡大縮小もできます。
まずはそこへ行くことです。親切にしてくれるはずです。
335日本@名無史さん:2005/06/09(木) 00:39:32
尼港事件って中高の教科書に載ってますか?
336日本@名無史さん:2005/06/09(木) 04:40:32
載ってる
337日本@名無史さん:2005/06/09(木) 22:12:13
「被為」ってどう読み下せばいいの?
338日本@名無史さん:2005/06/10(金) 00:47:44
> 109 名前: 名無シネマさん [sage] 投稿日: 2005/06/10(金) 00:42:15 ID:???
> 杉山君盛り上がってきましたね
> これ最高傑作だろ、なんでこんなひっそりと公開してるかね。


http://sugiyama.netcinema.tv/
339日本@名無史さん:2005/06/10(金) 08:35:30
聖武天皇の即位前の名の「首皇子」はなぜ「首親王」ではないのですか?
このころには「親王」という品位があったと思うのですが。
340日本@名無史さん:2005/06/10(金) 08:57:20
>>337

もうちょい前後も書くべし
341日本@名無史さん:2005/06/10(金) 09:45:53
>>339

続日本紀には、「首皇子」とも「首親王」とも表記されていない。
「夫人藤原氏皇子を誕ずるなり」とだけ記されている。

聖武の名前が「首」だというのは、平安時代に「書類に書かれた
諱は首だった」という夢を見た人(藤原行成)がいただけ。
首皇子は、そんな「記録」を合体させた呼び方。

中大兄皇子みたい(日本書紀ではこう呼ばない)なもの。


342日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:02:31
質問です。激しく既出と思いますが、宜しくお願い致します。
一石は何の単位で、どれくらいの価値なのでしょうか?
343日本@名無史さん:2005/06/10(金) 13:35:45
米の単位で人が1年の間に食べる米の量が元になってる
確か1石=10斗=100升=1000合だったはず
価値は相場があるので変動する
多分「石高」とかでググればもっときっちり詳しく説明されてるとこが見つかるはず
344日本@名無史さん:2005/06/10(金) 14:05:25
343さん 有難うごさいます。ちなみに「○○石与える」と言うのは
実際 米を渡していたのですか?それともその米が収穫できる土地 又は
その米を買うお金を渡していたのでしょうか?どうぞ宜しくお願いします。
345日本@名無史さん:2005/06/10(金) 14:35:35
>>344

両方ある。「○○石与える」だけでは断定できない
346日本@名無史さん:2005/06/10(金) 19:38:17
>>342
1石=10斗=100升=1000合 ≒ 3x365

1日に成人1人の食べる米の量=3合
347日本@名無史さん:2005/06/12(日) 00:04:01
明治二年の版籍奉還で、領地と人民は天皇直属になったといいますが、各藩の藩士はどうだったのでしょうか?
明治四年の廃藩置県まで、引き続きそれぞれの大名に仕える体制だったのでしょうか?それとも形式上天皇に属するようになったのでしょうか?

また、明治二年版籍奉還に際して、藩士の大量解雇(召し放ち)みたいなことはなかったのでしょうか?
348日本@名無史さん:2005/06/12(日) 17:23:19
形式上は、天皇に属した。
大量解雇はなかった。
349日本@名無史さん:2005/06/12(日) 18:59:23
幕府―藩から天皇―藩に替わっただけだから
350日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:41:31
日露戦争の戦費を賄うために塩が専売になったと聞きましたが、
幕藩体制で塩を専売にして財政の足しにしようという発想は
なかったのでしょうか。
播州赤穂あたりは塩が特産だったんでしょうが密売を取り締まったという
話をあまり聞かないので。

351日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:46:01
江戸期は各藩において専売制度はありました。
ただし特定の商人に専売を認めるという形で。
352日本@名無史さん:2005/06/12(日) 20:27:26
赤穂藩にだって専売制度があった。
353日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:08:57
日本人が外国と公益するとき、言葉ってのは
どうするんでしょう?例えば、一番最初に来た時、弥生時代とか
どうやって倭人と中国人が話したんでしょうか?
あと、江戸時代にペリーが来た時とか。
この人たち何処で外国語勉強したんですか?
354日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:25:03
>>187
それを言えば、池波正太郎の曽祖父は、土方歳三の轡を取っていた。
355日本@名無史さん:2005/06/12(日) 23:30:47
>>353
弥生人は知らんが、ペリーのときにはオランダ語で会話をした。
その時にオランダ語通詞・堀達之助が放った英語が、日本人で一番最初とされている。
なんと言ったかは、「I can speak Dutch」とも、「I talk Dutch」とも言われており、不明。

>>354は歴史トリビアへカキコするつもりだった誤爆、スマヌ
356日本@名無史さん:2005/06/13(月) 01:29:57
>>353
江戸時代には通訳として中国人がいました。
日⇔漢⇔蘭という漢語を挟んでの話し合いです。
357日本@名無史さん:2005/06/13(月) 13:40:29
国書は、オランダ語と漢語の2種類あった。
358日本@名無史さん:2005/06/13(月) 13:53:26
源義経は本当は死んでいなかった!?
その情報の詳細をキボンヌ。
359日本@名無史さん:2005/06/13(月) 14:06:56

いやぁ、いくらなんでもそろそろ死んでるだろ
360日本@名無史さん:2005/06/13(月) 14:08:24
その伝説がほしぃ・・・。
361日本@名無史さん:2005/06/13(月) 15:38:48

フライング・ダッチマンならぬ、フライング・ホーガン(さまよえる義経)
362日本@名無史さん:2005/06/13(月) 16:47:50
なぜか、義経は、アイヌの神様になっています
363日本@名無史さん:2005/06/13(月) 17:12:19
氏についての質問です。
戦国時代で
源氏は源朝臣(みなもとのあそん)だと伺っていますが
藤原氏や平氏や豊臣氏はなんなのでしょうか?
また戦国時代に存在した氏族はほかにどんなのがいるのでしょうか?
364日本@名無史さん:2005/06/13(月) 18:17:16
藤原朝臣、平朝臣、豊臣朝臣

飛鳥時代の「八色の姓」から勉強しなおせ
365日本@名無史さん:2005/06/13(月) 18:42:46
>また戦国時代に存在した氏族はほかにどんなのがいるのでしょうか?
多々良(大内氏)、大江(毛利氏)、菅原(久松氏、前田氏)、大蔵(秋月氏)、
田口(牧野氏)、阿部(阿部氏)など
366日本@名無史さん:2005/06/13(月) 19:15:12
被為=なされ
367日本@名無史さん:2005/06/13(月) 19:43:11
>>366

あとに続く語によって変わるでしょ

ま、質問者じゃないから、代理論争してもしゃーないけど
368日本@名無史さん:2005/06/13(月) 20:13:47
小学生のときに映画「白虎隊」を見せられたのですが、会津城陥落の次の
シーンがなぜか高速早送りでカットされた覚えがあり、現在その場面に
何があったのか(まあおおよそ見当はつきますが)教えていただけませんか?
できれば動画などあるとなおうれしいのですが・・・
369日本@名無史さん:2005/06/13(月) 20:16:57

ご想像通りですよ(殺戮強盗放火略奪輪姦etc)
370日本@名無史さん:2005/06/13(月) 20:32:22
>>368
ビデオ借りてこいよw
371368:2005/06/13(月) 20:46:37
誰か詳しく解説してくれませんか?あれ以来気になっているんですよ・・・
武士が乱入してくるところまでしか見られなかったんです。
372日本@名無史さん:2005/06/13(月) 20:47:53
373368:2005/06/13(月) 20:49:14
あ、近所のレンタル店に置いてなかったので・・・
374日本@名無史さん:2005/06/13(月) 20:52:22
>>373
いまはネットでもレンタルできる。検索してこい。
375日本@名無史さん:2005/06/13(月) 21:26:02
>>355
>>356
すいません、返事が遅れてしまいました。
中国人や、オランダ語を使っていたのですね。
ん〜外国語って大事ですね。
376日本@名無史さん:2005/06/13(月) 21:37:55
>>358
くわしく知らないけど、江戸時代にはもう既に義経が蝦夷地に行ってアイヌの中で尊敬されてたとかいう絵があったりするからな。
義経ブームでそういう本出てないのかな?
377日本@名無史さん:2005/06/13(月) 21:54:39
すいません。
現在の日本で「幕府」を開く事は可能なのでしょうか?
もし可能なら地元で開きたいのですが。
お願い致します。
378日本@名無史さん:2005/06/13(月) 22:05:55
伝説によっては,衣川合戦に義経は戦死せず,合戦に敗れ味方がことご
とく討死した後,鞍馬の大天狗に助けられ,空を飛ぶ乗物で播磨国
野口の里に飛来し,入道して教信上人と号し教信寺を建立したという
(能《野口判官》など)ものもあり,蝦夷島に渡ってその地を征服し,
オキクルミ大王と仰がれ,後には神としてまつられた(《続本朝通鑑》
など)とするものがあり,東北から北海道にかけて義経神社などが多く,
青森県東津軽郡三遠(みんまや)村には,ここから義経が蝦夷島に渡った
とする伝説がある。また,義経やその家来にまつわる伝説は諸国に数多くある
379日本@名無史さん:2005/06/13(月) 23:25:39
>>377

すばらしい書きこみのつもりかもしれないが、2ちゃんねる日本史板では
定期的に出てくる。しょうじき飽き飽きしている
380日本@名無史さん:2005/06/13(月) 23:46:44
>>374どれだけ残虐行為があったの?もう乱交状態?乳まるだしで悲鳴大音量?
もうレイプものAVなみ?抜ける?
381日本@名無史さん:2005/06/14(火) 00:34:24
>>380
死ね
382日本@名無史さん:2005/06/14(火) 01:16:36
つか、そんなもので抜ける380って・・・
とりあえず、その人格の破綻を矯正する努力をしろ。



話はそれからだ。
383日本@名無史さん:2005/06/14(火) 01:55:33
俺も長州藩の残虐行為を知りたい。誰か白虎隊見たことあるやついないの?
384日本@名無史さん:2005/06/14(火) 05:43:55
白虎隊に陵辱シーンなんてあるわけねえだろwテレビでやってたろ?さすが被害妄想会津人ww
385日本@名無史さん:2005/06/14(火) 06:13:16
現実には会津で輪姦などあったのでしょうか?侍だろ?長州藩だって・・・。
386日本@名無史さん:2005/06/14(火) 09:02:10
悲劇の英雄って必ず人気出るよな
387日本@名無史さん:2005/06/14(火) 13:18:30
>>364
>>365
ありが坦々
388日本@名無史さん:2005/06/14(火) 21:28:36
>>382
いや、レイプものって人気あるからね・・・
レイプ通り越して、猟奇な人もいるし・・・
389日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:18:56
江戸時代とか明治時代とか平安時代とか安土桃山時代という
歴史区分の名称は誰がいつ命名したのですか?
誰かの独断で名付けたのですか?  
390日本@名無史さん:2005/06/14(火) 23:15:32
徳川家光三代将軍は、どうやって決まったんですか?
学校の授業で聞いてると、馬鹿な兄と賢い弟の二人が三代将軍候補にあって、
馬鹿な兄のほうが三代将軍家光になった、っていう経緯は聞きましたが。
391日本@名無史さん:2005/06/14(火) 23:32:54
>>390
弟ものちの行動見ると賢いとはいえません。
392日本@名無史さん:2005/06/15(水) 00:30:03
おばちゃんが家康に直訴したんでしょ?
393日本@名無史さん:2005/06/15(水) 06:06:02
会津人は長州人に輪姦された子孫。
ちゃんと白虎隊にそのシーンが出ている。
だれか詳しく解説してやってくれ。
394日本@名無史さん:2005/06/15(水) 06:13:26
石高って何を表しているのですか?
徳川200万石とか。

上杉120万石から30万石に減封、とかいうのは具た的に何を減らされているのでしょう?
お米が取れる土地の広さとかですか?
395日本@名無史さん:2005/06/15(水) 06:14:26
具た的→具体的に、です。スマソ
396日本@名無史さん:2005/06/15(水) 06:51:18
>>341

>中大兄皇子みたい(日本書紀ではこう呼ばない)

出来れば詳しく教えていただけませんか?
397日本@名無史さん:2005/06/15(水) 07:48:03
>>394

もちろん領地です。たとえば、5000ヶ村→2000ヶ村という具合です。
厳密には、軍役高といい(将軍家に対し)XX万石分の軍役を負担する
義務を負うということです
398日本@名無史さん:2005/06/15(水) 19:16:45
詳しいかどうかわかりませぬが、日本書紀でも万葉集でも、
中大兄は中大兄って呼び捨て?なのです。

たとえば、山背大兄王だし、吉野古人皇子とか大兄皇子なのに。

だから、中大兄ってのは名前じゃないって説になるわけですね。

まぁ、万葉集では軽皇子(本当は軽王)や安積皇子(本当は安積親王)って
書かれているので、この辺の表記は、厳密ではないのでしょう。

というか、厳密なのは大宝以降の公式文書だけでしょ?
で、そんなものほとんど残っていないんでしょ? > 誰か




399396:2005/06/15(水) 19:33:59
>>398

そうなんですか、初めて知りました。ありがとうございます。
王・皇子・親王の呼称については、書き手たちも殆ど意識してなかったんだろうと思うんですが
やはり「中大兄」という表現は気になりますね。
400日本@名無史さん:2005/06/15(水) 19:39:34
 ・長州は存在自体が大罪 ・薩摩は存在自体が大罪
このふたつの良スレがスレスト食らったのはなぜですか?
なんで会津スレは無事だったのでしょうか?教えてください、だれか。
401日本@名無史さん:2005/06/15(水) 21:46:34
>>400
スレ違い
history:日本史[スレッド削除]
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1027953403/

を読んだ上で

削除議論板雑談&質問スレ 16
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/sakud/1117475765/

で質問してください
402日本@名無史さん:2005/06/15(水) 22:59:26
>>389
別スレでも訊いてたね。
わからんけど、明治以降近代歴史学の連中じゃない?
飛鳥時代ってのは、美術の連中が言い出したらしいけど。
403日本@名無史さん:2005/06/16(木) 01:36:06
スネ夫の声をやってた肝属兼太さんは、あの大名と何か関係があるのでせうか?
ググったけど、携帯なもんで限界が…
教えて!エロイ人!!
404日本@名無史さん:2005/06/16(木) 03:27:12
>>403
俺はエロくないけど、答えてやる。
彼は大名の子孫。ちなみに、肝付兼太な。
ついでに言うと、日テレ版の『ドラえもん』ではジャイアンの声担当だった。
405日本@名無史さん:2005/06/16(木) 04:03:35
>>404
サンクス!エロイ人(〃∇〃)
406日本@名無史さん:2005/06/16(木) 07:37:33
ジャイアンの旧声優は東大筑駒高出身らしいです
407日本@名無史さん:2005/06/16(木) 13:19:01
100貫文の地ってのはどのくらいですか?
408日本@名無史さん:2005/06/16(木) 16:23:23
>>407
百貫文の価値がある土地
409日本@名無史さん:2005/06/16(木) 16:40:24
>>408平均するとどの程度の広さでしょうか?
410日本@名無史さん:2005/06/16(木) 16:43:38
>>409

諸説あり、初心者質問スレで片付く問題ではない
411日本@名無史さん:2005/06/16(木) 16:51:05
江戸時代の一両を誰かより正確に現在の物価で表してくれ。
てか一両が5万円くらいだと、当時の庶民なんてそれでなにを
買っていたのだろう。
412日本@名無史さん:2005/06/16(木) 16:57:47
>>410諸説をギボン
>>411米で計れ
413日本@名無史さん:2005/06/16(木) 17:00:57
一両で女を3人ほど買える・・・間違いか?
414日本@名無史さん:2005/06/16(木) 17:17:58
>>411

米価だと低くなり過ぎるので、大工の手間賃等で換算するのがトレンド。
たしか、日銀のHPにもありと聞く
415日本@名無史さん:2005/06/16(木) 17:19:48
>>411
>江戸時代の一両
250年も価値が変わらないとでも思っているのか?
平均値なら出せなくはないが、出したところでまったくの無意味
416日本@名無史さん:2005/06/16(木) 17:25:21
戦後60年目の疑問 日朝戦争はあったの?

日中戦争はよく話題に出るけど、日朝戦争はなかったの?

朝鮮は軍隊を持っていなかったの?
417日本@名無史さん:2005/06/16(木) 17:47:48
>朝鮮軍
日本が解散させた
418日本@名無史さん:2005/06/16(木) 18:02:38
てか朝鮮軍って日本国の地方部隊だろ。当時は朝鮮は日本だったんだから。
419日本@名無史さん:2005/06/16(木) 18:23:27
faq。光復のときになんで民衆は朝鮮総督府に掌握されていたままだったのですか?
http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/kore.html#0239
420日本@名無史さん:2005/06/16(木) 20:50:18
>>416
確か数千人規模の小さな軍隊しか持ってなかった希ガス
421日本@名無史さん:2005/06/16(木) 21:43:04
>>411
>>414
>たしか、日銀のHPにもありと聞く

これね
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_faq.htm#question1
422日本@名無史さん:2005/06/18(土) 23:11:28
どんなサイトだったか忘れてしまったのですが
管理人が福島何とかという高校生で
「社会研究部」とかいう名前のサイトを知ってる人いますか?
423日本@名無史さん:2005/06/19(日) 16:07:52
>>422
移転したよ。移転先はここ。
ttp://members.ld.infoseek.co.jp/mskane/
424日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:06:00
>>423
ありがとうございます。
移転前のサイト名とキャッシュってわかりますか?
425日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:52:42
マジレスすると、そのサイトじゃなかった希ガス
426日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:02:44
たしか移転じゃなく改装やらで一旦閉鎖したと思われ
427日本@名無史さん:2005/06/19(日) 23:03:15
質問:

応仁の乱で傭兵集団である足軽が登場しましたが、
「それまでは武士だけが合戦に参加して、
農民や現地人が戦に駆り出されることはなかったのでしょうか?」
428日本@名無史さん:2005/06/20(月) 10:08:57
質問の文章が変だぬ。
429日本@名無史さん:2005/06/20(月) 14:33:26
【売国奴】 古賀元幹事長 次期首相擁立へ
http://live14.2ch.net/test/read.cgi/liveplus/1119243717/
430日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:41:09
日本の戦国時代も、農民が強制的に兵士に徴発されることってあったの?
平安時代とかの防人とかじゃなく、各地の大名によっての狩り出しですが。
あのころの足軽は、自分の意思で各地の軍閥に加わったのかな
431日本史において封建制を確立した頼朝:2005/06/20(月) 22:34:23
質問

徳川家康ってどうして肥満体だったんですか?
食べ物も質素倹約に努め、60代になっても水泳したりと、
スポーツマンだったらしいのに?
432日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:51:26
>>419
北部はソ連軍が統治、南部は米軍が総督府に間接統治させた。
433日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:53:11
>>430
基本的にはない
434日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:54:52
>>431
体質。質素倹約しても当時としては贅沢な食事だった。
435日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:06:20
>>430
>>433
あの時代は庶民ですら国民総武装の時代ですよ。
宣教師が「日本人は刀をさしていなければ一人前扱いされない」と書いているほどの必須アイテム。
436日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:20:04
江戸時代の女性の名前って、記録に残ってますか?
武家とか。
437日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:29:42
庶民は戦を見学してたよ
438日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:34:00
>>436 腐るほど残っています。
439日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:52:43
>>437
その先も言って欲しかった。終わったら....。
440日本@名無史さん:2005/06/24(金) 12:16:53
終わったら、金目になるものを盗んで行ったよ
大将級の首をちょん切っていたよ
441日本@名無史さん:2005/06/24(金) 13:10:16
落ち武者狩か。。。ブルブル
442日本@名無史さん:2005/06/24(金) 13:12:24
>>440

大将首が落ちてないでしょ。雑兵ならともかく・・
ま、武田勝頼みたいに例外はあるけど
443日本@名無史さん:2005/06/24(金) 15:07:46
切腹って何で腹を切るんでしょうね?
444日本@名無史さん:2005/06/24(金) 15:51:41
 新渡戸稲造氏は著書「武士道」の中で次のとおり説明している。
 「そもそも殊に身体のこの局部を選んでこれを切るのは、
 すなわちこれを以って霊魂及び愛情の宿る所となせる、
 いにしえの解剖学的信仰に基づくなり」
 即ち、昔は腹に人間の霊魂や感情が宿ると信じられていたから、ということである。
ttp://homepage1.nifty.com/SEISYO/sepuku.htm
445日本@名無史さん:2005/06/24(金) 16:05:39
質問なんですが、坂本龍馬は
前のめりで亡くなったんですか?
446439:2005/06/24(金) 19:41:47
>>440
ありがとう。
447日本@名無史さん:2005/06/24(金) 19:54:02
襲撃後しばらく息があり、這いずり回ってから絶命しているので、うつ伏せで死んだと思われます。仰向けで這いずり回るほど彼も器用ではないかと。
448日本@名無史さん:2005/06/24(金) 20:27:47
お茶のCMで、明恵上人がお茶文化のはじまり、とありましたが、
栄西じゃないんですか?
中山美穂の出てるCMです。
449日本@名無史さん:2005/06/24(金) 21:57:59
>>448
平安時代から遣唐使がもたらした茶はあった、平安京内で栽培もされていた。
平安時代の茶は一部の儀式や行事に用いられただけで、日常的に飲用されるま
でにはならず、鎌倉初期に栄西が再び中国から茶をもたらすまで茶の飲用は中絶
に近い状態だった。
 栄西は1191年(建久2)7月、再度の渡宋から帰朝したが、その際、当時の中国
にひろまっていた新しい抹茶の茶法とともに茶種を将来したとされる。
この茶種は、おそらく種子ではなく苗木であったと思われるが、それは肥前の
平戸島や筑前の背振山に植えられ、さらに山城栂尾(とがのお)高山寺の明恵に贈られた。
やがて栂尾はじめ各地でチャの栽培が進み、それと表裏をなして抹茶を飲む風習がひろがった。
450445:2005/06/24(金) 22:36:03
>>447
そうだったんですか
ありがとうございました!
451日本@名無史さん:2005/06/25(土) 15:13:42
>>448
スポンサーに電話しる!!
452日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:05:01
そういえば、昔「中華三昧」の『中国4千年』ってフレーズが中国の麺類の歴史はせいぜい二千年そこそこだという学者のクレームで抹消されたらしい。
453日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:36:12
3千年なら良かったのでは?
454日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:55:16
『右翼』という言葉の意味が良くわかりません。
できるだけ分かりやすく教えて下さい。
455日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:03:46
反日君必死だなw
456日本@名無史さん:2005/06/26(日) 02:47:29
信長の襲われた月は六月二日ですが
旧暦のということですか?
今で言うと七月二日なの?
457日本@名無史さん:2005/06/26(日) 03:29:10
>>456
6月21日
458日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:23:42
>>454
百科事典で調べてから再質問してください
459日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:16:33
初質スレなんだし、どうせならこのくらい提示してやればいいものを

>>454
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B3%E7%BF%BC%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%83%BB%E5%B7%A6%E7%BF%BC%E6%80%9D%E6%83%B3
460日本@名無史さん:2005/06/26(日) 20:41:16
>>459
わかりました。
一度辞書で引いたんですが、どれも何か世間で使われている言葉と違う感じがしたんです。ありがとうございました。
461日本@名無史さん:2005/06/27(月) 11:58:23
ウヨは戦争肯定かつ対米追従だった
462日本@名無史さん:2005/06/27(月) 18:24:28
サヨは戦時中も戦後も民間人への無差別殺人が大好物でつ
463日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:42:42
幕末における右翼・左翼の区別について御意見伺いたいです。
464日本@名無史さん:2005/06/27(月) 20:28:15
>>463

幕末時において、そういう言葉はありません
465日本@名無史さん:2005/06/27(月) 20:38:56
>>463
右翼・左翼というのは
フランス革命時における議会での座席関係によるというのが定説であり、
保守派が右翼に陣取り、革新派が左翼に陣取ったのが語源です。

つまりあなたの書きこみは時代錯誤でありトンチンカンであることに気づいて下さい
466日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:29:56
>>463

尊王攘夷・勤皇佐幕等、当時の政治用語を調べてから、もう一度どうぞ。
日本ですと、中学・高校レベルの教科書にも載ってます
467日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:31:32
ま、質問スレだから、マターリと。。。
468463:2005/06/27(月) 21:41:32
たいへん失礼しました。

最近読んだ本にコナン・ドイルの小説の紹介があり、そこでは
開国派・攘夷派が保守党・自由党(逆かも)と表現されていて
佐幕・勤皇の軸も入れると、どの陣営を「右」とみなすのかな〜と
思いついたもので。
469日本@名無史さん:2005/06/28(火) 00:44:48
>>461
戦後の日本共産党はアメリカに助けられたことが多く
アメリカ万歳だった頃もあるという事実
470日本@名無史さん:2005/06/28(火) 06:48:32
社会主義革命は時期尚早ですから〜
471日本@名無史さん:2005/06/28(火) 10:28:33
日露戦争が賛美されて、
太平洋戦争がけなされるのはなぜでしょうか?
結果論で勝ったからですか?
調べれば調べるほど、日露戦争も力量をみて無謀な闘いだと感じます。

472日本@名無史さん:2005/06/28(火) 11:45:10
日露のときは、日英同盟もあり、アメリカも資金援助してくれた。
473日本@名無史さん:2005/06/28(火) 11:47:06
>>469
解放軍規定ですな。1時あった。
しかし、アメリカの方針変更で、レッドパージで打撃を受けた。
474日本@名無史さん:2005/06/29(水) 00:39:44
>>473
野坂参三などは終戦になるまで
アメリカ共産党にいたわけだが
475日本@名無史さん:2005/06/29(水) 07:21:47
源頼家は、あまり優れた人じゃないと語られますが
実際はどんな人だったんですか?
476日本@名無史さん:2005/06/29(水) 12:06:40
野坂は中国の延安にいたよ
477日本@名無史さん:2005/06/29(水) 12:08:46
>>475
評価は人それぞれで好きで良いと思うので、個人的にはだけど。

朝廷に変わる政権を事実として作り出したところが偉大と思われる。
478日本@名無史さん:2005/06/29(水) 15:04:10
吉川弘文館の年表と地図を買いに行ったのですが

若い頃使っていた年表・地図に加えて、その合体本みたいなのができてたんですね。
世界史も日本史も。
どうみても中身は同じに思えたんですが、少し厚くなってる気もします。
これは高校生用に売り出したんでしょうか?

使いかってはどちらがいいのでしょうか?みなさんはどうしてます?
479あいうえお:2005/06/29(水) 21:14:41
人名の「大谷」を東日本ではオオヤと発音し、西日本ではオオタニと発音する。
ほかの名前や地名でも同様で、「谷」東日本では「ヤ」西日本では「タニ」と発音する。
どのような歴史的事情があるのだろうか?
480日本@名無史さん:2005/06/29(水) 21:18:06
>>479

熊谷=クマガイはどうしますか?
481あいうえお:2005/06/29(水) 21:34:11
>>さすがすぐにレスが返ったね。
「あいうえお」は熊谷(クマガヤ)市の出身で、地元の大先輩に
熊谷次郎直実(クマガイジロウナオザネ)という武将がいた。
地元の田舎ではクマガヤとは言わずにクマガイと言っている。
482扇ガ谷:2005/06/29(水) 21:37:09
谷=ヤツも有るが?
483日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:13:20
大地溝帯で東の文化と西の文化が違う
弥生以来の違い
484日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:40:43
今某国営放送でやってるのだが町名主って幕臣なの?製作側の勘違い?
485日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:47:32
>>484
どこの国の話だよ
486日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:07:19
>>485江戸!夏目漱石の夏目家のお話。。。
487日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:33:41
>>484

町名主が幕臣だった日にゃ、蝶々蜻蛉も幕臣なんだが

488日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:34:29
>>484
日本には国営放送なんてないよ
489日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:48:41
>>484

幕臣というのは普通、旗本・御家人。
おまけして御用商人など扶持や拝領屋敷をもらってる人。
やや微妙なのが御目見え医師など

夏目さんちはどれにも当たらないのでは?
490日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:57:28
町役人は住民自治によって選出された役職ですが…。

>>484
日本には公共放送はあっても国営放送はない。
だが、某局では便宜を得るために海外で国営放送を名乗る例があるらしい。
491日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:08:13
>>490大橋 巨泉
492日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:29:15
>>490
>だが、某局では便宜を得るために海外で国営放送を名乗る例があるらしい。
だからといって、国営放送があることにはならない。
493日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:32:22
黒田俊夫
>職の遂行と恩給とによる重層的な封建的知行体系

これを図式化するとどうなるんだ?
494日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:53:42
>>493
それはヨソで聞いただろ?
495日本@名無史さん:2005/06/30(木) 02:11:39
いろいろ混じってる上に名前が変だな
496日本@名無史さん:2005/06/30(木) 06:36:47
>>478
以前同じように買い直しに行って、古いのと比べてみたことがある。
年表の最近の部分と、地図がいくつか(世界史の方だったかも)が追加されていただけだった。
今は合体本の方を使ってるけど、別に不満は感じないよ。
497日本@名無史さん:2005/06/30(木) 11:26:28
質問なのですが新律綱領はいままでの刑をさだめたものと違って
どんな特色があるものなのでしょうか?
498日本@名無史さん:2005/06/30(木) 14:00:27
1870年(明治3)12月に発布された刑法典。全6巻8図14律192条より成る。明治維新以来,
国家秩序維持のため統一的刑法典編纂の必要性が痛感されていた。
新政府は,手始めに1868年に仮刑律(仮律。12律118条)を定めたが,その後の調査,
編集に基づき編纂したのが新律綱領である。両法典とも明律,清律,《御定書百箇条》
を参考にして作成されている。新律綱領は,刑法官部内の準則であった仮刑律と異なり,
官吏を名あて人に発布され,府藩県に頒布されただけでなく,翌年には書店での
印刷販売が許されたため国民も初めてその内容を知ることができた。
五刑制(笞,杖,徒,流,死)を復活した点,仮刑律に比べ刑罰が寛大で軽くなっている点
等にも特色がある。しかし,西洋法制の影響はまだみられない。新律綱領は改定律例
とともに旧刑法典の施行(1882)まで効力をもった
499日本@名無史さん:2005/06/30(木) 16:14:40
↑ありがとうございます!ほんとうに長文感謝しますm(_ _)m
500日本@名無史さん:2005/06/30(木) 16:57:43
昭和初期まで生きた山本権兵衛とかの明治、大正期の軍人、政治家は
日本の危機を予測してなかったのでしょうか?
501日本@名無史さん:2005/06/30(木) 17:28:24
盗人に追い銭ということわざは江戸時代からあるとききました。
この言葉にはどんな事件や背景があったのですか?
よろしくお願いします。
502日本@名無史さん:2005/06/30(木) 20:35:26
藤原種継を暗殺した真犯人は見つかったんでしょうか
後に霊として活躍した早良親王が可哀相で
503日本@名無史さん:2005/06/30(木) 21:37:21
>盗人に追い銭ということわざは江戸時代からあるとききました。

盗人に入られて、金を盗まれたのに、盗人を追いかけていって
金を与えた 被害の上に被害を重ねる お人よしという意味
くらいな理解をしている たいした深い背景はないだろう
504日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:21:52
>>500
統帥権干犯問題から軍部の暴走が始まった。
505日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:23:33
>>502
不明だが、この事件で藤原氏は権勢が低下し、
最も利益を上げたのは桓武天皇側
506日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:25:26
―に追い銭〔=損の上の損のたとえ〕
507日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:26:28
質問です。幕末でもし日本全体が協力して、
鎖国したらどうなっていたでしょうか?
へんな質問でスミマセン
508日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:37:54
貿易の禁止を含むなら、欧米連合軍と戦争
509日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:43:20
>>507
韓国は、同時期にフランス商船を焼き討ちし鎖国を堅持していた。
その結果は 自国の消滅だった。
510日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:50:36
大学の授業で河内祥輔の「古代政治史における天皇制の理論」
という本が参考資料としてシラバスに書いてあったのですが
本を読む限り中学、高校で習うものとまったく政治的力関係に関する記述が
異なるように感じました。
この作者およびこの本はどのように受け入れられているのでしょうか?
511日本@名無史さん:2005/06/30(木) 22:53:14
韓国にとどめを刺したのは日本だけどねw
512日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:00:04
河内祥輔の観点は面白いと思うが?
513478:2005/07/01(金) 02:26:20
>>496
レスサンクスです。内容も値段も変わらないみたいですね。
(どっちかは100円だけ安くなってた)
高校の現場からの要請かもしれないですね。

重たく感じるかもしれないけど、
なくさないですみそうなので合体本買ってみようかな。
514日本@名無史さん:2005/07/01(金) 07:18:46
質問です
平安時代800年代に攻めてきた新羅に
日本で防戦に活躍した人は誰ですか?
515日本@名無史さん:2005/07/01(金) 10:34:09
1019年のだけど
現地最高責任者の中納言兼大宰権帥藤原隆家は、
中央政府に急報するとともに、軍を整え防戦を命じた。
大宰府軍は勇戦これを撃退し、刀伊は最後に肥前国松浦郡を襲ったが、
現地の武力に撃退され退去した。
516日本@名無史さん:2005/07/01(金) 10:39:11
あげとこう
517日本@名無史さん:2005/07/01(金) 17:07:45
>>514
うやむやのうちに略奪後、帰還した模様
518日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:24:37
今度期末テストで日本史のテストなのですが論述
の問題が資料集に書いても○にならないくらいのテストなんです、担当の先生が早稲田2年中退、立教に一発合格、東大大学院に行っていた先生で知識が半端じゃない人なんです、テストでぎゃふんと言わせたいので力を貸してくださいお願いします。
@磐井の乱が何故起こったのか(九州地方は大和政権に対抗できる力があった、朝鮮半島が九州と通じていた)などです
A遣隋使が国書を持っていった意味祖押して隋の反応
B継体天皇が即位した意味、継体朝はどうして混乱したか
C聖徳太子はどうして即位しなかった
D采女が産んだ子がどうして即位できないのか
E中華王朝が歴史書を作る理由
これを得た知識を相手に説明できるようにしなければなりませんどうかお力をお貸しください
519日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:36:51
とりあえず読んで分かる文章を書く習慣をつけような
520日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:42:42
文才が無くてすみません
521日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:43:20
道鏡って本当にエロ坊主だったの?
それともただ単に孝謙(称徳)を洗脳したすんごいやり手だったのか?
もしかして両方?
522日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:44:19
本物じゃないほうの質問スレはなんであんなに荒れてるんですか?
523日本@名無史さん:2005/07/02(土) 02:01:51
こんな馬鹿スレ立てた>>1が本スレを荒らしているんじゃないの?

日本史板には世界史板のようなオヤジ自治厨がいないから
好き勝手な事をしたい香具師等が野放しなんだよ。
524日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:03:52
>>521
かなりのやり手とみる
525日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:16:16
>>522
そのうち落ち着くでしょうw
526日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:53:59
徳川慶喜はトクガワ「ケイキ」とも言うが、
徳川家康をトクガワ「カコウ」とは言わないのは何故?
527日本@名無史さん:2005/07/02(土) 17:12:24
すみません、質問なのですが
授業で豊島沖海戦で日本は宣戦布告していないから
国際法違反とか言われたのですがそうなんですか?
あと台湾で日本人による虐殺があったとも
言われたんですがどうなんでしょうか?よろしくお願いします
528日本@名無史さん:2005/07/02(土) 17:26:56
>>527
それくらいぐぐれ
529日本@名無史さん:2005/07/02(土) 17:52:02
>>526
いえやすなんてだれでも読めるだろ。
読みにくいのや、読み間違えそうなのを音読みで読むのは結構あるよ。
足利尊氏をそんし、って読んだり伊能忠敬をちゅうけいって読んだり。
530日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:09:22
            ■■■■■■■■■■■■
                 ■■■■■■■■■■■■■■
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           ■■■■         ||          ■■■■
          ■■■■■   〓〓〓〓||〓〓〓〓   ■■■■■
          ■■■■   〓〓     ||    〓〓   ■■■■
          ■■■■        //  \\       ■■■■     私のことか?
          ■■■■      //( ●● )\\     ■■■■
          ■■■■    // ■■■■■■ \\   ■■■■
          ■■■■■  / ■■■■■■■■ \  ■■■■■
          ■■■■■   ■/〓〓〓〓〓〓\■   ■■■■■
          ■■■■■■ ■ /▼▼▼▼▼▼\ ■ ■■■■■■
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531日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:22:15
「昭和初期のモガ」を想像した時浮かぶファッション
ローウェストのワンピース(腰のくびれが無い/
『シカゴ』の登場人物が着ている)スタイルは
服飾用語としては、正確には何と呼ばれているのでしょうか?
532日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:24:48
>>527
宣戦布告をしなければならなくなったのは、第2次世界大戦以降の話。
当時は、必ずしも宣戦布告を必要としていなかった。
533日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:28:22
>>531
服飾板で聞け
534日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:54:48
>宣戦布告をしなければならなくなったのは、第2次世界大戦以降の話。

日露戦争が日本による奇襲攻撃で始まったので
そこでそれ以後、宣戦布告はきちんと行いましょうという国際ルールが確立。

535527:2005/07/02(土) 19:27:37
>>528 532
ありがとうございました!
536527:2005/07/02(土) 19:31:39
連投ですみません(汗
>>534
そうなんですかありがとうございます!
537日本@名無史さん:2005/07/02(土) 19:44:00
江戸時代の訴訟制度はどのような法や規律があったのでしょうか?
大雑把な文で申し訳ないですがよろしくお願いします。
538日本@名無史さん:2005/07/02(土) 19:59:27
>>534
太平洋戦争当時は、宣戦布告を必要としなかったが?
539日本@名無史さん:2005/07/02(土) 21:35:09
米はベトナムに宣戦布告をしていませんが何か?

中国はインド・カシミール地方に侵略した時やベトナムに対しても宣戦布告をしていませんが何か?

朝鮮戦争のときも(ry
540日本@名無史さん:2005/07/02(土) 21:50:32
1908年のハーグ会議の時じゃなかった>宣戦布告
あと、明らかに自衛と分かる例が免除されるんじゃなかった?
541日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:02:55
全ての戦争は自衛の名の下に行われる

吉田茂
542日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:23:59
だから9条はこれでいい

吉田茂
543日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:41:28
1904年の日露戦争での明示の戦意表明のない開戦に対する批判を契機に
07年のハーグ平和会議で〈開戦に関する条約〉が成立した。
544日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:48:28
昭和天皇は、国際法遵守を熱望してたね>真珠湾
545日本@名無史さん:2005/07/02(土) 22:50:47
>>529
>>いえやすなんてだれでも読めるだろ。
>>読みにくいのや、読み間違えそうなのを音読みで読むのは結構あるよ。
 
有難う御座います。しかし音読みになるのは読み間違えそうなのより、尊敬や
親しみを込めている方が多いと思います。(原ケイ、七本槍のセイショウ公等)
なので何故家康はカコウと言われないのかと思うんですが。

546日本@名無史さん:2005/07/02(土) 23:14:48
信長も秀吉もシンチョウ、シュウキチとは言わない
読みが間違えそうな人物のときに使う
あと、大學教授がかっこつけて使うときもある
尊敬とか親しみの意味とかはない
547日本@名無史さん:2005/07/03(日) 00:27:14
>>539
>米はベトナムに宣戦布告をしていませんが何か?
だから、アメリカの学校では、あれを戦争とは教えていませんが何か?

>>546
>信長も秀吉もシンチョウ、シュウキチとは言わない
あれ? 信長公記(シンチョウコウキ)は?
548日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:10:02
というか、形式上は南ベトナム政府と南ベトナム解放民族戦線の内戦に加勢してるだけだからな
宣戦布告は解放戦線を正式の政府と認めることと同じこと
549日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:57:36
宣戦布告がどうこう言ってる軍オタどもは軍板逝けよ。
スレ違いって言われなきゃ分からんのか?
550日本@名無史さん:2005/07/03(日) 02:18:57
>>548
おいおい。その理屈では「トンキン湾決議」が空文になっちまうぞw
551日本@名無史さん:2005/07/03(日) 02:31:35
>547
The primary source documents used in this lesson are best suited for older high school students,
but advanced ninth and tenth graders may be able to read and comprehend the documents and the
corresponding questions. If you feel that your students are not yet ready for the reading level of
these documents, or if you teach middle school or early high school, begin this lesson by summarizing
the basic facts of Vietnam (who, when, why, etc.). Then discuss with students the opposing viewpoints
to the war, using images of protestors, old newspaper headlines or opinion columns that exemplify
divergent public opinion, or excerpts from Nixon’s “Silent Majority” speech and Kerry’s testimony
before the Senate Foreign Relations Committee. As a main activity, have students use the take-home
activity sheet to interview their parents, relatives, or neighbors, about the war, and then have them
discuss their findings with the class.

http://school.discovery.com/lessonplans/programs/vietnam/
552日本@名無史さん:2005/07/03(日) 03:29:18
板違いの話題を延々とやってるのはわざとか?
553日本@名無史さん:2005/07/03(日) 07:24:42
>>551
このレッスンで使われる主要なソース文書は年上の高校生のために最適です、しかし、先進の第9で第10の
評点者は文書と対応する問題を読んで、理解することができるかもしれません。あなたがあなたの学生がこ
れらの文書の読書用のレベルのまだ準備ができていないのを感じるならば、あるいは、あなたが中学校また
は初期のハイスクールを教えるならば、ヴェトナム(誰、いつ、あれ、その他)の基本的事実をまとめることに
よって、このレッスンを開始してください。それから、抗議者(異なる世論を例証する古い新聞見出しまたは意
見コラム)のイメージを使用して、戦争に対立する視点について学生と話し合います‖またはニクソンの「声
なき大多数」からの抜粋‖言葉、そして、上院の前にケリーの証言外交委員会。主な活動として、学生に、戦
争について、彼らの両親、親戚または隣人と会見するために持ち帰りの活動シートを使わせてください、それ
から、彼らにクラスとともに彼らの調査結果を議論させてください。
554日本@名無史さん:2005/07/03(日) 08:20:15
戦前は議会制だったと言われてますが戦争終結に関しても議会を通したのですか?
555日本@名無史さん:2005/07/03(日) 10:29:16
>>531
ググってみましたが、なかなかそれらしきものはみつかりませんでした
一応、ファッション板http://life7.2ch.net/fashion/でも質問してみてください
556日本@名無史さん:2005/07/03(日) 10:53:59
井伊直弼はゲイだったんですか?
557日本@名無史さん:2005/07/03(日) 11:11:43
>>554
開戦講和は議会の協賛を得る事になっていたが、得ないと出来ないわけじゃない。
558日本@名無史さん:2005/07/03(日) 13:40:12
本物じゃない方のスレはひどいことになってるな・・・
ハンバーグの作り方が貼られてる。
559日本@名無史さん:2005/07/03(日) 15:15:35
558 :日本@名無史さん :2005/07/03(日) 13:40:12

158 :日本@名無史さん :2005/07/03(日) 13:38:32
>>157
アンカー間違ってるよ。プ

あひゃひゃひゃひゃひゃひゃおまいのほーがてーのーだあひゃひゃひゃひゃ
560日本@名無史さん:2005/07/03(日) 19:58:04
>>558
反応しちゃだめだ、それも嵐の楽しみの一つだから。
大人は黙ってスルー、徹底放置
561日本@名無史さん:2005/07/03(日) 19:59:46
>>560

558が荒らしている本人なんだから
スルーなんて無理に決まってる。
562日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:52:19
津田梅子が8歳で岩倉使節団に参加できたのはどうしてですか?
当時として、あの年齢である程度の教養をもつのは(留学できるほど)普通だったのですか?
563日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:27:39
若い年齢のほうが未来があるから。明治政府の気概。
父の津田仙が西洋農業を導入しようとした人で、福沢の知人。
そのへんの縁故じゃないかな。
564日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:34:32
>>547
ある人物について書かれた書物なんかは、結構音読みになってるね
『義経記』も「ぎけいき」だし。
あとどんなのあったっけ? メジャーな書じゃ思いつかないな
565日本@名無史さん:2005/07/04(月) 03:12:18
いつ一夫多妻制じゃなくなったんですか?
566日本@名無史さん:2005/07/04(月) 05:58:23
ttp://homepage3.nifty.com/NAHKI/sakuraoka/chu/goushinarabi.htm
意味が分からんとです。。。ヒロシです。。。。
567日本@名無史さん:2005/07/04(月) 09:09:04
満州孤児ってなんですか?=中国残留孤児の事ですか?
568日本@名無史さん:2005/07/04(月) 12:33:52
もっとも有名なのは「信長公記」(しんちょうこう)。
569日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:10:13
>満州孤児
ソ連軍が満州に侵攻してきたとき、邪魔だと言うことで満州においてきた。
中国人が育ててくれた。=中国残留日本人孤児。
570日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:42:25
>>565
天皇家が一夫一婦制になったのは、大正天皇からか?
571日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:54:30
>満州孤児
ソ連軍が満州に侵略してきたとき、只で労働力(奴隷)が得られると言うことで中国人に奪われた。
=中国残留日本人孤児。
572日本@名無史さん:2005/07/04(月) 13:58:54
>>571
赤ん坊が労働力かw?
捨てたか、養育を頼んだんだよ、だから
今でも名乗れない親も多い。
初期のころはだいぶ名乗りでたがな。
573日本@名無史さん:2005/07/04(月) 15:32:13
なんだかよく分りませんが、憂国系フラッシュ・動画を置いておきますね。

真実はどこに ttp://www.geocities.jp/wimaciiaccess/sinjituwadokoni.swf
日本がアジアに残した功績 http://www.geocities.jp/baud_2005/japan.html
日本は負けたのか? http://iimovie.com/syuusenn.html

春よ、来い ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7482/haruyokoi.html
島唄 ttp://www.geocities.jp/m_murakata/sima.htm

アニメ ザ・コックピット 桜花シーン ttp://nandakorea.sakura.ne.jp/media/ouka.wmv
特攻隊出陣映像集 http://jya.jp/jt/tmp//1120353309.wmv
NHK神風特攻隊映像 http://jya.jp/jt/tmp//1120353862.wmv
栄光の日本海軍 http://jya.jp/jt/tmp//1119981168.wmv
 (一部動画を見るにはDivxコーデックが必要 http://mbsupport.dip.jp/tra/avi.htm
   http://arena.nikkeibp.co.jp/qa/other/20030318/104166/ )
所感(隊員出撃前夜手記より) ttp://members.at.infoseek.co.jp/dpkpmt/syokan.html
回天特別攻撃隊 ttp://tokyo.cool.ne.jp/kaiten_website/kaiten.swf
特攻証言集「国破れても国は滅びず」 http://www.ch-sakura.jp/asx/tokko.asx

大日本帝国の最期 第壱幕〜第参幕 ttp://www31.tok2.com/home2/teiteitah/
極東国際軍事裁判 ttp://popup5.tok2.com/home2/usam/

かく戦えり ttp://www.studio-ipyou.net/swf/kakutatakaeri.swf
桜花(日本を信じろ) ttp://nekozemax.hp.infoseek.co.jp/ouka.swf
春 桜 http://www.geocities.jp/mimic_flash/sakura.html
靖国 満開の桜 http://www.ch-sakura.jp/asx/2004_yasukuni_sakura.asx
Turn Back 1945- ttp://www.kikoete.net/2004/turnback.html
574日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:48:30
工作員
乙かれ
575日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:50:38
>>564 すまん、被った。あとは「将門記」(しょうもんき)とかも有名かな。
576日本@名無史さん:2005/07/04(月) 16:53:14
音読みにしといたほうが無難だなw
577日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:15:32
>>572
中国では赤ん坊は十年経っても赤ん坊のママである。_〆(。。)
成る程2chの香具師って頭が良いな勉強になるw

あ、満州孤児って百%全員が赤ん坊だったのか、そいつはマジで知らんかったよサンクス。
578日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:17:21
様式・型式・形式とは何ですか?
579日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:30:51
日本の岡山には、母親を狩りレイプする”ママ狩り”という習慣があると、
大阪の同胞からきかされた。
我ら大韓民国の人間が味わったことのないような征服感が味わえるらしい。
我らは想像に胸躍らせながら岡山行き大韓航空に搭乗した。

岡山に着いた我らは、駅前の一等地に店を構える同胞を訪ねた。
「ママ狩りはどこへ行けばできるんだ?」
同胞はきょとんとしたが、一軒の料理屋を紹介してくれた。

我らは期待に胸を膨らませ料理屋に飛び込んだ。
わずか5分後に失意のどん底に叩き落とされることも知らずに・・・


                            ある韓国人の証言
580日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:43:41
>>571
>>満州孤児
>ソ連軍が満州に侵略してきたとき、只で労働力(奴隷)が得られると言うことで中国人に奪われた。
>=中国残留日本人孤児。

横からスマンが、ソースを頼む
581日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:05:39
>>577
例えばだな、労働力が欲しい工場が
赤ん坊を養育するところから始めたりするか?
揚げ足取り(にもなってないけどなw)しかできん無能は、
学問板にはお呼びではないよ。失せろ。
582日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:07:04
583日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:11:16
>>581
プッ
584日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:26:39
>>580
横からスマンが、
580は「信号が赤なら交差点を横断するな」と人から言われたら「ソースをだせ」と言い出しそうだな。
世の中に出たことは一度も無いから世間知が皆無なのか?
ソース云々では無く常識の範疇だろ?そんなことは。

ちなみに、日本人なら情に絆されて他人の子を我が子のように育てることはあっても
中国人の民族性では、そんなことはありえない。
劉邦の故事ぐらいはしっているよな?もっとソースが必要か(藁
585日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:35:50
>>581
妄想に浸っているところスマンが、満州の生産設備は露が根こそぎ持っていったのだがな・・・
それでも残っていたインフラ等に毛沢東は満足して日本への賠償請求は必要無いと考えたそうだが。

労働力と聞いて幼児を工場で働かせることしか妄想できない貧困な想像力は視る者の涙をさそうなw

揚げ足取り(にもなっていないけどなw)しかできん電波は、学問板を荒らすことしかできないようだな。
この質問スレも荒らすのか?>池沼
586日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:38:42
>>585
妄想はお前のほうだろ。
満州の生産設備のことなんか誰が話してる。
俺は常識一般の話をしてるんだ。
労働力がほしいときに赤ん坊を育てるところから始めるなんてことをやっている例を
一例でもいいから出してみな。

まあ無能には無理だろうから代わりに煽っているんだろうがな。w
587日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:51:26
1:事実に対して仮定を持ち出す
2:ごくまれな反例をとりあげる
4:主観で決め付ける
9:相手の人格批判をする
11:レッテル貼りをする
588日本@名無史さん:2005/07/04(月) 23:27:45
>>587
4:主観で決め付ける
ソースも出さずに「赤ん坊が労働力」

ほら、ソースはどうした?w
589日本@名無史さん:2005/07/04(月) 23:39:50
>>584
>中国人の民族性では、そんなことはありえない
そんなことはない。数えるほどだが、ちゃんと育てた人もいる。
590日本@名無史さん:2005/07/04(月) 23:47:57
>ソース云々では無く常識の範疇だろ?そんなことは。

>中国人の民族性では、そんなことはありえない。

まあ嫌中厨はその「常識」とやらが通じるところで好きに喚いていれば?
591日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:01:50
>>586
いや、普通に発展途上国の小農では
子供は労働力であり、老後のための保険であるのですが。
592日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:06:47
やめとけ
相手にスルナ
593日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:10:35
>>591
赤ん坊が労働力になるかという問題を
若年労働力の問題と混同されても困る。

>>592
ソースが見つからないと「相手にするな」か。w
無能はいいわけすら貧弱だな。w
594日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:13:37
>>591
追伸。
仮にそのようなことがあったとしても
それが「満州で赤ん坊を労働力とするために奪った」ということを証明する証拠には
全然ならない。

それ以前に、
人種差別主義者のタワゴトを本気にするほうがどうかしている。
595日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:19:37
ageとsageで色を変えれば少しは面白いが、どっちも煽り厨ではつまらんなw
あ、在日の人には色を変えるという言葉の意味なんかわからないだろうからスルーしてね
596日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:23:33
とうとう在日認定か。w

>11:レッテル貼りをする

これを貼ったのはお前じゃないのか?w
まさに無能だな。

しかも在日などと煽っておきながら、
やっていることが朝鮮総連と似たような歴史捏造なのだから
バカにつける薬はないな。
597日本@名無史さん:2005/07/05(火) 14:42:01
ソースはまだでしょうか?
598日本@名無史さん:2005/07/05(火) 15:08:28
599日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:50:59
唐突で申し訳ないのですが、
なぜ江戸幕府は鎖国中に長崎を貿易港としたのですか?
後できれば平戸から出島に移した理由も教えていただければ幸いです。
600日本@名無史さん:2005/07/05(火) 20:59:50
>>599
マルチポストうざい。
601日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:31:04
秀吉の管理以来、最大の貿易港だったから
602日本@名無史さん:2005/07/05(火) 21:49:12
>出島
閉じ込めたのよ
603日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:03:02
長崎はもともと大村氏の領地だったが、権益を隣国の大名・龍造寺氏に取り上げられることを恐れ
大村純忠がイエズス会に寄進した。平安時代から荘園を有力寺社に寄進したのと同じ理屈。
ところが、その後九州出兵した秀吉が天下統一したとき
キリスト教禁止令を出し、その領地であった長崎も取り上げて秀吉の直轄地にしてしまった。
その後、秀吉が死んだ後の経緯は漏れはよく知らないがwそのまま家康の直轄地→天領になったと思われる。

一方、平戸は終始地元の領主であった松浦氏の支配下にあった。

平戸に貿易港を置くことは外様大名・松浦氏を利することになり
幕府が海外貿易の利益を把握下におこうとすれば長崎を唯一の貿易港とすることが良い
と徳川幕府は考えたのでは無かろうか。


604日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:30:56
>のでは無かろうか。

603の想像なわけね要するに
605日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:31:29
秀吉の死後は、幕府は直轄地とし、教会を破壊したりしつつも、
最大の国際都市だった。
606日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:34:08
解答してくださった皆様有難うございました!!大変参考になりました。
マルチポスト申し訳ありませんでした。
607日本@名無史さん:2005/07/06(水) 02:50:10
新撰組の中で一番の剣豪は誰だったんですか?
608607:2005/07/06(水) 03:21:17
すいません。関連スレを見つけたんで質問を取り消します。
マルチっぽくなってすいませんでした。
609日本@名無史さん:2005/07/06(水) 13:51:46
>最大の国際都市だった。

ウソ教えんなよ。
610日本@名無史さん:2005/07/06(水) 14:40:14
>>609
国際都市としては、最大という意味だが。
どこか他だったの?
611日本@名無史さん:2005/07/06(水) 21:20:13
質問です。
1926年頃、中国国民党の北伐が始まりましたが、
その中のリーダーのショウ介石は何を目的に北伐をしたのでしょうか。

詳しい方いましたらご教授願います。
612日本@名無史さん:2005/07/06(水) 22:08:08
>>611
そんな君のためのスレ

〓〓 東洋史なんでも質問スレッド 壱巻 〓〓
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1100269403/l50
613日本@名無史さん:2005/07/06(水) 22:12:44
>>611
簡単に言えば、各地の軍閥を平らげ、中国の統一するため
614611:2005/07/06(水) 22:17:08
>>612
誘導スミマセン
まだ聞きたいことがあるのでそこをあたってみます。

>>613
dクス
なるほど、簡潔な説明で理解できました。
615日本@名無史さん:2005/07/07(木) 02:20:31
盗人追い銭という言葉ができた経緯が知りたいです
教えてください
616日本@名無史さん:2005/07/07(木) 07:13:59
幕末時薩摩藩公武合体派で島津久光が文久の改革やってたけどそこからどういう過程で
薩長同盟結んで討幕派になったのか教えて下さい。
617日本@名無史さん:2005/07/07(木) 07:53:20
>>615

銭形平次が石川五右衛門を捕らえようとゼニを投げたが失敗した故事から
618日本@名無史さん:2005/07/07(木) 10:14:26
>>616
文久の改革で久光と島津の名声は一気に高まった。
一方で攘夷開国の問題で幕府の権威は失墜し、
長年政治の舞台から遠のいていた天皇・朝廷の権威が高まった。
「幕府より朝廷に政治工作した方が早いや」と諸藩は
京都でさまざまな工作を始める。
これにより政治の舞台は江戸から京都に移る。

ちょっと飛んで

慶喜は将軍に就任するとそれまでの経緯から、
幕府の高級官僚立ちより久光・山内容堂・松平春岳・伊達宗城らと共同で政治を行おうとした。
しかし各人の思惑からこの共同での政治は停滞した。
「どうにも動きそうにない」と判断した薩摩は表向き幕府との協調を保ったまま
幕府から政治のリーダーシップを奪う機会を伺った。
単独でリーダーシップを奪うことは不可能だったので協力者として、
長州という飛び道具を見つけた。
ここからはご存知の通り坂本竜馬や中岡新太郎らが動き回って薩長同盟が結ばれた。

619日本@名無史さん:2005/07/07(木) 13:21:42
>>617
マジですか?
620日本@名無史さん:2005/07/07(木) 14:59:16
>>619
んなことぁない。
銭形平次は架空の人物
621日本@名無史さん:2005/07/07(木) 16:08:44
>>610
何をもって「最大」としているのか
まずそれを聞こうか。
622日本@名無史さん:2005/07/07(木) 17:20:15
>>621
外国人数
623日本@名無史さん:2005/07/07(木) 20:03:42
>>621
何をもって「最大」を否定しているのか
まずそれを聞こうか。
624日本@名無史さん:2005/07/07(木) 22:22:24
E・H・ノーマンって「ハーバート・ノーマン」と呼ばれるようですが、
「E」は何のイニシャルでしょうか?
どうしてこの部分だけカットされるんでしょう?
625日本@名無史さん:2005/07/07(木) 22:28:55
>>624
エリックじゃないかな?
626日本@名無史さん:2005/07/08(金) 04:38:45
西南戦争以前の京都の公家の代表の権力・身分の位置付けを教えてください
現代でいえば京都府知事みたいなものですか?
627日本@名無史さん:2005/07/08(金) 04:39:45

国全体における
に訂正
628日本@名無史さん:2005/07/08(金) 07:57:08
>>626
知事は幕府の置いた京都所司代かな。
幕末になって京都守護職とかで更に補強。
天皇を中心とする公家は基本的に政治はしてない。
「儀式や伝統技能の継承者」という位置付け。
629日本@名無史さん:2005/07/08(金) 08:35:04
>>615

「茄子十(なすとお)に多い銭」
詐欺にあうこと。だまされること

630日本@名無史さん:2005/07/08(金) 13:41:45
>>615
損した上にまた損をしたと言うことだな
631日本@名無史さん:2005/07/09(土) 15:40:37
>外国人数

じゃあ上野公園は国際公園だな。すげーや。w
632日本@名無史さん:2005/07/09(土) 21:58:16
江戸時代初期、長崎を凌駕する国際貿易港って、どこ?
633日本@名無史さん:2005/07/10(日) 00:25:05
>>632
加賀……と言ってみるテストw
634日本@名無史さん:2005/07/10(日) 05:22:37
>>632
結局大した根拠もなしに長崎一番と言っていたわけかい?
635日本@名無史さん:2005/07/10(日) 12:15:04
南蛮貿易、中国貿易、イスラム貿易とも長崎が一番。
異論のソースは?
636日本@名無史さん:2005/07/11(月) 10:40:36
琉球と長崎ってどっちがでかい?
637日本@名無史さん:2005/07/11(月) 11:01:48
>>636
基準は?
638日本@名無史さん:2005/07/11(月) 12:48:08
琉球王国のほうが長崎市中より面積はでかいだろう
639日本@名無史さん:2005/07/11(月) 12:55:19
琉球王国は明治にほろびた
640日本@名無史さん:2005/07/11(月) 13:45:21
>>635
まず自説を開陳する側がソースを出すべきだろ。
そんなこも知らんところをみると、ますます信憑性が下がるぞ。w
641日本@名無史さん:2005/07/11(月) 14:05:22
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AB%E4%BF%9D%E3%81%AE%E6%94%B9%E9%9D%A9

ウィキペディアの「享保の改革」の記述。

>享保の改革(きょうほのかいかく)は、江戸幕府の八代将軍、徳川吉宗の在任期間中の
>1716年から1745年に行われた幕政の改革のこと。
>また、そのころは老中、田沼意次が実権をにぎっていた。寛政の改革や天保の改革と並んで、
>江戸時代の三大改革の一つである

何となく間違っているような気がするのは私だけでしょうか。
642日本@名無史さん:2005/07/11(月) 14:06:39
>>641
あなたの気のせいじゃなくて思いっきり間違ってるように漏れにも見えます
気が付いたらこっそり修正しておいてあげましょう
643日本@名無史さん:2005/07/11(月) 14:47:34
と思う吉宗であった。
644日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:51:09
ちょっと読み返してみたんだが。
>最大の貿易港
>最大の国際都市
というのは 「日本最大」というのでもじゅうぶん最初の問いの
答えになってると思うんだけど。

堺あたりと比べての議論なの?
645日本@名無史さん:2005/07/11(月) 20:46:49
>605 :日本@名無史さん :2005/07/05(火) 22:31:29
>秀吉の死後は、幕府は直轄地とし、教会を破壊したりしつつも、
>最大の国際都市だった。

まあ日本最大とは書いてないわな。
605が訂正して謝ってしまえば済む話なんだけど、
意固地になってるようだね。
646日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:29:34
幕末での倒幕派である長州や薩摩の志士たちのことって何と言ったらいいでしょうか?
京都における新撰組VS○○という題目を作りたいんですが・・ご教授お願いします。
647日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:32:01
>>645
キミが答えを書いたら?
648日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:34:19
>>646
勤王の志士

ではどうよ?
649日本@名無史さん:2005/07/11(月) 21:40:17
>>648
その言葉忘れていました。
ありがとうございます。しっくりきますよ。
650日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:03:48
>>645
正解を教えてくれなければ、訂正のしようがないw
651日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:32:46
加羅諸国が百済・新羅に併呑されてから、日本は鉄資源をどこから入手してた?
百済から輸入したにしても、白村江以降はどうしてたんだ?
652日本@名無史さん:2005/07/12(火) 00:01:11
>>642
勝手に直していいもの?
653日本@名無史さん:2005/07/12(火) 00:51:46
>>651
河原によく乾いた砂鉄を60センチほど積み上げ、その上に大量の薪をのせて火をつけ一夜燃やし続け、
翌日になって鉄塊を拾い集めていた。 『たたら日本古来の製鉄技術』 玉川大学出版部
654日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:18:35
>>652
南京虐殺とか慰安婦問題とかでは
賛否両派の修正合戦で収拾がつかなくなってるよ。
まあwikiなんて「辞書タイプの2ちゃん」でしかないのに、
必死でやってる連中の気持ちが分からんな。
655日本@名無史さん:2005/07/12(火) 13:32:25
古代製鉄は、山陰がさかんだったの?
656日本@名無史さん:2005/07/12(火) 22:36:59
>>654
現状のままにして置きたい工作員発見
657日本@名無史さん:2005/07/12(火) 22:38:34
現状はどうなってるの?
658日本@名無史さん:2005/07/13(水) 00:53:54
確か近現代は棚上げのママ書けない仕様に成っているんじゃなかったか?
659日本@名無史さん:2005/07/13(水) 07:59:39
>>655
せっかく653が書籍を紹介してるんだから
質問する前にまず読んだらどうなんだ。
660日本@名無史さん:2005/07/13(水) 13:25:40
島根、広島などの中国地方で発達
半島から職能民が来たとも言われる
661日本@名無史さん:2005/07/13(水) 13:43:45
当時の半島は鉄生産の技術レベルが低すぎる事が近年では明らかになっている
日本へは東南アジア経由というのが昨今の主流
662日本@名無史さん:2005/07/13(水) 15:48:58
そんなこと言うと
また「生粋の日本人」がやってきて荒らしだすぞ。w
663日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:56:28
>当時の半島は鉄生産の技術レベルが低すぎる事が近年では明らかになっている

嫌韓厨はハン板逝け。
664日本@名無史さん:2005/07/13(水) 22:14:40
ここは煽りあったり議論したりするスレではないのだ
665日本@名無史さん:2005/07/13(水) 22:42:36
>664
回答者が絶対に正しいってもんでもなかろ?
666日本@名無史さん:2005/07/14(木) 13:07:43
日本の真珠湾攻撃直前の事情についての本を探しているのですが、ここ日本史の
所で聞いてもよいのですか?
アメリカ人がアメリカで1947〜8年ごろに出版した本を、日本人が今年
日本語訳にして出版したということが、日本の新聞に載っていたと、
その新聞社のオンライン新聞で読んだんです。(2005年7月1〜13日の間)

題名も著者名、訳者名、ウェブ新聞の新聞社の名前も忘れました。
こう言った質問を世界史の所ですべきでしょうか、日本史の所がよいのでしょうか?
教えていただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。
667日本@名無史さん:2005/07/14(木) 13:12:00
なんで傍流の質問スレでばかり聞きたがるの?
668日本@名無史さん:2005/07/14(木) 13:33:54
なぜ終戦の詔勅を、8月14日に発表したのでしょうか?
事前通達?
669日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:24:28
14日の御前会議で受託を決定した
670日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:06:38
>>666
新聞社に電話で聞くと教えてくれるんじゃ?
確か、女性だったと思うが。
671日本@名無史さん:2005/07/14(木) 23:30:31
>>669
決定したのは知ってるよ。
それを、すぐに記者クラブに情報流したってこと?
つまり、前日にはもう、敗戦はわかってたってこと?
672日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:15:08
この板の住人は何人くらいなんですか?
673日本@名無史さん:2005/07/15(金) 07:41:41
第二次大戦に関する日本の戦術的な間違いはなんでしょうか?政治的にと軍事上の戦略があるとおもうのですが・・・
まず全世界を敵にしたのと真珠湾奇襲攻撃だと思いますが、これを除き軍事上で考えてみれば杜撰さはあっても
よく戦ったと思います。普通なら講和に持ち込むと思うのですが何故コテンパンにするまでアメリカはやったのでしょうか?
双方にとっては敵地(外地)のみでやってればいいとおもうのですが・・・厳密に言えばハワイはアメリカかもしれませんfが。
674日本@名無史さん:2005/07/15(金) 10:56:17
>>672
わからんけど、多く無いことは確か。
VIPとかよりは遥かに少ない。
675日本@名無史さん:2005/07/15(金) 12:57:45
ドイツと組んで英米を敵に回したこと自体が間違い
676日本@名無史さん:2005/07/15(金) 13:06:35
>>662 むしろ貴君のそのような発言(「生粋の日本人」)こそ火病を起こさせてしまったようなのだが・・・
677日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:36:41
>>673
軍板逝け。
ここは歴史学という高尚なものを扱う板であって
軍オタがオナニー見せっこする板じゃない。
678日本@名無史さん:2005/07/15(金) 14:52:52
>>677は、歴史というものを理解していない。
679日本@名無史さん:2005/07/15(金) 15:58:57
>>678
お前バカか?
673は戦術について聞いてんだぞ。
それのどこが「歴史学」カテゴリなんだよ?
680日本@名無史さん:2005/07/15(金) 16:39:30
>>679
人間が生きていること、それすべてが歴史である。
681日本@名無史さん:2005/07/15(金) 17:42:25
ちゃんと軍板逝け(軍板いけば、あなたの疑問にたいして適切な回答をしてくれる人がいますよ)
と誘導しているだけ親切だな
682日本@名無史さん:2005/07/15(金) 18:19:20
軍板ってどこ???
683日本@名無史さん:2005/07/15(金) 18:31:32
ずばり神仏習合はどのように発生し、発展していったのですか?
684日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:10:19
名代、子代の部と田部の違いを教えてください
685日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:38:51
>>682
軍事板。趣味のカテゴリー。
686日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:24:29
>>683
宗教板に逝け
687日本@名無史さん:2005/07/16(土) 22:12:13
ところで江戸初期の最大の海外貿易港はどこなんだろうか?
688日本@名無史さん:2005/07/16(土) 22:27:30
よくは知らんがマドリードじゃないのか?
689日本@名無史さん:2005/07/16(土) 23:24:09
>>687
「最大」の定義
690日本@名無史さん:2005/07/17(日) 00:44:04
☆初心者歓迎!☆
2ch来てみたら、韓国叩かれてるけど、具体的には
何したの?
何が悪いの?
ロムっててもイマイチわからないよ!(´・ω・`)ショボーン
そんな初心者、初歩的でいいので疑問を書き込んでみましょ〜!!
嫌韓漫画発売記念に、予習として、
みんなが優しくおしえてくれるお^^

ちょ、気味タッチ!マジで『嫌韓流』1位にすんぞwww
http://ex11.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1121517367/l50
691日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:35:45
>>689
現在なら金額だろう
692日本@名無史さん:2005/07/17(日) 18:57:43
>>668
詔勅が出たのは8/14
玉音放送で公式発表されたのが8/15
693日本@名無史さん:2005/07/17(日) 19:00:18
名代、子代の部と田部の違いを教えてください
694日本@名無史さん:2005/07/18(月) 07:14:22
>>693
マルチすんなボケ
695日本@名無史さん:2005/07/18(月) 07:53:51
>>692
じゃあ、8月15日の新聞は、玉音放送の後に、各家庭に届けられたの?
15日の新聞に、終戦の詔勅が全文載ってるんだけれども。
696日本@名無史さん:2005/07/18(月) 09:04:50
>>695
ヒント:宅配制度
697日本@名無史さん:2005/07/18(月) 09:37:17
>>696
じぇんじぇんわかりません
698日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:19:44
"米騒動の原因についてなのですが、
シベリア出兵宣言で需要増大を見込んだ商社や米問屋らが
さらに米の買占め、
売り惜しみに走ったため米価が急騰によるものだったらしいのですが、


ここで疑問があります。
シベリア出兵するとなぜ米の需要が増大するのでしょうか?



日本は最盛期には7万5000の兵力をシベリアに送り込んだそうですが、
その7万5000の将兵がシベリアに行こうと
内地で通常の勤務についていようと、
米の消費量は同じだと思うのです。
"
699日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:24:01
>>695
回答者に食って掛かるような無能な質問者は失せろ。

>>698
インフレも知らん奴がネットなんかやるな。
700日本@名無史さん:2005/07/18(月) 11:16:05
>>699
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
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701日本@名無史さん:2005/07/18(月) 12:14:54
荒れてますね。。。
超初心者です、よろしくおねがいします。
なんとかの合戦で敵を打つのに、鹿が崖から降りていくのにヒントを得て、
正面からではなく、崖の方から大軍を送り込んで勝った。
これはなんの合戦でしょうか?
よかったら武将の名前も教えてください。
よろしくお願いします。
702日本@名無史さん:2005/07/18(月) 12:19:00
義経のヒヨドリ越えだか一之谷の合戦では?

もっともあれは、後白河上皇が源平和平を調停するから
おれが行くまでは休戦期間とか書状出して、それを信じて負けたいう話らしいけど。

だから完全なだまし討ち
703日本@名無史さん:2005/07/18(月) 13:17:09
>>702
それに間違いないです。
ありがとうございます!
704日本@名無史さん:2005/07/18(月) 13:28:18
>>701
この間、大河ドラマでやったばかりだなw
705666:2005/07/18(月) 15:31:12
>>670
有り難うございます。新聞社は6社ぐらいあるので、どこか判らなくなりました。
またその6社の内2社ぐらいしかメールアドレスを公開していないので。。。。
あとはウェブ.ニュースの奥深くメルアドを置いているのかもしれませんが。。。。
重ねて有り難うございまs。
706日本@名無史さん:2005/07/18(月) 15:51:42
>702
騙し討ちも兵法の内。
信長だって長島でやってるし。
707日本@名無史さん:2005/07/18(月) 16:19:29
一ノ谷もしらん奴が来てるのか…
いくら夏だからってレベル下がり過ぎだろ。
708日本@名無史さん:2005/07/18(月) 19:25:24
>メールアドレスを公開していないので

おまえみたいなのがわんさとくだらないメール送ってくるからな。
709日本@名無史さん:2005/07/18(月) 21:33:48
>>705
たぶん、毎日新聞
710日本@名無史さん:2005/07/18(月) 21:52:05
ところで江戸初期の日本最大の海外貿易港はどこなんだろうか?


711日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:04:56
>>710
どこもかしこも
712日本@名無史さん:2005/07/19(火) 07:02:22
江戸時代の武士が官名として令外官を名乗るケースで、
征夷大将軍や中納言は実例がありますし、「勘解由」「蔵人」も
おそらく令外官由来だろうと思いますが、「検非違使」を称する
ケースはなかったんでしょうか。
御家人〜下級旗本クラスにはマッチしているように思うのですが。
713日本@名無史さん:2005/07/19(火) 13:12:11
ところで江戸初期の日本最大の海外貿易港はどこなんだろうか?
714日本@名無史さん:2005/07/19(火) 14:15:37
いつのまにやら「初期」が前提になってるのか
715日本@名無史さん:2005/07/19(火) 21:57:27
599 :日本@名無史さん :2005/07/05(火) 20:50:59
唐突で申し訳ないのですが、
なぜ江戸幕府は鎖国中に長崎を貿易港としたのですか?
後できれば平戸から出島に移した理由も教えていただければ幸いです。

716日本@名無史さん:2005/07/19(火) 21:58:58
>>714
早く答えてあげなよ
717日本@名無史さん:2005/07/20(水) 07:14:29
禁裏の後宮−−−つまり奥−−−と表とを隔てる場所ないし門扉
(江戸城大奥で云えば、お錠口、お鈴口)に相当する箇所
は何と呼ばれて居たのでしょうか?
とくに江戸時代〜明治時代にかけて何か特別の名称がつけられて
居たのでしたら、教えて下さい。  よろしく。
718日本@名無史さん:2005/07/20(水) 10:21:03
>>713>>716
自作自演カコワルーイ
719日本@名無史さん:2005/07/20(水) 22:59:18
まあいつも自作自演やってるやつにとっては
他人もそれをやってるように見えるんだろうな
720日本@名無史さん:2005/07/21(木) 01:20:10
『国会を開設するの允可を上願する書』をわかりやすく解説してくれる人おらんかいね?

果たした役割とか性質とか詳しいひと頼みます。。
721日本@名無史さん:2005/07/21(木) 13:22:38
>>714
早く答えてあげなよ


722日本@名無史さん:2005/07/21(木) 13:28:25
>>721
もういいからお前は死ね
723日本@名無史さん:2005/07/21(木) 15:37:57
>>722
わからなかったんだね。わからないことを聞いて悪かった。マジでスマン
724日本@名無史さん:2005/07/21(木) 16:21:35
>>723
いや、わかってる。
バカやマルチ、あるいはその両方には答えないんだよ。
725日本@名無史さん:2005/07/21(木) 17:16:31
>>724
答えない限り、答えられないとみるしかないだろう
726日本@名無史さん:2005/07/21(木) 18:13:59
>>725
君の態度で、その理論を使えば、このスレで答えられる人はいないよw
そんなに知りたければ、大学に行って勉強しろw
727日本@名無史さん:2005/07/21(木) 19:22:01
>>726
無能の相手をするなボケ
728日本@名無史さん:2005/07/21(木) 20:08:37
>>725=>>727
           _   _, -='ニ二`─- 、__
          /´   `ヽ!レ'´          ヾ ¬、
         i      リ /   _       ヽ   ヽ
        !       〃   /       、ヽ 丶  i
          ゝ.    //   / ,/  イ    `i. i ヽ ヽノ
       / ク了ニ彡'./   / /! / |       |! l | i l.ヽ
     く_// /|   .i    i /i  '      /|.‖.! l ト、 ヽ
.         / / !    !   〃七ナ¬.    /_ム|! | !│ヘ´
       / /   i ,. .」   |i  レ   ヽ  /, ' / iレ  ! ト、 ヘ
      ー'   Y rァ!  |  r' 二ミ、!  /r'┐ |! /i | ヽ´
           ! ! i、ヽ. | '´ /  i  レ' / リ ! / / リ
             \__ヽ !  L...ノ     L/ ,レ/
             ,.ィ=丶ヾ  ┌─‐-;   ノ'´    く
          ,. '´ヾ、 丶、  !   / /      す
         /     ヽ.   | ト ー '‐ く     く
       /     、 ヽ ∠!|     ヽ     す
      /       ヽ  ヽ,|リ   ,     !
       /         i  〉‐!   /    |
729日本@名無史さん:2005/07/21(木) 22:31:06
730日本@名無史さん:2005/07/22(金) 07:50:57
戦前に何度か来日したという英国のコンノート殿下というのは、
ヴィクトリア女王の息子のコンノート公のことをいうのでしょうか?
それとも、同名のそのまた息子のコンノート公のほうなのでしょうか?
教えて下さい。
731日本@名無史さん:2005/07/22(金) 08:22:39
>>730
ヴィクトリアの三男
732日本@名無史さん:2005/07/22(金) 13:16:39
長崎でいいんでしょうか。ありがとうございました。
733日本@名無史さん:2005/07/22(金) 14:07:12
沖縄のほうが貿易量おおいんじゃねーの?
734日本@名無史さん:2005/07/22(金) 14:28:19
まじめな話してるね…
サパーリ分かんないよ
735日本史@名無しさん:2005/07/22(金) 14:39:15
日本国憲法草案がGHQによって改正された理由を簡潔に教えてください
736日本@名無史さん:2005/07/22(金) 14:42:18
海軍の最後の将軍という井上成美って人について詳しく教えて下さい。
著作物などもお願いします
737日本@名無史さん:2005/07/22(金) 15:30:34
>>735
日本の原案が天皇主権のままだったから。
738日本@名無史さん:2005/07/22(金) 15:32:25
>>733
沖縄は、日本ではなかったのでは?
739日本@名無史さん:2005/07/22(金) 15:50:12
>>738
1609年から薩摩藩が支配してる
日本かといわれると、どなんだろな
植民地に近い気もするが
(清にも臣下として接してたみたいだし)

明・清との貿易が中心だったようだが、長崎とどっちが取引量や額が多かったかはしらね
(でかさは琉球だろうが)
740日本@名無史さん:2005/07/22(金) 16:55:39
17世紀後半までの長崎における木綿、生糸、砂糖の輸入量の膨大さは、
所詮は進貢貿易(+密貿易)である琉球王国の貿易量とは比較にならない。
当然その代価である金銀が大量に流出し、
それが新井白石による正徳の治、吉宗時代の木綿、砂糖の国産化の努力に繋がる、
ってのは高校の日本史レベルの知識だと思ってたのだが。
741日本@名無史さん:2005/07/22(金) 17:01:17
>1609年から薩摩藩が支配してる

たとえば、1945年からはアメリカが支配してたわけだが、アメリカ領ではないよな。
やはり琉球処分で日本に編入されるまでは、琉球王国という別の国だろう。
742日本@名無史さん:2005/07/22(金) 17:50:50
743日本@名無史さん:2005/07/22(金) 19:40:19
>>741
連合国軍による占領と近代以前の支配を同列に考えることはできない。
744日本@名無史さん:2005/07/22(金) 20:33:15
>>742
助かりました。ありがとうございます。
745日本@名無史さん:2005/07/22(金) 22:00:56
>>735
付け加えるとそれ以外にも旧憲法と殆ど変わらなかったから。
746日本@名無史さん:2005/07/22(金) 22:36:35
徳川幕府の天領って400万石あるけど、天領の代官って何万石を支配しているのですか?
(もちろん400万石を1人で支配していないし、1万石を400人の代官でもなさそうだし‥)

747日本@名無史さん:2005/07/22(金) 22:57:52
>>743
琉球処分でなく、1609年からが琉球が日本だと言ってる研究者は誰?
748日本@名無史さん:2005/07/22(金) 23:14:46
>>746
数万石単位に代官以下10人前後で年貢の徴収に当たった。天領は4公6民だが、
実際は4まで行かなかった。享保の改革では代官のシリをたたいて 3.7位まで
上げたが、後また下がった。(学陽書房人物文庫・田沼意次・佐藤雅美著から)
天領の農民はウマーだったんだね。
749日本@名無史さん:2005/07/22(金) 23:50:57
満州帝室の金塊(当時のお金で約4億円)を敗戦後のどさくさ
に紛れてネコババした当時の満州国中央銀行総裁というのは
誰のことでしょうか?
750日本@名無史さん:2005/07/23(土) 10:35:27
>>747
いるわけないだろ、ボケ
751日本@名無史さん:2005/07/23(土) 10:36:46
>>747
いるわけないだろ、ボケ
752日本@名無史さん:2005/07/23(土) 12:52:24
>>750-751
まあもちつけ
753日本@名無史さん:2005/07/23(土) 21:21:17
御成敗式目の内容として諸国守護人奉公のことと
女人養子のことについてどなたか知っていたら教えてください。
754日本@名無史さん:2005/07/26(火) 17:08:35
忍藩の藩旗の絵は↓の写真ので合っていますか?
http://www.city.gyoda.saitama.jp/k_hakubutu/img/tenji/image9_10.jpg
755日本@名無史さん:2005/07/29(金) 00:49:42
なぜ日本史板では近代史しか騙ってはいけないのですか?
756日本@名無史さん:2005/07/29(金) 01:48:25
近代史も騙っちゃあいけないだろ・・・
757日本@名無史さん:2005/07/29(金) 20:13:56
徳川光圀の「大日本史」に義経が東北に逃れたという北方伝説
について書いてるらしいと
インターネットでぐぐっているうちに見つけたのですが
ttp://komonsan.on.arena.ne.jp/htm/tokusyu12.htm
で、>「世に伝う、義経、衣川の館に死せず、遁れて蝦夷に至ると。(以下略)」
という文らしいのですが、具体的には、「大日本史」のどこの巻
に記述されているのでしょうか
758日本@名無史さん:2005/07/29(金) 20:53:24
>>757
こいつに聞け
759日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:28:59
こいつとはどいつ?
760日本@名無史さん:2005/08/01(月) 21:59:56
>>759
吉澤義一
761日本@名無史さん:2005/08/01(月) 23:02:22
 浦島太郎の最も古い記録は8世紀初めに編まれた『丹後国風土記』です。
“とき”は5世紀、雄略天皇の時代、“ところ”は丹後国(京都府)日置の里の筒川という漁村。
そこに筒川の嶋子、世に水江浦嶋子(みずのえのうらのしまこ)というハンサムな漁夫がいました。
ある日、小船で海へ出た嶋子は五色の亀をえ、それが美しい女性に変身しました。
聞けば神仙の娘で亀比売(かめひめ)だといい、連れだって蓬莱山(とこよのくに)へ向います。
それは昔、中国の徐福が東海に探し求めた不老不死の山なのです。
嶋子はそこで3年間、亀比売を妻にして楽しい日々を過ごしました。
 故郷を思い出した嶋子は、絶対開けないと約束した玉手箱をもって帰国しますが、
故郷ではすでに300年もたっており、だれも嶋子を知りません。
神女を恋しく思った嶋子はうっかり約束を忘れて箱のふたを開けました。
とたんに封じこめられていた嶋子の若さが芳しい香りを残して天空高く飛び去ってゆきました。
 あれ?・・・、話が少しちがうようですね。太郎という名はでてきません。
亀は助けたのではなかったし、行ったところは竜宮ではなく、乙姫さまもいませんね。
 でもこの話は正史の『日本書紀』にものせられていますし、
『万葉集』第9巻にも嶋子を詠んだ長歌があるのです。
 『万葉集』の歌では嶋子の故郷は摂津の住吉で、玉手箱からは白雲が出て、
とうとう嶋子は死んでしまうという悲劇におわっています。
 浦島子はどのようにして、あの浦島太郎さんにかわっていったのでしょうか?
762日本@名無史さん:2005/08/02(火) 11:30:52
室町時代の御伽草子《浦島太郎》になると,動物報恩の発端が登場し、
浦島が鶴となって丹後国浦島明神にまつられるという形をとるようになる。
また、浦島に“太郎”の名が付与され、竜宮城の名称が現れるのもこのころ
763日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:45:07
そして現代ではタイムスリップ物にされてしまっている。完。
764日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:17:19
足軽などの雑兵も「サムライ」ということはできますか?
765日本@名無史さん:2005/08/10(水) 22:31:18
だめ
766日本@名無史さん:2005/08/11(木) 09:31:26
>>764
もともとは「官位を持った武官のこと」で、
後に「戦をする人」と意味が拡大した。
767日本@名無史さん:2005/08/16(火) 01:06:30
武士は食わねど高楊枝とはいうが、サムライは食わねど高楊枝と言わないのは
貧乏くさいのはサムライと呼ばないのでしょうか。
768日本@名無史さん:2005/08/16(火) 02:44:07
>>767
そもそも、侍は貧乏暮らしなんかしない。
武士=ノンキャリ
 侍 =キャリア
769日本@名無史さん:2005/08/16(火) 03:02:11
太政大臣と関白はどう違うのですか?
どちらが偉いのですか?
770日本@名無史さん:2005/08/16(火) 03:59:06
アプリゲールに関心があるのですが。
日本史板にスレあるでしょうか?
771日本@名無史さん:2005/08/16(火) 11:04:32
日本の皇族は 、なぜ海外の賓客を出迎える時に天皇は紋付き袴・皇后は留め袖を着用しないのでしょう?
韓国の大統領夫人はチマチョゴリを着用していたように思うのですが…
772日本@名無史さん:2005/08/16(火) 11:21:48
十二一重とか?
773日本@名無史さん:2005/08/16(火) 12:05:58
十二単。
774日本@名無史さん:2005/08/16(火) 12:23:24
>>771
一般的には男性は紋付き袴・女性は五つ紋付き留袖が礼装とされますが
皇室の場合はこれらの服装も略装の一種となります。
なので、国賓を迎えた晩餐会などで着物で出てくることはあり得ないのです。

ちなみに皇族の着物の礼装ですが
天皇の場合は黄櫨染の御袍、皇后の場合はいわゆる”十二単”となります。
しかし着用する機会は即位式など極わずかです。
明治時代に決まった規則に従い、これらの衣装は着用できるシーンががちがちに決まっています。
775日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:14:49
>>768
桃太郎侍もキャリア組?
776日本@名無史さん:2005/08/16(火) 13:26:33
キャリア組どころか藩主の弟君
777[771]:2005/08/16(火) 16:13:04
〉774
お返事ありがとうございます。
やはりそうですか。
十二単が無理なのは分かりますが、やはり日本伝統の和装が洋装より軽ろんじられているのは残念です。
778日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:42:38
内親王が日本舞踊なんて町人の芸事を趣味にする時代だから、
将来は紋付袴もあるかもしれんね。
天皇制が存続してれば。
779日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:15:16
>>776
侍って誰かに仕えている人じゃないの?
藩主の弟君で藩主に仕えているから侍?
780日本@名無史さん:2005/08/16(火) 23:44:29
もう一度お尋ねします。
太政大臣と関白はどう違うのですか?
どちらが偉いのですか?
781日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:18:47
その程度ならまずググれば判るだろ…
782日本@名無史さん:2005/08/17(水) 02:22:25
兄弟とはいえ、長男が家長なら弟は全て配下
独立して家を立てれば、本家分家と言う関係

仕える相手がいない「侍」は征夷大将軍くらいじゃないか
783日本@名無史さん:2005/08/17(水) 06:30:19
太政大臣は令制官、関白は令外職。当然ながら関白は官位相当なし。よってどちらがエライとか比べられない。
784日本@名無史さん:2005/08/17(水) 09:00:11
賀茂社氏人の南大路家が「菊家」と改姓していたのは、
いつ頃からいつ迄の間の事なのでしょうか?
英照皇太后の生母の家柄だけに気に懸かります。
よろしく。
785日本@名無史さん:2005/08/17(水) 12:06:03
>>780
太政大臣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%94%BF%E5%A4%A7%E8%87%A3
関白
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E7%99%BD

>>782
>仕える相手がいない「侍」は征夷大将軍くらいじゃないか
征夷大将軍も、形式上は天皇の家来
786日本@名無史さん:2005/08/18(木) 12:43:12
戦国時代に関して質問です。

1 合戦では多くの重傷者(手足を失ったり失明したり)も発生したでしょうが、彼らのその後の生活はどうなったのでしょうか?
  何らかの保護が大名から与えられたのか、それとも放置か。

2 戦国時代にも戦で捕虜は発生したのでしょうか?高松城が水攻めされた時、城主清水宗治が切腹して城兵を救った
  話は知っていますが、そういった組織だった降伏でなく、野戦で個人や小集団による降伏はあったのでしょうか?
  捕虜はどう扱われていたのでしょうか?
787日本@名無史さん:2005/08/18(木) 13:20:53
捕虜は寝返れば許される
788日本@名無史さん:2005/08/21(日) 16:02:43
>>780
それは野球で言えば、エースと4番打者のどっちが偉いのかと聞くようなもので意味は無い。
789日本@名無史さん:2005/08/21(日) 20:58:53
>>780
どの時期の太政大臣、関白についてきいているのかにもよる。

平安時代であれば、
太政大臣・・・天皇の教育責任者。具体的には元服の加冠役。院政期に入ると、
        明確に「上がり」の役。格式は最高だが、具体的な政務への発言権はない。

関白・・・天皇の代理人。摂政のように完全な代行とはいかず、最終的な決裁権は天皇にある。
     要は天皇に書類が回る前にそれをチェックして、つき返すことができる。
     
どっちがえらいか、というと明らかに関白のほう。
たとえば平清盛は内大臣から左右大臣をすっとばして太政大臣になっている。
太政大臣にはなれても、摂関にはなれない、という家柄もある。

関白は明確な天皇の代理人なので実質的に権力を握れるのに対し、
太政大臣は、単に称号のみでむしろ、太政大臣になることは権力から離れることを
意味する。
790日本@名無史さん:2005/08/21(日) 21:43:06
質問者ではないのだが
太政大臣てなんか中国の太傅みたいだね。
皇帝の教育者、位は一番上だが兵権なし。

ていうか全く同じ?
791日本@名無史さん:2005/08/21(日) 22:18:18
大体同じ。だって真似したんだから。
792日本@名無史さん:2005/08/22(月) 15:30:45
日本の歴史上、実在する中では
即位時の年齢が最年長なのは
光仁天皇でいいのでしょうか。
793日本@名無史さん:2005/08/22(月) 19:31:10
日蓮宗って現世での救いを求めたんですか?それとも極楽浄土へ行く事を願ったんですか?
794日本@名無史さん:2005/08/22(月) 22:28:31
>>793
宗教板に逝け
795日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:04:47
戦艦の大和と武蔵はどっちが格上?
武蔵は山本五十六が戦死した後、遺骨を持って
日本に帰り、その後大元帥裕仁陛下の行幸も受けてます。
ともに連合艦隊旗艦を務めていますが、首都の武蔵野国
から命名されるあたり武蔵の方が上っぽいな。
残念なのは武蔵が大和より先に撃沈しており、沖縄特攻
で世間の人の同情を買えなかった事か。。
796日本@名無史さん:2005/08/23(火) 02:16:42
朝廷の故地であり、日本そのものの象徴名詞でもある「大和」。
その行政区分の一角に過ぎない「武蔵」(ついでに「信濃」)。
普通に考えりゃ、前者の方が遥かに格上でしょうが。

さらに、戦闘艦のネームシップには、後の同型艦のプロトタイプとしての
独特の地位が与えられます。しかも大和には、世界初の18インチ砲戦艦にして
本朝の「国名」を冠する、という絶大のタイトルが付随します。それに対し、
武蔵はどこまでいってもその同型艦、「大和級二番艦武蔵」に過ぎません。
格付けなんてあんまり意味ないですけど、どうしてもというなら、やはり大和に
軍配を上げざるを得ませんね。

とか書きつつ、個人的には武蔵の方がちょっと好きなんですけどねー。
797日本@名無史さん:2005/08/23(火) 03:09:28
>>795
自分の頭の中でグルグルしていなさい。
798日本@名無史さん:2005/08/23(火) 11:06:42
>>796
( ̄− ̄)早速のお答えありがとう
大和って奈良県のことかと思ってますた。
799日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:15:52
大和型の「大和」は日本の総称というよりは、奈良県の旧国名の方でしょう。
日本の総称を名乗る戦艦は「扶桑」です。
800日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:18:50
>>799
勉強し直せ。
801日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:27:53
>>799が正解。

日本が建国されたときに都があった旧国名と
その当時(って現在もだが)に都があった旧国名を
セットで名づけたのが
「大和」と「武蔵」。
802日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:42:22
大和型の三番艦が「信濃」と名付けられたのは、陸奥、出羽を除くと
最大の面積の旧分国だったから?
803日本@名無史さん:2005/08/23(火) 14:19:26
特務艦大和
804日本@名無史さん:2005/08/23(火) 15:20:36
>>801
そうだったんだ。ずっと勘違いしてた。
805日本@名無史さん:2005/08/23(火) 16:02:06
>>804
おいおい、釣られるなよw
806日本@名無史さん:2005/08/24(水) 02:20:19
>>799
扶桑は日本の総称というより、「美称」「別称」の類では。
中国の東海に浮かぶ島に立つ御神木(そしてそれがあるところ)、という意味の
一種のブンガク的な修辞でしょ。ロマンチックで美しい別称ではあるけど、それだけ。
扶桑民族、扶桑魂、扶桑詞(ことば)なんて言うかい。言わんでしょ。
「日本」と交換しうる質量を帯びた「総称」は、ときたら、やっぱり「大和」なんじゃないスか。

ただ、戦艦大和の大和は奈良の旧国名だろうとは思う。そういう命名基準なんだし。
ときは無条約時代に突入、戦雲高まる中、いざ国運を賭けて世界最強艦を造ろうとするのだ、
その命名にはただ基準に則る以上の、何らかの象徴性が込められているはずだ――
とかつい思っちまうが(それがまったく無かったとも思わないが)、これは後世からの視点で
大和を見ている我々が陥る、一種の錯覚なのかも知れない。
世界最強を謳われながら武勲を揚げることも叶わず、華々しくも空しく特攻で散っていった、
戦艦の時代の終わりを象徴する悲劇の艦。たまたまその名が「大和」という、日本そのものの意味をも
内包するものであったため、戦後、日本の敗北と重ねて語られる度にイメージが膨張・暴走し、
つい必要以上の象徴性や運命性が、建造当時まで遡って仮託されてしまった――
個人的にはそう考えているんだけど、どうだろ。
断言してもいいけど、もし大和が「下野」なんて艦名だったりしたら、同じ最期を遂げたとしても
これほど伝説的な色彩を帯びて語り継がれることは無かったと思うっス(栃木に恨みはないですけど)。
807通常の名無しさんの3倍:2005/08/24(水) 03:08:24
大和が連合艦隊最後の戦艦だったらもっと萌えるのになぁ
長門が結局終戦時に一応沈まずに残った唯一の戦艦というのも
なかなかだけど。。大和、武蔵が出来るまでは帝國海軍の旗艦
だったし、終戦後、米軍に接収され核爆弾の実験に用いられたのは
余りにも不憫。大和のように華々しく散って欲しかったね。
しかし、アメリカって世界最初(で最後?)の核爆弾を落とされた国の
戦艦を核実験に使うなんて鬼畜だよまったく。・・・(( ( ( ̄  ̄メ) ) ))
808日本@名無史さん:2005/08/24(水) 10:30:26
大名が転封の際は農民も連れてったんですか?
809日本@名無史さん:2005/08/24(水) 11:08:05
武具などを作る職人集団は連れて行った場合もあるようですが
農民は基本的に土地に縛り付けられた農奴状態でしょう
810日本@名無史さん:2005/08/24(水) 13:10:30
>農民は基本的に土地に縛り付けられた農奴状態

失礼ですが四〇歳以上の方ですか?
えらく古典的な見解ですねw
811日本@名無史さん:2005/08/26(金) 12:33:10
広島県民が投下された爆弾が「原爆」だと知ったのは
いつ頃なんでしょうか?
812日本@名無史さん:2005/08/26(金) 15:55:43
百石取りの下級武士の家(うちの先祖)って、武家奉公人を雇ったりするんですか?
するんなら何人くらいまでが限度ですか?教えてください。
813日本@名無史さん:2005/08/26(金) 18:30:32
幕府の軍役令だと規定上最低ランクの200石で5人(中間など)なので、
100石だと中間が2〜3人かな?
814日本@名無史さん:2005/08/26(金) 18:35:52
あと、藩の規模にもよるけど100石ならお目見え以上の上士(馬廻、平士)なので、
下級武士ではない。
長州藩の高杉が150石、桂小五郎が90石(末期養子なのでもとは150石)だが、
これらは上士。
815日本@名無史さん:2005/08/26(金) 19:43:39
「咎狗の血」はなんと読むのですか?
816812:2005/08/26(金) 23:30:32
>>813 >>814
意外に偉かったんですね。なんかうれしい。
普請役だか作事役だかに勤めてたそうです。土木課長みたいなもんですかね。
817日本@名無史さん:2005/08/27(土) 00:45:59
>>811
長崎の原爆が落ちる直前にアメリカから声明があったらしい
818日本@名無史さん:2005/08/27(土) 08:36:21
>>816
組頭なら大企業の課長クラスだな。
819812:2005/08/27(土) 08:43:49
>>818
そこまでは偉くないと思われます。
820日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:22:48
>>815
おまえは漢和辞書も持ってないのか?
821日本@名無史さん:2005/08/27(土) 18:23:53
http://www7a.biglobe.ne.jp/~ese-japabox/
リングの魔術師、東洋の神秘、骨法矢野卓見道場
822日本@名無史さん:2005/08/27(土) 20:51:16
>>820
おまえの持っている「漢和辞書」には「咎狗の血」という言葉が載っているのか?
823日本@名無史さん:2005/08/27(土) 21:05:59
中国の歴史研究者が、吉田松陰とか江藤新平が朝鮮や清を軍事支配して
勢力化におくという思想を持っていたと言っているのですが、本当に
彼らはそんな思想を持っていたのでしょうか?それに類する考えが
記されている書物があれば知りたいです。
824日本@名無史さん:2005/08/27(土) 22:52:14
>>823
日本の研究者もそういってると思うが…
(というかその中国人の研究者は日本人研究者の説を取り入れただけじゃね?)

吉田松陰については兄杉梅太郎宛書簡(安政二年四月)にその種の考えが出てる。

    魯・墨講和一定、決然として我より是を破り信を戎狄に失ふべからず。
    但、章程を厳にし信義を厚ふし、其間を以って国力を養ひ、
    取り易き朝鮮・満洲・支那を切り随へ、交易にて魯国に失ふ所は
    又土地にて鮮満にて償ふべし。

上記書簡は日本思想大系の『吉田松陰』などに収録されている。

それから、徳富蘇峰の『吉田松陰』(初版、現在は岩波文庫)の第十章も
参考になるはず。

江藤は具体的にはよく知らん
825日本@名無史さん:2005/08/27(土) 22:57:03
>>824
ありがとうございます。
中国が誇張して言っていると思っていたのですが、実際に言って
いるのですね。但し彼らは明治維新後終戦まで、ずっと日本が計画的に
彼らを狙っていたと主張するためにそういう発言をしてます。
この松蔭の発言は日本を植民地化から救う為に行われたと思いますが、
彼らはそこは外しています。
826823:2005/08/27(土) 22:58:04
>>824
すいません。825は私の発言です。
827日本@名無史さん:2005/08/27(土) 23:09:27
柴田勝家の遺児が徳川時代に旗本でいたって本当ですか?

種無し&滅亡の憂き目なのに?
828日本@名無史さん:2005/08/28(日) 00:05:09
このながれならtanaka memo もいけるか?
829日本@名無史さん:2005/08/28(日) 00:26:48
>>825
>ずっと日本が計画的に
>彼らを狙っていたと主張するためにそういう発言をしてます。

維新から日清・日露、そしていろいろすっとばして十五年戦争まで、
「計画的に」行っていたといえるほど、日本人は能力高くないw

けど、「スキあらば」とねらっていた、というのは事実だろうね。
見てきたわけじゃないけどw
それをいうなら、それこそアメリカ自身も中国「進出」を狙っていたし、
英ソ仏独蘭みな一緒。

中国も統一されてたら一緒でしょう。
830日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:17:31
>>822
おまえは
調べたい語句が丸々全部載っていなければ
漢和辞書で調べることもできんのか?

小学生は宿題の残りでも済ませてろよ。w
831日本@名無史さん:2005/08/28(日) 16:34:33
>咎狗の血
何の事かと思ってググってみたら……何だエロゲのタイトルかよ。
サイトはごまんとあるんだからそっちで調べた方が早いだろうに。
832日本@名無史さん:2005/09/15(木) 19:36:14
833日本@名無史さん:2005/09/16(金) 17:47:49
historyや歴史といった言葉の語源や定義について
まず学ぶことをお勧めしたい。
834日本@名無史さん:2005/09/18(日) 11:12:58
質問です。
この上杉謙信像が被ってる被り物の名称を教えて下さい。
http://www.bomb.ne.jp/~au/hisweb/dozo/sengoku/kensin/kensin.jpg
加藤清正の高烏帽子兜とは別物に見えるんですが、これも兜なんでしょうか。

板違いだったらすいません。
835日本@名無史さん:2005/09/18(日) 12:40:29
下に烏帽子みたいなのを被ってその上に布を掛けているみたいだけどな。
名称なんて考えたこともなかったな。
836834:2005/09/19(月) 12:55:15
>>835
ありがとうございます。
言われてみれば烏帽子の様なシルエットが見えますね。
烏帽子+細長い三角頭巾なんでしょうか。
837日本@名無史さん:2005/09/21(水) 11:45:39
とある本で戦国三梟雄に

・北条早雲
・斎藤道三
・松永久秀

…が挙げられていたのですが正解なのでしょうか?
今まで

・斎藤道三
・松永久秀
・宇喜多直家

だと思っていたのですが…
838日本@名無史さん:2005/09/21(水) 19:50:04
世界三大美人に小野小町を入れているのは多分日本人だけであるように、
あんたが好きなの当てはめればいいだけんじゃん。そんなの。
839日本@名無史さん:2005/09/21(水) 22:29:26
>>837
そういう巷での話の内容は間違っていようが、
いくつか種類があろうが学問的には無価値。
840日本@名無史さん:2005/09/24(土) 16:24:29
ハン板から来ました。
第二次大戦、あの戦争が大きな過ちなら、
あの過ちを回避するためにどのような手段があったのでしょうか。
また、そのとき、日本という国は現在、どうなっていたでしょうか。
841日本@名無史さん:2005/09/24(土) 16:40:46
>>840
歴史にIFはないので、
あの「ような」過ちを「繰り返さない」ために
どうすればいいか、を考えた方が生産的だと思う。
842日本@名無史さん:2005/09/24(土) 16:50:18
>>841
では、日本はどの選択に失敗したのかと聞きなおしましょう。
843日本@名無史さん:2005/09/24(土) 17:33:40
>>842
スペインのフランコの真似をすればよかったのでは?
「ドイツがイギリスに勝つ」と思い込んだのが失敗だったわけで。
844日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:21:41
1945年8月15日までをマクロ的に振り返るなら、
少なくともせめて第一次世界大戦の参戦くらいまでは遡らないといけない。
その30年以上分の歴史からどの選択がどのような結果をもたらしたかを考えるなど、
100万ページあるゲームブックのシナリオを執筆するようなものだ。

そんな現実不可能なことをするよりも、それぞれの選択が、
どのような無意識的楽観、希望的観測によってなされ、
そして本当はどういう姿勢で選択すべきだったかを考えるほうが生産的じゃないの。

もちろん100万ページ分のゲームブックから、この選択肢が一番重要だったんだー
とか適当にピックアップして騒ぐのは勝手だけれどね。日本人が日本の歴史について
それをやっちゃあ無責任呼ばわりされても仕方ないだろう。
845日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:57:31
>>844
なるほど、了解。
846日本@名無史さん:2005/09/29(木) 08:51:31
伊万里焼きなど江戸期の輸出品は密貿易ですか?
847日本@名無史さん:2005/09/29(木) 21:56:12
鎖国以降、日本と外国との公式の貿易が皆無とでも教科書に載ってたのか?
848日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:32:04
>>846
ヒント:長崎出島
849日本@名無史さん:2005/09/30(金) 00:04:21
肥前の密貿易は有名では?
850日本@名無史さん:2005/10/11(火) 08:55:34
火牛の計に関する雑学教えてください。
851日本@名無史さん:2005/10/11(火) 11:13:51
なんで昔の人って天皇のために必死だったの?
全知全能の神って思っていたのだろーか
852日本@名無史さん:2005/10/13(木) 02:09:10
実在の人物かどうかもあやふやなんですが、
辻斬り〇蔵っていう(人斬りかも)有名な辻斬り魔いますよね?
なんて名前でしたっけ?
853日本@名無史さん:2005/10/13(木) 02:29:06
>>852
土佐の岡田(人斬り)以蔵
854852:2005/10/13(木) 02:37:48
それだ!ありがとうございます。
855日本@名無史さん:2005/10/17(月) 19:07:51
夢破れて山河あり

って誰の言葉でどんないみでしたっけ?

用法もできれば教えてください
856日本@名無史さん:2005/10/17(月) 20:37:50
857日本@名無史さん:2005/10/18(火) 11:23:41
「国破れて」だろ……
858日本@名無史さん:2005/10/18(火) 23:27:32
国敗れてサンガリア
859日本@名無史さん:2005/10/19(水) 15:09:28
初心者丸出しで失礼します。
お知恵を拝借できればと思いまして書き込みさせて頂きます。

現代でいう「医者」の名称なのですが、
戦国時代には何と呼ばれていたのでしょうか。

「薬師」は薬剤師みたいに薬を調合する人の印象が強く、
「御典医」は何だか将軍付きの医者みたいな感じがするので
どうなんだろう?と禿上がるほど悩んでおります。

もしそのへんがわかりそうな該当板があったらそちらへ移動します。
些細な質問ですが、ご回答の程何卒よろしくお願い致します。
860日本@名無史さん:2005/10/20(木) 01:04:07
江戸時代、身分制度がきっちりしていた中で
武士や農民が自発的に出家することは出来たのですか?
寺も世襲制みたいだし受け皿みたいなものはあったのか、
また、出家がどれくらい一般的だったのかもわからないです
861日本@名無史さん:2005/10/20(木) 20:40:48
江戸時代は真宗以外は世襲制ではない(肉食妻帯が建前的には可能じゃねーんだから)。
現代よりさらに官僚的で移動も頻繁にあると考えたほうがいい。

ただ、廃仏毀釈以前はそもそも寺院ってのが今の何倍も存在し、
本山を持たない在郷の寺というのもたくさんあった。
そこに流れ者の僧が住み着いたというような話はよくあるし、
そういう僧を師匠にして出家する人間もいたようだが、それは身分制の枠外ってことになる。
862日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:21:26
引退して在家で頭を丸める人も多かったみたいだね
863860:2005/10/21(金) 19:19:17
ありがとうございます。
イメージとは違って結構ゆるかったんですね、
勉強になります。
864日本@名無史さん:2005/10/26(水) 16:35:40
日本史初心者です。
何か、これから日本史の勉強を始めるのに、お勧めの本とかありますか?
出来れば一冊で、日本史全体の大まかな流れがわかり、さらに欲を言えば、中高教育にありがちな、左寄りでないものがいいです。
(自分は社会人です。)

最近、外国の人と触れ合う機会があり、日本の歴史を尋ねられたとき、よく答えることが出来ず、申し訳ないことをしました。
次に似たような機会があれば、同じ失敗をしないように、準備したいとおもっています。

よろしくお願いします。
865日本@名無史さん:2005/10/26(水) 21:38:54
日本史初心者が底の方に沈んでいる傍流の質問スレにsageで書き込むことの不思議・・・
866yui:2005/10/27(木) 20:03:32
全8巻・講談社漫画文庫「徳川家康」を読んでいる所で質問です。

今川義元をはじめ、武田信玄もしきりに「上洛」の好機を伺っている
となっておりますが、上洛の意味ってなんですか?

京都御所の天皇と会見して、どうしようというのですか?
室町幕府にかわって将軍の任命を受けて帰ってくるつもりだったのでしょうか?

どうか教えてくださいませ。
867名無し:2005/10/27(木) 20:18:47
質問なんですが、「社会史」って具体的にどういう歴史なんでしょうか??文字からしてなんとなくは分かるんですが…イマイチ分かりませんorz どなたか教えてください。
できれば、どこかの時代を例に挙げて教えていただければ嬉しいです。
868日本@名無史さん:2005/11/02(水) 15:01:20
古代日本に仏教が伝来し、奈良時代にかけて国教化していきましたが、
それ以前の日本の信仰はどのようになっていたのですか?各地に
個別の信仰があって、国教的なものはなかったのでしょうか?
以上宜しくお願いします。
869日本@名無史さん:2005/11/05(土) 03:30:00
>>864
今の俺と全く同じ境遇だぁ

私は色々な試行錯誤した結果、今は
明治時代〜現在までに起こった戦争の名前を検索フォームにブチ込んで
出てきた検索結果を上から順番に読破する手法が一番効率良いという結果になっ
ています。本は選んで買って読んだけどイマイチでした。

外国の人と触れ合うと色々触発されるよネ。
自分の無知さが恥ずかしい、というよりも世界から見た日本人としての自分の立場を
最低限知らなければなんないなーなんて思わされる。
そういうことが原動力になっているのならば、まず最初に過去に起こった戦争を軸に
進めていった方が「とっかかり」として良いという結果になっています。

年代順にまずは日清戦争から。
→日露戦争→第一次世界大戦→満州事変→日中戦争→第二次世界大戦→
870日本@名無史さん:2005/11/06(日) 11:57:09
……ネットの情報はあまり信用しない方が……
871日本@名無史さん:2005/11/06(日) 22:46:26
明治時代の沖縄について調べています。
どうしてもわからないんですが、「脱清事件」とは何でしょうか?
872日本@名無史さん:2005/11/07(月) 04:35:19
日本統治時代の朝鮮に義務教育ってあったんですか?
873日本@名無史さん:2005/11/07(月) 13:52:03
共産主義
社会主義の意味を教えていただけないでしょうか?
よく上の二つはだめだとか共産主義者から独裁者がでてくるからとかって話を聞くけどなぜですか?
874日本@名無史さん:2005/11/07(月) 13:58:32
>>872
ない。
在朝鮮の日本人は義務教育だったらしい
875日本@名無史さん:2005/11/07(月) 14:08:42
>>864>>869=その他

日本史板を追い出されて、世界史板でも馬鹿にされている
バカウヨの天皇オタ
876日本@名無史さん:2005/11/08(火) 17:54:14
>>789
ただ、関白は天皇の代理人だから、朝廷の会議には正式には参加できない(天皇と同様に発言権がない)。
だから、天皇から疎んじられた関白は太政大臣同様に権力はない。
となると、むしろ左大臣の方が権力があったりもする(藤原道長があえて一条・三条両帝の関白にならずに左大臣でいたのもそのせい)。
877日本@名無史さん:2005/11/08(火) 20:34:40
>>864
>>869
日本史からみた日本人 昭和史編 古代編
渡部昇一 著  祥伝社

一部分だけ読んでも いける。他のモノ書きでは得られない切り口ばかり。
しかもこの本書かれたのかなり古い本で、今現在の時勢でも違和感無い。
878日本@名無史さん:2005/11/09(水) 12:18:36
>>877
渡部昇一は昔読んだ本で世界史の知識は無いことに気づいたので、以来読んでいない。
879日本@名無史さん:2005/11/09(水) 12:25:42
>>695-697
回答が出なかったようなので、8/15の朝刊は放送ぎりぎりまで極秘にして正午以後に配達するようにというお達しがあった。
880日本@名無史さん:2005/11/09(水) 14:47:20
>>877
21世紀の今でもファンがいたということにちょっと驚き。
881& ◆nye8ldvzo. :2005/11/09(水) 15:37:03
天武天皇について教えてください。
なぜ壬申の乱を起こしたのか。
乱を起こさないと天皇になれなかったのでしょうか?
天智天皇の実弟でありながら生年不明、大化の改新でもあまり登場せず、
天智天皇の晩年から壬申の乱までの行動が不可解です。
882日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:42:41
>>881
天智天皇は晩年、長子である大友皇子の後継を目論み、政治的最高位太政大臣を新設して彼を任命し、
左右の大臣に蘇我・中臣をつけて、彼の政治的基盤を安定させようとし、
逆に大海人皇子は政治から疎外される形となった。
もともと天智天皇は彼の片腕として政治手腕を振るっていた大海人皇子を後継にするとしていたのに、
大友皇子が成人するとこのような行動をとったため、二人は対立。
その後、病床の天智天皇は後継問題を憂慮して皇位を大海人皇子に譲るとしたが、
大海人皇子はこれまでの経緯からその真意をはかりかね、さらに陰謀を知り、これを拒否、
難を避けるように出家して吉野に引きこもった。
(天智天皇は自分の意図の妨げとなる者を容赦なく排し誅する人物であったため、皇子は身の危険を感じたと思われる)
そして天皇が崩御すると、天智天皇の政治に不満をもっていた皇族や豪族達(天皇によって政治から疎外された者達)
の支持や後押しもあり、政権を奪取する為にクーデターを起こした。
ここで乱を起こさなければ、中央政府にいる大友皇子がそのまま政権を握り形勢を決定的なものとするのは必至で、
そうなれば大海人皇子は大友皇子に太刀打ちできなくなり即位や政権を握る事が事実上不可能となるので、
そうなる前の不安定な時期に先手を打って乱を起こしたと思われる。
883日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:46:49
政治的な対決、色恋沙汰説。昔から色んな説がある。

ただ言えるのは、当時は嫡子が相続していたのではなくて、
特定の氏族が背後にあったり、政治的に有能な皇子が自ら勢力争いに勝ったりして
皇位についていたわけで、飛鳥時代によくあったその手の勢力争いのひとつだということ。
884881:2005/11/10(木) 13:47:41
レスありがとうございました。
ついでにもう一つ。
乙巳の変で、大海人皇子の名前が出てきませんよね。
中大兄皇子の実弟であるにも関わらず、変に参加していない。
常識的に考えれば、兄を助けるのは当然ではないかと。
変当時は、まだその年齢に達していなかったのでしょうか。
また、大化の改新では中臣鎌足とともに中大兄皇子の右腕、と言われていますが
百済戦以前は殆ど名前が出てこない。
彼が表に出てくるのは天智天皇の治世になってからだと思うのですが、
私的に謎の多い人物です。生年不明というのが一番の謎です。
885日本@名無史さん:2005/11/10(木) 14:52:40
>>882
大海人皇子が皇太子になったと言っているのは大海人の実の息子の舎人親王が編纂した「日本書紀」であって史実かどうか疑う声もある。
「懐風藻」は大友皇子が皇太子だったと記しているわけだし…。
886日本@名無史さん:2005/11/10(木) 14:52:50
謎が多いも何も、実質的に日本書紀くらいしか文献が無くて、
しかもそれは天武天皇直系の人間がまとめてるんだから本当のところはよくわからないのは当たり前。
(文章の信憑性をひとつひとつ確認していく学問的な作業を軽視しているわけではない)

問題は天武天皇に関する異説を唱えている人間。
彼らは「日本書紀は嘘を書いている」といいながら、
自分の説が依拠するところは結局日本書紀が中心になるわけで、
変形「クレタ人は嘘つきだ」パラドックスにハマっててワケワカラン。
887日本@名無史さん:2005/11/12(土) 17:20:31
江戸時代の訴訟の統計みたいなのが出てる史料てあるんでしょうか?
明治の警察白書みたいな感じので。知ってる人いたらお願いしまっす。
888日本@名無史さん:2005/11/12(土) 17:37:02
888get!
889日本@名無史さん:2005/11/12(土) 17:39:29
>>886
日本書紀と異なる歴史記述の史料って、

扶桑略記


というのがありますよ、いちおう。
890日本@名無史さん:2005/11/12(土) 21:21:51
扶桑略記はすでに日本書紀を参照して記述してるし、
日本書記の内容を大きく否定しているわけでもない。二次資料として価値が無い訳ではないが。
891日本@名無史さん:2005/11/15(火) 01:03:02
最近、工房以来20年ぶりくらいに日本史に興味を持ち始めました。
手頃なところと思って岩波の日本の歴史(井上清著)を古本屋で見つけて読んでみたら、最初から
支配者vs被支配者の観点で書かれていて、正直言って歴史書というより思想書みたいに感じて
読むのを上巻で挫折しました。
ググって見たら戦後左翼知識人の代表(「井上清氏を悼む」灘本昌久より)らしいそうで納得しました。でも

1,1963年以降刷を重ねているようですが、新しい事実が次々と明らかになっている現在
 この本に書かれている事はどの程度認められ、支持されているんでしょうか?
 この本も大学近くのブクオフで見つけたもので、書き込みもあって、講義で使われていたようです。
2,自分の本家は今でも百姓をしていますが、百姓と言う仕事に誇りを持っており、小さい時から
 そのことを聞かされていた自分にとっては、自分の祖先が(著者が言うところの)奴隷と同じような生活を
 送っていたと思うと、、やりきれない思いになってきました。同じように感じた人はいませんか?
3,現在、農業や百姓仕事が敬遠されるようになったのは、上記のような点にも原因があるんじゃないかと
 感じた(祖先に誇りを持てない。百姓=惨めな生活と思う。)のですが、庶民=被支配者が生み出した
 誇るべき文化や生活があったはずです。そのような視点で書かれた本はないのでしょうか?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1096636437/等も見たんですがマルチになるので
 こちらにまとめて質問しました。
4,1にも書きましたが、最近は新しい発見がテレビでも時折紹介されていますが、
 それが定説になったのか、依然として一説に過ぎないのか全くわかりません。
 それを見分ける何か良い方法はありませんか?
どなたか助言お願いします。
892日本@名無史さん:2005/11/15(火) 01:17:07
sageで非主流の質問スレに書き込むってのは
釣りなんだろうな・・・
893891:2005/11/15(火) 12:45:54
>>892
自分のことですか?釣りじゃないです。
sageだったのはJaneの初期設定のまま書き込んだからです。

思想書みたいに感じたのは、手持ちの電子辞書の日本史事典等で
「奴隷制」を調べたら、日本に奴隷制が存在したのかどうかは意見が分かれている
みたいに書かれていたのに、井上氏は「奴隷」であると言い切っている点に
思想書みたいに感じたのです。
4に書いているように、初心者として、定説なら定説、依然として異説があるなら
両論を併記されてるのような歴史書と違うと感じたから質問しました。
894日本@名無史さん:2005/11/15(火) 12:47:08
また、sageで書き込んでしまったorz
895日本@名無史さん:2005/11/15(火) 13:18:34
なんか
>庶民=被支配者が生み出した
 誇るべき文化や生活があったはずです。
こういう言い方、結局あんたも「支配者vs被支配者」の図式受け入れちゃってんじゃねーの、という気もするけど。
まあ網野善彦あたり読んでオナニーすればいいんじゃない?
896日本@名無史さん:2005/11/15(火) 13:21:11
>>891

まずはその質問に対する前提として。
思想書とかそういう問題以前に、
歴史学の潮流(史学史)というものを考えなければなりません。

'60年代というのは、マルクス経済学(史的唯物論・発展段階論)が
歴史学を支配していました。

ですから、左翼・右翼問わず、そういう支配ー被支配(上部構造ー下部構造)
の視点からの研究は多数有りました。

現在はソ連の崩壊などによりそういった視点からは解放されていますが、
重要なことは、その時代の研究の全てを否定してはいけないということです。

「批判的に継承する」姿勢が重要だと思います。
897日本@名無史さん:2005/11/15(火) 13:41:34
>>896続き

1「どの程度」という曖昧な質問では答えにくいです。.
 上にも書きましたが、まだ学会で通用する説もありますし、
 完全に否定されたものもあります。
 できれば具体例を挙げて質問してください。
 あと、概説書と研究書との違いも考えてみると良いかと思います。

2.深谷克己『百姓成立』(塙書房)以降、
 百姓と領主の関係も、一方的な上からの強制ではない
 と考える研究が増えましたので、私自身はそう感じておりません。
898日本@名無史さん:2005/11/15(火) 13:43:00
>>897続き


3.現在の問題と前近代の問題を一緒に考えるのはちょっと問題があるかもしれません。
 現在は、近世よりも多様な業種や価値観があるわけですから。

 本については、網野善彦氏の著作 (とりあえずは岩波新書の『日本の社会史』)
 から入られるのがよいかもしれませんね。
 
 あとは、以下のスレであげられている各社の『日本の歴史』シリーズをお読みになり、
 興味を持たれた点に関しては、そこにある参考文献を読んでみてください。

 各社の『日本の歴史』シリーズ
 http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1092658142/l50

4.「歴史学に定説はなし」という話がありますので、定説とか
 一説に過ぎないとかいうレベルで語るのは問題があります。

 ただ、学会でどの程度支持されているかという尺度はあるかと思います。
 これも一般論で語るには難しいので、
 具体例を挙げられれば、それが学会で支持されているのか答えられるかもしれません。

 なお、ジャーナリズムにおける歴史の扱われ方は、一種のエンターテイメントですから、
 センセーショナルなものが多いです。
 それが論文として学術雑誌に発表されていない説もあります。
 
 それらを見分けるためには、やはり大学などで専門教育を受けるしかありません。
 最新の研究論文の探し方とか、実証の方法とか、歴史学のノウハウがないと難しいです。
899日本@名無史さん:2005/11/15(火) 19:39:33
>>896さん、レスありがとうございます。
>'60年代というのは、マルクス経済学(史的唯物論・発展段階論)が歴史学を支配
>ジャーナリズムにおける歴史の扱われ方は、一種のエンターテイメント
>「歴史学に定説はなし」という話があります
専門家は常識かも知れませんが、そうでない人間にとって、目から鱗の言葉だと思います。
トンデモ番組と言われるかも知れませんが、日テレの、世界一受けたい授業の歴史編を見て
家族や知人と話して出てきた言葉は「最近の歴史はコロコロ変わって、全然わからん」でした。
でも、「歴史学に定説はなし」と思っておけば混乱しなくて済みますね。

自分は理系ですが、結論を導くのに「事実」と「解釈」を区別せよという事を教えられました。
自然科学の分野でも著者の意向によって色々な説が出てきますが、特に歴史学の場合は
追試が不可能なだけに余計に著者の解釈=思想が反映するのかなと思いました。
最近の中韓との「歴史認識問題」も「事実」と「解釈」を混同して議論している点に問題も
あるのではないかなと思いました。

>>895さん
>「支配者vs被支配者」の図式受け入れちゃってんじゃねーの
>オナニーすればいい。
私はレス中に、井上氏の考えに全面的に反対するとも、かといって全面的に賛成するとも
書いていませんが、読んでいて気持ちが萎えてきたのは事実です。
あくまでも「奴隷と言えるような生活があっても」という意味で質問したものです。
私は「事実」を知りたいと思っています。オナニー=自己満足のつもりはありません。
ただ、>896さんも同じ網野善彦氏の著作を薦められているので、読んでみます。
900日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:14:21
>>899
>特に歴史学の場合は
追試が不可能なだけに余計に著者の解釈=思想が反映するのかなと思いました。

歴史学とは常に文献、遺跡などありとあらゆる史料に基づいて研究されます。
つまり、歴史学で論文の提出なり何らかの主張なりをする場合は、
必ず根拠となる史料とその解釈がセットである必要があります。
その史料を多数の他の研究者が再度検討することで、歴史学においても追試は可能です。
もっとも所詮は過ぎ去った過去の話ですし、いくら多数の研究者が検討しても、
内容の妥当性を確実に判断できるわけではありません。
ただ、すべての正解が見つかるわけではないのは他の自然科学についても同じことでしょう。

また歴史学はその研究範囲の膨大さに比べると研究者が圧倒的に不足しています。
史料に基づかないような主張などは、正直ハナから相手にしていられない。
→結果として適当に作られた異説が広まりやすいという要素を持っているとは言えます。
901日本@名無史さん:2005/11/22(火) 16:25:55
一、惣の所有地と、個人の土地の境線の争いは金で解決する事
一、村を囲ってある塀から東は、屋敷にしかならない
これと
一、けんかをしたものは、理由はともあれかならずこらしめるべきである。

この2つってなんでしょうか?
902日本@名無史さん:2005/11/22(火) 16:26:48
スマソ。あげときます。
903日本@名無史さん:2005/11/22(火) 17:00:08
どなたか・・・
904日本@名無史さん:2005/11/23(水) 06:22:20
日本における韓流ブームの歴史を教えてください
905日本@名無史さん:2005/11/23(水) 07:48:17
>>904
宿題ぐらい、己の手でやったらどうだ?
906日本@名無史さん:2005/11/24(木) 12:45:46
韓国とNHKの癒着を調べてみてください
907日本@名無史さん:2005/11/24(木) 17:29:31
古代の天皇は長生きすぎで、
天皇の存在は誰から正確な西暦と一致するのですか?
908日本@名無史さん:2005/11/24(木) 17:43:49
>>907
神武天皇
909日本@名無史さん:2005/11/24(木) 17:54:20
>>907
神武は長生きすぎで違うでしょ
910日本@名無史さん:2005/11/24(木) 17:58:55
戦前の学者ですら、古代の天皇の年齢や紀年があてにならないことは認めてる。
明治の那珂通世以来、神武紀元が創作ってことは史学界の常識、定説。

ちなみに那珂や神武実在説を取る学者の多くは、神武天皇を紀元1世紀頃の人物と
考えている。1世代を平均30年とみて、推古朝くらいから逆算するとそうなる。
911日本@名無史さん:2005/11/24(木) 18:02:20
ただし、記紀の天皇系図は応神まで父子相続が不自然に続いているので、実際には
その間も兄弟相続があったとみる考え方もある。

また、世代の平均年数ではなく在位の平均年数から、推古朝以前は平均10年とみて、
神武を3世紀後半の人物とみる考え方もある。ま、これは安本だがw
912日本@名無史さん:2005/11/24(木) 18:05:33
古事記の崩年干支と日本書紀の紀年が大体一致するのは6世紀以降。
雄略天皇ですら、古事記と日本書紀で10年の差がある。
913日本@名無史さん:2005/11/24(木) 19:09:08
何で平安初期に仏教革新運動がおこったの?
914??:2005/11/24(木) 19:20:19
日本史大好きっ子な皆さんに聞きたい事があ〜る。
江戸幕府が諸大名を統制する上で用いた施策ではないものはなにか。
ア.普請役 イ.改易 ウ.地方知行制 エ.軍役 オ.参勤交代
どれなんでしょうか!?
915日本@名無史さん:2005/11/24(木) 19:25:52
歴史ってどれぐらい真実なんでしょうか 少しは誇張されてるのでは
916日本@名無史さん:2005/11/24(木) 21:47:09
率爾ながら御伺い致し度き儀、これあり。
『甲子夜話』に芝高輪の貧乏医者に「化け物振る舞い」をして
からかったとかいう「松平南海候」というのは、どなたのことを指している
ので御座りましょうや?
只今、手許には柴田宵曲『妖異博物館』(ちくま文庫版)しか御座居ませぬ。
その開巻第1話「化物振舞」の項(16頁〜)に、
この松平南海候の史譚が載って居ります。
国史に通ぜぬ門外漢のこと故、分かり易く御教示たまわり度う御座居ます。
何卒よしなに御頼み申し入れまする。
917日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:31:10
失礼します。
突拍子もない質問なのですが、
甲州金金座の松木家と
甲州から駿河に移った商人の松木家、
この二つは何らかの繋がりがあるのでしょうか?

あと、もう大分昔のことなので
うろ覚えもいいとこなのですが、
確か九州の方の藩の人だったと思います。
藩の財政の立て直しに失敗し、
自ら毒を飲んで自殺したという人を
ご存知ないでしょうか?

よろしくお願いします
918日本@名無史さん:2005/11/25(金) 01:21:59
>>917
上段
あると言えばある
ないと言えばいない。
武士の家系が平氏か源氏に繋がるのと同じ

下段
財政の立て直しに失敗はしていないが、
密貿易が幕府にばれて服毒自殺したのは、
薩摩藩の調所広郷。

財政再建の立て直しに失敗して服毒自殺した人は
聞いたことがないなあ。
919日本@名無史さん:2005/11/25(金) 06:08:23
>>915
ヒント:勝者の歴史
920日本@名無史さん:2005/11/25(金) 06:28:52
>>918
ありがとうございます。
疑問が解けました
921日本@名無史さん:2005/11/25(金) 12:32:41
この文書の途中からがわからなくなってしまいました・・・。
「右常盤橋御門北之方に之有候処、御用地・・・」
まではわかったのですが、画像にして見ましたのでお力添えをお願い致します。

ttp://freett.com/acho002/1.jpg
922日本@名無史さん:2005/11/25(金) 13:14:27
3さんと現役学部生と旧帝大の修士課程の人は
どうして逃げ回っているんですか?
近世の天皇でも論破されたからですか?
義経が頼朝の怒りに触れても院宣の力で大活躍していたと言ったからですか?
923日本@名無史さん:2005/11/25(金) 19:13:56
質問なのですが、
792年に健児が採用されたときに
どうして佐渡では軍団が廃止されなかったのでしょうか?
924日本@名無史さん:2005/11/25(金) 19:19:53
925日本@名無史さん:2005/11/25(金) 19:21:24
どういう意味なんでしょうか?
926日本@名無史さん:2005/11/25(金) 23:42:05
923です
どんなささいなことでもいいので
回答をよろしくお願いします
927日本@名無史さん:2005/11/25(金) 23:55:36
>>921

右常盤橋御門北之方ニ之有候処、御用地ニ相来、於北伝
馬町替地被下置、暫相続罷在候、只今薬師堂前と唱候場
所門前ニ而御座候、明暦三年類焼ニ付、寺地浅草只今之
所拝領仕、万治元年真退代卒以下寺中八ヶ寺共引移申候、
當寺草創慈覚大師、開基光尊阿闍梨、其後之歴代相知不

なお、片仮名の”ニ”は、
平仮名の”に”に直さない例が多いです。
928日本@名無史さん:2005/11/26(土) 04:45:46
基本に忠実に新潟県史を当たってみてはいかがでしょう

佐渡市史は未編纂かな?見当たらない
929日本@名無史さん:2005/11/26(土) 19:29:14
回答ありがとうございます
新潟県史を見たのですが、目新しい回答は載っていませんでした
どんな小さなことでも、自分の意見でもいいので
回答をよろしくお願いします
930日本@名無史さん:2005/11/26(土) 19:58:46
ん〜私見だけど
・運用経費がかさむ軍団を廃止し少数の健児
・大宰府・東北・佐渡は防備のために軍団を残す

これが前提にあるわけだから
「佐渡は接敵しているか?」が貴方の疑問だよね
8世紀前半には秋田城が出来ているわけだから
最前線とは言いがたい土地です

・当時の「日本」の境界線論
・海からの東北制圧の要地
阿倍比羅夫が658年に大船 団を率いて,顎田(秋田)に上陸します
佐渡はこの頃、中継地点の一つだったかもしれません

境界線論については
講談社日本の歴史14「周辺から見た日本中世」に何かあったような
(ごめん手元に無いです)
931山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/11/26(土) 21:18:24
時代はぐっと下りますが、『源平盛衰記』や真字本『曾我物語』では、共に
日本国の北の果ては佐渡島とされています。
『今昔物語集』には、異国人が佐渡に来て幻術を披露した話があります。
13世紀の「日本図」と呼ばれる地図でも、佐渡はややずれた位置にあり
ました。境界線上という事で、概念として防備を置いたものやも。
実際に戦いに備えたものでは無いでしょう。
932日本@名無史さん:2005/11/26(土) 22:11:08
レスありがとうございます
私的な意見としては、佐渡は流刑の地だったので
軍団が廃止されなかったという考えしか浮かばなかったので
大変参考になりました

佐渡で軍団が廃止されなかったという史実は
はっきりとした答えはないそうなのですが
みなさんはどの意見が最も有力だと思われますか?
933日本@名無史さん:2005/11/27(日) 12:54:14
専門外ですが・・・
流刑地には流刑民しかいないとお考えで?
934日本@名無史さん:2005/11/27(日) 13:01:28
http://blog2.fc2.com/fukuji1134/
このブログの謎がとけるかな?
935日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:41:19
>934
日本史の質問が見当たりませんが?
936日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:37:22
>933
流刑民同士が手を組んで反乱を起こすかもしれないとおもったのです
937日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:49:08
>>932
佐渡で、と考えるから分からなくなるのです。792(延暦11)年に、
「陸奥・出羽・佐渡及び大宰府管内諸国」を除き廃止されました。
「」内の諸国の共通点を考えれば答えは自ずから明らかでしょう。
938日本@名無史さん:2005/11/27(日) 20:52:27
>>936
その有名なものが明治維新時におきたもう一つの維新
「隠岐維新」。
隠岐自治政府を立てた。
939日本@名無史さん:2005/11/27(日) 21:03:41
史実を書きとめる職業の人をなんて言いますか?
940日本@名無史さん:2005/11/27(日) 21:05:20
>>939
歴史編纂官
941939:2005/11/27(日) 21:07:51
>>400
早い解答ありがとうございました。助かります。
942日本@名無史さん:2005/11/27(日) 21:09:11
↑すみません。間違い
>>940さんです
943日本@名無史さん:2005/11/28(月) 02:08:07
蘇我蝦夷ってもともとは蝦夷の人間だったんですか
944日本@名無史さん:2005/11/28(月) 02:44:21
違う、大和の豪族。名前と出身は関係ない。
945日本@名無史さん:2005/11/28(月) 07:09:05
蘇我毛人の当て字のほうが定着
946日本@名無史さん:2005/11/28(月) 12:17:13
>>943
一説には蘇我蝦夷の名前を貶めるために東北の先住民に意図的に当てたという説がある。

ところで大坂城が立っていたのは江戸時代以前の郡制度では東成郡と西成郡のどちらの地域に該当するのかが分からないのですが…。
947日本@名無史さん:2005/11/28(月) 13:11:50
>>927
わ!全文やっていただけるとは・・・ありがとうございます!
大変助かりました!本当にありがとうございます!
948日本@名無史さん:2005/11/28(月) 15:51:20
3さんと現役学部生と旧帝大の修士課程の人は
どうして逃げ回っているんですか?
近世の天皇でも論破されたからですか?
義経が頼朝の怒りに触れても院宣の力で大活躍していたと言ったからですか?


949日本@名無史さん:2005/12/09(金) 13:52:49
大正さんの生母「早蕨典侍」こと柳原愛子の実家たる
柳原家の当主は今日では松平家の血統になってしまっている
と聞いたことが御座居ます。
いったい此の松平家というのは、どの系統の松平の出身で、いつから
如何様な事情で柳原家を継承するようになったのか教えて頂けませんでしょうか?
国史音痴の私にも理解出来るように易しく御教示下さいませ。
なにとぞ宜しく。


950日本@名無史さん:2005/12/09(金) 14:30:57
歴史上で最も可哀相な人物って誰ですか
出来れば詳細も
951サダヲ:2005/12/09(金) 14:36:01
>>950
出来れば可哀想の基準を
952950:2005/12/09(金) 14:44:30
言うとしたらたくさん苦労(天皇や幕府に仕えてたり)したのに
報われなかったという人物で
953日本@名無史さん:2005/12/09(金) 16:29:02
苦労したのに報われない人間なんか、古今東西、数多いる。
954日本@名無史さん:2005/12/09(金) 16:48:37
>>950
ちょっとニュアンス違うが、参考スレ。
☆★過小評価の歴史上人物★☆
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1104728328/l50
955日本@名無史さん:2005/12/09(金) 17:03:59
武将の系譜が調べられるサイト教えてください
前にどっかで見た気がする
956日本@名無史さん:2005/12/09(金) 21:13:15
ttp://www2.odn.ne.jp/~caj52560/danzaemon.htm

このページに
この東光院は家康の臣の内藤清成の書いた<天正日記>にも弾左衛門屋敷内とあり
とあるますが、天正日記を見てもそういった記述は見つかりません。
東光院の文字はありますが、上記の記事ではありませんでした。
どなたかご存知の方はいらっしゃいませんか?
私の読んでいる天正日記は続々群書類従のものです。
957日本@名無史さん:2005/12/18(日) 03:08:27
廣田が総辞職した後に宇垣将軍に大命が下りましたが、
その時宇垣内閣(予定)の名簿というのは公表されているのでしょうか?
結局陸軍の反対で組閣できませんでしたが、陸相以外のポストについてある程度の内定者がいたのかどうか。
958オオクワ専門さん ◆4Xpr5jXA2A :2005/12/19(月) 11:23:50
次スレ立てたから移動してくれ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1134958894/l50
959日本@名無史さん:2005/12/19(月) 15:11:04
>>958
まだ早ぇよ
960日本@名無史さん:2005/12/19(月) 15:15:03
徳永家康は何歳で死んだんですか?
961日本@名無史さん:2005/12/19(月) 15:21:55
>>960
誰それ?
962日本@名無史さん:2005/12/19(月) 16:03:38
徳永のおじいちゃん
963日本@名無史さん:2005/12/19(月) 18:45:58
日本史Aと日本史Bの違いを教えてください!
964日本@名無史さん:2005/12/19(月) 19:31:14
>>963
学校の先生にでも聞きなさい
965日本@名無史さん:2005/12/19(月) 20:26:58
 小室直樹氏にはまってる内に、平泉 澄「日本の悲劇と理想 」って言う本を読みました。
文語体で読みおわるまで疲れました。講談社学術文庫 から発行されてる物語日本史もあんな文体でしょうか?
教えて下さい。宜しくお願いします。
966日本@名無史さん:2005/12/22(木) 13:33:26
江戸時代初期(家光の頃)について質問します。
@三味線の糸は、何が素材なんでしょうか?今と同じですか?
  強度は1本何キロくらいまで耐えられるんでしょうか?
A駕篭かきは夜などに客を乗せる時、提灯を持ったりするんでしょうか?
Bこの時代に鹿威しはあったんでしょうか?
967日本@名無史さん:2005/12/22(木) 14:32:46
江戸時代がいつまで続いたのかについて質問します。

一般的には大政奉還や王政復古の大号令までだといわれていますが、実は江戸幕府は存在していて、江戸幕府滅亡は翌年の慶応4年4月11日じゃないでしょうか?
968日本@名無史さん:2005/12/22(木) 14:37:05
江戸幕府が続いていたとしても江戸時代は大政奉還で終わりとする。
969日本@名無史さん:2005/12/23(金) 12:37:56
浅野吉良のイジメの話ですが、そのモデルとなった高家と接待役の話があった
そうですが。教えてくだされ。
接待のときは耐え忍んで後になって刺し殺したらしいんですが。
970日本@名無史さん:2005/12/25(日) 17:14:30
王政復古大号令で征夷大将軍という役職が廃止された以上、幕府は存在しない。
971日本@名無史さん:2005/12/25(日) 17:32:15
>>970
幕府は征夷大将軍でなくても開ける。
972日本@名無史さん:2005/12/25(日) 17:53:13
>>970
朝廷官制が変わった以上、征夷大将軍を開ける他の役職も全部廃止になっただろう。
973日本@名無史さん:2005/12/26(月) 11:10:48
征夷大将軍じゃなくても幕府は問題ないが、王政復古大号令には「摂関幕府ヲ廃シ」というのがある
974日本@名無史さん:2005/12/26(月) 11:26:09
大号令が一方的に発布され、それを幕府が飲んだのが江戸城開城の時(慶長4年4月11日)だってのなら、
>>967の疑問もあるかもしれないけど、大政奉還を上奏してるからねぇ
975日本@名無史さん:2005/12/29(木) 18:53:13
旗本と小名の違いについて教えてください。
976日本@名無史さん:2005/12/29(木) 18:58:27
大名・小名と併記した場合、小名は小領主に対する俗称にすぎない。
大名も幕府の法令・公文書では「万石以上の面々」といった表記が多い。
977日本@名無史さん:2005/12/29(木) 19:10:25
大政奉還しても将軍を辞職したわけではなく、当面の政務を委任されているから、
王政復古の大号令までは幕府は継続しているとみてよい。

王政復古による幕府廃止も新政府の一方的宣言にすぎず、実態をともなっていない。
依然として全国政権としての幕府は存続しているし、外交権も掌握していた。

幕府が自ら全国政権であることを否定して、一大名としての徳川家になったのは、
各総裁を譜代大名の老中から旗本に改めた2月以降であろう。
978日本@名無史さん:2005/12/29(木) 19:16:55
ただ、建前としては王政復古後は「旧」幕府である徳川政権であり、
それが2月までは内外に対し全国政権としてふるまっていたということだろうな。
979山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/29(木) 20:05:26
>>965
口語です。しかし、日本史をやる以上、寧ろ文語に慣れていた方が有り難いですよ。
980日本@名無史さん:2005/12/31(土) 18:06:02
>>965
この時分に平泉とは…。
981のぅねむ:2005/12/31(土) 18:40:23
既出やったらスイマセン。条坊制と条理制の違いについて、わかりやすくお願いします。
982日本@名無史さん:2006/01/01(日) 02:35:37
>>453
遅レスだが、
中国に小麦が伝わったのは、前漢の武帝の時代に「シルクロード」が開けた以後というのはほぼ定説。
従って、麺が出来たのは相当後の時代(最有力は(中国の)南北朝時代)。
983日本@名無史さん:2006/01/01(日) 13:45:09

新年の風習はいつからはじまったのですか???
年賀状・おせち・たこ揚げ・初詣など
984日本@名無史さん:2006/01/01(日) 14:11:48
>>983
年賀状についてはこちら
つ ttp://www.ikegamigakuin.ed.jp/hitokoto/kocho/sho/sho32.html

おせちは奈良時代に中国から伝わった
五節(人日(1/7)、上巳(3月3日)、端午、七夕、重陽(9/9))
に祝い料理を出す習慣が元旦のみ残った物で、
現在のようにお重に入れるようになったのは江戸時代も後期に入った文化文政以降らしい
(が他の説もある)
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~sstudio/2.html
ttp://www.shufu2.jp/season/osechi/osechi1.html

たこあげ、初詣は他の方よろしく
985日本@名無史さん:2006/01/02(月) 04:41:39
今ヤンマガでやってるセンゴクという漫画の主人公の
仙石秀久について簡単に教えてください
986日本@名無史さん:2006/01/02(月) 15:03:46
遣隋使派遣の意義とはなんだったのでしょうか。
987日本@名無史さん:2006/01/03(火) 00:25:00
>>985
ttp://www.google.com/search?hl=ja&q=%E4%BB%99%E7%9F%B3%E7%A7%80%E4%B9%85&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

高知県では長宗我部衰退の原因を作った人物として非常に評判が悪いらしい。
武将としてさしたる功績がないにも関わらず世渡り上手で何度も復活し江戸時代にも大名に返り咲き
そのため評判は良くない。
988日本@名無史さん
>>987
無謀な作戦を立てて多くの兵を死に至らしめ、
自分は四国まで逃げ帰る。

こんな奴がなぜ漫画の主人公になれるのか全く理解できん。