154 :
世界@名無史さん:2005/06/13(月) 22:08:17 0
>>128,133
池内宏『元寇の新研究』(全2冊),東洋文庫,1931
高句麗,新羅は朝鮮民族じゃないんですね
何時から朝鮮民族が現れたんですか?
統一新羅
157 :
世界@名無史さん:2005/06/22(水) 13:19:05 O
アヘン戦争からの中国史をビジュアル的に見れる本ってありますか?
『図説 中国近現代史』という本以外で何か知っていたら教えて欲しいです。
158 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 02:48:52 0
北方民族の征服王朝は、中原平定後に
万里の長城の取り壊しを命じたことはなかったのですか?
外堀を埋める、ではないですが、恭順のしるしとして撤去させてもおかしくなさそう。
159 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 09:21:46 0
中国で皇帝を退位した方を何と呼びますか?
日本では上皇ですが。
>>159 基本的には太上皇帝や、太上皇。
ただ例外も何個かあり、戦国趙の武霊王は主父と称し、
また北周の宣帝は天元皇帝を名乗った。
北周の宣帝は自分を天と称したり、自分からの勅令を天勅、天詔と言ったり、
天という言葉が大好きな人だったようだ。
>>158 元朝の時はあっちゃこっちゃに穴を開けて通行可能にしてたらしいが。。。
あれだけのモノを組織的にぶっ壊そうとするとかえって色々としんどい所(労力とか)が多いから、
穴開けるだけで満足したんじゃ。
実際、清朝は明朝下で再建されてゴツくなった万里の長城をぬっこわしてないし。
後、時代の移り変わりで万里の長城にもきちんと整備された時期と、
あっちゃこっちゃに穴が開いて余り意味を成さなくなってた時代があるわけで、
当然、後者の場合取り壊しを命ずる必要も無いと思われ。
163 :
158:2005/07/24(日) 01:00:41 0
質問させてください。
人類が戦争をしなかった期間って一番長くてどの位でしょうか。
国内の紛争も戦争に含めるとすればでお願いします。
アウストラロピテクス同士のケンカとかは含めるんでしょうか?
「清官で三代」とはどういう意味でしょうか?
不正をしない官僚でも三代暮らせるほど給与が良かったということでしょうか?
それとも、
不正は誰でもやっていて三代暮らせる程度の不正蓄財は大した事じゃない、清官の部類に入る。ということでしょうか?
>>166 言葉通りとらえると、前者の「不正をしない官僚でも三代暮らせるほど給与が良かった」。
ただ、ニュアンス的には後ろに「いわんや、不正をするものをや」が隠されて、
そういった大多数の私服を肥やす官僚達が、どれだけ私服を肥やしていたかを現している
ありゃ、言葉がだぶった
△そういった大多数の私服を肥やす官僚達が、どれだけ私服を肥やしていたかを現している
○そういった大多数の私服を肥やす官僚達が、どれだけ荒稼ぎしていたかを現している
169 :
166:2005/07/28(木) 21:32:31 0
>>167 「不正しないでも十分やっていけるはずなのに、もまいらまだ欲しがるのか」
ということですね。
どうもありがとうございます。
170 :
世界@名無史さん:2005/07/28(木) 23:22:22 0
すいません世界史質問スレのも書いたのですが、内藤湖南の唐宋変革論とはどのようなものか大雑把でいいのでおしえてください!
171 :
第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2005/07/28(木) 23:31:32 0
>>170 あなたには授業のノートを貸してくれる友達もいないのですか。
春秋戦国時代から秦漢統一あたりの中国の世界観で
礼・徳・法がすべて及んでいる地域が、内臣とする。
その外側には、礼・徳が及んでいる地域、外臣がある。
さらに外には、徳のみが及んでいる地域、客臣があって、
実際には、客臣は( )をさす。
この文章の( )の中に埋めるべき単語がまったくわかりませんorz
ご助力お願いします
173 :
世界@名無史さん:2005/07/29(金) 03:20:32 0
胡漢融合って対立してた胡と漢が統一されたってこと?胡が漢に降ったの?
174 :
世界@名無史さん:2005/07/29(金) 05:47:18 0
内藤湖南の唐宋変革について教えてください
>>170 >>174 2chで聞く暇があるならググるなり本読むなりしたほうが早くね?
歴史学事典でも見れ。
176 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 08:58:22 0
唐代の中国の夷狄政策について教えてください。
夷狄政策を管轄する官司ですとか令についての論文があったらご教示いただけないでしょうか。
177 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 17:47:13 0
age
>>176 取り敢えず、講談社「中国の歴史」シリーズの唐代の巻、
それぞれ『隋唐帝国』(旧版)と『絢爛たる世界帝国』(新版)の、
巻末の参考文献リストから芋蔓式にたどっていけば良いと思う。
>>178 ありがとう!どうやって調べればよいかわからず困ってたんですよ。
ありがとうございます。
>>179 あとは山川出版社の『中国史研究入門』や
同朋社出版の『アジア史研究入門』の
唐代の巻を参照して、関連する論文や著書に
あたっていくという方法もある。基本的には芋蔓式。
>>179 石見清裕『唐の北方問題と国際秩序』もどうぞ。
いや、やっぱり『東洋学文献類目』を頭から順にめくって…。
みなさんご親切にいろいろとありがとうございます。
芋蔓式に調べていこうと思います。
184 :
世界@名無史さん:2005/08/10(水) 19:08:41 0
中国史において、姓(氏)が最後に生まれたのっていつ?
俺が知ってる一番新しい例は、前漢初の「第五」氏の誕生っす。
>>184 多分つい最近まであったろうと思うけど、北魏孝文帝の改革のときに100を超える姓が作られてる
う〜ん、でもあれは新しい姓はそんなに高い割合じゃないか
>>185 あぁ〜あ、そういえば虜姓がありましたな。どもです。
でも、ここでは一応「漢人の姓氏」に限定させて下さい。
188 :
世界@名無史さん:2005/08/10(水) 22:20:37 O
後漢末の「是」氏とか
189 :
世界@名無史さん:2005/08/13(土) 02:27:02 0
非漢民族が漢字の姓を名乗る際に設けたものも最近まであるんでは?
回族の馬姓の他にも大理の白族の水姓とかありましたっけ。
元朝の皇帝には姓はないんでしたっけ。
「耶律」「完顔」に相当するの。
『倭人來獻方物
并圜丘方丘於南北郊
二至之祀合於二郊
罷山陽公國督軍除其禁制』
上記は、晋書武帝紀泰始二年条の一部です。
一行目は、三国志に出てくる邪馬台国の朝貢記事ですよね。
で、二行目なのですが、円丘と方丘を併せ祀ると言う主旨に見えるのですが、
具体的に何が行われたのかご存知の方が居られましたらご教示下さい。
まさか、たまたま訪れていた倭人の前で、円墳に方墳をくっ付けて祀るようにしろ
と言うような珍奇な勅令が出たわけではないですよねw
192 :
世界@名無史さん:2005/08/16(火) 02:19:04 0
この円丘と方丘って、天壇と地壇では?
私はくっつけて祭れとは読めないけど・・・
「南郊にあった冬至の天壇」と「北郊にあった夏至の地壇」で
それぞれ別にあったのを、合祀して南北に再配置したのかな。
t
195 :
191:2005/08/17(水) 23:20:01 0
>>192-193 サンクスです。
天壇地壇ですか、確かに方位と形は一致しますね。
晋代でも行われていた故習なんですね。
196 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 11:45:19 O
初歩的な質問で申し訳ないのですが・・・
三国時代の呉国が帝を称した時、正当性の裏付けは何かあったのでしょうか?
魏は献帝からの禅譲、蜀漢は漢王朝の血統が、
各々の称帝の根拠と言えるでしょうが・・・
呉国の場合は何も無い様に思われます。例のハンコは袁術に上げてしまっているし。
どなたか詳しい方のご教示を頂ければ幸いです。
>>196 初歩とかいう以前に板違い。
「三国志・戦国板」に移動ヨロ。
199 :
世界@名無史さん:2005/09/04(日) 03:35:42 0
age
200 :
世界@名無史さん:2005/09/19(月) 10:54:33 0
我把二百駁獲得了!
中国で、一人が殺されるとその一族が復讐するってのがあったらしいですけど、その制度(?)って何て呼ばれてたかわかる人いますか?
202 :
世界@名無史さん:2005/10/12(水) 17:00:00 0
「血讐」か?
ただし中国に限らず世界中の似た慣習を総称する言葉だけどね。
欧州ではフェーデ、ヴェンデッタなどと言う。