〓〓 東洋史なんでも質問スレッド 壱巻 〓〓

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
パージ
2世界@名無史さん:04/11/12 23:24:32
2!
3世界@名無史さん:04/11/12 23:24:33
東洋の定義はマラッカ以東ですか?
4世界@名無史さん:04/11/13 02:42:55
age
5世界@名無史さん:04/11/13 04:23:14
西洋世界と日本以外全部。
要するに「その他」
6世界@名無史さん:04/11/13 05:35:50
>>5
いい加減な定義だな。
アフリカはどうするんだ?
7世界@名無史さん:04/11/13 07:29:49
ユーラシア大陸の、ヨーロッパ半島を除いた残りの部分。
8世界@名無史さん:04/11/13 09:10:16
>>6
成り立ちからしていい加減なんだから仕方ないじゃないか。

北アフリカについて言えば、イスラム化以前は基本的にオリエン
ト史=ヨーロッパ世界の源流に入るから西洋史の担当だった。
イスラムは西欧世界に入れてもらえなかったから東洋史の担当
になった。

サハラ以南なんて、東洋史ができた頃は、ヨーロッパ人が到達
するまで、未開土人しかいない=西洋人登場と共に歴史が始まる
と思われてた。だからどっちかといえば西洋史の管轄になった。
9世界@名無史さん:04/11/13 10:55:56
平成16(2004)年11月13日[土] 産経新聞1面コラム産経抄
http://www.sankei.co.jp/news/041113/morning/column.htm

漫画家・本宮ひろ志さん(57)が「週刊ヤングジャンプ」に連載した
『国が燃える』のことは前に小欄で書いた。一口にいうと、
例の“南京大虐殺”についてめちゃくちゃな漫画である。
その同誌が十一日発売号で「読者の皆様へ」とするおわびを載せた。
10世界@名無史さん:04/11/13 13:17:11
もともと、歴史科目を分けてる国は少なくて、歴史でおしまい。
自国史を中心に世界の歴史を学ぶのが普通なのに、日本は
なぜか2本立て。
おまけに、中国史の伝統があるから、明治以降の西欧史観
による西洋史と中国史中心の東洋史、そして日本史の3本に
したがる。
なんのことはなく、西欧史観と中華史観と自国史以外は視点
から落ちているだけ。
11世界@名無史さん:04/11/13 18:16:57
あげ
12世界@名無史さん:04/11/13 20:42:04
終了だな。
13世界@名無史さん:04/11/13 20:47:10
なぜ袁世凱は溥儀を処刑(殺害)しなかったのでしょうか?
当時の溥儀を殺しても袁世凱にとって別に大勢は影響ないと思いますが

逆に生かすことによって将来の禍根を残すのは目に見えていただろうし
処刑は無理でも暗殺とかする気なかったのでしょうか?
14世界@名無史さん:04/11/13 20:49:20
漢字というのは古代中国で地域地域で発展したものがまとめられていったものでしょうか。
それとも一つの地域で発生したものが伝播発展したものでしょうか。
教えてください。
15世界@名無史さん:04/11/13 20:50:02
コピペうざい。
16世界@名無史さん:04/11/13 20:52:48
コピペではなく質問してるんですが。
17世界@名無史さん:04/11/13 20:57:05
>>14
秦の始皇帝は各地で異なりもあった漢字の字体を整えたと伝えられてるね。
だから、どちらかと言えば「古代中国の地域地域で発展したものがまとめられていったもの」とみて構わないと思うよ。
18世界@名無史さん:04/11/13 20:57:49
>>16
俺の質問がなんでコピペされてんだよ。
コピペウザイよ。
19世界@名無史さん:04/11/13 20:59:56
そんなこと嵐に言われても…ねぇw
お前がウザイよwww
20世界@名無史さん:04/11/13 21:04:03
いいから、月曜からはちゃんと学校行け。
21世界@名無史さん:04/11/13 21:05:30
そうそう。
22世界@名無史さん:04/11/13 21:06:44
自演乙。
23世界@名無史さん:04/11/13 21:07:36
>>10
小学生は日本史で、中学は
>自国史を中心に世界の歴史を学ぶのが普通なのに、
↑こんな感じじゃなかったっけ?
で、高校では一応分かれるが普通科ではどのみち二つやる。
で、大学・院では専門と。
結局、高校でも中学の高度板をやれば良いわけか?

24世界@名無史さん:04/11/13 21:14:42
>>22
で、自演だから何?
25世界@名無史さん:04/11/13 21:15:30
必死なのがいますね
26世界@名無史さん:04/11/13 21:22:05
俺もそう思う。超必死だな。
27世界@名無史さん:04/11/13 21:22:11
では、ここは中国より東の歴史でいいよね
28世界@名無史さん:04/11/13 21:22:29
>>25
なんか必死すぎて笑えるよな。
29世界@名無史さん:04/11/13 21:22:56
なんでこんなに必死なんだろうね
大方朝鮮人なんだろう
30世界@名無史さん:04/11/13 21:23:18
>>25
同意
必死必死
31世界@名無史さん:04/11/14 00:20:27
みんな必死すぎ
誰が誰の自演をしてるのかわからん
32世界@名無史さん:04/11/14 00:24:14
ほんとそうだな
なんでこんなひっしなんだ?
33世界@名無史さん:04/11/14 00:24:43
自演ばっかりだ
自演するなとは言わないが、もう少しばれないようにやれ
34世界@名無史さん:04/11/14 00:26:13
了解ニダ!
35世界@名無史さん:04/11/14 00:50:22
  自演=>>22>>25>>26>>28>>29>>30>>32>>33       /;';';;;;;ツ        i ー、  、`;;;j   \
       /i;;;;;;;;;|       iヽ l,.ヽ,. `゙〈,,,,,,,,,,,...__  \
     ./ ゙'''i;;;;!    ゙';, ノ;,.;;l;ノ;,,ヾ,,,.ブ;;' ,,.r.:,==、-、. ヽ
    /   j;;;!   i;,,.;;;;;;;;;;人;;;;;:. l; ;: ,;l.:.:.{ * .} );, ヽ
    /   l;;;;;!  ,.;;-'ニニヾ;;、:;ヽ;;  ヽ, ゙ヽ,:.:`--'.,..//゙  ゙、
   .!     ゙i;;;>'",..--、  ゙i;, l;;゙;::i:;)   ヽ`'ヽ`゙"゙ヽ;::゙i,    l,
   |     / /.:.{ * } ,./,. l;; :;《;.    ゙、 :;:;;;;,. ヾ;;;゙i,.  ゙i,
   |    i |::.:::.:`--'シノ,;'゙ :;l;;::,.      ヽ ゙'';;;;;;,.. ゙i;;;:!.  l
   |    l ;;:゙`-==' ,ィ" '゙  :;゙、;;;:;:,.,   ゙;,`ヽ ゙';;;;;;, l;;:゙i,  ゙!
   .!     `゙゙''''i;;;;:::|      :!;;:'゙;;:;,.   ;: ,ゾ゙''';;;;;;,.じ'゙.;: |
    |       ゙i;;;::|     ,;ri;;:,,,;;;;;;;:;:;:;:;;;/;;゙ ,.-、;;;; :;:;:;:;: .!
    .!:,:,: ;;;;:;,..   i;;;::|     .,/ ヾ:(⌒`-‐'" _,.-'",,._ ヽ,ヽ;:゙:. |
    l;';';';:;;;;;;:;:..   |;;:l,. ,. ,. ,:;/  _,,,..--‐''"´ _,..,へ ヾ-〉;!:,:,:.:.!
     ゙!;;;;::;;;;;;;;;:;:;::;;:;:l;;;:!;;:;:;:;:;/  / ,,;____,,...-''i"  l_,.-‐! ||;:;:;:;,'
      ゙、;;;;;; ;;;;;;;;;;;;;;;;:l;;:!;;;:::;/  / ,,;/`i  l  ゙!,..-'゙'iY゙i, ゙!;;;;;/
        ゙、;;;,. ゙'';;;;;;;;,. ゙、;;゙!;: l  ,' ;ノ、_ノー‐'^`''"  ,..ィ' l`'l .!;;/
         ヽ:,:,:,:;;;;;;;;;,. l;;;゙i |i_/∠i゙i'"゙i‐┬‐┬'''i"_,ノ"/ .//
         ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;,,`'";ヽ`ヽ, `ヽlヽ〜-^ー'^,.-'" .//
         \;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ, ゙''ー-‐''"   //
              ゙ヽ、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、__,...-‐'",.
36世界@名無史さん:04/11/14 01:42:41
ツマンネ
37世界@名無史さん:04/11/14 09:15:18
もしかして
「日本史」「東洋史」「西洋史」ってわけるのは
中世日本人の世界観である
「本朝」「唐土」「天竺」の延長だろうか?
38世界@名無史さん:04/11/14 09:31:06
>>37
多分、「延長」というほどの関係はないと思う。

>>10のカキコでも言及されてるけど。

はじめは「国史」があって、これが「日本史」に。
で、明治政府の教育政策で「西洋史」と「東洋史」ができたんだから。
39世界@名無史さん:04/11/14 14:50:50
日本史―いわゆる国史
東洋史―江戸漢学以来の中国王朝の史書を基礎とした研究
西洋史―明治期に日本に移入された、西欧流歴史研究、「歴史」は西洋のみにあり
40世界@名無史さん:04/11/14 16:56:36
というわけでアフリカ史や古代アメリカ史はどうすればいいのかと小一時間
41世界@名無史さん:04/11/14 17:19:17
>>40
従来どおり「世界史なんでも質問スレッド」使えばいいんだよ。
42世界@名無史さん:04/11/14 18:27:30
あんなとこ使えるわけねぇだろ禿
死ねよ
43世界@名無史さん:04/11/16 19:39:01
       ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
             /": : : : : : : : \
           /-─-,,,_: : : : : : : : :\
          /     '''-,,,: : : : : : : :i
          /、      /: : : : : : : : i     ________
         r-、 ,,,,,,,,,,、 /: : : : : : : : : :i    /
         L_, ,   、 \: : : : : : : : :i   / めぐみさんを帰したら
         /●) (●>   |: :__,=-、: / <   負けかなと思ってる
        l イ  '-     |:/ tbノノ    \
        l ,`-=-'\     `l ι';/      \ 金正日 (朝鮮労働党総書記)
        ヽトェ-ェェ-:)     -r'          ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         ヾ=-'     / /
     ____ヽ::::...   / ::::|
  / ̄ ::::::::::::::l `──''''   :::|




44世界@名無史さん:04/11/30 17:13:28
イスラム教の聖地メッカのカーバ神殿って何で拝まれてんの?
イスラム教って偶像崇拝禁止じゃなかった?
あと、あれの中って黒い石が入ってるって聞いたけど、どういった由来のものなの?
45世界@名無史さん:04/11/30 18:21:14
外にもいろんな偶像が陳列してあったんだが、ムハンマドが全て叩き壊し、
残ったのが黒石。
46世界@名無史さん:04/12/13 03:00:24
東洋と西洋のつながりについておしーえて
47世界@名無史さん:04/12/27 23:13:07
「山海経」に実在の国や民族って登場していますか?
48世界@名無史さん:04/12/28 02:27:32
他板で「李氏朝鮮は古代の三韓の末裔ではない」
と聞いたのですが、どういうことでしょうか?
民族が違うんですか?
49世界@名無史さん:04/12/28 02:57:56
>>44
ムハンマド以前から「天国から墜落してきた」と言い伝えられてきた岩だそうな。
50世界@名無史さん:05/01/08 23:29:56
俗に西洋史と言われているのは、支配者の歴史
俗に東洋史といわれているのは、民衆の歴史
51世界@名無史さん:05/01/09 22:35:29
絹って製造法国外不出扱いだったよね。でホータン辺りに嫁いだ公主が髪にまゆを隠してもってでた、
という伝説があるよね。でも絹自体は輸出されてたよね。
で、本題なんですが、紙の場合も製法は門外不出だったのでしょうか? タラス河畔の戦いで、紙漉き工云々の話を
聞くと、門外不出技術だったように思えますが、明確に記載のある記述に出会ったことがない。
また、あれだけ爆発的に西洋に紙が広まったことを考えると、751年以前に、紙はあまり
西方に輸出されなかったのかな?と思ってしまいますが、この点どーなのでしょうか?
52世界@名無史さん:05/01/10 00:20:50
>>50
へ?東洋的専制とかそういうんではなくて?
53世界@名無史さん:05/01/12 02:10:09
質問です。
東洋近現代史における、
「科挙」の位置づけ・近代史に与えた影響というのは
どういうものなのでしょうか?
自分の中でいまいち分かりません。
みなさんならどのような意義をもたらすものとして提示しますか?
54世界@名無史さん:05/01/13 20:57:01
現代の試験用語や
高等文官試験(現・国家公務員試験)の受容なんかにも影響ありそう。
いやテキトーなこと言ってるだけだけど。
55世界@名無史さん:05/01/14 16:30:40
>>53
私見なんだけど、それまで身分制に縛られていた日本が
近代国家に脱皮するにあたり、試験成績が優秀ならば
帝大へ行ける、あるいは軍隊に仕官候補生として入ることが出来る…
という、門地や家柄に縛られない科挙的な試験結果偏重平等主義(?)が
日本全国に受け入れやすかった素地を作ったとは言えたんじゃない。
俺のヒイジイサマは岩手の南部藩出身だったけど(つまりは内戦によって
故郷のインフラや文化は破壊され、社会参画の機会も奪われた層)
ラッキーなことに大学へ行って(下級だろうけど)官僚になって
食えたそうだ。
出身地や出身層のバリアを破って、優勝な人材を全国的に登用できる
イイワケとしては、近代日本発展の原動力のひとつにはなったと言えるんじゃない?

ま、弊害も多々アル。
俺は東大いけなかったから、今でも親戚じゃ肩身狭い。 
56世界@名無史さん:05/01/14 16:37:47
日本の高等文官試験(現・国家公務員試験T)は、科挙を直接導入したものではなく、
科挙を参考にしたフランスの官吏採用試験制度をとりれたものだった、はず。
57世界@名無史さん:05/01/14 16:53:33
聞いた話。

官僚ってのは中国の発明で、その登用試験の科挙ってのも
中国の発明なんだけれど
18世紀のヨーロッパではシノワズリ(中国趣味)が大流行になり
実はその時に…たしかフランス人宣教師たちが書き送った
『イエズス会士中国書簡集』の出版があったはずなんだ。
これを読んだヴォルテールは「科挙」の合理性に驚嘆して
朱子学を賞賛したり、ケネーは中国の経済構造の研究から
「経済表」を生み出したり、ライプニッツ(微分積分の祖)が「易」の
思想から二進法を思いついたりって話があった。

中国の科挙制度も近代ヨーロッパの文人官僚制度の原型になった
ッテ話も聞いた事があるなあ。
58世界@名無史さん:05/01/19 06:06:22 0
質問です(・・)
ウラマーとムジュタヒドの役割の違いがわかりません
特にカージャール朝期・・・・
どちらもイスラム法学者ですよね?
どう役割が違うのでしょうか
59世界@名無史さん:05/01/21 02:52:01 O
中国史上に初めて宗教を利用する農民反乱は何か?
この問いを教えてください
60世界@名無史さん:05/01/21 04:35:58 0
>>59
高校世界史の教科書読み直せ。
とくに後漢から三国あたりを穴があくぐらいみれば分かる。
61世界@名無史さん:05/01/21 11:19:21 0
中国が共産主義を保てたのはなんでですか?
なぜアメリカは共産主義の中国とくっ付いたのでしょうか?
62世界@名無史さん:05/01/21 21:02:30 0
漢族は何を以て漢族というのですか?
63世界@名無史さん:05/01/22 00:35:08 0
>>62
秦の始皇帝が定めた文字を読み書きできるかどうか。
64世界@名無史さん:05/01/22 02:25:06 0
>>63
小篆を読めるやしは現今きわめて少ないと思うぞ。
それに小篆を読めれば、金髪碧眼でも漢族になるのか?
65世界@名無史さん:05/01/22 02:38:41 0
>>64
かつてはそんなもんだったな。<漢民族の定義
漢文の読み書きが出来て、中華の礼法を身につけ、漢文化を自らの文化として
いれば漢民族(っつうか「士大夫」)。人種はあまり問題ではない。

今は違う。
66世界@名無史さん:05/01/22 20:02:23 0
普通に漢字を使う蒙古八旗の子孫で回教徒の中国人は
何民族に認定されるんでしょうか?
67世界@名無史さん:05/01/23 01:05:53 0
>>66
本人がどの民族を選ぶかで決まる。
要するに戸籍の分類だから自己申告が基本。
68世界@名無史さん:05/01/24 22:21:19 0
知ってた?

日本が開いた朝鮮における近代医療。
明治9年6月、海軍中軍医 島田脩海の報告。
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi019.html#8mkc4
69世界@名無史さん:05/01/26 22:50:41 0
唐末、五代十国、宋初の三班使臣についてなんですが。
本来、唐の令外官であった、諸司使・諸司副司と同じ扱いで、宦官が任命されていた一種の雑用役が、
朱全忠の貴族官僚・宦官粛清後、五代の元となった各節度使の腹心がその三班使臣につき実権を拡大。
同時に皇帝権力の拡大を促し、宋代の寄禄官の元となった。

って大まかな流れはあってますかね?
70世界@名無史さん:05/01/27 22:45:58 0
支那の呼称で
カタイ=キタイだとして
マンジって何?
71世界@名無史さん:05/01/28 09:49:44 0
>>70
蛮子
72世界@名無史さん:05/02/09 21:04:56 0
「東方見聞録」に登場する「ザイトン」の由来は?
73犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :05/02/09 21:09:34 0
泉州。
74世界@名無史さん:05/02/10 00:03:59 0
『広辞苑』で【慕容】の項を引いたところ、
「鮮卑三姓の一つ〜」云々といった説明があったのですが、
この「鮮卑三姓」なる語は寡聞にして初耳でした。

慕容以外の他の二姓をご存知の方がいましたら、
どうかご教授下さい。(多分そのうち一つは「拓跋」
だと思うのですが、もう一つの方が分かりません。)
75世界@名無史さん:05/02/10 01:45:08 0
>74
宇文氏ではないかい?
76世界@名無史さん:05/02/10 01:58:38 0
>>72
泉州にたくさん植えてあった木の名前か何かじゃなかったっけ?

>>74
鮮卑の中で大きな姓といえば拓跋、宇文、段、慕容。
うち宇文は匈奴系とも言われているからそれ以外の三つじゃないかい?
77世界@名無史さん:05/02/10 01:59:48 0
女はいつになったら男の"痛み"を分かるのだろう
1 :名無しさん 〜君の性差〜:04/12/31 09:29:32 ID:rN8xnTkt
女はいつになったら男の"痛み"を理解できるのだろう。
男の"孤独"を理解できるのだろう。
"母体"を掲げることにより、異性に決して責任要求・尊重要求を出すことのできない男の絶対的な"社会的孤立"。
それと共に歩む責任と意志を持つようになるのだろう。
本来人類的な尊重条件の付与されていない男性たちに愛情を持ち、男性の人類的役割に敬意を持ち、接し、共生することができるのだろう。
自分のことばかり考え、自分の利益のためだけに、差別を作り出し、自分が加害の側に回っているのかもしれないのに犯罪を非難する女たち。
男のせいばかりにしていて、何が"共生"なんだろう。
彼女たちは、本当の"共生"を"母性"を"人類的英知"をどこに置き忘れてきてしまったのだろう。
女はなぜこんなになってしまったのだろう。
自分の幸せや利益ばかり考えるようになってしまったのだろう。
社会から犯罪や争いをなくすこと。女たちがいつも気に掛けるテーマだ。なぜ自分で責任を持とうとしないのか。その鍵を握っているのは、他ならぬ彼女たちなのに。

望む。
もう責任逃ればかりする女性たちは2004年まででたくさんだ。
2005年からは、本当の母性と社会性に目覚めた新しい女性たちが、これまでの女の堕落に歯止めをかけるようになることを。

http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gender/1104452972/l50
78世界@名無史さん:05/02/15 00:32:01 0
『資治通鑑』の授業の課題で、ある年の一部を
訳さなければならないのですが、「甲子」などのように
六十干支であらわされた日付が何日なのかわかりません。
何をどうしたら求められるものなのでしょうか。

三国板にはそれらしいスレがなかったのでこちらに来ました。
板違い・スレ違いな質問でしたらスマソ・゚・(ノД`)
79世界@名無史さん:05/02/15 00:34:48 0
沖縄に生えているデイゴのことを、中国語ではザイトンと言うのです。

トン、は桐の字。
80世界@名無史さん:05/02/15 00:42:41 0
ザイトンの漢字表記は「刺桐」ね。
81世界@名無史さん:05/02/15 01:50:33 0
>>78
『通鑑』て月の最初(朔日)の干支が載ってなかったっけ?覚えてないけど。
無かったら、それ用の本があるのでゼミ室か図書館を漁れ。
8278:05/02/15 13:36:55 0
>>81 
朔日の干支は載っていませんorz
もらったテキストのうち一箇所だけ晦の干支が書いてあるのですが、
閏月閏年などを考慮せずに晦から逆算して日付を求めるのは無理ですよね…

とりあえずゼミ室行って居合わせた人に聞いてみます。
ありがとうございました。
83世界@名無史さん:05/02/15 15:48:23 0
>>78
日本だと「三正総覧」と言う暦を解説した本がありますが。
基本的に日本も同じ暦使っていたから、それを見ればいいんじゃないですか?
8478:05/02/15 16:24:37 0
>>83
ありがとうございます。
大学の図書館にあるようなので、明日見てきます(`・ω・´)
85世界@名無史さん:05/02/15 16:33:09 0
>>84
ttp://www.shuiren.org/chuden/toyoshi/sinocal/01.htm

ここでなんとかならないか?
86世界@名無史さん:05/02/15 16:38:25 0
って違った。すまん。

何だったか忘れたけどジャストミートな本があったんだけどな…
8778:05/02/15 16:55:38 0
>>86
教えていただいたサイトでできたみたいです!(゚∀゚)
一旦、中国暦から西洋暦にして、出てきた西洋暦を中国暦に直したら、
日付は六十干支ではなく数字で表示されました。
これでレポートはなんとかなりそうです。本当にどうもありがとうございました。
>>81>>83さんもありがとうございました。
88世界@名無史さん:05/02/15 21:28:34 0
>>86
陳垣『二十史朔閏表 附西暦 回暦』,北京,古籍出版社,1956.(初版1926) 
ttp://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN05024191
ではなかろうか?
89世界@名無史さん:05/02/15 21:48:40 0
>>88
う〜ん、手書きっぽい感じで1980年代まで書かれていたからそれじゃないと思うけど…

一回チラッと見ただけだから何だったか覚えてないや。
90あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/02/16 16:30:26 0
支那ではこの手の工具がたくさん出てますが「中西回史日暦」(中華書局刊)は現在も
入手可能かと思います。
「二十史朔閏表」や「三正総覧」は朔日の干支と対応する西暦の日付が表示されている
だけなので、そこから求める日まで順番に繰っていかなければならず面倒です。しかし
「中西回史日暦」は全日付が展開されているので、直接に求める日が検出できて便利です。
また下記サイトで暦日変換ができます。
http://www.shuiren.org/chuden/toyoshi/sinocal/01.htm
91あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/02/16 16:42:19 0
「通鑑」でも別刻の「目録」は年経國緯の形式の事件表で、朔日の干支が
記載されています。勿論西暦の日付は判りませんけど特定の日付と干支の
関係は突き止められます。ただ「資治通鑑目録」はあまり出回ってないかも。
92世界@名無史さん:05/03/04 07:34:50 0
>>61
敵(ソ連)の敵は味方です。
93世界@名無史さん:05/03/10 11:32:52 0
ウィキペディアの明帝国創業の知恵袋「劉基」のページ

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%9F%BA

 中国においては劉基は朱元璋と並ぶかそれ以上の知名度を誇っており、
 李善長や徐達と言った他の朱元璋の功臣達とは比べ物にならない。
 これには明代の小説や講談に劉基が主役として取り上げられたことが
 要因としてあり、彼は予言者として描かれ『焼餅歌』と言う伝説の中で
 餅を焼きながら明の将来などについて予言し、中には原子爆弾の発明まで
 予言したと言われている(そういうふうにも取れるということだが)

核兵器の予言って、どういう内容なんでしょう。
ご存知の向きがいらっしゃったら、教えてください。
94世界@名無史さん:05/03/14 15:46:42 0
質問です。
第二次世界大戦中に日本軍が進軍した国で混血児は見つかりましたか?
95世界@名無史さん:05/03/14 18:55:07 0
史書を見ていると、東晋南朝の人名には「王某之」や「陳某之」といった
末尾に「之」が付く人名がやたら目立つのですが、親子共に「之」が付く
名前の例もあったりして、どうやら普通の避諱とは適用されるルールが
違うように思えます。なぜ「之」の字だけが特別扱いされるんでしょうか。
また、「之」で終わる人名がなぜこの時代から急に増えだすんでしょうか。

そして、「之」付き人名が増えだすのと期を一にして(正確にはそれより少し
遅れて)、例の王莽以来の「諱の一文字縛り」が緩んで、二文字諱が再び
出現しだしたように思えるのですが、これは、「之」付き人名が二文字諱に
対する抵抗感を弱める、いわば踏み切り板の役割を果たしたからだ、とは
言えないでしょうか。

真相をご存知の方いらっしゃいましたら、何卒ご教授お願い致します。m(_ _)m
96世界@名無史さん:05/03/14 19:45:14 0
>>95
〜之、ってのは元々非漢民族(正確には忘れちゃったけど)の名前の下に付けていた物で、名前の一部ではなかった。
名前じゃないんだからこれ入れて二文字になったって親とかぶったって問題ナッシング、そんな話を聞いた事がある。
97世界@名無史さん:2005/03/24(木) 07:09:01 0
「〜之」は5斗米道信者の証だから無問題。
98世界@名無史さん:2005/03/24(木) 09:11:50 0
10 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/03/14 23:57:06 0
>>96
「〜之」って名前、十六国(北朝)よりも東晋(南朝)の方に多いぞ。
その東晋南朝にしたって、「〜之」って名前は瑯邪王氏や司馬氏
などの一流所にも結構見られる。むしろ、「蛮」の血を引いてる
人物で「〜之」って名前の奴を見つける方が難しいぐらいかも。

とどのつまり、「〜之」異民族由来説は眉唾なんじゃないか、と。

22 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:05/03/15 23:59:40 0
>>95
「之」は五斗米道の信奉者に特徴的な名字であると、
陳寅恪さんが「天師道與地域之關係」で論述しています。
『晉書』の「王凝之傳」には「王氏は世よ張氏の五斗米道に事ふ」とあって、
一族を挙げて五斗米道の信者です。そして、五斗米道の宗教反乱を起こした
孫恩に攻められた際に、「神兵を呼び出して戦わせるから大丈夫」と防戦せず、
殺されてしまいました。この瑯邪の王氏が、一族の大部分の名に「之」が用い
られてるので知られています。異民族とは無関係です。
99世界@名無史さん:2005/03/24(木) 09:13:29 0
23 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/03/16 00:29:05 0
>98
《天師道與濱海地域之關係》じゃなくて?
「浜海」の二字が抜けてるような気が。

あとその説だと、本場蜀の五斗米道教徒(成漢や仇池その他関係者)
の名に「之」の字がほとんど見られないのが気になる。元は瑯邪王氏
だけの風習だったのが、北来貴族連中の間に広まったのだろうか。

24 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:05/03/16 00:48:19 0
おっしゃるとおり、抜けてました。
後段の御意見も全くそのとおりだと思います。

25 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:05/03/16 01:03:46 0
二字の諱がこの時代に多くなったのには、
道釈2教の流行が関係してるように感じています。
二字の上の字が道・玄・法・僧など宗教くさいものが多いからです。
100世界@名無史さん:2005/03/24(木) 17:10:29 0
我第百節獲得
101世界@名無史さん:2005/03/26(土) 03:19:38 O
大東亜戦争終結後の、韓国史(大韓民国成立に始まり、朝鮮戦争、4・19革命、青瓦台襲撃事件などなど)について勉強したいのですが、何かいい本はありますか?
ヨロシクお願い致します。
102世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 03:17:09 0
わっ。一週間放置かよ!知ってる範囲なら

「一気にわかる朝鮮半島―日本・韓国・北朝鮮の近現代関係史」 池田書店
鄭 銀淑著
「増補 朝鮮現代史の岐路―なぜ朝鮮半島は分断されたのか」 平凡社選書
李 景a (著)
「韓国大統領列伝―権力者の栄華と転落」 中公新書
池 東旭著
ノンフィクションなら「朝鮮戦争」 文春文庫
児島 襄著

大阪産業大学 藤永 壯助教授 朝鮮近現代史の講義ノート・目次
ttp://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/kougi.htm

あとは「現代史質問スレッド」 できいてちょ。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1100698545/l50
103世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:33:15 0
中国南朝の梁の武帝は前王朝の斉と血縁にあったようですが、皇族ではなかったのですか?
104世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 21:57:20 0
血縁だけでは皇族になれません。
皇族という表現は漢語にはなじみが薄い表現で、普通は宗室といってかなり厳格に制度化されています。
105世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 18:04:08 0
英語では東洋人 oriental というと日中韓の東北アジアだけを指す。
ってことは東洋=東アジアってことか?
106世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 21:54:32 0
はぁ?オリエントって通常どこの地域を指すんだ?
107世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 22:52:14 0
「オリエント史」といえば中東じゃない?
108世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 23:26:01 0
狭義の「オリエント」は中近東をさす。ヨーロッパの影響が強い日本でも同様。
広義の「オリエント」はラテン語で「日が昇る方角」を意味し、アジア全体をさす。
ウィキペディア検索でオリエントを検索するか、
インターネット検索でオリエンタリズムを検索するように。
109あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/04/06(水) 19:45:48 0
>>103
齊の高帝と梁の武帝は共に南蘭陵の蕭氏でかなりの親縁関係に在ります。両者の
共通の先祖は漢の高祖の三傑の一人で丞相になった蕭何です。更にその遠祖は
春秋の宋の公族で蕭に封ぜられたので、封邑を氏として宋の附庸であったところ、
楚に滅ぼされ末裔の蕭不疑は春申君の上客であったそうです。彼の代から豊沛の
地に定住し蕭何に至り、土地の役人として漢の高祖と交わり功臣となりました。
その後20代までの世系は「南齊書」の「高帝紀」と「梁書」の「武帝紀」によると次の
とおりです。20代目の蕭整は晉の淮南の令に任じ、南蘭陵郡武進縣東城里に
居住することになりました。
 何-延-彪-章-皓-仰-望之-育-紹-閎-闡-永(冰)-苞-周-矯-逵-休-豹-裔-整
この中で有名なのは元帝の師傅となった蕭望之です。なお12代目の名は「齊書」は
永で「梁書」と「新唐書」の「宰相世系表」では冰となっています。
さて20代目の蕭整には儁(即丘令)と鎋(濟陰太守)という子があり、儁の子は樂子
(輔國參軍)鎋の子は副子(州治中)です。樂子の子は承之(揚武將軍)で齊の高帝の父です。
副子の子は道賜(南臺治書)で、道賜の子は順之(領軍將軍・丹陽尹)で梁の武帝の父です。
そして「梁書」には「齊の高帝の族弟なり」とありますが、いずれにせよ齊の高帝は梁の
武帝の実父とは再再再従兄弟(七等親)の関係になります。
110あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/04/06(水) 19:48:51 0
そこで梁の武帝は齊の皇族になるのかという問題については明日に書きます。
111世界@名無史さん:2005/04/08(金) 02:54:47 0
州刺史と州牧の違いって何なんでしょうか。
112世界@名無史さん:2005/04/08(金) 04:28:52 0
後漢の話か?単純に言うと、牧の方が権限がある。
113おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2005/04/08(金) 06:14:45 0
後漢の州刺史は査察官程度の権限しかないのですが、州牧であれば
州の政治を自由にやれます。最も三国魏以降は後漢の州牧を州刺史と
称し権限は同等になります。
114世界@名無史さん:2005/04/08(金) 13:19:43 0
グゲ王国ってほんとうにあったのですか?
115世界@名無史さん:2005/04/08(金) 16:04:27 0
渤海は爵位精度があったようですが、遼・西夏は爵位制度ってあったのでしょうか?
系図を見るとなんらた王というのがあるので皇族の封王は少なくとも名目上はいたんでしょうが、
臣下の爵ってあったのでしょうか?
同様にベトナム歴朝とか高昌国等にも爵位制度はあったのでしょうか?
116世界@名無史さん:2005/04/12(火) 13:04:14 0
三国の呉の最後の皇帝・孫皓の子孫はどうなったの?
117世界@名無史さん:2005/04/12(火) 13:41:04 0
モンゴルのところを教えるときに何か面白い・生徒の興味を引くようなねたありますか?教えてください
118世界@名無史さん:2005/04/12(火) 17:33:32 0
>>117
被征服者を押しつぶしながら宴会、とか
119世界@名無史さん:2005/04/12(火) 21:03:08 0
モンゴルの遠征軍は巧みな情報戦を繰り広げた。
意図的に恐怖のモンゴル軍ってなイメージを演出していた。
120世界@名無史さん:2005/04/12(火) 21:17:34 0
モンゴルの広域支配によって内陸アジアの風土病だったペストが
ユーラシア中に広まったという「病原菌の世界統一」とか受けるんじゃない?
121世界@名無史さん:2005/04/13(水) 22:42:49 0
ベトナム史の辞典(人名辞典だったかな?)に出てきた少尉って副宰相級ですか?
122世界@名無史さん:2005/04/14(木) 00:21:54 0
>>121
それだけでは何のことかさっぱり分からんよ。
123朱由檢:2005/04/14(木) 00:32:05 0
>>117
一つの都市を支配するのに60人しか兵隊を配置しなかったとかもいいかも。
124朱由檢:2005/04/14(木) 00:37:58 0
>>117
ああ、あとはイスラム教徒は、コーランで首を切り落とすことが
一番苦痛を与えない屠殺方法とされていたけど、
モンゴル人は胸を切り開いて心臓を握り潰す方が苦痛は少ないと
信じていたためにモンゴル式を強要したとかもあるよ
125世界@名無史さん:2005/04/15(金) 16:23:24 0
>>124
コーランって
すごい切れ味なんだねぇ
126世界@名無史さん:2005/04/15(金) 16:25:18 0
コーランの記述の中にって意味だろ フツウ。
127世界@名無史さん:2005/04/16(土) 00:31:03 0
>117

加藤剛と田中邦衛が出演していたチンギスハンのビデオを見せ、
「大岡越前と黒岩五郎がモンゴルの中の人だ!」と強弁する
128世界@名無史さん:2005/04/25(月) 22:08:13 0
お尋ねしたいのですが、江南軍について書かれている文献を知りませんか?
江南軍の組織について知りたいのです。
江南軍は旧南宋軍の事です。
129世界@名無史さん:2005/04/27(水) 23:17:54 0
>>128
『歴史群像シリーズ26 チンギス・ハーン 下巻』学研
『戦略戦術兵器事典 中国中世・近代編』学研
130128:2005/04/28(木) 12:34:35 O
>>129さん
有難う御座います!
早速図書館で探してみます。
131世界@名無史さん:2005/04/29(金) 07:18:00 0
Paradox社のWWU前後を題材にした歴史SG、
「Hearts of Iron2」を和訳しているのですが
どうしても訳せない中共の軍事指導者の人名があります。

注;ピンインです。

Chen Changhao/Chen Guang
Kim Weon-bong/Li Chen
Li Youbang/Ma Benzhai
Sun Yup Paik/Teng Daiyuan
Wei Guoqing/Zhang Xuesi
Zheng Daoji/Luo Xiangtao
Ye Fei/An Zhimin
Chang Qiankun/Chen Xi
Fang Huai/Fang Ziyi
Xia Boxun/Liu Zhen
Lue Liping/Yuan Bin
Tsu Yue/Li Chong-ren

以上なのですが、分かる範囲でよろしいのでお答え下さい。
なお「世界史なんでも」の方は英語の閣僚名なのでマルチでは
ありません。
132世界@名無史さん:2005/04/29(金) 08:19:45 0
133128:2005/05/06(金) 11:14:47 O
元の支配下におかれた旧南宋軍=江南軍の、弘安の役の時の事や、
弘安の役の時の元側の状況なんかを知りたいのですが、何か良い文献はありますか?
128と同じ者です、何度もすみません……。
今、旗田巍『元冦 蒙古帝国の内部事情』中公新書 という本を読んでいるのですが、他に何か教えて欲しいです。
文章も何だか分かり辛くてすみません……。
134128:2005/05/06(金) 11:27:22 O
↑元コウのコウの字が自分の使っている携帯では出なかったので、それに一番近い漢字にしてしまいました。
135世界@名無史さん:2005/05/06(金) 14:24:49 0
太田弘毅著『蒙古襲来―その軍事史的研究』(錦正社史学叢書)
杉山正明著『モンゴル帝国の興亡(下)―世界経営の時代』(講談社現代新書)
杉山正明著『クビライの挑戦―モンゴル海上帝国への道』(朝日新聞社)
桑原隲藏著『蒲寿庚の事蹟』東洋文庫(平凡社)、桑原隲藏全集(岩波書店)
武田幸男編『高麗史日本伝・上下』(岩波文庫)
136世界@名無史さん:2005/05/15(日) 21:06:01 0
>>111-113
確か劉焉が黄巾の乱後の混乱を抑えるために刺史を牧に格上げさせた筈
137世界@名無史さん:2005/05/19(木) 17:06:21 0
「牛耳る」っていう表現があるじゃない。
なんでまた「牛の耳」なんだろ?

牛のしっぽでも豚の耳でもいいじゃない?
ねぇ。
138カラジチ ◆mWYugocC.c :2005/05/19(木) 23:40:30 0
>>137
ここで聞くのは解答知ってるからなんじゃw
春秋時代に、諸侯の会盟の主催者、つまり最も有力な人物が儀式で牛の耳を切ったからでしょ?
139世界@名無史さん:2005/05/20(金) 13:08:33 0
>>138
だから〜!
なんで有力な候補が切るべきなのは
「牛の耳」なのかを尋ねてるんです!

鶏の頭でも、馬の耳でも
良さそうなモンじゃない?
140128:2005/05/24(火) 10:44:37 O
>>135さん
遅くなりましたが、本当に有難う御座いました!
助かりました。有難う神様〜。
141世界@名無史さん:2005/05/30(月) 23:23:30 0
>>139
牛は神聖な動物だったアルよ。
142かきつばた ◆O1SdlnknBs :2005/05/31(火) 08:09:46 0
インドをごらんなさい。
乳を出さない雄牛が、町に放たれ、野良牛として町中を闊歩しているのですよ。
貧しい人にとらわれて、食料にされることもなく。

いろんな文化圏で、牛は神聖だったらしい。
143世界@名無史さん:2005/05/31(火) 11:37:04 0
>>141>>142

古代中国において「牛は神聖だった」。
ソースきぼん。
144世界@名無史さん:2005/05/31(火) 13:48:59 0
中国では牛は食い物アルヨ。牛以外もすべてだけど。
145世界@名無史さん:2005/05/31(火) 15:53:15 0
中国でも牛は神聖とされてました。例えば、古代の三皇のうち、農業や薬学の祖と伝えられる
神農(炎帝)は牛頭人身とされてます。中国に限らず、シュメールなんかでもそうなんですが、
農耕民族が神格化するとすれば、やっぱり農業における牛の有用性なんでしょうね。

で、『牛耳ヲ執ル』。この言葉は、牛が聖性を帯びていることを前提としなければ成立しません。
聖なる牛だからこそ神への供物・生贄として奉げるんですが、その際に牛の耳を切るわけです。
なんでも牛の耳は耳口が開いていないように見えるらしい。それを切り落とすことはつまり、
我々は耳をかっぽじって神の言葉を承ります、という意味の象徴的行動なわけです。
そして流れ出た聖なる血を共にすすり、その血で記した誓詞を生贄の牛と共に埋め、神に奉げる、と。
そういう神前での一連の行動を主導する者が、新しいリーダーとして認知され、以後、
これに参加した人々を「牛耳って」ゆくことになります。これが『牛耳ヲ執ル』ということ。
鶏の頭でも、馬の耳でもだめなんです。牛の耳じゃないとね。>>139、OK?
146世界@名無史さん:2005/06/01(水) 14:04:05 0
>>145
ありがとう。
耳のアナかっぽじって…の話は 大変興味深かったです。

神農に角が生えてるのは、牛頭だったからなのね。
何とはなしに、神農は「狩猟採集」時代の神なのかと思っていた。
牛って、農耕や牧畜をするようになってから注目されたケモノと
思っていたもんで…。

去り際に、ネタを一つ。
「牛耳る」は「牛耳ヲ執る」をベースにした大正時代あたりの
若者言葉だったんですって。
どうやら、夏目漱石あたりの年代の学生が発明したらしい。
「サボタージュする」→「サボる」みたいに動詞化して
新らすぃ日本語をつくるのは 今も昔もかわりませんねぇ。
147世界@名無史さん:2005/06/02(木) 22:58:17 0
ヒラセタカオ先生の御著書を読む時には、
どれくらいの量の唾を眉に塗っておけば
よろしいのでしょうか?
148世界@名無史さん:2005/06/08(水) 12:20:35 0
>>70
満州
149世界@名無史さん:2005/06/09(木) 11:07:55 0
>>148
マンジは「蛮子」と書き、かつての南宋の領域つまり江南
(長江流域以南、中国の南部。華中と華南)のことだ。
150世界@名無史さん:2005/06/11(土) 18:53:18 0
で、>>1のパージって何なの?
151世界@名無史さん:2005/06/12(日) 13:20:01 0
思想による粛清の事アルよ。
美国でも赤狩りが流行したネ。
152世界@名無史さん:2005/06/12(日) 20:41:08 0
漢初の張良は、若い頃始皇帝暗殺を企てたが失敗して逃れた、と言われてますが
これは秦側の記録には残っていないはずで、といって張良自身が宣伝した
とも思えず、仮に司馬遷あたりが伝承をもとに書いたのだとすると
信憑性はどの程度なのでしょうか。
153世界@名無史さん:2005/06/13(月) 09:01:54 0
司馬遷が独自に収集した伝説の類がかなりの信憑性を持ってるとなると
これもある程度信じるべきだと思うアルよ。
154世界@名無史さん:2005/06/13(月) 22:08:17 0
>>128,133
池内宏『元寇の新研究』(全2冊),東洋文庫,1931
155世界@名無史さん:2005/06/17(金) 04:03:03 0
高句麗,新羅は朝鮮民族じゃないんですね
何時から朝鮮民族が現れたんですか?
156世界@名無史さん:2005/06/20(月) 17:32:12 0
統一新羅
157世界@名無史さん:2005/06/22(水) 13:19:05 O
アヘン戦争からの中国史をビジュアル的に見れる本ってありますか?
『図説 中国近現代史』という本以外で何か知っていたら教えて欲しいです。
158世界@名無史さん:2005/07/07(木) 02:48:52 0
北方民族の征服王朝は、中原平定後に
万里の長城の取り壊しを命じたことはなかったのですか?
外堀を埋める、ではないですが、恭順のしるしとして撤去させてもおかしくなさそう。
159世界@名無史さん:2005/07/07(木) 09:21:46 0
中国で皇帝を退位した方を何と呼びますか?
日本では上皇ですが。
160世界@名無史さん:2005/07/08(金) 00:55:11 0
>>159
基本的には太上皇帝や、太上皇。
ただ例外も何個かあり、戦国趙の武霊王は主父と称し、
また北周の宣帝は天元皇帝を名乗った。
北周の宣帝は自分を天と称したり、自分からの勅令を天勅、天詔と言ったり、
天という言葉が大好きな人だったようだ。
161世界@名無史さん:2005/07/08(金) 19:01:28 0
>>160
ありがとうございました。
162世界@名無史さん:2005/07/23(土) 19:17:17 0
>>158
元朝の時はあっちゃこっちゃに穴を開けて通行可能にしてたらしいが。。。
あれだけのモノを組織的にぶっ壊そうとするとかえって色々としんどい所(労力とか)が多いから、
穴開けるだけで満足したんじゃ。
実際、清朝は明朝下で再建されてゴツくなった万里の長城をぬっこわしてないし。
後、時代の移り変わりで万里の長城にもきちんと整備された時期と、
あっちゃこっちゃに穴が開いて余り意味を成さなくなってた時代があるわけで、
当然、後者の場合取り壊しを命ずる必要も無いと思われ。
163158:2005/07/24(日) 01:00:41 0
>>162様、
詳解ありがとうございました。
164世界@名無史さん:2005/07/24(日) 04:39:06 0
質問させてください。
人類が戦争をしなかった期間って一番長くてどの位でしょうか。
国内の紛争も戦争に含めるとすればでお願いします。
165世界@名無史さん:2005/07/27(水) 10:39:20 0
アウストラロピテクス同士のケンカとかは含めるんでしょうか?
166世界@名無史さん:2005/07/27(水) 23:40:15 0
「清官で三代」とはどういう意味でしょうか?
不正をしない官僚でも三代暮らせるほど給与が良かったということでしょうか?
それとも、
不正は誰でもやっていて三代暮らせる程度の不正蓄財は大した事じゃない、清官の部類に入る。ということでしょうか?
167世界@名無史さん:2005/07/28(木) 10:46:36 0
>>166
言葉通りとらえると、前者の「不正をしない官僚でも三代暮らせるほど給与が良かった」。
ただ、ニュアンス的には後ろに「いわんや、不正をするものをや」が隠されて、
そういった大多数の私服を肥やす官僚達が、どれだけ私服を肥やしていたかを現している
168世界@名無史さん:2005/07/28(木) 10:47:46 0
ありゃ、言葉がだぶった
△そういった大多数の私服を肥やす官僚達が、どれだけ私服を肥やしていたかを現している
○そういった大多数の私服を肥やす官僚達が、どれだけ荒稼ぎしていたかを現している
169166:2005/07/28(木) 21:32:31 0
>>167
「不正しないでも十分やっていけるはずなのに、もまいらまだ欲しがるのか」
ということですね。
どうもありがとうございます。
170世界@名無史さん:2005/07/28(木) 23:22:22 0
すいません世界史質問スレのも書いたのですが、内藤湖南の唐宋変革論とはどのようなものか大雑把でいいのでおしえてください!
171第20軍団兵 ◆vthFSU.BqE :2005/07/28(木) 23:31:32 0
>>170
あなたには授業のノートを貸してくれる友達もいないのですか。
172世界@名無史さん:2005/07/28(木) 23:55:16 0
春秋戦国時代から秦漢統一あたりの中国の世界観で
礼・徳・法がすべて及んでいる地域が、内臣とする。
その外側には、礼・徳が及んでいる地域、外臣がある。
さらに外には、徳のみが及んでいる地域、客臣があって、
実際には、客臣は(  )をさす。

この文章の(  )の中に埋めるべき単語がまったくわかりませんorz

ご助力お願いします
173世界@名無史さん:2005/07/29(金) 03:20:32 0
胡漢融合って対立してた胡と漢が統一されたってこと?胡が漢に降ったの?
174世界@名無史さん:2005/07/29(金) 05:47:18 0
内藤湖南の唐宋変革について教えてください
175世界@名無史さん:2005/07/29(金) 17:16:39 0
>>170 >>174
2chで聞く暇があるならググるなり本読むなりしたほうが早くね?
歴史学事典でも見れ。
176世界@名無史さん:2005/08/08(月) 08:58:22 0
唐代の中国の夷狄政策について教えてください。
夷狄政策を管轄する官司ですとか令についての論文があったらご教示いただけないでしょうか。
177世界@名無史さん:2005/08/08(月) 17:47:13 0
age
178世界@名無史さん:2005/08/08(月) 19:50:08 0
>>176
取り敢えず、講談社「中国の歴史」シリーズの唐代の巻、
それぞれ『隋唐帝国』(旧版)と『絢爛たる世界帝国』(新版)の、
巻末の参考文献リストから芋蔓式にたどっていけば良いと思う。
179世界@名無史さん:2005/08/08(月) 20:15:28 0
>>178
ありがとう!どうやって調べればよいかわからず困ってたんですよ。
ありがとうございます。
180世界@名無史さん:2005/08/08(月) 20:22:08 0
>>179
あとは山川出版社の『中国史研究入門』や
同朋社出版の『アジア史研究入門』の
唐代の巻を参照して、関連する論文や著書に
あたっていくという方法もある。基本的には芋蔓式。
181世界@名無史さん:2005/08/08(月) 21:11:26 0
>>179
石見清裕『唐の北方問題と国際秩序』もどうぞ。
182世界@名無史さん:2005/08/08(月) 21:15:29 0
いや、やっぱり『東洋学文献類目』を頭から順にめくって…。
183世界@名無史さん:2005/08/10(水) 01:13:11 0
みなさんご親切にいろいろとありがとうございます。
芋蔓式に調べていこうと思います。
184世界@名無史さん:2005/08/10(水) 19:08:41 0
中国史において、姓(氏)が最後に生まれたのっていつ?
俺が知ってる一番新しい例は、前漢初の「第五」氏の誕生っす。
185世界@名無史さん:2005/08/10(水) 19:59:23 0
>>184
多分つい最近まであったろうと思うけど、北魏孝文帝の改革のときに100を超える姓が作られてる
186世界@名無史さん:2005/08/10(水) 20:02:13 0
う〜ん、でもあれは新しい姓はそんなに高い割合じゃないか
187世界@名無史さん:2005/08/10(水) 20:11:18 0
>>185
あぁ〜あ、そういえば虜姓がありましたな。どもです。
でも、ここでは一応「漢人の姓氏」に限定させて下さい。
188世界@名無史さん:2005/08/10(水) 22:20:37 O
後漢末の「是」氏とか
189世界@名無史さん:2005/08/13(土) 02:27:02 0
非漢民族が漢字の姓を名乗る際に設けたものも最近まであるんでは?
回族の馬姓の他にも大理の白族の水姓とかありましたっけ。
190世界@名無史さん:2005/08/13(土) 09:50:59 0
元朝の皇帝には姓はないんでしたっけ。
「耶律」「完顔」に相当するの。
191教えてください:2005/08/14(日) 09:48:59 0
『倭人來獻方物
 并圜丘方丘於南北郊
 二至之祀合於二郊
 罷山陽公國督軍除其禁制』

上記は、晋書武帝紀泰始二年条の一部です。
一行目は、三国志に出てくる邪馬台国の朝貢記事ですよね。
で、二行目なのですが、円丘と方丘を併せ祀ると言う主旨に見えるのですが、
具体的に何が行われたのかご存知の方が居られましたらご教示下さい。

まさか、たまたま訪れていた倭人の前で、円墳に方墳をくっ付けて祀るようにしろ
と言うような珍奇な勅令が出たわけではないですよねw
192世界@名無史さん:2005/08/16(火) 02:19:04 0
この円丘と方丘って、天壇と地壇では?
私はくっつけて祭れとは読めないけど・・・
193世界@名無史さん:2005/08/16(火) 03:23:53 0
「南郊にあった冬至の天壇」と「北郊にあった夏至の地壇」で
それぞれ別にあったのを、合祀して南北に再配置したのかな。
194世界@名無史さん:2005/08/16(火) 16:08:39 0
t
195191:2005/08/17(水) 23:20:01 0
>>192-193
サンクスです。
天壇地壇ですか、確かに方位と形は一致しますね。
晋代でも行われていた故習なんですね。
196世界@名無史さん:2005/08/20(土) 11:45:19 O
初歩的な質問で申し訳ないのですが・・・
三国時代の呉国が帝を称した時、正当性の裏付けは何かあったのでしょうか?
魏は献帝からの禅譲、蜀漢は漢王朝の血統が、
各々の称帝の根拠と言えるでしょうが・・・
呉国の場合は何も無い様に思われます。例のハンコは袁術に上げてしまっているし。
どなたか詳しい方のご教示を頂ければ幸いです。
197世界@名無史さん:2005/08/20(土) 23:20:46 0
>>172
外国・異民族の国・朝貢国あたりかな。

>>190
奇握温(キョト、キャト)
198世界@名無史さん:2005/08/31(水) 12:35:29 O
>>196
初歩とかいう以前に板違い。
「三国志・戦国板」に移動ヨロ。
199世界@名無史さん:2005/09/04(日) 03:35:42 0
age
200世界@名無史さん:2005/09/19(月) 10:54:33 0
我把二百駁獲得了!
201世界@名無史さん:2005/09/27(火) 09:36:20 0
中国で、一人が殺されるとその一族が復讐するってのがあったらしいですけど、その制度(?)って何て呼ばれてたかわかる人いますか?
202世界@名無史さん:2005/10/12(水) 17:00:00 0
「血讐」か?
ただし中国に限らず世界中の似た慣習を総称する言葉だけどね。
203世界@名無史さん
欧州ではフェーデ、ヴェンデッタなどと言う。