>1
乙
>>1 新装開店おめ!!
今後ともどーぞご贔屓にw
7 :
日本@名無史さん:04/02/16 00:47
411 名前:日本@名無史さん 投稿日:2003/12/17(水) 23:56
先週のクイズミリオネアだったかな?
細川護煕の先祖は次のうち誰?って問題があって
選択肢は明智光秀と織田信長と今川義元と・・・あとひとり忘れた。
答えは即わかったのだが
このスレの住人としては短絡的に結論出せないかな、とふと思った
ひょっとしたら明智光秀以外の血をひいてる可能性もあるもんね
どうよ?
8 :
日本@名無史さん:04/02/16 00:48
44 名前:1 投稿日:2003/12/24(水) 01:35
ミリオネアから電話がかかってきました。
「ええとですね、明智光秀の娘が、細川忠興と結婚しまして」
予想通りというかなんというか・・・
>>417あたりのことを要約して話したら、やっぱりうろたえてました。
まあ電話くれた方はミリオネア担当ってだけで、クイズ作家の方ではないので、無理もないですが。
で、クイズ作家にもう一度確かめてみて、今週中にもう一度連絡をくれるそうです。
さてどうなりますやら。
501 名前:1@実家 投稿日:2003/12/31(水) 01:51
すいません、ミリオネアが全く電話かけてきてくれないんですよ。
まあうちの一人暮らししてる家に留守電入ってるかもしれないですが。
でも携帯の番号も教えてあるのに・・・
というわけで俺が実家を離れるまで待ってくださいごめんなさい
531 名前:1 投稿日:2004/01/06(火) 00:04
実家から戻ってまいりました。
電話には留守電は入っていませんでした。
なんだかこれ以上ミリオネアに電話をかけてネチネチ言っても交わされそうなのでもうこの件は諦めようかと思います。
とりあえず出題に不備があった、ということで自己満足しておきます。
ただ、今川とつながるかどうかはちょっと気になりますが。
9 :
日本@名無史さん:04/02/16 00:48
739 名前:1 投稿日:2004/02/02(月) 03:03
>>733 うちは父方が農民、母方は赤穂藩士(討ち入りせず。その後は不明)という栄えある家系です・・・
>>735,
>>738 他の人にもどんどん書いてほしいんですがねえ。
まだまだ家系が不明な家も多いですし。
866 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/02/11(水) 14:10
>>1 おまいだな
10 名前:1 投稿日:2003/10/16(木) 01:16
俺は全然武家じゃないんだけど、彼女が某弱小公家(全国に30人くらいしかいない名字なんで伏せさせてもらうが)の直系なんですよね
先祖代々、男は「隆」の字つけてます。
あ、それと母方は赤穂浅野家の家臣だったにもかかわらず討ち入りに加わらなかったらしい・・・
ま、そのおかげで俺があるんだが。
893 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/02/11(水) 21:35
江戸大名・公家の子孫って今何してるの?
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1066233318/
10 :
日本@名無史さん:04/02/16 02:04
私的ルール
一、スレッドタイトルから理解される通り、原則、大名家のみの系図を書くこと。
ニ、一の「大名家」とは、江戸時代に存在した藩の家であること。
三、可能な限り、現在の当主まで追跡して書くこと。
四、系図の最初には家名を書くこと。
五、系図が一回で書ききれない場合は、血流毎に分割して書くこと。
その最初には、各血流の繋がりを示す系図を書き、さらにその次には【】書きで
番号、血流名を書くこと。
(例: 【1】○○流)
六、原則として、血脈、即ち実の親子関係に基づいた家系図を書くこと。
七、他家から娘婿を迎えていた場合は=で書くこと。
女および娘婿の実父名が判明している場合、表記することが望ましい。
さらに婚族と密接な繋がりを認めた場合、婚族も併記することが望ましい。
八、血縁および姻戚関係が全くない者を継嗣に迎えていた場合は→で書くこと。
11 :
日本@名無史さん:04/02/16 02:04
九、藩の当主には、名の前に、藩の記号を半角アルファベット小文字でa、b、c・・・と書き、
次に代数を半角アラビア数字で1、2、3・・・と書くこと。
十、宗家(宗藩)の当主には、名の前に、代数を全角アラビア数字で1、2、3・・・と書くこと。
もしくは七の形式で「a」の記号を用いること。
十一、七で示した家名は、系図の後ろに、藩の記号、「印:」、国名、藩名を付記すること。
(例: a印:○○××)
十ニ、八で示した家名は、系図の後ろに、「無印:」、国名、藩名を付記すること。
(例: 無印:○○××)
十三、諸侯に列せられた者には、名の後ろに括弧書きで爵位を書くこと。
(例: a17○○(子爵))
十四、廃藩後の当主には、便宜的に七および八で示した部分を括弧書きすること。
(例: (b13)○○)
十五、五および六に該当する者は、系図の後ろに藩記号、代数、名、実父の身分、実父名、
および続柄を付記すること。(例: a17○○は××藩主△△の◇男)
さらに、歴史上の著名人と近親関係にある場合は、この後ろに括弧書きで名と続柄を
表記することが望ましい。(例: a17○○は××藩主△△の◇男(■■の▲))
12 :
日本@名無史さん:04/02/16 02:19
十六、他家に養子に行った者が迎えられた場合や、途中で苗字を変えた場合、
もしくは松平姓などを与えられた場合、名の上に苗字を括弧書きする、
もしくは名の前に苗字を書くこと。
十七、娘婿でなくとも、同族、すなわち血縁関係にある者が継嗣に迎えられた場合、
五と同様に=で書くこと。
13 :
日本@名無史さん:04/02/16 02:22
14 :
日本@名無史さん:04/02/16 02:42
水野家、戸田家、松前家などやってみたいな・・・
松平(形原)や松平(瀧脇)なども見てみたいな。
新スレおめ
大手さんはあらかた出てしまったので今後は大変かと思うがガンガレ
17 :
日本@名無史さん:04/02/16 11:09
>>1 乙。
リンク先たくさん貼ってくれてもすぐ落ちますぜ。
わたすの先祖は明治時代やくざですた
20 :
日本@名無史さん:04/02/16 13:51
>1
おつ。
やっぱ、サイトたちあげて、過去ログ見れるようにする若しくは、前スレ掲載の系図を載せるのがよろしいかと。
前スレは悲惨な1スレに出てたね
23 :
日本@名無史さん:04/02/16 22:29
またプライバシー暴露スレが始まったか。
24 :
日本@名無史さん:04/02/16 23:51
>1
遅ればせながら1さん乙。
25 :
日本@名無史さん:04/02/17 00:01
>>1さん乙です。
前スレで本多家や内藤家などをやった者です。
>>14さんが水野、戸田、松前のリクエストをされていますが、
あと佐竹、真田、南部、浅野、相馬、阿部、蜂須賀、京極、
九鬼、青山、小笠原、柳沢、板倉などが抜けていますね。
佐竹、真田、浅野がまだだったのはちょっと意外でしたが・・・
>>5,
>>6,
>>16,
>>17,
>>20,
>>24,
>>25 どうもです。以後もよろしう。
で、前スレの系図はやっぱり落ちちゃいますよねえ。
サイト立ち上げるかー・・・ぼちぼち工事してみます。
で、譜代は少禄の藩がポツポツとあるので系図がわかりにくくなりますよね。
ほんと25さんはお疲れさまです。
浅野は現在残っている家が広島の宗家だけなので支藩込みは俺は書いてません・・・が、赤穂や広島新田も意欲のある方はお願いします。
25さんの挙げられている家の中だと小笠原とかが面倒そうだなあ。
というわけで軽いところで松前家を。
1慶広┬盛広─2公広─3氏広─4高広─5矩広
└忠広─直広─本広─6邦広─7資広─8道広─9章広┬見広─┬10良広
└12崇広└11昌広─13徳広─14修広─15勝広─16正広(子爵)
16正広の死後、宗家は「断絶」ということになっているようです。
ただし12崇広の子隆広の家が男爵となり、現在まで続いています。
27 :
日本@名無史さん:04/02/17 02:11
意表を衝いて、宗家。
(惟宗) (宗)
信国┬1重尚
└2助國─3盛明─4盛國┬5經茂(宗慶)─尚茂─7貞茂┬8貞盛─9成職
└頼次(宗香)─澄茂─6頼茂 └盛國─10貞國┬11盛貞(材盛)┬12義盛
│ └盛家─13盛長
└某─盛弘─14将盛┬15貞泰(晴康)─16義調
├17茂尚(茂盛)
├18義純
└19a1昭景(義智)
28 :
日本@名無史さん:04/02/17 02:12
18a1昭景(義智)─20a2義成─21a3義真┬22a4義倫
├23a5義方
├24a6義誠┬26a8義如─28a10義暢┬29a11義功(猪三郎)
└25a7方熈└27a9義蕃 └30a12義功(富寿)─31a13義質┬32a14義章
└33a15義和─34a16義達(重正)(伯爵)─35(a17)重望─36(a18)武志─37(a19)立人
a印:対馬府中(厳原)
宗家の代数はこれに基づいています。
http://www1.ocn.ne.jp/~kurose/rekishinenpyo.htm 養子が無いので楽でいいです。
地理が地理だけに、他家から養子を取るわけにもいかず、幕府からも多めにみられているのでしょう。
ところで、8貞盛のとき朝鮮と「嘉吉条約」なるものを結び、このとき、朝鮮からすると対馬は属州と見なされ
宗氏は朝鮮の代官とされたのですね。何で朝鮮人が対馬をウリナラ領土と言うのか、理解しました。
(倭寇問題において朝鮮政府が付け込んだからのようですが)
>>1 宗武志は黒田(久留里)和志4男です、
因みに和志は宗義和の6男。
30 :
日本@名無史さん:04/02/17 03:00
31 :
日本@名無史さん:04/02/17 03:13
>>29 ご指摘どもです。
18a1昭景(義智)─20a2義成─21a3義真┬22a4義倫
├23a5義方
├24a6義誠┬26a8義如─28a10義暢┬29a11義功(猪三郎)
└25a7方熈└27a9義蕃 └30a12義功(富寿)─31a13義質┬32a14義章
└33a15義和┬34a16義達(重正)(伯爵)─35(a17)重望
│
│(久留里) (宗)
└黒田和志─36(a18)武志─37(a19)立人
a印:対馬府中(厳原)
第一尚氏
a1思紹─a2巴志┬a3忠──a4思達
..├a5金福
..└a6泰久─a7徳
第二尚氏
稷┬b1円──b3真┬b4清─b5元┬b6永
.└b2宣威 .│ ..└久──b8豊┬b9賢
..│ ..├b10質
..│ ..└文──b11貞─純─b12益─b13敬─b14穆─哲─b15温┬b16成
..│ └b17[シ景頁]─b18育─b19泰─典─昌─裕
..└維衡─弘業─懿──b7寧
33 :
日本@名無史さん:04/02/17 04:24
プロジェクトXの第六回「妻へ贈ったダイニングキッチン」で取り上げられた尚明さんは琉球王の末裔。
ダイニングキッチンの考案者である尚明さんは最後の琉球王尚泰の六男尚光の息子。
夫人の道子さんは料理研究家でタコさんウインナーの考案者。道子さんは尚氏第三代尚真王の末裔でもある。
息子の承さんもNHKの料理番組の講師。
>33
コピペかよもうみんな知ってるよ
>>23 プライバシーの問題は知らないが写している資料の著作権の問題はあるんじゃないか?
36 :
日本@名無史さん:04/02/17 14:56
>>31 うーん「ふたり義功」…。
これたしか義功が急死して跡目立てていなかったんで、断絶を防ぐために
もう一人に義功を名乗らせて生きていることにしたんだよね。
37 :
日本@名無史さん:04/02/17 14:58
坂下とか坂上とか車はどうでしょうか
名族ですか
このスレって寛永系図だとかうつしてるだけ?
39 :
日本@名無史さん:04/02/17 15:22
九鬼家きぼーん
>38
写しているのは「平成新修旧華族家系大成」
法学部の学生として著作権をどう考えてるの?
42 :
日本@名無史さん:04/02/17 15:45
>>40 それだけじゃ無理だろ。
「寛政重修諸家譜」とか「三百藩藩主人名事典」も必要だろうし
もっと詳しく知りたければ各市町村史の資料編に載ってる史料なんかも参考にしなきゃでしょ。
まあ旗本からの養子のケースもあるからな、市町村史まで使って書いてるのはさすがにないが
44 :
日本@名無史さん:04/02/17 22:41
>>39さんリクエストの九鬼家
1隆良─2隆基─3隆次─4泰隆─5定隆┬6浄隆─7澄隆
└8嘉隆┬9守隆┬10良隆
│ └b1隆季─b2隆常→b3隆直→b4隆寛┬b5隆貞┐→b6隆祺
│ │ └b7隆郷┬b8隆度
│ │ └b9隆都┬b10隆備(子爵)─(b11)隆治
│ │ └23a13隆義(子爵)─24(a14)隆輝─25(a15)隆興─26(a16)隆正
│ ├──────17a7隆由
│ │ ||
└11a1久隆┬12a2隆昌→13a3隆律 │16a6隆抵(隆休)── 女
└ 女 └18a8隆邑─19a9隆張─20a10隆国─21a11隆徳─22a12精隆
||─14a4副隆
柳生宗冬┬宗春
└宗在─15a5隆久(隆方)
45 :
日本@名無史さん:04/02/17 22:42
a印:摂津三田
b印:丹波綾部
a3隆律は因幡鳥取藩主池田光仲の三男
a6隆抵(隆休)は戸田忠章(忠定)の二男
b3隆直は松平信定の十一男
b4隆寛は播磨林田藩主建部政周の三男
b6隆祺は遠江相良藩主田沼意次の三男
武術「九鬼神流」宗家は26代隆治まで、九鬼宗家は現当主(らしい)隆正氏まで追えました。
案外簡単だった・・・
46 :
日本@名無史さん:04/02/17 23:08
>>44で大ポカしました (_ _) スマソ
九鬼家(修正第一版)
1隆良─2隆基─3隆次─4泰隆─5定隆┬6浄隆─7澄隆
└8嘉隆─9守隆
9守隆┬10良隆
├b1隆季─b2隆常→b3隆直→b4隆寛┬b5隆貞┐→b6隆祺
│ │ └b7隆郷┬b8隆度
│ │ └b9隆都┬b10隆備(子爵)─(b11)隆治
│ │ └23a13隆義(子爵)─24(a14)隆輝─25(a15)隆興─26(a16)隆正
│ ├──────17a7隆由
│ │ ||
│ │16a6隆抵(隆休)─ 女
│ └18a8隆邑─19a9隆張─20a10隆国─21a11隆徳─22a12精隆
│
└11a1久隆┬12a2隆昌→13a3隆律
└ 女
||─14a4副隆
柳生宗冬┬宗春
└宗在─15a5隆久(隆方)
先日30歳を目前に初めて風俗行ったんだけど
部屋に入って緊張してる俺に向かって付いた娘から
「お客さんっボークビッツみたいでかわいいですね」って言われちゃった・・・
この歳になってかわいいだなんて、しかも年下から言われて正直テレたよw
ところで「ポークビッツ」って何かのアニメキャラかな?
一柳家希望。
>>40 人間の親子関係自体は単なる事実ですので著作権は発生しません。
それを文章の形にしたり、系図のような図にまとめたりした段階で、その表現方法に著作権という保護が与えられます。
俺を含めここに系図を書いている人は、
>>1に示したような方法で親子関係という事実を表現しています。
当主と関連のない人名を掲載しないことや、他家からの養子でも先祖との血縁関係がある場合はそちらを重視して系図を作成している点などで、「平成新修旧華族家系大成」や「寛政譜」などとは違うと考えています。
そういうわけで、参考にしている文献の表現方法を侵害しているとは思っていません。
51 :
日本@名無史さん:04/02/18 01:18
>49
そんなふうにはっきり答えりゃいいのに
>>9
52 :
日本@名無史さん:04/02/18 19:08
>>48さんのリクエスト、一柳家。
1宣高─2直高─3a1b1直盛┬4b2直重─5b3直興
├6c1直家(直栄)=7c2直資(直次)─8c3末禮=直昌─9c4末昆─10c5末栄─11c6末英┬12c7末昭
│ └13c8末周─14c9末延─15c10末彦→16c11末徳(子爵)─17(c12)剛─18(c13)末幸
└d1直頼─d2直治┬d3頼徳
└治良─d4頼邦─d5頼寿┬d6頼欽─d7頼親
│
│(村越) (一柳)
└成芳──d8頼紹─d9頼明─(d10)紹念(子爵)─(d11)直徳
a印:伊勢神戸
b印:伊予西条
c印:播磨小野(伊予河上)
d印:伊予小松
c2直資(直次)は丹波園部藩主小出吉親の二男(c1直家女婿)
c10末徳は丹波綾部藩主九鬼隆都の五男
d7頼親は一柳直欽の子(?)
9c4末昆の父一柳直昌は先代末禮の養子だそうですが、出自が分かりません。
またd7頼親の父は一柳直欽ともd6頼欽とも書かれていますが、これも確認できませんでした。
あと、ついでですが・・・哲学者一柳富夫、天文学者一柳寿一はこの系図に関わってくるのでしょうか。
53 :
日本@名無史さん:04/02/18 20:22
オノヨーコの最初の夫もその一柳家の末裔?
54 :
日本@名無史さん:04/02/18 20:40
一柳慧(いちやなぎ・とし)氏ですか?
神戸出身ですから播磨小野の筋かも。
んなわけないっしょ。同じ姓で一族なら武田鉄也も武田信玄の子孫。加藤剛は加藤清正の子孫だね。
i
56 :
日本@名無史さん:04/02/18 23:07
武田鉄矢は信玄の子孫ではないけれど、甲斐源氏武田氏の末流らしいよ。
そろそろ馬鹿がメンソレータムコピペするね
58 :
日本@名無史さん:04/02/18 23:21
今川氏真ー吉良義定妻ー吉良義弥ー吉良義冬ー吉良義央ー上杉綱憲ー上杉吉憲ー上杉重定ー上杉治広ー上杉治広娘(板倉勝俊妻)ー九鬼隆都妻ー一柳末徳=一柳米来留(末徳の娘婿、本名W.M.ヴォーリズ 近江兄弟社設立)ー近江兄弟社ーメンソレータム
一柳(ひとつやなぎ)家の始祖宣高は河野通直の弟で天正年間の人。
つまり始まってから400年そこそこしか経ってない新しい家なんです。
武田や加藤とは違います。あの系図の代が全てです。
しかも大名家としてはマイナーもいいところで、藩の直臣も何十人か
程度・・・好き好んで勝手に名乗る程の苗字ではないかと。
だから実際に血縁があるかどうかは別として、あの系図のどこかに
彼らが絡んでいる可能性は高いだろうと私は思っているのです。
>>52 一柳直昌って誰なんですかねえ。
寛政譜見ないとわからないかな・・・
(d11)直徳は(d10)紹念の子じゃないですね。伊予宇和島藩主伊達宗徳の7男です。
(d11)直徳のあとは(d11)直徳─(d12)直俊─(d13)直智です。
61 :
日本@名無史さん:04/02/19 00:28
新庄家
1俊名─2正俊─3直俊─4直秀─5高直─6直嗣─7直寛─8直昌
8直昌┬9a1直頼─10a2直定─11a3直好─13a5直矩
└直房─12,14a4a6直時─15a7直詮─16a8直祐┬17a9直隆─19a11直規─20a12直計─21a13直彪─22a14直ハツ=23a15直敬(子爵)─?24(a16)直陳
└18a10直侯
a印:常陸麻生
a15直敬は旗本新庄直孝の長男
この藩主家は旗本になった支流がいくつかありますが、a15直敬はそこから迎えられたようです。
メジャーな家は飽きた(≒疲れた)ので、しばらくマイナーに逝きまつ・・・
63 :
日本@名無史さん:04/02/19 00:40
>>60(1)さんどもです。
一柳家(修正第一版)
1宣高─2直高─3a1b1直盛┬4b2直重─5b3直興
├6c1直家(直栄)=7c2直資(直次)─8c3末禮=直昌─9c4末昆─10c5末栄─11c6末英┬12c7末昭
│ └13c8末周─14c9末延─15c10末彦→16c11末徳(子爵)─17(c12)剛─18(c13)末幸
└d1直頼─d2直治┬d3頼徳
└治良─d4頼邦─d5頼寿┬d6頼欽─?d7頼親
│
│(村越) (一柳)
└成芳──d8頼紹─d9頼明─(d10)紹念(子爵)→(d11)直徳─(d12)直俊─(d13)直智
a印:伊勢神戸
b印:伊予西条
c印:播磨小野(伊予河上)
d印:伊予小松
7c2直資(直次)は丹波園部藩主小出吉親の二男(c1直家女婿)
16c11末徳は丹波綾部藩主九鬼隆都の五男
d7頼親は一柳直欽の子?
(d11)直徳は伊予宇和島藩主伊達宗徳の七男
一柳家(修正第ニ版)
1宣高─2直高─3a1b1直盛┬4b2直重─5b3直興
├6c1直家(直栄)=7c2直資(直次)┬8c3末禮
│ └直昌─9c4末昆─10c5末栄─11c6末英┬12c7末昭
│ └13c8末周─14c9末延─15c10末彦→16c11末徳(子爵)─17(c12)剛─18(c13)末幸
└d1直頼─d2直治┬d3頼徳
└治良─d4頼邦─d5頼寿┬d6頼欽─?d7頼親
│
│(村越) (一柳)
└成芳──d8頼紹─d9頼明─(d10)紹念(子爵)→(d11)直徳─(d12)直俊─(d13)直智
a印:伊勢神戸
b印:伊予西条
c印:播磨小野(伊予河上)
d印:伊予小松
7c2直資(直次)は丹波園部藩主小出吉親の二男(9c1直家女婿)
16c11末徳は丹波綾部藩主九鬼隆都の五男
d7頼親は一柳直欽の子?
(d11)直徳は伊予宇和島藩主伊達宗徳の七男
65 :
日本@名無史さん:04/02/19 00:53
>>52 (d10)紹念はd8頼紹の四男で、d9頼明の弟です。
また、d6頼欽─d7頼親の親子関係は、
「平成新修旧華族家系大成」を見る限りそのままのように見受けられます。
d6頼欽はd5頼寿の二男であるので、d5頼寿の長男頼忠を嫡子としていたとするならば、
d6頼欽は分家したか若しくは分家の養子になり直欽と名乗っていたのかも知れません。
>>60 伊達、島津、上杉は他家の系図によく名前が挙がりますね(笑)
一柳家(修正第三版)
1宣高─2直高─3a1b1直盛┬4b2直重─5b3直興
├6c1直家(直栄)=7c2直資(直次)┬8c3末禮
│ └直昌─9c4末昆─10c5末栄─11c6末英┬12c7末昭
│ └13c8末周─14c9末延─15c10末彦→16c11末徳(子爵)─17(c12)剛─18(c13)末幸
└d1直頼─d2直治┬d3頼徳
└治良─d4頼邦─d5頼寿┬d6頼欽(直欽?)─d7頼親
│
│(村越) (一柳)
└成芳──d8頼紹┬d9頼明
└(d10)紹念(子爵)→(d11)直徳─(d12)直俊─(d13)直智
a印:伊勢神戸
b印:伊予西条
c印:播磨小野(伊予河上)
d印:伊予小松
7c2直資(直次)は丹波園部藩主小出吉親の二男(6c1直家女婿)
16c11末徳は丹波綾部藩主九鬼隆都の五男
(d11)直徳は伊予宇和島藩主伊達宗徳の七男
67 :
日本@名無史さん:04/02/19 01:33
>58
馬鹿登場
>>61 新庄直頼4男直房は分家して3000石の旗本になり、
直房の跡は直時の兄直長が継承し、寛政期に至ってます。
寛政期の当主直容は安永3年の生まれで「19a11直規」
の娘を娶り、二人の間に小太郎直孝が生まれています。
この直孝が「23a15直敬(子爵)」の父親ではないでしょうか?
因みに直長から直容までの歴代当主は以下の通り。
直長─直賢─直澄─直矢(15a7直詮15男)─直武─直容
あと直敬の後は
直正─美雄─直陳─直知─直孝─直英
と続きますが、美雄は中御門経之(公家)次女で直正夫人。
美雄は直正が没した後、当主となるが新庄鐸橘長男直陳と再婚しています。
直孝は昭和19年に戦死、直英はその弟。
ところで新庄鐸橘は新庄直彪の甥にあたりますが、
実父は一体誰ですかねえ?
一柳さんは全国に約7400人、大名家の一柳氏は、越智氏河野氏流。ほか宇多源氏佐々木氏流、藤原氏など様々な系統があるのじゃよ。
一柳が河野末流って話じたい詐称だと考えられているのであんまりまに受けないほうがいいですよ。河野氏と姻戚関係があった可能性はあるそうですが。
姻戚関係があったかもといっても戦国時代に伊予にいた河野氏ではないのだけれど
マサ斎藤も斎藤道三の子孫
73 :
日本@名無史さん:04/02/19 19:56
新庄家 (修正第一版)
1俊名─2正俊─3直俊─4直秀─5高直─6直嗣─7直寛─8直昌
8直昌─9a1直頼┬10a2直定─11a3直好─12a5直矩
│
└直房┬─直長──直賢──直澄= ┌───直矢────直武──────直容
│ │ ||─直孝─23a15直敬(子爵)─24(a16)直正
│ │ ┌ 女 ||
└12a4,14a6直時─15a7直詮┴16a8直祐┬17a9直隆─19a11直規┴20a12直計┬21a13直彪─22a14直ハツ ||
└18a10直侯 │ ||
│ 中御門経之─25(a17)美雄
│ ||─27(a19)直知┬28(a20)直孝
└某─鐸橘 ─── 26(a18)直陳 └29(a21)直英
a印:常陸麻生
>>68(36)さん、ありがとうございました。
私は書き込むのが務めと思いひたすら頑張りますので、よろしくご指導お願いいたします。
しかし、簡単に済ませるはずが一転してこんな七面倒な系図になるとは思いませんでした・・・
>>66 それから16c11末徳はd8頼紹の娘を妻に迎えているので
d8頼紹┬d9頼明─(d10)紹念(子爵)→(d11)直徳─(d12)直俊─(d13)直智
=16c11末徳(子爵)─17(c12)剛─18(c13)末幸
という形になるかと。
75 :
日本@名無史さん:04/02/20 00:21
板倉家
頼重─好重─勝重
勝重┬a1重宗┬a2重郷─a3b1重常
│ │
│ └f1重形=f2g1重同─g2h1勝清┬h2勝暁
│ ├h3勝意─h4勝尚┬h5勝明
│ │ └h6勝殷─?(h7)勝観(子爵)─?弘
│ └j7勝矩─j8勝長┬j9勝俊┬j10勝顕─j11勝尚
│ │ └i11勝弘(子爵)
│ └勝定─j12勝達(子爵)─?勝宏
│
├重昌─重矩┬重良─重宣→i1重高─i2昌信─i3勝興┬i4勝志
│ │ └i5勝喜┬i8勝貞→i9勝成→i10勝全
│ │ ├i6勝モト
│ │ └i7勝資
│ └重種─j1重寛─j2重泰→j3勝里┬j4勝承
│ └j5勝任
│
└重大─b2重冬─b3c1重治─c2d1勝澄┬d2勝武
├d3勝従
├d4勝政─d5勝ラ(勝慶)┬d6勝職=d7勝静
└j6勝行 └勝喬─d8e1勝弼(子爵)─?勝昭
76 :
日本@名無史さん:04/02/20 00:22
板倉家
a印:下総関宿
b印:伊勢亀山
c印:志摩鳥羽→伊勢亀山
d印:備中松山
e印:備中高梁
f印:上野安中
g印:陸奥泉→遠江相良
h印:上野安中
i印:備中庭瀬
j印:陸奥福島→三河重原
d7勝静は陸奥白河藩主松平(久松)定永の八男(松平定信の孫でd6勝職女婿)
f2重同は神保元茂の二男(f1重形の外孫)
i1重高は丹波園部藩主小出英知の五男
i9勝成は陸奥岩城平藩主安藤信由の二男
i10勝全は上野伊勢崎藩主酒井忠恒の子
j3勝里は河内丹南藩主高木正陳の二男
77 :
日本@名無史さん:04/02/20 00:28
一柳家(修正第四版)
1宣高─2直高─3a1b1直盛┬4b2直重─5b3直興
├6c1直家(直栄)=7c2直資(直次)┬8c3末禮
│ └直昌─9c4末昆─10c5末栄─11c6末英┬12c7末昭
│ └13c8末周─14c9末延─15c10末彦
└d1直頼─d2直治┬d3頼徳
└治良─d4頼邦─d5頼寿┬d6頼欽(直欽?)─d7頼親
│
│(村越) (一柳)
└成芳──d8頼紹┬d9頼明
├(d10)紹念(子爵)→(d11)直徳─(d12)直俊─(d13)直智
=16c11末徳(子爵)─17(c12)剛─18(c13)末幸
a印:伊勢神戸
b印:伊予西条
c印:播磨小野(伊予河上)
d印:伊予小松
7c2直資(直次)は丹波園部藩主小出吉親の二男(6c1直家女婿)
16c11末徳は丹波綾部藩主九鬼隆都の五男(d8頼紹女婿)
(d11)直徳は伊予宇和島藩主伊達宗徳の七男
>>74(1)さん、どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
一柳家。
四回書き直して、おそらくこれがファイナルアンサーになるのでしょうね。
でもまぁ、これでも簡単なほう・・・なんですよね(汗)
さて次はどの家にするか・・・
80 :
日本@名無史さん:04/02/20 01:38
土屋家
昌恒(惣蔵)─忠直─a1数直─a2b1政直─b2陳直─b3篤直┬b4寿直 (水戸)
├b5泰直 徳川治保 ┬治紀──斉昭──┬慶喜
└b6英直─b7寛直→└b8彦直─b9寅直→└b10挙直(子爵)─正直
a常陸土浦
b駿河田中→常陸土浦
b8彦直は水戸藩主徳川(水戸)治保の子
b10挙直は水戸藩主徳川(水戸)斉昭の十七男
>>32 11代尚貞は10代尚質と王妃美里按司加那志の子。
17代尚[シ景頁]は尚哲の子(四男)です。
安室奈美恵は最高だよ
83 :
日本@名無史さん:04/02/20 12:51
>52
一柳(ひとつやなぎ)家については1が詳しいだろ教えてもらいな
43 名前:1 投稿日:2003/10/18(土) 00:01
>>41 小西酒造?w
どっちにしろ小西家って江戸幕府まで残ったっけ?
俺がテーマにしたいのは260年残った家なんだよなあ・・・
そういや知り合いの知り合いが一柳(ひとつやなぎ)家1万2000石の直系だったな
ただの学生だけど
84 :
日本@名無史さん:04/02/20 20:43
大岡越前の家系をキボンヌ。
85 :
日本@名無史さん:04/02/20 20:44
京極家
(京極)
氏信─宗綱─貞宗─宗氏─高氏(道誉)─高秀─高詮─高光─持清─勝秀─高清─高佳(高吉)
高佳(高吉)┬a1高次┬a2b1忠高 ┌d1高通─d2高慶─d3高文─d4高賢┬d5高琢
│ └高政─c1高和─c2高豊┤ └高宝─d6高典(子爵)
│ └c3高或─c4高矩─c5高中─c6高朗=c7朗徹─?高徳(子爵)
└e1高知┬e2高広─e3高国
├f1高三┬f2高直─f3g1高盛
│ └g2高住─g3高栄┬g4高寛
│ └g5高永─g6高品
│
└=h1高通─h2高供─h3高明─h4高之→h5高長
=h6高久┬h7高備┬h8高倍
│ └h9高鎮→h10高景→h11高富(子爵)=h12高陳
└g7高有─g8高行─g9高厚(子爵)
86 :
日本@名無史さん:04/02/20 20:46
京極家
a印:若狭小浜
b印:出雲松江
c印:播磨竜野→讚岐丸亀
d印:讚岐多度津
e印:丹後宮津
f印:丹後田辺
g印:但馬豊岡
h印:丹後峰山
c7朗徹は京極高周の五男
h1高通は朽木宣綱の二男
h5高長は陸奥棚倉藩主内藤弌信の三男or四男
h6高久は京極織部高庭の四男
h10高景は松平主殿頭忠馮の六男
h11高富は京極高供の子?
h12高陳は京極靭負の二男
d1高通はc3高或の庶兄で、c3高或就任時幼少だったため急遽分家を立てられたものです。
従いまして、c印讚岐丸亀のほうが宗家。
しかし、この京極も旗本になった分家が多く、そこから何人か藩主に迎えられていて
よくわかりません。フォローよろ。
87 :
日本@名無史さん:04/02/20 21:00
>83
その三戦の板 ここの前スレの前日で放棄してるんだよな1
88 :
日本@名無史さん:04/02/20 21:14
戦前のヤクザは侠客と言った。
戦後はイワユル三国人が裏社会の実権を握った為
侠客などは居なくなり、愚連隊がそのままヤクザになった。
東映の映画の題材は殆どが戦前の侠客を題材にした物。
では、侠客とは何かだが、博徒としての顔の他にお上から
もらった業務も有った。(江戸時代の話し)
末端の警察業務等がそうである。
そして、侠客とはどう云う者がなったかと言うと
エタ、非人という被差別民であった。
彼等には、地域の警備や無宿人の取り締まりの見かえりとして
「勧進権」というものが与えられた。
「勧進権」とは、地域の住民から一定の金品や「米」を徴収して
も良いという権利だ。
この、彼等の徴収の認められた範囲を「岡場所」「草葉」等と言った。
今でも、暴力団の縄張りを「岡場所」等と言う事があるのはココに由来する。
しかし、侠客の岡場所は公認の物であるのに対し、暴力団の物はそうではない。
まず、ヤクザ(侠客)と現在の暴力団を別に考える必要がある。
もっと言えば、暴力団が自らをヤクザと言うのは僭越であり、決して
ヤクザと呼べる物ではない。
奴等(暴力団)をヤクザなどと呼ぶのはやめよう。
過去の歴史有る、本物の日本人のヤクザに失礼だよ。
89 :
日本@名無史さん:04/02/20 21:20
>>84さんのリクエスト、大岡家
1忠勝─2忠政┬3忠世─4忠真 →8a4忠與
└忠吉─忠章─忠高─5a1忠相─6a2忠宜─7a3忠恒┴9a5忠移┬10a6忠愛
└11a7忠敬(子爵)─?忠輔
a印:三河西大平
a4忠與は播磨安志藩主小笠原信濃長逵の三男
味の素人事部長から同顧問になったと思われる忠輔氏が当主のようですが、
この方はまだご存命なんでしょうか。
90 :
日本@名無史さん:04/02/20 22:05
京極高典氏の後は、壽吉(山崎氏)ですが、相続して数年で隠居離縁となっています。
相続後に実子が生まれ、高典氏が再相続。
面白いですねえ。
91 :
日本@名無史さん:04/02/20 22:12
ワールシュタットの闘い
ヘンリック二世は全軍をあげて、リーグニッツの東南4km、ワールシュタットに
布陣した。
ヘンリックの戦略は、4万の軍をせれぞれの出身別に5個の部隊に分け、それを
梯団編成により、モンゴル軍を漸減しつつ、最後部に配置した最強の装甲重
騎兵で蹴散らそうというものだった。
第1陣は、モラヴィア辺境伯の嫡子ボレスラフが指揮する歩兵中心の部隊である。
第2陣はから第3陣までは、各州の地方領主を中心とする部隊で、封建領主と
しての騎士と、その従者、そして農民を徴発した歩兵の部隊である。
第4陣と第5陣が決戦部隊だった。
異教徒たるモンゴル軍を殲滅するための、重装甲を施した騎士を中心とする
騎兵部隊である。
第4陣はプロシアのチュートン騎士修道会、そして第5陣は、ポーランド騎士団と
ドイツの傭兵部隊である。ヘンリック自身は第5陣に本陣を置き、自らを決戦部隊
の司令官としていた。
梯団状に配置したヨーロッパ連合軍4万に対し、モンゴル軍は圧倒的に優勢だった。
司令官バトゥは総勢15万を各3万の5個軍にわけ、ヨーロッパ軍を包囲する横隊陣形
をとった。
直接正面にあたる部隊は、チンギスハンの第二子チャガタイの子バイタルだった。
バイタルは敵が5段の陣を敷き、各団ごとに防御線を敷いて、モンゴル軍を疲弊、
漸減する戦法であることを看て取った。
その思惑の裏をかくために、バイタルは前線に押し出す騎兵の小部隊を編成した。
92 :
日本@名無史さん:04/02/20 22:12
両軍が対峙し戦端が開かれた。ボレスラフの指揮する第1陣が前進し、モンゴル
騎兵隊も、猛然と疾駆してきた。
短い戦闘の末、モンゴル軍は混乱し、馬首を巡らせて、逃げ出していった。
意外なほど脆い敗走だったがボレスラフは疑問を感じることなく、全部隊に追撃を
命じた。
第2陣も意外な展開に驚きながらも手柄の一人占めは許さないとばかり、全部隊に
前進を命じた。
必勝を期して組み上げた陣形が崩れはじめた。慌てたヘンリックは命令を飛ばして
制止する。しかし言葉も違い、統一された指揮系統にあるわけでもない連合軍には
意思統一は望むべくも無く、眼前にちらつく手柄に目を奪われた連合軍は、周囲の
状況など目に入らず突進した。
気づいたときには、第1陣、第2陣共に本体から大きく引き離されて、大平原のただ中
に引きずり出されていた。
敗走するモンゴル前衛部隊を追撃する連合軍第1陣だが、距離は詰まらず、しかも
付かず離れずの距離を保って逃げていく。連合軍将兵の胸に疑念が射した。
そのとき、行く手に白い旗が翻った。同時に歓声があがり、地響きが轟いた。
左右両翼から土煙が上がり、何万という騎兵が疾走してくる。
モンゴル軍の主力、軽騎兵が連合軍を覆い潰すように突進し、呆然と立ちすくむ
第1陣を嘲笑うかのように、敗走していたはずの前衛部隊までが馬首を再度巡らせた。
モンゴル軍が得意とした、擬似敗走による釣り出し戦法である。
圧倒的な兵力を用意して敵軍に対する鶴翼陣形を取り、それを伏兵として、小兵力の
前衛部隊を突出させる。軽く戦った後に敗走を装って後退し、敵の追撃を誘いつつ、
味方の包囲網の中心に誘い出す。
そして敵の兵力を引き離し、騎兵の大集団が自在に行動できる平原に誘引して、
伏兵となった騎兵集団が左右から突撃。同時に前衛部隊も反転して敵の前進を阻み
、動きの止まった敵集団を主力騎兵の大密集集団で押し潰すという、必殺戦法だ。
93 :
日本@名無史さん:04/02/20 22:13
事態の急変に右往左往するボレスラフの第1陣は、完全包囲され、矢の雨が降り注ぐ。
第1陣が包囲され、なぶり殺しの窮地を救おうと第2陣、第3陣は、全力で進軍した。
しかしその戦場にたどり着くより早く、モンゴル騎兵の大軍が彼らを続けざまに挟み込み
、矢の雨で殲滅していく。
無秩序に前進した連合軍の各部隊は、いつのまにかモンゴル軍の伏兵が潜む中に
放り出されていたのである。
梯団編成をとる敵に対しては、伏兵を重層的に配置し、釣り出し戦法と併用する。
その上で分断された敵を各部隊毎に包囲し、各個撃破するという戦法だった。
圧倒的な優位を保ちながら、なお敵を分断するという非常なほどの殲滅戦法に、
連合軍は為す術も無く倒されていく。ヘンリックが計画した漸減戦法は、逆にモンゴル軍
によって実行されていく。
やがて見る影も無く討ち減らされた連合軍は、必死に囲みを破って逃げ出した。
分散していたモンゴル軍は終結し、大集団となって前進する。
94 :
日本@名無史さん:04/02/20 22:14
ヘンリックは勝負に出た。潰走する味方を追撃してくるモンゴル騎兵隊に向かって、
決戦兵力を出撃させる。
精強を誇るチュートン騎士修道会が、短い祈りをささげてから馬腹を蹴った。
続いて、ヘンリック自身が指揮するポーランド騎士軍が突撃にかかる。
しかし、精鋭騎士団といえども全員が騎乗しているわけではない。従者や歩兵をひき連れた
騎士団はせっかくの機動力を生かすことが出来ず、モンゴル騎兵隊に捕捉、包囲されて
一方的に倒されていく。
モンゴル騎兵隊は短弓の速射性を活かして、まず弩を持つ歩兵を倒し、次に騎士が目標と
なる。モンゴル軍は一定の距離を保って包囲し、矢の雨を注いで騎士団を殲滅していった。
モンゴル軍の矢には毒が塗ってある。たとえ鎖帷子が防いでも、わずかな傷をつければ
、それで勝負が決まる。
次々と味方を討たれ、それでも必死の指揮を続けていたヘンリックは、最後に起死回生の
突撃を試みた。しかし命令を伝える伝令の声は戦場の喧騒にかき消され、それを退却の
命令と聞き間違えた者がいても不思議はない。
ヨーロッパ騎士団は一時に崩れ、退却を始める騎士が出たために、全軍にわたって乱れが
生じた。
それを見逃すバイタルではない。追撃命令が出、勢いを増したモンゴル軍は攻撃を強め、
連合軍は全戦にに渡って崩壊した。
もはや万事窮す。ヘンリックは退却の道を探ったが、その時飛来した毒矢が彼の命を絶った。
もはやヨーロッパの風前の灯火だった。
しかしモンゴル国内で後継者問題が再燃。再びクリルタイが招集されたため、バトゥはドイツ
を目前にして全軍を反転させた。
95 :
日本@名無史さん:04/02/20 23:15
宗家(修正第二段)
(惟宗) (宗)
信国┬1重尚
└2助国─3盛明─4盛国┬5経茂(宗慶)─尚茂─7貞茂┬8貞盛─9成職
└頼次(宗香)─澄茂─6頼茂 └盛国─10貞国┬11盛貞(材盛)┬12義盛
│ └盛家─13盛長
└某─盛弘─14将盛┬15貞泰(晴康)─16義調
├17茂尚(茂盛)
├18義純
└19a1昭景(義智)
96 :
日本@名無史さん:04/02/20 23:16
19a1昭景(義智)─20a2義成─21a3義真┬22a4義倫
├23a5義方
├24a6義誠┬26a8義如─28a10義暢┬29a11義功(猪三郎)
└25a7方熈└27a9義蕃 └30a12義功(富寿)─31a13義質┬32a14義章
└33a15義和┬34a16義達(重正)(伯爵)─35(a17)重望
│
│(久留里) (宗)
└黒田和志─36(a18)武志─(37a19)立人
a印:対馬府中(厳原)
>>73 こちらこそよろしくお願いします、お役に立ててうれしいです。
>>80 土屋家(明治以降)
正直─尹直─宣直
尹直は木戸幸一の秘書官、堤雄長(公家)三男で正直娘婿。
98 :
日本@名無史さん:04/02/21 00:17
亀井家
茲矩─a1政矩─a2茲政─a3茲親┬茲長─a5茲延→a6茲胤
├菅沼定好─a7矩貞┬a8矩賢
└a4茲満 └a9茲尚─a10茲方→a11茲監(子爵)→(a12)茲明(伯爵)
a印:石見津和野
a6茲胤は常陸府中藩主松平(水戸)頼明の五男
a11茲監は筑後久留米藩主有馬頼徳の二男
(a12)茲明は参与堤哲長の三男
99 :
日本@名無史さん:04/02/21 00:24
土屋家(修正第一版)
1昌恒(惣蔵)─2忠直─3a1数直─4a2b1政直─5b2陳直─6b3篤直┬7b4寿直 (水戸)
├8b5泰直 徳川治保 ┬治紀───斉昭────┬慶喜
└9b6英直─10b7寛直→└11b8彦直─12b9寅直→ └13b10挙直(子爵)─14(b11)正直=15(b12)尹直─16(b13)宣直
a常陸土浦
b駿河田中→常陸土浦
11b8彦直は水戸藩主徳川(水戸)治保の子
13b10挙直は水戸藩主徳川(水戸)斉昭の十七男
15(b12)尹直は堤雄長の三男(14(b11)正直女婿)
あれ?
>>98の(a12)茲明実父、堤哲長と、
>>99の(b12)宣直実父、堤雄長は近親者なんでしょうか?
102 :
日本@名無史さん:04/02/21 00:53
大給松平家って既出ですか?
松平乗邑が好きなので、挙げていただけるとありがたいです
103 :
日本@名無史さん:04/02/21 01:10
>>89 大岡家(明治以降)
忠敬─忠明─忠綱─忠輔
>>100 堤家(公家・藤氏・勧修寺流・子爵)
栄長─敬長─広長─維長─言長─哲長─功長─雄長─経長─公長
維長は敬長12男、言長は広長次男、哲長は維長長男、
功長は甘露時愛長(堤家の本家筋)5男。
>>98 亀井家(明治以降)
茲監─茲明─茲常─茲建─茲基
茲明は堤哲長(既出)三男、日清戦争が勃発すると従軍写真家
として活躍、茲建の名付親は森鴎外。
国会議員の亀井久興は茲基弟。
106 :
日本@名無史さん:04/02/21 02:44
大岡家(修正第一版)
1忠勝─2忠政┬3忠世─4忠真 →8a4忠與
└忠吉─忠章─忠高─5a1忠相─6a2忠宜─7a3忠恒┴9a5忠移┬10a6忠愛
└11a7忠敬(子爵)─12(a8)忠明─13(a9)忠綱─14(a10)忠輔
a印:三河西大平
8a4忠與は播磨安志藩主小笠原長逵の三男
107 :
日本@名無史さん:04/02/21 02:46
亀井家(修正第一版)
1茲矩─2a1政矩─3a2茲政─4a3茲親┬茲長─6a5茲延→7a6茲胤
├菅沼定好─8a7矩貞┬9a8矩賢
└5a4茲満 └10a9茲尚─11a10茲方→12a11茲監(子爵)→13(a12)茲明(伯爵)─14(a13)茲常─15(a14)茲建┬16(a15)茲基
└久興
a印:石見津和野
7a6茲胤は常陸府中藩主松平(水戸)頼明の五男
12a11茲監は筑後久留米藩主有馬頼徳の二男
13(a12)茲明は参与堤哲長の三男
>>104 ふむ・・・系図上はこうなるのですか。
近いという程でもないのですね。
(堤) (甘露寺)
栄長─敬長┬広長─言長 愛長┐
└維長─哲長┐== └功長─雄長┬経長─公長
│ │
└亀井茲明 └土屋尹直
>>85 京極家(明治以降)
豊岡京極家
高厚─高義─高光─高忠
高光は俳人で杞陽の号を持つ。
峯山京極家
高陳─高富─高致─高頼─高鋭─高幸
高陳の実父京極高紀(靭負)の出自がわかりません…
どなたかご教示お願いします。
高陳の隠居後先代高富再承、高致は五辻安仲(公家華族)次男。
高頼は京極(多度津)高典6男、高鋭は加藤照麿(医学博士・男爵)
5男、音楽評論家。高幸は京極(豊岡)高光5男。
>>85 京極家(明治以降)
丸亀京極家
朗徹─高徳─高修─高晴
朗徹の実父京極高周の系図がわかりません…
京極高周は丸亀藩主の一門で右近と称してます、朗徹の実兄は高岑(高峰)、
その子が高徳。
『明治維新人名辞典』によりますと高朗と高周の関係は従兄。
『三百藩藩主人名事典』によりますと高朗と朗徹の関係は従祖伯父。
どなたかご教示お願いします。
多度津京極家
高典─寿吉─高典─高備─(高文)─高量
寿吉は山崎治正6男、後に離籍し再び高典が継承。
高文は京極(丸亀)高徳6男、しかし家督相続することなく
離籍した。
>>105 追伸
森鴎外(作家・陸軍軍医総監)は津和野藩で典医の家系出身で
三木竹二(劇評論家・内科医)は実弟。
112 :
日本@名無史さん:04/02/22 00:03
京極家(修正第一版)
(京極)
1氏信─2宗綱─3貞宗─4宗氏─5高氏(道誉)─6高秀─7高詮─8高光─9持清─10勝秀─11高清─12高佳(高吉)┬13a1高次
└e1高知
【1】高次流
13a1高次┬14a2b1忠高
└高政─15c1高和─16c2高豊┬d1高通─d2高慶─d3高文─d4高賢┬d5高琢 (多度津)
│ └高宝──d6(d8)高典(子爵)┐→(d7)寿吉
│ ├(h15)高頼→(h16)高鋭
│ └(d9)高備─(d10)高量
│
└17c3高或─18c4高矩┬19c5高中─20c6高朗
└某─高周┬高岑(高峰)─22(c8)高徳(子爵)┬23(c9)高修─24(c10)高晴
│ └高文
│(丸亀)
└21c7朗徹
113 :
日本@名無史さん:04/02/22 00:04
【2】高知流
e1高知┬e2高広─e3高国
├f1高三┬f2高直─f3g1高盛
│ └g2高住─g3高栄┬g4高寛
│ └g5高永─g6高品
│
└→h1高通─h2高供─h3高明─h4高之→h5高長
=h6高久┬h7高備┬h8高倍 高供┐ 高紀(靭負)┐
│ └h9高鎮→h10高景=└h11(h13)高富(子爵)=└h12高陳→(h14)高致
│
└g7高有─g8高行─g9高厚(子爵)─(g10)高義─(g11)高光(杞陽)┬(g12)高忠
└(h17)高幸
114 :
日本@名無史さん:04/02/22 00:05
京極家(修正第一版)
無印:京極宗家
a印:若狭小浜
b印:出雲松江
c印:播磨竜野→讚岐丸亀
d印:讚岐多度津
e印:丹後宮津
f印:丹後田辺
g印:但馬豊岡
h印:丹後峯山
d7寿吉は山崎治正の六男
h1高通は朽木宣綱の二男
h5高長は陸奥棚倉藩主内藤弌信の三男(四男?)
h6高久は京極高庭の四男
h10高景は松平忠馮の六男
(h14)高致は五辻安仲(公家華族)のニ男
(h16)高鋭は加藤照麿(医学博士・男爵)の五男
>>109-110 峯山京極家
h12高陳の実父高紀(靭負)、h11(h13)高富の実父高供。
系図に著して思いましたが、今までのパターンからすると、これは二重系図のような気がします。
おそらく高紀(靭負)と高供は近親者かと。h6高久の実父高庭にも繋がっているかもしれません。
丸亀京極家
おっしゃられたのを系図に著すと
>>112になりますね。割と単純かな。
あと
>>75-77、板倉家が残っています。
明治以降について、よろしくご教授ください。
それから
>>77に書きましたが、宗家当主のカウント順が分かりません・・・
本当にこの家(陸奥福島)で数えていいのでしょうか。
116 :
日本@名無史さん:04/02/22 04:33
>>102さんのリクエストもあるので、支藩込みで・・・
大給松平家
(松平) (竹谷)
泰親─信光┬守家 (大給)
└親忠┬1乗元┬2乗正─3乗勝─4親乗─5真乗┬6家乗
│ └親清 └真次(直次)
│ (徳川)
└長親─信忠─清康─広忠─家康
117 :
日本@名無史さん:04/02/22 04:35
【1】家乗流
6a1家乗─7a2b1乗寿┬8b2c1乗久─9c2乗春─10c3d1e1乗邑┬11e2f1乗佑─12f2乗完─12f3乗寛
│ └h3乗薀
│(石川)
└─g1乗政─g2h1乗紀┬h2乗賢
└朽木玄綱─h4乗保─h5乗美─h6乗喬─h7乗命(子爵)
13f4乗寛┬14f5乗全─16(f7)乗承(子爵)─17(f8)乗統─18(f9)乗光─19(f10)乗忠
└15f6乗秩
a印:美濃岩村
b印:遠江浜松→上野館林
c印:下総佐倉→肥前唐津
d印:志摩鳥羽→伊勢亀山→山城淀
e印:下総佐倉→出羽山形
f印:三河西尾
g印:信濃小諸
h印:美濃岩村
118 :
日本@名無史さん:04/02/22 04:36
【2】真次(直次)流
真次(直次)─a1乗次─a2乗成→a3乗真─a4盈乗─a5乗隠┬a6乗友─a8乗羨─a9乗利─a10乗謨
└a7乗尹
a印:三河奥殿(信濃田野口)
a3乗真は本多正種の二男
119 :
日本@名無史さん:04/02/22 04:36
【3】親清流
親清─近正─一生─a1成重─a2b1忠昭┬b2近陳
└b3近禎→b4近貞─b5近形┬b6近儔─b8近訓→b9近信→b10近説
└b7近義
a印:三河西尾→丹波亀山
b印:豊後府内
b4近貞は三河田原藩主三宅康雄の二男
b9近信は越中富山藩主前田利幹の二男
b10近説は伊勢桑名藩主松平(久松)定永の七男
江戸三百藩HTML便覧はたまに間違った記述もあるので過信は禁物だぜ
>121
そうだね。小藩なんかは文献によっては詳細が載っていない場合があるから、
多数の家の系図や歴代当主を掲載しているサイトは養子関係とか微妙に抜けてたりするね。
実際に藩史を扱ってる某書はある藩では養子関係や子息などの詳細が載っているのに
別の藩では養子関係を一切書いていない系図を掲載していたりするからね。
123 :
日本@名無史さん:04/02/22 12:58
>>122 ここはそんな系図を書くスレではないんですが。
1が一つの系図を書くのに時間をかけ、資料を使って書いてるるのは何故なのか考えれば、おのずと「江戸三百藩HTML」のみで系図を書くよなことはないと思われ
今まで誰もそんなことしなかったのは、面倒だからではなくて意味ないからさ
興味のある家があるのなら休日に図書館にでも逝ってその手の資料に目をとおしてみれ
そんな時間の使い方は無駄ではないと思うのだが
125 :
日本@名無史さん:04/02/22 13:11
ここはキモいオタクの集まるスレですね。
126 :
日本@名無史さん:04/02/22 13:27
>125
この手の手合を見てるとマジで若者の日本語教育の危機を感じる。「キモい」とか「オタク」とかねw
言いたいことがあるならちったあ自分のお頭を使って書きなさい。
127 :
日本@名無史さん:04/02/24 00:54
勃起
>>75 板倉家(明治以降)
備中松山板倉家
勝弼─勝貞─勝豪─重俊─重徳
勝豪は板倉(庭瀬)勝鏤次男、重俊は板倉清長男。
清夫人は勝貞娘、錦子です。清はどこの板倉家出身か
わかりません、どなたかご教授ください。
勝昭は勝豪の子、父より先に亡くなっています。
勝貞の弟勝忠は英文学者、夫人「とり」(鳥居右衛門娘)
は作家若杉鳥子として知られている。
庭瀬板倉家
勝弘─勝鏤─勝彦
福島板倉家
勝達─勝憲─勝朝─勝宏
大名板倉家の基礎を作った勝重から数えて
19代目が勝宏氏という意味だと考えます。
福島板倉家は島原の合戦で有名な重昌を祖とし
宗家は備中松山板倉家です、
福島板倉家の代数は重昌から数えるのが無難でしょう。
>>75 安中板倉家
勝殷─勝任─勝殷─種子─久知─種子─花子─
勝観─勝央─弘
勝任は中山忠能(公家)9男、後に離籍し
勝殷が再承する。種子は勝殷娘、後に久知(中川久昭次男)
を迎えるが久知離籍後は再び家督、花子は種子の姉。
勝任夫人であったが離婚、種子の後家督となり
戸田(松本)光庸9男勝観と再婚。
>>117 岩村松平家
乗命─乗長─乗文─乗昌
乗長は鍋島(蓮池)直紀6男。
>>118 田野口松平家
松平乗謨(大給恒)─左─義竜
乗謨は明治になって大給 恒と姓名を改めた。
義竜は徳川(名古屋)義親3男。
>>119 豊後府内松平家
(大給)近説─近道─近孝─近憲─近達
近説は明治になって姓を大給と改めた。
近道は増沢近篤(近信実弟)の長男、
近憲は上杉(米沢)茂憲5男。
>>115 私は明日から入院する予定になってますので
一週間程度書き込みができなくなります。
そのため大名の系図を調べる為の主なソースを紹介します。
『平成新修旧華族家系大成』全2巻 吉川弘文館刊
『新訂寛政重修諸家譜』全26巻 続群書類従完成会刊
『三百藩藩主人名事典』全4巻 新人物往来社刊
『三百藩家臣団人名事典』全7巻 新人物往来社刊
『戦国大名系譜人名辞典』全2巻 新人物往来社刊
『寛政譜以降 旗本家百科事典』全6巻(東洋書林刊)
上記の本は大きな図書館だったら、所蔵していると思います。
あと『歴史読本』(新人物往来社刊)・『歴史と旅』(秋田書店刊)
のバックナンバーでも大名関係の特集があります。
もし時間があったらご覧になってください。
132 :
日本@名無史さん:04/02/24 03:07
板倉家(修正第一版)
頼重─好重─勝重┬a1重宗
├重昌
└重大
【1】重宗流
a1重宗┬a2重郷─a3b1重常
│
└e1重形=e2f1重同─f2g1勝清┬g2勝暁 (g7)勝任
│ ||
│ ┌ (g12)花子
│ │ ||─(g14)勝央─(g15)弘
├g3勝意─g4勝尚┬g5勝明 │ (g13)勝観(子爵)
│ └g6(g8)勝殷┴(g9g11)種子
│ ||
│ (g10)久知
│
└i7勝矩─i8勝長┬i9勝俊┬i10勝顕─i11勝尚
│ └h11勝弘(子爵)─(h12)勝鏤┬(h13)勝彦
│ └(d10)勝豪─勝昭
└勝定─i12勝達(子爵)─(i13)勝憲─(i14)勝朝─(i15)勝宏
133 :
日本@名無史さん:04/02/24 03:07
【2】重昌流
重昌─重矩┬重良─重宣→h1重高─h2昌信─h3勝興┬h4勝志
│ └h5勝喜┬h8勝貞→h9勝成→h10勝全
│ ├h6勝モト
│ └h7勝資
└重種─i1重寛─i2重泰→i3勝里┬i4勝承
└i5勝任
134 :
日本@名無史さん:04/02/24 03:08
【3】重大流
重大─b2重冬─b3c1重治─c2d1勝澄┬d2勝武
├d3勝従
├d4勝政─d5勝ラ(勝慶)┬d6勝職=d7勝静
└i6勝行 └勝喬─d8勝弼(子爵)┬(d9)勝貞─錦子
└勝忠 ||─(d11)重俊─(d12)重徳
清
135 :
日本@名無史さん:04/02/24 03:08
板倉家(修正第一版)
a印:下総関宿
b印:伊勢亀山
c印:志摩鳥羽→伊勢亀山
d印:備中松山(備中高梁)
e印:上野安中
f印:陸奥泉→遠江相良
g印:上野安中
h印:備中庭瀬
i印:陸奥福島(三河重原)
d7勝静は陸奥白河藩主松平(久松)定永の八男(松平定信の孫でd6勝職女婿)
e2重同は神保元茂の二男(e1重形の外孫)
(g7)勝任は中山忠能(公家)の九男
(g10)久知は中川久昭の次男
(g13)戸田(松本)光庸の九男
h1重高は丹波園部藩主小出英知の五男
h9勝成は陸奥岩城平藩主安藤信由の二男
h10勝全は上野伊勢崎藩主酒井忠恒の子
i3勝里は河内丹南藩主高木正陳の二男
136 :
日本@名無史さん:04/02/25 00:05
大給松平家(修正第一版)
(松平) (竹谷)
泰親─信光┬守家 (大給)
└親忠┬1乗元┬2乗正─3乗勝─4親乗─5真乗┬6家乗
│ └親清 └真次(直次)
│ (徳川)
└長親─信忠─清康─広忠─家康
【1】家乗流
6a1家乗─7a2b1乗寿┬8b2c1乗久─9c2乗春─10c3d1e1乗邑┬11e2f1乗佑─12f2乗完─12f3乗寛
│ └h3乗薀
│(石川)
└─g1乗政─g2h1乗紀┬h2乗賢
└朽木玄綱─h4乗保─h5乗美─h6乗喬─h7乗命(子爵)→(h8)乗長─(h9)乗文─(h10)乗昌
13f4乗寛┬14f5乗全─16(f7)乗承(子爵)─17(f8)乗統─18(f9)乗光─19(f10)乗忠
└15f6乗秩
a印:美濃岩村
b印:遠江浜松→上野館林
c印:下総佐倉→肥前唐津
d印:志摩鳥羽→伊勢亀山→山城淀
e印:下総佐倉→出羽山形
f印:三河西尾
g印:信濃小諸
h印:美濃岩村
(h8)乗長は鍋島(蓮池)直紀の六男
137 :
日本@名無史さん:04/02/25 00:05
【2】真次(直次)流
(大給)
真次(直次)─a1乗次─a2乗成→a3乗真─a4盈乗─a5乗隠┬a6乗友─a8乗羨─a9乗利─a10乗謨(恒)─(a11)左→(a12)義竜
└a7乗尹
a印:三河奥殿(信濃田野口)
a3乗真は本多正種の二男
(a12)義竜は徳川(名古屋)義親の三男
138 :
日本@名無史さん:04/02/25 00:06
【3】親清流
親清─近正─一生─a1成重─a2b1忠昭┬b2近陳 前田利幹┐ (大給)
└b3近禎→b4近貞─b5近形┬b6近儔─b8近訓→├b9近信→b10近説
└b7近義 └増沢近篤─(b11)近道─(b12)近孝→(b13)近憲─(b14)近達
a印:三河西尾→丹波亀山
b印:豊後府内
b4近貞は三河田原藩主三宅康雄の二男
b9近信は越中富山藩主前田利幹の二男
b10近説は伊勢桑名藩主松平(久松)定永の七男
(b11)近道は増沢近篤(近信実弟)の長男
(b13)近憲は上杉(米沢)茂憲の五男
ああ1さん、いたのですね。
このスレに入ってから殆ど私(25)一人しか書いてないし、相手にしてくれるのは36さんだけで、
つまらないからもう止めようかと思っていたところです・・・
HP作られたのですね。なら、もうちょっと頑張ってみようかな・・・
私(25)が今まで書いたもののうち、特に、初めの頃のは
=か→かで、結構好い加減になっています。
最近のは外孫(娘の子)か、娘婿か、同族(分家)からと判明したものに限り、
=を使い、判らなかったものには全て→を使っています。
詳しいところは分かり兼ねる所もありますので・・・ご容赦ください。
清宗省吾について教えて
前スレで時々補足入れてた者ですが、自分が調べたことある家系しか突っ込み入れられないだけで、見てますよ〜!!
144 :
日本@名無史さん:04/02/25 14:15
前野源四郎清久の子孫です。
145 :
日本@名無史さん:04/02/25 18:36
大名→分家して旗本→高直り大名となった備中蒔田家をキボンヌ。
ギャラリーの罵声(?)もあって凹んでしまいましたが、HPが作成されたのを観て少し気を取り直し、
図書館で、
>>131で紹介されていた文献のうち、『平成新修旧華族家系大成』を除くものを閲覧して
きました。
>>141で書いたとおり、少し気になっていた部分がありましたので。
【九鬼家】
>>45-46 b6隆祺は父遠江相良藩主田沼意次の「七男」、母某で、b3隆直の女を妻にしています。
ですからここのルールでは「→」というより「=」かと。
【亀井家】
>>107より、修正第二版。
1茲矩─2a1政矩─3a2茲政─4a3茲親┬茲長─6a5茲延
├菅沼定好┬8a7矩貞┬9a8矩賢
└5a4茲満 └富子 └10a9茲尚─11a10茲方→12a11茲監(子爵)→13(a12)茲明(伯爵)─14(a13)茲常─15(a14)茲建┬16(a15)茲基
|| └久興
7a6茲胤
a印:石見津和野
7a6茲胤は常陸府中藩主松平(水戸)頼明のニ男
12a11茲監は筑後久留米藩主有馬頼徳の二男
13(a12)茲明は参与堤哲長の三男
7a6茲胤のところが少し違います。菅沼定好(6a5茲延叔父)の婿養子でもありました。
他は変更ありません。
148 :
日本@名無史さん:04/02/25 18:48
罵声じゃないんでないかい?むしろ当然の指摘だよ
149 :
日本@名無史さん:04/02/25 19:08
だれも36にお大事にとか言わんのだな、薄情なやつらだw
【大岡家】
>>106より、修正第ニ版
忠勝┬忠祐
├忠次
└忠政┬忠俊
├忠行─忠種─忠方─忠英─忠種─忠恒─忠房┬忠慎
├忠世─忠真=忠相←──┐ └忠貞・・
│ │
└忠吉┬忠章─忠高┬忠品│
│ ├忠顕│
│ ├a1忠相─a2忠宜┬忠豫=a4忠與
│ └忠厚 └a3忠恒─a5忠移┬a6忠愛
├吉明・・ └a7忠敬(子爵)─(a8)忠明─(a9)忠綱─(a10)忠輔
├忠宗─忠信
└忠房─忠儀─忠利─b1忠光─b2忠喜┬b3忠要
└b4忠烈→┌b5忠正
加納久周┴b6忠固─b7忠恕─b8忠貫(子爵)─忠量
a印:三河西大平
b印:武蔵岩槻
a4忠與は播磨安志藩主小笠原長逵の三男(忠豫の女婿)
b5忠正は伊勢東阿倉川藩主加納久周の子
b6忠固は伊勢東阿倉川藩主加納久周の五男(b5忠正の実弟)
151 :
日本@名無史さん:04/02/25 20:02
>>150 a4忠與のところを変更しました。
彼はa3忠恒の兄で廃嫡となっていた忠豫の女婿でもあります。
それから九代家重の寵臣、大岡忠光の家を継ぎ足しました。
忠相との関係まで著すと、このようになります。
本家は忠行の系統で、忠相も忠光も、実は分家筋です。
岩槻藩最後の藩主b8忠貫には忠量という男子がいましたが、
『平成・・・』を閲覧できなかったのでここから先はわかりませんでした。
152 :
日本@名無史さん:04/02/25 20:58
忠量は忠貫の養子だろ
アナル
≫1さん
サイト作成おつ
≫36さん
お大事に・・・
ところで・・・娘婿は=で表すとして、外孫を養子に迎えた場合はどうするのですか?
154 :
日本@名無史さん:04/02/26 00:12
>>1
大名家系図のホームページに「河内丹南藩高木家」が予定にありますが
徳川十六神将に始まり江戸時代は地味な一万石の大名で近代に三笠宮
百合子妃殿下の実家となる高木家、楽しみにお待ちしております。
天剣藤次
>>140 書き込む機会がちょっと減ってるだけなんで、見てますよ。
少しずつですがHPも充実させていきたいと思ってますので、よろしく。
>>153 外孫は○○─女子─××という形で。
××の父は下の方に書くようにしています。
>>154 どうもです。高木家は養子がちょこちょこあるので、調査でき次第(誰かがしてくれ次第)、載せようと思います。
>>155 >養子に出た人の苗字はあった方がいい
>何代目で転封したか、最終的に何代目までが藩主だったのかが判るようであれば便利
なるほど。じゃあそうしてみます。例をパクらせていただきます。
ご指摘ありがとうございます。
158 :
日本@名無史さん:04/02/26 05:45
123=125=146なんでしょ?ぶっちゃけ
159 :
日本@名無史さん:04/02/26 05:55
160 :
日本@名無史さん:04/02/26 17:28
↑
161 :
日本@名無史さん:04/02/26 17:50
あ
162 :
日本@名無史さん:04/02/26 17:55
な
163 :
日本@名無史さん:04/02/26 18:16
る
164 :
日本@名無史さん:04/02/27 00:18
>>139 1さん、ホームページ作成乙
少し拝見させていただきましたがとても見やすくていいです
お気に入りに早速登録させていただきました
>>1の「原則として実の親子関係を書くこと」や、『「お前ほんとは誰の子なんだよ?」っていうのを検証したい』
などの初めのやり取りから、私(25)は血統中心の系図を描くものと認識しています。
>>155 >領地ごとに印を変えるよりも、藩主になった家ごとに割り振った方が 系統を追いやすくて良いね。
複数の藩主家を持つ家だと藩主家同士で養子を迎えることも多々あり、藩主家別に描くと
却って追い難くなることもありますので、私はちょっと賛成しかねます。「血統中心の系図」という
コンセプトからもずれてくるでしょう。「○○流」で分けて描くと、おっしゃるところに近くなると思われ
ますが、これは書き込みの制約から分割しているだけで・・・可能ならば、一家一系図としたほうが
よいと思われます。
>当主の名前以外の情報を排したのも好ましいけど、養子に出た人の苗字はあった方がいいんじゃないかな。
ここは完全に同意します。
養子ばかりでなく途中で苗字を変えた家もありますので、追跡しやすくする上でも苗字は
列記したほうが宜しいのではないでしょうか。
>また何代目で転封したか、最終的に何代目までが藩主だったのかが判るようであれば便利かと思う。
途中から藩主でなくなったりなどの例もあって、表記が複雑になるかもしれませんが、あるに越したことは
ないと思います。
あと、こんなのや
b2忠喜┬b3忠要
└b4忠烈→┌b5忠正
加納久周┴b6忠固─b7忠恕・・・
こんなのは
b3篤直┬b4寿直 (水戸)
├b5泰直 徳川治保 ┬治紀──斉昭──┬慶喜
└b6英直─b7寛直→└b8彦直─b9寅直→└b10挙直(子爵)・・・
一つの系図にすると見やすいのではないでしょうか。
「血統中心の系図」という(私的な)コンセプトにも合致すると思われますが。
>>164 ありがとうございます。拙いページですがよろしく。
>>165,
>>166 うーん・・・
このスレ立てた当時からの悩み、ではあるんですよねぇ。
そもそも血縁がない場合の「→」というのが、「血縁を重視した系図」から言えば矛盾なんですよね。
血縁はないが1つの系図に押し込めてしまいたいという妥協の産物です。
血縁重視を徹底すれば、血縁がない場合は別の系図を書くのが自然ですしね。
例えば
>>166でいえば
b2忠喜┬b3忠要
└b4忠烈→┌b5忠正
加納久周┴b6忠固─b7忠恕・・・
ではなく
b2忠喜┬b3忠要
└b4忠烈
加納久周┬b5忠正
└b6忠固─b7忠恕・・・
という風に。
b5忠正がb4忠烈のあとを継いだことは数字を見ればわかることですしね。
こうすれば系図の下にだらだらと書く「○○は××の子」といった表記はほぼなくせますし。
他の方(っているのかな)はどう思われますかね?
そうですね。確かに血縁を重視した系図なら「→」は避けたいですし、
血縁が異なるなら別系図にするのが自然でしょう。
>>166のアレは、その点から妥協して見易さを重視した感じになっています。
ここのところは、本当、以前おっしゃってた「演出」如何でしょうね。
ただ私は、こういう
11a1久隆┬12a2隆昌→13a3隆律
└ 女
||─14a4副隆
柳生宗冬┬宗春
└宗在─15a5隆久(隆方)
面倒な婚姻関係や養子関係がある場合、系図を重ねて描くと分かりやすくなる
かと思えたので・・・
169 :
日本@名無史さん:04/02/27 10:03
跡見女子大の倉エリさん、かわいい
170 :
日本@名無史さん:04/02/27 11:42
>>166,177
加納久周は大岡忠光の次男なんで血は繋がってますよ
171 :
日本@名無史さん:04/02/27 12:37
家系と血統は別物でしょ、混同しちゃだめだよ。
養子だからって系図を別にしてたら、そんなのもう家系図とはいえる代物じゃないよ。
せいぜい婿養子を→で表記するのが限度でしょうに。
1さんのHPの土井家に既に見られるようなやり方で良いと思う。
基本的には今まで通りのやり方で系図を示し、
面倒な婚姻関係や養子関係がある場合は、
補足的にその部分を抜粋した系図や血統図を別に示す。
>>158 >>125 の書きこみってよそのスレ荒らしてた「おつむちっぽけ君」の文面にそっくりなんだが、やっぱりあのスレで指摘されてたこと当たってるんだなw
>>165 >領地ごとに印を変えるよりも、藩主になった家ごとに割り振った方が 系統を追いやすくて良いね。
この書き方は不適切だったかも。
言いたかったのは、藩主家別に系図を分けて書けという事ではなく、
マーキングの方法が見やすくなったというHPを見た感想。
「藩」ごとにアルファベットを振ると、複数の藩主家があり、かつ転封の
多い家だと誰が何処の家を継いだのかが、ぱっと見解り辛かったので。
>1のHPのように系図は血縁関係を、当主の数字は家の繋がりを表し、
所領はその家の遍歴として纏めて表記する方が解り易いなと思った。
>>167 原則としては上記のように理解してるけど、正直なところ家の繋がりを
数字だけで表現するのは心許ない気がする。
「系図を現代までつなげている」という印象に欠けるというか…。
自分は
>>172に同意。系図は出来るだけ簡素に画一化して、特記事項が
あれば参考図なりで補足するといった感じ。
>>168,
>>171,
>>172,
>>174 んー。やっぱり系図を分けるのは1つの家の「系図」らしくはないですかね。
一応、今のまま続けてみようかな。
ただここでの表記は皆さんに任せます。
HPにうpする際はこちらで勝手に「翻訳」させてもらいますので。
しばらくこのままやってみて「やっぱり別の方法がいい」ってなったらまた考えます。
えー、俺もちょっと系図書いてみようかな。久々に。
支藩込みで山内家。
盛豊┬1一豊
└康豊┬2忠義┬3忠豊─4豊昌
│ └忠直─豊明─豊成─a1豊産
├重昌─重照─重直─規重─8豊敷┬9豊雍─10豊策┬11豊興
└一唯─一俊┬5豊房 │ ├12豊資┬13豊熈
└6豊隆─7豊常 │ │ ├14豊惇
│ │ └16豊範┬17豊景
│ ├豊著─15豊信 └豊静─18豊秋─19豊功
│ └黒田長元─a5豊福
└a2豊泰─a3豊武┬a4豊賢
└豊充─a6豊誠─a7豊英─a8豊寿
無印:土佐高知藩主家
a印:土佐高知新田藩主家
他家からの養子が1度だけ(しかも血縁関係あり)なので楽ですな。
176 :
日本@名無史さん:04/02/28 18:50
分部家
a1光信─a2嘉治─a3嘉高→a4信政─a5光忠─a6光命─a7光庸─a8光実─a9光邦─a10光寧→a11光貞┬a12光謙(子爵)
└某─大倉直介─(a13)芳子
a印:近江大溝
a4信政は備中松山藩主池田長幸の三男池田長信の三男(a2嘉治室の従弟)
a11光貞は上野安中藩主板倉勝尚の子
最後の(a13)芳子は光貞の曽孫だそうですが、ここのところがはっきりしません。
>>176 芳子さんというのはどこの資料にありました?
「平成新修旧華族家系大成」ではa12光謙で途切れてるんですよね。
霞会館は女性会員を認めていないので載ってないだけで、芳子さんが光謙のあとをついだということになっているのでしょうか。
180 :
日本@名無史さん:04/02/29 03:47
おおっ簡単にわかりましたか。よく引っかかりましたね、そんな情報・・・
では続きまして
青木家
重直┬a1一重
└可重─a2重兼→a3重成─a4重矩─a5一典┬a6一都
├a7見典
└a8一新→a9一貫─a10一貞┬a11重竜─a14重義(子爵)→a15信光─a16蔚─a17淳一
└a12一興→a13一咸
a1〜14摂津麻田藩主家
a3重成は駿河大納言徳川忠長の附け家老朝倉宣親の長男
a9一貫は伊予宇和島藩主伊達村年の3男
a13一咸は豊前中津藩主奥平昌高の8男
a15信光は中山忠能(公家、男爵)の子
形式を
>>1さんのHPに少し合わせました。
婿養子関係があるのかどうかはっきりしませんでしたが、フォローよろ。
×婿養子関係があるのかどうかはっきりしませんでしたが、
○「→」の部分において、姻戚関係があるのかどうかよく分かりませんでしたが、
>>180 大倉直介で検索したんだったかな。意外とすぐひっかかりましたよ。
で、分部、青木ときましたか。五十音順の最後と最初ですね。
「平成新修旧華族家系大成」を見る限り、a13一咸とa15信光には姻戚関係はなさそうです。
a15信光は中山信徴の子、となっているんですが・・・同一人物ですかね?
183 :
日本@名無史さん:04/03/01 00:31
中山信徴(1846〜1917)諸侯(旧三家付家)
備後守信守の子、備前守信宝の養子。水戸徳川家付家老→松岡藩主→松岡藩知事→男爵。
中山忠能(1809〜1888)公家
權大納言忠頼の子、明治天皇の外祖父。侯爵。
うるせーなあ
185 :
日本@名無史さん:04/03/01 00:34
直接聞きゃいいだろうが。その程度の人脈もないのかw
>>182 いえ、全く別人ですよ。
中山忠能は公家で・・・あ、先に書かれてしまったか(笑)
そこは「平成・・・」を信用して「中山信徴」と致しましょう。
やはり、こんなところの文を真に受けてしまったのはいけなかったかな(苦笑)
http://www.bio.sci.osaka-u.ac.jp/~oguraa/kyodoshi.htm 現在校正を待っているのは、リクエストのあった蒔田家と(三河)高木家、あと土方家。
簡単そうだったから。それから中堅所の牧野家。しばらくは大所帯でないところを埋め
ていく予定です。とはいえ、牧野家は4(+1)藩主あったから割と面倒でしたが(笑)
当方、県立図書館で「平成・・・」を見つけられなかったので、今度は国立大学へ逝って
みるつもりですが、それとても週一回逝けるかどうかわからない人間ですので、今後と
も、フォローよろしくお願いします m(_ _)m
>>186 よくこんなページみっけましたね。
にしても、同じ中山だからって、こうも激しく食い違うのはなんでですかね。
俺も、調べがついているマイナーどころ、ぽつぽつと書いていきましょう。
意表をついて、林家。
1忠英┬2忠旭─4忠崇
└3忠交─5忠弘─6忠一─7忠昭
無印:上総請西藩主家
幕末に大名になった家を除けば、最も遅く万石に達した家。
>>149>>153 お見舞いありがとうございました!
36です、無事に退院できました。
そう言えば来月の歴史読本は大名家の末裔を特集するらしい
ですな、今から楽しみです。
>>1さん
HP作成乙です!
ちょいと覗かせてもらいました、
とてもわかりやすくて見やすい構成ですね。
これからも頑張ってください。
190 :
日本@名無史さん:04/03/02 19:15
36さん、退院おめでとうございます(^o^)/
早速ですが、秋田家
愛季┬a1実季─a2俊季─a3盛季─a4輝季─広季─ 岩
└安倍(安東)英季─季通────フヨ ||
||───a5頼季┬a6延季─a8倩季┬a9長季─a11肥季─a12映季(子爵)─a13重季─a14一季
荒木高村 └a7定季 └a10孝季
a1〜2常陸宍戸→2〜12陸奥三春藩主家
a5頼季は秋田家臣荒木高村の長男(a4頼季の長男広季の女婿)
>>189 お帰りなさい。快復されてよかったです。
HPはまだまだ不完全ですが、気長にやりますのでよろしくお願いします。
来月の歴史読本は購入することになりそうです。情報どうもです。
で、六郷家。
1政乗─2政勝─3政信─4政晴┬5政長
└政陰─6政林─7政速┬8政純
└政芳─9政恒─10政殷─11政鑑─12政賢─13政貞(白雨)─美栄子─14勝己
無印:1常陸府中→1〜11出羽本荘藩主家
14勝己は海老原繁の子
>>189 36さん退院オメ
あった事も無い人の退院をゴッツ嬉しく思うのって初めてかも(笑)
193 :
日本@名無史さん:04/03/03 02:39
>>190 >秋田家臣荒木高村
荒木村重と関係あるの?
194 :
日本@名無史さん:04/03/03 17:47
>>186のつづき。
国立大学で「平成新修旧華族家系大成」を捜しましたが、見つかりませんでした(泣)
仕方がないので県立図書館へ戻り、いろいろ探しましたところ
日本人物誌叢書(7)「華族大鑑」 華族大鑑刊行会 4-8205-4034-3
という文献を見つけたので、これからはそれを元に記します。
序に昭和十四年と書かれてある古い書籍ですので、現在まで繋げるまでには到り
ませんし、また嫡子の変更や血縁関係も不明な点がありますが、これで判った
当時の当主とその男子だけは表記するつもりです。
これからも中途半端な系図ばかりになってしまうわけで、誠に申し訳ありませんが、
フォローよろしくお願いします m(_ _)
195 :
日本@名無史さん:04/03/03 17:49
>>145さんのリクエスト、蒔田家。
(式部)(数馬介)
1広定─2定正┬3定行─広蕃─広尊─広敏─広佑─広憲─広朝─広甫
│
│ (八郎左衛門)
├定則─定直─成安─定孝─定賢─定興─定交─定寧─?広胖─12広考→?13広城┬明一
│ └宏
│
└戸田忠辰─4定矩─5定英─6定安=7定静→8定祥─9定邦─10定庸─?11広運
1〜2、11備中浅尾藩主家
1広定は広光の2男
2定正は1広定の長男
3定行は2定正の長男
4定矩は2定正の3男で戸田正次の養子となっていた戸田忠辰の2男
5定英は4定矩の?男
6定安は5定英の?男
7定静は出雲松江藩主松平宗衍の3男(6定安の女婿)
8定祥は松平近形の2男
9定邦は8定祥の?男
10定庸(左衛門)は9定邦の?男
11広運(左衛門)は10定庸の?男
12広考は蒔田広胖(八郎左衛門)の長男
13広城は伊予宇和島藩主伊達宗城の子
『新訂寛政重修諸家譜』と『寛政譜以降 旗本家百科事典』を参考に書いたのが
>>195です。
11広運と12広考の出自がどうにもよく判らりませんでした。
11広運は先代10定庸と異なり「広」の字を用いているので、実子ではなく広蕃家からの養子
を思わせたのですが、確認できませんでした。11広運は「左衛門」と名乗っていて、父も同じ
「左衛門」だそうですが、それが10定庸であるのかどうか。
また12広考の父は「蒔田八郎左衛門」で、「広胖」。
定寧は「蒔田八郎左衛門定寧」と書かれています。この「八郎左衛門」は務めた年が異なる
二人の人物がいるので、おそらく定寧−広胖−広考でよいと思いますが、これも途中で通字
が「広」に変わっていることから、「定寧−広胖」は本当の親子関係ではなく兄弟関係か、広蕃
家から迎えられたなどの経緯があるのかもしれません。
ちなみに、蒔田家で幕末まで存続したのはこの三家だけです。
これ以上は追跡できませんでした。m(_ _)ゴメンナサイ
197 :
日本@名無史さん:04/03/03 18:29
土方家
1雄氏┬2雄高─豊高─4豊義┬5雄房
│ └6雄端┬7雄年
│ ├=8雄貞
│ └木下俊直─9義苗─10雄興─11雄嘉─12雄永→┌13雄志
└氏久─3雄豊─久長─久保─久英→久忠─久喬─久敬(半三郎)・・・・・・・・・・久己┴久徴─14雄武
1〜13伊勢菰野藩主家
8雄貞は遠江相良藩主田沼意次の6男(6雄端の女婿)
久忠は杉浦勝信3男、母は村上義全女
13雄志は旗本土方久己(半三郎)の長男
14雄武は旗本土方久己(半三郎)の2男久徴の子
土方久己(半三郎)の出自が判らなかったのですが、3雄豊の系統に同じ半三郎を
名乗っている久敬という人物がいます。おそらくこの久敬の近親者でしょう。
198 :
日本@名無史さん:04/03/03 18:40
まだまだ続いて、青山家
忠成┬a1忠俊─b1宗俊┬b2忠雄
│ └b3忠重─b4俊春
└c1幸成─c2幸利─幸実─c3幸督┬c4幸秀─c5幸道┬c6幸完─c7幸孝┬c8幸寛
└b5忠朝 │ └c9幸礼
└b6忠高┬b7忠講
└b8忠裕┬b9忠良┬b10忠敏
│ └b11忠誠─b12忠允=b13忠精=b14忠敏=b15忠揚=b16忠博─忠靖
└c10幸哉─c11幸宜─幸直─幸寿─?幸久
a1武蔵岩槻→1上総大多喜藩主家
b1信濃小諸→1〜3遠江浜松→3〜5丹波亀山→5〜10丹波篠山藩主家
c1遠江掛川→1〜4摂津尼崎→4信濃飯山→4〜5丹後宮津→5〜11美濃郡上藩主家
「華族大鑑」によると、b12忠允以降はこうなっているそうですが、血縁関係が全然わかりません(汗
また元子という方もいますが、彼女についてもよくわかりませんでした。
http://home.highway.ne.jp/sachiko/sangu/rojoh/aoyama.htm
199 :
日本@名無史さん:04/03/03 18:43
「あのね、いつか話さなければいけないし、どうせわかる事なんだし、
多分凄く驚いてると思うけど、うん、冗談とかじゃなくて、
私、好きな人には食べて欲しいの。勿論○○のも私食べるよ。全然嫌じゃないし。」
俺「。。。。。何言ってるの?」
「やっぱ、驚いた?私もね、黙っていようと。。。」
この辺りで速攻で玄関に行って外に出て走って帰った。
あの皿のウンコと臭いが目と鼻に焼き付いて、半年くらいの付き合いだったけれど
走馬灯のように思い出されて、俺がキスしたあの口でウンコなんてあいつ食っていたのかって
思うと、馬鹿みたいだけど涙が止まらなくて、駅から電車なんだけど
車中でもずっと泣いていたよ。
周りのこととか全く気に出来なかった。
何度か電話してきたけど二度と話さなかったし、一度だけ部屋の前で
帰ったらあいつが待っていたけど、「もう二度と来るな」とだけ言って
部屋に入った。それきり何も。
だから修羅場って言う感じではないが、俺には皿ウンコの存在が
それ以上考えられない修羅場といえば修羅場だった。
200 :
日本@名無史さん:04/03/03 19:03
蒔田家ありがとう。
ところで、12広考=蒔田広孝でしょうか? 考×、孝○ですよね?
最後の藩主広孝氏は、総社町長なども勤めていました。金銭には無頓着で、
公の席次などは、岡山県知事が同席する場面など、当然の如く上席に座っ
ていたとのこと。位階が上なので。
201 :
日本@名無史さん:04/03/03 19:12
>>200 はい「広孝」です。
メモにそう書いてありました。私の勘違いです m(_ _)
202 :
日本@名無史さん:04/03/03 20:15
牧野家
成為┬成高─成留─氏成─信高─成国─正成─康成(讃岐守)
└成興─忠高─成勝─貞成─成定─康成(右馬允)
【1】讃岐守康成(やすしげ)流
康成─1信成┬2親成
├3富成
└村越直成─4英成─5明成─6惟成─7宣成┬8以成
└允成─9節成─10誠成─11弼成─12一成┬守成
└業成
1〜2下総関宿→2摂津河内→2〜11丹後田辺(舞鶴)藩主家
203 :
日本@名無史さん:04/03/03 20:19
【2】右馬允康成(やすなり)流
康成┬a1忠成──┬光成─a2忠成─a3忠辰→a4忠寿─a5忠周─a8忠寛─a9忠精┬a10忠雅→a11忠恭┐→a12忠訓
│(新次郎) │ (老之助) └c10康命 ├a13忠毅
│ │ └a14忠篤→a15忠永
│ ├c1康成─c2康道→c3康重─c4康周─c5康満─c6康陛─c7康儔┬c8康長
│ │ └c9康明
│ ├d1定成
│ └d2忠清─d3忠貴=d4忠列─d5忠知─d6忠義─d7忠数─d8忠衛─d9忠直─d10忠興→d11忠泰=d12忠良=d13健之助
│
└儀成─b1成貞┐→b2成春─b3成央
└成貞─b4貞通┬a6忠敬
├a7忠利
└b5貞長─b6貞喜┬b7貞幹┬b8貞一─b10貞久
│ ├c11康哉─c12康済─c13康強→c14康煕┬実愛
│ └b9貞勝 └公積
└重正─b11貞直─b12貞寧=b13貞亮─貞光
204 :
日本@名無史さん:04/03/03 20:19
a1〜13越後長岡藩主家
b1〜2下総関宿→2〜3三河吉田→3〜4日向延岡→4〜12常陸笠間藩主家
c1〜3越後与板→3〜11信濃小諸藩主家
d1〜10寄合旗本→11越後三根山(峰岡)藩主家
a4忠寿は近江膳所藩主本多康慶の6男
a11忠恭は三河西尾藩主松平(大給)乗寛の3男
a12忠訓は丹後宮津藩主本庄宗秀の2男
a15忠永は松平(大給)乗統の子
b2成春は家臣大戸吉房の子
b13貞亮は本多恒彦の大叔父(b12貞寧の女婿)
c3康重は常陸笠間藩主本庄宗資の4男
c14康煕は公家嵯峨公勝の2男
d1忠泰は肥前五島福江藩主五島盛繁の二男五島盛保の長男
d4忠列は秋月種封の3男(d3忠貴の女婿)
d12忠良は伊予宇和島藩主伊達宗城の5男(d11忠泰の女婿)
d13健之助は男爵三井高陽の叔父(d12忠良の女婿)
「康成」が三人、「忠成」が二人。同じような世代にいたから思いの他手間取りました・・・
206 :
日本@名無史さん:04/03/03 22:30
蒔田家は、現在の総社市ですね。
岡山県つながりで、成羽藩山崎家もお願いします。
ここは、大名→旗本→高直り大名と変遷しています。
207 :
日本@名無史さん:04/03/03 22:49
>>195 蒔田家を「平成新修旧華族家系大成」で調べたところ、
9定邦は伊予宇和島藩主伊達村壽の二男で、8定祥の娘婿
10定庸は、蒔田広通の子で、9定邦の娘婿
11広運は松平(広瀬)直寛四男で、10定庸の養女(蒔田広通の娘)の婿
12広考(子爵)は系図通りで11広運の娘婿
13広城(子爵)は伊予宇和島藩主伊達宗城の十一男
明一は後に広靖と称しています。
コピペして間違えたままだった・・・
訂正
12広考(子爵)は系図通りで11広運の娘婿
↓
12広孝(子爵)は系図通りで11広運の娘婿
「平成新修旧華族家系大成」だけでは
10定庸の実父蒔田広通及び12広孝の実父蒔田広胖
の出自は追えませんでした。
>>195より
蒔田家(修正第一版)
1広定─2定正┬3定行─広蕃─広尊─広敏─広佑─広憲─広朝─広甫
│
├定則─定直─成安─定孝─定賢─定興─定交─定寧─?広胖─────12広孝→13広城─14広靖(明一)
│ ||
└戸田忠辰─4定矩─5定英─6定安=7定静→8定祥=┌9定邦 ||
広通┘=10定庸─11広運─女
1〜2、11備中浅尾藩主家
1広定は広光の2男
2定正は1広定の長男
3定行は2定正の長男
4定矩は2定正の3男で戸田正次の養子となっていた戸田忠辰の2男
5定英は4定矩の?男
6定安は5定英の?男
7定静は出雲松江藩主松平宗衍の3男(6定安の娘婿)
8定祥は松平近形の2男
9定邦は伊予宇和島藩主伊達村壽の二男(8定祥の娘婿)
10定庸は蒔田広通の子(9定邦の娘婿)
11広運は松平(広瀬)直寛の4男(蒔田広通の娘婿)
12広孝は蒔田(八郎左衛門?)広胖の長男 (11広運の娘婿)
13広城は伊予宇和島藩主伊達宗城の11男
207さん、ありがとうございました m(_ _)
ともあれ書き換えました。
すっきりしたような、しないような感じではありますが・・・
212 :
日本@名無史さん:04/03/03 23:45
馬にまたがり 草原の風と競い合う
その数、千人
ひとりの男が従者の群れの先頭を駆ける
そいつがジンギスカン
馬の蹄が砂塵を上げる 不安と恐怖を巻き起こす
どこへ行っても 稲妻も雷鳴も彼らをさえぎれない
ジン、ジン、ジンギスカン
ヘイ、ライダー ホー、ピープル
ヘイ、ライダー どんとやれ
ジン、ジン、ジンギスカン
さあ兄弟 飲めや兄弟
騒げや兄弟 もっともっと
213 :
日本@名無史さん:04/03/03 23:45
もっとウォッカをもってこい ホッホッホッ
そうさ俺たちゃモンゴル人 ハッハッハッ
悪魔がずっと前に俺たちを生んだのさ
ジン、ジン、ジンギスカン
ヘイ、ライダー ホー、ピープル
ヘイ、ライダー どんとやれ
ジン、ジン、ジンギスカン
ヘイ、野郎ども ホー、野郎ども
踊れ、いつものように
やつの笑い声が聞こえる ホッホッホッ
笑い声はますます大きく ハッハッハッ
そしてやつは一気に盃を空にする
214 :
日本@名無史さん:04/03/04 00:30
>>206さんのリクエスト、山崎家
1家治┬2俊家─3治頼
└e1豊治─e2義方─e3尭治
||─e4信盛
久留島通清┐= 女
└通政─光通─e5義俊┬e6義孝
├e7義苗
└e8義徳┬e9義高
├e10義柄
└ 女
||─e11治正┬e12治祗
平野長興 └e13治敏┬e14治男
└錠子─e15弘巳─e16治久
215 :
日本@名無史さん:04/03/04 00:31
1備中成羽→1肥後天草富岡→1〜3讃岐丸亀藩主家
e1〜10寄合旗本→11〜13備中成羽藩主家
2俊家は1家治の長男
3治頼は2俊家の長男
e1豊治は1家治の2男
e2義方はe1豊治の2男
e3尭治はe2義方の長男
e4信盛はe3尭治の2男
e5義俊は豊後森藩主久留島光通の6男
e6義孝はe5義俊の長男
e7義苗はe5義俊の3男
e8義徳はe5義俊の4男
e9義高はe8義徳の長男
e10義柄はe8義徳の2男
e11治正は旗本平野長興の2男(e8義徳の長女の子)
e12治祗はe11治正の長男
e13治敏はe11治正の3男
e14治男はe13治敏の長男
e15弘巳は水子多久実の長男(e13治敏の6女錠子の子)
e16治久はe15弘巳の長男
>>203の
└儀成─b1成貞┐→b2成春─b3成央
└成貞─b4貞通┬a6忠敬
を
└儀成─b1成貞┐→b2成春─b3成央
└b4貞通┬a6忠敬
に訂正してください。
217 :
日本@名無史さん:04/03/04 00:55
おおそのたくましい腕で
俺の頬を殴り付けてくれ
青痣が残るまでに強く
そして野太く硬質な声で
涙が出るまでに厳しく
俺の腐った性根を叩きなおしてくれ
黒く艶やかに光るお前の体は
オリンポスの神の如く偉大だ
さあその強張った胸で
俺を潰れるまで強く抱きしめてくれ
218 :
日本@名無史さん:04/03/04 00:57
甘え方を習わなかったんだね
君はまわりを大切にしすぎたから
甘える前に我慢を学んだんだね
僕が教えてあげる
甘え方も
駄々のこね方も
わがままの言い方も
僕が全部教えてあげる
ゆっくりゆっくり覚えればいい
だからここへおいで
僕の腕の中に
僕は君を包む毛布になる
君を守る家になる
ここにおいで
この腕の中に
どんどん増えていきますな。
HPにうpするのが大変ですわ。
で、秋田家(
>>190)なんですが手元にある複数の資料ではa11肥季はa10孝季の子となっています。
一応当方が正しいと判断してうpしておきます・・・が、もし間違っていればご指摘ください。
それから、分部家をうpしていて、4信政についての説明を書いていて思ったのですが
・廃絶大名についても(備中松山藩主の池田家など)も系図に記載した方がよいか?
・妻の縁者(妻のいとこ、兄弟、甥など)があとを継いだ場合、その関係も系図化すべきか?
みなさんのご意見、お待ちしています。
九州の江上って大名なのかな?自分は子孫なんだけど流れを知りたいれす
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
牧野って明治以降、女戸主の時期もあるのに無視しちゃってるんだな。
系図に代数付けるのにも問題あるよな。
あぼーん
スレが荒らされているので、これからはsage進行でいきます。
>>219 1さんは簡易な系図を目指し、支持もされています。
分部家のアレ(
>>176)については一代限りのことでもありますので、特に系図上に記すこともないと
思いますが、
>>168のように藩主間で血縁があったりなかったりしている例や、世代に亙って関わって
いる例は、系図を重ねて描いたほうがいいと私は思っています。個々の藩主で血縁がわかることも
ありますし、家を継ぐ上でどんな経緯があったか、ある程度判りますから・・・
それより気になるのが娘婿頭主の表記。
A−女
||-C の場合、通常は A=B-C と描いていますが
B
実際には
A−女
||
B-C(別腹)
の例もあって、これも A=B-C と描いたら血統が繋がっていると誤解を招く恐れがありますよね。
また
A−女
||-B
婿
は A-女-B で差し支えないでしょうが、
A−女
||
婿-B(別腹)
の場合はどうすればいいのかと。
血縁を明確に表す予定ならば、どうしてもある程度複雑に描き込む必要はあるかと。
>>219 「廃絶大名についても(備中松山藩主の池田家など)も系図に記載した方がよいか?」
ですが、コンセプトからすると現代まで続いていない大名家の場合は、必ずしも書く必要
はないでしょう。
でもここの場合では、「(一度断絶した)高直り大名を」というリクエストなどありますし、
また一度断絶した家でも、旗本や家臣に降りた分家筋がいつの間にか当主の系図に
絡んでいたという例を多々見受けられましたので、私の場合は、とりあえず描くようにし
ています。
最後まで絡んでいなければいいのですが、本当にそうなのかは描いてみないと、私には
分からんのです・・・(笑)
234 :
日本@名無史さん:04/03/04 21:18
備中国の大名が続出しとりますな。岡田藩伊東家、新見藩関家もおながいします。
>>190>>191>>192 みなさんありがとうございます、これからも36を
よろしくおねがいします!
>>194 「平成新修旧華族家系大成」の前身に「昭和新修旧華族家系大成」
があります。昭和57年に上巻、昭和59年に下巻が出版されてます。
情報が若干古いですが「平成新修旧華族家系大成」を出版する際に
掲載を辞退している家もあるので、時間があれば
念のため目を通したほうがいいかも。
「華族大鑑」は華族の経歴を調べる上で欠かせない本ですな、
できれば購入したい本です。
>>193 三春藩荒木家は旧姓波多野で丹波国出身、
荒木村重とは関係ないと思います。
高兼─高次─高綱─高宅─高村─高保─高伏
高兼の娘が実季の実子を儲けた縁で高次の代より秋田家に仕官、
高村は嗣子を失った輝季の後釜に実子頼季を据えて権勢を振るい
お家騒動に発展した。
>>191 六郷政貞は蘭の栽培に熱中し、短歌も得意だったみたいですな。
>>197 土方久徴は日本銀行総裁を勤めた人物ですな。
>>231-233 レスありがとうございます。
では一応、暫定措置として妻の縁者であることがわかっている場合は下の方の説明にその旨表記することにします。
女婿なんですが、
>>232さんの
A−女
||
B-C(別腹)
や
A−女
||
婿-B(別腹)
の場合は、以前傘貼り旗本退屈男さんが書いていた「家系の乗っ取り」というやつですね。
確かに面倒ですよね。前にも同じ話が出たような気もしますがうーん、どうしましょう。
これからの系図で、別腹であることが判明した分については、そういう表記をすることにしましょうかね。
>>234 関家です。
森長継┬長俊─2長広─3政富┬5長誠┬6長輝┬7成煥
└1長治 └4政辰│ └長吉─9長克
│ ‖
└長義┬8長道─10亭以
└貞子─11博直┬12長剛
└13長博─14勝
無印:1美作宮川→1〜9備中新見藩主家
11博直は公家萬里小路博房の3男
>>198 忠允は忠誠弟の忠惇長男、忠精は忠允実子。
忠敏は大関タ次男、タの実父大関増式は忠良5男。
忠揚は忠惇次男、元子は忠允夫人で相馬順胤長女。
幸寿氏の後に書いてある幸久という人物については
どこで情報を得たんですか?
>>220 「九州の江上氏」・・・大蔵氏流の江上氏のことだと思いますが、有態に言えば九州のローカル氏族で、
近いところで高橋、秋月、原氏がいます。長らく小弐氏の臣下で勢福寺城を拠点としていた有力な家
でしたが、守護、戦国大名ではなかったと思います。
>>198より、青山家(修正第一版)
忠成┬a1忠俊─b1宗俊┬b2忠雄
│ └b3忠重─b4俊春
└c1幸成─c2幸利─幸実─c3幸督┬c4幸秀─c5幸道┬c6幸完─c7幸孝┬c8幸寛
└b5忠朝 │ └c9幸礼
└b6忠高┬b7忠講
└b8忠裕┬b9忠良┬b10忠敏 元子
│ ├b11忠誠 ||─b13忠精
│ ├忠惇─b12忠允
│ └大関増式─大関タ─b14忠敏─b15忠揚─b16忠博─忠靖
└c10幸哉─c11幸宜─c12幸直─c13幸寿
a1武蔵岩槻→1上総大多喜藩主家
b1信濃小諸→1〜3遠江浜松→3〜5丹波亀山→5〜10丹波篠山藩主家
c1遠江掛川→1〜4摂津尼崎→4信濃飯山→4〜5丹後宮津→5〜11美濃郡上藩主家
>>238 調べなおしましたが、幸久をどこで見つけたかわかりませんでした(汗)
幕末関係の資料だろうと思います。幸宜の末らしい人物と推定して、
後で確認するためにメモ書きしたままだったのでしょう。(←情けない)
幸宜は六人の男子がいました。
もし実在していたなら、幸宜の長男か次男もしくは孫のうちの誰かでしょうね。
(三男はc12幸直、四男は幸徳、五男は幸高、六男は孝敬だったはず)
ともあれ、頭首でなかったならこの系図には要りませんね・・・
ご迷惑をおかけしました m(_ _)
>>1さんへ
HPの分部家ですが、補記のところは「3嘉高」ではなく「4信政」の間違いでは?
>>242 あっほんとですね。
ご指摘ありがとうございます。
修正しておきました。
他にも間違いを見つけられましたら、ちっさいことでもいいので、ご指摘お願いします。
>>236 >荒木村重とは関係ないと思います。
そうですか。
スレ違いですが、村重は丹波荒木氏の流れという説もありますし、
そうするとあながち無関係ともいえないわけですね。
『平成〜華族家系大成』と『昭和〜華族家系大成』では
若干の異動があるので注意。
必ずしも新しい『平成〜』の方が正しいとは限らないので・・・
『興信録』で補正するといいよ。
また、『寛政〜譜』と『〜華族家系大成』の間は
『系図纂要』で埋めよう(誤記が多いけど)
>203
d13健之助の跡は二条正麿の子(3男?)、博基が継いでいます。
247 :
日本@名無史さん:04/03/05 14:03
帝室
モナゴル帝室系図(一部省略) ,,,,,,,,,,,,,, ¶〜 ,,,,,,,,,,,,,,,
(,,,,l,,⌒,l,| .∧⌒∧ (,,,,l,,⌒,l,|
8ハ´ ー`) = (´∀` )ヽ = p彡*゚ー゚)
モルテ | オマエモナー汗 ミィ
|
┌―――――┬─――――┴――――─┬――――――――───┐
,,,,,,,,,,,,,, .| |. ,,,,,,,,,,,,,,,,,, | ,,,,,,,,,,,,,, |
..(,,,,l,,⌒,l,) ,,,,,,,,,,,,,,,, (,,,,,,l,,⌒,l,| ¶〜 (,,,,l,,⌒,l,) †
..[X]ノメノ)) §¥§ |,l,⌒,,l,,,,) 彡リノノ)〉 /○\ ri_1リノ)))〉 ∧⌒∧
((ゝl゚ ヮ゚ノ) = (´∀`ヽヾ (゚Д゚ ヾ 川*゚−゚ノ = (´ハ` ,ヽヽ 〈「(l!゚ ヮ゚ノ| = (゚ー ゚*ヽヽ
ベクタミシュ | ジュチ チャガタイ トゥラキナ | オゴタイ ソルカクタニ. | トルゥイ
(ジュチ家) (チャガタイ家) (オゴタイ家) (トルゥイ家)
.... ┌─―┴―┬―――┐ ┌─┴─┐ ┌───┬┴──┬───―┐
. ¶E | ¶ん. | ¶⇔ ¶Z ¶F ¶S
∧⌒∧ (Z三三) その他 ∧⌒∧ | ∧⌒∧ ∧⌒∧ ∧⌒∧ ∧⌒∧
(・∀・ ヽヽ (`◇´ヽヽ (-_-||ヾ. | (`□´ ,ヽヽ (・ー・ ヽヽ (`〈_´ ,ヽヽ (`д´ ヽヽ
バトゥ ベルケ グユク クチュ モンケ フビライ フラグ アリクブカ
248 :
日本@名無史さん:04/03/05 18:07
やっぱりちっぽけくんだw
249 :
日本@名無史さん:04/03/05 18:10
>>248 粘着だよね、一人で必死に書きこんでるよ 学校から帰ってきたんだね
250 :
日本@名無史さん:04/03/05 18:14
>249
かまってくんだからなw キモイ
>248=249=250
このスレには関係ない話だろ?
おまえこそ厨房だろ、関係ないスレを自演で荒らして・・・。
252 :
日本@名無史さん:04/03/05 18:21
ちっぽけくんw
253 :
日本@名無史さん:04/03/05 18:29
158 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/02/26(木) 05:45
123=125=146なんでしょ?ぶっちゃけ
この辺と関係有るのか?
この前は近現代史がなんたらって難癖つけてたね。こんどは家老か。
どっちのスレも好きで見てるだけに迷惑だよ<ちっぽけ
>>251 どっちも平和にやってたのに波風立てるなよ陰険なやつ
257 :
日本@名無史さん:04/03/05 18:54
誰か石川家きぼーん
258 :
日本@名無史さん:04/03/05 19:10
>>255 最初「ちっぽけくん」って何かわからなかたよw
259 :
日本@名無史さん:04/03/05 19:14
とりあえず系図スレからも出て行けよな
260 :
日本@名無史さん:04/03/05 19:21
前に細川ガラシャの血がなんたらってカキコして叩かれてたやつなの?「ちっぽけ」って
こいつも「江戸三百藩HTML便覧」みて書いてるとか書かれてたけど
いたなそんな馬鹿、もう前スレ落ちっちゃったけど
ふだんはROM専なんだけど、あんなのが居ると一応書きこまなきゃなって思うよ。面倒だけど(笑)
>251
よりにもよってお前が「自演」とか言うなよw 痴障
>>260 血統スレの丸々パクって叩かれてた奴のことか?
よっぽど悔しかったようだなw
あれから1時間も自演のレスをつけ続けてたとはなあ。
>>252-264
266 :
日本@名無史さん:04/03/05 20:13
上に書かれてる疑問に答えてないよ〜 age
>>247 疑問なのですが
1:「オマエモナー」には「汗」がついているが、以降の子孫にはついていない。
2:ジュチ家の「バトゥ」の兄弟のみ「その他」の表記がある
原本ではどうなっているのでしょうか?
画像をどこかにあげていただけないでしょうか?
よろしく、お願い致します。
268 :
日本@名無史さん:04/03/05 20:17
>265
俺のカキコも中に入れてくれてるけど、なんか迷探偵コナン並みの推理力だな
いや小学生並って意味でw
269 :
日本@名無史さん:04/03/05 20:22
>>268 またくるぞw なんたら=なんたら=って
270 :
日本@名無史さん:04/03/05 20:23
ま、全部が自演とは思わないけど
大半は一人の書き込みには見えるわな
そんなに照れなくてもいいよ。
自演を指摘されたからってw
全員の役で反論してたらキリがないぞ。
恥の上塗りw
274 :
日本@名無史さん:04/03/05 20:36
ほらきたw お前が嫌いな奴は一杯いるんだよ現実を受け入れろ
あ、判ったゼンペイの子供だ。
同姓だけど無関係の家ですよね?
系図の伊藤家は武家華族、ミヨちゃんは伊藤博文の子分
こんなに伸びたのは1の彼女の件以来だな、あの時も書き込んださ
>>279 ヲチしている連中ってぶっちゃけ大半は史板に興味ないでしょ?
伊東といえば平安末期から通字は「祐」だけど、備中伊東家というのは
長が通字なんだね。
飫肥の伊東家とどこで繋がってるんだろうか。
そうそう「伊東」、でミヨちゃんは鹿児島の人
備中伊東家も昔は「祐」がつうじだったことになってる
なんでミヨちゃんの子供が養子には逝ったんだろう?遠祖が同じだからか
286 :
日本@名無史さん:04/03/05 22:06
伊東家次の子祐次が日向伊東の先祖、
伊東家次の子祐家の子祐親が備中伊東の先祖
474 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/03/05(金) 17:57
>>473 反対してるのは一人ではないよ。
このスレの最初のほうの傾向とあまりにもズレてきてるのは事実じゃん。
それから、「ちっぽけ君」とか「あっちのスレ」とかどういう意味?
あんたの言ってること意味不明。
↑
ハゲワロタ、これって自演じゃないの?
伊東みよじは長崎の人です、ちなみに後を継いだ子供の名前はわかりますよね(笑)養子に出した子供の名前から
鹿児島出身で伊東姓「祐」が通字の新華族が伯爵と子爵に居ますけど日向伊東と関係有りますか?
>>289 伊東祐麿・祐亨兄弟(共に子爵)がいますが彼等の事ですか?
男爵のほうはわかりませんが・・・
薩摩伊東家の出身ならば関係があるでしょうね。
始祖は祐安。日向伊東氏宗家との関係は以下の通り。
12尹祐┬13尹祐┬14祐充
│ ├16義祐 (祐清)┬観虎丸
├祐梁 └15祐吉 ├17義益─18義賢
│ └19祐兵(飫肥藩初代藩主)
└祐武(武蔵守)─祐安(加賀守、薩摩伊東家始祖)
13尹祐は12尹祐の長男
14祐充は13尹祐の長男
15祐吉は13尹祐の3男
16義祐(祐清)は13尹祐の2男
17義益は16義祐の2男
18義賢は17義益の長男
19祐兵は16義祐の3男
15祐吉と16義祐の代が逆と言われるかもしれませんが、
祐吉のほうが先に城主になっているので、こうカウントしています。
また書き間違えた・・・_| ̄|●
12祐国┬13尹祐┬14祐充
│ ├16義祐 (祐清)┬観虎丸
├祐梁 └15祐吉 ├17義益─18義賢
│ └19祐兵(飫肥藩初代藩主)
└祐武(武蔵守)─祐安(加賀守、薩摩伊東家始祖)
13尹祐は12祐国の長男
14祐充は13尹祐の長男
15祐吉は13尹祐の3男
16義祐(祐清)は13尹祐の2男
17義益は16義祐の2男
18義賢は17義益の長男
19祐兵は16義祐の3男
>>290 なるほど関係有りますか、ありがとうございます〜
祐亨の家は後に伯爵に昇格してます
293 :
日本@名無史さん:04/03/06 02:01
こんどはコピペあらしですか?ちっぽけ君 相変わらず芸がないw
上に書かれてること全部当たってたんだね
あぼーん
295 :
日本@名無史さん:04/03/06 02:52
491 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/03/06(土) 02:27
またジサクジエンかよw
↑
まだ逝ってるよw自作自演はお前だろw
みんなが寝静まるのを待ってたのか 負け犬が。
296 :
日本@名無史さん:04/03/06 04:29
安室氏の系図教えて
>296
テム・レイ−アムロ・レイ
今日も期待してるぞ
キチガイ粘着君w
こんばんは。
挨拶代わりの、本堂家。
1茂親─2栄親─3玄親┬4伊親
└女─5苗親─6豊親→7親房─8親庸─9親道─10親久─11親雄─12親威─13親利
1〜10寄合旗本→10常陸志筑藩主家
5苗親は寄合旗本戸川達富の4男
7親房は陸奥泉藩主板倉勝清の4男(室菅沼定用女、朽木紀綱女)
ああ、「陸奥泉藩主」というより「上野安中藩主」のほうがよかったか・・・
>>302 しょうがないです。
ずーっと旗本で一万一千石に加増され大名になったのは幕末。
藩主であったのは一代限り。
かく言う私も、調べるまで知りませんでした(^^;
>>240 b6忠高は「江戸三百藩HTML総覧」ではc4幸秀の子って書いてありますが、これは「HTML総覧」が間違いということでよいのでしょうか。
こちらも挨拶代わりの、相馬家。
1利胤─2義胤=3忠胤┬4貞胤
└5昌胤┬7尊胤
=6叙胤─徳胤─8恕胤─9祥胤┬10樹胤
└11益胤─12充胤─13誠胤─14順胤─15孟胤─16恵胤─17和胤
無印:1〜13陸奥相馬藩主家
3忠胤は上総久留里藩主土屋忠直の2男
6叙胤は出羽久保田藩主佐竹義処の2男
>>304 誠胤と順胤は実の親子なんでしょうか?
以前相馬事件について書いている本で二人は異母兄弟だと読んだ記憶があるので。
>>304 「江戸三百藩HTML総覧」で詳しく書いている所を見ると、恐らく私の間違いだと思いますが、
念のため、後日「三百藩藩主・・・」などで確認してみます。
>>305 その通りで、14順胤は13誠胤の異母弟です。
>>305,
>>306 あらま、これは失礼しました。
「平成新修旧華族家系大成」(を基に作成したメモ)と「日本名字家系大事典」では、実の親子となっていたもので、思い込んでおりました。
相馬事件は初耳だったので調べてみたんですが、歴史関係のHPがひっかかるかと思いきや精神医療史のHPがかかりまくったので驚きました。
ということで書き直し。
1利胤─2義胤=3忠胤┬4貞胤
└5昌胤┬7尊胤
=6叙胤─徳胤─8恕胤─9祥胤┬10樹胤
└11益胤─12充胤┬13誠胤
└14順胤─15孟胤─16恵胤─17和胤
青山家の調査もよろしくです。
308 :
日本@名無史さん:04/03/07 03:23
安室奈美恵の先祖は誰?
311 :
日本@名無史さん:04/03/07 06:07
安室の先祖は土人です
誠胤の息子の信恒は織田家に養子に出てるけど、なんで相馬を継げなかったのかな?
こんばんは。
「一日一家、大名みな兄弟」という訳じゃありませんが、今日も書きつづけます。
>>237関家の親族、森家
a1忠政─郷─a2長継┬忠継─a4長成
├a3長武
├b1長俊─b2長記─b3俊春┬b4俊韶
│ └=b5快温→b6長義─b8長国─b9俊滋─b9長祥=b10俊成─俊守─b11利之
├a6長直=a7長孝→┌a8長生
└a5衆利 各務利直┴a9政房→a10忠洪┬a11忠興
└a12忠賛┬a13忠哲
├a14忠敬─a15忠徳┬a16忠典
└b7長篤 └a17忠儀─a18忠恕─a19可久─a20可展─可威─可啓
a1信濃川中島(松代)→1〜5美作津山→2備中西江原→6〜17播磨赤穂藩主家
b1〜9播磨三日月藩主家
a2長継は森家重臣関成次の長男(母はa1忠政の2女郷)
a3長武はa2長継の3男
a7長孝は一門家臣森采女三隆の子(母はa2長継女、室はa6長直女幾)
a8長生は各務伊織利直の子(母は有馬氏)
a9政房は各務伊織利直の子
a10忠洪は一門家臣森縫殿正典の子
b1長俊はa2長継の4男
b5快温は安芸広島藩主浅野重晟の2男(室はb3俊春女曽代)
b6長義は備中新見藩主関長誠の2男
b10俊成は関博直の子(母は沖佐太郎の2女留、妻はb9長祥の長女千代子)
http://www.spy.ne.jp/~satomako/nenp3.htm など
ちなみに、森乱丸(蘭丸)成利は可成の3男でa1忠政の実兄(母林新右衛門通安女)です。
すみません、コテハンまた忘れてた(^^;
で・・・森采女三隆、森縫殿正典の血筋がわかりませんでした。
>>313のサイトで分家の次郎家、才兵衛家、半十郎家などを追跡してみましたが、
該当者無し。残念無念。
HPにうぷするときは森と関は一緒にした系図のほうか良いかも
関家の家紋は鳳凰、藩邸の下から鳳凰の骨が発見されたことにちなんでまつ
ちょっと変化球いってみます。
岩出山伊達家
稙宗┬晴宗─輝宗─政宗─1宗泰─2宗敏─3宗親
└亘理元宗─亘理重宗─涌谷伊達定宗─涌谷伊達宗重─涌谷伊達宗元─┐
┌─────────────────────────────────┘
└4村泰─5村輯─6村通─7村則─8宗秩─9義監─10邦直┬11基理┬12正人(男爵)┬13邦泰─14直宗
└a12英 ├a11篤三郎 └寿之(当別町長)
└=a13寧永─a14宗夫=a15広嘉
大名と言うのは?な家ですが
伊達宗泰が3万石(5万石とも)の諸侯(将軍直臣)となっていた時期があります。
実際には仙台藩主伊達政宗が存命の時期であり、藩としての体制は整っていなっかった家ですし、
2代以降は仙台藩陪臣(一門)の家です。
また、ほぼ全ての資料で大名としては扱ってくれてはいない家です。
1のみ大名(格)
無印:岩出山伊達→当別の男爵家
a印:岩出山残留組
a12は女性当主
a13は登米伊達家より婿入り
a15は前沢家より婿入り
本当は伊達村和(中津山藩→川崎伊達家)の家系を追いたかったのですが、手元の資料ではわからなかったので
とりあえずこちらをUpしました。
>>310 一応、個人的ルールとして「実子→婿養子→血縁のない養子」という順序で書くことにしとるんですよ。
このスレを読んで、餓鬼のころから抱えていた自分の家の謎が解けたというのは秘密だ。
宗家と疎遠なんでこのスレに提供できる情報がないのが残念だ…
今度、ばーちゃんにでも会いに行ってみるか。
>>25 25さんどーも36です。
>森采女三隆、森縫殿正典の血筋がわかりませんでした。
森采女三隆の系図は以下の通り
可政─可春─三信─三隆
可春は忠政の家臣となり、三信は可澄(可春の兄)の子です。
三信は関成次長女を娶り三隆を儲けている。
森縫殿正典は私もわかりません…
各務伊織利直の系図
元正─元峯─利正─正直─利直─利武(利式)─元当─
利匡(利国)─正章
元正は天正10年の武田攻めにて活躍、利直は林政光6男。
利武は長生・政房兄弟の弟。長生は森采女三隆(既出)の養子
となった後に赤穂藩主、その後を政房が継ぐ。
>>316 判る範囲で書きます、後はどなたかフォローお願いします。
川崎伊達家系図
村和─村詮─村敏─村煕─村賢─宗和─邦和─邦賢
村和は伊達綱村次男、村詮の代より川崎領主、村敏は伊達(岩出山)村泰次男、
村賢は伊達(水沢)村儀3男、宗和は伊達(岩出山)村則次男、
邦和も養子だが実父はわかりません、邦賢の代で明治維新を迎える。
322 :
日本@名無史さん:04/03/09 05:38
>>321(1)
溝口家は「江戸三百藩HTML総覧」を参考にしたのか?
微妙に間違ってる気が・・・
ああっ
「江戸三百藩〜」で作った下書きをそのままのっけてしまいますた。
すいません。逝ってきます・・・
9直侯の父は直信ですね。
>316
4村泰の母は2宗敏の娘。
即ち4村泰は3敏親の甥
>>317 了解しました。
自分でも書いてて時々見づらくなる形になることを経験しましたが、
そういうルールを作っておけばいいですね。
>>319 ありがとうございます、三隆は可澄の孫だったのか。
可澄は名を残している人物ですから簡単にわかりそうなもんなの
ですが・・・うーむ、情けなや。
>>315,320
それは難しいそう。少なくとも、私はやりたくないなぁ・・・
今
>>257さんのリクエスト、石川家を手がけていますが大久保家
からチョコチョコ養子を迎えていて把握し辛いです。大久保家の
ほうが遥かに簡単でした。併せた系図を書くのは、以前私が提唱
した「二重系図」より見づらくなるのではないでしょうか。
(廃絶大名家シリーズ)
最上家
1義光─2家親─a1義俊─b1義智─b2義雅→b3義如─b4義章─b5義隆─b6義郷─b8義溥
→b7郷倍─┐
┌──────────────────────────────────────┘
└義明─b9義実─b10義昶─b11義イ春→b12義連─b13義和─b14彰義─b15義雄
無印:出羽山形藩57万石
a印:出羽山形藩改易後、近江、三河で1万石
b印:交代寄合表御礼衆近江で5千石
b1義智は高家(一代限り)
b3義如は永井直増二男
b7郷倍は松平康郷六男
b12義連は井上正春の?男
いきなり唐突ですまんが、
本多忠勝の男系の血筋って現在まで残っているの?
思い当たった陸奥泉藩は最後の藩主が養子らしくて血筋がつながって
いるのかわからないので。
本多忠勝家(復刻版)
a1忠勝┬a2,b1忠政┬忠刻─b2政朝┬c2政長=c3,d1忠国─d2,e1忠孝
│ │ └g1政信
│ └m1忠義┬m2,n1忠平─n2忠常
│ ├o1忠晴─n3忠直┬o2忠通
│ │ ├o3,p1忠如─p2忠籌─p3忠誠─p4忠知┬p5忠徳
│ │ ├n4忠村 └p6忠紀=p7忠伸
│ │ └n5忠烈
│ └忠当(忠周)
└忠朝─b3,c1政勝┬f1政利
└g2,h1忠英┬e2,i1,j1忠良─j2,k1忠敞┬→k2忠盈─l2忠典→l3忠顕─l4忠考→l5忠民→l6忠直=忠敬(子爵)─忠昭
│ └k3,l1忠肅
└h2忠方─h3忠辰─h4忠尭→h5忠可─h6忠居┬h7忠敬
└h8忠鄰─h9忠明
a印:伊勢桑名
b印:播磨姫路
c印:大和郡山
d印:陸奥福島→播磨姫路
e印:越後村上
f印:大和郡山分藩→播磨明石→陸奥岩瀬
g印:大和郡山分藩
h印:播磨山崎(宍粟)
i印:三河刈谷
j印:下総古河
k印:石見浜田
l印:三河岡崎
m印:遠江掛川→陸奥白川
n印:下野宇都宮→大和郡山
o印:遠江相良
p印:陸奥泉
c3,d1忠国は水戸頼元の2男(a2,b1忠政の外曾孫)
h5忠可は越前丸岡藩主有馬孝純の子
k2忠盈は信濃松代藩主真田信弘の6男
l3忠顕は伊予西条藩主紀伊頼謙の2男
l5忠民は讃岐高松藩主水戸頼儀の子
l6忠直は信濃小諸藩主牧野康哉の子
p7忠伸は本多忠行の長男
>>327 前スレで私がUPしたものをコピペしました。
まだ未校正ですが、大名藩主家の血筋は綺麗サッパリ絶えてます。
忠勝の息子は妾腹も含めこの二人だけですんで、存続の可能性が
あるとするならば、孫の世代以降でしょう。
気になるのは御指摘の陸奥泉藩の藩主p7忠伸。本多忠行の長男で
彼自身は忠勝の血筋を受け継いでいるのかもしれないというところで
しょうか。
「一日一家、大名みな兄弟」
何だかこのスローガンが気に入ってしまいました(笑)
では・・・久々に答えてしまいますが、
>>154さんのリクエスト、(河内)高木家。
1正次─2正成─3正弘─4正盛┬5正豊
└6正陳→7正恒─8正弼=9正直=10正剛─11正明→12正坦→13正善─14正得─?
1〜13河内丹南藩主家
7正恒は板倉重行の2男
9正直は若狭小浜藩主酒井忠与の4男(8正弼の女婿)
10正剛は上野小幡藩主松平(奥平)忠福の2男(9正直の女婿)
12正坦は美作津山藩主松平康哉の子松平維賢の4男
13正善は高木守庸の二男
「細雪」じゃありませんが、14正得には四人の娘がいました。
長女衣子、次女百合子、三女桃子、四女小夜子。
三笠宮崇仁親王妃になったのは次女の百合子さん。
大分遅れてしまいましたが
>>304 >b6忠高は「江戸三百藩HTML総覧」ではc4幸秀の子って書いてありますが、これは「HTML総覧」が間違いということでよいのでしょうか。
「三百藩藩主人名事典」に拠りますと、これで間違いありません。
もともと「江戸三百藩HTML総覧」のはこの本から引用しているみたいですけどね。
大久保家
忠員┬忠世─忠隣┬忠常─a1忠職
│ └教隆─a2忠朝┬a3忠増─a4忠方─a5忠興─a6忠由─a7忠顕─a8忠真─忠修─a9忠愨→a10忠礼─a11忠一─a12忠言─?忠智
│ └b1教寛┬b2教端─b3教起─b4教倫
│ └教平─b5教翅─b6教孝─b7教義┬a11忠良
│ └?b8教正─b9教尚─教道─?
└忠為─忠知─忠高─c1常春─c2忠胤┬c3忠卿
└c4忠善3=c5忠成┬c6忠保
└c7忠美─c8忠順─c9忠春─c10忠訓─?
a1美濃加納→1播磨明石→1〜2肥前唐津→2下総佐倉→2〜11相模小田原藩主家
b1〜5駿河松長→5〜7荻野山中藩主家
c1〜8下野烏山藩主家
a10忠礼は讃岐高松藩主松平(水戸)頼恕の子
c5忠成は宇都宮藩主松平(深溝)忠恕の三男
http://www.kawara-ban.com/daimyouNO12.html 忠世は忠員長男、忠為は6男。ついでながら彦左衛門忠教は8男です。
c5忠成はc4忠善の娘を室にいれているので「=」で間違いありません。
>>334 「c4忠善3」は「c4忠喜」に訂正。スマソ
25さん、河内丹南高木家ありがとうございました。
14正得氏の次は正順なので長女衣子さんに婿養子に入ったんですかね?
13正善は高木守庸次男と云う事は、初代正次の弟である守次流ですね。
守次ー守久ー守勝ー守興ー守明ー守節ー守富ー守影ー守庸ー正善
それにしても江戸時代を通じて親戚付き合いしてるとは驚きました。
八条院蔵人高木判官代源信光から正次までの系図は判明してますが
いかんせん実子・養子の区別が不明なんであくまでも参考と云う事で。
>>25 本多家の系図わざわざ再録してもらって申し訳ない。
>気になるのは御指摘の陸奥泉藩の藩主p7忠伸。本多忠行の長男で
>彼自身は忠勝の血筋を受け継いでいるのかもしれないというところで
>しょうか。
p6の本多忠紀はおそらく奥羽越列藩同盟に加わって新政府に恭順する
という意味でp7の忠伸に譲ったと考えれば、実子がいた確率もあるかも
知れないと思った。もっとも本多忠行の素性がわかればなあ。
>>332,
>>337 正順氏は正得の婿のようです(平成新修旧華族家系大成)。
どの娘さんと結婚したのかメモってないものでわかりかねますが。
正順氏は木越安綱の7男、とあります。
正順氏の次、現当主はその子、信宏氏です。
>>333 >
>>304 >>b6忠高は「江戸三百藩HTML総覧」ではc4幸秀の子って書いてありますが、これは「HTML総覧」が間違いということでよいのでしょうか。
>「三百藩藩主人名事典」に拠りますと、これで間違いありません。
わかりました。では幸秀の子としてうpしておきます。
>>334 大久保家の維新以降ですが、
a10忠礼はb7教義の婿となっています。
また、a11忠良のあと、再承しています。
それから、忠智氏は忠言氏の子です。
b8教正はb7教義の子で間違いありませんが、a11忠良とどちらが兄なのか、メモり忘れました・・・
現当主はそれぞれ忠智氏、教道氏(教尚氏の子)、忠訓氏です。
本多家は怖くて未だに手をつけられません・・・
みなさまありがとうございました。
今日は校正から始めさせて頂きます。
>>332より、(河内)高木家 (修正第一版)
清秀┬1正次─2正成─3正弘─4正盛┬5正豊
│ └6正陳→7正恒─8正弼=9正直=10正剛─11正明→12正坦
│
└守次─守久─守勝─守興─守明─守節─守富─守影─守庸─13正善─14正得=15正順─16信宏
1〜13河内丹南藩主家
7正恒は板倉重行の2男
9正直は若狭小浜藩主酒井忠与の4男(8正弼の女婿)
10正剛は上野小幡藩主松平(奥平)忠福の2男(9正直の女婿)
12正坦は美作津山藩主松平康哉の子松平維賢の4男
13正善は高木守庸の2男
15正順は木越安綱の7男(14正得の女婿)
>>339で指摘された「15正順の嫁は誰か」。
今日「大正人名事典」などで捜してみましたが、「高木正順」の名を見つけることはできませんでした。
従って嫁様も判らず。残念。「昭和華族・・・」「平成華族・・・」で捜せなかったのでしょうか。
>>334より、大久保家 (修正第一版)
忠員┬忠世─忠隣┬忠常─a1忠職
│ └教隆─a2忠朝┬a3忠増─a4忠方─a5忠興─a6忠由─a7忠顕─a8忠真─忠修─a9忠愨
│ └b1教寛┬b2教端─b3教起─b4教倫
│ └教平─b5教翅─b6教孝─b7教義┬a11忠良
│ └b8教正─b9教尚─b10教道
└忠為─忠知─忠高─c1常春─c2忠胤┬c3忠卿 =a10,12忠礼─a13忠一─a14忠言─a15忠智
└c4忠喜=c5忠成┬c6忠保
└c7忠美─c8忠順─c9忠春─c10忠訓
a1美濃加納→1播磨明石→1〜2肥前唐津→2下総佐倉→2〜11相模小田原藩主家
b1〜5駿河松長→5〜7相模荻野山中藩主家
c1〜8下野烏山藩主家
a10,12忠礼は讃岐高松藩主松平(水戸)頼恕の子(b7教義の女婿)
c5忠成は宇都宮藩主松平(深溝)忠恕の3男
------
予想よりシンプルな系図で何よりです(笑)
ところでbの「荻野山中藩」。
「荻野中山藩」とも書かれているようですが、どちらが正しいのでしょうか?
>>342 自己レスですが、c5忠成もc4忠喜から室を迎えているので、「=」で結び直しました。
>>25 どーも36です。
高木正順は正得長女衣子の夫です。
因みに正得次女は三笠宮崇仁親王妃、正得3女は京極高晴(丸亀藩主家、既出)
夫人、正得4女は高丘季昭(公家華族、後に西友会長)夫人です。
小田原藩最後の藩主忠良は明治維新後軍人を志し、西南戦争にて
戦死してますな。
大久保教翅は天明3年相模国愛甲郡中荻野へ転封し子字山中に
陣屋を定めたので、「荻野山中藩」が正解だと思います。
25さん、1さん現代まで高木家をつないでいただいたお礼と云っては
なんですが、徳川十六将の一人である高木清秀以前の系図をば。
清和天皇ー貞純親王ー経基王ー源満仲ー頼親ー頼房ー頼俊ー頼治ー親弘ー
基弘ー八条院蔵人高木判官代信光ー顕光(三男)ー光胤ー光家ー光忠ー
光延ー光季ー光勝ー光安ー光能ー能安ー清光ー宣光ー清秀ー正次
例によって実子・養子は不明です。
美濃の交代寄合高木三家(高木西・高木東・高木北)は、高木信光嫡男
信治の系統と思われます。(貞の字を通字に使用してるので。)
>>337 この守次系は、守庸に至るまですべて実子相続なのですか?
だとしたらかなり珍しい例ですね。
>>345 正次より上の代では、むしろ「光」が通字だったのですね。
清秀まで「正」も「次」も1度も使われていませんが、正次という名になったのは事情があったのでしょうね。
>>344 4姉妹とも、揃いも揃って「いいとこ」に嫁いでますねえ。
>>344 ありがとうございます。
>>313の播磨三日月藩主家のb10俊成氏の長男俊守氏も、フィリピンで戦死していますね。
武家の矜持を示すとはいえ、近年ではそう男子をこさえられる訳でもなし、家にとっては
中々大変ですわな・・・
>>345 そうそう、交代寄合といえばいいサイトがございます。
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/sub1-1.htm 第2章の中に高木三家の系図があります。これによると
源満仲─頼親─頼房─頼俊─頼治─親弘─基弘┐
┌────────────────────┘
└信光…貞政─貞次=貞久┬貞家─貞俊(高木北家)
(高木西家) ├貞利(高木西家)
└貞友(高木東家)
とか・・・うーむ、初めて知りました(礼)
仰る所も鑑みると、大名の高木家とは随分離れているようですねぇ・・・
さて本日のうp、谷家。
1衛友─2衛政─衛利─3衛広─4照憑─5衛衝┬6衛将
└7衛秀─8衛量┬9衛万
└10衛弥→11衛ム=12衛弼
=13衛滋─14寿衛─15閑衛─?
1〜13丹波山家藩主家
11衛ムは摂津麻田藩主青木一貞の2男
12衛弼は近江膳所藩主本多康禎の3男(11衛ムの女婿)
13衛滋は常陸府中藩主松平(水戸)頼説の5男(11衛ムの女婿)
----------
楽でいいですわ・・・
>>25 高木守次以降守影までは実子相続ですな、守庸は『新訂寛政重修諸家譜』
に出てこないのでわかりませんが…
太平洋戦争で戦死した大名華族(兄弟含む)は割といますね、西南戦争における
薩軍の戦死者としては島津啓次郎(佐土原藩主忠寛次男)と
秋月種事(秋月種任3男?)がいます。日露戦争では
南部(盛岡)利祥・本多(泉)忠彦・松平恒吉(浜田藩主家武聡の子)・
長岡護全(熊本細川家一門)がいます。
谷閑衛は昭和60年に没、現当主は息子の衛昭氏。
>>338 現在、本多(忠勝)家の系図を書き直しています。
前回地獄を見ましたので人任せにしたかったのですが(笑)
>>340で1さんが
(やはり)及び腰になっているし、本多スレでも「忠勝の血筋は絶えたのか」など、
いくつか気になる書き込みがあったので、やはりここは私がなんとかしないとい
かんのかと思い直し、現在、早世者を除いた全ての男子をチェックしています。
肝腎の、忠伸の父忠行ですが・・・
候補として考えられたのは、分家の「三津助忠福」「考之進忠恒」の裔、
あと「忠誠の兄弟」「忠知の兄弟」の裔。このくらいしか該当者がいません。
ちなみに「忠福」「忠恒」の家は早々と他家から養子を迎えていて、忠勝の血筋
は受け継いでいません。もし上記のいづれでもなかったら、別流の本多家から
迎えられたのでしょうね。
それから「忠紀に男子はいるか」ということですが、「三百藩藩主・・・」を読んだ
ところ男子はいなさそうです。
第二次世界大戦で戦死した大名華族(兄弟・分家・一門含む)
森俊守(既出)
松前正広(昭和19年戦死)
上杉勝昭(米沢新田藩主家、昭和19年戦死)
大田原尚清(鋭清の嗣子、昭和20年戦死)
大田原正良(大田原尚清弟、年代不詳)
松平乗武(岩村藩主家、乗文弟、昭和20年戦死)
久松勝治(多古藩主家、勝広弟、(昭和19年戦死)
新庄直孝(直知の子、昭和19年戦死)
藤堂高鋭(久居藩主家、高寛の子、昭和20年戦死)
山内豊陽(高知藩主山内家分家、容堂孫、昭和20年戦死)
島津光彦(鹿児島島津家一門、今泉家、久光曾孫、昭和20年戦死)
島津明彦(鹿児島島津家一門、今泉家、島津光彦弟、昭和19年戦死)
榊原政道(政和の子、昭和20年戦死)
溝口辰男(直正の子、昭和17年戦死)
松平康愛(福井藩主家、康昌の子、昭和20年戦死)
松平康亀(福井藩主家、康昌の弟、昭和20年戦死)
池田修教(岡山池田家分家、茂政孫、昭和20年戦死)
以上『平成新修旧華族家系大成』から拾ってみました。
尚、金沢藩主家前田利為も昭和17年戦死となってますが、
これは航空機墜落による「事故死」が正解のようです。
補遺
琉球王朝家の分家である今帰仁男爵家当主、今帰仁朝秀は昭和20年戦死。
尚男爵家の当主順の家族の内、
順・真子夫妻と子供の謙・信・計・米子、謙の子供忠昭・忠正は
沖縄戦にて戦没している。
訂正
今泉家ではなく、今和泉家。
今和泉島津家は島津吉貴の子忠郷が断絶していた
庶流和泉家を再興する形で分家したことに始まる。以下
忠郷─忠温─忠厚─忠喬─忠剛─忠冬─忠敬─忠欽─隼彦─忠親─忠克
忠温は先代弟、忠厚は重豪の子、忠剛は斉宣の子。
忠剛の娘が敬子、後の天璋院(徳川家定夫人)である。
忠敬は先代弟、忠欽は久光の子、隼彦の代で男爵。
島津光彦・明彦兄弟は隼彦の子。
354 :
日本@名無史さん:04/03/12 12:26
>>326 婿養子?それともホントの赤の他人(家名保つ為だけ)?
・・・ひどすぎる;;
>>328より、本多(忠勝)家 (修正第一版)
a1忠勝┬a2忠政┬忠刻
│ ├a3政朝┬a5政長=a6忠国─a7忠孝
│ │ └c1政信
│ │
│ └d1忠義┬d2忠平
│ ├f1忠利
│ ├e1忠以
│ ├e2忠晴─d4忠直┬d5忠村
│ │ ├e3忠通
│ │ ├e4忠如┬e5忠籌┬忠雄
│ │ └d6忠烈└忠貫 ├e6忠誠┬e7忠知┬e8忠徳
│ │ │ ├忠成…└e9忠紀=e10忠伸─e11忠彦─e12忠晃─e13忠頼─?
│ │ │ └忠明…
│ │ ├松平忠…
│ │ ├g6忠堅→g7忠昶─g8忠恒─g9忠曄┬g10主水
│ │ │ (孝之進) (主馬)└g11忠陳…
│ │ │ (實司)
│ │ ├忠順…
│ │ └荒木忠純…
│ ├g1忠周┬忠職
│ │ ├忠知
│ │ →g2忠貞
│ ├d3忠常
│ └f2忠寄=f3忠次┬f4忠央→f5忠由=f6忠福─f7忠慎─f8勝之助…
│ └忠雄 (三津助) (一学) (将監)
│
└忠朝─a4政勝┬勝行
├b1政利─政真 =a10忠盈
└c2忠英┬a8忠良┬a9忠敞┬a11忠肅
│ │ └a12忠典→a13忠顕─a14忠考→a15忠民→a16忠直=a17政義=a18忠敬┬a19忠昭=a20光孝=a21玄忠=a22隆将─a23大将
├忠次
└c12渉
│ ├忠亮
│ └忠寛─松平信寅…
├c3忠方
├c4忠辰─c5忠尭=c6忠可─c7忠居┬c8忠敬
│ └c9忠鄰─c10忠明─c11貞吉
└g3忠強→g4忠弘┬忠遠
└g5忠保
a1〜2伊勢桑名→2〜4播磨姫路→4〜6大和郡山→6陸奥福島→6〜7播磨姫路→7〜8越後村上→8三河刈谷→8〜9下総古河→9〜11石見浜田→11〜16三河岡崎藩主家
b1大和郡山分封藩→1播磨明石→1陸奥岩瀬藩主家
c1〜2大和郡山分封藩→2〜10播磨山崎(宍粟)藩主家
d1遠江掛川→1越後村上→1〜2陸奥白河→2下野宇都宮→2〜6大和郡山藩主家
e2〜4遠江相良→4〜10陸奥泉藩主家
f1〜8分家
g1〜11分家
a6忠国は常陸額田藩主松平(水戸)頼元の2男(a2忠政の外曾孫)
a10忠盈は信濃松代藩主真田信弘の6男 (a9忠敞の女婿)
a13忠顕は伊予西条藩主紀伊頼謙の2男
a15忠民は讃岐高松藩主水戸頼儀の子
a16忠直は信濃小諸藩主牧野康哉の子
c6忠可は越前丸岡藩主有馬孝純の子(c5忠尭の女婿)
e11忠伸は本多忠行の長男(e10忠紀の女婿)
f3忠次は長門長府藩主毛利綱元の2男
f5忠由は越前丸岡藩主有馬一準の3男(母は松平吉広養女)
f6忠福は武蔵六浦藩主米倉昌晴の8男(f5忠由の女婿)
g2忠貞は陸奥白河藩主松平(新田)直矩の7男
g3忠強はg2忠貞の女婿
g4忠弘は井上正富の2男
g7忠昶は摂津高槻藩主永井直珍の2男
>>350つづき。
「忠勝の血は誰が受け継いでいるのか」
しつこく追跡してみました。とはいえ、『寛政譜』を追っただけのことですけれど。
その結果、可能性があったのは
e5忠籌の子である
「忠」(忠満、信忠、熊之助。松平左京信豊の養子へ)
「忠順」(正道、定六郎、六郎。家臣に降りる)
「忠純」(政直、藤七郎、久兵衛。家臣荒木久兵衛由政の養子へ)
ちなみに、長子忠雄は早世してます。
e6忠誠の子である
「忠成」(亀次郎)
「忠明」(孫三郎)
忠寛の子である
「信寅」(忠胤、信孝、虎次郎。松平(藤井)内記信志の養子へ)
以上です。
ここから先は『寛政譜』に記されていません。『寛政譜以降旗本家百科事典』や『三百藩
家臣人名事典』も見ましたが追い切れませんでした。
それから『寛政譜以降旗本家百科事典』に拠ると、「孝之進忠恒」家は「實司忠陳」の代で、
「三津助忠福(忠富?)」家は「勝之助(将監)」の代で明治維新を迎えています。いづれも
忠勝の血筋を受け継いでいない上、e10忠伸とは関係なさそうなので敢えて追う気になれ
ませんが。
以上のことから、e10忠伸の父「本多忠行」の祖は、養子にいってなさそうな「忠順」「忠成」
「忠明」くらいでしょうか。あくまで同流であるならばですが。しかしこれだけ血縁が近かった
ら簡単にわかりそうなものですが・・・
最近、ようやっと『寛政譜』や『寛政譜以降旗本家百科事典』を素早く引けるようになりましたが、
『寛政譜』は血筋を追跡するのが大変ですし、これ以後の世代でフッと一族から養子を迎えて
いる例にぶつかるともうダメ。人名事典、姓名事典を読んでも全然役に立たない。『三百藩藩主
人名事典』は、当たり前だけど「江戸三百藩HTML総覧」以上のことは書いてない。そうかと
言って『系図纂要』まで手は回らないしw
>>341みたいにビシっと追いかけられると気持ちがいいのですが・・・
>>337(154)さんや
>>36さん
は何を参照して分家を追いかけたのでしょうか。教えてください。
>>1さんのサイトがコンプリート
したら、少なくとも自分が描いた系図だけはもうちょっと完成度を高めたいと思っていますので・・・
…e3忠通 を挿れた場所、あそこでよかったんだろうか。自信がない…(笑)
>>355-356 最後に、相も変わらず明治維新後の頭首をよく追いかけられませんでした。
まずe字の陸奥泉藩主家、e13忠頼以降。これ以前は確認できました。
それからa字の三河岡崎藩主家のa16忠直以降。
「姓名事典」の類でこのように長々と羅列していましたので、とりあえず書きました。
あとc字の播磨山崎藩主家、c12渉以降。
『華族大鑑』によるとc11貞吉はc10忠明の実子らしく、またc12渉はあの位置に書か
れていましたが、これ以後はやはり分かりませんでした。
よろしくお願い致します。
>>25(360)
私自身が江戸時代以前に分家した高木氏なので『寛政重修諸家譜』にて
略されて不明だった高木宣光以前の家系を調べてる内に三河・尾張・美濃
の高木氏系図ではなく、浅野家臣団の系図にそれ以前の系図があると知人
に知らされ、系図の写しを貰ったのです。現在判明してるのは約200人。
ただし未だにつながりは不明ですが家紋の「丸に打ち違い鷹の羽」は、
通常の「鷹の羽」よりも細く斑点があるので一族ではあるようです。
>>326 b7郷倍は松平康郷六男
の松平(久松)康郷は交代寄合下総飯笹六千石
>>202-204 牧野家をうpしてみました。
三根山藩主家の交代寄合時代の系図なんですが、どうも養子が入っているようなので、そのように書きました。
また、d11忠泰とd12忠良の間に、d11の娘、千代子氏が当主になっています。
しかし、d11忠泰の婿養子であるd12忠良が、千代子氏の夫なのかをメモり忘れました・・・
それにしても家が多い上に他家からの養子も多い家は大変ですなあ。
>>362 e陸奥泉藩主家は、e13忠頼氏が現当主です。
a三河岡崎藩主家ですが、a15忠民はa14忠考の婿、a16忠直はa15忠民の婿です。
その後なんですが、「平成新修旧華族家系大成」ではa17政義の名は見当たりません。
忠直のあとは忠敬が継いでいることになっています。
忠敬は忠胤(a14忠考の子)の子です。
忠昭は忠敬の子。
光孝は信濃松本藩主家戸田康保の4男で、姻戚関係は発見できませんでした。
玄忠は忠昭の婿です。実父は、俺がメモっていない=大名家とは関係ない人と思われます。
現当主は次の隆将氏ですが、姻戚関係はないようです。また、実父はメモっていないので、やはり大名家とは関係ない人のようです。
>>363 なるほど、ご自身の系図を調べた中でのストックを引き出しただけだったのですね。
それなら文献云々訊いても仕方がないですね・・・
>>366 a14忠考=a15忠民=a16忠直─忠胤─a17忠敬┬a18忠昭→a19光孝
└c12渉 =a20玄忠→a21隆将─大将
a15忠民は讃岐高松藩主水戸頼儀の子(婿養子)
a16忠直は信濃小諸藩主牧野康哉の子(婿養子)
a19光孝は信濃松本藩主家戸田康保の4男
こうですか。
a14忠考┐=a15忠民=a16忠直
└忠胤─a17忠敬┬a18忠昭→a19光孝
└c12渉 =a20玄忠→a21隆将─大将
こうですか (^^;
>>355より、本多忠勝家(助時流) (修正第二版)
a1忠勝┬a2忠政┬a3政朝┬a5政長=a6忠国─a7忠孝
│ │ └c1政信
│ │
│ └d1忠義┬d2忠平
│ ├e1忠以
│ ├e2忠晴─d4忠直┬e3忠通
│ └d3忠常 ├d5忠村
│ ├d6忠烈
│ └e4忠如─e5忠籌─e6忠誠─e7忠知┬e8忠徳
│ └e9忠紀=e10忠伸─e11忠彦─e12忠晃─e13忠頼
└忠朝─a4政勝┬b1政利─政真 =a10忠盈
└c2忠英┬a8忠良─a9忠敞┼a11忠肅 =a15忠民=a16忠直
│ └a12忠典→a13忠顕─a14忠考┴忠胤─a17忠敬┬a18忠昭┬→a19光孝
├c3忠方 └c12渉 =a20玄忠→a21隆将─大将
│
└c4忠辰─c5忠尭=c6忠可─c7忠居┬c8忠敬
└c9忠鄰─c10忠明─c11貞吉
>>357より、修正
a1〜2伊勢桑名→2〜4播磨姫路→4〜6大和郡山→6陸奥福島→6〜7播磨姫路→7〜8越後村上→8三河刈谷→8〜9下総古河→9〜11石見浜田→11〜16三河岡崎藩主家
b1大和郡山分封藩→1播磨明石→1陸奥岩瀬藩主家
c1〜2大和郡山分封藩→2〜10播磨山崎(宍粟)藩主家
d1遠江掛川→1越後村上→1〜2陸奥白河→2下野宇都宮→2〜6大和郡山藩主家
e2〜4遠江相良→4〜10陸奥泉藩主家
a6忠国は常陸額田藩主松平(水戸)頼元の2男(a2忠政の外曾孫)
a10忠盈は信濃松代藩主真田信弘の6男 (a9忠敞の女婿)
a13忠顕は伊予西条藩主紀伊頼謙の2男
a15忠民は讃岐高松藩主水戸頼儀の子(a14忠考の女婿)
a16忠直は信濃小諸藩主牧野康哉の子(a15忠民の女婿)
a19光孝は信濃松本藩主家戸田康保の4男
a20玄忠は?の子(a18忠昭の女婿)
a21隆将は?の子
c6忠可は越前丸岡藩主有馬孝純の子(c5忠尭の女婿)
e10忠伸は本多忠行の長男(e10忠紀の女婿)
---------------
>>355の系図から藩主に絡まない人物を除き、さらに修正しました。
私からは、おそらく最終稿になると思います。
>>361でe3忠通兄弟の順序を気にしてしまいましたが、『寛政重修諸家譜』で各員の
生年を調べてみますと、e3忠通は宝永2年(1705)、d5忠村とd6忠烈は宝永7年(1710)、
e4忠如は正徳2年(1712)だそうですので、この順番に直しました。
あと一代で絶えたb1政利は削除してもいいように思いましたが、有名な話ですし、
とりあえず残しておきました。
【2】本多康俊/成重家(正時流)
┌a5康命
正時┬正助・・・忠俊─忠次=┌a1康俊─a2俊次┬康長─a4康慶┴a6康敏
│ │ └a3康将─忠恒─b1忠統─┬a7康桓─忠薫┬a11康完
│ │ │ ├a12康禎┬a13康融
│ 酒井忠次┴家次─忠勝─忠恒─忠予─忠寄┬a9康伴 │ │ └a14康穣→a15康虎─a16猶一郎─康忠
│ └a10康匡 │ │
│ │ └b5忠升─b6忠寛→b7忠貫=b8忠鋒─b9忠照=b10恒彦─康彦
│ ├忠篤─b3忠興
│ ├b2忠永─b4忠「
│ └a8康政
└信正─重正─重次─c1成重─c2重能─c3重昭─c4重益
a1三河西尾→1〜2近江膳所→2三河西尾→2伊勢亀山→3近江膳所藩主家
b1〜7伊勢神戸藩主家
c1〜4越前丸岡藩主家
a1康俊は酒井忠次の2男
a8康伴は出羽庄内藩主酒井忠寄の5男
a9康匡は出羽庄内藩主酒井忠寄の子(a8康伴の弟)
a15康虎は宇和島伊達宗徳の?男
b7忠貫は出羽新庄藩主戸沢正令の子
>>371 a16猶一郎以降。康忠、康張というご兄弟がいますが、ここから先は不明。
それからb7忠貫以降。
『華族大鑑』によると恒彦氏が当主となっていて、解説に拠ると
「(忠貫の)養子忠恕の長男忠鋒其後を嗣ぐ。夙に…先代忠照を経て恒彦に到る。
恒彦は忠鋒の大叔父康匠の三男忠照の従祖叔父」
などと書かれています。
系図にするとこうなるのでしょうか?
┬○┬○─忠恕─d8忠鋒
│ └康匠─d9忠照
└○─d10恒彦
血縁相続だというのしかわかりません(泣)
この○の中に、忠升や忠寛の兄弟が入っていそうな気がするのですが・・・
【3】本多正信/正重家(正明流)
正明・・俊正┬正信┬正純─正好
│ └a1忠純=a2政逐
└正重─女子─正貫─正直┬b1正永=b2正武
└正方─b3正矩─b4正珍─b5正供─b6正温─b7正意┬b8正寛
└b9正訥=b10正憲=b11正復─b12正震─?
a1〜2下野榎本(皆川)藩主家
b1下総舟戸→1〜3上野沼田→3〜7駿河田中→7安房長尾藩主家
a2政逐は本多政重の子(a1忠純の女婿)
正貫は長坂重吉の長男(正重の外孫)
b2正武は榊原大膳久政の二男(室はb1正永の女イヨ)
b10正憲は?の子
b11正復は松浦厚の弟(b10正憲の女婿)
--------
本多政重、わかりませんでした。
政重は正信の次男、前田家家老
【4】本多康重家(正経流)
正経・・・廣孝─1康重┬2康紀─3忠利┬助久─5助芳┬6康明 →8助盈 =10助賢
└紀貞 └4利長 └7助有─┴助之─9助受┴11,14助実┬12助成
└13助寵
1〜4三河岡崎→4遠江横須賀→4〜5出羽村山→5越後糸魚川→5〜14信濃飯山藩主家
8助盈は旗本本多左京利紀の長男(室は秋田頼季女)
10助賢は美濃大垣藩主戸田氏教の2男(室は9助受の2女)
----------
上野白井藩主の紀貞は一代限りですが、取りあえず名前だけ残しました。
本多利紀、わかりません。
あとこの家が続いているのかどうかも。
>>374 >>364さんかな?どうもありがとうございます。
>>369-375 前スレで書きなぐった本多(の大名)家全てを、
>>1さんのHP形式に
近い形で書き直し、更に『寛政重修諸家譜』などを調べ直してあちこち修正しました。
あとは補記くらいしかやることはないだろうと思います。
>>354 本多家を纏めて思いましたが、この家は何とか血縁で相続しようとしている
意思を感じます。時の権力者に粘着し続けている家もありますが、多くの家
は血縁で何とかしようとしています。無縁の者を迎えている時は、大抵末期
養子で、しかも多くは自身や先代の女子を嫁がせようとしています。
家を保つだけなら、男子で続けなければならない必要はないんですよ。
多忙で窮屈な大名生活にあっては無体に男子を作り続けることは困難ですし
その必要もない(戦死しないから)。でも男子は女子よりもあっさり死ぬもので
すし、例え男子が大勢いても、若君→死亡→弟を立てる→さらに若い→死亡
→さらに下の弟を立てる→幼稚園児→(ry)なんてことが起こり続けたら、もう
政治どころではない。
その対策として、各家は女子を活用して婚族を確保し、2〜3の分家を用意し、
江戸時代以前の縁ある家と血の補間をし続けていたのです。然るべき年齢
と健康と、勤まるだけの能力を持った藩主候補を確保するために。
現在、ほぼ調べ終わった石川家もそうですね。
大久保家(
>>342)とのクロスオーバーが激しく、リクエストがありながら
長々と先送りしていたのですが(笑)。
現在、喜連川家/宮原家、永井家、大河内/長沢(松平)家、植村家も
できるところまで調べ上げました。一気にうpするのは
>>1さんへの宿題を
徒に増やすだけなので、スレが落ちないペースでうpしようと考えています。
>>371-372 >a15康虎は宇和島伊達宗徳の?男
伊達宗徳の二男のようです。
>a16猶一郎以降。康忠、康張というご兄弟がいますが、ここから先は不明。
「平成新修旧華族家系大成」発刊時点での御当主は康忠さんです。
その御子息が康則さん。
よって
a16猶一郎─a17康忠─康則
ですね。一応、康則さんにも御子息がいらっしゃいますが未成年者である為、名前は伏せさせていただきます。
>>379 ありがとうございました。各員からの指摘が纏まったら再びうpする予定です。
では、本日のお題、植村家。
1家政┬2家貞┬政成─4家敬─6家道┬7家久
│ └3家言 ├9家長┬10家教
└政春─政勝─政広─5家包 └8家利└11家貴→12家興→13家保
=14家壷─15家治┬家幸─?
└家隆
1〜14大和高取藩主家
12家興は肥前大村藩主大村純昌の9男
13家保は近江膳所藩主本多康禎の5男
14家壷は播磨山崎藩主本多忠鄰の8男(室は11家貴の女・生子)
381 :
日本@名無史さん:04/03/15 16:18
岡山中央図書館、昭和新修旧華族家系大成が数ヶ月前より行方不明になっています。
司書に確認したところ別置はしてないとのこと。誰かが持ち帰ったもよう。
調べられない。あれを密かに持ち帰るとは太え野郎だと思います。もう購入しても
らえないと思います。残念無念。
382 :
日本@名無史さん:04/03/15 20:51
>>382 オリエント美術館近くの岡山文化センター図書館へ池。
非常に多忙ですが、とりあえず今日のお題。
ああ、作り貯めといてよかった(笑)
喜連川家
(宮原)
政氏┬高基─晴直─義勝┬義照
│ └義久─晴克─義辰─┬義真─氏義─義汨─義潔…┬義路
│ └─5氏春 └義直─13聡氏
│ (喜連川) ||─6茂氏─7氏連=8恵氏─9彭氏─10煕氏┐
└義明─頼純┬1国朝 || ┌─────────────────┘
└2頼氏─義親─3尊信─4昭氏─女 │ (足利)
└=11宜氏=12縄氏─14於菟丸┬15惇氏
├尚麿
└峻
1〜13下野喜連川藩主家
5氏春は宮原義辰の2男(4昭氏の女婿)
8恵氏は伊予大洲藩主加藤泰衛の3男(室は家女)
11宜氏は細川定良の2男(室は家女)
12縄氏は常陸水戸藩主徳川(水戸)斉昭の11男(室は家女)
13聡氏は宮原義路の弟宮原義直(方斎)の2男(室は家女)
一族で寄合旗本の宮原家も追いかけてみました。
幕臣の人名事典を紐解くと、このような感じに見えました。
岡部左近─岡部備後守┐
│
1義汨┬2義潔──?3義周───?4──┐=5義路───7義敬
│(長門守) (弾正大弼) (摂津守) │ (弾正大弼) (弾正大弼嫡子、摂津守養子)
│ │
└義利───栄之丞 └─6義直(方斎)
(摂津守)
5義路は明らかに養子と書かれていますが、6義直はそうでないようなのです。
少なくとも、はっきり養子とは書かれていません。「義路弟」とも書かれていません。
実の兄弟ではないのかも…真実は如何に。
あわわわ。増えてますねえ。
ちょっと当方ここ数日ほど忙しくしておりまして(引越すため)、書き込みができない可能性が高いです。
HPの方の更新も止まることが考えられますがご了承くださいませ。
宮原は高家ですよ。
高家とか寄合旗本とかよくわからん
誰かレクチャーしてくれ
幕府における高家とは典礼を掌る職責。
(家格であるという説もあり)
寄合旗本というのはない。
おそらく交代寄合の間違いだろう。
交代寄合は諸侯ではないが参勤交代をする旗本。
(ただし高家と同様、旗本ではなく家格であるという説もあり)
ちなみに
旗本寄合席は何の職責にもついていない無役の旗本のこと。
>>386 そのとおりで、宮原は高家です。
典礼を掌る職責でありますが、こういうのは家格のあった名族がやるもんで、家康らが
名跡を惜しんで幕府内で職務を与えるためにこの制度を作ったともいえ、戦国時代以
前からの名門≒高家という認識でも差し支えないのかもしれません。
交代寄合の定義を一言でいえば
>>388の通り。
参勤交代をする(資格を有していた)とはいえ、家格も石高もテンデンバラバラで、中に
は120石の岩松(新田荘を有し、新田家を継いだ扱いにされていた)のような家もありま
した。既出の宮原家も任意の参府と奉仕を認められていたことから交代寄合であった
といえなくもありません。
単純に、特権を認められていた旗本というべきなのかも。
>>386-389 どうもすみませんです。アイカワラズ ダナァ…
では
>>257さんのリクエスト、石川家
清兼┬康正─数正┬康長
└家正┬康通└康勝
└女─a1忠総
大久保忠隣┬a1忠総┬廉勝─a2憲之┬昌能─勝之─a4総慶┬総英─a6総純
│ │ └a3義孝 └a5総尭
│ │
│ ├貞当─義当┬総乗
│ │ └総因
│ │
│ ├b1総長─b2総良─b3総茂
│ │
│ │(大久保) (石川)
│ └総氏─総昌─総比─b5総候┬b6総弾
│ └b7総般┐→b8総親
│ ├a10総安┐=a11総紀┬a13総脩
│ │ └─a12総禄└a14成之─a15成徳─a16成秀─?成道
│ └b9総承─b10総貨─b11総管─b12重之┬総次─?
│ ├総治
│ ├総之
│ └浚
│(大久保) (石川)
└教隆┬忠朝─忠増─b4総陽
│ (石川)
└教勝─教福─総為─総恒─a7総博─a8総師─a9総佐
a1下総佐倉→1〜2近江膳所→2伊勢亀山→2〜4山城淀→4備中松山→4〜14伊勢亀山藩主家
b1〜3伊勢神戸→3〜11常陸下館藩主家
a1忠総は大久保忠隣の2男(石川家成の外孫)
a7総博の祖父石川総為は大久保教福の3男(石川総因の養子へ)
a11総紀は分家石川総登の長男(a10総安の女婿)
b4総陽は相模小田原藩主大久保忠増の7男
b5総候は旗本大久保縫殿総比の3男
b8総親は越後長岡藩主牧野忠精の2男
大久保家とやたら重なるので可能な限り追跡してみました。
『寛政重修諸家譜』で追える世代だったのと宗家筋ばかりだったことから
割と楽でした。
唯一調べがつかなかった「石川総登」ですが、石川総為家から出ているような
気がしました。この家は「総為─総恒─総武」と続いてa8総師の弟総豫を養子
に迎えています。総登は総豫の子か孫だとするならば、a11総紀は宗家筋の者
という理由で迎えられたとすると、かなり合理的に説明がつくと思うのですが…
さてさて・・・スレが随分下がりましたが、今日も一人、書き込みつづけます。
永井家。
a1直勝┬a2尚政┬a3尚征┬a4尚長
│ │ ├a5直円┬b4直達
│ │ │ ├a6直亮─a7直国─a8直温─a9直方─a10直養
│ │ │ └b6直期┬b7直行
│ │ └b3直種─b5直英└b8直珍─b9直進─b10直与─b11直輝→b12直矢
│ │
│ └尚庸─c1直敬┬c2尚平
│ ├c3直陳
│ └尚方─c4尚備┬c5直旧
│ └太田直熹─c6尚佐┬c7尚典=c8尚服─c9尚敏─尚忠─?
│ └a11直幹
└b1直清─直吉─b2直時
永井金三郎直次┬a12直壮→a13直哉─a14直厚─a15通景─?
└b13直諒→b14直邦─直英─?
a1常陸笠間→1〜2下総古賀→2〜3山城淀→3〜4丹後宮津→5〜12大和新庄→12〜13大和櫛羅藩主家
b1〜13摂津高槻藩主家
c1下野烏山→1播磨赤穂→1信濃飯山→1〜3武蔵岩槻→3〜8美濃加納藩主家
a13直哉は下総高岡藩主井上正瀧の5男
b12直矢は豊後杵築藩主松平(能見)親良の2男
b14直邦は戸田康保の弟(浅野忠允の叔父)
c8尚服は陸奥福島藩主板倉勝俊の子(室はc7尚典の3女鋭子)
永井金三郎直次。いろいろ調べましたが全く手がかり無し。
可能性として考えられたのはb2直時の裔。系図を書くと
こうなります。
直時─直種┬直達
└直英─直期┬直行
└直珍─直進─直与・・・
でなかったら、a8直温の弟で永井直羽の養子にいった
直道の裔かな?
395 :
日本@名無史さん:04/03/19 23:46
華族スレより抜粋
伊達稙宗の男系血統の子孫で、爵位を受けたもの(家名のみ)
◎皇族
伯爵:清棲家、二荒家
◎公家
子爵:東園家
◎諸侯
侯爵:眞田家(松代)、伊達家(宇和島)
伯爵:奥平家(中津)、伊達家(仙台)
子爵:青木家(麻田)、瀧脇家(小島)、田村家(一関)、丹羽家(二本松)、一柳家(小松)、北条家(狭山)、堀田家(佐野)、本多家(膳所)、牧野家(三根山)、蒔田家(浅尾)
◎諸侯分家
男爵:酒井家(姫路分家)、伊達家(宇和島分家)、伊達家(仙台分家)
◎勲功者
男爵:片倉家(白石)、伊達家(岩出山)、伊達家(亘理)
※伊達家(岩出山)、伊達家(亘理)は亘理元宗の血統、それ以外は伊達晴宗−輝宗−政宗の血統
※田沼忠千代=瀧脇信廣なので田沼家(小久保)は除外。
396 :
日本@名無史さん:04/03/20 16:25
>>395 島津とか前田とかも調べてみると多そうだな。
しかし、公家は同祖(とされる)の藤姓だからわかるけど、旧皇族って……
>395
それ系図化してくれたら凄い
吉川家当主がTVに出てたよ
さぼってましてすいません。
一応日向伊東家をうpしました。へろへろな感じですが。
左門祐信の系図を調べようと思ったのですが、わかりませんねえ。
ただ、祐慶の弟祐寿が左門を名乗っていますので、祐信はその子孫ではないかと。
祐信は祐実の娘(祐実の廃嫡された息子、祐崇の養女となる)を室に迎えていたんだったかな?
メモを紛失してしまいまして、寛政譜の情報がそうだったような気が・・・
ふう。また、ぽつぽつと宿題をこなしていこうと思います。
いえ、あの系図はさぼって咄嗟に書いたもので。
確かに、左門を名乗っていた祐寿の子か孫の世代ですね。
あの世代なら寛政譜にも載っているでしょう。いや、丸投げ
した形になって申し訳ありません。
大河内/長沢(松平)家
(大河内)
秀綱┬久綱─a1信綱┬a2輝綱┬a3信輝─a4信祝┬a5信復─a6信礼─a7信明─a8信順─a9信宝→a10信璋→┌a11信古
│ │ └b1輝貞 └c3正温─c4正升─c5正路┬c6正敬┬c8正和┐ 間部詮勝┴c9正質
│ │ └c7正義│ │ ||┬a12正敏─信定─?
│ │ │ └───────女└c10正倫─正陽─?
│ │ └b9輝聡─b10輝声─b11輝耕→b12輝信─輝義─?
│ └信定─b2輝規─b3輝高┬b4輝和
│ └b5輝延─b6輝承→b7輝徳→b8輝充
│(長沢)
└正綱─正信─c1正久─c2正定
a1武蔵忍→1〜3武蔵川越→3〜4下総古賀→4三河吉田→4〜5遠江浜松→5〜11三河吉田(豊橋)藩主家
b1下野壬生→1上野高崎→1越後村上→1〜10上野高崎藩主家
c1〜9上総大多喜藩主家
a10信璋は大河内信敏の子
a11信古は越前鯖江藩主間部詮勝の2男
b1輝貞は信綱の4男信興の長男
b7輝徳は分家旗本5千石大河内信弥の2男
b8輝充は美濃高富藩主本庄道昌の5男
b12輝信は式部官(安芸広島藩主家)浅野長之の2男
c9正質は越前鯖江藩主間部詮勝の5男(室はc8正和の長女)
-------------
やっぱり大河内信敏・信弥がわからないです…
旗本になったa2輝綱の弟の裔かな…
一応の調べをつけた家が底をつきましたので、これからはしばらく日を置くことになるでしょう。
下書きをしたのは、今のところ小出、増山、柳沢(分家込み)、米津、大村、相良、諏訪。
個人的に多忙なので、少なくとも来週のうpになると思います。
403 :
日本@名無史さん:04/03/21 00:40
家系と血筋の違いくらいは、きちんと認識しようや。
405 :
日本@名無史さん:04/03/22 10:20
たまに「家系と血筋の違いは」とか言い古されたこと持ち出すのが居るけど、どこでも全く相手にされてないのな。
話が面白ければかまって貰えるんだろうけどよ。
406 :
日本@名無史さん:04/03/22 22:51
>406
現当主がなにやってるかも記載しようぜ
どーも36です。
時節柄、決算期で忙しく一部業務引継ぎもやってますんで
なかなかゆっくりと2chを楽しむ時間が作れないです…
さて25さんが書いている大河内松平家を私なりに補足してみます。
大多喜大河内家
正陽は平成15年に亡くなってます、従って現当主はその子正樹。
豊橋大河内家
知恵伊豆信綱の家系。大正・昭和期の当主正敏は知恵伊豆
の再来といわれ、東京帝大教授・理化学研究所所長等を歴任した。
豊橋大河内家の現当主は信定の子元冬。
信定の長兄信威は陶芸家、次兄信敬は洋画家として一家を成す。
尚、信敬の娘桃子は久松(今治)定隆と結婚、
女優「河内桃子」として有名、平成10年死去。
高崎大河内家
豊橋大河内家の分家、輝声の弟輝剛は衆議院議員や歌舞伎座の社長
を勤めた。
1さんHPの系図が半分くらい出来上がってますね、
引越しが終わったらまたうpよろしくです。
このスレで仕入れた知識を早速、三戦板に披露しにいってるアフォがおるねw
当人は物知りげに話してるが、覚えたての言葉を使いたくて仕方ない幼児みたい。
関わらないほうがいい
馬鹿がうつる
>>403 ありがとうございます。
最近あのスレを見て、どうやらこちらよりも詳しく追跡できる人が多いことに気が付きました。
ここで何回も申していますが、分家のことになると私も
>>1さんも殆ど追跡しきれないこと
ばかりで。どなたかがあちらで「森縫殿正典」の血筋を尋ねられていましたが、どこの大名
家でも分家からの君主があってそれが今やかなりの数になっています。そのうちあちらで
訊くことにしようかと思っています。
>>407 そういうのはこのスレよりも
>>403「血統研究所」スレの領分ですし、またあちらのほうが詳し
い人が多くよく追跡もしているので、私的にはあちらでやるべきかと思います。あちらでは
「あの家門は今」「あっと驚く意外な血縁」なんていう専用サイトを立てないんですかねぇ・・・
片や、こちらは単純に当主を追っかけているだけなんで、面白い話はあまり期待されないほ
うがよろしいかと。
私はここのサイトなどで大名家の子孫をチェックし、下書きをしています。
http://www.bakusin.com/eiketu/kesi.html 血縁が明確にわかるわけではありませんが、もし学者や会社役員など地位ある人物ならば、
検索すれば郷土史系サイトなどを引っかかってくれ、追跡の役に立っています。尤もこの手
の話は「歴史読本」らで頻繁に取り上げられているので、いちいちサイトを作る必要はないと
思いますが。
>>408 いつもありがとうございます。
>>401の「b1輝貞」ですが、系図のように「a2輝綱の子」のように書いていたり、
「b1輝貞は信綱の4男信興の長男」とも書いていたりで、ここのところがまだ
はっきりしません。意外に追跡が難しい家です・・・
414 :
日本@名無史さん:04/03/23 18:55
竹中半兵衛に縁のある大名家も幾つかあったよね?旗本かな?
きぼんぬ
>>415 2重門の代で美濃岩手六千石、4重高の代で弟重之に分地し五千石の交代寄合として
幕末に到っています。
半兵衛重治から系図を書くと
1重治─2重門─3重常─4重高─5重長→6重栄─7元敏┬8元儔
└女
||─10重寛─11重光─12重知─13重明─14重固─次郎
9元恭
6重栄は加藤重貞の子
9元恭は鳥居忠意の6男(元敏の女婿)
「縁がある大名家」といわれると嫁や養女に行った女子も含んでしまうので複雑になるんですが、
例をあげると、10重寛の妻は備中岡山新田藩主池田政弼の女、13重明の妻は播磨山崎藩主
本多忠鄰の女・・・という縁があります。が、代々縁戚関係にある家はなさそうです。
大河内家から3日も経っているのに誰も書いてない・・・むぅ。
では・・・ネクストステージに参りますか。
小出家。
a1吉政┬a2,a4吉英┬a5吉重─a6英安─a7英益
│ └英信─a8英長─a9英及
│
└a3,b1吉親─b2英知─b3英利─b4英貞─b5英持─b6英常─b7英筠─b8英発=b9英教─b10英尚─b11英延─b12英昌─?
a1〜2和泉岸和田、但馬出石→2和泉岸和田→3〜9但馬出石藩主家
b1但馬出石→1〜10丹波園部藩主家
b7英筠は竹冠に「均」(Unicode:31584)
b9英教は肥前大村藩主大村純昌の子(室はb8英発の3女秀御)
>>417 領地替えに伴って吉英と吉親が入れ替わりしていますが、詳しくはサイトなど参照のこと。
また、今度からUnicodeで出せる文字は出来るだけ表示させるようにしました。
HPでも出しておいたほうがいいかと思います。わかったところでは
【板倉家】備中庭瀬藩主・7勝氐(Unicode27664)
以下の藩主の文字も調べましたがわかりませんでした。
【伊東(長次)家】備中岡田藩主・10長■
【新庄家】常陸麻生藩主・14直■
【藤堂家】伊勢久居藩主・14高■
続きまして、大村家
1喜前─2純頼─3純信→4純長┬5純尹
└6純庸─7純富─8純保─9純鎮─10純昌┬11純顕
└12純熈→13純雄─14純英─15純毅─?
1〜12肥前大村藩主家
4純長は旗本伊丹勝長の4男
13純雄は佐土原藩主家島津忠寛の?男(忠寛3男島津啓次郎の兄)
---------------
13純雄はどうやら養嗣子のようですが、確認できませんでした。
あと気になったのが12純熈の「熈」の字。
HPにうpされているところでは、宗、木下、鍋島、細川、牧野、山内に
見られますが、「煕」「熙」「熈」と表記がバラバラです。
「煕」は「熙」の本字ですから「熙」に修正すればいいのですが、これら
と「熈」は同一の字なのでしょうか?ちなみに12純熈のは『三百藩藩主百科
事典』に拠ると、左上の「ノ」が「冫」になっています。小漢和辞典を紐解
いてみましたが判りませんでした。
ガンガンいきます。諏訪家。
1頼水┬2忠恒─3忠晴─4忠虎
└頼郷─頼常─頼篤─5忠林─6忠厚─7忠粛─8忠恕┬9忠誠=11忠元─忠久─12忠弘─?
└頼威─10忠礼
1〜10信濃高島藩主家
11忠元は越後新発田藩主溝口直溥の3男(?)
(妻は9忠誠の3女晴子)
-------------------
下書きではブチブチと系図が切れていたので、『寛政重修諸家譜』と『系図纂要』で再現。
今回始めて『系図纂要』を使用しました。間違いが多いとの指摘もありましたが、
ともあれ、載ってさえいれば楽ですね・・・載ってさえいれば。
それから11忠元の身元で悩まされました。
『華族大鑑』に拠ると「伯爵溝口高亮同前田利男大倉直介の叔父」と・・・ワケワカラン。
実父は後に判明しました・・・
増山(ましやま)家
(青木) (増山)
利長─┬1正利
│
│(那須) (増山)
└資弥─2正弥─3正任─4正武→5正贇─6正賢─7正寧=8正修→9正同→10正治─11正興─12正信─?
a1〜2三河西尾→2常陸下館→2〜9伊勢長島藩主家
5正贇は長門長府藩主毛利匡広の9男
8正修は出羽庄内藩主酒井忠器の2男(室は7正寧の女勝子)
9正同は大和櫛羅藩主永井直方の2男
10正治は越後新発田藩主溝口直溥の2男(?)
------------
10正治を『華族大鑑』で調べていると「諏訪忠元の兄、溝口直亮の・・・」とありました。
あれ、どっかで・・・(笑) 早速溝口家の項に目を通すと、どうやらこうなっていたようです。
溝口直溥┬直正┬直亮
│ └利男(前田家へ)
├正治(増山家へ)
└忠元(諏訪家へ)
次の予定は、相良、米津、稲垣、柳沢(支藩込み)、秋月、秋元、安部、阿部家です。
今日はこれにて。
25さん乙です。
小出家は英昌の後、弟の英忠が継ぎ宮内庁掌典長
を勤めました。現当主はその子英典。
増山正興は中川興長7男、正治の婿養子です。
中川家は公家華族で甘露寺家の分家。
諏訪忠久は仙石政固5男、忠元の婿養子です。
明日早速「歴史読本」を買ってみようと思います、
25さんも大名の末裔がテーマなんで読んでみてはいかがでしょーか?
>>423 どもです。
>明日早速「歴史読本」を買ってみようと思います、
>25さんも大名の末裔がテーマなんで読んでみてはいかがでしょーか?
というお薦めで早速買いに行きましたが、無い。
「明日発売ですよ」
しまった。今日はまだ25日だったんだ・・・_| ̄|●
相良家。
1長毎─2頼寛┬3頼喬
└長秀─4頼福┬5長興
└6長存┬7頼峯
└8頼央┬→(9)晃長
└→9頼完→10福将→11長寛─12頼徳─13頼之┬14長福
├15頼基─17頼綱─頼知─頼正─?
└16頼紹
1〜15肥後人吉藩主家
8頼央は7頼峯の弟(家伝)もしくは甥(寛政譜)
(9)晃長は日向高鍋藩主秋月種美の4男(系譜より抹消)
9頼完は公卿鷲尾大納言隆熙の子
10福将は美濃苗木藩主遠山友明の3男
11長寛は備前岡山藩主池田宗政の2男
----------------
九代晃長。
何故括弧書きなのかですが、『三百藩藩主人名事典』相良頼完の項にはこう書かれています。
「先代頼央と当代頼完の間に、実は高鍋の秋月民部が養嗣子となり晃長と称したが、家督後僅か
三年、十歳で夭折。故に京都鷲尾大納言隆熙の子息を養嗣子として頼完と称すも、晃長より三歳
年長にて、年長者を養子とするわけにもいかず、晃長の死を届けず病気本復と称し晃長を頼完と改
名したと届け、晃長の存在を公的系譜から抹殺した。」
で、頼完は実質十代目であるにも拘わらず、公的には九代目な訳です。
八代頼央は「豆鉄砲事件」で狙撃され死亡したという前(さき)の事情もあって、無嗣改易を避けるべく
秘匿したかったのでしょう。
>>418 【藤堂家】伊勢久居藩主・14高秭(Unicode31213)
427 :
日本@名無史さん:04/03/26 23:22
良スレにつきage
どなたか竹腰家の系図わかります?
430 :
日本@名無史さん:04/03/27 19:34
次号予告によると、次の歴史読本は先祖もの。
細川元首相の先祖が明智光秀になってるようだ。
ミリオネア騒動の再現か?
歴史読本
さして目新しい記事は無かったような・・
松代真田の当代がインタビューに答えてた事くらいか?
貴族院データファイルで会派まで載せてあったのは興味深かったが・・・
仙台伊達の当代はこの手の特集には必ず出て来るね。
>>428 11種樹┬12種繁
└13種英─14種明─15賢子
どうも、お久しぶりでございます。
引越しもとりあえず終了しました。
これからも頑張ります・・・が、インターネット環境に接する機会が以前より減少していますので、対応が遅れることもあると思いますが、ご了承くださいませ。
当分は残った宿題をうpしないと。
>>414 了解しました。
連絡先はのせておきます。
掲示板は・・・必要ですかねえ。ここもあることですし。
でもあった方がいいかな?どうでしょう。
新撰組隊士、沖田総司の家系図と、榊原政春以降の系図を、誰か教えて下さい。
お願いします。
ちなみに榊原政春氏は1998年、享年91歳。現在の榊原家当主の名前を教えて下さい。
435 :
日本@名無史さん:04/03/29 15:30
436 :
日本@名無史さん:04/03/29 17:48
平成新修華族家系大成に出てるよ。図書館へ逝ってよし。
437 :
日本@名無史さん:04/03/29 19:42
「平成〜」には政信氏の3人の子供は載ってないね。
児玉源太郎家系図と陸奥宗光家系図、西郷従節氏の生没年を教えて下さい。
ほかにも、男爵家の系図を教えて下さい。
439 :
日本@名無史さん:04/03/30 11:55
>>438 激しくスレ違い、どうせ教えても礼も言わんのだろ。自分で調べろ。
>439
無礼な・・・所載ぐらい教えてあげれ。
441 :
日本@名無史さん:04/03/30 16:12
442 :
日本@名無史さん:04/03/30 20:00
有馬(久留米藩主)家はまだ赤松家の系統は続いているのか?
6代藩主則維は幕臣の石野家からの養子なのですが有馬家との関係がわからん
伯爵になった頼万は養子らしいが誰の子供なのかわからん
誰か知っている人教えてください
443 :
日本@名無史さん:04/03/30 22:40
>>438 まず、それらの質問に該当していそうなスレは
血統研究所<勝利の方程式>
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1075048855/l50 華族について part2
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1051101082/l50 辺りなのでよろしく。
一応、自分で調べる場合は・・・
「平成新修旧華族家系大成」と「昭和新修華族家系大成」で調べれば殆どの華族の系図がわかります。
大きな図書館になら置いてあると思います。
書庫に仕舞い込んである場合もあるので、図書館設置の蔵書検索端末や、
図書館サイトの蔵書情報で調べてみてください。
それ以前の系図を調べたい場合は
「寛永諸家系図伝」「寛政重修諸家譜」「寛政譜以降旗本家百科事典」や
県別の姓氏家系辞典等を参考にしてみて下さい。
ただし勲功華族の場合は華族家系大成以前の系図を調べるのは苦労します。
例えば陸奥宗光の場合、大凡の流れは
伊達初代常陸入道念西の四男、四郎左衛門蔵人為家の六世孫左近将監資宗、
その女婿右近将監景宗(景宗自身は為家の五世孫)から始まるのが駿河伊達家で今川氏の被官。
その分流が遠江伊達家で今川氏→徳川氏に仕え、遠江伊達景長の子孫が旗本となり、
その分家が紀伊徳川家に仕えたのが紀伊伊達家。その幕末期の末裔が伊達宗広(陸奥宗光の父)。
こんな感じなので系図を調べたり作成したりするのはかなり厳しい作業になると思われます。
よくわかったかな?
なんか、全然進んでいませんねぇ・・・
>>444 すみませんねぇ・・・
何とか小出、大村、諏訪をうpしました。
維新以降は平成新修旧華族家系大成から転載しました。
ええっと・・・
>>419で述べましたが、HPの大村家「12純熈」は「12純X」が正しいです。
(「X」の字、あったんですね ^、^)
それから前田家(越中富山)「12利聲」ですが「12利声」ではダメなのでしょうか?
あと細川家の「17護煕」も。このHPでは(本人がどう名乗っていようと)可能な限り
新字体で揃えるようにしていると思われましたが、どうなのでしょうか。
元はといえば、私が好い加減に書いていたからなのですが・・・ハンセイ。
時々、伊達絡みの補足入れていたものです。
ありゃうちのサイト見つかっちゃいましたか…(^o^;
日本史板は伊達嫌いがいっぱいいるので黙っていたのですが…
それから、しっかり調べた訳じゃないので間違ってる部分も多々あると思います。
岩城家
┌x1佐竹義宣
佐竹義重┬貞隆┴1吉隆
│ (x2佐竹義隆)
└2宣隆─重隆─景隆─3秀隆
伊達稙宗┬晴宗─輝宗─政宗─忠宗─宗房┬吉村
│ └村興─4秀隆
│
└宗清─宗直─村望─5隆恭─6隆恕─7隆喜┬8隆永
├9隆信
├10隆政
└11隆邦→12隆彰─?隆治─?
x1〜2出羽久保田(秋田)藩主家(※佐竹家)
1〜12出羽亀田藩主家
4秀隆は陸奥仙台藩主伊達吉村の弟伊達村興の子
5隆恭は三沢信濃伊達宗直の3男岩屋堂伊達村望の子
12隆彰は近江宮川藩主堀田正誠の長男
ここ、独立した大名家というより「○○の分家」という性格の家です。
でも城主格だったりするんですが。
>>448 いつもありがとうございます。
「血統研究所」で伊達一門系譜がカキコされていましたが、貴方ですか?
伊達家については詳しく追いかけられている方が多いのか、すぐサイトで
見つけられますね。今回は貴方のサイトに助けられました(礼)
毎回愚痴を溢しますが、藩主ならともかく分家の誰それなんていうレベル
になると、少なくとも家文書や郷土史を当たらないととても無理なので・・・
伊達繋がりがあるとまたお世話になることと思います。今回は「5隆恭」の
祖父伊達(白河)宗直が治績の有る人物だったのも幸いしましたが・・・
>>449-450 まず4代は隆詔です。
5隆恭の実父は岩谷堂伊達村望でここまではあっているのですが、
岩谷堂伊達村望の実父三沢信濃宗直は登米伊達(白石)相模宗直(梁川伊達鉄斎入道宗清の子)とは別人です。
伊達忠宗─伊達綱宗
‖─伊達綱村
三沢清長┬初子
└三沢宗直(前沢三沢家/一門十一席)
(即ち三沢宗直は伊達綱村の伯父)
ちなみに三沢氏は
三沢為清─為虎─為基─清長─宗直
で、戦国期には尼子氏や毛利氏に付いたり離れたりしている小領主でした。
>「血統研究所」で伊達一門系譜がカキコされていましたが、貴方ですか?
違います(汗)
おそらく、どなたかが「宮城県姓氏家系大辞典」あたりで調べたのではないでしょうか?
それに伊達一門の系譜については当方のサイト以外にも載せていたりするところが結構ありますし(苦笑)
伊達氏門閥は同名が多いので、
通称・号・官位・所領・年代(生没年)・家族などで判断しないと間違いやすいです。
例えば・・伊達宗実などは同年代に3人存在しています。
伊達宗実(1611〜1639)牛松丸、涌谷伊達定宗長男、伊達政宗三女岑姫の夫
伊達宗実(1612〜1644)左近大夫、宇和島伊達秀宗長男
伊達宗実(1613〜1665)安房、亘理伊達家当主、伊達政宗九男、伊達成実養嗣子
多分、私のサイトにも間違いがあると思います(汗)
>1さん
リンクしちゃいました
>>448 ありがとうございます。初のリンクかと思います。
実は田村家など調べるときに、貴サイトも覗かせていただいてました。
情報が充実していますね。
やっぱり同じ嗜好を持つ人はいるものだと実感しましたよ(笑)
リンクしていただいたとなると、うちのところのもしっかりしないといけませんね。
>>446 そうか、聲は声でいいんですね。修正しておきました。
それから大村家も純Xにしておきました。
煕の字なんですが、平成新修旧華族家系大成が統一して煕の字だったため、こちらにしてしまいました。
この本は旧字体が多いですね。
多分煕の字は他の大名家にも使われてるでしょうから(確認をさぼりました)、見つけ次第、ぼちぼち修正していこうと思います。
>>1 情報サンクス。
このスレ、1さんのホームページ、血統研究所のスレ
系図に興味の有る私としては非常に参考になります。
昨日(土曜)の朝日新聞に松浦家当主の松浦章さん出てましたね。
NHKを松浦静山引退と同じ47歳で辞めて、現在は家伝のお茶を伝えながら、
オランダやポルトガルと平戸との交流に努めてるんですって。
昨日(土曜)の朝日新聞に松浦家当主の松浦章さん出てましたね。
NHKを松浦静山引退と同じ47歳で辞めて、現在は家伝のお茶を伝えながら、
オランダやポルトガルと平戸との交流に努めてるんですって。
すいません・・・間違えておしちゃった
>>456 なるほど、情報ありがとうございます。
立花家についてはこの血統研究所の記述が非常に詳しく、信憑性が高いと判断して、そのように系図を編集し直しました。
秋田家についても、手持ちのメモ(平成新修旧華族家系大成からのもの)は、実子ではなく養子であると記載されていました。
ところが実父をメモり忘れていまして・・・
一応大原重朝伯爵の子、としておきましたが、お分かりであればご教示ください。
竹腰家の系図わかる人います?(再度申し訳ないです)
>>451 ありがとうございます。
「三沢信濃宗直と白石宗直は本当に同一人物なのかな・・・婚族だって書いてあったのに・・・
でもほぼこの時代に該当する・・・」と気になって、敢えて
>>450で伊達(白石)宗直と書いて
良かったです(深謝)。
>>462 竹腰(たけのこし)家は、明日図書館へ逝ってからうpする予定です。
他にも十家くらい書き溜めていますが、優先的にやります。
ちょっと早いですが、今日は
>>462(
>>429)さんのリクエスト、
竹腰(たけのこし)家
1正信┬2正晴─3友正
└正辰┬4正映
└5正武→6勝起─7睦群─8正定─9正富→10正旧─11正巳→12正文─13正雄─?
1〜9尾張徳川家附家老→10美濃今尾藩主家
6勝起は尾張名古屋藩主徳川(尾張)宗勝の5男
10正旧は三河田原藩主三宅康直の子
12正文は久世通敏の弟
-------
主だけ書くとこうなるようです。
『三百藩藩主人名事典』によると、10正旧の養父は正美と書かれていて、これが9正富と同一
人物なのかは分かりませんでしたが、代を考えると上記で問題ないと思われます。どちらにしても
養子ですし、表記自体は間違いなかろうと。
『系図纂要』によると、10正旧の父は三宅康直と書かれているのみですが、年代から三河田原藩
十一代藩主と思われました。康直は渡辺崋山の主でもあります。
12正文(まさあや)の父久世通敏については不明。これは『華族大鑑』に書かれていたのですが、
久世家の項では確認できず。チェックお願い致します。
「婚族」ってのはよく使われる言葉なんですかね?最近どっかのスレでも見かけてそんな言葉あんの?って思ったんだけど。
どこのスレだったかな。
>>464 ×12正文(まさあや)の父久世通敏
○12正文(まさあや)の兄久世通敏
>>464 ×『系図纂要』によると
○『三百藩藩主人名事典』によると
>>464 ありがとうございますm(_ _)m
12正文の出自なんですが、東久世家のようです。
『宮廷公家系図集覧』によると父は通禧、兄は通敏となってます。
>>468 ありがとうございます。
久世通禧って確か明治天皇の侍従長でしたよね?権力志向だなぁ・・・
っと。ついでながら他の男子も加えると、こんな感じになります。
1正信┬成方
├2正晴─3友正
└正辰┬4正映
└5正武┬正方
→正熹
→6勝起┬7睦群┬8正定┬9正富→正厚
├正紀 └友直 └正肥 →10正旧─11正巳→12正文─13正雄─?
└紀達
正熹(植村正喜)は大和高取藩主植村家敬の5男
正厚は廃嫡になった養子という記載だけしか見つけられず、誰の子なのかは分かりませんでした。
さて、附家老高直りシリーズに突っ走ってもいいのですが、その前に
米津(よねきつ)家。
1政武┬2政矩
└3政容─4政崇─5通政─6政懿→┌7政易
酒井忠器┴8政明─9政敏─10政賢─11正福─泰吉─?
1〜5武蔵久喜→5〜9出羽長瀞→9上総大網→9常陸龍ヶ崎藩主家
7政易は出羽庄内藩主酒井忠器の子
8政明は出羽庄内藩主酒井忠器の子(7政易の実弟)
---------------------
『三百藩藩主人名事典』では、武蔵久喜の項で「よねきつ」、出羽長瀞の項では「よねつ」と
書かれています(謎)。ちなみに明治になってからは「よねきつ」と名乗っているようです。
早速竹腰家うpしました。
13正雄なんですが、平成新修旧華族家系大成には正夫となっていました。
一応正雄で載せておきましたが。
>>465 この質問って
>>25あてなんじゃないの。他に「婚族」って誰も使ってないでしょ。
「婚族」にしろ「不遜」にしろ使いなれん言葉やね。
「婚族」って広辞苑に載ってないね。
>>465, 472-474, 476
「婚族」のこと。
少し調べましたが、どうやら「姻族」と「婚属」を混同していたようで。
いやはやお恥ずかしい。何分にも小生は浅学非才にして粗忽者であります
ので、またご指導ご鞭撻の程よろしくお願い致します。でも「不遜」なんて使
っていたんでしょうか、私。憶えていないし、割と使われる言葉だとも思うの
ですが。
・・・しかしまぁ、一週間近く留守にしていた間の書き込みがこれとは、何とも
寂しいものです。元よりちょちょいと調べるだけの単純作業の繰り返し、学問
板にしてはつまらないテーマだと言われたらそれまでですが、2chでそんな
ものを期待してはいけないんじゃないですかね・・・楽しむだけに致しましょうよ。
さて、私はしばらく職場に篭りきりで図書館に行けない日々が続いております。
明日は開きますので少しばかり調べてうpしたいと思っていますが、さて、どの
くらいまでできるでしょうか。
>>478 それ私じゃありませんよ・・・
親族と婚族をゴッチャにした系図を書きまくっている私が
こんなことを言う訳が(苦笑)
>>478 その荒し、言葉の意味も理解しないで使ってたんだな(プ
25さん
お帰りなさい!!
>>477 >・・・しかしまぁ、一週間近く留守にしていた間の書き込みがこれとは、何とも
>寂しいものです。
お休み中、他スレで
伊達、仙台絡みをどんどん書き込んでる奴が一部から叩かれて
叩いた連中をまた叩く奴がいて・・
って状態だったので書き込みしにくかったっす(涙)
オイラは基本的に間違い部分の指摘しかできないですけどね(汗)
>>448 荒してたのは一人だよ。それに仙台絡みをどんどん書くことがなんか問題あるの?
あの荒しが因縁付けたのは、「仙台」だからじゃないよ。以前から「近現代」「政治家」
「家老」「皇室」「系図」「仙台」の話題が出るたびに、あそこを荒してるじゃない。
朝鮮人関係のコピペもあいつ。
江戸時代の水戸徳川家家老中山家について教えて下さい。
自分が存知なのは、中山政信=中山信敬ー信情=信共=信守・・・ぐらいしか知りませんので、ぜひ誰か教えて下さい。
>>481 >>482 ラーメン屋に入って「塩ラーメンが出た」と言って暴れ、「とんこつが出た」と言って暴れるようなもの。あいつは基地外。
一人がやってるという根拠もないんじゃないの?
>>485 なら何で毎回、決まった時間に、決まった文面なのかな。
あそこまで知性を全く感じさせない文章は中々書けるもんじゃないよ。
そんなの根拠にならんでしょ。
あんたが本当に知的な人ならわかるよな?
488 :
日本@名無史さん:04/04/12 22:29
つーか482=486が仙台レスを叩いてたやつに一人で猛烈なレスつけてた
もう一人の厨房だということは、よくわかったw
489 :
日本@名無史さん:04/04/12 22:40
本人降臨。みんなお前がここのスレから荒しに行ってる事知ってるから、一週間も書きこまなかったんだよ。バ〜カ
思い込みによる決め付けばっかり。
無根拠君だな。
491 :
日本@名無史さん:04/04/12 22:52
>>489 あっけなく釣りあがったな童貞ちゃん。やっぱ系図スレ見てんじゃん。
>>488 すごい断定ぶり(w 根拠は?
492 :
日本@名無史さん:04/04/12 22:54
>>489 >一週間も書きこまなかったんだよ。
つーかいつからいつまでのことだよ?
493 :
日本@名無史さん:04/04/12 22:56
>>490 「婚族」って広辞苑に載ってないってよ<童貞ちゃん
知ってる言葉を使おうね。馬鹿は馬鹿なりに。
494 :
日本@名無史さん:04/04/12 22:59
>>492 見りゃわかるだろ、悪いのは頭だけじゃないの?
平日なのにレベルが元に戻らないな。
救いようがねえな。
俺のことまで同一人物扱いかよ?
497 :
日本@名無史さん:04/04/12 23:01
>>494 一週間もレスがついてない期間なんかねえだろ。
数字も読めないバカか?
498 :
日本@名無史さん:04/04/12 23:02
しかしほんとに簡単に釣りあがったね。見てて恥ずかしくなるよ<童貞ちゃん
499 :
日本@名無史さん:04/04/12 23:06
「婚族」の話がでてから全くカキコが無くなってるね。
また思い込みかよw
「婚族」って書いたバカ。出て来いよ。
501 :
日本@名無史さん:04/04/12 23:14
502 :
日本@名無史さん:04/04/12 23:15
なんかもう一杯一杯だな<童貞
火曜日になってもレベルが元に戻らないな。
>>503 しょうがないですよ、誰も話を進めないんだから。
私も何とかしようと昨日図書館へ行きましたが 休 館 日 で・・・_| ̄|○
参りました。もうニ週間に一日しか使える日がありません。
新規うpは今週末しかできそうにありませんが、市橋家と安部家は不明点がない
ので、ノーチェックで宜しかったら・・・
それから他に書き溜めているのは安藤家、柳沢家、稲垣家、秋元家、阿部(安部
ではない)家、市橋家、稲葉家、井上家、内田家、遠藤家。いづれも二、三不明点
があり、調べればどうやら解決できそうな個所ばかりなので、発表は差し控えたい
と思っています・・・
どーも36です
今ちょっとパソコンが壊れていて書き込みが出来ません…
今は某ネットカフェから書き込んでます。
25さんがんばってくださいね!
また機会を見て書き込みます。
とりあえずカキコ。
今日も図書館にいけませんでした。明日も時間取れるかどうか・・・
いい加減うpしたいのに・・・タメイキ。
今日一時間半だけ図書館で調べられましたので、久々に再開いたします。
市橋家。
酒井忠徳┬忠器─10長和─11長寿─12虎雄─?
1長政─2政信─3信直→4直方→5直挙→6長l─7長昭─8長発→└9長富
1〜10近江仁正寺(西大路)藩主家
4直方は越後新発田藩主溝口重雄の3男
5直挙は筑後三池藩主立花種明の2男
6長lは豊後臼杵藩主稲葉薫通の2男
9長富は出羽庄内藩主酒井忠徳の子
10長和は出羽庄内藩主酒井忠器の子(酒井忠発の弟)
大和源氏石川氏流市橋家
源頼親ー頼遠(三男・奥州石川氏祖)ー有光ー基光ー光義ー光重ー成光ー光氏ー
光弘ー光久ー信久ー信直ー利信ー利尚ー長利ー長勝ー長政 まずは参考までに。
>>509 市橋家は石川氏の流れでだったのでつか。
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー
どうもありがとうございまつ。
では本日のお題、遠藤家
1慶隆─清洲─2慶利─3常友─4常春─5常久→6胤親┬7胤将
└8胤忠→9胤富=10胤統─11胤城─12胤禄─?
1〜5美濃郡上(八幡)藩主家
6〜11近江三上→11和泉吉見藩主家
2慶利は飛騨松倉城主三木直綱の子(母は1慶隆女清洲)
6胤親は三河西尾藩家臣白須正休の長男
9胤富は三河吉田藩主松平(長沢・大河内)信復の5男(母は小林氏。室は信濃国飯田藩主堀親長女)
10胤統は美濃大垣藩主戸田氏教の子(室は9胤富女)
---------
「江戸三百藩HTML便覧」によると養子のように書かれていますが、
「三百藩藩主人名事典」では3常友や4常春は先代の実子のようです。
同書を参考にしたのかもしれませんが、ここにもそう書かれています。
http://members.jcom.home.ne.jp/bamen1/endou2.htm ところで、ここは家自体が一度断絶しているのですが、「藩主家」の
項目を矢印で繋げていいのでしょうか?判断はお任せします。
・・・え〜、では本日のお題、太田家。
1資宗─2資次─3資直─4資晴─5資俊─6資愛┬7資順
└8資言=9資始─10資功─11資美─12資業┬資博─?
├資基
└資教
1三河西尾→1〜2遠江浜松→2大坂城代→3〜4駿河田中→4陸奥棚倉→
4〜5上野館林→5〜11遠江掛川→11上総柴山→11上総松尾藩主家
9資始は近江宮川藩主堀田正穀の3男(室は8資言女)
時間を見て市橋家をうpしました。
市橋家は12虎雄の後、後継ぎを欠いているようです(平成新修旧華族家系大成)。
遠藤家を書こうとしたのですが、ふと思ったことが。
「江戸三百藩HTML便覧」によると6胤親の父白須正休は遠藤氏の親族であるとのことなんですが、親族関係は一体?
調べるのは難しそうですが。
それからもう1つ。遠藤家は「東(とう)」家と改姓しているんですが、誰の代からなんでしょう?
♯遠藤家は「名跡を継ぐことを許された」らしいのでつなげとくことにしたいと思います
>>515 >遠藤家は「東(とう)」家と改姓しているんですが、誰の代からなんでしょう?
上記ページの最末尾にありました。
「明治11(1878)年正月、胤城は「遠藤」という氏を遠祖の「東(とう)」に複氏
したい旨を奏上してこれを許され、「遠藤胤城」は「東胤城」と改められました。
明治17(1884)年、胤城は子爵に叙爵しました。」
>>515 >時間を見て市橋家をうpしました。
乙です。
でも間違いが一つ。稲葉「薫道」ではなく「薫通」でつ。
んでは本日も頑張ってうpします。
大関家。
高増┬晴増─2政増─3高増┬4増親
└1資増 └5増栄─増茂─6増恒─7増興─8増備─9増輔┐
┌─────────────────────────────────┘
└10増陽┐→11増業
└─12増儀─13増昭→14増徳→15増裕→16増勤─17増輝┬秀雄─?
└敏雄
1〜16下野黒羽藩主家
11増業は伊予大洲藩主加藤泰衛の8男
14増徳は丹波篠山藩主青山忠良の5男
15増裕は西尾忠宝(遠江横須賀藩主西尾忠善の子)の末男(西尾忠固の弟)
16増勤は丹波山家藩主谷衛滋の子
---------
青山忠良の子に「増式」という大関家に養子に行った人がいますね。
>>516,
>>517 情報どうもです。白須正休の出自についてはもう少し追えそうですね。
>>518 >稲葉「薫道」ではなく「薫通」
すいません。ご指摘どうもです。修正しておきました。
で、
>>519なのですが。
平成新修旧華族家系大成によると、
・13増昭の次が増式となっています。増徳と同一人物ではないでしょうか。
・15増裕は12増儀の娘を室に迎えています。
・16増勤は常陸石岡藩主松平頼功の子となっています。
・現当主は17増輝の子で、和雄氏となっています。
16増勤のところに食い違いがありますね。どちらが正しいんでしょう。
>13増昭の次が増式となっています。増徳と同一人物ではないでしょうか。
同一人物である可能性は高いと思います。
ご存知のように当時の人は諱をコロコロ変えますからね・・・
ただ気になることがあります。
もし増徳が増式と同一人物だった場合、どちらをHPに採用するべきなのか
ということです。
現在、私は「江戸三百藩HTML要覧」で下書きをし、「三百藩藩主人名事典」
から校正を始める段取りを取っていますが、うpする系図の諱はこれらの記述
に則り、さらに新字体に全て修正して記載しています。「江戸三百藩HTML要
覧」はGoogleで簡単に検索でき、また、実際にあれを参照されている方も多い
ようですので、あれの記載に則るほうがよいかと考えたからです。
上記のデータでは「増徳」と書かれています。
もし増徳を採用するなら、青山家のページの増式を増徳に改めるか、もしくは
増徳(増式)と併記する必要があるかと思われますが・・・。
>15増裕は12増儀の娘を室に迎えています。
閲覧した資料に15増裕の室は記載されていなかったと記憶しています。
「=」で繋げて下さい。
>16増勤は常陸石岡藩主松平頼功の子となっています。
ここはちょっと自信がありません。
資料には谷と書いていたように記憶しているのですが・・・
安部家。
1信盛─2信之─3信友┬4信峯─5信賢─6信平
└信方─信興─7信允─8信享─9信操─10信任─11信古─12信宝→13信発→14信順→15信明─16信成─?
1〜13武蔵岡部→13三河半原藩主家
13信発は武蔵金沢藩主米倉昌寿の5男
14信順は安部の支族
15信明は男爵池田謙斉の2男
---------
「江戸三百藩HTML便覧」では5男とも6男とも書かれていますが、
「三百藩主人名事典」では5男と書かれていました。
池田謙斉というのは日本最初の医学博士で侍医局長なども勤めています。
謙斉以降の系図。
池田謙斉────────┬秀男──────────┬秀一
(実は入沢達吉の叔父で └次郎 └真次郎
池田秀真の養子になる) (安部信順の養子になり
信明と名乗る)
14信順の出自は不明。
明治の人なので華族の資料を当たらないと判らなさそう・・・
大関家がらみ。
増式は増徳と表記することにしました。系図にカッコ書きするのはあんまり好きではないので(激しく個人的な趣味ですが)。
増勤の親は誰か、ですが、松平頼功(藩主にはなっていませんでした)は石岡(府中)藩主松平頼説の3男、谷衛滋は同5男ですねえ。
とりあえずは両説ある、ということにしておいて、新情報が入り次第、更新しようと思います。
最近、目下最大の懸案、本多家に着手しつつあります。ほんとに面倒ですねこれは。
どーも36です…
1さん25さんお久しぶりです、五月中旬には修復が完了し
復帰できそうです。
ところで最近新人物往来社から発売された別冊歴史読本
『徳川旗本八万騎人物系譜総覧』をご覧になりましたか?
3000石以上の旗本・高家・交替寄合などの歴代当主が
幕末まで簡潔に列記されています。
>>523 安部信順の実父は安部関次郎です、関次郎の出自は
わかりません、おそらく安部家庶流だと思われますが…
随分下がったのでageます。
明日は夕方までお休みが取れました。
遠藤家、大関家、あと中山家と黒田(直邦)家、その他諸々の家を六時間フルに
使って調べたいと思います。
>>471 『平成新修旧華族家系大成』と『華族大鑑』では名前の書き方などに微妙な齟齬
を見ることがありますね。以前にも似たような書き込みがあった覚えがあります。
>>245で話がありましたが、『昭和新修旧華族家系大成』と『人事興信録』があれば
より確実に調べられるのでしょう。
『平成・・・』と『昭和・・・』はうちの図書館にないようなので、ちょっと調べようがあり
ませんが、『人事興信録』はまだノーチェック。明日捜してみようと思います。
1さんとこの図書館にはございますか?
人事興信録
http://www.koshin-data.co.jp/
>>525 お帰りなさいまし。
『徳川旗本八万騎人物系譜総覧』。本屋でチェックしたいと思います。
ありがとうございました。
>>524 私も延々書いていて、結構やりかけを遺しているのが口惜しいです。
「土方半三郎久己」「本多左京利紀」「石川総登」「永井金三郎直次」・・・
この辺だけは何とか判明させたいです。蒔田家も無様に終わってしま
たし・・・
現在、こちらも禁断の(笑)松平家に着手し始めました。
とはいえ、もう大給、奥平、大河内はやってしまったのですが、意を決して
久松家を・・・あれ?前スレでもう相当調べられていたんですね(汗)
まぁ、今の形式に書き直したのはほぼ出来たので、そのうちうpしようかと
思います(汁)
久々にいろいろ調べました。またうpできそうです。
先ずは大関家の件。
(1)増徳と増式の関係
やはり同一人物でした。ちなみに諱の順は「増徳→増式」。
(2)15増裕の室の件
12増儀の娘ですが、名を「於鉱」といいます。
15増裕に嫁す前は、なんと14増徳(増式)の室でした。
ここまで調べて、こんな話を思い出しました。
この増徳(増式)というのは藩政改革に非常に積極的だったのですが、
重臣からは不興を買い、於鉱からも同衿(つまりベッドイン)を拒まれ、
隠居を余儀なくされたという可愛そうな藩主だった・・・と。いやはや、
人生いろいろです。
(3)16増勤出自の件
『三百藩藩主人名事典』では、やはり谷衛滋の庶子と書かれていました。
次回にもう少し調べてみよう思います。
本日のうp、稲垣家
a1長茂┬a2重綱─重昌─a3重昭┬a4重富┬a5昭賢
│ │ └昭辰─a6昭央─a7長以→a8長続─a9長剛─a10長明┬a11長行
│ │ └a12長敬─a13長昌─a14長賢─?
│ └昭倫─b4定計─b5定淳─b6定成─b7太篤=b8太清─?b9太祥─b10重厚─重祥─?
│
└重太─b1重定─b2重房─b3定享
a1〜2上野伊勢崎→2越後三条→2〜4三河刈屋→4上総大多喜→4〜5下野烏山→5〜12志摩鳥羽藩主家
b1〜8近江山上藩主家
a8長続は越後高田藩主榊原政一の6男
b8太清は三河岡崎藩主本多忠孝の子(室はb7太篤女)
531 :
日本@名無史さん:04/04/24 23:18
『人事興信録』にはどのような情報が記されているのですか?
誰か1人、例をあげて教えてください。
それから遠藤家、胤親の先祖ですが、『寛政重修諸家譜』では、
実父白須政休は清和源氏義光流、武田支流。
岳父小谷(こや)忠栄は宇多源氏佐々木庶流。
いづれもこの上の世代は書かれていません。
どうも遠藤氏とは関係ないっぽいです・・・・
>>525 おかえりなさいまし。まだまだフォローお願いします。
徳川旗本〜、見てみようと思います。
>>526 「平成新修〜」は大学の図書館にあったものを、私が当主の情報のみをこつこつ書き写したメモ集を持っているだけなんです・・・
何せ引越しで500km以上移動してしまいまして、今は全然図書館に行けていませんで。
大関家には、いろいろと裏話があったのですねえ。興味深いです。
松平家は、どのように表記したらいいでしょうね。
全松平家(大給や藤井なども含め)を1つに表記しようとすると大変な系図になりますし、
といって分断しすぎると、例えば久松系に養子に入った松平定信なんかをきれいに表せなくなりますしねぇ。
535 :
日本@名無史さん:04/04/25 01:38
大関増裕の場合、単なる隠居というより押し込めに近い。
岡崎水野家の忠辰と同じ。
二人とも改革派といえば聞こえはいいけど実際はどうなんだろ。
536 :
日本@名無史さん:04/04/25 01:53
酒井雅楽頭は?
1さん・25さんありがとうございます。
ただいま!!と言いたいトコですが
もうしばらくお待ちください…w
今はネットカフェやツレのPCから書き込みをしてます。
歴代当主のみですが永井金三郎直次家の略系図。
直右─尚品=直尭=尚伴─直諒─尚監─直応─直次─某(左門)
直右は淀藩主尚政4男、河内国内にて7千石、直次は弘化2年相続。
ソースは『徳川旗本八万騎人物系譜総覧』です。
538 :
日本@名無史さん:04/04/25 08:38
人事興信録の件、ありがと。
539 :
日本@名無史さん:04/04/25 17:39
人事興信録、岡山の図書館にはないぼー。新しいのはあるけど、古いのないぼー。
>>537 おおっわかりましたか永井金三郎直次。ありがとうございます。
便利な資料になりそうですね。買っておこうと思います。
直尭、尚伴は養子のようですが、この世代なら『新訂寛政重修
諸家譜』で判りますね。次回の遠征でチェックしようと思います。
あと、永井直邦の実父がまだわかりません。
「直邦は戸田康保の弟(浅野忠允の叔父)」とありますが・・・
ここが終れば永井家は終了します。
>>539 それは残念・・・うちにも古いと言えるものは無いようですが、仕方がないかな。
人文系の図書館か、旧帝大の図書館にはあるのかも・・・
>>483さんお待たせしました。
高直り大名シリーズ、第・・・・えっと何段だったっけ(笑)、中山家。
>>182-186で少し話題になった「信徴」もここの人。
家範┬照守─直定─直張─黒田直邦
└1信吉┬2信政
└3信治┬4信行
├5信成─7信順
└6信敏=8信昌─9政信→10信敬─11信情→12信守┬13信宝
└14信徴─15信実┬信常─?
└雅重
1〜6常陸水戸藩付家老(常陸松岡)→6〜10(常陸太田)→10〜14(常陸松岡)→14常陸松岡藩主家
8信昌は旗本堀田一幸の4男(妻は6信敏女)
10信敬は常陸水戸藩主徳川(水戸)宗翰の9男
12信守は常陸府中藩主松平(水戸)頼説の2男
>>543
中山信共は、信情の弟で、18歳で病死してます。
病弱のため、たしか、家督はついでいないと思います。
>>534 松平各家の表記について。
大別すると、家康以前からの家と以後(子や孫あるいは弟、その他)の家が
ある訳ですが、ここから考えてみました。
(1)家康以前
こういうところ(
http://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/m011.html)がありますが、
始めに略系図を書いて、系図の右側に○○松平家と書き、リンクを貼って
下のページに移動させる。
(2)家康前後
松平宗家(家康まで)の系図に、久松家や徳川家のリンクを貼り、さらに
下のページに移動させる。
構成としては
トップページ→松平系図┬→各松平家系図
└松平宗家系図(家康前、兄弟)┬→久松家など
└家康以後→徳川家、その他松平家系図
こんな感じでしょうか。
うーん・・・面倒臭そうだし、見づらそうですね。
それに松平といっても、柳沢家みたいに分家で松平氏を名乗っている家も沢山あって、それらはHP
において「松平家」と切り離して書くことになっていますし・・・
いっそのことトップページの「松平家」のリンクは家名だけ箇条書きにして、それぞれにリンクを貼り
それぞれの松平家系図のページに移動させるようにしたほうが簡単でいいんじゃないでしょうか。
原則、系図は江戸時代の藩主以降しか面倒をみないことになっていますし、敢えて上流まで面倒を
みることもないでしょう。こうすれば大河内/長沢家あたりで悩むこともないかと。
>>544 ああなるほど、そういう人だったのですね。どうもありがとうございます。
では本日のうp、黒田(直邦)家
1直邦┐=2直純
└3直亨┬4直英─5直温
└6直方┐→7直侯─9直和
├8直静
└直古┬10直養
└鏻子
||─12広志─13経志─?
11和志
1常陸下館→1〜2上野沼田→2〜10上総久留里藩主家
2直純は上野沼田藩主本多正矩の2男(室は1直邦女)
7直侯は出羽庄内藩主酒井忠徳の4男
11和志は対馬府中藩主宗義和の6男(室は直古女鏻子)(Unicode:37883)
------
12広志の弟武志は宗家に帰り、主となっています。
次回は秋元家。
547 :
448 ◆GftVA2LOp. :04/04/28 01:02
あれ?
>>451での書き方まずかったかな?
HPにUPされた岩城家についてですが、
伊達稙宗┬晴宗─輝宗─政宗─忠宗─宗房─村興─4隆詔
└宗清─宗直─村望─5隆恭
は間違いです。
岩谷堂伊達村望の実父三沢信濃宗直は三沢清長の実子です。
三沢為清─為虎─為基─清長┬三沢宗直┬三沢村為
│ └伊達村望┬伊達村富
│ └岩城隆恭
└三沢氏初子─伊達綱村
↑こんな感じで血統が繋がってます。
三沢宗直、三沢村為は一門十一席前沢三沢家
伊達村望、伊達村富は一門六席岩谷堂伊達家(岩城氏)
岩城隆恭は亀田藩主岩城家
三沢氏初子は仙台藩主伊達綱村の生母
ちなみに間違えられた宗直の方は・・
伊達稙宗┬梁川宗清┬伊達宗直┬梁川宗元
│ │ └伊達宗貞
│ └村田宗友
└村田宗殖
こんな感じです。
伊達宗直、伊達宗貞は一門五席登米伊達家(白石氏)
村田宗友は村田宗殖の養子で一家永井村田家
梁川宗元は祖父の家を継承し一家鶯沢梁川家
548 :
日本@名無史さん:04/04/28 01:07
和田アキ子の系図教えて
549 :
日本@名無史さん:04/04/28 01:19
おまいら、もの知りだね。
ああっすいません。
>>463でお礼だけにしてしまってました。修正版をはっておくべきでしたね。
御指摘以後、どう系図に表すかで悩んでいたんです。
>>449より、岩城家(修正第一版)
┌x1佐竹義宣
佐竹義重┬貞隆┴a1吉隆
│ (x2佐竹義隆)
└a2宣隆─重隆─景隆─a3秀隆
伊達忠宗─┬─────綱宗
│ ||─綱村
│三沢清長┬初子
│ └宗直─伊達村望─a5隆恭─a6隆恕─a7隆喜┬a8隆永
│ ├a9隆信
│ ├a10隆政
│ └a11隆邦→a12隆彰─?隆治─?
│
└─────宗房┬吉村
└村興─a4秀隆
x1〜2出羽久保田(秋田)藩主家(※佐竹家)
a1〜12出羽亀田藩主家
a4秀隆は陸奥仙台藩主伊達吉村の弟伊達村興の子
a5隆恭は岩屋堂伊達村望(三沢信濃伊達宗直の3男)の子
a12隆彰は近江宮川藩主堀田正誠の長男
あんまり格好よく出来ませんでしたが、これでよろしいでしょうか・・・?
1さん嫌うだろうな・・・こんなヘンな図は。
本日は一時間だけ図書館で調べ物。
系図の全チェックは行わず、『新訂寛政重修諸家譜』だけを読み、不明分を
解明したに止めました。
>>537 永井直次の血統を既出の系図を併せるとこうなりました。
尚政┬尚征…
├尚庸─c1直敬┬d2尚品┬d3尚経
└d1直右 ├c2尚平├d4直尭
├c3直陳└d5尚伴─d6直諒─d7尚監─d8直応─d9直次…
└尚方─c4尚備…
c1〜3武蔵岩槻→3〜美濃加納藩主家
d1〜9分家
結局、加納藩主家祖直敬の長男尚品の子孫でした。
あとご紹介の系図、尚品と直尭の間に尚経という人物がいました。
『新訂寛政重修諸家譜』の尚経の名には●がついていたので、主である
ことは間違いなさそうです。
言い忘れてましたが数日前に本多家をうpしました。
今までで一番大きなファイルになりました。
皆様のご協力(というか私はうpしかしてませんが)に多謝です。
若干ここでの表記と違うところがあります
(膳所藩主家の維新後の系図関係を平成新修華族家系大成によったことなど)。
その他、相良家、石川家をうpしました。
>>545 そうですね。例えば
宗家、尾張系、紀州系、水戸系、田安、一橋、清水、越前系、久松系、会津、越智、吉井、大給、滝脇…
と分けてみましょうか。
水戸系から尾張系に養子に行っただとか、そんなことは目をつぶってしまいましょう。
>>547 >>551 見落としていました。すいません。
うーん、岩城→伊達→三沢→岩城と2家を介していますし、これも目をつぶっちゃいましょうか…
>>553 1さんお疲れ様でした。
んでは鞭打つように(笑)、秋元家
1長朝─2泰朝┬3富朝─女─4喬知─5喬房=6喬求
└忠朝─時朝─貞朝─7涼朝→8永朝┬女─10志朝→11礼朝─12興朝→13春朝─順朝─?
└9久朝
1〜2上野総社→2〜4甲斐谷村→4〜7武蔵川越→7〜10出羽山形→10〜11上野館林藩主家
4喬知は武蔵岩槻藩主戸田忠昌の長男(母は3富朝の長女)
6喬求は下野宇都宮藩主戸田忠余の2男(室は5喬房女)
8永朝は安芸広島藩家臣上田能登守義当の4男
10志朝は周防徳山藩主毛利広鎮の8男(母は9久朝の姉)
11礼朝は遠江掛川藩主太田資始の5男
13春朝は周防徳山藩主家毛利元功の2男
-----------
上田能登守義当って誰なんでしょうか・・・
「剣客商売」のHPを引っかけてしまったんですが(笑)、高家なんですか?
もと松山城主家の出らしいのですが、『新訂寛政重修諸家譜』に載っているかな。
調べ損ねてしまいました。
次回は高直り大名の安藤家。
>554
上田能登守義当は『寛政譜』に載っていますよ。
安芸広島藩家臣ではなく旗本ですから。
/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; \
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((|ソ ,─≦◎≧ヾ - , ≦◎≧- 、 ヾ|/)
ヾ||| - ̄ ' ヽ  ̄ - ||ノ
ヽ!| / ヽ |ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゝ: 、 ( _ _ ) ノノ <
>>1 ビックネームの系図ならまずアタシだろ
` ヽ / _ヽ ノ ヾ ノ \____________
__>、 ,, '::_`_' _:` 、` ./
/\ _/ ヽ ( /----- ヽ) , ノ
/ \ , 、 、 、ヽ、'  ̄ `ノノ_ ,/
/ \ ヽ ヾ、. ̄ ̄ ( )'丶
/ ' "'' 、 \ \ _,, ̄ ''ノ ` ゙/ \
/ , - 、 ,, `ヽ \/  ̄ヽ ' ヽ ,ゝ--、
/ ヽ | / ノ
,, 、 / ヾ ヾ ヽ-' 、 ,/
- '' ヾ ( ヽ 丶 ! '' ,, ゝ" |
安藤家。
家重┬基能┬a1直次┬重能─直政┬a4直清┬a5直名
│ │ │ │ └a6陳武─a7陳定
│ │ │ └直利┬直規─直元─直之┬a13直与
│ │ │ │ └a14直則┐→a15直馨
│ │ │ │ └a16,18直裕─a17直行─a19直雄─a20直義─?
│ │ │ └a8雄能
│ │ └a2直治─a3義門
│ │
│ └b1重信→b2重長┬重之─b3重博─b4信友
│ └重常─信周─b5信尹┬b6信成┬信厚─b8信義
│ │ └b7信馨─b9信由┬b10信正─┬b11信民
│ │ =b12信勇 └b13信守─?
│ └a11次猷→a12道紀
│
└家次─次吉─次重─次長─信秀─a9次由=a10寛長
a1〜17紀伊和歌山藩付家老家→18紀伊田辺藩主家
b1下総小見川→1〜3上野高崎→3〜4備中松山→4〜6美濃加納→6〜12陸奥磐城平藩主家
a10寛長は摂津高槻藩主永井直期の5男(妻はa9次由女)
a12道紀は紀伊和歌山藩主徳川(紀伊)宗将の10男(母某、妻飛鳥井雅重女)
a15直馨は丹後宮津藩主松平(本庄)資承の子
b2重長は本多藤四郎正盛(内藤四郎佐衛門正成の子)の子
b12信勇は内藤正義(信濃岩村田藩主内藤正縄の子)の2男(室はb9信由2女力子)
-----------
困難が予想されたこの付家老家。珍しく完璧に追えました(^、^)v
なお、本多藤四郎正盛の父内藤四郎佐衛門正成は、内藤忠政(信濃高遠藩主家祖)の兄にあたります。
>>555 ありがとうございました。次の調査でちょっと確認します。
次回は柳沢家。
永井、秋月両家をうpしました。
永井直邦ですが、平成新修旧華族家系大成には信濃松本藩主戸田康泰の5男とありました。
康泰の子には次の藩主康保がいますので、これで合っていると思います。
ありがとうございました。ホッとしました。
さて前スレ222で
>>1さんがうpされてましたが、支藩込みで柳沢家。
安忠┬女─保教┬里光─┬b3里旭
│ └b2里済└b4保卓─b5信有─b6光被
│
└a1吉保┬a2吉里─a3信鴻┬a4保光┬a5保泰┬a6保興─a7保申─a9保承
│ │ │ └b7光昭─a8保恵=a10斉徳─a11保徳─?
│ │ ├c6里顕─c7泰孝─c8徳忠─c9徳隣─徳勝─?
│ │ └武田信之─b8光邦─b9光治─?
│ │
│ └c4里之─c5里世
│
├b1経隆
├c1時睦
└c2保経─c3信著
a1武蔵川越→1〜2甲斐甲府→2〜7大和郡山藩主家
b1甲斐新田→1〜8越後黒川藩主家(松平)
c1甲斐新田→1〜8越後三日市藩主家
保教は山高新右衛門信吉の3男
a10斉徳は?の子
----------
このa10斉徳の実父が判りませんので、よろしくお願いします。
やっぱり維新以後はさっぱりダメでつ・・・
明日は一日開けられるので図書館へ。
調査予定は大田原、稲葉、阿部、井上、内田、戸田、有馬(則頼)、久松松平…です。
有馬(直純)家と小笠原家の下書き終了。
案外楽でした。小笠原宗家は一子相伝のアレがありますから
別家から養子など取らなかったせいもあるのですが、分家の
ほうは面倒臭そうです。
童貞ちゃんってよっぽど自分の出自にコンプレックスあるのねw
売春婦と土木作業員の間の子供とかw
今粘着してるのがそうなのか?
大田原家
1晴清─2政清
||┬3高清
||├織田吉清─6清信
||└晴川─7扶清─8友清─9庸清┬10光清
織田長益┬織田長政─女 └11愛清─12広清→13富清─14一清(勝清)─?
└織田政時─4典清─5純清
1〜14下野大田原藩主家
4典清は旗本織田政時(大和戒重藩主織田長政の弟)の長男(3高清の女婿)
13富清は丹波綾部藩主九鬼隆都の2男
>>554より、秋元家(修正第一版)
1長朝─2泰朝┬3富朝─女─4喬知─5喬房=6喬求
└忠朝─時朝─貞朝┬7涼朝
└上田義当─8永朝┬女─10志朝→11礼朝─12興朝→13春朝─順朝─?
└9久朝
1〜2上野総社→2〜4甲斐谷村→4〜7武蔵川越→7〜10出羽山形→10〜11上野館林藩主家
4喬知は武蔵岩槻藩主戸田忠昌の長男(母は3富朝の長女)
6喬求は下野宇都宮藩主戸田忠余の2男(室は5喬房女)
8永朝は旗本上田能登守義当の4男
10志朝は周防徳山藩主毛利広鎮の8男(母は9久朝の姉)
11礼朝は遠江掛川藩主太田資始の5男
13春朝は周防徳山藩主家毛利元功の3男?(ちなみに2男は毛利元秀)
-----------
上田能登守義当ですが、秋元隼人正貞朝の2男でした(^^; ナーンダ
>>401の大河内/長沢(松平)家。
不明だった「大河内信弥」ですが、上総大多喜藩三代藩主正温の4男信讓の子でした。
系図を描くと
c3正温┬c4正升…
└信讓─信弥─b7輝徳→b8輝充
となります。
一方の「大河内信敏」はまだ判りません。
>>528 「石川総登」やっと手掛かりがつかめました。
天保年間に大番頭を務めている「石川伊豫守」と
同一人物のようです。
安部、安藤、遠藤、稲垣、石川、黒田(直邦)、中山各家をうpしました。
石川総登の出自がわかればまた更新しますのでよろしくです。
遠藤家の胤[馬癸]の字は、unicodeにありそうなんですが、コードがわかりません・・・
どこで調べられるのでしょう?
こんばんは。
今日は図書館に五時間篭り、調べもの。
あと二週間は図書館に行けないものですから、かなり頑張りました(^。^;)
まず始めに
>>569で予告しました「石川総登」。
やはりというか
>>392で予想した通りで、総登は総為家の者でした。
系図で表すと
総為─総恒┬総武┬総登(伊予守)─a11総紀…
│ └→総豫…
│
└a7総博(2男)┬a8総師─a9総佐
└総豫(総武養子へ)
となります。シンプルなものです。
>>570 >遠藤家の胤[馬癸]の字は、unicodeにありそうなんですが、コードがわかりません・・・
>どこで調べられるのでしょう?
「騤」の字ですか。Unicodeは39460です。
私の調べ方ですが、まずIMEの「手書き」や「部首」を使って字を捜します。
該当する字を見つけたらホームページエディタを開いて、字をクリックし
そこに書き込み。(私はMSフロントページを使っています)。
それから字を書いたファイルのHTMLソースを見ると「番号;」が読めると
いう次第です。
【HP訂正】
伊東(祐兵)家。
何故か系図ページでは『伊東(祐慶)家』となっていますが・・・
「6祐永」は「5祐実」の女を室に入れているようなので、「→」でなく「=」。
「6祐永」実父の伊東左門祐信はまだ判りません。
『新訂寛政重修諸家譜』内で「左門」を名乗っている人物は何人か
いましたが、その近辺に「祐信」を見つけられませんでした。
>>565 24、27、29がそうなんでしょ?なんか一人頭悪いやつがいるじゃん(w
漢字知らないって書かれたのも見てるね(w
では本日のメーンディッシュ。
稲葉家
良通┬a1貞通─a2典通─a3一通─a4信通┬a5景通
│ └a6知通─a7恒通─a8董通─a9泰通─a10弘通─a11雍通┬a12尊通┬a13幾通
│ │ └通学─a14観通
│ └女─岡野知英─a15久通─a16順通─直通─和通─?
│
└重通→正成─b1正勝─b2正則┬b3正往(正通)─b4正知─b5正任
└正倚─b6正恒→b7正親┬b8正益┬b9正弘
│ └b10正ェ┬b11正備─b12正発
│ └b13正守→b14正誼→b15正邦─b16正凱─?
│
└c1正明─c2正武─c3正盛─c4正巳→c5正善─c6正顕→c7正弘─?
a1〜15豊後臼杵藩主家
b1〜3相模小田原→3越後高田→3〜4下総佐倉→4〜15山城淀藩主家
c1〜5安房館山藩主家
正成は林惣兵衛政秀の子
b7正親は下野大田原藩主大田原政清の6男大田原晴川の子
b14正誼は越後高田藩主榊原政令の7男
b15正邦は陸奥二本松藩主丹羽長富の2男
c5正善は武蔵岩槻藩主大岡忠恕の2男
c7正弘は安房長尾藩主家本多正復の子(2男と思われる。長男は本多正震)
妙にストレートな系図ですね…流石は一徹者の子孫達といったところか(笑)
【HP訂正】
市橋家。
>>518であんなこといっちゃいましたが…
『三百藩藩主人名事典』に拠ると、6長lの父は「薫通」でないようです。
稲葉家の項では「董通」と書かれています。こちらを採用しましょう。
ナンダカナァ、モウ…
【HP訂正】
あの・・・トップページに「中山家」がありません。
「中川家」はありますが・・・
ホームページ、大分埋まりましたね(^、^)
これからうp予定の家を含めると、もう7割ちかくできましたか。
あと面倒臭そうなのは酒井、戸田、水野、佐竹くらいか。
うふふ。(←徳川・松平は脳内にない)
次回は井上家。
え〜・・・穴が多くて申し訳ないです。チェック多謝です。
いろいろ訂正しておきました。中山家も追加。
unicodeですが、うちのパソコンにはホームページエディタが入ってませんで・・・
なんとか試行錯誤してみようと思います。
訂正のことで1つだけ。
うろ覚えで申し訳ありませんが、かなり以前、寛政譜で伊東家を調べたとき、
「5祐実には祐崇(←うろ覚え)という子がいて、祐崇が父に先立ったため、
祐崇の娘を5祐実の養女とし、後に祐永に嫁がせた」・・・
ような気がします。
しかも7祐之は正室の子だが、8祐隆は側室の子で・・・だった・・・ような・・・
うろ覚えすぎて申し訳ないです。
現在図書館に行ける環境ではないので、確かめられませんで。
次の調査の際にでも確認をとっていただけたらこれ幸いです。
徳川・松平家はぼちぼちやっていきましょう。焦らず騒がず。
【HP訂正】
松浦家。
・「平戸藩主家」→「肥前平戸藩主家」
・「平戸新田藩主家」→「肥前平戸新田藩主家」
1870年、廃藩置県前に平戸藩に吸収されていますが、
華族のHPには「肥前植松」の名前もあります。
陣屋の場所のことでしょうか。
【HP訂正】
岩城家
5隆恭は岩屋堂伊達村望の子
となってますが
「岩屋堂」でなく「岩谷堂」です。
【HP補足】
土井家
3利庸─4利信→5利徳
となっていますが、5利徳の室は忠宜(4利信の弟)の女なのですが、
この場合は→で良いのでしょうか?
ちなみに5利徳の息子のうち母が忠宜の女なのは三河刈谷6利制だけで、
三河刈谷7利謙、下総古河11利位、三河刈谷8利以、は別腹です。
>>581 >「岩屋堂」でなく「岩谷堂」です。
う"…私の修正分(
>>551)でも間違えたままになっていますね…すみません。
>ちなみに5利徳の息子のうち母が忠宜の女なのは三河刈谷6利制だけで…
4利信と5利徳を、弟を介して「=」で結ぶべきかと私は思います。
誤解を招きそうな系図になるのは致し方ないです。
実は、この点については前スレでも話題になって、このスレでも
>>232という話
(これを書いたのは私25です)が出ていますが、1さんは
>>237と回答していま
す。難しいです。各員の実母まで明記すればいいのかもしれませんが、不明な
ほうが多いです。ともあれ、あのHPで「=」と「→」のどちらで書くべきかは、
1さんのページですから彼の裁量でと私は思っています。
私の場合は、まず下書きで「→」と書き、明らかに婿養子であった場合に限り
「=」で繋げています。1さんもお気づきのようですが、結構書き損ねている場
合が多いようです。申し訳ありませんが…この点も難しいです。
「先代藩主の女」ならともかく「養女」だった場合が。姉妹なのか姪なのか従
姉妹なのかという程度ならまだいいのですが、別家に養子に行った一族の
娘だったり、全く血縁がないらしい養女(藩主の室の一族など)というのもいて。
増してや表現となると…
いや、情けない話ですが、この点については1さんに丸投げしている格好に
なってますです。
補足。
A─女
||
B─C(別腹)
の場合、現在、私は素直に「A=B─C」と書くようにしています。
「A=B」も「B─C」も事実ならば、これ以外に書きようがありませんから・・・
では本日のお題、井上家。
清秀┬a1正就─a2正利─a3正任┬a4正岑
│ ├c1正長
│ └酒井重英─a5正之─a6正経┬a7正定─a8正甫┬a9正春┬a10正直─a11?─a12?─a13正英
│ │ │ └c12正信
│ │ ├c9正民=c10正健=c11正誠
│ │ └c13正兼─c14正巳┬c15正誠─?
│ │ └a14正国─?正寛─?
│ │
│ └c5正棠┬c6正広
│ └c7正建→c8正盧
│
└b1政重─政次─b2政清┬b3政蔽┬b4政鄰┌竹腰勝起─b7正紀─b8正瀧┬b9正域
│ └b5正森=├b6正国 └b10正和─b11正順─b12正言─b13正鑑┬正誠─?
│ 徳川宗勝┘ └正敏
│
└政式─c2正敦┐→c3正辰
└c4正意
a1〜2遠江横須賀→2〜3常陸笠間→3〜4美濃郡上→4丹波亀山→4〜6常陸笠間→6磐城平→6〜8遠江浜松→8〜9陸奥棚倉→9上野館林→9〜10遠江浜松→10上総鶴舞藩主家
b1〜11下総高岡藩主家
c1〜14常陸下妻藩主家
a5正之は旗本酒井隠岐守重英(a3正任の4男)の長男
b6正国は尾張名古屋藩主徳川(尾張)宗勝の10男(室はb5正森女)
c3正辰は美濃郡上藩主金森頼錦の2男
c8正盧は肥前島原藩主松平(深溝)忠馮の2男
c10正健は大久保左近介忠隆(相模小田原藩主大久保忠顕の2男)の長男(室は9正民女)
c11正誠は丹波篠山藩主青山忠良の4男(室は10正健女)
-----------
この系図を下書きした時、校正をする時、何故かしら毎回気力が尽きてしまっていました(謎
チェックは割と楽に終えられましたが…。
次回は・・・そうですね、片桐家を。
1さんHP修正してましたね。素早い!お疲れ様です。
25さんもいつもお疲れ様です。
昨日、今日と少し離れたいつもと別の図書館に篭り「寛政重修諸家譜」及び「寛政譜以降旗本家百科事典」と睨めっこしていました。
横系図の「寛政重修諸家譜」は解り易かったのですが、
「寛政譜以降旗本家百科事典」の方は慣れるまで時間がかかりました。
次は「系図纂要」「寛永諸家系図伝」「群書系図部集」辺りをあたってみたいと思ってますが、
いつの事になることやら(苦笑)
ところで関係ないことですが、
いつも思うのですが図書館で新聞を大量にコピーしている人っていったい何者なんだろう?
毎回ほぼ違う人ではあるようなのですが・・
片桐家
1貞隆─2貞昌┬3貞房
└貞尚─4貞起─5貞音─6貞芳─7貞彰─8貞信┬9貞中
└10貞照→11貞利→12貞篤─13貞健→14貞史─貞臣─?
1〜12大和小泉藩主家
11貞利は美濃高富藩主本庄道美の2男
12貞篤は松平頼功(常陸府中藩主松平(水戸)頼説の子)の子
14貞央は水野直の弟、水野忠武の兄
-------------
婚姻関係は殆どわかりません。どうやら無いっぽいですが・・・
では夕食に逝ってきます。
【訂正】
>>584の井上「b8正瀧」。
「正滝」にしておいたほうがいいですか・・・
【HP訂正】
「寛政重修諸家譜」を見る限り、
青木家
8一新→9一貫
となっていますが、9一貫の室は8一新の女なので
8一新=9一貫
堀田家
4正富→5正敦
となっていますが、5正敦の室は4正富の女なので
4正富=5正敦
のようです。
化膿姉妹のか
叶野姉妹の叶野家の系図教えて
おおっ久々のリクエスト。ちょっと嬉しいです。
では、カノー・・・じゃなくて、カトー家。
加藤(嘉明)家
1嘉明─2明成─3明友─4明英─明治─5嘉矩─6明経→7明熙┐→8明尭
└9明陳─10明允─11明邦┬12明軌
└13明実─14克明=久幹─?
1伊予松山→1〜2陸奥会津→3石見吉永→3〜4近江水口→4〜5下野壬生→5〜13近江水口藩主家
7明熙は分家加藤駿河守明教(摂津麻田藩主青木重成の4男)の子
8明尭は摂津尼崎藩主松平(桜井)忠名の2男
久幹は越前(重富)島津荘之助の子で、島津忠彦の弟
----------
本当は加納家をやりたかったんですけれどね、アレ全然判りません…どうしよう…_| ̄|○
まぁいいか(苦笑)。
久幹の実家、越前(重富)島津家ですが、系図にするとこんな感じ。
吉貴(薩摩四代藩主)─1忠紀(同五代藩主弟)─2忠救─3忠貫→4忠公(同九代藩主子)┐
┌─────────────────────────────────────┘
└→5久光(同十代藩主子)─6忠鑑─7荘之助┬8忠彦
└加藤久幹
いろいろ修正しました。情報ありがとうございます。
それから秋元、大田原、柳沢各家をうpしました。
大田原家の系図を織田家に引きなおして見たのですが、
3高清の娘は、自分のおばあちゃんのいとこと結婚した(させられた?)のですね。
さぞ年の差夫婦だったことでしょう。
さて、
>>582,
>>583なんですが。
土井家での指摘を受けて初めて正室の子と側室の子が混在した系図を作ったわけですが、
見にくいかもしれませんね。
おそらく、生母が確認できないまま正室の子とみなしてA=B─Cとしていることも多々あろうかと思います。
見やすさを取るか、血縁を重視するか、難しいところです。
一応現状のままにしておいて、今後同じような例が増えて、
あまりにも見にくい!と私が思ったら、こっそり元に戻そうかと思います。
有馬(直純)家
1直純─2康純─3清純─4一準─5孝純┬本多忠可─忠居─忠鄰─10道純─11純文─12純尚─?
└6允純─7誉純┐→8徳純
└戸田純佐─9温純
1〜3日向延岡→3越後糸魚川→3〜10越前丸岡藩主家
8徳純は越後高田藩主榊原政令の子(甥?)
10道純は播磨山崎藩主本多忠鄰の2男
>>594 私も判った範囲では血縁を追いかけているのですが、
「母某」というのを見る度に、ちょっとクラっときます(笑)
こんなのは放置するべきなのですが、気になりだすと
ダメですね。気にしてはいけないのでしょう。
男系でも意外なところで繋がっている家がありますね。
例えばこんなの。
佐竹家
義重┬a1義宣
└岩城貞隆─a2義隆(岩城吉隆)┬義ゥ─義都─義堅─a6義真
├a3義処┬a4義格
│ └相馬叙胤─徳胤─恕胤─祥胤┬樹胤
│ └益胤┬充胤─b9義理─?
│ ├b7義核(a12義尭)─?
│ └b8義ェ
└b1義長┬a5義峯
└b2義道┬a7義明─a8義敦─a9義和─a10義厚─a11義睦
├義敏─b4義祗─b5義知
└b3義忠─義恭─b6義純
a1〜12出羽久保田→12出羽秋田藩主家
b1〜9久保田新田→9出羽岩崎藩主家
a2義隆は出羽亀田藩二代藩主岩城吉隆
a12義堯(b7義核)は陸奥相馬中村藩主相馬益胤の3男
b8義ェは陸奥相馬中村藩主相馬益胤の4男
b9義理は陸奥相馬中村藩主相馬充胤の子
下書きしただけの系図で申し訳ありませんが、いい例なので。
この佐竹家、血筋で遠く離れている相馬家からいきなり養子を
迎えて繋がっていますね。東北の家ってこういうのが結構ある
から嫌い。
今までうpしてきた系図にも、こんなのが幾つかあるのかもしれ
ません。確認したいところですが、目で追うよりも、書き終わって
全部リンクを貼って、HP上で追跡したほうが賢明でしょうね。
こんばんは。
スレもすっかり下がりましたが、本日のお題。
加藤(貞泰)家
a1貞泰┬a2泰興─泰義┬a3泰恒┬a4泰統─a5泰温┐=a6泰衑┬a8泰行
│ │ │ └a7泰武 └a9泰候─a10泰済─a11泰幹┬a12泰祉
│ │ │ └a13泰秋─a14泰通─泰同─?
│ │ └b4泰広─b5泰官─b6泰賢─b7泰儔─b8泰理─b9泰令─b10泰成─泰勝─?
└b1直泰 └b2泰觚─b3泰貫
a1〜13伊予大洲藩主家
b1〜9伊予新谷藩主家
a6泰衑は行がまえに令(Unicode:34897)、一門池ノ端加藤家加藤泰都の長男(室はa5泰温女津礼)
-----------
この加藤泰都、全く判りませんでした。
600ゲト。
そろそろ512Kオーバーが心配になってきました。
次スレの準備お願い致します。
ん?まだ292Kしかないのか・・・失礼しました。
次回は阿部家を。
>599
加藤泰都はa4泰統の弟らしい。
>>602 え?そうだったのですか?ありがとうございます。
『新訂寛政重修諸家譜』の索引で見つけ出せなかったのですが、見落としていたのかな。
では
>>599より、加藤(貞泰)家 (修正第一版)
a1貞泰┬a2泰興─泰義┬a3泰恒┬a4泰統┬a5泰温─a7泰武
│ │ │ └泰都─a6泰衑┬a8泰行
│ │ │ └a9泰候─a10泰済─a11泰幹┬a12泰祉
│ │ │ └a13泰秋─a14泰通─泰同─?
│ │ │
│ │ └b4泰広─b5泰官─b6泰賢─b7泰儔─b8泰理─b9泰令─b10泰成─泰勝─?
└b1直泰 └b2泰觚─b3泰貫
a1〜13伊予大洲藩主家
b1〜9伊予新谷藩主家
a6泰衑は行がまえに令(Unicode:34897)、一門池ノ端加藤家加藤泰都の長男(室はa5泰温女津礼)
604 :
日本@名無史さん:04/05/09 20:55
加藤家の子孫が加藤鷹だよ
間違えているデナイノ…
加藤(貞泰)家 (修正第二版)
a1貞泰┬a2泰興─泰義┬a3泰恒┬a4泰統─a5泰温─a7泰武
│ │ ├泰都─a6泰衑┬a8泰行
│ │ │ └a9泰候─a10泰済─a11泰幹┬a12泰祉
│ │ │ └a13泰秋─a14泰通─泰同─?
│ │ │
│ │ └b4泰広─b5泰官─b6泰賢─b7泰儔─b8泰理─b9泰令─b10泰成─泰勝─?
└b1直泰 └b2泰觚─b3泰貫
a1〜13伊予大洲藩主家
b1〜9伊予新谷藩主家
a6泰衑は行がまえに令(Unicode:34897)、一門池ノ端加藤家加藤泰都の長男(室はa5泰温女津礼)
---------
a4泰統兄弟の順番がわかんないけれど、とりあえずこれにて。
本日のお題、阿部家。
a1正次┬正澄─b2正能┬b3正武┬b4正喬─b6正敏┬b7正識
│ │ │ =┌b8正由─b9正権
│ │ │ 徳川宗将┴徳川頼興─b10正篤→b11正瞭→b12正備
│ │ │
│ │ └正晴─b5正允─c5正実
│ │
│ └正房─正興─正儔─正元→正朗─正良─正蔵┬b13正定
│ └b15正外─b16正静
│
├a2重次┬a3定高─a5正邦─a6正福┬a7正右─a8正倫─a9正精┬a10正寧┬a12正教
│ │ └c3正興 │ └a13正方
│ │ ├a11正弘=a14正桓─a15正直─正道─?
│ │ └正粋─b14正耆─b17正功─b18正寛┬b19正一
│ │ └b20正友─?
│ └a4,c1正春┬c2正鎮─c4正賀
│ └正長─正親─正保─c6正簡─c7正ロ→c8正身─c9正恒─c10正敬─c11正基─正保─?
│
└忠吉─b1忠秋
a1上総大多喜→1相模小田原→1,3〜5武蔵岩槻→5丹後宮津→5下野宇都宮→5〜14備後福山藩主家
b1下野壬生→2〜9武蔵忍→9〜16陸奥白河→16〜17陸奥棚倉藩主家
c1上総大多喜新藩→1〜2三河刈谷→2〜9上総佐貫藩主家
a14正桓は浅野懋昭(安芸広島藩主浅野重晟の4男長懋の8男)の3男(室はa11正弘6女寿子)
b8正由は紀伊和歌山藩主徳川(紀伊)宗将の11男(室はb6正敏女)
b10正篤は松平頼興(紀伊和歌山藩主徳川(紀伊)宗将の5男)の子
b11正瞭は三河吉田藩主松平(長沢・大河内)信明の7男
b12正備は肥前大村藩主大村純昌の5男
c8正身は石見津和野藩主亀井茲尚の2男
正朗は戸川山城守達和の3男
608 :
日本@名無史さん:04/05/09 21:04
加藤鷹はパーフェクトHで「フェラチオしたくない」って相談者の女に
「相手のこと好きならフェラチオぐらいできるでしょ」って言ってた
俺もそうおもうよ
>603
初名は泰高。加藤泰茂(泰義の弟)の養子となる。
のち泰都と改めた、ということらしい。<加藤泰都
【HP訂正】
立花家
「赤:1陸奥棚倉→12筑後柳河藩主家」と、番号が抜けています。
トップページ
高直りした平野家と山名家が抜けています。
立花家、修正しました。
山名って大名になってましたっけ?
平野は後日追加しておこうと思います。数年でも大名なわけですし。
更新が滞っていまして申し訳ないです。
こっそり家康以降の徳川、松平家を書こうかなと思っています。
現在越前系を検討中ですが、8家もあって面倒です。
本多家よりましですがね。
>>612 現在、遠山家まで全て下書きを終えました。徳川・松平以外は今週中にも
終わるでしょう。それからは家康以前の松平家に着手したいと考えています。
大給と久松、長沢が終わっていますから、残っているのはあと能見、桜井くら
いかな。
こちらも下書きだけが溜まっていて鬱になっています。
校正は来週の土曜日の予定ですが、酒井や小笠原、戸田のような大所帯は
公表が先になりそうです。
やっぱりカキコしないと落ち着かない…
>>442さんのリクエスト、有馬(則頼)家
則頼┬則氏─女─b2吉政→b3義景→b4氏倫→b5氏久┐→b6氏恒
│ └b7氏房→b8氏恕=b9氏保=b10久保─b11氏貞─b12氏郁
│ ||
│ b14鎮
├女─a6則維─a7頼徸┬a8頼貴
│ └頼端─a9頼徳┬a10頼永
│ └a11頼咸┬a12頼万─a13頼寧┬頼春─?
│ │ └頼義
│ └b15頼之─b16聴頼─芳治─?
│
├a1豊氏┬a2忠頼┬a3頼利
│ │ └a4頼元─a5頼旨
│ └b1頼次(頼泰)
│
└豊長─則故→則到=則武→則雄→則明─則篤─b13氏弘
a1丹波福知山→1〜11筑後久留米藩主家
b4〜8伊勢西条→8〜12上総五井→12〜13下野吹上藩主家
a6則維は旗本石野八大夫則員の2男(母は小笠原源兵衛長直女)
a7頼徸はギョウニンベンに童(Unicode:24504)
b2吉政は建部内匠頭光重の長男で、播磨林田藩主建部政長の兄
b3義景は旗本正木五郎右衛門為永(旗本三浦為春の4男)の子
b4氏倫は有馬清兵衛の子
b5氏久は紀伊徳川家家臣渡辺主水泰綱の子
b6氏恒は信濃飯田藩主堀親蔵の4男
b8氏恕は信濃飯田藩主堀親長の2男
b9氏保は越後長岡藩主牧野忠寛の2男(室はb7氏房女)
b10久保は伊勢八田藩主加納久周の2男(室はb8氏恕女)
b13氏弘は旗本有馬阿波守則篤の2男
b14鎮は出羽松山藩主酒井忠礼の女
則到は有馬次郎兵衛重広の長男
則武は水野半左衛門忠慎の2男(妻は則到女)
則雄は旗本石野筑前守範種の3男
則明は旗本石野筑前守範尭の3男
有馬清兵衛不明。
有馬次郎兵衛重広不明。
頼義(よりちか)は、直木賞作家で日本中央競馬会理事長で
成蹊大学野球部監督で東京セネターズのオーナー監督兼投手と
実に多彩な経歴の持ち主です。
野球のオールスター戦を範にとり彼が創設した中山グランプリ
競争は、後に彼の名を冠し「有馬記念」と命名されました。
他にも「暴れん坊将軍の爺」b4氏倫、「関流算術の天才」a7頼徸、
その息子で犬好きが昂じて藩政を傾けたa8頼貴と、なかなか名物
殿様が多くて面白い家です(^^)
この家もありませんね…
成瀬家
1正成─2正虎─3正親─4正幸─5正泰─6正典─7正寿─8正住=9正肥─10正雄─11正勝─12正俊
1〜9尾張名古屋藩付家老→9尾張犬山藩主家
9正肥は丹波篠山藩主青山忠良の子(3男か)(室は8正住長女富子)
----------
12正俊は「ホトトギス」の同人に参加するなど、俳人として著名。
日本伝統俳句協会理事。
中山グランプリ(2回以降有馬記念)を創設したのは、頼義氏の父頼寧氏だよ。
有馬家。久しぶりに口をはさめそうなので。
b3義景なんですが、建部光延(建部光重と則氏女の子でb2吉政の弟)の娘を室に迎えており、氏倫が生まれてます。
系図にすると
則氏─女子─建部光延─女子─氏倫
といったところでしょうか。
それからa6則維の系図がちとおかしいですよ。
則頼─女子─正直─則員─則維
らしい、です。正直は則頼女の子であるかどうかは不明でしたけれど。
また、正直の苗字を忘れてしまいました(血統研究所のスレに書いたと思うんですが落ちちゃいました)
さらにさらに。
則明は則員の血を引いています。
石野則員┬有馬範種─範至─範尭─則明
└則維
となります。
「寛政譜以降旗本〜」では則篤は則明の子として表記されていて、私もそうだと思っていたのですが、
先日「日本系譜総覧」を見ていたら、内藤正義の子として有馬則篤がいました。
養子なんですかねえ?
だとしたら婿養子なのかなあ?などといろいろ疑問がわきあがるところです。
山名家も大名になってたんですね。意外でした。修正しておきます。
>>621 192 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/02/13(金) 21:26
>>111 有馬則維は旗本の倅から20万石の大名に出世したが、則維の父も紀州藩士の家から旗本に養子に入った。
一藩士の孫が20万石の大名に出世したってこと。
石野正直(紀州藩士)−石野則員(旗本)−有馬則維(久留米藩六代藩主)−則僮−頼貴−頼瑞−頼徳−頼咸−頼万−頼寧−頼義
ついでに言えば紀州藩士有馬家は久留米藩主家の分家
吉宗の将軍就任で有馬氏倫が紀州藩士から旗本になり後に大名に取り立てられた。こちらは分家だが譜代大名。
これ?
>>620-622 ありがとうございました。
流石にこんなレベルではダメですね。全然自信が無かったのですが。
石野家だけでも真面目に追いかけるべきだったかしら…ハンセイ
>>615より、有馬(則頼)家 (修正第一版)
則頼┬則氏─女子
│ ||──┬b2吉政→b3義景
│ 建部光重└建部光延─女子─b4氏倫→b5氏久─b7氏房
│
├女子─石野正直─則員┬有馬範種─範至─範尭─則明─則篤─b13氏弘
│ └a6則維─a7頼徸┬a8頼貴
│ └頼端─a9頼徳┬a10頼永
│ └a11頼咸┬a12頼万─a13頼寧─a14頼義─?
│ └b15頼之─b16聴頼─芳治─?
└a1豊氏┬a2忠頼┬a3頼利
│ └a4頼元─a5頼旨
└b1頼次(頼泰)
堀近蔵┬近長─b8氏恕=b9氏保=b10久保─b11氏貞─b12氏郁
└b6氏恒 ||
b14鎮
本日のお題…あんまり出したくないのですが…内田家
正世┬1正信─2正衆─正勝─3正偏─4正親─5正美
└正友─正知─正富─正記─6正良─7正純─8正肥→9正容┬10正道
├11正徳
└12正縄
正路─13正学─14正吉─15正明─?
1〜3下野鹿沼→4〜13下総小見川藩主家
9正容は旗本石河貞通の3男
13正学は分家内田正路の子
-------------
内田正路不明。
『寛政譜以降 旗本家百科事典』を引いてみましたが、
内田某という幕臣は多くて一体誰が誰なのやら…
もう一度調べてみます。
あと、
>>610で挙げた平野家の長里の実父は
「内田正編」だそうですが、誰なのかまだ判りません。
「3正偏」のことかなぁ?
【HP訂正】
あと出羽矢島藩の生駒家が抜けています。これも高直り大名です。
諸侯のHPを何度かチェックしてみましたが、抜けている家はもう無
さそうです。
これで下調べをした家は全て吐き出しました。
正確には、有馬氏倫との名コンビで知られる加納久通の家が
残っていますが、有馬家以上に判りませんでした・・・書いても
いいですが・・・
こんにちは。
家康以降の系図をうpしてみました。
吉井松平を忘れてしまいましたが、今度やっておきます。
間違いがあったらご指摘ください。まあチェックする気もうせるでしょうが・・・
こんにちは。
お早いですね。もう徳川・松平を終えたのですか。お疲れ様です。
私もうかうかしていられませんね。
でも図書館いきは来週になりそうですので…
さて加納家。ちょっとどうしようもないくらい判りませんでした(鬱
1久通→2久堅→3久周─4久慎─5久儔─6久徴→7久恒→8久宜─9久朗─久道─?
1〜3伊勢東阿倉川(八田)→3?〜8上総一宮藩主家
1久通は加納大隈守政直の2男
2久堅は加納大隈守政信の2男
3久周は武蔵岩槻藩主大岡忠光の2男
7久恒は上総久留里藩主黒田直静の3男(室は6久徴養女)
8久宜は立花種道(筑後三池藩主立花種周の2男)の2男
--------------
1久通と2久堅の血縁が判りません。『新訂寛政重修諸家譜』にもありません。
関係がありそうなので1久通の実父も明記しました。
また7久恒の室ですが、この養女の実父も不明。
上総に陣屋を置いたのは寛政十年らしいのですが、久周のときでしょうか。
>>628 ご存知かとは思いますが・・・
「日本史総覧」では上総一宮藩の始まりを文政9年久儔の代としてます。
>>630 ありがとうございます。
ええ、久儔のときという話も知っていたので気になってああ書いたのです。
こちらはようやく本庄家まで終りました。
チェックを待つ家がとうとう29家に達してしまいました。
鬱になってチェックする気が失せてしまいそうです(笑)
さて…もうそろそろコンプリートも近くなってきましたが、
私は(結構ポカをやったこともあって)一度終ったら全て
の家をチェックをしたい所です。スキルが上がったという
自覚もあって、もう少し調べがつきそうな人もいますので…
チェックの前に、1さんの図の1さん的プロトコールを把握
する為、ここで考察してみたいと思います。
【文献】
・『江戸三百藩HTML便覧』
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html 及び『三百藩藩主人名事典』『平成新修旧華族家系大成』を、以下「主要文献」と称する。
【記載した藩および藩主家】
・廃藩置県までに立藩、存在していた藩および藩主家のみを記し、廃藩置県以前に廃止
されていた藩および藩主家は系図に記さない。
・藩主家の分枝は、藩主との血縁が存在しない限り、記さない。
・藩は原則、主要文献に記載されているものより表記を開始する。
【家名】
・家名は原則、主要文献に基づく。
・家名は可能な限り、新字体で記す。
・ただし松平家の場合のみ、○○松平家と記す。
・当初、松平家を名乗らなかった大名家の中に松平姓を名乗った家がある場合、
その家に「松平」を記さない。
【系図】
・原則として実の親子関係を記す。
・他家から娘婿を迎えた場合は=で記す。
・姻戚関係も全くない者を養子に迎えた場合は→で記す。
・実男子、実女子、養子が同世代に混在していた場合、系譜上の上下関係に拠らず
実男子、実女子、養子(婿養子、非婿養子)の順に記す。
・他家の同一の血筋から複数の藩主を迎えていた場合、系図を別記することがある。
・表記上利便性が高いと判断された場合、姻戚関係を系図に記すことがある。
【系図中人名】
・人名は諱のみ記す。
・女子の場合、諱が不明の場合「女子」と記す。
・諱は原則、主要文献に基づく。
・諱は可能な限り、新字体で記す。
・Unicodeで表示可能なものは、Unicodeで記す。
・養子にいく、もしくは維新などの理由で改姓した場合、改めた姓を諱の前に記す。
その次の代は、先代より改めた場合を除き、姓を諱の前に記さない。
・松平家の場合は、その姓を諱の前に記さない。
【藩名】
・藩名は国名、藩名と記し、廃藩置県時点での藩名には「家」を末尾に記す。
・藩名は原則、主要文献に基づく。
・藩名は可能な限り、新字体で記す。(惣社→総社 など)
・藩名に別名がある場合、藩名の後に(○○)と記す。
・大阪城代、京都所司代に任ぜられていた場合も記す。
・交代寄合家の場合、「交代寄合」と記す。
・付家老家の場合、国名、藩名を記した後「藩付家老」と記す。
・分封の場合、国名、地名を記した後「分封」と記す。
【藩主代数】
・藩主家の代数は、原則、主要文献に記載されているものより開始し、廃藩置県
時点での当主代数を最後とする。
【注記】
・藩主の実父が藩主や公家、分家出身の場合、それを明記する。
・藩主の実父は、姓、諱のみ記す。ただし藩主の実父の出自が不明確な場合、
字も記す。
・藩主の実父が松平姓の場合、松平(○○)と記す。
・藩主の実父が藩主の血筋でありながら藩主でない場合、括弧書きで藩主まで
記す。
・生順が判明している場合、算用数字で「○○男」と記し、不明の場合、「子」と
記す。
チェックに必要なのは、こんなところでしょうか。
藩名や注記はちょっと不統一な部分もあるので、スッキリ
させたいところですね。
【HP】
田村家の仙台藩一門の石川大和の系統
石川宗恒─村弘─村満─村俊─宗光─義光┬11,13邦栄
についてなんですけど、
「伊達世臣家譜続編」を読んでいたら疑問点が出てきました。
「宮城県姓氏家系大辞典」によると石川宗光は村文(村俊の子)の弟と書いてあるのですが、
「伊達世臣家譜続編」を読んでいると
村文(村俊の子)の跡は村任(村文の子)が継ぎ、村任長男は早世し、村任次男光尚を以って嗣としたがこれも早世したので
「其の弟大和宗光を以って苗跡を立てた」
とありました。
この「其」が誰にかかってくるのかが疑問点で、分脈から考えると「光尚」でない事は確かですが、
「村文」なのか「村任」なのかがハッキリしません。
村任が村文の跡を継ぎ、村任の子供達が早世した事も書いてある事を考えると、
「其」がかかってくるのは「村任」なのではないかとの疑問が生じました。
もし、「其」がかかってくるのが「村任」だとすると、
上記の 村俊─宗光 の間に村文が入る事になります。
石川宗恒─村弘─村満─村俊─村文─宗光─義光┬11,13邦栄
「宮城県姓氏家系大辞典」は参考史料に「伊達世臣家譜」及び「伊達世臣家譜続編」をもちいて編纂されていますので、
私が「伊達世臣家譜続編」の文章を読み違えているだけかもしれませんが、
「宮城県姓氏家系大辞典」には時折、間違っている箇所があるので、あえて疑問点として書かせて頂きました。
現在、取り寄せてる別の文献がありますので(いつ頃くるのかわかりませんが・・)
そちらの文献が届いてから、この疑問点については解答を出そうと思ってます。
こんにちは。
25さん。私でもはっきりさせていなかった書式のチェック、どうもです。
基本的にそんなもので間違いあにと思います。
藩の名前はそうですね。統一しないと。
448さん。情報をお待ちしております。
それから、ころころ変えて申し訳ないんですが、婿養子の別腹の子もそのまま
A=B─C
としようと思います。
実は松平家のどこだったから、越前家だったかな。新庄家からの婿養子がいるんですが、
その次の当主は別腹の子なので、
A─女子
||
B─C
となるべきなのですが、面倒だったのでやめました・・・
系図がややこしかったので・・・
ということで、土井家も元に戻しちゃいました。
それよりもっと更新しないといけませんねぇ。
訂正。
>>633 【記載した藩および藩主家】
・藩主家の分枝は、藩主との血縁が存在しない限り、記さない。
↓
・藩主家の分家は、藩主との血縁が存在しない限り、記さない。
【家名】
・当初、松平家を名乗らなかった大名家の中に松平姓を名乗った家がある場合、
その家に「松平」を記さない。
↓
・当初、松平姓を名乗らなかった藩主家の中に松平姓を名乗った家があっても、
その家に松平を記さない。
【系図】
・子孫に当主がいない者は、自身が当主であった場合を除き、全て省略する。
(これを追加)
>>635 【藩主代数】
・藩主家の代数は、原則、主要文献に記載されているものより開始し、廃藩置県
時点での当主代数を最後とする。
↓
【藩名内藩主代数】
・藩主家の代数は、原則、主要文献を遡り最初に記載されているものより開始し、
廃藩置県時点での当主代数を最後とする。
【注記】
・当主の実父が藩主(当主)や公家、分家出身の場合、それを明記する。
・当主の実父は、姓、諱のみ記す。ただし藩主(当主)の実父の出自が不明確な場合、
字も記す。
・当主の実父が徳川もしくは松平姓の場合、徳川(○○)、松平(○○)と、姓に続き
括弧書きで別姓を記す。
・当主の実父が藩主(当主)の血筋でありながら藩主(当主)でない場合、括弧書きで
藩主(当主)まで記す。
・生順が判明している場合、算用数字で○男と記し、不明の場合、子と記す。
非常にお節介かとは思いましたが、このページの系図は
ちょっと調べてみたいときにキチンと使えるレベルにまで
作成したものにするご予定のようですから、こういう注記
も要るだろうと思い作成いたしました。適宜校正してお使
い頂ければ幸いです。
>>638 確かに、別腹のことも考えると、表記が難しくなるのですよね・・・
別腹だけでなく、婚姻も書き込むと、ポンと離れたところの
藩主の娘を娶っている個所がいくつもあったりして、とてもじゃ
ないがきっちり図に書けない家も少なくないので、そのほうが
よろしいでしょう。
でも、かなり気になされているようですね。
ならば、最後の注記に「母は○○」「母某」と括弧書きして
別腹であることをわからせるようにしてはどうでしょうか。
【HP訂正】
鷹司家(吉井藩)がないです…
多分、36さんが訊いたのだと思われますが、森忠洪の父、森縫殿正典の
血筋の情報が入りました。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1082980532/118 --------
前スレより
572 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/03/13(土) 15:43
赤穂藩五代藩主の森忠洪の血筋がわからん。
父親の家老森縫殿正典って何処の家の人なんや?
とりあえず、赤穂藩主、三日月藩主、新見藩主の系図と森主税家、森続之丞家、
家老各務家、森次郎家、森才兵衛家、森半十郎家、森左兵衛家の系図も見たが判らんかった。
597 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:57
>>572 森忠政−関成次室−森正方室−森某−森正典−森忠洪(赤穂藩5代)
こんな感じで繋がるんじゃないかな、あんまり自信ないけど…
↑の某の名前が判ったので補足
森所左衛門正方−森兵右エ門−森門十郎正典
--------
これによると
1忠政─郷(関成次室)┬2長継…
└正方(所左衛門)─兵右エ門−正典(門十郎)−10忠洪…
のようです。
正方(所左衛門)や兵右エ門は文献にありそうな気がするのですが…
「室」を見落としてますな
こんにちは。
いろいろとうpしました。5,6家あったような気がします。
成瀬家は初の一直線ですね。婿養子がいますけれど、たいしたもんです。
婿養子の子どもについてですが、うーん。
気にはなりますが、このまま進もうかな、と思ってます(またコロっと気が変わるかもしれませんが)。
最近、悩みが2つあります。
1つは久松家を独立させるかどうか。
男系では徳川家とつながりのない吉井家(鷹司ではなく現在の姓で登録してみました)や奥平家は独立扱いですし。
まあ奥平は本家が松平姓じゃないからなんですけどね。
もう1つは阿部家の系図の書き方。
正房─正興─正儔─正元→正朗─正良─正蔵
のところなんですけどね。
正朗は阿部家とは血縁関係ないってことですよねぇ。
となると、正蔵も血縁関係はない、と・・・
今まで分家で他家から養子を迎えていて、そこから大名家に養子に入った例はなかったですから。
血縁関係がないからといって単に→でつなげるだけなのもどうかなぁ、などと思い悩んでいます。
なんだか「系図の書き方を探究するスレ」と化してきましたね(笑)
>吉井家(鷹司ではなく現在の姓で登録してみました)
これには賛成しかねます。
遠藤や喜連川、あと松平から戻した家々は江戸時代の名で
表記されていますから、ここだけ例外にするのはどうかと…
と書けば、「松平」と書くべき家をどう区分けするかという問題
にも絡んでしまうのですよね。鷹司に書き直すのはいいとして、
「松平家」に入れるべきなのかどうかと。
うーむ…「松平家」を血統的に区分けして考えてみますか。
(1)徳川家康以降の男系、つまり将軍家、御三家、御三卿の分枝の家
(2)徳川家康とそれ以降で外戚になった家(奥平、鷹司、戸田、久松など)
(3)徳川家康以前の男系の家(桜井、大河内長沢、能見、深溝、大給など)
(4)その他(柳沢はここになるのか?)
こんなところでしょうか。
ここで綺麗に分類されていますが・・・
http://www.shibuyam.com/Keizu/KEIZU.html
このHPでは、(1)の家でも越前や保科を別記してます。
今までの1さん的HP作成の流れでは
(1)は「徳川・松平家」に纏めてある(越前も)
(2)は「奥平」などを既に個別に書いている。
奥平(戸田もそうだが)は本家が松平ではないからいいが、久松や鷹司
はどうなのかと…
(3)は「大河内長沢」をこの名で書いているし、松平で纏めるのは考えどころ。
男系を重視したコンセプトなら、「徳川・松平家」内に別枠として纏めるべき
か、あるいは今の「大河内長沢」の書き方のように松平とは切り離して書く
か。
(4)ここは「奥平」などと同様に、個別に書いている。(柳沢は本家が松平では
ないし)
となりますか。
これらから考えてみますと、考慮すべきポイントは
【1】男系繋がりの家を全て「松平家」として括って表記するか、否か。
【2】男系繋がりでない家も「松平家」として括って表記するか、否か。
【3】本家(もしくは家全て)が松平を名乗っている家も「松平家」として
括って表記するか、否か。
になりますね。
今までの1さん的慣例からすると、久松家の場合は「家全てが松平を
名乗っているが男系繋がりではない」と考えると、別記するべきでしょ
うか。ならば鷹司も同様になりますね。
あと、(3)の大河内長沢らをどうするかですが、今まで通り別記するなら
大給らも同様に扱わないといけないでしょうね。でも「あくまで男系で分類
するんじゃ」と仰るならば、「徳川・松平家」先のページに箇条書き(もしくは
簡単な系図を書いて、大河内長沢らにリンクを張るだけにするという手もあ
ります。「松平」でも引けるし、「大河内」でも引けるという利点があります。
>>644 そこのところですが、「室」が入っているのかどうか
どうにもピンと来なかったので。寛政譜をチェックするつもりです。
└正方(所左衛門)室─
でしょって意味ね。長継と正方は兄弟じゃないですよ。
あぁ、「鷹司=吉井松平」なんですな…
吉井松平がまだ上がっていなかったから考えずに書いてしまいました…
大名の子孫って何やってるのかな?
毛利家の子孫は大金持ちらしいけど、
島津の子孫とか家康の子孫ってどう?
細川とか政治家になってる人はいないのかな。
こんにちは。
有馬(豊氏)家をうpしました。
多少変更がありますし、自信のない個所もありますが。
吉井家はそうですね。本姓は鷹司なのだから鷹司家にすべきですね。修正しておきます。
久松家は私的慣例にならって、別記しようかと思います。
大河内・長沢については、そうですね、25さんの助言を容れて、
大河内家という表記は残し、松平家の中でリンクを貼ろうかと思います。
ごちゃごちゃごねましたが、一応こんな感じで処理してみます。
アドバイスに感謝です。
どーも36です…
大変お久しぶりです、一応自己紹介しておくと
前スレの36番レスから登場しているので36と名乗っております。
これからまた度々オジャマさせていただきたいと思っておりますので
皆さんよろしくです。
>>657 おかえりなさいまし。パソコン直ったのですね。
こちらはあと6家を残すのみとなりましたが、下書きばかりで
図書館でチェックする事も出来ず困っています。
ちょっと我慢がならないので、できれば御手伝いして頂きたい
のですが、よろしいでしょうか。
例えば、こういうところを…
---------
山名家 【下書き】
1豊国─2豊政─3矩豊→4隆豊→5豊就─6豊暄=7義徳─8義方=9義蕃─10義問─11義済─12義路─13義鶴=14晴彦─義晴─義信
1〜11交代寄合→11但馬村岡藩主家
4隆豊は福嶋正長の2男
5豊就は山名光豊の3男
7義徳は筑後柳河藩主立花貞俶の8男(妻は6豊暄女)
9義蕃は越前鯖江藩主間部詮茂の子(妻は8義方女)
14晴彦は越前丸岡藩主家有馬純文の4男(妻は13義鶴女京子)
--------
福島正長が不明。旗本のようです。
山名光豊も不明。こちらは歌人として知られる人物らしいのですが・・・
>>660 サンクスです。福島家は
1正則┬忠勝─正長┬3正勝…
└2政利 └山名隆豊
こうなる訳ですね。
旗本になったのは兄貴正勝のほうだったのか。
662 :
日本@名無史さん:04/05/27 23:38
>>236 >>244 孫引きですが、鈴木真年「諸系譜」の荒木系図には、荒木氏綱は荒木村重、荒木元清の従兄弟と書いてあります。
荒木氏綱の子孫が化猫騒動の三春藩荒木家となります。
どこまで正しいのかよくわかりませんが、参考の為に書いておきます。
荒木高村より次のように別れます。
高村ー氏義(隼人佐)ー氏綱(小太郎、山城守。丹波園部城主。仕波多野。後、仕明智光秀。天正十年山崎合戦討死)ー高兼(民部大輔)(以下236の三春藩荒木家系図に続く)
高村ー重元(美作守)ー元清(志摩守。花隈城主)ー元満(十左衛門。仕家康、千五百石)
高村ー義村(信濃守。池田六人衆の一員)ー村重(信濃守、摂津守。伊丹城主)
また、鈴木真年は荒木氏綱と荒木行重は一族だが別人としています。
三春猫騒動については
http://www.soyusya.com/rekishi/pages/sakuhin.html 【作品を読んでいただく前に】
三春で古くから伝えられる、悪家老によるお家乗っ取り事件。
そして、それに端を発した「化け猫騒動」の伝説。
しかし、実際に猫が化けることなどは、あり得ない。
では実際の事件は何であったのか?
それらを、歴史の事実から書き起こした小説。
>>662 荒木家は少々込み入った展開になってきていますね〜
>>643で再度採り上げた森の方も、「血統研究所」では
まだ話が終っていないようですし、もう少し様子を見
ましょう。
さて…予定から大幅に遅れて、昨日ようやっと下書きをコンプリート致しました。
\(^o^)/バンザーイ
しかし休日になって図書館に行けるのは少なくともあと二週間後になりそうです。
そこで、
>>658-659などで告げましたように、いくつかの簡単な系図の下書きを
うpして、各位に校正を請い願いたく思います。
脇坂家 【下書き】
堀田正盛┬正信―正休―正朝―正陳─9安親─10安董─11安宅─12安斐─?
1安治─2安元→└3安政─4安照─5安清─6安興┬7安弘
└8安実
1〜2伊予大洲→2〜3信濃飯田→3〜12播磨龍野藩主家
3安政は堀田正盛の2男
9安親は近江宮川藩主堀田正陳の4男
-------
簡単に実系図っぽくできました(笑)
毛利(高久)家 【下書き】
1高政─2高成─3高直─4高重→┌5高久
久留島道清┴6高慶─高通─7高丘─8高標─9高誠─10高翰─11高泰─12高謙─?高範─?
1〜12豊後佐伯藩主家
鳥居家 【下書き】
1忠政┬2忠恒
└3忠春─4忠則┬5忠英
└6忠瞭─7忠意─忠見─8忠熹┬9忠威
└10忠挙┬11忠宝
└12忠文─?
1陸奥磐城平→1〜2出羽山形→3〜4信濃高遠→5能登下村→5近江水口→5〜11下野壬生藩主家
鷹司家 【下書き】
1信清─2信友┐→3信有─5信成─7信敬─房府─8信任→9信発→10吉井信謹─?信宝─?
└4信明─6信充
1〜10上野吉井藩主家
3信有は紀伊和歌山藩主徳川(紀伊)宗直の4男
9信発は松平維賢(美作津山藩主松平(越前)康哉の子)の3男
10信謹は出羽米沢藩主上杉斉憲の5男
西尾家 【下書き】
酒井重忠─1忠永─2忠照─3忠成─4忠尚
||
京極高豊┬女子
└高或─5忠需─6忠移=7忠善─8忠固→9忠受─10忠篤─?
1〜2常陸土浦→2〜3駿河田中→3信濃小諸→3〜10遠江横須賀→10安房花房藩主家
5忠需は讃岐丸亀藩主京極高或の2男
7忠善は常陸笠間藩主牧野貞長の4男(室は6忠移女)
9忠受は播磨姫路藩主酒井忠学の養弟
-------
9忠受の実父がわかりません。
山口家【下書き】
1重政─2弘隆┬3重貞
└重治─4弘豊┐→5弘長
└6弘道┐→7弘務
└8弘致┬9弘封
├10弘穀
└11弘敞─12弘達─?
1〜12常陸牛久藩主家
5弘長は和泉大庭寺藩主渡辺基綱の3男
7弘務は越後新発田藩主溝口直温の7男
三宅家【下書き】
1康貞─2康信─3康盛─4康勝─5康雄┬6康徳─7康高─11康友┬12康和
│ ├13康明→14康直
│ └友信─15康保─?康寧─?
└大給近貞─8康之┬9康武
└10康邦
1〜2三河挙母→2〜3伊勢亀山→3〜4三河挙母→4〜15三河田原藩主家
8康之は豊後府内藩主松平(大給)近貞(5康雄の3男)の2男
14康直は播磨姫路藩主酒井忠実の9男
三浦家【下書き】
1正次─2安次─3明敬┬4明喬─6明次─8前次─10誠次┬11峻次
└5義理─7矩次─9毘次 ├14弘次─15顕次
└12義次→13朗次
1〜3下野壬生→3日向延岡→3〜5三河刈谷→5〜6三河西尾→6〜15美作勝山→15美作真島藩主家
13朗次は越前丸岡藩主有馬誉純の子
朽木家【下書き】
1稙綱─2稙昌┬3稙元┬4稙綱
│ └迪綱─7綱貞─9昌綱─11綱方
└5稙治→6玄綱─8舖綱─10倫綱─12綱条→13綱張─?綱貞─?
1〜2常陸土浦→2〜13丹波福知山藩主家
6玄綱は美濃岩村藩主松平(大給)乗紀の5男
13綱張は近江膳所藩主本多康禎の子
建部家【下書き】
光重─1政長┬2政明
└3政宇─4政周─5政民┬6長教
└7政賢─8政醇┬9政和
└10政世─?秀隆─?
1摂津尼崎→1〜10播磨林田藩主家
---------
有馬(則頼)家のこともあり、政長の上の光重も表記しています。
間部家【下書き】
清貞┬1詮房
├詮貞─3詮方┬4詮央
└2詮言 └5詮茂─6詮熙┬7詮允
└8詮勝┬9詮実
└10詮道─11詮信─?
1上野高崎→1〜2越後村上→2〜10越前鯖江藩主家
遠山家【下書き】
1友政─2秀友─3友貞─4友春┬5友由─6友将
└7友央┐→8友明─10友随
└9友清─友福─11友寿─12友詳(友禄)─?友梯─?
1〜12美濃苗木藩主家
8友明は常陸府中藩主松平(水戸)頼明の3男
田沼家【下書き】
意行┬1意次┬意知┬2意明
│ │ ├3意壱
│ │ └4意信
│ └6意正┬7意留
│ └8意尊─?
└意誠─5意定
1〜2遠江相良→2〜6陸奥下村→6〜8遠江相良→8上総小久保藩主家
---------
5意定ですが、1意次の甥とも甥の子ともあり確認できていません。
あと8意尊以降ですが、
8意尊─意斉─望─正
8意尊─千恵子─貢二─道雄(弟あり)─登(弟あり)
という話があってどちらが本家なのかわかりません。
五島家【下書き】
宇久盛定┬純定┬純尭─五島純玄
│ └1玄雅
└盛重─盛長─2盛利─3盛次─4盛勝─5盛暢─6盛佳─7盛道─8盛運─9盛繁─10盛成─11盛徳─?盛主─?
1〜11肥前福江藩主家
-----------
実に美しい一族支配です(笑)
中川家【下書き】
1秀成─2久盛─3久清─4久恒─5久通─6久忠→7久慶→8久貞─久徳─9久持→10久貴→11久教→12久昭─?13久成─?
1〜12豊後岡藩主家
7久慶は安芸広島藩主浅野綱長の16男
8久貞は下総古河藩主松平(大河内・長沢)信祝の2男
10久貴は大和郡山藩主柳沢保光の5男
11久教は近江彦根藩主井伊直中の4男
12久昭は伊勢津藩主藤堂高兌の2男
------------
13久成は先代の実子なのか養子なのか不明。
土岐家【下書き】
1定義─2頼行─3頼殷─4頼稔┬5頼熙
└6定経┬7頼寛
├8定吉
├9定富─15頼知─?
└10頼布→11頼潤┐→12頼功
└13頼寧→14頼之
1〜2摂津高槻→(2下総相馬郡)→2〜3出羽上山→3大坂城代→3〜4駿河田中→4〜15上野沼田藩主家
11頼潤は備後福山藩主阿部正倫の5男
12頼功は信濃飯田藩主堀親長の9男
14頼之は伊勢桑名藩主松平(久松)定永の9男
平野家【下書き】
1長泰─2長勝→3長政─4長英→5長暁=6長里─7長純─8長興─9長発─10長裕─11長祥─12長克─13玉麿
1〜10交代寄合→10大和田原本藩主家
3長政は七沢清宗の長男
5長暁は平野長直の3男(多分、分家)
6長里は内田正編(下野鹿沼藩主内田正偏?)の2男
---------------
七沢清宗、平野長直、内田正編不明。
確か山崎家に養子に行ってた人がいましたか…えっと、治正。
血縁関係は
平野長興
||──┬平野長発
山崎義徳─女子 └山崎治正
生駒家【下書き】
1高俊┬2高清 丹羽高覧┬高庸─長貴─10親孝
└3親興┬4正親 └7親信 ||
└5親猶┬6親賢 || ||
│ || ||
└親芳───女子 ||
||─9親章─女子
8親睦
奥平昌高┬11親愛
├12親道┬13親敬=14親承
│ └道洽─道顕─18道孝─19道敬─20一敬
│
└池田慶政─15親忠┬16慶男
└17光男
1出羽矢島→2〜13交代寄合→13出羽矢島藩主家
7親信は陸奥二本松藩主丹羽高覧の子(妻は6親賢養女、親芳女か津田信成女)
8親睦は駿河田中藩主本多正矩の7男(妻は6親賢養女、親芳女か津田信成女)
10親孝は陸奥二本松藩主丹羽長貴の子(妻は9親章女)
11親愛は豊前中津藩主奥平昌高の子(妻は松平忠馮女)
14親承は生駒俊徳の長男(妻は13親敬の長女)
15親忠は備前岡山藩主池田慶政(豊前中津藩主奥平昌高の4男)の4男(妻は14親承の2女)
---------
生駒俊徳不明。
榊原家【下書き】
1康政┬大須賀忠政─3忠次─4政房─5政倫→┌6政邦─7政祐
└2康勝 榊原勝直┴勝治─8政岑─9政永─10政敦─11政令┬12政養
├13政愛
└政賢─14政敬─?
1〜3上野館林→3陸奥白河→3〜5播磨姫路→5〜6越後村上→6〜9播磨姫路→9〜14越後高田藩主家
6政邦は一門榊原伊織勝直の長男
-----------
榊原勝直不明。
水野家【下書き】
忠政┬忠守┬守重─守正─守重─守満─c7忠任→c8忠鼎─c9忠光─c10忠邦─c11忠精─c12忠弘─?
│ └忠元─c1忠善─c2忠春┬c3忠盈
│ └c4忠之─c5忠輝─c6忠辰
│
├忠分─e1重央┬e2重良─e3重上→e4重期
│ └重央─定勝─重矩┬忠伸─守鑑─e7忠実─範明─e8忠啓─e9忠央┬e10忠幹─?
│ └e5忠昭─e6忠興 └a9勝任→a10勝知
│
└忠重┬勝成─勝直─a1勝長─a2勝政┬a3勝庸
│ └a4勝前─a5勝起→a6勝剛─a7勝愛─a8勝進─a11勝寛─?忠愛─?
│
└b1忠清┬b2忠職─b3忠直┬b4忠周─b5忠幹┬b6忠幹
│ │ └b7忠恒
│ └忠穀─b8忠友=b9忠成┬b10忠義┬b11忠武
│ │ └b12忠良
│ └忠紹─b13忠寛─忠明┐→b14忠誠
│ └b15忠敬─?
└忠増─忠位→d1忠定─d2忠見─d3忠韶→d4忠実─d5忠順─?
a1〜11下総結城藩主家
b1三河刈谷→1三河吉田→1〜7信濃松本→8〜15駿河沼津→15上総菊間藩主家
c1駿河田中→1三河吉田→1〜7三河岡崎→7〜10肥前唐津→10〜11遠江浜松→11〜12出羽山形→12近江朝日山藩主家
d1〜3安房北条→3〜5上総鶴牧藩主家
e1〜10紀伊和歌山藩付家老→10紀伊新宮藩主家
a6勝剛は豊後岡藩主中川久貞の3男
a10勝知は陸奥二本松藩主丹羽長富の8男
b9忠成は旗本岡野肥前守知暁の2男
b14忠誠は三河岡崎藩主本多忠考の4男
c8忠鼎は安芸広島藩主浅野宗恒の2男
d1忠定は伊勢桑名藩主松平(久松)定重の10男
d4忠実は出羽庄内藩主酒井忠徳の2男
e4重期は新庄与惣右衛門直恒の子
-------
岡野肥前守知暁、新庄与惣右衛門直恒が不明。
久世家【下書き】
1広之─2重之┬3暉之
└広籌=広武─4広明─5広誉─綏之─6広運→7広周┬8広文
└9広業─?
1〜2下総関宿→2備中庭瀬→2丹波亀山→2三河吉田→2〜9下総関宿藩主家
4広明は分家久世広武の長男
7広周は旗本大草高好の子
----------
久世若狭守広武、大草安房守高好。
やはりわかりませんが、いづれも養子で元々この名字ではなかったようです。
戸沢家【下書き】
1政盛─2正誠→3正庸┬4正勝
└5正ェ┬6正産
└7正良→8正親─9正胤─10正令─11正実─?
1〜11出羽新庄藩主家
3正庸は家臣楢岡兵右衛門友清の4男
8正親は一門戸沢正備の長男
-------------
楢岡兵右衛門友清、戸沢正備不明。
森川家【下書き】
1重俊─2重政─3重信─4俊胤─5俊常→6俊令─7俊孝→8俊知→9俊民─10俊位→11俊徳→12俊方─?恒─?
1〜12下総生実藩主家
6俊令は分家森川重良の2男
8俊知は分家森川俊輝の長男
9俊民は旗本松平忠?の7男
11俊徳は石川総知の2男
12俊方は出羽松山藩主酒井忠方の2男
---------
森川重良、森川俊輝、松平忠?、石川総知不明。
流れの割に不明部分が多く、何とも面倒くさい家です。
仙石家【下書き】
1秀久┬久忠─久治─政治─5政房→6政辰→7久行─8久道┬9政美
└2忠政─3政俊─忠政─4政明 └10久利─?11政固─?
1〜2信濃小諸→2〜4信濃上田→4〜11但馬出石藩主家
6政辰は一門分家旗本2700石仙石政因の7男
7久行は一門分家旗本2000石仙石久近の3男
-----
仙石政因、仙石久近不明。
毎度お馴染み「分家リカバー」が、この家にもあります。
本庄家【下書き】
宗正┬道芳─道高─a1道章─a2道矩→a3道倫→a4道堅
│ 大河内信祝┬信復─a6道揚→a7道利─a8道昌→a9道貫─a10道美─?寿巨─?
│ └正温┬a5道信
│ └b6資承┬b7宗允─b9宗秀─b10宗武─?
│ └b8宗発
└b1宗資─b2資俊→b3資訓─b4資昌→b5資尹
a1〜10美濃高富藩主家
b1〜2常陸笠間→2〜3遠江浜松→3三河吉田→3〜4遠江浜松→4〜10丹後宮津藩主家
a3道倫は旗本松平登之助信晴の子
a4道堅は信濃小諸藩主牧野康周の2男
a5道信は三河吉田藩主松平(大河内・長沢)信復の弟松平正温の2男
a6道揚は三河吉田藩主松平(大河内・長沢)信復の子
a7道利は松平対馬守信直の2男
a9道貫は上野吉井藩主松平(鷹司)信明の子
b3資訓は旗本寄合3千石佐野信濃守勝由の2男
b5資尹は出羽庄内藩主酒井忠寄の7男
---------
松平登之助信晴、松平対馬守信直、佐野信濃守勝由不明。
晴信、信直はおそらく大河内家のものでしょう。
丹後宮津藩主家と同じところを入れ替わり立ち替わりしている家ですから。
そうすれば「前の藩主の血筋」という継続性がでてきますし。
本多家にもありましたが、養子藩主ってこんなケースもあるのですよね…。
松平(松井)家【下書き】
康親─1康重─2康映─3康官─4康員→5康豊─6康福→7康定→8康任┬9康爵
└10康圭─11康泰→12康英→13康載─?14康義─?
1常陸笠間→1丹波篠山→1〜2和泉岸和田→2播磨山崎(宍粟)→2〜6石見浜田→6下総古河→6三河岡崎→6〜9石見浜田→9〜12陸奥棚倉→12〜13武蔵川越藩主家
5康豊は分家松平(松井)金七郎康郷の長男
7康定は前田房長の3男で分家300石松平(松井)康敬の嗣子→宗家
9康爵は分家松平(松井)康道の長男
12康英は分家松平(松井)信濃守康功の子
13康載は信濃松本藩主戸田丹波守光庸の6男
---------
またもや「分家リカバー」があります。メンドクサー
どうやら皆300石立ての同じ家から来ているようですが。
…ところで前田房長って誰でしょうか?最上頼経の妻の父だそうですが。
米倉家【下書き】
1昌尹┬2昌明─3○─4忠仰─5里矩
└昌伸(昌仲)=昌倫┬昌長=昌盈─8昌由→9昌俊→10昌寿─11昌言─?
└6昌晴─7昌賢
1〜4下野皆川→4〜11武蔵金沢→11武蔵六浦藩主家
6昌晴は旗本3千石米倉昌倫の2男
8昌由は旗本3千石米倉昌盈の2男
9昌俊は肥前唐津藩主水野忠鼎の4男
10昌寿は丹波福知山藩主朽木昌綱の3男
---------
『徳川旗本八万騎人物系譜総覧』を用いて繋げてみました。
以上、簡単な系図だけ下書きを連ねさせて戴きました。
水野家だけは少々複雑ですが、血筋だけはほぼ把握できた
ので例外として載せました。残るは戸田、酒井、小笠原、堀…
といった家ですが、いづれも複雑な上、不明点も随分ありまし
たので、今回は載せませんでした。
最後に、この下書きでは、例によって明治以降の流れと
婚姻関係を殆ど把握できていません。よろしくお願い致し
ます。
おまけ。
武田宗家(高家、従四位下 大膳大夫)
01信玄─02信親(竜芳)─03信道(道快)─04信正─05信興─06信安┐
┌─────────────────────────────┘
└=07信明─08護信─09信典=10信之─11崇信─12信任─13要子┐
┌────────────────────────────┘
└=14信保─15昌信─16邦信─17英信
07信明は柳沢伊信 (越後三日市藩主柳沢里之の3男信尹?)の子
10信之は大和郡山藩主柳沢保光の48子
14信保は大和郡山藩主柳沢保申の3男
>>691 >…ところで前田房長って誰でしょうか?最上頼経の妻の父だそうですが。
松平(松井)金七郎康郷の3男で高家前田玄長(1400石)の養子です。
>>6699忠受の実父がわかりません。
姫路藩主酒井忠実の12男で、母は6忠移の娘・隆姫。
>>690松平登之助信晴、松平対馬守信直、佐野信濃守勝由不明。
松平信晴は旗本溝口直道の子で新発田藩主溝口直温の兄。血は繋がってなさそう。
こんにちは。
一気にきましたね。お疲れ様です。
検証の方も期待しています。
少々口が出せそうです。
まず田沼家。
>8意尊─意斉─望─正
>8意尊─千恵子─貢二─道雄(弟あり)─登(弟あり)
とありますが、これはどちらも本家のようですよ。
11忠千代
‖
8意尊─10,12智恵
‖┬14正
13望└15貢ニ─16道雄
9意斉は武蔵岩槻藩主大岡忠恕の5男
11忠千代は伊予宇和島藩主伊達宗城の5男
13望は伏原宣諭の2男
系図がずれていたらすいませんです。
それから森川家。
「平成新修旧華族家系大成」によると
9俊民は肥前島原藩主松平忠馮の7男とあります。
生駒家は維新以後が分からないんですよね・・・
大名になっていると思わなかったもので、メモしてませんで。
36さんにキラーパスしたいところです。
その出所はたぶん結婚相談所のこのレス(弟あり)って書いてるし
血統研究所<勝利の方程式>
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1075048855/l50 619 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/03/19(金) 18:00
田沼家は今も続いてるよ、意尊以降複雑な家督継承をしてるけど。
現在の田沼家と直接血縁関係のない当主を省くとこうなる。
田沼意次−意正−意留−意尊−千恵子−貢二−道雄(弟あり)−登(弟あり)
だだし爵位を受け継いでいた系統は一人娘が嫁いでいて男子は居ない。
「断絶」ってのはこのことを指してるんじゃないかな。
田沼の系図等は田沼子爵の娘の嫁いだ朝比奈家と田沼道雄さんの両家に伝わっている。
田沼家補足させて下さい。
「平成新修旧華族家系大成」によると
5意定の実父は田沼意至となってます。
11忠千代は伊予宇和島藩主伊達宗城の5男で後の瀧脇信廣(子爵)
「平成新修旧華族家系大成」の瀧脇家(子爵)では、
瀧脇信廣を伊予宇和島藩主伊達宗城の6男と書いてありますが、
田沼忠千代と同一人物です。
田沼、瀧脇の両家の系図に於いて伊達宗城の五男、六男で違っているのは
伊達宗城の養嗣子伊達宗徳が人数に入ってるか入っていないかの違いだと思います。
みなさま、ありがとうございました。
>>699 ええ、そのとおりです。
特に明治以降はわからないので、あちらのスレに書き込みがあった
場合には、積極的に使わせて貰っています。田沼家の場合、あと
「諸家系譜」HPを参考にしましたが、喰い違いが出て確認できない
ままになっていました。
>>700 前スレで書かれていた久松家の系図を既に纏めていますが、「○男」
の部分で多々喰い違いが発生したので非常に気になっていましたが、
その「養嗣子」をカウントしているかしていないかの問題があったのですね。
一通り終ったら、その点を全て洗い出すことが重要な課題となりますね。
というよりも、カウントするかしないかを、まず規定しておかないといかん・・・
702 :
日本@名無史さん:04/05/30 23:58
>>1>>25 どうもありがとうございます!何とか復帰できそうです。
本当は昨日カキコする予定でしたが、本を開いて横になった途端に
どうやら眠ってしまったようです…w
さてまずは1さんからのキラーパスをやっつけてしまいましょうw
生駒俊徳という人名は生駒家支流に見出せます、生駒高俊次男の俊明が
分家して出羽国由利郡内2000石の旗本になってます。
俊明以降は俊定(親興次男)─俊民─俊矩と続き寛政期に至りますが、
この系統の幕末期の当主に俊徳がいます。俊徳は松平家からの養子だそうですが
どの松平からきたのかわかりません。恐らく親承の実父ではないでしょうか。
俊徳の跡は親承の弟、孝七郎が継ぎ、その子俊隆・節夫は戦病死したということです。
次に25さんへ。
前田房長の属する前田家は695さんも触れていますが所謂高家の1つです。
初代前田玄長は公家である押小路公音次男で、以下
玄長(養子、695さんレス参照)─清長─珍長─長皓(先代弟)─長義─長徳─長礼
と続いてます。
わたしもオマケを出しますねw
米沢武田家系図
信清(武田信玄6男)─時信─信秀─信安─信合─信久─信福─
信順─信明─信篤─大勝─信一─茂
707 :
日本@名無史さん:04/05/31 09:44
武田光信って人がむかし同級生にいました。武田家の嫡流といわれていましたが、真偽のほどはわかりません。
∧二∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
┌┐ (´∀` ) < 騎馬軍団も戦車には敵うまい
_ ___」_|‐――┐ーーy \__________
.〇) )))二二二二二))___) | || | |\
 ̄ / /▽二ニ| | | .| | V
/ (__lニニニニニニニl_| | | | |
// / /  ̄ /| |≡|
___/◇  ̄ /Θ)__|_|
‐―∠――――――――‐/‐―‐> ^9 ̄()
|――| 册册册册册册册 ||――‐| /))/
{===ll >―――――――|{==={) ())/
λ===>/ λ===> /
\\ 武 田 騎 馬 軍 団 い ざ 出 陣 ! //
\\ //
/ 侵 其 ミ
巛∧ ∠⌒∧ 巛∧ ∠⌒∧ 巛∧ ∠⌒∧ / 掠 疾 ミ
/ ・ ミ (゚∀゚ ) / ・ ミ (゚∀゚ ) / ・ ミ (゚∀゚ ) / 如 如 ミ
(_/\ ⊂ | (_/\ ⊂ | (_/\ ⊂ | / 火 風 ミ
( | / ⌒ Y ( | / ⌒ Y ( | / ⌒ Y / ミ
巛∧ ∠⌒∧ 巛∧ ∠⌒∧ 巛∧ ∠⌒∧ / 不 其 ミ
/ ・ ミ (゚∀゚ ) / ・ ミ (゚∀゚ ) / ・ ミ (゚∀゚ ) / 動 徐 ミ
(_/\ ⊂ | (_/\ ⊂ | (_/\ ⊂ | / 如 如 ミ
( | / ⌒ Y ( | / ⌒ Y ( | / ⌒ Y / 山 林 ミ
巛∧ ∠⌒∧ 巛∧ ∠⌒∧ 巛∧ ∠⌒∧/〜〜〜〜〜〜ミ
/ ・ ミ (゚∀゚ ) / ・ ミ (゚∀゚ ) / ・ ミ (゚∀゚ )
(_/\ ⊂ | (_/\ ⊂ | (_/\ ⊂ |
( | / Y ( | / ⌒ Y ( | / ⌒ Y
/ | ∪_ 丿 / | ∪_ 丿 / | ∪_ 丿
\(/ / // / \(/ / // / \(/ / // /
/ / //_/ / / //_/ / / //_/
>>702 その二行コピペ色んなスレに貼ってるようだけど全然レス付かないね
711 :
日本@名無史さん:04/05/31 22:53
うちの親が「柳生博は柳生一族の本家筋出身だ」と言って
いるんですけど本当でしょうか?
712 :
日本@名無史さん:04/06/01 00:53
>>712 よかったな、皆に無視されてたからな(藁)
どーも36です、今日は水野家について。
紀伊新宮水野家
忠幹─重吉─忠武─誠
重吉の兄忠宜は陸軍歩兵少尉。明治35年八甲田山雪中行軍事件にて
遭難し亡くなってます。忠武は重吉の実兄。
沼津水野家
忠敬─忠亮─忠泰─忠和
結城水野家
勝寛─忠愛─直─勝邦─勝之
忠愛は水野忠固長男、忠固の以前の系図はわかりません。
直は水野(新宮)忠幹5男、貴族院議員を永く勤め政府と貴族院の
間を取り持つなど貴族院の実力者でした。
山形水野家
忠弘─忠美─忠款─忠俊
忠美は忠弘の弟。
続いて中川家。
久昭─久成─久任─久順─久定
久成の弟久知は昆虫学者、米の害虫駆除等に優れた研究成果を残している。
久任は浅野(広島)懋績8男。
もういっちょ、土岐家。
頼之─頼知─頼敏─章─実光
章は頼敏の弟、陸軍政務次官などを務めた。
章が沼田に建てたドイツ風の家屋は現在沼田市の所蔵となり
公開されている。
今日のお ま け
斎藤家(旗本、近江国内6000石)
三存─三友─三賢─三政─三安─三益─三英─三宣─三理─三義─三孝(春三郎)
初代三存は斎藤利三5男、春日局(斎藤福)の兄。三益は斎藤利保次男。
三理は勘定奉行・外国奉行等を勤めた。三孝は三義の弟、その子嘉門(海軍大尉)
は廃嫡となり、その弟主計は早世したため三孝の代にて当家は断絶した。
こんにちは。
数家うpしました。佐竹、鷹司、山口だったかな。
佐竹家の久保田新田藩の2義道なのですが、
江戸三百藩〜によると、佐竹東家からの養子となっています。
1義長の実子でよいのでしょうか。
36さん、毎度毎度キラーパスを受けてくださいまして、ありがとうございます(笑)
桜井松平家
1忠重─2忠倶─忠継─3忠喬─4忠名─5忠告┬6忠宝─7忠誨
└8忠栄─9桜井忠興─?
1上総佐貫→1駿河田中→1〜2遠江掛川→2〜3信濃飯山→3遠江掛川→3〜9摂津尼崎藩主家
能見松平家
1重勝─2重忠→3重直─4英親─5重栄─6重休→7親純─8親盈┬9親貞─11親明─12親良─13親貴─?親信─?
└10親賢
1下総関宿→1〜2遠江横須賀→2〜3出羽上山→3摂津三田→3豊前竜王→3〜4豊後高田→4〜13豊後杵築藩主家
3重直は信濃松本藩主小笠原秀政の3男
7親純は常陸麻生藩主新庄直詮の13男
25さんこんばんわ、36です。
松平(形原)子爵家
信興─信美─忠正
信与は『平成新修旧華族家系大成』・『三百藩藩主人名辞典』
では信興と表記してあります。
「与」は旧字体では「與」ですから間違いやすいんですけど。一体どっちなんでしょう?
忠正は加藤米男5男、信美の妹絲子が加藤米男夫人ですので、
忠正は松平信興の外孫。
桜井子爵家
忠興─忠胤─忠養─忠道
残りは滝脇、藤井、深溝松平とありますが、いづれも下書きを終えました。
大給は終っているから…
もう、無いよね…
あああああ やっと 一段落ついた……… 長かった…
25さんおつかれさまです。
松平(能見)子爵家
親貴─親信─親義─親房
>>722 いつもありがとうございます。
>>719であげたサイトの系図をもう一度見直しました。
ド真中に赤線が貫いていて見辛いのですが、「興」ではなく「與(与)」と書いています。
こういうのは結構あって、まぁ間違いのうちに入らないといえばそれまでですが、この
スレでは『平成新修旧華族家系大成』『三百藩藩主人名辞典』 に基づくことになって
いますので、「興」の字でよろしいかと思います。
滝脇松平家【下書き】
1信孝→2信治→3信嵩─4昌信=5信義─6信圭─7信友┐=8信賢→9信進
└10信書→11信敏─?
1〜11駿河小島→11上総桜井藩主家
2信治は丹波篠山藩主松平(形原)典信の2男
3信嵩は旗本6千石戸田重恒の2男
5信義は越後村松藩主堀長尭の3男(室は4昌信女)
8信賢は丹波亀山藩主松平(形原)信志の6男(室は7信友女)
9信進は出雲松江藩主松平(越前)斉恒の2男
11信敏は信濃高遠藩主内藤頼寧の4男
----------
戸田重恒不明。備後守?
>>726 滝脇松平家【補完】
「平成新修旧華族家系大成」掲載分
4昌信=5信義─6信圭─7信友┐=8信賢┐→9信進=11信敏
└10信書 └12信成→13信廣─14信鑰→15宏光─光
‖
南平次─16平人
5信義は越後村松藩主堀(奥田)長尭の2男(室は4昌信女)
8信賢は丹波亀山藩主松平(形原)信志の6男(室は7信友女)
9信進は出雲松江藩主松平(越前)斉恒の2男 (室は8信賢の実兄丹波亀山藩主松平(形原)信豪女)
11信敏は信濃高遠藩主内藤頼寧の4男(室は9信進女で10信書養女)
13信廣は伊予宇和島藩主伊達宗城の6男(5男)で田沼忠千代と同一人物
14信鑰は隠居後、分家
15宏光は古市公威4男
16平人は南平次長男で従母祖父方入籍、男子(未成年)あり
松平(形原)信志┬松平(形原)信豪─女
└8信賢 ‖
9信進
伊達の血統が入り込んでいる(入り込んだことがある)家なら
手持ちに「平成新修旧華族家系大成」の書き写しがあるので
書き込ませて頂きましたが・・かなり入り組んでいます(苦笑)
>36さん
遅ればせながら御帰還おめでとうございます。
36さんが書き込むと補完の幅が広がりますね。
豪農って伊達の話になるとここぞとばかりに出てくるね
こんにちは。
松平家分枝にも手を出してみています。
25さんの長旅ももうすぐゴールですね。
お世話になりっぱなしで、すいませんです。
あとは姻戚関係のチェックなどですね。
昨日から図書館へ行って校正を開始。
>>689より、仙石家 【改訂】
1秀久┬久忠─久治─政治─5政房
├2忠政┬3政俊─忠俊─4政明
│ └政勝─政因─6政辰
└久隆─久邦─久尚─久近─7久行─8久道┬9政美
└10久利─?11政固─?
1〜2信濃小諸→2〜4信濃上田→4〜11但馬出石藩主家
-----
きっちり血脈つなげてますた。
731 :
日本@名無史さん:04/06/06 14:19
>665
他のいくつかのサイトで
脇坂安斐は藤堂高猷の三男ってことになってますが
それと3代目に堀田家から養子を迎えていますが、女系などで初代の血ははいっているんでしょうか?
実子も別にいたようですが、どこにいっちゃったんだろう・・・
>>730より、仙石家 【改訂第二版】
8久道┬9政美
└10久利─?11政固─?
ではなく、
8久道┬9政美
├政賢─11政固─?
└10久利
でありました。
>>667より、田沼家 【改訂第一版】
意行┬1意次┬意知┬2意明
│ │ ├3意壱 11忠千代
│ │ └4意信 ‖
│ └6意正─7意留─8意尊┐→9意斉 ‖
│ └──10,12智恵
│ ‖┬14正
└意誠─意致─5意定 13望└15貢ニ─16道雄
1〜2遠江相良→2〜6陸奥下村→6〜8遠江相良→8〜9上総小久保藩主家
9意斉は武蔵岩槻藩主大岡忠恕の5男
11忠千代は伊予宇和島藩主伊達宗城の5男
13望は伏原宣諭の2男
-------------
みなさまからツっこまれまくりました田沼家(^^; 修正しました。
5意定は「意次の甥の子」で、意致の2男でした。長男は意英。
それから御指摘が無かった部分に間違いがありましたのでそこも改めました。
一つは8意尊の部分。7意留の弟ではなく子のようです。
もう一つは、最後の藩主は8意尊ではなく9意斉でした。
>>726-727より、滝脇松平家 【改訂第一版】
1信孝→2信治→3信嵩─4昌信=5信義─6信圭─7信友┐=8信賢┐→9信進=11信敏
└10信書 └12信成→13信広─14信鑰→15宏光─光─16平人
1〜11駿河小島→11上総桜井藩主家
1信孝は丹波篠山藩主松平(形原)典信の2男
2信治は旗本戸田重恒の2男(室は石川美作守女)
3信嵩は丹波篠山藩主松平(形原)信庸の6男
5信義は越後村松藩主堀(奥田)長尭の2男(室は4昌信女)
8信賢は丹波亀山藩主松平(形原)信志の6男(室は7信友女)
9信進は出雲松江藩主松平(越前)斉恒の2男(室は8信賢の実兄丹波亀山藩主松平(形原)信豪女)
11信敏は信濃高遠藩主内藤頼寧の4男(室は9信進女)
13信廣は伊予宇和島藩主伊達宗城の5男(上総小久保藩主家田沼忠千代)
15宏光は古市公威の4男
16平人は南平次の長男
---------
ご指摘のあった個所から、ここ風に少し書き直させて頂きました m(_ _)m
ところで、南平次って前にも登場してきませんでしたっけ…?
…気になったので、形原松平と滝脇松平をリンクさせてみました。
a1家信─a2康信─a3典信┬a4信利
├b1信孝→b2信治
└a5信庸┬a6信岑
├庸倫┬a7信直─a8信道─a9信彰
│ └庸孝┬a10信志┬a11信豪┬a13信正─a14信興┬a15信美
│ │ │ └寿子 ┌─女子 └絲子
│ │ └──┐ ||─┘ || ||─a16忠正
│ └庸熙─a12信義│ b9信進 11信敏 加藤米男
│ └────b8信賢
└b3信嵩─b4昌信─女子 ||─b12信成→b13信広─b14信鑰→b15宏光─光
||─b6信圭─b7信友┬女子 ||─b16平人
b5信義 └b10信書 南平次
a:形原松平家
b:滝脇松平家
--------------
形原から滝脇への一方的な供給というか、滝脇から形原への血脈の無心というか…
そんな印象を受けます。
ちなみに、a11信豪女でb9信進室となった女性は寿子…だそうです。
>448さん
どーもありがとうございます。
私も微力ながら補完計画に参加しておりますが、
藩主一門の系図は資料不足のため難渋しております。
ところで丸善仙台出版サービスセンターより出ている
『史料仙台伊達氏家臣団事典』(本田勇編集)はお持ちですか?
お持ちでしたらどのような本か紹介していただきたいのですが…
仙石家
久利─政固─政敬─久英─政恭
政固は政美弟政賢の長男、政敬は宗秩寮総裁を勤めた。
>>670より、山口家 【改訂第一版】
1重政─2弘隆┬3重貞
└重治─4弘豊┬弘倉=7弘務
├=5弘長
└6弘道─8弘致┬9弘封
├10弘穀
└11弘敞─12弘達─?
1〜12常陸牛久藩主家
5弘長は和泉大庭寺藩主渡辺基綱の3男(室は4弘豊女)
7弘務は越後新発田藩主溝口直温の7男 (室は弘倉(4弘豊の5男)女)
>>738 5弘長と7弘務に姻戚関係があった以外、変更はありません。
>>669より、西尾家 【改訂第一版】
酒井重忠─1忠永─2忠照─3忠成─4忠尚
||
京極高豊┬女子
└高或─5忠需─6忠移┐=7忠善─8忠固
└隆─9忠受─10忠篤─?
1武蔵私市→1上野白井→1〜2常陸土浦→2〜3駿河田中→3信濃小諸→3〜10遠江横須賀→10安房花房藩主家
5忠需は讃岐丸亀藩主京極高或の2男
7忠善は常陸笠間藩主牧野貞長の4男(室は6忠移女)
9忠受は姫路藩主酒井忠実の12男(母は6忠移女隆)
--------
御指摘のあった9忠受部分の変更と、「1武蔵私市→1上野白井→」を追加。
>>681より、平野家 【修正第一版】
長治┬1長泰─2長勝→3長政─4長英
└長重─長利─長直─5長暁=6長里─7長純─8長興─9長発─10長裕─11長祥─12長克─13玉麿
1〜10交代寄合→10大和田原本藩主家
3長政は七沢清宗の長男
6長里は下野鹿沼藩主内田正偏の2男
---------------
七沢清宗は不明。旗本でしょうか?
それから6長里の父「内田正編」。
『新訂寛政重修諸家譜』には「内田信濃守正編」と書いていたのですが、
内田家の個所に「正編」はいませんでした。同じ信濃守で、年代も問題
ないような「正偏」と同一人物と思われました。
鳥居家 【改訂第一版】
1元忠─2忠政┬3忠恒
└4忠春─5忠則┬6忠英
└7忠瞭─8忠意─忠見─9忠Z┬10忠威
└11忠挙┬12忠宝
└13忠文┬14忠一
└15忠博→16明
1〜2下総矢作→2陸奥磐城平→2〜3出羽山形→4〜5信濃高遠→6能登下村→6近江水口→6〜12下野壬生藩主家
--------
もうHPにうpされてしまっていますが、これにも修正が入ります。
まず、『三百藩藩主人名事典』には忠政の前の元忠から書かれていますので、代数が
一つづつシフトします。それから『三百藩藩主人名事典』には「忠熹」ではなく「忠Z」と
書かれていました。さらに藩名のところも「1〜2下総矢作→」が追加され、数字がシフトし
ています。
う…「1〜2下総矢作→」ではなく、「1下総矢作→」の誤りです。
>>680から、土岐家【修正第一版】
1定政─2定義─3頼行─4頼殷─5頼稔┬6頼熙
└7定経┬8頼寛
├9定吉
├10定富
└11頼布=12頼潤┐=13頼功┐=15頼之
└14頼寧 └16頼知┬17頼敏
└17章─18実光
1〜2下総守谷→2〜3摂津高槻→3〜4出羽上山→4大坂城代→4〜5駿河田中→5〜16上野沼田藩主家
12頼潤は備後福山藩主阿部正倫の5男
13頼功は信濃飯田藩主堀親長の9男
15頼之は伊勢桑名藩主松平(久松)定永の9男
----------
これも頭に「1定政」が入り代数がシフトします。
藩名も「1〜2下総守谷→」が追加され代数がシフト。
ところで「16頼知」ですが、これは「14頼之」の子でよいのでしょうか。
『三百藩藩主人名事典』確認時、「13頼功」の三男と書かれていたのですが。
>>687より、戸沢家 【修正第一版】
1政盛─2正誠→3正庸┬4正勝
├5正ェ┬6正産
│ └7正良
└正備─8正親─9正胤─10正令─11正実─?
1常陸松岡→1〜11出羽新庄藩主家
3正庸は家臣楢岡兵右衛門友清の4男 (母は戸沢勘兵衛清芳女)
-------------
楢岡兵右衛門友清が不明。
3正庸の岳父「戸沢勘兵衛清芳(清房)」が誰なのかは不明。
血縁関係はあるのでしょうか。
それから戸沢正備は5正ェの弟でした。
あと藩名に「1常陸松岡→」がつきます。
ただし、代数のシフトはありません。
>>679より、中川家 【改訂第一版】
1秀成─2久盛─3久清┬4久恒─5久通─6久忠
└久周=7久慶→8久貞┬久徳─9久持→10久貴
└=11久教→12久昭─13久成→14久任─15久順─16久定
1〜12豊後岡藩主家
7久慶は安芸広島藩主浅野綱長の16男(室は久周女清)
8久貞は下総古河藩主松平(大河内・長沢)信祝の2男(室は中川久虎女)
10久貴は大和郡山藩主柳沢保光の5男(室は不明)
11久教は近江彦根藩主井伊直中の4男(室は8久貞女)
12久昭は伊勢津藩主藤堂高兌の2男(室は加藤泰清女)
14久任は安芸広島藩主家浅野懋績の8男
-----------
中川久虎不明。
>>659より、山名家 【改訂第一版】
1豊国┬2豊政─3矩豊→4隆豊
└豊義─豊守─光豊─5豊就─6豊暄=7義徳─8義方=9義蕃─10義問─11義済─12義路─13義鶴=14晴彦─義晴─義信
1〜11交代寄合→11但馬村岡藩主家
4隆豊は福島正長の2男
7義徳は筑後柳河藩主立花貞俶の8男(妻は6豊暄女)
9義蕃は越前鯖江藩主間部詮茂の子(妻は8義方女)
14晴彦は越前丸岡藩主家有馬純文の4男(妻は13義鶴女京子)
>>683より、榊原家 【改訂第一版】
1康政┬大須賀忠政─3忠次─4政房─5政倫
└2康勝─勝政─勝直┬6政邦─7政祐
└勝治─8政岑─9政永─10政敦─11政令┬12政養
├13政愛
└政賢─14政敬─?
1〜3上野館林→3陸奥白河→3〜5播磨姫路→5〜6越後村上→6〜9播磨姫路→9〜14越後高田藩主家
-------
勝直は2康勝の嫡孫でした。
深溝(ふこうず)松平家
1家忠┬2忠利─3忠房
└忠隆─忠久─伊行─4忠雄→5忠俔→6忠刻┬7忠祗
└8忠恕─9忠馮┬10忠侯┬11忠誠
│ └12忠精→13忠淳
└忠篤─14忠愛→15忠和─?
1下総上代→1〜2下総小見川→2三河深溝→2〜3三河吉田→3三河刈谷→3丹波福知山→3〜7肥前島原→7〜8下野宇都宮→8〜15肥前島原藩主家
5忠俔は松平(深溝)勘解由次章の4男(室は戸田忠定女)
6忠刻は松平(深溝)勘敬(小笠原平兵衛常春の2男)の長男(室は土屋陳忠女)
13忠淳は伊予宇和島藩主伊達宗紀の3男
15忠和は常陸水戸藩主徳川(水戸)斉昭の16男(室は酒井忠発女)
--------
松平勘解由次章不明。
小笠原平兵衛常春もわかりません。旗本でしょうか。
松井家
1康重┬2康映─3康官─4康員
├康命─康雄─康納─康詮─康道─8康任┬9康爵
└康敬─康郷┬5康豊─6康福 └10康圭─11康泰→12康英→13康載─14康義─?
└前田房長─7康定
1武蔵私市→1常陸笠間→1丹波八上→1丹波篠山→1〜2和泉岸和田→2播磨山崎(宍粟)→2〜6石見浜田→6下総古河→6三河岡崎→6〜9石見浜田→9〜12陸奥棚倉→12〜13武蔵川越藩主家
7康定は高家前田房長(康郷の3男)の3男(室は6康福女)
8康任の室は7康定女
12康英は分家松平(松井)信濃守康功の子
13康載は信濃松本藩主戸田光庸の6男
------------
不明だった康郷と康道の血筋はこうなっていました。
信濃守康功はまだわかりません。
森川家
1重俊┬2重政─3重信─4俊胤─5俊常
└重頼─重良┬俊賢─俊顕─俊輝─8俊知→9俊民─10俊位→11俊徳→12俊方─?恒─?
└6俊令─7俊孝
1〜12下総生実藩主家
9俊民は肥前島原藩主松平忠馮の7男
11俊徳は石川総知の2男
12俊方は出羽松山藩主酒井忠方の2男
---------
石川総知不明。
>>736 >36さん
『史料仙台伊達氏家臣団事典』(本田勇編集)は
今年の4月に丸善インターネットショッピングに注文したのですが
残念ながら未だ手元に届いていません。
「お取り寄せ状況」を確認しても取り寄せの手配までは済んでいるようですが入荷されていないようです。
「伊達世臣家譜続編」は持っているのですが、
「伊達世臣家譜」(正編)は古本屋に出て来ないですし、
「伊達世臣家譜続編」以降の系譜も調べたいので
『史料仙台伊達氏家臣団事典』は頼みの綱なのですが・・・
いつ入荷→発送されるのでしょう?(苦笑)
こんにちは。
校正が進んでいますね。
すでにうp済みの山口家、西尾家、土岐家、鳥居家を修正しました。
(それからなぜか藤堂、土岐、徳川・松平、土井、遠山というおかしな並びになっていたので、トップページを修正しました。)
土岐家について。
16頼知なのですが、日本系譜総覧、日本名字家系大事典、平成新修旧華族家系大成によると、15頼之の子となっていましたので、このように表記しました。
それから平野家について。
日本系譜総覧の内田家の欄において、正偏の子に平野長里がいましたので、これで合っていると思います。
分家筋がわかると、壮観ですね。こういうのが快感なんです(自分が調べたわけじゃないんですが、笑)
こんにちは。
さらに榊原、戸沢、中川、平野、山名各家をうpしました。
榊原家の13政愛と政賢なのですが、政賢の方が兄のようなので、そう表記しました
(ちなみに平成新修旧華族家系大成には、14政敬の父は政礼となっていましたが、政賢と同一人物でしょう)。
それからまだうpしていませんが、松井家について。
14康義は12康英の子となっていました。どちらなんでしょうね。
さらに12康英は松井康清の長男、となっていました。
多分康功と同一人物だと思いますが、調査の参考になれば幸いです。
>>753 ありがとうございました。メモさせて頂きました。
追々調べる予定です。
あと気が付いたのですが、土岐家の系図のところだけ、
代数がシフトしてないままになっていますよ。
>>756 とりあえず知識はないが話題に加わりたかったってことなんじゃないか。
痛いヤシだな
760 :
日本@名無史さん:04/06/12 23:35
どーも36です。
>448さん
そうですか、いったいどうなってるんでしょうねえ…
仙台の図書館にあるみたいですが、私の家からは遠すぎて
見に行くことができませんな。
>>479 松平(深溝)勘敬家の系図
松平忠定─定政─忠政─忠次─重次─重良─
重矩─勘敬─常唯─常尹─勘満
以上が寛政譜からの抜粋です。
重良は戸田正吉次男、正吉の生母は重次娘。
常尹は常唯の弟、勘満は常唯次男。
以下既出の本『徳川旗本八万騎人物系譜総覧』によると
勘英─勘美─某(外記)
とあり
『探訪・江戸大名旗本の墓』(河原芳樹著 毎日新聞社刊)によると
勘友─祖英─勘義
とあり、勘義は文久3年に没したとあります。
この本は関東地方の寺にある武家の墓石を調査したものです。
朽木子爵家
綱張─為綱─綱鑑─為綱(再承)─綱貞─綱博─彰
綱鑑は本荘(宮津)宗秀7男、綱博は池田(鳥取)仲博3男。
綱貞は陸軍少将、工学博士。火薬の研究者として知られる。
本日のおまけコーナー
昔「お笑い漫画道場」という番組があってそれの最後に
車だん吉と川島なお美が出演していたのを思い出しました。
歳がバレそうですね、一応まだ二十代ですw
それはともかく、血統研究所にて触れていた旗本滝川家について
瀧川雄利−正利=利貞−具章(正利外孫、三郎四郎家初代)−平利=具英(平利の弟)=利行−具紹(平利の弟邦房外孫)=具高−具昌
具昌の後は具近─具挙─具和─具秀─具弘と続きます。
具和の兄具綏は陸軍中尉として西南戦争に出征、田原坂にて戦死しています。
>36さん
>>761 本当にどうなってるんでしょう・・・
自費出版書籍ゆえに冊数がまとまらないと出荷されないのでしょうかねぇ〜(苦笑)
ちなみに、関東圏だと東京都立川市の「立川市立中央図書館」が所蔵しているようです。
我が家からはそう遠くは無いのですが、なかなか暇が取れず、足を伸ばせません(汗)
>>764 >昔「お笑い漫画道場」という番組があってそれの最後に
>車だん吉と川島なお美が出演していたのを思い出しました。
>歳がバレそうですね、一応まだ二十代ですw
やば・・「だん吉・エバのおまけコーナー」の頃も知ってるw・・・ちなみに30代です。
かなりスレ違いですが・・
一応ググってみたら歴代おまけコーナー担当の女性タレントは
エバ(ゴールデンハーフ)→秋ひとみ→川島なお美→森山祐子
でした。
こんにちは。
>>766 スレ見てみました。
そのスレだけでも3回くらい宣伝してくれてますね(笑)
私じゃないですからね、念のため。
えーと、久松家をうpしました。
ちょっと自信のない部分もありますが、とりあえずは何とか書けました。
さきほど古本屋街をうろついていたら、寛政譜全26巻が75000円で売られていました。
確かに安くはなってるけど・・・でもまだまだ高すぎます。
1冊1000円、いや、全部で3万円なら何とか出せそうなんですがね。
お久しぶりですだ。
75000円ですか…私なら考えないでもない値段だけれど、
このプロジェクトが終ったら多分ほこりを被る事になりそう
なので( ry
たしか織田信長の子孫のスケート選手のスレ、明智光秀の子孫の歌手のスレ、武田と織田の和解のスレにも宣伝業者が来てた。なんか同じヤシ臭いね。
どーも36です
448さん
スレ違いの話題に付き合っていただいてありがとうございます。
鈴木先生と富永先生の漫画バトルは笑わせてもらいました。
1さん
hpはほとんど出来上がってますね、もうひとふんばりですな。
寛政譜は去年あたりのヤフオクで50000円の全巻セットを見た記憶があります。
これは安かったですね…
75000円なら状態にもよりますが結構お買い得な気がしますよ、
ウチの近所では100000円だったと思います。
ちなみに各家の家紋だけを集めた別冊も後から出版されてます。
図書館で必要な部分のみをコピーするのも1つの
方法ですな。
25さん
>このプロジェクトが終ったら多分ほこりを被る事になりそう
それでは本が可哀相な気がいたします。
大名が終わったら「旗本家の系図を現代までつなげてみるスレ」
でも立ち上げますかw
>>766 ニュー速+の戦国武将スレってなんか何時もワンパターンなんだよな。結局オラが先祖自慢スレになっちゃうのな。
あと厨房がうれしそうに日本史板で仕入れた知識を披露してるのが痛々しい。
俺の先祖は何処其処の百姓で云々って奴ね。どん百姓の話なんか誰も聞きたくないってw
大谷(本願寺)の系譜は?
>>773 (何故かはわかりませんが)前スレでどなたかが書かれてますよ。
先程、丸善より・・・
>商 品 : 丸善仙台出版サ−ビスセンタ−
> 仙台伊達氏家臣団事典
>
>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
>
><<お知らせ>>
>
> 「品切れ・重版未定」の旨、仕入先より連絡が入りました。ご希望にお応え出
> 来ず、まことに申し訳ございませんが、上記ご注文キャンセルとさせていただ
> きます。なにとぞご了承のほどお願い申し上げます。
とメールが届きました・・・・鬱・・・
古本屋系のサイトをあたってみてますが・・・どうでしょう??手に入るのかな・・・(苦笑)
これで・・一関藩田村家に入っている仙台藩一門筆頭石川家の系図を調べる手立てが
図書館に行くしか無くなってしまいました(汗
「伊達世臣家譜」(正編)は東京都立川市の「東京都立多摩図書館」が所蔵、
「仙台伊達氏家臣団事典」は東京都立川市の「立川市立中央図書館」が所蔵しているので
暇な時にでも立川市まで遠征してみるつもりです。
>>772 1が三戦に立てたスレ見てみろ。ひどい事になってるから。
777 :
日本@名無史さん:04/06/18 01:16
どのスレ?
…こんなもの(↑)はさて置き。
>>770 もし個人的にやるとするならば、「高家」をテーマにしてみたいです。
寄合旗本については『KUBOの家系城郭研究所』でよく纏められて
いてお世話になったのですが、高家についてはこれといったものが
見つからなかったので…
とりあえず「仙台伊達氏家臣団事典」は古本屋サイト経由で手に入る手筈がつきました!!
数日後に手元に届きますので、修正点などが見つかるようでしたら御報告いたします。
>>770、
>>779 個人的には
“大名としては廃絶したが旗本として家名が続いた家”
辺りが面白いと思うのですが・・・
旗本だと
「寛政重修諸家譜」以降は
「寛政譜以降旗本家百科事典」で幕末までは追っかける事が出来ても
「平成新修旧華族家系大成」が使えないので
明治以降を調べるのが難しいんですよね・・
>>780 >“大名としては廃絶したが旗本として家名が続いた家”
>辺りが面白いと思うのですが・・・
ええ、そのことは意識していました。だからこそ「高家」を
調べてみたいなということを考えもしたのです。
ところで、廃絶大名といえばここをご存知でしょうか。
廃絶大名総覧
http://wolfpac.press.ne.jp/ 実のところいいますと、今まで私が描いてきた系図の多くは
ここの「華族一覧表」から溯ったものです。でもメインコンテン
ツは「廃絶大名一覧表」でして。少し誤記もありますが重宝
したサイトです。
でも、旗本の家は通常華族になっていないので、明治以降を
調べるのが難しいのは変わりませんよね…
こんにちは。
>>780 手に入りますか。よかったです。
新情報を期待しております。
「KUBOの家系城郭研究所」
「廃絶大名総覧」
「世界帝王事典」
「武将系譜辞典」あたりは私もよく見させてもらっています。
高家とか廃絶大名とかはある程度数が限られていますから
やる気も出てきますよね。
高家とかだとくだんのスケート少年につながったりもするでしょうし。
でもその前に大名が・・・(汗)
酒井、戸田、小笠原といった大きな家が残ってますからねえ。
25さん、下書きのままの系図、修正待ってますよ(とプレッシャーをかけてみる)。
どーも36です
>448さん
良かったですねえ、また本の内容を
紹介してくださればありがたいです。
実は私もこの本できれば購入したいもんで…
私は旗本だったら何でもいいですw
というか「寛政譜以降旗本家百科事典」は持ってないし
明治以降まで系図のわかる旗本は少ないと思います。
『徳川旗本八万騎人物系譜総覧』に大身旗本は歴代当主が載っています。
以前おまけで何家か書き込みましたがもうちょいとストックがありますので。
個人的には大名家の一族・家臣団の系図にも興味がありますね。
戸田家 【下書き】
【1】 政光流
憲光┬政光┬康光─宣光─忠重─a1康長┬忠光─a3光重┬a4光永─a5光熙┬a6光慈
│ │ └a2康直 │ └a7光雄┬a8光徳
│ │ │ ├a9光和
│ │ │ └a10光悌─a12光年
│ │ └光直─光言=光清─光為─a11光行─a13光庸─a14光則─?康泰─?
│ │
│ └忠政─忠次─b1尊次┬b2忠能
│ └忠次┬b3忠治(忠昌)┬b4忠真
│ │ └忠章┬b5忠余─b6忠盈→b7忠寛─b8忠翰┬b9忠延
│ │ │ └b10忠温┬b11忠明
│ │ │ ├c7忠文─c8忠行─?
│ │ │ └b12忠恕
│ │ └忠胤─忠諏┬忠従─忠偲─b13忠友─大学─?
│ │ └e6氏宥
│ │
│ └c1忠時─c2忠囿─c3忠位─c4忠言─c5忠喬─c6忠禄
│
└氏一…
【2】 氏一流
憲光┬政光…
└氏一─氏輝─氏光─d1一西─d2氏鉄─d3氏信─d4氏西┬d5氏定┬d6氏長─d7氏英→d8氏教┬d9氏庸─d10氏正┬d11氏彬
│ │ └e7氏綏 ├e8氏良─?
│ │ └d12氏共→d13氏秀─?
└e1氏成└e2氏房─e3氏之─e4氏養─e5氏興
a1下総古河→1常陸笠間→1上野高崎→1〜2信濃松本→2〜3播磨明石→3〜5美濃加納→5〜6山城淀→6志摩鳥羽→6〜14信濃松本藩主家
b1〜3三河田原→(肥後天草富岡、摂津河内)3武蔵岩槻→3〜4下総佐倉→4越後高田→4〜6下野宇都宮→6〜7肥前島原→7〜13下野宇都宮藩主家
c1〜8下野足利藩主家
d1〜2近江膳所→2摂津尼崎→2〜12美濃大垣藩主家
e1〜8美濃大垣新田(野村)藩主家
a11光行は分家旗本戸田光為の4男
b7忠寛は出羽庄内藩主酒井忠徳の子 (戸田忠余の5男?)
b13忠友は分知戸田土佐守家戸田忠偲の長男
d8氏教は上野館林藩主松平(越智)武元の2男
d13氏秀は上野高崎藩主松平(大河内・長沢)輝声の子
e6氏宥は旗本戸田忠諏の4男
>>1さんのプレッシャーに負けて吐き出してしまいました(笑)
この戸田家は不明分が『徳川旗本八万騎人物系譜総覧』に
粗方掲載されていましたので、それを用いて繋げています。
ただ、肝腎のフルチェックは済ませていません。
養子に入った戸田光清がまだ不明ですが、それ以前にこの
系図には「下野高徳藩主家」が欠けています。(この家は
下総曾我野に転封され廃藩置県を迎えています)。かの
「江戸三百藩HTML便覧」にも掲載がなく、全く調べがついて
いませんので出しかねていました…
>>784 今週の土日は仕事で埋まっているので、図書館に行けません。
少なくとも来週になるでしょうが、関西にいる義兄の見舞いで
埋まってしまうかもしれません。長々お待たせして申し訳あり
ませんが…
とりあえず、一人二人身元が不明なだけの家は後回しにして、
まずHP未掲載の大きな家のフルチェックを済ませて載せようと
思っています。残り六、七家くらいですか。一回の遠征ではこの
くらいしかできませんので…
>776
344 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2004/05/17(月) 01:06
農民つーてもいざとなりゃ強盗(落ち武者狩り)やるじゃねーかよ
つうかこういう時代だから現在では非常識なことが
当時は当たり前だってことを知らない馬鹿は出直して来い。
歴史の基本を分かっていない香具師が荒らすなヴォケ!
ここは真面目に家系や血統で検証して語るスレだ。 ←ここ突っ込んだほうがいいですかw
【HP訂正】
田村家
伊達晴宗┬輝宗─政宗─忠宗┬1宗良─2建顕=3誠顕
│ ├綱宗─宗贇─4村顕
│ └宗房─吉村┬宗村─堀田正敦─7宗顕┬8邦顕
│ ├5村隆 └9邦行─10通顕
│ └村良─6村資
└石川昭光─義宗─宗敬─宗弘─村弘─村満─村俊─村文─村任─宗光─義光┬11,13邦栄─14丕顕─15良顕─16護顕
└12崇顕
本日、「仙台伊達氏家臣団事典」が届いたので、仙台藩一門筆頭石川家を調べてみたら
石川宗恒の次代村弘は石川宗恒の先代宗弘の実子でした。よって、村弘以降は岩出山系の血統ではなく、石川昭光系の血統でした。
>>1さん非常に申し訳ない・・・かなり大掛かりな修正になってしまいました(汗)
>36さん
「仙台伊達氏家臣団事典」、はっきり言ってお薦めです。
内容は大まかに言うと、江戸時代の各家の系図、各代の治績、知行目録、武艦、廟所が解り易くまとめてあります。
着座以上の家格は準一家の本宮氏を除いて全て網羅してあり、太刀上以下もちょっとだけ掲載してありました。
各家毎に、記述内容のバラツキも見受けられますが、それは「伊達世臣家譜」でも見受けられることですし、左程気になりません。
断絶している家や史料が少ない家に関する記述が減ってしまうのは仕方が無い事ですしね。
手に入れられるようだったら手に入れるべき一冊だと思いました。
>>448さん
角田市史別巻T『修正版 石川氏一千年史』
(昭和60年12月1日発行 編集 角田市編纂委員会 発行 角田市)
大和源氏石川氏の系図ならば『源流無尽 石川系図』(石川邦光蔵本、星野恒教授
明治22年写本)と『大寺系図』(石川一族大寺氏)が参考になります。
こんにちは。
448さん、情報ありがとうございます!
早速修正しておきました。
各家の系図が載っているものよりも、伊達なら伊達に絞った系図集の方が詳しくて、信頼性がもてますね。
それから、こっそり南部家もうpしておきました。
残すところ11家になりました。
加納、久世、戸田、本庄、水野、米倉の各家は下書きがありますが、もうちょっと熟すのを待ちましょうかね(笑)
795 :
日本@名無史さん:04/06/22 00:50
お前らお百姓さんを馬鹿にするな! 毎日ご飯を食べられるのはだれのおかげだと思ってるんだ
796 :
日本@名無史さん:04/06/22 00:53
蓑(みの)着て 笠着て 鍬(くわ)持って
お百姓さん ご苦労さん
今年も豊年 満作で
お米が沢山 取れるよう
朝から晩まで お働き
蓑着て 笠着て 鍬持って
お百姓さん ご苦労さん
お米もお芋も 大根も
日本国中(にっぽんこくじゅう) 余るほど
芽を出せ実れと お働き
蓑着て 笠着て 鍬持って
お百姓さん ご苦労さん
貴方のつくった 米食べて
日本(にほん)の子供は 力持ち
誰にも負けない 力持ち
また誰も書いてない…すっかり過疎スレになったなぁ(タメイキ
今日の午後から閉館までの四時間だけ図書館で調べられま
したので、久々に再開しまつ。
>>690より、本庄家 【修正第一版】
宗正┬道芳─道高─a1道章─a2道矩
└b1宗資─b2資俊
||
┌女子
佐野勝由┴b3資訓─b4資昌→b5資尹
大河内信綱┬輝綱─信輝─信祝┬信復─a6道揚
│ └正温┬a5道信
│ └b6資承┬b7宗允─b9宗秀─b10宗武─?
│ └b8宗発
└信定─信望=信晴┬信直─a7道利─a8道昌→a9道貫─a10道美─?寿巨─?
└a3道倫→a4道堅
a1〜10美濃高富藩主家
b1〜2常陸笠間→2〜3遠江浜松→3三河吉田→3〜4遠江浜松→4〜10丹後宮津藩主家
a3道倫は旗本松平(大河内・長沢)登之助信晴(旗本溝口摂津守直道の2男)の子(室はa1道章女でa2道矩の異母妹)
a4道堅は信濃小諸藩主牧野康周の2男
a5道信は上総大多喜藩主松平(大河内・長沢)正温の2男
a6道揚は三河吉田藩主松平(大河内・長沢)信復の子
a7道利は旗本松平(大河内・長沢)対馬守信直の2男
a9道貫は上野吉井藩主松平(鷹司)信明の子
b3資訓は旗本佐野信濃守勝由の2男
b5資尹は出羽庄内藩主酒井忠寄の7男
晴信と信直はやはり大河内家の者でした。ただし信晴は婿養子ですが。
信晴の父溝口摂津守直道は
>>697で御指摘あったとおり、新発田藩主溝口直温の兄です。
a3道倫はa2道矩の異母妹の婿ですから義理の弟に相続。
b3資訓はb2資俊の室の弟ですから、やはり義理の弟に相続となる次第。
下書きでは「婚姻以外のケース」と書いてしまいましたが、実は姻族相続
だったのですた…
【HP訂正】
佐竹家。
御指摘のとおり、b2義道は佐竹将監義本の子だそうです。
『新訂寛政重修諸家譜』でもそのように書かれていました。
ただし、b1義長の娘婿でもありますので、修正時には御注意下さい。
他の部分は意義ありません。
義本の系譜を辿ろうかと思い前後の頁を捲ってみましたが、よくわか
りませんでした(汗)佐竹北家でよろしいんですよね?…血統研究所
にいけばわかるかな?
このスレのやつ全員百姓
どーも36です、何だかお久しぶりです。
>448さん
ありがとうございます、私も探してみますね。
この本は出版当時日経新聞の文化欄に出ていた
記事を読んで以来気になってました。
>25さん
佐竹義本は東家の当主にいたような気がします。
故障したPCのHDに1さんから頂いた佐竹東家の
系図があったと思いますんで、また確認しておきます。
私事で恐縮ですがこの前『尊卑分脈』を古本屋で買いました。
別巻の索引はないですが、4巻で15000円でした。
昭和30年代の本ですが箱はヨレヨレ中身はまあまあしっかりしてましたよ。
本荘子爵家
宗武─宗義─宗久─宗正
本庄子爵家
道美─久米─寿巨─兼則─英輔
久米は道美5女、寿巨は細川(宇土)行芬10男で久米の配偶者、後離縁。
兼則は伊集院兼知5男。
この2家は桂昌院の兄と弟を家祖としてますが
家名に別の漢字を使用しています。この理由をご存知の方は
ご教示お願いします。
訂正
×寿巨は細川(宇土)行芬10男で久米の配偶者、後離縁。
○久米は明治13年に死没しています、寿巨とは離縁していません。
こんにちは。
25さん、調査お疲れさまです。また編集にいそしませてもらいます。
えーと、南部家の系図がところどころ間違っていたので、修正しました
(「近世こもんじょ館」というサイトが非常に役に立ちました)。
それから佐竹家も修正しました。
義本は36さんのおっしゃる通り、東家でした。北家は誤りです。すいません。
「日本名字家系大事典」によれば、以下の系図のようになります(養子関係はなかったのか、気になるところですが)。
義治┬義舜─義篤─義昭─義重─義宣
└(東家)政義─義堅─義久─義賢─義直─義長─義寛─義秀─義本
うーん、世代的にこれで合うんでしょうかねえ。
まあ、徳川家でも紀伊と水戸では世代数がかなり変わりますから、こういうこともあるのかもしれませんが。
>>806 「日本名字家系大事典」の佐竹東家系図の続柄は正しくないです。養子が実子になってるので。
>>804 それですか…
私、それを「廃絶大名一覧」で見たとき、誤記じゃないかと思っていた
のですが、そちらの史料にも「本荘」と書かれているのですね。
桂昌院(五代将軍綱吉実母)の実家はご存知のとおり八百屋ですが、
父が死亡した後、母親と共に二条関白の家司に奉公に上がり、後に
母親は家司の後妻になっています。その家司の名が「本庄」「宗正」
もしくは「本荘」「宗政」。どっちが正しいのかまではわかりませんで
したが。
この二つの家。『三百藩藩主人名事典』ではどちらも「本庄」で、『新訂
寛政重修諸家譜』でもそうだったと記憶していますが、明治になってか
ら宮津家(弟の家)のほうだけ「本荘」になっているみたいですね。
桂昌院の兄と弟は父親が違うのかもしれません。
元々は「本荘」の苗字だったのが、大名に取り立てられたとき「本庄」と
名のり(あるいは名乗らせられ)。そして明治になってから、弟だけ宗正
(宗政)の血を受け継いでいたので、本来の「本荘」に復したと…
想像に過ぎませんが、桂昌院時代からの絡みがある気がします。
宮津藩主家をググってみましたが「本荘」と書いてある所も多いですね。
藩祖の頃から「本荘」も使っていたのでしょうか。
では、本日のお題…
藤井松平家
a1信一=a2信吉┬a3忠国─a4信之┬a5忠之
│ └a6信通─a7長恒
│
└b1忠晴┬b2忠昭─忠隆─a8信将─a9信亨┬a10信古
│ └a11信愛→a12信行─a13信宝┬a14信庸
│ └a15信安─?
└b3忠周─b4忠愛─b5忠順─b6忠済=┌b7忠学
中川久貞┴?忠徳=b8忠優(忠固)─b9忠礼─?
a1常陸土浦→2上野高崎→2〜3丹波篠山→3〜4播磨明石→4大和郡山→4〜5下総古河→6大和興留→6備中庭瀬→6〜15出羽上山藩主家
b1駿河田中→1遠江掛川→1〜3丹波亀山→3武蔵岩槻→3但馬出石→3〜9信濃上田藩主家
a2信吉は松平(桜井)与次郎忠吉の長男(室はa1信一女)
a12信行は美作津山藩主松平(越前)康哉(康致)の4男
b7忠学は旗本松平信濃守忠明(豊後岡藩主中川久貞の4男)の2男(室はb6忠済女)
b8忠優(忠固)は播磨姫路藩主酒井忠実の2男(室は分家松平英之助忠徳の女三千子)
-----------
b8忠優の室三千子は、松平英之助忠徳の娘で、b7忠学の姪だそうです。
ということはb7忠学と忠徳は兄弟…と考えられますが、本当に血が繋が
っているかどうかまでは確認できませんでした。スマソ。
811 :
日本@名無史さん:04/06/29 23:00
どなたか、豊臣家をお願いします。
「血統研究所」スレに、織田信孝氏(柏原藩主家当主)が降臨してました。
天童藩主家当主は信正氏から信弘氏に代わっているとのことで、血縁を
訊きました。
347 名前: 織田信孝 投稿日: 04/06/29 22:35
何だかみんなが無記名で書いている中、本名のまま書いているのも恥ずかしくなってきましたが、乗りかかった船ですから、
このまま、行きます。
342さんへのお答えですが、信弘君は、信正さんの弟さんの信明さんの一人息子です。
信正さんにはお子さんがなく、信明さんは、信弘君が幼少のときに亡くなったため、
引き取ったのです。で、信正さんが亡くなった後、家督を相続しました。現在、彼は
都内の精密機器メーカーに勤めています。
↑この人本物みたいだけど
名前曝け出して2ちゃんなんかに書き込んでいいのかな
酒井家
(佐衛門尉)
松平親氏─広親┬氏忠─忠勝─酒井康忠─忠次─家次
│
│ (雅楽頭)
└家忠─信親─家次─清秀─酒井正親
【1】佐衛門尉流
a1家次─a2忠勝┬a3忠当─a4忠義─a5忠真
└b1忠恒─b2忠予┐→b3忠休─b4忠崇=b5忠礼─b6忠方─b7忠良─b8忠匡─?
└a6忠寄─a7忠温─a8忠徳─a9忠器┬a10忠発┬a12忠篤
└a11忠寛└a13忠宝─?
a1下総臼井→1上野高崎→1〜2越後高田→2信濃松代→2〜13出羽庄内(鶴岡)→13出羽大泉藩主家
b1〜8出羽松山→8出羽松嶺藩主家
b3忠休は宗藩庄内藩家臣酒井図書直隆(直恭)の長男
b5忠礼は酒井忠順の長男(室はb4忠崇女)
----------------
酒井図書直隆(直恭)不明
酒井忠順不明
【2】雅楽頭流
正親┬a1重忠─a2忠世─a3忠行─a4忠清┬a5忠挙─a6忠相─a7親愛
│ └b1忠寛→b2忠告
│
└c1忠利─c2忠勝┬忠朝─d1忠国─d2忠胤─d3忠篤─d4忠大─d5忠鄰─d6忠和─d7忠嗣─d8忠一─d9忠美─?忠勇─?
└c3忠直┬c4忠隆─c5忠囿
└e1忠稠┬e2忠菊┬a8親本
│ ├e3忠武
│ ├a9忠恭┬忠仰─a10忠以┬a11忠道─a13忠学
│ │ │ └a12忠実┬忠讜─a14忠宝
│ │ │ └三宅康直─a15忠顕
│ │ └b3忠温─b4忠哲─b5忠寧┬b6忠良
│ │ └b7忠恒┬b8忠強─b9忠彰─?
│ │ └a18忠邦─?忠興─?
│ └e4忠香┬e5忠言─e6忠藎─e7忠マス─e8忠経─?忠亮─?
│ └c11忠進─c13忠義(c15忠禄)→c14忠氏─?忠道─?
└c6忠音┬c7忠存
├c8忠用
└c9忠与─c10忠貫─c12忠順
忠誨┬a16忠績
└a17忠惇
||
忠欽─┬女子
└c14忠氏
a1武蔵川越→1〜9上野前橋→9〜18播磨姫路藩主家
b1〜9上野伊勢崎藩主家
c1駿河田中→1〜2武蔵川越→2〜15若狭小浜藩主家
d1〜9安房勝山(加知山)藩主家
e1〜8越前敦賀→8越前鞠山藩主家
a14忠宝の父忠讜は[言黨](Unicode:35740)
a15忠顕は三河田原藩主三宅康直(a12忠実の9男)の2男
a16忠績は分家旗本5千石酒井忠誨の長男
a17忠惇は分家旗本5千石酒井忠誨の4男(室は酒井忠欽女)
b2忠告は遠江横須賀藩主西尾忠成の5男
c14忠氏は酒井忠欽の3男
e6忠藎は艸冠に盡(Unicode:34254)
e7忠マスのマスは[田比]
----------------
酒井忠誨不明
酒井忠欽不明
>>793 >154さん
情報ありがとうございます。
古本屋や我が家の近くの図書館だとその辺の史料は難しいかも。
東北遠征も視野に入れて探してみます。
>>794 >1さん
大名家の家臣(陪臣)レベルを調べようとすると、
やっぱり地方史の史料をあたらないとなかなか難しいですよね。
甥とか従兄弟くらいの関係で家系が受け継がれていれば左程問題ないのでしょうが、
もっと古い時点で分岐した家からの養子とかなってくると、幾つも系図を調べまくり状態ですからね。
>>802 >36さん
某伊達系サイトの管理人さんも探しているようなのですが、なかなか見つからないようです。
絶版かつ重版・再版の予定は今のところ無い様なので、入手しにくいかも知れませんね。
あれ??索引なしの「尊卑分脈」を購入されたってことは・・・
もしかしたら目をつけられていた「仙台伊達氏家臣団事典」は私が買ってしまったのかも・・???
>25さん
いつもお疲れ様です
「血統研究所」スレの“降臨”は驚きました。
以前チョコットだけ其れっぽい書き込みは確かにありましたが・・
あっちで話題をふって情報を頂いてたのは25さんですか?
>>817 >あっちで話題をふって情報を頂いてたのは25さんですか?
そうです。天童藩主家当主が変わったというのを耳にして、
これは訊かずばなるまいと思いましたので(^^;他の所に
ついては触れて頂けませんでしたが、ここが判っただけで
ヨシと(^^;。
>>814-815より、酒井家 【修正第一版】
【1】佐衛門尉流
・b5忠礼の実父は忠順でなく「駿河守忠温」と書かれていました。
「a7忠温」ではなく、雅楽頭流の「b3忠温」の方です。(資料下記)
『三百藩藩主…』では「忠順」と書かれていましたが、本当なの
でしょうか?
【2】雅楽頭流
・c14忠氏はc13忠義の娘婿でした。
・酒井忠誨ですが、安房守(阿波守?)で大目付を勤めた人物。
血統的にはこのような人だそうです。
a1重忠┬忠世─忠行┬忠清…
│ └忠能=忠佳─忠侯─忠和─忠善─弥門─忠誨
│ ↑
└忠正─忠洪─忠英─忠佳
・忠欽は「釆女」という名があったことだけ判りました。
ここがわかれば、『寛政譜以降…』で調べられそうです。
【参考資料】水野日向守本陣
http://member.nifty.ne.jp/mizunohyuga/index.htm
こんにちは。
織田信孝氏降臨は私も驚きました。
書き込みを見る限り、本物の方のようですねえ。
そういうわけで、織田家を修正しておきました。
酒井直隆は前スレの791でバロン曽志崎さんが書いています。
それによると
酒井家次┬忠勝
└了次─忠崇─重秋─直隆─忠休
だそうです。
>25さん
血統研究所にて織田信孝氏ご本人が登場されてた模様ですな。
貴重な情報を提供していただいた織田信孝氏と25さんに感謝いたします。
>448さん
まあ、気長に待ってみますよ、索引なしの「尊卑分脈」は月に何度か行く
地元の古本屋にて購入です。「仙台伊達氏家臣団事典」はホント見たことないですね、
10年近く通ってる大型店で大体在庫は把握してますんで…
因みに「三百藩家臣人名辞典」を全巻40000円にて購入したのもこの店。
思い切った買い物だったのでその後の家計は…w
上山松平家
信安─信元─信和
信安は爵位返上してますが、原因は信安自身の放蕩生活にあったようです。
上田松平家
忠礼─忠正─忠厚
忠正は土井(刈谷)忠直次男、忠厚は松平忠明の子。
忠明は立花(下手渡)種忠5男で忠正の養子、しかし家督相続
することなく離籍している。
36のおまけコーナーw
松平(上田)忠礼の弟忠厚は分家の塩崎松平家(旗本5000石)を相続。
明治維新後アメリカへ留学しそのまま定住、
測量技師としてアメリカの西部開拓事業に貢献しました。
忠厚の長男太郎は後にフィリピンにてホテル『マツダイラ・ホテル』を経営。
忠厚の次男欽次郎はメリーランド州エドモンス初代市長に就任、二期務め1963年死去。
欽次郎の子がロバート・マツダイラ氏である。
おまけの続き
塩崎松平家系図
忠容─忠常─忠明─忠徳─忠質─忠行─忠厚
忠容は忠周の子。
>ということはb7忠学と忠徳は兄弟…と考えられますが
兄弟ですね、父親は忠明。
尚、忠厚がアメリカから帰ってこなかったため塩崎松平家
は別の養子を迎えて家系を保ったということです。
その他上総一宮藩加納久宜の子久憲は大正5年にネブラスカ州へ渡り、
現地の日本人を指導、中津藩主奥平昌邁の子、昌国はフロリダ州のマイアミに
日本人村建設のため旧藩士達を伴って入植したがこれは失敗に終わっています。
おまけのおまけ。
血統研究所にて話題になったフィギュアスケートの織田信成氏は信長の七男信高
の末裔ですね、詳しい血統関係はわかりませんが、信高から数えて16代目が
信成氏。
信高─高重─ 一之─信門─信倉─信道─長孺─長裕─信貞(安政元年相続)─
(5代不明)─信義─信成
ソースは平成16年2月26日に発行されたスポーツ報知です。
記事の中で信成氏の父信義氏が取材に答えてますが、家系のことはプライバシー
にかかわるということで詳しいことはわからないです。
この新聞は私が入院しているときに病棟内で見つけて看護婦さんに
とっておいてもらったものですw
>>810より、藤井松平家 【修正第一版】
a1信一=a2信吉┬a3忠国─a4信之┬a5忠之
│ └a6信通─a7長恒
│
└b1忠晴┬b2忠昭─忠隆─a8信将─a9信亨┬a10信古
│ └a11信愛→a12信行─a13信宝┬a14信庸
│ └a15信安─a16信元─a17信和
└b3忠周─b4忠愛─b5忠順─b6忠済=┌b7忠学
松平忠明┴忠徳=b8忠優(忠固)─b9忠礼→b10忠正→b11忠厚
a1常陸土浦→2上野高崎→2〜3丹波篠山→3〜4播磨明石→4大和郡山→4〜5下総古河→6大和興留→6備中庭瀬→6〜15出羽上山藩主家
b1駿河田中→1遠江掛川→1〜3丹波亀山→3武蔵岩槻→3但馬出石→3〜9信濃上田藩主家
a2信吉は松平(桜井)与次郎忠吉の長男(室はa1信一女)
a12信行は美作津山藩主松平(越前)康哉(康致)の4男
b7忠学は旗本松平信濃守忠明(豊後岡藩主中川久貞の4男)の2男(室はb6忠済女)
b8忠優(忠固)は播磨姫路藩主酒井忠実の2男(室は分家松平英之助忠徳の女三千子)
b10忠正は三河刈谷藩主土井忠直の2男
b11忠厚は松平忠明(筑後三池藩主立花種忠の5男)の子
-----------
36さんの情報をつけたし、忠学・忠徳兄弟の父の名を改めました m(_ _)
津軽家
a1為信─a2信枚┬a3信義─a4信政─a5信寿─信興─a6信著─a7信寧─a8信明
└b1信英─b2信敏─b3政兕─b4寿世─b5著高─b6,a9寧親┬a10信順
└b7典暁→b8親足┐→b9順徳(a11順承)=a12承昭┐→a13英麿
│ └寛子─a14義孝─?
└b10承保→b11承叙─b12類橘→b13益男─?
a1〜12陸奥弘前(津軽)藩主家
b1〜7交代寄合→8〜11陸奥黒石藩主家
a11順承(b9順徳)は三河吉田藩主松平(大河内・長沢)信明の3男
a12承昭は肥後熊本藩主細川斉護の4男(室はa11順承4女常)
a13英麿は近衛忠房の2男(a12承昭の後妻近衛尹子の甥)
a14義孝は徳川(尾張)義恕(尾張名古屋藩主徳川慶勝の2男)の2男
b3政兕は[凹+儿](Unicode:20821)
b8親足は上総久留里藩主黒田直享の4男
b11承叙は津軽直記順朝の2男
b13益男は?の子
-------------
津軽直記順朝不明。
a12承昭は後に第十五国立銀行取締役となっています。
しかしこの家、明治以降は近衛・細川家とべったりで。
オヒキがあったのでしょうが、世渡り上手なのは家風なのでしょうかねぇ。
a14義孝には三人の娘がいましたが、これが各々…うーむ、ダイエーの
中内家にまで繋がっているとは…
これが完成すると、藩主の男系を溯る事が簡単にできるようになりますね。
先日ご登場なさった織田信孝さんを溯ってみると…
織田信孝→信和→信大→信親→山崎治正→平野長興→長純→長里→内田正偏→正勝→正衆→正信…
内田家に来てしまう。
内田正信は家光の小姓だった人ですが、いつの間にやら織田家にまで血筋を広げて
いたのですね。世代から歴史を感じることができて、何とも面白いものです…
HPのデータで、お遊びをw
-------------
【伊逹綱宗の子孫たち】
伊逹綱宗┬綱村
└宗贇─村年┬村候┬山口直清─直勝┬直信─宗敬─宗定┬宗起
│ │ │ └定宗┬定清
│ │ │ └(吉田伊逹)●定継
│ │ ├宗城┬(真田)幸民─幸正─幸治─幸長─●幸俊
│ │ │ ├(奥平)昌邁─昌恭─昌信
│ │ │ ├(滝脇松平)信広(田沼忠千代)─信鑰
│ │ │ ├(牧野)忠良
│ │ │ └(蒔田)広城─●広靖
│ │ └宗孝
│ └村寿┬宗紀┬宗徳─────┬宗陳
│ │ └(深溝松平)忠淳 ├(本多)康虎─猶一郎─●康忠
│ ├(蒔田)定邦 ├紀隆─宗彰─(宇和島伊逹)●宗礼
│ └宗翰 ├(丹羽)長徳─孝一─●長聡
│ └(一柳)直徳─直俊─●直智
└(青木)一貫─一貞┬重竜─重義
└一興
●は当代の主。
兄弟の順番はノーチェックなので突っ込まないで下さい(w
>>829 25さん
私の分野じゃないですか!(苦笑)
>【伊逹綱宗の子孫たち】
にすると仙台伊達の御当代が入らないのがなんとも微妙(苦笑)
酔ってる状態で書き込んでますので血統図は書き込みませんが・・
仙台伊達の御当代なんかは伊達綱宗の甥伊達吉村(伊達宗房の子)の系統なんですよね。
この系統(吉村系)からは、陸奥仙台藩伊達氏の他に
三河刈谷藩土井氏、下総古河藩土井氏、近江堅田藩堀田氏
陸奥一関藩田村氏、河内狭山藩北條氏、長門清末藩毛利氏
の歴代当主を排出しています。
現当主が、この系統(吉村系)なのは
陸奥仙台藩伊達氏、近江堅田藩堀田氏、河内狭山藩北條氏
の3家ですね。
あははは、いや、これをやると448さんが釣られてくるかなぁ(笑)というのもあったんですが、
色々系図を書いてみて「伊逹家って傍若無人に養子出しているよなぁ…どのくらいいいる
んだ?」と思い立って描いたのです。でも、傍若無人というほどでもないのですね。
この伊逹家でも随分子孫が多いわけですが、大名家に限って言えば、結局「村候」と「吉
村」の子孫だけになってしまったのですね。
こういう続いている子孫たちは、放っておいても不思議と長く続くもので…江戸時代を通
じてみると、どの家も段々一つの系統に収束していく様子がよく判ります。鍋島家のよう
な芸術的な例は説明不要ですが、他家でも男系は拡散せずいつの間にか一つの系統
が一門全体を占拠する格好になります。二、三十人くらい男子を作った人間が出現する
と当然ブレイクはしますが、数世代を経るといつの間にか消滅していたりすることもあっ
たりして。不思議なものです。
>>785より、戸田家 【修正第一版】
【1】 政光流
憲光┬政光┬康光─宣光─忠重─a1康長┬忠光─a3光重─a4光永─a5光熙┬a6光慈
│ │ └a2康直 ├光清─光為─a11光行─a13光庸─a14光則─康泰─?
│ │ └a7光雄┬a8光徳
│ │ ├a9光和
│ │ └a10光悌─a12光年
│ └忠政─忠次─b1尊次┬b2忠能
│ └忠次┬b3忠治(忠昌)┬b4忠真
│ │ └忠章┬b5忠余─b6忠盈→b7忠寛┬b8忠翰┬b9忠延
│ │ │ │ └b10忠温┬b11忠明
│ │ │ │ ├c7忠文
│ │ │ │ └b12忠恕
│ │ │ └忠舜─f1忠至─f2忠綱─?f3忠義─?
│ │ └忠胤─忠諏┬忠従─忠偲─b13忠友─大学─?
│ │ └e6氏宥
│ └c1忠時─c2忠囿─c3忠位─c4忠言─c5忠喬─c6忠禄─c8忠行─?
└氏一…
【2】 氏一流
憲光┬政光…
└氏一─氏輝─氏光─d1一西─d2氏鉄─d3氏信─d4氏西┬d5氏定┬d6氏長─d7氏英=d8氏教┬d9氏庸─d10氏正┬d11氏彬
│ │ └e7氏綏 ├e8氏良─?
│ │ └d12氏共→d13氏秀─?
└e1氏成└e2氏房─e3氏之─e4氏養─e5氏興
>>832を、さらに訂正。
b5忠余─b6忠盈→b7忠寛
ではなく、
b5忠余┬b6忠盈(3男。4男とも)
└b7忠寛(5男。6男とも)
a1武蔵東方→1上野白井→1下総古河→1常陸笠間→1上野高崎→1〜2信濃松本→2〜3播磨明石→3〜5美濃加納→5〜6山城淀→6志摩鳥羽→6〜14信濃松本藩主家
b1〜3三河田原→3肥後富岡→3武蔵岩槻→3〜4下総佐倉→4越後高田→4〜6下野宇都宮→6〜7肥前島原→7〜13下野宇都宮藩主家
c1〜8下野足利藩主家
d1〜2近江膳所→2摂津尼崎→2〜12美濃大垣藩主家
e1〜8三河畑ヶ村→8美濃野村藩主家
f1〜2下野高徳→2下総曽我野藩主家
d8氏教は上野館林藩主松平(越智)武元の2男
d13氏秀は上野高崎藩主松平(大河内・長沢)輝声の子 (室はd7氏英女)
--------
二時間かかってフルチェックを終えますた。
変更箇所は
・光清…光熙の4男。ちなみに光慈は3男、光雄は5男。
・b7忠寛…
>>834参照
・下総曽我野藩主家の追加
・c8忠行…c7忠文の子ではなく、c6忠禄の子。
・d8氏教…d7氏長の娘婿。
・「a1武蔵東方→1上野白井→」を追加。
・「→3肥後富岡→」を追加
・「e1〜8三河畑ヶ村→8美濃野村藩主家」に書き換え。
・「f1〜2下野高徳→2下総曽我野藩主家」を追加。
さすがは養子供給一家、もらう所が少ない。
>>831 25さん
もう少し釣られてみます(笑)
>この伊逹家でも随分子孫が多いわけですが、大名家に限って言えば、結局「村候」と「吉村」の子孫だけになってしまったのですね。
仙台藩支藩の陸奥一関藩田村家が唯一の例外で、伊達晴宗の息子石川昭光からの流れですね。
ちなみに家臣団で見ると、伊達忠宗の血統以外で伸び率がいいのは、
亘理元宗(伊達稙宗子)の子孫と石川昭光(伊達晴宗子)の子孫です。
あとは意外な伸びを見せているのは伊達家の外戚にあたる前沢の三沢信濃の血統ですね。
>>451でも書きましたが、出羽亀田藩岩城家の5代〜15代(12代除く)までがこの血統です。
戦国時代に出雲で尼子氏と毛利氏に挟まれ右往左往していた三沢氏の子孫が仙台藩の外戚・一門になり、
更に出羽亀田藩岩城家を血統的に乗っ取っているってのが面白いと思います。
大名家と同祖でない家臣の子孫が、別の大名家を血統的に乗っ取るってパターンは他にありましたっけ?
>>836 >大名家と同祖でない家臣の子孫が、別の大名家を血統的に乗っ取るってパターンは他にありましたっけ?
HPを総覧しましたが、該当しそうなのは
・筑前福岡藩家臣野村祐春の子・黒田長貞の系統
・出羽新庄藩家臣楢岡友清の子・戸沢正庸の系統
あと、何度か話題になってますが、
・陸奥三春藩家臣荒木高村の子・秋田頼季の系統
ですか…
家臣でなくて旗本ならば
・旗本石河貞通の子・内田正容の系統
・旗本伊丹勝長の子・大村純長の系統
などがあります。
中には
・公家園基祥の子・細川利文の系統
というのも。
838 :
日本@名無史さん:04/07/04 10:10
徳川家康ー徳川慶喜ー松平健ーマツケンサンバ
「オーレー オーレー♪マツケンサンバ♪オーレー オーレー♪マツケンサンバ♪」
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ´∀`)
⊂ つ⊂ つ
.人 Y 人 Y
し'(_) し'(_)
「あぁ 恋せよ アミーゴ♪踊ろう セニョリータ♪」
∧_∧ ∧_∧
(・∀・ ) (´∀` )
⊂、 つ⊂、 つ
Y 人 Y 人
(_)'J (_)'J
「眠りさえ忘れて 踊り明かそう♪サーンバ ビバ サーンバ♪」
∧_∧ ∧_∧
( ・∀・ ) ( ´∀` )
( つ⊂ ) ( つ⊂ )
ヽ ( ノ ヽ ( ノ
(_)し' (_)し'
「マ・ツ・ケ・ン サーンバー♪オレ♪」
∧_∧ ∧_∧
∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩
〉 _ノ 〉 _ノ
ノ ノ ノ ノ ノ ノ
し´(_) し´(_)
840 :
日本@名無史さん:04/07/04 20:50
これっていったいどんなスレなの?
晋氏。
検索をかけてみると、先日義孝氏妻久子さんが亡くなって
久子さんの「孫で養子」という話になっているようですが・・・この話、
「血統研究所」かどこかで少し話題になっていませんでしたっけ?
津軽義孝氏の娘さんたちは…
長女:泰子 西田幾久彦 (日本ゴルフ協会理事、元東京銀行常務)妻
次女:美枝子 山田英夫(元凸版印刷常務)妻
三女:?
四女:華子 常陸宮正仁妃
ですが・・・さて、どなたの末なのでしょう。
どーも36です。
津軽順朝は弘前藩津軽家一門筆頭家老の出身です。
信隆─政朝─寿朝─朝喬─健朝─朝久─朝儀─朝定─順朝
信隆は藩主信枚3男、政朝は藩主信義4男、寿朝は一町田森貞の子
で一町田森貞は信隆の子、朝久は先代の弟、朝儀は津軽(黒石)著高
の弟です。
こんにちは。
36さんありがとうございます!早速津軽家、修正しておきました。
846 :
日本@名無史さん:04/07/06 23:45
こんにちは。
戸田家をうpしました。
6家もある割にほんとに養子が少ないですねえ。
あ、松本藩主家の現当主英冠氏は婿養子のようですが、実父をメモるのを忘れてしまいました。
どなたかフォローしていただけたら、よろしくです。
それから
>>846さん。
伊丹氏って大名だったのですね。知りませんでした。
うちのホームページを修正しておきました。情報ありがとうございました。
はじめまして、いつもこちらのスレをROMさせて頂いているものです。
さて、私は今、松平(久松)対馬守家の系譜を調べています。
この家は、伊予松山藩より内分された寄合旗本で、
下野・上野国内500石/内分2500俵の家です。
初代は定澄で延宝2年に分与されました。
この家系の初代定澄(左大夫)、2代定員(小十郎)、8代勝実(豊後守)の出自をご存知の方が、
いらっしゃいましたら、ご教示願います。宜しくお願い致します。
>>848 【左大夫定澄】 初代三河刈谷定政(定勝の5男)の2男
【小十郎定員】 四代久松康元家・康尚の5男(長男主税、次男忠充、三男良重、四男良兼、六男園右衛門)
【豊後守勝実】松平勝安の子、下記。詳しくは
>>1さんが知ってるかも。
俊勝┬定員…(家臣へ)
├康元─忠良─康尚─2定員
├康俊…(下総多古)
└定勝┬定行…(伊予松山)
├定綱…(陸奥白河・伊勢桑名)
├定実─定之─定員─定蔵─定寅─定朝─勝安─8勝実─定謨(伊予松山藩主)
├定房…(伊予今治)
└定政─1定澄
こんにちは。
>>848さん。系図としては25さんの書かれた通りです。
ただ、手元の資料では勝実は7代となっているんですが。
1定澄=2定員─3定卓─4定胤=5定謐(伊勢長島藩主増山正贇の8男で女婿となる)─6定寧=7勝実
私が調べるときに誰か見落としたのかも知れませんね。
勝実の出自は、25さんの記載通りですが、補足するとこんな感じです。
定勝─定実─定之┬定由─定相
└定員─定蔵(定相の養子となる)─定寅─定朝─勝安─勝実
以上、ほぼ前スレ171からのコピペでした・・・
「血統研究所」で織田家系図を校正してもらいましたが、以下の指摘がありました。
・天童藩主信学の六男は、「寿恵丸」ではなく、「寿重丸」
・旧天童藩主系の信正の弟は「信明」ではなく、「信昭」?(霞会館の本では)と思います。
・天童藩織田家のところで、信恒は信学の養子ではなく、信敏の養子です(正式には婿養子)です。
『平成新修旧華族家系大成』らで確認できるレベルかと思います。よろしくお願いします m(_ _)
織田家の系図を校正した者です・・・。 以下、佐竹家に関し、参考まで。
@佐竹東家:佐竹義直=義長(父小野崎宣政)=義寛(父高倉永慶)=義秀(父佐竹義隣)-義本-義道
A秋田藩主佐竹義尭の養子として、「義脩」を追加。たしか明治5年から14年まで当主だったはず。
その後、義尭が再度家督を相続しています。義脩は佐竹義ェの子です。
>>850 文脈から、
>>848さんは『徳川旗本八万騎人物系譜総覧』を元に書かれて
いるように思えます。これの239ページをみると
1定澄=2定員─3定卓─4定胤─5定謐─6定寧─7定[氵辰]=8勝実
とあり、定[氵辰]が加わっています。
字を小十郎、天保八年相続とか。
>>852 ありがとうございます。お世話になります。
少し検索をかけてみましたが、「寿重丸」でよろしいようですね。
明日、図書館へ遠征する予定です。
しかし公営図書館は休刊日なので、思い切って旧帝大図書館へ
行き、最後の大物である小笠原、堀(奥田)、水野らを終らせる
つもりです。居所から片道三時間はかかるでしょう。遠いなぁ…
855 :
日本@名無史さん:04/07/12 23:12
今に繋がる豊臣家は?
会津保科家(秀忠子孫)の系図は?だれか、お願いします。
すいません、上のは私です。間違えて4と2押しちゃいました。
お久しぶりです。
現在、HPの簡易チェックに入っています。四分の一ほど終えました。
保守も兼ね、少しづつ書き込みします。
【HP訂正】
青木家
・駿河府中藩附家老→駿河府中藩『付』家老
青山家
・9幸礼の代数(色抜け)
いいか、みんな
(゚д゚ )
(| y |)
小五とロリでは単なる犯罪だが
小五 ( ゚д゚) ロリ
\/| y |\/
二つ合わされば悟りとなる
( ゚д゚) 悟り
(\/\/
【HP訂正】
秋元家
・武蔵岩槻藩主戸田忠昌(リンク抜け)
阿部家
・薩摩鹿児島藩主家島津忠亮→日向佐土原藩主家島津忠亮
【HP訂正】
安藤家
・14信篤の代数(色抜け)
池田家
・松平忠順→信濃上田藩主松平(藤井)忠順
こんにちは。
えーと私も軽くチェックをして、リンク抜けなどはチェックしました。
それでもまだミスがあるかも知れません。ありましたらご指摘お願いします。
チェックしていて気づいたのですが、摂津三田藩主九鬼隆抵の父戸田忠章というのは、下総佐倉藩主戸田忠昌の子である忠章でいいのでしょうか。
やり残している酒井とか水野とかもうpしないとなあ・・・ぼちぼちやっていきますので長い目で見てやってください。
三田藩のリンク間違っています。スマソ。
あと気が付いたのですが、忠昌の室は秋元富朝の娘で
長男戸田忠直(秋元喬朝)や忠章の子が秋元家に流れ
ていますね。
【HP訂正】
ああ、秋元家のほうでは「下総佐倉藩主」ではなく「武蔵岩槻藩主」に
なっていますね。慣例上は最終肩書きを用いることになっていません
でしたっけか?しまったなぁ…そこまで考えていませんでした(汗)
こんにちは。
酒井家をうpしました。
>>819の忠礼の父なのですが、平成新修旧華族家系大成ではa7の忠温ということになっていました(2男)。
うーん、3者3様ですね。
一応酒井忠順の子ということにしておいたのですが、ナゾです。
それから
>>852信長マニアさん、情報どうもです。
佐竹家、修正しておきました。
867 :
日本@名無史さん:04/07/20 23:37
このスレには苗字が有馬の人がいるね。
折れは五つ木瓜の方だけど
868 :
日本@名無史さん:04/07/21 02:00
リクエスト
尼子氏 大内氏 鍋島氏 西園寺氏
襲えて下さい。
こんにちは。
>>868さん、実はこのスレは江戸時代の大名について扱ったものなんですよねぇ。
なので、尼子や大内、西園寺は一応このスレの対象外なのですけれど、私の分かる範囲で情報を提供させていただきますね。
まず尼子氏。
宇多天皇─敦実親王─源雅信─扶養─佐々木成頼─章経─経方─季定─秀義─定綱─信綱─京極氏信─満信─宗氏─高氏(道誉)─高秀─尼子高久
尼子高久─持久─清定─経久┬政久─晴久┬義久
├国久┬勝久├秀久
└興久├誠久└倫久
├豊久
└敬久
義久のあとは、元知、就易と続き、就易は佐々木と改姓して以後毛利家に仕えています。
その後の系図は血統研究所のスレで聞かれた方が情報は出てくると思います。
次に大友氏。
大内正恒(百済王餘璋の裔と称す)─藤根─宗範─茂村─保盛─弘真─真長─貞盛─盛房─弘盛─満盛─弘成─弘貞─弘家─重弘─弘幸─弘世─義弘
義弘┬持世
└持盛─教弘─政弘─義興┬義隆
└大友義鑑室─義長
ご存知の通り大内氏は陶晴賢の謀反によって義隆、義長が死し、滅亡しています。
支流の山口氏(大内教弘の弟教幸を祖とする)は大名として生き残っているんですけどね。
最後に西園寺家なのですが・・・
私の持っている資料では、公家である本家の西園寺家と関係はあるようだが、系図的にどうつながっているのかはわからない、とのことでした。
また、前3つの家について参照した資料には伊予西園寺の系図が載っておらず、以下の系図は別の資料によっています。
その系図では養子関係が不明なので、あやふやなものになってしまいましたがご容赦を。
西園寺公良=公俊─実房─公利─公季─公家─実充─公高=公広
自分で書いて自分で訂正。
>>870の「陶晴賢の謀反によって義隆、義長が死し」はウソですね。
義隆が死し、その後毛利家によって義長も倒された、ですね。
【HP訂正】
諏訪家
・但馬出石藩主家仙石政固→「但馬出石藩主」仙石政固
大給松平家
・「1〜10三河奥殿藩主家」を「1〜3三河大給→3〜10三河奥殿→10信濃田野口→10信濃竜岡藩主家」に。
山名家
・交替寄合→交代寄合
875 :
日本@名無史さん:04/07/24 22:35
>>856 わざわざ、どうも。
容保公のころは、秀忠からの血は、女子から入ってないんでしょうか。
男子が絶えた後、女子に養子を娶せたりとかしてるんかなと。
876 :
日本@名無史さん:04/07/25 12:42
本多家の本多忠利の子孫っているの?
>>684より、水野家【改訂第一版】
忠政┬忠守┬守重─守正─守重─守満─c7忠任→c8忠鼎─c9忠光─c10忠邦─c11忠精┬c12忠弘
│ └忠元─c1忠善─c2忠春┬c3忠盈 └c13忠美─c14忠款─c15忠俊
│ └c4忠之─c5忠輝─c6忠辰
│
├忠分─e1重央┬e2重良─e3重上→e4重期
│ └定勝─重矩┬忠伸─守鑑─e7忠実─範明─e8忠啓─e9忠央┬e10忠幹┬a13直─a14勝邦─a15勝之
│ └e5忠昭─e6忠興 │ ├e12忠武─e13誠
│ │ └e11重吉
│ └a9勝任→a10勝知
└忠重┬勝成─勝直─a1勝長─a2勝政┬a3勝庸
│ └a4勝前─a5勝起→a6勝剛─a7勝愛─a8勝進─a11勝寛→a12忠愛
│
└b1忠清┬b2忠職─b3忠直┬b4忠周┬b5忠幹
│ │ └b6忠恒
│ └忠穀─b7忠友=b8忠成┬b9忠義┬b10忠武
│ │ └b11忠良
│ │ =b13忠誠
│ └忠紹─b12忠寛─忠明─b14忠敬─b15忠亮─b16忠泰─b17忠和
│
└忠増─忠位=d1忠定─d2忠見─d3忠韶→d4忠実─d5忠順=?d6忠宝─?
a1〜11下総結城藩主家
b1上野小幡→1三河刈谷→1三河吉田→1〜6信濃松本→7〜14駿河沼津→14上総菊間藩主家
c1下総小川→1駿河田中→1三河吉田→1〜7三河岡崎→7〜10肥前唐津→10〜11遠江浜松→11〜12出羽山形→12近江朝日山藩主家
d1〜3安房北条→3〜5上総鶴牧藩主家
e1〜10紀伊和歌山藩付家老→10紀伊新宮藩主家
a6勝剛は豊後岡藩主中川久貞の3男
a10勝知は陸奥二本松藩主丹羽長富の8男
a12忠愛は水野忠固の長男
b8忠成は旗本岡野肥前守知暁の2男(室はb7忠友女八重)
b13忠誠は三河岡崎藩主本多忠考の4男(室はb9忠義4女)
c8忠鼎は安芸広島藩主浅野宗恒の2男
d1忠定は伊勢桑名藩主松平(久松)定重の10男(室は忠位女)
d4忠実は出羽庄内藩主酒井忠徳の2男
e4重期は旗本新庄与惣右衛門直恒の子
>>714での
>>36さんの情報を継ぎ足し、さらに修正しました。
【修正点】
・忠分の子e1重央が重複していたのを削除
・b5忠幹が重複していたのを削除
・d1忠定は忠位の婿養子
・b14忠誠はb9忠義の4女の婿
・「b1上野小幡→」を追加、さらに信濃松本以降の代数の修正
・「c1下総小川→」を追加
・新庄与惣右衛門直恒は、こういう人。
新庄直頼┬直定(長男)─直好(常陸麻生藩主)
└直綱(二男)┬直方
└直恒
上総鶴牧藩主家の後がわかりません。
『三百藩藩主人名事典』には「忠寶(宝)にさっさと家督を讓って」云々と書かれていました。
忠寶(宝)は養子のようなのですが詳細がわかりません。
最後に、岡野肥前守知暁は調べていません。面倒くさかったので(^^;
>>692より、米倉家【改訂第一版】
1昌尹┬2昌明─3昌照→4忠仰─5里矩
└昌仲→昌倫┬昌長→昌盈─8昌由→9昌俊→10昌寿─11昌言─?
└6昌晴─7昌賢
1〜4下野皆川→4〜11武蔵金沢→11武蔵六浦藩主家
4忠仰は武蔵川越藩主柳沢吉保の4男
6昌晴は旗本米倉昌倫(旗本長田新右衛門重賢の5男)の2男
8昌由は旗本米倉昌盈(旗本奥田備後守忠英の2男)の2男
9昌俊は肥前唐津藩主水野忠鼎の4男
10昌寿は丹波福知山藩主朽木昌綱の3男
「柳沢吉保の4男」忠仰について。
『三百藩藩主人名事典』に拠ると「寛政譜では6男」と態々断りを入れてます。
何かあるのでしょう。室は本多信濃守忠直の女。
長田新右衛門重賢の血筋は
長田忠勝─勝吉─勝綱─房重─重賢
で、妻は坂部氏。
奥田備後守忠英の血筋は
奥田忠高─忠次─忠一─忠虎─忠信─忠郷─忠英
で、妻は五島氏。
一応、大名の堀(奥田)家とは関係があるそうですが、殆ど他人です。
奥田忠英の家について
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/okuda_k.html 以上から、いづれも姻戚関係はないようです。
>>881訂正。
・武蔵川越藩主柳沢吉保→甲斐甲府藩主柳沢吉保
堀・奥田家
利房┬秀重─秀政┬─a1親良┬a2親昌─a3親貞
│ │ └親智─親興─a5親賢┬a6親庸
│ └近藤政成─重直─重信─a4親常└a7親蔵┬a8親長┬a9親忠
│ │ ├a10親民
│ │ └a11親寚─a12親義
│ └親褒─親因─a13親広─?親篤─?
---│------------------------------------------
│ ここから下は、堀一族で本家の家老だった奥田家の筋
│
└女子
||─奥田直政┬直寄─b1直時─b2直吉─b3直利┬b4直為─b5直尭┬直泰─b7直方┬b8直庸
奥田直純 │ │ │ └b9直央┬b10直休
│ │ │ └b12奥田直弘─?直暢─?
│ │ └b6直教─奥田教明─b11直賀
│ └c5直英┬c6直寛┬c7直堅
│ │ └c8直郷
│ ├女子─c9直晧┬c10直興
│ │ └c11直格┬c12直武
│ │ ├c13直虎
│ │ └c14奥田直明─直喬─?
│ └d8直著┬d9直宣
│ └d10直朝→d11直起→d12直温→d13直哉─d14之敏─d15奥田之美─?直紹─?
├c1直重─c2直升─c3直輝─c4直佑
└直之─d1直景─d2直良─d3直宥┬d4直央─d6直旧
└d5直恒─d7直喜
a1〜2下野烏山→2〜13信濃飯田藩主家
b1〜2越後安田→2〜12越後村松藩主家
c1〜14信濃須坂藩主家
d1〜15越後椎谷藩主家
a4親常は交代寄合近藤織部重信の長男
a11親寚はウ冠に「王」を書きその下に「缶」(Unicode:23514)
c9直晧は筑後三池藩主立花長熙の4男(母はc5直英の4女)
d11直起は三河西尾藩主松平(大給)乗佑の3男
d12直温は備前岡山藩主池田治政の3男
d13直哉は肥前唐津藩主水野忠光の3男
親智。
「江戸三百藩HTML便覧」では親知と書いていますが、『寛政重修諸家譜』や
『三百藩藩主人名事典』では親智と書かれていたので、こちらを採用。
その子、親興。
外記とありましたが『寛政重修諸家譜』では小さく親興と書かれていたので、
こちらを採用。
堀親泰家。
1親泰┬親勝
└→2親行─3親敷=4親褒┬=親民
├=5親宣
├6親順…
└親因
4親褒はa7親蔵の5男で、3親敷の婿養子。
d越後椎谷藩主家ですが、直景の世代から万石に加増されているので、
とりあえずここから数えています。
また『三百藩藩主人名事典』では、d15之美はd14之敏の実子と書かれ
ていましたので、そちらに修正しました。
あとc9直晧ですが、『三百藩藩主人名事典』では4男とありましたが、
『寛政重修諸家譜』では7男とあります。養子がカウントされているの
かと思いましたが、そのような表記はありません。列記しますと、
長男 彌七郎
二男 種周
三男 勝次郎
四男 長堅
五男 信旨
六男 種武
七男 直晧
米倉家で
>>882にも同様の事を述べましたが、何ともよくわかりません
でした。
こんにちは。
>>875 容保は、先代の容敬の娘を正室に迎えており、容大や保男は正室の子ですから、容敬の血は続いてはいます。
しかし問題なのは容敬の実父でして、2代前の容住とする説(つまり先代容衆の弟ということになります)と、美濃高須藩主松平義和とする説があるようです。
うちのホームページでは後者を採用しています。
すると容敬に秀忠の血は入らないことになり、そのあとの当主も同様ということになります。
前者を採用すると、容敬に秀忠の血は入っていますから、現在の当主の方にも女系で秀忠の血が入っていることになります。
おそらく後者が実際のところだと思うのですがねぇ。
25さんからの宿題が増えていますね。お疲れさまです。
私もどんどん片付けていかないと・・・
でもその前に自分の宿題を。
先日ふとした機会から寛政譜を見ることがありまして、数件確認してみました。
まず伊東(祐兵)家の祐永なのですが、祐実の子祐崇の娘を正室に迎えていました。
また、その次の祐之、祐隆兄弟は、祐隆が兄のようです。
庶子であったため正室の子である弟祐之があとを継ぎ、その後兄祐隆が継いでいます。
次に土井利庸の父である三浦便次なのですが、下野壬生藩主三浦正次の2男で安次の弟である三浦共次の長男でした。
さらに酒井忠礼の父について。
寛政譜では、酒井忠温(佐衛門尉の方)の2男に酒井忠順があり、その長男が酒井忠礼でした。
おそらく忠順と忠礼を近藤して忠礼を酒井忠温の2男としたり、さらにそれを雅楽頭流の忠温と混同したりしたために混乱が起きたものと思われます。
最後に酒井忠氏の父忠欽について。
酒井忠欽は「寛政譜以降旗本…」に記載がありました。
系図的にはこういう人だそうです。
酒井忠恭┬忠仰
├忠温
└忠啓─忠求─忠欽─忠氏
とりあえずこれらの修正を先に行いたいと思います。
>>890 美濃高須藩に家光の娘の血は女系でも残ってないのかな。
男系は水戸藩からだよね。
今日は時間が取れるので本庄家をうpしました。
高富藩主の9道貫は先代の婿のようなので、そのようにしました。
また、宮津藩主の方はいつから「本荘」に改姓したのかわからないので、一応維新をもって改姓したという扱いにしました。
詳細が分かればまた修正したいと思います。
余談ですが、13兼則の実家伊集院家って、鹿児島藩士の家でしょうか。
日本名字家系大事典には、紀姓伊集院氏と島津姓伊集院氏があり、後者の伊集院兼院は明治時代に子爵になったとあります。
兼の字を使ってるあたり、関連があるのではないかと思いました。
すると信長の野望に出てくる伊集院忠棟、忠倉親子の子孫なのでしょうか。
>>893 伊集院忠倉→忠棟→忠真
この系統は庄内の乱とその後の島津家の内紛がらみで滅亡しています。
忠真の娘(母は島津義弘の娘・御下)だけが生き残ってその後松平定行に嫁しています。
定行との間に子供がいたかどうかは寡聞にして存じません。
男爵になったのは伊集院でも別系統では。非常に分家の多い一族ですので>島津系伊集院氏
>>892 そのしつこさ、私は好きです(笑)
そこで、容保のご先祖様をかたっぱしから調べてみました。
気づいたのは側室腹の多さ。
治保から容保にいたるまでの4代、全て側室腹です。
側室の先祖までは調べきれませんでした。
で、結論としては、秀忠の血は入っていない、ということです。
つながりかけたところは2ヶ所あったのですがね。
まず
後水尾天皇─鷹司教平室─鷹司房輔─鷹司輔信─徳川綱条室─徳川吉孚室─松平頼豊室─徳川宗尭─徳川治保─松平義和─松平義建─松平容保
というつながり。
後水尾天皇の中宮は秀忠の娘なのですが、鷹司教平室は中宮の子ではなく、女御(と呼べばいいのか?)である四辻氏の娘の子でした。
次に
毛利秀就室─鷹司房輔室─鷹司輔信─以下同じ
というつながり。毛利秀就室は結城秀康の子なのですが、秀忠の養子となっています。
いずれも惜しいのですが、血統的につながっていませんでした。
>>894 なるほど。ありがとうございます。
松平定行と伊集院忠真娘との間には、定頼、酒井忠朝室、堀田正信室、松平昌勝室の4人の子がいたようです。
定頼の娘は島津綱久に嫁して綱貴を生み、島津本家にその血脈を伝えているようですね。
すみません、
>>894をこのスレのルールに則って書くと
伊集院忠倉−忠棟−忠真
ですね(滝汗
こちらこそ、逆に忠真娘の子息について御教示下さりありがとうございました。
【1】秀政流(深志小笠原)
a1秀政┬忠脩─b1長次┬長章─┬b3長胤
│ └b2長勝├長宥─長丘┬長賢─長喜=長世=長保┬長穀
│ │ │ └d11長会→d12長和→d13長国─?長生
│ │ └d6長庸─d7長恭─d8長堯─d9長昌→d10長泰
│ └b4長円┬b5長邑
│ └b6長興
│
├a2忠真┬a3忠雄┬a4忠基┬b7長逵┬b8長為┬b9長禎─b10長武─b11貞幹(a10忠幹)─b12貞孚─?
│ │ │ └a5忠総└a6忠苗│ ||─a11忠忱─a12長幹┬a13忠春
│ │ │ └a7忠固─a8忠徴───女子 ├日英尼─?─敬承斎
│ │ │ └a14忠統
│ └c1真方└c2貞通─c3貞顕─c4貞温─c5貞哲┬c6貞謙
│ ├c8貞寧→c9貞正=c10武吉─?寿長─?
│ └c7貞嘉(a9忠嘉)
│
└d1忠知─d2長矩┬d3長祐
└d4長重─d5長熙
a1下総古河→1信濃飯田→1〜2信濃松本→2播磨明石→2〜11豊前小倉→11豊前香春→11豊前豊津藩主家
b1播磨竜野→1〜6豊前中津→6〜12播磨安志藩主家
c1〜9豊前小倉新田→9豊前千束藩主家
d1豊後杵築→1〜4三河吉田→4〜5武蔵岩槻→5〜7遠江掛川→7〜9陸奥棚倉→9〜13肥前唐津藩主家
長世は紀伊和歌山藩家臣(?)小笠原石見守政久(別記)の4男
c9貞正は旗本小笠原豊後守信学の2男
d10長泰は出羽庄内藩主酒井忠徳の子(酒井忠器の弟)
d11長会は旗本小笠原大和守長保の2男
d12長和は大和郡山藩主柳沢保泰の9男
d13長国は信濃松本藩主松平(戸田)光庸の2男(松平(戸田)光則と重なるが…?)
小笠原石見守政久の系図
貞朝┬長棟─長時─貞慶─a1秀政…
└長高─春義┬清広─義時─良忠─良政─政朋─政尚─政登─政方─政久
└義頼─義信…
小笠原豊後守信学の系図
信盛=信喜─信成─信名─信学
いづれも紀伊和歌山藩家臣より旗本になった家の者です。
それは上記の
春義┬清広─義時…
└義頼─義信…
の二つの家がそうで、信学も、そして大和守長保も恐らくこれらの家の出身と思われますが、
系図を一つにつなげるまでには到っていません。
あとb11貞幹前後の話。
初めはa10忠幹と別人のように書かれていたのですが、
・安志藩主から本家を継いだこと
・貞幹→忠幹と名のっていたらしいこと
・貞幹と忠幹は誕生年が同じこと
・どちらも長武の長男(2男)とあること
ということが断片的にわかったので、同一人物だろうと思いあのようにかきました。
子供たちについては
・b12貞孚は貞幹長男。
・a11忠忱は忠幹長男。
とあり、もし「貞幹=忠幹」だったならこのプロフィールは矛盾するのですが、
・貞孚のほうが忠忱より年上なこと
・いづれも嫡長子らしいこと
・貞幹(忠幹)はa8忠徴の娘を娶っていること
から推定して、系図を引きました。
多分これでよいと思いますが、あくまで私の推定なのでして、もし事実と異なるならば
御指摘を頂きたく思います。
【2】信之流(松尾小笠原)
酒井忠次─a1信之┬女子─a3貞信─信秀─a4信辰┐=a5信成→a6信胤
└a2政信 └a7信房─a8長教─a9長貴─a10長守─?長育─?
a1武蔵本庄→1〜2下総古河→2〜3下総関宿→3美濃高須→3〜10越前勝山藩主家
a1信之は酒井佐衛門督忠次の3男
a3貞信は旗本高木権右衛門貞勝の長男(母はa1信之女でa2政信の姉)
a5信成は若狭小浜藩主酒井因幡守忠隆の2男(室はa4信辰女でa7信房の姉)
a6信胤は伊勢神戸藩主本多忠統の2男(母は家女)
『三百藩藩主人名事典』によるとa6信胤の母は家女とありましたが、誰の娘
なのか判りませんでした。
高木(西高木)権右衛門貞勝。
『三百藩藩主人名事典』によると高松と書いてある項もありましたが、別項
では高木と書いてあります。ちなみに『寛政重修諸家譜』では高木。
どうもあの本は統一性が今一つのように思えます。
またこの家には高木某の娘と婚姻している人物が多くみられます。
154さんの分野でありますが、高木家との関連をチェックすると面白い
かもしれません。
最後に、貞勝の系図は
高木貞政─貞次─貞久(織田信長家臣)─貞利─貞盛─貞勝
この本多忠利は、本多忠勝の流れで、陸奥岩瀬二万石を領した方の
本多忠利です。
>>906 >>355の系図から抜き出してみました。
-------------
忠勝─忠政─忠義┬1忠利
└2忠寄=3忠次─4忠央→5忠由=6忠福─7忠慎─8勝之助…
1陸奥白川新田→1〜4三河挙母→4遠江相良
3忠次は長門長府藩主毛利綱元の2男(2忠寄の女婿 ダッタトオモウ)
5忠由は越前丸岡藩主有馬一準の3男(母は松平吉広養女)
6忠福は武蔵六浦藩主米倉昌晴の8男(5忠由の女婿)
-------------
ともあれ、系図はこんな感じです。
忠利には子が無かった筈。
家督はすぐ弟の忠寄に讓られます。
その孫忠央は「宝暦騒動」で連座改易。
続いてこの相良藩に入ったのが、ごぞんじ田沼主殿頭意次です。
以後、子孫は旗本として幕末に到っています。
丁寧に、有難うございました。
1さん、堀家などうpされていますね。お疲れ様です。
残す所は小笠原のみ…
ではありませんでした。
一家抜けています。
------------
本多修理家(正時系)
康俊─1忠相(2男)─2忠将(忠正)(長男)─3忠能─4忠敞=5忠栄─6忠直=7忠盈=8忠和─9忠興─10忠寛─11忠鵬─?
1〜10(9?)旗本→10〜11三河西端藩主家(元治元年立藩)
------------
本やネットでとりあえず調べた所の情報です。
本多忠寛は「三秀亭李喬」という歌人としても知られているそうです。
追って調べます。
【HP訂正】
板倉家
・神保元茂→交代寄合神保元茂
伊東長次家
・伊東巳代治→伯爵伊東巳代治
加藤(嘉明)家
・島津壮之助→男爵越前島津壮之助
京極家
・陸奥棚倉藩主内藤弌信→越後村上藩主内藤弌信
平野家
・交替寄合→交代寄合
北畠氏支流木造氏
北畠顕能―木造俊康―持康―教親┬親方
└政宗―俊茂┬具康 └滝川雄利―正利
―具次―俊宣―俊次┬俊雅 └俊之―俊近
┬俊休
└俊宗―俊平―俊永…現当主俊道
912 :
日本@名無史さん:04/08/01 03:01
ちなみに、男系で徳川秀忠の系統を受け継いでいるのは
飯野藩?の保科家がそうだったと思う。
913 :
日本@名無史さん:04/08/01 16:16
大名改易→旗本 として続いた家もキボンヌ。
こんにちは。
25さん、ご指摘の件(西端藩主本多家も)修正しておきました。
西端藩主家は、平成新修旧華族家系大成にも記載があり、私もメモを取っていたにもかかわらず、見落としていました。すいません。
あとは小笠原家だけ。
凡例もぼちぼち作ろうと思っています。かなり前に25さんが書かれたプロトコルを参考に。
>>912 飯野藩主保科家は、武田家家臣だった保科家の血縁がそのまま続いており、秀忠の男系子孫ではありません。
系図はこちらをどうぞ。
http://daimyokeizu.hp.infoseek.co.jp/hoshina.html
どーも36です、お久しぶりです。
1さん・25さん大変乙です、後は小笠原家を残すのみですね。
西端藩本多家は忠寛が天狗党討伐の功績を認められて
加増され元治元年の立藩した三河の小藩ですな。
忠鵬の後は辰男が継ぎますがその後のことは
わかりません。
そういえば本日、別冊歴史読本『サムライ古写真帖』を購入しました。
その中に、最近発見された清末藩主毛利元純の写真が載ってましたよ。
その他須坂藩主堀直格・亘理領主伊達邦成の写真も私にとって初見でしたな。
916 :
日本@名無史さん:04/08/05 21:29
公家の子孫も教えて
917 :
日本@名無史さん:04/08/11 22:15
公家情報期待 あげ
>>916-917 すみません、そこまで手が回りません…
このスレの主旨にも反しますし、私も今ひとつ興味が湧きませんで。
もしやるならば別スレでやってみたいとは思いますが。
>>916-917 こいつ自分で調べてみるって感覚が全く無いんだろな。
ある程度知識の有る者同士で情報交換するのが理想なんだが
現実は、少数の知識の有る人間に阿呆が群がってる図式。
金持ちに乞食がたかってるようなもんだな。
それはしょうがないですよ。
「調べる」ということ自体、理解している人間は少ないのですから。
かく言う私も、この企画に参加するまでは寛政譜を使いこなせない人間でした。
今では何十秒とかからず目的の人物を引けるまでになりましたが。歴史に興味
がある人でも、大多数が寛政譜を読む事はおろか、この本が幕臣の家を調べる
基礎資料であることすら知らないのではないでしょうか。
ここを閲覧される方はまだ結構いるようですが、書き込みをされる方はいつの間
にかいなくなってしまいました。いろいろ書いて下さる方がもう少し多ければ楽し
かったし、しばしばそれを期待して表に裏に依頼懇願していたのですが…
こんにちは。
かなりご無沙汰になってしまいました。
やっと小笠原家もうpし、すべての家の系図が埋まりました。
みなみなさま、特に25さん、36さんのご協力には深く感謝します。
途中からはずっと25さんにおんぶにだっこで申し訳なかったですが・・・
次スレはもう必要ないでしょうかね。
ここが埋まったら、例のホームページに掲示板でも設置しようかと思ってます。
こんにちは。お疲れ様でした。
スレを立ち上げたのが去年の10月でしたか。10ヶ月かかったの
ですかね。やっと「夏休みの宿題」を終え、飲み会をしたい気分です。
現在、当方は相当な田舎に住んでいます。すこしばらしますが、
日本史における超有名人の遺児の末裔と噂される家の旧領内で、
その累代の墓が私の住居の近くにあります。(私との血縁は全く
ありません)もし会えるのならば、連絡をとりたく思います。
都合が付けばよいのですが。
私が最初に書き込んだのは柳生家です。単純に興味本位で参加し
はじめていくうち意外に要求レベルが高いことを知り、終えるまで様
様な事を学べました。
あの手の資料の読みかた、家系が繋がるパターン、時代的な流れ、
藩・藩主の数々のエピソード、詳しい方々の話…面白かったです。
前半は資料を読む能力に欠けていた事、後半は時間切れの連続で
完全に追いきれない部分が多々残り、また十分な校正をせずに(実
はかなり苦手)粗忽な書き込みを続けてしまい迷惑をかけてしまった
ことを反省しています。
これからは、もう少し調べがつきそうな部分を調べたり、訂正の書き
込みを続けるつもりです。「稲垣家の榊原政一って誰よ?」など(笑)
それでは、また。
ご無沙汰しております。
1さんお疲れ様です。
私の場合は伊達氏絡みしかお手伝いできませんでしたが、完成したのを見てみると感涙ものです。
私自身もスレ進行中に「史料仙台伊達氏家臣団事典」や「伊達世臣家譜続編」を購入したりしました。
特に一関藩田村家と伊達氏との関係を調べるにあたり仙台藩一門筆頭角田石川家の正確な系図が必要であり
「史料仙台伊達氏家臣団事典」購入まで間違いを指摘できなかったことが深く印象に残っております。
「寛政重修諸家譜」や「寛政譜以降旗本家百科事典」を置いてある図書館がちょっと遠かったり、
「平成新修旧華族家系大成」は図書館の合同書庫にあって取り寄せじゃないと見れなかったりしたので
25さんや36さんのようにはお手伝いできませんでしたが、いつも楽しく拝見させて戴いておりました。
機会があったら、1さん、25さん、36さんとはオフしてみたいです。
でもなんか皆バラバラの地区に住んでそうで実際に集まるのは難しそうですが(笑)
どーも36です…
いやー1さん・25さんおつかれでした!
このスレも終わるんですか、何だか寂しいですなあ…
私もpc故障や入院など色々ありました、それで今はお盆の
商戦を乗り切ってヤレヤレといったところです。
仕事の都合上、迅速な対応が出来ずどれだけお役に立てたか
わかりませんが色々と勉強になるスレでした。
オフ会いいですね、機会がありましたら是非呼んでください。
私が提供した華族に関する情報元は前スレで若干紹介したと思いますが
その他には新聞記事(物故欄など)があります。勿論旧諸侯だけではなく
華族全体に渡って収集していますが、「平成新修旧華族家系大成」から
十年が経過しているわけですから世代交代も結構ありますね。
後は現在休刊中の歴史雑誌『歴史と旅』に連載されていた「わが家系を語る」
が有用です。旗本の末裔が何人か執筆されていて歴代当主を現在まで
書いてくださる方もいれば、末裔ならではの秘話を紹介してくださって
頂いた方もおられました。
ところで「史料仙台伊達氏家臣団事典」なかなか出てこないですね、
絶版なんで手に入れるのは難しそうです。
448さんちょっと貸してくれませんかー(藁
こんにちは。
オフ会ですかー。私は行動範囲が狭いので大阪くらいまでしか行けないのですが・・・
でも集まってみたい気もしますねえ。
みなさんの行動範囲はいかがでしょうか。
1さんこんにちは、36です。
えっと何度か行った事ありますよ、大阪。
私はそれより西の住人ですが…
同じく、西の住人です。
私は岡山以西になるときついのですが・・・
嘗て大阪までオフやりに行った事はあるけど・・遠かった記憶が・・
皆さんの地域から見るとかなり東で・・・関東人です。
旅行もたまにはいいかな?(苦笑)
私は九州人でつが(苦笑)。
北海道オフと言われたら躊躇しますが、
そこまで遠くなかったどこでも。
関東に関西に九州ですか・・・こんなに散らばっているとは・・・
932 :
日本@名無史さん:04/09/07 08:54
age
933 :
日本@名無史さん:04/09/10 02:24
伊達政宗ー千菊ー京極高規
高家1500石
934 :
日本@名無史さん:04/09/10 15:34:27
石田三成
‖━津軽信義─信政─信寿─信興─信著─信寧─信明
辰姫
大名ではないのですが、
松平(五井)外記氏の
系譜を調べていますが、
元禄年間に当主の松平志摩守忠明の実父と
生没年を知りたいのですが、
どなたかご存知ないでしょうか?
936 :
日本@名無史さん:04/09/17 14:34:35
あげ
937 :
日本@名無史さん:04/10/05 13:21:13
age
↑
age荒し
939 :
日本@名無史さん:04/10/10 00:12:57
加藤清正ー女ー阿部正能ー正武ー正喬=正允=正敏ー正識=正由ー正権
940 :
日本@名無史さん:04/10/10 04:44:23
真田ダメぽ
原の酷使が無ければ…orz
941 :
日本@名無史さん:04/10/10 04:45:14
誤爆スマソ
ところで巨人の真田投手は幸村の末裔だったか?
942 :
日本@名無史さん:04/10/10 18:15:24
山崎邦正は、成羽藩の山崎家の江戸時代の分家で旗本でしか? これってホント?
943 :
日本@名無史さん:04/10/10 23:14:10
山崎家は、旗本で120石5人扶持です。
944 :
日本@名無史さん:04/10/11 10:07:18
>>754 埼玉人物辞典では「松平(松井)康英は松井康功の子で松井軍次郎康済の養
嫡子となり、弘化4年軍次郎の家督を継ぎ、その後、元治元年本家を継いだ」
といます。
実子松井康義が提出した故従二位松井康英事績調書によりますと、康済の男
となっております。家臣の書いたものにも軍次郎実子となっておりますので、
軍次郎実子が公式の記録なんでしょう。
康英の後、軍次郎家を継いだのは安部正外の弟の旗本安部巨摩之助ですが、
信濃守を名乗ったようですので、他の資料で調べてみると、実父が康功は誤り
ですね。康功は安部巨摩之助が軍次郎家に入った後の名前でした。
なお、康済は康任の兄弟康正の子になります。
945 :
日本@名無史さん:04/10/11 10:10:48
>>944 もうひとつの可能性
もしも、康功が康勲の誤りだとしたら、
康納−康休−康勲
も考えられるかな
藤堂家の血は今も途絶えてないって聞いたんだが、知ってる?
高虎の血ではなく高虎の弟の血が残ってるよ
948 :
日本@名無史さん:04/10/19 22:08:03
1・25・36の三兄弟はどこへいった?
949 :
日本@名無史さん:04/10/19 22:11:21
日本史板には武田信玄みたいなキモイ荒しが居るからなあ
950 :
25:04/10/21 15:22:34
む…まだ書き込みがあったのか…
もう落ちてるかと思ってたよ・・
952 :
日本@名無史さん:04/11/04 13:14:02
age
955 :
日本@名無史さん:04/11/14 06:46:13
age忘れた
956 :
日本@名無史さん:04/11/14 10:08:49
黒田家解説キボン
とりあえず以下コピペ
黒田を名乗る華族はとりあえず下の5家
・豊臣秀吉の軍師として知られた黒田如水の子孫。福岡藩主。維新後に侯爵。
・上記の支藩、秋月藩。維新後に子爵。
・徳川綱吉の館林藩主時代の家老、黒田直邦の子孫。維新後子爵。
・元鹿児島藩士、明治期の官僚・歌人として活躍した黒田清綱の子孫。子爵。
・元鹿児島藩士、明治期の藩閥政治家、黒田清隆の子孫。伯爵。
旧福岡藩主の黒田侯爵家の現当主は長久氏。
元首相の黒田清隆伯爵家の現当主は清揚氏。カメラマンらしい。
とりあえずこの2家の直系ではなさそうだ。
957 :
日本@名無史さん:04/11/14 10:14:57
華族だったら、新聞記事に何らかの言及がある。特に筑前黒田の係累ならな。
悪いけど、華族でも大名でもなんでもない、ただの平民だよ、彼は。
川嶋家とかと同じ、学習院の同級生つながりだよ。
958 :
日本@名無史さん:04/11/14 10:17:53
賀陽とか坊城とか園池みたいな公家からは逃げられ、
兄貴の同級生で手を打ったか。
まーでも、過去の例を考えると、どこかの出版社あたりが、
ご先祖を調べ上げて誰か有名な人物の子孫ってことにはなりそう。
961 :
日本@名無史さん:04/11/14 11:19:24
それでは全然血が繋がってないじゃん?
まぁ平民でも問題ないけどさ。
薩摩藩か福岡藩の中級武士の子孫なんじゃねーの?爵位はもらえなかったが
そこそこ維新で活躍したとか。
963 :
日本@名無史さん:04/11/14 11:28:50
>>960 つまり慶樹の家自体は華族でもなんでもないわけだろ。
血の通ってない縁戚に華族がいるってだけでさ。正田とか麻生とかと同レベル。
964 :
日本@名無史さん:04/11/14 11:29:43
麻生は華族の血が入ってたな。
966 :
日本@名無史さん:04/11/14 12:22:57
秋月家と縁戚ということは、江戸時代にも婚姻関係があり
秋月家の故地を治めていた、秋月藩の黒田家の子孫じゃないか?
967 :
日本@名無史さん:04/11/14 12:24:23
>>958 公家には皇室の藩屏たらんとする意気が全くないな
968 :
日本@名無史さん:04/11/14 12:28:46
ただの平民>黒田
969 :
日本@名無史さん:04/11/14 13:47:05
970 :
日本@名無史さん:04/11/14 13:53:52
「慶賛(よしすけ)」は黒田長知の前名。
12代将軍家慶から一字を拝領したもので、黒田家の通字ではない。
明治維新で徳川家が朝敵になったので、「長知」に改名した。
長知の直系子孫が侯爵で山階鳥類研究所の黒田さんで、「長」が通字。
971 :
日本@名無史さん:04/11/14 13:56:01
>>966 縁戚といっても、父方の伯父か伯母の結婚相手なら戦後だろ。
もう江戸時代の由緒なんて関係ないだろう。
972 :
日本@名無史さん:04/11/14 13:56:35
てことは、この人は、女系とはいえ、吉良上野介の末裔じゃな。
973 :
日本@名無史さん:04/11/14 14:03:22
いや、この人の伯父さんや伯母さんが華族と結婚したというだけで、
この人に華族の血が入っているとは、今のところ、どの記事にも出てないんだが。
男系でも女系でも華族や武家の子孫ではないかもしれん。
974 :
日本@名無史さん:04/11/14 14:31:30
親父さんがトヨタでこの人三井銀行でしょ。
黒田長知繋がりの家系じゃないの。
975 :
日本@名無史さん:04/11/14 14:33:13
そういえば、豊臣家・木下家の系図出てませんね・・
976 :
日本@名無史さん:04/11/14 14:39:08
長知の家系なら、はっきり言うでしょ。
言わないのは無関係だから。
977 :
日本@名無史さん:04/11/14 14:53:48
そうだな。
978 :
日本@名無史さん:04/11/14 15:51:42
>>686 > 護煕さんの話題ばかりなのも何なので、その話はもういいかなあと。
>
> で、次、第22弾、黒田家(支藩込み)
>
> 1長政┬2忠之─3光之┬4綱政─5宣政
> │ └長清─6継高→7治行→8治高→9斉隆
> └a1長興┬a2長重─a3長軌
> └女子─a4長貞─a5長邦┬a6長恵
> ├女子─a7長堅
> └女子─種茂─a8長舒┬a9長韶=a10長元┬a11長義
> │ └a12長徳
> └10斉清→11長溥→12長知┬13長成─14長礼─15長久
> └a13長敬─a14長栄
>
> 無印:筑前福岡藩主家
> a印:筑前秋月藩主家
> 7治行は一橋治尹の子
> 8治高は讃岐多度津藩主京極高慶の子
> 9斉隆は一橋治済の子
> 11長溥は薩摩鹿児島藩主島津重豪の子
> 12長知は伊勢津藩主藤堂高猷の子
ここから慶樹氏にどうつながるの?
979 :
日本@名無史さん:04/11/14 15:52:44
だから、つながらないと(ry
980 :
日本@名無史さん:04/11/14 15:57:07
黒田家当主の子孫みたいな報道があったような気がするが
981 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:06:08
>父の慶次郎さんはトヨタ自動車に勤めていたが、86年4月に亡くなった。
>現在は母、壽美子さん(69)と2人暮らし。慶次郎さんの姉が旧華族の税所
>(さいしょ)家に嫁いでおり、兄の妻は、旧華族の秋月家の出身。
家系については、このくらいしか報道されていない。
福岡の黒田家の関係者とは、どの報道にも出ていなかったし、ここの黒田家自体を
華族とする報道も一切ない。
もし、福岡黒田家の子孫なら、何らかの言及があるはず。
982 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:07:55
いまわかる事実からは、この家を華族だとか福岡藩主の家系とは言えない。
983 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:10:24
福岡藩主黒田家は黒田長政(黒田如水の子)を始祖とする。明治の華族制度創設で侯爵。
第14代当主の黒田長禮は日本動物学・鳥類学の祖。長禮侯の妻茂子は、閑院宮載仁親王と
三条智恵子(三条実美公爵の娘)との間の子。なお山階宮家初代の晃親王は載仁親王の兄。
第15代当主の黒田長久(黒田長禮の長男。1916年生)は鳥類学者で、日本野鳥の会会長・
山階鳥類研究所所長などを歴任。
984 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:13:30
16代当主は?
985 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:14:36
だから、慶樹クンとは何の関係もない。
986 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:18:49
そもそも、紀宮が山階鳥類研究所の非常勤職員なんだから、
本当に慶樹と長久所長に血縁関係があったら何らかの言及があるだろう。
わざわざ伯父さんの結婚相手(つまり他人)のことなんか引っ張り出さなくても、
福岡黒田家の子孫って言うはずだ。
全く触れられてないんだから、無関係と考えるのが自然。
987 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:20:27
黒田家に内親王がお輿入れかあ
988 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:22:15
あぁ、そうだな
989 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:23:48
平民の黒田家にな
990 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:28:33
796 :可愛い奥様 :04/11/14 15:37:09 ID:rQOy/MVG
だいぶん前に、うちのおかんがこんな情報を仕入れてきた。
「紀宮さんは好きな人が居るらしい、でも、普通の人で
身分が伴わないので待ったが掛かっているらしい」
その時は、ホンマかいな?そういう噂は昔からあったやろ?
と思ってて聞き流していたが、今回ばかりは本当の情報だった。
でも、どこから漏れるんだろう、この手の情報は
991 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:29:51
826 :可愛い奥様 :04/11/14 16:23:55 ID:oFs5AWpm
それに兄の嫁とか伯母の夫とか、外部の親戚ばかり。
一生懸命拾ってきてそれなんだから、
黒田さんには華族の血は流れてないってことだと思う。
親族が学習院志向なら、旧華族、皇族と同級になるわけだし
そこで知り合って結婚とかになり親戚になる確率は高いし。
でも平民でも名門はあるし。
992 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:33:21
童貞武田氏ね
993 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:34:13
つーかミチコもキコもマサコも平民なんだが
994 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:36:07
もうアキヒト一家は完全に平民化しちまったな
さすが護憲派の市民派天皇だけのことはあるw
995 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:38:22
天皇家本家より近衛とか鷹司の方がよっぽど名家に思える。
996 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:44:55
良スレだったのに、大阪の引きこもり一匹の為に糞スレ化(笑)
997 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:45:05
第二代総理大臣の黒田清隆(薩摩出身)とは親戚?
998 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:46:44
>>995 鷹司って、銀座のホステスかなんかとガス心中しちゃった人がいなかったっけか?
999 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:46:55
ちがうでしょ。
親戚だったら、ハッキリ書くと思うよ。
1000 :
日本@名無史さん:04/11/14 16:47:24
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。