血統研究所<勝利の方程式>

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699日本@名無史さん
柳川藩四代藩主の立花貞俶って誰の子供なんだろう?
二代立花忠茂の七男立花貞晟の子。
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/kyushu/yanagawa.html
立花茂高の子茂易が貞晟の養子清直となり後に鑑任の養子貞俶に。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tati_k.html
立花帯刀茂高の二男。
http://ww2.tiki.ne.jp/~shirabe01/bu/han/han001.htm
こんな感じで良いのかな。
吉弘鑑理−高橋紹運−立花直次−忠茂−茂虎−茂高−貞俶−鑑連−鑑壽−寿俶−鑑寛−鑑治−鑑徳−文子−宗鑑−宗和
700日本@名無史さん:04/03/30 20:16
701血統研究所 ◆b0.PHWt3zk :04/03/31 00:39
>>694
ほうほう、二人とも母系で児玉源太郎の血が入ってますね。
しかし、女官とか侍従の人って今でも旧華族系の人が多いですな。
702日本@名無史さん:04/03/31 01:23
>>701
宮内庁に入るとき、一番チェックされるのがソコだそうで。
いわゆる「能力や才能」がある人って祭典に要らないどころか、
得てして奇矯で下品で厄介者ですしね。
703日本@名無史さん:04/03/31 19:13
>>699
一番上は間違い。二番目と三番目が正解。
立花茂虎は立花忠茂の庶長子の為家督を継げなかった。
忠茂は茂虎が弟の下に立つのを喜ばず、京大徳寺・碧玉庵の住職にしようとした。
しかし茂虎は父の意向に反したため謹慎となる。
弟の立花鑑虎は同情して、兄に知行を分け与えた。茂虎の家は帯刀家と呼ばれた。
茂虎−茂高−茂之と続き、茂之の実弟貞俶が五代藩主となったため、
帯刀家は藩主に次ぐ勢力となった。

立花貞俶は茂高の子、幼名友之丞、のち右京、実名は茂易、清直、貞俶。
母は立花種長の娘国子。はじめ立花貞晟の養子、後に藩主鑑任の養子となる。
正室は貞晟の娘松子。
704日本@名無史さん:04/03/31 22:16
立花鑑壽は兄鑑一が夭折したため嫡子となった。
鑑一には実子鑑賢がおり鑑壽の後を継いでいる。
鑑壽の子壽俶は家臣となった。壽俶は詩文と書に優れた文化人でもある。
壽俶の子鑑寛は最後の藩主。