>>699 一番上は間違い。二番目と三番目が正解。
立花茂虎は立花忠茂の庶長子の為家督を継げなかった。
忠茂は茂虎が弟の下に立つのを喜ばず、京大徳寺・碧玉庵の住職にしようとした。
しかし茂虎は父の意向に反したため謹慎となる。
弟の立花鑑虎は同情して、兄に知行を分け与えた。茂虎の家は帯刀家と呼ばれた。
茂虎−茂高−茂之と続き、茂之の実弟貞俶が五代藩主となったため、
帯刀家は藩主に次ぐ勢力となった。
立花貞俶は茂高の子、幼名友之丞、のち右京、実名は茂易、清直、貞俶。
母は立花種長の娘国子。はじめ立花貞晟の養子、後に藩主鑑任の養子となる。
正室は貞晟の娘松子。