1 :
Armando:
弥生時代、日本に水田稲作をもたらしたルートとして、長江流域、かつての
呉・越の支配圏の人々(難民?)の移住というのがたびたびクローズアップされる
のですが、ちょっと気になることがあります。弥生時代の遺物における
「漢字」の少なさです。せいぜい「三角縁神獣鏡」の銘文ぐらい? もっとほかにも
たとえば銅鐸などにも刻まれていてもおかしくなさそうな気がするのですが。
(殷・周・春秋戦国時代の青銅器におけるように)。本当に呉・越の遺民なら、
すくなくともムラの族長やシャーマンとかはある程度文字を知っていてもおかしくない。
今、弥生時代の遺物で漢字があるのは金印とか鏡とか、何らかの形で大陸で製造された
可能性のあるもののほうが多いようですね。偽元号の銘文から、神獣鏡の一部は国内で
製作された可能性もあるようですが。で、大和朝廷の正史では、漢字はずっとあとになってから
百済経由で伝えられた、ということになっているようですが。この辺、どのように解釈するべきなので
しょうか。弥生時代、江南地域からの大量の難民移住と遺物にのこされた漢字資料の少なさについて。
夜、口笛を、吹けば、・・・・が来る。
3 :
日本@名無史さん:02/07/29 18:50
それって人身売買の合図じゃん
>3
夜、口笛を・・・が稲魂信仰に、由来するなら、
口笛を、吹けば、・・・・が来る。本当の正体は?
怖い893が来ます
我が家では、「泥棒が来る」ことになっている。
>1 さん。
脱線させて、すまん。俺も、疑問。あとは、弥生、信奉者の先生方に、
9 :
日本@名無史さん:02/07/30 17:27
江南からそんなにたくさんの漢字資料が出てる?
ふつうの、あるいは辺境の村村から。
10 :
Armando:02/07/30 22:22
戦国時代の楚王国のころには、秦や斉とは違う字体の漢字があったそうだけども。
いくらなんでも、村の族長とかがまるっきりそう言う物を見たことがない、ならったことが
無いなんてことは無いんじゃないかなあ。キョウドの集落じゃないんだから。
>>10 >1 : 弥生時代の遺物における「漢字」の少なさです・・
つまり、遺物に漢字が少ないだけでは、漢字の利用状況は判断がむずかしいということ。
12 :
Armando:02/07/31 19:28
なるほど
13 :
日本@名無史さん:02/07/31 19:56
夜、口笛を吹いたら、姉貴に殴られた。
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15 :
日本@名無史さん:02/08/15 22:01
「竟」「田」「奉」とか?
16 :
日本@名無史さん:02/08/26 00:33
17 :
日本@名無史さん:02/09/12 01:33
あげ
18 :
日本@名無史さん:02/09/22 01:39
半島経由だとしても、漢字はもっと残ったはず。
つまり、漢字が残っていないことは、大陸から直接なのを否定しない。
19 :
日本@名無史さん:02/10/06 00:15
日本は石造りの家もないし、
石に文字を刻まなかったのかもね。
20 :
日本@名無史さん:02/10/06 00:24
皆さん、何か誤解していませんか?
大陸から難民として渡来したなら漢字を知っているはずだと思い込んでいますね。
でもね。漢字(正確には夏華の文字)や漢文化(正確には夏華の文化)
を嫌って逃げて来た難民かも知れないでしょ。
その場合、彼等は当然漢字なんか使いたくない。
21 :
日本@名無史さん:02/10/19 23:59
当時の中国大陸南方には、タイ系を中心として多くの民族がいたはず。
漢字をもたらさなかったのは当然なんじゃない?
奄美に、「しょちょがま」と言う稲魂信仰がある。そのルーツは?
23 :
日本@名無史さん:02/11/02 15:29
難民はいくら中国人でも一般庶民だったら漢字知らなくても当然だが
金印もらって以降は倭国の支配階級の中には当然漢字をあやつる部署がないとおかしい
24 :
日本@名無史さん:02/12/01 14:48
>>23 同感。当然漢字を読めた人が指導層にはいたでしょうね。
魏の皇帝が詔書を渡しているのは、相手が読めることが前提。
ただ、発掘からはなかなか出てこないね。三角縁神獣鏡は弥生時代の鏡じゃ
ないから、証拠にならない。ただ、小形鏡の文様「工」が巫の意味だとか
いう説がある。だけど、これも倭人が意味が分かっていたという状況証
拠程度だろう。
弥生土器の記号文も漢字とはほど遠い。
また、「竟」や「田」などは単独なので、文章になっていない。また田
などは偶然の可能性を排除できないだろう。書かれている?部位が変。
さらに、根塚の「大」は、はっきりいって怪しい。歴眠吐のH教授のお墨付
きで有名だが、作業員が土器にこびりついた土を、草刈り鎌で落とそうとし
てついた傷だとささやかれている。
焼成後の傷状のものを字と判定するのは、弥生時代だけでなく、極めて危険
で、慎重を要する。
25 :
日本@名無史さん:02/12/08 22:51
このスレ立てた香具師偉い。良い線突いてる。
26 :
日本@名無史さん:02/12/08 22:56
もうひとつ微妙にすれ違いなんだけど、
なんで弥生時代の人は絵とか造形が下手なの?
同時代の秦や漢では兵馬俑ぐらいのものが作られてるのに。
日本にも天才的土偶作りとかハニワ作りがいなかったの?
27 :
日本@名無史さん:02/12/08 23:02
芸術的といえる。
28 :
日本@名無史さん:02/12/08 23:08
>>27 ごまかしだよそれ。
抽象的なのもあれば写実的な手法もあったわけであって。
なぜ当時の人々が写実的な技法を使えなかったのか?
29 :
日本@名無史さん:02/12/15 23:26
でも、九州では、金印以外に漢字みつかってないんでしょ?
金印以外の文字資料といえば
異説もあるが(漢字で無い単なる模様)、広田遺跡(種子島)の「山」。
時代は少しさかのぼるが・・
鏡の銘文も漢字といえば漢字。
甕形土器の刻書「竟」。
皆、弥生人が理解していたかは、微妙だが、理解していなかったともいえない
のでは・・・
31 :
日本@名無史さん:02/12/27 02:53
漢字の発生は、祭祀儀式と大きな関係があります。
32 :
日本@名無史さん:02/12/30 15:47
>>31 厨房な質問ですまん。日本列島でのこと?どんなふうに?
33 :
日本@名無史さん:03/01/08 21:24
祭祀儀式を様子を象ったのが漢字の起こりっしょ
(^^)
(^^)
36 :
日本@名無史さん:03/01/17 23:51
>>32 最近、文庫判でも出た、例の本を読むとよいね。
37 :
日本@名無史さん:03/01/18 00:05
>弥生時代、日本に水田稲作をもたらしたルートとして、長江流域、かつての
>呉・越の支配圏の人々(難民?)の移住というのがたびたびクローズアップされる
あほ。最初から間違っている。
日本で水田稲作が始まったのは縄文時代。
もちろん技術を持ち帰った縄文人の手で始まった。
38 :
日本@名無史さん:03/01/18 00:12
日本史板の偏差値、カナーリ低そう。。。
39 :
日本@名無史さん:03/01/30 05:32
漢字の起源が呪術という基礎知識もしらんと。
40 :
日本@名無史さん:03/01/30 06:34
>>37 縄文人による水田稲作は,半島から偶発的に技術を持ち帰ったもので
単発的なものだったともいわれる.弥生人にこの技術を引き継いだわけじゃないでしょ.
弥生人が稲作技術をもってきたルートが,南方からというのは間違ってないのでは?
>>40 半島(特に北方)は基本的に水稲不適地なんだよ。品種改良された今では栽培可能だが。
今でも北朝鮮の主食はとうもろこしというくらいだからな。
むしろ縄文人が半島南部に持ち込んだというのが自然な考え方だろ?
縄文の頃から半島南部は生活圏だったんだし。
水稲不適地から水稲適地に伝播したとは考えにくい。
縄文人も弥生人の一部なんだから引き継がなかったというほうが不自然だが?
引き継がなかったという根拠を聞かせてよ。
金印って、田んぼで農作業してたババァがそこでめっけたんでしょ?
怪しい・・・そのババァはF氏の母か祖母か親戚かもしれんぞ。
43 :
日本@名無史さん:03/02/05 00:47
>41 水田、木製農耕具、いわゆる「大陸系磨製石器群」…これらはみな
縄文文化に起源を求められないと思うが如何?
>>43 縄文起源とは考えていない。南方系、特に江南方面から伝わってきたのだろう。
日本は気候風土的に水稲に適していたため定着した。
で、半島南部に居住していた仲間である縄文人に伝えたのであろう。
>>44 なるほど。納得。江南からこうした稲作文化はいつごろ日本列島に
来たと考えますか?
46 :
日本@名無史さん:03/02/11 11:19
江南は日本以上に多民族だったのではないかな
江南には、「夜口笛を吹くと・・・」的な戒めはあるのかな?
【使える?旧漢字まとめてみました。辞書登録よろ〜君もこれで擬古???】
參拜 滿州 萬歳 亞細亞 英靈 劍道 稻穗の國 鬪う 野蠻 南蠻
兩國 學徒 歐州 獻身 獻上 玉碎 國粹 鎭魂 讀賣 會社 惡戲
擬古侍樣 臺灣 國の爲 單一民族 英靈の聲 將軍 經營學 螢
○○縣護國神社 巖格 單一民族 九段下驛 人權 氣志團 特攻觀音
釋 大東亞共榮圈 擧國 從軍 國體 曉に 員數主義 嚴しい 実踐
日本對北朝鮮 日本男兒 戀文 懷古 歡喜 壞滅 自民黨 與黨 屬国
同期の櫻 齡 名譽 鐵人 心醉 勳陶 繼承 地圖 応仁の亂 防衞廳
發言 拔刀隊 斷行 紅一點 移轉 近衞師團 觸發 亞麻色髮 豐穰の海
日本語譯 よど號 豫告 彈丸 專攻 變人小泉 經験
49 :
日本@名無史さん:03/02/19 23:25
中華民國國民黨政権は獨裁政権なのね
50 :
日本@名無史さん:03/03/01 04:51
どうして、骨豊→体になったの? 弥生時代はどう書いていたの?
51 :
日本@名無史さん:03/03/01 07:56
なんて骨体!!
福岡で机が出ている>中国と同じの
弥生時代ではないが、古墳時代に入っても、中国の鏡を参考に日本で鋳型を作り直したものは漢字がインチキになっている
>模様としてしか認識してない
日本側で漢字をきちんと理解して使える人間は、古墳時代に入ってもほとんどいなかったのでは
知識と技術を持っている人間が直接来ていた(机)、だけど広まらなかった(広めなかった?)
53 :
日本@名無史さん:03/03/08 22:26
邪馬壹國は中国と交流していて漢字が分かっている訳なんだが、
日本國ではまだダメだったのかい?
学校でもあったんかい?文字と日本語の、
弥生時代でも捏造をていぞうと読む香具師がいたのかね。
は、ともかく中国渡来の工人が秘伝みたいな感じで漢字の読み書きについて
教えなかったんじゃないの?鏡作りの既得権益を守るために。
56 :
日本@名無史さん:03/03/14 22:30
当時は漢字と言えば祭司との関係が密接だったからさ、
日本では器具を使わない自然派だったし。
57 :
日本@名無史さん:03/03/15 01:13
「言魂・ことだま」という霊力を信じていた程だから、
言葉が目に見えるかたちで残るのが受け入れられなかったのかも。
悪魔の印とまでは思わない程度に。
せっかくレス書いてやったのに放置かよぉー。
59 :
日本@名無史さん:03/03/19 19:10
答えようがないからではないの。
60 :
日本@名無史さん:03/03/27 20:51
「書いたことにより真実になる文化」と「口に出したことにより真実になる文化」
61 :
日本@名無史さん:03/03/30 17:05
中国側の史料では、古代倭国は中国と通じていたということになっているけど、
通訳を通じた交流、あるいは外国語としての中国語を勉強した外交官の仕事
だったんじゃないのかな。
中国は偉大かもしれないが、あくまでも異国で、その言葉や文字は異国のもの。
漢字を自分達の言葉に使おうと発想するには、かなりの飛躍があるよね。
62 :
日本@名無史さん:03/03/30 17:18
書いたものは残るが、口に出したものは忘れられてしまう、時ととともに
63 :
日本@名無史さん:03/04/05 23:17
>>61 いや、中国を1つとみてはいけない。
当時は、南中国(呉)への朝貢してた側と両方あった。
64 :
日本@名無史さん:03/04/05 23:20
http://www.sbs-np.co.jp/shimbun/area21/area21_2003010103.html >斎藤教授が参加する研究グループは、二千五百年前の中国北部・山東半島の遺跡で発見
>された人骨の多くが、遺伝学的にはアジア人よりも西洋人に近いことを見いだした。
>斎藤教授は「もし本当にその時代の中国に多くの西洋人がいたとすれば、歴史が覆ること
>になる」とし、裏付け調査を進めている。
> 佐藤助教授らのグループは、太古の稲などのDNAを分析し、六千年以上前に中国
>南部の長江流域に世界初とみられる稲作文化が発達していたことを突き止めた。四大文明
>の一つとされる中国北部の黄河文明は、西洋起源の雑穀や麦に頼っていたことから、佐藤
>助教授は「黄河はメソポタミアからもたらされた二次的な文明。世界の文明は中近東と
>長江流域という二大文明から始まったかもしれない」と推測する。
> 二つの研究は、定説よりかなり早い段階から中国北部に多くの西洋人が流入していた
>可能性を補完し合っており、佐藤助教授は「研究会で情報交換が進めば、より多角的な
>証拠から従来の歴史観を見直すことができる」と期待している。
ほんとかよ
65 :
日本@名無史さん:03/04/06 11:44
>>64 秦の始皇帝は紅毛、碧眼だったわけですし。
66 :
日本@名無史さん:03/04/14 00:42
詩聖「李白」は、西域の少数民族ソグド系の血を受け継いだ人物で、
紅毛碧眼の持ち主だったようなので、中国人といっても、ピンキリですな。
67 :
日本@名無史さん:03/04/14 00:56
>>66 中国は昔から多民族国家だからな、覚えとけ。
68 :
日本@名無史さん:03/04/14 22:55
結局、弥生人は漢字知ってたのか?
69 :
日本@名無史さん:03/04/15 19:31
知っていた人もいた
(^^)
71 :
日本@名無史さん:03/04/18 02:39
大陸でもすべてのところで漢字使っていたわけではないよ
72 :
日本@名無史さん:03/04/20 01:45
ぬるぽのヨカ〜ン!
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
74 :
日本@名無史さん:03/04/20 02:52
>>1 水田稲作を縄文末期に列島にもたらしたのは縄文人自身。
単に技術移入しただけ。
75 :
日本@名無史さん:03/04/20 10:08
日本人は弥生時代と古墳時代に、大陸人や半島人に
「人種侵略」というヒドイ目に遭わされている。
さんざん美種日本人はレイープされ、醜い顔にされた。
よって、謝罪と賠償を要求する!
76 :
日本@名無史さん:03/04/22 19:09
>>74 そのそもそもの「縄文人」というカテゴリーは何に基づいているの?
77 :
日本@名無史さん:03/04/23 01:30
>>75 う〜む、思想は置いといて美的感覚では縄文人は美しいか?
78 :
日本@名無史さん:03/04/23 02:57
>>77 きっと75は
おめめぱっちり立体ソース顔の、縄文人が好きなんだろう。
79 :
日本@名無史さん:03/04/23 04:19
80 :
日本@名無史さん:03/04/26 17:14
漢字は中国語を書くための文字で、中国と中国語で文通するときには使う人もいた。
それ以外には使わない。
81 :
日本@名無史さん:03/04/26 20:27
★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★歯が大きい、または出っ歯★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★
以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
82 :
日本@名無史さん:03/04/26 20:38
江戸時代、日本は蘭、唐、鮮との交易を行ってきた。特に蘭については磁器、扇子など
欧州に紹介され当地の美術に貢献したと言われます。また、医学など日本に多く貢献し
ました。
しかし、ちょっと気になることがあるんです。江戸時代の文献にアルファベットの文字がない、
又は日本書物に影響を与えていない、なんかの象徴の模様にもなってません。
これは、どういうことでしょう。
本当に当時の蘭学の多くの人はアルファベットを知っていたのでしょうか?
又、蘭学(字)は日本の文化(庶民)生活にとって大した事がなかったんでしょうか?
江戸時代、欧州地域からの交易の影響とアルファベット資料の少なさについて。
幕府の締め付けはあったとしても...
井原西鶴かなにかにオランダ語が書いてあったような…
ハイカラなイメージだったらしい。
あと東インド会社へ輸出した醤油びんは日本製だが、ちゃんと表示はオランダ語
ハングルの石塔が千葉県にあるくらいだから、探せばもっとあるんじゃでしょうか。
幕府は禁止はしていないと思うがどうでしょうか?
>>83 良い点ですね。アルファベットはオランダ語を表すための文字で日本語とは別。
漢字も中国の言葉を表すための文字で、それ以外には使わないのが当然。
後の時代に漢字や漢語が日本語に入ってきたその後の日本人である我々の感覚で
弥生時代を考えてはいけないということですね。
86 :
日本@名無史さん:03/04/28 00:14
魏志韓人項によると、
古代の韓国朝鮮人は太古の昔から石で偏平な後頭部にする奇習があった。
短頭という元からの人種的特徴を強調したのだ。
そして異常なまでに過短頭の絶壁アタマをしていた。
一方、同時期の弥生人は中頭人種。
無論、石で偏平な後頭部にする奇習など、、、、、、無い!
87 :
日本@名無史さん:03/05/04 15:00
レ点読み&訓読みで、漢文を大和言葉で読んでしまった。すごい。
英文が入ってきたときも同じようにすべき。
88 :
日本@名無史さん:03/05/04 20:23
漢字は中国語の文字。中国語は外国語。
そんなもんで日本語を書こうと思いつくやつがいる方が変。
我々はそういう変なやつの子孫だから、1のような疑問を持つだけのこと。
89 :
日本@名無史さん:03/05/05 00:05
漢字がアルファベットのように簡単な文字だったら良かったのにね。
世界中の文字で、漢字みたいに文字の数が無限に近く多い文字は他にないのでは?
それをまた漢音・呉音とかいって音が複数個に、訓読やらするもんだから、
覚えるのが大変。そんなことに勉強時間を相当割いている日本人は不幸だよね。
ある民族の文字の複雑さと知能指数はかなり比例するそうだよ
91 :
日本@名無史さん:03/05/05 00:31
日本以外に複雑な文字の民族がいるのか?
92 :
日本@名無史さん:03/05/05 00:38
英語でも綴りと発音に微妙なズレが生じているな。
日本語の漢字ほどの問題はないが、
まあ、旧仮名遣いと発音の関係程度かな。
93 :
日本@名無史さん:03/05/05 00:40
2種類以上の文字を使う民族なんて日本人以外にいるのか?
94 :
日本@名無史さん:03/05/05 00:44
韓国人、ヴェトナム、蒙古、台湾、。。
しかし急速に変わりつつある。
95 :
日本@名無史さん:03/05/05 01:07
台湾?
96 :
日本@名無史さん:03/05/05 01:19
韓国では、訓読はしないね。音読みだけ。
漢字一文字につき読み方は一通り。
しかも、基本的に漢字一文字は子音・母音・子音
の組合せだから、ハングル一文字と対応している。
だから、日本語より簡単だね。
今では漢字はほとんど使わない。
だもんで、
名前は漢字でつける習慣なのだが、自分の名前が書けないヤツとか、
子どもの名前が付けられなくて困るヤツとかいる。
97 :
日本@名無史さん:03/05/05 23:11
>>96 自分の女の子の名前は最近こまって、セリとかハヌルとか漢字で
書けない名前を付けられた子がいる。
その点男の子はトッリムチャで一字は決まっているしね。
だけど三国時代は必ずしも今みたいな名前じゃなかったと聞いたが…
私が5年位前、韓国に居たときに、郵便局の人の漢字テストがあったという放送を見た。
(韓国の郵便でも住所に漢字を使う人が居るが、読めない郵便局員が多く、対応に苦慮
してのことだと言っていた)
でも安重根義士の文章などはほとんど漢文だったから、文章がハングルですべて
書くようになったのはそんなに歴史があるようには思えないけど。
>>97 世界史板の「東アジア人の名前」スレに詳しいよ
>>98 見てみました。面白かったです。
ところで、折角だから、弥生時代の人の名前って
どんな構造と考えられているのか。
ヒミコ(卑弥呼)ってことは名前だけで、姓はないんだろうけど。
都市牛利とか難升米とか、これはどういう風によむの?(もしくは
読むと考えられているか)教えてキボーヌ
100 :
bloom:03/05/11 16:21
101 :
Big News:03/05/19 20:27
NHKのニュースで弥生時代が500年遡り、BC800〜1000年から始まった
とのこと。
102 :
日本@名無史さん:03/05/19 21:34
103 :
日本@名無史さん:03/05/19 22:51
神武天皇はやはり居たんだろうな・・・
皇紀元年は弥生時代でつね
何か伝承があったのでしょうか?
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
106 :
日本@名無史さん:03/05/22 05:16
どう考えても半島北部で育たないものが半島経由できたのはおかしい
と、言われてきたのが、ようやく南方から直接と認められそうだね。
>>99 【卑弥呼】
上古音ヒミカ[pieg-mier-hag]中古音ヒミコ[pie-mbie-ho]
「共に一女子を立てて王とし」が先にあり、その後で「名づけて卑弥呼」とあるから
固有名詞ではなく、君主としての称号かまたは巫女としての職名かいずれかという説がある。
「日御子」で、後世のスメラミコトという称号の前身か。
【都市牛利】
上古音タヂゴリ[tag-dhieg-ngiog-lieg]中古音トジギリ[to-ziei-ngieu-lii]
4文字で一人の名という説(出石凝(いづしごり)とか但馬守(たじまもり)とか)と
都市・牛利の二人という説がある。出石は天之日矛と縁の深い三韓外交の要地。
但馬守はその天之日矛の子孫で常世国に派遣された伝説で有名。
でも「都市」は、たぶん“市場監察官”を意味する官職名の漢訳だろう。
牛氏というのは三国時代から唐にかけてよくみる姓だから、
牛利という名はまず中国人だろう。
想像をたくましくすれば、北九州に貿易にきている中国人側の商人のまとめ役を
倭国から任されていた貿易商(華僑)の大物で、倭国側の役人を兼ねていた、
後世の帰化人のはしりみたいな人物ではなかったか。そういう立場を魏の朝廷に
わかりやすく説明するために倭国から任じられていた官職を漢訳したのではなかろうか。
【難升米】
上古音ナチメ[nar/nan-thieg-mer]中古音ナセメ[nda/ndan-sheg-mbei]
難は奴国の「ナ」と同じで出身地を氏としたものかという説がある。
升米は、三国志は誤字が多いのであるいは斗米の誤りの可能性もある。
名前からすると女性だったのかも。実は奴国の女王格のお姫さまだったりして。
108 :
日本@名無史さん:03/05/22 07:52
>>107 >三国志は誤字が多い
そういう事実はないです。
>83
百人一首のパロディ本で少し出てくる
あと風景版画の周囲に飾りとして使ったり
ハングルを朝鮮仮名として紹介している字典もある
おれも
>>108に賛成だな。正しくは、
三国志も誤字が多い
_
113 :
日本@名無史さん:03/05/25 04:12
弥生時代の鉄器が前10世紀!!! 中国より古い?
114 :
日本@名無史さん:03/05/25 12:00
で、弥生人は漢字読めたのか?
ヤンキースで松井とレギュラーを争い、
「三割以上打つ自信がある」と自信満々で日本に乗り込んだレイサム。
しかし極度の不振に加え、先日は「人生で一番恥ずかしい」と自ら語る
プレーをして、すっかり意気消沈している。
このまま行けばオフを待たずに解雇されることは確実。
そんな可哀相な巨人・レイサム外野手に、われわれ2チャンネラーの力で
せめてオールスター出場という花を持たせてあげよう!
野球ファンもそうでない人も、みんなどんどん投票して
あげてください。
↓
http://allstar.sanyo.co.jp/vote/
>>114 読めなかったら朝貢できない。遅くとも1世紀には漢字読めたはず。
117 :
日本@名無史さん:03/05/26 11:33
116>>
銅管。
読めた人はいたはず。
どの程度の範囲の人が読めたかは研究課題でしょう。
118 :
日本@名無史さん:03/05/26 21:54
漢字を読めたということは(当時の)中国語の読み書きが出来たということ。
すなわち、通訳がいたということ。
現代の日本人が「漢字が読める」というのとは全然意味が違うね。
分かり切ったことと思うけど、一応念のため。
>>116 だけど、記録がまったく残っていないね。通訳しか漢字をしらなかったのじゃないかって思う。
120 :
日本@名無史さん:03/05/27 00:19
通訳しか中国語を理解しなかったろうね。通訳以外の者が
中国語が分からないことは、別に不思議なことでも何でもない。
今でも同じようなものだね。
121 :
日本@名無史さん:03/05/27 06:28
文字記録が残ってないのが痛いな
>>121 少なくとも支配階層まで漢字を知っていれば、日本書紀・古事記のような書物はともかくとして、
土器にかかれた文字くらいは大量に残っていただろうに。
123 :
日本@名無史さん:03/05/27 10:47
この時代、文字は木簡と竹簡だろ? 粘土版かよ(w
124 :
日本@名無史さん:03/05/27 22:39
>>122 文字資料(考古遺物)が少ないからといって、当時の人が漢字を知らなかったと
まではいえないとオモフ。
土器書かれた文字のような資料は、同時期の朝鮮半島だって極めて少ない。
>>123 銅管。木簡や竹簡が主体とすれば、なかなか発見されにくいだろう。
そのうち弥生時代の木簡が見つかるような気もする。
125 :
日本@名無史さん:03/05/27 23:00
古代は、今ほど総てが画一的・平均的でない。
「弥生後期」と言っても、日本列島には、縄文に近い生活スタイルの民もいれば、
先進国たるレベルの民も住み着いていた事でしょう。
前者は漢字を知らないし(土器にないから)、後者は生活に必須だったでしょう。
とにかく、当時の日本列島は、色々な民族にとってのフロンティアだったと思うのです。
ネイティブアメリカンのテントに、カウボーイが一宿一飯の記念に英語で詩を書き残したとしても、
テントの持ち主が「英語を知っていた」とは言えん訳だし。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
127 :
日本@名無史さん:03/05/28 16:55
本当に呉・越の遺民なら、すくなくともムラの族長やシャーマンとかはある程度文字を知っていてもおかしくない。
128 :
日本@名無史さん:03/05/28 23:08
漢字は中国語の文字だっつうの。
漢字を知らないことを文字を知らない文盲のように言うのは止められよ。
何年教えても英語が分からない現代日本人と大差ないよ。
>>128 なにが言いたいのかよくわからないが?
漢字を知らなければ文盲でしょう? 当時は仮名なんかないわけだから。
125が想定している世界像は、賛同はしないが一応理解はできる。
しかし127のいってることはおかしい。
「ある程度文字を知っていて」も漢文の読み書きはできないから実際ほとんど役に立たなかったはず。
表音文字とちがって、文字さえあれば言葉を伝達できるというものではない。
日本でも事情は同じだったはず。
漢字知ってても文章は書けない。漢文知らなきゃ。
でも、そもそも漢文知ってる奴が結構いたと思うがな。
だって、漢文を読み書きする必要があって漢字を学ぶのであって、
漢文と別個に漢字を習う機会なんて論理的にあり得ないからな。
131 :
日本@名無史さん:03/05/31 09:45
外国語を知らないことを文盲とは言わないよ。
132 :
日本@名無史さん:03/05/31 14:06
宋書によれば縄文字みたいなものはあったようだが。
133 :
日本@名無史さん:03/05/31 14:09
>>125 千葉の貝塚には平安末期〜鎌倉時代のものもあるらしいからな。
134 :
日本@名無史さん:03/05/31 22:32
日本では表音文字と表意文字に分けて、漢字を表意文字と言うことが普通だね。
これは、日本語では漢字の本来の読み方を音とし、日本語読みを訓として
2通りの読み方を与えたことによる。更に音には漢音やら呉音やらと由来の時代や
地域によって複数使うこともあるし、訓も適当な日本語が定まらないために複数の
こともよくある。だから、日本語としての漢字の使い方は読み方が定まらないので
表意文字と呼ばれる。
しかし、これは日本語に漢字を取り込むための工夫と努力の結果であって、
本来、漢字は中国語を書き表わすものよ。しかも、時代と地域を特定すれば、
漢字一文字の読み方は一つだし、基本的に一単語を表す。
だから、これは立派な表音文字よ。
という訳で、日本語に漢字を取り込むことは非常に特殊な工夫と努力の後
であって、それ以前の日本にとっては、漢字は純粋に中国語の文字。
中国語は外国語。外国語とその文字を通訳以外の者が知らないのは非常に自然なこと。
135 :
日本@名無史さん:03/06/01 04:16
神代文字が使われてたんじゃないの?
136 :
日本@名無史さん:03/06/01 04:24
江南から移民は、漢字を使用しなかった。
漢字の使用は、漢族への同化を意味し、それを嫌った。
あるいは、鉄器には多く漢字が書かれていたが、
錆びて消滅したため、発見されない。
137 :
日本@名無史さん:03/06/01 04:37
>本当に呉・越の遺民なら、すくなくともムラの族長やシャーマンとかは
>ある程度文字を知っていてもおかしくない。
これがホントかどうか?
138 :
日本@名無史さん:03/06/03 00:07
移民が異郷の地で故地の文化を維持するのは簡単ではない。
先住民をけちらし、かつ、故地と密接な連絡関係を維持できる場合以外には無理と思う。
呉・越の移民とやらがどんな感じでやって来たのかオレはよく知らないが、
故地を追われて逃げて来たのだとすれば、故地の文化の維持は非常に難しかろうね。
そもそも子孫に言語を伝えることも難しかろう。まして、文字を伝えることは
一層難しかろうね。
139 :
日本@名無史さん:03/06/14 06:01
呉・越の一般民衆は漢字を日常用いていなかったのでは?
140 :
日本@名無史さん:03/06/14 08:06
一般民衆なら、漢や魏でも漢字は日常使ってなかったんじゃないの。
今でも華僑の大半は漢字使えなくなってるから、昔も(本土で使って
いても)周りが使わないと忘れたんじゃないかな。
日本みたいな漢字使用圏の華僑は例外。 イタリアとかモーリシャス
とか古くからのカナダの華僑なんて自分の名前も漢字で書けない。
141 :
日本@名無史さん:03/06/23 04:15
大陸において漢字利用圏からの迫害にあってきた多くの民族は、
日本列島へ移住してきた時点で漢字を運んできていない。
142 :
日本@名無史さん:03/06/25 23:26
紙も鉛筆もない時代。
漢字は、亀の甲羅に書いて占いに使うか、帝国内の支配伝達のために使うか、
そんな感じだよな。移民にはいらないものやね。じゃけん使うことがない。
まして、倭国のシャーマンには全く必要ない。
倭国のシャーマンの鬼道は五斗米道だったんじゃないの?
144 :
日本@名無史さん:03/06/26 00:34
いいえ。
145 :
日本@名無史さん:03/06/26 18:14
146 :
日本@名無史さん:03/06/26 23:10
名前はないよね。
例えば神道やら神社。これは、仏教が入って来たためにその対比として自分達の
やって来たことを初めて自覚してそれに名前をつけたものだね。神道や神社が
漢語であることも一層そういう感じを強めるね。
神(かみ)、宮(みや)、占い(うらない)などのやまとことばは残ってる。
仏教や儒教、道教のような漢語は当然なかっただろうが、
148 :
日本@名無史さん:03/06/29 20:57
仏教、儒教、道教はどれも外来の概念なれば、倭後でないのは当然だな。
論点がチョイとずれてないかい?
150 :
日本@名無史さん:03/07/06 02:03
神代文字はなぜないんですか。
弥生、古墳時代の人は、文字の必要性を感じなかったんですかねえ。
ハクソンコウで負けてから、やっぱ文字必要って思ったんですかねえ。
戦争は組織だ、組織力をつけるために文字が必要だってかんじだったんですかねえ。
中国北方の民族も中国と戦争しょっちゅうしてて強かったけど、文字持たなかったり
してましたよね。
言霊についてあまり詳しくないが、これを支配の伝達における武器としよう。
古代において、言葉とは、支配と組織、そのものだったのではないだろうか?
文字の特性は、より広範囲の時空での伝達である。
伝達とは、文化文明の重要な要素であると共に、支配組織の形成に必要なものである。
ここで、組織というものを捉えれ見ると、軍においては伝令で済む以上、言葉>文字である。
また、遊牧民の生活を組織化(国化?)することは遊牧民をやめるということに他ならない。
それは牧畜への変化を強要するからだ。中国北方にその条件があっただろうか?
一方、農耕民はその集団性と組織力を自然と強要されるが、その支配においては、小集団では言葉で足りるが限界がある。
文字の必要性は、集団の大規模化に伴う密度の高い組織の定着化を目指すものであると共に、支配権の時間への定着を図る要求に答えるものである。
弥生の円墓は自然な形成のような気もするが、
古墳期、文字を持たなかったとしたら、前方後円墳のタイプはどの様にして時空を伝達されたのだろうか?
絵は除いて(この場合文字としての機能を意味するから)、模型など考えられるが、さて?
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
154 :
世界@名無史さん:03/07/16 17:56
アゲゲ
155 :
日本@名無史さん:03/07/21 23:51
弥生時代の日本語の音韻がどうなって
いたのか?という,これまたきわめて野心的な問題に取り組みました。
日本書紀のα群の詩歌と固有名詞は、奈良時代に,中国人が漢字を用いて日本語の音韻を写し取った貴重な文書ということでした。ところが、「中
国人が弥生時代の日本語を漢字を用いて表記した文献」があります。
157 :
日本@名無史さん:03/07/23 12:41
で、弥生人は漢字読めたのか?
158 :
日本@名無史さん:03/07/26 13:27
159 :
日本@名無史さん:03/08/01 22:45
そもそも、弥生人って何種類もいるぞ。
春秋戦国時代に大陸の多民族が混じり合うまでの多くの民族のうち、
日本列島には複数がやってきている。
(^^)
161 :
日本@名無史さん:03/08/09 22:35
燕人系弥生人が鍵をにぎってるね
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
163 :
日本@名無史さん:03/08/16 19:09
重要なのは、現在我々が用いている楷書体になったのは4世紀であること。
弥生時代に漢字が伝われば、金文や隷書なわけで、今の漢字と字形が異なる。
これを理解せずに、いまの楷書体を弥生時代に求めるのは、無い物ねだり。
164 :
日本@名無史さん:03/08/28 20:33
そうなんだよね。
我々のなじみのある楷書体の漢字は弥生時代の遺跡からはでるはずがないんだよね。
165 :
日本@名無史さん:03/09/05 20:56
166 :
日本@名無史さん:03/09/19 19:09
167 :
日本@名無史さん:03/10/01 22:49
漢字を読めたということは(当時の)中国語の読み書きが出来たということ
168 :
日本@名無史さん:03/10/17 00:25
日本語はタミル語無しには語れない。
170 :
日本@名無史さん:03/10/17 21:58
171 :
日本@名無史さん:03/10/18 12:26
スレじゃなくて板なわけだが・・・
172 :
日本@名無史さん:03/11/06 23:56
173 :
日本@名無史さん:03/11/24 15:01
弥生時代の後期にならないと、大陸での漢字の書体が完成しないわけで。
174 :
日本@名無史さん:03/12/28 08:55
弥生時代の定義を買えるべきか?
175 :
日本@名無史さん:03/12/28 13:38
買えるもなにも、縄文農耕の存在が確定してから
縄文・弥生の定義は崩壊してるんじゃないか?
公式な定義っていまでも活きてんの?
176 :
日本@名無史さん:03/12/28 13:41
ま、山川日本史準拠の受験日本史ではな。
177 :
日本@名無史さん:04/01/04 00:04
弥生時代の人間が、たとえ漢字を知っているのがごく一部のムラの族長やシャーマン
だったとしても、漢字を書ける人間がいたならば、弥生時代の遺物にかかれているもの
には時代名をあらわす「弥生」の二文字がたくさん見うけられても不思議ではないはず
だが、そういう話は聞いたことがない。当時の弥生人は、漢字を知っていても書くこと
はできなかった!?
あぼーん
180 :
日本@名無史さん:04/01/18 21:59
古墳時代の漢字とは書体が違うので、大陸側での変貌に驚いて捨てたのではないかと。
181 :
日本@名無史さん:04/01/20 07:58
182 :
日本@名無史さん:04/02/01 22:31
神代文字が使われてた
183 :
日本@名無史さん:04/02/01 22:35
文字が使用されてたら、7世紀後半の木簡なみに出土してるだろう。
それ以前の出土例がほとんどないってことは、使用されてなかったんでは?
184 :
日本@名無史さん:04/02/01 22:46
シナ文字って未開な文字だからなかなか普及しなかったんだろうな
漢和辞典とか埋まってないのか。
186 :
日本@名無史さん:04/02/07 18:05
187 :
日本@名無史さん:04/02/22 04:01
移民が異郷の地で故地の文化を維持するのは簡単ではない。
188 :
日本@名無史さん:04/02/22 18:07
つまり弥生人は漢字を使ってなかったってことだ。
189 :
日本@名無史さん:04/02/25 07:49
漢字は使ってたろ
190 :
日本@名無史さん:04/02/25 20:11
あやしい
191 :
日本@名無史さん:04/03/07 02:44
あやしくないよ
192 :
日本@名無史さん:04/03/23 22:41
漢字以外の文字で「弥生××年」と書かれた遺物がそのうち発掘されるだろう。
193 :
日本@名無史さん:04/04/06 04:32
神道やら神社。
これは、仏教が入って来たためにその対比として自分達の
やって来たことを初めて自覚してそれに名前をつけたもの
194 :
日本@名無史さん:04/04/06 07:53
天皇家自体が朝鮮人だからな。
だから古墳がトップシークレット。
散々朝鮮を差別している右翼が
実は日王が朝鮮人だと知ったら
暴動おこりかねないからな。
右翼もチョンだから、天皇マンセ〜なんだろ。
日本にはもと王があって、その臣下では関白というのが一番えらかった。
当時関白だったのは山城守の信長であって、ある日、猟にでたところが
木の下に寝ているやつがある。びっくりして飛び起きたことろをつかまえて
問いただすと、自分は平の秀吉といって、薩摩の国の人の下男だという。
すばしっこくて口がうまいので信長に気に入られて馬飼いになり、木下という
名前をつけてもらった。
信長の参謀の阿奇支〈あけち〉というのが落ち度があったので、信長は秀吉
に命じて軍隊を率いて攻めさせた。ところが突然、信長は家来の明智に殺された。
秀吉はちょうど阿奇支を攻め滅ぼしたばかりだったが、変事を聞いて武将の行長
らとともに、勝った勢いで軍隊をひきいて 帰り、明智を滅ぼした。
8('A`)8 弥生時代の毒男
↑多分俺も同じ所からきた8('A`)8
199 :
日本@名無史さん:04/04/23 23:45
とにかく
遺跡をどんどん発掘するしかない
200 :
日本@名無史さん:04/04/25 19:58
201 :
日本@名無史さん:04/05/15 19:45
http://www.asahi.com/culture/update/0515/002.html 強力なX線を鏡に当てて、不純物としてごく微量に含まれている銀とアンチモンの反応の強さを調べた。この方法
で、同館所蔵の中国の戦国時代(紀元前3世紀)から三国西晋時代(3世紀)にかけての鏡69枚と、古墳時代前・中
期(3〜4世紀)の三角縁神獣鏡ではない日本製の鏡18枚を分析したところ、中国製の各時代の鏡と日本製の鏡はそ
れぞれ異なるまとまりをつくった。
その上で、同館にある三角縁神獣鏡8枚を同方法で分析した結果、6枚からは三国西晋時代の年号が入った中国製鏡
と近い測定値が得られ、残る2枚は日本製のまとまりに入った。
中国製鏡と近い数値を示した6枚のうち、2枚は京都府内の古墳で出土したものだが、ほかの鏡の出どころは不明。
中国の鏡と異なる反応が出た2枚については、粗雑な文様などから、これまでも中国製を模倣した日本製と見られてい
た。
202 :
日本@名無史さん:04/05/28 22:42
ここまでのまとめ。
日本でも漢字を使っていた。
ただし大陸で始皇帝が漢字統一するまえに日本列島に伝わったので、別の進化ととげた。
魏の使い「それではこれが印綬です」
倭人 「え〜・・・・・か、か・・・かっこいい!!」
魏の使い「・・・・帰るわ。」
ってなことがある分けないから、最低でも当時の支配階級には読めたはず。
ちなみに、「漢の倭奴国王」と読むのが本筋。「漢の倭の奴の国王」とは、読み方も
使い方もあり得ない。全て朝貢は漢の直轄国として服属して初めて叙せられる。
204 :
日本@名無史さん:04/06/19 14:34
「漢の委の“奴國”の王」でそ
>>206 ○漢の委の“奴國”の王
×漢の倭奴の国王
209 :
日本@名無史さん:04/07/17 23:08
倭奴でなく、委奴(いと?)だよね?
話はズレますが‥‥
20年以上前だったか、
“日本(場所忘れた)の洞穴で、古代中国文明より古い時代のものと思われる
漢字数文字が壁面に刻まれているのが発見された!
これにより漢字の起源に根本から疑問が!”
って新聞1面クラスで報道されて、大ニュースになったことなかったっけ?
しかもその数日後に、洞穴の近所に住むオッサンが
「それって自分が子供の頃に書いた落書きだと思うんですけど…」って告白
というオチのついた、アホみたいな事件というか出来事があったと思うんですけど‥‥
誰か憶えてない?
当時かなりのガキだった俺ですら
「そんな、ちょっと調べりゃすぐ分かりそーな(というか調べるまでもなさそーな)モノを
ちゃんと検証もせずに新聞トップで報道するかぁ!?」って
かなりビックリした記憶があるんだけど。
既出だったらスマン。
211 :
日本@名無史さん:04/07/18 02:54
文字が使われていた時代なら、遺跡から文字資料は簡単に
見つかるものかな…。
そもそも文字資料が残っている遺跡というのは、特定の場所なり
状況のもとにあると思うが。
212 :
貝塚マニアin弥生文明:04/07/18 03:27
>>1 言葉(倭人土語)と、漢字(漢語)にずれがあったのでは?
当時の倭人社会に漢字は必要なかった
(或いは必要に迫られるほど民度が進んでいないとか)。
だから漢字の遺物が残っていない。
インカ帝国にだって文字は無いのだし、
アイヌ社会だって文字の無い文化だったし。
>>209 委奴は「いと」とは読めない。「わ・な」だ。
214 :
日本@名無史さん:04/08/10 09:33
215 :
日本@名無史さん:04/08/13 17:22
217 :
日本@名無史さん:04/09/04 17:19
ここ1〜2年で日本史で最も研究が進んだのがこの分野だね。
今では1の言っている事が全くのデムパにしか目に映らないよ。
この1〜2年という短い間に、いったい何があったの?
ソースヨロ。
教えるまでもない。
時の経過がしっかりお前に教えてくれよう。
やっぱりハッタリだったか・・・・よくある話だが。
221 :
日本@名無史さん:04/09/05 19:37
★★★★★★★★★★★★★★★荒らしの心理学★★★★★★★★★★★★★★★
心理学者アルフレッド・アドラーの言葉を引用するまでも無く、なんらかの劣等感に
強くさいなまれる者は、それを補償しようとして『権力への意志』を強める傾向にあります。
しかしひとたびそれが失敗すると無為、逃避、破壊衝動に陥いることになってしまう…。
つまり、荒らしとは劣等感に悩み、克服するためにひとかどの人間になろうとしたが
それに挫折してしまい、他者の尊厳をむしり取ることで自らを慰めている人たちなのです。
そんな荒らしを私たちはを軽蔑するのではなく、むしろ憐れむべきではないでしょうか。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
222 :
日本@名無史さん:04/09/12 00:01:57
滋賀県長浜市の大戌亥・鴨田遺跡で出土した3世紀中ごろ(古墳時代初め)の土器にある刻書が国内最古級の文字とみられることが分かり長浜市教育委員会が8日、発表した。
長浜市の大戌亥(おおいぬい)・鴨田(かもだ)遺跡で見つかった「卜(ぼく)」の字のような刻書がある古墳時代初め(三世紀半ば)の土器。
邪馬台国の女王・卑弥呼が活躍した時代、大陸から伝わった文字という先進文化に、長浜の人々が触れていた可能性がうかがえ、
地域の先進性が改めて浮かび上がった。専門家は、謎に包まれている古代の文字文化を探る糸口として、わずか〈二画〉の小さな刻書に注目している。
「文字のように見えるが、記号かも知れない」
一九九九年十二月の雪の降る日、遺跡内から偶然見つかった奇妙な土器。調査を担当した市教委歴史文化課主査の西原雄大さん(39)は
数十人の専門家に問い合わせたが「分からない」「ほかに類例が見つかるのを待ちなさい」という返事ばかりだった。 “正体”がつかめたのは今年七月。
各地の刻書や墨書を研究していた東野治之・奈良大教授(日本古代史)に依頼した鑑定で「線の柔らかさなどから、文字として刻まれた可能性が高い」と判明した。
「『川の水量を抑えて下さい』とか『もう少し水を流して下さい』とか、人々が祭壇で『卜』の文字の付いた土器を使い、神に祈ったのかもしれない」
西原さんは想像を膨らませる。「卜」は中国の古代王朝・殷の時代から使われている文字。カメの甲を焼いて王が神の意志を問うという意味があるという。
古代の日本人が文字に接し始めたのは、中国との外交や交易が始まった紀元前後ごろと言われる。一世紀には「漢委奴国王」と刻まれた金印が中国から贈られ、
中国の史書・魏志倭人伝には、魏から邪馬台国に詔書が届けられたことが記されている。 早い時期に日本人が文字に接していたことを裏付けるように、
三重県安濃町で二世紀末ごろの「奉」の字のような刻書がある高坏(たかつき)、福岡県前原市では三世紀中ごろの「竟」の字とみられる刻書があるかめなど、
各地で刻書や墨書のある二〜四世紀の土器が相次いで出土している。 水野正好・奈良大教授(考古学)は「港町では、船の荷物の積み降ろしに関する記録が必要。
当時の長浜には文字を使う人々が集まった可能性がある」と話している。
223 :
日本@名無史さん:04/09/12 00:22:35
先日、ちばテレビの「楽浪遺物のある風景」という番組を見た。
北朝鮮の平壌に飛んで、最近の楽浪郡遺跡での発掘作業を映していた。
楽浪郡遺跡から出てくる遺物は北九州や出雲の弥生遺跡の遺物と
ほとんど同じものばかりだった。
やはり華北人が占領朝鮮を通して弥生期の日本に渡来したものが
弥生人である事を裏付ける遺物ばかりであった。
224 :
日本@名無史さん:04/10/01 22:20:46
225 :
日本@名無史さん:04/10/21 19:19:50
で、弥生人は漢字を使えたのか?
226 :
日本@名無史さん:04/10/21 19:52:21
使えるわけがない
227 :
日本@名無史さん:04/11/07 23:36:18
使えたヤツもいただろ
228 :
日本@名無史さん:04/11/27 07:56:55
弥生人が大陸から来たとして、
当時の大陸の漢字は甲骨文字や金石文字だろ?
書体が全然違うじゃないか!
229 :
日本@名無史さん:04/12/13 22:14:57
ようするに、今のような漢字の形に落ち着く前に、
日本列島へ渡ってきてしまったんだね。
230 :
日本@名無史さん:04/12/13 22:19:35
とはいえ、当時の文字(篆書?)のある遺物の出土例もほとんどない以上、
やはり文字は使われてなかったんだろうな。
231 :
日本@名無史さん:04/12/13 23:16:54
縄文時代のリーダーと弥生時代の族長の違いのレポートを
書きたいのですが、ご存知の方おられましたらご教授お願い
できませんでしょうか(゚*゚)
232 :
日本@名無史さん:04/12/29 08:12:48
縄文時代のリーダーってなんだそりゃ…
233 :
日本@名無史さん:04/12/29 08:16:00
集落のリーダーってことだろ?
考古学板で聞いたら?
235 :
日本@名無史さん:05/01/10 10:56:38
漢字がまだ象形文字だった頃に移住したとすれば、成り立つかな?
236 :
日本@名無史さん:05/01/25 22:51:55
よーするに、象形文字から漢字になる筋道が、大陸と日本で異ったわけだ。
237 :
日本@名無史さん:05/01/28 18:08:23
弥生人が漢字なんか使えるわけないだろ。
238 :
日本@名無史さん:05/01/28 23:47:26
>>237 100年程前でも識字率10%程度の国も有るくらいだから
日本とはいえ2000年前なんて寺子屋なんかなかっただろうし、
、、、使えるわけないよなぁ。
そもそも中国の識字率が低い。そこからきた弥生人も字の読み書きできない。
240 :
日本@名無史さん:05/02/17 11:07:20
>>239 おれもそう思う。
てゆっか、中国とひとまとめにするのは意味がなくて、
ものすごい多様な民族が展開していた時代。
(今も少数だが民族数はものすごい。)
それらの多様な民族のいくつか複数から順次移住だとすれば、
漢字を使っていなかった人々の蓋然性の方が高い。
241 :
日本@名無史さん:05/03/01 01:00:55
242 :
日本@名無史さん:05/03/03 06:02:23
土器にはドーリア人と共通の柄(記号)が見られます。
243 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:53:03
ドーリア人って、何系?
244 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:03:22
欧印族じゃないっけ
245 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 14:26:23
ウホウホ言ってた弥生人が漢字なんて使えるわけないだろw
246 :
日本@名無史さん:2005/05/12(木) 19:39:35
とすると、漢字文明圏以外から弥生人は来たということか。
漢字文明圏の中の人たちの識字率はおそろしく低いわけだが。
248 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 01:32:04
建築家の渡辺 豊和氏の説に寄れば、高床式・校倉造りなどの住居形式は北ユーラシア系のものらしい。
ttp://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/watanabetoyokazu.html >日本でも縄文の竪穴住居は土室だった。しかし日本は湿気が強いため日干しレンガはできない。
>そこで私達の先祖が考えたのは木を構造とし面を土とする土蔵風のものであった。
>このことに気付いて『神殿と神話』(原書房 83年)に書いたし歴史家や建築史家にことあるごとに
>このことを力説したがそのごとに冷笑をあびるか無視された。
>ところが最近、青森の三内丸山発掘以後ようやく竪穴住居の屋根は土でできているといわれはじめた。
>3年前(99年)今や考古学界の重鎮佐原真にそのことをいうと
>そんなに早くわかっていたなどとても信じられないといった風であったが本を見せてはじめてわかってくれたということがあった。
>佐原の他の考古学者にはみられない柔軟さ真摯さには好感がもてたことを強く記憶している。
>縄文の竪穴住居は1メートルほど土を堀りその土を使って建築とするのであるが
>前方後円墳と全く同じ形をした家屋なのである。前方部が入口、後円部が住まいである。
>このことはまだ考古学者はわかっていない。
>秋田県横手市の雪室「カマクラ」こそ竪穴住居の記憶であろう。
>これと関連づけてみるぐらいの柔軟さがほしいが登呂遺跡の復元竪穴住居のイメージからぬけきれていない。
>ついでに同じ『神殿と神話』で正倉院校倉は北ユーラシア渡りの建築形式と明言したが
>これもようやく三内丸山発掘で高床とおぼしき住居か倉庫が出てきたため気付きはじめたようである。縄文の高床は校倉なのである。
>校倉は丸太を横に積む形式で極寒に耐えうる唯一の木造高床形式なのである。
>ロシアなどの北ユーラシアの住居は現在でもこれは主流なのである。
249 :
248:2005/05/18(水) 01:42:08
採集・漁労の点で落葉広葉樹林は照葉樹林と比べ遥かに食料が豊富だから、
縄文時代の日本列島の人口はほとんど東日本に集中していて、
西日本にはほとんど人は住んでいなかった。(遺跡の分布でも明か)
そこへ焼き畑の技術なり水田の技術を持ち込んだのだから、
実際には縄文文化と弥生文化の衝突はほとんどなかったと思われる。
弥生文化が関東・東北にすぐに広まらなかったのは、
東北地方においては、初期の水田稲作の弥生文化より、
採集漁労の縄文文化の方が食料生産が上回っていたらしい。
それに、縄文文化か弥生文化か、照葉樹林文化かナラ林文化か、
という対比は単純すぎると思う。
日本語の起原も南方系のオーストロネシア語に北方のツングース語系と同祖の言語が混入したもの、
という説がいまのところ有力みたいなので、いちがいに新旧の対比ではくくれないだろう。
日本語の起源については以下参照。
ttp://homepage3.nifty.com/rosetta_stone/wissenshaft/wissenshaft.htm#basic
250 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 01:46:27
そもそも漢字というものは、古代中国においてそもそも一般人が使用するようなものではなかったので、
遺物に残るかどうかは疑問だ。
251 :
tociguri:2005/05/18(水) 03:09:02
現在の中国の少数民族でも身の回り品に漢字などは書かないだろう。
書くとすれば現在の日本人がティーシャツにローマ字を書くような装飾物として
使うくらいではないか。
倭人は中国の少数異民族だったので漢字とは無縁の生活をしていたのだろう。
そして土器を作るような職人は奴隷のような身分で漢字を知っているはずがない。
そう言えば銅鐸に書かれた絵が絵文字ではないかという説があった。
252 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 23:43:01
典拠は?
253 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 14:56:18
例えば、ありえないけど、北狄といわれた北方諸民族も、三国時代程度ではまだ漢字を使っていないね。
もちろん、そんな北方諸民族も、北魏・隋・唐と、メインストリームになっていくわけだが。
公表されてる「漢字を記した弥生時代の遺物」もうさんくさいが、
漢字と言い張る考古学者もうさんくさい。
255 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 16:22:29
朝鮮半島や日本列島へ漢字が伝わるのが1000年も遅れたということは、
大陸の中でも、何百年も遅れたところもいっぱいあったに違いなく。
ましてや、弥生時代に漢字を用いない大陸人はやまのようにいて、
日本列島へ渡ってきた人々もそうではないかと。
256 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 01:28:59
そうではないよ。
257 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 08:17:08
ウホウホ言ってた弥生人が漢字なんて使えるわけないだろw
259 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 22:39:36
うほっ
260 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 22:51:09
BC108、漢の武帝による朝鮮侵攻。楽浪郡など4郡設置。
倭人は渡海して楽浪と積極外交。
漢字が伝わったのはBC1C〜AD1Cの間。
261 :
tociguri:2005/08/24(水) 22:57:57
中国大陸の少数民族なら現在でさえ漢字を使わないのが普通だろう。
漢字は漢民族にしか通用しない文字(特に漢字の8割を占める形声文字は
中国語の発音を表記する表音文字なので、少数民族には理解不能な文字だ)
だった。
262 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 02:31:52
おそらく識字率の低い国から、大量にどこかの土地に移住したとしても、その国の文字や
文化の多くは、数世代で忘れ去られてしまう。
社会のシステムがないのに、文字を維持できると考える方がおかしいのでは。
263 :
tociguri:
>>262 中国にアルファベットのような簡単な文字があったら、持って来た可能性も
あったのでは?