204 :
名無しさん@3周年:2005/10/17(月) 19:30:33
小泉総理ってなんで、あんないわれかたしてんの?
参拝くらいいいじゃん。
歴史的背景とか知らないけどね。
自由なんじゃと思うが。
>>199 打個電話のときは、たとえば、ある程度「電話」の部分を強調してる
とおもいます。しなくてはならない話があり、
彼に電話を一つ入れておく。みたいな流れ。
打電話はそこらへんの強調がないと理解したらいいでしょう。
量詞を置かなければならない文は中国語ではよく出ます。
これまでの全く違うテーマの例文でも
買回来了一架相機。 他買回来了一瓶酒。走進一個人来。想到了一個主意。
と多く現れます。
非常に大雑把な言い方ですが動賓構造(V+O)で
動詞の動作が目的語に及び、目的語がその影響を受ける(受けている)ことを
独立して示唆するようなときに動詞と目的語の間に量詞が入ると理解してます。
奥が深く、根底的な部分なので、文法書の項目としてはなく、
学習していくにつれて各自気付いていくような部分と思います。
中国語の名詞は前後の語との結びつきが弱く、具体性があまりありませんので、
出来るだけ特定をするために日本語では使わないケースでも数量詞を使います。
数量詞がない場合は通常「総称」を示すか、或いは数が特定できないかです。
数量詞をつける必要がある(付けなくても通じますが、中国語としての完成度が
低くなります)ケースは主に下記です。
1.過去に行われた動作の目的語で数量が特定されているもの
2.今所有したり、存在するもので数が特定されるもの
3.目的語の前に数量詞以外の修飾語がある場合
以上、何かの参考になれば。
207 :
名無しさん@3周年:2005/10/17(月) 20:24:17
>>199 例えば
吃飯了。を考えるとこれはVO構造を総体として捉え
何杯食べたかを問題にしてはいません。行為自体の発生が問題なのです。ですから本来的意味を捨てて挨拶言葉にもなります。
挨拶に何杯食べたかは関係ありませんからね。
一方、吃了両碗飯。は
何杯のご飯を食べたのかに焦点があたっています。ご飯にもそーですが、数量化することで
ご飯がより具体的量をもつ[それ]として強調され
また動作もその分量をちゃんとこなしたことを表現します。それぞれ使用するスチュエーションを想像してみて下さいね。
208 :
本能寺の変態:2005/10/17(月) 20:36:34
我吃了
大家吃了?
>>199です。皆さんありがとうございます。
何となくわかりました。
つまり、数が特定できる名詞は数量詞を出来るだけつける。
総称のような場合は付けないというか、付けれないということですね。
210 :
名無しさん@3周年:2005/10/17(月) 21:01:51
いやいや勉強になるね、このスレ。 日本語では言わないような名詞にいちいち
数をつける場合の理由がやっと解かった。 アリガトン!!
>>206さんの3の指摘は大事です。
これは
我買了一件好看的衣服。
であれ
我買了一張去上海的火車票。
であれ
数量が動詞の後にあれば、
文脈による省略形の場合は別として名詞が来ることはすぐわかります。
マークの働きも兼ねているんでしょうね。
大家跟得上ロ馬?
213 :
名無しさん@3周年:2005/10/18(火) 01:02:51
勉強還可以。
>>214-216 既に報告されてるのに関わらず何度も誘導を繰り返すのは
あまりに悪意がある行為ではないかな。
このすれの前スレ「★文法からの中国語 ★」も
トータルな内容見て削除人は通過させてる。
このような形の多量な誘導は削除人に対しても印象が悪いのが
わからないのかな?
218 :
莫名其妙:2005/10/19(水) 01:28:36
>>178 >もともとは我的書も好好的吃も的を使っていたのですが
もともとは「我的書」の場合「底」を使っているアルよ。
219 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 01:47:07
>>218 わたしもそこ、実は気になってた。まあ現代中国語の勉強には関係ないから
いいか、と思ってたけど。
ついでに副詞につく「〜de」ももともとは「〜地」だよね。構造助詞という
よりも、副詞、形容詞の語尾で。
220 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 07:02:33
ここはみんな馬麻虎呼アルよ。
毎個人都是天不怕、地不怕的。
名詞前面的修飾成分叫做“定語”。
“的”是定語的接尾字。
動詞、形容詞前面的修飾成分叫做“状語”。
“地”是状語的接尾字。
221 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 12:45:25
222 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:20:00
呵呵,中国语的语法最简单。没有动词的变化,没有形容词的变化。
的地得的区别用法举例:
鲜艳 的 旗帜
快快 地 跑。
打 得 流血。
得表示一种动作的结果,表示宾语补足语。
223 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:28:37
皆どうして中国語を勉強しますか
うつ病に効くと聞いてやってます。
225 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 13:56:54
本当?どうしてきくの?
鬱のような些細な失敗や人の失敗まで気にしてしまう人間にとっては
自分の非を認めないような中国人が使っている言語を勉強するとことで
失敗を気にしないどころか、それを他人に転嫁できるぐらいの人間に
なれるような気がするからです。
残念ながら、効きませんので早めに病院へ行き、
SSRIを処方してもらって下さい。
実のところ、中国人にも鬱病はいる。
ただ、その意味合いは日中両国で随分異なる。
日本人の鬱病が「何で俺は周囲の期待に応えられないんだ鬱」なのに対して、
中国人の鬱病は「何で俺のことを周囲は認めてくれないんだ鬱」と区別できる。
いかにも中国人らしい。
230 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 15:18:49
ははは
面白い!
確かに失敗を気にしてとか、期待に答えられないとかで鬱になった
中国人は見たことがない。
>>231 失敗したとき
日本人は「みんなに申し訳ない」
中国人は「他の奴が悪い」
だよね。
>>232 それは言える、失敗した時
日本人: 失敗を繰り返さないためにどのようにすればいいかを考える。
中国人: 誰に責任転嫁すればよいかを考える。
234 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 17:22:50
昔から習ってる人でなかなか上達しない人って
発音以上に文法がまずい人がほとんど。
百聴不厭と百読不厭は辞書にのっているのですが、・・・し飽きないの・・・の部分の動詞は
例えば 食べる、飲む、見るとかの他の動詞にもつかえるのですか?
3000位の語彙と基本的な文法がしっかりしていればとりあえずは何とかなる。
>>235 使えます。基本的に置き替えができる成語です。
よく使いそうなのは
百看不厭でしょうか。
教えていただきたいのですが、宜しくお願いします。
口語のテキストに下記の文がありました。
現代人越来越傾向于享受生活、很多人選択軽松、喜歓的工作。
1.「于」がわからないので調べたのですが、意味があまりに多くてどれを
当てはめていいかわかりませんし、「傾向」に付くのか「享受」に付くのかもわかりません。
2.辞書で「傾向」を調べたのですが、名詞としての用法しか載っていませんでした。
状語の後に名詞っておかしいですよね?
宜しくお願いします。
239 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 20:19:04
1、直訳すると、生活を楽しむという方に向かいつつある。これは
「享受生活(動詞+目的語)」が更に、「傾向(於)」の目的語に
なっているもの。
2、「傾向」は動詞でいいです。でも動詞としての用法、小学館
ので「(一方に)見方する、賛成する」、クラウンで「一方に加担する.
一方に傾く」、デイリーコンサイスで「一方に傾く、一方を支持する」
になってた。ここでは、日本語と殆ど同じで、「〜の傾向にある。
〜の傾向だ」という意味でいい。辞書には出てないみたいだけど、
そんな特殊な言い方ではなく、よく見るし、よく聞くよ。
240 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 20:21:36
補足、ここでは「趨向(於)」と同じだと思う。
>>239 ありがとうございます。
品詞としては介詞で「享受生活」を名詞句として修飾しているということですか?
242 :
名無しさん@3周年:2005/10/19(水) 20:38:29
「於」は介詞でいいんですが、「享受生活」は表面上は「生活を楽しむ」
という動詞句とかわりありませんが、ここでは「生活を楽しむこと」と
いう名詞句と考えていいと思います。ただ、修飾ではなくて、「於」は
動詞詞組の一部でいいんじゃないでしょうか。「住在北京」の「在」
と同じように考えればいいと思います
初歩的なことと思うのですが、わかりません。お願いします。
(A)してから(B)するの形で 等(A)再(B)の文ですが、
(A)の後に「了」があるのとないのが辞書にのっているのですが、
訳し方が同じように思います。この「了」はあってもなかっても
いいのですか?
>>243 辞書にあるその2つの例文を書いてください。
「了」があるのとないのとは一緒な例文でないはずです。
そこに手がかりがありますから。
等(A)再(B)は発話時点でのそれ以降の行動/予定の順番を単に言っている、つまり、Aの次にBをする。
等(A)+了+再(B)はAが完了したのを確認、認識してからBをする。つまりAの完了を意識した言い方。
自信なし、スマソ。
246 :
名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 14:55:02
中国人大方 棄小異、就大同
日本人小気
247 :
名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 16:28:29
>>244さん
レス遅くなりすみません。等の件ですが、下記が辞書に載っていました。
「了」がない文 等zhe件工作事ban完再去ba。 この用事をかたづけてから行きましょう。
「了」がある文 我等結束了再睡。 私はこの仕事を終えてから寝る。
・・・してから・・・する が共通しているのに何故「了」があったり、なかったりするのか
私にはわかりません。 宜しくお願いします。
>>245さん
ありがとうございます。
248 :
名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 16:31:28
>>247の文間違いました、訂正します。
× 「了」がない文 等zhe件工作事ban完再去ba。
○ 「了」がない文 等zhe件事ban完再去ba。
249 :
名無しさん@3周年:2005/10/20(木) 16:34:03
すみません、何回も。
>>247の文下の文に訂正します。
「了」がある文 我等工作結束了再睡。 私はこの仕事を終えてから寝る。
自分でも恥ずかしいです。
250 :
244:2005/10/20(木) 23:19:05
>>247 どうもです。
1.等这件事办完再去吧。
2.我等工作结束了再睡。
1と2の違いでポイントなのは、办完と结束の動詞部分です。
办完は結果補語ですが、それ自体、動作実現のアスペクト助詞「了」
に近い感覚で使える考えていいでしょう。
もちろん等这件事办再~
はだめです。
251 :
244:2005/10/20(木) 23:24:16
>>247 -続-
中国語では素の動詞はあまり結果のことは意識しません。
结束、办などの動詞(特に単音節の動詞)
は仮定的な表現であれ、動作の実現をしめす後続成分が必要となります。
252 :
名無しさん@3周年:2005/10/21(金) 00:31:56
我等工作结束了再睡。
は何と無く「很不自然」
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ