1 :
水先案名無い人 :
03/09/10 18:20 ID:ZgiccrI4 「煮解賭(にげと)」や「酸下吐(さんげと)」以外にもあるの?
煮解賭
>>1 おまいはまずテンプレでも貼れ。
『煮解賭 ( にげと ) 』
明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、合図と共に棒に駆け寄りに旗を奪い合
うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、毒草を煮込んだ煮汁を飲み、その解毒剤を旗代
わりにして奪い合うという遊びに発展させた。
命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この毒草の煮汁の解毒剤を賭けた闘いは「煮解賭」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「2ゲット」と形を変えて、現代人が機敏さを争っているのである。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
『酸下吐(さんげと)』 「煮解賭(にげと)」により、毒にやられて命を落とす者が続出したのは前述の通りだが、 全国的に流行するにつれて、これは深刻な問題となっていった。 そこで、時の皇帝である崇禎帝は、新しい規範を作り出した。 煮解賭に失敗した人間でも、その毒素を完全に吐き出すことができれば 煮解賭の勝利者に準ずる豪傑という評価を与えるというものである。 肉体を酷使して、大量の胃酸とともに吐き出すことから 庶民の間で、酸下吐(さんげと)と呼ばれるようになった。 酸下吐の登場により、煮解賭に参加できない文民の中には、 これを専門とする者も現れ始めた。 彼らの策謀能力を、朝廷が重宝したことは言うまでもない。 己の戦略を進言する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで の「3ゲット」と形を変えて、現代人が狡猾さを競っているのである。 ( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
前スレ見てないが新素麗(しんすれい)もある。 一般的に2chのスレは1000レスを越えれば書き込むことが不可能になるがそれをさらに続けることができる方法がある。 新しく続きのスレとしてスレを立てるのである。 しかし新スレを立てることは困難で、幾十もの2chのセキュリティーチェックを突破しなければならなく、 新スレを立てられずに脱落し大怪我をする者も大勢いる。 ちなみに新スレの名前の由来は初めて新スレを立てた人、新素麗(しんすれい)から来ていることは有名である。 (民明書房刊「2ちゃんねる−そのシステムの神秘−」より)
2chとは関係ないけれど拾ったんで。 97 名前:名無し物書き@推敲中?[age] 投稿日:03/09/14 01:18 『チョコレート』 現代ではカカオを原料とした菓子の事を言うが 元々は古代中国で使われていた薬草『茅是意図』(ちこれいと)を起源としたもの この薬草は大変美味であったが、猛毒を含み食すと 三日三晩高熱と吐血を繰り返し苦痛にのた打ち回りながら死に至る 主に菓子等に混ぜて暗殺する為に用いられたりしていた この『茅是意図』を混ぜた菓子は薬草の成分により、黒い色をしていたという 時の皇帝の側近であった『馬齢安泰』(ばれいあんたい)将軍がこの『茅是意図』 を含んだ菓子を食し、暗殺された事件が元で 1500年前の中国では憎むべき存在に黒い色をした菓子を贈りつけるという 嫌がらせが流行し、社会問題にもなっていたという このことが歪曲されて日本に伝わり現代の日本では好意を持つ男性に女性がチョコレートを渡す バレンタインデーという行事が広まっているが 過去の中国で繰り広げられた血生臭い陰湿な争いが元であることを知る者は少ない 民明書房『混沌の世代 冥界編』より一部抜粋
戦徒・蛮恋多院出夷 殷王朝の時代、当時の中国では「女性は家庭に」という概念はまだ確立されておらず、 男女の別なく力仕事や兵役に就き、共に同じ場で働いていた。 そのため、男女が兵役に就いている間に知り合うことも少なくはなかったが、 女性の兵士が男性の兵士に思いを告げる際に、野生の猪と虎を狩り、 これを渡して己の戦闘力と生活力を示すことによって 相手の気を引くという「猪虎霊渡(ちょこれいと)」と呼ばれる風習が存在した。 しかし、周辺の属国の人々は殷のこの奇異な風習を野蛮な物と見なし、 殷の出身者は「蛮恋多殷出夷(ばれんたいんでい)」と呼ばれ忌み嫌われることとなり、 そしてこの周辺国の殷王朝に対する嫌悪感が後の殷周革命の原動力となったと言われている。 そして現在、女性はかつてのように積極的に社会進出するようになり、 女性側から思いを告げる場面も多く見られるようになり、 ついには、特定の日には女性は男性にプレゼントを渡しながら告白しよう、 という風習が復活するまでとなった。 そしてこの日は、かつての殷王朝時代の女性兵士の呼び名にちなみ 「戦徒・蛮恋多院出夷(せんと・ばれんたいんでい)」と呼ばれるようになった。 ちなみに、女性が男性に渡す品の定番が「チョコレート」なのは 当時の風習「猪虎霊渡」からきているというのは言うまでもない。 民名書房刊「こんな風習いらない・慟哭編」より
野比銅鑼右衛門 (2112〜没年不詳) 彼は常に勇敢であり、主人に忠節を尽くしました。 そして、最強の策士でした。 鼠党の乱で、夜襲を受けたのが唯一の負け戦です。 その折りに耳を囓られました。 銅鑼右衛門は、名門野比家の筆頭家老で発展に尽力しました。 嫡男野比太に源氏の嫡流である源静姫を嫁がせる政略ケコーンを 成立させたのは有名な話です。 野比家第12代当主野比太は、鉄砲の名手で、どんな距離からでも 百発百中だったという逸話が残っています。 銅鑼右衛門は、その多大な功績により、野比の名字と家紋を与えられ、 それ以後、野比を名乗るようになったといいます。 参考資料 「真説 野比銅鑼右衛門」骨川脛夫著 1949年(絶版) 民明書房刊
10 :
水先案名無い人 :03/09/26 21:49 ID:aXXgYE6+
>>8 >民名書房刊「こんな風習いらない・慟哭編」
ワロタw
11 :
水先案名無い人 :03/09/26 23:05 ID:AMuyjA5o
大公望書林の本もキボン
だれかアフガン航空相撲貼ってください。
>>12 http://choco.2ch.net/news/kako/1013/10137/1013730519.html アフガン航空相撲
11世紀ゴール朝の頃、時の国王の命により
アフガニスタン各地より集められた武術、格闘技に精通した者を中心に
編成された近衛兵の間での力比べが起源と言われる。
最初は地面の上だけでの競技であったが、時を経て高いところからの攻撃や
空中に飛び上がっての闘い等時を経る毎に技が高度化し
現在のアフガン航空相撲の形地が完成した。
後の元による侵攻の際もアフガン航空相撲力士は圧倒的多数を誇る元軍の攻撃を
得意の航空技により簡単に粉砕したと伝えられる。
その際元軍が航空相撲を研究し、アフガンに対抗するためにモンゴル式相撲を
完成させたが、空中戦ができなかったため実戦に使用されなかったということは
あまりよく知られていない。
「民明書房 『フビライ怒りのモンゴル相撲』より」
14 :
12 :03/09/28 20:52 ID:HmqanN0G
15 :
◆SxsFuZvPqs :03/10/06 21:51 ID:SGLxKIRw
『シリコンバレー』 かつて中国古代王朝の周の時代、宮廷内である遊技が 流行したことがあった。宮廷の宦官、士李魂が考案した、 蔓で編んだ毬をつきあう遊びである。年々高度化するその 遊技は、ついには中国全土を巻き込んだ一大トーナメント制で 覇者を決めるまでに至ったという。 後にアメリカに渡り半導体産業の担い手になった中国移民達が、 国をなつかしんでかの地に「シリコンバレー」という地名をつけたこと はあまり知られていない。 民明書房刊 『古代中国100の遊技』 より一部抜粋
16 :
◆SxsFuZvPqs :03/10/06 21:53 ID:SGLxKIRw
『アフガン航空相撲』 11世紀ゴール朝の頃、時の国王の命によりアフガニスタン各地より集められた 武術、格闘技に精通した者を中心に編成された近衛兵の間での力比べが起源と言われる。 当初は地面の上だけでの競技であったが、しだいに高いところからの攻撃や、空中に飛び 上がっての空中戦など、時を経る毎に技が高度化してゆき、現在のアフガン航空相撲の形が完成した。 後の元軍による侵攻の際もアフガン航空相撲力士は圧倒的多数を誇る元軍の攻撃を得意の航空技により 容易に粉砕したと伝えられる。 その際元軍が航空相撲を研究し、アフガンに対抗するためにモンゴル式相撲を完成させたが、 空中戦ができなかったため実戦に使用されなかったということはあまり知られていない。 ちなみに我が国の国技たる相撲の用語で「ごっつあんです」という言葉があるが、この語源と なったのはゴール王朝への忠誠の言葉、ゴール・ツアンティ・イル(ゴール王に栄光を)である という説が近年学界で注目を集めている。 民明書房刊 『フビライ怒りのモンゴル相撲 第二版』 より抜粋
17 :
◆SxsFuZvPqs :03/10/06 21:54 ID:SGLxKIRw
『阿某穏(あぼーん)』 密教で使われる言葉。正確には 「あぼーむ:A Boh Om」 と発音する。 「Om(オーム)」 という発音は密教やサンスクリットでは極めて重要視される言葉で、 これは、神に対する、或いは神自身の言葉である、という意味である。 「阿某穏」 とは 「神よ彼を攫え」 という意味を持つ言葉で、 汚らわしき存在を呪殺する際に使われ、 使われた対象は神の御手により存在すら忘れ去られるという。 "Om"を使う例文 Jai Guru Deva Om(神に感謝致します) A Boh Om (神よ、彼を攫え) 当然これは神聖視される言葉であり、 必然的に 神聖なる場 で 然るべき段階 を経なければ、 決してその言葉は届かないとされる。 民明書房刊 『これで貴方もインド通! カーマ スートラ四十八手』 より抜粋
18 :
水先案名無い人 :03/10/11 23:58 ID:aGI7bH7y
ホシュカキコ… 古代中国に於いて雲南省北部を中心に発生した形位拳一派に伝わる秘奥義である。 一見何の意味も為さないような語句を書き込む事によりスレッドを維持し、 倉庫逝きを防ぐ秘伝の技である。その効果は絶大であるが 乱用するとスレ自体が内容の薄い糞スレと化す為に時の権力者に恐れられ、 秦の始皇帝の時代には禁止され弾圧を受けた。 その後は口伝として秘密裏に後世へと受け継がれていく事になる。 なおその名称の由来が、始祖である 「鳳 朱墻」(ほう しゅかき)公の名から来ている事は言うまでもない。 民明書房刊「古代中国に見る匿名掲示板絶技」より抜粋
〜宣唐吏(せんとぅり)〜 8世紀前半、唐は第六代皇帝李玄宗(AD712-756)の統治下にあり 最盛期を迎えていた。後に「開元の治」と呼ばれる時代である。 この時、玄宗皇帝は広く臣民の意見を集めるための掲示板を設 置し治世の助けとした。この掲示板では活発な議論が行われたが、 時に議論が収束せずいつまでも結論が出ないということがあった。 このような時、皇帝自らが確認し結論を預かることの意として 「宣唐李」と署名したが、後年専門の官吏を設け「宣唐吏」と変 化した。この役職は事実上皇帝の意見の代弁者であり、これに選 ばれることは非常に名誉であるとされた。 現代掲示板にて競って行われる「1000取り」は、「宣唐吏 (せんとぅり)」の音のみが残り表記が変化したものであるのは 言うまでもない。 民明書房「珍説・電脳用語事典(2003)」より
これ作るの難しいよね。 漢字に直すのはまあ出来るがエピソードが思いつかない。
21 :
水先案名無い人 :03/10/15 08:48 ID:B+/VYY+/
一応保守っ
そろそろ保守?(。・ω・。)?
没臭徒(ぼっしゅーと) 中國では、古代から臭い豆腐「臭豆腐(ツォードウフ)」を好むものがいるが、 ある将軍は、臭いものが これが現代のある日本のクイズ番組で、 不正解の場合に人形が沈んでいく様を表現する際の由来となっているのは言うまでもない。
マヨネーズ・・・中国三千年の歴史を持つ漢方医学を応用した食品。 酢、卵黄、植物油を攪拌するために数ある中国拳法諸流派の内、その苛烈さで知られる 魍魎拳の漢達が製造にあたった。その工程は過酷を極め、一秒間に数千回もの攪拌という 極度の筋肉の酷使により腕が完全に壊死し、死人が出ることも珍しくはなかったという。 また通常攪拌は一晩中行われ、高い需要のために「毎夜不寝(毎夜寝ず)」と漢達が嘆いたことから 「マヨネーズ」と呼ばれるようになったことは言うまでもない。 民明書房刊「知られざる現代漢方とその薬効
27 :
水先案名無い人 :03/10/29 22:36 ID:s38GNgOA
素麗建 (スレタテ) 古来、中国では印田阿熱闘(インターネット)という娯楽が盛んであった。 その中でも特に民衆がこよなく愛していたのが敬磁万(ケイジバン)の書き込みであった。 民衆は数々の敬磁万の中で自己主張や、悩み、思い、果てはニュースまで思いを素麗努(スレッド)にぶつけ、 人々に話題を振りまき民衆を楽しませたという。 その中で大きく分け、苦粗素麗(クソスレ)と言うものと利酔素麗(リョウスレ)というものがあり、 苦粗素麗は民衆を苦しめる地獄の使者として言い伝えられ、 利酔素麗とは民衆を笑いの渦や感動へと運ぶ箱舟として伝えられていた。 この敬磁万の素麗遊びは過度の使用特殊な電磁波のせいでは外へ出なくなるという中毒性があったため、 民衆の中には気の抜けた若者が現れ非気蝙蝠(ヒキコモリ)というものが増え、 その自由な生活スタイルにあこがれ 民衆が真似をし、中国全土に多大なる危機的影響を与えたという。 この状況を重く見た、時の皇帝が、 この印田阿熱闘を禁じたという。 民明書房「中国娯楽大観」より
意外に作ると難しいですね。 文も変だし、申し訳ないです。
てか、まんまじゃんか
30 :
:03/10/31 00:48 ID:lQV++JMy
『盾余観(たてよみ)』 太古の中國地方では戦乱が絶えなかった。 手足に防具を纏った戦士達は自国の勝利の為 夜を徹して戦った。しかし、そんな時代も終わりを告げ 身体の強い者ではなく、より賢い者が高い位に就くようになった。 野に下った豪傑たちは盾に映った自らの獣の様な顔を見て 名士になるには己の頭脳を極めなければいけないと悟った。 利口でなければ、生きていくことは出来ないのである。この故事から 多くの事を学び、冷静に判断することを「盾余観」と呼ぶようになった。 知力に優れたもののみが厳しい社会を生き残れるというのは、今も昔も変わらない。 ( 民明書房刊 「中國故事から学ぶビジネスのノウハウ」 より )
↑も縦読みで作ったら、神。
>>31 かなり頑張って読めばメル欄のように縦読みになるつもりなんだが(´・ω・`)
34 :
31 :03/10/31 05:19 ID:tm1Eppfy
>>30 全部漢字だったから気付きませんでした。
すばらしいです。私は逝ってきます。
36 :
30 :03/11/02 01:12 ID:UqCoFvun
『矢裸納射歌(やらないか)』 紀元前、中國のとある少数民族が住む地域では 弓矢を使っての祭祀を行っていた。 特に盛んであったのは村の青年男子達が裸になって 歌を歌い、腰に納めていた弓を射て奉納するというものであった。 この祭祀は初め大勢で行われていたが、次第に二人一組の男性で 行うようになり、その祭司として選ばれる男子は極めて容姿端麗であったという。 この祭祀は長期間に渡って行われたため、選ばれた二人の男性の間で 特別な感情が芽生えることも少なくなかったという。 その事から転じて男性間での親密な関係のことを「矢裸納射歌」と もてはやすようになった。 今日の某巨大掲示板で「やらないか?」という文句が流行っているのは 偶然の一致だろうか。 ( 民明書房刊 「古代中國のホモセクシュアル事情」 より ) あまり面白くないがもう一丁
37 :
水先案名無い人 :03/11/05 15:48 ID:tjLhBGyw
背苦臼(せくうす) 古代中国は三国時代、この動乱の時代において国の歴史を記すことは並大抵のことではない。 それは魏の国においても同様で、編さんが平安無事に済むようにと、史書編さん室は安庵(あんあん) と名づけられたほどだ。その中で当代随一の学者が史書を編んだわけである。それはまさしく 艱難辛苦を極めたため、時の皇帝は歴史学者が逃亡しないように門番を置いた。 そんな半ば幽閉状態の中で、学者は「魏志倭人伝」など後世に残る偉大な業績を残したのだ。 しかし学者は長時間に及ぶデスクワークのために、背骨が曲がって臼のように凹む奇病にかかり 大変苦しむようになった。「背苦臼」と呼ばれるその病気にかかっても学者は執念で史書の編さんを 続けたが、その苦しみの声は聞くに堪えず、門番は気が違いそうになるほどだったという。そして 壁の向こうから夜な夜な「魏志…魏志…」という幽霊のような声が聞こえてくるに及んで、獨緒(どくお) という名の門番役人はとうとう首をつってしまった。 現代の若者がセクースの「ギシギシ アンアン」という声で首をつりたくなる衝動に駆られるのは、 彼らが獨緒の遺伝子を受け継いでいるからに他ならない。 ( 民明書房刊 「魏志・魏志安庵 耗貯補(もうだめぽ)の巻」 より )
禿藁
螺裏亜斗(らりあと)
明朝末期、中國北西部では現代の総合格闘技の基礎とも言える格闘技『腕競(わんきょう)』
と呼ばれる競技が存在していた。
勝者には地位も名誉も富も手に入れられる、貧困家庭の子供はスパルタ教育を受け
この競技に出場し勝つことが義務付けられているようなものであった。
出場していた全ての選手がスポーツマンシップにのっとり正々堂々と勝負していたかと
言えばそうではなかった。他の者の目の届かないところで目に指を入れたり性器に
危害を加えると言うのは日常茶飯事であった。
そんな中、反則技を一切使わずに己の腕一本で腕競のトップに上り詰めた男がいた
「趙(ちょう)」と名乗るその男は自分の腕を相手の首筋に当て破壊する殺人技
『螺裏亜斗』という技でたちまち腕競のトップ競技者となった。
趙の家庭は貧困家庭であったが腕競から得た収入で一気に上流階級に名を連ね
地位も名声も富も手中に収める。
ちなみに現在のプロレスで使われている必殺技『ラリアット』は言うまでも無く『螺裏亜斗』
が語源である。
民明書房刊「中国歴代格闘技全書」より
初出
【ダイナマイト】wj総合359【タッグマッチ】
http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/wres/1066545267/803
巣遁貧愚(すとんぴんぐ)
明朝末期、中國北西部では現代の総合格闘技の基礎とも言える
格闘技『腕競(わんきょう)』と呼ばれる競技が存在していた。
勝者には地位も名誉も富も手に入れられる、貧困家庭の子供は
スパルタ教育を受けこの競技に出場し勝つことが義務付けられて
いるようなものであった。
その競技の過酷さ故か、すでに地に伏している相手に対してさえ、
その戦意を根こそぎ削ぐ為の技が存在した。
「巣遁貧愚」はまさにその代表技といえ、その過酷さは熾烈を極めていたらしい。
倒れた対戦者の名を連呼しつつ、公衆の面前でその対戦者の肉体に対し強烈な
踏み付けを長時間繰り替えすのである。
これは肉体的よりも精神的な痛手を狙った鬼畜な技といえ、
「巣遁貧愚(さっさと巣に帰れ、この貧愚め!の意)」という名がつけられた。
『螺裏亜斗』で一時代を築いた腕競戦士「趙(ちょう)」はこの「巣遁貧愚」の
第一人者だったと記録にある。
彼の長髪を振り乱しての巣遁貧愚は、当時の民の目には鮮烈に映ったようだ。
しかしながら、時代が経るにつれ、巣遁貧愚は試合を組み立てられない
未熟な腕競戦士の技と認識され、 この技の連発をすることは、
2流戦士の証といわれるようになってしまったようである。
ちなみに現在のプロレスで使われているつなぎ技『ストンピング』は
言うまでも無く『巣遁貧愚』が語源である。
民明書房刊「中国歴代格闘技全書」より
初出
【ガンガレ】wj総合360【マサ斉藤】
http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/wres/1066582703/473
41 :
水先案名無い人 :03/11/06 17:04 ID:SygC7q1Y
『御長石松(おながいしまつ)』 中国は宋の時代、宋画の代表的な画家として後の雪舟などにも大きな影響を与えた梁楷は 自然を朴訥な筆致で描いた山水画を得意とした。岩の上に生えた松の、天にも昇らんばかりの 隆々とした筆致が見事な「石松図」(通称「御長石松」)は彼の代表作であり、わが社がかつてアメリカの オークションにて10億の値をつけて競り落として話題になったことは読者諸君も覚えておいでであろう。 ところで、この「御長石松」は流石に「描線に神が宿る」と賞賛された梁楷の作だけあり、松には天竜が 宿っていて、この作品を称える人々に対しどんな願いでも一つだけかなえてくれるという。それゆえ そのご加護にあやかろうと、宋人は願い事をするときには「御長石松」と唱えたといい、それが日本に伝わり 「おながいしまつ」の語源となったことは周知の事実である。 なお、この言葉がエロ画像うpなどの下卑な願いに使用されることが多いのは、最初の祈願者が ギャルのパンティーを願ったことに由来する。 MMR(民明書房マジカルアートルーム)刊 『時空を超えて立ちはだかる古代中国 俺達は…何もかも遅すぎたんだ…』 より
42 :
水先案名無い人 :03/11/07 00:12 ID:vMFxOk7p
―結婚― 秦の時代の中国に、我こそは最強と名乗る二人の武道家がいた。 その評判は国中に響き、民衆が二派に分かれて争う事態にまで至ったのを 重くみた時の皇帝は、この二人に雌雄を決させる事になった。 二人には複数の武器が与えられ、いざ対決となったとき、 偶然にも二人は同時に同じ棍を構え、またその棍はお互いの左肩を貫いていたという。 このことから、複数で同じ技を出す事を「決棍」といい、 意味をもじって男女の婚姻の事を指す言葉となったが 2chで使われる意味での「結婚」のほうが本来の意味と近いのである。 民明書房刊 『使える!スピーチ集』より抜粋
43 :
水先案名無い人 :03/11/07 04:05 ID:+yCDR9p1
統律譜(とりっぷ)/誇亭範(こてはん) 古代中国では役人を騙り、税の名目で金品を騙し取るものが多かった。 そこで時の王朝は要職の役人に独自の名を与えその名を書に記すことで 厳しく役人の監理を行った。その書を統律譜(とりっぷ)と呼んだ。 またその役人は誇亭範(こてはん)と呼ばれ他の役人と 区別されその仕事は他の役人の規範となるべきものとされた。 (だが実際はそうでない役人も多く皮肉の意味で誇亭範と呼ばれた) これらの故事が元になり現在の2chにおける トリップ、コテハンが有ることは言うまでも無い。 民明書房刊 「なるほどなっとくトリップ大辞典」より
禿四苦胴衣(はげしくどうい) 元来は「はげ、どういにしくす」と訓む。 前漢王朝を簒奪し新王朝を興し即位した王莽は、周代を理想とし、政治体制から 貨幣・文物に至るまで時代錯誤なまでに復古を追求した。 その末期に出された法令に「胴衣令」がある。 朝廷に仕えぬ庶民が冠・帽をかぶることを「官職にあるものと紛らわしく礼に反する」とし、 また庶民が華美な衣服をまとうことを「贅沢である」とし、ただ胴衣のみを纏うよう命じた ものである。 とりわけ禿頭の者にとって、この時代既に帽は不可欠なものであり、長安の民は帽なしに いかに頭の寒さをしのぐか四苦八苦したという。しかし、新王朝の官吏を目にするや、 処罰をおそれて帽を取り套を脱ぎ、胴衣令への恭順を装ったのである。 もっともこのような現実離れした復古政治のために新はわずか十数年で滅び、胴衣令も 長安周辺以外では厳しく行われないうちに赤眉軍・緑林軍らにより事実上廃止された。 このように「禿四苦胴衣」「禿しく胴衣」あるいは「禿胴」とは本来「同意して いないが表面上同意を装う様」を指す故事であり、「深く同意している様」と するのは誤用である。 なお、このとき長安のある禿頭の男が、「冠や帽でなければいいのだろう」と 藁を頭にかぶって嘲笑されたのが「禿藁」の語源であることは言うまでもない。 民明書房刊 「禿、その苦難の歴史」より
47 :
水先案名無い人 :03/11/07 20:32 ID:N110kFXJ
46の出来は秀逸 宮下も幸せだろうな、ここまでくれば
49 :
水先案名無い人 :03/11/07 21:49 ID:qgGzsTvw
誰か「ガイドライン」でつくらないかな
我井戸裸員(ガイドライン) 戦国時代、他国の破壊工作を防ぐためとして夜を徹して見回りをする役職が作られた。 彼らは気を引き締めるために衣服を脱ぎ、裸となって任務についていたため「裸員」と呼ばれた。 趙の工作員が秦の都に侵入し、井戸に毒を流そうとした時、 その夜都の井戸の当直であった裸員の典夫麗(てんぷれい)は工作員を見て、「何者だ」と声をかけた。 趙の工作員はすかさず「お前こそ何者だ!」と言い返した。 すると典夫麗は、「我井戸裸員也(われ、いどのらいんなり)」と、天地を揺るがさんばかりの大音声を上げた。 趙の工作員は腰が抜けてしまったという。 時の秦王は典夫麗の活躍を聞き、「彼こそ裸員の模範となるべきものだ」と言い、典夫麗を裸員の要職につけた。 典夫麗の元には多くの良き裸員が集い、彼らは秦の中国統一を支えたという。 この故事から、良き人材を集めた場所を、典夫麗の名言から「我井戸裸員」と言うようになった。 もちろん、模範となる物を「テンプレ」と呼ぶのは典夫麗に由来していることは言うまでもない。 民明書房刊「模範とするべき歴史上の人物・露出狂編」
うまいっ! カアさんビール!
「外怒裸印」(がいどらいん)
時は群雄割拠の春秋時代、力の有るものが天を握る、そんな「覇道」の時代に
徳の有る者が天下を治めるという「王道」思想を広めるため諸国を漫遊中の孔子は、
魯の国への旅の途中とある村を訪れたが、そこはあまりにも暴虐なる領主が治める村であった。
孔子は虐げられる村人を見て「彼奴(領主のこと)ハ覇道デスラ無シ。外道也。服ヲ着タル獣也」
と大いに怒り、早速魯の国王に注進して彼をひっ捕らえさせ「汝ハ人ノ道ヲ外レタル獣ニシテ
服ヲ着ル必要無シ。家畜小屋ノ中ニテ逸物(いちもつ=ペニスのこと)ニ外道ノ焼印ヲ押サレ、
奴隷人ニ調教サルルベシ」と裸体に焼印を押して家畜小屋に繋ぎ、人の道を教え込ませたという。
その「外道」という烙印を掘った鉄板は「道を外れたるに対する怒りによりて裸に印したる板」、
通称「外怒裸印板」と呼ばれ、「外怒裸印」は後世「道を教え諭す物、指針」という意味の
「ガイドライン」の語源となったのは想像の通りである。なお、2ch「ガイドライン板」が近頃
ペニス臭いのは、この故事を知る者にとってはむべなるかな、である。
参考)
http://that.2ch.net/test/read.cgi/gline/1065972843/l50 民明書房刊「威・格斎先生、御菜煮大好き」より
53 :
52 :03/11/07 23:37 ID:N110kFXJ
なお、古代中国の史書は枚挙に暇がなく、それぞれがそれぞれの説を唱えているため、
>>50 もあながち間違いではない。
>>53 フォローありがとう
それをもう一時間ほど早く張ってくれれば・・・
55 :
52 :03/11/08 00:04 ID:NtWbLUiL
>>54 いや、漏れが考えてる間に先に書き込まれちゃってたから・・・
一気に盛り上がってきたなこのスレ
>>49 みたいに、お題を出してそれを作る形式にしたらどうだろう?
他スレに張られた奴なんてたかが知れてるだろうしな
「画井出」 中国は宋の時代、北方にフビライ・ハーンが興り、モンゴル民族を率いて宋を制覇しようと したが、中国には最強の防壁たる万里の長城があり、攻めあぐねている間に部隊の水が 切れて餓死寸前というのっぴきならない事態に陥ってしまった。ここでフビライが天に祈った ところ、髭の老人が現れて長城の壁に井戸の画を描きそこから泉を噴出させたという。 宋の漢民族はこの事に驚愕し、守備を放棄して逃げ出したため、長城は程なく陥落してしまった。 その後、守りの堅い城塞都市を攻めるたびにこの老人が現れ、モンゴル軍に水を出してくれたため、 モンゴル軍はこの老人を「画井出」と呼んで珍重したという。一方で漢民族の視点では「画井出」は 非常に忌々しいもので、「またモンゴルか」「キター(北方民族の蔑称)」となり、漢民族が政治を司るように なった現在では「画井出」は忌々しいことが何度も続けざまに起こった時の恨み言葉として使われている。 現在日本の匿名掲示板で使われている「ガイシュツ」は「既出(キシュツ)」の誤りから来ているとする 説があるが、本来はこのような語源であり、「ガイシュツ」という言葉と共に「また〜か」(例「また大阪か」) 「キター!」といった言葉が使われるのが何よりその証拠である。 民明書房刊『フビライ怒りのモンゴル相撲』.
じゃあ「ガイシュツ」でおながいします。
>>60 君が作ってくれた一つだけでじゅうぶんさ
さて、モナーかギコ猫あたりを作ってくれないかね?
62 :
60 :03/11/10 00:36 ID:FrVqAELM
>>61 それはいいけど、なんか俺ばっかり書いてる気がするよ
魏孤猫 中国は古代よりしばしば乱世に突入したが、そんな時代に女が権力の座につくには自らの美貌で時の 権力者に取り入るほかは無かった。彼女らはしばしば王を女遊びに溺れさせ、結果として国を滅ぼす こともあった。そんな中国4000年の歴史の中で、最も悪女とされるのが魏の国の女狐と呼ばれる 魏孤・杷姐(ギコ・ハーニャン)である。彼女は魏王に取り入る一方、秦とも内通しており、スパイとして 暗躍して魏を滅亡に導いた。最終的に杷姐は秦の全ての実権を握ろうと企て、秦王を暗殺したものの 発覚して捕らえられ、獄中にて死すのであるが、辞世の句として呼んだ詩の一句 「我為壱手善、御前喪納悪」(私は一つだけ良いことをした、悪人の君主を葬り去ったことだ) が後に唐代の詩人・李白に高く評価されることとなり、長安にて「壱手善」と言って「御前喪納悪」と返す 言葉遊びがはやったと記録にある。李白が魏孤のことを「猫」と評したことから、狡猾にして知略のある 者のことをその後「魏孤猫」と呼ぶようになったが、日本では「ギコ猫」という名前が先行し、ただの 可愛いキャラクターとしてとらえられているのは周知の通りである。なお、唐代の言葉遊びが時を経た 現代においても、ギコ猫を示す文字絵が「いってよし(壱手善の日本風読み)」というと 「オマエモナー(御前喪納悪の日本風読み)」と返す、という形で続いてるのを見ると感涙を禁じえない。
民名書房刊「悪女像(あめぞう)の歴史」より
FrVqAELM さんって、すげー >「我為壱手善、御前喪納悪」 そういう勉強してる人?
67 :
63 :03/11/11 12:51 ID:pE0x+XpX
>>66 全然。いくらそれっぽくても全部でたらめだぞw
鼓日部 原始時代、政治とは政(まつり)すなわち祭祀と同義であり、王は人民の幸福と国の平安を 願って事あるごとに神に祈りを捧げた。原始的な祈りの行為は社会の発達と共に大掛かりに なってゆき、中国は殷王朝ではとうとう神事を行う部署として朝廷内に神祇官が置かれたほど である。その神祇官の下位に、日の神の鼓を叩く一族・鼓日部(こひべ)と、神に食物を捧げる一族・ 守庫裏部(すくりぶ、庫裏とは厨房または台所の意)が置かれたのだが、鼓日部の長であった 山 ア渉(シャン・ジャショウ)という者、王の信任を得るうちに次第に朝廷内で勢力を伸ばし、各省 庁を我が物顔でのし歩くようになり、「我請以後応援」(これからも我を援助せしめよ)と賄賂を当然 のように求める蛮行に出たため、遂に”官吏”人西村某により悪禁(あくきん、朝廷から追放すること) されたと記録にある。 その後、雨中家梅(うちゅうや・ばい)や居緒南寸(きょお・なんすん)など、たびたび朝廷を騒擾させ 世を荒廃させる鼓日部が現れ、遂には鼓日部は国家騒乱の代名詞となり果て廃されたという。 近年、鼓日部の悪評の理由は守庫裏部の中の過激派である守庫裏部党(すくりぶとう)が罪を なすりつけていたという研究が現れ注目を浴びた。 なお、現代日本において掲示板を騒擾せしめる「コピペ」がこの「鼓日部」から来ているのは 言うまでも無い。無論スクリプトというのは守庫裏部党のことである。 民明書房刊「これからも民明書房を応援してくださいね」より
雨中家梅(うちゅうやばい) 「雨中」と呼ばれ、恐れられた鼓日部、それが「家梅」である。 鼓日部の度重なる蛮行に嫌気が差した官吏たちがついに一斉蜂起、家梅を追い詰めた時の事。 家梅は大路にどっかりと座り、何やらむにゃむにゃと唱え始めたそうだ。 すると天に暗雲立ち込め、やがて激しい雷鳴と共に豪雨が降り注ぎ始めた。 その雨を体に受けた家梅はなんと、どんどんと膨張していったそうだ。 「おお、家梅が膨張しているらしい!」 「な、なんだか寒いぞ。瓶を一つ蹴ったくらい?」 「広い、広いなんてもんじゃない、超広い…」 バナナで釘を打ち始めた家梅に対し、官吏はなす術なく敗れ去っていったが、 歌学者の発武留(はつぶる)が豪雨の中に飛び出し、家梅を説得し、事無きを得たという。 以後、鼓日部を止めるものは誰もいなくなり、ますます鼓日部は権力を振るったのだという。 また、家梅は「雨中」と呼ばれ、「雨中の家梅に手を出すな」と言われるほどであった。 現在、手を出せないほどまずいことを「ヤバイ」というのは、もちろん家梅から来ている。 さらに、「雨中家梅」転じて「宇宙ヤバイ」と呼ばれるコピペでは、 雨中に出ていった発武留が褒め称えられていることは言うまでもない。 さらにさらに、温度の単位として用いられる「K(ケルビン)」は、 膨張した家梅を見た時の寒気を言い表した「瓶を一つ蹴る」から来ている事は余り知られていない。 民名書房刊「更努力、超努力(もっとがんばれ、ちょうがんばれ)」より
昔作ったやつ
「達品具(たつぴんぐ)」
漢代中国でも音楽というものは重要な位置をしめていた。
だが時の王は代わり映えのしない音楽に飽きていた。
そこで若き宮廷音楽家の伴兵蓮は達品具という楽器を開発
これにより中国の宮廷音楽は格段に進歩し伴兵蓮の一族は長きにわたり繁栄した。
現在ではポピュラーなギター奏法であるタッピングは
この達品具の独特な奏法を真似たものだということは有名な話である。
民明書房『現代音楽のルーツは中国にあり!』より抜粋
あとこんなやつを見つけますた
ttp://www7.plala.or.jp/sachicon/takemaru/minmei/min.htm
71 :
水先案名無い人 :03/11/12 15:52 ID:HYMQtzHm
>>8 には次のような説もあるようだ。
「戦徒・蛮恋多院出夷」
古代中国において、時の権力者たちはその身を守るために、自分らに絶対の忠誠を尽くす最強の護衛者を
育成することが必要であった。そうした権力者によって大陸中の武術と、腕の立つ武人らが集められてでき
た護衛者を育成する機関が、蛮恋多院である。
数多くの有名な武人を輩出してきた蛮恋多院だが、その中でも勇猛をもって知られたのが、出夷である。
彼はその勇猛さから、「戦徒」の称号を得て、戦徒・蛮恋多院出夷と呼ばれていた。
彼の逸話は多く、その中でも特に有名なのが、自分が警護する人間に自らの血を与え固い誓いを結ぶ
血与固(ちよこ)儀式を行った逸話である。
この儀式は多くの武人に広まり、後年になると出夷の誕生した日である2月14日に血与固の儀式を行う
ことで、相手に永遠の忠誠を誓うという風習となった。
現代の2月14日をセント・バレンタインデーと呼び、恋人にチョコをあげる風習は、キリスト教の聖人
バレンタインが起源とされていたが、今日では戦徒・蛮恋多院出夷の血与固の儀式がその起源であるとい
う学説か主流となっている。
民明書房刊『チョコの血に塗られた戦史』より。
http://comic.2ch.net/test/read.cgi/rcomic/1042611321/916
前に「男塾ガンダム」という似たようなスレがあったんだが・・・。既出?
『魯殺李王の契り』 中国漢王朝時代、劉邦の部下であった魯殺李(ろ・ざつり)将軍(後に隣国の大王となる)が考案したとされる 伝説の決闘法。 木・もしくは鉄で作った細く鋭い釘を十字の形に縛り、それを縄にくくりつけたものを 互いの頭に巻きつけて死ぬまで戦わなければならない。 釘は時間が経つにつれてじょじょに頭に食い込んでゆき頭蓋骨を破壊して脳に到達してしまうため、 その恐怖に耐えながら必死で相手と戦ったと言われている。 このときの頭に突き刺さった十字の釘は、やがて冠のモチーフとしてヨーロッパへと流れたのだが、 これがイエス・キリストの処刑の際に用いられたいばらの冠の原型であり、 後の信者達がこれを十字架として採用したのを知る人間は少ない。 なお、現代の日本においても、一部の女学院においてロザリオを交換し、 義姉妹の契りを交わす風習が残っているが、これはこの決闘法で戦った者達が、 決闘の後に敗者の亡骸を胸に抱いて涙ながらに義兄弟の契りを結んだことの名残であることに他ならない。 コスモス書院刊『乙女にもできる! 美容と健康のための中国拳法』より
hosyu
宿龍牌留怒雷破<スクリューパイルドライバー> 宋代の中国に於いて、工夫達は岩山を削る際に一切の道具を使わず、 牌流怒雷破(パイルドライバー)と言う技術を用いて岩を素手で剥ぎ取り、 そのまま岩もろとも川へ落ちるという荒技を駆使していた。 この技術に、霊州に住む淋虞と言う修行僧が目をつけ、牌流怒雷破を仕掛ける際のジャンプ力を鍛え上げ、 更には回転も付け加える事によって正に一撃必殺の奥義へと昇華させたのである。 これを見た時の皇帝が「舞い上がる事宿龍の如し(まるで龍が宿っているかのようだ)」 と呟いた事から宿龍牌流怒雷破と言う名前が付いたとされている。 尚、この宿龍が船の「スクリュー」の語源になった事は言うまでも無い。 民明書房刊 「吃驚的武芸100選」
騎馬戦の起源 その昔、時の皇帝より叛意ありとして差し向けられた20000の討伐隊を 炉某暮州、古椎坐、燦岱雄、慕守覇留汰なるたった4人の武将が 主である貴芭遷が授けたと言われる「不動四神組」「円月回転陣」という兵法を 持って壊滅させたという。 そのあまりの凄絶さに、世の人々は彼らを、拠点としていた地名を取り「武禄架軍団」と 呼んで畏怖したという。 いうまでも無い事だが、彼らが、近年体育祭において武留摩と並び絶滅が危惧されている 騎馬戦の由来となっているのは、疑い様も無い事実である。 太公望書林刊「失われし教育の現場より」から抜粋
民明書房はウリが起源ナラ! 謝罪と賠償を要求しるニダ!!
>>76 マシーンブラスターネタかい!
噴茶しちまった(藁
「ぬう、
>>77 ……あれは、もしや――」
「知っているのか、茂名ー!」
――『似駄亜』(にだあ)
その昔、時の中国の属国の一つにある小国があった。その国の住人は中国とも、また隣
国日本とも違った人種(在る学者は人類とはルーツを異なるものと唱えている)であると
いう。無理も無い。彼等の頬には鋭い鰓があり、その鰓に触れたものすべてを切り裂くと
いわれている。
また他のども民族よりも激しい短絡性、暴力性を持ち、一度怒ると顔を紅くして口から
泡まで吹く。
彼等は基本的に寄生して生き、自ら何かを作ろうとはせずに他人のものを使い、模倣し、
――そこまでならともかく、それを自分のものだ、と宣言してしまう。どういうわけかこ
の民族に関してはこのような事は珍しくない。
彼等の正式名称は幾つもあるが、しかし彼等はその凶悪な模倣根性、身勝手さ、ふてぶ
てしさなどより「似」「駄」「亜」の不名誉な(つまりは、亜流であり、駄作であり、
似非でしかない)三文字を与えられる事になる。
彼等にとって幸せな事は、この世界は全て我等のものである、という子供すら見ない夢
幻に浸れて現を忘れてしまえる事であろうか。恐らく、彼等の破滅の時まで、ずっと――
民明書房「世界から忘れ去りたいもの・第一巻兼最終巻」より
80 :
水先案名無い人 :03/11/19 19:56 ID:qc9o+MtB
>79 GJ
似 駄 亜 非 作 流 か。うまいね
拳寒中 中国は晋王朝の崩壊後、五胡十六国と称される乱世を迎えたのであるが、中央の勢力の 弱体化につれ、それまで虐げられていた辺境の民族が続々と台頭して来た。中でも台頭 著しかったのが朝鮮民族である。4世紀初頭には楽浪郡をも滅ぼし、朝鮮半島の一大勢力 として無視できないものとなった。 しかし中国が再び統一された唐の時代、再び朝鮮半島の支配をもくろんだ時の王朝は、朝鮮半島 における属国の新羅と共謀してまず660年百済、次に668年高句麗を滅ぼし、再び朝鮮半島の 国家を自らの属国となしたのである。その決戦の際に百済の総大将、煮駄阿(ニ・ダア)将軍は、 雪の積もった決戦の跡にて、唐の軍隊に敗れ生存者が4人となった自軍を見て、遂に気が触れ 拳を寒中に突きたて「覇微四!」(ファビョ〜ン!、わずか4人の兵で敵を制覇できるものか)と 涙に暮れたと記録にある。彼は後に百済の同盟国であった日本へと背走することになるのだが、 終生彼は漢民族と、漢民族に自らの魂を売り渡した朝鮮民族とを恨んだと言い、彼の志を継ぎ 漢民族と朝鮮民族を狂信的に憎むものを現代では拳寒中という。ちなみに誤変換を常用する 2chでは嫌韓厨とも書くが、本来は嫌中国の意も含んでいることはあまり知られていない。 民明書房刊『売リ自ナル朝鮮民族』より
くわっぱ―【苦輪刃】 江戸時代初期の処刑方法。罪人の首にくくり付け、片方から強く引くことで切断する。 使いまわされ、血のこびりついた刃の切れ味の悪さから罪人は苦しみ悶えたという。 ある地方独特の方法の為、其の名はあまり明るみに出ていなかった。 民明書房刊―「地方特有の刑罰」 頁138から抜粋
84 :
水先案名無い人 :03/11/20 18:46 ID:fm0nuasn
ゲバ棒 ゲバ棒といえば学生運動の象徴ともいえる兵器であり、1970年前後の学生運動の際に、 機動隊や対立セクトを攻撃するため学生たちが用いた角材である。 ゲバ棒の「ゲバ」とは独語実力闘争や暴力という意味のGewalt、というのが通説である。 しかしこれは学生運動の混乱期に歪曲されたデマゴギーであり、 真の出典は1950年代アルゼンチンにこそあった。 キューバの革命指導者チェ・ゲバラがゲリラ戦のさいに最もよく使った鈍器であり、 絶頂期の彼がこの棒をひとたびふるうと、 十数名が七つの穴から血を噴きだして絶命したといわれている。 いわゆる「ゲバ棒」は、その光景を目撃していた日本人傭兵がその後学生運動へと身を投じ、 角材を用いてチェ・ゲバラが使った棒を真似て作ったものだ。 一説によるとチェ・ゲバラ自身も学生運動に参加して、 このゲバ棒を振るったともいわれるが真相は定かではない。 民名書房刊 『世界の珍棒・奇棒』より
住人の皆さんGJ!! このスレのネタすべて腹抱えて大受けしますた(_△_)ノ彡☆ギャハハ!!バンバン!! 漏れも何か書いてみたのですが、皆さん程のネタが思い浮かびません。。・゚・(つД`)・゚・。 何かネタを思いついたら、書いてみたいです。
>>85 では、ぜひ『羯覇破!!萬幡!!』について書いてください。
>86 すいません、なんて読めばいいのでしょうか? ネタ以前に語学力が無いので、吊って来ます。(TДT)
【猛武衆(もうむす)】 中国において後宮は男子禁制のため猛武衆という女性の兵士が警備をしていた。 元々は下級の役職であったが将軍 津雲狗(つうんく)の力添えなどにより次第に頭角を現していった。 また猛武衆が台頭したもうひとつ要因に外部支持者の存在も大きい。 彼らは今で言うパトロンみたいなもので猛雄他と呼ばれた。 人気アイドルグループのモーニング娘。のことをモームスと呼んだり彼女らのファンをモーヲタと呼ぶのは 猛武衆と猛雄他の関係に似ているからであろう。 民名書房刊 「なんてったって愛道流」より
91 :
水先案名無い人 :03/11/23 02:36 ID:Kv8KlUTt
温菜尼医(おんなにい) 中国清代中期 医学発達の最盛期にて発祥した医療法。 戦が日常茶飯事となった当時において、種の保存の欲求から来る性衝動は 兵の不満の高まりと戦意喪失を助長し、深刻な問題となっていた。 これを打破したのが、中国東北部に位置する絶倫寺の開祖の僧、包茎(ほうけい)である。 包茎は最寄の同派である淫乱寺の開祖である槍漫(やりまん)と共に、寺に代々伝わる局部マッサージ法を 尼達に習得させ、兵達に施した。 その効果は絶大なもので、ついには国中の尼が総動員で行う程であった。 この時の尼達の柔肌が茹でた野菜のように柔らかかったことから、この医療法は温菜尼医と呼ばれるようになったのである 余談ではあるが、戦が終わった後も兵達はその快感を忘れられず、各々で処理をするようになった。 これが現代で言うオナニーにあたるのは言うまでもない。 民明書房刊「中国伝承医学その神秘」より
93 :
水先案名無い人 :03/11/25 03:09 ID:o349O6d/
【素霊寿党(すれすと)】 魏・呉・蜀による三国時代、隣接する地域とのいざこざや乱獲を防ぐために 狩りを行える場所や、狩猟中の降雨の際に雨宿りするための小屋の使用方法などを定めた 「労狩留雨流(ろうかるるうる)」という地域独自の規範があった。 この労狩留雨流の中でもっとも重要だったのが 国の守り神であるイタチを狩ったり売買する、 いわゆる「鼬買(いたちがい)」を禁止するという条項である。 このような労狩留雨流に違反した場合、 祈祷師や精霊信奉者で構成される集団「素霊寿党(すれすと)」が違反者を裁いた。 素霊寿党による説教のあと、 ニ槍(にやり)を突き刺すことによって処罰が完了するとされている。 死刑ではないが、恩赦がない限り再び狩りに出ることは禁止される。 現代のインターネット上の掲示板で、板違いスレッドがスレストされるのは、 この素霊寿党が起源であることはいうまでもない。 (民明書房刊 「法律の抜け道 〜勝ち組・負け組〜」 より)
94 :
世界史板 ベトナム史スレより :03/11/25 10:49 ID:9OHHBP1L
ドック・ドン 禿同 Doc Donh 1232-1301 陳朝の武官。1287年のモンゴルの第3次侵攻の際、降伏を望む仁宗を チャン・フンダオ(陳興道)とともに諫め、フンダオの言について髪の 毛が抜け落ちるほど激しく同意を叫ぶことにより翻意を勝ち取った。 この故事から、必死かつ幾分かユーモラスに他人の意見に賛同する さまを表現する「ドック・ドンのように同意する」あるいは「ドック・ ドンである」という俗語が生まれ、越南北部を中心に流布した。 なお、この故事は中国にも伝わって明末の『笑府』に取り上げられ、 『醒睡笑』を経由して江戸小咄にもしばしば登場する。現在一部の ネットコミュニティで使用されている「禿同」とは、おそらくここに 由来すると思われる。
95 :
水先案名無い人 :03/11/25 14:09 ID:xDq/v/H4
【有馬井傍(うまいぼう)】 古代中国において最も速い交通手段は馬であった。 移動の途上で馬に休息と水をとらせるため、街道にある井戸の傍らには 人馬がよく集まることになるが、その休息の際によく食べられていた携行食料が 有馬井傍(うまいぼう)である。 練った小麦粉を棒状に加工し、油で揚げ塩などで調味したものであり、 小麦、油というどこででも手に入る手軽さと安さから広く人々に愛された。 この有馬井傍は王金(おうきん)という老人が考案したものであり、後に王金は 爺王金(やおうきん)と呼ばれることになる。 現代においてやおきんから発売されているうまい棒のルーツが、この 有馬井傍であることは言うまでもない。 民明書房刊「砂食う苦しみの果て〜中国の食文化〜」より
96 :
水先案名無い人 :03/11/25 20:49 ID:ozq80Tq7
【気猛汚汰(きもおた)】 古代中国拳法界には数多くの派閥が存在した。 その中でも「汚汰」と呼ばれる一族が編み出した拳法は 大きな勢力を誇っていた。しかし、この一族は後継者争いが耐えなかった。 一族の王となった者は中国をほぼ支配できる程の権力が手に入るからである。 最初は後継者を決める会食中に上層部に命令された門下生が乱入し 「燃(もえ)!燃(もえ)!」という攻撃的な暴言を連発し会食を中断させる 程度のものだったが、時が経つにつれ後継者を直接狙う強行手段がとられるようになって 混家(こみけ)と呼ばれる人の多い遊戯場に連れて行き事故に見せかけて 複数の人間で後継者の顔を力いっぱい踏みつけて痛めつけたり 滅世三央(めっせさんおう)と呼ばれる狭い神社に後継者を 悪臭を放つ樽(糞便が詰められていた)とともに監禁したりと 人権を無視した戦い方になっていくのを見てある文豪が 「人の中で一番汚いのは気猛(きもう)な汚汰(おた)也」と著書 「中国拳法史第十五巻」に記したのがこの言葉の始まりである。 この著書の影響により、一般民衆は汚汰一族を「気猛汚汰(きもおた)!気猛汚汰(きもおた)!」 と罵るようになり、立場が悪くなった汚汰一族は少林寺拳法に統一された時に自然と消滅していった。 今でも中国の奥地では外見、気性共に酷い人間を「気猛汚汰」と罵る風習が残っている。 民明書房刊「中国拳法の黒歴史」より
【猛打滅法(もうだめっぽう)】
ヤツァン・ヤヮゥッツが開祖の拳法で、その威力は凄まじいものであり、
回転硬板を容易く割ってしまう程であった。
ある日、ヤツァンが回転硬板に卑猥な事や秩序を乱す事を書いていると
役人が歩いてきた。
彼は慌てて逃げ出したが、それを見ていた物達が
「猛打滅法!猛打滅法!」
と叫んだっために結局悪事がばれてしまった。
なお、数年前のファイル共有ソフト利用者摘発時にある男が掲示板に書き込んだ言葉
「もうだめぽ」は、ここからとった喪のと思われる。
ギリギリの状態でこの故事を思い出すとは、彼は相当の中国通だったのであろう。
ttp://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0311/29d.html 民明書房刊「中国流摘発逃れ」より
王霊破厳戒打倒重蔦(おうれい・は・げんかい・だとう・おもつた) 古来、秦では澱舎(でんしゃ)、つまり澱んだ建造物に篭もり前述の気猛汚汰(きもおた)と呼ばれる流派の武道家達と共に 暗い澱舎に篭もり彼等が修行の一環として熱中する押し問答に耳を傾けさえせど決してその問答に加わってはいけないという官吏に課された精神修練がある。 「記様破・陀唐亜弐局泥・馬鹿煮紗麗堵医卯野田・壺之男」 (きさまは・だからにつぼねに・ばかにされというのだ・このお) つまり仏陀の尼僧に馬や鹿をを一見きらびやかでとても美味そうに見える料理を壷で出される。当然野生の馬や鹿を調理するには 相当の料理の腕がいる、貴様はそんな料理の腕があるとは思えない尼僧の出した料理を食えるのか?としう質問を出されたところ、 「愚餌獲・伯稜退参・伯稜退参」 (ぐええ・はくりょうたいさん・はくりょうたいさん) つまり私は帝の礼が祭ってある伯稜に足を踏み入れていたとは知りませんでした、すぐに帝の霊前に参って詫びを居れてからここから立ち去ります、 と。ちなみに二局とは百鬼夜行、魑魅魍魎が行き来する霊山のことである。 前述の問をした気猛汚汰は忍邪詰徒(にんじゃきつど)後者を答えたのが玲御(れおん)であった。 彼等には共通の徒、灸雲帆穂医****(官吏はこの部分をとうとう聞き取れなかった。)という灸医術の徒(きゅううんぽぽい)が居り、後に澱舎に訪れた際 「敬礼是レ」 (是を敬い何度も伯稜を礼参すべし)と二人を諭すのであった。 灸雲帆穂医の古代王朝が入れ替わる際否定され破壊される前帝の墓を敬えと言う言葉に圧倒される官吏は 「王霊破厳戒打倒重蔦」 王の霊を奉った墓を破壊し戒め打ち倒すのは重い蔦を覆い茂らされる年月に比例する、と灸雲帆穂医の唱える 故人を厚く敬えという教えに共感するのだった。 なお灸雲帆穂医は「後霊丹対州流答」 (後霊を奉る丹対州地方流の問答集)を書に記し気猛汚汰が故人を敬い真心を大切にする人々であると 説き伏せている。 民明書房刊 「揺られる鴎を眺める中國の海蛍の放つ臭い」より
/ ̄\ / ´∀`) <民明書房の文献はやっぱり難しいなあ ⊂ ⊃ ( | \ | \ フ レ
>99 長すぎ。
沓宮留道 堂々(くっくるどう どうどう) 古代中国の武闘家「馬云梼(ま・うんとう」が、時の皇帝暗殺の為 鳥面の仮面を着け、己の流派を沓宮留道と称し、御膳試合に参加。 得意技である、馬乗り状態からの殴打により見事勝ち上がり 反皇帝の拠点である「衿亜伍十一」に皇帝を拉致せんとした所で 目的が発覚。馬云当は捕らえられるも皇帝はこれを赦し、正面から堂々と 返したと言う。この処遇に意気を感じた馬云梼は、皇帝に終生忠誠を 誓う事となった。これを人々は「沓宮留道 堂々」と呼び、皇帝の 器量の大きさと、馬云梼の武勇を称えたと言う。 なお、言うまでもないことだが、現在格闘技において圧倒的優位な 姿勢である「マウント・ポジション」は、馬云梼がその創始者であり 語源となっているのは、紛う事無き事実である。 曙蓬莱新聞社刊「鳥の詩〜翼をへし折ったエンジェル〜」より抜粋。
103 :
水先案名無い人 :03/12/01 03:55 ID:BSL8TlOg
>>103 朝から嫌なものをみせやがって・・・。
削除依頼出すぞごるぁ・・・・・・
>103を見てもあまりかわいそうだとは思わんな。 DQNな行為が事実だったとしたら。
106 :
水先案名無い人 :03/12/05 13:20 ID:EpyUm4Rk
『惰胃恵通頭(ダイエット)』 花も恥じらう乙女なあたちがある日体重計にのったら それはそれは恐ろしい光景が繰り広げられたのであった。 恐れ戦いた人類は封印されし禁断の秘技・「惰胃恵通頭」を行ったところ その日食べなかった夕飯たちが「勿体ないお化け」となって 夜な夜な枕元に立ち代わる代わる耳元に 生暖かい吐息を吹きかけて行くようになった。 やがて地は裂け海は荒れ、空は太陽を失い人々は困り果てたが 時の名医「毛壮碧」が「無理なくやせる一週間ダイエット」という 書物を書き記し化け物を退けたという…… 「食の裏歴史」(民名書店)より *同人誌「あんごろもあちゃんの地球侵略日記【外伝】」(著:いまいかみ)より
107 :
水先案名無い人 :03/12/05 13:20 ID:EpyUm4Rk
『芽瑠喪(めるも)』 その昔、手の届かぬ棚の上に隠されたおやつを奪取すべく 芽瑠喪という国の科学者の娘が、多くの生体実験を繰り返し、 ついに成長を操る薬を作ったという。 しかしその飴には服用後、男の浪漫白い布が可視となってしまう 恐るべき副作用が秘められており、悲しみのあまり娘はその飴を封印してしまった。 今でもその奇跡の飴はどこかの砂丘に隠されているという。 「白い布伝説」(民名書店)より *同人誌「あんごろもあちゃんの地球侵略日記【外伝2】」(著:いまいかみ)より
>>107 オイ貴様、民明書房の書籍と称してバッタモンを売り付けるたぁ
良い度胸してるじゃねぇか。
ワシがてめぇの性根を叩きなおしてやらぁ!
出でよ!男塾名物・油風呂!!
<ローエングリン> アークエンジェル級戦艦の両艦首に搭載されている、艦最大のエネルギー砲。 射線上の物体のもつ、陽電子(※注)を破壊することで強大な破壊力を生み出す。 (※) プラントが大量に投下した「ニュートロンジャマー」の副次敵効果として、代表的なものに“電波かく乱”が挙げられるが、 その他に周辺環境に与える影響として、「ギュシゥ=ゴッゴー効果」というものが挙げられる。 この「ギュシゥ=ゴッゴー効果」は、C.E.85年にオイヤー・ギュシゥ博士とワザロモ・ゴッゴー博士が発表した論文、 『不可知粒子とニュートロンの相乗効果による突然変異物質創出現象とその影響』において初めて明らかにされたものであり、 簡単に説明すると「ニュートロンジャマーが適度に作用してる空間において、不可知粒子がある適当な条件下で作用すると、 場合によっては本来そこにあるはずのない物質(例:陽電子、ビームかく乱粒子等)を発生させる事も有り得る」というものである。 ここで言う“不可知粒子”とは、まだ世界がC.E.と呼ばれる以前から一部学者の中でささやかれていた未確認粒子の事で、 通称“クダフサィー粒子”とも呼称されている。この“クダフサィー粒子”は、もともとこの世界に普遍的に存在していた粒子で、 通常では何ら影響を及ぼさないが、突発的に、時に理不尽なほど強力な力場を形成し、時空まで歪める力もあるという説すらある。 科学では検証不可能とされてきた、“神隠し”“時間不一致現象”“急性美形化症候群”等への科学的突破口に成り得るとも言われている。 現在、この“クダフサィー粒子”は、C.E.70年前後の地球圏全面戦争期にもっとも頻繁に活動していたと考えられている。 それ故に、「ニュートロンジャマーキャンセラー」導入以前には、前述の「ギュシゥ=ゴッゴー効果」が頻繁に起きたと考えられているが、 近年は「ニュートロンジャマーキャンセラー」影響下でも作用する、「新型ギュシゥ=ゴッゴー効果」も存在するという説もある。 〜 民明書房刊『種の起源』より一部抜粋 〜
110 スマソ、誤爆しますた
呉獏(ごばく) 古代中国は三国時代の呉の国において、呉獏という夢を食べる動物の存在が信じられていた。 人が悪夢を見る理由として、この呉獏が良い夢を食い尽くしてしまったからだ、としたのである。 そんな呉の人々の間には、悪夢から目覚めた後、呉獏の力を抑えるために酢魔阻(スマソ) という魔よけの酢を一気飲みするという習慣があった。 人に不快感を与える書き込みである誤爆の語源が「呉獏」であり、誤爆の後に「スマソ」を 供えているのがその証拠である。 民明書房刊「武主大統領の呉獏千本ノックin亜不願」より
いや俺だ。
じゃあ俺かも
今日、舞蘭虎(ブランコ)というこのスレ向きの名の店を発見した。
「ぬう、舞蘭虎…そういわれても聞いたことがない!」 「知らないのか雷電ーーーーーー!」
茶恋路(チャレンジ)という店を知っているぞ。
__ なんだ…? この温もりは……! _,.ゝ'" `ヽ、 胸から湧いてくる…… この温かさ…… _≧- ヽ 感謝の気持ちは…… > ハ、ト、_、 ,.-、 ヽ 7,. ハl. //ヘ \^') \ 松尾・・・田沢、秀麻呂……お前たちがただそこに居るだけで W'\</、ノ、 u `! ト、 \ / ,`'~,.っ |! |/'\__ \ 救われる……! . 'イ-<_.、 |:! :! ./ `-、_\ し'^l | ./ _ `\ 巨大な敵に殺される・・・ 0 / V./ `><_ `ヽ \ その寒々しさを考えたら・・・ (j \/ / /´ ヽ\/\ || | | ,/ :l \ \ 今… 遥か彼方から聴こえる大鐘音のエールは・・・ J ,.r┼‐|TT|_/ ! \ \ まさに救い…! _|_l_l ___ / (\lll|,|_|_| /| \ \ ノ | ヽ |_|・・・ ヽ ´ヽ ヽ、 :|,..-''" l \ \ 希望そのもの……! `\ >'l 匚o] //ヽ _|_l_l _ ヽ/ /` |_|_|_| // ヽ ノ | ヽ |_|・・・ l\ ,! /ヱ7 ヽ
あの〜〜『目に言う』てのは?
121 :
水先案名無い人 :03/12/13 14:13 ID:ETu3asoL
祐巳「しかし早えもんだぜ。あの地獄の連鋳爾射武留宇(レイニーブルー)からもう
一ヶ月か。やっと姉妹の関係も修復して初登校じゃ」
由乃「よく考えるとわしら全然登校しとらんのう。・・・おぉ、久しぶりのリリアン女学園じゃ!」
祐巳「よーしわしが一番乗りじゃ!」
由乃「ま、まて祐巳、わしが先じゃあ!」
祥子「フッ、あれだけの事件の後だというのに、相変わらずだなあの二人は」
令「ああ、まったくだ」
由乃「何じゃぁーっ!あの十字型の決闘場は!?」
志摩子「あ、あれはまさか噂に聞く露挫離悪(ロザリオ)・・・?」
祐巳「なっ、知っているのか志摩子さん!?」
〜露挫離悪〜
古代中国において、獰悪な犯罪者には相応の罰をもって報いとしていたが、あらゆる
刑罰の中でも特に辛酸を極めるとされたのがこの露挫離悪(ろざりお)である。
その内容は、十字型の鉄板を下から火であぶり、その上に裸にした犯罪者を長時間
正座させ続けるというもの。縄できつく縛ることによって身じろぎをすることも許されず、
あまりの苦痛に気を失えば、拷問吏によって水をかけられる。
とある中国の山奥にある拳法道場が、この刑罰を修行者の修練として取り入れ、
焼けた十字型の鉄板の上で裸足で決闘させていたということが記録に残っている。
なお、首から提げる十字架のことを「ロザリオ」と呼ぶのは、この刑罰から来ている
事は言うまでもない。
民明書房刊 〜古代中国における武術と刑罰〜より抜粋
出典「「魁!」をつけて硬派にするスレ」
http://appletea.to/~charaneta/test/read.cgi/ikkoku/1070607940/l50
>>121 元ネタが分からなくても普通に笑えるネタを作る、そんなお前にぬるぽした。
コバルト文庫 江田島塾長 「南無八幡大日如来様が我等を見ておられるであろう。」
油痢 古代中国の元の時代において、女性の整髪剤として用いられる油を好む 「油痢」と呼ばれる害虫が大発生し、世の女性達に大変な被害をもたらした。 この虫は髪の毛に寄生して人の頭髪をひどく磨耗させた(つまり禿げさせた)といい、 皇帝フビライの愛人であった真李阿という女性も被害にあったと記録にある。 なお、この虫は主に女性間の密接な触れ合いによって感染したことから、 親密な女性達のことを「ユリ」と呼ぶようになったのは周知の通りである。 民明書房刊「真李阿様、髪照る」より
≦_ ̄_ ̄─
_ ─ ≦_ )
≦_ )  ̄≡/ グチャ
≦_ ≡\ / グチャ
\Γ 了/ ;:.バラ:;:.,:;;
|.@| ・;..'・;..・;..'・;..
/| .| \ "・;..';゙;・;..'・;."・;..';゙;・;..'・;.
. / .|.風| \ミ  ̄─ ≧_。;"・;..';゙;・;..'・;.
/ ミ .|.車| ( < >_Λ∩.'` ・;..'・
(  ̄ ≧_ ・;..';゙;・;..'・;..V ゚Д。)/;;`..',,,'`;;,,. ←
>>122 ─_ _≧∴゙;:;:.,:;;∴゙;:;∴゙;:;:.,:;;
 ̄ ∴゙;:;:.,:;;;バラ∴゙;:;:.,:;;;
保守 …………思いつかねぇっ!
苦里須磨簾
128 :
ハン板で見つけた :03/12/25 08:13 ID:OuR5QJVl
マジレスすると「バールのようなもの」とは古代シリアのカナアン神話における主神バァルの事です。 以下、ググッた文を貼っておきます。 >元来バァル神に与えられた神格は、豊穣を約束する太陽神といったものであり 決して現在の日本における「バールのようなもの」という負のイメージを喚起させるものではなかったのである。 何故そのような事になったか、興味深い逸話があるので紹介しよう。 バァル神の信仰がインドに伝わると、仏教の影響で祇園精舎の守護神 牛頭天王へと変容する。 さらに中国に伝わると、今度は道教の影響で冥界の獄卒としての牛頭天王になる。 閻魔大王の配下の牛頭馬頭の片割れの誕生である。 このような神格の変遷を辿りながらバァルは牛頭として、朝鮮を経由して日本に流入するわけなのだが、 朝鮮半島においてのみ不可解な形で定着した。 朝鮮民族特有の火病(一章参照)の状態に陥った時に、荒ぶる牛頭が乗り移ったと形容された。 しかし、直接に牛頭を言葉に出すことははばかられ、語源までさかのぼり「バァルのようなものが憑いた」と 表されるようになったのである。 つまり、昨今NEWSで使われる「バールのようなもので破壊した」という言葉は、意外に知られていないが 「韓国人がかんしゃくをおこし、ムリヤリな力(方法)で破壊した」 という意味の言葉なのである。 著・許 元璧 「HOP・STEP・ふぁびょ〜ん」 出版元 民明書房
>128 いかにもそれっぽくって(・∀・) イイ!!
保守【ほしゅ】 正しくは「穂守」と書く。 中国文明は農耕文明であり、日本の稲作文化が中国から伝わったものであることは良く知られている。 その中国において何百年に一度大規模な飢饉が起こることは歴史上に何度か見られることであり、 その飢饉がきっかけになって王朝が倒れたり、大規模な乱が起きたのも良く見られることである。 穂守とは紀元前200年頃から史上に現れた村ごとに作られた自警団とも呼べるもので、 飢饉が起こった際に村の水田や畑を守るために組織された村人の集団である。 「穂」という漢字が当てられたのは言うまでも無く穂から米が取れるためである。 現在では「水田を守る」という意味が拡大され「保ち守ること」という意味で使われるようになった。 それに合わせ穂という漢字も保に改められることになった。 2ちゃんねるにおいて保守という言葉が良く使われるが、 これはスレッドを自分の水田としてそれを守るために行っていると見れば極めて原義に近い使い方と言えるだろう。 民明書房刊「農耕文明 第3巻 ―古代中国と現代の類似性―」より
>130 おお!なるほど! ……あ、僕は>126です。
132 :
水先案名無い人 :03/12/29 14:13 ID:IJBImDm3
【盤義谷流(ばんぎゃる)】 古代中国において、年頃の若者には絆杜(ばんど)と呼ばれる 数人からなる組を結成し、諸国を巡り武者修行をする者達がいた。 彼らが諸国を回るにつれ、多くの従者が付き従うようになり、 従者の数が増えて勢力を増した絆杜は都へ登り、富と名声を欲しいままにしたものもいた。 絆杜には数々の流派、服装をしたもの達がいたが、中でも 化粧を施した美呪或(びじある)と呼ばれる流派の者達に付き 従ったのは、盤義谷と呼ばれる谷に住む住民が大多数であった。 盤義谷の住民は多くが10代の少女で、、黒い衣をまとい独特の風習、踊りを 多数持ち、己の気に入った絆杜の者たちを金銭的、精神的に支え、共に諸国を渡り 歩いたという。その流浪の様から「盤義谷流(ばんぎゃる)」と 呼ばれるようになり、後にさらに略して「盤義谷(ばんぎゃ)」と称されるようになった。 彼女らの多くは20代半ばになると、谷での暮らしや流浪をやめ、 黒い衣を脱ぎ捨て里へ降りてごく普通の生活を営むようになるが、 一部はさらに奥の谷へ移り住み、30を越えてもなお絆杜の若者と共に 諸国を巡る旅を続ける者もおり、「奥盤義谷(おばんぎゃ)」と呼ばれた。 現代でも化粧をほどこしたバンドに付き従う黒服の少女達を「バンギャル」と 呼ぶのは、この盤義谷の民が由来であることは言うまでもない。 (民明書房刊 「古代少女文化紀行」より」)
133 :
水先案名無い人 :03/12/29 23:39 ID:1l1PtKxN
民明書房関連の過去スレに面白いのがあったから紹介 47 名前: ロボットの起源 投稿日: 02/03/02 06:59 狼暴党(ろうぼうとう) 中国の春秋戦国時代に名を馳せた盗賊団。 狼の背に人形を乗せ、人数をごまかしたり囮として使用していた。 その人形は狼の動きと連動して動き、遠目にはまるで本物の人間のように見えたという。 今日では、ロボットの名の由来はチェコ語の「ロボータ」ではなく、 この「狼暴党」であるとする説が有力となってきている。 なお、この狼暴党の鎮圧に活躍したのが「鉄腕将軍」とよばれた武将、 按唐武(あんとうむ)であり、手塚治虫の「鉄腕アトム」は伝記「鉄腕按唐武」に 影響を受けて書かれたことはよく知られている。 −民明書房刊「ロボット史異聞」−
このスレ……保守べし保守べし!
こんなの見つけたんだけど、既出? 歩仮素越冬(ぽかりすえと) かの秦の始皇帝が不老不死を求めたという伝承は有名であるが 不老長寿の薬と称されて出された物が「歩仮素越冬」であった。 その液体は、一口飲めば仮に素足のままで一冬を過ごしても 風邪ひとつひかないという強靱な肉体と精神力が身に付く物であったことからこの名が付いたという。 現在、有名なスポーツドリンクに「ポカリスエット」というものがあるが そのなはこれに由来している。 民明書房刊「知られざる中国医療」より
そういや、俺の手元の英和辞書にこんな項目が・・・ 『sun get (さんげっと)』 sunとは勿論太陽のことである。賢明な諸君には、もうお分かりだろう。 昨今の住宅事情では、マンション等を建設するにあたり、高層化が進んでいる。 高層建築物ができることにより、いつも問題になるのが日照権の問題である。 日照権とは,住民の日照をまもる切実な要求と運動の中からつくられてきた権利であり、 憲法25条が保障する健康で文化的な生活を営むために太陽の光を享受する権利である。 太陽の光を享受すること、すなわち「sun get」は現代社会において大変重要なことであり、 当然の欲求とも言える。 現代のインターネット社会においてもこれと同様で、形は違えども より良い生活を送る為に「3ゲット」は非常に有意義なものであり、当然の権利である。
冨樫「明石、いったいどうしたんじゃあ!」 雷電「むぅ、あの技は!」 桃「知っておるのか、雷電!」 歩露離(ぽろり) 国中に自らの評判を広めるため、いかなる手段を持ってしても観衆の興味 を引こうとした剣豪達は、時には破廉恥な技を用いることも無辞さなかった。 晋の時代に鶴塀(つるべい)という流浪人あり、特殊な歩み寄りにより対戦相手の 衣服・ふんどしを切り離して露にする技を編み出し、観衆の喝采を浴びたが 遂に皇帝の逆鱗に触れ永追放されたと記録にある 民明書房刊「王猛烈伝」より 明石「一度この味を知れば後はもう病み付きになる」
>138 ×明石 ○赤石
>>139 しまったーーぁ!
油風呂に入って大往生してきます…
あと桃は「知っておるのか」とは言わないかと。
保守するワシは男塾塾頭江田島平八である!
143 :
水先案名無い人 :04/01/17 00:27 ID:CZ/A+Rbe
素婦痢(す ふり)・・・中国宋代、都の西沃省に勢力を誇った秘密結社。 その首領である倭堕惨(ワ ダサン)は全国制覇の野望を抱き、把裸把裸拳 という拳法を編み出し、人々から恐れられた。その秘奥義・非情戒弾とは、 狙いを付けた敵(倭堕惨娯乃味と呼ばれる)を宴席に招き、遊技に誘って 油断させ、密かにアルコール度数の高い酒を立て続けに飲ませて泥酔させた 挙げ句、集団で襲うという手段を選ばない卑劣きわまるやり口であった。 倭堕惨とその一党の手にかかった相手は500人とも1000人ともいわれ、 倭堕惨魔術(ワダサンマジック)の名で恐れられたという。 今日、学生コンパ等で同様の手口を使う者がまれにいるが、倭堕惨の 後裔であるかどうかは定かではない。 (民明書房刊『中国異常性欲物語〜倭堕惨の野望〜』より)
145 :
水先案名無い人 :04/01/17 12:45 ID:XHMUJxjq
『治殷 治殷 主!主!主!(ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!)』 殷王朝最後の皇帝である紂王は寵愛する妲己にそそのかされ、悪政を重ねた後、 周の武王により打ち倒されたのはあまりにも有名な話である。 紂王は、牧野の戦いで大敗後、都へと逃げ戻り、鹿台に火を放って自刃するのだが、 自刃の直前、紂王の元で贅沢の限りを極めた役人や宦官たちは、 かつての贅沢がもうできないのを悔やみ、紂王に対し、泣きながら 「治殷 治殷 主!主!主!(※注・治殷=殷を治めて下さい、主=我らが主紂王よ!)」と懇願した。 その懇願ぶりは、悲惨としかいいようがなく、ある者は燃えゆく宮殿の中で「治殷 治殷 主!主!主!」と ヨダレを垂らしながら、柱に体を激しくこすりつけ、そのこすりつけようは柱の塗装が剥がれ落ち、 血が噴出し肉がずたずたになるほどであったという。 なお、現代日本の匿名掲示板において「ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!」という文言と共に ヨダレを垂らした肥えた初老の男性のAAが貼られるのは、 根底にこの逸話が元になっていることはいうまでもない。 民明書房刊 『古代中国王朝滅亡全書』より抜粋
146 :
水先案名無い人 :04/01/17 13:23 ID:X7r+Wt/5
147 :
水先案名無い人 :04/01/17 19:05 ID:Q4DHqeIS
148 :
水先案名無い人 :04/01/17 19:07 ID:Q4DHqeIS
実在するキーワードを盛り込むとそれっぽくなるね 信じてしまいそうになるからスゴイたち悪いな笑
この前友人がスカイフィッシュのことが載ってるHPを見せて、 「こういうのがいるんだって、すげぇーなぁー」 とかいいつつスカイフィッシュの図鑑の絵みたいのを見せてくれたんだが、 それの出典が民明書房になってたw
>ヨダレを垂らした肥えた初老の男性 笑が止まらん
151 :
水先案名無い人 :04/01/18 23:50 ID:wXvHo5Kl
152 :
水先案名無い人 :04/01/20 00:16 ID:/Wr+Q9sl
「何じゃぁーっ!
>>122 と
>>125 のやり取りは!?」
「あっ、あれはもしや濡流報(ぬるぽう)・・・」
「なっ、知っているのか 茂名ー!?」
「うっ、うむ・・・」
『濡流報(ぬるぽ)』
殷の時代、中国では、しばしば日照りが横行し、
そのたびに人々は甲骨を用いた占いで天候の行方を占ったといわれている。
この占いの結果、出された雨の知らせが、濡流報であった。
濡流報は、日照りで苦しむ農民達に歓迎され、農民達は、祝福の意味を込めて、
「賀(が)」と言って、濡流報を伝える者をもてはやしたという。
「濡流報」「賀」のやり取りは、初めは言葉だけのやり取りであったが、やがて杖や棒を用いて、
相手の頭をなでる行為が加わり慣習化した。
後の三国時代には、連弩の技術を応用した自動式の賀装置も作られている。
なお、現代の「ぬるぽ」「ガッ」のやり取りは、いうまでもなく、濡流報が元になっており、
棒のようなもので相手を殴るという、一見粗暴な行為に変化しつつも、
祝福と感謝、五穀豊穣の願いが込められていることを我々は忘れてはならないだろう。
民明書房刊『知られざる甲骨文字発祥の歴史』より
「不氏唖那散(fusianasan)だとぅ!!」 「知っているのか雷電!」 「うむ……」 『不氏唖那散』 神話から歴史へと人間が神から一人歩きする激動の時代。 黄帝亡き後には蛮愚が跳梁し、獣も人も区別なく地獄を味わったという。 そんな中、黄帝の教えを頑なに守ろうとする若者がいた。 唖那という黄帝死後に民を苦しめた一族の者だ。 ある日彼は町娘に部下が暴行を働くのを咎め刑したところ、その両親にこう詰られた。 「例えあなたが黄帝の血をひいたとしてもその教えを守ろうともあなたは鬼の一族、唖那の人間だ」 そして町人の正論に力なく項垂れ殿に帰った彼を待っていたのは親類達の謀略だった。 彼は気付くや否やすぐさま一族の者を親しかった従兄弟と共に皆殺した。 そして部下に黄帝に仕えた唖那氏再興を問われた時にこう答えた。 「唖那は(我が)氏にあらず(我は)ただ散るのみ」(責任を取って家を潰す) この若者の偉業を人々は長く語り継ぎ、今日(こんにち)の2ちゃんねるにもそれは残っている。 補足・一説によれば鳥の羽から作った身分証明書(鳥符)を廃止したとも、 すべては彼に付き従った従兄弟の策略で氏を表す鳥符を捨てざる終えなかったとも言われてる 民明書房刊「鳥符〜伝説から歴史・そこに横たわる罠〜」より
肝汚太「ぬうぅーっ、あれはもしや綿鬼!?」 芋宇土茂江「な、何ーっ!綿鬼だとっ!!」 『綿鬼(わたおに』 むかし秦の時代、茂寺という寺の僧がこぞって裸体を模した石造を一心不乱に刻んでいた。 これを戒めるためにできたのが綿鬼である。
「致知鬢断(ちちびんた)」 殷王朝最後の皇帝である紂王が寵愛する妲己にこれを為されたというのが歴史上では最古の記録である。 これは女人が男を我が儘に操らんとする際に用いる秘拳の一つとされ、現代でも稀に見ることが出来る。 女人が乳房をまるで辮髪のように操り、男の一切の雑念を断ち、女人の策謀の徒とする(女人が男を謀略の 知に致らしむ)ことからこの名がついたと伝えられている。 (民明書房刊『死亡遊戯〜秘拳全集〜』より)
「ふいんき←なぜか変換できない」を作ろうと試みたが、俺には無理だ…… だれか尾長石松
157 :
水先案名無い人 :04/01/21 17:55 ID:R5iLwOeb
「山名志学員(やまなしがくいん)」 室町時代、山名氏が袈迩亜国の律令制度の養成のために明国経由で連れてきた留学生。 彼らは甲斐の守護大名上田氏のもとで4年間、法律学や会計術などを学ぶ。 当時は各地の部族の長を決めるために家臣10人を走らせる「獲貴殿(えきでん)」という 開かれていたが、彼ら留学生の活躍により、山名氏は3回も長に任命された。 特に「王通里(おうつぉり)」や「李精南(いせいなん)」は山名氏を盛りたて、その後も 「馬椰家(まやか)」「倭治羅(わちら)」といった留学生が山名氏を支えた。 しかし留学生の中には「夏劉騎(かりゅうき)」の様に獲貴殿で結果を残せずに 去った者もいる。なお、晩年に活躍した「毛寒罵(もうかんば)」は馬椰家の従兄弟である。 また、現在の箱根駅伝のルーツは、当時の獲貴殿をもとに作られた競技である。 (民明書房刊『知られざる中世日本の留学事情』より)
158 :
水先案名無い人 :04/01/21 18:02 ID:Sm55OCGX
また石材が不足したとき石仏を材料にして石造を彫りつづける不届きな僧侶を 『魔戒僧(まかいぞう)』と呼ぶ。 現在市場に流通している「わたしのおにいちゃん」が改造要らずで様々なコスチューム (ときには裸体)を楽しめる魔改造いらずなのは歴史の因果なのであろうか。 (民明書房刊 『漢の願い〜おにいちゃん だぁいすき』より)
160 :
157改 :04/01/21 22:10 ID:R5iLwOeb
「山名志学員(やまなしがくいん)」 室町時代、山名氏が袈迩亜(けにあ)国の律令制度の養成のために明国経由で連れてきた留学生。 彼らは山名氏の一族で甲斐の守護大名上田氏のもとで4年間、法律学や会計術などを学ぶ。 また、当時は各地の部族の長を決めるために家臣10人を走らせる「獲貴殿(えきでん)」と呼ばれる 行事が毎年箱根で開かれていたが、彼ら留学生の活躍により、山名氏は3回も長に任命された。 特に「王通里(おうつぉり)」や「李精南(いせいなん)」は山名氏を盛りたて、山名氏を 6分の1衆と世間に称えさせた。その後も「馬椰家(まやか)」「倭治羅(わちら)」といった 留学生が学び山名氏を支えたとされる。しかし留学生の中には「夏劉騎(かりゅうき)」の様に 獲貴殿で結果を残せずに去っていった者もいる。なお、晩年に活躍した「毛寒罵(もうかんば)」は 馬椰家の従兄弟である。 また、現在の箱根駅伝のルーツは、当時の獲貴殿をもとに作られた競技である。 (民明書房刊『知られざる中世日本の留学事情』より)
>>156 「負陰気(ふいんき)」
古代中国は春秋時代において、諸子百家と呼ばれる説法家が数多くいたが
その中に、万物を陰と陽で表す陰陽説を唱える鄒衍(すうえん)と言う者がいた。
この鄒衍が治世にあたり、当時仕えていた秦王に進言したのが
「王に対する害や恨み(すなわち陰の気)を王の代わりに受け、これを守る」という
呪術的な役職である。
この役に着いた者は「王の陰気を負う」ことから「負陰気」と呼ばれ、
また任命されてしまうとなぜか死ぬまで任を返還できないことから
人々はこの任に任命されることを恐れたという。
しかし、これらの者が王の害を代わりに受けてくれたおかげで
秦王は何度も刺客などから逃れ、ついには中国全土を統一することができた。
この「負陰気」は中国統一後も歴史の裏で代々受け継がれ、それがやがて日本に伝わり
陰陽師などになったことは意外と知られていない事実である。
なお、現在で掲示板に「ふいんき(←なぜか変換できない)嫁よ。」と書かれていると
恥ずかしい打ち間違いと勘違いされることがあるが、本当は現代日本でこの役に
自分の嫁が任命されてしまったという者が書いた悲しみの慟哭が書かれているのである。
民明書房刊「黒歴史〜平和な世間の知られざる恐怖〜」より
162 :
161 :04/01/21 23:12 ID:knI24mKx
かなり無理した。スマソ。
日本無礼区興行 古代中国は唐の時代、日本はいまだ蛮国とみなされていた。 そんな汚名を返上するため、天武天皇は日本と言う国号を定め、東大寺造営などの 巨大な国家事業を推し進め、その大仏の開眼供養の時に満を持して唐から客人を呼び寄せた。 しかしその際に労働者達が披露した、舞霊歌雨(ぶれいかう)という釈迦を称える舞踊が 客人たちをひどく驚かせ、後に至るまで「日本無礼区興行釈迦」として世の語り草とされることになる。 その舞踊の内容は、婦裸手(ふらしゅ)という、裸になり自らの妻に見立てた杭頭を抱える格好で 「人厄戎帯〜」「陀・陀・陀!」といった奇妙な歌を唱えたり、東へ西へ走ったり、 逆回転しながら冷冷資屋砂(ひりひりしやすな)という、東大寺造営の際に使われた砂をまきちらしたりしたと言い、 招かれた唐の客人は「なんと無礼な興行だろう!」と大きな衝撃を受けたという。 その時の労働者達の集団が後に「日本ブレイク工業」として発展した、かどうかは定かではない。 民名書房刊「無礼区会唐(ぶれいくあうとう)」より
人厄戒帯ワロタ
167 :
水先案内人 :04/01/22 21:51 ID:BWiRLP1V
泥武威泥(でいぶいでい) 古代中国のとある地方では大雨がよく降ったため外は一面泥だらけとなっていた そこに目をつけた一人のませた少年が一風変わった泥を使った拳法を編み出した その凄まじい威力には対戦相手も泥だらけの服を脱いで降参するほどであった その泥を使い相手の服を脱がせて降参させる脅威の技を周りは 畏敬を込めて「泥・武威・泥!」と呼ばれるようになり そしてそれがいつしか己の立場を利用し服を脱ぐことを強要することを 「泥武威泥」と呼ぶようになったという 「D・V・D!」「 D・V・D!」の起源が「泥武威泥」であるということは言うまでも無い 民明書房刊「驚き中国拳法の世界〜18歳以下には無理〜」より
↓2ちゃんねる十六闘士
169 :
水先案名無い人 :04/01/24 01:41 ID:LYSyBJud
〜桐番(きりばん)〜 8世紀前半、この時代は顕著な建築技術の発展が見られたほか、家具のにもデザインや質を求める動きが庶民にも広まっており、木材が高値で取引されていた。 その中でも桐は吸湿性に優れ、燃えにくいことから家屋や家具の製造に重宝されました。しかし、次第に良質な桐を手に入れることが難しくなり、市場では大規模な抽選会がよく開かれました。 抽選に使われる紙には数字が書いてあり、「伍百」より「壱千」の方がより良い桐を手に入れることが出来、「参百伍拾四」などの番号の人は桐を手にすることは出来ませんでした。 桐を手に入れることが出来る番号を「桐番」と呼び、人々から大層羨ましがられたそうです。 現在、インターネット上でよく見かけるキリ番という文化がここから来ている事はあまり知られていない。 ( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
170 :
水先案名無い人 :04/01/26 16:31 ID:dn2nq4u0
アーケード板のΖを旧MSで攻略『この時代のMSは化け物か!?』 より引用
http://game4.2ch.net/test/read.cgi/arc/1069312839/ ズドォォォーッ
ズドドドドッ
Z「な、なんじゃこれはーっ!」
百「むぅ…これは!鳴壺流秘剣、鬼突き!」
Z「し、知っているのか百式!」
百「うむ…」
鬼突き(おにつき)…
一年戦争の武将『魔=九辺』のみが振るえたという秘剣
『鳴壺流』は『斬る』ことよりもむしろ『突く』ことに念頭を置いた剣技であるが
凄まじいのはその精密さである
相手の体の一点一点に存在する『ツボ』を貫くことで小さな力で大きな損傷を与えるのだ
『鳴壺』と呼ばれる所以はこれである
秘剣である『鬼突き』は不動の構えから肘のみを使って秒間20回敵を貫いたといわれるが
唯一の使い手である『魔=九辺』がいなくなった現在ではまさに幻の技である
余談ではあるが、『キツツキ』の名前はこの秘剣が元であることは言うまでもないだろう
民明書房刊
『旧世代の遺物』より
ちょっとしたブームになっている模様。
「もうアボカド、バナナと」はどうかな?
172 :
水先案名無い人 :04/01/27 23:14 ID:20/ZE2j6
>>171 パーツだけやるよ。
あとは自分で考えな
↓
,!::: : : : : :,-…-…-ミ: : :', {:: : : : :: : :i '⌒' '⌒'i: : :} {:: : : : : : | ェェ ェェ | : :} { : : : : : :| ,.、 |: :;!ヾ: : : :: :i r‐-ニ-┐| :ノゞ : :イ! ヽ 二゙ノイ‐′
_ /- イ、_
__ /: : : : : : : : : : : (
〈〈〈〈 ヽ /: : : : ::;:;: ;: ;:;: ; : : : ::ゝ
〈⊃ } {:: : : :ノ --‐' 、_\: : ::}
∩___∩ | | {:: : :ノ ,_;:;:;ノ、 ェェ ヾ: :::}
>>172 | ノ ヽ ! ! 、 l: :ノ /二―-、 |: ::ノ
/ ● ● | / ,,・_ | //  ̄7/ /::ノ
| ( _●_) ミ/ , ’,∴ ・ ¨ 〉(_二─-┘{/
彡、 |∪| / 、・∵ ’ /、//|  ̄ ̄ヽ
/ __ ヽノ / / // |//\ 〉
(___) / / // /\ /
/ / /
こうですか!?わかりません!教えてください!!
175 :
172 :04/01/28 00:52 ID:53nDYsmk
猛阿暴牙怒、馬名南都 戦国時代、南に阿という名の一族がいた。 彼らは非常に勇猛で強大であったが、 粗暴で中国の者には非常に忌み嫌われ、『猛阿暴』と呼ばれていた。 そして、北のモンゴルには馬一族と呼ばれる遊牧民がいた。 彼らはその名の通り馬術による戦法を得意とし、幾度となく中国の侵略を試みた。 彼らもまた、南の阿一族のように忌み嫌われていた。 ある日、南の阿族が多数の象を引き連れて侵攻してきた。 時を同じくして、北の馬一族も長城を越えて侵攻してきた。 始めて見る牙を生やした巨大な生き物、すなわち象に人々は驚愕し、 この北と南の同時侵攻に非常に驚愕した人々はこの状況を、 猛阿暴牙怒(猛阿暴の牙が怒っている)、馬名南都(馬という名の一族が南の都を攻めてくる) と言った。 現代において、もうアボカド、バナナと、という表現は、 もうアホかと、馬鹿かと。が派生の罵り言葉と思われがちだが、 実は恐怖を表す表現である事は言うまでも無い。 民明書房刊 『古代中国の戦いの歴史』より 眠い+夜中に作った文章なので、稚拙な文章で申し訳ない
>>175 いや、充分だと思う。
できればAAについても触れて欲しかったけど、それは贅沢すぎだし。
お疲れさま。
>>172-173 摩駆 怒名立奴(まく どなりゅうど)
古代中国は宋の時代、摩駆(まく)と呼ばれる奴隷がいた。
この者は頭が良かったが、金がないため身を立てることができなかった。
そこで、仕えていた主人に「お願いです、科挙試験を受けるためお金をお貸しください」
と頼んだが、主人は「お前になど受かるはずもない」と説明も聞かず突っぱねたため、
摩駆は怒りを感じ、後日奇抜な服装でもう一度頼みに行った。
それは白く化粧した顔に、赤い毛のかつらをすることで己を目立たせ、
さらに「麻竺(まじく)」というインドの麻で織った服を着るというものであった。
この容貌は主人を大いに興がらせ、一度だけ摩駆のために金を貸すことにし、
その後、科挙試験に見事受かった摩駆は借りたお金を倍にして返したと言う。
人々はこの話から奴隷から役人まで成り上がった摩駆のことを「怒りによって名を立てた奴隷」
すなわち「怒名立奴(どなりゅうど)」と呼び、その行いをたたえた。
また摩駆の格好をすることを、その服から「怒名立奴麻竺(どなりゅうどまじく)」と呼んだが、
あまりに目立ち、さらに当時摩駆以外の者はこんな格好をしていなかったため
この格好で悪さを行い、摩駆に罪をなすりつけようとする者が多く現れた。
子供を誘拐するため窓から室内を覗き人々を恐怖に陥れたり、
「称們出屋外。」(訳:お前ら表へ出ろ)と言って挑発的な態度をとったり
椅子に座って一物をあらわにし、それを見た者に
「称契不契我?」(訳:やらないか?)と声をかけるなどする犯罪が行われ、
事態を重く見た時の皇帝はその格好をすることを禁止したと言う。
それでもしばらくは悪さが続いたが、「熊組」と言う自警団によって
取締りが強化されてからは犯罪が減ったとされる。
なお、現代でこのような風貌の者がファーストフード店のマスコットとなっているのは
この摩駆の由来からきているのはたしかであるが、あるインターネット掲示板で
「お前ら、表へ出ろ」というAAがあったり、クマーに殴られたりしているAAがあるのは
この話が由来なのかどうかは定かではない。
民明書房刊『中国奇人列伝第三巻 茂衆〜賢達記』より
大作乙。 最後の茂衆・賢達記が上手い
ヌケドだけでなく表出ろはもちろん熊やモス、ケンタまで入れるとは・・
180 :
177 :04/01/28 21:01 ID:sty35zpq
>>178-179 サンクス。ただ、余計なもの入れて長くなりすぎたか?
じゃあ、次のお題は「MMR」もしくはその関連で。
181 :
水先案名無い人 :04/01/28 21:45 ID:r7nmouBP
知られざる不況の原因。 こないだ、久々にボーイズゲーム買いました。 BLゲーも、だんだん「ウィンドウズのみ」が増えてきましたね。 BLゲーム くらいは、ギャルゲーの轍を踏んで欲しくないですのですが…… ギャルゲー は、ウィンドウズが出た頃から、皆がみなウィンドウズオンリー。そのため、 確かに大多数はゲーム可能なのでしょうが、Macなどのユーザーが不遇を囲わ されるという結果を生んでしまいました。私の友人も、嘆いていて、「ユーザ ーで集まって、訴訟を起こす」などということまで云ってました。 一方のBL ゲームは、出始めたときはMacもできるのばかりだったのに、ギャルゲーのソフ トハウスが別レーベルでBLゲーに進出し始めた頃から、ウィンドウズオンリーの が出現。 それで、コミケットに行ったとき、企業エリアに出ていたところに、 「Mac版は出ないのか」と聴きました。答えは、「Mac版をつくる設備がない」 おい、ちょっとマテ。設備がないからつくらない? ないなら設備を入れろよ、そんな些細な投資をケチって、女性に多いMacユーザーをな いがしろにするのかい。ふさげなるなっての。 その些細な投資で、売り上げは増え、 設備を販売した企業も潤い、周り回って、日本の景気も少しは上向くのに……。我が のことしか考えないんですね。 ウィンドウズだけしか出ないソフトは、ずばり、欠 陥ソフトです。そんなの売るな! もちろん、Mac版だけ、でも欠陥です。 けちけ ちしてうまみだけを掠めとろうなんて考えは、国のために今すぐ捨てて下さい! 「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、ウィンドウズ・マッキントッシュ両対応 を出すだけで、国が潤う結果をもたらすのです。 早く気づいて欲しいですね…… ここに、したい人間がいるんですから。けちけちせんと、ドーンとMac版も出しなさい! それでも嫌なら、私にウィンドウズエミュレーションソ フトを安く買わせて。 もう一つ正直なこと云うと、ギャルゲーソフトハウスが、売れるからとBLゲームに進出して いるわけですが…売りたいなら、Mac版も出さないと、意味ないですよ。てか、出さない なら元のギャルゲーに帰って欲しいです。あざとくて、いい 気分じゃないです……
難脱帝(なんだってい) 古代中国は唐の時代、貴馬香具師(キバヤシ)という、 皇帝に献上する馬(UMA)の装飾具を作る職業の男がいた。 彼は皇帝の奴隷のような境遇に不満を持ち、一攫千金を夢見て、 伝説の未確認生物が自らの巣を金銀財宝で飾り上げているという 野巣・虎駄無巣(のす・とらだむす)伝説を信じて泰山の山深くに 仲間達と一緒に入っていった。 しかし、そもそも嘘臭い伝説であったためにたどり着けるはずも無く、 愚礼(ぐれい)な人間に襲われそうになったりするたびに、 「アナタは一体、何度私の前に立ちはだかるというのか・・・ 野巣虎駄無巣よ!」とつぶやいたという。 結局10年ほどの年月をかけても何も見つからなかったといい、 「おれたち(人類)は……何もかも…… 何もかも遅すぎたんだ…………」とつぶやいたり 「あきらめない!!それがオレたちにできる唯一の闘い方なんだよ!!」 と切れたりする 彼らに出会った付近の村人は、「自分らが勝手に騒いどいて何を言ってるんだ」と 笑笑会有(えむえむあある)と名づけて笑いものにしたと記録にある。 ちなみにこの話は難脱帝、すなわち「皇帝の徳を脱して(ミステリーを調査するのは)難しい」 という意味の説話で、MMRのナワヤたちが「何だってー(AA略」と叫ぶのは 「編集長あってのMMRだ」という意味もこめられている。 民明書房古代中国研究班MMR(Min-Mei Research)刊 『ここまで来ると、もはや 必 然 …』より
激ワラタ。 Min-Mei Research最高。
外術(がいしゅつ) 三国時代の魏の名外科医・華侘は、時の権力者曹操に処刑される直前、 膨大な量の医学文献を遺した。それらは古代中国医学の発展に大いに 寄与すると考えられていたが、弟子達は医学の向上を目指そうとせず、 「麻沸散」「五石散」など麻薬の違法な売買により巨利を生み出し、 また彼ら自身も服用する有様であった。 一方で外科手術(外術)は衰退し、ある時下級役人の妻の癌を 摘出する手術があったが、弟子達はこれに失敗、妻は死亡した。 下級役人はこれを曹操に訴え、怒り狂った曹操は弟子達を呼び出し 「外術は汝らの師によって既に拓かれたものなのに、なぜ弟子の汝らが 失敗するのか」と叱責した。 弟子達はしどろもどろになって外術の難しさを語ったが、 この時麻薬の違法売買及び服用の事実が明るみに出て、 彼らは処刑され、文献は全て焚書される事となった。 なお、外術の正しい読みは「がいじゅつ」であるが、 弟子達が呂律の回らない舌で「がいしゅつ」と言ったのが 市井に流布し、しばらく藪医者を罵る時にこの語が 使われたという。 この出来事によって古代中国医学、特に外科手術の発展は 大幅に遅れ、また、魏から晋にかけて「五石散」の流行は 結局続き、亡国の遠因になったともされる。 なお、現在では「既出」の言い間違えが「ガイシュツ」に なったとされているが、その裏には既に扱われた事柄を、 後世の者が誤って使う事に対する憤りが籠められている事を 知る者は少ない。 民明書房刊『古代中国医学と麻薬産業の関連』
怨・道留羅羅・義丹・出胃酢加(おん・どぅるらら・ぎったん・でいすか) 古代中国に『羅道』と呼ばれる密教と道教の混合宗教が存在した。 『羅道』の極意は呪術であるが、自らの身を正さねば効果はないとされ、 身を正している人間には『義丹』と呼ばれるエネルギーが存在するとされた。 『怨・道留羅羅・義丹・出胃酢加』とは、最強の呪文であり、 『わが義丹にかけて羅道に呪う、胃よ出でて酢に加えられよ』という意味であり、 つまり自らの命をかけて相手の死を願う呪いの言葉であった。 ちなみに、『怨』はサンスクリットの「オーム」と恨みの「怨」をあわせたものである。 俳優・作家である「大鶴 義丹」がこの法を修養していたと言われている。 また、某特撮番組でも登場したことは、この法が現在まで生きていることの証である。 民明書房刊『古代中国の遺産・現代に生きる呪術』 初作成…つらい。
>>181 矢追者(やおいもの)
前書において、「矢裸納射歌(やらないか)」という祭祀において
次第に二人一組の男性で行うようになった、ということを記したが、
それと共に祭司に選ばれた美青年たちを焦がれるがあまり
神にささげるための矢が射られてから奉納されるまでのあいだに
矢に殺到し、持っていってしまうという女性たちもあらわれたことも忘れてはならない。
彼女らは「矢追者(やおいもの)」と呼ばれ、その神をも畏れぬ行為は
それを見た人々を驚愕させ、深く嘆き悲しませたと言う。
しかし、部族内での弾圧にかかわらずその行いをする者は年々増え続け、
ついには祭祀を執りやめないといけないほどまでに流行した。
そのときから「矢裸納射歌」は盗られるような野に向けて矢を射るのではなく、
神社の窓から室内に向けて射るようになり、また祭司を執り行う回数も格段に減らした。
これによって矢追者たちが強い非難の意を示したことは言うまでもない。
なお、現在ボーイズラブなどのゲームがWindous対応しか売っていないなどいう事態は
メーカーが些細な投資をケチったがゆえのあくどい行為だとされているが、
実はこのような悲劇を再び起こさないようにしているのだということを知る人は少ない。
民明書房刊 「続・古代中國のホモセクシュアル事情 〜炎多留の墓〜」 より
注:『矢裸納射歌(やらないか)』については
>>36 参照。
187 :
186 :04/01/29 19:41 ID:QvHLmZHc
なんだWindousって。正しくはWindowsデスタ。
眼窩弾(がんかたん) 中国拳法史においては古来より全身あらゆる箇所を用いての格闘技が編み出されていた。 それは素手のみならず武器を用いての戦いにおいても同じことで、 特に投石技法の頂点と言われたのが眼窩弾である。 この技の修行は眼球を自在に動かす事から始まり、 目の裏側まで回せるようになって初めて技が伝授され、 全精神を集中して眼球を射出したとき皆伝となる。 即ちこの技を身に付けた者は片目を失うが、空いた眼窩に石を詰め、 極限まで鍛えた眼窩神経を集中して撃ち出すのが眼窩弾である。 もう片方の目で狙いを定めながらの砲撃であるため狙いは正確無比であり、 始祖である李減怨(りへりおん)氏の極意書によれば、 この格闘技を極める事により攻撃効果は12割上昇、防御面では6割3分上昇したという。 西洋が発祥と言われていた拳銃だが、現在の学会では この眼窩弾こそが原型であるという説が支配的である。 余談ではあるが現在この技の修練を最も積んでいるのが高田純次であり、 眼窩弾に案を得た映画での主役の候補にも挙がっていたという。
アーケード板のファイナルファイトスレより 犯血破滅… それは中国民代初期 多対一の戦いに於いて無敵を誇った格闘術、敗無琉輩闘の 奥義の一つである。これは連打の最中 敵に背を向け拳を放つことで相手の虚を突き ダウンすることも、また逃げることをも許さずに絶命するまで殴り続ける恐怖の奥義である。 また、敗無琉輩闘には罰苦膝、罰苦菩泥などの攻撃技だけでなく、攻防一体の必弧貫 瞬間身をかわす刀拾威、身を削り 五体を無敵の竜巻と化す滅我喰手といった奥義も存在する。 余談ではあるがこの格闘術の奥義書が日本のあるゲーム企業に流れ、それを元に開発された ゲームが、ベルトアクションの金字塔「ファイナルファイト」であることは余りにも有名である。 民明書房刊「寡兵の戦略」より
オマケ。誰か続きを考えてくれ。 770 名前:ゲームセンター名無し メール:sage 投稿日:04/01/27 06:40 ID:??? アビ「ダムドを倒すとは…コーディという男め、なかなかやりおる。 ロレ「所詮奴は我ら魔奴戯亜6悪人の中でも最弱の男よ。 ソド「次は俺が行こう。 ベル「ソドムか…よかろう、貴様の日本刀ならば奴らもひとたまりもあるまい。 ガイ「なんじゃあー、あの薄ッ気味悪い鎧武者は! コー「奴は黒銅鋼を着込んでいる、俺達の犯血破滅が通用するかどうか… ??「退けい、もはや貴様らの通用する相手ではないわ! ガ&コ「ハ、ハガーーー!! 771 名前:ゲームセンター名無し メール:sage 投稿日:04/01/27 12:02 ID:??? ハガ「確かにヤツは強敵!今こそ、慈苦頭羅死を出す時よ!」 コー「な、なんじゃあーそりゃあー!」 ガイ「ぬぅ…そういえば、聞いたことがある!」 コー「知っているのかガイー!」
こんなんみつけた。
http://www.game.2ch.net/retro/kako/1007/10071/1007106055.html 19 名前: NAME OVER 投稿日: 01/11/30 22:56
中国、春秋時代に魯 久慢という男が
武術の達人である輪 異李と決闘をすることとなった。
実力に劣る魯は決闘の前に筋肉に直結した神経節を自ら突き
その肉体を岩のように硬くした。
しかし決闘の中で輪がその神経節をさらに針で突くと、
魯の肉体はその負荷に絶えることが出来ず、四散してしまったという
後にドクター・ライトがロボット兵器を作るときにこの秘術を応用し
魯久慢の名をとって「ロックマン」と名づけたことは賢明なる読者諸兄は既にお気づきであろう。
余談であるがこの秘術を見た、時の権力者は
「もう、魯はヤバイや」
と呟いたという。
この「もうろはやばいや」がなまって現代で言う『諸刃の刃』となったと唱える学者も少なくない
民明書房刊『古代中国の秘術と現代科学』より抜粋
>>192 ガン=カタ。
リベリオンって映画に出る銃を総合的に使用する格闘技。
ガイドラインにスレが建ってるので詳しくはそこで。
>>193 dクス。
自分もなんか書こうとしたが
いいのが思いうかばねぇ…
〜露挫離悪〜 古代中国において、獰悪な犯罪者には相応の罰をもって報いとしていたが、あらゆる 刑罰の中でも特に辛酸を極めるとされたのがこの露挫離悪(ろざりお)である。 その内容は、十字型の鉄板を下から火であぶり、その上に裸にした犯罪者を長時間 正座させ続けるというもの。縄できつく縛ることによって身じろぎをすることも許されず、 あまりの苦痛に気を失えば、拷問吏によって水をかけられる。 とある中国の山奥にある拳法道場が、この刑罰を修行者の修練として取り入れ、 焼けた十字型の鉄板の上で裸足で決闘させていたということが記録に残っている。 なお、首から提げる十字架のことを「ロザリオ」と呼ぶのは、この刑罰から来ている 事は言うまでもない。 民明書房刊 〜古代中国における武術と刑罰〜より抜粋
>>190 慈苦頭羅死(じくずらし)
中国明代初期において、敗無琉輩闘(はいなるはいとう)という
多対一の戦いに於いて無敵を誇った格闘術があったことは前述したが、
その奥義のひとつに苦頭羅(くずら)という投げ技があった。
それは突進してくる敵の懐にもぐりこみその反動を利用して相手を転ばせ、
頭から地面にたたきつけ、首の骨に大きな損傷を与える技である。
それを受けた者はあまりの痛さのために苦しみもだえ、これを見た人々は
「その痛み、苦頭羅死(くずらし)に勝るものなし」とおそれたと言う。
しかしあまりに非道な拳であるため、十六代目頭首の華 釜昏(かふこん)は
苦頭羅に改良を加え、首に損害を与えるのではなく首の骨を折ってしまうことで
少しでも相手が苦しまず死ねるような技に変えた。
この慈しみをもって敵に対する拳法はいつしか「慈苦頭羅死(じくずらし)」と呼ばれ
後世の拳法に大きな影響を与えたとされる。
なお、現代のゲーム「ファイナルファイト」ができたときにこの技も案に出たが、
一撃で殺してしまうため面白みが半減すると反対派が多く、
結果「真横のみしか攻撃しないソドムの突進技を上下の軸ずらしによって回避する」という
ボス攻略の裏技に変えたということはあまり知られてはいない。
民明書房刊「寡兵の戦略 増補版」より
※ファイナルファイトのソドム攻略については以下を参照。
ttp://www.ka1.koalanet.ne.jp/~oasis/ff/
197 :
水先案名無い人 :04/02/01 00:52 ID:Z/fHAuHq
「当て字を初めて使う場合は必ず読み仮名をあてる」
を書き方のテンプレに追加キボンヌ。
>>189 とか、何書いてあるかさっぱりわからん。
漏れ同。w
犯血破滅(パンチハメ) 敗無琉輩闘(はいなるはいとう)>ファイナルファイト 罰苦膝(バックヒザ) 罰苦菩泥(バックボディ) 必弧貫(ひっこぬき) 刀拾威(かたなひろい) 滅我喰手(メガクラッシュ) 敗無琉輩闘(はいなるはいとう)>ファイナルファイト てとこか、ファイナルファイトのスレなら読み無しで通じるテクだからなぁ。
>>200 某所からの引用。
>マニアックなネタは少々説明を入れて。良いネタも相手に伝わってこそ!
温堂流流裸魏旦泥酢香(おんどうるるらぎたんでいすか) 正しくは、「おんどうりゅう るらぎたん でいすか」。 宋代、都には温堂老師という武術の達人がいた。 老師が開いた温堂流武術とは、相手の不意を突いて渾身の一撃を以って相手を制すのが特徴であり、 武器を持った敵にも有効なところから、主に徒手空拳の貧民の間で瞬く間に広まった。 温堂老師の弟子に魏旦という実力者がいたが、彼の自らの実力を誇る態度を見かねた老師は、 ある雪の夜、魏旦を裸にして道場から放り出した。 信頼していた老師から裏切られたと思った魏旦は、高楼から見ていた老師に罵声を浴びせたという。 その後、流浪の身となった魏旦は文字通りに裸一貫で自らを鍛え直し、 遂には民衆から「流裸魏旦」と畏怖と敬意を込めて呼ばれるまでの腕前になった。 そしてかつての師の真意を知った魏旦は、温堂老師に対戦を申し入れ、 戦いが始まるやいなやすぐさま老師めがけて隠していた泥玉を投げつけた。 よくある不意の突き方と考えた老師は慌てることなくそれを受け止め握り潰したが、 それは罠でその途端、泥玉の中に仕込んでいた酢の臭いに老師は顔をしかめ、 その時出来た隙を突いて、魏旦の当て身を受けてしまった。 魏旦が遂に自分を超えたことを知った老師は、魏旦を温堂流の後継者に指名したという。 この様に相手の予想の裏をかく戦術は温堂流では奥義「泥酢香」として伝えられたが、 未熟な使い手の間では真の意味は忘れられて 「温堂流流裸魏旦泥酢香」の掛け声とともに攻撃することが流行し、 しまいには、貧民同士の喧嘩で掛け声代わりに使われるようになってしまったという。 現在放送中の仮面ライダー剣において「オンドゥルルラギッタンディスカー!!」と主人公が叫ぶシーンがあるが、 掛け声や主人公を見下ろす人物の存在から、この史実を踏まえたものに間違いない。 今後、主人公の戦いが温堂流の華麗な技を見せるか、 それとも与太者の喧嘩に終わるか、目が離せない。 民明書房刊『中華武術と特撮』より抜粋
温堂スタイル・スタイル裸魏旦泥酢香(おん――るるらぎたんがどのようにそれかに、椅子) 正しい--"おん――それは椅子です、の中で、どのよ?、に、りゅうるらぎたん――" 温堂老師の武道のエキスパートは宋代および大文字にいました。(魏旦)古い--それは 特徴です、それ、開かれた教師がパートナーの不意上でとらえてコントロールする温?ー スタイル武道、渾身の風のための以ってパートナー――それは、主としてさらに腕温堂 を持った敵に有効な場所からの露出した手の貧民間に一瞬にして広がりました――古い --教師の生徒は魏旦と呼ばれる強い人がいましたが、彼のものに能力を自然に誇りにし ている姿勢は見落とされることができませんでした――古い練習ホールから上昇して教 師およびある雪の夜を投げた、それは信頼されました――古い--教師によって裏切られ ると見なされた魏旦――高い--それは高い建物から見ていました――古い--ブーイング がそのとき教師上ににわか雨でぬらされたと言われています、それが置くまで、流浪の 身体として使用される魏旦は能力になりました「スタイル裸魏旦"、畏敬および尊敬、 または民衆からついに呼ばれる、それ、本意は温堂老師に行う戦争を提示します(スタ ートと戦うと直ちに)直ちに――古い--教師を注視する――
崖て隠していた泥玉は、し ばしば存在する突く突然の方法を投げられました、考慮された――古い--酢の匂い、教 師はそれを捕らえて棚に載せましたが、それは混乱せずに、わなによって泥玉へそれを ちょうどその時教えた――最後--古い--教師は、パートナーの予想の裏面を書く戦術は 温堂スタイルによって大神秘"泥酢香"として伝えられましたが、、温堂スタイルの後継 者として彼が魏旦をこのように指名したと言います、真実の意味は未熟のユーザの間で 忘れます――持っていること――それは、"温堂スタイルスタイル裸魏旦泥酢香"の叫び で攻撃するべき流行にあります――結局、それが場面がありますが、貧民の口論によっ てヒーローは現在の放送の下のマスク乗り手剣の中でどれと叫びますか、「ON DOURURU RAGITTANDESUKA「!!」それは、叫びおよびヒーローを見おろす人の存在からのこの歴史 上の事実に基づいたものに確実です。今後、ヒーローの戦いは、温堂スタイルの壮麗な 仕事を示します。あるいは、それは非行少年の口論で終了するか、わきに見ることがで きません。 抜粋はTamiaki書房刊で作られています「a 中国の武道および特殊効果。」
引用元:朝まで起きていたのに・・・14缶目
http://pink.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1073942547/l50 737 :名無したん(;´Д`)ハァハァ :04/01/30 08:04 ID:74zbNdbC
混媚畏怖丹(こんびいふたん)
古代中国は秦において、野咲(やしょう)という名医がいた。
あるとき難病の者がきたが、治すのは困難ということを悟った彼は痛み止めとして牛馬の肉を使った丹(錠剤)を与えた。
しかし麻酔薬として混合した麻沸散などの量が多すぎたためか、
それを飲んだ患者は「なまめかしさ」と「おそろしさ」の混じった味に病み付きになり、廃人のようになってしまった。
周りの人々はこの薬のあまりの中毒性の強さに恐れおののき、
これを「混媚畏怖丹(こんびいふたん)」と呼んで後世まで語り継いだという。
また、患者の妻は夫を廃人にした薬を「奴隷にするために贈られた」、つまり「奴贈(どぞう)された」と決め付け、
野咲に向かってこぶし大の石をいくつも投げつけ殺してしまったことも忘れてはならない。
なお、現在あるインターネット掲示板で話題になっている
コンビーフをドゾーして投げつけると言う女の子は多くのファン(中毒者)を得ているが、
彼女が野咲を殺した妻の末裔であるかどうかは定かではない。
民明書房刊『薬学・ブルブル(上巻) 〜起朝篇〜』より
((((;゚д゚))))薬学ブルブル
「気身軽按火(けみかるあんか)」 中国は漢末期、皇帝は重病に伏し、いかなる名医も治すことが出来ずにいた。 あらゆる手段を試みるなかで、舞霊駆(ぶれいく)師である萬爺(まんじい) にも声がかかった。(舞霊駆とは死霊、精霊などを操るとされた術である) 萬爺は子血留放流(すちるほうる)や魂腑裂鎖(こんふれっさ)といった 舞霊駆を駆使したが結果は芳しくなく、最後に按火(あんか)の術を試みる。 按火は燃えさかる炎の中に身を置き念じることによって、病気の原因とされた 悪霊を退散させるという、舞霊駆の中でも危険な術である。 萬爺の按火は熾烈を極め、その「陀!陀!陀!」という叫び声は 大地を揺らすほどであったというが、その甲斐あってか皇帝は快方へと向かった。 病床から回復した皇帝が「身も心も軽くなった」と言ったことから、 この按火は後に「気身軽按火」と呼ばれるようになった。 また萬爺はその功績を買われ、皇帝お抱えの医師であるところの 「織魂弐弐医(おりこんにじゅうにい)」に任ぜられたという。 現代では廃ビルの解体などに使用される「ケミカルアンカー」は、 悪しきものを滅する術である気身軽按火の意味が時代を経て変遷し、 破壊手段、解体手段の一種として伝えられているものである。 民明書房刊『一役買うためのテクニック』より抜粋
田沢「押忍! 不肖ながら田沢一号生、民明書房引用文の作り方を言うであります!」 松尾「なんかモーレツに悪い予感がするのう…」 田沢「それでは、耳の穴かっぽじってよく聞くでありまっす! 一.何を引用したか必ず最初に書くべし! わかりやすさが一番であります!! 一.当て字を初めて使う場合は必ず読み仮名をあてるべし! 相手が理解できない単語が多いと読みづらいのであります!! 一.マニアックなネタは内容に少々説明を入れるべし! 良いネタも相手に伝わってこそであります!! 一.引用した場合はできれば引用元へのリンクを張るべし! コピペから交流の輪を深めるのであります!! 一.最後に『民明書房刊「○○」より』をつけるべし! 基本且つ一番重要なところであります!! 以上、基本的なルールなのであります! 後はスレの他の例文を読んで参考にするといいと思うのであります!」 鬼ヒゲ「ふーむ、やっぱり田沢は博学じゃのう」 桃「フッフフ、あいつは頼りになるぜ」
211 :
続き :04/02/04 03:11 ID:dGVN/d24
262 :愛蔵版名無しさん :04/01/31 04:28 ID:???
>>250 桐那医駄論(きりないだろん)
関連→ 摂呈未数(せつていみすう)
物体が光速に限りなく近い速度で移動すると、特殊相対性理論からも裏付けられるように
ウラシマ効果によって年をとるのが遅くなるというのは有名であるが、
逆に物体が超低速で移動することによって年をとるのが早くなることはあまり知られてはいない。
ただし逆に完全に止まってしまうと時の流れ方が元に戻るという問題があるため、
現実ではこの論理は証明できないとされている。
この理論を打ち出したのは中国の桐那(きりな)という医師であるが、
発表した当時、学会は「これはありえない駄論だ」と彼の理論を一蹴し、
これを「桐那医駄論(きりないだろん)」と呼び、さげすんだという。
しかし、彼の後を継いだ摂呈 (せつてい)がさらに詳しい研究をし、
この理論が適応できる速度(これを「摂呈未数(せつていみすう)」と呼ぶ)を計算してからは、
これは正しかったと一般的に知られるようになったことを忘れてはならない。
なお
>>250 の状態は、宇宙空間が無重力で外力がなかったことから考えると
塾長の乗っているロケットの速度が摂呈未数になったことで年をとるのが早くなり
ひげが伸びたと仮定されているが、はたしてこの仮説が正しいのかどうかは
今となっては知ることはできない。
民明書房刊 「科学的解釈の不自然さ(改定二版)」 より
破悪闘万軍僧(はあとまんぐんそう) 中国明代中期、鳳地明(ほうちみん)という野盗の指導者がいたという 鳳地明は自らは神の鳥、鳳であり、自分の行ったこと、出向いた先には必ず光が差すとふれ回り 農村や都を襲い罪もない人間を殺して回ったという 明の土地の一角を占領し「瞑」と名付け、都の名を「何にも屈せず、何も差し出さないという意味を込めて」 「納無」(なむ)と名付け人々にとって「瞑都納無」は恐怖の代名詞として使われた。 しかし百姓達はその意味を改悪し、「金玉も根性も無し」という意味を持って「辺吐魂」と彼等を蔑んだ そんな時「破理素藍蘭島」(ぱりすあいらんとう)という島に一人の僧侶が現れた。 その者こそ後に破悪闘万軍僧と呼ばれる男、戒・弊大(かい・へいたい)であった 弊大は屈強な肉体を持って破理素藍蘭島に巣くう米盗枯無を瞬く間に駆逐し島の者から英雄と呼ばれた。 そしてその噂は明の帝の耳へと入り、弊大は帝に兵を指揮し米盗枯無を討ち倒せとの命を授かった。 弊大はこれぞ天命とばかりに奮起し破理素藍蘭島に軍舎を作り上げた。 その訓練は想像を絶する程のものであり、命を落とすばかりか精神を患うほどのものであったという 当時、明で最も武に優れた真李子公(まりねこう)は訓練に挫折し、弊大が彼を畜生と呼んだことから 「真李子公伏す」(まりねこう、ふす)と言う風評が流れ、この軍の凄まじさを世襲に知らしめたという そして遂に明の大部隊が瞑都納無へと進行するときが来た、 弊大の指揮した精鋭達は明の軍隊の中へと散らばり、納無の戦いに置いてあらゆる武勲を打ち立てたと言われている。 そして辺吐恨、鳳地明は滅び明には平和が訪れた 人々は弊大を「悪を破るため万の悪と戦った僧」として彼を破悪闘万軍僧と呼び讃えた。 現代、アメリカに実在する海兵隊、そしてその別称マリーネ・コープスもこの伝説から名付けられたという 海兵隊を題材としたスタンリー・キューブリック監督作品「フルメタルジャケット」に 登場するハートマン軍曹もここから取られたことは明白であろう 民明書房刊「海兵隊の歴史−親愛なるSirへ」 アンクル・サム著作
Sir! 全然改行してないせいで見づらすぎました! Sir! そびえ立つ糞のようなレス張ってしまい申し訳ございません Sir!
瞑都納無=ベトナム 辺吐魂=米盗枯根=ベトコン でFA? 字が違うから読み方も違うような気がするんだが、思いつかなかった。
×米盗枯根 ○米盗枯無
ゲッ ふりがな全部にふったと思ってたのに・・・・ Sir! 欝であります Sir!
Sir! わしが男塾塾長江田島平八であるーっ! Sie!
餓羅覇道(がらはどう) 中国は元の時代、狼磨沙牙(ろうまさが)という古代から伝わる必殺拳法があった。 狼の牙をまねた動きをするその拳は代々一子相伝で伝えることになっていたが、 子がすべてできが良かったため、師匠は誰に継がせるか悩んでいた。 ある日のこと、師匠は一通りの修行を終えた彼ら一人一人に 「あとは最強の奥義、哀守送土(あいすそうど)を教えれば免許皆伝だが、 一子相伝のため一人にしか教えることができない。 おまえは、その殺人拳をほしいか?」という問いかけをした。 一人目は、「関係ありません、私は今のままで十分です」と答えた。 師匠は彼の才能を見込んでいたが、それならば仕方ないとあきらめた。 二人目は、「教えてください!頼みます!」と懇願した。 しかし、裏にやましさを感じた師匠は教えるのを拒否した。 三人目は、「教えていただかなければ、殺してまでも奪い取る!」と、師匠を殺してしまった。 そしてすべてを手に入れた彼は力で中国に君臨しようとしたのである。 まるで餓えた獣や戦神阿修羅のようにすべてを奪っていくありさまを 人々は「餓羅覇道(がらはどう)」と呼び、おそれ、それを打ち倒す救世主を求めた。 その願いがあってか、しばらくのち四人目の弟子が師匠の敵討ちのため彼と戦い、 ついには彼を打ち倒したという。 なお、「憎まれっ子世に憚る」ということわざはここから生まれたことも記しておく。 現在、あるゲームでガラハドという人物からアイスソードをもらうイベントで 似たような選択肢を選べるが、それはこの話が元になっていることは言うまでもない。 またこの話に良く似た漫画が大ヒットし、アニメや映画となって世に出たことがあるが 現代風にアレンジした「餓羅覇道」の逸話だったという事を知る人は少ない。 民明書房刊「You は Shock!あなたの知らない盗作作品たち!」より抜粋
そうきたか
選択肢との関連が禿藁。 「そう、かんけいないね」→「我が命も残り少ないか」 「殺してでもうばいとる」→「我が生涯に一片の悔い無し」 「ゆずってくれ、たのむ!!」→「俺の名前を言ってみろ」
引用元:振り向けば 奴ガイル
http://game4.2ch.net/test/read.cgi/arc/1070519598/ 114 名前:ゲームセンター名無し 投稿日:03/12/05 16:00 ID:???
_____
. __`ヽ ,トr,' ´ ,.へ,
. ,イ,ィ'⌒"゙f''ト、!ヽ, ィ゙ ./ , _-_‐_‐ - 、
バ, k,ゝ└ト、└ ''゙ ,ス ´''~ .`Y \ ソニックブーム
j、 ` ーク'ー-‐ぅ7',´ ,ノf⌒ヽ, ___ ,ノ 〉
.f`'`ー-R,,__ `'<,グ. ゝ、 . /
| 、 `' .、 `" ''''''''''' "´
', . ',__ ゙Y
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,r''゙~ 〉 . い |
,rァ弋 _,ァ-‐'゙ `'i"~i!
ぃ_f_⌒"´. ,ト、入_
`'.ー┘. └┴‐‐`'
115 名前:ゲームセンター名無し 投稿日:03/12/05 16:03 ID:??? ,z''.,,ニヽ7=-、 / /´,>i ぃ . ./ /i N, ,' / .ト、 .い |.,' / ./ ...ハ, ._i !i ,' ,' .,.イ/ .い fi1 { ,' ぇガ ィfュ .レ| i , .,'.√ル| .;;  ̄ハ.|i i . | i i i .i! .i! | .;; .|.||.| | |.i!.リ i! 、_y .|.||.| ト、 |.| |.ト、.|'ニニニ''' ルリ.i | 下<ぬう、この技は!! _,,N i.| ゙ト、 /川 | リ リ . い代  ̄ カ...|ル' N .`' ,,_,,ムイ fヽ r┐ `’ `'' ,.ィ''.~ ,, ''~ ''", ィ / , イ .-<´ / ,z''´ i / ‐チ´‐- , r`.`"''.ー-ヘ\ . i / . ,∠.ィ,r三、`,ゞ__ .了 . | ,' ノ| /.r}`'''''''、 ̄ ̄‐= ─┐ i .i /イ ト、__,ハ___j | .i ィ/`r┐ .-‐ォ′ | . i \ -‐ '''''''{ | | | <知っているのかレミー? \ ' ´ ̄ ノ j .ノ \___j /./
116 名前:ゲームセンター名無し 投稿日:03/12/05 16:04 ID:??? 素肉武生(ソニックブーム) 晋代の中国、ひたすら拳を磨いていた武道家達が、 生身、即ち素の肉体のみを駆使して編み出した奥義。 この奥義を極めた者は、ある者は大地を切り裂き、またある者は海を割ったと言う。 これを見た時の皇帝が「素肉で何という武を生むのだ」と感嘆した事から この技が「素肉武生」と呼ばれる事となった。 なお、今日で言う「ソニック」の語源がこれである事は、 戦闘機が空を切り裂くように飛ぶ姿を見ても一目瞭然である。 太公望書林『衝撃の衝撃波』より抜粋
>>208 補足
「子血留放流」
古代中国に行われていた病魔を払う儀式。その者の子の血を特殊な丸瓶の中に保存し、
黒く変色し固まるまで祭壇に奉る。
その後霊験のある川に流し本人の回復を祈る物。
手順が簡単な事もあり、民間の間でも簡単な物が行われることもあったが、
正式な霊能力者が行わなければ効果は薄かったと言われる。
本来は現在の献血程度の血をとる安全な物ではあったが、
支配階級の中にはこの儀式にかこつけて厄介な子を始末したこともあったと言われる。
>>224 惜しいな、太公望書林はチョト違う。
何が違うか詳しい理由は魁!男塾などで熟知すべし。
「わしが男(r
男塾って何? マクロス関係じゃ無いのか?
>228 そのミンメイじゃない
吉岡平の別名義でもない(林明美)
>227 思うんですが、民明書房と太公望書林って角川と富士見のような関係?
敗闘裸死勇(ぱとらしゆう) 古代中国は群雄割拠の春秋時代、化生を使役する秘術を体得した女神転衆徒(めがてにすと)なる 一族があった。彼らはその異能により瞬く間に勢力を広げていった為、当時反目し合っていた 陳(チン)、猿多彦(サルタヒコ)、揉普(モムノフ)ら時の実力者達は彼らを恐れ女神転衆徒討伐のため 一時手を組み、連合軍を結成した。 連合軍は呪い師による呪殺を行い、背後から不意打ちし、寝込みを襲い、一人を集中的に攻撃し、弱点を狙い、 手段を選ばず彼らと闘った、これが後の世にも伝えられる「龍の軍行」(なまって眼光とも)と呼ばれる大激戦である。 この戦によって女神転衆徒は敗れ、歴史からその姿を消した。 その後、戦の際に防具を身につけず裸の身に刺青を施し勇猛に闘い死んでいった彼らを悼み 「敗闘裸死勇」の文字と戦士の骸を囲む天使の絵を彫った慰霊碑が彼らの故郷、野駒旦(のくたん)地方に建てられた。 絶滅したとされている女神転衆徒だが、現代その末裔が日本のゲーマー、中でも特にシビアな 難易度のゲームを好む層に現存していることが近年の研究によって明らかになっており、 この現代社会でも彼らは変わらず連日連夜敗闘(パト)り続けているという。 民明書房刊「朴 猛疲冷汰世…」より抜粋
>>231 そんな感じかな?
>>232 女神転生とパトラッシュのつながりがいまいちわかり辛いんだが
なんか関係あるの?やったことないからわからんくてスマソ。
ゲーヲタが入るとどんなスレも仕切られてクソスレになるという見本でつね。
禿同。
古代中国において、男達の遊戯といえば、主に肉体で競い合うものであった。
しかしこれでは医者が幾らいても足りないため、解医無(ゲイム)という、振素手(フレステ)とか
取滓(ドリカス)と呼ばれる操作機を用いて、木枠の中の仮想世界で遊戯する機械が考案された。
しかし、あまりにこの遊戯に熱中しすぎて、解医無脳(ゲイムのう)という、痴呆症と同じような状態になる
者が後を絶たなかった。彼らは解医無を追う事多い狗(イヌ)、すなわち解医無追多狗(ゲイムヲタク)
と呼ばれ、仮想世界と現実世界の区別が付かず、全てにおいて自己中心的であったため、彼らが素礼建
(すれたて、
>>3 参照)の儀式に入ると、どんな素礼でも仕切られてスレが糞にまみれたという。
ちなみにゲームヲタク(略してゲーヲタ)とはこの解医無追多狗から来ていることは言うまでもない。
民明書房刊『解医無脳の恐怖』より
『素麗建(すれたて)』 古来、中国では「敬磁万(けいじばん)」という娯楽が盛んであった。 また、その頃より「素麗努(すれっど)」の頂点に立ちたいという野望に燃えた豪傑達による「素麗建(すれたて)」なる競技が開発された。 素麗建を行った者には、「利酔素麗(りょうすれ)」又は「苦粗素麗(くそすれ)」という称号が与えられた。 利酔素麗となった者はどんなに身分の低い者でも生涯英雄として扱われ、その暮らしに不自由する事はなかったという。 苦粗素麗となった者は生涯家畜同然の扱いを受け、民衆からのあまりの批難により自ら命を落とす者も少なくなかった。 またこの時中国では、連続して素麗建を行いすぎて外へ出なくなるという「非気蝙蝠(ひきこもり)」という病が多発し、 中国全土に多大なる危機的影響を与えたという。 この状況を重く見た時の皇帝が、この非気蝙蝠による素麗建を禁じた「悪苦禁(あくきん)」という話はあまりにも有名。 ちなみに現代の掲示板によるスレ建てがこの「素麗建」から来ているという事は言うまでもない。 民明書房刊「中国娯楽大観」より 既存のが意味不明だったので作り直してたがどうだろうか?
>>233 良いネタも相手に伝わってこそ。
相手にわかりにくいかと感じたら関連スレへのリンク貼るだけでもいいから
これにへこまずもっとがんばってくだしい。
「怒瑠砲/牙津(ぬるほ/がつ)」 中国は元の時代、国土拡張を目論み周辺諸国への侵略を行っていた。 なかでも日本を攻めたものを日本では元寇と呼んでいるが、 その際に使用された艦載兵器が「怒瑠砲」である。 怒瑠砲は船首に固定された投石器から西瓜大の瑠璃(ガラス)を 打ち出すもので、その威力たるや凄まじいものであった。 怒瑠砲を驚異とみた日本側は九州北西部の湾岸に対怒瑠砲用の 防壁を建設。超大型の槍状のものを海に向けて並べて突き出し、 怒瑠砲から放たれた瑠璃を未然に海に突き落とすもので、 その形状が獣の牙のようであったことから「牙津」と名づけられた。 牙津は絶大な効果を発揮し、元寇が失敗に終わった主因とされている。 なお、現代にインターネット上で「ぬるぽ」と書き込まれた際に「ガッ」と (殴るなどの描写を添えて)返されるのは、この名残りであるのは言うまでもない。 民明書房刊「神風吹いても桶屋は儲からない」より抜粋
241 :
ほっしゅage :04/02/08 23:49 ID:iiFBISrC
今月の温堂流武術 ・温堂流流裸魏旦泥酢香(オンドゥルルラギッタンディスカー!!) ・王霊塔 遺書荷多々糧駆霊流運 烏影(オ゙レト イショニタタカッテクレルンウゥエ!) ・有憎堕 鈍奴鼓丼(ウゾダドンドコドーン!!) …… 民明書房刊「テレビ講座シリーズ 温堂流武術講座(2月号)」より一部抜粋 「温堂流武術講座」はテレビ朝日系列日曜日朝8:00からやっている 武術とオンドゥル語の発音を習うテレビ講座(週一回、50回予定)です。 ぜひテキストを買って一緒に見ましょう。一冊300円。
242 :
241 :04/02/08 23:55 ID:iiFBISrC
あ。IDがいいFBI。
京貧九劫 【けいひんきゅうこう】 その昔、清代に公文書の整理を行っていた官吏、孫仁は、 ある日隣家の起こした火事に家を焼かれ、翌月の給料が出るまで着物一枚、 数々の知人に借金をして暮らしたという。 当然借金は翌月の給料だけで返せるわけも無く、生活苦が数ヶ月続いた。 孫仁はその時の晩を凌ぐのも大変だった生活苦を後の手記、 「悔得録」の中で「京貧九劫」と表現した。 1948年、京浜電気鉄道が東京急行電鉄から分離独立し、京浜急行電鉄と名前を変えているが、 これは京急の前衛的な社風や、当時の代表上田甲午郎の 終戦直後の社会情勢とこの故事を掛けたユーモアに由来していると言えよう。 「名は体を表す」という諺があるように、京急独特の貧乏臭さは皮肉にもここから来ているのかもしれない。 民明書房刊「貧乏なのにはワケがある! 故事に学ぶ成功の法則」より抜粋
怒離埠頭【ドリフト】 かつて、清の時代、国内において荒くれ物の犯罪者ばかりを集めた港が有ったという。 そこにおいて荒くれ者の犯罪者たちは何ら改心の様相も見せず、ただただ力ばかりを競ったといわれる。 時の港の管理者槌矢系壱(つちやけいいち)はこれに心を痛め、一計を案じた。 そこで彼は、犯罪者たちにこう命令したといわれる。 「怒」を「離」し「埠頭」に自らの花を咲かせよ、と。 この一言から犯罪者たちは自らの仕事に磨きを掛けることに専念し、いつしか仕事の方法は美しく、洗練されたものへと進化していった。 やがて仕事の方法は力任せながらもすばやく、時に台車を横滑りさせながらも荷物を落とさず運ぶ方法―――― 即ち現代における「ドリフト走法」と呼ばれるものと何ら変わりが無くなっていったと言う。 現代日本でも、一部の若者が「埠頭」を「ドリフト走法」で駆け抜けるのはこの事がルーツとも言われる。 民明書房刊「古代中国流刑地記外伝、港湾最速伝説」より抜粋
『 嗚呼流黄(ああるおう) 』 古代中国。魯(ろ)の国の役人、牌仁(はいじん)は読書を多いに好み、寝食を忘れる程であった。 しかし、書を読み、学識を高めるまでは良いものの、 当時の腐敗した政治において、彼は讒言を受けて その力を生かす事なく役人の地位を追われてしまった。 途方に暮れた彼は黄河を見て涙を流し、 「嗚呼流黄河、我之精渇ス。」(ああるおうが、われのせいかつす) (訳:ああ、黄河の水は尽きることなく流れるが、私の精力は枯渇してしまった。) と悲嘆し、流れゆく黄河に身を投げたという。 この故事から、努力が報われない時に「嗚呼流黄」と叫び、 嘆きの感情を表すようになったのである。 ところで現代において、オンラインゲームに寝食を惜しむ程のめりこむ人物を廃人と呼び、 そのオンラインゲームの一つにROと呼ばれるものがあるのは偶然の一致なのだろうか。 『民明書房刊「人生是遊戯」 より』
神手納庸(かんでないよ) かつて秦王朝の時代、中国の山奥にあったとされる丹生洲(にゅうす)という村では 洞窟の奥深くに棲む神の手に捧げ物を納める、神手納庸という儀式が行われていた。 この儀式を行うのは、孔運沙(あなうんさ)と呼ばれる武芸に秀でた者達で 特に恵濡英知経(えぬえいちけい)という歴史書の秦 那珂(はたなか)などが有名である。 しかし、神の棲むとされる洞窟は、大変険しく、とても孔運沙以外の人間が入れるものではなかったので 本当に儀式が成功したのかは確認の方法が無く、孔運沙からの伝聞に頼る他なかった。 そのため、儀式は次第に孔運沙からの報告を聞くだけの物へと形骸化していき 後には、失敗したにもかかわらず虚偽の報告をする者が続出する始末であった。 こうしたことから、神手納庸は次第に「失敗しても許される」という暗黙の了解が広がっていき 儀式が廃れた後も、失敗した際に、相手を許す言葉として残った。 現在、日本のインターネット上において、テレビのアナウンサーがニュースの原稿を読み間違えた際 一斉に「かんでないよ」と書き込まれるのは、この神手納庸を起源とする説が有力である 民明書房刊「儀式百選 古代中国編」より
>>245 黄河は「こうが」だろうというのはツッコんでは駄目ですか
250 :
水先案名無い人 :04/02/13 00:13 ID:ZizPaVxB
刃錬田陰泥(バレンタインデイ) 古代中国は春秋戦国時代、この時代の刀匠は強力な刀を作る際、しばしばまじないに頼った。 その代表的な物が刃錬田陰泥(バレンタインデイ)であり、これは月の満ち欠けから 2月14日を選び田に入って良質の泥を採集し、それを刀に塗って秘力を得るものである、 その刀匠が打った刀「千夜子麗刀」(チヨコレイトウ)は稀代の名刀とされ、 これを帯刀した、倉巣之藍怒流(クラスノアイドル)の異名をとる女剣士・千夜子によって 何人もの猛者が命を落としたとある。 ちなみに、現在チョコレートを贈る習慣はこれに由来しておるのはお気づきの通りで、 この日クラスのアイドルの行動に多くの男達が震え上がるのは当然のことである。 民明書房刊『千夜子・紅華(チョコくれないか)』より
先を越されたが、せっかく書いたんで一応書き込み。 刃錬田陰泥(ばれんたいんでい) 戦国時代末期。 激化する諸国の争いのため、刀匠たちはよりよい刀を打つことが求められていた。 刀の斬れ味は、鉄を精製するための窯の材料である『泥』に大きく左右される。 特に、水田の日の当たらない部分の泥は非常に良質であったため、 「刃を錬成するための水田の日陰の泥」すなわち『刃錬田陰泥』と呼ばれ、 刀匠たちはこぞってそれを求めたという。 なかでも名匠・子麗は、『刃錬田陰泥』を千の夜を費やして採集し、 さらに二カ月と十四日もの長い時間をかけて名刀・千夜子麗刀(ちよこれいとう)を鍛えあげたことで知られている。 現在の『バレンタインデー』がこの故事が元となって生まれたことはあまり知られていない。 民明書房刊「甘味にまつわる刀匠の愛」より
八朔に刀を献上する、てマジな風習の裏側でこんなことが行われていたのか・・・っっ?!
馬連詫印(ばれんたいん) はるか昔、中国では戦に赴く夫が妻に馬連というお守りのようなものを託すという習慣があったという。 そして時は流れ、次第に馬連は結婚記念日などの特定の日にプレゼントするようになっていった。 その話を聞いたフランス人の宣教師 ハルク・ホーガンはひどく感動し、欧州でも記念日に プレゼントする事を国民的行事にしようとした。 偶然にも聖バレンタインというキリスト教の司祭と先の故事の名前が同じであったため、欧州では この司祭が亡くなった2月14日の祝日にプレゼントを異性に渡すようになったという。 これが現代でいうバレンタインデーの由来である事は賢明な読者ならば察しがつくであろう。 太公望書林「馬連に学ぶ中国の歴史」より抜粋
フランス人の宣教師 ハルク・ホーガンが狙いすぎ…
>>257 本家もジミヘン・カーンってのもあるしw
『珍歩兵李画騎太象 (ちんほへいり) 』 戦国時代にはさまざまな将兵たちのドラマがあるが、その一人に、真羅(まら)という兵士の話がある。 真羅の姓は李、名は万、字が真羅である。 真羅はしばしば戦争において、敵を驚かすために鎧や顔などに奇怪な模様をほどこして戦に臨み、 その姿から珍歩兵李(ちんほへいり)と呼ばれた。 そして長い戦の時代が終わり、年老いた真羅は隠遁生活の慰みとして絵を描き始めた。 絵のほとんどは若かりし頃に体験した戦場の風景を描いたものであったが、 その中でも南蛮制圧の時に真羅が見た蛮族の騎兵──巨大な象に乗った兵を描いた絵は特に素晴らしく、いまにも動き出さんばかりの出来であったという。 この逸話は真羅という人物を代表する話であり、今でも真羅の名前が出れば「珍歩兵李画騎太象」というフレーズが飛び出す。 現代において絵の表現技術はますます多様化し、文字で書かれた絵──いわゆるアスキーアートと呼ばれるものも存在している。 アスキーアートの特徴は既存の文字を上手く組み合わせて絵を作るということにあるが、 その一つにマラマラマラマラマラ・・・という言葉と共に現れる「チンポヘリ」のアスキーアートは男性器をプロペラとしたヘリコプターの絵であり、 男性器が回転する様子は本当に動いているかのような錯覚を与えるほどである。 このように、「珍歩兵李」と「チンポヘリ」など、芸術性の高い作品に関連する言葉には類似したものが多い。 これは、言葉に宿る不思議な力が芸術という分野においてなんらかの影響を及ぼしている。ということなのだろうか。 民明書房刊 「芸術の世界 No.072 〜写生のミステリー〜」より
マラって名前の人はちょっと……
>257 とっさに思いついた外人がホーガンだったんだよ(w
写生…
>>262 これかな
/⌒\ /⌒\
(( ; 三 ,,))
ヽ ( / ミ マラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラマラ・・・・・・・・・・
キ .メ ./
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猛打滅法(もうだめっぽう) 昔、中国の仙人にやすゆき(仮名)という者がいた。 彼は絵無江苦酢(えむえくす)と呼ばれた仙術を駆使しては多額の金品を得て施しとしていたが、ある者が彼に嫉妬した。 その者の名を計殺(けいさつ)という。 計殺は役人を丸め込み、やすゆき(仮名)を牢屋へと叩き込もうとした。 役人に家へと踏み込まれ、必死に抵抗するやすゆき(仮名)だったが、ついにその仙力も尽き、最後の扉が破られた。 「静、静。貴君、無逃場」 「猛打滅法(もうだめっぽう)!!」 役人に縄を打たれるその時、必死に抵抗する彼が叫んだ仙術の名は国中に轟いたと伝えられる。 しかし、疲労しきった彼が唱えたその術が、力を発揮することはなかったのだった・・・。 現在のネット社会において、だめな時に使われる言葉に「もうだめぽ」というのがあるが、 その成立背景(WinMXの逮捕事件、2ちゃんのログ、事件関係者の名前)がこの故事と似ているのは偶然ではあるまい。 民明書房刊 「古代中国仙人大辞典」より
エエー。 元ネタかぶってても改変法が違えばOKなのかい? あ、よく考えればネタスレにOKもクソもないやな。 納得納得
マンドクサ マンドクサは、江戸時代の蘭方医、比喜仔盛(ひき しせい)によって 発見された薬草である。 仔盛は世界で始めて全身麻酔による手術を行った華岡青洲(はなおか せいしゅう) の弟子であり、麻酔薬の調合を試行錯誤するうちにこの薬草を見い出したという。 マンドクサの名は青洲の完成させた麻酔薬、通仙散の主原料であるマンダラゲに ちなむとも、以下に述べるよう銅を多く含んでいるため“万銅草”とよばれたとも いわれる。マンドクサは銅と結合した特殊な配糖体を多く含み、服用するとそれが 交感神経の反応を阻害するために鎮静・リラックス効果をもたらすのだ。 しかしながら、この成分は重金属を含むために体内に蓄積しやすく、長期にわたり 服用を続けると活力の低下や疲労感などの持続的な副作用があらわれた。この草を 薬剤として実用化させた仔盛も、率先してこれを服用し続けたため、ついには 活力の衰えや疲労感にさいなまれるようになり、晩年は家から一歩も出ることが なかったと伝えられている。 このマンドクサの効能は明治時代の医学者たちにも伝えられ、人体への長期的・ 持続的な悪影響をあらわす“慢性毒性”ということばのもととなった。 また、現代のネット掲示板において億劫なさまをあらわす“マンドクセ”という 書き込みがこのエピソードにもとづいていることは言うを待たない。 民明書房刊『クスリのいまむかし』より
271 :
水先案名無い人 :04/02/15 23:30 ID:2ZJ1nm2j
かなり出遅れた感があるがせっかくなんで書いとく バレンタインデイ 古代中国の毛来那愚亜(もうらいなぐあ)国の将軍でその残忍さで知られる馬霊安退(ばれいあんたい)が、 敵国の王や将軍たちを宴と称して招き、その国の特産品で非常に甘味であるが食した者は 一月の後に体中の血が凍りつき死んでしまうという血汚冷吐(ちよこれいと)を振舞ったことに由来する。 なお、そのときはそのことに気づいた武流梵(ぶりゅうぼん)国の博士、方歪渡泥(ほうわいとでい)が、 一月が過ぎる直前に作り出した屈気(くつき)という体内の気を集める食物と猛酒魔牢(もうしゅまろう)とよばれる 体内の魔を捉えるといわれるほど強い酒が解毒薬となる事を発見し難を逃れたという。 民明書房「真実のバレンタイン」より抜粋
>271 なお、現代ではバレンタインデイにチョコを贈り、その返礼として一月後に、ホワイトデイとして、マシュマロなどを贈る習慣があるが、もちろんこの故事がヨーロッパを経由し、20世紀中ごろの日本に、ハイカラな風習として伝わってきたと言うのはあまりに有名なことである。
LotR王の帰還公開記念。 「指輪物語(ゆびわものがたり)」 古代中国は春秋戦国時代、ある国に暴君がいた。 彼は近隣の民族をも支配し、重税をかけて苦しめたことから はだしで地を行く「歩人(ほびと)」族が中心となってクーデターを起こし、彼を打ち倒したのである。 歩人族だけでなく、木々の枝から枝へ移り住む「枝流夫(えるふ)」、 洞窟に住み、土と共に生きる「土和夫(どわふ)」などの民族が協力し合い、 やがて暴君を倒すその話は民衆のなかで英雄談として語り継がれていったという。 また後世になるとだんだん内容が変化し、水滸伝のような歴史小説になっていった。 彼らの指導者は龍や蛇のうろこのように硬い衣、「岩蛇龍布(がんだりゅうふ)」をまとって 仙術を駆使した白ひげの仙人だったという小説では、作り話ではあるが 陸にあがった大ウナギ「捨流鰻(しゃりゅうまん)」との藍前牙流土(あいぜんがりゅうど)の戦いや 猛瑠洞の龍(もうるどうのりゅう)との戦いが有名であった。 なお、この物語は残念ながら孔子の弟子たちによって歴史から抹殺されてしまい、 現在ではその話の全貌を知る事はできない。 ただ、隋の指輪の細工職人であった呉 羅務(ご らむ)が検閲を恐れて指輪に彫った わずかな文章だけが現存している。 現在、「指輪物語」という小説が映画化されて大ヒットしているが、 実はこの話はトールキンが中国の文献を調べたときにたまたま発見した わずかな文章から想像を膨らませて作った話だということは知られてはいない。 なお、タイトルの「ロード オブ ザ リング」は呉 羅務の小説の彫られた指輪が 「指輪王」とも言われていた時の皇帝に献上された物であったことだから、と言われている。 民明書房刊「You は Shock!あなたの知らない盗作作品たち!」より抜粋
本家民明書房のの宮本武蔵とバカボンドにワラタw
1940年度計画 米海軍戦艦 BB-66 ケンタッキー BB-61 アイオワの6番艦として計画。 艦内にはあの それが喰いたい人にはたまら ない 喰いたくない或いは中の人には「お腹いっぱい」な匂いに満ちており、激烈な砲 戦のさ中といえど大量のチキンが高温の綿実油に次々と投げ込まれる作業が止む事は無 く、常に引火誘爆の可能性なしとしない。 チキンが万が一底をついた場合、燃料弾薬の有無及び戦闘状況又は天候の如何に関わら ず 同艦は洋上に於いて停止する。 なお 聖クリスマスの際には全艦隊将兵が同艦に殺到し、船体が左舷に「危険と思われ る程」傾斜する。 1944年12月6日 フィラデルフィア工廠にて起工 基準排水量45,000t 全長270.6m 幅 33.0m 速力33kt. 出力212,000hp 武装406mm 3連装砲3基 127mm 連装砲10基 機銃ありったけ のハズだったが1947年2月17日工事中止。1948年8月17日 にわかに工事再開。と思った ら1950年1月20日 進水後工事中止。1958年ハナをぶつけたウィスコンシンにハナを持っ ていかれたまま除籍。 民明書房「世間の艦船」より抜粋
276 :
水先案名無い人 :04/02/18 23:49 ID:fW4ZMQ+1
『 才多磨 (さいたま) 』 中国清王朝では帝位を代々世襲する為、 嫡子の才覚を非凡なものとするための四つの儀式が行われてきた。 その中の一つである才多磨(さいたま)は、教育係二人組と嫡子の三人で行われ、 一ヶ月間飲まず食わずでひたすら「才多磨才多磨才多磨・・・」と唱え続けなければならない。 これを一ヶ月間続ける事によって、嫡子はあらゆる分野においての才能が宿り、また教育係はその才能を引き出す事ができるという。 しかし、儀式の過酷さは想像を絶し、発狂する者が絶えなかったため、 才多磨を行う前には必ず孟羅々(もうらら)という仙人の庵まで出向き、才多磨を行う許可を得なければならなかったという。 ちなみに、現代の日本の埼玉県はこの才多磨にちなんで付けられた事は言うまでもない。 また、インターネットの掲示板において「さいたまさいたま!」と連呼するAAがあるが、 これはまさしく才多磨を表したものである。 民明書房刊 「 苦礼四清治安 」 より
sage忘れた。スマソ
>苦礼四清治安 なんて読むの?
>>278 く・れい・よん・しん・ち・あん
ではないかと。
春日部の名誉市民か。 あれ、春日部ってなくなるんだっけ?
「呉流嗚呼(ごるああ)」
かつて秦王朝の時代、中国の山奥にあったとされる茂内田(もないた)という村では
英々(えいえい)と呼ばれる傀儡を使った腹話術等が流行っていた。
この英々は非常に多くの動きができ、ある者は人形劇、
またある者は人を攻撃する為の武器として使った。
ある日、戦闘用に改造された英々を見た村の青年「瑛 恵藍(えい けいあい)」は
英々同士を戦わせる格闘競技「呉流嗚呼(ごるああ)」を提案、
この競技は村人の内およそ千人余りの間で流行した。
尚、この競技は英々の攻撃に巻き込まれる等、危険が伴う為、
「十六歳未満の子供」や「精神年齢がそれらに匹敵する者」の参加は許されていない。
現在AAと言われる文字列の絵を使ったフリーの格闘ゲーム「Goluah!!(ゴルァ!!)」の
原点がこの呉流嗚呼であったというのは言うまでもない。
また製作者aki氏のHNの由来が呉流嗚呼の提案者「瑛 恵藍」にあったのはあまり知られていない。
民明書房刊【2ちゃんねる−AA板の案内−】より抜粋
「Goluah!!(ゴルァ!!)」のサイト
ttp://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Sunnyvale/2289/
ちょっとお門違いかもしれんが、ワラタので。
771 名前:おさかなくわえた名無しさん sage 投稿日:04/01/31 03:21 ID:P7Znd5XG
カントン包茎の「カントン」は、広東料理のチマキから来ている。
形がそっくりなんだそうだ。
772 名前:おさかなくわえた名無しさん sage 投稿日:04/01/31 13:04 ID:voIdvLWq
>>771 命名者は正岡子規である。ってところまで言ってホスィ。
773 名前:おさかなくわえた名無しさん sage 投稿日:04/01/31 23:43 ID:SgxEiKpS
「嵌頓」じゃないの?
774 名前:おさかなくわえた名無しさん sage 投稿日:04/02/01 00:25 ID:uMnUrjyS
正岡子規がチマキから「広東、広東」と呼んでいたものに、子規の友人で医者でもある森林太郎(鴎外)が
「嵌頓」の字を当てたものを論文で初めて使用、以後日本語訳として定着した。
鴎外から子規への手紙の中に
「広東と直裁に書くは甚だ具合が悪し。嵌頓の字を当て」云々
という記述がある。
775 名前:おさかなくわえた名無しさん sage 投稿日:04/02/01 00:30 ID:ZDENQujs
民明書房刊 「広東-知られざる真実」より抜粋
776 名前:おさかなくわえた名無しさん sage 投稿日:04/02/01 01:53 ID:IVgYY+F1
>>775 途端、嘘臭くなったな
>途端、嘘臭くなったな ↑お約束の決め台詞だな。w
恕梓獣爾嶽鉾 実は13人。 紀元前2桁の時代が起源。 という点を重く置いて造ってください。 現代の女子十二楽坊という女性ユニットは何か関係は有るのでしょうか? 少林寺三十六房との関連はいかに? 恕梓獣爾嶽鉾、お永居します。
僕からも民明書房の文献を投下いたします。 『ソダテッシア』 アテネ時代、豊かな都市国家の男達の間で、フコートなる遊びが流行っていた。 市民たちの集会場になっている広場に、合図と共に駆け寄り一番乗りを奪い合 うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。パルテノス、ソダテッシア、クルッソスといった名手が技を競い合い、 レスリングの源流ともいわれる掴み技や、車輪の使用も見られるほどフコートは隆盛を極めた。 やがてこの遊びに長けた者達が、時の大王.アレキサンダーの東征に徴用され、西アジアで散り散りになり、 欧州のフコートは衰退した。ボクシングやレスリングの源流と違い、欧州ではフコートは中世を乗り切れなかった。 だがアレキサンダー大王が目指したアジアの遠く唐代中国に、フコートが源流と思しき武術が残っていた。 それは第6代皇帝玄宗の統治下の『伏広砥』という軍団編成方法で、敵陣の只中で魚鱗陣を組み、 あまつさえ敵兵を掴み魚鱗陣に組み込むなどする捨て身の戦法であったため、しんがりを務めた部隊は必ず全滅したが、落ち延びるべき 武将が討ち取られたことは無かった。それゆえ『伏広砥』のしんがり部隊は後に手厚く葬られた。
『伏広砥』は1976年8月に神戸市内の古美術商が仕入れた商品の明代の文献から発見するまでは実在しないものとされていたが、『伏広砥』は 戦時中の修身の教科書で取り上げられており、当時の学会はなかなか実在を承認できなかっただけで、『伏広砥』が実在することは人々に広く知られていた。 桃や櫛を投げて悪鬼から逃げ延びる、という世界各地に似たような寓話.神話のある典型的な御伽噺であろうというのがそれまでの学会の見解であった。 現代では商売繁盛の神様「えべっさん」の全国総本社として知られる西宮神社(兵庫県西宮市)で毎年行われる神事『福男選び』に、 その名残りを見ることができる。 左記の『伏広砥』の源流.フコートについては明治時代にも大衆雑誌などでしばしば紹介されている。 与謝野晶子の「君しに給うことなかれ」の末尾「育てしや」は、敗走中に同僚を犠牲にしてまで幸福を掴んだ黒衣の防災兵.ソダテッシアを意識したもの、 という説が有り、これもまた製菓商の文芸として興味深いものである。 ( 民明書房刊 「絆の社会学 --つながっていたい--」 154頁『集積と幸福論』 176頁『パロディの秘めたるもの』 より )
李梨庵(りりあん) 前漢の末期、俗世を嫌って山中に移り住む者たちが現れた。 かの有名な儒学者「馬利安(まりあ)」も、晩年はそのように山中で暮らしたと言われている。 紀元前三十四年、馬利安は戦乱の面影を残した緑の多い山に庵を結んだ。 あたりには李(すもも)や梨の木が育っており、そこから、庵は「李梨庵(りりあん)」と名付けられた。 馬利安はそこで儒学を教えたため、「李梨庵儒学苑(りりあんじゅがくえん)」とも呼ばれる。 馬利安は儒学者の中でもとりわけ潔癖であり、汚れを目立たなくするために深い色の衣を好んで着用したことはよく知られている。 また礼儀にもうるさく、裳の裾は乱さないように、袍の襟は翻さないように、ゆっくりと歩くことを美徳として教えた。 そのような高潔な態度から名声を得た馬利安の下には多くの人間が集った。 李梨庵は、幼い頃から成人するまで一貫して教育を受けられる学問の園として、中国全土にその名を知らしめたという。 ちなみに、日本の「私立リリアン女学園」は李梨庵の分校であるが、このことはあまり知られていない。 民名書房刊「塾長様がみてる」より
覇那封痛愚(はなふっく) 後漢末期、黄巾賊の栄えし頃、乱世に覇を唱えんとし十常侍によって牢に繋がれた那という男がいた。 後に董卓が洛陽を焼き払って長安に遷都を試みた時、この男の処遇について意見が割れた。 董卓は即刻処刑せよと命じたが、彼の腹心李儒はこう述べた。 「かの那と言う男、美丈夫ゆえ慕う者ども多し。成ればしかるべき辱めを与えその名を貶め、その後処せん」 かくして、那は洛陽から長安まで鼻に鉤を掛けられ、豚の如き形相で引き回され、そして斬首された。 そしてその頭骸骨が朽ち果てるまで、鼻にかけられた鉤は外されなかったと言う。 人々は此れを『覇那封痛愚(はなふっく、覇を唱えた那を愚かしく封じて痛めつける)』と呼び、董卓によりいっそうの恐れを擁いた。 現在SMプレイなどで用いられる『鼻フック』がこの故事にちなんでいる事は言うまでも無い。 民明書房刊『三国志演義の知られざる刑罰』より抜粋
>290 これは初版、第二版で幾つかの訂正がなされている。 『覇を唱えんとし十常侍』⇒『覇を唱えんとし、時の権力者十常侍』 『引き回され、そして斬首された』⇒『引き回されたうえで斬首され、曝し首とされた』 『そしてその頭骸骨が』⇒『そして、風雨にさらされた頭骸骨が』 また別の資料では『覇那封愚』とある物もあり、那の名前についてはさらに諸説あり。
他人が豆知識を語り出したら「へぇー」ではなく 「民明書房巻『中国○○○今昔』より抜粋」と返すのが最新流行
>292 枝豆は大豆やねんでー
民明書房刊『これだけで完璧!あずまんが徹底演習』より抜粋
民明書房刊「逝くも還るも逢坂の関」より抜粋
296 :
水先案名無い人 :04/02/23 22:44 ID:AUs0b2vl
300 :
水先案名無い人 :04/02/24 20:57 ID:IwzqOwTa
離根絵樹・離在流根吐冷怒(リネージュ・リアルマネートレード) 古代中国に絵主(エヌシ)という場所があり一本の樹木が生えていた。 その美しい樹木を一目見ようと、またその樹木を絵に残したい人々が ここを訪れ樹木を描き鑑賞し毎日賑わいを見せていた。 いろんな人がいろんな絵を書いた。 その量も膨大なものになり絵に名前をつけることになり その絵の事を最初に描いた人物の名を取って亜出奈(アデナ) と呼ぶようになった。 これで人々は、Aさんの亜出奈は良いとかBさんの亜出奈は味があるとか 平和な日々を過ごしていた。 ところがその絵を一部の商人達が大変に気に入り、その絵に対して法大な 金で買い取るようになると、状況は一変した。 今まで普通に描き鑑賞してきた人々は、法大な金に眼が眩み。 絵が描ける場所の占拠や時間によって現れる素晴しい絵の風景を我先に取ろうしました。 仕事をしながら絵を描く人もいましたが仕事を辞め絵を描く事だけに 全てを捧げる者も現れました。 そして、最後には殺し合いのまで発展したのでした。 それを見た政府はその樹木を取り除きこれ以上争いごとの無いようにする事にしました。 しかも、再び蘇らない様に根っこまで取り除きました。 人々は悲しみ、描いていた亜出奈を見ながら「離根絵樹(リネージュ)」と叫び (もう根っこまで離れてしまい絵の中でしか樹木は生きていない) 商人たちが行った取引の事を樹木が無くなった場所を偲んで 「離在流根吐冷怒(リアルマネートレード)」と言って商人達を批判した。 (商人のおかげ根っこが在る場所は恨みと冷たい怒りを吐いてるだろう) 現在、NC社という会社がリネージュというゲームを作り一部のユーザーが RMTをしているのは、偶然の一致なのだろうか? 民明書房刊「古代中国から見た働かなくても金は稼ぐ」より
>297 うわおい、余所者の小生が作品まで……ご苦労様です。
>297 文字化けして読めない_| ̄|○ これを付け足してください(-∧-)オナガイシマス <META http-equiv=content-type content=text/html;charset=shift_jis>
卯粗朶鈍怒鼓丼(うそだどんどこどん) 嘗て流裸魏旦によって宋代にその隆盛を極めた温堂流武術、この武術を陰で支えたもう一つの要素が 温堂流道場で門下生に振舞われた鍛錬食、「武黎丼(ぶれいどん)」であった。 当時の食料番・課羅須馬(からすま)によって考案されたこの鍛錬食は、今で言う六大栄養素を過不足なく兼ね備え、 またそれに加えて非常に美味であり、日々の鍛錬に疲れ果てた門人たちを胃袋から癒したという。 しかし時代が下るにつれて武黎丼もいつしか製法を知るものもいなくなり、宋代より時代も下った明代には 温堂流武術自体も衰退の危機に直面していた。 そんな一門の現状を憂えた当時の総師範・卯粗朶(う・そだ)老師はある日、夢の中で課羅須馬に出会い、 夢の言葉を手がかりに武黎丼の作り方の書かれた書物を発見、数十年の研鑽の後に、嘗ての武黎丼に新たな栄養配分、 薬草学などの明代の技術を加え改良し、新たな鍛錬食を開発した。彼はこれを、温堂流の真理のひとつ 「鈍怒鼓心」(怒を鈍し、心を鼓するべし)から取った「鈍怒鼓心丼(どんどこしんどん)」として発表した。 しかし、武術の研鑽を忘れたかのように数十年も料理の研究に励む卯粗朶老師を人々は嘲笑し、 「卯粗朶鈍怒鼓心丼」語呂よく略し、「卯粗朶鈍怒鼓丼」と言って本末転倒な物、嘘八百や愚かな事に血道をあげる人物に対する罵倒の言葉とした。 しかし、後に発表した鈍怒鼓心丼の味と、計算されつくした栄養バランスに驚愕した人々は逆に 侮りがたいもの、ありえないもの、信じられないものに対する驚愕の言葉として「卯粗朶鈍怒鼓丼」と叫ぶようになったという。 2004年現在、日本で絶賛放映中の特撮「仮面ライダー剣」が、仮面ライダーという膜を通して、 分かりやすく温堂流武術の真髄を伝えていることは衆知の通りであるが、主人公・剣崎の叫ぶ 「ウソダドンドコドーン!」という言葉にも温堂流1000年の歴史が秘められていることは驚きである。 また、仮面ライダー剣の「ブレイド」は多くの温堂流戦士を奮い立たせてきた鍛錬食・武黎丼より、 さらにそのブレイドへの変身ベルトを作った烏丸所長が温堂流武黎丼を考案した課羅須馬から取られていることも 賢明なる読者諸氏にとっては明白であろう。 民明書房刊 「温堂流を支えた殊勲者たち」より抜粋
ついに自衛隊板にまで・・・。 実習幹部A「な、なんだ ありゃあ!? 船がもう一隻こっちに近づいてくるぞ!!」 実習幹部B「こっちに索を掛けてきおったぞーーーっ!!」 実習幹部C「索の先のカゴには人が乗っていやがるーーーっ!?何者じゃあいつは?!」 運用員長 「ふむ、あれこそ世に聞く覇夷羅院・・・」 実習幹部A&B「な なに、知っているのか、掌帆長ーーーっ!!」 【覇夷羅院】(はいらいん) 古代中国の蜀漢帝国は、国土が山中にあるため、戦時における食糧輸送に困難をきたしていた。 それを解決するため、時の丞相である諸葛孔明は、皇帝直轄の役所「覇夷羅院」を設立して 前線に食糧を効率的に輸送する方法を考案させた。その時発明されたのが、 蜀の深い渓谷に綱を渡し、もっこを吊るして物資を運搬する方法であり、これによって多くの戦いで勝利を得た。 なお、現代の海軍艦艇でも、同じやり方で物資のやり取りをしているが、 これを発明した役所の名を冠していることは言うまでも無い。 民名書房刊「魏晋南北朝における輜重の歴史」より
武離宮亜(ぶりきゅうあ) 北宋末期、度重なる異民族の侵略により軍は疲弊していき兵士となるべき青年 男子の確保にも事欠く事態に陥ってしまった。それを憂いた北宋の軍人であり 学者でもあった、武離宮亜(ぶりきゅうあ)は自分自身の私学校である辺炉根 (ベろーね)に13〜15歳の女子を集めて彼女たちに特別な気功術を習得を させ兵力の補充に当てようと試みたのである。 この気功術は体内の「気」を増幅させることによって身体能力を高めるものであるの だが、特筆すべきはその方法であり、なんと彼女たちはお互いの手を繋ぎあうこと よって信頼関係を高め「気」を交わし、それによる相乗効果によって体内の「気」 を高めるという一風変わったものであったがその効果は絶大であり彼女たちは 通常の10倍の身体能力を得ることができた。この気功術の熟練者は雷をも 自在に呼び出すことができたとされている。 彼女たちは公私を問わず2人組みで行動をしていたので白と黒の衣を纏っている 彼女たちが戦場に現れると、人々はこの恐るべき戦士を生み出した人物の名を 取って「二人は武離宮亜だ」と呼ばれ敵、味方を問わず畏怖と尊敬の対象であった。 現在、日本で放映されているアニメ、「二人はプリキュア」はこの武離宮亜の 故事にちなんで制作されていることは賢明な読者諸氏ならば理解できると思う。 民明書房刊「戦場の少女たち」」
『 絵観諭麗多亜(えみゆれいたあ) 』 古代中国王朝では芸夢(げいむ)と呼ばれる娯楽が存在していた。 芸夢とは字の如く夢のごとき芸であり、現在でいうサーカスのようなものである。 芸夢を行うには莫大な費用が必要であったため、行われる事は極めて稀であった。 ある時、たまたま宮中に客人として訪れていた仙人、露夢(ろむ)は芸夢の様子を観て、それを絵に描き写した。 すると、描いた絵が動き出し、絵の中で芸夢を行いだしたのだ。 宮中の人々は莫大な費用をかけてまで芸夢を行わなくなり、かわりに露夢の絵を見て楽しむようになった。 そして、芸夢は廃れた。 時の皇帝の側近である張 策賢(ちょう さくけん)は 「絵観諭麗多亜、露夢九打砕!(えみゆれいたあ、ろむください!)」 訳:絵を観て芸夢の美しさを諭しても、多くは偽り、亜流である。 露夢は芸夢の本質を失わせたから九度打ち据えて骨を砕いてしまえ! と言い放ち、露夢を処刑した。 この一件から、張策賢は今後一切の亜流たるものを書物から武術の流派に至るまでを禁じ、 現代の著作権は彼の名に因んでつけられている。 また、時折インターネットの掲示板等において、ゲームを実機無しで遊ぶことができるエミュレーターを要求する 「エミュレーターのロムください!」といった書き込みが見られるが、張策賢の言葉と非常に酷似している。 しかしながら、書き込んでいる人間の殆んどが著作権違法に当たるという事実は皮肉なものではないだろうか。 民明書房刊 「古代中国の法律」より
王霊塔 遺書荷多々糧駆霊流運 烏影(おうれいとう いしょにたたかてくれいりゅううん うえい) 温堂流武術は、その成立から多分に婆羅門密教の影響を受けている。 温堂流の名のある武術家は例外なく、同時に密教に精通していた仏僧でもあった。 王霊塔真言とよばれるこの真言は、そんな彼らが伝えたものの一つであり、 この真言を唱えることによって体を鉄のごとく変え、受けたダメージを軽減するというものである。 達人はこの真言によって、至近距離からの刀の不意打ちでさえ無傷で切り抜けたという。 民明書房刊 「温堂流大全」
>307 巧いけど、『武術の技に著作権は無い』ともいうしね……
312 :
1/2 :04/02/27 23:49 ID:d5p01BCl
猫打貽鍬(ねこだいすき) 時は西暦846年、平安時代の日本。この年の夏、内裏に禍々しい 雲気が立ちこめ、人が死んだり物が失せたりという怪事件が頻発した。 事態を重くみた時の帝は、唐から招かれ都に滞在していた学者を 内裏に呼び出し、ことの調査にあたらせた。 その学者は姓を文、名を面、字を縦走子といい、四書五経をそらんじ 数々のまじないにも通じている、博学多才の徒であった。 内裏をくまなく調べたところ、書庫に収められていた一冊の帳面から 動物の短い体毛が見つかり、縦走子はこれを猫鬼(びょうき)の ものと看破した。 猫鬼とは呪術によって使役される猫の悪霊のことで、人に祟りをなし やまいや死をもたらし、さらにはとり殺した者の財産を術者のもとに 運んで富ませるといわれ、当時もっとも恐れられていた。
313 :
2/2 :04/02/27 23:49 ID:d5p01BCl
縦走子は帳面に潜む猫鬼をおびき出すため、帳面を外に引き出して 広げ、その前に鋤を置き、さらにこれに貽貝(いがい)をのせた。 貽貝は暖海の波の荒い磯でしかとれない二枚貝で、当時は太宰府に わずかな数が納められるだけであり、よい香りをもつため珍重されていた。 そして夜になるとにわかに風が巻き起こり、帳面の中から猫鬼が あらわれ貽貝にかぶりついた。それに縦走子が挑みかかり、格闘のすえ ついに打ち祓うことに成功したのである。 後になってその帳面を調べてみると、ごく差し障りのない内容が 書かれているように見えたが、実はその中には悪霊を操る呪文が 巧妙に配置されていることがわかった。 内裏の人々はこれに深い感慨をおぼえ、縦走子の功績は貽貝を のせた鍬で猫鬼を打ち祓ったことから、猫打貽鍬とよばれた。 この言葉は後世に伝えられていくうちに意味がかわっていき、 一見普通の記述の中に呪文が隠されていたことから、文章の 中に違う意味をもつ言葉がある、という意味になった。 現代のネット掲示板で「ねこだいすき」という言葉で終わっている 文章に別の意味が隠されているのも、この故事によるものである。 民明書房刊『東洋の邪術妖術』より
(1/2) 崩歪図田医(ほうわいとでい) 古代中国・春秋戦国時代。 ある皇帝の御代、彼は若くして父から位を譲り受け善政を行っていた。 宮廷にはには中国全土から集められた美女が正室、側室として侍っていたが、 何時しか皇帝は正気を失い、何時しか政治は彼女たちが取り仕切るようになっていった。 しかし思慮の浅い彼女たちのため世はすさみ民は逃げ、徐々に国力が衰え始めた。 大臣たちは彼を何とか諫めようとしたが、別人のようになってしまった彼からは まるで意味不明の答えが返ってきてくるだけであった。 調べてみると周りの側室たちは彼に薬物を飲ませ、意志を奪い宮廷を乗っ取ってしまっていたことが分かった。 ナス科マンドラゴラの亜種から抽出されたその薬物は「牙亞茄(があな)」というもので、当時解毒剤は存在しなかった。 皇帝を、国家を救う方法はただ一つ。当時最高の名医と呼ばれた男を呼ぶことだった。 彼は優秀な頭脳を持ちながらも田舎の医者として生活していたが、調剤の巧みさは都でも評判となるほどであった。 貧しい農民の出身である彼はその名を「田(でん)」と号し、悠々自適の生活を送っていた。
(2/2) 数日後、皇帝の前に参上した田は即座に症状から薬物の種類を見抜き、14種類の漢方薬を調合して 治療に当たった。妙薬のおかげで皇帝は正気を取りもどし、悪政を行っていた女たちを処刑してしまった。 皇帝は田に褒美を与えることにしたが、慎み深い田は宝物を辞退し、西方から持ち込まれた木の苗を所望した。 漢方の名医らしい田の行動だが、この木は「火香麻(かかお)」として知られていたと考えられている。 そして人々は皇帝の歪められた意識を治し、悪の側室たちの図り事を崩れさせたこの名医を 「崩歪図田医(ほうわいとでい)」と呼ぶようになった。 後に彼は新たな漢方薬、「治用固霊糖(ちょうこれいとう)」を発見することになるのだが、このエピソードについては 弊社刊、「知られざる現代漢方とその薬効」に詳しい。 この話が日本に伝わったのは明治初期であるが、当時の漢学者、徳川味ノ輔が上述のエピソードを翻訳した際 「女がガーナ(この語は誤訳)を男に送り、惑わされた男が『崩歪図田医』によって救われた」 という歪められた事実のみが伝わることになってしまった。 そして折からの西洋化の流れにより何時しか崩歪図田医はホワイトデイとその名を変え、 女性から送られたチョコレートのお返しを男性が行う儀式の日となってしまった。 歴史は繰り返す。 読者諸君がチョコレートの贈り物に惑わされ、人生を歪められないことを。 民明書房刊『名医発見〜東洋医学と西洋医学の出会い〜』より
100 名前:イラストに騙された名無しさん メェル:sage 投稿日:04/02/28 03:34 ID:sNfOSuXb
『根掘り葉掘り聞き回る』の『根掘り 葉掘り』・・・・・ってよォ〜〜〜
『根を掘る』ってのはわかる・・・・根っこは土に埋まってるからな、スゲーよくわかる
だが葉掘りって部分はどういう事だああ〜〜〜〜〜っ!?葉っぱが掘れるかっつーのよーーーーッ!
ナメやがってこの言葉ァー超イラつくぜぇ〜〜〜〜ッ!!
葉っぱを掘ったら裏側に破けちまうじゃあねーか!掘れる物なら掘ってみやがれってんだ!チクショーッ
どういう事だ?どういう事だよッ!クソッ!葉掘りってどういう事だッ!ナメやがってクソッ!クソッ!
101 名前:イラストに騙された名無しさん メェル:sage 投稿日:04/02/28 04:08 ID:b7YVsMju
>>100 根掘り葉掘り
明代に存在した薔薇族という少数民族が葉っぱで隠された急所をその男「根」で
迷うことなく貫いた故事より
目的を殲滅するという意味で使われたが近年では被者のぐったりしたさまから
しつこくこまごまと穿鑿(せんさく)する事を「根掘り葉掘り」と言うようになった
民明書房 「言葉の意味の変遷〜うほっ!!いい誤訳〜」より
ウホッ
雷電「ぬぅっ!あの技はもしや!?」 虎丸「し、知ってるのか雷電?!」 雷電「ウム・・・あれは中国拳法でいう愚麗斗哺雲。」 愚麗斗哺雲(ぐれいとほうん)・・・ 時は三国時代。呉の武将、張飛益徳は武器の扱いに慣れておらず困っていた。 その事を劉備玄徳に相談してみたところ、 「あなたは武器など無くても十分強いですよ。」 と言われ、素手で戦う決心をした。 そこで編み出されたのがこの「愚麗斗哺雲」である。 この技の真骨頂は日本でいう居合い斬りのように、構えた状態から拳を繰り出す事にある。 その威力は凄まじく、どんな武将も劉備玄徳の構えすら崩す事もできなかった。 愚麗斗哺雲を出す瞬間の劉備玄徳はさながら巨大な牛のような風貌だったと言われている。 これが張飛益徳が黄金の野牛の異名を持つ由来である。 なお、余談ではあるが某ゲームにて敵であるアルデバランという黄金聖闘士が 「ここで いっきにほうむってやるぞ!」 「おまえとわたしでは じつりょくがちがいすぎる!!グレートホーン!!」 などと言って主人公キャラをボコボコにし、当時の小学生を畏怖させた。 もしやアルデバランは張飛益徳の血を引いているのだろうか? 民明書房刊「知られざる黄金の野牛の秘密」より 元ネタ、聖闘士星矢のアルデバランの必殺技「グレートホーン」
劉備と張飛が混ざってるぞw
しかも ×呉 ○蜀 だし
>319 >320 スマン、吊ってくる・・・。 いくら民明書房とはいえ適当な知識じゃだめぽ・・・。
片臥三州 (ぺがさす) 近年、漫画の主人公のモチーフにも使われ、とみに名前を知られる天馬・ペガサスが 実はギリシャ神話ではなく、中国由来であることを知る人間は今日では少ないだろう。 時は西周時代、異民族「彊族」の侵入を許し、危急存亡の時にあった周の王室に経聖周(へい・せいしゅう)という男がいた。 彼は自ら創案した金剛周泰拳によって逆に単身彊族の都に攻め入り、族長計丙嵩(けいへいすう)の首を取り その娘で西域1の美女と名高い安泥女(あんどろめ)姫を鎖で縛り上げ固め、奪い去って周に帰還した。 彼の威徳を称えて、以後周朝では彼の金剛周泰拳は王家秘伝の拳法として伝えられ、 後に秦の始皇帝に都を滅ぼされたとき、最後の王はこの拳法で秦の兵30人を倒したと伝えられる。 また、経聖周は「片時臥しているうちに三州をめぐる」という快足を持っていたため別名「片臥三州」と謳われ 妻となった安泥女は夫に奪われたことから安泥女奪姫(あんどろめ・だひめ)と呼ばれたという。 勘のいい読者なら承知の通り、この話は後にシルクロードを経てギリシアに伝えられ 経聖周はペルセウス、安泥女奪姫はアンドロメダ姫に、計丙嵩はケフェウス、という名に変わり、 経聖周の別名片臥三州は天馬ペガサスとして語り伝えられた。 説話自体もギリシアとエチオピアの話に摩り替えられ、ゴーゴン退治などの伝説が入ってて今日に至ったのである。 ペガサス、アンドロメダ、ペルセウス、ケフェウスなどが登場し戦う漫画「聖闘士星矢」では 主人公ペガサスの星矢は流星拳という技を使うが、この技は経聖周が得意とした必殺拳、 「片牙山鷲流星拳」を基にしていることは明白である。 民明書房刊 「ギリシア神話あれも!これも!中国における神話体系」より
『 賭理美吾 (とりびあ) 』 古代中国。文官をはじめとする知識人達が、お互いに自分の持つ知識を披露し合い 博学さを競い合ったとされるのがこの賭理美吾(とりびあ)と呼ばれる遊戯である。 どちらが博学であるか、といった判定は宮中の兵卒による多数決で決められ、 特に博識な者は皇帝から「博学さは黄金にも勝る人間の宝だ」と称えられ、黄金脳という称号を与えられた。 ちなみに、黄金脳の称号を得た者の代表として、太 孟利(た もうり)の存在が挙げられる。 当初、賭理美吾は知識人達による学問をはじめとした内容を披露するものであったが、 時が経つにつれ庶民の中にも賭理美吾を行う者が現れ、後々の時代になると低俗化が進み、 全く有用性の無い知識が披露される事も少なくなかった。 賭理美吾は貿易商人を通じてヨーロッパにも広まり、この賭理美吾を語源としてtriviaという単語が生まれた。 現在、日本のテレビ番組において「トリビアの泉」という雑学を披露する番組があるが、 その中で雑学を評価する単位「へぇ」と、賭理美吾の判定を行った「兵」 また、高い「へぇ」が「金の脳」に選ばれる等、賭理美吾と類似している点が多いことから この番組が賭理美吾をモチーフにしたものであることは言うまでも無い。 それに加え、太孟利をなぞらえてタモリを品評会会長として抜擢するなど、この番組のプロデューサーはかなりの中国通に違いない。 民明書房刊 『 中国〜兵の本〜 番外コラム「兵士の役目は戦に限らない」 』より
『羅運寺(らうんじ)』 古代中国において,強運を「羅運(らうん)」といい,厳しい精神修養の果てに獲得できると考えられていた. 修行は自慰を我慢する,恐怖に耐える,遺体位置を探すなど多岐にわたり,その多様さ・特殊性等から修行者は「羅運者(らうんじゃ)」と呼ばれ,疎まれたり尊敬されなかったりしたという。 この羅運者のよりどころとなったのが「羅運寺(らうんじ)」である。 民明書房刊 『 「強の運勢」 』より
富樫・虎丸「な、なんじゃありゃ〜!つ、通常の三倍の速度で動いてやがるーっ!」 雷電「ぬぅっ、あれが世に聞く通常の三倍・・・。」 通常の三倍・・・ 中国武術において最も重要視されるのは素早さである。 当然ながら素早さに重点を置いた流派も多いが、その中でも最高峰が慈恩流である。 彼らの中でも特に素早く移動できるといわれているのがこの紗羽亜(しゃうあ)。 彼は今でいう100米を僅か3秒たらずで走りきったという。亀仙人もビックリである。 現代における100メートル走の世界記録がカールス・ルイスの9秒86であるから、 実にその約三倍の速度で人間が走っていたという事実は驚嘆に値する。 その後慈恩流は独立国家となり紗羽亜は将軍に任命されることになる。 余談ではあるが、彼が一騎当千と書いた真っ赤な旗を持ち 通常の兵士の三倍の速さで戦場を駆け巡った話はあまりにも有名である。 民明書房刊「紗羽亜の足ははクリリンの二倍早かった!?」より
母クリリン?
マサル「ぬうーっ あれは 洋風割烹 亞蒙麗(あもーれ)!」 マチャ彦 フーミン 以下一同 「!!!!!」 マサル「・・・・・・・・・と書いてある。」 一同 「ズコー!」 頭降(ずこう) かつて中華を二分した思想家 亞 日功(あ びこう) と不 治許(ふ じもと)はもとはと言えば 互いに支え合い故国 福建は那加納(ながの)から身支度一つで上洛した貧乏書生であった。 仲たがいし二人が袂を分かつ前亞日功は著作「伯途利訓」(はっとりくん)において言明した 「頭高くならず常に礼して降ろすべし」是略して「頭降」と成る教えを説き、不治許もその著作 「羽吾漫」(ぱあまん)においてそれをさらに昇華させた。 現代においてお寒いギャグで一同をしらけさせるぐらいならみなで一斉に足を滑らせるリアクションで ズコーとやるのも互いを鑑み互いをかばい合う心を愛した亞日功と不治許の教えに通ずる 連綿とした歴史の積み重ねなのである。 民明書房刊 「今ならセル画も付いてくる不治跨不治御覧奴(ふじこふじおらんど)」
>326 「は」が一個多かった罠・・・。 ちなみに、>327の元ネタは「すごいよマサルさん」だよな?
>>327 ちょっと待った。俺の持ってる民明書房刊『萬画未知』(まんがみち)って本には
福建省は戸屋魔(とやま)県の多花汚嘉(たかおか)出身って書いてるぞ。
330 :
327 :04/03/05 21:21 ID:pVSsb5sp
萬画未知は立志伝としての内容が凄いよね。 ちょっと内容に一部間違いがございました事を深くお詫び申し上げます。
331 :
水先案名無い人 :04/03/05 22:13 ID:QfFfEnD3
だれか おつかれーキボンヌ
共産国家となってからが『中国』で、 DNAに刻まれるほど昔の話じゃないんだがな。 かの国には歴史があるようで歴史が無い。
『 乙華麗 (おつかれい) 』
素麗建(すれたて)を行い、利酔素麗(りょうすれ)の称号を与えられた者が
生涯英雄として扱われ、何一つ不自由ない暮らしを約束される事については
本書の項目
>>238 に記したが、後継者もまた次素麗(じすれ)と呼ばれ、英雄として扱われる。
先代が死に、次素麗が決定すると、その際親族からその家の使用人に至るまで
その家系にゆかりのある者全てが一同に会し、血筋が絶えることなく繋がった事を神に感謝し、
「緒通華麗(おつかれい)」と祈りを捧げる。あるいは簡略化し「緒通!」と天に叫ぶ。
また、後継者争いが起こった際には従福(じゅうふく)と呼ばれる儀式を行う。
これは自宅から先祖の墓までの間を駆け、先に先祖の墓に到着したものが先祖の勝ち得た福を受け継ぐとされ、
敗れた者はこれに従わなければならない。しかし、後継者争いは醜い惨状であるため、従福は疎まれ、
従福に敗れた者のほとんどは利酔素麗の家系に関わらず、惨めな一生を過ごす。
現在、インターネットの掲示板において、良スレの二代目、三代目として次スレが建てられ、
その際「乙カレー」や「乙」など労いの意を示す書き込みがあるが、これら一連の行動は全て
利酔素麗の家系の風習が起源である。
尚、素麗建の起源については二通りあるが、もう一方の起源説については
当社刊「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」の項目
>>2-3 を参照されたし。
民明書房刊 「中国娯楽大観」より
〜お詫びと訂正〜
当社刊「中国娯楽大観」項目
>>333 において、
本来『 緒通華麗 (おつかれい) 』となるべき所が
『 乙華麗 (おつかれい) 』と誤植されていましたことを、
ここに深くお詫びを申し上げると共に、訂正をさせていただきます。
民明書房刊 「中国娯楽大観 第二版」 より
>>333-334 乙華麗。
大儀であります!
ところで、教養をひけらかすようで僭越でありますが、
重複の読みは「ちょうふく」であります!
>>335 『じゅうふく』でも一発で変換できてしまう俺のIME-98はおかしいのでしょうか
337 :
328 :04/03/06 06:35 ID:9CghstCL
>>336 いいえ、僕の頭がおかしかったようです。
goo辞典にて重複で検索 じゅうふく ぢゆう― 0 【重複】 (名)スル ⇒ちょうふく(重複) ↑こっちがヒット、読み仮名順か ちょうふく 0 【重複】 (名)スル 物事がいくつも重なり合うこと。じゅうふく。 「説明が―する」
重複はどっちに読んでも問題はありません。
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1059407476/160/より引用 「ジンジャー」
広大な大陸に住むアメリカ人をホモ・サピエンスならぬ、ホモ・モーベンス
と呼ぶことがある。「(車で)移動する人間」という意味である。広大な
土地に住むものにとってすばやく移動することは非常に大事なことであって、
ネイティブアメリカンにとってもそれは同様であった。したがって、彼らの
世界ではその能力を持つものこそが「神」であった。その神は「ジンジャー」
と呼ばれた。最近アメリカで発明された電動スクーターは、開発当初この神
の名前が付けられていたことはある意味自然なことだろう。ネイティブアメ
リカンは元来我々日本人と人種的には近いことが知られている。現在日本で
「神」を祀る場所を「神社」と呼んでいるのは、同じ語源であるのはいうま
でもなかろう。
(民明書房刊 「移動する”神”−アメリカ大陸における私的交通機関発達
史研究」より )
化固怨(けこおん) 古代中国の呉の国に、張逼(ちょうふく)という者がいた。 彼は呪術に長じ、中でも悪霊を人に取り憑かせその者を意のままに 操る邪術を得意としていた。 呉王はたびたび張逼にこの術を使わせて反対する者を従わせていたが、 次第にそれが露呈したり、また張逼が自分にこの術を使うのではないかと 恐れるようになった。そのため、呉王は密かに武士を派遣し、盗賊の しわざにみせかけて張逼を殺害し、その遺骸は野辺に捨てられた。 それからおよそ10年が経過し、張逼の遺骸が捨てられた場所には 1本の大きな木が生え、旅人たちがその木陰で休むようになった。 だが、その木は、張逼の怨念と彼が使役していた悪霊が凝り固まって できたものだった。 その木に近付いた者は張逼の念の影響を受け、呉王が自分の意を通す ため政治に邪術を持ち込んだこと、また他にも張逼が生前に知り得た 呉王の醜行の数々を異口同音にしゃべるようになり、やがてその噂は 呉の朝廷にも届くようになった。 折しも朝廷では呉王の悪政の弊害が指摘されており、そこに張逼の怨念を 受けた者がしゃべる呉王の醜聞が加わり、呉王は宮廷を追われることになる。 化固怨という言葉は、張逼の怨念が凝り固まって木のかたちになり 近付く者に同じことをしゃべらせたことを後の学者が評したものである。 現代のインターネット掲示板で、同じ時刻に同じ内容の書き込みがあることを ケコーンというが、これが化固怨からきていることは言うを待たない。 民明書房刊『東洋の邪術妖術』より
古代中国の漢の時代に現在でいうサーカスに近い武術を会得している者たちがいた、 彼らの大半は女性が多かったがその華麗な空中技に敵味方ともに怒りを捨てて華麗だ といったため華麗怒捨汰と呼ばれた。 ある時幻野という地方で戦ったさい、 その当時の女将軍玲羅(れいら)とまだ未熟者だが未知なる可能性を秘めた女兵姐羅(そら)が 空中で飛びながら回転し敵を倒したことからこの技を「幻野大技」と呼んだ、 しかしこの「幻野大技」は玲羅の肩を負傷し一時期戦いに出なくなったことがあった、 それから華麗怒捨汰は新兵雌亥(めい)と熟練した兵である霊王(れおん)を仲間にした、 雌亥は技が多く現在分かっているだけでも、 出悶洲牌羅流(でもんすぱいる)差残黒須亥竜序(サザンクロス・イリュージョン)戯画書苦会苦洲風呂所(ギガショック・エクスプロージョン) 淫不似手亥戸流根度(インフィニティトルネード)不瀬手苦不亜胃屋巣戸緒無(ファナティックファイアーストオム) 不尾差卯残度礼字得怒子逗身津苦度利無洲品(フォーサウザンドレジェンドコズミックドリームスピン)洲派区厘具針件(スパークリングハリケーン) 儀矢等区低家案美利場簿不螺津死湯三陀(ギャラクティカアンビリーバボーフラッシュサンダー)など書いていて頭が痛くなる技を持っていた。 霊王は姐羅とともに天死廼我座(てんしのわざ)を生み出し人々を驚かせた。 また華麗怒捨汰は空中技や回転技が持つもの多かったがその他にも幼いが禰亜慕魯(でいあぼろ)なる武具を使う絽是詫(ろぜつた)や 軍師である身亜(みあ)や人を笑わせる杏奈(あんな)、小人のように小さく姐羅に対して猥談を良く話していた古(ふる)姐羅に対して恋心を抱いていたが 空気扱いされていた奴隷の犬など様々な奇人変人がいた。 現在放送されている「カレイドスター」はこの華麗怒捨汰伝説を元にされていることは実に有名である、 民明書房刊『私の夢になって、古今東西の女兵士』より
>343 読んでいて大変でしたが、書くほうはもっと大変なんですねぇ……
>344 技の名前だけ見たらリンかけかと思ったw
346 :
水先案名無い人 :04/03/08 20:26 ID:qma5WQaH
猛打!目保(もうだ めぽ) 言わずと知れた、有名なタイピング・ソフト。 漢の時代の罪人 由 鵜市(ユ ウイチ)が役人に追い詰められて立てこもり そのときに残した最期の言葉が名前の由来となっている。 ただ非常に切迫した状況のなかで書き残したためか、その文章は 誤字・脱字が多く文章としては不正確なものであった。 そして、この中国の古い故事に習い 「いかなるときも正確に」をコンセプトに作成されたのがこの「猛打!目保」である。 また、「猛打!目保」の「目保」とは視線をまっすぐ画面から離さずにキーを叩く ブラインド・タッチという意味も込められている。 民明書房刊 『今日からあなたもキー・パンチャー』より
348 :
水先案名無い人 :04/03/08 21:12 ID:rUcgmxi3
>346のようなタイピングソフトで練習すると、沈没船の日記やシャドウゲイトの勇者のような文章が書き残せそうだな。
鬼煩濡(きぼんぬ) 鬼煩濡とは、中国四大奇書のひとつである水滸伝の序章にある、 伏魔殿から飛び出した108の光の球のことを指している。 読者諸賢にはいまさら説明する必要もないかもしれないが、 この光の球は人間の持つ108の煩悩を封じ込めたもので、 煩悩は鬼、つまり邪霊のようなものとしてあらわされている。 劇中でこれの封印が破られる場面で、伏魔殿の暗闇の中から外界へ 飛び出していった光の球が美しく、また妖しく輝くさまは、 濡れるような光を放っていたと、弾き語りによって人々に伝えられた。 鬼煩濡とは、「鬼にたとえられる煩悩が光の球となり、濡れるように 輝いている」という意味の言葉なのである。 このような語源のため、鬼煩濡はもともと人間のありとあらゆる 煩悩の昂りを意味する言葉だったのだが、水滸伝では登場人物が 種々の欲望から身を誤り、苦境に立たされ、破滅していくさまが たびたび語られていたため、煩悩の中でも欲望の昂りという意味だけに 限定されていった。 目を現代に転ずれば、インターネットの掲示板では○○が欲しい、 という意味でキボンヌという言葉が横行している。この言葉が鬼煩濡に 由来することはもちろんだが、はるか古来から決して衰えることのない 人間の欲望を如実に映し出す言葉で、目にするたびに嘆息を禁じ得ない。 民明書房刊『精神と内観の時代めぐり』より
>>350 ワーイ!鬼煩濡作ってくれたー!
そうなんですよ、スレ探しても「キボンヌ」なかったんで、おながいしちゃいマスタ。
お礼に、ょぅι"ょマンおいときまつ。
⌒*______*⌒ ょぅι"ょマン
ヽ|・∀・|ノ
|_i_| <おにいちゃ〜ん 鬼煩濡ありがとーーー
| |
某所で民明書房ネタやろうとしたけど挫折 みんなよくできるもんだ
溶漢万(ようかんまん) 中国は三国時代、賊の跳梁跋扈する魏において、賊の掃討に際し、 兵力の不足のため一般の人民までも戦場に借り出されることになったのだが、 訓練の不十分な彼らの防御力を向上させるために、全身を四角い 防護服で覆い、機動力を犠牲にして防御力を高める防具が考案された。 実戦に際し、軍師・緒伝萬(おでんまん)は機動力の低下を補うため 万人の人員を動員したのだが、賊の本拠地たる山に分け入った時に火付けにあい、 機動力の無さが災いして漢(おとこ)たち全員が溶けるように倒れていったと言う。 このことからこの防具は「溶漢万」と名づけられ、緒伝萬の名と共に、 役立たずの代名詞として言い伝えられた。 ちなみに現在「にちゃんねる」と言う掲示板においても、「おでんマン」や 「ようかんマン」と言った存在が、役立たずの正義の味方として存在しているが、 その大元は中国三国時代であることを知る者は少ない。 民明書房刊「 ー△●□― 」より
>>353 ちょ、ちょっと待ってくれ、その書名は何と読むんですか?
南斗読出簾花(なんとよむんですか)
「南斗」とはすなわち身体の外部に破壊をもたらす伝説の暗殺拳の事であるが、
世間では非情な冷血漢と思われていた南斗の使い手たちも、時にはのんびりと読書をして過ごす事があった。
彼らは読書を人に邪魔されないよう洞窟にこもり、
大量の花を簾のようにしてその入り口を覆ってから、書を読み出したという。
この故事から、誰にも邪魔されない安穏とした読書の時間を「南斗読出簾花的時」という。
「南斗読出簾花」のみの場合は、南斗の使い手たちが好んで読んだ「ー△●□―」(副題:溶漢万の悲劇)という書物の事を指す。
この事を知っていた
>>354 は、もしや南斗の生き残りではないだろうか?
民明書房刊「南斗のニ張音羅(にちゃんねら)たち」
おでんマンでしょ
>>356 おでんマンはこれ(↓)だろ
△
/ ●\
□
/ \
部品の順番自体違うし、あれを「おでんマン」って読むなんて ぶっちゃけ阿李江那慰
順番一緒だった…_| ̄|○ おれの脳みそ猛打滅法、吊ってくる
おでんマンが背伸びをして横たわってる姿を、側面から見たことにすれ
360 :
353 :04/03/09 22:33 ID:eofh8JNw
> ー△●□― すまん、これは中国古代文字らしくて読み方が良くわかってないんだ。 とりあえずタイトルを拡大表示してみるよ。古くてかなりかすれてるけど。 誰か解読してくれ。 /ヽ __ /~''ヽ__| ̄ ̄|_/ =/ ヽ .ヽ:::._i | |ー―  ̄ ̄ ~  ̄ ̄
おでんマンやん!?
362 :
水先案名無い人 :04/03/09 23:56 ID:YaNJBH/0
>>306 氏紹介の書籍によって、北宋末期に「武離宮亜」と呼ばれた少女戦士
が存在していた事は承知していると思うが、「武離宮亜」となるべき優秀な少女た
ちを中国全土から選抜していたのが、芽普売(めふうる)と巳普売(みふうる)の
夫婦であったことが近年の研究により証明された。
彼らは非常に体が弱く、古巳湯雲(こみゆうん)と呼ばれた湯治場にて療養の日々
を送ることを余儀なくされていたのであるが、「武離宮亜」となるべく少女たち
を、慣れない外界の気候にも耐えながらも探しだして辺炉根(べろーね)へと入校
させていった北宋末期には珍しい愛国者であった。
なお、古巳湯雲には必ず緒無府(おむふ)と呼ばれた料理人や、派留府(ぱるふ)
と呼ばれた医師、氏化留府(しかるふ)と呼ばれた教師などが常駐しており彼らは非
常に快適に過ごすことが出来たと記録されている。
そして芽普売が選びだした少女には漆黒の衣が与えられて特に宮亜部落(きゅうあ
ぶらく)と呼ばれ、巳普売が選び出した少女には純白の衣が与えられて宮亜穂輪糸
(きゅうあほわいと)と呼ばれていた。厳しい修行によって晴れて武離宮亜となれ
た彼女たちは、芽普売と巳普売を尋ねるべく古巳湯雲に訪れるとほとんどのものは
芽普売の傍若無人ぶりに辟易し、非常に夫婦仲のよかった彼らは人目を憚らず抱擁、
接吻等を繰り返していたので、思春期の彼女らは目のやり場に困る有様であったが
不思議とこの夫婦は彼女たちに慕われ続けていたのである。
現在、日本で放映中のアニメ「ふたりはプリキュア」にでてくるキャラクター
「メップル」と「ミップル」は、番組のなかで仲睦まじい様子を視聴者に見せている
がそれはこの芽普売と巳普売の故事からである事は想像に難くない。
さらに、主人公たちの変身アイテムであるカードコミューンや、そのなかの「オムプ」
「パルプ」「シカルプ」といったカード類など、古巳湯雲の様子から参考にしている
点からも製作者のなかには相当の中国歴史通がいるものと思われる。
民明書房刊「理想の夫婦像とは・・・?中国編」
>>360 これは兵士が野たれ死んでる甲骨文字ですね
珍しいもの見させていただきましてありがとうございます
またよろしく御長石松
364 :
水先案名無い人 :04/03/10 11:52 ID:nv4na1Oj
厳蛇武(がんだむ) 中国の春秋戦国時代、秦の国に阿夢呂(あむろ)という男がいた。 彼はひどく引きこもりがちな男で、臆病者であったのだが、 あるとき彼は秦の国の軍隊に徴兵されることとなった。 逃げ出せば殺されてしまう、しかし戦争に行けば必ず殺されてしまう。 そのため少しでも生き延びるために彼は木や青銅を使って特別製の鎧を作り上げた。 しかしそれは鎧というにはあまりにも大きすぎるもので、人間の8倍近い大きさに達していたと言われている。 秦の国の将軍はこの鎧を見て、これだけの大きさの鎧では動けずに的になるだけだと嘲笑したが、 いざ戦争が始まると阿夢呂はその鎧を不思議な力でまるで生きているかのように 自在に動かし、敵軍を蹴散らしたと言う。その後の戦争でも阿夢呂は活躍し、 ついに紀元前221年、秦は中国を統一したのである。 秦の始皇帝はこの影の功労者である阿夢呂を「厳蛇武(がんだむ)」と呼び称えた。 ある将軍は彼のことを「柔らかい精神を持つが他とは全く異なる力を持った男」であると評し、 そこから「柔他異夫(にゅうたいぷ)」という有名な故事成語が生まれた。 1979年に放映された人気アニメ「機動戦士ガンダム」の主役モビルスーツ 「ガンダム」の名の由来はこの厳蛇武であることは有名な話である。 また主人公の名前の「アムロ」や作中に「ニュータイプ」という概念が出てくることからも、 監督である富野由悠季は相当な中国通であったと思われる。 民明書房刊「僕達の好きなガンダム」 より
しかし民明書房こぴぺの文章に普通にカタカナが混じってると違和感が・・・
366 :
1/2 :04/03/10 18:51 ID:haWYcFzR
地怨(じおん) 元の時代、時の王朝は思想弾圧を行い、多くの宗教が迫害された。 やがて元を倒す動きが起こったとき、元王朝に虐げられてきた大地の神を崇める蔡土世吻(さいどせぶん)の信者達も立ち上がった。 彼等は地育慈怨(じいくじおん)、「大地を育み慈しんできた神々の怨みだ」と唱えて元の軍勢と果敢に戦い、 その戦いで彼等のその半数は死んだが、その働きもあり元は滅びた。 人々は彼等の執念と信心深さに尊敬と畏怖を覚え、いつしか地怨と呼ぶようになった。
367 :
2/2 :04/03/10 18:58 ID:haWYcFzR
先程話題にした「機動戦士ガンダム」にジオン公国という独立戦争を仕掛けた国家が登場するが、 中国通の富野由悠季らしい命名と言える。 民明書房刊「僕達の好きなガンダム」 より
攻道礼守(こうどうれいす) 中国全土が統一され争いから平和への時代 大陸を馬で駆け回った男達は己の馬術を見せつけることが出来なくなった ある若者が馬にまたがり市場を駆け回ったのが攻道礼守の起源と言われている。 この遊びは瞬く間に大陸全土へと伝わり市場から海岸線、港、街道そして峠へと馬を操る場は移っていった 初期の頃は単独で駆け回っていたがやがて同じ趣旨を持つ者が集まり『地位夢』(ちいむ)言うものを組織し各地域を管理した それぞれの地位夢は『守鉄華』(すてつか)と言う美しい旗を作った守鉄華は地位夢の魂であり象徴でもある 地位夢は夜になると他の地位夢が管理する地域を遠征して公平に戦いを挑んだ その様子は恐ろしい威圧感が漂い遠征に来た地位夢で最も馬術に優れたものが先頭に立ち守鉄華を高々と掲げたと言われている 峠での戦いは馬の能力よりその者の馬術が勝敗に大きく関係した 道を攻める者、守る者お互い地位夢、守鉄華に名にかけて必死になって戦った そして戦いが終わると勝敗に関係なくお互いの地位夢に男の友情が生まれたと言う。 話が変わるが攻道礼守の化け物と呼ばれる男がいた亜樹拿山(あきなやま)の 麓の豆腐屋の息子で名は蜂肋(はちろく)と言う ちなみに現在夜な夜なカーブの連続する山道でスポーツカーが走り回っているが これは攻道礼守が発達した物であるのは言うまでもない。 しかし現在はマナーの悪い若者が多く一般の民衆が嫌煙するのは皮肉である。 また10年前にトヨタ発売されハチロクと親しまれたスプリンタートレノAE86は蜂肋から来てるのも言うまでも無い。 人気漫画頭文字Dの主人公は豆腐屋の息子であり乗ってる車がハチロクであるのは何かの偶然であるのだろうか・・・ 民明書房刊『古代中国における男の友情』より
東アジアnews+に投稿した文の改変だが↓ --------------------------------------------- 龍田炸(ヨンジョン・ティギム) 古来、魚肉などを長期保存するために塩漬けにするという事は 我らが大韓に限らず世界中で広く行われていた。 しかし中世、時の王の圧政により政府専売品である塩の価格が高騰し、 重要なタンパク源である魚肉の保存に塩以外を使わねばならなくなった。 様々な方法が考案されたが、現在のソウル郊外にあたる 「龍田」(ヨンジョン)という集落にあった居酒屋の主人が 「塩に見立てた小麦粉と菜種油を混ぜたものに魚肉を漬ける」 という方法を編み出した。 これは油や小麦粉自体が高価だったため普及しなかったが、 漬けた魚肉を直火に炙って食べたところそのあまりの美味に 龍田の民は驚き、圧制が解けたのちもその味を懐かしむ者は 後を絶たなかった。その後さらに研究を重ねて、最終的には ”下味をつけた肉類に片栗粉をまぶし油で揚げる”という形になり、 発祥である集落の名を冠して「龍田炸(ヨンジョン・ティギム)」と 呼ばれたという。 なお、秀吉の朝鮮出兵の折その料理はその名と共に日本に奪われ、 現在の「竜田揚げ」として伝わっているのは歴史の皮肉と言えよう。 (太公望書林刊 『朝鮮半島・料理100珍』より)
372 :
水先案名無い人 :04/03/12 00:37 ID:Nz3rN4Pn
例:「民明書房は存在するか」という議論をしている場合、あなたが 「民明書房は存在しない」と言ったのに対して肯定論者が… 1:事実に対して仮定を持ち出す 「少なくとも、宮下あきらの脳内には存在するのではないだろうか?」 2:ごくまれな反例をとりあげる 「どこかの地域の登記簿に民明書房という名がないとも限らない。」 3:自分に有利な将来像を予想する 「今後誰かが民明書房という会社を設立しないとも限らない。」 4:主観で決め付ける 「民明書房を見付けることは男塾erのロマンだ。」 5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる 「ないと見せかけて実はあるという見方が有力だ。」 6:一見関係ありそうで関係ない話を始める 「シュリーマンはトロイの存在を信じていたからこそ発見できたんだ。」 7:陰謀であると力説する 「民明書房が書く驚愕の事実は国家の脅威だから情報が伏せられているんだ。」
373 :
水先案名無い人 :04/03/12 00:38 ID:Nz3rN4Pn
8:知能障害を起こす 「おまえの探求能力のなさを棚に上げといて何言ってる。バカジャネーノ」 9:自分の見解を述べずに人格批判をする 「探しもしないでないなんて言いきる奴は負け組。」 10:ありえない解決策を図る 「なら、宮下あきらを〆て吐かせよーぜ。」 11:レッテル貼りをする 「もうあきらめたのか? 根性なしが。」 12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す 「で、民明書房が実在しないとする根拠は何だ?」 13:勝利宣言をする 「曙蓬莱新聞社は実在を確認した。民明書房が見付かるのも時間の問題だ。」 14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる 「民明書房刊じゃないのか?」 15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする 「明日登記してくるから、おまえらも認めろよな。」
>372-373 ナイス落ち。
375 :
mopera規制解除記念カキコ :04/03/12 01:56 ID:VWK/suts
倭弄他(わろた) 中世、中国近海の航路における最大の障壁は、悪天候でも 暴政でもなく、「倭冦(わこう)」と呼ばれる海賊であった。 彼らの暴虐は苛烈を極め、商船を襲撃し食料や金品を 強奪するのみならず、酒盛りの余興として乗組員や乗客を 思いつくままになぶり殺しにしたという。 殺される順番を待つ者は、次々ともがき苦しみ死んで行く同胞の姿と それを酒のつまみに大声であざ笑う倭冦どもの姿を見て 「倭再弄他了」すなわち「再(また)倭冦が他(かれ)を弄(もてあそ)んだ」と 恐怖と憎悪に震えたという。 しかし取り締まりの強化で倭冦が廃れ、恐怖が次第に薄れるにつれ 憎悪の言葉は「倭弄他」と短くなり、単に「面白おかしく笑う」という 意味に変わっていった。 余談ではあるが、現代のインターネットにて、冗談に対し「ワロタ」と 返事を返す例が多く見受けられるが、先の「倭弄他」との関連を 指摘する説がもっか注目を集めている。 (民明書房刊『井出義男のかんたん!君にもインターネット』より)
埴谷庵(はにやあん) 江戸時代、現在の千葉県にあたる上総国(かずさのくに)・埴谷(はにや)に 大道寺(だいどうじ)なる寺があり、そこは毎年枝垂れ桜が咲き誇っていた。 18世紀半ば、当時の大道寺住職「知世和尚(ちせいおしょう)」がこの桜の美しさに 少しでも道行く旅人の疲れを癒して欲しいと考え、近くの川沿いに 一軒の庵を構えた。住職はその庵に「埴谷庵(はにやあん)」と名付け、 茶と茶菓子を用意し、旅人にふるまいながら共に咲き誇る桜を愛でた。 そして別れ際に「桜咲き 共に嬉しや 埴谷庵」と短冊に書いて渡したという。 その噂は次第に江戸へ広まり、それからは毎年春になると桜を求め 旅人が往来するようになり、「嬉しや埴谷庵」という言葉は当時の流行語となった。 もともと日本には桜の花見をするという習慣はなかったが、この知世和尚の アイデアがきっかけとなって定番となったことは言うまでもない。 ちなみに大道寺は現在「妙宣寺」という名前に変わった、枝垂れ桜と共に 当時の面影を偲ばせている。 余談ではあるが、以前子供向けのアニメーションで、主人公の女の子が 嬉しいときに「はにゃ〜ん」と声を上げるシーンがあったが、原作者が このエピソードを参考にしたことを推測させる。 (民明書房刊『日本大衆文化再考〜江戸は萌えているか〜』より)
380 :
水先案名無い人 :04/03/14 16:38 ID:TLg1gv7W
悲惨擦麗…(ひさんすれ) そのあまりの危険さゆえ、熟練者さえも足を踏み入れる事を恐れるといわれるヲタの最下層 絵炉芸峡谷(俗称エロゲ・バレー)において、葱板・絵炉芸板より選ばれし歴戦の猛者たちが 己の試練の内容を赤裸々に語る、葱板の歴史のなかでも最も過酷とされている場所である。 猛者たちの体験談は熾烈を極め、己の職さえも失う者もここでは珍しくはない。 なお、この一面闇と思われる荒行の中に一筋の光明を見いだし、 婦楽倶擦麗(ふらぐすれ)に、新たな闘いの場を求める者もまれに存在するようである。 ちなみにこの席で度々目にすることがあるであろう「悲惨だな・・・」で始まる三段落ちの 本来の語源は「被讃旦那(賞讃を受けるべき者)」からきており、 この試練に耐え抜いた者達に贈られる最大限の讃辞であったということはあまり知られていない。 民明書房刊「エロゲ産業 −その二次元世界の裏側−」より抜粋
難脱帝(なんだってい) 古代中国は唐の時代、貴馬香具師(キバヤシ)という、 皇帝に献上する馬(UMA)の装飾具を作る職業の男がいた。 彼は皇帝の奴隷のような境遇に不満を持ち、一攫千金を夢見て、 伝説の未確認生物が自らの巣を金銀財宝で飾り上げているという 野巣・虎駄無巣(のす・とらだむす)伝説を信じて泰山の山深くに 仲間達と一緒に入っていった。 しかし、そもそも嘘臭い伝説であったためにたどり着けるはずも無く、 愚礼(ぐれい)な人間に襲われそうになったりするたびに、 「アナタは一体、何度私の前に立ちはだかるというのか・・・ 野巣虎駄無巣よ!」とつぶやいたという。 結局10年ほどの年月をかけても何も見つからなかったといい、 「おれたち(人類)は……何もかも…… 何もかも遅すぎたんだ…………」とつぶやいたり 「あきらめない!!それがオレたちにできる唯一の闘い方なんだよ!!」 と切れたりする 彼らに出会った付近の村人は、「自分らが勝手に騒いどいて何を言ってるんだ」と 笑笑会有(えむえむあある)と名づけて笑いものにしたと記録にある。 ちなみにこの話は難脱帝、すなわち「皇帝の徳を脱して(ミステリーを調査するのは)難しい」 という意味の説話で、MMRのナワヤたちが「何だってー(AA略」と叫ぶのは 「編集長あってのMMRだ」という意味もこめられている。 民明書房古代中国研究班MMR(Min-Mei Research)刊 『ここまで来ると、もはや 必 然 …』より
夜鬼怒下座(やきどげざ) 中国の民話によれば、鬼(悪霊、亡霊の意味)にも人間と同様 それぞれの役分があり、それにより厳しい上下関係が定まるとされる。 あるとき、鬼どもの寄り合いにおいて、議長役の鬼が誤って 鬼の中でも比較的地位の高い「夜鬼(やき)」の座席を下座に してしまった。誇り高く気の短い夜鬼は猛烈に怒り、相手の鬼を 石の上に座らせ下から火であぶった。この事から、礼儀を わきまえない振る舞いをすることを「夜鬼怒下座」すなわち 「夜鬼、下座に怒る」と呼んだ。 これは本来は儒教の教えが厳格であることへの教訓であるが、 のちの暴帝はこの民話から着想を得て、鉄板の上に座らせた人間を 下から火であぶるという処刑方法にしてしまった。 なお現在の日本でも、闇社会における処刑方法として人知れず 「焼き土下座」の名で執行されているという。 (民明書房刊『世界の民話・東アジア編』より)
>381 画井出
385 :
水先案名無い人 :04/03/15 15:13 ID:MqFCVZlv
冥土吃嗟(めいどきっさ) 仏教説話では、この世とあの世は三途の川によってへだたれているとされ それぞれを河の両岸に見立て「此岸」「彼岸」と呼んでいる。 この川には渡し守がおり、渡し賃を払うことであの世へと運んでくれるのだが 金を持たずに三途の川にやってきた亡者は、何かの方法で渡し賃を工面できるまで 哀れにも立ち往生を余儀なくされた。 だが、この有り様を仏は哀れに思い「決まり事を変えることは出来ないが、 せめて工面できる間のなぐさめを用意しよう」と、天上の蓮の実を三途の川縁に撒いた。 するとそれは見る見るうちに美しい花を咲かせ、かぐわしい香りを放ち始めた。 亡者だちがその香りを吸い込み吐き出すと、待つ間の苦しみをしばし忘れられた。 だが現実に手元に金があるわけではないので、陶酔からさめたのちの苦しみは 皮肉なことによけい強くなったという。 この説話は「冥土吃嗟(めいどきっさ)」と呼ばれた。冥土は「彼岸」と道義であり、 吃嗟は「(香りを)吸い込み、吐き出す」を意味する。 すなわち「いまだ彼岸へ旅立てぬ亡者への、束の間の益体のない慰め」のことである。 現代のオタクと呼ばれるメディアの亡者たちが、現実に旅立てぬまま束の間の陶酔を 求める場所のひとつに「メイド喫茶」があるのは、果たして偶然なのだろうか? (民明書房刊『現実逃避のメカニズム』より)
386 :
初めて作りますた :04/03/15 17:07 ID:CQbspTD6
『侘那侵』 (たなしん) 中国、唐代に於いて西域はもとより遥か羅馬まで交易のあった時代、 人々の深層意識の中に国々を超えて刷り込まれた意識的空白があったとされる。 誰が何の為にそのような事をしたのは、現在では詳しく調べる術はない。 だがしかし現代に於いても、人々の心の奥底に不意に侘那侵が現れる事がある。 その侘那侵を日本に伝えた人物が銅鑼ェ門という人物だという説があるが、 日本史のどこを探しても銅鑼ェ門なる人物に尽いては諸説あり、明瞭としない。 現代のインターネットに於いて乳棲速報なる場所でtanasinnと呼ばれているものがあるが、 これが侘那侵と同じである可能性が高い。 (民明書房刊『深層意識に於ける空白』より)
才多磨 (さいたま) 中国清王朝では帝位を代々世襲する為、 嫡子の才覚を非凡なものとするための四つの儀式が行われてきた。 その中の一つである才多磨(さいたま)は、教育係二人組と嫡子の三人で行われ、 一ヶ月間飲まず食わずでひたすら「才多磨才多磨才多磨・・・」と唱え続けなければならない。 これを一ヶ月間続ける事によって、嫡子はあらゆる分野においての才能が宿り、また教育係は その才能を引き出す事ができるという。 しかし、儀式の過酷さは想像を絶し、発狂する者が絶えなかったため、 才多磨を行う前には必ず孟羅々(もうらら)という仙人の庵まで出向き、才多磨を行う 許可を得なければならなかったという。 ちなみに、現代の日本の埼玉県はこの才多磨にちなんで付けられた事は言うまでもない。 また、インターネットの掲示板において「さいたまさいたま!」と連呼するAAがあるが、 これはまさしく才多磨を表したものである。 民明書房刊 「 苦礼四清治安 」 より
>>387 コピペをする前に、既に画井出ではないかと語句で検索してみた方がよいかと。
ってかログよめ!
魯愚嫁(ろぐよめ)
魯は儒教の盛んな国で、孔子の生まれた地としても知られる。
しかし魯の国の王に嫁いで来た嫁は非常に愚か者で、宰相である孔子の
進言も聞かず同じような愚かなことばかり繰り返すため、孔子は遂にぶち切れ
「魯愚嫁!」と言い捨てて宰相の地位を辞し、諸国漫遊のたびに出たのだと言う。
なお、現代において過去ログも読まずに同じコピペをする人物にしばしば
浴びせかけられる「ログ読め!」との罵声が、「魯愚嫁」と同じ発音であるのは
偶然であろうか。
民名書房刊「魯愚・脱兎落」より
韻碑央(いんぴお) 戦乱に明け暮れた古代中国に伝わる 足技、急所攻撃を主体とした古武術である。 この攻撃を受けた者は、戦後子宝に恵まれなくなるという 恐るべき後遺症に見舞われるため、国力の減退を恐れた 秦の始皇帝によって禁止され、ほとんど資料は残されていない。 現在、男性の性行為不全が『インポ』と呼ばれるのは この「韻碑央」が語源になっている。 民明書房刊「失われた中国古武術」より
把馬寧櫨(はばねろ) 古来、中国大陸には「南船北馬」という言葉がある。 大陸南方は湿地が多いため旅人は船に乗り、北方は乾燥地帯なので 馬に乗ると言う意味のことわざである。 そんな旅人にあって、手綱をもち、櫨をこぐための手はある意味で 脚よりも重要なものであり、手荒れやひび、あかぎれを起こしてしまっては まさに命にも関わる一大事であった。 そこで旅人は、とある草の実を非情に重宝なものとした。 食用には適さないものの、手になじむ油分を多く含み、 殺菌、消毒などの薬効が高く、加えて厳寒時以外はいつでも結実するため 旅人がその実をつぶして手にすり込む光景がよく見られた。 その実は「馬の手綱や櫨を扱いやすくなる」と言う意味で 「把馬寧櫨(はばねろ)」と呼ばれた。 現在、トウガラシの一種で「ハバネロ」と呼ばれる品種があるが、言うまでもなく 把馬寧櫨に形がよく似ているための命名である。しかし全く別物であるため 読者諸兄には手荒れに試そうなどと考えるのは控えていただきたい。 (民明書房刊『古代人の知恵・旅行編』より)
391 :
ひと ◆5FfbwK8JLQ :04/03/17 02:41 ID:L2lWY8gq
夜流納裸床団最後迄(やるならとことんさいごまで) 唐の時代、成人の儀式を終えた男は自由に夜這いすることが許されていた。もし既に妻がいたとしてもである。 しかし、ただ単純に夜這いすればいいというものではない。 まず男は夜這いに行くとき、全裸で行かなければならなかった。 これは相手側の女性に対する礼儀、自分の裸を相手に納めるという意味から納裸(なら)と呼ばれていた。 そして、床に敷く布団と言う意味の床団(とことん)。行為は必ず床団で行わなければいけないのである。 行為はお互いが果てるまで続けられた。 また、男は必ず夜明け前に帰らなければならないのであった。 このルールは夜流納裸床団最後迄(やるならとことんさいごまで)と呼ばれ、今でも一部の男が信念としていることは言うまでもない。 民明書房刊「中国の性風習の歴史」
392 :
水先案名無い人 :04/03/19 23:31 ID:Dw0+x+jT
洋楽板のKoRnスレにあったので一応。 5 :名盤さん :04/03/19 03:03 ID:VNF9NOth 歩苦手(ぽくて) 歩苦手・・・中国宋代末期、宮廷に仕える宦官達は皆運動不足による肥満に悩んでいた。 そんな中、高僧として名高い徐 南無参(じょ なむさん)により完成されたダイエット法が歩苦手である。 その方法は、足の代わりに手を使い、逆立ちしながら日常生活を送るというもので、 現代ではその有効性は疑問視されている。 しかし現代においても肥満に悩む者達は「歩苦手!!」と叫ぶことにより 宋代中国の宦官達の悩みに共感し、癒しを得ている。 彼等は「オカマ野郎!」と叫ぶことを好むが、 それも宋代の宦官と一体化することを目的としているのは言うまでもあるまい。 民明書房刊『ダイエットの歴史〜古KoRn東西〜』より KoRnというバンドを知らない人には意味不明かとは思いますが・・・。
393 :
水先案名無い人 :04/03/20 06:31 ID:rvi4fC/c
誰か「ゴネ厨」おねがいできないか?
>>391 オチンチンヲ(・∀・)コウソクデシゴクンダ!!!
「非炉逝」
396 :
水先案名無い人 :04/03/20 18:11 ID:bINvQGUO
>393 剛寧之忠義(ごうねいのちゅうぎ) 宋の時代、儒学の一派に朱子学という学派が興った。 それまでの古典解釈を元にした儒学とは一線を画し、 世界から個人にいたるまで上下関係を持って体系付けるという 新解釈の儒学である。 この学派にて、人として避けるべき行いの一つとして 「剛寧之忠義」が挙げられている。剛寧とは頑強と柔弱を意味し、 自分より上の立場の者に対して、自らの恣意を通さんがために 態度を硬軟使い分け、執拗に食い下がることを言う。この”剛寧之忠義”は 忠義の形をなした相手への反逆とされ、もっとも悪質であると戒められた。 のちに朱子学は日本へもたらされ、長く封建制度の骨格を為すこととなるが、 ”剛寧之忠義”は日本では「剛寧忠」(ごうねいちゅう)と短縮され、意味も 「相手に無礼な方法で、しつこく要求を通そうとすること」と変化した。 江戸時代には庶民の間にも「剛寧る(ごねる)」という形で定着している。 現在、インターネット上で相手にしつこく何かを要求する者を 「ゴネ厨」と呼ぶが、その語源が「剛寧忠」であることを知る者は少ない。 (民明書房刊『生活の中の儒学』より)
ここの職人はすごいな。 中国の歴史に暗い私にゃネタを書けないわ。
『賂人金(ろりこん)』 呉の時代に部堂(べど)と呼ばれた大商人がいた。 この大商人達は政治をも動かす程の富豪であり部堂目を付けられた 商人達は物を売ることさえ出来ない程であったため、賄賂を 渡し部堂に取り入るもの達が多かったのである。 そのためこの時代は賄賂無くして商人共は生き残れなかったのだ。 だが、時が立つにつれ賄賂の量は増えて行き少し程度の金では取り入ることが 出来なくなったのである。 既に主要な商人達を取り込み、これ以上商人を取り入れる必要がなかったためで あり、それでも取り入る必要があった商人達は莫大な賄賂を渡す必要があったのだ。 ある日、十歳に満たない貧しい商人の少女が自分を賄賂として部堂に差し出した。 この少女を気に入った部堂は「賂の人、金の価値あり」と云い財産を継がせたのである。 しかし、部堂は大層な幼女好きと言われており、この少女が部堂の子を孕んだとの噂も あったことから金より幼女が好きと言う者達を『賂人金』と呼ぶようになったのである。 現在、ロリコンはLolita complexの略であると言われているが、こちらの説を唱える 学者も少なくはない。 民明書房刊『児童伝説極東編』
>>397 「古代中国では」「戦国時代」とか適当な言葉を使えばヨロシ。
このスレだと中国史に関する単語やエピソードを使って
ネタを広げているものが多いけど、
ネタ元の民明書房はそういう傾向はあまりないから。
『塀尼守(ぺにす)』 宋の時代、女性の中から出家するものが多く現れた。 当時の僧侶は悟りを開くため、各地の寺院を回り、 経典を求めたが、出家した女性(尼)の多くは1つの寺 院に留まり、その地で修行を行った。 だが、欲情した男子が寺院に侵入し、尼を襲う事件 が続出。それを知った宋の皇帝は周りを塀で囲った寺院 を建設させ、そこに尼を集めた。また壁を乗り越え侵入 するものを発見し尼を護衛するため、塀内の尼を守る者 「塀尼守」を雇った。その守りは非常に強固であったた め、以後、尼が襲われることはなくなったという。特に 強いと評判となった塀尼守を「魔人や羅刹のごとき者」 と畏怖の念を込め「魔羅」と呼んだという。 現在、男性器のことをペニス・マラと呼ぶが、この故 事とは一切関係ない。 民明書房刊『世界の壁 中国編』
>400 うん、そういうの確かあった。 スパイダーの語源だっけか。
チンポヘリが来たぞ!
それはもうある。 珍歩兵李画来太象を参照のこと。
双葉利明(ふたばとしあき) 時は民、皇帝に仕える者は当然ながら民の人間しかいなかった。 そこに、利明がやってきたのは西暦にして1466年、応仁の乱の直前である。 利明は土産を持ち、皇帝の元へ赴いた。 そのひとつに、湖裸樹(こらじゅ)という、大変美味な木の実があった。 皇帝は、その気はどのような木かと問うと、利明は「様々な木を混合したものだ」と言った。 それは一人で作ったのかと問うと、左様でと答えた。 皇帝は大変気に入り、これからも湖裸樹を沢山作れと言って、利明を皇帝の側近として迎え入れた。 利明はその後も様々な湖裸樹を創った。 美味であったり薬効に優れたり、はたまた只不味かっただけだったりと、皆を楽しませたそうだ。 現在、インターネットにおいて「ふたば」や「としあき」、「コラージュ」と呼ばれるものは すべて双葉利明公から来ているのである。 (民明書房刊『現代語に垣間見る中國』より)
>>396 マジで信じそうになりました。アンタ、スゲェよ。
NHK-BS見ろ。
ぬお、見逃した・・・。 どんな内容だった?
409 :
水先案名無い人 :04/03/23 00:58 ID:RFyBqSMc
『独男(どくお)』 中国、清王朝時代末期に優れた才を持つ男在り。 其の者は非常に容姿は端麗で、様々な知識を持ち 人格者として有名で、あらゆる技術を所持していたという。 ところが男は非凡な才を持ちながら、人に仕えることを極端に嫌い 野に下り、民衆の手助けをしながら、日々を自分の夢を追い求めたと言われている。 また、女性の扱いにも長け、常に女性との噂も絶えなかったが 誰かと契りを結び、所帯を持つということは無かったようである。 その後、人々は民衆に優しく自らの夢を追い求め、優れた才を持つ者を 尊敬の念を込めて「独男(どくお)」と呼ぶようになった。 現在において、優れた才能を持ち人格に優れながら独り身の男性を 「独男」と呼ぶことは、これらのことが由来であることは言うまでもない。 民明書房刊『永久に埋められない差〜モテル男性とモテナイ男性〜』より
>>297 乙華麗
盾余観の最初の一文を一段さげてほしいな
>>408 今更だけど「BS漫画夜話 魁!!男塾」
民明書房しんじてました。
名無仙(なむせん) 古代中国で若人の中で行われていた、修霊(すれい)と呼ばれる祭があった。 修霊とは、礼子(れいす)と呼ばれる符を千枚貼ることであり、中でも千枚目の礼子は神仙に通じるご利益があり、これを貼り着けた者は仙人にのような程の誉を受けると言われた。 そして、その事を後世に伝記させるために譜螺祝(ふらしゅう)職人銛幡参暁(すきまんさんぎょう)と音楽家功蘭樹(くらんき)によって作られたのが名無仙(なむせん)である。 名も無き若人が仙人へと昇るまでの行程を描いた、この譜螺祝は全土の譜螺祝職人達を大いに鼓舞させ、やがて、それを流用した様々な譜螺祝が披露されていき、 銛幡参暁も名無仙を利用した離観功子威勉頭(りみくすういべんとう)を開催したほどである。 名無仙は、銛幡参暁が引退をした後も多くの譜螺祝職人によって様々な亜流作品が作られていったという。 現代。FLASH職人スキマ産業氏の代表作num1000remixはこの名無仙をモチーフなのではないかと噂されているのは言うまでもないだろう。 民名書房刊 「譜螺祝ちゃんねる読本」より抜粋。
413 :
水先案名無い人 :04/03/23 21:54 ID:vv8NIyUT
あげ
気癒雲気癒雲(きゆんきゆん) 時は晋の時代。言霊使い黄 兎子(こ・とうこ)と言う者がいた。 彼女は言霊の力で様々な現象を起こせた。 その力に惚れ込んだ、当時の宰相吾 威歩(あ・いぶ)は、黄に対し様々な言霊の力を披露させるよう命じた。 吾の命令により、黄は数多くの言霊を披露した。その中でも特に力の強かった物があった。 それが気癒雲気癒雲である。名の示す通り気を回復させる雲を出す言霊である。 後に気癒雲気癒雲の力によって、北方民族の侵攻も防いだという。黄の言霊は想像以上だったのかもしれない。 現在。KOTOKOと言う歌手がさくらんぼキッスの中でキュンキュン!と歌っている部分があるが、それが気癒雲気癒雲から取ったのは言うまでもないだろう。 民名書房刊「電波ソングと中国史。その深い関連」より抜粋。
観虚御子難守(みこみこなんす) 晋で言霊使い黄 兎子(こ・とうこ)が力を振るっていた。それと同じ時に、南蛮の地に左 偈(さ・いこ)という言霊使いがいた。 彼女は黄の気癒雲気癒雲(きゆんきゆん)に対抗すべく修行の末に強力な言霊を習得した。 その言霊は、早口で呪文を唱えることにより発動するが、あまりの早口に「みこみこなんす」の部分しか聞き取る事が出来なかったと言う。 なお、観虚御子難守とは後に歴史家がつけた当て字である。 現在。psychoのエロゲーに巫女巫女ナースという物があるが、その主題歌のサビに早口で「みこみこなーす」と歌っている部分があるが、実はあれは左が言霊を呼ぶときの呪文ではないかと言われており、謎に包まれている左の呪文の全容が解かれる日も近いだろう。 民明書房刊 「電波と呪い」より
武励駆(ぶれいく) 古来から中国では、大規模な戦闘の前に呪術師が志気を奮い起こさせるための呪文を使ったことは 広く知られているが、中でも際だっていたといわれているのが「武励駆」と呼ばれるものである。 春秋戦国時代。万蘇烏(まんぞう)は当世きっての呪術師であった。 幾多の会戦を勝利に導いてきた彼であったが、ある時敵軍に有能な言霊使いがいることが伝わってきた。 兵士の生気を回復させる能力を持った敵の言霊使いに対抗するには、破壊を生み出す新たな呪文を 編み出すほか無かった。 彼は不眠不休で書物を研究し、ついに「武励駆」と呼ばれる呪文を完成させた。 歌に載せたその文句によって、彼の軍は破壊の力に目覚め現在で言う所の、敵のライフラインの破壊に成功した。 万蘇烏の呪文はその後歴史の襞に隠れてしまい、残った数少ない史書も辛亥革命の混乱の中消失してしまった。 しかし現在、「日本ブレイク工業」という解体業者が社歌とし、て「ブレイク、ブーレイク」と歌っている。 これはかつて存在した「武励駆」の呪文によりビルディング、家屋、橋梁を破壊する力を得ていると考えられ、 学会は関心を寄せている。 (民明書房刊「そのとき歴史が動いた〜隠れた名将/名軍師〜」より)
ちょ……『超悪散(ちょおさん・ちょーさん)』のガイドラインを……当方、出来ませぬ……(T◇T)
飛徒追過(ひとおうすぎ) 戦国時代の中国。楚に飛徒(ひと)と呼ばれた軍団がいた。 読んで字のごとく、飛ぶように戦場を駆け巡る軍団である。 しかし、後先考えずに戦場を駆け回るため、敵の策にかかる事も多かったと言う。 そのため司令官は飛徒の行動に常に気を配らなければならず、飛徒が深追いをしようとすると 大声で「飛徒!追過!」と叫び、彼等を制止したと言う。 現代社会ではとある巨大掲示板群でまれに発生する「人大杉」という状態があるが、 これが「飛徒追過」が由来である事はあまり知られてない。 民明書房刊「鯖と板」より
礼仁止(れいに・どめ) 時は戦国時代。斉は燕を攻撃していた。 斉軍は強兵によって、燕の防衛線を徐々に打ち破っていった。 いよいよ燕の首都まであとわずかの所まで来た所で斉軍に立ち塞がった者がいた。 彼の名は礼 仁(れい・に)。知勇に長けた武将だった。 ときには夜襲。ときには水攻め。ときには偽報。ときには内通…。 全ては礼の策であった。斉軍は礼一人のために、半年間足止めされた挙げ句、燕攻略に失敗してしまった。 当時の斉の大将軍融親(ゆう・み)は、余りの悔しさから雨中悲嘆に暮れたと言う故事は有名である。 礼仁止とは、手が届く位置に目指すものはあるのに取れない苦しみ・悲しみを表した故事成語である。 現在。ある小説のある巻のラストを読んだきり次の巻を読まずに主人公の感情に同化する「レイニー止め」という技法があるが、それは礼仁止からとっているのは言うまでもない。 そして、その巻のラストで雨の中泣いてた人の名は祐巳。故事の中の礼仁止で雨中悲嘆に暮れたのは融親(ゆうみ)。 作者は中国史に相当詳しいのであろう。 民明書房刊「霊地庵乃婆化!」より。
>418 「超悪散」ではなくなってしまいましたが…… ------------------- 趙三(ちょうさん) 字義は「趙という家の三男」と言う意味だが、この場合は明朝末期の拳法家 「趙崇圭(ちょうすけ)」を指す。 趙家は独自の拳法を代々伝えていたが、それは決して刃物を使用せず、かつ 相手の刃物を封じてしまうと言う意味の「努利封(どりふ)」すなわち ”努めて利器(刃物)を封ず”と呼ばれた。 趙崇圭はその人柄から「趙三(ちょうさん)」と呼ばれ親しまれたが、己には厳しく、 生涯をかけた研鑽の末に、努利封の集大成を体得した。中でも奥義とされる 「努利封大瀑掌(どりふだいばくしょう)」や「禅陰襲剛(ぜんいんしゅうごう)」は、 努利封の打ち立てた金字塔とも呼ぶべきものである。 趙崇圭は現代で言う頸部リンパ節腫瘍により世を去ったが、彼自身は生涯 弟子をとることがなかったため、努利封は絶えてしまった。ただし趙と親交の篤かった 数名の拳友により、その意志は脈々と受け継がれているという。 なお、現代の日本の挨拶に「オイッス!」と片手を挙げるものがあるが、これは 趙崇圭の編み出した「横逸手(おういつしゅ)」という防御動作から来ている事が 研究により明らかにされている。 (民明書房刊『ありがとう趙崇圭〜さよならするのはつらいけど〜』より)
>422 なんか泣けた。gj
摩裸(マーラ) マーラとは印度が起源とされているが、本来は中国起源である。 印度においては絶対的な鬼、煩悩、異性に対する性欲を表し、 男性自身を意味する言葉としても使用されている。 しかし、人間が最初に立ち向かわなければならない煩悩とは何か? 生殖行動ではない。そう、自慰(オナニー)、「裸」で「摩」れるである。 当然、漢字のほうが印度仏教よりも成立が古く 摩裸が印度に渡り、意味が改変されたのち 逆輸入された際に「魔」という漢字が生まれたのである。 民明書房刊『ニー謎シリーズ 中国人は宇宙からやって来た』より
425 :
424 :04/03/27 16:31 ID:aFYAv0pH
よく考えたら、これはMMRネタかな…('A`)失敗
>422 ……素晴らしい!ブラボー!後ろ後ろ!
俺も全員集合派だったが・・・長さんありがとう:;..(ノД`):.゚::...
>>422 対抗馬としてこれがいるのだよ。
豹巾族(ひょうきんぞく)
明朝末期にその名を轟かせた武術の一派で、豹の毛皮で作られた巾(ひたたれ)を首に巻いていたため
このように呼ばれるようになったと伝えられており、その類希なる戦闘能力で、朝廷を守る地位にあったとされている。
特に、嶽長曼(たけ−ちゃんまん)という一族の長の巾はひときわ大きく立派で、
現代で言うところの「マント」のように巾を翻し闘うその姿は、鬼神そのものであったという。
豹巾族の歴史に残る最大の闘いは武羅鼓悪魔(ぶらっくでびる)と呼ばれる、黒衣を纏った
一種異様な反乱軍との一戦であると言われているが、この闘いを含め、公式には豹巾族の歴史に「敗北」の文字は見つからない。
しかし、最近になってわかってきたことであるが、この豹巾族が最も怖れていたのが趙家の一派であるというのだ。
週に一度朝廷にて開催されていた武道大会において、趙家の一派と豹巾族は常に好敵手であり、
趙家の三男趙崇圭(ちょうすけ:通称を趙三・ちょうさんという)の操る拳法「努利封(どりふ)」奥義「禅陰襲剛(ぜんいんしゅうごう)」
と豹巾族の長嶽長曼の操る剣術との一戦は熾烈を極め、毎回時間内に勝負がつかなかったといわれている。
後に趙三は病気でこの世を去る事になるわけだが、その知らせを聞いた嶽長曼は天を仰ぎ、
趙三の死を悼み、三日三晩涙を流しつづけたと言われている。
なおその後、豹巾族は歴史の中にその名を消していったが、
現代の日本において、豹の模様の衣服を纏う人が後を絶たないのは、
嶽長曼の武勇伝が受け継がれているからなのか、それとも、
趙三を心から尊敬していた彼の生まれ変わりの姿なのかを
知るものはいない・・・。
(民明書房刊『豹巾族と趙家、その闘いと友情』より)
>>427 (;つд`) イイです。
けどなんか悲しいデス。
>427GJ! たしかに黄巾族と音が似てるのね……。 ひょうきん世代としてはホタテマンも入れて欲しかったけど。
帆立萬(ほたてまん) 豹巾族の中でもコワモテで知られた猛者、それが李・貴也(リー・キヤ)である。 彼は戦闘に参加しない時は炉薫露売(ロクンロウル)という、炉で燻製にした 干物を売る商売をしており、その宣伝広告が書かれた帆を背中に立てたまま 戦闘に参加するほど商売熱心であったという。彼の参加した戦闘は連戦連勝で 戦闘の後にはいつも帆が立てられていたことから、李貴也はいつしか「帆立萬」 と呼ばれ恐れられるようになった。 ちなみに現代において、力也と名乗るコワモテの男が「ホタテのロックンロール」 という歌を出した事があるが、これは「帆立の炉薫露売」をリスペクトしたもので あることを知る人は少ない。また、この人物が「くろあめマン」という人物に変身 するCMは、おそらく李貴也が戦場にて「黒雨」すなわち血の黒い雨を降らしたことに 由来するのであろう。 民明書房刊 「黒雨名芽名芽」より
>>427 です、我ながら言い分が書けたと自画自賛。
>>430 むうその通り、三国志です。読まれてたかw
確かに似てるのよね。
>>431 補足THXですw
×言い分 ○良い文 民明書房で誤植チェックしてきます・・・
躇刀打気用(ちょとだけよう) 趙家の三男趙崇圭(ちょう・すけ)には直接の弟子はいなかったが、彼を慕う者は多かった。 夏 東知乎(か・とうちや)もその一人である。夏は趙の拳法「努利封」(どりふ)を参考にし、独自の拳法術を会得した。 それが躇刀打計容である。 自ら着ていた服を脱ぐ事によって刃物を持った相手が切るのを躊躇した隙に打撃を食らわすという技である。 夏は趙の葬儀では送辞を行い、その死に深く涙したと言う。 民明書房刊 「僕達の好きな趙崇計」より
435 :
水先案名無い人 :04/03/30 19:28 ID:Y0UsNt0R
雷神鎖摩昏倒(かみなりさまコント)
趙家の三男趙崇圭(ちょう・すけ)には直接の弟子はいなかったが、彼を慕う者は多かった。
高 儀(こう・ぎ)、あざなを武卯(ぶう)という巨漢もその一人である。
趙三から武術の才を称えられ、趙三の努利封完成に大きく寄与したと言われる武卯だが
実は武のうさぎというあざ名が示す通り生来の臆病者だった。
武卯の才能を惜しんだ趙三は努利封の奥義を会得してのち、いつも小言を言ってはたしなめていた。
ある時、「努利封大瀑掌(どりふだいばくしょう)」の練習中その型を試していた趙三が武卯に技を
試したところ、さも大儀そうに縁台に座っていた武卯がみごとな返し技を見せて周りの者を驚嘆させた。
これは、と思った趙三は武卯を相手に技の工夫を続け、ついに完成を見た。
それが「雷神鎖摩昏倒(かみなりさまコント)」である。
この技は大儀そうにして立っている二人に油断した敵を、鎖を投げ合って身動きできなくして倒すという
恐怖の技であった。
後世の絵師たちは趙三を掛け軸や屏風の題材として好んだが、中でも雷神をも倒すと恐れられたこの技は
壮麗な構図からも非常によく描かれ、後には趙三と武卯を雷神そのものとして描かれるほど人々をとらえた。
日本で風神雷神図として描かれていた作品はこれらの特徴を持っていると言われている。
民明書房刊 「僕達の好きな趙崇圭」より
>>422 >>434 借りましたthx
>>422 ,434,435
GJ!
。・゚・(ノД`)・゚・。 チョウサン・・・
仲本…… あまりにも影が薄すぎる……
438 :
427 :04/03/31 10:41 ID:p1yCJppT
>>437 虎武火輪(とらんぽりん)
趙家の三男趙崇圭(ちょう・すけ)には直接の弟子はいなかったが、彼を慕う者は多かった。
氏(うじ)を「虎(こ)」という「虎氏(こうじ)」一派の長、虎氏の那火元(こうじ−の−なかもと)もその一人である。
もともと虎氏はその名のとおり、虎(とら)を一族の守り神として称える風習を持っており、
虎氏一派が代々伝えてきた武術も、その虎が舞うような身のこなしから「虎舞」が転じて「虎武」と
呼ばれるようになっていったという。
那火元は生来非常に穏やかな性格であり、勇猛を誇った虎氏の中では若い頃から異端とされていたが、
その彼が虎氏の長に就く事が出来たのは、彼が虎武を独自に発展させた「虎武火輪」があってのことだった。
彼は決して体格的に恵まれていたわけではなかったが、それを補って余りある軽やかな身のこなしと、
名の通り火術に長けており、趙家との手合わせの際、趙三の繰り出す努利封と五分の渡り合いをしたと残されている。
その実力を買われ、那火元は虎氏の長となったわけだが、虎氏の一人がこの趙三との闘いの様を
「いくつもの炎が輪を描くように、まるで宙を舞うように趙三に次々に襲いかかった」と記している。
それ以来、那火元の操る武術「虎武」は「虎武火輪」と呼ばれるようになり、
趙三の「努利封」の好敵手として、と共に一つの歴史を残した。
趙三の病死後も彼は舞うような火術の使い手としてその名を轟かせ、その名は
現代の「トランポリン」に残されている。
とある歴史家は、トランポリンの「伸身宙返り」は、まさに那火元の技そのものの動きであり、
その美しさに目を奪われるのは、まさに我々日本人のルーツを思い出させる事に他ならないからだと
力説して止まない。
民明書房刊 「僕達の好きな趙崇計」より
440 :
427 :04/03/31 13:41 ID:p1yCJppT
火下断手(ひげだんす) 「躇刀打計容」で知られた夏 東知乎(か・とうちや)には親友がいた。 剣士・牟羅(けんし・むら)がその人である。 彼はかつて趙家に仕えていた下人であったが、元々没落した剣士一族の出であったため、 趙一族の極意であった「努利封」を受け入れる事が出来ず、やがて独自の道を選び、ひょんなことから 夏と出会い、共に修行を積むこととなった。 ある日、二人がいつものように剣術の修行も兼ねて、十里ほど離れた川から大きな二つの桶に水を汲んで やっとの思いで帰ってきた時、なんと彼らは盗賊に襲われた。しかも運の悪い事にその日、牟羅は剣を家に置いてきてしまったのだ。 猛然と放たれる火矢に対し、牟羅はとっさに、持っていた二つの桶を大きく振りまわし、見事その火矢を叩き落とし難を逃れた。 鬼神のごときその迫力に盗賊は腰を抜かし、ほうほうの体で退散した。 この時、夏は水をこぼしてしまったが、牟羅の桶になみなみと汲まれた水は一滴もこぼれなかったのだ。 この様を見て夏は、「以桶下火断手(桶をもって火(火矢)を下し、(襲ってくる)追手を断った」と称え、それ以来、 牟羅は剣士としてだけではなく、火下断手を使う武術家としても名を馳せる事となった。 後に牟羅は趙三とも手合わせをしているが、公式な記録にはそのことは残っていない。 ただ、趙三の葬儀には参列していたという。 後にニュートンが林檎が木から落ちる様を見て万有引力を発見した、とされているが、それより前に発見した人物がいた、 このことは物理学の歴史を根底から覆す可能性すら秘めている、と力説する学者は少なからず存在する。 残念ながら公式な記録は残っておらず、検証には時間が必要なようである。 民明書房刊 「僕達の好きな趙崇圭」より
躇刀打気用(ちょとだけよう) 趙家の三男趙崇圭(ちょう・すけ)には直接の弟子はいなかったが、彼を慕う者は多かった。 夏 東知乎(か・とうちや)もその一人である。夏は趙の拳法「努利封」(どりふ)を参考にし、独自の拳法術を会得した。それが躇刀打計容である。 奇妙な踊りとともに服を脱ぐ事によって相手を驚かせた隙に打撃を食らわすという技である。 夏の武術は躇刀打計用や火下断手(ひげだんす)といった斬新かつ個性的な物が多いが、その分批判も多かった。しかしその命脈が今も生き続けるのは、それを信奉していた数多くの弟子達。そして趙崇圭の存在があったからであろう。 趙の葬儀の時、彼は共に努利封を修行した牟羅(むら)・虎氏の那火元(こうじのなかもと)・高儀(こうぎ)と共に参列し、更に自ら送辞も行った。 趙の死は多数の拳法家が涙したが、一番涙したのは夏本人であると、後の歴史書には書かれていた。 民明書房刊「僕達の好きな趙崇圭」より。
やいてめえら、ドリフネタばっかりやってんじゃねーよ! 切なくなるじゃねーか・・・
趙三ネタがここまで発展して、正直ネタを振った張本人が一番驚いています(笑) これも趙三の、いやいかりや氏の人徳の賜物でしょうか。 --------- 諏訪新寺(すわしんじ) 趙三こと趙崇圭を慕った者のひとりに、馬氏なる人物がいた。 性根は誠実で、仕事にも深くうち込んでいたが、時折奇声を上げる クセがあったため、周囲の住人からは敬遠されていた。 まだ病魔に冒される前の趙三は、ある日馬氏を呼び 海を越えた日本で一旗揚げるよう勧めたという。いわく 「日本では、風貌が奇怪でも誠実であれば敬われるから」と。 馬氏は忠告通り日本に渡り、紆余曲折を得て仏門に入り 越中諏訪の住職となった。精神の安定した馬氏は奇声を発する悪癖を 次第に抑え、人々は彼の説法を争って聞きたがったという。 のちに彼は諏訪に、人々の協力を得て諏訪新寺(すわしんじ)を 建立、自身も必要に応じて”諏訪新寺”を名として名乗ったという。 なお、諏訪新寺は彼の姓「馬」にあやかって馬頭観音を本尊とするが、 現在「すわしんじ」を名乗る芸人がかつての人形劇で馬の役を 演じていたことには少なからず因縁を感じる。 (民明書房刊「僕達の好きな趙崇圭」より )
失礼、諏訪は越中ではなく信濃でした……釣ってきます
ライトノベル板
こんな設定(展開)はイヤだ!part25より
http://book2.2ch.net/test/read.cgi/magazin/1078635161/ 原子力剣道
キューリー婦人がラジウムを発見して以来、放射性物質の研究は急激に進んだ。
この新たなる力に剣術家たちが目を付け、決して判定間違いの起こらない対戦方法と
して生み出されたのが、この原子力剣道である。
ウランの竹刀にプルトニウムの防具、プルトニウムの竹刀にウランの防具を使用して剣
道をするというだけのものではあるが、ほぼ臨界状態に保たれた武具は打ち合わされる
ことで臨界量を超え、核爆発を起こして敗者を焼き尽くす極めて危険な競技である。
ただ、勝敗は明確であるものの、1試合毎に半径数十キロが立入禁止区域になってしま
うという欠点があるため、現在では法律で禁止されてしまっているのが残念である。
民明書房刊 「原子力入門〜身近に息づく原子の炎〜」より
>442-443 最初にリクエストしたものです………… …………皆様、ゴクロウサマデシタ!
「猛映端」(もえたん) 昔、中国のとある仕官に「猛映」という者がいた。 その猛映は中国一、外来語に通じてた。 加えて猛映は戦争の際に優秀な参謀として何度も活躍してきた ここに猛映の戦略の一部を紹介してみよう 浮世絵作戦・・・三大美女の一人と言われる楊貴妃にほど似た女性の浮世絵を 戦場のあらゆる場所に配置し、敵の気を逸らせた。 魔法少女作戦・・・夜、相手の指揮官の寝床にトリックを施した鏡を送り込む。 その鏡から少女を出現させ、嘘の助言を与える。 猛映の作戦は女性に餓えていたという時代の背景もあってか、ことごとく大当たりした。 人々はそんな猛映を慕い、弟子にと志願する者は多かった。 そして、猛映はその弟子達に戦術と共に外国語も教えた。 外国語を覚える方法として、 猛映は「好みの女性が言っているのだと思え」としつこいほどに教えた。 そんな猛映の過去を語ったとされる本が出版された。 それは、「猛映の過去の嘆き」を示した物とされ、 この本を当時の人々は「猛映嘆」と呼ぶ事としたのであった。 現代の英単語学習帳に似たようなものがあるとされるが、 この出版社は相当中国史に通じている者であろう。 民明書房 「策士とは美少女によって出来上がる」
趙三と唯一袂を分かったかつての友人、阿來仲(あ・らいちゅう)に関する文献を探しています。 どなたかご存じないでしょうか?
難打罵茅牢(なんだばかやろう) 趙家の三男趙崇圭(ちょう・すけ)には直接の弟子はいなかったが、彼を慕う者は多かった。 阿來仲(あ・らいちゅう)もその一人である。 阿は趙の拳法「努利封」(どりふ)を参考にし、最初は拳法術を編み出そうとしていたが、頭に 血が上りやすい性格のせいで、なかなかうまくいかなかった。 そんな折、阿の自宅に泥棒が入った。阿はその泥棒を一喝し、屋根を葺くために溜めておいた 茅の倉庫に押し込めた。 泥棒は何とか脱出すべく、周囲を滅多矢鱈に攻撃してみたものの、茅は打っても打っても衝撃を 吸収してしまう。それを見た阿は、思う存分に泥棒を罵倒したと伝えられている。 この故事が後に「打ち抜くのが難しい茅の牢に入れられ、罵倒されるほどの屈辱」という意味で 「難打罵茅牢」と略されるようになった。 阿は結局、努利封を修めることも、新たな拳法術を編み出すこともできず、一旦は趙と袂を 分かった。だが後に阿が没した時、趙は彼の墓前で「阿は立派な努利封の漢だった」と 涙ながらに語ったという。 なお、現代でも他人を罵倒する際、「馬鹿野郎」と怒鳴ることが多いが、これは難打罵茅牢の 故事が由来であることは言うまでもない。 民明書房刊「僕達の好きな趙崇圭」より。
ガイドライン板の定期的に立つスレより
7 名前:水先案名無い人sage 投稿日:04/04/01 23:59 ID:UkoB3Ttv
『定期的に立つなこのスレ(ていきてきにたつなこのすれ)』
時は江戸の末期、
http://www.2ch.net/内の板にて 「ちんちんシュッ!シュッ!シュッ!」というスレが
立てられる事件が多発していた。事態を重く見た江戸幕府14代将軍徳川家茂は差駆除人を総動員し
スレストを実行するも逆に幕府の無力さを露呈する結果となり、人々は生きる希望すら失いつつあった。
その乱世の真っ只中「定期的に立つなこのスレ」という書き込みがとある農民の手によって行われた。
初期の頃は関心を示す者も無く無視される事もあったが、次第に認知されるようになり『一番最初に
書き込んだ者は幸せになれる』という風説も手伝ってか人々は生気を取り戻し始め、中には中毒症状を
起こす者すら現れた。これを転機に「ちんちんシュッ!シュッ!シュッ!」スレは、民衆の日々の鬱憤や
憂鬱を打ちまけるスレとなり、人々はスレの活性と安泰を願い「定期的に立つなこのスレ」と書き込むように
なったとされている。
尚、現代日本に於いて「定期的に(ry」や「定k(ry」と書き込まれる事があるが、
これが「定期的に立つなこのスレ」から由来しているのは言うまでも無い。
民明書房刊 『東の国の電脳社会 第七版』 より抜粋
化塗能(ばかとの) 趙家に使えていた剣士・牟羅が趙一派と行動を共にしていた頃 とある武道家と決闘するときに編み出した戦法。 一番の特徴は顔を白く塗ることだが これは本来表情を読まれにくくすると言うことであったが相手の武道家はその風貌に「滑稽だ」と笑ったという。 だが見た目に惑わされて油断した武道家は牟羅にあっさりとやられてしまったのであった。 またこの時牟羅の剣は相手の胸を「亞」の字に斬ったという。この技は「亞印(あいん)」と呼ばれた 牟羅はこのように相手を惑わす戦法を好んで使用した。 化塗能の他に「変名・御地山(へんな・おじさん)」が有名である。 プロレスにおいて顔にペイントを施す選手がいるが化塗能の影響であると言えよう また人気お笑い芸人志村けん扮する「バカ殿様」は化塗能のメイクに酷似しているが これは化塗能を参考にしたそうである(弊社刊「師 武賢(しむけん)の大乗仏陀」より) 民明書房刊「僕達の好きな趙崇圭」
井囲湯打那(いいゆだな) 努利封(どりふ)の中でも秘儀中の秘儀、それが井囲湯打那である。 これは努利封(どりふ)を極めた者五人でもって敵を囲み 馬萬馬萬萬萬(ばばんばばんばんばん)という呪文をひたすら唱えると、 その熱気によって雲が沸き立ち、「湯気が天井からぽたりと背中に」という具合に 熱湯の雨を降らせ敵の軍勢を壊滅状態に陥れるというものである。 努利封(どりふ)の参加した闘いの多くはこの技によって終了し、 敵方としてもこの技で負けるのは「しかたがない」というほどであったという。 このようにこの技は驚異的な威力を持っていたのだが、五人全員が揃っていないと 出来ないという欠点があったため、趙三(ちょうさん)亡き後は廃れてしまった。 なお、現代において「ドリフの大爆笑」が「いい湯だな」でさよならするのはこの故事を 踏まえた上の事であるが、長さん亡き後は「いい湯だな」はおろか「ドリフの大爆笑」 すら見られなくなってしまうのであろうか。 民明書房刊「僕達の好きな趙崇圭」より
おいおい「僕達の好きな趙崇圭」大ベストセラーだな
まとめサイトは書籍ごとに分類できるようになったらいいな とふと思った
暗空感察法(あんくうかんさつほう) 「彼を知り己を知れば百戦危うからず」 という言葉があるように戦いにおいて状況把握は重要である。 この暗空感察法は状況把握が困難な暗闇において空気の流れで場を読む一種の心眼のようなものである。 出鼻をくじき、敵の手を封じることを極意とし、これを会得した者は夜襲の先鋒、指揮者として重用された。 数々のタイトルを制したプロ雀士の故安藤満が自らの麻雀を「亜空間殺法」と呼んでいたが、 暗空感察法がその名の由来ということを知る者は少ない。 民明書房刊「夢興舞馳」より
やいおまいら、「僕達の好きな趙崇圭」では何が一番良かっただろうか。 火付け役の422は(書名も違うので)別格として。
火下断手か難打罵茅牢だな
死錠際興蛇餞【しじょうさいきょうだせん】 古代中国における処刑法の一つ。 罪人の両腕に錠を施し、罪人の体に蛇が好む匂い を擦り付け蛇を放して処刑する。罪人が恐怖に引きつる姿を見ることに悦を感じた 当時の大臣渠仁(きょじん)はこれを大衆に祭りの余興として披露し好評を博した。 しかし一月余りでに隣国の攻めに合いこの処刑法と共にこの国は滅びた。 ちなみに日本職業野球の宣伝文句に史上最強打線と名づけるのは上記に由来する。 民明書房刊【古代中国-祭祀と退廃】より
努利封に関係する人物の紹介には 「趙家の三男趙崇圭(ちょう・すけ)には直接の弟子はいなかったが、彼を慕う者は多かった。」 が典夫麗みたいになってるな。 何だか妙に気にいってしまったよ。
>455 なるほど。難しそうですが試してみます。
つっても頻出書籍は「僕達の好きな趙崇圭」と「フビライ怒りのモンゴル相撲」 くらいだと思われ。
463 :
水先案名無い人 :04/04/05 04:39 ID:XeZCJrZU
あと温堂流ね。
465 :
水先案名無い人 :04/04/05 18:38 ID:XeZCJrZU
>>13 日本の相撲界でもアフガン航空相撲の研究が密かに進んでいた。
しかしながら地上相撲にこだわる一派との航空相撲一派との
確執がおさまらず、時の帝は両派を一堂に集め勝負を行わせた。
奥義を完成させていたかった日本のアフガン航空相撲一派は
地上相撲一派に完敗し、その歴史から姿を消した。
なお、舞の海が密かに未完成ながらも
アフガン航空相撲の修行を積んでいたことは
あまり知られていない。
「民明書房刊 『マイケル・ジョーダンに見る航空相撲の軌跡』より」
466 :
水先案名無い人 :04/04/05 18:40 ID:XeZCJrZU
アフガン首相撲 フビライ・カーン率いる元軍を退けたアフガン航空相撲の名は 瞬く間にユーラシア大陸全土に広がり、民間の間でも航空相撲に対抗し 様々な流派の相撲が誕生した。 中でもアフガン首相撲と呼ばれる一派は首技を使用する流派で一時国内で勢力を伸ばしたが 当時最強と呼ばれたアフガン航空相撲一派と雌雄を決する直前にオスマン=トルコ軍と 他流試合を行い、最終奥義を極めていなかった首相撲一派は敗北を喫した。 その結果、首相撲一派はその歴史上から完全に姿を消した。 なお、ガンダーラ地方の首のない石仏は首相撲一派を倒した オスマン=トルコ軍が勝利の記念に建立したことはあまり知られていない。 「民明書房刊 『中世中近東格闘技大観』より」
どなたか、当時世界最強の帝国だった「毘威獲頭(びいとるず)」の 総勢5万にも及ぶ大軍勢を、趙三たちたった5人で食い止めたという 伝説の「雷日光焔漸斬」(らいにちこうえんぜんざ)に関する資料を お持ちでないでしょうか?長年探しているのですが… (字は適当なので変えて下さい)
「雷日皓延漸挫」(らいにちこうえんぜんざ) 趙家の三男趙崇圭(ちょう・すけ)が苦心して「努利封(どりふ)」を完成させた明朝末期、 世界を股にかけて熱狂の嵐を巻き起こした「尾威斗瑠厨(びいとるず)」帝国が、大陸に侵攻して来た。 その軍勢五万数千余、対して良い軍師や将兵に恵まれず反抗作戦に苦慮した皇帝は、名だたる拳法家である 趙三とその仲間たちに迎撃を要請した。 あまりの多勢に無勢、趙三はこれを断ったが、皇帝の必ず兵を連れて還るという必死の頼みについに 折れて出陣する事にした。 しかし「禅陰襲剛(ぜんいんしゅうごう)」や「井囲湯打那」(いいゆだな)などの努利封奥義を未だ 完成させていなかった趙三は、この戦いを自らの死地と定めて仲間の4人にこう言った。 「例え恐ろしいかみなりや激しい日差しであろうと、歯を皓(ひら)めかせて笑いながら時を延ばせば 漸(しばら)くして挫ける。時を稼ぐのだ。」 趙三は援軍の来る事を信じてたった五人ながら獅子奮迅の戦いぶりにより、ついに五万の軍勢を防ぎ切る事が出来た。この戦いの後「尾威斗瑠厨(びいとるず)」帝国が瓦解同然の姿になったのは言うまでもない。 この故事から苦境にあってなお笑いながら自らの信じた道を行く、という事を「雷日皓延漸挫」(らいにちこうえんぜんざ)と呼び習わすようになったという。 なお、その際に五人が踊った出陣の舞である「納些音頭(ナサ音頭)」は趙三自らが作詞した歌曲として後世に名を残す素晴らしいものであったという。 民明書房刊 「僕達の好きな趙崇計」より
行が長いよエラーでた 読みにくくてスマソ
【コテハン】 13世紀ホラズム・シャー朝の時代、時の国王の命により中央アジア各地より集められた 武術、格闘技に精通した者を中心に、高度な格闘技が編み出されていった。 そのなかでも、ひときわ武術に優れ、後のアフガン航空相撲の基礎を築いた ベルグタイ(後にコティ・ハーンと改名)は、武術の強さゆえに、人を殺めることに対し 葛藤を抱くようになっていった。 そんな中、ホラズム・シャー朝と、親族が対立することになったベルグタイは、 近衛兵の職を解かれ、生まれ故郷を目指して旅を続ける事となった。 旅の中、今でいう甘粛省の敦煌にあたる場所にベルグタイは、佛寺を建立し、 羅雲寺と命名。広く門下生を集め、武術・精神の鍛錬を世に説いていく事に 生涯を費やしたという。 ちなみにヨーロッパ諸国で休憩室・居間を表す「Lounge」という言葉があるが、 この語源となったのは、コティ・ハーンの建てた羅雲寺の武道場の事が、 シルクロードによって伝聞されたものであることは、あまり知られていない。 民明書房刊 『フビライ怒りのモンゴル相撲』 より
真方野相琴場(まほうのあいことば) 古代中国において、琴による音楽が楽しまれていた時代に、 爆発的に広がる琴奏者の騒音問題によって追放された琴奏者たちが「真法野」に建設した「相琴場」が元になった言葉。 「やれば出来る」「信じてみようよ」等の意味を持ってごく最近まで中国で使われたと言われる。 なお、真法野には決闘場も建設されており、そこで行われる大会の中に「戦抜(せんばつ)」と呼ばれる物があり、 その大会方式が後の「勝ち抜き(トーナメント)」なったと言われ、 その大会名は「春のセンバツ」の元になったと伝えられる。 なお「戦抜(せんばつ)」で圧倒的強さを誇ったと言われる「砕比(さいび)」と呼ばれる戦士の名は現代にもとある高校に伝えられている。 ちなみに、その戦士の名の由来は「あまりの強さに比べる事すら無意味」と言う意味である。 民明書房刊 『高校野球と中国戦士達の戦い』 より
打留眉守(ダルビッシュ)はまだか
473 :
水先案名無い人 :04/04/06 03:15 ID:08Q7EM83
ダルビッシュとメガネッシュ禿しくキボン
塵壊戦術(じんかいせんじゅつ) ・兵多きを益とするにあらず 兵士の数が多ければそれで良いという物ではない 軍団の猛進を避け、戦力を集中する事が集団戦の勝利の決め手となる 実例その1〜寧延の戦い〜 明の時代、北方の騎馬民族、金の襲撃に対し守科(すか)と呼ばれる部隊長を 中心とした少数の精鋭部隊を編成し、都の防衛に当たらせていた 1626年1月14日、金軍は13万の大群を率いて首都に攻め込もうとした これに対抗した当時の守科であった名将魯武(ろ・む)は都の北方にある寧延城に立て篭り抗戦した 普段から平野部での戦闘に慣れていた金の兵士達であるが攻城戦には何の用意も無く ただ城壁をよじ登ろうとしては多くの守城槍や鉄で出来たからくり人形に阻まれ 地面へと叩きつけられる事となった このような戦いが12日にわたって繰り返され、多くの兵士が戦闘不能となった金軍は撤退を余儀なくされた 余談ではあるが、城壁から次々に落下してゆく敵の兵士を魯武守科はゴミのようだと例えた事から このように数で圧倒しようとする戦術は塵壊戦術と呼ばれるようになり 戦術家にとって最も執ってはいけない策であるとされている また、現在の日本で使われている人海戦術はこれが当てる字と意味合いを変えたものである 民明書房刊 『孫子』行軍編より 長い+面白くないでスマソ
>>824 書いたところでお決まりの返事が返ってきて終わり。
どこでもいるだろ?知った顔して偉そうに語りたがる奴が。
476 :
427 :04/04/06 08:59 ID:qUQ2DY7G
うぉー激しく誤爆したスマソ お詫びにもう一本うぷします・・・。
どこに何をうpするのか、はっきり言いたまえ。
478 :
427 :04/04/06 19:09 ID:qUQ2DY7G
(つД`)スマン、忙しくて書けなかった・・・
479 :
467 :04/04/06 20:03 ID:3+LwQW/b
>468 す、すばらしい!!これこそ私が追い求めてきた資料です! しかもあの「納些音頭」が「禅陰襲剛」完成前から既に存在していたとは!! 全く、研究者にとっても趙崇圭には毎回驚かされる事ばかりです。 ともあれ、本当にありがとう!! …しかし本当に民明書房の中で最も売れた本なんじゃないかと思えてきたw >「僕達の好きな趙崇計」
硬派の出版社が大衆に迎合した本出すようになったら終わり。 歴史専門の出版社が新撰組の本出してたりするのを見ると なんか悲しくなる。
男塾に三面拳デタヨー
>480 別に迎合したわけじゃない。かの本のよさが際立っていた、それだけだ。
陳騒団(ちんそうだん) 南北朝時代、南朝最後の王朝は陳であった。 その都の郊外に傍相(ぼうそう)という地区があり、ここに住む若者は気の荒い者が多かったという。 その中には社会に背こうとする者もおり、彼らは集団をつくり自分たちを「傍相賊」と称した。 そして馬で町を猛スピードで駆け回ったり、大きな音を鳴らしながら走り回るなどして人々に不快感を与えた。 中には彼らに共感する若者もおり、集団は増えていったがそれぞれが対立して抗争を繰り返した。 陳朝廷は彼らを捕らえて処罰したが、それでもなお迷惑行為を行う者が少なくなかった。 人々も初めは彼らのことを「傍相賊」と呼んでいたが、 次第に「陳騒団(陳を騒がせる無法者集団)」と呼ぶようになり、蔑んだ。 そして陳騒団は度重なる朝廷の圧迫や撲滅運動により衰退し、姿を消していったのである。 最近になって「傍相の陳騒団」の話が日本でも広く知られるようになり、 「陳騒団」が「珍走団」と書き換えられ、暴走族の蔑称となったことは有名である。 また、この「珍走団」という言葉には、かつて陳騒団が廃れたように 現在の暴走族も消滅してほしいという願望が込められていることは言うまでもない。 民明書房刊「迷惑集団の歴史 〜中国編〜」より。
>>480 趙崇計を知ってるコギャルなんて聞いたこと無いぞ
>472 打留眉守ではなくなってしまいましたが…… ----------------------- 多琉美襲(だるびしゅう) 唐の時代、首都である長安は国際都市であり、東は日本、西はヨーロッパまで さまざまな国の人間が留学や商売に訪れ、絢爛な文化を誇っていた。 当時、ササン朝ペルシャの皇太子が政変のため唐に亡命していたが、その護衛として 共に入国したのが法沙(ほうさ)、ペルシャ名ファルサである。 法沙は精強で名高いペルシャ軍でも名うての弓使いで、唐の都でも右に出る者なしと される猛者であったが、唐皇帝の命を受け彼の身辺を世話していた女性を見初め、正式に 結婚し、息子の法立(ペルシャ名ファリード)を設けた。彼はのちに「有」なる字をもつ。 法立は弓術に名高い父の影響からか、投石術の修行を熱心に積み、十代半ばにして 大唐の精鋭の弓術にも比肩しうる投石術を身につけた。その石は矢よりも速く、 その正確さはひと投げで雁金をまとめて撃ち落とすほどだったという。 彼はペルシャ人のハーフながら正式に軍に入ることを許可され、北方騎馬民族の襲撃では 進んで先陣を切り、その剛猛かつ華麗な投石術は「あまた輝く宝石のごとき美しき襲撃」と 言う意味の「多琉美襲」と呼ばれ、長く唐を守ることとなった。 ペルシャは現在のイランであるが、現在日本の高校野球で活躍している野球選手との 関連は、定かではない。
申し訳ありません、最後に大事なのが一行、抜けていました……。 ---------------- (民明書房刊『大唐を彩った外国人〜長安英雄列伝』より)
あの、『寸怒功(ずんどこ)』を思いつたので、しばしお待ちを。
ある用語を当て字にしてそのまんま直接つかうよりも まず普通っぽい言葉や必殺技を上げて その解説のなかで人物名とかでさらっとうさんくさい当て字を入れた方が いいと思うんだが
溜打後掠(だめだこりゃ) 趙崇圭(ちょう・すけ)の考案した格闘術「努利封」(どりふ)には、横逸手(おういつしゅ)、禅陰 襲剛(ぜんいんしゅうごう)、井囲湯打那(いいゆだな)など、様々な奥義が存在した。溜打後掠も その一つである。 努利封とは基本的に、相手の刃物を封じてしまう技の集大成である。それでもなお趙崇圭に挑む 相手とは、即ち努利封に挑むことを意味する。刃物を無力化する拳法を、刃物以外で打ち破っても それは真の勝利とは言えず、当然の帰結として趙崇圭の敵は数多くの刃物を持っていることが 多かった。 趙崇圭は様々な技で相手の刃物を封じ、隙を見てはその刃物を掠め取り、互いの戦いの邪魔に ならないような所を選んで投げ捨てていたようである。戦いが進めば進むほど、刃物は一箇所に 溜まることになる。 こうして敵から掠め取った全ての刃物を一箇所に溜め終えた後で、最後のとどめ技として放つ 「(刃物を)掠め溜めた後の一打」は、まさに戦いの幕切れ、最後に相応しいものだったという。 現代日本でも、もう成す術も無くなった人が、最後に吐き捨てるように「だめだこりゃ」と呟くのは この溜打後掠が由来であることは明白である。 民明書房刊「僕達の好きな趙崇計・巻の二 努利封大研究」より
>>488 当て字って何?古代中国の凄さを信じられなくて
インチキ呼ばわりするの?これだから素人は…
>488 それはスレ違いだと思う。 『寸怒功(ずんどこ)』 趙崇圭(ちょう・すけ)や彼を慕う武人たちが使った事で有名なこの技の起源はモンゴルの王チンギス・ハーンに使えた力士達が編み出したとも彼の武将の一人が考案したとも伝えられ、 その詳細は今となっては不明だが、モンゴル相撲にゆかりある武技と言う説が有力である。 有名な使い手として民代中期の少林寺にて武名のみならず歌人としても名高い旭上人があげられる。 この技は型は形意拳の崩拳に似ており、相手の長兵(槍などの長い武器)を撃ち砕いてなお寸止めにし、しかしながらその『怒気』をもって敵を負かしたと言う。 後に氷家の若武者がこの技を持って義和団の中で武勇を誇っている。 民明書房刊『僕達の好きな趙崇計・巻の二 努利封大研究』より
下難打雷(かなだらい) ある日、趙崇圭が町に出たとき、一人の青年が数人の男に因縁をつけられ、 金を巻き上げられそうになっているのを目にした。 丁度そこは石段の下であり、趙崇圭は青年を助けるために石段から飛び下り 男のうちの一人の脳天に鋭い一撃を加えたのである。 その男は昏倒してしまい、仲間たちは驚いて逃げ出し青年は助かったのである。 町人はこれを見て「飛び下り、難を雷のごとき打撃で打払った」と言い、趙崇圭を誉め称えた。 そしてこの技は「下難打雷(かなんだらい)」と名づけられ、 趙崇圭はこの技をさらに極め、努利封の奥義の一つに加えたのである。 現在、頭上に金だらいが降ってくるコントがあるが、 それはこの下難打雷が元となっていることは言うまでもない。 民明書房刊「僕達の好きな趙崇計・巻の二 努利封大研究」より
(「僕達の好きな趙崇計・巻の二 努利封大研究」が大好評で、嬉しいような複雑なような・・・)
>>493 スレ違いかどうかは別として(ちなみに漏れはそうは思わない)
ウダウダ言うなら自らやれと。それがネタスレってものだと思う
雁之助師匠が・・・芦屋雁之助師匠がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!
498 :
水先案名無い人 :04/04/09 14:38 ID:Qz/nuLON
史 無拳(し・むけん)
明朝末期の拳法家。若い頃の史無拳は無名で、詳細な記録は残っていないが、
当時「当世随一の武人」と謳われ、皇帝の警護役も務めた趙崇圭(→
>>422 )に
憧れて上京し、縁を頼って趙崇圭の従者となった。
従者時代の史無拳は夜になると裏庭から趙家秘伝の拳法『努利封』の型を盗
み見て、隠れて練習を積んでいた。このことを知った趙崇圭は、史無拳の熱意
と才能を見抜き、特別に史無拳に『努利封』を伝授したとされる。
その後、史無拳は明朝の武官採用試験である「武挙」に首席合格し、大いに
活躍した。
拳法家としての史無拳は『把架投脳(ばかとの)』『変脳耳散(へんなおじ
さん)』といった、相手の頭部を強烈に打撃する殺人的な技を編み出すなど独
自の境地を切り開き、「明に史無拳あり」といわれるまでの一流の拳法家とな
った。
晩年の史無拳は、太極拳の影響を取り入れた『安陰(あんいん)』という技
を研究するなどその情熱は終世衰えることはなかったという。
(民明書房 『中国武官総覧 第2巻』より)
>498 なお、剣士・牟羅(むら)と同一人物であると言う説があるが真偽は定かではない。
難脱帝(なんだってい) 古代中国は唐の時代、貴馬香具師(キバヤシ)という、 皇帝に献上する馬(UMA)の装飾具を作る職業の男がいた。 彼は皇帝の奴隷のような境遇に不満を持ち、一攫千金を夢見て、 伝説の未確認生物が自らの巣を金銀財宝で飾り上げているという 野巣・虎駄無巣(のす・とらだむす)伝説を信じて泰山の山深くに 仲間達と一緒に入っていった。 しかし、そもそも嘘臭い伝説であったためにたどり着けるはずも無く、 愚礼(ぐれい)な人間に襲われそうになったりするたびに、 「アナタは一体、何度私の前に立ちはだかるというのか・・・ 野巣虎駄無巣よ!」とつぶやいたという。 結局10年ほどの年月をかけても何も見つからなかったといい、 「おれたち(人類)は……何もかも…… 何もかも遅すぎたんだ…………」とつぶやいたり 「あきらめない!!それがオレたちにできる唯一の闘い方なんだよ!!」 と切れたりする 彼らに出会った付近の村人は、「自分らが勝手に騒いどいて何を言ってるんだ」と 笑笑会有(えむえむあある)と名づけて笑いものにしたと記録にある。 ちなみにこの話は難脱帝、すなわち「皇帝の徳を脱して(ミステリーを調査するのは)難しい」 という意味の説話で、MMRのナワヤたちが「何だってー(AA略」と叫ぶのは 「編集長あってのMMRだ」という意味もこめられている。 民明書房古代中国研究班MMR(Min-Mei Research)刊 『ここまで来ると、もはや 必 然 …』より
>500 版元が上手い。
>503 38巻な。
>500 それこのスレで3回目だから言っておく。 検索くらいしてから貼れ。
(´・ω・`)ショボーソ もう出てたんだ…
次からテンプレに入れてくれ。
510 :
水先案名無い人 :04/04/14 03:28 ID:N/mjE7f2
亥洛崩塵(いらくほうじん)人質事件 かつて唐の時代、洛陽と並ぶ都・亥洛(いらく)であった事件。 この都の維馬偉(い・まい)、田香董(た・かとう)、江李病(こう・りやま)の3人は 大道芸人として日々修練を積んでいた。 しかし彼等は極めて才能が乏しく、皿回しをいつも失敗して割ってばかりいた。 やがて金が尽き、皿を買う金がなくなってしまった。 そこで彼等は恐るべき策略を考えた。 何と彼等はいつも皿を購入している皿屋の牟蛇緋殿(むじゃひでん)に押し入り、主人を人質にとってしまった。 そして彼等は「我々はよこせと言っているのではない、永久的に皿を貸して欲しいだけなのだ。」と要求した。 牟蛇緋殿の者は一計を案じ、小麦粉を固めて皿に似せ、要求に従ったと見せて偽の皿を渡した。 3人がそれを受け取り手に取ったところ、たちまち皿は崩れ去り、粉塵となって舞い上がった。 これにひるんだ隙に3人は役人によって取り押さえられ、事件は解決した。 この解決策とその塵のようにあっけなく終わった3人の策略をかけて、人々はこの事件を亥洛崩塵人質事件と呼んだという。 現在某国で邦人3名が人質にされるという事件が起こっているが、 この故事とは異なり人質にする側とされる側が逆であるため、巷では自作自演説、 あるいは故事と同じく3人のその浅はかさから自業自得説などが飛び交うなど諸説紛紛である。 なお、いずれも犯人側、人質側、さらには人質の家族までが揃って「自衛隊撤退」を訴えているが、 これはその時人質になった牟蛇緋殿の主人が「辞永代徹貸!」(永代にわたって徹底的に皿を貸すのは辞めてくれ) と叫んだ故事に基づくものであり、決して政治的意図はなく、反日・左翼・プロ市民云々とは一切の関わりがないことを厳重に付記しておく。 民明書房刊「阿琉蛇爺羅伝承録 ―坊主頭と森三中―」より
皿屋ワロタ 森三中てなんか関係あるの?
さしもの民明書房も、ジョジョ立ちについての資料はないでしょうな?
邪夷暗(じゃいあん) 宋の時代、剛田武(ごうでんぶ)という荒くれ者を首領とする盗賊団が世間を脅かしたことがあった。 彼らは自分が気に入った物は手に入れないと気が済まないという性質で、 「お前たちの物は我らの物、我らの物も我らの物」と豪語し、あらゆる手段で人々から物を奪い取ったという。 人々は彼らを憎み、「邪悪・蛮夷・暗愚」の意味を込めて「邪夷暗(じゃいあん)」と呼んだ。 これを重く見た皇帝は、夏亜陳(かあちん)に邪夷暗を撲滅するよう命じた。 夏亜陳は兵を率い、邪夷暗の隠れ家に攻め込み、次々と悪党を薙ぎ倒していった。 首領の剛田武は豪腕であったが、夏亜陳の強さにはかなわず討たれた。 こうして邪夷暗は亡び、世は平穏を取り戻したのである。 現在、ある有名な漫画に「ジャイアン:本名は剛田武(ごうだたけし)」というキャラクターが登場するが それは剛田武と邪夷暗が元となっていることはあまり知られていない。 また、彼はガキ大将であるが、母親には頭が上がらないのは 邪夷暗を破った夏亜陳の名が「かあちゃん」に似ていることに由来していることも付け加えておく。 民明書房刊「中国盗賊伝」より。
『捕毛物(ほけもの)』 呉の時代に王喜土(おうきど)と呼ばれた少数民族がいた。 彼らは物巣多棒(ものすたぼう)と言う道具を使い小動物を狩ったり、捕獲し家畜にして生活をしていた。 この行為、または捕らえられた小動物の事を人は「捕毛物」と呼んだ。捕毛物を「捕獣」と表記しないのは、 哺乳類以外の生物、すなわち爬虫類、鳥類、昆虫、これらの生物も対象になっていたからである。 (鉱物などを捕獲すると言う一風変わった話もあるが、それが本当かは定かではない。) そのような風習が廃れてきた頃、物巣多棒を使い個人で捕毛物を行う遊びが流行した。 それらの流行の噂を耳にした当時の王、妊天道(にん・てんどう)がこれを面白がり、 「全国で捕毛物同士の決闘の大会を行う、そして一番強い捕毛物を決める」と発言した。 これにより一気に捕毛物をする者が増え、各地で決闘をするものが絶えなかったと言う。 この大多数で大会を開く事は難しいので、全国にある八つの寺務(じむ)で捕毛物の予選を行い 勝利者だけに与えられる特殊な撥(ばち)をすべて手にしたものだけが大会に参加できるよう制限した。 人々はこれらの権利を持つもので行われる大会の事を「捕毛物離囲倶」(ほけものりいぐ)と呼ぶ事にした。 これは大会本部が所在する石英(せきえい)という小さな町がが人里離れ、周りを山に囲まれている事からこの名前がついた。 そして、捕毛物四天王を見事に下し初代捕毛物王者となったのが王喜土の孫、赤(せき)またの名を悟氏(さとし)である。 この捕毛物王者の事を人々は捕毛物増汰(ほけものますた)と呼び、その名は代々語り継がれるのであった。 現在、携帯遊具のゲームボーイアドバンスでポケットモンスター、通称ポケモンが子供をはじめ、 いろいろな人に爆発的な人気があるが、このポケモンと言う言葉は「捕毛物」から来ている事はいうまでも無い。 このソフトの販売会社と当時の王の名前、捕毛物を捕まえるときに使用される物巣多棒と ポケモンの中でポケモンを捕まえるときの道具の名前が似ている事もなんらかの関係があるのだろう。 この販売会社の中に捕毛物に非常に詳しい人がいたものだと思われる。 民明書房刊「未確認小動物史〜最高の個体値を求めて〜」より
517 :
水先案名無い人 :04/04/16 09:06 ID:4cjurTzV
あげ
518 :
427 :04/04/16 11:44 ID:njaVa5F9
慈庵所(じおじょ) 後漢のころ、多発する騒乱(例:黄巾党の乱、十常侍の暗躍等)に対し朝廷は無力であり、 各地で官軍は苦戦し、疲れ果てていた。 三国志の英雄として名高い、劉備が関羽・張飛とともに黄巾党と対峙した際、 多くの捕虜を捕らえたのだが、彼らは雑軍ゆえに満足な装備を持たず、捕虜に対して十分な食事を与える事が出来なかった。 この時張飛は「捕虜なぞ皆殺しにしてしまえ」と息巻いたが、 劉備は「民のためを思い立ち上がった我々がそのような事をしては、人心は離れていくばかりだ」と張飛を諭し、付近の村から必死に食料を分けてもらって回ったという。 黄巾党の乱鎮圧後解放された捕虜達は、この劉備の行動と言葉に心動かされ、民のために働くようになり、各地に皆が米を持ち寄り、貧しい人々のために施す場が設けられた。 これが慈しみ(いつくしみ)を施す庵(いおり)、慈庵所(じおじょ)である。 現代において、荒木飛●彦氏の漫画「ジョジョの●妙な冒険」第一部は、産業革命期のヨーロッパが舞台となっているが、氏によれが 「もともとは横山●輝さんみたいに中国の歴史のなかで石仮面の話を書きたかったんですよぉぉぉぉぉぉ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨」 と、この「慈庵所」で育った貧しい少年を主人公にした話をスタートさせる予定だった。 しかし集●社との折り合いがつかず、やはりヨーロッパを舞台にしたストーリーに泣く泣く変更したという。 主人公に「ジョジョ」の愛称が残ったことや、氏の描く人物がどことなく中国拳法のような奇妙なポーズを取ったりするのは、 深く横山氏を尊敬していた荒木氏の心の表われなのかもしれない。 民明書房刊「三国志サイドストーリー」より (つД`)横山光輝さんが亡くなりましたね・・・ご冥福を祈ります・・・。
『磁鉄塔呂保』 河北省、横山(おうざん)に住まう仙者、光輝(こうき)が記したとされる長編小説。 古代中国を舞台に、九大天王と十傑衆なる仙人・超人達が秘術、妖術の限りを尽くして 死闘を繰り広げる最中、一人の少年が最終兵器とも呼べる巨大な宝貝を手にし、様々な 出来事を通じて成長してゆく様を描いた傑作である。 この宝貝は磁鉄鉱で出来ており、まるで塔のように巨大で、少年の「呂」(中国の音階論の 基本となる五声または七声)にのみ反応し、危険より彼を保つ。 それ故に「磁鉄塔呂保(じ・あいあん・とう・ろ・ぼ)」と呼ばれた。 本来ならば中華四大奇書(水滸伝、三国演義、西遊記、金瓶梅)にこれを加えて 五大奇書となるはずであったが、横山を全焼する山火事によって原書は紛失。 数少ない写本も長い戦乱の中で失われ、原書を元に創作された偽書が長い間 流布されてきた。 (かく言う筆者もこれが原書だと思い込んでいた一人だった) しかし驚くべき事に、遠く海を隔てた島国において、この幻の奇書は復活を遂げるのである。 復刻に成功したのは遠州守護職の名門今川家一門の武将、今川 泰宏。 彼は古今の書画に通じ、特に光輝の作品の翻訳、復刻に強い意欲を持って取り組んだ。 そして膨大な年月と苦労の末ついに、全十一編の中の一話『央華が静止した日』の復元に 成功したのである。 泰宏の偉業は時の朝廷からも認められ、後に彼は「磁頑駄無(じー・がんだむ)」の編纂を 任される事となる。 残念ながら、泰宏が残り十編の復元に成功した、という記録は今の所発見されていない。 しかし近年、泰宏が光輝のもう一つの傑作「鉄人弐拾八號」を復刻していた事が判明し、 その公開が待望されている。 民明書房刊「書の鉄人・光輝〜ロボットから魔法少女まで〜」より
いまコミックスがなく確認できないので教えていただきたいんですが 民明書房の書式レイアウトは下記のものであってますか? 時によって書式が変わっていていつも同一ではないのかも知れませんが 一般的な書き方が知りたいです。 『ああああああ』 ************************ ちなみに、******************** ( 民明書房刊 「★★★★★★」 より )
>520 だいたいそう。 「ちなみに」の代わりに「なお」を用いることもある。 最後は「かどうかは定かではない」「と言う説もある」「であることは想像に難くない」「と言う説ではないのは言うまでもない」
522 :
520 :04/04/17 00:28 ID:2ycGCYOw
どうもありがとうございました。
少林蹴球(しょうりんサッカー) …で書こうとしたけど、よく考えたらあれ自体 素で男塾に出てきてもおかしくないよな。
佛腐麩(ふっふふ)
中国殷代にあったという伝説の食品。
その味は大変に美味で、一口食せば天にも昇る気分になると言われた。
そこから、とても幸福な状態のことを「佛腐麩(ふっふふ)を食べたように幸せだ」「佛腐麩(ふっふふ)最高だ」
などと表現するようになり、いつしか素晴らしいことそのものを表す代名詞になった。
現在でも、2ちゃんねるなどで時折面白いネタが見られると、
「フッフフ、まったく恐ろしい
>>1 を持ったもんだぜ」
「フッフフ、だが奴は我等2ちゃんねらー16厨房にあって一番の小物…」
などと書き込む住人がいるのはこの名残である。
ちなみに某燃える闘魂の漢の名セリフ「最高ですかー!!」は、
本来「佛腐麩(ふっふふ)ですかー!!」だったことはあまり知られていない事実である。
民明書房刊「笑っていい強敵(とも)」より
>525 男塾の世界では少林寺レベルでは小物扱いなのよ… まぁそれでも宝竜黒連珠よりは強いと思うがw
>>528 アメリカ大統領を暗殺しようとして返り討ちにあったんっだっけ?(違)
『羅無頭増流党風哀手印愚亞鐸』 字面から推測すると どっかの宗派が愚者を手で殴るのは哀しいから銅鐸で殴ってたみたいだ
>532 暗殺の場所の選び方を間違ってるだけだよきっと! 大統領が1人で、銃も持たずに居たらチョロイさ!
>533 そこまで好条件ならオヤジ狩りのガキにでも暗殺できるわw つーかジャンプ連載時から思ってたけど、全く『暗殺』に向かない技ばっか なんだよな<宝竜黒連珠 必殺仕事人を見習えw
>534 暗殺といいう題目で曲技を行う興行師の集団だもん
537 :
水先案名無い人 :04/04/23 01:08 ID:UvtRSpac
538 :
水先案名無い人 :04/04/25 07:58 ID:jOxOgfOc
夜無茶(やむちゃ) 中国後期にいたとされている伝説の武道家 外敵の襲来がやむことの無い中国後期は夜無茶なるものが 幾多もの敵を返り討ちにしていたのは史実でも書き残されているように言うまでも無い。 しかし、夜無茶は無類の女好きであったため修行をせず女遊びをばかりしてどんどん堕落していった。 また、外敵が強くなっていくにつれ夜無茶では対応しきれなくなった。 そこで夜無茶は殺される前にやられたふりをすると言う苦肉の策を思いついた。 この策は成功し早くやられたふりをし、相手から笑いを取ることによって夜無茶は定年まで生き残る事ができた。 (この戦法が現在のお笑い芸人のボケのルーツになっていることはあまり知られていない) しかし民衆からはこの戦い方は馬鹿にされ、この戦法を民は漏我風封拳などと罵った。 夜無茶なる名前の由来も、民衆が「夜は無茶をする男だが戦場では役に立たない男。」と、 皮肉った事が夜無茶の名前の由来になったと言う伝えも残っている。 現在の人気漫画ドラゴンボールのヤムチャなるキャラクターが この夜無茶から来ているのは中国では良く知られている話である。 民明書房刊「今明かされる伝説の武道家」より
539 :
水先案名無い人 :04/04/27 21:01 ID:/dMPmmkI
ほしゅ
反通杯手内(ぱんつはいてない) 宋時代の北宋山水画全盛期、主流の水墨画とは異なり 多種の絵の具を多量に使用した絵画様式が生まれた。 この様式は赤や緑系統を常用し、人物画の背景として花草が萌えいづる様を 好んで描いたことから萌絵(もええ)と称された。 これらの品評会では、賜杯に”通例に反する”という意味の 「反通(ぱんつう)」という名が与えられた。 第1回反通杯の優勝者、骨栄(こつえい)は賜杯授与の際、高らかに 「反通杯、手の内にあり」と叫び、新たな文化の発現を宣言した。 これを賞して骨栄作の絵画を目にする時は決まって 「ぱんつはいてない」と唱える決まりが自然に定着した。 なお、現代においてもインターネットの検索エンジンで同単語を検索すると ページ中でそのようなことは一言も触れていないはずのサイトが回答されるが、 げに恐ろしきは古代中国の慧眼というほかあるまい。 民明書房刊「中国下穿事情」より抜粋。
あの人の絵は一応ぱんつはいてる。 はずなのにね。
つーを飼いたいんですが・・・・
http://aa3.2ch.net/test/read.cgi/aastory/1070093367/106/ ┌――――――――──―――――
|つー (学名パブロ・ディエゴ・ホセ・フランチスコ・ド・ポール・ジャン・ネボムチェーノ・クリスバン・
│ クリスピアノ・ド・ラ・ンチシュ・トリニダット・ルイス・イ・ツー)
│【スーパースター・カー・ウォッシュ目ア・ボーイ・ネームド・グー科】
│特徴 まれにスタンドを持って生まれてくる。
| 包丁は生まれたときから持っている。トオモワレ。
| 雌雄は理解不能。
| 雑食。
|性格 理解不能!理解不能! しかし同種族では理解『可』能らしい。
|類似AA しぃ系AAッポイノ
|口癖 アヒャと同じ
|使用言語 2ch語、勹廾千ュ―語、ジョジョ語、どせいさん語、キリル言語、ヒンドゥー語、豆一族語
|その他 slaughterコピペの的となるがそんな便器に吐き出されたタンカスどもは(一部を除いて)無視したらよかろうなのだァァァァッ!!
|引用文献 ジョジョの奇妙な冒険(荒木飛呂彦)、憧れのパッショーネへの道〜ボスの黄金体験〜(汐華初流乃)、
| ギャングスター入門(パッショーネ)、スピードワゴン油田発見への道(SPW財団)、コロッケの美味しい食べ方(東京擬古大学 ギコ教授)
| 私はこうしてグーグードールズが好きになった(コロ(ry)、祝福しろ(著作者不明)、旅行するなら日本のここベスト100(民明書房)
| ピンクダークの少年(岸部露伴)、五体不満足(Z武)、ロケットで突き抜けろ!(キユ)。
|※()内は作者
|
|……………………………………………………
└─――──―v―――――───
∧_∧
( , 、)
/⌒ ⌒ヽ
/__l⌒l⌒ト ヽ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
 ̄ ̄ ̄ ̄(__、_彡`ミ__,_) ̄ ̄ ̄| ∴ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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阿麗普画龍闘(あれいふがりゅうとう) 漢の時代に蕗杜(ろと)という画家がいた。 彼は、まるで怒っているかのように筆を振り下ろしつつも美しい絵を描く 怒落絵(どらくえ)という画法を編み出し、高い評価を得ていた。 これを知った時の皇帝、融帝(ゆうてい)は蕗杜を宮殿に招き、龍の絵を描かせた。 蕗杜は荒々しくも美しい筆さばきで、猛々しい龍を描き、この絵を「龍王」と題した。 融帝は龍王を大変気に入ったが、龍に瞳が描かれていないことに気づいた。 これに対して蕗杜が言うには、瞳を入れると龍は生命を持ち、絵から飛び出てしまうのだという。 融帝は半信半疑であったが、特に手を加えることもなく宮殿内に龍王を飾った。 それから暫くたったある日、宦官の須来無(すらいむ)が興味本位で龍に瞳を書き入れたのだった。 すると蕗杜が言った通り、龍は絵から飛び出し、たちまち巨大な姿となり、 町を荒らして東の山へ飛び去ってしまった。 激怒した融帝は須来無を誅し、阿麗普(あれいふ)や努武洞(どむどう)らといった 優秀な武人たちに龍を打ち倒すよう命じた。 すぐに彼らは東の山へと向かい、龍と戦った。 激しい戦いで努武洞は戦死してしまったが、阿麗普の奮闘によって龍は敗れ そして、絵の中に再び龍の姿が舞い戻ったという。 以後、この地は阿麗普が絵から飛び出た龍と戦った場所ということに因み、 「阿麗普画龍闘(あれいふがりゅうとう)」と呼ばれるようになったのである。 現在、「アレフガルド」という地に現れた悪の化身、竜王を倒すというゲームがあるが それはこの伝説が元となっていることは意外に知られていない。 また、このゲームに登場する「スライム」という魔物の名が須来無の名に由来することや 魔物に滅ぼされる「ドムドーラ」という町の名が戦死した努武洞の名に由来することは言うまでもない。 民明書房刊 「世界の龍伝説〜中国編」より抜粋
ステルスとか先行者とかキボンヌ
548 :
水先案名無い人 :04/05/02 15:55 ID:OszLRnuy
赤子次螺【あかごじら】、上手くできない
師馬(しま) 隋時代に活躍した馬(ま)は、幼少のころから球状の岩を投げることに関して才能を発揮し、 師馬(しま)として民衆の尊敬を集めた。 その実力を評価した華阿府(かあぷ)地方において役人として登用されるも、怪我を負ってしまい、 高い素質をくすぶらせていた。 後年になって華阿府に盗賊がはびこった際に、抜斗(ばっと)といわれる棍棒を手にとって立ち向か い、秘められていた実力を存分に発揮する。 隋の国を護った師馬は、赤く燃え盛る炎のような活躍ぶりから羅漢に喩えられ、赤護隋羅(あかごず いら)の称号を得ることになるのであった。 ちなみに、広島東洋カープに在籍する嶋重宣選手の愛称のがここから来ているのは、 あまりにも有 名な話である。 民明書房刊 『中国の復活者たち』より
>>550 テキストエディタからコピペにあたり、改行などが狂ってしまった。
偉奴豊(イヤツホウ) 後漢末期、黄巾の乱の際に西涼の牧 董卓 に従った武将偉奴豊は 董卓の無理な命令により黄巾の軍勢十万に包囲された。 自軍の将兵は僅か千にもみたず、董卓軍本軍に救援を依頼したが 董卓は偉奴豊の軍もろとも黄巾の兵を破ろうと火計を行った。 何処にも見方が居ないこの状況に偉奴豊は破れかぶれで奇声を上げながら 中央突破を試みたところ多大な損害を被ったものの生還することに成功したという。 このことから全てが敵の状態下でそれを打破しようとするものの叫びを彼の名を取り イヤツホウと呼ぶようになった。 現代日本においてジャンパイアという存在に絡みイイイイイイヤッホオオォウウウウウウウゥゥゥ 等と叫ぶのはこの流れがあると思われる。 民明書房刊 『中国隠れたる名将・知将・猛将列伝』 より プロ野球板より、一部形式を変更して転載
モンゴル出身の強兵 怒龍児(どるじ)に関する文献を探しています。 どなたかご存じないでしょうか?
棲手琉素(ステルス) 時の流れが神話から歴史へと動き始めた時代。 黄帝が死して数世代経た古代中国、紀元前8000年辺りに、 超巨李芭駆撃なる策を考えた軍師がおり、それを用いて連戦連勝を重ねた。 己が才に驕り軍師は主君を手にかけ、外道となり国を手に入れる。 主君に篤く忠誠を示した武将はそれを許さんと挙兵をするが、 超巨李芭駆撃を破る事は出来なかった。 そう、超巨李芭駆撃は霊堕蛙という毒蛙を用いた戦技であり 単純且つ多様な変化を見せる恐るべき策であった。 しかし武将は考えに考えとうとう棲手琉素なる遁策を思いつき、 軍師その者撃破せしめた。 米ソがこの史書を亀甲から読み取りそれを参考にした事は言うまでも無いが、 棲手琉素の極みたる棲手琉素冥賽(ステルス迷彩)を記した甲骨は未だ見つかっていない。
555 :
水先案名無い人 :04/05/03 20:50 ID:c6CV81+l
「ステルス」って今号掲載の?
先行者 人間が地形を書き記し情報として流通させる事を覚えた直後は 世界は闇と危険に包まれていた。 しかしそれらを前にしても人間は未踏地への渇望をとめることは出来なかった。 成人、宗教の儀式といった形で地図製作は行われていたのだが、 いかんせん文明が発達しておらず、食料や水の問題が常に死を呼び寄せていたので 遅々として地図は埋まらなかった。 そんななか、古代中国の地家の奔りである魂家は現状を打破せんと一世一代の賭けに出た。 馬賊のように放浪して地図を描く旅に出たのだ。 その旅は苦難を極め一人また一人と倒れていき、とうとう魂家は伝説のものとなってしまった。 時は流れて夏王朝の時代、小さなキャラバンが天子を訪ねた。 そのキャラバンの長は涙を流して周辺の地図を作り終えた事を語る。 天子に先に行ったが倒れしもの、先行者の慰霊碑を建てて欲しいと伝えに来たのだ 伝説の魂家の長の頼みと会っては断りきれず、夏碑の中でも人型の立派な物が建てられたそうだ 兵馬俑の源流である事は言うまでも無く、先行者という名のロボットがこの逸話を汲んで 名づけられたのも当然の事である。 なお一時期、日本を沸かせたウィザードリィの地図製作も我々モンゴロイドに流れる、 熱き血潮が成したものであろう。 民明書房刊 はいっ地ー図!!〜等高線は死体の数〜より抜粋
陀婁備種(だるびしゅ) 中国の架空の生き物として龍と並んで有名なのは麒麟であるが、 かつては中国にも現代でいうキリンそのものが生息していたことはあまり知られていない。 中でも東北地方に存在した陀婁備種(だるびしゅ)と呼ばれる種類のキリンは、 鼻水を飛ばすことを得意としており、その威力は岩にも風穴を開けるほどで、 肉食動物などから身を守る手段にしていた。 人間もしばしばこの鼻水の一撃で命を落とすものがあり、大規模な駆逐が行なわれて絶滅してしまった。 現在、日本の東北高校にダルビッシュ君という首の長い選手がいるが、 この絶滅した陀婁備種キリンの怨念が宿ったものかは定かではない。 民明書房刊「動物珍プレー・好プレー大全」より
559 :
ごきぶり :04/05/04 21:23 ID:yafd28EJ
抜毛度名乗霊度(ぬけどなのれいど) 明王朝末期、中国各地では婦女子に対する暴行が後を絶たなかった。 しかも中には精力絶倫であり尚且つ並みの兵隊百人は軽くひねる強姦まで 現れ、人民達は恐れ慄いていた。 事を重く見た時の皇帝は遥か西の国【亜米利加】より極秘に仕事人を 雇い、これに強姦を退治するよう命じた。 この仕事人こそかの有名な格闘家、抜毛度名乗霊度である。 彼の格闘家としての実力は折り紙付だったが、呪術に関しても博識だった。 中でも凄まじかったのが主に屈強で精力絶倫の強姦に対して使用された術 「緒前裸緒藻手屁出露」である。 この術は聞いた相手の一生分の精子をその場で全て搾り出し、体力を瀕死 寸前まで落とす術だった。 勿論効果は万全で、この術により中国全土に居た強姦の八割は彼により 成敗を受け、強姦は少なくなった。 しかし、強姦とその場に居た無関係の一般の男達にも効果があった為 彼は止む無く【亜米利加】に返される事となる。 尚、現代において大手掲示板・2ちゃんねるに彼の肖像画が度々目撃 されるのがある学者は2ちゃんねるに彼の後継者が度々訪れ、先代の 存在と偉業を伝える為に書き込んでいるのでは無いかと語っている。 民明書房刊「広大なる中国に渡った異国の拳法家」より
我王慨画(がおがいがー) 漢の時代、義耶礼御(ぎや・れおん)と呼ばれる絵描きがいた。 その者が描く絵は非常に細かく、かつ美麗で、皇帝も余りの美しさに呆ける程であった。 その噂を聞き、我王と呼ばれる暴れん坊が自分の自画像を義耶礼御に描けと脅した。 ちなみに我王の姿は、身の丈は今の大きさで言うと2メートル以上もあり、 太く逞しい腕に、黒く日に焼けた肌、そして歯軋りが癖で、いつも歯軋りをしていたという。 その姿を忠実に義耶が描いた所、自分の姿を今まで見たことの無い我王はたいそう憤慨し、 怒り狂って三日三晩もの間、暴れたという。後にその姿は破壊神とまで揶揄される程となった。 そしてその後、その絵は「我王を憤慨させた絵画」、つまり我王慨画と呼ばれるようになった。 現在、日本のアニメに「ガオガイガー」というアニメがあるが、これは原作者の矢立 肇が、 この話を元に作った作品であると言われている。
561 :
水先案名無い人 :04/05/05 06:36 ID:3bq85b3f
新作ラッシュキタ━━(゚∀゚)━━!! 中々の秀作揃いですねー。 できたらでいいんですが、弐茶運寝流(にちゃんねる) これリクエストしたいです! べつに漢字は指定してませーん(・∀・)
弐茶運寝流(にちゃんねる) 漢の時代、刺激を求める若者男女の間で流行した茶道。 二つのお茶を出し、当りであれば運良く寝ることが出来るというもの。 当初眉もひそめていた大人たちにも徐々に認知されるようになったという。 弐茶運寝流宗主の疲労逝(ひろゆき)の格言 『嘘を嘘であると見抜くのは難しい』は、若い女を自分のものにしようとした際、 見事に出し抜かれてしまい思わず発した言葉として語り継がれる。 なお、弐茶運寝流に麦茶は禁じ手となっているが、その理由は麦茶を出して失敗し 相手を惨殺してしまった○○○○(一部自主規制)なる人物に起因するという。 その後、風紀の乱れを理由に政府が弐茶運寝流禁止令を出したことから衰退。 ごく一部の人間のみに伝承されたという。 現在、2ちゃんねるという巨大掲示板が存在しているが、管理人がこの流派の 存在を知っていたかどうかは定かではない。 民明書房刊 『中国遺跡的風習大全』
奔鬼気(ポンキキ) 古代中国の周王朝時代、当時の王は精神を病んでいて極度の人間不信に陥り、 次々と罪の無い民や部下達を処刑していく手がつけられない有様であった。 軍師である我智安品(ガ・チアンピン)は王に処刑されようとした時、 遠い故郷の親族に別れの挨拶に行くため、王に無二の親友である武句(ムク)を 人質として預け、必ず戻ることを条件に暫くの間自分を解放して欲しいと申し出た。 王は智安品が約束を破り、武句を見捨てて逃げる事を確信した上でこれを受け入れたが、 智安品は約束通りに決められた期日までに戻ってきた。 智安品と武句の固い絆にうたれた王は、それ以来罪の無い人々を殺すことを 止めたと言う。 智安品が約束を守るため遠い故郷から王の元へ鬼気とした様子で奔った事から 名付けられたこの美談、奔鬼気(ポンキキ)は中国だけでなく、昭和の文豪である 太宰治を通して現在の日本でも語り継がれている。 ちなみにフジテレビの子供番組「ひらけ!ポンキッキ」は、この物語を元に作られており、 タイトルの「ひらけ!」という掛け声は、智安品が王の城に辿り着いたときに 「(城門を)開け!」と叫んだ事と、智安品と武句の友情が王の心を開いた事が掛けてある。 民明書房『古代中国の美談』より
564 :
水先案名無い人 :04/05/05 18:48 ID:3bq85b3f
>>562 さっそくリクに応えて頂きありがd!
テキトーな漢字当ててみただけなのに、見事っすw
>>563 辻褄が合いすぎてて笑えましたw
間裏見手(まりみて) 殷代後期、湖張富(こばると)という地に乙諭紀(おゆき)という占い師がいた。 乙は、意識の間の中で未来を見て、起きた出来事を手の裏に書いていた。 それはいつからか乙の行為から間裏見手と言われるようになった。 乙の間裏見手は百発百中であり、この噂を聞いた紂王は、乙に殷の未来を見てもらうように命じた。 だが、出た結果は殷の滅亡だった。乙は生命の危機を悟り、間裏見手の結果を書いた書物を全て焼却し、旅立ったという。 その後の乙の行方を知るものはいない。 だが、発掘によりその一部分が発見された。その内容は、「百合物語が東の島で注目される」という内容である。 現在。我が国で流行している百合小説のタイトルは「マリアさまがみてる」。それを略すとマリみてと言う。さらに作者の名は今野緒雪。 乙はこの流行すらも見ていたのであろう。 民明書房刊 「大河曲がっていらしてよ」より
本のタイトルが面白すぎるw
567 :
水先案名無い人 :04/05/06 09:09 ID:pa9gdqlq
亀霊好(カメレス) _| ̄|〇だめだ・・・思い浮かばん!
>567 古代中国で記されたとされる、怪異、妖怪の大全集「仙海経」 この万物の妖し(あやかし)を著す古文書に亀霊の名を見ることができる。 されど、この怪の詳細は記されてはおらず、ただ一エピソードがあるのみである。 「亀霊好」 亀霊(きれい)は千の夜と千一の昼に一回の呼吸をする大亀である。 この亀甚だ長寿なり。 ある時貝取りの海女、海底に亀霊を見ゆ。 その日稀なる事に八千年に一度の亀霊の脱皮の時であった。 村人総出て皮(甲羅の)を得、二十日煮込み食す。 村人皆甚だ長寿となる。 記されているのはここまでだが、伝説には続きがある。 時の皇帝はこの話を聞き私財のすべてをなげうち、偏執的なまでに追い求め、ついに亀霊の皮を手に入れる。 しかし、長寿を得たものの皮肉な事に動きまで遅くなってしまった。 八里を八年かけて歩き、一日息を吸い続け一日吐き続けるようになってしまい、もはや人として生きる事ができなくなった。 この古事から動きの遅い人を指して「亀霊好」と呼ぶようになった。 日本にこの話が入り、転じて「かめれす」と言うようになったのは想像に難くないだろう。 民明書房 「明石先生の法螺話」 より転載
569 :
水先案名無い人 :04/05/06 14:11 ID:hDman3Ac
推敲しなかったから民明っぽくないや…
570 :
水先案名無い人 :04/05/06 17:13 ID:pa9gdqlq
>>568-569 いやいや、あんたすげーよホントにさ。
やっぱ歴史とかやってるんですか?
勝負恩(しょうぶおん) 邪気印(じゃきいん) 漢の時代、王朝を中心に一対一の決闘が広まった。 それはあくまで力の優劣を競うものであり、相手の命を奪う事は良しとされなかった。 その際の互いの命を思いやる心は「勝負恩(しょうぶおん)」と言われ尊いものとされたが、 敗者はその手心にやりきれない思いを抱くのが常であった。 現在に於いて残念・無念の意を表す場合に用いられる「ショボーン(´・ω・`)」が 勝負恩の訛った物であるのはあまりにも有名である。 また決闘に敗れた者の多くは、勝負恩の精神に対して負の感情を抱いた事を恥じた。 彼らは半紙に墨で「邪気引(じゃきいん)」と書き、その心に生じた闇を払ったと伝えられている。 これが長い年月を経て「シャキーン(`・ω・´)」となり、 自らを勇気付け、迷いを振りきる際に使用されることとなった。 民明書房『深層心理に潜む善と悪』より
写眼留(シャメール) 古代中国において「裸婦の淫らな姿」を描いた図利寝侘(ズリネタ)が 様々な絵師によって描かれ、それは容姿に難のある男や貧乏な男など 女に縁のない男たちの自慰行為に使用されていた。 そうした中で、より刺激的な図利寝侘を求め、演劇女優や政府高官の 女たちなどの淫らな姿を描くべく、宮殿に無断で侵入する絵師も現れ、 女たちの着替えや性行為などを覗き、図利寝侘を描いていた。 だが、覗きながら図利寝侘を描くのは通常1時間程度を要したことから、 やがて、この行為が周知のものとなると、数多くの絵師が警備の人間に よって捕らえられ、時の皇帝によって残虐に処刑された。 そんな中、女たちの姿を一瞬で正確に網膜に焼きつけ、それを後から 紙に描き出すという技を持つ、写眼留流(シャメール流)の絵師たちが 現れた。中でも師範の侘 師絽(ター・シーロ)は、わずか0.5秒で 映像を網膜に焼付けて、それをキャンバスに完璧に再現できたといわれ、 その技を生かして、男たちに数多くの良質な図利寝侘を提供しつづけた。 現代においても、階段等の場所で携帯電話のカメラを用いて婦女子たちの 下着を下から撮影して、それを写メールで送信する行為が行われることが あるが、その者たちが侘 師絽師範の血を引くものであるかどうかは 定かではない。 (民明書房刊:「覗きこそ我が人生」より)
573 :
水先案名無い人 :04/05/07 08:36 ID:He7K7w/T
>>571 (´・ω・`)ショボーン(`・ω・´)シャキーンにそんな歴史が
>>572 タ・シーロ氏!ハゲワラタ
575 :
水先案名無い人 :04/05/08 01:04 ID:CzL9ShMv
濃安岳和我血 古代中国に存在した仮面民族「斬日凡」が民族内闘争により分裂した。 その後、民族の一部が濃安岳(現在の三澤山)へ移住したときに その緑の映える木々の美しさに感動し 「濃安岳和我血(濃安岳は争いで怒りくるった我が血を和ませてくれる、の意)」 と叫んだという。その後、争いにより焼け爛れ禿山となった 武道山に残った残りの「斬日凡」民族が濃安岳の緑の木々を羨み何度も攻撃を仕掛けるが、 そのたびに「濃安岳和我血」と叫びながら闘った。 その気味の悪いほどの団結力と自信により 他民族の攻撃は次第になくなっていったといわれている。 民明書房刊『猪木盆場家 IN闘強導夢 番外編』より
>>575 「ノアだけはガチ」か。
読み仮名つけてくれ、な?
虹スキー 世間一般ではこの言葉はごく最近発生したものという認識が強いようであるが、 実際にはこの言葉のルーツは江戸時代まで遡ることになる。江戸末期、春画を収集しつつ夜の 共として楽しむ行為が多くの人々の間で流行していた中、最もそのことに熱心だったのが、 虹州 木田蔵(にじす きだぞう)という春画収集家であった。彼はいつしか、春画を単に収集する ことでは飽き足らず、自らの手で春画の技法を習得、それらを販売することを試みた。およそ7年後 には彼の作品が多くの春画愛好家の注目を浴び、巨万の富を得るまでに至ったという。 この「虹スキー」という言葉はまさしく彼の名に由来するものであり、また現代日本において全国各地で 多くの虹愛好家たちが集うコミケ等のイベントが普及するようになったのも、彼の大いなる功績による ものであったことは賢明なる読者諸君の推察通りである。 民明書房刊「二次元愛好列伝」より抜粋
毛髪針弾(モウハツシンダン) 戦国時代の日本においては、戦に勝利するための 様々な格闘術や戦闘術が考案されていたが、 その中でもひときわ異彩を放つ奥義として注目されたのが この「毛髪針弾(モウハツシンダン)」である。 この奥義の要諦は、己の毛髪に「氣」を送り込み、針のように 硬直化させ、それを気合とともに飛ばし相手に突き刺すことである。 忍者の間では、毛髪に毒を塗ることにより暗殺術としても使用され、 その効果の大きさから武士をはじめ戦に携わる者にとっては 必須の格闘術とされており、修行に励むものも多かったと言われる。 この時代の男子の間では「ちょんまげ」が一般的な髪型とされていたが、 それは、この奥義の使いすぎによって抜けてしまった頭髪をごまかす ためのものであったことは明白である。 現代の日本では、治安の悪化により犯罪に巻き込まれる危険性も増えたため 護身術として、若者の間で注目されるようになってきており、その過酷な修行の 結果として頭髪が薄くなる者も増えてきたと言われる。 毛髪針弾は、その奥義の性質上、頭髪がなくなれば即、使用不可能と なるため、頭髪の量を維持し、硬く太い毛にすることが重要な条件となる。 そのため、亜出乱巣や、利威武二十一などには、増毛、育毛に励む、 毛髪針弾の使い手たちの姿が数多く見られる。 (民明書房刊:「No-More・・・悩み無用」より)
実捕杵心社(じっぽしょしんしゃ) 中国武術の特色として多様な武器の種類が挙げられるのは、読者諸兄も周知の事であろう。 多くの武器のカテゴリの一つに、打兵というものがある。読んで字のごとく、打撃により ダメージを与えるものの総称で、棍棒や斧がその代表だ。変わった所では、柄の先に 鉄球の打撃部を取り付けた錘(スイ)、錘の打撃部に無数のトゲを植え込んだ狼牙棒、 柄の両端に楕円球状の打撃部(トゲ付き)を有する杵(ショ)などがある。こうした武器は 厚い金属鎧の上からでも、敵兵の肉を潰し骨を砕くことが可能なため、重装騎兵が軍の 中心だった宋〜元代にかけて大いに用いられた。
さて、北宋中期(11世紀半ば)、この打兵の使い手に実捕(じっぽ)という達人が現れた。 彼と門人達は前述の杵(ショ)を得物とし、隆盛を誇った。その奥義は独特のもので、まず未熟な 初心者のふりをして敵を油断させる。ついで全く前後の脈絡がない、挑発ともとれる淫語を発して、 相手を動揺させる。そうして生じた隙を突き、敵の急所に渾身の一撃を叩き込む(鎧の装甲の関係から、 下半身を狙う場合が多い)という、心理的な罠と早技を組み合わせた秘術であった。実捕その人や 師範クラスともなると、敵の後ろに瞬時に回りこみ、背や尻に痛烈な突きを見舞うことすらあったという。 この流派は、創始者の名の実捕、さらに「杵ニテ心ヲ捕ラフ(杵でもって敵の急所を撃つ)」というところ から「実捕杵心社(じっぽしょしんしゃ)」と名乗り、一種の結社を組織して鍛錬と奥義の伝承に努めた。 野太い杵の一撃を敵の急所にぶち込むという彼らの戦法は、非常に恐れられたものの、その技が 後世に伝えられることはなかった。遼、金、さらには蒙古といった北方の異民族王朝との激戦で、 多くの使い手が命を落としたためである。北宋の後を継いだ南宋の滅亡とほぼ同時期に、彼らの 名も史書から姿を消している。 余談ではあるが、現代の2ちゃんねる・ガイドライン板において「ZIPPO初心者」なるものが 見受けられる。ここには上記「実捕杵心社」のあり様を暗喩するかのような記述が存在しており、 両者の関連が偶然のものなのかどうか、今後の研究が注目される。 (民明書房 『中国武器武術史大全 宋・遼・金編〜好漢たちの棍棒〜』より)
581 :
ごきぶり :04/05/08 23:10 ID:UQyRTb4Q
怒・羅重悶 古代中国には主君を影から支えた優秀な従者が幾人か居た。 前漢の時代に活躍した生物学者、乃・鐚野琵(の・びたのび) の従者、怒・羅重悶もその一人である。 学者になる前の乃は勉強もせず、昼寝と遊びばかりを繰り返して いた。困った両親は密かに露暴徒亞火出三井(ろぼうとあかでみい) に乃を鍛えてくれる従者を依頼、その要請を受けてきたのが 怒・羅重悶である。 しかし乃は怒が来ても勉強しようとはせず、それどころか困ったことが おきると怒に頼りまくっていた。とうとう我慢が出来なくなった怒は 乃が主君であるのも忘れ、呆れと怒りを込めて乃に 「黄身歯時津煮場蚊棚亞」(君は実に馬鹿だなぁ)と言った。 流石にこれには元々馬鹿だった乃も切れて喧嘩になった。この 喧嘩は当時の近所の人が記録に残しておりさながらメガネザルとタヌキ の争いと見間違う程だったと伝えられている。 乃と怒は色々な事があったがその都度彼らは主従関係を超えた関係を 築いていき、後に乃は有名な生物学者になっていく。この事からも怒が 乃の人生に与えた影響は決して少なくない。 尚、日本のアニメ【ドラえもん】でも猫型ロボットであるドラえもんが くだらない事を考えているのび太に「君は実に馬かだなぁ」とこき下ろす シーンがあるが作者の藤子・F・藤子不二男氏がこの怒をドラえもんの モデルにした事は賢明な読者なら御判りであろう 民明書房刊「主君を支えた影の英雄(タヌキに間違われた者達)」より
母姐諸恩(かあねえしょおん) 古代中国において女性とは虐げられる存在であった。 特に儒教の教えのため、父に感謝はすれども母に感謝することはなかった。 これに怒りを覚えた女性達は一致団結して馬摩茶莉(ままちゃり)族を名乗り、 中国全土を荒らし回った。 これに脅威を感じた時の皇帝は母の功績を称え、母姐諸恩(かあねえしょおん)の称号を授け、 反乱の沈静を図った。 現代でも母の日にカーネーションを贈るのは、この時の故事に因み、 母の脅威を鎮めるためのものである。 民明書房刊「岡亜散斗一緒」より
>>581 セリフに笑ったー!
>>582 なるほどなー!
新作ありがd。
漏れにもリクさせて?
題は『女神降臨』で漢字指定無しっす。
584 :
ごきぶり :04/05/09 07:08 ID:nTr0Xhmz
返帯可面 古代中国には三国志の武人の影に隠れた英傑が居た。 返帯可面もその一人である。 性を今日素毛(きょうすけ)・字を四季情(しきじょう)とつけられた 彼は区露票俳酢空留(くろひょうはいすくうる)と言う土地で 暮らしていた。 ある日彼は質屋に向かった先で片思いをしている女性・愛顧(あいこ) が強姦達に人質にされているのを目撃する。今日素毛は彼女を 助けようと覆面を被り、強姦仲間に扮して近づこうととした。 しかし被ったものが何と女性の下着だった。普通ならここで失敗 なのだがなんとこの時体内に宿る母親譲り(母親・魔樹は得素得夢拳法の 25代免許皆伝者である)の血によって潜在能力が覚醒する。 そう、ここに究極の仮面戦士・返帯可面が誕生したのだ。 彼は瞬く間に強姦達を退け、最後の一人と対峙する事になった。その際 残った一人の強姦は火薬の詰まった袋を投げようとした。しかし次の瞬間 返帯可面は火薬の詰まった袋を取り上げ、自らの股間を強姦に握らせ こう呟いた。「斬燃、其歯綿志乃緒居也産蛇」(ざんねん、それはわたしのおいなりさんだ) 次の瞬間彼は返帯秘奥義・地獄乃時得戸取霊(じごくのじえととれい)で 瞬殺していたのだ。 尚、日本の漫画雑誌に数年前に【究極変態仮面】と言う漫画が発表されているが この作者が返帯仮面を意識して書いた作品という事を賢明な読者ならご存知であろう。 民明書房刊「性器の味方・返帯可面(一物拳法列伝)」より
>>578 実は桃がマスターしていても、おかしくなさそうなイイ名称だ。
実捕杵心社(じっぽしょしんしゃ)が元スレにコピペされてますな
587 :
水先案名無い人 :04/05/09 20:44 ID:KYwkHH81
伽・舎庵(きゃ・しゃあん) 中国の三国時代、蜀の役人に伽・舎庵(きゃ・しゃあん)という者がいた。 伽は国が長い戦争により荒廃している様を憂い、独りで反戦活動に乗り出した。 これに激怒した当時の軍の将軍「手・角亜久馬(て・つのあくま)」に暗殺されてしまった伽ではあったが 3日目に不死身の体に生まれ変わって手を倒したという。 この時の「龍田人津乃命緒巣手手、手・角亜久馬尾多々居手管区。伽・舎庵賀矢羅根場誰賀矢瑠。」 (たったひとつのいのちをすててうまれかわったふじみのからだ。てつのあくまをたたいてくだく。きゃしゃあんがやらねばだれがやる) と言った伽の言葉は名言として残されている。 なお、日本の映画にキャシャーンという作品があるが この伽がモデルとなっている事は賢明な読者なら御判りであろう 民明書房刊「紀里谷がやらねば誰がやる」より
イイ!
ブライキング唐澤サマwoキボンヌ
互気現妖(ごきげんよう) 古代中国戦国時代。妖術使いが重宝される時代だった。 そのため、妖術使いを養成する学舎も開校されるようになった。 学舎では妖術を使いこなすために様々な修業が課せられた。 その中でも最後の修業とされてたのがあった。それが互気現妖である。 術者と異界の者。互いの気を交ぜることによって、妖術に耐えられる体と精神を築く修業である。 これを極めた者は晴れて妖術使いとして戦場へ出立つのである。 なお、この互気現妖を初めて極めたものは乙往金能(おゆきこんのう)とされているが、彼女は殷代に活躍した占い師、乙諭紀(おゆき)の子孫ではないかと言われており、さらに日本にも今野緒雪という作家がおり、現在それらとの関連について、調査が進んでいる。 民明書房刊「大河曲がっていてよ」より
>>591 ちょっと待て。互気現妖をはじめて極めたのは春秋時代の
武道集団・萩本一家の小堺という男だぞ。一機の賽(サイコロ)を
振ることで雷を呼び出し獅子を撃破したことから
小堺一機と呼ばれていた男だと、
曙蓬莱新聞社刊「雷音覇見書」(らいおんはみがき)に書いてあるぞ。
撫裸鶏 (ぶらどり)(ぶらとり) 備考:どちらの読みでも構わない 古代中国、範角弐地玄板の賓柔擦礼という土地に一人の男が居た。 彼の生業は銅刃誌と呼ばれる入手しにくい文書を複製し、連樽鯖という資料庫に保管して賓柔擦礼の住人に公開することだった。 この行為には基本的に見返りは無く、また心無い住人から唖汚痢と呼ばれる罵りの言葉を浴びせられることもあったのだが、彼は黙々と仕事をこなし続けた。 彼に嫉妬した住人の一人が彼が飼っていた鶏の羽根をすべて毟ってしまった時も、彼はいたわるように裸の鶏を撫でるだけで、決して犯人を追究するようなことはしなかった。 彼の唖汚痢に対する忍耐強さと寛容さから、住人は畏敬の念をこめて彼を撫裸鶏と呼ぶようになったという。 現代では、ある連樽鯖の住所に彼の名の名残を見ることができる。 ( 民明書房刊 「範弐地の歴史 賓柔擦礼の章」 より )
>>592 なお互気現妖は二つの学舎で行なわれていたと言われており、
一つは藤照霊日寺拠(ふじてれびじよう)であり、もう一つは裏理庵城楽苑(りりあんじょうがくえん)だったと言われていた。
小堺と乙往はほぼ同時期に互気現妖を極めてた。この二校は当時の敵対国の学舎であり、両国はどちらが先かで戦いが起こる程だった。
小堺が先なのか乙往が先なのかはいまだに分かっていない。
民明書房刊「根谷馬路霊寿」より
元の時代、モンゴル相撲で名を馳せた英雄「怒・瑠児(ど・るじ)」に関する文献はないでしょうか?
「阿斗御通駆・馬事荷」(あとみっく・ばずか) これは1800年ほど前の中国で長坂破の戦いにて、後の初代蜀漢皇帝となる 劉備玄徳の嫡子「阿斗」を趙雲が救い出したことからなる。 阿斗御通駆、すなわち阿斗を護り曹操軍の中を無人の野のごとく駆け回り、 馬の事、つまり自分が逃げられなくなっても、荷の阿斗が大事ということである。 無事に劉備のもとへ帰り着いたところで 「我子事依、貴無事故、我喜」(我が子の事より貴が無事なことが喜ばしい) といったところ、周りの兵士が 「見事、阿斗御通駆、馬事荷故、全身是肝也」と言い趙雲は讃えられた。 なお起動戦士ガンダム0083に出てくる核装備ガンダムの専用バズーカが アトミック・バズーカなのはこの故事からきていると賢明な読者諸君なお気づきであろう。
最近質が落ちてきたやうな… 推敲しようぜ〜
>587 細かいことだが、「日本の映画に」じゃなく「日本のアニメーション作品に」としてくれ。 あんな映画はキャシャーンじゃない。
>>598 そんなこと言うおまいがてほんみせろ。クソが
「転翻見漏」(てほんみせろう)
中国は清の時代、シルクロードを通じての交易を生業とする
D.Q.Nyarou(D.Q.ニャロー)と言うヨーロッパ人が、道中にて
待ち受ける盗賊や野蛮人などをやり過ごすために編み出したもので、
襲われたときに「Oh My God!」(オーマイガッ!)と大声で叫んで盗賊たちをびびらせ、
さらにその後ものすごい勢いで大便を漏らし、盗賊たちが呆然としている間に
その場を転がりぬけて退散すると言う奥義である。
この奥義のあまりの情けなさから、当時の人たちは口だけは大きい
ウンコ野郎のことを「Oh My God!転翻見漏!」といってからかったと言い、
現代でも口だけが大きいウンコ野郎に対し「おまいがてほんみせろ」
と言って野次るのは周知の通りである。
民明書房刊「雲谷江」(うんこくえ)より
>>600 D.Q.Nyarou(D.Q.ニャロー)
ワロタ、こういう形式で外国人出すのはうまいな。
戦国時代、秦の国に寒泉(かんせん)という霊泉があった。 この泉の水から作られた獰緑芬散(どうりょくぶんさん)という散薬は薬効顕著で、服用すれば 重病人も立ち上がり、一刻に千里を走るという評判であった。 その評判を聞き、はるか東方の蓬莱島からも薬を求める者が訪れたほどである。 隣国の韓はこれを妬み、なんとか秘薬が欲しいと考えていた。 そのころ、はるか西の国から鄭という男が韓にやってきた。 鄭は、自分は名医であると韓の王に売り込み、「治部(じべ)」という施療所を建てさせた 鄭はなにかと勿体をつけては、韓の国から金を引き出していたがなかなか薬は完成しない。 王がしびれを切らす頃、ようやく鄭は完成した薬酒、獰緑醜酎(どうりょくしゅうちゅう)をうやうやしく差し出した。 王は喜んで先ず自らこれを試飲した。 ところが、しばらくすると体が震えはじめて止まらなくなり、しまいには窓を破って飛び出す始末であった。 怒った王は鄭を捕らえようと、追っ手を治部に差し向けた。 しかし、鄭はとっくに逃げ去っており、ただ子庸(しよう)という名の留守番の老人が残っているばかりであった。 子庸は、耳が遠い上にボケも始まっており、追っ手の者が何を問うても、自分の名を尋ねられていると思いこんで 「子庸です」と答えるばかりでラチがあかず、ついに追っ手も追跡をあきらめたという。 後に、この話が日本に伝わり、クレームをつけられたときに唱える呪文「仕様です」になったことは余りに有名である。 民明書房刊「鄭治部医より秦寒泉」第八十四巻より
603 :
水先案名無い人 :04/05/11 06:06 ID:GLBT5qad
濃安岳和我血 (ノアだけはガチ) 古代中国に存在した封建民族「斬日凡」が民族内闘争により分裂した。 その後、民族の一部が濃安岳(現在の三澤山)へ移住したときに その緑の映える木々の美しさに感動し 「濃安岳和我血(濃安岳は争いで怒りくるった我が血を和ませてくれる、の意)」 と叫んだという。その後、争いにより焼け爛れ禿山となった 武道山に残った残りの「斬日凡」民族が濃安岳の緑の木々を羨み何度も攻撃を仕掛けたり、 「異乃騎薪日凡」民族が濃安岳を侵略しようとしてきた。 そのたびに「濃安岳和我血」と叫びながら闘い、他民族を撃破したことにより 他民族の攻撃は次第になくなっていったといわれている。 また濃安岳の民族は鎖国的だとも言われていたが、他民族の太香弥真や猪宇埜らとも交流を もち、発展に至った。 民明書房刊『濃安岳の歴史〜緑を守れ』より
604 :
水先案名無い人 :04/05/11 09:49 ID:lDBL/HfR
中国明朝末期、民の中で普段顔を合わせない他人と
酒を飲み交わす風潮が流行った。その内、汚腐会と称される
汚腐を統括する組織ができたのは自然の流れである。その後、普及していくにつれて
汚腐に飽きたらない民の中に、奇天烈な行動をとるものが現れるようになった。
突然、酒屋の主人に暴言を吐き、酒を飲み過ぎた末、嘔吐を繰り返す。
挙句の果てに、盗み・暴行・破壊を繰り返し、その有様はまさに条規を逸したものであった。
これを危惧した当時の皇帝は、汚腐会なるものを解散し、以後、汚腐を厳重に禁止したのであった。
余談になるが、現代でもインターネットを通じて出会った人との懇親会をOFF会と呼ぶのはこのためであり
当時の中国を再現しようと、奇怪な行動を取るものが増えているのは
読者の身をもって知るところである。
(民明書房刊 『奇天烈・汚下劣 汚腐会の性』)
参考資料
【流血】新宿清龍でOFF痛のバカが流血傷害事件【7針縫う】
http://xyz666666.hp.infoseek.co.jp/seiru-/seiru.htm
だれかトリビアをコピペして
606 :
水先案名無い人 :04/05/11 21:30 ID:vrv4aAoI
布林殺棲・芽虞(ぷりんせす・めぐ) 清朝の初期、中国では馬の革を茯苓というキノコの菌糸で繋ぎ合わせた馬苓球(ばれいきゅう)というボールを1チーム6人で手で打ち合う競技が盛んに行われていた。 当時、この馬苓球の大会で圧倒的な強さを誇った一団があった。 高祖帝の側近、柳本(りゅうほん)率いる女子の一団である。 誰かこの続きをよろしく。
607 :
途中から思い浮かばない :04/05/11 21:31 ID:vrv4aAoI
布林殺棲・芽虞(ぷりんせす・めぐ) 清朝の初期、中国では馬の革を茯苓というキノコの菌糸で繋ぎ合わせた馬苓球(ばれいきゅう)というボールを1チーム6人で手で打ち合う競技が盛んに行われていた。 当時、この馬苓球の大会で圧倒的な強さを誇った一団があった。 高祖帝の側近、柳本(りゅうほん)率いる女子の一団である。 誰かこの続きをよろしく。
>>583 芽夏美皇倫(めがみこうりん)
清朝末期、中国では芽夏美公という女性の皇帝が即位した。
芽夏美は炉珠津教(ろしゅつきょう)の宗祖であり、
毘毘絵棲真紅(びいびいえすぴんく)へ布教しようとよくよく足を運んだという。
炉珠津教とは、
「人間は他人の視線を感じる事によって、人となりが出来上がる」という
概念を元に芽夏美が作ったとされる宗教の一種である。
だが、中国全体に広がった炉珠津教の考えは時が経つにつれ、
本来の上記の概念と異なって伝わってきたのである。
後の信者は
「服を脱ぎ捨て、大勢の視線を感じる事で己の身が引き締まっていく」
という婉曲した概念によって行動していたのであった。
毘毘絵棲では道端で服を脱ぎ捨てる女、街中を裸で歩く男、が多数出没してしまった。
この光景を見た芽夏美皇帝亡き後の皇帝、非違帝英(ぴいていえい)皇帝は
「芽夏美亡き後の炉珠津は倫理感が足りぬ」として、
炉珠津教を厳しく取り締まったという。
これが、近代中国史における「芽夏美皇倫」である。
現在の2chの底部で女神と呼ばれる女性が出現し、
それに対し、「女神降臨!」とレスする輩がいるのは
もしかしたら遥か昔の炉珠津教と関係があるのかも知れない。
民明書房刊『あああっ女神様!?』より
610 :
水先案名無い人 :04/05/12 10:41 ID:gTL4fTsn
>>610 ´`ァ´`ァ(´Д`;
御香具師他亜綺羅(みやしたあきら)
古代中国に実在したという絵草紙職人。
特に男の生き様を描くことに優れ、また古今東西の有職故実に通じ、
当時の若者達は彼の作品から男の生き方や様々な伝承の由来を学んだ。
彼の作品には「先我毛汚床熟」「戟獄渡来塚」などがあり、国宝にも指定されている。
現代でも男の生き方を描きつつ、民明書房の学術書を紐解きながら
若者達に様々な伝説や伝承の由来を説く漫画家がいるのは、
この絵草紙職人の心を伝えるものだろうか。
民明書房刊「伝説の諸卯燃蛇夢舞六五三万部の謎」より
天路里襲党(てろりすと) 古代中国では、西方の山脈には天へ通ずる道があると信じられており、 そこは天路里(てんろり)と呼ばれ、神聖な場所とされていたという。 故に、そこに無闇に近づこうとする者には恐ろしい呪いがかかるという言い伝えがあった。 それは天路里周辺には霧がかかっており、その中に入ると獣のように暴れ狂い やがて死に至るというものであり、「天路里獣霧(てんろりじゅうむ)」と呼ばれていたのである。 人々はそれを恐れ、誰一人として山に近づこうとしなかったが、 隋時代に自称敏雷電(びんらいでん)率いる阿竜魁陀(ありゅうかいだ)なる数十名の武闘集団が 周囲の反対を押し切り「天路里へ赴き、無事に帰ってみせる。」と宣言し山を登り始めたのだった。 数日後に彼らは戻ってきたが、呪いによって全てを破壊する魔物と化していたという。 人々は彼らを天路里襲党(てんろりしゅとう)と呼び、恐れおののいた。 しかし、朝廷より派遣された兵によって阿竜魁陀の多くは倒され、 生き延びた敏雷電を始めとする数名は遥か西方へ逃亡したというが、その後の行方は謎に包まれている。 なお、後に「天路里獣霧」および「天路里襲党」が元となって 「テロリズム」や「テロリスト」という言葉が生まれたことは想像に難くない。 また、国際テロ組織アルカイダのオサマ・ビン・ラディン氏は、 敏雷電の子孫であるとする説が浮上しているが、真相は不明である。 民明書房刊「王様、敏雷電」より
>>612 当然時の中国皇帝武宗(ぶしゅう)による討伐作戦はありましたよね?
>>613 阿竜魁陀は都の中心部にも大規模な攻撃を加えたため、
武宗は激怒し阿竜魁陀を徹底的に撲滅するよう
命じたと記録にあります。
ボクちんの資料には敏雷電の率いる団体は裏社会の淘汰する野蛮な者達 という意味の汰裏蛮(たりばん)と呼ばれたと書いてるの。 間違い?
新布亜土や不世院ってのもいたな
やっぱ、至阿派(シーア派)とか寸爾派(スンニー派)とかあんのかな。
治幕帝賂(じばくてろ) 古代中国において、帝の権力は絶対のものであった。 秦の始皇帝の例を見る限りでもそれは明らかであろう。 それ故、帝へ如何に取り入るかというのが当時の官職についていた者達の最大の関心事であった。 隋の時代、宮内の二大派閥であった至阿派(しあは)と寸爾派(すんには)の間では、権力闘争が激化していた。 互いに帝に取り入るために金銀、調度品、時には女性を帝にあてがう事で帝の威光を得ようとしていたが、 煬帝(604年-618年在位)が即位して間もなく、寸爾派の高官であり、強硬派であった瓶羅傳(びんらでん)は 「帝賂即治幕(帝に献上するものは政治を治めるものでなくてはならない)」 とし、王朝に仇なす者を葬り去ることが煬帝への至上の献上品であるとした。 当時隋朝を脅かす一団に、雄獲枢家(ゆうえすえ)なる武力集団がおり、瓶羅傳はその討伐に努めていた。 しかし、奇術「烈火有嵐(れっかうらん)」を用いた戦術に手をこまねいていた瓶羅傳は、とある決断をする。 それは間者を放ち、当時最新兵器であった火薬を用い、雄獲枢家を内部から崩壊させようとするものであった。 だが、この戦略には危険が伴い、命を落とす間者も少なくなかった。 しかし、この戦略で命を落とした間者は、「英雄」として奉られたという。 この故事から転じ、自らの国、信条のために命を落とすことも厭わないことを「治幕帝賂(じばくてろ)」と呼ぶようになった。 なお、「自爆テロ」がこの「治幕帝賂(じばくてろ)」に由来している事は賢明な読者にはもうお分かりだろうが、 一転して無差別に罪の無い一般の方まで犠牲になっているということには怒りを禁じえない。 民明書房刊 『歪められた美徳』より
そろそろスポーツの起源をはっきりさせるべきだろう。 「なんじゃぁ、あの技は〜!」 「ボ、ボールで壁に穴あけやがった〜!!」 「あ、あの技は中国拳法でいう剛烈蹴球・・・。」 「フッフフ、この奥義を見て生きて帰った者はおらん。」 剛烈蹴球・・・ 古代中国において実戦で使われていた闘技、蹴鞠を昇華させ、完成させたのが剛烈蹴球である。 この技の要諦は皮でできた球に氣を込め、相手をめがけて蹴ることにある。 破壊力は凄まじく、10米ほどの石柱を軽々吹っ飛ばしたという。 この拳法を会得するには氣の修練はもちろん、卓越した脚力を要求された。 余談ではあるが、剛烈蹴球の達人「冊 華安」の名が示す通り、この拳法が現代でいう サッカーの起源であることはいうまでもない。 民明書房刊「スポーツ起源異聞」より
奇漢車刀麻崇(きかんしゃとうます) 前漢に麻崇(ます)という軍師がいた。 彼は敵対勢力との戦いを有利にするため、ある戦法を考え出した。 それは、大きな人の顔をした面を被せられた馬に 兵士が乗った車を牽かせて突撃するというものであった。 また、兵士たちは剣を突き出し、更なる威力の増大をはかった。 これを見た敵軍は「奇妙な漢の馬車が、刀を突き出し迫ってくる」と驚愕し 一目散に逃げ出したという。 この戦法は考案者である麻崇の名が付け加えられ 「奇漢車刀麻崇(きかんしゃとうます)」と呼ばれ、恐れられた。 ちなみに、「機関車トーマス」に顔がついているのは この奇漢車刀麻崇が元となっていることは言うまでもない。 民明書房刊「古代強力兵器大全」より
622 :
水先案名無い人 :04/05/13 20:05 ID:z6it4zM/
↓さすが田沢は博識じゃのう
9X9=88
「茶乱」 中国は秦の時代、茶座村出身の名将軍、昆平(こんぺい)が編み出した戦法。 まず味方陣中に「昆平の鞄には若干の余裕がある」、つまり軍資金が底を尽きかけているという 噂を流した。噂が敵陣に広がった頃を見計らって、敵陣から見えるような場所で夜な夜な大規模な 酒宴を催し続けた。「昆平の陣は軍資金不足で士気も下がりやけ酒に溺れている」、 敵軍はそう思い込み、ある日その酒宴の場に総攻撃をしかけた。しかし、兵士が飲んでいたのはみな茶だったのである。 「一、二、三、茶乱!(『一二の三で乱を片付け茶を続けよう!』の意)」の掛け声と両手を上げる合図とともに 昆平の兵は皆反撃に打って出た。不意を突かれた敵軍は全滅し、その夜、昆平軍は悠々と酒宴ならぬ茶宴を続けたという。 後世の兵法家は「これぞ戦の焦点なり」と昆平の兵法を絶賛した。 現在テレビ番組「笑点」において某落語家が奇妙な掛け声を観客に強制する行為は、実はこの故事に由来している事は 意外に知られていない。 民明書房刊「お笑い戦争道場」より
625 :
水先案名無い人 :04/05/14 17:17 ID:CrF3Y7Ql
>>624 金の無い奴らが酒盛りをするか?上手いだけにそこが気になる。
>>625 今でも遊びに行く金がないから家で安酒飲んで過ごすフリーターとかいますやん
死兆者惨禍型相殺(しちょうしゃさんかがたあいさつ)
喜久増裸麺(きくぞうらめん) 古代中国は唐の時代の料理人、奇苦象(きくぞう)が発明した麺で、 裸になりこれを食べると喜ばしい事、すなわちおめでたが増えると言われたため 当時の民衆はこぞってこれを買い求めたという。しかし長安の町に 「嗚呼馬鹿、其乳」(いやんばかーんうふふーん、そこはおちちなの) といった子作りのいやらしい声が日夜響き渡るようになったため、 風紀を乱した罪で奇苦象はたたっ斬られてしまった。 なお、現代において「いやんばかーん」を持ちネタとし、木久蔵ラーメン というものを作っているとされる木久蔵という男がいるが、 彼こそが喜久増裸麺の継承者であるかどうかは定かではない。 民明書房刊 山駄勲(ヤマ・ダクン)著「子作りと幸せ」より
湖夕座(こゆうざ) 中国は漢の時代、ある詩人が湖のほとりでひとりの娘に出会った。 ほとりに座る娘は夕暮れの湖によく映える綺麗な顔をしており、 詩人はこれが忘れられず、著書に「綺麗顔湖夕座也」(かおのきれいなこゆうざなり) と記した。 テレビ番組「笑点」において三遊亭小遊三が自分の顔を綺麗だと自己紹介するのは この故事と名前が似ているからである。
630 :
水先案名無い人 :04/05/15 02:06 ID:FLK1oKWC
笑点シリーズおもしろいw
貧紅(ぴんく) 中国後漢の時代、詩人数人が集まり即興で詩を言い合う遊びが流行した。 最初は仲間内だけのものであったが次第にその噂は広まり観衆の前で行うようになった。 そしてそこで観衆の心を多くつかんだものの中には後に朝廷に仕えるものもいた。 高絡(こうらく)という詩人もそれに参加したがあまり観衆の心はつかめなかった。 彼は身なりのせいだと思い鮮やかな桃色の装束を着るようになった。 それを見た観衆は目を見張ったが実力は前と同じなためいざ詩を聞くと観衆は失笑したという。 その時一人の観衆が「桃色不貧紅(桃色ではなく貧相な紅だな)」と言うと一斉に「貧紅」の大合唱となった。 以来中国ではパッとしなかったり面白みのない人のことを「貧紅」と呼ぶようになったのである。 英語のpinkは貧紅が語源であるというのが最近の学会での通説となっている。 また現在人気テレビ番組「笑点」において三遊亭好楽がピンク色の着物を着 彼が視聴者などから「ピンク」と呼ばれているのは この「貧紅」から来ているのかどうかは定かではない。 民明書房刊「中国演芸章典 桃の章」より
632 :
水先案名無い人 :04/05/15 14:50 ID:QNtFjd6u
吸渇婦(スイカツプ) 戦国時代において、戦の際の兵隊たちの食料の確保は重要であった。 中でも水は特に重要なものとされていたが、とりわけ母乳は水分のみならず、 豊富な栄養分を含むことから兵士たちの間では貴重品とされていた。 そうした事情から、戦の際には兵隊たちに母乳を提供するための女たちも 同行していた。そして、兵隊たちは女たちの乳を吸うことによってのどの 渇きを癒し戦への士気を高めていたという。 この女たちは「吸渇婦(スイカツプ)」と呼ばれ、女たちの中でも特に 乳房が大きい者が選ばれ、それは非常に名誉あることとされていた。 なお、現代において女性の乳房の大きさを表す単位として使われる「カップ」は、 「渇婦」が語源でありAからIまでのアルファベットと関連づけて女たちの乳房の 価値を決定する1つの指標となっている。 巨乳アナウンサーとして名を馳せた、あのアナウンサーも「吸渇婦」の 子孫であるという説があるが、その真実のほどは定かではない。 (民明書房刊: 「戦国時代に刻まれた男たちの遺伝子」より)
全く このスレはためになるよw
覇州留(はっする) 古代中国、清王朝時代。当時の皇帝は乱れていた国政を1つにまとめ上げようと政策を打ち立てた。 もちろん広い国土の清であったのでまとめる事は困難を極めた。そこで当時の国防長であった 御賀倭(オ・ガワ)が仕切り、州全体を1つに留め、世界を制するとの意味から覇州留と名づけられた。 他国にも覇州留を広めようとした御賀倭は、両手をグーの形にして腰に当て、「覇州留!覇州留!」と叫び PRした。そして見事に成功し、1つになり、他国にも真似をするところも出てきた。 我が日本にも広まり、挙仁藩の長でもある基世胎(きよはら)も真似をするまでに浸透した。 民明書房刊『中国の政策〜覇州留』より
636 :
328 :04/05/16 12:13 ID:htXrSzZT
【バーベ級】 原型は米国製の小型給糧艇。同盟各国に供給され、 大きさ、使用燃料の違い等、多数のバリエーションが 存在する。(呼称も使用国によって異なり、様々な呼び方 をされている。例、日本国 ジンギス艦) 4〜10名分の野外食事供給能力を持つ。 民明書房 [補給戦]より
>>636 なんかワロタw
つうか、もはや民名書房でも何でもないな。
癒喜子(ユキコ) 古代中国には華余(カヨ)という女性がいた。華余はたいへんに可愛らしい女性であり、 「星短情(スターたんじょう)」(日本でいう俳句大会)で優勝するや、みるみる内に中国本土に 容姿、知性ある女性という事が知れ渡り男性はしかり女性の憧れの的となった。 皇帝は華余を見るや心が癒され嬉しくなる女性との意味から癒喜子の名を授けた。 美人であった為、プロポーズの言葉も多数受けた。うらやましい限りではあるが、 癒喜子は本命の男性と一途に恋をしたいとの気持ちが強く、多数の人からのプロポーズは本意ではなかった。 現に本命の男性からはもてすぎる為に高嶺の花だと思われ両思いになる事はできなかった。 それが原因で癒喜子は傷心してしまい、自ら命を絶ってしまったのである。 それにより多数の人がショックを受け続けて命を絶ち、混乱を招いた。 混乱を抑えるために皇帝は、癒喜子の話をした者に処罰を科した。そして癒喜子は封印された。 現在世界3大美女と呼ばれている1人に中国の楊貴妃がいるが、癒喜子が命を絶たなければ楊貴妃ではなく、 癒喜子になっていたかもしれない。 民明書房刊「中国の美女〜悲劇のヒロイン」より
639 :
水先案名無い人 :04/05/16 17:36 ID:PPsB0QK1
貧紅(ぴんく) 中国後漢の時代、詩人数人が集まり即興で詩を言い合う遊びが流行した。 最初は仲間内だけのものであったが次第にその噂は広まり観衆の前で行うようになった。 そしてそこで観衆の心を多くつかんだものの中には後に朝廷に仕えるものもいた。 高絡(こうらく)という詩人もそれに参加したがあまり観衆の心はつかめなかった。 彼は身なりのせいだと思い鮮やかな桃色の装束を着るようになった。 それを見た観衆は目を見張ったが実力は前と同じなためいざ詩を聞くと観衆は失笑したという。 その時一人の観衆が「桃色不貧紅(桃色ではなく貧相な紅だな)」と言うと一斉に「貧紅」の大合唱となった。 以来中国ではパッとしなかったり面白みのない人のことを「貧紅」と呼ぶようになったのである。 英語のpinkは貧紅が語源であるというのが最近の学会での通説となっている。 また現在人気テレビ番組「笑点」において三遊亭好楽がピンク色の着物を着彼が視聴者などから「ピンク」と呼ばれているのはこの「貧紅」から来ているのかどうかは定かではない。 民明書房刊「中国演芸章典 桃の章」より
641 :
水先案名無い人 :04/05/16 17:51 ID:E/+JE7fX
亞麗芸(あれげ) 唐の時代に誕生した芸。 デビュー当時泣かず飛ばずであった役者、亞麗(あれい)は悩んだ末 『特徴ある話し方をする妹役をやりなさい』 という、相談した識者のアドバイスを実践。 すると独身男性からの絶大な支持を受け、一躍人気女優となった。 当初は亞麗の芸のみを指す表現であったのだが、成功者となった亞麗を 真似た若手女優が多数出現し、以降は亞麗芸というジャンルとして 認識されるようになったという。 欧州の邪庵・亜零児(ジャン・アレジ)なるジゴロが好んだ芸妓という 説もあるが、それは誤った伝承である。 なお、現代日本において「チェキ」や「もね〜」などと特徴ある話し方の ゲーム登場人物が多数見受けられるが、製作者が亞麗芸の存在を 知っていたかは定かではない。 民明書房刊『中国の怪演・奇演』より
左座獲山(さざえさん) 中国は隋の時代、長江に棲む魚を根こそぎ奪っていく、「銅鑼音呼(どらねこ)」という妖獣がいた。 聖獣白虎の化身と呼ばれ、鳴き声は銅鑼に似て、その音に引き寄せられた魚群を皆巨大な口に 入れてしまうという。そして、その余りの素早さに誰も銅鑼音呼を捕えられる者はいなかった。 銅鑼音呼の被害に悩まされた漁民は、三国時代の仙人左慈の孫である左座に、退治を依頼した。 左座は、銅羅音呼が現れたと聞くと、普段履いている鉄下駄を脱ぎ捨て裸足になった。そして、 妖気を発して天空を飛び駆けて南にその後を追ったという。しかし、口一杯に魚をくわえた銅鑼音呼を 捕える事は出来なかった。失敗した左座は、「自分は本来山にこもる仙人であり、山のものなら 獲らえられたであろう」と言い訳をした。漁民達は左座をあざ笑い、漁民の長である盲目の王飛(おうひ) もまた彼を笑った。左座をあざ笑う声は長く長く続き、みな笑い転げた。 面目を潰した左座は自らを恥じ、その後流浪の日々を送り、やがてその神通力も失い、気が転じて 狂人となったという。 この故事を後の詩人李白が詩に残している。 御魚加得多銅鑼音呼追駆手 (おさかなくわえたどらねこおっかけて) 裸足出駆天空妖気南左座獲山 (はだしでかけてくようきなさざえさん) 民長笑転流 王飛様盲笑転流 (みんながわらってる おひさまもわらってる) 流流流流流流 狂妄異異転気 (るるるるるる きょうもいいてんき) 言うまでもなく国民的名作「サザエさん」はこの故事や、それをもとにしたこの詩を由来としているのである。 民明書房刊『長谷川とは長江也』より
35 神は言いました
>>643 はすばらしい
聖書より
紙空降(しすぷり) 漢代末期。中国全土は混沌に満ちていた。 そして、妖術を使う者も増えたのである。 その中で、特に実力ある者がいた。彼の名は慈逗(じず)といった。 彼は戦闘において、12枚の人型の紙をばらまき、呪文を唱えることによって、その紙はたちまち12人の天女へと変化し、そして敵が魅了したと同時に、突撃し、殲滅したと言う。 その脅威から、敵兵は慈逗を見ると、「紙空降!」と絶叫し、たちまち逃げ出したという。 現在、我が国の妹ブームを語る上で外せない「シスタープリンセス」の略称がシスプリと呼ばれる事。そして、原作が連載されてた雑誌名がG'sマガジンだったこと。そして妹の数が天女と同じ12人だったこと…。 妹ブームは、慈逗がかけた術なのだろうか? 民明書房刊「萌える中国史 もえちゅう」より
やべえ、642と相まって 「チェキ!チェキ!チェキ!チェキ!チェキ!」 と敵を殲滅する図が脳内から離れねえ もえたん、もえかんに続きもえちゅう・・・
649 :
水先案名無い人 :04/05/17 22:19 ID:OJG9/9+v
展乱寺逢(てんらんじあい) 古代中国では、兵士達がいかに武術の訓練をしているかを皇帝が直に見る展乱寺逢 という事が行われていた。各地方の腕自慢が神聖なる寺院に集まり、披露した。 特に有名なものが、光烙園(こうらくえん)で行われた展乱寺逢である。 中国最大の軍隊、拠陣軍の大将、那賀史摩(ながしま)は皇帝が見ているという大舞台の中で、 作余納裸保無濫(さよならホムラン)という心を裸にして無の状態する、大技を披露した。 これには皇帝も驚きのあまり、立ち上がって拍手し、最大級の賛辞を送った。 那賀史摩と対戦したライバル武羅谷磨(むらやま)はショックが大きかったのか、「あれは反則だ!!」 とうそぶくことしかできなかったという。 これにより那賀史摩は「身守多亜(みすたあ)」(アジア最大の国、中国の多くの人を守るの意)の称号を 授かり、拠陣軍に那賀史摩あり。と中国全土に知らしめた。 民明書房刊「中国、拠陣軍伝説の那賀史摩」より
650 :
水先案名無い人 :04/05/18 15:05 ID:spx3y6E9
保主(ほしゅ) 漢時代から呼ばれた城主の総称。 城の平和を保つ主とのことからこの名がつけられた。 保主になる為には、当たり前ではあるが戦に勝てるような頭脳、もちろん部下をまとめるリーダーシップが 必要とされた。中でも漢、中心部に存在した耶句瑠杜城(やくるとじょう)の主、布流汰(ふるた)は 繊細で緻密に戦略を練り、殷時代の伝説の名将である乃矛讃(のむさん)の再来とも言われた。 その戦略は亜射出威戦略(あいでい)と呼ばれ。民衆に支持されて、長く城を見守った。 現在、日本の野球では捕手と呼ぶポジションがあるが、保主のなごりから来ているものである。 さらに、インターネットの世界でも掲示板が消えないように「保守」と書き込むのも、保主が 受け継がれているのだろう。 (民明書房刊『勝つための頭脳〜保主の戦略』より)
女唐備射霧(めからびいむ) 唐の時代、出慈胡(でじこ)という女の妖術使いがいた。出慈胡は唐の軍隊に所属しており、 戦では「如(にょ)!」という掛け声とともに猛毒の霧を発射した。 敵は出慈胡を「女唐備射霧(霧を射る(術)を備えた唐の女の意)」と呼んで恐れた。 また、出慈胡は長安を荒らしていた匪賊「黒外魔外魔団」を退治したことでも有名である。 現在日本で人気なデ・ジ・キャラットの主人公「でじこ」の技である 「目からビーム」はこの故事に由来しているのだろうか?。 民明書房刊「妖術師大全」より
あの〜すいませんウィニー(漢字忘れました)の文献探してるんですが 心当たりある方居りませんでしょうか?
有衣荷(ういに) 中国は殷の時代、貨幣の発明される以前の人々の交易の方法は もっぱら物々交換であった。交易を行う市場は、武具や食料を 得られるところから得武得食州(えむえくす)と呼ばれたが、そこで 富を得た人々が、帰宅途中に強盗に襲われる事件が多発したため、 殷朝の第47代皇帝である四七氏(姓名未詳)によって、有衣荷(ういに)と 呼ばれるさらに匿名性の強い市場が開設された。当時はまだ自然崇拝の 時代であり、緒裂腱(ちょさくけん)と呼ばれる、イノシシの腱を裂いて行う 占いによって交易物が厳しく制限されていたが、次第にそれを破って 違法な行為に明け暮れる堕落者が多数現れたため、教徒不敬(きょうとふけい) という、自然崇拝の宗教に不敬を働くものを取り締まる勢力によって 違反者ともども四七氏は捕らわれてしまったという。 なお、現代のネットにおけるファイル交換ソフト制作者は、すべてこの 殷の時代を理想としていることは周知の事実であり、ウィニーの作者が 47氏と呼ばれているのも四七氏にちなんでのことである。 民明書房刊「得武得食州之次覇軟堕」(えむえくすのつぎはなんだ)より
覇兵塔魔兵塔(ぱへいとまへいと) 三国時代の呉将が編み出した戦法である。 右翼に牛をかたどった櫓。左翼に蛙をかたどった櫓を配置。 武将の「覇兵塔魔兵塔!」の掛け声と同時に敵陣に突撃したという。 効果は絶大で、魏軍は何度もこの戦法の前に敗れていた。 なお、その武将は常に黒装束を纏い、顔には黒の覆面をかぶっており、例え皇帝の前でも素顔を見せることはなかった。 そのため彼は何者なのかは今だに判明されていない。 現代。ある芸人は全身黒装束で黒覆面をかぶり、牛と蛙の人形をを所持しており、なおかつネタ間にパペットマペットと言っている。はたして彼はあの呉将なのか、それとも…。 民明書房刊 「中野人。拝無」より
656 :
652 :04/05/19 17:09 ID:kqka920X
>>653 ありがとうございます
これですしかし歴史というものは繰り返すんですね
これも何かの因果なんでしょうか?
657 :
水先案名無い人 :04/05/19 17:57 ID:PgtdIqHV
楊麻(やんまあ) 古代中国は巍の時代、楊(ヤン)と麻(マー)という二人の若い農民が居た。 二人は大変な力持ちであり、誰にも手が出せないと思われた荒野を 一晩で耕す等の伝説を残している。また、二人は天気を読む能力にもたけており、 村では二人を楊坊麻坊(やんぼうまあぼう)と尊敬と親しみを込めて呼ばれていた。 トラクターで有名なヤンマー社は楊と麻の農作業伝説に影響を受けたと 思われる。ヤンマーが天気予報番組のスポンサーをしているのもこのためだろう。 民明書房「古代中国の名も無き英雄」
破榴須(ばるす) 中国は明の後期、蕪主何(むすか)という軍人が徒党を集め、地方で反乱を起こした。 当時の中央政府に対し反感を持つ者が多かった為、蕪主何の勢力は次第に拡大し、 事態を重く見た皇帝は馬杜(ばず)将軍に蕪主何の討伐を命令した。 官軍は蕪主何軍に対し連戦連勝を重ね、遂に彼らを鑼巫陀(らふた)の地へと追い詰めた。 だが、蕪主何がこの地に築いた山城は非常に堅固で、 尚且つ、蕪主何軍には弓の名手である允度羅(いんどら)がいた事もあって、官軍は多くの死傷者を出した。 そこで馬杜は軍師である史懿詫(しいた)と共に攻城戦用の新兵器の開発を開始、 そして完成したのが、元の「てつはう」を改良した「破榴須」である。 破榴須は鉄製の榴弾を打ち出すもので、到着点で炸裂して敵に多大な被害を与えるものであったが、 その際に、弾内部の炸薬の化学反応により強烈な光を発し、夜であれば敵の視界を長い間奪う効果もあった。 それから官軍は夜陰に乗じ、破榴須を用いて鑼巫陀城を攻撃。蕪主何軍は混乱し、為す術も無く壊滅した。 なお1986年に公開された映画「天空の城ラピュタ」において、ムスカがバルスという呪文を受けて視界が奪われる場面があった事から、 この作品はこれらのエピソードが元になっていると考えるのは、当然といえよう。 民明書房刊「銃火器には心底うんざりさせられる」より
蕪主何「眼駕唖、眼駕唖」
661 :
水先案名無い人 :04/05/20 16:56 ID:QqcBel70
香漫(こうまん) 明時代の中国にはちょっといやらしい女体の描かれた本が下級市民の間では流行った。 今では禁止されている売春が当たり前のように行われていた為に中、上級市民は、金を渡し、 女性と性行為を行う事が頻繁にあった。 そんな中、貧しい下級市民の救世主となったのが香漫である。 もちろん卑猥な部分もリアルに描かれており、特に有名な作者が侘嗣呂(た・しーろ) であり、一部の人からは神扱いされていた。 香漫を見ながら自慰行為ができ、ストレス発散にもなり、精神が落ち着き、それが明、発展の原動力ともなった。 しかし、侘嗣呂は欲が出てしまったのかリアルに描こうと女性の陰部を覗こうとし、投獄されてしまった。 それ以来香漫は長い間人々の元から無くなってしまったが、また清の時代にあらわれたのである。 現在日本では女性の陰部のことをコーマンとよぶのは侘嗣呂に敬意を表しているからである。 民明書房刊『中国が生んだ言葉の謎』より抜粋
重城刻塵(おもしろこくじん) かつて、モンゴルの雄、チンギス・ハンが諸部族を統一し、周辺諸国の征服に乗り出した際 最も頭を痛めたといわれるのが城攻めだったといわれている。 圧倒的な実力を誇る騎馬民族といえども、強固な城壁に守られた都市を攻めるのは困難なことであったのだ。 その際に、チンギスハンが利用したのが張討党(はりうっど)という部族であった。 張討党とは、涜狩硬火(とくしゅこうか)と呼ばれる妖術を使うことで古代中国の時代から恐れられていた部族であり、 なかでも張討党出身の羽黄焼(わきやく)という男が率いる部隊の使う技は、 重厚な城でさえも塵のように刻んでしまうことから「重城刻塵」と呼ばれた。 しかし、重城刻塵はその豪快な名前とは裏腹に、 地面を掘り進み城壁の土台を切り刻むという危険な技であったため、落盤などの事故が多発した。 そのため、重城刻塵によって自滅することも珍しくなく、その様子を見た敵兵が爆笑することもしばしばであった。 かのオゴタイ・ハンをして「重城刻塵はたまに活躍するが、たいていわが軍の足を引っ張る」 と言わしめたことからその被害の多さを推し測ることができるだろう。 このため、その後、チンギスハンの支配地域が増え、攻城戦の方法が確立されるにしたがって 重城刻塵が使われることはなくなり、張討党も再び歴史の闇へと姿を消した。 ちなみに、現在、ハリウッド映画でよく見かけるオモシロ黒人が、この重城刻塵を参考にしているのは言うまでもない。 民明書房刊「完全ガイド! 張討党マジック」より
663 :
:04/05/21 11:21 ID:sPL3VF56
実在する出版社の名前を使うのはやめなよ。
>>663 はどのことを指しているのかわかりません。
>>663 は、今でもゴルフは呉竜府が発明したと思ってる人。
睡逸(すいいつ) かつて秦の時代、中国で流行ったとされている幻の甘味が睡逸である。 華魔流馬朱津図(はなまるまーけっと)や史男奴女簾泰流(しおどめすたいる)などの歴史書によると 羽 鄭司(ぱてぃしえ)と呼ばれる菓子職人によって考案された創作菓子であり、 美食家の集まる、蒼山(あおやま)や城鐘(しろがね)などの都市を中心に広まっていったとされる。 ちなみに、睡逸はその名のとおり「睡臥しながらでも食べたくなる逸品」という意味で、当時これが最高の贅沢とされた。 そのため、この睡逸を食べる人間はすぐに肥満に陥ってしまう危険性があったのだ。 それは、この睡逸を愛した世 麗武(せれぶ)や美 瀬諏 (みせす)などの美食家がどのような体系だったかを 思い出してもらえれば、納得していただけると思う。 ちなみに、現在流行しているスイーツは、この睡逸を起源としているのは言うまでもない。 民明書房刊 「睡逸〜知らざれる甘味の歴史」より
躯仁王君(くにおくん) 古代中国において、ギリシャと同じくオリンピックのようなスポーツ大会が開かれていたことはあまり知られていない。 しかし現代のスポーツ競技とは異なり、その内容は過激で、 殴る蹴る、木刀やメリケンサックの使用OK、必殺シュートOKという凄まじいものであった。 中でも煮えたぎる熱い血の池地獄で肉体の硬さを競い合う競技はもっとも人気があった。 その大会で伝説ともいえる活躍をしたのが躯仁王君(くにおくん)と呼ばれる人物で、 得意技の沫破喫駆(まっはきっく)を炸裂させ、幾度の優勝をもぎとった。 彼のライバルには、波那曽埜(はなぞの)邑の沫破氾弛(まっはぱんち)の李毅(りき)や、 頭突きが得意な邦侶卯(ほうりょう)邑の呉宇多(ごうだ)、 棒を取っては右に出るもの無しと謳われた他尼馬茄(たにばな)邑の悟陀夷(ごだい) 多彩な技を操る拿武怒羅(だぶどら)兄弟などがおり、彼等との数々の名勝負は人々を魅了した。 ちなみに、現在くにおくんと呼ばれる主人公が「熱血硬派」を名乗り、 ケンカあり、スポーツありのゲームで活躍しているが、かの躯仁王君とその得意とした競技にあやかったものである事は、 賢明な読者ならお分かりだろう。 民明書房刊「なめんなよ!―知られざる硬派伝説―」より
668 :
水先案名無い人 :04/05/21 19:15 ID:hCzWhBph
スレッド版と漢字 漢王朝を築いた劉邦は、言論の自由を大いに認め、 『発言だけでなく、国民が、いつでも自由に落書きできる 場所が必要。』と、考えた、何でも好きなことが いつでも書けたり、消せる銅板を、各地に設置させた。 この銅板は、漢の前の秦の時代、言論の自由を妨げられ、 焚書坑儒により、殺された学者達の霊を崇拝する意味も あり、崇霊銅板(すうれいどうばん)として、大いに利用 され、ここに書かれた絵文字等が、元となって、漢字が 誕生したとまでも言われている。 ちなみに、この銅板の使用を進言した学者が加紀鴻民 (かきこうみん)と言う名前だったと言うことを、附記しておく。 民明書房刊『漢字誕生秘話』
669 :
水先案名無い人 :04/05/21 22:49 ID:ljxkzduZ
知らぬが仏の語源 近現代以降の軍事組織において重要な役割を果たした参謀本部の起源がプロイセン にあることはよく知られているが、軍事組織のもう一つの柱である諜報機関 が例外なくほぼ中国で完成したものを踏襲したものであることは意外と知られてない。 時は南宋初期、情報収集と分析の稚拙が靖康の変を招き河北一帯を喪失した原因の 一つであると考えた胡世将は四川宣撫使として着任後に諜圏司という情報機関を 設置した。この効果は抜群で紹興10〜11年の金の侵攻のおりにいちはやく 侵略の兆しをとらえることに成功し、胡世将の軍が岳飛や韓世忠といった 歴戦の諸将に先んじて効果的な反撃をあげる要因となった。 後に北清事変や日露戦争で活躍した情報戦の大家福島安正少将は諜報の基礎である 諜圏司を詳しく分析した。 その時に胡世将が部下に情報収集の重要性を戒めた言葉を日本人向けに邦訳したのが 「知らぬが仏」である。本来は「不知即決生死」という言葉で、意味は戦場では 事前の情報収集を怠った指揮官の部隊から先に壊滅していくという言葉であった。 そこまでして情報の大切さを訴えた福島少将であったがそれが充分伝わらなかった ようである。 時代と共に「知らぬが仏」の意味も変質していき、わずかに殺人事件の現場などで 被害者を「ホトケ」と呼称するのがその名残として存在するのみである。 民明書房刊『軍事の奇才・中国人』
兎衣仁院(ういにい) 漢の時代、兎衣仁院と呼ばれる場所があった。 そこでは様々なものが物々交換が行われていたがそこに入るには覆面を被る必要があった。 「重要なのは物であり誰であることは重要ではない」という兎衣仁院を開いた史奈司(しなし)の意向によるものである。 匿名であるために隆盛したが罪人が隠れ蓑に使ったり違法物の交換も行われていた。 事態を重く見た皇帝は趙作賢(ちょうさくけん)にそこの取締りを命じ趙作賢は兵を率いて兎衣仁院に踏み込んだ。 史奈司ら数名は趙作賢に捕られ史奈司は凶屠腐刑(きょうとふ けい)という刑に処されたという。 ファイル交換ソフトのWinny(ウィニー)はこの兎衣仁院を元に作られたものであり 開発者の47氏というのも史奈司を捩ったものであることは周知の通りである。 その彼もまた警察によって逮捕されてしまう(著作権法違反のほう助ということである)とは 歴史は繰り返されるということなのだろうか。 民明書房刊「根斗覧の野望」より
「妃痴秘稚暴威崇(ぴちぴちヴォイス)」 古来より戦いと音楽は密接な関係にある。 兵士の士気高揚や行進等に、更に巨大宇宙人対策に音楽が使用されてきたが、 これを攻撃力に特化させたのが「妃痴秘稚暴威崇(ぴちぴちヴォイス)」である。 人間の聴覚はその入り口である耳から感覚神経を経て中枢神経である脳に 伝達されるが、これを歌によって刺激し記憶障害、脳障害、精神障害を 発生させる奥儀が「妃痴秘稚暴威崇(ぴちぴちヴォイス)」である。 歌を歌うことは人間総てに備わった能力であるがこれを武術に応用するには、 並外れた修練と才能が必要とされている。 なかでも達人中の達人には水中においても「妃痴秘稚暴威崇(ぴちぴちヴォイス)」の 発動が可能であり、まさに場所を選ばない究極の武術として完成された。 「妃痴秘稚暴威崇(ぴちぴちヴォイス)」は特定の人魚にしか会得できない幻の奥儀と言われているが、 それは間違いで、古代中国の格闘家「魔・冥土(マ・メイド)」が編み出したと言う説が有力である。 民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より
伊達空流(だでくうる) 戦国時代末期、戦国屈指の大名の一人、独眼流伊達政宗は交易のため家臣支倉常長を欧州に派遣した。 支倉の一行はその途上、亜米利加大陸にも立ち寄った。 その際、現地の亜米利加人から焼いた肉を馳走された。 しかしその肉は見るもおぞましい獣の肉で、およそ日本人の口には合わない臭みのあるものであった。 支倉が食すのをためらっていると、現地人が大越香倶(だいえとこうく)という現地のジュースを飲みながら 「どうした食ってないじゃないか?」と話し掛けた。 この時支倉は咄嗟に「伊達空流也(だでくうるなり)」(伊達家の者は空腹でも流々としているものだ。)と答え、 同行した宣教師や現地人をうならせたという。 現在、アメリカ人が日本人をバーベキューに誘いながら、 「ダディクール」と叫びつつゲストほったらかしで自分たちだけで肉を平らげてしまうことがあるが、 この出来事が原因かどうかは定かではない。 民明書房刊「あなたにもわかる!アメリカンジョークの楽しみ方」より
なんで伊達でダデなんだ!普通にダテでいいじゃないですか先輩!
>>672 そ、その下半身は…クランたんの下半身じゃないか!
兎葡李夜(うぶりや) 唐の時代、費蕗雪(ひろせつ)という旅人がいた。 ある日、彼は小さな村にたどり着き、村人たちから歓迎を受けた。 また、その夜は村祭りが行われ、費蕗雪も祭りに参加することとなった。 彼はこの祭りで、ある男と仲良くなり滑稽な面を着けて共に踊ったという。 食事のとき、その男が「兎葡李(うぶり)」と叫ぶと ウサギの肉やブドウ、スモモが費蕗雪の前にたくさん運ばれてきた。 このとき男は「兎葡李夜(兎葡李に囲まれた幸せな夜)をお楽しみ下さい。」と言ったのである。 また、彼は費蕗雪を客人として遇したことから村の者から「遇蕗雪(ぐうろせつ)」と呼ばれたという。 ちなみに某掲示板に存在するひろゆきのAAを改造してできた 「グロゆき」という滑稽な顔をした生物は、費蕗雪の話が元となっていることは想像に難くない。 また、グロゆきがしばしば発する「うぶりゃあ」という声は 遇蕗雪の「兎葡李夜(うぶりや)」に由来することは言うまでもない。 民明書房刊「未確認生物の素顔に迫る」より
>670 その趙作賢と趙三こと趙崇圭の関係は?
根雄無義血屋(ねおむぎちゃ)はありませんか?
680 :
水先案名無い人 :04/05/24 22:30 ID:FXZyFGGe
腹黒(はらぐろ) 古代中国に、洛郷(らくごう)という文化先進地域があり、 羅空丹(らくうたん)という老人が住んでいた。 この老人は、余興の際に、わざと自分が悪人になって、人の悪口を言い、 それが、好評となり、皆を楽しませる特技を持っていた。 時に、世間を愚弄し、反乱を意図する発言までしたと言う。 この羅空丹老人の反乱愚弄(はんらんぐろう)が縮まって、心に悪巧みが ある人間を、腹黒いと言うようになったと言われている。 しかし、老人が、悪口を言ったのは、限られた場所だけであり、博識で 気配りも多く、皆の信頼も厚く、決して陰口も言わなかった。 一時的な言動で、人間の性格を評価しては、いけないという、戒めを 示したかったのだろう。 『民名書房刊 正確な性格は分からない』
681 :
水先案名無い人 :04/05/25 01:19 ID:/K3wvOjE
矛幻一圧風(むげんいちあっぷう) 晋の時代。北方は九突巴(くつぱ)率いる異民族の襲撃に悩まされていた。 彼らは延固野弧(のこのこ)という名の堅固な甲を背負い、勇猛果敢に攻めてきた。 状況を重く見た当時の皇帝は、ある人に九突巴討伐を命じた。 彼の名は麻李雄(まりお)と言い、矛の名手であり、戦に出れば無敗の強者だった。 彼は九突巴との戦いに際し、九突巴の堅固な甲に対してある秘策をもって挑んだ。 それは、矛の先端に延固野弧を刺し、それを壁の方向へ投げ付けた。 反動で戻ってきたのを蹴り飛ばし、そして壁に当たって戻ってきたところを蹴り飛ばし…。 それを繰り返すうちに、次第に九突巴は惑わされだした。何と麻李雄が数十、数百と増えていったからである。 そして、そのまま麻李雄の大軍は矛を構え、突風のごとく九突巴に襲い掛かってきた。 九突巴は一人一人倒していったが、圧倒的ににあらわれる麻李雄の前に力尽き、ついに倒された。 ファミリーコンピューターのゲームに、スーパーマリオブラザーズがあるが、その中でマリオがノコノコを蹴り飛ばし続けることにより、残機を半永久的に増やす技があるが、 それは麻李雄が行なった事に由来していることは、言うまでもないことである。 民明書房刊「永遠の二番手の手記〜第一章〜 兄さんばっかりずるいや。」より。
てすと
683 :
水先案名無い人 :04/05/26 06:18 ID:QOyoho/+
>>681 >民明書房刊「永遠の二番手の手記〜第一章〜 兄さんばっかりずるいや。」より。
ワラタ
てすと
厳鋭騎蛇門出(げんえきだもんで) 三国時代、集団で馬に跨り、独特の衣服を纏い奇声を発しながら 千里を駆け巡る者達を人は『錬豪(れんごう)』又は『雑駆(ぞく)』と呼んだ。 錬豪・雑駆の中では前線で駆ける者の事を『厳鋭騎(げんえいき)』と云い、 彼等は厳鋭騎で在り続ける事を最高の誉としていた。 各勢の錬豪や雑駆の間では、『厳鋭騎蛇門』を駆け抜けると、 命尽きるまで厳鋭鬼として駆け続けられると云う伝説があったが、 この門を潜った者は誰一人居なかった。 それを憂いた魏の仙威家一門出身の将、覇馬咲(はまさき)率いる 錬豪『馬里張張(ばりばりばり)』は官渡にある厳鋭騎蛇門を目指し疾走、 見事門を駆け抜けた。彼等は生涯、厳鋭騎として語り継がれた。 以降、厳鋭騎蛇門を抜け出た者の事を厳鋭騎蛇門出と呼び、 現在も「現役だもんで」という決まり文句として、その筋の者に語り継がれている。 (民明書房刊『盗んだバイクで走り出す』より)
阿簾灯篭(あすとろ)恣慇摩(しーま) 共に当時厳鋭騎の中で神馬と崇められていた馬。 一日千里を駆けるともいわれ、また、捕獲が非常に難しい為 この馬を駆って厳鋭騎として活躍するものは常に羨望の眼差しで見られていたという。 余談になるが、この両頭を捕獲する際、必要な儀式として 神官、鉦為(かねため)に両腕を清めてもらう事から派生した言葉が「金貯めて」であるという。 伝説の厳鋭騎、覇馬咲は厳鋭騎蛇門を貫ける際に阿簾灯篭、恣慇摩、どちらにするか悩んだといわれ 今日でも故事として語り継がれている
民明書房大全(仮)今夏発売予定!! 待てしばし!!
688 :
蛮 飛狼 :04/05/26 20:43 ID:6Z1mk1zo
『因樽根東(いんたるねとう ) 』 南宋末期、美里堅(めりけん・現在の長江流域)の在る武将が始めた、出得田通新(でえたつうしん) なる一種の屯田制・情報通信手段を組み合わせた物がその興りであるらしい。上部(うぇぶ)と いう水路を利用し、その水路を通じて通信や記録を相互にやりとりするというものだったそうだ。 やがてこの「出得田通新」の利点を、南宋を攻め滅ぼした元の将軍の一人である 根騰(ねとう) が目を付け利用。 仕組みは、樽に詰めた記録を長江や黄河上流から流し、下流(東)にすばやく伝達する。 その名が「因樽根東」である。下流に流された樽は中継業を営む虎引駆(とらひっく)たちによって再度 上流へともどされる。(当然時間がかかる)今でも情報が上流から下流に流れやすく、下流から上流に流れにくい というのはこの故事に起因する。 誰よりも早く情報を得るというこの仕組みにより、 元は国が滅びるまで情報伝達面に於いて敵に有位であった。 一説によると、明の開祖朱元璋は、元滅亡のあとも諸国に利用されていたこの樽(による通信手段)を 発禁倶(はっきんぐ)なる宝貝でこじ開け、仲間の暗家(くらか またはくらっか?)という 幇(犯罪組織、一部では扶助組織の意)とともに中の情報を自分の地場固めに利用したそうだ。 その名ばかりが便利なものとして歴史に残った現代社会においては、その故事を知った 西洋人によってインターネットという名にこじつけられ、現代人が日々それを利用している。 中国の民は知ってか知らずか、その物の名前を因特網(いんたがん)と言う名で呼ぼうとしたが、 中国人起源説を嫌った西洋人の圧力によって結局はその名は封殺された・・・ 民明書房新書: 『 情報史に見る中世中国 』 著者 :蛮 野狼(バン・ワイルドハイト)定価:666円 消費税込み)より
昔、西アジアで大帝国を打ち立ててその名を轟かせた「スレタ帝」の文献を探しています。 どなたか情報をお持ちでないでしょうか?
690 :
水先案名無い人 :04/05/28 20:18 ID:WUc1vc7b
糞スレ(くそすれ) 屋外で脱糞中、便が脚に擦れたことに由来。 もともとは「便擦れ」だったものが、現代語風に言い直され「糞スレ」に 変わったものと思われる。 今で言う「つまらないスレッド」という意味は、素早く大便が肛門から落ちてい くのとdat落ちとをかけたものといわれている。 ちなみにこの大便が両足にかかってしまった場合、両擦れと言い、 現在でいう「良スレ」を意味している。 民明書房:『大便の末路』より
691 :
水先案名無い人 :04/05/28 20:19 ID:WUc1vc7b
糞スレ(くそすれ) 屋外で脱糞中、便が脚に擦れたことに由来。 もともとは「便擦れ」だったものが、現代語風に言い直され「糞スレ」に 変わったものと思われる。 今で言う「つまらないスレッド」という意味は、素早く大便が肛門から落ちてい くのとdat落ちとをかけたものといわれている。 ちなみにこの大便が両足にかかってしまった場合、両擦れと言い、 現在でいう「良スレ」を意味している。 民明書房:『大便の末路』より
692 :
水先案名無い人 :04/05/28 23:20 ID:NqBnfaBK
多難清 (たなしん) 撥音便消失 清は三世の春と言われるほど栄華を極めた時代の、後 列強の進出により衰退を見せ始める。 そんな内憂外患の折、6代皇帝咸豊(在位1850〜61)は、 の過度の重圧(精神的ストレス)からくる、発疹によって悩まされていた。 咸豊は辞世の句の中で清を嘆いた詩を読んだことから、 それが識字率の低い農民達によって詩は省略化され皇帝の句は 「多難清」と呼ばれるようになった この多難清と言う言葉は、そののち起こる義和団事件において 扶清滅洋と並ぶスローガンとされ。列強の軍は多難清と皇帝の肖像が 描かれた軍旗をを見て「tanasinn」と叫び恐れたという。 そしてこのスローガンはいまでも、嫌中国派が多い 2chなどのBBSにおいて親中派が徹底抗戦の道標として 多く使われている。 民明書房新書:tanasinn・・・・・・
693 :
水先案名無い人 :04/05/30 01:51 ID:Sn87lKCt
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スカトロ議長
怨烙師匠(えんらくししょう) 古代中国のある町で、男たちが一対一で闘うという祭りが開かれていた。 戦国時代末期、その優勝者はいつも耽浪(たんろう)という男であった。 そしていつも決勝で彼に敗れていたのが賛佑(さんゆう)であり その都度耽浪に馬鹿にされていたため、彼を怨んでいた。 ある年、賛佑はそれまで以上に特訓を積み、決勝戦では馬に扮装して耽浪の前に現れたのである。 耽浪は自分を油断させるためだと思いながらも馬の格好をした賛佑を笑った。 しかし、賛佑の目つきは真剣だった。 彼は、蹄(ひづめ)の部分に「怨」の印を仕込んでおき、その印を勝負直前まで熱し、 闘いが始まると同時に駿馬の如く耽浪に駆け寄り、腹に蹴りをいれた。 そして耽浪の腹には黒く「怨」の文字が押されてしまい 彼は悔しさの余り、その場からすぐさま立ち去ってしまったのである。 観衆はこの早業を見て「賛佑蹄怨烙(さんゆうていえんらく)」、 すなわち「賛佑が蹄で怨の烙印を押した」と歓声を上げ、 賛佑を「怨烙師匠(えんらくししょう)」と称えたのであった。 耽浪の方は、烙印を押されたため「烙耽浪(らくたんろう)」というあだ名が付いたという。 後に彼は改心し、賛佑の弟子になったする説があるが定かではない。 現在、笑点の司会を務める三遊亭円楽が馬面であることや 弟子の三遊亭楽太郎が腹黒いことは偶然なのだろうか。 民明書房刊「馬祭りの名場面集」より
そーなんだ!
温裸淫寡寺乃(おんらいんかじの) 明代中国の商人・金梨訓は、大変な働き者で有名で、一年で二年分働くと言われた。 彼はたちまちに成功を収め、25歳にして大旦那と呼ばれる身分になった。 しかし彼は事業の拡大にあたり、温裸淫寡寺乃(おんらいんかじの)という、一種の風俗業に手を染めたため、 当局に目を付けられ、最終的にお取り潰しとなった。 この時金梨訓は、「真自出汚主須迷(まじでおすすめ)」(意:自分がこのような汚れた主人となったのは、須らく迷いから来るものだ) という詩を残し、出家して僧となった。 余談ではあるが、現代において去年から始めたにも関わらず二年で財を貯めた者が、 マジでお勧めしてくる現象がしばしば見られるが、 これはこの金梨訓の戒めを現代に伝えようとするものであろう。 民明書房刊「時を超越する25歳」より
毎週火曜の深夜、TBS実況スレに現れる「ビバ! モンスターユニオン!」と叫ぶ謎の集団について、資料はないでしょうか?
ヽ(`Д´)ノボッキアゲについての(ry
暴奇鞍下(ぼっきあげ) 古代中国、精強を誇った傭兵集団があった。 その数万とも数十万とも呼ばれた集団の頂点には、兄弟である烏舞暴-浜魯遊鬼(うまいぼう・ひろゆき)と弥奇殷(やきん)がいた。 彼らは戦時には敵国の軍隊やならず者の集団と戦い、平時には自分たちの自治領を治めていた。 彼らが戦った相手としては、「凶徒富兄(きょうとふけい)」や「漢國粘致逗(かんこくねちずん)」などがよく知られている。 なお平時の領民は数十万とも数百万とも呼ばれ、人が多い事の常として争い事や問題が絶えなかった。 普段頂点に立つ二人は些細な問題を傍目に(・∀・)ニヤニヤしながら、領土の策定など大きい問題に取り組んでいたが 争い事が大きくなると自ら陳情を聞き入れることがあった。 陳情の当日。 批判・要望を聞き入れる際、彼らは馬で陳情のための場所に赴き、馬の背に乗ったまま話を聞いていた。 多くの場合は聞き流しているだけであったが、内容によっては馬から降りて自分の意見を述べることもあった。 領土の首領が自分の意見を近くで述べてくれるという事に人々は感激し、 「烏舞暴-浜魯遊鬼(うまいぼう・ひろゆき)と弥奇殷(やきん)が馬から降りた」という事を表すため 『暴奇鞍下!!(ぼうきあんげ)』つまり「烏舞暴と弥奇殷が鞍からお降りになった!!」と叫んだとされる。 「暴奇鞍下!!」はその後時代とともに「ぼっきあげ」となまっていった。 最近までこれらの習慣は完全に廃れたと思われていたが、以下のような事実が公表された。 現在2ちゃんねると呼ばれる掲示板があり、その管理者はひろゆきという人物で夜勤という上級スタッフがいる。 彼らが「批判要望板」と呼ばれる所に書き込むと、周囲の人々は「ヽ(`Д´)ノボッキアゲ」と騒ぐが これは果たして偶然なのだろうか? 中国古代史文化比較学会では、来月に行われる同学会を前にしたこの発見に色めき立っている。 民明書房刊 「中国古代史文化比較学会 2004年度前期会報」 より抜粋
最近、一部でとりざたされている「コピポ」(こぴぽ)に関する 資料を探しております。 お勧めの書籍は有りますか?
シャア専用板にもあった 【弐勇厳陀武(にゅうがんだむ)】 カラクリの類を応用した人型兵器は古来より世界各地に存在するが、 その中でも最高峰とされるのが古代中国より伝わるこの弐勇厳陀武である。 この弐勇厳陀武はかつて皇位を追われた赦亞・安須拿舞屡率いる根尾慈怨軍の反乱を鎮圧するべく 製造され、当時、軍で最高の達人と謳われた編魯・零が操縦士を務め、大きな戦果を挙げた。 この弐勇厳陀武には意のままに操れ、協力無比な光の矢を発する砲が六つ装備されており、 これがこの機の最大の特徴であるが、これを自由自在に操るためにはものすごい技量と感受性が必要とされた。 弐勇厳陀武の大胆且つ華麗な戦いは後々まで語り継がれ、現在でもこれを祭った寺院が中国各所に存在する。 なお、賢明な読者ならお判りかと思うが、これが日本の人気アニメ『機動戦士ガンダム』シリーズに登場する νガンダムのモデルになったというのは言うまでもない。 民名書房館 「現代の人気アニメーションに見る戦乱の歴史』より
民明ネタを書くなら男塾ぐらい読んで来い。 なんだか元ネタを知らずに書いてる奴が多いような気がする。 書名までムリヤリ漢字を当ててる奴とか
魁!男塾は今でもワシのバイブルじゃ。
【鉄道(てつどう)】 古来、秦王朝の時代に麗 流布安(れい るふぁん)が発案した格闘技 鉄仮面、鉄兜、鉄の鎧を着こなし、鉄棒や剣などといった鉄器を用い殴りあう格闘技である 無論鉄製品であれば鉄鍋や包丁でもこの格闘技に参加することができた なお安 保氏(あ ぼし)という男がこの鉄道を極めた人物であったと言われている 彼は半下衣装の鎖帷子を着こなし「阿保!!阿保!!」という 掛け声と共に次々に対戦相手をなぎ倒したと言われている なお現在鉄道といえば公共交通機関を指すのは周知の通りだが 鉄道オタクのことをレールファンと呼ぶのは麗 流布安から 来たのは賢明な読者ならすでにお分かりだろう また、鉄道オタクの間で半ズボン氏と呼ばれる人物が有名であるが 彼の特徴が安 保氏と似てるのは何かの因果であるのか・・・ 民明書房刊 「週刊格闘データファイル」より
>>709 ついでに週刊サンデーで連載されてる漫画元に書いてみました(タイトル忘れた)
ハソ板で見つけますた。 「むぅ。あの技は伝説の『ぷよむらん』!」 「知っているのか雷電!?」 「ウム、聞いたことがある……」 -ぷよむらん- 野球の起源が古朝鮮にあることは良く知られた事実。 その古朝鮮において、宝剣ポプアドルを携えて古朝鮮プロ球界に君臨した"肉王"が開発 したという恐るべき必殺の技が"ぷよむらん"である。 一見ただの外野フライだがその威力は素晴らしく、捕球する野手もおもわず一歩後ずさり すると言われている。 その秘密は高い体脂肪率の肉体がミートの瞬間にボールに特殊な固有振動を与え、空気 抵抗により球速を失速させることで捕球のタイミングを狂わせるのである。 この技は非常に危険で、狭い球場では能力が発揮できずに単なる満塁打に成り下がって しまう事がある。 スランプにより一時的にこの技が使えなくなってしまい、56本もの不発の"ぷよむらん" (一般に"柵越えぷよむらん"と呼ばれている)を打ってしまった肉王は自身を鍛え直す ために日本に渡り、真の"ぷよむらん"を完成させたと言われている。 余談ではあるが、満塁打を"ホームラン"と呼ぶのは不発の"ぷよむらん"に怒り狂った 観客が近所の法務省で暴れまわった"法務の乱"に起因している。 ――民明書房刊 『古朝鮮プロ野球スター列伝〜心に届けぷよむらん〜』より――
法務の乱ワラタw
何気なく大河内民明丸でぐぐってみたら発見した。 「リストラ」 中国の秦時代に李柝站(リー・タクチョウ)によって考案された健康法は、 人間の経穴(ツボ)が肩に多くあることから、 肩を刺激することで疲労を回復し、 健康を促すというものであった。 肩を揉む、肩を叩くという単純な健康法は当時大流行し、彼の元は入門者が後を立たず、栄華を誇った。 修行をして師範の称号を得たものはその証として肩に刺青をしていたという。 しかし増えすぎた入門者は必ずしも利益をもたらすものではなく、 むしろ財政を圧迫することになった。 そして孫の李諏虎(リー・ストラ)の代になるといよいよ経営が苦しくなり、 大幅な人員削減を行うことになった。 彼の人員削減は入門者の4割を解雇したと記録にある。 以来、彼の名にちなみ人員削減のことをリストラと言うようになり、 人を解雇することを「肩を叩く」と表現するのはここに由来する。 また師範らが肩に刺青をしていたことから、地位や身分を「肩書き」と言うは周知の事実である。 民明書房刊『中国拳法に見る東洋医術』より
涅罵陀は?
「多名神(たなしん)」
古代中国では、アジアの宗教や神を取り入れ、共存すると言う
文化が昔からあった。その中でも異彩を放っていたのがこの神である。
破壊・と再生の神シヴァ、インドの雷帝インドラ、仏教の守護者帝釈天、ほか
「無」にかかわる神は、皆一人の神のことを指している。
それを信仰する者はその神を本当の名で呼ぶのをはばかり、
「多くの名をもつ神」、すなわち「多名神(たなしん)」と呼んだ。
また、多くの災いをもたらすことから「多難神(たなんしん)」とも呼ばれた。
裏の宗教であるため表舞台に出る事はまずなく、
中国正史にかかわってくるのは
>>692 にあるように、神の怒りをかって死んだ
清の皇帝とのちの義和団事件への関連のみであった。
(蛇足だが、日本に初めて伝わったのは応仁の乱ごろだと言うのが有力な意見であり、
信長が比叡山焼き討ちをしたのはこの真理を知ろうとしたためだったとする説もある)
なお、
>>386 の「意識的空白をもつ」ことはこの神の裏の教義であり、
西洋ではこの教義を理解する事を求める学問、のちの錬金術へとつながっていった。
賢者の石を意味する「Qudy」という隠語は(これ自体が間違って伝播した可能性は高い)
現在日本語キーボードの「た」「な」「し」「ん」の書かれたキーに対応しているのは
賢明な読者はご承知のとおりだろう。
現在、いや少し前にtanasinnと言う言葉があるインターネットで流行ったが
それはこの神を指していることに他ならない。
なお、この神は世界でもっとも心が荒廃したところに現れると言われていた。
現在はあるスレを最後に言葉を封印する傾向にあるが、それは
人々が心の豊かさを取り戻しつつあるという喜ばしい指針であるのだろう。
民明書房刊「中国文化と異国宗教 第六巻 (桐宗徒と陰銅鑼)」より抜粋
>>717 工エエェェ(´д`)ェェエエ工なんだってー
陰銅鑼…
720 :
水先案名無い人 :04/06/12 18:53 ID:5ZXjAlH9
>>1 乙!!
つうか、実質2ゲット?
『煮解賭 ( にげと ) 』
明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、合図と共に棒に駆け寄りに旗を奪い合
うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、毒草を煮込んだ煮汁を飲み、その解毒剤を旗代
わりにして奪い合うという遊びに発展させた。
命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この毒草の煮汁の解毒剤を賭けた闘いは「煮解賭」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「2ゲット」と形を変えて、現代人が機敏さを争っているのである。
( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
722 :
水先案名無い人 :04/06/12 20:14 ID:5ZXjAlH9
ID:5ZXjAlH9は .  ̄  ̄/〃 / 〃 /  ̄/ / / / | ./ ―― / / _ _/ / | _/ _/ /_/ /\___/ヽ /'''''' '''''':::::::\ . |(●), 、(●)、.:| + | ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::| . | `-=ニ=- ' .:::::::| + \ `ニニ´ .:::::/ + ,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、. : | '; \_____ ノ.| ヽ i | \/゙(__)\,| i | > ヽ. ハ | ||
根罵堕(ねばだ)についての資料を探しているのですが……
寝馬蛇(ねばだ) んーとね、とある農家の馬がね、あっ、古代中国の話ね。馬が蛇を「足が無い、寸胴だ」 ってバカにしたんだって。こういうことは言っちゃダメだよね。それで蛇は怒ったみたいでね、 馬が寝てる時に近づいたんだって。そんでね、蛇は馬の顔に絡みついたんだってさ。 驚いた馬が暴れたらさ、立てかけてあった鍬で生命にかかわる部分を切ってしまった んだって。怖いね。残念だけどその馬は・・・言わなくても分かるよね? この前大変な事件があったけどもしかしたら・・・ね? 民明書房刊『フレンドリー中国事件簿』より
>>725 トン。
これは動物に仮託した道徳説話だったのですか。
727 :
水先案名無い人 :04/06/13 17:23 ID:CoH3gntH
>>717 陰銅鑼と銅鑼ェ門とやらは関係があるのか、雷電?
涅罵陀(ねばだ) 唐代中国の武人。その武名は広く知れ渡っており、彼を慕う者は多かった。 『@u@』(あっとますますあっと)の旗印の下、多くの部下を抱えていた。 しかし彼と並び称された武人・沙東巳(さとうみ)は彼を快く思っていなかった。 ある時、涅罵陀がいつものように於派用備維務(おはようびいむ)の任についているとき、 沙東巳は彼の旗印を指して、「其変旗印如何。可否愚弄?」と侮辱した。 これに怒りを覚えた涅罵陀は沙東巳に楠拿闘(なんだとう)の決闘を申し込み、 愕襲屡宇無(がくしゅうるうむ)にて見事沙東巳を打ち負かせて恥をすすいだという。 余談ではあるが、当時沙東巳は内府の役職を与えられており、 沙東巳を討ち取った涅罵陀は興奮のあまり「勝った勝った、内府に勝った!」 と叫んだと言われる。 この時涅罵陀が使用した武器を改良して生まれたのが「カッターナイフ」であることは言うまでもない。 民明書房刊「少年犯罪裏面史」より
後刃空流(ごばくうる) 中国拳法の技の中にはあまりに危険すぎるがゆえに封印され、 現在に受け継がれること無く消滅した、いわゆる「禁じ手」も数多く存在する。 その一つがこの後刃空流である。 秦時代中期にその名前を轟かせ、恐れられた二人組の暗殺者、「陀」(だ)「梯」(でい)が編み出したこの技は、 陀が敵と戦っている後ろから、梯が無数の短刀を投げつけると言うもの。 陀は後ろから流れてくる空気の流れを読み、後ろから飛んでくる短刀にかする事すら無く避けきり、標的のみが梯の短刀の餌食となったと言う。 しかし、この通称「陀梯空流」(だでいくうる)とも呼ばれたこの技は大きな欠陥があった。 あまりにも強力すぎるため、無関係の者まで傷つけ、殺めてしまう危険があったのだ。 暗殺者でありながら、良き夫であり大変な子煩悩であったと言われる陀、梯は、間違って全く無関係の母子を殺めてしまった事から、 この技の使用を止め、この技術を誰にも伝えることなく永遠に封印した。 現在、インターネット上で間違って違う掲示板に書き込んでしまう事を「誤爆」(ごばく)と呼ぶが、それがこの技から来ている事は想像に難くない。 また「父親」を意味する英語の「ダディ」が、この良き父親でもあった陀と梯の名前から来ている事は賢明な読者はご承知の通りだろう。
民明書房刊 「中国拳法と家庭内コミニュケーション」より
サダムフセインについて調べてるんですけどどなたかこころあたりあるひといませんかー
>731
Saddam Hussein al Tikriti
1937(昭和12)年4月28日生
イラク、ティクリット出身
イラクの政治家
父、フセイン・アル=マジド
母、スブハ・タルファ
カイロ大学法学部卒
バクダッド大学卒?
1979(昭和54)年7月16日 大統領就任
1980(昭和55)年〜1988(昭和63)年 イラン・イラク戦争
1990(平成2)年8月2日 イラク軍、クウェート侵攻
1991(平成3)年1月17日〜2月28日 湾岸戦争
1994(平成6)年5月29日 首相兼任
1995(平成7)年10月15日 国民投票で大統領信任
有効投票の99.96%が信任票
2002(平成14)年10月15日 国民投票で大統領信任
有効投票(1144万5638票)の100%が信任票
2003(平成15)年3月20日〜 イラク戦争
2003(平成15)年 米軍手配リスト・ナンバー1(スペードのエース,賞金2500万ドル)
12月13日 ティクリート近郊で米軍に拘束される
(
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/sa/saddamhu.htmlより抜粋 )
睾丸病(こうがんびょう)
>>653 で書かれた有衣荷(ういに)が絶頂期の頃に流行りだした病である。
この病にかかると睾丸が異常に腫れその症状はやがて全身に及び
顔までも醜く腫れたと言われその姿で患者であるか直ぐにわかったと言われてる
この病の恐ろしさは感染力が非常に凄まじく患者に触れる物全てに穢れが移り
穢れてるとは知らずにその物を触れると感染しまうのである。
これにより有衣荷の利用者の大部分が病に苦しんだといわれている
この病の誕生の秘話は明らかにされていないが一説によると
違法交易する愚か者に怒りを覚えた道士か
たんなる愉快犯が生み出されたとも蟲毒とも言われてる
また教徒不敬(きょうとふけい)が捜査中この病にかかったことから
殷朝の第47代皇帝である四七氏の拘束が決定されたといわれている
なお現在Winnyのネットワークを利用すること個人情報が流出する
コンピューターウィルス『キンタマ』ウィルスがこの故事からきているのは言うまでも無い
両者も感染することにより個人が特定される危険さらに名前の共通
そして京都府警の警官がウィルス感染後に逮捕・・・
今後有衣荷の謎はさらに多く解明されるであろう。
民明書房刊「得武得食州之次覇軟堕」(えむえくすのつぎはなんだ)より
『愚櫓太鼓 ( ぐろたいこ ) 』
宋代末期、首都開封の画家の間で、愚櫓(ぐろ)なる遊びが流行っていた。
既成の人物画を元に異形なる絵を描き、その珍妙、奇妙なる様を競い合う遊びであった。
この遊びにを耳にした皇帝が、怒叛の乱(どはんのらん)で捕らえた囚人に火薬を詰めた小袋を飲ませて破裂させ、
太鼓のやぐらの上に晒した様を宮廷画家に描かせたことにより、愚櫓の技術は急速に発展した。
人々は皆競って、怒叛をモチーフに愚櫓の絵を描くようになったのである。
グロゆきスレでドッパンが流行し、また太鼓をモチーフにしたドッパンが登場したのも、
実はこの故事が由来であることは言うまでも無い。
民明書房刊「古代中国に見る美術ブリャァァ」よりバッチュュァァァァァァァ!!
【キモ】キモゆき・グロゆき総合スレ【グロ】その21
http://aa4.2ch.net/test/read.cgi/kao/1086765392/
↑久々にそのスレ見たが相変わらず弾けてるなw
736 :
水先案名無い人 :04/06/16 01:14 ID:hZo94Q/2
破自衛路(ぱじぇいろ)
その昔、百済の国で名を轟かせた拳法家の1人である峰鼓(ぽうこ)は 敬謙な仏教徒でもあった。 ある歌人が「貴殿の強さの秘訣は?」とたずねたところ 峰鼓はこう答えたとされている。 「日々体を鍛え、印を結び座禅をしただけです」 歌人は峰鼓の謙虚な姿勢と人柄に心酔し 次のような歌を詠んだ。 「峰鼓鍛印下雄」 (訳:峰鼓のように体を鍛え印を結び禅を組むことで真の雄々しさを得る) この歌はその後、真の強さを目指す拳法家たちに教訓として広まった。 現在の日本でも強さを目指す男たちの間で 「ぽこたんいんしたお」 と合言葉になっているのはあまりにも有名な話である。 民明書房刊 「詠むだけで強くなれる名歌最新版」より抜粋
hasyu
コピペ
現代における台風とコロッケの関係は平安時代中期の
頃家(ころっけ)による調伏にまで遡る。
そのころは現代のように台風の襲来や進路が判るはずもなく
人々はただその雨と風に怯えているだけだった。
そのころの陰陽師の一派である頃家の人々は人をベースとした
式神を用い台風を調伏し穏やかな雨と風にしていたという。
頃家の人々が式神に与えた活力源が、現代でいうコロッケに近いもの
であったことから自分達が食べることで同じような効果(調伏)を願って
食べ始めたのである。
現在ではその「食べる」という行為のみが強調され
残念ながら調伏の能力は失われているようである。
「頃家による台風調伏記」 著 滝川広志 刊 民明書房 より抜粋と要約
【コロッケ】台風6号★2
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1087714614/542/
民明書房刊「何かくれ 二十五周年」より ワロタ。 素じゃねえか
ふむぅ、今川某の復刻した作品に登場すると言う巨大宝貝、『門酸汰悪(もんすたぁ)』について……
>>742 おお、、『門酸汰悪(もんすたぁ)』について語ってくれるのか、それはありがたい。
何しろ最近では自らネタを書かず、御題だけを投下して何もしない者が増えてな。
塾生の風上にも置けん奴らじゃ。
ここで一発、「流石は節制の14、物知りじゃのう」とわしらを驚かせてくれ。頼んだぞ。
>743 実は……『門酸汰悪(もんすたぁ)』は宝貝ではなく巨人の末裔とか言う説も聞かれるが……>519のこともあるし…… 長谷川某の仮説も取り入れてみよう。 『門素汰悪(もんすたぁ)』 横山の光輝が遺した、『磁鉄塔呂保』に並ぶもう一つの傑作と名高い『鉄人弐拾八號』に登場する巨大宝貝。『門口にてただ沙汰する悪鬼』の意味。 作中に置いては巨大な鉄の樽に手足の生えたかのような描写をされたこの超兵器は、西方の十字組なる邪仙集団の手によるものである。 同じ形をした人間大の子宝貝を多数統率し主人公の少年道士操る人型巨大宝貝、弐拾八號を苦しめたと言う。 別の説によれば、門須汰悪はいわゆる『てつはう』を大量に内蔵した攻城兵器(城門を須く淘汰する悪鬼)であるとも伝えられている。 民明書房刊『書の鉄人・光輝〜ロボットから魔法少女まで〜』より抜粋 と言うか、『鉄人弐拾八號』それ自体がまだでした……
>744 そう言えば、『磁鉄塔呂保』の表記では……『門酸汰悪(門口にて酸もて沙汰する悪鬼か?)』なんですよ。 『央華が静止した日』には弐拾八號のことも僅かながら触れられていたとか。 後、『犠矢龍(ぎゃろん)』『裏永盗(うらえぬす)』『愚裂汰我瑠保(ぐれたがるぼ)』などの魔獣や宝貝が盛りだくさんだとか。
『波狸意没汰亜(はりいぼったあ)』に関する記述をご存知の方はおられませぬかな。
男根摩擦術(ダンコンマサツジュツ) 戦国時代の武士たちの間では、男根の大きさが己の強さを示す基準であった。 そのため武士たちは様々な方法を駆使し、己の男根を巨大にすることに挑戦していた。 その中でも特異な方法の1つとして挙げられるのが男根摩擦術である。 この術においては「女尼(オンナニ)」と呼ばれる美女の術者が、男根を大きくする効果の ある特別な油を用いて、男根に対し凄まじい速さの摩擦刺激を加えたと言われている。 だがそのあまりの過酷な刺激に耐え切れず、タンパク質成分を放出してしまう者も いたと言われ、その者たちは術者の女たちからは「早漏野郎」と蔑まれたという。 現代の日本においても、術者の血を引く美女は数多くいるが、その施術料金が高額な ため、婦女子の写真や映像を見ながら自分一人で密かにこの術を行う男たちも数多く いると言われているが、その行為がオナニーと呼ばれるのは「女尼」に由来する。 (民明書房刊: 「ひとりでできるもん」 より)
『穏裸員家事能』 オンラインカジノ
古代中国の晋王朝は、
>>50 ような「裸員」などの活躍により天下をほぼ統一した
しかし勇猛な裸員は平和な世の中では上に立つ者にとって疎まられることになる。
時の皇帝は裸員の誅殺に乗り出した。
穏やかな性格で「穏裸員」(おんらいん)と呼ばれていた裸員の似碁賽(にごさい)がいた。
裸員誅殺の際、「似碁賽」は一か八かの賭に出た。
鍛え上げた肉体を洗濯、炊事などに使用し「皇帝に反意はありません」と示したのだ。
似碁賽はこの行為により誅殺を免れることが出来た。
あまつさえ「穏裸員家事能」の称号を得て宮廷の料理番を任された。
うまく宮廷に取り入った似碁賽は若くして成功し、
去年までは一文もが、二年で350万石の富を得ることが出来たという。
そして宮廷内でも権力を得てたくさんの派閥が生まれることこなった。
しかし派閥を作るまでに至った穏裸員家事能ではあるが
似碁賽の問答で矛盾点などで、後日一気に名声を失うこととなった。
なお余談ではあるが英単語「ギャンブル」の語源が
この穏裸員家事能の最大派閥、「巍椰振流」(ぎやぶりゅう)からきているのは
賢明な読者諸君の推察の通りである。
( 民明書房刊 「治世の戦い 食はギャンブルである!」 より )
749 :
水先案名無い人 :04/06/27 09:57 ID:W+1J1t7K
箒滑空術(ほうきかっくうじゅつ) 拳法において敵の頭上から攻撃することが有利であることは明白である。 そのため古代中国においても空高く飛ぶための数多くの技が考案された。 その中でも異色の滑空術として有名なのが箒滑空術(ほうきかっくうじゅつ)である。 この奥義の要諦は、棒の先端に特別に強い反発力を持つバネを接続し、 その棒に跨り、その状態から跳ね上がることにより空高く飛ぶものであった。 バネのついた棒はそのままでは敵に警戒されてしまうことから、バネの周りに 沢山のワラを巻きつけ、箒に見せかけて携帯する方法が考案された。 西洋の童話には、箒に跨り空を飛ぶ魔法使いの姿が描かれているが、 それは古代中国において、箒滑空術を使って闘う拳法家たちを見て 驚嘆した西洋人が、その話を「魔法」として西洋に広めたためで あると言われている。 現代では中国のみならず、西洋においても、箒滑空術を含む様々な超人的奥義を 修行・習得するために「魔法学校」が密かに運営されている。 近年、映像化され大ヒットしたハリーポッターという作品は、この実在する魔法学校を 元にした実話であることは懸命なる読者諸君のご推察どおりである。 (民明書房刊: 「ハリーポッターと中国拳法の不思議な関係」より)
>>749 は「賢明なる」でなく「懸命」なのがワラエタ
752 :
水先案名無い人 :04/06/28 03:00 ID:OEk6M7/h
誰か銅鑼ェ門なる者について、新しい資料を提供してくれる賢者はおらんかのう。
753 :
水先案名無い人 :04/06/28 07:20 ID:Y15qzDYl
樋戸都陽と緋頼軒(ひととようとひらいけん) 江戸時代中期、平和な江戸市中を騒がせる怪盗がいた。 人は彼を緋頼軒(ひらいけん)と呼び、「緋頼軒参上也」の置手紙を残していくことで有名であった。 その腕は見事で、決して貧乏人からは盗まず、悪徳商人や大名から盗むことから 庶民の喝采を浴びていた。 中でも将軍家お抱えの南蛮伝来の巨大な古時計を盗み出しことはつとに有名である。 一方、同時期に樋戸都陽(ひととよう)という儒学者がいた。 彼は有職故実に通じるばかりでなく、人徳もあふれ、幕府からの信頼も厚かった。 ある時、ついに緋頼軒が役人に捕らえられ、市中引き回しの上獄門の刑となった。 引き回される緋頼軒を見て、江戸市民は思わず息を呑んだ。 なんと緋頼軒は樋戸都陽その人だったのである。 この衝撃的な事実に人々はみな思わずもらい泣きしたという。 余談ではあるが、現代において再生速度を変えると歌声が酷似している二人の歌手が存在するが、 この怪盗をならって一人で二人存在するかのごとき忍術を用いているわけでないのは言うまでもない。 民明書房刊「沢内昇平黙示録」より
もらい泣きにワロタ
「あれは噂に聞く狗炉之守族!?」 「なにーーーっ!!知っておるのか大介!?」 「ああ・・・」 続き思いつきませんorz
誤爆
>737 >746 >752 他 他力本願寺の坊主大杉 漢字にするだけでネタになるなら珍走団にでも入ってろ
全体的に、本来の民明書房からはだいぶ外れているな・・・
>>758 の言うとおり、やたら漢字にすればいいってものじゃない。
夢を見ました。 この私、ガ板住人たる『節制の14』が、このスレで紹介文をかかれる夢を……読む前に目が醒めましたが。 >758-760 でも、漢字を当てるまでしか思い付けない事もあるよね。何を隠そう先の『門酸汰悪(もんすたぁ)』も最初は当て字を考えただけだった。 一晩寝かせた上催促までされることで自分を追い込み、形にしたわけだ。だから、最初と字が違うとか言う突っ込みはご容赦。 と、言うことで、 『鉄人弐拾捌號』に関する参考資料求ム。現状では、まず弐拾捌號のサイズが等身大だったり二丈六尺ほどだったりと食い違うの……
762 :
水先案名無い人 :04/06/30 00:14 ID:wMTjP9nr
>>758 おら、ネタいくつかカキコしたけど、力つきたんだよ。
結局同じ駄レスにはかわらねぇってこった
転載 「暑さ寒さもひがんまで」 ”ひがん馬”とは中国の伝説上の馬のことで、 その昔、暑さ寒さをとりしきる神様が、その馬を愛用していたことに由来する 最初読んだときに、「よー思いつくなぁ」と感心スマスマ
765 :
水先案名無い人 :04/06/30 23:46 ID:Vjkpxpjm
諏羅仏(すらぶつ) 古代インド、仏教文化が盛んだった頃、 インド各地の街道に仏像を設置し、旅人の安全を祈る風習があった。 その仏像はスーラーイムダと呼ばれ、青色に染められた姿で、 旅人は旅の途上の災いを替わりに引き受けて欲しいという願いを込めて軽く叩いていくというものであった。 このスーラーイムダがシルクロードを経て中国に伝わると、 諏羅仏(すらぶつ)という名で広く建立され、様々な亜種が生まれた。 赤く染められた諏羅仏可栖(すらぶつべす)、極めて稀少な銀製の眼侘瑠諏羅仏(めたるすらぶつ)、 食中毒などか護るとされた緑に染められた婆撫屡諏羅仏(ばぶるすらぶつ)、 ひげを加えられ、怪我から護るとされた保慰身諏羅仏(ほいみすらぶつ)、 とりわけ巨大な禁虞諏羅仏(きんぐすらぶつ) など、非常に多様な諏羅仏が作られたが、今では現存するものは少ないという。 余談ではあるが、現在某RPGで冒険序盤に登場して勇者一行の恰好の餌食にされては 毎度ボコボコにされて経験値を与えてレベルアップの助けにされるだけのモンスターが存在するが、 このスラ仏が日本に伝わり、冒険者たちの無事を祈るための存在となったものかは定かではない。 民明書房刊「軟体生物大百科」より
>棲手琉素(ステルス) みたいに訓を入れるのはどうかと。 全部音で構成しろ。
それは李箸振に言ってるのか?
武流劫羅(ぶりゅうこうら) 中国は北宋の時代の中期、丙武之(へいぶし)という将軍がいた。 丙の采配は非常に巧みで、丙が指揮をとれば彼の軍はまるで水の様に臨機応変に戦うことが出来、 その様を賞賛して皇帝は「丙の武は流水の如し」と言い、そこから彼の軍は武流と呼ばれるようになった。 ある時、北方から菰可庫羅(こかこら)という者が率いる羅という騎馬民族が侵入した。 初めは北宋軍は羅に押されていたが、皇帝の命令で丙が出陣するとあっという間に羅を打ち破り、 菰可庫羅は命からがら逃げていったと言う。 この活躍に民衆は「武流劫羅」(武流が羅を劫らせた。)と言い丙を称えた。 近頃発売されたブルーコーラがこの故事からとられているかどうかは定かではない。 民明書房刊「亜雄義者寧」(あおすぎじゃねい?)より
>766 そもそも中国語の発音と違うんだから仕方がない。 呂布って書いて「rubu」って読むんだぞ。
於狭麗法頭術(おされぽうずじゅつ)…… 古代中国に於いて最も畏怖された武術の一つ。 自ら目を閉じ、且つ独特の構えを取ることによって己の気配を完全に絶ち、 さらに相手の気を読むことにより、精密に急所を狙った攻撃を繰り出す、という恐るべき武術である。 この武術の達人には、華薩国の尼僧であった馬 踏洛(ま どうらく)が最も名高い。 彼女は弓術を得意とし、ひとたび戦が始まると赤い僧衣を纏い戦場の真っ只中に華麗に踊り出、 降り注ぐ矢を全てかわしつつ、相手軍を一人残らず射殺したと伝えられている。 なお、この武術を元に作られたであろうMADLAXというアニメの劇中歌で連呼されている掛け声が、 馬 踏洛の異名である「矢間馬尼(ヤンマーニ)」から来ていることは言うまでも無い。 民名書房刊 「世界セクシィ…武術百選」より
プリキュアが中国拳法の秘術を元に制作されたという噂を聞いたのですが、 何かご存知の方はおられませぬか。
>>769 でも音はでたらめでもないし、
昔の中国語の発音をあるていど残している。
訓が一つでも入るとおもしろさがなくなってしまう。
774 :
771 :04/07/02 06:20 ID:mfPR1+a1
>>773 文句を言うなら自ら民名の紐を解け。
新たな書物を期待しておくぞ。
沙汰庵輪具(さたあんりんぐ) 沙汰庵輪具……その起源は古く、中国は唐の時代にまで遡る。 尼僧院である沙汰庵(さたあん)の僧兵達は、当然ながら全員 女性でかためられ、闇に溶け込む濃い紫の装束をまとう彼女らは 喝紫衣尼(かっしいに)と呼ばれ恐れられた。 彼女らが使う武具は、金属製の輪の外周に刃を仕込んだもので あり、その輪に手首を通して高速で回転させ、それを投擲して 剣や槍の間合いの外から必殺の一撃を放ったという。 彼女らの美しい殺人術を目にした者は、その死の間際に皆感激 し、『喝紫衣尼の感激』という言葉が残されている。 だがその感激を求めて自ら彼女らに戦いを挑んで果てる武道家 が絶えず、時の皇帝は沙汰庵を焼き滅ぼし、喝紫衣尼も根絶やし にされたという。 土星の周囲を美しく飾るリング、そこにひときわ目立つ隙間を 発見者の名にちなんで「カッシーニの間隙」と呼ぶとされている が、その命名をした者は、あるいはこの『喝紫衣尼の感激』の伝 説を知っていたのではなかろうか? 民明書房刊『中国寺院における尼僧装束萌えの系譜』より抜粋
最寄の脳内図書館に行けば幾らでも民明の資料は見つかるよ
>>775 わかりました。
このスレッドからです。
http://life5.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1079521250/ 741 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/01 23:12 ID:84a1+//K
なんでヲタってヘッドロックが好きなんだろ?
743 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/01 23:32 ID:lDMFKVbC
>>741 > なんでヲタってヘッドロックが好きなんだろ?
世界が狭い上、白か黒かしか無いからな気がする。
「カッコイイ」と言えばロックしかなく、それ以外のジャンルに手を出して
良さを追求したり探してみたりすることがない。
そのくせ「人よりカッコ良くありたい、物をわかっていたい」みたいな選民意識も存在するから
「ヘッドロック聞いてる俺カコイイ!J-POPは糞」みたいな考え方してたりする
753 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:04/07/02 01:15 ID:Ljs4X7pX
『Head Rock』
主に十代の少年達が聴く激しいロック音楽を総称してこう呼んだ。
特にメタル系の音楽がそれにあたる。
聴いている者達が頭を音楽に合わせて振ることから、
ヘッドロックと呼ばれるようになった。
俗論として、プロレスリングにある「ヘッドロック」との関係が議論されていたが
デューク大学のライン博士によって完全に関係がないと
証明されている。
Ming Mei Publishing, 『Encyclopedia of Hard Rock』より一部抜粋
昨今話題の球団合併も、かつて中国にも似たような出来事があったという話を聞いたのですが、 何かご存知の方はいらっしゃいませんか?
味噌とえいば、家康が敗走中に鞍の上にこぼした味噌が有名だな。
,、 _ ,ノ ,ヘ、、 /´ ノ `ヽ、 / ,,,,,、 ,,,,、、 ヽ ゞ i" ̄ フ‐! ̄~~|-ゞ ', { `ー‐'、 ,ゝ--、' } ', / "ii" ヽ ,! ___ヽ ←―→ )/ 丿__,, , ゝ `ヽ、 /´ く _ <-‐''´  ̄ ̄`,ゝ、、___,,, <´ ̄ ̄` ー-> ` ー''´Z_ノ ヽ、_ヾ ー ´ C H I N E S E R E S T A U R A N T __ __ __ __ __ __ __ `i | | i'l_i'l_i' i''´ __`ヽ-ッ _コ l____ i´__`ー-ッ _,,.、 ,! ,! .l l _,,,_ └'´__ ``´ レ┐ ┌─┐ ,!'´ ``´ /,r''´ / 丿 '、'、 l´ __`ヽ-ッi''´__`ヽ-ッ .l l ノ / / / / / ヽ ヾ´ ``'´└'´,,_``'´ l └ ' ,/ ___,,ノ / _,,.r'' / \ `> r'"´ ``ヽS.) l 「´ 「´ _ノ ‘''' ´ `′ └ ''´ ̄``‐-‐'' └ ┘ └‐ '' ´
不覚にもワロタ
性空寺奥義 膨陰衝(せいくうじおうぎ ぼういんしょう)…… 尼僧のみで構成され、中国全土にその名を轟かせたと言われる性空寺…… その性空寺に代々伝わる秘技中の秘技が膨陰衝である。 この技を受けた者の陰部が著しく膨張してしまう事から名づけられた奥義であるが、 自らの豊満な乳房を気孔により強力な武器と化すこの技を会得するには、 壮絶な修行と持って生まれた資質が重要とされるため、極めた者はごく少数であったと言う。 なお、膨陰衝の達人は皆、豊満な肉体を持っていたと記されているが、 当時の婦女子達は自衛の為にこぞって変装しようとし、様々な道具を生み出した。 その中で最もメジャーな物に、鉢当(ハットウ)と呼ばれる胸当てがあるが、 それが西洋に伝わりパットの語源となったのは言うまでもない。 民名書房刊 「乙牌聖人ここに有り」より
有賀遁(ありがとん) 古来中国の幻想文学には「遁」と言うものが存在する。 例えば光遁、水遁、地遁などであるが、これは空想上の存在ではない。 本来のところは、春秋戦国時代、大自然の力を利して、負け戦の時に 大将を安全な場所に撤退させる戦術を称するものである。 その「遁」の中には、大自然の力を用いない、変わり種もいくつか存在した。 季節の移り変わりをその戦術に例えた白居易の詩によると、 「春過、無否応夏訪。如否時有過慶賀遁」 (春は過ぎ、否応無く夏は訪れる。時ならぬ慶賀を祝し、逃げ遂せた彼の戦術のようだ) とあり、時ならぬ誤った慶事を伝えることにより相手を油断させる、現代に言う 「セクシーコマンドー」に似通った作戦だったらしい。 それが後の世において、相手を油断させ、逃げる戦術を「有過慶賀遁」または 「有賀遁」として伝わり、数多くの戦争で用いられた。 現代において、インターネット掲示板の画像鑑定者に「有賀遁」と声を掛けるのは 「ブラクラ、ウイルスから上手く逃げ遂せるように」との依頼者の心使いの表れではないだろうか? 民名書房刊 「漢詩に学ぶネットマナー」より
蛇矛牌屋(じゃむはいや) 古代中国では現代の中国人以上に麻雀が盛んであった。 麻雀牌の中でも象牙で作られたものは珍重され時の権力者などに非常に高値で取引された。 これに目をつけた、遼陽の人で拿屁津根(なへつね)という者があった。 彼は象牙の変わりに蛇の牙を用いて作った麻雀牌「蛇矛牌(じゃむはい)を作り、 それを偽って販売することにより莫大な利益を得て、嫁李(よめり)の地に豪邸を築いた。 しかし、ある日拿屁津根の下人阿狗鱈右(あくたらう)という者のしくじりにより 拿屁津根の牌が蛇の牙でできていることが知られてしまい、彼に騙されていたことを 知った土地の太守により嫁李の館は攻撃され、拿屁津根は捕らえられ 裸にされ全身の毛を剃られて市中晒し者の刑に処されることとなった。 これを見た町人たちは「嫁李の蛇矛牌屋の最期まことに哀れなり」と哂ったという。 以来中国ではいかさまがばれて晒し者にされることを「蛇矛牌屋」と呼ぶようになったと言われる。 現代日本のプロ野球における審判団の誤審、不正の疑惑を「ジャンパイア」と呼ぶのは 全国ネットでのTV放送という物でさらし者にされている彼らへの蔑みと哀れみがこめられているのである。 民明書房刊 「週間ベースボール」より
>786 何気にセクシーコマンドーに触れているのが……民明書房ではデフォなのか?
>>787 「たかが選手が」についての歴史書からの転載希望
791 :
水先案名無い人 :04/07/10 14:45 ID:E1RvjDP4
恋愛物の映画(洋モノ)を見たあとの話 俺 「外人さんって鼻高いけどさ、あれじゃいろいろ邪魔だったりしないのかな」 彼女「邪魔って?」 俺 「ほら、キスの時とか。鼻がひっかかったりしそうじゃない」 彼女「どうだろうねw 日本人でも大して変わらないじゃん」 俺 「試してみる?」 ……… 以上、民明書房刊「俺がいつか実現させたいキス時のシチュ」より抜粋
残念ながら著者791氏は既に亡くなられて久しいのですが、 結局全てのシチュエーションを実現できなかった事を追記いたします。 民明書房刊「俺がいつか実現させたいキス時のシチュ」第13版あとがきより抜粋
23 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 04/07/10 16:17 ID:VcWji2yl 於斗突派 清王朝末期、格闘技の流派に於いて隆盛を極めた華山派の陰に隠れる様に 多くの門弟を従える一派があったその名を於斗突派と呼んだ。 於斗突派の始祖”沱瑪朶”が編み出した前屈姿勢での攻撃は相手の虚を突く 一撃必殺の拳法で華山派の格闘家たちも於斗突派の者との戦いは避ける程であった。 また於斗突派はその型が独特である事で門外不出の拳であり門弟の選出も過酷を極めた。 毎年、多くの格闘家がその門を潜ろうと厳しい試験に耐えるが多くの者が挫折するのみであった。 その為、於斗突派の門前では度々、落胆に暮れる格闘家の姿があったと言う。 その門前で落胆する若者を見たイギリスの商人が走り書きでその様をアルファベット3文字に表したのが現在のorzである。 当初は於斗突派の門弟を表す意味で表記化されたorzであったが次第に落胆を意味する記号となった。 しかし、清王朝滅亡と同時に於斗突派も衰退しこの表現は長く歴史の闇に葬られた。 しかし近年インターネットなどの情報を通じ再び広がりを見せ現在では同じく落胆を表す表記として扱われている。 民明書房刊 「インターネット用語に於ける中国拳法の知られざる関係」より
於斗突派 沱瑪朶 何と読むのでしょうか
OTZ派 だめぽ
基本的にふり仮名を付けないのは失格ですね
っていうかマジ読めん。。。教えてエロイ人!
798 :
水先案名無い人 :04/07/11 20:47 ID:fh4MZRaE
武裸苦羅(ぶらくら) その昔秦王朝の時代、羅という女が居た。 その女の表向きは朝廷に遣える王の世話係をしていたが、 裏では武士を激しく誘惑し、その後毒を飲まし苦しむ様を楽しむという 猟奇的な一面を持っている。 ある日その女は観鄭忍(かんていにん)と呼ばれる下級武士の食事に 毒を盛っていた。しかし、それを観鄭忍に発見されてしまう。 その後羅は朝廷を逃げ出し、人々はその女の事を「武裸苦羅」と 呼ぶようになった。 それが中国全土に広がり伝説となり、現在はインターネットで 人を誘惑し罠にはめるページの事を「ブラクラ」と呼ぶようになった。 余談だが武裸苦羅を追い出した後、観鄭忍は非常に高い位の役職につき 今も子孫は崇められている。 ( 民明書房刊 「中國に学ぶ大陸的欲求」 より )
志巣多阿婦凛世子(しすたあぷりんせす) 古代中国に、12人の妹と1人の兄からなる家族があった。 その妹たちの美しさから、世の独身男性は12人の妹たちの虜になり、皇帝までもが 好みの妹を舞子棲多阿(まいしすたあ)と呼び求婚した。 しかし妹たちの兄に対する忠誠心は想像以上に篤く、ついに皇帝から世で最も 凛とした婦女子という意味の「婦凛世子」と妹たちを称えた。 現在の妹萌えのバイブルとなっている「シスタープリンセス」はこの故事に倣っているのは もはや定説である。 民明書房刊「古代中國に学ぶ妹崇拝主義」より
わたしが800ゲットすると皆不幸になるであろう 俺著「インチキ系予言書」民明書房刊より
801 :
水先案名無い人 :04/07/13 21:00 ID:OJuqE/UT
不死阿那山(ふしあなさん) 古代中国の都市、弐張祢瑠(にちゃんねる)では、簾令度(すれっど)と呼ばれる立て板に 住民が自由に情報を書き込むことで情報交換の方法とし、特定の住民は個人を特定するために人律符(とりつぷ)と呼ばれる称号を利用していた。 弐張祢瑠の長比呂楡己(ひろゆき)も大陸一の霊峰「不死阿那山(ふしあなさん)」の称号を用いて御触れを出していたが、 不埒な輩が「不死阿那山」を騙り、偽りの御触れを出し住民を混乱させる事件が多発した。 それを憂いた比呂楡己は「不死阿那山」の使用を禁止し、使用したものは身元を特定され簾零度にて晒されることとなった。 それ以降「不死阿那山」を騙る者はいなくなったが、一部の住民が新しく訪れた者をからかう罠として使うようになった。 現代のインターネット掲示板において、リモートホストを特定するためのfusianasanはこの故事が由来となっている事は想像に難くない。 ( 民明書房刊 「古代と現代を結ぶ情報の罠」 より )
「おぉぉぉ、
>>758 >>766 >>773 は噂に聞く自治厨!!」
「何いーっ!知っておるのか雷電ーっ!!」
示痴中(じちちゅう)
古来中国において、「我こそが民の生活の為、村を治めるのに相応しい」
と訴えるものが続出し争いが多発、果ては市民をも巻き込み被害は大きく
なっていった。
見かねた時の皇帝は争いをする者を集め、
「この中で一番「村・民を治める知恵」を持つと自負する者は名乗り出よ」
と言った。
そこで、中と名乗る若者が「我こそは知恵を持つ者也」と名乗り出たところ、
次の刹那、切り捨てられた。皇帝は中の死体を晒し、
「民の為に争うと訴え民を巻き込むとは如何なる事か。」
と中の痴を示し一喝、争いは止んだという。
現代においてスレを仕切ろうとする者を自治厨(じちちゅう)と
呼ぶ事はこの故事に由来するのは懸命な読者諸君なら
察する事が出来るだろう。
民明書房:『中国拳法に学ぶ・これで安心ネチケット』より
お前ら・・・もう一度、民明書房を読み直せ・・・ あまりにもレヴェル(←本場の発音)が低すぎる・・・
『虎歩流 兎隠道頭 (とらぶる ういんどうず) 』 中国 秦王朝末期 王朝の官僚にして国権のほぼ全てを手中に納めた 備 瑠鯨頭 は、自分の権力をさらに確かな物とするべく、三人の娘を皇帝の 妃候補に上げた。 器量よしで能力も有るが影の薄い 長女 尼泉 絶望的に度量が無いがなぜか憎めない 次女 巳衣 魅力も器量も溢んばかりだが、国が傾くほど飯を食う 三女 枝駒栖姫 である。 皇帝は三人を大そう気に入り、即日の内に召し上げられたのだった。 これにより、この国で 鯨頭に対抗できるものは皆無になった。 気を良くした鯨頭は 「虎歩流 兎隠道頭」(虎が歩けば兎が隠れる、まるで私の道(人生)のようだ) と 詩っている。 ( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 道長の朴りニダ」 より )
「あぁ、
>>803 は、もしや評論家!?」
「何いーっ!知っておるのか雷電ーっ!!」
豹・龍華(ひょう・ろんか)
古来中国において、戦の際に必ず現れると
言われた漢がいた。その漢の名は「豹・龍華」。
彼に兵法指南の技が少しでもあればあの孫子を
も越えたと言われる漢である。
「豹・龍華」はひとたび戦が始まると両陣営に現れ、
戦況を詳細に語るのを常としていた。しかし、誰の味方
でもなく、また戦況を有利に運ぶ術を訴える訳でもない。
ある時、ときの皇帝に反旗を翻した猛将がいた。
反乱である。皇帝は自ら指揮を執り、この反乱の
鎮圧にあたった。この時である。何処からとも無く豹・龍華が現れ、
皇帝に戦況を語った。皇帝軍が劣勢である事、兵が疲労して
いる事、そして皇帝の指揮に無駄がある事…
それを聞いた皇帝は激怒し、一瞬にして豹・龍華を切り捨てた。
そして、突然の出来事に驚いた側近の武官達に
「批判するだけなら阿呆でも出来るわ!!無駄口叩く暇があったら精進せい!!」
と一喝したと言う。
現代の戦場・インターネット掲示板において、特にネタを提供する訳でも
なく、ただ他人のネタを批判するだけの者が「評論家」と呼ばれるのは
この故事に由来する。
なお、余談であるが筆者も、評論する前にネタを返して欲しいと考える。
『痛快!!中国英雄猛将列伝 第二十五章「捏ト城(ねっとじょう)の戦い」』
807 :
龍 標可 :04/07/15 15:00 ID:kx3vCwz/
>>806 豹 龍華(パオ・ロンファ)さんがなぜ評論家になるのでしょう?
>「豹・龍華」はひとたび戦が始まると両陣営に現れ、
>戦況を詳細に語るのを常としていた。しかし、誰の味方
>でもなく、また戦況を有利に運ぶ術を訴える訳でもない。
どこの国でもこんな事を戦争中にすれば間諜と見なされ、
投獄か処刑されますが?
なりきりスレかもしれないが、でたらめは程ほどに…
わたしですか? ロン・ピャオクですがなにか?
「おぉ、
>>807 はマジレス!?」
「何いーっ!知っておるのか雷電ーっ!!」
魔・次麗洲(まじれす)
古来中国の猛将・魔・次麗洲がかつて
楚の国を訪れた際、行商に遭遇した。
商人は天下一品の矛と盾を売ると言い、
「この矛はとても鋭くて、この世に突き通せないものはない」
「この盾はとても堅くて、この世に突き通すことが出来るものはない」
と宣伝していた。そこで客が商人の言葉に決定的な
間違いがある事に気付き、誰か一人が指摘するのを
今か今かと待ち侘びていた。やがて客人の一人がここぞとばかりに
「では、その矛でその盾を突い…」と言いかけたその時、
魔・次麗洲はあっさりと「よし、買った」と言い放った。
商人は喜び、客は唖然とし、その場を離れていった。
時は流れ現在、ネタが展開しているところにネタと知りつつ
真剣に対応する事を「マジレス」と呼ぶ事はこの事に由来する。
(民明書房刊『中国故事由来列伝・第五章
「つまらなくてもいいじゃない。ネタにはネタで返してくれ」』より)
>>802 自治厨もクソもないだろ。
漢語はかならず音で読む。当たり前のことじゃねーか。
訓と音の違いがわからなければ、小学校からやり直せ。
李筴振…
解説がダラダラと長すぎ! 本物の民明はもっと簡潔な文章だ。
812 :
水先案名無い人 :04/07/16 22:17 ID:l+uGLVv9
>>809 でかい顔すんなこのタコ野郎
てめえ小学校の時はずいぶんと漢語が得意だったそうじゃねえか
まずはこれを漢語に訳して見せんかい
熱いな
>>812 無顔大、蛸野郎。
手前有小学校時、我聞漢語得意随分。
先是文訳漢語。
>807 豹 龍華が何故パオ・ロンファと読めるのですか? イヤ、中国語ではそう読まないといいたいのだろうけど、民明書房では ひょう ろんか と読みます。 >809 漢語では必ず音で読むのかもしれませんが、民明書房では音訓混じります。 ところでその民明書房の起源が古代中国にあると言うのは本当ですか?
民明書房では呉竜府を「ご・りゅうふ」と読みます。 そういう世界なんです。
漢字がどうのこうの以前に、無理矢理な漢字が多すぎる。 民明は、そこまで妙な漢字は多用していない。 どこかで誰かが言ってたけど、まるで珍走団みたいなセンスの ものが多すぎるよ。 「煮解賭」のような出来のいいものならいいが、単に無理矢理 漢字にして民明だと言ってる厨房はもうたくさん。
呉竜府、全部音で構成されてます。 それから、確か元代あたりの文献にゴルフに似た競技の記述があります。 それが今のゴルフとつながっているかは分かりませんが。
>752 「銅鑼エ門」 かつて日ノ本戦乱の世に陥りし頃、天下統一を志した漢、丈夫 鋼(ますらお はがね)。 彼に四次元流格闘術を施した人こそ誰あろう、墨土 羅エ門(ぼくど らえもん)である。 拳法、蹴法、護法、歩法よりなる四次元流格闘術を極めた彼はとある神社で隠遁 生活を送っていたが、ひょんな事から丈夫を弟子とすることとなった。 生涯の宿敵、織羽邪 威庵(おれはじゃ いあん)と数々の死闘を繰り広げたことでも知ら れている。 しかしその一方で、その名について数々の誤記が認められるのは、きわめて遺憾である。 表記の「銅鑼エ門」はそのうち最頻出の例であり、姓「墨土」を「墨」と読み違えた、 ヨウ・カタクラー著「銅鑼エ門百貨」の功罪であると断定せざるを得ない。 なお余談であるが、藤子・F・不二夫は羅エ門へのオマージュである自作「ドラえもん」の タイトル表記を「銅鑼エ門百貨」より引用し、またそれが誤りであったことを認めているこ とはあまり知られていない。 『ダワイ・ダワイ・ダワ〜イ♪バンカラ夜叉姫必勝攻略法』より
>>817 >民明は、そこまで妙な漢字は多用していない。
ハゲド そう思って久しぶりに本物を見たら…
>「煮解賭」のような出来のいいものならいいが、単に無理矢理
駄目だ。本物の前には「煮解賭」も所詮珍走センス。
今見ても宝 浜具・我永遠に氷をアイス・EYEこそ全て、
どれも面白杉。
孚虻流昆虫記
欧礼立流(おうれいりゅうる) 時は戦国時代、 当時キリスト教の布教を行っていたイエズス会は 日本にもキリスト教を伝えようと宣教師を派遣していた。 ザビエルの前に日本に来た初の宣教師Otty.Sugerは まず四国から始めようと、その地の有力大名長宗我部家に布教の許可をもらいに行った。 取次ぎの時に、「この国は座礼(座って礼をする)で拝謁しなければならない」と言われたが Ottyは「自分は自分のやりたいようにやらせてもらう」と全く聞き入れず、 結局西洋式の立礼(立ったまま礼をする)で謁見してしまった。 大名から「無礼者!頭が高い」と言われても彼は 「西洋式を受け入れないあなたが悪い、受け入れてほしい」と立ち続けたという。 もちろんそんな不遜な態度に大名が怒らないはずもなく、 布教を認めないどころかその場で彼を処刑してしまった。 後日、長宗我部氏は側近に、 「欧礼立流の押助(おうれいりゅうるのおしすけ)、甚だ不快なり 。 わが国(領地)の歴史に名を残すべからず」 と、存在を抹消してしまうよう命じたという。 注:Ottyは名前の音から民に「押助さん」と慕われていたらしい。 もしもOttyがこだわりを捨て、日本の習慣に従っていたら 初の宣教師として歴史に名を残したであろう。 ちなみに現在、細かいことまで変なこだわりを持ち、それを人に押し付けようとする人が 周りから「俺ルールの押しつけ野郎」と呼ばれるのはこの故事によるものであるが、 そのような意見を言う人がOttyの意思を継いでいるかどうかはわかっていない。 こだわるということと、自分の物差しでしか人を評価しないのとでは まったく違うものであるからだ。 民明書房刊『明日使えない日本のトリビア 中国・四国編』より抜粋
ということで、そこまでケチつけなくてもいいとは思うんだけどね。 別に音だか訓だかどうでもいじゃん。楽しめれば良し。 解説の長さとかレベルとかも、書いてる人の数だけあるんだし。 嫌だったら読まなければいいし、自分でそれなりのものを作ればいいだけなわけで こだわりを人に押し付けるしかしないのは無駄なことだよ。
「たくらだ」 愚かものの意。中国の伝説上の動物「田蔵田」(でんぞうでん)の 読み間違えからきた言葉。 日本の八百二、八百二十二兄弟が「田蔵田」を「たくらだ」と読み、 周りの者に笑い者にされたが、兄弟は負け惜しみで 「野暮」、「読み方はこちらの勝手」などと言い返した。 その発言から人々の失笑をさそい、兄弟たちは「たくらだもん」 と呼ばれ、蔑まれた。 民明書房 『バカ・アホ分布図』より抜粋
>>823 中国からきた言葉は音で読む。
それは「俺様ルール」ではなく、日本語の大原則。
本来の民明書房にしろ、音と訓が混ざっているのは
ごく一部だ。ボケ。
>>825 「日本語の大原則」に乗っ取ったネタをお願い。
私は無理。キミなら出来る。頼んだぞ!!
「カチュウ」 なつポケモン げんき まだまだ、くうきをよむのがへた じぶんのかちかんは せかいのことわりだとおもっている 民明書房 「ポケモン大図鑑」
>>825 >本来の民明書房にしろ、音と訓が混ざっているのは
>ごく一部だ。ボケ。
ごく一部、と君自身が「本来の民明書房における例外の存在」を認めている以上、
このスレで紹介されるものがその例外に属していようと、何もおかしくは無いと
思うのだがどうか。
少なくとも、他人をボケ呼ばわりするのは、賢い者の行いではないぞ?
829 :
水先案名無い人 :04/07/17 12:20 ID:4R0GvDn6
そもそも今の日本の漢字の音読みは中国での漢字の読み方と異なる場合が多いわけだが…
830 :
nanana :04/07/17 12:22 ID:r/xOwD/h
/ ̄⌒⌒ヽ | / ̄ ̄ ̄ヽ | | / \| .| | ´ ` | (6 つ / βακαにはコピペできないアナゴです .| / /⌒⌒ヽ | \  ̄ ノ | / ̄
コピペだけど orz orzとは17世紀イギリスのピューリタン革命時の、 議会派のオリバー・クロムウェルによる軍隊変革である operation reproduce zero(ゼロからの再生作戦)に由来する。 当初の議会軍は各人の利害関係からまとまりがなく、 クロムウェルは一度軍をゼロから教育し、再生する必要があると考えた。 クロムウェルの加えた変革とは、伝統的な家柄だけを尊重する人物でなく 戦いの意味を理解した人物を部隊の中核に据え ピューリタニズムの信仰に厚い人達のみで構成される部隊の創設である。 兵士達には携帯用の聖書を配り、戦闘の合間には聖書を読ませて教育し、 クロムウェルの部隊は国王とその一派を信仰の敵と考えた聖者の軍隊となる。 この部隊は、当時の軍隊にはつきものだった 略奪・暴行・反抗・逃亡といったものには無縁であった。 orzは大成功をおさめ、彼の部隊は各地の戦闘で連戦連勝をかざり、 敵将をして「叩いても叩いても壊れない「鉄騎隊」と言わせしめた。 圧倒的な鉄騎隊の戦闘力の前に、王国軍の将軍たちは激しく落胆し、 その中には投降した後、プライドをかなぐり捨てて 両手両膝を地につけるような形で謝罪し、許しを請うた者もいたと伝えられている。 時が経つにつれ軍隊変革としての意味内容は忘れ去られ、 今日では落胆、謝罪の意を表すものとしてのみ用いられている。 語句の意味の変遷は必然ではあるが、時には激動の時代に思いをはせてみるのも また一興ではないだろうか。 民明書房刊『構造改革あれこれ』より抜粋、要約
↑上手いな
833 :
水先案名無い人 :04/07/17 14:07 ID:jM4/UCS1
ネタにはネタで返そうよ
834 :
水先案名無い人 :04/07/17 15:08 ID:wM0xbx5v
>>819 墨土 羅エ門(ぼくど らえもん)
ハゲワラ
803 名前:代打名無し@実況は実況板で 投稿日:04/07/15 18:06 ID:QcuvNgCm 『元木紙音(もときしね)』 中国唐時代にて製紙が誕生したということはよく知られているが 当時 今でいうところの工場という場において製紙がさかんに行われていた しかし技術が発達してないこともあり時間が非常にかかるため一昼夜灯りが点っていることが常であった 工場で使われている工具は木を加工したものを使っており 作業中は木の軋みやしなりで耳痛のする音がすることで職人は耳栓をして作業するのが普通とされていた しかしその工場の付近における住民にとってはその音を昼夜聞こえるため 夜も眠れぬ苦痛でしかなかった その音に悩まされる人々の間でこの元紙を作る木の工具の音を元木紙音と呼び 工場は住民の猛抗議にあって閉鎖した それからこの元木紙音は音に限らず嫌悪感を感じさせるものを指す言葉へと変わっていった 現在インターネットにて選手非難の意味で言われている『元木氏ね』という言葉の起源は この元木紙音という言葉から来ているという説が多い ( 民明書房刊 「製紙誕生秘話」 より )
朴李(ぱく り) 随の時代、墨子の血を引くと云う墨李なる思想家がいた。 彼は『根源ノミガ根源ニアラズ、鏡像モ亦根源ナリ』を提唱していた。 これは解釈に拠っては文化を破壊するのみならず、王制をも否定する過激思想である。 当然のごとく皇帝により弾圧された墨李は、高句麗へと逃亡した。 そこで款待された墨李は朴李と名を替え、生涯を終えたという。 現在、ブランド物のコピー商品がパクリと呼ばれ、忌み嫌われるが、 そもそも墨李の高句麗での呼名である朴李に由来するものであることは忘れ去られて久しい。 本当にパクリを撲滅したいのであれば、墨李の思想、 及び高句麗において款待された背景について考察する必要があるだろう。 (民明書房刊 「禁断の思想家達」 より抜粋)
>>828 その例外が多すぎるし、音と訓の違いがわからないやつらが
ネタを書くから文句を言っているの。
>>829 まったく反論になってないよ。
漢字の音読みとか訓読みはどうでもいいけど、 強引な漢字を当てはめて、ダラダラと冗長な解説を 書いてるだけの民明もどきには萎える。
「むぅ、あれは、もしや夏厨!?」 「何いーっ!知っておるのか雷電ーっ!!」 夏厨(かちゅう) 古代中国の王朝、夏の末期。宮廷では阿羅師(あらし)と阿於李(あおり)の二人の兄弟が政権を牛耳り、悪政を行っていた。 彼らは元々うだつの上がらない料理人だったが、絶世の美女であった妹が王の后になったことにより、高官となったのである。 二人の暴虐は凄まじく、私服を肥やすことにのみ精を出し、少しでも気に入らない人間は誰彼構わず粛清したので、国内は疲弊したという。 後に殷を築いた湯王はこの二人を例に取り、「夏は、厨房出のような、教養の無い、卑しい者が台頭して衰退したのだ。 夏厨(前文の意を受けた言葉と思われる)こそが国を滅ぼすことを忘れてはならない」と皆に語り、二度と同じことが起こらないよう努めたといわれる。 現在、7〜8月頃にかけて、インターネット上で、他人を中傷したり、掲示板を荒らす人間が多発し、それらを夏厨と呼ぶことがあるが、 その呼び名がこの故事に由来していることは、あまり知られていない。 民明書房刊『情報化社会とその問題点』より抜粋
>>837 >その例外が多すぎるし、音と訓の違いがわからないやつらが
>ネタを書くから文句を言っているの。
例外が多いのは、ここがあくまでも「本来の民明書房」よりレベルが低いだけのこと。
まさか本来の民明書房と同レベルでなければネタを書くな、とでも?
音と訓の「違いがわかっていない」のか、「違っていても無問題」と思っているのかは
ともかく、そういった人がネタを書くことを止める権利も無いと思うが。
つまらないと思えば「なんだこれつまんねー」と思って軽く読み流せばいいだけ。
君がつまらないと思うものが、他のみんなもつまらないと思っている訳ではない。
もちろん、「つまらない」を「おもしろい」に変えても同じことだが。
わざわざクレーム付けるてスレの雰囲気を悪くするより、自分でもっと面白いものを
提供すればいいんじゃないか?
猫醍酸忌(ねこだいすき) 猫醍酸忌とは、鎌倉時代のとある禅宗寺院において、修行僧の 堕落を戒めるのに猫を使った故事から成る言葉である。 いわく、その寺には猫を溺愛している僧がおり、彼は修行の 隙を見ては飼い猫と戯れ、それを他の僧たちがたしなめても 歯牙にもかけないというありさまであった。 他の僧たちはこれを見かねて大僧正に相談し、大僧正もすぐに 手を打って、野良猫を連れてきて彼の飼い猫と競わせた。すると 夜な夜な野良猫は寺に住みつく鼠を捕えたが、飼い猫のほうは 三日に一匹の鼠を捕れるか捕れないかという様であった。 大僧正は「醍醐はいつまでも食べずにいると逆に酸っぱくなる。これと同じで 表面だけを満足させ、却って仇になってしまうのはよくない」と諭した。 すなわち、本質を見抜き修行することの大切さを説いた言葉なのだ。 民明書房刊『猫のいる生活〜日本中世編〜』より抜粋
フェラチオン・ポイント この世に存在する全ての男性の陰茎は亀頭部分が性感帯となっている。 その亀頭裏筋部分の性感帯の一番弱い箇所に衝撃を与えると その性感帯の連鎖反応により極めてたやすく絶頂に達してしまう。 この陰茎の臍とでもいうべき箇所は、学術的にフェラチオン・ポイントと呼ばれる。 例えば地球上で最大の陰茎をもつ野獣ボブ・サップに対しても そのフェラチオン・ポイントを見極めれば 舌の一突きで一瞬にして イカせてしまうことも可能である しかし陰茎のこのポイントを見つけることは至難の技であり 人気風俗店ダイアモンド勤務のピンサロ嬢においても40年以上の 修行が必須とされている。 (民明書房刊 「性感帯構造 その理論」)
843 :
水先案名無い人 :04/07/18 22:22 ID:ZAJFXL78
844 :
水先案名無い人 :04/07/18 22:42 ID:7aPNvWwx
40年以上の 修行
>>843 どうやら俺達はとんでもない思い違いをしていたようだ……。
>>842 の書き込み、この中には、漢字の無理な語呂合わせや駄洒落はないし、
まして訓読みでの駄洒落なんて混ざっちゃいない。
つまりこれは、このところ貼り付いていた音読み廚からの返答……『神の言葉』
だったんだよ!(AAry
スマソ、巣に帰るわw
847 :
842 :04/07/19 00:15 ID:Uyza49g6
>>845 残念。訓読みに関して言ってた人とは違います。
>>846 正解。民明の原書をちょっと加工しただけです。
俺の念能力は「飛び散る白い欲望(チンチンシュシュシュ)」・・・ 放出系の念能力。右手にエロ本、左手の爪に赤いマニキュアを塗り、 おちんちんを高速でしごくことにより、白い念弾を放出。 1週間以上の禁欲生活をすることにより念弾の量と飛距離がアップ。
849 :
水先案名無い人 :04/07/25 01:24 ID:I5fgL18D
>>849 「プルッツフォン」で検索かけるとみごとに民明や男塾関係のページばかりですな・・・
日本一の経営者マガジン 『がんばれ社長!今日のポイント』
・・・ってとこが泣かせるけど、、、もしかして本当に存在するの?
「プルッツフォン・ポイント」・・・?
542 名前:名無したん(;´Д`)ハァハァ 投稿日:2004/07/24(土) 13:00 ID:e4nfFyqt
雷「むぅっ、アレは…!」
桃「知っているのか、雷電?」
雷「ウム、まさにアレは子宮口破崇汰弾!」
子宮口破崇汰弾…
古代よりパスタが子宮口を利用して作られていることは広く知られているが、
その発祥が中国であることはあまり知られていない。
明代の麺打ち職人、破崇汰(ぱ・すうた)は食の技を武術にまで昇華させた。
これが子宮口破崇汰弾であり、人体構造学を越えた拳法は必勝不敗の名をほしいままにした。
開祖である破崇汰は、空を飛ぶ鷹の目を正確無比に射抜いたと伝えられる。
ちなみに、パスタの由来が破崇汰である事実があまり知られていないのは非常に残念である。
民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より
伊「ヤツはいつのまにあんな奥義を…」
飛「フッ、私たちは恐ろしい委員長を味方に持ったものです」
膣内射精断面 part17
ttp://idol.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1088433502/l50
毒男 毒男・・・その起源は中国三国時代まで遡る。 魏の武官で、かの有名な毒手拳の使い手であった鬱操(うつそう)が一人も妻がいなかったことに由来する。 ある日彼は曹操の館を訪れたとき、部屋の前で寝台がきしむ音やあえぎ声が聞こえて人間不信になったと知られる。 毒手拳の使い手で生涯独身だったことから毒男(どくおとこ)と呼ばれるようになる。 昨今でも独身男性のことを毒男と呼ぶのはこの名残であるという説が学者の間では有力である。 民明書房刊『実戦に使われた毒物』より
鏡面浮遊体(キョウメンフユウタイ) この奥義は空中に鏡を浮かべることにより、術者が2人に 分身したように見せかける技である。 中国明代の夜間の戦において、蛇似威頭を率いる将軍 崇沫譜(スウマツフ)がこの奥義を用いることにより自軍の 1千騎の軍勢を2千騎であるかのように敵に錯誤させ、 不利な戦況を打開し勝利したというのは中国戦史上、 あまりにも有名である。 なお、2004年7月24日の夜のTV放送でアイドルグループ スマップがフジTVとTV朝日の両局に同時登場したが、 それはこの奥義をTV電波に応用することにより実現した ものであることは言うまでもない。 (民明書房刊「ドッペルゲンガーの不思議発見」より)
テレビは同じタレントが同じ時間帯に2局に出ちゃいけないって教わったんだけどなぁ
>>854 永作博美もこの間レギュラードラマとスペシャルドラマで同時に出てたぞ
>>854 この間くりぃむしちゅーが、めちゃイケとホムンクルスに同時に出てたぞ。
よりによって土曜夜8時でこれやって良かったのかとオモタ。
愚難民恣意(おろなみんしい) 三国時代、魏の国に、残忍で知られる厳溌・厳剌(げんはつ・げんらつ)という兄弟の将軍がいた。 彼らは国境の守備に就いていたが、ある時戦乱によって自国に流れてきた多量の難民が起こした暴動に対して、 兵を出して皆殺しにして鎮圧した。 かろうじて生き残った難民は鬼のような厳兄弟を憎み、また恐れ、「厳鬼溌剌(げんきはつらつ)!」と叫んで抗議の声を上げた。 それに対して厳兄弟は「愚難民恣意(愚かな難民は恣意的であり、勝手気ままに動くから手に負えない)」と、うそぶき取り合わなかった。 この後、厳兄弟は悪と不幸の主であるとして「悪不幸主(おふこうす)」と呼ばれたという。 現在でも、「げんきはつらつ!」という掛け声に対して「おふこうす!」「おろなみんしい」などという言葉を返すCMがあるが、 それはこの故事の名残である。 (民明書房刊「大村昆はどこへいった」より)
リアリティ出したいなら、中国読みで変換すればいいじゃん。 IMEとフォントがあれば出来るし。 例毛 我乳(女乃)イ尓 wo na ni ウォナーニー →オナニー
自悪羅魔(じおらま)
古代中国の兵馬俑の職人に、孟 勁(もう けい)という腕の良い職人がいた。
彼は自分の勤めていた工房から、とある高貴な人物に献上するはずの兵馬俑を
多数持ち出し、それを別の広場に集め、あたかも実戦を行っているかのように
並べていた。
いくつかの兵馬俑は、戦で殺された者を表現するかのように、槍を突き刺したり、
首などを切り落として破損させたという。
捕らえられた孟は、「あれは自分のせいではなく、自分に入り込んだ魔物が
やらせたことだ」と弁解したが、少し追求するとあっさりと自分の意思だった
ことを自供し、その工房をクビになったという。
人々は「自らの悪事を魔のせいにしても、羅(透けて見えるほど薄く織った織物)の
ごとく見え見えであった」と蔑み、孟は後に「自悪羅魔の孟勁」と呼ばれた。
そして良くも悪くも、兵馬俑職人として孟勁の名は世に知れ渡ることになった。
現代では、模型という言葉が孟勁の名から来たことや、模型を実戦のように並べる
展示法をジオラマと呼ぶことが孟勁の故事にちなんだものであることは、懸命な
読者諸氏には既におわかりであろう。
民明書房刊 「MS少女は"ぎゃる〜しょん"と"ジオノムスメ~"の夢を見るか」より
(シャア専用classic 「スレ立てるほどもない質問に嘘八百で答えろ9」
http://comic5.2ch.net/test/read.cgi/x3/1083136014/647 より転載)
860 :
水先案名無い人 :04/07/28 18:41 ID:aobKlIIu
慢努癖(まんどくせ) かの孔子が、人間が憎むべきものとして呈示したのが、この慢努癖である。 慢努癖とは、「努力するのを怠る癖」という意味で、 孔子はこれを、学問をする者が一番してはならぬ事と位置付け、弟子達を戒めた。 荀子は更にこれを発展させ、「慢努癖というものが人間にある以上、 それを規制する法律が必要なのは明らかである」と、 自説の正当性を訴える材料としている。 一方、無為自然の立場に立つ老子は、孔子の説を批判し、 「慢努癖こそが、人間が生来持っているものなのだ。 それを無理に矯正する事は本来すべき事ではない」とした。 やがて時代は流れると、乱世になる度に、領民達は年貢を渋り、 「慢努癖」と連呼したという。この時、慢努癖とは、 単純に努力云々ではなく、物事全てに於いて実行を渋る意味を持つ様になった。 それは現代にも「マンドクセ」または('A`)マンドクセという形で、 インターネット上に受け継がれている。 民明書房『民俗で見る中国史』
さすがにスレのレヴェルも堕ちてきたね
>>861 だから?
気にくわないなら無理して読まなくていいよ。
流石(さすが) 嘗て、日本に添川さんという人が存在した。 添川さんは非常に怒りっぽい上司で、何かと言うと私を叱った。 とてもどうだっていいことなのに叱る。 どうにかしてもらいたいもんだ。
>861 適当に漢字当ててるだけだからな・・・ 男塾ちゃんと読んでない奴が多いに違いない。
まぁ昔の漫画だしな。
>745続きその1。 『儀夜龍(ぎゃろん)』 光輝の『鉄人弐拾八號』に登場する、竜骨を以って夜間の儀式により造られし巨大宝貝。その姿は現在で言う大型草食竜脚類、あるいは首長竜に似ており、件の竜骨と言うのが(作中には無いが)発掘されたそれの化石をさす物と思われる。 鉄人弐拾八號をはるかに上回る巨体を誇り、また体節ごとに分割して飛行する事が出来る。 無敵を誇るも分割時に体の一部に被害を受けた事が災いして体内に海水がしみこみ、敗退した。 民明書房刊『書の鉄人・光輝〜ロボットから魔法少女まで〜』より抜粋
867 :
水先案名無い人 :04/07/30 10:30 ID:ztosgwpc
腐絵意図(ふえいと) 遥か昔、中国で稀代の天才といわれた旗嚥子(きのこ)が選り良い若人を育てあげるために 「萌」という学校を創設した 萌一文字を掲げたその学校では次代の中国を担う若者達が集められ 日夜勉学に励んだとされている しかしその実態は紙に書いた女性の絵に見惚れたり 自ら創作した木堀人形(フィギュア)にうっとりする修行が 24時間体制で行われ、旗嚥子の手により意図的に性根を腐らされていたという 実は旗嚥子は時の皇帝に対し強い憎しみを抱いており その復讐として次代を担う若者達を性根から腐らせ 中国をゆっくりじっくりと滅ぼす計画を立てていたという しかし、若人達の親が彼らの異変に気付き 皇帝に進言したことから事が発覚 4万の兵に囲まれ旗嚥子はあっけなく死亡したという その後若者達は開放されたものの、もはや後戻りできないほど 性格が破綻しており、絵に描いたかのように腐っていた このことからこの行為を「腐絵意図」と呼ぶようになり 人々は忌み嫌い、腐絵意図を堅く禁ずる法律まで出来たという ちなみにこの学校は「萌え」や「キモヲタ」の発祥の地とも言われ 彼等の聖地の一つとしてその手の人間の間には有名であり かのTYPE-MOON商業進出記念すべき第一作にあたる「Fate/stay night」の 題名もこれがきっかけあることは言うまでも無い (民明書房刊「中国の知られざる歴史」より) ちょっと作ってみましたが・・・難しいなぁ・・・ しかもこれかなり無理があるし・・・修行不足で スマソ…Orz
868 :
水先案名無い人 :04/07/30 13:07 ID:QiOjUcMs
非嬉固耗理(ひきこもり) 「非喜固」とは中国秦代に思想犯に対して行われた刑である。 これは、罪人を食事など生活に不自由は無いが全く娯楽のない部屋に 幽閉するというものである。 この部屋は罪人の理性を激しく磨耗させ、妄想の世界から抜け出せなくなる者、 部屋の壁に自らの妄想を描きだす者などが続出した。 彼らは刑期のあとも元に戻ることは無く廃人同然となっていたため、 人々はこの刑を「非喜固耗理」と呼んで恐れた。 また、最初の受刑者「毛卓(もうたく)」の名前から この刑で廃人になってしまった者を「奇毛卓(きもうたく)」と呼んだ。 この刑は優れた人材をも廃人にしてしまうため秦代の終わりと共に 廃止されたが、人々の記憶には残り、現代の「ひきこもり」「キモオタ」の 語源となっていることは意外と知られていない。 民明書房刊『古代刑罰大全 〜帝にかわってお仕置きよ〜』より
『祭剣三羽』(まつけんさんば) 唐の時代に、松平(しょう・ぺい)という高名な剣士がいた。 彼は、剣の為なら女房とも別れるほどだった。 そんな彼が、剣舞の鑑賞会の最後にかならず行なっている出し物がある それが祭剣三羽である。 祭事用の剣を片手に三振りずつ、計六振りを持ち、あたかも鳥が三枚羽を広げて舞い踊るかのように見せるのが祭剣三羽である。 その太刀振る舞いの滑稽さは、たちまちに中国中に広まったといわれている…。 現在、松平健が歌う「マツケンサンバ」が大きな流行になっているが、 バックダンサーの踊りが祭剣三羽の舞に似ている事から、このダンスは祭剣三羽を参考に作られたのではないかと、言われているが、詳しい確証は持てていない。 民明書房刊「最強?将軍様列伝」より
懐かし漫画板スレッド −魁!!民明書房− 163 :名無しさん@ :02/07/03 01:22 ID:??? 校則により異性間の交際が認められていなかった旧制中学では思春期の学徒達の性の 処理方法として手淫が奨励されていた。小名濱町(現いわき市)に在った旧制小名濱 第弐中學校では「健全な精神は健全な肉体に宿る」の教育理念に基づき毎年全国の中 学校から手淫部の精鋭達を招き校内射精大会が開催されていた。その時の応援に使う 声援は学校名を省略することが通例となっていて過去9回も優勝した主催校である小 名濱第弐中學応援團の会場に轟く蛮声『小名二頑張れ!』の声援は特に感銘を憶える ものでありOB達の間ではいまだ語り草となっている。現代に於いて自慰行為の事を オナニーと呼ぶのはこの声援に由来すると言われている。また大会に出場する選手た ちは日々のトレーニングに伴う射精のため体力の消耗が激しく選手生活は長くは続け られなかったと伝う。体力の限界を悟った選手は潔く自ら現役からを退いた。現代に 於いて辞職の意思を指す言葉に【辞意】という文字が当てられるのは【自慰】の音 (Jii)が語源であると言う説が近年の学会では支配的である。 民明書房刊 『独習オナニー講座・ひとりでできるもん』 より
ひとりでできるもんワロタ
123 :名無しさん :02/05/01 02:07 ID:??? 【乳脂犬(Butterken)】 中国雲南省に在る龍回山で採取された黄緑硝片岩の微粉末を犬の乳脂肪で溶き数種 の薬草を添加し醗酵させたゼリー状の膏薬で性交渉の際に性器に塗布し潤滑剤とし て使用され“狗乳滑石膏”と言う商品名で清代に大流行した。原料に犬の乳脂が用 いられているせいか犬がよく舐めるため自慰行為の時などにも性器に塗られたとい う。日本では江戸時代中期に抜け荷商い(密貿易)により伝えられた。渡来品のた め非常に高価な薬品だったが度々の禁止令にも関わらず広く普及した。商品名の狗 乳滑石膏という名前より“乳脂(Butter)犬”と言う隠語で呼ばれる場合が多く訓練 された犬を運び屋として使い秘密裏に販売されていた。終戦後徐々に衰退したがそ れでも昭和40年代中頃まではバターを入れた箱を背負った犬が街でよく見掛けら れた。これは運び屋として使われていた犬達が終戦の混乱期に紛れて勝手に後独立 して始めた訪問販売で膏薬を購入すると舌によるサービスが受けられるのを売りと していた。近代における訪問販売と実演販売の祖とも言われており昭和52年に行 われた衛生省薬事調査室の調べでは関東地区だけで21頭の乳脂犬の存在が確認さ れていたが平成2年に最後の“乳脂(Butter)犬”が舌癌で亡くなって江戸時代中期 に大陸から伝えられた膏薬と伝統の超舌技巧は途絶えた。 民明書房刊『犬も擦れば棒になる』より
>【現代の達磨大師 安井雄太】 >「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉がある。 >通常は激しい鍛錬の元で初めて発せられる言葉であるが、 >殆ど修行を積まない中でこれを会得したのが安井雄太大禅師である。 > 彼はこの心境に達するために「ガスパン」という方法を用いたという。 >これがどのような儀式なのかは定かではないが、 >ともかく彼は燃え盛る業火の中にありながら泰然自若の境地で過ごしたという。 >その結果彼は四肢を失う結果となったが、 >まさに現代に生きる達磨大師と評価するべきであろう。 >(民明書房『アースが生んだ達磨大師ピピピッピピー』より)
真面目な話、民明書房って本当にあるのか? うさんくささ爆発なだけに、逆に存在感を感じる。
またこの子は面白い事を言う
117 :愛蔵版名無しさん :02/04/29 05:54 ID:??? 教義により女犯を禁じられていた寺院ではまだ年端もいかぬ修行僧や寺小姓が僧侶 たちの性の処理役を負っていた。また高僧たちの間では稚児を持つことが嗜みとさ れ、平安時代後期にはその作法も整えられ体系化された儀式も少なからず存在した と伝う。その中でも特に秘儀とされていたものに『稚児灌頂』がある。当時の仏教 界に於いて稚児という存在は如意輪観音が美しい少年の姿をとって人間界に降臨し たものとされていて稚児の法性花を開眼する事は覚りに近づく最高の修行法とされ ていた。法性花とは八葉蓮華に喩えられる稚児の秘所の事で在る。稚児を持つ阿闍 梨は護摩壇を築き結界を張って稚児に観音を降ろし法性花を開眼したと伝う(中略) このように肛門性交が広く行われていた寺院では肛門の裂傷等の疾患も多かったと 思われる。現代に於いて肛門の疾患を指す言葉にやまいだれに寺と書く“痔”とい う文字が当てられるのはこの史実に由来すると言われている。 民明書房刊 『中世傷病草子』 より
どうでもいいが読点をうたない文章は読みづらくてかなわん
879 :
水先案名無い人 :04/08/04 03:26 ID:DkqUUZ3L
掘削機
880 :
水先案名無い人 :04/08/04 09:34 ID:ggfP0MtI
『桟馬喝(さんばか)』 戦国春秋の時代、魏の国の北東部、現在の山西省付近に 桟馬(さんば)と呼ばれる遊牧部族が住み着いていた。 彼らは度々越境しては隣国、趙の国境付近の村々へ出かけ 好き勝手なことを行っては、最後には村人や官吏に捕らえられる ということを繰り返していた。 悪いことに、この桟場は魏の国内で隠然たる影響力を持つ 枡吾壬(ますごみ)という有力豪族と非常に親しい間柄であったため、 魏国としても放って置く訳にもいかず、毎回身代金などを 出しては、その桟馬達をなんとか解放してもらっていた。 ところが、当の桟馬達は枡呉壬との関係を幸いとして、懲りずに何度も 同じことを繰り返すため、時の魏王、恵王はその度に 「桟馬喝!!」(さんばか){桟馬はけしからんの、意} と言って、杯を床に投げつけては憤慨したという。 このことが次第に庶民にも広がり、以後 魏の国では、周りに多大な迷惑をかけ、自分勝手な 振る舞いをする者のことを、「桟馬喝」と呼んで戒めたという。 なお現代でも、同じような意味で三馬鹿という言語が 使われることがあるが、これはこの「桟馬喝」が変容 して伝わってきた形であることは言うまでもない。 ※近年、枡呉壬は斉・韓などといった他国の間者では なかったかとの説がでているが、未だ真相は明らかでは ない。 (民明書房刊 「古代中国人の認識を探る」より)
阿、歩虎譚印舌尾 「あ、ぽこたんインしたお」のモトネタは某ネットゲーでの発言 からであるといわれているが、本当のモトネタは三国志時代まで遡る。 三国志時代、もっとも争いが多かった頃。 各国の王は優れた武将を求めた。 だが、一時期どこの国も就職氷河期もあったという。 そこで、ある男が仕官先に己の武勇を示す為、ある荒業を披露した。 虎の巣に単身徒歩で侵入し、熱く燃える鉄の棒を用いて 虎の尾、そしてなんと舌に焼印を施すというものである。 傷つきながらも、虎の死体を担いで巣より帰還した男を見て その国の王は、「まさに真の漢である!」と褒め称え 仕官を許可したという。 後に漢は語った。 「虎が噛み付こうとして口を開けた瞬間、阿の 呼吸で棒を突っ込み、舌に印、そして虎がひるんだ隙に吽。 つまり終り。必殺の一撃で虎を仕留め、尾に焼印を施した」 これが「阿、歩虎譚印舌尾」として 肝っ玉の大きい豪胆な漢を指し示す言葉として 使われるようになった。 ご存知 A「あ、ぽこたんインしたお!」 からは、「おいら」という人物が常日頃「漢」として 慕われていることがわかる 民明書房:『50歳からはじめるネットゲーム』より ぽこたんスレで見つけたものを改変しますた
『仏茶気(ぶつちゃけ)』 中世時代、兵士達の格付けは階級制度で行われていた。 一番下の階級から始まり、少しずつ上へ登りつめていく制度であった。 階級の低い兵達は階級の高い兵に駒のように扱われ、自分の意志による行動が制限されていた。 上級兵に歯向かおうものなら酷い目にあわされてしまうので、泣き寝入りするしかなかったという。 そんな中、仏様の像の前に茶を供え、不満などの本心を祈るように気迫で唱える行為が「仏茶気」 と呼ばれ、若い兵士の間で流行した。 現在は本音を吐く意味で「ぶっちゃけ」と形を変えて若者に使われている。 ( 民明書房刊 「戦士達の情熱」 より )
『魔球・智円寺阿津府(ちえんじ・あつぷ)』 明朝末期、中國東北部では智円寺と神拳寺の二つの尼寺が存在し、 女性達はその覇権を巡って曽婦斗墓宇瑠(そふと・ぼうる)なる競技で 日々抗争を繰り広げていた。 中でも智円寺の抑えの切り札・阿津府(あつぷ)の投げる球は 目の前でボールが変化するため相手打者から「魔球」と恐れられ、 ついには彼女の左腕一つで智円寺を勝利に導いたほどであった。 またこの智円寺は大変な美人が集まる尼寺としても有名であり、 かつ智円寺の語感が英語の ”チェンジ” に似ていることから 現代社会において初対面の女性への挨拶は 「お綺麗ですね」 と同じ意味として 「チェンジ!」 が好んで使われるようになったのである。 (民明書房刊 「中國球技界 その知られざる世界」 より )
2ちゃんねる インターネットの掲示板において、最も巨大な掲示板として 知られるのが2ちゃんねるである。 何故2ちゃんねると呼ばれるのかは量子力学でいう 「イテヨシオマエモーナの法則」が微視的な物理現象を 単位化し整数倍するという放射効果のためと考察される。 ちなみに欧米ではFor-Siteという匿名掲示板が有名であるが 日本において普通の掲示板に書き込めないことを書き込む ためには2ちゃんねるを使用するのが一般的である。
電車男でひとつおながい。
馬朱麻呂通信(ましゅまろつうしん) 中国は隋の時代、遣隋使である阿倍馬朱麻呂(あべのましゅまろ)が、 帰郷の際に船上で故郷の日本に送った通信(中国語で手紙の意)が由来である。 そこには以下のような漢詩が残されていた。 巣派移巣奇異輝(すぱいすきいてる) 巣空符出絵鰤泥(すくうぷでえぶりでい) 笑話施手大隙堕世(わらわせてだいすきだよ) 君都今己野街野(きみといまこのまちの) 入巣二南流(にゅうすになる) 大意: 巣(家の意)から巣へと派遣され移される我が身。その人生は奇異だが輝いている。 隋を出て空けてきた巣には、泥に潜る鰤を描いた絵を書いた符を置いてきた。 それも今となっては笑い話だ。全くこの世は手の施しようが無いほど隙だらけで堕落している。 君と己で今、都に野に街に行こうか。 二人して南に流れ、新たな巣に入ろうか。 まことに奇異なことだが、この通信を送った後、馬朱麻呂の乗った船は嵐に遭った。 日本には戻れなかったのである。日本に戻る事を断念した馬朱麻呂は、中国風に賛泥(さんでい)と 名前を改め、従者である蔵人(くらうど)とともに流浪の旅に入ったという。その後の消息については明らかになっていない。 世をはかなんだ馬朱麻呂が、自らの未来を予知し、詩にしたためていたのではないかとも解釈されている。 民明書房刊「遣隋使は超能力集団だった」
こんな所でマシュマロの名を目にするとは…
>>887 GJ
退都河射用乗塔(のとかわいいよのと) 戦国時代。魏は斉の軍の猛攻を受け、防戦一方の状況であった。 斉軍は、魏の首都に迫っており、武将達は日々論議を繰り返していた。 そんなある日、麻と名乗る巫女が現われ、子供たちに「退都河射用乗塔(のとかわいいよのと)」という言葉を残した。 その言葉の意味は… 『都から退き、河を矢を射るように用い、皆は塔に乗りなさい。』 というものだった。 その言葉はたちまちに国中に広がり、さらに国王の耳にも入った。 国王はその言葉を、神のおつげと思い、予言の通りに事を実行した。すると見事に斉の軍を撃破することに成功したのだ。 現在。とある声優のファンが口々に「能登かわいいよ能登」と言っているが、 それが魏を救った「退都河射用乗塔」との関連があるのかは定かではない。 民明書房刊「声優千年史」より
890 :
328 :04/08/13 19:24 ID:sQjfSTHk
『御琴割』 (お断り) 平安時代 貴族の間では琴をたしなむことが風流とされていた 貴族の家に生まれた女性は外出を滅多にすることがなく、 家族にさえ顔を見せることはあまりなかったといわれている。 そんな姫君たちに求愛する男性は、姫君の弾く琴の音を聴いたり あるいは「垣間見」(のぞき見)したときに見えた黒髪を見て、 その容姿や人柄を想像していたとされている。 そしてその女性に「懸想文」といわれる恋文を贈り相手の女性から、 承諾の手紙をもらうのであるが その際 琴を同時に贈るのが常であった。 相手の女性から承諾の手紙をもらい女性の部屋へと赴くのであるが 「三日夜の餅の儀」といい三日間続けて女性のところに通う必要があった。 この三日の間に 女性のほうより男性の求愛を拒絶したい場合は 手紙とともに 男性より送られた琴を割って玄関にかけておいたと言う。 後にこの琴を割る風習はすたれ 手紙のみで返事をするようになったが、 この手紙をこれにちなんで 「御琴割の手紙」転じて「お断りの手紙」と 言うようになった。 今日ではこの「お断りの手紙」は クレジットカードの審査時など 恋愛事だけでなくさまざまな分野において 相手の申し入れを拒否したい場合に使われている。 民明書房刊 『平安時代の恋愛事情』より
上の名前のところの328は間違いでつ
575 名前: 代打名無し@実況は実況板で [sage] 投稿日: 04/08/14 16:43 ID:LyAYhMyH 『衛酔姫 (えいようひ) 』 後漢末期、中國の都洛陽では、群雄の一人董卓が強力な軍隊、砲衛剣(ほうえいけん)を背景に 傀儡政権である虚密書無(こみっしょな)を擁立し、権力を掌握していた。 権力基盤である砲衛剣をより強力にするためには豊富な人材が必要であったため、 董卓は人材の確保には余念無なく、まだ所属する勢力が決まってない武将にたいし さまざまな手段を利用して自勢力へ勧誘したのは、周知の事実であった。 それを当時の人々は衛酔姫(えいようひ)と呼んだ。 すなわち 衛 衛兵としての身分 酔 振舞われた膨大な量の酒 姫 城中には800人といわれた美女 の三つを主に用いたという。 このようして、権力をほしいままにした董卓も、その横暴がもととなり、 配下の王允と呂布の謀略により、無残な最期を遂げたという。 現代のプロ野球界の権力者、渡辺オーナーの解任についての理由となった、 新人選手獲得のために用いた資金が、栄養費と呼ばれるのもこの逸話が元になっていることは いうまでもない。 ( 民明書房刊 「古今東西権力闘争。栄枯盛衰ここにみたり」 より ) ・プロ野球板より転載
『伝椎弥 乎斗子』 (でんしいや おとこ) 中国全土に伝わる有名な民話である。 古代中国では、自英或 (じえいある) という交通手段が発達していた。 自英或とは、地面に岩盤を敷き詰め、その岩に溝を掘り、 その上に車輪のついた木の枠組みを連結させ、牛に引っ張らせて移動する現代の電車の元になった乗り物である。 身分は関係なく、全ての人々に利用されていたとされる。 ある日、貧しい農民の伝椎弥 乎斗子が町へ出かける為に自英或に乗った時、一人の女性が酔っ払いにからまれていた。 彼は勇気を振り絞り、その女性を酔っ払いから救ったのだ。 伝椎弥は村へ帰ると、さっそく今日の出来事を村人たちに話した。 数日後、彼の家に女性の使いが来て、見事な対の陶器を渡したのだった。 これは只者ではないと村人たちは騒ぎ出し、彼は使いの者に彼女へのお礼の文を渡した。 それからというもの、伝椎弥と女性の文の交換や、会食が続いた。 次第に伝椎弥は恋に落ちていった。 幾日か時は過ぎ、九留眞 (くるま) の山中で、彼は女性に思いを打ち明け、結ばれた。 彼女もまた、彼の優しさと勇気に惹かれていたのだ。 女性の名は、夢宇民 (むうみん) という貴族の娘であった。 貧しい農民から貴族へと転身した、東洋のシンデレラストーリーである。 民明書房『現代へ語り継ぎたい民話 百選』より
『世救李帝(せきゅりてぃ)』 いまから1400年ほど前、唐は李世民(太宗)という皇帝が治めていた。その 政治は後に「貞観の治」と称されるほど優れており、国民からの信望も厚かっ た。また彼は世界に先駆けてエコロジーの考え方を導入した指導者でもあり、 自らの財産をもって自然を買収し、その保護に努めた。そのため、彼をねたむ 貴族や豪族は、彼のことを「野有富無(のうとむ:資産は野原ばかりで、皇帝 の象徴になるような金銭や宝物が全く無い)」とささやきあったという。 一方、唐には古来からの悩みがあった。北方遊牧騎馬民族、回糸乞(ウイグル )の侵入である。猛将威琉主(いるす)率いるウイグル族はこのとき最盛期 を迎えており、北部地方は既に彼らの攻撃で壊滅していた。破竹の勢いで進撃 する蛮族に長安の民は、「回糸乞族の威琉主」、「回琉主(ういるす)」と言っ て恐れおののいたという。 西暦643年9月3日、太宗と威琉主の決戦の火蓋は切って落とされた。 機動力で圧倒するウイグル族に、太宗は奇策を講じる。長安の城壁に油を撒き 、火をつけたのである。はしごをかけて登らんとしていたウイグル族は、滑り 落ち、焼かれ、逃げ惑った。形勢は一気に逆転し、威琉主は唐軍に捕らえられ 処刑されてしまった。 こうして、太宗は蛮族の手から長安を守り抜いたのである。世の人々は彼をた たえ、「世救帝」と呼んだ。 また、彼がこのとき取った戦法は「火壁」と呼ばれ現在に語り継がれている。 なお、ネット社会の現代において、 ウイルスに対抗する手段としてNorton Securityが支持を得ているが、 これがこの故事によることは賢明な読者ならお分かりだろう。 (民明書房刊『民主化するためには』より)
【狼少年 -拳-】 動物の動きを解析し拳法に取り入れるという研究は古来から数多くなさ れおり鶴拳、蛇拳、蟷螂拳、等の多くの拳法が考案されてきた。中でも 特に優れた運動能力を持つと言われている狼の動きの研究から生まれた のが狼少年拳である。中世の中国山間部に居住する農民は貧しく飢饉が 訪れると乳幼児を口減らしのため山野に捨ててしまう事も少なからず有 ったと伝う。現代に於いても山野に捨てられた子供が狼に育てられ後に 発見されるという事は時折ニュースになる事があるが中世の拳法家達は この野性化した子供の人間離れした運動能力に目を付けその動きを解析 し拳法に取り入れ狼少年拳を完成させた。元来動物の運動は生存要求に 基づいているため合理的でありまた人体の動きと異なるため体動擦相観 を使う相手との対戦に於いても有効であったと伝う。 尚、狼少年は狼に育てられた為人間社会に戻っても人間の食べ物は食す る事ができず生の獣肉ばかり食べていた、唯一摂取出来る加工食品はカ カオと言う植物の種子から製造されたココアという飲料だけだったと伝う。 民明書房刊 『動物の運きに学ぶ中国拳法』より
畏刑免(いけいめん) かつて漢軍が楚の国を攻めた時のこと。 楚の城の一つ、耳胡蛇旛(じこじゃはん)は武院愚(ぶいんぐ)率いる漢軍に囲まれ、絶体絶命の危機であった。 そこへ楚の本隊が援軍に駆けつけたものの、耳胡蛇旛を救うことは難しいと思われた。 この時楚の国の将軍左宝侘(さほうた)は一計を案じ、間者を用いて次のような噂を流した。 「楚の国の兵士は刑を受けることを畏れる。畏刑免(刑を畏れ免れよ)と叫べばたちまち戦意を喪失して降伏するだろう。」 これを聞いた漢軍はこぞって耳胡蛇旛に向かって「畏刑免!畏刑免!」とはやし立てた。 しかし楚の国の言葉で畏刑免というと、為慶面(面と向かえば慶を為す、勇気をもって戦えば勝てるという意味)と聞こえ、 これを聞いた耳胡蛇旛の兵士は味方が鼓舞しているものと思い、 元気を取り戻した楚軍は漢軍を打ち破って見事な勝利を収めたという。 現代でも中国人が誤った意味の言葉を吹き込まれ、混乱を来たしているのは 皮肉な歴史の繰り返しというべきだろうか。 民明書房刊「日中友好3000年」より
濡流穂
>>897 臥痛
かつて魏の曹操が病に伏した際に、汝南から医者を呼んだのだが部下の手違いで医者が現れず、
曹操は危うく死に掛けた。
病が完治した後、その部下を呼び寄せて斬って捨てようとしたが、配下の者に止められたので、殴打をさせる刑に留めておいた。
ところが運の悪い事に刑の執行を担ったのは力自慢の武将で、
刑の執行が終わった後、兵士は地に臥してもだえ苦しんだと言う。
蛇足だが、その部下の名が濡瑠歩だったとする説もある、しかしながら資料が少なく、本当のところはよくわからない。
インターネットで、特定の言葉に対し、「ガッ」と書き込むのは、もちろんこれが起源である
民明書房刊「図解 ぬるぽ」より
_ ./^l _,,..i,,_ ヽr'"'~"゙´ | _,,...,,_ ヽ●/ ・ ⊥ ・ ゙';ヽ●/ (ヽ 、/) ゙," ´''ミ ミ ;:' '; 彡 (/~"゙''´~"U
ん〜〜、モンスター、ギャロン、ときて、次は何について語ろうかのぅ……
日曜日を意味するオランダ語の「ZONTAG」が語源。これが転じて休日や祭日、 それから派生した遊びの事を「ドンタク」と言うようになった。 ちなみに「博多どんたく」のどんたくもこれ。 ここから、「半ドン」とは昼まで出勤など半分だけ休みの日を指す。 ------民明書房刊「欽ちゃんのドーンといってみよう!」より抜粋
悪魔の辞典と勘違いしている奴がいるな。 ツボを押さえろ。
拿宝鈴音(なぽれおん) 後漢末期の中国を揺るがし、群雄割拠の時代を招く切欠となった黄巾の乱。 この農民を主体とした大反乱に黄巾側の軍師として戦った「拿宝鈴音」なる男が居た。 拿宝鈴音は交州は海南島の生まれで幼い時、両親や兄弟と共に荊州(洛陽)へと移住した。 移住後の生活は非常に苦しく、毎日食うや食わずやといった貧乏暮らしを余儀無くされたが 貧しく苦しい状況下でも学問への思いは捨てず、晴耕雨読の日々を送った。 十年後、成人した拿宝鈴音は農民に無慈悲な負担を強いる政府に憤りを感じ 徐々に太平道へ傾倒、遂には周囲の反対を押し切って黄巾党へ参加してしまう。 黄巾党に入った拿宝鈴音は其処で自らの持つ天才的な軍事才能に目覚め その力を黄巾党指導者の張角に見初められとある「方」の参謀役に任命された。 拿宝鈴音は反乱が本格化すると津波の如く押し寄せる政府軍を巧みな兵法で 翻弄し幾度となく数に勝る政府軍を撃退する勇猛果敢な戦果を上げる。 その余りの強さから彼と相対した将は彼を「珠崖の怪物」と渾名したと言われる。 その後張角を始めとする黄巾党の主要人物の死去によって乱が終焉を迎えると 拿宝鈴音も敵方に捕らえられ、故郷の海南島へ流刑にされ其処で一生を終えたという。 尚、彼の武勇伝は黄巾党の再起を恐れた各勢力によって隠滅された為 拿宝鈴音という軍師が存在した事実を知る現代人は非常に少ない。 だが18世紀フランスの英雄ナポレオン=ボナパルトの名前の由来が 偶然、拿宝鈴音の伝説を知った父親が彼に肖る意味合いで名づけた事実などから 伺える様に、口伝によって今でも彼の名はひっそりと人々の記憶に刻まれているのである。 民明書房刊『革命家の作り方』より抜粋
捨道芸徒(シャドウゲイト) 話術や振り付けを駆使して人を笑わせる芸は、 太古の時代から中国に存在していたことがわかっている。 しかし、芸は同じものを繰り返していると次第に飽きられてしまい、 古い芸は新しい芸にとって替わられ、芸人の中には命や誇りを 粗末にしているのではないかと思うほどの過激な芸風で 新たなる笑いを誘おうとする者が現れるようになった。 野外で過酷な自然環境や猛獣に無鉄砲に挑むという芸を披露した 由沙(ゆうしゃ)という芸人もその一人で、彼は結局芸の道に命を 捨てることになってしまい、人々から「捨道芸徒」と呼ばれた。 ダメ勇者ことシャドウゲイトの「しんのゆうしゃ」も、彼の血を引くのかもしれない。 ! 民明書房刊『漢たちの滅びの美学』より抜粋
あーっとここで
>>907 をスルー!!!
r'::::::::i
トーf/__
\\/ イ| 、ヽ
\//〉 l_l i_ノ、
(_ニノ 〉____〉〉 〉
/ } / ,_-‐、
/\/,ー 'ヾ i"_Y 〈i
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.ノ_ノ\iカ ,、
ノ_ソ ) ゝ
身上阿吉良(みじょうあきら) 周知の通り、古代中国にも戦国時代は存在した。 今は身分が上の者でも、ふとした事を契機にいつ身分が下の者に襲われ 「救命阿!!(訳:助けてくれ)」と叫ぶときが来るか分からない、そのような 状況を当時は「身上阿(ミジョウア)」と呼んだ。 時は流れ日本の元禄時代、有名な赤穂四十七士の討入り事件が起こ る。半端に学をひけらかす者はそれを「身上阿吉良(吉良上野介が反逆さ れた)」と言って大騒ぎをしたが、これは天下取りなどという性質のものではなく、 己の末路を度外視した自らが仕えた者への忠義であり、市民は四十七士の 衣装を真似て練り歩き、「大義名分、何と聞こえのいい言葉かーー!!」 と喝采したという。 民明書房刊 「武士道とはときめいて死ぬことと見つけたり」より抜粋
910 :
水先案名無い人 :04/08/25 10:15 ID:70fwP6sc
「民明書房大全」発行決定記念カキコ
146 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:04/08/19 22:21 ID:153vL1uw 「夷袈面(イケメン)」 国宝。江戸時代の稀代の能面作者斯免祖ヶ衛門作。徳川美術館所蔵。 能曲「金剛不動」で高僧に呪いをかける物の怪「夷袈」の面。 演者の顔と一体化して仮面であることを感じさせないことをもって最高とする 能面にあって、この傑作は本当に使用者と完全に一体化した肉面となってしまい 無理にはがしたところ面の裏に肉がべったりと付いてしまったという 伝説が残っている。 演者が二目とは見られない化け物じみた顔になってしまったこの事件から、 夷袈面とは相手の容貌を蔑む最大級の罵倒語として使われるようなった。 現代でも、芸能人に対して嫉妬と呪いの感情を込めてイケメンと呼ぶことが 多々あるが、歴史的事実を知らない若年層の間では逆の意味に用いられることが 増えてきているとのことだ。言葉は変化する物といってもこれは明らかな誤用。 最近の若者の言葉の乱れは嘆かわしいことである。 民明書房刊「罵倒語大全集〜戦争を起こした言葉」より抜粋
913 :
水先案名無い人 :04/08/25 22:37 ID:/tFdkegK
誰かパチスロのつくってください
他力本願は市ね。
>902 >出版社 集英社 惜しい…ここだけどうにかならなかったものか。
ムチャ言うなw
印刷:集英社 販売:民明書房 なんて、専用の販売会社つくれば可能だったはず
その昔コミケで、民明書房ってサークルが 「続・世界の怪拳・奇拳」なる同人誌を売って いましたけどね。。。
>>彼は女性に触れるのを避けるため刃の付いた衣 なのにバイセクシャルとはこれ如何に
921 :
甜菜 :04/08/31 22:43 ID:f0ZGdZJ0
379 :水先案名無い人 :04/08/30 02:10 ID:MdZocRqk 煩馬兵(ぼんばへい) 古代中国は春秋戦国時代、各国は勝利の為にさまざまな能力を持つ兵を育てていた。 その中でも斉の栄帝(えいてい)お抱えの歩兵部隊は特に強く、 忍者の隠密性と戦士の攻撃力があったと言われている。 最大の防衛戦であった青砂(せいさ)での合戦では 魏の騎馬兵を舞うような攻撃で翻弄し、敵軍から「馬より煩わしき兵」 すなわち「煩馬兵(ぼんばへい)」と呼ばれ恐れられたという。 国民は栄帝を衛武(えいぶ/守りに強いものの意)、また衛武斉栄帝と称えたが 栄帝の死後に理想を追った和平派が台頭したため内部で過激派とのせめぎ合いが起こり その隙を突かれ滅ぼされてしまった。 これに関して、のちに俳人一茶が詠んだ 『大波に 流れ青砂(あおさ)の 煩馬兵』 という句が有名であり、ここから「力があるのに十分生かしきれない者」のことを 「煩馬兵」「青砂」と呼びあうようになったとされている。 (ただし、この句では青砂(せいさ)を青砂(あおさ)と読み間違えており その間違いのまま民衆に伝わってしまったことも忘れてはならない) 現在、m.c.A・Tの「Bomb A Head!」と言う曲には「ボンバヘェ!」「アオーサー」や 「Go on! Go on! Soldiers go on!」などと言う掛け声があるが、 これらは栄帝の煩馬兵が由来であることは賢明な読者ならば察しがつくであろう。 しかし、これが使われている天上天下OPでの踊りや本編の闘いの描写は 煩馬兵の攻撃を参考にしているのかどうかは定かではない。 民明書房刊「唯が独占!天上天下ファンブック(上)」より抜粋
>921 あの民明書房がアニメのムック本出すとは、時代は変わったなぁw
相変わらず、無理矢理漢字当ててるだけだな・・・・
文句ばっかり垂れ流さずネタで勝負しろ。
というか、「無理やりでない」漢字の当て方があるなら ちょっと教えてもらいたい。 中国語読みで作れとかはなしね。本家も中国語読みで作ってないし。
八弐参参壱刑泥異(82331けいでいい) 古代中国は春秋戦国時代、罪人が捕らえられる刑務所があったそうな。 そこの罪人ナンバ-82331は何につけても文句を言っていたそうな。 地面の泥の成分までに文句を言う姿から、八弐参参壱刑泥異と呼ばれ 恐れられたり馬鹿にされたそうな。 現在82331kDEというIDの漢がこのスレに文句を言っておるようじゃが 八弐参参壱刑泥異の生まれ変わりかもしれんのう 民明書房刊「おじいちゃんが語る豆知識」より抜粋
>>919 はともかく
>>921 あたりなら
まだうまく由来の説明をしているなぁと感じるが。
欧礼立流の押助するのはやめてほしいね。
というか、そもそも当て字って何のことかな?
少なくとも「民明・・・」と謳ってるスレなんだから、本家の民明から あまりにも逸脱したようなネタはつまらない。 男塾ももちろん無理矢理な漢字を当ててるけど、許容範囲程度。 1つのネタの中であまりにも無理矢理な漢字が多すぎるネタを 読んでると、単なる珍走の文章を読んでるみたいな気になる。
930 :
水先案名無い人 :04/09/05 02:44 ID:HI8ezltk
練才(れんさい) 日本がまだ戦国時代真っ只中であったころ、一部の武士達の間では集英(しゅうえい)流剣術という流派が広まっていた。 その剣術はただ実戦向けの技を追求することではなく、それを使う者の心身を極限まで鍛練することに 重きをおくという、当時としては異端の剣術であった。 この集英流独特の鍛錬方法「己の才を信じ、其れを極限まで練り上げる」、すなわち「錬才(れんさい)」は非常に辛く厳しい物で、 全てを修めるのに通常数年、時として二十年以上もかかることがあったというのだから驚きである。 が、非常に優れた者は錬才をわずか十週間程度で修めてしまうこともあり、その者達は 「敵を電光石火の速さで斬り、討ちとる程の腕を持つ」という意味で討斬(うちきり)と呼ばれ畏れ敬われた。 余談であるが東 祖若(あずま そわか)、病上 渡桐(やみがみ どきり)、道本空恩(みちもと あおん)、右馬沢 雷舞(うめざわ らいぶ)ら四人の 討切武士達は関ケ原の戦で一騎当千の活躍をしたと当時の文献に記されている。 ( 民明書房刊 「武士達の辛く厳しい錬才生活」 より )
フッフフ 自作自演とはこれはこれは面妖な
自策自炎(じさくじえん) 古代中国の戦国時代からよく知られている戦略の一つに、放火によって敵の食料や補給物資を焼き、 戦力に大きな打撃を与える「火計」というものがある。 この火計は成功すれば高い効果があるが、風向きなどを計算に入れなければ失敗する恐れがある。 峡西相泥(きょうせいあいでぃ)の地において、久 兄朽(きゅう・にいきゅう)は、友軍に見せかけた ハリボテの軍勢を自軍の2倍用意し、3倍の戦力があるように見せかけて敵を威嚇しようとした。 その上で敵に火計を仕掛けたのだが、久は風向きも何も考えずに作戦を実行したため、その炎は逆に 自軍が用意したハリボテを焼き、自軍の戦力を自ら暴露してしまっただけでなく、炎によって逃げ場を 失ってしまった。 自らの策によって自らを炎の中に追い込みかけた久は、それ以後「自策自炎の久兄朽」と蔑まれ、 二度と周囲の信用を得ることはできなかったと言う。 昨今、インターネットなどで自らの素性がバレないのを良いことに、自らの意見に自ら名を隠して 賛成し、あたかも賛同者が多くいるように見せかけるような行為を「自作自演」と呼び、自作自演を 行った者が信用を失っていくのは、久兄朽の故事に因んだものであることは明らかである。 民明書房刊 「昔の人の恥ずかしい秘密・古代中国編」より
>936 奥義:痔裂痔炎 って書いてあるのに生かせてない。 でもうまい。
「押忍!教官殿、新素麗と典夫麗はいかがいいたしましょう? (ないとしても)そろそろ決めださないと多数の塾生が難民化するであります!」 「なんだかモーレツに悪い予感がするのう…」
夜通怪縷(やつける) 春秋時代の末期、呉の国にいたとされる妖怪。 夜、ある町人が人気のない通りを歩いていると、野盗の集団に襲われた。 応戦するも、数人に袋叩きにされ、町人は負けそうになった。 その時、どこからともなくこの妖怪が現れて、妖術で盗賊たちを倒したという。 町人が礼を言おうと近寄ったところ、妖怪は糸のように細くなり、消え去ってしまった。 このことから、夜に通りに現れる奇怪な縷ということで、 この妖怪は夜通怪縷と名付けられた。 ちなみに夜通怪縷は人間の男に近い顔で、目が虚ろで唇が厚く、 相手を威嚇するのに適した容貌だったという。 なお、「中国が負けそうになったら自分が出て行って日本をやっつける」と言った 中国人サポーターがいたが、彼が夜通怪縷の末裔である可能性は否定できない。 民明書房刊『呉の国は四面楚歌』より抜粋
とあるところから俺が手にした文献、音多我像・歩折駄によると その妖術は幽波紋の術、名は「四面楚歌」と言うらしい
阿鼠破楚満疎(アソパソマソ) 古代中国の戦国時代、群雄が割拠した乱世において 楚国は他に抜きんでた国力をもって周囲に覇を唱えていた。 天下一統を狙う秦にとって楚の弱体化こそ急務であり、時の丞相呂不偉は 「士鼠与汚命裸(しねよおめいら)の計」を提言した。これは国中の鼠を集めて士の身分を与え 裸のまま敵国に放ち、汚命、即ち疫病を流行らせる策である。 秦王はこの提言を取り上げ直ちに実行した。 その効果のほどは凄まじく、たちまちにして楚の国力は疲弊し、ついには内乱を経て滅亡に至った。 この故事から、小さな鼠も楚を破り過疎で満たすことができるように、 自分では非力だと思っていても大事を成すことは可能である、 という例えとして「阿鼠破楚満疎」という言葉が生まれた。 しかし現在では匿名掲示板において暴走行為の自己弁護のために、 歪曲された用い方しかされていないのは語源を知る者として甚だ残念である。 民明書房刊「やなせは宮崎に勝てるか」
このスレで大全買ったヤシはいる?
雄臨(おりん) 雄臨牌求(おりんぱいきゅう) 紀元前13世紀頃、殷の時代においては、民衆の不満解消と 武芸の達人の発掘を兼ねて、「雄臨(おりん)」と呼ばれる 武術会が数年に一度、開かれていた。 雄臨がその他の武術会と一線を画した点は、 通常の武術会で行われていたような「塔難面闘(とうなんめんとう)」と 呼ばれる勝ち残り式の真剣勝負に加えて、 各人が鍛えた武術を披露しあって優勝者を決める「驚儀(きょうぎ)」が 存在したことであった。 驚儀では、馬術、走術、弓術の三大基礎武術があり、それを 1人ですべて行わねばならなかった。 優勝者には、青銅で作られた「賞牌」が授与された。 賞牌を受け取った者は、一生に渡り、優れた武芸者として 称えられたため、世の武芸者たちは、この牌を求めることに生涯を 費やしたという。 しかし、この雄臨は、王朝が殷から周に移り変わった時に廃止された。 なお、この雄臨が、雄臨牌求と名前が誤って西方に伝わり、 それが古代ギリシャにおいてオリンピックと呼ばれる競技会の開始に 繋がったことは、現代ではほとんど知られていない。 民明書房刊 「中国武術会大全」より
946 :
水先案名無い人 :04/09/08 15:50 ID:5Eqj38At
首都来喜(しゅとらいき) 中国では国の中心的な都市を決める為に、たいそう苦労した事があった。 現在の首都は北京であるが、中華人民共和国の名称に決まった時には、まだ、首都は 決まっていなく、各地の人間が「俺の町を首都にしろ」と言って反乱がおきた。 暴力に訴える者もいれば、強盗などの盗みを繰り返す者も現れた。 しかし、北京の人間は、暴れずに血を流さずに北京を首都にしてもらえるような考えを起こした。 それは、労働を拒否する事によって国に損害を与える事だった。 もちろん税金が入らなくなり、国政を圧迫する事を危惧した皇帝は、首都を北京にすることを 決定した。そのとき北京はのものは「首都来期」(次の時代は北京が首都の意) と言って、作戦の成功を祝った。 現在日本のプロ野球界では、ストライキ問題が世をにぎわせているが、「首都来期」が 語源なのは言うまでも無い。 (民明書房刊 『プロ野球の行方』より抜粋)
947 :
水先案名無い人 :04/09/08 21:09 ID:1LNXvJxT
orz (オレゴンヒップホップ) 1990年代、アメリカのオレゴン州で始まった音楽のジャンルと その文化的ムーブメントの事をミクスチャーした音楽として始まり、 音楽演奏と共に牛の糞を投げる。 テクノミュージックとカントリーミュージックパフォーマンスで有名になった。 「オレゴンテクノ」」と呼ばれたが、これを アメリカのオレゴン州(Oregon)の略称ORからとって、 ORtechあるいはORsと自称するようになった。 その後、オレゴンテクノに影響を受けたラッパーたちが、 オレゴンテクノをヒップホップに取り入れたものがオレゴンヒップホップである。 ORsの「s」をヒップホップ風の「z」に置き換えて 「ORz」あるいは「orz」と自称する。 なおインターネット内でも「orz」が使われていることがあるが、 これは言葉の意味だけでなく、当時のライブで牛の糞を投げられた観客の多くが、その臭気の余り「orz」のような形をとって会場内で嘔吐いていたことに由来する。 牛の糞を投げられる機会の少なくなった現代社会においては、「orz」を落胆している様子に見立てて表すようになったのである。 (民明書房刊 『音楽と現代文化』より抜粋)
318 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:04/09/09 05:02 ID:i8pSCTki 画異人 世小間(がいじん よんこま) 世小間とは平安時代、渡来人の芸術家の李居陀(りいだ)が 中国の凱慈院という寺の教えを元に描いたとされる絵。 その絵は4つに区切られていてそれは「生・育・老・死」という自然の摂理に 時には喜び時には悲しむといった人々を表現していた。 面白いことにそこに登場する人々は異国人のようにも見えた。 それは彼自身が異国の民だったからではと言われている。 そのため後にそれらの絵は画異人世小間と呼ばれることとなる。 4コマ漫画というものがあるがこれは世小間を参考にしたものであることは言うまでもないだろう。 現在、インターネット上で外人の画像を使った4コマ作品が多く見られるが 現代における画異人世小間と言ってもいいだろう。 民明書房刊「古代芸術大全」より
寧珂摩・・・ 中国宋代、寧珂摩という殺人鬼が巷を騒がせた 寧珂摩は武術の有段者達に、女伊瑠(メ・イル)、 千伊耶亜杜(チイ・ヤアト)等、女性の偽名を使い 男たちに手紙を出しては墺府(オウフ)に誘い出し 殺していたという。事態を重く見た朝廷は天下無双の英雄 雄智爺(オウ・チヤ)に寧珂摩の討伐を依頼した 雄智爺は私兵部隊を引き連れ墺府にて寧珂摩を撃退した これを墺府之会という。 今日インターネット社会に存在するネカマの語源が 寧珂摩である事は明らかである 尚、寧珂摩が王珂摩の弟子だった事が近年明らかになった。 因みにメール、チャット、オフ会、ウォッチャーという 言葉が、この事件と関係しているかどうかは定かではない。 (民明書房刊『中国殺人事件大全』)
なんだろう なにかがちがう
そりゃ当然。 オリジナルは何のもじりでも何でもない下を噛みそうな名前の奥義を出してきて、 それの解説の中に何かをもじった名前の達人や開祖が出てくるのが基本。 近年は奥義自体がもじりだったりもするが。トリプルアクセルとか。
馬路道程(まじどうてい) 古代中国において、馬は大切な移動・輸送の手段であった。この時代、 馬の通り道は非常に重要なものとされ、その創設には多大な労力が支払われた。 この道を馬路道程という。 その馬路道程作りの第一人者が己喪伊賀瑠頭(きも・いがるず)であった。彼は馬路道程作りに 人生を懸け、そのせいで生涯女人と交わることがなかったという。その様を女人達は嘲笑った。 現代の某巨大掲示板において、「マジ童貞!?」という言葉が生まれたことと、その言を操るのが 「キモーイガールズ」であるということには、密接な関係があるのは明白である。 (民明書房刊『童貞達の道程』)
>>953 ちょっとうまい。ナイス
ってか500KBオーバーしますよ、次スレどうする?
orz (オレゴンヒップホップ) 1990年代、アメリカのオレゴン州で始まった音楽のジャンルと その文化的ムーブメントの事をミクスチャーした音楽として始まり、 音楽演奏と共に牛の糞を投げる。 テクノミュージックとカントリーミュージックパフォーマンスで有名になった。 「オレゴンテクノ」」と呼ばれたが、これを アメリカのオレゴン州(Oregon)の略称ORからとって、 ORtechあるいはORsと自称するようになった。 その後、オレゴンテクノに影響を受けたラッパーたちが、 オレゴンテクノをヒップホップに取り入れたものがオレゴンヒップホップである。 ORsの「s」をヒップホップ風の「z」に置き換えて 「ORz」あるいは「orz」と自称する。 なおインターネット内でも「orz」が使われていることがあるが、 これは言葉の意味だけでなく、当時のライブで牛の糞を投げられた観客の多くが、その臭気の余り「orz」のような形をとって会場内で嘔吐いていたことに由来する。 牛の糞を投げられる機会の少なくなった現代社会においては、「orz」を落胆している様子に見立てて表すようになったのである。 (民明書房刊 『音楽と現代文化』より抜粋)