現代版!民明書房に寄稿せよ!

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1江戸島平十
かつて、熱き漢達(おとこたち)がいた。
かつて、血と汗を流し大切なものを守った漢達がいた。
その漢達が魂を削り創り、そして伝えた技を、ひとつ一つ解説した
漢達のバイブル、民明書房刊の数々の刊行物・・・

武板の住人で、現代版の民明書房を創っていこうではないか!

民明書房は中国拳法の達人「周民明」の名を採って設立された
出版社であることはいうまでもない・・・

ルールは弐で説明いたす。
2名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 18:20 ID:QlgCSVlq
きんたま
3名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 18:20 ID:UYNV0qVV
留兎流(ルール)

一、お題をだして、次の人がそれに対して解説するなり。
一、現代版なので旧書からのコピペは避けるべし。
4名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 18:29 ID:YehI7Rac
きんたま?
きんたまって?
どういうこと?
きんたまって?
5名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 18:33 ID:QlgCSVlq
   ω ←これ。
6名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 19:10 ID:enesQlxO
それってマンガの中の空想の出版社のこと?
7名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 19:23 ID:Ev+isM5U
>>6
貴様ぁ!マンガとは、あろうことか空想とはなんだッ!
かの有名な民明書房を知らんのか、タワケ!
姿勢を正して歯をくいしばれ!
8名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 22:46 ID:6L/3IuX6
940代空手バカ@単身赴任中 ◆Udq6G4kV7Y :04/02/03 22:49 ID:S4oWxN3m
以前、バイク板にもあったな。
あそこのスレは腹がよじれるぐらいおもしろかったが、さあここはどうなるかな?
10名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 23:34 ID:aQehRGmF
盛り上げるのを手伝ってやんよ、コピペだけど

『煮解賭 ( にげと ) 』

明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、合図と共に棒に駆け寄りに旗を奪い合
うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、毒草を煮込んだ煮汁を飲み、その解毒剤を旗代
わりにして奪い合うという遊びに発展させた。
命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この毒草の煮汁の解毒剤を賭けた闘いは「煮解賭」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「2ゲット」と形を変えて、現代人が機敏さを争っているのである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
11名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 23:36 ID:aQehRGmF
『酸下吐(さんげと)』

「煮解賭(にげと)」により、毒にやられて命を落とす者が続出したのは前述の通りだが、
全国的に流行するにつれて、これは深刻な問題となっていった。
そこで、時の皇帝である崇禎帝は、新しい規範を作り出した。
煮解賭に失敗した人間でも、その毒素を完全に吐き出すことができれば
煮解賭の勝利者に準ずる豪傑という評価を与えるというものである。
肉体を酷使して、大量の胃酸とともに吐き出すことから
庶民の間で、酸下吐(さんげと)と呼ばれるようになった。
酸下吐の登場により、煮解賭に参加できない文民の中には、
これを専門とする者も現れ始めた。
彼らの策謀能力を、朝廷が重宝したことは言うまでもない。
己の戦略を進言する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「3ゲット」と形を変えて、現代人が狡猾さを競っているのである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )
12名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 23:37 ID:aQehRGmF
『新素麗(しんすれい)』

一般的に2chのスレは1000レスを越えれば書き込むことが不可能になるが
それをさらに続けることができる方法がある。
新しく続きのスレとしてスレを立てるのである。
しかし新スレを立てることは困難で、幾十もの2chのセキュリティーチェックを
突破しなければならなく、新スレを立てられずに脱落し大怪我をする者も大勢いる。
ちなみに新スレの名前の由来は初めて新スレを立てた人、新素麗(しんすれい)から
来ていることは有名である。

(民明書房刊「2ちゃんねる−そのシステムの神秘−」より)
13名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 23:38 ID:aQehRGmF
『チョコレート』

現代ではカカオを原料とした菓子の事を言うが
元々は古代中国で使われていた薬草『茅是意図』(ちこれいと)を起源としたもの
この薬草は大変美味であったが、猛毒を含み食すと
三日三晩高熱と吐血を繰り返し苦痛にのた打ち回りながら死に至る
主に菓子等に混ぜて暗殺する為に用いられたりしていた
この『茅是意図』を混ぜた菓子は薬草の成分により、黒い色をしていたという
時の皇帝の側近であった『馬齢安泰』(ばれいあんたい)将軍がこの『茅是意図』
を含んだ菓子を食し、暗殺された事件が元で
1500年前の中国では憎むべき存在に黒い色をした菓子を贈りつけるという
嫌がらせが流行し、社会問題にもなっていたという
このことが歪曲されて日本に伝わり現代の日本では好意を持つ男性に女性がチョコレートを渡す
バレンタインデーという行事が広まっているが
過去の中国で繰り広げられた血生臭い陰湿な争いが元であることを知る者は少ない

民明書房『混沌の世代 冥界編』より一部抜粋
14名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 23:39 ID:aQehRGmF
『戦徒・蛮恋多院出夷(セントバレンタインデー)』

殷王朝の時代、当時の中国では「女性は家庭に」という概念はまだ確立されておらず、
男女の別なく力仕事や兵役に就き、共に同じ場で働いていた。
そのため、男女が兵役に就いている間に知り合うことも少なくはなかったが、
女性の兵士が男性の兵士に思いを告げる際に、野生の猪と虎を狩り、
これを渡して己の戦闘力と生活力を示すことによって
相手の気を引くという「猪虎霊渡(ちょこれいと)」と呼ばれる風習が存在した。
しかし、周辺の属国の人々は殷のこの奇異な風習を野蛮な物と見なし、
殷の出身者は「蛮恋多殷出夷(ばれんたいんでい)」と呼ばれ忌み嫌われることとなり、
そしてこの周辺国の殷王朝に対する嫌悪感が後の殷周革命の原動力となったと言われている。

そして現在、女性はかつてのように積極的に社会進出するようになり、
女性側から思いを告げる場面も多く見られるようになり、
ついには、特定の日には女性は男性にプレゼントを渡しながら告白しよう、
という風習が復活するまでとなった。
そしてこの日は、かつての殷王朝時代の女性兵士の呼び名にちなみ
「戦徒・蛮恋多院出夷(せんと・ばれんたいんでい)」と呼ばれるようになった。

ちなみに、女性が男性に渡す品の定番が「チョコレート」なのは
当時の風習「猪虎霊渡」からきているというのは言うまでもない。

民名書房刊「こんな風習いらない・慟哭編」より
15名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 23:39 ID:aQehRGmF
野比銅鑼右衛門 (2112〜没年不詳)

彼は常に勇敢であり、主人に忠節を尽くしました。
そして、最強の策士でした。
鼠党の乱で、夜襲を受けたのが唯一の負け戦です。
その折りに耳を囓られました。
銅鑼右衛門は、名門野比家の筆頭家老で発展に尽力しました。
嫡男野比太に源氏の嫡流である源静姫を嫁がせる政略ケコーンを
成立させたのは有名な話です。
野比家第12代当主野比太は、鉄砲の名手で、どんな距離からでも
百発百中だったという逸話が残っています。
銅鑼右衛門は、その多大な功績により、野比の名字と家紋を与えられ、
それ以後、野比を名乗るようになったといいます。

参考資料
「真説 野比銅鑼右衛門」骨川脛夫著 1949年(絶版) 民明書房刊
16名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 23:40 ID:aQehRGmF
温堂流流裸魏旦泥酢香(おんどうるるらぎたんでいすか)

正しくは、「おんどうりゅう るらぎたん でいすか」。

宋代、都には温堂老師という武術の達人がいた。
老師が開いた温堂流武術とは、相手の不意を突いて渾身の一撃を以って相手を制すのが特徴であり、
武器を持った敵にも有効なところから、主に徒手空拳の貧民の間で瞬く間に広まった。
温堂老師の弟子に魏旦という実力者がいたが、彼の自らの実力を誇る態度を見かねた老師は、
ある雪の夜、魏旦を裸にして道場から放り出した。
信頼していた老師から裏切られたと思った魏旦は、高楼から見ていた老師に罵声を浴びせたという。
その後、流浪の身となった魏旦は文字通りに裸一貫で自らを鍛え直し、
遂には民衆から「流裸魏旦」と畏怖と敬意を込めて呼ばれるまでの腕前になった。
そしてかつての師の真意を知った魏旦は、温堂老師に対戦を申し入れ、
戦いが始まるやいなやすぐさま老師めがけて隠していた泥玉を投げつけた。
よくある不意の突き方と考えた老師は慌てることなくそれを受け止め握り潰したが、
それは罠でその途端、泥玉の中に仕込んでいた酢の臭いに老師は顔をしかめ、
その時出来た隙を突いて、魏旦の当て身を受けてしまった。
魏旦が遂に自分を超えたことを知った老師は、魏旦を温堂流の後継者に指名したという。

この様に相手の予想の裏をかく戦術は温堂流では奥義「泥酢香」として伝えられたが、
未熟な使い手の間では真の意味は忘れられて
「温堂流流裸魏旦泥酢香」の掛け声とともに攻撃することが流行し、
しまいには、貧民同士の喧嘩で掛け声代わりに使われるようになってしまったという。

現在放送中の仮面ライダー剣において「オンドゥルルラギッタンディスカー!!」と主人公が叫ぶシーンがあるが、
掛け声や主人公を見下ろす人物の存在から、この史実を踏まえたものに間違いない。
今後、主人公の戦いが温堂流の華麗な技を見せるか、
それとも与太者の喧嘩に終わるか、目が離せない。

民明書房刊『中華武術と特撮』より抜粋
17名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 23:45 ID:6L/3IuX6
長くて読む気しないよ。
18名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 23:49 ID:aQehRGmF
筋肉バ●ですか?
19名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/03 23:56 ID:6L/3IuX6
返しも面白く無いなー。
20名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 00:02 ID:HEduNNQo
筋肉ア●ですか?
21名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 00:04 ID:d0MY6SKP
放置。
22名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 00:05 ID:HEduNNQo
筋肉ボ●ですか?
23名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 00:06 ID:HEduNNQo
『阿某穏(あぼーん)』

密教で使われる言葉。正確には 「あぼーむ:A Boh Om」 と発音する。
「Om(オーム)」 という発音は密教やサンスクリットでは極めて重要視される言葉で、
これは、神に対する、或いは神自身の言葉である、という意味である。
「阿某穏」 とは 「神よ彼を攫え」 という意味を持つ言葉で、
汚らわしき存在を呪殺する際に使われ、
使われた対象は神の御手により存在すら忘れ去られるという。
 "Om"を使う例文
  Jai Guru Deva Om(神に感謝致します)
  A Boh Om     (神よ、彼を攫え)
当然これは神聖視される言葉であり、
必然的に 神聖なる場 で 然るべき段階 を経なければ、
決してその言葉は届かないとされる。

民明書房刊 『これで貴方もインド通! カーマ スートラ四十八手』 より抜粋
24名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 00:07 ID:HEduNNQo
『ホシュカキコ』
古代中国に於いて雲南省北部を中心に発生した形位拳一派に伝わる秘奥義である。
一見何の意味も為さないような語句を書き込む事によりスレッドを維持し、
倉庫逝きを防ぐ秘伝の技である。その効果は絶大であるが
乱用するとスレ自体が内容の薄い糞スレと化す為に時の権力者に恐れられ、
秦の始皇帝の時代には禁止され弾圧を受けた。
その後は口伝として秘密裏に後世へと受け継がれていく事になる。

なおその名称の由来が、始祖である
「鳳 朱墻」(ほう しゅかき)公の名から来ている事は言うまでもない。

民明書房刊「古代中国に見る匿名掲示板絶技」より抜粋
25名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 00:07 ID:HEduNNQo
『宣唐吏(せんとぅり)』

 8世紀前半、唐は第六代皇帝李玄宗(AD712-756)の統治下にあり
最盛期を迎えていた。後に「開元の治」と呼ばれる時代である。
 この時、玄宗皇帝は広く臣民の意見を集めるための掲示板を設
置し治世の助けとした。この掲示板では活発な議論が行われたが、
時に議論が収束せずいつまでも結論が出ないということがあった。
 このような時、皇帝自らが確認し結論を預かることの意として
「宣唐李」と署名したが、後年専門の官吏を設け「宣唐吏」と変
化した。この役職は事実上皇帝の意見の代弁者であり、これに選
ばれることは非常に名誉であるとされた。

 現代掲示板にて競って行われる「1000取り」は、「宣唐吏
(せんとぅり)」の音のみが残り表記が変化したものであるのは
言うまでもない。

  民明書房「珍説・電脳用語事典(2003)」より
26名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 00:08 ID:HEduNNQo
『素麗建(スレタテ)』

古来、中国では印田阿熱闘(インターネット)という娯楽が盛んであった。
その中でも特に民衆がこよなく愛していたのが敬磁万(ケイジバン)の書き込みであった。
民衆は数々の敬磁万の中で自己主張や、悩み、思い、果てはニュースまで思いを素麗努(スレッド)にぶつけ、
人々に話題を振りまき民衆を楽しませたという。
その中で大きく分け、苦粗素麗(クソスレ)と言うものと利酔素麗(リョウスレ)というものがあり、
苦粗素麗は民衆を苦しめる地獄の使者として言い伝えられ、
利酔素麗とは民衆を笑いの渦や感動へと運ぶ箱舟として伝えられていた。

この敬磁万の素麗遊びは過度の使用特殊な電磁波のせいでは外へ出なくなるという中毒性があったため、
民衆の中には気の抜けた若者が現れ非気蝙蝠(ヒキコモリ)というものが増え、
その自由な生活スタイルにあこがれ
民衆が真似をし、中国全土に多大なる危機的影響を与えたという。
この状況を重く見た、時の皇帝が、
この印田阿熱闘を禁じたという。

民明書房「中国娯楽大観」より
27名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 00:11 ID:HEduNNQo
『盾余観(たてよみ)』

太古の中國地方では戦乱が絶えなかった。
手足に防具を纏った戦士達は自国の勝利の為
夜を徹して戦った。しかし、そんな時代も終わりを告げ
身体の強い者ではなく、より賢い者が高い位に就くようになった。
野に下った豪傑たちは盾に映った自らの獣の様な顔を見て
名士になるには己の頭脳を極めなければいけないと悟った。
利口でなければ、生きていくことは出来ないのである。この故事から
多くの事を学び、冷静に判断することを「盾余観」と呼ぶようになった。
知力に優れたもののみが厳しい社会を生き残れるというのは、今も昔も変わらない。

( 民明書房刊 「中國故事から学ぶビジネスのノウハウ」 より )
28名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 00:23 ID:d0MY6SKP
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29名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 06:03 ID:HEduNNQo
『禿四苦胴衣(はげしくどうい)』

元来は「はげ、どういにしくす」と訓む。
前漢王朝を簒奪し新王朝を興し即位した王莽は、周代を理想とし、政治体制から
貨幣・文物に至るまで時代錯誤なまでに復古を追求した。
その末期に出された法令に「胴衣令」がある。
朝廷に仕えぬ庶民が冠・帽をかぶることを「官職にあるものと紛らわしく礼に反する」とし、
また庶民が華美な衣服をまとうことを「贅沢である」とし、ただ胴衣のみを纏うよう命じた
ものである。
とりわけ禿頭の者にとって、この時代既に帽は不可欠なものであり、長安の民は帽なしに
いかに頭の寒さをしのぐか四苦八苦したという。しかし、新王朝の官吏を目にするや、
処罰をおそれて帽を取り套を脱ぎ、胴衣令への恭順を装ったのである。
もっともこのような現実離れした復古政治のために新はわずか十数年で滅び、胴衣令も
長安周辺以外では厳しく行われないうちに赤眉軍・緑林軍らにより事実上廃止された。

このように「禿四苦胴衣」「禿しく胴衣」あるいは「禿胴」とは本来「同意して
いないが表面上同意を装う様」を指す故事であり、「深く同意している様」と
するのは誤用である。

なお、このとき長安のある禿頭の男が、「冠や帽でなければいいのだろう」と
藁を頭にかぶって嘲笑されたのが「禿藁」の語源であることは言うまでもない。

  民明書房刊 「禿、その苦難の歴史」より
30名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/04 06:07 ID:HEduNNQo
【猛打滅法(もうだめっぽう)】

ヤツァン・ヤヮゥッツが開祖の拳法で、その威力は凄まじいものであり、
回転硬板を容易く割ってしまう程であった。
ある日、ヤツァンが回転硬板に卑猥な事や秩序を乱す事を書いていると
役人が歩いてきた。
彼は慌てて逃げ出したが、それを見ていた物達が
「猛打滅法!猛打滅法!」
と叫んだっために結局悪事がばれてしまった。

なお、数年前のファイル共有ソフト利用者摘発時にある男が掲示板に書き込んだ言葉
「もうだめぽ」は、ここからとった喪のと思われる。
ギリギリの状態でこの故事を思い出すとは、彼は相当の中国通だったのであろう。
ttp://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0311/29d.html
民明書房刊「中国流摘発逃れ」より
31あげ:04/02/08 17:00 ID:WioxByjB
おもしろ あげ

ぎゃははははははは _(__)/彡☆ばんばん!

(゜〇゜;)ぐぇっ簿
32あげ:04/02/09 11:00 ID:X14DABxq
ネタを漫画版からサルベージ

捕睨(ほげい)・・・
中国秦代、時の権力者達が暗殺要員として
秘密裏に契約を結んでいた組織「御得打(ごうだ)一族」の長、「蛇 化視(た・けし)」が
編み出したとされる、数ある中国拳法の中でも最高峰に位置される奥義である。
その声は蛇が蛙を睨み捕まえるかのごとく、相手の身体の自由を奪ってしまうところから
この名が付いたという。
現在、失神しそうな歌声に対し「ホゲ〜」という祇園が充てられることがあるが、それはこの名残である。

民明書房刊「歌声の神秘」より
33あげ:04/02/09 11:03 ID:X14DABxq
ネタをサルベージ2

温菜尼医(おんなにい)

 中国清代中期 医学発達の最盛期にて発祥した医療法。
 戦が日常茶飯事となった当時において、種の保存の欲求から来る性衝動は
 兵の不満の高まりと戦意喪失を助長し、深刻な問題となっていた。
 これを打破したのが、中国東北部に位置する絶倫寺の開祖の僧、包茎である。
 包茎は最寄の同派である淫乱寺の僧達と共に、寺に代々伝わる局部マッサージ法を
 尼達に習得させ、兵達に施した。
 その効果は絶大なもので、ついには国中の尼が総動員で行う程であった。
 この時の尼達の柔肌が茹でた野菜のように柔らかかったことから、この行為は温菜尼医と呼ばれるようになったのである
 戦が終わった後も兵達はその快感を忘れられず、自己で処理をするようになった。
 これが現在のオナニーにあたるのは言うまでもない。
  

 民明書房刊「中国伝承医学その神秘」より
34あげ:04/02/09 11:07 ID:X14DABxq
35あげ:04/02/09 11:16 ID:X14DABxq
ネタをサルベージ3

『矢裸納射歌(やらないか)』

紀元前、中國のとある少数民族が住む地域では
弓矢を使っての祭祀を行っていた。
特に盛んであったのは村の青年男子達が裸になって
歌を歌い、腰に納めていた弓を射て奉納するというものであった。
この祭祀は初め大勢で行われていたが、次第に二人一組の男性で
行うようになり、その祭司として選ばれる男子は極めて容姿端麗であったという。
この祭祀は長期間に渡って行われたため、選ばれた二人の男性の間で
特別な感情が芽生えることも少なくなかったという。
その事から転じて男性間での親密な関係のことを「矢裸納射歌」と
もてはやすようになった。

今日の某巨大掲示板で「やらないか?」という文句が流行っているのは
偶然の一致だろうか。

( 民明書房刊 「古代中國のホモセクシュアル事情」 より )
36あげ:04/02/09 11:19 ID:X14DABxq
イツモナガラ、ツマランモノヲ、サルベージしてもうたー
37あげ:04/02/18 17:10 ID:u+wC0Qj0
『ホシュアゲ』
古代中国に於いて雲南省中部を中心に発生した揚氏蛇雲拳に伝わる秘奥義である。
一見何の意味も為さないような語句を書き込む事により素麗度を維持し、倉庫逝きを防ぐ秘伝の技である。
その効果は絶大であるが、乱用するとスレ自体が内容の薄い糞スレと化す為に時の権力者に恐れられ、
秦の始皇帝の時代には禁止され弾圧を受けた。
その後は口伝として秘密裏に後世へと受け継がれていく事になる。
技秘伝は、対象素麗度を興味を惹く物から気紛れで揚げる事にある。

なおその名称の由来が、始祖であり突きも名手である。
「揚 砲手」(よう ほうしゅ)公の名から来ている事は言うまでもない。

民明書房刊「古代中国に見る匿名掲示板絶技」より抜粋
38アオリスギタカオル ◆zxp0MsqFoQ :04/02/19 08:18 ID:2uEV+Xmx
>>27
縦読みマスター認定だす。
グレイト牟田だす。
(^o^)丿
39あげ:04/03/11 12:21 ID:zbcT0rC0
死にそうだから。

あげ

     あげー    あげー   あげー
  +    ∩_⊂ヽ   ∩_⊂ヽ   ∩_⊂ヽ  +
     (・д・ )ノ  (・д・ )ノ (・д・ )ノ
      ( ⊃ /   ( ⊃ /   ( ⊃ /    +
 +    ⊂_ノ   ⊂_ノ    ⊂_ノ
        ∪     ∪      ∪
       | ||      | ||       | ||
40名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 16:20 ID:Rwm/o1Su
おもしろかった、グッジョブ
41あげ:04/03/19 20:05 ID:0p8v4KsL
死にそうだから。

さげ

     さげー    さげー   さげー
  +    ∩_⊂ヽ   ∩_⊂ヽ   ∩_⊂ヽ  +
     (・д・ )ノ  (・д・ )ノ (・д・ )ノ
      ( ⊃ /   ( ⊃ /   ( ⊃ /    +
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42あげ:04/03/20 22:31 ID:h+WObpLK
ネタ見っけ 勝手にコピペ投稿

手恨堂【手恨道】(てこんどう)

長崎県西部にある螺云寺(らうんでら)の本堂の名前。
15世紀半ば、この寺の3代住職「音竹」(おんちく)は僧としてのみならず有名な武術家としても名を馳せていた。
ある日音竹の元に朝鮮半島から「破栗」(ぱくり)という罪人が流れ付いてきた。
音竹は不憫に思い彼を寺に住まわせ日々更正のための修行や武術の稽古をつけていたが、1年が過ぎようとしていたころ
突然破栗が寺を乗っ取ろうと密かに通じていた山賊とともに音竹を襲った。
しかし音竹は数十人を相手にいとも簡単にこれを鎮圧し唖然としている破栗に問い掛けた。
「あなたは今まで私のお手伝いをよくやってくれました。私は大変感謝しております。
 しかしあなたがこういう事をしでかすのにはなんらかの理由か、もしくはこの私に御不満があったのでしょう、
 気がつかなくて申し訳ない。もし良ければなにが不満か教えていただけないでしょうか?」すると破栗は
「あなたのその手が憎い。ことあるごとに私を叱るその手が憎い。そのまるで命を持ったかのように滑らかに動くその手が憎い。
 私にはないもの、決して届かない場所にあなたを置くその手が憎い。今とて私の欲望をつぶしたその手が憎い」
と答え持っていた刃を自分の喉に突き刺し自害した。
すると音竹はその刃を手に持ち自らの右手、そして口を器用に使い左手を切り落とした。
「申し訳ない。私にはこのぐらいの事しかあなたにしてやれないが
 これであなたの思いが鎮まるのであればどうか安らかに成仏してほしい。」
と本堂を新しく建て、破栗とともに自分の両手をそこに供養し手恨堂と名付けた。
音竹はその後も足技を基本とした武術を独自で開発し「手恨道」として大成させたが、
その死後、朝鮮系の元山賊の弟子が朝鮮半島に帰り、さらには独自で勝手にアレンジされ今ではテコンドーとして逆輸入されている。
民明書房刊『週間ファ○通増刊 鉄拳4攻略ムック』より
43名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/10 13:29 ID:dsjdxzhZ
好きなんだけどな、ネタがない
44名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/10 14:28 ID:agiYx5OO
『痩婦乱怒(そうぷらんど)』
江戸後期、ある武士がいた。名を「城音 同定」という。
同定には病弱だが温厚で貞淑な妻がおり、同定はその妻を愛していたし、
当時の武家としては大変な「おしどり夫婦」であった。
ある日、上役との付き合いで吉原に行かざるを得なくなった同定はしぶしぶ遊女を抱いたのだが、
それが病みつきになり、妻の目を盗んで度々その遊女に会いに行った。
数ヶ月がすぎて、妻はついに夫の様子がおかしい事に気付き、涙ながらに問いただした。
吉原通い等、当時としてはごく普通であったが、妻の愛はそれを受け入れる事が出来なかったのだ。
同定は言葉に窮して言った。
「遊女と寝るぐらい浮気とはいわぬ」
それを聞いた妻はそれまでの弱々しい儚げな様子はどこへやら、髪を振り乱して怒り狂い三行半を突きつけた。
今日のいわゆる風俗業において横文字風に使われている名前も、この故事を忘れず自制心を保つために残されているのだ。

民明書房刊『イーグル加藤の指技入門』より
45あげ:04/04/10 18:59 ID:hb1OVto0
    /      ,' |       |       ヽ ヽ:::::\
 ,'  ,'    ,   ,'! /! !      ! ! l  ',  ,   ',丶、丶、:::ヽ
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,! ∧ !ヽ !! ` i、ー'ノ    ! , '  i、ー'ノ ,'/ ; ! / !  ,! !l
l`'! 'ヽl (!、|  ‐=''"´    '´  ''ー='-イ ! // ,' l , '  リ
!  ヽ、ヾ! ゙! U        ‘     ,' l,イ/ '  ,'イ
'、   `ー! lヘ      ,--‐ァ U  ,. '! l |´|  '´!l
     ', ',ヾ! 、     、_,′ , '´ ! | l !   !!
      ', ', ', `  、    , '´   l ,'  ! l ,'   'l
      ', ', !    ` i'´      i/  l l !  |'!
       ,.ゝ',''!        !、     /   l !l   !'!
   _,. - '"  ヾ 、    __'ヽヽ、   /    !!!   l !

オモシロイよ・・・・・・・ 
46名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/13 03:29 ID:0XeCfeTg
沈めるには惜しいがネタがないよ。
47名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/29 13:59 ID:bYYsz8gT
じゃ、ニュー速板から、イラク人質問題で人質帰国の際
羽田空港に掲げられたプラカード、ぬるぽ の項より抜粋

ぬるぽ とは

1) 意味のない(値の無い)参照である。
2) 値の無い参照をするような、ダメポなプログラムである。
2) ダメポなプログラムを書くようなヤシが開発者の中に棲息している。

という、3つの社会的或いは構造的なレイヤでの「お話にならない状況」を
たった一言で言い表すことのできる、大変深い虚無感とシニカルな笑いを
提示できる優れた表現である。

政府も与党も、政教分離の原則も 未来の日本国においてまさに Nullポ
であろうことは、もはや今から書いておくまでもないことで・・・

(民明書房刊 「古代中国に見るシステム開発の信頼性とその告発」より抜粋)
48あげ:04/04/30 15:06 ID:lEC6gMXY
他スレで見つけた、ねたを春(^○^)

「『押忍』の起源について」
「押忍」の起源は江戸時代末期までさかのぼる。
ある空手道場の入り口の戸が引き戸ではなく
当時珍しいドアタイプであった。
道場に入る際、門下生は開け方がわからずなかなか入ることが出来ず、
苛立った門下生がドアを壊してしまうこともしばしばあった。
そのため、館長が気を利かせ、ドアのところに「押ス」と書いた。
また門下生自身も、間違えないよう、「押ス」と
口で確認しながら道場に入るようになっていった
このことから道場に入る際の挨拶として「押ス」が定着し、
また、何かあるごとに「押ス」と言うようになったのである。
現在のように「押忍」というようになったのは
某大学が勝手に意味を後付けしたと言われている。
しかし、道場から帰る挨拶が「引ク」にならなかった理由は
まだわかっていない。

(民明書房刊『直接打撃空手史』より)
49名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/06 01:50 ID:7eRzAPaw
おもろいよ
50名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/06 21:19 ID:+A73u/8Y
逝ってよしについて解説お願いします。
51名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/06 21:27 ID:N7TUuTEd
格闘と関係ないから、無理はしないで結構ですが。
52名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/07 04:09 ID:rThCecXy
『逝ってよし』

 江戸時代の武芸諸流派が、平和で安寧な時代に泰平をむさぼり、
武術家達がその誇りを失い、その牙を折り、堕落と腐敗に墜した時、
いざ一大事があっても、もはや闘い方を忘れた者達は
一調子でしか闘えず、武芸も滅び、国力も尽きかけそうになったことがあった。
 これを危ぶんだ、時の将軍が、武術顧問として五代阿波蓮某に日本武芸の復興を命じ、
全国で選りすぐりの武士達を発掘し、また育てる為の大会などが開かれた。
 優勝者には膨大な額の報酬金と、幕府からの藩の引きたてなどが約束されていた為、
貧乏に喘ぐ田舎侍や台所事情の逼迫した藩、
それに故郷に錦を飾りたい若きもののふ達が己の誇りと再生を賭けて参加した。
 そこでは、二度と日本武道が殲滅するような、ふがいない状況に陥らない為に、
非常に厳しい選別が下され、厳格な審査が為された為に、武芸大会の観客達も
無様にしか闘えなかった武士達を、「一調子でしか闘えぬ者」の意味を込めて
「いっちょうし、いっちょーし!」などと侮辱を込めて揶揄した為に、
無様な行いしか出来ぬ者、腕や行動や志向が未熟なもの、精神年齢の幼い者、
妄想武道しか行えぬ者、或いは実力もないのに一流派を興した者、口先武道家などを
軽蔑の意味を込めて「いっちょーし」後に転じて、『逝ってよし』と修飾し始めた。
 なお、時代が転じて、一調子な、すなわちワンパターンな言動やネタしか振らぬ者を
馬鹿にして、「逝ってよし」と表現されるようになったのは、
「死んでもよし」という意味合いを掛け合わせた、後の風流人、荷血矢ン根羅の手によるところが大きい。

 (民明書房刊『武術文化の興勢に見る、風評・風言の江戸民族史』より要約)
53名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/07 04:10 ID:rThCecXy
 なんか頑張ったよ、俺。
54名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/07 07:13 ID:CCbOMkoJ
お憑かれ様です。
55名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/08 02:33 ID:NB00saLi
憑かれたのかよ、俺は。誰に? なんか自分が可哀想

>荷血矢ン根羅を捩子矢ン根良ーとか、沖縄っぽい名前にすれば沖縄武術との関連から
また、話が広がったかなと思えたりして・・・誰か、続きを作ってくれない?
おいら、突かれたw
56名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/08 14:15 ID:LiPtFPsS
>>55
あんま長文すぎると読む気失せると思うよw
ちょうどいいと思われ、おつかれさま
57名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/09 03:04 ID:BavB0WqF
ん、お褒めの言葉ありがと。
58名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/10 07:59 ID:TZ1mxzsx
濃安岳和我血 (ノアだけはガチ)

古代中国に存在した封建民族「斬日凡」が民族内闘争により分裂した。
その後、民族の一部が濃安岳(現在の三澤山)へ移住したときに
その緑の映える木々の美しさに感動し
「濃安岳和我血(濃安岳は争いで怒りくるった我が血を和ませてくれる、の意)」
と叫んだという。その後、争いにより焼け爛れ禿山となった
武道山に残った残りの「斬日凡」民族が濃安岳の緑の木々を羨み何度も攻撃を仕掛けたり、
「異乃騎薪日凡」民族が濃安岳を侵略しようとしてきた。
そのたびに「濃安岳和我血」と叫びながら闘い、他民族を撃破したことにより
他民族の攻撃は次第になくなっていったといわれている。
また濃安岳の民族は鎖国的だとも言われていたが、他民族の太香弥真や猪宇埜らとも交流を
もち、発展に至った。

民明書房刊『濃安岳の歴史〜緑を守れ』より
59名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/10 15:20 ID:uOVLho9E
民明書房はもうちと平易な文章のような・・・
60あげ:04/05/14 22:19 ID:YYphUm1g
ageじゃー

     あげー    あげー   あげー
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61名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 15:20 ID:OHs18pRi
癒喜子(ユキコ)

古代中国には華余(カヨ)という女性がいた。華余はたいへんに可愛らしい女性であり、
「星短情(スターたんじょう)」(日本でいう俳句大会)で優勝するや、みるみる内に中国本土に
容姿、知性ある女性という事が知れ渡り男性はしかり女性の憧れの的となった。
皇帝は華余を見るや心が癒され嬉しくなる女性との意味から癒喜子の名を授けた。
美人であった為、プロポーズの言葉も多数受けた。うらやましい限りではあるが、
癒喜子は本命の男性と一途に恋をしたいとの気持ちが強く、多数の人からのプロポーズは本意ではなかった。
現に本命の男性からはもてすぎる為に高嶺の花だと思われ両思いになる事はできなかった。
それが原因で癒喜子は傷心してしまい、自ら命を絶ってしまったのである。
それにより多数の人がショックを受け続けて命を絶ち、混乱を招いた。
混乱を抑えるために皇帝は、癒喜子の話をした者に処罰を科した。そして癒喜子は封印された。

現在世界3大美女と呼ばれている1人に中国の楊貴妃がいるが、癒喜子が命を絶たなければ楊貴妃ではなく、
癒喜子になっていたかもしれない。

 民明書房刊「中国の美女〜悲劇のヒロイン」より
62名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 15:41 ID:+VPxWEGZ
>>58
 ワロタ
63名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/17 22:19 ID:0XNeH+4Q
展乱寺逢(てんらんじあい)

古代中国では、兵士達がいかに武術の訓練をしているかを皇帝が直に見る展乱寺逢
という事が行われていた。各地方の腕自慢が神聖なる寺院に集まり、披露した。
特に有名なものが、光烙園(こうらくえん)で行われた展乱寺逢である。
中国最大の軍隊、拠陣軍の大将、那賀史摩(ながしま)は皇帝が見ているという大舞台の中で、
作余納裸保無濫(さよならホムラン)という心を裸にして無の状態する、大技を披露した。
これには皇帝も驚きのあまり、立ち上がって拍手し、最大級の賛辞を送った。
那賀史摩と対戦したライバル武羅谷磨(むらやま)はショックが大きかったのか、「あれは反則だ!!」
とうそぶくことしかできなかったという。
これにより那賀史摩は「身守多亜(みすたあ)」(アジア最大の国、中国の多くの人を守るの意)の称号を
授かり、拠陣軍に那賀史摩あり。と中国全土に知らしめた。

  民明書房刊「中国、拠陣軍伝説の那賀史摩」より
64名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/28 00:20 ID:NktcXYQY
沈めるの惜しい上げ
65名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/29 18:45 ID:1WoKxdxz
コテハン消し上げデス。(^^;
66名無し@チャチャチャ:04/05/31 13:24 ID:KPkKVGZ+
有利名良満盛(うりならまんせー)

かつて大陸の片隅に暮らしていた似蛇(にだ)族は、目的の為なら誹謗中傷、捏造、居直りと手段を選ばないことで周辺部族から恐れられ、忌み嫌われた。
「自分達の名を上げ、有利な立場に立って盛りを満たす」という民族的スローガンを有利名良満盛と称し、事あれば叫び自らを鼓舞していたという。
かつて欧州まで出向いた似蛇族がこの言葉を叫び、伊太利亜の兵士達を苦しめたという。

民明書房刊「こりあ、駄目だ。似蛇族襲来記」より
67柔道ももも ◆3Pc3vtGjEo :04/06/01 23:04 ID:7uVAU+zH
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     .l厄巳厄巳厄 i王i ,.巳厄巳厄巳l        
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  ッジ::::::|  ゙ ,r'´:::;;;;;;;::>  弋´;;;;;::::ヽ'" |:::::゙'イィ      ノ凵  l土
 弍:::::::::::l  /:::;r'´ ,,..-ー…ー-、 ヾ;:::'、  |:::::::::::ヒ
  シ:::::::::::l   i':::,!  ´  __  ゙  l::::l:. |::::::::::ス       __ヽ__‐┬┐
  彡;:;:::::l  l:::l     ''''''''⇒;;;:,   l:::l  |::::;;ャ`        ニ メ ,ノ
  ,r', 广'`ヽl:::l ::::. .::     ゙::.   l::l ノ^i`、         l ̄l ハヽヽ
 ,イ(:::j    i::;ヘ  :;:.       .::   l::l'"  l:ヽヽ         ̄   ̄
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68名無しさん@お腹いっぱい。:04/06/15 09:12 ID:wqvZDlq7
7:1】(゚∞゚)ペーチュンチュン
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 04/06/15 08:44 ID:lJDbTXvk
北中中(ぺーちゅんちゅん)

時は明代初頭、元が滅び洪武帝による中国統一がなされたころのことである。
このころの武人の間でひそかに培われてきた武術があった。それは∞の形を基調とした掌の動きや足の運び方を行い、攻守ともに無駄のない動きを目指したものであった。
この武術は(身体や場の)中心を重視した動きが特徴であったため中拳と呼ばれていたが、特に華北、華中の武道家が好んで用いたことから「北中中」と呼ばれるようになった。

しかし、この武術を会得した者があまりに強大な武力を手に入れたことから、反逆者がこの武術を会得することを恐れた洪武帝が北中中を禁止する勅令を出した。
この後、北中中を会得しようと修行していた武道家達が悲嘆にくれて泣き叫ぶ「ぺーちゅんちゅん…ぺーちゅんちゅん…」という声が全土を覆い尽くしたという。

民明書房刊 「中国における禁忌・外法 −武術編−」より



全然面白くないが、倉庫行き防止に上げとくか。
69あげ:04/06/20 23:13 ID:4JmMFgis
みんなーミテミテageじゃー

     あげー    あげー   あげー
  +    ∩_⊂ヽ   ∩_⊂ヽ   ∩_⊂ヽ  +
     (・д・ )ノ  (・д・ )ノ (・д・ )ノ
      ( ⊃ /   ( ⊃ /   ( ⊃ /    +
 +    ⊂_ノ   ⊂_ノ    ⊂_ノ
        ∪     ∪      ∪
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70名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/06 23:33 ID:LWEV0DC3
本当にだすらしいよ・・・民明書房(藁
71名無しさん@お腹いっぱい。:04/07/18 13:45 ID:TokmXI8t
誰かネタを。
72名無しさん@お腹いっぱい。
>>70
江田島塾長が祝辞を寄せてたねw