★★舊字、舊假名遣ひで話すスレッド 二箇目

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どんな仮名遣いをしようと視覚的に改善するとは思えない。
視覚的な読み易さならば未だ漢字表記のない語、或いは既にあるものの
妥当でない語や慣用句などに新訓を割り当てた方がよっぽど役に立つ。
この板での議論は全くの無意味。
勿論さうだ。
しかし、日本語の場合は、視覺識別は漢字で十分ではないか ?
假名遣ひで視覺識別せねばならないケースは、同一漢字の複數の訓の間に
現代假名遣ひで區別出來ない差が出る時だらうが、「おんな」對「をんな」
位しか思ひ附かんな。「頬」の「ほほ」と「ほお」なんかに至っては、現
代假名遣ひでないと區別出來んしな。w)
>>500
> 歴史的假名遣は慣用化することによつて、視覺的な語識別に大いに役立つ。
役立たない。そんな例は稀。
>>497
>「正假名遣」の小書きはあくまでそれの真似

小書きは假名遣の問題ではないと言うて居らうが。
歴史的假名遣でも小書きにする人もあればしない人もある。
無闇に決めつけても説得力は無いぞ。
>>501
>どんな仮名遣いをしようと視覚的に改善するとは思えない。

ではなぜ新かなは助詞「を」「は」を表音式に「お」「わ」としなかったのかね?
語の識別のため以外に理由があるのか?
結局「現代かなづかい」は舊假名遣の原理を密輸入してゐるのだ。
それくらゐなら元の假名遣でよい、何もいい加減に改竄することはなかった。
>>504
> 小書きは假名遣の問題ではないと言うて居らうが。
理屈はそうでもその言い分は通らない。なぜなら、

> 歴史的假名遣でも小書きにする人もあればしない人もある。
するのが規範だったことはないから。仮名遣いとは規範だ。

> 無闇に決めつけても説得力は無いぞ。
そっくりそのままお返しする。

>>505
> ではなぜ新かなは助詞「を」「は」を表音式に「お」「わ」としなかったのかね?
> 語の識別のため以外に理由があるのか?
そのとおり。必要な所だけは不規則性をきちんと残してある。「いい加減に改竄」したのでは決してない。

> 結局「現代かなづかい」は舊假名遣の原理を密輸入してゐるのだ。
どこも「密」ではないのだが???

> それくらゐなら元の假名遣でよい
めんどくさい。不便。長所は全部新かなに受け継がれた。ほかにいい所は一つもなし。あるなら挙げてみよ。
>>506は論理がわからない人なのかな?
>>> 歴史的假名遣でも小書きにする人もあればしない人もある。
>するのが規範だったことはないから。仮名遣いとは規範だ。

規範がすべて假名遣ではあるまいよ。
假名遣ではない表記規範もあって、それが小書き。
ベン圖でも書かないとわからないかね?

「現代かなづかい」が表音主義を標榜した癖に舊かなの表語性に讓歩するのなら
これは密輸入だ。それくらゐも、理解できないらしい。

「めんどくさい。不便。」しか言へないし。我儘なお子さまみたい。
>>506
>必要な所だけは不規則性をきちんと残してある。

では、「は」「を」を「わ」「お」としない假名遣の方が
「視覚的に改善」してあると認めるわけだ。
よって>>501は自ら却下といふことですな。
>>507
>>506は論理がわからない人なのかな?
どっちがだよ w

> 規範がすべて假名遣ではあるまいよ。
> 假名遣ではない表記規範もあって、それが小書き。
> ベン圖でも書かないとわからないかね?
そんな難しい話か。
小書きを規範とする体系: 新かな
小書きを規範としない体系: 旧かな
というだけのことだろ。

> 「現代かなづかい」が表音主義を標榜した癖に舊かなの表語性に讓歩するのなら
どこかに、表語性は放棄するという趣旨のことがうたわれているか?

> 「めんどくさい。不便。」しか言へないし。我儘なお子さまみたい。
ほかに重要なことはない。それより、旧かなの利点は一つも挙げられないのか?
> どこかに、表語性は放棄するという趣旨のことがうたわれているか?
きっと表音性と表語性は排他的でどっちかの性質を少しでも利用したら
もう片方の性質は一切採用できないとでも思ってるんだよ
>>483-487の流れを見ても明らかだろ
それこそベン図でも書いてやらないと分からないんじゃない(w
>>509
>どこかに、表語性は放棄するという趣旨のことがうたわれているか?

これとそつくりの言ひ拔けを金田一京助がしてゐたなあ。
福田恆存の『私の國語教室』で完膚無きまでに批判されてゐたつけ。
新假名遣制定の過程を見れば、表音主義による表語性の排斥は明らか。

>>510
>もう片方の性質は一切採用できないとでも思ってるんだよ

それはむしろ新かな表音主義派の思考だ。
正假名遣が表語目的のためには表音性も表意性も利用するのは、
>>326-328を見れば明らか。
>>509
>小書きを規範とする体系: 新かな
「現代かなづかい」(昭和20年)でも「現代仮名遣い」(昭和61年)でも
「促音をあらわすには[つ]を用い、なるべく右下に小さく書く」とか
「促音に用いる「つ」は,なるべく小書きにする」とかで、
小書きは「なるべく」といふ程度の推獎で自由裁量の餘地があるんだが。
http://www.asahi-net.or.jp/~lf4a-okjm/genkan21.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~lf4a-okjm/genkan61.htm
>>509
>>> 「めんどくさい。不便。」しか言へないし。我儘なお子さまみたい。
>ほかに重要なことはない。

言葉のこれまでの慣習で用ゐるものだ。
便利か否かといふ皮相なプラグマティズムだけで決めるのは無考へもいいところ。
>>505-
「は」「を」「へ」を「わ」「お」「え」に変えたところで
視認性が悪化する事はない。その論証は「は」「を」「へ」の
書き方の方が優れているという前提自体が間違っている。
これは訓令にもあるように以前の習慣を尊重したというだけの事。
このスレを見てるとMicrosftとLinuxのエロイ人との喧嘩を想起するな。
Linuxのエロイ人はWindowsをセキュリティーホールだのOSの安定性だの
色々非難していて事実その通りなんだけども、
今更言われてもエンドユーザとしてはもう慣れちまったことだし、
アプリの数とか考えるとLinux不便だし、そもそもOSの基本操作すら
シラネーヨ、覚えるのメンドイヨって人も多いだろうしな。

関係ないのでsage
>>515
だから俺がここは宗教論争のスレだと書いたじゃないか。
>>514
「以前の習慣を尊重」するからこそ僕は舊假名なのさ。
>>515
よく譬へたものだ。
519505ではないけど、:04/01/08 19:15
>>514
>その論証は「は」「を」「へ」の
>書き方の方が優れているという前提自体が間違っている。
だとしても、「以前の習慣を尊重したというだけの事」ならば、>>505
>結局「現代かなづかい」は舊假名遣の原理を密輸入してゐるのだ。
>それくらゐなら元の假名遣でよい、何もいい加減に改竄することはなかった。
といふ疑問はもっともなものでせう? 「密」かどうかはわからないけど。
>>513>>517
その通りだけど、漫然と「慣習」を持ち出すと、説得力が落ちるんぢゃ
ありませんか? 「便利」についても、(身につけるのは多少めんどうでも)
論理的な表記は便利である、と言ふべきではないんですか。
>>519
なぜ、現代仮名遣いは歴史的仮名遣いとは全く別に
つくられて、その時に歴史的仮名遣いのアイデアが
盗まれたかのような物言いなんだ?、
>>521
「現代仮名遣い」は昭和61年。昭和21年の「現代かなづかい」の改定だよ。

で、「現代かなづかい」制定當時、表音主義からする歴史的假名遣への批判が
如何に口を極めたものだつたか、それを知ればそんな素朴に過ぎる疑問は今更出ないと思ふが。
單なる無知? 
523521:04/01/08 19:52
見当違いのレスだな。方法論など共時的に考えればいいものを
くだらない「歴史認識」にこだわるのはなぜかと聞いているのだ
ユダヤ人やら朝鮮人やらのように歴史にしかよるべがないのかね
>>523
新規に言語や文字を作り出すのではなく
既にある言語や文字の中で生まれ育った者が
それを引き継ぎつつ改良するのだから、
これまでの歴史的經緯は無視できない。
それを考慮しなかったのが新字新かなの何よりの淺墓さ。
>>523
日本人がユダヤ人や朝鮮人より上等だとでも思つてゐるのかね。
愚劣な人種主義者なんぞとは、お話にならぬ。出直したまへ。
526521:04/01/08 20:02
>>524
それはまた、ただの懐古趣味だ。
今現在すでに現代仮名遣いの広まっている現状では
昔広く使われていたから優れているなどというのは
昔は偉かったと繰言を述ぶ老いぼれのつぶやきに過ぎない。
優れているというならば今どう優れているのかを
唱えなければ無意味だ。
527521:04/01/08 20:05
>>525
ユダヤ人や朝鮮人などの言葉がすぐ人種差別と結びつくのは
毒されすぎだな。
http://member.nifty.ne.jp/gimon/seikana.htm
>時代や地域を超越して國語を統一的に表記できる整合性

現代(現在)しか考へぬ新假名とは違ふんだよ。
>>528
それなら「かおり」は「かほり」でないとな
いまさら取り繕ってもムダ。 >>527
>>529 ハア? ナニ言ってるの? だいたい香りは「かをり」だし。
>>523 
歴史に據り所を求めて何かいけないのか?
なぜ唐突に朝鮮人・ユダヤ人を輕侮するんだ?
この人、眞底バカぢやなからうか。
533521:04/01/08 20:19
>>528
実際には仮名遣い以外にも問題があって古書など研究者にしか
読めないから古代人との意思疎通など不可能。
どうせ研究者が現代的表記に直さなければ一般人には読めないのならば
同時に現代仮名遣いに改める労などなんでもない。
真に時代地域の超越を考えるならば戦前ではなく明治以前の制に改める必要がある。
また現代仮名遣いがこれから長く使われればその論拠も失われる。

>>530
勝手に曲解した事を取り繕おうとしても無駄
534521:04/01/08 20:25
>>532
書いてもいない事を勝手にでっち上げるな。
一文字もあらわしていない軽侮などを空から唐突に持ち出すのは
あなたにこそその意識があるからだろう。
>>534
取り繕ってもムダです。

523 :521 :04/01/08 19:52
ユダヤ人やら朝鮮人やらのように歴史にしかよるべがないのかね
536521:04/01/08 20:32
>>535
その文がどのように軽蔑になるのか説明してみなさい
あなたのそういう意識によるものである事がよくわかるだろうから
へええ、猶太人や朝鮮人て、歴史にしかよるべがないんだ。(笑)
アホクサ。 >521
539521:04/01/08 20:39
反論できないから関係のない議論に持ち込もうとしているのは
よく分かるが、歴史的仮名遣いに特に優位性がないというのは
明らかだ。それはもちろん現代仮名遣いも同様である。
しかし現代仮名遣いには今広く使われているという
利点があるのだ。
>>536 〜やら〜やらは〜にしかよるべがない。
この構文で輕侮だと受け取れない奴は日本語の語感が身についてないよ。
>>539
既に使はれてきたといふだけで優位だと思ふ。
そして、かうしていまだに使つてゐる人もゐるのだ。
「今」といふのは單なる移りゆく點に過ぎず、物事の根據にはならない。
そんなことも民族偏見の持ち主にはわからないらしい。
542521:04/01/08 20:44
>>540
学者やら研究者やらは学問にしかよるべがない。
この構文であれば必ず軽侮だとしか受け取れない奴は
日本語の語感が身についてないよ。
543521:04/01/08 20:47
>>541
「今」広まっているという事は「今」それを採用する
大きな根拠になるのだ。
そんなことも反民族偏見の持ち主にはわからないらしい。
>>542 鸚鵡返しになるのは、追ひ詰められて種切れになつた證據。無理するなよ。
545521:04/01/08 20:51
>>544
またそういう根拠のない事を。
根拠のない事を言うのは、追ひ詰められて種切れになつた証拠。無理するなよ。
>>543
今・今って、その「今」っていつよ? 過去を含まぬ今など無意味な點なるのみ。
「反民族偏見」っていったいどんなんや。聞いたことのない偏見だなあ。

サア、いよいよ521は錯亂氣味、支離滅裂になってきましたゾ。
547521:04/01/08 21:00
またそうやって関係ない方向に持っていこうとする。
要はこれまでの論点では歴史的仮名遣いは現代仮名遣いに
比べて特に優れていないという事だ。
優れていると主張するならば、
これまでとは違う点で主張しなければならない。
>>538
定家假名遣は専ら歌學の方面で採用されてゐたものです。
一般社會にまで規範となるのは、歴史的假名遣からです。
前スレッドの866以下も參照。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kokugoky/ronsou/ronsou1-2.htm
>>547
都合が惡くなると質問を無視ですか(笑)。

ねえ、今っていつ? 「反民族偏見」てナニ?
過去を含まない今がどうして根據になり得るの?
521“やら”547“やらは”そんなことにも答へられない知能“しか”ないのか。
550521:04/01/08 21:09
「今」は今現在、「反民族偏見」は正確に書けば「反民族偏見偏見」だな
そんな事も分からない知能では困るな。
>>550
その今現在と“やら”は時々刻々變化する。
そのうちどれが君の「今」なのか。そして、どうしてそんなものが據り所になるのか。
人は流砂の上には立てない。
552521:04/01/08 21:15
たたいても屁理屈しか出てこなくなってきたな
>「反民族偏見」は正確に書けば「反民族偏見偏見」だな
正確に書けば、だあ? 素直に間違ったと謝ればよいものを。
しかも正確に書いたつもりが猶も意味不明。
可哀相に、阿呆なのだな。
554521:04/01/08 21:19
自分がわからなければ、相手がおかしいに違いないとは
おめでたい奴だな
>歴史に據り所を求めて何かいけないのか?

この>>532の問ひには口を噤んで話をそらす521。

何せ「ユダヤ人やら朝鮮人やら」は「歴史にしかよるべがない」さうな。
はあ、大したたまげた。
556521:04/01/08 21:23
>>555
歴史が拠り所になるという事の根拠が書かれていない。

>歴史に據り所を求めて何かいけないのか?
これでは独り言だ。
うんうん、いいから、なぜ歴史を據り所にしてはいけないのか、
なぜ點でしかない今が據り所になるのか、説明してみせてね。>>556
558521:04/01/08 21:42
歴史を拠り所にしたいのは私ではない。したければ勝手に証明してくれ。
今は拠り所ではない。議題である。議題を説明とは何のことかな
この人、日本語ヘンです。意味通じてません。>>558
現代仮名遣いの歴史は無視ですか。
なんか、久々に盛上がってきたと思ったら荒れてしまひましたな。
かういふふうにしか盛り上がらないな。
自分達からは出す話題が無いもんな。
誰かに批判されてそれに反発するだけ。
>>511
> これとそつくりの言ひ拔けを金田一京助がしてゐたなあ。
> 福田恆存の『私の國語教室』で完膚無きまでに批判されてゐたつけ。
全くの的外れ。京助と福田とでは、言語に関する識見については、大関と十両くらいの隔たりがある。
もちろん京助が大関ね。

> 新假名遣制定の過程を見れば、表音主義による表語性の排斥は明らか。
旧仮名の非合理性を攻撃したのは確かだが、「表語性の排斥」など微塵もない。あるなら引用せよ。

>>512
> 小書きは「なるべく」といふ程度の推獎で自由裁量の餘地があるんだが。
現実には余地はない。新仮名で小書きにしない人に会ったことがない。当たり前だろう、小学生が小書きにしなかったら間違いとされるんだから。
それが規範というものだ。

>>513
> 言葉のこれまでの慣習で用ゐるものだ。
歴史的仮名遣いの歴史なんて70年くらいしかなかった。
新仮名の「は」 「へ」 「を」だって、仮名表記一千年の慣習に従ったまでだ、旧仮名なんて関係ない、と強弁することもできるんだぞ。
・・・まあ、そんなアフォなことは言いませんが。
>>564
>全くの的外れ。京助と福田とでは、言語に関する識見については、大関と十両くらいの隔たりがある。
福田恆存『私の國語教室』を讀んでから、言ひなさい。

>あるなら引用せよ。
福田恆存『私の國語教室』を讀みなさい。

>新仮名で小書きにしない人に会ったことがない。
>>492を讀みなさい。

>歴史的仮名遣いの歴史なんて70年くらいしかなかった。
その前に、歴史を據り所にしてよいのか惡いのか、>>557に答へなさい。
>>565
> 福田恆存『私の國語教室』を讀みなさい。
もちろん、読んだ上で言っているのだが。

> >>492を讀みなさい。
小書きを規範にする可能性もあったのだが、活字がうまく出来ないので見送ったとでも?
実際に、短い期間ながら教科書で規範にして、後でやめている。新かなの小書きはそれの復活だ。

> その前に、歴史を據り所にしてよいのか惡いのか、>>557に答へなさい。
悪い。過去はもはやどこにも存在しない。存在しないものを拠り所にすれば、現在にとっての不合理が生ずるのは必定。
言っておくが慣習は過去ではないよ。続いているかぎり現在だ。
やれやれ、結局慣習は認めるのか。一貫しないねえ。
それでも、つまり君の「現在」とやらはせいぜい戰後60年しか含めないわけだ。
正假名遣の包含できるタイムスパンと較べたら、どちらが優位か歴然としてゐる。

福田恆存を讀んだのなら、それに即して批判してみてくれ。
その方が論點がハッキリする。ま、ちゃんと讀めたのか怪しいけど。
>>564
>新仮名で小書きにしない人に会ったことがない。

492 :名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/08 00:45
戰後「現代かなづかい」移行後も、昭和30年代までは、
促音の「つ」が大きい儘の書籍は珍しくない。
>>567
> やれやれ、結局慣習は認めるのか。一貫しないねえ。
当たり前じゃないの。みんなが字を書くんだよ。
従前の慣習を無視して「一貫」させたのが歴史的仮名遣い。

> 正假名遣の包含できるタイムスパンと較べたら、どちらが優位か歴然としてゐる。
そのタイムスパンは非常に短いだろう。歴史的仮名遣いも同様。意味わかるね?
一般人の大多数が、古典文学作品はもともと歴史的仮名遣いで書かれていたと思いこんでいる。大弊害だ。

> 福田恆存を讀んだのなら、それに即して批判してみてくれ。
やなこった。そんなことしても観衆が引くだけ。

>>568
> 戰後「現代かなづかい」移行後も、昭和30年代までは、
> 促音の「つ」が大きい儘の書籍は珍しくない。
その版元は、「なるべく」という文言に従って、堂々とそうしていたのだと言いたいわけ?
>古典文学作品はもともと歴史的仮名遣いで書かれていたと思いこんでいる。大弊害だ。

確かにこれはよくある誤解だね。
大學の國文を出てゐながら、源氏物語原本は歴史的假名遣ひで書かれてゐた
筈と思ひ込む者すらあるには、慨嘆久しうせざるを得ない。
>>569
>> 福田恆存を讀んだのなら、それに即して批判してみてくれ。
>やなこった。そんなことしても観衆が引くだけ。
基本的な議論を土台にしないで勝手な「御意見」を聞かされるほうがよほど
どっぴきですってば。

>従前の慣習を無視して「一貫」させたのが歴史的仮名遣い。
これはかなり珍奇な意見だと思ひます。ふつうは「従前の慣習」に「一貫」するものを
見出したのが歴史的かなづかひだとしてゐるやうですが。
ま、それに同意しないとしても、同意しない理由をちゃんと説明してくれないと。
>>571
>ふつうは「従前の慣習」に「一貫」するものを見出したのが歴史的かなづかひだとしてゐる

從前の慣習に「混亂猶おほき」がため、「日夲紀より三代實録に至るまで」
の音韻に基づいて假名を書分けるとしたのが契沖、即ち歴史的假名遣なのだが。
一貫したものといへば、現代(歴史的假名遣を用いる人に取っての)の語を、
延喜天慶の音韻に基づいて、且つ伊呂波の範圍で書き分けるという點ぐらゐか。
>>571
> 基本的な議論を土台にしないで
福田の言う「合理性」とはあくまで、歴史の中に一貫した根拠を持つということであって、それ以外の「合理性」がありうることなど、考えてもみないようだ。
そんなものが基本的な議論になるかよ。

>>572
> 從前の慣習に「混亂猶おほき」がため、「日夲紀より三代實録に至るまで」
> の音韻に基づいて假名を書分けるとしたのが契沖、即ち歴史的假名遣なのだが。
つまり、古典研究の成果のデモンストレイションだ。

> 一貫したものといへば、現代(歴史的假名遣を用いる人に取っての)の語を、
> 延喜天慶の音韻に基づいて、且つ伊呂波の範圍で書き分けるという點ぐらゐか。
「ぐらゐ」ってアンタ、そんなペダンティックな、鵺みたいなものは困るんだよ。
仮に今が明治初年だとしよう。世間を見ると、仮名遣いというものは無きに等しい。みんな好きなように書いている。寺子屋では定家仮名遣いを教えているが、教養の域にとどまり、規範とはなっていない。
公式の文章は変体漢文で書かれてきたので、仮名遣いが問題になることはなかった。
ここで、近代的な学校教育を広めようとするにあたり、仮名表記の規範が必要になった。さて、どんな仮名遣いを採用したものか。慣習は粗っぽくて、そのまま規範とするには足りない。
この場合の「合理性」とは、@憶え易くて (必然的に表音主義となる)、A視認性を妨げず (表語性も放棄しない)、B粗い慣習の中にも強固な部分はあろうから、そこには抵触しない、といったことになるだろう。
歴史的仮名遣いは、第一の点で理想からは遠かったといえる。
574572:04/01/10 20:43
>つまり、古典研究の成果のデモンストレイションだ。
といふか、現代(歴史的假名遣を用ゐる人に取って)の語を、假名遣を通じて古代
語に聯繋させる事で、日本語の不易を示さうとしたのだらう。勿論、當時の「古
典研究」とはそもそもさういふものだと言ふなら、それでもよい。

>> 一貫したものといへば、現代(歴史的假名遣を用いる人に取っての)の語を、
>> 延喜天慶の音韻に基づいて、且つ伊呂波の範圍で書き分けるという點ぐらゐか。

>「ぐらゐ」ってアンタ、そんなペダンティックな、鵺みたいなものは困るんだよ。

まあ「一貫」方針自體が、そもそも矛盾してゐるのでね。
延喜天慶は既にハ行轉呼が生じてをり、「たぐひ」が「たぐゐ」とも書かれる一
方、ア行のエとヤ行のエが依然區別され、こちらは伊呂波に見えない。つまり、
延喜天慶は伊呂波では書けないのだが、契沖はこれを知らなかった。今日の我々
は知っているが、それでも契沖の假名遣以上に整備された歴史的假名遣ひは存在
しないので、已むなく契沖の版を用ゐてゐる。「歴史的假名遣ひ」を「正假名遣
ひ」等と呼ぶ氣にはなれないが、「現代仮名遣」よりはマシである、といふ程度。

>假に今が明治初年だとしよう。…
御説御尤もだが、最たる理由は(上記のやうに)契沖版以上に理論整備された假名
遣ひが見當らなかったといふ事ではなからうか。識者の見解に俟つ。
>>573
>憶え易くて
これが第一項に來るところが度し難い。憶えにくくても保つべきものも、ある。
それに假名遣を憶えさせるには三週間で足りる、とは山田孝雄の實踐してみせたところ。

>>574
「超いろはかなづかい」(©龜井孝)を使ふべきであつたとでも?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1049173991/540-
576571:04/01/11 11:38
>>572
どうもいいかげんなことを書いてしまったやうです。

>>573
>福田の言う「合理性」とはあくまで、歴史の中に一貫した根拠を持つということであって、それ以外の「合理性」がありうることなど、考えてもみないようだ。
>そんなものが基本的な議論になるかよ。
「土台」といふ表現は曖昧でしたが、賛成するにせよ反対するにせよ、先行する論には、
きちんと向き合はねばならない、といふつもりで書きました。
573までの議論を読むかぎり、福田を論破したやうにはとても見えないんですが。

>@憶え易くて (必然的に表音主義となる)
などと平気で書いてらっしゃるけど、福田の論をちゃんと読んだならそんなことは
書けないはずです。福田に反対するならするでその議論をせねばだめでせう。

もしかしたら「おれ掲示板」内の「おれスレッド」で、福田を完全に撃退なさった
のかも知れませんが、ここは別の場所なので改めて議論をしてくれないと困ります。
>>575
> 憶えにくくても保つべきものも、ある。
ほとんどない。江戸時代までの仮名表記の慣習において、発音と解離して保つべき不規則性はごく少なかった。裏返して言えば、しっちゃかめっちゃかな書き方をしていた。
「仮名」の語源は「表音文字」ということであり、それが仮名の本質だ。
確かに、>>574 が言うように、当初は契沖仮名遣いしか拠るべき規範が見当たらなかったのだろう。そして、明治の末ごろから、仮名遣い改革の動きが当然のこととして現れてくる。
現代仮名遣いはその動きの延長線上にあり、しばしば批判される現代仮名遣いの無原則性、非一貫性こそが、仮名というプラグマティックな文字の本領なのだ。江戸以前の慣習に立ち返って、しっちゃかめっちゃかに最低限の決まりを与えたものといえる。
もっとも、「おおさか (大阪)」 「おうさか (逢坂)」などは歴史的仮名遣いの残滓で、いただけないが。

>>576
> 福田の論をちゃんと読んだならそんなことは書けないはずです。
福田恒存は、歴史的仮名遣いの内部に視点を置いていて、歴史的仮名遣いを決して客観化しない。だから議論にならないし、論破されることもない。だから一定の人気がある。
>>577
>発音と解離して保つべき不規則性はごく少なかった。

またまた事實誤認。
既にハ行轉呼音移行後の江戸時代、假名遣など知らない戲作者でさへ
「〜しちまへ」だのと書いてゐた事實がある。
>>578
語頭以外の e は「へ」と書くのが原則だった。「え」 「江」は「下に書かざる仮名」とされていた。
だから「見へて」 「植へて」 「わからねへ」などと全部「へ」だ。現代仮名遣いとは違うが、これはこれで表音主義なのであり、単語ごとに「しちまへ」 「見えて」 「植ゑて」などと書き方が決まる歴史的仮名遣いとは根本的に異なる。
しかも、隣の行に「へ」があると、目移りを防ぐために「ゑ」が使われることもあった。歴史に対してはめちゃくちゃだが、仮名表記としては実に合理的だ。
580名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/11 17:07
ここの皆さんに、お尋ねしたいことがあります。

戦前は、学校の出席簿は、ある人たちをどんな順番で並べていたのでしょうか。
というのは、次の苗字を歴史的仮名遣いで書いた場合、

伊原: イハラ/井原: ヰハラ
江川: エガハ/恵川: ヱガハ
織田: オダ /小田: ヲダ

となりますが、これらを五十音順に並べると、左の 3 人は始めの方、右の 3 人は終わりの方に来ることになります。
本当にそうなっていたのでしょうか。何か御存知の方がいらっしゃいましたら、お教えください。
>>579
>現代仮名遣いとは違うが、これはこれで表音主義なのであり、

「へ」の音價は無視した表記でも表音主義だと? 
「見へて」は[mihete]と發音したとでも?
矛盾だらけなのに無理に虚勢を張るのはよくない。
「へ」の音価は[he]だと誰が決めたんだよ
現代仮名遣いでなんでもかんでも「え」と書いてたように
なんでもかんでも「へ」と書いていたというだけのことだろ。
>>582
で、それが表音主義だと? そいつぁ苦しい、苦しいよ。
表音主義ってのは発音通りに書くことではないのかい。
>>581 >>583
よく讀めよ。>>579 は、「へ」は語頭以外でのエの表記用假名だったと言ってるんだよ。
當ってると思ふが。(大體、假名に「音價」なんてあるのか?)
>「へ」は語頭以外でのエの表記用假名だったと言ってるんだよ。

それはわかってる。で、それを「表音主義」と呼べるの? それは何としてもヘン。
だいたい表音主義の仮名遣ってナニさ。
「表音的假名遣は假名遣にあらず」(橋本進吉)なんだし。
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/HASHIMOTO/HYOON.html
>で、それを「表音主義」と呼べるの?
その音節の音韻のみに基づいて表記を决しているのだから、表音主義そのものだらう。
音節の位置さへ同じなら、その音節がどのやうな語を成すかなど、テンで氣にしていないんだから。

>だいたい表音主義の假名遣ってナニさ。
>「表音的假名遣は假名遣にあらず」(橋本進吉)なんだし。
讀んでから引用した方がいい。
橋本が冐頭第一文に言ふ「假名遣といふ語は、本來は假名のつかひ方といふ意味をもつて
ゐるのであるが」の、「本來の」用法そのものだらう。
橋本が攻撃してゐるのは、表音的と稱しながら、その實、語による判斷を勝手に交へた
折衷方式で、「現代假名遣」はこの最たるもの。
>>586
>その音節の音韻のみに基づいて表記を决している
すると、語頭の「え」と語中語尾の「へ」が異なる音韻ってことになるな。そんな馬鹿な。

>橋本が攻撃してゐるのは、表音的と稱しながら、その實、語による判斷を勝手に交へた
>折衷方式で、
否。よく読みなさいな。橋本の批判の対象は、折衷方式の仮名遣ではなく
仮名遣ではあり得ない表音式を仮名遣と称するカテゴリー・ミステイクにある。
「表音的假名遣は、音を基準とし、音を寫すを原則とするものであるとすれば、一種の表音記號と見てよいものである。」
「さすれば、同音の他の假名を廢して、音と假名とを一致させようとする表音的假名遣は、假名遣とはその根本理念に於て非常な差異があるもので、決して之を同視する事は出來ないのである。」
>>581
> 「へ」の音價は無視した表記でも表音主義だと? 
> 「見へて」は[mihete]と發音したとでも?
「へ」が 2 種の音韻を相補的に表したと見ればよい。語頭なら /he/、語頭以外なら /e/。
表音的だろ?

>>586
> その音節の音韻のみに基づいて表記を决しているのだから、表音主義そのものだらう。
> 音節の位置さへ同じなら、その音節がどのやうな語を成すかなど、テンで氣にしていないんだから。
御意。

> 橋本が攻撃してゐるのは、表音的と稱しながら、その實、語による判斷を勝手に交へた
> 折衷方式で、「現代假名遣」はこの最たるもの。
どこかでいくらかは折衷しないと、実用にはなりませんぜ。
>「へ」が 2 種の音韻を相補的に表したと見ればよい。語頭なら /he/、語頭以外なら /e/。

冗談も、ほどほどにネ。本気にする人が出るヨ。
>>587
> すると、語頭の「え」と語中語尾の「へ」が異なる音韻ってことになるな。
ならねえよ。一つの音韻 /e/ が、語頭では「え」、語頭以外では「へ」と書かれるということなんだから。
>>590
同じ音を異なる假名で書き分けるのは「假名遣」であつて、もはや「表音主義」ではない。
橋本進吉、讀んでないのか。
江戸時代の版本の仮名表記は、

語頭 /e/: 「え」 「江」 (「ゑ」)
語頭以外 /e/: 「へ」 (「ゑ」)
語頭 /he/: 「へ」
語頭以外 /he/: 「遍」

大体上のようなところじゃないか。
>>587
> 橋本の批判の対象は、折衷方式の仮名遣ではなく
> 仮名遣ではあり得ない表音式を仮名遣と称するカテゴリー・ミステイクにある。
表音原理主義を貫けば、実用に堪えない表記法が出来てしまう。「保科仮名遣い」がダメだったように。
しかし、歴史的仮名遣いの表語主義は、仮名表記一千年の慣習に背いている。仮名は本質的に表音文字なのだ。
結局、>>573 の@ABを絶妙にバランスするしかないんだよ。

>>591
> 同じ音を異なる假名で書き分けるのは「假名遣」であつて、もはや「表音主義」ではない。
そうだよ。それが当時の環境では読み易くて、書く時も単語ごとに仮名遣いを思い出すわけじゃないから、負担が小さかったんだろう。
何事によらず、原理主義はロクなもんじゃないネ。
>>593
ならば >>579 ↓は誤りと認めて撤囘するのだな?
「現代仮名遣いとは違うが、これはこれで表音主義なのであり、」
>>594
「へ」が、語頭では /he/ を表し、語頭以外では /e/ を表す点は、表音主義だ。
/e/ が、語頭では「え」と書かれ、語頭以外では「へ」と書かれる点は、確かに表音主義ではない。

でもって、>>575 の「憶えにくくても保つべきもの」とは一体、何なのか?
>「へ」が、語頭では /he/ を表し、語頭以外では /e/ を表す点は、表音主義だ。

それはふつう表音主義とは言はない。詭辯を弄してまで言ひ逃れるのは如何なものか。
そもそも、どう讀むかではなくどう書くかが問題であるはずだらう。
>>593
>しかし、歴史的仮名遣いの表語主義は、仮名表記一千年の慣習に背いている
この認識以外は正かな派と同じことを言ってるやうにしか見えませんな。
この認識が正しいことを証明してくださいよ。

確認したいんだけど、「現代かなづかい」にも反対なんですよね?

>>586
>表記を决しているのだから、
>テンで氣にしていないんだから。
どうでもいいけど、「ゐ」ですね。
>>596
> そもそも、どう讀むかではなくどう書くかが問題であるはずだらう。
では、語頭以外の /e/ を常に「へ」と書く点は、表音主義だ。発音と解離した不規則性はない。
それが「憶えにくくても保つべきもの」と、何か関係があるのか?
江戸以前の仮名文は音読されるのが普通だったと思われる。「へ」が出て来たら大体 /e/ と読んでいって、意味が通らなくなったらそこは /he/ で、単語 (形態素) の始めだということがわかるんだ。
けっこううまく出来てるだろ?

>>597
> この認識が正しいことを証明してくださいよ。
仮名表記の歴史を見れば明らかじゃないの。歴史的仮名遣いは鬼子みたいなもんだ。

> 確認したいんだけど、「現代かなづかい」にも反対なんですよね?
いいや。いろいろ問題もあるけど、よく出来てるほうだと思うよ。
>>595 >/e/ が、語頭では「え」と書かれ、語頭以外では「へ」と書かれる点は、確かに表音主義ではない。
>>598 >では、語頭以外の /e/ を常に「へ」と書く点は、表音主義だ。

言を左右にする人は信用ならない。
結局、假名を使用してゐれば何でも表音主義にしかねないのな。
>>599
> >>595 >/e/ が、語頭では「え」と書かれ、語頭以外では「へ」と書かれる点は、確かに表音主義ではない。
> >>598 >では、語頭以外の /e/ を常に「へ」と書く点は、表音主義だ。
>
> 言を左右にする人は信用ならない。
両立する議論だと思うが。

> 結局、假名を使用してゐれば何でも表音主義にしかねないのな。
仮名表記は、歌人や学者の試みを除いて、ずっと表音主義だった。もちろん、実用上、表語性を放棄したことはない。
仮名を使いながら表語主義を唱える歴史的仮名遣いの方がオカシイんだよ。

で、結局、「憶えにくくても保つべきもの」はどこへ行ってしまったんだ?
601597:04/01/12 13:13
>>600
「表音主義」といふ語の使ひ方が変だと思ひます。
>仮名表記は、歌人や学者の試みを除いて、ずっと表音主義だった。
>もちろん、実用上、表語性を放棄したことはない。
「表語性を放棄した」ものを「表音主義」と呼ぶやうです。少なくとも「現代かなづかい」を
批判する人が、あれは「表音主義」だと言ふのは、それを指してゐます。
ことわらずに違ふ意味で使ふと議論がすれちがってしまひます。
>仮名を使いながら表語主義を唱える歴史的仮名遣いの方がオカシイんだよ。
正かな派が表語主義を唱へるのは、表語性を放棄した表音主義者に対してでせう。

>で、結局、「憶えにくくても保つべきもの」はどこへ行ってしまったんだ?
それは、↓自分で答へてゐるぢゃありませんか。
>では、語頭以外の /e/ を常に「へ」と書く点は、表音主義だ。発音と解離した不規則性はない。
>「へ」が出て来たら大体 /e/ と読んでいって、意味が通らなくなったらそこは /he/ で、
>単語 (形態素) の始めだということがわかるんだ。
この文の、「表音主義だ。」といふ無茶な決めつけを取り除けば、
歴史的かなづかひ支持としか読めませんが。

>>598
>> この認識が正しいことを証明してくださいよ。
>仮名表記の歴史を見れば明らかじゃないの。歴史的仮名遣いは鬼子みたいなもんだ。
正かな派は「仮名表記の歴史を見れば明らかぢゃないの。「現代かなづかい」は鬼子みたいなもんだ。」
と主張してゐるのだから、それを論破せねばどうにもなりませんよ。
>> 確認したいんだけど、「現代かなづかい」にも反対なんですよね?
>いいや。いろいろ問題もあるけど、よく出来てるほうだと思うよ。
これも、(歴史的かなづかひは)「いろいろ問題もあるけど、よく出来てるほうだと思ふよ。」と
返されたらどうするんですか。
>>601
> 「表語性を放棄した」ものを「表音主義」と呼ぶやうです。
表音主義に立ちながら、表語性も放棄しないという方針を採ってはいけないのか? いけないとすればその理由を説明してもらいたい。
仮名表記の慣習は、学校教育で歴史的仮名遣いが採用されるまで、ずっとその方針でやってきたんだが。

> この文の、「表音主義だ。」といふ無茶な決めつけを取り除けば、
> 歴史的かなづかひ支持としか読めませんが。
では、歴史的仮名遣いでは、語頭以外の /e/ をすべて「へ」と書いていいのか?

> 正かな派は「仮名表記の歴史を見れば明らかぢゃないの。「現代かなづかい」は鬼子みたいなもんだ。」
> と主張してゐるのだから、それを論破せねばどうにもなりませんよ。

> これも、(歴史的かなづかひは)「いろいろ問題もあるけど、よく出来てるほうだと思ふよ。」と
> 返されたらどうするんですか。

彼らは仮名表記の歴史を知らないでそう言ってるんだから、どうしようもあるまい。
>>602
>表音主義に立ちながら、表語性も放棄しないという方針を採ってはいけないのか? 

話をそらすなかれ。いけない/いけなくないではなく、
それを表音主義とは呼ぶのは慣用に反する勝手な自稱だといふことをまづ確認したまへ。
604601=597=576:04/01/12 22:16
>>602
最初のは、603の人が言ってる通りですので。議論がすれちがふのを防ぐためには、
用語をはっきりしたほうがいいんです。

>では、歴史的仮名遣いでは、語頭以外の /e/ をすべて「へ」と書いていいのか?
もちろんそんなわけはないけど、
>/e/ を常に「へ」と書く点は、表音主義だ。発音と解離した不規則性はない。
といふ記述とか(「表音主義だ」は別)、
>「へ」が出て来たら大体 /e/ と読んでいって、意味が通らなくなったらそこは /he/ で、
>単語 (形態素) の始めだということがわかるんだ。
といふ記述はむしろ正かなの「憶えにくくても保つべきもの」を弁護することにつながるはずですよ。

>彼らは仮名表記の歴史を知らないでそう言ってるんだから、どうしようもあるまい。
だ・か・ら! 「無知なやつらだけがバカな結論を出すんだ。」と言ひ放つのは誰にだって
(他ならぬ無知なやつにも)できるんですよ。根拠を示して「この辺が事実誤認だ、この辺が論理の飛躍だ」と
言はないことには議論になりません。 



ところで、差し出がましいけど、一段落したら>>580にも誰か答へてあげてくださいね。
>>603
> それを表音主義とは呼ぶのは慣用に反する
だれにとっての「慣用」だよ。あんたらが勝手に決めたことだろ。
用語の問題で言いがかりをつけるしか能がないのは、橋本進吉と同じだな。

「現代仮名遣いは、音を表すことを基本に据えながら、語を表すことも放棄しない」と言えば文句ないか?
>>604
> 議論がすれちがふのを防ぐためには
用語にこだわるのは、むしろすれ違わせたいんじゃないのか w

> 正かなの「憶えにくくても保つべきもの」を弁護することにつながるはずですよ。
つながらないよ。旧仮名の憶えにくさは、いちいち辞書を引かないと確かめられないという点にある。問題はそこだ。

> 根拠を示して
江戸時代までの、仮名で書かれた文章の原本を見てごらん。すぐにわかる。
>江戸時代までの、假名で書かれた文章の原本を見てごらん。
御説は尤もだと思ふが、「假名遣ひ」といふ言葉の遣ひ方が違ふ樣だ。

御説で言ふ假名遣ひは、橋本が冐頭で觸れる「假名の用ゐ方の實態」という意味で、
橋本自身の「上代特殊假名遣」や、數多の論文題「XXXの假名遣ひ」等に見えて、
傳統的な國語學ではごく普通の用法らしいが、「舊假名遣ひ」の如き、人爲で規範
として設定するものだけを想定して掛られると、話がすれ違ふだらう。
>>607
> 御説で言ふ假名遣ひは、橋本が冐頭で觸れる「假名の用ゐ方の實態」という意味で、
> 橋本自身の「上代特殊假名遣」や、數多の論文題「XXXの假名遣ひ」等に見えて、
> 傳統的な國語學ではごく普通の用法らしいが
最近は「仮名文字遣い」と呼ぶようだ。

> 「舊假名遣ひ」の如き、人爲で規範として設定するもの
そういうものは、仮名表記に存在したことがない。安定した「慣習法」もなかったのは、英語の場合との違いで、橋本進吉はその点がわかっていない。
さきに挙げた、語頭と語頭以外で文字を変えるやり方も、版下書きたちの工夫であって、普通の人には関係がなかったろう。
決まりらしい決まりがないのが仮名表記の慣習だったのだから、歴史的仮名遣いは慣習に背いていると言わざるを得ない。
609604:04/01/13 13:10
>>605,>>606
>だれにとっての「慣用」だよ。あんたらが勝手に決めたことだろ。
>用語の問題で言いがかりをつけるしか能がないのは、
論敵の用語を理解(同意ではない)せずに議論ができるとでも思ってゐるんですかね。
↓これは(>>593,>>600)、「表語主義」を誤解してゐる証拠。
>歴史的仮名遣いの表語主義は、仮名表記一千年の慣習に背いている。
>仮名は本質的に表音文字なのだ。
>仮名を使いながら表語主義を唱える歴史的仮名遣いの方がオカシイんだよ。
相手と違ふ用語や慣用に反する用語が絶対に悪いとは言へない。だけど、
相手の用語を勝手に「おれ用語」に置き換へて(誤読・曲読)議論をすることは
許されない。まあ、「おれ掲示板」内の「おれスレッド」でなら話は別ですが。

>> 正かなの「憶えにくくても保つべきもの」を弁護することにつながるはずですよ。
>つながらないよ。旧仮名の憶えにくさは、いちいち辞書を引かないと確かめられないという点にある。問題はそこだ。
法則(論理)があるからそれほど憶えにくくはない、といふことを
福田の本で論じてるけど(ちゃんとお読みになったかな?)、論破したんですか? 
ことさらに漢字を使はない方針でもなければ、すぐ身につきますよ。
これは、「現代かなづかいで育った俺には、おぼえるのがめんどくさいからヤだ」
以上の意味はないでしょ。繰返しになるけど、
>/e/ を常に「へ」と書く点は、表音主義だ。発音と解離した不規則性はない。
といふ記述とか(「表音主義だ」は別)、
>「へ」が出て来たら大体 /e/ と読んでいって、意味が通らなくなったらそこは /he/ で、
>単語 (形態素) の始めだということがわかるんだ。
といふのは歴史的かなづかひの弁護として使へるんですよ。
eを「へ」と「え」に書き分けるのだから一字一音主義ではないけれど、
でたらめではなく「けっこううまく出来てるだろ?」(>>598)といふ文脈なんだから。
610604:04/01/13 13:10
>> 根拠を示して
>江戸時代までの、仮名で書かれた文章の原本を見てごらん。すぐにわかる。
(もう一度)だ・か・ら! これこそ「無知なやつらだけがバカな結論を出すんだ。」
といふ態度そのものなんだって。「彼らは仮名表記の歴史を知らないでそう言ってるんだから、」
といふのは、証明できるんですか? 

>> 議論がすれちがふのを防ぐためには
>用語にこだわるのは、むしろすれ違わせたいんじゃないのか w
え〜、邪推には邪推で返すのがマナーだと思ふので、ちょいと失礼して、
チミは福田恒存や橋本進吉の論を理解(同意ではない)してないんだろWWW
ほんとに読んだかそれすら怪しいねWWWWW


>>607
どうでもいいけど、「という意味で、」→「いふ〜」ですよね。
611604:04/01/13 13:43
>>608
>決まりらしい決まりがないのが仮名表記の慣習だったのだから、
>歴史的仮名遣いは慣習に背いていると言わざるを得ない。
このやうに言ふならば、「現代かなづかい」も同罪。
といふか、今は表記の原則を論じてゐるはずなのに、昔は原則なんてなかった
と主張してなんになるのだらう。

>語頭と語頭以外で文字を変えるやり方も、版下書きたちの工夫であって、
>普通の人には関係がなかったろう。
これは、普及してゐなかったといふことなので、
どっちの「やり方」が優れてゐるかは別に検討が必要なはず。
といふか、「工夫」と呼ぶなら優れてゐると認めるのも同然ですが。
612607:04/01/13 18:12
>>610
>「彼らは仮名表記の歴史を知らないでそう言ってるんだから、」
>といふのは、証明できるんですか? 

出來るよ。
契沖假名遣ひは、延喜天慶が伊呂波で書けるという前提に立ってゐる。
これが誤りである事は、契沖や宣長の時代には知られてゐなかったから無理も無い。

俺は、契沖假名遣ひ以上に理解し易い(記憶し易いではないが)歴史的假名遣ひの論理
を知らないし、今更ア行/ヤ行のエを書き分けろなんて非現實的だから、取り敢へず
契沖方式に據ってゐるが、契沖假名遣ひが「正」假名遣ひなどといふ主張は、假名表
記の歴史、國語の歴史を知らずにする妄言としか思へないな。
>>609
> ↓これは(>>593,>>600)、「表語主義」を誤解してゐる証拠。
では「正しい」解釈を示してくれ。

> 「おれ掲示板」内の「おれスレッド」でなら話は別ですが。
いつから君のスレッドになったんだ?

> 法則(論理)があるからそれほど憶えにくくはない
「強ひる」「用ゐる」「饐える」「据ゑる」に法則、論理があるかよ。

> ことさらに漢字を使はない方針でもなければ
小学 1 年生にどういう授業をせよと?

> 「現代かなづかいで育った俺には、おぼえるのがめんどくさいからヤだ」
そっちのほうが合理的なんだから当たり前だろ。

> eを「へ」と「え」に書き分けるのだから一字一音主義ではないけれど、
> でたらめではなく「けっこううまく出来てるだろ?」(>>598)といふ文脈なんだから。
「絶える」「耐へる」はでたらめで、ぜんぜんうまく出来てない。
>>610
> 「彼らは仮名表記の歴史を知らないでそう言ってるんだから、」
> といふのは、証明できるんですか?
こんなくだらない問いを繰り返すこと自体が何よりの証明。笑いものになってることにそろそろ気付け。
影印本の一つも見たことないんだろ?

> チミは福田恒存や橋本進吉の論を理解(同意ではない)してないんだろWWW
> ほんとに読んだかそれすら怪しいねWWWWW
権威厨まる出し。疑うことなくして「理解」などできるものか。

> どうでもいいけど、「という意味で、」→「いふ〜」ですよね。
書き分けられるのがそんなに自慢かい? ほんとイタイ奴だな。

>>611
> このやうに言ふならば、「現代かなづかい」も同罪。
> といふか、今は表記の原則を論じてゐるはずなのに、昔は原則なんてなかった
> と主張してなんになるのだらう。
規則は必要最低限でいいってこと。現代仮名遣いの方がはるかにマシだ。

> といふか、「工夫」と呼ぶなら優れてゐると認めるのも同然ですが。
例えば、それを規範化する手もあった。消防でもあまり苦労しないだろう。そうしていれば、歴史的仮名遣いなど全く必要なかった。
両者の方針の根本的な違いが、どうしてもわからないようだね。
615609=610=611:04/01/14 01:54
>>613
>> 「おれ掲示板」内の「おれスレッド」でなら話は別ですが。
>いつから君のスレッドになったんだ?
あなた(>>605-606の人)にとっての「おれ掲示板」のつもりだったんだが、
そんなにわかりにくかったかな?
>「強ひる」「用ゐる」「饐える」「据ゑる」に法則、論理があるかよ。
>> ことさらに漢字を使はない方針でもなければ
>小学 1 年生にどういう授業をせよと?
あるいは「法則、論理」と呼ぶのは言ひ過ぎかも知れない。
(おとなの)一般人を念頭に置いて、「いちいち辞書を引かないと」は大げさだらう、
といふ趣旨なので、その程度の意味で読んでください。
>「絶える」「耐へる」はでたらめで、ぜんぜんうまく出来てない。
「絶える」の方は「絶やす」との関連でヤ行の変化(活用と呼ぶのかな?)だとわかる。
>>598のやうな場合に「けっこううまく出来てるだろ?」と言ひ得るなら、
これも許せるはず。

>> 「現代かなづかいで育った俺には、おぼえるのがめんどくさいからヤだ」
>そっちのほうが合理的なんだから当たり前だろ。
なんか答になってないけど。>>609で書いたのは「おぼえるのがめんどくさいからヤだ」
以上のことを言ってるのか、といふ疑問なんだけど。
それと、「そっちのほうが合理的」であることの論証希望。
>では「正しい」解釈を示してくれ。
これはちょっと待ってください。少しは引用もしないといけないだらうから。
616609=610=611:04/01/14 02:02
>>614
>こんなくだらない問いを繰り返すこと自体が何よりの証明。
>影印本の一つも見たことないんだろ?
と書いてらっしゃるのは、「彼ら」を契沖などと読んだ上でのことらしい。
私は、
>「彼らは仮名表記の歴史を知らないでそう言ってるんだから、」
といふ文(>>602の)の「彼ら」を、
(福田などの理論に拠る)現代の歴史的かなづかひ派と読んで書きました。
「そう言ってる」とは、(歴史的かなづかひは)「いろいろ問題もあるけど、
よく出来てるほうだと思ふよ。」と言ふことを指すので(>>602参照)、
これで誤読ではないと思ひます。この読み方が自然だと私は思ひますが、
さうでないと証明されれば謝ります。

それで、また「問いを繰り返す」けど、
あなたは現代の歴史的かなづかひ支持者のことを「彼らは仮名表記の歴史を知らないでそう言ってるんだから、」
と決めつけてらっしゃるやうだが、あなたの文を見ると、
「影印本の一つも見たこと」があり(もちろんその意義を理解して)、
それでも歴史的かなづかひを支持する人がゐるかも知れない、
と考へてみた形跡がない。
これは「無知なやつらだけがバカな結論を出すんだ。」といふことでせう。
こんな風に言ひ放つのは誰にだって(他ならぬ無知なやつにも)できる。
客観的な証明が必要です。
617609=610=611:04/01/14 02:03
>>614
続き。
>> チミは福田恒存や橋本進吉の論を理解(同意ではない)してないんだろWWW
>> ほんとに読んだかそれすら怪しいねWWWWW
>権威厨まる出し。疑うことなくして「理解」などできるものか。
ちゃんと「理解(同意ではない)してない」と書いたんだけど、読解力ないねえ。
理解を深めるために疑ふことには大賛成だけど、論争相手の言ってることを
理解(同意ではない)する努力はしないと。といふか、私は反権威厨ではないので、
優れた論を(仮に反対するにしても)正当に評価するやうに心がけてをります。

>規則は必要最低限でいいってこと。現代仮名遣いの方がはるかにマシだ。
福田は「現代仮名遣い」の「規則」なるものは歴史的かなづかひから盗んだものだ、
と主張してる。これを論破しないと。(権威厨まる出し、と決めつけて逃げるのはナシ)

>> といふか、「工夫」と呼ぶなら優れてゐると認めるのも同然ですが。
>例えば、それを規範化する手もあった。消防でもあまり苦労しないだろう。そ>うしていれば、歴史的仮名遣いなど全く必要なかった。
>>608の文の主張とは矛盾してるな。あそこでは「版下書きたちの工夫」は特殊なものだと言ひ、
「決まりらしい決まりがないのが仮名表記の慣習」と主張して歴史的かなづかひを否定する根拠の一つとしてゐる。
つまり、「版下書きたちの工夫」(書き分け)は「決まり」の側と見てゐるのだらう。
それなのに、今はそれを撤回もせずに、今度は「版下書きたちの工夫」と「歴史的仮名遣い」とが反対の側に属するかのやうに論じてゐる。
もしあなたが>>608とは別人ならば矛盾しても問題ないけど。

>両者の方針の根本的な違いが、どうしてもわからないようだね。
わるいけど、これは何を指してゐるのかわかりません。
もし、「版下書きたちの工夫」と「歴史的仮名遣い」とを指すなら、
両者の方針は根本的な点で同じでせう。
一字一音主義によらず書き分けをするのだから。
618609=610=611:04/01/14 02:08
>>612
(「彼ら」については>>616も見てください)
>契沖假名遣ひが「正」假名遣ひなどといふ主張は、假名表記の歴史、
>國語の歴史を知らずにする妄言としか思へないな。
少なくとも福田恒存は「契沖假名遣ひが「正」假名遣ひなどと」主張してゐません。
といふか、「延喜天慶が伊呂波で書けるという」のは契沖らの関心事であって、
現代の正かな派にとっては重点ではないはずですが。むしろ、
>俺は、契沖假名遣ひ以上に理解し易い(記憶し易いではないが)歴史的假名遣ひの論理を知らないし、
といふ点が大事でせう。
>>615
> あなた(>>605-606の人)にとっての「おれ掲示板」のつもりだったんだが
ドテ)皮肉もわからないのか。

> (おとなの)一般人を念頭に置いて
旧仮名時代に現場の教師がどれほど苦労したか想像に難くない。

> 「絶える」の方は「絶やす」との関連で
「萎え萎え」なんてのはどうすんだよ。

> 「そっちのほうが合理的」であることの論証希望。
それをずっと説明してきている。漢字使用をやめないなら、仮名は音を表すことを原則とすれば十分であり、仮名でも積極的に語を表そうとすることは、不必要な決まりを増やすだけだ。

>>616
> >影印本の一つも見たことないんだろ?
> と書いてらっしゃるのは、「彼ら」を契沖などと読んだ上でのことらしい。
ほかならぬ君に言ってるんだよ。ほんとに理解力がないな。

> 「影印本の一つも見たこと」があり(もちろんその意義を理解して)、
> それでも歴史的かなづかひを支持する人がゐるかも知れない
そういう人は、事実によって意見を変えないんだから、一生そのままだろう。
ところで、「影印本」が何のことかわかってるんだろうな?
>>617
> 福田は「現代仮名遣い」の「規則」なるものは歴史的かなづかひから盗んだものだ、
> と主張してる。これを論破しないと。
現代仮名遣いの側は、盗んで (取り入れて) いないと主張しているわけではないので、そもそも議論にならない。

> もし、「版下書きたちの工夫」と「歴史的仮名遣い」とを指すなら、
> 両者の方針は根本的な点で同じでせう。
> 一字一音主義によらず書き分けをするのだから。
書き分けさえあれば、それがどんな決まりに拠るのかに関係なく同じ方針だと言うのなら、もう何も話すことはない。
君はほんとに頭悪いね。
621615-618:04/01/14 15:56
>619
>> あなた(>>605-606の人)にとっての「おれ掲示板」のつもりだったんだが
>ドテ)皮肉もわからないのか。
これは(>>615)、「いつから君のスレッドになったんだ?」(>>613)といふ答が、
>>609を誤読したことによるもので、皮肉にもなんにもなっちゃゐないといふ指摘。
といふか、この程度の文脈もよめないのかドテドテドテ

>> (おとなの)一般人を念頭に置いて
>旧仮名時代に現場の教師がどれほど苦労したか想像に難くない。
>> 「絶える」の方は「絶やす」との関連で
>「萎え萎え」なんてのはどうすんだよ。
次から次へと難問を見つけてきて投げつけられてもね。
ひどくおぼえにくいわけではないと(>>609)書いたら、>>613がその文脈を
無視した。それへの答なので、さらに文脈を無視されたらこっちはどうにも。

>> 「影印本の一つも見たこと」があり(もちろんその意義を理解して)、
>> それでも歴史的かなづかひを支持する人がゐるかも知れない
>そういう人は、事実によって意見を変えないんだから、一生そのままだろう。
↓これを(616)ちゃんと読んだんですか?
>これは「無知なやつらだけがバカな結論を出すんだ。」といふことでせう。
>こんな風に言ひ放つのは誰にだって(他ならぬ無知なやつにも)できる。
>客観的な証明が必要です。
「事実によって」あなたなどとは逆の判断をしたために、
「意見を変えない」、「そういう人」がゐるかも知れない(きっとゐる、ではない)、
と考へずに「客観的な証明が」できるのかといふ問。
622615-618:04/01/14 15:58
>>619
>> 「そっちのほうが合理的」であることの論証希望。
>それをずっと説明してきている。 [以下略]
「不必要な決まりを増やす」のがいけないのは誰にも異論はないので、
どんなものが「不必要」かが論点。
その辺の(客観的な)説明はされてない。決めつけだけ。
改めて新かなのほうが合理的であることの論証希望。

>ところで、「影印本」が何のことかわかってるんだろうな?
「江戸時代までの、仮名で書かれた文章の原本を見てごらん。」といふことでしょ。
それならば、>>577>>592>>598の方々(一人?)が御親切に説明してくれてるので、
(あれが嘘でないなら)要点はわかる。「影印本の一つも見たことないんだろ?」
といふのはここの議論ではなんの意味もない。
といふか、影印本を見た「のがそんなに自慢かい? ほんとイタイ奴だな」(>>614のパクりです)。
623615-618:04/01/14 16:01
>>620
>書き分けさえあれば、それがどんな決まりに拠るのかに関係なく
>同じ方針だと言うのなら、もう何も話すことはない。
そんなことは主張してない。>>608>>614とが矛盾してる(もし別人なら仕方ないが)
ことの指摘だけ。>>608のやうな文脈によるなら、
> 両者の方針は根本的な点で同じでせう。
といふこと。>>608を撤回せずには>>614のやうな主張はできない。
といふか、この程度の文脈も読めないなんて「君はほんとに頭悪いね」。

>現代仮名遣いの側は、盗んで (取り入れて) いないと主張しているわけではないので、
これはこちらが言葉足らずでした。あなたが福田の論を読んで理解(同意ではない)してゐることを
前提にしてゐたもので>>617の書き方で読み取ってくれることを勝手に期待してしまひました。

では改めて。「現代仮名遣い」は、(歴史的かなづかひに反する)表音主義をかかげながらも
歴史的かなづかひの規則をも盗んだ(取り入れた)ので、ダブルスタンダードになり、
その説明は理解しにくいものになってゐる、といふのが福田の主張。
これがもし正しいなら、
>現代仮名遣いの方がはるかにマシだ。
(規則がわかりやすく、少ない)とは主張できない。
だから、「はるかにマシ」であることを証明するためには
福田を論破せねばならない。
>>475
>>「拗音、促音の小書き」は假名遣の問題ではありません。これ既出。
 どの文字お使うのか不確定だから語の「ひょうき」が「ひようき」か「へうき」かが
ゆれていて確定するはずも無い。それなのに
>> 特に時代や地域を超越して國語を統一的に表記できる整合性を重視した。
のうち統一ができるはずもない。

>>611
>>といふか、今は表記の原則を論じてゐるはずなのに、昔は原則なんてなかった
>>と主張してなんになるのだらう。
 統一した原理のためにわ、昔からの表記わ参考にならないとの主張になります。
昔から変わらない表記がないとわいいませんが、「歴史の中に一貫した根拠を持つ」といわれても
歴史的文献が一貫していないのだから、昔の表記の一貫性わ参考にならないほどわずかで信頼できないでしょう。
>>621
> 次から次へと難問を見つけてきて投げつけられてもね。
歴史的仮名遣いは難問だらけなんだよ。大人が泣き入れなきゃならねえようなものを、なんだって明治政府はいたいけな学童に押しつけたんだ。
>>622
> どんなものが「不必要」かが論点。
それは >>573 に示した。歴史的仮名遣いの決まりは全部必要なものだとでも?

> >ところで、「影印本」が何のことかわかってるんだろうな?
> 「江戸時代までの、仮名で書かれた文章の原本を見てごらん。」といふことでしょ。
板杉るからもうどっか行け。

> >>608を撤回せずには>>614のやうな主張はできない。
前者は現実の話、後者は仮定、架空の話。そんなこともわからないのか。

> 「現代仮名遣い」は、(歴史的かなづかひに反する)表音主義をかかげながらも
> 歴史的かなづかひの規則をも盗んだ(取り入れた)ので、ダブルスタンダードになり、
> その説明は理解しにくいものになってゐる、といふのが福田の主張。
現代仮名遣いは、ダブルスタンダードになることを、もともと避けていない。
というよりむしろ、ダブルスタンダードでなければ使いものにならないことを知っている。

> これがもし正しいなら、
> >現代仮名遣いの方がはるかにマシだ。
> (規則がわかりやすく、少ない)とは主張できない。
福田がわかりにくいと言うなら、その感じ方を他人が云々することはできない。
現代仮名遣いの決まりは、不規則な点も含めて、数頁の紙に書けるのに対して、歴史的仮名遣いの決まりをすべて書くには、1 冊の辞書が要る。
それでも前者の方が憶え易いことの客観的な証拠にならないと言うなら、客観的に証明することはだれにもできないだろう。
627607:04/01/14 22:16
>>618
>「延喜天慶が伊呂波で書けるという」のは契沖らの関心事であって、
>現代の正かな派にとっては重点ではないはずですが。

前提に矛盾を含む假名遣ひが、だうして「正」假名遣ひであり得よう。
(「だうして」は山田忠雄説なり、念の爲)
都合が惡いとなると勝手に「重點ではない」などとするのは見苦しい。

繰返へすが、契沖の歴史的假名遣ひは、前提が間違ってゐる。
しかし、他に據るべき歴史的假名遣ひが無いから、已むなく契沖版を使ふのだ。
>>627
契冲假名遣=歴史的假名遣(明治以後の規範としての)ではないと思ひます。
とりあへず『私の國語教室』第二章「二 音便表記の理由」「三 文字と音韻」參照。

(いま忙しくてここ數日書き込めませんでした。)
>>612
ア行とヤ行のエの書き分けができないけど、
「超いろはかなづかい」にするわけにもゆかないから契沖假名遣だ、といふこと?

小松英雄も、定家假名遣が伊呂波四十八字を基礎としながら
必要に應じて變體假名を交へるものであることを解いてゐましたよね、確か。
エの「音韻」が二つの異なるものであったとかより、エの「文字」の問題にあらずや
音配列論(Phonoactics)の問題になるのかしらん。
教へて、詳しい人。
630621-623:04/01/15 01:52
歴史的かなづかひ」とかいちいち書くのが面倒になったので、
これからは「旧かな・新かな」といふ書き方をさせてください。
>>627
>都合が惡いとなると勝手に「重點ではない」などとするのは見苦しい。
私は「重點ではない」と思ふので、「勝手に」意見を変へたつもりはないのですが、
あるいは独断かもしれないので、
あの前提が現代の正かな派にとっても「重點で」あることの証明をお願ひします。
繰返しになりますが、
>しかし、他に據るべき歴史的假名遣ひが無いから、已むなく契沖版を使ふのだ。
といふのが重点だと思ふのです。
631621-623:04/01/15 01:58
>>626
>それは >>573 に示した。
申しわけないけど改めて説明をお願ひします。573を読んでも、決めつけではない
客観的な根拠がわからないので。
>板杉るからもうどっか行け。
こちらの何がいけなかったか(とぼけるのではなく)全然わからないので、説明をお願ひいたします。
>前者は現実の話、後者は仮定、架空の話。そんなこともわからないのか。
それはよくわかってをりますよ。架空の話でも、>>608を撤回せずには>>614のやうな
主張はできない。「版下書きたちの工夫」への評価が逆転してるのだから。
>福田がわかりにくいと言うなら、その感じ方を他人が云々することはできない。
「わかりにくい」といふ書き方が悪かったやうです。新かなが「憶え易」くないと
いふのではなく、その説明が例外だらけの、いいかげんな理窟づけばかりだといふ主張です。
福田は「感じ方」ではなく根拠を挙げて論じてゐるので、「他人が云々すること」が
できます。読んでみてください。(いや、既にお読みになったのかな???)
ついでに、
>歴史的仮名遣いの決まりをすべて書くには、1 冊の辞書が要る。
実際の例ならともかく「決まり」ならば、そんなに要らない。
福田恒存は『私の国語教室』の第三章で「歴史的かなづかひ習得法」を書いてゐる。
これが五十二ページある。議論の部分を除けば十数ページになるだらう。
一冊の辞書? 福田は最低限必要なだけのページを使はずにデタラメを書いたのかなあ。

(↑これは「1 冊の辞書」は大げさだと言ひたいだけです。十数ページよりも「数頁の紙」のほうが
 少ないぞ、なんて当り前のことをツッコミのつもりで言ふのは勘弁してくださいね。念のため)
632621-623:04/01/15 02:03
なんか>>628の人の尻馬に乗るみたいですが引用を。
福田恒存『私の国語教室』第二章の第二節より(原文は旧字、小書きはない)

↓歴史的かなづかひの原則について
>そこにおいて最も大事なのものは、既に言ったやうに、
語の自律性といふことであります。それを確立するために、私たちは時代を通じての
歴史的一貫性や直ちに識別しうる明確性を求めるのです。定家の伝統主義はその前者に
通じるものであり契沖の規範主義は後者に通じるものでありませう。が、二人とも、
抽象的な、あるいは本質的な思考に不慣れな過去の日本人として、本質と現象との次元の差を
考へ分けることが出来なかったのは当然と言へます。そのため、無意識のうちに語の自律性といふ
本質を求めながら、その本質を志向する一現象に過ぎぬものを、すなはち一貫性や明確性を、
それぞれに本質そのものと混同してしまったのであります。文字は、あるいは表記といふ行為は、
表意・表語を目的とします。語の自律性を志向し、語に仕へようとします。歴史的かなづかひは、
そのための手段として一貫性や明確性を欲するのです。が、逆に、一貫性や明確性の樹立を目的とし、
言葉や文字をそのための手段と考へてはをりません。一貫性・明確性に都合のいい言葉や文字を探したり
造ったりしようといふのではなく、既に与へられてある国語国字がなるべく一貫性・明確性をもちうるやうにと
考へてゐるだけのことです。そればかりではない。語に仕へる手段の一つとして、一貫性・明確性のほかに
表音性といふことさへ認めてをります。歴史的かなづかひの態度はあくまで現実主義的です。
頭の中には本質、すなはち表意観念があっても、手の中にあるものは表音文字だといふことを忘れてはゐませんし、
それを却けようともしてはをりません。頭と手の機能を混同する愚を犯しもしません。
>>631
> >>573 を読んでも、決めつけではない
> 客観的な根拠がわからないので。
では答が返って来なかったからもう一度きこう。「現代仮名遣いは、音を表すことを基本に据えながら、表語性も放棄しない」と言えば文句ないのか?

> こちらの何がいけなかったか(とぼけるのではなく)全然わからないので
翻字ってやったことある?

> 「版下書きたちの工夫」への評価が逆転してるのだから。
逆転なんかしてねえよ。彼らは字を書くプロで、漢字の少ない表記で読み易くするコツを心得ていたが、それが、万人が身に付けるべき規範としてふさわしいかどうかはわからない。
どうしても規範が必要になった時、真似してみてもよかったかもしれないというだけの話。歴史的仮名遣いよりはずっといいだろう。
しかし、一定量の漢字を常に混ぜて書くなら、あんなことはやらなくていい。

> 新かなが「憶え易」くないと
> いふのではなく、その説明が例外だらけの、いいかげんな理窟づけばかりだといふ主張です。
「例外だらけ」で、「いいかげんな理窟づけばかり」でも、より憶え易いほうがいい。

> 一冊の辞書? 福田は最低限必要なだけのページを使はずにデタラメを書いたのかなあ。
デタラメではないが、ハッタリだ。名詞と漢語の仮名遣いはどうするんだよ。それを決定するには、本が 1 冊必要だ。

>>632
> 福田恒存『私の国語教室』第二章の第二節より
福田恒存は、歴史的仮名遣いの内部に視点を置いていて、歴史的仮名遣いを決して客観化しない。だから議論にならないし、論破されることもない。
事実によって意見を変えない人は、安心できるので人気がある。しかし、彼について行くと、最後にはとんでもない目に会う。
634名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/15 04:01
しろうとの質問ですが,「仮名遣い」とは「正書法」のことではないのでしょうか?
「変体仮名」や「小書き」は「仮名遣いの問題では無い」とか
理解できないのですが,橋本とか福田を読めば理解できるのですか?
635607:04/01/15 09:23
>>632 >一冊の辞書? 福田は最低限必要なだけのページを使はずにデタラメを書いたのかなあ。

貴君には、先づ契沖「和字正濫抄」(元祿八・五册)を手に取って見る事をお奬めする。
卷一だけでも通讀すれば、なほよい。
636名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/15 21:44
>>634
>>しろうとの質問ですが,「仮名遣い」とは「正書法」のことではないのでしょうか?
 「仮名遣い」との語の意味の定義についてわ、記述された仮名文字の並びと規範の両方
の意味が混在していると思います。
しかし、わたしわ、正かなずかいとゆーのであるなら、正書法のことだと思います。
>>「変体仮名」や「小書き」は「仮名遣いの問題では無い」とか理解できないのですが,
橋本とか福田を読めば理解できるのですか?
 以下に原文お引用します。
》  假名遣の判定は、契冲・宣長以來の成果による。國語(和語)假名遣および字音(漢字
》音)假名遣は、共に平安中期以前の文獻に基礎を求める。
》一、假名遣として區別すべき假名は、原則として第一章の(一)〜(九)に示したものに限る。
》むめ(梅)、わしる(走)、一ヶ月、などは、假名遣の正誤判定に含めない。
》  同樣に、濁點や半濁點の使用、小書き假名の使用なども、假名遣に係る問題とは看做
》さない。
》  假名遣に係らぬ部分の綴りは、從來からの慣用による。
 このよーに「仮名遣い」が「平安中期以前の文献に基礎を求める」のならば、
「変体仮名」「小書き」について「假名遣に係らぬ部分の綴り」として
同じ文献に基礎お求められない理由わ、わたしにも不明です。
 なお福田わ小書きお使っていません。丸谷才一わ「っ」の使用お良くないとしています。
>>634
> 「仮名遣い」とは「正書法」のことではないのでしょうか?
> 「変体仮名」や「小書き」は「仮名遣いの問題では無い」
現代仮名遣いは正書法だ。変体仮名は使わないこととし、小書きを事実上の規範と定めている。
歴史的仮名遣いは正書法ではなく、「仮名遣ひ」という語を狭義にとらえて、「い」 「ひ」 「ゐ」、「う」 「ふ」、「え」 「へ」 「ゑ」、「お」 「ほ」 「を」、「あう」 「わう」 「おう」、「やう」 「えう」等の書き分けの問題に限っている。

>>580
遅レスだが、戦前の学校の出席簿は、電話帳方式だったと聞いたような気がする。
すなわち、名前の最初にある漢字の画数の順に並べて、仮名遣いは無視したんだそうだ。
確かな情報ではない。間違っていたら申し訳ない。
638634:04/01/16 01:52
>>636
ありがとうございます。
でも、なんだかわけがわからない。
ただ勝手に決めているだけという感じですね。
639634:04/01/16 01:56
>>637
ありがとうございます。
「仮名遣い」は「正書法」と考えてもいいようですね。
でも「旧仮名遣い」は正書法では無いのですね。
横レスすまそ。
日本語の場合は「正書法/orthography」というと
漢字をどう使うかの話も含まれてしまうのでは?
>>640
厳密なことを言うと、そのとおり。同じ語はいつも全く同じように書かれなければならない。
例えば、「小学校」を正しい書き方と定めれば、この語は、小学 1 年生でも「しょうがっこう」と仮名で書いてはいけないことになる。
だから、そういう意味での正書法は、日本語では無理だと思う。
642630-632:04/01/16 03:18
別の話題が出て来たのに前のをしつこくやるのは皆さんに申しわけないけど、

>>633>>635
>デタラメではないが、ハッタリだ。名詞と漢語の仮名遣いはどうするんだよ。
>それを決定するには、本が 1 冊必要だ。
>貴君には、先づ契沖「和字正濫抄」(元祿八・五册)を手に取って見る事をお奬めする。
私は>>631で、実際の例ならともかく「決まり」ならば、そんなに要らない。
と書いたんですが、「決まり」(>>626)とは原則のことではないんですか?
すべての言葉について列挙するなら、たしかに最低でも「本が 1 冊必要」でせうが。

「漢語の仮名遣い」は漢字を使ふかぎりはそれほど問題にならないはずですが。
「一定量の漢字を常に混ぜて書くなら、あんなことはやらなくていい。」(>>633)といふ
方針の人が、旧かなを責め立てる段になると急に、漢字を使はない場合を問ふのは
アリなんですか?
643630-632:04/01/16 03:24
>>633
>では答が返って来なかったからもう一度きこう。
「説明をお願ひします」と書いたのに逆に質問で返されてもアレなんですけど。
改めて「お願ひします」。それとその質問は>>603の人へのものだからお任せするつもりだったんですが。
>「現代仮名遣いは、音を表すことを基本に据えながら、表語性も放棄しない」と言えば文句ないのか?
文句はないけど、それならなぜあなたが旧かなを攻撃なさるかよくわからなくなる。
福田も旧かなの原則として、(表音は手段だとことわりつつ)似た趣旨のことを書いてゐるので(>>632参照)。
原理の面での対立が見えませんが。

たしかに原理をさておいて実際の表記を見れば、旧かなは(比較的)おぼえにくい。
だけど、その点を攻撃しても「新かな育ちのおれ(達)にはおぼえにくいからヤだ」といふことに過ぎず、
旧かな・新かなの優劣を決める(客観的な)根拠になりませんよ。

>翻字ってやったことある?
やったことございません。影印本とか翻字とか、私がまるで未体験のことに
習熟なさってるやうで、その点に敬服しますが、あの議論では現物を見たことがなくても
その要点や意義がわかってゐればいいのではないですか。
「板杉るからもうどっか行け。」(>>626)とまでお書きになった理由をうかがひたい。
644630-632:04/01/16 03:26
>>633
>逆転なんかしてねえよ。
だけど、>>608で「版下書きたちの工夫」を特殊な例だと斬り捨てて、
>決まりらしい決まりがないのが仮名表記の慣習だったのだから、歴史的仮名遣いは慣習に背いていると言わざるを得ない。
と主張しつつ、>>614では逆に
>例えば、それを規範化する手もあった。
>そうしていれば、歴史的仮名遣いなど全く必要なかった。
と味方に引っぱり込んでる。こんな態度アリかなあ。

「仮名表記の慣習」ではなかった特殊な「決まり」(工夫)を、
>例えば、それを規範化する手もあった。
と(架空の話でも)容認するなら、仮に
>歴史的仮名遣いは慣習に背いていると言わざるを得ない。
としても同じく容認せねばならないでせう。旧かなのが複雑だけど、
「決まり」である点では「版下書きたちの工夫」と同じ側にあるのだから。

↑「書き分けさえあれば、それがどんな決まりに拠るのかに関係なく同じ方針だと言う」(>>620)
つもりはありません、念のため。
645630-632:04/01/16 03:29
>>633
>福田恒存は、歴史的仮名遣いの内部に視点を置いていて、歴史的仮名遣いを決して
>客観化しない。だから議論にならないし、論破されることもない。
>事実によって意見を変えない人は、安心できるので人気がある。
>しかし、彼について行くと、最後にはとんでもない目に会う。
福田が「決して客観化しない」といふのがもし本当ならば、
たしかに恐ろしい大問題なので、(皮肉ではなく)詳しく知りたい。

根拠を示して教へていただきたい。
論敵のことを「あいつが意見を変へないのは自分の意見を客観視しないからだ」と
根拠を示さず決めつけるだけなら、他ならぬ「自分の意見を客観視しない」やつにも
簡単にできることなので。


といふか、
>「例外だらけ」で、「いいかげんな理窟づけばかり」でも、より憶え易いほうがいい。
と書いてるのを見るだけで、あなたが
現代「仮名遣いの内部に視点を置いていて」、現代「仮名遣いを決して客観化し」てゐないのは
バレバレではないかとも思ふんだけど。こちらの誤読なのかな。
>>642
> 私は>>631で、実際の例ならともかく「決まり」ならば、そんなに要らない。
> と書いたんですが、「決まり」(>>626)とは原則のことではないんですか?
> すべての言葉について列挙するなら、たしかに最低でも「本が 1 冊必要」でせうが。
歴史的仮名遣いの「原則」なんて、活用語についてしかいえないじゃないか。そのほかは無原則な決まりなんだから、問題になる語をすべて列挙するしかあるまい。

> 「漢語の仮名遣い」は漢字を使ふかぎりはそれほど問題にならないはずですが。
漢字がわからないときはどうするんだ。ピンインか w
>>643
> 福田も旧かなの原則として、(表音は手段だとことわりつつ)似た趣旨のことを書いてゐるので(>>632参照)。
完璧に矛盾している。歴史的仮名遣いには、現代語の音韻に関係のない書き分けがあれだけたくさんあるのに、それでも音を表すことを基本に据えていると言うのか?

> 旧かな・新かなの優劣を決める(客観的な)根拠になりませんよ。
だから >>573 に示したと言ってるだろ。@憶え易い (音を表すことを原則とする)。A視認性を妨げない (語を表すことにも配慮する)。B強固な慣習には逆らわない (例えば「ー」は使わない)。
ところで、君にとっての客観的な根拠は何なんだ?

> やったことございません。影印本とか翻字とか、私がまるで未体験のことに
> 習熟なさってるやうで
習熟もなにも、まるで未体験ではお話にならない。だから権威厨になるんだな。
>>644
> 旧かなのが複雑だけど、
> 「決まり」である点では「版下書きたちの工夫」と同じ側にあるのだから。
何の決まりもなく活字印刷に突入すると、校正がおぼつかなくなる。それはやはりまずい。何らかの規範は要る。
どうせ縛りがかかるのなら、無原則で複雑なものより、規則的で単純なものの方がいいだろ。
>>645
> 根拠を示して教へていただきたい。
歴史的仮名遣いには、実用上の利点がない。それでも守ろうとするのは、福田が事実によって意見を変えないからだと言うほかない。

> >「例外だらけ」で、「いいかげんな理窟づけばかり」でも、より憶え易いほうがいい。
> と書いてるのを見るだけで、あなたが
> 現代「仮名遣いの内部に視点を置いていて」、現代「仮名遣いを決して客観化し」てゐないのは
> バレバレではないかとも思ふんだけど。こちらの誤読なのかな。
現代仮名遣いには、プラグマティズムという明快な根拠がある。むろん完璧なものではない。
普及しないことを恐れるあまり、70年間続いた歴史的仮名遣いの「慣習」に中途半端に譲歩したために、かえって混濁してしまった所もある。
しかし、全体として見れば、>>573 の@ABを、かなりよくバランスしていると思う。
650642-645:04/01/17 04:21
>>646
>歴史的仮名遣いの「原則」なんて、活用語についてしかいえないじゃないか。
福田は「歴史的かなづかひ習得法」(>>631参照)で名詞についても書いてるんだけど。
あれが「ハッタリ」だといふ証明希望。
あの本、読んで理解(同意ではない)してるんですよね?
それにしては、内容を知らずに非難してるやうに見えるなあ。なんでだろ。

>漢字がわからないときはどうするんだ。ピンインか w
その場合は表音式で書けばいいでせう。そもそも、わからなければ書くのをやめる、
なんて態度を実在の人間がとるのかなあ。
といふか、「旧かなを責め立てる段になると急に、漢字を使はない場合を問ふのはアリなんですか?」
といふこちらの問に答へもせず、
別の難問を投げつけるとはどうなってるんだ。卑劣なのか文脈が読めないのかWWW

>>647
>完璧に矛盾している。
「音を表すことを基本に据えている」といふのは表音が目的といふことなんですか? 
それならこちらの誤読なので撤回します。

>習熟もなにも、まるで未体験ではお話にならない。だから権威厨になるんだな。
またまたまた(以下略)文脈無視ですか。
といふか、あなたのそんな態度こそ「権威厨」そのものだと思ふけど。
まさか、>>643で「私がまるで未体験のことに習熟なさってるやうで、その点に敬服しますが、」
と書いたのを「権威厨」の態度だと思ったのだらうか。
だったらはっきり言ふけど、あれはただのイヤミです。現物を見たことがなくても
その要点や意義がわかってゐればいい場面(違ふんですかね?)で、「俺は影印本やら
翻字やらの実体験があるぞ。お前はあるのかよ?」と言ひたげな態度をとる人は
「権威厨」だと思ふので、「おお! おえらいですなあ」といふ感じの皮肉を書きました。
651642-645:04/01/17 04:26
>>648
またまたまた(以下略)文脈無視。繰返しだけど、
「仮名表記の慣習」ではなかった特殊な「決まり」(工夫)を、
(架空の話でも)容認するなら、仮に、「決まり」である
>歴史的仮名遣いは慣習に背いていると言わざるを得ない。
としても同じく容認せねばならず、「慣習に背いている」ことは旧かな否定の決定的な
論拠にはならない。
といふのが要点だったんですが。
それにこちらはちゃんと、
>「書き分けさえあれば、それがどんな決まりに拠るのかに関係なく同じ方針だと言う」(>>620)
つもりはありません、と書いておいたのに。
652642-645:04/01/17 04:27
>>649(>>647の一部も)
確認ですが、
>@憶え易い (音を表すことを原則とする)。A視認性を妨げない (語を表すことにも配慮する)。
B強固な慣習には逆らわない (例えば「ー」は使わない)。
といふ@ABは優先順に並んでるんですよね?
「プラグマティズム」や「実用上の利点」といふのは、
だいたい「@憶え易い」を優先することだと見ていいですか?
(以下そのつもりで書くので、この前提が違ふなら、また改めて考へます)

福田の論をまとめると、A´語を表すことが目的で、視認性がその一手段。
もちろん表音文字であるカナを使ふ以上、表音性を排除しない。B´「強固な慣習」は
日本語の根本的な性質によるのだらうから(無批判に受入れはしないが)重視する
@´旧かなは現代音そのままではないが、それほど乖離してない。原則を押さへれば
それほどおぼえにくくはない
といふ優先順になります。(A´B´は同列かもしれない)

このやうに、あなたと福田とでは考へ方に根本的な違ひがあるので、
「それでも守ろうとするのは、福田が事実によって意見を変えないからだと言うほかない。」
と言ふことは(今はまだ)できない。まづは福田の優先順よりあなたのものの方が正しいと
示す必要がある。
あなたの「@憶え易い」最優先の方針が、客観的に正しいことを証明してください。
(「憶え易い」ほうがいいのは誰にも異論はないが、それを最優先できるかどうかといふ問題)
653607:04/01/17 19:13
歴史的假名遣ひを論ずるのに福田恆存を持出すのは、聖書を論ずるのに「ものみの塔」
のパンフレットを持出すやうなものだ。まったうな學問的な文獻を學ぶ事を奬める。

「現物を見たことがなくてもその要点や意義がわかってゐればいい」などといふ情け
ない事を書く暇があったら、「和字正濫抄」の元祿版本を契沖全集あたりの飜刻を頼
りに讀んで御覽。岩波契沖全集なら卷十で、その月報の「契沖かなづかい雑記」(亀井
孝)という小文も(贊否はともかく)含意の多い文章だから、圖書館に保存されてゐたら
併せて讀むとよい。
654名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 02:04
俺は、

漢字→周邊國との関係を重視して康煕辞典體
平假名→和語の語源意識を明確にするために契沖假名遣ひ
片假名→表音性を重視した完全な表音假名遣ひ、長音は「−」、助詞も「ワ」「エ」「オ」を使ふ。

そして、幼兒や外國人に讀み方を教へる必要があれば、
片假名で平假名にルビを振ればいいと思ふ。
これは、實際に明治時代の教育方針だらう。片假名が完全表音文字であれば、
平假名は逆に語源や活用の整合性を意識したスペルにした方がよい。
655650-652:04/01/18 02:06
>>653
や、これはこれは。御親切なアドバイス感謝いたします。
「和字正濫抄」と「契沖かなづかい雑記」は図書館に寄る暇ができたら必ず読みます。

ただ、私が「現物を見たことがなくてもその要点や意義がわかってゐればいい場面(違ふんですかね?)」(>>650)
と主張(質問)したのはあの文脈にかぎったことで、現物を読む意義を無条件で否定する
つもりはまったくありません。「情けない事を書く暇があったら、」といふお叱りは
御勘弁願ひます。

>歴史的假名遣ひを論ずるのに福田恆存を持出すのは、聖書を論ずるのに「ものみの塔」
>のパンフレットを持出すやうなものだ。まったうな學問的な文獻を學ぶ事を奬める。
「學問的な文獻」として何がいいかお教へください。それと、福田がダメな理由を
(おもしろい比喩ではなく)具体的に御説明ください。
それにしても、福田は問題外だと「わかって」をられたなら、もっと早く教へて
くださればいいものを。学識ゆたかな割に、ずいぶんと御人が悪い。
私はすでに>>609で福田を引っ張り出してゐたのに、「607」から書き続けてらっしゃる
御方がこれまで全然言ってくれないなんて!
康煕字典体を手書きするのは変わり者
657名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 02:09
>>656 手書きと、書き言葉を混同するヤツは、このスレにはいらない。
658名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 02:16
>>657
対比がおかしい。手書きしようが書き言葉は書き言葉。

>>654
漢字は手書き(つまり教育)、刊本、通信のそれぞれについてどうぞ
新字であろうと劃數の多い漢字を手書きするやつは、すでに變はり者だべさw
660名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 02:18
ワ←わ、は
イ←ゐ、ひ、い
ウ←う、ふ
エ←ゑ、へ、え
オ←を、ほ、お
ジ←ぢ、じ
ズ←づ、ず
661名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 02:27
>>658
漱石や鷗外でも手書きの原稿は略字だらけだった。
しかし印刷所が康煕字典體に校正して出版していた。
662650-652:04/01/18 02:33
>>580>>637
遅くなりましたが、「出席簿 戦前 順」で検索してみました。

ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~koga1999/houhou09.html
ttp://www5b.biglobe.ne.jp/~koga1999/gairon07.htm
こちらでは昭和初期の新教育の様子を紹介し、その中で出席簿の順にもふれてゐます。
でも、「新教育」なので一般的ではないのでせうね。

ttp://www.tobunken.com/oldlog/log0094.html
>73 Re: 九九 コメント数:0件 2001/02/17 (土) 13:00
>> 彡★江戸時代には「わり算九九」があった
>>
>・安野光雅「算私語録」によれば、昭和戦前の小学校では「二一がてんさくの
>ご」(←投稿者うろおぼえ)などと習ったとあります。

>・今の出席簿はたいてい50音順だが、昭和戦前は生年月日順だった。
>著者はあんのだが3月生まれなので最後だった。
>(出典同書)
こちらも一般的にさうだったのかわかりませんね。


>>629 の問題も気になるんですが、どうなんでせうか?
663名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 02:33
もはや伝統的書体は明治政府が字典体を
広めたお蔭でほとんどの人が知らないから復活は無理。
ここでも字典体が正統的と思い込んでいる人ばかりだが、
字典体には正統といえるほどの歴史があるわけではない。
664名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 02:36
>>658
手書き→臺灣は、康煕字典體で教育してゐる。
(もちろん、略字も手書き用の許容自體として容認する。)
印刷→康煕字典體で統一。
通信→ Unicode や文字鏡を使へばいいだけ。

「鷗外」も表示可能。
ま、「趣味派」に云はせれば、
「正統」なんぞをふりかざすやつらにろくなやつはいないのであつて、
合理性だの「優秀さ」だのにこだはつてゐるかぎりは
惡しき近代主義者といふ同じ穴の狢。

好いて添ひ寢するなら合理はいらぬ道理。
666名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 02:42
>>663 文意が通じない

平成12年の表外漢字字體表が「いはゆる康煕字典體」を復活させたのはご存知ではない?
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/kokugo/toushin/001218.htm

常用漢字内でも、人名漢字許容字體として200字程度は舊字體を使ふことができる。
表外漢字字體表をあがめる心性と、内閣公示を真なるかなづかひとあがめる心性とに、
たいした差はなからう。
668名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 02:48
>>666
そういう話ではない。こんなん見つけた。
http://homepage2.nifty.com/kanbun/books/emori-jitaijiten.htm
669名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 02:54
>>668
規範=學問の眞理ではない。
少なくとも、東アジアでは、康煕字典體を、臺灣、韓國は正字としてゐる。
その事實が重要。

趣味で、舊字舊假名遣ひをやるのなら、マッタリやればいいだけで、
それに部外者がケチをつける行為自體、無意味になる。
>少なくとも、東アジアでは、康煕字典體を、臺灣、韓國は正字としてゐる。
>その事實が重要。
それを言ったら、日本は日本の、中国は中国の、それぞれ正字がある。
その事実が重要。とすれば旧字体は日本では全く「正字」ではない。
この(過去)スレでいう正字の根拠はなくなる。
趣味派は正統派の「正統性」を問ふ。
それは現代かなづかひ派の「正當性」を問ふのと同じである。
臺灣、韓國が正字としてゐるから、康煕字典體は正統、正當なのかね?
福田恆存や橋本進吉や契沖(!)が云へば書けば、正統、正當なのかね?
内閣の公示があれば正統、正當なのかね?
君らは「これこそ正しき」なる語を發するときに、ケツの穴がムズムズせんのかね?
672名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/18 03:18
戦後、一部を字典体から明治以前の伝統的楷書に
戻しているんだよね。「乘」を「乗」にとか
>>671
ギャグのつもり? ↓これ以外は的はづれな気がするけどねえ。
>君らは「これこそ正しき」なる語を發するときに、ケツの穴がムズムズせんのかね?



橋本進吉電子文庫
http://home.q02.itscom.net/tosyokan/hasimoto.htm

ここの「旧字体版」はどうやって字を出してゐるのでせう。
正字體で實裝したフォントには、癸羊明朝や文字鏡契冲がありますが、
そのいづれとも違ふ書體に見えます。
かういふ正字體フォントがあるのなら、入手したいものです。
どなたか、この書體についてご存知ありませんか。
>>491 >小書きはあくまで現代仮名遣いと同時に採用されたんだからね。
>>564 >新仮名で小書きにしない人に会ったことがない。

反例
http://www.law.hiroshima-u.ac.jp/profhome/hirano/nyumon/iroha.htm
「法律条文の表記法として,第2次世界大戦前は,片仮名書きで,濁音・半濁音
の「゛(濁点)」と「゜(半濁点)」を表記せず,拗音・促音の「ャ・ュ・ュ・
ッ」を小書きせずに大書きで表記していたことは,現行の民法・商法の条文から
も知ることができる。戦後は平仮名書き(文体も口語体)に改められたが,拗音
・促音の大書きは依然として維持され,小書きが実施したのは昭和64年1月1日以
降に公布された法令からである。」
>新仮名で小書きにしない人に会ったことがない。

一般の書籍では活字のルビの部分は今でも小書きになってないね。
60〜70年代に写植が普及してから、学参ものを中心に
ルビにも小書きを含む組み方が現れたけど。
>>676
やはり小書きは半ば印刷技術上の問題だからでは。
鉛活字だと使用すればする程小さい字は潰れて讀めなくなるからね。
寫植になると活字みたいに劣化しないし、擴大縮小自在だから、
ポイント毎に活字を揃へるやうなコストも要らない。
DTP製版が増えてから振假名にも小書きがしばしば見受けられるやうになった。
>>670
それを言ったら、日本は日本の、中国は中国の、それぞれ正字がある。
あの文(>>669)の主旨は、「康煕字典體」の採用が実際に可能だ、といふ点なのでは?
>>672
>戦後、一部を字典体から明治以前の伝統的楷書に
>戻しているんだよね。「乘」を「乗」にとか
参考文献とか教へてくだされ。
>>674
そのページをつくった人に問合せればいいのでは。(メールアドレスが書いてありますよね)
問合せても返事が来なかったといふことですか?
>>650
> 福田は「歴史的かなづかひ習得法」(>>631参照)で名詞についても書いてるんだけど。
> あれが「ハッタリ」だといふ証明希望。
「粟」 「泡」 「葛」 「屑」の歴史的仮名遣いを決定する規則はない。
現代仮名遣いは例外だらけだと批判しつつ、それよりはるかに多くの「例外」を挙げている。歴史に根拠があると言っても、語の歴史を知らないほとんどの人には関係がない。
福田は、多数派を「本則」、少数派を「例外」と呼んでいるにすぎない。本来規則のない所に、規則をこじつけている。
「国会議員は原則として、自民党員である。例外として、民主党員、公明党員、共産党員、無所属議員等がいる」と言えば、事実の一面をとらえているかもしれないが、やはりハッタリになる。

> その場合は表音式で書けばいいでせう。
なんじゃそれは w 全部表音式で書きゃいいじゃねえか。

> 旧かなを責め立てる段になると急に、漢字を使はない場合を問ふのはアリなんですか?
もちろんアリだよ。現代仮名遣いは漢字使用を前提とするが、漢字を仮名に開こうと思えば、いつでも同一の規則で開けるんだから。

> 現物を見たことがなくてもその要点や意義がわかってゐればいい場面(違ふんですかね?)
違う。君の好きな「客観的な証拠」は事実の中にのみあるのに、君は事実を直に確かめることができない。

> 「俺は影印本やら翻字やらの実体験があるぞ。お前はあるのかよ?」と言ひたげな態度をとる人は「権威厨」だと思ふので
この場合の「権威」とは人についていう。おれは事実には従うが人には従わない。君は事実が確かめられないから人に従うしかない。君こそがイタイ権威厨だ。
>>651
> 「慣習に背いている」ことは旧かな否定の決定的な論拠にはならない。
> といふのが要点だったんですが。
歴史的仮名遣いは「伝統的な慣習」に基づくものではないということが焦点であって、慣習に背いているというだけの理由で、全否定されるわけではない。実際に行われた決まり (らしきもの) のなかで、いちばん劣っているとは思うが。

あんまりうるさいからちょっと引用してやろう。

 それよりも困ることは、そのたびに各時代が表音式に表記して行けば、国語の歴史性
が失はれてしまふことです。いや、事実、私たちの国語表記は鎌倉期以後とかくさうい
ふ傾向を辿りがちであつた。すなはち、言語、文字、文法が音声にたいして規範として
の力を発揮しうるほどの自覚と能力とをもたずに時代を経てきたのです。それが江戸期
の国学者や明治の歴史的かなづかひの成立によつて、やうやくその可能性をもちはじめ
てきたのに、その出端を挫くやうに戦後の国字改革がおこなはれたといへませう。
(『私の国語教室』文春文庫322頁)

福田はこの箇所で、事実についてはほぼ正確なことを言っている。国学より前が日本語にとって自然だったのであり、現代仮名遣いの成立は、不自然な歴史的仮名遣いを廃して、伝統的な慣習に引き戻そうとする当然の動きだったんだよ。
>>652
> あなたの「@憶え易い」最優先の方針が、客観的に正しいことを証明してください。
> (「憶え易い」ほうがいいのは誰にも異論はないが、それを最優先できるかどうかといふ問題)
最優先できない客観的な理由が見当たらない。

>>680
(誤) (引用文中) いへませう → (正) 言へませう
>>675
> 戦後は平仮名書き(文体も口語体)に改められたが,拗音・促音の大書きは依然として維持され
改められたのはいつのことか。そして、それは例の「なるべく」という文言に則ってそうしていたのだといえるのか。

>>676
> 一般の書籍では活字のルビの部分は今でも小書きになってないね。
ルビのことまでは知るかよ。おれだって見えにくくなるから小書きにはしない w
>>682
的外れ。それとも、わざと話をそらしてるのかな?
問題は平假名書きに改めたことでなく小書きに改めなかったことにある。
小書きに改めたのが昭和64年からだとは>>675の引用中に明らか。
>>681
>伝統的な慣習
ならば江戸時代の戲作者のやうに「〜しちまへ」となぜ書かぬ。
それでも、それが表音的假名遣だと言ひ張ってゐたぢゃないか。
>>678
> >戦後、一部を字典体から明治以前の伝統的楷書に
> >戻しているんだよね。「乘」を「乗」にとか
> 参考文献とか教へてくだされ。
毛筆書写検定の参考書に多少載っているようだ
686678:04/01/19 01:31
>>685
どうもどうも。
>>683
> 問題は平假名書きに改めたことでなく小書きに改めなかったことにある。
ああうざってえ。だからその、平仮名書きに改めたが小書きに改めなかったのはいつのことで、それは、「なるべく小書きにする」という文言によって、じゃあしなくてもいいのねってことで、小書きに改めなかったのだと、ほんとにそういう事情だったのかときいてるんだよ。

>>684
> ならば江戸時代の戲作者のやうに「〜しちまへ」となぜ書かぬ。
彼らの表記には漢字が少なかった。今は漢字を使って語頭 (正確には文節の頭) を示せるから、その書き分けはもう要らない。
漢字を一切使うなということになったら、案外、復活するかもよ。
>>687
>平仮名書きに改めたが小書きに改めなかったのはいつのことで

あらら本當に、文章が讀めない人なのかな……。
>>675を見れば、敗戰後〜昭和64年までのことと直ぐわからうものを。
>>687は全くどうかしてゐる。
漢字入りだと「絲瓜の蔕をもいでしまえ」と書くのだが
假名書きだと「へちまのへたをもいでしまへ」と書くべきださうな。
ふうん、それが表音式假名遣かね。
690650-652:04/01/19 04:24
>>679
>福田は、多数派を「本則」、少数派を「例外」と呼んでいるにすぎない。
>本来規則のない所に、規則をこじつけている。
これの証明希望。
>> その場合は表音式で書けばいいでせう。
>なんじゃそれは w 全部表音式で書きゃいいじゃねえか。
あのねえ。表音文字であるカナで何か書く以上、その語の正しい表記(といふ考へ方)が
ないかぎりは、発音そのまま(のつもり)に書くのが当り前でせうよ。
「その場合」とは、ある人が「正しい表記」のわからない語にぶつかったときのことで、
その場合は(書くのをやめるわけにはいかないので)「表音式で書けばいいでせう」といふこと。
こんな簡単な文も読めないとはなんぢゃそれはWWW

>> 旧かなを責め立てる段になると急に、漢字を使はない場合を問ふのはアリなんですか?
>もちろんアリだよ。現代仮名遣いは漢字使用を前提とするが、漢字を仮名に開こうと
>思えば、いつでも同一の規則で開けるんだから。
それは「オレの主張には有利だから問題ない」と言ってるだけだって!
691650-652:04/01/19 04:28
>>679
>> 現物を見たことがなくてもその要点や意義がわかってゐればいい場面(違ふんですかね?)
>違う。君の好きな「客観的な証拠」は事実の中にのみあるのに、君は事実を直に確かめることができない。
(まともな読解力がある人なら)読めばわかる通り、「現物を見たことがなくてもいい」
と主張するのはあの文脈にかぎってのこと。他の場合はもちろん現物を見ますって。
あの場面では、私は新かな派(あなたかな?)による事実の紹介については異議を唱へて
ゐないのだから、現物を見ないことでもし不利になる(新かな派が嘘をついてゐた)としても
それは私の側でせう。論争相手には迷惑がかからない。だから、あの場合にかぎり、
「要点や意義がわかってゐれば」それだけでいいはず。
>おれは事実には従うが人には従わない。君は事実が確かめられないから人に従うしかない。
>君こそがイタイ権威厨だ。
ただの決めつけ。(上に書いた通り)あの文脈からは「君は事実が確かめられないから」以下のことは言へない。
あなたの場合、事実を確かめたまではよかったが、その意義についての判断をも検証せずに
「事実」と思ひこんでしまってゐる。その判断が(たまたま運のいいことに)正しい場合も
あり得るとしても、自分の判断を検証(客観視)しないそんな態度では、
「君こそがイタイ○○厨だ。」と言はれても仕方がないだらう。
692650-652:04/01/19 04:28
>>680
(前半について)
あのさあ、自分の誤り(二つの主張が矛盾)ぐらゐ素直に認めなさいって。
認めた上で、「だが、他にも根拠はあるから意見は変へない」とすればいいんだから。

>国学より前が日本語にとって自然だったのであり、現代仮名遣いの成立は、
>不自然な歴史的仮名遣いを廃して、伝統的な慣習に引き戻そうとする当然の動きだったんだよ。
あなたが「この箇所で、事実についてはほぼ正確なことを言っている」かどうか検証が必要。
「自然」「不自然」「伝統的な慣習」は価値中立的な言葉ではないだらう。
事実だけを述べるなら、国学より前は「表記の原則」が普及してゐなかった、
「歴史的仮名遣い」が廃され「現代仮名遣い」が成立した、
これは「表記の原則」がないといふ点で国学より前と同じである、といふことだらう。
そして、その判断(評価)において福田とあなたとが対立してゐる。

>>681
>最優先できない客観的な理由が見当たらない。
なんか、少しも客観的ではない、決めつけですねえ。
693607:04/01/19 08:14
>>655 >「學問的な文獻」として何がいいかお教へください。
貴君は、日本語の文字が讀めないのか。
それとも、(貴君お得意の)讀まずして「和字正濫抄」を「學問的な文獻」ではないと判斷し
ての事か。

岩波版の契沖全集なら、「和字正濫抄」を收める卷十の擔當者名は扉見返へしに明記されて
ゐるから、その擔當者の著書から「假名遣」の入門書を檢索するのは譯も無い事。更にその
入門書に引用される學術著作を讀むだけでも、蒙は啓かれよう。

全て、「現物を見」れば自づと分る。現物を見ないでも要點や意義が分る等という強がりは
大概にするとよい。

>それと、福田がダメな理由を具体的に御説明ください。
愚問。上記の諸書を學べば貴君にも分る。まづ讀んでからにしたまへ。
>>693
勿體ぶらないで要點を教へてやればいいぢゃん。
さうでないと、多分讀んでも、君と同じ福田が誤りといふ結論には達しないよ
>>688
> 敗戰後〜昭和64年までのこと
もう嫌がらせしかできないようだな。

>>689
> >>687は全くどうかしてゐる。
> 漢字入りだと「絲瓜の蔕をもいでしまえ」と書くのだが
> 假名書きだと「へちまのへたをもいでしまへ」と書くべきださうな。
> ふうん、それが表音式假名遣かね。
どうもしてねえよ w それでいいの。
・せきがへのまへにでた → 席替えの前に出た
・せきがえのまへにでた → 関が絵の前に出た
できればもう一つ、変体仮名が欲しい。
・せきが遍のまへにでた → 咳が屁の前に出た
・へがせきのまへにでた → 屁が咳の前に出た
和歌だと連綿も効くかな。江戸では、さ程でもないか。
>>690
> >福田は、多数派を「本則」、少数派を「例外」と呼んでいるにすぎない。
> >本来規則のない所に、規則をこじつけている。
> これの証明希望。
あれだけたくさん例外があるのに、規則が存在すると考えられる理由を、こっちの方が「客観的に証明」してもらいたいね。

> 表音文字であるカナで何か書く以上、その語の正しい表記(といふ考へ方)が
> ないかぎりは、発音そのまま(のつもり)に書くのが当り前でせうよ。
発音と異なる (場合もある) 「正しい表記」が、仮名の段階と、漢字の段階 (発音を表さないのは当然だが) とで、二つあるということだな。
前に答が返って来なかったが、君は (特に仮名について) それがすべて必要な決まりだと思うの?

> それは「オレの主張には有利だから問題ない」と言ってるだけだって!
君の主張には不利な点が多いな。
>>691
> 論争相手には迷惑がかからない。
相手を言い負かすために論争をしているのではない。現代仮名遣いには欠点もあるが、それなりに合理的であり、決して欺瞞などといったものではないというおれの主張を理解してもらおうと思えば、同じ事実をいくらかでも直接見てくれないことには、話にならない。
仮名表記には一千年の歴史がある。かいつまんで説明できるような代物ではない。

> あの文脈からは「君は事実が確かめられないから」以下のことは言へない。
どんな文脈においても、事実が確かめられない人は、事実には従えない。
>>692
> 自分の誤り(二つの主張が矛盾)ぐらゐ素直に認めなさいって。
君が矛盾していると思いこんでいるだけだ。「「慣習に背いている」ことは旧かな否定の決定的な論拠に」という文言は、>>651 で君の方が初めて持ち出したものだ。

> >最優先できない客観的な理由が見当たらない。
> なんか、少しも客観的ではない、決めつけですねえ。
そう思うのなら、君がやるべきことは、あーゆーとこーゆーを繰り返すことではなくて、最優先できない客観的な理由を示すことではないのか?
>>695
自分で馬鹿さ加減に氣づかないのかしらん。
氣づいてゐて詭辯を弄してゐるにしても、全く冗談として詰らない。
假名で「せきがへのまへにでた」と書くのなら、
漢字交じりでは「席替への前に出た」でなければならぬ。
それでなくては語の一貫性が保たれぬ。

>>695
いつ、と問うたから、その「いつ」を示しただけなのに。
意味の通じない獨り善がりな言葉を吐いて、それに反證が擧がると嫌がらせ呼ばはりですか。
>>674
540 :Name_Not_Found :04/01/18 22:15 ID:???
>>536
HiraMinPro-W3
ヒラギノ明朝Pro W3と思はれる。PDFファイルのプロパティで
埋め込みフォントは確認できるのであるから、フォントを欲しがる前に
貴方もその位のスキルを身につけなさい。
尚、“思はれる”と書いたのはやや怪しい態樣を示してゐるからである。
くの字点(大返し)の字形などがをかしいし。
なほ、このフォントはOpenType形式であるため、使ふ側にも注意(スキル)
が必要である。
>>700
> 假名で「せきがへのまへにでた」と書くのなら、
> 漢字交じりでは「席替への前に出た」でなければならぬ。
> それでなくては語の一貫性が保たれぬ。
仮名しか使わない表記体系と、漢字仮名交じりの表記体系との間に、一貫性はもとよりない。

>>701
> いつ、と問うたから、その「いつ」を示しただけなのに。
45年の間のいつかです、という答では情報価値はない。その時の事情も全くわからない。
「現代仮名遣いの決まりには『なるべく小書きにする』とあるから、しなくてもよいのだと判断して小書きにしなかった」という例でなければ、反例にはならない。
>>703 >反例にはならない。

否。下記への反例である。
>>564 >新仮名で小書きにしない人に会ったことがない。
つまり、564が知識不足なのに新かな=小書きと決めつけたことを問題にしてゐる。
>>703
漢字假名交り文では、どの語をどれだけ假名に開くかは各人の裁量に任されるはず。
或る一句がすべてかなであったとしても、漢字假名交り文の一部であることはめづらしくもない。

いい加減、詭辯は空しくならないか?
706名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/20 00:11
>>564 >新仮名で小書きにしない人に会ったことがない。

たまたま手もとにあつた坪内祐三編『文藝春秋 八十年傑作選』(文藝春秋)をめくつてみた。
現代かなづかひで促音(つ)・拗音(きゃ・きゅ・きょなど)を小書きにしない表記の記事が二本あつた。

昭和三十一年十二月號の山下清「東京の『日本一』見學」
昭和三十二年七月號の鼎談「明治八十年」(龜井勝一郎・福田恆存・和歌森太郎)

いずれも漢字は舊字、また表音的なカタカナ語や擬音では小さい「ッ」で表記されてゐる。
なほ、これ以前の記事はすべて歴史的かなづかひ。
これ以降の記事(三十三年六月號 白洲正子「銀座に行き銀座に死す」以降)はすべて現代かなづかひである。
707名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/20 00:19
同じ本より、昭和三十年代とおぼしきラジオの広告記事(掲載年の記載無し)の見出し。

 これは愛用者の皆様がお寄せくださつたいろいろのご希望を
 充分に生かして作つた最新型4球スーパーです

といふ具合で小書きではない。
もつとさがせば、たくさんあるんではないかな。
失敗した。
直前の記事が歴史的假名遣で書かれてゐたため早合點した。
>>706以外にも現代假名づかひで促音を小書きにしない記事があつた。

昭和二十五年十月號 坂口安吾「世界新記録病」
昭和二十八年四月號 中野好夫「大學教授始末記」
昭和三十一年十月號 石原愼太郎「僕の撮影所日記」
709名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/20 00:34
「漢字道楽」が近日中にバージョンアップするらすぃ
http://www.sunsale.co.jp/soft-kot.htm
 
UX-古典明朝 W3  明朝体活字字形一覧(文化庁文化部国語課発行)準拠
UCX-古典明朝 W3  新旧漢字交換フォント(古典字基調タイプ)

古典フォントは、一般規格のユニコードフォントセットでは対応しきれない
旧字体漢字や文字種が利用できるよう 明朝体活字字形一覧(文化庁文化部
国語課発行)を参照して、25種(道光版康煕字典(1831年)/五車韻府/米長老
会/英華書院/美華書館/国文五号/国文四号/築地二号/築地五号/製文初号/製
文二号/築地三号/大阪三号/築地二号/築地五号/築地四号/博文四号/宝文四
号/宝文二号/宝文一号/秀英一号/民友35ポ/築地三号/朝日漢字/修訂版大漢
和活字)の内、もっとも多い字形を標準採用しております。

>>709
あれれ、「明朝体活字字形一覧」準據もよいけれど、
以前のヴァージョンはゴシック體もありましたよね?
 >漢字道楽“古典字書体”【明朝・ゴシック】
 >http://www.sunsale.co.jp/sitemap.htm
そこが文字鏡明朝や癸羊明朝にはない特色だつたのに。
ゴシック體は無くなつてしまふのかな……。
ヒラギノ角ゴシックProを買ふしかないのか。
711690-692:04/01/20 01:55
>>693
現物を読むことについては、>>655で約束したつもりなんですが。

ともかく読んでみます。でも、もしも現物(事実)を詳しく知った後も、私が意見(事実に
対する評価)を変へなかったらどうするんですか? その場合、「意見を変へないのは、
お前がまちがった判断(評価)をしてるからだ」と最初から決めつけるのはナシですよ。
「こんな点で、お前は誤読をしてる、だから変な結論になるんだ」と(客観的な)批判をしてくださいね。
>>704
> >>564 >新仮名で小書きにしない人に会ったことがない。
> つまり、564が知識不足なのに新かな=小書きと決めつけたことを問題にしてゐる。
わかったよ。現代仮名遣いでも小書きにしない人はいたのね。
でもって、話はそれで終わりなのか、それとも、現代仮名遣いにおいても小書きは規範ではなく、自由裁量の余地があると主張したいのか?
713690-692:04/01/20 01:58
>>697
>あれだけたくさん例外があるのに、規則が存在すると考えられる理由を、こっちの
>方が「客観的に証明」してもらいたいね。
そりゃ本則よりも例外が多ければ、規則とは呼べないだらうけど、あれの場合は
そんなことはないんだし、なぜいけないんです?
それに、この議論は、旧かなをおぼえるのには「辞書が一冊必要」かどうかといふこと
ではなかったんですか? あの「習得法」はまとめとしては十分だと思ふんですけど。

「二つあるということだな。」で、何を主張したいのか、(皮肉ではなく)わかりません。
それとも、「了解した」といふことなのかな。
>前に答が返って来なかったが、君は (特に仮名について) それがすべて必要な決まりだと思うの?
私はただ、あなたの「すべて不必要だ、いいものは全部新かなに取入れられた」と
十分な検証もせずに決めつけるやうな態度は、問題がありすぎると指摘しただけで、
「すべて必要」かどうか判断するほどの知識はありませんよ。

>> それは「オレの主張には有利だから問題ない」と言ってるだけだって!
>君の主張には不利な点が多いな。
では、「 旧かなを責め立てる段になると急に、漢字を使はない場合を問ふ」卑劣な
態度をとったことは否定しないんですかね。
714690-692:04/01/20 01:59
>>698
(前半について)
書いてる内容にはまったく意義ない。だけど、これが前と同一人物の言葉だとは!!! 
(>>619の)
>>「影印本の一つも見たこと」があり(もちろんその意義を理解して)、
>>それでも歴史的かなづかひを支持する人がゐるかも知れない
>そういう人は、事実によって意見を変えないんだから、一生そのままだろう。
>ところで、「影印本」が何のことかわかってるんだろうな?
など、「無知なやつらだけがバカな結論を出すんだ」「俺に同意しないお前は、事実を
知らないから同意しないんだ」としか読めない態度だったぢゃありませんか。
いつ態度を変へたんですか。
それとも私の方が不当だと見せかけるための小細工なのかな? 
(後半)
これも、内容には文句ないが、文脈を無視して答へてる。
あの場合、私が「事実を知らないから福田に従ってゐる」といふ決めつけに文句があるだけ。
715690-692:04/01/20 02:01
>>699
>君が矛盾していると思いこんでいるだけだ。「「慣習に背いている」ことは旧かな否定の
>決定的な論拠に」という文言は、>>651 で君の方が初めて持ち出したものだ。
ほー、こちらの誤読だとおっしゃるか。ま、「慣習に背いているというだけの理由で、
全否定されるわけではない。」(>>680)と認めてくれたから文句ないですけどね。
では、(別の文だけど)「不自然な歴史的仮名遣いを廃して、伝統的な慣習に引き戻そうと
する当然の動きだったんだよ。」(>>680)といふ主張も旧かなにとって決定的に不利ではないんですね。

>そう思うのなら、君がやるべきことは、あーゆーとこーゆーを繰り返すことではなくて、
>最優先できない客観的な理由を示すことではないのか?
私では力が足りなくて、福田などが述べた(私の主観では客観的と思はれる)「理由」を
受売りする程度ですよ。
ただ、あなたが「あーゆー」内容が、検証抜きの独断だとわかる程度の力は
あります。それで、「こーゆー」しかないんですよ。
>>705
> 漢字假名交り文では、どの語をどれだけ假名に開くかは各人の裁量に任されるはず。
そうだよ。だけど、あまり漢字の少ない表記は読みにくいから、大人はやめようね。

> 或る一句がすべてかなであったとしても、漢字假名交り文の一部であることはめづらしくもない。
漢字仮名交じり文という表記体系と、漢字を一切使わない表記体系とは、両立しない。前者においてたまたま仮名ばかりである表記と、後者において当然仮名ばかりである表記とは、関係がない。

> いい加減、詭辯は空しくならないか?
そっくりそのままお返しする。
小前等脳味噌大丈夫乎?
仮名遣等無而無問題也。
支那人笑似非漢文。
日本人可読則無問題。
>>712 やっとわかったか。あたまのめぐりのわるいやつめ。(笑)
>>716
>前者においてたまたま仮名ばかりである表記と、後者において当然仮名ばかりである表記とは、関係がない。

漢字交じり文でたまたま假名ばかりだと「せきがえのまえにでた」と表記し
假名文において當然假名ばかりだと「せきがへのまへにでた」と表記すべきださうな。
これを詭辯としてでなく本氣で主張するなら、呆れて言葉も無い。
>>712
>それとも、現代仮名遣いにおいても小書きは規範ではなく、
>自由裁量の余地があると主張したいのか?

そもそも現代仮名遣自体が「指針」または「よりどころ」にしか過ぎないのであるが?

「現代仮名遣い 前書き 」(昭和六十一年)より
 ↓
>2 この仮名遣いは,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,
>一般の社会生活において,現代の国語を書き表すための仮名遣いの
>よりどころを示すものである。

>3 この仮名遣いは,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や
>個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。

>6 この仮名遣いは,(中略)発音にゆれのある語について,
>その発音をどちらかに決めようとするものではない。

>8 歴史的仮名遣いは,(中略)我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして,
>尊重されるべきことは言うまでもない。
>>719
支那人嗤日本人

724607:04/01/20 08:31
>>698
>相手を言い負かすために論争をしているのではない。

>仮名表記には一千年の歴史がある。かいつまんで説明できるような代物ではない。

全く同意だな。事實を理解した上で、歴史的假名遣ひを採るのであればまだしも、單なる
「ものみの塔」形のファンダメンタリズム信仰で「正假名遣ひ」等といひ募り、「要點と
意義さへ分れば」等といふのは、國語の歴史と先人の學問業績をナメてゐる。
>>713
> そりゃ本則よりも例外が多ければ、規則とは呼べないだらうけど、あれの場合は
> そんなことはないんだし、なぜいけないんです?
それは、相対的多数派を「本則」と呼び、少数派を「例外」と呼ぶことにほかならない。そんな無原理なのは規則ではない。単なる偏りだ。

> それに、この議論は、旧かなをおぼえるのには「辞書が一冊必要」かどうかといふこと
> ではなかったんですか? あの「習得法」はまとめとしては十分だと思ふんですけど。
膨大な数の漢語の仮名遣いはどうするんだと、何度も言ってるんだが。

> 私はただ、あなたの「すべて不必要だ、いいものは全部新かなに取入れられた」と
> 十分な検証もせずに決めつけるやうな態度は、問題がありすぎると指摘しただけで、
> 「すべて必要」かどうか判断するほどの知識はありませんよ。
こんなガラの悪い所で、そのようなお上品な態度を求められても困る w 文句があるなら君が反証しなさい。それに足る知識がないなら黙っているしかあるまい。

> 卑劣な態度をとったことは否定しないんですかね。
どこがどう卑劣なんだ w
>>714
> 「無知なやつらだけがバカな結論を出すんだ」「俺に同意しないお前は、事実を
> 知らないから同意しないんだ」としか読めない態度だったぢゃありませんか。
こういうことを言って来る前に、どうしてまず事実を知ろうとしないのかねえ。とことん横着なんだろうねえ。

> あの場合、私が「事実を知らないから福田に従ってゐる」といふ決めつけに文句があるだけ。
では、「から」というのをやめて、君は事実を知らない、君は福田に従っている、君は福田が正しいかどうか、事実に基づいて確かめることができない、と言えば文句ないのか?
727名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/20 23:16
>>715
> 私の主観では客観的と思はれる
それこそ独断、決めつけの最たるものだな。

> あなたが「あーゆー」内容が、検証抜きの独断だとわかる程度の力はあります。
ゲラゲラ)こいつぁケッサクだ。事実の一端すら自分で確かめられない君に、なんでそんな力があるんだよ(ハライテー
>>721
> 漢字交じり文でたまたま假名ばかりだと「せきがえのまえにでた」と表記し
> 假名文において當然假名ばかりだと「せきがへのまへにでた」と表記すべきださうな。
> これを詭辯としてでなく本氣で主張するなら、呆れて言葉も無い。
前者は現在行われていることであり、後者はかつて行われていたことに近い。詭弁的なところは全くない。そのままずっと黙ってていいよ。
>>722
> そもそも現代仮名遣自体が「指針」または「よりどころ」にしか過ぎないのであるが?
現代仮名遣いを「よりどころ」にした場合でも、小書きは規範ではない、とまで言い張る度胸はないと見える。

> >8 歴史的仮名遣いは,(中略)我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして,
> >尊重されるべきことは言うまでもない。
これ、マッチポンプだね。明治以降、あらゆる古典を歴史的仮名遣いに改めて出版しちまったから、歴史的仮名遣いを教育しておかないと、文化が引き継がれにくい面があるんだよ。
記紀・万葉、竹取・伊勢・土左・古今集ぐらいはまあいいとしよう。しかし、西鶴、芭蕉、近松まで歴史的仮名遣いに改竄するとは、一体、何を考えているのか。
>>729
>小書きは規範ではない、とまで言い張る度胸はないと見える。

「現代仮名遣い」
ttp://www.asahi-net.or.jp/~lf4a-okjm/genkan61.htm
によれば、

> 4 促音
> っ
> 例
> はしって(走) かっき(活気) がっこう(学校) せっけん(石*鹸)
> 〔注意〕促音に用いる「つ」は,なるべく小書きにする。

なるべく、なんてのは規範とは言へぬのではないかい?
なるべく、なら守らなくてもいいわけで、
文藝春秋などの例を見てもわかるやうに、守らないで、お咎めなしだつたわけだ。

>西鶴、芭蕉、近松まで歴史的仮名遣いに改竄

まともな校訂ならしてないとおもふが。
ちと被害妄想がすぎるのではないか。
>>730
> なるべく、なら守らなくてもいいわけで、
> 文藝春秋などの例を見てもわかるやうに、守らないで、お咎めなしだつたわけだ。
ほんとにそういう事情だったんだろうか。けっこう古い例が多いよ。過渡期ということで許してもらってたんじゃないのか。山下清のはどんな校正をしたんだろう。
それに、現在でも状況は同じなのか。おれはもう事実上の規範だと思う。

> まともな校訂ならしてないとおもふが。
> ちと被害妄想がすぎるのではないか。
最近の出版物については確かにそうだ。しかし古典の教科書は相変わらずやっている。何とかならないものか。
>>728
>前者は現在行われていることであり、後者はかつて行われていたことに近い。

君の方針は、それを現在同時にやらうといふのに等しいわけ。全く阿呆らしい。
>>731
>おれはもう事実上の規範だと思う。

「つ」を小書きにすることは、「なるべく」といふやうな努力目標的なものであつたのに、
しかし、あなたの言ひ方によれば「事實上の規範」となつた。
このことは、逆に、現行の「現代かなづかい」がアプリオリな「規範」ではないことを示すことになる。
そうではないかい?

つまり「つ」を小書きにするかどうかは、日本語を使ふ人々の日々の營みによつて決まるわけだ。
ただの内閣告示の努力目標を「事實上の規範」に格上げするわけだから。

このやうに、かなづかひとは、人々の營爲の積み重ねであつて、あらかじめ誰かが決めるものではない、本來。
「事實上の規範」とは、そのやうなものだとしか、言へないぢゃないか。

例へば、現代かなづかひでは、たぶんあなたもご存じの通り、助詞「は・へ」を「わ・え」と書いたり、
オ列長音記號については本則「う」のほか「お」も許容されてゐた。

しかし「私わ」ではなく「私は」といふ表記が「事實上の規範」となつたわけだ。
であれば、これは人々の、それぞれの實踐がさうさせたのだ、と言ふしかない。
これを歴史の積み重ねといつてもよいわけだ。

「事實上の規範」は歸納的だが、現代かなづかひの「規範」は演繹的であらう。
この二つは區別せねばならないと思ふが?
>>732
> 君の方針は、それを現在同時にやらうといふのに等しいわけ。
意味不明。両立しないものを同時にやれるわけがない。

>>733
> 「事實上の規範」は歸納的だが、現代かなづかひの「規範」は演繹的であらう。
> この二つは區別せねばならないと思ふが?
その点は、現代仮名遣いの決まりの書き方が悪いと思う。日本人はお上に従順だからうまくいったようなものの、あんな煮え切らない表現では、守る人やら無視する人やらで、めちゃくちゃになってもおかしくはなかった。
>>734 「やれるわけがない」ものをやらうとしてゐることに氣づかぬのか。あはれ。
>>735
漢字を一切使わないというのは架空の話で、だれもやろうとしてないんだが。
漢字假名交り文の假名の開き方によっては假名つづきの箇所など幾らでも出現するのだが?
>>737
>>716 へループせよ。
>>738 さらに>>721へ。
>>739
>>728 で詰み。どこがどう詭弁なのか全くわからない。君がそれを説明しないかぎり、無限にループするぜ。
獨りよがりの理論を吐いて、理解する氣も無い人には、説明もできやしない。
自分で説得的だと信じ込んでゐるんだからなあ。
説明責任は、新奇な理論を持ちだした方にあるんだし。
>>741
> 獨りよがりの理論を吐いて、理解する氣も無い人には、説明もできやしない。
空しがったり呆れたりしてるだけで、説明する気がないのはそっちだろ w あるいは能力がないのかな。

> 説明責任は、新奇な理論を持ちだした方にあるんだし。
「新奇な理論」などどこにもない。「現在現実に行われている表記体系」と、「『江戸時代に行われていた表記体系で、もし現代語を書いたら、こんな感じになるかな』という架空の話」とを並べただけ。
ひとりよがりは旧仮名派も同じ
現状で旧字体をそのまま復活させたらどうなると思いますか。
個人的には、ふなづきとにくづきとつきを手書きで厳密に
書き分けないとバツにされるような恐るべき漢字教育が
行われて漢字嫌いを増やすだけだと思うので
最低でも手書き字形のガイドラインを一緒に定める必要が
あると思ってるが。
>>744
なんか、自分自身でちゃんと答を出してるぢゃないですか。
>最低でも手書き字形のガイドラインを一緒に定める必要があると思ってるが。

それに、「手書きで厳密に書き分けないとバツにされる」といふやうな初歩的な
誤解するヤツが、「復活」なんて大事業をやりとげるとも思へませんが。
復活を成し遂げようと思ってる人が認識しても
世間が思ってなかったら浸透させるための手立てが必要でしょう。
常用漢字表にも「木」を跳ねるか跳ねないかは
許容例としてしっかり書かれてるのに、書道の教科書
から「木」を跳ねた字形が排除されたりする例すらあるそうで。
常用漢字表の全文字について楷書の例示字形もつけるとか
許容される(手書きの)字形を97JIS並みにいちいち列挙するとか
そこまでやる必要があるのではないかとも思いつめてますが、
例示字形をつけたら制定者の意図とは裏腹にその例示字形
のみが神聖視されるのではないかとかそういう話がしたいわけです。
747713-715:04/01/22 16:34
答としては遅いし、まともに相手するのもバカみたいだけどいちおう。

>>725
>どこがどう卑劣なんだ w
↓こんな態度は卑劣。「オレの主張には有利だから問題ない」と言ってるだけ。
>>> 旧かなを責め立てる段になると急に、漢字を使はない場合を問ふのはアリなんですか?
>>もちろんアリだよ。現代仮名遣いは漢字使用を前提とするが、漢字を仮名に開こうと
>>思えば、いつでも同一の規則で開けるんだから。

>こんなガラの悪い所で、そのようなお上品な態度を求められても困る w 
>文句があるなら君が反証しなさい。
上品かどうかなんて問題ではないんだがWWW
いくらお遊びでも議論をする以上、どんなに「ガラの悪い所で」も、自分の意見を検証する
姿勢がまったくなければ「相手を言い負かすために」論争してることになってしまふ。
その程度のこともわからない人は困る。

>>726
>どうしてまず事実を知ろうとしないのかねえ。とことん横着なんだろうねえ。
そりゃ失礼。それでもやっぱり、あなたの態度は問題がある。
「事実」と「事実に対する判断(評価)」とをちゃんと区別してないやうに見える。
748713-715:04/01/22 16:36
>>727
>> 私の主観では客観的と思はれる
>それこそ独断、決めつけの最たるものだな。
これは、「客観的な見方をするやう努めたが、「客観性」なるものを判断するのも自分の
主観なのだから、」といふことわり書きだったんだが、その程度のことも読み取れずに
的はづれなことを。ゲラゲラゲラ)こいつぁケッサクだ。

事実をたしかめろ、と呼びかけるのはけっこうだが、その「事実」に自分の「解釈」を
(無意識のうちに)忍び込ませてゐないか、と自問する姿勢のないシトに、事実事実と
連呼されたら事実が泣くぞ(アタマイテー

もしかして、これ(>>727)だけはいままでとは別の、どっかのバカによるものかもしれない。
「相手を言い負かすために論争をしているのではない。」(>>698)と立派なことを書いた人が
こんな態度をとるのは変だから。
749713-715:04/01/22 16:44
>>607
「契沖全集」の第十巻、今日中には借りられると思ひます。
だいたいどの辺を「読めばわかる」のか、教へてもらへればありがたいんですが。
事実は同じでも、どちらかが(あるいは両方が)判断を誤るおそれはあるので。
>>741
> 獨りよがりの理論を吐いて、理解する氣も無い人には、説明もできやしない。
そりゃできまい。代わりに説明してやろう。

>>734: 「両立しないものを同時にやれるわけがない」に対して、>>735: 「『やれるわけがない』ものをやらうとしてゐることに氣づかぬのか」とつっこんだ。
このとき >>735 は、「漢字仮名交じり文という表記体系と、漢字を一切使わない表記体系とは、両立しない」という前提を認めている。
>>735 に対して >>736: 「漢字を一切使わないというのは架空の話で、だれもやろうとしてないんだが」と返すと、こんどは >>737: 「漢字假名交り文の假名の開き方によっては假名つづきの箇所など幾らでも出現するのだが?」と言っている。
このとき >>737 は、上の前提に反して「両立する」と主張していることになる。
>>735>>737 は矛盾撞着を含んでいるから、自分の立場を合理的に説明することは絶対にできない。
>>747
> 「オレの主張には有利だから問題ない」と言ってるだけ。
> 自分の意見を検証する姿勢がまったくなければ
議論に参加する人は、みんな自分の意見を検証済みと見なされるわけ (実際にはそうでなくても)。
そのうえで、あくまで事実に基づいて相手の意見を検証し合い、互いに、不利な点の多い主張は捨てて、有利な点の多い主張へと移るわけ。
最初に自分の意見の検証が甘ければ、たちまち相手から叩かれて修正されてしまうわけ。
君がやるべきことは、おれに対して、「お前の主張は、事実に照らして、これこれの点で間違つてゐる」と指摘することであって、姿勢がどうの態度がどうのとクドクドくだらない文句を言うことではないわけ。
君は議論のルールがなんにもわかっていない。

> 「相手を言い負かすために」論争してることになってしまふ。
君のはどだい論争になってない。

> 「事実」と「事実に対する判断(評価)」とをちゃんと区別してないやうに見える。
読みながら区別に苦しんでるのは君だろう w

>>748
> 客観的な見方をするやう努めたが
ウソつくなバカ野郎。事実を知ろうともしないで、どうやって客観的になれるんだよ。

> 「客観性」なるものを判断するのも自分の主観なのだから
> その「事実」に自分の「解釈」を(無意識のうちに)忍び込ませてゐないか、と自問する姿勢のないシトに
ハムレットかお前は。それを論敵に叩き直してもらうために議論するんだろうが。

コイツ頭大丈夫か。
752607:04/01/22 21:29
>>749
面白い人だねえ。「言はれた通りの處を讀んでも自分には分らなかった。
故に >>607 の言は誤りで、矢張自分が正しかった」とでも言ひたいのかね ?

それに、飜刻本だけ讀むのではなく、飜刻を頼りに元祿版本を手に取って
讀んで御覽。更に、その飜刻擔當者の著書である假名遣入門書、そこから
芋蔓でたぐれる學問的著作の數々をお讀み…と言った筈だがな。
753名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/23 00:38
>>746
歴史的假名遣いの復活には違和感が伴うが、舊字體の使用については、
常用漢字表の理念が認めらて以降、舊字體も異體字の一種として、
使うことは全然問題がなくなった。場合によっては、中國の簡體字を使ってもいい。

漢字を新舊に分けるから、問題があるように感じるだけであり、
好みの異體字を使っていると主張すれば、
現代文に舊字體を混ぜるのは、まったく問題がない。
そういう奴に限って自分に読めない書体で書かれると怒り出したりする
755名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/23 01:45
>>754
そうかな?俺は、舊字舊假名で運用しているBBSを讀んでいる間に
舊字については違和感がなくなったよ。例えば、「関数」を「函数」と
書くよね。それと同じように「関数」を「關數」と書いても、
それは表現の自由かなと思うようになった。

逆に、舊假名遣いのほうは、どうしても違和感が抜けない。
「思ふでせう」という綴りをみると、そこで讀むスピードが變わってしまう。
これは、舊假名遣いは既存の假名遣いルールを變更する必要があるのに
對して、舊字體は、既存の新字體のルールはそのままにして、
新たに別の字體を記憶するだけで済むことが原因だと思う。

(ただし、俺自身は、舊假名遣い否定派ではない。)
己礼天゛毛文句奈以加奈?
757名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/23 02:05
>>756 萬葉假名は、明らかに、假名遣いのルール變更に當たるだろう。
腦に無用の負擔を與える。字體の蓄積とはカテゴリが違うよ



(毎の下に水)とかもいいのかい?
759名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/23 02:50
>>758
いいんでないかい、みんなが合意の上で使うのなら。俺は、特に文句はいわない。
ただ、舊字體は中學生の使う辞書でも參照用に載っているから、
辞書で調べればわかるけど、自分の博識をひけらかすために
大漢和から異體字をひっぱてきても、ほとんどの人がそういう字を
讀み飛ばすことを覺悟する必要はあると思うね。

とにかく、有限個の表音文字のスペリング・ルールの變更と、
無限個の表意文字の数の蓄積の違いさえ理解してもらえればいいよ。

一方は一度覺えたものを、覺えなおす必要があるが、
一方は一度覺えたものはそのままで、さらに追加して覺えるだけだ。

記憶追加と違い、記憶修正というのは腦にとってかなりの負擔がかかるからね。
書写体なのに
>舊字體は中學生の使う辞書でも參照用に載っているから、
>辞書で調べればわかるけど、自分の博識をひけらかすために
>大漢和から異體字をひっぱてきても、ほとんどの人がそういう字を
>讀み飛ばすことを覺悟する必要はある
この言われ様。康煕字典体崇拝馬鹿の底が知れる。
これからも字体の選択は「表現の自由」では済まない事が分かるな。
まさにこれだ。
>そういう奴に限って自分に読めない書体で書かれると怒り出したりする
763749:04/01/23 13:39
>>752
>面白い人だねえ。「言はれた通りの處を讀んでも自分には分らなかった。
>故に >>607 の言は誤りで、矢張自分が正しかった」とでも言ひたいのかね ?
誤読なのか邪推なのか、ともかくものすごいな。
あなたこそ「面白い人だねえ」。やれやれ。

>>751
やれやれやれ、まったく。
>>750
>>>>734: 「両立しないものを同時にやれるわけがない」に対して、>>735: 「『や
>れるわけがない』ものをやらうとしてゐることに氣づかぬのか」とつっこんだ。
>このとき >>735 は、「漢字仮名交じり文という表記体系と、漢字を一切使わない
>表記体系とは、両立しない」という前提を認めている。

認めてゐない。
「やれるわけがない」とわざわざ括弧内に入れてゐるのだから。
單に、>>734の立場を取るとさうなると述べただけだらう。歸謬法(背理法)だな。
いくら詭辯を弄しても、無理は通らない。

>>760
なんか不必要に嘲笑的な書き方なんぢゃないの?
「関数」を「函数」と書くのはいい、といふ態度なんだから、「字体」は関係ないだらう。
(これまでの文を読むかぎりでは)>>759が「康煕字典体崇拝馬鹿」かどうかはわからない。
>>763
> 誤読なのか邪推なのか
君のこれまでの「態度」 「姿勢」から、十分懸念されることだと思うがな w

>>764
> 認めてゐない。
漢字仮名交じり文という表記体系と、漢字を一切使わない (使ってはいけない) 表記体系とは、両立するんだそうだ。
この人、絶望的に頭悪いわ。
漢字假名交りを假名に開けば漢字を一切使はない表記になるのでは?

それに、前提に出された「〜しちまへ」式の江戸期の戲作からして
「漢字を一切使はない」なんてことはないんだしな。
初めから議論がをかしい。
>>767
> 漢字假名交りを假名に開けば漢字を一切使はない表記になるのでは?
ならない。それは、漢字仮名交じり文という表記体系の中で、たまたま漢字が現れず、仮名ばかりだということ。
漢字を一切使わない表記体系においては、必然的にはじめから仮名ばかりである。異なる表記体系を同時に行うことはできない。
結局同じことだ、詭弁だと言うなら、君たちは自分に理解できないことを詭弁と呼んで、貶めているにすぎない。

> それに、前提に出された「〜しちまへ」式の江戸期の戲作からして
> 「漢字を一切使はない」なんてことはないんだしな。
> 初めから議論がをかしい。
話をわかりやすくするために、議論を極端化した。江戸期の版本でも確かに漢字は使われているが、無学な読者に配慮して、その数は非常に少ない。だから、江戸版本の表記体系を「漢字仮名交じり文」と呼ぶことはできない。
あれは、「仮名で書くことを原則とし、例外的に漢字も用いる表記体系」としかいいようがない。現代語の通常の表記体系とは明らかに異なっている。
>江戸版本の表記体系を「漢字仮名交じり文」と呼ぶことはできない。
は、ちょっと過激な意見だとは思うが、確かに「玉へ」や「事」「被」とかに漢字が
限定されて来ると、「より」や「トモ」などの「仮名合字」との差がどこにあるのか
線引きが難しくなる気がするな。一字が複数訓を持ったりしない状況で、且つ「より」
が助詞専用だったりすると、特に。
>>768によると、假名文と漢字假名交り文とは不連續で、斷絶した、相容れぬものださうな。
すなはち、漢字をまだ覺えず假名しか書けない幼兒は、
既に漢字を學習した兒童とは、異なる表記體系を持つし、また持たせなければならぬらしい。
あはは。
>>770
> 假名文と漢字假名交り文とは不連續で、斷絶した、相容れぬものださうな。
やっとわかったか。あたまのめぐりのわるいやつめ w

> すなはち、漢字をまだ覺えず假名しか書けない幼兒は、
> 既に漢字を學習した兒童とは、異なる表記體系を持つし
現に持っているではないか。小学校低学年用の教科書や、絵本の文には、分かち書きが施されている。

> また持たせなければならぬらしい。
厳密にはそういうことになる。しかし、せっかく分かち書きを教えても、そこそこ漢字を憶えて大人と同じ表記体系に切り替える時に、こんどはやめさせなければならない。それは二度手間だから省略しているのだ。
>>771 皮肉が通じない人と話すのは疲れます。
>>772
>>770 は皮肉になってない。頭の固さと無知を晒しただけ。
>>771
分かち書きに話をそらさないで。仮名遣が問題だったよね。
で、771の方針ではカナ書きの時はワ行を「はひふへほ」で書くんでしょ?
なにせ
> 漢字入りだと「絲瓜の蔕をもいでしまえ」と書くのだが
> 假名書きだと「へちまのへたをもいでしまへ」と書くべき
だってことなのだから(>>695)。
では、仮名だけ学習中の児童にも「厳密にはそういうことになる」よね。
これも「二度手間だから省略している」のかな?(笑)
>771の方針ではカナ書きの時はワ行を「はひふへほ」で書くんでしょ?
俺は771ではないが、それは黄表紙などの話ではなかったのか ?
規範としての「仮名遣」と、仮名使用実態の意味の「仮名遣」が混乱している様だ。
>>775 いや、「べき」だってことを695は認めてるんだから、規範のつもりでしょ。
>>774
> 分かち書きに話をそらさないで。仮名遣が問題だったよね。
話をそらしたり、すり替えたりが得意なのは、君らではないのか w

> 771の方針ではカナ書きの時はワ行を「はひふへほ」で書くんでしょ?
江戸版本の表記体系を規範として再現するなら、変体仮名の問題などがあって、話はそんなに単純ではない。しかし、まあ大雑把にそういうことにしておこう。
ところで、それは語頭以外 (正確には文節の頭以外) の場合だけだってことは、わかってるんだろうな?

> 仮名だけ学習中の児童にも「厳密にはそういうことになる」よね。
あの架空の方針をもし実際に採用すれば、なるよ。
現実には、子供がある程度漢字を憶えるまでのあいだ、例えばああいう方針を (読ませるときだけでも) 採らなくて済むように、分かち書きをするんじゃないか。

> これも「二度手間だから省略している」のかな?(笑)
架空と現実とを混同しているから無意味。相手の言葉尻をとらえて言い負かすことばかり考えていると、こういうバカが出来上がる。
778名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/24 23:22
>>760-761
同じ漢字といってもいろいろな集合があるのは事實だよ。

(1)教育用漢字
(2)常用漢字
(3)人名漢字
(4)人名漢字用許容舊字體
(5)表内漢字(常用漢字+人名漢字)の舊字體
(6)表外漢字(JISで表現できるもの)
(7)表外漢字(Uniocdeで表現できるもの)
(8)表が漢字(諸橋や康煕をみないと分からないもの)

というのがあって、上から使用頻度が高いのだが、
常用漢字と人名漢字の舊字體は決して敷居の高いものではない。
いきなり、Unicode にも收録されていない漢字を例にあげる人達は、
實は博識ぶっているだけで、あまり漢字や漢字政策に詳しくないと思える。
(4),(5)の舊字體や(8)の康煕字典體だけを極端に批判する人は、
結局 (6)のJIS漢字に縛られている人だろうね。舊字體を批判するくせに、
ろくすっぽ自分の漢字が(2)の常用漢字かどうかもチェックできないでいる。
自分のIMEに盲從しているだけだろう。

もし、自分のIMEが舊字體に變換しても、それが舊字體だと氣がつかずに使い、
舊字體批判論を展開し續けることだろうね。
>>668
これなかなかよい。

>>778
そういうくだらない事を言うのは668の本を読んでからにしろ。
>>777
形勢不利になると「架空の方針」と逃げる、か。

かな書きから漢字假名交りへの間に
無闇な斷絶をもたらす「現代かなづかい」の表記法と、
なるべく連續して包括できる歴史的假名遣と、
どちらが優れてゐるかは自明だらう。
>>780
> 形勢不利になると「架空の方針」と逃げる、か。
歴史的仮名遣いと関係のない江戸版本の表記を持ち出して、混ぜ返しているのは君らではないか。

> なるべく連續して包括できる歴史的假名遣
真っ赤なウソ。実際には、大部分の人が憶えきれず、教師も教えきれないので、「出来るだけ漢字を習得し、その庇の下に逃避するやうに心がければ、まづは無難」 (『私の国語教室』文春文庫155頁) だったんだろ。
>>781
自分が江戸版本の表記(おめへ、〜しちまへ)を「表音式」と強辯したのを棚に上げて、よくいふ。
>>752
607さんよ。
いくら原資料を讀まうとも、讀み方が異なつてゐれば、同じ考へには達しない。
勿體ぶらずに、君の讀み方を要點を擧げて示してやりたまへ。
でないと、端から見ても、單に學を衒つてゐることにしかならぬと思ふ。
>>782
> 江戸版本の表記(おめへ、〜しちまへ)を「表音式」と強辯した
まだ言ってるのか。語識別には役立ってないから、どう頑張っても表音式なんだよ。「たへる (絶/耐)」 「すへる (饐/据/可吸)」。
係助詞の /wa/ は常に「ハ」と書かれた。これも表音式。なぜなら、「ハ」は /wa/ としか読まれないから。/ha/ と読ませたいときは「は」 「者」を使った。
785607:04/01/25 09:30
>>783
>いくら原資料を讀まうとも、讀み方が異なつてゐれば、同じ考へには達しない。
当りまへだ。それが、だうした。
大事なのは、資料を讀み事實を知って、自分で考へる事だ。その上で、議論を盡し
た後に各々異なる思想に到達するのは、學問として至極まったうな事ではないか。

安手のパンフレットだけ讀んで信仰告白を繰返へす樣な事をしてると、「同じ考へ
に達」する事が一番大事に思へて來るのか ?

>でないと、端から見ても、單に學を衒つてゐることにしかならぬと思ふ。
歴史的假名遣ひを論ずるのに和字正濫抄を持出すののどこが衒學なんだ ?
786名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/25 18:03
>>778 そんなマイナーな本を反例に出されても・・・・・。
自分の言葉で反論できないのならやめといたほうがいいよ。
當用漢字や常用漢字が戰後にいきなり、一部の極端な學者や官僚の獨斷で
決められたと勘違いしている人が多いけど、あれも、戰前から、
漢字推進派、漢字廢止派、略字派、それこそ君達の嫌う康煕字典派が
喧喧囂囂の議論をして積み上げたものが下地にあるのだよ。

その結果、常用漢字表や舊漢字許容字體などが存在しているわけで、
その分類を、漢字の重要度を測るうえで尊重するのは自然だろう。
いきなり舊字體と康煕字典體を同一視するのは勘違いも甚だしい。

ところで、いつから私が康煕字典體派になったんだろう。
私は常用漢字の新舊字體對照表にある字體は、漢字の重要性の上では、
常用漢字の次に重要度が高いといっているだけなんだが。
>舊字體と康煕字典體を同一視するのは勘違いも甚だしい。
舊字體と康煕字典體の關係も知らずに
こんな事を言うのは笑止千萬ですな。
>>784
ほほう、「へ」と發音しないものを「へ」と表記するのが表音式ですか。
語識別に役立つ/役立たないは、表音/非表音とは別の基準のはずですが、さうではないんですか。
いやあ、常識を絶した人の考へることはさつぱりわかりまへんなあ。
>>785
何を怒ってゐるのか。
いま問題なのは、『和字正濫抄』なら『和字正濫抄』から君が受け取った考へを、
他の人も妥當な讀解として受け取れるかどうかの確認であらう。
そのためには、まづ君の讀み方を示さなければならない。何故それを避けたがるのか?
讀めばわかる、といふものではあるまい。事實、君の批判する福田のやうな讀み方もあるのだから。
>>784
それをどうしても表音式だと主張するならば、
なぜ「え」と發音したものを「え」と書かなかったのか、その説明が無いと不十分でせう。
さもなくば、語中語尾のエは語頭とは異なる音韻だったと證明するか。
>>788
> 「へ」と發音しないものを
江戸時代の人はどう発音したのかな w [he] に決まってるだろ、と言うなら、それは君が「へ」 1 文字を取り上げたことによって、文節頭と認識されたからだ。
「へ」は /he/ と /e/ に対応したんだよ。

> 語識別に役立つ/役立たないは、表音/非表音とは別の基準のはずですが
え゛えっ?! 「表記法は音にではなく、語に随ふべし」と唱えて、語識別を目的としない表記法を「表音主義」と攻撃したのは、旧仮名派ではなかったのか?!

>>790
> なぜ「え」と發音したものを「え」と書かなかったのか
ほとんど仮名ばかりの表記で、[e] と発音する所を全部「え」と書くと、文節の頭がわかりにくくなって、読みにくいの。同じ意味のことは何度か言ったんだが。
じゃあ、どうして「ゑ」を使わないで「へ」を使ったかというと、それはやはり、定家仮名遣いの影響だろうね。
>>791 
/he/ と /e/ と異なる2音韻なのに1字で表しておいて、表音式もないもんだ。
「語識別を目的としない」からといって必ずしも表音式とは限らないが、
表音主義ならば「語識別を目的としない」ものになる、故に批判された。
論理学で必要と十分の差は習ったよな?

発音通りに「[e] と発音する所を全部「え」と書く」のでなければ
それは表音式の名に値しない。これもすぐわかることだよね?
すると、現代仮名遣は「オ」を「お」とも「う」とも「を」とも書くし、
「は」で「ハ」も「ワ」も示すから、表音式ではないのだな ?
>>792
> /he/ と /e/ と異なる2音韻なのに1字で表しておいて、表音式もないもんだ。
1 文字−多音韻対応は表音式ではないってか。すると、世界に表音式の文字はほとんど存在しないんじゃないかな w

> 「語識別を目的としない」からといって必ずしも表音式とは限らない
論理学的には確かにそうだ。しかし、語識別を目的とせず、かつ、表音式でもないという「文字」の集合は、φ だ。
考えてもみろよ。語も音も表さないものは、文字として機能しない。
頭でっかちの揚げ足取りが、なまじ論理の刀を振り回すと、おのれの脚を斬るだけだぜ w

> 発音通りに「[e] と発音する所を全部「え」と書く」のでなければ
> それは表音式の名に値しない。これもすぐわかることだよね?
文節頭を示すのも表語性の一種だろうから、その部分は表音式でないということだが、それが何か?
795名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/25 23:36
2ちゃんねるは若年層が多い
>>793
「現代かなづかい」を福田恆存が批判したのは
表音式を標榜しながら實は歴史的假名遣の原理を密輸入してゐるからだ。

>>794
表音文字であっても最終的には表語のためにあるのは夙に河野六郎の説いた所。
しかし表音/表意といふよくある分類は最終目的ではなく表層で分けてゐるのは知れたこと。
それを急に最終目的を持ち出すのは不誠實な論法である。
>>796
> 表音式を標榜しながら實は歴史的假名遣の原理を密輸入してゐる
文言について争うのはひとまずよそう。かりにそうだとして、それのどこがいけないのか?

> 表音文字であっても最終的には表語のためにある
これはウソ。活字で印刷された、黙読のための文字についてしか、そんなことはいえない。

> それを急に最終目的を持ち出すのは不誠實な論法である。
いちばん不誠実なのは福田恒存だな。
>これはウソ。活字で印刷された、黙読のための文字についてしか、そんなことはいえない。

では河野六郎『文字論』(三省堂)をくつがへすわけですな。
やれるのならやってみて下さい、ちゃんとやれば一廉の學者になれるぞ。
>>797
>いちばん不誠実なのは福田恒存だな。

その邊、福田は目的と手段を取り違へるなといふ言ひ方で注意してゐるんだけどねえ。
やはり『私の國語教室』すらまるで讀めてゐなかつたやうだね。
>>798
> 河野六郎『文字論』(三省堂)をくつがへすわけですな。
あの本で取り上げられている、文字の種類を見てみなよ。だれも信じちゃあいないって。

>>799
> その邊、福田は目的と手段を取り違へるなといふ言ひ方で注意してゐるんだけどねえ。
現代仮名遣いは、決して目的と手段を取り違えていない。だからこそ、「表音式を標榜しながら實は歴史的假名遣の原理を密輸入してゐる」なんて言われることになるんじゃないの。

> やはり『私の國語教室』すらまるで讀めてゐなかつたやうだね。
福田の言ってることは、「現代仮名遣いは表音主義と言ったじゃないか、主義を貫け、約束を守れ」の一点張り。やっても意味のないことをやれと言いつのるのは不誠実そのもの。または単なるバカ?
「表音主義」は手段であって、目的じゃないんだよ。
>>797
「活字で印刷された」は筆がすべった。削除。
>だれも信じちゃあいないって。
ところが小松英雄の日本語書記論は河野六郎−龜井孝の線に沿ったものです。
すると小松の仮名文論も排するわけですな。その意 壮とすべきも、貴君にその力量ありや。
>>800はモンモウならぬブンモウ(文盲=文章の讀めない人)でしたか。
福田恆存『私の國語教室』第二章「二 音便表記の理由」(中公文庫版68頁)
「文字は、あるいは表記といふ行爲は、表意、表語を目的とします。語の自律性
を志向し、語に仕へようとします。歴史的かなづかひは、そのための手段として
一貫性や明確性を欲するのです。[…]そればかりではない。語に仕へる手段の
一つとして、一貫性、明確性のほかに表音性といふことさへ認めてをります。」

この前後も讀んでごらん。
>>791は「語に隨ふ」=「語識別を目的とする」ときめつけてゐるが、そこからして事實誤認だ。

>>794
>> 「語識別を目的としない」からといって必ずしも表音式とは限らない
>論理学的には確かにそうだ。しかし、語識別を目的とせず、かつ、表音式でもない
>という「文字」の集合は、φ だ。

福田恆存『私の國語教室』第二章「二 音便表記の理由」(中公文庫版66頁)
「表音主義者の攻撃目標になつてゐる定家と契沖の二つのかなづかひ觀、すなはち古典の
かなづかひを遵守するといふ前者の態度と、語の識別のための標識といふ後者の考へ方と、
その二つの原則は、歴史的かなづかひにとつて第二義的なものであり、「語に隨ふ」といふ
大原則を主とすれば、それはその從に過ぎない。」
>>802
> すると小松の仮名文論も排するわけですな。
小松の爺ちゃんでさえ、「奈良時代の真仮名は、一字一字を切り離して、
それで意味のとおる文章を書かなければならなかったから、清濁までも書き分けなければ、とう
てい実用にならなかった。それでさえ、散文を書くのは無理で、韻律の切れ目に頼った和歌や歌
訓、あるいは、特定の漢字に対する訓注ぐらいにしか使えなかったのである」 (『いろはうた』中公新書26頁) と述べている。
すべての表音文字が最終的には表語のためにある、とは考えていないと思う。
>>803
同じ箇所ばかり何度も引用するなよ。

> 文字は、あるいは表記といふ行爲は、表意、表語を目的とします。語の自律性
> を志向し、語に仕へようとします。
橋本進吉の受け売りだけど、現代の文字についてはこういうことでいいと思う。了解した。

> 歴史的かなづかひは、そのための手段として
> 一貫性や明確性を欲するのです。
そのための手段として、歴史的仮名遣いの一貫性や明確性よりよいものを提示しようとすることは、禁じられているのか?

> そればかりではない。語に仕へる手段の
> 一つとして、一貫性、明確性のほかに表音性といふことさへ認めてをります。
そりゃそうだろう、もともと表音文字なんだから。しかし、歴史的仮名遣いには、現代語の音韻から予測できない表記法がかなり多い。あれらの決まりはすべて、語に仕えるために必要なものなのか? 漢字の庇の下に逃避すれば憶えなくて済む決まりが、必要なものなのか?

> この前後も讀んでごらん。
だから全部読んだって。江湖山の批判自体が的外れだったんだよ。
>>804
> >>791は「語に隨ふ」=「語識別を目的とする」ときめつけてゐるが、そこからして事實誤認だ。
引用するならここをしろ:

 以上のことから、私たちはどういふ結論を得るかといふと、それは、たとへ表音文字
を用ゐても、私たちの内部には、語としての表意性への志向ともいふべきものが、ほと
んど本能的に働いてゐるといふことです。単なる声音では同じ表記法を許されず、表音
性を脱したとき初めて語としての自律性を認められ、正規の表記法を与へられるといふ
わけです。この表音性からの脱却と語としての自律性といふこと、それこそ私たちの語
意識の中核をなすものでありますが、それがすなはち歴史的かなづかひの大原則たる
「語に随ふ」といふことにほかなりません。(『私の国語教室』文春文庫71頁)

福田恒存が、言語に関してはただのオカルティスト、トンデモさんだってことがよくわかるだろ。
これ読んで心酔するようなら、その人は、福田について行ったために、もうとんでもない目に会っているといえる。
>>807
>よくわかるだろ

いや全然。相変らず独りよがりで、自分だけがわかったつもりなのだな。
この程度のことは河野六郎説にも見え、「心酔」もしないが普通の意見で、別にトンデモではない。
ムキになってオカルトにしたがる存念が解せぬ。
>>805は河野六郎の文字論を「だれも信じちゃあいない」ってのを撤回するか?
少なくとも信じる学者は存在するわけだ。

表語のためでなく表音だけのための文字など、それは発音記号であって文字ではない。
>>807の引用文への評価は別問題になるからさておくとして、
「語に隨ふ」=「語識別を目的とする」ではないことを、認めるのか認めないのか。
話を横に移す前に、誤りなら誤りだと確認しような。
>>803
>福田恆存『私の國語教室』第二章「二 音便表記の理由」(中公文庫版68頁)
>>632に引用があります。

>>786
>ところで、いつから私が康煕字典體派になったんだろう。
よくわからんけど、あなたの「舊字體」といふ言葉がやや紛らはしかったのでは。
まあ、誤解するほうが悪いにしても、ただ「舊字」と書けば誤解はなかったと思ひます。
812名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/26 23:57
康煕字典体でない旧字体とは例えばどの字?
>>808
> いや全然。
バカは死ななきゃ治らないってか w

> この程度のことは河野六郎説にも見え
河野がこんなわけわかんねえこと言うかよ。いったいどこを読んでるんだか。

>>809
> >>805は河野六郎の文字論を「だれも信じちゃあいない」ってのを撤回するか?
> 少なくとも信じる学者は存在するわけだ。
意味不明。例えばだれ?
この世に一人もいないかどうかはおれにはわからない。だけど、「すべての表音文字が最終的には表語のためにある」というのを、額面どおりに信じることはとてもできない。
世界にはいろんな文字があったし、今もある。例えば初期のラテン文字や奈良時代の真仮名は、声に出して読んでみなければ意味をなさなかっただろう。

> 表語のためでなく表音だけのための文字など、それは発音記号であって文字ではない。
それは音声と音韻とを区別しない誤り。表音文字は音韻を表す。
『私の国語教室』「第五章 国語音韻の特質」は、全編を通じて根底から間違っている。近代言語学への不毛な挑戦だ。君が引き合いに出す、橋本も河野も亀井も小松も敵に回していることになる。

>>810
> >>807の引用文への評価は別問題になるからさておくとして
福田はここで「語に随ふ」を定義している。さておくな。

> 「語に隨ふ」=「語識別を目的とする」ではないことを、認めるのか認めないのか。
認めるも認めないも、福田の「語に随ふ」の定義は神秘的で、少なくとも第二文からあとは全く理解できない。

> 話を横に移す前に、誤りなら誤りだと確認しような。
横に移していない。偉そうな口をたたく前に >>806 の質問に答えろ。
>>810
>>797 の質問にも答えてないな。肝腎の所は無視して「撤回しろ」 「誤りを認めろ」と揚げ足取り命か w
> 康煕字典体でない旧字体とは例えばどの字?
「康煕字典体」って、康煕字典に載ってる字体という意味でいいの?
それなら、国字全部(「辻」の2点しんにょうとか)を始め、いろいろある。

一方、「康煕字典体」とは必ずしも康煕字典そのままの字体ではなく、
康煕字典の規範を基に醸成された「字典体」という一般的な字体観念
を指すのであって…、とかいう神秘的な定義が出てくると、厄介だね。
816名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/27 09:28
むしろ草かんむりなど旧字体から繋がっている物もあるから
このスレでいう旧字体やら正字体やらは康煕字典体と見ていい。
>>786などは何か勘違いしている。
意味がよく分らん。
第1行と第2行は矛盾してないか ?
旧字体は3画草かんむりが沢山あり、一方、康煕字典は原則4画草かんむりだが。
>>814
うんうん。虚勢は張らなくていいから、
誤りは誤りと認めて一つ一つ片づけてから話を進めようや、な?
いまだ誤りだと思ってないならそれはそれでちゃんと反論しなくてはダメよ。

>>797の質問も既出・既答だ。
>>814
話が長引いてわかりにくくなったことだし、改めてチミの主張をもう一度
出したらどうだい。
新かな・旧かなの優劣とか、表音・表語とか、「プラグマティズム」とか論点を
まとめてさ。

それがお互のためだと思ふがどうかな?
>>813
>> この程度のことは河野六郎説にも見え
>河野がこんなわけわかんねえこと言うかよ。いったいどこを読んでるんだか。

ここでまた問題が河野六郎が言ったか否かといふ横道にそれる豫感。
ではなくて、>>807所引の福田恆存文のどこを指して「オカルティスト、トンデモさん」
と呼ぶのか、その箇所と理由の説明希望。
「わかるだろ」は説明抛棄した甘えです。ましてや論敵にはわかって貰へなくて當然でせう。
なんかもうほんとここまで来たら宗教ですね。
教典に書いてあることが絶対の真実であるかの
ようにしか考えてないね。
>>821
>教典に書いてあることが絶対の真実であるかのようにしか考えてないね。
いやいや、そんな話ではないよ。
ある本(教典?)を「オカルティスト、トンデモさん」呼ばはりする以上、さう
判断できる客観的な理由を示さなければ、「お前こそ、(別の宗派の)トンデモさんなんぢゃないの?」
と疑はれても文句は言へない、といふこと。
>>817
そのどちらが正字か?
>>818
> いまだ誤りだと思ってないならそれはそれでちゃんと反論しなくてはダメよ。
語を表すということは、すなわち、ある語と他の語とが識別できるようにするということだ。これは動かない。
「語に随ふ」=「語識別を目的とする」が誤りだというなら、「語に随ふ」=「語を表す」も誤りだということになる。それを主張しているのは君なんだから、挙証責任は君にある。
議論のルールも知らないようだな。

> >>797の質問も既出・既答だ。
答はどこにもないぞ。あるというならそのレスへリンク。常識。

>>819
> それがお互のためだと思ふがどうかな?
そんな必要は全くなし。>>797>>806 の質問に君がどう答えるかで、すべては決着する。
>>820
> >>807所引の福田恆存文のどこを指して「オカルティスト、トンデモさん」
> と呼ぶのか、その箇所と理由の説明希望。
まず卒然と読んでチンプンカンプン。思いっきり好意的に読んでも、
・音声と音韻とを区別していない。「表音」を「音声を表すこと」と誤解している。
・すべての語が擬声語に由来するかのような、検証不能な仮説の上に立論している (前後も読むこと)。

>>822
> 「お前こそ、(別の宗派の)トンデモさんなんぢゃないの?」
> と疑はれても文句は言へない
ははは。おれはどうせ言語学という宗派のトンデモさんだから、文句はないよ。
826822:04/01/27 23:36
>>825
>> 「お前こそ、(別の宗派の)トンデモさんなんぢゃないの?」
>> と疑はれても文句は言へない
>ははは。おれはどうせ言語学という宗派のトンデモさんだから、文句はないよ。
おいおい、皮肉のつもりだとしても、そりゃダメだろ。
議論から逃げるのでないなら、「おれは言語学といふ宗派だけど、トンデモさんではないよ」
といふ証明をしなくちゃ。
827819:04/01/28 00:07
>>824
いや、おれが>>818を書いたわけぢゃないって。

で、どうなの? 論点を整理した方が、お互のためになるとは思はんかね。
>>824
>語を表すということは、すなわち、ある語と他の語とが識別できるようにするということだ。

ハイ減點。
それだけだと江湖山恒明式の批判が出てきてしまふ。
「「いる」(入)と「ゐる」(居)、「おもい」(重)と「おもひ」(思)これらの語にある
同音〔i〕を三樣に書きわけるのに、「柿」「垣」「牡蠣」の三語を一樣に「かき」と
書いてすませるのは矛盾ではないか」――といふ奴だ。
『私の國語教室』で檢討濟みのアレね。君も、江湖山の批判は誤りとしてゐただらう?
>>825
>・すべての語が擬声語に由来するかのような、検証不能な仮説の上に立論している

完全に誤り。福田はそんな言語起源説は全く述べてゐない。
「文章において、表意よりも表音に力點が置かれるのは、單に「さらさら」とか「ボチャン」とかの擬聲語のみです」
として、例を擧げてゐるだけだ。
また「すべての語」ではなく「啜る」「轟く」など幾つかの語が擬聲語出身であることを附け加へてゐる。
しかしこれら擬聲語のくだりは補足に過ぎず、如何なる文字も表意が主であり目的であることを
説いたあと、脇道に入った部分である。それを以て言語起源説のごとく見做すことはできない。

やれやれ曲解をしてまで無理な批判をするとはね、これでは論ずるに足りぬ。殘念だ。
>>825
>・音声と音韻とを区別していない。「表音」を「音声を表すこと」と誤解している。

むしろさう誤解してゐたのは表音主義者だった。
その混同を突いたのが『私の國語教室』第一章「二 表音主義と音韻」である。
一節を割いた部分を見逃すなんて、到底信じられぬ。
ねえ、正直に言ひなよ。やはり讀んでゐないんでないの? 讀んでから批判しなよね。
>>828
> 君も、江湖山の批判は誤りとしてゐただらう?
誤りだよ。「かき」が語を表しているとおれがいつ言ったよ。
「かき」は、歴史的仮名遣いでも現代仮名遣いでも、ほかに書きようがない。同音異義語を書き分けるすべがない。だからこれは音を表しているのであって、語を表しているのではない。

>>829
> 福田はそんな言語起源説は全く述べてゐない。
おれは「かのような」って言っただろ。

> これら擬聲語のくだりは補足に過ぎず、如何なる文字も表意が主であり目的である
勝手に飛躍するな。擬声語以外の実例が何もないんだから、それですべてかと受け取られるのは当然だろ。

>>830
> むしろさう誤解してゐたのは表音主義者だった。
> その混同を突いたのが『私の國語教室』第一章「二 表音主義と音韻」である。
おれは「表音主義者」じゃないから関係ない。福田の「表音」は「音声を表す」としか解釈できないから、誤りであることは免れない。

で、>>797>>806 の質問への答えはどうしたんだ?
>>831
自分で「勝手に飛躍」した曲解をしておいて、「かのような」だと逃げるとはね。
「かのような」とつけてさへおけば、如何なる誹謗や曲解も許されるわけだ。ハハン。

>福田の「表音」は「音声を表す」としか解釈できないから
『私の國語教室』第一章「二 表音主義と音韻」で音聲と音韻の差について言及してゐる。
それを踏まへての第二章なのに、さう「としか解釈できない」のは、畢竟讀解力が無いのだらう。

「現代かなづかい」が歴史的假名遣の原理を密輸入してゐること、>>505- 以下既出。
「それのどこがいけないのか」がは質問でなく開き直りでせう。
――「はつきり申しませう。今までに擧げてきた「現代かなづかい」の矛盾は、ほとんど
すべて「表記法は音にではなく、語に隨ふべし」といふ全く異種の原則を導入したために
起つたことで」――福田恆存『私の國語教室』第一章「二 表音主義と音韻」
これを批判したいなら、「現代かなづかい」が表音主義者による制定ではなかったことを證明するがよい。

>>806の「歴史的仮名遣いの一貫性や明確性よりよいもの」とは何なのか? 
「現代かなづかい」がそれだとでも? また「おぼえやすさ」を持ち出すのかい?
それがナゼよりよいもので、何より第一等に尊ばれねばならぬのかを説いてくれ。
漢字はおぼえにくいけれども使ふんだよな。それはなぜだ?
>>831
>だからこれは音を表しているのであって、語を表しているのではない。

魚屋の店先の札に「かき」とあった。これは「語を表しているのではない」んだと。
八百屋の店先に「かき」とあった。これも「語を表しているのではない」んだとさ。
何かね、まさか或る種の貝類や或る種の果物の發する「音を表して」でもゐるのかね。
もしそれが表すのが物の名として呼ぶ音なのであれば、それは語ではないのかね。
834827:04/01/28 02:18
>>831
(>>833の指摘からもわかるが)チミは福田などの「表語」について誤解してる。

↓答へろってのはこれかな?
>>806
>しかし、歴史的仮名遣いに>は、現代語の音韻から予測できない表記法がかなり多い。
>あれらの決まりはすべて、語に仕えるために必要なものなのか? 漢字の庇の下に
>逃避すれば憶えなくて済む決まりが、必要なものなのか?
ほんとに「現代語の音韻から予測できない」かねえ。ほんとに「かなり多い」かねえ。
その辺は客観的な評価ができるのかな?
「憶えなくて済む決まり」ならば、慌てて廃止する必要がないとも言へるだらう。
それなら、はっきり不必要だとわかるまで保存する方が、無難な態度なんぢゃないか? 

ところで、くどいやうだが改めて主張をもう一度出したらどうだい。
論点を整理した方が、お互のためになると思ふぞ。
>>832
> 『私の國語教室』第一章「二 表音主義と音韻」で音聲と音韻の差について言及してゐる。

 音韻とは、一体なにを意味するのか。〔略〕それはまた専門家の間でもはつきりせず、
 二様三様の意味で用ゐられてゐるやうです。しかし、ここではその一つの意味をとつて
 (文春文庫40頁)

音声と音韻との関係については、安定した共通認識が成り立っており、それを疑う言語学者はいない。重力の存在を疑う物理学者がいないのと同じだ。

 次のやうに理解しておけばいいと思ひます。すなはち、音韻とは、私たちが実際に発音
 してゐる、あるいは発音しうる生理的・物理的な音声ではなく、たださう発音してゐる
 のだと思ひこんでゐる、もしくはさう発音しようと思つてゐる、いはば言語主体の心理
 のうちにある音の単位を意味する。(文春文庫40頁続き)

これでは学部レベルの試験でも点はやれない。

> それを踏まへての第二章なのに
福田は「表音」をすべて「音声を表すこと」の意味で使っている。すべて誤りだ。
>>832
> 「それのどこがいけないのか」がは質問でなく開き直りでせう。
開き直られると、君らには哲学がないから、なすすべがあるまい。

> ――「はつきり申しませう。今までに擧げてきた「現代かなづかい」の矛盾は、ほとんど
> すべて「表記法は音にではなく、語に隨ふべし」といふ全く異種の原則を導入したために
> 起つたことで」――福田恆存『私の國語教室』第一章「二 表音主義と音韻」
そのとおりだよ。それらの矛盾は、(すべてとは思わないが) 必要なの。矛盾をなくそうとすれば、実用に堪えない表記法になってしまうの。
何回言ったらわかるのかねえ。

> 「現代かなづかい」が表音主義者による制定ではなかったことを證明するがよい。
制定の経緯がそんなに問題か?

> また「おぼえやすさ」を持ち出すのかい?
> それがナゼよりよいもので、何より第一等に尊ばれねばならぬのかを説いてくれ。
第一等に尊ばれなくてよい理由が見当たらない。

> 漢字はおぼえにくいけれども使ふんだよな。それはなぜだ?
漢字使用を廃止することによって生ずる視認性の低下というデメリットの方が、そのことによって憶え易くなるというメリットよりも大きいと考えられるから。
>>835
音韻の定義については、mechanismとmentalismの間で論爭もあり、
當時いまだ明確な定義は成ってゐなかった。

こんなの言語學史の初歩です。服部四郎『音韻論と正書法』くらゐは讀みなさい。

福田はmentalism寄りの解釋を採用したわけです。
「當時いまだ明確な定義は成ってゐなかった。」の
「いまだ」の用法は今はじめて見た。
>>836
前半、説明になってないし、もはや説明するつもりもないと見た。却下。
論敵に「わかるだろ」「わかってよ」と甘えてもダメ。

>漢字使用を廃止することによって生ずる視認性の低下というデメリットの
>方が、そのことによって憶え易くなるというメリットよりも大きいと考えられるから。

カナモジ論者なら視認性の低下には分かち書きを以て解決できると反論しよう。
これをしりぞけない限り、理由として認可できない。
>>833
> 魚屋の店先の札に「かき」とあった。これは「語を表しているのではない」んだと。
> 八百屋の店先に「かき」とあった。これも「語を表しているのではない」んだとさ。
店先の札に書いてあることによって、語を表している。塀に「かき」と落書きしてあっても、それは語を表しているとはいえない。

> もしそれが表すのが物の名として呼ぶ音なのであれば、それは語ではないのかね。
呼んでみて初めて「ああ、語だ」とわかる。文字自体が語を表しているわけではない。
>>840
「文字自体が語を表している」なんてlogographみたいなこと誰も言ってない。
表音文字は、音を表すことによって(手段)語を表す(目的)ものだろ。

>塀に「かき」と落書きしてあっても、それは語を表しているとはいえない。

それが「垣」を意味しても「語を表しているとはいえない」のかい。馬鹿な。
>>834
> 「憶えなくて済む決まり」ならば、慌てて廃止する必要がないとも言へるだらう。
> それなら、はっきり不必要だとわかるまで保存する方が、無難な態度なんぢゃないか? 
君のような怠惰な人間に、「はっきり不必要だ」とわかる日は来ないだろう w

>>837
> 福田はmentalism寄りの解釋を採用したわけです。
それでも不合格。

>>839
> 論敵に「わかるだろ」「わかってよ」と甘えてもダメ。
おれは観衆に向けて書いてるだけなんだが。

> カナモジ論者なら視認性の低下には分かち書きを以て解決できると反論しよう。
多数の同音異義語を書き分けられない。瞬殺。
>>841
> 「文字自体が語を表している」なんてlogographみたいなこと誰も言ってない。
> 表音文字は、音を表すことによって(手段)語を表す(目的)ものだろ。
それは純粋な表音文字。声読しなければ目的を達しない。
歴史的仮名遣いで問題になるのは、表音文字 (自体) の表語性だろうが。

> それが「垣」を意味しても
なんでそのことがわかるんだよ。君が落書き犯をつかまえてきいてくれるのか w
いい加減に「福田先生が偉い」「いや偉くない」争いはやめたら ?
福田の本が、素人の書いた素人向けの素人くさい本であるのは歴然。
まともな国語学・言語学の学術文献に福田が(論証のために)引用さ
れるのなんて見た事あるかい?
>>844
そう思うだろ。ところが、『私の国語教室』(新潮社初版) は、昭和35年度の読売文学賞 (批評部門) を受けている。それが契機となって、トンデモ本がバイブルに祭り上げられてしまった。日本の言論界は実に無責任だ。
学界は学界で、三上章、村山七郎らの仕事を黙殺してきた。どっちもどっちだよ。

>>837
(補足) メンタリストも意味 (語) の識別ということを考えていないわけではないから、やっぱり不合格。
846834:04/01/28 11:19
>>844
>いい加減に「福田先生が偉い」「いや偉くない」争いはやめたら ?
だからさ、そんな話ぢゃないって。福田の本が一般向けのものだといふのは、だれにも
異論がないんだよ。
今は、「旧かな批判をするなら、最低限、福田を論破して見せろ。福田の本が「トンデモ本」
だと言ふなら、誰もが納得するやうな根拠を示せ」といふ話をしてるんだよ。
847834:04/01/28 11:33
>>836
>> また「おぼえやすさ」を持ち出すのかい?
>> それがナゼよりよいもので、何より第一等に尊ばれねばならぬのかを説いてくれ。
>第一等に尊ばれなくてよい理由が見当たらない。
その辺を客観的に説明してくれよ。

>>842
>> 「憶えなくて済む決まり」ならば、慌てて廃止する必要がないとも言へるだらう。
>> それなら、はっきり不必要だとわかるまで保存する方が、無難な態度なんぢゃないか? 
>君のような怠惰な人間に、「はっきり不必要だ」とわかる日は来ないだろう w
あのなあ、「はっきり不必要だ」と完全に証明されたわけでもないのに、「めんどくさい」から
廃止しようとするヤツの方が、よっぽど無神経で怠惰な人間だらうよWWWWW


また、しつこいやうだが、改めて主張をもう一度出したらどうだい。
論点を整理した方が、お互のためになると思ふぞ。
> 今は、「旧かな批判をするなら、最低限、福田を論破して見せろ。
なんだか、「騎士道精神批判をするなら、最低限、あの風車に突撃して見せろ」
みたいな話だね。
全然違ふ。>>848
例へば、ここがローマ字化スレッドで、そこに私が批判しに乘り込んできたのであったら、
最低限、田丸卓郎・田中舘愛橘を論破することが求められるだらう。
(むろん彼らも一般向けであり、言語學の專門家ではない)
同じ事だ。
わざわざ舊字舊假名スレッドで批判するのだからどんなものかと少し期待したのだが、
基礎的な讀解と誠實な應答といふ最低限のレヴェルすら辨へないのだから全く阿呆くさい。
>>845
>メンタリストも意味 (語) の識別ということを考えていないわけではないから

メンタリストが意味 (語) の識別といふことを考へてゐないなどと誰か發言したかね。
言ってもないことを勝手に讀み取って批判するのがいつもお前の手だ。
そこから、さう書いてある/書いてないの問題に横すべりさせ、本題は有耶無耶になる。
これでは議論にならぬ。

>>836
>> 「現代かなづかい」が表音主義者による制定ではなかったことを證明するがよい。
>制定の経緯がそんなに問題か?

自分に都合の惡い過去の事實には目をつぶってくれといふわけだな。フフン。
なるほど、だから今まで誤謬を指摘されても、それと認めないで他の議論に移るわけか。
>>847
> >第一等に尊ばれなくてよい理由が見当たらない。
> その辺を客観的に説明してくれよ。
おれが見つけられませんと降参しているのに、さらにどうせよと言うのか。もっとよく探せと?
そんなことをおれに要求するより、第一等に尊ばれなくてよい客観的な理由を、君自身が提示すれば済むことではないのか。

> 「はっきり不必要だ」と完全に証明されたわけでもないのに
これも同じこと。君がはっきりした必要性を一つでも提示すれば、不必要ではないことが完全に証明される。
書き込めば書き込むほど君の横着、怠惰が露わになっていくぞ w

> また、しつこいやうだが、改めて主張をもう一度出したらどうだい。
> 論点を整理した方が、お互のためになると思ふぞ。
おっと旧仮名派、またループに持ち込もうとしています w
>>850
> メンタリストが意味 (語) の識別といふことを考へてゐないなどと誰か發言したかね。
> 言ってもないことを勝手に讀み取って批判するのがいつもお前の手だ。
そりゃ失敬。じゃ、どの立場から評価しても、福田の「答案」は無得点ね w
>>844-
福田恆存が相手に取って不足だといふのならば、
なぜ時枝誠記を批判しないのかね。彼は素人の福田と違ひ正眞正銘の「國語學者」だ。
『國語問題と國語教育』の中に「現代かなづかい」批判が何本も收められてゐる。
>>851 >見つけられませんと降参しているのに

あ、降參したの。ふうん、負けを認めたのね。

なんせわざわざ批判にやつてきておいて、批判すべき理由の提示はできず、
それを論敵に求めるといふ厚かましさだからなあ。勝てるわけがない。
855名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/28 21:41
舊字・舊假名は表現の自由として認められてゐるのだから、
此のスレぐらゐはまつたり行き度いものだ。
>>854
> あ、降參したの。ふうん、負けを認めたのね。
そうだよ。おれが、憶え易さが第一等に尊ばれなくてよい理由は見つからない、そんな理由は存在しないと言った。君は、「それは違う。ほらここにこういう理由がある」と示して反論しなかった。
だから、憶え易さが第一等に尊ばれなければならないと認められた。したがって、より憶え易い現代仮名遣いの勝ちで、憶えにくい歴史的仮名遣いの負け。

勝負ははじめからついてんだよ。なんか文句ある?
>>850
> 自分に都合の惡い過去の事實には目をつぶってくれといふわけだな。
現代仮名遣い制定の側にも、「表音」の解釈をめぐって、現在では考えられないような誤りがあったのは確かだ。
一般人にもわかりやすく説明しようとして、かえって混乱に陥っている節もある。
しかし、批判する方も、音韻論の知識が福田程度では、話になるまい。

> 今まで誤謬を指摘されても、それと認めないで他の議論に移る
これは聞き捨てならぬ。そんな例は一つもない。あるというならそのレスへリンク。
関係のないことを持ち出して混ぜ返すのは君であり、その都度君自身の誤謬として決着しているはずだ。
>>856-857 負け犬の遠吠え。自分が降參した癖にそれを相手に轉嫁しようとしてもダメ。

A:××より○○の方がいい。
B:そんなことはないと思ふ。理由を示してくれ。
A:○○が××よりよくないって理由があるか。あるなら示せ。
B:それは開き直りだらう。批判する側からまづ理由を示さなくてはいけない。
A:○○が××よりよくないって理由があるか。あるなら示せ。
以下繰り返し

Aは自分が批判する理由を批判する相手側に求めてゐる。こんな馬鹿な話は無い。
まあなんやかんや言ったって過去の遺物だ。
いつまでも勝手にしがみついていて下さい。
それはあなたたちの権利だからね。
>>859
やっぱ絶望的なバカだわ。

A:××より○○の方がいい。
B:そんなことはないと思ふ。理由を示してくれ。
A:××より○○の方が△△だ。
B:△△であることが最もよいわけではない。
A:そんなことはないと思う。△△であることよりよい事柄が、私には見つけられない。
B:△△であることが最もよいわけではない。
A:そんなことはないと思うが、私に見つけられないだけかもしれないから、△△であることよりよい事柄を、一つでいいから示してくれ。
B:△△であることが最もよいわけではない。
以下繰り返し。

「××」に「歴史的仮名遣い」、「○○」に「現代仮名遣い」、「△△ (だ)」に「憶え易 (い)」を代入すれば、きっちり今の議論にあてはまる。
旧仮名派Bは鸚鵡か九官鳥か、はたまた壊れたレコードか (古いねこの喩えも) w
A:××より○○の方がよい。
B:理由を示せ。
A:××より○○の方がよい。なぜならば△△だ。
B:△△は理由になっていない。理由になっていると言うならばその理由を示せ。
A:△△はそれだけでよいことである。その理由など必要ない。
B:それでは△△の説明になっていない。
A:そんなことはない。△△が悪いという理由もないのだからよいはずだ。
  よりよいものがあるなら示せ。
B:よりよい根拠があるかどうかはとにかく、△△には根拠がない。
以下繰り返し。


周りから見るとAもBも実質的に何も言っていないというだけ。
歴史的假名遣は既得權益だから。
新興勢力はそれを覆すに足るだけの理論を示してくれなくてはね。

とりあへず、橋本進吉でも福田恆存でも時枝誠記でも“きちんと”論破してみせてくれ。
都合の好い我田引水でなく相手の論理に一通り沿つた上での眞つ當な批判を、な。
>>862
> A:××より○○の方がよい。
> B:理由を示せ。
> A:××より○○の方がよい。なぜならば△△だ。
>★B:△△は理由になっていない。理由になっていると言うならばその理由を示せ。
ここがおかしいね。旧仮名派だって憶え易いことは (いちばんではないにしても) よいことだと、一応認めてるわけだから。
>>863
> 歴史的假名遣は既得權益だから。
「権害」じゃねえのか w
>>865
社会全体で使えと言うのでない限り「害」ではないでしょう。
現状のどこを見たら歴史的仮名遣が既得権益になるんだよ。
現代仮名遣が広く使われている現状を覆さなければならないのは
旧仮名派の方だろうが。ボケているのか?
覆さうといふ氣が無い。單に、現代假名遣ひより氣分がいい、といふだけ。
現代假名遣ひ程には氣分が惡くない、といふ方がより精確。
>>866
まあな。その代わり、現代仮名遣いをやれ欺瞞だの、詭弁だのと、こき下ろすのはやめてもらいたい。そういうのは全く当たらない。
橋本進吉や時枝誠記ら国語学者は、国学の後継者、契沖・宣長の「子孫」を以て任じていたから、歴史的仮名遣いの文化的価値を訴え、それを擁護した。彼らの現代仮名遣い批判は、一貫してその立場から行われている。現代仮名遣いを誹謗、中傷したりはしていない。
的外れな暴言を重ねているのは福田恒存だけだ。もてはやす方もそれこそ全くどうかしている。誤解を生み、広めるだけだ。

歴史的仮名遣いはなるほど古雅、優美かもしれない。蜻蛉日記はこんなふうに書かれたのだろうかと思えば、夢もあろう。
しかし、いかんせん実用には不向きだ。明治時代のうちに、失敗した、厄介なものを採用してしまったと、みんな気づいてたはずなんだ。

>>867
まあまあ、ここはヴァーチャル・スレッドということで。
870名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/30 02:09
旧字変換ツールのテスト
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
まあな。その代わり、現代假名遣いをやれ欺瞞だの、詭瓣だのと、こき下ろすのはやめてもらいたい。そういうのは全く當たらない。
橋本進吉や時枝誠記ら國語學者は、國學の後繼者、契沖・宣長の「子孫」を以て任じていたから、歴史的假名遣いの文化的價値を訴え、それを擁護した。彼らの現代假名遣い批判は、一貫してその立場から行われている。現代假名遣いを誹謗、中傷したりはしていない。
的外れな暴言を重ねているのはsc恆存だけだ。もてはやす方もそれこそ全くどうかしている。誤解を生み、廣めるだけだ。

歴史的假名遣いはなるほど古雅、優美かもしれない。蜻蛉日記はこんなふうに書かれたのだろうかと思えば、夢もあろう。
しかし、いかんせん實用には不向きだ。明治時代のうちに、失敗した、厄介なものを採用してしまったと、みんな氣づいてたはずなんだ。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
871名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/30 02:10
>>870 弁がバグっているね。
さて問題です。弁の旧字は幾つあるのかな。
>>5の正字正仮名変換プログラムOCのリンク先が無くなっちゃったので
どなたかOC.exeを持ってる方がいましたら譲ってもらえませんか?
874名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/30 09:24
>>872
公式に當用漢字表で言ふ處には「辨」「瓣」「辯」の三つで御座居ます。
山田忠雄が歴史的假名遣に立つのは父・孝雄讓りかな。しかし山田俊雄はさうでもないしな。

山田孝雄(山田忠雄訂補)『假名遣ちかみち』(國語問題協議會/申申閣)
 http://www.jsjapan.net/jsindex/book0005.htm
山田忠雄「あとがき」より
 一方、現在 世上に行はれる「現代仮名遣い」は、定家假名遣とは異なる意味で、二元性を持つ。
助詞のハ・ヲ・ヘ、及びツヅミ・チヂム等の所謂「連呼音」及び特定の枠内の連濁に限り歴史的假名
遣に妥協し、他は一定の約束の下に表音式表記に從ふ。後者の中には、前者に包含さるべき者を自か
ら擁するが故に、人によつて裁量が異なることが有る。これ、「現代仮名遣い」が曖昧さに充滿する、
と指摘される最大の理由である。物を餘り考へぬ人は無批判に之に從ふであらうが、少しでも理性に
目覺める人は語毎に去就に迷ふことが餘りにも多い。これ、整合性に缺ける、と言はれる最大の所以
である。便利を標榜して制定された同假名遣が、不便を内藏するのは全くの自己矛盾ではないか? 
>>874
でも実際「辛?辛」はたいてい「弁」ですね
>>869
なるほど、橋本進吉や時枝誠記には反論できないので
福田恆存を誹謗、中傷することで逃げようといふわけですね。

時枝・福田の結びつきを知らない者にしか、そんな分割の手は效かないと知れ。
>>867
>現状のどこを見たら歴史的仮名遣が既得権益になるんだよ。

さうやつてまた歴史的經緯を無視するわけかい。しかも、たかだか半世紀前の。
移ろひゆく現状にしか基づくことができぬ「現代仮名遣い」や、あはれ。
>>878
既得権益の意味を誤解している
>>880
法律用語としての明確な定義はこの際問題になるまい。
少なくとも明治以来の使用の慣習に鑑み、
且つまた、現在なほ受け繼ぐ者少なからぬにより、
所謂「既得權」と認められよう。
既に使ふ者が絶えて無いのならいざ知らず。
>>881
既得権の意味を誤解している。辞書引け
>>882
「法律用語としての明確な定義はこの際問題になるまい。」

だからあまり意味は無いが、一往引いておく。見よ。↓
『広辞苑』
【既得権】個人または国家が既に獲得している権利。立法政策上、既得権はできるだけ尊重すべきものとされる。
辞書引いてもまだ分からんのか、
お前が既得権に持っている語感そのものが間違っている。
法律用語云々の問題ではない。
「既に獲得している権利」ではないとでも?
では、その正しい語感そのものとやらを示してくれ。
文字通り「既に獲得している権利」として使いなさい。
お前は誤解した先入観で「既に獲得している権利」の意味が
分からなくなっている。
>>886
だからどう理解するのが正しく、どう理解したから誤解なのか?
「文字通り」では説明にならぬ。
他人を批判しておきながら、問題を端的に示せるだけの用意はないのか。
何を言っているんだか
たかが誤用の指摘を宗門をけがされたかのような勢いだな
自分で考えてみもしないようでは誰も教えてくれないぞ
>>882-888
「辞書を引け」と居丈高
→辞書を引かれたら自分の思った定義が無かった、しまった!
→誤りを示せないので、「自分で考えて」と逃げる

……ってこと?
単にどこが違ってるのか指摘すればすむことを。
>>875
山田孝雄は、国語学者のなかでもまた独特だ。

> 助詞のハ・ヲ・ヘ、及びツヅミ・チヂム等の所謂「連呼音」及び特定の枠内の連濁に限り歴史的假名
> 遣に妥協し
ハ・ヘ、ツヅミ・チヂム等については、奇矯の観お嫌って慣習に妥協したといえようが、ヲと連濁については、必ずしもそればかりではない。
日本語には、多用される敬語/美化語の接頭辞オ−があり、概ね仮名で書かれる。頻出する助詞ヲおもし「お」と書けば、それが現れるたびに文節の頭が見分けにくくなり、視認性に支障お来たす。
また、連濁は、語構成要素の複合お示す形態音韻論的規則として、現代日本語においても、いまだ生産性お保っている。「清」と「濁」の対立お濁点という補助符号によって表す以上、音韻表記でおしなべてしまうことはやはり難しい。

> 他は一定の約束の下に表音式表記に從ふ。後者の中には、前者に包含さるべき者を自か
> ら擁するが故に、人によつて裁量が異なることが有る。これ、「現代仮名遣い」が曖昧さに充滿する、
> と指摘される最大の理由である。物を餘り考へぬ人は無批判に之に從ふであらうが、少しでも理性に
> 目覺める人は語毎に去就に迷ふことが餘りにも多い。
おれが思うに、音韻表記としてジ・ズをデフォルトとしたからには、「はなじ」も「いなずま」も、ともに認めるべきではなかろうか。もちろん、「はなぢ」 「いなづま」と書きたい人は書いてもよろしい。
ただし、「*こぢか (仔鹿)」 「*たたづまい」などは誤りとして認めない。
>>889に自分が正しいアホがいる。使いたければそのまま使いなよ。
聞いた人は首をかしげるけどな。まあもう一つヒントをやろう。
「今現在、既に獲得している権利」だ。
これで「既に獲得している権利」の意味が分かったな。
>>891 >「今現在、既に獲得している権利」
「今現在」がついただけかよ。
しかも>>881には「現在なほ受け繼ぐ者少なからぬにより、」とあるが?
頭大丈夫か?
すると変体仮名も和様草書も「現在なお受け継ぐもの少なからざる」から
既得権なんだな?
>>893
それらは假名遣と違ひ爭點にならない。が、もしもそれを強ひて改めようとする者があらば、
變體假名や和樣草書を受け繼ぐ者(が、ゐたとして)は既得權を唱へて抵抗できるだらう。

結局>>882は「既得權」の言葉の意味を問題にしたのではないことになるな。
歴史的假名遣を「既得權」と見做すのを嫌ふあまり「意味」を問題にして辭書引けだの「今現在」だのとイチャモンをつけたに過ぎない。
もし、嚴密な法律論や既得權の事實認定を爭ひたいのであれば、
法學者・美濃部達吉による内閣告示「現代かなづかい」への異議申し立てを參照すべきだらう。
では「歴史的仮名遣は今現在、既に獲得している権利」だと言うんだな。
実態にあわせて証明してくれ。
>>896
ホウ、やはり既得權であるかないかの事實認定を問題にしてゐたのだな。
ならばそれを問ふ前に、言葉の意味が問題ではないのに、偉さうに
辭書を引けなどとトンチンカンを述べて議論を紛糾させた罪を謝してからだよ。
 ↓誤りを認めずまた話をそらす豫感
>>897
アホだなあ、
「歴史的仮名遣は今現在、既に獲得している権利」である場合にのみ、
既得権が誤用でなかった事が判明するんだろうが。早く証明しろ。
 ↑豫感通り。
>>877
> 時枝・福田の結びつき
時枝が福田を支持したわけではない。

>>878
> さうやつてまた歴史的經緯を無視するわけかい。しかも、たかだか半世紀前の。
歴史的仮名遣いが採用された時の経緯はどうなんだ。130年も経てば時効かな w
>>901
>時枝が福田を支持したわけではない。

ハイ、誤り。(面白いほど、ひっかかるなあ)
國語問題協議會・時枝誠記『國語問題のために――國語問題白書――』(東大新書、1962)
の第二部は時枝の言語學説に基づくが、これは實は同書の作成委員である福田恆存が
まとめたものらしい。時枝は、福田による自説の援用と解釋を認めてゐたわけ。
>>901
>歴史的仮名遣いが採用された時の経緯はどうなんだ。
はて。維新時に定家假名遣派が昭和戰後の舊假名派のやうに抵抗し、今日なほ維持してゐるとでも?
「歴史的仮名遣は今現在、既に獲得している権利」はどうした?
明らかに間違っているこの主張を早く証明してくれ。
>>907 
 >>895>>897
>>904 
 >>895>>897
>>905
証明されていない。
まあ「本来俺の土地だから既得権で俺のもののはずだ」などは
よくある既得権の誤用ではある。さっさと間違いを認めればよいものを。
>>890
>連濁は、語構成要素の複合お示す形態音韻論的規則として、現代日本語においても、いまだ生産性お保っている

これが中心だと思ふ。
現代假名遣ひ批判は、とかく歴史的假名遣ひからの不徹底な輸入(密輸)の非を鳴らす弊に陷るが、
實は、それらは現代假名遣ひが選び取った形態音韻論的規則であり、それらの形態音韻論的規則
が日本語の傳統の中で聯綿として生延びて現代に至ったからこそ、現代假名遣ひも保存したに過
ぎない。それを、やれ不徹底だの表音主義の敗北だの言ふのは、それこそ假名遣ひといふものを
理解しない業だ。俺は現代假名遣ひには與しないが、さうした無意味な批判は哀しくなる。
>>907 
 >>895>>897

讀んだら、己れの非を認めてから、問ひ直すこと。
その時には美濃部達吉の論も見てみること。
>>909
お前頭悪すぎだな

い「歴史的仮名遣は既得権である」
ろ「既得権は「既に獲得している権利」であるから(い)は
 既得権の誤用であるか、「歴史的仮名遣は既に獲得している権利」が真である」

この簡単な論理も分からないのか?
ちなみに当然、旧仮名派の言い方で言えば
「現代仮名遣は不当にも既得権を得ている」のが実態であるから、
既得権の誤用である事は明らかだ。
>>910
>既得権は「既に獲得している権利」であるから(い)は 既得権の誤用であるか

ぷ。頭惡さうな文章だ。
トートロジーってわかる?
>>911がトートロジーを理解していない事はよく分かった。
>>912はどんな理解をしてゐるのだらう……。
きっと腦味噌は自分だけに通じるIdiolectで一杯に違ひない。面白い人だ。
誤用した本人か?
必死だな。
通りがかりの者だが、すまぬが、910のどこに tautology が潜んでいるのか、
ちょっと解説してもらえまいか > 913
tautology n.同語反復,同義語反復,無駄な繰り返し(コンサイス英和)

その顯著な例
「彼はその画をかいた時、もう半分気がへんになっていたろうと思う程神経質な
顔になっていたように神経質な顔をして、この顔を見ればもう生きていられない
ような神経質な顔をしていた。僕はこれでは生きていられないと思った。実に神
経質な顔をしていて、もう生きていられない程神経質な顔をしていた。」
武者小路實篤、八十九歳の砌の御文章でございます。
(山田風太郎『人間臨終図鑑』參照)
917915:04/01/30 21:27
いや、そうした文学的な拡張用法ではなく、>>910 の論理のどこに、本来の
論理学でいう tautologia があるのか、と聞いたのだが。
おおい、誰か論理學の話をしたか。恆眞命題なんて譯語は辭書でも第二義だしなあ。
あまりからかっては可哀想だ。
まあ>>910は説明能力が低いんだよね。
だからまともなパラフレーズができない。
>>902
> 時枝は、福田による自説の援用と解釋を認めてゐたわけ。
その話が本当かどうか知らないが、本当だったとしても、『私の国語教室』の与太話は、時枝の学説の「援用と解釈」ではない。

>>903
> 維新時に定家假名遣派が昭和戰後の舊假名派のやうに抵抗し、今日なほ維持してゐるとでも?
抵抗勢力が存在するかしないかは関係ないよ。従前の慣習と異なる規範を、権力で敷き広めたことに変わりはない。
921915:04/01/30 21:44
>誰か論理學の話をしたか
>>910 は「この簡単な論理」と書いているのだが、読まなかったか ?
なにやら精神を病んでいる人が見かけられるが、
さすがに>>863が誤用である事は理解できただろう。
誹謗中傷は後勝手にやっててくれ。
>>921 
論理と言ったら「論理学」なの? 
トートロジーと言って記号論理学の方の定義を想起するのが普通なの?
それは飛躍だよ。

>>922
自分が他人を誹謗中傷するのは許すが、他人からの誤りの指摘は許さないわけですね。ご立派。
924名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/30 22:18
>>920
でもどの邊が「与太話」なのかは、再三求めてもサッパリ説明し得ないみたいね。
ついでに與太ではないらしい時枝誠記・橋本進吉・山田忠雄批判をどうぞ。
925名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/30 23:15
高学歴スレッド
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/bakanews/1074381278/

ここの1が生意気なんで誰か難しい問題とか出してやって
思いっきり叩いてやってください
>>924
> どの邊が「与太話」なのか
>>807 >>825 >>835

> 山田忠雄批判をどうぞ。
>>890 の前半。
>>926
>>>807 >>825 >>835
ねえボク、説明拔きに惡口をならべても、與太話であることの證明にはならないんだよ。

>>>890 の前半。
あれが「批判」かいな。

總評/話にならん。出直せ。

そろそろスレッドが終りかかつてゐるから、>>573以下の問題に答を出しておかう。
「憶えやすさ」が第一にくるのがなぜいけないか、だ。
これは一つの解答だから他にも答はあるだらう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
……難易を基準とするといふのは基準なしにするといふのと同義であつて、それ
は基準なきをもつて基準とするといふ全く無意味な文語に歸著する。
 なぜなら、難易は好惡と同じく主觀的なものである。……
 表記法において難易を主とするとは、書き易く、かつ解ればよいといふことに
歸著し、客觀的な正誤の觀念が曖昧になり、隨つて誤りを誤りとなす根據を失ふ。
例へば「現代かなづかい」においても助詞「は」「へ」「を」は歴史は歴史的假
名遣を踏襲してゐるが、難易の觀點からすれば、「私わ學校え本お持つて行く」
と書く方がよりよく、事實「現代かなづかい」前文においては「は」「へ」「を」
を本則とするとあつて、「わ」「え」「お」を否定してゐない。それを誤りとな
す根據がないのである。それなら、次の時代に「わ」「え」「お」を本則とする
やうになつても、「は」「へ」「を」を誤りとなす根據もない筈である。……
  先づ第一に、我々は出來る限り普遍的な基準をもたねばならず、それは國語の
本質と歴史を究明することによつて、その中に求められねばならない。と言つて、
それは難易を無視することを意味しない。なぜなら、國語の本質と歴史を破壞し
ない限りにおいて、當然、難易は考へられるからである。

#――――――――――――――――――――――――――――――――――――
基本的文獻だからいままで敢へて擧げなかつた。
もちろんご存知だらう。この分野に關心ある人なら一度は讀んだ文章の筈だ。
出典は『國語問題論爭史』(新潮社・1962)343頁以下。
>>927
> 與太話であることの證明にはならないんだよ。
観衆は君のようなバカじゃない w
>>928
>  先づ第一に、我々は出來る限り普遍的な基準をもたねばならず、それは國語の
>本質と歴史を究明することによつて、その中に求められねばならない。

この主張にある普遍的な基準の意味がよく解らないのですが、
助詞「は」「へ」「を」が、「わ」「え」「お」とされてもいいとされる事と
普遍的な基準との関連性を御説明して下さいませんか。
腦内觀衆、か。哀れな奴。
>>930
助詞「は」「へ」「を」が「わ」「え」「お」と書いてもいいとされる
→普遍的な基準が無い、正しさを定める根據が失はれてゐる。
>>924
> どの邊が「与太話」なのか
この辺も酷いぞ:

 まづ解せないのは、金田一博士自身、普通は「表音文字」
 「表音符号」と言ふべきところを、「音韻文字」 「音韻符号」と書いてゐることです。こ
 れでは音韻などと耳なれぬ学術用語を用ゐても、結局は音韻=表音ではないかと合点せ
 ざるをえません。(『私の国語教室』文春文庫50頁)

もともと「表音」=「音韻を表す」なのに、「表音」=「音声を表す」という誤解が広まってしまった。そこにかかずらっていると話が前へ進まない。
そこでお人好しの (石川啄木に貸した金を踏み倒されたりした) 京助が、わざわざ「音韻○○」と言っているのに、「結局は音韻=表音」と話を捻じ曲げるこの凶暴さ。

 しかし、それよりも大きな問題は、「現代かなづかい」の原則として
 表音主義を却け、音韻を持ちだしておきながら、実際にはそれを少しも活用してゐない
 といふことです。(文春文庫50-51頁続き)

ウソばっかり。例えば、音声 [ee] を「*ええ」と写すのではなく、音韻 /ee/ を「えい」と写す。
音声 [oo] を「*おお」と写すのではなく、音韻 /oo/ を「おう」と写す。京助が説明したのはそういうこと。それが表音式表記の原則だ。

 早い話が、助詞の「は」 「へ」 「を」を「わ」 「え」 「お」としないのは、
 決して音韻の法則によるものではなく、文法の法則によるものです。「ぢ」 「づ」の温存
 を二語連合によつて肯定するのは語の法則によるからです。その表音的不合理を音韻論
 によつて説明するのは (文春文庫51頁続き)

表音式表記に例外がないとは、だれも言っていない。もともと説明できないものを、京助が説明しようとするわけがない。

 あたかも大阪から東京まで汽車で来ておいて、現在、羽田空港
 に立つてゐるから飛行機で来たと言ひくるめるやうなものです。「現代かなづかい」に
 おける音韻論はその使はなかつた飛行機に過ぎず、単なるこけおどしの役しか果してゐ
 ません。(文春文庫51頁続き)

京助は「飛行機で来た」などとは、ひとことも言っていない。「汽車でしか来られないときは、そりゃ汽車で来ましたよ」と、ことも無げに言っただろう。
>>929
論自體の正誤は捨て置き、觀客へのアピールで勝敗をつけようってか?
お前はトーニャ・ハーディング(チト古い)か。
易きに付いて誤りを正す根據を喪失すると、さうなるんだね。
「ただ一つに決まらない=普遍的な基準ではない」
これは暴論としか言いようがないな。
>>933
都合の好いところだけ拔いてきても、原文に即せばすぐバレるよ。
福田が橋本進吉「表音的假名遣は假名遣にあらず」を引いてゐるのをお忘れなく。
「松坂氏は「音聲そのものを寫すべきだ」といふかなづかひ論だけを表音主義と
してゐるやうですが、橋本博士の言ふやうに、それは「實際耳に聞える現實の音
(音聲)を忠實に寫すもの」に限らず、「正しい音の觀念(音韻)を代表するも
の」をも含みます。」

福田・金田一論爭の時、批判された金田一は、現代假名遣は表音假名遣ではない
などとは言はぬ、「今回新かなづかい案には、どこにも『表音式かなづかいにす
る』と言っていません」と言つただけだと辯明してゐるが、どうやら「表音式か
なづかいにする」とは言つてないが、「表音かなづかいではない」とは言明でき
ぬらしい。
>>935
全く暴論だね。そして、そんな馬鹿げた暴論は>>928には見えない。
たぶん>>935の腦内で勝手に捏ね上げられたのだらう。
>>933
ウソばっかり。
>音声 [oo] を「*おお」と写すのではなく、音韻 /oo/ を「おう」と写す。
>京助が説明したのはそういうこと。それが表音式表記の原則だ。

音韻が/oo/ならば「おお」と寫してこそ表音式だらう。
「おう」と記すのがどうして「表音式」か。そこがいつも説明できてゐない。
金田一京介自身「現代音に基ずく」ことを何度も強調し、
「發音が歴史的に区別が無くなつて来たら、それに応じて区別無しに書くべきだ。
これがすなわち現代仮名遣の出発点であります」と明言してゐる(「現代仮名遣論」)。
このやうな主張に基づく假名遣を一般に發音式とか表音式と呼んできてゐるのである。
>>928
> 難易は好惡と同じく主觀的なものである。
同じ共同体の中では、人の好悪の感情が、意外なほど均一であるという事実を知らない人の言だ。そうでなければ法律など成り立つまい。
難易についても同じこと。

> 客觀的な正誤の觀念が曖昧になり
バカじゃないの。そんな観念はどこにもないよ。権力が仮に世に広めるだけ。

> 例へば「現代かなづかい」においても助詞「は」「へ」「を」は歴史は歴史的假
> 名遣を踏襲してゐるが、難易の觀點からすれば、「私わ學校え本お持つて行く」
> と書く方がよりよく、事實「現代かなづかい」前文においては「は」「へ」「を」
> を本則とするとあつて、「わ」「え」「お」を否定してゐない。それを誤りとな
> す根據がないのである。それなら、次の時代に「わ」「え」「お」を本則とする
> やうになつても、「は」「へ」「を」を誤りとなす根據もない筈である。
ないよ。「お」は、>>890 で書いたように、実用上の観点から無理だと思うが、「わ」 「え」はありえないことではない。

> 先づ第一に、我々は出來る限り普遍的な基準をもたねばならず
それが難易だよ。表記法は理論ではなく道具だ。
>>936
> 福田が橋本進吉「表音的假名遣は假名遣にあらず」を引いてゐるのをお忘れなく。
引用したって理解してなければ無意味。

> 福田・金田一論爭の時
この論争の逐一については知らないが、京助のような学者馬鹿が、福田のような狡猾な屁理屈屋にてこずっただろうことは、容易に想像がつく。
小松翁との対決だったら、さぞ面白かったろうね w
>>937
>>932に書いてある。
>>939
>> 客觀的な正誤の觀念が曖昧になり
>バカじゃないの。そんな観念はどこにもないよ。

さういふ相對主義の持ち主では正書法など一切口出しできないはずだ。
何を誤りとも正しいとも言へないだらうに。
完全な正義そのものは實在しないだらうが、だからとて理念を抛棄するのは正解だけ求める受驗者根性であり、
我々は何が正しいかといふ問ひに參加しつつ普遍を求めるものだ。

>>940
音聲のみならず音韻に基づくものをも表音的假名遣に含めた橋本進吉説を
誤りだと見做すわけですか。では、下記を讀んで橋本批判をどうぞ。
http://home.q02.itscom.net/tosyokan/zdata/ZHASIMOTO001.pdf
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/HASHIMOTO/HYOON.html
>>941
で、あなたは言ひ掛かりでなく本氣で>>928>>932
「ただ一つに決まらない」から「普遍的な基準ではない」と主張する、と讀むわけ?
やれやれ、「ただ一つ」なんてどこから出てきたのか。
問題は、正しさを決める根據が「現代かなづかい」には無いこと、だらうが。
>助詞「は」「へ」「を」が「わ」「え」「お」と書いてもいいとされる
>→普遍的な基準が無い、正しさを定める根據が失はれてゐる。

これが暴論。「どちらかに決まる=基準がある」という思い込み。
>>944
勝手に作られた「暴論」を責められてもなあ。

>>932を要約すると――「決める根據がない」ならば「普遍的な基準が無い」。
これを假に正しいとすると、その對偶(論理學でいふ)は
「基準がある」ならば「決められる」――だ。
その逆――「決まる」ならば「基準がある」――なんていふ「暴論」は導き出せない。
またまた論理の初歩で誤りだね。
>>938
> 音韻が/oo/ならば「おお」と寫してこそ表音式だらう。
> 「おう」と記すのがどうして「表音式」か。そこがいつも説明できてゐない。
初めてよい質問をしましたね。
まず、音韻 /oo/ が必ず「おう」と写されるならば (実際にはそうでないのがまずい点だが)、1 音 (韻) 1 表記ということになりますから、それはそれで表音式です。
しかし、「あおうめ」の中の「おう」は音韻 /ou/ を表していますから、確かに 1 表記 1 音 (韻) ではないことになります。なぜ音韻 /oo/ を「おお」と写さないのか。
それは、強固な慣習には逆らわないという規定によります。

例えば、君が持ち出した江戸版本では、音韻 /oo/ に対応する表記として、「あう」 「あふ」 「おう」 「おふ」がめちゃくちゃに現れます (語による使い分けがないからやはり表音式)。しかし、「おお」という表記は見られません。
これは、音韻 /oo/ がかつて音韻 /au/ /ou/ であった時代に、「−う/ふ」という表記が定着してしまって、その後、音韻が /oo/ へと変化しても、表記は変わらなかったからです。
音韻 /oo/ を「おお」と写していけない理由はありません。ただ、あえてそれをやることで、表記法が普及しないのを恐れたのです。過激だった「保科仮名遣い」は失敗しました。

結局、「表音式表記法」とは、
・一定の音韻に対応する表記が 1 方法に決まっているか、または、複数の方法のどれを選んでもよく、語による使い分けがない表記法。
ということになります。辞書的知識を何ら参照しなくても、発音 (音韻) のみに従って表記できる表記法です。
現代仮名遣いにおける「は」 「へ」 「を」 「こおり」 「おおかみ」 「はなぢ」 「みかづき」等は、辞書的知識を参照しなければ表記できませんから、もとより表音的ではありません。
>>945
>>932
前件「助詞「は」「へ」「を」が「わ」「え」「お」と書いてもいいとされる」
後件「普遍的な基準が無い、正しさを定める根據が失はれてゐる。」
>>945は論理学以前の間違いだな。
>>942
> 音聲のみならず音韻に基づくものをも表音的假名遣に含めた橋本進吉説
にもかかわらず、福田恒存が「表音」=「音声を表す」と解釈し続けている点を、誤りだと言っている。
>>946 >初めてよい質問をしましたね。
何度か問はれてゐるのに看過ごしてきたのですかね。

>それは、強固な慣習には逆らわないという規定によります。
それは表音といふ原則とは別の原理を持ち込んでゐるから、もはや表音式の名に値しない。

>あえてそれをやることで、表記法が普及しないのを恐れたのです。
金田一京助も理想としては完全表音だが妥協したと辯解してゐたものだ。
とすれば目指したのはやはり表音式なのである。しかしそれはもともと
原則に無理があるため正書法として徹底できない。場當りの妥協は
畢竟さういふ無理が招いた無原則・無基準といふ意味でも批判すべきです。
表音主義が崩潰してしまつては、妥協してまで實現したがつたのは結局何なのかといふことになる。

>語による使い分けがないからやはり表音式
語による使ひ分けがないから即それ表音式だと即斷はできますまい。
語頭と語中語尾で「わ」「は」を使ひ分けるのは、語毎に使ひ分けてはゐなくとも
音以外の別の原理で使ひ分けしてゐるのだから、表音式と呼ぶには無理がある。

>しかし、「おお」という表記は見られません。
/oo/に對する表記には「おほ」(大・多)もある。かつて /au/ /ou/だったことはない。
この元/oho/をも「おう」でも「おお」でも無方針に手當り次第に字を宛ててゐたなら
なるほどそれは廣義の表音式かもしれぬが、大抵は「ほ」が使はれた。
表音式とは呼べまい。
>>948
>> 音聲のみならず音韻に基づくものをも表音的假名遣に含めた橋本進吉説
>にもかかわらず、福田恒存が「表音」=「音声を表す」と解釈し続けている点を、誤りだと言っている。

金田一京助・松坂忠則らは音聲ではなく音韻を表すから表音式假名遣ではないと言ひ譯した。
橋本進吉は 音聲を表すも音韻を表すも結局は表音式假名遣であり、それは假名遣にあらずとした。
金田一らは非表音式だが音韻式の假名遣であると言ひ張つたわけだが、
橋本説に基づけば結局はそれは表音式假名遣と言ふに等しい。
實際、金田一は普通「表音文字」と言ふものを「音韻文字」と言ひ換へたにすぎず、
それだけでは橋本説を覆せるだけの、つまり表音式ではないと言ふだけの差違は打ち出せない。
だから福田は「結局は音韻=表音ではないかと合點せざるをえません」と不審紙を貼り付けたわけ。
「表音」=「音声を表す」と解釋しようと「表音」=「音韻を表す」と解釋しようと、
いづれにせよ橋本説からの非難は避けられない。
>>947
>前件「助詞「は」「へ」「を」が「わ」「え」「お」と書いてもいいとされる」

その前件から「ただ一つに決まらない」だの「どちらかに決まる」だのいふ命題を
抽出したのは元は>>935>>944であつて、>>945はそれに沿うてみせただけだ。
論理學以前なのは935・944といふことになる。
>>949
> それは表音といふ原則とは別の原理を持ち込んでゐるから、もはや表音式の名に値しない。
表音式の原則は、1 音韻 1 表記ということだから、1 表記 1 音韻にこだわらなければ、慣習と妥協しても、原則を守ることはできる。
1 表記 1 音韻の表記体系は、おそらく世界でもまれだと思う。文字は少なくて済むほうがいいから。

> 妥協してまで實現したがつたのは結局何なのかといふことになる。
>>946 に示したところの、「辞書的知識を何ら参照しなくても、音韻のみに従って表記できる表記体系」。

> 語頭と語中語尾で「わ」「は」を使ひ分けるのは、語毎に使ひ分けてはゐなくとも
> 音以外の別の原理で使ひ分けしてゐるのだから、表音式と呼ぶには無理がある。
語頭と語頭以外とを比べれば、確かに表音式ではないが、語頭以外の /wa/ が必ず「は」と写されるならば、その限りにおいて表音式だろう。

> /oo/に對する表記には「おほ」(大・多)もある。かつて /au/ /ou/だったことはない。
そのとおり。現代仮名遣いはそれらの語の書き方に迷い、結局、「おお」という表記を採った。おれは不要だと思っている。将来「おう」に統一されないだろうか。

>>950
> 「表音」=「音声を表す」と解釋しようと「表音」=「音韻を表す」と解釋しようと、
> いづれにせよ橋本説からの非難は避けられない。
それは用語レヴェルの問題だから、「橋本説に従えば、現代仮名遣いは確かに『仮名遣い』ではなく、『現代仮名表記法』とでも呼ぶべきものでした。ゴメンナサイ」と謝っておけばよい。
現代仮名遣いが目指したのは表音式表記体系であって、「仮名遣い」ではないのだから、そこで頭を下げるくらいは何でもない。
>>951
論理学以前云々は>>945が前件後件を正しく抽出出来ていなかった点。
そうでなくても、
「普遍的な基準が無い、正しさを定める根據が失はれてゐる。」を
「「決める根據がない」ならば「普遍的な基準が無い」」などと
無茶苦茶な理解をするあたり、読解力の無さが目に余るが。
さらに「どちらでもよい」から「ただ一つに決まらない」などが
読み出せないようだとやはり少し頭が弱いと言われても仕方がないぞ。
まあ都合が悪い話題から一生懸命そらそうとしているのは
見え見えだがな。お前さんは議論にむいていない。
>>949
>/oo/に對する表記には「おほ」(大・多)もある。かつて /au/ /ou/だったことはない。
かうした誤解が絶えないので脇から一言するが、江戸初國語に於ては、
「大きな」はオウキナ(/oukina/) であるので、念の爲。
>>901
>> 時枝・福田の結びつき
>時枝が福田を支持したわけではない。

呆れた。どうして嘘をつくのか。知らぬなら口を愼むがよい。
福田恆存『私の國語教室』初版の帶には時枝誠記が推薦文を寄せてゐる。
「戰後の國語政策は人體實驗をやる以上の暴擧だつた」と。
>>952
>現代仮名遣いは確かに『仮名遣い』ではなく、『現代仮名表記法』とでも呼ぶべきものでした。

またも無意味な言ひ換へなるのみ。表音文字を音韻文字と呼び換へた金田一京介流。
名稱を言ひ換へても、内實が伴はなければ、「結局は音韻=表音ではないか」との批判は免れない。

>現代仮名遣いが目指したのは表音式表記体系
金田一は表音式でなく音韻式だと遁辭を弄してゐたわけだが、表音式だと認めるのだな。
では表音原理以外の慣習への配慮そのほかの妥協がどこから出てきたのか示したまへ。
妥協するにも原理原則が無くてはならぬはず。妥協は目的・理念を守るための手段でなければならぬから。
例へば歴史的假名遣ならば音便といふ音韻との妥協手段を最初から組み込んであるが、
「現代仮名遣い」はその場凌ぎの妥協で原理が見えない。
>>953
で、「決める根據がない」「普遍的な基準が無い」ことは認めるんだな?
基準にもとづいて「どちらでもよい」とされることもあるにせよ、
それは基準無しにただ「どちらでもよい」とするいい加減さとは違ふぞ。
基準があるなら示して見よ。
新かなの基準「現代語音に基づく」のなら「わ」「え」「お」の筈だらう。
>>952
>表音式の原則は、1 音韻 1 表記ということだから、1 表記 1 音韻にこだわらなければ、慣習と妥協しても、原則を守ることはできる。

原則はAだからAにこだはらなければ原則は守れる?……矛盾してないか。
「1 音韻 1 表記」と「1 表記 1 音韻」の差違は何なのか。
ひとりがてんはよくない。要解説。
959834:04/01/31 18:16
(久しぶりの書きこみ)
>>958
>「1 音韻 1 表記」と「1 表記 1 音韻」の差違は何なのか。
たぶん、「1音韻には〜」と「1表記には〜」との違ひではないかな、>>946からすると。

>>952
「慣習と妥協しても」といふ表現、やはりうさんくさい。
バカな連中の程度に合はせてやる、といふ意味なのだらうか。それならば、「本則」では
「妥協」しないが許容する(採点基準などを甘くする)、といふ考へ方のがずっといいだらう。

それとも、日本語の性質に合った表記だから「妥協」せざるを得ない、といふ考へだらうか。
もしさうなら、「表音式表記体系」といふ原則でやって行けるのかといふ疑ひが出て来ないか。
「強固な慣習」の中から原則になりさうなものを探す、といふ方針をとるべきだらう。
(つまり、歴史的かなづかひ)
>>955
> 福田恆存『私の國語教室』初版の帶には時枝誠記が推薦文を寄せてゐる。
その種の商業文は最もあてにならない。『時枝誠記全集』にでも収録されれば話は別だが。
>>956
> またも無意味な言ひ換へなるのみ。
橋本進吉の指摘を受け入れ、それに従った。今後、「『仮名遣い』とは何か」という、用語に関する議論には応じない。

> 金田一は表音式でなく音韻式だと遁辭を弄してゐたわけだが、表音式だと認めるのだな。
音声と音韻の区別をわかってくれているのか心許ないが、「表音」とは「音韻を表す」という意味で、現代仮名遣いは表音式表記を原則とする。表音式表記は音声を表す発音記号とは異なる。

> 表音原理以外の慣習への配慮そのほかの妥協がどこから出てきたのか示したまへ。
現代仮名遣いは、憶え易く、読み易く、新奇に走らない表記体系を最終目的とする。
読み易くするために、助詞 /o/ を「お」と書かずに「を」と書き、新奇に走らないように、音韻 /oo/ を (一部の例外を除いて) 「おお」と書かずに「おう」と書く。前者は表音式の原則の例外となる。
>>958
> 「1 音韻 1 表記」と「1 表記 1 音韻」の差違は何なのか。
「1 音韻 1 表記」では、音韻を表記へと写すわけだから、音韻の種類が表記の種類より多くてもよい。
「1 表記 1 音韻」では、表記から音韻を読み出すわけだから、表記の種類が音韻の種類より多くてもよい。
「『1 音韻 1 表記』かつ『1 表記 1 音韻』」のとき、音韻と表記とは「1 対 1 対応」をなす。
関数論の基礎を復習されたい。
>>955 >福田恆存『私の國語教室』初版の帶には時枝誠記が推薦文を寄せてゐる。
かやうなものが何かの論據になるか?
ウィトゲンシュタイン論理哲學論考を推擧したのはラッセルだが、それを以て
ラッセルがウィトゲンシュタインを支持してゐた等とする哲學史家は居るまい。

いい加減に、或某が別某を支持した、いやしない、等といふ話はさて措きたまへ。
普通の學的討論に於ては、大事なのは某の説の方であって、某は大事ではない。
お前の説は某の説のこゝに矛盾する、よってお前は(あの高名な)某を丸ごと否定
するのだな、といふ脅しのやうな論法は、まともな學術論文には見えぬ處。
964名無し象は鼻がウナギだ!:04/01/31 20:58
>>959
> バカな連中の程度に合はせてやる、といふ意味なのだらうか。
極端に言えばそうなるのが、「こおり」 「とお (十)」などの場合。

> 日本語の性質に合った表記だから「妥協」せざるを得ない、といふ考へだらうか。
それに相当するのが、「はなぢ」 「みかづき」などの場合。

> 「強固な慣習」の中から原則になりさうなものを探す、といふ方針をとるべきだらう。
もし可能ならそれに越したことはない。英語の綴りの規範はそのようにして、かなり長い年月をかけて出来上がったようだ。

> (つまり、歴史的かなづかひ)
強固な慣習のなかから原則になりそうなものを探すと、歴史的仮名遣いになるということを、ぜひとも証明してもらいたい。
965908:04/01/31 22:45
>強固な慣習のなかから原則になりそうなものを探すと、歴史的仮名遣いになるということを、ぜひとも証明してもらいたい。

それを試みたのが契沖であらうと思ふ。
用言の活用の整理は宣長だから、契沖はシステムとしては未だ知らないが、「老」は「オユル」故「おい」
であって「おひ」ではない、位の事は論據としてゐる。かうした(現代風に言へば)形態音韻論的な一貫性が
國語にはあるのに、多くの語が、既に「あい」だか「あひ」だか、「みえ」だか「みへ」だか「みゑ」だか
混じて分らず、甞ては存した(と信じた)形態音韻論的一貫性が、部分的に失はれてゐる。
この、假名の「文字の聲、通ひたる誤」が源親行の時代から存する以上、それ以前に溯って「日本紀より三
代實録」を假名の證とすべし、といふのが契沖の「歴史的假名遣ひ」で、和字正濫抄は、各語の三代實録(延
喜元)以前の音韻調査に他ならない。契沖は、延喜の音韻に基づけば國語の傳統を損はずに一貫した表記系が
作れるとしたのであり、歴史的假名遣ひは、簡單に言って「延喜表音主義」である。「机」が「つくゑ」か
「つくえ」かを决するのに「ゑへ枝江」音韻區別を有する文獻を典據とする事が行はれる等は、その一例。
966908:04/01/31 22:46
(つづき)
契沖の誤は、「延喜の音韻を書くには伊呂波が必要十分」と信じて疑はなかった點だが、この誤(アナクロニ
スムス)が知られるやうになるのは宣長よりも更に後の事なので、恕すべきであらう。

歴史的假名遣ひは、决して「表記の傳統」を保存しようとしたものではない。(源氏物語が契沖假名遣ひで書か
れてゐた筈は無い)。國語の形態音韻論的一貫性(システム)を、伊呂波を用ゐるといふ(現代の目で見ればアド
ホックな)條件で表記に反映させようとし、そのため典據を延喜以前に求めざるを得なかったものに過ぎない。
現代假名遣ひも、「はなぢ」「こづつみ」等、形態音韻論的な一貫性の保存に努める點で契沖以來の態度を失
はないと思ふ。さすがに、アナクロと判明してゐた「延喜表音主義」は採れず、伊呂波も既に絶對條件ではな
いから、昭和(大正?)表音主義を採用したのだらうが、それが非難の大きな理由となるかと言へば、疑はしい。

表記の傳統といふ點から言へば、少し前に盛んに議論されてゐた樣に、假名を主體とする表記での假名異體字
の機能が重要で、「伊呂波が必要十分」といふ歴史的假名遣ひの前提など全く成り立たない。この邊りは矢田
勉らの犀利な論攷に學ぶべきであらう。歴史的假名遣ひが聯續性を志向するのは、决して江戸の表記ではない。
>>957
その基準が必要という事自体が
何も立証されていない思い込み。
>>966
> 國語の形態音韻論的一貫性(システム)を、伊呂波を用ゐるといふ(現代の目で見ればアド
> ホックな)條件で表記に反映させようとし、そのため典據を延喜以前に求めざるを得なかったものに過ぎない。
仮名遣いの問題は、形態音韻論と関係のない所にも生ずる。契沖はその方向へも道を開いてしまったわけだ。

> 現代假名遣ひも、「はなぢ」「こづつみ」等、形態音韻論的な一貫性の保存に努める點で契沖以來の態度を失
> はないと思ふ。
現代仮名遣いで育ったおれでも、「*はなじ」 「*こずつみ」と書く気にはなれない。他方、「はじ (恥)」 「みず (水)」と書くのには何の抵抗も感じない。
ところが、これがローマ字でということになると、ためらいなく 'hanaji' 'kozutsumi' 'haji' 'mizu' と書いて、'hanadji' 'kodzutsumi' と書き分けようとは思わない。
やはり、いわゆる「本濁」も「連濁」も、同様に濁点という補助符号で表される点に、最初の「不統一」の原因があろう。
969名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/01 04:26
旧字体変換ツールテスト結果
-----------------------------
>>966
> 國語の形態音韻論的一貫性(システム)を、伊呂波を用ゐるといふ(現代の目で見ればアド
> ホックな)條件で表記に反映させようとし、そのため典據を延喜以前に求めざるを得なかったものに過ぎない。
{仮|假}名遣いの問題は、形態音韻論と關係のない所にも生ずる。契沖はその方向へも道を開いてしまったわけだ。

> 現代假名遣ひも、「はなぢ」「こづつみ」等、形態音韻論的な一貫性の保存に努める點で契沖以來の態度を失
> はないと思ふ。
現代{仮|假}名遣いで育ったおれでも、「*はなじ」 「*こずつみ」と書く氣にはなれない。他方、「はじ (恥)」 「みず (水)」と書くのには何の抵抗も感じない。
ところが、これがローマ字でということになると、ためらいなく 'hanaji' 'kozutsumi' 'haji' 'mizu' と書いて、'hanadji' 'kodzutsumi' と書き分けようとは思わない。
やはり、いわゆる「本濁」も「連濁」も、同樣に濁點という補助符{号|號}で表される點に、最初の「不統一」の原因があろう。
970名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/01 13:23
872です。

>>874
正解です。ですが、元々の「弁」の字もお忘れなき様に。

>>876
その様な略し方もあるみたいですね。

しかしこのスレ、流れるのが速いですね。
どうですか。もうそろそろ次スレ立てませんか。
>>959
> 「慣習と妥協しても」といふ表現、やはりうさんくさい。
> バカな連中の程度に合はせてやる、といふ意味なのだらうか。
>>964 には間違いがあった。訂正する。
よく考えてみると、慣習と妥協して、かつ表音式の原則も守ったといえるのは、「おう」 「えい」の場合ぐらいだろう。
制定する側も、使用する側に回れば、等しく「バカな連中」の仲間だ。あまり新奇な字面にはやはりなじめない。
保科孝一は果断だったから、迷わず「おー」 「えー」とやった (「仮名遣い」どころか、「ー」は平仮名ですらない)。その結果受け入れられずに終わった。
「世間一般の容認こそ最終的な権威である」 (リチャード・マルカスター) と、おれもまた考える。
972908:04/02/01 20:25
>>968
> 假名遣いの問題は、形態音韻論と關係のない所にも生ずる。契沖はその方向へも道を開いてしまったわけだ。

さういふこと。
現代の目で見れば、「据ワル」→「すゑ」位は分るにしても、何も「水」まで「みづ」にしなくてもよからう
と思ふのももっともだが、用言活用システムすら分明でなかった契沖の時代、例へば老い(名詞・動詞)の關係
と、据ゑ・末(すゑ)、いへ(家)・へ(邊)、ひづ(浸づ)・みづ(水)を截斷する論理が、容易に得られただらうか。
勿論「中に、はひふへほと動くをば、多くは出さず」の樣な概括はしてゐる譯だが。

延喜表音主義でなく、もっと後に表音の「原點」を置く事も可能だった。しかし、その實踐例の定家假名遣ひ
(語頭「をお」を院政期アクセントで書き分ける)が、小桶→「こをけ」、桶→「おけ」、とかいふ、明らかに
語構成と矛盾する結果を出すのを知ってゐた契沖には、伊呂波が必要十分である(と信じた)時代まで溯るとい
ふ選擇肢しか無かったのだらう。

しかし、伊呂波だからまだ良かったのだ。龍磨邊りが甲乙まで書き分ける「天平寳字表音主義」でも始めてゐ
た日には、えらい事だったらう。
973名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/01 23:25
戰前には今で言ふところの新字體なるものは存在しなかつたのでせうか?
戦前に「新字体」と認識されていたものがあったか?
戦前に今の新字体が使われていたか?
>>973
現在呼ばれる新字体は「当用漢字字体表」や「常用漢字表」が告示されて
からの字体なのですから、戦前には存在しませんよね。
元となる字体は伝統的楷書からも参照されたみたいですが、
必ずしも全ての新字体が伝統的楷書から参照されたとは表現できません。
>>973
ほとんどの字体が(代替の用法も含めて)戦前からあった、そうだ。
かなり古くからあるものも多い、らしい。
(「弁」に代用するなどは日本独特の代用法)
ただそれらは決して「正しい」字体や用法ではなかった、らしい。
(「渋」などは「止」二つを略して繰り返し記号二つを下に書いている字)
戦後そういう便宜的な筆記法が公式に採用された、そうだ。
>>668の本参照。
977名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/03 00:12
>>976
だから、俗字として存在していたわけで、正字としては存在してなかったんだよ。
俗字なら、いまでも、朝日文字とかいう代表例があるし、手書きの世界なら、
門構えや言偏を簡略字のような字體で書くことは良くある。
つまり存在してたんじゃん
979873:04/02/03 01:05
>>879
ありがとうございます。
HTMLファイルは表示されたものの、ツールはキャッシュに残っていないようです……。
>>977
正字って何よ?
981名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/03 02:24
>>980 公文書に使われない文字。
982名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/03 02:25
>>980 を見ればわかるように旧字否定派が、何も国語改革を理解せずに
議論を挑んでいるのがわかるね。
983名無し象は鼻がウナギだ!:04/02/03 02:33
【國際】日本人を名乘る支那人の醉つ拂ひが街中で大暴れ 北京
1 名前:レコバφ ★ 04/02/02 07:05 ID:???
28日の午後、日本人を名乘る醉つ拂ひが北京市の西單圖書大廈附近で暴れ、
驅けつけた警官に毆る蹴るの暴舉をはたらく、と云ふ一幕があつた。

目撃者の話によれば、其の日の午後3時頃、西單で男女4人組が一人のタクシー
運轉手と揉め始め、とうとう其の内の一人の男が女性タクシードライバーを
怒鳴りつけ、しまひには車の屋根に上り其処に坐り込み、罵詈雜言を吐いた他、
自分が日本人だと言ひ始めた。

暫らくして、通報を受けた警官が驅けつけ、彼を車の上から引きずり下ろさう
としたが、男は其れに叛抗し、警官に對し毆る蹴るの亂暴をはたらいた。其の
ため警官は、其の男と共に連れの3人も一緒に派出所へ連行し、拘留した。

其の後の取り調べによれば、男は實は日本人などでなく、38歳の無職の
支那人で、彼の義理の兄が日本國籍を持つ華僑だつたと云ふ。
※以上記事引用しました。全文はリンク先參照して下さい
http://www.tokkai.com/a-column/data/news/1075512665.html

984980:04/02/03 02:53
>>982
えっ? 俺がどうかした?
>>983
★舊字舊假名添削
誤:暴舉
正:暴擧

そのほかは確りと變換された感じかと。
>舉
正楷書じゃないか。よくこんなのまで用意されているな
985です。

>>986
正楷書とはいい表現ですね。現在のJIS漢字は
和文タイプライターの字種を元に定められたと聞きますよ。
>>972(>>908)
契沖に詳しいのはごりっぱだけどねえ、今は国語改革以前の(以後も含むか?)歴史的かなづかひの
話なんだからさ、直接の関係はないよ。
旧かな派は契沖の決めた(発見した?)表記を流用だか活用だかしてゐるが、契沖の方針まで
そのままに受け継いだわけではないだらう。
參考ページ(>>2-10)に追加。

正字とは何か
 http://www.geocities.co.jp/Playtown-Bingo/9969/seiji.htm
>>988
> 直接の関係はないよ。
> 契沖の方針までそのままに受け継いだわけではないだらう。

それがオカルト、トへの道じゃないの? w
>>960 時枝に全集は無いが、完全な全集ならば帶文も拾ふものだ。
>>963 ただ>>901の誤りを指摘せるのみ。支持する・しないは>>901の言ひ出せしこと。

>>961
音聲を表すものであれ音韻を表すものであれ、橋本進吉説に據ればそれは發音記號に過ぎぬ。
橋本説を否定するなら反論を述べる必要あり。

>>962
>「1 音韻 1 表記」では、音韻を表記へと写すわけだから、音韻の種類が表記の種類より多くてもよい。
音韻が表記より多い場合、表記されない音韻があるか複數の音韻を1表記が表すかになる。
>>952でそれが「表音式の原則」だとしてゐたが、>>947での表音式の定義「一定の音韻に
対応する表記が 1 方法に決まっているか、または、複数の方法のどれを選んでもよく」
に反し、自家撞着である。>>947での定義はむしろ962のいふ「1 表記1 音韻」に當て嵌まる。

>>967
>その基準が必要という事自体が
>何も立証されていない思い込み。
またもや「思いこみ」とか罵倒語を投げつけて、論證拔きに無根據に決めつけるだけ。
基準が必要でないなら内閣告示「現代仮名遣い」も必要あるまい。
正誤の基準が無いからには、以後、正書法の問題には口出し無用だ。
次スレッドの雛形(テンプレート)

【過去ログ】
★舊字、舊假名遣いで話すスレ
 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/993720735/l50
★★舊字、舊假名遣ひで話すスレッド 二箇目
 http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1060013845/l50
【關聯スレッド】
旧字体・別字体について
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/991011416/l50
旧かな旧漢字は伝統的でしょうか(古文、漢文、漢字@2ch掲示板)
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/kobun/965113447/l50

參考ページは>>2-10あたり。
970です。雛形有難う。

もう990番も超えた事ですし、そろそろ次スレ立てませんか。
てえか、私が立てますよ。
【前身スレッド】
旧字旧かな遣ひ原理主義者
http://mentai.2ch.net/gengo/kako/962/962564141.html
「旧かな遣い」の制定過程は?
http://mentai.2ch.net/gengo/kako/964/964628499.html
文字表記の改革
http://mentai.2ch.net/gengo/kako/967/967069599.html
【番外】
波江究一に喝!
http://academy.2ch.net/gengo/kako/1022/10225/1022555138.html
旧字体置換可能チェッカー「校閲君」
http://www.hyuki.com/aozora/replace.cgi
旧漢字変換ツール qkan
http://kumada.homelinux.com:8080/qkan/qkan.html
qkana
http://qkana.hp.infoseek.co.jp/

漢字檢索
http://members.jcom.home.ne.jp/ksmiracle/Kokugo/IME/KanjiSearch.html

正字正仮名変換プログラム(OC.exe for Windows 95/98/Me/2000/XP)
http://www.geocities.co.jp/NeverLand/1627/

舊字舊假名辭書「丸谷君第三版」(Macのみ)
http://hp.vector.co.jp/authors/VA005156/

北極三號
http://ling.bun.kyoto-u.ac.jp/Home/Thaejoon/npiii.html
WX-3用正字正かな辭書
http://noz.hp.infoseek.co.jp/IME/WX3NOZ.html
歴史的かなづかひ關聯ソフトウヱア
http://kan-chan.stbbs.net/download/tradjp/
歴史的仮名遣とIME
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Cupertino/5991/ime.htm
ATOK8旧漢字辞書
http://www.vector.co.jp/soft/data/writing/se023293.html
正字正假名入力支援 Tool「舟枩」(暫定版)
http://www.hat.hi-ho.ne.jp/funaoto/conte/jisyo.html
正字正かな辞書
http://f7.aaacafe.ne.jp/~inusite/zatugaku/note/seikana.html
正字正假名遣ひ仕樣かな漢字變換辭書
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/Data/#Orthography
新・旧字対照表
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/cl/koten/newold.htm
新字と正字の比較
http://web.archive.org/web/20020602155150/http://hb9.seikyou.ne.jp/home/kyuri/nihongo/kanji-hikaku.html

「同音の漢字による書きかえ」(昭31.7.5 国語審議会報告)
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/hyoki/kakikae.txt
http://web.archive.org/web/20030227111258/http://nannohi.jp/word/kakikae1.html
「「同音の漢字による書きかえ」逆変換」
http://web.archive.org/web/20030423174506/http://www.nnh.to/word/inverse-kakikae.html

福田恆存『私の國語教室』第三章(中公文庫→文春文庫)
山田孝雄(山田忠雄訂補)『假名遣ちかみち』(國語問題協議會/申申閣)
 http://www.jsjapan.net/jsindex/book0005.htm
府川充男・小池和夫『旧字旧かな入門』(柏書房)
【フォント】正字表記をパソコン上でも貫くために
癸羊明朝フォント
http://www.asahi-net.or.jp/%7Esd5a-ucd/freefonts/QuiMi-mincho/
漢字道楽
http://www.sunsale.co.jp/soft-kot.htm
文字鏡契冲
http://www5a.biglobe.ne.jp/~keichu/mojikeichu.htm

舊字體變換プログラム・國家安康君臣豐樂ver1.1
http://members.tripod.com/~kuroda/kanji.html
【新スレ】立ちました。

【ゐゑ】舊字、舊假名遣ひで話すスレッド 三箇目
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1075814605/l50
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このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。