1 :
吾輩は名無しである :
2005/09/28(水) 04:47:11 やっぱこれがないと寂しすぎる。徹底的に決着つけようぜ。 批判したくてウズウズしてる奴は本スレではなくこちらで。
2get でも嬉しくない。
トルストイは現代ロシアではチェーホフ、ゴーリキー、ドストエフスキーを抑えて人気ナンバーワンの作家だと言う。 ドストはアメリカでは (自然と感情の描写しかできない)メロドラマ作家のトルストイより一段か二段下の 探偵小説(罪と罰)や裁判物(カラマーゾフの兄弟)を書く通俗小説作家としてしか評価されていません 数多くの才能を輩出したロシアの文学界にあって、トルストイは今も特別な存在である。 ロシア人にとっては国民作家と言われるプーシキンやチェーホフなどと比べてもこの作家は一段格上で、 あのドストエフスキーも二段ほど格が落ちるらしい。「トルストイこそロシアの全てだ」と言いきる人も少なくないという。 史上最高の小説 イギリスBBC放送局視聴者選 20位 戦争と平和 54位 アンナ・カレーニナ 60位 罪と罰
4 :
吾輩は名無しである :2005/09/28(水) 21:07:10
両方好き
5 :
吾輩は名無しである :2005/09/29(木) 05:27:25
どっちの方が世界で読まれてるんだ?
また、バッカなスレ立てたなー。 絶対、本スレには飛び火させんなよゴラァ!
7 :
吾輩は名無しである :2005/09/29(木) 15:26:34
>>6 まあまあ、落ち着いて。
本スレが荒れないために必要なスレだと思いましょう。
8 :
吾輩は名無しである :2005/09/29(木) 22:04:02
優劣つけんのはともかく、二人を比較した本なんかは面白いね。まあ最後は好きかどうかの問題だが。 昔戦争と平和読んで圧倒されたっけなあ。これ以上の小説は無いだろうと。でもカラマーゾフ読んで、 やっぱり凄いと思った。この二人より凄い作家はいないよ。
せっかくだから俺はソルジェニーツィンにするぜ?
10 :
吾輩は名無しである :2005/09/30(金) 09:50:54
>>3 の
>「トルストイこそロシアの全てだ」
こういうイタい台詞を平気で言えちゃう感性が、
トルストイ信者の終わってるところ。
端的に言えば、知性がない。知性がないから、
褒め方も具体的な言葉は何一つ使えず、他作家を貶すことで
褒めた気になる、という稚拙さ。
11 :
吾輩は名無しである :2005/09/30(金) 10:00:37
「アメリカでは」… 芸術作品にとって、アメリカで評価されること自体が恥辱。
12 :
吾輩は名無しである :2005/09/30(金) 12:14:09
路線が違いすぎる
13 :
吾輩は名無しである :2005/09/30(金) 16:51:34
「トルストイかドストエフスキーか」を読んでいます。
14 :
吾輩は名無しである :2005/09/30(金) 17:15:51
>>3 他の国でのランキングとかどうなんかな?
日本ではドストの方が人気みたいだけど、
ヨーロッパではトルストイの方が人気なんかな。
>>10 同意。ドスト信者よりも、トルストイ信者のほうが
狂信者って感じ。
スレみていても、たまに酷いのがきて
あまりの痛さにひいてしまうことがある。
17 :
吾輩は名無しである :2005/09/30(金) 18:12:44
トルストイ信者の方が、とか信者にまで優劣つけたがるところがドスト信者の痛いところだな。 信者なんてのはどっちも痛いっての。
18 :
吾輩は名無しである :2005/09/30(金) 18:28:58
スタイナーの「トルストイかドストエフスキーか」は、 トルストイに社会主義を、ドストエフスキーに個人主義を象徴させて、 どっちをよしとするかを読者に問う・・というような構えだったはず。 そういう意味で、米ソの対立が終わって、 少し時代に置いてかれてるような気もするけど、 両大家の作品分析に関しては流石に鋭く、 文章にもぐいぐい読ませる力があるので、 読んで損はない一冊だと思う。 それにしても、こんな本を30歳そこそこで書いたというのは、 何のかんのいって化物だね。
19 :
吾輩は名無しである :2005/09/30(金) 18:43:12
30!!めっちゃ頭いいな。
ツルゲーネフは?
うん、ツルゲーネフも。
22 :
吾輩は名無しである :2005/10/01(土) 08:40:44
トルストイとドストエフスキー、両者を比べた場合、知性と人間性という点では、トルストイは ドストなんかの手の届かないはるかな高みにいることは間違いない。 以下のドストの書いた悪名高い戦争礼賛DQNエッセイの一部。 ドストの妄想的で夜郎自大的な思考の特徴がよくでている。 「戦争は一つのプロセスであって、まさにこのプロセスを経ることによって、最小の流血と最小の悲哀と、 最小の力の消費で国際間の安定を確保し、近似的にであれ、多少なりとも国と国との正常な関係が できあがるのである。もちろん、これは悲しむべきことではあるが、実態がこういうものなら致し方ない。 いつまでという期限もなしに苦しむよりは、ひと思いに剣を抜いたほうがよい。 それに今の文明国の平和がどんな点で戦争よりいいのだろうか?むしろ逆に、人間を獣的にし冷酷無残に するのは、平和、それも長い平和であって、戦争ではない。長い平和は常に残忍、小心、粗野で飽食せる エゴイズムを生み、何よりも知的停滞を生み出す。」 「一方、心広やかな目的のために、抑圧された人びとを解放するために、無私無欲の聖なる理念のために なされた戦争――かかる戦争は、積もり積もった毒に汚染された空気を浄め、魂を癒し、恥ずべき小心と 怠惰を駆逐し、確固たる目的を宣明・樹立し、特定の国民が実現する使命を帯びている理念を提示し、 かつその理念を明らかにするのである。」(ドストエフスキー「作家の日記」) さらにドストはアジア侵略大構想まで考えてて、自分たちがアジア人の「ご主人様」になることを 夢見ていたんだぜ。それも自分のエッセイ「作家の日記」にちゃんと書いてある。最低だよな。
これに比べて、トルストイの思想のなんと高尚かつ高貴なことよ。 やはり、ドストとは人間の出来が違うね。 上のドストの戦争礼賛エッセイにくらべりゃそんなことは一目瞭然だよ。反論できるヤツしてみろ。 「私にとって民族が何でしょう?私はそれらの間に何らの差別もつけていません。私は人間のために 立っているものです。こんな戦争から人間にとってよいことがどうして起こり得るでしょう? 困った事に、戦争はわれわれに人間的義務の完全な忘却を示しています。家族に対する、祖国に対する 人類に対する義務の上に、さらに──こういう言葉を使うことが許されるならば、──神に対する 義務があるのです。…この私が神と名づける万有なるものは、闘争に関係なきものであります。 …そして今や彼らは、思索する生物の第一の義務が殺人を止めることであるという事実を忘却して、 戦争に引き入れられているのであります!」 「心の奥底では私は自分を愛国心から全く解放されているものとは感じないのです。隔世遺伝と教育の 結果、私は自分の意志に反してその愛国心が依然として自分の中に宿っているのを感じます。 私は理性の援けを呼び、より高い義務を思い出さなければならないのです。そしてその時、私は何ら かの差し控えもなく、人類の利益を高く置くのです。そうです、私の意識は私に向かって言うのです。 『殺人はいかなる形式で現れようとも、いかなる理由に包まれようとも、常に厭うべきである。 戦争は奇怪な怪物の鞭である。それを準備する一切のものは非難さるべきである…』 」 (1904年 日露戦争勃発時のトルストイのコメント)
作家の思想と彼の書いた文学作品の価値とは別問題だ、というヤツもいるかも しれないが、ドストエフスキーの場合、彼の思想のキモさが作品からも 伝わってきてほんと辟易。
どっちにしろアンチが一番きめえw
トルストイ信者のアンチドストっぷりってすごいもんだな
まともな反論ができないところをみると、ドスト信者のIQはやはりドスト並み なんだな。
痛いドス・トル信者は全員このスレに隔離
29 :
吾輩は名無しである :2005/10/03(月) 14:31:37
トルストイvsドストは同時に戦争と平和vsカラマーゾフの最強小説決定戦でもある。
でもカラマは未完なんだよな
31 :
吾輩は名無しである :2005/10/03(月) 18:25:21
戦争と平和も未完だけどね
32 :
吾輩は名無しである :2005/10/03(月) 19:20:17
じゃあここまで互角
33 :
吾輩は名無しである :2005/10/03(月) 21:50:01
第二戦 罪罰VSアンナ
34 :
吾輩は名無しである :2005/10/03(月) 23:25:06
女性の描写は断然トルストイが上手いね。
35 :
吾輩は名無しである :2005/10/04(火) 02:10:12
>>34 たしかに。
でも、ドストエフスキーって2回も結婚してるんだよな。
なんでなんだ。
トーマス・マンの「ゲーテとシラー」。 内容の半分は「トルストイとドストエフスキー」。 面白いので読め。
37 :
吾輩は名無しである :2005/10/04(火) 02:19:46
読んだ。 「ゲーテとトルストイ」という題じゃなかった?
俗な話だが、萌えキャラを作るのはドストの勝ちだな。 それが作家として優れていることになるかどうかは知らんけどw
ドストの作品に萌えキャラなんか出てくるか? 例を挙げてくれ。 オイラが萌えるのは、 「子犬を連れた奥さん」のアンナと「初恋」のジナイーダ 。
40 :
吾輩は名無しである :2005/10/04(火) 16:08:55
スタヴローギン
41 :
たまや :2005/10/04(火) 20:53:53
>>3 1位 指輪物語
は?
2位 高慢と偏見
完璧イギリスびいきじゃんかよ…
3位 ハリー・ポッターと炎のゴブ...
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
42 :
吾輩は名無しである :2005/10/04(火) 21:08:17
>>41 一般人に対するアンケートだから当然の結果じゃん。
イギリスの一般人にどういったものが親しまれてるか分かるね。
>>42 その順位を持ち出して格上だとか言ってる
>>3 が馬鹿だってことだろ。
>39 アグラーヤたん。
トルストイが親しまれてるって事だろ。
>>39 なにを釣りたいわけだ? おもろいなぁ…ウケたぜよ
100年後には差が出ているかもね。どっちがどうとは言わんが。
この前リョービンとオブロンスキーが生牡蠣にレモン絞って食うところを読み返してたら 刺身とか苦手だけど無性に真似したくなって、スーパーで生食用の牡蠣買ってレモン絞って 食ってみたら生臭くて激マズだった。
>>48 ご愁傷様。
そういえば、チェーホフに「牡蠣」って短篇があったね。
海原雄山がこないだ山岡に 「そんな小さい子供には生ガキの磯の香りはきつすぎて分からない。 少し火を通してやれば、彼等だっておいしくたべられるものを(お前は なんて愚かなんだ)」と言ってた。
すみませーん、このスレもトルストイとドストエフスキーに出てくる食べ物話を 書いてもOKですか?
いいよ!
ドストアンチスレでやったら? あそこは今食べ物の話ばっかりだし
54 :
吾輩は名無しである :2005/10/06(木) 20:26:23
>>53 …しくしく、お料理以外のネタも書いときましたから見てね!
>>55 「 ̄ `ヽ、 ______
L -‐ '´  ̄ `ヽ- 、 〉
/ ヽ\ /
// / / ヽヽ ヽ〈
ヽ、レ! { ム-t ハ li 、 i i }ト、
ハN | lヽ八l ヽjハVヽ、i j/ l !
/ハ. l ヽk== , r= 、ノルl lL」
ヽN、ハ l ┌‐┐ ゙l ノl l
ヽトjヽ、 ヽ_ノ ノ//レ′
r777777777tノ` ー r ´フ/′
j´ニゝ l|ヽ _/`\
〈 ‐ 君の態度が lト、 / 〃ゝ、
〈、ネ.. .lF V=="/ イl.
ト | 気に入らない とニヽ二/ l
ヽ.|l 〈ー- ! `ヽ. l
|lから、お断り|トニ、_ノ ヾ、!
|l__________l| \ ソ
こっちに書いて下さい
>>57 んじゃ、そのうちトルストイの三大長編に出てくる食べ物リストでも書き込ませて
もらうね!
59 :
吾輩は名無しである :2005/10/12(水) 21:40:46
ジョージ・ステイナーのやつ、トルストイには少し辛いな。ドストはマンセー。
60 :
吾輩は名無しである :2005/10/13(木) 15:48:54
>>59 トルストイに辛いというか、トルストイの宗教観に辛いよね。
評価はともかく、急所を突いてると思う
62 :
吾輩は名無しである :2005/10/13(木) 18:21:20
>>61 まあ、そこを突かれたことろで、トルストイの偉大さが減ずる訳ではないけど。
トルストイの真の偉大さは、登場人物を無限の広がりを持って生き生きと描き出したこと、
構想のしっかりした雄大な小説を破綻なく書いたことにあるんだから。
63 :
吾輩は名無しである :2005/10/13(木) 20:05:04
ドストエフスキーは常に神を意識している。
64 :
吾輩は名無しである :2005/10/17(月) 04:02:51
世界一の作家ってこの二人のどっちかなの?それとも・・・?
65 :
続き :2005/10/17(月) 10:39:21
まあドストって一部の狂信的作家がすぐ引用したりするけど、実際世界一とかそんな発言は聞かないな。
66 :
吾輩は名無しである :2005/10/17(月) 12:17:50
>>64 俺はトルストイだと信じてるが、
シェイクスピア、ゲーテ、トルストイのうちの
誰かであることは間違いないだろう。
ホメロスかダンテ
お前らなー、ドストの話をするなら俺を呼べよー。 前にもドストスレかどこかでそう主張したはずだがなー。 次からは必ず俺を呼べよー。 絶対だぞー。 じゃあなー。
69 :
吾輩は名無しである :2005/10/17(月) 23:08:37
トルストイもいいんだけどドストエフスキーの内臓をえぐるような 心理描写が無いんだよね。大きさはトルストイだが深さではドストかな。 よく19世紀のロシアにこんな天才が二人も出たね。
70 :
鼎 :2005/10/17(月) 23:17:04
社会が激変すると、それまでの価値観が崩れて寄るべを失い、それが人々に思索を強いることになり、結果的に偉大な作品の誕生につながる・・・らしい。ソウセキしかり、鴎外、シェークスピアしかり。
71 :
鼎 :2005/10/17(月) 23:21:59
もちろんドストエフスキーもトルストイも。ある意味彼らの生きていた時代が不安定だったからこそ、それをどうにかしようという意志が彼らを突き動かした、っていえなくもない。
72 :
吾輩は名無しである :2005/10/17(月) 23:33:12
トルストイは連続テレビ小説 →単調で淡々と進む場面もあるが物語は常に主軸を中心に展開され、全体として 脚本も細部まで計算された完成度を持ち、そのメッセージ性もまとまっている。 ドストはハリウッド映画 →演出過剰や物語の急過ぎる展開は見られるが、そのリアリティを越えた ドラマ性、魅力ある人物達の吐きだすメッセージは観る者の感情にストレートに訴える。 俺式結論of俺:いつも両方楽しめる俺は何て幸福な読書人♪
73 :
鼎 :2005/10/17(月) 23:57:28
きみの文章を読んで、以前ある人が、物語ってのはたいてい登場人物が対立することをドラマツルギーとするのに対し、ドストエフスキーは思想の対立によって物語が進むんだ、だから特異なんだって言ってたのを思い出したよ。
トルストイvsドストエフスキーは同時にホメロスvsシェイクスピアでもある。
75 :
鼎 :2005/10/18(火) 01:10:27
それは、世界を肯定しているか、それとも世界を否定して、なおかつその否定をロマン主義的に止揚しようとしているか、という態度の違いを見ているのでしょうか?
76 :
鼎 :2005/10/18(火) 01:20:15
送信してから気付いたけど止揚ということばはちょつと場違いでした。さげでこっそり取り消そう。
トルストイってスケールが大きいとよく言われるけど おれは完全に同意できないね なぜならパノラマ的場面や説教よりも 描写や分析、感情の振れの細かさとかの こまやかな部分の方が好きだから
外的宇宙と内的宇宙を同時に高いレベルで表現できる作家は世界でトルストイをおいて他にない。
79 :
吾輩は名無しである :2005/10/18(火) 14:21:50
>>78 >外的宇宙と内的宇宙
何となく分かる気もするけど、詳しく。
80 :
吾輩は名無しである :2005/10/18(火) 19:45:08
臨終の言葉がカコイイからトルストイの勝ち!
残念だったな! 破滅的なドストの生き様! かっこいいとはこのことさ!!!!
破綻してないドストはただのドスト
83 :
吾輩は名無しである :2005/10/23(日) 04:28:20
ドストなんて青臭いガキ文学だろ トルストイみたく哲学の域まで達してない
84 :
死神参上 :2005/10/23(日) 08:36:42
ドストエフスキーほど我々の心を掴んで離さない作家はいるだろうか。 トルストイはまだ一冊も読んでいない。
>>84 君は人生を無駄にしている。トルを読めばその時点で、ドスは過去の人になる。
人生をWindowsに例えるとトルストイの作風(というか視点)は Windowsタスクマネージャー的であるのに対し、ドストエフスキー はOS自体を不安定にしてしまう出来の悪いアプリケーションその ものという感じがする。
このスレを読んで、トルストイ派の方が必死ということだけはわかった。 どっちも面白いと思うんだけどねえ。
いや、ドスト信者を釣ろうとしてるんだと思うw釣れないけどw
純粋にドストはレベルの低い漫画にしか見えないだけ。ドストオタのが必死w
91 :
吾輩は名無しである :2005/10/24(月) 21:20:15
なんかトルストイの方が一段上なんだろうなとは想う。
92 :
吾輩は名無しである :2005/10/26(水) 18:30:19
ドストヲタの人に訊きたいんだけど、 『罪と×』で、ラスコーリニコフとソーニャがラザロの復活を読んで、 「消えかけた蝋燭の炎は揺らめき、永遠の書を読んでいる娼婦と殺人者を照らし出していた」 とかいうシーンの、どこに感動するんですか? 俺は、『罪と×』を2回読んだけど、このシーンに関しては 全く何の感銘も受けなかったんですが。
93 :
吾輩は名無しである :2005/10/26(水) 18:33:18
そこで感動しないあなたは面白みのない人間です。
>>92 何も感じない本を2回も読まなくてもいいんじゃない?
95 :
吾輩は名無しである :2005/10/26(水) 18:37:27
96 :
吾輩は名無しである :2005/10/26(水) 19:25:52
グローバルな規模での民主主義の可能性が今日、まさに初めて明らかになりつつ ある。本書はこの可能性についてのものであり、このことをわれわれはマルチチ ュードの事業と呼ぶ。このマルチチュードの事業は、平等と自由の世界への欲望 を表現するだけでなく、開放的で包括的な民主的グローバル社会を要求するだけ でなく、その達成の手段でもある。そのようにして本書は終わるだろうが、そこ で事業を始めることはできない。 こんにち民主主義の可能性は、世界中の紛争の表面上の恒久状態によって不明 瞭にされ、また脅かされている。本書はこの戦争状態から始めねばならない。民 主主義が、近代をつうじて、その全ての国民的および地方的形態で、1つの未完の 事業のままであったのは確かである。そして確かに最近10年間のグローバル化の 過程は新しい挑戦を加えつつあるが、民主主義にたいする第一の障害は、戦争の グローバルな状態なのである。われわれの時代、武装したグローバル化の時代に おいて、民主主義についての近代の夢は決定的に失われたかに見えるかもしれな い。戦争はいつも民主主義と両立しなかった。伝統的に、民主主義は戦時のあい だ宙ぶらりんになり、危機に対峙するために権力は暫定的に強力な中央の権威に 委ねられてきた。最新の戦争状態が規模においてグローバルであり、また長期化 し終わりが見えないゆえに、民主主義の宙づり状態もまた不確定になり、永久化 さえするようになるのである。【xii】戦争は一般化された性格をおびる。全社会 生活を抑圧し、それ自身の政治秩序を主張する。このように民主主義は、武器お よび紛争の上記の恒常状態におけるセキュリティ体制の下に深く埋められて、完 全に回復不能に見える。 まだ、民主主義はそれほど必要でないのだ。戦争中のわれわれの世界に浸透す る恐怖、不安全、および支配の出口を提供する他の選択肢はないのだ。コモンの なかでの平和な生にわれわれを導く他の選択肢はないのだ。
100を目指そうぜ
ありがとう、97 発言しようかどうか考えてたんだけれど、96が凄すぎて俺なんかって思ってたときに 本当にありがとう 100まで後少しだ。頑張ろう
おう!どんどん発言してくれ。ってかマターリと文豪二人を語り合えたら面白いね。
100 :
吾輩は名無しである :2005/11/05(土) 08:38:24
ロシア文学おもしろい!
贋作罪と罰なんてものには興味は無いのであろうか。 誰か観に行ってきたらいいと思うのである。
102 :
吾輩は名無しである :2005/11/21(月) 12:43:39
おまいが行ってくれ
103 :
吾輩は名無しである :2005/11/22(火) 12:23:35
トルストイは、初めて読んだのが復活だったせいもあるんだけど、どうして きれいごとををいいすぎるってイメージがあるんだよな。その点、ドスト エフスキーは体臭がきつ過ぎるけど、それさえ乗り越えられれば21世紀 に生きるオレたちにもストレートに伝わってくる内容をもっていると思うけど な。 正直、復活やアンナカレーニナにでてくる登場人物はオレにはよくわからん。 あんな人たちが実際にいることすら想像できない。
104 :
吾輩は名無しである :2005/11/22(火) 13:15:09
どこへでもいっちゃえよ
105 :
吾輩は名無しである :2005/11/22(火) 13:44:10
俺はドストキャラたちが現実にいることが想像できないw
106 :
吾輩は名無しである :2005/11/22(火) 13:57:15
>>105 確かに。オレも書き込んだ後、これはドストエフスキーの方がもっと
当てはまるなと思ったよ。ただ、極度にデフォルメされていて、現代
のオレたちには理解不能な処が多々あるにせよ、彼の登場人物(
男性のみ)の抱えている問題や行動は共感できる所があるんだよ。
トルストイの登場人物は、大文学者トルストイが冷静に動かすチェス
の一コマといった印象が強くて、どうにも心を動かされない。
まあ、好みの問題かな(これいっちゃオシマイか)
107 :
吾輩は名無しである :2005/11/22(火) 16:14:33
50人の登場人物でも自在に描写できるんだぜぇぇ。これっきゃねーよ!
108 :
吾輩は名無しである :2005/11/22(火) 21:59:51
ドスは昔の作家にはめずらしく読者の前で裸踊りができる 人(しかもいつもチンポはギンギン)で、そこが好きなんだけ けどな。しかし、同時にそこが嫌われる理由でもあるという こともよく解るよ。 トルストイはとにかく達者な人だね。古典的な小説の技法で 彼以上にうまい人ってのはいないんじゃないかな。
109 :
吾輩は名無しである :2005/11/22(火) 22:13:38
まあ住み分け出来るって事でいいんじゃない?
110 :
吾輩は名無しである :2005/11/22(火) 23:14:09
ドストエフスキーは状況によって倫理的な出来事や、人物の心理的反応や 精神内部の漣によって、人物の性格を描写する。一度人物の外見を描写して しまうと、古い文学的手法に従って、その人物が出ている場面ではもう二度と 肉体的特徴や外見に触れようとしない。これはトルストイのような芸術家 のやり方とは違う。トルストイは絶えず心のなかで人物を見つめつづけ、 特定の瞬間にその人物がどんな身ぶりをするかを正確に知っているのである。
111 :
吾輩は名無しである :2005/11/22(火) 23:16:37
究極の刷り込まれ文学でしょ、ドストは。 本質的にはいまのラノベに通じるものを感じるな。
112 :
吾輩は名無しである :2005/11/23(水) 02:38:36
ドストの魅力は狂気じみた誇大妄想だろ。
ドストの小説には基本的に健康な人物が出てこない。 病気(おもに神経症)を患った人物が繰り広げる病的、ゆえに特殊な物語。 それは精神病院内における群像の観察記録であると言える。 比べて、トルスの小説の登場人物は概ね健康的である。すこぶる健康な人間が 罪や死と向かい合った際に発生するファルスのようなものが、あくまでも 複眼的な視野のなかに捉えられ、正確に記録される。 自然科学の直感と詩の厳密さのあわいに生じた神秘の光が物語に満ち溢れ、 読者は官能的な眩暈の連続のうちに、その活字芸術が紡ぎ出す至高の美に 包まれてゆくことになるだろう。
ボクサーに例えるとわかりやすいかな。 ドストは滅茶苦茶パンチ力のあるボクサー。 当たればKO必至。ただし、テクニックはさほどでもない。 片やトルストイは計算された試合運びで確実にポイントをとるボクサー。 うまくハマれば相手に一度も触れさせずに勝つこともできるが、KO率はとても低い。 そんな感じだろうか。
116 :
吾輩は名無しである :2005/11/23(水) 12:41:02
トルストイはボクシングの試合はしているが、試合の勝ち負けはあまり重要ではなく、 いや、トルストイ自身は勝負にこだわっているかもしれないが、目の肥えた ボクシングファンにとってそのことはあまり重要ではなく、むしろ、 トルストイの華麗なフットワーク、刃物のように鋭角的に繰り出される 美しいパンチの軌跡をみたいがために、ボクシング会場へと足を運ぶのである。
118 :
吾輩は名無しである :2005/11/23(水) 14:51:41
ドストエフスキーは矢吹丈で、 トルストイはホセ・メンドーサということか。
トルストイは写真でドストは落書き
120 :
吾輩は名無しである :2005/11/23(水) 17:50:16
みんなの言う通り、ドスの小説はオナニーショーだよ。 しかし、スペルマの量が半端じゃないんだ。とにかく、 これでもか、これでもか、これでもかと言った上にさら にこれでもかとスペルマを発射し続けるその異常性。 こんな奴は他にいない。いても困る。
トルストイは英ロック ドストエフスキーは米インディーズ
トルストイは丹下健三 ドストエフスキーは姉歯一級建築士
トルストイはドストエフスキー
トルストイは俺 ドストエフスキーは愛すべきお前ら
126 :
吾輩は名無しである :2005/11/26(土) 14:01:31
トルストイは神 ドストエフスキーは悪魔
127 :
吾輩は名無しである :2005/11/28(月) 18:48:11
>>113 へ
>>110 の引用元は、ナボコフの『ロシア文学講義』です。
間違いありません。
なかなか手に入らない稀少本ですが、
ナボコフの鋭い分析には本当に役立つし、読み応えもあるので、
機会があったら読んでみては如何ですか?
128 :
吾輩は名無しである :2005/11/28(月) 21:01:59
129 :
吾輩は名無しである :2005/12/03(土) 07:11:16
世界のナンバー1とナンバー2
132 :
吾輩は名無しである :2005/12/05(月) 16:48:20
ドストルストイ最強
>>127 ナボコフってよく出てくるが、そんなに注目に値するすごい人なのか
うん
136 :
吾輩は名無しである :2005/12/18(日) 22:56:43
過大評価はどっちだ
137 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 14:15:25
138 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 21:00:35
ドストエフスキー全然分からない。 自称ファンたちって本当に内容を理解してるの? 文章力だったら、断然トルストイの方が上でしょ。 ドフトの作品て本当に罪人の心の闇をえぐっているのかな。 何か、人物が泣き喚いたりするシーンが多すぎる気がする。 単なる推理サスペンスなんじゃないかと思うんだけど。 俺の読解力不足なんだろうか。
139 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 21:38:40
いや、もちろん綿矢や野ブタよりは断然面白いけどさ。
>>138-139 >自称ファンたちって本当に内容を理解してるの?
内容? ストーリーも理解できていないと? ドスト氏の意図やテーマを真に読み解くのは困難だが。
>文章力だったら、断然トルストイの方が上でしょ。
あっそ。
>ドフトの作品て本当に罪人の心の闇をえぐっているのかな。
ドフト? 誰? 何故「罪人の心の闇」をえぐっていなければならないのか。
誰が「罪人の心の闇をえぐってい」ると言っているのか。
>何か、人物が泣き喚いたりするシーンが多すぎる気がする。
つ「永遠のドストエフスキー」(中村健之介)
>単なる推理サスペンスなんじゃないかと思うんだけど。
「単なる推理サスペンス」で何が悪いと?
「単なる」という評価は「推理サスペンス」以外のテーマがない(或いは浅い)、
という主張でしょう? 「ドストエフスキー全然分からない」と言いつつ
「単なる」ねえ。
>俺の読解力不足なんだろうか。
>いや、もちろん綿矢や野ブタよりは断然面白いけどさ。
w
↑痛い
問題はない。痛いと思っただけ。
知ってるよ。
>>39 俺はドゥーネチカ(妹キャラ)とダーリヤ(献身キャラ)に萌えました。
逝ってよしですか?
147 :
吾輩は名無しである :2005/12/22(木) 20:42:06
じゃあ、普通に推理サスペンスとして読めばよろしいのであるか。 だったら、文句はないぞ。
今時それ以上の読み方してる一般読者なんて極少だよ。
>>146 みたいな萌えで読んでんだから。
149 :
吾輩は名無しである :2005/12/23(金) 06:32:31
ロシア文学なんて長いだけでクソですよ
そうでもない
>>140 は流石に駄目だろ。突っ込みとしては3流以下。単なるいいがかり。
萌えって読み方は最低だと思う。 ナボコフやトルストイが聞いたら泣くぞ。
トルストイ自体ロリ親父だから問題ない。
ロリはドストエフスキーの方だってば…
トルの性欲をテーマにした小説に出てくる女は豊満な体のばかりだし
>>148 失礼だな、チミは。俺は多面的思考ができるだけで、
ドストエフスキー作品は思想モノとして真面目に読んでるぞ。
つか、トルストイかドストエフスキーかは、決めかねる。
トルストイはその思想の高調子なこと、人物描写の妙、高潔なヒューマニズムにおいて、
ドストエフスキーの比ではない。
ドストエフスキーはとても現実にいるとは思えない一種病的な人物ばっか出てくるし、
ちょっとしたことも長々と描写するが、では全く取るに足らないかと言うとそうではない。
人間の異常心理、暗黒面への洞察という一点に関しては、トルストイを凌駕する。
これらの違いは、両者の性質の相違から来ているようにも思える。
大体萌えたきゃわざわざドストなぞ読まんて。長ったらしいんだしさ。 萌える手段なんて他にいくらでもあるだろ?
>>157 へ!へ!へ!半角二次元に
ソーニャスレッドが立った事もあるんですぜ、旦那!
160 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2005/12/29(木) 19:48:19
スーパーゼウスとブラックゼウスって感じだなこの二人は
162 :
【吉】 :2006/01/01(日) 00:12:57
おめ
164 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/12(木) 06:32:32
age
165 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/12(木) 20:42:46
当時は幸せだよな。 こんな偉大な作家が、同時期に生存していたなんて。 そういえばトルストイは訪問者が絶えなかったと聞くけど、 ドストはあんまりそういうの聞かないな。 人望なかったの?
166 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/12(木) 22:39:50
まぁ、貴族と平民の違いじゃね? 二人の物語に出てくる金額の違いがワロスな 賭けで43000ルーブルドーロホフ萎え 片や一回の家庭教師で50カペイカラスコ萌え
ミーチャは3000ルーブリであんなことになったのに><
168 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/13(金) 05:50:25
人類の教師とキティガイの違いだろ
人類最強の貴人と賎人か
170 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/13(金) 08:46:52
ドストの小説からは複数の「声」が聞こえてくる 価値が多様化した世界であり、一方のトルストイは 大上段から一つの価値を振りかざす教説的な世界である。 権威から発せられる道徳に盲信したいような人間にとっては、 トルストイほどありがたい小説はないわけだ。
>>170 ドストのポリフォニーなんてたいしたこっちゃねぇーよ。
ひきこもりが一人で何役かこなしてブツブツ言ってる程度。
170のような視点だけでトルストイの小説を断じるのは モノフォニー的ではないのですか?
173 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/13(金) 19:05:30
さすがにみんなバフチンくらい知ってるんだね。
みなの教養の高さに素直に驚いた。俺は
>>170 じゃないが。
でも俺、思うよ 「トルストイに熱狂するほどの人間なら21世紀となったこの時代では生きていけないだろ」 って。 いや、俺もトルストイ大好きなんだよ。 何で熱狂信者のミンナは生きてんの? 自殺とかさ、後ろ向きなのはカッコ悪い? 生きていなきゃお話にならない? そう思う人は子供いる? 毎日ウィスキー飲んで小説書いては 死ぬかも知れないと思ってる毎日さ いや、酔うってのは気持ちいいね、そこが問題さ フョードルがコニャックを 「これ以上は呑まんぞ」 とか言いながらもう半杯だけ飲んで酒棚の鍵を閉めた様にね 文学は決して自己満足の世界ではない 今生きている現実をどう見つめるが問題なんだb
酔いすぎだぞ
>>174 >今生きている現実をどう見つめるが問題なんだ
それが「生きる」ってことだろう。
いまこの瞬間にも命を絶とうとしている人間が現実を見つめる必要などない。
>>174 それトルストイ好きがどうこうじゃなくて、おまえが21世紀に生きていけそうにないだけだろ。
178 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/14(土) 05:01:49
露助文学が好きな奴って後ろ向きな奴が多くない?
そう?
トルストイ読者はトの思想とかに酔ってると思ってる奴 そういう奴は逆にトルストイの小説から思想しか見出だせない 自身の貧弱な読みを自ら証明してるようなものだな ナボコフみたいな読み手を知らんのか
181 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/15(日) 04:27:25
今、両者のどちらかが生き返って1本だけ新作を書くとなったら どっちを読みたい?
>>181 それなら迷うことなくドスト。
幻のカラマーゾフ第二部を書いてほしい。
だがドストは、ラスベガスに入り浸り、新作を書かぬまま再び帰っていくのだった…
>>181 俺はトルストイ。
幻の戦争と平和第二部を書いて欲しい
だがドストは、駅に入り浸り、新作を書かぬまま再び帰っていくのだった…
だがトルストイは、駅に入り浸り、新作を書かぬまま再び帰っていくのだった…
187 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/15(日) 17:40:24
トルストイとドストエフスキーの違いは、まさしく物語中心主義かキャラクター中心主義なのだ。 物語中心主義は、ひたすらルールにのっとり、身体を鍛え、良い記録を出そうと鍛錬する アスリートのようなものだ。我々はその鍛え抜かれた肉体と、超人的な記録に感動する。 キャラクター中心主義は、選手がどれほど人間的か、どれほど努力をしたかを見せつけて 感動を促すドキュメンタリーのようなものだ。 仮に記録が奮わずとも、努力を知っている読者は、その姿に感動を覚えるだろう。 フェアなのは物語中心主義のトルストイだ。 だからこそ、ナボコフはトルストイを褒めた。
188 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/28(土) 07:04:53
age
189 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/02/12(日) 12:41:49
トルストイは精神的エリートに好まれ、ドストは一般人に好まれる。 ような気がする
190 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/02/12(日) 15:29:10
ドストにどっぷりはまった前科があります。 「未成年」がいまいちピンとこなかったので、いつか読み返してみたいと思って います。 トルストイは「幼年時代」と「イワン・イリッチの死」が好き。 「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」「復活」はいまひとつでした。 「戦争と平和」には悠々自適の生活ができるようになったら再チャレンジしよう と思っていますが、たぶん、そういう時代はこないでしょう。
糞スレかと思いきやわりと的確な喩えが多くて驚いた
192 :
吾輩は名無しである :2006/02/22(水) 00:29:30
岩波の新訳の「戦争と平和」買っちゃいました。 面白そう。
面白いよあれは
194 :
吾輩は名無しである :2006/02/24(金) 21:43:18
ほっしゅ
トルストイはモーツァルト ドストエフスキーはベートベン 俺の勝手なイメージ
196 :
吾輩は名無しである :2006/03/01(水) 21:50:33
>>195 ドストエフスキーもベートベンも癲癇持ちだったらしいね。
197 :
吾輩は名無しである :2006/03/11(土) 16:03:18
罪と罰を読んでみようと思ってたんだけど トルストイとドストエフスキーは同じ奴だとずっと思ってた。。 凄い恥ずかしい。
198 :
吾輩は名無しである :2006/03/11(土) 20:34:33
トルストイとドストの人格があわさったら、自殺しちゃうよ。
199 :
吾輩は名無しである :2006/03/31(金) 01:04:18
自殺する際にはどちらの人格が自殺をするんだろうね。人格トルストイが 冷静に自殺するのか、それとも人格ドストエフスキーが発狂しながら自殺するのか。 もしくはこの二つの人格がケンカしているのをトルストエフスキーが眺めながら自殺するのか。
200 :
吾輩は名無しである :2006/03/31(金) 10:19:28
>>92 遅レスだけど、ラスコーリニコフがソーニャの信仰を試すラザロの復活はここがツボってのも知らなかったけど、感動したよ。
キリスト信者だって大抵の人は死者が復活するなんて本気で思ってないよ。
だけど、ソーニャは本気、それがひしひし伝わってくる。すごい信仰って感じ、なぜ厭世的になってるラスコーリニコフ
にとってソーニャの心が救いになっていくのかが良くわかるとこだよ。
ちなみにおれはクリスチャンでもないしドストよりトルストイのほうが好き。
だけど説教くさいトルストイは嫌い。
201 :
吾輩は名無しである :2006/04/02(日) 07:02:35
age
202 :
吾輩は名無しである :2006/04/03(月) 22:36:51
>>92 ラザロの復活は震えながら読んだよ。
彼女がウリしてしばいたことあるんよ。
男の暴力と女の売春ていう2つの大罪が対峙する場面。ヤバイくらい美しい対峙ですよ。
204 :
吾輩は名無しである :2006/04/16(日) 23:46:36
age
205 :
吾輩は名無しである :2006/04/17(月) 03:29:22
>>198 トルストイとドストエフスキーが合わさるなんて、悟空とベジータがフュージョンするようなもんですよw
206 :
吾輩は名無しである :2006/04/17(月) 03:57:48
トルストエフスキー「オレはトルストイでもドストエフスキーでもない。 オレはお前を倒す者だ!
207 :
吾輩は名無しである :2006/04/21(金) 08:27:44
>>203 「絵」的には様になると思うけど
どうして家族の生活の為の売春と殺人が同列に置かれるのかふざけんな!と言いたい。
208 :
吾輩は名無しである :2006/04/21(金) 18:40:03
>>207 今の考えだとそうなるけど、この時代のヨーロッパってキリスト教の絶大な影響下にあったらから、
まあ、売春と殺人が同列に扱われるのもありえなくはないな。
売春じゃなくて不倫になっちまうけど、フローベールの『ボヴァリー夫人』とかトルストイの
『アンナ・カレーニナ』なんて不倫した主人公は悲惨な目にあってるじゃない。
これって、世間の道徳に屈服してるんだよな。予定調和というのかね。不倫女は不幸でねえといけねえ、と。
>>207 …援交をホイホイやるような時代の処女性とは意味がちがう。
「純潔」と言った。命に換えても守り抜くべきものとして
それはあった。
そういう時代のはなし
210 :
吾輩は名無しである :2006/04/21(金) 21:29:32
>>208 でもナボコフは『ロシア文学講義』で、
「キリスト教は既に千九百年も前から娼婦を許している。
それに対して殺人者は、今すぐ医者の診察を受けねばならない。」
両者は全くレベルの異なる存在だ。」
と言って、このシーンをぼろ糞に貶してるよ。
211 :
吾輩は名無しである :2006/04/21(金) 21:53:38
そもそも罪に同列なんかあるの? 罪ってのは個人の内心によるものだろ。 快楽殺人者だろーが、生活のための盗人だろーが、同じだけの罪(内心の)を負ってれば同列だよ。
212 :
吾輩は名無しである :2006/04/21(金) 21:53:47
>>210 >「キリスト教は既に千九百年も前から娼婦を許している。
>それに対して殺人者は、今すぐ医者の診察を受けねばならない。」
>両者は全くレベルの異なる存在だ。」
まあ、ナボコフはかの有名な『ロリータ』を書いた人間だからなぁ。
1900年前から娼婦を許している、というのはどういう意味なのか?
俺はその言葉の意味を汲み取るとマグダラのマリアを連想するんだけども、
売春という行為とキリスト教の信仰との関わりがドストエフスキーが描いた
時代のロシアではどのように扱われていたのかがいまいちよく判らんのよね。
213 :
吾輩は名無しである :2006/04/22(土) 22:40:58
同列ではない。日本語では「罪」だがロシア語では「グレフ」と「プレストウプレーニエ」 「プレストウプレーニエ」は踏み越える→違反、つまり刑法上の罪。 「グレフ」は宗教上の罪。 「グレフ」は《若気の至り》などの慣用句にも気軽に使われ 「誰でもついやってしまう様な罪」というニュアンスもあるから ソーニャは「私はたいそうたいそう《罪深い》女ですの・・・」なんて言ってるが に「グレフ」使ってるから、そんなに深刻に罪深いなんて思ってないの。この女は。 自分の罪の種類がよく分かってる。 それをラスコは無理矢理同類だ!なんてずーずーしく甘えているだけじゃん。
214 :
吾輩は名無しである :2006/04/22(土) 23:45:52
欺いて他人の財物を奪うことは「詐欺」であり「プレストウプレーニエ」だ(暴力により奪うことは「強盗」でプレストウプレーニエ)。 しかし、欺いて女性を姦淫しても「プレストウプレーニエ」ではない。一方で暴力により姦淫することは「強盗」としてプレストウプレーニエであるのにだ。 「欺いて女性を姦淫する行為」は「グレフ」であると言える。一方で「万引き」は「プレストウプレーニエ」だ。両者を比較した場合に「グレフ」である前者を「罪深い」と感じる者もいるのではないか? 少なくとも僕はそう思う。「プレストウプレーニエ」であるからというだけで「グレフ」より罪深いというのは、あまりにも短絡的すぎる。 罪深いから「グレフ」ではなく「プレストウプレーニエ」になるのではない。 そこには、立証が非常に困難であるとか、罪深さだけではなく実務上の問題がある。 「グレフ」と「プレストウプレーニエ」の差は罪深さの差ではない。
↑2個目の「強盗」→「強姦」
216 :
吾輩は名無しである :2006/04/23(日) 15:32:45
で、ソーニャにとっては、万引(プレストウプレーニエ)の方が売春(グレフ) より罪深く感じたので売春を選んだのね。それともただトロイからかしら?
>>212 >「キリスト教は既に千九百年も前から娼婦を許している。
旧約では売春は淫行で殺人と同じ扱い。
何故罪になるのかと言うと売春は神からレンタルされた神殿(身体)を汚す
行為だから。
殺人がいけないのは、人の生き死にを決めるのは神の権利で、人の分際で
人の生死を決定するのは
神に対する越権行為になるから。
みんなで淫行女を石打ちしようとしたら、キリストが
「自分に罪の無い者がまず打て」とか言ってかばったからじゃないの?
昔からキリストは娼婦のアイドルだよね。
ロシア正教は娼婦には厳しく、分離派が日常的に罪を犯さざるを得ない都市部の娼婦層に
勢力を伸ばしていった。
218 :
吾輩は名無しである :2006/04/23(日) 16:04:51
日本も花魁とか立派な町人文化だったじゃん
>>209 宗教的には「純潔」を守らないから罪になるのではなく
淫行を誘うからつみになる、
だから、客も同罪よ。
ちなみに、旧約では「あの女としたい〜」と想像しても淫行です。
220 :
吾輩は名無しである :2006/04/23(日) 16:08:50
喧嘩はトルストイ 短気もトルストイ 自我もトルストイ 横山やすしやジョンレノンとかと共通するような希ガス
221 :
吾輩は名無しである :2006/04/23(日) 19:02:30
人並みはずれた妄想をたぎらせた男。 それがドストエフスキー
222 :
吾輩は名無しである :2006/04/23(日) 19:24:34
>>217 >旧約では売春は淫行で殺人と同じ扱い。
>何故罪になるのかと言うと売春は神からレンタルされた神殿(身体)を汚す
>行為だから。
なるへそ。旧約で×ってことは、当然、ユダヤ教やイスラム教でも×だわな。
>昔からキリストは娼婦のアイドルだよね。
キリスト教の分派の中ではマグダラのマリアは聖女扱いされてるのもあるっていうからな
>>218 それ、江戸時代までね。明治維新後西洋文化の流入と共にキリスト教の倫理が導入されて、
インテリ層を中心にプロテスタンティズムとかいったキリスト教に根ざした概念が定着するからね。
223 :
めるすDX ◆pLEpdPcHGY :2006/04/23(日) 19:25:17
ドスト文学ほど笑える文学はない。 地下室の手記や白夜など。
224 :
吾輩は名無しである :2006/04/23(日) 20:04:55
今のフーゾク嬢と、昔の圧制下の貧困層の娼婦とは同列では語れんだろうな
225 :
めるすDX ◆pLEpdPcHGY :2006/04/23(日) 20:29:15
アジア、南米ならブランド力と金の力でいくらでももてる。 欧米じゃ金があっても無理。黄色人種というだけでかなりのハンディキャップ。 そこで娼婦の館に出入りするわけだが、プエルトリコ系のドンが経営する所は性病感染などで危険度大だからね。 やっぱし圧政下の風俗じゃあ話にならないだろうね。
226 :
めるすDX ◆pLEpdPcHGY :2006/04/23(日) 20:39:19
ただプエルトリコ系は爆乳が多いし おまけに非常にお肉が柔らかいのでおすすめではあるが 先ほども言ったように性病感染の危険性あるので中田氏はやめておいたほうがいい。
モナコとか考えてるんですけどモナコで白人女はナンパしてくれますかね 当方身長145センチのチビ、ただし上半身の筋肉はあります(山本KIDに比べるとショボいが)
228 :
めるすDX ◆pLEpdPcHGY :2006/04/23(日) 20:53:31
>>227 身長低いほうがいいんだよ逆に目立つ。白人は逆に背の高すぎるのがコンプでもあるしな。
まあヨーロッパのリゾート地に一人で行けばそれなりに誘われるだろ。
ビーチを何ヶ所かハシゴすればいいと思う。
白人のナイススタイル色気ムンムンおねーさまに滅茶苦茶にされたい、ってか?禿藁。
英語圏のアメリカやオーストラリアは観光客でごった返すので却下。
それにへんに間接的な差別もあるので、俺は好かない。
それにヨーロッパの女性のほうが質素で美人率高いと思うよ。
229 :
吾輩は名無しである :2006/04/23(日) 21:13:09
その前に、治安上の危険がはるかに大。
230 :
めるすDX ◆pLEpdPcHGY :2006/04/23(日) 21:23:02
路上の治安上の危険はどうにかなる。 路上格闘技を習っているからな。拳銃ごときでは殺されないよ。 むしろそういう状況こそ黄色人種でもモテモテになれるチャンスだわな。
231 :
吾輩は名無しである :2006/04/23(日) 23:43:52
一人、白夜の主人公みたいなコテがいるなw
232 :
吾輩は名無しである :2006/04/24(月) 00:15:44
>>231 そうだな。まるで川端康成の『みずうみ』みたいだw
233 :
吾輩は名無しである :2006/04/28(金) 19:09:48
狂気度ならドス
234 :
吾輩は名無しである :2006/04/28(金) 19:15:46
トルストイの「光あるうち〜」と ヘッセの「シッダールタ」はほぼ同時期なのだろうが おどろくほど似ている。
235 :
吾輩は名無しである :2006/04/28(金) 19:25:02
面白い指摘なので、今度読んでみます。
236 :
吾輩は名無しである :2006/04/28(金) 22:32:51
>>208 私も詳しくないのですが、トルストイ全集制覇したものとして・・・
アンナは罪なき女として彼は描いたようです。世間の中ではなぜか正しい不倫を
してもおかしなことがおこってしまう様を描いているのでは。
いちがいに、罪をおかして道徳に外れるといったお話ではないようにおもいます。
アンナの自殺の周辺も明らかに動揺していて本人とは別の力で、
動かされているようです。一方(過去とは反対に)未来へ向かい別の力を受ける
レーヴィンもいるわけでは。
http://blog.goo.ne.jp/daslebenistschoen
237 :
吾輩は名無しである :2006/05/03(水) 20:51:13
若い頃、必死で文学論を語ってるつもりで相手から ”で、本当によんだの?” と聞かれて赤面することって経験ありますよね。 カラマーゾフの兄弟のラストでもこのセリフがでてくるから、大ドストエフスキーで すらそんな経験あるのかとおもってちょっとおもしろかった。 このスレぱっと読んでみても、原典数10ページ読んだだけで挫折して、本当のところ ○○新書を読んだだけというひとが多いね。 ちなみに僕はトルストイは、「アンナ−カレーニナ」、ドストエフスキーは、「罪と罰」と 「カラマーゾフの兄弟」(新潮文庫)を読んだだけだけど、ドストエフスキーは世界最高の 作家だと思います。 特にソーニャが大好きです。 トルストイは、「戦争と平和」を読みかけのまま15年程過ぎてしまった。こいつを読破するの は人生心残りの一つ。1巻は2回読んだんだけど、GWの中に4巻読破してみるか。
どっちも好き やっぱ自分の趣味とは別で、良いモノは良い この二人は頂点にいると思う 本は偏った気持ちで読んじゃダメだよ 何事もそうだけどね 偏った評価しか出来ない、偏った人間になる
ネット世界ひろしといえどもなかなかそういう人いませんよね。 偏ってない評価のできる人間がいたらぜひ教えてください。
>>237 あなたのレスも「アンナ−カレーニナ」「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」
を本当に読んだかどうかさえわかりません。少しは文学論を語ってください。
>>237 アンナとカラマ比べたら、そりゃドストが世界最高の作家になるよ。
「戦争と平和」VS「カラマーゾフの兄弟」で対等な勝負ができるんだから。
242 :
吾輩は名無しである :2006/05/04(木) 13:32:01
文章的に偏った人間を非難してる時点で、自身が既に偏った人間であり、自己矛盾を感じない馬鹿。
243 :
吾輩は名無しである :2006/05/04(木) 13:34:38
中立だから文章的に偏った人間を非難できるんじゃねーか。 ばかか? てめ。自己ムジュンにきづかねーか?www
244 :
吾輩は名無しである :2006/05/04(木) 13:50:30
僕は偏った人間を肯定するし、偏った人間を非難をもする。少なくとも自己矛盾はおこっていない。 偏った評価はダメと言いながら、その言葉を発する自身が偏った評価はダメという偏見(反対は偏った評価は良いという偏見)を持っていることに対して矛盾を感じないの?ってこと。
245 :
吾輩は名無しである :2006/05/04(木) 14:07:04
おめーわかってねーなー。つまりだな、エポケーっつーことなんだよ。 「ダメ」という言い方は適切じゃねーかも知れねーし、そこは認めるよ。 だからと言って、判断中止だっつーてことは最低限示さないと伝わらねえだろ。 でなきゃビュリダンの驢馬みたく、しまいにゃ飢え死にしちまうよ。
>>241 アンナとカラマでも良い勝負だな。ドストはアンナを近現代で最高の小説と言ってるし、完璧とまでも。
247 :
吾輩は名無しである :2006/05/09(火) 19:04:24
ドストは戦争と平和に匹敵する作品をという意味でカラマの物語の導入部分を 作り上げて死んでいった。 続 カラマを読みたいが無理。駄作でいいからかってにつくってくれ
248 :
吾輩は名無しである :2006/05/09(火) 22:14:04
アンナカレーニナはすばらしいよ。音楽のように鑑賞できる本物の芸術作品。 カラマはすごいんだけど繰り返し読んでると基地外になりそう。
芸術作品という意味ではアンナが頂点だな
250 :
吾輩は名無しである :2006/06/07(水) 18:17:40
最強2トップだよねえ。世界文学史上の。
>>247 戦争と平和だって、トルストイが書こうと思っていたものの導入部分なわけだが。
本当はナポレオン戦争後の話を書きたかったけど、その前にはナポレオン戦争を書かなければならないと思い、できたのが戦争と平和。
252 :
吾輩は名無しである :2006/06/13(火) 06:12:44
どっちも続編は絶対第一部を超えなかったと思う。
253 :
吾輩は名無しである :2006/06/13(火) 18:33:28
>>250 仏文も好きな俺としては、それにバルザックをセンターFWに加えた3トップが最強。
控えにゾラあたりを推しておきたいw。
254 :
吾輩は名無しである :2006/06/18(日) 14:24:34
トルストイは「戦争と平和」は文学の最高峰。すごい誰も真似すらできない技術。 ドストエフスキーは登場人物が尋常ではなく、延々としゃべり続けるのが大好き。
入り口がドスト 出口がトルストイってことで
たしかに。 トルストイは一見さんお断りの雰囲気ある。 戦争と平和……1巻退屈(長い) アンナ・カレーニナ……昼メロ 復活……なに、この青臭い理想主義者
257 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 13:06:33
だが入り口としては「イワン・イリッチの死」がある
258 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 15:16:28
>>257 いや、『イワン・イリッチの死』は確かに短いけども、
『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』そして『懺悔』に書かれている
トルストイの死生観をある程度理解してからじゃないと、
イワンの生がもつ本当の重みは、わからないと思う。
259 :
吾輩は名無しである :2006/06/21(水) 15:22:16
すごいかもしれないが いまの日本の若者には絶対受けないと思う やたら長すぎるし 意外と難解
まあこの二人、どれもこれも友達にはお勧めできないな。せいぜいトルストイの民話くらいか。
261 :
吾輩は名無しである :2006/06/22(木) 00:39:22
>>259 もうすぐ20な漏れは若者?
理解ねぇ。。。。。。。。。。。。。。。。ふぅ
I understand! Thank you!
>>260 民話もトルストイの思想を理解してないと、子ども向けに書かれたよくある童話程度にしか思われないんだよね。
(本当に怖いグリム童話ではなく、現在一般的な)白雪姫では心が綺麗なものこそ、真に美しい人間で最後は報われると描かれているけど、
大人になった私たちは現実のギャップを知っていて、そこから教訓として得るものはなく、あくまで無垢な子どものための物語と認識している。
トルストイ民話集は、イワンの馬鹿こそすばらしい人間で、実際にこのような人間になるのは不可能ではないと、トルストイが心から思っていたことに意味があるのに。
264 :
吾輩は名無しである :2006/07/06(木) 10:51:57
人間失格といえば、一見するところ、ドストエフスキーのようであるが、「クロイツェル・ソナタ」を読むと、この優れた小説が、トルストイによる「人間失格」であることがわかる。
265 :
吾輩は名無しである :2006/07/07(金) 07:56:18
戦争と平和>カラマーゾフの兄弟>アンナ・カレーニナ>悪霊>罪と罰>白痴>復活>未成年
266 :
吾輩は名無しである :2006/07/07(金) 08:48:03
アンナ・カレーニナ>カラマーゾフの兄弟>戦争と平和>白痴>罪と罰>未成年>悪霊>復活
古臭い。 物語の発端は、まず場所があって、そこでの会話から話が展開するパターンと これこれこういう行為をしています。そしたらそこに、何者かが現れて、というパターンの 両者が基本なんですが、この人の場合は、その前置きが圧倒的に長く、退屈で白々しく 以上
トルストイVSドストエフスキーというタイトルのスレで「この人の場合」とか言われてもねw どの人だよwwwwwww
269 :
弧高の鬼才 :2006/07/07(金) 20:02:40
古臭くて当然。しかし、それを補って余りある 超絶技巧の内面描写は、日本の三島や古井なんて足元にも及ばない、ということを気づかせてくれるでしょう。
270 :
吾輩は名無しである :2006/07/07(金) 21:11:24
ありがちなレスをさせてもらうなら 何故全然ジャンルの違う二人が対立しているのかということ
ジャンルはかなり似ていると思う。 結局、両者ともテーマは至上命題は神による救済とそれを得るために私達は何ができるかでしょう。
トルストイにはそれを感じるが ドストにはあんまり感じないんだよね 白痴を読んでキリストを連想する奴なんていないだろうし
273 :
吾輩は名無しである :2006/07/09(日) 22:05:12
「白痴」には、ホルバインの描いたキリストの絵について書かれている部分があって、 その絵が与える衝撃と葛藤について非常に鋭く追求されていますし、 ドストエフスキーが「白痴」を書いていた時期に姪に宛てて書いた手紙によると、 ムイシュキン公爵という「無条件に美しい人」を創り出す上でも ドストエフスキーはキリストを強く意識していたようなので、 キリストは「白痴」のテーマに関わる非常に重要な存在だと思います。 またドストエフスキーの作品には、しばしば過酷で絶望的とも言えるような状態の中で、 それでも希望を見出して様々に悩み葛藤しながら生きている人々の姿が描き出されていて、 苦悩の中にある人々の救済が非常に深く追求されている文学だと思います。
ナスターシャかわいいよナスターシャ 内にも一人欲しい
ナスターシャって、「罪罰」のラスコの下宿の女中っ子?
>>275 そうそう。「いつまで寝てんのさ!」とか言って、
突っついて来るんだぜ! 飯とか運んで来てくれるし。
いわゆるツンデレ? なイメージ。まあ彼女の本命はラズミーヒンなんだが。
しかしナスターシャは間借りしてるラスコーリニコフにまでこき使われる
(というほどでもないが)事が当たり前として描かれてるのはカルチャー
ショックだね。風と共に去りぬ、の黒人奴隷の描き方もそうだが。
ああ、あそこは「賄い付きの下宿」なんじゃないのか一応。 ラスコが下宿代を払わなくなってから、おかみが食事を寄こさなくなった、とか 書いてなかったっけ? だからほんとは下宿人の食事や掃除の世話も一応ナスターシャの仕事なんでしょ。
「罪と罰」読んだのですが、結局ラスコーリニコフは、老婆とその妹を殺したこと 自体に対しては後悔していないというか、悪いことをしたという気持には ならなかった。という読みは浅いでしょうか?
>>279 たしかに、小説中でラス公が自分の犯した行為の重大さ・意味を認識する過程は皆無です。
↓つまり、「罪×」ってこういうおハナシなんです。
ラス公
(-_-;) オレ、ババアヌッコロシタコトハ、コウカイシテナイケド、イキテルノガツラクナッタゼ゙ コウイウノハヤダゼ…
↓
*・゜゚・*:.。.゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。. ラスコサマ、 ダイチニセップンスルノデス、ワタシモ シベリアニ オトモシマス !!!!!
ソーニャ
↓
アッヒャッヒャ! アイ ノチカラデ タニントノきずなキセキノフッカーツ!! ヽ(゚∀゚)ノ アカルイ ミライガ dj! dj!
これでは、殺されたアリョーナとリザヴェータは浮かばれないだろうねぇ…。
281 :
吾輩は名無しである :2006/08/03(木) 18:03:25
>トルストイやドストエフスキー並に人間描写に優れた漫画挙げてみろ。 >もっと人間描写に優れた「文学」もあるから。 >文学観が駄目杉 >独文ならトーマス・マンとか >仏文ならバルザックやフローベールとか >英文ならオースティンとかディケンズとか、 >死ぬほどある >露文至上主義は日本の文芸趣味の悪いところ
282 :
吾輩は名無しである :2006/08/04(金) 23:19:06
マンの人物描写はそんな凄くないと思うのは俺だけ?
283 :
吾輩は名無しである :2006/08/06(日) 18:21:45
まあトルストイに比べちゃうと・・・
284 :
吾輩は名無しである :2006/08/07(月) 01:32:49
ドイツ語の日本語訳は読みにくいよな。 慣れてないからだろうが。
偽善の美と真実の醜 みんなはどっち派? 自分の周りの知り合い等で聞いてみた結果、 女性は圧倒的に前者が多く(と言うよりすべて) 男性は反対に後者が多かった。 だからなんだと言われたらそれまでだがなにかがここに隠されてる気がしないでもない。
整形した美人がいいか生まれたまんまの部巣がいいか。 迷わず後者だな。まあ生まれたまんまの美人が一番いいけど。
個人的には「全能の作者」的な書き方が嫌いなのでドストエフスキーの方が好きだが、 トルストイの女性を描き分けは凄いと『アンナ・カレーニナ』を読んで思った。 アンナとキチィみたいな十代後半vs二十代後半?の対比って意外とないし。
迷わず前者。真実だろうが何だろうが醜を取ることはできない。偽善だろうが何だろうが美は美。 まあ偽善の美ってのも矛盾してるように感じるけどね。
289 :
吾輩は名無しである :2006/08/07(月) 21:09:15
どう考えたらそうなるのか疑問符の嵐だ
勝手に疑問抱いてろ
291 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 14:24:47
トルストイの勝ちでおk?
292 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 19:36:19
トルストイてWWW ミーハーですねW
WWW て 厨房ですね
294 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 19:42:07
ちがいます 中年女の自演ですが なにか?
…そうでしたか… おじゃましました。
296 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 20:44:37
ドイツ対ロシア ニーチェvsドスト ゲーテvsトルストイ どっちが強いの?
297 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 20:45:55
トルストイが最強って事は間違いない
リーズナブルな脳みそだな
299 :
吾輩は名無しである :2006/08/08(火) 22:44:55
じゃあニーチェはドストに勝てる?
300 :
吾輩は名無しである :2006/08/09(水) 01:37:51
ドストエフスキーはシェイクスピアを高く評価しているけど トルストイは評価していない
で?
トルストイはホメロスを褒めちぎってるからなあ。
304 :
吾輩は名無しである :2006/08/09(水) 16:58:25
ニーチェが負けた (・∀・)スンスンス-ン♪
305 :
吾輩は名無しである :2006/08/09(水) 17:51:33
3:33】罪と罰はハッピーエンドなのか 1 名前:吾輩は名無しである 2006/08/05(土) 21:22:52 大学で教授と飲んだ。 俺:「先生、罪と罰をよんで悲しくなりました。」 教授:「何を言ってる。あの終わりには、希望を 見出さなきゃならん」 そうなのか? わからない! 僕は罪と罰を読んでるときはずっと震えがとまらなくて、 あの結末も絶望的なものだと感じた。読んだあと寝込んじゃった。 みんなはどう感じた?
まあこの二人より強いツートップはいねえって。 同国、同時代のコンビに限定すればな。
307 :
吾輩は名無しである :2006/08/10(木) 14:32:58
すごい
308 :
吾輩は名無しである :2006/08/11(金) 14:58:02
唯一の欠点は短編がへったくそってことですね まあ近代最強の二人かもしれないが
309 :
吾輩は名無しである :2006/08/12(土) 11:31:02
どっちが?短編はトルストイいいだろ?
読んだこともないんだろどうせ。スルーしとけ。
311 :
吾輩は名無しである :2006/08/14(月) 12:33:01
史上最高の小説家
312 :
吾輩は名無しである :2006/08/15(火) 11:01:39
はトルストイです
313 :
吾輩は名無しである :2006/08/15(火) 11:52:52
世界文学史上最高の小説家。 それは「カラマーゾフの兄弟」を書いた、 フョードル・ミハイロウィチ・ドストエフスキーに間違いないだろう! ここには現代においても、また未来においても 問い続けられるであろう人間の内面世界の問題を孕んでいる。
そんなものは大抵の作家が書いている。 簡単に解決できる心の問題を書いてどうすんのさ。
315 :
吾輩は名無しである :2006/08/15(火) 18:30:41
大抵の作家とやらと同レベルで比べること自体が愚かしいことなのだよ!
316 :
吾輩は名無しである :2006/08/16(水) 00:38:08
トルストイのドストエフスキーへの見解。 「彼とは国家と教会に対する見解が正反対であるにもかかわらず、 年をとればとるほど彼が精神的に私に近しく思われてならない。」 「ドストエフスキーは、私にとって常に貴重な人だった。 彼はおそらく、私が多くのことをたずねることのでき、 また多くのことに答えることのできたただ一人の人であったろう。」 そんなトルストイがアスターポヴォ駅で臨終の時を迎えた時 枕元にはカラマーゾフの兄弟を置いていたと言う。
317 :
吾輩は名無しである :2006/08/16(水) 02:15:36
僕はトルストイを読んではいないけど 「カラマーゾフの兄弟」は文句なし、理屈ぬきで すごい本だと思います。 あれを超える文学というのはホメロス、シェイクスピア 紫式部ならともかく そうないはずだ
紫式部は過大評価。
ホメロス、シェイクスピアじゃ勝てないよ。 ニーチェをぶつけるのが吉
320 :
吾輩は名無しである :2006/08/17(木) 21:58:18
わたしは聖書をぶつけてみたいな! 特に旧約聖書のヨブ記なんかどうだろう?
321 :
吾輩は名無しである :2006/08/18(金) 00:24:04
ヨブ記は奥がメチャメチャ深いよ ゾシマ長老が絶賛するぐらいだからね
カラマーゾフだったら対抗できるの十個くらいあるべ。
323 :
スメルジャコフ :2006/08/18(金) 22:31:36
カラマーゾフは全てのクリスチャンが読むべきだ。
324 :
吾輩は名無しである :2006/08/18(金) 22:49:56
カラマーゾフの兄弟は 下手な神学書よりもずっといい 特に若いクリスチャンにオススメ
ドミートリイテラワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
326 :
スメルジャコフ :2006/08/19(土) 22:10:24
トルストイの『イワンのばか』のイワンは、イワン・カラマーゾフのことでっか? それとも、全く関係なくイワンと名づけたのか? ちゃんと言わんのーをばか?
327 :
吾輩は名無しである :2006/08/20(日) 01:04:30
うう
328 :
吾輩は名無しである :2006/08/20(日) 19:39:51
トルちゃんもドスちゃんも仲良くするー!
329 :
吾輩は名無しである :2006/08/20(日) 21:06:45
ドミートリィ・イワーノヴィッチ、に向かって連呼するんじゃない! (ドミートリィ・イワーノヴィッチ、聞いているのか、ドミートリィ・イワーノヴィッチ!)
戦争と平和 10点×2 アンナ 9点×1,5 復活 7点 諸短編、中編 7点 人類の教師 2点 トルストイ合計 50点 カラマ 9点×1,5 罪罰 8点 悪霊 8点 白痴 8点 未成年 6点 諸短編、中編 6点 少女陵辱 ー1 ドスト合計 50点
331 :
吾輩は名無しである :2006/08/25(金) 15:41:08
保守
332 :
吾輩は名無しである :2006/08/25(金) 16:44:17
漱石と鴎外 は、ちとちがうか。
333 :
公爵 ◆o3RrrPgn1I :2006/08/28(月) 19:53:10
大きさではトルストイには敵わないだろうな。 てかそれぞれ違う良さがあるんだから、仲良くしろよ。
綿谷金原vsドストルストイ
335 :
吾輩は名無しである :2006/08/29(火) 12:10:36
それぞれ違う良さがあるから仲良くしろといいつつ トルストイのみを褒めてドストエフスキー派を煽る 333は一体何なのだろうか。
336 :
バフチン :2006/08/29(火) 12:54:56
ドストエフスキー=ポリフォニー小説 トルストイ=モノローグ小説 よってドストエフスキーの勝ち。
トルストイはもはやシェイクスピアと共に文学の神、頂点なんだから、ドストは対抗するな。 大人しくしてりゃ充分凄い作家なんだから。
338 :
公爵 ◆o3RrrPgn1I :2006/08/29(火) 20:19:06
だからシェイクスピアさんは過大評価しすぎ。 全然良さが分りません。
三島vsドストエフスキーvsトルストイ
じゃあトルストイが頂点で良いよ。
その二人だと三島が金閣寺を燃やしかねない
343 :
吾輩は名無しである :2006/09/01(金) 23:01:57
トルストイはキチガイ
>>342 >戦争と平和を読んで出直してこい
『麻雀放浪記』でもいいよね。
345 :
吾輩は名無しである :2006/09/01(金) 23:17:32
トルストイVSドストエフスキーw ナリタブライアンVSディープインパクトくらいの重みがあるな。 作家としてたいしたもんだと思う。
vsっていうけど何の勝負なんだ? カポエラとか?
347 :
ヽ(゜Q。)ノ ◆bx6hWDVQmQ :2006/09/01(金) 23:44:28
>>344 >『麻雀放浪記』でもいいよね。
ポ、ポ、ポン!
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ロン。
349 :
吾輩は名無しである :2006/09/02(土) 23:47:09
トルストイは理路整然としている気がします。 筋道が通っている、といいますか。 作品は巨大でもそこにはわかりやすい光の道筋がある。 それだけ彼自身が人格者だったのかシラン。 ドストしは、頭の中に宇宙が広がっている気がします。 だから作品も果てしなく深くて、巨大な森の中にいるみたい。 その森は暗くて、光は確かにあるけれども、 苦労して見つけないと見つからなかったりね。
350 :
吾輩は名無しである :2006/09/06(水) 05:09:33
トルストイは人格者どころじゃねえ。てめえのチンコに生涯振り回され、チンコを切り落としたいくらい侮蔑しつつも、それと戦ったから偉大なんだから。 トルストイの関心はチンコにつきた。戦争も平和もチンコ越しに見ていた。常に彼の中では聖人君子とチンコが激しく葛藤していたのだよ。
というよりまんこに関心があった
352 :
吾輩は名無しである :2006/09/06(水) 23:59:53
トルストイが 今夜も 駅で 行き倒れです
353 :
吾輩は名無しである :2006/09/07(木) 02:12:04
町を歩いていれば何故こんな奴に彼女がいるんだ!? と思わずにゃいられない
キモイ男(彼女付き)が結構おるよね。新宿や渋谷に行く度に傷心する俺だが
今日こんな動画↓を見てますます嫌になった。
こんな意味わからないバカ男にまで彼女がいるなんて・・そりゃ彼女もイタイ女
なのだろうが、イタイ女だっていいから彼女が欲しいよ!!
http://www.watchme.tv/v/?mid=66e8ba8216a1e152d72653d99a4f03ab 【鬱動画】
この男にあって、俺にないものは何なんだ!?
誰か教えてくれ!! 俺のがコイツよりはマシな男だし、彼女も出来たって
いい筈だろ!?
誰か俺に惚れてくれよ!!
354 :
吾輩は名無しである :2006/09/07(木) 05:05:56
トルストイっていいよなぁ
355 :
吾輩は名無しである :2006/09/07(木) 05:12:40
トルストイっていいよなぁ
トルストイは最高です。
357 :
吾輩は名無しである :2006/09/08(金) 11:17:54
トルストイは最高だけどドストちゃんも最高
358 :
吾輩は名無しである :2006/09/10(日) 00:35:24
359 :
吾輩は名無しである :2006/09/12(火) 04:49:55
反キリストはどっち?反スラブ主義はどっち?
どちらも神による救いを至上命題にしているのでいません。 ただトルストイはロシア正教から破門くらってます。 教会批判したから。
どっちも文学の神様だよ
全く180度反対の神様だがな
363 :
吾輩は名無しである :2006/09/26(火) 18:31:32
じゃあ神と悪魔、とでも言っておきましょうか。
365 :
吾輩は名無しである :2006/10/01(日) 13:09:06
今度出た光文社版の「カラマーゾフの兄弟」の新訳は素晴らしいな。 こんなに分かりやすく、平易な言葉で書かれたドストエフスキーは初めて見た。 亀山さんの見識はすばらしい、というかNHK以外で見たことなかったので、好感度UP (^_^)b
間を取ってゴーゴリが神でFA?
368 :
吾輩は名無しである :2006/10/02(月) 11:13:30
誰か岩波文庫で新版ででた戦争と平和読んだひといないかな? 感想はいかがでした?
369 :
吾輩は名無しである :2006/10/02(月) 17:11:43
>>366 どの訳とどの訳を読み、
どこをどう比べたのか詳細に書かない限りは
ただの宣伝とみなす
俺、
>>3 の罪と罰が探偵小説ってのに衝撃をうけてるんだけど
今まで一切読んでこなかったしこれからも読まないと思ってたジャンルなのに…
とっくの昔に読んでしかも大好きってことになる
普通に新潮版の方が名訳だってwwww
376 :
吾輩は名無しである :2006/10/11(水) 03:47:14
377 :
吾輩は名無しである :2006/10/11(水) 17:35:59
このスレ ドストっぽい
いや、2chがドストっぽい
いや、ドストが2chっぱい
トルストイの登場人物が2chに出入りしているところは想像しづらいが、 ドストの登場人物は皆、2chの常連に思える。
世の中の10人に9人は凡人である。
罪×の江川訳 『ちょ、おまっ』連発しすぎだろwwwww 江川=ネラ
>>371 探偵というよりサスペンス風。
デスノートとかにインスパイアされている。
384 :
吾輩は名無しである :2006/10/28(土) 21:13:43
罪と罰とデスノートってどっちが傑作なの?
罪と罰。 デスノートは2部からが糞。 最後の弁明も大審問官をなぞらえたものかもしれんけど、 感銘しなかったしな。
大審問官は同じ作者のカラマーゾフの兄弟という作品の一場面ね。 一応つけくわえておく。
387 :
自演対策 ◆wc2ZTlqgRs :2006/11/03(金) 01:34:18
>>361-386 は、自演氏による自演レスと思われます。
皆様、これらのレスには反応しないようにしましょう。
388 :
吾輩は名無しである :2006/11/03(金) 01:36:15
389 :
吾輩は名無しである :2006/11/03(金) 02:27:08
390 :
吾輩は名無しである :2006/11/03(金) 02:38:16
391 :
吾輩は名無しである :2006/11/03(金) 10:08:29
悟空とベジータみたいなもんかなこの二人は
もしドストエフスキーが「受洗の子」を読んで感銘を受けてたら 「罪と罰」は生まれなかったかも。
393 :
自演対策 ◆wc2ZTlqgRs :2006/11/04(土) 02:33:33
394 :
吾輩は名無しである :2006/11/04(土) 05:14:45
近所の本屋で、岩波文庫・中村白葉訳の「罪と罰」が売ってました。なんだか色褪せてた。いつのだよ。
岩波の古いやつだからな。
396 :
自演対策 ◆wc2ZTlqgRs :2006/11/04(土) 20:38:30
>>394-395 は、自演氏による自演レスと思われます。
皆様、反応しないようにしましょう。
>>395 そんなこたない。岩波文庫の中村訳は重版かさねている。
平成になって以降も刷られているよ。
ちなみに中村白葉はドストエフスキーだけでなく
トルストイ、ゴーリキー、チェーホフ…etc
ロシア文学を山ほど翻訳して一時代を画した。功績は多大すぎるほど
んー、でもそれは話が別じゃない?
鴎外訳ファウストとかの古典的なものでない限りは、
いくら名訳でも新訳が出たらふつう旧訳は絶版でしょ。
>>394 のは、岩波が買い切り制だから、書店が返品できずに売れ残ってるだけだと思う。
地方の個人経営の店にいくと、ときどき変色した岩波文庫が残っていて、
掘り出し物が見つかったりするのとおんなじかと。
399 :
自演対策 ◆wc2ZTlqgRs :2006/11/05(日) 00:02:46
>>397-398 は、自演氏による自演レスと思われます。
皆様、反応しないようにしましょう。
>>397 いや、だって岩波は今は江川に移り変わったじゃん。
江川になったのは最近だろ 俺が10年前に買ったのは中村さんだったよ
問題はそこではないと思うが・・・。江川訳だったら1999年以降の出版物だと分かるが、
>>394 の言うように中村訳だったら、一体何十年置いてるのか分かりゃしない。
なにも、「中村訳は大昔に絶版で今は顧みられない」なんて意味で
>>395 も発言した訳じゃ
ないだろうし、あるのは旧訳の古いのが売っていたという事実だけ。争うことじゃねえよ。
403 :
自演対策 ◆wc2ZTlqgRs :2006/11/05(日) 12:48:26
>>400-402 は、自演氏による自演レスと思われます。
皆様、反応しないようにしましょう。
406 :
自演対策 ◆wc2ZTlqgRs :2006/11/05(日) 21:00:35
407 :
吾輩は名無しである :2006/11/06(月) 02:50:39
るせー バーカ
408 :
自演対策 ◆wc2ZTlqgRs :2006/11/06(月) 18:57:25
>>407 は、自演氏のレスと思われます。
皆様、反応しないようにしましょう。
409 :
吾輩は名無しである :2006/11/09(木) 08:43:31
世界ではトルストイのが読まれてるという話ですが、ソースありますか?
>>409 まずその話が何処からやってきたのか教えてくれますか?
411 :
吾輩は名無しである :2006/11/10(金) 19:27:15
>>409 それは本当だと思う
作品ごとで世界の通算売り上げ調べれ
413 :
吾輩は名無しである :2006/11/18(土) 00:05:53
だって童話「大きなかぶ」もトルストイ作だもんな。 そりゃ読まれているはずだよ。
414 :
吾輩は名無しである :2006/11/18(土) 01:34:18
ロシア文学には世界一と言われる本が4冊あり、当然全て読みたいものです。 勿論この4冊は「戦争と平和」「罪と罰」「アンナ・カレーニナ」「カラマーゾフ の兄弟」ですね。 まず、この4冊で一番簡単でレベルが低いのが「戦争と平和」です。トルストイ 本人が たいしたことないといっている本であり、純文学ではなく大衆文学のノリ で簡単に読めます。 分厚さにめげないこと。ロシア独特の癖が全くなく、ロシア 文学初心者には導入としてよいで しょう。次に「罪」「カラマーゾフ」の順です ね。意外なことに、メロドラマチックで文章の 美しい「アンナ・カレーニナ」は、 非常に難易度が高いです。「技巧を使わないように見える 技巧」と称されるトル ストイとしては、信じがたいほどに象徴性、知識、テクニックの満載な 本で、百 科辞典丸暗記級の知識と、トルストイに匹敵する文章読解センス、さらにショーペン ハウエル、ニーチェ、カント等の哲学者の思想等の理解、つまり世界の森羅万象 についての解釈 が要求されるわけでまさしくトルストイのみなずロシア文学の卒業 試験的役割を果たします。 なお、ドスの読者は、いろいろな意味で読書家の代表を務めます。つまり、トルス トイは勿論、ゲーテ やシェークスピアもドスの読者ならば読んで当然とみなされます。 そういうわけで、ドス愛好家の 皆さんはいい意味で気負って頑張ってください。 トルストイ愛好家より
コピペ編集するなら、改行箇所の後につく半角スペースを消したら?
416 :
吾輩は名無しである :2006/11/18(土) 03:38:29
ジョージ・スタイナーの 『トルストイかドストエフスキーか』 って絶版か。 図書館で借りよう。
417 :
吾輩は名無しである :2006/11/18(土) 17:26:00
ホメロス、シェイクスピアに比肩しうる存在としてトルストイを絶賛したスタイナー。しかし、 けっこう厳しい批評をしている箇所もある。
スタイナーなんてとんでもないっ
419 :
自演対策 ◆wc2ZTlqgRs :2006/11/19(日) 12:03:19
420 :
自演対策 ◆wc2ZTlqgRs :2006/11/19(日) 12:51:01
『多重人格氏による自演の暴走状態について』 ちょっと妙な話なのですが・・。 ロシア文学関連スレに見られる最近の自演レスの大部分のレスは、 私の知り合いの人物による自演レスと思われます。 彼は私のことを逆恨みしているのですが、嫌がらせ目的で自演を行っているものと思われます。 (彼はドストスレやロシア文学関連スレの一連の流れを全て知っています・・・。) 一応、ロシア文学関連スレで自演を行う3人目の人物です。 多重人格のような所のある人物で、非常に頭の良い人なので、 自演の技術は自演氏よりもさらに遙かにずっと上です・・・。 彼のことは「多重人格氏」と呼んで、彼の自演レスについても 同じように対策を取っていきたいと思います。
421 :
自演対策 ◆wc2ZTlqgRs :2006/11/19(日) 13:08:17
(続きです。) 一応ロシア文学についての造詣はかなり深い人物ですが、 道徳に欠陥のある人で、目的は私に対する嫌がらせなので、 そこの所をよろしくお願いします。 それと、もし彼が私に関する中傷を行っても、嘘とデタラメばかりですので、 当然のことながら信じないで下さい。 こんなことになってしまって、本当にすみません。 彼が自演を行った場合、このスレは非常に危ない状態になると思いますが、>< 全力を尽くしてロシア文学関連スレの復活を目指そうと思っていますので、 どうぞよろしくお願いします・・。
422 :
吾輩は名無しである :2006/11/19(日) 19:01:09
トルストイかドストエフスキーかを途中まで 読んだがおもしれー。 白鯨も読んでてよかった。文明論っぽい箇所が、 スタイナーの博覧強記ぶりがいかんなく発揮されてていいね。
423 :
吾輩は名無しである :2006/11/19(日) 19:17:55
おもしろいのはわかったが、 トルストイかドストエフスキーのどちらかさえもわからんの? 全く違うと思うが。 白鯨は露文ですらない。
425 :
吾輩は名無しである :2006/11/20(月) 11:00:14
釣りじゃねえの?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
426 :
吾輩は名無しである :2006/11/21(火) 18:22:35
反ユダヤ主義者ドストエフスキーのもとにカフカ、フロイト、スピノザ、トロツキー、アインシュタイン、マルクスがやってきて集団暴行を加えるという夢を見た。 のでドストエフスキーの負け。
>>423 自分を頭がいいと思い込んでる馬鹿の典型
恥ずかしい奴w
>>423 しばらく状況が分からなかったが、これは面白いwwwwww
429 :
吾輩は名無しである :2006/11/22(水) 20:05:46
今「白夜」がNHKであっているね
>>426 フロイトは「ドストエフスキーと父親殺し」という論文を書いている。わざわざ表題に文豪の
名をフロイトがつけたのは、ドストエフスキーだけ。
カフカはドストエフスキーを愛読してた。
それ以外は確かにドストエフスキーを嫌いそうな面子だな。
フロイトってどうなんでしょうね
432 :
シベリア公爵 :2006/12/10(日) 14:18:08
出てくる人物のキレ具合が違う。濃厚な人間の悪の味が出ているので、ドスト氏の圧勝だな。
持論ですが、ドスト氏の人物たちはまるで2chの住人のようです。 お互いの顔を突き合わせてるとこが違いますが、容赦ない言葉の応酬と第三者の それに対する反応・・・ カーニバル空間といいますが、バフチン氏の時代にネットがあったなら、「ネット空間」と 呼んだかもしれません。・・・と勝手に思っています。 しかし、ネットを見てると、ドスト氏の人物たちのリアリティーの証明がここにある、と つくづく思います。本来、顔を付き合わせると礼儀や常識という「縛り」にかかる人間で すが、縛りが無くなったネットでは、本性を見せていますからね。ドスト氏はきっと見抜い ていたんでしょうね。
434 :
吾輩は名無しである :2006/12/15(金) 22:55:26
アンドレ・ジッドもドストエフスキーは好きだったようだ。 あと手塚治虫も。
トルストイ 説教ジイサン ドストエフスキー 1でいい事を10も伝えるウゼェ
436 :
吾輩は名無しである :2006/12/16(土) 01:58:03
両者の代表作は大体読んだ.両者を比較してみると トルストイの方が優れていたのは 話の広さ,整合性 ドストエフスキーの方が優れていたのは 話の深さ,思想(特に宗教に対してのもの) トルストイの作品は取っ付きやすいし話も解り易い ドストエフスキーのものはしっかり読まないと話についていけなくなるが 共感できた場合には心に突き刺さるような印象を受けることもシバシバ 個人的にはドストエフスキーの方が好き
カラマー族の兄弟読みはじめました アフリカか!
それはですねあなーた
ワダイヲカエマショウ
440 :
吾輩は名無しである :2006/12/20(水) 21:27:57
カフカはトルストイの書物も愛読していました 文体はカフカとトルストイが共通している印象ですが
文体ってのはどうやって比べとるの?異言語でも可能なの?
ドストエフスキーの小説構成は徹底した対話 トルストイの小説構成は完璧なプロット
443 :
シベリア公爵 :2006/12/31(日) 16:05:16
ドスト氏の会話調に加えて時間感覚の手法。 読者はかなり時間が経っている感じを持つが、実は数日の出来事だったりする。
その通りですね。罪と罰は13日間+シベリアだし、他の小説はもっと短い期間。
445 :
吾輩は名無しである :2006/12/31(日) 20:28:15
罪×は13日間!カラマーゾフは13年! キリスト的な数字意識してるのかな!
時々「罪×」とか書く痛い馬鹿がいるな。 「罪と罰」が長いので略しているのだというのなら「罪罰」でいい。 「×」には罰という意味は存在しない。
447 :
吾輩は名無しである :2006/12/31(日) 21:11:22
すまん、誤変換したのだが、直すの面倒臭かった。
>>443 というか、ドストはそれでしか書けないんでしょ
「大罪人の生涯」だっけか?
構想ではその大罪人の伝記ものだったらしいんだが、結局書けなかった
450 :
シベリア公爵 :2007/01/01(月) 00:13:41
あけましておめでとうございます。
ある時間の断面図を書くのがドスト氏ですからね。 バフチンによれば、ドスト氏は「対立」を描いているとのことです。対立を弁証法的に 次の次元で和解させることも、しません。ただ、永久的に続く対立を、その時間の 断面図的に書き出す文学です。 そのために、対立を強いる舞台が絶えず用意されるとのことです。
452 :
吾輩は名無しである :2007/01/10(水) 21:04:59
トルストイって無神論者なの?
453 :
吾輩は名無しである :2007/01/12(金) 08:48:42
そんなわけないでしょうよ。
454 :
吾輩は名無しである :2007/01/12(金) 21:07:21
トルストイの登場人物はこんな友人がいたらいいなと思う。(個人的にピエール、レービン) ドストさんのはこんな人とは関わりたくも無い。というより、中庸さがなく極端すぎるので いかにも作り物の人物。マンガだねこりゃ
>>454 トルストイの人物は客観的に捉えられてて、物語を進行させる機能を持ってます。
ドストエフスキーの人物は、その人物の「自意識」の尊重、バフチンの言葉を借りれば、
作者であるドストエフスキーと同様の権利を与えられていて、内面的かつ対話的に
描かれてます。特にカラマーゾフは、最低限のプロットしかないぐらいで、物語の進行
という機能(作者のための機能)すら課せられていないぐらい、自由な存在かと。
簡単に言えば、トルストイは、「この人物はこうである」という書き方。ドストエフスキーは
「この人物について他人である私が語ることはできない。彼に言いたいことを言わせよう」
という書き方です。
>>454 文学という芸術作品の登場人物は、それぞれが思想でありイデオロギーなわけで
オトモダチが欲しいなら、他にやることがあると思うんだが
しらけるよね、こういう人
458 :
シベリア公爵 :2007/01/14(日) 20:55:23
イタリア県灸怪、 加賀乙彦も似たような事言ってますな。
459 :
吾輩は名無しである :2007/01/14(日) 22:22:26
小林秀雄が、戦後間もない座談会で語つてゐた。 「ゴーリキーは一流ぢやない。トルストイ、ドストエフスキーは一流です。ツルゲーネフは二流です」
>>458 本当ですか?面白いですね。調べてみます。
>>459 レトロ感漂ってますねw 昔のぼろぼろの文芸誌とか、自分は大好きです。
>>455 >ドストエフスキーの人物は、…物語の進行という機能(作者のための機能)すら
>課せられていないぐらい、自由な存在かと。
すくなくとも、ドストの女性キャラについてはこれはまったく当てはまらないな。
ドストの書く女性キャラは、ストーリーを展開させるための単なる持ち駒であって
独自の生命感や独自の性格をもたない。(たとえ派手に動き回っても)自分自身の
運命をもっていない。
「戦争と平和」のナスターシャのように、ストーリーを離れた生き生きとした生命感で
もって読者に訴えかける女性像は、終生ドストは描けなかった。
>>461 それはドストエフスキーの女性への強い憧憬からでしょう。憧憬が強すぎるから、
女性がイデア的に書かれるという指摘がよくなされます。
「最後に傷つくのは常に男だ」という発想は、裏返せば、どうにも扱いにくいという女性感
を持っていたことになりますよね。女性は光であり、男は影というイメージなのかもしれ
ません。トルストイは女性をもっと冷徹な目で見ることが出来たため、よりリアルに描け
てると思います。
ちなみに、ドストエフスキーの女性はしばしば、聖書のマグダラのマリアとのダブルイメージ
が与えられてます。ドストエフスキーの女性像が、観念的なのは否めないですね。
しかしながら、悪霊のワルワーラ夫人は、かなりの現実味を持ってるように思います。
あれがリアルというなら、君も観念的にしか女性知らないんだね。 ドストの小説に出てくるような、あんな薄っぺらい人間は現実には存在しない。
自分はドスト氏の書く女性は観念的だと言いましたよ。ワルワーラ夫人には妙な現実感 を感じましたが。 ドスト氏の書く人間が薄っぺらいとは思いません。ふとした言葉にもダブルミーニングが 駆使されたりしているあたり、読者が完全に読み解くことを期待していないようにも思える ところがありますが、それだけ人物たちに自由が与えられてるのかと思います。 読んでる側からしたら、たいへんなことですけど。
465 :
ナボコフ :2007/01/17(水) 12:13:33
「ドストエフスキーは女性を描くのが下手で、トルストイは上手かった」 というのが、日本人研究者の間で通説になっているのは知っていますが、 私はそうは思いません。 確かにドストの場合、パターンが少ないとは言えるでしょうね。 ナスターシャ・フィリッポヴナとグルーシェンカは同じパターンですし、 アグラーヤとカテリーナ・イワーノヴナも同類でしょう。 しかし観念的というレベルを超えて、実によく描けている。 それに比べて、評価の高い『戦争と平和』のナターシャですが、そんなによく描けていますか? 少なくとも、『オネーギン』のタチヤーナや、『貴族の巣』のリーザと比べられるレベルではない。 ナターシャは純情な女の子のはずなのに、描写が妙に生々しい。 女性を性の道具とみなしているトルストイのいやらしさが反映していますね。
466 :
吾輩は名無しである :2007/01/17(水) 13:10:28
トルストイはなんといっても「アンナカレーニナ」でしょ。 男でアンナとキティという全く違うタイプの女を 書けるというだけでも尊敬するわ、マジで。
>しかし観念的というレベルを超えて、実によく描けている。 よく描けてるのは「ヒステリー患者」であって、それがたまたま女って設定だっただけだな。 あんな精神的厚みのない薄っぺらなキャラ見て「女」が良く描けてるなんて言ってる 香具師は笑止。 ヒステリー患者じゃない女性キャラで、リアリティある人間性を感じさせるドストキャラって 存在するか果たして? 自分の親友の頭オノでぶち割られて殺されても怒りもしないで、「あなたはご自分に たいしてなんということをなさったのです?」とラスコのために泣いて同情するソーニャとかw?
戦争と平和のナターシャに比肩する女性なんて文学中には存在しないよ。まあいいとこアンナだろうな。 ましてドストの文学にはまずいない。比べたければせめて他の作家を持ってくるしかないだろう。
まあねえ トルストイって、翻訳者がかなり巧く料理してるもんね トル信者、乙。
しかしながら、ナターシャはかなり一面的に書かれている気がしないでもないですよ。 なにしろ、ピエールとの結婚後、「彼女は家に入り、そして家を守ることが幸福を得る 最良の方法であることを知っていた」 みたいに書かれてますが、これってナターシャ 本人の思考ではなくて、トルストイの価値観では? そもそもナターシャ本人ではないトルストイが、このように外から断言することが、 果たして良い書き方なのでしょうか?
>>467 お、よく分かってるじゃんか。
もうあの告白聞くより前にソーニャはラスコに惚れてんだもん。
ラスコの家尋ねたあとの文とか、読んでみ。
殺された女友達より男を選んだという、女の本性を表現した実に素晴らしいキャラなんだよ。
マルメラードフのはなしを聞き終えた段階で、既にラスコーリニコフは告白の相手に ソーニャを選んでる、と読めるみたいですね。会ったこともない段階で。
読めるみたい、じゃなくてラスコ本人が自分で言ってるぜ。 ソーニャのウチ訪問一回目の別れ際。
474 :
吾輩は名無しである :2007/01/19(金) 10:17:38
苦行を強いられる人類の代表としてソーニャに目を付けたんじゃないの?
ソーニャもよく描けていると思いますよ。ナターシャなんかよりずっといい。 ドストエフスキーが描く女性にリアリティーを感じられない人は、 小説中の登場人物と現実世界とを混同していませんか? 物語の中で現実性が感じられ、生き生きと描かれていれば、それでいいのです。 確かにソーニャみたいな自己犠牲に徹した女性なんて、現実にはいませんよ。日本にもロシアにも。 いたらうれしいですが...
いたらうれしくないよ、かわいそうじゃん。
ほんとのクリスチャンで、まさに仕事に身を捧げた人知ってるけど、傍目には凄く辛かったよ。
そりゃあの話はあれからいろいろあって、なんとか落ちついたけどさ。
で、
>>467 あそこは、怒るとこじゃないでしょ 彼女の信仰の深さを表現してるとこじゃないの
ソーニャは奇蹟を本気で信じてるわけだから、
殺された友人のことだって、新しいエルサレムに行ける人だと確信してるはず
肉体の死よりも霊魂が大事だからね
けれど、目の前で殺人を告白した男は、刑法によっても罰を受けるし
おそらく「裁きの場」で、火の海に投げ込まれて「第二の死」ってことになるだろう
死にかけの父親を家まで運んで、貧しいくせして葬儀費用を恵んだのに。
礼を言いに行けば、ラスコに丁重に扱われた。(家族の手前もあったろうけど)
おまけに直前の場面では、盗みの嫌疑を大勢の前で晴らしてくれたんだよ。
恋心が無かったとしても大恩人だ。
リアリティがどうこう、の前に話自体を読んだほうがいいっしょ。
でもトルストイも好きだから、どっちが上なんて分かんないわ。
トルストイは81歳までセックスしたらしいな でも実際の女は長く愛せなかったらしい 今なら二次にはまっちゃうんじゃないか意外と
俺もその年まで現役でいたいな。
479 :
吾輩は名無しである :2007/01/21(日) 12:30:58
現代はアメリカの圧勝かな やっぱ国家を自分たちで作るってナショナリズムがないと文化は駄目だね
優位なメスと劣位なオスの歴史 生物:生活能力のあるメスが生活能力のない矮小なオスを養う関係は生態系にはいくらでもある それで、受精卵ができて、オスの精子が必要なくなる すると、どのオスも追い出されるか、殺されるか、 メスの体内に吸収されるかのいずれかの運命になる 人類:人間も古代ではメスが優位 一例:アマゾンは狩猟民族で、狩猟の女神アルテミスを信仰していた 女のみの部族であるため子孫を残すためには男が必要である このため時折捕虜として男を連れ帰ることがあった 捕虜となった男は全裸にされ手枷、足枷がつけられ子作りの道具として多数のアマゾンによって嬲られ精を搾られた その結果、すぐに発狂するか廃人同然となり、男性機能が役に立たなくなった者から順に絞め殺された 男児が生まれた場合は即、生き埋めにして殺すか、不具として奴隷とする 女児の場合はそのまま戦士に育てた こうしたメス優位な社会が古代ではごく当たり前であり、男は女に約5500万年間虐げられてきました メス優位社会は母なる大地(女神崇拝)、自然崇拝が基本です メス優位がオス優位?になったのは、キリストや仏陀や孔子などの男尊女卑思想登場前後からです オス優位?社会は父なる天を崇拝、文明マンセーが基本です ところが、昨今はフェミニスト(女尊男卑思想)によりまたメス優位となってきました それにつれてメス本来の凶悪性が出てきました(オス優位?な時代ではおとなしくしていただけ、殴られちゃうからね これらは、妻の夫殺しが年々ハイスピードで激増している事からも分かります 鬼嫁、熟年離婚、女だけ過剰な保護、貢ぐ君、不幸で悲惨な結婚生活、女子にのみ甘い判決、豪華な女子刑務所、金銭搾取、女優遇マスコミ、他多数 女の子は優しい?か弱い?(笑)メスは本来凶悪です。今後、更に男性差別が激しくなっていくでしょう。最終的にオスはメスの奴隷になります オス優位な仕事場も、今後はどんどんメスに奪われていくでしょう(3k労働や兵役は残してくれるでしょうが・・・ こうして地位も経済力も生活力もやる気も無くしたオスをメスがどのように扱うかは上記を見れば分かります。 男性諸君!恋愛(避妊SEX)は楽しみつつ、不幸で悲惨な結婚生活は回避し、約5500万年間の恨みを晴らそう!
>>479 英語圏文学は質・量ともにダントツだろうな
トルストイをテーマにした卒論って激減してるし、
アンナ・カレーニナは100年後も読みつがれるだろうが
戦争と平和は無理だな
482 :
吾輩は名無しである :2007/01/22(月) 09:02:21
イギリスはともかく、アメリカの文学は駄目ですね。世界に誇れる大作家、大文学というものが存在しない。 せいぜいヘミングウェイ、フィツジェラルド、マーク・トウェイン程度でしょう。ナボコフはロシア人ですし。 トルストイやドストエフスキー、あるいはシェークスピア、ゲーテが横綱級の文学者とするなら、 アメリカの作家なんてせいぜい小結程度。 経済力や軍事面では大国でも、文化的には後進国ですね。
>>482 人の話を聞けない子は、本も読めない子
>>479 がいっているのは現代の話だろ、二行目は意味不明だが
20世紀のロシアやドイツが英語圏のそれに勝る作家と作品を輩出してるか?
誰も、リチャード・パワーズとトルストイが相撲をとったら、なんて話はしてないぞ
あとナボコフは立派な英語圏文学の書き手だぞ
かつ、20世紀の最重要作家のひとり
ロシア語の「ロリータ」は(もちろん訳したのはナボコフ)
言葉遊びの要素が無くなったほぼ直訳のものらしい、若島正がいってた
484 :
吾輩は名無しである :2007/01/22(月) 15:01:29
ナボコフ自身は「自分はロシア語で書くときは一流の作家だが、英語で書くときは二流」と言っていますよ。 あとロシア語版のロリータには、ちゃんと言葉遊びがありますよ。 若島正がちゃんとロシア語版も読んでいたら、新潮社の新訳ももっとまともなものになっていたはず。 それから若島正の言うことはあまり信用しない方がいい。『ディフェンス』の訳者解説でいい加減なことを書いています。 たとえば266ページ。「人生とは終生の苦しみである」という『死せる魂』からの引用(これは英訳版にある部分で、 ロシア語版では『死せる魂』の別の箇所から引用が取られている)と書いていますが、これは大ウソ。 ロシア語版では、Это ложь, что в театре нет лож.と書かれているのだが、これは『死せる魂』とは何の関係もない。 若島はロシア語が読めないのでしょうね。
485 :
吾輩は名無しである :2007/01/22(月) 15:51:35
>>484 その、母語によらない”二流の作家”という亡命文学者としての立ち位置が
単なる伝記的事実として以上に、ナボコフにとっては重要でしょう
やはり特に「ロリータ」
それとも、
>>484 さんは
本気で「lolita」は二流で「лолита」が一流、とお考えですか?
No.014 11:我が命の光:
http://www.wombat.zaq.ne.jp/propara/lolita/014.html 無くなったとは若島正も言ってなかった、間違いです
ただ、ずいぶん違うありかたになっているというのは、
割と客観的にいえるんじゃないでしょうか?
翻訳者としての若島正、あるいは既訳への評価は保留しますが、
容易に入手できるのが大久保訳だけという現状は大変不幸なものであり、
彼の新訳によって、「ロリータ」を純粋恋愛小説として読む痴人が減ることは
かなり評価できるものだと考えています。
486 :
吾輩は名無しである :2007/01/22(月) 17:37:26
メルヴィルもフォークナーも知らない香ばしい
>>482 がいると
聞いてすっ飛んできますた
487 :
吾輩は名無しである :2007/01/22(月) 17:48:35
>>482 アメリカは歴史が浅い。しかも雑多な民族の集合体。
若い国だけに活気はあっても、文化が熟すにはなによりも時間が必要だわ
>487 で、ヒラリーかオバマか、どっちよ? メキシコ系も絡むようだが。
489 :
吾輩は名無しである :2007/01/22(月) 18:13:24
>489 ヨーロッパではヒラリー有利と言う奴が多かった。 自分の知人の限られた範囲だが。時代趨勢として女だと。
ついでにいえばロシアはめっちゃ気味悪がられていた。サリンより怖い放射能 KGB出のらすプーチンはやっぱ背後の闇が…。 ロシアの今を書く第2のドストエフスキーは出ないのか?・・と スレ違いだから無理矢理こじつけてみますた。
492 :
吾輩は名無しである :2007/01/22(月) 21:05:45
482ですが、読みましたよ。モービィ・ディックも、サンクチュアリも。それなりの作家であることは認めます。 しかし、トルストイやドストエフスキーと同列に比較できるレベルではないでしょう。 誰が夏目漱石と赤川次郎をまじめに比較して論じますか? 要はそれくらい差があるということです。 さて484も私なのですが、どうやらナボコフについて、私に論争を挑んでいる方がいらっしゃるようですね。 よろしい、受けて立ちましょう。まずロリータですが、若島氏が「我が命の光」で指摘しているように、 ロシア語版の冒頭部には何の工夫もない。文字通り、Лолита, свет моей жизни, огонь моих чресел.と訳されています。 ただナボコフくらい仕掛けの多い作家もめずらしい。私の印象によると、若島氏の新訳では仕掛けの半分も解明されていませんね。 ロシア語訳をきちんと踏まえていたら、もっといい翻訳になっていたはずです。 またナボコフのロシア語作品を読んだ者で、ロリータを最高傑作とみなす人は少ないでしょうね。 芸術的完成度で言えば、やはり "Дар" の方が上でしょう。 ロリータはともかく、ディフェンスについてははっきり言えますね。"Защита Лужина" は一流だが、"The Defense"は二流である、と。 まあ、ロリータと事情が違うことは認めます。ロリータは英語からロシア語への翻訳で、ナボコフが全面的に関わった。 一方ディフェンスはロシア語から英語への翻訳で、Michael Scammel が訳しました。ナボコフ自身も共同翻訳者となっていますが、 せいぜい校正原稿にざっと目を通した程度でしょう。 ナボコフはあの小説で、チェスのプロブレムにヒントを得たレトロ解析の手法を実験的に用いている。 ところが若島氏の翻訳では、その一番重要なメッセージが、残念ながら伝わっていない。 英語を介した重訳であること、数々の誤訳があることには目を瞑るとしても、あの翻訳はかなり問題だと思いますよ。 大久保訳でしか読めないロリータの不幸をおっしゃるなら、若島訳でしか読めないディフェンスの不幸を、もっと問題にすべきではないでしょうか。 最大の原因はやはり、若島氏がロシア語を読めず、ナボコフを十分に理解していないからでしょうね。
ポーもフォークナーもトルストイやドストに負けてない
>>492 すごいマンパワーを感じましたw
あなたから見て、ナボコフとはどれほどの作家ですか?
例えば、トルストイやドストエフスキーと比較し得るほどの作家でしょうか?
>>482 =
>>484 だったのか、、軽くショックだ
人の話を全く聞けない奴が、本を読めるわけがないのに
まともにレスしちゃったよ
いまのとこ論点は2つ、スレ違いだけども
1:現代において英語圏文学に匹敵しうるものが存在するか
2:ナボコフは英語圏文学者か
これに対する
>>482 1:ドストエフスキーと比較できるレべルじゃない
2:若島正はナボコフを理解してない
ここ掲示板でよかったなあ
喫茶店だったら、目を合わせずに延々と喋り続けるんだろうなあ
496 :
吾輩は名無しである :2007/01/23(火) 00:11:13
いま思いついたんだけど
他人を踏みつけて、ひたすら脱線しつつ、ただただ自らの作家愛を語りまくる
>>482 ってハンバートそのものだよな
497 :
吾輩は名無しである :2007/01/23(火) 14:08:44
再び482です。仕事中なので、要点のみ記します。 私はナボコフを大作家だと思っていますし、心から尊敬しています。 トルストイやドストエフスキーと比較しても引けをとらない。 ただナボコフはロシアの作家であって、文学的見地から見て、英語圏文学者とみなすべきではない。 なぜなら、ロシア語で書かれた初期作品の段階ですでに、つまりベルリンの亡命者社会でシーリンとして 次々に秀作を発表していた1930年代には、仕掛けの多いナボコフ独特の文学技法を確立していたからです。 ルージン・ディフェンスにおけるレトロ解析の手法はその典型でしょう。 アメリカに移ってセバスチャン・ナイト以降、英語で作品を書くようになったわけですが、 それはすでにロシア語で確立した技法を英語で試しているに過ぎません。 また私は誰をも踏みつけていませんよ。 ただナボコフについていい加減なことを書いている人がいたら、私はそれを訂正します。 それから私はハンバートでもありません。幼女よりは熟女の方が好きですから。
>>497 >>495 で指摘した1番に対しては既に振り向きもしないな
そして2番、これももう
>>483 への対話ではなくなってるが
一応まとめると
>>497 ナボコフは非英語圏文学者である。
なぜなら、「Lolita」を含めた英語による作品は、
ロシア語で確立した技法を英語で試しているに過ぎないからだ
まず
母語でない言語で書くという行為の、どこが文学的試みでないんだ?
大江健三郎が翻訳調の文体で書くという以上のことをナボコフはやっている。
まさか
>>484 の
「自分はロシア語で書くときは一流の作家だが、英語で書くときは二流」
というのは自分の作品を読むときはロシア語で読んでくれ、
という意味だと思ってたのか?
文学的技法とやらについては知識が乏しいんで、専門家にも聞いてみるよ。
レトロ解析以外で。
それにしても、私は熟年女性のほうが好きだからハンバートじゃないってのは酷すぎる。
いくらなんでも。「ロリータ」読んだことあるのか?泣きそうになったよ。
499 :
吾輩は名無しである :2007/01/24(水) 08:13:26
479以降スレ違いが続いている。そろそろナボコフ論は終わりにしませんか。 別に逃げるわけではないけれども。 私が主張したいのは以下の2点。 @ナボコフはロシアの作家であって、英語圏文学者と理解すべきではない。 理由はすでに述べました。 A若島正はあちこちで、ナボコフについていい加減なことを書いている。 Aについての実例を484で指摘しました。まだまだいくらでも示せますよ。 それから熟女の話はジョークのつもり。軽く受け流してください。
500 :
吾輩は名無しである :2007/01/24(水) 10:36:35
501 :
海外旅行者安全対策 :2007/01/24(水) 10:41:31
★★ ロシアの外国人排斥主義者等による外国人暴行事案対策 ★★ 外務省の警告。 外国人排斥主義者等による外国人暴行事件の活発化が懸念されています。 モスクワやサンクトペテルブルクなどの大部分でアジア系を含む外国人への 襲撃事件の発生が報道されています。外出の際には次の点に注意してください。 目立つ服装は避け、外出先での派手な行動は慎むこと。 いわゆるスキンヘッドグループはもちろん、サッカーチームのサポーターや ロックコンサート帰りの集団等、若者の集団には近づかないこと。 人通りの少ない場所、裏通りなどの、たまり場となるおそれのある広場、 公園等には近づかないこと。 外出に際しては携帯電話等を可能な限り携行し、連絡手段を確保すること。 ヒットラーの誕生日である4月20日前後は外国人排斥運動が活発化します。 不要不急の外出や、深夜・早朝の外出を控える、やむをえず外出する際には、 車の利用や複数人での行動を考慮してください。 特に、モスクワでは旧アルバート通り、レーニン図書館周辺、プーシキン広場、 サンクトペテルブルクではネフスキー大通りなど。 また各種駅(地下鉄を含む)構内及び周辺、電車、路面電車、スタジアム、 ロックやラップのコンサート会場周辺、大学生寮、若者や多国籍(特にアジア、 アフリカ系)の人が参集する飲食店、カフェバー、ディスコ、コーカサス系や アジア系の店の多い市場などでは暴力事件が発生する可能性が高くなります。
>>499 そうですね、もうさすがに疲れました
逃げるのはこちらなので気にしないでください
最後にもう一度だけ
>>495 >>496 を読んでいただけますか?
503 :
吾輩は名無しである :2007/01/24(水) 18:29:40
age
504 :
吾輩は名無しである :2007/01/24(水) 19:02:17
了解しました。冷静に読んでみると、私の492はいささか興奮気味ですね。 喫茶店で議論すれば、案外気が合うかもしれませんよ。 ナボコフが好き、という点では共通していますから。 ナボコフスレに一緒に殴り込みをかける、というのはどうでしょう?
505 :
吾輩は名無しである :2007/01/26(金) 23:36:40
同時期に書き上げられた「罪と罰」「戦争と平和」 罪=戦争 罰=平和
発表は同年ですよね?執筆期間はドスト氏の方が短かったと思います。書くスピードが 違うというか、推敲にかける時間が違うでしょうしね。 罪と罰というのはロシア語では、「犯罪と刑罰」というタイトルなんですよね? それはいいとして、「戦争」と「平和」を並立させてタイトルにするのは、 そもそもおかしいというのが持論です。トルストイは好きなのですが、この作品 には色々と疑問があります。そもそも、歴史家を論破するために書いたのか?と 聞きたくなるような、超長論文の連続で物語が何度も中断されるますしね・・・
トルストイ=働け ドストエフスキー=ニート最高
>>506 アマゾンのレビューに書いてるやつだろ?別に対義語としてタイトル付けたわけでもないだろうし、
確か当初は「戦争と農村共同体」だったのがいつの間にか誰かの手で書き換えられてて、
別に「平和」でもいいやって感じになったんじゃなかったかな。
509 :
吾輩は名無しである :2007/01/27(土) 09:12:55
戦争と平和はロシア語で、Война и мирというが、 мирには「平和」という意味と「世界」という意味がある。 ロシア語を勉強した人には常識ですよね? ところが19世紀のロシア語には iの文字があったため、мирとмiрは発音は同じだが、別の単語だった。 つまりмирは平和で、мiрは世界の意味。そしてトルストイの直筆原稿には、 何とмiрと記されていた! この単語には、社会とか共同体という意味もある。 歴史に詳しい人ならロシアの農村共同体のことをミールというのはご存知ですよね? つまりこの小説は戦争と平和について書かれたものではなく、ロシア民衆の共同体について、 トルストイは書きたかったのだ、という説もあるらしい。 今は亡き原卓也先生が教えてくれた。
510 :
吾輩は名無しである :2007/01/27(土) 10:58:46
>>509 そうでしょうね。その話信憑性がある。もともと伯爵家に
生まれて貴族であることにジレンマを感じ、財産あちこちに
寄付してたしね。
511 :
吾輩は名無しである :2007/02/02(金) 18:27:02
この間アンカレ読了し、その次に今カラマの中巻読んでいます。 春樹が、「世の中には二種類の人間がいます。カラマーゾフの兄弟 を読んでいる人と、そうでない人です。」といってたので 凄い高尚なのかと思ったら、真逆でした。まあ、ゾシマ長老の説教など 高尚な部分もありますが、アンカレと比べると、美しさという点で見れば 比べ物にならないくらい劣ります。まだ最期まで読めていないのであれですが、 月並みな表現をすれば、トルストイがクラシック音楽だとしたら、 ドストエフスキーはロックンロールというところでしょうか。 優劣云々というよりもどちらを好むかは全く持って個人の嗜好によります。 ただ、通常は高校生辺りにロックを聞いて、大学に入ってクラシックやジャズ に入っていくという流れなような気はしますが。
自分は黒人音楽の信者でもあるんですが、ドストエフスキーの 黒さと即興性は例えるならJAZZやSOULやゴスペルかと。 トルストイがクラシックというのは同感です。 例えば、ブラームスは交響曲1番を作るのに30年を費やしたと言いますが、 トルストイはブラームスのように完成されています。 ドストエフスキーは原稿料を前借りして異常な筆の速さで書いていたと言いますし、 即興性が強いですよね。黒人音楽ぽいです。 あえて、クラシックに例えるなら、その雰囲気はベートーベンでしょうか。
513 :
吾輩は名無しである :2007/02/03(土) 00:24:21
自分で小説書くと、どうしてもドスト的になってしまう。 我ながら会話がひどい。読んでて面白いと思うけど、リアリズムに欠ける。 トルストイはマジで凄いね、あの女性の描き方は。 みんなも一度自分で作品書いてみるといいよ、それで初めて トルストイないしドストエフスキーの凄さが分かるから。
トルストイってマジ何モンなんだろうな。本格的に文学に開眼したのって二十歳超えてたはずだが。 幼い頃からの教養が段違いなんだろうか。そしてもちろん人類史上最高の才能・・・。
513の小説読ませてよ 面白そう もし自サイトお持ちなら、検索キーワードとか教えて
517 :
吾輩は名無しである :2007/02/03(土) 22:32:30
『罪』と『罰』、『戦争』と『平和』 どちらも対義語っぽいが、対義語ではない。
>>513 >>516 氏が言わんとするところに同感ですが、ドストエフスキーのように書くことは、
おそらく人間業を超えた難しさがありますよ。ドイツ象徴主義の作家たちがやろうと
しましたが、ヒステリックな人間を書くレベルで終わってしまったのは、有名なはなし
です。
「ドストエフスキーを愛読している。」 アインシュタイン これで決まりじゃない?
トルストイの豊穣でリアリティーある描写力は、 ドストの一見乱雑に見える描写力と比較さえすべきではないとは思うが
天才たちばかりの世界、アインシュタイン、ナポレオン、ドスト、トルストイ、シェクスピア、・・・ 彼等のような人間が人類の大多数を占めるようになれば赤川次郎のような作家が 「世紀天才」としてもてはやされて真面目な研究対象にされるのかもしれないな そんなわけない
>>520 トルストイで問題なのは、人物たちが作者の領域内に留まっていることです。
例えば、アンドレイがクトゥーゾフについていて、戦争やロシアに対しての悟りを開いたと。
そして、それによって人生に対しても悟りを開き、それが究極の達成であるかのように
書かれています。
アンドレイは正しい道に到達したと読めるわけです。しかし、誰が「正しい道」なんて決める
んですか?トルストイの基準は絶対なのでしょうか?ナポレオンがクトゥーゾフより優れて
いると考えるのは、愚かだと誰が決めるのでしょう?
トルストイの世界は、作者の価値観が絶対であり、それに近づいた人物は肯定されます。
アンナ・カレーニナにおいてもそうですね。
ドストエフスキーの世界では、登場人物たちが作者と全く違う価値観を主張していても、
否定されないし、作者の価値観に近づいても肯定はされません。作者は自分の価値観
を信奉してますが、登場人物たちの信念も同時に「同等の権利を持った他者」の考え
として尊重しているのです。よって、ドストエフスキーの世界は、1つの価値観によっては
構成されず、一見すると混沌としています。
>>520 トルストイの小説世界がいかに豊穣でリアリティーがあっても
読者はトルストイ一人の視点による世界観を共有するしかないじゃん
それで本当に満足できればいいけど
ドストの小説世界は乱雑(矛盾・未完結)だけど、
やっぱり社会はこっちのほうが近いと思うんだよね
以上の問題が、トルストイほどはっきりしている作家はおそらくいないでしょう。 神がかった筆致と描写力で人生を書いたトルストイですが、その作品においての 価値基準が全て自分基準なのです。 現実の世界ではそんなこと有り得ないわけで、現実の世界に対置した、「自分基準の 世界」を創造しています。これは何度も指摘されていることです。ある意味、意図的とも 思われるものです。トルストイにとっての理想郷を描いたのかもしれません。
>>523 全く同意見ですw かぶってすみませんw
>>525 まあ、こんなこともいいつつ俺はトルストイ大好きなんだよね
バフチンが、モノローグ小説にあるのは安心だ、と言ってたのには力無く同意するけど
ただ、「ドストエフスキーの詩学」で
ドストがトルストイの短編をリメイクしたら、みたいな話をしてたが
「二重人格」を読むととんでもない話だと思うな、あれ酷いよ
>>526 誰か日本の作家が「小説というものは結局トルストイのようなものに落ち着く」
ってドストと比較してたけどオレもそう思った
ドストもトルストイも互いに遜色ないけど、ドストは濃すぎる
528 :
吾輩は名無しである :2007/02/04(日) 11:51:27
今、ロマン・ロランの「トルストイの生涯」読んでたんだけど、 トルストイは自分の芸風である写実主義を否定しているね(というより芸術自体を)。 写実主義でもその中に愛が無ければばらない。トルストイと同じ写実主義作家でも、 フローベールには愛が無い、とロランは言うがそれには僕も同意だ(もちろんトルストイにはある)。 フローベールを意識する平野(この名前を此処で出すのが正直既に恥ずかしい)の作品にも愛が感じられないから魅力が今ひとつなのだろう。
529 :
吾輩は名無しである :2007/02/05(月) 09:48:56
>>66 >>296 >>482 ゲーテの足下にも及ばないトルストイを横綱扱いとは…(呆)。
A ゲーテ
B ドストエフスキー
C トルストイ
以上、反論は認めません。
530 :
吾輩は名無しである :2007/02/05(月) 15:11:23
確かにゲーテのファウストは素晴らしい。院生の頃初めて読んだときには、本当に驚いた。 他にも例えば、ウィルヘルム・マイスターもいい作品だね。 でも、だからと言って、トルストイが「ゲーテの足下にも及ばない」ということはないでしょう? もう一度じっくりと戦争と平和を読んでみてくださいよ。ファウストに少しも劣らない傑作と分かるはず。
明らかな釣りだろ?トルストイは史上最高の作家なんだから。
>>530 反論は認めないって言ってるから、もういいじゃん
それより戦争と平和て、もう読まれなくなると思うんだけど
533 :
吾輩は名無しである :2007/02/05(月) 16:28:20
性格 貴方は規則や倫理を重んじ、義理人情にも厚い集団行動型タイプの人間であると同時に、 物事を衝動的、直感的に判断して決める軽挙盲動型タイプでもあります。 或る時はそれが貴方に手痛い傷を負わせる事になるかも知れません。 何事にも冷静で理性の勝った判断が望まれます。 恋愛・結婚 貴方はかなり選り好みの激しいタイプです。 しかし性衝動の激しさや選球眼の乏しさの為に、必ずしもベターな相手を選び出せる可能性は高くないかも知れません。 一旦、結婚して仕舞えば例えどんな相手でも、倫理感や責任感に縛られた心と、情に流されて冷静な分析的判断が出来ずらい性格の為に、めったな事では離婚に到らないでしょう。 職業適性 芸術家タイプの所も有るが、常識や世間体を気にしすぎ、事業家タイプの所も有るが、冷静な分析判断を苦手としますので、どんな職業に最も適性があるのか、判断に迷う所です。 物事に対する現実的且つ合理的な対応手段に最も弱点を持つ性格ですので、この点を考慮して職業を選ぶべきです。 対人関係 人の指導をする事も好き、人の世話をする事も好き、御祭り騒ぎをする事も好き、人付き合いはにぎやかで良いのですが、その多彩な交際網を活かし切れていない悩みがあります。 やたらに人を利用せよ、というのではありませんが、他人に利用される方が多いようでは又、困ります。
534 :
吾輩は名無しである :2007/02/05(月) 16:31:12
性格 厳しく冷たい性格で、かなり我儘なタイプです。 自分の考えや行為は、絶対に正しいと信じている可能性の高いタイプで、かなり独りよがりの傾向が強いのです。 好奇心の旺盛なタイプで、何かを求めて独善的に突っ走ります。 喜怒哀楽の落差が激しく、特に怒りっぽい所が最大の特徴でしょう。 涙を流す事も偶には有るかもしれませんが、それは心情の優しさから生まれたものでは無く、 浪花節的な自己陶酔から発生する種類の涙ですから、自分は優しいのだと錯覚しない事が、 自分と云うものを正確に掴む上では、絶対に必要な事です。 恋愛・結婚 男の場合なら「俺に付いて来い」。 女の場合なら「私の云う通りにしていれば間違い無いのよ」と云う按配で、ぐんぐん相手を自分のペースに乗せて、 引っ張って行くタイプですが、一体、何処へ引っ張って行こうとしているのか、何しろ冷たくて我儘なタイプですから、 相手の意向や立場などを殆ど考慮しないで、自分の欲望や気分の趣くままに、相手を引き摺り回す可能性が強いのです。 世間体を憚(はばか)ったり、正義感や責任感の強い面は持ち合せて居ますので、大義名分の立たないような形で、 相手を放下す(ほかす、関西の放言で捨てる事)事は少ないでしょうけれども、飽きが来て居て、名分が立ちさえすれば、 相手が可哀相だ、などと云う感情は、余り働かないタイプでは有ります。 職業適性 捕まったり管理されたりする方は、情容赦の無さに辟易(へきえき)するかも知れませんが、 貴方の権力志向や欲望、好奇心などを満足させる適当な職業は、警察官、刑務官、Gメン、検事、判事、弁護士などの職業のような気もします。 医師、看護婦(士)、保母(父)、教師、宗教家、カウンセラー、ケースワーカーなどの職業には、 成る気も無いでしょうけれども、万が一、そう云う方面を目指した場合には、貴方の為に成らないばかりで無く、世の為、人の為にも成りません。 対人関係 自分の興味本位、権力志向本意に動く事は、なるべく慎むように心掛けて下さい。 もう少し円やかな人間になりませんと、味方が三人居れば、敵が十人居ると云う風に、 非常に世渡りの難しい人生を送る事を、覚悟しなければならなく成るでしょう。
535 :
吾輩は名無しである :2007/02/05(月) 16:32:50
性格 心の飢えた芸術家と云う風なタイプです。 理想や観念の上で、物狂わしい程、真善美(しんぜんび)の世界を求めています。 しかし、それらは余りにも観念的過ぎる為に、変り者とか、無能力者とか云うレッテルを貼られ易いタイプです。 非常に子供っぽい我儘さと奔放さに、他人の反応を異常なほど気にする神経質さを兼ね備え、 現実的、合理的な判断力や分析力は、かなり低いタイプです。 通俗的、一般的な情愛は大きく欠如していますので、周囲の人々には、冷淡な人間と見られてしまいます。 恋愛・結婚 人並の恋愛や結婚を望なら、自分の希求する理想の世界と現実の世界の間に、はっきりした線引きをして、 日常生活の中では、もっともっと同情心や寛容心を養う一方、あらゆる物事に対して、合理的、現実的な対応が出来るように努力すべきです。 職業適性 力関係や駆け引き、臨機応変の生臭さが渦巻く実業の世界よりも、音楽、絵画、彫刻、陶芸、漆芸、工芸など特殊な技能を生かして、 永遠の美を追求して行く様な世界が、貴方の性格特性を活かす道でしょう。 対人関係 人間の狡猾さと残忍さ。人間の英知と慈悲。 これらはパーセンテージの差こそあれ、貴方の周囲の人々も、残らず持ち合わせているものです。 そう云う事実を、それで由と肯定した上で無ければ、円滑な人間関係は保てません。 清濁合せ呑んだ上で、自分の遣らなければならない事は、キチンと遣ると云うのが理想です。 貴方の場合は、観念的な美の世界に走り過ぎて、現世の汚点を否定し過ぎる傾向が認められます。
小林秀雄はトルストイには言及してないの?
>>536 何度もしてると思います。しかもスレの主旨に沿う形で。基本的に小林秀雄氏は
ドストエフスキー信者なので、トルストイに対しては辛めだったと思います。
「ドストエフスキーの生活」を持ってますので、具体的な箇所が見つかったら書いて
おきます。
538 :
吾輩は名無しである :2007/02/06(火) 14:43:50
>>285 亀だが女性に前者が多いってのは意外だ。
自分の女の見方がステロタイプなのかもしれないが。
自分だったら圧倒的に後者だな。
女でも後者を取る奴が好きになりそうだがそんな奴はいないのかな?
539 :
吾輩は名無しである :2007/02/06(火) 20:28:53
541 :
吾輩は名無しである :2007/02/07(水) 22:31:31
ドスト云うな!マクドみたいやろ、ドッスと呼ぼう。
543 :
吾輩は名無しである :2007/02/11(日) 13:04:05
やっぱ総合的にトルストイの方が少し上かな。
>月並みな表現をすれば、トルストイがクラシック音楽だとしたら、 >ドストエフスキーはロックンロールというところでしょうか。 >優劣云々というよりもどちらを好むかは全く持って個人の嗜好によります。 これは肯けるけど >ただ、通常は高校生辺りにロックを聞いて、大学に入ってクラシックやジャズ >に入っていくという流れなような気はしますが。 …それは通常とは限らない
ジャズとクラシックは、黒人音楽と白人音楽という決定的な違いがあります。高尚な イメージだけで、同じに扱ってはいけない気がしますよ。 ジャズはやはり即興性。白いジャズ(白人JAZZ)の流行で理論化されてきたようですが、 やはり黒人音楽としての即興性が命です。 クラシックは言うまでもなく、高度に理論体系化された音楽です。 ドストエフスキーがJAZZで、トルストイがクラシックというのならば、自分はちょっと当たっ ているかな、と思います。
546 :
吾輩は名無しである :2007/02/15(木) 14:15:56
トルストイ=理想主義者 ドストエフスキー=現実主義者じゃない?
547 :
吾輩は名無しである :2007/02/15(木) 15:12:47
>>546 いや、二人とも日本人から見たら狂信的と言える程理想者じゃないか
548 :
吾輩は名無しである :2007/02/17(土) 20:51:28
トルストイの事は興味ないからあまり分からんが ドストエフスキー=現実主義者で地に足も着いているんだけど夢想家(=ロマンティスト、理想主義者) という印象
549 :
吾輩は名無しである :2007/02/18(日) 23:32:43
550 :
吾輩は名無しである :2007/02/24(土) 13:04:51
最強対決
最強対決でしょうね ダンテVSシェイクスピア ダンテVSセルバンテス シェイクスピアVSゲーテ あたりは面白そうです。ロシア文学ヲタの自分には荷が重いですがw
552 :
吾輩は名無しである :2007/02/24(土) 14:47:17
喧嘩ならトルストイの圧勝でしょ
カフカVSジョイス 中原VS阿部
554 :
吾輩は名無しである :2007/03/14(水) 09:01:23
サルトルストイは?
555 :
吾輩は名無しである :2007/03/14(水) 09:02:41
ニーチェーホフカは?
556 :
○桁▲義 :2007/03/14(水) 16:25:18
俺! ここにいるぞ〜〜〜
557 :
○桁▲義 :2007/03/15(木) 15:00:09
ナターシャ! ナターシャ!
559 :
吾輩は名無しである :2007/03/23(金) 19:12:47
デカントは?
トルストイ=上辺だけのキャラ ドストエフスキー=人の核心を暴いたキャラ
女性キャラについていえば、正反対になるけどな。 ドスト、なんだあのお人形キャラ。単なる萌えフィギュア。
人の核心=なんだかよくわからないのオチ
というかごめん、ゲーテのすごさがわからないんだけど、教えて! ウェルテルはまあ最後のほうの自殺シーンは圧巻だったけど、 ファウストは第2部の半分ぐらいまで読んで挫折したよ…退屈すぎて
564 :
吾輩は名無しである :2007/04/11(水) 18:18:58
ドストエフスキーはあからさまに病んでて、トルストイは一見冷徹なリアリストに見えるけど、 実はドストと同じかそれ以上病んでる
565 :
吾輩は名無しである :2007/04/12(木) 00:32:01
加藤葉子は貧乳だけど乳首はデカイ 加藤葉子は貧乳だけど乳首はデカイ 加藤葉子は貧乳だけど乳首はデカイ 加藤葉子は貧乳だけど乳首はデカイ 加藤葉子は貧乳だけど乳首はデカイ
>>564 言おうとすることはわかる気がする。
最晩年のトルストイの迷妄ぶりは確かに老いのみではない病の陰を
感じさせる。
迷妄してるかな?逆に仙人のように達観して 世の俗人と合い入れなくなっただけと思うけど。
568 :
神父セルギイファン ◆UlD2LFW1n6 :2007/04/12(木) 14:39:13
>>567 それで奥さんに対して暴君になったのか?>トルストイ
570 :
吾輩は名無しである :2007/04/12(木) 23:56:03
貧乳加藤葉子の乳首揉んだらビンビンに立ってた 貧乳加藤葉子の乳首揉んだらビンビンに立ってた 貧乳加藤葉子の乳首揉んだらビンビンに立ってた 貧乳加藤葉子の乳首揉んだらビンビンに立ってた 貧乳加藤葉子の乳首揉んだらビンビンに立ってた 貧乳加藤葉子の乳首揉んだらビンビンに立ってた 貧乳加藤葉子の乳首揉んだらビンビンに立ってた 貧乳加藤葉子の乳首揉んだらビンビンに立ってた 貧乳加藤葉子の乳首揉んだらビンビンに立ってた 貧乳加藤葉子の乳首揉んだらビンビンに立ってた
571 :
吾輩は名無しである :2007/04/14(土) 13:36:37
572 :
吾輩は名無しである :2007/04/14(土) 21:40:57
加藤葉子はおっとりとした性格のくせに、 きっちり黒の下着を腰パンしてる。しかもセックス嫌い。 貧乳、でも揉んだら乳首がビンビンに立ってた。
573 :
吾輩は名無しである :2007/04/14(土) 22:15:27
加藤葉子はおっとりとした性格のくせに、 きっちり黒の下着を腰パンしてる。しかもセックス嫌い。
574 :
吾輩は名無しである :2007/04/14(土) 22:19:11
↑ 大介よホスト丸見えなんだが・・・
575 :
吾輩は名無しである :2007/04/30(月) 15:24:08
ドストエフスキーの圧勝
ここにいる低脳どもにドストもトルストイも語る資格無い 永遠に理解できないんだからな
低能を低脳とか書いてる馬鹿にはなおさら無理だろうな。
造語かもしれないぞっ!!
579 :
イタリア研究会 :2007/05/09(水) 01:06:38
トルストイの小説を読んでいると(今も毎日読んでいるけど)、自分からは遠い問題に 感じてしまいます。 トルストイ自身の問題、ないしは、19世紀ロシアの社会的性格を持った人々に関しての 問題であって、自分とは全く別の解決方法を志向する人の問題なのです。 D.リースマン(米・社会学者)の言う、「内部指向型」の性格を持った人たちの群像であって、 自分みたいな現代人は描かれていません。 ところが、ドストエフスキーは違います。地下室人の問題は、自分の問題であるかのように 引き寄せられるのです。きっと、ドストエフスキーは見抜いていたのでしょう。時代を問わな い、最も根本にある自意識の問題こそ、追及すべき問題であると。
580 :
吾輩は名無しである :2007/05/22(火) 10:16:03
カラマーゾフの神の問題などは、自分からは遠い問題に感じてしまいます。 ドスト自身の問題、ないしは、19世紀ロシアの社会的性格を持った人々に関しての 問題であって、自分とは全く別の解決方法を志向する人の問題なのです。 ところが、トルストイは違います。イワン・イリッチの問題は自分の問題であるかのように引き寄せられるのです。 きっとトルストイは見抜いていたのでしょう。時代を問わない、最も根本にある死の問題こそ、 追求すべき問題であると。
こういうスレがもっと増えればいいのに。 今の文学板クオリティでは維持できないけど。
そう言っていただけると立てた甲斐があります。最初はバカなスレと言われたものです。
584 :
イタリア研究会 :2007/05/22(火) 21:09:48
>>580 「神がいなければ全てが許される」ということは、何も神と人間の問題ではなく、
プラグマティックな思想とも言えるでしょう。地獄に行くリスクが無いのならば、
自分を縛るのは法(神の法ではない)と良心だけなわけで、犯罪を犯すことに
抵抗は薄れますし、それが得だと判断すれば犯罪を犯してもいいことになります。
ドストエフスキーの人物たちは、貴族なはずなのに貴族的な暮らしから遠くにいたり、
教養があるのに地下にもぐってしまっていたりと、19世紀的な社会的な条件から
自由な存在だと思います。
585 :
イタリア研究会 :2007/05/22(火) 21:13:29
生の死という問題は確かに、時代を問わない問題ですね。しかし、それ故に、プラトン、 後世のダンテ、さらに後世の19世紀の文豪たちがほぼ等しく取り組んだ問題です。 「時代を問わない」という自分の言い方に語弊があったかもしれません。 ドストエフスキーが取り組んだ、自意識の問題は、時代を問わない(いつの時代にも ほぼ等しく存在する)というよりは、現代になって極めて重い問題になってきたということ ですね。「ドストエフスキーは時代とともに生きる作家」とよく言いますが、「地下室の手記」 は特にその言葉に当てはまるように思います。
586 :
イタリア研究会 :2007/05/23(水) 00:17:45
「キチイはワーレンカとの交際の中で犯罪者に福音書を読んで聞かせることに憧れた」 って箇所が「アンナ・カレーニナ」にありますが(確か第二編)、これは既に出版されていた 「罪と罰」のソーニャが念頭にあったんでしょうかね?ちょっと気になりました。
587 :
吾輩は名無しである :2007/05/23(水) 00:37:12
トルストイにはまったほうが、人間的には向上する。 ドストエフスキーにはまると、人間的に屈折する。
>>587 それはあるかもしれないですね。
ただそれ以上に、まともな人ほどトルストイに、屈折した人ほどドストエフスキーに
はまりやすいのだと思います。
自分の親友もある意味屈折しているかもしれませんが、文学にほぼ無関心だったのに
「地下室の手記」の第二部を読んで、とてつもない衝撃を受けたようです。自分がそこに
書かれていたと感じたとのことです。
元々、屈折したところがある人間(自分もそうです)ほど、ドスト氏の本に、「自分の問題」を
見出すのだと思います。
589 :
吾輩は名無しである :2007/05/23(水) 01:57:55
どう考えても、この二人より、トルドストフスキーの方が上だろ?
やめろよゴテンクスじゃあるまいし
591 :
吾輩は名無しである :2007/05/23(水) 14:05:49
あの世もこの世も合わせて三本指に入る二人、しかもライバル同士で合体したんじゃ。 そりゃ最強にきまっとる。まさにベジットだな。>ドストルストイ
592 :
吾輩は名無しである :2007/05/23(水) 16:09:23
>>587 つまり二人にハマると、人間的に屈折率が向上するわけですね
593 :
吾輩は名無しである :2007/05/23(水) 17:54:04
トルストイ作品は、全体として穏かな倦怠・憂鬱の世界観。その中に時に仄かな毒(アンカレならばリョーヴィン)が。 ドストエフスキー作品は、全体がそのまま毒。人間も毒、世界観も毒、思想も毒。でもよく見ると、その毒の先に一条の光が……。
594 :
吾輩は名無しである :2007/05/24(木) 00:04:50
その毒の先に一条の光が……射してはまた暗闇に。
聖と俗というか、圧倒的な俗の中に、一条の聖なるものがある感じでしょうね。ドスト氏の 小説は。 そういえば、近年のプーチン政権の言論弾圧は、ドスト氏の「逆ユートピア思想」に沿って いるものだし、案外、民衆はそれほど不幸じゃないんじゃないか?と思ってたら、やはりと いうか、ロシア国民の大多数は言論弾圧に無関心で、こういう現状にも関わらす、80%の 人がプーチン政権を支持しているんですね。
詩人としてのドストエフスキイは、シェイクスピアに比較してもさして劣ってはいない。 『カラマーゾフの兄弟』は、古今東西を通じてもっとも大規模な小説であり、そこに挿入 されている大審問官の話は、世界文学における最高傑作の一つであり、どれほど賞賛 しても賞賛しすぎることはないといってよい。 ジグムント・フロイト
598 :
吾輩は名無しである :2007/06/05(火) 03:14:06
コピペして何がしたいw
トルストイの文章の良さがわからない。。 ロシア語でよんでないからなのか。
トルストイの文章って、とても簡潔だよね。比喩も織り交ぜてきて、たまに上手い!って時 もあるが、そこらへんは普通ぐらい。 感じるのは、「あるある!」って感じる、鋭さかな。トルストイは、「あるある!」の集合体みた いな文学だと思う。 ただ、それ以上のものではない。
なるほど
602 :
吾輩は名無しである :2007/06/13(水) 06:19:13
史上最高の小説 イギリスBBC放送局視聴者選 20位 戦争と平和 54位 アンナ・カレーニナ 60位 罪と罰 大衆に読まれ、親しまれてるのはトルストイ。読まれなくなっているのはドストの方。 更にイタ研が貼ってくれたやつ。 TOP10(作品オールタイム) 1位アンナ・カレーニナ トルストイ 2位ボヴァリー夫人 フローベール 3位戦争と平和 トルストイ 4位ロリータ ナボコフ 5位ハックルベリー・フィンの冒険 マーク・トウェイン 6位ハムレット シェイクスピア 7位グレート・ギャツビー スコット フィッツジェラルド 8位失われた時を求めて プルースト 9位チャーホフの短編集 10位ミドル・マーチ 文学者から見てもドスト作品はベスト10にも入らない。ダンテも同様。 アメリカwとか言う人がいそうだけど、国境、文化を越えて広まる力、普遍性があるのはトルストイ。 つまりそういうこと。ドストは日本とドイツのみ、トルストイより人気だという話だ。 世界的には圧倒的にトルストイ>ドスト。
>>602 氏が言うところはある意味、当たってますね。トルストイの2大長編は本当に強力
なものです。
しかし、そのランキングにおいて、トルストイは2大長編以外には、一票も入らなかった
のに対して、ドストエフスキーは5作品に票が分散しているのです。(「罪と罰」、「カラマー
ゾフの兄弟」、「悪霊」、「白痴」、「地下室の手記」)人によっては、「悪霊」や「地下室の手記」
を1位にしていました。
作家自体への票においては、トルストイとドストエフスキーはほぼ同点だったと思います。
さらに付け加えると、世界において圧倒的にトルストイ>ドストエフスキーかというと、 それは国によります。 例えば、日本とドイツにおいては、逆にドストエフスキーが圧倒的に上になるでしょう。 アメリカ、イギリス、フランスにおいては、トルストイが圧倒的に上になるかと思います。 (アメリカでは60年代にドストエフスキーブームがありましたが、歴史を通じて、トルストイ が崇められてきたところがあります) それでも、トルストイを上とする国が多いと思います。
作品の向きが違うから国柄によって全体的な好みも変わるという妙 おもしろいね
日本文学がどいつではいまいち受けず ドイツ文学も日本では、英米や仏や露に敵わない
人気が全てではないと思いますよ。
>>602 氏が言うように、トルストイには地域性を問わない
普遍性があると思います。ドストエフスキーもまた同じことが言えるでしょう。
しかし、ダンテがそうではないからといって、ダンテがトルストイ以下と言えるでしょうか?
考えてみれば分かることで、ダンテを読もうとする人は、本当に教養を持った人です。
読む人を選ぶ文学と言えます。特に「神曲」の100歌は、教養人となるための洗礼と言っ
ていいほどで、唯一無二かと思います。
読む人を選ぶ故に普遍性は弱いというのは、言えると思います。
>>608 詩については、言語に通じてないと、評価が難しいところがあるでしょう。とはいえ、翻訳を
読む限りじゃ、「構成美」、プラトンの著作以上に深遠な「対立」、1つの宇宙を形成している
かのような「世界観」、内包する深い「哲学」や「愛」(ベアトリーチェ)についての描写。
ダンテがいなければ、ボッカチオはなく、チョーサーもないために、シェイクスピアもなかった
かもしれません。例えば、自分の父は英文学の教授ですが、英文学を学ぶにあたって、
まず学ばねばならないのがダンテだと言います。ダンテというのは、そういう存在なのでしょ
う。日本やロシアへの影響はそれほど深くはないと思いますが。
最高の詩篇「神曲」 最高の小説「ドン・キホーテ」 最高の近代小説「戦争と平和」 最高の犯罪小説「罪と罰」
>>609 何か日本語変じゃね。
兎に角良いって言うからには何かあるんでしょ。
じゃあ一番好きな箇所を引用して、紹介してよ。
そんなに絡まないでやってくれるかな? 神曲の西洋社会に与えた影響を語ってるんだろうし キリスト教世界とはいえない日本でさえ大江健三郎や神聖喜劇とかへの影響があるでしょ
>>611 一番好きな箇所ということなら、地獄の門(地獄篇の第三歌)になりますが、詩の引用で
「神曲」の本当の価値は伝わらないかと思います。詩というものは、その詩が書かれた
言語でないと良さも半減してしまいますからね。
>>612 トスカーナ語(イタリア語)で書かれた詩を読めず翻訳で読むしかない私たちは、ダンテの
本当の価値を、後世への影響から知るしかないのかもしれません。「神聖喜劇」は「神曲」
の異訳ですね。戦後文学の最高峰にも影響を与えているというのは、ご指摘の通りかと
思います。
614 :
吾輩は名無しである :2007/06/15(金) 08:40:45
しかし、ダンテも凄いがホメロス以上とは思えない。ホメロスこそまさにヨーロッパ文学の根幹中の根幹。 歴史的意義を見るならばホメロスは神のはず。 当のダンテも神曲の中で、ホメロスを詩人の王としていたね(当たり前だけど)。 そして自分をウェルギリウスに次ぐ第六番目の詩人とした。 神曲完成後のダンテでさえトップになるとは思えないな。ダンテ自身でさえ、まさか自分をホメロス以上とは 思ってないだろう。いいとこ二番手。
神曲は青空文庫で読めるぞ
616 :
吾輩は名無しである :2007/06/15(金) 09:50:42
特S:シェイクスピア、トルストイ ==絶対に誰も超えられない壁== S :ダンテ、ゲーテ、メルヴィル、ディケンズ、バルザック、スタンダール、ジョイス、 プルースト、ロマン・ロラン、カフカ、安部公房 ==天才作家の壁== A+:ユーゴー、ゾラ、フローベール、ランボー、ボードレール、カミュ、サルトル、 ジイド、ロブ・グリエ、トーマス・マン、ゴーゴリ、チェーホフ、 ウィリアム・ブレイク、 ヘンリー・ジェイムズ、マーク・トウェイン、フォークナー、ヘミングウェイ、 ナボコフ、ピンチョン、ガルシア・マルケス、紫式部、谷崎潤一郎、三島由紀夫 ==超一流作家の壁== A :ジョルジュ・サンド、モーパッサン、マルタン・デュ・ガール、ジャン・ラシーヌ、 セリーヌ、サン・テグジュペリ、クンデラ、オースティン、エミリー・ブロンテ、 イェーツ、ジョン・ダン、E・M・フォースター、ゴールディング、 リルケ、ヘッセ、ギュンター・グラス、プーシキン、 ドストエフスキー、ヴァージニア・ウルフ、ヘンリー・ミラー、スタインベック、 フィッツジェラルド、サリンジャー、魯迅、夏目漱石、森鴎外、大江健三郎、 埴谷雄高、大西巨人
>>614 いや、ホメロス以上だと思いますよ。近代というのは普通、フランス革命前後からをさすの
でしょうし、ダンテは中世の詩人ですが、広義での近代文学は、ダンテからと言っていいと
思います。シェイクスピアの劇の半分以上が、イタリアを舞台としているのも、ダンテがイタ
リアを文芸の中心地に押し上げたのと無縁ではありません。ダンテは、ルネッサンスの最
高峰でもあります。
ホメロスはダンテと同様、神格化された詩人ですが、自分はダンテをとりたいですね。
>>616 トルストイ派は、どちらが上かという話で、ただドストエフスキーを貶めることに終始してい
ますね。
ドストエフスキーの信奉者のカミュや埴谷雄高がドストエフスキーの同列以上というのは、
どこらへんからでしょう?ロシア文学の神と言っていい、プーシキンを無視するのは、
ロシア文学が好きならば有り得ないことだと思いますし(うっかり忘れる人物ではないと
思います)。そういう分け方をするならば、シラーもSかAに入るでしょうね。
そもそも、トルストイはシェイクスピアを強く否定していています。もしもトルストイを高く
評価しつつ、シェイクスピアも同じく評価するなら、トルストイの一連のシェイクスピア批判
などの評論は、結局のところ無価値ということでしょうか?
序列は設けずに、自分の考える世界文学史における、トップレベルの作家を挙げると 以下のようになります。ジョイス、プルーストをここに入れるかが難しいところです。 カフカは入りません。(ほぼ全作品読んでますが)カフカよりはディケンズでしょう。 ダンテ、シェイクスピア、セルバンテス、ゲーテ、プーシキン、ドストエフスキー、トルストイ
620 :
吾輩は名無しである :2007/06/15(金) 12:43:24
所詮、青二才のお遊び。 比較すること自体、ナンセンスという他ないですね。 他人の勝手な評価を笑って、寛容にながめるのが普通の大人、か。
621 :
吾輩は名無しである :2007/06/15(金) 16:05:57
>そもそも、トルストイはシェイクスピアを強く否定していています。もしもトルストイを高く >評価しつつ、シェイクスピアも同じく評価するなら、トルストイの一連のシェイクスピア批判 >などの評論は、結局のところ無価値ということでしょうか? 無価値かどうかはともかく、賛同できないということにはなるんじゃない? トルストイの作品に感銘を受けるのと、シェイクスピアに対する評価ってのは関係ないのが普通。 トルストイ様が言ってるからシェイクスピア糞!!では単なる盲目な信者に過ぎないのだし。 そういう発想をするということは、あなたはドストエフスキーに対して作品のみならず、評論や思想など、 何から何まで賛同するタイプなのでしょうか??
どうでもいいけど620ってマジで文章のセンスないなW 読んでて恥ずかしくなるW
趣向を変えて、 中立派・・・トーマス・マン、ヴィトゲンシュタイン トルストイ派・・・ゴーリキー、ナボコフ ドストエフスキー派・・・ニーチェ、フロイト、ジッド、カミュ、カフカ、横山利一、埴谷雄高、 小林秀雄、黒澤明、フェデリコ・フェリーニ(他、一流映画監督多数) このスレの多数派もドストエフスキー
チェーホフ、ロマンロラン、プルースト、ジョイス、フォークナー、エルロイはトルストイ派或いはトルストイを尊敬してる ドスト自身もトルストイを最高の作家だと思ってた
625 :
吾輩は名無しである :2007/06/16(土) 09:59:27
ということはドスト好きでありながらトルストイを否定する人は、トルストイをデビュー時から評価しまくってたドストの眼力自体、無価値だと考えるのでしょうか?
ジョイス、フォークナーあたりはドストエフスキーも尊敬してるので両派かな
627 :
吾輩は名無しである :2007/06/16(土) 11:04:04
ドストフとトルストを比べるってのが間違いだろ!!!!
628 :
吾輩は名無しである :2007/06/16(土) 14:31:02
トルストイ好きならシェイクスピアも認めろとか(621) ドスト好きならトルストイも認めろ(625) なんて、ツマンナイ考えだな。 好きだからって神のように崇拝して そいつが言うことは全部正しいと思うわけないだろ。
629 :
吾輩は名無しである :2007/06/16(土) 17:10:49
>トルストイ好きならシェイクスピアも認めろとか 逆。
>>609 >自分の父は英文学の教授ですが、英文学を学ぶにあたって、まず学ばねばならないのがダンテだと言います。
東大でもまともな教授なんてほとんどお目にかからなかったし、
君の父親がボンクラ教授である可能性があるから、まるで斟酌してやれないなぁ。
で、君がクズから生まれてきたクズである可能性もあるわけだしねぇ・・・
何をしているどんな人間か、生き様の結果が見えない掲示板で張り切るのもほどほどに。
>639 黒澤は「戦争と平和」が好きで 毎年読み返すとか言ってたような。
>>630 仰る通りです。一応言っておくと、自分の父はドイツ系アメリカ人で、自分はハーフ
です。日本語は片言しかしゃべれません。西欧人と日本人ではダンテの捉え方が
違う、とは言えると思います。
>>621 トルストイの芸術ではなく、評論の価値についてですよ。
あと、自分は芸術家ドストエフスキーを、評論家ドストエフスキーよりも遥かに高く評価
しています。しかしドストエフスキーの評論は、その意見の強さが問題になることが多い
とはいえ、自分は読むたびに感銘を受けます。(特に文芸評論について)
>>624 ジョイスは知りませんが、プルーストはドストエフスキーの長編を愛読にしていたようです。
そもそも
>>623 で挙げられている名前は、トルストイ、ドストエフスキーの熱心な信者、ある
いは、強い影響を受けていることで有名な名前だと思いますが、
>>624 で挙げられている
名前には、自分はあまりピンときません。
ゴーリキーなどは、「トルストイは神のような人だ」と言っているほどです。ドストエフスキー
に関して、フロイト、ジッド、カミュ、黒澤も同じようなことを言っていますね。
しかし、チェーホフやジョイスがそういうレベルでのトルストイ信者だということは、自分は
存じてないのですが。
>>632 仰る通りっていうのは、君も君の親もクズだっていうことでいいのかな?
因みに吃驚すると思うんだけど、奇遇なことに私もオーストリア人と日本人のハーフなんですよ。
家出野垂れ死に トルストイ 発狂死ホモ ゴーゴリ 幼女陵辱博打狂い ドストエフスキー
636 :
吾輩は名無しである :2007/06/17(日) 20:35:11
>>632 だから・・・トルストイ芸術と評論の評価は別ですよ。
アンカレに感銘は受けても、シェイスピア論には賛同できない。よって、トルストイとシェイクスピアを
同等に評価することも別におかしいことじゃないと思いますが??
私はユダヤ系ルクセンブルク人の父親と、日本人と中国人のハーフの母親を持つ人間ですがトルストイの方がドストエフスキーより数段凄いですよ
どんな展開ですかこれは
639 :
吾輩は名無しである :2007/06/17(日) 21:03:50
ここで純粋な日本人は俺だけ? まぁ俺もよくタイ人に間違われるけどさ。
>>634 自分はクズかもしれません。(仮定じゃなくて、そう思うところがあります)
しかし父親は、客観的に見て違います。ただ、「生き様の見えない掲示板」では、何も
証明のしようがないというのは、仰るとおりかと思います。
>>634 氏もハーフだということは驚きました。オーストリアというのは、本当にうらやましい
です。(私事ですが)アメリカよりも欧州の方が好きなもので・・・特にオーストリアは行った
ことはないですが、欧州でも最も美しい国の1つだと思います。
>>636 トルストイ芸術は賞賛するが、トルストイ評論には同意できないということですね?
自分もトルストイについては同じ意見です。はっきり言って、他者を正当に評価する
ことが出来ない人なんだと思います。リア王のプロットの前提に対する批判などを
読んで、そう思いました。劇における「約束事」を、現実的ではないとして批判するのは
余りにも、狭量だと思います。
その点、ドストエフスキーの文芸評論は、ほとんど穴がないどころか、その鋭い視点に
驚かされるほどです。(ツルゲーネフ批判に関しても、バフチンなどを読んで、だいぶ
納得することができました)
>他者を正当に評価する ことが出来ない人なんだと思います。 “他者”と一括りにするのはどうかと思いますよ。正当に評価している“他者”もいるのですから。 例えば、ディケンズを賞賛し、若きチェーホフの才能を素直に認めています。 シェイクスピアに関しても、有名な話ではありますが、ロシア語、ドイツ語、英語、フランス語で 全作品を何度も通読した上で批判しています。当初は、偉大なるシェイクスピアを駄作だと感じる自分の 感覚が狂っているのではないかと疑ったほどです。 ただしトルストイは、その巨大な芸術的才能ほどには高い批評能力を持ち合わせていなかったと言えます。 でも逆に言えばそれだけのことでしかありません。 ドストの批評力は確かに高いと思いますね。他ならぬトルストイの才能を最初に認めた文学者の一人ですしね。
>ロシア語、ドイツ語、英語、フランス語で全作品を何度も通読した もちろんトルストイがロシア語だけでなく、様々な翻訳に目を通していたことは知っていま す。しかしどうもこれはおかしな話ではないでしょうか?自分は大学教授クラスの英文学 者(もちろんシェイクスピア専門のイギリス人学者も知り合いにいます)を知っていますが、 誰1人として、「全作品をそれぞれの言語で何度も」読んではいないと思うんですよ。 トルストイが自分でそう言ったとしたら、それはおかしな話だと思います。エピソードとして は知っていますが、英文学研究の現場を知っていると、かなり実態からかけ離れているよ うに思えてしまいます。英語で全作品を何度も読むこと自体が、大変であるのに、それぞれ の言語で何度も、というのはちょっと考え難いですね。トルストイならば可能なのかもしれ ませんが。
>>643 現場の実態というものを私は知りませんが、具体的にはどういうことでしょう?
常識では考えられないほどの読書量を誇るトルストイですから、速読などもできるでしょうし、
言語が変わっても、何十年かかければ可能なのでは?ポイントがずれてますかね?
もちろん実際の所は分かりません。ロシア語、フランス語では全作品を読み、英語などでは主要作だけ
目を通したのかも知れませんし。ただ、いずれにせよ、トルストイは適当なことを適当に発言するような
人間ではないと自分は思ってますけどね。主観的で思い込みも激しい面がありますが、それでも
「徹底的に調査する」という態度は終生変わらなかったと思います。
「シェイクスピアが何故評価され、何故私は評価できないのか?」そういうことをアホみたいに追求するのが
トルストイだと思っています。
例えば、一度主要作を読んだだけでシェイクスピアを絶賛する人間が、本当にトルストイより
シェイクスピアを理解しているのかと問われれば、どうにも胡散臭いと思ってしまいます。
またシェイクスピア論に対して、私は肯定も出来ませんが、否定することも憚られます。
私はシェイクスピアにもシェイクスピア論にも、何か言えるほどの追求をしていないからです。
他人がどうこう言うのは自由だと思ってもいますけどね。所詮読者は、好き勝手言って良いものだとは
思います。
しかしながら、仮にも「徹底的に追及した」というエピソードのあるトルストイに対して、
「他者を評価できない」「狭量」と一括されるのはいささか不満でありました。
それはともかく、一度2chでもシェイクスピア論に対する本格的な反論を見てみたい気がします。
>その点、ドストエフスキーの文芸評論は、ほとんど穴がないどころか、その鋭い視点に >驚かされるほどです。 ドストエフスキーの「アンナ・カレーニナ」評は、眼を覆うばかりに視点がズレまくってるけどなぁ…。 っていうか、もはや批評ではなくて単なるヒステリックな罵倒でしかなかったけど。
「…ドストエフスキーが激賞するのは、『アンナ・カレーニナ』第四編第十七節、 産褥熱で生死の間をさまようアンナの熱に浮かされた願いによって、“寝取られ亭主”の カレーニンと情夫ヴロンスキーが手を取り合い涙を浮かべて和解する場面である。 …彼はこの場面に“人間愛”の発露を見、“みんなが兄弟となる”未来の人間関係の 予兆を認める。…こういう『アンナ・カレーニナ』解釈であったから、やがてその最終編 第八編が発表になると、ドストエフスキーは、半年前には“心の清らかな”と讃えた レーヴィンを、今度は罵倒し始めるのである。 こと新しげに言うまでもなく、ユートピアンとナロードの合体がドストエフスキーの思想の 柱である。当然ドストエフスキーは、レーヴィンを一例とする“新しい人々”が“兄弟的連帯”を 保持しているロシアのナロードと手を繋ぐべきだと考えていた。いま異教徒トルコ人に “虐待”されているバルカンの正教徒同胞を“救出”する露土戦争は、“兄弟的連帯”の 心情によって動くナロードの意向と合致する“聖戦”であるはずなのである。 ところが、そのナロードの意を真っ先に理解すべき“心の清らかなレーヴィン”が、 そんな戦争にナロードは全く関心がないのだ、と言い出した。 …怒ったドストエフスキーは、いかにレーヴィンが百姓といっしょに汗を流して草を刈り 荷馬車を引いて働こうと、それは旦那衆の“おあそび”にすぎないと極めつけ、作者トルストイを 批判する言葉を蜒々と書き連ねる。…彼は、“心の清らかなレーヴィン”を今度は “のぼせあがったヒポコンデリー患者”と罵る。 のちにトルストイがゴーゴリーに、『ドストエフスキーは実にたくさんのことを感じた人だったが、 考える方はだめだった。…』と語ったのには、このようないきさつがあった。」
打ち間違いね。 ゴーゴリー → ゴーリキー
>>646 その点については、自分もよく存じています。まず第一に、ゴーリキーがかなり熱心な
ドストエフスキーアンチだったので、トルストイのドストエフスキーに関する言葉を捏造
したのでは?という疑いがあります。
仮に言ったとして、ドストエフスキーが問題としたのは、あくまでリョービンのあのような
悟り(回心とも言えるでしょうか)は、トルストイの実体験に基づくものであるとしても、
そこには自己欺瞞があるということでしょう。
ドストエフスキーからしてみれば、リョービンの悟りが、あまりにも自分の場合のそ
れとは違い、単純化され過ぎているために、欺瞞に見えたのでしょう。そして、トルストイ
は、ドストエフスキーに突かれたくない痛い自己の内面的な秘密を突かれて、怒りを
感じたという可能性があります。
ドストエフスキーの「作家の日記」におけるアンナ・カレーニナ論は、概ね絶賛に終始して
いて、ドストエフスキーが問題とするのは主に以上の点のみです。しかしそれが余りにも
トルストイには痛いポイントだったのです。
ことキリスト教絡みの諸問題における両者の思想の奥深さというのは、決定的とも言える 差異があります。これは現代に生きる私たちに当てはめることで、明白になります。 (とはいえ、論点から逸脱するので置いておきます) あと1点。奥深さという点でも決定的な差ある両者ですが、キリスト教に対する志向におい ても、明確な差異があります。 トルストイは「制度としてのキリスト教」よりも人道主義としてのキリスト教 により傾倒していますが、ドストエフスキーはそもそも、人間の理性を疑っ ていたため、制度という歴史的な産物を保守する(保守主義的性向)が強くあります。 ドストエフスキーは、保守主義の開祖として知られる、エドマンド・バークと、 思想的に双生児と言っていいほどよく似ています。根っからの保守主義者で あると言って良いでしょう。(ただし、「保守主義」というものを、「フランス革命の 省察」も読まずに理解することは、到底不可能だと思いますし、日本においては あらぬ誤解がまかり通っているので、この点に留意してほしいです)
別にドストの批判なんてトルストイにとっては痛くないよ。
自分はトルストイ信者じゃないし、どっちかというとドスオタ、ドストフリークな 人間なんだけど、こと露土戦争の考察については、トルストイのほうが ドストよりもはるかに客観的かつ真相に迫った省察をしていたと思うね。 ドストエフスキーのほうが国内外の情勢について、あまりに単純化した見方を していたし、自分と異なる意見(ナロードは戦争について無知ゆえ真の関心も 判断もできないのだ)を小説中の登場人物が述べたからって、小説の評論の 名を借りて、自分の個人雑誌でレーヴィンとその作者であるトルストイに対して ものすごいヒステリックなイデオロギー攻撃を仕掛けるのってどうかと思ったよ。 まあ、後世の人間にとっては、ドストエフスキーという人物像を知る一つの 手がかりになって、興味深いけどさ。
実はあんまり現実的な人じゃなかったとか?
>トルストイは「制度としてのキリスト教」よりも人道主義としてのキリスト教 >により傾倒していますが、ドストエフスキーはそもそも、人間の理性を疑っ >ていたため、制度という歴史的な産物を保守する(保守主義的性向)が強くあります。 これには同意するね。 たぶん、トルストイが求めたのは、倫理であり真理を自律的に求める宗教。 ドストが求めたのは、倫理や真理や自律よりも、自分に救済感や一体感をもたらして くれる宗教。それは、非合理や神秘主義的な部分や、保守主義、全体主義 への傾倒をも含んでいる。
ドストエフスキーは真のキリスト者と言っていいと思います。なぜならば、彼は聖書を 重んじたが故に、トルストイも深く傾倒した人道主義に、流されなかったからです。 聖書の言葉を信じるならば、ロシア正教はトルコをはじめとした、多くの国を席巻せねば ならないのです。 なぜかといえば、ハルマゲドンにおいて、ロシア正教は、サタンの使者、及び悪魔につか える者たち(ユダヤ人)との最後の聖戦において、否応なく、重要な役割を負うことになる からです。 さらにこれはドストエフスキーの主観の部分になりますが、ハルマゲドンを終結される キリストのセカンド・カミング(再臨)が、ロシアで行われると、ドスト氏は信じていたようで すね。あるいは願望でしょうか。ロシア正教がその役割を担うためにも、ロシア正教の 教会は強大でなければならず、他宗教、他宗派を、呑み込んでいかなければならない のです。
ハルマゲドンをはじめとした、聖書の予言を、「カルト」と取るならば、その人は真の キリスト者ではありません。 しかし、ドスト氏は黙示録のあまりにも突飛な記述などを、「半科学」(科学的に証明でき ないものを、信じ切れない現代病とドスト氏は言います)のために、晩年に至るまで信じ きれなかったのです。数々の、強硬な聖書主義的な記述も、己を鼓舞するためだったの でしょう。ドスト氏の信仰は、常に疑念とともにありました。そして最終的に信仰を勝ちとっ たのです。 だから、ドスト氏が真のキリスト者で聖書主義者だと言っても、福音派などのキリスト教 原理主義者とは、その信仰の奥深さが違うのです。ドスト氏は、反キリストの側の論理に も深く精通していました。これも、疑念との内的な戦いによって習得したものです。
ワーグナーやフォードほどではないけどドストは反ユダヤで有名だな
ヨハネの黙示録を文面通り受け止めるなら、ユダヤは悪魔(反キリスト)の手先となって、 キリストに立ち向かうわけですからね。 千年王国や、新しいエルサレムといったものに、ドストエフスキーがどれだけ夢を見ていた ことか、ちょっと想像もつかないほどです。
まぎらわしいから、一応確認しておく。
トリップ付きの「イタリア研究会」と、トリ無しの「イタリア研究会」って別人?
それとも、同一人物なの?
ついでに、君の考える 「真のキリスト者」 についての、定義をプリーズ
>>654
同一人物ですよ。
>>658 聖書に書かれていることを信じることに尽きます。これが定義です。
人道主義者で、どんなに立派な人物であっても、それが「真のキリスト者」であるという
わけではありません。トルストイは、キリスト者である前に、人間として非常に立派であ
り、聖書に書かれていることそのものよりも、人道主義に傾倒していると言えます。
キリスト教は「救い」の宗教であり、救いの中でも、「最終的な救い」は最終戦争後に訪れる
ものです。(とはいっても、真のキリスト者は最終戦争中に救われ、反キリスト軍と、それと
戦うユダヤ(これもある意味反キリストの手先と解釈できる)が残されるんですよね)
地球そのものを滅ぼすような戦いで、生き残ることに成功したユダヤ人が救われることを
考えると、キリスト教は「赦し」の宗教でもあります。
ぶっちゃけイエス・キリストはユダヤ教徒で キリスト教はユダヤ教やミトラ教の合成
自分はキリスト教の解釈などは正直、よく分かりませんね。妙にカルトチックな、黙示録 などを、信じることは難しいですし。(最後の審判で、どんな審判が下されることか・・・) ただ、ドスト氏をはじめとした、真のキリスト者が、こうしたカルトチックな部分にまで、 真正面から向き合ったことを、「カルト」だなどとは、とても言うことができないです。 自分には今は難しいですが、信じるに至った人は、逆にすごいと思いますしね。
下の方は意味が分かりづらいが、これは言えてるね >人道主義者で、どんなに立派な人物であっても、それが「真のキリスト者」であるという >わけではありません。トルストイは、キリスト者である前に、人間として非常に立派であ >り、聖書に書かれていることそのものよりも、人道主義に傾倒していると言えます。 人道主義の方が普遍性がある。 ドストはキリスト的な部分が共感されるわけじゃなくて、むしろアンチキリストで悪魔的な人間を描くことで普遍性を持ったのは皮肉
>>663 キリスト教とドストエフスキーが近いというなら……近いとも言えるのかな。
でもそういうとある種の完成された文学はすべからくキリスト教的ってことになるんじゃない?
キリスト教ってどんな宗教よりも普遍的なのかって言えば、そうかどうかはわからないし、
結局ドストエフスキーが人間として変てこでありながらキリスト的な(キリスト教というよりはキリストのような)
存在を体現していたってことでしょう?
トルストイの絶対的な平和主義や、無抵抗主義は、キリスト教的な人道主義と言えると 思うのですが、聖書に忠実であるということよりも、人道主義者であることに、重点がおか れていると思うのです。 キリスト教と、無抵抗主義は、確かに背反するものではないですが、多くの福音派(福音 主義者、聖書主義者)は無抵抗主義とは、かけ離れた存在です。 多くの福音派よりも、トルストイの方が人間として立派なのは、間違いのないことだと思い ます。福音派(といっても宗派はまちまちですが)の多くは、黙示録に至るまで熱心に信仰 していますから、ハルマゲドンに繋がる動きを、むしろ歓迎さえするのです。 トルストイが現在まで生きていたら、彼ら聖書主義者に対して、人道主義の立場から 敢然と、立ち向かったのではないでしょうか?そう言った意味で、トルストイは聖書の 言葉を重んじてはいますが、聖書主義者であるよりも人道主義者なのです。
>>659 まあ、人によって「真のキリスト者」の定義は違うだろうね。
キリスト教が「救い」の宗教であっても、その「救い」が何によってもたらされるかは、
カトリック、プロテスタント、ロシア正教では違うし、また同じロシア正教であっても
各宗派によって違うしね。「黙示録」の受け取り方も、各派によって違う。
>聖書の言葉を信じるならば、ロシア正教はトルコをはじめとした、多くの国を席巻せねばならないのです。
>なぜかといえば、ハルマゲドンにおいて、ロシア正教は、サタンの使者、及び悪魔につか
>える者たち(ユダヤ人)との最後の聖戦において、否応なく、重要な役割を負うことになる
>からです。
聖書の言葉を信じるならば、聖書にこんなことは書かれていない筈。
キリスト教は、「敵を愛せ」と教えていますが、この「敵」という概念に、「反キリスト」が
含まれないということは、通説です。
つまり、キリスト教は戦争を是認しているのです。平和主義ではありません。反キリストが
牙を剥く、ハルマゲドンに至るまで、1人でも多くの人間を救うため、教会は常に勢力を
拡大する必要があります。
>>666 確かに聖書に、「ロシア正教はトルコを攻めろ」と書かれているわけでありません。しかし
聖戦や最終戦争、サタンの存在など、聖書に書かれていることを信じるならば、キリスト
に帰依しない国家への布教は、重要なことでしょう。
>>659 の文章は自分でも少し言葉
足らずだったかと思いますが、キリスト教において、布教するということは、反キリスト
(サタン)との戦いであり、トルコのような帰依していない国には、広める必要があるのです。
聖戦は利益のための戦争ではありません。聖書を信じるならば、聖戦も信じねばなりませ
ん。ドストエフスキーは聖戦を信じたがために、露土戦争についてあのように書いたので
しょう。
668 :
吾輩は名無しである :2007/06/20(水) 01:08:01
>>667 君はドストエフスキーを正当な批判からも擁護するために、よく知りもしないキリスト教を、
自分のドスト弁護のために都合のいいように勝手に解釈しているだけだ。
君にとっての「大審問官」は、ドストエフスキーなの?
君も、なにか自分で絶対化したものに跪かなければ、生きていけない人なんだね。
>>668 「正当な批判」とは何でしょう?自分は、神学を専門に学んでいはませんが、アメリカ留学
期間中を通じて、5学年に渡ってクウェイカー教徒及び、カトリックの学校に在学し、在学
期間中を通じて、キリスト教に触れ合ってきました。
また、父方の家系は、礼拝を欠かすことのない、アメリカでも特に熱心な部類に入る
キリスト教徒ばかりです。
少なくとも、一般的な日本人よりは、遥かにキリスト教体験は多いと思いますよ。
もし、あなたが言っている「正当な批判」が、ドストエフスキーの「聖戦論」などに対しての
批判であるなら、聖書によって聖戦が認められている限り、非常に的外れなものです。こ
の的外れなドストエフスキー批判が、公然とトルストイファンによって行われていたことに、
自分は本当に驚きましたよ。
この点で、ドストエフスキーを批判するならば、「聖戦論」そのものではなく、露土戦争が
利益のための戦争であり(帝国主義的戦争)、聖戦ではなかった、と言うべきなのです。
聖戦そのものの意義を否定していた、トルストイファンの方は、聖書をおそらく読んでいな
いのでしょう。
つまり、聖戦論に関して、ドストエフスキーを批判するならば、 一、人道主義的な見地からの、キリスト教の聖戦そのものの批判 ニ、ドストエフスキーが支持していた戦争は、聖戦に当たらないという批判 等をするべきで、当然批判の余地は残っています。自分はこれらの批判ならば、正当な 批判だと思いますし、これらの批判に反論する気にはなりません。
というか、仏教以外のほとんどの宗教は、自らを正しいものとして戦争や征服を肯定してる 十字軍もそうだし、マホメットは自ら軍率いてメッカ征服したしな
672 :
吾輩は名無しである :2007/06/20(水) 01:36:16
>この的外れなドストエフスキー批判が、公然とトルストイファンによって行われていたことに、 >自分は本当に驚きましたよ。 トルストイファンによるドストエフスキー批判なんて、どこに書いてあったの?
>>671 でもキリストって人の人となりがどうだったかって言えば、
手前勝手な想像ながら、すごく頭が良かったんじゃないかな。
>>669 と
>>670 が少し分かり難いように思うので、整理すると、キリスト教を肯定するならば、
キリスト教の聖戦も否定できないわけです。ただ、あるキリスト者が「聖戦」を唱えた時、
それが本当に、「利益」に基づかない、純粋な「聖戦」であるかどうかということに関しては、
吟味すべき問題となります。キリスト教を否定するならば、聖戦そのものの否定ももちろん
可能です。
自分は、ドストエフスキーをほぼ100%肯定していますが、自分がキリスト者ではないため、
彼の理論に
>>669 氏が意地悪くも言ったように、絶対化し跪くことは出来ません。自分は
むしろ、ニーチェの側にある人間だからです。本心から言えば、ドスト氏のキリスト教に
関する著述がいかに深遠であろうと、それを受容することは不可能なのです。(現時点に
おいては) にも関わらず、ドスト氏の文学、文芸評論を、自分は心から愛しています。
675 :
吾輩は名無しである :2007/06/20(水) 01:40:56
>>672 ドストエフスキースレですね。トルストイの話が出ると、そのドストエフスキーを批判してい
た人は、トルストイを賞賛し、ドストエフスキーを貶めていました。
もちろん、問題の1点についてのみ、トルストイの側に立ったドストエフスキーファンと
言えないこともないでしょうが、トルストイファンだったと考える方がより自然でしょう。
(推測にはなってしまいますが)
「「作家の日記」を読んでいると、正教を護持するロシア国民こそが全世界を救う、という
神がかり的な「ロシア・メシアニズム」に酔うドストエフスキーの姿に失笑することが
しばしば。
ロシア人は正教を護持している→つまり真のキリストの御姿の守護者→ロシア国民こそが
堕落したヨーロッパを救う民→よってロシア国民が戦争を遂行するのは完全に同胞愛のため
→ロシアの“聖なる理念”を疑うヨーロッパ人は堕落したバカ民族→よって戦争マンセー!!
っていうのが、「聖戦」にまつわるドストの思考法らしいけど、 こんな風にキリストを持ち出して
流血事態の正当性の言い訳に都合良く使うなんて、真のキリスト者のすることとは思えない。
戦争の旗印として使われているキリスト自身が、もし「作家の日記」や他の作品中の自分に
ついてのドストの独善的な解釈を知り得たとしたら、とても賛意を表するとは思えないけどね。」
これのことか。これ書いたの自分だ。
自分も言葉足らずだったな…。
君に反論したいことは山ほどあるけど、あしたもまた仕事があるんだ。悪いがもう寝る。
ただし、これは言っとく。
>>651 で書いたように自分はむしろドストフリークのほうで、トルストイ
ファンなんかじゃないな。トルストイを賞賛って別のヤツの書き込みと間違えてるんじゃないか?
じゃあ、おやすみ。
678 :
じゅしゅちゅきゅ ◆JF3Bvbd6Dc :2007/06/20(水) 01:58:31
おれ、イタリアさんに英語習ったことがある気がする。 見当違いだったらごめんね。 おれはドストエフスキーもトルストイも(今は)あまり好きでない。 高校時代ドストエフスキーに入れあげて、文庫化されているものは賭博者と死の家の記録以外読んだが、大学入って離れてしまった。トルストイは光〜とアンナしか読んでない。ごめん。 なんか、舞台の転換が恣意的すぎるような気がして、いやだったのね。 読んでない文庫二冊買ってはあるので、そのうち読むよ。 横やりすまんね。
本当にドストは歪んだ人間だよな そこがいいんだろうけどw ギャンブル狂でレイプ犯、神経質で意地の悪い小男の癲癇持ちな上に、父親殺し願望かw
680 :
じゅしゅちゅきゅ ◆JF3Bvbd6Dc :2007/06/20(水) 02:03:00
ドストエフスキーの歪み方は、卑小じゃないから好きだ。 でも卑小なもの好きみたいだね、彼は、ゴーゴリから出発したって、知ったときすごく頷いた。高校生の時ね。
>>677 そうですか。勘違いしてすみません。その書き込みの下の方に、トルストイを賛美し、
ドストエフスキーを批判する評論家の言葉の引用があったので、トルストイファンと
勘違いしてしまいました。自分の早とちりです。すみません。
>>678 英語ですか?この中国の教科書批判に対抗する内容の動画のことでしょうか?
(
http://www.geocities.jp/baud_2005/tx310.swf )
だとしたら、それは自分ですが、違うのなら、ちょっと思い出せません。すみません。
舞台の転換に関しては、トルストイがよりパースペクティブであるからでしょうね。遠景描写
であるため、舞台の転換が急に感じられるのです。ドストエフスキーは、人物の真横に
書き手がいるような感覚でしょうか?そのため、小説時間が現実の時間により近く、
小説に書かれている期間も非常に短いのが特徴です。(「罪と罰」で13日、「カラマーゾフ
の兄弟」で6日ほどだったと思います。トルストイの場合、長編は数年に渡っての描写で
あるため、舞台の転換が急になるということでしょう。(遥から秋、秋から夏へと))
遥→春
683 :
じゅしゅちゅきゅ ◆JF3Bvbd6Dc :2007/06/20(水) 02:19:47
あ、おれ、携帯だから動画見れないんだけど、教科書問題云々かんぬんだったら、多分別人だね。おれの先生のブログと文体が(びっくりするほど)似てたので、思いつき言っちゃった。 トルストイはそうかも、遠景かも。 おれ、カラマーゾフみんな好きだ。 初めて読んだ時はイワンに共感したけど、結局そのテツガクに共鳴したわけじゃないんだなあ。格好が好きだっただけだな。紀伊国屋で一日がかりで読み通した、青春のよき日々だ。 おれ、キリスト教とかよくわかんないから、議論には参加しないけど、勉強のためにしばらくいさせてもらうよ。 で、おれも喋りたがりだから、時々なんか言うよ。お邪魔します。
684 :
吾輩は名無しである :2007/06/20(水) 11:31:39
と、檻の中から猿が申しております。
>>681 ドスト本スレの時もなにか話の流れが変だと思っていたが、やっぱそうだったのか…。
もしや、と思ったんだ。
自分があの時、引用したのは、T・G・マサリクの「ロシアとヨーロッパ 〜ロシアにおける
精神潮流の研究 」の抜粋だったね。
「トルストイは宗教的個人主義者であり、トルストイにとって宗教の本質は道徳性にあるが、
ドストエフスキーは支えを教会と、教会と共に国家と国民性に求める。トルストイにとっては
福音書で充分であり、ドストエフスキーもまた福音書を愛するが、それでも教会の伝統の方を
重んじる。それ故に、ドストエフスキーは教条主義者になり、スコラ哲学者になる。」
自分は、この評が両者の宗教に対する本質突いてると本当に思ったから、引用したんだ。
特に、トルストイを賞賛、って気持ちはなかったな。
この評を書いたマサリク自身も、進歩主義的民主主義者の立場から、ドストエフスキーの思想を
批判分析的に解明を試みてはいるけど、ドストエフスキーを「貶める」目的でこんなことを
書いたわけじゃないんだよ。
話ついでに、マサリクがどんな人物だったか、経歴貼っとくよ。
トマーシュ・ガリッグ・マサリク(1850〜1937)の経歴 19世紀後半〜20世紀前半のチェコを代表する思想家・政治家。 チェコスロヴァキア共和国初代大統領。哲人政治家。 当時ハプスブルグ家属領であったチェコに農奴の子として生まれ、苦学してウィーン大学で 哲学を学び大学で哲学の教鞭を執りながら傑出したロシアとチェコの精神史研究を発表。 第1次世界大戦中に独立運動の指導者となり300年ぶりにチェコ民族をハプスブルグ家の 支配から独立に導き初代大統領となる。当時、中欧諸国がスターリン主義が猛威を ふるい始めたソ連とヒットラーが台頭するドイツに挟まれ軒並み独裁体制に移行する中で、 17年間にわたりチェコ国民を導き中欧で唯一高度な民主主義とヒューマニズムを実現し、 マルクス主義とボリシェビズムに対して鋭い批判を行った。
マサリクはドストエフスキーの中にロシア革命とロシア問題一般の核心を見出し、 「ロシアとヨーロッパ」でその問題を論じようとしたが執筆中に第一次世界大戦が勃発、 チェコスロバキア独立革命の指導者となったため残念ながら本著は未完となった。 しかし、推敲されてないとはいえ今残されているドスト論も、進歩主義的民主主義の 立場からドストの思想に論駁するマサリクの姿勢が窺われて興味深い。 マサリクは自律的倫理観を持つ進歩的なヒューマニストであり、民主主義的な革命を 肯定する立場におり、「人間性」と「民主主義」を重んずる立場からドストの反動的 神秘主義への無批判な傾倒を批判している。
ありがとうございます。興味深い内容ですね。 ドストエフスキーの民衆に対する態度は、エドマンド・バークに非常によく似ています。 民衆の暴走を警戒していますし、人間の理性を全くと言っていいほど信頼していません。 典型的な、保守主義的、経験的、帰納的な、発想を持っていたと言っていいと思います。 民主主義に対しても反・民主主義の立場をとっていました。リベラル派、進歩派、といった 陣営に属する知識人が、ドストエフスキーに反論したいと考えるのは、思想が対立関係に ある以上、当然のことです。 自分は、民主主義を否定する気は全くありませんが、同時に妄信もしていません。 民主主義以上に重要な伝統(例えば、天皇や神道)が確実に存在していると考えています。 両者のちょうど中間点から、ややドストエフスキー寄りなんだと思います。
横レス。 考えるのは勝手だが、それを他人に強要する資格は誰にもないよ。 保守とリベラルの対立ってのは云うなれば、 徹底して一個の「わたくし」であろうと意志し続ける者と、 そんな他者の「わたくし」をも己の依存対象に組み込みたいとする、 こころ弱き者との対立なんだな。 他者の「わたくし」を尊重しない者には、 他者から自身の「わたくし」を尊重される資格だってないのに。 ひとを食い物にする熱狂の中でしか生きてゆけない、 もしくは「ただのわたくし」であることに耐え切れない、そんな奴は、 (他人に迷惑を掛けないかたちでなら)死ぬなり、壊れるなり、 勝手にすれば良いと俺は思うんだが。 ひとであれ。 ひとであろうと、せめて努力はしようよ、人間なら。
横レスに横レスだけど。
>>689 発想が根本から間違ってるようにしか見えない。
違う話に違う話を重ねているうちに混乱している人を見るようだ。
>>688 までの話は、意見の相違はあれど、対話にはなっている。
見てて面白いよ。でも
>>689 は見てて面白くないし浅薄すぎる。何年生?
思うに保守とリベラルの違い。
保守はリベラルを吸収するかどうかに慎重だったり
リベラルが保守を理解した上で、進歩させようとしているか懐疑的だったりする。
保守の発想を超えないうちはリベラルを容認した上で、保守に取り込むという作業をしないのが保守。
逆にリベラルは、保守の延長線上にあるのかどうかを軽視して、
情報を理解する段階を踏まず、結果から帰納的にシステムを起動しようとする。
保守的システムが、環境に対して、限界に達していた場合は、リベラルが、有意性を発揮する。
>>689 の言ってることはエゴにおける狭義的な話で、
それを一般論としたり、あまつさえ他人に努力をうながすような傲慢さは悲惨と言えよう。
>>691 にしても保守とリベラルに関しては狭義的な話なんだけど
>>689 ほど狭義に終始し発想が貧困なまま発育するほどの悲惨さはない。
他人の行動にあれこれ言う暇があったら、議論の仕方を学んできたほうが良い。
とりあえず
>>688 までの流れは面白いし
しばらく見ていたいので、徐々に議論が発展することを願ってる。
>保守の延長線上にあるのかどうか〜
何を云っているんだか。
守るがために守る。ではそれはいったい何のため?
保守が守り保つものとは常に、
現状で旨い汁を吸っている者たちのそんな、既得権益をだけだよ。
彼らには致命的に、他者への想像力が欠けているんだ。
…ってかまさに君のそんな風をこそ、
俺は
>>689 で嘲ってもみせたんだが、にしたってさw
俺はただ、何時如何なる時であれ、
ひとの(俺の)主はそのひと自身(俺自身)でしかないと云っているだけ。
「信じる」者たちの、ちょうど今君がここで見せもした様な、
己の思う通りには動かぬ「他者」というものへの不寛容さが、
俺には我慢がならないんだと云っているだけだ。
何を言ってもわからない人にはわからないし わかりあえない人はわかりあえないんだろうなぁ。
既得権益の問題は確かにあるが、
社会のバランスという問題もあるんだよ。
全てを毎回破壊してりゃあいいってもんじゃない。
>>693 ていうか完全に方向違いなのを自覚できないの?
君以外はみんな君と違う話をしてるんだけど。(笑)
だから「横レス」と(苦笑
っつーかね、俺が
>>689 を書いたのは、直接的には
>>688 の天皇制云々の
くだりが個人的に不快だったからだが、以前からドスト関連スレにおける
>>688 の、「不信心者」たちへの態度に(また彼のみならず、この板全般における
いわゆる「愛読者」さんたちの、魔女狩り的な言説に対して常日頃から)
辟易としていたせいでもあるんだ。そういうの、俺にはつまんないから。
俺はそれがコテであれ、名無しに対してであれ、排他的だったり教条的で
あったりする態度は(基本的にはw)好かないって話。
#てか云うべきことがないのなら引っ張るなボケがw
俺個人への粘着なら、せめてBarか牛でにしてくれ。
気が済んだら二度と来るなよ。
天皇制って言葉が少し嫌ですね。保守主義としては、人間の理性を超えた、歴史的に
培われてきた智恵を重視するわけで、「制度としての天皇」を護ろうということになる、
というのは分かりますが。
>>696 氏が天皇に関する自分の考えがのどこが不快だったかは分かりません。ここでは
あまり書いていないのですから。しかし、あえて書いてしまえば、自分は、日本には天皇
以上に護るべきものなどは、一つとしてないのではないか?とさえ考えてしまいます。
天皇は日本古来の観念である神道の祭祀王です。つまり、過去の日本と今の日本を繋ぐ
存在です。昔から変わらずに、祭祀を続けているのです。そして、民衆に護られてきたと
いうことも重要です。他国で革命が起きるたびに、王朝や帝政が交代したのに対して、
天皇は、覇権を握った者からさえも、護られてきた、世界的に稀有な存在です。
天皇を護るということは、過去の日本人の意を汲むということに相違ないと、自分は考え
ます。偏った考えで、不快感を与えたとしたら、本当にすみません。
ドストって皇帝礼讃したんだっけ? でも天皇の話は支持するにしても批判するにしてもこのスレではしない方がいいと思う
そうですね。すみません。以後、天皇の話はスレ違いなのでやめておきます。 ドストエフスキーは皇帝を表向きは支持していますが、皇帝暗殺をプロットに記号的に 取り入れようとしたりと、本心でどう考えているかは謎なとこがあります。 ドストエフスキーがより強く保守しようとしていたのは、ロシア正教(の教会)です。 この点に関しては、ウルトラ保守とドスト氏で誰かが言いましたが、その言葉も当てはまる のかもしれません。
ここ最近、随分伸びてますね。 このスレ立てた者ですが、二年前の自分の誕生日に立てたんだなあと思うと感慨深いです。 誕生日の朝っぱらから何やってんでしょうね。
>>701 遅ればせながら、
>>1 乙と言っておこう。
このスレができたから、ドス・トルスレ両方に愉快犯的な比較厨が荒らしに来ても、こちらに
誘導できるようになったからな。
でも、ドストエフスキースレでドスト話の一環としてドストの思想の一部に批判的な意見を
書いただけなのに勝手にトルストイ信者と認定され、こっちに誘導かけられたのには
閉口した。自分は特にトルストイに格別な思い入れは持っていないのに。
自分は、いくら愛している作家でも絶対に神格化したり絶対化したりしないし、批判すべき
点は批判する。(もちろん、時代性は考慮するし、常に批判ばかりしてる訳じゃないが)
トルストイとドストエフスキーは、同時代にロシアに生きた2大巨匠ということで、
よく比較の対象になる2人だけれども、文学的価値とか人間性の優劣を信者が競い合い
叩き合うのではなく、両者の特質の相違や相似を客観的に対照し分析した方が、
よりこの2人について、またロシアという国についての深い理解や洞察を得られると思う。
でもまあ、こういう信者同士のバトルスレというのも、いかにも2ちゃんらしくて、
これはこれでいいんだろうなとは思ってるけどね。
誘導したのは自分ではありませんよ。勝手に認定され閉口してしまったということですが、 要は言い方だったんだと思います。あなただけのスレではなく、読む人にはそれぞれの 感情というものがありますので、そこに気を使ってみるようにすればいいのではないでしょう か?
それはそうと、あなたのレスから始まった流れの中で、このようなレスがあったのですが、
これもあなたですか?改行の仕方tかが似ていたもので、気になりました。もしそうなら、
そうだと言ってほしいです。
340 吾輩は名無しである sage 2007/05/14(月) 08:39:37
>>335 バフチンによってやたら有名になったドストのポリフォニー理論だけど、それってホントに
そんなにご大層なものかぁ〜?
少なくとも自分には、ドストのポリフォニー性なんて、例えてみればアパートの一室に
引き篭もったキモオタが、愛蔵のフィギュア並べてフィギュア同士を会話させるフリを
しながら、自分一人でぶつぶつ言って満足している程度にしか見えねーなw
多様な価値観が対立している 、って言っても結局、ドストの脳内の狭い歪曲された
自己内対話でしかすぎないんじゃ?
それって、ほんとに異なる価値観を持つ者同士の「対話」とは本質的に異なるもの
なんじゃないの。ま、それが文学ってもんだけどさ。
特にドストが自分の小説中の「女」にしゃべらせてるセリフなんか見ると、特に笑える。
ほんとに、男のための「萌えフィギュア」並みの「リアリティ」w
こんな「対話」をポリフォニックだなんて信じてる人は、ちょいヤバイと思うよ。
>>703 あの時、こちらに誘導したのは君じゃないことはわかっていたよ。君個人を攻撃する意図はない。
ただ、ドスト批判=トルストイ信者という安易な図式で決め付けるのは今後止めてくれないか…。
無関係な所に、迷惑が掛かる。
自分も君の忠告を受け入れて、今後は同じ批判をするにしても、言い方や言葉使いに注意する
ことにしよう。もし、あの時、君の感情を傷つけたのだったら、自分の配慮の足りなさを詫びるよ。
すまないことをしたね。
自分はエドマンド・バークはまだ読んだことが無いが、「保守主義」というものを理解するのに
役立つというなら読んで見ようかな。
自分は、「伝統」の良さというものは喜んで認めるけれども、それが人間の尊厳や人権を抑圧したり
侵害するものである場合は、その限りではないと思っているが。
706 :
705 :2007/06/22(金) 11:54:26
……リロードしたら、
>>704 が入ってた。
本スレでのことを、あまりこちらのスレに持ち込むのはどうかと思うんだが…。
>>704 うん、そう、それ、私が書いたヤツだね。
…ってことで、私と君とでまたドスト(関連)スレで大騒ぎを起こさないように、以上で
打ち止めにしてもらえるとありがたいんだけどな。。。
自分こそすみません。これで終わりにしましょう。自分も安易な決めつけは今後絶対にし ないと、約束します。 エドマンド・バークの「フランス革命の省察」は、保守主義の聖典とされる本です。(岩波の 訳が露骨に酷いのに対して、高いですが、みすず書房の訳は完璧に近いです)興味があ るなら、お勧めします。保守主義はこの本から始まった、といっても過言ではありません。 自分の質問にお答えいただき、ありがとうございました。自分としては、あなたに何の敵意 も悪い感情もありません。意見の相違があっただけですが、もうやめにしておきましょう。 むしろ、お答えいただいたことに、感謝しています。今後も、よろしくお願いします。
まだやってたのか。 ほどほどにしておきなって忠告しておいてあげたのに。
エドマンド・バークって、生国は違えどカントとほぼ同時代(18世紀)を生きた人か…。 でも、wikiみたら「人間の理性への過度な過信を根源的に危険視し、その排除・ 排撃を提唱」ってあるから、カントとは対極にある人だなあと思った。 でも、カントは「判断力批判」を書くとき、このバークの『崇高と美の観念の起源』を 参照してるんだね。美学に関してはこの人とカントは同系統なんだな。 なんか面白い…。
保守主義と啓蒙主義の対立というと、「魔の山」にでてくるナフタとゼテムブリーニ の対立を思い出す。 軍国主義者の従兄弟殿だの、神秘的で女性的な魅力で主人公を惑わす ロシア女のショーシャとか出てきて、あれって大戦前のヨーロッパの様々な 時代精神の縮図だったわけか。 しかし、あの本を読み終わっての自分の一番の感想は、ゼテムブリーニが 手を出しかねてた「ピラミッドの形をした焼き菓子」って実に美味しそうだな…、 というものだったのは何故なのか。 なぜ、小説に出てくる食べ物というのは、こうまで読者に美味しそうだな!! 食べてみたい!!という感情を起こさせるのか? トルストイのアンカレに出てくる、キチイの手作りのイチゴジャム然り、 「悪霊」で、ピョートルがむしゃぶりつくカツレツ然り。 はたまた、「戦争と平和」に出てくる真冬の晩餐会に供されるパイナップル然り。 あの厳寒の国ロシアで、雪の中、パイナップルを温室栽培とは、まさに究極の 贅沢。 そしてまた、「カラマ」でリーズが夢見るパイナップルの砂糖漬け。 この世に、あれ以上の背徳の美味があるであろうか…。 …とか、書いといてみようっと_〆(゚▽゚*)
面白そうだったから、エドマンド・バーク、図書館で借りてきた。中央公論社だったけど。
食い物の描写で興奮したりするのか・・・ たまに料理だけじゃなく調理法まで書いてるのもあるけど、他のところより速く読んでしまうな
まあ、冗談だから。
でもさ、昨日「魔の山」読み直してみたら、ゼテムブリーニが食べかねたのは
「ピラミッドの形をした焼き菓子」じゃなくて「ピラミッドケーキ」だった。
しかも蒲鉾型なんだって。
蒲鉾型なんてヘンだな〜、と思ってググってみたら、「ピラミッドケーキ」って
バームクーヘンの古い和名なんだって。
http://www.juchheim.co.jp/group/baumkuchen/ 谷崎潤一郎の「細雪」のなかにも、「ピラミッドケーキ」を進物に配るシーンが
あるそうだから、昔風の翻訳だったんだろうな。
また自分、翻訳にだまされちゃったよ (ノД`)
以前もドストとトルの小説に出てくる「しょうが餅」ってどんな食べ物だろうと
あれこれ楽しく想像してたら、それって結局、ジンジャーブレッドクッキーの
ことだったんだぜ!原文で読めない悲しさだな…。
トーマス・マンといえば、「魔の山」ほど有名ではありませんが、長編作品「ファウスト博士」 が、カラマーゾフの兄弟の影響を深く受けているということが、よく言われてますね。その 点を踏まえて、読んでみたいです。
ゲーテのファウストは読んだけどあんまりおもしろくなかったな
トーマス・マンの「ファウスト博士」がカラマの影響の下ですか。 私は裏「ジャン・クリストフ」として読みましたが。
>>716 バフチンが繰り返しそう書いていますし、他の評論家も指摘していました。異論もあるの
でしょうか?「ファウスト博士」と「カラマーゾフの兄弟」の繋がりについては、自分で吟味
したわけではないので、異論があるのなら、どちらが正しいかは自分には言えません。
なんか、トーマス・マンの話が続いているけど、勝手に別の話かきこんじゃお。 トルストイとドストエフスキーを読む楽しみの一つは、あまりなじみのなかった 19世紀ロシアの文化を知ることができる、ってのが自分にはあるんだけど、 トルストイの小説には、当時の女性の衣装の描写が多々あって結構読んでて楽しい。 特に、「戦争と平和」のナターシャが初めて舞踏会に行くシーンなんかこっちまで ワクワクしたな。初めての経験に胸ときめかしている少女の心理が活写されてて あれ素晴らしいと思った。くさす訳じゃないけど、ドストにゃこういう女性心理の描写は まず逆立ちしたってムリだと思う。 アホのアナトーリから、ナターシャが性的誘惑を受けるシーンも結構リアルでぞっとした。 ドストの女キャラ読んでる時は、「はいはい、男の為の萌えキャラね、はいはい、虚構、 虚構。ヽ(´ー`)ノ 」で、完全に「男の幻想の所産」としての女性像を楽しんでる。 女性のドレスの描写も完全に男目線だな、ドストの場合。 どうして、トルストイって女性の描写がこんなに上手いんだろ。 幼少期の家庭環境が影響してるのかな?
たびたび持ち上がる、女の描き方はトルストイの方が上ということですが、これは 同じ人が言っているのでしょうか?確かに、評論家の間でも1970年代ぐらいまでは 定説化していたものですが、今ではそれもどうやら違うのではないか?ということで、 今さらその説を唱える評論家はほとんどいません。 というのも、バフチンの影響があります。バフチンという人は評論家に留まらず、 バフチンそのものが研究対象となるほどのインパクトを与えました。別にドストエエフ スキー信者というわけでもなく、バフチンの研究分野にドストエフスキーの文学が当て はまったために、取り扱ったに過ぎない、というような姿勢も、かなりの説得力を与え ました。
バフチンの取り上げた中でも、自分は特に白痴のナターシャに強い自我を感じました。 ナターシャは、言うまでもなく、「恥辱の中にあっても誇りを失わない女」として、定式化 されてきた女性ですが、彼女の自分の他人への見せ方というのは、実は地下室人の 延長とも言うべき、演技性と、出口のない悪循環があるということです。(これが何を意味 するかは、要望があれば、詳しくせつめいします。後者は特に、ドストエフスキーの人物 の自意識を論ずるうえで、重要と言える概念です) そしてトルストイの描いた女性たちですが、戦争と平和のナターシャ、アンナ・カレーニナ のキチイ、アンナ・カレーニナの中で、唯一、自意識を持っているのはアンナだと思います。 彼女は、トルストイの世界に逆らったがために、自意識を持ったと言える人物です。 戦争と平和のナターシャについてですが、ほとんど結末近くの、ピエールと家庭を持った 後の描かれ方の中で、「ナターシャはただピエールを抱きしめた・・・彼がいない時は、ただ 家庭の中で子供の面倒を見た・・・ピエールとロストフの政治の話には加わらなかった・・・ そうすることのみが幸福に繋がると知っていたからである」 という描写があります。(描写 と言うには余りに、作者の神の視点が強すぎますが) ここで問題なのは、ナターシャの自意識や意図など、全く関係なしに、作者トルストイの 「女はこうあるべき」という価値観がそのまま押し付けられていて、ナターシャには反論の 余地もまるで与えられていないことです。いわば、トルストイ>>>ナターシャ という権力 関係がここで明らかに成立してしまっているのです。「ナターシャならどうするのか?」とい うことではなく、ただ「幸福な家庭とはこういうものだ」というトルストイの考えを描く駒に成り 下がってしまっているのです。 これはキチイにも通じるポイントなのですが、長くなるのでここで切り上げましょう。
やっぱ、喰いついてきたね
>>720 しっかし、いつも君はバフチン、バフチンだな…w。
エピローグのナターシャの描写(っていうかトルの意見の押し付け)が、あんまりだ、
というのは同意するよ。
ナターシャに強い自我があるってのはどうかなぁ?
彼女は見かけは派手に動き回るが、しょせんプロットを展開させるためのドストの
持ち駒。彼女はかのじょの自身の運命を持っていない。
まあ、君のご高説を楽しみにしてるよ。
それでは、Buona notte!
バフチンを推すのはバフチンがそれだけの人物だからです。モダニズム以後を、 バフチンの時代とする評論家も決して少なくはありません。 ドストエフスキーにあっては、プロットは人物の自立性に比べて非常に弱いのが 特徴です。というよりも、「プロット」というものを持ち出して、ナターシャが自意識を 持っていないとするのも、既にバフチンの影響下にある反論の仕方ですね。 プロットと自意識を、明確に対立する様式として扱ったのは、おそらくバフチンが最初 です。そのバフチンが、プロットが最も強固だとする代表例がトルストイであり、人物が 強固であるが、プロットは思い出せないほどに弱い(特にカラマーゾフ)代表例として 挙げるのがドストエフスキーです。 バフチンの天才は読めば疑いようのないことが分かるはずです。そしてそこに恣意性は ほとんど存在しません。なぜならば、彼には理論があるのみで、彼はトルストイの小説が 自分の理論に適合すれば、トルストイを賞賛することも辞さないという人ですから。 ドストエフスキーですら、バフチンからすれば、自分の理論の証明に持ち出した一作家 と言えるのです。(しかし、ラブレー、セルバンテスと同様に、ドストエフスキーこそは、 バフチンの理想に最も近い作家の1人でした)
訂正です 一作家→一作家に過ぎない
他板でのことを持ち出すのは野暮な話だけれど、本スレに貼ってあったコピペを 見て、やっぱコテハンに関しては一応念のために検索をかけとくべきだったと知ったよ。 勉強になったな。 まあ、それはどうでもいいが、君がバフチンのポリフォニー論にぞっこんなのは判ったけど、 もう耳タコ状態。 もうちょっと自分の感性に沿った自然な感想ってないの、バフチン教徒? バフチンの論を知りたいんなら、直接バフチンの本を読むよ。 「詩学」だけで、もうお腹いっぱい状態だけどさ。 ナスターシャに関しては、彼女の本質が「実は地下室人の延長とも言うべき、演技性と、 出口のない悪循環がある」っていうのは君の論を待たずとも大概の人間はそう思う んじゃないかい? ナスターシャの誇り?あれは単なる虚栄だ。傷ついた虚栄心が演じる病的な自己劇化。 なるほど、ドストは「ヒステリー患者」はよく書けてるよ。でも、「女性」は…?
トリップまで付けやがったか
ヒステリー患者が書けたら、女性の半分は書けてるんじゃないの……知らんけど。
728 :
吾輩は名無しである :2007/06/27(水) 23:02:31
>>727 昔はこういうのは受け入れられてたんだろうな
もしくは、うまいこと言うなあなんて感心されてたり
730 :
吾輩は名無しである :2007/06/27(水) 23:13:54
昔の随筆や小説とかみてると、感情のままに行動したり、ヒステリックや神経症=女っていう紋切り型の構図で語られてたでしょ 女は子宮で考えるとかも酷い言い方だよ 今はさすがにそんな風に考えてる人は少ないよね?
>>726 6年前から使ってるトリップですけどね。2chの公式本に載った時もこのトリップでした。
トリップバレしてしばらく使ってなかたったのですが、また使い始めた感じです。偽者が
現れたからですが。
>>725 自分の感想を言い合えば良いってことですか?バフチンは世界に認められた評論家
だし、その見解は参考になると思うのですが。
私の意見では、ドストエフスキーの描いた女性で最も人間らしい女性はワルワーラ夫人
です。ステパン氏が死に直面した時、ワルワーラ夫人の手にキスをするという、長年の
関係上ありえない行為をした時の反応には、権力者としてのワルワーラ夫人ではなく、男
の行為に困惑を見せる1人の女性としての反応があります。
>>729 自分が思うに、ドストエフスキースレで「コテのスレ立て」がどうこうと2chのド素人丸出し
な発言で粘着してた人と、バフチンを貶してた人は、同一人物ですね。
>>719 さん
ドストとトルストイの女性の書き方についてですが、
男性と女性ではまた感じ方が違うかもしれませんね。
確かに女性にしてみれば、ドストがよく書く
(時には複数人の)男性をめちゃめちゃに惚れさせて
手玉に取る女性というのは現実には中々ありえないどころか
女性の反感をかいさえするでしょう。
ドストの描く女性像のこういうところが「男の為の萌えキャラ」と感じますか?
個人的に興味あるので、詳しく聞きたいです…
>>731 君はいかにも自分の考えたことのように、「トルストイの小説の視点はパースペクティヴで
あり、ドストのそれは近距離的である」とか語っちゃってるけど、それって「ドストエフスキーの
詩学」の第5章にそのまんま書いてあることじゃんか…。君はバフチンのコピペマシンか?
今まで、書き込み内容から推して、てっきり君を高校生くらいのコだとばかり踏んで可哀相に
思えて手控えしまっていたけど、はいはい、君は2ちゃんの最古参でどこやらの板の古株の
超人気コテハンさんで、公式ガイドブックに載っちゃう位有名だった訳だね。お見それしたよ。
それでは、2ちゃんで鍛えあげられた君のオリジナリティ溢れるドスト論を期待してるよ。
>>733 トルストイとドストの女性像のあり方、またその変遷を追ってみると面白いかもしれませんね。
ご質問については、これから仕事がありますので、申し訳ないのですがまた後程ということで…
失礼します。
>>730 昔はヒステリーは子宮による女性特有の病気だと信じられていましたからね。
ヒステリーの語源自体『子宮』ですし。
確かにヒステリックであれば女性的というのはあまりに簡略的な捉え方ですが
女性独特のヒステリーというのも実際に存在していると私は思いますよ。
それと私は女ですが、トルストイの女性描写力には感嘆させられます。
トルストイは非常に冷静な観察眼により細やかな女性らしさを描ける稀な男性だと思います。
ドストエフスキーはその点男性目線の女性という感は強いですが
男性作家が書いたリアルな女性というのはほとんどお目にかかったことがないので
あまり気になりません。
>>734 イタリア研究会は1981年9月11日生まれ。
>>734 ドストエフスキー、トルストイのみならず、
バフチン、バーク、ダンテまで読みこなす高校生か。
君は凄い発想をするね。
ちょっと背伸びしたい高校生だったら、ドストエフスキー、トルストイくらい当たり前に 読むし、理論武装したかったら、バフチン、バークの引き写しくらいするでしょ。 酒鬼薔薇はダンテ読んでたし。
>>734 自分のことを個人中傷したいのようですが、それはあなたの自由です。それと、あなたの
指摘通りで、その部分はバフチンから引用ですが、その点に関して言えば、バフチンなら
ずとも、多くの評論家が指摘していることです。(ただし、トルストイは客観的、ドストエフス
キーは主観的という点について、バフチンは異を唱えています)
トルストイとドストエフスキーを対比するにあたって、バフチンが持ち出されるのは普通の
ことだと思うのですが、ここは個人レベルでの感想を言い合うスレだったのですか?テン
プレ等にそう書かれていればそう理解したのですが、知りませんでした。あなたのお気に
触らないよう以後、気をつけましょう。
>>736 中学生や高校生というのは、2chではよくある煽りです。個人的には、2chで特定個人を
中傷するという経験がないので理解できません。
ねえ、イタリア研究会 ◆TwiFdHoUpo 君、これ、ほんとに君の書いたものなの?
それとも、君が
>>731 で書いてる、君の偽者が君に成りすまして書いたものなの?
それだけ教えてくれる?ほんとにスレチで悪いけど。
84 :イタリア研究会 ◆TwiFdHoUpo New! :2007/06/24(日) 21:56:39
>>80 俺も思ったぜw もう1つが俺の母国アメリカのようつべだからなw
恥ずかしいヤツだ。俺の母国に泣きつきやがって。これが民国人の卑しさってものかw
117 :イタリア研究会 ◆TwiFdHoUpo New! :2007/06/24(日) 22:06:43
>>108 ホームグラウンドwww
民国人芸人は民国人どものホームグラウンドでやれよw 東京でやんなw
178 :イタリア研究会 ◆TwiFdHoUpo New! :2007/06/24(日) 22:22:06
>>167 まあ確かに行為そのものは、コピペ荒らしと言われるものだろう。客観的に見てな。
しかし、その目的は、お前ら低能松本信者の啓蒙にある。
そこのところを忘れないで欲しい。改革には痛みが伴うっていうだろ?つまりそういうこと。
俺の与える痛みの意味をよく考えてみることだ。
192 :イタリア研究会 ◆TwiFdHoUpo New! :2007/06/24(日) 22:26:20
>>186 勘違いしてはいけないw 通報を恐れてやめたのではない。今後数年続く啓蒙だが、
日々一定量を貼っていく。毎晩1000までそのスレに張り付いて潰す、っていうのが
かつてのスタイルだが、このスレは数年単位で啓蒙していくと決めたからな。
それは自分ですが他板でのことでしょう。文学板には文学板の空気や流れがあります。 いくらでも貼っていただいてけっこうですが、なるべく人の迷惑にならないようにお願い いたします。 それと、自分が何故、吉本興業を批判し続けているかと言えば、吉本が山口組と密接 に関わりを持っている企業だからというのがまず第一点としてあります。そして、お笑い という市場を、事実上独占し、かつての地域性、多様性を消してしまったというのが、 二点目としてあります。
>>740 答えてくれて、ありがとう。
……このコピペの大元となったスレの、おおまかな流れ&雰囲気的な事が理解できたよ。
(なんの話を言い争ってるのかと、すごく(;゚Д゚)ガクブルしてたら、吉本かよ〜〜??!!)
君は信じないかもしれないけど、自分は君を中傷誹謗しようなんて気は、さらさらないよ。
ドストの話をしたいだけだし、君も特定の評論家の説を絶対化して権威のようにかざさなければ
けっこう、面白げなやつだと思ってる。できれば、君のオリジナルな意見の方も聞いてみたいな。
>>735 の人が女性の意見を書いてくれたし、このままちょっとトルストイとドストエフスキーの
女性像について、軽く雑談していかない?
気を悪くさせたんなら、謝るからさ…。
もうめちゃくちゃだな。 >「戦争と平和」のナターシャが初めて舞踏会に行くシーンなんかこっちまで ワクワクしたな。 >初めての経験に胸ときめかしている少女の心理が活写されてて あれ素晴らしいと思った。 ほんとにナターシャは最高!!こういう神がかり的なシーンがいくつもあるよね戦争と平和は。 女性の描き方の優劣などどうでもいいが、確かにドストにはこの手の描写は無理だね。 自意識とかそんな視点で俺は読んでないし。 ってか作者の思想や哲学を表現するための駒になるってのはそんなに悪いことなのかな? 基本、芸術なんてのはそういうところから出発したもんでないの? キャラクターは常に作者の手を離れて自由に行動せにゃならんのだろうか。 この手の批判はもう何回も聞いたし辟易している。どんだけ繰り返せば気が済むんだ・・・。 こういう視点で読んでる人は世界名作劇場とか有り得ないんだろうなw
>>741 自分がバフチンの説に余りにも影響されすぎてしまってるというのは、事実だと思います。
もうバフチンについては、十分書きましたし、今後は自分の言葉で語すようにします。
気分が悪くなってるなんてことは全くないですよ。気にしないでください。
トルストイとドストエフスキーの女性像についての雑談は、面白いと思います。こちらこそ
語ってみたい主題ですよ。
今夜は早く寝ないといけないのですが、明日からその主題にそって、自分なりに考えて
レスしてみます。正直、女性というのものに他の方たちほど注目して読んではいなかった
のですが、この機会に掘り下げてみたいと思います。
>>742 あなたの言っていることは、作家論。バフチンをはじめとした多くの評論家はテクスト論、
あるいはテクスト論に深い影響を受けています。あなたの言うこともよく分かります。今後
はバフチンの論について書くことは慎むことにします。
>>743 >気分が悪くなってるなんてことは全くないですよ。気にしないでください。
そう言ってもらってほっとした。ありがとう。
でも、バフチンについても語ってもらって全然かまわないんだ。
それは、君の自由だし。差し出がましいこと言って、ゴメンね。
746 :
吾輩は名無しである :2007/06/28(木) 21:19:13
イタリア研究会ってネットウヨ嫌韓嫌中厨の差別主義者かよ がっかりだな
747 :
吾輩は名無しである :2007/06/29(金) 08:10:31
ドストエフスキーの白痴の中にレフ・ニコライビッチ・ムイシュキン公爵 って出てくるけどさ 確かトルストイも同じ名前だったよな しかし断じてトルストイに対する皮肉や中傷として書かれたわけじゃなく ドストエフスキーはドンキホーテこそ最も美しい人間と言ってるわけで それこそトルストイを敬愛してたわけだな たぶん
>>747 前にその話振ったら、レフ・ニコラエヴィチなんて珍しい名でもないからただの偶然だってレスが
返ってきたお。
ロシアでは、男女とも名前のレパートリーがすごく少ないんだよ。 だから、名前+父称で呼び合うようになったんだろうけど、それでも同じ名前のヤツが ごまんといるんだ。 むしろ、レフ(ライオン)とムイシュキン(ねずみ)の対比のおかしみの方がメインじゃ? ところで、昨日、「戦争と平和」を読み返してみたんだけど、やっぱ素晴らしいよな…。 狐狩りや雪橇のシーンの自然描写なんて、ほんといいや。ドストにはない醍醐味。 ナターシャやソーニャの描き方なんかも、本当にこんな女の子いるいるー、と思う。 それだけに、エピローグの2人の描き方には、たしかにがっかりだ。 特に、ソーニャ。いくらなんでも、あれはないだろ。可哀相すぎ。 たしか、トルストイの小さい頃面倒を見てくれた大好きな小母さんがモデルなんだけど、 やっぱ亡くなった実の母の方への思い入れが勝っちゃったのか。
モームはあれこそ真実だと賞賛していましたがね。>エピのナターシャ 池田先生も、そこに女性の一つの美があると賞賛しています。 ソーニャは可哀想だけど、小母さんがモデルなんで仕方ないです。 男性の愛は勝ち取れなかったけれど、幼年時代のトルストイにとって大切な存在です。 とはいえ、いかにトルストイが自伝的作家だと言っても、『戦争と平和』単体で見たときのソーニャに対して 同情を禁じ得ないのは確かですね。
たしか、ヨールゴリスカヤ小母さんっていったよね。 彼女は、トルストイの母マリヤの死後、実はトルストイの父ニコライに結婚申し込みを 受けてるんだけど、でも彼女はそれは断って、トルストイ兄弟の養育役だけを 引き受けたんだそうな。ソーニャと違って、けっこう小母さんは自立心旺盛な人だった のかも知れないな。 母親は早くに亡くしてしまったけど、トルストイはドストよりはるかに精神的に安定した 愛に満ちた幼少時代を送れたのかもしれない。 ドストの幼少時代は、異常性格の気がある父親に対する、抑圧された葛藤が すごかったらしいからね。お母さんはとても優しい、夫に従順だった人みたいだけど。
古典の価値は、読まれ続けるかどうかだという視点があります。これは否定できないで しょう。音楽や絵画よりも、文学は読み手の能動性を必要とします。それ故に、読まれな くなる危険が常にあるからです。モーツァルトやベートーベンの音楽、ミケランジェロや ダ・ヴィンチの絵画と違い、万人に親しまれないのが、文学の古典の悲しい現状です。 それゆえ、逆説的ではありますが、読まれ続けているということ自体に価値が生じると 言えるわけです。日米のアマゾンランクを下にまとめてみます。
日本アマゾン 249位 カラマーゾフの兄弟 6147位 罪と罰 15319位 アンナ・カレーニナ 151604位 戦争と平和 アメリカAMAZON 2403位 カラマーゾフの兄弟 12917位 罪と罰 1250位 アンナ・カレーニナ 9185位 戦争と平和
それぞれ、アマゾン検索でヒットしたものの中から、一番順位の高い出版社を選んで います。(間違いがあったらすみません。日本のカラマーゾフと、アメリカのアンカレは、 出版が新しい関係で、売れているということもあります) 日本ではドストエフスキーが圧倒的に強いの対して、アメリカではいい勝負です。 もちろん、アメリカではトルストイの方が若干多く売れています。
755 :
吾輩は名無しである :2007/06/30(土) 04:12:17
百年経ってもライバルってとこが凄いな
756 :
吾輩は名無しである :2007/06/30(土) 06:25:20
読書は娯楽 食わず嫌いとか言って、無理して読むことないよ
ドスト作品の登場人物は不自然極まりない その辺がアンチを生み出す原因であろう
758 :
吾輩は名無しである :2007/06/30(土) 06:40:28
宗教色の強いトルストイ作品がアメリカで売れるのは当然だろ
宗教色の強さならドストの方が? キリスト教を否定するぎりぎりの線から信仰に戻って来てる
>>753 いくらなんでもアマゾンランキングはないだろ・・・。一時間毎に更新されるし、過去のどれくらいの期間
までが反映されるのかも分からん。
数千番台の本なんてず〜っと売れてないのばっかだし。
ちなみに俺はトルストイだったか誰かの本買ったら、数万台から一気に五百番台まで上昇したこと
あったなw
まあでも、日本アマゾンでカラマーゾフはここ数日ポツポツ売れて、戦争と平和はここずっと
売れてないってのは分かるけどね(ちなみに岩波新訳『戦争と平和』一巻は78,203位)。
それ以外は全く参考にならん。
ついでにイタ研自ら指摘する通り、カラマは新訳が出たばかり。 新潮のカラマ一巻は16,817位 岩波カラマ一巻は54,383位 なんというか・・・アマゾンで売り上げを計るとするなら、どんぐりの背比べだ・・・。
762 :
吾輩は名無しである :2007/06/30(土) 12:11:41
>>752 その視点で行くとダンテが無価値になる日が近いな。
いまどき、「失楽園」(ミルトンのほうね)を読む人がどれだけいるかと思うけど、 それでミルトンの価値が減じるわけじゃないと思うな。ダンテ然り。 国別に好まれる作家が違うというのは、少し面白い。国民性が嗜好に反映してるのかも。 アメリカは、ピューリタン文化の基盤からして自立の精神を尊ぶから、ドストの登場人物 みたいな何かにすがらなければ生きていけない依存性全開の人物像は好まれないん じゃないだろうか。個人主義の国だし。どちらかといえばプロテスタントは宗教に強く 「倫理」的なものを求める側面があるから、ドストよりトルストイの宗教的姿勢に近い。 ドイツもドスト人気が高いと聞いたことがあるが、あそこもプロテスタントの国だけど、 第2次世界大戦前の不穏で不安定な社会情勢の時に、ドストが翻訳されて若者に 大流行した経緯があるらしいな。若きゲッペルスがドストに熱狂したとか。 全体主義者とドスト、一見意外なとりあわせのように思えるけれども、実は両者の 精神性は通底しているところがある。
新スレたったばかりのトルストイ・スレに攻め込んでるドスト信者って、マナー違反だし
ほんとイタ過ぎ。
ドスト好きって、ほんと性格に問題あるやつらばっかりだよな…(自分含めて)。
それに比べて、トルストイの小説の奥深さを、知的かつ奥ゆかしく語った向こうの
>>20 って、
素敵だった。
これは、煽りではなく本心から言ってるんだけど、やっぱ両者の読者層は、かなり人間の
タイプに違いがありそうだよなぁ…。
言いたいことは分かりますが、人間のタイプが違うとまで言ってしまうのは、ちょっと
感情的になってるのでは?その向こうのスレの
>>20 という人が誰なのかは知りませんが。
>>762 ダンテは欧米では読まれてると思いますよ。日本では全くと言っていいほど読まれて
いませんが。
>>760 確かにそうですね。アマゾンは、自分のアメリカの地元シアトルの企業で、思い入れが
あるのですが、ランキングは当てにならないかもしれません。紀伊国屋やJUNKUDOの
ランキングの方が良かったでしょうね。近いうちに貼っておきます。
766 :
吾輩は名無しである :2007/07/01(日) 08:38:17
今さら他方を貶めたところで、二人の評価になんら変わりはないことくらい誰でも分かってるはず。 結局、単なる煽りなんだし人がムキになるのを楽しみたいだけなんでしょ。 ○○信者とか抜きにして、そいつ個人が歪んでるだけだよ。 そして、まっとうな批判であったとしても本スレで何度も書くのはやっぱりマナー違反。 流れに即してたまーに書くくらいなら悪くないけどね。 アホ共はこのスレに隔離したいもんだ。
ああ全くだw
>そして、まっとうな批判であったとしても本スレで何度も書くのはやっぱりマナー違反。 >流れに即してたまーに書くくらいなら悪くないけどね。 なるほど…。 ドストスレにも不定期に、あまりにドストを神格化する人間が現れるもんだから、その度、 「それは違うんじゃないの〜」と冷静に論証してしまっていたが、それもスレに迷惑掛けて しまっていたんだろうか。 ドストアンチスレを復活させようかな…。 そうすれば、単なる信者同士の煽りあいをしたい比較厨はこのバーサススレに、トルストイと 関係なくドストに対する批判をしたいヤツは、アンチスレに誘導できる。 ドストを批判しても、無関係なトルストイスレに迷惑掛けることもない。 でも、アンチスレを品位落さず維持するのって、結構面倒なんだよな…。
>冷静に論証 をい(笑 …ただしよっぽどの時でもたいていは、俺は楽しく読んでるんだけど。 云い回しはどうであれ傍で見ていても俺が不快に思うのは、 愚かで鈍い精神に対してだけ。 ここでは、言葉が通じないのが一番の苦痛だー
>>768 例えば誰かがトルストイを賞賛するたびに、毎回評論家の論を用いたりして、批判してくるのは
いい加減うざいという話。その作家のスレなんだし少し落ち着けと。たまにならいいけど。
あなたのケースは見てないからなんとも言えないけど。
>>768 あなたのケースでは、トルストイとの比較でドストエフスキーを批判するということや、
「ドストエフスキーの狭量な脳内」という、卑下の言葉が、どうしてもドストエフスキー
ファンの「冷静な論証」には思えなかったということがあります。言いたいことは分かり
ますが、誤解を生まないような、言葉の使い方をすればいいかと。
日本語はそういう意味では、素晴らしい言語です。婉曲的な、他者の感情を気遣う
言い回しに富んでいますからね。露骨な言葉を避ければ、それで解決する問題なの
だと思いますよ。
>日本語はそういう意味では、素晴らしい言語です。婉曲的な、他者の感情を気遣う >言い回しに富んでいますからね。露骨な言葉を避ければ、それで解決する問題なの >だと思いますよ。 おっしゃる通り。イタ研自身がそれを決して忘れなければ、素晴らしいと思います。
>>771 本スレを読み返してもらえば判るが、最初にトルストイとドストの比較ネタを出してきたのは
君だぞ?しばらく、その比較ネタがしばらく続いた流れに自分は付き合う形で、トルストイと
ドストの宗教姿勢に対するマサリクの評論を引用してみただけだ。
自分にとっては、トルストイについての評は単におまけのつもりだったんだけど。
それに自分は「ドストエフスキーの狭量な脳内」なんて言葉は使ってない。
「多様な価値観が対立している 、って言っても結局、ドストの脳内の狭い歪曲された
自己内対話でしかすぎないんじゃ? 」と、ドストの小説のポリフォニー性の限界を
指摘しただけだ。
まあ、どちらにしても、もう終わった事をぐちゃぐちゃ言っても。
もう自分はすでに
>>705 で、今後は同じ批判をするにしても、言い方や言葉使いに注意する、
と君に約束しているんだし。
ところでエドマンド・バーク、やっぱ、みすず書房のに借り直したよ。
確かにこちらの方が訳がいいね。
>>773 確かにそうですね。ナボコフの話から繋がったんですよね。自分も今さら気にしてはいま
せん。ポリフォニックなんてもものを信じたらヤバいって指摘によれば、自分はヤバいの
かもしれませんが、バフチンはそれでも核心をついたと信じています。
バークはやはりみすず書房で読むのが一番です。バークの品位までも、日本語で表現
できたのは、みすず訳だけだと思います。未だ、世界中にバーキアンが多いのは、バーク
の品位で無関係ではないと思います。
>>1 アンチスレのストックから、こちらのスレ向きのデータをコピペしといてやるよ。
出元はマサリクの「ロシアとヨーロッパV」って本ね。
「(この2人の)対立は合理主義と神秘主義という標語によって要約することができる。
すなわち、トルストイは、理性的な宗教、理性によって受け入れられ根拠付けられた
宗教を欲し、ドストエフスキーは、非合理でも反合理的でもないとしても、合理性を
離れた宗教を欲する。トルストイにとって宗教の本質は道徳性にあるが、ドストエフスキーは
神と不死への信仰に執着する」
「トルストイは自分の支えをイエスに見出し、ドストエフスキーはキリストに、しかもロシアの
キリスト、ロシア教会のキリスト、ロシアの修道僧のキリストに見出した。」
「トルストイは宗教的個人主義者であり、ドストエフスキーは支えを教会と、教会と共に
国家と国民性に求める。トルストイにとっては福音書で充分であり、ドストエフスキーも
また福音書を愛するが、それでも教会の伝統の方を重んじる。それ故に、ドストエフスキーは
教条主義者になり、スコラ哲学者になる。」
「トルストイはドストエフスキーと同様に、宗教を生の養い主として、しかり、生そのものの
理念として捉える。それ故に、トルストイは宗教の喪失の結果としての自殺・殺人という
ドストエフスキーの基本的公式が見出される。しかしながら、ドストエフスキーが個人の殺人、
特にニヒリズム的殺人を強調するのに対して、トルストイは戦争での大量殺人を否定する。
後者の殺人を、ドストエフスキーは、無理にひねり出した論拠によって、トルストイから
擁護しようと試みる。」
「しかしながら、トルストイとドストエフスキーの宗教の間の基本的な相違は、両者が道徳を
どのように見ているか、という点に求めなければならない。すなわち、トルストイはどんな
ことがあっても真実を追求し、ドストエフスキーは嘘を通して真実に到ることを期待する。
トルストイは道徳説教者であり、ドストエフスキーは道学者よりもむしろ常に教会政治家で
あり、教条主義者でスコラ学者である。」
ついでに、T・G・マサリクのドスト批判(主に思想面について)の骨子も入れとくか。 「マサリクは(民主主義的な)革命を肯定する立場に立つが、この立場からドストエフスキーの革命観をも 批判する。マサリクによれば、ドストエフスキーにとって、無神論とニヒリズムと革命は同義語である。 しかし、革命を直接に無神論から引き出すことはできない。革命にもいろいろあり、有神論者の 革命もある。革命は神権政治に対して、国家と教会に対して反抗するのであり、革命を(宗教的に ではなくて)歴史哲学的に捉えねばならない。また、ドストエフスキーはニヒリズムを攻撃したが、ニヒリズム に勝利しなかった。『神がいなければすべてが許されてる』というドストエフスキーのニヒリズムの公式は 道徳を直接に神の(啓示された)意志や戒律と受け取るロシア正教の道徳観・世界観の裏返しで ある。しかし、ヨーロッパでは宗教改革と哲学的革命によって、道徳は神にではなくて、より人間の 本性に基礎づけられるようになっており、例えばフォイエルバッハの無神論は人間の倫理の積極的な 内容を持っている。ロシアのニヒリストと革命家は、このようなフォイエルバッハに従っているのである。 ドストエフスキーは彼らに対して(正教の)キリスト教的信仰と道徳を擁護するが、しかし、実はドストエフスキー 自身、信仰することを自分に望むが、もはや信仰することはできない。ここからドストエフスキーの奇妙に ねじれた精神が生じ、『嘘をついて真実に至ろう』とする精神が生じる。結局、ドストエフスキーは正教的 イエズス会主義の教条主義者である。」 「ドストエフスキーの公式の基本テーゼ自体が誤っている。」 このマサリクの言葉に自分も強く同意する。
ベルジャーエフのドストエフスキー評も。 「文化の危機においては黙示録的な衝迫がある。それはニーチェにあり、そして最高度に ドストエフスキーにある。しかし、この黙示録的衝迫、究極的なものをめざす努力、 あらゆる中道文化にたいする猜疑的・敵対的な態度は、ロシアの性格的な特徴である。 そしてこうしたロシア精神の特徴のなかに、わがロシアの精神的特性の根源のみならず わがロシアの精神的病患をも求めなければならない。」 「ロシア人は、一面、個性および個人の運命ということについて異常に高度の感情を持って いるが、しかし他面、その個性をディオニソス的激情による分裂から守り、個性の形を 維持する能力を欠いている。」 「ドストエフスキーには宿命的な二重性があった。一面において彼は個性の原理に異常に 大きな意義を与えた。彼は個性の原理の狂信者であった。そしてこれが彼の最大の長所で あった。しかし多面、彼においては統合主義および集団主義の原理が大きな役割を演じて いる。ドストエフスキーの宗教的民衆主義は、個人の責任や個人の精神訓練の原理を 麻痺させる集団主義の誘惑であった。宗教的統合主義の観念は、ロシア人においては 往々にして、ロシア国民の誤れる理想化、精神の捧持者としての国民集団の理想化を 意味した。だがロシア国民に必要なのは、なによりもまず、個人の責任という理念、 自己訓練、個人の精神的自律という理念の認識である。ロシア国民は、この方向に おける精神的改革によってのみ健康となり得る。ドストエフスキーは半分だけはこの 課題に注目し、その実現に寄与するが、他の半分はロシア的民衆主義やロシア的集団主義 によって誘惑する。換言すれば、彼はこの課題の実現をさまたげるのである。」
今日、本屋に行ったら「ドストエフスキーがやってくる」って本があったから、 ついふらふらとレジに持ってって買ってしまったが、そんな金があるのなら 「実践理性批判」を買えば良かった。 ばかな自分…。
>>775-777 それ全部読んで、このスレ最初から読んで、
なるほど、と思った後に、ドストのほうが好きになった。
両者の差異が明確にわかってきた。ありがとう。
>>775-777 的外れだと思いましたが、乙です。
両者の違いをそんなところから論じても無駄です。ただのドストエフスキーアンチの、
芸術とは離れた地点からの断定調の批評ですね。芸術的には何も論じてないのに、
それらのドスト氏の「宗教観」という個人的な信念の部分のみを抜き出して、トルストイ
と対置しても何の意味もないかと思います。
それでは、両者の文学の比較ではなく、両者の人間そのものの比較に堕してしまいます。
両者のテクストについての、最も明確な差異について自分が思う点は、以下のような 点です。 トルストイは全てを極めて明瞭に、また簡潔に書きました。過不足ない遠景描写で綴る 大河ドラマは、非常に読みやすく、抜群のバランス感覚を感じます。しかし、明瞭に書かれ ているが故に、分析する余地はそこにありません。学者でも一般読者でも、同じように 読めるのがトルストイです。ですから、評論家のトルストイ評と言うのは、大味になりが ちです。(「トルストイは最高の作家だ」など。中身のまるでない、断定調の結論のみです。 分析があっても、ほぼ全てがただ、作品のアウトラインをなぞるだけに終わっています) ドストエフスキーはこの点においてトルストイの明白に違います。一般読者では、まず そこに何が書かれているのか、理解することができません(例えばスタブローギン)。 学者や評論家に余りに多くの余地が残されました。ドストエフスキーの文学は、読むだけ では足りず、その真価を知るには分析が必要なのです。この分析をせずに、ただ一読し ただけの多くの読者には、ドストエフスキーに対する露骨な誤解がまかり通っています。 表面だけを追ったら、余りにも多くの点を見落とす(そもそも前提知識がないので気づけ ない)からです。 どちらが偉大かというのではないですが、このような違いが、両者のテクストの明確に 存在します。ちなみに、自分が思うドストエフスキーの優れた分析は、ウォリンスキイ、 バフチン、江川卓の3氏のものになります。作家による分析も存在しますが、例えば ジッドの分析などは結論ありきの断定調の中身の薄いものです。日本の文学評論の 祖である小林秀雄にしてもそのように言えるかと思います。
>>780 的外れとも言えないと思うけど、どの辺りが的外れ?
芸術論とかのほうが客観性を欠く場合が多いと思う。
>>775-777 を読んでみて、経験則から考えたけど、
ドストが、あーいう作品を書いたバックグラウンドが見えて、良かった。
文学論と人間論、どっちも両軸だと思うけどな。
批判者の立場から見るのも面白いとおもったけどナー。
>>781 なんでそんな感情的な文章を書いてるの?
否定意見を否定することのほうが、行き場のない論に向うと思うけど。
否定を肯定した上で、もう1つ次の段階の議論が可能な気がするけど。
どうなんだろね。
宗教家としての両者を比較するのなら>
>>775-777 も、ある意味、真実をついていると
言えるでしょう。しかし、それにしても余りに多くの見落としがあります。
「トルストイにとっては福音書で十分であり」って部分などは、トルストイについての賞賛
の言葉なのでしょうが、聖書をよく知る人間からすれば、「福音書のみで本当に十分か?」
「黙示録」を全く無視しているトルストイよりも、黙示録まで含めて、包括的にキリスト教と
向き合ったドストエフスキー(例えば聖戦論)の方が、よほど聖書を重視していたのでは
ないか?という皮肉の言葉にも読めます。もちろん、単純なトルストイ賛美として書かれ
たのでしょうが。
トルストイ=聖書を重視、ドストエフスキー=教会を重視 というような分け方は間違えて
いるということです。黙示録まで含めて聖書と向き合ったドストエフスキーの方が、遥かに
聖書と向き合った人だからです。
トルストイは人道主義者です。そしてその自分の人道主義に合う部分のみを、聖書から
抜き出した、と言える人でもあります。だからこそ、「トルストイにとっては(聖書の中の)
福音書(の部分だけで)十分」なのでしょう。
以前もこの問題をこのスレで書きましたが、本当のキリスト教徒なら、平和主義者に
などはとでも成り得ないということです。キリスト教の中に「聖戦」を容認する思想が
明確に存在しますから。上にも書きましたが、キリスト教における「敵を愛せ」の「敵」に
は「反キリスト者」までは含みません。ここらへんに、キリスト教に対する一般的な誤解
があり、それ故にクウェイカーやアーミッシュの方が、南部バプティスト派よりも正しく
見えるという錯覚が生じるのです。(クウェイカーが正しいのは、人道主義の観点において
であり、キリスト教の観点においてではないのです。トルストイとドストエフスキーの関係
はこれと相似形をなしています)
以上のような点で、的外れであると書いたのです。人道主義者としてはトルストイが、 キリスト教徒としてはドストエフスキーが、より正しかった(言葉は悪いですが)と 言わざるを得ないわけです。 しかしこのようなことは、両者の芸術の核心部分ではないでしょう。以上のような点を 論じる必要があるのならば、自分もそれで良いですが、論じるほどに核心部分からは 遠ざかることでしょう。
>>784-785 うん。その辺を思ったから
>>779 って書いたよ。
ドストが聖書を重視してないと、短絡する人は少ないだろうし、
短絡的な意図がある人がきても、講義をしたいわけじゃないから、
わかってる人同士で構築していって、その結果から、学べることもあるからね。
ドスト的だと思うけど。イタリア研究会さんみたいに、我を通していくのは、むしろトルストイっぽい。
どうみても
>>781 は感情的過ぎて、ネット上とはいえ、対話ではないと思った。
否定意見に対して、ヒステリックに、大声を出すのは、
キャラクターの1人としてなら、ともかく、長期的に真実から遠ざかると思う。
>>784 程度のことはわかった上で、
まず否定意見を肯定するところから始めていくほうが、
対話としても議論としても有益な結果に近づくことは間違いない。
長期的に、短絡的で感情的な意見を、ヒステリックな大声で叫ぶのは
ネット上だろうと、そうでなくても、議論を、より扇情的な方向へ持ち運び、
多くの人を、長期的な真実から遠ざけて、短期的な一瞬の真実らしき幻想に、誘うのではないかな。
それは、ドスト的ではない。
>>781
なるほど。そういうことなら自分も同意します。
>>781 の内容は、以前から考えていた
ことで、衝動的なものではないのですが、感情的なのは間違いないものです。
感情的なレスをすることは、有意義な対話を遠ざけるというのは、ご指摘の通りだと
思います。ドスト的ではないですし、今後はこの点に気をつけます。
789 :
吾輩は名無しである :2007/07/04(水) 08:26:23
イタ研の「今後気をつけます」を何度聞いたことか。 いっこうに改善されないが。 ともあれ、それら含めて面白い流れではあるが。
>>ドストエフスキーの文学は、読むだけ >>では足りず、その真価を知るには分析が必要なのです。 これは明らかに間違いだろ。 真価を知らずして結果が出るのが、ドストの真価だよ。 終わりがないのが終わりというか、結論が出ないのが結論というか。 誰かが結果を速く出すことを期待してるのが間違い。 ドストの「意味に気づかず、知らずして結果を出させる」能力は、 その真価を、読み続ける人に、じっくりと効果を現す。 ドストを低レベルで誤解してる人は多いし 高いレベルまでいって誤解してる人は多い。 とはいえ、読み続けるならば、その誤解が解ける可能性はあるし 誤解が解けなくても、結果が変わる可能性もある。 この辺りが明確な結論に一直線に向っていく物語との差異じゃないかな。
ドストは凄いと誤解してる。
聖書云々のくだりを読んだだけで書く事をお許しください。 何かまとがずれているような気がしてしょうがないのは ドスト派にしてもトルストイ派にしても 聖書と言う紙にとらわれすぎているように思うからです。 ドストエフスキーとトルストイの根本には聖書信仰ではなく キリスト、神への信仰があったということが大切です。 (日々の暮らしの中に神に対してたとえ様々な疑問を抱いたにしても 神と決別できはしなかったのですから。) それを本当の意味で理解せずに聖書云々を語るのは 枝葉末節に過ぎる気がするのですが。 無理なことではありますが、ドストエフスキーにせよトルストイにせよ 多くの悩みを、人生を知ったあとに読むと、その芳醇すぎる中身に酔いしれるように キリスト教を真摯に信仰している者が両者を読むときには その味わいは多分、キリスト教への宗教心を知らぬ人たちとはまた違った 深く酩酊するほどの内容があるのに気づかされるのです。
イラク問題に関するアメリカの非難
イランがイラクに干渉するためにレバノンのシーア派組織ヒズボッラーを利用して
いると主張するのは、非常に子供っぽく、常識から外れた発想です。アメリカの政
府、軍事関係者は、この種の根拠のない主張により、イランとヒズボッラーをイラク
での情勢不安の要因にすることができると考えているのです。アメリカはこれによ
り、ブッシュ大統領のイラク政策に対する国内外の圧力と非難を抑え、イランに注
目が集まることを期待しています。しかしながら、アメリカのこの種の民衆扇動は
現在まで、何の成果ももたらしていません。中東やペルシャ湾岸、またとくにアメリ
カの国民は、ここ数ヶ月、ブッシュ政権の占領政策を何度となく批判し、アメリカ軍
のイラクからの撤退を求めています。
http://www.irib.ir/Worldservice/japaneseRADIO/news.tue.htm イランのヒズボラとレバノンの軍事部門のヒズボラとは全く性格が異なると
以前どっかで聞いたような。
ドストエフスキーを凄いというのが誤解だとすれば、ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、
フロイトなどが誤解していたといことでしょうか?有り得ませんよね。
>>790 仰りたいことは分かります。カラマーゾフを50回以上読んだというヴィトゲンシュタインが、
カラマーゾフの兄弟の真価を知っていたかといえば、自分は疑問なのです。もちろん、
ヴィトゲンシュタインのような稀代の天才が、50回以上も読めば、自分などには想像もでき
ないようなレベルで極めていたとは思います。それでも、例えばバフチンを読まずして、本
質的な価値が分かるとは思えないのです。バフチンは自ら望まずしてポスト・モダニズム
の1つの大きな支柱とまでなった人ですが、それもその評論が評論という範疇に留まらない
新たな芸術的見地を提示し得たからです。
ここの人たちにはバフチンを好まない人もいるようですが、バフチン以前、以後というのは
ドストエフスキーへの見方ががらりと変わったというのは、研究現場の現実です。自分の
父のような英文学畑の学者でも、バフチンと真剣に向き合うことを余儀なくされているほど
です。(特に80〜90年代) もちろん、学者ではない一般読者には関係のない事情ではあ
りますが。
>>791 みたいな釣り針にひっかかるなら、コテはずしたほうがいい。
>>794 そもそもの前提がおかしいから話になってないよ。何がおかしいか自問自答したほうがいい。
>>797 いや、謝る意味がわかってない人は謝る意味がないですよ?
脊髄反射レスをするなら、コテは外してもらいたいし、スレを占有するのも、考え直すべきです。
コテを外すこと
あるいはレスをしばらく休むこと
この行動によって謝るという意思は示すことが出来ます。
それ以外の「謝ります」は口だけです。
元々は過疎スレだったわけで、そんな問題ではないでしょう。 大体、「コテを外す」ということに何の意味があるんですか? 自分を知らない人のようだから言いますが、その要求に自分が答えたことは
(続き) ありません。 嫌なら見なければいいわけです。第一、「脊髄反射レスするなら」という条件のもと 「コテは外してもらいたい」という要求をしているのに、「コテを外すこと」、「あるいは レスをしばらく休むこと」という行動で「謝罪の意思を示せ」ということまで要求も同じ レスでしていますね。「脊髄反射するな」というのなら、今後はその点に気をつけましょう。 しかし、あなたも相当なもんですよ。自分の存在があなたの精神をどこまで害している かは知りませんが、あなたのレスこそまさしく脊髄反射じゃないですか。あなたのレスに 時間をおいて答えたのに、あなたは即答ですからね。どれほど自分の存在が気になる 人なのかは知りませんが、不思議なもんですね。
>>元々は過疎スレだったわけで、そんな問題ではないでしょう。 w 自分で言ってておかしいと思いませんか?
>>794 そもそも読むレベルを強要し始めてる時点でドスト的精神から反してるのですよ。
自分が正しいと思うやり方を相手に強要し始めたら
正しい考え方が起点にあったとしても、行為として最初の考え方と矛盾します。
行動の面から、自己矛盾を始めてることを気づいて、反省したほうがいいですよ。
学会あるいは社会的な位付けなどで認められてない方なのでしょうか?
そして
>>800 は天に唾するようなものですよ?w
言った傍から脊髄反射レスを行ってるのに、何を言ってるんですか?w
結局、連投で個人中傷ですか。自分はあなたのことを気にしてませんが、あなたは 自分という存在に随分と苦しんでいるようですね。その点は悪いなって思います。 だからといって、どうしようもありませんが。
また脊髄反射レスかw どんだけヒマなんすかwww 相手を決めつけたり 過疎スレだから私物化しても良いと言い出したり なんていうかねw 行動を指摘するだけで涙目レスを脊反しないほうがいいお(^ω^;)
要はコテのくせに煽り耐性が出来てないんだおね(^ω^;)
>>799 で
過疎スレなんだから私物化してもいいでしょ!プンプン!!私の言ってることが正しいのよぉぉぉぉぉォッ!
とか言い出すから煽ってみてる。
すぐ釣れるお。(^ω^;)こんなに簡単に釣れていいのかお…。
くだらなすぎ。呆れるわおまえら・・・。
ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、フロイトらはドスト好きなんだろう がしかし、好き=凄いってことなの?
好きであり、凄いとも言ってるんじゃね?ニーチェ共が凄いと言ってるから凄い。権威主義じゃなあ。
うわっ、スレ開けたら、なんかへんな展開に?! ごめん、自分がコピペ入れたのがまずかった…?! 自分は決してマサリクやベルジャーエフの意見を絶対化してドストを「否定」「攻撃」 するためにこのコピペ貼ったわけじゃないし、みんなでする議論ネタにちょっと どうかな、と思ってネタ補給したつもりだったんだけど〜〜!! なんか一言コメント入れれば良かったんだけど、昨日もうすごく眠くなってたもんだからさ…。 最後、なんか訳のわからん事書いてるし。。。どうしよう、失敗。。。
イタ研さんのドストへの愛情と見識の深さはすごいんだが、 もう少し感情抑えて語ってほしいなー。 どんなに立派なこと言っても、わめきながら言うと説得力が落ちる
ドストエフスキーを凄いというのが誤解だとすれば、ニーチェ、ヴィトゲンシュタイン、
フロイトなどが誤解していたといことでしょうか?有り得ませんよね。
この権威主義的な言い方が頭おかしいと思う。
>>794 を自覚してるなら学会でやってこいと思う。
一般的な読者として、このスレに参加してる人もいるだろうし。
頭おかしくても結構ですが、文学の話をしませんか?自分について叩きたいなら、 もっとふさわしい場所が他板に用意されたりもします。 ただ、一点、権威主義というのは文学以外のジャンルでも自分が指摘されている点です。 確かに権威主義者なのかもしれません。権威の前に喜んでひれ伏すようなところは、 確かにあるでしょう。天皇主義者でもありますし。仕方ない。これが自分です。
天皇主義と権威主義を混同させるようなことを書かないで欲しいな。 神道および天皇に対して、敬意を払う立場だが、一連の感情的なレスと スレの私物化を良しとする態度には、そうした伝統主義を相反する精神をお見受けする。
そうですか。で、そろそろ文学の話しませんか?
どっか別んとこでやってきてください。スレの私物化はくれぐれもしちゃだめですよ。☆
あなたのように自分のことが気になって仕方がない人が、何故か2chには多いんです。 その理由が自分には分からない。 とりあえず、一応の謝罪(何に対してかも最早分かりませんがw)はしたことですし、 今後、私個人に関するレスは聞き流すこととしましょうか。あまり気を病むようでしたら、 あぼーん設定を推奨しておきます。
周りが皆頭がおかしい、と思う人は、自分の頭がおかしいんですよ。 精神系の患者様には、よく見かける症状です。一種の病気ですね。 >>あなたのように自分のことが気になって仕方がない人が、何故か2chには多いんです。 >>その理由が自分には分からない。 理由を教えてあげると、あなたが2chの人を気になって仕方ないんですよ。 あなたはそれを認めたくないから、ひっしで理論武装を重ねる哀れな羊です。 みなさんの本音としては、あなたが気になる、のではなく、 あなたの多投レスを見たくない、これ一本なんですよ。 あぼんしても、無駄なスレ消費がとまるわけではありません。 もしまともな方であれば、毎晩毎晩、これだけ粘着してレスなどしません。 まさに自分の結論に相手を合わせようとする態度はトルストイですね。 あなたは自分にないものをドストに求めている信者に過ぎないのです。
なんにせよ、私たちはドスト氏の人物達のように憎悪を向けあっているようですな。 自分は不思議と、晴れた日の泉のように爽やかな気持ちでいるのですが、いつ精神が 黒い自意識の妄想に憑かれ始めるかは分からない。精神の安定と憎悪は、一枚の紙 切れの表と裏ほどの差しかないのかもしれません。
スレの私物化はくれぐれもしちゃだめですよ☆ こんな常識を書いただけで、個人攻撃と捉える辺りが、 精神的な病の証拠ですね。一度受診してみては? 持論展開したいなら、サイトつくって、自分の掲示板でry こんな常識も個人攻撃と思い込むのでしょうか。。。 ここは公共の掲示板ではなく、個人のHPの掲示板ですよ?
いやそれはないですよ。自分は心療内科に行ったことがありますが(薬の副作用で
苦しんだことがあり)、精神病というのは、分裂病を始めとして、度合いが違いますから。
逆に、精神病というものを卑下したニュアンスで使うことはとても出来ないな、と可哀相
な患者たちを診て思った次第です。
そこまで問題視するならあなたが個人として、自分なりの対処をすればいいではない
ですか。あなたが言うとおりで、「2chは個人の掲示板」でしょう。しかしながら、ならば
なぜあなたは、コテ叩きは禁止というローカルルールを守ろうとしないのです?自分は
ローカルルールを守らないコテ叩きには、数年前から辟易していますけどね。
参照 ・差別・蔑視発言や固定ハンドル叩き(特に差別・蔑視発言は重要削除対象)
http://love6.2ch.net/book/
>>821 憎悪も何も常識を展開させただけですよ。
まるでクレーマーのような勢いですなぁ。
スレの私物化はくれぐれもしちゃだめですよ☆
持論展開したいなら、サイトつくって、自分の掲示板でry
ここは公共の掲示板ではなく、個人のHPの掲示板ですよ?
↑
これ憎悪?いやいや常識ですよ。
多投レスは無駄なスレ消費に繋がりますから。
常識に涙目で反論するのは、クレーマーと呼ばれる人種です。
ドストの登場人物どうこう、というならば、他の登場人物の台詞が、もう少し増えるべきでしょう。
1人の独善を結論としたいのならば、それはトルストイ的な、(まぁそれ以下の)1つの物語ですし。
>>823 まともに他の人と対話できてるなら、何も申し上げませんよ?
このスレの途中から、イタ軒のレスが大半を占めてるでしょう?
これをスレの私物化といいます。では、なぜ私物化がだめなのか。
文学板では、ささいな案件のスレでも、何年もかけて進行することがあります。
過疎板の多くでは、そうした長い目で育てるスレもあるわけです。
特に文学板では、そうしたスレッドを見かけることは、他板と比べて多いのです。
それを、過疎スレだから私物化して何の問題がある?
などと言う人は、多くの人には迷惑すぎるのです。常識、わかりますか?
これらを個人攻撃と捉えているのが、まず問題なのです。
>>823 は「晴れた日の泉のように爽やかな気持ちで
>>821 」書いたレスwwwwww
晴れた日の泉を歩いていたら、こんなレスが生まれるのでしょうか?
さあ、いつ自分が「私物化」などという言葉を使ったんでしょうか。随分と恣意的な解釈 ですね。 人様に向かって、「精神病」だの、「社会的な地位がないのでは?」などということは、 普通、「個人攻撃」なのでは?何度も言いますが、自分はあなたに全く興味がないので、 あなたがどんな人であれ一向に構わないんですよ。あなたがしきりに自分をカテゴライズ しようとしてるのが、不思議なんです。まあ、この板のローカル・ルール違反ですし、そろ そろやめたらどうです?あなた次第だと思いますけどね。
>>826 実際、いたって安定してますよ。もっと言葉を深く受け止めるべきなのかもしれませんが。
>>799 名前:イタリア研究会 ◆TwiFdHoUpo [sage] 投稿日:2007/07/04(水) 17:00:09
元々は過疎スレだったわけで、そんな問題ではないでしょう。
過疎スレだったら、自分のレスで埋めてもいいんですかね?
>>829 自分の恣意的な判断に基づいて話を進めないで欲しいですね。そのレスのどこに
あなたの言う「私物化」という言葉があるのです?自分は脊髄反射レスをすることが
問題だと言うから、そのように答えましたが、「脊髄反射レスをすること」=「スレの私物化」
と意味を恣意的に変換して解釈されても困りますけどね。
798 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2007/07/04(水) 16:57:35 脊髄反射レスをするなら、コテは外してもらいたいし、スレを占有するのも、考え直すべきです。 799 名前:イタリア研究会 ◆TwiFdHoUpo [sage] 投稿日:2007/07/04(水) 17:00:09 元々は過疎スレだったわけで、そんな問題ではないでしょう。 えっと…。 スレを占有するな→過疎スレだし問題ない 何が問題ないのか、さっぱり。
ああ、スレを占有するってのは問題ですね。脊髄反射するならコテを外せってことに 対して言ったつもりだったんだけど、後者に対しての言葉にも読めますね。ここは 自分の説明不足だったのでしょう。 とはいえ、あなたも随分と自分などに時間をかけますねw 対話形式になってきましたね。 ゴーマニズム板の人たちなどとは、この調子で2年ぐらい続いていますが、1度気になると なかなか止まらないのが人間なんですな。
イタ研と語るロシア文学スレでもつくればいいんじゃね?
この板でもそういう流れですかw 思わず笑ってしまいました。実は他板ではほとんどが そんな流れになっていたもので。
そりゃそうだよ。めざわりだもんw
あぼーん推奨と言ってるのに、あぼーんしてくれないのは何故なんでしょう? 自分に関しては、あぼーん機能を使用しないで批判したい人が多いようなのです。
ヒント:多投レスによる、スレの無駄な消費。 持論展開を見に来てる人ばかりじゃないんだよっと。 簡単にサイトくらい立てられるんだから、そっちで持論を書き連ねればいいじゃんってのは? ここらへんを必ず無視るのがコテの性質なんだよなぁ。 ここはコテのサイトじゃないですよ、という話。
自分の持論をサイトにすれば? そこで議論すればいいんじゃないかな。 スレ消費はマジで迷惑。
しかし、あなたの連投の方が数自体は多くないですかね?ここにご自分では何の疑問も 感じないのでしょうか?あなたがスルーなりあぼーんすれば、あなたが嫌がるスレ消費 も、スピードが半分以下になるのですが。
いろんな人のいろんな意見が見たいだけ。
サイトつくれば?マジでおすすめだよ。すぐ作れるじゃん?
なんで作らないのか、本気で疑問。
知識を蓄積させて分類するのは良いことだよ?
いくつもサイトつくったり、スレまとめサイトも作ったりしてるんだけど
コテがスレで延々と持論展開するのは、マジで理解に苦しむ。
昔と違ってHTMLの知識どころか、アプリケーションの操作がわからない人でも
それなりに見やすいサイトなんて、10分かからずに作り始められるんだけど。
完全な擁護レスが出てこないのが、ウザがられてる良い証拠だと思うよ。
>>812 にいろんなことが集約されてる。わめきながら涙目で言うから説得力が落ちる。
わめきながら涙目ってw もう自分を叩けるなら何でもありなんですね。自分でルールを
持ち出してきながら、結局、自分で板のローカル・ルールを破り続けるじゃないですか。
サイトというか、ブログならやっていますよ。でも自分がどこでやろうが、自分の自由だと
思うのですがね。一応ブログのアドレスは貼っておきます。何か意見があれば、書いて
くれてもおkって感じですよ。
http://ameblo.jp/romanista/
ブログ(笑) 話聞けよw サイトくらいやりなよ。ほんと親身で言ってあげてるんだよ? そこへリンクはっときゃいい。ドストについてまとめておけば? スレッドっていうのは、いろんな人のいろんな意見を見るためにあるんだよ。 1つの結論に導こうとするのは、頭のおかしい人が思いつく方法なんだよ。わかるかい?
いや、それはあなたの主観でしょうw スレ主さんにしても、下のように仰っているでは ありませんかw あなたは結局、何が何でも自分を叩きたいだけなんですよ。本当にスレ のことを考えているなら、自分をスルーするか、文学の話を振るはずなんです。 1 吾輩は名無しである 2005/09/28(水) 04:47:11 やっぱこれがないと寂しすぎる。徹底的に決着つけようぜ。 批判したくてウズウズしてる奴は本スレではなくこちらで。
>>843 批判の方針が間違ってると思うので徹底的に間違いを指摘しますね^^
イタ研さんのドストへの愛情と見識の深さはすごいんだが、 もう少し感情抑えて語ってほしいなー。 どんなに立派なこと言っても、わめきながら言うと説得力が落ちる
そうは言っても、自分がここにきだした時は、もっと軽いノリでしたよ。楽しい煽り合いという 雰囲気でしょうか。本格的な文学討論になったのは、自分で言うのもなんですが、自分が 来てからでしょう。
>>846 楽しい煽りあいでよかったとおもってる人は封殺ですかね?
いつ自分がそんなこと言いましたかw 5月ぐらいですかね。議論が過熱し始めたのは。
読み直してみると、そのあたりが契機になっているような感じですね。
>>507 は自分ではありませんが、バフチンのウィキですね。バフチンが持ち出されるという
ことは、著名な評論家の意見をも交えて議論をしたい人が自分以外にもいたということ
でしょう。
>>848 それがどうかしたお?楽しい煽りあいが好きなおいらもいるお。^^
話し合いが出来ずに、自分の正義を繰り返すだけの人には、
楽しい煽りあいがお似合いなんだお。イタ軒のレスも途中から感情論になってるからな。w
「ドストの好きな、短絡的なトルストイ的未熟な思考に基づく人」の不安定な言動は、見ていて笑える。
つまりイタ軒のしてるレスは、盲目的な下階層の信者的言動ですよね。メンタルのレベルが下すぎて知識を殺してる。
まず結論ありきで会話を始めるから、誰の意見も耳に入らない、もしくは他人の状況を理解しようともしない。
自分は誰よりも勉強してるんだお!わかってるお!知識披露だお!これだけ言えばわかるはずだお!
いや、そんな言い方で誰も聞いてくれませんって。w 正しい正しくない以前の問題。
結論に至る道を、聞いてもらえる形で、簡易に示す能力がない人は、いくら知識を蓄積しても無駄ですよ?
で、結果、自分だけわかってる!ぷんぷんっ!じゃねぇ。いずれは「誤解し始める孤独」に進みますよ?
>>780 >>775-777 を突然、的外れと断定してるのは対話能力の低さを示している。
>>800 脊髄反射レスをしながら、今後脊髄反射レスはしないという台詞。w
>>794 >>815 説得力のないヒステリックな権威主義者なのは、ともかく、突然、天皇主義と持ち出すから困る。
※ 批判の方針が間違ってると思うので徹底的に間違いを指摘しますね^^
なんかもう荒らしですね。ローカル・ルールを無視して、コテの個人叩きに終始してしまって います。
理屈をわからなければ、知識を蓄積しなければ、ある事象を理解できない!
と断言してるイタ軒は、明らかにトルストイ的な理性的な結論を、かなり低いレベルで求めてるんですよね。
ドストの場合は、
>>790 ですよ。ブラックボックス的な神話を構築する流れにそって、
新たな支流を切り開いたわけで。主とした川の流れに沿ってるから意義があるわけです。
トルストイは、言葉で結果を書いて、結論のある結果を与える物語を書いて、
ドストエフスキーは、物語を読んだ結果を個々人に与えている。にも関わらず、個々人の起こす行動の結果に統一感がある。
そのすごさのバックグラウンドとしては、伝承や、神話の継承を行いつつも、自然な形で取り込んで、さらに進化させたことです。
伝統の意味を、何となく解して、イメージ化することに成功した、稀有な作家ですね。真の継承と、継承による革命。
ちなみに、イタ軒のやってることは、低いレベルのトルストイ的行動。
まぁ、トルストイに例えるのは無理があるので、信者的と言えるでしょう。
教義や儀典を、言葉だけなぞって覚えて、知識披露するタイプのオタみたいな感じ。
知識披露だけなら、いくらでも出来ますよ?論文書くのと一緒だから。
でも、それを他人が読むことを強要し始めるのは、権威主義以下の愚行ですね。
押し付けて押し付けて、押し付けてくる人のことを理解してあげようという聖人は歴史の中にしか生きてませんから。
凄い長文。まあ荒らしだから読まないですけどw ローカル・ルールも読めないんですかね。
>>852 言い返すことが出来ないんですか?個人叩きという形ではありませんよ。
そろそろこのスレは総括していいと思うんですよ。トルストイとドストの差は明確になってきましたし。
公的な場所を知識披露の実験場として使うと、こういう結果になるという良い例です。
知識に関しては、好奇心がある人が勝手に調べれば良いわけです。
出典や書籍の名前だけ出せば良いのに、引用しまくったあげくに、感情的になって、知識の強要をし始め、
引用元の品位を下げてしまったり、見ている人の好奇心をそぐ書き方をしているイタ軒は問題ありでしょう。
>>855 最初の一文だけ読んでお答えしますが、どう見てもコテに対する個人叩きですよ。
精神病院がどうとか、社会的な地位がどうとか、そのようなことを書いてたわけです。
今も読んでませんが、個人に対する中傷を織り込まずにレスできないあなたの性格を
考えると、読むに価しませんね。荒らしですから。
ローカル・ルールを既に破っている人間のレスを読む必要がどこにあるでしょう?あなたは
自分にとやかく言いながら、自分がローカル・ルールを破っていたことに気づかなかった
でしょうか?
本当に、これが叩きとおもって、ローカルルール違反と思い込めるんなら、運営に行けば? イタ軒が自分に都合の良い論理だけ通して、スレを占有してるのがスレ全体を見ればわかると思うよ。
理屈をわからなければ、知識を蓄積しなければ、ある事象を理解できない! とするイタ軒の主張が、間違ってる、と言っているわけです。まずこれを出しておこうかな。 イタ軒は、多くのことを理解できないみたいだから、1つ1つ言うしかないね。
>>858 を読んで、叩きではないのかと思って
>>851 を読んだら、叩きに終始してるじゃない
ですか。文学の議論をしてるのか思えば、文学ではなく私に対しての叩きレスです。
>短絡的なトルストイ的未熟な思考に基づく人」の不安定な言動
>盲目的な下階層の信者的言動ですよね。メンタルのレベルが下すぎ
>
>>780 >>775-777 を突然、的外れと断定してるのは対話能力の低さを示している。
>>800 脊髄反射レスをしながら、今後脊髄反射レスはしないという台詞。w
>>794 >>815 説得力のないヒステリックな権威主義者
もうやめにしましょう。自分はいちいちあなたの問題点を書きたてるようなことはしたくない。 そういうことに興味がないんです。文学の話がしたいんですよ。あなたについてや、私につ いての話ではなくてね。
イタ軒の文学論がミスってるって言ってるんだけど…。
脊髄反射と感情による反論。 これは文学の話に必要なことなの? イタ権のメンタルや、それに基づく行動が 文学の話へベクトルが向いてないんだけど。
色々な人の意見が聞きたいという受容の姿勢を示していながら、私の意見は断固 撥ね退けるんですねw 文学のベクトルに向いてないとかは、自分があなたをよく知らない故に判断できない ように、あなたも自分を判断できないと思いますよ。このような掲示板で、人様に対して 「お前はこうだ」と決め付けることは無理だと思っています。 それに、こんな口ゲンカみたいな話を延々と続けるのは、本当に無益だと思うわけです。 だから何度も言いますが、もうやめにしておきましょうよ。
そう、とにかくこの流れいったん止めて、スレを沈静化しませんか。
自分のコピペが発端で、このような流れになってしまったのでとても辛いです。
ごめんね、ここの
>>1 ひとことコメント添えれば良かったのに、それをしなかったから、見る人によっては
ひどく挑発的で感情的な反発を招くコピペに見えたかもしれないです。
いったんリセットしましょうよ。ね?
面白そうな議論が始まりそうだったのに、なんだか残念な流れになってしまいましたね。 不特定多数の人間が見ている掲示板だから、色々な不満や押し付けがあるのは当たり前ですが、 スレタイにそった話をするって言うのは、最低限のルールですよね。 イタ研に不満のある方は、どうか個人的にメールを送りつけてやってください。 彼はメールアドレスをさらしていますので。
イタ研の方はやめにしようと言ってるが相手の方は収まりがつかなそうだな
どっちを擁護したくもないが、 どこのスレにもこういう執着の強いのがいるんだね。
イタがキモいのは事実だしなぁ。
げっ、ドスト本スレでこの状況を誤解してる人がいる…!!Σ (゚Д゚;)
おい、本スレの
>>750 !!
君、完全に勘違いしてるよ〜〜!!!
と、向こうに入れないので(自分で自分にレッドカード切った)、こちらから叫ばしてもらいます。
…完全なスレチ、すみません。m(_ _)m
>>870 も う い い よ
粘着過ぎるお前に俺からの一言
イタがキモいのは事実だしなぁ。
873 :
870 :2007/07/05(木) 14:48:26
ま、いっか。 何書いても、誤解されて煽られるだけ。 己の良心に恥じるところがなければ、それでいいや。 ところで先日、戦闘的無神論者である生物学者のリチャード・ドーキンスの新著、「神は妄想である」 (なんかすごいタイトルだ)って本を読んだんだけれども、その中の「道徳の根源〜なぜ私たちは 善良なのか?」という章で、ドーキンスはイワンの命題(「神がいなければ全てが許される」)を 取り上げて、真の無神論者&科学者の立場から激しい怒りを込めて、手厳しい反論を繰り広げている。 ドーキンスはイワンの命題に対して、「あなたは本気で自分が善人であろうとつとめる唯一の理由が 神の賛同と褒美を得ること、あるいは非難や罰をさけることだとおっしゃるのですか? そんなものは道徳ではなく、単なるご機嫌とりかゴマすりであり、空にある巨大な監視カメラを肩越しに うかがったり、あるいはあなたの頭の中にあって、あなたのあらゆる動きを、あらゆる卑しい考えさえ 監視している小さくて静かな盗聴器を気にしているだけじのことじゃないですか」と反論する。 つまり、「他律」を基にしているイワンの命題に、人間はそんな卑小なものではないと考える 自律的無神論者であるドーキンスは反発しているのだ。 本の中で、宗教という存在を真剣に論難する、ドーキンスのあまりにひたむきな戦闘的無神論者 ぶりには、微苦笑を禁じえないけれども、21世紀の現代でも、いまだ社会的に肩身の狭い思いを せねばならないアメリカの無神論者の立場には同情した。 いまだドストエフスキー的な「道徳観」(道徳は神に由来する)が生きていて、いまだドストエフスキー 的に考える人々の住む世界ってのがあるんだなぁ…。なんか、面白いと思った。
>>873 それでいいでしょ。自意識過剰すぎるイタよりマシ。
>>873 お前の良心って人に対して悪し様に毒づくことも許容するのか
どうしようもないカスだな
>>875 イタ研のほうも他人への邪推と恐れでいっぱいだぜ。あれはあれでカスだろ。
イタ研の相手の方は名無しで自演しまくってそうだなw かなり自尊心が強そうだしw イタ研の方は擁護書き込みが全然でなかったことから自演してない印象を俺は持った
救いが無い。
>>870 俺はドストの考えのほうが正しいと思うけどな。
根拠の無い物に縋るのが人間だと思うよ。それがもう明快に100%間違ってると理解するまで、
自分の縋ってる対象に固執するというか。
880 :
吾輩は名無しである :2007/07/05(木) 21:35:16
イタ研はハーフということで日本人に差別されてきたくせに韓国人や中国人を差別する偽善者
>>875 これだけははっきり答えておくけど、自分はネット上であっても、誰かに「氏ね」だの「カス」だの
「悪し様に毒づく」ようなこと、一度もしたことない。
もちろん、イタリア研究会相手にも、そんなことは言ったことない。それはどのスレでも同様。
さらに他人にコテはずせと要求したこともない。
もちろん、ネット上では身の証しを立てられないことは知っている。
でも、自分はそのことで良心に恥じなければならないことは、何一つない。
もちろん、自分も人間だから、いろいろ間違ったことや今思えば恥ずかしいこともしてしまった
こともあるさ。でも、その都度ちゃんと自分の非を詫びたし、償いもした。
時には「他人の不始末」まで引責した。
君に当て推量で何かを非難されなければならない筋合いなど、無い。
以上。今後は、このような誹謗は無視させていただく。
>>881 それよりもさ、監視カメラがどうって、神はそれを監視して罰を与える人間に近い存在だって言ってることになるし、
頓珍漢もいいとこだと思うんだけどどう思う?
そんな牢屋の看守みたいなものが神様だって誰が言ってるの?ドストエフスキー?
それともイワン?
ずいぶんスレが伸びてると思ったら痛研のオナニーレスばっかりでびっくりしたよ
>>882 え──、自分もこのスレから消えた方が沈静化が早いんじゃないかと思うんだけど…
ドーキンスは、
「この世から神への信仰が突然消滅すれば、私たちのすべてが親切も慈悲も気前よさも、
善という名に値するいかなるものも持たない、酷薄で、利己的な快楽主義者になるだろうと
考えるには、私たちの自尊心はよほど小さなものでなければならない。ドストエフスキーは
そのような意見を持っていた、というのが大方の意見のようだ。おそらくは、彼が無神論者の
イワン・カラマーゾフの口を借りて語っている、いくつかの見解ゆえであろう。」
と書いて、「カラマ」の冒頭の「場違いな会合」から、例のイワンの命題を長々と引用してるね。
神への信仰が根絶されれば、すべてが、人肉食いも犯罪もすべてが許される、って箇所のことね。
たしかに、「神が存在しないならば、全てが許される」ってことは、キリスト教徒が万が一
信仰を失えば、強盗、殺人、暴行、やりたい放題をやりだすだろう、と言ってるようなものなのか。
でなければ、宗教に拠らなければ人間は絶対的な「善」や「悪」についての判断基準を失うって
意味かもしれないけれども、ドーキンスはそれについてもやはり反論してる。
日本人には対岸の火事みたいにピンとこない本だけど、アメリカでは発売と同時にベストセラーに
なったみたいね。徹底した宗教批判の本なのに、賛意を表する人も多いとか。
>>883 ほんとキモかった。イタ件は、ここでダメになったから、またどっかでオナニーやってんだろ。文学イタに来るなって感じ。
話がだんだん気分の悪いものになっていくな。 言葉づかいが下品に過ぎる。
イタ研アンチが粘着過ぎて話しが前に進まないな これが強制IDの板なら同一個人の 自演ばかりだろ この流れは
さあ、みなさん、心を静めて、下記のAAを眺めてみましょう。 「荒れたスレを和ますAAってない?」スレから、緊急に借りてきたAAです。 ζ┳┷┳゚λ 仲良く、卓球をするの図
とにかく、このスレは、イタ研VSアンチイタ研 のスレじゃなくて、トルストイvsドストエフスキー のスレなんだって。 イタ研になにかいいたいヤツは、直接メールでもブログ突撃でも、好きにしろ。 ↓はい、じゃ次の人が、トルストイとドストについてなんでもいいから書く、と。
トルストイの作品はアンナ・カレーニナが一番好き♪ ドストエフスキーはカラマーゾフの兄弟が好き♪ どっちの作品もすきーーーーーーー
891 :
吾輩は名無しである :2007/07/06(金) 13:01:16
私は戦争と平和、アンカレ、カラマの順番で好きですね。
結局この二人が文学界の神とされるのは、人類について真剣に考え続けたと いうことに尽きるよね。 どうでもいいこと書いてる人多いし。
実は戦争と平和未読なのです。 頑張ります
894 :
吾輩は名無しである :2007/07/06(金) 15:06:14
神ということは、シェイクスピア、ホメロス、ダンテ、ゲーテより上ということですか。
895 :
吾輩は名無しである :2007/07/06(金) 15:10:00
実存以降の だろ
ああ、実存以降ですか。実存以降の神様なんですね。では実存神とでも命名しておきますか。
シェイクスピアとトルストイは同格。その下にホメロス、その下にダンテ、ゲーテ、ドストと続く。
>>889 あんなのと関わりあいたくないだろ。常識的に考えて。
899 :
吾輩は名無しである :2007/07/06(金) 16:48:20
>>892 >この二人が文学界の神とされる
ロシア文学マンセーの歌声喫茶世代の方ですか?
>>897 どういう上下関係なんだろ? 端的にシェイクスピアはグローブ座の
客席を埋めるために脚本をモノして来た訳だし、トルストイはロシアの
中産階級が視点にあったろ。無論、それに留まらなかったにしてもな
>>898 イタ研の相手してたのお前か?相手したくないなら何で公共の場で粘着するんだよ
周りへの迷惑考えろ
>>900 いや、違うけどスルーすりゃいいのに、相手するイタ研は耐性なさすぎるとおもってた。あれはだめだろ。
基本的に自分は煽り耐性は強い方と思いますよ。危険を承知で呼び出しに応じたことも 何度もあります(その際の動画もYoutubeに載っています)。 ただスルーはせずに、自分に向けられたレスにはいちいち答えていくという癖があります。 煽りなどは、例え「死ね」と言われ続けても(ゴーマニズム板など)、気にしないのですが、 自分に向けられたレスをスルーするということをしません。それがみなさんに迷惑をかけて しまったのかと思います。
>>902 いや、帰ってこないでいいから。どっかでオナニーしてきてて。マジで迷惑だから。
お前は耐性ないよ。自覚できてないのが一番の問題。
>>903 もう、止めな。
ここは、広く開かれた掲示板なんだから、書き込みの意志のある人間をシャットアウトする
ことは、基本的にできないし許されない。犯罪行為を行った人間は別だけど。
そんなことより、お互いにこんなことに拘泥して、スレを無駄に消費することのほうが、
掲示板的には問題では。
彼の書き込みを眼にするのもイヤ、という場合は、専ブラであぼーん設定して完全消去する
という、君の犯されることなき権利を行使しろ。
>>902 皆がいかにスレで有意義な「対話」を交わせるか、ということを一番の目的にはできない?
その場の「対話」の雰囲気を壊してまでも、いちいち自分の主張を強硬に書き込まねば
気がすまない、と言うならそれは実はモノローグ的態度だよ。
でも、自分は基本的に君を面白げな人だと思ってる。
>>904 つーかおれの書き込みだけじゃなかったぽいよ。
イタは他でも迷惑だし、文学板くるときくらいは名無しでやれとおもう。
>>786-787 でFAだろ。イタは、これが出来ないから、よく他スレでもスレ自体を壊すんだよ。
上の方でイタ県を叩いたが、ここまで文句言われると庇いたくなるなw
>>906 お前ってしつこいやつだな お前自身が遠慮しろや スレを壊したのはイタよりもお前だろ
自分のレスを引用するキモさに背筋が寒くなったわ
>>905-906 そういうのは、まとめて彼にメールで言ってくれ。
このスレ上に書くのはスレチ。
>>909 引用されたレスは、
>>906 が書いたもんじゃないだろ。傾向が違う。
ところでまたアンチスレから、このスレ向きのデータをこっちに貼っておくよ。
今度は、いい話だよ。
ドスト逝去の報を新聞上で知ったトルストイが、彼の死を悼んでストラーホフ宛てに書いた手紙
(1881年2月5日〜10日頃)の抜粋ね。
「自分がドストエフスキーについて感じていることを何とか余すところなく言えたらいいと思います
……私は一度もドストエフスキーに会ったことがなかったし、彼と直接関係を結ぶといったことも
ありませんでした。ところが、彼が死んで、思いもかけなかったことですが、私は、彼が自分にとって
この上なく近しい、大切な、必要な人間であるということに気づいたのです……彼と自分を比べ競う
というようなことは一度も考えたことがありません、一度も……私は彼のことを自分の友とこそ
考えていたのであって、いつか2人は会えるものとばかり思っていました……それが突然、食事を
していたときに……見ると、『死す』と書いてあるではありませんか。何だか、つっかい棒が急に
はずされたみたいです。私は途方にくれたようになりました。そして、やがて、私にとって彼が
いかに大切な人であったか分かり、私は泣きました。今も泣いています。」
……ってことは、トルストイは1880年5月の、例のプーシキン記念祭には参加してないんだ? 今、気が付いた。なんで、行かなかったんだろ? 「懺悔」書いて、「教義神学批判」を書いてた頃か。 自分の内面的問題に没頭してたのかな?
痛研を荒らし報告通報してきた
>>912 それでいいと思う。
>>908 その気持ちはわかるがw
でも他の多数のスレでもイタは嫌がられてるよ。
イタ信者みたいのも少数見かけるけどね。
>>908 だよねw
イタ研、読書量や知能程度の割に、言外のものを読み取る能力が
著しく劣っているとは感じるが、そう悪い奴でもないと思うがな、
まぁあくまで思想面を別にすればだけど。
>>910 その手紙は自分も知っていますが、それ故に、トルストイの死後ゴーリキーによって語ら
れた、トルストイのドストエフスキー評がおかしいと感じるんですよね。
トルストイは生前、自分の言葉ではドストエフスキーの作品を、賞賛こそしても、批判は
しなかったはずです。
多くの人に誤読されるようなレス、ひとりよがりの書き方、無駄な長文 感情的になって連投独り言のようなオタクの雑学自慢、この5つは注意しろよ。 マジで自重しながらレスつけろ。 どこかから抜粋してきて情報を持ってくるのはいいが、 誰もお前の個人的な感情論には興味ないことだけは覚えておけ。
>>916 が思いっきり感情論な件について
イタ研の方がやめたがっても食い下がり
イタ研がやめてんのにまだ続けるのか
問題はイタ研がどうとかじゃないだろ
お前が自分の感情でスレと関係のない書き込みばかりしてることだろが
いい加減気づけっての
いいか?イタ研をどれだけ叩こうがお前の自由だ
ただしここではやるな
イタが来なけりゃ何の問題もなかったスレなんだが。
女々しいガキだな イタ研への私怨丸出し過ぎるだろ
まあどっちにしろ、もうイタはこのスレに、来ないほうがいいだろ。 粘着がついたコテが書き込むと粘着も書き込むし、きりがない。 とりあえず空気を読めなかったコテが悪いってことで。イタも粘着も書き込むなよ。
イタのレス 粘着のレス 自治厨のレス これのループだもんな。
もともと勢いのあるスレではないのですし、特にトルストイとドストに関して話題がなければ、 少しの間放置した方が良さそうですね。
ふと、ドストエフスキーに関するトルストイの言葉をまとめたくなりました。 生前と死後では、トルストイのドスト評がだいぶ違うのが明白になると思います。
>>915 それについては、全く別のデータも持ってるんだが…今は止めておいたほうがいいのかな。。
別に、君に粘着してこのスレに来たわけじゃないけど、本スレで、コテ調べの小競り合いを
やった時から、君のことは面白げなヤツとは思っていたよ。
落ち着いたら、またどこかでやり合うか。んじゃ、またね。
…リロードしたら、
>>924 が入ってた。
やるの?この状況で?
だったら、データ出してもいいけど。
よければお願いしたいです。
考えてみたけど、データUPすること自体になんら問題はないな。 完璧、トルストイとドストに関する話題だし。 んじゃ、ちょっと時間あるとき書き込むわ。
>>924 私見を入れるなよ。粘着を呼ぶなとは言っておく。データのまとめだけにしとけ。
>>929 いちいちそう言う反応するお前が粘着本人だろ 気持ち悪いガキだな
イタのレス 粘着のレス 自治厨のレス またループか。
>>924 自分が持ってるトルストイのドストエフスキー評のいくつかが判る資料は、前にも引用した、
T・G・マサリクの「ロシアとヨーロッパV」って本。
マサリクは実は何回かロシアを訪れていて、生前のトルストイとも語らったことがあるんだよ。
カレル・チャペックの書いたマサリクの伝記「マサリクとの対話」って本にも、トルストイ訪問
について、結構詳しく語っている。
しかし、だからといってマサリクはトルストイマンセーな人間ではない。彼はトルストイと
ドストエフスキーに代表されるロシア文学を非常に愛した人だけど、歴史哲学者としては
両者に対して、冷静で距離を置いた批判分析を加えた人だったんだよ。
「ロシアとヨーロッパ」からの抜粋。 「特に私の興味を惹いたのは、ドストエフスキーに対するトルストイの関係である。〜(中略)〜 トルストイは更に当時(ドストの死の直後)、自分はドストエフスキーには比肩し得ないと書き、 ドストエフスキーが為したすべてのものに心の作品を見て、そこから喜びだけを得た、と 断言した…。この評価から五年後に、私はドストエフスキーについてトルストイと話した。 しかし、トルストイの言葉から、また彼の作品からも、私は、彼がドストエフスキーに対して かつて親密な精神的関係にあったという印象は受けなかった。 トルストイは、私の前で、『死の家の記録』を賞賛した。なぜなら、ドストエフスキーはおのおのの 犯罪者に、自分の隣人を認め、道徳的人格のきらめきを認めたからである。『死の家の記録』に ついての同じ判断を、トルストイは既に1879年にストラーホフに宛てて書いている。 ドストエフスキーの歴史哲学について、特にスラブ主義との関係と宗教問題について、トルストイは 私に、ドストエフスキーの見解は曖昧なままだったと語った。」
さらに、マサリクはビリューコフの「トルストイ伝」の中から、このようなトルストイのドスト評を 見つけている。 「トルストイがストラーホフのドストエフスキー伝を読んだ後の1883年に、トルストイは ストラーホフに宛てて、ストラーホフはドストエフスキーに対して、誤った態度を取っている、 なぜなら、一般に広まっている誇張に同調しているからだ、と書いている。 即ち、人々はドストエフスキーを預言者にして聖者に祭り上げたのだという。しかしドストエフスキーは 人間であり、そしてその人間は、『善と悪との内的な闘いの熾烈を極めた過程の只中で死んだ。 なるほど彼は感動的で、興味深い。だが全生涯これ闘争というような人物を、後人の師として 記念碑に載せることはできない』。トルストイはその後で、ドストエフスキーを、突然暴れ馬になり、 そのことによって全く価値をなくしてしまう高価な馬に譬えている。ドストエフスキーの知恵と心は 空しく消耗されたという。」 こうして見ると、トルストイはドストの作品(「死の家の記録」「虐げられた人々」など)を高く評価 しているのは間違いないけれど、トルストイにとって問題だったのは、ドストエフスキーという 人間に内在して時折暴発する、「暴力性」への傾向だったんじゃないのかなって気がする。 トルストイは、平和主義者だし。 (お〜い、「暴力性」って言葉に過敏に反応すんなよ〜?)
どうもありがとうございます。 トルストイが「死の家の記録」を高く評価していたということは、以前から知っています。 多くのアンチ・ドストエフスキーの評論家も、「死の家の記録」については高く評価して いますね。「死の家」(牢獄)の記録を、人道主義の観点から芸術的に描いている・・・ というのが、一般的な「死の家の記録」のイメージでしょう。ドストエフスキー的なものが 嫌いな人にとっては、最も受け入れやすい作品なのかもしれません。続く、「地下室の 手記」は非常にドストエフスキー的な作品であり、自分の考えでは「死の家の記録」と 同様に素晴らしい作品ですが、ドストエフスキーのファンでないと受け入れ難い作品かも しれませんね。 >全生涯これ闘争というような人物を、後人の師として記念碑に載せることはできない これは面白い言葉です。ドスト氏の内にある幾多もの声の闘争を見抜いていたという 意味で。むしろ、自分はこの点こそ、ドスト氏の偉大な点だと思うので、トルストイとは 意見を異にせざるを得ないですがね。内なる闘争を持っていないということは、悟りの 境地に達しているか、モノローグ的な発想しかできないかの、いずれかでしょう。
イタは自らの思想を交えてでしか発話できないようだな。対話とは言いがたいのだが。 かといって、情報のまとめも出来ないのか。
詩人ヴェルハーレンのドストエフスキー評なんか、どう? 最後は、ドスト小説の視点の二重性(多重性)に言及してるね。 「トルストイを私は崇拝しており、彼の前に頭を垂れる。そしてドストエフスキーを私は愛している。 前者のほうが後者よりも創造者として強大であると私は思う。トルストイは建築家でもあり、 文学者でもあり、画家でもある……しかし、その代わり、ドストエフスキーは、ドストエフスキー 自身の中にもまた我々の中にもあるあの人間性と我々とを親しく結びつける点ではトルストイを 上回っている。 ドストエフスキーはさまざまな人間に同情を注ぐが、その気高い同情は、そうした人間たちが 与える嫌悪感を、そしてまた彼ら自身が自分たちの貧窮の生活に対して感じている嫌悪感を、 柔らげてくれる。 彼は人間の性格を分析していって非常な深みにまで到り、情熱的な、すぐ燃え上がるような 人の内に横たわっている曖昧模糊とした、混沌のようなものにまで達している。 彼の分析は非の打ちようもないものだが、かといって彼は冷淡な観察者に留まっているわけでもない。 彼は天使にして同時に刑吏であるというあり方が出来るのである。それが、ドストエフスキーは 無二の、他に類例のない作家だと私が思う理由である。」
ついでに、なぜトルストイがプーシキン記念祭に行かなかったか、見当がついた。 トルストイはあまり「詩」の分野については、好まなかったし、評価しなかったんだね。 プーシキンの詩は無内容だと語ったそうだ。 「我々が歩くべきなら、そんなに不自然にではなく、自然に歩こう」 「リア王」についても、思想性が欠如しており、言葉があまりに詩的である、ということで 評価してない。トルストイって、もしかして詩オンチなの?
>>937 ありがとうございます。
なるほど。この分析も的を射たものなのではないでしょうか。やはり私個人の意見とは
違う部分も多いのですが、後半部分は特に鋭くこの点には私も同意すします。特に
天使であり同時に刑吏であるというのは、ドスト氏の書き方の1つの特徴と言えるかも
しれません。
>>938 ドスト氏が世界文学史上において最も尊敬していたのは、プーシキンとシェイクスピア
だと思います。(書かれたものからの個人的な推測ですが)
トルストイがこの両者、特にシェイクスピアに対して辛辣な批評を興えていたとい
うのは、対照的で面白いですね。それも「リア王」ですからね。一般的には4大悲劇中の
最高傑作であり、シェイクスピアの劇中でも最高の達成とされています。(個人的にも
最も親しんできたシェイクスピア作品です)
小説という形式が、より自然な歩き方だというのは間違いありません。私個人の価値観だと
小説の方が、より多くを書けるという点で優位性があるということになります。しかし詩篇を
否定的に捉えたトルストイは、文学に携わる人間としてはかなり特殊ですね。本当に文学
を愛していたのかと思ってしまうほどです。この点に関しても、ドストエフスキーは明確に
文学の擁護者という感じがしますから、やはり対照的ですね。
権威主義ワロタw 権威に理屈で味付けしたいだけの精神的貧者か。
イタ研は発言のたびに、余計な一言がトルストイに加えられるね。 まあこれがこの人の人となりなのだろうから仕方ないか。続きをどうぞ。
>>941 なんかその一言が妙に浅薄な感情であるから、
他の文章でまとめたイタ研データも低く見えちゃうんだよね。
浅薄で、感情的な、「嫌な」印象をまともなデータに編みこんでくるから、きつい。
イタのものの見方が権威主義とか言ってるけど幼稚というか、子供以下というか。
これじゃアンチがつくのは仕方ないと思う。
>>940 あぁこれな。
>>ドスト氏が世界文学史上において最も尊敬していたのは、プーシキンとシェイクスピア
>>だと思います。(書かれたものからの個人的な推測ですが)
>>941 これのことか。
>>私個人の価値観だと小説の方が、より多くを書けるという点で優位性があるということになります。
>>しかし詩篇を否定的に捉えたトルストイは、文学に携わる人間としてはかなり特殊ですね。
>>本当に文学を愛していたのかと思ってしまうほどです。
>>942 ここだけ読んでたら、データを曲解しかできない、ただの文学版のキモオタだもんな。
どうして冷静にデータを評価して、まとめるという子供でも出来ることをしないのか不思議だ。
誰も、イタの個人的考えに興味ないのにな。
スレッドの私物化ってやつだな。お遊戯の発表会の場所として使われても困る。
原文に明言されてないことを、個人的に思うとして、付け加えるのは、新興宗教的で問題があると思う。 思想の押し付けに当たる、不遜な行為。全くもって、文学的な表現ではなく、無意味な愚行と言うしかない。 これらの私見に影響される人は、騙されやすい資質を持っているのは確実と思われるところだな。
あんまり、いい雰囲気じゃないなぁ…。
やっぱ、
>>923 の言うとおり、小休止入れたほうがいいのかな?
ところで
>>1 、今日このスレを1から読み直してみたら、すごく面白かった。
信者による煽り合いスレだなんて思っててゴメン。
簡潔だけど言い得て妙な評が多かった。
読んでて赤面するような比喩もあったけど、まあ…それも2ちゃんならではかな?
>>1 から読むと途中までは面白いんだよ。
イタが個人的感想を付け加えだしてからおかしくなった。粘着も来たし。
ゆっくりやればいいのに、なんとか主観を皆に植え付けようとしてるイタがおかしい。
粘着は「主観」、「押し付け」、「イタ」、「権威主義」という言葉を使うから分かりやすいな
>>940 、
>>941 、
>>942 、
>>943 、
>>946 は同一人物だろ
>>944 はどっちともとれるが
>>945 はまともな人に見えるから違うだろうな
スレの私物化ってこの粘着自演厨のことを言うんだろ?
イタ研なんて擁護する気はないがお前はキモすぎる
イタ研がそんなに嫌ならメールでも送っておけっての
いよう。イタ。
イタ研のIPを晒しを貼っておく イタ研だと勘違いしてるならイタ研が言ってたように IPを照らし合わせてみればいいだろ 俺は家のパソを使ってるし迷惑かけらんないから今ここでは晒せないけどな 68 i121-113-193-237.s05.a011.ap.plala.or.jp sage 2007/07/06(金) 22:35:58 もう一度試してみます。スレ汚しすみません。
自治厨ひっしだな。かつての2ちゃんねるを知らない新参か。
1度粘着がついたコテはスレに来ないほうがいいよ。
>>951 粘着乙 開き直りが激しいものよな
ただ問題はきみがイタ研をどういうやつか知らないことだが
サッカー系の板でイタ研を知っているが粘着がついたためにムキになって
7年も同じスレに張り付いてきたのがイタ研 「イタリア研究会 2ch」で検索
してみろ どういうコテか分かる
( ´_ゝ`)
その程度のコテハンは2ちゃんねるにざらにいるよね。
じゃあ、次スレは「イタ研VSアンチイタ研」かな。 ↓今のテンプレと流れが、そのまま使えるぞ? 1 吾輩は名無しである やっぱこれがないと寂しすぎる。徹底的に決着つけようぜ。 批判したくてウズウズしてる奴は本スレではなく、こちらで。
実際、トルストイとドストエフスキーに関連する文書を
皆で集めるところまでは良いと思うんだよね。
ただ、そこに主観を強制するから変になってくるわけでさ。
そこらへんが痛研の駄目なところかな。
7年も前から、どこかに張り付いてる時点で駄目過ぎだけど。
痛研がドストのゴリ押しをするためだけのスレになるくらいなら
>>955 案もありだよ。w
でも本人は来ないんじゃない?変なプライドだけはひっしで守ろうとするだろうから。
ドストエフスキーが好きな立場から見て、
痛研は三島スレのボコノン並に、作家の品性を貶めるのが得意だよね。
並にじゃなくて並みにだろ 文学やってる人間が低レベルかつありがちな間違いを するなよ
>>945 いえ、私に謝る必要はないですよ。もともと、両本スレが荒れ気味だったときに、本スレを
守る意味で立てたのですから、私としては「ここでいくらでも煽りあってくれ」というスタンスでした。
それがしばしば良い流れになったりしたのも、みなさんのおかげですね。
ところで次スレはどうしましょうかね?立てるとしても、少し間を置いた方がよろしいのでしょうか。
>>958 スレ主さんはそういう思いだったのか
だとしたらなおさらイタ研を煽ってるヤツは勘違いしてるんだな
イタ研がキモいのは真実だけどな。
戦争と平和、アンナ・カレーニナ、カラマーゾフの兄弟、罪と罰 こんなかで一番何度も読み返す価値あるのどれ?
個人的にはカラマーゾフ。 何度読んでも分らないから(^Д^;) アンナ・カレーニナも捨てがたい。 何度読んでも面白いから(^Д^)
ドスト派の自分(ただし、ややアンチ寄り)には、「アンナ・カレーニナ」が 一番わからない。登場人物の誰にも感情移入できないのが辛かった。 やっぱ、何回も読み返したのは、「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」だなぁ。 でも、本当は「悪霊」を一番愛している。
>>962 個人的には戦争と平和。あの一大叙事詩は本当に凄いよ。
しかし約3分の1がトルストイのオナニー戦争論だからなあ・・・
戦争と平和はナポレオン批判がうざかった。 あれさえなければストレスなく読めたのになー
なんで戦争が起こるかといえば、それはこの世に男が存在するからです! >< でFAだろ。 あんな長たらしい戦争論など不要。
トルストイは歴史は個人が創るのもではなく、「歴史自体の意思」みたいなものが創る って言いたかったのか?民衆を重視する割には、同時に歴史自体の意思や必然性も 重視していて、それぞれが決められた役割を演じたに過ぎないとも言ってる。 これは完全なオカルト理論にしか見えない。ナポレオンだったからこうなったって部分を 100%無視するというのは、極論にも程がある。しかもこれが戦争と平和を支える主題 だからな・・・
以上、極論ですたw
局所的な要素と大局的な要素を同列で話してるんだよな。 ボロジノ会戦のくだりは少しおもしろかったが
「戦争と平和」の登場人物では、トゥーシン砲兵大尉が一番印象に残ったキャラだった。 お酒を飲むと真剣な哲学的談義にふけり、戦場ではメルヘンチックな電波なお花畑の中で 獅子奮迅。自分の功績を誇る訳でもなく謙虚で、分け隔てなく他人に優しい。 「戦争と平和」って、総勢500人以上出てくるんだっけ? こういう、名もない大衆の行動が縒り合わさって歴史が作られるってことをトルストイは 言いたかったの?
>>972 そう言いたかったんだろう。一個人が誰かに優越するという見かたを否定したということ
かな?それぞれがそれぞれの役割を演じる(
>>969 )という書かれ方だから、個人の自由
意思は完全に否定しているわけだ。自由意志を持っていると考えている人間は、馬鹿扱い
だからな(ナポレオンやナポリ王)。
マルクス史観にも似てるが、自由意志を否定する点でより極端。個人的には、英雄史観と
まではいかなくとも、歴史的に他人よりも遥かに歴史に影響を与えた人間というのは、
存在してきたと思うのだがな。(さらに自由意志ももっていた)
>自由意志を持っていると考えている人間は、馬鹿扱いだからな(ナポレオンやナポリ王)。
ナポレオンを非凡人の象徴のように使うドストとは、対照的だね。
「罪罰」のラスコは、ナポレオンのような人間はすべてを「踏み越える」権利を持つって
考えてるけど。ポルフィーリイは「今の世の中、自分をナポレオンと考えない人間がいる
でしょうか(プッ」とラスコ挑発してるし。
「白痴」の中では、イヴォルギン将軍のホラ話とはいえ、割とナポレオンを好意的に語っている。
敵ながらあっぱれ、というのが、一般的なロシア人のナポレオン観なのかな?
>>958 この様子だったら、すぐにスレ立てしてもスムーズにいきそうな感じですね。
両本スレ(特に可哀相なトルストイスレ)が割と平和でいられたのも、ほんと、このスレがあった
お陰かと。
・ドストスレとその住人 年齢の割には、コドモ。やたらと薀蓄語りたがる。でも大概それってどっかの本の引き写し。 下ネタ話を書き込むのが好き(特にロリ系)。 マジ、ロリ率高そうだ。 ドストの文体模倣が得意な奴多し。特にへ、へ、へ!と、 ワダイヲカエマショウ がお気に入り。 パロディの才のある奴も多いな。 本人は真面目に自分がニヒリズムに陥って苦悩しているつもりなのだが、実は単なる中二病 またはニートってやつが殆どじゃないだろうか。でも自分では、ニーチェだと思っている。 なぜか、トルストイスレに隙あらば攻め込みにいこうとする輩が多い。(トルストイになんらかの 潜在的なコンプレックスが有るらしい) スレの雰囲気も男性的で荒っぽいが、お互いズバズバ言い合えるのはいいことかも。 (でも大概、低レベルな口喧嘩になり、すぐ荒れる。少しはスキル覚えろよな…。) ・トルストイスレとその住人 割と親切な人が多かった。知的で上品な感じ。まともな人が多そう。 ドストスレに較べて、スレの雰囲気もおっとりしてた。 ドスト信者に攻め込まれて荒らされることが多い、なんか気の毒なスレ。
>真面目に自分がニヒリズムに陥って苦悩しているつもり ドストを好んで読む奴に限ってそれは無い
人間としての変態さはトルストイは半端ないけどな
979 :
吾輩は名無しである :2007/07/15(日) 09:30:11
>>978 なんで?
正直な感想だよ。
ところで、文体模倣といえば現代ロシア文学でも、ドストエフスキーやトルストイ、チェーホフ
なんかの文体や作品をパロったり、現代的意味に書き換えて再構成を試みる作家って
居るんだね(アクーニン、ミハイロフ、ソローキン等)。なんか、面白そう。読んで見たい。
例えばここのサイトにある、リョーフキンって人の書いた「現代民話としてのドストエフスキー」
なんか、「罪と罰」のパロ?なんだけど、マルメラードフが科学者メンデレーエフとなって
金属元素の純粋性について苦悩したり、「罪罰」のテクストになぜかナボコフの「ロリータ」が
紛れ込んだりしてて、ヤク中患者の夢見た「罪罰」ってカンジ?
けっこう、面白いよ。
ttp://src-home.slav.hokudai.ac.jp/literature/literature-list.html
短所 ドスト=観念の構築を夢見る小説 トル=神学的構造をもった小説
>>975 2chに何を求めてるんだろう?って感じを受けました。
>>981 君、スレタイ読めてる?
それとも、もう埋めに入ってるのかな。
そっれに、自分はドストスレのこと、けなしてるんじゃなくて、どっちかというと ほめてるんじゃないか。わかんないヤツだな、まったく…。
ドストの方が好きな俺からみても
>>975 はそんなに的外れではないと思う。
目くじらたてる方がおかしい
>>983 自分では、ニーチェだと思っている。
こりゃどういう意味だw
ニートとニーチェの語呂合わせさー。 ドストスレって、ニーチェ気取りのヤツも多いじゃん?
今ドストスレを見に行ったが、どういうのがニーチェ気取りなのかわからなかった。 ここと同じで大半の人はフツーみたいだった。 特殊なのが数人いるのはどのスレでも同じなのでは?
>>987 まあ、たまにそんなのも湧くのがドストスレ。
ドストとニーチェは思想的に近接してるしね。
ベクトルは正反対だとしても。
トルストイスレの人が傾倒するとしたら、どんな思想家になるかな?
トルストイ自身は、一時期、カントを研究してたんだよね?
「戦争と平和」のエピローグの部分、用語的にカントの「純理」の影響受けてると思う。
時間的・空間的条件、自由と必然、コペルニクス的転回etc. とかね。。。
ドスト本スレ、おバカなスレだけど、たまには面白いこともあった。 いつ帰れるかな…。
>>984 いや、住民の質なんて比べてどうすんだよ。何様のつもりだって感じだしな。
991 :
988 :2007/07/16(月) 23:38:45
気になったので、「戦争と平和」のラストをもう一回読み返してみたんだけど、 エピローグの第2部ってカントの用語の影響どころか、まるきりカント哲学を 下敷きにした歴史論じゃないのか…。 これ、少なくともカントの「純粋理性批判」の内容知ってないと、トルストイが 何を言いたいのか、読んでてもちんぷんかんぷんだわ。 19世紀の読者だったら、カント〜ヘーゲルの近代哲学くらいの基礎知識くらいは、 たとえ原典読んでなくても耳知識で一般常識だったのかもしれないが、いま、 カント知ってるヤツが何処にいるってカンジ…。 トルストイは歴史における個人の自由意志を否定してるわけじゃないな。 人間の生命の本質(必然のない自由)は、人間の意志の運動に一定の法則を 見出そうとする歴史学じゃ把握できないんだよ、と。 要するにカテゴリー・エラーだよ、と。 はぁ、そーゆう話だったのかよ、これ…。
>>990 ごめん、そんなに怒んないでよ…。自嘲も込めて書いたんだしさ。
2chで住民の悪口言ったりアンチになったりするのはただのバカだと思う 普通の感覚なら不特定多数の匿名の住民の性格付けなど無理だと分かるし、 よほどセンチなヤツじゃないとそんなこと気にもならないんじゃないか。
>>991 なるほど。でもトルストイの文章をその文の意味どおりにとるなら、個人の自由意志の
否定は何度もしてるよ。それは書かれていることだから否定できないでしょ。
ex ナポレオンは自分が作戦を考えて戦争に勝った気になっていたが、彼は歴史が
与えた役割をこなしていたに過ぎない。ナポレオンでなければ誰か違う人間が同じ
ことをやっただろう。
こういう内容。個人の自由意志の否定に他ならないと思う。もっともそれが悪いわけでは
ない。個人の自由意志など、信用ならないものだからね。ただ、歴史自体が何かを決する
というのはどうだろうか。そんなことはないだろ、と単純に自分は思ってしまうんだが。
そして、トルストイが批判してるのはあなたが言う「人間の意志の運動に一定の法則を
見出そうとする歴史学」というより、より単純に「個人の意思により歴史が創られてきた」
と見る歴史学でしょう。いわゆる英雄史観。日本ではこれがとられているよね。(信長
→秀吉→家康 などは分かりやすい例)
日本人が信長 秀吉 家康を持ち出すのが好きなのはアナロジーとしてじゃね? それはむしろ「人間の意志の運動に一定の法則を見出そうとする歴史学」じゃね?
>>993 それは違う。ひとによって視ている風景は様々。
998 :
988 :2007/07/17(火) 07:05:12
>>994 話長くなりそうだから、次スレで続きやろっか?
トルストイって、なんか面白い人〜。
銀河鉄道999
1000ならオブローモフと結婚!
1001 :
1001 :
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