1 :
吾輩は名無しである :
05/03/12 00:51:37
主な小説は↓ 「死者の奢り」 「飼育」(芥川賞) 「芽むしり仔撃ち」 「性的人間」 「セヴンティーン」 「政治少年死す(セヴンティーン第二部改題)」 「遅れてきた青年」 「われらの時代」 「空の怪物アグイー」 「見るまえに跳べ」 「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」 「個人的な体験」 「万延元年のフットボール」 「洪水は我が魂に及び」 「ピンチランナー調書」 「同時代ゲーム」 「『雨の木』を聴く女たち」 「新しい人よ目覚めよ」 「河馬に噛まれる」 「いかに木を殺すか」 「懐かしい年への手紙」 「M/Tと森のフシギの物語」 「治療塔」 「治療塔惑星」 「燃え上がる緑の木」 「みずから我が涙をぬぐいたまう日」 「人生の親戚」 「取り替え子(チェンジリング)」 「宙返り」 「憂い顔の童子」 「二百年の子供」 ※「さようなら、私の本よ!」第一部群像を2005年1月号に掲載
主な文学論は↓ 「小説の方法」 「新しい文学のために」 「小説のたくらみ、知の楽しみ」 「新しい作家はどこにいるか」
1964年 昭和39年 29歳 「個人的な体験」で新潮社文学賞受賞 1967年 昭和42年 32歳 「万延元年のフットボール」で谷崎潤一郎賞受賞 1973年 昭和48年 38歳 「洪水はわが魂に及び」で野間文芸賞受賞 1976年 昭和51年 41歳 メキシコ国立大学コレヒオ・デ・メヒコの客員教授を務める 1982年 昭和57年 47歳 「「雨の木」を聴く女たち」で読売文学賞を受賞 1983年 昭和58年 48歳 「新しい人よ眼ざめよ」で大佛次郎賞受賞 1985年 昭和60年 50歳 「河馬に噛まれる」で川端康成賞受賞 1989年 平成1年 54歳 「人生の親戚」伊藤整文学賞受賞ユーロパリア賞文学賞受賞 1993年 平成5年 58歳 「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」でイタリアのノンデッロ賞受賞 1994年 平成6年 59歳 ノーベル文学賞受賞 1996年 平成8年 61歳 イタリアのグリンザーネ・カブール賞受賞、プリンストン大学客員講師としてアメリカ滞在 1997年 平成9年 62歳 アメリカ芸術アカデミー外国人名誉会員に選ばれる 1999年 平成11年 64歳 よりベルイン自由大学S/フィッシャー講座教授としてドイツ滞在 2000年 平成12年 65歳 アメリカ・ハーバード大学、ベルギー・リエージュ大学で名誉博士号受賞、中国社会科学院外国文学研究所名誉研究員に推挙される 2002年 平成14年 67歳 フランス政府よりレジオン・ゴヌール勲章コマンドールを受賞
大江健三郎がMan Booker International Prizeにノミネート。
http://www.manbookerinternational.com/media/20050218.php 候補作家
Margaret Atwood (Canada)
Saul Bellow (Canada)
Gabriel Garcia Marquez (Colombia)
Gunter Grass (Germany)
Ismail Kadare (Albania)
Milan Kundera (Czech Republic)
Stanislaw Lem (Poland)
Doris Lessing (UK)
Ian McEwan (UK)
Naguib Mahfouz (Egypt)
Tomas Eloy Martinez (Argentina)
Kenzaburo Oe (Japan) ☆☆☆
Cynthia Ozick (US)
Philip Roth (US)
Muriel Spark (UK)
Antonio Tabucchi (Italy)
John Updike (US)
Abraham B Yehoshua (Israel)
「飼育」2票 「鳩」 「ベラックワの十年」 「スパルタ教育」 「走れ、走り続けよ」 「ブラジル風のポルトガル語」 「死者の奢り」2票 「セブンティーン」 「他人の眼」 「マルゴ公妃のかくしつきスカート」 「空の怪物アグイー」 「アトミック・エイジの守護神」
78 :吾輩は名無しである :04/12/13 23:37:40 ナボコフやベケットはちょっと異質かもしれんね。 ただ、大江はジョイスに対して言及していることを考えると 上記2者おあながち無縁とはいえないかもしれない。 そして、大江作品の「読みにくさ」というものが、 ラシュディのような政治的亡命作家だけでなく、 チェコ生まれ、仏語で書くクンデラ、 ロシア生まれ、英語で書くナボコフ、 アイルランド生まれ、英語と仏語で書くベケット、 といった外国語を母語にしていった作家のある種の「亡命性」 みたいなものと共通点がないとはいえない。 あるいは、自国語で外国語のように書く「マイナー文学」(ドゥルーズ)か。 79 :吾輩は名無しである :04/12/13 23:50:11 そう。大江は特に意識して外国語のテキストから様々な引用を行い、 日本語に外国語を取り入れて異化を目指すことを試み続けてきた。 時として引用の仕方が元の意味を間違えていることも指摘されていたが、 自分なりの異国語との格闘を書きつけるという点で間違いなく有効な手法足り得ている。 そこいらの作家では下手くそな誤読か唯の引用でしかなくなる。 生産的な誤読は誰にでも可能ではない。 80 :吾輩は名無しである :04/12/14 00:39:26 クッツェーも英語が母国語じゃないよな。
>>1 いい仕事ですな。願わくば引用から更なる発展が産まれんことを。
大江さんの言及した作家リストなんてのも面白いんじゃないかな。
ややずれるが、「最後の小説」で中野重治『村の家』の分析をしている。
「転向a」に対してより多義的な「転向b」。
「今まで書いたものを生かしたけれや筆ア捨ててしまえ。
それや何を書いたつて駄目なんじや。
いままで書いたものを殺すだけなんじや。」
この時点で既に彼が「最後の小説」という自分の思想に、
複雑な感情抱いていた事が分かる。「村の家」も良い小説だ。
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】 結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、 スウィッチをいれる、画像があらわれる。 そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。 それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、 ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、 そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、 自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。 【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】 北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。 ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、 それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて 自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。 逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が 熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。 ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず にはいられない。 北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、 南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。 日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。 しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら れているのでない。
10 :
吾輩は名無しである :05/03/12 09:23:17
>>8 >大江さんの言及した作家リスト
これは面白いなあ。
小説の中だけでも結構あるかもしれないね。
前スレでも少し話題が出てた「雨の木」のマルカム・ラウリー。
「取り替え子」のローベルト・ムージルやセンダック。
「洪水」のドストエフスキーも印象的だった。
キルプの軍団のディケンズ。 人生の親戚のフラナリー・オコナーやバルザック。 両者では扱われ方が異なる。 キルプではまるでディケンズの小説の筋を追うかの事件が起こり、 後者では先駆けて小説の筋が紹介され、 現実がそれを追いかけるように希求される。 キルプのような引用は大江作品の中で珍しいと思う。
>>1 スレ立て乙。
>>7 の引用いいけどやや短いような。
新作に触れてるやつとか貼り付けてもよいんでは?
人生の親戚は、オナニーの薦めみたいな章が笑えたな。
腰の奥から突き上げてくるような欲求に押しまくられて
神父さんの処へ忍び込んでしまうようなら、
私たちは「圧力抜き」したほうがいいではないか?
「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」の青年達が疑い、嘲笑したように、今日の破局の中に失われて しまった。 大江氏がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の 婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわっ た生きかたを始めようとしている青年」達は、 今や住む家も洪水に 流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。 そうした北朝鮮の惨状について、大江氏はどう考えているのだろ うか。 大江氏が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥 じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違った のか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。 それをし ないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような 過ちを繰り返すのみである。 また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の 至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、 自ら 率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮 救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。 大 江氏は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったよ うだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要 はつねに人事なのだろうか。
14 :
吾輩は名無しである :05/03/12 19:37:23
前スレみなさんオツカレでした。
新スレも1000まで結構早いのかなあ。
>>11 >>12 にある『人生の親戚』は友達の評価が悪かったので
まだ読んでないんですが、今度ちらっと見てみようかなあ。
『憂い顔』ではセルバンテスのほかにベンヤミンの名前があったっけ。
自作や他作と相互に関係し合うポリフォニック=多声的な間テクスト性は 私小説的なプロットを活用してる大江作品の大きな特徴で その特徴は既存の私小説とは異なる非私小説的なものだと思うんだ。 結構大江は詩人にも言及してるね。 アポリネールin『個人的な体験』 ブレイクin『新しい人よ眼ざめよ』 オーデンとブレイクin『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』 イェーツin『燃えあがる緑の木』 ギンズバーグin『雨の木』 ランボーin『取り替え子』 (記憶違いがあったらゴメンネ)
>>14 傑作ではないのかもしれないけど、障害児を巡る言説のあり方、
イノセンスを前面に出すことの否定(オコナーの言説)など
本人がなお試行錯誤しながら書いているさまが現れている。
代理=表象を批判する視点を十分に持ちながら、なお耐えて
「現代の聖女」伝を独自のやり方で書きつづける。
自分にとって思い入れは深い。
懐かしい年への手紙は、エリオットとダンテだっけ。
親の因果が子に報い
『懐かしい年』は圧倒的にダンテがモチーフになってるね。 イェーツへの言及もあったと思う。エリオットはどうだったか失念。 ブレイクやイェーツの名前はちらほら見かける。 前にちょっと名前の出たナボコフには近年の大江はかなり傾倒してた模様。 若い時に『ロリータ』を読んでからはしばらく遠ざかってたようだけど。
20 :
吾輩は名無しである :05/03/13 02:02:35
これも↓ナボコフのプーシキン的詩でしょ。 さようなら、私の本よ! 死すべき者の眼のように、 想像した眼もいつか閉じられねばならない。 恋を拒まれた男は立ち上ることになろう。 ―― しかし彼の創り手は歩き去っている。 ほんとに大江って何でも読んでるなあ。
大江氏の場合問題なのは、氏の小賢しい処世術と創作活動が密接な関わりをもって いることである。筒井康隆が断筆したとき大江氏は批判がましいことを書いていたが、 この人は日本に新聞が彼に関する批判を書けないことをどう思っているのだろう。 例えば、ある評論家がノーベル賞授賞式の大江氏を描写した 「満面の笑み」という言葉が、某大新聞には筆者に何の断 りもなく削除されてしまう。差別だの表現に自由だのの問題以前である。そうした庇護を当然と 思っているのかは分からないが、右翼から抗議を愛けた作品の文庫化を自分から拒否できるの も、その程度の作家性しか持たないせいだろう。いずれにしろ、欲しくて欲しくてたまらなかった ノーベル賞を手に入れて、その記念講演で「あいまいな日本の私」とは、皮肉でなく優れた自己 批評であり、大江氏の作家としての幕引きとして最良のものであったことは間違いない。
>>16 どーもです。『人生の親戚』も今後の読書計画予定に組み込もうかな。
23 :
吾輩は名無しである :05/03/14 20:12:27
>大江さんの言及した作家リスト 評論なんかも含めるとかなりの数になるんじゃない?
扶桑社教科書を東京都の養護学校が採用したことについて、ノーベル文学賞作家の大江健三郎が朝日新聞のイン タビューで、次のように述べている。 「「つくる会」の教科書は、市販されベストセラーになりました。もちろん中学生が早く読みたいと思ったからではない。 「日本は優れている」「誇りと自信がいる」と思い詰める大人に空元気をつける癒(いや)し系の本だからでしょう。 子どものためによく考えられた本ではありません。でも、教科書の実物をこれほど多くの大人が読んで、考えたことは ない。その結果、 公立で採択したと公表した教育委員会はこれまで一つもなかった。父親や母親の反省が、日本人の世論として、力を 持ったのです。 東京都教委の結論は、これに真っ向から対立しています。」 この文章を読んで「誤植ではなかろうか?」と思ったかた、あなたの感覚は正しい。つまり大江は、 扶桑社教科書の市販本がベストセラーになったという事実と、公立校のほとんどがこの教科書を採択しなかった(でき なかった)という事実と を結び付けて、 「市販本を読んだマジョリティが扶桑社教科書に反対する世論となり、採択を阻止した」と結論付けているのだ。 これ以上の欺瞞はなかろう。
市販本の読者の大多数は、この教科書を好意的に受けとめている。版元が公開している「読者の反響」を読んでみ ろ。 お手盛りの「大本営発表」だと言うなら、各紙各誌の書評を読め。日教組の幹部ですら、うかつにも(笑)「おもしろい」 とほめてしまい、 組織内からの突き上げを食らったではないか。扶桑社教科書に反対しているのは、ごく一部の反日左翼勢力だ。声の みはかしましいが、 日本国民の中では圧倒的少数派である。彼らは、扶桑社教科書を読む前から反対し、読みもせずに反対し、批判本を 鵜呑みにして反対し、 反対せんがために反対してきた(笑) 扶桑社教科書の市販本が話題になり、好評をはくし、ベストセラーになって、左 翼勢力の危機感は頂点に達した。 そして、単なる「批判」の域をこえ、なりふりかまわぬ力ずくの反対運動に走ったのだ。 扶桑社教科書を採択しようとした教育委員会に対しては、左翼お得意の組織動員で妨害活動を行った。 委員の自宅にまで手紙、電話・ファックス攻撃をかけ、デモ、アジテーションなどを展開した。粛然たるべき教科書採択 現場に混乱を持ち込み、 委員に扶桑社教科書を忌避させ、 採択できない状況へと追い込んでいったのではないか。 大江はそうした現状を知らないのだろうか? ノーベル文学賞をゲットするほどの「知性」において、まさかそんなことは あるまい。 現状を知った上で、意図的に歪め、捻じ曲げて、 正反対の結論を導き出しているのだ。これは、もはや評論ではない。卑劣なデマゴギーである。 大江自身の息子が知的障害者で養護学校出身であるという事実も、このデマに説得力を付加しよう。 だからこそ、朝日は大江にインタビューしたのだろうし、大江もそのことは計算済みだろう。 そのことを考えると、大江の心の闇を覗き見たようで、慄然たる思いにかられる。 かつてヤスパースは、誠実さを欠いた知性はナチス的であると喝破した。大江のごとき、白を黒と言って平然たる卑劣 な「知性」こそ、 ヒトラーを、あるいはスターリンを、 ポルポトを支持した「知性」と同様ではないか?
>>24 まじであの電波教科書褒めてるのは初めて見た。
「作る会という運動がある」って本読んだ事あるけど笑いどころ満載だったなぁ。
http://www.angel.ne.jp/~arrow/insist/ikenjizai/1028.htm 【高山正之の異見自在】A・センの困惑歴史を途中から読むな
[2000年10月28日東京夕刊]
先日の朝日新聞の夕刊文化面に大江健三郎の紙上「往復書簡」が載っていた。
この人の文章は、ノーベル文学賞作家という肩書を割り引いても分かりにくい。何を言っているのかさっぱりだが、一応、筋道というか、言いたいらしいことが二度か三度読むとぼんやりながら浮かんでくる。
この人の文章が入学試験やテストなどによく引用されるのは、一読さっぱり意味不明というところが評価され、ついでに彼の天皇制批判、戦後民主主義万歳の主張が共産党系の多い学校関係者にうけるからだろうと推測される。
でも、そんな文章をあてがわれる生徒たちには拷問といわないまでも、つらい仕打ちになる。
生徒は一読してまず思う。「ボクは日本語を話せ、理解できると思っていた。それは間違いだったのだろうか」と。
いや、そんなはずはないと再読する。さっぱり。もしかして暗号かなと思って逆から読む。少しは日本語らしくなるが、意味はやはり不明のまま。
やがて苦悩の底から疑念がわいてくる。ノーベル賞作家の書いた日本語が分からないのはボクは実は日本人ではなかったのか。
かくて多くの生徒がうつろな目で立ち上がり、ふらふらと、ときには絶叫して教室を飛び出し、再び帰ってこなくなる。不登校や非行化は、もしかしたら彼にも責任の一端があるかもしれない。
この「往復書簡」も突然走り出してビルの屋上から飛び降りたい衝動にかられるのがコワくて見ないふりをするつもりだったが、あて先が「アマーティア・セン」になっていた。ノーベル経済学賞を受賞したインド人学者だ。
英国植民地下のベンガルに生まれ、あの第二次大戦時の大飢饉を経験した苦労人で、欧米の経済理論に反発し、アジアの発展と可能性を強く主張してきた。
とくに日本の経済発展を高く評価し、欧米諸国が"あれはわれわれの単なる模倣"と見下すのを厳しく批判し、「欧米より進んだアジア独特の経済システムの牽引車になった」と昨年、シンガポールで講演している。
この講演の内容をもう少し引用すると、日本が示した模範は何より人的資源の開発、つまり教育にあった、という。(中略)
そうした教育普及の意味が近隣アジア諸国に広がり、「経済発展とは(キリスト教とか、民主主義とかの)高い文化レベルや豊かさがなければ育たないという欧米の理論を覆して、さまざまな人種、宗教、 社会制度が入り交じる貧しいアジア諸国の間にも実現することができた」 それどころかそのごちゃ混ぜアジアには欧米をしのぐ経済発展の可能性がある、その鑑は日本だと言い切る人である。 それに対して、日本の過去を否定し、米国を崇拝し、その米国が持ち込んだ戦後民主主義をありがたがる大江健三郎という取り合わせは実にもってミスマッチというか、妙な取り合わせになる。 その好奇心が勝って、発作を覚悟で読んでみた。 この人の悪い癖は、どんな大きなテーマでも自分の小さな行動に収斂させてしまうことだ。A・センが一世紀半の世界史の流れからくみ出した理論について、自分が東大法学部をけって文学部にいった"事件"に置き換えて、 「どうです。ぼくはあなたの理論のすばらしい実践者でしょう」という自画自賛にもっていってしまう。 そして、終戦後の混乱時に餓死者が出なかったのは、天皇陛下のお言葉「家族国家として食糧危機を脱しよう」ではなく、米国がもたらした「社会制約を受けずに為し得た自由」と食糧援助の結果だと主張し、 それを実践した自分を「褒めてもいいですよね」。 確かにそのころ、学校で脱脂粉乳を溶いたものを飲まされた。臭くまずかったが、それで餓死しなかったわけではない。みんなが家庭菜園をつくり、買い出しし、なければ我慢した。暴動も起きなかったのはまさにA・センのいう「教育」のおかげだったと思う。 ちなみにこれほどノーベル賞作家を感激させた米国の援助の実態に触れておく。米国はドイツなどには無償のマーシャルプランを実施したが、対日援助ガリオア・エロアでは後から請求書を送りつけ、 日本政府は当時で数億ドルを払った。あの脱脂粉乳の代金を払えなんて闇屋だって言わない。 それほどに歴史知識のない、見当はずれの自慢話に満ちた手紙をもらってA・センも困ったろう。 実際、翌日の紙面に載った返信には困惑が行間からあふれていた。そして一言、オデッセイに言及したくだりで、それを「解釈するにはその前のイリアス」を読めと。 戦後だけ切り取って近視眼的に見るな。歴史を流れで捕らえよ、という忠告である。 それ、彼は分かっただろうか。
29 :
吾輩は名無しである :05/03/17 21:25:09
少し前に名前が挙がってたエリオットなら、やっぱ『さようなら私の本よ!』でしょ。 むしろ老人の愚行を聞きたい云々という詩句からして。 ほかにナボコフ、ミシマ、セリーヌ、ベケットの名前も出てきた。
前スレぱっと見たけどこのスレ異様に長文多いね 初心者にはムズいよ
31 :
吾輩は名無しである :05/03/17 23:39:52
sageの長文は右翼コピペ厨の仕業だから、基本的に長文はスルーで。
http://www.musashino-k.co.jp/eiga/nakano_houga/top_bank/top35.htm 女の子のための任侠映画入門 コラム参拾五
ヤスケンがおこした最も大きなトラブルは大江健三郎を怒らせてしまった事件であろう。ヤスケンはアルバイトで「レコード芸術」という雑誌にコラムを書いていた。
このコラムの中で、大江健三郎の「状況へ」と小田実の「状況から」をとりあげ、ケチョンケチョンにやっつけてしまうのである。
小田実は知らんぷりの態度でやり過ごしたが、大江健三郎は怒って抗議の手紙を書く。宛名は島中鵬二様、「海」編集部安原顯様とある。
“僕は安原氏による小田・大江罵倒が不当だとは考えません。ただ、「大手出版社」によってのみ仕事をする人間という批判に、僕はこう答えます。
そして自分の態度をあきらかにします。僕は「大出版社」だから仕事をするのではなく、そこに自分の信頼する編集者を見出すからこそそこで仕事をしてきたのです。
さて、僕は中央公論の編集者安原氏のこの罵倒に対して、今後いかなる仕事も、やはり「大手出版社」の中央公論ではしないと言明して自分の立場をあきらかにします。
もちろん「圧力」を安原氏に加える意志はありません。ただ、自分が引き下がるのみです。
なぜならば、このような考え方の編集者とは仕事を共にしたくないからです。僕の申出は次の二点です。
一、谷崎賞 委員をやめます。
二、中央公論社からの手紙、電話、訪問をすべて拒否します。この件についての御問い合わせにも答えませぬ。さようなら。
1974年10月24日 大江健三郎”
ヤスケンはただちに二人の役員に呼ばれ、「この件に付き、どう責任を取るか」と言われる。
「オフ・タイムないし休日に、個人が何を考え何を書こうがまったく自由であり、こうした抗議の形をとった「垂れ込み」こそ、言論・思想・表現の自由の圧殺ではないか」と反論するが、
「大江健三郎は会社にとって大切な作家ゆえ、もう一度批判したり、彼を怒らせるようなことをすれば、お前はただちにクビだ」と宣告される。
村松友視はもちろんヤスケンの味方につき、この手紙のコピーをとっておくことをアドバイスする。
ヤスケンという弱者にとって、この手紙のコピーは重要な武器となるだろうと踏んでのことだ。
33 :
吾輩は名無しである :05/03/18 22:11:30
オリジナリティーのない作家だね
34 :
吾輩は名無しである :05/03/18 22:30:09
じゃあ、おまえがオリジナリティーのある作家を挙げてみろ。 ただし、現役作家でだ。
それもオリジナリティーのない作家だね
38 :
吾輩は名無しである :05/03/19 01:48:55
そもそもオリジナリティーとは何か、 ということから議論しなければならない。
「大水ながれきたりて我がたましひにまでおよべり」 は聖書のどの部分の引用なのですか? ずっと気になっているのですが。
40 :
吾輩は名無しである :05/03/19 14:14:11
川端康成に続く、日本で二人目のノーベル賞作家。 だが、海外ではもちろん(実際かなりの点数が英、独、仏などで 訳されてはいるが、日本側メディアの仕掛けたプロモーション以外の 場面で大江の作品が海外で話題になることはほとんどない)、 わが国においても作家としてよりは、知識人としての存在感の方が大きい。 海外においてその知名度と作品の評価が、大江の敵視する三島や川端の 足元にも及ばないことは、何ともお気の毒と云うほかはない。 海外での評価の低さは、大江の作品が一貫して古典から前衛にいたる 西洋文学の、吸収、模倣、引用、借用から成り立っているとすれば、 当然かもしれない。 その点からすれば、大江の作品世界は、すべてが西洋からの借り物であった 日本近代の無残な写し絵として考察に阿智すべきものかもしれない。 さらに大江は、マスメディアの異常な発達の中で、常に時代のスポークスマンとして 一方の世論を代表する役割を果たし続けてきた。その良心的な外見とは裏腹の、 グロテスクきわまる自己肥大の倒錯を垣間見せてくれるという点では 作品は興味深いと云えるかもしれない。 福田和也
>日本近代の無残な写し絵として考察に阿智すべきものかもしれない。 日本近代の無残な写し絵として考察に値すべきものかもしれない。
182 :吾輩は名無しである :05/03/13 02:25:54 山口昌男の出世本(70年代後半から80年代前半に彼が大活躍する嚆矢となった) 『中心と周縁』ずばりです。 このころ大江健三郎も山口氏に爆発的な影響をうけておりましたから、 『小説の方法』で山口氏のムージル解釈をそのまま受け継いだ読みを披露。 この点で大江氏はオリジナリティがなかったが、しかし 山口氏のすばらし要約は、大江氏によって更にすばらしいものに! 大江氏の小説の文体は好き嫌いがわかれますが、 なぜか、大江氏の場合もムージルの要約は絶品でした。 ↑ムージルスレにあったので貼っておくよ。
ムージルといえば古井
44 :
吾輩は名無しである :05/03/19 18:28:57
現在、もっとも読まずにすまされやすい作家
大江は「戦後民主主義者」を自認する旧左翼である。 しかも文革や北朝鮮を礼賛する偉大なる旧左翼である。 岩波や朝日といった一流紙(とみなされていた)マスコミでしか書かず、 週刊朝日編集長の解任に見られるように、自分に対する批判は圧力で押し潰す 権威主義者でもある。 彼はその昔サルトルのノーベル賞辞退に喝采していたのにもかかわらず、 スウェーデン大使館に媚を売るなどの様々な政治工作をして ノーベル賞受賞を獲得した。 最近ではかってフランスの核実験を非難していたくせに 「レジオン・ドヌール勲章」という世評の高い勲章をもらえるとなると フランスの核実験、植民地支配、歴史歪曲、戦争美化、は許すとして 喜んで受け取る偽善者ぶりを発揮している。
>>ノーベル賞受賞を獲得した って何なんだよ… r;ァ'N;:::::::::::::,ィ/ >::::::::::ヽ . 〃 ヽル1'´ ∠:::::::::::::::::i i′ ___, - ,. = -一  ̄l:::::::::::::::l . ! , -==、´r' l::::::/,ニ.ヽ l _,, -‐''二ゝ l::::l f゙ヽ |、 レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_ !:::l ) } ト コピペする内容くらい読もう ヾ¨'7"ry、` ー゙='ニ,,,` }::ヽ(ノ :ーゝヽ、 !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、 ,i:::::::ミ な! ::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{ __)`ニゝ、 ,,iリ::::::::ミ ::::::::::::::::::::Vi/l:::V'´;ッ`ニ´ー-ッ-,、:::::`"::::::::::::::;゙ , :::::::::::::::::::::::::N. ゙、::::ヾ,.`二ニ´∠,,.i::::::::::::::::::::/// :::::::::::::::::::::::::::::l ヽ;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ / ::::::::::::::::::::::::::::::! :|.\;::::::::::::::::::::::::::::::/ / ::::::::::::::::::::::::::::/ ヽ|;;,, `'' ‐---‐ ''"´_,/ :::::::::::::::/ヽ;/ へ、\;;;;:. ;;;-─ _,.ニ-ァ'´\ ::::/7 ) ./ |××| | ;;; ;;;::::| ̄ /×××>、 / ././ /ニ=、\±L/;;;;:::_;;:」_,/×××/ \ l. l / ー- ゝ |××× /×× ゝ‐''´==
>>46 >スウェーデン大使館に媚を売るなどの様々な政治工作をして
>ノーベル賞受賞を獲得した。
ちゃんと文脈ぐらい読もうな。
本の文章が変だったんだ。
写し間違いだろ。
>>47 文脈もナニも、普通は「ノーベル賞を受賞した」か「ノーベル賞を獲得した」だろ。
ぜんぜん違和感をおぼえなかったなら、日本語学校で勉強やり直したほうがいいな。
>>49 コピペなのにか?
週刊ダイヤモンド/続・憂国呆談
http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200301/ 浅田彰
それにしても、そういうとき大江健三郎が出版社なら
出版社のトップに苦情を持ち込むのはよくな
いね。本人は世界から迫害されてるマイノリティのつもりらしいんだけど、
実際は押しも押されもせぬ大作家なん
だから、そんな人がトップに苦情を言ったら下の人間がどうなるかぐらい
想像できそうなものなのに。『週刊朝日』で大江の連載が始まった、
その少し前に「虫」っていう匿名書評子が大江の『憂い顔の童子』
の批判を書いたら、直後にその書評欄の連載が打ち切られ、
編集長も交替した、あれも変な話だよね。僕は『取り替え子』と
『憂い顔の童子』は最近の傑作でものすごく面白いと思ってるんだけど、
もし本当に大江の圧力があったとしたら
許しがたいと思うよ。
52 :
ハタヨーク :2005/03/21(月) 19:45:22
>もし本当に大江の圧力があったとしたら 圧力なんてありませんからー! サンネンッ!
53 :
吾輩は名無しである :2005/03/21(月) 19:49:08
どーでもいいけど、売国サヨを支持してるらしき 香具師らの書き込みってわかりやすいなぁ。。。 自分で書いてて恥ずかしくないの? おもいっきり、在日丸出しニダ!!って奴とか そうかぁ〜がっかぁ〜い♪って感じの香具師がいる。。。
>>53 お前さんはこのコピペの大量投下は気持ち悪いと思わないの?
55 :
吾輩は名無しである :2005/03/21(月) 20:00:00
コピペ厨ははたから見てて恥ずかしいし、気持ち悪い。 しかも同じコピペを何度も何度も繰り返すという芸のなさ。 コピペに自分の意見を加える事の出来ない自己のなさ。 大江の小説にまったくふれられない能力のなさ。 まあ何を言っても無駄だろうけど。
>>50 いや、だからコピペの大元になるテキストを作った奴が、本から写す時に
間違えて、それがコピペされつづけてるんじゃないの?と。
コピペする内容くらい読もうな!には同意であるが。
図式的な少女趣味 大江健三郎『同時代ゲーム』新潮文庫 海外でほとんど訳書も出ていなかった著者が、なぜノーベル賞を受賞したのかは、今もって謎である。 世界的な評価を得ている日本人の小説家といえば、三島由紀夫と安部公房、それに最近では村上春樹ぐらいだろう。 川端康成の受賞も「三島由紀夫の空席が回ってきた」といわれたが、その類推でいうと安部公房が死んだために空席が回ってきたのだろうか。 著者は一時、ノーベル賞の候補者を推薦すると自称していた矢野暢と仲よくしていたというから、その効果があったのかもしれない。 いずれにせよ、佐藤栄作と並ぶ恥ずかしいノーベル賞である。 しかも、海外で評価される作品も『万延元年のフットボール』までで、それ以後はほとんど話題にならない。客観的にみても『個人的な体験』や『万延元年』は傑作といえるし、 後年の作品でも『雨の木』の連作のように肩に力を入れないで書いた短編には見るべきものがある。 しかし本書のように「同時代」への意識が過剰な作品は、読むに耐えない。 学生から職業作家になった著者には切実なモチーフがなく、「社会的」なテーマを頭の中で作り出して書いているからである。 30歳のときに書かれた『万延元年』が最高傑作とされるのは、著者の思想的限界を象徴している。 特に本書が著者の最低の駄作とされる原因は、当時、著者が傾倒していた山口昌男氏の「道化」論を小説に丸ごと取り入れたことである。 登場人物にそれぞれ文化人類学的な位置づけが与えられ、「祝祭」とか「異化」とかいう言葉が小説に出てくるのは、鼻白むのを通り越して腹が立ってくる。 最良の作品というのは、山口的な図式を乗り越えるところに意味があるのに、作家自身がその図式で書いていたのでは、話にならない。 本書には『ヒロシマ・ノート』以来の「核戦争の恐怖」のモチーフもあるが、こういう「非武装中立」の少女趣味が日本の民主主義をだめにした害毒は計り知れない。 最近の「歴史教科書」問題でも、著者は例によって自分の子供を引き合いに出して「弱者」への配慮がどうとかいう見当違いな批判をしていた。 作家としてはともかく、戦後民主主義の生み出した最悪のイデオローグとしては歴史に残るだろう。
58 :
吾輩は名無しである :2005/03/21(月) 22:20:16
コピペ厨ははたから見てて恥ずかしいし、気持ち悪い。 しかも同じコピペを何度も何度も繰り返すという芸のなさ。 コピペに自分の意見を加える事の出来ない自己のなさ。 大江の小説にまったくふれられない能力のなさ。 まあ何を言っても無駄だろうけど。 ね、57くん(笑
>>52 に対して一言もない擁護派。ちょっとは見直したよ。
さすがに恥ずかしいよな。いまごろ波田ってw
60 :
吾輩は名無しである :2005/03/21(月) 23:37:46
江藤淳と大江健三郎の論争ってどんなだったの? 知ってる人おしえてちゃぶ台!
61 :
吾輩は名無しである :2005/03/22(火) 00:07:18
コギトシリーズは「取り替え子」からですか? 「さようなら私の本よ!」を読むには コギトシリーズを読んでなきゃ駄目ですか?
戦後民主主義という自己欺瞞
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/1305102.htm (前略)
戦後民主主義という名前の思想運動は、日本的なものを否定し、
アメリカから押し付けられた憲法体制を、盲目的かつ後生大事に守り続けてきた。
戦争によって受けた心の傷を見ないように見ないようにしながら、50年過ごしてきた。
アメリカににらまれないことだけを考えてきたのだった。
数年前、作家の大江健三郎氏は、クリントン前米大統領の原爆投下謝罪は必要ない、
と長崎の講演で言った。このコトバを自分なり
に意味づける作業を通じて、私は戦後民主主義の正体を感じ取った。
戦後民主主義という思想は、敗戦とその後の混乱の時代に、命あってのものだねだ、
過去は忘れてアメリカのいいなりになろう、何が正しいかなんて考えないほうがいい、
深く根源的に考えることは危険だ、といった風潮とともに生まれた
欺瞞に満ち溢れた思想だったのだ。
この思想があるから、今の日本の政治家も、ジャーナリストも、
財界人も、官僚も、みんな発想が硬直して、事大主義的になってしまい、
正しくものごとを判断できない。
戦後民主主義をすべて否定しない限り、日本はよくならない。敗戦の心の傷を直視し、
それを癒して、乗り越えないかぎり、日本の混乱は続く。
閉塞した日本の状況をうち破るのは、表面上威勢のいい石原慎太郎さんのような
政治家ではなく、ロマンを捨てずひたすら現場と住人の意見に耳を傾ける
田中康夫さんのような政治家だろう。戦後民主主義の否定は
、国民の生活感覚に基盤をおいてしか行いえないからだ。
得丸久文
70年代前半に書かれた「破壊者ウルトラマン」のコピペきぼんぬ>コピペ者各位
大江さんは今ベルリン在住だったっけ?
65 :
吾輩は名無しである :2005/03/24(木) 21:17:52
今日はブクオフをはしごしてきたんだけど 105円で大江の文庫本がいっぱい並んでた。 大江の本で入手困難なものってあるの? (例のセブンティーン第2部を除いて)
大江健三郎といえば、戦後日本を堕落させてきたいわゆる「進歩的文化人」、 「戦後民主主義者」の巨頭である。 彼は、スウェーデンの王立アカデミーが授与するノーベル文学賞はもらうが、 文化勲章は辞退した。外国の王室が くれるものはもらうが、日本の皇室が授与するものは辞退する。典型的な日本 蔑視、西洋崇拝の態度である。なんら一貫性はない。 また、彼は、北朝鮮を賛美し、日本人であることを後悔していた。原爆が落 とされたのは日本人の責任であると主張してもいる。 そのくせ、日本の豊かさの恩恵を受け、外国に亡命することなど露ほども考えない。 彼の特徴は、日本国内においてはあいまいな言葉を使ってソフトに日本を 非難する論調をとるが、ひとたび国外に出ると悪し様に日本を罵ることである。 フツウの愛国心がある者なら、国外に出て母国の悪口は言わないものである。 彼は反日外国人にありがたがられているが、外国人は、自国を悪し様に罵る 大江のことを内心では軽蔑していることに気づいていない。 中国と日本と、いずれが国家主義的傾向が強いかなど比較すれば明らかである。 中国は、核兵器を製造・配備し、近隣諸国に圧力を加え、チベット・ウイグル・ 旧満州などを侵略し、言論を弾圧し、結社を抑圧する。そんな中国を非難する言葉 などひとことも言うことはなく、ありもしない日本の国家主義的傾向のみを非難する。 また、侵略や残虐行為の謝罪にしても、中国政府の侵略や、現在も行われて いる裁判なしの銃殺刑、反体制運動家への拷問などは全く非難しない。 他方、民主的に選挙でえらばれた地方自治体の首長を「恥」と罵る。 いったい、恥知らずとは誰のことか? こういう恥知らずな人間が、日本には腐るほど存在することを考えると、アタマ が痛くなってくる。
68 :
吾輩は名無しである :2005/03/24(木) 23:14:02
Paul St John MackintoshとMaki Sugiyamaが訳した 『Nip the buds,shoot the kids(芽むしり仔撃ち)』も絶版。
東大は売国奴が好きなようだな
この国の危機、能力働かせて…東大卒業式で大江氏激励
東京大学の卒業式が25日、東京・本郷キャンパスの安田講堂で行われた。
今年度の卒業生は10学部で計3250人。
今月末で退任する佐々木毅学長は、「新しい現実を切り開くたくましい気力こそが、
東京大学の卒業生に期待される。たくましい人生、悔いのない人生を送ることを切望している」と最後の告辞を述べた。
式は文系と理系に分けて行われ、
文系の卒業式では、ノーベル文学賞受賞者で文学部OBの大江健三郎さん(70)が初めて来賓として出席し、
卒業生に励ましの言葉を贈った。
「あなた方が本当の知識人として、自分を鍛えていくことを希望します」
(読売新聞) - 3月25日14時6分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050325-00000408-yom-soci
70 :
吾輩は名無しである :2005/03/25(金) 16:16:07
コピペしてる人ってひきこもり?
72 :
吾輩は名無しである :2005/03/26(土) 04:32:12
>>67 >典型的な日本蔑視、西洋崇拝の態度である。
一貫性あるじゃん。
「さようなら、私の本よ」の第二部は 繁のアメリカ生活を語るものになるのだろうか? (p.69の台詞からの推測) それとも、このまま「悪霊」みたいな話に突き進むのかな。
一日一煙
http://homepage2.nifty.com/komacchi/diary.htm 2003年12月5日(金)ボリバーロイヤルコロナスと「知識人」の枯渇〜その1〜
(中略)
知識人というのは、普通の人よりも知識はもちろんのことその思考においてもより深く、悪い意味での常識や陋習にとらわれず展開することができる人種である、はずである。
しかし例えば、最近大江健三郎がフランスの左翼紙リベラシオンに発表したエッセイなど読むと、知識人とははたして何なのかと思わざるを得ない。周知の通り大江は、進歩的文化人の一翼として一部マスコミがしきりと称揚する作家である。
(面白いことに、朝日新聞は大江の記事を書くに際して必ず「ノーベル賞作家大江健三郎氏」という肩書を付ける。どこかの将軍様を思わせるが、ノーベル賞のご威光は大なるものらしい。
しかし佐藤栄作氏は生前ついに同紙によって「ノーベル賞政治家」と呼ばれることはなかった)
彼はそのエッセイでいきなり「日本は軍国主義の侵略戦争を反省して、戦後アメリカから扶植された民主主義を奇貨として憲法と教育基本法を備えた民主国家となった。
しかるに、小泉首相はブッシュ大統領の世界戦略に唯々諾々と従い、日本をテロリストの標的とするような愚かな政治的選択に踏み込んでいる」とぶちかましてくれる。
いわゆる進歩的文化人といわれる人たちが、アメリカに対して激しい憎悪を抱きながらそのアメリカから投げ与えられた「戦後民主主義」と「日本国憲法」だけは握り締めて話さない心性はある種の病理学的研究の対象として興味深いところだが、
それはこの際措くとしても、「戦後民主主義」を全く疑うことなく拝跪するその姿勢は全く「知識人」とは思えない思考停止ではないか。
(「日本自身による軍国主義の反省の結果」と糊塗するのは正面からその事実を見据えるのが怖いからであろう)もっとも大江の思考停止は今に始まったことではないが。
何せノーベル賞は「スウェーデンの市民から授けられた名誉だからありがたくいただくが文化勲章は「日本の国家権力から与えられる賞」であるという理由で拒否し、その幼稚な思考で唖然とさせた前歴がある。
(いうまでもないが、ノーベル文学賞はスウェーデン王立科学アカデミーの選考による)次回に続きます。
2003年12月6日(土)ホヨードゥモントレーロブストと「知識人」の枯渇〜その2〜 (中略) (承前)大江のピュアな思考ぶりは例えば、 「子供時代、10歳までを私は第二次世界大戦の苦痛のうちに成長した。私は日本の超国家主義を味わった。 戦後、民主制と民主主義的理念が民主制のうちの最良の部分、すなわちアメリカの民主制によって日本に扶植された。そして、今度は日本が憲法と教育基本法を備えた民主国家となったのである。 以来、日本人はアメリカの大衆文化、映画や音楽によって影響されてきた。そのことには何の問題もない。日本人はそれでおのれのアイデンティティを失いはしなかった。」 という一節にもいかんなく示されている。 これを読んでその余りの能天気ぶりに「おいおい」というツッコミを20回くらい入れたくなったのは私だけではないだろう。 この余りにも無邪気な「善なるアメリカとそれによってもたらされた「戦後民主主義」に対する信仰」は、いくら愛する日本国憲法によって信教の自由が保障されているとはいえ(笑)、信じても救われない。 戦前の日本にいかなる形でも民主主義は存在しなかったと考えたい一部の人たちがその反動として「戦後民主主義」を抱きしめて離さないのも宗教に類似しているが、 おそらく彼らはなぜ「戦後民主主義」がつねに「カッコ付き」で語られる存在であるのかは理解できないだろう。 敗戦からの再出発に当たって日本人が持たなければならなかった新しいアイデンティティは、映画や音楽といった文化のごく一側面によって形成されたものではむろんない。 あるいは彼は、全き善であった偉大なアメリカがその後世界を侵略する邪悪の帝国(笑)に変貌したことについて呆然としているのかもしれないが、このように無邪気な、考察ともいえない考察では日本を含めた国際政治の全体像を俯瞰することなどとても不可能だ。 思考の枯渇した「知識人」には静かに退場していただくしかない。
76 :
吾輩は名無しである :2005/03/26(土) 20:42:22
>その良心的な外見とは裏腹の、 >グロテスクきわまる自己肥大の倒錯を垣間見せてくれるという点では >作品は興味深いと云えるかもしれない。 という福田和也のコメントはまあ妥当なとこなんだろうが、 「グロテスクきわまる自己肥大の倒錯」をもっと掘り下げて論じて欲しいもんだ。
>>76 福田も自己肥大しているが、グロテスクってほどじゃないな。
福田の場合はただの肥満だな
http://homepage3.nifty.com/bhind/krm1.htm かって真実だったもの
あれは何で読んだのだろうか、大江健三郎の、おそらく昭和30年代に書か
れた文章だ。「祖国」たる北朝鮮に「帰って」行く「在日」の人々を"賛美"
した文章だった。その当時、盛んに在日韓国朝鮮人の人々の、北朝鮮への「帰
国」運動が行われていたのだった。
大江の文章は、北への「帰国」を選んだ人々の爽やかな笑顔の印象を語り、
また、「帰国運動」に抗議してデモを行う韓国の学生たちを、政府の指令に従
って動いているだけの愚劣な者たち、として描き出していた。
もう一つ。いまだ未見なのだが、吉永小百合が"青春スター"だった頃の、
「キューポラのある街」なる映画がある。その映画の一挿話に、やはり北への
「帰国」を手に手を取って果たそうとする「在日」の若いカップルの出発を友
人たち皆が祝福する、などというシーンがあるそうだ。一度見てみたいと思っているのだが。
この「帰国運動」が、どのような結果になったのか、「帰って」行った人々
がどのような運命をたどったのか、我々はすでに知っている。帰国体験者の証
言や、公表された手記によって。それが、いかなる悲劇への招待状であったかを。
だが、大江が「北への帰国者」の清々しさを語り、映画のフィルムに「北」
において実現されるであろう幸福な新婚生活を信じ夢見る若いカップルの姿が
焼き付けられたあの時代、
そんな"事実"は、誰も知らずにいたのだ。少なくとも"こちら側"において
は。その頃、"こちら側"の人々は、別の真実を信じていたのだった。
そして、その"真実"が幻想だったと分かってしまった今日。幻想だった
"真実"を賛美してしまった人々は、その件に関して口をつぐみ、まるで何も
なかったように、そんな過去への責任を放棄したままである。
2002年10月 6日(日)
自己肥満か。
大江文学は西洋文学のコピペ 大江スレは保守右翼のコピペ
82 :
吾輩は名無しである :皇紀2665/04/01(金) 21:22:46
>>66 『河童に噛まれる』って何だよ(w
河馬でしょ河馬。もう河馬なんだから。
ところで『いかに木を殺すか』も品切。
文春は絶版のままにしとく気かな。
>>82 気づかなかった(w
それはそうと、文春はもう大江作品売り出さない希ガス
84 :
吾輩は名無しである :皇紀2665/04/02(土) 02:17:14
小説以外はどうでも良いとか言うけど またまた九条関連で何かやってるんでしょ。 知識人としての在り方が問われるのは必然。 大江ファンは今度の活動もマンセーですか?
85 :
吾輩は名無しである :皇紀2665/04/02(土) 02:18:55
86 :
吾輩は名無しである :皇紀2665/04/02(土) 02:57:49
ジェーン・フォンダ、北ベトナム攻撃拠点訪問を後悔 2005年 04月 1日 金曜日 15:20 JST [ニューヨーク 31日 ロイター] 米女優ジェーン・フォンダは CBSテレビの報道番組「60ミニッツ」で、ベトナム戦争中の1972年、 北ベトナムの対空攻撃拠点を訪問したことへの後悔の念を表明した。 フォンダは4月3日放送予定の同番組で当時を振り返り、米軍機撃墜を目的とする 北ベトナムの攻撃拠点を訪れたことは、米軍に対する「裏切り」だったとコメント。 「俳優ヘンリー・フォンダの娘でバーバレラを演じたジェーン・フォンダが 敵の高射砲に座っている画像なんて、(米軍への)裏切りだ。思いつく限り、 自分が犯した最大の判断ミスだった」と述べた。
>>84 大江ファンではないけど九条はいじってほしくないな。
>84 > またまた九条関連で何かやってるんでしょ。 なにかやってると、 > 知識人としての在り方が問われるのは必然。 ってなんですか? 個人的には、そこらへんの政治ファンより、大江の方が「しっかり」してると思うが。 「みずから我が涙・・・」 あたりで天皇制とも戦っているしな。 とかいうと叩かれるんだろうな〜〜。 > 大江ファンは今度の活動もマンセーですか? そういうことじゃない。判断を留保しろ、といってる(んだと思う)。 特にこの国じゃ、保守思想がころころ変わる。=保守思想が存在しないんだから。
「テーミス」という会員向け月刊誌がある。実にユニークな内部情報誌で企業ニュース、官僚の内幕、永田町の水面下の動きなどを早く伝えてくれるので、結構人気がある。
これは嘗ての「週刊現代」編集長、フライディ創刊者の伊藤寿男氏が主宰している。
さて今月の「テーミス」で一番興味を引いたのは「大江健三郎」に関する醜聞である。
もともと権威主義的でマスコミからの評判も最悪の人だが、日本人は「ノーベル賞」とう幻想に振り回され、
大江の唱える「平和主義」にもスペースを割いてきた。
テーミス曰く。「週刊朝日」が大江を書評欄で批判したところ、朝日上層部への大江の圧力で、加藤編集長が「解任」された。
その「書評」欄も打ち切り。
読売は全面ぶちぬきで大江の連載を開始、朝日が仰天、慌てているところだったらしい。
文芸評論家の渡部直巳が大江の子息で作曲家の光を賛美するのは野坂の「エロ事師たち」に登場する父娘のごとし、
と言ったところ「昴(すばる)」の連載は打ち切り。
子息の作曲の無能については武満徹が「あれは音楽ではない」と言い切ったことがあるが。。。
ところが絶縁状態の文春と大江は、芥川賞選考委員に突如復帰した。
これは「ノーベル賞を前に文春を敵にはできない」と判断したかららしい。
外国の賞を貰っても天皇陛下の叙勲を辞退した左翼のデマゴーグ作家だけのことはある。
http://www.melma.com/mag/06/m00045206/a00000330.html
90 :
吾輩は名無しである :2005/04/02(土) 23:02:02
歴史認識と小説 大江健三郎論 小森陽一/著 大江健三郎論 桑原丈和/著 大江健三郎論 地上と彼岸 柴田勝二/著 大江健三郎論 蓮実重彦/著 大江健三郎論 森の思想と生き方の原理 黒古一夫/著 大江健三郎論 精神の地獄をゆく者 片岡啓治/著 大江健三郎論 篠原茂/著 どれが優れてるだろうか?
91 :
吾輩は名無しである :2005/04/03(日) 02:26:12
みんな純文学に幻想持ってないか?大衆文学(ミステリー・SF等)作家にだって、純文学作家に負けない教養を持った人なんていくらでも居るぞ。 本物の大衆文学作家は、芸術性と娯楽性をちゃんと両立させる。大江がベスト&ブライテストと思ってる人は、純文学しか読んでないんだと思う。
92 :
吾輩は名無しである :2005/04/03(日) 02:28:42
>>91 釣り?
大江ファンに「大江がベスト&ブライテスト」を思ってる人は少ないと思うけど。
93 :
吾輩は名無しである :2005/04/03(日) 02:43:10
大江の悪口はやめとけよ 今、大江の悪口言うのはナチの情婦をやっていた女の頭 坊主にして市中ひきまわした連中と同じ根性だ あるいは時の権力者に常に媚び陰で悪口言う京都人の根性だ 大江が馬鹿で唾棄すべき人物であったとしても 多くの日本人はその10倍馬鹿だったんだ いまだにユダヤのパレスチナ人虐殺や中共のチベット支配に手を貸している 日本人に大江を批判する資格なんてないっての
94 :
91 :2005/04/03(日) 02:53:00
大江はどこまでも心情左翼なのである。プチブルである。 本物の左翼作家なら鎌田慧のように労働者を描く筈である。
あいまいなのは? 大江健三郎氏は、「あいまいな日本の私」と題したノーベル賞記 念講演をストックホルムで行った。そこには次のような一節がある。 広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、 放射能障害を背負う生存者と二世たちが??それは日本人にと どまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいま すが?ー、われわれのモラルを問いかけているのでもありまし た。 「核攻撃の犠牲者たる日本人が、なにか特別のモラルを持たなけ ればいけないそうだ。投下した者のモラルは問わないわけである。 」とは、谷沢永一氏の評である。これが国際常識であって、大江氏 のもってまわった言い方と、その非常識な内容とでは、聴講者は何 を言っているのか、分からなかったであろう。内容は単に50年前 の東京裁判史観とマルクス主義史観であり、その後の歴史学の進歩 などは、まったく省みられていない。 大江氏の思想は、1950年代の冷戦時代から一向に深化していない。 それがそのまま化石のように残されているのは、本人のIntellectual Dishonestyと、それを覆い隠すもってまわったあいまいな文体の 故である。この講演は「あいまいな日本の私」よりも「日本のあい まいな私」と題すべきものであった。
96 :
吾輩は名無しである :2005/04/03(日) 10:51:58
>>91 =94
本物の左翼作家なら、という仮定が正しくないんだと思うよ。
蓮実の大江健三郎論を今度読んでみよう。
早速このスレ見て『いかに木を殺すか』『河馬に噛まれる』を入手したよ。
大江ファン歴8年の新米です。これからときどききます。
98 :
一読者 :2005/04/03(日) 23:14:52
>>97 8年だったらベテランですよ。
こっちは読み始めてまだ4年、せいぜい10冊ですから。
まあファンとはいえないし、実際にファンでもないけれども
中上や後藤や古井と平行して大江を読み出したわけです。
100 :
吾輩は名無しである :2005/04/04(月) 12:34:58
知的ゲイ
ノーベル賞貰わなければ、むしろ「面白い人」扱い されてたんじゃないか
102 :
吾輩は名無しである :2005/04/08(金) 18:40:28
たしかに批判するにしろ評価するにしろ ノーベル賞は邪魔だったかな。 「面白い人」というよりも「スケアリーモンスター」といった感じ。
大江健三郎のノーベル賞受賞講演ー日本への呪いー
http://www.geocities.jp/s060630/Domestic.htm 谷沢永一氏がすでに詳説しているが、大江健三郎著書「あいまいな日本の私」(岩波新書)を購入し、ノーベル賞受賞講演を通読してみて、改めて驚愕し、呆れ果て、そして怒髪天を突く思いに駆られた。以下は講演のサワリの箇所を解説する。
彼の晦渋な表現には辟易するが、そこに読者を煙にまく落とし穴がある。
「近い過去において、その破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みにじった歴史を持つ国であり、現在もまた文学や哲学によってでなく、電子工学や自動車生産のテクノロジーゆえに、その力を世界に知られているのが、わが国の文明だ」と。
▼▼大東亜・太平洋戦争(=西部邁氏の愛用語)が勃発した理由は、日本の中に破壊への狂信者集団がいて、彼らが国内と周辺諸国の人間の正気を踏みにじったそうだ。
▼ここまで空想の翼が広がるとは流石小説家だといいたいが、精神鑑定をしてもらったらどうか。
不戦の誓いを日本国憲法から取り外せばアジアと広島、長崎の犠牲者たちを裏切ることになり、
さらに高いところに絶対的な価値を置く旧憲法を支えた市民感情が、リアルに現在もなお行き続けている・・・
▼▼彼の天皇(制)嫌いはチョー有名だが、不戦の誓いを憲法から外せば、魑魅魍魎どもが蠢きだすぞよと曰う彼の強迫観念には呆れるほかはない(cf.Massmedia 朝日新聞「瓶のふた論」。
彼の講演内容をすべて解説する余裕はないが、上記の日本悪行への呪詛と対比し、諸外国の人々はすべて善意に満ちているような仕掛けになっている。この講演で彼が褒め称えた日本人といえば、師と仰ぐフランス文学者渡辺一夫と彼の息子の光くらいかな。
下記の大江語録にもあるように、大江は外国に対しては飛び切りゴマをすり、賛辞を述べ、わが国に対しては国を貶める発言のオンパレードだ。他人の不幸は鴨の味。選考委員がウハウハ喜んだのも無理ない。
2004・4・6
104 :
吾輩は名無しである :2005/04/11(月) 17:39:11
アマゾンの書評で『九条、いまこそ旬』をキチガイだなどとこきおろしているのがいます。みなさんのお力で粉砕してください。
大江健三郎など9人の悪党たちについて
松浦淳の日記
http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200408040000/ 『九条の意義訴え「会」発足記念、大江氏ら講演2004/07/2507:15
改憲の動きに危機感を抱く作家大江健三郎氏や評論家加藤周一氏ら九人でつくる「九条の会」の発足記念講演会が二十四日、東京都内のホテルで開かれた。約千人の聴衆を前に、大江氏らは戦争放棄をうたう憲法九条の意義を訴えた。
九条の会は両氏と憲法学者奥平康弘、作家の井上ひさし、小田実、澤地久枝、哲学者の梅原猛、鶴見俊輔、元首相夫人の三木睦子の各氏で六月に結成した。
憲法九条に焦点を絞り、講演会などを通じて改憲反対を市民にアピールし、運動の輪を全国に広げる。
講演会には梅原氏を除く八人が参加。大江氏は「憲法九条は新しい社会への希求を表現したもの。未来を生きていく日本人は、もう一度九条を希求としてとらえ直すべきだ」と語った。
小田氏は「戦争を知らない大人たちの時代になった怖さを感じる。民主主義と平和主義が結合した憲法九条は、戦争はもうやめようという世界のみんなの思いがこもっている。大事にしたい」と強調した。
また、澤地氏は「日本は奇跡的に第二次大戦後、一人も戦死者を出していないし、一人も殺していない。憲法九条が歯止めになったから」と指摘し、「戦争をやろうとしている人たちの流れを止めるのは人間しかいない」と呼び掛けた。(後略)』
この9人の名前、私が考えるに『この9人の悪党』の名前をしっかり頭に刻んでおく必要がある。
大江健三郎
加藤周一
奥平康弘
井上ひさし
小田実
澤地久枝
梅原猛
鶴見俊輔
三木睦子
誰もが岩波書店と深い関係があり、誰もが北朝鮮による日本人拉致殺人事件には触れようとはしない。
それでいて、「平和」を訴える。まるで高遠菜穂子のように偽善に満ちている。
東アジアの平和も、イラクの平和も、もちろん大切なことだ。
しかし、今、ここに、さらわれて殺されている日本人について、どうして一言も言えないのか?
つまりは、この悪党たちがやっていることは、「平和」運動ではなく、
他国の謀略に沿っただけの裏切り行為だからである。
もちろん、私は右翼ではない。神社に行っても見学するだけで宗教的な感情はない。 日本国旗は尊重するが国歌は変更すべきだと考えている。右翼が耳にしたら怒りを露にすることだろう。 とはいっても、大江や加藤を左翼だとは誰も思わないだろう。彼らは単に中国のイヌなのである。 日本人拉致問題は、右翼でも左翼でも関係なく、日本人なら誰しもが深刻に受け止めるべき問題だろう。 横田めぐみは学校から自宅に帰る途中に拉致されて、殺されたのである。 横田めぐみに何の罪があるだろう? 横田めぐみに何の過失があるだろう? 今井紀明と高遠菜穂子の二人の阿呆に教えてあげたい。 「自己責任がない」というのは横田めぐみのような立場にある人に言えることなのだと。 今井高遠は、自己責任を取れない・取りたくない、単なるクズなのである。 そして、そのクズの応援団が、上記した大江や加藤のような9人である。
『また、澤地氏は「日本は奇跡的に第二次大戦後、一人も戦死者を出していないし、一人も殺していない。 憲法九条が歯止めになったから」と指摘し……』 澤地久枝は何を寝ぼけたことを言っているのだろうか? では、北朝鮮に拉致されて殺された人間は、『第二次世界大戦後の戦死者』ではないのか? 北朝鮮はいまだに日本とは交戦状態にあると思っているからこそ、日本国内で無数の謀略を繰り返し、日本人を拉致して殺してきたのだろう。その意味では、殺された日本人は『戦死者』と言えるではないか。 それとも澤地は戦場で殺し合いをしなければ平和だと考えているのだろうか? 一体、何千人の日本国民が犠牲になれば、澤地はこの国が『危険だ』と認識できるようになるのだろうか? 戦争をやろうとしているのは澤地ではないか。 北朝鮮などによるテロで日本人の犠牲者が出ているにもかかわらず、それを無視し、蓋をし、 奇麗ごとを並べて偽善と欺瞞に酔っているのは澤地のような『文化人』ではないのか。 大江も加藤も澤地も、娘をさらわれて殺された横田めぐみの父親の気持ちなど、はなから理解しようともしないのだろう。 こうしたマトモな人間の仮面をかぶったクズが、『平和憲法を守り戦争反対』などと言っている。 悪党達、悪魔達が、自分たちの仕掛けている戦争(日本人拉致殺害)を正当化し、 自分たちに向けられた攻撃を非難するために『あたかも本当らしい』ウソを主張しているのである。(後略)2004.08.04
108 :
吾輩は名無しである :2005/04/12(火) 16:59:15
憲法9条を守ろうとすることがどうして >>彼らは単に中国のイヌなのである。 という極端な結論に至るのかなあ? 短絡的っつーか、視野が狭いというか・・・ >>一体、何千人の日本国民が犠牲になれば、澤地はこの国が『危険だ』と認識できるようになるのだろうか? から >> 戦争をやろうとしているのは澤地ではないか。 という論理の飛躍は、感情的になりすぎ。 >>マトモな人間の仮面をかぶったクズ まあまともな人間は、嫌いな奴がいるとしても、公共の電波使ってクズなんて言わないけどな >>悪党達、悪魔達が、自分たちの仕掛けている戦争(日本人拉致殺害)を正当化し、 妄想乙
109 :
吾輩は名無しである :2005/04/17(日) 19:52:37
「小説の方法」と「新しい文学のために」 は内容が重なってるってホント?
ノーベル賞に思う 大江氏はノーベル賞授賞の直後に「自分は戦後民主主義を信奉する立場から、天皇の文化勲章はいただくわけにはいかない」と言ってましたが、 私はこの人がどこまで本気で民主主義を信奉しているのか疑問です。 「ヒロシマ・ノート」という本が出たころは、戦後民主主義の旗手といわれ私もそう思っておりましたが、 今から十年くらい前、大江氏は自ら発起人の一人となって核兵器廃絶文化人会議とか言う組織を結成し「核兵器廃絶に向かって直ちに行動を起こそう」という声明を出したのでしたが、 これに対して週刊誌から月刊誌から総動員して猛烈な攻撃をしたのが文芸春秋だったのです。 しかも、大江氏は文芸春秋が主催する芥川賞の選考委員をしたり文芸春秋から本を出版して同社の利益に貢献したりしておりました。 その点に疑問を持った本多勝一氏が公開質問状を出して 「あなたは核兵器廃絶を人に呼びかけておいて、その廃絶運動を最も熱心に攻撃する文芸春秋の選考委員を引き受けたりしているのはおかしいのではないですか?」 と問いかけたのですが、すぐには返事をせず、何度も質問を繰り返すと事実とは違うことを言いたてて人をくったような返事をする。 それでもついに行き詰まって芥川賞の選考委員を辞退することになったのですが、 新聞の取材には「今回の辞任は核兵器廃絶運動とは何の関係もない」と言いつつべつのメディアには「しょうがないから辞めたんだ」という。 それから三年くらいたってほとぼりが冷めたころに、誰も知らないうちにいつのまにかまた芥川賞の選考委員におさまっている。 大江健三郎という人はそういうことをする人なのです。ここまでは事実です。 ここから推量して、口では革新を標榜しながら裏では反動資本と結託する人物、と断定しては失礼にあたるでしょうか?
113 :
吾輩は名無しである :2005/04/22(金) 21:33:03
ノーベル賞受賞前・・・・反戦、反核 ノーベル賞受賞後・・・・「快復する家族」 これだもんね。すべてはノーベル賞のためのポーズ。偽善者もいいとこ。
114 :
吾輩は名無しである :2005/04/22(金) 21:37:06
hate tell a lie !! hate tell a lie !!
悪を小説だけでなく、自分の生き方として表現してるところはすばらしい。
116 :
吾輩は名無しである :2005/04/22(金) 21:58:58
大江も立派な偽善者だが、対北朝鮮強硬論を唱える連中もまた それ以上の偽善者。北朝鮮と戦うなら、まず自分の身内を 兵隊に送ることだなwwww
■2002/11/29(金)虫の書評、打ち切りか?
週刊朝日の匿名書評、「虫」の書評が打ち切りとなる公算が大きくなった。
今週発売の週刊文春12月15日号によると、虫の「憂い顔の童子」批判が来年からの連載が決まっていた大江健三郎を怒らせ、12月1日付けで加藤明編集長が更迭されるという。
記事自体は連載がどうなるかにはまったく触れていないが、このぶんでは虫の書評も打ち切りだろう。
来週発売の週刊朝日は本来ならば虫の書評が載る回だが、果たして何か載っているだろうか。
大江の連載に読者がつくかどうかは知らんが、私は関心がないから絶対に読まないだろうと断言できる。
虫の書評には賛否両論あるにせよ、久々に登場した面白い書評であったことは事実。私は毎回楽しみにしていた。打ち切りで週刊朝日が上向くことはまずあるまい。
虫の書評タイトル一覧
http://homepage2.nifty.com/bookbookbook/zakkan5.htm ■2002/12/03(火)「週刊朝日」編集後記からにじみ出る無念
今日発売の「週刊朝日」12月13日号の加藤明編集長の編集後記。
「なんか『週刊文春』に載っていましたが、私、12月1日付で編集長をお役御免になりました」
もちろんこれは11月29日の日記に書いた記事のことだ。普通、こういう場合、ライバル誌の記事には触れないだろう。
あえて触れるところにこの人事が正常でないことがにじみ出ている。
あとは在任中にうれしかったことなどあたりさわりないことをつづっているが、突然の解任への無念が感じられる。
私の印象では、週刊朝日は文春や新潮に比べ、記事そのものは面白くない。
だがコラムは面白いものがあるので買っているわけだ。虫の書評は面白かった。
これは明らかに加藤編集長時代の功績である。ところがこの虫の書評を理由に解任されてしまった。
これを機に週刊朝日が上向くとはとても思えないが。
118 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 02:08:30
またドアホがコピペかよ。
119 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 05:56:10
なんか左という日本の裏切り者の中の人たちって ぜんぜん反論しないよね。 右の方にソースがパンクしそうなくらい溢れてしまってる。 いい加減、ちょっとづつでもいいから、まともに答えたらどうなのだろうか? ここ数年、まともな思想に関する論戦を見た事がない。 片方が目をつぶり耳を塞いで逃げ回ってるからなんだろうけど いくらなんでも逃げっぱなしってわけにもいかないだろ? 北朝鮮に移住してくれるんなら別にそれでもいいけどさー 日本にいたいんだろう?調子よすぎるぜ
フォークナーを読み始めたが大江より全然凄いね。 大江が海外で読まれないのもしょうがないって思った。 川端や古井や芥川みたいな魅力(エキゾチシズムということではない)もないし。
>>120 三行目は二行目と関係ない。日本人として読んでという意味ね。
>>119 2 名前: 名無しさん 〜君の性差〜 投稿日: 2005/04/23(土) 16:09:14 ID:2A/G1Zs7
,,-‐''""''ー--,-
>>2 中国に売り飛ばすぞ
.|""" ||
>>4 痴漢必死だな(w
::::::::::::::::::::::::::: | げ と .||
>>5 低学歴はスッコンデロ
::::::::::::::::::::::::::::::: | 3 っ .||
>>6 ちくわでもレイプしてろ(w
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| ,ノ""""'||
>>7 ずんどこべろんちょ
:::::::::::::::::::::::::::::::::: | ,/""" .||
>>8 童 貞 必 死 だ な(w
:::::::::::::::::::::::::::::::::: """" .||
>>9 早く就職しろよ
/ )
>>10 社会の窓が開いてるぞ
/ /||
>>11 以下はいい加減床屋行けよ。
/ /
( ( /⌒ヽ
ヽ ヽ⊂ ̄ ̄ ̄⊃ <ぐわっはっはっは!!!!
\\(´∀` ) n オレは永遠に不滅だ!!!
ハ \ ( E)
↑
>>119 >>122 このレスみてなにかおもわない?スッコンデロって、普通使う言葉かね。
これは、大江健三郎の工作員が張ったレスだよ。
大江健三郎はこんなレスを張りつけて工作しているよ。
このレスをみてなにかおもわん?
ニュース速報でも、ウヨスレが少なくなってるようだし、やつら工作してるんだよ。
124 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 20:03:21
一言。 卑 怯
125 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 22:00:28
「老人の愚行」云々はエリオットの何という詩の言葉ですか? どの本に収録されていますか? 西脇順三郎以外の訳はありますか?
NHKの偏向放映に対する警告抗議文 3、売国奴を人選するNHKの不見識を糾弾する 先般、売国番組として指摘したNHKスペシャルについて一言言及しておく。 放送予定には「2002 きみと語る戦争」なる番組が今晩放映されるとある。 笑わせるではないか! わざとらしい平和気取りの番組を垂れ流すことによってまたぞろ国民の平和意識を先導せんとする 目論見であろうが、我々はうぬらNHKのその根底に流れる売国奴的自虐的策動をはっきりと 看破するものである。 すでに見ずとも分かるが、五十数年間も繰り返されるうんざりするほどの相も変わらぬ平和安売りの内容であることは想像に難くないが、 今回断じて許さざるべきことは、NHKがその発言の全責任をもって選択し国民の前に登場させるゲストとして売国的売文家、大江健三郎が人選されているのである。 戦後デモクラシーの精神的支柱として腐敗せる戦後社会に君臨してきた大江健三郎。 対外卑屈と自虐的言動によって国賊的才能を発揮してきたこの輩が、この番組に於いてどのような発言を行うのか、もはや番組を見るまでもなく明々白々である。 さらに言えば、ゲストの人選はNHKの専権事項である。ならば、NHK自体が潜在的に保持しているが、しかし、公然と主張できないことをゲストの口を借りて主張しようとしていると判断せざるを得ない。 以上の見地から、一に国賊大江を意識的に登用したこと、一にこの売国奴になにを言わせんとするかは、すでにNHKの目論見に他ならず、故に、その発言の全責任はうぬらNHKにあるということを強烈に認識せよ! よって我々はうぬらNHKに対し再度警告し、以下、要求する。 一. NHKはおのれが公言してはばからないその中立性と公平性の守護者を自認するのであれば、戦後になってとってつけた「太平洋戦争」との表記を即刻中止し、史実に基づく正式名称である「大東亜戦争」を使用すべし! 二. NHKは国民を愚弄し国家を蔑ろにする売国奴大江健三郎の番組登用を即刻禁止し、今晩垂れ流されるNHKスペシャルの放映を即刻中止せよ! 平成十四年八月一五日 民族の意志同盟 中央執行委員長 森垣秀介
ここは日本だよね? 大江の主張はバカげてると思うけど それだけで大江の全てを批判するなんておかしなことだよな 昔のソ連や中国じゃあるまいし
128 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 22:57:51
>>123 そのコピペと大江工作員がなんで結びつくのかがよくわからない。
>>126 なんか文体が殆ど左翼のアジビラと変わらないなあ。
やっぱアジビラ作ってる人たちってのは信奉するものが
違うだけで精神構造はいっしょなんだろうか。
130 :
吾輩は名無しである :2005/04/24(日) 10:23:29
右と左の差異は、こうした精神構造の同一性においては意味なし。 やはり大江の精神構造の特異性ってのは注目されるね。
http://www.eireinikotaerukai.net/E05Iken/E050021.html 『虐日日本人の精神構造』
酒井信彦
(東京大学史料編纂所教授)
(前略)
ところで歴史問題の多くは、日本発の問題であると良く言われる。教科書問題の一番の前提に、家永教科書訴訟があったし、慰安婦問題は左翼人権団体と朝日新開の協同謀議によるものであることは確かである。
このことが歴史問題の本質が、日本に対する偏見・差別・迫害であると言う事実を分かりにくくしている面があると思う。
そこでこの点について、以下に私見を述べてみたい。戦後の日本には敗戦ショックによる共産革命願望があり、左翼勢力が大きな力を持った。それは当然、労働組合、マスコミ、大学などに浸透した。
左翼勢力は日本が弱体であればあるほど、革命が起こし易いと考えたから、アメリカ占領軍の遺産である東京裁判史観と「平和」憲法の強力な護持者となった。
しかし革命の願望が潰えた現在でも、その考え方は牢固として残った。と言うよりも、共産主義没落後、かえってそれに縋(すが)り付いて生きるようになった。
なぜなら日本の過去を否定・告発することによって、過去を反省し謝罪する良心的人間を演じ続けることができるからである。これは明らかにこの上ない偽善である。
したがって、これらの人々の考え方、活字媒体でいえば朝日・岩波的考え方は、偽善主義と呼ぶべきものである。
その御用文化人である、大江健三郎・加藤周一などの人々は、「進歩的文化人」では無く「偽善的文化人」である。
彼らの言説がいかに矛盾に満ちた偽善であるかを、土井たか子衆議院議員を例に、もう少し説明しておこう。社民党は北朝鮮による日本人拉致を、無視するどころか否定さえしていた。
しかし社民党はそもそもアジア人権基金と称する人権団体を持ち、土井議員はそのトップである代表理事である。ところがこのアジア人権基金は、アジアにおける人権侵害の大国、中共・北朝鮮の人権問題に、全くと言うほど沈黙する。
意図的にでっち上げた慰安婦など日本の過去の問題を追及しても、中共・北朝鮮両国の現実に存在する深刻な人権問題を無視するのであるから、これはデブル・スタンダードのレベルを遙かに越えた、完璧なデタラメである。
なお辻元問題の際指南役として名前の出た土井議員の五島昌子政策秘書は、謀略裁判劇「女性国際戦犯法廷」の首謀者である松井やよりさん(故人)が主宰するアジア女性資料センターの幹部である。 彼らの本質が根本的に偽善者であることが判明すれば、彼らの考え方を「自虐史観」と表現することの、不十分さが明らかになってくる。 自虐史観と言うネーミングは、それなりに便利で有効ではあるが、彼らの精神構造の特徴を見逃している。つまり「自虐」と言っても、彼らが自分自身に痛みを感じているのかと言えば、それは全く感じていないない。 彼らは始めから加虐の側に立ち、日本人を、日本という存在を責め続けているのである。同じ日本人である同胞を迫害する行為が、一見自虐的に見え、更には反省的・良心的に見えるのである。 すなわち自虐史観ではなく、正確に言えば「虐日」史観である。反日史観と言う表現もあるが、反日では余りにも弱すぎる。 したがってより広く中共・韓国など諸外国を含めた日本いじめ・日本叩きの考え方を、「虐日イデオロギー」と呼ぶのが適切である。 (中略) 一連の大学紛争で、一貫して左翼学生に同情的だったのは朝日新聞であるが、朝日はこの爆弾テロ事件においてすら、極左の暴力に極めて寛容であった。 朝日が口にする反戦主義・反暴力主義が、いかに欺瞞に満ちたものであるかは、朝日の報道の歴史を振り返って見れば、直ぐにわかる。 日本人の虐日偽善者のメンタリティーを考える場合、「ドメステイク・バイオレンス」の概念を援用すると更に理解し易いかもしれない。 現在、ドメステイク・バイオレンス」すなわち「家庭内暴力」の流行がマスコミで報ぜられている。子供が親を殴り、母親すら子供に暴力を振るう。 それと同じように、虐日日本人の行動は、民族・国家の規模における、ドメステイク・バイオレンスなのである。極左暴徒のように、直接の暴力も振るうこともあるが、一般的には言論による暴力が主流である。 とすれば、物理的暴力によるテロがあるように、言論の暴力によるテ打が存在するのである。 結局、歴史問題とは、内外虐日勢力による言論を利用した、日本に対する卑劣極まりないテロ攻撃だと理解すべきなのである。
ところで、物理的暴力と言論の暴力と比較した場合、前者の方がずっと単純であり、対処し易い。物理的暴力には取り縮まる法律があるからである。 それに対して言論の暴力は、「言論の自由」に大きく守られている。つまり言論の暴力・言論のテロの方が、造かに始末が悪い。しかも虐日偽善者たちは、日本社会の中枢に堂々と大量に入り込んでいる。 ではどうしたら良いのか。端的に言って、敵に学ぶべきである。彼らの方が、エネルギーとテクニックにおいて、まだまだ我々より優れている。 基本的に言論の暴力には言論で反撃するしかないが、その際最も大切なのは、相手の攻撃を防御するだけでなく、こちらから積極的に攻撃を仕掛けて行くことである。 個々の問題で虐日偽善者の言論に弁明・反論するのはそれなりに必要だか、破らの偽善体質を解明し告発して行くことこそ、我々が最も力を注がなければならない課題である。 その意味で、「百人切り競争」に関して、本多勝一氏、朝日・毎日両新聞社、柏書房を告訴したのは、大いに評価すべき動向である。攻撃が最大の防御なのである。 最近、中共・韓国両国首脳が小泉首相との会談で、歴史問題を取り上げることを控える態度を見せた。もっとも韓国大統領は国内からの批判を受け、最後の国会演説で地金を表してしまったが。 ともかく教科書問題・靖國問題とりわけ拉致問題で、我が国にも漸く国家意識・民族意識の高まりが現れて釆たことの反映であろう。すなわち日本側が強く出たからこそ、相手は少し引いたのである。 それではこちらも相手を刺激することは控えようと日本側が考えるとしたら、それは全く愚かである。 南京問題にしても、慰安婦問題にしても、我々は歴史問題において、巨大な濡れ衣を着せられたままである。 この冤罪を晴らし、内外の虐日イデオロギTを撲滅するまで、懸命の努力を続けなければならない。(了) 平成15年8月1日
大江健三郎は、左翼勢力か、創価学会勢力か、公安勢力か
知らないが、ハッキングをしています。
>>127 それだけのことをやってんじゃね?
>>128 朝鮮戦争に連れ出されるのじゃないかという話しが、まず
大江の小説にある。
次ぎに、大江は最近、古臭い言葉をもちだして工作しようとしている。
以前の日本を復古したいというおもいかららしい。
また、スッコンデロなんっていう言葉は、あまり聞いたことがない。
これもその復古のひとつだ。
>>130 こいつも、大江健三郎の工作員の一人のようだが
「新しい人よ目覚めよ」で、特攻服を着た右翼を持ち出してるな。
その一貫か?
135 :
吾輩は名無しである :2005/04/27(水) 13:29:18
この人は若い頃、サラリーマンしてたのですか?どうやって食いつないでたの?
変態牧師を追放した教会のニュースを見るたび「宙返り」と重ねてしまう
いかさま、ということで思い出すのは、大江健三郎である。彼は、最近世間を騒がせている北朝鮮拉致問題について、何も語っていないようだ。 何人かの友人に確認したのだが、そういう記事や文章を読んだことがない、と言っていたから、南雲翁の寡聞が原因ではないようである。 では、何故、南雲翁が、大江健三郎に北朝鮮問題について語ってほしいかというと、かつて彼は、「北朝鮮こそ地上の楽園」的な発言を繰り返していたからである。 「金日成こそ真の指導者」と言っていたかどうかは忘れたが、少なくとも「君は北朝鮮の少年の瞳の輝きを知っているか。今の日本の少年は駄目になっているから、ああいう瞳の輝きを持っていない」 という発言は繰り返ししていたのを、南雲翁はよく覚えている。 だいたい、大江健三郎は、北朝鮮帰国事業を推進した寺田五郎と共に、北朝鮮シンパである、という事実は、ノーベル文学賞受賞以前はよく言われていたことである。が、以降、まったく聞かなくなった。 だから、マスコミは、インチキだというのだ。 大江健三郎の北朝鮮擁護は、かつて第一次戦後派などが、共産主義者だったものを昭和8年以降に転向させられ、さらに昭和20年の終戦を期にまた共産主義に舞い戻った、 みたいなものは違い、明らかに堅牢な意志によって行われたものであるといえよう。 それが、拉致疑惑が持ち上がって以降、大江健三郎は、自著の中から巧みに北朝鮮についての発言を削除してしまっている。 これは、明らかなインチキだと思うのだが、はたしてどうだろうか。もっとも、文学に携わる人間がインチキをすることは、小林秀雄を戦前から読んでいる人なら、容易に想像出来るだろう。 また、いかさまやインチキなら南雲翁だって、時々やらかす。やらかすけれども、それはすぐに見破られることが多い、というのは今回関係ない話だ。 ただ、なべて「世はいかさま」。とすれば、大江健三郎の件にしろ、あるいはもっと別な問題にしろ、真っ先に眦を決しても意味はない。ただ、じっくりと、何がいかさまかそうでないかを見極めるだけだ。 さて、今度の内閣は、いかさまか、否か。民主党と自由党の合併は、いかさまか否か。世はいかさまだから、面白い。 平成15年09月25日 by 南雲翁(なぐものおきな)
138 :
吾輩は名無しである :2005/04/27(水) 23:48:13
ずっとへんな人が住み着いてるな。
139 :
吾輩は名無しである :2005/04/28(木) 14:30:42
文化勲章なんてもらっとけば良かったんだよ。別に天皇が決めるわけでもないのに。 それはそうと勲章をやたらとありがたがる奴と勲章を拒否する人をやたらと誉める人ってなんか似てるんだよな。
140 :
吾輩は名無しである :2005/04/28(木) 14:32:01
あ、もちろん辞退もありなんだけど、大岡みたいな感じがいいね。あれだとひくよ。
いずこも「ミニナベツネ化」! 2003.1.10(金) 本日発売の『噂の眞相』に、大江健三郎の圧力で『週刊朝日』の編集長が解任され、 さらに圧力の原因となった、大江チェンチェイの最新作を痛烈に批判した書評コラム 「まっとうな本」も打ち切りになったというレポートが掲載されている。 レポートにあるように、大江なる人物は「例の誠実さをウリにした訥々とした語り口 とは裏腹に、文壇内では権威主義を振りかざす鼻持ちならないネゴシエーターとして知られている」 のみならず、文壇外でもそういった彼の良からぬ体質ははるか昔から漏れ伝わってきているわけだが、 このノーベル賞作家チェンチェイ、またしても自らの権力を笠に来た、換言すれば、 大作家らしからぬ子供じみた行動に打って出たわけである。 ま、しかし、作家という人種は、言ってみれば社会からのハミダシ者であり、中に、 訳の分からぬ手前味噌の主張ばかりを繰り返す輩がいても、 そして仮にその輩が世界的に高名な賞を受賞していたとしても、ちっとも不思議なことではない。 問題はレポートの、そのあとに続けて書かれている、そういった理不尽なクレーム、 いや恫喝を受け入れてしまう「大朝日」の姿勢である。 最高権力者である社長・箱島信一の、およそジャーナリスト精神を欠いた、 「まさに朝日のレゾンデートルが問われかねない」強権発動ぶりが坦々と綴られているが、 指摘されているように、朝日に加え、毎日も、日経も、大手新聞社の最高権力者が揃いも揃って 「ミニナベツネ化」しているとなれば、由々しき問題、なあんていう月並みな表現では とても追いつかない、ひどい状況と言っていいだろう。 この、ちょっとヤバい時期に、ヤバ過ぎる体質を持つに至ったこの国のジャーナリズム。 果たしてこれもまた、天の配剤ということなんだろうか。
142 :
125 :2005/04/30(土) 23:30:50
自己解決した。 みなさん、 ありがとう存じました。
そうだろみんな!!
144 :
吾輩は名無しである :2005/05/02(月) 22:32:29
大江健三郎は偽善者。魂の真実を追究する姿勢は全くない。 この大江と相似形をなすニセモノ中のニセモノが小林秀雄。 大江が魂の真実とは無縁であるように、小林も自分の感性に 忠実であるよりも、「無謬なる自己」神話の形成にのみ 全力を尽くすことを選んだ。
145 :
誰も私には勝てない :2005/05/02(月) 22:37:37
>>144 「魂の真実」なんて信じてる馬鹿がいるとはな。
146 :
吾輩は名無しである :2005/05/02(月) 22:41:26
いーじゃないか、幸せならば。
147 :
誰も私には勝てない :2005/05/02(月) 22:52:04
>>146 「真実」を追求する奴も馬鹿だが、
「真実」よりも「幸せ」を望む奴はもっと馬鹿だ。
148 :
誰も私には勝てない :2005/05/02(月) 23:00:11
そして、「真実」よりも「幸せ」を望む奴よりもっと馬鹿なのは コピペしかできない無能きわまりない奴だ。
真実と幸せは1つです。
150 :
誰も私には勝てない :2005/05/03(火) 22:34:36
「真実」=「幸せ」だって? それはあまりにも宗教的な馬鹿な等式だ。 「ほんとうのこと」「たましいのこと」ってその程度のものなのか?
151 :
吾輩は名無しである :2005/05/04(水) 00:10:51
大岡が勲章辞退したのって何でだっけ?
152 :
誰も私には勝てない :2005/05/04(水) 19:00:20
文化勲章を話題にする奴は馬鹿だ。
153 :
吾輩は名無しである :2005/05/04(水) 21:26:26
ノーベル賞を話題にする奴も馬鹿だ。
154 :
吾輩は名無しである :2005/05/04(水) 23:45:15
>>151 記憶が曖昧で申し訳ないが、「戦争で亡くなった友人達に申し訳ない気がするから」
って感じだったと思う。その頃大岡は確か「事件」とか書いてなかった頃で、
「野火」「俘虜記」「レイテ戦記」などで評価を受けていたからじゃない?
(戦争モノで評価を受けていたから?)
155 :
& ◆3LSseAWvas :2005/05/05(木) 00:37:26
?????! ??? ??!!!
156 :
吾輩は名無しである :2005/05/05(木) 01:28:31
文壇政治を世界に広げよう
157 :
吾輩は名無しである :2005/05/05(木) 11:08:58
大江は小説を書くにあたって考えすぎだと思われ。
158 :
吾輩は名無しである :2005/05/05(木) 11:20:59
くたばれじじい
159 :
吾輩は名無しである :2005/05/05(木) 11:32:42
ブクオフの105円棚に沢山ある作家だよね。 誰も買わないから、すごい大量にあって邪魔だそうな。 村上春樹とかなんてあれだけ売れてるのに 105円棚にはあまりないものね。
160 :
吾輩は名無しである :2005/05/05(木) 11:33:52
作家って政治力をもとうとするのはいいけどさ、 作家なんだから、一人で文章の力で立ち向かってほしい。
161 :
誰も私には勝てない :2005/05/05(木) 12:08:00
>>153 まさしくそうだ。
そして「ノーベル賞を話題にする奴」を馬鹿呼ばわりするほど馬鹿げたこともない。
>>155 ?と!しか書けない奴は馬鹿だ。
>>156 「文壇政治」なんて言葉を使う奴は最低の馬鹿だ。
162 :
誰も私には勝てない :2005/05/05(木) 12:11:41
>>157 考えてない馬鹿な奴に限って、人を「考えすぎ」だというものだ。
>>158 50年後の自分に向かって吠えてる馬鹿が一人。
>>159 村上春樹を105円棚であまり見ないという馬鹿が一人。
>>160 何の考えもなしに「政治力」という言葉を使う馬鹿が一人。
左翼盲目病患者、大江健三郎(上) 米国同時多発テロ以降の情勢をめぐり、各国の左翼系文学者は、米国の軍事力によるテロリズ ムへの対応を批判する 発言を発表している。 ドイツのギュンター・グラス、英国のルシュディー、米国のスーザン・ソンタグ のほか、日本の大江健三郎もまたそのひとりである。 大江は、フランスの11月27日付け『リベラシ オン』紙で談話を発表している(多維網インターネットの報道による)。 グラスの発言は、自国内で多くの批判を浴びている。 同国の文芸界の重鎮マルセル・ライヒ=ラ ニツキーなどは、公開の 場面でグラス氏の共産主義を理想化した小説を思想性ゼロ、芸術性二流と評したうえで破り捨て る挙にでた。 ルシュディーは、途中で米国支持に態度を変更した。 ソンタグは『ニューヨーカー』誌において、世界貿易センター爆破は米国のイラク空爆と同じであ る、自らの命をかけて他 者の命を奪う人間は卑怯者ではないと主張した。 同誌の編集長の語ったところによれば、この文 章の掲載後、100通を超え る抗議の手紙が寄せられたそうである。 これはひとつの文章に対する抗議文としては創刊以来最 高の数だそうだ。 ほか、さ まざまな米国のコラムニストや批評家がソンタグのこの発言を批判しているが、たとえば『ワシント ン・ポスト』のチャール ズ・クラウスサマーは、ソンタグを批評するコラムの題に「鈍磨した道徳の声」と付けている。 『ワシ ントン・タイムズ』のデイ ヴィッド・リンボーに至っては、米国の強大な力があるからソンタグやその同類たちは安全な場所 でそんな話をしていられる 自由を享受できるのではないのかと厳しく批判している。 (そのほか、『ニューヨーク・タイムズ』に もソンタグの発言をめぐっ て多くの批判の投書が寄せられた由である。)
大江の意見は、これら左翼人のそれと基本において変わるところはない。 骨子は、米国によるタリバンおよびビンラディン 氏への攻撃は、"疑わしい戦争"であり、"この戦争は、アフガニスタンの人々を苦しみに陥れ、 アフガニスタンという国家を 混乱に陥れるものである"ということと、同時多発テロの発生後、米国は"自らの失敗を認め"て反省すべきであった、軍事 的手段による報復はかならずさらなるテロを生むという点に尽きる。 軍事行動のはじまる前にこの発言がなされたのであれば、知性と常識に欠けた人間のたわごととしてまだ笑ってすませ られたであろう。 しかしタリバンは崩壊して戦争はほぼ米国の勝利に決まった今頃、これははたして正気の言か。 今回の戦 争でアフガニスタンにおける民間人の死傷者はほぼ皆無にちかいのである(民間人が米軍の攻撃によって死傷したという 情報はほとんどタリバン側の主張によるものであり、 第三者の情報源によって真偽が確認されていない。 つまりタリバンの 宣伝なのであり、タリバンの宣伝が全く信用できないのは定評がある)。 それにアフガニスタンの民衆はいま、街頭でタリバンの崩壊を歓喜して祝っているのである。 男は強制された髭をそり落と し、女は顔の被いを脱ぎ捨て、子供達は、5年間禁止されていた映画やテレビに夢中になっているのである。 そして国家とし てのアフガニスタンは国際社会の監視下で新政府発足の準備に入っている。 この新政権には同国の各方面の政治勢力が 参加してその意向が反映されるのはもとより、これまで社会的に抑圧される地位に置かれてきた女性にも門戸が開かれるはずである。 このただいまの現実を前にして、大江が"疑わしい戦争"と主張するのはいったいいかなる了見か。 どういう根拠があって 彼は、「この戦争は、アフガニスタンの人々を苦しみに陥れ、アフガニスタンという国家を混乱に陥れるものである」などと断 言するのか。 大江の目には世界が反対に映るのか。 それとも、大江は、タリバン政権支配体制が継続してアフガニスタン 国民は中世そのままの生活をしていればよい、専制支配のもとで呻吟し続けていろといっているのか。 まさかそうではあるまい。
大江の、西側の軍事行動がさらなるテロの危険をもたらすという主張は、左翼の好む論法であ る。 米国は自らの失敗を 認めて反省すべきだというが、どういう失敗を認めなければならないのであろうか。 彼の論理に従えば、米国が"反省"して軍事的手段以外の方法でテロに対処すれば、テロリスト はテロ行為をやめて二度 とテロは起こらないというのだが、相手の誠意に感じてテロをやめるようなテロリストがどこの世界 にいるか。 大江は、武力行使はテロに応えるにテロを以てするということであり、邪悪に対して邪悪で応える ことであって、事態を悪 化させるばかりだと言う。 それを避けるためには、いかなる軍事行動も一切取らず、それによって みずからが文明人である ことを証明せねばならないと主張する。 では、ひとつ尋ねたい。 真珠湾攻撃の際、米国はそれまでの対日政策の"失敗を認め"て、対日 石油禁輸政策を"反省" して止めれよかったのか。 米国が対日戦に踏み切ったのは誤りだったか。 ――その場合、おそらくアジア全域に日の丸の旗が翻る結果になっていたであろう。 さらに多数 の中国人や韓国人の生 命が失われたであろう。 そしてより多くの日本人の生命も失われていたはずである。 米国が日本と戦い勝ったおかげで、"事態を悪化させる"ことから免れたのではないのか。 米国が 氏の非難する武力を用いた結果、日本は降伏し、 アジア地域は大日本帝国の支配から解放された。 氏がその存在を長年批判し続けているところ の核兵器を使用したことによって日本の降伏は早まり、核を使わなかった場合よりもアジア諸国 の国民はもちろんのこと、 日本の軍人や民間人の死傷者も少なくて済んだのではなかったか。
解決方法を持っているというのであればまだよい。 しかし彼らにはなんらの具体的な代案もない。 それでいて反対ばかりする。 没論理性と無責任さは、左翼の顕著な特徴である。 私は、日本人である大江が自国の軍国主義とアジア侵略の歴史を厳しく批判する態度を賞賛す るのにやぶさかではな い。 しかしその彼が米国の核兵器を非難し、さらにはこのたびのアフガニスタンに対する軍事行 動に反対するのはあきらか に矛盾である。 日本の軍国主義を打倒するために、武力のほかにどのような方法があったのか、 氏にききたい。 ドイツ人グ ラスがヒトラー時代のファシストドイツを強烈に批判するのもまた賞賛に値するが、彼が東ドイツの 社会主義を賛美し、西ド イツの資本主義を批判するのは理解に苦しむ。 グラスは東西ドイツの統一にすら反対だった。 共 産主義とファシズムは残 酷さという本質においては同一の存在である。 これがグラスに分からないのは不思議である。 だ いたい左翼陣営の人間の 知的水準はそんな程度だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが。 今回の米国のアフガニスタン軍事攻撃は、第2次世界大戦における日本との戦争と同じである。 戦後の日本は軍国主義 国家から民主主義国家へと変貌することができた。 アフガニスタンとの戦争は、さらなる危機では なく自由のための戦争で あり、未来の平和と民主主義のための正義の戦争なのである。 大江、グラス、ソンタグをはじめと する左翼文学者の最大 の誤りは、"平和主義"を振りかざしてあらゆる戦争に無差別に反対することである。 彼らには正 義の戦争と不正義の戦争 の区別ができない。 寛容と善意は、邪悪をかえって保護助長するだけである。 その結果、人類は さらなる災難に見舞われ、 払わねばならない代償はさらに莫大なものになる。
>ドイツのギュンター・グラス、英国のルシュディー、米国のスーザン・ソンタグ のほか、日本の大江健三郎もまたそのひとりである。 大江のことをちゃんと知ってたら一緒にすんなって思うだろうな。
168 :
誰も私には勝てない :2005/05/05(木) 13:40:19
169 :
吾輩は名無しである :2005/05/05(木) 13:42:23
また火病か…
http://www.sabaneko.jp/wp/index.php?cat=42004/6/14 ねここねこクラシック日記:blog
定番の3バカ老人集合!
Filed under: General 妄想日記 プロ市民・キチガイ左翼 朝日新聞? かんな @ 4:13 pm
大江健三郎氏ら9人「九条の会」結成 改憲に危機感表明
あー、いつものメンツですね。加藤周一、大江健三郎、小田実という典型的左翼が揃いまして、
いつものアレです、ほら、あの、
「9条があればどんなときも平和☆ だってあたしたち、素敵なんだもの☆」
というやつです。後半意味不明。
しかし、小田実はまだいいとして、加藤周一や大江健三郎は下手に有名なだけによけいにタチが悪い。
大江健三郎はちょっとナニなところがあるからいいものの、
加藤周一なんて絶対的存在じゃないですか。知識人として。
この手の人らが言ってるんだから間違いない!と信仰する人がいるしなぁ……。いやはや。
171 :
吾輩は名無しである :2005/05/06(金) 19:48:56
群像6月号! さようなら私の本よ 第二部 死んだ人たちの伝達は火をもって
173 :
吾輩は名無しである :2005/05/06(金) 22:29:27
キタキタキタ!
「あいまいな日本の私」ノーベル賞記念講演(ストックホルム) 大江健三郎 広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、放射能障害を背負う生存者と二世たちが −−それは日本人にとどまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいますが−ー、 われわれのモラルを問いかけているのでもありました。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/3315/syutyou0194.htm 第194号 反日日本人の発言を垂れ流すNHK
〜安保討論に自衛隊を侮辱した大江健三郎を出演させたNHK〜
12月18日から20日までの3日間連続で、NHKは「シリーズ安全保障」というスペシャル番組を放送した。18日は「徹底検証・日本の備え。
テロとミサイルの脅威をどう防ぐのか」などを、19日には「変わる自衛隊・現場からの報告」などでしたが、この2日間で放送された内容はまずまずでした。
しかし、最後の20日に放送された「討論・日本の進路を問う」として、元内閣総理大臣中曽根康弘、元駐米大使栗山尚一、
元副総理後藤田正晴、ノーベル賞作家大江健三郎の4人で安全保問題を討論するというのですから、NHKはどうかしていると思いました。
特に反日日本人で悪魔の思想を持つ大江健三郎を出演させたとはNHKは人選を明らかに誤っています。
難解な文章を書く大江健三郎がノーベル賞を受賞したことは、これは特に批判することではなく、日本国民として喜ぶべきことであるが、
セットで授与される文化勲章は辞退したというのだからどう考えても正常ではなく、NHKがそれを知らないはずはない。
外国からの賞には、恭しく受賞をするが、日本のものとなると拒否するというのだから話しにならない。大江は祖国日本を愛していないばかりか、外国に行ってまで「日本の悪口」を言いふらす売国奴なのですが、
こんな大江に日本の安全保障問題を語ってもらうとは「NHKよ。何を考えているのか」と大きな声を出したくなる。
番組での大江の発言は当然にイラクへの自衛隊の派遣に反対していますが「派遣しない方が日本の将来のため、また子供達も誇りを持って生きていくことが出来る」
「自衛隊ではなく状況が安定したら文民を送った方が良い」「憲法9条があるのに自衛隊をすでに外国に送っている。
憲法改正を言う人はなぜ急ぐのか。20年、30年先を考えるとアジア諸国との平和的な関係が出来ると思う。憲法の規範に現実を押し戻すことが将来の(日本の)仕事です」「冷戦が終わり、仮想敵国がなくなっているのに北海道に大きな地上軍をおいている
自衛隊は災害救助をする別組織に変えるべきだ」「憲法の前文に『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した』とありますが、 これからはインターネットの時代ですから、国もあるでしょうが国民が横につながることが強くなり、諸国民の公正と信義に信頼する国に、またその信頼に応える日本人になって欲しい」などですが、もう完全のとんでしまっています。 中曽根氏が大江の発言を「空想的平和主義」と言って批判していましたが、当然でしょう。恐るべき悪魔のテロ国家北朝鮮の脅威が迫るなか、そんな国の信頼に応えていこうというのですから話になりません。 大江は「ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている」 と昭和33年に毎日新聞のコラム「女優と防衛大生」で述べたことはあまりにも有名ですが、こんな同胞である日本人を貶める発言をする大江健三郎はノーベル賞作家として知られているより、 戦後の日本をダメにした進歩的文化人の大江健三郎と言った方が知られているでしょう。 どんな立派な小説を書こうが親の悪口を言いふらすように自分の国と国民に罵声を浴びせる者は愚か者であり馬鹿にされます。自分の生まれた国を誇りにしない人間を誰が信用してくれるのでしょうか。 それにしてもNHKは、自衛隊のイラク派遣が決定した後に安全保障の関する番組を放送するのは時期としては良いかもしれないが、 私はイラクに派遣される自衛隊員には胸を張って堂々と行ってもらいと思っていますので、過去に自衛隊員を侮辱した大江健三郎をなぜ出演させ、再び自衛隊を貶めるような発言を許したのか。 こんな反日日本人の発言を垂れ流すから受信料を払いたくないという人が増えるのではないでしょうか。 税金が投入されている国営放送局に日本を愛しておらず自分の国の国民である自衛隊員に敬意を払わない反日日本人を出演させたNHKの真意とは何であろうか。 (平成15年12月) 私の主張・ひとりの日本人として
今日始めて「個人的な体験」読み終わったんだけど 村上春樹的な比喩が多用されてるのはナゼ? この人が春樹の影響を受けるのは考えられないから 春樹がこの人の影響を受けたってことでいいの?
いいんじゃないの。
180 :
吾輩は名無しである :2005/05/07(土) 16:17:16
>178 「村上春樹的な比喩」ってたとえばどんなの?
181 :
吾輩は名無しである :2005/05/07(土) 16:35:31
>>177 何が、一人の日本人としてだよ。
意味わかんねえアンデンティティ振りかざしてんじゃねえよ。
>>180 「けわしく乾いた眼のピューマのように」とか「ディズニーの映画で見たピーター・パンのように」とか。
あとなんかいろいろあったけど忘れた。ちょっとそれっぽかったからさ。
183 :
吾輩は名無しである :2005/05/07(土) 18:06:24
スイス政府「民間防衛」に学ぶ
−日本が敵国から武力以外による攻撃を受け、破滅へと導かれないように−
http://www.geocities.com/nokan2000nokan/switz/ 加治 隆介「倉地…俺は今つくづく思うよ」
倉地 潤「何を?」
加治 隆介「日本という国は本当に平和ボケした国だと思う」
加治 隆介「前から言われていたことだが他国のスパイがこれほど暗躍していても誰も気にしない」
倉地 潤「スパイ防止法がないからな」
加治 隆介「そうだ そういう法律がないことを むしろ誇らしげに思う国だからな」
加治 隆介「その誤った平和意識のツケが 今 確実にやってきているんだ」
虫の書評終わる 1月(発行日は2月)から(虫)という匿名書評家が「週刊朝日」に連載していた 「まっとうな本」というコラムが12月20日号で終了した。全12回。 一応1年間続いたので区切りはいいようだが、週刊文春が12月15日号に書いていたよう にこの終了は理由のないものではない。 虫が書いた大江健三郎批判が大江を怒らせ、週刊朝日が来年からスタートを依頼して いた小説に影響しかねないとしてこのコラムを終わらせたのである。 加藤明編集長が更迭され、内部昇格の形で鈴木健副編集長が編集長に昇格することになった。 その背景には朝日新聞社の箱島信一社長の意向があるらしい、という話も週刊文春の報 じるところだ。 虫の最終回が乗った12月20日号にはその人事と新編集長のあいさつが載っているのも、 いかにもという感じだ。 最終回の「言論の不自由」では、仲間ぼめばかりが目立つ書評の中で、厳しい批判 を書くのには匿名で書くしかなかったということを述べている。 大江の件には直接は触れていない。 うまく考えがまとまらないが、少なくとも週刊朝日のマーケティング戦略としてこ の戦略は拙劣だということを指摘しておきたい。 よくわからないが、いまどき大江の連載小説でどの程度の読者が取れるのか? 俺は大江の小説などが読者を増やす魅力になるとは信じられない。 虫の書評が文藝好きの連中を活気付かせたことは事実なのだから。 大江が朝日新聞への執筆も止めるなどと言い出した場合はその影響力はよくわからぬが、 くそおもしろくもない大江などを確保しておくことがそれほど重要なはずがないように思う。 狐の書評は本のよい部分を評価しようという書評だ。 それにたいして虫は批判する書評だ。匿名書評にはどちらも必要なのである。 批判する書評にはかつて風の書評があった。それが今はないのである。 連載終了は残念だ。 2002/12/9
>>184 救いようがない馬鹿が文章をかくとこうなるという好例
186 :
吾輩は名無しである :2005/05/09(月) 18:29:13
>>182 比喩のことはよくわからんけど
1973年のピンボールは万延元年のフットボールを意識したものだし
春樹も大江は読んでたはずだよ
187 :
吾輩は名無しである :2005/05/09(月) 18:37:08
村上はデビューにあたって大江のようなのは書くまいと思ったとかって
http://hiroshima.cool.ne.jp/hi_bi/h141114.html 平成14・11・14・木
「週刊金曜日」記者が平壌で曽我さんの家族にインタビュー、曽我さんは記事を読み動揺
「週刊金曜日」に抗議・批判メールが殺到
既に報道されている通り曽我さんの夫ジェンキンス氏と2人の娘にインタビューした内容を、アポ無しで曽我さん宅に訪問し本人に読ませたという話。
「週間金曜日」は蔑称「週間金正日」とも言われる国賊的左翼系週刊誌であり、当然ながら拉致被害者・家族への揺さぶりと分断を狙った北鮮のプロパガンダ垂れ流しの内容です。
そしてこの週刊誌の編集委員もまたいずれ劣らぬ国賊的左翼の連中…落合恵子・佐高信・椎名誠・筑紫哲也・本多勝一。
私はこの日のニュース23を注意深く見ましたが、筑紫哲也が自身と「週間金曜日」との関係に触れる事は無く、逆に“報道の自由”を持ち出し「週間金曜日」を擁護する始末であり改めて呆れてしまいました…
この件は“誘拐事件”であり、この種の事件の場合には人道上の観点からある種の“報道協定”が付きまとうのは常識のはず…自らの盲目的・狂信的イデオロギーのためには人道的配慮さえ省みないと言うことか?
普段は声高に“人権”を主張していながら、いざとなれば自らの“自己中心的な権利”しか考慮しないという左翼の特徴が如実に表れた出来事です。
「彼らは北鮮に利用されているのが分からないのでしょうか?」(蓮池・兄)
蓮池・兄さんのお怒りごもっともですが、しかし社会主義・共産主義に洗脳され、自ら進んで朝鮮人・中国人に魂を売り渡してしまった彼らの心にはその言葉は届かないでしょう。
かつて今ほど拉致問題が国民に関心を持たれていなかった頃、横田さん夫妻が街頭で署名活動をしていた時、 そのすぐ側で総連関係とおぼしき在日朝鮮人と左翼とおぼしき日本人達が(でっち上げの)従軍慰安婦に関する署名活動を始めて横田さん達の活動を妨害した事もあったそうです。 その様な数々の苦難を乗り越えて被害者家族は今日まで活動を続けているのであり、その彼らに対して左翼はこの期に及んでもなお“揺さぶりや分断”などの妨害を執拗に仕掛けていくつもりのようです… 私は拉致被害者及び御家族の皆さんを心から応援したいと思います。在日朝鮮人と左翼日本人以外の国民は全て皆さんの味方です! ところで戦後日本の民主主義をリードしてきたとされる“進歩的左翼文化人”達はなぜ沈黙しているのでしょうか? 彼らが戦後言論界をミスリードしてきた罪は非常に大きい…特にノーベル賞受賞者の大江健三郎… 「自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから…」 「日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけられているのでない。」 彼はかつてこのような(訳の分からない)事を述べ、朝日あたりと共に北鮮は“地上の楽園”と賛美し“北鮮帰国事業”を煽り、結果として餓死者などを増やす事に加担し、“日本人妻”の問題を生じさせた罪は極めて大きいと言わざるを得ないでしょう。 退場すべきは当然として、その前に自身の戦後の“主体的責任”を自らの言葉で総括すべきであり、“沈黙”は決して許されるものではありません! 最後に…以前より何度か記述していますが21世紀の今日、“かつては進歩的”“今では時代遅れ”の左翼系政治家・文化人・知識人…を、今後全て退場させなければならないと考えます。 世論を動かし、日本を“殴られた後に殴り返せる国”ではなく“殴られる前に殴り倒す国”という当たり前の国家に戻すべきなのですから…、 当然“話し合い”が前提としてあるのは言うまでもありませんが、最終的には国際社会では「力の論理」が物を言うのですから…
190 :
吾輩は名無しである :2005/05/09(月) 23:10:54
コピペ多すぎ。 2chに右翼が蔓延ってることがよく分かるスレだ。
>>世論を動かし、日本を“殴られた後に殴り返せる国”ではなく“殴られる前に殴り倒す国”という当たり前の国家に戻すべきなのですから…、 >>当然“話し合い”が前提としてあるのは言うまでもありませんが、最終的には国際社会では「力の論理」が物を言うのですから… やっぱり現実の人生で、力の論理に負けてしまったんだろうか。この人は。
蔓延ってるとは限らない。数人が粘着してるだけの気もする。
193 :
吾輩は名無しである :2005/05/10(火) 00:25:54
仮にそうだとしても大江が戦後世論をミスリードしたという罪は消えるものではない
そういう「今の日本が駄目なのは、ごく一部の悪人どものせいで、 そのごく一部の悪人さえ居なくなればたちまち日本はよい国になる」 みたいな幻想はさっさと捨てたほうがいいと思われる。
195 :
吾輩は名無しである :2005/05/10(火) 00:31:27
196 :
吾輩は名無しである :2005/05/10(火) 00:50:39
>>193 そんな事は一言もいってない
私はただ大江は自らの言動に対して責任があるのではないのか?と言っている
>>194 誤った北朝鮮に対する認識に基づいた帰国事業の称揚
この人は善い人だったよ。うん。
コピペしてる人は本気で大江の発言が戦後の世論を「ミスリード」してきたと思ってるのかなあ。 よくも悪くも、そういう種類の影響力はほとんど持ち得なかった作家だと思うのだけど。 ノーベル賞とったせいで誤解されてる気もする。
199 :
吾輩は名無しである :2005/05/10(火) 02:16:27
リードしていようが、仮にそうでなかろうが 自らの発言には責任がある
200 :
吾輩は名無しである :2005/05/10(火) 02:21:23
ここは文学板やぞ ええかげんに作品について論ぜよ
201 :
吾輩は名無しである :2005/05/10(火) 03:43:00
作品をとりまくありとあらゆる状況から超越したテクストなどというものは存在しない この状況の中にはもちろん作者も含まれる ならば文学について思索するに際して、作者というものを抜きにして語ることは出来ない また文学はイデオロギッシュな装置として機能し得るし、実際機能してきた歴史をもつ これを合わせ考えるならば作者の政治性、具体的には作者の政治に対する態度について言及することは充分に文学的営為であるといえる とりわけ大江は数多いる作者の中でも、奇特な程に出発の当初から文学の政治性ということでやってきており それは政治的にも文学的にもほとんど戦略ですらあったと私には思われるので 彼の政治的態度を問うことは文学的言説の領域であったとしても充分に意義のあることだと思う あと私は何かひとつのことに秀でていれば あとは別に何をしても何を言ってもご愛嬌という考え方は間違っていると思う
飲んべえ日記平成15年6月分
http://www2.odn.ne.jp/~ccq47810/h15.6.html 進歩的文化人って何??
6月3日火曜日晴れ ×××
日本人が好きだと言われている「進歩的文化人」「良心的文化人」って何なのでしょう。
その著書で嘘を書いたくせに謝ろうともしない本多勝一、他国の勲章は喜んでもらうくせに日本国の文化勲章はいらんという大ボケ大江健三郎、「平和ジャーナリスト」という仮面をかぶった筑紫哲也などなど、私には単なるバカ反日日本人としか思えません。
5月7日有楽町にある東京国際フォーラムで行われた「拉致はテロだ!国民大集会」には2万人が集まり六千人しか入場できなかったそうです。
それに対して、家族会、救う会、拉致議連などの主催者側の人たちは、臨時主会場と化した場外の入場できなかった多くの方々におわびのあいさつを何度も途中抜け出してしていたそうです。
この二万人も集まった集会を筑紫哲也の「NEWS23」は一切言及も報道もしませんでした。集会にゲストとして参加したドイツ人医師ノルベルト・フォラツェン氏のインタビューを放送しているに関わらずです。
氏は北朝鮮政府の打倒と変革無しでは飢えと病気に瀕している子供達を救うのは不可能だと悟っている。
そのフォラツェン氏はジャーナリストの西村幸裕氏に現在発売中の「諸君」にてTBSの姿勢を批判して語っている。そのまま引用させていただく。
「私は怒っているのです。私のインタビューが流れた日に、なぜ報道しなかったのかと問いただすと、TBS側はこういったんです。あれはナショナリズムの集会だったから放送しなかった、と。
・・・・・・・・呆れてものが言えませんでしたが、これから私は彼らとは闘っていくんだという気持ちになりました。」こう言ってフォラツェン氏は憤懣やるかたない表情で苦笑いした。
「拉致家族と朝日新聞&筑紫哲也の深すぎる溝」諸君7月号P76より
つまりTBSはこの集会はナショナリストの集まりと断定して、報道機関の義務である客観的な報道をみずから破棄しているのです。 1988年に改正によって放送法第1章の2に1連の編集関連規制があり A 1公安および善良な風俗を害さないこと 2政治的に公平であること 3放送は事実を曲げないで報道すること 4意見が対立している問題については、出来るだけ多くの角度から 論点を明らかにすること。 B,C(略) などとあり、こういった面からも偏向報道ととられても仕方ないでしょう。 まるで北朝鮮、南朝鮮、支那などと同じ姿勢です。 いや、まるで公共放送を私物化した北朝鮮側からの報道姿勢でしょう。 その報道姿勢が、日本から「強制連行」「従軍慰安婦」「教科書問題」「靖国参拝」などを問題化しています。 反日日本人が文化人なのでしょうか。 先頃発売された「奪還」とい著書の中で、蓮池透氏は「二つの国との闘い」「同じ日本人」としてという文中に日本の政府役人、土井たか子、村山富市、中山正暉、山本一太、田中真紀、河野洋平、青木宏之、 野中広務、鳩山由紀夫などのアホウぶり、小淵首相の涙を流してまでの演技などによる無為無策ぶりを 嘆いて、また朝日新聞を初めとする日本のマスコミの対応を怒りを持って書いています。 立川にてマルガリータさんにお世話になる。まだまだ歯の大工事が続く。 初めてのお客さま鳴海さん来店。MIKIKOさん来店。MINAKO姫来店。バンブーさん来店。 今日も早くから飲み、営業終了後にバンブーさんとMINAKO姫といっしょに「カヴェルナ」さんにいきそのあと「春」さんにいく。 大酔っ払い。記憶なし・・・・
中国に続き韓国でも反日活動
大江健三郎さん、韓国で日本の右傾化警告か ソウルでの講演に招待[050509]
ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんが24〜26日に韓国で開かれるソウル国際
文学フォーラムに招待されている。
これに先がけて大江さんが主催者側に送ってきた講演内容をマスコミが「日本の
ノーベル賞作家の国籍超えた反省」(東亜日報6日付)と報じるなど、韓国内で好意的に
受け止められている。
大江さんの講演する表題は、「我々は思ったより低く動き出さなければならない」
というもの。日本の平和憲法改正と右傾化を懸念する内容になっているという。
http://www.sjchp.co.kr/koreanews/20050509/2005050901.htm
205 :
吾輩は名無しである :2005/05/10(火) 18:41:55
そうかもしれないが、お前らここは「文学板」なんだぜ 文学に照準を合わせて論ぜよ
206 :
:2005/05/10(火) 18:52:21
>>193 きみは「ミスリードした」の意味を「ミスリード(誤読)」したってわけだな。
>>201 >とりわけ大江は数多いる作者の中でも、奇特な程に出発の当初から文学の政治性
>ということでやってきており
きみは具体的にどういう作品を念頭においているのだろうか?
>彼の政治的態度を問うことは文学的言説の領域であったとしても充分に意義のあることだと思う
きみはどういう「意義」があると思ってるのだろうか?
207 :
:2005/05/10(火) 19:06:12
>>201 さらにいえば、
>作者の政治性、具体的には作者の政治に対する態度について言及すること
これは確かに文学的営為になりうる、が、しかし、
問題はその言及の「質」であり「レベル」だろう。
これまでで明らかなように大江の政治性についてのまともな言及はない。
レベルの低いコピペをいくら貼ってもそこには何の批評性もないな。
大江のミスリード(誤読)と言えば源氏物語など枚挙にいとまがない
野依良治名大教授のノーベル賞の受賞式に、歴代のノーベル賞受賞者も出席していた。 その中に、「あの」大江健三郎の姿が・・・ 有名な話だが、大江は、ノーベル賞受賞に際して、日本政府から文化勲章を受ける話を断った。 理由は、「国家から表彰されたくない。皇室からもらいたくない」だった。 文化勲章を否定すること自体は、同じ日本人であることに恥入るが、 思想の問題だから、別にどうこう言うつもりはない。 しかし、だったら、どう考えてもノーベル賞も辞退すべきだろう? なぜなら、ノーベル化学賞は、スウェーデン王立科学アカデミーが国を代表して選定する。 授与するのは、スウェーデンのグスタフ国王だ。 国家が関与し、王室が授与するという点では、文化勲章も、ノーベル賞も同じである。 文化勲章がイヤなら、ノーベル賞だっていらないというのが当然である。 大江は、それはしない。その理由は何だろうか? 日本人のくせに欧米の視点に立ち、日本をバカにしているか、 一億円以上の賞金に目がくらんだか、どっちかだろう。両方か? 大江がノーベル賞を受けたことにも腹が立ったが、その後の記念講演も聞いていて呆れたことを思い出した。 日本がイヤなら、さっさと心のふるさと中国か北朝鮮に行けばいいものを・・・ そして、今また、性懲りもなくスウェーデンに呼ばれてのこのこ出ていく彼の気が知れない。 「国家の指図は受けない!!いちいち出ていけるか!」くらいのことは言えないのか? 恥知らずとは、彼のためにある言葉だとすら思う。
大江自身は政治的な小説を書きたいと思ってるだろうし、書いてるのだろう けれど、残念ながら(?)大江の面白さってそういうところには無いと思う。 大江のファンの多くも、大江の言説に政治的な意味では影響されてないのでは ないだろうか。大江文学の政治性を評価した本とか見たこと無いし。ていうか、 肛門にキウリ挿す本読んで左翼になるか?
211 :
悪の対話術 :2005/05/10(火) 23:36:32
>>201 やはり201は沈黙して昔の同一コピペ209に逃げたか(失笑
文学的営為たりうる大江の政治性についての言及はどうしたのかね?(嘲笑
212 :
吾輩は名無しである :2005/05/11(水) 05:20:01
>>206-207 二番目の質問に関しては
>作品をとりまくありとあらゆる状況から超越したテクストなどというものは存在しない
>この状況の中にはもちろん作者も含まれる
>ならば文学について思索するに際して、作者というものを抜きにして語ることは出来ない
>また文学はイデオロギッシュな装置として機能し得るし、実際機能してきた歴史をもつ
>これを合わせ考えるならば作者の政治性、具体的には作者の政治に対する態度について
>言及することは充分に文学的営為であるといえる
ということで説明できる
最初の質問に関しては、大江は初期の頃から性的人間・政治的人間
というワードを用いて自らの文学について自らのエッセーで言及しているし
(エッセーのタイトルは失念してしまったが)、この中で大江はこういったワードについて
自ら説明を施し、その政治的かつ文学的な意義について力説している
中期、というか、長男さんが生れてからも、
大江の政治性に対する志向は相変わらず強固でありつづけたし、
現代思想を摂取してからの作品も変わらずその通りであり続けた
でなければあのような一読しただけでは意味の通りにくい、
何通りにも解釈できる文体は説明できない
213 :
吾輩は名無しである :2005/05/11(水) 05:48:06
私は何も大江を批判したいが為に書き込んでいるわけではない 彼はほぼ間違いなく戦後日本最大の作家であるし 今後もその一人でありつづけることは間違いないと思う 私が問題にしているのは彼の発言に関しての責任についてである 彼は過去を反省しなくてもいいのか? 彼の一連の言動によって、不幸な選択をしてしまった人達に 彼は何の責任もとらなくていいのか? 確かに個人の行動は、最終的にはその人自身の責任でなんらかの決着が図られるべきものだとは思う それは誰のせいにも出来ない。その結果はその人自身が負うべきものであろう ならば大江はその発言に関して何らかの責任を負ったと言えるだろうか?
214 :
吾輩は名無しである :2005/05/11(水) 05:49:08
また大江の発言の実効性の有無を問題にして、 彼には責任が無いとの主旨の書き込みがあるが、それは正しい主張といえるだろうか 例えば、私が心憎く思っている人をハンマーで殴り殺そうとしたとする 幸いにハンマーははずれ、その人は無傷だ この場合私は、その人が何ら怪我を負っていないとしてその罪を免れるだろうか そのような主張が通るものであろうか? 中には、大江の発言は善意によるもので、 このような凶悪な意志に基づくものではないと非難する人がいるかもしれない しかしながら、善意にもとづいた行為であろうと、その行為の結果、 不幸を引き起こしてしまった場合、その人はその行為に関してその責めを免れるだろうか? 少し前、お台場で障害者がゲームセンターの遊具に乗っている際に死亡してしまった 係員はベルトがしまっていないにも関わらずその被害者を乗せてしまったそうである 係員はこの際、凶悪な意志を抱きこのような不幸を招いたのだろうか? 資本の論理はあるかもしれないが、 むしろ彼は出来るだけ多くの人に楽しんでもらいたいとしてこの被害者を乗せたのではなかったろうか? しかしながら、だからといって、その起きてしまった不幸に対して 彼はその不注意とか、認識の甘さについての過ちを許されるものだろうか? 大江だけが自らの発言に関して責任を免れることは許されない 何故彼だけがこうもぬけぬけと自らの責任について免除されているのか分からない むしろこれについて考えるほうが、日本の特殊な政治と文学についての状況を説明してくれるかもしれない 意外とこの方面から考察したほうが、あいまいな日本というものを理解できるかもしれない
215 :
吾輩は名無しである :2005/05/11(水) 08:15:20
私はもうこの件に関しては書き込まない 私は受験生なので時間がない 勝手に勝利宣言でもなんでも、したい人はしてくれて構わない 頭の賢い、大江文学を真に理解しているあなた方が、私を低能だというのならば私は低能なのだろう あと私をコピペを貼っている人と同一視している人がいるがそれは誤解だ それにその誤解はちっとも悪魔的ではない 世の中にはもっと悪魔的な行為や存在がはびこっているし それに比べればあなたの悪魔的存在の度合いなど糞転がしの糞みたいなものだ だからあなたは私に謝る必要は一つもない
作文でオナニーしてないでとっとと勉強しろ
http://walking.myhome.cx/es/es168.html 敵の敵は味方か?
味方を(+)、敵を(−)と考えると、
味方の味方は(+)X(+)→(+)だから味方
味方の敵は(+)X(−)→(−)だから敵
敵の味方は(−)X(+)→(−)だから敵
敵の敵は(−)X(−)→(+)だから味方
となって、とても簡単な論理式で表すことが出来るな。でも世の中、1+1=2になることばかりある訳じゃない。理屈通りにゃ行かないことが多い。
日本、韓国、北朝鮮がこのいい例だ。
前にも言ったように、日本が負けた後、以前のように強い国にならないようにと、アメリカは南朝鮮の韓国に反日の李承晩政権を作った。
李承晩政権は日本海に勝手な線を引いて、ここから北は韓国が資源を保護してる領域だから、勝手に入って来てはいけないと宣言した。
こんな事は国際法上意味がないのだが、本気になって巡視艇で日本の漁船を捕まえて韓国の港に連行し、船も船員も帰さない。何年間もだ。
そうして、日本が植民地にしていた弁償だと大金を吹っかける。
とにかく日本は戦争に負けてるんだから、どうしようもない。アメリカだって自分の損得に関すりゃ、おおいばりで出しゃばってくるが、そうでなけりゃ、すっぽりっぱなしだ。
所が、北朝鮮は韓国と戦争して一時休戦状態。38度線をはさんで睨み合っている。
つまり敵の敵は味方と言う考えで、日本の敵の韓国の敵の北朝鮮は味方だという考えに囚われてしまった者が大勢居たんだなあ。そんな単純な考えで北朝鮮びいきになってしまったんだ。
前に言った大江健三郎を始め、大勢の進歩的文化人と言われる連中が、これに引っ掛かって仕舞ったんだ。
寺尾五郎という作家もその一人で、盛んに北朝鮮礼賛をやった。
むこうじゃ、いい塩梅にお先棒担いでくれてる奴だから、いいとこを見せてやろうと、北朝鮮に呼んで、いかにも「素晴らしく見える、ショーウインドーのような施設」を見学させた。
その時に列車の中で騒ぎがあったらしい。彼の本を読んで北朝鮮は地上の楽園だと信じ、日本から帰国した朝鮮人青年達に襲われたんだ。 「オメーの本読んで信用して来たら、このザマで、ここは楽園どころか地獄だ。帰りたくたって帰しちゃクレねえ。どーしてくれる」 幸い、警官が来て助けられたんで良かったけど、危なく、殴り殺されるとこだったらしい。 え?その朝鮮人の青年達はどうなったかって?捕まって強制収容所行きだったそうだ。恐らくもう生きちゃ居ないだろう。 例の日本の最高の美女といわれた「吉永小百合」が初主演した映画「キューポラのある町」なんかもそうで、吉永小百合演じる主人公「ジュン」の親友の朝鮮人少女が、家族と一緒に地上の理想郷「北朝鮮」に大勢の仲間と帰っていくシーンなんかもあった。 それから、何回も手紙が来るが、向こうじゃ、学校は勿論のこと、病院は一切無料、本当の所は機械もないし薬もないらしい。一般庶民向けのはな。 日本にいたときは仕事が嫌いで、嫌々(いやいや)やってたお父さんが、北に帰ってからは見違えたように真面目になった。朝早くから夜遅くまで「金日成首領様」の為に働けるのが、嬉しくてならないんだそうだ。(笑声) こないだ、この映画についての批評をインターネットで読んでいたら、傑作な話があった。 あの映画は「在日朝鮮人を騙(だま)して地獄の北朝鮮に拉致するホラー映画」だなんて書いてあったよ。(笑声) 吉永小百合の初主演映画がホラー映画だったなんて、今の今迄知らなかった。(笑声) <脱線千一夜第168話>
しかし、大江の政治性を語るのって案外難しくないですか。 語り方が常に屈折してるので。
ここのウヨ馬鹿キショイな
>>216 まあ、いいじゃないか。言ってる事はまあ、マトモだと思う。ちょっと
自分に酔ってる部分があるが、若さゆえと言うことで許せる。
でもこの板、このスレでやる話題じゃないよね。
223 :
:2005/05/12(木) 00:21:04
>>212 >具体的には作者の政治に対する態度について
>言及することは充分に文学的営為であるといえる
だから、「具体的に」作者の政治に対する態度について言及して欲しいわけ。
どういう政治的発言・態度についてきみがどう考えているかを。
たとえば「17」という作品における主人公の描写の仕方については
きみはどういうふうに考えているのかな?
>大江は初期の頃から性的人間・政治的人間 というワードを用いて
>自らの文学について自らのエッセーで言及しているし
>(エッセーのタイトルは失念してしまったが)、
具体的な批評をするなら、エッセーのタイトルくらいあげなきゃしょうがない。
また大江は「その政治的かつ文学的な意義について力説している」とあるが
どう力説しているのか、またそれについてきみはどう思うのかが重要だろ。
「力説している」だけじゃ何も説明した事にはならない。
224 :
:2005/05/12(木) 00:22:12
>>212 (つづきだよ)
>中期、というか、長男さんが生れてからも、
>大江の政治性に対する志向は相変わらず強固でありつづけたし、
>現代思想を摂取してからの作品も変わらずその通りであり続けた
ここでも「政治性に対する志向」がどんなものなのか
「具体的に」何の言及もなければ、参照作品も挙げられていない。
きみが念頭においている中期作品は
『個人的な体験』『万延元年』『洪水はわが魂』のどれだい?
また、「現代思想を摂取してからの作品」とは例えばどの作品だい?
>でなければあのような一読しただけでは意味の通りにくい、
>何通りにも解釈できる文体は説明できない
この最後の2行はまったく論理性に欠けている。
「意味の通りにくい文体」の原因を「政治性に対する志向」に求めるのは
それだけではまったくナンセンスじゃないのかい。
225 :
:2005/05/12(木) 00:27:10
>>213 >私が問題にしているのは彼の発言に関しての責任についてである
もちろんテクストでも発言でも「責任」を問うのは構わない。
で、きみは「具体的に」どういう発言について語りたいのか、
それを言ってくれないことには話にならない。
>彼の一連の言動によって、不幸な選択をしてしまった人達に
「一連の言動」の一例ぐらいは「具体的に」挙げられるはずだろ。
そして「不幸な選択」というのはどういう選択なのかい?
226 :
:2005/05/12(木) 00:31:00
>>214 これに関しても
>>225 と同様で
「具体的に」例を挙げて、そしてきみの考えを述べてくれ。
話はそれからだ。
>>220 どこの板でもウヨは馬鹿キショイよ。
自己顕示欲が旺盛でさ。
なんか受験生。多分忙しくて、大江の本を読めないんだろうな。 大江は、そういった意味での政治的な作品は書いていない。 一般の読者を先導し、喜ばせるようなものは何一つ書いていない。 いい意味でも、悪い意味でも自分の書きたいものを書いた人だから。 政治的人間、反核という言葉に反応してるのかもしれないけど、 いつも大江は一歩後ろに引いていた。 責任は問われるだろう。そりゃ。でも大江だけじゃない。
たしかにコピペ厨はバカウヨだろうけど、
>>211 のようなまともに反論せず失笑だの嘲笑だの使うのも幼稚だね
http://www.ch-you.ne.jp/users/oguogu/otayori2002.htm 小椋年男信州だよりVOL79702.10.22
<「社会主義」のほんとうの終焉>
北朝鮮による拉致事件の真相暴露は類のない衝撃を私にそして全国民に与えました。
まるで007の映画で演じられるような犯罪が、現実に・一つの国家によって行なわれたことが生々しく世界中に明らかになったのでした。
北朝鮮はアメリカによって「テロ支援国家」のレッテルを貼られましたが、事実はそうではなく「テロ国家」であったのでありテロ集団を支援するのではなく国家そのものがテロを実行していたのでした。
私達はこの現存する国家による拉致行為に心底驚くとともに、もう一方で「社会主義国家」という20世紀最大の欺瞞の最終的な終焉をまざまざと映像で見ているのです。
ここで「最終的な終焉」と言ったわけは、もうどんなに政治に無関心で知識もない人にとっても「社会主義国」は最悪の制度であることが知れ渡ってしまったという意味です。
まことに「社会主義」という言葉は20世紀の便利な用語で、抑圧された人間の希望でもあり、独裁と粛清を正当化する言葉でもありました。
そしてなによりも「そこで実際にはなにが起きているか」を国際世論から覆い隠し、国を閉ざし一般国民の目と耳をふさぐための言葉として機能したのでした。
(中略)
なんという切ない、また当然の希望でしょう。20世紀初頭、ひとはそれを信じまたそうだからこそそれに挺身し、それを希望しました。
そうであればその後の「社会主義国家」の無惨な実状を前にして、誰よりも「反社会主義国家」を叫ぶべきは当の社会主義者でなければおかしいではありませんか。
むろんひとは現実の歴史の中で生きますので「社会主義国家」の戦慄すべき実相が当時の帝国主義国家によって宣伝されればそれを「反社会主義の宣伝」として取り合わないことも仕方のないことであったでしょう。
情報の中立性などということは最近の観念なのですから。しかしながら第二次世界大戦後、「社会主義国家」の真相がそれなりに客観的に知られるようになり、
ましてフルシチョフによってスターリン批判が当の「社会主義の祖国」から明らかにされて以降も、我が国の左翼や社会主義者たちは自分の力でほんとの姿を見ようとし考えようとはしませんでした。
(中略)
ふつうに考えて北朝鮮のような国家が「いやだなあ。あんな国には住みたくないな」と誰だって直感します。 常識で考えて今時そんなに偏向した歪んだ報道や出版物ばかりで報じられるわけもないのですから。でもここに普通の国民の常識を振り切って北朝鮮を心情的に擁護する人士が依然として存在したのです。 社民党(社会党)がその代表であることは天下白日の事実ですが、名を挙げれば大江健三郎・小田実などの文学者などを筆頭に 謂わゆる「進歩的」「民主的」、今では「人権」「反差別」や「環境」や「安全な食」などをリードする人士もまた多くはこうした北朝鮮擁護派(公言はしないでしょうが)なのです。 どうしてでしょうか。答えは簡単で北朝鮮が「社会主義国」を名乗っているからなのです。「社会主義」を自称すればその内容はどうかを問う前に、まずは「擁護すべき」と反応するのがかれらの習い性なのです。 私はもう一つ忘れがたく思い出すことがあります。私の勤めていた出版社は教科書裁判・家永裁判の当事者で組合は総力をあげ、会社も力を入れていました。 その時不思議に思いました。国家が教科書を検定するのにそんなに反対する思想の持ち主であるのなら、教科書が国定で一種類しかないような「社会主義国家」に一番反対するのはこの人たちでなければ筋が通らないではないかと。 こういう私の素直な議論が誰にも相手にされない世界。これが進歩的運動の真相だったのです。 あのみっともない<金丸・田辺訪朝団>で日本の北朝鮮に対する「戦後保障」が約束されました。 でも今一番支払ってもらわなければならないのは、自分の心に忠実に・自分の脳髄で考えれば解明できるはずであった戦後最大の拉致装置である「社会主義国家」を擁護し奨励してきた進歩的政党・進歩的知識人のまじめな自己批判であります。 (彼らもまた日本において無償の若い魂を観念の凍土に拉致したのですから) 北朝鮮に拉致されたあの人々はこのような内外の罪の犠牲者として存在していると、このことは私は言っておきたいと思います。
抑圧的、独裁的社会主義国家を一つ残しておく。 そんで、社会変革が起きたら必ず日本は社会主義国家になる、ということを 国民に教育しておく。 そうすると、国民は皆「今の社会はイヤだが、抑圧的で独裁的な社会主義は もっとイヤだ。」と思って体制に従順になる ウマー
『死者の奢り・飼育』(新潮文庫) 『芽むしり仔撃ち』(新潮文庫) 『個人的な体験』(新潮文庫) 『万延元年のフットボール』(講談社文芸文庫) この4冊は必読だね。
234 :
吾輩は名無しである :2005/05/14(土) 11:09:53
1970年代以降の必読書を5冊おながいします
236 :
吾輩は名無しである :2005/05/14(土) 17:23:47
「セヴンティーン」はちょっと落ちるね。
丸山の死亡記事(朝日新聞)のわきに、大江健三郎のコメントが載っていた。これ には笑ってしまった。このコメント(発言記事)だけが、きわめて印象的である。 新聞の追悼文は、次のように結んであった。 文化勲章の辞退のことで苦しかった時、先生から励ましの手紙をいただきまし た。そこでの、現実派知識人への上品な軽侮が愉快だったことも思いだします。 ここで「現実派知識人」とは、自民党支持の保守派の言論人総体のことを指している のだろう。そうすると、それとの対比で、丸山や大江は自分たちのことを、「理想派知 識人」だと考えていることになる。何の理想か?人類のあるべき理想か?大江のこ の肚のすわった居直りに近い発言が、気に入った。丸山は大江と同じで、最後まで反省 しないで、反体制、反保守、反資本主義を貫く気だ。彼らリベラル派の日本知識人は、 反省なんかしないで、自分の足元の現実が、ずいぶんと意に反したものになってしまっ たとしても、あくまで、旧来の自分の主張を貫いて、一貫するしか他にないのだ、と私 は思った。八〇年代に入ると、福田恆存が創始した「進歩的文化人」という言葉でひと くくりにされ、軽蔑され、批判され、揶揄される時代になった。ソビエト・ロシア(ロ シア・マルクス主義)=ソビエト帝国が滅んだのが九一年八月で、それから五年が過ぎ て、反体制・反保守派は、社会全体からすればずいぶんと旗色が悪くなりつづけた。し かしそれでも、朝日新聞(発売部数六百万部)に表われるごとく、こんなにも丸山たち はまだまだ強い。私のような、「負け組」(やっぱり自分は間違っていたな、負けだっ たと率直に認める考え)は、少数派であって、ほとんどは、ダンマリを決めこんで、日 本敗戦直後のブラジル日系人の「勝ち組」と同じく、まだ反保守のままである。どうや ら「反体制」であることはやめたようだ。従来どおり反資本主義ではあるが、何を次の 信念の柱にするかは見つからない。そういう現状だ。
丸山は、日本知識人の中では、ずばぬけて頭は良かった。丸山は、西欧政治思想が理 解できた珍しい日本人だ。だから、きっと西欧の近代思想家たちの伝統の方に逃れ出 て、そこを自分の柱(依りどころ)にして、生きたのだろう。即ち、丸山は知識・学問 伝統主義者だ。権力者や支配者を批判するヨーロッパ知識人の伝統に乗っかって行くと 決めたのだ。その丸山の本を読んで、それに頭の中だけ(生活は別だ)持っていかれた 者たちは、後に放ったらかしにされた。丸山のファン(信奉者)とは即ち、棄てられた 知識大衆だ。敗戦直後にファシストや天皇に棄てられたのも知識大衆だった。戦後、左 翼思想にしがみつき、のめり込み、そして、それに棄てられて、ろくな人生をおくれな かったのも、知識大衆だ。自分を知識層だと勝手に思い込んだ大衆だ。数十万人の特殊 な大衆たちだ。結局、大衆であることに変わりはない。その代表は、公立学校の教師の ような連中である。彼らが懸命に読んだのが丸山や大江の本で、丸山も大江も、つま り、人だましが上手な言論商売人だった。副島隆彦『日本の秘密』
239 :
吾輩は名無しである :2005/05/14(土) 17:33:25
>>212-215 のアンチは結局逃げてしまってヘタレだったし
残ってるアンチはコピペしかできないし、どうしようもないね。
>>208 >大江のミスリード(誤読)と言えば源氏物語など枚挙にいとまがない
詳細お願いします。
源氏物語についてどの本でなんと言っているのか
興味あり。
戦後民主主義者を自認してるけど戦後民主主義って民主主義でないのか? 大江って社会主義者、共産主義者っぽいものな
>>243 正解 戦後民主主義者を自認している大江のような連中の多くは
マルクスレーニン主義者で議会制民主主義を否定している。
2チャンネルのネットウヨと呼ばれる連中のほうが
議会制民主主義を信奉している。
それはそうだろうね。ネットウヨといえども、学校で毎日「ミンシュシュギって スバラシイ」って教育されまくってきたわけだから、民主主義大好きだろうね。
246 :
吾輩は名無しである :2005/05/16(月) 12:49:36
>>240 私は208ではありませんが、
『あいまいな日本の私』(岩波新書)という公演集に収録されている
公演で源氏物語について言及していたものがあったと思います。
たしか「大和魂」がどうのこうのとか言っていたような気がします。
今手元にないのではっきりしたことは言えませんが。
たしか源氏物語の大和魂は形式主義や教養主義として当てこすられている唐心と対比して持ち出される理念だったと思う
http://www.yshouse.com/~takata/himitu-6.htm 秘密の部屋(その6)
(NO,69)・・・・北朝鮮の礼賛今も風潮残る
金正日が拉致疑惑に対して「謝罪」をして以来・・
開けても暮れても北朝鮮のことがマスコミからくどいように流れてきます。
拉致被害者の近況も伝えられますが、少しそっとしておけないものでしょうか・・
以前、北朝鮮に渡った日本人妻が命からがら逃げてきましたが・・
「お帰りなさい・・よかったね」と言ってあげたい気持ちです。
日頃からマスコミに対して「間違った報道」に強い懸念を持っていました。
勿論、進歩的文化人と呼ばれる人達、評論家に対しても同じです。(彼らは胸を張って、正しいと思って報道しているでしょうが・・)
この気持ちを・・ささやかですが・・誰かに聞いてほしい・・
そんな時、産経抄の石井英夫さんの記事に出会いました。
今回、産経新聞の談話室に投稿したところ本日(2月5日)掲載していただきました。
「北朝鮮の礼賛今も風潮残る」
北朝鮮から逃れて日本人妻が帰国されました。
向うでの生活は、悲惨かつ地獄のようだったと推測いたします。
そして、命がけで逃れて来た経緯を考えると日本人として人ごとでないような気がしました。
私が中学生の頃だったと思いますが、近所に住んでいた在日朝鮮人のおじさんが真っ青な顔をして「息子が日本人の婚約者と北朝鮮に渡るらしい」と飛び込んできたのを覚えています。
そして新潟まで引き留めに行ったそうですが、フェンスの中にいて会うことができなかったと、かえって来ました。
「苦労して育てた息子が不幸になってしまう」と、おじさんが涙を流したのを覚えています。
当時は、共産国の躍進ぶりがテレビに映されていました。
労働歌を歌いながら赤い旗を持って楽しそうに作業している人たちの姿でした。
子供心にすごい国なんだなあと感じました。
でもそれは偽りした。
多くの人達が不幸になりました。
先日の産経抄には「当時の責任」が書かれていましたが、その風潮は残っているような気がしてなりません。
<先日の産経抄の記事> 北朝鮮を逃れて日本人妻が44年振りに帰国した<脱北行>には、胸のつぶれる思いがする。 出国から保護まで保護まで異例ずくめの展開だったが、胸のつぶれる思いがするのは、過去、北朝鮮は「地上の楽園」という宣伝にマスコミも加担した責任があるからだ。 この女性は昭和34年の第一次帰国船で、在日朝鮮人の夫と北朝鮮に渡ったという。 往時、「北朝鮮は医療費も教育費もいらない地上の楽園」と朝鮮総連は大宣伝した。 文化人、評論家、マスコミもそれに同調、帰還運動は熱狂的なブームになった。 しかしそれは真っ赤なないつわり、地上の楽園どころか実体は非惨の<地獄>だった。 ここに一冊の書物がある。 歴史的な証言といってもいいだろう。 金元祚という在日二世が著した「凍土の共和国」。 昭和59年、亜紀書房から出版された。 「北朝鮮幻減紀行」という副題がついており、金氏も<万景峰号>で北朝鮮へ。 ところが祖国はすさまじい荒廃の地だった。 人々は餓死寸前のくるしみにあえぎ、官僚は王朝貴族なみの特権を行使し、猛烈な思想教育がしかれていた。 その希望と怒りを「統一日報」に日記の形で連載したのである。 地上の楽園のうそをあばき、金日成・正日親子の神格化や世襲化をはっきり批判して、社会に衝撃を与えた。 同書はベストセラーにもなったのに、世間はいつかその衝撃の警告と教訓を忘れてしまったらしい。 小田実氏、大江健三郎氏をはじめ多くの文化人やマスコミが北朝鮮を礼賛した往時の検証は、山際澄夫氏の近著「拉致の海流」(恒文社21)にくわしい。 新聞はだらしなかったが、しかしあの時代にも悲痛な告発の書物はあった。 それを世に問う勇気ある出版社はあったのである。
250 :
吾輩は名無しである :2005/05/16(月) 20:12:55
情報捏造コピペばかりやなあ
251 :
240 :2005/05/16(月) 22:08:27
>>246-247 ありがとうございます。
「憂い顔の童子」では千樫さんが源氏物語を読んでましたね。
んで、みなさま今月の群像は読みました? 感想など聞きたいです。
http://www.tokyucleaning.co.jp/folder10/hakaisha.htm 「破壊者ウルトラマン」について
(前略)
ウルトラマンは故意に街を破壊しているのではない。怪獣による被害を最小限に食い止めるために、必死の抵抗をしているのである。怪獣の出現場所を指定できるというものではなく、ウルトラマンは常に怪獣の出現場所に出動しなければならない。
それゆえ、街を破壊してしまうのは不可抗力であり、決して故意に行っているわけではない。それをヴェトナム戦争にまで発展させる論理の展開は、それこそこじつけというものである。
「もしリアリズムによる怪獣映画があり得るとすれば、それはまず科学の悪、科学のもたらした人間的悲惨をも担い込んでいるウルトラマンこそを描き出さずにはおかなかっただろう。」・・とある。
大江氏の文章は「破壊者ウルトラマン」とあり、このタイトルを見てすぐに想像するのはハヤタ隊員が変身する初代ウルトラマンであるが、大江氏にとっての「ウルトラマン」は、ウルトラマンエースの事であるらしい。
多くの人にとって、初代ウルトラマンは神格化された存在である。さらにはそのすぐ後の「ウルトラセブン」には、悩めるヒーローが存在する。
「ウルトラセブン」こそが、大江氏の待ち望んでいた「科学の悪、科学のもたらした人間的悲惨を担い込んでいるウルトラマン」ではなかっただろうか?ぜひ大江氏には、「ウルトラセブン」を見て欲しかった。(中略)
円谷特撮における派手な都市破壊シーンや、爆破シーンなどが全く無害というわけではない。9.11のテロにおいても、あれをテレビで見た多くの人々が、「映画の様だった。」と語っている。
しかしそれは、3の項で書いたとおり、大衆が待ち望んでいるものを、円谷英二が第一人者だから撮影したものであり、円谷特撮が大衆を扇動したわけではない。
大江氏の文章を読んでいると、大人は意図して子供を特撮によって洗脳し、悪影響を与えている様にも感じるが、
大衆の求めるものが、常に人畜無害なものではないということ、さらには無理に押さえつければ、いずれば何らかの形で爆発してしまうということを考えて欲しいと思う。
大江、韓日600人参加「ピース&グリーンボート」に同乗
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/05/18/20050518000036.html 韓日から600人参加「ピース&グリーンボート」イベントへ
環境財団は光復(クァンボク、日本の植民地支配から解放された日)60周年を迎え、韓国と日本の市民団体の活動家、有名人、大学生などそれぞれ300人、計600人を船に乗せ、
韓国、中国、日本を回る「ピース&グリーンボート」イベントを開催すると18日伝えた。
8月13日から15日間行われるこのイベントは、東京を出発し、釜山(プサン)、仁川(インチョン)、丹東、上海、沖縄・那覇を経て長崎に帰航する順で進められる。
この船には高建(コ・ゴン)元首相をはじめ、詩人の金芝河(キム・ジハ)氏、作家の?潤基(イ・ユンギ)氏、池銀姫(チ・ウンヒ)前女性部長官、歌手のチャン・サイク氏、
ノーベル賞受賞作家の大江健三郎氏などの有名人も同乗する予定だと環境財団側は伝えた。
コピペなど見飽きているが「ぜひ大江氏には、「ウルトラセブン」を見て欲しかった。」だけは読むたびに笑ってしまう
http://cigardiary.cocolog-nifty.com/komacchi/2004/09/post_7.html 一日一煙 シガーをくゆらせながら考える
2004.09.15
大江健三郎の「民度」(本日のシガー:パルタガスコロナスマイヨール)
静かなぬくもりを感じさせる小粋な感じのスモールシガーだが、パルタガスらしいスパイシーな主張もちゃんとしている。
今では朝日新聞くらいしかメディアでは顔を見せなくなった大江健三郎(朝日新聞では必ず「ノーベル賞作家」の肩書きつきで紹介される面白い人物である)が14日付朝刊に寄稿した
「伝える言葉」と題した長文は、内容のなさもさることながら、いわゆる進歩的文化人に特有の意味のない優越感がはしばしにうかがえて興味深い。
前半では延々とドストエフスキーに関する薀蓄(にもなっていないが)を語ったかと思うといきなり脈絡もなく石原知事批判に話が飛ぶが、
(ドストエフスキーを呼んでいるインテリなのだ、と言いたいのかもしれないが、ジョイスやプルーストならともかく、ドストエフスキーなど自慢になるようなものでもあるまい。
サーニンやショロホフなど党中央の覚えめでたい作家のほうがよかったのでは、などと野暮は言わないが。
それに、「生徒に最良の勇気を与えるダイジェストを作ろうと、長編の、子供たちについての部分だけを抜き出して編集することになる『カラマーゾフの兄弟』」って何だよ。
スメルジャコフもゾシマも出てこない子供だけのカラマーゾフ?わけがわからん)
「石原都知事の任命した六人の教育委員は、来年開始される中興一貫校で、全国で0.1%にみたない数しかつかわれていない、「新しい歴史教科書を作る会」という政治的な主張をもったグループの教科書を選びました。」 と抜けぬけと書いているのはどういう意味なのだろう。 その理屈で行けば100%採用される国定教科書が最も優れていることになるが(たぶんそう思っているのだろうが)他の教科書には「政治的な主張」が一切ないとでも言うつもりなのか。 また、石原知事がアジアカップにおけるシナ人の振る舞いについて「まあ、民度が低いんだから、しょうがないね」と言ったことを槍玉に挙げ、 「民度という言葉は、民俗学者柳田国男が、その全著作に一度も使っていないことでもわかる、差別的な表現です。」と何とも珍妙な批判を展開している。 どうやら自分自身が、石原氏を知事に選んだ東京都民は民度が低い、と批判したことをすっかり忘却しているようだが、今では忘れ去られた民俗学者が使っていないから悪い言葉だ、と言うのはいったいどんな論理の構造なのだろう。とあきれながら読んでいくと 最後になって唐突に 「確実に引き返しうる道は、日中双方で見えているのです。首相が、靖国参拝を撤回することです。」と来る。 これが書きたいためにぐだぐだと三百代言を述べてきたということか。どうやら大江センセイの「民度」も知れたものらしい。なお、大江の大好きな「戦後民主主義」という言葉は柳田の著作には使われていない。
258 :
吾輩は名無しである :2005/05/22(日) 23:45:36
ウルトラセヴンティーン
持ち味が弱者の愚痴と遁走なんだから、若い頃のように徹底してりゃいいのに 息子も家族も国も全部捨ててさ 文学賞がないてるよ>大江くん
260 :
吾輩は名無しである :2005/05/23(月) 23:33:06
コピペをはりつづけている大江コンプレックス症例の人は 文壇BARの住人かな?
261 :
吾輩は名無しである :2005/05/23(月) 23:54:52
http://www.doblog.com/weblog/myblog/13969/1384620#1384620 2005/05/19のBlog恥知らずな報道ステーション
[ 09:43 ] ライドショウ ] 私はテレビというモノをほとんど観ないのでこのエントリのソースは2chなんですが、昨夜の報道ステーションで「帰国事業は壮大な拉致」「日本人拉致に比べれば何十倍も
大きな問題」との発言があったそうです。もう呆れてモノが言えませんね。だいたい、当
時「北朝鮮は地上の楽園」と帰国事業を煽ったのは朝日新聞や小田実、大江健三郎と
いったサヨク言論なのですが。
それに帰国事業は在日朝鮮人の求めに応じて行った人道的事業ですし、今更とやかく
いわれる筋合いはありません。まして朝日は煽った張本人ですからこれをマッチポンプ
と云わずしてなんと云うのか、と。古館は「地上の楽園と騙されて」と何度も強調してた
そうですが、騙したのは誰なのか知ってて言ってるんでしょうか。
おまけに「日本政府の責任だから呼び戻そう」とかお花畑なことを言ってたらしいですね。
私が実際に観てないので詳しくわかりませんが、いけしゃあしゃあとこんなことを放送
するテレビ朝日に怒りを感じます。
更新日時:2005/05/19 10:
263 :
かくれんぼ :2005/05/24(火) 18:14:50
そういや大江って、女の描写が下手だよね。 どの作品を見ても(中期までしか読んだことないが)、女のセリフに特徴 がない。
大江にとっては(かっこつきの)「女」なんてどうでもいいんだろう。
265 :
吾輩は名無しである :2005/05/24(火) 22:36:24
ちんぽついてる女ってこと?
266 :
吾輩は名無しである :2005/05/24(火) 22:46:58
>>263 >女の描写が下手だよね。
大江自身がエッセイでそれを指摘されたことがあると書いてたね。
『新しい文学のために』だったっけかな。
まあ他の作家に比べて確かに女性描写には長けてないね。
267 :
吾輩は名無しである :2005/05/24(火) 23:35:26
そういう女性描写をわざと 書いているという可能性は?
269 :
266 :2005/05/25(水) 01:12:42
>>267 大江自身が、そういう指摘を受け止める必要があると書いてた記憶があるけど、
今度本を具体的にあたってみるんでちょっと待ってて。
http://blog.goo.ne.jp/osaka-daisuki/e/b8b8254f01f19c880db6e75159100b34 憲法記念日
Weblog / 2005-05-03
★「尖閣諸島に自衛隊を」★民主・枝野氏
民主党の枝野幸男憲法調査会長は1日のテレビ朝日の報道番組で憲法改正問題に関連し「尖閣諸島は日本が実効支配している、自衛隊の部隊を置き、他国に侵略されないようにしないといけない」と述べた。
民主党は2004年参院選マニフェスト(政権公約)で尖閣諸島・竹島を含む領土を「守る対策を進める」として、警備強化などを求める衆院安全保障委員会の決議にも賛成しているが、党幹部が自衛隊の駐留に言及したのは異例。
枝野氏は9条改正に関しては「『自衛』はどこまでも範囲が広がっていく可能性がある」と指摘、現行憲法解釈を基に自衛の範囲を条文で明確にすべきだ
との認識を示した。
*********************************************************************************
ほほう、枝野もなかなかわかっとるじゃないか
民主に置いておくのはもったいないほどだ
自民の安倍さんでも、自衛隊出動までは言及していなかったはず
こういう法律に明るい若手議員をもっと育てていくべきだ
隣の金ちゃん王国はミサイル発射練習したらしいけど日本海に向けて発射といっても、せいぜい海岸から東に向かって立小便した程度の話であって、今回は問題にならない
しかし、そのうちトチ狂って弾道ミサイルを撃つかも知れないから要注意だ
それより問題なのは、北朝鮮のミサイル兵器の、ほとんどの部品が日本から万景峰号を利用して輸出されたものとされていることだ
この点については、政府ももっと監視を強化し、総連など援助団体にも積極的に働きかけていくべきではないかと思う
それにしても、毎年この時期になるとボウフラのように湧いてくる「9条の会」だが、呼びかけ人を見ると、井上ひさし、大江健三郎 小田実はじめ、どうしようもない顔ぶればかり 「中国の反日デモは、日本政府が謝罪しないから、日本が悪い」 「改憲すれば、すぐさま徴兵制復活、軍国主義へまっしぐら」 「日本も北朝鮮や中国の民主政治を見習うべきだ」 「アメリカが原爆を投下してくれたおかけで終戦が早まった」 「北朝鮮の拉致事件は、日朝国交正常化を怠った日本の責任である」 などのトンデモ発言を連呼して止まない連中である (もっとも、発言の自由そのものは守られるべきだと思うが) そして、武力による国際紛争解決はあり得ない、と主張するくせに韓国の竹島不法占拠や、支那のチベットやウイグル軍事支配には目を瞑ってノーコメントというダブルスタンダードぶりが特徴である さらに「戦後の長い平和は、憲法第9条のお陰」と強弁するくせに「アメリカの核の傘の下の平和ではないのですか?」との質問もネグッて一切答えようとしないのが、彼らの「一国平和主義」なのである 以前にも小欄で記したように、国際紛争解決手段としての武力行使を憲法で禁止している国は軽く100か国を超えているし、現実に徴兵制を行っている国もかなり減ってきている (G8経済先進国の多くが志願制に変化してきているのも事実) また日本の憲法は、世界でも極めて古く、たった一度の改正もされないまま60年近く使われており、時代との整合性に問題があると感じているのは決して少数派ではない 憲法記念日は、単なる祭日ではない、これからの日本の成長と発展のため 国民ひとりひとりが、占領下でお仕着せ施行された日本国憲法を考える日でもある
273 :
吾輩は名無しである :2005/05/25(水) 09:42:39
さすがに今回の韓国でのリップサービス?には呆れたな 信念や理想と言うにはほど遠い。日本に対する厳しい視点はかまわないと思うが、それが一歩でも国の外に出ると思考停止になってしまうかのよう。 あまりにも偽善的すぎる。結局それができたのはオーストラリアの抗議に乗っかった形でのフランスの核実験に対する抗議だけだったな。 それじゃなくても今、韓国との関係が微妙なときにわざわざ日本を誤解させようとするかのようなこと言ってどうするのかね? 本人は憲法のために韓国を利用してるつもりだとしても、結局利用されるのは大江の方。 戦争を準備するとか、韓国の政治家お得意の困ったときの日本叩きに感銘を受けたとかいうのは開いた口がふさがらんな。 畢生の大作というべきものがまだないんだから、小説に専念してくれ
大江ってのは臆病で自分に対する批判に敏感な割りに、 そういう批判でもって自分の中の世界感が大してぶれないという ある種真性でオメデタイ感が魅力でありオモロイとこでありムカツカ れるとこでもあり、こいつはダブスタで影でコソコソやって馬鹿な理想主義者 としつこく衝いても、それは不毛なのか有意味なのかムニャムニャ。
275 :
吾輩は名無しである :2005/05/25(水) 18:43:18
ムニャムニャってなんだよw>274
276 :
266 :2005/05/26(木) 00:04:23
>>267 >大江の女性描写
記憶違いで『新しい文学のために』じゃなく『小説の経験』だった。
文庫P49からの「漱石の女性像」というところで、
「この作品には女が書けていない、という言い方が有力でした。
論理的な道すじをたてての批評ではありませんから、反論しようがなく、
若かった私は苦しい思いをあじわったものです。」
「小説における女性は、このようにして最初からやっかいな課題で、
若かった私はこの主題そのものに反撥していたと思います。」
と書いてあったよ。
277 :
266 :2005/05/26(木) 00:05:47
しかし、『小説の経験』所収の「漱石の女性像」を続けて読むと 大江は次第に女性を描くことの重要さに気づいたといい、 作家における女性描写の重要性が典型的に感じられるのは漱石だとして、 なかなか面白い漱石論を書いてた。 あと『新しい文学のために』のほうでは「神話的な女性像」というテーマで ドストエフスキーやフォークナーを取り上げながら2章をさいて論じてる。
四方 洋のコラム
http://home.e03.itscom.net/npo-ns/ryokudo/column03.html (12月9日号) 週刊誌編集長のクビ
週刊朝日の編集長がやめました。
週間文春によると表向きの理由は「部数の低迷」実は大江健三郎氏を酷評したこと、のようです。
アエラの編集長も更迭で、同時の交代は珍しい。週刊誌ダネになりましたが、交代のあいさつがのっている週刊朝日には講談社の編集局長のスキャンダルがのっています。お互い刺しあっています。
雑誌の編集長が切られるとき、もっとも大きな理由は部数です。落ちこんでくると交代です。
プロ野球の監督に似ています。負けがこめばクビです。例外は長嶋茂雄さんで、能力はなくなっても人気で保ちました。負けがこんでも続けていましたが、それでも限度はありましたね。
わたしもサンデー毎日の編集長をクビになりました。社長の怒りを買ったからです。発端は「岸信介の"犯罪"」とやったからです。見出しがいけません。
岸信介事務所から抗議されて、この社長はひとたまりもありませんでした。
「編集長のクビを差し出す」と早々に約束しました。部数は健闘していたし、広告もよく集めて収益は上がっていたのですが、ダメでした。
当時の社長は「雑誌を回収して刷りなおせ」とまでいいましたが、私は編集権は私にある。刷り直しは拒否するが、人事権はあなたにあるので解任するならどうぞ」といいました。ちょっとカッコよかったかもしれません。
社長は「編集局のラインにつけるな」と申し渡し、以来編集委員を8年やりました。干されたのです。(中略)
先日編集長の先輩が亡くなりました。74歳でしたが、この人は作家とのトラブルでクビになりました。
「不毛地帯」(山崎豊子作)の盗作さわぎがあり、連載を中止、作家との間がもめました。結局、作家の方が強くて、編集長は身を引きました。華やかにみえるが、きつい仕事です。
週刊朝日編集長が最後のページに書いているあいさつにはくやしさがにじんでいました。
彼には「書きまくれ」とアドバイスしたいです。
279 :
その1 :2005/05/28(土) 03:56:21
渡辺一夫経由でラブレーにおけるグロテスク・リアリズム(←バフチン)のイメージを基調としつつも、 初期は、渡辺一夫経由でサルトルにおける実存主義的意匠を吸収して作品を執筆。 中期以降は、山口昌男経由でレヴィ=ストロースにおける構造主義的意匠を吸収して作品を執筆(文化人類学、「中心と周縁」など)。 要するに、大江は、実存主義→構造主義というフランス現代思想の浅薄なブームに便乗して作品を執筆してきたにすぎない。 戦後は60年代頃まで、サルトルが当時の日本の知識人のアイドルだった。 大江や野間宏や加藤周一など、サルトルをもてはやした。 サルトルはマルクス主義者だったから、ソ連や中国の体制を賛美していた。 サルトルに追従していた大江も、当然、中国や北朝鮮を賛美していた。 共産党や労働党の独裁体制の実態を知りもせずに、だ。 中国も北朝鮮も、一党独裁体制だから、野党が存在しないし、当然、議会制民主主義も存在しない。 にもかかわらず、大江は、「民主主義者」を自認してきた。 このことは、大江が、民主主義というものを根本的に理解していなかったということの証左だろう。 本当の民主主義者ならば、独裁国家を賛美するはずがない。 政治オンチのくせに、サルトルのブームに乗せられていたにすぎない。 所が、レヴィ=ストロースの登場以降、サルトルは時代遅れとされてしまった。 ようやくその事に気付いた大江は、70年代に入り、実存主義から構造主義へと、乗り換える。 その「乗り換え」=転向の態度は、あまりにも、あからさまで醜悪なものだ。 作品における、その転向後の悪しき代表例が、『同時代ゲーム』だ。
280 :
その2 :2005/05/28(土) 03:57:08
周知の通り、70年代以降、大江は、徐々に読者を失っていく。 60年代までは、大江は、ベストセラー作家だったが、サルトルの退潮とともに、大江も退潮していく。 実際、サルトルのブームの時期と、大江のブームの時期は、ほぼ重なっている。 結局、大江は、サルトルのエピゴーネンにすぎなかったということだろう。 フランス現代思想では、フーコーやデリダやドゥルーズの登場により、日本では浅田彰の登場により、 サルトルの退潮は決定的なものとなる。 いわゆる構造主義→ポスト構造主義というブームの変遷だ。 70年代以降、大江は、ピアジェ、フォークナー、ブレイク、ダンテ、などの意匠を吸収・引用ながら作品を執筆する。 中国や北朝鮮を、過去に賛美していたことは、当時のエッセイなどを読めば明らかだけれども、 今現在、大江が、どう考えているのかは知らない。 今も肯定しているのか、今は否定しているのか。 思想の自由は認められてしかるべきだから、大江がどう考えるかは全くの自由だ。 政治的発言の内容を批判するのも自由だが、発言する権利そのものは奪われてはならない。 今の大江が、独裁体制を否定しているのならば、誤解を解くためにも、何らかの形で弁明した方がいいだろう。 そうしないと、必要以上の批判を浴び続けることになるし、言論人として不誠実だと言われても仕方がない。 とは言え、俺は、少なくとも初期の大江の文学作品には、サルトルやガスカールの影響を度外視しても、 評価できるものがあると思う。 特に、『芽むしり仔撃ち』や『万延元年のフットボール』は戦後文学の傑作だと思う。 大江の政治的発言には同意できないことも多いが、 大江の人間性とかは、どうでもいいし、特に嫌悪感もない。 偏執狂的なアンチのコピペもどうでもいい。
282 :
ひとつ質問ですが :2005/05/28(土) 20:31:00
>>280 >特に、『芽むしり仔撃ち』や『万延元年のフットボール』は戦後文学の傑作だと思う。
どういう点でこの2作を評価してるのでしょうか?
283 :
吾輩は名無しである :2005/05/28(土) 20:58:36
犬には、良いにおいを立てて湯気を上げながら皮を剥かれる権利があるとは思わないのか。
同時代ゲームめちゃめちゃ面白いじゃん。
285 :
吾輩は名無しである :2005/05/28(土) 21:38:10
イヌはネコにはなれない猫背でがんす
NAKAMOTO PERSONAL WEB SITE
http://my.reset.jp/~nakamoto/diary0406.html06/11 <「笑ふべし」(荷風)>
「大江健三郎氏ら9人『九条の会』結成 改憲に危機感表明」(朝日新聞)
→
http://www.asahi.com/national/update/0610/042.html かつて、「自分の帰るべき朝鮮がない」と失笑を買った大江健三郎氏を始め、加藤周一、小田実氏と、そろいもそろって北朝鮮寄りの発言をして来た三人組。
曰く、「改憲の意図は日本を『戦争をする国』に変えるところにある」と。
おそらく、彼らは日本人を信じられないのではないか。
日本人は好戦的で、歯止めの利かない、自制心のない国である。と思っているのではなかろうか。
日本が“九条”を持つ唯一の国であるならば、“九条”を持たない、他のすべての国々はどうなのだろうか。
言うまでもなく、日本国憲法は、アメリカがフィリピンのために作った憲法を日本用に手直ししたものと言われ、原文はもちろん英語です。
施行当時、永井荷風はこう言っています。
「米人の作りし日本国憲法今日より実施の由。笑ふべし。」
福田恒存は言います。(『日本人への遺言 』より)
「現行憲法に権威が無い原因の一つは、その悪文にあります。悪文というよりは、死文と言うべく、そこには起草者の、いや翻訳者の心も表情も感じられない。 (後略)
287 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 10:45:49
大江と小田はこんなもんだろうと思ってるから驚かないが、加藤には失望した
288 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 10:58:23
ていうか、嘘つき過ぎ。 自分にまで嘘つきはじめたら 作家としてもうおしまいじゃん。 だれがそんな汚い文章読むわけ? よく自殺しないよね。まぁ自殺しないからこそ 彼らの本質がよくわかるわけだけどね。確信犯。
大江の小説の登場人物が書き込んでるみたいだな
290 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 16:17:10
291 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 16:45:14
ご本人登場でつか?
292 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 18:05:10
ホント大江は糞でどうしようもない作家だよ まぁそこがおもしろいんだけどねWWWWW
293 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 18:06:15
294 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 18:17:34
295 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 19:56:42
「大江のこの時代の本は、フランスの思想家○○の影響下にあって、次のこの時代の本は。。。」 とかそういうのって「お勉強的知識」だから、論じやすいのは論じやすいと思うけど、単純化は あまり面白くないと思う。
サヨクの分類
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Olympia/8925/sayoku/nini_01.html <3> 下級サヨク(ただの純粋馬鹿サヨク)
(戦略論についての自覚ナシ & 心情論についての自覚ナシ)
マジで「従軍慰安婦強制連行」とか、「南京大虐殺」を信じ込んでいる。社会主義へのシンパシーはおお
むね少ない。マジで指導的なサヨクをヘーワとかジンケンのために戦っている立派な人などと信じこみ、
ソンケーしている。
こういった連中に、サヨクによるヘーワ運動やジンケン運動の戦略的な目的を指摘しても、
「戦争を起こそうとしているなんて、シンジラレナイ」とひたすら答えるのみで、その可能性の
考察を行う余地はない。指導的なサヨクへの信頼、帰依はおおむね完璧であり、
彼ら以外からのいかなる論理的指摘も受け付けない。
学校などで反日映画や反日写真をなどを見せられ贖罪意識を刷り込まれて
これになるなどという経緯が多い。時に学習能力に秀でて思考能力が低い、
いわいる秀才タイプがよくなる。もちろん学習能力の低い者もこれになりうる。
吊し上げをしてイイコトした気分に浸りたいだけの自分の卑劣さを認識できない。
マジで自分がイイコトしてると思い込み、自分に酔いしれている。
ほとんどのサヨク学生。日教組の下部組織にいるサヨクセンセイ。サヨク系市民運動で
がんばるオバチャンなどがこれだ。大江健三郎氏あたりも、上級サヨクというより下級に属する
のではと思われる。幼少期にアメリカ兵に投げ与えられ食べたチョコレート(現憲法)の味を
忘れられない種類の。
298 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 21:45:02
大江って左翼のレベルでは下級だったのか!! 民主主義のレベルでは下級以下だけどさw 文学者のレベルでは上の下というのが救いだな
大江ってほんとに文学に救われてるよね。文才なければただの妄想ジイさんだよ。
300 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 21:55:48
大江の政治的言動なんてたいした影響力はないよ。 文学者の影響力なんてたかがしれてる。 それを過大に中傷するのは政治オンチのパラノイアックなウヨだけ。
301 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 21:59:33
読むのめんどいから頼むよ 自演かどうかはしらんけど今までこんな評価された批判て少ないでしょ
やりたければどうぞ。ただしディーセントに
304 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 22:03:43
ぜひお願いします
305 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 22:04:53
ぜひお願いします! 調子のってるバカウヨに一発くらわしてやって!
バカウヨとか関係ねーよ 大江を批判してるのがウヨばっかと勘違いされてるのも問題だな 同じサヨだって大西巨人や埴谷も批判してるでしょ
307 :
301 :2005/05/29(日) 22:09:03
309 :
301 :2005/05/29(日) 22:18:10
>>305 おそらく
>>306 のいうとおり
>>279-280 はバカウヨじゃない。
コピペしかできない人間じゃないことはわかる。
ある程度の知性は感じられないこともない。
だからレスの半分は同意できる内容なんだが、
あまりにも単純に図式化されたものだからつまらないし
強いて取り上げるほどのものでもないが。
310 :
301 :2005/05/29(日) 22:36:16
311 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 22:38:27
バカウヨはキショイ バカウヨはシネ
>>311 工作乙。いまさらウヨもサヨも同情されないよ
313 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 23:38:57
工作とか言いだす奴って2ちゃんねるのやりすぎじゃね? アタマダイジョーブ?wwwwwwwww
314 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 23:40:59
>313 2ちゃん的煽り乙
戦後民主主義という自己欺瞞
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/1305102.htm (前略)
戦後民主主義という名前の思想運動は、日本的なものを否定し、
アメリカから押し付けられた憲法体制を、盲目的かつ後生大事に守り続けてきた。
戦争によって受けた心の傷を見ないように見ないようにしながら、50年過ごしてきた。
アメリカににらまれないことだけを考えてきたのだった。
数年前、作家の大江健三郎氏は、クリントン前米大統領の原爆投下謝罪は必要ない、
と長崎の講演で言った。このコトバを自分なり
に意味づける作業を通じて、私は戦後民主主義の正体を感じ取った。
戦後民主主義という思想は、敗戦とその後の混乱の時代に、命あってのものだねだ、
過去は忘れてアメリカのいいなりになろう、何が正しいかなんて考えないほうがいい、
深く根源的に考えることは危険だ、といった風潮とともに生まれた
欺瞞に満ち溢れた思想だったのだ。
この思想があるから、今の日本の政治家も、ジャーナリストも、
財界人も、官僚も、みんな発想が硬直して、事大主義的になってしまい、
正しくものごとを判断できない。
戦後民主主義をすべて否定しない限り、日本はよくならない。敗戦の心の傷を直視し、
それを癒して、乗り越えないかぎり、日本の混乱は続く。
閉塞した日本の状況をうち破るのは、表面上威勢のいい石原慎太郎さんのような
政治家ではなく、ロマンを捨てずひたすら現場と住人の意見に耳を傾ける
田中康夫さんのような政治家だろう。戦後民主主義の否定は
、国民の生活感覚に基盤をおいてしか行いえないからだ。
得丸久文
316 :
吾輩は名無しである :2005/05/30(月) 12:45:39
>315 パラノイアコピペ乙
317 :
吾輩は名無しである :2005/05/30(月) 22:14:59
大江はたしかに『万延』でも『洪水』でも作品に政治的なものを持ち込んだ。 ただ、その「政治性」と同時に持ち込んだのは 「個人性」であり「宇宙性」だったといえる。 大江作品には「個人的な」体験がコンテクストとして濃厚だし、 森や村という「場」の設定も郷里をモデルとしている。 また、そうした「個人性」というミクロレベルから 宇宙的な「真実」というマクロレベルに向かう運動もある。 「ほんとうのこと」=「魂のこと」という精神性は 「個人性」も「政治性」も超えて「宇宙性」を映し出している。
318 :
317 :2005/05/30(月) 22:16:54
317に対するアンチないしシンパからの批判をお待ち申し上げております。 小生は大江読書暦一年です。
「」が多すぎると思った。
320 :
吾輩は名無しである :2005/05/30(月) 23:51:33
釣りだろ どっかで見たぞ
321 :
吾輩は名無しである :2005/05/31(火) 02:36:24
テポドン発射北朝鮮問題以降、 立場を明確にしない、逃げる文学に成り下がった。 反省としてノーベル賞を返上するぐらいの器を見せれば尊敬できるが、 今の彼にそんな体力は無い。 司馬を大衆小説と馬鹿にしながら、己自身が民意を反映する作家だと信じこみ、 大衆小説のなかの通俗文学に身を置く逆説に陥ってしまった。 失敗作として読むなら、文学的価値のある作家が大江。
>>317 いやあすばらしい。
実に大江をよく理解されていらっしゃる。
なにも言うことはありません。
完璧ですな。
323 :
321豚福田豚慶応ボウイ豚和也 :2005/05/31(火) 02:53:34
>>322 ありがとう。今度俺の授業に来い。
オバハンでもわかるマクロ経済について教えをこうてやるよ。
324 :
吾輩は名無しである :2005/05/31(火) 03:38:20
>>324 WWW
ぎゃっははははははhwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
己の立場を明確にして反論してみろや
名無しで逃げ道作ってのレスしかできないのか?
ああん????wwwwwwwwwwwwwwww
あえて、お前さんの教えをこうてやるよ。逃げるなよwwwwwww
教えを乞うの意味を323に絡めて具体的に説明しろや
それができなきゃお前はいつまでたってもたたの馬鹿wwwww
ほら↓
大江健三郎は今から44年前、防衛大生を「恥辱だ」と言い、ワシントンで「自衛隊全廃論」をぶった。「中国や朝鮮半島の人民たちと協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない」と主張した。 まったくもって意味不明である。自衛隊を廃止するのに必要なことは、防衛庁設置法と自衛隊法の改正である。中国人や韓国人の助けなど要る筈がない。 戦前の日本のことを「破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みにじった」と表現している。アブノーマルな日本人がアジア諸国を侵略したという非難である。 だが言うまでもなく、イギリスはインドを、オランダはインドネシアを植民地にし、搾取の限りを尽くした。 一方、台湾では、日本の手によって学校が作られ、近代的な社会制度が整えられた。西欧と日本の大きな違いは、日本の植民地経営だけが赤字であったことである。 大江は、西欧がやったことに目をつむり、自国のことにだけ非難を浴びせている。 何よりあきれることは、広島、長崎への原爆投下は日本人に責任があったという主張である。ちなみに、このアメリカの犯罪を正当化させるためにデッチ上げられたのが南京大虐殺である。 大江は、すべては日本が悪かった、以後這いつくばって生きてまいります、と世界にメッセージを発している。
大江は、祖国である日本の国家を、そして同朋である日本国民を貶め、蔑み、罵った。 大江は、反国家、反天皇、反日本、反国民、の言説を弄している。日本国民を見下して軽蔑して、1人自分だけを別格とし、己だけを高しとしている。 大江は反日的日本人である。 しかし、なぜ「天皇制」を打倒しなければならないのか、国内に対しては露骨な言い方を避ける。堂々と自分の考えることを日本国民に訴えつづけていたのではない。 当て擦り、嫌がらせ、ほのめかし、からかい、唇をゆがめたような皮肉に終始している。 後で言い逃れできるようにはっきりと責任ある議論をしなかった。それでも、たとえ間違った考えであったとしても、自分の考えることを堂々と声を大にして国民に訴え続けたのであれば、毅然とした確信犯とみなすことができるのだが。 だが、海外では決定的な表現を使う。 口を極めて、露骨に日本や日本の歴史や日本国民を論難し、罵倒し、弾劾した。 外国人に対して日本人がいかに駄目であるかを縷々と述べる。この態度は卑屈という一言に尽きる。自分を国際的に売り込むために自分の祖国を叩き売る。 外国から拍手喝采されるために、祖国にいわれなき非難、攻撃を加えた。そこには、国民としての誇りのひとかけらもない。皇室や自衛隊など批判するものに向かってこないものに対しては限りなく冷酷に非難、攻撃の刃を向ける。 他方、まかり間違えば痛烈な批判の矢が飛んでくる恐れのある対象には絶対に悪口を言わない。 大江健三郎は卑怯である。大江健三郎は卑屈である。大江健三郎は醜悪である。 オオエがノーベル賞を受賞した理由について、スウェーデン王立アカデミーの発表。「大江氏の作家活動は、日本における悪魔払いの行為」。 祖国を悪魔扱いして、外国に誉められてはしゃぐ。ただのハレンチである。
328 :
317 :2005/05/31(火) 18:49:10
>>322 お礼申し上げます。
大江読書暦一年の小生、勇気を与えられました。
それではひきつづき、
>>317 に対する大江アンチ(ないしシンパ)からの批判を
心よりお待ち申し上げております。
∩___∩ |
| ノ\ ヽ |
/ ●゛ ● | |
| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| |
>>317 / ∩ノ ⊃ ヽ
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
330 :
317 :2005/06/01(水) 23:12:55
それではひきつづき、
>>317 に対するご批判を心よりお待ち申し上げております。
331 :
317 :2005/06/01(水) 23:21:53
大江健三郎は愛媛の恥 大江健三郎は、とかく愛媛ではヒーロー扱いされているが、困った風潮だ。 氏は、ノーベル賞を受賞した後、国家の文化勲章を受けるのを拒否した。 「国がらみの賞は受けない」と辛辣なセリフを吐いて。 続いて出身地である愛媛県の県功労賞も蹴った。県職員を門前払いした。 どうやら大江には愛郷精神というものまで欠けているらしい。 本音は、「ノーベル賞をとった後にそんなローカルな賞を受けられるか」なのだろう。 その後は、中国で「石原都知事を選んだ東京都民を恥ずかしく思う」などとのたまう始末。 自分の見識に基づいて石原氏を選んだ東京都の人々を馬鹿にする発言で、 何様になったつもりなのだろう。 われわれ愛媛県民は、こういう人物を祭り上げるのをやめるべきである。 小説『坊ちゃん』で松山のことをボロカスに言った漱石と同様に。
333 :
吾輩は名無しである :2005/06/02(木) 10:02:31
大江を語るなら具体的な作品を挙げてやろうぜ。 抽象論じゃだめだ。
大健の小説って、舞台が都会じゃないほうが多いけど 主要は四国、愛媛? だとしたら、四国の人って、彼の小説読んだとき おー、あるある、とか、懐かし、とか、やっぱ郷土の血だわとか 感じるのかな、 彼の小説はわりかし読みにくいけれど、 変態や偏執狂が出てくるところがいいね ありふれたホームドラマに見せかけてそうじゃないところも 絶対泣けないというか感傷的にならないですむからグー テレビドラマとか映画の原作にならないのはどうして?大健が拒否してる?どの作品もかなり映画的、映像向きだと思うけど。
雨の木を聴く女たち、の舞台は外国だった 壊れた男がよく登場する 色彩が豊かな作家だね
http://www.asyura.com/sora/bd19991/msg/504.html 『解放』1547号“大江健三郎が決定的言辞”より
"大江健三郎が決定的言辞
「脅迫状と『懲役13年』はすっかり性質の違う文章」
「A少年が犯人かどうか分からない」"
「ノーベル賞受賞者フォーラム」が、十一月十九日に約七〇〇名の聴衆を集めて札幌グランドホテルで開催された。
この「フォーラム札幌セッシヨン」は、
立花隆をコーディネーターとして大江健三郎と利根川進が特別対談をおこなう、と
いうことを大々的におしだしておこなわれたものであった。
この「特別対談」は、「仮説・実験・確認の自然科学の方法にこそリアリティがある」と言う利根川にのっかったつもりで
大江が、「マルクスは自然科学に無知だったからソ連も崩壊したんでしょう」などとあらぬことをわめいてオダをあげ、立花が「千年のタームでものごとを語れてるのは自分と埴谷雄高しかいない」などと一人悦に入るという調子であり、
およそデタラメで知性のひとカケラも感じられないものに終始した。
そもそも会場から「質問用紙」を集めておきながらそれを完全に握りつぶし、
中略
後半にいたってついに会場から声があがった。
「会場からとった質問状をとりあげないのはどういうことですか。
大江さんの好きなサルトル的精神で聴衆と議論をすぺきではないですか!」と。
とっさに大江は目を伏せる。
再び会場から声があがった。
「神戸事件でA少年はいま関東医療少年院に閉じこめられている。
大江さん、あなたはこのA少年を、読売新聞『人生の細部』で犯人だ、と言いましたよね……。
しかし、『懲役13年』は、この少年に書けるのか」と。
ざわついていた会場は水を打ったように静まりかえる。
中略
発言者そうですよ。それ(『懲役13年』)について、大江さん、あなたはずっと語っていない。そこを問うているんですよ。
大江いや、違う違う。中略
大江答えますから!僕への問いかけに答えますから。
……私が書いた文章はですね、誰かが言われた警察のリークとかとは無関係に、脅迫状とされているものが少年によって書きうるのかどうかについて分析して、これを書きうると私は考えて、書きました。
それは、この少年が事件全体とどうかとか、次の文章(『懲役13年』)を書いた人聞だということについて論じたわけではない。 脅迫状と『懲役13年』とは、文集がすっかり性質が違ったものだったと私は考えていますが、それほまあ、文章の上で。あの、最初の文章の分析との関係が、直接に文体論としてあるわけではないので…… ……第二番目に少年が犯人であるかどうか、僕にはわかリません。」 さらに別の参加者が、大江が書いた「人生の細部」が載っている読売新聞をかざして言う。 「いま、犯人かどうかわからない、と言ったが、ここに『(A少年は)自他を破壊する犯罪の主体となった』と書いているじゃないですか!」 大江犯人とは言っていない! 最初の脅迫状は少年に書きうるものであると書いた。それが僕の結論でね。文学の問題として。 それから、あと、少年が犯人であるかどうかをいうことは、これから裁判で……あるいは将来にわたつて判断していくことで。 私に答えうることは最初の文章が一般の一人の子供が書きうると言ったまでで。 会場のあちこちから「ごまかした!」の声。 「『懲役13年』はA君が書いたものではないと認めるのか!? 「A看が犯人だと言ったことを撤回するのか?」 つぎつき声があがる。 大江……、……。 かくして大江は完全に沈黙。席にへたり込み、眉間にタテ皴をよせ、うつろな視線を宙に標わせながら、イライラと右手の指で机を叩きつづける。 気をとり直した立花が、「時間、時間」と言いながら大江への最後の質問を読みあげ、意気消沈した大江がそれにそそくさと答えて「札幌セッション」は打ちきり。 「特別対談」の演者たちが脱兎のことく演壇から飛び出して、しらけきった「ノーベル賞受賞者フォーラム」はお開きとなったのであった。 わが同胞のイデオロギー的弾丸を浴びながら、この一年聞沈黙を守りつづけてきた大江健三郎は、ついに決定的な言辞をはいた。「脅迫状と『懲役13年』とは、文章がすっかり性質が違ったもの」「A君が犯人かどうかわからない。 犯人かどうかは、裁判が、あるいは将来にわたって決めること」というよう に。だがしかし、一片の反省の言もなく。また、過去の己れの言動はなおも正当化しつつ。 「ノーベル貨作家」大江は、かくもハレンチなのだ。
338 :
吾輩は名無しである :2005/06/02(木) 18:09:30
>336-337 一刀斎とかいうそのHPの投稿者の文章から伝わるのは「妄想と捏造」だな。
339 :
吾輩は名無しである :2005/06/02(木) 18:49:51
340 :
吾輩は名無しである :2005/06/02(木) 19:23:18
>>332 漱石って松山のことボロクソに言ったの? 親友の故郷をよく言えたね。
正岡子規(死んでたか?)とか高浜虚子は何とも思わなかったんか?
釣りとは思いつつ、
>>317 にマジレス。
『「宇宙性」』の定義が全く不明。
括弧付きの文章を止めて、もっと具体的な引用や事例を挙げて、
その『「宇宙性」』とやらを説明してくれないか。
自分の心の中で広がる「そっかなるほどわかった」という感じを
文章化するには、この語に含まれていると思われる要素を分析し、
もっと細分化して、一般で使われる語句に落とし込む事で、
客観的事実を挟み込んでいって自分の外に出して行かないと、
他人に理解してもらえません。
もちろん、小説家になりたいんなら、
メタファーを駆使すればいいけど、『「宇宙性」』って言葉には
意味を多分に含んでいる様に見えて、何にも意味が無い言葉に見える。
http://www.hamaguchi.ne.jp/activity/040725.html 「9条の会」発足に一言(平成16年7月25日)
本日の新聞に以下の記事が掲載されていた。
憲法改正への動きに反対する学者、文化人ら約680人が賛同する「9条の会」の発足記念講演会が24日、東京都内のホテルで開催された。
まず井上ひさしさんが、「憲法とは、時の政府に発する国民からの命令である」という吉野作造の言葉を引き、憲法9条の重要性を訴え、続いて大江健三郎さんら6人が約100人を前に講演をした。
以上が記事の全文であります。
私は来年、戦後60年を迎えようとしている中、未だに、日本が占領され主権が無かったころに作られた憲法の改正に反対する人達の思考回路が理解できません。
(フセイン政権崩壊後のイラクでさえ、主権移譲後にイラク人自身の手で憲法制定を行います)
また、大江健三郎氏をはじめとする9条の会に賛同している学者・文化人の多くは今まで、ソ連邦、中国、北朝鮮などの共産主義国家の核兵器開発や軍拡、少数民族に対する虐待に対しては一言も抗議をしてこなかった。
一方、アメリカの核(実験)に対してのみ抗議をするというスタンスであった。特に北朝鮮を「地上の楽園」とし、金日成を賞賛してきた。
日本人拉致を北朝鮮が認めてからも今までの、自分達の発言の誤りを認めようともしていません。
もしかしたら、9条の会に賛同している学者・文化人はソ連邦に日本を侵略してもらい、日本に共産主義国家を建設したかったのだろうかと思えてならない。 憲法9条を素直に読めば、条文と現実との違いに誰でも、気づくはずです。 第1項の「平和主義」は日本国憲法だけでなく、世界の多くの国の憲法に謳われていることであり、変える必要はない。 問題は第2項です。自衛隊は戦力でありながら、第2項では「陸海空の戦力は保持しない」と謳っています。明らかに現実と条文が乖離しています。 どちらかに合わせるのであれば、私は条文を現実(自衛隊を戦力として明記する)に合わせるべきだと思います。 大江健三郎氏は、かって将来の幹部自衛官になる防衛大学校の学生のことを「現代青年の恥辱である」と言ったことがあります。 日本国憲法では差別なく、職業選択の自由についても謳っているはずです。大江氏自らが憲法を守るといいながら、憲法違反を犯している張本人ではないのでしょうか。 (それに加え、日頃、学校の現場で子供たちに同和教育や人権教育を行っている教師が、自衛官の子供に対し差別を行ってきた歴史があります。) 私は憲法9条が戦後日本の全ての嘘の象徴であると思っています。9条を改正することが「戦争への道」と思っている人達は自分達と同じ日本人を信用していなのだろうか。
>>331 >こうした何層にもなった物語と批評の多重的構造について
これは@からCまでの総体ってことかな?
345 :
吾輩は名無しである :2005/06/03(金) 21:22:08
大江健三郎氏「小泉首相退くべき」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=64105&servcode=400 §code=410
5日午前7時50分に放送される民放SBSテレビ(ソウル放送)の番組
「韓受辰(ハン・スジン)のサンデークリック」に、批判的有識者とされ
る作家、大江健三郎氏が出演する。
先月24〜26日に行われた第2回ソウル国際文学フォーラムに出席する
ため来韓した大江氏は、同番組で、日本に広がっている右傾化の動きを厳
しく批判した。同氏は「日本の右翼勢力が進めている平和憲法改正の動き
など日本の現在の進み方に、恐れを感じている」とし「余生を日本の右傾
化を阻止することに捧げたい」と話した。
また「日本の侵略で苦しめられたアジア諸国の情緒を理解しなければなら
ない」とし「それが分かっていない小泉首相は退くべき」だと強調した。
346 :
317 :2005/06/03(金) 22:11:44
>>341 >もっと具体的な引用や事例を挙げて、
>その『「宇宙性」』とやらを説明してくれないか。
今度時間のあるときに「宇宙性」につきまして
具体的に書いてみたいと思うのでありますが、
>一般で使われる語句に落とし込む事で、
>客観的事実を挟み込んでいって自分の外に出して行かないと、
>他人に理解してもらえません。
これはその通りでありまして少し圧縮しすぎたわけです。
347 :
317 :2005/06/03(金) 22:18:03
>>344 その通りであります。大江という作家・作品のすべてに多重的構造があり
興味深い物語と批評の関係をそこに見出せると思うのであります。
コピペ虫はリンクだけ貼っておけよ 意味ないから 無断転載禁止だったら通報されるぞ
産経新聞北京総局の古森義久総局長が伝えるところによれば、作家の大江健三郎氏は九月二十七日、 北京の清華大学で講演し、こんなことを語ったという。 「石原慎太郎氏の東京都知事当選は都民の恥です」 「わたしがいまもっとも気にしているのは、日本の最近の国家主義傾向と過去の侵略や残虐行為を謝罪していないことです」 大江氏は中国の学生たちからやんやの喝采をうけたにちがいないが、なかには日本のノーベル賞作家を冷ややかにみつめていた学生もいたと思う。 大江氏の論法だと、石原候補に投票した都民は善良な都民として認めてもらえないことになる。 「石原候補に投票した都民は都民の恥です」 大江発言はそう解釈できる。要するに多数の都民を誹謗する言葉であり、そんな大江氏の傲慢さに鼻持ちならないものを感じ取った学生たちも少しはいたはずだ。 まともな日本人なら外国人に対して自分の国や国民について度の過ぎた悪口は決していわない。 いっても、その節度を弁(わきま)えている。 ナショナリズムは普遍的なものであり、どの国や地域にも濃淡の差はあっても、それぞれの人々に備わっている自然の感情である。
350 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 10:42:28
石原慎太郎がゴミであるのはまちがいない
351 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 11:12:14
なんか外国の賞に候補されてたらしいけど落ちたんだってね
>>350 おまいは石原よりはるかに小さなゴミであるのはまちがいない
353 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 13:13:20
354 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 13:25:44
355 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 14:10:52
大江は惜しくもブッカー国際賞を逃したが イスマイル・カダレにこれから脚光が浴びるのはいいことだ。 「誰がドルンチナを連れ戻したか」「砕かれた四月」しか読んでないが ボルヘスとガルシア=マルケスを足して2で割ったような感じといえば あたらずとも遠からず、いや遠いかな、責任はもてない。
http://members.at.infoseek.co.jp/masa_n/column/011015.htm Snobistclub
第36回「柔らかなファシズム」と国家論(2001/10/15)
(前略)
さて、この言葉(柔らかなファシズ)に僕が反応したのは、最近読んだ猪瀬直樹氏の『小論文の書き方』(中公新書)に「柔らかなファシズム」についての言及があったからだ。
『小論文の書き方』はタイトルに反してノウハウ本ではなく、著者の過去の評論(というとおかしいか。彼は作家だから)のなかから、自薦を集めたものである。
そのなかに、99年に朝日新聞に公開書簡の形で掲載された大江健三郎氏とスーザン・ソンタグ氏の対論である。これは僕も読んだのだが、一向要領を得なかったことだけを覚えている。
猪瀬氏はかなり強い批判を大江氏に加えている(p.242〜)。たとえば、大江氏の以下のような表明。
わたしはこの国に超国家主義がゆるゆると、しかし突然に復活してしまっているという『物語」を考えずにはいられません。それは今この国で宣伝されている近未来のアジアの災厄の、どれよりも色濃いリアリティーを持つように感じられます。
あるいは、以下のような。
わたしはこの国に柔らかなファシズムの網がかけられるとき、若者たちが国境の外へインターネットの窓を開ける、そのような共同体を夢想します。
言葉がことごとく「曖昧」な比喩に堕していてるし、「近未来のアジアの災厄」の物語についても、インターネットについても、まるでリアリティーのある知識をもち得ていない、というニュアンスが伝わってくる。(中略)
もちろん、現役のなかでは世界を代表するソンタグは、世田谷の高級住宅で暖かい日に当たりながらコラムを夢想する大江氏とは違い、みずからコソヴォ紛争渦中のユーゴに足を運んだ経験から、このように手厳しく批判している。
日本の重要な作家が、自国の具体的現実について見解を述べられたのに、外国人の私が異論を唱えるのは僭越な行為との謗りを免れないでしょう。でも、現実を理解するために私たちが用いる方法に付いて、と限定した上で言わせてください。
私は、(中略)現実を隠喩として語るほとんどの実例に対して、もっと懐疑的になるべきだと訴えてきました。ファシズムは現在、隠喩になったと思います。私はこの言葉を隠喩として、あるいは厳密さを欠いた形で使いたくありません。 ミロシェビッチが率いるセルビア政府は、今日の世界で見るかぎりもっともファシスト政府に近いものです。しかし、単に排外主義的、順応主義的、また、ある面では抑圧的ですらある社会を、それだけでファシスト的だとは呼べない、というのが私の見解です。 猪瀬氏は、「大江が隠喩としてのファシズムをもてあそんでいるとき、彼女は眼前のファシズムを語っているのである」と的確にコメントしている。 ソンタグ、あるいは、朝日的論調が戦後民主主義の論理的基盤としてきたハーバーマスも、NATOによる空爆を支持した。 「アウシュビッツを阻止するには、たった一つしか方策がない−それは戦争だ−」からである。NATOは、いやドイツは、と言っていいかもしれないが、3年という長い間ユーゴの混乱を放置した末、最後には爆撃に転じた。 これとて、ソンタグが言うような単に人道的な決断ではない。その夜、ハーバーマスがこの決断がいかにやむを得ないものであったかをラジオでとうとうと語った一方で、 ドイツ軍参謀本部では、第二次大戦以来はじめて、ドイツ軍が国境を越えて活動したことに対して祝杯をあげていたという(シュピーゲルより)。 現実はどうしても清濁併せ呑まねばならぬ。ファシズムという簡単な言葉で語る事態の、いかに複雑なことか。 では、大江氏らの、そして世論の大半を形成していると思われる戦後民主主義的な考え方が言うファシズムとは、何なのだろう。 ちなみに、大江氏がこの記事で直裁に批判していた日の丸・君が代法制化の動きについての甘い認識に対しても、ソンタグはこう切り捨てている。 古いナショナリズムの道具立てを持ち出して情念を掻き立てる、哀れなほど貧弱な動きがあるというだけでは、私のなかでは、今の日本がファシズムや軍国主義に転じようとしているという確信にはつながりません。
確かに日の丸=ファッショ、という認識はあまりに時代錯誤だ。いつもこの議論は、論点がアジアの人々の心境を考えろ、というふうに拡大していくことで、日の丸=ファッショという構図を維持しようとするのだが、決して議論が執着することはない。 なぜならば、ファッショという言葉があまりに曖昧で、集権的・抑圧的な傾向をすべてファッショと言い換えることができるからだ。 こうして見てくると、こうした議論が何度も繰り返され、かつ、成果を生まない問題点が見えてくる。たとえば日の丸がそうだが、日本という国家が主権者として立ち現れるときには必ず、それを「ファッショ」という便利な隠喩で批判してるだけなのだ。 (中略) その状況は、今も変わらず続いている。よかれ悪しかれいろんな動きはあるが、日本が対外的な主権者としての表明をしなければならない、ということには変わりがない。 そして、国家が主権者としての表情を持つことへの嫌悪を曖昧な隠喩に託すような議論は、現実の諸前提を無視しているばかりか、己だけが普遍的な高みにのぼったかのような大変無責任なものである。 おそらく、ここ十年から二十年の間に、日本は国家として、大きな決断をしなければならない時期が来る。その決断とは、大雑把に言ってしまえば、アメリカにつくのか中国につくのか、という二択になる可能性が高い。 そしてまた、どちらとも仲良くする、というような子どものような結論が許されない、厳しい決断になる可能性が高い。 そのときに、主権者としての国家を「ファシズム」などと言って批判することは許されない。それは国益などというレベルではなくて、とりあえず、この国をベースとして暮らしている人々の生命や財産の安全を脅かすからだ。 曖昧な言葉で批判だけし、みずからへの批判をかわすのはわが国の論者に少なからず見られることだが、それが現実的な判断をゆがめる方向へ働くようなことは断じてあってはならないと思う。 そしてそろそろ、「柔らかなファシズム」といったいい加減な言葉を、ノーベル賞作家が使うからといってありがたがるのではなく、きちんと論理的に批判する力を、国内においても養いたい。 (後略)
359 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 18:34:03
今日も長文コピペご苦労さん
360 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 21:39:19
>>333 >大江を語るなら具体的な作品を挙げてやろうぜ。
>抽象論じゃだめだ。
まっとうな意見だ。
『宙返り』についていろんな人の話を聞きたいんだけど、
コピペ厨の長文見ると、そんな気が萎えるんだよな、、、。
『宙返り』の最後の章は、冗長すぎるという意見と、
いや、あれは必要だったという意見と分かれているという話を聞いた。
個人的には、付け足した感はあるものの、あって良かったと思うのが90%、
無いほうがドスンと胸に残って良かった、と思うのが10%。
みなさんはどんな感想をお持ちですかね?
362 :
吾輩は名無しである :2005/06/05(日) 00:15:37
>>362 リンク集の紹介ありがとう。
でもほとんど404だった、、、。
古いサイトだから無くなってしまってるんだろう。
この作品も、旬を過ぎてしまったのだろうか。
ネットでいろいろ書評をあさってみたが、
『さようなら私の本よ!』についての言及も皆無だし、
この作家自体が、あまり読まれていないのが現状か。
個人的には、好き嫌いを越えて、読まなくては、と思う作家なのだが、
周囲の友人は大江作品に興味すら無いらしい。
NHK総合で「平和の世紀は築けるか」という真面目な番組をやっていました。 主な出演者はノーベル文学賞の大江健三郎氏。 大江氏の世界平和論は、ご自身のコピー人間が増えるのが理想とでもい いたげな話しばかり。実際に平和を脅かしているイスラム、ユダヤ、キリスト教 などの原理主義者、中国の覇権主義や過激な民族主義者を批判したらどうで すかね。それと帝国主義時代から続く、欧米による白人国家の国益優先、アジ ア搾取、イスラム分裂外交についてはどうなんでしょう?ノーベル賞もらってる と西欧人の悪口が言えないんでしょうか? 小説家という安全地帯からの発言であっても、理性や哲学に依存する人なら、 大江氏の主張に理想を見出すかもしれません。しかし、宗教上の対立と欧米 の搾取に痛めつけられ、生死を賭して戦っている人たちに、大江流の「自立し た個」の思想が何の役に立つというのでしょう?大江氏は世界平和について、 もっと現実的な提言ができなければ、沈黙すべきではないかと思います。
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1117943750/l50 この作家の行動は奇天烈だな。
↓
日本の代表的な良心的知識人である同時にノーベル文学賞受賞作家である大江健三郎は5日、
SBSテレビの「韓スジンのサンデークリック」に出演して、日本の政権による憲法改訂の動き、
歴史教科書歪曲問題、従軍慰安婦問題など韓日両国の外交争点になっている事案について
自らの立場を明快でありながらも意味ある発言をする渦中に漢陽大を訪問して若者達を対象に
行なった講演について、このような言及をした。
日本が戦争をしないで軍隊を持たないという憲法9条守護の会を主導している大江健三郎は、
神社参拝をする小泉首相に対して批判をする中で「小泉首相の神社参拝は韓国・中国の怒りを
買うに値する。日本は真正な心の謝罪をしなければならない」と強調した。
大江氏は漢陽大を訪問して学生たちに講演をする中で、「私の娘は心配性で、敏感な時期に
韓国を訪問するのを心配して、日本人は印象が良くないから腐ったトマトを投げつけられるかも
しれないと言っていた。腐ったトマトは私に投げずに、小泉首相が来るまで我慢しなさい」と言って
学生たちの笑いを催した。横にいた小説家の黄ソギョン氏は大江氏のこの言葉に対して「大江
先制には花を投げなければならない」と肯定的に回答した。
大江健三郎は、ノーベル文学賞を受けた直後に日本天皇が与える文化勳章授与を拒否した理由
について、「真の民主的な賞を受けたかった」と簡単に答えた後、この受賞拒否で右翼らのデモ
などに直面したエピソードを聞かせた。<後略>
▽ソース:マイデイリー(韓国語)
http://www.mydaily.co.kr/news/read.html?NewsID=200506051011241100 (2005-06-05 10:11:24)
小泉総理に腐ったトマトを投げつけろのニュースで昔教科書で読んだ人だなと思い出して来てみましたが このスレざっと眺めたけど、文章のどのへんが面白いのか誰も書いてませんね。
作者(大江)本人の人生と、作者と設定が酷似する主人公の行動が、 重層的について離れてを繰り返している。 (近作は三作とも同じ主人公である。人生まとめの時期、、、。) 読者は主人公の思索の過程をなぞることで、 はじめは大江の頭の中をのぞいている気になるのだが、 主人公の周囲の状況が常軌を逸してきたりすると、 大江の考えなのか小説の主人公の考えなのか混濁しはじめる。 そして、ある瞬間、大江本人でも主人公でもない所で ふいに剥がれた真実のような物を感じる時がある。 その瞬間が面白くて読んでるなー。 文章が面白いというよりも、人の修行覗いているような感じ。
368 :
吾輩は名無しである :2005/06/05(日) 22:39:25
なるほど>367 現実と虚構のその境界がファジーで、それがどっちつかずというんじゃなく、 別の、第三の、世界を開いてゆくような感覚が与えられる感じ。 なんか大江ってすごく奮闘してるのが伝わるんだよね。 何に対して奮闘してるのかはよくわからんのだけど。
369 :
367 :2005/06/05(日) 22:53:56
初めてこのスレでコミュニケーションが取れた(うれしなみだ
>>368 きっと、虚無感と戦っているのだと思う。
無宗教にこだわるのはそのせいだと思う。
370 :
859ぽl :2005/06/05(日) 23:24:56
大江健三郎が反日左翼だということは有名なんですか?
371 :
吾輩は名無しである :2005/06/05(日) 23:26:15
>>369 無宗教、つまり「信仰なきものの祈り」だね。
それは世界に対する過剰ともいえる危機感からくるもので
初期の万延元年での「ほんとうのこと」というのが
後期では「魂のこと」をする場所としての小説という考えにつながるんかも。
372 :
吾輩は名無しである :2005/06/05(日) 23:28:34
>>370 まあ左翼といえば左翼なんだろうけど反日じゃないよ。
国家という単位より世界という規模で物事を考えてるだけ。
>>372 世界規模を志向しているとは思うけど、きちんとそういう立場で
考える事にはシッパイしている感がある。結局全部個人的な問題に
矮小化されていってしまっている。
しかしその「矮小化」された世界の中にも何故か圧倒的なリアリティが
出現してしまうところが大江のすごいところかと。
それにしても、大江健三郎ほど軽蔑されている作家は日本に存在するのだろう? 私は想像できない。
375 :
吾輩は名無しである :2005/06/05(日) 23:44:48
長江古義人の三部作は
>>367 で書かれてるように総括的で遺言的なところがあって、
それは自らの作家活動を見極めることで、後世へと橋渡ししたいんじゃないかなあ。
「死んだ人たちの伝達は生きている」というエリオットの詩に象徴されるように。
んで、
>>317 で「個人性」と「宇宙性」みたいな話もあったけど
個人的で自伝的な部分と、神話的なところやコスモポリタン的なところが
>>373 の言うようにうまくつながってないんじゃないかという意見はあるだろうね。
>>375 でも、「取り替え子」でも奥さんに、夜中にぶつぶつ田亀に向かって
しゃべるのはやめてください。といわれてしょぼくれたりとか、
こないだの群像のでもジジイがテロを企てるけど結局計画自体
却下されちゃったりとか、大江も自分のやってることが世の中とズレ
ていることはある程度理解してて、それを作品に取り込んでたりする。
ま、テロに関してはこの後どうなるかわからんが。
377 :
375 :2005/06/05(日) 23:54:42
>>367 にある
>そして、ある瞬間、大江本人でも主人公でもない所で
>ふいに剥がれた真実のような物を感じる時がある。
大江はやっぱこういう読者を求めているんだと思うね。
「信仰なきものの祈り」=「魂のこと」ってそれしかない。
378 :
375 :2005/06/05(日) 23:58:50
宇宙性といっちゃうとよくわからないけれども神話的なコスモロジーと呼べばいいと思う。 そういう意味でなら、『フットボール』をはじめとして 四国の谷間の村が時空を越えて神話的宇宙を形づくってるしね。
>>375 その失敗を受け入れて、自嘲気味に語っているあたり、
長江古義人シリーズには好意をもっています。
「さようなら私の本よ!」は最高傑作になるのではないかという期待。
第二章まではものすごいことになっていると思います。
ここでふいと裏切られることも考えられますが。。。
>>374 赤川次郎とか?(ギャグ、ですよ)
そういう紋切り型の言葉を超えたところに、「ふいに剥がれた真実」 があると思うんだけど。
381 :
367 :2005/06/06(月) 00:03:19
理想的な、読者。です。(苦笑) というか、作者の意図を真摯に読み取ろうとすれば すぐにわかることですよね。 あー、ようやく大江の小説について話されてますね。 (大江スレなのに) 話ふってみて良かった。
382 :
375 :2005/06/06(月) 00:04:21
>>373 にある
>しかしその「矮小化」された世界の中にも何故か圧倒的なリアリティが
>出現してしまうところが大江のすごいところかと。
というのも、やっぱそこに圧倒的なリアリティがあるっていうのは
神話的コスモロジーの普遍性があるからじゃないかと思うんだけどね。
たしかに
>>380 の「紋切り型」という指摘はうなづける。
「普遍的コスモロジー」とか「信仰なきものの祈り」とかいうタームに
ひきずられすぎて、一側面からの評価しかされてないように感じる。
読者が、大江の「こう読んでほしい」という小説外部での解説を
聞きすぎているのかもしれない。
もっと外部から論じている人って、誰かいないの?
384 :
375 :2005/06/06(月) 00:09:49
>そういう紋切り型の言葉を超えたところに、「ふいに剥がれた真実」 >があると思うんだけど。 神話的コスモロジーといっても、そこには個人的な体験の切実さと なんというか、すごく過剰な鋭い感覚があわさっていて、 それによって シェイクスピアのいう「時間の間接がはずれた」みたいな感覚が ぐぐっとくるんじゃにかと思うんだけど。
385 :
375 :2005/06/06(月) 00:13:54
そういう意味で、大江作品でやっぱ子供=障害児の存在って重要だ。 『洪水』のジンとかね。
386 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 00:15:30
狂気の法案を拉致問題の安部晋三先生と阻止しよう!!【■■2ちゃんねるが消滅します】
とんでもない言論弾圧法案=「人権擁護法」が国会に提出されようとしています!!!
この法案の真の狙いは@政治的には、在日参政権反対の自民右派の消滅であり、
A社会的には、2ちゃんをはじめとしたネット世界の一般人の小うるさい言論の圧殺です。
民族(朝鮮・中国・韓国)社会的身分(同和)、他一切の差別的発言を禁じるという狂気の法律です。
一刻も早く安部先生達に国民の援護射撃を!
http://blog.live door.jp/no_gestapo/
アドレスにスペースをはさんであります、消去の上、どうか必ずご覧下さい!!
387 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 00:24:11
>>379 >「さようなら私の本よ!」は最高傑作になるのではないかという期待。
万延元年を越えちゃう?
>>387 あー、微妙。オチによる。
でも、今のところ個人的にはかなりキテる。
389 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 00:45:38
早速群像猛スピードで読ましてもろた^^
なんかさー、建築家の計画スルーされちゃうあたりから えも言われぬ感覚が、徐々に鬱積しはじめてるんだよね、、。 「おかしなところのある若い自分」、ってのが いかに作用するかが今後の鍵だね。 まだ完結してないから「最高傑作になるかも」なんて 言えるのかもしれないけどさ。
391 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 00:57:15
おいらは単行本になってから読む主義なんだが、ちと読みたくなってきた。
>>単行本になってから 自分もはじめはそう思ったんだけど、 こう、、、リアルタイムに読み進めてる感じもまた、 よかったりするんだよ。 いままで大江作品は20年とか10年とか後追いで読んでたから、 ようやく現在に追いつけたみたいで嬉しいんだよね。
393 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 01:03:14
ハハハ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( ^∀^)< あほか ( つ ⊂ ) \_________ .) ) ) (__)_)
http://www.geocities.jp/s060630/dome1.htm 大江健三郎語録
1)防衛大学生はぼくらの世代の一つの恥辱だと思っている(S33年)。 註:平成七年にもワシントンで同様の発言をし、あちらの記者から詰られた。
2) 地元紙に、作家・大江健三郎氏の米中枢同時テロに関する「精神的鎖国をやめて世界に目を」と述べた(2002)。
「(日本は)世界全体に目を向けず、米国と共に鎖国している」「私たちが享受してきた都市文明に対する周縁からの攻撃だということに思い至らない」「世界に『貧困』がなければあの苦しいテロリズムは起こらないだろうし…」といった内容。
3) 去る八月八日付朝日新聞朝刊紙上で、「養護学校に使わせるのは、抵抗の弱い相手への狙い撃ちです(2001)。
4)教科書検定問題のやり取り
大江;「加害の記述を後退させた歴史教科書を憂慮し、政府に要求する」
記者質問:「検定に反対してきた人間が、検定で合格させるなというのは論理的に不整合ではないか」
大江:「政治的意図をもった検定に反対するというのがわれわれの立場。今回の声明は検定反対に矛盾しない」。
5)長江日報などの報道として四日、伝えたところによると、作家の大江健三郎氏が北京の清華大学で講演、石原慎太郎東京都知事に言及し、「石原氏が当選したことは東京都民の恥だ」と述べた。
6)「もし“極東有事”が現実に起こるとして、わが国には自律的な危機管理の見通しはないことを認めるほかはない」。
7)北朝鮮帰還物語を見ての感想(S36年):
このときぼくは・・・・自分には帰るべき祖国がない、なぜなら日本人だから。
北朝鮮に帰国した青年が、金日成と握手している写真があった。あの写真は感動的であり・・・・・
8)ワシントンでの講演会発言:日本の自衛隊は軍隊であり、憲法に違反しているから、全廃しなければならない・・・米国の民主主義を愛する人達が作った憲法なのだから、あくまで擁護しなければならない。
9)北京の青年は明るい目をしている。本当に明るい目だ。私は親しい(日本の)友達を思いだしたが、それらはみな暗い目をしているように思われた。北京には何と多くの明るい目があふれていることだったか。
追記:2003の暮れに、自衛隊のイラク派遣に関するNHKテレビ討論会があった。 賛成論者:中曽根康弘・栗原元駐米大使 反対論者:後藤田正晴・大江健三郎 話の内容は言わずもがなだろうが、ケンちゃんがどんな発言をするか、興味を引いたので、要旨を載せる。 1)戦争状態の続いているイラクに自衛隊を送れば、戦争(戦闘)に参加することになるからハンタイ。自衛隊派遣は日米同盟中心主義であるから、ゲリラ・テロのなくなった後でイラクを支援せよ。 2)日本の軍隊が危険なところに行って「戦争すれば」多くの自衛隊員の犠牲者が出るだろう。 3)人道支援には医療活動、水浄化問題の専門家を送れば、ゲリラやテロに襲われない。自衛隊が行けば、何十人かの人を殺すかもしれない。 4)自衛隊は憲法9条違反である。現実をこの憲法の規範に戻すことが必要で30年後には今のようなワルイ状態がなくなっているだろう。 5)北海道の自衛隊の存在が、緊張の原因で、自衛隊は災害救助に徹すべし。 マ、ざっとこんな趣旨の発言をしていたが、現実を憲法の規範に戻せとは、外国の軍隊が攻めてきても、蹂躙にまかせろという意味なのだ。 これは、米ソが対峙していた頃の、旧社会党の石橋政嗣委員長の発言と轍を一にする発想以外の何物でもない。
396 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 12:50:08
月曜の朝からコピペごくろうさん。有意義な1週間を送ってくれよ>コピ平
397 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 19:17:52
>>392 文芸誌読んでる人ってやっぱリアルタイム感が欲しいのかなー。
旧作を読むのに精一杯でなかなかそういう余裕がないんだよなー。
398 :
392 :2005/06/06(月) 19:23:05
新作の連載がはじまるって聞いて、 とにかく長江シリーズを読みはじめた。 読み終わった頃に連載はじまった。 旧作は、連載の合間に読めばいい。 リアルタイムに作品の過程につきあってる感じって あんまり他ではないから、文芸誌おすすめ。
野村勝美:2002.07.03 大江健三郎氏のレジオン・ドヌール勲章授章を考えてみます。大江氏 は自らを、「私は戦後民主主義者である」と公言するノーベル賞文学者 です。彼は「文化勲章」を拒否しました。「戦後民主主義」なるものの定 義を私は知りませんが、印象的には戦前戦中の日本を「全面悪」と捉 えている人たちのように思います。 さて、レジオン・ドヌール勲章はフランスの、民間人に与えられる最高 の勲章だそうです。やるのも受けるのも勝手です。ノーベル賞について も、やるのも受けるのも勝手です。我が「文化勲章」を拒絶したのも、勝 手です。「文化勲章」は日本国民が最高の栄誉としているものですが、 それを拒絶する大江氏の理由は、「僕は戦後民主主義者、国家の勲章 は受けない」ということであると伝えられました。根底に、氏の長年の発 言から、1.日本の戦争責任,、2.反皇室 があると想定できます。「悪いもの」からの勲章は貰えない、ということ でしょう。反「日の丸」、反「君が代」、反「核」の人です。そのこと自体を 非難する積りはありません。私が嫌うのは、この方面の人たちの得手 勝手な論理です。一般的にダブル・スタンダードといいます。
レジオン・ドヌール勲章は明らかにフランスの国家としての勲章です。 価値の源泉はそこにあります。 シラク・フランス大統領は11日夜、パリ郊外で行われたサッカー・フランス カップ決勝戦を観戦しました。 試合開始前の国歌ラマルセイエーズ演奏の際に一部サポーター が口笛を吹いたのに対し、「フランスへの侮辱」と激怒、退席したそうです。 大江さん、あなたに勲章を授ける人物は、こういう(すばらしい!)男ですよ。 「君が代はキライだけど、ラマルセイエーズは好きですか?」 フランスは「核兵器」保有国です。最高レベルの原子力発電実施国で す。かつて多くの植民地を持ち、アルジェリアにおいてもヴェトナムにお いても、苛烈な政治を行いました。第2次世界大戦後日本軍が撤退し た後に、インドシナの再植民地を目指してインドシナ戦争を起こしたフ ランス。北アフリカの植民地を弾圧によって維持しようとして起こったア ルジェリア独立戦争。第2次中東戦争(スエズ戦争)で英国と連合して エジプトに派兵してアラブ諸国と戦争したフランス。世界中の反対を押 し切って南太平洋で水爆実験を続けたフランス。 その国の勲章は受けるけれど、わが日本の勲章は受けられないという。 大江さんが文化勲章を拒絶した理由のすべてがより強く、 レジオン・ドヌール勲章には含まれています。それ を、片方は断り片方は受けるとすれば、論理を整合させるには一つの 根拠しかありません。 日本(日本人)をバカにしている、のです。
401 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 22:20:30
伸びのいいスレッドだなあ
コピペ厨も傍観者も、おやすみ。 ノシ
>>398 なんか、大江の工作員、どこから派遣されてるのか知らないが
必死だな。
>リアルタイムに作品の過程につきあってる感じって
>あんまり他ではないから、文芸誌おすすめ。
↑
おすすめって言い方、ベタすぎて臭いし必死すぎw
>>367 も、大江の工作員が書いたもので大江が読んでほしいとおもうものを
そのまま書いてるわな。
で、大江は思った。そうつっこまれないために自嘲気味に
>>381 のレスなんかを
したりしている。ところで、「憂い顔の童子」なんって、
>>367 の定義なんって
成立してたか?大江そのものじゃん、最初っから最後まで、臭すぎ。
「そのもの」を知っている君は偉い。 俺にはどこが「そのもの」なのかなんて見当も つかんけど。 「さようなら…」は、そういう「そのもの」の流通した イメージを美味く利用してる。
なぜそこまでコンプレックスを持つのか 俺にはまったく理解できんが^^; 「工作員」ってかぎ括弧つきにしたら、 大江の作品っぽくなるな、そういや。
>>406 コンプレックスというかなんというか
工作員を派遣している大江健三郎、というか宣伝員か?
それで充分なのじゃないだろうかw
日本にとって、邪魔な存在・有害な存在は? No.1168
http://guriuri.com/ranking/bbs.asp?ID=39&TNO=1168 開始 2003/11/23 14:28
終了 2004/11/23 14:27
1位. 北朝鮮 59票 2位. 朝日新聞 49票
3位. 日本共産党 44票 4位. 日教組 39票
5位. 中華人民共和国 37票 5位. 聖教新聞 37票
7位. 大韓民国 36票 7位. 国益を無視した思想の知識人 36票
9位. 暴力団 35票 10位. 社会民主党 33票
10位. 在日朝鮮人 33票 12位. アメリカ合衆国 31票
13位. 珍走団(暴走族) 28票 14位. しんぶん赤旗 26票
15位. 支那と韓国 25票 16位. ロシア連邦 21票
17位. 国家貢献の概念がない一般国民 19票 18位. 北朝鮮.大韓民国および朝鮮人 18票
19位. 大江健三郎 17票 20位. 週刊金曜日 16票
21位. 中日新聞 14票 22位. お前のような濃い人間 11票
23位. 日本国憲法 10票 24位. 三国人、左翼、ロスケ、ヤンキー 9票
25位. 朝鮮民族 8票 26位. Ω真理教 BoAちゃん 7票
27位. 山崎渉 5票 27位. KABAちゃん 5票
29位. 国家神道・天皇・皇室・右翼・国会・政府 4票 30位. (不)自由(非)民主党 3票
31位. 三国人と日本の無能な政治達 2票 32位. 俺 1票
32位. BBSのカアラみたいな奴 1票 32位. 天下り官僚 1票
410 :
◆OQ2HnX1ptg :2005/06/07(火) 19:12:22
>>403 >>405 >>407 >大江そのものじゃん
って何?
>大江の工作員
って何?
>367の定義なんって成立してたか?
ってのも意味不明。
>工作員、見張りに必死だなwwwww
>コピぺの後のレスに必死だなwwwww
上記の1行レスもまったく意味不明。
411 :
◆OQ2HnX1ptg :2005/06/07(火) 19:16:34
>>398 >リアルタイムに作品の過程につきあってる感じ
これは確かにあるだろうね。
でも文芸誌連載作品がすべてこういう感覚を与えてくれるかっていうと
きっとそうじゃないだろうな。
412 :
◆OQ2HnX1ptg :2005/06/07(火) 19:20:50
>>406 >「さようなら…」は、そういう「そのもの」の流通した
>イメージを美味く利用してる。
大江は「私という作家のつくり方」に自覚的だった。
「大江という作家」の作り方と作られ方(=流通イメージ)があるとすれば、
そのへんの関係というのはどうなんだろうね。
大江の工作員と書かれた
>>367 です。
小説を読んで思った事を素直に書いたら
>>403 のように言われて非常に幻滅しました。
まるで大江の信者扱いですね(苦笑)
私は妄信的な読者ではありません。
そりゃ、いくつか代表的な大江の小説を読んでますけど、
そんなの別に珍しくないですよね。。。
私は、彼の政治的な発言には不信感があるし、
小説も聖家族シリーズあたりはあまり好きではありません。
でも、どんな人間でも、人生のまとめとして
取り組んでいる仕事には何かしらがこもっていると思うんですよ。
その点で、最近のシリーズは、無念さ、時代とはぐれた寂しさ、
自嘲、まだわき上がる情熱、、、いろいろな思いが読み取れて
非常に面白いと思います。
どれだけ嫌いな人の書いたものでも、興味の無い作家でも、
その人の人生をかけた仕事には敬意を払うべきだと思います。
よくもまぁ、小馬鹿にできたものだ!と思います。
こんな殺伐としたスレに
素直な感想を書いた私がバカだったんだな、と思う事にします。
http://homepage3.nifty.com/bhind/krm1.htm かって真実だったもの
あれは何で読んだのだろうか、大江健三郎の、おそらく昭和30年代に書か
れた文章だ。「祖国」たる北朝鮮に「帰って」行く「在日」の人々を”賛美”
した文章だった。その当時、盛んに在日韓国朝鮮人の人々の、北朝鮮への「帰
国」運動が行われていたのだった。
大江の文章は、北への「帰国」を選んだ人々の爽やかな笑顔の印象を語り、
また、「帰国運動」に抗議してデモを行う韓国の学生たちを、政府の指令に従
って動いているだけの愚劣な者たち、として描き出していた。
もう一つ。いまだ未見なのだが、吉永小百合が”青春スター”だった頃の、
「キューポラのある街」なる映画がある。その映画の一挿話に、やはり北への
「帰国」を手に手を取って果たそうとする「在日」の若いカップルの出発を友
人たち皆が祝福する、などというシーンがあるそうだ。一度見てみたいと思っているのだが。
この「帰国運動」が、どのような結果になったのか、「帰って」行った人々
がどのような運命をたどったのか、我々はすでに知っている。帰国体験者の証
言や、公表された手記によって。それが、いかなる悲劇への招待状であったかを。
だが、大江が「北への帰国者」の清々しさを語り、映画のフィルムに「北」
において実現されるであろう幸福な新婚生活を信じ夢見る若いカップルの姿が
焼き付けられたあの時代、
そんな”事実”は、誰も知らずにいたのだ。少なくとも”こちら側”において
は。その頃、”こちら側”の人々は、別の真実を信じていたのだった。
そして、その”真実”が幻想だったと分かってしまった今日。幻想だった
”真実”を賛美してしまった人々は、その件に関して口をつぐみ、まるで何も
なかったように、そんな過去への責任を放棄したままである。
2002年10月 6日(日)
一生懸命、後にレスをつけているようであるwwwww イメージ工作に必死だなw
>>413 さすが、大江の工作員は大江の気持ちをくみとっているようである。
>その点で、最近のシリーズは、無念さ、時代とはぐれた寂しさ、
>自嘲、まだわき上がる情熱、、、いろいろな思いが読み取れて
>非常に面白いと思います。
>どれだけ嫌いな人の書いたものでも、興味の無い作家でも、
>その人の人生をかけた仕事には敬意を払うべきだと思います。
>よくもまぁ、小馬鹿にできたものだ!と思います。
↑
憂い顔の童子の表紙で男が泣いている絵がのっているが
よく汲み取っているようだな、さすが大江健三郎の工作員である。
大江の工作員=大江のファン ってことか。 じゃあ問題ないや。 けっきょくみんな大江が好きなんだね。
>>417 また、速攻でレスがついているようであるwwwww
この組織力は創価学会だろうか、共産党だろうか。
以前大江が久本雅美と一緒に番組にでてたが
久本は創価学会の人間であると、どこかに張れてた
アドレスのあるHPで書かれていた。
また、以前大江の特集の番組は、まるで創価学会の
宣伝VTRそっくりの作り方だった。
久々にコピペじゃないアンチが現れたな。
421 :
◆OQ2HnX1ptg :2005/06/07(火) 22:09:37
>>421 コピ平の肉声というのはどうかなあ?アンチにもいろいろいるだろうから
ぜんぶ一からげにしてしまうのもどうかと思うぞ。
ファンを全て「工作員」と断ずるアンチと同じだべ。
>>419 アンチって臭すぎ、大江にはもったいなさすぎだろ。
>>420 んなもん、どうせレスつけてるんだろうなと見てみたら阿武嬢つけていた
というだけだろwwwwww
今もパソコン消して、そろそろつけてるとおもってたら
3人もつけてたよw今までほとんどいなかったのになw
大江は左翼だから、よく70年代に学生が取り囲んで、どうこうするということが
あったらしいが、それと同じことをやろうとしてるのか?
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak2/120716.htm Uta.
==============================
大江健三郎「恥」発言
木村愛二です。
大江健三郎の防衛大学校生についての「恥」発言の議論がありま
したが、私は防衛大学校の3期中退で、東大では大江の1年下でした
から、その発言以前、芥川賞の受賞以前の彼の姿も見かけています。
その当時の芥川賞受賞者には石原慎太郎もいますが、芥川賞そのも
のの評価も必要です。私は、どちらも商業雑誌のタレントとして見
ており、石原も大江も軽蔑しています。作品も、初期のものしか読
んでおらず、まるで興味がありません。
その後、大江を天敵扱いする本多勝一とは直接、訴訟まで起こす
関係になりましたが、この種の商業タレントの発言に一喜一憂する
日本の自称文化人全体も、軽蔑の対象です。この考えは、実は、そ
れほど珍しいものではなくて、私は日本テレビにいましたが、メデ
ィアの世界で下積みの苦労をした人々の本心なのです。
最初に、大江の知る人ぞ知る軽蔑すべき正体を記すと、彼は、
フランス文学科出身ですが、当時のアイドル、サルトルがノーベル
賞を拒否したのを賞賛しておきながら、自分は受賞に向けて醜い政
治工作を展開したのでした。彼こそが日本の「恥」なのです。
(後略)
425 :
◆OQ2HnX1ptg :2005/06/07(火) 22:22:54
>>422 「コピ平だと察してる」と「工作員と断ずる」ことには大きな差異があるけれどね。
まあコピ平でないとすれば本人がそう言うだろう。
あとみんなsageで書きすぎる。
426 :
◆OQ2HnX1ptg :2005/06/07(火) 22:24:47
きっと「ジュネーヴ」の人たちが大江礼賛してるんだろう。 むしろ三島かもしれんが。
>>413 >その点で、最近のシリーズは、無念さ、時代とはぐれた寂しさ、
>自嘲、まだわき上がる情熱、、、いろいろな思いが読み取れて
>非常に面白いと思います。
↑
この無念さ、時代とはぐれた寂しさ?ってのは、「取替え子」で
ウォークマンどころか、さらにその前のカセットテープを使ってる
なんっていうシーンのことを言ってるのか?
自嘲なんってのは、ワイドショー番組をみていても、その番組に
でているコメンテーターの言葉を正確に理解できなかったとか言ってるのを
言ってるのか?
まだわき上がる情熱ってのは、ロバンソン小説とかいうのを言ってるのか?
ところで、なにが、どこがおもしろかったんだ?
大江は「憂い顔の童子」の失敗を腐蝕しようとしているようである。
あの古儀人には、表紙に描かれている男の美しい泣き顔は似合わないわな。
冒頭で母親に本当のことを話すと話しているが、まさに見事に大江健三郎を
表現した内面を映し出した私小説なんじゃないか?「憂い顔の童子」w
>>413 >どれだけ嫌いな人の書いたものでも、興味の無い作家でも、
>その人の人生をかけた仕事には敬意を払うべきだと思います。
>よくもまぁ、小馬鹿にできたものだ!と思います。
↑
どこがどう、人生をかけてんだ?
大江は基本的に、 ( ´,_ゝ`) プ と思いながら読むのが正しいんじゃね。
431 :
吾輩は名無しである :2005/06/07(火) 23:34:53
433 :
監視人 :2005/06/07(火) 23:39:45
ほら即レス(ニコッ>432
>433-435 自演乙
ちなみに、荒唐無稽なはなしに聞えるかもしれないが
工作員以外の人間に話すとすれば、僕のパソコンは
大江健三郎の工作員達にハッキングされている。
それゆえに僕がパソコンを消したと同時に僕に対して
レスがあったのである。
つまり、僕がやっかいで、僕がパソコンを消してからレスをしたのである。
それは、僕という存在はやっかいなのだが、とりあえず印象操作を
するためにも、レスをしなければならないという、大江健三郎の
工作員の思うゆえなのである。
>>436 そろそろ、これが来るとおもっていた。
たとえば、
>>426 のやつが何故名前入りで書いているか。
それは、大江健三郎が名前入りで書けという、これまた印象操作の
ひとつだとおもったからである。僕が書きこみはじめてから、名前入りが
入ったのである。まぁ、どうせ、大江健三郎の工作員しかこのスレ
だれもみてないのであろうが。
何故、名前入りで書けと大江健三郎の工作員が誘導するかといえば
それは、取り囲んで、どうこうしたいからである。
別にしてもいいのだが、そんな底意がみえるので、悪意のなかで遊ぶほど
今は元気がないw
438 :
吾輩は名無しである :2005/06/08(水) 00:05:43
>437 おまえ面白れーな(笑 もうちょっと書いてみてくれ。
>>437 文章がへんてこだが、これって大江作品のパロディ?
440 :
吾輩は名無しである :2005/06/08(水) 00:15:24
>>437 は阿部和重の作品のなかの登場人物みたいだな。
没落してゆく民族がまず最初に失うものは節度である (シュティフター)作家
>>367 =
>>413 です。
さっきまで友達の家まで呑みに行ってました。
レス遅くてごめん(笑
コピペの中の人の肉声が聞けて嬉しいです。
私はネット関連の仕事なので、良くスレ開いたままなんで(バレない!
レスに気づくのが早かったのはそのせいかも。キモくてごめん。
でも、さすがに御飯の時間とかは無理ですよ。
私はこのスレでもうちょっと話が出来たらなぁと
思ってるだけなんです。
いつも何か話しはじめて、すぐ断絶しちゃうじゃないですか、
閲覧してて、「勿体ないなーこのスレ」と思ってたんです。
私も大江は
>>430 の言う通り、
( ´,_ゝ`) プ
と思いながら読むものだとおもうんですよ。
でも、ネット上の他の所は結構本気じゃないですか。
「祈り」とかなんとかとか。ねえ。
ちょっとそれはイヤなんですよ。
「あの記述笑えたよねー」とか言うと、本気でにらまれそうで。
443 :
413 :2005/06/08(水) 03:52:50
(続き) 今の感じでぐだぐだ話せたら 結構面白い話が出来るんじゃないかと思う。 みんなちゃんと大江作品読んでるし。 私の周りは誰も読んでなくて、 自分だけで盛り上がってる部分があって、 その点で自分でも「キモチワルっ」と思う時がある。 だからあえて殺伐としたこのスレで 素直に感想書いてみたくなった。 こう言う形でスレがのびるなら、 私は普通に感想を語ってみようかな、と思っています。 もちろん批判も可。そのかわり、揚げ足をとるようなレスは無視。 あくまで感想に対して「そうじゃないだろ」という反応には 真摯にレスします。 と、長文すみません。 投げるだけ投げて遊びに出ちゃったので ちょっと反省してます。 おやすみなさい。
444 :
413 :2005/06/08(水) 04:15:03
>>428 と
>>429 の指摘に関しては、
結構まともな指摘だと思うので、
ちょっと考えてみる。
もう一回読み返さないといけないかも。
もう話の筋の記憶が曖昧、、、。
また明日の夕方以降にでも書くと思う。
期待せずにお待ちください。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/nikki02-12.htm 橋本裕の文学・人生日記帳
12月15日(日)地上の楽園・北朝鮮
以前、金日成が支配する北朝鮮を、多くの人々が「地上の楽園」と呼んで賞賛した。そして、この「地上の楽園」を目差して、1959(昭和34)年から数年間で、9万3千人以上の在日朝鮮人の人々が祖国へと帰っていった。
あれから40年、帰国した人々の悲惨な状況が明らかになってきている。多くの人々が財産を没収されて収容所に収容され、そこで餓死していたというのだ。
当時、フルシチョフのスターリン批判を受けて、北朝鮮の共産党上層部でも金日成個人崇拝批判が噴きだしていた。そしてこれを押さえるために大規模の「粛正」が行われていたという。「地上の楽園」どころか、「地上の地獄」だったわけだ。
このことを看過して、この恐るべき独裁体制を地上の楽園などと賞賛し、帰国運動キャンペーンに荷担した人々の中には、後にそのことを悔いて、彼らの支援活動に半生を捧げている人たちもいる。
たとえば、現代コリア研究所長の佐藤勝巳氏は、かつて日本共産党の活動家として在日朝鮮人の帰国運動を支援していた。
しかし、帰国者の多くが日本に残った親戚に生活物資を送るよう依頼してきたり、北朝鮮の厳しい現実を伝えてきて、次第に「地上の楽園」という宣伝文句が嘘である事に気がついたという。
以後、北朝鮮の内部情勢に関する調査分析に全力をあげ、北朝鮮に拉致された日本人の救援のために積極的な支援活動を展開している。
しかし、総連をはじめ、日本共産党や社会党、朝日新聞など、この運動を支援した組織や進歩的知識人の多くはこの問題をあいまいにしている。
その中の一人として、ノーベル文学賞の大江健三郎の場合をとりあげてみよう。
<結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。 それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった> (わがテレビ体験、大江健三郎、「群像」(昭36年3月号)> 大江氏のこういう文章を読んでいると、戦前の天皇制賛美の精神とほとんど同じメンタリティを彼に感じずにはいられない。 テレビや活字を信じ、客観的な分析も裏付けもないまま、北朝鮮が「地上の楽園」だと思い込んでしまう。そして、自分にそうした祖国がないことを手放しで悲しみ、精神の平衡まで失ってしまったというのだ。 その後、彼がこの錯誤について真剣に反省し悔やんだということを聞かない。人々の救済について、なにか行動したということも聞かない。 ヒューマニズムについてのペダンティックで晦渋な文章を書き、レトリックに満ちた高邁な発言を繰り返すばかりのように思われる。 私は彼の文学的業績について、かっての愛読者として一定の評価をしつつも、彼の人間性についていささか不信のまなざしを向けている。 正直に言うと、彼はペテン師ではないかと思っている。まあ、昔から文壇などというものは、詐欺師と偽善者のたまり場のようなものなのだろうが・・・・。 <今日の一句>冬の雁隊形くずれて空に舞う裕
「コピペの中の人」が登場したのはいいのだが、 文体が「wwwwwww」ばかりなので、やっているのが たった一人だと分かってしまったのが、逆に つまらないな。 いろいろ文体変えて挑戦してみてください。 「新しき中の人」も出てくると面白い。
>>447 コピ平と言って、文壇権威を守ろうとしてるのか、新しい読者とやらのために
イメージを流布しようとしているのかしらないが朝から必死だなw
>>445-446 大江に"戦前の天皇制賛美の精神とほとんど同じメンタリティ"を感じるというのは正解っぽい。
でもそこが面白いとこでもあるんだが。
>>449 でも、その戦前と同じメンタリティーをもつ者等を攻撃してきたんだよなw
大江のなかでの戦前ってのは、父親をなじった軍人だけなのかもしれない。
偽善者の代表(チャンピオン)のような人がノーベル文学賞をもらったのには驚いた。 ご存知、大江健三郎である。 大江健三郎は日本の文化勲章は拒否している。その理由は自分のような戦後民主主義者 に国民的栄誉は似合わない、とのことかららしい。 ストックホルムの受賞記念講演では「あいまいな日本の私」と題して、日本人の悪口を 言い、スウェーデンをヨイショしている(『あいまいな日本の私』岩波新書参照)。 日本は悪い国だから、その国の栄誉はもらわないが、外国とくに西欧は良い国だから ノーベル賞はもらうんだと。 話は変わるが、大江は酒ぐせが相当悪いらしい。たとえば、安岡章太郎の『愛犬物語』 (KSS出版)には、新宿のバーで吉行淳之介といっしょに飲んでいた遠藤周作にケンカを 売った話が書いてある。大江の売り言葉はこうだ。 「ぼ、ぼかァ、ト、トーダイの拳闘部のキャプテンなんだ。あーア、こ、こ、こんやは 腕が鳴る。ぼ、ぼくのパンチの一発を、ボーンとやったら、え、え、遠藤周作のウソ吐きも、 ちちちったァ、骨身にしみてこたえるだろう」(前掲書) また銀座の店では日本文学賞の選考委員の阿川弘之がその日、賞を落とされて頭にきた 大江にウィスキーグラスを投げつけられたとか(谷沢永一『鳩よ!』昭和六三年一〇月一日号参照)
452 :
監視人 :2005/06/08(水) 20:40:49
ニヤッ
監視とか、遊びなの?本気なの?
454 :
監視人 :2005/06/08(水) 22:38:49
もう特定できてるから、今後の動向次第だ。
、、、、、、特定? 一体何を? ((((;゜д゜)))ガクブル
456 :
監視人 :2005/06/09(木) 00:14:42
アンチ大江はがんばらにゃならん!
監視人は、アンチなの?ファンなの?
458 :
監視人 :2005/06/09(木) 00:27:18
ほんとうのことをいおうか?
459 :
監視人 :2005/06/09(木) 00:33:06
大江は糞だ。
460 :
吾輩は名無しである :2005/06/09(木) 00:38:48
>>458 名前:監視人 投稿日:2005/06/09(木) 00:27:18
>ほんとうのことをいおうか?
なんか、オカルトっぽい。
そして監視人は本物と偽物に分裂したっぽい。
それは一人の人間なのかそれとも複数なのかは分からない。
事実:コピペが格段に減った 予想:コピペ厨が監視人と名乗って、 実は大江の話ができて嬉しくて仕方ない事を 表明しようとしている
462 :
吾輩は名無しである :2005/06/09(木) 00:47:16
このスレは大江ワールドに突入したっぽい。
>>462 それ、すっごく面白いね。めちゃくちゃ笑った。
↓
このスレは以降、大江信者といわれて辟易する人物と、
その人物を常時監視し、即座にレスする
「監視人」という謎の人物との会話で紡がれる心理劇となります。
464 :
監視人 :2005/06/09(木) 01:07:20
ここでは、「ほんとうのこと」を知るためには、 行間を読まなければいけない。 レスを字義通り受けてるだけでは、 「ほんとうのこと」は見えてこない。
>>428 に関して。
大江の発言とかに注意してちゃんと読んでるから
こういう文章になるのかなーと感心した。
模範的な読解というか、きちんと読んでる印象がある。
でも、?の質問の宛先が不明なので、責められているのか
それとも同意を求められているのか判断しかねます。
>>428 を読んで、なんとなく感じたのは、、、
大江作品に多くを求めすぎているのではないでしょうか。
ところで
>>428 さんの言う、「憂い顔の童子」の失敗って何ですか?
>>429 >どこがどう、人生をかけてんだ?
ふうむ。文章化が難しいけど、、、頑張ってみよう。
古義人を一度死の淵にまで追い込み、
もはや2度目は簡単に死ねまい。という状況にして
今回の新作へと流れ込んだところで確信した。
ああ、この人は人生最後の仕事を書こうと追いつめてるんだなーと。
私が「さようなら(略」面白いと思っているのは、
世の中の流れに必死にくさびを打ち込もうとして奮戦する
老いた人物がことごとく打ちのめされている点。
世の中への表明を止めるということは、生をあきらめ死に向うと言う事なのか。
そして、世の中への表明をしたところで、どの年代でもどの時代でも
何も変わりはしないのかという問いを感じる点。
このあたりどう決着をつけていくのかが読みどころだと思っています。
まずはこんな感じで。。。
>>464 なんだよ、「ほんとうのこと」って(笑
監視人、文学的テクニカルターム多めだよ。
468 :
監視人 :2005/06/09(木) 03:11:32
無知だな。わからんのか。
万延元年か、谷川俊太郎か、 いずれにしても…。
「テーミス」という会員向け月刊誌がある。実にユニークな内部情報誌で企業ニュ
ース、官僚の内幕、永田町の水面下の動きな
どを早く伝えてくれるので、結構人気がある。これは嘗ての「週刊現代」編集長、フ
ライディ創刊者の伊藤寿男氏が主宰してい
る。
さて今月の「テーミス」で一番興味を引いたのは「大江健三郎」に関する醜聞であ
る。
もともと権威主義的でマスコミからの評判も最悪の人だが、日本人は「ノーベル
賞」とう幻想に振り回され、大江の唱える「平和主義」にもスペースを割いてきた。
テーミス曰く。「週刊朝日」が大江を書評欄で批判したところ、朝日上層部への大
江の圧力で、加藤編集長が「解任」された。
その「書評」欄も打ち切り。
読売は全面ぶちぬきで大江の連載を開始、朝日が仰天、慌てているところだったら
しい。
文芸評論家の渡部直巳が大江の子息で作曲家の光を賛美するのは野坂の「エロ事師
たち」に登場する父娘のごとし、と言ったと
ころ「昴(すばる)」の連載は打ち切り。子息の作曲の無能については武満徹が「あ
れは音楽ではない」と言い切ったことがある
が。。。
ところが絶縁状態の文春と大江は、芥川賞選考委員に突如復帰した。これは「ノー
ベル賞を前に文春を敵にはできない」と判断
したかららしい。外国の賞を貰っても天皇陛下の叙勲を辞退した左翼のデマゴーグ作
家だけのことはある。
テーミスは(3222)6001番。年間12000円。
http://www.melma.com/mag/06/m00045206/a00000330.html
472 :
監視人秘書 :2005/06/09(木) 12:37:47
>>467 >文学的テクニカルターム多めだよ。
文学板でそんなことをいわれるとは思いもしないだろうよ。
>>468 監視人はsageは使わないはずだよ。おそらくは。
>>469 ここが誰についてのスレッドであるかを考えれば、谷川はないよ。
ひさしぶりに思いだした 万延元年で谷川のほんとうのこと言おうかって詩が使われてたんだったな
474 :
吾輩は名無しである :2005/06/09(木) 15:44:59
諸悪の根源は家族の幸福ってまさに大江のためにある言葉だな…
秘書までいるのか。
476 :
監視人 :2005/06/09(木) 18:17:02
秘書は3人ほど。いつでも手配はできる。
作家の大江健三郎氏がフランス政府からレジオン・ドヌール勲章コマンドールを受賞した。 大江氏は、95年にシラク氏の核実験再開に抗議して、フランスでの文学シンポジウムを欠席したことがある。 今回は、シラク氏の、米英と異なる核軍縮の役割に期待して受けることにしたという。 フランスは、核実験を行い、アラブ人や黒人への差別をやめず、 植民地支配に対してなんらの反省もない。 自国の戦争美化をしている国。 大江は受け取る勲章が「レジオン・ドヌール勲章」という 世評の高いものだということで、それを受け取る。 いかにも大江らしい。 大江が文化勲章辞退のときの「税金を使った賞は貰わないことにしている」との弁。 フランス政府が授与するレジオン・ドヌール勲章は、当然フランス国民の税金が使われている。 大江はフランスの植民地支配、歴史歪曲、戦争美化、 核実験は許すくせに、 日本のそれらは問答無用で悪とみなし 根拠ない批判を繰り返す。
478 :
監視人 :2005/06/09(木) 19:10:20
秘書はもっと若い、ぴちぴちしてミニの似合う、よだれのたれそうなおなごにしたいのだが...
479 :
吾輩は名無しである :2005/06/09(木) 19:14:39
こわもての秘書じゃないの?
kudaraneyo
481 :
ハイテク犯罪捜査第2斑長 :2005/06/09(木) 22:25:37
たしかにコピ平はくだらないな。
コピペの一文字目を繋げて読んでいくと、大江のまだ発表 されていない新作の原稿の冒頭になっている。 とかだったらネ申なんだがなあ。
とっくの昔に荒廃したスレかと思えば、 いろいろ潜んでたのな。 ひさびさに何度かリロードしてしまうよ。 イキイキしてるぜ、俺ら(笑
484 :
ハイテク犯罪捜査第2斑長 :2005/06/09(木) 23:19:18
リロードおよび書き込みのたびに情報がこちらに送られてくる。 自由航海団第3支部のT氏に感謝を。
485 :
吾輩は名無しである :2005/06/09(木) 23:36:15
新しい人よ、新しい文学よ、目ざめよ。
情報提供します。 でもこれから個人の特定は無理だろ(笑
487 :
:2005/06/09(木) 23:51:57
あ、犯罪行為とかだとプロバイダは警察にユーザー情報を提供するからね。 プロバイダはある時点で誰にどのIPを割り振ったか、ログを持ってるだろうから、 悪いことしたらばれちゃうよね。 匿名でもさすがにそのへんは無法地帯ではないわけだ。
488 :
ハイテク犯罪捜査第2斑長 :2005/06/10(金) 00:32:38
わざわざ「フシアナ」をしてもらわなくてもIPくらいは朝飯前。 自由航海団第3支部のT氏によるデータ解析はそんなレベルじゃない。 ちなみにプロバイダを通じて警告することも容易な話。 同一AA使用のためにグルというコテハンはそれを受けている。
>>488 IPはパケットに入ってるから朝飯前より前だろ(藁
TCP/IPとhtmlで得られる情報以上のものを入手できるわけ?
>>488 ちなみに、以下を>487で言っているわけだけどね。
492 :
監視人秘書 :2005/06/10(金) 00:40:40
( ̄ー ̄)ニヤリッ
493 :
ハイテク犯罪捜査第2斑長 :2005/06/10(金) 00:43:30
長文のコピー&ベーストも2ちゃんねるガイドラインに抵触する。 グルというコテハンがかつて行っていた同一AA使用と同罪。
俺は大江アンチだし、別にコピペは気にならないね。 ほかとのからみもあるけれど、ガイドラインに抵触するという判断は妥当かな? 大江シンパは反論しているわけでもなし。書き込みが阻害されているレベルでもない。 監視人とか班長が大江シンパなのか?
496 :
吾輩は名無しである :2005/06/10(金) 00:58:37
「2ちゃんねるガイド」をまず読め>495 それからHPからの無断引用というのはまた別の法に抵触する。
最初の頃は面白く読んでたんだが最近は見たこと有る奴しかなくなっとる。 新ネタを探す努力を怠ってるんじゃないだろうか。もっと頑張ってほしい。
>>485 でも、さようなら、私の本よ、文学よ!(笑
じゃあ、このスレの常駐参加者を点呼します。 @ - @)ノシ < 1 !!
500 :
吾輩は名無しである :2005/06/10(金) 01:21:55
「さようなら、私の本よ!」は誰の詩か知ってるのか?>498
>>496 ひさしぶりに削除ガイドライン見てみたけれど、なぜまず読め、なんだ?
会話阻害してないだろ。
文字数が多いってんなら、同一スレ内で一回カキコしたところへリンクさせるよう*ガイド*するとか。
俺は2chの大江のコピペを読んでアンチになった。事実だろうし(検証する気はないが)、たまに
誰かがパラフレーズしている状態だろ。
これは運用レベルの問題と同時に大江そのものが抱えている問題だと思う。川端スレを見てみろ。
アンチの対応が異なっているだろ。大江は川端と違って存命だ。大江に自己批判ちゃんとさせてみろよ。
アンチの対応もかわるだろ。
別の法って?クレームついているなら考えるだろうけれど。
大江健三郎のノーベル賞受賞講演ー日本への呪いー
http://www.geocities.jp/s060630/Domestic.htm 谷沢永一氏がすでに詳説しているが、大江健三郎著書「あいまいな日本の私」(岩波新書)を購入し、ノーベル賞受賞講演を通読してみて、改めて驚愕し、呆れ果て、そして怒髪天を突く思いに駆られた。以下は講演のサワリの箇所を解説する。
彼の晦渋な表現には辟易するが、そこに読者を煙にまく落とし穴がある。
「近い過去において、その破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みにじった歴史を持つ国であり、現在もまた文学や哲学によってでなく、電子工学や自動車生産のテクノロジーゆえに、その力を世界に知られているのが、わが国の文明だ」と。
▼▼大東亜・太平洋戦争(=西部邁氏の愛用語)が勃発した理由は、日本の中に破壊への狂信者集団がいて、彼らが国内と周辺諸国の人間の正気を踏みにじったそうだ。
▼ここまで空想の翼が広がるとは流石小説家だといいたいが、精神鑑定をしてもらったらどうか。
不戦の誓いを日本国憲法から取り外せばアジアと広島、長崎の犠牲者たちを裏切ることになり、
さらに高いところに絶対的な価値を置く旧憲法を支えた市民感情が、リアルに現在もなお行き続けている・・・
▼▼彼の天皇(制)嫌いはチョー有名だが、不戦の誓いを憲法から外せば、魑魅魍魎どもが蠢きだすぞよと曰う彼の強迫観念には呆れるほかはない(cf.Massmedia 朝日新聞「瓶のふた論」。
彼の講演内容をすべて解説する余裕はないが、上記の日本悪行への呪詛と対比し、諸外国の人々はすべて善意に満ちているような仕掛けになっている。この講演で彼が褒め称えた日本人といえば、師と仰ぐフランス文学者渡辺一夫と彼の息子の光くらいかな。
下記の大江語録にもあるように、大江は外国に対しては飛び切りゴマをすり、賛辞を述べ、わが国に対しては国を貶める発言のオンパレードだ。他人の不幸は鴨の味。選考委員がウハウハ喜んだのも無理ない。
2004・4・6
503 :
吾輩は名無しである :2005/06/10(金) 10:08:46
ナボコフ
504 :
吾輩は名無しである :2005/06/10(金) 10:32:23
やはり同じIPアドレスだな。
どーれーがー?
506 :
監視人 :2005/06/10(金) 13:34:04
>>501 「おやくそく。
http://info.2ch.net/before.html 」
をきみはもう一度読む必要がある。上記にはこう書いてある。
>具体的には、下記みたいなことはやめましょうです。
>削除の要件(禁止されること)
>コピペ・アスキーアート等必要以上の張り付け
このスレのコピ平はこの
「コピペ・アスキーアート等必要以上の張り付け」
に抵触している。
ルールを守れない人間が何を主張しても駄目だ。
507 :
監視人 :2005/06/10(金) 13:42:03
>>501 >俺は2chの大江のコピペを読んでアンチになった。
>事実だろうし(検証する気はないが)、たまに
>誰かがパラフレーズしている状態だろ。
「検証する気はない」というのに「事実だろう」と鵜呑みにする
きみの論理的思考能力のことはおいておこう。
しかしまともな思考力を持つ人間なら鵜呑みにはしないであろう。
そして「パラフレーズ」という表現の不味さも問わないでおこう。
「パラフレーズ」という言葉の意味をわからないで使っているようだから。
日本の憲法第9条死守を訴えるために来韓した大江健三郎氏(朝鮮日報)
巡礼者の足跡
【大江健三郎】韓国で大いに妄言を語る
2005年05月23日(Mon)
日本の憲法第9条死守を訴えるために来韓した大江健三郎氏(朝鮮日報)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/05/23/20050523000079.html 「日本は事実上、現在も平和憲法の構造を守っていない。自衛隊という軍隊を持っているし、軍事予算も執行している。
イラクに自衛隊を派兵したりもした。 今、憲法を改正すれば、日本が戦争をすることも可能で、軍事費も確保することが出来る国家になるという、取り返しのつかない事態が起きる。
私は憲法を守って、その憲法が実現する世の中で私たちの子ども達が住むことが出来るという希望を持っている。
私は小説家だから希望という単語を使うが、政治家や経済人は世間を知らない話をしていると言うでしょう。
しかし、50年前に私たちが考えた平和憲法は、日本を戦後の新しい平和な国に作り、韓国や中国を含むアジアが平和に暮そうという希望を込めて作ったものだ」
なんというか、脱力しちゃうな〜。
どうも護憲派(特に第9条の死守を訴える人)というのは、第9条の条文の一字一句たりとも変えようものなら、必ず日本は軍事国家になって戦争を起こすと思ってらっしゃるようだ。
どうにも飛躍がありすぎて、自分にはとてもついていけない。どうしてそういう短絡的な発想しかできないのかと、むしろ情けなさすら覚える。
大江健三郎といえば、ノーベル文学賞を受賞した日本を代表する文化人の1人だ。それがわざわざ韓国まで出向いて、こんな妄言を垂れ流す。
はっきりいって、彼の経歴に大きな汚点を残すものではなかろうか。
誰かじゃないが、「おやめなさい」と言いたい。(笑)
24日に開幕する第2回ソウル国際文学フォーラム(デサン財団、文芸振興院共同主催)で「人間価値と政治変化」をテーマに話す大江氏はこの日、記者会見に先立ち
「私は今も日本が韓国人に行った犯罪行為をよく分かっている。広島と長崎の韓国人被爆者たちに対して日本政府が十分な補償をしなかった」と日本の自己反省を促した。
えーと、とりあえず原爆って誰が投下したんだっけ?
いっそのこと、そのまま韓国に帰化されたらいかが?
>>506 ようやく言論弾圧っぽい汚い手を打つことを諦めたのは一歩前進だな。
このルールってのには解釈がついて回る。
必要以上って部分だ。
もし本当に限定したいなら、回数や文字数で限定しないと、何が必要以上かわからない。
2chでは権限を持つ者にその判断をゆだねている。もし、必要以上だと考えるなら、その手続きを
踏めばいいだけの話。さらにそれに不服があればそれ専用のスレも用意されているだろう。
で、警告をだせばいい。すべてルールが出来ていてぜんぜん問題ない。
それをIPがどうのこうの、思わせぶりなカキコをするの、いかにも大江厨らしい対応に出るから
アンチとしては腹が立つわけだ。もっともコピペ氏の意見はわからんがね。
>>507 コピペを読むと分かるんだがね。
書いた人間と引用元が明記されている。>508
まあ、必要があれば見るけれどね。マジなコピペでしょ。
リンクだと直接目に入らないから宣伝効果は薄れるのでマイナス、という観点からテキスト
貼り付けているんだと思う。
どうしても気分が悪ければ、ここでコピペのやり方に付いて議論しなよ。それでも駄目なら削除依頼
出せばいいじゃないの。
パラフレーズ、辞書ひいてみたんだね。(にっこり
いろいろな意味にとれるからね。
細分化した説明や解説みたいに一般的に使用されるけど、
もともと音楽の用語だ。でふぉるめというか編曲のこと。
英和辞典は引いてみたか?
512 :
監視人秘書 :2005/06/10(金) 18:00:31
( ̄ー ̄)ニヤリッ
513 :
吾輩は名無しである :2005/06/10(金) 18:10:17
>いろいろな意味にとれるからね。 >細分化した説明や解説みたいに一般的に使用されるけど、 >もともと音楽の用語だ。でふぉるめというか編曲のこと。 paraphraseの説明として↑は違うだろw>510
>>513 パラフレーズ以外、私の意見に問題はないんだね?( ̄ー ̄)ニヤリッ
パラフレーズとは手短に言い換えてやることだろ?
516 :
485 :2005/06/10(金) 21:20:16
大江の話をしたまえよ諸君。
大江って、一回小説書くの止めて、 また復帰したよね。 それの要因とかって、発言してるの? なんでもう一回書き始めようと思ったのかなぁ。
書くの止めるっていって本当に止めた奴っているのかな。
デュシャンとか! 、、と思ったけど、遺作作ってたな。
521 :
吾輩は名無しである :2005/06/10(金) 23:28:04
>>518-519 大江は緑の木を「最後の小説」と考えていたが
筒井の断筆宣言とはちょっと異なるね。
「僕」というナラティブでの小説は緑の木で一応〆るのだと。
>>518 たしか武満徹の死をきっかけにしてとか。
523 :
吾輩は名無しである :2005/06/11(土) 06:31:53
http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200506030001/ 大江健三郎について 週刊朝日の2002年の書評より
●『これをもって小説は最後にすべし
作品を発表する度に「これが最後の小説である」と公言してきた作家がいる。大江健三郎である。
もちろん、そんなことを作家が言う必要はない。書き終えた後死ぬか、もう書けなくなれば、それが自動的に「最後の小説」になる。
なぜ、わざわざ「最後の小説である」と言わねばならないのか。自分を見捨てた読者に戻って来てもらいたいからである。
・・・
果たして、大江健三郎の最新作『憂い顔の童子』は、そんな作者の言い訳の集大成となった。
作者とおぼしき主人公「長江古義人」が、この長く退屈な小説で言っているのはたった一つのことだけである。それは自分の生涯と自分が書いてきた小説には「深い意味」があるということだ。
もちろん、大江健三郎はずっとそのことばかりを書いてきた。しかし、古義人の故郷である四国の「谷間」を舞台としたこの作品では何と、それを「客観的に」証明すべく、「ローズさん」という自分の作品を「研究」するアメリカ人女性まで登場させている。
・・・
「これ以上書くのは恥の上塗りになるから、本当に最後の小説にして!」(虫)』
524 :
吾輩は名無しである :2005/06/11(土) 09:42:05
>>523 自身の意見を書かなければ意味ないよ。
コピペ文について自分がどう感じるのかを。
ローズさんはどっちかというと長江の脱神話化つーか、言い訳を暴くためのキャラのような気がするがな。
ありゃ自己パロディ化の(かっこよく言えば「批判的距離をとる」) ためのキャラだよね。 大江が圧殺(苦笑)したらしいから、この「虫」の書評が 弱者正当化的に、つーかアンチ大江の便利な道具として 用いられてるけど、「虫」って大して面白いこと言ってなかったし、 見当はずれも多かった。そういう点を「客観的に」評価できない のが、なんともワイドショー的というか…。 別にどうでもいいけど。小説が面白けりゃ良い。
http://blog.goo.ne.jp/misirin/e/54fb074af3cba94b114d57da0c74981e 大江健三郎はいつ北朝鮮に帰化するのか?
インターネットの話題/2005年06月06日13時08分56秒
「腐ったトマトは小泉首相が来るまで投げずに我慢しなさい」
一応ノーベル文学賞を取った大江健三郎が韓国でこんな事を言ったらしい。
大江健三郎と言えば、「僕には帰る朝鮮(北朝鮮)が無い」と言う名言を吐いた男だ、未だに時代遅れのマルクス・レーニン主義の世界に閉じこもっているのだろう。韓国の極左大統領盧武鉉とは気が合いそうである。
日本に不満があるなら北朝鮮に帰化すれば良いじゃないか。
仮にもノーベル文学賞受賞者である。国賓扱いしてくれるだろう。
その方が大江健三郎に取っても幸せだし、売国奴が一人減って日本も幸せである。
ノーベル賞の中で文学賞、経済学賞、平和賞には何の価値も無いからね。
牢屋にぶちこまれそうな平和賞受賞者が隣の国には居ます。自尊心が壊れるので政治的判断で犯罪をうやむやにされていますが、着服、横領などの余罪があると言われております。
息子は捕まっていますしね。佐藤栄作が平和賞貰ったときもなんでこいつなんだと言われたぐらい平和賞には価値も権威もございません。
日本がノーベル賞に力を入れると言うのは日本が技術の発展に貢献していると言う事が正しく世界に認識されると言う事に尽きる。ビタミンなどの発見も日本人が先であるのにその功績は白人に奪われている。
こういうことが無いようにするのが日本がノーベル賞に力を入れる理由であり、従って価値があるのは、医学、物理学、化学と言うことになる。
恣意的に決められる文学や検証が終わって既に役に立たない経済学や紛争を解決しただけの政治家に与えられる平和賞に価値があるとは思わない。(紛争を解決すると言う事は、紛争起こしていたと言う事じゃないか。)
特に宥和政策と引き替えに核兵器を売り渡した隣国の前大統領などは寧ろ東アジアの平和を乱した存在である。
と言う訳でノーベル文学賞受賞者が一人減っても日本は別に困らない。
手塚治虫や黒沢明の方が世界の文学によっぽど貢献している。
さようなら、大江さん。あなたの本とともに
529 :
吾輩は名無しである :2005/06/11(土) 17:52:37
>>526 >自己パロディ化
大江流ユーモアだね。
老人の愚行なんて言葉も自己戯画。
>>523 のURLではじめて<虫>の書評の実物を読んだんだが、結構ひどいね。
読む前は<虫>の人には同情してたんだけど、同情する気が失せた。これただのダメな書評じゃん。
531 :
吾輩は名無しである :2005/06/11(土) 18:46:55
金井美恵子が「虫」の中の人だと思われて激怒してたな
532 :
アンチ派 :2005/06/11(土) 20:17:38
金井じゃなくても怒るだろう。 それよりなにより、どうせコピペするなら もう少し知性が感じられる評者の文章にしてもらいたい。 コピペ文はあまりにもひどい論理・文章・知性ばかりで、 これじゃ大江アンチ派は馬鹿ばかりだと思われてしまう。
http://blog.goo.ne.jp/koalamama_2005/e/7ddcf221c1db567ab6943b92dd5f07db 文化勲章拒否した男
雑感・隣国の問題など / 2005-05-24 18:04:44
あの大江健三郎が韓国で下らない発言をしているのを発見。
日本人として2人目のノーベル賞作家がこのような発言をすれば、さぞあちら側は喜ぶでしょう。
まったく、何故こんな奴にノーベル賞が贈られたのか?
当時は週刊誌などで彼の受賞のためのなりふり構わぬ事前運動(国際会議への参加、受賞者との往復書簡など)について書かれていたと記憶していますが、本多勝一との目くそ鼻くそ論争もありましたね。
昔話です。文化勲章を拒否し、核実験を行ったフランスからレジオン・ドヌール勲章を受け取った男です。
私は大江の本が面白いとは思わないし、大江が受賞したときには本当に????と驚きました。遠藤周作氏が存命でしたから、「遠藤周作より大江が上なの?ノーベル賞っていい加減だなあ!」と思いましたが。
いえ、文学に詳しいわけではありません。遠藤氏のファンだからですけど。ちなみに大江のノーベル賞は1994年、遠藤氏の文化勲章は1995年です。
534 :
吾輩は名無しである :2005/06/11(土) 22:16:30
アジアを植民地化し、侵略しようとした日本国家から文化勲章をもらうのは恥だろう。
フランスやスウェーデンからはもらって、日本からはもらわない大江も ヘンだとは思うが、そこから「欧米ばっか向いていて日本を馬鹿にしてる 大江」という結論を導き出すのもどうかと思う。
536 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 01:05:43
ブレイクやイェーツやオーデンなどなど 詩や詩人を好むオーケンだけど 自身ではなぜ詩を書かないのだろうか?
>>536 私という小説家の作り方にいろいろその辺りの事について書いてあった希ガス
このひとの本のタイトルって妙な力があるよな。 あれはどこから来るのでしょうか。
539 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 04:42:08
子供の頃、投稿した詩を同じ学校の女の子に見つかり、馬鹿にされたトラウマのため。みたいな話なかったっけ?まあ、これは大江がユーモアを交えて語っているだけだろうが。
| ( ゚д゚)ハッ
根津朝彦 朝日新聞社様へ
突然長いメールをお送りする失礼をどうかお許し下さい。私は根津朝彦と申します。現在、同志社大学大学院文学研究科の学生です。
:
また6月11日(夕刊)の「大江健三郎氏ら『9条の会』結成」のベタ記事には少し驚かされました。
大江健三郎さん、加藤周一さん、小田実さん、奥平康弘さん、鶴見俊輔さんら戦後日本を間違いなく代表する知識人であり、まさに日本国憲法が緊急の論点になっているにも関わらず、いささか扱いが小さすぎると感じたのです。
申し訳ありません。身勝手な憤懣を表明しているつもりは一切ないのです。6月15日の京都地域面に関連記事が掲載されていましたが、今後かれら9人のアピールの続報をぜひご検討していただければ幸いです。
:
2004年6月15日
http://www.shinbunbun.com/tsukomi/tsukomi-text/nezu-acess-no3.htm
542 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 09:41:42
>>537 「私という小説家の作り方」には
詩をモチーフにして小説を書くこと、については記述があったと思う。
初期の頃は中也や谷川が好きだったとか。
543 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 09:53:23
「新しい文学のために」 「私という小説家の作り方」 なんかを読むと、オーケンの作家としての自意識ってかなり強い。 んで、その自意識は客観的なものを目指しつつもあえて主観的であろうともしてて 自分の過去の作品を評価し、自分の作家人生=作品群の中で位置定めをし、 これからの計画・目標をも見据えながら自己批評する。
544 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 09:55:59
>>538 >このひとの本のタイトルって妙な力があるよな。
「さようなら、私の本よ!」も詩の引用だし、
やっぱ詩のもつエネルギーってあるんだろうなあ。
>ブレイクとトムソンを結ぶことで、 >またコールリッジとトーマスを結ぶことで >あきらかになる「蘇えるローマン主義者」の一人として、 >これからの生き死にに対処したい 「私という小説家の作り方」にはこんな記述があった。 おおげさといえばおおげさな感じもするがスゴイ自意識だ。
546 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 13:10:16
「新しい人よ目覚めよ」におけるブレイク 「懐かしい年への手紙」におけるダンテ 「燃え上がる緑の木」におけるイェーツ 詩人を独自の読みこみかたで摂取してる小説家も最近じゃ珍しい。
野依良治名大教授のノーベル賞の受賞式に、歴代のノーベル賞受賞者も出席していた。 その中に、「あの」大江健三郎の姿が・・・ 有名な話だが、大江は、ノーベル賞受賞に際して、日本政府から文化勲章を受ける話を断った。 理由は、「国家から表彰されたくない。皇室からもらいたくない」だった。 文化勲章を否定すること自体は、同じ日本人であることに恥入るが、 思想の問題だから、別にどうこう言うつもりはない。 しかし、だったら、どう考えてもノーベル賞も辞退すべきだろう? なぜなら、ノーベル化学賞は、スウェーデン王立科学アカデミーが国を代表して選定する。 授与するのは、スウェーデンのグスタフ国王だ。 国家が関与し、王室が授与するという点では、文化勲章も、ノーベル賞も同じである。 文化勲章がイヤなら、ノーベル賞だっていらないというのが当然である。 大江は、それはしない。その理由は何だろうか? 日本人のくせに欧米の視点に立ち、日本をバカにしているか、 一億円以上の賞金に目がくらんだか、どっちかだろう。両方か? 大江がノーベル賞を受けたことにも腹が立ったが、その後の記念講演も聞いていて呆れたことを思い出した。 日本がイヤなら、さっさと心のふるさと中国か北朝鮮に行けばいいものを・・・ そして、今また、性懲りもなくスウェーデンに呼ばれてのこのこ出ていく彼の気が知れない。 「国家の指図は受けない!!いちいち出ていけるか!」くらいのことは言えないのか? 恥知らずとは、彼のためにある言葉だとすら思う。
548 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 18:34:06
536 :吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 01:05:43
ブレイクやイェーツやオーデンなどなど
詩や詩人を好むオーケンだけど
自身ではなぜ詩を書かないのだろうか?
537 :吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 01:09:32
>>536 私という小説家の作り方にいろいろその辺りの事について書いてあった希ガス
538 :吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 03:21:17
このひとの本のタイトルって妙な力があるよな。
あれはどこから来るのでしょうか。
542 :吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 09:41:42
>>537 「私という小説家の作り方」には
詩をモチーフにして小説を書くこと、については記述があったと思う。
初期の頃は中也や谷川が好きだったとか。
549 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 18:34:31
543 :吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 09:53:23
「新しい文学のために」
「私という小説家の作り方」
なんかを読むと、オーケンの作家としての自意識ってかなり強い。
んで、その自意識は客観的なものを目指しつつもあえて主観的であろうともしてて
自分の過去の作品を評価し、自分の作家人生=作品群の中で位置定めをし、
これからの計画・目標をも見据えながら自己批評する。
544 :吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 09:55:59
>>538 >このひとの本のタイトルって妙な力があるよな。
「さようなら、私の本よ!」も詩の引用だし、
やっぱ詩のもつエネルギーってあるんだろうなあ。
545 :吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 11:18:16
>ブレイクとトムソンを結ぶことで、
>またコールリッジとトーマスを結ぶことで
>あきらかになる「蘇えるローマン主義者」の一人として、
>これからの生き死にに対処したい
「私という小説家の作り方」にはこんな記述があった。
おおげさといえばおおげさな感じもするがスゴイ自意識だ。
546 :吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 13:10:16
「新しい人よ目覚めよ」におけるブレイク
「懐かしい年への手紙」におけるダンテ
「燃え上がる緑の木」におけるイェーツ
詩人を独自の読みこみかたで摂取してる小説家も最近じゃ珍しい。
550 :
新アンチ派 :2005/06/12(日) 19:54:35
この
>>548-549 の流れにおいて
大江が詩をよく読み、それを作品のモチーフにしてきたことは理解できた。
しかしここで疑問がおこる。
>>536 にあるように
>自身ではなぜ詩を書かないのだろうか?
という点である。
大江は自分には詩を書く才能がないと自覚していたのだろうか?
していた。わざわざ自分の「詩」に 「詩のようなもの」だったか「詩めいたもの」とか但し書きをつけて公開してた。
552 :
どうでもいいが :2005/06/12(日) 20:05:59
>>45-50 つまり大江はノーベル賞の選考委員に根回ししたわけだろ?
選考委員に「息をかけた」わけだ。
だからその「汚い根回し関係の構図」までも含めて表現する意図があったのなら
「ノーベル賞受賞を獲得した」は別に変な表現じゃない。
「賞と一緒に、賞を授与した選考委員」も獲得したと表現したいわけだ。
単に「ノーベル賞を獲得した」ではその「汚い根回し関係の構図」が見えてこない。
553 :
新アンチ派 :2005/06/12(日) 20:11:12
>>551 なるほど。
「詩のようなもの」あるいは「詩めいたもの」として
「詩」とは区別していたということか。
そういえば葉っぱについた雨の雫について書いた詩が
確か最初の作品だったとか。
なぜ大江は詩への道を閉ざしてしまったのだろうか。
554 :
新アンチ派 :2005/06/12(日) 20:25:31
>ブレイクとトムソンを結ぶことで、 >またコールリッジとトーマスを結ぶことで >あきらかになる「蘇えるローマン主義者」の一人として、 >これからの生き死にに対処したい 「蘇えるローマン主義者」としてということは 大江は「ロマン」を復活させようとしていたと理解できるが それは彼が初期の頃から読んでいた ドストエフスキーやフォークナーのような小説を 理想とし、現代に蘇えらせようとしていたことになるのだろうか? もしそうであれば、そこには時代錯誤的な面があるのではないだろうか?
大江は純文学に危機感を抱いていたからね。
557 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 21:41:45
で。 大江健三郎は、帰るべき北朝鮮を見つけられたのでつか?
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】 結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、 スウィッチをいれる、画像があらわれる。 そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。 それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、 ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、 そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、 自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。 【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】 北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。 ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、 それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて 自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。 逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が 熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。 ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず にはいられない。 北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、 南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。 日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。 しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら れているのでない。
559 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 22:20:19
560 :
新アンチ派 :2005/06/12(日) 22:28:36
>>557-558 こういう流れとまったく関係ないレス&コピペを入れるところに
これまでの大江アンチの香ばしさがある(笑
きみたちはアンチ派のレベルを下げてることにそろそろ気づけよ。
それじゃ「大江アンチ=低脳」という宣伝をしてるようなもんだ。
もっと板にそい、流れも読んだうえで批判しような。
561 :
吾輩は名無しである :2005/06/12(日) 22:40:01
いいこというなあ
>>550 記憶があいまいで出典が書けないんだけど、
たしか自分では詩が書けないと自覚しているから
小説を書いているんだとどこかで書いていた覚えがある。
どこだっけ、信者さん?_
全集についてた、小冊子のなか。 「私という小説家の作り方」としてまとまってるんじゃなかった?
564 :
吾輩は名無しである :2005/06/13(月) 01:07:34
「私という小説家の作り方」は作品集の月報をまとめたものだね。
あれは全集じゃないのか。持ってるわけじゃなくて図書館にあったのを 読んだだけなので、そのあたり曖昧ですまそ
566 :
吾輩は名無しである :2005/06/13(月) 04:43:04
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
567 :
吾輩は名無しである :2005/06/13(月) 04:43:48
みんなお幸せに
孤高とか、節操とか、潔癖とか、そういう讃辞を得ている作家には 注意しなければならない。 それは、殆んど狐狸性を所有しているものたちである。 潔癖などということは、ただ我儘で、頑固で、おまけに、 抜け目無くて、まことにいい気なものである。 卑怯でも何でもいいから勝ちたいのである。 人間を家来にしたいという、ファッショ的精神とでもいうべきか。 この作家は、駄目になっているらしい。 言うことはいくらでもある。 この者は人間の弱さを軽蔑している。この者はビィにもかかわらず その貧しき者への残酷さに自身気がついているだろうかどうか。 ひとにものを食わせるというのは、電車でひとに席を譲る以上に、 苦痛なものである。何がヤレヤレだ。 その神経は、まるで新興成金そっくりではないか。 目覚めよ出版界! 文学の癌はこの者である。
569 :
新アンチ派 :2005/06/13(月) 19:26:35
>>568 >孤高とか、節操とか、潔癖とか、そういう讃辞を得ている作家
として誰がいるのだろう? オーケンはちょっと違うんじゃないか。
オーケンは知的ではあるが、孤高、節操、潔癖とはいえない。
ただ名声が確立されてる作家には読者はニュートラルになりにくいから
注意が必要だという意見には賛成だな。
大江はむしろヴァルネラビイリティを過剰にもった人間じゃなかろうか。
その弱さが、たとえば核への悲観的な恐怖となってあらわれ、
文学作品では『洪水』のシェルター住居=ノアの方舟として描かれる。
自分の弱さを、世界の弱さ、地球の脆さとダブらせてると思われるが、
果たしてそれがオーケンにおいて評価すべき点なのか、
それともそれは、「自分の弱さ」からのある種の逃げとなっているのか、
そのへんのことをアンチ/シンパを問わずに意見を聞きたい。
というか、
>>568 は三島や石原のスレに貼られていても何の違和感もないな
>>569 大江を良い様に見れば、
神を求めてしまう人間の弱さをもってヴァルネラブルとし、
自分はそれにもたれかからずに立ちたいという意志を
なんとか保とうとしていたのではないか。
その意味では弱さに逃げずに向き合おうとしている気もする。
でも、実際問題、よくわからない。
大江自身である種宗教的なものを構築している気もするし、、、。
June 05, 2005
http://blog.livedoor.jp/gunitnwagameofjapan/archives/24249671.html 「腐ったトマトは小泉首相が来るまで投げずに我慢しなさい」
日本の代表的な良心的知識人である同時にノーベル文学賞受賞作家である
大江健三郎は5日、
SBSテレビの「韓スジンのサンデークリック」に出演して、日本の政権による憲法改訂の動き、歴史教科書歪曲問題、従軍慰安婦問題など韓日両国の外交争点になっている事案について自らの立場を明快でありながらも意味ある発言をする渦中に
漢陽大を訪問して若者達を対象に行なった講演について、このような言及をした。
日本が戦争をしないで軍隊を持たないという憲法9条守護の会を主導している大江健三郎は、神社参拝をする小泉首相に対して批判をする中で
「小泉首相の神社参拝は韓国・中国の怒りを買うに値する。日本は真正な心の謝罪をしなければならない」と強調した。大江氏は漢陽大を訪問して学生たちに講演をする中で、
「私の娘は心配性で、敏感な時期に韓国を訪問するのを心配して、日本人は印象が良くないから腐ったトマトを投げつけられるかも しれないと言っていた。
腐ったトマトは私に投げずに、
小泉首相が来るまで我慢しなさい」
と言って
学生たちの笑いを催した。横にいた小説家の黄ソギョン氏は大江氏のこの言葉に対して「大江 先生には花を投げなければならない」と肯定的に回答した。
大江健三郎は、ノーベル文学賞を受けた直後に日本天皇が与える文化勲章授与を拒否した理由について、「真の民主的な賞を受けたかった」と簡単に答えた後、この受賞拒否で右翼らのデモなどに直面したエピソードを聞かせた。<後略>
http://www.mydaily.co.kr/news/read.html?NewsID=200506051011241100 --------------------------------------------------------------------------------
この大江っていう人、何ですか・・・自分は韓国の右傾化を煽っているじゃないの?矛盾してない。呆れてものもいえないジジイだな。
そんなに日本が嫌いなら日本人やめれ。この人は本当のキチガイ、老害、問題外っていう売国奴ですね。
腐ったトマトが一番フレッシュな話題なんだね。
574 :
吾輩は名無しである :2005/06/14(火) 05:53:27
(><)
まさに攻撃誘発性。
│ ノーベル賞 受賞 │ | 小泉首相の神社参拝は韓国・中国の怒りを買うに値する!!!! │ 大江健三郎 講演 | ∧_∧. | 日本は真正な心の謝罪をしなければならない!!!! └─────────┘ (`Д´;#) < 腐ったトマトは私に投げずに、小泉首相が来るまで我慢しなさい!! □⊂ ) | 日本天皇が与える文化勳章授与は、民主的な賞じゃない!!! ┏━━━━━━┓\ そんなものお断りだ!!!!!!!!!! ┃ ┃ \________________ \\ そーだそーだ!! // \\ チョパーリは氏ねニダ!! // \\ よく言った!! // ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ < #>< #>< #>< #>< #>< #>< #>< #>< #>< #>
こんだけ過去の過ちの謝罪謝罪いっといて 自分の過去の北朝鮮賛美については謝罪しないんだからな…
そりゃ、賛美してないからじゃないかな。
579 :
新アンチ派 :2005/06/14(火) 19:34:06
>>571 そこなんだ!
まず、オーケンは本来弱さをもった人間だと思われるのだが、
それをしっかり見据えようとし受け止めようとする強さはある。
強い人間は瞬間的にも自殺を考えたりはしないが、
障害児をもったときにオーケンはそうじゃなかった。
しかし、そういう自分と向き合い、体験を作品に反映させてゆく。
まるで弱さを最大の武器にしているかのようだ。
芸術表現によって現実に立ち向かう力を得ていることになるのか、
次に、オーケンは自ら語っているように神を信仰していない。
そして無信仰者として祈る。
だが、ブレイクやイェーツへの傾倒に現れているように
神秘的なものを求める希求は強い。
それは神がいないことを自覚しつつも神を求める行為に似てしまう。
そういう危うさがあるのではないだろうか。
http://kakumei.blog2.fc2.com/blog-entry-232.html 大江健三郎&娘のナイスな発言
大江健三郎氏、韓国で「腐ったトマトは小泉首相が来るまで投げずに我慢せよ」
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1117958862/l50 -引用開始-
大江氏は漢陽大を訪問して学生たちに講演をする中で、「私の娘は心配性で、敏感な時期に韓国を訪問するのを心配して、日本人は印象が良くないから腐ったトマトを投げつけられるかもしれないと言っていた。
腐ったトマトは私に投げずに、小泉首相が来るまで我慢しなさい」と言って学生たちの笑いを催した。横にいた小説家の黄ソギョン氏は大江氏のこの言葉に対して「大江先生には花を投げなければならない」と肯定的に回答した。
-引用終了-
大江健三郎&娘はけしからんですなぁ。朝鮮人は野蛮だから日本人に腐ったトマトを投げつけると思ってるんですよ。実にけしからんですなぁ、差別ですよ差別(ニヤニヤ)。
これはあれですよ、人権委員に通報ですよ。「大江が朝鮮人を差別してるから家宅捜索して下さい!」って感じですよ。
日本の代表的な良心的知識人も心の中では朝鮮人は未開で野蛮な民族だと思ってるんですよ。けしからんですなぁ(ニヤニヤ)。
2005/06/06(月) 00:21:59| 南鮮| トラックバック:0| コメント:3
582 :
:2005/06/14(火) 22:44:21
>>581 「『日本語で身体を張って朝鮮のために発言してくれている』と朝鮮同胞は思っている」という自負がなければ、
とてもじゃないが「敏感な時期」に半島へ行こうとは思わないだろうな、普通。
584 :
吾輩は名無しである :2005/06/14(火) 23:26:54
新アンチ派はこれまでのコピ平たちと違ってなかなか鋭い意見をもっているようだ
フツーじゃん。
586 :
吾輩は名無しである :2005/06/15(水) 00:05:34
つーかコピ平がアフォすぎただけ
私の発言にいちいち新アンチ派が香ばしく くらいつていくる件について。 ヒント:アンチ=かっこつけとしての
新アンチ派にシンパもアンチも沈黙している件について。
グレイゾーンの私が、 シンパなのかアンチなのか判断してください。 小説は面白いと思う。 正直、ノーベル賞とかどうでもいい。 宗教なしというが、充分宗教っぽいと思う。 私は無神論者だ。特に救いを求めた事も無い。 宙返りはいいなーと思ったが、最後がどうも嫌いだ。 (小説内での)長女が一番好きだ。 いかなる政治的運動には興味がない。 政治的にはグレイゾーンだが、基本的にはリベラル左派らしい。 9条の会にはどうもついていけない。 他にも判断材料が必要なら質問して下さい。
>>589 ハイ! 質問。
1)宙返り以外ではどの小説のどんなところが面白いと思いますか?
2)面白い、いいなー、好き、以外の形容はできますか?
591 :
589 :2005/06/15(水) 01:35:28
宙返り以外では、「万延元年」「アグイー」「ピンチランナー」 「燃え上がる〜」「取り替え子」などを読んだときに、 「おーっ」と盛り上がって、集中して最後まで読み切った。 一気に最後まで読み切ろうと思う作家は他にはあまりいない。 一種難解(に見えがちな)な語り口も、 慣れれば味の様におもえてくるあたりに 面白み(というか、おかしみ)を覚える。 ちょっとファンタジーなありえない設定なのに、 妙に現実感のあるエピソードの出てくるとニヤける。 登場人物の言葉使いが丁寧でいいのだが、ときに丁寧すぎる過剰さにひっかかる。 大江の人間としての自虐的なヒューモアというユニークさを 見ている気がする。 >追加になってますでしょうか。
592 :
589 :2005/06/15(水) 01:37:26
じぶんで書いてなんだが、この文章は激しく意味が不明ですな >大江の人間としての自虐的なヒューモアという >ユニークさを見ている気がする。 大江には、自虐的なヒューモアというユニークさを感じている。 という意味です。
593 :
吾輩は名無しである :2005/06/15(水) 01:51:20
まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ まんこまんこまんこまんこまんこまんこ
自動ニュース作成F
http://news.2-3-0.org/comment/comment_200506_74.php 自動ニュース作成F 朝鮮]大江健三郎氏、韓国で「腐ったトマトは小泉首相が来るまで投げずに我慢せよ
投稿日時: 2005年06月05日 19:01:14
http://www.mydaily.co.kr/news/read.html?NewsID=200506051011241100 日本語訳 ◇(略),
>大江氏は漢陽大を訪問して学生たちに講演をする中で、「私の娘は心配性で、敏感な時期に韓国を訪問するのを心配して、日本人は印象が良くないから腐ったトマトを投げつけられるかも しれないと言っていた。
腐ったトマトは私に投げずに、小泉首相が来るまで我慢しなさい」と言って、学生たちの笑いを催した。
これが日本を代表する文学者のありがたいお言葉ですか(溜息)
(from mydaily(ハングル))
この記事に対するコメント
[#1] 大江氏は昔からアレだが、韓国メディアが発言内容を正しく伝えているかどうかのチェックが先。
[#2] 平成生まれの子供たちから見たら、大江健三郎は単なるサヨクじじいってイメージかもしれんな
[#3] 政治的立場の自由としても、外国に飛んで反日活動をけしかけたり煽り立てたりするのってアリなの?左翼全体に言いたいけど。
[#4] ただのジョークじゃん
[#5] この程度の話に笑えないほど余裕が無いかねw
[#6] なんでもいいから叩きたいのだよ察してやりなさいw
[#7] 大江は名誉韓国人ですから
[#8] そうじゃなくて、政策に文句つけたいなら民間人叩くなってことだろ
[#9] きっと彼は帰るべき朝鮮を探しつづけてるんだよ。
[#10] さすが、昔「ソ連の核は良い核」発言をしたキチガイですね。
[#11] ずぅぅぅっと昔からこんな感じですよねこの人は。支那・朝鮮大好き、日本嫌い、なんでもかんでも原爆。ですよ。
[#12] 全共闘世代だっけか。それじゃしょうがないわな
[#13]
>>11 そういえば大江の息子は一種の知的障害だが、朝鮮半島では「障害者を見た日は運が悪くなる」ということわざ(?)がある事に関しては、大江はどう思うんだろう?
>>591 ハイ! 追加質問。
大江氏以外で面白いと思う作家は誰ですか?
596 :
589 :2005/06/15(水) 22:19:13
>>595 カルヴィーノ、スタニスワフ・レム、
高橋源一郎、別役実、吉田篤弘、平出隆、、、など、です。
597 :
吾輩は名無しである :2005/06/15(水) 22:34:38
吉田篤弘って面白いんか?
大江に比肩できる作家がごろごろいるわけないじゃん?
599 :
吾輩は名無しである :2005/06/15(水) 23:11:39
>カルヴィーノ、スタニスワフ・レム、 >高橋源一郎、別役実、吉田篤弘、平出隆、、、 あまり大江と共通項がないな。
カルヴィーノ、レム、高橋源ちゃんは、小説マニアで小説の方法にとても意識的なとこは 大江と共通するような。
601 :
589 :2005/06/15(水) 23:29:23
>>597 下手な若手J文学よりよほど面白いと思うよ。
602 :
589 :2005/06/15(水) 23:30:22
>>600 そうだね、メタ次元をもつ小説が好きかも。
http://blog.goo.ne.jp/koalamama_2005/e/7ddcf221c1db567ab6943b92dd5f07db 文化勲章拒否した男
雑感・隣国の問題など / 2005-05-24 18:04:44
あの大江健三郎が韓国で下らない発言をしているのを発見。
日本人として2人目のノーベル賞作家がこのような発言をすれば、さぞあちら側は喜ぶでしょう。
まったく、何故こんな奴にノーベル賞が贈られたのか?
当時は週刊誌などで彼の受賞のためのなりふり構わぬ事前運動(国際会議への参加、受賞者との往復書簡など)について書かれていたと記憶していますが、本多勝一との目くそ鼻くそ論争もありましたね。
昔話です。文化勲章を拒否し、核実験を行ったフランスからレジオン・ドヌール勲章を受け取った男です。
私は大江の本が面白いとは思わないし、大江が受賞したときには本当に????と驚きました。遠藤周作氏が存命でしたから、「遠藤周作より大江が上なの?ノーベル賞っていい加減だなあ!」と思いましたが。
いえ、文学に詳しいわけではありません。遠藤氏のファンだからですけど。ちなみに大江のノーベル賞は1994年、遠藤氏の文化勲章は1995年です。
604 :
吾輩は名無しである :2005/06/16(木) 00:05:53
>メタ次元をもつ小説 だったらまずは『懐かしい年』じゃないの?
たとえば万延元年のフットボールに蜜三郎の郷里の家が朝鮮人の実業家に買われるところがある。 作品は1962年あたりの時代背景だが、大江はこれをどのような意図で題材に取り入れたのだろうか。
606 :
589 :2005/06/16(木) 00:12:34
おすすめを聞けるのも嬉しいのですが、 アンチかシンパかを判断してほしくて始めたのですよ、 自分でもよくわからなくて、、、。
>>605 卑屈で偏見に満ちた村の連中に比べて、村人が描いているイメージとはかなり違って寛大な人物のように描かれてるね。
609 :
吾輩は名無しである :2005/06/16(木) 00:49:21
ノーベル賞は安部公房の受賞が内定しかけたらしいのだが、 本人の急死で他の日本人を探そうということになったらしい。
大江に対して感じるのは嫌悪である。それは自分の事を 「戦後民主主義者」だとヌケヌケと語り(そしてそれは全くその通りなのだ が)、 酒鬼薔薇事件の時に「なぜ人を殺してはいけないのか」と言った 子供に対して、誇りのある子供はそのような質問は恥じて口にしない ものだ、と答えたりする 正に「戦後民主主義者」そのものの偽善者ぶ り、文革礼賛・北朝鮮礼賛と 『ヒロシマノート』『オキナワノート』などの 反米的な仕事にうかがわれる旧左翼ぶり、岩波や朝日といった一流 紙でしか書かず、自分に対する批判は圧力で押し潰すといった権威 主義者ぶりなどが、とにかく嫌だったのだ。 この間のノーベル賞受賞 にしたって、そのためにスウェーデン大使館に通ったりと様々な政治 工作をしていたのは周知の事実だったし、 大体その直前に文化勲章 を辞退するというパフォーマンスもなんか嫌らしくて不快だった。 天皇 制はダメでスウェーデンの王制ならいいのか? 大体その昔サルトル のノーベル賞辞退に喝采していたではないか。
612 :
吾輩は名無しである :2005/06/16(木) 09:37:58
↑コピペならコピペと書かなきゃね。 へんなところで半角アキ入れないでさ。
大江は一日に14冊くらい読むとテレビで言ってたような… それだと考える時間がなくなるから4冊にしたと言ってたような…
614 :
吾輩は名無しである :2005/06/16(木) 12:22:48
>>606 >アンチかシンパかを判断してほしくて始めたのですよ、
どうでもよいといえばどうでもいいんだが
カルヴィーノ、レムに比べて魅力に欠けるとし、
高橋、別役、吉田、平出よりは魅力があると考えるくらいなら、
シンパとはいえないだろうね。
ただの読者。
戦後民主主義という自己欺瞞
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/kak3/1305102.htm (前略)
戦後民主主義という名前の思想運動は、日本的なものを否定し、
アメリカから押し付けられた憲法体制を、盲目的かつ後生大事に守り続けてきた。
戦争によって受けた心の傷を見ないように見ないようにしながら、50年過ごしてきた。
アメリカににらまれないことだけを考えてきたのだった。
数年前、作家の大江健三郎氏は、クリントン前米大統領の原爆投下謝罪は必要ない、
と長崎の講演で言った。このコトバを自分なり
に意味づける作業を通じて、私は戦後民主主義の正体を感じ取った。
戦後民主主義という思想は、敗戦とその後の混乱の時代に、命あってのものだねだ、
過去は忘れてアメリカのいいなりになろう、何が正しいかなんて考えないほうがいい、
深く根源的に考えることは危険だ、といった風潮とともに生まれた
欺瞞に満ち溢れた思想だったのだ。
この思想があるから、今の日本の政治家も、ジャーナリストも、
財界人も、官僚も、みんな発想が硬直して、事大主義的になってしまい、
正しくものごとを判断できない。
戦後民主主義をすべて否定しない限り、日本はよくならない。敗戦の心の傷を直視し、
それを癒して、乗り越えないかぎり、日本の混乱は続く。
閉塞した日本の状況をうち破るのは、表面上威勢のいい石原慎太郎さんのような
政治家ではなく、ロマンを捨てずひたすら現場と住人の意見に耳を傾ける
田中康夫さんのような政治家だろう。戦後民主主義の否定は
、国民の生活感覚に基盤をおいてしか行いえないからだ。
得丸久文
617 :
吾輩は名無しである :2005/06/16(木) 18:33:41
>>613 >一日に14冊くらい
スゴイ!半端じゃないな。
どういう読書法をしてるんだろう。
618 :
新アンチ派 :2005/06/16(木) 20:54:07
>>606 少なくともわたしよりはシンパであるといえるんじゃないか。
読んだなかで最も印象深い「万延元年」よりも
「さようならギャングたち」「枯木灘」などのほうが好きだから。
「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」の青年達が疑い、嘲笑したように、今日の破局の中に失われて しまった。 大江氏がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の 婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわっ た生きかたを始めようとしている青年」達は、 今や住む家も洪水に 流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。 そうした北朝鮮の惨状について、大江氏はどう考えているのだろ うか。 大江氏が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥 じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違った のか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。 それをし ないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような 過ちを繰り返すのみである。 また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の 至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、 自ら 率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮 救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。 大 江氏は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったよ うだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要 はつねに人事なのだろうか。
620 :
吾輩は名無しである :2005/06/17(金) 01:08:30
↑コピペならコピペと書かなきゃね。
大江の「道化」について。 「憂い顔の童子」は「憂い顔の騎士」に比べてどうなのか?
622 :
吾輩は名無しである :2005/06/17(金) 06:38:09
いい加減にしとけよ
623 :
吾輩は名無しである :2005/06/17(金) 09:47:39
大江は本来まじめな作家だが 小説の方法として道化という存在を取り込んできた
http://plaza.rakuten.co.jp/junpeimatuda/ 老害は逝ってよし (2) [ バカニュース ] 2005/06/06
・日本の代表的な良心的知識人である同時にノーベル文学賞受賞作家である大江
健三郎は5日、SBSテレビの「韓スジンのサンデークリック」に出演して、日本の政権
による憲法改訂の動き、歴史教科書歪曲問題、従軍慰安婦問題など韓日両国の外交
争点になっている事案について自らの立場を明快でありながらも意味ある発言をする
渦中に漢陽大を訪問して若者達を対象に行なった講演について、このような言及を
した。
日本が戦争をしないで軍隊を持たないという憲法9条守護の会を主導している大江
健三郎は、神社参拝をする小泉首相に対して批判をする中で「小泉首相の神社参拝は
韓国・中国の怒りを買うに値する。日本は真正な心の謝罪をしなければならない」
と強調した。
大江氏は漢陽大を訪問して学生たちに講演をする中で、「私の娘は心配性で、敏感
な時期に韓国を訪問するのを心配して、日本人は印象が良くないから腐ったトマト
を投げつけられるかもしれないと言っていた。腐ったトマトは私に投げずに、小泉
首相が来るまで我慢しなさい」と言って学生たちの笑いを催した。横にいた小説家
の黄ソギョン氏は大江氏のこの言葉に対して「大江先生には花を投げなければなら
ない」と肯定的に回答した。
大江健三郎は、ノーベル文学賞を受けた直後に日本天皇が与える文化勳章授与を拒否
した理由について、「真の民主的な賞を受けたかった」と簡単に答えた後、この受賞
拒否で右翼らのデモなどに直面したエピソードを聞かせた。<後略>
ぎゃーーーーーはははははは!! 笑いが、笑いが止まらない!ありえないよこいつ! すごすぎるって。こんなんでノーベル文学賞取ったんだからすごいよっ。 ソースが朝鮮の新聞ってところも笑けてたまらん。 それにお前、昔は北朝鮮賛美して韓国のことはボロクソ言ってたじゃないか。 どのツラ下げてノコノコ講演しに行ってんだ! そんなのおかしいじゃないかっ! それに韓国のヤツらもそういう過去のスタンスくらい知っとけよ。 あまりにもマヌケだぞ韓国人! お前の娘も言うことがすげえな。 普通ソレ言うなら鶏卵だろ?なんで腐ったトマトなんだよ。 っていうか、腐ってる必然性が何処にもねえぇぇ! 腐った韓国人に腐ったトマトを投げろと言う腐った大江。 あーこりゃひどい。かなり臭う。異臭がすごそう。 小泉に投げろって、お前ソレを公の場で言うのがすごいな。 自国のそういう行為には断固反対のクセして、朝鮮じゃ何でも容認か。 おい、軍靴の音がそこまで聞こえてる大江よ。 日本がまだまだ平和だからそんな暴言吐けるんだぞ? そこらへん理解できてんのか?
もし本当に軍靴の音が聞こえている時代なのならば、 お前の帰国と同時に、お前に向かって腐ったトマトが200個降り注ぐわボケ! 局地的トマトカーニバルが開催されるわこのキチガイ! というか俺的には本気でものすごく投げてやりたい気分なんだがなっ。 誰かやんないの?家に腐ったトマト送りつけるとか。着払いで。 しかし、こんな程度の人間を知識人だの良識人だのと書く朝鮮のこの新聞は 一体どういう脳ミソの構造してんだろうな。 韓国じゃあバカウケだからいいのか、それで。 サムスンの部品のほとんどが日本製っていうの知っても、 絶対に受け入れない民族だからね。 日本に負けるわけないっ、てなるからね。 そんなんだから何時までたっても実のつまった進歩ができないってのを なんでわからないんだろう。 もうさ、日本から半島の人と中国人全員送り返そうよ。 どうせ犯罪率トップだったんだしいいじゃん。 全然問題ないじゃん。 ついでに大江も送ってあげればいいじゃん。腐ったキムチ付きで。
628 :
吾輩は名無しである :2005/06/17(金) 23:05:33
>623 :吾輩は名無しである :2005/06/17(金) 09:47:39 >大江は本来まじめな作家だが >小説の方法として道化という存在を取り込んできた その道化の取り込み方が問題なんだな。
629 :
吾輩は名無しである :2005/06/18(土) 20:29:48
大江が小説に取り込んだ「道化」という概念は ラブレー=バフチン、ドストエフスキー、セルバンテスあたりが濃厚で、 山口昌男からの影響も大きいが、そうした理論を摂取する前に、 小説家の本能的なカンによって既に「道化」を描いていた。 カーニバル、グロテスク・リアリズム、異化、などなど、 大江はそれとして自覚せずに「万延元年」で実践していたわけだ。 山口などを読んだのは「万延元年」の後だったと書いているしね。
週刊ダイヤモンド/続・憂国呆談
http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200301/ 浅田彰
それにしても、そういうとき大江健三郎が出版社なら
出版社のトップに苦情を持ち込むのはよくな
いね。本人は世界から迫害されてるマイノリティのつもりらしいんだけど、
実際は押しも押されもせぬ大作家なん
だから、そんな人がトップに苦情を言ったら下の人間がどうなるかぐらい
想像できそうなものなのに。『週刊朝日』で大江の連載が始まった、
その少し前に「虫」っていう匿名書評子が大江の『憂い顔の童子』
の批判を書いたら、直後にその書評欄の連載が打ち切られ、
編集長も交替した、あれも変な話だよね。僕は『取り替え子』と
『憂い顔の童子』は最近の傑作でものすごく面白いと思ってるんだけど、
もし本当に大江の圧力があったとしたら
許しがたいと思うよ。
631 :
監視人 :2005/06/18(土) 22:35:30
定期巡回。あいかわらずコピ平ががんばってるねえ。
632 :
吾輩は名無しである :2005/06/19(日) 11:11:40
>僕は『取り替え子』と『憂い顔の童子』は >最近の傑作でものすごく面白いと思ってるんだけど というアキラックスよ、大江論を書いてくれ。無理だと思うけど。
>>633 リンク乙。
>この人はやはり作家という宿命を生きているのだ。
ではじまり
>大江健三郎はいまなおわれらの作家なのだ。
でおわるか。
ふむふむ。
大江の影響で外国の詩を読み始めたって人はいるかい?
ノーベル賞取ったのに平野の啓ちゃん以下になったのが笑えるなと思ったオレがきましたよw
http://www.angel.ne.jp/~arrow/insist/ikenjizai/1028.htm 【高山正之の異見自在】A・センの困惑歴史を途中から読むな
[2000年10月28日東京夕刊]
先日の朝日新聞の夕刊文化面に大江健三郎の紙上「往復書簡」が載っていた。
この人の文章は、ノーベル文学賞作家という肩書を割り引いても分かりにくい。何を言っているのかさっぱりだが、一応、筋道というか、言いたいらしいことが二度か三度読むとぼんやりながら浮かんでくる。
この人の文章が入学試験やテストなどによく引用されるのは、一読さっぱり意味不明というところが評価され、ついでに彼の天皇制批判、戦後民主主義万歳の主張が共産党系の多い学校関係者にうけるからだろうと推測される。
でも、そんな文章をあてがわれる生徒たちには拷問といわないまでも、つらい仕打ちになる。
生徒は一読してまず思う。「ボクは日本語を話せ、理解できると思っていた。それは間違いだったのだろうか」と。
いや、そんなはずはないと再読する。さっぱり。もしかして暗号かなと思って逆から読む。少しは日本語らしくなるが、意味はやはり不明のまま。
やがて苦悩の底から疑念がわいてくる。ノーベル賞作家の書いた日本語が分からないのはボクは実は日本人ではなかったのか。
かくて多くの生徒がうつろな目で立ち上がり、ふらふらと、ときには絶叫して教室を飛び出し、再び帰ってこなくなる。不登校や非行化は、もしかしたら彼にも責任の一端があるかもしれない。
この「往復書簡」も突然走り出してビルの屋上から飛び降りたい衝動にかられるのがコワくて見ないふりをするつもりだったが、あて先が「アマーティア・セン」になっていた。ノーベル経済学賞を受賞したインド人学者だ。
英国植民地下のベンガルに生まれ、あの第二次大戦時の大飢饉を経験した苦労人で、欧米の経済理論に反発し、アジアの発展と可能性を強く主張してきた。
とくに日本の経済発展を高く評価し、欧米諸国が"あれはわれわれの単なる模倣"と見下すのを厳しく批判し、「欧米より進んだアジア独特の経済システムの牽引車になった」と昨年、シンガポールで講演している。
この講演の内容をもう少し引用すると、日本が示した模範は何より人的資源の開発、つまり教育にあった、という。(中略)
そうした教育普及の意味が近隣アジア諸国に広がり、「経済発展とは(キリスト教とか、民主主義とかの)高い文化レベルや豊かさがなければ育たないという欧米の理論を覆して、さまざまな人種、宗教、 社会制度が入り交じる貧しいアジア諸国の間にも実現することができた」 それどころかそのごちゃ混ぜアジアには欧米をしのぐ経済発展の可能性がある、その鑑は日本だと言い切る人である。 それに対して、日本の過去を否定し、米国を崇拝し、その米国が持ち込んだ戦後民主主義をありがたがる大江健三郎という取り合わせは実にもってミスマッチというか、妙な取り合わせになる。 その好奇心が勝って、発作を覚悟で読んでみた。 この人の悪い癖は、どんな大きなテーマでも自分の小さな行動に収斂させてしまうことだ。A・センが一世紀半の世界史の流れからくみ出した理論について、自分が東大法学部をけって文学部にいった"事件"に置き換えて、 「どうです。ぼくはあなたの理論のすばらしい実践者でしょう」という自画自賛にもっていってしまう。 そして、終戦後の混乱時に餓死者が出なかったのは、天皇陛下のお言葉「家族国家として食糧危機を脱しよう」ではなく、米国がもたらした「社会制約を受けずに為し得た自由」と食糧援助の結果だと主張し、 それを実践した自分を「褒めてもいいですよね」。 確かにそのころ、学校で脱脂粉乳を溶いたものを飲まされた。臭くまずかったが、それで餓死しなかったわけではない。みんなが家庭菜園をつくり、買い出しし、なければ我慢した。暴動も起きなかったのはまさにA・センのいう「教育」のおかげだったと思う。 ちなみにこれほどノーベル賞作家を感激させた米国の援助の実態に触れておく。米国はドイツなどには無償のマーシャルプランを実施したが、対日援助ガリオア・エロアでは後から請求書を送りつけ、 日本政府は当時で数億ドルを払った。あの脱脂粉乳の代金を払えなんて闇屋だって言わない。 それほどに歴史知識のない、見当はずれの自慢話に満ちた手紙をもらってA・センも困ったろう。 実際、翌日の紙面に載った返信には困惑が行間からあふれていた。そして一言、オデッセイに言及したくだりで、それを「解釈するにはその前のイリアス」を読めと。 戦後だけ切り取って近視眼的に見るな。歴史を流れで捕らえよ、という忠告である。それ、彼は分かっただろうか。
639 :
吾輩は名無しである :2005/06/21(火) 13:14:24
フヒヒヒ!(<@>)
640 :
吾輩は名無しである :2005/06/21(火) 18:16:20
なぜ良くも悪くも大江氏は注目を浴びるのだろうか。 それは注目を浴びるだけの存在力が大江氏にあるからだろう。 まあ注目のレベルにはいろいろな階層があるにしても。
641 :
吾輩は名無しである :2005/06/21(火) 23:37:21
憂い顔の文庫化はまだか。
大江の本って基本的に長いから、 電車とか移動中に読みたいので、 文庫化されてると便利だよね。
大江の詩は知らないがケルアックのhaikuを即興で訳したことがある In my medicine cabinet, the winter fly has died of old age. --Jack Kerouac の大江訳が 薬籠に老いて死にけり冬の蝿 (ジェフィーライダー物語の解説より)
http://www.kenyama.net/htdocs/mt/archives/000010.html kenyama's blog
2004年01月01日
大江健三郎は小説を書いているのではない?!
大江健三郎の「憂い顔の童子」(講談社、2002)を読んだ。大江は、「物語」を構築する能力、それも個人的、歴史的、民俗的に濃密な物語を、愚直に構築する作家であった。
中上健次の被差別部落のように、自らの性や、四国の山奥を舞台に作り上げられた虚構を紡ぎ出す才能は、戦後文学の中でも注目に価した。
そのせいか、障害者のこどもや、1980年代になって、急速にレヴィ・ストロースなどを「お勉強」し始めたことを、見せびらかすかのような80年代以降の作品には、微妙な違和感を感じた。
しかし、それが大江という個人の営みである以上、小説を読むのを止めるだけだ。そんな時、大江は小説を書かないと宣言した。
あの「お勉強」の成果を紹介するエッセイばかりを執筆するなら、「大江をもう読まなくてもいいから、安心だ」とホッとしたことも覚えている。
94年にノーベル文学賞を受賞し、翌年発表された「燃えあがる緑の木 第3部」を発表してから、小説は書かないとしていたはずの大江は、99年の「宙返り」(講談社)から、また小説を書いている。
義兄の伊丹十三の自殺を扱った「取り替え子」(2000年、講談社)、本人とおぼしき小説家を扱った「憂い顔の童子」の2冊における、大江の衰弱、幼児回帰(?)は目を背けたくなるくらいだ。
また、新興宗教を扱った「宙返り」の方が、物語=虚構を構築する力の片鱗がうかがえると言えよう。
さて、大江の小説は、「死者の奢り」(58)から、「性的人間」(63)、「万延元年のフットボール」(67)、「同時代ゲーム」(79)など次々と、半ば「義務」のように、 そう、日本文学に興味を持った戦後の少年が読むべき「必読書」として読んできた。 こなれない日本語と、「ヒロシマ・ノート」(65)などに代表される社会問題への発言も、我慢して読んできた。 「憂い顔の童子」は、アメリカの女性日本文学研究者が大江らしき小説家と一緒に、四国の山の中に行く。 ただそれだけである。そこに、まぶされているのは、大江個人の体験と、現代思想と呼ばれる哲学者、文化人類学者の本を読みましたと言う報告。 子供が「ぼく、こんなことしたんだ! 褒めてよ。ねえ」と言っているようにしか読めない。 大江の作品は、小説系統と社会的発言系統の二つがあったと思う。というより、「文学者の社会的責任」(最近は、企業の社会的責任に注目が集まり、文学者の責任には見向きもされなくなったことは、ともかく)から、 「小説家たるもの、世間に向かって発言せねば」といった気負いでもあったのであろうか。 大江が進歩的文化人(岩波とか朝日とか大手出版社、新聞社好きの彼のどこが進歩的なのか?)であるという、 未だ根強い「誤解」はともかく、社会的発言の「薄さ」が小説にまで流れ込んできてしまった。 その意味では、大江は、もう「小説」を書いている訳ではないのかもしれない。
646 :
吾輩は名無しである :2005/06/23(木) 23:23:38
あ
最初はコピペを貼り付けることしか能のない人間の 思考回路の不思議さに、執着したのかもしれなかった。 しかし、僕はもう対話のできないレス番号に語り かけるような愚直はもうしない。このコピペは、 掲示板がそれ本来の伝言専用の掲示板であるという 回帰的な面を大きく発しているということに気づいたからだ。
日本語の勉強して出直してきたほうがいいぽ。
649 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 03:04:46
大江と石原のどちらが先に死ぬだろう。
650 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 08:59:51
それは運命によります
651 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 12:36:44
売国ってステキやん
652 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 15:18:27
どうせ三島スレの一部住人がコピペしてんだろうね。
653 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 17:04:30
654 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 17:16:05
短編の飼育と死体洗いのバイトの話以外 何も読んだことないど素人ですがおじゃましまーす 大江健三郎の小説って、映画化やドラマ化されてる話ある? 伊丹十三が撮った知障のせがれの話の映画以外に。 大江健三郎の文章って読みずらいんしょ (書店で憂い顔とかいうの手にとってぱらぱらみたけど、よみずらすぎ) わざわざ読みずらい文章読むのめんどい。映画で手っ取り早く見たい 米兵を飼う話はあれ、読みやすかったし 映画化しても面白そうだよね。といっても、あれは出来事そのものより 子供の目線の面白さがほとんどみたいな感じだから、 映画化の際にそれを再現させるには結構テクいるかもしれんが
読みずらいと読みづらいの区別もつかない人には、たとえ映画化されてても 理解するのはむりぽ。
656 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 17:24:51
なんだ。読者を選ぶんだ。つまんねーの。
俺にはわかんねえってか。ガッカリ
米兵を飼う話は結構おもしろかったのになー
あ、あと一言。
>>655 はキモイ
657 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 18:10:06
>>655 みたいなのはスルーね。
映画化するなら取り替え子とかが面白そうだ。
伊丹十三も出てくるし。
しかし商業的には結構苦しいかな。
658 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 18:18:22
国を売るということは、影を売るということだ。 在日に大人気の小説 『影をなくした男』『異邦人』
659 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 18:19:36
【史上最高傑作の呼び声『AWAKE』】
現在発売中の人気音楽誌『WHAT's IN』7月号で、9人の著名な音楽評論家達
がL'Arc〜en〜Cielの6月22日に発売されるアルバム『AWAKE』を
“史上最高傑作”とこぞって大絶賛した。日本を代表する怪物ロックバンド
L'Arc〜en〜Cielは4thアルバム『TRUE』で150万枚以上を売り上げて以来、
8thアルバム『REAL』まで5作連続アルバムミリオンを叩きだしている。
特に二枚同時発売された『ark』『ray』ではどちらも220万枚以上も
売り上げ、日本音楽史に伝説として記録されている。6月22日に発売される
『AWAKE』は前評判が高いだけに
「超ロングセラーとなり記録的大ヒットになるのでは。」
との声が上がっている。モンスターバンドL'Arc〜en〜Cielの最新アルバム
『AWAKE』は日本中を覚醒させる衝撃作となるかもしれない。
(文責 沢村俊輔)
http://magazine.music.yahoo.co.jp/pow/20050616_001/ http://magazine.music.yahoo.co.jp/pow/20050616_001/new http://magazine.music.yahoo.co.jp/pow/20050616_001/profile 【Yahoo!ミュージックも『モンスターアルバム』と大絶賛!】
>> 2004年の再始動以降、精力的な活動を続けるL'Arc〜en〜Cielが、新作アルバム
『AWAKE』を発売する。hyde、ken、tetsu、yukihiroという四つの規格外の才能が、
1枚のCDでひしめき合う事で産まれた、『モンスター・アルバム』と呼ぶにふさわしい
傑作だ。インタビューに新作の試聴、映像はもちろん、フォトギャラリーも
そろった充実の大特集です。 (Yahoo!ミュージックより無断転載)
【CDでーた「『AWAKE』でhyde『カリスマヴァーカリスト』を証明」と好評価!!!】
現在発売中の人気音楽誌『CDでーた』でL'Arc〜en〜Cielのの6月22日に発売
されるアルバム『AWAKE』について「hyde(年齢未発表)はこの作品(『AWAKE』)で
『カリスマヴォーカリスト』であることを改めて証明した」と記述し、曲ごと
に歌唱法を変えるhydeのヴァーカルスタイルを好評価した。
(文 2ちゃんマガジン)
660 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 18:19:43
書評: ニュアンスも陰影も無くストレートに、 日本人に対する軽蔑が露呈している。 同属への軽蔑、もしくは憎悪と対になった、自分は賢い、毅然としている という優越感からなる不愉快な情熱をどれほど持っているかが、本書を 楽しめるかどうかの境目でしょう。 軽蔑と憎悪に身を任せることが出来れば、不自然さ、浅薄さは 気にならないかもしれません。 もちろん、この優越感は、救い難い劣等感の裏返しでもありますが。
661 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 18:21:36
青木さ○かは在日
662 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 18:24:34
現在は知名度も評価も三島>大江かもしれんが 将来的には大江>三島になるような感じだな。
663 :
吾輩は名無しである :2005/06/26(日) 18:40:48
っていうか大江原作の映画が3本しかないって、 なんか大作家にしちゃやけに少なくね?異例じゃね? 通の人はこのことどう思ってるんかな。 どう、これってネタフリとしてなかなかよくね?
映画にならない=小説でしかできない表現を追求している。 と肯定的にも言えるし 映画にならない=つまんね と否定的にも言えるな。
667 :
吾輩は名無しである :2005/06/27(月) 04:57:51
シネマスケープって在日コメンテーターばっかで萎え。 投票数順はあてにならんぞ。在日同胞同士で投票しあってるだけだから。 履歴見れば、在日判定は簡単。必ずマニアックな韓国映画を見ていて 他の映画には毒舌なのに、韓国映画は無批判マンセー。 洗脳ロボットだな、こいつら。みんな同じような映画しか見えてないしw 集団で邦画の名作を貶したり、辱めたりしてるのは許せんが。。。 そういやチョン企業のツタヤが、糞韓国の駄作を大量に陳列するために 日本の過去の名作を店から閉め出してるらしいな。嘆かわしい。 だいたいレンタル業界がツタヤ独占状態なのはおかしいぞ。 どうせ脅しかけて同業種ライバルの台頭を駆逐してるんだろうが、、、
大江健三郎は今から44年前、防衛大生を「恥辱だ」と言い、ワシントンで「自衛隊 全廃論」をぶった。 「中国や朝鮮半島の人民たち と協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない」と主張した。 まったくも って意味不明である。自衛隊を廃止するのに必要なこ とは、防衛庁設置法と自衛隊法の改正である。 中国人や韓国人の助けなど要る筈 がない。 戦前の日本のことを「破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みに じった」と表現している。 アブノーマルな日本人が アジア諸国を侵略したという非難である。 だが言うまでもなく、イギリスはイン ドを、オランダはインドネシアを植民地にし、搾取の限りを尽くした。 一方、台湾では、日本の手によって学校が作られ、近代的な社会制度が整えられた。 西欧と日本の大きな違いは、日本の植民地経営だけが赤字であったことである。 大江は、西欧がやったことに目をつむり、自国のことにだけ非難を浴びせている。 何よりあきれることは、広島、長崎への原爆投下は日本人に責任があったとい う主張である。 ちなみに、このアメリカの犯罪を正当 化させるためにデッチ上げられたのが南京大虐殺である。 大江は、すべては日本 が悪かった、以後這いつくばって生き てまいります、と世界にメッセージを発している。 大江は、祖国である日本の国家を、そして同朋である日本国民を貶め、蔑み、 罵った。 大江は、反国家、反天皇、反日 本、反国民、の言説を弄している。 日本国民を見下して軽蔑して、1人自分だけ を別格とし、己だけ を高しとしている。 大江は反日的日本人である。
しかし、なぜ「天皇制」を打倒しなければならないのか、国内に対しては露骨な 言い方を避ける。 堂々と自分の考えることを日本国 民に訴えつづけていたのではない。 当て擦り、嫌がらせ、ほのめかし、からか い、唇をゆがめたような皮肉に終始している。 後で言い 逃れできるようにはっきりと責任ある議論をしなかった。 それでも、たとえ間違 った考えであったとしても、自分の考えることを堂々と 声を大にして国民に訴え続けたのであれば、毅然とした確信犯とみなすことがで きるのだが。 だが、海外では決定的な表現を使う。 口を極めて、露骨に日本や日本の歴史や日本国民を論難し、罵倒し、弾劾した。 外国人に対して日本人がいかに駄目であるかを縷々と述べる。この態度は卑屈 という一言に尽きる。 自分を国際的に売り込むた めに自分の祖国を叩き売る。 外国から拍手喝采されるために、祖国にいわれなき 非難、攻撃を加えた。 そこには、国民としての誇り のひとかけらもない。 皇室や自衛隊など批判するものに向かってこないものに対 しては限りなく冷酷に非難、攻撃の刃を向ける。 他 方、まかり間違えば痛烈な批判の矢が飛んでくる恐れのある対象には絶対に悪口 を言わない。 大江健三郎は卑怯である。大江健三郎は卑屈である。 大江健三郎は醜悪である。 オオエがノーベル賞を受賞した理由について、スウェーデン王立アカデミーの 発表。 「大江氏の作家活動は、日本における悪魔払いの行為」。 祖国を悪魔扱いして、外国に誉められてはしゃぐ。ただのハレンチである。
670 :
吾輩は名無しである :2005/06/27(月) 18:34:48
コピペは引用元を書いておこうな>668-669 それにしても、もっとまともな文章のコピペはなかったのか? これじゃアンチ大江の低脳ぶりを露呈してしまうだけなんだが。
671 :
吾輩は名無しである :2005/06/27(月) 19:15:14
アンチ大江だってWWW あたま悪そうWWWWW
672 :
吾輩は名無しである :2005/06/28(火) 10:35:34
そんな反応をしてるあなたも頭がいいようには見えませんね
http://blog.goo.ne.jp/cherubim2635/e/80eeab00bd4e0db04ce7104486c520d6 東アジア / 2005-06-05 21:44:37
大江健三郎、「腐ったトマトを投げるのは小泉首相が来るまで我慢しなさい」
正直、知りませんでした。
大江健三郎が、こんな奴だったなんて。
まぁ、単に興味の無い人物だけだったんですが。
それにして、こいつ日本国民の代表である小泉首相に狼藉を働くことを推奨するかのごとき発言をするなんて、頭おかしいやろこいつ。
「日本国民の代表である小泉首相にトマトをぶつける」と言う行為が、どれほど日本国及び日本国民を愚弄する事になるのかわからんのか?
本当に想像力の欠如した奴だな。こんな想像力で作家が出来るなんて、ある意味感心してしまうね。
本当こいつ、マジでもう日本に帰ってこなくて良いよ。
このスレの一時の盛り上がりももう収束か、、、。 コピ平の中の人も一緒に話して楽しかったね。 第三部が出たらまた盛り上がろう。
ブログ普及により大江批判の大衆化が進んでいるようだなw
676 :
監視人 :2005/06/29(水) 17:46:08
わたしの素晴らしいところは粘着しないというさわやかさ。
677 :
うんこおっぱい :2005/06/29(水) 17:49:59
誰にでも非はある。 あんたらも大江のいい所には目をつぶっている。
http://www4.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=406504&start=11&log=200506&maxcount=37 ■2005/06/21 (火) オ〜エ〜!ふざけてんの、この大江健三郎!
この男にノーベル賞なんて必要だったのでしょうか?一所懸命彼の本を読みましたが、すぐ飽きてしまう。結果、作者は何が言いたかったの?
K国のSBSテレビに出演しました。「腐ったトマトは小泉首相が来るまで投げずに我慢してください」。よく言うよ!彼はホンカツ(通名=本田*一・本名崔**)と友だちなのでしょうか?
ホンカツは強制連行とか南京大虐殺とか従軍慰安婦を書きたてて称賛されましたが、その証拠写真のほとんどが捏造でした。しかしだからと言って、私は何もなかったと言っているのではありません。
証拠写真の中にはのちに撮った合成もあれば、日本兵がニワトリを買った後に撮った写真なのに、盗んだ後に撮ったものとされてしまいました。この日本兵の家族はすさまじい目にあっているのですよ。
大江はさ、今のカンチューがどうなっているのかぜんぜん情報が入らないのでしょうか?インターネットの方が裏側がわかって驚くことばかりですよ。
テレビで発表したのが本当ではないこともありますよね。そればかりかオーム真理教のときのTBSテレビがオーム信者のテレビ出演と交換にあの弁護士の発言を先に見せてしまいました。
その後あの弁護士一家の地獄を招いたのです。それに朝日は珊瑚礁に傷をつけて、わざわざ珊瑚礁があらされている捏造までしています。
大江はネットを見ないのかしら?それからK国の反日教育の実情とか知らずに、何を寝ぼけたことを言っているのでしょうか?正義とか人を思いやることは大切ですが、未来の日本を犠牲にしてしまうような発言はやめて欲しいです。
まったくいい気なものです。ヒモパンツ政治家のコウノ傭兵、ポマードやコガ(人権擁護法案のオッサン)の後押しになりました。
噂だと、CかKの喜び組みの接待受けた後に恥ずかしい写真を撮られているので、ばらされないように、誠心誠意やっていると、いろいろなサイトに書いてあるのは何故?
或いは父親の国会議員が恥ずかしい接待を受けてしまい、その息子議員が仕方なく言いなりになっているとか?
(後略)
「結局、作者は何が言いたかったの?」 …。
680 :
吾輩は名無しである :2005/06/29(水) 18:23:02
中上と大江ってなんか似てるよな。
681 :
吾輩は名無しである :2005/06/29(水) 18:26:39
三島と大江を比べると三島が子供に見えてくる。
682 :
吾輩は名無しである :2005/06/29(水) 18:33:22
中上と大江の対談を読んだ人っているかい?
683 :
吾輩は名無しである :2005/06/29(水) 22:07:05
たしか新潮にあった
684 :
吾輩は名無しである :2005/06/30(木) 03:52:25
静かな生活、んーん、いいタイトルだ。 それに即して言えば人生の理想でもあるね。 笑い顔のごとく もっと大江のバッカ話が聞きたい。
http://www.eireinikotaerukai.net/E05Iken/E050021.html 『虐日日本人の精神構造』
酒井信彦
(東京大学史料編纂所教授)
(前略)
ところで歴史問題の多くは、日本発の問題であると良く言われる。教科書問題の一番の前提に、家永教科書訴訟があったし、慰安婦問題は左翼人権団体と朝日新開の協同謀議によるものであることは確かである。
このことが歴史問題の本質が、日本に対する偏見・差別・迫害であると言う事実を分かりにくくしている面があると思う。
そこでこの点について、以下に私見を述べてみたい。戦後の日本には敗戦ショックによる共産革命願望があり、左翼勢力が大きな力を持った。それは当然、労働組合、マスコミ、大学などに浸透した。
左翼勢力は日本が弱体であればあるほど、革命が起こし易いと考えたから、アメリカ占領軍の遺産である東京裁判史観と「平和」憲法の強力な護持者となった。
しかし革命の願望が潰えた現在でも、その考え方は牢固として残った。と言うよりも、共産主義没落後、かえってそれに縋(すが)り付いて生きるようになった。
なぜなら日本の過去を否定・告発することによって、過去を反省し謝罪する良心的人間を演じ続けることができるからである。これは明らかにこの上ない偽善である。
したがって、これらの人々の考え方、活字媒体でいえば朝日・岩波的考え方は、偽善主義と呼ぶべきものである。
その御用文化人である、大江健三郎・加藤周一などの人々は、「進歩的文化人」では無く「偽善的文化人」である。
彼らの言説がいかに矛盾に満ちた偽善であるかを、土井たか子衆議院議員を例に、もう少し説明しておこう。社民党は北朝鮮による日本人拉致を、無視するどころか否定さえしていた。
しかし社民党はそもそもアジア人権基金と称する人権団体を持ち、土井議員はそのトップである代表理事である。ところがこのアジア人権基金は、アジアにおける人権侵害の大国、中共・北朝鮮の人権問題に、全くと言うほど沈黙する。
意図的にでっち上げた慰安婦など日本の過去の問題を追及しても、中共・北朝鮮両国の現実に存在する深刻な人権問題を無視するのであるから、これはデブル・スタンダードのレベルを遙かに越えた、完璧なデタラメである。
なお辻元問題の際指南役として名前の出た土井議員の五島昌子政策秘書は、謀略裁判劇「女性国際戦犯法廷」の首謀者である松井やよりさん(故人)が主宰するアジア女性資料センターの幹部である。 彼らの本質が根本的に偽善者であることが判明すれば、彼らの考え方を「自虐史観」と表現することの、不十分さが明らかになってくる。 自虐史観と言うネーミングは、それなりに便利で有効ではあるが、彼らの精神構造の特徴を見逃している。つまり「自虐」と言っても、彼らが自分自身に痛みを感じているのかと言えば、それは全く感じていないない。 彼らは始めから加虐の側に立ち、日本人を、日本という存在を責め続けているのである。同じ日本人である同胞を迫害する行為が、一見自虐的に見え、更には反省的・良心的に見えるのである。 すなわち自虐史観ではなく、正確に言えば「虐日」史観である。反日史観と言う表現もあるが、反日では余りにも弱すぎる。 したがってより広く中共・韓国など諸外国を含めた日本いじめ・日本叩きの考え方を、「虐日イデオロギー」と呼ぶのが適切である。 (中略) 一連の大学紛争で、一貫して左翼学生に同情的だったのは朝日新聞であるが、朝日はこの爆弾テロ事件においてすら、極左の暴力に極めて寛容であった。 朝日が口にする反戦主義・反暴力主義が、いかに欺瞞に満ちたものであるかは、朝日の報道の歴史を振り返って見れば、直ぐにわかる。 日本人の虐日偽善者のメンタリティーを考える場合、「ドメステイク・バイオレンス」の概念を援用すると更に理解し易いかもしれない。 現在、ドメステイク・バイオレンス」すなわち「家庭内暴力」の流行がマスコミで報ぜられている。子供が親を殴り、母親すら子供に暴力を振るう。 それと同じように、虐日日本人の行動は、民族・国家の規模における、ドメステイク・バイオレンスなのである。極左暴徒のように、直接の暴力も振るうこともあるが、一般的には言論による暴力が主流である。 とすれば、物理的暴力によるテロがあるように、言論の暴力によるテ打が存在するのである。 結局、歴史問題とは、内外虐日勢力による言論を利用した、日本に対する卑劣極まりないテロ攻撃だと理解すべきなのである。
ところで、物理的暴力と言論の暴力と比較した場合、前者の方がずっと単純であり、対処し易い。物理的暴力には取り縮まる法律があるからである。 それに対して言論の暴力は、「言論の自由」に大きく守られている。つまり言論の暴力・言論のテロの方が、造かに始末が悪い。しかも虐日偽善者たちは、日本社会の中枢に堂々と大量に入り込んでいる。 ではどうしたら良いのか。端的に言って、敵に学ぶべきである。彼らの方が、エネルギーとテクニックにおいて、まだまだ我々より優れている。 基本的に言論の暴力には言論で反撃するしかないが、その際最も大切なのは、相手の攻撃を防御するだけでなく、こちらから積極的に攻撃を仕掛けて行くことである。 個々の問題で虐日偽善者の言論に弁明・反論するのはそれなりに必要だか、破らの偽善体質を解明し告発して行くことこそ、我々が最も力を注がなければならない課題である。 その意味で、「百人切り競争」に関して、本多勝一氏、朝日・毎日両新聞社、柏書房を告訴したのは、大いに評価すべき動向である。攻撃が最大の防御なのである。 最近、中共・韓国両国首脳が小泉首相との会談で、歴史問題を取り上げることを控える態度を見せた。もっとも韓国大統領は国内からの批判を受け、最後の国会演説で地金を表してしまったが。 ともかく教科書問題・靖國問題とりわけ拉致問題で、我が国にも漸く国家意識・民族意識の高まりが現れて釆たことの反映であろう。すなわち日本側が強く出たからこそ、相手は少し引いたのである。 それではこちらも相手を刺激することは控えようと日本側が考えるとしたら、それは全く愚かである。 南京問題にしても、慰安婦問題にしても、我々は歴史問題において、巨大な濡れ衣を着せられたままである。 この冤罪を晴らし、内外の虐日イデオロギTを撲滅するまで、懸命の努力を続けなければならない。(了) 平成15年8月1日
688 :
吾輩は名無しである :2005/06/30(木) 12:50:51
中上と大江の対談について、新潮の何号に載ってたか詳細キボン!
689 :
はるか高み :2005/06/30(木) 15:01:23
小賢しいのと大陸的なとの対談なら、面白いかもな。
690 :
タイチ :2005/06/30(木) 22:46:59
おうよ。何な? 中上と大江の対談ならコピーをトモノオジからもらっとる。 「新潮」の昭和55年新年特大号の198〜234頁な。 全文upしてもええが。
691 :
吾輩は名無しである :2005/06/30(木) 23:15:20
たいち、うpしてくれ!
692 :
『八十年代以後―大江健三郎と中上健次』 :2005/06/30(木) 23:23:25
≪「事実」はたしかに、作家にとって゛取り扱い注意゛の危険物である。だが、 「現実感」を付与するだけでなく、読者の社会的な関心を挑発して活力を与え る源泉でもある。小説は「路上を持ち歩く鏡」だ、というよく知られた定義が誰 の言葉か私は知らない。しかしそれは、小説というジャンルがもともと,市民社 会のスキャンダルを映し出す機能を持っていたことをしめしている。スキャンダ ルへの「のぞき趣味」を喚起するからこそ、小説という新参者は、,近代市民社 会の中心的な文学ジャンルとして成り上がったのである。小説は、詩や演劇 や物語といった由緒来歴の正しいジャンルに対して、もともとうさんくさくてい かがわしい成り上がりものなのだ。≫ 井口時男『八十年代以後―大江健三郎と中上健次』(「新潮」3月号)
693 :
吾輩は名無しである :2005/06/30(木) 23:30:05
中上と大江ならこの2冊だな。 張文頴『トポスの呪力:大江健三郎と中上健次』(専修大学出版局、2002年) 井口時男『危機と闘争:大江健三郎と中上健次』(作品社、2004年)
私の嫌いな純文学作家(最低1冊以上は読んだもの) 阿川弘之、安部公房、石川達三、井上靖、遠藤周作、 大岡昇平、大江健三郎、織田作之助、開高健、菊池寛、 坂口安吾、椎名麟三、島崎藤村、田山花袋、徳富蘆花、 中上健次、中村真一郎、野間宏、福永武彦、堀田善衛、 堀辰雄、正宗白鳥、武者小路実篤、安岡章太郎、横光利一
695 :
吾輩は名無しである :2005/07/01(金) 08:10:32
で、どうした?
>>694 好きな作家を論ずるほうが、嫌いな作家をあげつらうより恥ずかしい。
四方 洋のコラム
http://home.e03.itscom.net/npo-ns/ryokudo/column03.html (12月9日号) 週刊誌編集長のクビ
週刊朝日の編集長がやめました。
週間文春によると表向きの理由は「部数の低迷」実は大江健三郎氏を酷評したこと、のようです。
アエラの編集長も更迭で、同時の交代は珍しい。週刊誌ダネになりましたが、交代のあいさつがのっている週刊朝日には講談社の編集局長のスキャンダルがのっています。お互い刺しあっています。
雑誌の編集長が切られるとき、もっとも大きな理由は部数です。落ちこんでくると交代です。
プロ野球の監督に似ています。負けがこめばクビです。例外は長嶋茂雄さんで、能力はなくなっても人気で保ちました。負けがこんでも続けていましたが、それでも限度はありましたね。
わたしもサンデー毎日の編集長をクビになりました。社長の怒りを買ったからです。発端は「岸信介の"犯罪"」とやったからです。見出しがいけません。
岸信介事務所から抗議されて、この社長はひとたまりもありませんでした。
「編集長のクビを差し出す」と早々に約束しました。部数は健闘していたし、広告もよく集めて収益は上がっていたのですが、ダメでした。
当時の社長は「雑誌を回収して刷りなおせ」とまでいいましたが、私は編集権は私にある。刷り直しは拒否するが、人事権はあなたにあるので解任するならどうぞ」といいました。ちょっとカッコよかったかもしれません。
社長は「編集局のラインにつけるな」と申し渡し、以来編集委員を8年やりました。干されたのです。(中略)
先日編集長の先輩が亡くなりました。74歳でしたが、この人は作家とのトラブルでクビになりました。
「不毛地帯」(山崎豊子作)の盗作さわぎがあり、連載を中止、作家との間がもめました。結局、作家の方が強くて、編集長は身を引きました。華やかにみえるが、きつい仕事です。
週刊朝日編集長が最後のページに書いているあいさつにはくやしさがにじんでいました。
彼には「書きまくれ」とアドバイスしたいです
698 :
吾輩は名無しである :2005/07/01(金) 12:17:09
で、どうした?
699 :
吾輩は名無しである :2005/07/01(金) 19:54:09
どもしない
700 :
吾輩は名無しである :2005/07/01(金) 20:03:47
くわしくないんだが、 憂い顔で古義人はローズさんからナボコフ『ドンキホーテ講義』を土産にもらってたけど、 大江にとってナボコフの存在って大きいのかな?
http://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?ID=160707&GENRE=sougou クールオレンジ 2005-06-05 18:39:58 No.169892
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>>こぬま様
>大江健三郎さん
なんだか、トンデモネェ人にようですね…???
九条の会、仕事でよく歩く文京区の一角に、イキナリ小さなオフィスが出来てましたよ…
(どっからそんな金…そこで一体ナニするつもりなんだ…)
(これから仕事でソコの前を通るのが嫌じゃないか…)
と、鬱になってしまいましたよ…。
>日本の代表的な良心的知識人である同時にノーベル文学賞
>受賞作家である大江健三郎は5日、
>SBSテレビの「韓スジンのサンデークリック」に出演して、
…わざわざ半島まで出向いてナニやってんだろう、このおじいちゃんわ…。
腐ったトマトを日本の首相に投げろって公共の場で工作活動してるよ…
そんなに偉い人なら、地道にいま日本人を生きてるアタシ達が尊敬できる事やってくれよと言いたい…。
ノーベル賞も人格に関係ないモンなのね。
腐ったトマトをアタシらの首相に投げつけることが、日本の為になるのかしら。
自分の脳味噌の方が腐っていないかどうか確認した方がいいんじゃないかしら。
…いけないいけない、つい怒りゲージが上がってしまいましたわ。
>>二等兵様
>真の民主的な賞を受けたかった…と言ってますが、
…言ってますが、自分は反民主的な国がダイスキだったりするのですよね。
あぁ、確かに…なんて無節操なおじいさまなの。
ホンカツさんといい、彼らの美的感覚と申しましょうか?
何かこう、絶望的に救いようの無いレベルにひん曲がっている…
そんな根性、または魂の品性を感じます。
マスコミといいメディアといい文化人といい、どうしてこうも腐臭漂う人ばっかしなの…。
…文化人ってそもそもナンなんだ…日本を骨抜きにするのがお仕事なのですか…。
702 :
:2005/07/01(金) 22:15:39
>>700 ナボコフについては「大江健三郎の50年」に詳しいよ。↓
あのどうしようもなかった五年間に僕がジョイスの『ダブリンの市民』を読んでいたら
どうだったでしょうか。もしかしたらそこで小説家をあきらめていたかもしれない。ある
いはナボコフの初期のロシア語で書かれた小説を読んでいたら、やはり小説家という
ものは特別な才能を持った、定められた恵まれた運命の人間がやるものであって、自
分みたいな人間にはほどほどのものしか書けないと、あきらめたと思うんですよ。ナボ
コフのそうした特別さに気がついたのも、じつは比較的最近になってからのことです。
(『IN POCKET』 講談社 2004年4月号より)
703 :
:2005/07/01(金) 22:17:53
(つづき) あのどうしようもなかった五年間に僕がジョイスの『ダブリンの市民』を読んでいたら どうだったでしょうか。もしかしたらそこで小説家をあきらめていたかもしれない。ある いはナボコフの初期のロシア語で書かれた小説を読んでいたら、やはり小説家という ものは特別な才能を持った、定められた恵まれた運命の人間がやるものであって、自 分みたいな人間にはほどほどのものしか書けないと、あきらめたと思うんですよ。ナボ コフのそうした特別さに気がついたのも、じつは比較的最近になってからのことです。 (『IN POCKET』 講談社 2004年4月号より)
704 :
:2005/07/01(金) 22:18:57
(つづき) そのうち、小説家として仕事をするのにまぎれて、この二十年ほど自分が 本当に優れた小説を読んでこなかったことがわかった。そして、ジョイスの つぎにナボコフの本を、『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』から『ロリータ』、 そして昔買っておきながら読んでなかった『アーダ』などを読んでいると、じつ に面白くて、ナボコフの初期作品で英訳されたものを読み始めました。もちろ ん、アメリカに移住して英語で書いたものも読む。研究書も読む。そのうちに、 ブライアン・ボイドの『ナボコフ伝 ロシア時代』(上下)が翻訳されて出たので 読むと、面白くて続編の「アメリカ時代」をネットで取り寄せて読む。そんなこと をしているうちに、二十世紀で最も小説家らしい作家を一人選べと言われれ ば、それはナボコフじゃないか、とすら思うようになりました。二十世紀の人間 のための資産を作ったという点ではトーマス・マンですが、小説家として最も 豊かに、読む人の心に本当に食い入る小説を書くという言葉の技術で、ナボ コフに勝る人はいないのではないかとすら思った……。 (『IN POCKET』 講談社 2004年4月号より)
705 :
:2005/07/01(金) 22:19:52
(つづき) さて、三部作の締めくくりの小説のタイトルは決まっているんです。それは ナボコフの『ザ・ギフト(賜物)』という、ベルリンで書いたロシア語の作品の 終わりの、プーシキンの『エヴゲニー・オネーギン』のリズムで書かれたらし い詩から英訳で、「グッド・バイ・マイ・ブック!」 僕の小説のタイトルは、『さようなら、私の本よ!』。 (『IN POCKET』 講談社 2004年4月号より)
706 :
吾輩は名無しである :2005/07/01(金) 23:04:48
>小説家として最も 豊かに、読む人の心に本当に食い入る >小説を書くという言葉の技術で、ナボコフに勝る人はいな >いのではないかとすら思った……。 すごい評価だ。
707 :
吾輩は名無しである :2005/07/02(土) 05:23:19
ケンザブロー!!! オオエー!!! WWWWWWWWWWWWWWWWW
浅田彰 それにしても、そういうとき大江健三郎が出版社なら
出版社のトップに苦情を持ち込むのはよくないね。
本人は世界から迫害されてるマイノリティのつもりらしいんだけど、
実際は押しも押されもせぬ大作家なんだから、
そんな人がトップに苦情を言ったら下の人間がどうなるかぐらい
想像できそうなものなのに。『週刊朝日』で大江の連載が始まった、
その少し前に「虫」っていう匿名書評子が大江の『憂い顔の童子』
の批判を書いたら、直後にその書評欄の連載が打ち切られ、
編集長も交替した、あれも変な話だよね。僕は『取り替え子』と
『憂い顔の童子』は最近の傑作でものすごく面白いと思ってるんだけど、
もし本当に大江の圧力があったとしたら許しがたいと思うよ。
週刊ダイヤモンド連載第七回「続・憂国呆談」番外編Webスペシャル2003年1月号
http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200301/
709 :
:2005/07/02(土) 10:05:34
710 :
:2005/07/02(土) 10:06:03
語り手(大江健三郎)の息子あかり(大江光)について、「最近ニューヨークに本拠を置 く日本人の作曲家兼俳優(坂本龍一)が、ポリティカル・コレクトネスで知的障害者の音 楽を押し出されてはたまらない、と最先端の文化英雄(浅田彰)相手に話していたが」 などという台詞も出てくる。私はそのとき坂本龍一と話したこと(重い障害をもつ子ども を立派な大人にまで育て上げたことはパーソナルには素晴らしいことで感嘆に値する ものの、そのこととアーティスティックな評価は別であり、大江光の音楽はあきらかに 大江健三郎の文学のような普遍性を持たない)をまったく撤回する気はないが、それに 対する大江健三郎の怒りを理解し、尊敬しさえする。驚くべきことは、時として正当な、 だが時として被害妄想に傾く場合もある、いずれにせよ個人的なレヴェルでの生々しい 怒りと悲しみから出発しながら、この小説が見事な普遍性をもった作品として立ち上が ってくることだ。
711 :
:2005/07/02(土) 10:06:35
残された録音テープを通じて死んだ義兄と対話を続けながら、松山で共に過ごした少 年時代――ホモファシズム(アンドリュー・ヒューイット)的な性と政治の刻印を帯びた―― へと遡行してゆく過程は、それ自体としてスリリングであるとともに、作家のこれまでの 仕事を新しい視点からとらえなおす一種の文学的総合としても注目される。 間違ったところから出発し、間違った根源(の隠蔽)にたどり着いている? いいではないか、その遡行過程がこれほどの迫力をもっているのなら。傑作かどうか判 断するには、この作品はまだあまりに生々しい。だが、それが迫力に満ちた問題作であ ることは、だれもが認めるだろう。そう、大江健三郎はいまなおわれらの作家なのだ。
「明日への選択」2002年5月号掲載日本人劣化論仮面の国・素顔の国・四つの隣国論
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~asakyu/a_jouhou/a0205_26.html メディアの言論犯罪に加担する人々 武田龍夫-
ところでメディアの言論犯罪に加担し、これと連帯する多数の学者、知識人、文化人たちが存在する。そこで彼らの正体と生態を紹介する必要が出てきた。それを次に論じよう。
(中略)
ひるがえって、同じ敗戦国日本の戦後には遂に一人のフィヒテも一人のマンも現れなかった。
代わりに現れたのは戦時中は「学界の一兵卒として君国に奉ずる」ことを誓って皇国を賛美しながら、戦後は左翼史観の独断的な立場から日本近現代史を暗黒に塗りつぶし、
教科書裁判によって同じ左翼偏向メディアから英雄視される醜悪な歴史学者だった。
また戦時中は「空の神兵」を作曲して「皇軍落下傘部隊」を讃えて戦意高揚に率先協力しながら、戦後は一変して軍部非難の弁を大新聞で語る作曲家であった。
この種の大小の学者、文化人たちは戦後カメレオンのように変色して巧みに時流を泳ぎ、反戦民主主義の知識人として華々しくメディアの上に再登場してきたのだった。
少年心にも私はそれを強い嫌悪と人間不信の目で眺めていた。
ある高名な政治家もそんな一人だった。彼は旧軍将校として帰国して廃墟の東京を眺め、「馬鹿な戦争をやって!」と感じた回想を雑誌に書いていた。
だがその言葉は戦時中にあって戦争に反対した者のみが言いうることではないのか? すべて結果が出てしまったあとの時点から過去を裁き批判するのは誰にでも出来ることだ。
誠実な人間はそういうことはしないものである。彼らは時代が激変すれば再び旧時代を非難するような人たちなのだろう−−。
そしてその後の世代からも、当時の国際政治について何も知らないのに「バカな戦争をやって!」とテレビで同じセリフを吐き捨てた映画監督や作家や学者や知識人たちが踵を接するように舞台に上がってきた。 左翼勢力による旧日本断罪が時代の主流となったのである。そしてそれはのちにノーベル賞作家(因みにあるスウェーデン知識人は彼のことを偽と呼んでいる)を始め多数の文化人たちに引き継がれていった。 近年も戦時中の軍部の横暴から天皇批判から敗戦までを神のように予感していた少年を主人公としたベストセラーが百ヶ所以上もの誤りを指摘され非難される事件も起こっている。 平然とウソを書き、語る文化人たちが大手を振って言論界の中心を横行している。そして彼らは反国家、反皇室の点で共通である。 ハッキリ言えるのは、彼らがあの時代にあったなら真先に沈黙していたろうということである。 そして彼らの先輩は、あの全面講和を叫んだ学者、知識人たちである。 占領が国民精神に及ぼす回復し難いトラウマとなることを恐れた保守党と識者たちは早期講和を主張し、マッカーサー元帥またこれに同意していたのだが、 左翼学者たちは全面講和でなければ占領継続の方が良い−−とまで主張して、「朝日」、「岩波(雑誌『世界』)」を中心とする国民運動まで展開したのだった。 その後の国際政治の推移と日本の経済発展を思えば、そして長過ぎた軍事占領の精神的後遺症が未だに日本国民を呪縛していることを思えば、どちらが正しかったかは明白であろう。 これのみではなく、いわゆる左翼進歩的学者、知識人、メディアの対外問題での主張はすべて間違ってきた。その後の安保改定もPKO法もそんな墓碑銘の例である。 国内問題でもそうだ。オウム真理教への破防法適用に反対した公安審査委員会と、これを支持した学者、知識人、言論人たちを思い出すがよい。 そしてその後のオウム信者たちと各自治体の住民登録や入学拒否をめぐる騒ぎを見るがいい。 この明白な憲法違反と人権侵害に人権派の弁護士始め沈黙したままだった。彼らがいかに信頼出来ない人種であるかが分かるだろう。 だから私は、「平和とか人権とか正義とかの言葉を弄ぶことだけは絶対しない」と言った人びとの方を信頼するのである。 (中略)
社会主義の原罪を理解しない「進歩」勢力 さて、そこでこのいかがわしいいわゆる進歩的文化人(嫌らしい言葉だが)の系譜をたどると、敗戦後の左翼学者、知識人の源流に行き着く。政治的には共産党と旧社会党左派である。 戦後の「進歩主義」勢力はこの二つを水源としてメディア、労組、大学、市民団体その他に流れたわけである。これを便宜的に分類するならば、(イ)国際共産主義を信奉したいわば確信犯たち。 (ロ)これに付和雷同する心情左翼知識人及び大衆たち。(ハ)これを理想主義と錯覚した善意且つ広範な大衆に分けることが出来る。 ここでも(イ)に煽動され利用されて、その目的に奉仕する無自覚知識人及び大衆が問題の焦点となるわけである。 そして(イ)(ロ)にとっての拠り所であった社会主義とその祖国ソ連邦の敗北、崩壊にも関わらず、彼らは今なおその名残りの幻影を追い求め、 その目標追求を近隣の変形残存疑似社会主義国との連帯によって、旧態依然たる革命と社会主義を反日政策への転換、複合化によって実現しようとしているわけである。 (中略)日本の知識人たちも、西欧の知識人たちと同じ憧憬の感情をソ連邦に寄せ、そして戦後はさらに隣の社会主義中国にも同じ感情を移入した。 だが彼らは西欧の知識人だちが経験した幻滅を共有出来てはいないのである。彼らは未だに社会主義という排除の思想原理と憎悪の哲学の原罪性を理解していないらしいのである。
ここでアンドレ・ジードを思い出そう。かつてジードの書いた『ソビエト紀行記』(一九三六)は当時の西欧知識人の間に轟々たる賛否両論の反響を巻き起こした。ジードは書いた。 「ソビエトによって実現された事業は十中八、九まで称賛に値する。すでに幸福の笑顔はいたるところに見受けられる。 そしてわれわれはどんなことがあってもソビエトを擁護するであろう。どんな国に行ってもソビエトほど深く強くヒューマニティの感情を感じさせる国はない(小松清訳)」。 (中国にはハエは一匹もいなかった。労働者たちの目は澄んで将来への希望に輝いていた−−と革命中国を熱烈に礼賛した日本の社会主義者たちを想起されたい)。 とにかく当時の日本の知識人もジードに応じて「われらが愛し称賛するのはソ連邦の現在より将来の可能性である」と触れ回ったのである。 ジードも当時の知識人の多くも、スターリンや毛沢東や金日成を生み出す社会主義の原罪性を見抜くことが出来なかったのである。知識人の愚かさと悲劇的な運命がここにある。まして日本の知識人においておや−−。 彼らは社会主義の恐ろしさを夢想も出来なかったのである。拷問や粛清や独裁的全体主義や弾圧や収容所送りや処刑や恐怖の洗脳や侵略性などを!だから大江氏も中国や北朝鮮を賛美し天皇、皇室を罵倒し日本を呪ったのである。 社会主義の暗黒の現実が明白になり、その祖国ソ連邦が自壊し、中国がなお一党独裁下で人権を蹂躙しチベットを侵略し、核大国と覇権国を志向し、北朝鮮が国民の自由を奪い、 何十万人も餓死させながら軍事力の増大に狂奔しているのを見て大江氏は何を思うや?
716 :
吾輩は名無しである :2005/07/02(土) 21:54:51
>いずれにせよ個人的なレヴェルでの生々しい 怒りと悲しみから出発しながら、 >この小説が見事な普遍性をもった作品として立ち上がってくることだ。 と浅田が書いてるのは正しい評価だな。
717 :
「話して考える」と「書いて考える」 :2005/07/02(土) 22:08:19
「話して考える」と「書いて考える」 前口上:言葉のエラボレーションについて 私がエラボレーションと表記するのは、 英語のelaborationです。 発音に敏感な若い人は、イラボレーション の方をとられるかも知れません。 語源の説明を見ると、外に向けて、という 意味でのe-と、働く、作り出すのlaborが示されています。 入念に作る(仕上げる)こと、労作といった訳語が、 私にはなじみがあります。
718 :
「話して考える」と「書いて考える」 :2005/07/02(土) 22:10:02
「話して考える」と「書いて考える」 は 2002年から2004年にかけての講演を集めたもの。 テーマは4つ。 T ・中野重治の美しさ ・佐多さんが「おもい」と書く時 U ・子供の本を大人が読む、大人の本を子供と一緒に読む ・子供らに話したことを、もう一度 −エドワード・W・サイードの死の後で ・「夢を見る人」のタイムマシン V ・語る人、看護する人 ・病気と死についての深い知識の向うにあるもの ・暗闇を見えるものとする −精神医学の表現者の思い W ・タスマニア・ウルフは恐くない? ・あらためての「窮境」より −教育基本法、憲法のこと ・教育基本法、憲法の「文体」 −さきの講演の補注として
719 :
吾輩は名無しである :2005/07/02(土) 22:13:44
やっぱ大江っていいよね。
720 :
吾輩は名無しである :2005/07/02(土) 22:20:02
グリコ森永事件 地下鉄サリン事件 どっちもどこをどーみても 北朝鮮のテロなのに、なんでマスゴミはスルーなの? 拉致問題と並列に扱ってほしい。謝罪を要求しろよ。
あさってのほうこうBlog
『憲法9条をめぐる各政党の主な主張』を見てわかること
http://asatteblog.exblog.jp/1630660 (前略)
■ところで共産党と社民党はなぜ9条改正に反対しているのでしょうかね?
自分たちの考えを実現させるためには、「拡大解釈」を許している9条の文言の改善を主張するべきだと思うのですが。
彼らは、「9条フェティシズム」に陥っているとしか言いようがありませんね。
■評論家の宮崎哲弥さんは、今井一氏の「『憲法9条』国民投票」(集英社新書)の書評にて以下のように仰っています。(この本はオススメ)
さすが、てっちゃん。舌鋒鋭い。
日本の「護憲派」ほど奇態な人々はない。口先で憲法を聖典のごとく奉じるくせに、その実、憲法を重視していない。
もし憲法を大切に思うのであれば、その条文と実態との間にはなはだしい乖離が生じた場合、これを立憲政治の危機と捉え、実効性を回復すべく努力するはずだ。速やかに条文の改善に乗り出すはずである。
然るにこの国の自称「護憲派」は、いかに憲法の規定が空文化していても、憲政の正統性が揺らいでいようとも、まるで頓着しない。あくまで条文を死守しようとする。
条文守って憲法を殺す。彼らは到底「護憲派」とは言えない。あえて言えば「9条フェティシズム」の徒なのである。
■まったく宮崎哲弥さんの仰るとおりです。
共産・社民は「9条フェティシズム」です。
■フェティシズムとは何か。
この言葉は性倒錯の意味でよく使われますが(例えば、下着フェチ)、本来の意味は「手段の目的化」のことです。
本来のところ手段に過ぎない物が目的になっちゃうことを言います。
■憲法はあくまで手段に過ぎない。 国家権力という怪獣(リヴァイアサン)が暴走しないように雁字搦めにするための手段に過ぎません。 なのに、それが目的になってしまっている。 ■フェティシズムが作動すると、物神化します。 物が神になる。 共産・社民などの護憲派にとって憲法9条は神なのです。 神様なんです。 え?「そんな、アホな。冗談を言うな!」って? ■いや、冗談ではない。 こんな本がある。 佐高信・福島瑞穂著「神は『憲法』に宿りたまう」七つ森書館 あの佐高信センセイと福島瑞穂センセイが書いた本です。 ■笑っちゃうでしょ? 「神は『憲法』に宿りたまう」だってさ。 彼らにとって憲法は神様なんです。 9条フェティシズムだ! 物神化だ! あーアホくさ。 追記:「9条の会」という団体があるのをご存知でしょうか?道を歩いていると、この団体のポスターをよく見かけます。(共産党のポスターの横に貼ってあることが多い) 大江健三郎などがメンバーに名を連ねている団体です。大江と言えば、かつて北朝鮮を礼賛し続け、多くの北朝鮮帰還者を絶望の淵へと追いやった男です。(詳しくは、谷沢永一著「こんな日本に誰がした」) それはさておき、9条の会ですが、このような団体は「憲法9条」という「神様」を祀っている宗教団体と考えてよいでしょう。 by asatte_no_houkou | 2005-02-07 23:19 | 日本国憲法を考えよう | Trackback | Comments(29)
723 :
吾輩は名無しである :2005/07/02(土) 22:57:35
4ヶ月足らずでこのスレの伸びっぷりはスゴイね。 やはり大江抜きでは文学は語れないってことでしょうか。
724 :
吾輩は名無しである :2005/07/02(土) 23:19:03
コピペ厨房も1で書かれてるように「奇妙なファン」だからね。
725 :
吾輩は名無しである :2005/07/03(日) 00:32:51
大江って三島を批判したんでしょ。
大江による三島批判も、三島による大江批判も下らない幼稚な批判ではない。 どう逆立ちしても、ノーベル賞級の仕事を残せない奴がギャーギャーわめいている ような批判ではなくて、お互いの実力を認めた上での批判だろう。 安倍公房は三島の友人だが、三島を辛辣に批判しているし。 川端康成がノーベル文学賞を受賞したときに、三島は 「次に日本人がノーベル文学賞を受賞するとするなら、俺じゃなくて大江だよ」 と記者に語ったエピソードがある。ある意味三島は見る目があったんじゃないかな。 発言当時は大江がまだ30ぐらいの時のはず。
三島は大江のことを「戦後最大の作家」って言っていたよね。
ttp://pilgrim.blog2.fc2.com/blog-entry-123.html 巡礼者の足跡
【大江健三郎】韓国で大いに妄言を語る
2005年05月23日(Mon)22:22:33
日本の憲法第9条死守を訴えるために来韓した大江健三郎氏(朝鮮日報)
20050523
「日本は事実上、現在も平和憲法の構造を守っていない。自衛隊という軍隊を持っているし、軍事予算も執行している。イラクに自衛隊を派兵したりもした。
今、憲法を改正すれば、日本が戦争をすることも可能で、軍事費も確保することが出来る国家になるという、取り返しのつかない事態が起きる。私は憲法を守って、その憲法が実現する世の中で私たちの子ども達が住むことが出来るという希望を持っている。
私は小説家だから希望という単語を使うが、政治家や経済人は世間を知らない話をしていると言うでしょう。しかし、50年前に私たちが考えた平和憲法は、日本を戦後の新しい平和な国に作り、韓国や中国を含むアジアが平和に暮そうという希望を込めて作ったものだ」
なんというか、脱力しちゃうな〜。┐(´ー`)┌
どうも護憲派(特に第9条の死守を訴える人)というのは、第9条の条文の一字一句たりとも変えようものなら、必ず日本は軍事国家になって戦争を起こすと思ってらっしゃるようだ。
…なぜ!?(゚Д゚)ポカーン
どうにも飛躍がありすぎて、自分にはとてもついていけない。
どうしてそういう短絡的な発想しかできないのかと、むしろ情けなさすら覚える。
大江健三郎といえば、ノーベル文学賞を受賞した日本を代表する文化人の1人だ。
それがわざわざ韓国まで出向いて、こんな妄言を垂れ流す。
はっきりいって、彼の経歴に大きな汚点を残すものではなかろうか。
誰かじゃないが、「おやめなさい」と言いたい。(笑)
24日に開幕する第2回ソウル国際文学フォーラム(デサン財団、文芸振興院共同主催)で「人間価値と政治変化」をテーマに話す大江氏はこの日、記者会見に先立ち「私は今も日本が韓国人に行った犯罪行為をよく分かっている。
広島と長崎の韓国人被爆者たちに対して日本政府が十分な補償をしなかった」と日本の自己反省を促した。
えーと、とりあえず原爆って誰が投下したんだっけ?(゚Д゚)ポカーン
いっそのこと、そのまま韓国に帰化されたらいかが?
729 :
吾輩は名無しである :2005/07/03(日) 10:39:54
ファンもアンチも書き込み&コピペご苦労さん。 なかなかレスの伸びがいい感じ。
荒らし行為はスルーということで。
あの時代は批判はしても喧嘩にはなってなかった。 いい所は徹底的に誉めたし、自分に吸収できるところをお互い盗みあってた。 対談なんか読むと、作家同士の横の繋がりを強く感じる。 戦後派の大御所や三島、安部も死に、誉めてくれた埴谷も、同世代の開高も逝った。 生きてるのは第三の新人の一部とくればその時代最後の現役の老人が調子に乗るのもうなずける。 大江さん長生きしてね。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/3250/noriasa/mondai2.htm ◆元在日朝鮮人?@北朝鮮
よくマスコミでは、「脱北元在日朝鮮人」という言葉を使います。
「元在日なのだから、脱北した人は日本が受け入れてあげるべきだ」という論調です。
(中略)
その「元在日」さんが、昔なぜ北朝鮮に行ったのか?
それは、北朝鮮が「ここは地上の楽園だから来なさい」と言ったからです。
日本国内では朝鮮総連が北朝鮮に「帰国」させる運動を行いました。
そして、「地上の楽園」を宣伝したのは朝日新聞を始めとする「左翼思想に毒されたマスコミ」でした。
今でこそ、ソビエトや中国のような社会主義の国は全て失敗して崩壊、方向転換、または北朝鮮のようになって、はっきり「社会主義はダメ」という答えが出てます。
が、一昔前は、「労働者が主役の平等な社会」を理想とする考え方は、まだ色あせてはいなかったようです。
そして、そういう社会がいいと思う人たちを乱暴に「左翼」と呼ぶとすると、「左翼」たちが社会主義の国にシンパシーを感じるのは当然のことでしょう。
そういう人たちは、実際に北朝鮮がどんな国であるかが見えなくなり、北朝鮮の発表どうり「地上の楽園」と報道したのです。
そして、「在日を地上の楽園へ帰せ」と。
当時の在日さんたちは、生活に困っている人が多く、生活保護受給者の割合も高く、日本という国から見れば「お荷物」だったことは間違いありません。
その在日さんが「北朝鮮へ帰りたい」というのですから、政府は当然反対はしません。
「帰りたい」というその国の人の帰国をはばんだとあれば、それこそ国際的に問題になるでしょう。
そのことで、日本政府に責任はありません。
責任があるのは、朝鮮総連と朝日新聞などを代表するマスコミ、大江健三郎氏などの左翼文化人たちでしょう。
彼らは、今その責任逃れのため、自分たちの罪を「日本政府」にかぶせようと必死です。
戻ってきた脱北者たちには、ぜひ、日本政府に文句を言うよりも、朝日新聞や大江健三郎さんを訴えてもらいたいです。
733 :
吾輩は名無しである :2005/07/06(水) 13:28:38
ハハハハハ
734 :
吾輩は名無しである :2005/07/06(水) 14:12:46
ハハハハハ
735 :
吾輩は名無しである :2005/07/06(水) 18:36:50
>>731 >大江さん長生きしてね。
大江は長生きしそうな感じがする。
きっと100まで生きるんじゃないか。
大江が北朝鮮を楽園と賛美、ってのは谷沢の本が元ネタなのかね。
737 :
吾輩は名無しである :2005/07/06(水) 21:18:15
第三部いつごろかな?
NHKの偏向放映に対する警告抗議文 3、売国奴を人選するNHKの不見識を糾弾する 先般、売国番組として指摘したNHKスペシャルについて一言言及しておく。 放送予定には「2002 きみと語る戦争」なる番組が今晩放映されるとある。 笑わせるではないか! わざとらしい平和気取りの番組を垂れ流すことによってまたぞろ国民の平和意識を先導せんとする 目論見であろうが、我々はうぬらNHKのその根底に流れる売国奴的自虐的策動をはっきりと 看破するものである。 すでに見ずとも分かるが、五十数年間も繰り返されるうんざりするほどの相も変わらぬ平和安売りの内容であることは想像に難くないが、 今回断じて許さざるべきことは、NHKがその発言の全責任をもって選択し国民の前に登場させるゲストとして売国的売文家、大江健三郎が人選されているのである。 戦後デモクラシーの精神的支柱として腐敗せる戦後社会に君臨してきた大江健三郎。 対外卑屈と自虐的言動によって国賊的才能を発揮してきたこの輩が、この番組に於いてどのような発言を行うのか、もはや番組を見るまでもなく明々白々である。 さらに言えば、ゲストの人選はNHKの専権事項である。ならば、NHK自体が潜在的に保持しているが、しかし、公然と主張できないことをゲストの口を借りて主張しようとしていると判断せざるを得ない。 以上の見地から、一に国賊大江を意識的に登用したこと、一にこの売国奴になにを言わせんとするかは、すでにNHKの目論見に他ならず、故に、その発言の全責任はうぬらNHKにあるということを強烈に認識せよ! よって我々はうぬらNHKに対し再度警告し、以下、要求する。 一. NHKはおのれが公言してはばからないその中立性と公平性の守護者を自認するのであれば、戦後になってとってつけた「太平洋戦争」との表記を即刻中止し、史実に基づく正式名称である「大東亜戦争」を使用すべし! 二. NHKは国民を愚弄し国家を蔑ろにする売国奴大江健三郎の番組登用を即刻禁止し、今晩垂れ流されるNHKスペシャルの放映を即刻中止せよ! 平成十四年八月一五日 民族の意志同盟 中央執行委員長 森垣秀介
大江氏の文学論を簡潔に述べてください。
740 :
吾輩は名無しである :2005/07/06(水) 23:53:32
>大江氏の文学論 「新しい文学のために」によると、 簡潔に述べられないほどにいろいろ書いてあるけれども、 ひとことでいうならば、 ライフワークとしての文学ってことだぁっ。
741 :
吾輩は名無しである :2005/07/07(木) 19:35:11
『さようなら、わたしの本よ!』第三部 「われわれは静かに静かに動き始めなければならない」! 今年のはじめの朝日新聞に蔵書を処分したことを書いてたけど 今回の第三部にそのエピソードが出てきた。 ちらっと読んだだけだけど……俺まだ第二部読んでないんだ。
742 :
吾輩は名無しである :2005/07/07(木) 19:59:53
『さようなら、わたしの本よ!』第三部 ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
作家の大江健三郎氏が中国の大学での講演で石原慎太郎氏の東京都知事当選は 都民の恥だと述べたことが4日、中国の官営マスコミで報道された。 大江氏は9月27日、北京の精華大学で講演し、自分がいまもっとも気にしているのは日本の最近の国家主義的傾向と日本が過去の侵略や残虐行為を謝罪していないことだと語った。 国家主義傾向への批判のなかで石原都知事に言及し、「石原氏は当選したことは東京都民の恥だ」と述べたという。 大江健三郎といえば、戦後日本を堕落させてきたいわゆる「進歩的文化人」、 「戦後民主主義者」の巨頭である。 彼は、スウェーデンの王立アカデミーが授与するノーベル文学賞はもらうが、 文化勲章は辞退した。外国の王室がくれるものはもらうが、日本の皇室が授与するものは辞退する。典型的な日本蔑視、西洋崇拝の態度である。なんら一貫性はない。 また、彼は、北朝鮮を賛美し、日本人であることを後悔していた。原爆が落とされたのは日本人の責任であると主張してもいる。 そのくせ、日本の豊かさの恩恵を受け、外国に亡命することなど露ほども考えない。 彼の特徴は、今回の件でもわかるように、日本国内においてはあいまいな言葉を使ってソフトに日本を非難する論調をとるが、ひとたび国外に出ると悪し様に日本を罵ることである。 フツウの愛国心がある者なら、国外に出て母国の悪口は言わないものである。 彼は反日外国人にありがたがられているが、外国人は、自国を悪し様に罵る大江のことを内心では軽蔑していることに気づいていない。 中国と日本と、いずれが国家主義的傾向が強いかなど比較すれば明らかである。 中国は、核兵器を製造・配備し、近隣諸国に圧力を加え、チベット・ウイグル・旧満州などを侵略し、言論を弾圧し、結社を抑圧する。 そんな中国を非難する言葉などひとことも言うことはなく、ありもしない日本の国家主義的傾向のみを非難する。 また、侵略や残虐行為の謝罪にしても、中国政府の侵略や、現在も行われている裁判なしの銃殺刑、反体制運動家への拷問などは全く非難しない。 他方、民主的に選挙でえらばれた地方自治体の首長を「恥」と罵る。 いったい、恥知らずとは誰のことか? こういう恥知らずな人間が、日本には腐るほど存在することを考えると、アタマが 痛くなってくる。
744 :
吾輩は名無しである :2005/07/07(木) 22:41:07
大江ちぇんちぇーは ちょーワンパターン
745 :
吾輩は名無しである :2005/07/08(金) 00:09:57
第三部いよいよ出たか
蔵書を処分するなら欲しいな
新幹線の車内販売ワラタ
もう小説書くのやめちゃうのかな。それとも、あれは単に長江古義人としては もう書かないってことなのかな。
第三部 キタか。明日買いに行こう、、、。
>>748 長編小説はもう書かないかもね。
体力的な問題とかもありそうではないかな。
でも、なんだかんだで書いちゃうでしょ、短編など。
そういう人ではないですか?
>>750 まあそうだけど「あと十年生きてないだろう」みたいなセリフとか、
「レイターワーク」感が漂いまくってたんで。書きつづけてほしいけどね。
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no04/f2155.htm#a2_3 週刊『前進』(2155号2面3)(2004/06/28)
6・12東京 “学校に自由の風を!” 不当処分弾劾し1300人
6月12日夕、東京・中野ゼロホールで、学者・弁護士ら10人が呼びかけた「学校に自由の風を!/ゆるせない!『日の丸・君が代』大量処分/とめよう!心をしばる教育を6・12集会」が開催され、会場を埋めつくす1300人が参加。制服姿の高校生も目立った。
呼びかけ人あいさつを東京大学教授の小森陽一さんが行い、「6月10日、大江健三郎さんら9人が『憲法9条を守ろう』と呼びかけ、新しい闘いが始まった。
東京の『日の丸・君が代』強制により、市民と国家の関係があまりにもあからさまになった。この闘いは私たちの人権をかけた闘いです」と訴えた。
講演を前駐レバノン特命全権大使の天木直人さんとジャーナリストの斎藤貴男さんが行った。
天木さんは、1年前にイラク戦争を支持する小泉首相に反対意見を述べ外務省を辞職した体験を振り返り、「あの時、声を上げたことは正しかった。憲法9条改悪との闘いが重要だ。市民が勇気を持って協力すれば、必ず力になる」と述べた。
斎藤さんは「今年2月の教育基本法改正促進委員会の創立総会で、西村真悟衆院議員は教育基本法改悪の狙いは『お国のために命を投げ出す人間を育てるためだ』と発言した。
小泉らの本音は、日本を戦争と差別が当たり前の、アメリカのような『帝国』にしたいということだ」と訴えた。
リレートークでは10人が発言。戒告処分された小学校教員は「小中学校の被処分者8人が人事委員会に審査請求を申し立て、東京教組として『君が代処分を撤回させる会』を発足させました」と支援を呼びかけた。
(後略)
完結したというのにこの過疎っぷり(涙 大江ってほんとに読まれてないのな、、、
755 :
753 :2005/07/12(火) 20:22:44
>>754 結構、ネタふりをやってるんだけどね、
話が続かないんだよなぁ。
じゃ、第三部の感想でも。
一言でいえば「切実」だ、と思った。
老人ってのはこんなに切実なのか?
そうであるとするならば、老人はかなりパンクだ。
老人は、自分への批判もよく知ってる。
それについても言及されていた。(コピペ厨読んどけよー
全体的に面白かったが、物足りなさを感じた。
大江ならもっと書ききれたのではないか。
756 :
吾輩は名無しである :2005/07/12(火) 21:30:54
作家の大江健三郎氏がフランス政府からレジオン・ドヌール勲章コマンドールを受賞した。 大江氏は、95年にシラク氏の核実験再開に抗議して、フランスでの文学シンポジウムを欠席したことがある。 今回は、シラク氏の、米英と異なる核軍縮の役割に期待して受けることにしたという。 フランスは、核実験を行い、アラブ人や黒人への差別をやめず、 植民地支配に対してなんらの反省もない。 自国の戦争美化をしている国。 大江は受け取る勲章が「レジオン・ドヌール勲章」という 世評の高いものだということで、それを受け取る。 いかにも大江らしい。 大江が文化勲章辞退のときの「税金を使った賞は貰わないことにしている」との弁。 フランス政府が授与するレジオン・ドヌール勲章は、当然フランス国民の税金が使われている。 大江はフランスの植民地支配、歴史歪曲、戦争美化、 核実験は許すくせに、 日本のそれらは問答無用で悪とみなし 根拠ない批判を繰り返す。
757 :
吾輩は名無しである :2005/07/12(火) 21:32:33
コピペネタ古すぎ
758 :
吾輩は名無しである :2005/07/12(火) 21:38:21
なんでレムが出てくんの?
759 :
654 :2005/07/13(水) 17:57:33
ど素人が再度おじゃましまーす 「さようなら、私の本よ!」って連載中の小説のタイトルだったんか。 何?「私の本よ!」って。鳩よ!以外で初めて「よ!」を見た。 このひと、本の題名で損してるような気がする。 だからダメだって言いたい訳じゃなくて、 損してるんじゃないの、かわいそうに、って思うだけなんですが。 死者の奢りだっけ?デビュー作の。もうあすこっからダサい 古い新しいじゃなくて、なんていうかダサさの問題なんだよな はっきし言ってこのひとの小説の題名って全部ダメじゃない?ファンはどう思う?
飲んべえ日記平成15年6月分
http://www2.odn.ne.jp/~ccq47810/h15.6.html 進歩的文化人って何??
6月3日火曜日晴れ ×××
日本人が好きだと言われている「進歩的文化人」「良心的文化人」って何なのでしょう。
その著書で嘘を書いたくせに謝ろうともしない本多勝一、他国の勲章は喜んでもらうくせに日本国の文化勲章はいらんという大ボケ大江健三郎、「平和ジャーナリスト」という仮面をかぶった筑紫哲也などなど、私には単なるバカ反日日本人としか思えません。
5月7日有楽町にある東京国際フォーラムで行われた「拉致はテロだ!国民大集会」には2万人が集まり六千人しか入場できなかったそうです。
それに対して、家族会、救う会、拉致議連などの主催者側の人たちは、臨時主会場と化した場外の入場できなかった多くの方々におわびのあいさつを何度も途中抜け出してしていたそうです。
この二万人も集まった集会を筑紫哲也の「NEWS23」は一切言及も報道もしませんでした。集会にゲストとして参加したドイツ人医師ノルベルト・フォラツェン氏のインタビューを放送しているに関わらずです。
氏は北朝鮮政府の打倒と変革無しでは飢えと病気に瀕している子供達を救うのは不可能だと悟っている。
そのフォラツェン氏はジャーナリストの西村幸裕氏に現在発売中の「諸君」にてTBSの姿勢を批判して語っている。そのまま引用させていただく。
「私は怒っているのです。私のインタビューが流れた日に、なぜ報道しなかったのかと問いただすと、TBS側はこういったんです。あれはナショナリズムの集会だったから放送しなかった、と。
・・・・・・・・呆れてものが言えませんでしたが、これから私は彼らとは闘っていくんだという気持ちになりました。」こう言ってフォラツェン氏は憤懣やるかたない表情で苦笑いした。
「拉致家族と朝日新聞&筑紫哲也の深すぎる溝」諸君7月号P76より
つまりTBSはこの集会はナショナリストの集まりと断定して、報道機関の義務である客観的な報道をみずから破棄しているのです。 1988年に改正によって放送法第1章の2に1連の編集関連規制があり A 1公安および善良な風俗を害さないこと 2政治的に公平であること 3放送は事実を曲げないで報道すること 4意見が対立している問題については、出来るだけ多くの角度から 論点を明らかにすること。 B,C(略) などとあり、こういった面からも偏向報道ととられても仕方ないでしょう。 まるで北朝鮮、南朝鮮、支那などと同じ姿勢です。 いや、まるで公共放送を私物化した北朝鮮側からの報道姿勢でしょう。 その報道姿勢が、日本から「強制連行」「従軍慰安婦」「教科書問題」「靖国参拝」などを問題化しています。 反日日本人が文化人なのでしょうか。 先頃発売された「奪還」とい著書の中で、蓮池透氏は「二つの国との闘い」「同じ日本人」としてという文中に日本の政府役人、土井たか子、村山富市、中山正暉、山本一太、田中真紀、河野洋平、青木宏之、 野中広務、鳩山由紀夫などのアホウぶり、小淵首相の涙を流してまでの演技などによる無為無策ぶりを 嘆いて、また朝日新聞を初めとする日本のマスコミの対応を怒りを持って書いています。
損してるかもしれないけど大江の本のタイトルは好きだよ 「キルプの軍団」「懐かしい年への手紙」「いかに木を殺すか」 どれも内容を読んだあとに独特な印象があらわれてくる とくに秀でたのは「河馬に噛まれる」ね
763 :
吾輩は名無しである :2005/07/13(水) 20:00:17
>>759 大江の本のタイトルは、納得できる。
追ってくと「あ〜ぁ、このタイトルだろな」って思う。
だから、キッチーでわない罠。
で、それが損かと言われたら、スタンスが違うんだろな。
764 :
吾輩は名無しである :2005/07/13(水) 20:08:08
レインツリーも秀逸だよな
ナボコフの詩の引用だが…。 タイトルで小説読む人もいるのね。
「懐かしい年への手紙」とかタイトルめちゃめちゃいいじゃん。
767 :
吾輩は名無しである :2005/07/13(水) 21:05:52
>>759 もちろんファンは題名もスキでしょ。
俺は「洪水はわが魂に及び」なんて超かっこいいと思うけどな。
>759は、例えば誰のどんなタイトルがかっこいいと感じるか教えて。
768 :
吾輩は名無しである :2005/07/13(水) 21:15:00
「人間の羊」
769 :
759 :2005/07/13(水) 23:10:12
へー評判良いんだな。 いや、小説読んでる途中や読んだ後はタイトルなんてどうでも良いし、 別にタイトルにかっこよさが必要とも思わんが その小説読むまで、小説読む気になるかならないかの段階では、 タイトルがすごく重要でしょ。と思うんだけど。 おおよそ装丁の良さと同じくらい。 ファンとしては多くの人に読まれてもらいたいもんだろうから。 だったら。もっと一般受けしそうなタイトルなら売れるのに、 とか思っている人もファンの中にいるのかな?と思って質問したわけですが。 近年のベストセラーランキングに乗るような本のタイトルに比べて なんていうかな、独りよがりな背伸びって感じで、本を手に取る気が 起きない感じじゃないですか。この人のタイトル。勿体無い。 テメーが代わりに題名考えてみろって言われるだろうから しょうがない考えた 飼育と死者の奢りしか読んだことないので(半分忘れかかってるけど) 飼育、案1「B29の飛行士さん生け捕り事件」案2「ノルウェイの森」 死者の奢り、案1「医学部で募集をかけていた高額バイト」案2「世界の中心で愛をさけぶ」 原題よりは良いような気がするんですが。 「お前の題名のほうがダセーし売れねーよ」って言われたら、 えーと、、、その言葉肝に銘じてひき下がります。
いくら「ノルウェイの森」ってタイトルつけても内容が内容だから やっぱり売れないと思うぞ。
771 :
おやくそくで :2005/07/14(木) 01:30:42
お前の題名のほうがダセーし売れねーよ>769
大江が今出現して死者の奢り上梓だったら どんな熱狂を呼び起こすか 空恐ろしいほどだな(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル あらゆる賛辞が寄せられるだろう
http://www.musashino-k.co.jp/eiga/nakano_houga/top_bank/top35.htm 女の子のための任侠映画入門 コラム参拾五
ヤスケンがおこした最も大きなトラブルは大江健三郎を怒らせてしまった事件であろう。ヤスケンはアルバイトで「レコード芸術」という雑誌にコラムを書いていた。
このコラムの中で、大江健三郎の「状況へ」と小田実の「状況から」をとりあげ、ケチョンケチョンにやっつけてしまうのである。
小田実は知らんぷりの態度でやり過ごしたが、大江健三郎は怒って抗議の手紙を書く。宛名は島中鵬二様、「海」編集部安原顯様とある。
“僕は安原氏による小田・大江罵倒が不当だとは考えません。ただ、「大手出版社」によってのみ仕事をする人間という批判に、僕はこう答えます。
そして自分の態度をあきらかにします。僕は「大出版社」だから仕事をするのではなく、そこに自分の信頼する編集者を見出すからこそそこで仕事をしてきたのです。
さて、僕は中央公論の編集者安原氏のこの罵倒に対して、今後いかなる仕事も、やはり「大手出版社」の中央公論ではしないと言明して自分の立場をあきらかにします。
もちろん「圧力」を安原氏に加える意志はありません。ただ、自分が引き下がるのみです。
なぜならば、このような考え方の編集者とは仕事を共にしたくないからです。僕の申出は次の二点です。
一、谷崎賞 委員をやめます。
二、中央公論社からの手紙、電話、訪問をすべて拒否します。この件についての御問い合わせにも答えませぬ。さようなら。
1974年10月24日 大江健三郎”
ヤスケンはただちに二人の役員に呼ばれ、「この件に付き、どう責任を取るか」と言われる。
「オフ・タイムないし休日に、個人が何を考え何を書こうがまったく自由であり、こうした抗議の形をとった「垂れ込み」こそ、言論・思想・表現の自由の圧殺ではないか」と反論するが、
「大江健三郎は会社にとって大切な作家ゆえ、もう一度批判したり、彼を怒らせるようなことをすれば、お前はただちにクビだ」と宣告される。
村松友視はもちろんヤスケンの味方につき、この手紙のコピーをとっておくことをアドバイスする。
ヤスケンという弱者にとって、この手紙のコピーは重要な武器となるだろうと踏んでのことだ。
774 :
759 :2005/07/14(木) 22:03:16
>>770 とか
>>772 とかキショイな。
このまえからこのスレ何度かつついてみたが、
他の大江の小説を読んでみたくなる気になるような反応皆無だなー
キショイファン、下手なタイトル、本人がたまにテレビに出てくりゃ
さえないコメント、読みずらい文体、そんな風にして一見さんが
遠ざかるような要素満載の大江健三郎、
その彼の小説が実は面白いことを知っている、そんな自分に
このスレの住人は優越感を持ってるんだろ?で、それだけなんだろ。結局は。
あーあ。こいつらくだらねえ。喋って損した
しょうがねえ、またコピペの大量投下を再開すっか。
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】 結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、 スウィッチをいれる、画像があらわれる。 そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。 それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、 ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、 そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。 このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、 自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。 【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】 北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。 ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、 それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて 自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。 逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が 熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。 ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず にはいられない。 北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、 南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。 日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。 しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら れているのでない。
ノーベル賞に思う 大江氏はノーベル賞授賞の直後に「自分は戦後民主主義を信奉する立場から、天皇の文化勲章はいただくわけにはいかない」と言ってましたが、 私はこの人がどこまで本気で民主主義を信奉しているのか疑問です。 「ヒロシマ・ノート」という本が出たころは、戦後民主主義の旗手といわれ私もそう思っておりましたが、 今から十年くらい前、大江氏は自ら発起人の一人となって核兵器廃絶文化人会議とか言う組織を結成し「核兵器廃絶に向かって直ちに行動を起こそう」という声明を出したのでしたが、 これに対して週刊誌から月刊誌から総動員して猛烈な攻撃をしたのが文芸春秋だったのです。 しかも、大江氏は文芸春秋が主催する芥川賞の選考委員をしたり文芸春秋から本を出版して同社の利益に貢献したりしておりました。 その点に疑問を持った本多勝一氏が公開質問状を出して 「あなたは核兵器廃絶を人に呼びかけておいて、その廃絶運動を最も熱心に攻撃する文芸春秋の選考委員を引き受けたりしているのはおかしいのではないですか?」 と問いかけたのですが、すぐには返事をせず、何度も質問を繰り返すと事実とは違うことを言いたてて人をくったような返事をする。 それでもついに行き詰まって芥川賞の選考委員を辞退することになったのですが、 新聞の取材には「今回の辞任は核兵器廃絶運動とは何の関係もない」と言いつつべつのメディアには「しょうがないから辞めたんだ」という。 それから三年くらいたってほとぼりが冷めたころに、誰も知らないうちにいつのまにかまた芥川賞の選考委員におさまっている。 大江健三郎という人はそういうことをする人なのです。ここまでは事実です。 ここから推量して、口では革新を標榜しながら裏では反動資本と結託する人物、と断定しては失礼にあたるでしょうか?
>>774 まだ読みづらいと読みずらいの区別つかんのか。。。ネタなんだろうけど。
あと、こんな「クソスレ」に長文カキコするエネルギーがあったら、もっと 有益な事ができるんじゃないかと思う。
779 :
吾輩は名無しである :2005/07/14(木) 23:22:36
>>778 「こんな下らない掲示板ごときに必死だな」ってか
ぷ
ぷくく
2chにカキコされる最も無残なレスの典型を
わざわざカキコしてくれてご苦労なこったい
780 :
吾輩は名無しである :2005/07/14(木) 23:35:42
人多杉でロムれないぞ!
>>779 なんだよ。ちゃんと読んでるのか。しかも丁寧にレスまでつけて。
782 :
:2005/07/14(木) 23:58:41
「さようなら、私の本よ!」ってタイトルかっこいいじゃん。 まあ詩の引用だけどね。 この人は「あれっ?」と思わせるタイトルが多い。 で、詩からの引用も多い。 つまり、詩的言語ってのには異化効果があるってことだ。 つまり、日常言語のなかで「あれっ?」って思わせる作用だな。
「つまり」を二回重ねているのも異化作用ですか? つまりそういうことで良いんでしょうか?
つまらないことを書くなよ
>あるってことだ。 って語尾が、どうも、しゃくに障って。
786 :
吾輩は名無しである :2005/07/15(金) 03:31:16
つまらなくなった
http://blog.goo.ne.jp/osaka-daisuki/e/b8b8254f01f19c880db6e75159100b34 憲法記念日
Weblog / 2005-05-03
★「尖閣諸島に自衛隊を」★民主・枝野氏
民主党の枝野幸男憲法調査会長は1日のテレビ朝日の報道番組で憲法改正問題に関連し「尖閣諸島は日本が実効支配している、自衛隊の部隊を置き、他国に侵略されないようにしないといけない」と述べた。
民主党は2004年参院選マニフェスト(政権公約)で尖閣諸島・竹島を含む領土を「守る対策を進める」として、警備強化などを求める衆院安全保障委員会の決議にも賛成しているが、党幹部が自衛隊の駐留に言及したのは異例。
枝野氏は9条改正に関しては「『自衛』はどこまでも範囲が広がっていく可能性がある」と指摘、現行憲法解釈を基に自衛の範囲を条文で明確にすべきだ
との認識を示した。
*********************************************************************************
ほほう、枝野もなかなかわかっとるじゃないか
民主に置いておくのはもったいないほどだ
自民の安倍さんでも、自衛隊出動までは言及していなかったはず
こういう法律に明るい若手議員をもっと育てていくべきだ
隣の金ちゃん王国はミサイル発射練習したらしいけど日本海に向けて発射といっても、せいぜい海岸から東に向かって立小便した程度の話であって、今回は問題にならない
しかし、そのうちトチ狂って弾道ミサイルを撃つかも知れないから要注意だ
それより問題なのは、北朝鮮のミサイル兵器の、ほとんどの部品が日本から万景峰号を利用して輸出されたものとされていることだ
この点については、政府ももっと監視を強化し、総連など援助団体にも積極的に働きかけていくべきではないかと思う
それにしても、毎年この時期になるとボウフラのように湧いてくる「9条の会」だが、呼びかけ人を見ると、井上ひさし、大江健三郎 小田実はじめ、どうしようもない顔ぶればかり 「中国の反日デモは、日本政府が謝罪しないから、日本が悪い」 「改憲すれば、すぐさま徴兵制復活、軍国主義へまっしぐら」 「日本も北朝鮮や中国の民主政治を見習うべきだ」 「アメリカが原爆を投下してくれたおかけで終戦が早まった」 「北朝鮮の拉致事件は、日朝国交正常化を怠った日本の責任である」 などのトンデモ発言を連呼して止まない連中である (もっとも、発言の自由そのものは守られるべきだと思うが) そして、武力による国際紛争解決はあり得ない、と主張するくせに韓国の竹島不法占拠や、支那のチベットやウイグル軍事支配には目を瞑ってノーコメントというダブルスタンダードぶりが特徴である さらに「戦後の長い平和は、憲法第9条のお陰」と強弁するくせに「アメリカの核の傘の下の平和ではないのですか?」との質問もネグッて一切答えようとしないのが、彼らの「一国平和主義」なのである 以前にも小欄で記したように、国際紛争解決手段としての武力行使を憲法で禁止している国は軽く100か国を超えているし、現実に徴兵制を行っている国もかなり減ってきている (G8経済先進国の多くが志願制に変化してきているのも事実) また日本の憲法は、世界でも極めて古く、たった一度の改正もされないまま60年近く使われており、時代との整合性に問題があると感じているのは決して少数派ではない 憲法記念日は、単なる祭日ではない、これからの日本の成長と発展のため 国民ひとりひとりが、占領下でお仕着せ施行された日本国憲法を考える日でもある
大江は魅力的な小説家の一人だが、現状から乖離した人物でもある。 サルトルの躰を担いで時代を走った、けれども「思想を表現しうる」という思想そのものが腐りはて、 さて、どうしようかというと、旧態の共産行動に終始するのみとなった。 時代の先頭から転げ落ちた、大江の躰はどこに落下するのか。 この躰でけがをしないよう、こちらからけり倒すしかあるまい。
大江を蹴り倒して乗り越えてくれる作家が出てくればいいんだけどね。
空の怪物アグイー
792 :
吾輩は名無しである :2005/07/16(土) 04:11:09
ひとつご質問なんですが、 大江健三郎さんの小説で、かじくん という人物が出てくるものを探してるんですが 知っているかた教えてください。
こいつは欠陥遺伝子保有者
794 :
:2005/07/16(土) 10:10:05
>>783 つまり、「つまり」を2回重ねることも異化効果だってことだ。
>>785 つまり、「ことだ」って語尾をどうすればいいかってことだ。
それにしても「さようなら」第三部は少々物足りなかったなあ。
http://www.cafeopal.com/reviews/99/reviews991017.html オガケン
ookReview10月21日(THU.)
「万延元年のフットボール」
大江健三郎
大江健三郎という作家はずっと気になる存在だった。
まず私が大江に対して感じるのは嫌悪である。
それは自分の事を「戦後民主主義者」だとヌケヌケと語り(そしてそれは全くその通りなのだが)、
酒鬼薔薇事件の時に「なぜ人を殺してはいけないのか」と言った子供に対して、誇りのある子供はそのような質問は恥じて口にしないものだ、と答えたりする正に「戦後民主主義者」そのものの偽善者ぶり、
文革礼賛・北朝鮮礼賛と『ヒロシマノート』『オキナワノート』などの反米的な仕事にうかがわれる旧左翼ぶり、岩波や朝日といった一流紙でしか書かず、自分に対する批判は圧力で押し潰すといった権威主義者ぶりなどが、とにかく嫌だったのだ。
この間のノーベル賞受賞にしたって、そのためにスウェーデン大使館に通ったりと様々な政治工作をしていたのは周知の事実だったし、大体その直前に文化勲章を辞退するというパフォーマンスもなんか嫌らしくて不快だった。
天皇制はダメでスウェーデンの王制ならいいのか?大体その昔サルトルのノーベル賞辞退に喝采していたではないか。
使い古しのコピペもいいんだが古過ぎてリンクが切れてるぞ
>>794 つまり、そういうことだ。
それにしても、第三部、俺もつまりなかった。
大江はあともう二歩くらい踏み込んで書けると思うのだが、、、。
もしかしてフェードアウト効果で異化作用を狙っているのかもしれないぞ。
798 :
吾輩は名無しである :2005/07/16(土) 17:15:19
それなら次は復活効果で異化作用だな
799 :
吾輩は名無しである :2005/07/16(土) 18:21:18
ロシアフォルマリズム的フェードアウト効果によるつまりなさってことか?
>>755 >>794 うん、ちょっと物足りないと思う気持ちはあったが、
逆に暴力的なテロをアンチ・クライマックスでひっくり返して
しまった以上、ああいう形の静かな老境の灯合いしか
ないのかもしれない。
でも、犠牲になったあの「若い者」の印象が、時に流されて
薄れてしまうように感じるのも、また〈老いの文学〉なの
だろうか…『憂い顔の童子』の狂騒から、また静かに、
先へ進んでしまったようだなぁ、大江は。『われらの時代』
に関しても、やっぱり批判をこめて振り返っているし。
これで終わりなのか?という気持ちはある。
大江の小説は、(小説を読ま/めずに政治的態度だけを
批判する奴らには関心のないことだろうが)文学の可能性を
広げてきたのは確かなのだ。
もう少し、この作家には〈時〉と闘っていて欲しいのだが。
あるいは本当に『兆候』を溜め込んでいくつもりなのか…。
第二部、もりあげてどーんと落としたあと、 もう動かないそれをじーっと眺めている第三部 やっぱり復活かよ、というある程度予想される 第四部
802 :
吾輩は名無しである :2005/07/16(土) 20:47:46
と思わせといて復活しない、「異化」作用
「若さは原因であり、結果は老年。こうして首が分厚くなるにつれ、 われわれは資料ばかりを手に入れる」 (D・バーンズ『夜の森』) 大江には「結果ではない老年」を描いて欲しい。
804 :
吾輩は名無しである :2005/07/16(土) 22:51:03
永遠の模倣者である。 しかしながら息子との物語には 独創性はあるだろ。 総体的に模倣者であって 発明家ではないのではないかと思う。
805 :
801 :2005/07/16(土) 23:28:55
>>802 君とはうまくやって行けそうな気がするよ
806 :
吾輩は名無しである :2005/07/16(土) 23:49:03
Mr.大江の冗談交じりの語りが聞きたいものだ 憂い顔のような・・・ 被験者が観察者になり観察者が被験者 なんかこちこちでんねー laoXしてけろ 群像で叩いた蛾にも血がっ
807 :
吾輩は名無しである :2005/07/16(土) 23:55:08
ジョーダンも ニュートリノ系 O Mr?Oe
808 :
吾輩は名無しである :2005/07/16(土) 23:57:32
それじゃあ筒井になってしまいますが!
809 :
吾輩は名無しである :2005/07/17(日) 15:46:15
そうですが!
なぜ日本人の誇りをなおざりにする風潮があるのでしょうか? なぜ日本人だけをわざとに悪者にする風潮があるのでしょうか? なぜなら、そのような振る舞いをする人間は自分のことを周囲が英雄として見て欲しいという願望が恐ろしく強いからです。 かつて私がそうでした。だから大江健三郎のような振る舞いをする人間の考え方が手に取るようによく分かるのです。 すなわち、自分を偉く見せたいのです。自分だけは、周囲の人達よりも人徳が高いのだと思わせたいのです。 さらに、本当に自分は人徳が高いのだと思い込んでしまって自己満足しているのです。こうなると、もう妄想にとらわれた状態です。 大江健三郎的人間は、例えば朝鮮人に頭を下げて見せます。 日本人は悪いことをしたと述べて。でも、本心は朝鮮人みたいに下等な民族ではないという優越感でいっぱいなのです。 優越感があるから頭を下げる芝居ができるのです。 朝鮮人に対する優越感がなければ、そんな謝罪の芝居なんてできません。つまり偽善者なのです。 さらに、そんな謝罪の芝居をすることによって、「自分は民族の壁や人種の壁を越えた心の広い人間なのだ」と周囲に誇示したいのです。周囲からそのように見られたいのです。 それが目的なのです。全て誇示なんです。周囲から自分が人格者だと思われたいのです。 その結果、自分だけが周囲の人達よりも上等な人間であるという優越感を抱いて自己満足しているのです。まさに妄想の世界です。
これが大江健三郎的人間の心理なのです。 昔は、このような輩が共産主義運動に蔓延していました。 共産主義が崩壊した現在、かつて共産主義運動していたその種の輩は、環境保護運動や人権保護運動などに衣替えして、相変わらず「自分だけ人格者に見られたい」ために目立つ活動をしています。 その活動目的はただ一つ、目立ちたいのです。 (注記)朝鮮人が大嫌いなら素直に嫌いであればいいのに、大江健三郎的人種は、そんな正直な気持ちを偽って善人のふりをしている。 なぜ、日本人でありながら故意に祖国を侮辱して自分をまるで英雄のように見せかける売国奴大江健三郎的クローン人間が世の中に蔓延しているのでしょうか。 その理由は、戦後の占領軍の洗脳政策に起因するのだと信じます。 戦後一貫して日本人が日本人としての誇りをないがしろにしてきた風潮は、マッカーサー占領軍の占領政策に起因します。 占領軍は、日本人という下等な黄色人種が二度と白人に刃向かわないように日本人の誇りを根こそぎにする政策を実行したのです。 さらに悪いことに、この政策は200%大成功でした。 長崎の原爆展を見た子供や大人が「もう二度と戦争しないように」という感想文を新聞に投書するのですから。 このように日本人が「原爆投下は自分たちが悪いのだ」というふうにマインドコントロールされている間は、戦勝国は皆安泰なのです。 二度と日本人が刃向かう恐れなんて全くないからです。日本人は去勢された民族だからです。 上述した占領軍のロボトミー政策は、日露戦争で敗れたロシアにとっても好都合の政策でした。 だから、戦後一貫して、朝日新聞や岩波書店など、共産主義組織やそのシンパの牙城から、絶えず日本人を卑下するマインドコントロールがメディアに乗って国民に植え付けられたのです。
812 :
吾輩は名無しである :2005/07/17(日) 21:46:09
ウチらに「日本人の誇り」なんてものはありませんが!
これほど同じ事ばかり繰り返えしておっては恥の上塗りでしょうが!?
大江健三郎よ、その戦後のなかの、いつまでも循環する時に生きるあなたへ向けて、 僕は幾度も幾度もコピペを貼る。このコピペに始まり、それがあなたにいなく なってほしいと思っている現世で、僕が生の終りまでつづけてゆくはずの、 これからの仕事となろう。
815 :
吾輩は名無しである :2005/07/17(日) 23:57:30
大江健三郎に語りかけてる痛くも香ばしいレスが見られるスレはここのようだね
816 :
吾輩は名無しである :2005/07/18(月) 00:01:44
817 :
吾輩は名無しである :2005/07/18(月) 00:15:45
この人ってまだ生きてるんだっけ? 最近あまり見かけないね。 活動してるの?
最近みかけないどころか、今月の群像に新作がのってますが!
赤い塗料を塗ったのが先かキュウリを肛門に突っ込んだのが先かが気になる
あとキュウリはわざわざそのために八百屋で買ってきたのかそれともたまたま冷蔵庫に入っていたのか
畑にきゅうりが豊作です。
822 :
吾輩は名無しである :2005/07/18(月) 09:19:06
>>814 人生辛そうだな。現世というより厭世って感じだぞ。
見落とさなければ、たまにはいいことだってあるかもよ。
823 :
吾輩は名無しである :2005/07/18(月) 09:38:46
赤い塗料と緑の胡瓜の色彩のコントラストがいいな
http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200506030001/ 松浦淳のブログ 2005.06.03
大江健三郎と村上春樹について 週刊朝日の2002年の書評より [ カテゴリ未分類 ]
●『これをもって小説は最後にすべし
作品を発表する度に「これが最後の小説である」と公言してきた作家がいる。大江健三郎である。
もちろん、そんなことを作家が言う必要はない。書き終えた後死ぬか、もう書けなくなれば、それが自動的に「最後の小説」になる。
なぜ、わざわざ「最後の小説である」と言わねばならないのか。自分を見捨てた読者に戻って来てもらいたいからである。
簡明に言う。大江健三郎は子供のままついに一度も成熟することのなかった作家である。彼は若くして作家となった。初期の作品はたいてい西洋の翻訳作品の口真似である。
長じて、彼は自分自身を小説の主人公に据えるようになった。しかし、彼はいつまでたっても子供のままであった。
大人とは、自らの行動と言葉に責任を取ることの出来る存在をいう。それに対して、子供は自身の行動と言葉に責任を取らない。嘘と言い訳で自らを正当化する。紙数がないので詳しくは書かない。
しかし、ある時期以降の大江健三郎の小説は全てそうである。最初に気付いたのは、身銭を切って本を買う読者であった。当然だろう。子供の言い訳を金を出して読む必要などあるものか。
果たして、大江健三郎の最新作『憂い顔の童子』は、そんな作者の言い訳の集大成となった。
作者とおぼしき主人公「長江古義人」が、この長く退屈な小説で言っているのはたった一つのことだけである。それは自分の生涯と自分が書いてきた小説には「深い意味」があるということだ。
もちろん、大江健三郎はずっとそのことばかりを書いてきた。しかし、古義人の故郷である四国の「谷間」を舞台としたこの作品では何と、それを「客観的に」証明すべく、「ローズさん」という自分の作品を「研究」するアメリカ人女性まで登場させている。
「古義人はそれをローズさんに話した。 ――あの時、腹は立つし無力感は大きいし、まあ恐慌状態だったといってもいいけれど、この間は私が酔っぱらっているのと、土地のアクセントの五十男に付け込まれる感じとで、同じ反応をしてしまったんだね、 その後でやったことも、まあ、正気じゃなかった。しかし、ドン・キホーテ的な狂気などとはいえないなあ。 ――ナボコフが『ドン・キホーテ』と同じ年に書かれた傑作だといって、そこから引用もしている『リア王』の、あの錯乱に近かったのじゃないかしら? そこで古義人は、これも新しい岩波文庫を探して来て、ローズさんに確かめた四幕七場の台詞を読んだ」 実際、この辺りを読んでいると「大江先生、いくらなんでも本気ではないでしょうね?」と言いたくなる。 研究者や主人公(作者)の調べたところでは、この主人公(作者)のやっていることは全てセルバンテスの傑作『ドン・キホーテ』の主人公と同じ(で深い意味を持っているの)である。 「ドン・キホーテ」は「ハムレット」と並んで、近代文学が産んだ最大のキャラクターである。 一人悩む「ハムレット」があまり流行らなくなってからは、「ドン・キホーテ」こそ近代文学の魂を代表する存在と言っても構わないだろう。ならば、「ドン・キホーテ」に擬されることは、作家にとって無上の光栄に他ならない。 しかし、これは明らかに「お手盛り」の光栄である。作者が「ドン・キホーテ」的と考えて書いた主人公を巡る行動はどれも ――主人公の障害を持つ息子とローズさんに向けた水泳教師の差別的言辞、地元の中学生達の悪戯、料理屋での主人公の県会議員に対する「キレ」具合、ホテルオーナーのセクハラ発言、六〇年代風デモの再現―― 笑いもユーモアも感じられない、目を覆いたくなるような馬鹿馬鹿しいものばかりだ。 もし作者が、本気でそれを「ドン・キホーテ」的と考えているなら、ローズさんはこう言ったのではないか。 「これ以上書くのは恥の上塗りになるから、本当に最後の小説にして!」(虫)』
826 :
吾輩は名無しである :2005/07/18(月) 16:55:46
なんかやけにローズさんに思い入れあるみたいだなあ。 憂い顔の童子で、ローズさんが皆にアナルセックスをしなければならなかった 話をするシーンがあって、読んでる時はうんうん、そうか、言ってやれ!と普通に読んでたけど、 よく考えるとへんな話だ(笑)。 こういうところが面白いんだよね、この人の小説は。 もっと普通に小説として楽しむ人が増えるといいなあと思います。
>>814 ワラタ。こういう改変コピペもこれからはきぼんぬ。
コンスタンチン・ポベドノスツェフ ↓ ドストエフスキー ↓ 大江健三郎 コンスタンチン・ポベドノスツェフの言 ↓ 「ひとりの個人の思想及び言語は、彼自身ではなく、人類全般の所有にある」 ↑大江健三郎は、これと似たようなことを言っている。(『自分の木の下で』より) 大江健三郎は工作しているようだが、その隠されている性根が、本心が わかるのではないだろうか。だからこそ、工作員を派遣するという発想も でてきたのではないかと。 コンスタンチン・ポベドノスツェフについては、検索してみてほしい。 もしかしたら、自分の木の下でで語られてることは、上のことが言いいたい がためのコジツケだったのかもしれない。
>>828 それにしても、この大江健三郎の安易さはなんなのだろうか。
やはり、在日だからだろうか。
>>828 それが、コジツケだから、読んでておもしろくないのかもしれない。
本人がそれについてどうおもってるかわからないが、ロシアフォルマリズムという
もので、安心してるのかもしれない。
>>830 ロシアフォルマリズムというもので、免責してるのかもしれない。
832 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 08:48:54
西尾幹二のインターネット日録
西尾幹二,人権擁護法,郵政民営化,靖国,皇室 « 『日本人は何に躓いていたのか』 最新書評ホーム講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(二) »
http://nishio.main.jp/blog/archives/2004/12/161023_1.html (略)
日本が加害者だと思い込んでいるんですよ。
てんから。日本は加害者だから、歴史の加害者だから、詫びなきゃいけないんじゃないか、悪いことをしたなら、それも認めなきゃいけないんじゃないか。悪いことなんかなにもないよ、そんなことは、言っていいのかなぁ、と思案している。
みなさんはどう思いますか。20世紀の歴史を振り返って、まぁ19世紀の末から21世紀の今日に至るまでですけど、誰に対しどの点で詫びる必要があるんでしょうか。
日本は必ずしも加害者じゃありません。自ら戦争を始めたわけではない。20世紀の前半は地球上のいたる処で大戦争が折り重なるように相次いで起っていて、日本もその大河の中に呑み込まれていった、勿論自らの意志もあってのことですが。
詫びるとか詫びないとか、そんな個人の身に起る出来事のようにして戦争を考えるということはできない。
詫びるんだったらいよいよの最後に破天荒なことをした国、原爆を落としたアメリカが詫びなきゃ、まずアメリカが真先に詫びなきゃいけないんですよ。
詫びる詫びないというのは、まず何のことを言っているんだろうと、私はそこがよく分らない。
まずその私の、気持ちの中にふり切れないものがある。私も多少なりと、迷っていて、よく分らないところがある。戦争を詫びるというのはどういう事だろう。私はまぁ終戦を迎えたのは小学校の4年生でした。
始まったのは小学校に入る一年前、昭和17年の入学ですから、16年12月8日はまだ幼稚園生だった。
でも、何か若い人には、正しい歴史の知識で、いけないことをしたなら、それを正直に教えていくことが客観的な正しい歴史を教えることであって、悪いことをしたなら悪いと認めるのも大切だというような言い方がたしかにありますよね。 これ、言い続けてきたじゃないですか、戦後。そして悲惨な戦災や、悲惨な満州からの引き揚げや、悲惨な数多くの戦前戦後の物語を語り続けて来たこの民族の60年間、 もうそれもだんだん、今は陰が薄くなりましたが――最初の40年間くらいは映画やテレビにそういうドラマが絶え間なくありましたが――みな日本が仕掛けた戦争だったから仕方がないんだと、 悪いのは日本人なんだからと、そう思い込んで無理に納得してきたんじゃないでしょうか。 とりわけ大変に滑稽なのは大江健三郎という男で、「アウシュビッツの後に文学なし」といったドイツの思想家の言葉にならって、「広島の後に文学なし」と、こう言ったんですね。 アウシュビッツと広島の惨劇を二つ並べるのは、悲惨のレベルという点で必ずしも間違った見方だと私も思いませんけれども「アウシュビッツの後に、ドイツの文学者がドイツの文学を書くことは出来ない」というのは、加害者のドイツ人が、ということですね。 「広島の後にアメリカに文学なし」と言うのならば話は通りますよ、これは。「広島の後に日本人が、もはや文学を書くことはできない、文学はない、精神はない、もうないんだ」。 これはおかしいんじゃないのかなと、てんでひっくり返っているんじゃないかなと、思うわけであります。原爆を落としたのはどこの誰なんですか? 大江健三郎は狂っているんはないですか。こんなふうに狂った人が戦後ずっと多かったんですよ。
835 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 10:52:42
いいから小説嫁。 面白いから。
836 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 11:01:12
大江健三郎の小説はここのところかなり読んでる。 50分強の時間、僕は別の世界へ飛んでいく。 そこは感動にあふれ、幸せがあり、恍惚がある。今の僕にとって大切な時間だ。 現実なんか、蹴飛ばして夢の世界へ旅立つんだ。かなりヤバイ状態にいるのは自覚できてもやめられないさ。 やめたくたいんだ。胸が一杯になるこの気持ちからはなれたくない。 文学理論なんか知らないし、ロマン主義とか人類学もしらないけど、OEのテクストが最高なのは知ってる。 夢の中で死ぬことができれば最高だ。究極の快楽だろう。僕はそれが欲しい。夢を見ながらいなくなるんだ、この世界から。 なんてすばらしい世界だろう。はやくそこへたどりつけますように。
837 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 11:30:17
836の読んでいるのは本当にOEなのかなw 何を読んでそんな多幸感に見舞われてしまったんだろう。
838 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 14:39:39
wrs すごい想像力だな
大江のは何か絵六手辟易します。さわやかなのねーのかよ
http://plaza.rakuten.co.jp/okinawapapa/diary/ okinawapapaのドタバタ日記2005.06.04
大江健三郎先生!韓国でテレビ出演とは・・・
大江健三郎の小説は田舎の高校生であった俺に文学への扉を開けてくれた。
大江から俺にとっての文学の旅が実質始まったといっていい。
それまでも小説は読んでいたがあくまでも「物語」を楽しんでいた。
芥川も漱石も鴎外も俺にとっては楽しみだった。
だが、大江を読み始めてから楽しみ方が変化した。
大江・開高・安倍公房・堀田善衛・大岡昇平・・・パス・リョサ・マルケス・クンデラ・・・。
大江に触発されてラテンアメリカの作家や東欧の作家に手を伸ばし、文化人類学者山口昌男や宗教史学のエリアーデも知った。
バフチンも。
真似っ子だった。
俺の青年期の読書は見事なほどに大江の影響下にあった。
だが、或る時なにか違和感を抱いた。
それは大江の影響下で韓国の小説や詩人の本を読む中に、北朝鮮の収容所の存在を知ったからではなかったか。
大江が共感し同情を寄せる朝鮮民族。
しかし、金日成は帰国した同胞を収容所に入れていると・・・。
収容所=ソビエト=ソルジェーニツィンの連想の中で、韓国は軍事政権、北朝鮮は主体思想の独裁国家。
大江の小説が楽しめなくなってきていたのもあった。
次第に大江の考えに反発していた。
「どこか違う」と。
それは同時に岩波や朝日・NHKにもおよんでいった。
大江がノーベル賞受賞した頃、俺は彼の本を読まなくなっていた。
大江は韓国のテレビで売国発言をするのだろう。
田舎の高校生に知的冒険の機会を与えてくれたことに感謝しつつも、今は彼の発言に対して「ノン」と言っている自分がいる。
Lastupdated 2005.06.04 13:49:20
841 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 21:03:35
確かにMr.大江は美術品だよ。 骨董品ににならないように気をつけんとナ。 ドダイ文学でムービーなんて無理なのさ。だろ? 素敵なムービーの永遠は文学には訪れず。
842 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 21:05:41
なんでこのスレはこうも無意味に偏ったひとばかりが・・・。
843 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 21:09:22
べつにいいじゃん
844 :
:2005/07/19(火) 21:09:40
大江の読書量は定評があるけど、 ラウリーとか結構変なものも読んでるみたいだね。 どういう選択眼なのかちょいと不明。
845 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 21:13:55
ラウリーはアメリカ漫画だろ、 美術と漫画は同じでないはずだよな。 そこんとこよろしく。^^
846 :
:2005/07/19(火) 21:35:47
マルカム・ラウリーは漫画家なのか? 初耳だ! 数年来てっきり小説家だと思い込んでいたんだが。。。
847 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 22:00:20
残念ながら漫画
848 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 22:01:50
全集買って失敗したよ。それとも翻訳が悪いのか。
849 :
吾輩は名無しである :2005/07/19(火) 22:03:28
太宰の娘も紹介してたけど、漫画です。
赤塚不二夫とかにも言及してるし、漫画好きよね。
http://blog.goo.ne.jp/misirin/e/54fb074af3cba94b114d57da0c74981e 大江健三郎はいつ北朝鮮に帰化するのか?
インターネットの話題/2005年06月06日13時08分56秒
「腐ったトマトは小泉首相が来るまで投げずに我慢しなさい」
一応ノーベル文学賞を取った大江健三郎が韓国でこんな事を言ったらしい。
大江健三郎と言えば、「僕には帰る朝鮮(北朝鮮)が無い」と言う名言を吐いた男だ、未だに時代遅れのマルクス・レーニン主義の世界に閉じこもっているのだろう。韓国の極左大統領盧武鉉とは気が合いそうである。
日本に不満があるなら北朝鮮に帰化すれば良いじゃないか。
仮にもノーベル文学賞受賞者である。国賓扱いしてくれるだろう。
その方が大江健三郎に取っても幸せだし、売国奴が一人減って日本も幸せである。
ノーベル賞の中で文学賞、経済学賞、平和賞には何の価値も無いからね。
牢屋にぶちこまれそうな平和賞受賞者が隣の国には居ます。自尊心が壊れるので政治的判断で犯罪をうやむやにされていますが、着服、横領などの余罪があると言われております。
息子は捕まっていますしね。佐藤栄作が平和賞貰ったときもなんでこいつなんだと言われたぐらい平和賞には価値も権威もございません。
日本がノーベル賞に力を入れると言うのは日本が技術の発展に貢献していると言う事が正しく世界に認識されると言う事に尽きる。ビタミンなどの発見も日本人が先であるのにその功績は白人に奪われている。
こういうことが無いようにするのが日本がノーベル賞に力を入れる理由であり、従って価値があるのは、医学、物理学、化学と言うことになる。
恣意的に決められる文学や検証が終わって既に役に立たない経済学や紛争を解決しただけの政治家に与えられる平和賞に価値があるとは思わない。(紛争を解決すると言う事は、紛争起こしていたと言う事じゃないか。)
特に宥和政策と引き替えに核兵器を売り渡した隣国の前大統領などは寧ろ東アジアの平和を乱した存在である。
と言う訳でノーベル文学賞受賞者が一人減っても日本は別に困らない。
手塚治虫や黒沢明の方が世界の文学によっぽど貢献している。
852 :
吾輩は名無しである :2005/07/20(水) 00:48:25
おまえら 雨の木よんでないのか?w なんで漫画なんだよ
853 :
吾輩は名無しである :2005/07/20(水) 00:51:45
村山元首相運転の車が自転車の男児と衝突 大分市王子中町の市道交差点で16日午後5時40分ごろ、 村山富市元首相(81)=同市千代町=運転の乗用車が、自転車に乗 っていた同市内の小学4年の男児(9)と衝突。男児は両手や足に 軽傷を負った。村山元首相にケガはなかった。 同署は村山元首相の安全確認が不十分だった可能性もあるとみて、 調べている。 最近は公の場に出ることも少なくなっているが、2月には韓国を 訪問。戦前の朝鮮独立運動の記念行事に招かれ、ドラマ「冬のソナタ」 の撮影地にも足をのばし、日韓交流に一役買った。
>>855 楽しんできた。
山田に大江の文章は読めるのか?
一冊も大江の小説読んだ事無いやつは、小説家などと言うなかれ。
857 :
吾輩は名無しである :2005/07/21(木) 08:57:36
「週刊朝日」と「AERA」の編集長がダブル解任 「週刊朝日」は社長が常々記事の内容をにがにがしく思っていたところ、大江健三郎批判を掲載し、 「もう小説は書かないほうがいいのではないか」と批判した。大江さんは、 「批判は甘んじて受ける」というスタンスだそうですが、社長が自主規制した。 ということのようです。 大江さんは、朝日のシンポジウムというと出てくるパネリスト、という印象で 朝日にとっては看板作家なんだろう。 バックナンバーをめくってみると、なるほど11月22日号に「まっとうな本」という月一連載が載っている。 そこで、「これをもって小説は最後にすべし」とのタイトルで記事が掲載されています。 最近の「週刊朝日が面白かったか」と聞かれれば、そうとはいえない。逆に首をかしげることもあった。 だが、こんな理由で首をすげ替えるのは、社内にくらい影を落とすのではないだろうか。 捏造記事ならともかく、たった一本の記事で記者や編集者を処分していたら、いくつ首があってもたりない。 だいたい、外部のご機嫌を気にして社長が原論弾圧の強権発動をするなんて、メディアとして末期的 としかいいようがない。 朝日は出版局を出版部に格下げして、人減らしをしている最中だったそうです。 だからといって、出版のジャーナリズムなら金や作家の機嫌とりに差し出していいという判断をしたの なら、その神経を疑う。
858 :
吾輩は名無しである :2005/07/21(木) 13:36:35
これは朝日の社長スレにでもコピペしたほうがいいんでないの?
政治犯拘留所で ある日の夕方、戒護員・李慶哲特士の怒鳴り声と、 耳慣れない女のうめき声が聞こえた。 ・・・・・・・・・・ 「ああ、私はどうして日本から北なんかに来たんだろう。 なんでこんなことが見通せなかったんだろう。 夫にくっついて子供まで連れて・・・故郷だと思ってついてきたのに、 私達がなんだってスパイにされなきゃならないんだ。 日本の親戚達は私達家族がどんな目にあってるかも知らず、 良い暮らしをしてるとばかり思っているのに。 おい、犬畜生!うちの家族を日本にまた送り返せ! それが出来ないというなら全員殺すなりしろ! もうこれ以上、こんな風に生きるのはいやだよおぉ・・・」 ・・・・・ 次の日から、二度とその女性の声を聞く事はなかった。 安明哲「北朝鮮絶望収容所」KKベストセラーズ1997 --------------------------------------------------------- 著者は、元収容所警備隊員1994年9月韓国に亡命
860 :
吾輩は名無しである :2005/07/24(日) 11:54:05
人のこと監視しておもしろいかい? お前らが忘れたころに殺しに行くから覚悟しとけよ
★沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ「自決強制」記述誤り、名誉棄損
・先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、
当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こすことが二十三日分かった。
訴えを起こすのは、沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次元大尉の弟、赤松秀一氏(72)。
訴状などによると、米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、
大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。
疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』を出版。
座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。
その後も、昭和史研究所や自由主義史観研究会が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている。(一部略)
http://www.sankei.co.jp/news/050724/morning/24iti002.htm ★沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き
・集団自決が軍の命令だったとされてきた“歴史”が法廷で争われることになった。
沖縄戦が住民を巻き込んだ悲惨な地上戦だったことは事実だが、軍の残虐性を示す“証拠”の発端は島の長老と生存者による遺族のための悲しい口裏合わせだったという。(抜粋)
http://www.sankei.co.jp/news/050724/morning/24pol003.htm
大江はとっとと全集を出せ!
「全」集じゃないんじゃなかったけ。それ。 自分で気に入らない小説は削ってたり、そもそも小説しか入ってない。
http://www41.tok2.com/home/indy/fc/hitorigoto/2005/7.html インディの鞭 on the Web> 日々の独り言〔2005/7〕
■2005/07/11 クロード・シモンの訃報に接し ▼
(中略)
ともかくも、1913年、氏はその島に生まれたのだそうです。そしてやがて、フランスに移り住んだのでしょうか。「前衛的なヌーヴォー・ロマンの騎手」となり、1985年にはついにノーベル文学賞を受賞することになります。
とここまで書いてきたようなことは、たとえば朝日新聞にも載っています(「asahi.com>仏ノーベル賞作家、クロード・シモンさん死去」)。"問題"はこのあとでして、だからこそ、それが私には起爆剤となったのです。
シモン氏はマスコミ嫌いで知られ、また、日本のいわゆる"進歩的文化人"にありがちな政治活動への関わりも持たれなかったそうです。
そんなシモン氏が、フランスの新聞「ル・モンド」紙上において、一人の「不作法」な作家を窘める行為に出たといいます。それまで、ほとんどマスメディアには登場していなかったはずの氏がです。
その「不作法な作家」とは一体誰なのか気になりませんか? それが驚くなかれ、日本人で、川端康成と並んでノーベル文学賞を受賞されている大江健三郎なのです。
それは、今からちょうど10年前。1995年のことでした。
同年の秋、南フランスで開催予定だった日本文化の祭典への出席を、大江健三郎は断ったのだそうです。
そしてその理由が、都合がつかなかったからといった大江さんの私的な理由であったなら、シモン氏も「オオエは不作法だ!」などとご立腹されることもなかったでしょう。
ご立腹されるにはされるだけの理由がありました。大江さんは、シモン氏が一番嫌う(?)政治的理由を出席辞退のいい訳(?)にしたのです。
時は同じ1995年のことです。このことはご記憶されている方も少なくないと思いますが、その年、フランスでは核実験が再開され、世界中の、とりわけ反核運動に熱心な人々からかつてないほどの批難の声が上がりました。 そして、日本の"進歩的文化人"を任ずる(?)大江さんも、当然のことながらそれに機敏に反応し、フランスで開催される催しへの不参加を表明したのです。 いかにも、大江さんらしいといえばらしいエピソードではあります。 しかし、ここでシモン氏は至極真っ当な反論をル・モンド紙上で披露したのです。 曰く、 第2次大戦前に全ての兵器計画に反対する「平和主義者」がいて、ナチの侵攻を許した。 と。 つまりは、「大江健三郎が採る「平和主義」的な"ポーズ"(?)は、"博愛精神"が溢れる主張のように聞こえ、耳当たりはいいかもしれない。 しかしその実、その誤った判断は、対抗勢力にとっては恰好の利益となりかねない、ということに気づくべきである」といったところでしょう。 こうしたことは、私は事あるごとに感じていることです。こうした主張をする"平和主義者"にはある特徴があります。たとえばそれを核兵器に限ってみても、彼らの中には「綺麗な核」と「汚い核」の区別があるようなのです。 彼らは、始めにそのような区分けをしておき、「汚い核」には猛烈に反発する代わりに、「綺麗な核」には極めて寛容な理解を示します。 一例を挙げておきますと、北朝鮮が既に保持しているといわれている核は、彼らにとっては「綺麗な核」であるようで、大江さんを始めとする日本の"平和主義者"からは目立った反対の声は一切聞こえてきません。 その一方、彼らにとって共通の「汚い核」の代表核、、、いや、代表格(^_^; である、アメリカの核については、徹頭徹尾拒否反応を示すのです。 こんなにも偏った思想の持ち主を、手放しで"平和主義者"と呼んでしまっていいものでしょうか。 こうした思想の持ち主は、朝日新聞やNHK(※NHKの場合は組合活動に熱心な職員だと思う)など、マスメディアの中にも数多く見られる、といいますか、朝日の場合組織全体がそうした思想でできあがっているのです。
たとえばの話、北朝鮮の「綺麗な核」を弾頭に搭載したミサイルが日本列島のどこかの都市に着弾した場合、日本の"平和主義者"はどのように論評するのでしょうか。おそらくは、「核ミサイルを落とされる日本にも責任がある」とでもいうはずです。 いえ、これは私の勝手な推論ではありません。現に、先の大戦で広島と長崎に原爆が投下されましたが、被爆地では今なお、日教組(「e-station 日本教職員組合ホームページ」)が中心となって 「日本軍がアジア人民(※中国・朝鮮が主)を苦しめたから、原爆を落とされた」式の教育を"平和教育"の名の下に行っているのが実態です。 しかし、現実問題、あなたの愛する人がもしも「綺麗な核」によって無惨に殺されたとして、それを"平和主義者"がいうように、赦(ゆる)すことなどできるでしょうか!? 大江健三郎の中のそうした欺瞞を軽々と見破り、世に広く知らしめてくれたのがシモン氏であった、ということになります。 以上のような背景がありながら、朝日が同氏の訃報を伝える記事ときたらどうでしょう。「95年にはフランスの核実験に抗議した大江健三郎氏にルモンド紙上で反論、核抑止力を擁護した」とお付き合い程度に触れているのみです。 全く腰が引けているとしかいいようがありません。まさか、大江さんに気を遣っているわけではないですよね? 「武器よさらば」といえば究極の"平和主義者"に聞こえます。私だって、一切の武器を捨てられるのなら、その方が絶対にいいと考えています。しかしです。それは全世界が同時に実施しなければ絵空事で終わってしまうのだということをいいたいのです。 仮の話、北朝鮮のような国だけが武器を保有した状態でこちらだけ武器を捨てたならどうなるでしょう。それでも"綺麗な核派"の彼らは、「北朝鮮の武器は"綺麗な武器"」とでもいい張るんでしょうよ、きっと。 これではどこまで行っても平行線ですね。 大江健三郎に見る"平和主義者"の実体を世に知らしめてくれたシモン氏は6日、パリで静かに息を引き取りました。 享年91歳。これでまた一人、気骨のある人物がこの世から消えてしまったことになります。
お、クロード・シモンのファンなのか、と思って元記事読んだら 一冊も読んだことないって人か。 まあ、そんなもんか。
結局、人の意見とか人の話なんて、自分の都合の良いようにしか 聞こうとしないのが人間なんだな。シモンが(或いは大江が)他で 何言ってようと知らないし、どうでもいいわけだ。 いや、自戒の意味もこめてですがね。漏れもそうだろうし。
http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai34/34gijiroku.html 第34回司法制度改革審議会議事次第
日時:平成12年10月16日(月)9:29〜12:10
場所:司法制度改革審議会審議室
出席者
(委員)
佐藤幸治会長、竹下守夫会長代理、石井宏治、井上正仁、北村敬子、曽野綾子、木剛、鳥居泰彦、中坊公平、藤田耕三、水原敏博、山本勝、吉岡初子
(事務局)
樋渡利秋事務局長
(中略)
【曽野委員】レジュメが短過ぎて申し訳ございません。
過日ちょっと触れましたが、私は過去に書きました数冊のノンフィクションの中から、一つの作品を例に引いて、その作業の困難さをお話ししたいと思います。
ここに持参いたしましたのは『或る神話の背景沖縄・渡嘉敷島の集団自決』という本です。この話は、終戦の年の3月、沖縄本島上陸を前に、その南西の沖合にある慶良間列島の中の渡嘉敷島で集団自決が行われた、という事件です。
当時島には陸軍の海上挺進第三戦隊の130人が、ベニヤ板の船に120キロの爆弾をつけて夜陰に乗じて、敵の艦艇に突っ込む特攻舟艇部隊としていました。
3月下旬のある日、米軍はこの島を砲撃後上陸を開始し、それを恐れた約三百人の村民は軍陣地を目指して逃げましたが、陣地内に立ち入ることを拒否され、
その上、当時島の守備隊長だった赤松嘉次隊長(当時25歳)の自決命令を受けて次々と自決したというものでした。
自決の方法は、多くの島民が島の防衛隊でしたから、彼らに配られていた手榴弾を車座になった家族の中でピンを抜いた。
また壮年の息子が、老いた父や母が敵の手に掛かるよりは、ということで、こん棒、鍬、刀などで、その命を絶った、ということになっております。
当時の資料を列挙しますと、1)沖縄タイムス社刊『沖縄戦記・鉄の暴風』2)渡嘉敷島遺族会編纂『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』3)渡嘉敷村、座間味村共編『渡嘉敷島における戦争の様相』 4)岩波書店『沖縄問題二十年』(中野好夫、新崎盛暉著)5)時事通信社刊『沖縄戦史』(上地一史著)6)沖縄グラフ社『秘録沖縄戦史』(山川泰邦)7)琉球政府『沖縄県史8(沖縄戦通史)各論篇7』(嘉陽安男著) 8)岩波書店『沖縄ノート』(大江健三郎著)9)平凡社『悲劇の沖縄戦』「太陽」(浦崎純著)などがあります。 これらの著書は、一斉に集団自決を命令した赤松大尉を「人非人」「人面獣心」などと書き、 大江健三郎氏は「あまりにも巨きい罪の巨塊」と表現しています。 私が赤松事件に興味を持ったのは、これほどの悪人と書かれている人がもし実在するなら、作家として会ってみておきたいという無責任な興味からでした。 私は赤松氏と知己でもなく、いかなる姻戚関係にもなかったので、気楽にそう思えたのです。もちろんこの事件は裁判ではありません。 しかし裁判以上にこの事件は終戦後25年目ころの日本のジャーナリズムを賑わし、赤松隊に所属した人々の心を深く傷つけていたのです。 もとより私には特別な調査機関もありません。私はただ足で歩いて一つ一つ疑念を調べ上げていっただけです。本土では赤松隊員に個別に会いました。 当時守備隊も、ひどい食料不足に陥っていたのですから、当然人々の心も荒れていたと思います。 グループで会うと口裏を合わせるでしょうが、個別なら逆に当時の赤松氏を非難する発言が出やすいだろうと思ってそのようにしました。渡嘉敷島にも何度も足を運び、島民の人たちに多数会いました。 大江氏は全く実地の調査をしていないことは、その時知りました。 当時私はまだ30代で若く体力があったことと、作家になって15年以上が経過していたので、いくらか自分で調査の費用を出せるという経済的余裕があったことが、この調査を可能にしました。 途中経過を省いて簡単に結果をまとめてみますと、これほどの激しい人間性に対する告発の対象となった赤松氏が、集団自決の命令を出した、という証言はついにどこからも得られませんでした。
第一には、常に赤松氏の側にあった知念副官(名前から見ても分かる通り沖縄出身者ですが)が、沖縄サイドの告発に対して、明確に否定する証言をしていること。 また赤松氏を告発する側にあった村長は、集団自決を口頭で伝えてきたのは当時の駐在巡査だと言明したのですが、その駐在巡査は、私の直接の質問に対して、赤松氏は自決命令など全く出していない、と明確に証言したのです。 つまり事件の鍵を握る沖縄関係者二人が二人とも、事件の不正確さを揃って証言したのです。 第二に、資料です。 先に述べました資料のうち、1〜3までを丁寧に調べていくと、実に多くの文章上の類似箇所が出てきました。今で言うと盗作です。 ということは一つが原本であり、他の資料はそれを調べずに引き写したということになります。 それをさらに端的に現しているのは、これほどの惨劇のあった事件発生の日時を、この三つの資料は揃って3月26日と記載しているのですが、戦史によると、それは3月27日であります。 人は他の日時は勘違いをすることがありましょうが、親しい人、愛する者の命日を偶然揃って間違えるということはあり得ません。 つまり「沖縄県人の命を平然と犠牲にした鬼のような人物」は第一資料から発生した風評を固定し、憎悪を増幅させ、自分は平和主義者だが、世間にはこのような罪人がいる、という形で、断罪したのです。 当時、沖縄側の資料には裏付けがない、と書くだけで、私もまた沖縄にある二つの地方紙から激しいバッシングに会いました。 この調査の連載が終わった時、私は沖縄に行きましたが、その時、地元の一人の新聞記者から「赤松神話はこれで覆されたということになりますが」と言われたので、 私は「私は一度も赤松氏がついぞ自決命令を出さなかった、と言ってはいません。ただ今日までのところ、その証拠は出てきていない、と言うだけのことです。明日にも島の洞窟から、命令を書いた紙が出てくるかもしれないではないですか」 と答えたのを覚えています。 しかしこういう風評を元に「罪の巨塊」だと神の視点に立って断罪した人(大江健三郎)もいたのですから、それはまさに人間の立場を越えたリンチでありました。 (後略)
大江の小説みたいな展開ですなあ
874 :
吾輩は名無しである :2005/07/31(日) 00:56:14
いつのまにか自分の小説の中に入り込んで必死に政治活動してますね
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20050805/20050805a4870.html 岩波書店と大江さんを提訴 「軍が自決命令」の記述で
2005年 8月 5日 (金) 19:00
第2次大戦中の沖縄戦で「日本軍の指揮官の命令で慶良間諸島の住民が集団自決した」とする本の記述は誤りで、
名誉を傷つけられたとして、当時の指揮官と遺族が5日、出版元の岩波書店(東京)と作家の大江健三郎さんに、
本の出版差し止めと計約2000万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
原告は座間味島の守備隊長だった梅沢裕さん(88)と、渡嘉敷島の守備隊長だった故赤松嘉次さんの弟秀一さん(72)。
訴状によると、両島では1945年3月、米軍の攻撃を受け、多くの住民が集団自決で死亡。岩波書店が出版した
大江さんの「沖縄ノート」や歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争」など3冊の本で「集団自決は守備隊の命令で起きた」などと書かれている。
2人は「命令はなく、住民自ら自決した。誤った記述で多くの読者に非道な人物と認識される」と主張している。
なんとなく保守。
877 :
無名草紙さん :2005/09/04(日) 16:33:18
大江と比べると銀河英雄伝説のトリューニヒト議長が善人に見えてくるな。 とにかくこのジジイは腐りきっている。
誰それ。
その腐りきったジジイが、現在日本最高の小説家であるという腐った日本。
http://www4.ocn.ne.jp/~cozy-opi/ 本日の世迷い言
暴かれる日本悪玉論の嘘 (7/25) 2005/7/25
沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り、名誉棄損(産経)
先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、
当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった。
訴えを起こすのは、沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一氏(72)。
訴えられるのは、『沖縄ノート』(岩波新書)の著者の大江氏と、他にも故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫)、故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波新書)などを出している岩波書店。
訴状などによると、米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、
大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。
沖縄戦の集団自決をめぐっては、昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で、赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ、両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた。
この記述は、沖縄県史や渡嘉敷島(渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている。
疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。
座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。
その後も、昭和史研究所(代表・中村粲元独協大教授)や自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝拓殖大教授)が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている。
沖縄戦の集団自決については、住民が自ら軍の足手まといにならぬように自決したのだが、戦後補償を得るために守備隊長の暗黙の了解の下、軍命令での自決ということにした…というのが、真相であるようだ。(「軍事評論家=佐藤守のブログ日記」7/24エントリーより) 大江健三郎は、その辺りの機微を理解せず或いは理解しようともせず、「軍部に犠牲になった沖縄県民」という視点で、日本軍人を貶めようとした。 先日に書いた従軍慰安婦や靖国問題にも通じる話だ。事実でないことを事実のように広める「反日宣伝マン」が存在し、事実を覆い隠しウソを病気のように広めている。 従軍慰安婦や靖国や沖縄については、幸いにして事実が明らかになってきている。しかし、明らかになりつつある事実でさえも、一度広がった認識を覆すのは難しい。 例えば盧溝橋事件は「日本側からの銃撃で始まった」と思っている人も、まだまだ多いであろう。 教科書に載っているような話で実は虚構だという話は、私たちの知らないところでまだまだたくさんあるのではないだろうか。大江の類の罪科は、非常に重いと言わざるを得ない。 今は、明らかに過渡期ですな。戦後60年を経て、ようやく事実はどうであったのかが語られるようになってきた。日本悪玉論に縛られた戦後民主主義から、ようやく脱しようとしている。 ただ、「脱しようとしている」というのはまともな日本人から見た用語であり、日本は悪いのだという意識から抜け出せないままの人にとっては、 「日本はいつか来た道を歩もうとしている」とか「軍靴の音が!」ということになり、相当な危機感を持っていると思われる。 歴史教科書に関する左巻きのヒステリックな言動は「左巻きの断末魔」なのだろうか…と考えようとして、靖国参拝に関する世論調査の数字などを思い出し、まだ「過渡期」に過ぎず楽観視してはならないと思い直す。 もっと強力な攻撃が来るんじゃないかな。
「さようなら、私の本よ!」 9/25に発売 ちなみに講談社。
よっ、待ってました!
884 :
吾輩は名無しである :2005/09/09(金) 14:33:38
第3部の最後どう思った? 俺的にはもっと自滅していってほしかった
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sonota/0506-3.html 沖縄戦集団自決事件をめぐる「反日神話」の背景(2)
椿原 泰夫
▽「集団自決」神話の真相
「確信犯」的執筆者について言うべきことは多いが、その前に事実関係を概観しよう。
(中略)
真実を語れば村民の「戦後補償」のからくりを暴露することになるのをおそれて沈黙を守り、冤罪を晴らせぬまま他界した赤松大尉(渡嘉敷島駐屯第三戦隊隊長)の場合は、その心中は想像に余りある。
『鉄の暴風』(前記)や、他の類書は今日なお、堂々と書店の書架を賑わしている。汚辱にまみれた赤松大尉の名誉はいったい誰が晴らすのか。
因みに、筆者がつい先日某書店で見つけた大江健三郎著『沖縄ノート』(岩波新書)に、次のような記述がある。
《生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している、この事件(=座間味村、渡嘉敷村の軍命令による集団自決を指す・筆者註)の責任者はいまなお、沖縄にむけてなにひとつあがなっていないが、
(中略)かれが本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を咎めねばならないのかね?と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう》六十九〜七十頁)
《新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で(中略)「命令された」集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長が、
戦友(!)ともども渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた》(二百八頁)
《かれは他人に嘘をついて瞞着するのみならず、自分自身にも嘘をつく。そのような恥を知らぬ嘘、自己欺瞞が、いかに数多くの、いわゆる「沖縄戦記」のたぐいをみたしていることか》(二百九頁)
長々と引用したが、この新書の、二十五頁からなる最後の章の随所には、赤松元大尉に向けられた言葉の限りを尽くした呪詛が書き記されている。
もう一つだけ、同書の最末尾の数行を転記しておこう。
《僕はまた、集団自決をひきおこすことになった島を再訪しようとして拒まれた旧守備隊長に、おまえはなにをしにきたのだ、と問いかける沖縄の声のひきだした答が、「英霊をとむらいにきました」というものであったこと、 抗議の列をすりぬけて、星条旗をつけた米民間船に乗った旧守備隊長が、ついに渡嘉敷島にいたり花束を置いていったという報道をグラフ誌に見い出す。 日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか、という暗い内省の渦巻きは、新しくまた僕をより深い奥底へとまきこみはじめる。 そのような日々を生きつつ、しかも憲法第二二条にいうところの国籍離脱の自由を僕が知りながらも、なおかつ日本人たりつづける以上、どのようにして自分の内部の沖縄ノートに、完結の手だてがあろう?》(傍点は引用者、二百二十八頁) ところが、ひょっとして無実ではないか、という露ほどの懸念もなく、これだけの罵声を浴びせた元戦隊長に、 直接にインタビューをしたことも、その島を尋ねた形跡も、文化勲章を日本の天皇から受け取ることを拒否し、ノーベル賞は、異国の王様の手から拝領したこの作家にはなかった、という。 【付記】 (中略) さきに紹介した大江健三郎著『沖縄ノート』(岩波新書)のように、何の証拠もないのに、一人の元軍人をさして、嘘つきだの恥知らずだのと罵るようなことがどうしてできるのか。 大江自身これを書いた時点(昭和四十五年初版発行)ではまだ本当の事は多分知らなかったのだろう。 しかしそれにしても、当事者がまだ存命中であったのに、本人から直接話を聴くこともせずにあれだけのことが書けるということ、 そして実際は「軍命令」などなかったのだということがはっきりした現在、依然として、一字一句の書き換えもせずに出版されていることに驚きを禁じ得ない。
>>884 老人というのは、こちらが思っているよりそんなに弱くない。
ということかもしれない。
どっこい生きている。
888 :
無名草紙さん :2005/09/15(木) 18:22:54
光つれてTVに出るのやめれ。偽善者は喜んで見るのだろうが、オレにとっちゃ ただウザイだけだ。
889 :
吾輩は名無しである :2005/09/15(木) 18:25:22
をまえのほうがウザイ>888
磐南総合研究会
http://www.wadachi.jp/bbs/simple/unico.cgi 岩波・大江は死んで詫びるべき / 反共早瀬
2005/07/24(Sun) PM4:12
先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、
当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった。
訴えを起こすのは、沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一氏(72)。
訴えられるのは、『沖縄ノート』(岩波新書)の著者の大江氏と、他にも故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫)、故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波新書)などを出している岩波書店。
訴状などによると、米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、
大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。(産経新聞 7・24朝刊)
立派な名誉毀損罪ですね。日ごろ「人権を守れ」と絶叫する岩波・大江はどうやって責任を取るのでしょう?
892 :
無名草紙さん :2005/09/16(金) 12:34:16
888です。ウザイよ、サヨクさんたち。
>>889 とか
>>890 のいったいどこからサヨク的なものを
嗅ぎつけたんだろう。すごい「想像力」だな。
895 :
無名草紙さん :2005/09/17(土) 12:05:48
あらゆるものから「日本軍国主義復活」を嗅ぎ付ける大江センセイの 「ウルトラ想像力」には負けるって。
しかし昔は単純に、「大江先生、またファシズムとか言ってるよプゲラ」 とか笑ってればよかったけど最近はそうもいかないからなあ。 別に大江先生に先見の明があったとは少しも思わないが。
★沖縄守備隊長遺族、大江氏・岩波を提訴へ「自決強制」記述誤り、名誉棄損
・先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで、名誉を棄損されたとして、
当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こすことが二十三日分かった。
訴えを起こすのは、沖縄戦で座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次元大尉の弟、赤松秀一氏(72)。
訴状などによると、米軍が沖縄の渡嘉敷島と座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬、両島で起きた住民の集団自決について、
大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが、そのような軍命令はなく、守備隊長らの名誉を損ねたとしている。
疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』を出版。
座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした。
その後も、昭和史研究所や自由主義史観研究会が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている。(一部略)
http://www.sankei.co.jp/news/050724/morning/24iti002.htm ★沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き
・集団自決が軍の命令だったとされてきた“歴史”が法廷で争われることになった。
沖縄戦が住民を巻き込んだ悲惨な地上戦だったことは事実だが、軍の残虐性を示す“証拠”の発端は島の長老と生存者による遺族のための悲しい口裏合わせだったという。(抜粋)
http://www.sankei.co.jp/news/050724/morning/24pol003.htm
政治少年死すって本屋には売ってないんですか?
899 :
吾輩は名無しである :2005/09/20(火) 22:40:07
このスレ荒れすぎ 小説の話をしようぜw
まあとりあえず単行本待ちじゃね?
最近のって読んだことないけど面白いの? 俺は初期が好きなんだよね。 我らの時代、叫び声、死者の奢りとか。 万延元年辺りは面白いとは思うけど、 もっと暗い方が好きだな
902 :
吾輩は名無しである :2005/09/21(水) 01:43:54
確かに『洪水は』までの初期作品には妙な翳りと危うさが感じられる気がする。
903 :
吾輩は名無しである :2005/09/21(水) 02:11:30
広島行ってから変わったんだよ、多分。
http://kiyotani.at.webry.info/200507/article_72.html 清谷防衛経済研究所 ブログ分室
沖縄守備隊長、遺族、大江氏・岩波を名誉毀損で提訴へ 住民への「自決強制」はウソ!
<< 作成日時 : 2005/07/25 00:11 >>
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大江・ノーベル文学賞・健三郎氏の「沖縄ノート」(岩波書店)で先の大戦の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする記述は誤りで、当時の守備隊長と遺族が名誉を棄損されたとして、
大江健三郎氏と岩波書店を相手取り、損害賠償を求める訴訟を起こすそうです。
訴訟を起こすのは、座間味島を守備した元陸軍海上挺進隊第一戦隊長、梅沢裕・元少佐(88)、渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一氏(72)です。
故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫)、故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波新書)らも対象となっているようです。
皆さん進歩的文化人の論理的指導者的な人物、プロ市民のカリスマ的な人物ばかりです。
訴状によると、民の集団自決について、大江氏らは、これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に記述しているがそのような軍命令はなく、
守備隊長らの名誉を損ねた、としているそうです。
かつて大江氏の著作に疑問を持った曾野綾子氏は「渡嘉敷島の集団自決を取材し、『ある神話の風景』(昭和四十八年、文芸春秋)を出版。 座間味島の集団自決についても、生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され、偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年、高文研)で明らかにした」そうです。 その後も色々と証拠が出てきている」そうです。 つまり、カネのために嘘をついた、それを大江氏らは真に受けた、という ことでしょう。 大江・ノーベル文学賞・健三郎氏は若かりしころ「防大にはいった連中は同世代の恥」と」と断言する人物です。 そういう人が国民皆兵、兵器輸出国=死の商人(文化人的に言えば)の国家から、賞をもらったとはしゃいでいるんですからお目でたいというか、頭がわるいというか・・・・・ それから大江・ノーベル文学賞・健三郎氏は人種差別的な小説「飼育」も書いております。 この作品は大戦中爆撃機から落下傘降下をした黒人兵を村人が「飼育」するというお話です」。 その中では黒人兵が自分のペニスを握りしめ、雌山羊を犯そうとするのを周囲の村人が見て大笑いする、というシーンもあります。 「ちび黒サンボ」どころの内容ではないわけで、ノーベル賞受賞前に全米黒人地位向上協会あたりが知っていたらノーベル賞受賞はなかったでしょうなあ。 それからぼくの知る限り当時に爆撃機に黒人兵は搭乗していないはずです。当時は黒人に飛行機が操縦できるか、という実験もかねて黒人ばかりのP-51部隊が編成され、欧州戦線におくられれました。これは映画にもなっています。 さあ、裁判の行方が見物ですね。
箸が転げただけで死にたくなるような、 そんな危うさが大好きです。 なんか大江って不幸に酔ってる気がする
907 :
吾輩は名無しである :2005/09/21(水) 13:18:23
「洪水は〜」って、どういう評価なんですか?翻訳はあまりされてないらしいですね、本人がいやがってるんでしょうか?面白いとは思うけど。
908 :
吾輩は名無しである :2005/09/21(水) 13:44:37
>>906 お前、小説読んだことあんの?
小説家なんてほとんど全員、自分の不幸に酔ってるんだよ。
でなきゃ、小説家にはなれんよ。
あるいは、そういうデカダンスな生き様が芸術を生み出す
んでもあるだろうけどね。
909 :
吾輩は名無しである :2005/09/21(水) 13:56:10
政治少年死すは売ってない。フランスでは翻訳がフツーにでたらしいが。 当時政治少年〜を掲載した雑誌はある。それを大きな図書館で探せば見れるらしいです。
>>909 「政治少年死す」をWeb上にUPした奴がいた。この文学板の大江スレでこっそり
告知したから皆大急ぎでそこへアクセスしてダウンロードした。あっという間の
出来事で、問題になる前に消えた。あれは感動的だった。
…かつて文学板は、そんな場所だった
捏造史観
http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/netuzou_sikan1.html 沖縄戦集団自決
曽野綾子 作家 正論 平成15年 9月号
・調査をし終わって得た結論は「赤松隊が自決命令を出さなかったという証拠はない。しかし出したという確実な証拠も全く見つからなかった。」
・赤松元隊長を糾弾しょうとする多くのマスコミや大江健三郎等の作家たちは、私が私費でできた基本的調査さえせずに、事件の日にちさえも取り違えた記録を一つの日本史、或は日本人の精神史として定着させようとした。その怠慢か欺瞞かが、やっとはっきりした。
●歴史教科書の記述例(いずれも来春から使用される高校教科書)
・「日本軍によって集団自決を強いられた人々・・・」(実教出版・世界史B)
・「犠牲者の中には、慶良間諸島の渡嘉敷島のように、日本軍によって集団自決を強要された住民や虐殺された住民も含まれており・・・」(桐原書店・日本史B)
・「日本軍に集団自決を強いられたり・・・」(三省堂・日本史B)
・「戦陣訓によって投降することを禁じられていた日本軍では、一般住民にも集団自決が強いられたり・・・」(東京書籍・日本史B)
912 :
吾輩は名無しである :2005/09/21(水) 22:56:38
「政治少年死す」をUPしようかな。 「ふうりゅうむたん」と並べて。
>>908 そうなんでしょうけど、大江は特に酷いというか、
なんかマゾヒズム的な物を感じるなと思って。
不幸な境遇に酔うってのはよくあるけど、
大江は何もできない自分に酔ってるような気がして。
でも、確かに読書量は少ないですw
よかったら何かオススメ教えてください。
>>912 是非、お願いします!
914 :
吾輩は名無しである :2005/09/22(木) 03:01:45
おれは908じゃないけど、 じゃあ大江は障害者の息子が生まれたことに酔ったのか? ヒロシマで自殺した人を見て、なにもできない自分に酔ったのか? ホントにそうなら大江は変態決定w
>>914 おれも通りがかりだが、
その通りだ。
巻き込まれている事象に、たとえそれが幸せであれ酷い現実であれ、
一種耽溺する才能がなければ創作はできない。
大江に関していえば、親友で義兄でもある伊丹十三の自殺から
どんな小説を生み出した? 『取り替え子』だ。
たしかにイーヨーものは読んでられないんだけど、 知的障害者に生まれた子供を何としても育てるガッツは凄いよ。 太宰なんか、知障の子供に耐え切れず自殺したフシもある。 大江の方が、親としては立派なのかも知れない。
大江健三郎のノーベル賞受賞講演ー日本への呪いー
http://www.geocities.jp/s060630/Domestic.htm 谷沢永一氏がすでに詳説しているが、大江健三郎著書「あいまいな日本の私」(岩波新書)を購入し、ノーベル賞受賞講演を通読してみて、改めて驚愕し、呆れ果て、そして怒髪天を突く思いに駆られた。以下は講演のサワリの箇所を解説する。
彼の晦渋な表現には辟易するが、そこに読者を煙にまく落とし穴がある。
「近い過去において、その破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みにじった歴史を持つ国であり、現在もまた文学や哲学によってでなく、電子工学や自動車生産のテクノロジーゆえに、その力を世界に知られているのが、わが国の文明だ」と。
▼▼大東亜・太平洋戦争(=西部邁氏の愛用語)が勃発した理由は、日本の中に破壊への狂信者集団がいて、彼らが国内と周辺諸国の人間の正気を踏みにじったそうだ。
▼ここまで空想の翼が広がるとは流石小説家だといいたいが、精神鑑定をしてもらったらどうか。
不戦の誓いを日本国憲法から取り外せばアジアと広島、長崎の犠牲者たちを裏切ることになり、
さらに高いところに絶対的な価値を置く旧憲法を支えた市民感情が、リアルに現在もなお行き続けている・・・
▼▼彼の天皇(制)嫌いはチョー有名だが、不戦の誓いを憲法から外せば、魑魅魍魎どもが蠢きだすぞよと曰う彼の強迫観念には呆れるほかはない(cf.Massmedia 朝日新聞「瓶のふた論」。
彼の講演内容をすべて解説する余裕はないが、上記の日本悪行への呪詛と対比し、諸外国の人々はすべて善意に満ちているような仕掛けになっている。この講演で彼が褒め称えた日本人といえば、師と仰ぐフランス文学者渡辺一夫と彼の息子の光くらいかな。
下記の大江語録にもあるように、大江は外国に対しては飛び切りゴマをすり、賛辞を述べ、わが国に対しては国を貶める発言のオンパレードだ。他人の不幸は鴨の味。選考委員がウハウハ喜んだのも無理ない。
2004・4・6
918 :
吾輩は名無しである :2005/09/24(土) 03:31:25
大江さん、裁判勝ちそうなんですか? 負けるんですかね?朝日新聞で本人が書いている限り 負けることなんてありえない、ような感じを読者は受けたと思うが
最近本多勝一が勝ったばかりだからね。 日本の裁判所は歴史的事実の認定は回避する傾向があるから、 中途で示談にならなければ今回も似たような経過を辿るんじゃなかろうか? 第一、最高裁まで上がるまでにはみんなこの世にはいないよ。
http://www.eonet.ne.jp/~nak1/rakuten/diary.2003.12.html 〜楽天日記'2003.12.1〜'2003.12.31〜
大江健三郎とカダフィー大佐 12月21日(日)
--------------------------------------------------------------------------------
この人物(大江健三郎)を初めて認識したのはいつ頃だろう。はっきり覚えているのは伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」かなにかの随筆の中で彼の妹の亭主でもうすぐ子供が生まれるが生まれる子供の名前を「戸祭り」にしたい、と書いてあった。
「大江戸祭り」というしゃれになるから。
人生にはいろいろ思い通りにならないことがあって生まれた長男の光氏は病気を持って生まれ、手術で一命はとりとめたが知的障害が残った。
彼の顔を初めてTVで観たのは北ヨーロッパに赴任していたとき、その国の放送局が日本特集を放送したときだった。「なんと英語の下手なおっさんだ。誰だこの男は?」と思ってテロップを見たら大江健三郎とローマ字であった。
一昨日の日記に書いてあるスウェーデン人の同僚はその後ビジネススクールを卒業と同時に会社を辞めて大前研一氏がつとめていたマッケンジーで働くようになった。
1995年の1月に家内と二人でストックホルムの彼の家を訪ねたときその直前にノーベル文学賞を授賞した大江健三郎とその子息の話が出た。スウェーデン人の元同僚の口から初めて長男の光氏が身障者であることを教えられた。
大江健三郎の北朝鮮礼賛は小田実と並んでたいしたものだった。いわゆる左翼系の文化人に分類することが出来るのだろうか。
彼の生涯の目標だったノーベル賞を受賞するために彼は並々ならぬ努力をしたそうだが北朝鮮のでたらめさが明らかになった今その何分の一でもいいから過去の北朝鮮礼賛の釈明をしたらどうなのだ?
彼らは口をつぐんでいたらみんな過去のことを忘れると思っているだろう。残念ながら書き物に残っている以上忘れようがないのだ。
921 :
吾輩は名無しである :2005/09/24(土) 13:20:19
これに敗訴は相当イタい 沖縄ノートの核をなすエピソードの一つだもん
922 :
吾輩は名無しである :2005/09/24(土) 23:45:51
「政治少年死す」は次スレで部分UPする予定ですよ。
中期はともかく、その後期の大江は不幸に酔っているような自分を たとえば憂い顔の童子で「漫画でしたよ・・・」と評することを通して 戯画化しようと試みてたはずだが まあそれはそれとして、この度の裁判にはぜひ負けてもらいたい そういう経験をとおせば通すほどすごい小説を書ける作家だと思うから
924 :
吾輩は名無しである :2005/09/25(日) 12:14:37
裁判の顛末が、フィクションとして生まれ変わる。
一日一煙
http://homepage2.nifty.com/komacchi/diary.htm 2003年12月5日(金)ボリバーロイヤルコロナスと「知識人」の枯渇〜その1〜
(中略)
知識人というのは、普通の人よりも知識はもちろんのことその思考においてもより深く、悪い意味での常識や陋習にとらわれず展開することができる人種である、はずである。
しかし例えば、最近大江健三郎がフランスの左翼紙リベラシオンに発表したエッセイなど読むと、知識人とははたして何なのかと思わざるを得ない。周知の通り大江は、進歩的文化人の一翼として一部マスコミがしきりと称揚する作家である。
(面白いことに、朝日新聞は大江の記事を書くに際して必ず「ノーベル賞作家大江健三郎氏」という肩書を付ける。どこかの将軍様を思わせるが、ノーベル賞のご威光は大なるものらしい。
しかし佐藤栄作氏は生前ついに同紙によって「ノーベル賞政治家」と呼ばれることはなかった)
彼はそのエッセイでいきなり「日本は軍国主義の侵略戦争を反省して、戦後アメリカから扶植された民主主義を奇貨として憲法と教育基本法を備えた民主国家となった。
しかるに、小泉首相はブッシュ大統領の世界戦略に唯々諾々と従い、日本をテロリストの標的とするような愚かな政治的選択に踏み込んでいる」とぶちかましてくれる。
いわゆる進歩的文化人といわれる人たちが、アメリカに対して激しい憎悪を抱きながらそのアメリカから投げ与えられた「戦後民主主義」と「日本国憲法」だけは握り締めて話さない心性はある種の病理学的研究の対象として興味深いところだが、
それはこの際措くとしても、「戦後民主主義」を全く疑うことなく拝跪するその姿勢は全く「知識人」とは思えない思考停止ではないか。
(「日本自身による軍国主義の反省の結果」と糊塗するのは正面からその事実を見据えるのが怖いからであろう)もっとも大江の思考停止は今に始まったことではないが。
何せノーベル賞は「スウェーデンの市民から授けられた名誉だからありがたくいただくが文化勲章は「日本の国家権力から与えられる賞」であるという理由で拒否し、その幼稚な思考で唖然とさせた前歴がある。
(いうまでもないが、ノーベル文学賞はスウェーデン王立科学アカデミーの選考による)次回に続きます。
2003年12月6日(土)ホヨードゥモントレーロブストと「知識人」の枯渇〜その2〜 (中略) (承前)大江のピュアな思考ぶりは例えば、 「子供時代、10歳までを私は第二次世界大戦の苦痛のうちに成長した。私は日本の超国家主義を味わった。 戦後、民主制と民主主義的理念が民主制のうちの最良の部分、すなわちアメリカの民主制によって日本に扶植された。そして、今度は日本が憲法と教育基本法を備えた民主国家となったのである。 以来、日本人はアメリカの大衆文化、映画や音楽によって影響されてきた。そのことには何の問題もない。日本人はそれでおのれのアイデンティティを失いはしなかった。」 という一節にもいかんなく示されている。 これを読んでその余りの能天気ぶりに「おいおい」というツッコミを20回くらい入れたくなったのは私だけではないだろう。 この余りにも無邪気な「善なるアメリカとそれによってもたらされた「戦後民主主義」に対する信仰」は、いくら愛する日本国憲法によって信教の自由が保障されているとはいえ(笑)、信じても救われない。 戦前の日本にいかなる形でも民主主義は存在しなかったと考えたい一部の人たちがその反動として「戦後民主主義」を抱きしめて離さないのも宗教に類似しているが、 おそらく彼らはなぜ「戦後民主主義」がつねに「カッコ付き」で語られる存在であるのかは理解できないだろう。 敗戦からの再出発に当たって日本人が持たなければならなかった新しいアイデンティティは、映画や音楽といった文化のごく一側面によって形成されたものではむろんない。 あるいは彼は、全き善であった偉大なアメリカがその後世界を侵略する邪悪の帝国(笑)に変貌したことについて呆然としているのかもしれないが、このように無邪気な、考察ともいえない考察では日本を含めた国際政治の全体像を俯瞰することなどとても不可能だ。 思考の枯渇した「知識人」には静かに退場していただくしかない。
928 :
吾輩は名無しである :2005/09/27(火) 00:13:08
約半年で900レスとは、大江引力のすごさかな。
そろそろ発売だな。
というか、政治少年をうpしてるページがまだあったよ。
直リンクはさすがにまずいと思うから、しないけど。
それとも、
>>922 さんがうpしてくれたのかな。
法学太郎の特別講義
http://www4.diary.ne.jp/user/435841/ 2005/05/24 (火) 190講〜日本の「恥辱」、大江健三郎また妄言〜
さて、まずはこちらを。
http://plaza.rakuten.co.jp/gakutaro/diary/200505240000/ 「あの」大江健三郎が、わざわざ朝鮮に渡ってまで妄言を吐いたらしい。
以前、防衛大学校の学生を「同世代の恥辱」と呼んだあの大江である。
その後も妄言を繰り返しているのは朝日新聞その他を見れば分かることだが、今回はどのような妄言を吐いたのか。
「憲法を改正すれば、戦争と軍備備蓄が可能になる」?
今でも防衛戦争は可能だが。
そして憲法改正案にも、9条1項の侵略戦争放棄はそのまま残されることが明記されている。
軍備備蓄とは何を指すのだろうか。
有事に備えて平時から弾薬や燃料の備蓄をするのは当然のことだが。
むしろもっと備蓄を増やさないと自衛隊はまともに戦えないという指摘すらあるのが現状だ(「たまに撃つ 弾がないのが たまにきず」は名言)。
備えあれば憂いなし、を大江は知らないのか。
「日本は戦争を準備する方向に進む可能性が高い」?
なぜ憲法改正が戦争準備につながるのか。
左翼ならではの論理の飛躍としか言いようがない。
「盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が今年の3・1節の記念演説を通じて、『日本の知識人は過去を反省して未来に進まなければ、過去の束縛から抜け出すことができない』と言ったが、全面的に共感する。日本の知識人の一人として、そのような要求に応えるために努力する」?
結局そうやって朝鮮人の靴を舐めるために行ったということか。
まぁ、確かに過去を反省すべきであろう。
朝鮮半島の原住民の要求にこたえて彼らを日本人にしてやり、莫大な資金を投じてインフラを整備してやり、敗戦後も居座り続ける在日の面倒を見てやっているのだから。
そして朝鮮人によって「過去」を「束縛」されていることも反省せねばなるまい。
どこまで続く泥濘ぞ、「謝罪と賠償」の要求にこれ以上応じ続けるわけにはいかないだろう。
大江は何を思ってこのような妄言を吐き続けるのであろうか。
彼の神経が理解できない。
だいたい自分を知識人だと名乗る奴は信用できないのだよ(文化人も同様)。
933 :
吾輩は名無しである :2005/09/27(火) 14:27:37
いつ発売なんでしょうか・・・?今日じゃなかったんですか?
934 :
吾輩は名無しである :2005/09/28(水) 00:06:19
読んだ人の感想聞きたいです。 面白そうなら俺も読む
【抜粋・主人公の手紙より】 <広島の夏は暑くて最テイです。幹部は弱腰で赤ドモの偽装平和大会をボ ンヤリ見逃しています、来るほどのこともなかりけり。昨日のみひと暴れ、 心気爽快でしたが、過激になればなるほど大御心にかなうのではないでし ょうか? 原爆資料館の日本民族の恥をさらす醜怪な写真その他を見るにつけても、 天皇陛下にこのようなケガラワシイものをお見せしてはならぬ、広島行幸を 一身をかけてもおとしめなければならぬ。決心固くいたしました。 明治天皇陛下のますらおぶりを偲ぶれど大本営跡荒れに荒れたる下剋上 の世に憤怒しますね>
革命ごっこ
http://kakumei.blog2.fc2.com/blog-entry-232.html 大江健三郎&娘のナイスな発言
大江健三郎氏、
韓国で「腐ったトマトは小泉首相が来るまで投げずに我慢せよ」
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1117958862/l50 -引用開始-
大江氏は漢陽大を訪問して学生たちに講演をする中で、
「私の娘は心配性で、敏感な時期に韓国を訪問するのを心配して、
日本人は印象が良くないから腐ったトマトを投げつけられるかもしれないと言っていた。腐ったトマトは私に投げずに、
小泉首相が来るまで我慢しなさい」と言って学生たちの笑いを催した。
横にいた小説家の黄ソギョン氏は大江氏のこの言葉に対して「大江先生には花を投げなければならない」と肯定的に回答した。
-引用終了-
大江健三郎&娘はけしからんですなぁ。朝鮮人は野蛮だから日本人に腐ったトマトを投げつけると思ってるんですよ。実にけしからんですなぁ、差別ですよ差別(ニヤニヤ)。
これはあれですよ、人権委員に通報ですよ。「大江が朝鮮人を差別してるから家宅捜索して下さい!」って感じですよ。
日本の代表的な良心的知識人も心の中では朝鮮人は未開で野蛮な民族だと思ってるんですよ。けしからんですなぁ(ニヤニヤ)。
2005/06/06(月) 00:21:5
937 :
吾輩は名無しである :2005/09/28(水) 18:10:14
新刊でますた
938 :
吾輩は名無しである :2005/09/28(水) 18:32:18
>937さんへ 933に書き込んだものです・・・ そうですか・・・何軒も書店を回ったんですが、手に入らなくって。 ありがとうございます。
939 :
吾輩は名無しである :2005/09/28(水) 20:29:10
帯の「絶望からはじまる希望」がいいね。
大江健三郎『言い難き嘆きもて』評 (2002/01/05) 大江健三郎さんは昨年から、つまりアメリカから帰国してからというもの、テレビや新聞での発言が大変多くなった。 ニュースステーションにも出演したし、正月もNHKで若者たちを前に「いかにすればテロがなくなるか」ということについて御説を語っていた。 その発言の大半は、彼がその文学活動の中で政治的なスタンスとして保持してきた「戦後民主主義」の擁護に当たっている。 この、『言いがたき嘆きもて』もその流れの中で書かれたエッセー集である。 帯には「ノーベル賞作家の魂の叫び」と書いてあった。購読者の目を引くための帯にいちいち文句をつけても始まらないが、この本にあるものはそんなものではない。 この本には大きく二つのことが書かれている。ひとつは、混迷の時代にあって彼の師匠である大仏文学者・渡辺一夫氏譲りの、人間に対する基本的には希望的なヒューマニズム(フランス語だからユマニスムというべきか)の継続。 もうひとつはここ十年ほど日本を覆っている、「右」とか「ネオナショナリズム」という言葉で表現される「反戦後民主主義的」なものへの耐えがたい嫌悪感である。 僕も大江さんから見れば「右」とか「ネオナショナリズム」といわれる部類に入るのだろう。 僕は決して大江さんが言うように、人命を軽視しているわけではないし、安易に国家主義に走るつもりもないが、それでも「反戦後民主主義的」ではあり、それを嫌悪されるのならば仕方がない。 実際、嫌悪の度はすさまじいものである。たとえば、丸山真男氏の死に関する次の二つの文章。 若い批評家は、丸山氏の側に立って?つまり現代世界の普遍性に結んで?「虚妄」という言葉の深みをのぞいてみようとはしない。 丸山真男氏の世代から私の世代を経て、若い彼らの世代へと、共通の言語をつなごうとする知識人の努力を、彼は放棄する。 無知と、半ば意識的な誤解によって道を断ち切ることで、自分らの言説の響きに空元気をつけるのみだ。近来の、新ナショナリストの言論に共通の弱さ、アンフェアの特色を示していると思う。(p.27)
内村(鑑三)を「小慷慨家」とあざけり、「国家は実在す、空想にあらざるなり」と天晴れリアリストを以って任じた(高山)樗牛らの立場と、彼によって「腐儒詩人の空想」と嘲罵された内村の立場と、いずれが果たして歴史の動きをヨリ正しく指していたか。 (中略)いまはもう老年に入った私の、感慨がさらに複雑になるのは、戦争の悲惨の経験によって日本人がそれを乗り越えたと丸山(真男)のみなした国家主義が、 今日、高山樗牛をマンガ化したマッチョとでもいう思い入れで若い人たちのうちに復活しているからです。(p.186) 大江さんは小説家だから当然なんだけれども言葉づかいは慎重かつ丁寧だし、そこが大江文脈の真骨頂でもあるのだけれど、彼が「空元気」「アンフェア」「嘲罵」「マンガ」「マッチョ」といった激しい、唾棄するような言葉づかいをするのは珍しい。 それほど彼は昨今の「反戦後民主主義」的な動向を嫌悪しているし、否定したいのであろう。 それはご自由に、である。 問題は、彼が自分の単なる嫌悪感を、普遍的な高みにたって高尚なものに仕立て上げていることだ。 上の文章だって、何も前提がない状態で読めば、「どうして僕たちがつないできた言葉を君たちは聞こうとしないの?それはよくないよ」「内村鑑三は国家主義を否定しました。 高山樗牛はリアリストでした。それで歴史の流れを見ると高山のリアリズムで戦争に負けました。ほら、内村のほうが正しかったでしょ。だから高山はいけません」という子どもっぽい議論にしかなっていない。 この議論を高尚なものとして彼に書かせているのは、自分たちは普遍の側にたっている、自分たちは正しい側にいるのだという自信だ。 しかしその根拠は「歴史の流れが正当性を証明している」というだけの、まったく薄弱なものである。 そんな薄弱な論拠から「普遍性」というとんでもなく困難な代物を (例えば昨日書いた『トランスクリティーク』を読んでいると、それがどんなに困難な代物かだけはわかると思う)引っ張り出そうとするのは傲慢なのではないか。
僕ら若い世代が、「反戦後民主主義的」になっているとすれば、それは国家主義というよりも、 われわれが子どもだったころまで赤旗を振って真顔で反戦運動をやる大人たちが主張していた「戦後民主主義」のもつ傲慢さ、そしてその傲慢さがもたらした結末への反感である。 そもそも、われわれ(日本人、である)はいつ「国家主義」を乗り越えたのか。いつ普遍性の高みに達したのか。大江さんはこう書く。 私が被爆者たちの生涯から学んだのは、個人としての災厄の自覚に始まって、日本人としての、と展開する被爆の受け止めが?確かにその段階まではナショナリズムと通うところがあったとしても、 「時」を経て、人類レベルの普遍性に昇華していることによってである。 (中略)その普遍性の獲得は、被爆者たちの核廃絶への運動を、アジア侵略への積極的反省とも結びうるものとした。(p.30) 私は日本の新ナショナリストたちの「自虐史観」説にあるひ弱さに対して、広島・長崎の被爆者たちの「時」に鍛えられる誇るべき強さ、普遍性を示したい(p.32) 僕自身長崎に生まれて、子どものころから多くの被爆者と接する機会を持った(いや、持たされた)から、被爆者たちの個人的災厄がどれほど悲惨でその後も含めて辛いものであったかは重々承知している。 また、アジア侵略の犠牲となった人々の話も大学時代にたくさん聞いた。 僕はナショナリストであるが、ネオ・ナショナリストの一部の人たちが言うように「アジア侵略は解放戦争であり、何にも謝る必要はない」というほど厚顔無恥ではない。 朝鮮・台湾・中国への強圧的政策の中で住民が蒙った犠牲を思うとき、顔を赤らめずにすむ日本人がどれほどいるだろうか。そのことが十全な解決に至っていないのも承知している。
しかし、である。僕が何を嫌悪するといって、子どものとき、被爆者の話を聞く機会を持った(持たされた)あと、それを主催した左翼系の大人たちの「ほら、聞いただろ。 だから戦争はいけないんだ」という顔ほど嫌なものはなかった。犠牲になった人たちの心痛、それは一応同じ人間として、いわば「普遍的」にシンパシーをもてる。 けれども、犠牲者の個的体験を借りて、己は犠牲者でも何でもないのにあたかも犠牲者に成り代わって俺が普遍性を主唱するのだ、俺は犠牲者から話を聞いて普遍性に達したのだ、という連中の傲慢な心理には我慢がならない。 被害者宅に押しかけ、いかにも悲しげな表情を作って加害者を大袈裟に糾弾するワイドショーリポーターと心根としては変わらない。 そして、「戦後民主主義」を支えてきたのはそんな連中なのである。 もし大江さんの上の文章で、普遍性を「獲得」したのがわれわれ戦後の日本人だというのであれば、それははっきり言って傲慢だ。 被爆者自身とアジアの犠牲者たちとの連携も存在するが、それは同じ戦争犠牲という紐帯によって結ばれているのであって、その悲しみを借りて普遍性を主唱することは偽善あるばかりか、犠牲者への冒涜ですらある。 個的体験がそう簡単に普遍性に昇華されるものではないことも言っておきたい。 朝鮮人や中国人をいまだに蔑視する被爆者は少なくない。かつてアメリカの核疑惑艦が長崎に入港したとき、被爆者団体の幹部は艦長が平和祈念像前に置いた献花を公衆の面前で踏みにじった。 当然の心理である。だがそれは平和団体の「市民運動家」たちの厳しい非難の的になった。なぜか。 「運動家」たちが普遍的な正義と信じる信条から見てインコレクトだったからだ。普遍性に立つ彼らは決して被爆者の心の奥底に耳を傾けようとはしない。
あるいは、朝鮮や台湾、中国大陸で、日本政府の無法な政策とは別に、個人的なハートから現地の人々に尽くしいまだに顕彰されている日本人もいる。 彼らがネオ・ナショナリスト系の言論の論拠として使われているのは承知しているが、個的体験という意味ではどちらも変わりがない。 一方を正義に、もう一方を不正義にしているのは日本が戦争に負けたという政治的な理由であり、ポリティカル・インコレクトネスによって一方が封印されているだけだ。 そんな政治的に左右されるものが「普遍性」とはちゃんちゃらおかしい。ましてわれわれが普遍性を獲得したコスモポリタン面して出かけていったところで、当面の間われわれは「日本人」である。外国人はそうしか見ない。 のっぺらぼうのコスモポリタンでは戦争責任も戦後賠償もありはしない。 もしかして、「僕はもう日本という国家的なものに束縛される段階は超越しちゃっているんですけど、でもまあ、ご先祖さんたちが悪いことしちゃったんで、その点については謝ります」とでもいうのだろうか。 あなたたちがどう思おうと、所与条件として国家は個人に張り付いている。国家的なものを否定するのは自由だが、その戦略は国家というものがいまだ有効な現状を前提としてはじめなければならない。 そんな状況にあって、誰が「国家主義を乗り越えた」というのであろうか。 こう見てくると、大江さんの嫌悪感ばかりが目立つ。 脳梗塞をわずらい、妻を失った江藤淳氏の自裁を「センチメンタルな甘え」と断じ、 「現に脳梗塞を乗り越えてリハビリテーションに励む人たちに無礼じゃないでしょうか?」と言いながら、 伊丹十三氏の自殺を『神曲』を引用して悼むというのは、かたや終生の論敵、かたや終生の友人にして義兄という関係がもたらした「アンフェア」としか思えない。あるいは、 そこで私は、迫ってくる老年についても、アジアの先行きへの不安についても、環境、人口、資源のどの課題についても、明らかに進行する悪いときを引き受けるつもりで生きよう、と自分に言うのです。 (中略)さらに悪いときは必ずやってくる、しかし、その到来をいくらかなりと先のほうへ押しやろうというのが、ありていに言えば、世紀末から次の世紀にかけての、人類の基本的な態度ではないでしょうか?(p.73)
なお彼らが?われわれみなとともに?平和の奪われた世界で希望を喪う日は遠いように!(p.243) というような文面に至っては、いずれにせよあまり希望的な観測の持てない世界でこれからを、それでも希望をもって生きていかなければならないわれわれ若者たちに対して、 すでに世俗のことから離れたかのような、宗教的な救世主的な発言はそれこそ失礼ではないだろうか。 「彼らが」と「われわれ」という言葉遣いが、普遍性の高みに到達してた救世主的「われわれ」と、その神の言葉に耳を傾けようとしない反戦後民主主義的な「彼ら」との区別を濃厚に象徴している。 かくして、反戦後民主主義的な高まりに対して戦後民主主義派が吐くべき呪詛が、この本には詰め込んである。 そして、われわれがもっとも嫌う戦後民主主義的な要素が、大江健三郎さんという著者を通じて顕になっている本だ。論点を明らかにしていく上で、一読しておくべきものであろう。 むろん、反戦後民主主義派にも問題はある。 「戦後民主主義」というとその主張やスタイルが比較的まとまっているのに対して、戦後民主主義への批判者はあまりにも多様な形をとりすぎているのだ。 黒塗り街宣車でわめきたてるヤクザ、皇居一般参賀で菊の御紋章の入った御旗を掲げて陛下に忠誠を誓う若者、自虐史観を批判しリキの入った教科書を執筆する大学教授もそうならば、 僕のようにいや今日は寒いねといいつつコタツに入って茶をすすりながら一般参賀の中継も見ないけれども、いやおめでたいねえと思っている人間もそうなのである。 そしてこれらを貫く筋の通った理論はない。ネオ・ナショナリズムを批判する人たちはいったいどこを批判しているのか判然としないだろう。 そのことに、ネオ・ナショナリズムのほうも甘えてきた感がある。
僕自身も、ナショナリズムは生活の総体というかスタイルなのであって、「…主義」というのとは異なるだろう、と思っている。 しかしながら、ナショナリズムそのものを論理化するというよりは、新しい保守思想、新たに国家とか個人とか社会とかを捉えなおそうという思想運動をナショナリズムをベースとした別個の理論として立ち上げる必要には迫られているだろう。 そうしないと、ありがちな流行で終わってしまい堕落した戦後民主主義の跋扈を再び許すか、勢いでファッショの再来を招くか、どちらかしか道はないからだ。 普遍性を目指す運動を否定するつもりはない。むしろ普遍性は状態として現実にあるのではなく、決して実現することのない理想への運動としてしか存在しない。 普遍的なものに足場を置くことはできないのだ。戦後民主主義はそのありえない足場の上からものを言ってきた。その空虚さに気づいているのが、現在の反戦後民主主義的な運動である。 普遍性を問い直すための足場を、「日本」という国家あるいは社会の中に見出すことができないか。それがナショナリストとしてのわたしの「希望」である。
948 :
吾輩は名無しである :2005/09/28(水) 23:18:35
ちょっとほほえましい。 新刊が出ると聞いて 急に必死になりだしたコピペちゃんが。
どうせ誰も買わないのになあ。良くも悪くも。
つまり、文学に興味がある人は買うし、政治に興味がある人は買わない ということだが
何部ぐらいなのかな?5000部ぐらい?
どうなんだろうね。なんだかんだで売れるんじゃないかという気もする。 図書館とかにも入るだろうし。
「憂い顔」が出た時点で新聞広告に「取り替え子」がたしか八万部と書いてあった。 単行本だけで十万近く出るんじゃないかな。
まあ取替え子は伊丹という飛び道具があったから 多めに売れてたんじゃないかと思うが。
http://www.eireinikotaerukai.net/E05Iken/E050021.html 『虐日日本人の精神構造』
酒井信彦
(東京大学史料編纂所教授)
(前略)
ところで歴史問題の多くは、日本発の問題であると良く言われる。教科書問題の一番の前提に、家永教科書訴訟があったし、慰安婦問題は左翼人権団体と朝日新開の協同謀議によるものであることは確かである。
このことが歴史問題の本質が、日本に対する偏見・差別・迫害であると言う事実を分かりにくくしている面があると思う。
そこでこの点について、以下に私見を述べてみたい。戦後の日本には敗戦ショックによる共産革命願望があり、左翼勢力が大きな力を持った。それは当然、労働組合、マスコミ、大学などに浸透した。
左翼勢力は日本が弱体であればあるほど、革命が起こし易いと考えたから、アメリカ占領軍の遺産である東京裁判史観と「平和」憲法の強力な護持者となった。
しかし革命の願望が潰えた現在でも、その考え方は牢固として残った。と言うよりも、共産主義没落後、かえってそれに縋(すが)り付いて生きるようになった。
なぜなら日本の過去を否定・告発することによって、過去を反省し謝罪する良心的人間を演じ続けることができるからである。これは明らかにこの上ない偽善である。
したがって、これらの人々の考え方、活字媒体でいえば朝日・岩波的考え方は、偽善主義と呼ぶべきものである。
その御用文化人である、大江健三郎・加藤周一などの人々は、「進歩的文化人」では無く「偽善的文化人」である。
彼らの言説がいかに矛盾に満ちた偽善であるかを、土井たか子衆議院議員を例に、もう少し説明しておこう。社民党は北朝鮮による日本人拉致を、無視するどころか否定さえしていた。
しかし社民党はそもそもアジア人権基金と称する人権団体を持ち、土井議員はそのトップである代表理事である。ところがこのアジア人権基金は、アジアにおける人権侵害の大国、中共・北朝鮮の人権問題に、全くと言うほど沈黙する。
意図的にでっち上げた慰安婦など日本の過去の問題を追及しても、中共・北朝鮮両国の現実に存在する深刻な人権問題を無視するのであるから、これはデブル・スタンダードのレベルを遙かに越えた、完璧なデタラメである。
なお辻元問題の際指南役として名前の出た土井議員の五島昌子政策秘書は、謀略裁判劇「女性国際戦犯法廷」の首謀者である松井やよりさん(故人)が主宰するアジア女性資料センターの幹部である。 彼らの本質が根本的に偽善者であることが判明すれば、彼らの考え方を「自虐史観」と表現することの、不十分さが明らかになってくる。 自虐史観と言うネーミングは、それなりに便利で有効ではあるが、彼らの精神構造の特徴を見逃している。つまり「自虐」と言っても、彼らが自分自身に痛みを感じているのかと言えば、それは全く感じていないない。 彼らは始めから加虐の側に立ち、日本人を、日本という存在を責め続けているのである。同じ日本人である同胞を迫害する行為が、一見自虐的に見え、更には反省的・良心的に見えるのである。 すなわち自虐史観ではなく、正確に言えば「虐日」史観である。反日史観と言う表現もあるが、反日では余りにも弱すぎる。 したがってより広く中共・韓国など諸外国を含めた日本いじめ・日本叩きの考え方を、「虐日イデオロギー」と呼ぶのが適切である。 (中略) 一連の大学紛争で、一貫して左翼学生に同情的だったのは朝日新聞であるが、朝日はこの爆弾テロ事件においてすら、極左の暴力に極めて寛容であった。 朝日が口にする反戦主義・反暴力主義が、いかに欺瞞に満ちたものであるかは、朝日の報道の歴史を振り返って見れば、直ぐにわかる。 日本人の虐日偽善者のメンタリティーを考える場合、「ドメステイク・バイオレンス」の概念を援用すると更に理解し易いかもしれない。 現在、ドメステイク・バイオレンス」すなわち「家庭内暴力」の流行がマスコミで報ぜられている。子供が親を殴り、母親すら子供に暴力を振るう。 それと同じように、虐日日本人の行動は、民族・国家の規模における、ドメステイク・バイオレンスなのである。極左暴徒のように、直接の暴力も振るうこともあるが、一般的には言論による暴力が主流である。 とすれば、物理的暴力によるテロがあるように、言論の暴力によるテ打が存在するのである。 結局、歴史問題とは、内外虐日勢力による言論を利用した、日本に対する卑劣極まりないテロ攻撃だと理解すべきなのである。
ところで、物理的暴力と言論の暴力と比較した場合、前者の方がずっと単純であり、対処し易い。物理的暴力には取り縮まる法律があるからである。 それに対して言論の暴力は、「言論の自由」に大きく守られている。つまり言論の暴力・言論のテロの方が、造かに始末が悪い。しかも虐日偽善者たちは、日本社会の中枢に堂々と大量に入り込んでいる。 ではどうしたら良いのか。端的に言って、敵に学ぶべきである。彼らの方が、エネルギーとテクニックにおいて、まだまだ我々より優れている。 基本的に言論の暴力には言論で反撃するしかないが、その際最も大切なのは、相手の攻撃を防御するだけでなく、こちらから積極的に攻撃を仕掛けて行くことである。 個々の問題で虐日偽善者の言論に弁明・反論するのはそれなりに必要だか、破らの偽善体質を解明し告発して行くことこそ、我々が最も力を注がなければならない課題である。 その意味で、「百人切り競争」に関して、本多勝一氏、朝日・毎日両新聞社、柏書房を告訴したのは、大いに評価すべき動向である。攻撃が最大の防御なのである。 最近、中共・韓国両国首脳が小泉首相との会談で、歴史問題を取り上げることを控える態度を見せた。もっとも韓国大統領は国内からの批判を受け、最後の国会演説で地金を表してしまったが。 ともかく教科書問題・靖國問題とりわけ拉致問題で、我が国にも漸く国家意識・民族意識の高まりが現れて釆たことの反映であろう。すなわち日本側が強く出たからこそ、相手は少し引いたのである。 それではこちらも相手を刺激することは控えようと日本側が考えるとしたら、それは全く愚かである。 南京問題にしても、慰安婦問題にしても、我々は歴史問題において、巨大な濡れ衣を着せられたままである。 この冤罪を晴らし、内外の虐日イデオロギTを撲滅するまで、懸命の努力を続けなければならない。(了) 平成15年8月1日
958 :
吾輩は名無しである :2005/09/29(木) 23:24:07
>>953 >「憂い顔」が出た時点で新聞広告に「取り替え子」がたしか八万部と書いてあった。
>単行本だけで十万近く出るんじゃないかな。
ということは、文庫も含めると「取り替え子」はかなりの部数になるね。
もしも、大江氏が亡くなりでもしたら(縁起でもないなんておこらないでね)、
今度の「さようなら、私の本よ!」はタイトルがタイトルだけに
相当売れるんじゃないかと思われ。
八万部以上も売れているのに この過疎っぷり。 読者層の年齢が高いという事かな。
ようやく海女損が動きました。 発送可能時期:通常24時間以内に発送します。
てかどこの本屋行ってもねー。 一応政令指定都市なんだが。
取り替え子は売れた方だと思うから、 普通は10万弱も行ってるとは思えないけどな。 今日の読売夕刊に大江の記事があったよ。 「さようなら、私の本よ!」の宣伝。
まあ昔はもっと売れてたろうけどな。
大江健三郎 週刊朝日の作品酷評に怒る ノーベル文学賞作家として名高い大江健三郎(写真右)をネゴシ エーターと呼ぶ。その本領を発揮するような“事件”があった。 「週刊朝日」が連載していた匿名書評家によるコラムで大江の 最新作がこき下ろされたのが事の発端。 朝日賞の選考委員で、「週刊朝日」に連載予定のあった大江から 編集部に早速クレームが入った。問題のコラムは連載中止となり、 編集長は解任された。 大袈裟とも思える「週刊朝日」の反応には訳があった。ライバル 紙・読売が大江の新聞連載小説をモノにしたという情報を察知して いたからだ。 天下の朝日、読売を手玉に取った大江。流石はノーベル賞作家だ と業界人をうならせている。 (国民新聞平成15年3月25日号)
965 :
吾輩は名無しである :2005/10/02(日) 23:56:39
「さようなら、私の本よ!」今年度ベスト3の予感!
966 :
吾輩は名無しである :2005/10/04(火) 03:42:40
原広司氏って何者なんすか?
967 :
吾輩は名無しである :2005/10/04(火) 10:59:01
最新刊『さようなら、私の本よ!』、主題に魅かれて発売日に購入。目下ちびちびと読中なんですが、人物関係が巧く把握できんとです。どなたか大江ヘビーユーザーの方がいらしたら、解りやすく解説してくれませんか?
西尾幹二のインターネット日録
西尾幹二,人権擁護法,郵政民営化,靖国,皇室 « 『日本人は何に躓いていたのか』 最新書評ホーム講演「正しい現代史の見方」帯広市・平成16年10月23日(二) »
http://nishio.main.jp/blog/archives/2004/12/161023_1.html (略)
日本が加害者だと思い込んでいるんですよ。
てんから。日本は加害者だから、歴史の加害者だから、詫びなきゃいけないんじゃないか、悪いことをしたなら、それも認めなきゃいけないんじゃないか。悪いことなんかなにもないよ、そんなことは、言っていいのかなぁ、と思案している。
みなさんはどう思いますか。20世紀の歴史を振り返って、まぁ19世紀の末から21世紀の今日に至るまでですけど、誰に対しどの点で詫びる必要があるんでしょうか。
日本は必ずしも加害者じゃありません。自ら戦争を始めたわけではない。20世紀の前半は地球上のいたる処で大戦争が折り重なるように相次いで起っていて、日本もその大河の中に呑み込まれていった、勿論自らの意志もあってのことですが。
詫びるとか詫びないとか、そんな個人の身に起る出来事のようにして戦争を考えるということはできない。
詫びるんだったらいよいよの最後に破天荒なことをした国、原爆を落としたアメリカが詫びなきゃ、まずアメリカが真先に詫びなきゃいけないんですよ。
詫びる詫びないというのは、まず何のことを言っているんだろうと、私はそこがよく分らない。
まずその私の、気持ちの中にふり切れないものがある。私も多少なりと、迷っていて、よく分らないところがある。戦争を詫びるというのはどういう事だろう。私はまぁ終戦を迎えたのは小学校の4年生でした。
始まったのは小学校に入る一年前、昭和17年の入学ですから、16年12月8日はまだ幼稚園生だった。
でも、何か若い人には、正しい歴史の知識で、いけないことをしたなら、それを正直に教えていくことが客観的な正しい歴史を教えることであって、悪いことをしたなら悪いと認めるのも大切だというような言い方がたしかにありますよね。 これ、言い続けてきたじゃないですか、戦後。そして悲惨な戦災や、悲惨な満州からの引き揚げや、悲惨な数多くの戦前戦後の物語を語り続けて来たこの民族の60年間、 もうそれもだんだん、今は陰が薄くなりましたが――最初の40年間くらいは映画やテレビにそういうドラマが絶え間なくありましたが――みな日本が仕掛けた戦争だったから仕方がないんだと、 悪いのは日本人なんだからと、そう思い込んで無理に納得してきたんじゃないでしょうか。 とりわけ大変に滑稽なのは大江健三郎という男で、「アウシュビッツの後に文学なし」といったドイツの思想家の言葉にならって、「広島の後に文学なし」と、こう言ったんですね。 アウシュビッツと広島の惨劇を二つ並べるのは、悲惨のレベルという点で必ずしも間違った見方だと私も思いませんけれども「アウシュビッツの後に、ドイツの文学者がドイツの文学を書くことは出来ない」というのは、加害者のドイツ人が、ということですね。 「広島の後にアメリカに文学なし」と言うのならば話は通りますよ、これは。「広島の後に日本人が、もはや文学を書くことはできない、文学はない、精神はない、もうないんだ」。 これはおかしいんじゃないのかなと、てんでひっくり返っているんじゃないかなと、思うわけであります。原爆を落としたのはどこの誰なんですか? 大江健三郎は狂っているんはないですか。こんなふうに狂った人が戦後ずっと多かったんですよ。
えー。西尾幹ニってアドルノも知らんのか。。。ショックだ。
971 :
吾輩は名無しである :2005/10/04(火) 21:23:04
http://homepage3.nifty.com/bhind/krm1.htm かって真実だったもの
あれは何で読んだのだろうか、大江健三郎の、おそらく昭和30年代に書か
れた文章だ。「祖国」たる北朝鮮に「帰って」行く「在日」の人々を”賛美”
した文章だった。その当時、盛んに在日韓国朝鮮人の人々の、北朝鮮への「帰
国」運動が行われていたのだった。
大江の文章は、北への「帰国」を選んだ人々の爽やかな笑顔の印象を語り、
また、「帰国運動」に抗議してデモを行う韓国の学生たちを、政府の指令に従
って動いているだけの愚劣な者たち、として描き出していた。
もう一つ。いまだ未見なのだが、吉永小百合が”青春スター”だった頃の、
「キューポラのある街」なる映画がある。その映画の一挿話に、やはり北への
「帰国」を手に手を取って果たそうとする「在日」の若いカップルの出発を友
人たち皆が祝福する、などというシーンがあるそうだ。一度見てみたいと思っているのだが。
この「帰国運動」が、どのような結果になったのか、「帰って」行った人々
がどのような運命をたどったのか、我々はすでに知っている。帰国体験者の証
言や、公表された手記によって。それが、いかなる悲劇への招待状であったかを。
だが、大江が「北への帰国者」の清々しさを語り、映画のフィルムに「北」
において実現されるであろう幸福な新婚生活を信じ夢見る若いカップルの姿が
焼き付けられたあの時代、
そんな”事実”は、誰も知らずにいたのだ。少なくとも”こちら側”において
は。その頃、”こちら側”の人々は、別の真実を信じていたのだった。
そして、その”真実”が幻想だったと分かってしまった今日。幻想だった
”真実”を賛美してしまった人々は、その件に関して口をつぐみ、まるで何も
なかったように、そんな過去への責任を放棄したままである。
2002年10月 6日(日)
>>967 憂い顔の童子、取り替え子(チェンジリング) を読んでから
さようなら〜を読むと良いと思う。
この三つは話が続いているので、説明を省かれている部分も
あると思う。
それとも、家族関係・友人関係などの基本的な人間関係の事を
おっしゃっているのでしょうか?
974 :
吾輩は名無しである :2005/10/05(水) 07:24:37
973さん、どうもありがとう。参考になります。 話が続いているというのは、推測するに三島の『豊饒の海』みたいな感じなんでしょうかね。一応はそれぞれ独立した作品としても読めるという。 ちなみに今まだ前半なんですが、古義人、繁、アカリ、マーちゃん等の関係性がいまいちハッキリしない感じです。
>>971 なんか変わってるね、この賞って。政治目的で利用するわけかな?
半島系作家用だったりして。
講談社も面白いことするもんだね。
コピペじゃない文章もかけるんだ
977 :
吾輩は名無しである :2005/10/05(水) 22:17:40
コギトの初めての子供がアカリで、その妹がマーちゃん。 ってそんなこと聞きたいんじゃないよね。 大江、昔のほうが読みにくい描写だったが、今はストーリーがわかり ずらい・・・・。でも昔のほうがパワーがあってよかったね。 だめだこりゃ。
978 :
吾輩は名無しである :2005/10/05(水) 22:30:14
おらっちは昔のより最近のほうがいいと思うけどな。
そろそろスレも残りわずか。 次スレはPart20くらい?
図式的な少女趣味 大江健三郎『同時代ゲーム』新潮文庫 海外でほとんど訳書も出ていなかった著者が、なぜノーベル賞を受賞したのかは、今もって謎である。 世界的な評価を得ている日本人の小説家といえば、三島由紀夫と安部公房、それに最近では村上春樹ぐらいだろう。 川端康成の受賞も「三島由紀夫の空席が回ってきた」といわれたが、その類推でいうと安部公房が死んだために空席が回ってきたのだろうか。 著者は一時、ノーベル賞の候補者を推薦すると自称していた矢野暢と仲よくしていたというから、その効果があったのかもしれない。 いずれにせよ、佐藤栄作と並ぶ恥ずかしいノーベル賞である。 しかも、海外で評価される作品も『万延元年のフットボール』までで、それ以後はほとんど話題にならない。客観的にみても『個人的な体験』や『万延元年』は傑作といえるし、 後年の作品でも『雨の木』の連作のように肩に力を入れないで書いた短編には見るべきものがある。 しかし本書のように「同時代」への意識が過剰な作品は、読むに耐えない。 学生から職業作家になった著者には切実なモチーフがなく、「社会的」なテーマを頭の中で作り出して書いているからである。 30歳のときに書かれた『万延元年』が最高傑作とされるのは、著者の思想的限界を象徴している。 特に本書が著者の最低の駄作とされる原因は、当時、著者が傾倒していた山口昌男氏の「道化」論を小説に丸ごと取り入れたことである。 登場人物にそれぞれ文化人類学的な位置づけが与えられ、「祝祭」とか「異化」とかいう言葉が小説に出てくるのは、鼻白むのを通り越して腹が立ってくる。 最良の作品というのは、山口的な図式を乗り越えるところに意味があるのに、作家自身がその図式で書いていたのでは、話にならない。 本書には『ヒロシマ・ノート』以来の「核戦争の恐怖」のモチーフもあるが、こういう「非武装中立」の少女趣味が日本の民主主義をだめにした害毒は計り知れない。 最近の「歴史教科書」問題でも、著者は例によって自分の子供を引き合いに出して「弱者」への配慮がどうとかいう見当違いな批判をしていた。 作家としてはともかく、戦後民主主義の生み出した最悪のイデオローグとしては歴史に残るだろう。