秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは6日、3歳の誕生日を迎えられま
した。宮内庁によりますと、悠仁さまは、この1年間で身長が6セン
チ余り伸びておよそ94センチになり、体重も14キロ近くにまで増
え、健やかに成長されています。
悠仁さまは、東京・赤坂のお住まいの玄関先で三輪車に乗ったり
追いかけっこをするなど、外で元気に遊ばれることが多くなりまし
た。日々の生活では、食事や着替えなど身の回りのことを少しず
つ自分でできるようになり、同じ年ごろの子どもたちといっしょに遊
ぶのを楽しまれています。週末などに、秋篠宮さまといっしょに小
さなじょうろを使って植物への水やりを手伝われることもあります。
紀子さまは悠仁さまと過ごす時間を大切にして、悠仁さまが選ん
だ絵本を読んだり歌を歌ったりされているということです。この半
年くらいで表現も豊かになり、地図を見ながら「そこへ電車で行っ
てみたい」と話したり、「これはどうするものですか」と質問したりす
るなど、いろいろなことに興味を持たれています。秋篠宮ご夫妻
は、悠仁さまを育てるにあたって、生活のリズムを大切にしながら
心身ともに健康に過ごすことができるよう心がけられているという
ことです。
ttp://www.nhk.or.jp/news/t10015320201000.html
( ノ゚Д゚)ノ万歳
⊂⌒~⊃。Д。)⊃ ・・・・
隠れZスレと疑ってかかってしまう俺は間違いなく病んでるな
ゆず北川が一言↓
彩の締まりは最高だべ〜
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは6日、3歳の誕生日を迎えられま
した。宮内庁によりますと、悠仁さまは、この1年間で身長が6セン
チ余り伸びておよそ94センチになり、体重も14キロ近くにまで増
え、健やかに成長されています。
悠仁さまは、東京・赤坂のお住まいの玄関先で三輪車に乗ったり
追いかけっこをするなど、外で元気に遊ばれることが多くなりまし
た。日々の生活では、食事や着替えなど身の回りのことを少しず
つ自分でできるようになり、同じ年ごろの子どもたちといっしょに遊
ぶのを楽しまれています。週末などに、秋篠宮さまといっしょに小
さなじょうろを使って植物への水やりを手伝われることもあります。
紀子さまは悠仁さまと過ごす時間を大切にして、悠仁さまが選ん
だ絵本を読んだり歌を歌ったりされているということです。この半
年くらいで表現も豊かになり、地図を見ながら「そこへ電車で行っ
てみたい」と話したり、「そんなにめでたいの?」と質問したりす
るなど、いろいろなことに興味を持たれています。秋篠宮ご夫妻
は、悠仁さまを育てるにあたって、生活のリズムを大切にしながら
心身ともに健康に過ごすことができるよう心がけられているという
ことです。
ウリの誕生日と一緒ではないか。
9 :
バカは氏んでも名乗らない:2009/09/07(月) 00:34:57 ID:JI5rX5uU
有馬さんには関係ないです。
>>悠仁殿下
お誕生日おめでとうございます。
どうかお健やかに。
>>8 有馬、お誕生日おめでとう。
もう普通の男(ノンケ)には戻れそうにもないのかい?
エイズにはくれぐれも気をつけてね。ノシ
イニ美〜〜〜〜
13 :
バカは氏んでも名乗らない:2009/09/07(月) 09:32:32 ID:s8alloFr
悠イニさま
………!!
,.,.,.,.,.,.,.,.,__
,,;f::::::::::::::::::::::ヽ
i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
|:::::::| ,,,,,, ,,,,,,|
|r-==(へ);(へ)
( ヽ ::..__) } 認定するのさ〜
ヽ.. ー== ;
リ..\___ ! / ̄/ ̄/
( 二二つ / と)
| / / /
|  ̄ ̄| ̄
>>13 はあ?
ヒトモドキはエイの身を漬けた糞壺を素手でかき混ぜてろ乳。
おくりびと vs みくにびと
17 :
バカは氏んでも名乗らない:2009/09/07(月) 18:53:01 ID:tNl32rr2
Uイニ様?
∧_∧
<丶`∀´> ∧_∧
/ \ ( ) はぁ?黙ってろ白丁
.__| | .| |_ / ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / .| | |
||\..∧_∧ (⌒\|__./ ./
||. ( ) ~\_____ノ| ∧_∧
/ ヽ 氏ねよクズ \| ( )
| ヽ \/ ヽ. 祖国に帰れよ
| |ヽ、二⌒) / .| | |
.| ヽ \∧_∧ (⌒\|__./ /
そんなにめでたいの?
f:::::::::::::::::: ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
i/'" ̄ ̄ f::::::::::::::::::::::::::ヽ: ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
.. |,,,,_ ,,,,,,i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i: ;f::::::::::::::::::::::::::ヽ _/\/\/\/|_
,.,.,.,.,.,(。);( ゚)|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|: i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i: \ /
,; f:::::::::::::::::::::::::: (。);( ゚)==r─、| : |,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|: <グフィ!!!! >
i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i:{ (__..:: / ノ (。);( ゚)==r─、 | / \
|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|:', エエエエフ ノ: :{ (_ ,.,.,.,.,./._ノ_  ̄|/\/\/\/  ̄
..(。);( ゚)==r─、|: !___/ `i、 : ', エf::::::::::::::::::::::::::ヽ:
{ (__..:: / ノ: / 入/ / `ヽ, : ! i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i: ,.,,.,.,.,.,__
. ', エエエエフ ノ:''i" ̄  ̄r'_ノ"'ヽ.i ):|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|: ::::::::::::::::ヽ:
... !___/,,.' ;. :. l、 ノ: (。);( ゚)==r─、|  ̄ヾ:::::::::::i:
\ ` 、 ,i. .:, :, ' / /: :{ (__..:: / ノ ,,,,,_ |::::::::|:
,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,/: ', エエエエフ ノ: ( ゚)==r─、|
>>20-21 なんかうんこ臭いと思ったらおまえらクソ虫だったか乳。
ネットやるなら糞壺をかき混ぜた手をきれいに洗ってからにしろ乳www
爪の間にこびりついたうんこは念入りに落とせよ乳。
(´ー`) グフィ
(___)
〜 | 銭 |
◎ ̄ ̄◎
24 :
注目:2009/10/28(水) 12:00:35 ID:Ro+ZpgjO
,;f ヽ
i :i
| |
ゝ |
. ( ノ そんなにめでたいの?
. ', /'
! >、,,..- 、
rー――.' i
! .ノ
.'- .ィ , '
. | i
ノ ヽ、
, ' ヽ
.{ .}
'、 .ノ
' .,,_ ___ ノ-^-`、 ___.... - '
おはようくに
27 :
バカは氏んでも名乗らない:2010/01/30(土) 22:00:51 ID:hP7U0mJb
f:::::::::::::::::: ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
i/'" ̄ ̄ f::::::::::::::::::::::::::ヽ: ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
.. |,,,,_ ,,,,,,i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i: ;f::::::::::::::::::::::::::ヽ _/\/\/\/|_
,.,.,.,.,.,(。);( ゚)|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|: i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i: \ /
,; f:::::::::::::::::::::::::: (。);( ゚)==r─、| : |,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|: <グフィ!!!! >
i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i:{ (__..:: / ノ (。);( ゚)==r─、 | / \
|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|:', エエエエフ ノ: :{ (_ ,.,.,.,.,./._ノ_  ̄|/\/\/\/  ̄
..(。);( ゚)==r─、|: !___/ `i、 : ', エf::::::::::::::::::::::::::ヽ:
{ (__..:: / ノ: / 入/ / `ヽ, : ! i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i: ,.,,.,.,.,.,__
. ', エエエエフ ノ:''i" ̄  ̄r'_ノ"'ヽ.i ):|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|: ::::::::::::::::ヽ:
... !___/,,.' ;. :. l、 ノ: (。);( ゚)==r─、|  ̄ヾ:::::::::::i:
\ ` 、 ,i. .:, :, ' / /: :{ (__..:: / ノ ,,,,,_ |::::::::|:
,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,/: ', エエエエフ ノ: ( ゚)==r─、|
28 :
ぬ:2010/02/09(火) 14:28:22 ID:EeYMiyBZ
ぬ
29 :
ぬ:2010/02/12(金) 18:19:57 ID:cOy/dWfY
ぬ
ぜっと
,.,.,.,.,.,.,.,.,__
,;f::::::::::::::::::::::::::ヽ:
i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i:
|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|:
(。);( ゚)==r─、|: グフィ
{ (__..:: / ノ:
. ', エエエエフ ノ:
/ / } !___/ `i、
_/ノ../、 _/ 入/ / `ヽ,:
/ r;ァ }''i" ̄.  ̄r'_ノ"'ヽ.i ):
{k_ _/,,.' ;. :. l、 ノ: ドクドク
\ ` 、 ,i. .:, :, ' / /:
,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,/:
32 :
バカは氏んでも名乗らない:2010/03/18(木) 11:53:45 ID:hgm3IcL4
日本の皇族としては初めて帝王切開により、41年ぶりの親王誕生。
皇室典範における敬称は殿下。
昨年12月、お茶の水女子大学附属幼稚園へ2010年4月より入園。
1876年に東京女子師範学校附属幼稚園として開園された日本で最古の幼稚園。
日本の幼児教育のさきがけとされ、現在でも保育・幼児教育分野では
研究・教育のいずれにおいても高い水準を誇っている。
小中まで男女共学だけど、高校はどこに進学するのかな?
何がそんなにめでたいの?
,.,.,.,.,.,.,.,.,__
,;f::::::::::::::::::::::::::ヽ
i/u ̄ ̄ヾ:::::::::::i
|,,,,_ u,,,_ |::::::::|
(へ);(へ)==r─、|
{u(__..:: u / ノ′
', ==一u u ノ うわ〜・・・・・も・・・・盛り上がっとるなぁ・・・・・
!___/
35 :
バカは氏んでも名乗らない:2010/05/08(土) 21:40:55 ID:EaGyLyP0
丈夫で元気に育っているみたい。
成人するまで、絶対に死ねんな。
悠仁様
童貞卒業おめでとうございます
37 :
バカは氏んでも名乗らない:2010/05/29(土) 19:48:44 ID:8LMb7Bdj
(´ー`) 何がそんなにめでたいの?
(___)
〜 | 銭 |
◎ ̄ ̄◎
39 :
バカは氏んでも名乗らない:2010/06/05(土) 09:58:08 ID:VwmZlw81
z
. ,;f::::::::::::::::::::::T
i:::/'" ̄ ̄ヾ:::i
ィ'''フ''''=、r'"~ |/ ,,,,_ ,,,,,,_ヾ|`ヽr''"`ヽ、ヽ、
,r'"´ ノ" )=|=(★)=(★)=|i ヽ、
( .ノ { :::(__..:: | i
) __,,;.. ', ー=ー ', _,,,,、 j、、
, ' ヽィ'''i" ヽ___ / ィ'"~ `'ヲ'''ー-、ノ、ヽ
.{ _.ト、 Y人 ,,l、 ノt' イノ.ノ
'、 >.ト '/ `ゝ、 人 ,,イ jt、 __...-'
' .,,_ _ ノ、 `ー--;::-ニ"_,ゝ=---‐''" ノ
ヽ、 r 、 f" `i´ ̄` Y `ヽ /
. ヽj ミi ! j' | /
`i 、〉、.__,人,___,..イ、,i" j''
41 :
バカは氏んでも名乗らない:2010/07/31(土) 12:46:08 ID:nv2CUAbm
国賊討伐の密勅はまだか
,;f::::::::::::::::::::::T
i:::/'" ̄ ̄ヾ:::i
|/ ,,,,_ ,,,,,,_ヾ|
|=(へ)=(へ)=|
{ :::(__..:: | うわ〜良スレだな〜age!
. ', ー=ー ',
ヽ___ /
43 :
バカは氏んでも名乗らない:2010/08/25(水) 17:53:34 ID:xxdo9nAx
(´ー`) 何がそんなにめでたいの?
(___)
〜 | 銭 | ころころ〜
◎ ̄ ̄◎
44 :
バカは氏んでも名乗らない:2010/09/12(日) 20:23:48 ID:ys9d+a0I
. .,.,.,.,.,.,.,.,.,__
,;f:::::::::::::::::::::::::ヽ
i/'' ̄ ̄ヾ:::::::::::i
|⌒ ⌒ |::::::::|
{´゚` ´゚` ´9)
{ (__..:: / ノ
. ', ==一 ノ < 健常者は常に障害者を見下している
!___/
,.,.,.,.,.,.,.,.,__
,,;f::::::::::::::::::::::ヽ
i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
|:::::::| \ /|
|::::::r ´゚` ´゚`|
( ヽ ::..__) }
ヽ.. ー== ; < 今度は障害者が健常者を見下す番だ
\___ !
(´ー`)
(___)
(´ー`)
(___)
,.,.,.,.,.,.,.,.,__
,,;f::::::::::::::::::::::ヽ /
i::::::::/'" ̄ ̄ヾi -
|:::::::| '''''_ ''''''|丶
|r-== ( o);( o)
ノ丿 ( ヽu :〃:__)〃} は、早く早く!
,____ /ヽ ー== ;\ヽ⌒
r'"ヽ t、 \___ !ゝ、_,ソ
/ 、、i ヽ__,/
/ ヽノ j , j |ヽ
|⌒`'、__ / / /r | //
{  ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
ゝ-,,,_____)--、j
/ \__ /
| "'ー‐‐---''
48 :
うさぎさん:2010/10/26(火) 15:21:19 ID:pEbB0j16
l;
i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
|:::::::| ,,,,,_ ,,,,,|
|r-==( 。 );( 。 ) 低学歴どもが・・・
(. ヽ :::__).:: }
|ヽ ー== ;.
..イ \___ !,|、
,.、-  ̄ \ l  ̄ / | |` ┬-、
/ ヽ. i⌒''=、_,、='⌒. i l ヽ.
/ ヽ .| . | |The. | | i
/ | | . | |グフィ | | |
| | | . | | . | ! │
.| {. ` - ⌒, ア| | .|'⌒ i i
{ | /  ̄´ ノヽ| | ヽ
} -= ヽ__ - 'ヽ -‐ ,r'゙ | \
f゙  ̄ ̄ _ -' i
52 :
バカは氏んでも名乗らない:2010/11/14(日) 22:50:36 ID:B2cD8KNa
そんなにめでたいか?
(´ー`)
(___)
,;f::::::::::::::::::::::::::ヽ
i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i
|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::| う〜さ〜ぎ〜お〜いし〜
(●);(●)==r─、| す〜る〜め〜よ
(ヽ { (__..:: / ノ/⌒ ̄二⊃
/ \ ', r=‐ヽ ノ / /(
(/^\ \ _ `ニニ´/_>( __\
\_ ̄⌒ \ \\\ヽ
 ̄ ̄| / ̄\ \ヽ ヽヽ
___/ / \)ヽ ヽ ヽ
( _ )
(´ー`)
(___)
(´ー`)
(___)
,.,.,.,.,.,.,.,..,.,.
,;f::::::::::::::::::::::T
i:::/'" ̄ ̄ヾ:::i
|/ ,,,,_ ,,,,,,_ヾ|
|=(●)=(●)=|
{ :::(__..:: | 取り戻したぞ、俺の肉体
. ', ー=ー ', さあ、健常者どもを皆殺しだ!
_.... ,r' `ヽ、___ / ヽ
/´`''" '"´``Y'""``'j ヽ
{ ,ノ' i| ,. ,、 ,,|,,. 、_/´ ,-,,.;;l
'、 ヾ ,`''-‐‐'''" ̄_{ ,ノi,、;;;ノ
ヽ、, ,.- ,.,'/`''`,,_ ,,/
`''ゞ-‐'" `'ヽ、,,、,、,,r'
,ノ ヾ ,, ''";l
./■■■■■■ヽ
.l ヽ■■■/ ;;;l
| ,ヽ■;/ ;;;;|
| ,' ;;;l l ;;'i, ;|
li / / l `'ヽ, 、;|
l jヾノ ,ノ ヽ l ,i|
(´ー`)
(___)
_о
(:∴:)
-'''"´ ̄ ̄`"''''-、
/ / ヽ \
/ ー――― ヽ <そんなにめでたいの?
|. |
''-、、,,,,,,______,,,,,,、、-''
(´ー`)
(___)
(´ー`)
(___)
(´ー`)
(___)
(´ー`)
(___)
(´ー`)
(___)
_,.. ---- .._
,. '" `丶、
/ ` 、
,..-‐/ ...: ,ィ ,.i .∧ , ヽ.
. ,:' .l .::;',. :::;/..://:: /,':/ ', l、 .i ヽ
. ,' ..::| .::;',' :;:','フ'7フ''7/ ',.ト',_|, , ',.',
,' .::::::!'''l/!:;'/ /'゙ / '! ゙;:|:、.|、| 'l
. ,'. .:::::::{ l'.l/ 、_ _,. 'l/',|.';|
l :::::::::::';、ヾ  ̄ `‐-‐'/! ';. '
. ! :::::::::::/ `‐、 ゝ |'゙ |
| ::::::::/ \ 、_, _.,.,_ ノ::: !
|::::/. _rl`': 、_ ///;ト,゙;:::::./
.. `´ /\\ `i;┬:////゙l゙l ヾ/
,.:く::::::::`:、\ 〉l゙:l / !.| 何がそんなにめでたいの?
(´ー`)
(___)
(´ー`)
(___)
| | l
___
( )
ノ(__)ヽ
| | l
___
( )
ノ(__)ヽ
,.,.,.,.,.,.,.,.,__
,;f::::::::::::::::::::::::::ヽ:
i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i:
|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|:
(>);(<)==r─、|:
{ (__..:: / ノ: いっぱい出るのさ〜 グフィッ
. ', エエエエフ ノ:
/ / } !___/ `i、 ドゥクドゥーン!!
_/ノ../、 _/ 入/ / `ヽ,:
/ < }''i" ̄.  ̄r'_ノ"'ヽ.i ):
{k_ _/,,.' ;. :. l、 ノ: ブチュッ
\ ` 、 ,i. .:, :, ' / /: ヽ`●●● ブリュブリュ
,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,/: ●● ●●●●●●●●
(´ー`)
(___)
(´ー`)
(___)
/⌒ヽ
( ^ω^)
/ γ○==○
/ ||_ ‖
し' ̄(_\ \
"⌒"~ ̄"~⌒゙゙'"⌒"~ ̄"~⌒゙゙"'''ョヾ\_\
Y" ̄"゙゙T"~ ̄Y"゙ ̄"゙゙T"~ ̄Y"゙=ミ. (_)) (_))
l, _,,/\ ,,/l ,,/l,_,,/l |
'l\,,j / |/ L,,,,.-r '"l\ L,,,/ | | l
_,i_,,,/ ,,/|,/\,/ _,|\_,i_,,,/ / ___
,,∧,,|__V\ ,,/\,| ,,∧,,|_/ ( ) ひ〜ん!
ノ(__)ヽ
. ,;f::::::::::::::::::::::T
i:::/'" ̄ ̄ヾ:::i
ィ'''フ''''=、r'"~ |/ ,,,,_ ,,,,,,_ヾ|`ヽr''"`ヽ、ヽ、
,r'"´ ノ" )=|=(★)=(★)=|i ヽ、
( .ノ { :::(__..:: | i
) __,,;.. ', ー=ー ', _,,,,、 j、、
, ' ヽィ'''i" ヽ___ / ィ'"~ `'ヲ'''ー-、ノ、ヽ
.{ _.ト、 Y人 ,,l、 ノt' イノ.ノ
'、 >.ト '/ `ゝ、 人 ,,イ jt、 __...-'
' .,,_ _ ノ、 `ー--;::-ニ"_,ゝ=---‐''" ノ
ヽ、 r 、 f" `i´ ̄` Y `ヽ /
. ヽj ミi ! j' | /
`i 、〉、.__,人,___,..イ、,i" j''
76 :
乙武シ\匡:2011/04/18(月) 15:31:36.04 ID:FvIicicV
z
77 :
バカは氏んでも名乗らない:2011/04/19(火) 05:22:42.24 ID:5zyFSD7a
おはようくに
78 :
病弱名無しさん:2011/04/28(木) 13:36:28.42 ID:fITRjCBv
fg
80 :
バカは氏んでも名乗らない:2011/06/09(木) 14:14:20.96 ID:2YXOUn4v
81 :
バカは氏んでも名乗らない:2011/06/09(木) 21:05:46.98 ID:0/DVgJ8U
愛子様ばんざい
82 :
バカは氏んでも名乗らない:2011/06/16(木) 18:46:22.59 ID:Ihuhf3UK
ぬ
初於名弐意の儀はまだですか。
84 :
バカは氏んでも名乗らない:2011/06/22(水) 11:42:09.42 ID:DgI+o/qC
ぬ
85 :
バカは氏んでも名乗らない:2011/06/25(土) 13:33:48.12 ID:LEooD4Gh
86 :
バカは氏んでも名乗らない:2011/06/25(土) 19:41:45.49 ID:HMkfDfey
悠イニさま万歳\(^-^)/
ノヘ,_
,へ_ _, ,-==し/:. 入
ノ"ミメ/".::::::::::::::::. ゙ヮ-‐ミ
// ̄ソ .::::::::::: lヾlヽ::ヽ:::::zU
|.:./:7(.:::::|:::|ヽ」lLH:_::::i::::: ゙l
ノ:::|:::l{::.|」ム‐ ゛ ,,-、|::|:|:::: ノ
ヽ::::::人::l. f´` _ |:|リ:ζ
,ゝ:冫 |:ハ、 <´ノ /ソ:::丿
ヽ(_ lt|゙'ゝ┬ イ (τ
./ . `、
/,r| r‐、い
[.| | .| {ニ }
{_} | `‐'i"
/"ヽ-、 .|
| .| ヽ .|
_|_\_|_\ll _|_l__ ..‐┼‐
| | | | | ) . ‐┼‐
/ ノ / ノ | (_
悠イニさま
………!!
,.,.,.,.,.,.,.,.,__
,,;f::::::::::::::::::::::ヽ
i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
|:::::::| ,,,,,, ,,,,,,|
|r-==(へ);(へ)
( ヽ ::..__) } 認定するのさ〜
ヽ.. ー== ;
リ..\___ ! / ̄/ ̄/
( 二二つ / と)
| / / /
|  ̄ ̄| ̄
89 :
aa:2011/08/12(金) 16:01:11.28 ID:a0TlX7yL
ggg
90 :
にしだ:2011/08/16(火) 13:47:21.71 ID:Jpln5izj
,.,.,.,.,.,.,.,..,.,.
,;f::::::::::::::::::::::T
i:::/'" ̄ ̄ヾ:::i
|/ ,,,,_ ,,,,,,_ヾ| _
/|=(三)=(三)=| /\
/| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|\/
| 愛媛みかん |/
91 :
バカは氏んでも名乗らない:2011/09/09(金) 00:32:05.56 ID:RixirDJY
一つの命の誕生日がそんなにめでたいの?
93 :
バカは氏んでも名乗らない:2011/09/25(日) 11:21:30.70 ID:D4h60J+A
94 :
バカは氏んでも名乗らない:2012/01/23(月) 20:32:44.61 ID:1wFpbsT8
95 :
バカは氏んでも名乗らない:2012/02/17(金) 12:07:25.68 ID:B4EQ9zLk
dd
96 :
バカは氏んでも名乗らない:2012/02/23(木) 22:15:51.28 ID:t1ioVnSK
zz
ひ〜んもう我,;f::::::::::::::::::::::::::ヽ 差別はただじゃする
「ガー」ポテトi/'' ̄ ̄ヾ:::::::::::i イニ美ーーーーーー
健常者ども〜|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::| ブチュッ!!ブリュブリュブリ
一人の子どゝ::。:);(<)==r─、| グフィッ!ドゥクドゥーン
ちょっと待っ(''''(__..:: ,,,U/ ノ イラを差別するの?た
そんなに目出',┃=-(;;;;ノ/'取り戻したぞ!俺の手足
身障棒大!ニョ!___/_>、,,..- 、立法機関に通報す
98 :
バカは氏んでも名乗らない:2012/02/27(月) 11:44:56.39 ID:270wuVhM
(。);( ゚)==r─、|-─ `ー,--─'''''''''''i
そんなにめでたいの?
女性天皇・女系天皇を認める→万世一系が損なわれる→アウト
悠仁さまのハーレムを作る→子供たくさん→万世一系が保たれる→セーフ
どうですか?
直系でないといけないなら、愛子さまもハーレムに入れればいい
いとこなら結婚できる
天皇、皇后両陛下は4日、御所で外務省の鶴岡公二総合外交政策局長の進講を受けられた。
陛下の後、 皇后さまが同じ内容を聞くというもので、宮内庁によると、お1人につき1時間弱かかる長いものだった という。
内容は公表されていないが、外交に関する時事的なトピックを両陛下のお耳に入れるという趣旨の
定例の進講で、尖閣諸島、竹島をめぐる最近の状況なども、説明には含まれていたかもしれない。
那須御用邸(栃木県那須町)で8月20日から静養していた皇太子ご一家は3日夕、帰京された。
宮内庁東宮職によると、ご一家は那須で、りんどう湖ファミリー牧場や那須どうぶつ王国を訪問されたという。また、陶芸工房で陶器作りや絵付けなども楽しまれた。
皇太子さまと敬宮愛子さまは滞在中、朝から午後にかけて、那須連山の南月山での登山に臨まれた。
ロープウェーを使い、山ではお弁当を食べられた。御用邸内では、サワガニ釣りなどをしてゆっくりと 過ごされたという。
東京駅に着いた愛子さまは、紺色のワンピースに小さな白いバッグを持ち、雅子さまとともに、駅前で出迎えた人々に手を振って応えられた。
皇太子さまが車に乗られた後も、雅子さまと愛子さまは 2人で手を振られていた。愛子さまは6日、学習院初等科(東京都新宿区)の新学期を迎え、元気に通学 されているという。
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは6日に6歳の誕生日を迎えられた。同日、母親の紀子さまとともに
皇居・御所を訪れ、両陛下にあいさつをされた。悠仁さまは、紺色のジャケットとネクタイ姿で、
車で半蔵門に入る際には笑顔を見せられた。1時間ほど滞在された。
▽産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120908/imp12090807000001-n1.htm
宮内庁によると、4日にはお茶の水女子大付属幼稚園(東京都文京区)年長組の2学期が始まり、元気に通園されている。
最近では昆虫の名前や、旅行で訪問した地名などの漢字に興味を持ち、
「秋篠宮悠仁」と漢字で名前を書かれるという。初めて見た昆虫を図鑑で調べて名前を確認されることもあるという。
幼稚園では先生の手伝いをしたり、同じ年長組や年中・年少組の子供たちと遊んだりしており、
5月の金環日食や、見つけた昆虫などについての記事をみんなで書く新聞作りもされた。
6月には幼稚園のジャガイモ掘りの行事に参加し、食べる際には、洗ったり、自分より小さい子供たちに皮をむいてあげたりされたという。
宮内庁が公開した映像では、姉の眞子さま、佳子さまと手をつないで赤坂御用地(東京都港区)内にある
秋篠宮邸の庭を歩いたり、笑顔で話をしたりする仲の良い姿を見せられた。先月、英国のエディンバラ大に
留学した眞子さまの出発の日の朝には、「元気でね」と見送りをされた。早くも来年夏のご帰国を楽しみにされているということだ。
宮邸ではインゲンやジャガイモ、トウモロコシなどさまざまな野菜を育てて収穫されている。
今年は、秋篠宮さまの知人から譲り受けた水稲の苗で稲作を始められた。
大きなバケツに苗を植え、日光や水、肥料などに気をつけながら世話をされているという。
生き物への関心も強く、今夏も赤坂御用地や皇居などでトンボやセミ、チョウ、バッタなどの昆虫探しをされた。
天皇陛下がご一緒だったこともあるという。セミの羽化を見たり、採集した昆虫を飼育したり、標本にしたりされている。
7月には秋篠宮ご夫妻と北海道を訪ね、阿寒湖のマリモ観察センターでマリモをご覧になった。
担当者に 湖のどこに生息しているのかなどを尋ねられたという。アイヌ文化の人形劇や音楽も楽しまれた。
宮内庁は7日、10年ぶりの海外公演として、先月22日に世界最大級の英国の芸術祭「エディンバラ 国際フェスティバル」に出演した宮内庁楽部の写真を公開した。
宮内庁によると、楽部の公演は満席で、最後の曲目が終わると、盛大な拍手とスタンディングオベーションが起こった。
エディンバラ市長は「これまで聞いたことのないこの世のものとは思えない規則正しい音楽」と称賛していたという。
各宮家は今週もさまざまな公務を果たされた。
秋篠宮さまは3日、進化生物学研究所(東京都世田谷区)で、生き物文化誌学会事務局会議に出席された。
5日には山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)で所員会議に出席された。
常陸宮ご夫妻は1日、東京都慰霊堂(東京都墨田区)で、関東大震災ならびに都内戦災遭難者の秋季慰霊大法要に出席された。
寛仁親王家の長女、彬子さまは2日、横浜市で開かれた「世界創傷治癒学会連合会議」の開会式で、 「日本美のこころ」をテーマに特別講演をされた。
父親の寛仁さまが6月に亡くなられてから、初めての 対外的なご公務となった。
高円宮妃久子さまは1日と2日、宮城県を訪問し、第19回高円宮牌グラススキージャパンオープンに出席された。
4日は、国立競技場(東京都新宿区)で、ヤングなでしこの愛称で人気を集めているFIFAU−20
女子ワールドカップジャパン2012の準決勝、日本代表対ドイツ代表の試合を観戦された。
6日はコンラッド東京(東京都港区)でFIFAU−20女子ワールドカップジャパン2012の オフィシャルバンケットに出席された。
秋篠宮家の長男、悠仁さま(5)が通われているお茶の水女子大学付属幼稚園(東京都文京区)に、
悠仁さまを含む園児らに危害を加えるとの脅迫メールを送ったとして、警視庁捜査1課は威力業務
妨害の疑いで、福岡市早良区星の原団地、無職、倉地優輔容疑者(28)を逮捕した。
同課によると、同幼稚園はメールを受け取った後、園児の登園を中止するなどの措置を取った。倉地
容疑者は容疑を認め、「脅迫メールは送ったが、実際に園児を襲うつもりはなかった」と供述している。
逮捕容疑は、8月27日午後5時ごろ、自宅のパソコンから同幼稚園に「始業式で園児を襲撃する」
という内容の脅迫メールを送り、同幼稚園の業務を妨害したとしている。
メールでは悠仁さまを名指ししていたといい、同課は動機を調べている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120903/crm12090314180012-n1.htm
(・∀・)ニヤニヤ
日韓関係の悪化、李明博大統領が問題―韓国メディア
http://news.livedoor.com/article/detail/6955246/ 韓国紙・中央日報(電子版)は同日、コラム記事の中で、混乱が続く日韓関係において李明博(イ・ミョンバク)大統領が「問題」になっていると伝えた。
李明博大統領のオーバーアクションがなければ、今ごろ韓国は尖閣問題で中国と日本が激しく対立するのを傍観できたはずだ。
自分の言動が日韓関係に及ぼす影響の概念的な理解と考慮もなく、竹島(韓国名・独島)や慰安婦問題のような過去の歴史を解決する
中長期的戦略もなしに、突然踏み出した一歩、吐き出した一言が、日韓関係に巨大な損失をもたらした。
日韓関係を悪化させた大統領の言動は3つ。
竹島訪問、国際社会で日本の影響力は大きくないという発言、そして天皇が韓国に来たいのなら日本の植民地統治で苦痛を受けた韓国人に謝罪するべきだという要求だ。
最も敏感なのが天皇への謝罪要求だ。日本人にとって天皇は「聖域」。
天皇に対する敬愛の念は日本の観念と伝統文化に深く根を下ろしているだけでなく、日本人の魂の根幹でもある。
しかも、現在の天皇は平均的な日本人よりも韓国に友好的で理解が深い。
日本人の7割が保守的、3割が進歩的で、保守の1割が極右だ。極右を除いた6割の保守穏健派が韓流ファンの主流だ。
進歩派は日本の右傾化を警戒し、日本政府が慰安婦問題を公式的に認め、謝罪・補償をすべきだと考えている。
保守6割と進歩3割が韓国の対日外交の対象だ。今回の事態でその大多数が韓国に背を向けることになる。
李大統領の天皇に関する発言は「百害あって一利なし」だった。
発言による波紋の大きさに慌てる姿は実に情けなく、もはや正常な外交ではなく模擬外交レベルでしかない。
また、野田首相が韓国側に示した反応も一種の政治ショーだ。
李大統領の言動を保守派の支持獲得に利用しているだけで、日韓関係や北東アジアの安定に関心はない。
日韓両首脳が在任中に両国の関係が修復される可能性はゼロに近い。
李明博政権にはできることはないが、やってはならないことはある。それは次期政権の対日政策に重しを載せるような人気迎合的な言動だ。(翻訳・編集/本郷)
113 :
バカは氏んでも名乗らない:2012/09/16(日) 12:29:08.30 ID:sgVHXYYQ
____
/ \ ( ;;;;(
/ _ノ ヽ__\) ;;;;) ワシはマンコ連想人じゃ〜
/ (◎) (○ /;;/
| (__人__) l;;,´ そこゆく女子高生のオマンコとアナルを連想しておる〜・・わかった〜!
/ ∩ ノ)━・'/
( \ / _ノ´.| | 新鮮なオマンコとアナルじゃ ピンクまんこだ ピンクアナルだ〜!
.\ " /__| |
\ /___ /
皇太子さまが来月、ルクセンブルクのギョーム皇太子の結婚式に出席するため、同国を訪問されることが、
25日午前の閣議で了解された。
10月18日午後に政府専用機で羽田を出発し、19日にルクセンブルク大公夫妻主催の晩さん会、
20日に結婚式や関連行事に出席、21日午前に帰国される予定。療養中の皇太子妃雅子さまは、
移動距離や行事の日程を考慮して訪問を見送られた。
閣議では、三笠宮家の寛仁さまの長女、彬子さまが10月9日から22日の日程でフランスを訪問される
ことも報告された。4月に研究員に就任した慈照寺研修道場(京都市)の国際交流事業に参加、
パリ市立美術館で日本の神々への感謝の心について講演されるという。
(2012年9月25日11時21分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120925-OYT1T00510.htm
東大寺(奈良市)の大仏を造営した聖武天皇と、鎌倉時代の
後嵯峨天皇の命日を1日ずつ間違えていた―。こんな調査結果を宮内庁が26日までにまとめ、「書陵部紀要」に掲載した。
明治政府が従来の太陰太陽暦を太陽暦に切り替えた「明治の改暦」で、
命日の新暦換算を誤ったのが原因。約140年間、命日を間違えたまま祭祀などが行われていたが、
対外的な影響はなく、今春から正しい日に直した。
宮内庁によると、聖武天皇の命日は「天平勝宝8年5月2日」で、太陽暦では
「756年6月8日」に当たるが、同庁の資料には1日早い「756年6月7日」と
間違って記載されていた。後嵯峨天皇も1日遅かった。
http://www.47news.jp/CN/201209/CN2012092601001743.html
秋雨が降りしきる日曜日の夕刻。黒田清子さん夫妻、常陸宮ご夫妻、秋篠宮妃・紀子さまの父・川嶋辰彦さんらが次々と赤坂御用地内へと車で入っていかれた。
そして午後5時過ぎには、スーツ姿の天皇陛下と淡いベージュの和服をお召しになった美智子さまを乗せた車も御用地内へと向かった。
9月23日、赤坂御用地内にある皇太子ご一家のお住まいである東宮御所で、美智子さまの“喜寿(77才)”を祝う夕食会が催され、皇族、親族、皇室関係者40名
ほどがお集まりになった。
このお祝いの宴は、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、そして黒田さん夫妻が協力して企画され、実現したものだという。
美智子さまは昨年10月に77才の誕生日を迎えられており、本来ならそのときに行われる予定だったが、昨年は東日本大震災が起こり、慶事は慎みたいという
お気持ちから延期となっていた。
「夕食会に先立って、人間国宝の野村萬さんらによる狂言『蝸牛』をご覧になられたようですね。これは長寿を願い蝸牛(かたつむり)を捕りにいくストーリーで、
美智子さまもたいへんお喜びだったそうです。
お祝いの席には、愛子さま、そして悠仁さまというお孫さんたちも出席されていて、両陛下は終始、相好を崩されていました。お孫さんたちから“おめでとうございます”
という言葉とともに、白とピンクのブーケをプレゼントされ、美智子さまは大変感激なさっていたそうです」(宮内庁関係者)
今回、宴の会場となった東宮御所の主である皇太子ご夫妻は率先して「おもてなし」に尽力をされた。ここ最近、両陛下と距離を置かれているといわれていた雅子さまも、
お元気に立ち回られていたという。
戦争なんかまっぴらごめんだが
眞子様に「立てよ国民!」って言われたらちょっと考える
佳子様に「お願い……日本を守って」って涙目で言われたら立ち上がる
愛子様に「行ってこーい」ってコアラのマーチ食べながら言われたら諦める
砺波 県花卉球根農協
生産量で全国1位の県内産チューリップ球根を皇室に送るため、恒例の献上用箱詰め作業が3日、砺波市大門の県花卉(か・き)球根農協(清都和文組合長)であった=写真。
県の品評会で上位入賞した生産者5人による、同市産の6品種計4500球を、来月7日に上田信雅市長らが宮内庁に届ける。
献上されるのは、明るい色合いの大きな花が咲く黄小町や、気品のある赤紫の由子、ボリューム感のある花の白雪姫など計6品種。
天皇、皇后両陛下に千球と皇太子殿下、秋篠宮殿下など計7宮家に各500球贈られる。同農協によると、生育や病害対策などの品評会審査で農水大臣賞などを受賞した最高級品種ばかり。
今年は、異常気象などで球根腐敗や裂皮球の発生があり、管理に苦労が多かった中、全般的に高品質な球根が出荷されたという。
http://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000001210040003
政府が「女性宮家」創設をめぐり有識者12人に対して行ったヒアリングをもとにまとめた「論点整理」の全容が4日、分かった。
女性宮家創設案と、女性皇族がご結婚後も「内親王」などの尊称を保持する案を軸に整理したが、女性皇族が皇籍離脱後、「国家公務員として公的な立場を保持」する案も独自に提起。
これはヒアリングで全く議論されていない論点で有識者らの反発を招くのは必至だ。
国家公務員案は尊称保持案とともに、「女性皇族に皇籍離脱後も皇室のご活動を支援していただくことを可能とする案」の1つとして位置づけた。
尊称の保持が、民間人となった元皇族に特別な「身分」を与えることにつながり、「憲法上問題がある」との疑義もあるため、国家公務員案を次善の策として提示した。
尊称保持案は、ジャーナリストの櫻井よしこ氏や百地章・日本大教授ら複数の有識者が賛同したが、「実施困難」と結論づけた。
女性宮家創設案は論点整理では女性宮家との表現は避け、「女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持することを可能とする案」と表記した。
「皇族数の減少に一定の歯止めをかける」と評価する一方で、宮家当主の夫や子に皇族の身分を付与しない場合は、戸籍の取り扱いや宮内庁の補佐体制などに「適切な措置が必要」と指摘した。
ソース:産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121005/plc12100501300001-n1.htm
皇太子ご夫妻は1日夜、東京都千代田区の国立劇場で、文化庁芸術祭のオープニングイベントとして
行われた「伝統音楽の美−雅楽−」を鑑賞された。
体調を考慮し、直前に雅子さまが同行されることになったという。終了後はご夫妻で、出演した宮内庁の
楽部関係者らと懇談し、お帰りの予定時間を20分以上過ぎた午後9時を回って会場を出られた。
雅子さまは今週、このほかに人事異動者ご会釈(2日)と、米国に赴任する
佐々江賢一郎新駐米大使ご接見(4日)に臨まれた。この2件はいずれもお住まいの東宮御所で
行ったとはいえ、1週間に3件に臨まれるのは珍しい。
宮内庁東宮職の小町恭士東宮大夫の5日の定例会見では、「雅子さまはご体調が上向き?」
とする質問が記者から出たが、小町氏は「医者ではないので…」と慎重に回答した。佐々江氏と
雅子さまは雅子さまが外務省に勤務されていた時代から親しく、約1時間のご接見後には
プライベートで佐々江氏の妻が合流。さらにお話を続けられたという。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121006/imp12100607010003-n3.htm
天皇、皇后両陛下は6日、甲府市の山梨県立武田の杜保健休養林を訪れ、100年前に皇室から県
に贈られた森林を視察された。
同県内の森林の半分近くを占める県有林はもともと大部分が皇室の所有だったが、明治末期に発生
した水害からの復興のため、1911年に県に贈られた。
(時事通信社)
ソース
http://n.m.livedoor.com/f/c/7021949
宮内庁は9日、天皇、皇后両陛下が13日に日帰りで東京電力福島第1原発から30キロ圏内にあ
る福島県川内村を訪れ、除染作業を視察したり、仮設住宅で暮らす人たちを励ましたりされると発
表した。
両陛下は新幹線や車で川内村入りし、作業員が民家の周辺で樹木の枝を切ったり、建物の外壁や屋
根を洗浄したりする様子を視察。
仮設住宅で住民から暮らしぶりの話を聞く予定。
両陛下の福島県訪問は昨年5月11日以来。
(共同通信)
ソース
http://n.m.livedoor.com/f/c/7028453
柿狩りスタート石岡・八郷
石岡市八郷地区の柿がシーズンを迎え、観光柿狩りが11日、スタートした。
同地区の柿は皇室への「献上柿」として知られ、秋の味覚として人気。
今年は暑さの影響でやや小ぶりだが、甘みが豊かで味は上々という。
やさと観光果樹組合によると、現在はわせ種の「西村」が中心で、10月中旬に「松本」、
11月上旬には献上柿として知られる「富有」の順で楽しめる。
内田一久組合長は「来月には朝日トンネルも開通するので、土浦、つくば方面からも来やすくなる。
ぜひ八郷の果物を味わってほしい」と話している。
同地区の柿直売所は6店で、柿狩りは16園で楽しめる。
また、同地区では、柿のほかミカンやリンゴ狩りも人気で、10月末から12月中旬までにぎわう。
茨城新聞 2012年10月12日(金)
http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13499663066560
PC遠隔操作:TBSに犯行声明
インターネット上で犯罪予告をしたとして逮捕された男性が釈放された問題で、東京放送(TBS)に犯行声明とみられるメールが
送られていたことが捜査関係者への取材で分かった。犯人しか知り得ない情報も含まれており、警視庁は犯行声明の可能性があるとみて捜査を始めた。
警視庁によると、メールは今月10日、同社に送信された。大阪府の男性が釈放された事件について自らを「犯人」としているほか、
8月に発生した日本航空に対する爆破予告や、秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さま(6)が通う幼稚園に対する脅迫メールへの関与も認めているという。
メールには、捜査当局が報道陣に明らかにしていない犯行予告の詳細な内容が記されていたほか、遠隔操作のマニュアルも添付されていた。
警察庁は16日午後から、同庁で一連の事件に関係する警視庁、大阪府警、三重県警の捜査幹部らを集めて緊急の捜査会議を開くことを決めた。
詳細 2012/10/15
http://mainichi.jp/select/news/20121015k0000e040124000c.html
天皇、皇后両陛下は15日、皇居・宮殿「春秋の間」に
ロンドン五輪のメダリストや入賞者、
指導者ら計約190人を招いて懇談、活躍をねぎらわれた。
天皇陛下は「日々努力を重ね、大きな目的を達成し、
その姿は多くの人々に深い感動と励ましを与えたと思います」とあいさつ。
皇太子さまや秋篠宮ご夫妻、常陸宮さまも同席し、
飲み物を手にしながら、なごやかに歓談。
陛下が、レスリング女子の吉田沙保里さん(30)が
首から下げていた金メダルを手に取りながら話し掛ける場面もあった。
2012/10/15 19:42【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201210/CN2012101501001945.html
(問3)
宮内庁は4月、両陛下のご意向を受けて、土葬から火葬への変更を含めた喪儀(そうぎ)方法の見直しを検討すると発表しました。
生前にお決めになったことで時代の変化を感じ、自身や家族の人生の終え方について考えるきっかけになった国民も少なくありません。
宮内庁幹部の会見では、両陛下が喪儀の簡素化を望むお気持ちがあることから検討が始められたとうかがっております。
また、皇后さまが陛下とご一緒の合葬の方式はご遠慮すべきだとお考えであることも伝えられています。
ご喪儀の見直しについて、陛下とどのようなお話をしていらっしゃるのかお聞かせください。
(宮内庁の回答)
質問3については、宮内庁としては、事柄が両陛下のご喪儀に関することであり、
この問題に対するお気持ちを皇后陛下のお誕生をご慶祝する日にお示しいただくことは適切ではないと判断し、
別の機会にご回答いただき、お伝えすることとしました。
http://www.asahi.com/national/update/1019/TKY201210190583.html
512 名前:名無しさん@京都板じゃないよ[] 投稿日:2008/06/29(日) 15:07:56
生まれ変わったら神社の家の人間になってずっと神主として生涯神様にお仕えしていたい
513 名前:名無しさん@京都板じゃないよ[sage] 投稿日:2008/06/29(日) 15:10:10
>>512 精神異常をきたしてますね、病院紹介しましょうか?
17:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 01:10:52 ID:bkguy35Y BE:304750962-2BP(3500)
苦しくったって 悲しくったって 京都の中では 平家なの
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1214738141/ 5:宮 許明(島根県) :2008/06/29(日) 20:16:54.73 ID:raDuwRm70
「だけど・・・涙が出ちゃう。壇ノ浦だもん」
18:スノ(京都府) :2008/06/29(日) 20:18:09.55 ID:BnU3FeIA0 [sage]
坊主がうなると 公家が弾むわ
皇室の方々のご入院や体調不良が昨年秋以降相次いでいることを受け、宮内庁はお住まいや外出先での医療態勢を強化するなど、新たな対応を積極的に行って健康面での配慮を強めている。
本格的な寒い季節の到来を前に、今後もご体調の管理に万全を期す構えだ。
天皇、皇后両陛下や皇太子ご一家のような侍医(医師)がいない皇族方が海外訪問される際は、原則として現地大使館の医師が医療を担当してきたが、最近は日本から医師が同行する事例がみられる。
宮内庁によると、ご体調の変化に備えた態勢強化の一環という。
秋篠宮さまが8月にベトナムを訪問された際には、宮内庁の嘱託として東大病院の医師が同行した。
宮内庁関係者によると、秋篠宮ご夫妻が6月にウガンダ訪問の際に搭乗された飛行機で、たまたま一般の乗客に急病人が出たことが“教訓”となったという。
関係者は「大使館の医師に任せると、ホテルや飛行機は医療面で『空白の時間』となる。
医師が同行すれば何かあってもすぐ対応できる」と意義を説明する。
両陛下に関しても、以前は侍医の同行は海外や地方へのご訪問などに限っていたが、平成23年初めからは1時間程度の外出となる都内近郊でも原則として行うようにしている。
また、心臓手術を受けられた三笠宮さまのお住まいの宮邸では、8月31日のご退院後、宮内庁病院の看護師が夜間に交代で待機する特別態勢が取られた。
ご回復が順調なため、この対応はすでに終了したという。
寒い時期には皇室の方々も体調を崩されることが多い。
昨年は10月下旬から三笠宮ご夫妻の次男、桂宮さまが、11月には皇太子ご夫妻の長女の敬宮愛子さまと陛下が相次いで入院された。
今月には常陸宮さまが、公務が立て込んでいた中旬の2件の予定を直前になって取りやめられた。
「大事を取ってのご対応」(宮内庁)だが、こうした変更は珍しい。
皇太子さまは30日、「第15回全国農業担い手サミットinあきた」出席と県内事情視察のため、本県を訪問される。31日午後までの滞在中、第135回県種苗交換会の会場も視察する。
30日午前に空路本県入りする皇太子さまは、能代市総合体育館を訪れ、種苗交換会の出品農作物を視察し、県内の若手農家6人と懇談する。
31日は特別支援教育の拠点「あきた総合支援エリアかがやきの丘」(秋田市)の視察後、サミット式典に出席する。2008年から毎年、サミットに出席している。
皇太子さまは今年、6月に秋田市で開かれた第23回「全国『みどりの愛護』のつどいの式典にも出席しており、今回が通算9度目の来県。1年に2度の来県は初めて。
ソース 秋田魁新聞
http://www.sakigake.jp/p/akita/politics.jsp?kc=20121029m
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは7日、ご夫妻と奈良県を訪れ、神武天皇陵に参拝されました。
秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは7日から旅行で奈良県を訪れていて、午後2時前、橿原市の神武天皇陵に到着されました。
悠仁さまは、ご夫妻に連れられて参道の砂利道をゆっくりと歩き、木立に囲まれた天皇陵の前に進まれました。
神武天皇は日本書紀にも登場する初代の天皇で、悠仁さまは、秋篠宮さまと紀子さまに続き玉ぐしを供えて拝礼されました。
神武天皇陵には、秋篠宮さまも8歳のときに参拝されているほか、長女の眞子さまと次女の佳子さまも、小学生のときにご夫妻と参拝されています。
悠仁さまが天皇陵を訪れるのは初めてで、宮内庁の職員の手ほどきを受けながら拝礼を終えると、最後にご夫妻と並んで深く一礼されました。
秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、7日から数日間、奈良県に滞在されることになっています。
ソース NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121107/k10013322431000.html
【社会】皇居で大綬章親授式 山崎拓自民党元副総裁ら6人が出席
秋の叙勲の大綬章親授式が8日午前、皇居・宮殿「松の間」で行われ、
天皇陛下から受章者に勲章が手渡された。
受章者8人のうち、旭日大綬章の山崎拓自民党元副総裁(75)、
瑞宝大綬章の高久史麿前自治医大学長(81)ら6人が出席した。
時事ドットコム(2012/11/08-10:46)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc
天皇、皇后両陛下は28日午前、東京都文京区の豊島岡墓地を訪れ、2002年に47歳で亡くなってから10年となった高円宮の墓所を参拝された。
命日に当たる21日には東京・元赤坂の宮邸と同墓地で十年式年祭が営まれたが、慣例により両陛下は参列せずに使者を派遣したため、この日の参拝となった。
高円宮妃久子さま(59)らの出迎えを受けた両陛下は、墓前に進んで拝礼し、故人をしのんだ。
高円宮は三笠宮さまの三男で、天皇陛下のいとこに当たる。東京・赤坂のカナダ大使館でスカッシュの練習中に倒れ、心室細動のため急逝した
ソース 47NEWS
http://www.47news.jp/CN/201211/CN2012112801000873.html
秋篠宮さまは、30日、47歳の誕生日を迎えられました。
秋篠宮さまは、誕生日を前に紀子さまと記者会見に臨まれました。
この中で秋篠宮さまは、ことし2月の天皇陛下の心臓の手術が成功したことについて、
「回復されて、海外、英国にも行くことができたというのは、私たちにとりまして大変うれしいことでありました」と振り返られました。
そして、検査の翌日に手術の方針が決まったことについて、「手術を迅速に決断されたというのは、東日本大震災以降、日本が大変な状況にあるなかで、
少しでもよい健康状態で務めを果たしていきたいというお気持ちがあったからではないかと推察しています」と語られました。
そして、天皇陛下の負担の軽減については、天皇にしかできない仕事もあるなどとして「量的なものを軽減していくということは意外と難しい」と述べたうえで、
「どのようにしたらご負担を軽減できるのかということを常に気を付けていなければいけないと思います」と話されました。
来年、小学校に進学する長男の悠仁さまについては、大好きな虫とりに加え、手を使って折り紙などを作ることにも興味があるようだと述べられ、
紀子さまも、「最近は自転車に乗ることが多くなりました。急な坂道を上り、砂利道を走り、自転車の小さな旅を楽しんでいます」と、健やかな成長ぶりを披露されました。
また、イギリスの大学に留学中の長女の眞子さまと、来年大学に進学する次女の佳子さまについて、秋篠宮さまは、「学業を大切にしながら、様々な経験を通して広い視野に立って考えられるよう、
そして与えられた務めをしっかりと果たせるようになることを願っています」と述べたうえで、
結婚については、「これはもう本人次第でこちらが何か言うということは今の段階ではありません」と答えられました。
ソース NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121130/k10013857271000.html
皇太子ご夫妻の長女の愛子さまは、1日、11歳の誕生日を迎えられました。
宮内庁によりますと、学習院初等科5年生の愛子さまは、この1年、雅子さまの付き添いなしに1時限目から登校し、
新たに始まった家庭科の授業に加え、委員会やクラブでの活動に意欲的に取り組まれています。
このうち、バスケットボール部の活動では、先月、初めて参加した私立の小学校の体育発表会でほかの学校との試合に臨み、
「良い経験になった」と話されているということです。
学校での勉強とは別に、お住まいの東宮御所でも音楽や造形、それに習字や英語を習うなど、さまざまなことに関心を示しながら健やかに成長されています。
東日本大震災から1年になる3月11日には、お住まいで皇太子ご夫妻とともに黙とうをささげ、引き続き節電や節水に気を配られているということです。
愛子さまは、今週はウイルス性胃腸炎のため学校を休んでいて、2日に予定されていた天皇皇后両陛下への誕生日のあいさつなどは
取りやめられることになっています。
ソース NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121201/t10013883731000.html
京都府を3日から訪問していた天皇、皇后両陛下は5日、岐阜県に入り、大垣市の「奥の細道むす
びの地記念館」を視察後、東海道新幹線の臨時列車で帰京された。
両陛下は9月に岐阜県を訪問した際、接近する台風の対応に県や県警が専念できるようにと、同記
念館の訪問予定を取りやめて帰京されていた。
宮内庁によると、陛下は岐阜に到着後、「台風の被害はいかがでしたか」と地元関係者に尋ね、甚
大な被害をもたらした昭和34年の伊勢湾台風も話題にされたという。
同記念館は、松尾芭蕉の「奥の細道」に関する資料を集めた施設で、今年4月に開館。
陛下は子供たちの俳句作品もご覧になり、
「この人たちが大きくなって、俳句に関心を持ち続けるといいですね」と述べられた。
ソース:産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121205/imp12120518380001-n1.htm 画像
http://p2.ms/yed83 2012.12.5 18:36
「奥の細道むすびの地記念館」を視察された天皇、皇后両陛下=5日午後、岐阜県大垣市
皇太子妃雅子さまは9日、49歳の誕生日を迎え、宮内庁を通じて感想を発表された。
平成15年12月に帯状疱疹(ほうしん)で入院し、療養生活に入られてから今月で10年目となるが、「療養が長くなり、御心配をおかけしていることと思います」と言及。
「快復に向けての努力を続け、四十代最後の年となるこれからの一年の日々を大切に過ごしていくことができればと思っております」とつづられた。
東日本大震災の被災者が困難な状況で生活していることについては、「思いを馳(は)せない日はなく、そのたび毎(ごと)に、とても心が痛みます」と述べられた。
「適応障害」の治療にあたる東宮職医師団は例年通り文書で見解を発表し、「十分な休養をおとり頂くとともに、私的なことからご活動の幅を広げていただくようお伝えしている」と説明。
ご病状は回復傾向にあると考えているという。
今年は公的な活動を目的とする地方ご訪問が、16年以来8年ぶりにない見通しとなっている。
医師団は、長女の敬宮(としのみや)愛子さまのご通学の付き添いを昨年末まで続けられたことなどにより、夏まで疲れが残ったことが背景にあるとみている。
ソース:産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121209/imp12120909030002-n1.htm 画像
http://p2.ms/4k3of
【皇室】悠仁さま、お茶大附属小に進学 皇族で戦後初=日本国
宮内庁は2012年12月14日、秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さま(6)が13年4月、お茶の水女子大学附属小学校(東京・文京区)に入学されると発表した。
皇族が学習院初等科以外の小学校に入学するのは戦後初めて。
悠仁さまは10年4月にお茶大附属幼稚園に入園。
小学校は慣れ親しんだ環境や友人との関係という観点から選ばれたという。
ソース:(J-CASTニュース)
http://n.m.livedoor.com/f/c/7236488
避難所で障害者親子を追いだした秋篠宮夫妻
どこが庶民とのふれあいを大事にしてんだよw
秋篠宮ご夫妻 山田町を訪問
良いなぁ…私達が居た南相馬の避難所にも見えられたが騒いだりされたくないから部屋に居ろって会わせて貰えなかったな。
5月26日
------その時の同一人物のつぶやき
@****返答有難うございます。分刻みは仕方ないですがかなり規制がある訪問でしたので…
4月25日
@**** 励まされた方も居たが騒いだり動かれると困ると、会えなかった人も居た。笑っては居たがショックは大きい。
4月25日
@**** 騒いだり動かれると困ると会えなかった障害児の親が悩む。皇室は障害者に御熱心。
一目でも…叶わず。障害者も避難所に行かなければいけない状況だったと言うだけなのに。
4月25日
--------4月25日の記事
秋篠宮ご夫妻は25日、東日本大震災の避難所となっている群馬県東吾妻町内の施設を訪れ、被災者らを励ました。
紀子さまが、震災のショックで声が出なくなったという女性に手話で話しかける場面もあった。
略
福島県からの被災者約90人が生活する「岩櫃(いわびつ)ふれあいの郷(さと)」で
紀子さまは、声が出せない南相馬市の美容師、佐藤和香子さん(25)に手話で「何か困ったことは」と尋ねると、
佐藤さんはのどに手を当てた。
紀子さまが「声が出なくても、いろいろな方法でお話しすることができるわよね」と肩を抱くと、佐藤さんは涙ぐんだ。
懇談後、佐藤さんは「紀子さまに『ずっと思っていますからね』と言われ、うれしかった」と筆談で感想を示した。 【真鍋光之】
毎日新聞 2011年4月25日 19時11分(最終更新 4月25日 19時22分)
天皇陛下は23日、79歳の誕生日を迎えられた。
これに先立ち、皇居・宮殿で会見に臨まれた。
公務のご負担軽減について、80歳を過ぎても公的な行事に出席を続けられた昭和天皇の例や、さまざまな行事を公平に扱う必要性を述べた上で
「今のところ、しばらくはこのままでいきたいと考えています」と、否定的な考えを示された。
病気の際には皇太子さまと秋篠宮さまが代わりを務められるとし、「何も心配はなく、心強く思っています」と述べられた。
2月18日に受けた心臓冠動脈バイパス手術に関しては、「東日本大震災一周年追悼式に出席したいという希望をお話しし、それに間に合うように手術を行っていただきました」とし、
「多くの人々に心配を掛けました」と述べるとともに、健康を気遣う国民に感謝の気持ちを示された。
また、東京電力福島第1原発事故の影響で故郷に帰れない人々や、がれき処理、除染などに従事する人々を案じられた。
11月に8年ぶりに訪問した沖縄県については「戦争で沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています」と述べられた。
ソース:産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121223/imp12122307500000-n1.htm ※画像はソース元をご覧下さい。
新年に当たり、宮内庁は天皇、皇后両陛下が平成24年に詠まれたお歌のうち、計8首を発表した。
両陛下とも、東日本大震災の被災者、被災地復興へ思いを寄せたお歌や、11月の沖縄県訪問のお歌を詠まれた。
陛下は、人々が弾を避けてアダンの木に隠れたという沖縄戦を思い起こして歌にしたほか、5月に訪問した英国で、昭和28年にエリザベス女王の戴(たい)冠(かん)式に参列した思い出を詠まれた。
皇后さまは、平成23年11月、秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまが5歳のときの儀式で碁盤に立たれた姿も詠まれた(原文のまま、ルビも)。
【天皇陛下】(5首)
《心臓手術のため入院》
手術せし我が身を案じ記帳せるあまたの人の心うれしき
《仙台市仮設住宅を見舞ふ》
禍(まが)受けて仮設住居に住む人の冬の厳しさいかにとぞ思ふ
《即位六十年に当たり英国の君に招かれて》
若き日に外(とつ)国(くに)の人らと交はりし戴冠式をなつかしみ思ふ
《沖縄県訪問》
弾を避けあだんの陰にかくれしとふ戦(いくさ)の日々思ひ島の道行く
《明治天皇崩御百年に当たり》
様々の新しきこと始まりし明治の世しのび陵(みささぎ)に詣づ
天皇陛下は年頭にあたってのご感想を1日付で宮内庁を通じて発表された。
東日本大震災の被災者を案じ、「皆が被災者に心を寄せつつ、互いに支え合って様々な困難を克服していくよう期待しています」と呼び掛け、今年が良い年となるよう祈られている。
また、震災の経験を生かした防災教育やまちづくりに期待を示し、「人々の安全な生活が確保される方向に向かうよう願っています」と述べられた。
宮内庁によると、今年はご負担軽減を目的として、陛下は皇居・宮中三殿近くの神嘉殿で1日の午前5時半から行ってきた儀式「四方拝」を、昨年同様にお住まいの御所で行われる。
陛下は昨年2月の心臓手術後、順調に回復し、今年も5月の全国植樹祭(鳥取)、10月の全国豊かな海づくり大会(熊本)などで皇后さまと地方を訪問される予定。
東日本大震災の被災地や被災者にも引き続き心を寄せられる。
6月に「日本スペイン交流400周年」の名誉総裁に就任する皇太子さまは、6月9日に雅子さまとの結婚20周年を迎えられる。
秋篠宮ご夫妻の長男の悠仁さまは、春にお茶の水女子大付属小学校に入学される。
天皇陛下 新年のご感想(全文)
東日本大震災から二度目の冬が巡ってきました。
放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れない人々や、仮設住宅で厳しい冬を過ごさざるを得ない人々など、年頭に当たって、被災者のことが、改めて深く案じられます。
今後、震災や津波による被害の経験を十分にいかした防災教育やまちづくりが行われ、人々の安全な生活が確保される方向に向かうよう願っています。
日本は、大震災の影響等により、現在厳しい状況に置かれていますが、皆が被災者に心を寄せつつ、互いに支え合って様々な困難を克服していくよう期待しています。
本年が、我が国の人々、また、世界の人々にとって少しでもより良い年になることを祈ります。
ソース:産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130101/imp13010108590001-n1.htm
【皇室】天皇陛下「国の発展と国民の幸せを」…皇居で祝賀の儀=日本国
新年を迎えた1日、皇居・宮殿で「祝賀の儀」が行われ、天皇、皇后両陛下が皇族方とともに、安倍晋三首相や三権の長らから新年のあいさつをお受けになった。
宮殿「松の間」で午前中に行われた国会議員らの回では、伊吹文明衆院議長と平田健二参院議長が代表してあいさつ。
陛下が「年頭に当たり国の発展と国民の幸せを祈ります」と述べられた。
両陛下は、これに先立って首相、閣僚らともお会いになり、その後には最高裁長官や認証官、各国の駐日大使夫妻らが出席した行事もそれぞれ行われた。
出席者は計686人に上った。
皇后さまはロングドレス姿で臨んだが、ティアラはおつけにならなかった。
宮内庁によると、医師団の助言で、頸椎(けいつい)症への影響を考えて、首(頸椎)への負担を避けられたという。
ソース:産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130101/imp13010116130003-n1.htm 画像
http://p2.ms/3fl95 2013.1.1 16:12[皇室]
新年祝賀の儀に出席された天皇、皇后両陛下=1日午前11時7分、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影)
4月−悠仁さまお茶の水女子大付属小入学と秋篠宮家の学習院離れ
◆ 元宮内庁・山下晋司/悠仁親王、お茶の水女子大付属小学校
サンデー毎日(2013/01/20), 頁:20
悠仁さまはお茶の水附属小へ、秋篠宮はなぜ学習院がお嫌いなのか
◆ 皇室、秋篠宮家、学習院
週刊文春(2012/12/27), 頁:152
自民政権で日本はどうなる?/女性宮家−後ろ向きな秋篠宮家の困惑
◆ 所功・京都産業大学名誉教授、女性宮家、皇室典範、女性皇族
週刊文春(2012/12/20), 頁:28
お茶大附属小を選んだ「秋篠宮家」の懸念は「悠仁さま」ご学友
◆ 悠仁親王、お茶の水女子大附属小学校、秋篠宮家、紀子妃
週刊新潮(2012/11/22), 頁:136
皇室のかたがたも、プライベートでさまざまなレストランやときには居酒屋にお出かけになることもある。
新年の一般参賀にも参加された皇太子妃・雅子さまが外務省時代のご友人と行かれるのが、麻布の有名中華料理店『富麗華(ふれいか)』だ。
「元同僚の送別会など、折に触れてお使いになっていて、雅子さまは上海蟹やフカヒレの姿煮などを含む2万円のコースを召し上がられたこともあるようです」(宮内庁関係者)
2012年9月には、同店で小和田夫妻の金婚式を祝う会も行われており、皇太子ご夫妻も出席されている。
愛子さまも行かれたことがあるのが、赤坂の『溜池山王聘珍樓(へいちんろう)』。
2007年に学習院初等科の運動会の後、親子数組で“ママ友ランチ”で訪れられたのを最初に、以来、愛子さまは、この店のエビ餃子や五目チャーハンがお気に入りだという。
ほかにも、六本木ミッドタウンにあるメキシコ料理店『ラ・コリナ』や日本橋のマンダリンオリエンタルホテルのフレンチ『シグネチャー』も雅子さま御用達のお店だ。
また、栃木県・那須御用邸近くにあるイタリアンレストラン『ジョイア・ミーア』は、ご静養のおりによく利用される名店だ。
10年ほど前のこと、同店ではこんなことがあったという。
「皇太子ご夫妻に気がついた一般のお客様が立ち上がって拍手を送ると、おふたりもお客様に気さくに声をかけられていました。
なかには感激のあまり、涙を流して震えながら、手を合わせ拝む年配の女性もいたほどです。
皇太子さまは、そのかたに“ありがとうございます。大丈夫ですよ”とやさしくおっしゃっていました。
その言葉に感動して、彼女はまた涙が止まらなくなってしまって…」(代表・笠原智江さん)
※女性セブン2013年1月24日号
ソース
http://n.m.livedoor.com/f/c/7299508
172 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[] 投稿日:2012/12/14(金) 23:12:36.33 ID:JYUwkTcd0
悠仁さま、くるのたいぶ前から決まってたよ
2012-12-14 20:38:10
じゃなきゃ、トイレとかあんなに綺麗にならない
2012-12-14 20:38:34
@XXX ナメちゃあかん、めいきょうかい
2012-12-14 20:39:45
@xxx 一気にお茶小綺麗になったからね
2012-12-14 20:40:12
つまり、悠仁さまが来てくれたおかげでお金が国から支給されたので、小学校綺麗になった
2012-12-14 20:40:52
いや、お茶、高校のこと考えてるから。何がどうなるかは秘密\( 'ω')/ハァイッ☆
2012-12-14 20:44:57
美智子さま 体調悪化陰に安倍首相”白紙”発言
http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/imperial/5964 1月1日、皇居・宮殿『松の間』では、天皇皇后両陛下が、皇族方や安倍晋三首相、
駐日外国大使らから新年のあいさつを受ける『新年祝賀の儀』が行われた。
美智子さまは新しい年の始まりにふさわしい純白のロングドレスをお召しになられていたが、
例年は頭上に輝いていたティアラはなかった。
「『頸椎症性神経根症』が悪化されているようです。一昨年から腕の痛みやしびれを訴えられていましたが、
首に激痛が生じることもあるようです。医師団は首の負担を軽くするための対策を講じており、
美智子様が新年祝賀の儀にティアラをはずして臨まれたのも、その一環です」(宮内庁関係者)
皇族の装いに詳しいファッションアドバイザーの蓮見利夫さんによれば、「ティアラの高さは
7〜8センチほどもあり、プラチナ製と思われますが、その重さは300グラムほどもあるのではないでしょうか」とのこと。
ご体調悪化について、美智子さまの知人は言う。
「ティアラの件をうかがって本当に驚きました。ご辛抱強い美智子さまが決断されたということは、
相当のお痛みなのでしょう。積み重なったご心労も、ご体調悪化の原因になっているのではないかと思われますが、
最近、野田政権が進めていた『女性宮家構想』が白紙になってしまったことも、
両陛下にとってはご心痛だったと思います」
美智子さま 体調悪化陰に安倍首相”白紙”発言
2013年01月10日 07:00
http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/imperial/5964 12月31日付の産経新聞で掲載されたインタビューで、安倍晋三首相は
《皇位継承は男系男子という私の方針は変わらない。野田政権がやったことは白紙にする。
(皇族の減少を食い止める方策については)白紙から検討していきたい》と、語っている。
これは1年2カ月にわたり検討され続けてきた女性宮家構想への終息宣言と言える。
新年には美智子さまが昨年詠まれた歌が発表された。
《幼な児は何おもふらむ目見澄みて盤上に立ち姿を正す》
悠仁さまが’11年秋の『着袴の儀』の際、碁盤の上に立たれた姿を詠まれたもので、
お孫様を思う、お祖母様の深いご心情が伝わってくる。
“天皇陛下と皇室の未来を私がお支えせねば……”、
ご体調不良のなか、ティアラなしで新年祝賀の儀に臨まれた美智子さまは、
そんな強い決意も胸に抱かれていたに違いない――。
男子優先の王位継承制度を廃止へ、法案可決
英ウィリアムズ王子とキャサリン妃の第1子誕生を前に、カナダの下院は4日、男子優先の王位継承制度廃止を盛り込んだ法案を可決した。
英連邦のカナダでは、ウィリアムズ王子とキャサリン妃の間に生まれる子どもがいずれ国王または女王となる。
これまで王位継承は、先に生まれた女子よりも男子を優先すると定めていたが、法案ではこの制度の廃止を盛り込んだ。
4日の採決は審議を経ることもなく、法案はわずか数分で可決された。上院でも数週間以内に可決される見通し。
英連邦諸国の間ではこれまでに、数百年の伝統がある王位継承は男子を優先すると定めた規定と、王位継承者がカトリック教徒と結婚することを禁じた規定を廃止することで合意が成立している。
だが、同法案は思わぬところで論議も巻き起こした。
ムーア民族遺産・公用語相は、法案が目指すのは君主制の近代化であり、憲法改正は不要との見解を示した。 これに対して憲法の専門家などから、法案自体に異論はなくても、憲法は改正する必要があるとの声が上がった。
憲法を改正しようとすれば、フランス語を公用語とするケベック州との間で憲法を巡りくすぶっていた問題が再燃するのは避けられない。 ムーア氏は1日の記者会見でも、法案に対して州から反対意見は出なかったと強調していた。
CNN
http://www.cnn.co.jp/world/35027842.html?ref=rss
189 :
バカは氏んでも名乗らない:2013/02/15(金) 22:38:31.94 ID:jp9SPbiH
頼むからイケメンになれや
【日米】米国主導の進駐軍が皇居などへの非行行為を繰り返していた - 外交文書公開で明らかに[03/08]
ライフル銃を持った米兵が皇居の警備担当者から拳銃を奪取。
東条英機元首相宅にも米兵が侵入――。
米国主導の進駐軍上陸後、米兵による皇居などへの非行行為が頻発し、日本政府が連合国軍総司令部(GHQ)に改善を求めていたことが、7日に外務省が公開した外交文書で明らかになった。
日本政府がGHQに提出した資料によれば、1945年8月末の進駐軍上陸から9月末までの約1カ月の間に、米兵が関係する殺人事件は5件。
皇室への犯罪は8件、強姦(ごうかん)は未遂を含めれば44件、誘拐が7件、住宅侵入が18件あった。
公開された文書には、皇室に関係する事件が多数記載。
9月5日にはライフルを持った米兵が皇居の桜田門に立っていた日本人警備担当者を脅して拳銃を奪った。
21日には鹿児島県で公民館に小型四輪駆動車で乗り付けた米兵4人が天皇の写真を射撃して逃げ去る事件が発生。
このほか、一人乗りの米機が京都御所に強行着陸する騒ぎや、神奈川県の葉山御用邸や竹田宮別邸に米兵が侵入を繰り返す事件もあった。【円満亮太】
朝日新聞デジタル 3月7日(木)19時40分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130307-00000029-asahi-soci
196 :
バカは氏んでも名乗らない:2013/03/15(金) 14:12:37.50 ID:NBJ4RW2C
皇太子さまへのご退位提言に「一刻も早い方が」と賛同する人も
宗教学者の山折哲雄氏が『新潮45』3月号に寄稿した『皇太子殿下、ご退位なさいませ』という論文が
波紋を読んでいる。
山折氏は、小泉純一郎元首相(71才)時代に設けられた「皇室典範に関する有識者会議」のヒアリングで、
実際に意見を述べたこともある人物。
その山折氏が皇太子さまにご退位をすすめ、さらに弟の秋篠宮さまに「譲位」してはどうかとも綴っているのだ。
山折氏と同じく「皇室典範に関する有識者会議」でヒアリングを受けた高崎経済大学・八木秀次教授は、
この意見に賛同する。
「山折氏が言われている“退位”とは皇族の身分を離れるというより、
“秋篠宮さまに皇位継承権を譲られてはどうか”というものだと思います。これには私も賛成です。
なぜなら皇太子さまは、ご自分の家族に精神的な重きを置かれているようで、
本来、皇太子として果たされるべき役割ができていないように感じるからです」
(以下略、続きはソースで)
http://www.news-postseven.com/archives/20130301_174196.html
【皇室】悠仁さま、きょう小学校にご進学…祝福の声に対し「ありがとうございます」
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは7日午前、お茶の水女子大付属小学校の入学式に出席された。
宮内庁によると、皇室の子女が学習院初等科以外の小学校に入学するのは戦後初めて。
悠仁さまは式に先立ち、新しい紺色の制服と帽子、白色の靴下を身につけ、学校指定のバッグを
持った姿で、ご夫妻と一緒にキャンパス内で報道各社の写真撮影に応じられた。
祝福の声に対し、「ありがとうございます」と述べられた。
午前11時からの式にはご夫妻も出席された。
同校によると、新入生は約100人。悠仁さまは、3月までは同じ敷地内にある付属幼稚園に3年間通われていた。
ソース:産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130407/imp13040711040001-n1.htm 画像
http://p2.ms/qkph3 2013.4.7 11:30
お茶の水女子大付属小学校の入学式に向かわれる秋篠宮ご夫妻と悠仁さま=7日午前、東京都文京区(代表撮影)
周りの人を重んじるのが重要
おもいやりだよ
生老病死全部優しくしないと
出張してもやさしくしないと
ヘタレ「さーせんwww」
争いはやめるのじゃ〜
天皇の戦争責任追及映画、監督が原作に無い殺人強姦魔を勝手に追加「あえてやった。日本の侵略を無きもののようにする風潮は許せない」
[シネマトゥデイ映画ニュース] 24日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で映画『戦争と一人の女』記者会見が行われ、江口のりこ、永瀬正敏、井上淳一監督が外国人記者たちの質問に答えた。
監督、キャストの強い思い…会見フォトギャラリー
本作は、坂口安吾による同名小説を原作に、戦争末期、不感症の女(江口)と虚無的な作家(永瀬)、そして中国戦線から身も心も病んで帰国した元兵士(村上淳)たちの運命が交錯していくさまを暴力とエロスを交えて描き出した作品。
天皇陛下の戦争責任にまで言及した本作について、外国人記者からは「右翼団体から批判されることはないのか?」との意見も飛び出したが、井上監督は「この映画のことが知られれば、何かを言われるかもしれないが、まだ知られていないので、何も言われていない。
言われるくらいの映画になりたいと思います」と返した。
俳優たちに対しても、「この映画に参加することで、これからの将来の仕事に対しての心配はなかったのか?」との質問が投げられたが、
江口は「わたしはなかった」とキッパリ。「どの仕事をやるにしても、失敗したら次の仕事にはつながらないし、成功したら次につながる。
それはどの作品でも同じ」と付け加えると、会場からは拍手が。永瀬も「同じです」と続けた。すると井上監督は
「今までどのインタビューでも、今のような質問は出てこなかった。改めて日本が右傾化していると外国の方から思われているんだなと思った」と見解を述べた。
司会者から、本作の予算は1,200万円、10日で撮影したとアナウンスがあると、会場からは驚きの声が。それに対し、井上監督は
「ここ30年、日本の戦争映画、もしくはマスコミが避けてきた天皇の戦争責任、いわゆる自虐史観といって攻撃される日本がアジアでやった悪いことを、
低予算で、自分たちの好きなことができるからこそ、きっちりと描こうと思った」と思い入れを語った。
また、坂口の原作では、村上が演じた戦場での精神的後遺症から山奥に女を連れ込み、犯し、殺し続ける帰還兵というキャラクターは
存在していなかったことから、記者から日本語で「なぜ原作にない表現を付け加えてまで、日本を侮辱するような表現を行ったのでしょうか?」
という質問が。井上監督は
「あえてやりました。日本がやってきた、よその国を侵略し、植民地にして、殺したり、犯したりしたことをなきものにしようとする風潮だけは、絶対に許せないと思います」と力を込めた。
(取材・文:壬生智裕)
映画『戦争と一人の女』は4月27日よりテアトル新宿にて公開
http://www.cinematoday.jp/page/N0052219 外国人記者からの質問に応じた江口のりこ、永瀬正敏、井上淳一監督(左から)
http://s.cinematoday.jp/res/N0/05/22/v1366811853/N0052219_l.jpg
11年も俺らの税金で贅沢な生活してたニート引きこもりバカ女が11年ぶりに仕事したくらいで騒ぐのどうよ?
天皇や皇后も老体に鞭うって働いてんだから糞雅子は甘えんじゃねえよ
なけなしの給料から引かれた税金があの引きこもり母子の贅沢な生活に使われてるってマジでムカつくんだけど。
一般人はなあ、メンヘルだろうが何だろうが働かなきゃ生きてけないんだよ
俺だってメンヘルだが、必死に働いてるんだよ!!
そんな一般人から税金掠めて働きもしないで遊んでる糞雅子許せん!
糞雅子そっくりなガキも目障りだ
てめえがイジメにあったんじゃないのに登校拒否なんぞしおって!!
そんなんで女帝になれると思ってんのか!!
他人の税金で食ってるんだからイジメてるやつのキンタマ蹴飛ばすくらいのガッツ見せんかい!!
【オランダ】皇太子ご夫妻、即位式出席 珍しくヒッキー雅子もロングドレスで
【アムステルダム共同】オランダを訪問中の皇太子ご夫妻は30日午後(日本時間同日夜)、アムステルダムにある新教会で開かれたウィレム・アレクサンダー国王(46)の即位式に出席された。
ヒッキー雅子が海外で公務に臨んだのは実に約11年ぶり。
即位式には政府や議会の要人のほか、欧州や中東、アジアなど約20カ国の王族、国連関係者らも参列。
ドレスコードに従い勲章を着用、皇太子さまはえんび服、
雅子は庶民から絞り取った税金を湯水のごとく使ったアイボリーのロングアフタヌーンドレス姿で、沿道に詰め掛けた市民らに笑顔で手を振りながら会場に入った。
式では新国王が壇上に立ち、即位に当たって宣誓。皇太子とヒッキー雅子は並んで着席し、皇太子はヒッキー雅子が馬鹿をやらないように静かに見守った。
【オランダ】皇太子さま、女王主催の晩さん会出席 雅子さまはホテルで休養
【アムステルダム真鍋光之】皇太子さまは29日夜(日本時間30日未明)、国立博物館で開かれたベアトリックス女王が退任することに伴う
レセプションと女王主催の晩さん会に出席した。皇太子妃雅子さまは体調を考慮して宿泊先のホテルで休養した。
宮内庁によると、晩さん会はレンブラントの絵画「夜警」があるフロアで開かれ、タキシード姿の皇太子さまはベアトリックス女王と
ウィレム・アレクサンダー皇太子と同じメインテーブルに座ったという。
これに先立ちご夫妻はホテルで、オランダの侍従武官や長嶺安政オランダ大使から30日の即位式の説明を計約1時間受けた。
雅子さまは侍従武官に英語で質問をしたという。
毎日新聞 4月30日(火)12時10分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130430-00000024-mai-soci
【皇室】皇太子さま、新国王の水上パレードにご参加…雅子さまは負担を考慮してパレードには出ず、ホテルに戻り休養
オランダ訪問中の皇太子さまは4月30日夕(日本時間5月1日未明)、ウィレム・アレクサンダー国王の即位を記念してアイ湾で行われた水上パレードに参加された。
雅子さまは当初の予定通り、負担を考慮してパレードには出ず、ホテルに戻り休養した。
水上パレードは即位式、国王夫妻主催のレセプションに続いて行われた。
国王夫妻が船に乗りアムステルダムの北部に水路のように入り込んだアイ湾を航行。
皇太子さまや各国王族も別の船に乗って祝賀行事を観覧した。
即位式に出席した長嶺安政駐オランダ大使が30日夜に記者会見。
大使によると、皇太子ご夫妻は最前列の席で式を見守り、周りの王族らと会話を交わし、時折ほほえみを浮かべることもあった。
式にはオランダ側の許可を得て雅子さまの世話をする女官も同行。
長嶺大使は「全体を通してオランダ側からの配慮をありがたく思っている」と述べた。(共同)
ソース:産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130501/imp13050114460002-n1.htm
【皇室】「もう雅子さまは後戻りできないのです」…雅子様オランダご訪問 渡航費用は政府専用機だけで数千万円
雅子さまの11年ぶりの海外公式ご訪問となるオランダご訪問がようやく決定した。
美智子さまは、雅子さまに“先のことは考えず、心配せずにオランダに行ってらっしゃい。その後のことは心配しなくてもいいから” といった内容の言葉を雅子さまにかけたという。
4月28日から5月3日までのご訪問は、現地オランダでも大々的に取り上げられているが、そこで気になるのがオランダ訪問の費用である。
2006年のオランダご静養の費用を詳らかにした中嶋啓明氏の『外遊経費から見る象徴天皇制の現在』という論文を参考に考えてみたい。
このとき、随行員は11人と今回と同じ。ただ前回は私的なご訪問だったため、政府専用機ではなく民間機で、皇太子ご一家に加え、7名がファーストクラスに搭乗した。
ファーストクラスは往復で、ひとり約165万円、愛子さまは子供割引で約124万円、他のビジネスクラスに乗った随行員の分も含め、合計で1652万円が航空運賃としてかかっている。
また現地では、ご一家はオランダ王室の離宮に宿泊されたが、随行員の大半は近くのホテルに宿泊。
このホテル代は約2週間の滞在で約157万円。食事代も約104万円。
これらのすべてを足すと2000万円を超える費用となる。
「今回は公式訪問ですので、政府専用機での移動となるので航空運賃はかかりませんが、ホテル代や食事代は同様にかかりますし、政府専用機は1回の運航に数千万円かかるといわれていますから、 その費用は莫大なものとなります。
公務とはいえ、これだけの国民の税金を使って海外へ行かれるのですから、いくら美智子さまが“帰国後のことは気にせずに”とおっしゃられたとしても、今までのように公務をまったくされない状況が続けば、これまで以上の批判を浴びることは避けられません。
もう雅子さまは後戻りできないのです」(皇室ジャーナリスト・神田秀一氏)
※女性セブン2013年5月9・16日号
ソース
http://n.m.livedoor.com/f/c/7627291
日本で新たに古墳が発見されると、市役所等を通して連絡を受けた職員が現地を訪れ、出土品を回収
後日レプリカを届けに来ます
ここまでは普通なのですが、実は天皇の出生や血筋、文献等の出土品は 全て地元に戻って来ません。その所在は地元に明らかにされる事もなく、レプリカも届かないそうです
その理由ですが、実は天皇は本物の神様で、出土品に証拠や 神器の使い方が書かれているので回収しているそうな
んなアホな、と思った地元に古墳や史跡のある方は、お近くの 郷土資料館へどうぞ
政所を鎌倉時代は「まんどころ」と読んでいたが、どう北条政子の名前も当時の発音では「まさこ」ではなく「ま○こ」だったらしい。
引きこもり糞雅子は実家へ帰れ
皇太子さまスペインにご出発
産経新聞 6月10日(月)10時38分配信
皇太子さまは10日午前、日本とスペイン交流400周年の記念行事出席などで同国訪問のため、
羽田空港から政府専用機でマドリードへ出発された。16日に帰国される。
スペインからはご夫妻に招待があったが、予定されるスケジュールや移動が多いため、病気療養中
の皇太子妃雅子さまは同行を見合わせられた。
皇太子さまは交流400周年の日本側名誉総裁を務められている。スペインご訪問は平成20年7月以来で6回目。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130610-00000509-san-soci
【皇室】 愛子さま 修学旅行のお小遣いは2500円以内 買い食い禁止
小学校生活最大のイベントである修学旅行??愛子さまも集団での新幹線移動、寺社見学、お友達との宿泊など、皇族というお立場上、普段はなかなか体験できないことを楽しまれた。
学習院初等科では、修学旅行のお小遣いは「2500円以内」となっている。
「ただし、買い物はホテル内のお土産売り場だけと決まっています。残念ながら、法隆寺や東大寺などの観光名所での買い物や買い食いは禁止されているんです。
児童たちはみな予算の中で、家族へのお土産を選ぶわけですが、そのお小遣いのやり繰りも愛子さまにとっては初めての体験でしょう。
お金のありがたみなどを学ばれ、一段と成長されたことでしょう」(学習院関係者)
そんな愛子さまの帰りを東京で待たれている雅子さま。しかし、そのご様子はいつもとは違ったものだという。
「これまでなら、愛子さまのお泊まりでの学校行事の際には、不安と心配でとても神経質になられていました。
しかし、今回は穏やかなご様子で、愛子さまの帰りをお待ちになられているようです」(宮内庁関係者)
その背景には、ママ友たちとの交流があった。
6月1日、学習院初等科では「全校参観日」で授業参観が行われた。この日、皇太子さまとご一緒に雅子さまは愛子さまの授業を見学された。
「愛子さまのクラスは国語と社会の授業だったんですが、社会では奈良時代の歴史を学ばれたんです。修学旅行で行かれる場所のお勉強だったようですね」(前出・学習院関係者)
授業参観を終えると、雅子さまは愛子さまの同級生のママ友と児童3組を極秘に東宮御所に招かれた。
「新学期が始まってからは、オランダご訪問などの準備でお忙しかったため、雅子さまは修学旅行に関する父母会は、女官にお任せになり、すべて欠席されました。
そのため、今回、雅子さまはママ会を開いて、修学旅行に関する情報を直接お聞きになられたようです。
ママ友たちとのコミュニケーションの中で不安は払拭されて、精神的にも落ち着かれ、愛子さまを笑顔で見送られたんです」(前出・宮内庁関係者)
http://news.livedoor.com/article/detail/7754712/
陰湿!秋篠宮ご一家中傷ネット工作!
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1368084246750.jpg 403pPBgs自己紹介草加駱駝 Name 名無し 13/05/06(月)11:42 ID:2t1ywves No.718980
> ID:suwChR.o No.718401
> 8
プロの空き巣グループの(狙った家への)印つけみたいに、創価仲間のなんらかの連絡番号なんでしょう。
この数字一文字というのは。
無題 Name 名無し 13/05/05(日)23:05 ID:suwChR.o No.718423
403pPBgs
草加奴隷子
無題 Name 名無し 13/05/06(月)13:47 ID:2t1ywves No.719109
あきすまでやってるのかね カネコマダニ一家
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| いつもありがとうございます。
| 海フェスタ 尾道 婆(広島県 在住) が
,__ .| 精神病院で狂死しますように 。
/ ./\ \_______________
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;;::iii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧∧ |;;;;::iii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (,, ) ナムナム |;;;;::iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ヾwwwjjrjww!;;;;::iii|jwjjrjww〃
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 ( ,,)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jr
http://www.news-postseven.com/archives/20130617_194346.html 雅子さま 愛子さまのご学友から将来の同級生女官をご希望か
2013.06.17 16:00
皇太子妃雅子さまは、愛子さまの将来に思いを馳せ、ある計画を秘かに進められているという。雅子さまは最近、愛子さまの同級生のママ友と児童を定期的に東宮御所に招き、情報交換や世間話をされるなどして、親交を深められている。
「雅子さまは子供たちやママ友との時間をとても大切にされているようです。もちろん友好を深めるのが最大の目的ですが、それ以外にもお考えがあるようです。
というのも、雅子さまは“将来、愛子さまが成年皇族となった際に、今仲よくしているお友達の中から、女官として愛子さまに仕え支えてくれる人が現れてほしい”という思いを強く持たれているんです」(宮内庁関係者)
そのため、今から雅子さまはママ友やご学友たちとの信頼関係を築き上げ、将来への布石にしたい、とお考えなのだという。
「もちろん、愛子さまはまだ小学生ですから、現実的には成人なさってからということでしょうが、雅子さまは、何よりも母親として“愛子さまを理解し、支えてくれる味方を”という思いを強くなさっているのかもしれません」(前出・宮内庁
関係者)
皇室典範改正に消極的な安倍晋三首相(58才)が、「女性宮家創設論」を白紙に戻したとはいえ、今、次世代の男性皇族は、秋篠宮家の長男・悠仁さまだけである。
となると、将来的に愛子さまに対する、悠仁さまを支える皇族としての期待は、いやが上にも高まることになるだろう。
※女性セブン2013年6月27日号
http://www.news-postseven.com/archives/20130603_191551.html 悠仁さま参加お茶女小運動会 厳戒態勢で保護者が落胆の声
2013.06.03 07:00
東京・文京区のお茶の水女子大学附属小学校で5月25日に行われた運動会。
この春入学された悠仁さまにとっては今回が初めての運動会で、秋篠宮さま、紀子さまも大きな声援を送られていたという。
しかし、そんな運動会の盛り上がりとは裏腹に、保護者の一部からは落胆の声があがっていたという。
それは学校側が敷いた“厳戒態勢”が原因だった。
「昨年までは、1人の児童につき関係者が4人まで入場できたんですが、今年は2人までしか入れてもらえませんでした。
ですから、きょうだいや孫の活躍を楽しみにしている祖父母を連れて行きたくても、それができない状況になってしまったんです。
学校側はその理由を“運動場が狭いから”としていましたが、苦しい言い訳ですよね。
明らかに、悠仁さまが入学されたためと思われるのですが…」(ある保護者)
厳戒ぶりは人数制限だけでなく、写真撮影にも及んだという。
今日、宮内庁から内々に電話がありました。
私一年前から三井住友VISAカード持っているのですが、何処で聞きつけてきたのか宮内庁から現在継承者がいなくて断絶している、旧宮家のひとつである有栖川家を継承してもらえないかとの事でした
もちろん私は皇族でもなんでもないことを理由に断りましたが、最初は宮内庁の担当者だったのが、次には宮内庁長官に代わり、それでも辞退をすると、
貴方のような方が平民で終わるのはおかしい、三井住友VISAカードは皇室でも限られた人間しか持っていないのだとのことでした。
ここで長官はどうしても固辞されるのなら陛下が貴方のお屋敷まで行かれる事になってしまうがそれでもかまわないのかとのことで
最後には、その話を受ける事にしました。
あらためて三井住友VISAカードのステータスの高さを思い知った一日でした。
そんな事よりよ、俺水戸黄門なんだけどさ、この間公家の一条三位が悪さするんで、屋敷に乗り込んで助さん格さんを大暴れさせたのよで、
いつものとおり格さんが印籠だしてみんな土下座で終了とおもいきや、肝心の一条三位が土下座しねえのよ、これが、マジで。
おまけに「だまりゃ!麻呂は恐れ多くも帝より三位の位を賜わり中納言を務めた身じゃ!すなわち帝の臣であって徳川の家来ではおじゃらん!
その麻呂の屋敷内で狼藉を働くとは言語道断!この事直ちに帝に言上しきっと公儀に掛け合うてくれる故、心しておじゃれ!」とか言ってるの。
おいおい、なんだよこの反応。マジムカツク。なんでネタ扱いなのよオレ。
なんだよ、 印籠出したら人生そのものがネタなのかよ。ふざけんなよ。
そこで今度は仕方なく、懐から三井住友VISAゴールドカードを出したのよ。
そうしたら、みるみる顔が青ざめて
「みっ、三井住友VISAゴールドカードでおじゃる!」って叫ぶや否や、マッハで土下座。
とどめにあとから左大臣まで出てきて何度も土下座されちゃったよ。
改めて三井住友VISAゴールドカードのステータスを実感した。ホントどえらいカードだよ。
両陛下、モモ生産農家らと懇談
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2303E_T20C13A7CR8000/ 福島県を訪問していた天皇、皇后両陛下は23日、宿泊先の福島市内のホテルで桑折町のモモ生産農家らと懇談された。
両陛下は福島第1原発事故後の除染作業や風評被害などの状況を聞いて「大変でしたね」といたわり、用意された地元産
のモモを食べて「今年はまたおいしいですね」と感想を述べられたという。
当初はモモ畑を直接視察する予定だったが、県内で大雨被害が出たことに配慮して取りやめられた。
両陛下は同日午後には静養のため栃木県那須町の那須御用邸に入られた。26日に帰京される。
寛仁親王邸:呼称「三笠宮東邸」に
http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20130731k0000m040120000c.html 宮内庁は、昨年6月に寛仁(ともひと)親王殿下が亡くなられて寛仁親王家が三笠宮家に合流したことに伴い、「寛仁親王邸」としていた赤坂御用地(東京都港区)の宮邸の呼称を「三笠宮東邸」とすることを決めた。
寛仁さまの両親の三笠宮ご夫妻が住む「三笠宮邸」の東側に位置することから決めた。
当主が決まらない状態が続いていたが、今年6月、1年前にさかのぼって合流することが決まった。
寛仁親王妃信子さまは療養中で、長女彬子(あきこ)さまは研究活動のため京都で過ごすことが多く、宮邸には次女瑶子さまが暮らす。
ある宮内庁関係者は「やむを得ないことではあるが、寛仁親王家の呼称が変わるのはやはり寂しい」と話した。【真鍋光之】
★愛子さま グッチの子供服コレクションのトートバッグを愛用
8月30日、皇太子ご一家は栃木県那須にある那須どうぶつ王国に姿を見せられた。
そこで、居合わせた人々の目を釘付けにし、ざわつかせたのは愛子さまが提げられていたバッグだった。
「ダブルGのブランドロゴがバッグ全体に入った、見た瞬間に誰もが“グッチだ”とわかるトートバッグでした。
バッグに気づいた女性客からは、“小学生でもうグッチなんて…”とため息が漏れたほどです」(居合わせた観光客)
そんな高級バッグを持たれる愛子さまを、雅子さまは嬉しそうに見守られていた。
「愛子さまが愛用されているグッチのトートバッグは、グッチが2010年11月から展開している子供服のコレクションの今年の春夏の新作で、約4万円の高級バッグですね」(ファッション関係者)
愛子さまがはっきり高級ブランドのものとわかるものを手にするのは今回が初めてのことだ。
景気の回復が実感できず、経済的に閉塞感を感じている今、増税、年金問題など日常生活に大きな不安を覚えている国民は少なくない。皇室ジャーナリスト・山下晋司さんはこう話す。
「そんな中、雅子妃殿下が愛子内親王殿下に高級ブランドバッグを持たせていると知れば、国民感情はどうなるでしょう。
しかも、妃殿下は治療とはいえ、この10年間、ご公務をほとんどされてこなかったわけですから。
私的なご活動ばかりが目立ち、さらにブランド品までとなれば、“雅子さまは国民の税金で贅沢されている”と国民が思ってしまう可能性もあります。
皇族方の公私にわたる生活費用が税金から支出されていても、表立って不満が出てこなかったのは、皇室と国民の間に信頼関係があったからです。
今回のグッチのバッグは、あくまでその一端にすぎませんが、これまで皇室が積み上げてきた国民との信頼関係に溝が生じる可能性があることを両殿下も東宮職も認識していただきたいと思います」
※女性セブン2013年9月19日号
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130906-00000000-pseven-soci
http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/shinninjo/basha.html 信任状捧呈式の馬車列の運行予定について
日時 平成25年9月26日(木) 午前10時05分頃(1回目)・午前10時30分頃(2回目)
(時刻は皇居前広場通過予定時刻)
馬車列をご覧になる際には,静粛を保ち,馬車列の運行の妨げや他の通行の迷惑にならないようご配慮をお願いします。
なお,当日,荒天の場合には,馬車列から自動車列に変更になることがあります。
(参考)信任状捧呈式馬車列経路
(往路)明治生命館→馬場先門交差点(右折)→皇居外苑→皇居正門→宮殿南車寄
(復路)宮殿南車寄→皇居正門→皇居外苑→和田倉門交差点(右折)→明治生命館
【ジョギング】皇居ランナーに警鐘「マナー守って」 非常識な行為相次ぎ
皇居周辺をジョギングするランナーによる非常識な行為が相次いでいることを受けて、当局はランナーに対してマナーを意識するよう警鐘を鳴らしている。
皇居が住所を置く千代田区役所によると、皇居を訪れた観光客やお年寄りに対してランナーが背後から激突し、謝罪がないまま走り去るといったケースの報告を受けているという。
「いくつかのケースでは、被害者がランナーによって悪態をつかれたり、罵声を浴びせられたりしています」
皇居の敷地内は厳戒な警備態勢が敷かれているものの、周辺の一帯は公共の場として開かれており、コンクリートに覆われた東京都心にあって自然豊かな緑地が広がっている。一日あたりの平均ランナー数はおよそ1万人に上る。
千代田区役所にはここ3年から4年間で約100件の苦情が寄せられており、同区役所は歩行者優先、反時計回りに走る、礼儀正しく振る舞う、といったルールを守るようランナーに注意を促す看板を設置した。
本来の国民意識は厳しい行動規範によって統制されており、地下鉄の乗り方から公衆浴場の使い方まで、やっていいこととやってはいけないことが至る場所に掲示されている。
一部の年配者は従来の行動規範が損なわれていることを嘆いてはいるものの、人口が過密している東京でも公共の場における衝突や非常識な行動は今でも非常に珍しい光景といえる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130930-00000035-jij_afp-spo
天皇陛下、皇居で伊勢神宮の方角に拝礼
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2021060.html 伊勢神宮では20年に1度の式年遷宮がクライマックスを迎え、2日夜に内宮(ないくう)で、新社殿にご神体を移す「遷御(せんぎょ)の儀」が行われ、天皇陛下
も皇居から伊勢神宮の方角に向かって拝礼をされました。
宮内庁によりますと、陛下は2日夜、伊勢神宮の内宮で行われた「遷御の儀」の時刻に合わせ、午後8時すぎに皇居内での神事に使われる神嘉殿(しんかでん
)の前庭で「遙拝(ようはい)の儀」に臨み、伊勢神宮の方角に向かって拝礼されました。また、皇后さまはお住まいの御所で、さらに、皇太子ご夫妻もお住まいの
東宮御所で同じように伊勢神宮の方角に拝礼されたということです。
遷御の儀には、皇族代表として秋篠宮さまが参列されたほか、両陛下の長女・黒田清子さんも臨時祭主を務めました。
「どんな芝居より演劇的」=遷御の儀でキーン氏
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013100300003 伊勢神宮内宮で行われた「遷御の儀」を見届けた日本文学研究者のドナルド・キーン氏(91)は2日、「ご神体を運ぶ行列
が小石を『ジャッ、ジャッ』と踏みしめる足音が、遠くから聞こえ始め、近づいてくる。そして遠ざかっていく。どんな芝居より
演劇的で、印象的だった」とのコメントを発表した。
開始前については、「儀式が始まるまで、何時間も座っていたが、周りの人は静かに、厳かにしていた。わたしも神聖な気
分になった」と表現。「陰の立役者」である宮大工もご神体を運ぶ列に加わったことに「何とも日本的で、好きなところ」と述べた。
今回で4回目というキーン氏。「遷御は国籍という枠組みを超越した神事。1953年に初めて出席したときにはほとんどが地
元の人だったが、今回はボストンから友人が駆けつけるなど、日本だけの儀式ではなくなっている」と指摘した。
★愛子さま 運動会で組体操
10月12日 16時40分
皇太子ご夫妻の長女の愛子さまは、12日、小学校の運動会で組体操に出場されました。
12日の東京は、よく晴れて11日に続く真夏日となり、新宿区の学習院初等科では、およそ770人の児童が参加して運動会が開かれました。
6年生の愛子さまは、午前中の障害物競走とむかで競走に続いて、午後は組体操に出場されました。
体操服姿の愛子さまは時折笑顔を見せながら、同じ学年の児童たちと音楽に合わせてサボテンやピラミッド、それに、扇の形などを次々と披露されました。
午前中、全国障害者スポーツ大会の開会式に出席した皇太子ご夫妻は、午後から小学校を訪れ、会場に設けられたテントで双眼鏡やカメラを手に愛子さまの様子を見守られました。
6年生は1学期から体育の授業の時間などに組体操の練習を続けてきたということで、愛子さまがいちばん下の段に入って7段の大きなピラミッドが完成すると、ご夫妻はほかの保護者たちと大きな拍手を送られていました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131012/k10015239511000.html
デブリンピックが有効打だった模様
↑
東宮信者なのに陰湿に屈折している皇室アンチ
竹田恒泰 「天皇を理由に日本のすばらしさを説くことが若者の間でブームになっている」
今、「竹田研究会」の講演会が人気だ。旧皇族・竹田宮の末裔で、明治天皇の玄孫(孫の孫)の竹田恒泰さん(37)が開く講演会で、内容は天皇を理由に日本のすばらしさを説くというもの。
しかしそのテーマとは裏腹に、会場はお笑いライブのような和やかな雰囲気で、若者の姿も見える。
この会に多くの人が集まる背景を、竹田さんに聞いた。
* * *
いま、国内で戦後初の「日本ブーム」が起きています。若者を中心に、自分の国のことをもっと知りたいと思っている人が増えている。
日本について知ることは、すなわち皇室について知ることです。竹田研究会の参加者が増えているのも、そうした流れに沿ったものだと思います。
大きなきっかけが、東日本大震災でした。天皇、皇后両陛下が被災者を励まされる姿をみて、「ああ、天皇ってこういう存在なんだ」と理屈抜きでわかった人が多かったのではないでしょうか。それで、皇室への関心が高まった。
さらに領土問題も重なり、温和な日本人もさすがに愛国心に火がつきました。
「愛国」と口にすると右翼という認識が戦後、長く続きましたが、やっと、「日本が好きだ」と言えるようになってきた。自分の国を愛し、誇りに思うのは当然のことです。
国民の自尊心が高まれば、もともと高い日本の生産性はもっとアップし、輝かしい時代を迎えるはずです。
日本は右傾化していると言われますが、大きく左に傾いていたのが真ん中に戻ってきているとみています。
皇室が尊いのは、血が尊いからではありません。国の統治者となった家系が2千年以上、男系で125代も続いてきた、万世一系の歴史の重みが尊いのです。
尊い血があるなら卑しい血もあるのかという議論がありますが、血の尊卑ではないのです。
竹田研究会では、政界も含め、いろんな場で活躍する若者を育てたい。人を育成することで、自分の国を誇りに思う日本人をますます増やせると思っています。
http://dot.asahi.com/news/domestic/2013101000046.html
皇后陛下
この10月で,東日本大震災から既に2年7か月以上になりますが,避難者は今も28万人を超えており,被災された方々のその後の日々を案じています。
7月には,福島第一原発原子炉建屋の爆発の折,現場で指揮に当たった吉田元所長が亡くなりました。その死を悼むとともに,今も作業現場で働く人々の安全を祈っ
ています。大震災とその後の日々が,次第に過去として遠ざかっていく中,どこまでも被災した地域の人々に寄り添う気持ちを持ち続けなければと思っています。
今年は10月に入り,ようやく朝夕に涼しさを感じるようになりました。夏が異常に長く,暑く,又,かつてなかった程の激しい豪雨や突風,日本ではこれまで稀な現象であ
った竜巻等が各地で発生し,時に人命を奪い,人々の生活に予想もしなかった不便や損害をもたらすという悲しい出来事が相次いで起こりました。この回答を準備して
いる今も,台風26号が北上し,伊豆大島に死者,行方不明者多数が出ており,深く案じています。世界の各地でも異常気象による災害が多く,この元にあるといわれて
いる地球温暖化の問題を,今までにも増して強く認識させられた1年でした。
続きは上記URL
皇后陛下のお誕生日に際してのご近影(お写真・ビデオ)
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gokinkyo/01/h25-1020-ph.html http://www.kunaicho.go.jp/activity/gokinkyo/01/h25-1020-mov.html
英皇太子、国王になりたくない? 米誌インタビュー記事が波紋
http://www.47news.jp/CN/201310/CN2013102601001404.html 【ロンドン共同】チャールズ英皇太子(64)のインタビューを載せた米誌タイム(電子版)が「皇太子は国王としての仕事を楽しくないと感じており、
王になりたいというよりも、慈善活動をできるだけやっていたいと思っている」と伝え、英国で波紋を広げている。
皇太子の気持ちを代弁した王室関係者が、国王即位を刑務所に入ることのように例えたと報じており、英王室は25日、「皇太子はそのような考
えは持っていない」と否定した。
【共同通信】
美智子さまwww
くまモンが両陛下をお出迎え 皇后さま「ありがとう。くまモンさん」
熊本県に滞在中の天皇、皇后両陛下は28日、県庁を訪れ、玄関ロビーで蒲島郁夫知事らとともに県の
PRキャラクター「くまモン」が出迎えた。くまモンは激しい動きの体操も披露。皇后さまは「ありがとう。くまモンさん」
と声を掛け、陛下も「ご苦労さま」と笑顔を浮かべてねぎらった。両陛下は同日夕、特別機で帰京する。
蒲島知事が国内外の各地で活躍するくまモンの活動をパネルなどで紹介すると、皇后さまは「くまモンはお一人
なの」と質問。知事は「子どもの夢を壊さないため、くまモンはくまモンです」と苦笑いしながら答えた。
http://www.daily.co.jp/society/national/2013/10/28/0006453589.shtml
■偏差値72、天皇家で一番の頭脳 愛子さま東大入学 そして雅子妃の復讐が始まる
子どもの未来は、無限の可能性に満ちている。それを思うと、親は勇気づけられ、強くなる。
学才をメキメキと伸ばしている愛子内親王。 愛する我が子の成長が雅子妃にもたらした、ある「変化」とは。
「愛子さまは、学業が大変優秀で、通信簿はほぼオール5。常に学年でトップクラスの成績だそうです。
特に国語がお好きで、放っておいてもご自分で本を読み、読めない漢字は漢和辞典を引いて勉強されています。
ややもすると、午前0時を回っても本を読んでいることがあって、皇太子殿下が苦笑しながら早く寝るよう促すこともあるとおっしゃっていました」こう語るのは、皇太子家に近い元皇族だ。
ここ最近、愛子内親王の勉学の才能が、周囲を驚かすほど目覚ましく花開いているという。元皇族が続ける。
「漢字のテストは毎回ほぼ100点です。何度か満点をとれなかったことがあるのですが、読めなかった漢字、書けなかった漢字をそれぞれノートに100回書くことを、自らに課しているようです。
また英語の実力も相当なもので、皇太子殿下が『愛子は私よりきれいな英語を話す』とおっしゃっていました。
科目の中では算数があまりお好きではないらしく、教えるのがお上手な雅子さまが、つきっきりで指導することもあるそうです。
ただ、好きではないだけで苦手ではなく、成績は5の評価。何でもできて、本当に優秀でいらっしゃいます」
成績は学年でもトップクラス、生活態度もしっかりして頼もしい。こうした娘の成長が、雅子妃の気持ちにも変化をもたらしていると、宮内庁関係者が打ち明ける。
「実は、愛子さまをエスカレーターで学習院大学に行かせるのではなく、東京大学へ進ませるお考えを持っていらっしゃるのです」
「眞子さまがご自分の意志でICUに進学されて以来、必ずしも学習院でなくていいという雰囲気が生まれました。
愛子さまも中学は引き続き学習院に通われると見られていますが、高校・大学まで決まっているわけではありません。愛子さまの成績と照らし合わせれば、東大という選択肢は十分考えられます」(宮内庁担当記者)
http://kodansha.cplaza.ne.jp/wgendai/article/131028/top_03_01.html
山本太郎 「五輪招致で皇室の方々に出席していただいたのも政治利用ではないか」
先月31日の秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した山本太郎参院議員(38=無所属)が2日、制服や私服の警察官約80人による厳戒警備の中、街頭演説を行った。
今日3日告示の葛飾区議選に出馬する候補の応援演説。山本氏は「国政の進行状況は遅い。今取り組まなきゃいけないテーマを、いつまでもやらない。原発、被ばく、労働環境の問題だ」などと国政への不満を口にし、
「じゃあ、どうするか。自分たちの生きている地域の政治を活性化させるしかない」として、区議選への投票を呼びかけた。
山本氏について、世耕弘成官房副長官は同日午前の読売テレビの番組で「自ら出処進退を明らかにするべきだ」と議員辞職を求めた。
山本氏は「僕のやった行為が政治利用なら、議会の出す答えを受け入れる」としながら
「主権回復の日に天皇陛下や皇室の方が列席され天皇陛下バンザイと言った行為、五輪招致で皇室の方々に出席していただいたのも政治利用にあたるんじゃないか」と反論した。
日刊スポーツ[2013年11月3日8時58分 紙面から]
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20131103-1213092.html
10月31日に行なわれた秋の園遊会で、参議院議員の山本太郎氏が天皇陛下に直接手紙を渡したことについて、閣僚や与野党から様々な声が上がっている。
また、この騒動には一部芸能人も見解を示しており、2日夜には情報番組「情報7daysニュースキャスター」(TBS系)でビートたけしが
「どういう神経してるんだろ。オレ、パフォーマンスだと思ったもんね。ちょっと失礼は失礼だよね」などと苦言を呈していた。
そんな中、3日放送のTBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」では、爆笑問題の太田光が自身の考えを語っている。
太田はまず「これは、もう本当に難しい問題だし、言うのもなかなか気を使うところがあるんですけど…」と前置きしつつ、「思想や国粋主義だとか、右翼だとか左翼だとか、そういうことに関わらずですよ。
歴史なんですよ、陛下っていうのはね」と自身にとっての「天皇陛下」を語った。
その上で、山本議員を評して「(歴史に)対しての畏れっていうのは、そういう感受性を持ってない人っていうのは…俺は、原発の問題にしろ何にしろ、そういう感受性を持たない人間に何ができるか、という気がするのね」と発言。
さらに山本議員の行動については「人がすごく大切にしている物を、別に傷つけたわけではないかもしれないけれども、直接手渡しするみたいな行為は。例えば神社で、(伊勢神宮の)式年遷宮やってますよね。
ああいう伝統的なものの中で、バカッターみたいにさ、パンツ脱いでとかっていうことをやらないじゃないですか」
「それは感受性だと思うんですよ」と語り、天皇陛下への畏敬の念がないものと断じている。
(続く)
http://news.livedoor.com/article/detail/8222807/
(続き)
また、太田は「今の陛下は、3.11の後もいち早く国民に向けてメッセージ出されましたし。
僕はあれを見て、初めてだったんですよ、目が合ったっていうのね、カメラに向けて。その時に感動したんですよ」
と話し、東日本大震災をきっかけに、改めて天皇陛下に尊敬の念を感じたことを明かしている。
続けて、「陛下は震災のあと何度も被災地に足を運んで、避難所でひざまずいて皆さんに握手して、福島にも行ってます」
「放射能が危ないって言ってる所に陛下が来られるってことで、どれほどの人たちが勇気づけられるか。だって国が許すわけないじゃないですか、そんな所に行かすの」
「でも『自らが行くことによって』ていうのを、かなりの使命感をもってやられている」などと語り、震災後の天皇陛下は「決死の覚悟」で行動されていたことと推測したという。
そういった経緯を踏まえた上で「だから、もし山本太郎がそのことを感じずにいたとすると、この(手紙を手渡すという)行為は、おそらくそれを感じない人の行為のような気がするのね」と、
天皇陛下の覚悟を理解せず、敬っていないからできる行為だと締めくくった。
(おわり)
参院、山本太郎氏の処分を確認 8日に具体案
参院議院運営委員会は7日の理事会で、園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した無所属の
山本太郎参院議員への対応を協議し「非常識な行為」として処分する方針を確認した。
具体的な処分案は8日午前に再協議する。
自民党は、山崎正昭議長が厳重注意した上で皇室行事への出席自粛を求めるとの処分案を
各党に示す方針を固めている。この日の理事会で提示する方向だったが、党内に「軽すぎる」
との異論もあり、調整のため提案を見送った。
理事会では、自民党が「山本氏は自ら出処進退を明らかにすべきだ。議員辞職を促したい」
と強調した。
http://www.47news.jp/CN/201311/CN2013110701001733.html
303 :
バカは氏んでも名乗らない:2013/11/08(金) 09:24:48.06 ID:9vquSDp1
ガルルルー 手紙受けとれ!
悠仁〜( ゚Д゚)<氏ね!
Z武〜 (゚Д゚ )…イ`
従軍慰安婦について述べておきます。まず、彼女達はただの売春婦だという事です。
まず忘れて成らないのは朝鮮は「日韓併合後は日本だった」と言う事で考えないといけません。
つまり、帝国陸軍軍人に成る事以外選挙権を含め全て法律的には日本人として扱われていました。
勿論その当時は選挙権は一定以上の税金を納めている男と言う条件がありましたがこれは日本人全部に言えることです。
本題として、日本軍は世界一性に潔癖な軍隊と言われていました。軍規には「他国において婦女子に強姦をしたる者はこれを銃殺に処す」と成っています。世界一キツイ軍規なのです。
アメリカ軍は、現地調達主義です。日本占領下でも数万人の混血児を生みました。ベトナム戦争では、最大60万人の米軍が駐留しましたが、5万人以上の混血児が生まれました。
これに対して日本軍は4年間の大戦中600万人が海外に行きましたが、混血児は軍が結婚を認めたフィリピンとインドネシアに200人が生まれているだけです。
そして日本軍は「自前調達=他国に迷惑はかけない主義」でしたので、「御用商人」として売春宿も付いて行きました。これが「従軍慰安婦」です。
そして、これらを利用したい男は高額なお金を払っていました。ただの売春宿なのです。
そして、この問題が外国勢力に動かされている日本のマスコミが無理に作り出したと言われているのが嘘が一杯あることです。
調べれば分かる事ですが「従軍慰安婦の50%以上が東北出身者です」それと外地に近かったため朝鮮出身者もいましたが「彼女達を斡旋した斡旋会社の社長は全て朝鮮人でした」
園遊会における山本太郎議員の動きが今日現在以下のように判明してきました。
・園遊会で立ち並んでいる参加者を映す取材陣は一箇所にしか居ない。
・その中で陛下との歓談を取材したい主だった参加者5名にピンマイクを付けて貰う。
・山本議員は当初、その取材対象になっている長嶋茂雄氏らの脇に強引に割り込もうとし、参加者から非難を浴びる。
・宮内庁職員が来て割り込みをした山本議員追い払われる。
・するとマスコミ取材対象参加者の列の「向かい側の列」に山本議員は移動し割り込み。
・陛下が参加者と歓談し始めると逆側の列からマスコミのカメラに映りこむように手紙を差し出した。
意図的にマスコミカメラの砲列が向いているワンポイントに自らが強引に入り込んでいたという事実。
手紙を渡す目的だけならわざわざカメラの集中している極狭いポイントにいる理由にならない。
結論:山本議員の行動は最初からマスコミを意識した位置取りであった。
ゆえに「マスコミが騒ぐから」という言い訳は彼自身の行動で全て無効となる。
秋の園遊会で天皇陛下に手紙を渡した山本太郎参議院議員の行動をきっかけに、 賛同者の一部からは「そうだ、皆で陛下に手紙を書こう!」といった呼びかけが出ている。
しかし、一般の国民が手紙を書いたとしても、天皇、皇后両陛下のお手元に届くにはいくつかの関門があり、そう簡単ではなさそうだ。
「窮状を訴えよう」「宮内庁に送れば届く」
約1800人もの招待客が集まった2013年10月31日の秋の園遊会。 山本議員は、自ら天皇陛下に話しかけた上で手紙を渡した。
子供の健康被害や食品の安全基準、原発作業員の労働環境など、福島第一原発事故後の「現状」を伝えるものだという。
前代未聞の行動にさまざまな方面から「常軌を逸した行動」と批判が飛んだが、山本議員の支持者や、急進的な反原発派の一部からはこんな意見が出た。
「そうだ、私たちも天皇陛下に手紙を書こう」 「お手紙書こうかしら!グッドアイデア!」 「皆で手紙を書いてこの窮状を訴えればいい。天皇陛下は親も同然 国民は子も同然」
こうした呼びかけは現在もインターネット上でじわじわと広まっている。
宮内庁宛に「日本国天皇 明仁陛下」で届く、と具体的な送り方に言及する人もいる。
天皇陛下へ手紙を送るとすれば、あて先は宮内庁で間違いないのだが、果たして一国民の手紙を天皇陛下がお読みになることはあるのだろうか。
元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司氏は「ケースバイケースですね」と話す。
支離滅裂なもの、差出人不明は即除外
宮内庁に届いた郵便物は秘書課で仕分けを行う。両陛下への手紙も当然あるが、支離滅裂なもの、差出人が分からないものは、まず渡されることはないという。
それ以外のものは両陛下のお知り合いである可能性もあるため、側近である侍従職に渡される。その後、両陛下のお手元に渡るかどうかは侍従職の判断となる。
つまり、両陛下のお手元に行き着くまでには、宮内庁によるチェックを数回クリアする必要があるということだ。
http://n.m.livedoor.com/f/c/8231157
【社会】山本太郎氏の“勝手に手紙”、英国でも報道「多くの保守層は今も天皇陛下と皇室は神聖な存在と捉える」
参院議院運営委員会は8日、秋の園遊会で天皇陛下に手紙を手渡した無所属の 山本太郎参院議員(38)に、厳重注意した上で任期中の皇室行事への出席を禁止する処分を決めた。
山本氏の問題は、英国でも報じられた。7日付の英紙ガーディアン電子版は
「日本の政治家が天皇陛下に手紙を渡し、批判を浴びている」と報じた。山本氏の行為を
「日本では礼儀を欠く不適切な行為とされる」と説明。皇室を取り巻く環境について
「多くの保守層は今も、天皇陛下と皇室は神聖な存在と捉え、一般人が声を掛けてはならないと信じている」と紹介した。
*+*+ nikkansports +*+*
http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20131109-1215771.html
【皇居】天皇、皇后両陛下が放流したコイが全滅、池に飛来したカワウの仕業か…カワウに飲み込まれないサイズのコイ15匹を新たに放流
天皇、皇后両陛下が1年前に、皇居・東御苑内の池に放流したヒレナガニシキゴイがほぼ全滅していたことが分かり、飼育をしている埼玉県農林総合研究センター水産研究所が8日、15匹を追加放流した。
宮内庁によると、池に飛来したカワウがのみ込んだとみられる。
昨年11月9日に両陛下と埼玉県の上田清司知事が体長15センチほどの5品種、計50匹を放流したが、カワウがコイをのみ込んでいるのを宮内庁職員が目撃した。
新たに放流したコイは体長約40センチで、カワウにのみ込まれない大きさに育っているという。
ソース(北海道新聞)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/502984.html
★慰霊碑に献花 両陛下が水俣病患者と初めて懇談
熊本県を訪問中の天皇皇后両陛下が、水俣病の患者や家族と初めて面会されました。
両陛下は27日、水俣病で亡くなった375人の名簿が収められた慰霊の碑を訪れ、花を供えて深く一礼されました。
さらに、水俣病の認定患者やその家族から、差別などの話をお聞きになりました。
祖父を水俣病で亡くした患者:「手足のけいれんなどさまざまな症状が現れて、 もがき苦しみ(水俣病だった祖父は)あの世へ旅立ってしまった」
両陛下が水俣病の患者と懇談されるのは初めてです。
陛下は、「本当にさまざまな思いを込めて、この年まで過ごしていらしたことに深く思いをいたしています」と述べられました。
宮内庁によりますと、両陛下から「症状の重い方と会えないか」と要望があり、急きょ休憩の時間に2人の患者とも懇談されたということです。
ABC WEBNEWS
http://webnews.asahi.co.jp/ann_s_000014904.html
続き
大恐慌下に最末期の脱落日帝・新自由主義の危機の中で、天皇制が「帝国主義ブルジョアジーの反革命的結集のシンボル」として登場してくることに対しては、労働者階級人民の「生きさせろ!」
の怒りと決起がさらに激しく巻き起こっていく。われわれはどこまでも山本氏とともに、国鉄決戦と反原発決戦を軸に闘いぬくであろう。
出典:週刊「前進」:山本太郎氏への与野党とマスコミの攻撃粉砕しよう
天皇制をシンボルとして担ぎ上げたのは他ならぬ山本議員なんですがそれは……(震え声)。
一度支援してしまった手前、引くに引けない泥沼状況に自らを追い込んでしまったのは御愁傷様です。
さて、その中核派ですが、今年になって幹部である荒川碩哉氏が公安のスパイだった事が発覚して、絶賛大揉め中です。内部分裂の火種を大量に抱えて、空中分解の最中でありますが、この山本議員の
支援を巡ってもどうなることでしょうか。要注目です。
皆さんも、味方する相手はよく吟味しましょうね。
以上
★山本太郎を「田中正造に匹敵」とコキ下ろすアホらしさ
秋の園遊会で天皇陛下に手紙を渡した山本太郎参院議員(38)が、猛バッシングを浴びている。
山本本人は「原発事故の現状をお伝えした。この国に生きる、この星に生きる命のひとつとして、思いを伝えたかった」と釈明していたが、天皇大権の時代じゃあるまいし、
この時代に陛下への“直訴”は意味のあることとは思えない。
いきなり手紙を差し出すのも失礼だし、園遊会で陛下に声をかけることが禁じられているのは暗黙のルール。
スピード離婚や隠し子騒動と醜聞まみれの男に常識を求めても仕方ないのかも知れないが、曲がりなりにも国会議員なら、公人が持つべき良識や常識を踏まえるべきだ。
それにしても、だ。山本の非常識な行動に、「政治利用を意図したもので、許されない」「議員辞職ものだ」と怒り狂って、血祭りに上げている与野党議員はやりすぎじゃないか。
下村博文・文科相は、足尾鉱毒事件で明治天皇に直訴を試みた「田中正造に匹敵する」とまで口にする始末だ。
悲惨な鉱毒被害にやむにやまれず、危険を承知で直訴に踏み切った明治の偉人と、山本を比べるなんて、どうかしている。メディアも山本をコキ下ろしているが、今は不敬罪で死刑になった時代じゃない。
明治憲法下に逆戻りしたかのような時代錯誤のムードは異常だ。
「山本議員を批判する政治家やメディアは、騒げば騒ぐほど、彼のメッセージが世間に広まり、 彼の“政治利用”に加担していることに気づかないのでしょうか。もっと言えば陛下の威光を借りて、
一介の議員のバッジを外しにかかることこそ、逆に天皇の政治利用にあたると思います」(政治評論家・本澤二郎氏)
ちなみに、直訴後に拘束された田中正造はどう処分されたか。
明治政府は鉱毒に対する世論の沸騰を危惧し、田中を狂人に仕立て上げ、拘束の翌朝、何の罪にも問わずに釈放した。
そんな暗い時代すら想起させる嫌な雰囲気を感じる。
gendai.net
http://news.livedoor.com/article/detail/8218086/
>>1よ。お前みたいな奴をみると、あの日のことを思い出すよ。
2001年8月25日。2ちゃんが本格的に閉鎖になりかけた日だよ。
転送量が多すぎて、費用が月700万もかかってるって発表されて、
「数日中に閉鎖」って予告されてさ、 その日のうちにあっちこっちの板が封鎖されてた日だよ。
あのときのUNIX板の住人、カッコよかったんだぜ。
「総力を結集」ってのはまさにああいう状態だよ。
転送量を1/3に削減しないと閉鎖、ってもんだから、新しいプログラム組んでさ、
そしたらほんの何時間かで完成したんだよ。それが聞いてくれよ、目標は1/3だったのに
1/16まで圧縮に成功しやがったんだよ。職人技なんてもんじゃねえよ、神技だよ。
でもよ、そうやって頑張る人がいた一方で、「ボクの肛門も閉鎖されそうです」とか
駄スレ立ててたバカも いたわけだよ。ちょうど、今のお前みたいにな。
だからよ、俺たちは総力を結集して、お前のバカ度を1/16に圧縮しようと思うよ。
ま、圧縮後でもお前のバカ度はこの世に生かしておくことのできないレベルだけどな。
公務増える雅子さま、きっかけはオランダ訪問
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131112-OYT1T00031.htm 療養に入り来月で10年となる皇太子妃雅子さま(49)が公務に臨まれる機会が増えている。
1〜2日には3年10か月ぶりの泊まりがけ地方公務で岩手県を訪問、5日には10年ぶりに皇居・宮殿で文化勲章受章者らとの茶会に出席された。まだ回復とは言えないが、復調のきっかけは今春のオランダ公式訪問だったという。
2日午後、岩手県釜石市の仮設住宅。雅子さまは1時間近く腰をかがめ、座って出迎えた高齢者に顔を近づけて励まされた。デイサービスの見学では、体操中の高齢者と目が合い、表情豊かな笑顔で会釈を返された。前日に盛岡市
で1泊した疲れは見えなかった。
雅子さまは、皇太子さまとともに8月20日に宮城県、9月22日に福島県を日帰りで訪問。2か月半で東北3県を回られたのは、東日本大震災の被災地への強い思いの表れだ。
昨年と今年の7月1日から11月11日までの雅子さまの公務を、宮内庁職員の異動のあいさつや家族の行事などを除いて比較すると、昨年は東宮御所での外国赴任大使らとの面会が2回、都内での行事出席は1回。これに対し、今
年の同期間には、東宮御所での面会や専門家らによる説明が13回、都内に外出しての行事出席は7回あった。内容からは、震災からの復興関係のほか、障害者、青少年などに関するものなど、雅子さまが関心を寄せられている分
野から活動が増えていることが分かる。
http://www.yomiuri.co.jp/zoom/20131112-OYT9I00020.htm
天皇皇后両陛下、崩御された際に火葬を望まれるとのこと。
宮内庁の風岡典之長官は14日の定例記者会見で、天皇、皇后両陛下が亡くなられた際の葬儀について、火葬を導入し、墓に当たる陵を小規模化すると発表した。
天皇の埋葬方法は江戸時代初期以来約350年間土葬が続いてきたが、「火葬が望ましい」との両陛下の意向を受け、宮内庁が約1年半かけて具体的な検討を進めていた。
宮内庁によると、天皇陛下の意向で皇后さまとの合葬も検討したが、皇后さまが「あまりに畏れ多い」と遠慮する考えを示したため、両陛下の陵を同一敷地内に寄り添うような形で一体的な陵として建造することにした。
両陛下の陵は武蔵陵墓地(東京都八王子市)内の大正天皇陵西側に建造し、面積は昭和天皇陵と香淳皇后陵の合計面積(4300平方メートル)の8割程度の約3500平方メートルに簡素化する。
形状は上円下方墳とし、鳥居や拝所は別々に設ける。火葬に当たっては、武蔵陵墓地内に専用施設を設置する。
葬儀では、亡くなった後、従来通り皇居・宮殿に「殯宮(ひんきゅう)」を設営し、一般の通夜に当たる行事を行う。
火葬前に比較的小規模な葬送儀礼を新たに実施し、火葬後は殯宮と同じ場所に新しく設ける「奉安宮」に移す。
一般の本葬に当たる「葬場殿の儀」の場所については、両陛下が「国民生活や環境への影響に留意する必要がある」との考えを示していることを踏まえ、今後検討する。(2013/11/14-17:48)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2013111400788
"「だいたい60%」とミスター、園遊会で 陛下、体調気遣われる "
31日に開かれた天皇、皇后両陛下ご主催の秋の園遊会。
両陛下は、プロ野球巨人終身名誉監督の長嶋茂雄さん(77)の体調を気遣い、プロスキーヤー、三浦雄一郎さん(81)には、80歳で成功したエベレスト登頂の快挙を祝福された。
平成16年に脳梗塞で倒れた長嶋さんに、陛下は「お体の方はいかがですか」と尋ねられると、長嶋さんは「だいだい60%になっています。ハハハ…」と笑顔見せた。国民栄誉賞の受賞にも「おめでとう」と祝福された。
漫画家のちばてつやさん(74)には、陛下は「ずいぶん世界的にも日本の漫画が、みんなに知られているようですね」と声をかけられた。
ちばさんが満州からの引揚げ体験を話すと、陛下は「ご家族は無事に戻ってこられたの?」「ずいぶん帰るときには、色々と苦労があったと思います」と気遣われた。
歌舞伎俳優の中村吉右衛門さん(69)には、陛下は「今度の歌舞伎座いかがですか」と、今年4月に開場した新しい歌舞伎座についてたずねられ、皇后さまは「良い舞台をお務めくださいね」と声をかけられた。
「エベレスト、やっと登ってきました」と報告した三浦さんに、陛下は「エベレスト、本当におめでとう」と祝福され、皇后さまも「素晴らしいことでしたね」とねぎらわれた。陛下が「前もってのトレーニングをやられたようですね」
とおたずねになると、三浦さんは「10年がかりぐらいでやってます」と説明していた。
歌手の由紀さおりさん(64)とのやりとりでは、陛下は、昨年2月の心臓バイパス手術後、由紀さんの代表曲「夜明けのスキャット」をかけながら歩行訓練をされたことを振り返られた。
由紀さんが「もうすっかり体調がおよろしくていらっしゃいますか」とたずねると、陛下は「そうですね」と応じられていた。
http://sankei.jp.msn.com/images/news/131031/imp13103122560003-p1.jpg 2013.10.31 22:52
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131031/imp13103122560003-n1.htm
雅子さま 成績優秀愛子さまに東大かハーバード進学願われる
来年3月に学習院初等科を卒業される愛子さまだが、学業は学年でもトップ10に入る成績で、保護者たちからも“将来は東大に進まれるのでは”という声が上がるほどだという。
雅子さまは、そんな愛子さまが中学生になられる来夏にもホームステイをさせたいと願われているという。
皇太子さまも中学3年生のとき、オーストラリアを旅行され、メルボルンでは一般の家庭で11日間、ホームステイを経験されている。
皇太子さまに続かれるように、1980年に秋篠宮さまがニュージーランド、1984年に黒田清子さんが英国、2006年には真子さまがオーストラリア、そして今年8月、佳子さまはアメリカ・ボストンで33日間のホームステイを体験されている。
「今皇太子ご夫妻が検討されているのが、おふたりの馴染みの深い英国と(愛子さまの祖父母にあたる)小和田夫妻がいるオランダのようです。
実現すれば、愛子さまにとってまたとない英語力アップのチャンスとなるでしょうね」(宮内庁関係者)
そして雅子さまは、愛子さまが高い英語力を身につけられることによって、ご自身の夢を愛子さまに叶えてほしいという思いがおありなのだという。
「雅子さまは、愛子さまがこのまま学習院大学に進むのではなく、東大へ進学させたいというお気持ちを持っていらっしゃるようです。もしくは、ご自身が卒業された米国・ハーバード大学へ進んでほしいという気持ちもお強いようですよ。
皇室典範によれば、愛子さまは15才になられたのち、ご本人が望まれれば、皇室会議を経て皇族の身分を離れることも可能ですし、いずれ愛子さまは民間に嫁がれるお立場です。
生涯の職として外交官を選ばれ、活躍されることも可能です。雅子さまはご自分が皇室に嫁ぐことで断念せざるをえなかった“世界中を飛び回る”仕事を愛娘である愛子さまに実現してほしいと願われているのだと思います。
そのためには英語力は必須ですから、今のうちから鍛えられているのでしょう」
(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2013年12月5日号
http://www.news-postseven.com/archives/20131123_228174.html
"陛下「少し、いただこうか」 原発事故後初収穫の広野町の新米、御所に"
宮内庁は27日、東京電力福島第1原発の事故後、福島県広野町で初めて収穫されたコシヒカリの新米が同庁に提供され、天皇陛下のご希望で、お住まいの皇居・御所に一部をお届けしたと発表した。
同町は事故後に自粛していた水稲の作付けを約3年ぶりに再開。
山田基星町長が10月に首相官邸を訪れ、各省庁の職員食堂用として新米を贈呈する目録を安倍晋三首相に渡していた。
宮内庁には20日、職員食堂約4日分の消費量に相当する120キロが届いた。
報告を受けた陛下が「苦労されて作ったお米であろうから、自分たちも少しいただこうか」と希望されたため、26日に一部を御所にお届けしたという。
宮内庁の職員食堂では、27日からおにぎりの無料サービスなどを提供する。
天皇、皇后両陛下は事故後、平成23年5月と24年10月、25年7月に福島県をご訪問。
24年の訪問では、広野町と同じ双葉郡の川内村で除染作業を視察された。
2013.11.27 12:39
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131127/imp13112712410002-n1.htm
「遊んでいい人に選ばれていないから、悠仁さまと友達にならなくていい。」 これは、不敬罪だろ。
11月30日、48才の誕生日を迎えられた秋篠宮さま。それに先立ってご夫妻で記者会見に臨まれたが、今年4月にお茶の水女子大学附属小学校に入学された悠仁さまの近況について、語られた。
紀子さまは「いろいろな経験を通して、小学校の生活にもだんだん慣れてきまして、今お友達と一緒にさまざまな活動に取り組み、元気に過ごしております」と悠仁さまのご成長ぶりに目を細められた。
だが、その悠仁さまをめぐり、学校の中で少々心配な状況にあるという。
「もともと、学習院のように皇族がたが入ってくる学校ではありませんから、多くの保護者たちは紀子さまや悠仁さまと積極的にかかわろうとはしません。
それどころか、“なるべくなら距離を置きたい”というのが本音のようです。それに、自分の子供が何かの拍子に悠仁さまにケガでもさせたら大変などとも思っているんです」(お茶の水関係者)
そんな思いからか、母親たちのごく一部には、子供たちに対して「悠仁さまとお友達にならなくてもいいのよ」と教えている人もいるという。
「そんな状況のため、子供たちの中には“遊んでいい人に選ばれていないから遊べない”なんて言う子もいるほどなんです」(前出・お茶の水関係者)
学内のそんな雰囲気は、紀子さまにまで及んでいるという。
「中には“皇族がたとお近づきになりたい”と考える母親がいて、彼女たちは紀子さまと親しくしているようなんです。
しかし、そのお仲間にはどこか近寄り難いものを感じている人も多いんです」(前出・お茶の水関係者)
確かに、悠仁さまがご入学されて以来、その厳重な警備に「学校の雰囲気が変わってしまった」と不満を漏らす保護者は少なくない。
そんな保護者たちの空気を敏感に感じ取られた紀子さまは、自らPTAの役員を買って出られるなど、一保護者として、積極的に学校になじもうと腐心してこられた。
しかし、ご入学から8か月、図らずも生まれてしまったママ友間の不協和音…。
その原因を作ったのは学校側の対応にもあるようだ。
「悠仁さまのクラスは、校内のいちばん奥にあって、比較的静かなんです。その上、先生たちは子供たちに“用がないときには別のクラスには行ってはいけません”とか“よそのクラスの前の廊下では遊んではいけません”という指導をしているんです。
もちろん学校側も“悠仁さまのクラス”と言っているわけではないんですが、子供から学校側の指導法を聞いた親御さんたちは“悠仁さまのクラスにはむやみに近づいてはいけない”というふうに受けとめて、
ピリピリしたムードになってしまっているんです」(前出・お茶の水関係者)
http://news.livedoor.com/article/detail/8331774/
韓日関係は1世紀前に逆戻りするのか
日本は、1年前に韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領(当時)が天皇の謝罪を要求する発言を行ったことを問題視し、韓日関係を極端な方向へと追いやっている。
また「韓国が日本の問題を韓日間に限定せず、他国にも持ち出して世界で日本に恥をかかせようとしている」と腹を立てている。
当時、李明博大統領が天皇の謝罪を要求した際の経緯はこうだ。李大統領は2012年8月14日、韓国教員大学で開かれたワークショップを訪問した際、ある教師から天皇訪韓に関する質問を受けて
「韓国を訪問したいのなら、独立運動を行って命を落とした方々の元を訪れ、心から謝罪するのなら来ればいい。痛惜の念などという単語一つ言いに来るのなら、来る必要はない」と答えた。
ちょうど4日前の8月10日に李大統領は独島(日本名:竹島)を訪問しており、この発言は、独島訪問への質問に答える過程で出たものだった。
当時、一部の報道によると、独島訪問に対する世論の反応が前向きだったことから李大統領の気分は高揚しており「あえて言わなくてもいいことまで言った」という。
李大統領自身も、2カ月ほど後に訪韓した麻生太郎元首相に「そういう意図ではなかった」と釈明に努めた。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/12/15/2013121500216.html
天皇皇后両陛下が昨年、吟じられた俳句
天皇陛下
<あんずの里>
赤き萼がくの反りつつ咲ける白き花のあんず愛でつつ妹と歩みぬ
<大山だいせんロイヤルホテルにて>
大山を果たてに望む窓近く体かはしつついはつばめ飛ぶ
<水俣を訪れて>
患ひの元知れずして病みをりし人らの苦しみいかばかりなりし
<皇居にて 二首>
年毎に東京の空暖かく紅葉ば赤く暮れに残れり
被災地の冬の暮らしはいかならむ陽ひの暖かき東京にゐて
天皇陛下のご感想(新年に当たり) - 陛下、相互扶助を説かれる
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h26.html 東日本大震災から3度目の冬が巡ってきましたが,
放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れずにいる人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々など,
年頭に当たり,被災者のことが改めて深く案じられます。
昨年も,多くの人々が様々な困難に直面し,苦労も多かったことと察していますが,新しく迎えたこの年に,
国民皆が苦しい人々の荷を少しでも分かち持つ気持ちを失わず,助け合い,励まし合っていくとともに,
世界の人々とも相携え,平和を求め,良き未来を築くために力を尽くしていくよう願っています。
雪の深くなる季節,屋根の雪下ろしの事故には十分に気を付けてください。
本年が,我が国の人々,そして世界の人々にとって幸せな年になることを祈ります。
【靖国】民主党の長島議員…靖国神社の「国有化」を実行に移すことが、天皇陛下による御親拝を実現する道筋
安倍晋三総理の靖国神社参拝を受け、民主党の長島昭久衆議院議員(51)が、“年の初めに「靖国問題」について改めて考える”文章をブログに綴った。
長島氏は「靖国問題」について、日本が戦争責任について主体性を失い、連合国による東京裁判(極東国際軍事裁判)に振り回された結果起こった問題であるとの見解をコメント。
それが故に「A級戦犯分祀論」は余りにも主体性のない議論だと考えており、極東軍事裁判に振り回された分祀論から一刻も早く脱却したいとの考えを示した。
この「靖国問題」を解決するには、東京裁判から一線を画して、日本が主体的に戦争総括を行う必要があると意見。
麻生太郎副総理が数年前に提案した、靖国神社の「国有化」を実行に移すことが、天皇陛下による御親拝を実現する道筋であるとの考えを示した。
民主党の細野豪志前幹事長も東京裁判についての長島氏の見解が自身の見解と一致しているとし、「英霊の犠牲を無駄にしたくないという思いが私にはあります」「勝者の裁きを受けた東京裁判については無念の思いはありますが、
戦後の秩序を現実として受け止め、今何ができるかを考えることこそ我が国の国益にかなう」と述べた。
ソース:
http://yukan-news.ameba.jp/20140108-118/
527 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2014/01/03(金) 11:28:14.52 ID:e7RG5HCS0
紀子さまのご実家にがりっぱなのは日本の内緒。
でもお妃様方の衣装のすばらしさは実家の実力。
そういった意味でも紀子さまはやきもち焼かれてほんとうに
お気の毒。どうしてあんなにおとしめられなければ
ならないのか。紀子さまと華子さまと信子さまの御仕度は本当に立派。
実家の実力。着物見ればわかる。高円宮さまのお着物は使い回し。
バリバリ働かないとまわらない経済。ご主人は宮さまでお妃さまも
所詮はリーマン家庭。公務員家庭のあちら様と親しいのは
庶民的だからだってりして。たのみになる実家はない。
経済的に苦労されてるのがわかります。
御気の毒な高円宮妃。お姫さま方のお勤め先も
三笠宮家の御姫様たちとは差がついてるし。余裕のないお顔されてる。
何でも任せてねっていっておいてたかったとリークされた紀子さま。
人格否定とかいびりとか雪の中の妊婦とかいじめられてたのは誰???
分かる人にはちゃんとわかってる。
悪は滅びると思うな。いつか。
ゲスやなツグビッチ!
>>342 「奇跡の回復」雅子は欠席の通常運行ですね
恒例の新年一般参賀でこう述べられた天皇のご表情は、とてもにこやかで新春にふさわしい晴れやかなものだった。
だが、80歳の傘寿を迎えられた昨年12月の誕生日会見に臨まれた際のお顔は、少し趣が違うものだったという。
?宮内庁担当記者が語る。
「会見での陛下のお言葉からは何かを伝えようという強いご意志が感じられました。ご発言には、安倍政権を意識されているのでは、と思われる部分が随所にありました」
?会見で天皇は、人生で特に印象に残ることとして「先の戦争」を挙げ、「日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と指摘。
「当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならない」と付け加えられた。皇室の活動と政治との関わりについての質問には、「今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていく」と明言された。
皇室関係者が語る。
「憲法を作った主語を日本としたうえで、わざわざ知日派の米国人の協力に言及されたのは、現行憲法が単に米国から押しつけられたものに過ぎないとの考え方に、反論されたとも受け取れます。
安倍政権が憲法を改正して、天皇を象徴ではなく元首に戻そうとしていることに対し、憲法に従い『象徴天皇とは何か』をずっと追求してこられた陛下は、ご自分の生き方を否定されたように感じられたのではないでしょうか。
だからこそ、昨年4月の『主権回復の日』を記念する式典に陛下をひっぱりだすなど、皇室の政治利用に遠慮をみせない安倍政権へのメッセージとして、あえて憲法を遵守する立場を強調されたのだろうと思います」
続く
2014.01.10 07:00 週刊文春
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3525
続き
?会見では、五輪招致をめぐる皇室の政治利用問題で菅義偉官房長官とバトルを繰り広げた宮内庁の風岡典之長官にも言及。
「宮内庁長官始め関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました」と述べられ、
天皇の良きアドバイザーになっていることを示唆して風岡長官に助け舟も出されている。
「現政権が風岡長官を毛嫌いし、交代させようとしているとの噂もあるので、陛下は釘を刺されたのではないでしょうか」(前出・記者)。
果たしてメッセージは届くのか?
まだ3歳なのか
「静」お題に歌会始=皇居
「歌会始の儀」で天皇陛下の歌が読み上げられ、起立して聞かれる皇后さま、皇太子さま、秋篠宮ご夫妻ら皇族方
=15日午前、皇居・宮殿「松の間」(代表撮影)
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1389770308734.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1389754421746.jpg 新年恒例の宮中行事「歌会始の儀」が15日午前、皇居・宮殿「松の間」で行われた。
今年のお題は「静」。天皇、皇后両陛下や皇族方のほか、天皇陛下から招かれた
召人(めしうど)、選者、2万1680首の一般応募の中から選ばれた入選者10人の歌が
古式にのっとった独特の節回しで披露された。
天皇陛下は昨年10月に初めて熊本県水俣市を訪れ、水俣病慰霊碑に供花した際に
見た海の情景を詠まれた。皇后さまは、伊勢神宮の式年遷宮で臨時祭主を務めた
長女黒田清子さん(44)が、遷宮間近の昨年9月にあいさつに訪れたときの様子を歌にした。
皇太子さまは新嘗祭の際、静まりかえった皇居・神嘉殿で、外から聞こえた神楽の音色を、
同妃雅子さまは昨年11月に東日本大震災の被災地見舞いで岩手県釜石市を訪問した際の
釜石湾の様子をそれぞれ詠んだ。
(2014/01/15-11:54)
大川隆法先生が「靖国参拝のあり方」について、昭和天皇・明治天皇・今上天皇・東條英機に考えを聞いた
LINE仕掛け人が「戦犯について、霊言で」とツイート "マジレス"してみると……
LINEの仕掛け人である田端信太郎氏は、自身のツイッターで、「やはり、ここは大川隆法センセイに登場頂いて、A級戦犯合祀について、昭和天皇の御心を霊言の形で語って頂くほかあるまい」と投稿した。
田端氏は、フリーマガジン『R25』の創刊に携わり、ライブドアニュースの統括、「BLOGOS」などの新規メディア立ち上げ、LINEなどの広告営業全般を統括する、日本を代表するメディアメーカーだ。
同氏が投稿したのは、安倍晋三首相の靖国参拝への批判にある、「東京裁判で死刑になったA級戦犯が、靖国に合祀されている」という意見に関してだ。
実は、幸福の科学の大川隆法総裁は、歴代天皇または守護霊を招霊し、その御心を明らかにしている。ここでは、「靖国参拝のあり方」に関する各霊人の考え方を紹介し、田端氏の投稿に「真面目に返答」してみたい。
■昭和天皇霊 「慰霊は天皇がすべき」
昭和天皇の霊は、「自分の国の国民で、戦死した人たちを慰霊することは義務だ」と主張。その上で、「内閣総理大臣の慰霊によって、戦死者が救われるとは私は思いません。
これは宗教的なものを伴わなければいけませんので、(神道の祭司である)天皇家が、その責務を本来は負わなければならないと思っております」と語った。まだ成仏できていない戦没者を、天上界に還すという、靖国参拝の本質を考える必要があることがわかる。
■明治天皇霊 「"慰霊施設"をつくればいい」
明治天皇の霊も「内閣総理大臣は選挙で選ばれた為政者であり、鎮魂の方ではありません」と、天皇による慰霊の必要性を語った。
また、「日本神道においては、『供養』という考えが基本的にないので、戦没者をすぐ神にしてしまう」ことが、国際的な反発を生んでいると指摘。
その上で「戦没者の慰霊施設」の設置を提案した。ただしこれは、左翼言論人が主張するような「A級戦犯分祀」「無宗教にする」という主旨ではく、戦没者が信仰対象のようになっていることへの指摘である。
(続く)
http://the-liberty.com/article.php?item_id=7169
続き
■今上天皇守護霊 「『敗戦国は慰霊できない』は通らない」
今上天皇守護霊は、靖国参拝について「憲法上、政教分離規定というものをはめ込まれてしまったために、天皇は国家神道的な活動ができないようにされております」と"法律上"の障害を語った。
各天皇の言葉は、靖国神社に関して考えるべき本当の問題が「宗教的に、戦没者にいかに成仏してもらうか」「天皇が、神道の祭司としての仕事をできていないこと」であることを教えてくれる。
■東条英機霊 「『A級戦犯』合祀は子孫の自由」
田端氏が投稿した、「A級戦犯合祀」の問題に関しては、当事者である東条英機の霊が語っている。「『われわれは、国を守るために、無我の気持ち、無私の気持ちで戦った』ということを信じてくれるのならば、お参りしてくれても構わないし、(中略)
『日本では、悪党の親分が、官僚制で、あるいは、士官学校から選ばれて、上に上がり、国を牛耳っておったのだ』と思うなら、石を投げて靖国を潰すなりするのは、子孫たちの自由ではあると思いますよ」と語った。
しかし東条霊は「私を『A級戦犯』ということで、教科書に悪者として書き、今後もいじめ続けるのも結構ですが、これを、沖縄や九州を取ったり、日本を支配したりするようなことには利用されたくない」と、あくまでも国を思う無私な心をにじませた。
靖国参拝は、外交や歴史問題以上に、極めて宗教的な問題である。
「戦没者」「英霊たち」「指導者たち」があの世から見てどう思うかに耳を傾けるのは、正しい姿勢だ。日本人はあまりに「恩知らず」な態度で、彼らに「浮かばれない」思いをさせていないか、改めて考える必要がある。(光)
皇后さま「透明人間になってもう一度本の立ち読みをしたい」
神田神保町といえば、世界最大級の書店街だ。とくに古書店が多く、明治期に界隈に創設された学校にあわせて誕生、発展した。
洋古書販売と和洋古書買取専門店の北沢書店を作家の山藤章一郎氏が訪ね、聖心女子大生だったころの皇后さまが来店した折りについて語った店主の思い出を報告する。
* * *
東京神保町に〈北沢書店〉という古くからの洋書専門店がある。1階は児童図書専門店〈ブックハウス神保町〉。親子で絵本を〈坐わり読み〉できる
大きなベンチがあり、常時1万冊の児童書がそろう。2階にあがる。ツイードのスカートスーツ、金のブローチをつけた80を越す北澤悦子さんが若き日の皇后さまの話をする。
2007年、欧州5か国歴訪前の宮内会見で皇后さまは、「お供も警護もなしに1日を過ごせたら何をなさりたいですか」と問われて、お答えになった。
「透明人間になって、学生時代よく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もういちど本の立ち読みをしてみたいですね」
〈本の街〉神保町には約180の古書店がある。ぶらりと訪ねて見知らぬ本に出会う喜びは、スマホでは味わえない。
※週刊ポスト2014年1月24日号
http://news.mynavi.jp/news/2014/01/16/122/
元慰安婦 「日本の天皇は韓国へ来て、元慰安婦一人一人の前にひざまづいて謝罪してほしい」
2014年2月12日、香港・文匯報によると、韓国に存命中の旧日本軍元慰安婦55人は、平均年齢は88歳と高齢化が深刻となっている。
日韓関係の悪化が続き、日本側の謝罪も賠償も望めない中、女性たちの間には「日本人は私たちが死ぬのを待っている」と絶望する声も出ている。中国新聞網が伝えた。
それによると、ソウル市北部にある元慰安婦の共同居住施設「ナヌムの家」に住む89歳の女性は
「旧日本軍に青春を奪われた。恋愛結婚することも、子供を産んで育てることもできず、一般的な女性の生活を送れなかった」と訴えた。
15歳で慰安婦にされたという88歳の女性は「日本の天皇は韓国へ来て、元慰安婦一人一人の前にひざまづいて謝罪してほしい」と語った。
ナヌムの家によると、元慰安婦の多くは長期的な精神疾患などに苦しめられてきたという。
釜山大学政治学科の専門家は「日韓の領土問題は国際問題に発展した。
日本側は慰安婦問題を『韓国が道徳的、哲学的な側面で日本を攻撃する材料にしている』と認識している」と指摘している。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=83268
★天皇陛下・傘寿記念の参観、申し込み要領を発表
宮内庁は17日、天皇陛下の傘寿(80歳)を記念して行う皇居・宮殿の特別参観の申し込み要領を発表した。
参観日は5月24、25日で、両日とも集合時間は午前9時10分、午後0時20分、
午後3時5分の各3回。同庁職員の説明を受けながら、宮殿で最も格式の高い「正殿」や、
国賓歓迎の宮中晩さん会が催される「豊明殿」などを1時間20分かけて見学する。
宮殿内の写真撮影は不可。
募集定員は各回50人。18歳以上が対象で、往復はがきで3月14日(当日消印有効)までに申し込む。
応募多数の場合は抽選。詳細は同庁ホームページか、テレホンサービス(電話番号省略)へ。
(2014年2月17日19時02分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140217-OYT1T01040.htm
愛子さま、風邪気味でご欠席 産経新聞 2月14日(金)16時24分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140214-00000595-san-soci 宮内庁は14日、皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまが
13日、風邪気味で学習院初等科の授業を休まれたと発表した。
のどの痛みを訴えられていたが、快方に向かい、14日は4時限目から登校されたという。
---------
コメント
---------
・いちいちニュースにすることとも思えんが・・・。正直いって、興味ない。
・無愛想な内親王はもうどうでもいい。毎年毎年の母親のご静養に付きあう映像しか無いし、6年生になっても挨拶言葉さえ一言も発しないお姫様は興味なくなった。
・風邪ぐらいで記事に載るなんて・・・ もっと大変な国民の方もおられるのに・・・
・病欠グセは、母親譲りでしょうか?お体お大事に…
・風邪引いた話題しか報道出来ないんだよ。内親王の声と会話を聞かせろよ。と思う。
・皇太子が200m台の山に登りましたとか、内親王が風邪(それも気味・・)で学校休んだとか。東宮家のニュースって、こういう国民にとってはどうでもいいことばかり。
働き盛りのはずなのにバリバリ公務に勤しんでおられるニュースはとんと聞こえてきませんね。なんでだろー?
・野村東宮大夫の時に愛子ちゃんの事は発表しないと言ってませんでしたっけ?
風邪を引いた報道は国民の心配を煽るだけだと思うんですが?よくご病気なさいますね。健康管理はどうなってらっしゃるのでしょうか?
■ 皇室典範に関する有識者会議 報 告 書 (首相官邸HP)
ttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/houkoku/houkoku.html 我が国では、これまで、一貫して男系により皇位が継承されてきた伝統があり、
女子が皇位に即き、更に女系の天皇が誕生する場合、こうした伝統的な皇位継承の在り方に変容をもたらすこととなる。
皇位の継承における最も基本的な伝統が、世襲、すなわち天皇の血統に属する皇族による継承であることは、憲法において、皇位継承に関しては世襲の原則のみが
明記されていることにも表れており、また、多くの国民の合意するところであると考えられる。
男系男子の皇位継承資格者の不在が懸念され、また、歴史的に男系継承を支えてきた条件の変化により、男系継承自体が不安定化している現状を考えると、
男系による継承を貫こうとすることは、最も基本的な伝統としての世襲そのものを
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
危うくする結果をもたらすものであると考えなければならない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
換言すれば、皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することは、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
社会の変化に対応しながら、世襲という天皇の制度にとって最も基本的な伝統を、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
将来にわたって安定的に維持するという意義を有するものである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■ 英王室、女子でも長子なら王位へ…政府調整開始
ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110420-OYT1T00743.htm 英国のウィリアム王子(28)とケート・ミドルトンさん(29)の29日の挙式を前に、
英政府が男子を優先する 『 王位継承法の改正 』 に向け本格調整に入った。
英政府は「2人に第1子が誕生する前に法改正を実現したい考え」
(サンデー・タイムズ紙)という。
キャメロン英首相は19日、BBCラジオとのインタビューで王位継承について
定める1701年制定の「地位法」について、「改正が必要だと思う」と述べた。
他の欧州諸国で男女を問わず長子の王位継承が認められるようになった中、
男子優先を定める地位法には「時代遅れ」との批判が上がっていた。
英国ではエリザベス女王の前にもビクトリア女王ら女性君主がいたが、
いずれも兄弟がいなかった。
(2011年4月20日17時51分 読売新聞)
宮内庁の羽毛田信吾長官は10日の記者会見で、民主党などの
連立政権による内閣が近く発足することに関し「皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、
対処していただく必要があると申し上げたい」と述べ、
★ 皇位継承の対象を男系の男子皇族に限定している皇室典範の改正問題に
取り組むよう要請する考えを示した。★
羽毛田長官は「皇室が安定的に続くかどうかという問題が存在するという意識は、
政権が変わっても変わらず持っている」と述べ、あらためて皇位継承の現状への懸念を表明。
その上で「事実を伝えることはやらねばならない(私の)務め。できるだけ早くそういう場を
持ちたいと思っている」と意欲を示した。
皇室典範の規定では、天皇陛下の孫の世代の皇位継承対象者は
秋篠宮家の長男悠仁さま(3)しかいないのが現状。
典範改正をめぐっては、政府の有識者会議が2005年11月、女性・女系天皇を容認する
報告書をまとめたが、その後の議論は停滞している。
羽毛田長官はこれまでにも皇位継承の不安定さを指摘。
女性自身 2011年11月22日号
■ 美智子さま(77)祝宴からの”悲嘆退出”にあった 雅子さま 紀子さま 「 凍える冷戦 」 悠仁さま「着袴の儀」内宴で”異変”目撃──
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/emperor/1316693548/116-123 ・内宴終了後、美智子さまはまるで報道陣を避けるかのように、ご到着の際とは違う門を通られ、御所にお戻りになった──
・雅子さまの愛子さまへの懸命なご看病ぶりは、宮内庁でも話題になっていた
・秋篠宮家から連絡がない
・秋篠宮ご夫妻が、皇太子ご夫妻を避けられているようにお見受けします
・皇室典範の見直しは、まず眞子さまら、女性皇族を当主にした
宮家の創設についての議論が急務 (松崎敏弥)
・しかし、女性天皇・女系天皇に関する議論も避けては通れない問題 (松崎敏弥)
・両家の関係悪化の最大の原因は、”皇位継承の問題” (橋本明)
・帝王教育が始まってないのは秋篠宮家の皇太子家に対するご遠慮 (橋本明)
・皇位継承順位第三位の悠仁さまだが、皇室での待遇は、皇太子家の長女である愛子さまのほうが上 (橋本明)
■秋篠宮家の増築・新築関係のURL
ttp://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/chotatsu/kokyokoji/pdf/kanribu-zuikei-h19-01.pdf ■秋篠宮邸 写真
ttp://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3ji/img-box/img20080610171032.jpg >秩父宮邸は改修…公務用の棟
>秋篠宮邸は新築
>悠仁が生まれて秋篠宮邸改修
>悠仁が生まれて1年後に悠仁用2階建て新築
■報道によると悠仁用の八千万の高級プレハブは、二階建て鉄筋コンクリートで90平米 この私室棟と同じく色はベージュで、渡り廊下でつながっているそうです
秋篠宮邸 私室棟建具 改修ほか工事 平成18年5月18日 \2,835,000
秋篠宮邸 改修 ほか 工事 平成18年8月2日 \10,710,000
秋篠宮邸 屋外階段 取設ほか工事 平成18年8月11日 \16,800,000
秋篠宮邸 運転手詰所 新築工事 平成18年9月20日 \12,075,000
秋篠宮邸 造り付け家具 設置工事 平成19年1月25日 \2,415,000
秋篠宮邸 2階間仕切 壁取設 ほか工事 平成19年3月14日 \3,360,000
秋篠宮邸 増築工事 平成19年6月22日 \66,150,000
追加変更 第二回後→ \77,175,000 ←悠仁専用育児棟2階建て新築費用
秋篠宮邸 女子職員棟 増築 ほか 工事 平成19年7月26日 \6,090,000
ttp://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/chotatsu/kokyokoji/pdf/kanribu-zuikei-h19-01.pdf
-------------------------------------
<検索キーワード>
どこが秋篠宮家が質素で東宮家と比べて金額が少ないんだよ
愛子様よりはるかに無駄に贅沢してんじゃねえか
お茶の水女子大付属幼稚園に「特別枠」作って一人だけ学区外から入園、車通園
悠仁一人だけのために、厳重な警備施設設置で警官常駐、セキュリティシステム設置
SPの送り迎えと往復の車運転手付き 紀子専用便所新築設置 父母に戒厳令
徹底的な撮影禁止 催し物や行事も撮影禁止 職員大量辞職 ヒステリー 警備にうるさい紀子
自分の失態も警備のせいにする紀子 インドンネシア外遊後、悠仁顔面4針の怪我
「あなた方から情報が漏れてしまったのではありませんか」と激怒する紀子
378 :
バカは氏んでも名乗らない:2014/02/25(火) 09:00:22.63 ID:qkb5BJGc
てすと
秋篠宮殿下が飼育研究会を視察
全国の動物園関係者らが動物の飼育などについて発表を行う研究会が18日、
愛知県豊橋市で始まり、秋篠宮殿下がご臨席されました。
この研究会は、全国151か所の動物園と水族館が加盟する
日本動物園水族館協会が、飼育技術の向上を目的に開いたものです。
飼育員や獣医師らが研究成果を発表し、会の総裁を務める秋篠宮殿下は、
豊橋総合動植物公園の両前足を骨折した子ゾウの「マーラ」のリハビリ経過など、
11の動物園による研究発表の一部をご覧になりました。
研究会は20日まで開かれ、秋篠宮殿下は、19日は豊橋総合動植物公園も視察される予定です。(18日18:44)
http://hicbc.com/news/index.asp
豊橋で動物園技術者研究会 総裁の秋篠宮さまが出席 マーラの治療経過など発表 日本動物園水族館協会
国内の動物園・水族館でつくる日本動物園水族館協会(山本茂行会長)主催の第61回動物園技術者研究会が18日、豊橋市内で始まり、同日午後、ホテルアソシア豊橋で研究発表会を開いた。
発表会には同協会の総裁を務める秋篠宮殿下が出席された。
(安藤聡)
同団体は動物の飼育や繁殖技術向上を目的に年1回、研究発表会を行っており、豊橋で開かれるのは1994年以来2回目になった。
秋篠宮さまは山本会長や鈴川正視・豊橋総合動植物公園部長の先導で発表会場にお入りになり、同総合動植物公園の今田七重・獣医師による発表「アジアゾウ・マーラの両前肢の骨折と治療経過」など六つの研究報告をお聞きになった。
また、秋篠宮さまは研究発表会へのご出席に先立ち、豊橋の二川宿本陣資料館で開かれている「ひなまつり」を視察された。
加藤正俊教育長や後藤清司・同資料館館長の出迎えを受けて、約4000点の雛(ひな)人形などが並ぶ館内を見て回られた。
秋篠宮さまは飾られている雛人形が多いことから、「展示されている雛人形はどのぐらい時間かけて飾られたのですか」と尋ねられ、
後藤館長が「職員とボランティア総出で1週間かけて飾りました」とお答えした。
また、「お雛様の並び方が逆ではないですか」と指摘され、後藤館長が「東三河では関東とは逆に、男雛が向かって左、女雛を右に飾ることが多いようです」と説明すると、「たくさんの雛飾りが飾られてすごいですね」と感心された。
秋篠宮さまをお迎えして開かれた研究発表会には国内61園(館)から103人が参加した。
冒頭、会長の山本・富山市ファミリーパーク園長は「動物園と水族館がヒトを含めた生物の多様性を保全する社会と世界をつくり出していくことに貢献したい」とあいさつした。
あす参加者、総合動植物公園を視察
19日までに計34の研究発表が行われるほか、参加者たちは20日に豊橋総合動植物公園を視察する。
http://www.higashiaichi.co.jp/newspaper/befor_today/2014/140219t/14021901.html
【芸能】デヴィ夫人、現皇太子を廃嫡せよと署名運動開始。小和田家の婿養子のような現皇太子が天皇として即位されるとしたら日本の一大事
小和田雅子さんをお妃にむかえてしまったばかりに今、日本の皇室は小和田家の影響と雅子様のために皇室自体の存続が危ぶまれている状態となってしまいました。
これはひとえに小和田雅子さんが『皇太子妃』となる認識とご覚悟が無かったからと言えましょう。
雅子妃の常軌を逸したふるまいのためにどれだけの人が迷惑をし、どれくらいの国費が無駄に使われていることか。
『雅子様』より『雅子さん』に戻っていただくことが、一番良いことだと思います。
愛子様にとっても、10人もの従者を従えて、何名もの警官を見張りに立たせ大名行列のように学校へ通う、朝起きれない母親のために毎朝遅刻をする、給食は他の児童と一緒にとらず、別室で母親といただく、なんて異常な生活ではなく、
のびのびとした普通のお嬢さんとして学び、遊び、お暮らしになるほうが余程お幸せでしょう。
こういうお育ち方をしている愛子様を 「女帝に」と持ち上げる輩はもってのほかです。
元々、このご結婚には、無理があったのです。
雅子さんも小和田家の方々も皇室を敬う気持ちを お持ちでないからです。
皇室の祭祀を一切なさらない、ご関心もない雅子様に「皇后様になることは無理」と言わざるを得ません。
日本の天皇制、皇統が崩壊することです!
今やすっかり人心が離れてしまった皇太子妃雅子様。尊敬の念すら失われている人を皇后様と崇める人はいないでしょう。
今上陛下に何かが起き、お隠れになるようなことがあった場合、現皇太子が天皇として即位されるとしたら、日本の一大事です!
皇太子のお口から出る言葉は、国民のことではなく、「雅子」「愛子」のことばかり。小和田家の婿養子のような皇太子に天皇を誰が望みましょう。
日本が今かろうじて一つになっているのは、天皇がおられ、皇統が続いているからです。
皇統は扇子で言えば要のようなものです。要が壊れれば、扇子はバラバラになってしまい、 アメリカの一州になるか、中国の一省になってしまうかもしれません。
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-11078455667.html
皇后さま、「シャヴァンヌ展」鑑賞
2014/2/24 10:43
皇后さまは24日午前、東京都渋谷区のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の
「シャヴァンヌ展」(日本経済新聞社など主催)を鑑賞された。
同展は19世紀のフランスで活躍した画家、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌを日本で初めて本格的に紹介する回顧展。
入り口で平田保雄・日本経済新聞社会長らの出迎えを受けた皇后さまは、作品を約20分間にわたり鑑賞。
代表作「諸芸術とミューズたちの集う聖なる森」について
「心象も入れられていて、次の時代も受け入れられたんでしょうね」と説明役に話すなど、熱心に見て回られた。
Bunkamuraでの同展開催は3月9日まで。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG24010_U4A220C1CR0000/
秋篠宮ご夫妻、若手研究者と懇談
秋篠宮ご夫妻が、若き研究者たちと懇談された。 秋篠宮ご夫妻が懇談されたのは、
さまざまな分野で学術研究を行っている20代から30代前半の研究者たち。
天皇陛下の即位20年を機に、若手研究者を支援するための事業として始まった
日本学術振興会の有志賞を受賞した研究者たちで、大学や学会からの推薦と審査を経て、
今年は18名が選ばれた。秋篠宮さまは、熱心に質問され、受賞者1人ずつと研究の中身について話されていた。
[ 2/24 22:06 NEWS24]
http://www.news24.jp/nnn/news89075514.html
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 1/12
[ 秋篠宮家の侍女長が、紀子さまの仕事への指示の細かさと激務に体調を崩しノイローゼになり、出勤不能の状態になったと伝えられたー ]
着袴の儀ーこれは、皇室のお子さまが5才を迎えるころに、健康を祈って初めて袴を身に着けられる儀式で、一般の七五三にあたる。
9月6日に5才の誕生日を迎えられた秋篠宮家の長男・悠仁さまは、この秋、着袴の儀を予定されている。
悠仁さまは昨年4月、お茶の水女子大学付属幼稚園にご入園、現在は年中組に進級されている。
「元気いっぱいで園庭を走り回ったり、虫取りや砂場遊びをなさっています。また、年長組の園児が育てている野菜の成長を熱心に観察したりと充実した幼稚園生活を送られているようです。
年中組になられてからは、園の行事などで、年少組の子の手を引いてあげたりと、“お兄さん”の表情を見せられることも増えてきました。」(宮内庁関係者)
悠仁さまは生き物が大好きで、今年はクワガタやカブトムシに加えて、皇后・美智子さまから譲られた「ヤママユ」を幼虫から成虫になるまで大切に育てられるなど、貴重な体験を積まれている。
また、秋篠宮さまとご一緒に図鑑を広げては、昆虫や魚を調べられるなど、さまざまなことに好奇心旺盛でいらっしゃるようだ。
そんな悠仁さまのご成長ぶりを、誰よりも嬉しく思っているのが、母である紀子さまであろう。
「幼稚園のお弁当は時間の許す限り、紀子さまが手作りなさっています。悠仁さまが年中組になられてからは回数が増え、週に3回、お作りになることもあるようです。
宮邸のお庭で育てられたなす、ミニトマトなどを悠仁さまと一緒に収穫なさって、それをお弁当に入れてあげたりもしているみたいですね」(皇室記者)
紀子さまは、“親子で遊ぶ日”、“親子遠足”、“じゃがいも掘り”などの幼稚園の行事にも積極的に参加され、悠仁さまに惜しみない愛情を注がれている。
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 2/12
ところが、そんな紀子さまを巡り、バッシングめいた批判が相次いで報じられた。
≪侍女長がノイローゼで出勤不能〜「紀子妃殿下」氷のごときミーティング≫(『週刊新潮』8月11日・18日号)
≪宮内庁職員が「秋篠宮家に異動したくない」〜紀子さまの憂鬱、雅子さまのハツラツ≫(『週刊文春』8月25日号)
『週刊新潮』によれば、'09年7月に秋篠宮家の侍女長に就任した女性が、昨年11月にわずか2年で退職。
この侍女長は、紀子さまの仕事への指示の細かさと激務で体調を崩し、ノイローゼのような状態に陥り、着任わずか1週間で出勤できなくなってしまい、そのまま復帰できず、その職を退いたという。
さらに彼女の前任の侍女長も、わずか1年数か月でその任を辞したとも伝えている。
『週刊文春』では、紀子さまと職員の間で起こった仕事の手順などをめぐっての行き違いに関する元職員の愚痴、悠仁さまの通園時の警備体制について、紀子さまが不満を持たれ、皇宮警察が戸惑っているといった内容が紹介された。
さらに一部宮内庁職員や皇宮警察には、 「配属されるなら、秋篠宮家よりも東宮家(皇太子ご一家)のほうがいい」 ともらす人間が増えているとまで報じている。
紀子さまが皇室に嫁がれて今年で22年目。
妃殿下として、ひたすらご公務に勤しまれ、今回の東日本大震災でも、秋篠宮さまとともに何度も被災地、避難所を見舞われてきた。
そんな真摯なお姿に、国民の多くが好感を抱いている。
また母親として、3人のお子さまの教育やしつけにも、熱心に取り組まれている。
そんな中、噴き出した逆風。いったい、なぜ紀子さまがこのような状況に立たれるようになったのだろうかー
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 3/12
【「皇室像」と「ご実家」 際立つおふたりのスタンスの違い】
民間から皇室に嫁がれたふたりのプリンセス。
だが皇太子妃・雅子さまと紀子さまを比べると、自ずと際立つのは、その生い立ちと、妃殿下となられるまでの経緯の違いであろう。
雅子さまの父・小和田恒氏(78才)は外務省のトップエリートで、現在は国際司法裁判所所長を務めている。
雅子さまは、そんな父の転勤で、幼少期から欧米で暮らした。
米国の名門・ハーバード大学に進んだ雅子さまは、帰国後、東京大学に学士入学。
その後、難問の外交官試験を在学中に突破し、父と同じ外交官の道を歩まれることに。
そんな雅子さまは、皇太子さまからプロポーズを受けられたとき、外務省の職員として働き続けたいという思いも強く、幾度も逡巡され苦悩された。
だが、「雅子さんのことは、ぼくが一生、全力でお守りしますから」 この皇太子さまの言葉に心を動かされ、出会いから約2000日、紆余曲折を経て、雅子さまは皇太子妃としての道を選ばれたのだった。
一方、紀子さまに父・川嶋辰彦氏(71才)は、元学習院大学経済学部教授。
川嶋家の住まいは当時、家賃3万3000円の学習院の3LDKの共同住宅。
家にはテレビもなく、紀子さまは、慎ましやかな家庭環境の中で育たれた。
そのため、お妃候補に挙がったとき、格式や家柄を最重要視する一部の皇室内部や宮内庁関係者からは、「宮さまのお妃としては・・・」と、反対の声もあったほどだった。
'85年4月、学習院大学に進まれた紀子さまは、1年先輩の秋篠宮さまと出合われ、恋に落ち、いつしかおふたりは愛を育まれた。
学習院という環境の中で、紀子さまは皇室への敬愛の念を抱かれるようになり、秋篠宮さまに親しみを持って接することがおできになられた。
そしておふたりは、自然の流れの中で結婚されたのだった。
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 4/12
雅子さまが外交官として約6年のキャリアを重ねたあと、皇室に嫁がれたのと比べると、紀子さまは大学院まで進まれ、社会経験をされないまま、皇室に入られている。
「外の世界を知らないで、皇室に嫁がれたことが、紀子さまがうまく皇室に 溶け込まれた理由のひとつではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト・神田秀一氏)
社会での経験が少ないという自覚からか、紀子さまはご結婚直後から頻繁に御所へ皇后・美智子さまをお訪ねになり、さまざまなことを相談されてきたという。
美智子さまにとっては初めての嫁でもあり、紀子さまを“キコちゃん”と呼んで、かわいがられた。
「初めて民間から皇室へ嫁がれた美智子さまも、当初は理不尽ともいえるいじめに苦悩された。
だからこそ、紀子さまに、自分と同じ思いはさせたくないと、皇族としての自覚の持ち方から身のこなし方、お召し物、さらには子育てについてまでアドバイスされたといいます」(皇室関係者)
常に美智子さまを“お手本”にされ、紀子さまはだんだんと女性皇族としての品位を身に付けられるようになっていった。
例えば、紀子さまの美智子さまへの敬愛の思いは、こんな形となって表れている。
悠仁さまが誕生される1年ほど前の'05年4月のこと。
美智子さまは太平洋戦争で苦難の道を歩んだ沖縄の人々に格別の思いを寄せられているが、その平和への思いに添いたいと、眞子さまと佳子さまをお連れになり、プライベートで沖縄を訪ねられている。
これは両陛下の沖縄への思いを、ふたりの娘に伝える学びの旅であった。
「このとき紀子さまは、沖縄の伝統的な弦楽器である"三線"に興味を持たれ、東京に戻られてからも、熱心に稽古されたそうです。
これを伝え聞いた美智子さまは 大変お喜びになったということです」(前出・宮内庁関係者)
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 5/12
さらに'05年8月、この年の11月に、結婚されることになった紀宮さま(現在は黒田清子さん)は"最後の思い出に"と両陛下とご一緒に那須御用邸で過ごされた。
そこへ秋篠宮ご一家も合流された。
ところがご静養の2日目、次女・佳子さまが、夏休みの学校行事にどうしても出席せねばならず、紀子さまは、佳子さまといったんご帰京。
だが、紀子さまは佳子さまと再び那須に戻られたのだ。
那須塩原〜東京は、往復300km。その道程を、佳子さまを連れた紀子さまは"とんぼ返り"された。
「一般的には、一度帰京されたならもう戻らなくてもと思うでしょうが、紀子さまとしては、両陛下が紀宮さまと最後の思い出を作られるうえで、少しでも、一緒の時間を持ち、お役に立ちたいと願われたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
いまでも、週に1度は3人のお子さまを連れて、両陛下のもとをお訪ねになっているという。
お孫さんとの語らいは、両陛下にとって心和むひとときであり、そういう機会を作ってくれる紀子さまに心から感謝されているに違いない。
一方の雅子さまは、そういった機会をほとんど持たれなかったといわれる。
「美智子さまは、皇太子さまが雅子さまと婚約なさったときから、東宮(皇太子ご一家)は 独立しているという思いを大切にされ、東宮のことには、あまり口出しされないように なさってきたといいます。
そうしたことから、雅子さまには遠慮があって、直接美智子さまに悩みなどを相談されることはあまりないようです」(前出・皇室関係者)
あるとき、美智子さまと紀子さま、ご結婚前の紀宮さまが、3人で御所にお集まりになってお菓子づくりをされることがあった。
だが、そこに雅子さまがご一緒されることはなかったという。
その背景には"皇室の伝統"を大切にされる紀子さまと、"新しい皇室"像への思いを持たれている雅子さまとのスタンスの違いがあるのかもしれない。
このスタンスの違いは、ふたりの妃とご実家の距離感にも、少なからず反映されている。
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 6/12
美智子さまは、皇室に嫁がれてから、ご実家の正田家とはほとんど交流を持たれなかった。
「娘はあちらさまに差上げたのですから」というのが、美智子さまの母・正田富美子さん(故人)の 口癖だった。
紀子さまのご実家・川嶋家も同じスタンスをとった。
「紀子さまが皇室に嫁がれた当初、御所へ出されたはずの手紙が、別の宮邸へ誤配される といった嫌がらせもありました。
しかし、そんなつらいときでも、紀子さまはご実家の両親ではなく、あえて美智子さまに苦しい胸の内を打ち明けられたそうです。
それは美智子さまの、ご実家には頼らずに皇室にふさわしい女性となられた姿を見習われてのことだったそうです。
実際、紀子さまのご実家である川嶋家の人々が、宮邸を訪ねることはほとんどありませんからね」 (前出・宮内庁関係者)
それに比べ、雅子さまとご実家の小和田家の距離は、とても近い。
特に雅子さまが体調を崩されてからは、なおされである。
「雅子さまは母・優美子さんを何より頼りにされていて、彼女が東宮御所を訪れる姿は たびたび見かけられています。
また雅子さまは、双子の妹さんたちの家もよく訪ねられたり、ご静養先に妹さん一家を呼ばれることも少なくありません」(前出・皇室関係者)
'04年、適応障害を発表され、長きにわたるご静養に入られた雅子さま。その病状は一進一退を繰り返している。
その間も、紀子さまは自らご公務を行う一方でご高齢の両陛下を気遣われてきた。
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 7/12
[ 帝王切開での出産を決断した紀子さまは「私は大丈夫ですから、ご安心ください」と気丈に振る舞い、その姿に美智子さまは涙を流された ]
【紀子さまを悩ませる東宮との歴然とした差】
そんな紀子さまを巡る環境を一変させたのが、悠仁さまのご懐妊だった。
'06年2月、皇太子さま、秋篠宮さまより下の世代の皇位継承者がいないことで、女性・女系天皇を容認するための皇室典範の改正の議論が巻き起こっていたなかでの発表だった。
男の子ならば、秋篠宮さま以来、41年ぶりの男子ご誕生となるだけに国民の期待も高まった。
この吉報を聞き、ことのほか喜ばれたのが美智子さまだったという。
紀子さまの健康面を案じて、安産にいいとされるトマトジュースを贈られたこともあった。
しかし、紀子さまは胎盤の一部が子宮口をふさぐ、「部分前置胎盤」の状態となり、ご出産は、皇室では前例のない帝王切開によるものとなった。
美智子さまはいたく心配され、毎日のように紀子さまに電話をされ、元気づけられた。
「そのたびに紀子さまは、“私は大丈夫ですから、ご安心ください”といった旨を美智子さまにお伝えになったんです。そして気丈に振る舞う紀子さまに、美智子さまは、思わず涙ぐまれたそうです」(別の宮内庁関係者)
そして'06年9月6日、悠仁さまがご誕生。天皇家は大きな喜びに包まれた。
「秋篠宮ご夫妻としては、男の子がいなければ、眞子さま、佳子さまも将来、宮家を 離れられるため、旧秩父宮家や旧高松宮家と同様に後継ぎがおらず、秋篠宮家が途絶えてしまうという危機感が強かったと思います。
そのために男の子を望まれたんだと思います」(前出・神田氏)
しかし、その思いとは裏腹に、国民の多くは"未来の天皇のご誕生"と喜び、巻き起こっていた皇室典範改正論議もいつしか収まるほど幸せなムードに包まれた。
しかし、悠仁さま誕生で、それまでひとつの宮家の妃殿下であった紀子さまのお立場はガラリと変わることになった。
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 8/12
「皇室典範が改正されなければ、皇位継承権第3位の悠仁さまは将来的に天皇になられる身。つまり紀子さまは将来の"天皇の母"となられる。紀子さまはその責任の重さとプレッシャーを 強く感じられるようになられたと思います」(前出・神田氏)
早速、紀子さまに思わぬ難題が降りかかる。実は秋篠宮さまは天皇になるための教育をほとんど受けられていない。
つまり同じ家の中に帝王学を体現できる人がいないということで、悠仁さまに"天皇"という立場を伝えにくいという問題が発生したのだ。
さらに紀子さまを悩ませるのが、秋篠宮家と東宮では、その待遇に歴然とした差があることだ。
皇太子ご一家のお世話をする職員は、約60人だが、秋篠宮家には16人しかいない。
「悠仁親王殿下が誕生された後に侍女長補が1人から2人に増えたりと、少しずつですが、充実してきていると思います。
また秋篠宮家はプライベートマネーである皇族費を使って私的使用人を雇われていると思いますが、せいぜい2〜3人ではないでしょうか。それらを合計しても、20人前後。東宮職との差は約3倍にも及びます」 (皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)
警備面では、秋篠宮家の側衛は約10人。一方の東宮には約30人が配置されている。
「お住まいも、改築したばかりの東宮御所は広く、私室と事務棟がきっちりと分けられています。これに対し、秋篠宮邸は5人という世帯であるのに、東宮御所より狭い上に、職員が邸内で仕事をしています」(前出・宮内庁関係者)
また天皇家(両陛下と皇太子ご一家)のプライベートマネーである内定費は、年額3億2400万円で、1人当たり6480万円となる。
ところが秋篠宮家のプライベートマネーである「皇族費」は、ご一家で5490万円。
「秋篠宮家は必然的に慎ましい生活を送らざるを得ないのです。しかし、紀子さまとしては、
“秋篠宮家には、皇位継承が2位と3位のふたりがいるのに、どうして東宮との間に、こんな待遇の格差があるのだろう”という思いが強く、釈然とされないところもおありなのかもしれませんね」(別の皇室関係者)
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 9/12
[ 秋篠宮家の職員は東宮の職員に比べ圧倒的に仕事の量が多いー 昼食は食堂に行かず、持参した弁当かパンという激務の日々 ]
【普段の紀子さまはしゃきしゃき話される】 “
将来の天皇”を育てるという重責の中で、整わないバックアップ体制に、紀子さまも焦りがおありのことだろう。
そのため紀子さまは日常生活の些細なことにも、神経を尖らせていらっしゃるようだ。
幼稚園に登園される悠仁さまを、一部マスコミが、ビルの屋上から撮影し、グラビアに掲載したことがあった。
「このとき、皇宮警察に対して、“こんなところから撮影されるなんて、どういうことなんですか”と紀子さまは血相を変えて激怒されたそうです。
その怒りはなかなかおさまらず、所轄の警察官がビルの所有者のところに出向き、屋上に入り込めないよう、鍵を付けるという処置をしたと聞きました」(別の公室関係者)
しかし、その紀子さまのいらだちが思わぬ波紋も呼んでいる。
お茶ノ水女子大学付属幼稚園の近所に住む主婦が、こんな不満を漏らす。
「朝、犬の散歩に行くと、ちょうど悠仁さまの登園時間と重なったんです。そしたら私服警察官がやってきて “住所と名前は?”と職務質問みたいなことをされました。ただ散歩をしているだけなのに…。
それで警察官に“不審者扱いされるなんて気分が悪い”といったら、その警官は“妃殿下が気にされているから、見えにくいところにいてください”というんです。
そして再度、住所と名前を聞かれたので、“答える必要ないでしょ”と断ったら“私たちが叱られるんです”って」
また愛子さまに比べると、悠仁さまが公の場に姿を見せる機会は極端に少ない。
例えば、愛子さまは学校の運動会などで取材設定の場所が設けられるが、悠仁さまは一切ない。
「多くのマスコミからは、“将来、天皇になられるかもしれない悠仁さまのお姿を拝見できないのは残念だ”という声が後を絶ちませんね」(前出・皇室記者)
これも紀子さまが悠仁さまについて必要以上に神経質になられている表れなのかもしれない。
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 10/12
そんな紀子さまのピリピリムードは、秋篠宮家の職員にも伝わっているという。
「会見では、ゆっくりと鷹揚な語り口の紀子さまですが、普段はしゃきしゃきとした 話し方をされるんです。宮家の職員に対しても、それはてきぱきと指示を出され、物事をはっきりとおっしゃるというタイプなんです。
悠仁さまが誕生されてから、その傾向に拍車がかかっていて、細かい要望は増すばかりなんです。」(前出・皇室関係者)
紀子さまの要求が高くなればなるほど、職員たちの負担も大きくなる。
そんななか、こんな事態も起こった。
各宮家の宮務官(男性職員のトップ)の任期は2年間だが、今年3月には秋篠宮家の宮務官が、着任からわずか8カ月で退職したのだ。
「秋篠宮家の職員は、東宮の職員に比べて、圧倒的に仕事の量が多いんです。公務の数も皇太子ご夫妻に比べて多いですし、それに伴う日程や時間の調整、取材撮影における相談ごとの連絡。
さらにその仕事は身の回りのことにまで及び、悠仁さまの幼稚園への送迎など多岐にわたります。
そのため、宮家の職員は昼休みに赤坂御用地内にある職員用の食堂に行くことすらできず、朝出勤時に弁当やパンを購入して持参する毎日なんです」(前出・皇室関係者)
少ない人数で切り盛りする秋篠宮家の職員たち。
だからこそ、いつも緊張した空気の中、仕事を行うこととなる。
紀子さまとしても、人数が少ないからこそ、どうしても個々に対する要求も多岐にわたってしまう。
「そんな状況下で、紀子さまから、細かい指示が次々と出されると、職員が少ない秋篠宮家では、ひとりひとりの責任が重くなり、どうしても仕事が過酷に感じてしまうこともあるでしょう。
また本来、宮家の職員というのは、公私にわたってお世話をする立場です。
しかし、短期間で ころころ人事が変われば、意思疎通が円滑にいきません。
紀子さまとしては、それをいい方向にしたいと、新しい職員に逐一、アドバイスをなさるのでしょうが、信頼関係をなかなかつくれない職員からすれば、それが厳しすぎると映ってしまうのかもしれませんね」(前出・神田氏)
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 11/12
紀子さまが直面した将来の“天皇の母”というプレッシャーが、今回のような逆風を呼んでしまったのかもしれない。
【雅子さまに美智子さまに通ずるお姿が】
その一方で雅子さまは、悠仁さまのご誕生で男児待望の声もすっかりトーンダウンし、"お世継ぎ"のプレッシャーから解放された。
とはいえ、雅子さまは将来、“天皇の妻”すなわち新しい時代の“皇后”となられるお立場だ。両陛下はともにご高齢で、ご体調も芳しくない。
9月8日には美智子さまが左肩から腕にかけて強い痛みを訴えられ、その後のご公務をいくつかとりやめられた。
「こうした状況の中でも、雅子さまのご公務の回数は依然として増えていません。周囲からは“早くご公務に復帰を”の声が上がっていますが、復帰への道はまだ不透明です」(前出・宮内庁関係者)
そんななか、秋篠宮家と同様に東宮でも側近が立て続けに入れ替わっている。
'09年3月には両陛下の信頼も厚かった末綱隆氏が東宮侍従長を辞任。
また愛子さまの養育係だった福迫美樹子さんが'09年4月に、さらに元学習院幼稚園園長で、'08年4月に愛子さまの養育専任女官に就いた小山久子さんが昨年12月に退任している。
また今年1月には長きにわたって雅子さまに仕え、愛子さまからの信頼も厚かった木幡清子東宮女官長も東宮から去っている。
さらに今年7月には5年にわたって皇太子ご一家に仕えた野村一成氏が東宮職トップである東宮大夫の職を勇退した。
公務復帰もままならないなか、本来支えてくれるはずの側近も次々と入れ替わり、"チーム雅子妃"は崩壊状態。
このままでは“将来の妻”という役割がどうやってサポートされるのか、心配はさらに高まるばかりだ。
だが、ここにきて少しずつだが、明るい兆しも見せられている。
「東日本大震災の被災地や避難所に、雅子さまは皇太子さまとともに訪れられ、被災者を励まされています。
病気になられてからは、これまで日帰りでの地方ご公務など、一度たりともありませんでしたから、 大きな前進といえます」(前出・皇室記者)
女性セブン 2011年10月6日号雅子さま紀子さま、ふたりの妃が背負うもの−紀子さま批判の背景を追って 12/12
未曾有の国難を前に、病気を押してでも被災者を見舞わなくてはとのご自覚を持たれたのか、被災地を訪ねる雅子さまの姿には、どこか「皇室は祈りでありたい」という美智子さまに通じるものがあった。
ふたりのプリンセスが背負われる重責。
きっといま紀子さまと雅子さまは、そのプレッシャーのなかで、それぞれの使命をさらに心に刻まれているのだろう。
それは、皇室の新たな時代を築くために、ふたりの妃が必ず通らなければならない道なのかもしれない。
週刊新潮(96/4/18)
秋篠宮殿下 度重なる「タイ訪問」に流言蜚語
・ 殿下には結婚前から親しくしているタイ女性がいて、その女性に会うために
タイに行くのではないか
・「ナマズ研究所のスタッフかアシスタントと聞いています。身分の高い女性で
エキゾチックな美人だそうです」(学習院のご学友)
・「今度の訪問は私的な旅行になっていますが、実は殿下からもっとプライベートな日を
2、3日作ってくれないかという申し入れがありました」(宮内庁職員)
・「殿下の女好きは何とかならないかとずっと思っていたんです。今回の旅行だって
タイ女性とプライベート・ビーチに行くんだと聞きましたよ」(学習院のご学友)
・「困った問題ですね。このことでは両陛下もお心を痛めていることでしょう。
タイに親しい女性がいることは間違いないみたいですよ」(陛下と同窓の会社役員)
週刊文春 1996.12.12
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 1
何しろ異例の出来事なのだという。秋篠宮文仁殿下(31)が誕生日に際しての記者
会見で、自らの「女性問題」を報じた記事に直接反論されたことが、である。会見の席
上、殿下はこうおっしゃった。
「私も週刊誌を読みましたが、根も葉もない女性問題について(笑)、いろいろ話が広
がっていってしまったわけですね。
そういうことはまったくないことですし、火のない所に煙が立ったというか、非常に想
像力豊かな人がそういう記事を書いたんだと思いますけれども、完全に事実と異なる
報道がなされたということについては……」
そこでしばし間を置き、語気を強めて、
「不満をもっています」
と語られたのである。
殿下が問題にされているのは、『週刊新潮』の記事。今年四月と六月に同誌が報じ
た内容について、わざわざ「事実無根」とおっしゃったのだ。
しかし、記事が出てから半年以上も過ぎた年の瀬、“そういえば今年、そんな話もあ
ったな”という程度が世間の感触だろう。いまごろ何故、ご自分から蒸し返すようなお
話をされたのだろうか。
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 2
コトの発端は、今年四月十七日、殿下がクリントン・アメリカ大統領の歓迎宮中晩餐会
を欠席し、私的にタイへ旅行されたことにある。タイ訪問の目的は、おなじみナマズの調
査。タイ北部の村で、メコンオオナマズの捕獲儀式を見学することになっていた。
そもそも昨年四月に行く予定だったが、阪神淡路大震災で今年に延期されたもの。そ
こへ、二転三転したクリントン大統領の訪日が、あとから重なるという事情があった。関西
空港からバンコクへ、十七日午前に出発する予定でいたところ、この日の夜に晩餐会が
組み込まれてしまったのである。その経過については、小誌も『晩餐会欠席の理由はナ
マズ見物』と報じたのだが……。
「クリントンをとるかナマズをとるか、という論調からして間違っている。アメリカかタイか、
なんです」
と語るのは、このご旅行に同行した東京水産大学の多紀保彦名誉教授。
「訪問は非公式でも、受け入れるタイ側の歓迎は公式行事です。二年続けてキャンセル
できないし、こちらが先約だったわけですから」
殿下はこのときの調査を元に、文化人類学、民族学の見地からメコンオオナマズ捕獲
儀式についての論文を書かれたという。それは国立民族学博物館が出している研究報
告の次号に載る予定だ。
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 3
だが『週刊新潮』四月十八日号は、『秋篠宮殿下度重なる「タイ訪問」に流言蜚語』と
題した記事の中で、こう書いた。
「殿下には結婚前から親しくしているタイ人女性がいて、その女性に会うためにタイへ
行くのではないか」
お相手の女性については、
「学習院の同窓で、陛下と親しい会社役員」のコメントとして、こう述べている。
「ナマズの研究所のスタッフかアシスタントと聞いています。身分の高い女性で、エキ
ゾチックなタイ美人だそうです」
続いて、こんな匿名コメントまで載っている。
「殿下の女好きは何とかならないかとずっと思っていたんです。今回の旅行だってタイ
女性とプライベート・ビーチに行くんだと聞きましたよ」
記事の内容はかように、何ともショッキングだったのだ。
タイへのご出発は、この記事が出て六日後、当然のように、女性週刊誌やワイドショ
ーが行く先々で待ち受け、物々しい旅となった。
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 4
帝国ホテルにいた川嶋教授
その騒ぎは、一週間後のご帰国と共にひとまず落ちついたのだが、『週刊新潮』は六
月二十日号で追い打ちをかけた。『天皇陛下突如御静養の背景に秋篠宮殿下』がその
記事。今度の内容は、以下の如くであった―。
六月七日以来、天皇陛下が体調を崩され、静養されることになった。『前庭神経炎』と
いう病名で、原因は不明。ストレスが誘因ではないかという仮定のもと、記事はこう進む。
陛下にとって頭痛の種といえば、皇太子ご夫妻のお世継ぎ問題に、紀宮さまの結婚
問題。しかし一番心を痛めているのは、秋篠宮殿下の一件である、と。
記事の核心は、紀子さまの父親である学習院大学の川嶋辰彦教授が、殿下の女性
問題を問い質すために御所へ怒鳴り込み、陛下に苦言を呈したというくだり。それは四
月二十一日午後三時のことだった、と日付・時刻まで特定してみせたのである。
前回の記事には無反応だった宮内庁だが、ここからの対応は素早く、積極的だった。
発売当日の六月十三日、鎌倉節宮内庁長官が定例記者会見の席で、
「事実無根の記事。訂正を求めたい」
と語る、総務課長と報道室長が新潮社を訪れ、松田宏編集長に面会したのは、その
翌日。抗議は、四月十八日号の記事にも及んだ。
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 5
『週刊新潮』側は翌週、反論記事を掲載した。タイトルはそのものズバリ、『「秋篠宮殿
下」記事への宮内庁抗議に答える』。内容は、
「重要な公務を放り出して、私的なナマズ見物など言語道断」
と一刀両断のもと、宮内庁関係者や殿下の知人のコメントで、女性問題の存在、殿
下ご夫妻の仲がギクシャクしていることなどを改めて強調した。
しかし、川嶋教授が御所を訪問した日付については、
「四月二十一日と断定することはできなかった」
とトーンダウン。
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 6
宮内庁が納得するはずはない。再び発売の翌日、今度は森幸男次長が新潮社を訪
れて副社長に会い、再度の抗議。このとき、川嶋教授が鎌倉長官宛てに送った手紙の
コピーも手渡している。手紙のポイントは、三点あった。
まず、四月二十一日に御所を訪れた事実はないこと。この日午後は帝国ホテルで知
人の結婚披露宴に出席していた。
次に、陛下に対し、宮さまの女性問題で苦言を呈したという事実はなく、そのような気
持ちを抱いたこともないこと。
第三に、これまでも事実と食い違う報道はあったが、原則としてそのままにしてきた。
なぜなら、ひとつの事柄を否定すれば、気づかずにいるほかの事柄を肯定していると受け取られる可能性があるからである。
手紙は、川嶋教授の思慮深さを窺わせる言葉で綴ってあった。
教授の親しい知人も、
「川嶋さんは『事実でないということは、いつか相手にもわかるはずです』と穏やかに語っておられた。御所へ怒鳴り込むなど、まったくありえないことです」
と証言する。
それでも新潮社から、訂正するとの答えは得られなかった。宮内庁側はその後、七月十一日にも回答を求めたが、やはりナシのつぶて。
それから四ヵ月たった十一月十八日、『週刊新潮』はようやく、鎌倉長官に宛てて文書を出す。
内容は「訂正には応じない」という従来通りのものだが、
「鎌倉長官と新潮社の常務が顔を合わせた際、改めて文書を出すようにとの要請を受け、承諾したため」(松田編集長)
という。
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 7
お心を痛められた紀子さま
宮内庁は半年の間、執拗に訂正を求め続けた。しかもその働きかけは、最初が総務
課長と報道室長から編集長へ、二度目が次長から副社長へ、さらに長官から常務へ、
と次第にレベルを上げているのだ。しかし新潮社側は一貫して、「訂正はしない」。
誕生日会見が行われたのは、そんなやり取りの直後だったのである。
「殿下には、記者クラブから事前に提出される質問のどれに答え、どれに答えないかと
いう最終決定権があります。女性問題については、この機会に自らの言葉で話しておこ
うというお気持ちが強かったのでしょう。皇族方がご自分のお言葉で話される機会はお
誕生日会見しかないので、記事が出てから半年後になってしまったのは、仕方がないこ
と。
一方、宮内庁には、自らの抗議ではラチが明かないため、殿下のお言葉を借りようとい
う狙いがあった。
日頃、“宮内庁の広報”とまで揶揄される記者クラブにも、『この件だけは聞いておかな
ければ、どう批判されるかわからない』というプライドが働いた。
三者の思惑がうまく噛み合って、あのやり取りが実現したのだと思います」(元宮内庁
担当記者)
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 8
今回、記者クラブから出された質問は、四つあった。まず、今年一年で印象に残ったことは何か。
二番目は、眞子さま佳子さまお二人の内親王の教育について、この問いには主に、紀子さまがお答えになった。
四番目は、国立総合研究大学院大学から博士号を受けられたことについて。
問題の質問は、三番目である。晩餐会欠席に批判が出たこと、宮内庁が抗議している一部週刊誌の報道や、今後の公務と私用の兼ね合いをどう考えるか、お尋ねしたものだった。
殿下はまず、晩餐会欠席の件について、説明された。天皇陛下や宮内庁の了解をとっていたこと。
一年延期した上、タイ政府を始め、多くの人たちが半年以上前から準備していたという事情があったこと。公務と私用の兼ね合いについては、
「公務を優先させるべき」とした上で、
「宮中行事は、全皇族の日程を考慮して決められてはいません。皇族全体を対象にしたものと、特定の皇族に限定して行われる行事がぶつかった場合、後者を優先させるほうがいいのではないかと思います」
とお答えになった。そのあとで『週刊新潮』の記事に触れ、
「宮中晩餐会を欠席してタイに行ったことの是非についての記事であれば、議論は大切だと思います」と述べられて、
「女性問題は根も葉もないこと」と続けられたのだ。紀子さまはその間、お隣で小さく頷いておられた。
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 9
「一連の報道でお心を痛められたのは、むしろ紀子さまではないでしょうか。不仲とま
で書かれたわけですから。会見のお姿も、少し窶れられたような印象を受けました」
と、川嶋家の知人は言う。
ご会見の様子がテレビや新聞で報じられた十一月三十日の夜、御所では殿下の
誕生日を祝う食事会が開かれた。
「秋篠宮ご夫妻に眞子さま、佳子さまを囲んで、天皇陛下と皇太子殿下のご夫妻、
紀宮さま、加えて川嶋教授ご夫妻。記者会見のことなど話題にのぼらず、お子さま
の成長ぶりなどに遅くまで話が弾んだようです」(宮内庁関係者)
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 10
愛人と目された女性も困惑
とはいえ、問題の女性が存在するのかしないのか、やはり気になるところではある。
『週刊新潮』側はもちろん、「報じた内容じゃ間違いない」(松田編集長)という立場。
これに対し多紀名誉教授(前出)は「ありえない」と断言する。
「お相手と目されている女性は、半分は私の教え子のような研究者です。夫のある身
ですし、彼女もとても困っているんです」
四月のタイ行きに同行した、別の研究者の証言。
「あのころ宮さまと、『きちんと文書で反論しようか』と話し合いもしました。しかしそれを
やれば、かえって騒ぎが大きくなると考えて、やめたんです。
結果として、今回ご自分の言葉で話されたことは正解でしたね」
紀子さま同席で語られた 秋篠宮「タイの愛人」問題 11
会見の評判は概ね良好だ。
宮内庁関係者の話。
「二十分の予定の会見が、四十分に延びました。和やかな雰囲気でしたが、あそこまで
踏み込んでしっかりしたお答えがあるとは、記者たちも考えていなかったようですよ」
皇室評論家の岸田英夫氏は、こう感想を述べる。
「美智子皇后や雅子妃のように記者の質問に文書で答えるのでなく、記者たちを前にご
自分の考えを述べられたのはとてもよかった。出版者に対しての直接の抗議であり、しっ
かり対応できない宮内庁への批判にもなっていました。
当の『週刊新潮』松田編集長も、殿下がご自分の言葉でお話しになった点には意義を
認める。
「ほとんどの役所が情報公開を進めている中、宮内庁だけが時代の流れに逆らっている。
殿下ご本人があのようにお話になるのはこれまでなかったことで、国民の知る権利を満
たすし、歓迎すべきことです」
紆余曲折あるにせよ、今度の騒ぎが「開かれた皇室」に向かう動きのひとつだとすれば、
国民にとっては喜ぶべき傾向に違いない。
来る九日は、皇太子妃・雅子さまのお誕生日。こうした流れを受けてかどうか、どうやら
ご成婚以来初めての単独会見が実現しそうな運びとなった。皇室の歴史からいえば、こ
れまた異例中の異例だそうである。
週刊新潮(96/6/20)
天皇陛下突如の御静養の背景に秋篠宮殿下 1
・天皇陛下が「前庭神経炎」という聞きなれない病気で、突如、ご静養されることになった。
・ある宮内庁関係者は陛下が一番心を痛めているのは、やはり秋篠宮殿下の一件だと打ち明ける。
「川嶋教授が一人で御所を訪れたのは、四月二十一日の日曜日。秋篠宮殿下が、まだタイをご訪問中の時でした。この日は午後三時から、陛下のプライベートなアポイントメントが入っており、その相手が川嶋教授だったのです。
もちろんこれまでにも、川嶋教授は何度も御所を訪れて、両陛下とお話や会食をされているのですが、この時ばかりはそんな和やかなものではありませんでした。
有体に申し上げれば、紀子妃殿下の父親として、秋篠宮殿下の女性問題を問い質すため、御所に怒鳴り込んで来られたようなものですから」
教授が帰った後の陛下は、随分と沈んだご様子だったという。
・川嶋教授をよく知る学習院のOBは言う。
「考え方が西洋的というか、周囲の状況を気にせずに、自分の思った通りのことを言う方ですから、相手が誰であっても、その弁舌は全くひるまない。
それはおそらく陛下に対して同じで、何か言いたいことがあって御所に赴いたとしても、彼にとって相手が天皇であるという意識はなく、娘のご主人の親御さん、という感覚なのだろうと思いますよ」
実際、川嶋教授が秋篠宮殿下ご夫妻に関して、陛下に言わば「苦言」と呈したことは、何も今回が初めてではない。
「それは遡れば、平成2年に秋篠宮さまと紀子さまがご結婚される前にもありましたし、長女の眞子さまがお生まれになってからもありました。でも、それも結局は、
いつも秋篠宮さまのわがままや自分勝手のため、紀子さまが辛い思いをされているためで、火種は秋篠宮さまの方にあるんです」
と川嶋家に近い事情通はこう語る。
週刊新潮(96/6/20)
天皇陛下突如の御静養の背景に秋篠宮殿下 2
と川嶋家に近い事情通はこう語る。
「四月二十一日の件にしても辰彦さんが心配されて、“秋篠宮さまについて、こういう報道があるが、どういうことなのでしょうか”と
陛下にお尋ねになったと聞いています。いくら皇室に差し上げたお子様とはいえ、それは父親として当然のことでしょう。にもかかわらず、秋篠宮さまご本人は
まったく気にしていらっしゃらないのか、その後もご友人とのお酒の席で
“ああ、ボクにはタイに彼女がいるんだよ”と公言されたという話も伝わっています。
記者会見では笑いながら“夫婦喧嘩はしょっちゅうします”と話されていたお二人ですが、本当は紀子さまの方が、かなり我慢されているんですよ」
たしかに、これでは陛下のご心痛も増すばかりだろう。
だが、仲には事態をさらに深刻に受け止めているムキもある。
さるベテラン皇室記者が語るには、
「このままでは秋篠宮ご夫妻の仲が、ますますギクシャクしていくのではないか、という話は宮内庁職員や他の宮家でも、かなり以前から語られていることです。
巷間、言われているような秋篠宮殿下の浮気が原因かどうかはわかりませんが、とにかくあのお宅は、家の前を通ると、殿下が紀子さまに向かって、
外に漏れるぐらいの大声で“お前は何も分かってない。もう出て行け”という怒鳴り声が
聞こえるほどだそうです。紀子さまもたびたびお里帰りをされていますが、
このままでは英国王室の二の舞になりかねない、という声すら出ています」
週刊文春 1996.8/15・22 1
秋篠宮殿下の女性問題で 川嶋辰彦教授本当に御所に怒鳴り込んだのか?
天皇陛下が前庭神経炎で倒れられ、突如御静養されることになったのは今年の六月七日。
それを受けて『週刊新潮』6月20日号は、その遠因は紀子さまの父、川嶋辰彦学習院大学教授(56)が御所に出向き、秋篠宮殿下の女性問題について陛下に直談判したことにある、とやってのけた。
ホントに川嶋教授は陛下に苦言を呈したのだろうか。
そもそも今回の騒動の発端は『週刊新潮』4月18日号の「秋篠宮殿下度重なる『タイ訪問』に流言蜚語」の記事。その中には、
「殿下には、結婚前からの付き合いになる高貴なタイ美人がいる」という流言蜚語が宮内庁職員や取り巻きの間で飛び交い、件の女性に会うために秋篠宮殿下がタイ行を重
ねているという記述があった。
さらに6月20日号で『週刊新潮』は「天皇陛下突如御静養の背景に秋篠宮殿下」、の
タイトルのもと、殿下の女性問題をめぐって夫婦喧嘩が絶えず、苦悩された紀子さまが
里帰り。事態を憂慮した川嶋教授が四月二十一日に御所に“怒鳴りこんだ”と書いたのである。
週刊文春 1996.8/15・22
秋篠宮殿下の女性問題で 川嶋辰彦教授本当に御所に怒鳴り込んだのか? 2
この報道に驚いた川嶋教授は、六月二十日、宮内庁の鎌倉節長官宛に、事実関係
にかかわる次の三点について書簡を出している。以下は少々長くなるが川嶋書簡から
の引用。
<1 本年四月二十一日には、御所に上がらせて戴いてはおりません。午後三時頃は、
帝国ホテルで催された知人の結婚披露宴に出席致しておりました。また、本年は御所
に上がっておりません。
2 (『週刊新潮』)6月20日号及び6月27日号の記事の中で、陛下に対して私が宮様の
女性問題で苦言を呈した旨、記されておりました。しかし、これまでそのようなお話を申
し上げた事は一度もございませんし、些かもそのような気持ちを抱いた事もございませ
ん。
3 数は限られているかも知れませんが、過去に私共に関して事実と食い違う報道がな
されたことがございました。そのような時私共は、原則として取り上げられた事項に関し
そのままにしておくと言うプリンシプルを大切にして参りました。何故ならば一つの事柄
を否定致しますと、気がつかないでいる他の事柄を肯定していると受け取られる可能性
がございますし、その逆の場合も考えられるからでございます。>
週刊文春 1996.8/15・22
秋篠宮殿下の女性問題で 川嶋辰彦教授本当に御所に怒鳴り込んだのか? 3
さて、コトの真相を直接、川嶋教授に伺うべくお訪ねしたが、あいにく教授は海外出
張中。
代わって教授と親しい友人が語る。
「御所にあがったとされる四月二十一日に、川嶋さんは知人の結婚披露宴に出席して
いて、とても御所にあがる時間などなかったんです」
去年から三回、御所に上がっているという報道もされたが。
「昨年の九月八日に、天皇皇后両陛下のお招きで、紀宮さま、川嶋夫妻の五人でプライベートな会食をされたそうですが、以来、御所には上がってないそうですよ。
その後も両陛下をはじめ皇太子殿下、妃殿下の方々との私的な会食はされてますが、それらはすべて秋篠宮邸で行われた紀子さまや眞子さまのお誕生祝の席。みなさんで十二名。それは楽しい会だったそうです」
『週刊新潮』は再び6月27日号で、「四月二十一日とは特定できないが、四月中に教授が陛下を訪ねているのは間違いない」
と反撃に出た。
「それならば、川嶋さんが陛下に会ったという日付を特定して示すのが報道の最低のルールではないでしょうか。また、川嶋さんが“御所に怒鳴り込んだ”という表現がありまし
たが、確かに川嶋さんはモノをはっきりいう人ではありますが、およそ怒鳴り込むような人ではありませんよ」(前出・友人)
週刊文春 1996.8/15・22
秋篠宮殿下の女性問題で 川嶋辰彦教授本当に御所に怒鳴り込んだのか? 4
タイには秋篠宮殿下がお気に入りの“高貴なタイ美人”が存在し、紀子さまが殿下
の女性問題で苦悩されて里帰りされたとも報じられたが……。
「そんなこと誰がおっしゃるんでしょうか。殿下の女性問題ももちろんそれに伴う里帰
りもなくて、両殿下はとても仲がよろしいそうですよ」
殿下のナマズ研究仲間もこう言う。
「タイ当局の警備は厳しくて、殿下の同行者の家族、たとえ大使館員の夫人が夫に
面会を求めても、それは厳しいチェックを受けます。噂されるような女性が近づける余
地は全くありませんね」
昨年九月と今年三月にもタイ行をされたと指摘された点についても、
「昨年九月は、タイの二つの大学からいただいた名誉博士号の授与式に出席するた
め。今年三月はタイ国王のご母堂の葬儀に参列するためだったんです。一連の報道
に対して殿下は、『困った問題ですね』と漏らされていますが、一方で、『そんな女性
がいたらいいですね』なんてご冗談を交えて、一笑に付しておられました」(前出の研
究仲間)
さて、秋篠宮殿下を巡るこの“激震”を果たしてメコン大ナマズはどう見ているのか。
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 1
軽井沢で目撃された「異変」
8月4日午後3時半ごろ、旧軽井沢にある「軽井沢海テニスコート」でのこと。
観覧席の最上階で、友人数名と地元のテニス大会を観戦していた秋篠宮文仁殿下(30歳)は、ふいに席を立ち、ひとりでコートに出て、宿泊先の万平ホテルに歩いて帰り始めた。
同じテニスコート敷地内の、すぐ目の前のクラブハウスでは、紀子様(29歳)が一生懸命にふたりの子供の面倒を見ている。通常の仲の良い夫婦であれば、
帰りしなに子育てに忙しい妻に、ひと声いたわりの言葉をかけてもよいところだろう。
だが、殿下は紀子様や愛娘の様子を見ようともせず、声もかけなかた。
紀子様もまた、殿下のほうを見ようとしない。残された紀子様と子供たちがホテルへ引き上げたのは、それから小1時間も経ってからのことだった。
8月2日から7日まで、秋篠宮家が静養に訪れた軽井沢では、ご夫妻が一緒にいるところはほとんど見られず、別行動をとる光景ばかりがあちこちで目撃されている。
「秋篠宮殿下と紀子様の仲がしっくりいかなくなっている」こうした情報が盛んに流れたのは、すでに4ヶ月も前のこと。
4月に、秋篠宮殿下がクリントン大統領歓迎の宮中晩餐会を欠席し、タイに私的なナマズ研究旅行に出掛けたのが発端だった。
「タイに行くのは親しい女性に会うためだ」と、秋篠宮殿下の不倫疑惑を取り沙汰する噂がさかんに流れた。噂のなかには、相手の女性について、
「タイ人でナマズ研究のアシスタント」「タイ政府の高官の娘で通訳を務めている女性」などと、具体的に名指しで語られたものもある。
少なくとも戦後日本で、これほど皇族が明白な批判に晒され、さらに女性問題の噂が露骨に報道されるのは前代未聞であろう。噂は、皇室、および宮内庁を震撼させ、いまもくすぶっている状態なのである。
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 2
「このままでは、殿下にまつわるスキャンダルがどんどん噴出して収拾がつかなくなる」
こう危惧するのは、自民党の元重要閣僚である。
「首相官邸には、殿下の女性に関する情報は途切れることなく入ってきていた。官邸では、殿下はご結婚が早すぎたのではないか、との危惧の声まであがっている。
殿下は普通の男なら遊びたい盛りに、紀子様とご結婚して2児の父になり、
いまや皇室の幸せな『親子像』を象徴する役割を一手に担うようになった。もともと奔放な性格の殿下だけに、そうした役割が重荷になっているのではないか」
理想の夫婦、理想の家族を象徴していたはずの秋篠宮家が、まさにグラグラと揺れているというのである。
それにしても、秋篠宮殿下の訪タイは、学習院大学の学生時代の85年8月に初めて訪れて以来、実に9回に及ぶ。しかも、本誌の取材では、これ以外に数回の隠密旅行が
あるとの証言すらある。訪タイのなかには、新婚旅行を含めて紀子様同伴のこともあるが、多くは単身での訪問。89年には1ヶ月滞在したほか、過去1年間では3度もタイを訪れている。
なぜ、秋篠宮殿下は、繰り返し、繰り返し、タイに出かけるのか。宮内庁を通じて示される訪タイの理由は、その都度、「私的なナマズ 研究旅行」というもの。
▽ホテルを脱出してソープランドを視察
しかし、タイで殿下の警護にあたる駐タイ日本大使館関係者から聞こえてくるのは、思いきり羽根を伸ばす殿下の行動に対する不満だ。
「殿下のタイでの行動には、警護の者は困惑することが多いようです。
スケジュールを突然、変更したいといったり、とにかく行動が突発的で予想が付かないため、大変だとボヤいていましたよ」(全国紙バンコク 特派員)
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 3
タイの日本大使館関係者から不満が上がるのは、殿下のスケジュール管理をタイ政府が仕切り、日本側の裁量が及ばないからである。
また、殿下のタイご訪問には、毎回必ず日本から殿下と親しい学者たちがピッタリと寄り添って同行する。そして、彼ら同行学者たちは、まるで殿下を囲い込むかのように常に行動を共にする。
特に殿下に近しいのは、東京水産大学元教授・多紀保彦氏とタイの政治事情に詳しい大阪外国語大学教授・赤木攻氏。
「多紀さん、赤木さんは、ホテルで宿泊するときも殿下のすぐ隣の部屋を占め、しばしば殿下の部屋に行って、深夜までお酒を飲んだりしている。
そうした場でどんなお話をしているのか、殿下がどんな振る舞いをしているのか、日本大使館員にはわからないんです」(前出・特派員)
こうした、日本大使館の目が届かないなかで、89年には秋篠宮殿下はタイ北部の町・ピサヌロークで、「行方不明」になり、大使館員たちがパニックに陥ったこともあった。
この殿下の行方不明事件は、表向きはホテル内のディスコを見学にいった、ということにされている。が、実際に殿下が出かけていたのは、同町にある「ソープランド」だった。
タイ人ガイドで、殿下のタイ旅行には必ず案内役として付き添うというソムチャイ・コシタポン氏が前もって地元警察に警備を依頼。店に連絡して貸し切り状態にして店内を見せて回ったのだが、
日本大使館員たちは、突然、殿下を見失い、大騒ぎになっていた。
タイのソープランドでは、ガラス張りの大部屋のなかに雛壇があり、女性が数十人ズラリと並ぶ。
通常、客は雛壇の女性を選んで指名し、店内の個室に連れて入るか、ホテルに女性を連れ帰る。
「殿下はガラス越しに雛壇を見て回り、説明を聞き終わった後、ポツリと『わかった。もう帰ろう』といって、つかつかと店を出ていった。ただ社会勉強のためにシステムを説明しただけで、
断じてそれ以上はなかった。とにかく私は、行動が自由にならない殿下に、システムだけでも教えてあげたかっただけなんです」(ソムチャイ氏)
週刊現代(96/8/24.31) 特別レポート
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」 4
もちろん、肝心のナマズ研究には熱心に打ち込んでいることは事実である。
現在の研究テーマは、ナマズの系統分類である。殿下は学習院幼稚園時代から生物に興味を持ち、ピラニアや青大将を飼育していた経験もある。タイでは生き生きと、ナマズの捕獲・研究に打ち込む。
▽時には激しい夫婦喧嘩も
ところが、こうして熱心に打ち込んでいるナマズ研究にも、日本の外務省はじめ政府関係者のなかには眉をひそめる者もいる。
「気に入ったナマズを見つけると、すぐに持って帰るといってきかない。
研究熱心なのは結構だが、あれほど自分を通されては、周囲は振り回されるばかりだ。
また、殿下は私的な調査旅行のつもりでも、タイ国では『国賓』としてもてなされるし、ナマズ調査も外交の一環としてみなされるんです。タイに恋人がいるという噂が流れるのも、
殿下の振る舞いを快く思っていない人もいるからでしょうし、自重していただかないと困るのです」(前出・元重要閣僚)
いっぽう、紀子様は、どんな気持ちで殿下の「奔放な行動」を見つめているのか。
殿下と紀子様の関係を語る際にしばしば引き合いに出されるのは、宮内庁担当記者の複数が打ち明ける、次のような有名な「伝説」である。
「92年の夏、赤坂御用地内のグラウンドで宮内庁職員と天皇家とで親善ソフトボール大会が開かれたが、秋篠宮殿下は、ゲームに参加せずに、応援席で昼間からビールを次々に空けていた。
酔っぱらって、女性職員をからかう秋篠宮殿下を見て美智子皇后が一度たしなめたが、殿下はやめない。皇太子殿下がみるに見かね・
酔っぱらって、女性職員をからかう秋篠宮殿下を見て美智子皇后が一度たしなめたが、
殿下はやめない。皇太子殿下がみるに見かねて注意したら、秋篠宮殿下が、『そんなに堅いこと
ばっかりいって』と、皇太子殿下に言い返したというんです」(全国紙元宮内庁担当記者)
温厚な皇太子殿下の顔色がサッと変わり、その表情の険しさに周りは 息を呑んだという。
すかさず紀宮様が「(お兄さん)やめなさいよ」と割って入り、なんとか収まった。
ところが、紀子様はすぐ横にいたにもかかわらず、秋篠宮殿下をたしなめるでもなく、
見ているだけだったという。
中傷記事拡散してるほうが馬鹿そのもの
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 1
すべては わらぶき屋根の家から始まった
大祖父のふるさと・和歌山県清水町は人口6千人の静かな山村。
紀子さま誕生までの足跡と、新ロイヤル・ファミリーの知られざるプロフィール。
昨年12月、紀子さまが家族とともに訪ねられてから、和歌山県清水町は“紀子さまの里”として、すっかり有名になってしまった。
「せんだっても大阪から団体の観光客がバスをつらねてきましたわ。紀子さんの実家を教えてほしいいう人が、あんまり多いんで、松浦さんも家のことは教えないでくれというてますわ」
そう地元の人は苦笑いする。
“松浦さん”とは、紀子さまが泊まられたわらぶき屋根の家のご主人・松浦朗さん(55歳)。
紀子さまの大祖父。川嶋庄一郎さんの生家の現在の当主である。
川嶋家はもともと和歌山市内の大庄屋であったが、庄一郎さんは清水町の農家松浦家から婿養子に入った人だったー。
和歌山県有田郡清水町は有田川の上流の深い山々に囲まれた小さな町。人口は6000人。
町の9割が山林で、一昨年、町内に初めてたったひとつの信号機が設置されたときは、珍しさから、子供たちの見学がしばらく続いたというところーそこが、紀子さまのルーツの地であった。
「(紀子さまは)小学校6年の冬休みに1度、来ましたので、去年は、かなりなつかしがっていました。とても喜んでいましたね…」
紀子さまを迎えた松浦朗さんは農作業の手を休めて、そうつぶやいた。だが、それ以上は語ろうとしなかった。水田が6反、ほかに、大根、キャベツ、ほうれん草なども栽培。
出荷しているのはお茶だけだという。川嶋辰彦さん(50歳)のまたイトコにあたる朗さんの母・良子さん(74歳)が話してくれたひと言が、松浦さん一家のすべての思いなのかもしれない。
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 2
「神さまのように思っていた天皇家は身内のものが嫁ぐなんて夢みたいです。
辰彦さんは小さいころと、東大に合格したあとは2〜3回いらした程度で、ふだんは年賀状のやりとりがあるくらいです。
でも、去年みえたときは、裏のお墓をお参りしていただいたり、こんなに遠縁でも親しくしてもらってありがたいことです。
遠い人になってしまうんだなあ、もう会うことはありえんわなあと思うと寂しい。だからこそ、紀子さんのことは大事に大事に胸の中にしまってあるんです」
紀子さまの大祖父・庄一郎さんは明治3年4月、松浦平吉さんの次男として生まれた。
幼名は力松。寺子屋では1度教わったことは忘れなかったことから“袋耳の力松”と呼ばれていたという。
父の平吉さんは若くして亡くなり、母・かつのさんの手で育てられたが、その秀才ぶりは村誌に、
《天資英明、遠く衆童に勝れしは人口の膾炙する所にして、母に事ふること至って厚く、常に近隣の人をして驚嘆せしめし程なり…》
と、記載されているほどだ。
庄一郎さんは、やがて東京高等師範学校を卒業した明治27年、川嶋志まさんと結婚、川嶋家の婿養子となる。
「農地改革で土地をとられるまでは、それは広い田畑を持つ大地主やったね」
紀の川のほとり、和歌山市府中の古老はかつての川嶋家をそう振り返る。
いまは府中地区に「川嶋山」という地名は残っているのがわずかな面影だが、教育者としての庄一郎さんの足跡は輝かしいものだった。
京都、富山、滋賀の師範学校で教べんをとり、やがて、学習院教授、学習院初等科長、奈良市版学校長をつとめた。
晩年は和歌山に戻って隠居生活。近所の人の話によれば「いつも頭巾をかぶり袴に前だれという水戸黄門のようないでたちで庭の畑を耕していた」という。
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 3
紀子さまの祖父・川嶋孝彦さんも和歌山市の出身。旧制一高から東京帝大法学部に進み、旧内務省入りしたエリート官僚であった。
内閣統計局長、参議院人事委員会専門員などを歴任したが、昭和33年、国会図書館専門調査員の仕事についていたとき亡くなった。61歳であったという。
妻の紀子(いとこ)さん(83歳)とは見合い結婚。紀子さんは大正2年から10年間、大阪市長を務めた池上四郎さんが父であり、9人きょうだいのいちばん末娘(六女)だった。
池上家は元会津藩士というお家柄だという。
孝彦さんとの間には3男2女が誕生。だが長男の啓一さんは1歳で亡くなった。
長女が小菅宮子さん(61歳)、次女が佐藤豊子さん(58歳)、次男が紀子さまの父・辰彦さん、三男が川嶋行彦さんである。
紀子さまの母方の祖父・杉本嘉助さん(75歳)は、脊椎矯正器具の開発で特許を持ち、昨年まで整体治療院を開いていたが、もともとは旧南満州鉄道の技術者であった。
静岡で家具製造業を営んでいた杉本吉太郎さんは、嘉助さんを木工職人にし、家業を継いでほしいと考えていたといわれるが、
「成績が優秀で、学校の先生のすすめもあり、地元の工業高校から、横浜工業専門学校(現在の横浜国立大学工学部)へ進んだんですよ」
と、嘉助さん宅の近所の人は話す。
紀子さまの祖母・栄子さん(74歳)の父・服部俊太郎さんは旧満鉄の副参事で、嘉助さんの上司であった人であるという。嘉助さんとの間には2女が誕生。長女が紀子さんの母・和代さん(48歳)だった。
「ご両親が物静かでとても礼儀正しい方なんです。そのせいか和代さんもおとなしい人で、道で会うといつも会釈してくれました」
と小さいころの和代さんを知る地元の人は話す。また、杉本家は教育熱心な一家としても評判であり、和代さんと、3歳違いの妹・育代さん(45歳)もともに静岡の名門女子高・静岡英和女学院で中学・高校を過ごした。
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 4
「学校までは4キロほどあったんですが、和代さんは毎日1時間かけて歩いて通学していました。
頑張り屋さんで、成績はトップクラス。英語はなかでも得意だったと思います」
静岡英和女学院での同級生はそう話していた。
その後、東京の昭和女子短期大学英文科に学んだが、そのとき知り合ったのが、東大経済学部に在学していた辰彦さんだった。
「道を歩いていて石をけとばしたら女房に当たった」
と。ふたりのなれそめを聞く友人に、辰彦さんはこんなふうに話したことがあるという。
ときには和代さんは研究室を訪れ、辰彦さんの論文の整理などのお手伝いもした恋愛時代をへて、ふたりは昭和39年10月、結婚。
「辰彦さんはまだ大学院の学生で、和代さんが近所の子供たちの家庭教師をして生活を支えていらしたんですよ」
そう、和代さんの同級生は振り返る。
辰彦さんは東京都立戸山高校から東大経済学部、東大大学院を経て米国のペンシルバニア大大学院に留学、博士号を得った。
ペンシルバニア大大学院で助教授をつとめたが、昭和48年に帰国、学習院大経済学部の助教授に迎えられ、昭和51年、36歳の若さで教授となった。
専門は「交通経済学」で『道路交通需要の将来予測』『都市化現象と都市分析』などをはじめ、50をこえる著書や論文がある第一人者である。
また、環境問題や人口問題などを研究している国際応用システム分析研究所にも所属し、昭和52年から54年まではオーストリアのウィーン郊外にある研究所の主任研究員として赴任もした。
学習院大での辰彦さんは「やさしい」と評判の教授。
「授業より大切だと思うことがあれば、そちらを優先してください」そう、ニコニコしながら話し、
「笑っていれればみんな幸せですから、笑っていられるようにみなさんにAを差し上げましょう」ということがしばしば。
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 5
辰彦さんの弟・川嶋行彦さんも学習院大経済学部の助教授を経て、東京国際大学商学部教授。
現在は同大のアメリカ校(米国オレゴン州)に赴任しているが、講義は辰彦さん同様、学生たちの評判のマト。
「黒ぶちメガネに髪は坂本竜馬のようなオールバック。いつも風呂敷包みに袴をはいて教室に来ますので、学内で知らない人はいないという名物教授です」
と、東京国際大の卒業生は話す。出席は「あまり重視しません」ということだが、学生で教室はいつも満員。それだけ人気もあったという。
また、辰彦さんもふたりの姉も、そろって学者に嫁いでいる、長姉の宮子さんの夫は、東京・小平市にある白梅学園短期大学保育課教授の小菅茂雄さん。
すぐ上の姉・豊子さんは、元専修大学文学部教授の佐藤英一郎さんと結婚、教育学を専門とした佐藤教授だったが、昭和58年9月に亡くなった。
紀子さまの祖母・紀子さんのオイには京都大学掲載が国教授の池上惇さん(57歳)もいて、まさに川嶋家は学者一族である。
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
紀子さまのルーツとその人々 6
昨年7月末、紀子さまはご家族、祖父母の杉本嘉助さん・栄子さん夫妻、親戚一家と旅行なさっている。
お出かけになったのは静岡県伊豆の湯ヶ島の吉奈温泉・東府屋旅館。ここもまた、紀子さまのご親戚だった。
「紀子さんとはそのとき会うのが初めてでした。おじさん(杉本嘉助さん)から“おてんばで活発”と聞いていたんですが、まったく印象は違いました」
そう話すのは東府屋旅館の“若奥さま”城所由佳さん(23歳)。
由佳さんは昨年3月“若主人”の城所達也さん(29歳)と結婚したが、由佳さんの父親が嘉助さんのイトコで、紀子さまとは“またイトコ”にあたる。
「うちには“子宝の湯”という露天風呂があって紀子さんも入られました。お風呂に入るときも浴衣姿でお辞儀をされたのを覚えていますが、その浴衣姿がとても可愛らしくお似合いでした」
と由佳さんはいう。
名物のキジ鍋とシシ鍋を召し上がり、親戚そろっての楽しい一夜を過ごした翌日、達也さんは、直営のキジの飼育園へ紀子さまのご一家を案内された。現在約6千羽が育てられている。
「私が“ときおり突然変異で白いキジが生まれることがあるんですよ”と説明し、お見せしたところ、紀子さんと、弟の舟くんが、むずかしい遺伝学の話を始めたんです。やはり、学者一家だなあと、そのとき思いました」
と、達也さん。
由佳さんが礼宮さまと紀子さまのご婚約を知ったのは、実家の母親からの「新聞をみてごらん」
という電話でだった。
「もうびっくり。でも、ここへいらしたとき紀子さんは“おじいさまを今後ともよろしくお願いします”と、私にごあいさつされたんです。いま思えば、これからはおじいさんともなかなか会えなくなるので、
そんなふうにおっしゃったのではないでしょうか。
私は紀子さんとは同じ年の同じ月の生まれなんです。でも、私よりとても落ち着いていて、笑顔も本当に素敵でした。でも、私もいわれるんですよ。笑ってるときがいちばんいいって…」
由佳さんはさわやかな笑顔をみせた。どことなく、紀子さまに似た笑顔だった。
デビィ夫人が皇太子廃位の署名を集めてた気がするが、あれってどうなったんだ?
まあ、署名一つで皇太子をどうこうする事はないと思うが…
川口素生『小和田家の歴史』
さて、江頭豊氏の祖父・嘉蔵氏は明治維新までは肥前佐賀藩主・鍋島家の家臣であったといわれる。
ところが、明治初年の二種類の佐賀藩 侍着到(註=現代の出勤簿に相当)には嘉蔵氏の名が見えない。
これについて、豊氏の甥(優美子さんのいとこ)にあたる作家の江藤淳(本名江頭淳夫)氏は、嘉蔵氏は佐賀藩の「手明鑓」と呼ばれるクラスの藩士ではなかったかと推測している。
「手明槍」は平時は無役だが、戦時には槍や具足を携えて戦場に赴く者たちを指す。江戸時代中期以降は無役だった「手明鑓」も藩の役職に採用されたし、幕末維新期には多くが鉄砲を
担当して活躍したといわれる。ただ、嘉蔵氏以前の系図や史料が現存していないため、嘉蔵氏が「手明鑓」か否かを含めて、ルーツや俸禄などはまったくわからない。
明治維新前後、嘉蔵氏は家族とともに肥前佐賀郡北川副村木原(現=佐賀市北川副町木原)に移り住んだ。
( 中 略 )
範貞少年、安太郎少年が学齢期を迎えた頃、父・嘉蔵氏は旧制県立佐賀中学校 (現=佐賀県立佐賀西高等学校)に小使として勤務していた。
嘉蔵氏の生年はわからないが、安太郎少年が生まれた頃、すでに四十数歳であったといわれる。
>嘉蔵氏が「手明鑓」か否かを含めて、ルーツや俸禄などはまったくわからない。
>嘉蔵氏は旧制県立佐賀中学校(現=佐賀県立佐賀西高等学校)に小使として勤務していた。
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
■テレビが好きだった父・辰彦さんが自戒を込めて一大決心
川嶋家にはテレビがないー。
これはあまりにも有名な話。かつて、テレビの有無が家庭の裕福さを示すバロメーターになっていたが、今日では、あえてテレビを置かないところに、主体性とともに優雅ささえも感じられる。
「うちは教育面を考えて、テレビは置いてないのよ」
紀子さまは学習院の同級生や友人によくそう話されていたが、弟の舟さんにいわせると、多少ニュアンスが違ってくる。
「うちのテレビは押入れの中に置いてあるんだ」と、友人にもらしていたという。
母・和代さんは、その理由を、やはり「教育的配慮から」と熱弁されていたが、本当の“テレビ追放”の理由は、意外にも父・辰彦さんにあったようだ。
「私はテレビが大好きなんです。だから、テレビを見始めたら途中ではやめられない。
時間がとってももったいない。短い人生なのだから、テレビに大事な時間をとられず、
また、テレビに自分を縛られることなく、主体性を持って行動したい。本をたくさん読んだり、音楽を聴く時間を失いたくない。もちろん、子供たちにもたくさんの本を読ませたい…」
辰彦さんの一大決心だったが、紀子さまも舟さんも、その“テレビのない生活”に、不満をもらされることはなかった。
その紀子さまが、新聞が<ご婚約固まる>という報道をした昨年8月26日以降、報道陣に囲まれ、自宅を容易に出られなくなったことから、初めて、
「テレビが見たいわ」
と口にされた。友人に電話で話した言葉で、自分がどのように取り沙汰されているのかお知りになりたかったようである。
ともあれ、辰彦さんの一大決心はしっかりとした教育方針を形づくっていった。
「私どもは精神の自由、主体性、創造性を重きを置く教育をしてまいりました。しかし、帰結に対しては自らの責任で甘受できる器となるような教育をしてまいりました」
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
「肌の色の違いや国境を超える人間に育ってほしい」
紀子さまとテレビの最初のかかわりは6歳のとき。静岡に住む母方の祖母・杉本栄子さん(74)は、当時のことを次のように語ってくれた。
「紀子が両親とともにアメリカへ渡ったのは1歳のときで、戻ってきた6歳のときに、ここで3ヶ月ばかり一緒に暮らしました。
そのころの紀子は、日本語を十分に理解できませんでしたからテレビにはほとんど興味を示しませんでした。ただ、英語番組のセサミーストリートは喜んで見ていましたね。
弟の舟はテレビの前でそりゃ大騒ぎ。大喜びしてテレビを見てるんです。あまりに喜ぶんで、和代に聞きましたら、テレビを見せてない、というんです。それであの喜びようが納得できました」
紀子さまのアメリカ生活は1歳から6歳までの5年間。すでに、川嶋家の教育方針は打ち出されていた。
「うちは学者ですから、なんの財産もありません。唯一あるとしたら、アメリカやオーストリアでの貴重な海外生活が財産だと思っています」
と、和代さん。アメリカでは、「肌の色の違いや国境を超える人間に育ってほしい」という思いを込めて、さまざまな国籍の子供たちが学ぶ公立学校へ、あえて紀子さまを入学させた。
アメリカ、オーストリアといった2度にわたる海外生活で、紀子さまは語学力とともに国際感覚をしっかりと身につけられたようだ。多方面に積極的に出ていかれる行動力も、ご両親の教育方針によるといって間違いない。
辰彦さんの姉・佐藤豊子さんが語る。
「弟夫婦は、それはそれは紀子と舟を可愛がっておりました。弟は学者で、お金はすべて本に変わってしまいます。
だから、子供に残せるものはないからと、テニス、スキー、乗馬と、いろんなことをやらせていました。紀子が積極的にいろんなサークルに参加するのを心強く思っていたようです」
テレビだけではなく、塾には通わせず、マンガや雑誌もおかない主義。“まじめで”“礼儀正しく”“温かく”をモットーに紀子さまを育てたご両親。そこには教育者の家系・川嶋家の血が脈々と流れている。
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
父・辰彦さんの生活ぶりにも、それははっきりとあわられていた。
「子供のころから人付き合いがよく、人の気をはずさない子でした。外交官になればよかった、とよくいっていたものです」(佐藤豊子さん)
だれに対しても物腰が極めて丁重で、学生にも人気がある。タバコは吸わず、昨年9月、婚約発表直前に剃り落した頬ヒゲは個性的なうえに穏やかな雰囲気を漂わせていた。
「紀子には皇族としての責務をしかと自覚し、自覚のもとに自重し、自覚にてらしあわせ両陛下に対して尊敬申し上げ、礼宮さまのご指導のもとに新しい家庭、宮家の中で、気負うことなく人間性を結実してくれればと願っています」
皇室会議でご婚約が正式に決定したその日、辰彦さんの嫁ぐ娘に贈る言葉も、川嶋家の教育方針にしっかりと裏づけられていた。
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
■生活は質素に。川嶋家の財産は“家族”そのもの
一方、母・和代さんについて、古くからの友人は、
「とにかく本当に家庭的なんです。布地なんか買って来て、自分のものや紀子さんの洋服を仕立ててますよ。 学生時代から地味で堅実な生き方をする方です」と、そっと教えてくれた。
まだ、紀子さまと礼宮さまのさわやかな交際が始まって間もなくのころ、
「とんでもない。家柄も格式も全く違います。そんなことあるわけありませんよ」
和代さんは、質素でごくふつうの家庭を強調していた。
学習院大学経済学部教授という社会的地位に比べ、収入は「国家公務員の給与水準よりやや高いぐらい」で、約800万円ー。「家族がみんな健康で仲よく暮らしているというのが、環が家庭最大の財産です」
辰彦さんは大学の講義で笑っていたというが、このご両親だからこそ、主体性のある子育てが実行できたのだろう。 和代さんはもちろん“母”としての教育も決して忘れなかった。
「根本的には夫の考え方に賛成ですが、あまりに自由すぎるのもどうかと存じます。私はある程度は規制を持って、ときどき厳しく娘と接してきました。
自分を主張することも大事ですが、人の和も大事であることを理解できるような子供にしたいと願ってきました」
その言葉どおり、紀子さまは健やかに成長されていった。帰国後、日本語にはかなり苦労したが、いつも明るく振る舞い、ハンディキャップを克服。
あのゆっくりと落ち着いたていねいな話し方でもわかるように、かつて紀子さまにインドネシア語を教えた先生は、「ほかの学生じゃ敬語もろくに話せない」と、留学生の世話を紀子さまに頼んだという。
「学業も優秀でした。心理学の学生はカリキュラムでいろいろな実験をしたり、構内でインタビューしたりするんですが、そういうことにも実に熱心で積極的でした。とにかく一生懸命している、そういう面が目立つ存在でした」(学習院大学文学部教授)
テニスでは、サーブ1球を打ちこむごとに相手に会釈なさるなど、謙虚な奥ゆかしさも忘れなかった。
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
■母・和代さんが自ら実践した行動力と頑張りを目標に
礼儀正しく、しとやかで、成績優秀ばかりではない。紀子さまは無類の頑張り屋。このあたりは母・和代さんに似たのだろうかー。
「礼宮さまとのご婚約が内定してからも、早朝、学習院大学の構内をジョギングする紀子さんの姿が見かけられました。Tシャツにスウェットパンツ。髪を後ろで束ね、右手に白いタオルを握りしめて黙々と構内を4〜5周するんです。
このジョギングは高校時代からずっと続けてるんですからすごいですよね」(女子高等科時代の同級生)
さらに、行動的。母・和代さんは紀子さまの英会話再教育で、次のような一面を見せた。
「帰国後の紀子さんは英会話のチャンスが少なく、それを心配した和代さんは、いい英会話の相手を探そうと目白駅前へ毎日出かけたんです。
そこで、“私は怪しい者ではありません”と前置きして“娘の家庭教師になってくださいませんか”と話しかけたんです。結局、聖心インターナショナルスクールの方を見つけられて…。
控えめと思われていますけど、いざとなると行動力があるんですね」 と和代さんの高校時代からの知人。
その母を見習って、紀子さまも行動範囲を広げ、ボランティア活動に参加された。高等科時代は、ハンセン病患者のための募金活動に走り回り、大学時代には、手話を学び、国文学で習った沖縄の『琉歌』を自分でも詠むようになった。
そして、東南アジア青年の船では、琉球舞踊の『貫花』を踊り、周囲の人々を感心させた。
「彼女が福祉関係の話をよくしていたのを覚えています。人助けになるようなことを将来していきたいっていってました。
“青年の船”の写真を見せてくれて、“苦しんでる人を助けてあげたいなあ”って、真剣な表情で話していましたね」(大学時代の友人)
父・辰彦さんとともにヨーロッパへ旅行されたときは、アムステルダムでアンネ・フランクの家を見学してカルチャーショックを受けられたようだ。
「もっともっと、私たちは世界で起きたことを知らなくっちゃね」
紀子さまの社会への関心は限りなくふくらんでいった。
週刊女性増刊『礼宮さま紀子さま青春華燭』
<川嶋家の家庭教育 紀子さまを育てたテレビのない家庭>
「大学院では老人の生きがいについて心理的なアプローチをしていました。紀子さんは研究をムダにせず、しっかり生かしてボランティア的仕事につこうとしていたようです」(大学院の仲間)
音楽でいえば、チターの演奏の腕は素晴らしい。チターとはドイツ南部やオーストリアの民族楽器で約30本の伴奏用の弦を弾いて奏でる楽器。
演奏歴は和代さん、辰彦さん、紀子さまの順だが、ここでも、「お母さまが目標よ」と、母親ゆすりの頑張りでめきめきと上達された。
■「動物でも人間でも、手をあげなくても教育はできます」
川嶋家の子育ては、紀子さま同様、弟の舟さんを見てもわかる。
「わからないことがあったら舟に聞けっていうほどです。全学科の成績が優秀でクラスで1,2番。成績だけではなく、性格もいい。
いつもニコニコしていてとても穏やか。今回のことだって、うちのクラスからも皇族が出るかなあ、なんて冷やかしたんだけど、ニコニコ笑ってました」舟さんの学友がそういうように、川嶋家の教育方針は徹底している。
「彼は、中学時代は古武道部にいてマネージャーをしてました。ちゃらちゃらしたり、ふざけたり、そんな面は全くなく、実に誠実。流行を追うタイプでもありません。たとえば彼の筆箱。青色のカンの
ケースなんですが、たしか小学校のときから使っている物だと思います。実に質素で、ムダ遣いをしませんね」
舟さんもやはり、健やかに育っている。頭脳明晰のみならず、のびのびと明るい性格。
しつけは厳しいが、こうして成長された紀子さまも舟さんも、両親から1度として叩かれたことがない。
「動物でも人間でも、手をあげなくても教育はできます」 という辰彦さんの信念からだ。だからといって甘やかすのではない。紀子さまは一見おっとりしているように見えても実は頑張り屋で、芯が強い。ここに、川嶋家の独特の教育があるのだろう。
ご両親は、家族同士のふれあいをとても大切にされてきた。お互いを思いやる心を育ててきたともいえる。
“テレビのない家庭”の本当の意義は実はそこにあるのではないだろうか…。川嶋家のご両親の教育方針には学ぶことばかりである。
女性自身 2012年6月5日号
■雅子さま、紀子さまと<和解の談笑>生んだ美智子さま「愛の呼びかけ」!
皇室ジャーナリストの松崎敏弥さんは語る。
「天皇陛下のご退院後は、4月10日に御所で両陛下のご成婚記念日をお祝いする夕食会、4月28日に東宮御所で天皇陛下の喜寿をお祝いする昼食会など、ご家族がそろわれる機会も多かったのです。
特にご成婚記念日夕食会は、通常は東宮御所で行われているのですが、今年は御所で開催されました。
それは、ホステス役を務められる雅子さまのご体調不良も理由の一つだったようです。
しかし、御所に集まるように呼びかけることで、ごきょうだいに絆を想い出させようとする美智子さまのご配慮もあったのではないでしょうか。
また、美智子さまが両家の関係を心配されていることを知って、雅子さまと紀子さまも“わだかまり解消”を選ばれたようです」
美智子さまのご家族融和を願うお気持ちが、ごきょうだいたちを動かしたのだ。
また5月18日、東宮御所で雅子さまは、皇太子さまとご一緒に、イギリスの名門・オックスフォード大学の総長夫妻と懇談された。
雅子さまが、対外的なご公務で懇談されたのは実に半年ぶりのこと。両陛下のご訪英中に、国内でイギリス関係のご公務をされたことになる。
美智子さまのかの地での真摯なお姿が、雅子さまの奮起をうながしたのだろうか。
http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1338294498811.jpg http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1338350882999.jpg
週刊新潮 2012年6月28日号
ウガンダで「ティラピア」に舌鼓を打たれた「秋篠宮」ご夫妻
「ご訪問は成功だったようです。中国が幅を利かせるアフリカに皇族が行かれたというのは、誠に意義深い」
と宮内庁担当記者が話す、秋篠宮ご夫妻のウガンダ訪問。同国との国交樹立50周年を記念して招かれたのだが、ご夫妻は長旅の疲れを一切見せることなく、赤道直下の国での4日間の日程を精力的にこなされた。
6月12日に首都カンパラに到着されたご夫妻は夕刻、現地で活動する青年海外協力隊やシニア海外ボランティア、技術協力の専門家など日本人約50名と、2時間に亘り懇談された。
翌13日は、稲研究・研修センター、エイズ遺児の施設「あしながウガンダ」を視察された後、ムセベニ大統領と会見。
夜は大統領主催の晩餐会に出席された。
「メインディッシュはナイルの淡水魚”ティラピア”のソテー。付け合せに当地の主食”マトケ”(食用の甘くないバナナ)が供されました。」(JICAウガンダ事務所長の関徹男さん)
殿下はスピーチで、ウガンダの国鳥”カンムリヅル”について言及。日本もツルは縁起の良い鳥とし、両国の共通点を強調された。
「殿下はそのカンムリヅルをどうしてもご覧になりたかったようです。」(同)
14日はカンパラから東へ80キロの町ジンジャへ。円借款でナイル川に建設される斜張橋の定礎式に出席された(写真)ご夫妻は、ボートでナイル源流も視察される。「野鳥に強い関心をお持ちで、”カワセミを見ることができた”と」(同)
最終日は野生生物教育センターをご訪問。体長3メートルのニシキヘビを抱えたりと、予定の時間を押して熱心に見学された殿下だったが、
「カンムリヅルを間近にご覧になったのです。”関さん、思いが叶いました”とおっしゃいました。」(同)
友好親善はもちろん、”生物好き”のご夫妻にとって有意義だったご訪問を終え、17日に無事帰国されたのだった―――。
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
■紀子さまと雅子さまは本当に仲が悪い?
「いま、紀子さまと雅子さまが直接、連絡を取り合うようなことはありません。
それは皇室として嘆かわしいことで、両親のお立場として、天皇皇后両陛下もお悩みだと思います。
東宮ご一家と秋篠宮ご一家には、ぜひ協力して次世代の皇室を担っていってほしいという思いがあるのです。
でも空港でのお見送りには雅子さまが出られてよかった。短い時間でもタラップの下で、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻が四人並んで笑顔でお話しされていたのは素晴らしい光景だと思いました」(千代田関係者)
二月の心臓手術など心配のタネが尽きない平成皇室にあって、天皇を支え、存在感を増している秋篠宮家。
注目されるのは東宮家とのご交流であり、二人の妃殿下の仲だ。
「皇太子同妃両殿下のところとの交流については、残念ながらそれほど多くはありません」
昨年の誕生日会見で、秋篠宮はこう述べられたが、その状態は今でもあまり変わりないようだ。
それには雅子さまのご病状が深く関係している。
「今年三月、眞子さまの成人を祝う夕食会が開かれ、天皇皇后両陛下、常陸宮ご夫妻らが出席されましたが、雅子さまは欠席されました。雅子さまご自身の“ご体調の波”もあり、
なかなか積極的にご親交の場に顔を出すのも難しいようなのです」(宮内庁関係者)
心臓手術を受けられた天皇を真っ先に出迎えられたのも秋篠宮ご夫妻と悠仁さま、黒田清子さんご夫妻だった。
皇太子ご夫妻は合流されなかった。
「皇太子ご夫妻が参内される予定もあったのですが、その頃の雅子さまのご体調は“最悪”でした。
リズムを崩され、昼夜逆転の生活をなさっていた中で断念されたのかもしれません」(東宮職関係者)
そんな中で起きたのが、三月二十六日の「三の丸尚蔵館ニアミス事件」だった。
「皇太子ご夫妻はその日、リハビリ中の両陛下をお見舞いされ、両陛下とご昼餐をご一緒されました。
退院後の陛下を雅子さまがお見舞いされたのは、それが初めてです。その中でお話が出たのでしょうか、ご昼餐後にご夫妻は皇居内の三の丸尚蔵館にいらしたのです」(宮内庁担当記者)
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
当時、三の丸尚蔵館では『皇后陛下喜寿記念特別展』という、皇后の「ご養蚕」に関する展覧会が開催されていた。
しかし、その日はもともと、秋篠宮ご一家がこの展覧会にいらっしゃる予定だったのだ。
「ひょっとして両家が合流され、特別展を鑑賞することもあるのでは、とも囁かれましたが、結局、秋篠宮家がいらっしゃる二十分前に皇太子ご夫妻は帰ってしまわれた。
やはり雅子さまにとっては、そういったご交流もおご負担なのかもしれません」(同前)
その後も、四月の天皇皇后の葉山ご静養に、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは合流されたが、皇太子ご一家はその間、東京に残られた。
別の宮内庁関係者はこう解説する。
「紀子さまと雅子さまの仲は決して悪いということではありません。紀子さまは兄宮を立てないといけないという強い思いをお持ちです。
ただ、ご病気の雅子さまとの接し方はなかなか難しいものがあるようです。
一方で、手術を終えたばかりの陛下と皇后さまを自分がお支えしなければならないという思いも一層強くされている。陛下のお見舞いも目立たぬようにされています」
そのご努力には並々ならぬものがあるという。
■悠仁さまはなぜ学習院に通わない?
四月のある土曜日、千葉県の鴨川シーワールドに秋篠宮ご夫妻といらっしゃった悠仁さま。
「目の前まで水しぶきがかかる迫力あるシャチのショーに少し驚いた様子を見せていたのが、とてもかわいらしかったです」(その場に居合わせた客)
悠仁さまは現在、東京都文京区のお茶ノ水女子大学付属幼稚園の年長さん。砂場遊びがお好きで他の園児からは「ひさひとくん」と呼ばれているという。
来年には小学校に進学される悠仁さまだが、愛子さまが通われている学習院初等科という選択もあるのだろうか。
宮内庁担当記者が話す。
「皇族といえば学習院、という周囲の予想を裏切って、お茶の水へ入園されたので、現在でも初等科関係者は『なぜお茶の水なのか』と思っているようです」
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
初等科では来年の入学試験の準備が始まったところだが、
「お茶の水女子大付属小学校でほぼ決定のようです。内部試験を経て進学される。
ただ、どのみちお茶ノ水は高校からは女子高ですから、その時点で学習院を選ばれる可能性が高いのではないでしょうか。
そもそも秋篠宮ご夫妻がお茶の水幼稚園をお選びになったのは、早い時期から同年代の子どもたちとの社会生活を体験させるために三年保育を希望されたから。
また、殿下ご自身が大学に進学された際、学びたいと考えていた生物の研究をする学部が当時はなかったということもあって、悠仁さまの選択の幅を狭めないという配慮をされたのかもしれません」(同前)
子供たちの教育方針について、かつて秋篠宮はこう述べられたことがある。
〈自分の今いる立場の認識をしていってもらいたい。それ以外については自分の関心のあることを深めていってもらえればよい〉
そして将来、天皇になられる悠仁さまには、帝王教育の問題が付いて回る。
所功氏(モラロジー研究所教授)が解説する。
「悠仁さまも中学ご入学前後になられたら、皇位を担う立場と役割のお心得を学ばれることが必要でしょう。
それは、皇室が国家・国民のために公的な存在としてあることを自覚し、常に私よりも公を優先される心構えです」
皇太子は初等科一年生から「論語」の修養を積まれたが、何より帝王教育の“生きた教科書”は、天皇の日常的な言動。秋篠宮はそれを実践されている。
「秋篠宮殿下は、図書館で学べる知識より実際に両陛下のお姿を見せることが大事だとお考えです。
そのため機会を見つけては参内し、両陛下とご一緒に食事など召し上がるのです」(前出・宮内庁関係者)
■美智子さまが目を細める紀子さまの気配り術
「最近の秋篠宮妃殿下を見ていると、美智子皇后が力を入れてらっしゃるお仕事について、よく勉強されているなと感じることが増えました」(宮内庁関係者)
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
ベテラン皇室ンジャーナリストは、その原点についてこんな指摘をする。
「紀子さまは、ご婚約当初から皇室になじもうと懸命に努力されていました。
例えば、婚約後に宮内庁を通じて『皇室アルバム』のビデオを取寄せてご覧になっていたそうです。
そのビデオから、美智子さまのひと言ずつを大事にゆっくり話されるお話しの仕方や、
国民との対話のご様子を学ばれていったのでしょう」
美智子さまを範として歩まれる紀子さまの思いは、娘の眞子さま、佳子さまにも受け継がれている。
その一つが養蚕である。
千代田関係者が明かす。
「養蚕は、皇后さまが熱心に取り組まれている重要な行事の一つで、昭憲皇太后以来、
歴代の皇后に継承されています。皇后さまもお忙しいご公務の間を縫って皇居内の紅葉山御養蚕所にお通いになって、
日本古来の『小石丸』という品種をお育てになっています。秋篠宮家のお子さまは、給桑という桑を蚕に与える作業を
お手伝いになるなど、養蚕の技術を熱心に学ばれています」
その様子が、初等科時代の眞子さまに美智子さまが送られた手紙から窺える。
「手紙の中で美智子さまは『おととし眞子ちゃんは、このまゆかきの仕事をずいぶん長い時間てつだって下さり、
ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました』、『また、今年もできましたらお母様と佳子ちゃんと
おてつだいにいらして下さい』と書かれています。養蚕のお手伝いをされる眞子さまを見て、目を細めてらっしゃる
美智子さまの様子が伝わってきます」(同前)
紀子さまは、美智子さまのご公務も支えている。
「日本赤十字社の役職として、美智子さまは名誉総裁、紀子さまは名誉副総裁でいらっしゃいます。
つい先日も紀子さまは、美智子さま、常陸宮妃華子さま、高円宮妃久子さまと共に全国赤十字大会に出席されました。
有功章を授与される美智子さまのお隣で、紀子さまは終始にこやかにされていました。雅子さまも名誉副総裁なのですが、
ご病気になられてからは赤十字の活動から遠ざかっています」(宮内庁担当記者)
紀子さまはその他にも児童書への関心や、手話への取組み、戦争被害を受けた沖縄への思いなど、
多くの分野で美智子さまに学ぼうとされている。
1日、東京・千代田区の国立劇場で、東日本大震災3周年追悼式が行われ、天皇陛下がお言葉を述べられた。
本日、東日本大震災から3周年を迎え、ここに一同とともに、震災によって失われた人々と、その遺族に対し、あらためて、深く哀悼の意を表します。
3年前のきょう、東日本を襲った巨大地震と、それにともなう津波は、2万人を超す死者・行方不明者を生じました。
今なお、多くの被災者が、被災地で、また避難先で、困難な暮らしを続けています。
さらに、この震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が、住み慣れた地域から、離れることを余儀なくされています。
いまだに、自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと、心が痛みます。
この3年間、被災地においては、人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて、懸命に努力を続けてきました。
また、国内外の人々が、こうした努力を支援するため、引き続き、さまざまな形で、尽力していることを心強く思っています。
被災した人々の上には、今も、さまざまな苦労があることと察しています。
この人々の健康が守られ、どうか希望を失うことなく、これからを過ごしていかれるよう、長きにわたって、国民皆が、心を1つにして、寄り添っていくことが大切と思います。
そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心がけを育み、安全な国土を築くことを目指して、進んでいくことを期待しています。
被災地に、1日も早く、安らかな日々の戻ることを、一同とともに願い、み霊への追悼の言葉といたします。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00264551.html
週刊文春 2012年6月7日号
■殿下の「こだわりファッション」の秘密
「秋篠宮殿下のスーツのスタイルは独特なんです。十年前からそのスタイルにお変りはありません」
こう話すのは、スーツを仕立てて二十五年余りになるという萬里小路和久氏。主に秋篠宮が公務でお召しになるスーツのオーダーメイドをしている。
萬里小路和久氏によると、秋篠宮のお好みのスタイルは、
「お召しになっていてストレスのないもの。体にぴったりしたものや窮屈なもの、重い素材は避けられます。
一日中公務で座っていらしても、しわになりにくいものをお求めになります」
たまに流行のデザインやファッション誌に載るような仕立てを提案しても、「これは僕のスタイルではないから」とお断りになるという。
悠門の内容も、あるスーツが一着傷むと、同じような素材・色のスーツをオーダーなさるという。
独身時代は黄色いフォルクスワーゲンにサングラス、口ひげにブレスレットといった派手なファッションが話題にもなったが、最近は筆頭宮家の当主として、華美に見えないファッションを心掛けていらっしゃるようだ。
質素なスタイルは紀子さまも同じ。
「宮邸の中では、Gパンで悠仁さまを追っかけまわしています」(宮内庁関係者)
ある皇室関係者もこう補足する。
「妃殿下は特別な日でも自分でお化粧をなさいます。マスカラなどほとんど使わないナチュラルメイクなのですが、それは秋篠宮殿下が『なるべく自然のままで』というお考えだからだそうです」
ファッションと言えば、髪型も気になるところ。秋篠宮は一昨年から白髪を黒く染められている。
自然体がお好みの秋篠宮からすると、意外にも思えるが、「悠仁さまが『どうしてお父様の髪だけ白いの』とおっしゃったのがきっかけだという話もあります」(宮内庁担当記者)
紀子さまのショートヘアについても、秋篠宮家の関係者が話す。
「ご結婚の頃のロングヘアもとてもお似合いでしたが、ご公務と三人のお子さまの子育てを両立なさるという多忙な日々ですので、ショートになさったのでしょう。
お手入れもしやすいですし、お着物をお召しになる際にもセットが楽なのがよいのでしょう」
秋篠宮ご夫妻のファッションやヘアスタイルには、公務や子育てに対するご姿勢が表れているのだ。
質素なスタイルは紀子さまも同じ。
「宮邸の中では、Gパンで悠仁さまを追っかけまわしています」(宮内庁関係者)
ある皇室関係者もこう補足する。
「妃殿下は特別な日でも自分でお化粧をなさいます。マスカラなどほとんど使わないナチュラルメイクなのですが、それは秋篠宮殿下が『なるべく自然のままで』というお考えだからだそうです」
ファッションと言えば、髪型も気になるところ。秋篠宮は一昨年から白髪を黒く染められている。
自然体がお好みの秋篠宮からすると、意外にも思えるが、「悠仁さまが『どうしてお父様の髪だけ白いの』とおっしゃったのがきっかけだという話もあります」(宮内庁担当記者)
紀子さまのショートヘアについても、秋篠宮家の関係者が話す。
「ご結婚の頃のロングヘアもとてもお似合いでしたが、ご公務と三人のお子さまの子育てを両立なさるという多忙な日々ですので、ショートになさったのでしょう。
お手入れもしやすいですし、お着物をお召しになる際にもセットが楽なのがよいのでしょう」
秋篠宮ご夫妻のファッションやヘアスタイルには、公務や子育てに対するご姿勢が表れているのだ。
週刊文春 2012年6月7日号
秋篠宮家「5つの謎」
■紀子さまのご実家「川嶋家の人々」はいま?
1990年のご結婚当時、「3LDKのプリンセス」として世間の話題をさらった紀子さま。世間の関心は紀子さまの家族にも及んだが、最近はどのように過ごされているのだろうか。
紀子さまの父親である川嶋辰彦氏は当時、学習院大学経済学部だった。
「経済学部の教授としては、昨年三月に七十歳の定年を迎えて退職されています。今は同大学の名誉教授です」(学習院大学関係者)
辰彦氏はGONGOVA(草の根国際協力研修プログラム)の責任者でもある。
「日本とタイの大学生を中心にした、ボランティアの教育と実践をするプログラムで、
川嶋氏は何度もタイの僻地を訪問し、学生からタツと呼ばれて親しまれています。教授退陣後、大学内の団体から任意団体のNGOになりましたが、お変わりなく活動は続けていらっしゃいます」(同前)
日本タイクラブ関係者が語る。
「今年の二月、日本タイクラブのフォーラムで基調講演をされました。非常にお元気そうで、タイのことをにこにこしながら語ってらした。
音がテーマのフォーラムだったのですが、パネリストとしてお話しいただいた際も、タイの村の中で聞こえてくる音や、動物の鳴き声について独特の表現で話されていました」
紀子さまの弟の川嶋舟さんは現在、東京農業大学バイオセラピー学科の講師を務めており、2006年に福島県相馬市出身の女性と結婚している。
「東日本大震災の発生時には、常磐線に乗って相馬市に向かっていて、津波から間一髪で逃げられたそうです。
震災後は物資を運ぶボランティアに取り組まれ、奥さんの実家でもある相馬中村神社にも協力を仰いだと聞いています。
被災者の心のケアにも取り組まれていて、被災した子供たちをキャンプに連れていき野外活動をしています。
そこでは、専門の動物介在療法を活用されているそうです」(相馬市関係者)
母の和代さんは、陰で紀子さまを支えている。
「紀子さまにご公務があるときなど、悠仁さまの幼稚園の送り迎えをなさっているようです」(知人)
週刊新潮 2012.5.31号
お魚にもご挨拶する「悠仁親王」−未来のお世継ぎ候補!
女王の即位60年を祝う昼食会に招かれた世界各国の王族のうち、59年前の戴冠式にも列席していたのは、天皇陛下とベルギー国王の2人だけである。
それだけに陛下は、今回の訪英には格別な感慨をお持ちだったという。
「到着された日の陛下は、時差もあって幾分お疲れの様子でしたが、随行員がご体調を気遣って移動の折々でお声掛けすると『ありがとう、大丈夫です』と仰り、きびきびと動かれていました。
18日の午餐会ではシャンパンを飲まれ、円卓では女王の隣の席で、羊肉やアスパラガスのお料理、デザートにチーズをお召し上がりました。会では、大震災のため皇太子さまが結婚式への参列を見送った、
ウィリアム王子とキャサリン妃が陛下に近づいて、歓談する場面もあったようです」(同行した記者)
両陛下は20日昼、羽田空港に到着。お留守の間、国事行為を代行された皇太子さまをはじめ雅子妃、そして秋篠宮ご夫妻らが出迎えられた。
本誌は先週号で、雅子妃と紀子妃との間に横たわる深い”溝”、すなわち2月に入院された陛下のお見舞いの「順序」をめぐる小さな衝突が、その後、確執へと転じていった経緯について報じた。
訪英を果たされ、健康面の不安は払拭されたものの、両陛下にとっては新たなご心痛の芽が生じてしまった格好である。
そして実は、その“火種”となった雅子妃が、両陛下ご出発時、従来の「問題」を再認識せざるを得ない状況に陥っていたというのだ。宮内庁担当記者が言う。
「ご出発の16日午前、最後に滑走路でお見送りされた際には、皇太子ご夫妻と秋篠宮ご夫妻は並んで手を振られていました。この時は雅子さまも柔和な表情で、満面に笑みを湛えられていたのですが…」
問題は、この少し前に空港で催されていた「出発行事」であった。
「専用機が出発する滑走路の前には、戸建ての貴賓室が設えられています。こちらのホールでは、皇族方や衆参両院議長ら列席の中、君が代の演奏に続いて野田総理がお見送りの言葉を述べ、
陛下が出発のご挨拶をなさるセレモニーが行われていました。ですが、およそ30人が臨んだこの行事に、雅子さまのお姿はありませんでした。
週刊新潮 2012.5.31号
お魚にもご挨拶する「悠仁親王」−未来のお世継ぎ候補!
行事には、あらかじめ出席の意向を示されていたのですが、前日の夕刻になって宮内庁記者会に『予定変更』との発表文が配られたのです」(同)
これまで行事の際に度々みられた“ドタキャン”が、今回もまた繰り返されたというのだ。
さる宮内庁関係者によれば、
「妃殿下はその行事の間、ホールの横にある控室で待機なさっており、ご搭乗の直前に皇族方と合流され、離陸を見守ったのです」
その2日後、18日には来日したオックスフォード大学の総長夫妻と懇談。雅子妃の対外的な公務での懇談は、昨年11月のベトナム駐日大使夫妻との面会以来、実に半年振りのことである。
「これを受け、妃殿下のご体調に好転の兆しと捉える向きもありますが、早計に過ぎます。過去のケースに照らしても一目瞭然で、07年に両陛下が欧州を歴訪された際、また09年にカナダと米国を訪問された際も、
妃殿下は最後のお見送りはなさったものの、貴賓室での行事にはいずれも欠席されています」(同)
皇室ジャーナリストの山下晋司氏も、こう言うのだ、
「歌会始の儀のように、大勢に対面され、また限られた空間でカメラを正面から向けられるような形は、いまだ妃殿下におかれてはご負担の度合いが強過ぎるのでしょう」
その雅子妃との間で、今回思わぬ軋轢が明るみに出たのが秋篠宮紀子妃である。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、
「現在、陛下を中心にして22人の皇族全体が協力して皇室を成立させています。その中で陛下のご公務を軽減し、他の皇族に分担して頂こうというのが宮内庁の考え方です」
と前置きしながら、秋篠宮家のご負担について、こう指摘する。
「公務を分けるといっても、高齢や病気などの事情もあり、各宮家には限度がある。特に東宮の場合、皇太子さまは国事行為を代行せねばならず、また現状ではご夫妻が揃って海外のお客様をお迎えするなどは難しい状況です。
ご夫妻で日本を訪れた公賓や国賓をお一人で迎えるのは、公平を旨とする接遇という観点からも具合が悪い。
そうした場では、ご夫妻がともに若くて健康な秋篠宮家の比重が、どうしても増していくのです」
週刊新潮 2012.5.31号
「日常のご公務をこなしつつ、皇位継承順位が高いとはいえまだ5歳の悠仁さまを抱えておられるわけです。
現在の仕事量から察するに、紀子さまにとっては心理的な面からも、さぞ大変であろうことは容易に想像できます」
そのお暮しについて、皇室ジャーナリストの高清水有子氏は、次のように明かすのだ。
「ご多忙を極める中、紀子さまは近頃、手話のほか点字の勉強もなさっています。また、ご公務に差し障りのない限り、悠仁さまの幼稚園の送り迎えや行事にも参加されているのです」
寸暇を惜しむ母を、時には眞子さまと佳子さまが手助けされることもあるという。
「お二人とも幼い頃から、忙しいご両親の姿を見ておられます。成長された今、例えば紀子さまがお疲れの様子の時に、肩を揉んで気遣われることもあります。
また両殿下のご不在時には、ご両親に代わって悠仁さまの面倒を見たりなさっています」
さらに続けて、
「こうした眞子さまと佳子さまの内親王としての心構えは、実は黒田清子さんから色々と学ばれたことなのです。お二人が幼い頃、両殿下がお留守の時に寂しい思いをしないようにと、
“叔母様”として清子さんが宮邸にいらっしゃって一緒に過ごされたことが度々あったといいます。
かつて受けた心配りを、今度はお二人が、弟君に対してなさっているわけなのです」
秋篠宮家の創設以来、取材を重ねている高清水氏は、そうした環境で育まれた悠仁さまのご成長を目の当たりにしてきたという。
「秋篠宮家では、人に会ったり何かして貰ったりした時には、きちんと『ごきげんよう』 『ありがとう』とご挨拶することが、日頃からごく当たり前になっているので、
悠仁さまは家の外の人にも、屈託なくご挨拶なさいます」
また周りのご家族と同じく、悠仁さまもまた、生き物が大層お好きであり、こうしたことから、おのずと慈しみの心が涵養されていったという。
「宮邸の水槽では珍しい魚や、アズマニシキやオランダシシガシラといった立派な金魚まで飼育されていて、それらの魚や庭の草花にまで、3人のお子様方が
小さい頃には『おはよう』『おやすみなさい』と話しかけてらしたのです。
悠仁さまは動物園や水族館でも、生き物を見れば『こんにちは』と挨拶されているくらいです」
週刊新潮 2012.5.31号
お魚にもご挨拶する「悠仁親王」−未来のお世継ぎ候補!
実際に4月7日、ご両親とともに鴨川シーワールドを訪問された悠仁さまは、ウミガメを前に「どのくらいの大きさですか」などとご質問。
秋篠宮さまが「ゆうゆう(ご家庭での愛称)より大きいよ」とお応えになる一幕もあり、この時もやはり手渡された子ガメに「こんにちは」と話しかけられたという。
魚や草花にまでとなれば、ご挨拶がいささか丁寧に過ぎる感がなきにしもあらずだが、ともかくも妃の長期療養という“宿題”を10年近くも抱えている東宮家に比して、来年は小学校に
入学される「お世継ぎ候補」を擁する筆頭宮家は、目下のところ順風満帆のようである。
そんな折も折、羽毛田信吾長官と金澤一郎皇室医務主管という、いずれも70歳の宮内庁最高幹部が揃って退任することになった。
前出の山下氏が言う。
「特別職には正式な定年がありわけではありませんが、職務遂行の継続性という観点から、70歳で職を退くというのがこれまでの慣例とされてきました。退任が6月1日付であるのは、
陛下の心臓バイパス手術後の経過を見届け、訪英も無事終えられたからだと考えられます」
また、先の神田氏は、
「7年前の就任直後から、羽毛田長官は官公庁を回って、陛下に対するお出ましの要望を減らしてほしいと働きかけるなど『ご公務軽減』に積極的に取り組んできましたが、
実際には外国関連のものを含め、その数自体は増加するばかりでした。されに、懸案となっている女性宮家の問題も、自ら旗振り役を担いながら道半ばで退任するわけですから、その胸中には
さまざまな思いが去来していることでしょう」
仕える側は古希をもってお役御免になるというのに、78歳の陛下と1歳下の皇后さまには、依然ご公務が目白押しである。
ともに次世代を担いつつも対照的に映るご兄弟の一家は、将来の皇室にどのような模様を織りなしていくのだろうか。
週刊文春 2012年4月5日号<雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤>
このところ医療界の一部では穏やかではない推測が出回っている。
「天皇陛下の術後のご様子が思わしくない。胸水があれほど溜まるというのはどうか。心膜切開後症候群も疑われるのではないか」
たしかに天皇のご快復が芳しくないことは、金沢一郎皇室医務主管も、退院直後のレクでこう述べていた。
「食欲も十分でありませんし、低蛋白血症、胸水貯留は満足できる段階ではない。術後の経過は順調である、と単純には言えない」
胸水貯留については、震災追悼式の前に、穿刺治療により右胸から約一リットルを抜いたが、左胸には約八百ミリリットルもの胸水が残っていたという。
「ようやく二十日に穿刺治療が行われ、胸水を抜かれたのですが、今回は両胸から約一千四百ミリリットルも抜かれたと聞き、驚くと共に本当にお辛かったのだろうと非常に心配になりました」(宮内庁関係者)
この医療界の“噂”について、亀田メディカルセンターの外山雅章心臓血管外科部長はこう説明する。
「今回のようなオフポンプ冠動脈バイパス術の術中術後に胸水が貯留することは極めて稀で特別な状況がなければ、まずあり得ないことです。
しかし、陛下のご病状を今まで間近で見てきたわけではないので一般論でしか言えませんが、宮内庁の発表からは心膜切開後症候群を疑うような情報はない。
ただ一定の安静度を保って経過観察が必要でしょう」
小誌では、他にも複数を高名な専門医に聞いたが、発表内容の限りでは、「予後に強い不安があるとはいえない」という。
そして天皇はいまリハビリに精を出されている。前出の宮内庁関係者によれば、
「胸水を抜いたのが良かったのか、いまでは日に三回もリハビリの運動をなさっています。その一部には、東大病院からリハビリトレーニングの専門家が付き添っているそうです。
公務復帰に向けて、必死に努力されている陛下を支えるもの皆が、また必死でお支えしているという状況です」
週刊文春 2012年4月5日号<雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤>
三月中は皇太子が国事行為の臨時代行を務められるが、四月には園遊会、五月には宮城での国際会議ご臨席、植樹祭、英国ご訪問などが控える。
そんな中、雅子さまの天皇お見舞いがようやく実現した。天皇のご退院から約二十日後の三月二十六日のことだ。天皇が退院された当日、秋篠宮ご夫妻は皇居・御所でお迎えし、
翌日にもお見舞いをされた。だが、一方の皇太子ご夫妻の、退院後のお見舞いはなかなか叶わなかった。
宮内庁担当記者が話す。
「今回も当日まで、参内されるかどうかは微妙でした。ふだんは雅子さまのご体調について、ほとんど公表しない東宮大夫が、この二週の定例会見では『ご体調の波がおあり』とか、
『かなりすぐれない時がある』と述べていた。これは明らかに予防線。万が一お見舞いに行くことが出来なくても『ご体調が悪いせいですよ』という言い訳が立つように、事前にわざわざ公表したのでしょう」
ただし、雅子さまのご体調が芳しくないのは事実のようだ。小誌でも前号、前々号で報じてきたが、現在でもその“ドン底”の状態は続いているという。
東宮職関係者が話す。
「妃殿下の“昼夜逆転”の生活は相変わらずです。深夜まで起きていらっしゃるからか、朝食を召し上がらない日もある。ただ、それでもお見舞いの直前には少しよくなられたようです。
妃殿下は心理的なプレッシャーからか、予定を決めるとその日、その時間が近づくにつれ、ご体調を崩されるという傾向がおありです。それでも今回お見舞いにいらっしゃることが
出来たのは、妃殿下が慎重に体調管理に務められたからでしょう。直前のご予定も取り止められましたし」
お見舞いの二日前には、眞子さまの「成年のお祝」の行事が赤坂御用地の東邸で行われたが、雅子様は欠席されている。
眞子さまは昨年十月に二十歳になられたが、東日本大震災への配慮もあり、この内宴は延期されていたという。
「当初は雅子さまも出席される方向で検討されていました。手術後の天皇陛下、皇后陛下に加え、翌日にはトンガを訪問されるお忙しい常陸宮ご夫妻も出席されるということでしたから、
できるだけ行きたいとお考えになられていらはずです。
週刊文春 2012年4月5日号<雅子妃と紀子妃「天皇のお見舞い」を巡る葛藤>
この展覧会の図録には、皇后が初等科三年生だった眞子さまに宛てられた、御養蚕について綴られた
こんな手紙が掲載されている。<おととし眞子ちゃんはこのまゆかきの仕事をずいぶん長い時間手伝って下さり、ばあばは眞子ちゃんはたいそうはたらき者だと思いました>
千代田関係者が続ける。
「その図録を、紀子さまは悠仁さまに見せながらご説明されていました。悠仁さまは様々な種類の繭を見て
『これは何て名前なの?』とか、皇后さまが作られた絹糸で復元された正倉院の“地獄絵”を見て、『なんで火をつけてるの?』と可愛らしい質問をされていました。
御養蚕の素晴らしさをお子様たちが知ることを、 皇后さまも喜ばれているに違いありません。紀子さまは皇后さまのなさりようを本当によく学ばれています」
三月九日、皇后は板橋区立美術館で開催された「安野光雅の絵本展」を観覧されたが、じつは紀子さまも
その六日後に“非公式”においでになっている。
板橋区立美術館長の安村敏信氏が語る。
「皇后さまのご著書『橋をかける』『バーゼルより』などの装画として描かれた原画三点などが展示されました。
皇后さまにとって、思い出深い画ばかりですから、行きつ戻りつしながら、数十分かけてご覧になっていました」
後日いらした紀子さまも一つひとつを見入るようにご覧になったという。
だが、別の千代田関係者は、“非公式”というところに秋篠宮ご夫妻の「葛藤」を感じ、心配する。
「秋篠宮ご夫妻は、両陛下を陰で支えようとされている。さまざまな問題を抱える皇太子ご一家に比して、
秋篠宮ご一家の存在感は、特に被災者のお見舞いをされた昨春ごろから増すばかりです。しかし、やはり
弟宮は兄である皇太子を立てなければならない。一宮家の立場で突出したことをしてはいけない、という
お考えは、秋篠宮ご夫妻も強くお持ちなのです。ただ、術後のリハビリに熱心に取り組む父を、今こそ
支えなければいけない。その気持ちも非常にお強い。雅子さまのこともあり、お見舞いのタイミングなど、
紀子さまも葛藤されたことと思います」
皇太子ご一家の春休みはご静養の予定もなく、雅子さまは今でも東宮御所で静かにお過ごしだという。
〜〜〜〜〜
>>1の取り扱い上の注意〜〜〜〜〜
・
>>1は、精神不安定状態ですので、あまり煽られるとタイピングミスや、 意味不明な言動が現れることがありますが、ご了承ください。
・
>>1は、ただいま引き篭もり状態でもあり、自分の人生も悲観しています。その為すぐ自殺したりしますが、心配はいりません。我が病院が総力を挙げて揉み消します。
・
>>1は、精神力や、忍耐力に欠けているため、すぐに飽きたり、逃げたりいたしますが、そんな時は
>>1の為を思い、ウイルスでも送ってやってください。
・
>>1は、自意識も薄く、自分が今何をしているのか分からなくなることがあります。その為自分のしている事を棚に上げて人を荒らし呼ばわりすること、また、自分の頭の悪さ等を棚上げして「馬鹿」などとほざいたりしますが、気にすることはありません。
・
>>1は、記憶力が大変弱いため、もし皆様のお力で改心させ通常の状態になることができても、明日にはそれを忘れ、また荒らしをすることがあります。 そのような場合、速やかに削除依頼及び規制依頼を出してきてください。
・ また
>>1は、ときたま意味の分からないヲタク用語を連発することがあります。そのような場合、「お前の好きそうな画像だ」とでも言ってブラクラでも貼ってやってください。 きっと喜んで掛かります。
------以上です。
我が病院の愚かな患者が、皆様に多大な迷惑をお掛け致しまして、 我が病院の医師共々深くお詫びいたします。
週刊文春(2012/07/05)
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」 10年間で職員10人以上が交代
「あなた自己中ね!」。宮邸での妃殿下は、優雅な会見からは想像もできないほど厳しいという。
退嬰的な宮内庁にあって、なぜ秋篠宮家で次々と人事異動が行われるのか。
揺れる平成皇室の中で重責を担う秋篠宮家。
そのストレスに悲鳴を上げる職員の声を取材した。
お濠の内、皇居・坂下門を入り、すぐ右手奥に見える三階建ての重厚な建物が宮内庁庁舎である。
宮中の伝統と権威の象徴とも言えるこの洋風建築は、昭和十年に建てられ、現在でもその中はまるでタイムスリップしたかのような歴史を感じさせる空間となっている。
「あれほど嫌だって言ったじゃないですか!」
普段から静けさに包まれているこの庁舎の中で、ある職員の怒号が響き渡った。定期異動の直前、昨年春の出来事である。
宮内庁関係者が話す。
「皆が驚くほどの大きな声でしたから噂になりました。この職員は、以前にも秋篠宮家で勤務した経験のあるものなのですが、再び秋篠宮家への異動の内示を受けたのです。彼に聞いた職員によれば、
『事前に打診があった際にはキッパリと断った』のに、内示を受けて、『話が違う』と上司に食ってかかったそうです。でも結局、辞令は覆らなかった。ただ、気持ちはわからないでもありません。
過酷だというのは、みんな何となく知っていますから」
六月二十九日、秋篠宮ご夫妻は、二十二回目の結婚記念日を迎えられる。ご家庭は円満そのものといったご様子で、長女の眞子さまはスコットランドへの短期留学が決まり、来年から佳子さまは大学生に、悠仁さまも小学生になられる。
「悠仁さまは二十一日、幼稚園の恒例行事である親子でのジャガイモ掘りに、紀子さまとご一緒に参加されました。紀子さまは登山用の大きなリュックを背負われ、ジャガイモをいっぱい持ち帰られたそうです」(皇室担当記者)
紀子さま秋篠宮家「過酷すぎる職場」−10年間で職員10人以上が交代
■女子職員を強い口調でお説教
いまだ“途絶状態”の皇太子ご夫妻に比して、秋篠宮ご夫妻は天皇皇后とも非常に密にコミュニケーションを取られている。
「陛下は今月中旬に検査を受けられました。心臓手術の経過が非常に良い、という診断結果に皆ホッとしています。
しょっちゅう参内されて両陛下を支えられている秋篠宮ご夫妻は、結婚記念日の直前の週末にも、悠仁さまを連れて参内され、ご昼餐をご一緒されました」(千代田関係者)
だが、順風満帆に見える秋篠宮家にあって“心配のタネ”は、職員の不安定人事である。
秋篠宮家の職員の定員は、現在十六名。それに加えて他部署との兼任職員が三名いるが、この小さな所帯にも拘らず、十年の間に十人以上の職員が交代しているのである。
かつて宮家に務めたある職員が、当時を振り返る。
「宮内庁の中でも、特に大変な職場だと思います。もう勘弁ですね。半ばノイローゼのようになって退かせて頂いた職員もいましたよ。
秋篠宮家では、両殿下と職員の距離が近く、直接お叱りを受けることも多い。以前、妃殿下が女子職員に向かって『あなた、自己中ね!』と強い口調でお説教されたことがあり、庁内でも話題になった。
ある人は『ご会見では、あんなに優雅に微笑みを浮かべてゆったり振る舞われているけど、ところがどっこい家の中ではニコニコなんてない』と洩らしていました」
また、かつて秋篠宮家に事務職として仕えていた職員の一人はこう言う。
「秋篠宮家は職員の間では“ご難場”とも言われています。できることなら避けたい職場だというのが正直なところ。辞める職員が多いのは、仕事量が多くて大変だからでしょう。
同じ宮家でも、例えば陛下の弟宮であられる常陸宮家は、お子様がいらっしゃらないため人数も少なく、両殿下のお人柄も含めて、お務めしやすいと評判です」
実は、つい最近も、あるベテラン職員が秋篠宮家を去った。秋篠宮家の事情に詳しい関係者が語る。
「四月末に、秋篠宮家に十年ほど仕えていた料理人が退職してしまったのです。定年までしばらく間があって、中学生くらいのお子さんもいらっしゃたはずです。
もともと殿下のご友人の紹介で、務めるようになったそうですが…」
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」 10年間で職員10人以上が交代
秋篠宮家の料理人は宮内庁大膳課の職員ではなく、宮家の技官として雇われているスタッフである。
「大膳課は両陛下と皇太子ご夫妻のためのお料理を担当する部署ですが、秋篠宮家の担当の大膳課職員というのはいません」(別の宮内庁関係者)
大膳課は五つに分かれている。一係が和食、二係が洋食、三係が和菓子、四係がパンと洋菓子。
ここまでが天皇皇后のお食事を担当し、五係が東宮の担当だ。
「秋篠宮家の場合、一人の料理人が和洋中に限らず、何でもできなければいけないのです」(同前)
かつてはこんな事もあった。子供たちの食事に気を遣う紀子さまは、食材に関しても吟味なさるというが、
「ある日、『(普段の業者から)安くて新年な魚が手に入らないのであれば、築地で買えばよいのではないですか』と仰り、実際に当番の料理人が築地市場まで出向いたそうです。
こうして毎日、五人家族の三食分を用意するわけですから、かなりのハードワークであったことは想像に難くありません」(同前)
小誌では、退職した料理人に取材を試みたが、頑なに口を閉ざすばかりだった。
庁内でも、”過酷すぎる職場”と囁かれる秋篠宮家。「それは昔からのこと」だと千代田関係者は話す。
「紀子さまは一生懸命になさりすぎ…なんて言ったらいけないが、そういった妃殿下の熱意が、職員にとって負担になっている部分はあるでしょう。紀子さまは『人使いが荒い』という話も聞こえてきます。
ただ、環境が整っていないという側面も大きいのです。例えば、本庁で両陛下のための急な買い物の必要があったら、官車がすぐに手配されて、職員がそれに乗って皇居近くのデパートにサッと行くことが
できますが、秋篠さまのところは、女性職員が自転車をこいで買い物に行く。
紀子さまのご所望ならば、夜の真っ暗な中でも行かなければいけませんが、赤坂御用地の周辺にはちょっとした買い物を済ませられる スーパーもありませんから」
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」10年間で職員10人以上が交代
■「もう精神的に限界だ」
そして、この千代田関係者はこう続けるのだ。
「ただ…紀子さまが少しお厳しいということもあるのでしょうが、飯島さんのこともあった。あっちもこっちもぐちゃぐちゃだった」
飯島さんとは、〇八年頃まで宮家の切り盛りを長いこと任された飯島蘭子元侍女長のこと。
侍女長は“オク”と呼ばれるプライベートを一手に取り仕切る。飯島氏は秋篠宮ご夫妻からの信任も厚く、「たいへんな貫禄の女性で、アメリカ初の女性国務長官だったマデレーン・オルブライト氏と雰囲気がそっくり。
予算管理が厳しく、職員たちは再三再四、『あるもので済ませて下さい』とお説教されていた」(前出・元宮家職員)
なんでも頭ごなしに命じる飯島氏には、話しかけるのも憚られるようなオーラが漂っていたという。
「本庁の優秀な女性職員が、秋篠宮家に引き抜かれたことがありましたが、周囲はよく分っているから、 『本当に良いのか』と慎重に確認したそうです。
それでもご本人が『是非あの可愛らしい眞子さまと佳子さまのお側でお仕えしたい』という強い意向で、結局、秋篠宮家の侍女長補というポストに収まった。
ただ、宮家では飯島さんにだいぶ厳しくやられたらしい。結局、『もう精神的に限界だ』ということで、やめてしまわれたそうです。
ところがその飯島さんも心身のバランスを崩して、十年以上務めた侍女長を辞められたのです」(前出・千代田関係者)
その後の侍女長人事は混迷を極めた。〇九年に就任した前侍女長は、首相官邸の古川貞二郎官房副長官(当時)のもとで働いた経験もあり、
「参事官室に長くいらっしゃり、非常に真面目な方だった」(古川氏)が、体調を崩し就任直後から勤務ができず、秋篠宮家を去った。その後、しばらく侍女長のポストは実質的に空席だったという。
「誰もやりたがりませんよ。現在の侍女長の山崎敦子さんも、就任に際しては『二年間なら』という異例の期限付きでの人事だったそうです。今年の年末には約束の二年が経つ。後任の人選は難航するかもしれません」(宮内庁担当記者)
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」 10年間で職員10人以上が交代
秋篠宮家の不安定な人事について、元宮内庁職員の山下晋司氏が解説する。
「秋篠宮家は、法律上は一宮家ですが、“事実上の内廷皇族”と言えます。三方をお支えする東宮職に五十名以上の職員がいるのに対し、ご家族が五方いらっしゃる秋篠宮家に二十人弱では、職員一人あたりの仕事量は膨大になる。
さらに、秋篠宮家に支払われる皇族費は年間六千万円。ここから私的使用人の人件費や食費に加えて、洋服や教育費も捻出されるわけですから、予算的にも厳しい状況にあります」
職員たちが低予算と激務に身を粉にする一方、まったく異なる肩書きで宮家に出入りする“キャリア官僚組”もいる。
その一人が宮内庁御用掛である近藤茂夫氏だ。
近藤氏は旧建設省出身。国土庁事務次官、初代内閣広報官、フィンランド大使などを歴任し、〇七年から御用掛に就任している。
先日も、秋篠宮ご夫妻のウガンダご訪問(六月十一日〜十七日)に随行した。
「近藤氏は、中曽根康弘政権時代の副総理だった金丸信氏の秘書官。金丸氏の懐刀のような存在でした。
ただ、上司に忠義を尽くし過ぎるきらいがあり、記者連中からは“白ゴマ”というあだ名をつけられていました。
理由は、白髪で“ゴマすり”がうまいから。内閣広報官当時は森政権の末期で、官邸サイドとメディアの関係が険悪になっていましたが、官房長官の会見場に陣取って、報道陣に『そんな質問はおかしい!』と野次っていたことも
あり、唖然としました」(政治部記者)
また、旧自治省で官僚人生をスタートして、消防庁長官、長野県副知事などの華々しい経歴をもつ板倉敏和氏も昨年末、宮内庁御用掛に就任している。入省同期だった元官僚が語る。
「板倉さんは、もともと福島藩主だった板倉家に婿入りしたんだ。真面目な人ですよ。昨年の暮れあたりから御用掛として秋篠宮家に出入りしていると本人から聞きました」
ご結婚22周年
紀子さま 秋篠宮家「過酷すぎる職場」 10年間で職員10人以上が交代
さらには、小誌が「秋篠宮家に雇われた東大卒経産省スーパーキャリアウーマン」(二月二日号)と報じた谷みどり氏も、経産省に籍を置きながら〇九年から内閣府事務官(宮家主管付)として、秋篠宮家に仕えている。
昨年は秋篠宮ご夫妻の被災地訪問に随行し、眞子さまの伊勢神宮参拝の随行員も務めた。
官僚として超一流のキャリアを積んだ彼らが、なぜ揃いも揃って秋篠宮家に集まっているのだろうか。
皇室ジャーナリストが解説する。
「実務上の必要性というより、両殿下は筆頭宮家としての“格”に見合った陣容を求めておられるのではないでしょうか。
たとえば、秋篠宮家には宮務官と侍女長という二人の特別職の国家公務員が置かれていますが、東宮職には東宮大夫を筆頭に十名以上の特別職がいます。
しかも、宮務官が課長補佐から課長クラスであるのに対して、東宮大夫は在外公館の大使経験者などが就く、事務次官に近い役職。どうしても重みが違ってくる」
ただ、そうした優秀な“ブレーン”が多く集まっても、日常の実務を任されるのは宮家の職員たちである。兼任などの“裏ワザ”で人員を増やすのにも限界がある。
将来の天皇である悠仁さまをお育てになる宮家として、相応の組織作りが必要なのではないだろうか。
【天皇陛下 心臓にメスがいる日】
“心臓冠動脈に9割の狭窄。ステント不可能で 東大病院に緊迫“
葉山でご静養された天皇陛下は2月11日東大病院に向かわれる。表向きは昨年同様の検査入院だが、実は天皇陛下の心臓は予断を許さない症状が見られた。
東大病院に入院しカテーテルによる心臓の精密検査を受けられる、と2月1日宮内庁は発表した。冠動脈検査といわれるもので、陛下は昨年2月にも同じ検査を受けられた、
「左手首から細いカテーテルをいれ、冠動脈に状態を調べました。
冠動脈全体にある程度の動脈硬化がみられ、血管の1部が狭くなる狭窄も認められた。
冠動脈が詰まった際の施療には、薬による治療、カテーテルによるステント治療、つまった血管に迂回路をつくるバイパス手術の3種類がある。
陛下の冠動脈には3本のうち、2本に狭窄が見られる。一番端の左冠動脈左回旋枝はほぼ9割がたふさがっているのです。
もう1本も相当程度狭窄が進んでいる。しかも場所が悪いためステントを入れるのが不可能なのです。」
と東大病院関係者はかたっている。
週刊新潮 6月21日号
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
一進一退しながらも、手探りの日々を送られる雅子妃。先ごろ本誌は、2月に入院された陛下のお見舞いに際し、紀子妃との間で生じた軋轢について報じた。
手術直後にお見舞いを希望された紀子妃に対し、雅子妃が「順番が違う」と異を唱えられた一件である。
或いはそれは、ままならぬご体調への苛立ちから発せられたご心情の吐露だったのかもしれない。
図らずも、軋轢の一方の当事者となってしまった紀子妃は現在、そこから派生した「確執」といかに折りあいをつけているのかー。
実は、足踏みする雅子妃をよそに、行く末を見据え、ご公務から宮邸での暮らしに至るまで「第2幕」への布陣を寸分の隙なく整えつつあるのだという。
未来のお世継ぎ候補である悠仁さまが通われる、お茶の水大付属幼稚園の関係者によれば、
「悠仁さまが年少組の頃から、紀子さまは園の行事に協力的で、秋のバザーでは髪飾りや園児の着るスモックを作ってきて下さいました。年長組となった今年は、ますますお忙しいのに、
取りまとめる側の『バザー委員』も引き受けて下さっています。悠仁さまはとてもお元気で、お帰りの時、園から駐車場の車までいつもお友達2,3人と一緒にワーッと走っていかれるので、
護衛の人が慌てて追いかけていくそうです」
来年、悠仁さまがそのまま付属小学校に進学されれば、学習院が“既定路線”の皇族にあって異例の事態となろう。
そんな未来の輪郭をも徐々に描きつつある紀子妃は「イメージ戦略」にも余念がない。
「妃殿下は行事に臨まれる際、あらかじめ徹底的に資料を読み込まれます。毎年出席される児童出版文化賞の受賞式でも、事前に対象となった作品はすべて取り寄せ、数十冊を一気にお読みになるのです」
そう話すのは、秋篠宮家のさる関係者である。
週刊新潮 6月21日号
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
一進一退しながらも、手探りの日々を送られる雅子妃。先ごろ本誌は、2月に入院された陛下のお見舞いに際し、紀子妃との間で生じた軋轢について報じた。
手術直後にお見舞いを希望された紀子妃に対し、雅子妃が「順番が違う」と異を唱えられた一件である。
或いはそれは、ままならぬご体調への苛立ちから発せられたご心情の吐露だったのかもしれない。
図らずも、軋轢の一方の当事者となってしまった紀子妃は現在、そこから派生した「確執」といかに折りあいをつけているのかー。
実は、足踏みする雅子妃をよそに、行く末を見据え、ご公務から宮邸での暮らしに至るまで「第2幕」への布陣を寸分の隙なく整えつつあるのだという。
未来のお世継ぎ候補である悠仁さまが通われる、お茶の水大付属幼稚園の関係者によれば、
「悠仁さまが年少組の頃から、紀子さまは園の行事に協力的で、秋のバザーでは髪飾りや園児の着るスモックを作ってきて下さいました。年長組となった今年は、ますますお忙しいのに、
取りまとめる側の『バザー委員』も引き受けて下さっています。悠仁さまはとてもお元気で、お帰りの時、園から駐車場の車までいつもお友達2,3人と一緒にワーッと走っていかれるので、
護衛の人が慌てて追いかけていくそうです」
来年、悠仁さまがそのまま付属小学校に進学されれば、学習院が“既定路線”の皇族にあって異例の事態となろう。
そんな未来の輪郭をも徐々に描きつつある紀子妃は「イメージ戦略」にも余念がない。
「妃殿下は行事に臨まれる際、あらかじめ徹底的に資料を読み込まれます。毎年出席される児童出版文化賞の受賞式でも、事前に対象となった作品はすべて取り寄せ、数十冊を一気にお読みになるのです」
そう話すのは、秋篠宮家のさる関係者である。
週刊新潮 6月21日号
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
「こういった行事でのスピーチなどは、私どもが傍らにいても聞き取れないほど小さなお声でなさるのですが、普段の宮邸ではトーンがぐんと上がって、よく通るお声で矢継ぎ早に侍女に
指示を出されています。妃殿下は、ご自身が民間の出自だということを重々心得ておられ、特に殿下と同席している時には一切でしゃばらず、お静かな印象を抱かせるべく務めていらっしゃるのです」
そうした“心得”については、これまで皇后さまからも度々アドバイスを受けておられるといい、
「皇后さまと妃殿下は、日本赤十字の行事でもしばしば同席なさいます。名誉総裁である皇后さまのもと、雅子妃や妃殿下が名誉副総裁に就かれていますが、雅子妃は出席なさらないため、
自ずと二人で過ごされる時間が増えるのです」(同)
実際に、秋篠宮家の職員の間では以下のような“標語”が共有されているというのだ。
さるOB職員が明かす。
「宮邸では、奥向きの仕事を司る侍女長が中心となって、事務を束ねる宮務官などの男性職員らにも『皇后陛下のなさりようをお手本にしなくては』と、いつも呼びかけていました。
直接のご指示はないものの、これはすなわち妃殿下のご意向に他ならず、誰もがそれを前提として仕事にあたっていました。例えば、出席される行事のスケジュールが先方から届くと、
その指示通りにこなすのでなく、つねに妃殿下が『ここで子どもたちに声をかけられるのでは』
『もっと近くに座ったほうがよいのでは』と、ご自分でアイデアを追加されるのです。
私たちはそれを受け、先方と毎回細かい調整をするわけです」
実地で“皇后流”を会得された紀子妃は、1994年から公益財団法人結核予防会の総裁も務めている。
同会の関係者が言う。
「紀子さまは『私はできません』とは決して口にされません。ある時、『結核に関する国民の
意識調査をしたい。どなたか、そういった研究はなさっていますか』と尋ねられ、我々も最近の実態を把握していなかったところ、『では、ぜひ私が』と仰るのです」
週刊新潮 6月21日号
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
紀子妃は現在、日本学術振興会の名誉特別研究員として、お茶の水女子大で心理学を研究されており、その一環として件の調査もなさっているという。
「昨年開かれたシンポジウムでご挨拶された時に『よろしければ今のご研究を発表されませんか』と申し上げたら、『そうさせてください』と即決されました。
紀子さまによれば、日頃から研究者でいらっしゃる殿下に『肩書きだけでなく、あなたも研究をおやりなさい』と言われているそうです」
よもや雅子妃へのあてこすりではなかろうが、そうした紀子妃のお振る舞いはあたかも、非の打ち所のない「百点のお妃」を演じておられるかのように見受けられる。そして、労を厭わずに
繰り広げられる“全方位作戦”に、少女期の環境が作用していると指摘するのは、前出の秋篠宮家関係者である。
「妃殿下は、お父様の仕事の都合で1歳で渡米し、小1の時に帰国されますが、当時は日本語が殆ど話せませんでした。その後、小5でオーストリアへ転出され、中1で帰国して学習院女子中等科に編入学されました」
当時、学校では『話す時、日本語より先にドイツ語が浮かんでしまうの』と、級友にこぼしていた。
「ことわざや慣用句などにやや疎い面がおありで、例えば妃殿下のお話を伺ったのち、例えば私たちが『まさに情けは人のためならずですね』などと相槌を打つと、
『その使い方は間違いですよ』と、ぴしゃりと仰るのですが、実は妃殿下が誤用されているということがしばしばありました。
そうした時は、黙って拝聴するしかなく、職員はみな、四字熟語やことわざを口にしないようにしていました」
週刊新潮 6月21日号
「陛下」お見舞い序列の波乱 第2幕
「百点のお妃」を演じる「紀子妃」の対「雅子妃」戦略
また、ある地方の工業団地を視察された際には、「この団地にはどんな方がお住まいなのでしょう」と尋ねられ、居合わせた幹部職員が返答に窮したこともあったという。
むろん、そうした点は自身もつとにお気づきで、不得手な分野、至らぬ箇所を払拭なさるべく、
「皇室、とりわけ皇后陛下への”過剰適応”をますます深めてしまわれたのです」(前出・OB職員)
そのお姿からは、近い将来、雅子妃に取って代わる「お覚悟」すら窺えるのだ。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。
「四半世紀ほど前、寛仁親王とお話をしていた時、『自分が皇位継承順位の1位になった夢を見るんだ。どんな天皇になるべきか悩む夢でね、それでハッと目が覚めることがある』と仰っていた。
順位に関係なく、皇位継承権とはそれほどまでに皇族方につよいプレッシャーとなるのです。そうした候補者をお二人も擁する秋篠宮家にかかる重圧は、並大抵のものではありません」
寸暇を惜しんで飛び回る紀子妃の姿からは、次代への覚悟とともにしたたかな戦略が仄見える。
そのご意思は、徐々に高みへと達しつつあるのだ。
週刊文春8月16日・23日夏の特大号
愛子さま(10歳)と悠仁さま(5歳)「それぞれの夏休み」
「これはテンだ」「これはクマだ」
一方、悠仁さまもまた忘れられない夏休みを過ごしておられるようだ。七月二十日、秋篠宮は北海道網走市内にある東京農業大学オホーツクキャンパスにて、「魚と人の多様な関係」と題する講義を二限にわたって行われた。
「殿下の御意向もあって、職員は教室に入らず、本学の客員教授である殿下が学生と直に向き合う授業でした。
殿下には、世田谷や厚木、オホーツクの各キャンパスで講義を行っていただいており、今回もその一環です。
一昨年には、農大で秋篠宮殿下が主宰する研究会にて皇太子殿下が講演を行われたこともあります」(同大学関係者)
秋篠宮“教授”の授業が始まったのは、午前十時四十分。ちょうどその頃、悠仁さまは、紀子さまとともに網走から百キロほど離れた釧路市動物園を訪れていた。居合わせた客が語る。
「園内には、一時間ほどいらっしゃったと思います。エゾリス、タンチョウヅル、シマフクロウ、クマタカ、エゾクロテン、ヒグマなど北海道の動物が飼育されているゾーンを中心に回られていました。
悠仁さまは動物がお好きなようで、指をさしながら『これはテンだ』『これはクマだ』とおっしゃっていました」
昨年の誕生日会見で、秋篠宮は子育ての方針について、こう述べられていた。
(ある時期になれば自分の立場もきちんと認識しなければいけませんけれども、それとともに自分が関心を持っていることを伸ばしていってくれたら良いと思います)
秋篠宮の講義に合わせた今回の家族旅行は、まさに悠仁さまのご関心を伸ばすものなのだろう。
週刊文春8月16日・23日夏の特大号A
講義を終えた秋篠宮は、阿寒湖で紀子さま、悠仁さまと合流された。そして、アイヌコタン(アイヌ村)の劇場「イコロ」に足を運び、「ふんだりけったりクマ神さま」という人形劇をご覧になった。
アイヌのカムイ(神)「クマ神さま」を主人公とするユーモラスなストーリーだ。
「劇中に『ちんちんたまたま』という台詞があるのですが、そこで悠仁さまは大笑いされていました。
紀子さまも笑っていらっしゃいましたよ。劇が終わってからも、帰りのお時間を延長されて、とても楽しそうに舞台に上がって人形を近くでご覧になり、実際に動かされていました」
(アイヌコタン関係者)
阿寒湖では、高級ホテル「あかん湖鶴雅リゾートスパ 鶴雅ウィングス」にご宿泊された。
ご一家が泊まった特別貴賓室「千寿」は阿寒湖が一望できる部屋で、大人二人だと一泊約十四万円(通常料金)。
居間、寝室、囲炉裏部屋から成る百平米ほどの和スイートである。
週刊文春8月16日・23日夏の特大号B
「お父様、カミキリムシです」
翌朝には、阿寒湖のチュウルイ島にあるマリモ展示観察センターをご視察された。阿寒湖に生息する魚の水槽では、秋篠宮が悠仁さまに説明される場面も。
「悠仁さまは、直径三十センチほどの大きなマリモを不思議そうにご覧になっていました。
また、島へ渡った際に乗られたモーターボートでは、ハンドルや計器に興味を持たれたようです。『触ってみたい』とおっしゃっていました。走り回って、元気なお子さまでしたよ」(センター関係者)
その後、悠仁さまは近隣のスキー場などで昆虫採集に熱中された。ご案内した担当者が振り返る。
「辺りを散策するとき、悠仁さまは草の丈ぐらいの低い視線になります。それでよく虫を見つけて捕まえていました。ミズトンボやシオカラトンボ、オニヤンマ、チョウチョウ類、カミキリムシ類、バッタなどを採っていました。
『お父様、カミキリムシです』とか『オニヤンマです』とおっしゃるのですが、本当に虫の名前にお詳しい。私が間違えると、『おじさん違います』と(笑)。悠仁さまは小さな網で虫を捕まえていましたが、
殿下は悠仁さまに『トンボは後ろから捕獲するんですよ』と教えていました。採ったトンボは三角紙に入れて、東京までお持ち帰りになったようです」
普段は出会えない虫たちとの対面に、悠仁さまの感動もひとしおだったはずだ。
その間、紀子さまはアイヌコタンの民芸品店を回られ、アイヌ模様の刺繍の入った巾着袋や子供用Tシャツ、絵本などのお土産をお買い求めになられた。
木彫りのキーホルダー(約六千円)の裏側には、ご自身のお名前を漢字で彫られた。二つの木彫りの手鏡は、眞子さま、佳子さまへのお土産だったのだろうか。
「秋篠宮ご夫妻としては、虫採りは“関心を伸ばす”だけでなく、生物学者でもある陛下との接点を作るという、ある種の帝王学としての意味合いも込められているのでしょう。
実際、皇居で両陛下が一緒に虫を探したり、虫が採れる場所を教えてくださったりしたこともあるそうです」(前出・皇室ジャーナリスト)
女性自身 2012年9月18日号
紀子さま(45) “帝王教育” マル秘方針は「脱・学習院」「脱・美智子さま流」!@
ゲームは厳禁、テレビはNHKだけ…秋篠宮家のユニーク子育てをキャッチ!
悠仁さまが、お茶の水女子大学付属幼稚園に入園されてから2年半。
秋篠宮ご夫妻は、学習院初等科入学という選択肢を捨て、内部進学を決められたというー
「悠仁さまは7月に北海道、8月に軽井沢へ旅行されましたが、どちらの地でも、虫捕りをされました」そう語るのは秋篠宮家の関係者。
9月6日に6歳の誕生日を迎えられる悠仁さまは、楽しい夏休みを過ごされたようだ。
北海道ご旅行では、阿寒湖の付近にあるスキー場で昆虫採集をされ、虫を捕まえるたびに秋篠宮さまへ、「お父さま、カミキリムシです」 と、報告されていたという。
「(ウサギは)どうやって持ちますか」など、悠仁さまは3歳ごろから“敬語のプリンス”としても話題になっていた。
悠仁さまのお言葉遣いからは“皇族として、正しい日本語を使わせたい”という紀子さまのお母さまとしての強いこだわりも伝わってくる。
秋篠宮家の教育について、ご夫妻の知人が明かす。
「紀子さまの教育方針の一つは“子供たちにテレビ番組が見せない。ゲームは厳禁”というものです。携帯ゲームやテレビゲームは秋篠宮家にはなく、眞子さま、佳子さま、そして悠仁さまにも、いっさいふれさせてらっしゃいません。
テレビは秋篠宮邸にも置いてありますが、眞子さま・佳子さまも中学生ごろまで、世間でどんなバラエティ番組は放映されているかなどは、ほとんどご存じなかったようです。
お子さま方が見るのを許されているのはニュースと自然ドキュメンタリーだけだそうです」
ちなみにNHKで放映されている動物番組「ダーウィンが来た!〜生きもの新伝説〜は数少ない例外番組の一つ。悠仁さまは、お父さまと一緒にご覧になることを楽しみにしているという。
女性自身 2012年9月18日号
紀子さま(45) “帝王教育” マル秘方針は「脱・学習院」「脱・美智子さま流」!A
“テレビ禁止”は、もともとは紀子さまの実家・川嶋家のきまりだった。
皇室ジャーナリストの松崎俊弥さんによれば、
「紀子さまが住まわれていた学習院の職員住宅では“川嶋家にはテレビがない”という話は有名でした。
お父さまの川嶋辰彦学習院大学名誉教授の教育方針は、『テレビを見る時間があるなら、読書をしたり、みんなで音楽を聴いて一家団らんをしたりすべき』というものでした」
■恩師が明かした紀子さまの成績不振
意外なことだが、少女時代の紀子さまは日本語があまりお得意ではなかったという。1歳から6歳までアメリカで生活した後に帰国されたが、ら行の発音が苦手だったというのだ。
また学習院女子高等科時代の恩師は、次のように語ったこともある。
「帰国子女だった紀子さまは、私の受け持ちの国語はあまり得意ではありませんでした。それで一度、家の方を学校にお呼びしたことがあったのですが、ご両親が揃ってみえました」
(『週刊現代』’06年9月2日号)
“日本語コンプレックス”を持たれていたためか、紀子さまは人一倍、美しい日本語にこだわられるようになった。
紀子さまの知人で、子供を学習院に通わせていた女性は次のように語る。
「紀子さまの会話の特徴は言葉遣いに気を使われながら、ゆっくり話されることです。学習院初等科では、ほかにも子供にテレビを見せないと決めている保護者達がいました。
バラエティ番組などは出演者の話すテンポが速く、言葉遣いも乱暴なので、子供たちの言葉が荒れてしまうことも心配していたのです。紀子さまも同じことを考えてらしたのでしょう」
ご自身も途中に海外生活をはさみつつ、初等科から大学まで学習院に通われた紀子さまだが、「来春、悠仁さまは学習院初等科ではなく、お茶の水女子大学付属小学校に入学される予定です」 (宮内庁関係者)
女性自身 2012年9月18日号
紀子さま(45) “帝王教育” マル秘方針は「脱・学習院」「脱・美智子さま流」!B
皇位継承問題などについいても研究している京都産業大学の所功名誉教授は言う。
「皇族が学習院に入学する利点の一つは、幼稚園から大学まで一緒に成長していける“ご学友”を得ることができることです。幼いころから知り、一生を通じて心置きなく話すことができる友人は、
特別な立場でいらっしゃる皇族方にとって貴重です。
特に孤高の存在になる天皇にとって、真のご学友は、大きな支えになります。
私は、悠仁さまにも学習院初等科に入学していただき、長い時間をかけ、お心を許せるご友人を作っていただきたいと考えているのですが…」
悠仁さまが学習院初等科に入学されないとすると、皇室の伝統的な意味での学友作りは難しくなるというのだ。
3人のお子さま方を学習院に通わせ続けた美智子さまは、そのご友人たちにも格別の配慮をされていたという。
■学習院に進学されない理由
皇太子さまのご学友は次のように語る。
「美智子さまは(皇太子殿下の)同級生の名前を一人一人フルネームで覚えていらっしゃいました。
私もお手製のスープをごちそうしていただいたこともありましたし、東宮御所の庭で遊んで泥だらけになったときには、服を貸してくださったこともあります」
紀子さまが決意された“脱・学習院”は、美智子さま流の“お友達作り”からの脱却も意味する。
紀子さまのご選択について前出の宮内庁関係者は、
「お茶の水女子大学付属幼稚園に入園されてから2年半、悠仁さまのご様子はほとんど知られていませんが、これは“情報流出”がないことを意味しています。その点も秋篠宮ご夫妻にとって好印象だったようです。
また学習院初等科に入学されますと、運動会や文化祭など、何かにつけて愛子さまと比較されることもあるでしょう。そういった心配がないほうが、悠仁さまのご成長の環境としてはふさわしいと、お考えなのだと思います」
男子皇族として初めて国立小学校ご入学へ。悠仁さまの“帝王教育”は今後も前例のない形で進められていくー。
週刊朝日2012・9/21
進路巡り交錯する“思惑”「脱・学習院」で目指せ東大!?
9月6日、秋篠宮家の長男悠仁さまが6歳の誕生日を迎えた。
この夏は北海道の大自然のなかでのびのびと過ごし、昆虫採集に夢中な様子だった。
だが、「小さな皇族」はいずれ天皇になる。来春に迫った小学校の入学を巡り、周囲では様々な期待や思惑がささやかれている。
ポツポツと雨粒が落ち始めた6日午後3時半過ぎ、天皇、皇后両陛下に誕生日の挨拶をするため、紀子さまと悠仁さまが車で皇居に入った。悠仁さまは紺色のジャケットにネクタイ姿。
集まった報道陣に目をやると、ちょっぴり恥かしそうな笑顔を浮かべた。
「最近は随分としっかりしてきて、周囲の状況をわきまえた行動や会話ができるようになってきました。
末っ子ですが、幼稚園では年長さんとして下の子の面倒を見るなど、お兄さんとしての自覚も出てきたようです」
(皇室ジャーナリスト)
通っているお茶の水女子大付属幼稚園では、金環日食の様子を壁新聞にしたり、鯉のぼりを作ったり、様々な体験を積んでいるという。夏休みも旅行に公務にと、充実した毎日を過ごした。
7月19日には、北海道網走市内の東京農大オホーツクキャンパスで講義をする秋篠宮さまに同行して、紀子さまと悠仁さまも現地を訪問。
釧路市動物園や、アイヌの文化や生活を伝える阿寒湖アイヌコタンの施設などを訪ねた。
施設では、クマの神さまを主人公とする「ふんだりけったりクマ神さま」という45分ほどの人形劇を見た。
川を渡ろうとして濡れてしまったクマ神さまが、「ちんちんたまたま濡れちゃった」と話す場面では、悠仁さまは大笑いし、劇が終わると舞台に上がり、クマ神やキツネの神など人形の背中に手を入れて自分で動かすなどしたという。
週刊朝日2012・9/21
進路巡り交錯する“思惑”「脱・学習院」で目指せ東大!?
翌日も朝から活発に動き回った。まずは阿寒湖のマリモ展示観察センターに寄り、午前10時半からは阿寒湖の南岸にある遊歩道へ。悠仁さまは近くの草むらで、1時間ほど
虫捕りを楽しみ、オニヤンマやシオカラトンボ、チョウ、カミキリムシなどを捕まえた。
「ゆうゆ(悠仁さま)、トンボは後ろから網をふって捕るんですよ」
秋篠宮さまが優しい口調で話しかけ、悠仁さまが、「はい、お父さま」とうなずく場面もあった。
また、トンボを捕まえた悠仁さまに案内の人間が、「オニヤンマですよ」と説明すると、「おじさん違います。トンボ目オニヤンマ科ですよ」と大まじめに訂正する光景も。
虫かごに入れたトンボの羽が傷つかないように、悠仁さまは慎重な手つきで、1匹ずつ三角の紙に入れ直したという。
東京に戻った悠仁さまは、公務デビューも果たした。7月23日に宮邸で催された、ブラジル・サンパウロの日本語学校に通う14〜17歳の日本人や日系の子供たちとの交流会に、
眞子さま、佳子さまとともに悠仁さまも姿を見せたのだ。
宮内庁関係者が言う。「この交流会は、2008年のブラジル日本移民100周年に関係したものです。
日系移民と日本との交流は、両陛下が皇太子時代から力を注いできた仕事のひとつで、秋篠宮家もご家族をあげて取り組んでいます」
8月には、紀子さまと英エディンバラ大への留学を控えた眞子さまと一緒に、数日間に渡って軽井沢にも滞在。
9月4日には幼稚園の2学期が始まると、元気に登園しているという。
週刊朝日2012・9/21
進路巡り交錯する“思惑”「脱・学習院」で目指せ東大!?
まさに、“のびのび”という言葉がぴったりの毎日を過ごしているようで、エピソードを聞くだけでほほえましい気持ちになる。
だが、将来は天皇となるだけに、周囲ではすでに、進学先などを巡って水面下での綱引きが始まっている。
最初の分岐点は、来春に迫った小学校の入学だ。悠仁さまの幼稚園入園にあたり、秋篠宮ご夫妻は、「同世代の子どもとのふれあいを増やしたい」と
皇族の「指定校」で2年制の学習院ではなく、3年制のお茶の水女子大附属幼稚園を選んだ。
皇族が学習院初等科以外で初等教育を受けた前例はないが、秋篠宮ご夫妻の周りでは、「お友達と離ればなれになるのはかわいそう」という声が出ているという。
これに対し、「学習院としては何が何でも悠仁さまに来ていただきたいようで、ご夫妻へ学習環境のご説明をしたいとメッセージを出すなど巻き返しに懸命な様子です」
(秋篠宮ご夫妻の知人)
お茶の水の附属小学校に入学すれば、高校を受験しなければならなくなる。
中学までは共学だが、高校からは女子だけになるからだ。
このため、秋篠宮家と関係のある人たちの中には、悠仁さまの利発そうな様子を見て、冗談交じりに、「どうせなら都立の名門日比谷高校に進学し、東大を目指していただきたいですね」
と言う人もいる。来春の入学が近づけば、さらに様々な期待や思惑がささやかれそうだ。
女性自身 1989年7月18日号
美智子さま苦悩!皇太子さま アルザスの恋 礼宮さま テームズ川の恋
皇太子さまだけでなく、弟宮・礼宮さまにもまた『テームズ川の恋』が、好意的なニュアンスをもって囁かれている。
ロンドンのオックスフォード大学に留学中の礼宮さまのもとへ、春休みのスケジュールを合わせるかのように、川嶋紀子さん(22)が渡英したことが確認されている。
学習院大では礼宮さまの後輩で、礼宮さまが会長をつとめた“自然文化研究会”の会員として、かねてから親しい交際を噂されていた紀子さん。
学習院大の級友によれば、
「川嶋さんは3月20日の卒業式にも謝恩会にも出席しないで出発していきました」
学習院の大学院に進んだ紀子さんを、キャンパスに訪れると、
「私はまだ学生ですので、当分はまだこちらで、勉強のほうに励みたいと思っておりますので…」と礼宮さまとの交際については明言をさける。
−お手紙とかのやりとりは?
「ええ。それもちょっとお答えできないんです」
http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20080217130029.jpg ※当記事で「川嶋さんは3月20日の卒業式にも謝恩会にも出席しないで出発していきました」などと書かれていますが、これは全くのデマ。
紀子さんは1989年3月にご自分の家族や初等科以来の親友である平野道子(元NHKニュースキャスター平野次郎氏長女)さんと共にインドネシアを旅行しています。
一緒に卒業旅行を楽しんだ平野道子さん自身が、当記事はデマであることをインタビューで明言していました。
動物好きの悠仁さま サル山に入りたがる
http://www.wa-dan.com/article/2012/09/post-1164.php 生き物が大好きな秋篠宮家の悠仁さまは、1歳の時に上野動物園デビューを果たした。
その後もこの動物園にはご一家で頻繁に足を運んでいる。その成長の様子を、前上野動物園長の小宮輝之さんは次のように話す。
* * *
2歳の春にいらしたときは、大きな動物を見つけると、すべて「ウマ」と呼んでいました。
どうしてだろうなと思っていたら、秋篠宮さまが、 「悠仁には、しょっちゅう皇居の馬を見せに連れていっているんだよ」と理由を教えてくださいました。
3歳になるとずいぶん、動物の扱いにも慣れてきましたね。
この年の秋には、小さな動物に触ることができる園内の「子ども動物園」にいらしたんです。
最初は怖がっていましたが、すぐに慣れて担当の職員に、「どうやって持ちますか」なんて尋ねながら、ひざの上にウサギをのせて優しくなでたり、ハツカネズミにサツマイモをあげたりしていました。
ウサギやモルモットの抱っこが楽しかったようで、ヤギやヒツジも、「抱っこする」とご自分よりも大きい動物の体にしがみついて離れないので、僕らはハラハラしましたよ。
その後は、紀子さまと2回ほど来園されました。いずれも、紀子さまが当日の朝に電話をかけていらしてこうおっしゃるんです。「今日、そちらに遊びにいっていいですか」。
また、いつだったか悠仁さまが、「サル山に入って僕も一緒に遊びたい。餌をあげたい」と言って駄々をこねたこともありましたね。
紀子さまが、「ここは入れないのよ」と優しく説明してなんとかおとなしくなりましたが、
子どもはみんな好奇心が旺盛ですよね。
※週刊朝日 2012年10月5日号
悠仁さま進学先 帝王学の「学習院」か自由な「お茶の水」か
2012.10.03 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20121003_146744.html 大好きな昆虫採集をしたり、葉山御用邸で天皇皇后と過ごした夏休みも終わり、「将来の天皇」となる悠仁さまが小学生となるまで半年を切ったが、いまだ入学先は決まっていない。
宮内庁関係者が話す。
「翌年に小学校入学を控える幼稚園児にとって2学期は、ナーバスな時期なんです。宮内庁内でも『悠仁さまはいったいどっちの学校へ行くのだろうか』と心配する声があがっています」
悠仁さまは、学習院幼稚園に通ってきた多くの皇族とは異なり、お茶の水女子大学附属幼稚園に通っている。
「現皇室典範が改正されない限り、悠仁さまはやがて天皇になる。今上天皇や皇太子さま、秋篠宮さまと同じく学習院に進んだほうがよい、という声が宮内庁内では強い」(同前)
一方で、秋篠宮ご夫妻は悠仁さまをお茶の水女子大学附属小学校に進学させたい意向が強いのではないかといわれている。
「保護者や幼稚園の協力でプライバシーを守られており、安心できるいまの環境をおふたりはとても気に入っているようです。
学習院初等科の入学説明会が行なわれたのは、9月8日。秋篠宮ご夫妻はもちろん、関係者もいらっしゃらなかったようです。
学習院関係者も、『宮内庁からは相談を受けていない』といってますから、学習院に入学させるおつもりはないように見えます」(皇室ジャーナリスト)
別の皇室記者も次のように話す。
悠仁さま進学先 帝王学の「学習院」か自由な「お茶の水」か
2012.10.03 07:00
http://www.news-postseven.com/archives/20121003_146744.html 「お茶の水では、小学校で校舎の改修工事が始まったようです。5年前に愛子さまが学習院初等科に入学された時も、入学前に校舎の改修が行なわれた。
悠仁さまを迎える準備を始めたのではないかと囁かれています」
お茶の水女子大学附属小学校の入学説明会は、9月29日と、10月13日の2回にわけて 開催され、その場で募集要項が配布される。
しかし、「愛子さまのときも、皇太子ご夫妻は説明会には出席されなかったようですし、秋篠宮ご夫妻も説明会にお姿を見せる可能性は低い」(前出・皇室ジャーナリスト)
戦後、皇族が学習院初等科に入学しなかった例はないが、宮内庁は「現時点では何も決まっておりません」(総務課報道室)としており、
悠仁さまの“進学先”が判明するのはもうしばらく先になりそうだ。
※週刊ポスト2012年10月12日号
女性セブン 2012年10月4日号
秋篠宮妃紀子さま(46)幼稚園ママ驚天!完璧草むしり」「プロ級手作りバザー商品」 @
来春、小学校へ入学される秋篠宮家の長男・悠仁さま。
現在は、紀子さまが望まれたお茶ノ水女子大学付属幼稚園に通う毎日だが、その幼稚園でいま紀子さまの奮闘ぶりが大きな話題となっている。
PTAの役員を引き受けるだけでなく、定期イベントを前にこんな仕事にもみずから率先して取り組まれているという。
秋篠宮ご夫妻を震えさせた驚愕の事件が、長男・悠仁さまが通われる東京・文京区のお茶ノ水女子大学付属幼稚園で起こったのは、8月27日のことだった。同幼稚園に
「始業式で悠仁さまを含む園児らに危害を加える」という内容の“脅迫メール”が届いたのだ。
メールを受け取った同園では、園児の登園を中止するなどの措置を取り、一時は 秋篠宮ご夫妻をはじめ、保護者はもちろんのこと幼稚園関係者の間に緊張が走った。
幸い何事も起こらず、9月1日、警視庁捜査1課は威力業務妨害の疑いで、福岡市内に住む無職の男性(28才)を逮捕。事件解決に、ご夫妻も胸を撫で下ろされたはずと思われたが、
実際は違ったようだ。逮捕から数日が経った9月上旬、悠仁さまの登園風景は通常と ちょっと違った様子だった。
「いつもなら悠仁さまは、付き添われる紀子さまの手を振り切られるようにして元気に園内へと走っていかれるんですが、この日、紀子さまはどこか緊張されているようで、
悠仁さまの手を握られ、手を繋いで登園されていました。犯人が逮捕されたとはいえ、名指しで脅迫されたことに対する恐怖はなかなか払拭することはできなかったんでしょうね」
(幼稚園関係者)
そうした心配をよそに、9月6日、満6歳となられた悠仁さまは、心身ともに健やかに成長されている。お住まいの宮邸では野菜作りに加え、大きなバケツで稲作も始められたという。
生き物への関心も高く、この夏には、陛下と一緒に皇居で昆虫探しをされたこともあった。
「7月には秋篠宮ご夫妻と北海道へ旅行されたんですが、訪れた地名の漢字などにも興味を 持たれているようです」(皇室記者)
秋篠宮妃紀子さま(46)幼稚園ママ驚天!完璧草むしり」「プロ級手作りバザー商品」 A
幼稚園生活では、お友達と一緒に5月の金環日食や昆虫についての新聞作りなどを体験されるなど、楽しい日々を過ごされている。
「悠仁さまの幼稚園でのお気に入りの場所は、園庭のお庭だそうです。底に登って、お友達とゲームをされているようですが、最近では同じ年長組の子だけではなく、年下の園児たちとも
一緒に遊ばれているようで、“お兄さん”としての自覚も芽生えていらっしゃるみたいですね」
(別の幼稚園関係者)
そんな悠仁さまは現在、10月に行われる運動会のクラス対抗リレーに向けて、バトンパスの練習に一生懸命取り組まれているという。
■さり気なく作られた気さくな雰囲気
「同年代の子供たちとふれ合う機会が大事であると考えております」
3年前、紀子さまはこう話されている。
将来、天皇となられる可能性が高い悠仁さまの将来に思いを馳せられ、秋篠宮ご夫妻は、これまで多くの皇族が通われた学習院幼稚園ではなく、3年保育のお茶ノ水女子大学付属幼稚園へ悠仁さまを託された。
今年、年長組になられた悠仁さまは、来春には小学校に入学されるが、いまだに学習院初等科に進まれるという話は聞こえてこないため、このままお茶ノ水女子大学付属幼稚園へ進学される可能性が高いといわれている。
「秋篠宮ご夫妻は、保護者や幼稚園の協力でプライバシーが守られ、落ち着いて教育を受けられるお茶ノ水の環境がお気に入りだそうです。
多くの保護者達から協力が得られているのは、紀子さまの普段からの努力があってこそだと思いますよ」(前出・幼稚園関係者)
“紀子さまの努力”とは、ママ友たちとのかかわり合い方にあった。
悠仁さまが入園された当初、ママ友たちからは紀子さまを特別視する雰囲気があったという。
しかし紀子さまは、そんな雰囲気を自ら取り払われようと努力されたという。
「運動会で親子で一緒に行う『はとぽっぽ体操』というプログラムがあるんですけど、紀子さまは妃殿下というお立場であるにもかかわらず、他のお母さんたちと同じように参加されていました」(前出・幼稚園関係者)
女性セブン 2012年10月4日号
秋篠宮妃紀子さま(46)幼稚園ママ驚天!完璧草むしり」「プロ級手作りバザー商品」 B
同幼稚園では、毎年10月に恒例のバザーが行われる。このバザーは保護者が作った品物を売って、その売り上げを幼稚園に寄付するというもの。
「昨年までのバザーでは、紀子さまは、ご公務でお忙しい合間を縫って、お手製のエプロンや女の子の髪飾りを作ってきてくださったんです。
しかも、その品々はとても丁寧に作られていて、誰もが“プロ級だ”と舌を巻くほどで、本当に頭が下がる思いでした」(前出・幼稚園関係者)
そして今年は、この催しをバックアップするバザー委員を自ら買って出られたという。
「バザー役員になると、商品を作ってきてくれる保護者たちに布を裁断して配ったり、できあがってきた品を仕分けしたりと結構忙しいんです。直前になれば、ほぼ毎日のように集まらなければなりません。
紀子さまはお忙しいにもかかわらず、それでも参加してくださって、有り難いことです」
(別の幼稚園関係者)
紀子さまのママ友たちとの交流はバザーだけにとどまらない。
「紀子さまは、幼稚園の玄関前の落ち葉掃きや園内の草むしりなど、時間を見つけては積極的に参加してくださっています。
隅から隅までいつも完璧にやっていただいて、そんなお姿にママ友たちは驚くばかりだそうです」(前出・幼稚園関係者)
これまで眞子さま、佳子さまと2人のお子様を育ててこられたなかで、紀子さまは“ママ友の大切さ”が身にしみてわかっていらっしゃるのだろう。
「幼稚園でお会いする紀子さまはいい意味で“妃殿下でございます”といった感じがどこにもないんです。
誰とでも気さくにお話しされる雰囲気を、さりげなくつくられるので、ママ友たちからの評判は本当にいいんですよね」(前出・幼稚園関係者)
バザー当日まであと少し。子供たちの笑顔を楽しみに、紀子さまは連日奮闘の日々を送られている。
週刊新潮 2012年10月11日号
「悠仁さま」お茶大付属小確定で秋篠宮家「愛子さま」回避行動!
現在,お茶の水女子大付属幼稚園に通われる秋篠宮悠仁さま(6)は、来年には小学校に内部進学なされることが確実視されている。いわば“袖にされた”格好の学習院。
その背景には、愛子さまをめぐる「ご事情」もあったというのだ。
9月11日、元赤坂の秋篠宮邸では恒例の「お茶会」が催されていた。この日は紀子妃の46歳の誕生日であり、16時からの宴には、かつてお仕えしたOB職員ら約100人が出席していた。
「2つの応接間を繋げた会場では、果物やカナッペが供され、ビールグラスを手にお祝いしました」(出席者)
昨年は大震災から半年にあたり、会は中止となった。
「開始から40分ほど経ってお見えになった悠仁親王は、随分と成長されていました。一昨年は、入り口の扉を開けるなり『お母さま!』と、無邪気に妃殿下のもとへ駆け寄られていましたが、
今年は、はにかみながらも落ち着いて来客にご挨拶されていました」(同)
そんな『未来のお世継ぎ』が、皇族の定石ともいえる学習院を選ばない――。
さる5月19日に初等科であった学校説明会に、秋篠宮ご夫妻の姿が見えなかったこともあり、一気にその見方が広まったのだ。
■両家の『格』
「すでに保護者の間では、悠仁さまはそのまま進学されるというのが『共通認識』となっています」とは、お茶の水女子大付属幼稚園の関係者。
正式には12月の一般入試の前に、面談を受けて園児の内部進学が決まるという。
週刊新潮 2012年10月11日号
「悠仁さま」お茶大付属小確定で秋篠宮家「愛子さま」回避行動!
「現在の環境は、紀子さまにとって非常に良いと思います。一昨年、大学の研究者でもある紀子さまに制度が適用されたのを受けて悠仁さまが入園した際、『特別な枠だなんて』といった冷ややかな声も
一部にはありました。ですが、日を追ってそうした声は消えていったそうです」
それというのも、
「園のバザーなど行事にもとても協力的で、まさ年長組だけでなく、どの父母とも『こんにちは、お熱いですね』などと気さくにご挨拶されているお姿を見ているからでしょうか。
悠仁さまともども、すっかり馴染んでいらっしゃいます」
保護者から警備態勢などへの不満が出ないあたり、愛子さまのケースとは大違い。あえて他校に移る理由がないというのだ。
その愛子さまの存在も、志望校選択の重大な『要素』だった。宮内庁関係者の話。
「両殿下は、来年6年生になられる愛子さまと重なるのを避けたかった。同時期に進学すればおのずと比較されます。秋篠宮家は皇位継承権のある男児を擁しながらも、
事あるごとに東宮家との格の違いを目の当たりにするでしょう。少なくとも学校生活においては、そうしたしがらみは回避できるわけです」
むろん『格』だけが問題ではない。皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏が、
「ともに学習院を出られたご夫妻。現在の母校の様子は、ご友人などからお聞きになっているそうです」
と明かせば、皇室評論家の渡辺みどり・文化服装学園大学客員教授も、
「学習院も、一連の愛子さまの不登校問題でイメージダウンしました。現在の教育が順調である以上、学習院に進んで煩わしい問題が生じるような事態を避けられるのは、自然なことでしょう」
従姉弟同士、大きなコントラストがついてしまった。
週刊朝日2012年10月5日号
平成皇室12の証言 私がグッときたあの時この名場面
<生き物が大好きな悠仁さまは「僕もサルと一緒に遊びたい」>@
上野動物園は「恩賜」と冠がつくとおり、1886(明治19)年から1924(大正13)年まで
宮内庁の所管にありました。
そのご縁もあり、いまの天皇陛下や皇太子さま、秋篠宮さまも幼いころから何度も
遊びにいらしています。
秋篠宮家の悠仁さまも、私が園長を退任する昨年7月までに、5回はいらしています。
この間にずいぶん成長なさったなあと、しみじみと感じますね。
上野動物園デビューは、1歳を迎えたばかりの2007年秋でした。悠仁さまは乳母車に
乗せられると動物が見えなくて怒りだすので、殿下や紀子さまが抱っこしてキリンやゾウを
見せていました。
2歳の春にいらしたときは、大きな動物を見つけると、すべて「ウマ」と呼んでいました。
どうしてだろうなと思っていたら、秋篠宮さまが、
「悠仁には、しょっちゅう皇居の馬を見せに連れていっているんだよ」
と理由を教えてくださいました。
3歳になるとずいぶん、動物の扱いにも慣れてきましたね。
この年の秋には、小さな動物に触ることができる園内の「子ども動物園」にいらしたんです。
最初は怖がっていましたが、すぐに慣れて担当の職員に、
「どうやって持ちますか」
なんて尋ねながら、ひざの上にウサギをのせて優しくなでたり、ハツカネズミにサツマイモを
あげたりしていました。
ウサギやモルモットの抱っこが楽しかったようで、ヤギやヒツジも「抱っこする」
とご自分よりも大きい動物の体にしがみついて離れないので、僕らはハラハラしましたよ。
その後は、紀子さまと2回ほど来園されました。いずれも、紀子さまは当日の朝に
電話をかけていらしてこうおっしゃるんです。
「今日、そちらに遊びにいっていいですか」
週刊朝日2012年10月5日号
<生き物が大好きな悠仁さまは「僕もサルと一緒に遊びたい」>A
また、いつだったか悠仁さまが、「サル山に入って僕も一緒に遊びたい。餌をあげたい」と言って駄々をこねたこともありましたね。
紀子さまが、「ここは入れないのよ」と優しく説明してなんとかおとなしくなりましたが、子どもはみんな好奇心が旺盛ですよね。
可愛らしかったのは、トラを見たいと言いだしたときです。
トラの放餌場まで歩きながら、紀子さまの手をしっかりと握って、「とーら。とーら」と歌っていた。なのに、放餌場に到着すると本物よりそばにある置物のトラが気に入ったようで、
そちらによじ登るのです。危ないからと紀子さまが手を貸そうとすると、「自分でやる」と払いのけていました。最後はトラの背中にまたがって、ニッコリと満足そうな笑顔を浮かべていました。
悠仁さまはお会いするたびに成長のあとが見えます。来年はいよいよ小学校に入りますが、小学生になっても遊びにいらしてほしいですね。
小宮輝幸 こみや・てるゆき 1947年生まれ。前上野動物園長。2009年には秋篠宮さまとの共著である『日本の家畜・家禽』を執筆した。
週刊新潮(2012/11/08), 頁:164
園遊会で秋篠宮ご夫妻に向けられたゲリラ発言
赤坂御苑にて10月25日に催された秋の園遊会。
ロンドン五輪金メダリストを始め、各界の名士約1700人が集まったこの雅な場で、ハプニングが起こっていた。
「陛下が、東日本大震災の被災地からの招待客とお話しされていると、突然、陛下と同年齢位の男性が後列から人をかきわけて最前列に出て、“陛下、お祝いを一言申し上げます”
と話しかけました」(園遊会出席者)
にこやかに対応される陛下との時間をしばらく堪能した後、男性はその場に陣取り、今度は秋篠宮殿下に声をかけたのだ。
それは気さくに、「あんたいい男なんだからさァ、おかっぱ頭をやめて陛下みたいな髪型にしなさいよ」
と言ったかと思うと、さらに自分の鼻と口の間を指差し、 「ひげも剃った方がいい」
勢いのついた彼は、後に続く秋篠宮妃紀子さまにも、
「あなたはすごく美しい」 「あともうひと頑張りしてほしい」
と語りかけ、これで満足したのか列の後ろにスッと下がっていったという。
このゲリラ発言に、両殿下は顔色一つ変えなかったが、周囲は跳び上がった。
「宮内庁職員は苦々しく見てましたね。でも、園遊会は両陛下主催で、出席者は両陛下の客人。どんな無礼があっても、あまり注意はできません」(記者)このヒト、一体どなた?
「印刷業者で構成される社団法人の新潟支部元理事長です。2年前に旭日双光章を受賞し、今回初めて園遊会に招待されました。」(同)
当のご本人はと言うと、 「はて、エラいことになっているのかな、こりゃ考えものだなと思ってます」 と、心なしか声が弱々しい。氏を知る人によれば、
「30代で新潟県警を辞めて、印刷会社を興し成功させた、素性もしっかりした真面目な方。 そんな発言をしちゃったのは、だいぶご高齢になったからかなぁ」
81歳迷士の武勇伝。
週刊文春 2012.1.3・10
雅子さま、この二十年、お幸せだったのでしょうか? 特別寄稿 林真理子
そして困ったことに、というのはさらに失礼な言い方かもしれぬが、国民の大多数は雅子さまのことが
未だに好きだ。期待外れだったと困惑するものの、最後は、
「まあ、ご病気だから仕方ない……」
と言葉を濁す。
これと反対に、私は未だかつて男でも女でも、紀子さまを好きだという人に会ったことがない。あの喋り
方に、どうしても違和感を持つというのだ。そして女性たちは最後に、
「好きで皇室に入った方なんですもの、何でもうまく立ちまわるわよね」
と意地の悪いひと言をつけ加える。あれだけ両陛下に仕え、男児も出産され、嫁として非のうちどころの
ない紀子さまに、案外世評は冷たいのはどういうことか。
皇室に適応することが出来ず、病を得た女性の人間的苦悩に、共感と好意を抱くが、うまく適応出来た
女性に、人々はそっけない。これは興味深い現象だ。
私は申し上げたい。二十年前に比べ、かなり低くなっているものの雅子さまにはまだ人気がある。これを
味方にして、はっきりとご自分の肉声でお話になる時がきたのではなかろうか。
『週刊現代』(2008.7.19)
<平成皇室の危機 このままでは”21世紀の南北朝”が生まれる>
■原 武史
「6月16日は香淳皇后の命日、つまり例祭の日に当たります。
ところが今年は、天皇も皇后も例祭に出席せず、秋田での植樹祭のほうを優先させた。(中略)そうしたら、出発の日に当たる6月14日に岩手宮城内陸地震が起こった。
ですから、ちゃんと祭祀を行わないと災害が起こると思ったのではないか。」
■原 武史
「福田が言うように皇室典範を変えないで秋篠宮家に皇位継承権が移った場合、最大の問題点は国民の納得が得られるか、だと思います。」
■原 武史
「じゃあ東宮家と秋篠宮家、愛子内親王と悠仁親王のどちらが国民に人気があるかと言えば、おそらく東宮家、愛子内親王のほうでしょう。」
■桐野夏生
「そうかもしれませんね。私の周囲の女性達は、紀子さまが男児を産んだとき、皆一様に違和感をもったと言います。雅子妃の心情を察すると、そこまでするか、
というのが女性達の正直な心情だったんです。そういうわだかまりを内包したまま皇室典範を守り、皇位を継承させていくことに国民が納得するかという疑問はありますね。」
■原 武史
「だから法令レベルであれこれ論じて、『皇室典範がこうなっているから皇位を秋篠宮家に移譲します』といっても、皇室崇敬心が秋篠宮家に収斂していくかどうかは分からないんです。
親王が産まれない限り、滅びゆく現・東宮家に対する判官贔屓の感情が巻き起こってくる可能性もある。
法令的には秋篠宮家が皇位継承することになっていても、国民が心情的にそれが納得できないとなれば、この21世紀の世に南北朝時代が再来するという事態にもなりかねない」
皇后さまや皇太子ご夫妻ら、音大卒業生の演奏会を鑑賞
2014年3月20日19時37分
皇居内の音楽ホール、桃華楽堂(とうかがくどう)で20日、東京芸大や武蔵野音大など
音楽大5校の卒業生による演奏会があり、皇后さまや皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ら皇族方が鑑賞した。
演奏会は毎年恒例で、今回は卒業生11人が参加。八橋検校作曲の「みだれ」や
ブラームス作曲の「クラリネット・ソナタ 第2番」などが約1時間にわたって演奏された。
この演奏会は1967(昭和42)年、音楽を奨励したいという香淳皇后の意向で始まり、
毎年3月下旬から4月上旬に開かれている。
雅子さまは昨年、10年ぶりに出席。今回は、直前に出席が決まった。
http://www.asahi.com/articles/ASG3N4H8BG3NUTIL01Q.html
眞子さま 卒業後は公務に重点 NHK 3月23日 18時52分
秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまは、ことし開かれる国際的な陶磁器の展覧会の名誉総裁に就任するなど、大学を卒業後は進学や就職はせず、皇族として本格的に公務に取り組まれることになりました。
眞子さまは、東京の国際基督教大学に4年間在籍し、美術の分野を中心に学んできましたが、今月26日に卒業されます。
関係者によりますと、卒業後は進学や就職はせず、皇族として本格的に公務に取り組む予定で、ことし9月12日から1か月余りにわたって岐阜県で開かれる「国際陶磁器フェスティバル美濃」
の名誉総裁に就任されることになったということです。
この展覧会は、3年に一度開かれる世界的な陶磁器の祭典として知られていて、これまで、故・高松宮妃や、桂宮さまが名誉総裁を務められてきました。
眞子さまは、イギリス留学を終えて帰国した去年7月に、初めて一人で地方での公務を経験するなど、学業に支障のない範囲で公務に臨み徐々に活動の幅を広げられてきましたが、公的な役職への就任が
決まったのは初めてです。
このほか、眞子さまは、ことし6月には国際青年会議所の大会に出席するため紀子さまとともに山形市を訪問し、10月には長崎県で開かれる国体で、お一人で競技を観戦される方向で調整が進められています。
以下省略。続きはNHK HPへ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140323/t10013177621000.html
早く座れ野次騒動 やはり捏造!民主中井議員「秋篠宮さまではなく副議長に言った言葉だ!」
非礼の極み 民主・中井前国家公安委員長が秋篠宮ご夫妻に不平…「早く座れよ」 議会開設120年記念式典
11月29日の議会開設120年記念式典で、民主党の中井洽前国家公安委員長が、来賓の秋篠宮ご夫妻が天皇、皇后両陛下のご入場まで起立されたのを見て
「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」と不平を漏らしていたことが30日、分かった。
自民党は「懲罰の対象になりうる著しく品を欠く発言だ」と問題視している。
西岡武夫参院議長も事実関係を調査する意向を示した。
複数の国会議員によると、秋篠宮ご夫妻は式典会場の参院本会議場に入られ、天皇、皇后両陛下のご入場まで約5分間起立して待たれた。
国会議員も立っていたところ、中井氏は1分半ほどで「早く座れよ」などとぼやき始めた。
それほど大声ではなかったが、議場は静まっており、周囲に響き渡ったという。
みんなの党の桜内文城参院議員は30日にブログで「想像を絶することが起こった。これでは国会崩壊だ。1人の国民として今回の野次は決して許すことはできない」と批判した。
中井氏は30日、産経新聞の取材に「『早く座らないとだれも座れないよ』と言ったかもしれないが、秋篠宮さまに向けて言うはずがない。副議長らに言った」と釈明した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101130/plc1011302110030-n1.htm
民主議員が、秋篠宮殿下に「暴言」 → 民主議員「聞こえないように言った。つぶやいただけだ」
秋篠宮殿下に「暴言」と指摘=民主議員が記念式典で―
自民逢沢氏 自民党の逢沢一郎国対委員長は30日の記者会見で、29日に参院本会議場で行われた
「議会開設120年記念式典」に際し、民主党の衆院議員が秋篠宮殿下ご夫妻に「暴言」を吐いた可能性があると指摘した。
逢沢氏は議員の特定は避けたが、「事実関係を確認する必要がある」と述べた。
自民党議員などによると、この民主党議員は、壇上で起立のまま天皇、皇后両陛下の入場を待たれていた秋篠宮殿下ご夫妻に対し、議場から「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」などと発言した。
逢沢氏は「周辺の複数の議員がその乱暴な発言、暴言を直接聞いているようだ。その通りなら懲罰の対象になるような、著しく品を欠く発言と言わざるを得ない」と問題視。
一方、「暴言」を指摘された議員は、取材に対し「聞こえないように言った。つぶやいただけだ」と述べた。
[時事通信社]
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_154779
【自演禁止】 血判付き抗議文 民主党・中井氏が、秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」と発言した事件
中井氏非礼発言で国会の事務所に血判付き抗議文 脅迫視野に捜査
議会開設120年記念式典で、民主党の中井洽衆院予算委員長が来賓の秋篠宮ご夫妻に「早く座れよ」と述べ、不平を漏らした問題で、中井氏の事務所に抗議文が送られていたことが9日、警視庁麹町署への取材で分かった。
同署は脅迫容疑を視野に調べている。
【フォト】非礼発言の一件を「蛤(はまぐり)の変」と呼ぶ声も
同署によると、8日午前11時ごろ、東京都千代田区の衆院議員会館内の中井氏の事務所で、郵便物を仕分けしていた秘書が、封筒に入った抗議文が届いているのを発見した。同日午後、同署に届け出た。
封筒には血判状在中と書かれ、抗議文は縦25センチ、横1メートルの紙に手書きで、中井氏の発言や、その後の行動について抗議する内容だった。
左端には赤黒い色の手形が押されていた。
消印から、抗議文は7日以降に届いたとみられ、封筒には差出人の名前、所属する団体も記載されており、同署は実在する人物か調べる。
発言をめぐって、中井氏は産経新聞の取材に、「『早く座らないとだれも座れないよ』と言ったかもしれないが、秋篠宮さまに向けて言うはずがない。副議長らに言った」と釈明。
自民、みんな、たちあがれ日本の野党3党は中井氏に対する懲罰動議を衆院に提出した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101209-00000563-san-pol
皇太子さまへ「皇太子を交代してちょ」論文が波紋を呼ぶ。ヤリチンの秋篠宮に皇太子がつとまるの?
皇太子さまへのご退位提言に「一刻も早い方が」と賛同する人も
宗教学者の山折哲雄氏が『新潮45』3月号に寄稿した『皇太子殿下、ご退位なさいませ』という論文が波紋を読んでいる。
山折氏は、小泉純一郎元首相(71才)時代に設けられた「皇室典範に関する有識者会議」のヒアリングで、実際に意見を述べたこともある人物。
その山折氏が皇太子さまにご退位をすすめ、さらに弟の秋篠宮さまに「譲位」してはどうかとも綴っているのだ。
山折氏と同じく「皇室典範に関する有識者会議」でヒアリングを受けた高崎経済大学・八木秀次教授は、この意見に賛同する。
「山折氏が言われている“退位”とは皇族の身分を離れるというより、“秋篠宮さまに皇位継承権を譲られてはどうか”というものだと思います。これには私も賛成です。
なぜなら皇太子さまは、ご自分の家族に精神的な重きを置かれているようで、本来、皇太子として果たされるべき役割ができていないように感じるからです」(以下略、続きはソースで)
http://www.news-postseven.com/archives/20130301_174196.html
秋篠宮紀子妃殿下 博士号取得
妃殿下は,聴覚障害者の大事なコミュニケーション手段である手話を学ばれ,「全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」,「聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」にご臨席になり,折にふれて関係者よりご進講をお受けになっています。
また,公的なご活動の傍ら勉学を続けられ,平成7年3月に心理学の分野で修士号を取得されました。
出産・育児の後に研究活動を再開する研究者を支援する「日本学術振興会特別研究員 − RPD(Restarted Post Doctoral fellowship)による発表会」にもご臨席になるなど,女性研究者の支援を大切にお思いでいらっしゃいます。
平成21年2月には,日本学術振興会名誉特別研究員に就任され,健康心理学の観点から結核にかかわる意識と行動についての研究を進められました。
そして,お茶の水女子大学に論文を提出され,平成25年3月に博士(人文科学)の学位を取得されました。
http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/03/activity03.html
秋篠宮ご夫妻、原発避難者を激励 福島・郡山の仮設訪問
http://www.asahi.com/national/update/0510/TKY201305100300.html 秋篠宮ご夫妻は10日、福島県郡山市にある富田仮設住宅を訪れ、東京電力福島第一原発事故により避難している富岡町などの住民を激励した。
同住宅には富岡町、川内村、双葉町からの避難者約500世帯、1千人が暮らす。
この日はフラダンスでご夫妻を歓迎。
秋篠宮さまは「催し物があると皆さんが集まるからいいことですね」と声をかけた。
紀子さまは床にひざついて一人ひとりに話しかけ、「暑くなってくるので、お体を大事にしてください」とねぎらった。
ご夫妻は9日から福島県内をまわり、福島市に避難している飯舘村の中学生を激励したり、野菜の放射性物質のモニタリング検査を視察したりした。
天皇皇后両陛下、公務の一部を皇太子夫妻と秋篠宮夫妻に譲る意向 なお雅(ry
---------両陛下 施設訪問の公務一部譲ることに
宮内庁は、天皇皇后両陛下が毎年続けてきた、「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設の訪問について、来年を最後に、皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻に譲られることになったと発表しました。
両陛下は平成4年から毎年、5月の「こどもの日」と9月の「敬老の日」にちなんで、東京都内とその近郊の保育園や高齢者の福祉施設などを訪れ、
子どもと触れ合ったり、お年寄りを励ましたりしていて、ことしも、23日に東京・江東区の小学校を訪問される予定です。
天皇陛下はことし12月に、皇后さまは来年10月に、80歳になられます。
宮内庁によりますと、両陛下は、「こどもの日」や「敬老の日」にちなんだこうした公務は若い世代が行うほうがより適切だとして、来年を最後に、皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻に譲られることになったということです。
天皇陛下は、去年12月の誕生日前の記者会見で、公務について「今のところしばらくはこのままでいきたい」と述べられていて、
宮内庁は「継続的な課題となっているご負担軽減の問題は、今回の決定とは切り離した、別の問題だと理解してほしい」としています。
----------
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130521/k10014720371000.html
http://www.asahi.com/national/update/0822/TKY201308220130.html 2013年8月22日14時53分
秋篠宮さま、発達障害学会の国際会議であいさつ
秋篠宮ご夫妻は22日、早稲田大学国際会議場(新宿区)で開かれた「第3回アジア太平洋発達障害会議2013」の開会式に出席した。
秋篠宮さまは「この会議参加者による国際的な研究協力が、包括的な社会の実現に寄与することを希望します」などと英語であいさつを読み上げた。
国際知的・発達障害学会が4年ごとに開く地区会議で、2005年の台湾、09年のシンガポールに続く開催。
知的障害や発達障害がある人の支援や研究について、医学や福祉、教育などの専門家が情報交換する。
秋篠宮家の母から娘への教え「私は大学のサークルでダンナ見つけたけど、あんたは騒ぎになるからサークル禁止w
■紀子さま 写真流出を恐れて佳子さまにサークル参加禁止令 東京・目白の学習院大学キャンパス──
9月下旬の昼過ぎ、今年4月から新設された文学部教育学科の活動拠点となっている北1号館の前では、楽しげに語り合う学生たちの姿があった。
そんな学生たちの中にあって、一際目を引く女子学生。
デニム地のふんわりとしたミニスカートに黒のハイカットスニーカーを合わせ、髪形は毛先を緩く巻き、片側だけをサイドアップにしたかわいらしい彼女は、秋篠宮家の次女・佳子さま(18才)だった。
普通の女子学生と変わらぬキャンパスライフを送られているようにみえる佳子さまだが、実は今、ある悩みを抱えられているという。
「佳子さまは“両親にサークル活動をさせてもらえない…”とお友達に漏らされているようです」(学習院関係者)
高校時代、文化祭で同級生らとともにダンスグループを結成され、ステージに立たれたこともある佳子さまは、大学入学前からダンスサークルへの入会を望まれていた。
学習院大学には公認、非公認合わせて十数団体のダンスサークルがあり、ご入学時には“佳子さま争奪戦”が繰り広げられるなど、注目を集めた。
「その人気は凄まじくて、入学直後、佳子さまがキャンパスを歩かれれば、上級生たちの勧誘が殺到して、1時間もしないうちに両手が勧誘のビラでいっぱいになったほどでした」(学習院大学の学生)
しかし、紀子さまはこの写真掲載で大きな決断を下されたという。
「紀子さまは“写真を撮られたり、流出する可能性が高いのなら最初からサークルに入らないほうがいい”と佳子さまに“サークル禁止令”を出されたそうです。
これには、佳子さまもさすがに困惑されたみたいですけど…」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131009-00000006-pseven-soci
秋篠宮家眞子さまはイギリス留学で「生まれて初めての体験」をされる。朝敵・山守天皇は無実だったww
■眞子さま 英国留学で「生まれて初めて単位を落とした」
秋篠宮家の長女・眞子さまは5か月後には国際基督教大学(ICU)ご卒業も控えており、その進路も注目されている。
ICU関係者によれば、「眞子さまは来春、ICUの大学院に進学されることを希望されているのです」
眞子さまはICUの交換留学制度を利用し、昨年9月から5月末まで、イギリスのエディンバラ大学で学ばれた。
さらに1カ月ほどヨーロッパを旅行し、7月初旬にご帰国。その10カ月間の体験について、アンケート形式で記述されているのだ。
アンケート項目は日本での準備から現地での生活まで多岐にわたっている。眞子さまは後輩たちのため、実筆で丁寧な回答を寄せられている。その一部を抜粋すると…。
携帯電話はどのように手配しましたか?
《現地でプリペイド(携帯電話)を買いました》
生活上で注意するべきことは?
《歩きにくい道が多いので、ヒールのくつは危険です》
(寮の)食事の内容は?
《まあまあ。まずいと言う人もいましたが、そこまでではありません》
寮にはいろいろな国からの留学生も集まってきており、最初は異文化のなかで戸惑われることもあったようだ。
そして、この留学では眞子さまは“生まれて初めての経験”もされている。
《他の授業の課題もあるし、我儘なことに勉強だけやるのも嫌だったため、どうしてもその授業に割く比率が割くべき比重より低くなり、生まれて初めて単位を落とすという経験をした》
http://news.livedoor.com/article/detail/8167869/
敬宮愛子さま(皇太子家長女・13歳JC1)にボーイフレンド誕生→山守天皇(秋篠宮家婿)の即位ピンチへw
この3月に学習院初等科を卒業し、4月から学習院女子中等科に進む、皇太子ご夫妻の長女愛子さま。
交友関係も広がり、特にこの一年は愛子さまにとって飛躍の年でもあったようだ。
昨年の8月、栃木県の那須御用邸に滞在した皇太子ご一家は、愛子さまのお友達とその家族と一緒に、標高1915メートルの那須連峰茶臼岳に登った。
愛子さまは初等科2年のときから、何度も那須連峰に登っている。
そのため、地元の住民も愛子さまの成長を温かく見守っている。
「おととしまでは、周りの大人が話しかけても、うつむいたり『うん』と返事をしたまま黙っているといったご様子でした。しかし、ここ2年ほどは、きちんとお話ができていました。お姉さんになりました」
標高1900メートルを超える茶臼岳は、大人でも肩で息をするほどキツイ登山コースである。
しかし、登山に慣れた皇太子さまと雅子さまは、それぞれ持参したカメラで写真を撮る余裕を見せた。
案内役が戊辰戦争の舞台となったこの土地について、歴史的な逸話を解説すると、皇太子さまは興味深げに聴き入っていたという。
愛子さまら子供たちは、大人とは一定の距離を置きながら、山登りを楽しんでいた。
愛子さまはバスケットボール部で鍛えた成果か、足取りも軽くスタスタと登っていったという。昼食後の下山では、軽快な気分になったのだろう。
「愛子さまもお友達との冗談に、キャッキャと笑い転げて、楽しそうでしたね」(居合わせた登山客)
お友達のひとりは、毎年一緒に登っている同級生の男の子で、地元の住民の間では、「愛子さまのボーイフレンド」の愛称で呼ばれている。
愛子さまは心を許せる友達にも恵まれているようで、もう登校問題の影は見えない。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140319-00000002-sasahi-soci
紀子さま 動物好きの悠仁さまの東大農学部進学願うとの証言
2013.09.17 16:00
秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまが9月6日、7才の誕生日をお迎えになった。
今年4月からお茶の水女子大学附属小学校に入学された悠仁さまは、宮内庁によると、友達からは「悠仁くん」、先生からは「秋篠宮さん」「悠仁さん」と呼ばれ、新しい友達もたくさんでき、充実した学校生活を送られているという。
虫捕りが大好きな悠仁さまはこの夏休み、お住まいの赤坂御用地(東京・元赤坂)や皇居で、チョウやトンボを追いかけ走り回られたという。
「白い帽子をかぶられ、虫捕り網を持った紀子さまと、麦わら帽子をかぶられ、虫捕りかごを持った悠仁さまが、御用地内にカブトムシを探しに出かけられるのを、幾度かお見かけしました。
紀子さまも普通のお母さんと同じように、お子さまと一緒に外で遊ばれていることに感銘を受けました」(宮家関係者)
そんな紀子さまは、3人のお子さまをお育てになるにあたり、とても大事にされてきたことがある。
それは子供たちは関心を持ったことには、とことん突き詰めてほしい≠ニいうことだった。
長女・眞子さまは、英語を学ばれるため、英国のエディンバラ大学に留学されたり、次女の佳子さまも幼い頃にはフィギュアスケート、そして現在はダンスを続けられている。
そして今、紀子さまは悠仁さまの将来の進路について、母としてある思いを持たれているという。
皇族といえば、“学習院”という慣例をくつがえして、お茶の水女子大学の附属幼稚園から附属小学校に進まれた悠仁さま。
「紀子さまは“学習院に限定してしまえば、将来、悠仁の選択肢が少なくなってしまう”“悠仁にはたくさんの選択肢の中から自分でやりたいことを決めてほしい”というお考えから、お茶の水を選ばれたようです。 (続く)
http://www.news-postseven.com/archives/20130917_211509.html
お茶の水は男子が通えるのは中学校までですから、そこでも高校選びということにより、視野が広がります。
紀子さまは、“悠仁に将来的には最高の環境で学んでほしい”という思いもおありなんです。
昆虫だけでなく、無類の動物好きの悠仁さまには、学業を究めて東大農学部に進学してほしいなんて夢もお持ちなようです」(前出・宮家関係者)
※女性セブン2013年9月26日号
台湾人「今の日本の皇室は何のためにあるの?」美味しそうな日本の皇室御用達スイーツ
・今の皇室はいったいどうやって稼いでいるのかよく分からない。
なんのためにあるんだろう? 国民の何かに役立っているってこと??
・↑ただの金食い虫
http://kaola.jp/2013/09/30/15870/ ◆「天皇陛下は呑気に写真にうつって居るが人の子供をうんと殺してこげな大きな顔をして居る」(言辞 犯人検挙)
◆「これ天皇や一寸申告するぞ。貴様はほんとにばかだな。戦争するなら物資を十二分としてからのことだよ。貴様は毎日何をのんべんだらりとして居るか。
元寇の役を思ひ出せよ。あの時の天皇様は伊勢に立ちこもられたる為神風にて追い払へたのだよ。貴様は国民を苦しめて毎日のんべんだらりと生活してゐるから見よ
伊勢神宮は丸焼けだ」(投書)
◆「遺家族の衆、貴方達は一時金が貰へるし扶助料が貰へるのでよい事だ。毎日毎日供出供出俺らなんか天皇陛下が死んだら丁度よいと思ってる」(言辞 犯人検挙)
http://www10.ocn.ne.jp/~war/tokkou.htm
「遊んでいい人に選ばれていないから、悠仁さまと友達にならなくていい。」 これは、不敬罪だろ。
11月30日、48才の誕生日を迎えられた秋篠宮さま。
それに先立ってご夫妻で記者会見に臨まれたが、今年4月にお茶の水女子大学附属小学校に入学された悠仁さまの近況について、語られた。
紀子さまは「いろいろな経験を通して、小学校の生活にもだんだん慣れてきまして、今お友達と一緒にさまざまな活動に取り組み、元気に過ごしております」と悠仁さまのご成長ぶりに目を細められた。
だが、その悠仁さまをめぐり、学校の中で少々心配な状況にあるという。
「もともと、学習院のように皇族がたが入ってくる学校ではありませんから、多くの保護者たちは紀子さまや悠仁さまと積極的にかかわろうとはしません。
それどころか、“なるべくなら距離を置きたい”というのが本音のようです。それに、自分の子供が何かの拍子に悠仁さまにケガでもさせたら大変などとも思っているんです」(お茶の水関係者)
そんな思いからか、母親たちのごく一部には、子供たちに対して「悠仁さまとお友達にならなくてもいいのよ」と教えている人もいるという。
「そんな状況のため、子供たちの中には“遊んでいい人に選ばれていないから遊べない”なんて言う子もいるほどなんです」(前出・お茶の水関係者)
学内のそんな雰囲気は、紀子さまにまで及んでいるという。
「中には“皇族がたとお近づきになりたい”と考える母親がいて、彼女たちは紀子さまと親しくしているようなんです。しかし、そのお仲間にはどこか近寄り難いものを感じている人も多いんです」(前出・お茶の水関係者)
確かに、悠仁さまがご入学されて以来、その厳重な警備に「学校の雰囲気が変わってしまった」と不満を漏らす保護者は少なくない。
そんな保護者たちの空気を敏感に感じ取られた紀子さまは、自らPTAの役員を買って出られるなど、一保護者として、積極的に学校になじもうと腐心してこられた。
しかし、ご入学から8か月、図らずも生まれてしまったママ友間の不協和音…。
その原因を作ったのは学校側の対応にもあるようだ。 「悠仁さまのクラスは、校内のいちばん奥にあって、比較的静かなんです。
その上、先生たちは子供たちに“用がないときには別のクラスには行ってはいけません”とか“よそのクラスの前の廊下では遊んではいけません”という指導をしているんです。
もちろん学校側も“悠仁さまのクラス”と言っているわけではないんですが、子供から学校側の指導法を聞いた親御さんたちは
“悠仁さまのクラスにはむやみに近づいてはいけない”というふうに受けとめて、ピリピリしたムードになってしまっているんです」(前出・お茶の水関係者)
http://news.livedoor.com/article/detail/8331774/
【皇室】悠仁さま、愛子さまはお年玉をもらっているのか
★お年玉ない皇室 故高円宮殿下は同級生羨ましかったと語った- NEWSポストセブン
(2014年1月3日07時00分)
天皇家の正月には、一般国民と異なる点が多々ある。
一般家庭の子供たちが正月で一番楽しみにしているのはお年玉だが、愛子さまや悠仁さまもお年玉をもらっているのか。
皇室ジャーナリストの久能靖氏はこう語る。
「故・高円宮殿下にお聞きしたことがありますが、『子供のころ、冬休みが終わって学校に行くと、同級生がお年玉の話をしていて、とてもうらやましかった』とおっしゃっていたので、皇室にお年玉はないはずです」
ただし、皇室には一般家庭にはない「お年日の御祝い」という慣わしがある。
両陛下とお子さま方ご家族の内で、正月三が日の干支と生まれ年の干支が同じ方に、両陛下から「お万那料」(ご祝儀)が贈られる。
平成26年は悠仁さまがそれに当たるという。
※週刊ポスト2014年1月1・10日号
http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_233358
愛子さま、「声優・アイドルのなり方」をご熟読
皇太子ご一家の長女・愛子さまは11月3日、お友達3人と、佳子さまが通われている学習院女子中・高等科(東京・新宿区)の文化祭『八重桜祭』に出かけられた。
「愛子さまは売店で“カツサンド”を買われていましたね。でも、召し上がらずに、持っていた手提げの袋に入れてましたから、もしかしたら雅子さまへのお土産だったのではないでしょうか」(学習院関係者)
クイズに答えながら世界旅行を体験するゲームなどをされながら、校内の展示物を見て回られた愛子さま。
その中でも、愛子さまがもっとも熱心にご覧になられていたのが、中2のあるクラスの『夢探計画』と題された展示ブースだった。
ここでは“司法に関する職業(裁判官と検察官)”“銀行”“消防士”など、さまざまな職業を体験したり、研究発表を見学したりすることができる。
「愛子さまは出口付近に貼られていた“声優・アイドルのなり方”を5分以上じっくり熟読されていましたね。他の職業よりも興味がおありのようでした」(目撃した学習院保護者)
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/postseven-20121109-153894/1.htm
水泳行事の思い出つづる=愛子さまの卒業文集公表―宮内庁
時事通信 3月18日(火)11時5分配信
宮内庁は18日、皇太子ご夫妻の長女愛子さま(12)の学習院初等科卒業式に合わせ、愛子さまが初等科の卒業記念文集「桜愛集」に寄せられた作文を公表した。
活字化されたもので、昨年7月に学習院沼津游泳(ゆうえい)場(静岡県沼津市)で行われた6年生の水泳行事「沼津海浜教育」に参加した際の思い出がつづられている。
全文は次の通り(表記は原文通り)。
大きな力を与えてくれた沼津の海 敬宮愛子
不安な気持ちを抱きつつも、きっと楽しい思い出が作れると言われて出かけた沼津でしたが、初日から練習は厳しく、海に入りたくないと思う時も少なくありませんでした。
ただ楽しかったのは、友達との生活と食事、お風呂でした。
しかし、足の着かない海で泳いで、初めて気持ち良いと感じる日が来ました。
三日目に行ったプレ距離泳の時でした。
プレの日は、波もなく、太陽が照りつける中での距離泳となりました。
海に入るまでは、五百メートルも泳げる訳がないと諦めていましたが、泳いでいるうちに、体の力が抜け、楽しく泳げるようになりました。
五百メートルを泳ぎ切ると、海が好きになり、海に入るのが楽しみになっていました。
迎えた本番の五日目は、潮の流れが少しあり、泳ぎにくいと感じましたが、前日に一キロ泳や二キロ泳を終えた人たちの「頑張れー」という応援の声が聞こえる度に、不思議と力が湧いてきました。
無事に泳ぎ切り、みんなと喜びながら頂いた氷砂糖の甘い味は格別でした。
沼津での生活は、私に諦めないことの大切さを教えてくれ、大きな自信を与えてくれました。
沼津の海は、私にとって忘れられない記念の海。
六年間の中で、私がいちばん成長できたと感じられる素晴らしい思い出になっています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140318-00000043-jij-soci
「愛子さま」小学校体育行事にご参加−韓国メディア報道
http://pds.joins.com/news/component/htmlphoto_mmdata/201310/13/htm_201310130121342004011.jpg 日本王室のご長男になる皇太子徳仁(53)さまの娘である愛子(11)さまが12日、東京学習院小学校の運動会に参加して級友らとマスゲームをしている。
フラフープを持って律動をして、逆立ちやクラスメートの足を捉えて、人間ピラミッドを作ったりもしました。
徳仁皇太子さまと雅子(50)皇太子妃さまは娘である愛子さまが参加した学生のマスゲームを見ています。
一般の両親と同じように徳仁皇太子さまと雅子妃さまは、カメラで娘の動きをおいかけ拍手して応援を送られました。
1993年6月8日に結婚した徳仁皇太子さまと雅子妃さまは今年で結婚20周年です。
1999年第一子を流産後、2001年12月1日に愛子さまがお生まれになりました。
皇太子夫妻は、「人を愛し、愛される人になりなさい」という意味で無男独女の一人娘に愛子さまという名前をつけた。
学習院小学校6年生の愛子さまの学業成績は優秀でございます。
学校ではバスケットボール部、放送部で活動して昼食時にアナウンスもご担当されます。
最近では、学習院女子大学で実施される英語の講座に週に2回ほど通われておられます。
■偏差値72、天皇家で一番の頭脳 愛子さま東大入学 そして雅子妃の復讐が始まる
子どもの未来は、無限の可能性に満ちている。それを思うと、親は勇気づけられ、強くなる。
学才をメキメキと伸ばしている愛子内親王。愛する我が子の成長が雅子妃にもたらした、ある「変化」とは。
「愛子さまは、学業が大変優秀で、通信簿はほぼオール5。常に学年でトップクラスの成績だそうです。特に国語がお好きで、放っておいてもご自分で本を読み、読めない漢字は漢和辞典を引いて勉強されています。
ややもすると、午前0時を回っても本を読んでいることがあって、皇太子殿下が苦笑しながら早く寝るよう促すこともあるとおっしゃっていました」こう語るのは、皇太子家に近い元皇族だ。
ここ最近、愛子内親王の勉学の才能が、周囲を驚かすほど目覚ましく花開いているという。元皇族が続ける。
「漢字のテストは毎回ほぼ100点です。何度か満点をとれなかったことがあるのですが、読めなかった漢字、書けなかった漢字をそれぞれノートに100回書くことを、自らに課しているようです。
また英語の実力も相当なもので、皇太子殿下が『愛子は私よりきれいな英語を話す』とおっしゃっていました。科目の中では算数があまりお好きではないらしく、教えるのがお上手な雅子さまが、つきっきりで指導することもあるそうです。
ただ、好きではないだけで苦手ではなく、成績は5の評価。何でもできて、本当に優秀でいらっしゃいます」 成績は学年でもトップクラス、生活態度もしっかりして頼もしい。
こうした娘の成長が、雅子妃の気持ちにも変化をもたらしていると、宮内庁関係者が打ち明ける。
「実は、愛子さまをエスカレーターで学習院大学に行かせるのではなく、東京大学へ進ませるお考えを持っていらっしゃるのです」
「眞子さまがご自分の意志でICUに進学されて以来、必ずしも学習院でなくていいという雰囲気が生まれました。
愛子さまも中学は引き続き学習院に通われると見られていますが、高校・大学まで決まっているわけではありません。愛子さまの成績と照らし合わせれば、東大という選択肢は十分考えられます」(宮内庁担当記者)
http://kodansha.cplaza.ne.jp/wgendai/article/131028/top_03_01.html
通信簿はオール5、偏差値は72くらい? 「愛子さま」の成績スゴすぎワロタwwwwwwwww
来年3月に学習院初等科を卒業される愛子さま。
その成績は、学習院関係者や保護者たちも感心するほどだという。
「愛子さまの通信簿はほぼオール5です。4は1つか2つみたいですよ。学年でもトップ10に入る成績だそうです。保護者たちからも“将来は東大に進まれるのでは”という声が上がるほどです」(学習院関係者)
初等科トップクラスの成績というのは、全国的にみても、かなりのレベルにあるという。
中学受験コンサルタントで森上教育研究所の森上展安社長がこう言う。
「慶應義塾幼稚舎、青山学院初等部、学習院初等科が名門私立小学校の御三家と呼ばれるブランド校です。中学受験にあたっての偏差値で考えると、御三家は70前後で、そのトップクラスならば72くらいであると考えられますね」
愛子さまの特に好きな教科は国語だという。
「クラスの主幹(担任)が国語の担当という影響も大きいようですが、本当に本を読むのがお好きなようで、読めない漢字があれば、自ら漢字辞典を引いて学ばれているそうです。
漢字のテストはほとんど100点満点で、たまに間違えた漢字があれば、その漢字をノートに100回書いて覚えられているようです」(前出・学習院関係者)
算数は、少々苦手といわれているが、それも“他の教科に比べると”というレベルで、決してテストで悪い点数を取られているわけではないという。
「授業を休まれていたときは、雅子さまは“お友達に遅れないように”と家庭教師を招かれていたそうです。今では習字、音楽、造形などの習い事もされていて、勉強に熱中されると深夜0時を過ぎても机に向かわれていることもあるそうです」(宮内庁関係者)
http://www.news-postseven.com/archives/20131121_227991.html
愛子さまの英語力が凄いらしい。 マイ サン!(my son)”と大きな声を出された。
通信簿はほぼオール5で成績優秀だという愛子さまだが、特に雅子さまが力を注いでこられたのが英語教育だ。
愛子さまが通う学習院初等科では4年生から週2回、英語の授業をスタートするのだが、雅子さまはこれに合わせるように愛子さまに英語の先生をお付けになった。
「上智大学英文学科を卒業後、2年間中学校で英語教師を務めた霜鳥加奈さんが愛子さまの養育係として就任しました。 まさに彼女は英語が堪能な、雅子さまが選ばれた“英語教育のスペシャリスト”といえる人材でした」(宮内庁関係者)
加えて、愛子さまは学校の授業以外でも英語を学ばれることとなる。
「愛子さまが受講されているのは学習院戸山キャンパスで、毎年5月から翌年1月まで計18回行われる英語力養成講座です。5年生以上が受講可で、愛子さまは2年連続で受けられています。
このセミナーは10人1グループで、ネイティブの先生の指導の下、すぐに役立つ英会話の習得を目的としています。
例えば“授業中にトイレに行きたくなったら、何と先生に申し出るか”といった内容です」(学習院関係者)
夏休みにも、この英語セミナーとは別のセミナーも受講されている。
これは4日間の短期集中型のセミナーで、朝から午後まで、みっちり英語を学ぶ。
このセミナーは4年生から受講可で、愛子さまは3年連続で参加されており、今年のセミナーでは、愛子さまの英語力の高さを物語るシーンがあった。
「最終日に受講生たちはグループに分かれて英語劇を披露しました。愛子さまたちのグループは“入国審査を受ける家族”という劇でした。
愛子さまは審査官に家族を紹介する母親役だったんですが、“マイ サン!(my son)”と大きな声で紹介した男の子が明らかに愛子さまより背の高い男の子で、観劇していた他の受講生や保護者からは大きな笑い声があがっていました。
見学にいらしていた雅子さまもとてもお喜びでしたね」(前出・学習院関係者)
雅子さまの尽力によって、愛子さまの英語力は目を見張るほどの上達をみせられているという。
「愛子さまの英会話はネイティブに近いほど流暢だそうです。すでに皇太子さまが“愛子は私よりもきれいな英語を話します”とおっしゃられるほどだそうです」(前出・宮内庁関係者)
http://news.livedoor.com/article/detail/8276301/
【苦悩】皇太子さま今日54歳の誕生日 天才愛子さまは学習院女子中等科に進学することを明らかにする
皇太子さまは23日、54歳の誕生日を迎えられた。
誕生日に先立ち行われた記者会見で、皇太子さまは2013年、オランダ訪問などに療養中の雅子さまが同行したことを、「大変うれしく思っております」と振り返られた。
一方で、雅子さまは快方に向かっているものの、すぐに活動の幅が広がるわけではないと慎重な見方を示し、「体調を整えながら、まずは、できることから、少しずつ時間をかけてやっていってほしい」と話された。
また会見では、開催中のソチオリンピックについても言及された。
皇太子さまは、「選手1人ひとりのこれまでの努力と苦労に、思いをはせております。日本の選手もよく頑張っており、これまでの健闘をたたえたいと思います」と述べられた。
皇太子さまは、長女の愛子さまについては、2014年4月、学習院女子中等科に進学することを明らかにし、「知識を吸収し、さらにそれを社会で実践していくために、自分で考え行動できるようになってほしい」と期待を寄せられた。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00263599.html
羽生結弦ファンになった愛子さま「写真ほしい」と友人に相談
「世界最高レベルの競技に魅了されつつ、選手一人一人のこれまでの努力と苦労に思いをはせております」
2月23日、54才の誕生日を迎えられた皇太子さまは、東宮御所で行われた記者会見で、同日に閉幕したソチ五輪で活躍した日本人選手たちの健闘をこう称えられた。
皇太子さまご一家も大会中はソチ五輪中継に釘づけだったという。
「愛子さまはスケートのご経験がおありですから、特にフィギュアスケートに夢中になられていたようです」(宮内庁関係者)
愛子さまは幼稚園に入園される直前の4才のとき、当時、フィギュアスケート選手として活躍されていた秋篠宮家の次女・佳子さま(19才)に憧れられ、スケートを始められた。
リンクに足を運ぶ機会こそ少なくなられたが、今でも愛子さまはフィギュアスケートが大好きだという。
「ソチ五輪では、羽生結弦選手(19才)の大ファンになられたみたいで、学校のお友達に“どうしたら写真が手に入るかな”なんて相談されているそうです。羽生選手が登場している雑誌などもご覧になっているようです」(前出・宮内庁関係者)
これまで相撲では琴光喜(37才)、野球では内川聖一選手(31才)のファンと玄人好みが伝えられてきた愛子さま。
フィギュアは、やっぱり“華”が大事ということかもしれない。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140227-00000015-pseven-spo