週刊新潮 (1996.10.17)
秋篠宮に博士号をおくった変な大学 1
秋篠宮殿下といえばナマズ研究で有名だが、先月三十日、
ニワトリの起源に関する研究で理学博士号を授与された。
なぜナマズがニワトリに変わってしまったのか。
しかも学位をおくった 「 国立総合研究大学院大学 」 は名前もほとんど
知られていない存在。なんとも唐突な印象。
殿下は一昨年、タイのカセサート大学から魚類生物学の名誉博士号を
おくられているのだが、自ら学位の取得には積極的だったようだ。
母校の学習院大学や東大に提出せずに、神奈川県葉山町にある
国立総合研究大学院大学という耳慣れない大学に学位の申請をしたのは不可解である。
研究を手伝った国立遺伝学研究所の五條堀教授が、総研大の教授を
併任していたこともあるのだろうが、そもそも総研大とはどういう大学なのか。
同大の高畑尚之・教育研究交流センター長が説明する。
「 文部省はもちろん政財界から高度教育の必要性が叫ばれ、日本で初めて
設立された大学院大学が総研大です。
葉山の本部キャンパスは入学式や学位授与式を行う事務中枢があるだけで、
学生はいません」
週刊新潮 (1996.10.17)
秋篠宮に博士号をおくった変な大学 2
「 昭和天皇の考え方として、天皇や皇族は一般の学者と競合しない分野で
研究するというものがあったんです。つまり、自分の学説を発表すれば
他の人の学説と論争になる可能性がある。ですから、昭和天皇は海洋生物の
ヒドロゾアを敢えて選んだのです。生物学者は何度か学位をと申し入れましたが、
名誉博士号をもらうことはあっても、博士号はお受けにならなかった。
天皇陛下も皇太子時代に学位の話がありましたが、“いやあ、いいよ”と、
ご遠慮なさいました」 と、あるベテラン皇室記者は話す。
昭和天皇も、ハゼの研究をされている天皇陛下も、またオリエント古代史に
詳しい三笠宮殿下も博士論文に値する業績を残されているが、
学位論文は提出されていない。
「 殿下の場合は研究環境があまりにも恵まれています。協力者や相談相手が
まわりにたくさんいますし、標本にしても材料にしても欲しいと言えば
どんどん持ってくるでしょう。しかし、皇族はあくまで公務優先で学問は
趣味ですからね」 (先のベテラン記者)
そして、実際に家禽の専門家からこんな声もあがっているのである。
「 家禽学会のなかに殿下とまったく同じ研究をしていたライバルの学者がいたのです。
もちろんこの世界は先手必勝ですし、早く発表して印刷物にした方が
勝ちなのは分かっています。もたもたして自説を発表しなかったその学者にも
非があるんです。でも、ひとりで研究している一介の学者と殿下では相手になりません」
あらぬ誤解を受けることになれば、皇室全体に与える影響は少なくない。
週刊文春(1996.10.17)
秋篠宮ニワトリ研究博士論文の「水準」 3
ナマズではなく、家鶏の起源に関する研究で博士号授与に驚かれたむきも
多いに違いない。クリントン大統領歓迎晩餐会欠席など、このところ何か
と風当たりの強かった秋篠宮だが、これで一挙に汚名返上となるか。
九月三十日。激しい雨の中、マスコミをシャットアウトして神奈川県葉山町に
ある国立総合研究大学院大学(総研大)の講義室で博士号の授与式が行われた。
集まった“新博士”は19名。その中に、秋篠宮(30)の姿があった。
お付きは警備の側衛だけで、完全なお忍び。
後ろに儲けられた一般関係者席では、学生の父母らに混じって、紀子さまが
満足そうにその様子を眺めていた。
「 授与式の後に行われた茶話会にも殿下は出席され、若い女子学生との記念撮影
にもきさくに応じていらっしゃいました」(総研大総務課長・馬場剛氏)
ナマズ見物のためにクリントン大統領の歓迎晩餐会を欠席して批判されたり、
女性問題が取り沙汰されたりと、このところ“御難”続きの秋篠宮だが、総研大の
理学博士号取得に、この日ばかりは晴々とした気持ちだったにちがいない。
週刊文春(1996.10.17)
秋篠宮ニワトリ研究博士論文の「水準」 4
まずはめでたい限りだが、一方で秋篠宮の順風満帆すぎる研究者としての門出に、
手厳しい意見があるのも事実。遺伝学の研究者が指摘する。
「 秋篠宮さまを指導してきた五條堀教授といえば進化遺伝学のボス的存在。
さらに、秋篠宮さまの過去三本の論文には、アメリカのシティ・オブ・ホープ研究所の
大野乾先生が共同研究者として加わっている。
大野先生は米国科学アカデミーの会員でノーベル賞候補とも言われる世界的権威。
無名の学者ではそんな先生と共同研究なんてなかなかできません。
実際、秋篠宮さまがどこまでご自分で研究されたのか疑問です」
実際、ある宮内庁関係者は胸の内を語る。
「 昭和天皇にも学位の話はありましたが、『私の研究は趣味ですから』と
常におっしゃり、 学問に対して謙虚な姿勢を持っていらっしゃった。
しかも公務に差し支えないようにと いうことで、ご研究の範囲も相模湾とか、
那須の御用邸に限られていたほどです。
それが皇族の伝統なのに、どうして突然、博士号なんだ、という感じは
やっぱりしますね」