1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2012/06/10(日) 22:29:14.19 ID:???
前スレくらい貼ろうぜ
3 :
名無し三等兵:2012/06/11(月) 19:02:05.48 ID:???
4 :
名無し三等兵:2012/06/12(火) 18:09:05.39 ID:???
5 :
名無し三等兵:2012/06/13(水) 08:13:19.72 ID:???
朝鮮征伐
6 :
名無し三等兵:2012/06/13(水) 21:50:43.18 ID:???
済州島を占領して、攻めてくる明・朝鮮連合軍を撃退する戦いって駄目か?
自分から攻めないで、戦力の消耗を強いる作戦
7 :
名無し三等兵:2012/06/14(木) 00:13:50.99 ID:???
>>6 慶長の役が半島南部を拠点としたそれに近くね?
8 :
名無し三等兵:2012/06/14(木) 08:27:57.49 ID:???
9 :
名無し三等兵:2012/06/14(木) 15:16:26.94 ID:???
>6
なにをどうすれば、あんな離れ小島が主戦場になるなんていう想定ができるんだ?w
10 :
名無し三等兵:2012/06/14(木) 20:56:17.07 ID:???
>>9 占領すれば朝鮮の宗主国の明が攻めてくるだろうって想像で。
11 :
名無し三等兵:2012/06/15(金) 05:51:54.17 ID:???
アンタ、戦争の目的を忘れてないか
12 :
名無し三等兵:2012/06/15(金) 09:16:28.99 ID:???
済州島ぐらいじゃ、明どころか朝鮮すら本気出して攻めてこないと思うが
それ以上攻めてこないと見れば、見捨てて終了だと
13 :
名無し三等兵:2012/06/15(金) 20:28:51.37 ID:???
朝鮮征伐
14 :
名無し三等兵:2012/06/15(金) 20:59:13.38 ID:???
太閤殿下の世界征服大戦争をそんなショボイ名で呼ぶな
15 :
名無し三等兵:2012/06/16(土) 13:15:43.20 ID:???
>>11 明を征服するつもりなんでしょ?
そのために明軍を「削る」ために立てこもり
>>12 ありゃ? 釣り針の餌(済州島)が悪いか(´・ω・`)
朝鮮(のび太)が宗主国(ジャイアンみたいな性格のドラえもん)
に泣きついて、宗主国としての面子から「奪還してやるアル」って感じで
攻めてくるとばかり。
16 :
名無し三等兵:2012/06/17(日) 08:37:34.70 ID:???
?
17 :
名無し三等兵:2012/06/18(月) 17:38:57.21 ID:???
>>15 明だって半島を延々南端まで行ってのこのこ渡洋し撃滅されには来ない。
積極的に攻めなければ半島防備を固めたり海上補給線の遮断をして策源地と切り離しを図ったりしないか?
斉州島に大軍を長期に渡って駐留させる事が前提になるのか?
なんか疫病が蔓延しそう
18 :
名無し三等兵:2012/06/18(月) 22:03:15.31 ID:???
>>17 そうか、明軍も知恵を使ってくるのか。
朝鮮征伐って、加藤や小西が突っ込んでいったから明・朝鮮は戦争に弱いだけ
だと思っていた。
せいぜい地の利と明の兵士の使い捨てで、質の日本軍を追い返したイメージでした(´・ω・`)
19 :
名無し三等兵:2012/06/19(火) 07:34:50.63 ID:???
朝鮮征伐
20 :
名無し三等兵:2012/06/19(火) 07:54:08.23 ID:???
朝鮮征伐よりも唐入りが目的だったんだが・・・
現にその当時の文書には朝鮮征伐など一回も使われていない
21 :
名無し三等兵:2012/06/19(火) 11:49:30.53 ID:???
あんまり言葉にこだわると、壬辰倭乱みたいな変なことになるぞ
22 :
名無し三等兵:2012/06/19(火) 23:46:04.98 ID:???
大陸の王朝は割と領土に拘ったりしないよ
そもそも各王朝でさえ、領土は一定じゃなかったし
共通点は概ね中原を抑えてるぐらいか
それ以外は結構、侵食されてもスルーする
23 :
名無し三等兵:2012/06/20(水) 21:55:17.16 ID:???
日本史板の朝鮮征伐スレに
変なのが沸いているね
24 :
名無し三等兵:2012/06/22(金) 22:34:12.09 ID:???
まあ朝鮮征伐だったんだけどね。
唐入りの道案内を命じたのに拒否りやがった。
「朝鮮のくせに生意気だぞ」ってジャイアンみたいに。
25 :
名無し三等兵:2012/06/22(金) 22:46:52.02 ID:???
>>24 いや、そのりくつはおかしい。
現状の安全保障体制と長年の同盟国を裏切れとかいきなり従う訳ないよね。
結局、大陸の肥沃な部分にたどり着く前に収穫量のあまり多くない半島で焦土作戦されて足止めされてしまった。
緩衝国家扱いの属国で侵略を攻勢防御してのけたんだから、明(を頂点とする中華世界)の勝利でしょう。
明にとって得るものの無い苦い勝利でしたが、本土を戦場にして荒廃せずに済みましたよね。
26 :
名無し三等兵:2012/06/22(金) 23:06:30.84 ID:???
文禄の役の際の講和交渉も朝鮮の頭越しにやってるしなあ
とはいえ、出仕しなければ成敗するみたいなことも九州征伐の時に言ってたから、朝鮮征伐と呼称しても別に構わないでしょ
結局、家康と対馬の宗氏が朝鮮との修好を求める形で終わってるわけでもあるしね
27 :
名無し三等兵:2012/06/23(土) 04:06:57.50 ID:???
しかし朝鮮王が素直に帰順してたら、それはそれで秀吉も扱いに困ったと思うぞ。
領土の大きさから見ると、徳川氏を遥かに凌ぐ領主になるわけだから
(もしかして秀吉の直轄領より多い?)
藩王位を与えなければならない。
そうすると、関白位の豊臣家と並んでしまい、
すくなくとも九州の大名は朝鮮藩王指揮下の一軍として、朝鮮軍と共に明侵攻の先鋒軍を構成するだろう。
かくして朝鮮藩王は日本国内の一大勢力となって、
秀吉死後、西国における毛利に代わる立場になるかもしれないな
28 :
名無し三等兵:2012/06/23(土) 16:35:12.04 ID:???
>>27 帰順したからと言って、まともに領土保全されるって確証もない
今まで明国の忠犬だった訳だし。
帰順しても下手したら何かと理由と付けて暗殺か幽閉。
よくて、天皇みたいに象徴的な人物として扱われ政治権の一切をはく奪
まともに政治権を与えられても全羅道、忠清南道150万石の領主とかの扱いになって
後は宇喜多、加藤や小西みたいな秀吉子飼いに分け与えらてたかもしれんし
そもそも戦の「い」の字も知らないボンボンに叩き上げの戦国大名が従う訳ない
29 :
名無し三等兵:2012/06/23(土) 19:17:20.36 ID:???
スペインと同盟を結んでその海軍力を利用することが出来れば、海路を採って直接大陸に攻め込むことも出来たんだろうがな
宣教師の中にはそういう構想を抱いていた者もいたと聞くし
まっ、秀吉は伴天連追放令とか服属要求とかで喧嘩売りまくってたから、やっぱ極東におけるトラスカラ部族にはなれなかったかな
30 :
名無し三等兵:2012/06/23(土) 19:20:02.97 ID:???
そりゃ宣教師使って日本征服する計画があるとわかれば、宣教師の存在を許すわけにはいかんわな。
31 :
名無し三等兵:2012/06/23(土) 19:51:47.57 ID:???
>>30 そこは清濁併せ呑むくらいじゃないと、トラスカラ部族にはなれんぞ?
32 :
名無し三等兵:2012/06/23(土) 20:16:29.12 ID:???
>>28 いや、最初は全部保全なんだ。
だけど「大物だし、君が居ないと始まらないよ」で大阪に妻子ともども集められ
・半島で動乱が起きたら→不届き千万、改易
・実務能力が無いのに大阪で重責を担わせる→失政→不届き千万、改易
もし切り抜けられる実力者なら、半島の代官層への浸透で長期戦の構え
そんな感じじゃないのか?
明と大戦争の先鋒にして積極的に磨り潰ししてもいいかも。
史実の半島勢力の惰弱さならあっという間に面目を失い領地削減だな
33 :
名無し三等兵:2012/06/23(土) 23:59:48.78 ID:???
>>31 世界有数の軍事大国が木っ端部族の真似事する必要なんぞないわ
34 :
名無し三等兵:2012/06/24(日) 00:31:27.35 ID:???
>>30 大航海時代〜帝国主義時代に宣教を禁止しなかった国で独立を維持できた国はタイだけだったもんな
35 :
名無し三等兵:2012/06/24(日) 14:38:25.98 ID:???
小村寿太郎も、イロコイ族になれ、って言ってたな
36 :
名無し三等兵:2012/06/24(日) 16:00:58.67 ID:???
戦時中は軟弱なイロコイなんぞけしからんって事でニシキゴイに変えられたりしましたが
37 :
名無し三等兵:2012/06/24(日) 18:11:54.86 ID:???
キリスト教に寛大だった信長だったら、
スペインと軍事同盟を結んでたかもしれんな
38 :
名無し三等兵:2012/06/24(日) 19:26:43.81 ID:???
信長はバテレンに寛大というか上手く利用してたからな
日本側が主導権を握ったうえでの軍事通商同盟も十分有り得る
39 :
名無し三等兵:2012/06/25(月) 08:35:31.60 ID:???
信長は毛唐どもの魂胆を見抜けなかったアホ
言われてるほどの男でもないのよ
40 :
名無し三等兵:2012/06/25(月) 17:32:27.39 ID:???
>>39 というより信長自体はどの宗教に対しても布教の自由を与えるが、
政治への介入はやめろってスタンスだったと思う。
そして信長に対しては布教と商売を前面に出した宣教師たちを
律令制の崩壊以来許認可権を握り、荘園を囲い込み国家財産を掠め取る事に
明け暮れたり、先鋭化して独立国家を形成しようと企んだりしていた仏教勢に対する
カウンターパートとして扱っただけだろ
豊臣政権においては信長の頑張りにより仏教勢力は後退したのでキリスト教不要の情勢となり
更には硝石と奴隷貿易なんてのを辺境大名に自由にさせておくリスクがクローズアップされたので
禁教されたんじゃね?
41 :
名無し三等兵:2012/06/25(月) 20:02:43.28 ID:???
朝鮮で本願寺の顕如が教えを布教して一向一揆を起せば・・・w
42 :
名無し三等兵:2012/06/25(月) 21:35:12.51 ID:???
他力本願や悪人正機の教えが
あの国で正しく広まる気がしない
43 :
名無し三等兵:2012/06/25(月) 22:42:17.56 ID:???
つうか、現代でもヤクザが浄土真宗曲解してるからな
44 :
名無し三等兵:2012/06/26(火) 01:09:00.50 ID:???
>>42 >他力本願や悪人正機
かなりざっくり解説すると、「余計な気遣いで阿弥陀様に迷惑かけちゃダメだから、
ただひたすら阿弥陀様を信じて祈るだけさ」って感じだっけ?
45 :
名無し三等兵:2012/06/26(火) 23:03:29.67 ID:???
信長は普通に法華経だし、キリスト教の教義には興味も無かった様だな
46 :
名無し三等兵:2012/06/27(水) 00:48:26.03 ID:???
キリスト教も嫌いじゃなかったとは思う
ただ、信長は神道には金を使いまくってる。
熱田神宮の信長塀も日本三大壁の一つだからね。
47 :
名無し三等兵:2012/06/27(水) 01:00:03.58 ID:OUk2Oetd
朝鮮征伐は、
人口対20パーセントかつ無論食料消費も多くなる軍人の長期駐留で農業産業はほぼ壊滅体状態になった。
あの時、相当な打撃を受けて当時人口200〜300万のうちのべ年次50〜100万のシナが駐留したから、
そもそも農業生産少ないのに、もう農業生産はほぼ持ってかれたんじゃないか?
基本19世紀に食料消費が壊滅的なら、当時もそうだろ。19世紀確か一人日本の半分くらいの消費ペースだったので
つまり当時200〜300万でその程度で軍人だからその倍は消費できる。するとそもそも自給率100パーセントじゃない農業のうち
ほぼ70パーセントは消費できたと思う。
つまりカロリーペースで7割とかもってけたのさ。こうなるともう終わりだ。
でもれの予想では、
当時まず400万以上は絶対いない(李朝末期で400〜600万 日本が支援して700万以上に短期でなった)
そして推定で当時の殖産や地域からしてほぼ200〜300万程度だったと推定する。
そしてそのもともと飢餓低寿命の人口が農業がとだえると軽く100〜200万には純減できるだろ。
そしてそこに白頭山リセットが発生した
こいつら馬鹿だからおもしろいんだけど、聚楽第の震災をやれ都合のいい天罰だといってくれるが、
当時半島 シナ 日本で大量に地震おきたんだ。そしてその地震は
秀吉、明、半島の 政権、社会代大打撃になった。みんな大打撃になった。まぁ日本はすぐ復旧したがね。
48 :
名無し三等兵:2012/06/27(水) 01:01:51.76 ID:OUk2Oetd
まぁこの白頭山リセットあわせ人口の半分は絶対消し飛ぶレベルになれた。
ところが朝鮮戦争よろしく、この馬鹿あほみたいに増えれるんだよね。
そしてマジでシナ異常に農業生産無視して増えるの。アホなの。
そして支援とかもらうとそれもつかいきって増えるね。異様な無拡大増強主義
頼んでもないのに増える傾向は新でいいね
49 :
名無し三等兵:2012/06/27(水) 19:13:05.56 ID:???
結局、大清の興起を手助けしただけなのかもしれんな…orz
しかし、加藤清正が平安道方面の侵攻を担当していれば、
朝鮮宮廷を捕らえて大清の如く速やかに朝鮮を屈服させることが出来たかもしれんのに、と悔やまれる
それにしても、速戦即決、大清の手際はまことに鮮やかと言うしかないな
50 :
名無し三等兵:2012/06/27(水) 22:16:49.50 ID:???
>49
朝鮮を攻めたのは目的ではなくて過程に過ぎないから。
あくまで太閤さんの目的はあくまで唐入り。朝鮮には平和裏に大陸への道案内だけさせるつもりが
朝鮮宮廷が明に事大していうこと聞かんから、
朝鮮なんかほっぽいといてそのまま大陸へ進撃しても兵站線が維持できんのでしょうがなしに
予定外の朝鮮をまず征伐せんといけなくなったの。
当初日本軍は民衆に解放軍として迎えられとったしその路線で行って朝鮮王室なんぞつぶしてしまえばよかったのに
現地の軍司令官が朝鮮宮廷を皇室と勘違いして保護する方向に行ってしまったから事態が泥沼化したの。
おそらく若い時の太閤さん直卒だったらちゃんと空気読んで行動して李氏朝鮮なんぞ鎧袖一触跡形もなくなってたと思うの。
そのあとのことはしらんけどね。
51 :
名無し三等兵:2012/06/27(水) 22:30:04.24 ID:???
産業革命以前だと、モンゴル帝国が鎌倉幕府や陳朝相手に勝てないくらいきついのが海
海を越えての支配は世界帝国のイギリスやスペインでも割とギリギリ
国力で圧倒した上に核兵器で焼いた日米間ですら現状程度の支配しかできてない
52 :
名無し三等兵:2012/06/28(木) 12:49:58.46 ID:???
大陸の血で血を洗う暴力的政治を理解できなかった
負けた側の王族は親類縁者に至るまで抹殺する
現地司令官を敗死させれば降伏するだろと日本の延長線上で捉えてたんだな
53 :
名無し三等兵:2012/06/28(木) 17:38:55.85 ID:???
>>52 そんなことないよ。前王朝の末裔は捨扶持を与えて墓守とかさせてるよ
始皇帝だって皆殺しになんてしてないから劉邦と項羽に収束するまでに
戦国各国の正当後継を名乗る勢力が雨後の筍のように…
54 :
名無し三等兵:2012/06/28(木) 21:48:29.50 ID:???
>>50 秀吉の許可無く朝鮮王室潰しちゃ駄目だろ、現地住民の支持があっても
55 :
名無し三等兵:2012/07/02(月) 20:19:12.64 ID:???
朝鮮の王族は逃げ足の速い印象があるが捕まえた中に王子2人以外に大物いたっけ?
56 :
名無し三等兵:2012/07/03(火) 16:34:08.07 ID:Q3Ud8IAc
いや、この戦争の理由は明白だよ
もう明白な懲罰戦争で、そもそも明記 明の酋長なんてのが
・モンゴルいなくなったあと、カルト集団を率いて、北京入りする。
・超強い朝貢 、宗主モンゴルにはむかいたい、いや独立したい。
・そうだ、どうせならモンゴル倒した日本に承認してもらって独立。そして帝国になろう
(この時点で非常識で政治制度上支離滅裂。なぜなら明があきらかな制度不成立の新興酋長″曹ナあり
いわば権力を頂戴したいという下位からの要求であり、日本側は希求しない、そして頂戴するのに皇帝しかも買って名乗りするという支離滅裂であり
当時としても今としても支離滅裂)
・承認してもらうのに、あきらかに侵略計画、侵攻威力準備をするという支離滅裂。
しかも日本の内乱状態を利用して、叛乱集団(南)に至近、近接画策という支離滅裂。
いわば介入侵略とその準備。まぁ実際計画もしてたな。
・さらに侵攻準備手段としての倭寇ぶろぱがんだ。までやった
・しかし事前に実質足利に阻まれ、対馬、隼人に阻止され、侵攻計画は中止
(を前みたいな独裁者カスが暴れるなら侵攻して滅ぼすぞと恫喝。)計画中止
・日本とたたかってわならないと警告。そして非常に日本おそれた。
・性懲りもなく、そのブロパガンダを継続
・何とか懐柔しようと策をこらす。
・その間宗主モンゴルにボコボコにされる 属国≠ナ酋長国≠ナ王政制度もとらない非王政なのに£骰曹ニか支離滅裂
(ただし中期になると外交敗北で敗残ニート化)さんざんたる危険な蛮族国
・あまつさえ、海賊ブロパガンダを真に受けて、討伐してみると、信じられないシナ人事態発生。海賊、シナ朝鮮でした。
・その数十年後に会戦、明、朝鮮 懲罰。征伐、
・その関連で、艦隊各種も消滅して、海賊勢力の大半は滅ぶ。
・最後に明残党の海賊が17世紀に消滅する。
以後海賊勢力は大規模縮小して、海賊事態が発生する。
57 :
名無し三等兵:2012/07/03(火) 16:38:21.58 ID:Q3Ud8IAc
失礼
海賊が大きく減る。だった。
で、当時明らかにもう足利もそれしってて、最終的に懲罰、討伐するんだよ。
たとえば明、朝鮮 懲罰時の明酋長と 秀吉比べるとひどいよ。
明
戦費で100万(日本50万)両調達に四苦八苦する。
のに私費で平然と30万(日本15万両)とかつかうめちゃくちゃ。
結果まったく影響あたえないで敗北。
あと歴代首長は
・実力、成果、能力をもたない非独立酋長。 そして未開国集団
・実績、能力もたないから、形だけの、さんこきゅうび礼儀など、形の様相ふるまいだけで酋長とかいう未開な盆主張主義
・大敗して、戦争原因も理解しないで、
自分より権威、能力、実力上の秀吉をおさめようとするとかいう、無礼な能無し。叛乱主義
というキチガイ
58 :
名無し三等兵:2012/07/03(火) 16:41:59.03 ID:Q3Ud8IAc
そして漏れらが秀吉。
・自己保有銀山埋蔵量軽く1000万(明2000万)両とかいうブル
・年間の自己の関連事業の歳出だけで100万(明200万)とか余裕。
・朝鮮 懲罰でつかった費用が軽く100万(明200万)以上だが、軽くやりくり。余裕
・その間私費で軽く50万両(明100万両)以上はつかったが私費はいたまない。
・秀吉が自分でたてた建造物の総量、規模だけで、軽く明の全保有建築(万里除く)の3〜5倍
・軽く明200年は 秀吉20年があっさ、圧倒的にうわまる。
なお財政や私費出費規模では、当時の明+スペインの財出より上。
あとその費用は税以上にほとんど私費である。
という世界最高の金持ちクオリティ。まぁ当時間違いなく
イスパニアのボスの10倍暗い金もってたな。
59 :
名無し三等兵:2012/07/03(火) 16:48:55.70 ID:Q3Ud8IAc
だから、戦争会戦理由は間違いなく、
元寇以降の 明、朝鮮征伐だよ。もうそれいがいに理由がない。
征服なんてのは次点であり、実質は懲罰戦争。
結果、懲罰以外の形も残らなかったしね。
結果、懲罰の功はあったんだから。そして明らかにもうせいごく大名が
まったくシナ、半島の経済価値をみてなかった。
60 :
名無し三等兵:2012/07/03(火) 16:55:44.02 ID:Q3Ud8IAc
というより事変を並べてみればいい。
元寇
第二次元寇
第三次元寇(日本記録なし、対馬の報復征伐)
倭寇ブロパガンダ開始
明酋長の日本進攻計画開始 明・朝鮮の寇
第二次明・朝鮮の寇 報復措置としてプサン南部の割譲
朝鮮の叛乱 割譲地における叛乱。しかも民間人に向かってWKOROGO---問いって朝鮮官が虐殺攻撃、
これが倭寇の正体である。
明による海賊相当 なんとどれもこれもシナ人だとばれる。
日本の安定と、平定促進 朝鮮、明懲罰開始。
まったくわかりやすい話だろ。
61 :
名無し三等兵:2012/07/03(火) 21:39:30.54 ID:???
>>56 >そうだ、どうせならモンゴル倒した日本に承認してもらって独立。そして帝国になろう
本当? そんな史料が残っているのか?(´・ω・`)
62 :
名無し三等兵:2012/07/03(火) 21:52:09.17 ID:???
>>61 皆と一緒の仲間に混ぜて欲しくて仕様がない、頭の中でお花畑を耕している人みたいですから、スルー、スルー
63 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 12:36:57.12 ID:Dp81/RqP
戦国オールスターで総力上げて攻め込んでも
朝鮮すら寸土も切り取れずに敗退。
これが16世紀のジャップの軍事力(笑)
64 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 13:54:56.55 ID:???
秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part7
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1327666002/910-915 910 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2012/06/14(木) 20:08:20.95 ID:8yWJ/LS5
戦国オールスターで攻め込んでこのザマとかジャップショボすぎ
911 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 20:34:46.57 ID:???
西国大名がそこそこ出てった程度のメンツ・規模のどこが戦国オールスターだよw
全球団オールスター&助っ人外人動員しながら、
少数球団に連敗しまくったチョンなんざショボイでは済まされない無様さだぜw
しかも「全球団オールスターのチョン<<<<<越えられない壁<<<<<助っ人外人の明」って時点で恥の上塗り
912 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 20:53:18.09 ID:???
徳川も上杉も前田も伊達も最上も佐竹も一切参戦してない軍勢のどこがオールスターなんだ?w
913 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 21:03:36.66 ID:???
「唐国平定構想」ってどう?
WIKI読むと「唐国征服構想の時系列」のとこで天竺や南蛮(西アジア・ヨーロッパ)とか、凄い構想なんだが・・・
なんか光栄のゲームより面白そうだw
914 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 22:13:22.60 ID:???
西国中心で比較的新興勢力の集まりなのに、なんか必ずオールスター扱いにしたがるのが出てくるよなw
915 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/06/14(木) 23:00:23.96 ID:???
むしろ、唐入りの顔ぶれで日本人が「おおっ!」ってリアクションするほどのメジャー武将は
島津、宇喜多、立花、小早川、小西、加藤、黒田くらいじゃね?
このうち宇喜多、小西、立花、加藤、黒田(息子の方)は当時は若手扱いだし
この4人に限らず、唐入りに参戦した武将の多くは若手か小物ばっかり。
本当にあの時点で歴戦の名将扱いだったのは、島津義弘と小早川隆景くらいだろ。
65 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 14:13:26.93 ID:???
まあ、毛利元就だろうが武田信玄だろうが連合組んで攻め込んでも
当時の日本人に外人の支配統治は難しいだろうし、結局、戦いでは
連戦連勝だけど、明国に到達できないという史実と変わらない展開に
なりそうだが。
そもそも、米に頼り切った軍隊が米が取れない朝鮮中部以北を統治するのには
向いていない。
66 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 15:30:51.18 ID:???
近代ですら日本の朝鮮統治時代って常に慢性的な赤字だったしな。
ましてや近代ほど貨幣経済や産業が発展してない(そして朝鮮にはそんなものすら無い)
当時とあっては尚更統治も征服も不可能だろ。
よく引き合いに出される女真だって、唐入り後の混乱に乗じて
攻め込んでも中国大陸を支配下に治めるまでに何十年もかかってるからね。
大体女真は長城がある代わり、朝鮮なんて不毛地帯最初から通らなくていいしw
67 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 17:46:16.30 ID:???
というか、乾坤一擲で明のみを狙うなら、首都直撃…
明には援蒋ルート無いんだから、刈り取れたかもよ?
68 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 18:40:47.68 ID:???
>>66 明治政府の植民地支配は欧米式の収奪型じゃないから、最初は本国からの持ち出しが続いてたけど、
確か半島を除くほぼ全ての植民地では地域差はあれど後に黒字好転してたんだよね
69 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 19:47:45.23 ID:???
明の領土の一部切り取って征服王朝のひとつに名を刻むのは割に合うか…
70 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 21:48:08.89 ID:???
>>67 朝鮮国境のラインさえ維持出来なかったのにそれ以上の進軍なんて無理に決まってるだろ
李のたった4万相手に大苦戦して泥試合になったんだぞ?
日本からの進軍では20万からの明主力を撃破してさらに難攻不落の長城を突破しないといけない
しかもその間の補給路は険しい朝鮮半島の山岳地帯経由だ
こんなもん当時の技術力ではどんな国でも不可能
71 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 21:54:31.92 ID:???
>>67 首都直撃できたとしてどうするの?皇族捉えることができたとしても、宋のごとく別の皇族から
皇帝立てて、戦争がつづくだけだよ。
72 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 22:53:38.13 ID:???
そもそも
>>66も
>>67も日本からでは長城突破が必要な事を理解してないと思われ
地図くらいは見る習慣付けても損しないと思うぜ
73 :
名無し三等兵:2012/07/04(水) 23:39:17.72 ID:???
74 :
名無し三等兵:2012/07/05(木) 09:52:23.25 ID:???
75 :
名無し三等兵:2012/07/05(木) 18:42:59.30 ID:???
ん、途中収容してくれるはずの大友なんかがとっくに
逃げ出している状態で、よく全滅せず漢城まで帰り
着けたという。
むしろ、精強を謳われていたわけでもない小西勢でこれだから
日本勢、なんぼ強いねんって感じだな。
76 :
名無し三等兵:2012/07/06(金) 14:15:59.13 ID:???
フロイスの記録によると
平壌の日本兵は度重なる戦いで疲弊し鋭利を誇った刀や槍はボロボロだったそうな
それでも来援したばかりの装備の整った明兵相手に苦戦しながらも何度か押し返してるんだよね
小西勢が夜陰に乗じて撤退できたのもこの時粘れたから
77 :
名無し三等兵:2012/07/06(金) 19:55:51.39 ID:???
>>75 へぇ〜日本側はそんなに強いのに1/3の兵力の明の援軍を何で排除出来なかったのかなぁ?
しかも明は無理な追撃に失敗して兵力は半分に減っていたのに
78 :
名無し三等兵:2012/07/06(金) 21:04:07.32 ID:???
碧蹄館の後、明軍はどうしたの?
79 :
名無し三等兵:2012/07/06(金) 21:22:23.22 ID:???
秀吉 対 万暦帝、おひきの宣祖、数合わせのヌルハチが
「首脳会談」するムダヅモパロないかなぁ
80 :
名無し三等兵:2012/07/06(金) 23:47:29.69 ID:???
>>77 戦争は総兵力で上回ってるから勝てるというものでもないだろ
ましてや明軍が朝鮮王朝の全面的な支援を受けられ、後方を脅かされる心配もないのに対し
日本軍は敵地の真っ只中にあり周囲はすべて敵性国民、要所を守るため全土に兵力を分散しなきゃならん
明軍が平壌で勝利できたのも、4万3千人という総兵力の大部分を平壌のみに投入できた結果だからな
81 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 04:06:59.36 ID:???
いや、現代的な感覚で本当に敵性国民だったかというと...?
82 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 06:38:25.94 ID:g9YxzlXu
>>81 そうだね最初のうちは解放軍として迎えてくれたのに宣撫工作に失敗しちゃたね。
やっぱり兵站補給が貧弱で現地挑発に頼らざるを得なかったのが原因かしら。
あんな貧しいやせた土地で現地挑発やったらいかんでしょ。
おかげで戦線背後に残留した(逃げ遅れたともいう)腐れ儒者やら何やらに騙された民衆の義兵とやらに
兵站線を脅かされてあの有様ですよ。
やっぱり若いころの太閤さん自ら出陣してお金やら何やればらまきつつ進軍してゆけば、
朝鮮なんぞあたかも無人の野を進むが如くして唐入りできたと思うのです。
83 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 07:47:44.66 ID:???
起こった事実だけ見ればまんまと焦土作戦にハマった形だからなぁ
狙ってやったとしたら鮮やかすぎる
第二次ポエニ戦争のファビウスも真っ青だ
84 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 08:49:08.16 ID:???
>>83 でも、大陸側も朝鮮半島からの徴発で軍糧を賄ってたんだろ?
日本は海運で運んだらしいが、明から延々陸路での物資輸送とか軌道ない時代じゃ無理じゃね
双方ともに戦火で収穫を期待できない半島で遣り合うとか誰得な…
85 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 08:50:51.91 ID:???
>>78 直接対決を避けてゲリラ戦に徹して日本の兵糧を焼き払うのに成功している
沿岸部の制海権を失ったのに加えてこれによって日本の経戦意欲の喪失が決定的になった
86 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 09:07:06.67 ID:???
明軍の目的は日本軍の明国進入阻止だから
朝鮮の田畑荒らすのも目的に適いそうだな
87 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 11:38:47.46 ID:???
沿岸部の制海権は奪還してなかったか?
88 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 12:06:13.49 ID:???
>>83 朝鮮の収穫高は平時から貧しかった
意図的な戦略じゃないよ
89 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 12:40:40.70 ID:???
>>85 朝鮮側が半島南岸の制海権を握った事なんて無いよ。
文禄の役前半に、李舜臣がヒットアンドアウェイで
日本側支配域に侵攻したというだけで、出撃の度に
拠点の全羅道まで退いているから寸土も奪還できてない。
そもそも、当時は”制海権”なんていう概念はないしな。
90 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 13:25:10.56 ID:???
WIKI見ると、九鬼嘉隆って凄いね、朝鮮の水軍を何度も撃退しているw
でも、慶長の役には参加していない・・・
もう年だったのか(´・ω・‘)
91 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 14:47:58.82 ID:???
>>87 港に立て籠もる戦術で何とか港は守れるようになった
ただし港から離れられないので結局食料の輸送は出来なかった
>>89 南岸ではなく半島沿岸部の制海権
これを失って日本側は船での輸送を断念することになったのが敗因の1つ
92 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 14:57:11.64 ID:???
何言ってんだこいつ
93 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 15:02:44.62 ID:???
>>91 李舜臣の戦術知ってたらそんな発言出てこないはずだが
水城は輸送船を守るためでしょ
日本軍は水陸で共同してから海上輸送の確保が出来たというのに
補給が滞ってたら碧蹄館で勝つことは出来なかった
94 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 15:08:08.05 ID:???
李の水軍は沿岸水軍てこと念頭に入れとこう
95 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 15:11:02.01 ID:???
>>91 制海権って、限られたリソースで頑張ってた李瞬臣すら貶めることになるぞ
96 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 16:48:29.45 ID:???
>>93 海上輸送は確保できていない
その事実すら認められんとはな
97 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 17:05:15.69 ID:???
ソースは?
梨峠の戦いみたいに捏造されたらたまったもんじゃないな
98 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 17:52:09.61 ID:???
>>96 陣地化した沿岸を沿岸水軍の李瞬臣がどうやって日本軍の輸送を阻んだの?
陸から火縄銃乱射してくる状況でだ
認めさせる程の書き込みしてないじゃん君
99 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 19:01:42.46 ID:???
>>97 梨峠の戦いのちゃんとした史料があるなら
北島卍センセイあたりが黙ってる訳ないんだよなw
沿岸水軍って、なんか海兵隊みたいだな
海上保安庁やコーストガードってところかな
そいつらが内紛にも関わらず、脇坂の馬鹿のせいとはいえ、優勢な日本水軍相手に勝ったのは素直に凄い
正規軍相手のガチ勝負で一回とはいえ勝ったのが李舜臣の見せ場なのに、ゲリラみたいな感じで制海権とか言われてもな
日中戦争でまともなぶつかりあいで中国側が唯一勝った百団大戦に近い
102 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 22:28:26.02 ID:xz0BOA1K
しかし朝鮮の造船技術が日本より遥かに上だったのは事実。
亀甲船の記述は日本側にもあるし、フロイスは日本水軍は
大砲を装備した朝鮮水軍に手も足も出なかったと書き残してる。
このことから火砲を作るのに必要な鋳鉄技術も朝鮮の方が遥かに上だった事がわかる。
現実を認めるのはつらいが仕方ない
現実?朝鮮水軍がぼろくそくに負けてばっかりだった現実しかないけど。戦えば勝てないから
ゲリラ戦に徹したのに手も足も出ないw
104 :
名無し三等兵:2012/07/07(土) 22:56:02.56 ID:xz0BOA1K
ちゃんと一次史料を読んだのか?
ネットに転がってるデマコピペじゃダメだぞ
一次資料の原文と出典をご教授ください
煽りじゃなくて、本当に興味あるので
そんなに優秀なら巨済島の海戦で大敗することはなかっただろ
李瞬臣は正面からぶつかると負けると分かってたから小出しにしてたんでね
積載された朝鮮の大砲って二十匁級の大筒だよ?
しかも海上での大砲なんて近代海軍でも数%の命中率なのに
どう見ても、朝鮮の船は沿岸特化で外洋には耐えられそうもないわな
まぁ朝鮮の役ならそれでも良いんだろうが
>>101 >日中戦争でまともなぶつかりあいで中国側が唯一勝った百団大戦に近い
日中戦争でも?江作戦で日本軍が大軍を擁しながら、
中国軍に惨敗して完敗した戦役あるだろw
>>101 >日中戦争でまともなぶつかりあいで中国側が唯一勝った百団大戦に近い
日中戦争でもシ江作戦(湘西会戦)で日本軍が大軍を擁しながら、
中国軍に惨敗して完敗した戦役あるだろw
日本語が不自由な人かW
てか、あれ殆ど米軍の支援爆撃のおかげやんw
>>101 いや、脇坂の手勢は定数で1500人、対する李舜臣の兵力はは6000〜7000人ほどもあるから
数で劣勢の脇坂勢をよってたかってタコ殴りにしたのが閑山島海戦で、九鬼、加藤勢を
足してもまだ日本側が数的に劣勢。
朝鮮半島は無視して、済州島だけ占領して、そこを中継地に上海までジャンプ
した方が、成功の可能性高かったような気がする。
百団大戦は戦果の割に損害が大きすぎたんで、
これ以後八露は日本軍相手の積極的行動は慎むようになったんと違うかったっけ
>>102 明軍の鎧が堅かったという記述は日本側にもフロイスにもあるが
朝鮮水軍が大砲積んでて、造船技術が日本より上で
日本水軍は手も足も出なかったって記述はどこにあんの?
>>117 > 朝鮮軍の大砲「天字銃筒」
海から引き揚げて国宝指定したけど、後で古道具屋の捏造とばれたじゃないか。(笑)
朝鮮の軍船が日本のより頑丈だったのは事実だよ
大鋸や良質な木材が無くて大きい板材が作れなかったから
角材や厚板で作ってたんだもの。日本の軍船よりずっと重くて頑丈になるよ。
と、またチョンが大嘘をついております
そもそもチョンは世界一のアホ民族なので
木を曲げる技術も衣類を染める技術も知らなかった劣等民族なのです(笑)
ヒトモドキは水車を作る事が出来なかったからな
ハイハイ、巣に帰ってね。迷惑だから
まあハングルもチョンの知能があまりにも低すぎて、漢字が覚えられないので
仕方なく作られた副産物だしな
>>123 Λ_Λ / ̄ ̄
< ;`Д´> < あ…
( )ポロ \__
| | | ヽヽ
(__フ_フ =( ´∀`)
>>126 >120は皮肉を言ってるんだから、102とは別人だろw
実際、朝鮮船は角材のジャングルジムを厚板で囲ったようなシロモノだから、
片舷の外板が基本上下3枚の大板で構成され、それを数本の船梁で横強度を
保たせるセミモノコック状の和船に比べれば遙かに頑丈だろうな。
朝鮮船の構造については、金在瑾『亀船』が、唯一の比較的まともな参考図書。
日本語版139pあたりから構造についてふれている。
和船については石井謙治氏の『和船』シリーズが権威。『亀船』でも対比に上げる
日本船のデータについては『和船』から引いてる。
征明朝鮮役に限った事ではないと思うけど、
当時の日本みたいに、普段は外国との戦争が無い国は、
朝鮮、明兵との戦い方や相手の装備などについて雑兵??武将にいたるまで全く知識が無かったと思いますが、
戦役に入る前に日本側全体として、何らかの打ち合わせをしたんでしょうか?
日本側は初戦から 朝鮮兵相手には鎧袖一触だった所を見ると(殆ど苦戦してないですよね?)、
とても初めての相手と戦ったとは思えないのですが。
逆に明兵に関しては情報が少なくて、対抗戦術が確立出来ずに、
平壌以後押し込まれたような感じもしますが、どうでしょうか
それは日本に寄越した使節の副使が「日本は攻めて来ないニダ」とか報告して、その報告を鵜呑みにして国防を怠ったのが原因だろ
明ですら、あまりの雑魚っぷりとボロ負けぶりを疑って援軍を送るのを躊躇してたし
>>128 明に対しても戦闘で押し込まれたというよりは補給に難儀して引き返したって感じだからな。
ただ、日本側の記録では明軍の鎧は非常に頑丈で刀が通じなかったとしてるから
例えば李一族のエリート兵達は歯応えのある強敵と見なしてただろうね。
国内の合戦で例えると
朝鮮軍→地方の農民一揆
明軍→有力大名の正規軍
くらいの認識だったんじゃないかな?
ていうか日本の船ってそもそも輸送用だろ
無知自慢してどうするw
>>101 海保か。それで他国の軍隊に出来る限りの嫌がらせをしたのは凄い
李舜臣の亀甲船
昔、教科書に載っていたヤツってフィクション?
屋根に棘棘が付いていて
船の脇に火縄銃でもぶっ放すんだろうか、穴が開いてたのを記憶している。
イラストはフィクションとも限らない
矢避けに屋根、白兵移乗避けに棘くらいあってもおかしくないとは思う。
が、装甲板が鉄製とか言い出すと途端に胡散臭く…
数年前、忠実に再現してた筈なのに沈んだとか聞いた
エンジンの発明前に鉄張りなんてしたらろくに動けなくなるし、すぐ錆びるからな。鉄甲船も
機動力ほとんどなかったようだし。
屋根のトゲトゲは本当で
装甲が鉄製とかってのは?なのか。
それにしても復元したヤツが沈んだって面白いなw
舷側や屋根を板張りにすると
視界が悪すぎてまともに海上機動できない
弓矢の援護もないと砲手は銃弾に曝され続けるわけだが
どこまで実用的だったのか疑問だな
>>133 亀船の図としてあっちこっちに載ってるのは、朝鮮役から約200年後に
描かれたものだから、朝鮮役当時の李舜臣の亀船の実際の姿は全くと
言っていいほど不明だよ。
でも、それを元に想像復元した亀船の模型を世界各国の博物館に
送りつけちゃうのが南朝鮮クオリティ。
>>133 置かれた状況考えるなら、李が平均以上の良将ってのは正しいかと。
亀甲船とかなんとかでハードに頼るタイプじゃなくて、地の利を活用するタイプ。
末路がクソすぎて笑われるけど、彼以上の仕事ができる人材が朝鮮軍には居ない。
元均あたりの駄目さは、他国ながら読んでて不愉快になる。
>>139 元均が良将かといえばそうでもなかろうけど、そんなに駄目な愚将だったかといえば
そうでもないんじゃないかね。文禄の役緒戦の失態にも関わらず朝鮮朝廷には
引き続き重用されてるから、それはやむを得ない状況だったと判断されてたと思われるし。
どうも、李舜臣賛美のための悪役として実際以上に貶められている感が強いように
思う。
そもそも、元均と李舜臣の仲が悪化したの、李舜臣が元均も参加した海戦の手柄を
李舜臣が独り占めしようとしたのが発端のようだし。
韓国でも見直し論はあるようだけど、まぁ、あぁいう国民性だからおおっぴらには
ならないみたいだけどね。
141 :
140:2012/07/08(日) 22:36:31.35 ID:???
おっと脱字
× 元均と李舜臣の仲が悪化したの
○ 元均と李舜臣の仲が悪化したのも
そりゃいくら朝鮮軍でも骨のある奴の1人か2人くらいはいる
それだけの話
元均は北方の女真と戦ってた人で決して無能というわけではない
当時の武士たちは将軍から兵卒に至るまで百戦錬磨どころの話じゃないレベルだからなぁ
無能とは言えない程度じゃどうしようもない
145 :
名無し三等兵:2012/07/09(月) 00:09:39.07 ID:5v01E9m9
相手が悪かったな
>>144 例えば、使い方もメンテも大変な日本刀を使いこなせる人材が、
末端の足軽クラスにさえゴロゴロしてたくらいだもんなあ
>>144 しかしそんな彼らも半島の地理条件には勝てなかった。
いや、マジで唐入りは軍隊が強いだけでは征服は上手くいかないという好例だよ。
148 :
名無し三等兵:2012/07/09(月) 05:05:29.89 ID:gvaC6QBY
なるほど半島は下から上へ攻めちゃダメ
上から下へ攻めなくちゃって話ですか。
例 下から上:日本VS朝鮮
上から下:清VS朝鮮
>>148 というよりも、道路の向こうが反対できない時期だよ
清の崩壊期の日本とか
五胡十六国時代の日本が半島南部へ伸張した時期も
逆に日本が鎖国政策してるときの大陸王朝とか
双方やる気満々だと面倒
半島の三国時代とか秀吉の唐入りとか
さらになるほど。
スレタイとは関係ないがふと思ったけど高句麗は明らかに道路の向こう側ですな。
大陸に出口塞がれてる半島で大陸側に大国って嫌だよなぁ
放っといても兵力が集中しちゃうから絶対に血みどろの戦いになるし
朝鮮戦争とかも
瓶の蓋状になると削り合いになるね
クリミア戦争もひどかったな
どんな風に酷かったの?
独ソ戦ほどでもないのでは?
ロシアも縦深の長い国土だな
200万を号する明軍と言えども、その大半は中華圏の伝統的な敵である遊牧民と対峙する内陸部に向けられていた
沿岸部から侵攻する日本軍にたちまち対抗できる戦力はせいぜい15万そこそこだと言われている
北京を一機に突けば落とす事は決して不可能ではなかろうが。
ただ、占領を維持するのは難しいのではないの?
占領が長期化すれば、明軍の主力の内陸部の部隊も駆けつけるだろうし
それまでの間の兵站を維持するのも難しい
一気に付けばって、朝鮮と明の国境の山岳地帯を簡単に抜く方法なんてないけど。
さらに長城線もある。北京の山海関は内応がなきゃ堕ちるもんじゃない
ぬるっぱちも山海関落とすのに苦労してたな
156じゃないが、山海関は日本の場合は無理に抜く必要は
ないんじゃないかね。
騎兵主体の遊牧民と違って、日本勢は歩兵主体だから
長城線の適当な部分から迂回浸透すればいいと思うが。
攻城ノウハウは充分持ってるし。
遼東半島を確保して海上からの侵攻を組み合わせれば
なおよし、と。
海上侵攻とかそれこそポルトガルみたいな船作れないと無理っしょ。
倭寇とはワケが違うぞ。
遼東半島−山東半島間は対馬海峡よりずっと狭いんだが。
史実の明の兵站路の逆を取ると言うことだよ。
そこに進出するまでは?
流れの前提が山海閑攻略の是非っつー話だろうに。
読解力サッパリ無いのなw
164 :
163:2012/07/09(月) 23:24:02.91 ID:???
をっと。
×閑 ○関
閑話休題
浸透戦術か
長城のような冗長な城壁は多点突破されたら脆いと思うんだけど
チンギスハンもそうやって落としたし
小田原城を落とせなかったのに長城落とせんのか?
小田原攻めは初めから強襲するつもりがなかっただろ
ていうか大陸の要塞の防御力>日本の城なの前提かよ
なんで強襲するつもりがなかったと言いきれるんだ。
山中城は強襲してるだろうよ。
したくてもできなかった可能性があるだろ。
小田原城の総構を越えられないのに長城が簡単に越えられると考える根拠は
なんだよ。明兵がヘタレなら余裕か。
城郭と長城なら後者の方が破るのは楽でしょ
長城は敷設する長さを優先せざるを得ないから、城壁に厚みを持たせる余裕がなくなる
例えばコンスタンティノープルのテオドシウスの城壁の方は長さが短くて済むから、
城壁にかなりの厚みを持たせる余裕ができたし
まあ現実には長城以前に半島を通過できずに終わったけどな
密集陣形を大陸の軍が好むのは、逃走防止もあるからなあ
戦意が高く、逃げるところが無い日本の軍は散兵で戦えるのはでかい
東北部から攻め込んで山海関を迂回するってのは非現実的過ぎ
補給路を遮断され放題になるし
人口希薄地帯での長距離行軍を強いられて大軍の移動は不可能だし
ちなみに捕まった日本兵って悲惨?
鉄炮を撃ったり、製造したりする技術があればそこそこ
そうでなければ推して知るべし
>>175 慶長の役で捕虜になった何十人かの日本兵が北京で陵遅刑にされました。
ぶっちゃけ戦国の気風が残ってた日本より明の方が
遥かにエグいこと平気でやってたってお話。
日清戦争でも相変わらずだから、生きて虜囚の辱めをなんたらってマニュアル化までされた
ていうか、旧日本軍で生きて(ryなんてマニュアルが出来たのは
半分くらいは中国人のせいだってことはもっと広く知られるべき。
四川省まで旅をした降倭兵
>>174 熱河作戦に続く関内作戦で関東軍は長城線に平行する形で
北京に迫ってるから、秀吉軍もそうしたと思うぞ。
兵站負荷は近代兵器の弾薬や燃料補給の必要がない秀吉軍の
方が当然軽いだろうし。
山海関が難攻不落で、それ以外は大軍の行動不可能だから
関内侵攻不能ってのは単なる中華的思いこみでないの。
>>172 史実では文禄の役時点で半島はフリー通行状態だったけどな。w
第2軍は半島を通過してオランカイまで攻め入ってるし、第1軍も
あえて平壌で停止していたわけだが。
凌遅刑にされたのもいるのか・・・
まあ明はとんでもない兵力失ってるもんなぁ
復讐したくもなる
7年間で10万人とか、、清代に書かれた記録とはいえ
ヌルハチは朝鮮の戦況を悉に情報収集してたはずでね
>>182 敵が雑魚くても兵站が持たなきゃ進めないっしょ
征伐って朝廷の敵をやっつける時に使う用語だったはずなのだが・・・
日本語が変な使われ方され始めたなぁ。
征夷大将軍と同じようなもんだよ
元々は文字通り、蝦夷征伐の将軍を指す用語だったのが、それがいつの間にか・・・
>>185 朝廷権威を背景とした「関白」豊臣秀吉の侵攻計画ですよ。
関白の存命中なら当然朝敵じゃないですか
征伐という字を使うには、総大将が皇子とか皇族でなければならんのんじゃないか?
朝廷とは関係ない者が攻めて行くなら侵攻or侵略w
>>187 征夷大将軍の夷は蝦夷じゃなくて東夷(あずまえびす)=東国の武士だろう。
そもそも日本人が東夷の一つだし
は?
東夷の意味は都より東に住んでる蛮族という軽蔑語だろう。
>>189 187ですが征夷大将軍に関する記述はありませんよ?
そしてそのアンカ先もスレタイに含まれる「征伐」という単語に関してだけ…
×都より東に住んでる蛮族
○中原より東に住んでる蛮族
>>193 中国の話と日本での話しを混ぜるなよ。
ややこしい。
こちらは日本での話しをしている。
wikiには「征東」が「征夷」に変更になったと書いてあるな。
ゆうこと聞かんバカを懲らしめに行くんだから征伐でおk(あくまでこちら的にはだけど)。
だから元寇もモンゴル的には日本征伐でおk。
ただし朝鮮が言うのは身の程知らずの思い上がり。
何を言ってるかじゃなくて誰が言ってるかで判断する頭の悪い奴っているよね
あ、誤爆
だから何だよ
いい加減スレチだって気づけ馬鹿
そもそも当時の秀吉は関白じゃねぇし
205 :
名無し三等兵:2012/07/13(金) 15:57:33.97 ID:ghto4VoC
マジレスすると
“秀吉のじっちゃんはおれに指揮を任せておけばテキトーに後日、日本領になってたはず”
206 :
名無し三等兵:2012/07/14(土) 10:37:53.09 ID:iOF5tcNU
碧蹄館の戦いも稜山の戦いも数の差で勝っただけだし
そもそも明軍との戦いはどれも戦略的には敗北に等しいよな。
>>206 大戦略から蹉跌だらけですよ。
なんせ政治的混迷から明は出兵しないだろうという分析が最初にあってな…
本当に半島に明が投入したリソースは莫大で、半島での焦土作戦ベースでないと
明も失血死したんじゃないか?
そういえば、中華世界の覇権のために幾らでも自国民の屍を重ねられるという事実を
知らないマッカーサーが後に同じ目に遭ってますね。
(あのときのUSAなら超時空太閤と違って領土的野心もないしNuke大攻勢でコミーを焼き払えた筈なのに…)
>>206 お前フラッと現れては日本は弱いだ雑魚だと書き込んでいくよな
日本史板、世界史板、軍事板、掛け持ってボコられてご苦労さん
因みに碧蹄館は先鋒の立花隊3000が明の先鋒7000に勝ってるだろ
碧蹄館は明軍二万対日本軍四万でしょ
よく読めバカ
先鋒同士の戦闘だろ
だから全体としては結局数の差で勝ったに過ぎないでしょ。
しかも戦略的には敗北してるし
お前が言い出したこと全然間違ってるもん
収容された立花とソウルから来た毛利や小早川、宇喜多勢の一部を加えて2万
実際に戦闘に参加したのは同数
後の2万は後詰として前線に出なかったんだよ
おまえいつもこのスレで粘着しては敗退するよな
日本勢を半島から追い落とすのに失敗してるのは明も同じ
215 :
名無し三等兵:2012/07/15(日) 13:40:10.30 ID:MjJb6AWn
>>214 リンク先でその(笑)に論破されまくってるお前らは何なん?w
話題がif話だからどうとでも言える
どちらが攻めてくるのか戦場はどこかでも有利不利は違ってくるし
歴史的事実が叩き台になってないから
単に本で読んだこと開陳したいだけの人がわーわー言うだけのスレに意味ない
まあ、でも水軍と義兵により補給線寸断されて
面はおろか線の支配すらままならないというお粗末な結果だったよね
朝鮮水軍はたいして役に立ってなかったろ? たまに日本側を破ることはあっても、日本側の後方連絡線は、終戦まで維持されてたよ。
それに義兵って……最初のうちは蜂起した奴隷が日本側について、戸籍とか焼いていたよね?
民兵が組織されても、最初のうちは罪人として処罰の対象になってたし、それを言ったら李舜臣も投獄されてた。
補給が寸断されてたから餓死者続出したし
義兵との戦闘でなんども負けてるし
釜山から前線までの補給線だな問題は
ちょっと待て。
碧蹄館の後に明軍が漢城の食糧庫襲ったのを除いて
各地から敗残兵が集結してた全羅道除いて義兵が活躍した例ってあったか?
全羅道と関連して第1次晋州城戦くらいだな
義兵義兵うるさいけど普通に朝鮮軍として編入されてたりするし
ベトナム戦争の北ベトナム解放戦線のような組織が延々戦ってたわけじゃねーぞ
じゃあなんで兵站がズダボロになって漢城も放棄して一気に最南端まで押し戻されてるの?
>>218 どういうキチガイじみた理解をしているんだ?
明軍も正面切った戦闘でズタボロにされて講和になったな
227 :
名無し:2012/07/15(日) 19:44:15.87 ID:Zp17QAB1
>>226 日本軍から和睦してきたんだからわざわざ戦うまでもないでしょ?
>>222 釜山から漢城への兵站線の一つである洛東江は義兵で使えないとある
>>228 李如松が万暦帝に偽の講和文書送ったのはなぜだ?
明軍の前線ももう戦いたくないという意思の表れでわ?
>>222 >>229 義兵がベトコンばりの活躍で日本を打ち破ったとか
これまたベトナムばりの義兵の活躍と焦土作戦で補給線をズダボロにしたというより
日本側もそういう随所の義兵の掃討がメインになり
エリートの李一族を打ち破ったとはいえ、追撃する余裕がなく
戦線が膠着したと見るのが自然だと思うんだが違うかな?
文字通り戦闘で負けて押し戻されたりゲリラにぼこられて撤退ってわけでもないからなあ。
ベトコンも似たようなもんだが
碧蹄館の戦いの後、一気に押し戻されてるだろ。
明軍は碧蹄館の後は平壌から出て来なかったよ
第2次晋州城攻略戦で朝鮮軍が援軍の使者再三送ってんのに
講和協議中と言っては無視してたし
攻め込んだときに
゜ω゜)っ????
捕まえた朝鮮人を宮刑にしておけば良かった
>>234 漢城の兵糧襲って日本軍撤退させてるやん
>>224 普通に明軍の活躍でしょ?
ちなみに補給に苦しんでいたのは明軍も一緒で、本国から海路で補給を受けてるよ。
歴史的な事実に、願望のバイアスを交えないようお願いする。
そりゃそのままそっくり朝鮮大勝利論者に返すわw
240 :
名無し三等兵:2012/07/16(月) 02:05:25.95 ID:MXdJStN/
ていうか慶長の役だって全羅道侵攻した後、すぐ放棄して沿岸の倭城に籠もりきってたじゃん。
予定では全羅道を平定するのが第一段階だったんでしょ?
それすら戦線維持出来ずに放棄してるじゃん。
しかも最初の蔚山城の戦いは、諸将が命令違反して
(後にこの件で石田三成に讒言されてる)持ち場離れて
救援しにいかなきゃヤバかったくらい大ピンチだったし
その後はこれまた無能な軍監に却下されたけど、戦線を放棄して撤退を進言する武将が後を立たなかった。
何が予定通りだよ。ウィキペの記事書いた奴馬鹿じゃね?
全体的に英語版の記事と全然違うし
>>240 どういう認識してんだ?君、全然間違ってるじゃん。
>それすら戦線維持出来ずに放棄してるじゃん。
未掃討だった全羅道に進撃した後に戻って、慶尚道を基本とする占領地を拡張するのは既定の指示。
>蔚山城の戦いは、諸将が命令違反して(後にこの件で石田三成に讒言されてる)持ち場離れて救援
救援も既定路線、島津や小西は目付から救援不要の指示が出ているし、東側の諸将が救援することも目付の指示。讒言はその後の追撃不十分によるもの。
>>236 それは講和前の話しでしょ
恣意的な書き込みで混乱させるなよ
兵糧は大軍でもって襲ったんじゃないからね
そんなことしたら漢城の日本軍と衝突するじゃないか
なんか自分のプライドのために事実を針小棒大に捻じ曲げて食い下がる奴がいるな
>>241 更に補足すると讒言したのは三成じゃない件
>>240 wikiなんて信用する方が馬鹿じゃん。
検証性のみで真実は問わんのんだから、どこかの本に書いてあったんだろう。
>>240 ヒント:英語版の記事では日本語版以上に要出典タグが多く、しかも平気でドラマや電波小説をソースにしてる。
韓国人が書いてるからな
中国人の間違いだろう。
嘘も百回言えば真実だけは阻止するべきである。
>>248 中国人は唐入りについて無関心だから韓国人で間違いないだろ
日明戦争
英語版WIKIの記述が酷いのは、劣等感の強い英米在住のチョンが
書いているから?
>251
いーや。日本史や東アジア史に基本的な素養のない欧米人になら、
幾らでも出鱈目なウリナラ史観を吹き込めると踏んでいるxx協会の謀略です。
円覚寺の托鉢僧を自称する(自称)米国籍コリアンの偽坊主と話した時に、ついゲロりやがりました。
>>250 中国人の元寇と唐入りに対する認識は
元寇→殆ど戦う前に台風で沈んだよ。
唐入り→明軍が日本軍を圧倒したよ
っていう、まあ一般的な日本の教科書レベルって感じだからな。
日本人でもこういう認識の人は未だに多いからな。
??
中国人の元寇に対する考えは、「あれはモンゴルと日本の戦いで中国の戦争では
ない」だろう。
>>246 英語版は、ソースを細かくチェックすると吉
KBSの本や、韓国語版ブリタニカがソースになっている場合は無視すればいいお
しかし英語版wikiは、
イギリスの日本学者、スティーブン・ターンブル(StephenTurnbull)氏の本も多用されているんで、
信頼できる記事も多かったりする
じつは日本語版だと、
文禄の役で非常に重要な戦い、日本軍が負けた「平壌の戦い」の記事自体が存在していないんで、
細かくチェックしている海外の人なら、日本語版の方を信用しないと思われ
Turnbullも、かなりいい加減な記述は多いようだから
鵜呑みはできんと思うが。
>>254 チンギスハーンは中国の英雄だとハッキリ言う連中だからそれはない
今のモンゴルは中国ではないのに
ほんとに馬鹿な奴らだ
>>258 いや、内蒙古は中国領なんだが。チベット、ウィグルと同じな。
旧ソ連の衛星国だった外蒙古が今のモンゴル。
チャンコロとチョンの馬鹿っぷりは世界でも突出してるってのがよく分かるわ
>>252 >円覚寺の托鉢僧を自称する(自称)米国籍コリアンの偽坊主
なにその人物w 凄く気になる(´・ω・‘)
普通の韓国人だろ?
(自称)愛国家で、同好の士である市民団体(笑)を主催する、朝鮮国籍で……時には土台人の……右翼活動家を装う、暴力団組長とか。
「愛国心はならず者の言い逃れ」
ですらなく
「愛国心は、反社会勢力に属する外国人の商売」
だもんなぁ
アルカイダのメンバーが、アメリカで全米ライフル協会を始めるようなものだ
それにホイホイ金を出す馬鹿がたくさんいるからなあ、良い商売だ
出さなきゃテロるけど何か?
明や朝鮮の軍隊って、基本的にやる気が無いよな。士気が低いと言っても良い
だからすぐに、日本軍に小勢でも圧倒されてしまう
自分から突撃する日本の方が世界的に変態
日本の武士は基本的にガキの頃から訓練されてる職業軍人だけど、
同じくガキの頃から訓練されてる騎士の士気や勇猛さはどうなんだろうねえ?
日本の強みは個々の意識が高いのと、異国すぎて逃げ場が無いから散兵による浸透戦術が取れる
もし、明や朝鮮の正規兵でそれやろうとすると、散兵にした段階で半分以上逃げてしまう
歩兵でも騎兵でも良いが、突撃の衝力というのは中々侮れない物がある
西洋の徹底した密集陣形とフリントロック式マスケットを備えた戦列歩兵さえ
ナポレオンの縦隊突撃の前に遅れを取る事が多かった
近代でも、抜刀隊の活躍などがあるしな
まして、西洋ほど徹底して密集している訳でもない明軍では、武士達の突撃を
受け切る事など不可能だったのだろうな
騎士の場合、宗教による制約と、稲作と麦作の生産量の差による絶対数の少なさで、
特殊化が進みやがては進化の袋小路に至った
>>272 え?「戦う人」である貴族、騎士はWW1でみんなドイツ人にミンチにされただけだろ
>>269 欧州の貴族は戦っても死ぬことは少なかったからどこか呑気というか
アジャンクールでは英軍傭兵が仏軍貴族を片っ端から殺したんで近代までイギリスは野蛮視されていた
>>273 尖頭弾の威力を甘く見過ぎてたな
中世の戦闘の記録の大概は騎士2,3人に従者10人ぐらいしかいないし、死人もめったにでない。
歴史で語られるような戦闘は例外だわ。
そりゃまぁ、向こうは国王から貴族、騎士階級までなにがしかの
親類縁者で、いわば身内同士の喧嘩みたいなもんだからなぁ。
身代金のやりとりで済んでしまう。
下の兄弟の教科書を開いたら
朝鮮征伐が「朝鮮侵略」になっていたw
耳塚も中学の時、残虐さの象徴として教わったし(後に戦没者への供養と知り驚いたw)。
あまりにも、学者の研究と教科書の内容が乖離してないか?
>>278 いや、侵略なのは間違いないよ。半島は道路扱いで本命が大陸だが・・・
あと、耳塚自体は供養だが、耳は実績確認の首級の代用だからそれだけ屠ったのも事実
残虐かとかはわかんねーけど
朝鮮征伐も朝鮮侵略も間違いで、唐入りでOK
朝鮮側の呼び方だって倭乱とかだし、立場によって言葉は変わる
意気込みはともかく、城ひとつ攻めたわけでもなし「唐入り」じゃ恥ずかしいから朝鮮○○と呼んでるんだろ
フジ一押しの東野圭吾ドラマが、低視聴率&原作者からの猛抗議で
袋叩きに!?- サイゾーウーマン(2012年8月16日)
フジテレビ系ドラマ『東野圭吾ミステリーズ』の視聴率が伸び悩んでいる。
第1話の完成披露舞台挨拶で、中井貴一が「これだけのキャストがいて面白くない
はずがない。視聴率が悪かったら、もうドラマは作らない方がいい」と大見得を
きったことが話題になったが、フタを開ければ初回こそ11.3%(ビデオリサーチ調べ、
関東地区/以下同)と2桁台であるものの、その後は7.8%、8.8%と決して好調とは
いえない数字を連発していた。しかし、伸び悩む視聴率以上に、フジ内には不穏な
空気が漂っているのだという。
豪華主演陣の影響もあってか、中井は「面白くなかったら東野さんの原作のせい」と
まで話していたのだった。
「ところが東野氏が実際に放送を見て、『自分の名前をタイトルに使ってほしくない』と、
フジ側に抗議しているというんです。『放送時間内に話を無理やり詰め込んでいるから
内容も薄く、原作と比べても出来が非常に良くない』と周囲にも話しているようですね。
今後は、続編はおろか、同枠で東野氏の原作ドラマを放送させることも難しくなるかも
知れません」(テレビ局関係者)
小学館から発行されている保守系の雑誌SAPIO(サピオ)は、最近はあまり売れずに
赤字だそうだが、小林よしのりの出来損ないの皇室漫画を掲載し続けるならば、
さらに販売部数は落ち込み、遠からず廃刊の憂き目に遭うのではないだろうかと
推測する。wwwwwwwwww
http://blog-imgs-44.fc2.com/k/o/r/koramu2/20100530090612613.jpg 小林よしのりのヒット作をパチンコ化した『CRパチンコおぼっちゃまくん』
小林と反日在日勢力との密接な繋がりを指摘する声は少なくない。wwwwww
発行部数激減中のSAPIOで(小林よしのり)や自称ジャーナリストwwwの極左
活動家(安田浩一)などを使い、フジTVデモや不買運動はネトウヨの仕業などと
誹謗中傷し、在日朝鮮人や河本擁護記事を書いた小学館が発行している
主なクズ雑誌ですwwww
DIME BE-PAL サライ 週刊ポスト 女性セブン SAPIO
CANCAN AneCan Oggi Domani Precious
和樂 美的 SAKURA サンデーシリーズ コロコロシリーズ
IKKI スピリッツ スペリオール ビッグコミック ショウコミ
893 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2012/05/27(日) 19:51:13.38 ID:LZD6kp5WP
在日特権とは日本政府からの在日朝鮮人への優遇措置のことである。
簡単に紹介。
・生活保護優遇
月額最低17万円無償で支給。在日朝鮮人64万人中46万人が無職。
なお仕事を持っていても給付対象から外されることはない
・国民年金全額免除(“掛け金無し”で年金『受給』が可能)
・保険診療内の医療費は全額タダ(通院費も全額支給)
・市営交通無料乗車券給与
・仮名口座可(脱税の温床)
・上下水道基本料金免除
・JRの定期券割引
・NHK全額免除
・特別永住資格(外国籍のまま子々孫々とも日本に永住できる)
・公文書への通名使用可(在日隠蔽権獲得)
・公務員就職の一般職制限撤廃
・永住資格所有者の優先帰化
・公営住宅への優先入居権
・外国籍のまま公務員就職
・犯罪防止指紋捺印廃止
・朝鮮学校、韓国学校の保護者へ年間数十万円の補助金援助(所得に関係なく全額補助)
・大学センター試験へ韓国語の導入(朝鮮語受験者への異常な優遇)
・民族学校卒業者の無審査公私高校受験資格付与
・競争率の低い帰国子女枠で有利に進学可能
・朝鮮大学校卒業者の司法試験1次試験免除
・民族学校卒業者の大検免除
つまり、一世帯あたりに無償で600万円がプレゼントされる制度。
それによって在日朝鮮人64万人中46万人が自称無職である。
反日在日朝鮮人を日本から叩き出しましょう
一般向けの戦国時代関連の本は朝鮮征伐関連のテキトーさは異常ww
小和田センセとかww
>>278 >あまりにも、学者の研究と教科書の内容が乖離してないか?
いやその逆で、まさに日本の朝鮮史学の主流派の主張通りなのが
今の教科書なんだよ。
元々史学者は左系が多いけど、朝鮮史学になると費用韓国政府持ちの
委託研究とかいった餌を貰った擁韓御用学者がごまんと居る。
教科書に朝鮮出兵に代えて”朝鮮侵略”と記載させることに成功した
北島万次がその筆頭だな。
北島卍の本で抗日義兵闘争とか書いてあって図書館で本気で噴いてまわりの連中から見られたのは良い思い出
>>285 朝鮮征伐本フリークとしては、一家言あるんですね
>>286 >委託研究とかいった餌を貰った擁韓御用学者がごまんと居る。
>北島万次がその筆頭だな。
学者さんって自分が専門とする学問の前では、学問的真実のみに価値を
置いている人だとばかり思っていたが、お金で転ぶものなのか・・・
北島ってのが侵略って変えちゃったのね、国定も変だが検定もすごw
北島に至っては日韓併合と秀吉の侵攻を一緒に考えちゃうおバカさんだし
>>289 原発や東電関を連見てりゃ判るだろ>お金で転ぶ
地震の被害予想報道って在日韓国人を追い出す為の策略だったんですねw
朝鮮征伐
一応日本史上初めての敵国首都攻略だったりもする
上陸から3週間というかなりのハイペース
今史実に忠実にドラマ化すれば結構人気でるかもよ
三韓征伐は?
日本軍はあの時代の朝鮮半島の勢力争いの中では
あくまでも脇役の援軍(助っ人)扱い
だから日本軍主体の首都攻略はありえない
韓国側の解釈ではこうなる
広開土王碑では、新羅王都を倭軍がきっちり占領してる訳だが。
安羅はその文脈では出てこないから倭軍単独侵攻だろ。
広開土王碑が韓国人に爆破される日もそう遠くないな
日本に韓国よりも優れたものがあることが気に入らないという理由で
法隆寺も放火されそうだ
>>298 日帝による改竄(笑)説が完全否定されたもんだから今度は
「倭とは一般的な海洋民を指す言葉でこの倭人は日本とは一切関係ない」
って説唱えてますよw
>>299 爆破したら、2,3年後には歴史をしっかりと塗り替えてるだろうな
テコンドーが空手の源流とか言ってるのと一緒でさ
朝鮮に昔はテコンドーなる武道が存在しないって知ってる戦前世代が居ても、
そんなのお構い無に、空手が逆にパクったんだって強弁出来るだからさ。
広開土王碑は現中国領にあるのがまだ幸いだな
朝鮮に都合の良い改竄からは免れる
高句麗って朝鮮固有の王朝というより数ある北方遊牧民族の一つだろ
大陸勢力の代表として日本相手に朝鮮半島で陣取りゲームをやってた
そのパワーバランスが崩れたのが中国の南北朝が統一されたあたりか
広開土王碑にある倭というのは、韓半島南部の勢力であって
今の日本とは関係ないよ
今の日本と関係ないってのも根拠薄弱なんだよね
なんで「渡海」という表現になるのか
普通に考えれば日本列島から渡海してきたと考えるほうが自然
朝鮮半島南部に倭の勢力があったを否定できなくなって
それを必死に日本列島の勢力と切り離そうとする悪あがきのようなものを感じる
戦前の日本も皇国史観以外は弾圧されたから、それを今韓国が繰り返しているだけ
>>304の言い分なら、半島南端の倭人勢力が、百済・新羅を征服し、
満州から半島北部までを領する高句麗とガチバトルを繰り広げて
いたことになるな。
倭人スゴスギだな。
>>306 明治にはには実証史学の徒で、史料的にあやふやなものは皇国史観的なものでもバッサリ切って回った
「抹殺博士」重野安繹とかいたわけだが
>>308 いたけど潰されたじゃん
個人的には結果として『大日本史料』が史料集になったのは正解だと思うけど
ガレー船に大砲を何門も積めたのかな
せいぜい船の前後に小型砲を一門づつ置けた程度だったと思う
ヨーロッパにも亀甲船みたいな例は無いだろう
311 :
名無し三等兵:2012/09/08(土) 05:18:53.07 ID:4oZbHWiP
くだらん知識書いてないで、働けニート
そりゃガレー船って元々機動力で衝角ぶつけるための船だし
砲撃は帆船の方が主だろ
舷側はオールと干渉するから機動力とトレードオフになるんじゃないか
>舷側はオールと干渉するから機動力とトレードオフになるんじゃないか
それを解決した上に、衝角も付いてないのに体当たりで日本船を
尽く撃沈破したのが李舜臣の創案による無敵戦艦亀船だな。(棒
亀甲船を記録通りに再現したら動かなかったし、亀甲船が沈めたとされる船は無事日本に
帰港してる。しょせんん朝鮮ファンタジーの船だ
欧米でも亀甲船の存在は事実として認定されてるよ
『1001の出来事でわかる世界史』(ナショナルジオグラフィック)より
日本が朝鮮を侵略 1592年
豊臣秀吉が政権を握っていた日本は、1592年、朝鮮を侵略すべく出兵する。
日本は版図の拡大をもくろみ、中国をもその視野に入れていた。秀吉は、
まず朝鮮に協力を求めるが、拒絶される。中国明朝からの援軍に加え、水軍の
将、李舜臣が世界初の鉄板装甲船、亀甲船を開発するなど、朝鮮は技術的に
進んでいた。日本で文禄・慶長の役と呼ぶこの朝鮮侵略は、秀吉の死去により、l
1598年に終わりを告げる。
>世界初の鉄板装甲船
馬鹿チェッカーだな。
>世界初の鉄板装甲船
それ信長の鉄甲船だよ
馬鹿チョンがまたパクっただけ
信長の鉄甲船も資料の裏づけが曖昧
信長公記とフロイスの記述で不足なんか
実際に信長艦隊を見た人が資料をいくつか残しているが、
搭載されていた大砲の事には触れているけれども
装甲が施されていたとは記述されていないはず
最初に鉄甲船を作ったのは信長ではなく秀吉
信長の鉄甲船はそれに言及した史料があるけれど、
他方の朝鮮鉄甲船は裏付け史料皆無だからな。
>>320 その解釈はともかく”多門院日記”もしらずにウンチクたれてるのか。
323 :
322:2012/09/08(土) 20:13:10.65 ID:???
あぁ、スマン誤読した。オルガンチノの方だけの話ね。
今に亀甲船の構造を記した資料は伝わってるけど、そのとおりに再現するとひっくり返るんだよね
>>322 そんな坊さんの伝聞資料に価値は無いよ
記述されてる船の寸法も現実離れし過ぎだし
しかし、朝鮮役で秀吉が鉄張り船を造ったということは、いきなり独創したのでない限りは
先行事例があるはずで、それらしいのはやはり信長の鉄甲船しかないだろうと思うが。
弓について詳しい人居ないか?
ある掲示板で韓国人の主張が分からない。
朝鮮の弓は角弓で、片箭を使用しての照準射撃が可能な有效射程距離が250~300mだと。
唯一靖国に現存する実戦用の弓を基準にしろと言ったのだが、あれも角弓と同じだってさ。
朝鮮征伐の時、和弓の射程に劣っていた朝鮮弓だろ?
どうやって分からせたら良いと思う?
>>327 李氏朝鮮は安定的な牛角の入手に失敗しているよ。
王朝で何度も議論して、中国から輸入して増やせとか、水牛はどうか?全羅道ならなんとか行くのでは・・・
何度も試行錯誤をしたが根づくかなくっていつも少数の輸入頼み。財政難で数も揃わず・・・
数を揃えて戦争に供与する程ではなかった。
詳しく書いてあったのは、なんて論文だったかな・・・
>>328 おお、早速のレスありがとう!
水牛で作られたのが角弓で、水牛の代わりに牛や鹿などが使われていたと言ってる。
実戦用の弓もこれらの類いだったと主張している。
有効射程350mってのは世界最強とされるトルコ弓でも無理。
李氏朝鮮時代の武官の射候の距離がが約145mなので、
良い弓を使っても有効射程はせいぜいそんなもの。
朝鮮役の実際の戦場では、一般兵の矢は100mも飛んで
いないことが朝鮮史料(懲録)に出てくる。
でも、韓国人は妄想の中で生きてるから理解させるのは
不可能だろうな。
331 :
330:2012/09/09(日) 22:49:58.55 ID:???
>有効射程350mってのは世界最強とされるトルコ弓でも無理。
あ、うろ覚えでなんか加減なことを書いた。トルコ弓は征矢で
有効射程400mだったわ。訂正。
>>329 牛や鹿じゃ長さが足りなくてまともに代用にならんだろ。ちなみに李氏朝鮮は
日本から水牛角やその代用の鯨髭を輸入してるんだけどね。
あれ和弓も射程400mくらい無かったか
弓の最大射程と有効射程の違いってなんだっけ?
>>333 和弓の場合は、江戸時代の弓術書なんかでは遠矢が3町を
安定的に飛ばすのを目安にしてるから約330mくらい。
で、最大射程は遠矢を使っての曲射で届く距最長離で、
いいんだろうけど、有効射程は平射か曲射か、何をもって
有効とするかで違いはあるね。
朝鮮みたいに甲無しか、せいぜいで綿甲・紙甲の相手に対する
有効射と、日本のように雑兵クラスでも一般的に甲をつけてる場合の
有効とは違うから。
>英国の長弓(180メートル)
さすが名にし負う英国の長弓はまさに桁外れだなw
337 :
335:2012/09/10(月) 14:44:07.94 ID:???
ちと訂正
× 遠矢を使っての曲射で届く距最長離で
○ 遠矢用の軽い矢を使っての曲射で届く最長距離で
シムラー、弦長、弦長!
もののけ姫で首飛ばしてたけど現実に可能なのか
李氏朝鮮は人類初のミサイル兵器「神機箭」で明軍10万を撃滅してるんだろ
さぁ……
朝鮮の役で、朝鮮が炸裂弾(榴弾)を使った事にしてる、お馬鹿な小説は読んだ事がある。
連中の歴史は、希望・願望・渇望で塗り潰された混沌だから、何があったことに成っても驚かない。
343 :
天天:2012/09/16(日) 18:58:02.08 ID:???
>>342 アメリカの歴史娯楽番組だと既に事実として取り上げられてる
他にもミッドウェー海戦を扱った番組で「日本が海戦で負けたのは
イスンシン提督以来のことである」とか言ってたし
自己主張は大事だぜ
ま、国際的には、朝鮮人の”嘘も百回言えば〜”なんていう性癖に対する
予備知識なんて無いからな。
秀吉=ナポレオン
イスンシン=ネルソン
日本を海上戦で終始圧倒したのは人類史上韓国だけだよ
事実は、慶長の役緒戦で朝鮮水軍ほぼ壊滅、
終戦の際に李舜臣返り討ちだけどな。
内外に敵を抱えながら、李舜臣はよく頑張ったけど、武将として一番重要な最後で失敗した
少々無能だろうが残虐だろうが、最後が潔ければ能力以上の評価が貰えるのが武官なのに、アレは無いわ
最期だって薬屋の倅を退却させてしまった上に銃弾を食らって死ぬんだもんな
ぶっちゃけ戦争にもなんら寄与してな(ry
>>348 死の間際前後は割と美談が多いのに、後世では少なくとも軍事面は完全に無能扱いの三成さんをディスらないであげて。
露梁海戦はトラファルガーにも例えられる歴史的戦勝なり
李舜臣提督はネルソンに比肩するといえよう
なんか北島卍先生がいらっしゃるなぁ
353 :
名無し三等兵:2012/09/21(金) 13:11:26.04 ID:zSoY9S0z
イスンシン、イスンシン、イスンシン…
他に武将はおらんのか?
李舜臣帝国はマケドニアにおけるアレクサンドロス大王、
フランスにおけるナポレオンのように1000年に一度の傑出した英雄なので
他の武将がある程度かすむのは仕方が無いんだよ、察してやれ
李舜臣なんか正直ウンコレベルなんだけど・・・
日本の教科書の記述の扱いだと
イスンシン>>>ネルソン>>>東郷平八郎()
の現実が見えないのかね?
日本の教科書にはイスンシンなんか載ってないから
358 :
名無し三等兵:2012/09/21(金) 19:10:12.11 ID:OhXRnG+T
>>356 ×日本の教科書の記述の扱いだと
○日本の朝鮮学校の教科書の記述の扱いだと
朝鮮史限定でも李舜臣より高句麗の乙支文徳、新羅の金ユ信、高麗の姜邯賛のほうが
名将だと思うがどうだろう
金ユ信は伽耶国の金海金氏の一族で倭人とも関わりが深いという
その勇猛さは倭人の遺伝子を強く受け継いでいたからだろう
塩乗津彦命と首露王は同一人物
>>359 高句麗は中国の1地方政権だし
三韓は絶滅して、今のチョンはモンゴル帝国時代に悉くモンゴル人にレイプされた子孫だから
全然なにも関係ない
海戦では勝った側の提督が流れ弾で死ぬことは非常によくある事
それで日本が勝っていたと主張する恥ずかしさ・・・
味方の解囲と撤退援護という目的達成してるから勝ちなんでしょ
それは李舜臣が生きてても変わらない
初期に朝鮮水軍が日本水軍に勝つことができた理由として、
秀吉は天下統一前後から、政治的政策のため水軍を軽減していて弱体化していたこと。
そもそも海戦の予定はなかったこと。
日本船は戦闘艦ではなく小型の輸送船だったこと。
朝鮮水軍にとって地の利をえているホームグラウンドで有利だったこと。
しかし、日本水軍が陸上防衛に移りはじめたら、朝鮮水軍は損害が増え始め活動は鈍った。
慶長でも巨済島海戦では朝鮮水軍は壊滅、鳴梁で少数の先鋒には勝利したが、
後続の強大な日本水軍の前に逃走して朝鮮水軍基地も攻撃され、島も占領された。
順天戦でも朝鮮水軍は敗退している。
李舜臣は、大局に影響を与えない輸送船相手に戦術的勝利を初期にあげていたのが実相。
>>363 李舜臣は流れ弾じゃなくて、薩摩兵の集中射受けて死んじまったけどな。
韓国人は、ウリナラ名将が日本兵に意図的にに討ち取られたというのは
どうにも我慢ならないらしく、晋州城の金時敏なんかも流れ弾で死んだことに
なってるな。
火縄銃程度の有効射程で流れ弾に当たって死亡なんてそう起こるもんじゃない
海上で狙撃されたんだよ
狙撃でも流れ弾による被弾でも敵兵の銃撃により戦死した事に変わりないがなw
元史料には弾に当たって死んだとしか書いてないけど、それを
韓国人は”流れ弾によって”と脚色して書き換える訳さ。
韓国人にとっては重大なことなんだろう。
日本人の感覚からすれば、流れ弾に当たって死ぬというのは
犬死にとか迂闊とか、あまり肯定的なイメージではないんだが。
犬死のイスンシンざまあ(笑)
こんなのが英雄ってんだから(笑)
露梁海戦は朝鮮側の戦術的勝利だっけ
日本側にかなりの損害が出たけど
何隻やられたとか何人死んだとかはわからない。一方で
勝者である朝鮮軍の最高指揮官と明軍の副司令官が戦死している
ヘタレ李舜臣を始めとして、?英男、方コ龍、高コ?、明のケ子? など AやB等級の武将10〜30ぐらいが戦死
それに比べ日本軍の武将の戦死はなし
これのどこが勝利(笑)
日本軍を補足し切れずに撤退を許してる時点でお察し
封建領主の寄り合い所帯と中央集権国家の軍との戦い
というと十字軍を思い出すが、あの時はヨーロッパ側の
領主が多数戦死したり捕虜になってる
朝鮮の役での日本側の大名の戦死が少なすぎる
>>373 しかも日本側は正規水軍じゃないからさ
卑怯な協定無視に急遽対応するために、殆どが輸送船で戦ってる。
急ごしらえ日本輸送船団10,000〜最大17,000名 VS 水軍総力を結集した明・朝鮮20,000〜最大27,000名
結果明軍は副指令、朝鮮軍は軍神wが輸送船団に返り討ちにされ
寡兵で、かつ楯板すらない剥き出しの輸送船で戦った方は、指揮官に死者はまたしてもゼロ
現代風に言うと
武装したバラ積、コンテナ船団で、自分達の倍近い数を誇る巡洋艦や戦艦と戦って痛み分け
バラ積、コンテナ船団の指揮官に死者は出なかったが
敵方戦艦の副司令官2名を戦死に追い込む快挙。
全然トラファルガーになってないじゃん
戦術的勝利も戦略的勝利も怪しいし、むしろ負けか
ネルソンは戦死したもののトラファルガー海戦でフランスによるイギリス本土侵攻を阻止したもんな
一方、、、
ネルソンが海上戦でナポレオンに攻撃をかけて返り討ちにされたようなもの
ありえな〜い
>>378 まあ将校級をひとりも討ち取れず、むざむざと本国へ帰還させてしまった上に
チョン国らの武将はどんどん戦死したからな
これじゃあ完敗じゃん(笑)
>>380 ナポレオンどころか鹿児島って言う田舎の地方領主の乗る
輸送船相手に協定無視して襲いかかって逆に返り討ちにあった
別に李瞬臣を貶める訳じゃ無いけどさ
過剰に褒め称えすぎなんだよな。
脇坂安治とは何だったのか
韓国では文武知勇の最強武将らしいぞ
李舜臣のことを最高に憎み愛した男らしいw
四百年のちのツンデレである。
陸でも海でも朝鮮に勝ちまくった凄い人じゃん
韓国でイスンシンの引き立て役(良きライバル?)扱いなのも解る
大半の日本人はその存在すら知らないけどね
まあ最も活躍できた戦いが朝鮮役というのは不運だったな
一般には朝鮮での武功はスルーされる傾向にあるから、
七本槍と関ヶ原の寝返りくらいしか印象に残らないという
佐藤和夫著「水軍の日本史 下: 蒙古襲来〜朝鮮出兵まで」(原書房)によると、
露梁海戦は日本側の一方的な敗北で
島津は200隻を失い命からがら撤退・李舜臣は世界史において
ネルソンや東郷を越える名将という評価だ
又、朝鮮の役で李舜臣が出た戦いはほとんど全てが日本側の惨敗
(もしくは朝鮮軍を怖れて戦闘回避)という結果に終わったようだ
>>388 佐藤和夫って歴史群像「北条時宗」で元寇の軍事分析やってた人だろ
朝鮮役関連ではそんな偏った文章書いてたのか?今度読んで確かめてみるわ
どうせチョンから金をもらってんだろ
吉田清治みたいな売国奴がいるから驚かんよ
>>389 左傾朝鮮史学者とお友達らしい。『水軍の日本史』のあとがきには
貫井正之の案内で南朝鮮取材旅行に出かけたと書いてあって、
思わず(ノ∀`)アチャーという感じだったわ。
392 :
391:2012/09/26(水) 18:39:52.56 ID:???
ちなみに、朝鮮役の描写全般は、そんなにトンデモというわけではないけれど、
視点は明らかに中立ではなく朝鮮側に立っての記述になっている。
この辺は、あとがきで北島万治、藤木久志の著作について、一方的な視野からでは
ない客観的・冷静な描写、とか賞賛してるのでさもありなん。
でも、さすがにこれはどうよ、と思ったのが、
『東郷平八郎元帥は、イギリスで「日本のネルソン」の賛辞に対し、ネルソンはともかく、
李舜臣の足元に遠く及ぶものではない、と挨拶したという。』 317P
と、例のガセを韓国人の著作を出典に事実として書いてることだな。
そうそうたるめんばあだなぁ(棒)
日本史学は左が多すぎる
戦後マッカーサーというドアホが右寄りを全部追い出したからな
皇国史観w
>>392 著作で「朝鮮侵略」「壬辰倭乱」「丁酉倭乱」「倭軍」
なんて呼称を堂々と使ってる北島が一方的でなく「客観的・冷静」だと思ってるのかww
佐藤さんもそっちに引き込まれちゃった方なのね・・・
しかし、マジで現代の学者連中は徳富蘇峰か池内宏あたりに一喝されてほしいわw
>>389 佐藤和夫の元寇分析は糞だった記憶があるわ。
元寇を明確に日本側の勝利だという論文書いたのは
佐藤鉄太郎氏の方だね
>>397 そもそも日本が勝つときは、難癖付けたり恨みがましく書いたりして
朝鮮が勝つときを描写する時は、筆が踊るなんて連中だから
あるあるそういう風潮
「空虚なる出兵」に「これが日本でもてはやされる碧蹄館の戦いである」
なんて書かれてて著者の意地の悪さにびっくりしたわ
,,r-─- 、r-─- 、
/_______ \
/ キンタマ命 \
.} ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ
{ ノ =≡=-、 ,r=≡=i
| / `ー=・-、 (r=・-'(
ノ {ヽ ノ / | ヽ l
ノ ノヽ/ ,、_) ノ (Jリーグを応援しちゃ)いかんのか?
.フ | ゙i 「 ト /
) | ヽ \二=- ノ
`ゝ.| ヾ /
|  ̄ ̄ ̄,
>>400 恐ろしいことに本人は中立だと思ってるんだよな
まだ差別主義者を自認して差別してる嫌韓厨の方が救いがある。
朝鮮征伐
韓国人は自覚のない差別主義者だなwww
朝鮮役の明軍と外交を研究した本を読みたい
408 :
www:2012/10/01(月) 03:42:46.15 ID:???
409 :
www:2012/10/01(月) 03:43:27.36 ID:???
■通訳、大人の付き添いなしで家に上がる
2012年9月11日、2ちゃんねるに、新潟県立新潟中央高等学校の生徒と見られる人物が
「韓国修学旅行に行きたくない」と書き込んだ。
生徒や保護者から提供された情報によると、旅行期間は10月16日から19日の
3泊4日。旅行の内容は、「6、7人の班行動でソウル市内の一般家庭で食事をご馳走になる」
「通訳も大人の付き添いもなく一般家庭に高校生だけでお邪魔する」というものらしい。
新潟中央高校は元女子高で、いまだに学生の大半を女子が占めている。修学旅行に行く
2年生は男子5人に対し女子338人だ。そうした事情もあり、旅行の内容を見た
2ちゃんねらーは「性犯罪の多い韓国に、女子の多い学校が修学旅行に行くのはどうなのか」
「日韓関係の悪化している時期に旅行に行くなんて…」などと疑問の声を上げている。
新潟中央高校に問い合わせたところ、生徒が一般家庭を訪問する「ホームビジット」
という企画は確かに行う予定だという。訪問する家は韓国政府の公的な部局に紹介して
もらったもので、それぞれのグループに携帯電話を持たせる、訪問先の人に生徒の
宿泊先から送迎してもらう、引率の教員が各家庭を巡回するということで安全対策を
取るとしている。
〒951-8126 新潟市中央区学校町通2番町5317番地の1 (反日日教組)
電話 (025)2二9-21九1
FAX (0五5)2二9-2201
e-mail mailto:
[email protected]
410 :
www:2012/10/01(月) 03:43:58.10 ID:???
韓国、土地不正購入疑惑で捜査へ 李大統領めぐり特別検察官
2012/09/21【共同通信】
韓国で李明博大統領が退任後に住む私邸用の土地購入をめぐる不正疑惑が問題となり、
李大統領は21日、臨時閣議を開き特別検察官による疑惑捜査を受け入れる
ことを決定した。
疑惑は、ソウル市内の土地購入に当たり李大統領が長男の名義を不正に使用し、
大統領府が購入資金の一部を肩代わりしたとするもの。国会が3日、特別検察官による
捜査のための「特別検事法」を賛成多数で可決した。 大統領が拒否権を行使し
国会審議のやり直しを求めるとの見方も出ていたが、与党セヌリ党は大統領選党候補の
朴槿恵元代表のイメージダウンにもつながりかねないため、受け入れるよう求めていた。
http://blog-imgs-44.fc2.com/d/e/l/deliciousicecoffee/20120921212002ce8.jpg おいでおいでしてるwwwww
第15代大統領 「金大中」
光州事件の首謀者として無期懲役の判決。息子3人を含む親族5人が
金がらみの不正事件
第16代大統領 「盧武鉉」
韓国経済や外交を破綻に追い込んだ終身名誉お笑い芸人。
退任1年後、収賄 国家反逆罪でまもなく逮捕といわれている時期に自宅裏山の
岩崖から投身自殺を図り、頭部を強打するなどして3時間後に死去。
第17代大統領 「李明博」
国会議員の実兄秘書が逮捕済み。夫人のいとこも逮捕済み。
本人も土地不正購入の疑惑事件の渦中に。
自殺方法は未定wwww竹島の崖からダイブがイイかもwww
名前欄にまで草生やしてるバカが涌いたな。
まともに調べれば
朝鮮水軍が特別に優れてたとか、李瞬臣が神がかってたとか一切ない
ごく普通の東アジアの水軍に、自軍の身の程を知った優秀な指揮官が
艦隊決戦をなるべく避けて、輸送船を襲ったり、必死にゲリラ戦をしかけてただけ
朝鮮水軍があの時できることとしては満点に近いけど。
ゲーム的には水軍Aの統率70後半って感じ
Sは無いし80代も厳しいけど、海戦では滅茶苦茶重宝するタイプで家宝ブーストするか悩むところ
>>412 正規の水軍同士でやる場合は、鳴梁海戦を除いて、常に戦力を集中して
日本側の数倍の兵力でやってるから、実に手堅い用兵だね。その条件でなら、
下手打ってもまず負けようがないから。
でも、露梁は実に相手が悪かった。それまでの小領主軍じゃないし、先鋒同士で
比べれば兵力もほぼイーブンだし。
来週NHKで文禄・慶長の役やるね。
村井章介がゲストだから、朝鮮水軍の活躍により日本軍は敗退したとか
いいそうだけど。
やる前から予想できるから見ない^^
徳川も引っ張り出して三次四次とじゃんじゃん仕掛けた場合、明と日本はどっちが先に破綻する?
>>415 つうか、今週のも酷かったよあれ
秀吉の朝鮮侵略の尻拭いをどんだけ家康が頑張ったかを延々と流す内容
解説してる先生の顔と声が死んでたから、原稿読まされてる感がまた
朝鮮人に乗っ取られた犬HKがまともな事を流すわけがないやんけ
碧蹄館の戦いとか三路の戦いとか明軍が総力を挙げて大敗した戦いは
無視されるんだろうな。
第一次蔚山城の戦いは日本軍が餓えてる絵だけをトリミングして
日本軍が蔚山城の戦いで大勝したことは無視されるんだろうな。
無視される方に1万円懸けれる自信あるわ。
両論併記的な作りになりそう
初期の快進撃と碧蹄館〜三路の戦いまでの勝利と
日本軍が義兵の活動によって補給が苦しかったとか
まあ親中韓のNHKのことだから後者を大々的にクローズアップしそうだけど
苦労したのは石田とか寺沢とか実際に撤退の実務に当たった
諸将だろ。寺沢なんか撤退支援の戦闘にまで参加してるし。
家康なんか朝鮮へ行ってないから、一体どんな苦労したってんだ?
渡海した武将らの辛苦は想像を絶するもんだったんだぞ
さすがは朝鮮テレビ局だな
さっさと潰れてしまえ
この前見たけど「家康が明と朝鮮との和平を望んだ」とまるで両国との修繕を望んだように
言ってたけど、実際のところは「明との貿易を望む家康は属国の朝鮮と和平することに
よって朝鮮が明との仲介となることを望んだ」というのが正しいじゃない?
明との和平が主で朝鮮が従だということを明確にしないと。
あの番組の言い方だと家康の最終目標が「朝鮮との和平」みたいだ。
>>423 親戚の失言のせいで諸将に八つ当たりされた三成カワイソス
>>424 戦争始めるよりも後始末のほうが大変というお話
自ら交渉しに行ったわけでもないのに、そんなもん屁みたいなもん
現場至上主義
番組では交渉は秀吉が暴れたのにスムーズに進行した、家康の手腕すげえ!ってなってたけど。
秀吉が暴れたから軍事力の背景により交渉が進んだとしか思えないんだけどな。
後金の活動が活発になったからというのもあるな
>>430 それあるよな。
あと、文禄・慶長の役があったから朝鮮も徳川家の代替わりに通信使を送って
徳川家の顔色を窺い続けなければならなかった。
文禄・慶長の役が無くて、中華帝国の属国としての小中華思想に凝り固まっていた朝鮮が
代替わりに冊封体制外の野蛮国とされる日本に挨拶来るなどちょっと考えられないな。
朝鮮の役がなければ鎖国していなかった可能性はそれなりに高い
豊臣政権が存続してればともかく、農本主義の徳川が政権取ってれば
どのみち一緒だろ。
長袖の国と侮ってた朝鮮すら征服出来なかった癖に何言ってるんだこの現代の侍ことネトウヨは
侍は最弱だから仕方ない
437の脳内では徳川は重商主義だったりするのかw
>>435 秀吉が長袖の国と侮っていたのは朝鮮じゃなくて明な。
朝鮮通信使が日本に来るのは文禄・慶長の役によって朝鮮が日本を畏れているからというのは
当時の日本の庶民の常識なんだな。
リチャード・コックス『イギリス商館長日記』
「ある人々(それは庶民であるが)は、朝鮮通信使が来たのは臣従の礼を表し、貢物を献上するためで、
もしそうしないと将軍は再び彼らに対して戦争を仕掛けたであろうと噂している」
家康が重商主義だったら
その次の代で徳川の時代は終了してた
>>440 貢物しなかったら攻められるって思い込みはシナの属国だったせい?
>>441 家康にしろ対外貿易を考え始めたのは、秀吉の死後に
ようやくだけどな。
国賊 孫正義 あおぞら銀行転売問題
あおぞら銀行とは、1998年に経営不振により3兆円もの税金が投入されて再建した
日債銀の事です。つまり実質経国営化されたという事です。
そして、そのあおぞら銀行が再び民営化するに当たり、2000年にその株式の大半を
引き受けたのがソフトバンクでした。 3兆の税金投入があったにもかかわらず
購入額はわずか10億円。
しかし、3兆円もの税金を投入しようやく再建しようとした
あおぞら銀行を、2003年にソフトバンクはこともあろうか海外のハゲタカファンドに
そのまま転売します。これは完全に国家に対する裏切り行為。 しかも、引き受けから
転売まではわずか3年にも満たず、これは完全に最初から海外に転売することを
見越して引き受けたことは明らかです。
これでソフトバンクが得た売却益は500億円。 この500億円は全てブロードバンド
事業の赤字補填につぎ込まれ、消えてしまいます。
一体、つぎ込まれた3兆円はなんなのでしょうか。 日債銀はその性質上、国策企業と
して無くすべからざる銀行であったため、政府は3兆円の巨費を投入しました。
しかし、それが今では海外ファンドの傘下となって普通銀行として営業しています。
100億の義捐金なんて屁みたいなモン この朝鮮詐欺師wwww
>>440 小泉が北朝鮮に行ったときも、将軍様の御威光を畏れているからというのが
当時の北朝鮮の庶民の常識だったそうだが。同じようなもんだな
全く違うだろう。
小泉のはパフォーマンス。
朝鮮のはマジで日本にビビってたのと後金が恐かったから。
で、庶民にプロパガンダを流したのは一緒だろ
>>448 代替わりのたびに使者送ったりしないけど?
バカサヨ頭おかしいの?
北朝鮮の庶民≠イギリス人商館長
ぜんぜん違うよ馬鹿
>>453 国語どころか日本語も読めない馬鹿だったのかw
>リチャード・コックス『イギリス商館長日記』
>「ある人々(それは庶民であるが)は、朝鮮通信使が来たのは臣従の礼を表し、貢物を献上するためで、
>もしそうしないと将軍は再び彼らに対して戦争を仕掛けたであろうと噂している」
スマン!!
バカは俺だった
>>412 ゲリラは正規軍や大軍を相手にまともに戦ってはいけないのが戦争の原則だ
露梁の海戦はそのやってはいけない典型例のひとつだ
>>450 まず、朝鮮通信使はプロパガンダとかじゃない。
なんかどっちもわざとズレた事言ってるのかと疑いたくなるお二人さんだな
昨日、NHKでやってた「文禄・慶長の役」の予言が全部当たってたわ。
慶長の役では蔚山城の戦いだけ取り上げて、日本軍全体が餓えていたような
印象操作はするわ、蔚山城の戦いで日本軍が圧勝したことに触れないわ。
どうなってるんだ?NHKは。
420 :名無し三等兵:2012/10/05(金) 13:31:07.05 ID:???
碧蹄館の戦いとか三路の戦いとか明軍が総力を挙げて大敗した戦いは
無視されるんだろうな。
第一次蔚山城の戦いは日本軍が餓えてる絵だけをトリミングして
日本軍が蔚山城の戦いで大勝したことは無視されるんだろうな。
無視される方に1万円懸けれる自信あるわ。
無敗の提督李舜臣率いる亀甲船艦隊が補給を途絶えさせ明朝鮮軍や義兵も盛強で、今度はソウルも陥落させられずに秀吉の無謀な侵略は終わったのだ!
って事にしたい連中が作ってるから見なくてもおおかたの予想はつくなw
領土的な野心から他国を侵略した悪い秀吉、和平を望んだ良い家康(笑)
NHKなんか金払ってまで見る価値ないよ
NHKは規模と速報性で災害の時には重宝するんだがな
教育テレビ関係の連中は極左なのかな
NHK教育は左遷先だからね
組合の影響も強いし
領土的な野心というか、冊封体制の打破だな
東アジアのレジウムチェンジを行おうとした壮挙と言えよう
>>460 秀次事件とかは叩かれてもしゃーないにしても、最近妙に
「秀吉の政策は秀吉や奉行衆に富を集中させる苛政のオンパレードで
諸大名や民衆やキリシタンにとっては粛清に怯え貧困に喘ぐ暗黒時代だった!」
みたいな事言う奴がネットで増えてるが、どうなんだろうね
何年も戦争続ければそうなるだろう
>諸大名や民衆やキリシタンにとっては粛清に怯え貧困に喘ぐ暗黒時代だった!」
その後の徳川時代はもっと苛烈なキリシタン政策をやったのだが
それを叩かないのはマスゴミがチョンに乗っ取られてる為
いや、秀次一族の粛清なんかは非難されても仕方ないとしても
例えば太閤検地とか刀狩りとかそういう割とマトモな政策すら
否定的な書き方されることが多いじゃん最近。なんか妙だと思うんだよなあ。
太閤検地とか刀狩りは実際にはそれ程特筆するものではないという論調かな
秀吉の白眉は信長死去時、120万石程度の武将でしかなかったのに
そこから10年もしない内に天下統一した事だろ
これほどの偉業はアホには到底できないからな
>>468 それならまだいい。
むしろ「太閤検地により諸大名や農民は苦しむことになった」
みたいなこと平気で書く奴が後を絶たない
子供の頃、教育テレビで刀狩に否定的なのを学校で見せられた
武器を奪われて、これから政治に不満があったらオラたちどうすればいいんだって論調
テロリストかよ、撫で斬りにされろよって思った
>>470 大名は求められる軍役が、農民は年貢が高くなったから事実とは言える
複数に重複した権利関係を解消したという大きな利点もあるけど
日本の石高をハッキリさせたり荘園制度を終わらせたりで
意義は色々とあった
>>470 というか江戸幕府の政策自体、割と豊臣政権を引き継いでるものもあるのに
片方は賞賛されて片方は否定されるとかわけがわからないよ。
476 :
名無し三等兵:2012/10/16(火) 03:41:42.58 ID:hDTjvd3v
何このキモいコテ・・・
軍板の有名人だろw
>局地戦勝利ばっかし挙げてもつまらんよ。鳴梁海戦、露梁海戦も
>結局負けたんじゃに。
鳴梁海戦こそ日本軍先鋒を叩いただけの局地的勝利に過ぎないし
露梁海戦にしたって戦略目標を達成したのは日本側
アホかこいつはw
内容が無いから、気持ち悪い語り口でキャラ立てしてんのか
481 :
名無し三等兵:2012/10/16(火) 13:34:32.00 ID:Q1DkoiNV
いま、南米に南米人の純粋種は存在しません。
白人種との混血種だけです。
アルゼンチンやウルグアイでは、先住民族がほぼ完ぺきに抹殺されてしまいました。
このエリアの女性たちは、手当たりしだい強姦されたあげく、子を産む前に殺戮されたのです。
ですから、いま住んでいるのは、ほぼ白人種です。
ブラジル、エクアドル、ペルー、ボリビアは、全員が、先住民族との混血です。
純血腫はいません。
強姦され、放置され、子を産み、いまに至っています。
日本も支那も朝鮮も、それぞれに純血種を保ちながら、いまに至っています。
なぜそうなったかといえば、秀吉たちが、スペインと真っ向から戦う姿勢を明確に見せたためです。
ちなみに、慶長の役は、秀吉の死去にともなって、中止となり、日本は朝鮮半島から撤収しました。
だから、これは秀吉の気まぐれでおきた戦争だというのは、大きな間違いです。
半島に出兵した大名たちは、それぞれに真剣に戦ったのです。
ではなぜ日本が撤収したか。
こたえは簡単です。
スペイン自体が、英国やオランダに押されて、国力を低下させ、もはや東亜に構っていられなくなったのです。
わたしたちは、いま、スペインという世界最強の大帝国に対し、一歩も退かず、むしろ臣従せよと迫った秀吉の壮大な気宇と誇りを、いまこそ見習うべきときにきているのではないでしょうか
わざわざ隔離施設にいるホモ朝鮮牛引っ張り出すなバカ
>>481 単純に頭数の差だよ
狩猟民族は人数が少ないので殺されると立ち直れない
農耕民族はいっぱい殺されても立ち直れる
先の大戦で300万人死んだけど絶滅して無いでしょ
484 :
名無し三等兵:2012/10/16(火) 18:22:07.79 ID:gSEgZHAj
へうげものの甥
へうげものの甥
へうげものの甥
485 :
名無し三等兵:2012/10/16(火) 19:24:11.17 ID:bmv0igK9
朝鮮半島に歴史的建造物が少ないのは
秀吉が全部燃やしたからだ
>>485 日本と比べるから少なく見える
他と比べなさい
>>485 歴代王朝による史跡の破壊などを無視か?
よく韓国人が、日本が朝鮮の宝物を略奪したと言うが。
日本になければ、そうした宝物が残っていたか、実に怪しいものだ
実際、朝鮮半島には、ほとんど残っていない
釜山の町を整備したり、ハゲ山に植林したりしました。
ソウルには文化財の世界遺産があるが東京には皆無だ
これが両国の文化レベルの違いだ
>>489 朝鮮戦争でほとんどのものが焼け野原になったソウルに、そんなものがあるとは初耳だな
>>489 日本の都市は東京だけなのか?
京都・奈良は思い浮かばんのか
アホと違うかこのクソチョンは
死ねよボケ!!!!!
そもそも東京が街になったのは
1600年以降だし大空襲も受けてるしね
神戸や横浜、札幌は更に新らしいし
ソウルは現代的な経済力と規模、そして古くからの文化財を
併せ持った最強都市だ。欧州ではパリがこれに匹敵する
京都・奈良は経済力・規模でソウルに及ばず、東京は文化力でソウルに及ばない
日本にソウル以上の都市は存在しない
百年以上の歴史を持つ会社の九割が日本に集中している。
千数百年の歴史をもつ金剛組など最たるものだ
これほど古くからの伝承がなされてきた国は、日本以外に存在しないよ
この世のウジ虫チョン死ね!!! この世のウジ虫チョン死ね!!!この世のウジ虫チョン死ね!!!
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ま、ソウルは、ンコまみれという点では、ハイヒール発祥の地パリと
いい勝負かもしれんね。
>>497 ウンコまみれだったけど
ウンコを避けるハイヒールを生み出したパリ市民と
ウンコを愛飲し食事に活用した朝鮮民族とじゃまた違うと思う
どうでしょう?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1309906282/704- 704 :日本@名無史さん:2012/10/28(日) 01:03:25.54
明の負けっぷりには誇張が多そうだ。
あんなに負けたら普通軍が瓦解する。
705 :日本@名無史さん:2012/10/28(日) 04:32:02.90
対女真の転用部隊が大敗した事はあるけど
明の本軍が壊滅した記録なんてあったっけ?
李朝軍はどの侵攻路でも木っ端微塵に粉砕されてるけど
706 :日本@名無史さん:2012/10/28(日) 06:35:43.09
>>700 国境の遥か外の僻地に建てられた和城なんか無理に落す必要も無かろ
対北方の李家の精鋭が明の主力と言えるんじゃないの
明の軍政は昔から北元問題をどうするかが課題だったし
明が滅んだのも北方を支え切れなくなったからだろ
中国の兵隊はすぐ逃げちゃうから負け戦でも実際は記録ほど死んでない
また李朝を救援に来たのは装備もろくに整ってないしすぐ略奪強姦をはじめるろくでなしどもと李朝の記録にある
朝鮮軍よりは手ごわかったらしいけどな
>>502 明国で李家より強い軍隊を持ってるのって
ほとんど居ないんじゃないの?居たとしても麻貴の居る麻家ぐらいじゃないの
実際に日本側も李如松か部下の祖承訓が来るまでは
戦闘と言っていいのか疑わしくなるぐらいの圧勝続きだったし
朝鮮兵との戦いより国内での国人衆との争いや農民一揆の方が遥かに手強かっただろう
>李朝を救援に来たのは装備もろくに整ってないしすぐをはじめるろくでなしどもと李朝の記録にある
でも、実際に略奪強姦をやっていたのは李朝軍だったニダ
逃げた後素直に明軍の陣営に戻ってきたのかも怪しい
匪賊化したのが朝鮮で略奪を繰り返した可能性が高い
日本軍も治安維持に苦労してる
武闘派のイメージが強いが肥後の一揆鎮圧前は意外と一軍を率いた経験が無い
加藤清正や小西行長達子飼い武将が簡単に連戦連勝出来るレベルだからなあ。
>>507 加藤も小西もそして福島もそうだけど
軍を率いるという実戦経験が乏しい
そりゃ激戦区の秀吉子飼いの中で頭角を現した
エリートであることには変わりはないけどさ。
小西の居た一番隊は小西以外は大きな大名はいなかったけど
二番隊は加藤隊と言うよりは、石高と実践の豊富さ実力から
鍋島隊と言ったほうがいいぐらい
そもそも福島正則は唐入りでも後方支援担当だったし
奉行の一人として中央で雑事をこなしたりとポジション的には
武闘派というよりは、むしろ石田三成や浅野長政などに近い人だったよ。
それだけに特に恨む理由になるような出来事は無かったのに
清正と一緒に三成襲撃した理由がようわからん。
文句なしの一軍メンバーって小早川と島津、鍋島ぐらいかなあ
長宗我部はやる気無さそうだし、毛利と大友は父親が出てくれば豪華になるけど
>>502 >また李朝を救援に来たのは装備もろくに整ってないしすぐ略奪強姦をはじめるろくでなしどもと李朝の記録にある
それって祖承訓の先遣隊についての記録でしょ。しかも略奪云々はともかく装備が整っていないなんて話は見た記憶が無い
それに祖承訓自体は対北虜戦に功績のあった勇将で、きっと倭軍を破ることができるだろうと評価してる
李如松の軍勢については如松は天下第一の名将、神兵のたたずまいなどと絶賛してるぞ(宣祖実録、懲録)
>>510 他にも九鬼嘉隆と、若造だけど戦歴は並じゃない立花宗茂が居るけど
率いてる兵は決して多くないしね。
宗茂は実父と養父の英才教育受けた後、10代半ばの頃から
最前線で島津とやりあってたリアルチートだからなあw
立花宗茂と比べると
加藤とか福島って何がすごいのか分からないってレベル
比べる対象が
真田昌幸とか朝倉宗滴そこらへんのレベル
明国最精鋭の部隊を率いる将軍がたかが一戦負けただけで戦意喪失して辞めたいとか言うのか?
女真相手とは次元の異なる惨憺たる負け戦だったんだろうな。(´・ω・`)
女真を幾度も食い止めていた自慢の騎兵部隊が朝露のように消えてしまったからな
女真と日本ではまるで別兵科な上に朝鮮半島の地形じゃ機動戦はやりにくいな
ちゃんと敵と地形を調査しないと相性で厄介な相手って分かりそうなもんなのに
朝鮮側から情報は得てなかったんだろうか
女真って専門の戦闘部隊?
520 :
名無し三等兵:2012/11/01(木) 21:31:59.53 ID:nS2t2hb5
>>518 倭狗とか倭奴とか倭猿とか吹きこまれてたんだろう。
日本人は、文化の遅れた半裸の野蛮人だから、宗主国最強の李家軍が
戦場に現れれば、総崩れして命乞いするとかさ。
マジレスするのも何だが、当時の明朝廷は李朝があっさり負けすぎるので
日本とグルになっての罠と疑って派兵に躊躇して援軍が遅れた
また最も重要な長城の守りを空ける訳にもいかずに兵力も限られたものとなった
そのため精鋭とは言えほぼ李の子飼いの兵力だけで戦う羽目になっており
その上に豊臣方の平壌撤退時に日本軍壊滅との誤報が現地から持たらされてしまい
さらにその半数の兵力だけで強行軍で追撃する羽目になるなど悪条件が重なりに重なった
それでも名将と謳われた李如松はそこから残り2万程の兵力だけで14万からの豊臣軍相手に
神出鬼没のゲリラ戦術で補給線を遮断し補給物資を焼き払う事に成功
豊臣側は継戦意欲を喪失して講和止む無しとなった
( `ハ´)アル
>>521 >そのため精鋭とは言えほぼ李の子飼いの兵力だけで戦う羽目になっており
派遣軍4万3千人が「李のほぼ子飼いの兵力だけ」?
半数を占める江南の歩軍・火軍はガン無視かよ
>それでも名将と謳われた李如松はそこから残り2万程の兵力だけで14万からの豊臣軍相手に
>神出鬼没のゲリラ戦術で補給線を遮断し補給物資を焼き払う事に成功
査大受の配下から少数の決死隊を選抜して漢城郊外の龍山倉に火を放った、という逸話から話盛りすぎだろ
なあにが「神出鬼没のゲリラ戦術で補給路を寸断」だよ、アホw
碧蹄館後の明軍なんて主戦論者だった李如松からして仮病使って辞職を願い出るほど戦意喪失じゃねえかw
どう見ても悪条件が重なったというか単に迂闊だったじゃね
自ら招いたマイナスポイントは悪条件とは言わんだろ。
万暦の三征に数えられるほどの大出費だったわけだが
李如松の軍には東南アジアの国の連中もいたらしいな
>>523 碧蹄館の戦いでは李如松は、李氏朝鮮の倭猿情報に踊らされてしまい、
火力部隊を後方に残して、騎馬を主兵力とする自家の精鋭部隊2万程度で
ほぼ同数の日本軍と対戦して惨敗している。
>>528 あれは追撃戦という認識だから行動としては間違っていない
そもそも、他の国から見れば日本の軍はまともな陣形を形成していないので、
初見で敗走していると誤認しても可笑しくはない
さらには碧蹄館の戦いでは山越えの迂回までするし
そりゃ追撃戦なんだから足の速い騎兵中心にするだろうな
重い大砲なんか牽引してられんだろ
火力・歩兵部隊も李如松敗走時に殿を担当してる
ただ日本軍の追撃を支え切れずこちらも撤退
一度引き始めた軍を立て直すのは先ず不可能ですし
普段の日本軍の戦闘隊形を敗走中と判断する明軍では、その日本軍ですら
敗走と思わせる、島津の釣り野伏せの囮部隊を見抜くのは無理だったんだろうな
アレ実は囮側は本気で逃げている気がしんでもない
ここの前スレか関連スレのどれかだったかは忘れたけど、もし半島南部を割譲されていたら、というコメントに、コストがかかるって反論があったけど、それって酸っぱい葡萄だと思う
そりゃ敵地を占領するんだからコストはかかるだろうけど、肝心なのは黒字化するのに、どれだけの費用と時間が必要か
あの当時に人権なんて無いんだから、反抗する朝鮮人はみな奴隷狩りか撫で切りで日本から殖民すれば良いんだから、統治コストはそんなに掛からないと思うのだけど
>>535 常に軍隊を貼り付ける必要がある
その軍隊を半島南部のあがりでなんとかしないといけない
半島は気候が寒くこのあと世界的にも寒くなるので
難しいよ
近代化した後ですら、朝鮮統治は常に赤字だったのに
毎年のように洪水が起きる痩せた土地しかないのにどうやって黒字化するんだ
>>536 軍隊は川とか山の地形を利用するのと倭城でコストは何とかならんかな?
それと李氏朝鮮を緩衝国にすれば、朝鮮は弱いのだし、そんなに軍隊は大勢いらないと思う
気候も半島南部は東北よりはマシなんでは?
>>537 近代化した後だからこそ赤字なんでは?
鉄道とか学校とか工場とか作ったから赤字なんで、治水とか道整備ぐらいだったら直ぐに黒字になるのでは?
>>538 痩せた土地って言うけど南部は米を作れたんでは?
洪水は治水すればいいのでは?
>>539 治水とか道路整備は莫大な金がかかるんだが
江戸時代に幕府に押し付けられた治水工事や道路工事で
藩がつぶれかかるのはよくあったことだ
米は16世紀と20世紀の農業技術が同一じゃないし気候も寒冷期と温暖期と違う
>>540 費用は日本人の人足を使わずに朝鮮人を奴隷として酷使すればどうかな?
米が駄目だとしたら稗、粟とかの雑穀で、朝鮮人がいたのだから、何かしらの食物は生産できたはず
後は朝鮮人を奴隷狩りして南蛮人に売り払うか、鉱山送りとかすればペイしないかな?
で、結論。
そんな土地が欲しくて必死で攻め込んで寸土も得られず撤退した馬鹿
544 :
名無し三等兵:2012/11/04(日) 16:52:23.82 ID:qNhh8MmZ
>>542 逃散ってどっちが?
朝鮮人なら追いかけて捕まえれば良いし、日本人は痩せた土地で地縁も無いのに逃げるのは本当に極一部じゃないか?
>>543 撤退したのは、指導者の秀吉が死去して、後継者の秀頼が幼君だったからじゃないのか?
大名達にとっては、論功行賞どころか日本での政治の行方次第で、本拠地が危なくなるかもしれないのに海外で戦い続けるはずないだろう
馬鹿って言うが、あの神がかり的な天下統一をした秀吉が朝鮮南部の割譲を講和交渉で求めていたのだから、充分に費用対効果で割りに合うと判断したんじゃないのか?
どうにも、やっぱり酸っぱい葡萄としか思えない
痩せた土地って言っても、1600年頃に朝鮮人は約500万人いたらしいから、そこそこの食料生産は出来るだろ
奴隷貿易してもコストが悪いって、よっぽど朝鮮人の抵抗が強いか、弾薬費が高騰する、奴隷の値段が下落しない限りありえないだろ
>>544 逃げるのは朝鮮人、それを捕まえる人員で正面の兵数が大幅に減る
更に流民化したかれらにより物資の強奪が始まり、そのために更に兵が引き抜かれる
>>544 北部に逃げこむから逃げるのは止まらない
それを追いかければまた戦争の始まりだ
日本人だってそんな貧しい土地に行きたがるやつはいない
無理にやれば日本で内乱だ
文禄の役の際、加藤清正が銀山を見つけて、良質な銀がとれそうなのに何故か手付かずに残ってますって秀吉に手紙書いてるけど
こんな所も開発してなかったんだな
半島は寒いから水稲に適さない
そんな所から扶持米をもらう対馬って・・・
>>545 >>546 逃げるって言っても、女、子供連れだったら、成人男性のみで構成される奴隷狩りに捕まるのでは?
逃げた先で食っていけるか不安だろうし、当時の半島は情報伝達が無茶苦茶遅い印象なのだけど
そんなに逃げられるとは思わないんだが
>>550 捜索すれば必然的少数になるので、そこを取り囲んでタコ殴り
慶長の役で奴隷狩りしてたんだから、逃げられるとか
反撃にあって深刻な被害が出るとかは
日本軍を過小評価しすぎで、朝鮮人を過大評価しすぎ
>>552 日本でも奴隷狩りがあったから、逃散や返り討ちは存在しない事になるね
554 :
名無し三等兵:2012/11/09(金) 02:15:40.15 ID:5b6uR4sy
堺の商人は儲けまくったそうだなwww
逃げるつっても遊牧民じゃないんだからどこまでも逃げ切るってわけにはいかんわな
明の遠征って北から回るぶんだけ下手すりゃ日本より大変そうだが
財政はどうだったんかね
>>552 随分、朝鮮の遺伝子が日本にもたらされただろうな
洋の東西と問わず奴隷で一番価値のあるのはオマンコだから
世の富豪や喪男が若くてイキのいいオマンコを買い求めただろうからさ
逆に朝鮮も日本の遺伝子だらけになってると思うけどさ
この時代、乱取りが当たり前だからさ
557 :
名無し三等兵:2012/11/13(火) 12:41:11.21 ID:UGrZ32q7
高麗末、李朝初の崔茂宣『火砲法』『火薬修練法』での火砲の攻撃方法ってわかる人います?
弾丸式(鉄丸)の銃砲って16世紀まで朝鮮に伝わらなかったみたいで、それ以前は砲口に複数の
矢を込めて放つ方式がほとんどらしい。
崔茂宣が倭寇船団を撃破したってのは、高麗史と李朝実録を読む分には火薬と火具で焼き討ち炎上
ってなってるから、どういう弾体を撃ち込んだのかわかんなくて。
559 :
名無し三等兵:2012/11/13(火) 15:36:50.86 ID:UGrZ32q7
いいんじゃないかな。朝鮮役の日本側史料には棒火矢という
名称での記述が散見されるし。
あと、接舷するような接近戦になれば火壷のような投擲火器も
使われただろうけど。
561 :
名無し三等兵:2012/11/15(木) 20:15:55.08 ID:fY23RfYe
仮に秀吉が
朝鮮南部(全羅道、済州島、慶尚道南部)、沖縄、台湾あたりを征服していたら
誰が移封されたか気になる
全羅道、済州島、慶尚道南部だけでも九州と同じほぼ同じ位の土地が手に入る
台湾も九州とほぼ同じ土地が手に入る
家康や毛利輝元のような大きな石高を持つ大名を
大陸へ飛ばしてしまう事もあり得るし
>>561 朝鮮半島は宇喜多秀家を移封との秀吉の意向と記録が残っていたような。
援軍に来た明軍は、明の中でも対北夷のために選りすぐられた最精鋭で、モンゴル・女真族を明朝に帰順させる原動力と
なった最強軍団だったはずなのに
あんな負け方をして、出費だけで済んだのか?
済んでないか、女真族の増長を招いてるし
もしかして朝鮮征伐って戦争は
日中の軍互いに土地勘の無いまま戦った
ボードゲームみたいに公平な競争だった?
サルフの戦いでは練度の低い寄せ集めの歩兵部隊が主力になってたから
ダメージはデカかったろう
>>508 でも実際指揮を取ってたのは清正だから清正隊でいいんじゃね?
二番隊のうち加藤隊と鍋島・相良隊は途中から別行動取ってるんだよね
海汀倉の戦い、二王子捕縛、満州侵攻とかは清正単独でやってる
というか清正ってそんなに言われてるほど暴れまわってないよな。
どっちかと言うと小西、黒田、宇喜多辺りのが激戦してた感じがする。
やっぱり虎狩りと、蔚山城の戦いでの大活躍のイメージが強すぎるんだろうね
でも小西はともかく黒田や宇喜多だって言うほど戦ってはないと思うが
小西が一番可哀想
オランカイまで行ったの加藤くらいだろ
明とか朝鮮とか漢城とか碧蹄館とか、馴染みのある漢字圏じゃなくてオランカイだからな
ヌルハチをガチで打ち破ったとかならまた印象も変わるけどなあ
朝鮮半島占領したら、どうやって支那大陸を落とすつもりだったの?
北京急襲する前に補給が続かずに撤退する破目に陥るじゃないのか
史実よりも甚大な被害を被る
日本人だけでやろうと思えば絶対に負けるので歴代騎馬民族達が中国を征服したときのように
降伏した中国人を味方にするしかないなでもそれやってたら多分今頃俺ら中華人民共和国日本省の住人だったよ
朝鮮みたいに惰弱な国を蹂躙しただけで調子乗ってるような奴らが明の首都なんか落とせるわけないなwww
というか辿りつけもしない件
日本語でおk
>>576 そういう異民族も味方につけるのは
日本人は不得意そうだね
>>579 なんか紋切り型だなぁ、と。
歴史的に陸で国境線を接していた期間は限られるから
そういうイメージがあるのかも知らんけど、先の大戦の
対中は功を奏して終戦まで四分五裂してたし、南方の
工作もF機関とか充分及第レベルだと思うが。
まぁ、大局的な南方占領地政策はいろいろと反省点は
あるけどね。
そういや加藤さんがオランカイ征討で朝鮮人部隊率いてたな
加藤清正の率いた朝鮮兵士は咸鏡道の連中か
流刑地で国に不満を持っていた連中だらけだったとはいえ、よく兵士を募れたな
戦う為に味方につけても
その後、支配するとなると
途端に反旗を翻してきそうだな。
そういうのを日本人は押さえ込むことが出来るかな?
どうせ、見栄で大きい潜水艦を保有することにしたんだろう( ゚д゚)、ペッ
585 :
名無し三等兵:2012/11/28(水) 07:53:19.47 ID:oIEbSPzS
いずれにせよ、明鮮より弱いから負けただけだろ
明史にはその明鮮に全く勝算が無かったと書いてあるけどな
あれは清が編纂したからな
事実実力で追い出すことは無理だったからな
明史が駄目なら、中国の史書は何もかも参考にならんわ
評価は眉に唾をつけろということ
現実に逃げ帰ったのに池乃めだかをやられてもねえ
地上戦で散々に撃破されほうほうのていで撤退したのならそれも言えるだろうけど
実際に散々に撃破されてたのは明朝鮮軍の方だからな
明史にある通り秀吉の死去に救われたというのが実情だろ
一度は朝鮮全土を蹂躙したが、明の参戦した事により連戦連敗
二度目は漢城にも到達出来ずに、何故か盛強となった明朝鮮軍に南部まで追いやられて秀吉が死んだ事により撤退した。
小和田氏が監修した「まんが豊臣秀吉」にはこう書いてあった
594 :
名無し三等兵:2012/11/29(木) 02:57:58.13 ID:GBopHSAm
いずれにせよ、ネット等で研究所でも無い連中が虚偽の歴史を主張して、朝鮮出兵における日本軍の強さを誇張しようとしているのは確かだな
まあ弱いから負けました。
征伐って表現がおかしいよね
朝鮮は何か悪い事したの?
596 :
名無し三等兵:2012/11/29(木) 05:59:34.94 ID:GBopHSAm
北島万次氏の唱える侵略のが正しいな
明史って
薩摩の奴隷だった秀吉が木下で寝てたのを山城国の頭目(笑)の信長が見つけておもしろい奴だったので取り立てただの
トンチンカンな事を書き連ねてるから信憑性に乏しいわ
明と属国朝鮮には勝算が無かったが秀吉が死んだので戦争は終ったというのは、執筆した清が「この頃から明は落ちぶれてきた」というのを誇張したいだけだろう。
史料ってのは常にバイアスがかけられているから、何でも鵜呑みにしない方が良い
文禄の役の頃、名護屋に在陣していた南部は朝鮮渡海に恐れ戦いているし、最上なんて死ぬ前に故郷の水が一杯飲みたいと懇願している。
秀吉の死に緒将はさぞ安堵したに違いないな
日本の武将なんてのは所詮このレベル
小早川、立花が李如松勝利をおさめても戦争の趨勢は明国に傾いていた。
>>597 実際、日本軍はへうげものの甥という大将軍が戦死しているからねw
明軍・朝鮮軍にはこれほどクラスの大将軍は戦死していないし
へうげの甥って、せめて名前くらいフルネームで言ってやれよ。
大物って言うくらいなら。
600 :
名無し三等兵:2012/11/29(木) 11:24:48.96 ID:GBopHSAm
>>598 寒ライがけなされて悔しいか?
まあお前のようにわけのわからん煽りしか出来ない低学歴はこういう所で恥をかきに来ない方が良いぞ
まーた、へうげ君が涌いたのか。懲りないねぇw
元寇スレから追い出された連中がここに逃げてきたか
史料のバイアスって便利な言葉だねw
>>597 >薩摩の奴隷だった秀吉が木下で寝てたのを山城国の頭目(笑)の信長が見つけておもしろい奴だったので取り立てただの
>トンチンカンな事を書き連ねてるから信憑性に乏しいわ
異国でまともに情報も入ってこない日本のことなんか正確に書けるわけないだろ
これと明の国内情勢についての描写を同列に扱って信用できないとかさすがにないわ
>>598 中川程度で大将軍なら、明軍朝鮮軍でも大将軍・大英雄クラスがバンバン戦死してますが何かw
○朝鮮軍の将軍クラス戦死者○
鄭撥、宋象賢、劉克良、鄭湛、高敬命、趙憲、鄭運、金時敏、沈岱、金千鎰、崔慶会、黄進、元均、李億祺、李福男、郭越、李舜臣
○明軍の将軍クラス戦死者○
載朝弁(参将)、史儒(遊撃)、廬継忠(参将)、楊万金(遊撃)、李寧(副総兵) 、李寧(参将)、廬徳功(遊撃)、ケ子龍 (副総兵)
朝鮮による焦土作戦で侵出出来ないんだから完敗だな
装備で劣る朝鮮軍はまさに無手勝流で勝利を得た
むつけく日本軍に挑みかかっては敗北してましたね
軍船に逃げ帰った元軍とは大違い
>>606 わざわざ焦土にしなくても不毛の地だった朝鮮は本当にゲリラ戦向きだよねー(棒
明軍には三眼銃や大砲を多く保有しており、数で勝る日本軍を圧倒した。
数は明>日本のケースが多かったが??
基礎知識以前の問題かと
明軍4万、日本軍16万で数とは兵数な
明軍は火器を多く保有しており、数で勝る日本軍を圧倒した。
と真実の日本戦史には書いてあった。
無知は書き込まなくていいよ
明軍がまともに勝てたのって数の暴力で平壌を力攻めした一戦だけじゃん。あとはことごとく負けてるし
どこで「数で勝る日本軍を圧倒」する場面があったんだ?
>>611 真実なのか?
「全くの事実誤認に基づいて日本軍を批判しているところもあり、質の低さを感じさせます。
古い定説を否定しようという意図が先に立っているのか、事実の一面のみ取り上げたような記述も散見されます。
内容の誤りや不十分さが分かる人には不要な内容であり、そうでない人には誤解を与えることになるので
お勧めできるものではないという印象を受けました。 」
本の値段相応の「真実」
「名も無い(最後に執筆者の簡単な紹介はあるが)ゴーストライターに書かせて、
現役陸上自衛官教官の肩書きの人の名前を冠にして出版したというお手軽本。
しかし「ガダルカナルの戦い」で海軍の艦砲射撃の後に一木支隊が上陸、急襲したなんて事実誤認も甚だしくて、
名前を貸したことを自衛官は後で悔やんだのではないか?
他にも「ミッドウェー海戦」の問題となった兵装転換は魚雷から爆弾に付け替えている最中に攻撃されたとしているが本当か?
「日中戦争」は毛沢東の描いたグランドデザイン通りに進展していくとあるが、
当時の共産軍(八路軍)を過大視していないか? こうなると他の記述もどこまで信用していいのか疑問が残る。
面白本と割り切って読んで欲しい。 」
その本、アマゾンで評価が散々なんだがww
真実って書いてあるんだから真実だろ?
秀吉が明使に激怒しただの、東郷平八郎が李舜臣賛美発言とかも書いてあったぞ
それで日本軍は朝鮮の解放者だのと書いてたぞ。
お前ら馬鹿者たちはウィキペディアの記事しか読まないから知らんだろうがな
まずは日本語の勉強からやり直しなさい
前に日本の学者(か、評論家と思う)が学生時代に
韓国に行ったら朝鮮征伐とかの話をされて批判されたって・・・
お隣の国って今でも近世の時代の話を遡上に挙げてくるの?
>>617 近世どころか2000年ほども古代に遡って、文字やら建築やら仏教やら
あれもこれも野蛮で文化の遅れたチョッパリに教えてやったと教科書で教えてるし、
南鮮マスコミもことある毎に吹聴してるでしょ。
へうげものの甥が戦死w
botかよww
朝鮮出兵研究の第一人者だったらしい卍先生は、韓国併合と文禄慶長の役を一緒くたにしてるからなwww
元寇という明らかな侵略行為を日本征伐なんぞ抜かしてる奴らが
朝鮮征伐をどうこう言う資格なんかあるニダ?っと思うニダ。
そうニダね
中国の朝鮮征伐評がおもしろい
明史なんか読んでそうにない
李如松4万が日本軍16万を一撃で蹴散らしたとか言ってた
文面から察するに明史なんて一切読んでなさそうだったww
まあ事実だから仕方ないな
へうげものの甥が戦死w
卍先生はシェイクスピアのヴェニスの商人も
反ユダヤ本と考えるんだろうか・・・
順天の戦いも泗川の戦いも無かった事にしたい人たち(笑)
戦犯は欺瞞外交をした石田三成
小西、宗18700→7415
加藤→10000→6790
鍋島→12000→7642
島津→10000→2128
毛利→30000→13600
宇喜多→10000→7785
小早川→10000→6596
だいたい一万以上動員した数と兵の損耗数羅列したものだが
各隊、だいたい3、4割くらいの兵士の損耗率だな
島津に至っては、8割、鬼石曼子って何?
小西に至っては6割だ
これで連戦連勝と意気がってるんだから片腹痛いとしか言いようがない。
朝鮮出兵がいかに無謀な挑戦だったかわかるな。
ちなみに現代の軍隊で連隊や師団規模では2、3割の損害は全滅だ
>>ちなみに現代の軍隊で連隊や師団規模では2、3割の損害は全滅だ
よそから出張してきた軍板初心者丸出しだなw
632 :
名無し三等兵:2012/12/01(土) 21:26:07.69 ID:9mI39PFU
島津よわwww
まあ中野等も5万死亡と言ってるし、文禄慶長合わせれば14万人だがな
出典はなに?
英語版wikiだが。
慶長の役8万人だったからおよその数だな
英語版のwiki?
日本か中国の文献を当たれるのでは
まさか関ヶ原の参陣数との比較じゃないよね
へうげものの甥が戦死w
アホか、なんで関ヶ原が出てくるんだよ?
意味不明
前にそんなアホがいたんだよ
>>632 そのヨワヨワの島津に討ち取られた李舜臣はなんなよの、っつー話になるけど
朝鮮人的にはそれでいいのか?w
それにしても、島津2128人ってのはどこから涌いた数字なんだか。(藁
641 :
名無し三等兵:2012/12/02(日) 05:11:59.86 ID:colpWUYN
晋州城包囲時の数じゃね?
どこの時点で何を根拠にした数字なのか
待っても説明が来ないね
文禄の役の晋州城包囲時の数だよ
お前らネット情報しか見てないなwww
ああ、資料名も出せないんですね
原典は『鍋島直茂譜考補』
文祿2年3月20日時点で京城にいた者
えっそれで?
でも朝鮮出兵は完敗した事に代わりはないだろ
この話題終わりな
>>649 古田織部を国民的な知名度のある武将だと勘違いしてるアホだから仕方ない
日本の学校で歴史を学んでないんだろうな
朝鮮征伐って秀吉が死ななかったら
朝鮮は国土蹂躙が単に長引いただけなんでしょ?
>>647 島津は江原道担当で義弘は金化駐屯で、在漢城諸将の3/3付け秀吉宛
書状の連署には名を連ねてないし、3/20に漢城付近にいたとしても全軍を
率いていたということにはならんだろ。豊久は春川に分駐してたしな。
島津の渡海人数が一万人もいたのかが、そもそもかなり怪しいと思うが。
>>652 島津の動員数は天正19年12月の覚書によれば一万五千人
>>653 文禄4年正月の出陣人数帳では八千人になってるからな。
だから晋州城包囲時の数だよ。
文禄2年5月20日付けの秀吉朱印「覚」による布陣計画
中野等の文禄慶長の役のP124を手元にあったら見ろよwこの馬鹿者共が
世界史板や日本史板の馬鹿を上回る馬鹿っぷりだ
島津兵庫頭(義弘)、二千百二十八人
島津又八郎(忠恒)、四百七十六人
とあるね
>>659 島津家は水夫2000人とあるけど(島津家文書)
つうか、常識的に考えてろくに戦闘していない島津が総兵力の八割も死ぬわけないし、
三万の毛利が一万ちょっとまで激減するなんてありえないと分かりそうなもんだが
>>655 説明不足だったね。文禄5年12月の軍役覚書きでは、天正と同様に
一万五千九十七人になってるけど人数帳では八千人ということ。
これが島津一万五千と言われる軍役の建前と実数の違いなのか、
あるいは人数帳は戦闘員だけを数えたのかはわからんけど。
>>659 島津が1万動員して3割が水夫という戦闘員で残存2000で5000ちょいははどこ行ったの?ねぇ答えて?
エラソーに煽ってねぇで個人サイトなんか出さずにお前が答えろよ
>>664 それ、お前が水夫の帰国を知らずに島津の損耗率は8割!とかバカを晒したことと何の関係があるんだ?w
>>665 帰国しあ水夫2000で島津隊のだけで残存だけで2100ちょいだろ?
残りの5000余人はどこ行ったんだと聞いている
質問してるのは俺、答えるのはお前
まず質問に答えとけ
>>666 俺はお前の無知を指摘しただけであって、お前の的外れな質問に答える筋合いは無いんだがw
大恥かいて話を逸らしたいのはわかるが、腹いせに俺に噛み付くのはやめてくれw
なんだ黙りこくっちゃってw?強く言われると何も言い返せないいじめられっ子の本性出しおったわ
なんども言うようだが
明朝鮮軍の絶え間無い攻撃に大損害出しつつも秀吉が死んだのでほうほうの体で撤退したで終わりな
>>668 はいはい。次からは恥をかかないように慎重に書き込もうね、ジャイアン君w
二割〜三割前後の水夫が帰国したとして
>>630の損耗数を見てみると
ナポレオンのロシア遠征なんかと比べて外征にしては随分損耗が少ないという印象だな
最も損害の大きかった小西の一番隊が損耗率3〜4割というのは順当に思える
それに対して島津と毛利がぶっ飛んでるな。
奥地から敗走してきた一番隊よりも遥かに損耗が多いというのはさすがに信じ難い
軍勢の一部しか晋州城攻めに投入してないとか、帰国してる部隊がいるとか別の要因があるとしか思えないな
今度図書館にでも行って調べてみるわ
混乱しているようだから説明すると、「唐入軍役人数船数等島津家分覚書」には
総人数一万二千四百三十三人中、水夫は二千人とある
実際はこれに島津以久や伊集院の分が加わり総数は一万五千九十七人になる
平壌城での明軍の鎧は硬く、容易に槍で刺せなかったそうだな。くわえて大砲
装備の差がこんな所にも出ている時点で勝てるわけはないなww
お前、現場に居たみたいに詳しいなw
先日読んだフロイスの本に書いてあったぞ
ネットでは、やたら朝鮮軍のていたらくばかり強調されてる箇所だけ羅列してあるな....
>>673 そのフロイスは明軍が日本軍に勝てるわけがないと認識してたわけだが
本当に「日本史」読んだのか?w
「ところでシナ人たちは、日本人らが用いる武具は、自分達の武具ほど役に立たないと思い込んでいたので、
日本の武具の優秀さを知る者がどんなに説明しても、人々は信じることができなかった。
したがって真実を知る一部の者が、例えシナ軍は数の上で勝っていても、
日本軍と戦うことは不可能であると言っても、これを聞こうとする者はいなかった。」
「日本人はシナ人よりも勇敢で、武器ならびに戦術の点で優れており、数々の面でシナ軍の劣勢は疑えない。」
とりあえず全部三成が悪いでFA
そもそも明の鎧なんてラメラアーマーだぞ
余裕で槍で突けるよ
>>678 明の鎧は厚い綿性なのや革性がデフォなんだったけ?
胸の心臓部のところだけ金属が使用されているだけだったような。
日本の鎧は南蛮胴や桶胴のような全面鉄板のもあれば、
鉄板・革板の小札の胴が基本。
毘沙門天や仁王の仏像が着ている鎧は何という名称のものだっけ?
徒歩の銃兵は
>>679が言うような綿鎧だけど、騎兵や重装歩兵は全身鉄の塊みたいだったらしい
「かの大明国の衆の服装は、表面は赤いとうめんをつけ、
裏はくろがねを二寸四方ほどに切ったものを鎖でつなぎ、
一見、道服のようである。兜もまたくろがねでこれを白くみがきあげている。
小手もくろがねで矢も立たなければ刀でも切れない」
・・・(吉見家朝鮮陣日記)
>>680 いや、それが当の綿甲のことだよ。赤の綿袍の裏打ちが鎖で繋いだ鉄板小札になってるということ。
明軍の鉄壁の鎧を纏い、日本軍は手も足も出なかったな
日本語でおk
鉄の鎧で全身を覆えば強いんなら西洋の騎士が世界最強だぜw
明兵の鎧の防御力は日本人を驚かせたけど、だから戦闘に勝てたというわけでもないしし
矢もたたず、槍も通じない相手がどうしと負けるのかわからないわ
種子島があるし刀だって鎧の隙間を狙って斬るんだ
>>685 まあ「矢もたたず、槍も通じない」が誇張の無い本当だとしても普通に棍棒で殴ればダメージを受けるんで無いの
そんな高性能で(間違いなく)高価な鎧を纏える兵が一体どれほど居たのやらって問題もあるしね
数が少ないなら足軽の槍で上から何度も殴りつければOK
人間が自分の体力で装備できる重さの鎧に一体どんだけの機能を期待してるんだ?
「鎧の差で勝った」って言われたら、真偽以前に命がけで戦った明兵が気の毒だわw
>>685 それってフロイス日本史に出てくる平壌城の戦いだろ
日本軍は長年の戦いで刀や槍の損傷が激しく云々という前置きの後に書かれてた一節
それでも1万の明兵の寄せ手を撃退してる
>>630の損耗数に興味を持って中野等「文禄・慶長の役」を読んでみた
>>630が書いた損耗数は文禄2年5月20日付、晋州城包囲時の陣立を根拠としているようだが
実はその2ヶ月前、秀吉は文禄2年3月10日付の朱印状で晋州城包囲布陣計画の初期案をしたためていて、こっちも掲載されてる
それによると島津義弘の兵は7千人、これとは別に兵数不詳ではあるが島津豊久の名もある
毛利輝元の兵は2万5千人。両家とも5月の陣立と比べて人数がかなり多い
逆の例もあって、例えば黒田長政の場合は5月の陣立では5082人いたのが、3月の初期案では3500人と少なくなっている
何が言いたいのかというと、これらを見て分かるように、
5月20日付の陣立は総兵力ではなく晋州城包囲に「参戦した」兵力に過ぎないということ
島津の場合七千の手勢の中から二千弱を晋州城攻めに投入し、残りは他所の倭城なり繋ぎの城なりに駐屯させていたのだろう
常識的に考えて、晋州城包囲までのたった2ヶ月間に7千人の島津勢が2千人弱まで減ったり、
2万5千人もいた毛利勢が1万3千人まで半減するわけがないからね
同書を読んだのならこの程度のことすぐに気づきそうなものだが、
それに目を瞑って島津の損耗率は8割!などとまくしたてるとは
>>630はかなり悪質と言わざるを得ない
>>690 まぁ、>630のような小物が今思いついた訳じゃなく、サヨ系朝鮮史学者の前々からの常套手段
だけどね。
手元書籍では判る範囲では、既に20年ほども前に、歴史群像『文禄・慶長の役』(1993)の46Pで
貫井正之がご丁寧にも棒グラフにして渡海時兵力(建前)と晋州城時との比較で各隊毎の
それをやってるわ。
その手の歴史群像みたいな本って慶長の役における三路の戦いを明、朝鮮軍による追撃戦のように書いてるの多いなw
完成まじかの蔚山城に兵糧が備蓄されていなかったのを強調し、全軍が兵糧欠乏してたようにも書いてるやつもあった
ちなみに泗川と順天での戦いには何故か触れない
そういえば再来年辺りの大河が島津義弘だったそうだけど、隣国の国民感情に配慮して急遽止めたらしいww
朝鮮出兵が切っても切れないからだろうな
まともに扱えばかなり面白そうなんだけどな、朝鮮出兵。
十字軍にも似た興奮を感じるぜ
蔚山城の戦いで明軍が日本軍の増援が来ることを予想して平地の隘路に部隊を配置したが、
日本軍が山越えしたので奇襲を受けたとかは両軍の行軍能力の差が出て面白い
碧蹄館でもそうだけど
山がちな半島に無理矢理騎兵を突っ込ませておかしな事になってる
>>693 十字軍?文明の土地に野蛮なフランクが攻めてきたアレか
最近は世界四大提督の一人、李舜臣が制海権を奪い補給を絶ったという珍説を書く本が無くなったなww
朝鮮征伐
?
( `ハ´) 先ず隗より始めよアル
日本語覚えさせたり丁髷にすることを強要した
安国寺恵瓊がそういう宣撫やってたそうだね
704 :
名無し三等兵:2012/12/15(土) 17:00:48.85 ID:eyjjiOMG
>>697そりゃそうだろ。
ガンダム的に例えると、ジ・オ(亀甲船)に乗ったシロッコ(李舜臣)を型落ちもいいところの
ジム(輸送船)に乗ったシャー(島津義弘)やアムロ(立花宗茂)が撃殺したってありえない
展開だからな。雑魚パイロットの乗ったジムをいくら沈めても、シャーやアムロを沈められ
なければ無意味もいいところだからな。
世界四大提督なんて名乗れないでしょうがw
>>687 矢は鉄の鎧でも簡単に貫通するからまあ誇張なのは確かだろう
刀は防げたかもしれないけど白兵戦の主体は槍でこちらは打撃武器の性格も強い
そもそも主力の鉄砲には両軍とも甲冑なんてまるで無意味だし
>矢は鉄の鎧でも簡単に貫通するからまあ誇張なのは確かだろう
明の甲は知らんけど、日本のものだと、弓道の有段者による昭和時代に行われた
試技で足軽胴は簡単に射抜けたが武者用の当世具足は至近からでも抜けなかったと
いう話があるな。
>>700の本、県立図書館と市立図書館で両方貸し出し中だったぜ。人気あるのな
買おうかとも考えたけどタイトルからして地雷臭がするからなあ・・・おとなしく返却を待つぜ
地雷臭もなにも、卍大先生の御著じゃあないか。(・∀・)
似たり寄ったりな内容を題名だけ変えて出してるだけだからわざわざ買う必要はないww
いわば定年退職後の小遣い稼ぎだな
だが、しっかり読んで批判するのも重要。
買わずとも図書館で借りればいいのだから。
稷山の戦いについてなんだが、「黒田家譜」とそれをもとにした「日本戦史・朝鮮役」の記述によると、
黒田直之、栗山利安ら先鋒の兵「若干」がまず明軍と曹禺戦になり、次いで黒田の本隊三千が参戦したということになっている
今までずっとこの書き方に違和感を感じていた。というのも、慶長の役陣立にある黒田隊の兵力は五千で、
稷山の戦いで黒田の本隊が三千だったとすると先鋒の兵は二千人いたことになる。本隊とそう変わらない兵力だ
にも関わらず、この時点ではほぼ同数のはずの明軍を圧倒的大軍と書いたり、黒田本隊に対して兵数を「若干」などと表現している
これはちょっと不自然だ
しかし最近になって陣立の動員定数はあくまでも建前であり、実数はその八割前後と推定されていることを知った(中野等「文禄・慶長の役」)。
これによるなら、慶長の黒田隊五千の実数は四千程度であり、それから水夫を差し引くとせいぜい三千数百人になる
つまり稷山の戦いにおける黒田の先鋒は数百人に過ぎない、まさしく「若干」の兵力となり、
これで「黒田家譜」「日本戦史」の記述にも納得できると思うんだがどうだろうか
動員数については定数以上を引き連れることが忠節とされるので、それ以上の場合もある
もっとも、そこから更に戦闘要員を換算する必要もあるので、ややこしいのだけど
>>712 詰まるところは藪の中だけど、基本的な考え方としては
そうなるんだろうと思う。加えて大荷駄、小荷駄といったものが
本隊に数え上げられてるのかということもあるしな。
>>713 朝鮮役でそれなりの大身で定数を超えるとはっきり言えるのは、
極めて特殊なケースである伊達政宗くらいじゃないの。
脇坂とか亀井のような、ここが勝負所と思った小大名は定数一杯、
あるいは損耗を考えればそれを越えるような無理な動員はしたん
だろうけどさ。
>>715 島津家なんかは軍役一万に対して、動員数は一万五千となっている
読解力皆無みたいだなw
?
>>716 島津氏が1万人の軍役を課されてそれより多い1万5千人を動員したなんて事実はないよ。
文禄5年12月の軍役覚書によれば、
一、馬上衆 340騎
二、徒歩小侍衆 300人
三、無足衆 500人
四、馬上衆に付く徒歩衆 7732人
五、徒歩小侍衆・無足衆に付く夫丸 1900人
六、道具衆 665人
七、一般の夫丸 2000人
八、水夫 2000人
合わせて340騎と1万5千人の動員を命じられたとある
天正20年1月5日の陣立にある「1万」はあくまでも「島津氏」ではなく「島津義弘」の兵の人数ね。
つうか、義弘とは別に島津忠豊(兵数不詳)の名前もあるし
>>719 慶長2年2月21日の陣立書に島津義弘が一万、また豊久が八百とある
初心者なんだが、お薦めの本を教えてください。
>>720 慶長の役の陣立を持ち出して何が言いたいんだよw
文禄の役において島津氏が秀吉から1万5千人の軍役を課されたことに変わりは無いんだが
言っとくけど
>>719は天正19年の軍役についての覚書だからな
天正20年3月13日付や6月3日付の陣立書や軍令には島津義弘は1万人とあるけど
だから「島津氏」じゃなくて「島津義弘」が1万人なんでしょ。日本語わかる?
島津以久や伊集院忠棟の手勢なんかは別カウントになってるからね
島津以久は三百三十二人、伊集院忠棟は二千三百三十二人
島津義弘は一万二千四百三十三人ですね
後、天正十九年十二月の「唐入軍役人数島津家分覚書」には「唐入ニ付島津殿御軍役人数一万五千」とありますね
倭乱が良いなら征伐もありだなww
727 :
名無し三等兵:2012/12/23(日) 12:11:04.75 ID:xoQlLeBP
だいたい蔑視の倭なんか使ってるから
チョン駆除でも全然問題なし
明軍の実数も気になる
んだよ、卍じゃねぇか
図書館で戻ってきたら借りるんじゃなかったのかww
>>721 史料原文を当たれる基本書として、まず旧参謀本部編の『日本戦史 朝鮮役』、
徳富蘇峰『近世日本国民史 朝鮮役』全三巻。
しかし、上二点は古すぎるので、近年の研究状況を反映したものとして、中野等
『戦争の日本史16 文禄・慶長の役』かね。
中野は軍事的な部分は参本の引き写しなので、この板的な面からは物足りないかも
しれんけど。
あと、ビジュアル的には学研『歴史群像 文禄・慶長の役』だろうけど、これは執筆者に
左傾学者および本国人多数なので思想性や電波度強し。
古代史を中心に目茶苦茶な説を唱えまくってるから、韓国の学者って総じて信用出来ないな
700の本参照 と執拗に繰り返し書き込んでるのが卍先生本人だったりすると
笑えるんだがw
>>旧参謀本部編の『日本戦史 朝鮮役』
この史料の朝鮮出兵の記述は信用して大丈夫なんだろうかね、この本の桶狭間
の記述が江戸時代の小説の引き写しで、デタラメなのは有名だけど。
だから自分で原文引けよw
「秀吉の朝鮮侵略と民衆」図書館に返却されてたので借りてみた
全体としては卍の以前の著作「秀吉の朝鮮侵略」「壬辰倭乱と秀吉・島津・李舜臣」「加藤清正」
の総集編にいくらか加筆したという感じだったな。
>>710の言う通りだったw
以前の著作を読んでいる人なら読む必要はあまりないと思う
>>730 俺
>>708だけど参将参将言ってる変な人とは別人だよw
あいつ倭軍とか書いてたしな
倭国じゃないっての
もう身も心も朝鮮な人なんだろうな。
>>738 AMAZNのレヴューに箇条書きでの詳細な批評投稿をお願いいたします。
>>739 一方からはそう呼ばれていたのは確かだし、それに対応するこちら側の名称は無いし
なんか粘着キチガイが一人いるなw
卍は著書名に壬辰倭乱か朝鮮侵略しかつけない御仁
>>747 読んだことないし、読むつもりも無いので出来ない
読んだ人がやるべき
>>748 読むつもりも無いなら他人にしつこく聞くんじゃねえよボケ
亀甲船は日本水軍の切り込み対策でああいったデザインになったそうだけど
朝鮮軍てそんなに白兵戦が不得意なのか
>>751 島津家も求められた数よりも多く動員したで良いですね
>>755 >>719、
>>725 でわかる通り、島津氏は豊臣秀吉から1万5千人を超える動員を命じられてる
あと陣立書の兵数は島津氏の全兵力というわけではない
島津氏が「求められた数よりも多く動員した」なんて記録がどこにあるんだ?
>>756 覚書は島津家が独自に作成したもので命令された数ではないのだが
>>750 馬鹿か、お前
読むつもりが無いから他人にやってもらうんだろ
>>757 >覚書は島津家が独自に作成したもので命令された数ではないのだが
よくもまあ、こんな口から出任せを言えたものだね。
島津氏の軍役1万5千437人は豊臣政権が島津氏の石高から算出したノルマ人数であって、
島津氏が自分で勝手に決めた動員数ではないのだが。
というかこんなことをわざわざ説明せずとも、上記の「唐入軍役人数島津家分覚書」に
「唐入ニ付島津殿御軍役人数一万五千」とあるではないか。
軍役とは武士が主君から課せられる負担であり、この場合の主君とは豊臣秀吉だ。
>>759 「唐入軍役人数島津家分覚書」が秀吉の指示とすると鉄砲・槍・弓から旗・装備に至るまで
秀吉の細かい指示があったことになるが、そのような例が他にもあるのですか?
>>760 あるよ。というか、鉄砲何丁、幟何本、弓何張とか細かいところも軍役で決められてるからね
まあそういった細かい指示まですべて秀吉が出したわけじゃないだろうね。部下の奉行衆に任せただろうし
>>761 じゃあ、実例でお願いします
秀吉もしくは奉行衆が大名へ装備の数等を規定した軍役を出した例を
763 :
名無し三等兵:2012/12/27(木) 20:18:25.93 ID:YL01+zhy
【テレビ】NHK「14年大河」ホントは「島津義弘」だった(ゲンダイネット)
関ケ原の合戦では300足らずの兵で敵中突破したことで有名。
他にも、文禄の役と慶長の役で朝鮮へ出兵し、明の大軍相手に勇敢な戦闘力を発揮したことで知られる。
「その豪快なエピソードがネックになった。朝鮮出兵は義弘公の見せ場のひとつ。
“鬼島津”と恐れられたという資料も残っている。絶対に外せないシーンだし、申し分ない“山場”です。
が、8月に勃発した竹島の領土問題で日韓が揉めている中で、局内から難色を示す声が出た。
物議を醸すような事態を避けたわけです」(NHK関係者=前出)
揉めてるな。
話題の島津の件は、北島万次の『壬辰倭乱と秀吉・島津・李舜臣』P64に、
1595年12月に島津氏はみずからの軍役動員計画を立てた。
合わせて15097人で秀吉が定めた陣立の一万を上回っていた。
(文禄五年十二月五日 唐入軍役人数船数等島津家覚書(島津家文書) 慶長二年二月二十一日 豊臣秀吉高麗再度陣陣立書(島津家文書))
これは朝鮮軍役を果たさねば島津家は改易と恫喝されたことにより、
島津家がその嗜みのほどを豊臣政権に示したものだ。
というような事が書いてあるが、その事だろうな。
つまり、北島万次氏によれば、豊臣政権の軍役一万人に対して、島津家が一万五千人の動員計画を立てたという事ではないですかね
>>764 手元にある「歴史群像 文禄・慶長の役」では天正19年に豊臣政権から島津義久に1万5千人の軍役が課せられ、
動員定数を揃えるために百姓などの生産者を根こそぎ動員せねばならず多大な負担を強いられた、
という風に書いてあるがどっちが正しいんだろうね。
>>762 李烱錫「壬辰戦乱史」に実例が載っていたはずだから勝手に読んでくれ
君のためにわざわざ時間を割いて面倒臭いことしたくないからね
おっと、
>>764の軍役計画は文禄の役ではなく慶長の役のことだったね、うっかりしてた
つまり島津氏は文禄の役で軍役の動員定数を揃えることが出来ず、
次は改易と恫喝されたために慶長の役でそれを挽回しようとしたということだろうか
>>766 とりあえず雑誌記事より北島氏の本を支持しておきます。
壬辰戦乱史は手元にあるので、何ページか教えてくれたら僕が見てみよう
ただ、アレは韓国人の本だから、かなり記述がナニで、史料を参考にする為に持ってるが、その他は僕は基本的に無視してる本です。
>>768 >壬辰戦乱史は手元にあるので、何ページか教えてくれたら僕が見てみよう
すまないけど自分は持っているわけではないので、何ページかまでは覚えていない。下巻か?
>ただ、アレは韓国人の本だから
完全に同意。本編でマトモなのは兵力考察とかだけで、残りは朝鮮人が無双乱舞するファンタジー武侠小説だし
あと歴史群像の記述は慶長ではなく文禄の役についてね
>>770 下巻か?と言われても下巻は899ページもあるんですよねえw
>>770 一応確認ですが、歴史群像には「文禄役で豊臣政権の命で島津氏が一万五千動員した」と書いてあったんですか?
>>772 74ページ、「領民の疲弊と苦悩」の項で確かにそのように書いてあるよ。
いや、「1万5千の軍役を課された」とは書いてあるけど「1万5千動員した」とは書いてないな。念のため
陣立書で一万五千人という史料はないな
>>773 横レスだけど、その寄稿をしてるセンセ、頭から軍役=実働員と思い込んでいるらしいので、
その辺は割り引いて読まないといけないんじゃないかと思っている。
まぁ、船はないわ、梅北の叛乱は起こるわ、という状態で1万5千も島津が実働員かけられた
訳はないだろうと思うけどね。
776 :
775:2012/12/27(木) 23:49:51.26 ID:???
をっと ×軍役=実働員 ○軍役=実動員
>>772 動員計画ですね。
それで、慶長役の一万五千の動員計画は
>>764のように文禄五年の史料があるとして、
文禄役の一万五千の史料があるんでしょうか?
あるいはあれは文禄役の史料という解釈なんですかね?
「唐入軍役人数島津家分覚書」は天正19年12月とされているね
天正十九年の史料に一万五千の計画があるなら、文禄役にも一万五千の動員計画があったんでしょうね。
毛利の史料はあるが島津は守備範囲外だからなんともw
しかし豊臣政権の軍役は陣立書の一万だと思います。
伊東祐兵だッッッ
と思ったら参本では伊藤なのな
しかし、なぜ北島氏は『秀吉・島津・李舜臣』で文禄役の一万五千の動員計画をカットして慶長役の動員計画を強調したんだろうかw
文禄役の島津氏はかなりひどいからですかね。
その様子は書いてあるが。
以前から北島氏はこういうカットと強調が多い気がする。
あまり好きではない。
島津氏が文禄役でも一万五千の動員計画を立てていたのなら『秀吉・島津・李舜臣』のP64は何なのと。
>>759 >島津氏の軍役1万5千437人は豊臣政権が島津氏の石高から算出したノルマ人数であって
違う。豊臣政権が島津氏の石高から算出したノルマ人数は
>>779
>>787 普通そう考えるでしょう。
なぜ歴史群像の記事がそう書いたのかよく分からないですね。
記事確認してませんが。
>>786 とりあえず、『秀吉・島津・李舜臣』のP64は慶長の役の動員計画だと知ろう
唐入軍役人数島津家分覚書(天正19年)の「唐入ニ付島津殿御軍役人数一万五千」はスルー?
>>789 え〜と、それは分かっていて、北島氏の本を読むと『慶長役では一万五千の動員計画を立てた』と読者が考える記述の仕方だな〜と。
しかし文禄役でも島津氏の動員計画は一万五千だったのねと。
>>790 僕は『陣立書>覚書』と思います。
『豊臣政権の軍役』は陣立書の人数。
ああ、歴史群像はそれを根拠に島津氏に対する豊臣政権の軍役は一万五千としたんですかね。
なるほど。
まあ「覚書はスルーか」と言う意見は、逆に覚書を優先したら「陣立書はスルーか」みたいな。
豊臣政権の軍役はどちらだ?と言われたら陣立書でしょう。
それもあるけど、前々から指摘されてるように、意図的なのか
無知なのかは判らんけど、島津氏全体のものと島津義弘とを
区別しないで、とかく騒ぎ立ててるのがいるよな。
豊臣政権の島津氏全体の軍役は一万五千で正しいのが答えという事なんですかね。
豊臣政権としての軍役の石高基準の建前は対島津氏全体で1万5千なのだろうけれど、
実際には当時は豊臣政権への近遠、またその時々の政情で無役分というのがあるから、
後の徳川幕藩下のように基準化されている訳でもないし、課される時点での各家個別の
理由で増減はあるということしか言えないんでないかね。
石高による島津氏全体の軍役は一万五千で、島津氏はそれで文禄・慶長の動員計画(覚書)を立てたが、
様々な事情を加えた豊臣政権の軍役(陣立書の数字)は単純な石高より低い、という感じかな?
参謀本部編日本戦史朝鮮役
我軍の計画及措置
文禄元年正月五日 前関白秀吉令を下し陸海諸隊の部署を発布して名護屋に集中せしめ
先鋒隊の名護屋出帆及爾余の居城出発の期日を規定す
其区分及道行之次第左の如し
四番隊 一萬三千五百人
二千人 毛利壱岐守吉成
一萬人 島津侍従義弘
千五百人 高橋九郎元種・秋月三郎種長・伊東民部大輔祐兵
三月十三日 第一次の出征諸部隊区分及一般方略を頒布す
其大要左の如し
四番隊 一萬四千人
二千人 毛利壱岐守吉成
一萬人 島津侍従義弘
二千人 高橋九郎元種・秋月三郎種長・伊東民部大輔祐兵・島津又七郎忠豊
参謀本部編日本戦史朝鮮役
晋州城の攻略
京城方面の我が主力既に南に退き一部は尚州に、爾余は釜山地方に駐屯せり
是に於て秀吉は(文禄二年)五月二十日命令を在鮮軍に下し、其部署を規定し方略を示授す
其要旨左の如し
晋州攻城隊
第一隊 二萬五千六百二十四人
六千七百九十人……加藤清正・相良頼房
五千八十二人………黒田長政
七千六百四十二人…鍋島直茂
千六百七十一人……毛利吉成
二千百二十八人……島津義弘
七百四十一人………高橋元種
三百八十八人………秋月種長
四百七十六人………島津忠豊
七百六人……………伊東祐兵
参謀本部編日本戦史朝鮮役
講和中に於ける両軍の情況
文禄二年六月 秀吉は明軍と講和を開始せるに拘らず一面宇喜多秀家、毛利秀元以下の諸将をして
殆んど全軍を挙げ晋州城を攻撃せしめ包囲八日にして之を屠る
明鮮軍其付近に在るもの敢えて之を救わず
既にして在鮮の諸将はさきに発せし秀吉の訓令に基き朝鮮沿岸の要地を相して十有八城を構築し以て久留の計を為す
其工事は概ね七月中旬を以て経始し専ら邦式に拠り壕池を鑿ち石壘を築き楼櫓兵営を興し倉庫厩廚を設く
其城塞及守将左の如し
巨済島の一城 永登浦(旧)…島津義弘
七月二十七日秀吉令して諸城の守備兵を定め
釜山城(其支城(海峡の岬角)一千人を含む)、加徳(其支城を含む)、及び金海(同上)は各五千人、
東來(←來の上に草冠)城は三千人、
巨済の一城(島津の守る所)は二千人と為し
(他の諸城は未詳、蓋し大城(其支城含む)は五千人、小城は二千人と定めしものならむ)
主として九州、四国及中国(毛利)の兵を留め其他は築城の功を竣るに従い逐次帰朝せしむ
参謀本部編日本戦史朝鮮役
後役
我軍の計画措置及経過の概要
講和中より引続き鮮地に駐まりしもの大要左の如し
加徳城…島津忠恒(義弘の子)
(慶長二年)二月二十一日 秀吉再征軍を部署し先ず全羅、忠清二道を攻略せしむ
此役は秀吉復た名護屋に赴かず京師、伏見、大阪の間に在り以て在鮮軍を指揮せり
其命令の要旨左の如し
三番隊 兵一萬人
五千人…黒田甲斐守長政
二千人…毛利壱岐守吉成・毛利豊前守勝永
八百人…島津又七郎忠豊
六百人…高橋九郎元種
三百人…秋月三郎種長
五百人…伊東民部大輔祐兵
八百人…相良宮内大輔頼房
五番隊 兵一萬人…島津侍従義弘
参謀本部編日本戦史朝鮮役
明鮮軍の再挙
慶長三年五月 蔚山の重修成るや秀吉乃ち小早川秀秋・宇喜多秀家・毛利秀元・淺野長慶等以下兵約七万余人に帰朝休養せしめ
諸城の守備を戒ちょくし更に爾後の作戦を企画せり
其諸城の配備概ね左の如し
釜山の本城 兵五千人…毛利吉成等(島津忠豊・相良頼房・伊東祐兵・高橋元種・秋月種長)
泗川城 兵一萬人…島津義弘
>>735 史料批判や批判的読書が出来ないなら、それは学問でなく信仰。
何を信じるのか?ではなく、何が疑わしいのか?で見ないと。
本やイデオロギーのどれかにいつも騙されていないと不安なのなら別だが?
>>798 石高は検地で変わったからね。
特に文禄の役の最中に豊臣政権の検地があって石高が変わったのはポイント。
朝鮮征伐とは?
807 :
名無し三等兵:2013/01/01(火) 06:46:30.85 ID:JFdmi+zI
自らの力量も弁えられない雑魚が、他国を略取し虐殺の限りを尽くした侵略戦争の事だ
目的の中国征服には日本海を超えて山岳地帯だらけの朝鮮半島を超え
中国東北部の強勢な遊牧民を退け、難攻不落の山海関を超え・・・
とアホみたいに難易度の高いルートだったからな
まともに情報収集していたとは思えないな
よく見つけたなw
ほんとこんなのが生きてるうちはろくな研究がされんだろうな
>>809 卍の主張・・・ 「朝鮮水軍と戦ってはならぬ」と秀吉が命じた → ×
史実・・・ 「城を築いて、陸から朝鮮水軍を討て」と秀吉が命じた → ○
>>812 >史実・・・ 「城を築いて、陸から朝鮮水軍を討て」と秀吉が命じた → ○
そして、この秀吉の戦略は成功し、朝鮮水軍の動きは封じられた。
そもそも李舜臣なんかが教科書にデーンと載ってる事自体が笑えるわ
いわゆる良識的学者の卍とか貫井の働きかけが大きいな
釜山に殴りこんで失敗したこととか意図的に無視してるからな
史家を名乗ってほしくないねぇ
李舜臣は陸地拠点攻撃で全敗
主なものは
文禄1年8月の釜山攻略作戦
文禄3年9月から10月にかけての巨済島攻略作戦
慶長3年9月から10月にかけての順天城攻略作戦
これら全て敗退してる
817 :
名無し三等兵:2013/01/04(金) 14:46:26.66 ID:yU6I6R/m
なんか矢鱈と卍の本を宣伝するやつがいるな・・・
卍の本は読む気がしないが
そんなに面白いことが書いてあんの?
その本読んだけど内容がないよう
記述のほとんどが以前の著作の使いまわしだもんw
まあなんだ、お前は他人にレビューを書いてもらわなきゃ死ぬのか?
自演乙ww
征伐
秀吉「唐入りって誰も言ってくれなくなったなあ(涙」
あの頃は明なのになんで唐?
今で言う中国みたいな意味として使われてたから
829 :
名無し三等兵:2013/01/10(木) 13:54:20.88 ID:lzMqsWGb
地図だけ見たら明まですぐ攻めれそうやけど(開戦後すぐ平壌まで行ってるし)遠かったんだろな〜!
まあ明、朝鮮軍は強かったな
だから敗退しただけ
>>827 マジレスすりゃ、”唐”は日本においては歴史的に中国大陸の
国の総体的名称あるいは地理的観念だから。
日本・唐・天竺をもって三国(≒世界)とするのがその好例。
支那とか中華とかと一緒だね
唐人町なんて今でもあるし
日本、唐、天竺で三国一とかいうけど朝鮮は入ってないんだなww
唐人といえば、朝鮮役当時の史料では、明兵と朝鮮兵とを区別せず
“唐人”と総称してることもあるあね。
>>833 朝鮮は“唐”に含まれるものと思われ。しかし、一部の寺社の縁起などで、
唐の代わりに百済を入れて三国としてる場合もあるらしく、それはそれで
仏教伝来の経緯絡みで興味深い話ではある。
>>833 当たり前だろ日本での表現なんだから。アンタどんだけ朝鮮コンプレックスなんだよ
朝鮮にコンプレックスなんかないわ
スルーされてんのを笑ってんだよ
>>831 大和朝廷以後近世までの日本視点の亜細亜の範囲だね
東大寺の大仏の開眼式にインドから坊主呼んでるし
薬子の変で廃太子になった高丘親王も天竺目指したくらいだ
亜細亜というより当時なら全世界と言って良いんじゃないか
朝鮮征伐は紛れもなく日本の朝鮮・明に対する侵略戦争
戦争が起きた原因は秀吉の「男のロマン」である
日本人なら誰だって大陸に覇を唱える事を夢見るものだからね
お前と秀吉だけやろww
842 :
名無し三等兵:2013/01/28(月) 08:33:51.36 ID:ZHNqvv7H
結局、鳴梁海峡を突破されて全羅道侵攻は防げなかったナ
844 :
名無し三等兵:2013/01/29(火) 10:46:38.36 ID:jMXFoFhT
李舜臣=ネルソン
秀吉=劣化ナポレオン
トラファルガーが戦局にあまり影響しなかった点では正しいな
一国を統一した国王と一戦役の局地戦でちょこっと活躍しただけの将校を比較されても・・・
李舜臣を見出したのは朝鮮総督府なんだろ
秀吉軍相手にちょっといい格好出来たというだけで
848 :
名無し三等兵:2013/01/29(火) 20:08:54.32 ID:jmRddGoc
ただの暗殺犯といい、この程度のカスが英雄に祭り上げられるんだからな
李舜臣と比べんなってネルソンのが上だろww
850 :
名無し三等兵:2013/01/31(木) 19:07:18.27 ID:t1hyw8BV
ネルソンはフランスのイギリス上陸を阻止したが
李なんとかは阻止できなかったどころか、易々と上陸させて国土を蹂躪された間抜け
こんなのと同列に語られて、ネルソンもつくづく気の毒だ
それでも活躍しただけましだろ
大半は蹴散らされるのが仕事だったんだから
と言うか戦うのは明軍の仕事だ
ネルソンはトラファルガーの勝利で大陸軍の英本土上陸を完全阻止し
ナイル海戦の勝利を以ってナポレオンの遠征軍を完全にエジプトに孤立させた
李がネルソンと並ぶには少なくとも日本の主力艦隊を2回撃滅する必要がある
>ネルソンはトラファルガーの勝利で大陸軍の英本土上陸を完全阻止し
この辺勘違いしてる向きが多いけど、トラファルガル海戦以前に
ナポレオンは英国侵攻を断念して英仏海峡周辺から集結させていた
軍を撤収してロシア遠征の準備を始めていたので、トラファルガル
海戦の勝利はナポレオンの侵攻断念とは無関係というのが史実。
同じ李でも小西を平壌から撤退させた李如松のが活躍しているなww
>>853 チャーチル著『第二次世界大戦』読んだか?
李スンシンはネルソンと比べちゃ流石に失礼
実績が乏しい割にイメージ先行して過大評価されているので
山本五十六あたりが適当な比較対象。犬死だし
>>855 見当外れな本を持ち出す辺り、いかにも馬鹿そうだけど、
とりあえずウィンストン・チャーチルの著書名は
『第二次世界大戦回顧録』な。
> ナポレオンは英国侵攻を断念して英仏海峡周辺から集結させていた
> 軍を撤収してロシア遠征の準備を始めていたので、トラファルガル
> 海戦の勝利はナポレオンの侵攻断念とは無関係というのが史実。
何が史実だよボケ!!!
お前の妄想じゃんドアホ!!!!
まあチョンは息を吐くように嘘をつくからな
ナポレオンがイギリス侵攻軍をドイツに向けたのは
オーストリア・ロシア連合軍を早い段階で各個撃破する為で
決して英本土上陸をあきらめた訳じゃあないだろう。対仏同盟軍を
放って置いたらフランス軍の倍くらいの規模になってフランス本土に攻めてくるのだから
沸点の低い奴がいるな、何がそんなに君の心を傷つけたのかね?
極東の猿同士の喧嘩など欧州列強から観たら児戯に等しい
まあこうだ
ネルソン>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>スンシン
(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
秀吉の動員力は100年後のルイ14世以上だけどな
それに数倍する動員力を持つ明が近くにいなければねえ
文禄の役では祖承訓の先遣隊に李如松の本隊、劉テイの増援まで含めて5万数千くらい?
この時点ではそれほどでもないが、慶長の役での派遣軍は10万を超えたというから
戦闘員の数では明軍だけで日本軍とタメ張れるレベルだな
朝鮮の役だと秀吉の数倍も動員出来なかったけど
日本には海を越えて10万人以上の軍を展開するというハンデがある
外洋を越えて敵地で戦線維持しただけでも快挙
まあ元寇の時はちょっと上陸しただけで橋頭堡すら確保できんかったから
それに比べたら秀吉は傑出してる
秀吉つーかやってのけたのは石田三成だな
>>869 おいおい、勝手にやらかしておいてハンデとか言うなよw
明や倭の大軍が駐屯するだけで略奪行為が頻発するわけだから
朝鮮民衆の困苦はいかばかりだっただろうか。まるで30年戦争で
国土が荒廃したドイツのようだ。苦難から立ち上がって世界のトップランナー
まで上り詰めた点も朝鮮とドイツは似ている
未だに統一すらできんへタレ民族が何か言ってますなwwwwwwwwwwwwwwwwwww
当時のアジア三強は秀吉、明、オスマン帝国なのは間違いない
一個人で国家とタメ張れる秀吉凄すぎ
家康と利家も行っておれぱ楽勝だったのに
それだけが悔やまれるな
そいつらが大軍で押しかけたら朝鮮人が飢え死にして死に絶えるぞ
史実として見事に失敗したのをマンセーするのも大変だなぁ
返り討ちにされた李なんとかと言う馬鹿の事ですね
>>880 と、思い込む事で君の心が保てるならそれもまた良し
アホチョンがまた話しを逸らそうと必死(笑
そういや明軍ってのは朝鮮人の首斬って戦果にしてたな
そりゃあお礼もしないわ
本当に李スンシンが巷で言われているような名将なら
日本軍は半島に孤立してジリ貧となって果てるか
降伏して捕虜になるしか道は無いのだが
結局自力で全軍引き上げてる。海上で朝鮮側が有利だったとは思えない
蔚山城の戦いの屏風絵を載せて李舜臣が補給路を断ったせいで飢えと渇きに苦しんでるような書き方してたな
小和田センセイ
「一般人がこの戦争に関する正確な知識を得ることはかなり難しい。
この戦争全般について詳しく書かれた一般書籍は残念ながらまだ無く、
部分的に解説した書籍も、大概はどの史料のどの部分を引用してこう書いたのか?
という事は書いていないからだ。自力で知ろうとすれば、
大規模・長期間であるために非常に多くの史料を吟味しなければならず、
これら個々の史料も書籍になっているものは少ない。
朝鮮側・明側の記録は視野が比較的全体に渡っているが、あくまで
「国家の歴史」の一部分としての記録でしかないため、あまり詳しいとは言えず、
これだけでは全く不十分である。中世的修飾に満ち溢れているのも頂けない。
さらに言うとウィキペディアの記事はあんまり当てにならない。
これは日本人ウィキペディアンが、英語版ウィキで朝鮮お得意の情報操作が
炸裂していることに腹を立てて、朝鮮ほどではないが行き過ぎた執筆をしているためだ。
ゆえに「日本は敗北した」という書き込みをすると光の速さで削除されるし、
いくつかのページで「韓国では○○としているが、実際は〜」といった文が見られたり、
日本が敗北した「平壌城の戦い」はページさえ作られていなかったりする。
困ったものである。結論から言ってしまえば、この戦争に日本は敗北した。
元寇で元(モンゴル)が日本に敗北したのと同じく、日本は明・朝鮮に敗北した。
こう言うと必ず「秀吉が死んだから撤退したんだ」と言う輩がいるが、
それを敗北と言うのである。兵が足りなくなった、物や金が足りなくなった、
指導者が死んでいなくなった、仲間割れが起きた・・・・・・などなど、
国家が戦争に敗北する原因は色々あるが、どれも負けには違いない。
また「日本は会戦にはほとんど勝っていた」という事実は、戦争の勝敗を決定する要因
ではない。劉邦のように、1回だけ勝って他の戦い全てに負けていても、
戦争に勝つことはある。それどころか戦争せずに勝利国になることさえある。
会戦の勝敗と戦争の勝敗は別のものだ。」
↑アンサイクロペディアに「朝鮮征伐」という項目があったから読んでみたら
かなり真面目な意見が書いてあってちょっとびっくりした
しかし戦略が根底から破綻した文禄の役はともかく、秀吉が死去するまで計画が極めて順調に進んでいた
慶長の役まで明確な敗北と言い切ってしまうのはどうなんだろうか?
極端な話、オゴデイの死去で撤退したモンゴルのヨーロッパ遠征もモンゴル側の敗北ということになってしまうのでは?
それに世の中、勝ち負けをはっきり決められる戦争ばかりではないと思うんだが
アンサイクロな時点でお察し
あそこは左巻きが管巻いてるだけだし
教科書だと失敗と書かれてたことが多かったし事実その表現のが正しいでしょ
関ヶ原やワーテルローのような主力同士の大会戦で敗北した戦役でもないから
889 :
名無し三等兵:2013/02/03(日) 07:27:14.22 ID:07MXTroa
「六年半という期間、日本軍は大規模な軍事行動を二度起こしたが、彼らはこの中で殺戮と破壊のみに終始した。
日本側の地上軍は、その大部分の戦いで勝利し、朝鮮半島地域の大部分を席巻した。彼らはほとんど敗れることなく、
多くの将軍が子孫末代まで続くほどの名声を得た。こうした観点から見ると、
日本軍が起こした戦争はイピロスのピュロス王やハンニバルが起こした戦争と似たところがある。
ピュロス王やハンニバルともに、彼らが起こした戦争を通じてイタリア半島の広い地域を荒廃させ、
ローマの主導権を脅かし、ほとんどの戦闘を勝利に導いた。しかし結局、戦争そのものには敗北した。
一方、日本と彼らの間には異なる点がある。ピュロス王やハンニバルを倒した相手はローマであり、
その後ローマはギリシャを征服してカルタゴを破壊した。
一方、朝鮮や中国は、日本による征服は退けたものの、戦争に勝ったとは言いがたいのが実情であり、
再び戦争以前の状態に戻ったのである」
>>889 ハンニバルはメタウルス、ザマの戦いで決定的敗北を喫したぞ
ウィレムブートって誰?
このコピペの出典自体わからないな
>>891 ウィレム・ブートはオランダのライデン大学日韓言語文化学科教授
文章の出典は鄭杜煕著「壬辰戦争」
で、実際どうなのよ?
一般人がこの戦争に関する正確な知識を得ることはかなり難しい。
この戦争全般について詳しく書かれた一般書籍は残念ながらまだ無く、部分的に解説した書籍も、大概はどの史料のどの部分を引用してこう書いたのか?という事は書いていないからだ。
自力で知ろうとすれば、大規模・長期間であるために非常に多くの史料を吟味しなければならず、これら個々の史料も書籍になっているものは少ない。
朝鮮側・明側の記録は視野が比較的全体に渡っているが、あくまで「国家の歴史」の一部分としての記録でしかないため、あまり詳しいとは言えず、これだけでは全く不十分である。
中世的修飾に満ち溢れているのも頂けない。
さらに言うとウィキペディアの記事はあんまり当てにならない。
これは日本人ウィキペディアンが、英語版ウィキで朝鮮お得意の情報操作が炸裂していることに腹を立てて、朝鮮ほどではないが行き過ぎた執筆をしているためだ。
ゆえに「日本は敗北した」という書き込みをすると光の速さで削除されるし、いくつかのページで「韓国では○○としているが、実際は〜」といった文が見られたり、日本が敗北した「平壌城の戦い」はページさえ作られていなかったりする。
困ったものである。
結論から言ってしまえば、この戦争に日本は敗北した。
元寇で元(モンゴル)が日本に敗北したのと同じく、日本は明・朝鮮に敗北した。
こう言うと必ず「秀吉が死んだから撤退したんだ」と言う輩がいるが、それを敗北と言うのである。
兵が足りなくなった、物や金が足りなくなった、指導者が死んでいなくなった、仲間割れが起きた・・・・・・などなど、国家が戦争に敗北する原因は色々あるが、どれも負けには違いない。
また「日本は会戦にはほとんど勝っていた」という事実は、戦争の勝敗を決定する要因ではない。
劉邦のように、1回だけ勝って他の戦い全てに負けていても、戦争に勝つことはある。それどころか戦争せずに勝利国になることさえある。
会戦の勝敗と戦争の勝敗は別のものだ。
ここを見た諸兄はどうか、次に戦争が起きた時に過去の日本人と同じ失敗をしないよう、日本が最大限に利益を得るにはどうすれば良いかだけを考えてほしい。
利害だけを考えるなんて出来ないという方は、頼むから指導者的立場にだけはつかないていただきたい。あなたがそうすれば、必ず日本人が損害を受けることになるからだ
893-894 コピペウザイ
>>894 元寇と文禄・慶長の役を同列に語られてもねえ。
元寇は日本側の抵抗によって勝利がもたらされたのに対して、文禄・慶長の役の終結理由の
「秀吉の死去」は明・朝鮮による抵抗のおかげではない。
文禄・慶長の役と対比すべきは「モンゴルのヨーロッパ侵攻」や「武田信玄の西上作戦」、
「本能寺の変を受けての秀吉軍の撤退」などと比較すべきだ。
いずれも戦争指導者が亡くなったために中止された戦争であるが、これらの戦いの攻め手側の
撤退を捉えて敗北したなどと言う者はいない。
では、なぜ同様の経緯である文禄・慶長の役のみ戦争に敗北したことにされるのかというと結局は894の
「次に戦争が起きた時に過去の日本人と同じ失敗をしないよう、日本が最大限に利益を得るにはどうすれば
良いかだけを考えてほしい」この文に集約されている。
要するに、歴史を「反省史観」で捉えているので、外征戦争である文禄・慶長の役は「反省すべき歴史」として
摩り替える必要があるからだ。
突発的な理由で終った「灰色」の戦争を何でもかんでも「白」か「黒」かに分ける必要なんて無い。
死期を悟っていたのに、収束の手立てを行わなかった点で、政治家として戦争に敗北したといえる
本当に悟ることなんて出来ないよ
病に倒れた5月から死ぬまでの8月の3ヶ月の、5月26日に戦線拡大を表明する書状を送っている
それ以降の秀吉の指示は殆ど無いし、あっても当たり障りのことしかない
秀吉が自身の死を全く考慮せずに戦争を行なっていたとしたら、それは上に立つものとして無能と評して良い
死後は秀頼を戴いた五大老の判断に委ねるつもりだったんでしょ
今でこそ後知恵で家康が裏切って関ヶ原を起こすと考えられるけど
そんなこと当時の秀吉が予見できたのかね
統治者として多くの将兵を外地に送り込んだ秀吉が、その後の方針を一切述べずに死んだのならば、
それは無能以前の問題
文禄・慶長の役が始まって「秀吉の死」を迎える3ヶ月前に秀吉が倒れたながら
「収束の手立てを行わなかったから敗北?
戦争を起こす以前に死期を悟っていたならまだしも、戦争途中で病状が悪化しながら
「収束の手立てを行わなかった」ので敗北とはどんな論理だ?
一度起こした戦争の途中に病に倒れたことと、収束の手立てを行わなかったことと
戦争の勝敗は何の関係もない。また、晩年の秀吉が無能だったかどうかなど戦争の勝敗に
関係もない。
それにこの手の輩は秀吉が途中で収束させたらさせたで、どちらにせよ「日本の敗北」だと
するに決まっている。
慶長の役の戦略目標である、南部三道の制圧を終えて、倭城も作って奪還軍を排除して。
後は明国の回答を待つだけでしょうに、これ以上何をしろと。
慶長の役の始末を秀吉が何にも考えていなかったとは考えづらい。
結局は、大阪の陣などでそういった文書が焼けてしまって現代に伝わらなかった
だけだろうね。
>>903 秀吉の指示が現場の将兵の意識とは乖離していたことは蔚山城の戦いで表面化している
よって秀吉書状にある計画が実際に行われたかは疑問
最高指導者の無能・有能が戦争の勝敗に関係ないとは嗤わせる
>>904 つまりイニシアチブを有していなかったということですな
>>905 根拠のない期待論ですな
>>906 >最高指導者の無能・有能が戦争の勝敗に関係ないとは嗤わせる
秀吉の能力が勝敗の決め手になっていないのだから何の関係もないとしかいえないね。
結局、当初の目的どころか何も得られずに半島を撤退したのだから敗北
>>909 講和の時に秀吉は己の死期を悟っていたのか?
君は「病に倒れながら、収束しようとしなかったから秀吉は無能だ」と言っている。
では、講和の時に秀吉は病に倒れていたか?答えはNOだ。
結局、秀吉の能力が勝敗の決め手になっていないのだから何の関係もない。
>>911 そのままでも勝てると判断していたする論なら、遺言で戦闘を継続すれば勝てていたことに成る
その場合、秀吉はそういう遺言を残さなかったので撤退を招いた無能
>>907 いや明軍も蔚山城攻略戦で敗北して以来日本軍撤退の報を聞くまで何も出来んかったわけ
しかも秀吉は慶長四年に大軍を再派遣するつもりだったんだよ
>>912 遺言かはともかく秀吉自身は慶長4年に大規模な軍を派遣することは決定していた。
それを実行せず、秀吉の死を受けて撤退と決めたのは五大老による判断だ。
>>913 三路の戦い以降の話は仮定になるが、明軍がそのまま壊乱するというのはどうかと
それに来年の目標は全羅道や蔚山方面で大将は福島正則・石田三成・増田長盛とあるので
多くても精々五万程度かと
>>914 病に伏して以降の秀吉が同様の命令を下した形跡は見られない
それにあれはあくまで予定の範疇にすぎない
>>915 仮定の話をされてもな
なんなら攻勢の準備の後詰としても考えられるし
三路の戦いにしても何とか手柄が欲しい明軍の無理攻めとも考えられる
>>916 何しろ秀吉がその後の指示を全く出さなくなるので
最早、死に近い彼が朝鮮の将兵のことなどどうでもよいと認識していたとしか思えない
>>915 >病に伏して以降の秀吉が同様の命令を下した形跡は見られない
それにあれはあくまで予定の範疇にすぎない
嘘を言ってはいけない。君は5月5日に秀吉は病に倒れて死期を悟ったと言っていたが
その後の5月下旬の『鍋島家文書』慶長三年五月二十二日付朱印状にも明確に来年に大軍を
派遣することを明言している。
秀吉が死後もこの計画が実施されることを考えていたことがうかがえる。
なお、君は
>>905で史料に無いものは『期待論』と言い切っているので
その計画を中止するよう秀吉が命令を下した史料が無いため、君の論で言えば
慶長4年の出兵こそ秀吉の慶長の役の遺言だと考えることも可能だ。
>>917 そもそも南部三道の割譲が目的でしょ
どうでもいいって、、どうでもいいなら援軍送ろうとするわけないじゃん
>>916 その点、修正すると病が本格的に重くなったのは6月に入ってからだね
ごめんね誤った情報を示して
秀吉が倒れたのは5月5日なので誤っていないよ。
病が重くなるってw
5月で倒れた時点で重いじゃんw
どんな言い訳だよ
>>922 いや、食事も取らなくなるのは6月に入ってから
後、来年の攻勢については何度も記されて実行されなかった秀吉渡海と同様に、
プロパガンダの可能性もある
>>926 その後に遺言状を作成して朝鮮については何も記していないのに?
この時代の人が病を得て帰国とか療養なんてしょっちゅうだろ
快方に向かうと思ってたんじゃないの?
5月の段階では快方に向かうと思ってたのかもしれないし
死ぬと悟ってからはまずお家の安泰が先立つ問題でしょ
>>929 一項もないのは最早関心がないということに他ならない
それとも本心では失敗を悟り逃避していたのかもしれない
君の中ではそうなんだろうね
近代国家の延長として見過ぎてないか
一人の指導者の死は一時代の終わりという時代なのに
(゚д゚ )乙 これは乙じゃなくてポニーテールなんたらかんたら
元寇だって純粋に軍事的に日本の勝利なんだが
何故か相手が運悪く嵐にあったから日本が助かった
みたいな解釈がまかり通っている
元寇の場合は遠征軍が壊滅してるからね
朝鮮征伐の場合は遠征軍がそのまま引き上げてる
でも遠征としては失敗
モンゴルのポーランド遠征的な展開だけど
あれモンゴルは負けた?
まあ明にボロ負けという事実は変わらないがなww
明と朝鮮には勝算が無かった、日本軍は秀吉が死んだから撤退しただけだってよ
明史の著者はネトウヨw
そりゃあ、アメリカも北朝鮮も朝日新聞もネトウヨだからな
日本側の資料は全部嘘で明の資料も嘘で
自分の脳内仮想戦記が一番正しいとでも言いたいんだろ
>>940 清が大袈裟に書いてるだけだよ
江戸時代に出回った秀吉下げの珍説みたいもんだろ
日本側の複数の資料に神風のおかげですって書かれてるのに全部嘘で(ry
清側とすれば秀吉軍を完膚無きまでに叩きのめした最強の明軍に打ち勝った
とでも宣伝する方が体裁がいいじゃん
なんでそう書かないわけ?
>>944 そういう描写は史実の寧遠戦いとして存在するから
今更、明軍の強さを示す気はなかった
それじゃ秀吉に大苦戦した弱い弱い明軍ごときに
太祖ヌルハチは撃退されちゃいましたってことになるじゃん
二十四史の中でも比較的公平と評価の高い明史が信用できないという
>>942は
具体的にどの資料を信用してるんだろうな
では秀吉と戦った明軍がめっちゃ強かったという史料を出せよ
ソースは僕の考えた半島英雄伝説だろ
>>948 いや、実際ヌルハチは病死だろ。
というか、戦傷がもとで死のうが病死しようがヌルハチの敗北に変わりは無いのに誤魔化すも糞もないじゃん。頭大丈夫?
>無批判に信じるほうが問題かと
確かに鵜呑みにするのは危険だが、
>>942が二十四史と江戸時代の軍記物や講談の類の信用性を一緒くたにしてるようだから問題なんだよ。
>>951 敵に傷を負わされ死亡というのは重い
事項でなく評価は色が入っているでしょう
ヌルハチが戦傷がもとで死んだなんてのは憶測に過ぎないんだけどなw
満族史研究会の松浦茂氏なんかは寧遠城の戦い以前から重い病を抱えていたから普通に病死だろうという見解
ショクサンの戦いで黒田長政は撤退したからな
結局僕の考えた半島英雄伝説でしかないんだよ
>>956 ウィキペディアなんてのは自分の都合の良いように書き換えたりする所だから
その必要はない
何より反論されて何も言い返せなくなったら、俺の沽券にかかわるから止めておく
まあ
>>955みたいな発言しちゃう程度の知識量なら
まず間違いなく反論されて何も言い返せなくなるだろうなw
>>958 プッ!!!
アホくせえへタレの言い訳(笑)
朝鮮南部しか支配下に置けないというのは古墳時代から変わらんね
もうええって
お前の負け
結局、得るもの何もなく撤退したから、完全なる失敗だね
または敗北ともいう
はいはい朝鮮の大勝利でつね
なんか真珠湾で日本軍がさっさと引き上げたから
米軍大勝利と言うのと一緒だな(笑)
日本の目的は何か達成されましたかな?
文禄では失敗慶長では成功
慶長の役の戦争目的が「朝鮮に対する懲罰」なら充分目的は果たした
戦闘では終始有利に戦えたし敵将を何人も戦死させてるし撤退も順調だった
なにより10万の大軍が敵地に駐屯するだけでその土地は疲弊するしね
世界征服から只の嫌がらせに堕したと、
>>969 朝鮮南部の支配から随分後退したましたね
それに「懲罰」に応じて朝鮮が謝罪したということも無いですね
朝鮮南部の支配が目的というのも単なる憶測でしょ
そもそも慶長の役は作戦中途で終わったんだから成功も失敗もない
いや、そもそも内乱状態のまま、外国に出征って異常だろ
そこに戦略目標だのなんだのって言われてもね
国内戦の延長で考えていた秀吉がおかしいって話だよ
はぁ?延長では考えてないだろww
単に弱すぎただけ
なので失敗した
>>972 南部の割譲は和議の条件として明示されている
尤も、実際は人質になる朝鮮王子へ渡されるという形だったらしいが
作戦途中で成果無しで終わったらそれは普通、失敗なのだが
>>975 >南部の割譲は和議の条件として明示されている
それだけじゃ根拠として弱い。何より、慶長の役でも最終的に明国境まで攻め上るよう秀吉が指示した書状もある
>作戦途中で成果無しで終わったらそれは普通、失敗なのだが
じゃあ武田信玄の西上作戦、バトゥのヨーロッパ遠征も失敗ね
>>974 えっ?
精鋭の明軍100万を死なせて
40年後の明滅亡の遠因になったのに弱いって?
100万てお前・・・
>>977 遠因?そんなのベトナム人が蒙古は撃退したので日本は3度目の侵攻を免れたとか言うのと同レベルだろ
100万とかアホか?
>>976 秀吉の書状はプロパガンダが多いから割引く必要がある
特に慶長役時点で秀吉自ら出陣するとか、明まで攻め上るとかは確実にそれかと
信玄は二俣城や天方城等の北遠江の諸城を手に入れ、バトゥに至っては東欧まで領地を拡張しましたね
成果というなら予定通り全羅道と忠清道を残らず「成敗」したのも十分な成果なんじゃないの?
そもそもの話、上の人も言ってるように突発的な理由で終わった戦争を
何でもかんでも「失敗」か「成功」かに分ける必要なんてないだろ
まあ秀吉が死んだから「中断」して撤退という事だな
半島南部に追い込まれてほうほうのていで撤退したって事になってるが
見方によっちゃ、明に対する自衛的先制攻撃って考え方もできるからなぁ
だとすれば、その後日本が責められてないから成功っていう話でもある。
って言っても、現代国家みたいな考え方をするほうがおかしい。
この当時の考え方かりゃすりゃ
侵攻したけど、何も得られませんでした=失敗
で、いいんじゃねえの?
中断つったけど結果として失敗だな
うまいこと返してるつもりなんだろなあw
>>981 秀吉の死を突発的とされても
そりゃ評価として結論は出さないと、何でも曖昧で良いというのは日本人の悪い所
いや、わざわざ議論するまでもなく
日本=敗北
明=勝利
で、白黒ついてるでしょ?
白黒つくような決戦で大敗したわけじゃないからねえ
いや死者数からは明チョン連合軍のボロ負けだろ
攻めた側が白黒を付ける決戦ができなかった時点で攻めた側の負けじゃない?
まあ、守る側がかったと誇れる戦いではないだろうけど・・・
日本側のキルレ1.50くらい行ってるよな
逃散や病死の数を加えるとトントンなんじゃないかなぁ
逃散含めたら明朝鮮軍はもっと酷いだろ
どの戦いも総大将が我先に逃げ出してんのに
そんな相手を押し込めず引きこもってただけと?
それは地理と寒さに不慣れだったから
対馬海峡の向こう側に追い出すことも出来なかった明朝鮮軍の体たらくは無視か
元寇じゃ鎮西武士は沖に追い出したというのに
>>995 慶長の役のことを言っているなら
周辺の敵軍を一掃して拠点構築を進めていたところに
明朝鮮軍が攻めて来たけど返り討ちにしましたってだけじゃん
散々に明朝鮮軍を押し込めた緒戦は無視かとw
>>995 押し込めなかったのは明軍だけどな。
下請けの朝鮮軍は話にならなかった。
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