明の負けっぷりには誇張が多そうだ。
あんなに負けたら普通軍が瓦解する。
対女真の転用部隊が大敗した事はあるけど
明の本軍が壊滅した記録なんてあったっけ?
李朝軍はどの侵攻路でも木っ端微塵に粉砕されてるけど
>>700 国境の遥か外の僻地に建てられた和城なんか無理に落す必要も無かろ
大半の戦いに明軍の勝利した
>>699 これが最大の誤算だったと思う、せめて同緯度の東北並に豊かなら
ある程度の大軍も駐屯できただろうけどさ
慶長の役は現実を鑑みて朝鮮南部4道の支配を目的としてる
朝鮮北部〜遼寧省のラインを超えて進撃するなんて騎馬民族じゃないと不可能
>>705 >対女真の転用部隊が大敗した事はあるけど
これって明で最強の部隊だろ
中国軍事史のケネス・スオープ準教授も
朝鮮に派遣された部隊は明朝の最精鋭軍だったと指摘してるな
>>706 実際に明軍は蔚山に4万5千、三路に9万強の大軍を動員して無理にでも倭城を落とそうとしてるわけだが
ゆっくりと南部二道奪って講和なりして侵攻すれば良かったのに
なんでいきなり半島全部奪おうとしたりしたんだ。そんなん無理だろ
>>711 慶長の役は南部4道の支配が目的
文禄の役は3週間で漢城を占領して出来すぎだったんだよ
前線は敵が弱すぎて突き進み過ぎちゃって戦略が立てれなかったし
朝鮮北部の土地の痩せっぷりを甘くみてたんだろ。
そこを精強の明兵に叩かれたって感じ
慶長の役は文禄の反省にたって戦略をたててるよ。
大半の日本人は自分達が非常に恵まれた土地に住んでる事を
認識出来てないからな。あらゆる面で非常に恵まれた土地という事を解ってない
つーか、直で土地支配つーのが百姓出身の秀吉の限界だったな
信長なら沿岸の拠点だけ押さえて間接的に支配し富をGETしたろうに
>>712 世界征服からだいぶ後退した目的だなあ、太閤さんのプライドはズタズタだ
716 :
日本@名無史さん:2012/10/31(水) 12:40:32.71
世界征服?馬鹿かこいつは
秀吉は文禄の役の講和条件に「勘合貿易の復活」を挙げており、
それを認めさせれば朝鮮から手を引いた可能性も十分あるだろう。
慶長の役は南部4道の支配が目的じゃないし。
支配を目指すことをやめ、敵軍の撃滅に主眼が置かれたのが慶長の役。
だから、敵を壊滅させては退いて、また敵を誘引して撃滅する。
これを繰り返せば、明・朝鮮のダメージは蓄積される。どうなれば、
いずれは敵に有利な講和条件を認めさせることができる。
過去の例でいうと、モンゴルの朝鮮半島(高麗)への侵攻。
これは30年近く行われたものだけど、モンゴル軍は攻めては敵を撃滅し退く
を繰り返して、ようやく高麗王朝を降伏させた。
わりと粘り強いのは本当だからな
豊臣政権が安定してたら結果もまた違ったろうが
粘り強いというか庶民が貧困に喘いでも気にしないし
平民も奴隷根性が染み付いてるという
あ、日本のことじゃないよw
721 :
日本@名無史さん:2012/11/01(木) 20:02:19.89
722 :
日本@名無史さん:2012/11/02(金) 00:30:11.45
天正20年(1592年)5月18日付関白豊臣秀次宛朱印状では高麗の留守に宮中
を置き、3年後(1595年)に天皇を北京に移し、その周辺に10カ国を進上し、
秀次を大唐の関白に就け、北京周辺に100カ国を与えるとした。
流石に明征服は不可能、北京陥落も難しい
朝鮮が属国ながら国として成立し得たのも
大軍の駐屯出来ない遼寧省や朝鮮北部が存在したから
白村江の後も中国軍はそのまま朝鮮に居座ろうとしたんだけど
結局引き上げてるしさ。
あの土地を大軍が進撃出来るのは大量の輜重を運ぶのが楽になる近代まで待つ必要がある。
ただ、それゆえに
慶長の役のやり方でなら10年〜15年かければ
朝鮮半島の支配は可能だったと思う。
>>723 中国から行くのは困難だけど
日本から行く分にはそれほど困難じゃないよ、古代にもやってるし
問題は山地だらけで貧しい土地の方
>>725 だから対馬海峡を超えるより、遼寧省を超えるor支配する方が大変なんだよね。
煬帝ですら高句麗を攻略し損ねたんだから
遼寧省、朝鮮北部は痩せて作物も余り育たない
けど朝鮮南部はある程度肥沃だから人口はそこそこ居る
こうなると攻める方が難しい。
というより、遼寧省〜朝鮮地方に掛けては
湿地帯と丘陵地が入り組んでるから、移動には難儀な土地。
開発自体は古代〜19世紀までは北部の方が進んでいて
韓地方の方が朝鮮地方より豊かになったのは、戦後になってから
>>727 南部の方が昔から豊かじゃないの?
中華秩序の中で生きてる朝鮮人からしたら
中国に近い北部の方が、色々と文化的には進んでたと思うけど
北部じゃコメもロクに作れないしさ
全裸道とか肥沃な穀倉地帯だしな
北部にはそういったところはあったんだろうか
全羅道が穀倉地帯になったのは李朝後期
>>728 古代から20世紀まで北部の方が豊かだよ
北部人が政権を建てる時の中心は平壌とその周辺の黄海道、平安道
征伐の最中、朝鮮人を奴隷として売ったそうだけど
得た収入は戦費に消えたの?
和民で宴会する時に飲み代にしたよ
734 :
日本@名無史さん:2012/12/22(土) 21:30:44.41
朝鮮征伐
735 :
日本@名無史さん:2012/12/25(火) 16:46:06.64
いま、朝鮮征伐って放送禁止みたいだな。
朝鮮侵略らしい。
736 :
日本@名無史さん:2012/12/29(土) 19:21:07.57
軍事板の朝鮮征伐スレで変なのが沸いているな
全州会議の決定内容の原文を活字化したものを読みたいけど
どの本に載ってるの?
>>737 『韓国の倭城と壬辰倭乱』黒田慶一編、岩田書院、2004年
に収録の津野倫明著「慶長の役(丁酉再乱)における長宗我部元親の動向」
『長宗我部氏の研究』津野倫明著、吉川弘文館、2012年
に再録の「慶長の役〈丁酉再乱〉における長宗我部元親の動向」
なんてどう?
『韓国の倭城と壬辰倭乱』¥10,395
『長宗我部氏の研究』¥ 7,875
もうちょっと安いのない?
万歴朝鮮戦争(電子書版)8元
値段は100分の1だが
742 :
日本@名無史さん:2013/01/03(木) 20:13:44.78
図書館に置いてないもん
>>742 置くように制度を利用して手配するか
金をかけて置いてあるところへ行くか
金で買うかだな。
手段はあるんだから頑張ってね。
『長宗我部氏の研究』読んでるよ!!
>>744 津野や曽根は期待できるね。
北島はぜんぜん駄目。
中野もあっちの国から研究費をもらっているから切れ味が鈍い。やや危険。
あげ
747 :
日本@名無史さん:2013/03/02(土) 17:01:32.02
748 :
日本@名無史さん:2013/04/14(日) 16:04:15.29
朝鮮征伐
朝鮮成敗
宇田川ものーてんきに垂れ流すからねー
問題意識さえない
751 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 13:50:28.72
Kan Kimura@kankimura
頭の体操。「侵略の定義については学問的な議論がある」事と、「特定の行動が侵略に当たるかどうか」は、当然の事ながら全く異なる。
例えば複数の定義があったとしても、その全ての定義において特定の行動が侵略と看做されるのであれば、「学問的な議論」を理由に、判断を保留する事はナンセンス。
2013年5月8日 - 21:10
752 :
日本@名無史さん:2013/05/11(土) 21:00:12.63
大河ドラマ等で、秀吉が描かれる際、この朝鮮征伐だけは秀吉の
「ご乱心」扱いで描かれるのが本当に不愉快。
もっと公平に評価して描かれるべき。
自虐媚韓史観が酷いが
現実には、半島の大半を1年経たずに征服してるもんな
半島の貧しさと明の軍事力を見誤ってたけど
文永の役の元軍に例えるなら九州から京都、鎌倉までを電撃的に制圧した後
占領政策に失敗して京都まで撤退して講和、てところかな
>>754 せいぜい太宰府じゃね?
反撃側も補給ができずに維持できないから交渉中は濃尾や関東やへさげてる。
>>754 >753が漢城=京都、平壌=鎌倉に例えていることくらい気付よw
757 :
756:2013/05/12(日) 12:48:41.55
あぅ、アンカー一つづつずれた。>_<
>>756 太宰府=釜山でだいたいあってんじゃん。
博多から広島に掛けての瀬戸内海周辺だな
>>758 この例え話だと講和の方針を決めたのが京都(漢城)、
その後の長い交渉期間中の拠点が大宰府(釜山)じゃね
761 :
日本@名無史さん:2013/05/16(木) 22:12:33.61
>>753 >現実には、半島の大半を1年経たずに征服してるもんな
へー、じゃあお前的には5万にも満たない明軍の来援により
半島の大半を半年経たずに奪いとられていると言うんだな(笑)
半島が貧困過ぎたから北部を廃棄しただけだよ
763 :
日本@名無史さん:2013/05/17(金) 00:36:44.19
>>762 北部だけでなく南部のほとんども放棄してる。
なんで放棄の原因を明軍の来援だけに限定するかね。ひょっとして中国の方?
統治の失敗、義兵の蜂起、兵糧不足など様々な要因があるでしょ
なんで放棄の原因を明軍の来援だけに限定するかね。ひょっとしてチョン?
兵糧不足、食料不足、未開な農村など様々な要因があるでしょ
>>765 >ひょっとしてチョン?
それはないな。なんとなれば、南朝鮮人的には主役はあくまでウリミンジョク
(義兵とか李舜臣とか)であって、明兵はちょっと手伝っただけで別に
居なくてもヨカッタ存在という認識だからw
>>766 おそらく在チョンだろうね。
半島の貧窮ぶり、未開さを認めたく無いのと
日本人を貶めんが為に、明軍に負けたと捏造したいのだろう
768 :
日本@名無史さん:2013/05/17(金) 07:18:51.01
>>768 別スレで話題になった電波大学のページだなw
その兵糧配給計画を根拠に兵糧不足が放棄の原因ではないと言いたいのかもしれんが、
そもそも当時の外征で兵糧の補給を本国に頼らねばならん状況が異常なんだよ
逆に、そうした書状の存在が戦争継続に支障が出るほどの兵糧不足の深刻さを物語っていると言えるな
「従来、豊臣政権下で兵たん機能が大幅に強化・向上したと漠然と考えられてきたが、
主な改善点は作戦発起点への兵糧の事前大量集積に尽きており、
敵地に進んだ軍隊への陸上補給は、物理的な制約から依然困難であった。
結局、一七世紀頃は日欧ともに敵地の野戦軍は現地調達に頼らざるを得ず、
これが出来なければ敗退するしかなかった。
日本の朝鮮出兵の敗退は、義兵運動等様々な要因はあるにせよ、
第一には、当時の陸上補給能力の限界と現地での食糧調達の不可能性に起因するものだった。」
(久保田正志氏の豊臣政権の兵たん論文より)
770 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 00:00:23.19
>>769 >別スレで話題になった電波大学のページだなw
テメエの妄想と違う主張相手に対して電波大学とのレッテル貼り(笑)
具体的にどこが電波なんだ。
まずお前の意見を聞きたいね(笑)
771 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 00:06:15.62
>>769 >その兵糧配給計画を根拠に兵糧不足が放棄の原因ではないと言いたいのかもしれんが、
じゃあ聞くがなんで秀吉は渡海を諦めて、明との講和に応じたんだ。
>>771 半島が貧し過ぎて通り道にもならないと覚ったからだよ
>>770 俺は別人だが、オマエ前スレでも反論食らって木っ端微塵にされてたよな
773 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 00:57:22.37
>>771 >半島が貧し過ぎて通り道にもならないと覚ったからだよ
妄想はいいからソース出せや(笑)
>俺は別人だが、オマエ前スレでも反論食らって木っ端微塵にされてたよな
じゃあ、ここでも木端微塵にすりゃいいじゃん。
まあ、お前の間抜けな頭じゃ無理だながな。
243 名前:241[sage] 投稿日:2013/04/03(水) 22:15:52.12 0
神戸大学文学部日本史研究室によれば、第一次晋州城攻めは李舜臣と義兵の
大活躍により飢餓に陥った日本側の打開策という解釈な訳だけれど、実際には
文禄元年の12月には黒田長政が秀吉親征に備えて黄海道に兵糧2万石を集積して
秀吉から褒められているから、10月時点なんてのは、まだ前線の食料の絶対量が
不足し始めているとは言えない時期であるのは明白。
故に、神戸大学文学部日本史研究室は明らかな馬鹿の集まりか、そうでないのなら
ミスリードを狙っているとしか思えないのだな。
775 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 01:15:50.27
>>774 >文禄元年の12月には黒田長政が秀吉親征に備えて黄海道に兵糧2万石を集積して
>秀吉から褒められているから、
10月時点ですでに前線の食料の絶対量が不足し始めているからこそ、兵糧2万石を
集めた黒田長政が秀吉に褒められたんじゃねえのかよ(笑)
776 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 01:23:10.37
>>774 そんな見解の相違程度をあげて
やれ、明らかな馬鹿の集まりかとか、やれミスリードを狙っているとか
ガキみたいなこと言ってんな(怒)
ガキみたいなこと言ってんな(怒)
とか最高にガキっぽい文章だな
>>771 いきなり何の脈絡も無い話に飛んだな。何が「じゃあ」なんだかw
話が通じない人?
>>775 太閤殿下直々の親征軍の為に兵糧を準備した事を称誉してるんだよ
780 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 09:34:36.60
>>779 >太閤殿下直々の親征軍の為に兵糧を準備した事を称誉してるんだよ
妄想はいいから、ソースだせや(笑)
>>780 「十二月二十五日、黒田長政が二万石の食糧を黄海道に集積して、
秀吉親征の準備をしていることを聞いた秀吉は、その功をほめる」
(日本戦史・朝鮮役)
はいソース。
人の意見を妄想呼ばわりする前にちょっとは調べたら?(笑)
現実に日本軍は晋州城の戦いから2ヶ月を経た時点でも、
前線部隊の当面の兵糧を確保した上で(兵糧がなければ生きていけないのだからこれは当然)、
なお2万石の兵糧を秀吉親征軍用に準備するだけの余裕があったわけだから
晋州城攻めを兵糧不足への打開策とする神戸大学の見解はやはり不可解と言わざるを得ないんだよなあ
783 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 13:12:03.48
ふーん、ソースはあるんだ。
でも
前線の食料の絶対量が不足し始めているときに、(秀吉親征のために)
兵糧2万石を集めた黒田長政が秀吉に褒められただけじゃね(笑)
人並みの知能があれば、食料が不足しているなら前線に送ると理解出来る
まあ(笑)の人の中じゃ、黒田長政は自分も含めた前線兵士らを飢餓の危険に晒しながら
秀吉親征用に貴重な兵糧を差し出しちゃうバカ殿なんだろw
太閤殿下の機嫌を損ねたらエライ事になるからなあ
787 :
日本@名無史さん:2013/05/19(日) 12:09:39.27
朝鮮八道すべてで食糧が不足しているわけじゃないだろ。
八道国割で黒田長政が担当した黄海道は当時の朝鮮八道の
なかでも穀倉地帯にあたるんだが(笑)
>>787 低生産/重搾取が朝鮮の政治。
緒戦ではそこへ軍事侵攻して官倉を接収しながら進撃した。
自治能力も望めない民衆により統治が乱れたまま生産がストップした土地で戦っていたのさ。
789 :
日本@名無史さん:2013/05/19(日) 13:17:15.50
それじゃあ改めて訂正するぞ(笑)
前線の食料の絶対量が不足し始めているときに、(秀吉親征のために)
(穀倉地帯である)黄海道から兵糧2万石を集めた黒田長政が秀吉に褒められただけじゃね(笑)
前線の食料が不足し始めていた証拠を出して無いねえキミ
自分はいつも願望と妄想ばかり
×それじゃあ改めて訂正するぞ(笑)
○垂れ流した妄想が論破されて悔しいから、また想いつきをチラ裏させて頂きます(震え)
792 :
日本@名無史さん:2013/05/19(日) 14:19:53.79
>>791 >○垂れ流した妄想が論破されて悔しいから、また想いつきをチラ裏させて頂きます(震え)
あれ、そもそもお前がテメエの願望丸出しの妄想史観を神戸大学文学部日本史研究室の研究
論文で論破されたからトチ狂って言いがかりをしてきたんじゃなかったっけ(笑)
>テメエの願望丸出しの妄想史観を神戸大学文学部日本史研究室の研究
>論文で論破されたから
ねえねえ、神戸大学の論文で論破された妄想史観てどんな史観?
具体的にどのレス?
>>789君の思いつきは当たらずとも遠からずだよ。
秀吉は12月の朱印状で在鮮部隊の兵糧事情で「不自由」が出始めているからと
来年8月分までの兵糧を国内から釜山へ送る計画に言及してる
ただ、前線部隊の兵糧事情が本当に抜き差しならない状態なら黄海道の2万石も他道に回すはずだし、
同時期に咸鏡道の加藤清正なんかは「三、四月」頃まで食いつなげるだけの兵糧を確保していたというから
(ソースは中野等「文禄・慶長の役」)、
その2ヶ月も前の晋州城攻めを兵糧不足への打開策とする神戸大学の見解はやはり無理があるんだよね。
むしろ晋州城攻めの目的というのは、上陸地点から漢城への侵攻路から外れていた地域を制圧して
慶尚道の確保を確かなものにする、というのが定説では?
当たらずとも遠からず所か、中りも掠りもしない的外れ
という皮肉にしか読めないのは俺だけであろうか、否無い
796 :
日本@名無史さん:2013/05/20(月) 19:21:38.05
秀吉が死んで、どんな条件で和平が結ばれたんですか?
日本軍の撤退だけで向こうは納得したと思えないので徳川時代まで引きずってたんですか?
797 :
日本@名無史さん:2013/05/20(月) 21:29:52.27
>>796 明側には条件なし、日本軍の無血撤退を了承してもらった(日本は明本土には踏み込んでいない)。
朝鮮に対しては、徳川家康が朝鮮使者を伏見城で謁見し、
豊臣政権の終焉と、徳川家康が新たな日本の治世者となったことを説明。
家康は朝鮮との平和的な貿易を望むことを言い、
朝鮮側は将軍の代変わりごとに朝鮮通信使を派遣することで納得した。
明とは朝鮮出兵以来交渉が途絶えたが、1644年、明は滅亡した。
新たに起こった清と徳川幕府は交渉を持ち、出島貿易をしていた。
>>797 ありがとうございます。
朝鮮通信使って朝鮮征伐が元で始まってたんですね。
799 :
日本@名無史さん:2013/05/20(月) 23:31:59.53
>>793 >ねえねえ、神戸大学の論文で論破された妄想史観てどんな史観?
>具体的にどのレス?
お前の妄想史観ってこれだろ(笑)
自虐媚韓史観が酷いが
現実には、半島の大半を1年経たずに征服してるもんな
半島の貧しさと明の軍事力を見誤ってたけど
半島の大半を1年経たずに征服した事
半島が余剰食料に事欠く生産性の低い貧困国家だった事
これって、事実だよな。
俺は別人だが
・自虐媚韓史観が酷い
・半島の大半を1年経たずに征服
・半島の貧しさと明の軍事力を見誤ってた
なんだ、全部本当じゃないか
それに、これらの点を例の論文のどの部分でどう「論破」できたとするのか全く意味不明なんだが
一体どういう思考ロジックをしてるんだ?
802 :
日本@名無史さん:2013/05/21(火) 00:10:49.09
>>801 じゃあ、お前も明軍5万人の襲来後半年で日本は慶尚道南岸まで押し切られた
って考えてるんだな(笑)
>>802 講和を結んで引き上げさせるのを「押し切る」と言うなら、明軍が日本軍を慶尚道南岸まで押し切ったんだろうね。
戦術的には大会戦で大敗してすっかり戦意を喪失していたとしてもね。
それより、どのような「妄想史観」を神戸大学論文のどの部分によってどう「論破」したのか早く教えてくれないか?
言っておくが、これ以上話を逸らしたり、的外れな質問で返すようなことはやめてくれ。
804 :
日本@名無史さん:2013/05/21(火) 00:58:24.70
>>803 秀吉の戦略目標ってなんだったんだ。
明国を征服することだろ。
それが慶尚道南岸まで撤退してるんだから「押し切られた」でいいじゃない(笑)
>俺は別人だが
お前別人なんだろ、だったら関係ないじゃん。
>>804 >「押し切られた」でいいじゃない(笑)
意見が一致したね。
それはともかく、
>>802で君は俺にアンカーを付けているわけだから、関係ないことはないだろう。
見苦しい言い訳ばかりしていないで早く答えてくれ。
君は論文のどの部分を使ってどのように「妄想史観」を論破できたの?
繰り返しになるが、以後は話題逸らしや質問返しは禁止だ。
そうしたレスを返した場合は君の敗北宣言と取らせてもらうからそのつもりでね。
806 :
日本@名無史さん:2013/05/21(火) 01:37:42.24
>>805 >現実には、半島の大半を1年経たずに征服してるもんな
おれは日本勢が1年経たずに征服してるとは考えていない。
なぜなら、朝鮮半島の各地で義兵闘争が行われていたから。
その主張の裏付けとして以下のような神戸大学文学部日本史研究室の論文を
引っ張ってきたんだが、
「李舜臣ひきいる朝鮮水軍に全羅道沿岸の制海権を掌握されて
海岸沿いの輸送物資補給ルートを失い、また義兵や農民達に
よる抵抗を受けて、陸上輸送ルートの確保と現地での兵粮徴発
も困難となった。」
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/products/nakagawake/kaidai53.html それに対して愚かな侍厨がテメエの妄想を否定されたと見苦しく
>明らかな馬鹿の集まりか、そうでないのならミスリードを狙っているとしか思えない。
などとそれこそなんの根拠もない憶測を主張しているだけじゃん(笑)
これじゃあ、テメエの妄想史観を論破された侍厨が発狂して言いがかりをつけている
ととられてもしょうがない。
>>806 話を逸らしたりせず回答してくれたことには感謝するよ。
しかし、日本軍は短期間とはいえ朝鮮八道のうち七道の道都を落として実効支配しているわけだから、
「半島の大半を1年経たずに征服」したという表現は別に間違いではないと思うけどね。
義兵闘争があったといっても、それは何の反証にもならないだろう。
例えばナチス支配下のフランスでは各地でレジスタンスが起こり、米軍支配下のイラクでも反抗勢力の攻撃が絶えないが、
だからナチスがフランス北部を征服できなかったとか、米軍がイラクを征服できなかったとはならないのと同じだよ。
808 :
日本@名無史さん:2013/05/21(火) 02:12:14.55
やっぱ城塞は沢山必要だな
沢山あっても、半島城の様な防御性に欠ける物だったら意味が無い
半島南部に城が築き終わると半島城は破却された
李朝水軍も正面切っては日本水軍と戦えず
名護屋〜釜山間の輸送にとっては何の障害にも生らなかった
また、所謂義兵、所謂農民の抵抗という物は、実態として殆ど存在せず
李朝史料にも本朝の史料にも記録されておらない
現代の韓国が生み出した虚栄心を満たす為の虚構である
まあ、永く天下太平の続いた文治の国に百年以上も親兄弟で殺し合ってた蛮族が
統一されて攻めてくるんだ、仕方あるまい。
しかし、もし宗や小西が嘘偽りをせず半島の正確な情報(日本に服従していないし、する気もない等)
を秀吉に伝えていたら秀吉はどういう戦略をとったんだろうな。
最初から慶長の役のみたいな慎重さになったんだろうか。
それとも取りあえず朝鮮は後回しにして台湾やフィリピン等の南方に進出するとか?
>>807 平安道の首府、平壌も取ったのでは?
八道制覇?
>>806 研究者は論文を書くが、
研究室は論文を書かないわけだが?
815 :
日本@名無史さん:2013/05/24(金) 01:21:54.91
>>811 豊臣秀吉 松浦鎮信(松浦藩初代藩主) 島津家久(薩摩藩初代藩主) 松倉重政(島原藩初代藩主)
時期は多少ずれるけど、全員、ルソン島征服計画を立案した戦国武将。
特に薩摩藩や島原藩のルソン征服計画は、鎖国直前でもあり、幕府は内々に許可していた模様。
薩摩藩の奄美と琉球制圧は、その前段階とも言われる。
また、マニラを拠点に植民地支配を行うスペイン人に対して、ルソン島の
マレー系原住民の首長は、反感を昂らせていた。その為に松浦藩や島津藩は、
日本製の鉄砲をマレー系原住民の首長に密輸して、日本のルソン侵攻と同時に
マレー系原住民は、スペイン人への攻撃を開始する計画だったという。
また、そのルソン島のマレー系原住民の首長は、ボルネオ・モルッカ・マレーの
イスラム勢力とも通じており、彼らはイエズス会の積極的な布教活動にも不満を
持っていた為、彼らイスラム勢力にも日本製の鉄砲を融通し、日本・ルソンの
マレー系原住民・イスラム勢力の三者がマニラのスペイン人を包囲撃滅すると言う
大掛かりな計画があった。
事実、ルソン島のマレー系原住民の首長は、ボルネオ王に日本製の武器を送り届けていた。
また、マニラのスペイン人を撃滅した後には、
ルソン島のマレー系原住民の首長は、日本の支配下に入る事を承諾していたと言う。
日明戦争よりもこっちの方が成功する確率が全然高そうだけどね。
資源や食糧だって、ルソン島の方が、全然多そうだし。サトウキビやフルーツ類もこっちの方が採れるだろ
816 :
日本@名無史さん:2013/05/31(金) 21:46:32.54
×日本との戦争で一時は明との国境近くまで退却した朝鮮国王・宣祖
○太閤軍との戦争で一時は明との国境近くまで逃走した李氏朝鮮宣祖
×女真族が建てた中国・清は1636年、朝鮮に侵攻。
○女真族が建てた満洲・後金は1636年、女真族が建てた李氏朝鮮に侵攻。
国境近くというか、新義州は国境の川岸だから、国境そのものだよな。
王様は逃げたかったが、政治的に亡命しなかったのは正解。
朝鮮では宣祖は評価が低いらしいが、弱国なりに大国を引きずりこんで妥協させるなど、政争に明け暮れて国を売っている奴らとは段違いで、俺は評価している。
820 :
日本@名無史さん:2013/06/21(金) 13:11:18.17
821 :
日本@名無史さん:2013/06/21(金) 13:46:58.13
乱中日記て
日本で例えると
武将の書いた覚書や感状が登録されるみたいなもんか
そこまで価値ねえだろ
他に価値有る物が無いから仕方無いw
>>821 家忠日記や上井覚兼日記みたいなもんだな
道長日記や支倉肖像画でも登録されるんだから良いじゃないか。
道長日記と三河物語を一緒にされてもな
李舜臣、支倉常長、関連が記憶遺産に認定されて
鄭和が無視されるのは可笑しいアル
いやまぁ、そもそも記憶遺産ってのは、世界遺産と違って、所持する
当事国では維持保存が出来ないものをデジタル化して残しましょー、
ってのが本義のハズだろ。
なんか、既に国宝指定のものを申請する日本政府の対応は、韓国に
釣られて劣化著しい気が。(苦
828 :
827:2013/06/22(土) 00:37:37.30
おっと。 ×記憶遺産 ○記録遺産
日本人は格付け・お墨付きが大好きなのです
832 :
日本@名無史さん:2013/07/27(土) 18:05:03.35
>>446 「歴史通 3月号」の筑波大学大学院教授・古田博司氏による「あの、朝鮮民族とつき合う方法」から引用。
以下引用(38〜9頁)
日本は豊臣秀吉の時に、朝鮮に出兵しているのを知っていますね?
最近は研究が進んできて、日本の占領地にどんどん朝鮮農民が逃げてきていたことが
分かってしまったのですよ。朝鮮の李朝がひどくて、日本の方がずっといいから、
占領地に城下町もできてしまいます。
朝鮮農民は李朝でひどい目に遭っているから日本の方に行けば良くしてくれるということで、
どんどん日本の占領地に逃げ込んできてしまうわけです。
これが事実なのですね。こんなこと教わってないでしょう?
日本は戦争が強いからどんどん勝ってしまい、そこに日本の城を建ててしまいます。
・ ・ ・ ・ ・
おそらく教科書では負けたと教わったのではないかと思いますが、あれは嘘ですからね。
すでに半島の領地の藩分けもしていたと言われているのです。
でも、秀吉が亡くなって、そのまま撤兵することになってしまいました。
引用終了
学校では全く教わっていない、知らない話でした。
>>802 厳密に言うと文禄で明・朝鮮軍の軍事的脅威に
圧迫されたというのに該当するのは、小西軍だけで、
突出して孤立していた小西が停戦期間後も律儀に休戦を
守っていたところを5倍の明・朝鮮軍に攻められた。
明軍も損害が多く、一時的に和睦して城を明け渡したというのが真相。
そして冬も迫っていたので隣の加藤清正軍も戦線を後退させた。
これを左翼と朝鮮人が過大に、軍事的圧迫をうけての後退と騒いでる。
それに小西行長軍は釜山に上陸以来、大きな戦いだけで7回をこなし、
各占領地に兵を残している(軍事の常識)
平壌も2回防衛している、明け渡したのは第三次平壌の戦い。
フロイス書簡では、第三次平壌攻防時に、小西で戦える戦士は5000人とある。
また度重なる連戦で刀槍も鈍っていたとの記述もある。
835 :
日本@名無史さん:2013/08/02(金) 20:58:31.86
いつもの馬鹿チョンだよ
願望が根拠の妄想を垂れ流しては
史料によってボッコボコに反論され火病、その繰り返し
バルス
838 :
日本@名無史さん:2013/08/06(火) 07:17:37.82
>>363 なんか別スレで間違いを指摘したら国士様とか言われたからああやっぱりなと思ったわww
秀吉が天皇の出自が朝鮮だと知ってたら違う見方が出来る気がするんだがどうだろう??
さっさと母国に帰ろうな糞チョン
チョン君天皇大好き
李王嫌い
845 :
日本@名無史さん:2013/08/24(土) 08:30:44.95
秀吉マジうぜえ
何でこんな極悪人が偉人扱いされてるわけ?
>>845 下層から、特にエタから成りあがった恐らく唯一の人物として評価されているのだろう。
恐らく秀吉の元の仕事は人足問屋、今でいう人材派遣センターの取締役、いわゆる
ワタミや折口雅博みたいな奴だろうが、たとえ取締役でもエタには変わらんからな。
豪農の息子だよ。母親は、茶人を愛人にできるほど。
弟だって教養あっただろ。
ご落胤は当時秀吉が作ったでまかせだが、貧乏農家の息子というの構成のでまかせ。
>>847 秀吉は人足問屋だったことはほぼ間違いないんだよ。墨俣が筆頭だが、人足問屋で
なければできないことを何度もやっている。で、人足問屋と言えば、エタ、いわゆる
最下層民の仕事。もちろん、最初から取締役だったかどうかは怪しく、実際にはもっと
下層の出身の可能性が高い。
ついでに、秀吉が下層民の出身であることは、もう以下の本が大いに評価され
ほぼ定説になりつつあるしね。
河原ノ者・非人・秀吉 [単行本]
http://www.amazon.co.jp/河原ノ者・非人・秀吉-服部-英雄/dp/4634150212/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1377325981&sr=1-1&keywords=河原者
単行本: 711ページ
出版社: 山川出版社 (2012/05)
ISBN-10: 4634150212
ISBN-13: 978-4634150218
発売日: 2012/05
あと、秀吉は弟、妹が一杯いたが、殆ど殺している。自分の出自がバレるのを嫌ったからだ。
秀吉は最初からかなり高い身分だっただけだろ
安国寺は天正12年1/11にも秀吉の評判を書き残していて
乞食の経験?というとフロイスの記述にも秀吉が若いころ、一度、信長の元を出奔してることを書いているから
出奔後に乞食になってたのだろう。
天正11年4/12付秀吉→輝元宛では前々せがれの時でさえ、信長家中においては、秀吉が真似ごと仕るべき者、これなく候つる
などと書いていて昔、子供の時ですら信長家中で自分ほどのことができた人間はいなかったと書いていて
秀吉がせがれ時代からすでに信長に仕えていたことがわかる
秀吉は一次史料初見ですで信長の領地安堵状に添え状を出してる身分で登場
(のちの堀秀政などと同様な立場。信長公記では一軍を率いる将として初登場)
どこにも百姓や底辺からの抜擢を示す証拠なない)
津田や木下は織田家の親類衆でしょ。 秀吉は親類だから公記での初登場でも すでに佐久間信盛や丹羽長秀に並ぶ一軍の指揮官だし。
六条本圀寺に三好勢が攻めてきた時に光秀も初登場したが その時に将軍義昭の警護役として登場してる。
どこにも秀吉や光秀が 氏素性のわからん人間や流浪の人物などと言うことは書いてない。 完全に江戸期の講談の影響。
秀吉は『太閤記』の捏造話は信憑性ゼロであり美濃攻略戦の11年間の間に信長に仕え始めていたと思われ
濃尾国境を流れる木曽川の水運業者の川並衆の土豪と秀吉は個人的な強い繋がりがあったのを買われ
木下姓も妻方から貰ったのではなく、元々秀吉の名字。
秀吉は最低でも1565年時点で織田家でもかなりのレベルの地位の領主だった事は間違いない
領土安堵状出してるのは丹羽佐久間柴田など大身とされる連中だけだし
そもそも他家の場合大名しか出してない例も多々あるほど。
秀吉の丹羽と島田との連署で兼松正吉・佐々平太に領土安堵状が出されたのは1568年6/10。
また秀吉はこれ以前永禄8年11/3に坪内利定一族に尾張下野村などの所領安堵状を出してる
木下秀吉判物写
三百貫文 下野
七拾貫文 十町名
二拾貫文 宮田
…(以下略)
あと丹羽と名を連ねている事に見られるように
領土安堵状は一定階級以上の人間しか基本出さない(丹羽は永禄7年12/27に尾張笠覆寺の修理田を安堵状出してるし
永禄8年7/15に佐々柴田と連署で尾張寂光院の寺領を安堵状出してる)
清洲建設・墨俣一夜城は太閤記の糞講談 取り立てらたのではなく最初から丹羽と並ぶような大身だっただけ
太閤記は年次レベルで間違いあるような糞講談なのは常識
墨俣一夜城とか農民出身とか長久手の戦いが池田の献策とかデタラメばかりデッチ上げて秀吉マンセーしてる糞史料
1565年時点で既に領土安堵状だし1568年でも大身丹羽と並ぶような立場で領土安堵状出してるし
信長公記でも初登場が一軍の指揮官だしそもそも木下は織田の親類衆だし
秀吉譜代は前野蜂須賀川並衆堀尾加藤福島と尾張出身者やその近辺の美濃のものが多いから
秀吉が尾張時代から基盤持ってたのが自然とわかる
マジレスすると秀吉の実家は卑賎の身分どころか皇室のながれをくむ名家なんだが
母の大政所の父は、朝廷で帝の側近として重用された荻中納言だということは判明してる
天皇の信頼あつく、朝廷の任を終えたあと、尾張中村の荘園を領土として拝領した
そしてそこで土着して名門豪族として栄えた
なんか勘違いしてるけどさ
武士とか名家ででもなんでもないよ
武士のあれって元々奴婢とか蝦夷のやる事だからさ
それか良民が渋々やってた
よくやったと言われるべきは外国からの防衛で戦った九州くらいのものだね
他の国内の戦は私利私欲の私戦でさ
何も生まない穀潰しの賊と変わらないろくなものじゃない
維新後にお国のための功あった武士は誇って良いけど
武士は本当に先祖代々武士なら百姓(良民)より下
名家と言えるのは皇室と公家だけです
古来氏素性の確かな者が時勢によって帰農することはよくあること。
百姓が武士になり武士が百姓になっていたんだよ。
江戸時代で頭を固めるな。
江戸でも百姓から士分になることは稀にあったがな
すぐ朝鮮人認定する馬鹿が各スレで大暴れしてるな
まぁリアルでは藤田のように、秀吉の「チョウセンシンリャクガー」と二十世紀の「ショクミンチサクシュガー」の二つ関連性の全くない妄想を結びつけて自著で書いているイタイのもいるわけだが
秀吉の賎民云々で藤田の名前がでてこない事にカルく驚いているw
>>848に出てるトンデモ本出してる妄想作家の方が軍記を無理矢理自分の妄想と結びつけて
自著で書いてて痛いと思うが
懲りもせず南韓籍の馬鹿チョンが捏造歴史を開珍してるなw
>>848 そっちはタイトル見ただけで手に取る気にならんから、何が書いてあるのか知らんよ
今の壷のレベルなら、この板で「軍記」引用する輩は全否定しても問題ないけど
腐っても山川の本で、「軍記」から引用されているから当該本に全く価値が無いとは、俺には判断できんわ
君に同意は求めないよ、「軍記」引用だけで否定できると思っているのは、論文や学術書なんか一度も読んだ事ないからだよね、君
>>860 だから論文や学術書じゃなく一般大衆向けの本じゃねぇか
>>848のトンデモ本。
論文とかだと軍記は一時的に引用されたりはするけど
>>848みたいに直接的なソースとして使ってそれメインでストーリー立てて
自分の妄想と無理矢理結びつけて本書くなんて芸当はまずしない。
論文でもなんでも重要なのはソース元と妄想ではなく根拠に沿った論理的な考察と見解なんであって
ソース元が軍記で根拠ではなく自分の妄想に沿って無理矢理一次資料も無視して結論を導き出してる
一般大衆向けの本に何の価値もないわけで。
>>848の本って秀吉は種なしとかトンデモ話を無理矢理デッチ上げてる糞妄想本だろ。
いかにも馬鹿が好みそうな内容だよな
もともと織田家臣ではそれなりの家格だった
↓
豊臣政権の際に、関白になる際に家格を自ら捏造した
※その際に、以前の家格情報が抹消され、忘れ去られた
↓
徳川の時代には、どこの馬の骨だかわからない人になってしまった。
※ねつ造の家格もインチキだし、本当の家格も抹消されている。
↓
その後、どこの馬の骨だかわからない貧農から出世したという講談に
こんな流れじゃないか?
上書きすることはあっても抹消はねぃ罠w
>>860 山川は歴史捏造の最右翼、出版社の格としては腐った生ゴミ程度だよ
>>857 問題はその手の珍書が、最近は旗色がやや悪いと言えども
大手をまかり通ってることなんだよな
868 :
日本@名無史さん:2013/09/05(木) 12:19:55.03
いまだに李舜臣伝説信じてるやつもいるからな
主に小説なんかでも
最後の希望だからシャーナイナーイ
870 :
日本@名無史さん:2013/09/06(金) 01:51:10.72
帰国したのは秀吉が死んでオゴタイ状態だったんだろうけど
秀吉が死んだことで本国で誰か、天下取りの準備というか中央から離れていることで
その流れから取り残されることを恐れたんじゃないかと思ったけど、そういう
意識を残している大名はいたんですか。一般人はあんまり聞かないので。
871 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 19:37:57.67
秀吉は明の皇帝の臣下の自覚はあったみたいだが。
ないよ
あったら明国の皇女を天皇の后にとか言い出さねえだろ
874 :
日本@名無史さん:2013/09/09(月) 07:44:21.08
勘合貿易(朝貢貿易)の再開を要求してる時点で臣下の自覚アリ
勘合貿易が朝貢ということを理解していなかった可能性がある
876 :
日本@名無史さん:2013/09/09(月) 10:27:52.75
堺や博多の商人と交際があるから、さすがに、そこまで無知ではないだろう。
交際はあっても学ぶ気がなければなぁ
朝貢貿易めっちゃ儲かるから
食えもしないプライドよりカネだよな
琉球とか貿易船の回数優遇されたら全盛期きたし
881 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 18:46:28.23
>>877 秀吉ほどの情報収集能力に長け、経済観念の発達した頭の切れる人物が、
堺や博多の商人と交流してて、勘合貿易=朝貢貿易って知らないはずがないだろう。
882 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 20:02:46.81
朝鮮が対馬に服従していると思い込み、小西石田がでっち上げた明の降伏を信じ込んだ秀吉が?冗談でしょ
国内ならともかく、国外の正確な情報を入手していたとはとても思えない
883 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 20:16:38.07
堺や博多の豪商、大内氏の勢力を引き継いだ毛利氏や九州諸大名、
こういう連中を従えた秀吉が勘合貿易のなんたるかを知らないわけがない。
貿易に関心あるなら、レクチャーくらい受けてるだろ。
884 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 20:18:48.59
秀吉本人が「勘合貿易」って言葉を知ってたことはまちがいない。
勘合貿易という言葉を知っていて使っている以上、その意味くらいわかってる。
当時の東アジア外交や貿易の常識でしょ。
885 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 20:36:17.52
朝貢貿易だから利益めっちゃデカイってのは常識だろうよ
単に貿易したいだけなら間に倭寇でも西洋人でもかませばいいが
886 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 21:00:37.00
結局、文禄の講和のときには、秀吉も内心では名を捨て実を取る方針に傾いてたのに、
明側が冊封(=臣従)だけ許して、入貢(=貿易)は認めないなんて回答をしたもんだから、
そりゃ秀吉もブチ切れるわ。
887 :
日本@名無史さん:2013/09/14(土) 19:17:24.00
バカテスの木下秀吉について語りましょう。
888 :
日本@名無史さん:2013/09/15(日) 22:00:05.63
朝鮮征伐
889 :
日本@名無史さん:2013/09/16(月) 07:22:24.12
明の臣下としての自覚はあったけどな。
890 :
日本@名無史さん:2013/09/16(月) 13:44:26.91
秀吉ももう少し長生きしておれば、
チョンをこの世から抹殺していたのにな。残念やのう。
891 :
日本@名無史さん:2013/09/16(月) 13:54:01.04
ていうか、あの時代の東アジアの国々が明(中国)を大国や宗主国として仰ぐのは、
現代の西側先進国がアメリカを(一応)リーダーというか盟主として立てるようなもんだろ。
その程度の客観的認識くらい秀吉でも持ってただろう。
892 :
日本@名無史さん:2013/09/16(月) 15:53:47.97
朝鮮征伐平成の役はまだかい
壊れた機械みたいだな
>>868 てか、朝鮮軍って殆ど活躍してないからな
本当に明軍と日本軍の戦争なんだが
日本人の書く朝鮮出兵物の朝鮮人の存在感が半端ない。
代わりに明軍が不遇をかこってる
895 :
日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:03:47.89
日本では韓国に配慮してか
あまり教えられないが
朝鮮出兵て当時の
日本のオールスター
・サムライジャパンみたいな
キャスト勢揃いで
あんがいおもしろいかもしれない。
896 :
日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:12:32.67
当時の戦国武将、兵の
半端ない強さを見ると
朝鮮ヤクザにびびっている
現代日本人の弱体化はあきらかですな。
>>895 大河ドラマにピッタリなんだがな
朝鮮史観に毒されたnhkでは夢のまた夢
898 :
日本@名無史さん:2013/10/08(火) 22:16:21.83
みんな竹島のことで騒ぐけどさ、
竹島のおかげで、日本は隣国に冷たく出来る、ひいては助かってるじゃん。
竹島返されて、ベタベタしてきたらかえって迷惑。
隣国とは敵対せずに疎遠、ってのが一番いい。
不法占拠しといて騒いでるのって韓国の方が盛んじゃね?
疎遠どころか征伐したいだろ日本人なら
900 :
日本@名無史さん:2013/10/09(水) 04:40:40.50
オール戦国ジャパンの前に
朝鮮の各城が1日も経たずに次々落城していくんだから
トラウマになるのも無理はないかもな。
901 :
日本@名無史さん:2013/10/10(木) 19:04:54.85
韓国人はがたいもでかくパワーもあるのに
なぜ戦争は弱いのか。
あるいはでかくなったのは最近なのか?
>韓国人はがたいもでかくパワーもあるのに
それは単なる妄想。寒流スターなんかは身長さば読み・シークレットブーツ装備だし。
江戸時代には確かに差があったけれど、それは基本的に肉食をしない食習慣から
日本人が総じて小柄になったせい。
近年だと日本人の若年層の平均身長の方がいくぶん高く、80年代くらいまでは満足に
コメが喰えないほど貧しかった韓国人の身長は決して高くはなかった。まぁ、現在の
北朝鮮を思えば良い。
朝鮮日報の前の日本特派員だったソンウタンは、初来日の際に日本人の身長が高くて
驚いたニダということをコラムに書いてたこともあったな。
903 :
日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:17:46.52
>>902 いやいやここは偏見抜きに考察しようぜ。
韓国、北朝鮮人はやはり
北方人種だから総じて
がたいのいいやつが多い。
日本でも関東以北の北関東〜東北人は
がたいがいい。
パワーも韓国、北朝鮮人のがあるのは
日本人とも韓国人とも
付き合ったことがある
女性の多くが証言するとこ。
904 :
日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:25:36.40
秀吉による朝鮮出兵、
文禄慶長の役は
おそらく日本人が日本史上もっとも強かった時代と
朝鮮人がもっとも弱かった時代が当たってしまったのだろう。
それほど、知れば知るほど
日本軍、戦国オールジャパンの強さが圧倒的。
今はなにもわざわざ
戦争をする必要もなく。
国際スポーツ試合の
対戦を見れば
韓国人が当時ほど弱く、
日本人が当時ほど強くないのは
わかる。
905 :
日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:31:24.03
秀吉の朝鮮出兵を
いまだに非難し、日本人や世界に
「憎むべき秀吉による侵略戦争」と韓国人が喧伝するのは
当時の朝鮮人が世界史上類を見ないほど
圧倒的にやられた事実から
目をそらし、世界の人に
知られないようにするためだろう。
なにより自分たちの
トラウマから目をそらしたいに違いない。
906 :
日本@名無史さん:2013/10/10(木) 22:38:10.21
朝鮮軍の猛将・宋象賢の守る
東菜城にいたっては
わすが二時間で落城している。
この圧倒的な敗北の民族的記憶が
恐怖とトラウマになり
今の韓国人、北朝鮮人の
反日感情となったのだろう。
907 :
日本@名無史さん:2013/10/11(金) 20:57:19.54
自分が朝鮮人だったら
絶対に知られたくない
圧倒的敗北。
恐るべし戦国ジャパン。
まぁ、ぶっちゃけ隣にあったのが朝鮮じゃなくて、イギリスだろうがスペインだろうが
結果は同じだったと思うので朝鮮人は恥ずかしく思う必要はないのだが。
圧倒的な国力を誇る明以外に日本と戦える国なんて存在してねえよ、当時。
>>903 素材以前に飢餓線上を毎春さまよう民衆に何を求めてもいかんだろ?
逃走心とハングリー精神だけか?
本土から補給の来る日本以上のコンディションは求められない。
910 :
日本@名無史さん:2013/10/12(土) 14:12:01.06
>>908 なるほど。
明さえじゃましなかったら
中央アジアやヨーロッパまで攻め込めたかも
ですな。ヾ(^▽^)ノ
911 :
日本@名無史さん:2013/10/12(土) 14:18:19.95
>>908 まあ現在、韓国人が必要以上に日本叩きをするのは
この恐怖からくるコンプレックスからだろね。
叩いてないと不安でしかたないのだろう。
>>908 イギリス、スペインとか無理です。
陸のテルシオ編成は防御だとめっぽう強いし対処法が確立出来ない限り抜けないと思われる。向こうから攻めてきたら撃退出来るだろうけどね。
ってか海戦で勝ち目が無いから上陸が出来ないと思う。同時期に行われたイギリスvsスペインのアルマダの海戦とか大砲2000とか積んでるんだぜ。
日本の航海技術はなぜか発達しなかったしなぁ、竜骨も無いしバランス悪すぎる。
ヨーロッパは兵数は少ないけど兵の錬度・装備は圧倒的だよ
銃の配備率で言うと戦国日本が関ヶ原とか大阪の陣の頃で10%程度だが向こうはスペインは40%。オランダに至っては50%超えてるからな。
>>912 和船の竜骨は平底竜骨として一般的にあります
>>913 日本は後方要員込で兵数数えています
>>913 スペイン軍の40%を日本軍の10%が数的に凌駕してるだろ?
銃隊で互角以上、槍隊で圧倒的。負ける要素が無いのだが。
テルシオなんて抱え大筒で終わるし。
>銃の配備率で言うと戦国日本が関ヶ原とか大阪の陣の頃で10%程度だが向こうはスペインは40%
16世紀中頃の1旗隊は700人前後、16世紀後半における1旗隊は150人から300人ほど。
テルシオを構成する中隊には以下の2種類が存在した(下記は兵250名の場合)。
A - 本部要員11名、パイク兵108名、コルスレット111名、マスケット銃兵20名
B - 本部要員11名、アルケブス銃兵224名、マスケット銃兵15名
テルシオ1部隊は、A中隊10個、B中隊2個の12個中隊で構成された(兵300名の場合は、A中隊8個、B中隊2個の10個中隊)。総数は3,000名となり、その内訳は、士官と事務員132名、
パイク兵1080名、コルスレット1110名、アルケブス銃兵448名、マスケット銃兵230名である。全体の指揮は大佐(コロネル)が司り、彼を補佐する将校団(テルシオ全体の本部要員)は30名前後だった。
ただし、これは理想的な完全編成の数字であり、必ずしも現実のテルシオとは一致しない。実際には、1個中隊の兵員は150名程度であることが多く、理想値の半分の1,500名、
あるいはそれ以下の兵数で構成されたテルシオがほとんどであった。
最初期の槍:銃の比率はおおよそ7:1であった。時代が進んで火器の量産が進み、また重騎兵の装備が槍からピストルと刀剣に変化し、歩兵への脅威が減少するにつれて槍兵の比率は低下した。
1550年代には4:1、16世紀後半には3:1となり、16世紀末には2:1
>>914 和船には竜骨は無い。つか平底な時点で外洋航海に向いてません。お察し下さい。
>>915 数的に凌駕してるかどうかも怪しい。騎馬鉄砲も普通に使われてる。雑賀衆以上の鉄砲集団に遠征して城攻めするようなもん。
それに日本は火砲なんてほとんど持って無いじゃん。スペインの方が量多いんだから日本は打ちこまれる側
>>916 大阪の陣とかは17世紀入ってるからね。
IFの歴史なんて分らないけど陸は力押しでいけるもんじゃないし海は勝てる見込み無いし無理だと思うけど。
平底で竜骨を持たない和船は喫水が低いためバランスも悪く大型化できません。また強度も低いです。
ただし浅い海でも活動出来ます。どこでも上陸が出来ます。内陸の近距離航海向き。
つか秀吉もそれ理解した上でスペインにガレオン貸せって要請してるじゃん。
こう説明すればいいのかな。
ジャンクで十分なのに
そしてジャンクは当時から日本で建造されていた
>>912-913 いや、余裕だよ。
テルシオを始めスペイン王国軍は非常に魯鈍で明軍の足下にも及ばない練度
西欧の兵は度々脱走が発生し、同時代の東亜と違い組織だった軍編成がされていない
ゴミ以下の士気と練度
16世紀末の銃装備率は、日本は40%一方の西欧は最も装備率の高いスペイン王国軍で30〜40%
しかも鳥銃の性能は日本銃と比べ命中率と射程と威力に劣り、軽い点しか勝る部分が無い
>>923 テルシオ編成って編成を作ってたのに軍編成がされてないって理解不能。この時期を前後してオランダのオラニエ公マウリッツとかスウェーデンのグスタフアドルフとか軍制改革が各国で行われてる
訓練マニュアルが出版されるぐらいなんでかなり訓練には熱心だった時期だよ
16世紀末って関ヶ原で6万とか7万とか鉄砲隊が動いてたってこと?ありえません。弓もまだ現役で使ってたぐらいですので。
>>924 樽廻船も江戸時代の市場の要求に応じてデザインされたものだよ。
戦国時代の平均を出すにはおかしいでしょ? あなたの書き込みは前段と後段で矛盾してるよ?
戦国末期から江戸初期には日本の商船隊が東南アジアとの交易を積極的に行っていたのは事実だし、
朝鮮半島まで大軍を送り込み、ある程度の兵站を維持するだけの船団があったのも事実。
遠洋航海ならともかく、この議論の前提である「朝鮮半島の位置にイギリスやスペインがあれば」
という状況なら、何の問題もない。
>>925 日本や明の軍と比べ、スペイン王国やその他西欧の軍は士官下士官の数が非常に乏しかった。
日本や明が臨機応変に動ける組織構造や事細かな軍事規定を設けていたのに対し
テルシオには柔軟性が全く欠け方向転換すら一日掛かり、再編成など不可能な構成だった
軍事教本と言っても非常に稚拙かつお粗末で室町時代の日本や古代中国と比べても見劣る代物
関ヶ原では6万挺を超える鉄砲が使用された。朝鮮成敗に投入された鉄砲量や
当時の日本国内の保有量からして当然だけどね
西欧軍に於ける一般兵は鉄砲など支給されません
鉄砲を配備されるのは数少ない常備傭兵で、これは最も比率の高かったスペイン王国でさえ
3割強でしかなく、あと封建領主のお抱え兵士、その他は一時雇用の雑兵しかいない。
数合わせの彼等は粗末な防具に弓や剣や槍や斧で戦った
>>924 何で認識が古いことを認められないのかなぁ…
>写真の船はどちらも江戸時代のものだよね
何の知識もなく「僕が正しい〜」と言い張っているわけね(ハァ
一枚目のを説明しても意味無さそうなので、取り敢えず「弁才船」でググってね
和船についての間違った認識ぶりをみると説明してあげても無駄っぽいね
「僕ちゃんが知っていることだけが此の世の真実〜」ってタイプのようだ
>技術的に進んでます。戦国期はもっとしょぼい
銃の装備率を比較するときは、関ヶ原じゃなく元和の役、17世紀に入ってからだという一方で
船の話は戦国期で比較しなければならないとか
確認するけど、船は16世紀でそれに17世紀の軍隊が乗り込んでいる事を想定しろと言ってるんだよね、君は?
取り敢えず恣意的に比較する時代をコロコロ変えないでね、お願いします
あと、銃の装備率の話に戻すけど、元和の役のときの装備率は大名によっては60%を超えているところもあるから
都合の良い数字を抜き出して妄想に浸るのは勝手だが、それだと誰からも相手にしてもらえないよ
>>928 風上に向かって走れない和船がなんだって?まぁこの話はもう良い見たいですね。止めます。
と言うか軍事革命とまで言われてるマウリッツの著書が非常に稚拙かつお粗末ですかwwww
近代の軍隊行動ってのはここから始まったと言っても良いし軍事教育、兵站構築の基礎として今でもマウリッツ式の影響がありますね。
関ヶ原の頃でも
>>916によると16世紀末には2:1だからスペインは30%以上です。関ヶ原での鉄砲隊の比率は10%です。
6割が鉄砲隊?60%超えてた大名って誰ですか?
つか写真のやつって17世紀どころか18世紀末〜19世紀初期の菱垣廻船って書かれてるんだけど・・・
大阪市住之江区なにわの海の時空間 菱垣廻船「浪華丸」復元の基本とした資料は,国立国会図書館所蔵の「千石積菱垣廻船弐拾分一図」。
この図は現存する菱垣廻船の図面としては唯一で学術的な評価も高いもので,作図者や年代が記されていないが,垣立の様式などから,19世紀初頭の文化・文政期の作と考えられる。
19世紀初頭だね。17世紀のものだと思ったのかな。
日本海は50個師団にも匹敵する価値があると言われてましたが攻撃側が不利です。当時のスペインの装備・戦術だと尚更ですね。勝利出来ると思えない。
>>929 日本や明の軍と比べ、スペイン王国やその他西欧の軍は士官下士官の数が非常に乏しかった。
日本や明が臨機応変に動ける組織構造や事細かな軍事規定を設けていたのに対し
テルシオには柔軟性が全く欠け方向転換すら一日掛かり、再編成など不可能な構成だった
軍事教本と言っても非常に稚拙かつお粗末で室町時代の日本や古代中国と比べても見劣る代物
関ヶ原では6万挺を超える鉄砲が使用された。朝鮮成敗に投入された鉄砲量や
当時の日本国内の保有量からして当然だけどね
西欧軍に於ける一般兵は鉄砲など支給されません
鉄砲を配備されるのは数少ない常備傭兵で、これは最も比率の高かったスペイン王国でさえ
3割強でしかなく、あと封建領主のお抱え兵士、その他は一時雇用の雑兵しかいない。
数合わせの彼等は粗末な防具に弓や剣や槍や斧で戦った
この程度の奴ならコピペで対応するのが一番だ罠
自分の主張を明確化せずに相手の揚げ足取りのみに血眼になっちゃ駄目だぉ
つーか全く的外れな事ばかりだし
と言うか軍事革命とまで言われてるノエル・ペリンには
戦国時代末期には日本は50万丁以上を所持していたとあり、当時世界最大の銃保有国らしい
外人さんの日本論にトンデモ話があるわけないし本に書いてある事は事実だというのがコノコの主張らしいから
続けるべき話もないね
外人さんは日本のことにとってもくわしいんだな〜(棒読み
ノエル・ペリンが軍事革命って意味分んねーよ
そして彼は軍事学者でもなければ歴史学者でもないよ。
50万丁の出典も「鉄砲を捨てた日本人」と言う本で銃規制派である彼の政治色が強い本ですね。
つーか本に書いてある事は事実なんて主張どこでした?
16世紀にオラニエ公マウリッツが訓練方法を書物にまとめ公開したんだよ?なんか勘違いしてる?
935 :
934:2013/10/15(火) 21:51:53.93
自分には甘いが
他人のレスには厳しい
それが俺のジャスティス(キリッ
>>930 菱垣廻船は日本近海での沿岸輸送に特化した船だから、遠洋航行能力が乏しいのは当たり前。
樽廻船もだけど、輸送量とコストからあの船型に辿り着いてる。
内航貨物船を見て、日本の船に太平洋を渡るのは無理とか主張するようなもの
あー・・はいはい。著書って言われてマウリッツが現代の人だとでも思ったのね。
16世紀のオランダの総督ね。軍事史においても有名な人です。
彼を初めとしてこの時期に西洋で行われた軍事に置ける改革が軍事革命とも言われています。今の自衛隊にも繋がる近代的な軍隊の発祥な。
なんかノエル・ペリンとか出て来てすげーどうでも良くなった。
>軍事革命
グスタフ・アドルフ
フレディ
ナポレオン
二十世紀になっても縦隊行進<鎌倉時代には散兵戦術をマスターした日本
欧州は何遍軍事革命すりゃ日本に追いつけんだかw
そういや日露戦争でも露軍は、局地的に日本兵より数が多くても馬鹿の一つ覚えの密集隊形だから
常に遊兵が存在し数的優位を活かせないとロストーノフが書いてたな
欧州すげーw日本は勝てないよ(ブルブル
>>936 そうだよ。だから菱垣廻船を例に出すのはおかしいだろ?
スペイン海軍と戦えるような船があったの?ってことだよ。
大型の安宅船でも大砲3門とかだぞ、スペインの中型ガレオンでも15〜20は積んでる。
>>936 日本は川舟の延長線上だから平底は当たり前だし、竜骨と概念的には同じ強度の構造でもあるんだけど
コノコは欧州側にはIFで設定するけど、日本側はコノコが知っている間違った日本史知識の範疇でなければならないというスタンスだから
最初に結論のある妄想を聞けと演説に来ただけで議論がしたいわけじゃない
この話をまともに進めるのなら何処の国が日本に来たのかを明示し
スペインであるならばフィリピンの片付いた十七世紀以降でなければならないのだが
そういう現実的(?)な話はしたくないんだよ
あくまで古い本に書いてある古い知識の吹聴と
ガイジンスゲーと言うことが本義だから
>>940 そもそもIFの話しはじめたの俺じゃねーよ。古い本って何の本を指してるのかもわからんし。
ガイジンスゲーなんてどこに書いてあるんだか
>スペイン海軍と戦えるような船があったの
なんかドラエモンのスネオを思い出した
で、町内で一人だけ高い玩具を持っているからって何なのよって話だよなコレ
ジャイアン(英)に見つからないようにコソコソ逃げ回る俺って凄くない?と言いたいのかなコノコ
国内で完結している日本の周辺でスペインの船がうろうろしているから何なんだろうか?
ありとあらゆるIFを動員して外国優位を主張し、日本側のIFは認めず、「日本が侵略される〜」「日本は駄目だ〜」で全員が納得すれば満足してくれるようだが…
>>942 16世紀末〜17世紀初頭のイギリスがジャイアン・・・?
朝鮮にスペインがあったとして攻め込む場合って話が最初だろ?
国内で完結してるなら別に問題ないよ。日本が侵略されるIFの話なんてしてないし朝鮮半島にスペインがあったとして攻め込んだ場合に圧勝ってIFが書かれてたから疑問を呈しただけ。
つか最初に「攻めてきたら撃退出来るだろう」って書いてるんだけど。もう一度最初から読み返してくれる?
>>940 >日本は川舟の延長線上だから平底は当たり前
日本の内航船が平底なのは、港湾が未整備の当時の事情では
引き潮になって着底しても安定しているから。
江戸期の弁財船は横帆一枚の帆船としては西洋船と比較しても
非常に優秀な間切り性能だったにも関わらず
>風上に向かって走れない和船がなんだって
とか言っ切ってる>929も大概だがw
正に卓袱台返しだな
十七世紀初頭を考慮すべき理由は何処に書いてあるのかな?
レス番を示してくれ
>スペインは40%。オランダに至っては50%超えてるからな
この話はもういいのか
それとも外国の時間軸は自由に選択できるジャイアンルールかw
朝鮮渡海の鉄砲装備率に限定するなら秀吉が指定したのは二十数%(非戦闘員を軍人と勘定するなら十数%だが、比較対象は非戦闘員を入れていない)で
清正は幾らあっても足らないからと国内で掻き集めているからスペインより装備率は高いことになるな
>>944 江戸期のつーか中国のジャンク船の影響じゃねぃ>帆船
>>937 プロテスタントを騙る野心家の謀叛人が行った軍事規定は
古代中国の内容から見ても未発達でお粗末
明軍や太閤軍の練度や柔軟性には全く及ばないよ
>>944 は? 江戸期の弁財船を代表とする内航船は船体構造は無論、
帆装も全くジャンクの影響は受けとらんよ。
ジャンクの帆装ってのは竹などを編んだ蛇腹状の帆を中心線を
ずらして左右非対称に取り付けるもので、朱印船などの江戸初期の
外航船はジャンク形式だったけれど、内航船の帆装は全く別。
948 :
947:2013/10/16(水) 00:27:44.13
>>943 日本側が連戦連勝するよ。西欧最強のスペイン王国軍じゃ歯が立たない
何せ彼らは明軍より遥かに劣っていたのだから
南蛮人自身が明軍の精強さを「その気になれば西の果てまで征服出来るだろう」と述べてる
その明軍は東の日本軍には歯が立たなかったがねw
数か月で全土を失陥した李朝軍や両班私軍など問題外ゴミも同然だ
>>947 何で帆装の話になるのか分からんけど
日本が中国のジャンク船から全く影響を受けていないってのは言い杉じゃねぃ
それとも俺が読むべき本の紹介でもしてくれるかい?
>>950 何も知らんのなら、石井謙治氏の和船T・和船Uがまず読むべき基本書だろ。
>>951 アマゾンで中古が二千円を切ったら読んでみるよ
. ∧_∧ +
ニワトリカエセヨー ( ´Д`) +
(つ つ Π
. + ( ヽノ ⊂二⊃ これは乙じゃなくて鶏泥棒の軌跡ニダ
(( し(_)  ̄ ̄フ <`∀´ヽ> rァ 勘違いしないようにするスミダ >953
/, (つ つ' {
(、__, ( ヽノ <彡}
+ (( レ(_フ,i,i,' +
955 :
日本@名無史さん:2013/10/17(木) 01:39:30.95
なんかいまだにサムライ幻想にとらわれている馬鹿がいるんだね(笑)
日本史版は遅れてらー(笑)
>>955 秀吉軍の水夫は陣立に「水軍」とある9千2百人だけだと言ったり、
晋州城攻撃時の陣立書を誤読した挙句それを根拠に日本軍の被害が甚大だとのたまったり、
秀吉軍の戦闘員の九割は百姓だと言ったり、
よくわからんおっさんやバカ学生の個人ブログをコピペしてドヤ顔したり、
黄石山城の朝鮮軍が350人だと言ったりして大恥晒した自分は馬鹿ではないと言うのか(笑)
日本史板の他の人に比べて遅れてないとでも言うつもりなのかよ(爆笑)
だいたい、あらゆる板に粘着して執拗に侍ネガキャンを展開するお前の妬み、僻みは凄まじいよなー(笑)
それすなわち侍に対して相当な劣等感を抱いている証拠ジャン(爆笑)
957 :
日本@名無史さん:2013/10/17(木) 22:56:19.20
戦国時代の戦乱を生き残った安土桃山期の武士って
千年におよぶサムライの歴史上「最強の世代」だろう。
その「最強の世代」のサムライにとっても朝鮮半島を征服
するには荷が重かったと思うと・・・
日本人としては何となく悲しいな(笑)
>>957 ぶっちゃけ朝鮮が貧しすぎて兵站が得られなかったのが主原因だけどな。
>>957 へえ〜、お前って日本人だったんだ。今年一番の驚きだわ(笑)
朝鮮出兵や元寇関連のあらゆるスレに湧いて執拗に日本を貶め、朝鮮義兵(笑)を賛美する書き込みを繰り返している奴なわけだが、
そのお前が本当に日本人なら、よっぽどの異常者か偏執狂だな(爆笑)
それか、朝鮮学校に補助金を出せ!とか言って定期的に座り込み運動をしているような二重国籍の「日本人」なのかな(笑)
どっちにせよ、そこまで我慢ならないくらい日本が嫌いなら、例え多少の困難があろうともよその国に、
例えばお前がこよなく愛する朝鮮にでも移住した方が幸せなんじゃね(爆笑)
960 :
日本@名無史さん:2013/10/17(木) 23:52:36.36
>>958 なんかおれが武士に厳しい視点をむけるとお前のような奴が俺のことを朝鮮人
認定してくるけど残念ながら俺は正真正銘の日本じんなんだよね(笑)
ただ、日本の歴史をたいして知りもしないアメリカ人ならいざしらず、歴史版
にくる日本人ならサムライについても客観的な視点を向けてほしいと思うから
厳しい視点を向けてるだけだ。
トンスラーの定番だよねアイアムザパニーチュ
>俺は正真正銘の日本じんなんだよね(笑)
日本人と書けない点が、チョンである事を冷厳に物語ってる
戦国板に湧いてた数字もわからんアホかw
>>960 へえ〜、正真正銘の日本じんねえ(笑)
正真正銘の日本じんって、ロンドンオリンピックで日本が金メダルの目標数を達成できなかったことをあざ笑ったり、
柔道で松本薫以外金をとれなかったとか言って大喜びしたりするんだ(笑)
だとしたらとんだ日本じんもいたもんだな(爆笑)
あとお前ってどこかのスレで論破されたときに、次はお前らが鼻を削がれる番だからな!とか捨て台詞吐いてなかったっけ(笑)
これってかなり決定的な発言だと思うんだが、それでも正真正銘の日本じんなのか(爆笑)
あと正真正銘の日本じんだと言う割には「日本じん」だの「とり作ろう」だの「主張お主眼」だのおかしな言葉使いが多いんだけど(爆笑)
>>歴史板にくる日本人ならサムライについても客観的な視点を向けてほしいと思うから厳しい視点を向けてるだけだ。
ふーん、客観的ねえ(笑)
日本軍に将軍クラスの戦死者がほとんどないのは、当時の日本が封建制で家来が必死に主君を守ったためだ!とか
日本軍が明軍に勝てたのは、相手になった明軍がただ実戦経験があるというだけでろくに訓練もしていない辺境の二軍だったためだ!とか
日本軍に戦闘の敗北がほとんどないのは、勝てそうに無いときにさっさと逃げ出していたからだ!とか
慶長の役緒戦で明朝軍が一方的にボコられたのは、日本軍の来襲を予測できず油断してたからだ!とかの
小学生並みの言い訳は客観的な視点と言えるのか(笑)
どこからどう見ても朝鮮人の主観的な願望なんだが(爆笑)
慶長の役では、防衛体制を整えた明鮮軍に手も足も出ず、今度は京城すら落とせずに南部に後退した!って書いてるよね。
小和田哲男とかの、小遣い稼ぎ戦国本でw
京城じゃない漢城だw
韓賊、朝鮮学校では京城と書くんだねえ
小和田さんは過去に武功夜話を一級資料と言い出したこともあるからな
ああいう、ゲームかなんかで戦国時代にハマった連中向けの本はいい加減なの多いよね
>>966 京城は日本統治時代に使われた名称で、向こうじゃ漢城とか漢陽では?
970 :
日本@名無史さん:2013/10/19(土) 22:18:48.49
>>963 おれが書き込みを始めた数年前はお前のようなサムライ最強厨が日本史版や
世界史版に跋扈していた。
おれも拙い歴史知識で参戦したが、二度、三度と論破されたっけな。
俺はそれからいろいろ調べて成長したが、お前らサムライ最強厨は
合いも変わらずサムライ最強の結果ありきの偏向史観。
そんなこと続けている間にサムライ最強厨はどんどん劣勢に立たされてきた。
当然だよね。
するとまともに反論できないお前らは過去の俺の発言を出して来たりしたり、
朝鮮人認定をレッテルはったりとトンチンカンな反論を繰り返すしかないもんな(笑)
>おれが書き込みを始めた数年前はお前のようなサムライ最強厨が日本史版や世界史版に跋扈していた
近代史板も含めて過去十年分のログならあるから
何年のどのスレか教えてくれw
確認する
>>970 反論出来なくなると逃げるのがおまエラ在チョンの特性だな
973 :
日本@名無史さん:2013/10/19(土) 23:55:03.52
>>972 >反論出来なくなると逃げるのがおまエラ在チョンの特性だな
お前ってホントに進歩ないね(笑)
>>970 >おれも拙い歴史知識で参戦したが、二度、三度と論破されたっけな。
ふーん、お前の認識だと論破されたのはたったの二、三回だけなんだ(笑)
実際にはそれより遥かに多いと思うけどな(笑)
>お前らサムライ最強厨は合いも変わらずサムライ最強の結果ありきの偏向史観。
>そんなこと続けている間にサムライ最強厨はどんどん劣勢に立たされてきた。
へえ〜、お前の認識だと俺はサムライ最強の結果ありきのサムライ最強厨なんだ(笑)
いつ俺がそんなこと言ったのかな(笑)
俺に到底歯が立たないと見るとやっぱり話を摩り替えるんだ(笑)
まあ、俺は別にそれでもいいけど、成長のない奴だよなお前は(爆笑)
>朝鮮人認定をレッテルはったりとトンチンカンな反論を繰り返すしかないもんな(笑)
レッテル貼りじゃなくて事実だろうが(笑)
550: 日本@名無史さん [sage] 2010/12/15(水) 04:01:30
妄言おつかれです
お前ら日本猿は頭も悪くて、体も惰弱のクズしかいねえんだから。こんな無謀な戦争負けて当然
次はお前らの鼻と耳が無くなるから覚悟しておけ
↑これがてめえの発言だってことはわかってんだよ(笑)
どこからどう見ても正真正銘の朝鮮じんだろうが(笑)それにもかかわらずお前は
>なんかおれが武士に厳しい視点をむけるとお前のような奴が俺のことを朝鮮人
>認定してくるけど残念ながら俺は正真正銘の日本じんなんだよね(笑)
なんて言って卑劣にも日本人になりすまそうとしてたんだろうがよ、この恥知らずの大嘘吐きが(笑)
てめえ本当にタマついてんのかよ(爆笑)
976 :
日本@名無史さん:2013/10/22(火) 17:31:36.05
?
977 :
日本@名無史さん:2013/10/30(水) 19:23:08.13
>>839 あの人たちって、けっこう後世まで内々では向こうの言葉で会話してたらしいね。
>>964 昔は権威があると思ってたけど、今改めて読むと嘘吐きだよね。
彼だけじゃないけど、何故朝鮮絡みになると急に事実を捻じ曲げて自虐丸出しになる人が多い
そりゃまあ、百済王も新羅族長も宗主国や本国の大和言葉を捨てて
夫余語や馬韓語や新羅語を使う必要無いからな
980 :
日本@名無史さん:2013/10/31(木) 18:20:35.20
いや、倭王とかヤマトの大王とかその子孫が、かなり後の時代まで、
宮廷の内々では、大和言葉ではなく半島の言葉を使ってたんだろう。
>>979 だな。
征服者たる倭人がわざわざ現地の被支配民族である韓族の言葉を使う意味が無い
982 :
日本@名無史さん:2013/10/31(木) 18:53:43.69
征服者は半島からやってきた民族のほうだが。
>>982 宋書「倭国、倭王武を使持節倭任那加羅馬韓秦韓新羅六国諸軍事に叙任」
梁職貢図「新羅、ある時は倭国ある時は馬韓に支配されていた」
984 :
日本@名無史さん:2013/11/01(金) 19:11:14.64
その倭王ってのが、5世紀以前に半島からやってきた渡来系の子孫だろ。
高句麗あたりが高天原で、天孫降臨ってのは半島から征服者がやってきた事実の神話化だろう。
半島南部は無文土器→弥生陶器という断絶があり
征服された事が明らかになった
半島北部では土器→周様式の陶器、青銅器という断絶があり
これ又征服された事が明らかになっている
日本にはそういう断絶が全く無い
よって縄文人の子孫が半島南部を征服した事実は否定しようがない
アッチで頑張った武将は
改易・取り潰し・病死とかばっかだなw
>>963 日本人なら〜とか歴史板で言うなよ。
歴史は立場で変わるようなもんじゃない。
反論があるなら事実だけ述べれば十分だろ
988 :
日本@名無史さん:2013/11/02(土) 06:19:06.39
史実とか事実はどうでもいいんだよ。
要は日本人として誇りの持てる歴史を書けってこと。
いいか、よく聞けよ。
一番大事なことは、歴史的事実がどうであったかということではなく、
日本にとって望ましい歴史とはどうあるべきかってことだ。
愛国心のある日本人なら、そこんとこわかるだろ。
問題なのは事実がどうだったかってことじゃない。
日本人にふさわしい日本に誇りを持てる歴史を書くってこと。
>>988 朝鮮化計画かよ?学問と宗教を取り違える阿呆は死ねばいいのに。
>>988 分かり易い釣り針だなw
現実にそれを日々実践して、見事に異世界の歴史をコリエイトしたのが
お困りの国、韓国だよな。
>>988 常識のある日本人は朝鮮人の真似なんて恥ずかしくてできないよ。
日本は世界の中心とか本書いてる奴らは全員朝鮮人だと思う。