1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2008/04/14(月) 22:28:04 ID:???
3 :
名無し三等兵:2008/04/14(月) 22:28:04 ID:???
ニダ
4 :
名無し三等兵:2008/04/16(水) 21:31:33 ID:???
age
5 :
名無し三等兵:2008/04/17(木) 08:01:37 ID:???
age
6 :
名無し三等兵:2008/04/20(日) 19:51:35 ID:CfQ0K45T
hosyu
7 :
名無し三等兵:2008/04/20(日) 19:59:56 ID:???
,,-――-ヘ 敗 戦 記 念 ♪
. /./~ ̄ ̄ヽ ミ
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d4/Macarthur_hirohito.jpg | | . | | マッカーサー元帥の下に呼び出され、戦犯ヒロヒト記念撮影
| |━- -━| |
http://en.wikipedia.org/wiki/Hirohito General . |/=・=| =・=ヽ|
(6| |__i . |9) / ̄ ̄~ ̄\
. MacArthur | ._, | /./ ̄ ̄ ̄\ |
\_____丿 |┏━ .━┓|
,--―|\ /|¬―、 . |/‐(◎)-(◎)‐|.|
/ .|/~\/\| \ (6| |_」 . |9)
/ __ /・ __| | 丶 ━━ /
/ /| | ・ | |・ | ・ | | \ ' ̄~ /
< .< |  ̄ ̄ |・  ̄ ̄~| . ) /| ̄ ̄ ̄|\
. \ \ .|___|・____/ / /\| ̄▼ ̄|/\
.\ \|____回___| / / |\▲/| ヽ
. \ / \/ /.戦犯 | ▼ | ヒロヒト |
/ | . |  ̄~|~ ̄ |
| i | . | | | o . | |
| | | | | . | o | |
| | | | | . ∧ | |
. | || . | |___| / ヽ . |___|
. | || | | | / | .\ ||
| . | | |. .巛|u /. / | ヽ u|》》
. | | | | |/ / | \|
| . | | | . . | | . | |
. | | . | . | | | | |
. |___| |_.__| . |__| |___|
( ) ( ) (_丿 ヽ_)
`ー" `ー"
8 :
名無し三等兵:2008/04/28(月) 08:07:25 ID:???
早すぎたんだ。
9 :
名無し三等兵:2008/04/28(月) 09:27:13 ID:???
..,,,,,ll,,,,,,,|||Illllla,,_
: .,,,illlllll゙゙¬゙|ll|l》゙|ト砲,、 日本の新たな統治者、マッカーサー元帥の下に出頭したヒロヒトは…
、,llllll゙゙`″ : : `: ``ミi、
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d4/Macarthur_hirohito.jpg .:ll感l″ 戦 犯 ..,゙lL
..,,,l巛゙l,!: 、 i、 法
.i'フ,,l,゙l": .:igl絲!llト:″|: .,,,,iig,,,,永
.`;ll,lト : ]″_,,,,,┐._ .,i´ .゙て″
: ;,lレ-・''゙‐'ゼ゙゙”`,ア~`゚゙|,゙゙゙゙lト,レ⊥
广'i、ァ ゙゙‐'‐'" : ::: ゚"ー'″ .|i
. ;ヒ'::;,il| _.::::::: .=@ ||
.'fi,;゙l;ヒ : : ;: :":・lll゙l,.'l・!° |
゙'!,,,い: ,‐ .,!.gl,,|i,,j,,\ .,l 「東条は死刑にして頂いて結構です!!」
.”゙l /゜,,,,,lwew-ii,, ゝ ,l゙
ll, ゜,,l゙`:;,,,,l,ll,,、.゚ト.,,i 「朕の命だけは、お助けください…マッカーサー閣下。」
,,,i'llr゚''ri,,,,,_ : : : : _,r°
,,,iilllli,゙h,、`゚゙゙゙lllllllllilllllll"】
10 :
名無し三等兵:2008/04/28(月) 16:32:50 ID:???
ゆっくりしていってね
∧∧
∧韓∧ .. /支 \
. <* `∀´> (`ハ´ *)
11 :
名無し三等兵:2008/04/30(水) 15:58:41 ID:???
age
12 :
名無し三等兵:2008/05/07(水) 21:13:07 ID:???
age
13 :
名無し三等兵:2008/05/08(木) 15:56:51 ID:UGLOUE79
放置か?
14 :
名無し三等兵:2008/05/12(月) 15:12:40 ID:???
あげ
15 :
名無し三等兵:2008/05/15(木) 20:43:56 ID:???
age
16 :
名無し三等兵:2008/05/17(土) 19:47:52 ID:???
次スレは>980で建てましょうってテンプレに入れてくれ。
17 :
名無し三等兵:2008/05/17(土) 20:36:39 ID:???
前スレッド終了
18 :
名無し三等兵:2008/05/18(日) 16:32:41 ID:???
19 :
名無し三等兵:2008/05/18(日) 16:55:41 ID:???
..,,,,,ll,,,,,,,|||Illllla,,_ 裕仁・・・お前、久間と同じこと言ってたな。
: .,,,illlllll゙゙¬゙|ll|l》゙|ト砲,、
、,llllll゙゙`″ : : `: ``ミi、
.:ll感l″ 戦 犯 ..,゙lL 日本記者クラブ主催 「昭和天皇公式記者会見」 1975年10月31日
..,,,l巛゙l,!: 、 i、 法
http://www.youtube.com/watch?v=4b6VuxlBUYI .i'フ,,l,゙l": .:igl絲!llト:″|: .,,,,iig,,,,永
.`;ll,lト : ]″_,,,,,┐._ .,i´ .゙て″ 「エー、原子爆弾が、エー、投下された事に対しては、エー、エー
: ;,lレ-・''゙‐'ゼ゙゙”`,ア~`゚゙|,゙゙゙゙lト,レ⊥
广'i、ァ ゙゙‐'‐'" : ::: ゚"ー'″ .|i 遺憾には思ってますが、エー、こういう戦争中である事ですから
. ;ヒ'::;,il| _.::::::: .=@ ||
.'fi,;゙l;ヒ : : ;: :":・lll゙l,.'l・!° | どうも、エー、広島市、市民に対しては気の毒であるが
゙'!,,,い: ,‐ .,!.gl,,|i,,j,,\ .,l
.”゙l /゜,,,,,lwew-ii,, ゝ ,l゙ やむをえない事であると私は思ってます。」
ll, ゜,,l゙`:;,,,,l,ll,,、.゚ト.,,i
,,,i'llr゚''ri,,,,,_ : : : : _,r°
,,,iilllli,゙h,、`゚゙゙゙lllllllllilllllll"】
20 :
名無し三等兵:2008/05/21(水) 13:35:50 ID:???
乙
21 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/23(金) 12:42:59 ID:2ZsjFN0W
22 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/23(金) 13:00:18 ID:2ZsjFN0W
明軍も長刀やフックの様な武器の比率が
妙に多いが
この時点では盾は廃れていた訳だろうか
銃兵らしい物も見当たらないが
此れは単に描かれて居ないだけと言う事だろうか
23 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/23(金) 13:31:06 ID:2ZsjFN0W
明軍槍兵も陣笠の様な物を装備していないから
槍の上方からの打撃と言うのは行ったのかだろうし
長刀やフックの比率が多いなら
日本軍の槍の打撃戦術に敗れていたと言う事は無いのかだが
(騎兵も槍を構えていないから
槍の比率は可也減る訳だろうか)
24 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/23(金) 13:52:45 ID:2ZsjFN0W
25 :
名無し三等兵:2008/05/23(金) 14:30:34 ID:???
現代でも胸ポケットに入れた札束が
拳銃の弾を止めた事があったように
紙って結構馬鹿にならない強度を持っているよな。
26 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/23(金) 14:40:04 ID:2ZsjFN0W
明軍騎兵は槍で迎撃され
明軍歩兵は銃撃で混乱し背走
騎馬武者の馬上筒で排除されたなら
歩兵同士の槍戦闘と言うのは海戦以外では
何処迄有り得たのかだが
27 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/23(金) 17:25:43 ID:2ZsjFN0W
攻城戦でも陣笠は無いから
雑兵はまともに槍の打撃を受け得る可能性も有る訳だろうが
盾を構えて突入していたと言う情報も有るが
此れは竹束を打ち抜く鉄砲の近距離攻撃に果たして耐えられるのか
どうかだが
28 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 02:16:04 ID:sCZDVNJo
×朝鮮征伐
○明征伐
29 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 02:19:05 ID:sCZDVNJo
スレの趣旨は気に入ったが
レス内容の視点が最初からミクロすぎるな
まずは当時の世界情勢がどうだったか当時の世界の勢力図でもないのか?
そこを足がかりに秀吉がどう世界と戦おうとしていたか伺えると思うのだが
30 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 09:01:44 ID:???
現在も残っている日本軍の城。
山の上の天守から麓の港まですっぽり石垣で覆っている。
こんな城作んなくちゃならなかったなんて、お終いだなッと思いました。
31 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 13:40:58 ID:sCZDVNJo
>>30 >こんな城作んなくちゃならなかったなんて、お終いだなッと思いました。
城ってなんのために作るか教えてくれ
レジャー施設なのか?
32 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/24(土) 14:05:48 ID:ie6dcOih
ヨーロッパを秀吉が危険視しており
真の標的は明では無く
欧州だったと言う意見も多いだろうが
フィリピン等に先に侵攻して
欧州軍を駆逐すると言う方向には
成らなかった訳だろうか
33 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 16:06:47 ID:???
>>30 >山の上の天守から麓の港まですっぽり石垣で覆っている
万里の長城みたいに?
34 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 17:00:00 ID:???
>>33 登り石垣というやつ
朝鮮役の場合、海上補給線が死線を左右するから
港と防御施設である山丘を石垣で囲んだ
35 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/24(土) 17:36:04 ID:ie6dcOih
ギリシャでも似た様な港を防衛する城は作られていた訳だろうが
中世西欧では有ったのだろうか
36 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 18:18:27 ID:???
>>33-34 確かに、登り石垣は万里の長城のような形式。
外側も内側も壁のようになっている。
37 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/24(土) 19:02:10 ID:ie6dcOih
石垣も土塁の上に石を貼り付けただけだから
大砲にも強く
石を取り除いて簡単に崩すのは
傾斜している事も有り
難しい訳だろうか
38 :
名無し三等兵:2008/05/25(日) 21:07:40 ID:t5OA4Kly
39 :
名無し三等兵:2008/05/25(日) 21:28:27 ID:???
和城は堅固なことで有名で、朝鮮側でも建築が検討されたが、財政難から難航するうちに、終戦によって退けられた。
逆に大陸式の城塞都市は、防御力が低いので、日本側は城を落としても、敢えて別に和城を建築している。
40 :
名無し三等兵:2008/05/25(日) 21:38:57 ID:???
すまん、一行目と二行目が矛盾しているように感じるんだが
41 :
名無し三等兵:2008/05/25(日) 21:46:47 ID:???
そうか?
和城形式の防御力が高いってことと、朝鮮の城・都市の防御力が低いって話でしょ。
42 :
名無し三等兵:2008/05/25(日) 21:49:44 ID:???
ああ、建てようとしたが建てれなかったと言う意味か。
43 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/26(月) 01:38:40 ID:JsP0z7hd
朝鮮の城も亀甲車で石を外したら
倒壊したと言うから
土塁の上に石を積んだのでは無く
石だけを使ったのかだが
大砲戦は中国は相当経験しているなら
土塁が使われている可能性は無いのかだが
朝鮮では未だだったのだろうか
44 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/26(月) 01:41:52 ID:JsP0z7hd
45 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/26(月) 02:02:02 ID:JsP0z7hd
46 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/05/26(月) 02:07:05 ID:JsP0z7hd
47 :
名無し三等兵:2008/05/28(水) 19:12:20 ID:???
48 :
名無し三等兵:2008/05/30(金) 22:47:24 ID:???
49 :
名無し三等兵:2008/06/01(日) 09:41:50 ID:???
世界史板でまた始まったようだが、あれは新種かな。
50 :
名無し三等兵:2008/06/01(日) 12:53:56 ID:???
世界史板な
配置人数の推移を書いてみりゃいいんでないの
真面目に調べてる奴しか相手したくねーな
冒険もたまにいいネタを振るが論外だから一切相手してない
51 :
名無し三等兵:2008/06/03(火) 19:21:40 ID:???
wikiでの朝鮮征伐に関する記述は妥当なのか?
52 :
名無し三等兵:2008/06/06(金) 11:39:12 ID:???
test
53 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 17:24:51 ID:???
↓だってさ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1204066393/468 468 :世界@名無史さん:2008/06/06(金) 12:18:57 0
>>467 日本のほうは2万ぐらいだが、明のほうは3000にすぎなかった。
結局明軍は日本軍の包囲を潰した。
実はこの戦の明軍はほとんど李氏家族(李成梁、李如松など親子)の手先だね。
戦闘力はかなり強かったね。
明軍は騎兵の優勢のため、野戦でいつも簡単に日本軍を潰した。
しかし、初期明軍の兵力は4万にすぎなかったので、李如松は漢城攻撃計画を諦めた。
後期の慶長の役のとき、加藤清正の1万3千ぐらい部隊は麻貴の2千人部隊にたやすく潰された。
楊応龍の反乱は慶長の役と同時で、明がこの反乱を鎮めた兵力は10万ね、
慶長の役の兵力は遥かに多かったな。
つまり、明にとってはこの戦いがたいしたことじゃなかった。
54 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 17:45:19 ID:???
そうかあ 明軍は強かったんだなあ
55 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 19:07:50 ID:???
世界史板のレスを引っ張ってこられてもなぁ
56 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 19:10:07 ID:???
しかも世界史板のスレにも何故かコピペするという意味不明な行動。
57 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 19:56:24 ID:???
誤爆したんだろあれw
58 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 20:10:37 ID:???
59 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 22:22:44 ID:???
ヒント:脳内
60 :
名無し三等兵:2008/06/12(木) 11:42:25 ID:???
碧蹄館の戦いは日本陸軍が随分研究していたらしいが、軍事的にどんな分析だったの?
61 :
名無し三等兵:2008/06/21(土) 18:41:41 ID:???
62 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/21(土) 23:54:30 ID:0rRqfQm/
明軍の馬も西欧のペルシュロンでも無く
ランスチャージも無いなら
騎兵の衝撃力等何処迄有るのかだろうし
西欧も後期には銃兵の比率は槍兵の2倍程度だろうから
馬の小さいサーベル騎兵では簡単に歩兵を蹴散らせる訳でも
無かったと言う事かも知れぬが
63 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/21(土) 23:57:53 ID:0rRqfQm/
明軍騎兵も日本刀で馬をやられたと言う記述も多いし
速度が鈍れば馬をやられて餌食と成った兵も
多い訳だろうし
騎兵が優秀なら3000で2万の歩兵に突入しても
十分蹴散らせると言う事は無いのかだが
64 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/21(土) 23:59:32 ID:0rRqfQm/
2万対3000では日本側の銃兵が一回のみ射撃しても
可也打撃を受けたと言う可能性は有るだろうが
1回の銃撃で1000騎等はやられたのかどうかだが
65 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/22(日) 00:01:26 ID:0rRqfQm/
>結局明軍は日本軍の包囲を潰した。
明軍は騎兵だから追撃も限度は有ったと言う事は
無いのかだろうし
伏兵を警戒していた可能性も有るだろうか
66 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/22(日) 00:07:32 ID:0rRqfQm/
日本の備の場合はオランダ式大隊と異なり
銃兵と槍兵が混合しているから
西欧の銃兵の様に騎兵で簡単に蹴散らせたのかどうかだが
67 :
名無し三等兵:2008/06/22(日) 12:56:54 ID:TiibREU1
68 :
名無し三等兵:2008/06/22(日) 21:24:07 ID:vKQTfoNT
69 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/22(日) 23:05:06 ID:ngBC4c7i
騎兵も鉄砲足軽では無く
槍足軽が前衛に居る状態で包囲されれば
容易に突破等出来るのかだが
70 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/22(日) 23:10:37 ID:ngBC4c7i
71 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/22(日) 23:33:22 ID:ngBC4c7i
72 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 01:49:04 ID:???
>>70 小さい小さいといっても、木曾馬はサラブレッドくらいの体重なのか。
まあ、デブチビなんだろうけど。
73 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/23(月) 02:56:34 ID:1BBH+Nkg
74 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/23(月) 03:19:22 ID:1BBH+Nkg
75 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 07:07:43 ID:???
去勢もギャロップするための騎馬戦用のハミ、鞍、蹄鉄を知らん日本じゃたかが
知れてる
76 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 15:15:29 ID:???
>>73 身長2m?そう見えただけの話だろ
昔と今をごっちゃにしてないか?
昔は今のように栄養状態が良くない
11世紀の南イタリアのランゴバルト人はノルマン人(文化的にはフランス化したノルマンディー居住の北
欧人)騎士を傭兵として雇い、イスラム教徒やビザンツと戦った
ランゴバルト人から見てノルマン人達は巨人に見えたというが
ノルマン人達の墓の遺骨を測定すると彼等の平均身長は167cm程度
アラブ系のイスラム教徒や現地のローマ人は領主のランゴバルト人よりさらに背が低かった
つまり当時欧州、中近東含め最も背が高かったと言われる北欧系でさえ、現代の
日本人とたいして変わらない体格(筋肉量や骨量は別として)だったんだよ
77 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/23(月) 15:44:27 ID:1BBH+Nkg
騎馬弓兵が手綱に何処迄依存するのかと言う事は有る訳だろうし
http://www.runsten.info/hipo/hist.html >「ローマ時代の彫刻を見ても、蹄鉄の詳細は見当たらない。あれほどローマの芸術家達は細部を彫っていたのにもかかわらずだ。蹄鉄が本格的にヨーロッパに広まったのは十字軍の遠征以降(1096-1270)。
>ヨーロッパの泥地地帯で育った大型のウマが多く使われ、その平坦で柔らかい蹄を保護するために蹄鉄が必要となった。」(抜粋・同P59)
木曾馬で日本の地形では果たして
蹄鉄は必要なのかどうかだが
78 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/23(月) 15:48:32 ID:1BBH+Nkg
>身長2m?そう見えただけの話だろ
稀に2m程度の人間が
居たと言う可能性は有るだろうし
近世なら巨人部隊と言うのは
プロイセン等に有る訳だろうし
中世でも2m等の巨漢騎士を集めて
此れを2m程度の巨大な馬に乗せたと言うのは有り得るかも知れぬし
欧州全体でも1000名程度なら
集まったと言う事は無いのかどうかだが
79 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 16:12:00 ID:???
兵馬俑の平均身長は190cmくらいだっけ?
80 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/23(月) 16:29:16 ID:1BBH+Nkg
体重300−400kgの蒙古馬が突撃しても
日本の足軽の槍襖は崩せたのかどうかだろうし
後列の銃兵や騎馬武者に突撃をしても
どうだったのかだが
81 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 16:30:05 ID:???
独り言みたいに「だが」で終えるなよ。
研究者なら、ちゃんと調べて断言しる!
82 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 16:47:17 ID:???
確かに2mある奴なそんないないだろうな
身長いちいち測ったデータないんだから
日本でも加藤清正や前田利家が6尺以上の大身と書かれたものはあるが、ほんとかどうかねぇ
となると実際に人骨測ったという
>>76の話の方が信憑性はあるよな
83 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 16:57:31 ID:???
シークレットブーツでも履いていたのかなw
84 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/23(月) 17:27:55 ID:1BBH+Nkg
江戸時代の力士等を見ると2m以上も多いが
彼等の様なサイズの兵士が木曾馬には乗って行軍は兎も角
乗馬戦闘はして居たのかだろうし
主に下馬して戦闘していたと言う事は無いのかだが
85 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 18:02:24 ID:???
おいおい日本人はマサイ族かよ
江戸時代に最も食事が良かった思える歴代将軍家の遺骨の測定だとだいたい150cm台だろ
相撲取りとかなる奴あたりは大柄かも知れんが、それでも2mはいないだろう
なぜなら日本のように著しく動物性蛋白質を摂取しなければたとえ2mの身長あってもそこまで筋肉が発達
しないだろうよ
つまり運動に不適な単なるホルモン異常の巨人症になるだけ
86 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/24(火) 02:29:03 ID:n+we17CB
大豆や魚等の蛋白質は無いのかだろうし
菜食主義者のカールルイスの筋肉はどうなのかだが
87 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/24(火) 02:31:38 ID:n+we17CB
88 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 06:08:42 ID:???
>>87 チミのノーミソはどうなってるんだよ
だから現在とゴッチャにすんなって
当時の日本はほとんど購買力の乏しく、自給に頼る貧農小作人で
流通だって都市を除けばそんなに現代風に多種目の物資が行き交ったわけではな
い
その都市においてもある程度購買力のある市民にしか魚なんか滅多に口にできな
いよ
そんなの日本の生活史やってたらわかるだろう
動物性蛋白質の欠点は鶏のササミ以外はやや脂肪が多いことだが
メリットとしては植物性蛋白に対して消化が早いこと
植物性では採れぬ必須アミノ酸が摂取できること
特に豚肉には蛋白質の効率良い吸収を助けるビタミンB群が豊富なこと等々
89 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 10:28:22 ID:???
やれやれ、今度は日本史板で野戦厨発生。
戦闘で負けて撤退したわけじゃないのが分からないのかな?
90 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 18:21:50 ID:???
91 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 19:10:48 ID:???
明厨が河岸を変えたんだろうな。
92 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/24(火) 19:16:20 ID:n+we17CB
>その都市においてもある程度購買力のある市民にしか魚なんか滅多に口にできな
>いよ
漁村や沿岸部の都市なら
割りに容易に手に入ったと言う事は無いのかだが
最初は細い大男が手柄を立てて
魚を大量に食べて筋肉が増えたと言う様な例も
或いは有るのかどうかだが
93 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/24(火) 19:19:35 ID:n+we17CB
>明国境までとか言ってるがそれは明軍介入前じゃないか
慶弔の役では
秀吉に朝鮮南部の確保のみを命令されていたから
進撃はしなかったと言う事かも知れぬが
食料は現地生産を拡充しないと補給は
厳しかったと言う事は無いのかだが
94 :
某研究者 ◆7rfe1CE8cw :2008/06/24(火) 19:23:13 ID:n+we17CB
秀吉が後10年生きていたら明の弱体化が早まり
内乱が起きるか清にやられていたと言う可能性も有るだろうが
日本側も食料を現地生産しないと
朝鮮南部の確保も厳しいと言う事は無いのかだが
95 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 21:00:16 ID:???
96 :
名無し三等兵:2008/06/25(水) 20:32:33 ID:???
軍事作戦を既に遂行しているのに兵の糧食考えなければいけないってあまりにも
愚かでズサンだな。これではどう考えても大陸侵攻は無理
ティムールは侵攻しようと計画した時点で前進基地となる地域であるモグーリス
タンに糧食や武器を集積して後は鶴の一声だけで万全な準備だったが
97 :
名無し三等兵:2008/06/25(水) 23:47:09 ID:???
当時有数の大陸国家だったオスマン帝国だってサファヴィー朝に侵攻した時には
兵站の不備から高官にまで餓死者がでている
98 :
名無し三等兵:2008/06/26(木) 09:55:02 ID:???
99 :
名無し三等兵:2008/06/26(木) 11:15:44 ID:???
集積はしているが輸送が追いつかないというパターンだな
100 :
名無し三等兵:2008/06/26(木) 12:52:19 ID:tOkaXtgM
101 :
名無し三等兵:2008/06/26(木) 14:31:18 ID:kCRF5hd/
>>100 お前は秀吉が中国まで行けたと思うのか?
>>100 釣りか?大嘘に決まってるだろ
文禄の役が終わった頃、秀吉は明から来た使者を、最初は停戦協定受託の使節かと思ってたのが、
実は冊封使だと知ってマジギレして、今度は慶長の役を引き起こしたんだぜ
支那チョンは世界中で捏造を繰り返してるのな
いいかげんなことを言うな。他の中世遠征軍も食料輸送で長期駐屯なんかしねえんだよ。
みんな現地の余剰食料を調達して長期駐屯を成功させた。
田畑荒らされてるのに余剰食糧なんかあるのか
簡単な話だよ。農民の農地を全部荒らしたら、農民の人肉も調達できるようになるだろ?
にゃるぅ〜
人喰い倭人だぁ〜っ
X余剰食糧
○略奪
>>104 開戦前から朝鮮の田畑は荒れていましたが、何か?
つうかそんなとこで食糧略奪して確保するという考えがどうかしているという
餓死者が続出するぐらいだから今でも北朝鮮の田畑は荒れてるんだろうな〜
そりゃ農作機械も動いてないだろうし肥料もろくろくないだろうし。
特にひどいのが治水で、ちょっと大雨が降っただけで大洪水が
起きて農地が水浸しになって作物全滅ということが最近になって
頻繁に起きている。
農政が失敗するとそうなるという典型ではあるな
どこでもそうだが人海戦術と精神力にのみ頼るとろくな結果を生まないものだ
別に最初から人海戦術に頼る国ではなかったんだがね。
軍拡に金を費やしまくった挙句に金がすっからかんになって
まともな事業もできなくなって最後は泥沼になったのが北朝鮮。
北朝鮮みたいに平時から食うや食わずの所に、
敵でも味方でも軍事用に挑発したら軍人の何杯も居る
大量の貧困農民はどうなると思う?
政治が駄目だと悲惨だ。
もとより敵兵、敵性民衆を食人することで糧食確保とする、とした戦いって中世以降はさすがに
ないのだろうか。
>>117 日本人は草食動物であるって誰かが言ってたよ?
さすがに組織的に食人することはないか。
しかし、保存できる糧食はとっておいて、殺したての敵兵や敵住民食べたり、干し肉にしたりするのも
現地調達のうちにはいるのでは?
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r──────────┐
| l王三王三王三王三l o==ニヽ
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ゝ 乂━━━━━━━乂_| `-=
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age
北朝鮮にとって、昔の政治も今の政治もあまり変わらない件。
餓死が慢性化している状態では食人もあたりまえにやってるんじゃないかな。
123 :
名無し三等兵:2008/07/18(金) 10:21:15 ID:C5c8MYVU
明が冬季にばかり作戦するのはなぜ?
124 :
名無し三等兵:2008/07/18(金) 21:22:50 ID:UIrQ0aVp
冬が好き?
農作業が終わってからじゃないと兵隊を集められないからじゃないか?
>>119 中国には食人が伝統料理としてある。
戦争なんか死人がでまくるから食料には困らないだろ。
●中国人は人肉を食べることを楽しんできた
人を食べるという行為は想像しただけで気分が悪くなる。だが中国人社会の中ではそんな行為が常識を逸脱した怪奇なものとしては受けとられず、ひとつの文化になっていた。
そんな彼らの常識を漢方薬に見いだすことができる。
人肉食、人相食、夫食婦、婦食夫、易子而食(親がお互いに子供を交換して食べる)こういう記録が中国の史書の随所に見いだされる。
あの春秋戦国の覇王桓公は子供の丸蒸しを料理として賞味した。宋代には人肉料理のメニューさえある。そのころ食肉用の人間は「両脚羊」と呼ばれていた。
● 漢方では人体を薬として使う
こういった文化を持つ中国人にとって人体は賞味すべき料理の材料のみならず薬の材料でもある。
胎盤を火であぶって乾燥させ粉末にして元気を出す薬として使う。これを紫河車(しかしゃ)という。また人間の毛髪を黒焼きにして血止めに使う。乱髪霜)と呼ぶ。
これらの漢方薬は特殊な薬ではなく、普通 に使われる薬にすぎない。
中国人には目が悪ければ目を、肝臓が悪ければ肝臓を食べる習慣がある。同じ肝臓なら人間の肝臓がよい。
だから文化大革命の混乱期には多くの人が殺され臓器が食ペられた。臓器の取りだし方まで解説した本もある。
肝臓を取り出すためにわざわざ人を解剖する必要はない。肋骨の下にナイフで切り込み入れ、屍の胸を足で蹴ると肝臓が飛び出るという。
こんな中国人の強烈な享楽的、現実的パワーには驚きを禁じえないが、この貪欲な好奇心が漢方薬を発展させる原動力になってきたこともまた間違いない。
http://www.asyura.com/2002/war11/msg/982.html
>>126 日本でも江戸時代など、
人体を薬として公然に売られて、使用されていたのだが。
>>127 ミイラは聞いたことあるけど、人体をどうやって薬にしてたの?
>>128 「大江戸残酷物語」(氏家幹人著)を読んでみるといい。
新書版であるから。
征伐
犬肉なんかも江戸初期までは普通に食ってた。
朝鮮の習慣がどうのこうのと言ってる奴は犬公方に感謝すべき。
日本で人体を薬にしてたのは漢方の考え方を中国から輸入したからじゃないか?
まあ、薬にかぎらず全ての考え方を中国から輸入したからな
釣れますかー?
しかし、実際に住民や敵兵を捕食しながら進撃してくる外国軍なんか来たら
恐いよな。
宇宙戦争のことか
138 :
名無し三等兵:2008/07/30(水) 23:31:29 ID:Xw7y/due
「対馬は、遠い昔から韓国に朝貢を行ってきた韓国の領土だった。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を起こした日本が対馬を武力で占領した
が、決死の抵抗を行った(対馬の)義兵がこれを撃退し、義兵の戦蹟
碑は対馬の至るところにある。1870年代に対馬を不法占拠した日本
は、不法に所有した領土をポツダム宣言によって返還することになっ
たのだから、韓国に返すべきだ」
1949年1月7日、大韓民国の初代大統領・李承晩(イ・スンマン)が
初の年頭記者会見で語った発言だ。
朝鮮日報
「対馬は韓国領」説に歴史的根拠あり(上)
http://www.chosunonline.com/article/20080727000010
うむ。この程度は想定の範囲内だ。
次は九州か沖縄を韓国領だと言い出すぞ。
朝貢してたから韓国領ってwww
じゃあ、何千年もシナの靴なめてきたお前らの国はどうなるのかと
そりゃ、中国は韓国の属国ニダと言い出すだろう。
てか最近中国も韓国を持て余し気味というニュースを
最近見た。
てか俺の予想では韓国はそのうちハワイを韓国領とか言い出すと思う。
143 :
名無し三等兵:2008/08/01(金) 13:17:13 ID:brzAkhAc
朝鮮族の連中を中国人は賎民としてしかみてないよ
その理屈でいうと朝鮮半島は中国領だなw。
145 :
名無し三等兵:2008/08/13(水) 20:18:18 ID:r2BBaQjt
あげ
>>144 世界の理屈と韓国の理屈は違う。
そこが問題なんだ。
>>146 世界はそんな理屈は徹底無視するが、
日本にはそんな甘えた理屈を神妙に聞いてしまう連中がいるからな、
それも問題だ。
>>147 竹島問題を教科書に載せる時に韓国大使から抗議を受けた時に、
福田も「国際司法裁判所での審理に同意するなら検討しましょう」
くらい言えば良かったんだよな。
149 :
名無し三等兵:2008/08/13(水) 23:02:59 ID:zISoNwo1
日本よ、韓国・朝鮮人に嘗められるな---
8月10日(日)は韓国との戦争だ!
我が国を愚弄する韓国・朝鮮人の頭上に怒りの鉄槌を下せ!!
http://jp.youtube.com/watch?v=2nq-CCYDoGo 来日して集会とデモを行なうのは、祥明(サンミョン)大芸大教授と学生約40人余り。
手引きしたのは反天皇で結束する反日・売国極左だが、今や連中は韓国・朝鮮人らと反日 で結託し、
我が国固有の領土である竹島を韓国領土だとの主張を堂々と繰り広げている。
場所は反日・売国の総本山・日本教育会館(日教組)で集会、そこを起点にデモ行進をす るという。
反靖国と竹島韓国領土を叫ぶ一大キャンペーンを指をくわえて眺めていていいのか!?
心ある日本人よ!目前で日本の尊厳が虐殺・侵略されている!目を逸らしてはならない!
150
151 :
名無し三等兵:2008/08/23(土) 14:35:16 ID:jXSLAJd6
明倭戦争は倭軍の敗退でおしまい
154 :
名無し三等兵:2008/09/02(火) 22:23:11 ID:8wsU0DS8
日本がフィリピンを攻撃していたら、日本とスペインで戦争になったかも。
果たしてどちらが勝つかな?
あの年代じゃ海軍力で大敗
海軍って白兵戦ですがな
157 :
某研究者:2008/09/06(土) 01:38:06 ID:fh+CLOOf
スペイン軍が海上で日本軍を補足出来るとは限らないだろうが
補給線を絶たれるリスクは有る訳だろうか
船上の白兵戦では
何れが強いのかだが
あの時点では西欧の騎兵・歩兵も余り装甲は無い訳だろうから
日本刀で斬られたり槍で殴られてやられる可能性は
有る訳だろうか
158 :
某研究者:2008/09/06(土) 01:42:28 ID:fh+CLOOf
ホイルロックピストルと言うのは
船上の白兵戦では役に立ったのかどうかだが
3クォーターアーマーを装備した兵は
足でも狙わないと
打刀や槍では倒せないかも知れぬが
ツヴァイハンダーは船上では利用されたのか
どうかだろうし
此れで槍をやられる可能性は有るだろうが
野太刀や長巻兵で対抗は出来たのか
どうかだが
159 :
某研究者:2008/09/06(土) 01:54:10 ID:fh+CLOOf
>3クォーターアーマーを装備した兵は
>足でも狙わないと
>打刀や槍では倒せないかも知れぬが
3クォーターアーマーと言うのも
銃弾に対抗し胸甲を厚くした影響で
40kg程度有っただろうから
此れで長時間戦闘は可能なのか
どうかだろうし
此れを装備した重騎兵等
スペインには何割居たのかだが
結局のところ産業革命がおきて工作機械ができて移動が
もっと楽にならないと無理って
結論が世界史板ででたねー。「鎖国したから敗戦した」みたいなスレで。
んでその工作機械が日本に来るのがちょうど1850年くらいだってさ。
ルソンの服属?冗談でしょ?高山国ぐらいはできるかもね。
「連山」の永井さんが秀吉の陸上からの戦略ではなくて
信長の海上戦略ならおkって論文考察かいてたナー。
倭寇を使ってマカオ攻略だってさ。
162 :
某研究者:2008/09/06(土) 09:54:36 ID:fh+CLOOf
163 :
某研究者:2008/09/06(土) 13:56:00 ID:fh+CLOOf
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/fubu/min.htm >重装歩兵:
>唐代の明光鎧から進化した鎧が
>主流であった。胸・背には細か
>い札を用いた胴衣、腹には凸面
>の鉄板を装着し、肩と上腕には
>亀甲形の札が綴られていた。
http://www.gaopu.com/mindai.html 此れは上の左端の兵だろうが
鎧は宋の重装歩兵程の重量は有るのかだが
銃兵も含めこの様な鎧を装備すれば
機動力低下は避けられず
足軽等の軽装の歩兵に包囲されたと言う可能性も有る訳だろうが
攻城戦の様な包囲されない状況で戦うなら
重装歩兵も有効だった可能性は有るだろうが
長時間戦闘は出来たのかどうかだが
足軽も攻城戦や篭城戦等の
包囲を受けないない状況なら
貸し具足等を装備したと言う可能性は無いのかだろうし
江戸時代の貸し具足と言うのも
残っている訳だろうか
重装歩兵の鎧も札鎧では槍や
打刀の打撃や
突きで可也ダメージは受けると言う事は
無いのかだが
日本は取り入れるのは得意だが
開発するのは苦手だからなぁ。
竜骨がないんだよね「日本丸」
長距離航海向くか・・・。
まあ補給なんだが。
行くだけならマレーやインドネシア、タイの日本人街があるけど
ルソン攻撃はスペインと戦争、インドネシアはオランダか・・・。
兵糧が現地からは信頼されなきゃむりだし。
166 :
某研究者:2008/09/07(日) 04:26:59 ID:0jl2l47g
167 :
某研究者:2008/09/07(日) 04:44:45 ID:0jl2l47g
突きしか出来ない様なパイクで
槍に対抗可能なのかだろうし
カトラスやサーベルでは日本刀には
対抗不能と言う事かも知れぬが
槍を折れるツヴァイハンダーは船内では利用したのかどうかだが
銃の精度と言うのは船上では役に立たぬと言う事かも知れぬし
近距離で何処迄砲撃が可能なのかと言うのが
重要で有る訳だろうか
168 :
某研究者:2008/09/07(日) 05:41:37 ID:0jl2l47g
5mも有る様なパイクや槍で
船上で戦うのかだろうし
短槍や剣が多いのかも知れぬが
スペイン軍は短槍を利用するのかだが
ハルバードを大量に用意と言う可能性は無いのかどうかだが
ハルバード兵以外がハルバードを使うのかどうかだろうし
カトラスやサーベルが多いと言う事は無いのかだが
日本側は倭寇図巻に有る様な短槍(此れも3m程度は有るだろうが)を
多用と言う事に成るのかどうかだが
169 :
某研究者:2008/09/07(日) 05:44:58 ID:0jl2l47g
170 :
某研究者:2008/09/07(日) 05:54:23 ID:0jl2l47g
http://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-915146-23-5p.html >パイクとはちがった使い方をする武器ですが、形状が似ているために「ハーフ・パイク」と呼ばれるものがあります。2mくらいの柄に比較的小さい鉾先がついており、17世紀中頃、船上での戦闘に便利なため「ボーディング・パイク」などと呼ばれて使用されました。
>ハーフ・パイクはフランスでは「エスポントン(esponton)」、イギリスでは「スポントゥーン(spontoon)」と呼ばれ、士官が部隊の指揮をとるのに使われました。
欧州でも海戦で短槍は利用されている様だが
17世紀中盤以降からと言う事は無いのかだが
朝鮮役で使った軍用の朝鮮船と明船にもキールはないよ。
172 :
某研究者:2008/09/07(日) 06:35:11 ID:0jl2l47g
明水軍も槍を使用している様だが
日本側の槍は殴る事も可能な訳だろうし
日本刀での接近戦を行えば
有利だったのかどうかだが
長柄刀は船上では利用したのかどうかだが
(長柄刀で槍切断と言うのは有り得たのかだが
日本側も長巻や野太刀で槍や長柄刀の柄は
切断出来なかったのかどうかだが)
173 :
某研究者:2008/09/07(日) 12:39:34 ID:0jl2l47g
174 :
某研究者:2008/09/07(日) 12:54:55 ID:0jl2l47g
17世紀迄西欧軍は
海戦で槍は基本的に利用していないなら
スペイン軍も
日本側の槍でやられたと言う可能性は
有る訳だろうか
一応琉球では、唐船の建造をやっていたし
九州辺りでも建造していたかもしれない
日本にとって問題なのは、船舶の確保よりも、人員の確保かも
航海士とか
外洋船が何隻あっても変わるものかよ。
数百万の愚昧で飢えた朝鮮民衆を食わせないかぎり解決しないこと。
それは今でさえ失敗していることなんだ。
それがわかって侵略の価値無しと分かったのが唯一の成果だ。
177 :
名無し三等兵:2008/09/07(日) 17:37:03 ID:Ym2sIbKk
「東洋のアレクサンドリア」神保町で起こっている出来事。
今ちょうど書店に並んでいる雑誌SAPIO9月24日号に面白い記事がありましたのでご紹介します。
skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/sol_magcode
の中の、謎の外国人が神保町の古書店で極東の「古地図」を買い漁っている/水間政憲氏
という記事です。
アキバなんかと比べると、外国人(目に見えて日本人だとわかる外国人)は見かけないなぁ。と思うのですが、
ところがどっこい、たどたどしい日本語を話し、金にいとめを付けず、極東の古地図を買い漁るアジア系外国人がいるそうです。
古本屋は好きなのですが、学術書や古書専門店は敷居が高いので、私のような一般的な?日本人はそういう店には入らない。
でも、そういう店に突撃している怪しいアジア系外国人がいるというのは面白い。
で、ここまでの内容でピンときた方は鋭い。ご明察の通り、韓国の竹島・中国との尖閣諸島等で対立関係にあるこれらの国々
のある種の策略の絡んだ資料集めと見るのが自然でしょうね。自分達にとって都合の良い内容でも、悪い内容であっても、
日本から回収した方が都合が良い。詳しい内容はSAPIOの水間氏の記事に譲りますが....。こういうのは馬鹿に出来ない。
領土問題を国際調停機関に持ち込む段階では、こういう古文書の類による裏づけは決定的では無いが、有力な証拠として
取り上げられる可能性もある...。ハイテク関連の禁輸処置でさえ、ザルな日本なのですから、こういう合法的な策略には
打つ手なしでしょうね。
日本人は、こういう古書・古本の価値を蔑ろにしていると、後で泣きを見るかもしれませんね。
178 :
某研究者:2008/09/08(月) 00:22:39 ID:/dP2EHZy
>>176 16〜17世紀の時点では朝鮮半島を手に入れても無価値だったけど、
明治政府の韓国併合は対露政策に必要だったのだろうか?
土地そのものには何の旨味もないけど、日本から見ての地政学的にスルーできない土地だしなぁ・・・
180 :
名無し三等兵:2008/09/08(月) 01:14:30 ID:TdAWNKo8
いまも昔も大陸との緩衝地帯
それだけの価値しか無い
韓国側は、対馬侵攻を行った事実を論拠として、対馬領有論を主張している。
歴史書にも敗戦であったと明記されたうえに、対馬からの使者が「対馬への侵略は日本への侵略だ」と恫喝され
慌てて、日本に釈明の使者を送った出来事すら、彼らは領有の根拠としているのだよ
このような主張を展開してくれたら、どんな論法だって通用するよ
明攻略が目的だったからあれだけど、
朝鮮半島を南からじっくり北上して、
朝鮮人を満州辺りまで大移動させて半島を全くの日本人の土地として
乗っ取ったらどうだっただろうか?
>>182 それが上策だと思うが、いまも昔も日本人はそこまで徹底したことは考えないな
上策とは思えないなぁ。
朝鮮半島を守るには、満州も結局押さえておかないと危ないし。
185 :
某研究者:2008/09/08(月) 01:53:34 ID:/dP2EHZy
186 :
某研究者:2008/09/08(月) 02:07:52 ID:/dP2EHZy
187 :
某研究者:2008/09/08(月) 02:10:16 ID:/dP2EHZy
188 :
名無し三等兵:2008/09/08(月) 02:45:13 ID:MqEacBuI
そもそもユーラシア大陸に進出することが間違いだったんだよ。
発想を逆転してオーストラリア大陸とアメリカ西海岸を侵略すべき、あそこの原住民なら国家すら持ってないんだから楽勝だろ
189 :
某研究者:2008/09/08(月) 05:47:48 ID:/dP2EHZy
190 :
某研究者:2008/09/08(月) 05:52:45 ID:/dP2EHZy
外洋艦である朱印船は300隻以上有ったと言うが
アルマダ海戦でのスペイン船は150程度だろうから
そう少ない数なのかだが
船のサイズはどうなのかだが
191 :
某研究者:2008/09/08(月) 06:16:05 ID:/dP2EHZy
192 :
某研究者:2008/09/08(月) 07:26:41 ID:/dP2EHZy
194 :
名無し三等兵:2008/09/09(火) 21:48:25 ID:SpFtu4vs
195 :
名無し三等兵:2008/09/09(火) 21:51:25 ID:SpFtu4vs
196 :
某研究者:2008/09/18(木) 22:15:29 ID:ThCtdBsc
信玄が鉄砲を相当数運用する事になっていれば
織田家は滅亡していただろうな。
198 :
197:2008/09/19(金) 00:05:25 ID:???
ごば
199 :
某研究者:2008/09/19(金) 00:40:26 ID:8nekJyN0
200 :
某研究者:2008/09/19(金) 01:00:58 ID:8nekJyN0
>◆混迷作戦
>乗切(のりきり)
>合戦中に敵の崩れた部分に一気に乗り込みかき回し混乱させる。
騎馬武者単独で突撃しても勝てるのかだが
銃撃で崩れた部分に突撃していたと言う事かも知れぬが
この場合は敵が敗走しているなら
乗馬突撃だった可能性も有るのかどうかだが
此れを迎撃する為に敵の騎馬武者が出て来ると言う事は
無かったのかどうかだが
>>197 いや、そもそも信長は信玄が生きている間は信玄と戦うことなんて
考えていなかったし、信玄もことさらに織田家と戦う気はなかったみたい
(まあ上杉とか北条とかいて、とても織田家どころではなかったんだろうが)。
結局武田家と戦うのは信玄が死んだ後の話であって、鉄砲とかそういうのは
あんまり関係なかったみたいよ。
>>197 でも鉄砲をそれなりの数で揃えるには金がかかるし、
それに織田家が鉄砲や硝石の主要流通ルートを押さえてたって話もあるからなぁ
203 :
197:2008/09/19(金) 20:14:30 ID:???
スレ間違いに突っ込んで貰って済まない。
しかも織田家と上杉家を間違えていたとはとても言えない・・・。
204 :
某研究者:2008/09/22(月) 21:24:32 ID:oXLI6P5A
205 :
某研究者:2008/09/22(月) 21:38:13 ID:oXLI6P5A
解釈は無数、結論は一つ
日本軍は朝鮮半島から撤退した以上w
秀吉が死んだからな
結果と結論は違うぞ
209 :
某研究者:2008/09/23(火) 16:39:53 ID:4dcc4Ymj
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/fubu/sin.htm >清による3次にわたる朝鮮侵攻をへて、清軍内部では火器の重要さが認識されていた。清は膨大な大砲を日本より入手し、攻城戦は非常に短縮化された。
城を破壊可能な様な重砲を日本が
大量に輸出して居たのかどうかだが
大阪冬の陣等で使われたフランキ砲なのかどうかだが
日本の大砲が無ければ清は意外と兵力は無いし
攻城戦ではヌルハチが死亡する等可也損害を受けているから
勝てたのかどうかだが
>また、銃器は清・明両国が保有していたが、明の銃器は騎兵運用の妨げとなっていた。騎馬の運用に長ける満州族はこの騎兵の弱点を補強するために鉄の鎧を装備したので、満州騎兵を鉄騎兵と呼んだ。
此れは例の綿甲だろうし
明軍の銃弾に対抗しての物だったのかだが
三眼銃は兎も角火縄銃の銃弾を防げたかは
疑問も有る訳だろうか
210 :
某研究者:2008/09/23(火) 16:52:03 ID:4dcc4Ymj
211 :
某研究者:2008/09/23(火) 17:04:09 ID:4dcc4Ymj
>>206 戦争目的を達成出来ずに撤退=敗北なのにね。
213 :
某研究者:2008/09/23(火) 17:32:55 ID:4dcc4Ymj
214 :
某研究者:2008/09/23(火) 18:02:41 ID:4dcc4Ymj
村上水軍の焙烙火矢に信長は苦戦したから
鉄甲船を配備した訳だろうが
板屋船や亀甲船の側面に鉄甲は無い訳だろうから
焙烙火矢で可也ダメージを受けた可能性は
無いのかどうかだが
村上水軍以外で焙烙火矢と言うのは
何処迄使われて居たのかどうかだが
215 :
某研究者:2008/09/23(火) 19:05:47 ID:4dcc4Ymj
また世界史板の人が来てるのか?
ご苦労なこった。
217 :
某研究者:2008/09/24(水) 03:30:21 ID:ncinD5Fp
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%99%E7%83%99%E7%81%AB%E7%9F%A2 >焙烙玉を火縄銃の30匁筒など、大筒に詰めて放ち、標的に当たると焙烙が割れ、そこで爆発、燃え広がるなどして周囲の敵や建物や船の木造部分を攻撃する、現代でいう焼夷弾に似た兵器。
>焙烙玉とは、料理器具である焙烙、ないしはそれに似た陶器に火薬と燻った火を仕込んだもの。
>手で直接投げたり縄を付けて遠心力で投げたりする手榴弾の様な物。
>これらの兵器に対抗する為に織田信長が九鬼嘉隆に命じて鉄甲船を開発させた。
>また、黒色火薬の火力を推進力として利用した原始的なロケットのような兵器を指して言う場合もあり、
>その中には標的に着弾した時に焼き払ったり爆発するように燃焼物や火薬を仕込むものもあった。
>こうした兵器は、おそらくは中国の神火飛鴉などの同様のロケット型の兵器を糸口にして作成されたと考えられる。
矢に焼夷弾を装備したり
大筒に詰めるタイプの物は
大砲の射程外から相手を燃やせたと言う事は
無いのかだが
218 :
某研究者:2008/09/24(水) 03:35:27 ID:ncinD5Fp
信長の鉄甲船の大鉄砲と言うのも
通常の弾では無く
焙烙玉を発射して居たと言う事は
無いのかどうかだが
毛利水軍の焙烙火矢でやられる前は
使って居なかったと言う事かも知れぬが
板屋船や亀甲船も
大砲の射程外から
焙烙火矢を受けて炎上して居たと言う事は無いのかどうかだが
219 :
某研究者:2008/09/24(水) 04:09:47 ID:ncinD5Fp
毛利水軍は未だ鉄甲船の無い九鬼水軍に対して
白兵戦等したのかだろうし
焙烙火矢のみで勝ったと言う事は
無いのかどうかだが
焙烙火矢のみで勝ったと言う事は
可也威力は有ると言う事なのかどうかだが
焙烙玉を発射した大筒や火矢だけで勝てたのかだろうし
近距離で焙烙玉を投げたと言う事は無いのか
どうかだが
220 :
某研究者:2008/09/24(水) 04:23:21 ID:ncinD5Fp
日本の水軍は白兵戦主体等と言うが
焙烙火矢を使っていた段階では
白兵戦等考慮して居たのかだろうし
水軍も海賊では無いのだから
燃えている相手の船に乗り込む事等
考えたのかどうかだが
221 :
某研究者:2008/09/24(水) 05:05:35 ID:ncinD5Fp
こんだけ無知だと笑うに笑えんな
223 :
某研究者:2008/09/24(水) 16:43:09 ID:ncinD5Fp
30匁筒の25mmの口径の焼夷弾を多数受けても
船が燃えるのかと言う事は有るだろうし
火矢は落とされていたと言う記述も有るから
船を燃やすには焙烙玉が必要だったと言う可能性は
無いのかどうかだが
224 :
某研究者:2008/09/24(水) 16:52:40 ID:ncinD5Fp
100匁筒なら口径40mmだろうが
此れは数は有ったのかどうかだが
225 :
某研究者:2008/09/24(水) 17:47:29 ID:ncinD5Fp
226 :
某研究者:2008/09/24(水) 18:24:45 ID:ncinD5Fp
まあしかし30匁筒なら早合を使って
射手と装填手を分ければ
30秒に一発程度は撃てないのか
どうかだが
500gくらいの火種入りのふくろを各兵士に腰に下げさせ装備させた場合
火をつけてから何十分の戦闘行動が可能かといった点も見逃せない。
雷管が発明されるまで大変ですなー。でも火種は現地でいくらでも調達できるか・・・。
228 :
某研究者:2008/09/25(木) 18:58:38 ID:tPpLNHoT
朝鮮の城の防御砲に苦戦したと言う記述は
何故か無いが
野戦と異なり攻城戦では密集しているかも知れぬし
密集して此れを受けると厄介と言う事は
無いのかだろうし
ヌルハチも城の防御砲でやられている訳だろうが
(弓や銃弾なら竹束で可也止まるかも知れぬが
砲は無理な訳だろうし
西欧の様に防御砲を避ける為に塹壕を掘って前進と言うのも
有ったのかどうかだが)
朝鮮の城の城壁を崩せる程の重砲は日本側に有るのかだが
防御砲を軽砲で破壊すると言う様な戦術も
西欧には有ったかも知れぬが
日本では使われたのかどうかだが
229 :
某研究者:2008/09/25(木) 18:59:42 ID:tPpLNHoT
トンネルを掘って攻め込むとしても
火炎でも使われれば厄介だったと言う事は
無いのかどうかだが
230 :
某研究者:2008/09/25(木) 19:49:22 ID:tPpLNHoT
日本の城の場合も櫓や天守は
石を大量に外されると倒壊する危険は有るだろうが
櫓に防御をそう依存しているのか
どうかだが
231 :
某研究者:2008/09/25(木) 19:56:58 ID:tPpLNHoT
232 :
某研究者:2008/09/25(木) 20:26:19 ID:tPpLNHoT
233 :
某研究者:2008/09/25(木) 20:36:57 ID:tPpLNHoT
http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shincho14.html >丹羽勢は城東の攻撃を請け負い、井楼を二つ高々と組み上げて城内へ大鉄砲を打ち込み、堀を埋め築山を築いて攻めたてた。
>さらに滝川一益は南から東の攻め口を担当し、金堀衆を入れ、井楼を組み、大鉄砲で塀・櫓を打ち崩し、櫓へ火を放って焼き落とす成果を上げた。
>その他の諸勢もそれぞれに井楼・築山を築いて日夜攻撃を続けた。
塀を打ち崩したと言うのも
石垣上部の塀が崩れただけなのか
土塁上の木製の塀が崩れたと言う可能性も有る訳だろうか
234 :
某研究者:2008/10/04(土) 01:49:27 ID:BtZw5Glz
ナポレオン時代の大砲も砲弾をバウンドさせなければ遠距離射撃で
当てるのは無理だろうし
こんな射撃方法はナポレオン時代前には有ったのかだろうし
4列の備に火縄銃の射程外から
大砲を当てるのは極めて困難と言う事は無いのかだが
榴弾ではどうなのかだが
朝鮮は貧しすぎて食料が徴発できなかったのが痛い
236 :
某研究者:2008/10/04(土) 04:19:04 ID:BtZw5Glz
明の水軍も末期には参戦しているが
シーレーンを彼等が早期に攻撃した場合は
厄介だったと言う事は無いのかだが
237 :
某研究者:2008/10/04(土) 06:15:51 ID:BtZw5Glz
大砲が使い物になる兵器なら大量生産されて大量使用されてたろ。
だが違う。
>>238 おそらく火薬の生産が追いつかなかったのだと思う。
戦間期の間に大量に火薬を備蓄したらしい大阪冬の陣・夏の陣では
結構大砲が活躍してる。
>>238 上から下まで石の城壁である西洋や中国ではそれなりに役に立つ
後、日本で運用するには重すぎて、木造壊すなら大筒や大鉄砲で十分
当たったら燃える弾なら良いかもシレン。
日本海海戦で使ったあれの様な。
>>242 てか、英語が日本語なまりだし、日本の人名の発音も綺麗なわけだが。
完全にフォースの韓国面に入ってるぞ?
つうことは在日韓国人なのか
245 :
某研究者:2008/10/12(日) 10:59:58 ID:ApZwa8Qa
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1223771587 日本ー釜山の間で水軍が戦った形跡は
最後以外は無いし
日本ー釜山間の様に大艦隊を組んで前線に補給を行えば
どうだったのかだが
日本側の前線の兵力を考えれば
大艦隊を組んでの補給が必要だったかも知れぬし
当初は必要無いとして行って居なかった可能性も有る訳だろうし
前線への艦隊での補給を考える前に明と停戦して
朝鮮南部の確保だけを考える戦術に切り替えたと言う事かも知れぬが
村上水軍が前線への補給中にやられたのかだろうし
前線への威力偵察中に奇襲を受けたと言う
事かも知れぬが
246 :
某研究者:2008/10/12(日) 11:09:51 ID:ApZwa8Qa
偵察部隊が数回やられた程度で日本側が
前線への補給を諦めるのかだろうし
日本側の前線の大兵力への補給を長期に絶ったと言うなら
もっと戦って勝利していないと可笑しい訳だろうか
(明と停戦する前には前線への艦艇での補給は考慮しておらず
停戦後は朝鮮南部の支配だけを
考えていたと言う事かも知れぬし
この部分への補給は絶たれていない訳だろうか)
247 :
某研究者:2008/10/12(日) 11:17:45 ID:ApZwa8Qa
兵糧は当初は十分有ったが
兵糧を明軍に焼き討ちされて後退したと言う様な記述も有っただろうし
この様な状態で前線に留まって船舶での補給を待つのは危険であり
後退するのが妥当だったと言う事かも知れぬし
小西行長に明と戦う気は無かった訳だろうか
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1223771587 >補給を絶たれても、20倍近い敵の包囲を耐え切った事例すらありますよっ><
>蔚山倭城の戦い
足軽が自前で携帯食料を肩に持参したり
縄迄食べられる様に成っていたから
耐えられたと言う事も有る訳だろうか
248 :
某研究者:2008/10/12(日) 11:21:45 ID:ApZwa8Qa
>実際wikiですが、困窮しても耐え切った、と書かれていますし。
馬や敵味方の人肉でも利用すれば
可也耐えられたと言う事は無いのかだが
249 :
名無し三等兵:2008/10/12(日) 11:26:02 ID:jasvGive
250 :
名無し三等兵:2008/10/12(日) 11:27:33 ID:SkHF4mu1
こんなスレ見るぐらいなら北島万次の豊臣秀吉の朝鮮侵略を観た方が良さそうだwとかいうとわめき散らされますかなw
>>235 当時の朝鮮の人口は700万ぐらいだから貧し過ぎてなんて言い訳じゃねーのか。第一、学術的な二次資料に記述されてないしな。
252 :
某研究者:2008/10/12(日) 11:41:32 ID:ApZwa8Qa
まあ矢張り李舜臣に補給を絶たれたから停戦したのでは無く
小西行長が明と戦う気が無かったからなのか
或いは明軍の兵糧焼き討ちにより
船舶の補給を待たずに後退せざる負えなかったと言う
事かも知れぬが
後退して兵糧を確保した後再戦は十分
可能だった訳だろうから
小西行長の意向が矢張り大きかった訳だろうか
253 :
某研究者:2008/10/12(日) 11:52:57 ID:ApZwa8Qa
寒さで日本軍がやられたと言う様な記述も多いが
西日本でさえ冬場は可也寒い時期も有るだろうから
果たしてどうなのかだが
254 :
某研究者:2008/10/12(日) 12:13:59 ID:ApZwa8Qa
255 :
某研究者:2008/10/12(日) 12:19:09 ID:ApZwa8Qa
平壌辺り迄朝鮮半島を完全に制圧した後
山東半島から中国本土に上陸
北京を目指すと言う方向も有った訳だろうか
(朝鮮半島西岸・渤海辺りの制海権は
必要である訳だろうか)
256 :
某研究者:2008/10/12(日) 12:29:20 ID:ApZwa8Qa
257 :
某研究者:2008/10/12(日) 12:46:49 ID:ApZwa8Qa
村上水軍等の焙烙火矢で鉄甲船装備前の信長の九鬼水軍の様に
朝鮮水軍が炎上と言う事は有ったのかどうかだが
巨済島海戦で朝鮮水軍の船が多数燃えたと言う記述が有ったが
此れは焙烙火矢に拠る物では無かったのかだろうし
巨済島海戦や露梁海戦等の
大艦隊同士の戦いでは大筒から発射する焙烙火矢で明・朝鮮水軍は
大砲の射程外から一方的にやられていたと言う可能性も
有る訳だろうか
http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse432.html 鳴梁海戦は日本軍主力が来た後は
李舜臣は撤退しているから
大艦隊同士の海戦では無い訳だろうか
259 :
某研究者:2008/10/12(日) 16:19:22 ID:nlSnX/M0
怒張しきった私自身を鎮めるには
高速ピストン運動が必要なのか
どうかだが
260 :
名無し三等兵:2008/10/12(日) 22:20:18 ID:m46krDvz
女真族はあっさり朝鮮を攻略。
明をも。
日本はそれ以下なのか。
>>260 順番が逆なら女真族による侵略が失敗した後に日本が侵略に成功してたかも知れん
262 :
某研究者:2008/10/12(日) 22:41:51 ID:ApZwa8Qa
女真族は寒さに対応した装備が有るのが
大きい訳だろうか
現住農民が冬を越せるぐらい、日本軍も越せたろうよ。
そして、何で蔚山へ攻め寄せた明人と朝鮮人は凍えたか考えよう?
264 :
某研究者:2008/10/13(月) 09:58:53 ID:6vISPXzm
日本軍以上の防寒装備は有る筈だが
何故やられたのかだが
仮設小屋や
テント等は使っていたのだろうか
265 :
某研究者:2008/10/13(月) 10:05:45 ID:6vISPXzm
日本軍は蔚山城の建設用作業員が防寒用に入る
仮設小屋を利用して
寒さを凌いでいたと言う可能性も有る訳だろうが
薪の備蓄は多少は有っただろうが
足りたのかどうかだが
266 :
某研究者:2008/10/13(月) 10:10:32 ID:6vISPXzm
明・朝鮮軍も日本軍と異なり防寒用の小屋が無かったから
やられたと言う可能性も有るだろうが
テント位は無かったのかどうかだが
テントでは小屋に比べ防寒能力が
低かったという事かも知れぬし
数も有ったのかどうかだが
268 :
某研究者:2008/10/13(月) 10:26:16 ID:6vISPXzm
>じつは補給に失敗していた大陸軍。
日本軍が秀吉の命令で朝鮮半島南部に篭っていた状態でも
半島沿岸の海上ルートは現実には日本側が封鎖していたのか
どうかだが
其の様な形跡は有るのか
どうかだが
269 :
某研究者:2008/10/13(月) 12:17:02 ID:6vISPXzm
明・朝鮮軍も蔚山城付近の市街地に駐留して
寒さを凌ぐと言うのは
無理だったのかどうかだが
>>268 当時の制海権は沿岸支配で決定する。
従って日本が沿岸支配をしていた地域の海運力は基本的に日本の物。
271 :
某研究者:2008/10/13(月) 12:46:52 ID:6vISPXzm
http://blog. goo.ne.jp/morimorikids/e/2612d85aca2537cc988d35f7f59b078e
>上杉謙信は、たとえ一夜の野陣でも陣小屋を造らせたといいます。柵や奥番衆により防御された陣の中央に大将と近臣の居所があり、
>その周りに足軽、中間などの下級武士団が取り囲む構造になっていました。斎場山は、南北が急峻な斜面なので防御がし易かったと思います。
>陣場平はそれに比べるとより強固に周りを固める必要があったと思われます。
>小幡景憲彩色の『河中島合戰圖』には、陣場平辺りに、謙信公御陣所として立派な社殿のような建物が七つほど描かれています。当時の戦では、陣城、或いは陣小屋を設営するのが常道だったそうで、
>材料も運んだそうですが、また一方で陣小屋や陣城を造るために、乱取りが行われたわけです。時には地元の農民の家を壊し、それを陣小屋の材料にするわけです。
日本軍は野戦では陣小屋を利用していた様だが
全兵士が入れる様な物だったのかどうかだが
272 :
某研究者:2008/10/13(月) 14:49:40 ID:6vISPXzm
273 :
某研究者:2008/10/13(月) 15:27:22 ID:6vISPXzm
>>269 蔚山倭城は新城だから市街地なし。
都市へ移動するということは包囲解除ということだが、援軍の迫るなかで、それなら撤退ということになる。
275 :
某研究者:2008/10/13(月) 16:42:45 ID:6vISPXzm
蔚山城内部の小屋の方が
明・朝鮮軍の天幕より耐寒性は
有ったと言う事かも知れぬが
城内でも寒さでやられたと言う記述は
有ったかも知れぬが
276 :
某研究者:2008/10/13(月) 17:36:39 ID:6vISPXzm
277 :
某研究者:2008/10/13(月) 18:13:47 ID:6vISPXzm
或いは城外にも毛利秀元が利用していた
作業員の入る家屋が有ったかも知れぬが
此れも5万人等は入るのかどうかだが
278 :
某研究者:2008/10/13(月) 18:15:42 ID:6vISPXzm
毛利秀元が退去した時点で
作業員の家は可也分解され持ち去られていた可能性も
有る訳だろうか
279 :
某研究者:2008/10/13(月) 18:18:04 ID:6vISPXzm
>この施設は5万の明・朝鮮軍は3000人しか入れないので
>余り使えなかったと言う事かも知れぬが
この3000の一部が作業員を兼ねていた可能性も
有る訳だろうが
完成が目前だったとしても
彼等しか使わなかったのかどうかだが
280 :
某研究者:2008/10/13(月) 18:23:48 ID:6vISPXzm
作業員は城外の家屋を利用し
城内の家屋は作業員が利用する物では無く
後で兵士が利用する物が一部完成していた可能性は有るだろうが
3000人分は有ったのかどうかだが
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/10/13(月) 18:32:37 ID:Lq0zmufY
282 :
某研究者:2008/10/13(月) 18:35:41 ID:6vISPXzm
城外・城内の小屋・建築物と言うのも
日本本土で使われる物より
防寒は考慮していた可能性は無いのか
どうかだが
283 :
某研究者:2008/10/13(月) 22:52:01 ID:6vISPXzm
284 :
某研究者:2008/10/13(月) 23:04:16 ID:6vISPXzm
まあしかし城外に居た3000の兵も
1週間分程度の食料は無かったのかだろうし
兵糧は何とか保ったと言う事は無いのかだが
(干飯なら薪も必要は無い訳だろうか)
285 :
名無し三等兵:2008/10/14(火) 02:00:59 ID:A+GaZGWf
女真族はあっさり朝鮮を降して、明も征服している事実。
286 :
名無し三等兵:2008/10/14(火) 05:31:20 ID:rL4ZJd+u
明を滅ぼしたのは清でなく李自成だっつーの。
その李自成を倒すために清に味方したのが明人達。
287 :
某研究者:2008/10/14(火) 14:40:54 ID:TvjwjUSU
夏迄待って北を抜けるか
或いは冬に南部の海上ルートを通るかだが
北京も寒いだろうから
夏場に平壌付近から海上ルートを通って侵攻し
冬迄膠着したら北京より南に撤退と言う事で
良いのかどうかだが
当時の朝鮮は何語を使っていたのだろうか
289 :
名無し三等兵:2008/10/15(水) 01:10:12 ID:WRMIO/BQ
>>286 朝鮮をあっさり征服したのは女真族では?
「大明大討ち入り」にしたって、朝鮮も征服できないからできないわけで。
できてたら、日本のための李自成だって出現したかも?
290 :
名無し三等兵:2008/10/15(水) 01:15:03 ID:WRMIO/BQ
>>286 まあ当時日本は女真族より弱かったのは間違いないんでしょ。
291 :
名無し三等兵:2008/10/15(水) 01:16:46 ID:xlzKP4va
292 :
某研究者:2008/10/15(水) 01:26:04 ID:5dbMQEyZ
明軍は清騎兵を障害物で防いでも
火器は近距離でしか当てられず
清軍は基本的に騎兵のみであるから
白兵戦エリートの下馬騎兵に突入されれば
火器を持つ兵が大半の明軍は敗れるしか無い訳だろうが
攻城戦では野戦と異なり近距離から長時間銃砲撃が可能だろうから
善戦したと言う事だろうか
>>292 戦闘力の問題じゃねえのよ。
秀吉軍も援朝明軍も女真も朝鮮を征服する力が合った。
北洋軍閥や明治日本軍、ロシア軍、アメリカ軍や中共軍にも合ったようにな。
>>289 朝鮮は長年の悪政と日本の侵攻で疲弊したところに
明軍の女真遠征に付き合って援軍に出した虎の子の部隊がサルフの戦いで壊滅した。
同じくサルフの戦いで大打撃を被った明も朝鮮に援軍を送れなくなり
そのうち自分の足元に火が付いてそれどころじゃなくなってしまった。
文禄・慶長の役とは違って朝鮮を助けてくれる相手はいなかったわけだ。
元々朝鮮の独力で国土を守りきる力は無い。
それはそれで戦略の一つではあるけれど、事実はそういうこと。
295 :
名無し三等兵:2008/10/15(水) 11:25:35 ID:yVdNpw6o
鳴梁大捷再現中板屋船に火災〜全焼〜 2008-10-11 22:18:45
http://www.dailian.co.kr/news/n_view.html?kind=menu_code&keys=3&id=129510 全南道(チョンナムド)が主管した鳴梁大捷祭り開幕日に板屋船が仏陀全焼する事故が発生した。
事故(思考)板屋船は鳴梁大捷祭り開幕日の11日16時頃右水営港で進度サビ陣まで運行した後ウォン・インモを火災が発生して,完全全焼された。
燃えた板屋船は海南(ヘナム)右水営港〜陣も溶けることは区間を二度運航した後右水営港で帰航していた途中機関室側から初めて火が始まったと分かっている。
板屋船に火災が発生するや板屋船に搭乗した人々は緊急待避して,人命被害はないと明らかになっている。
板屋船に火災申告で海上警察と消防署が出動して鎮火に出たが火を消すことができなくて完全全焼した。
全焼した板屋船は先月鳴梁大捷祭りに合わせて乾燥(建造)したし,祭り当たりである初めての運航した。
板屋船が燃えた姿を見守った住民たちは数千万ウォンらで製作した板屋船がハルンマンに燃えてしまったとし,一回用(使い捨て)になってしまった格好だと非難した。
また鳴梁大捷祭りハイライトの海上戦闘再現に参加する計画だったが出場もできなくて仏陀鳴梁大捷で倭船の安宅船に破った格好になってしまったとヒョルルチャッタ.
296 :
某研究者:2008/10/15(水) 11:50:24 ID:5dbMQEyZ
>明軍の女真遠征に付き合って援軍に出した虎の子の部隊がサルフの戦いで壊滅した。
此れは槍兵と火縄銃兵で清騎兵を阻止しようとしたが
やられたと言う事だっただろうし
此れでは1回銃撃した後は乱戦に成り
白兵戦エリートの騎兵しか居ない
清軍には恐らく勝てないだろうから
柵や土塁等の障害物の背後から火縄銃や砲を撃たないと
騎兵は阻止困難と言う事は無いのかだが
297 :
某研究者:2008/10/15(水) 11:59:17 ID:5dbMQEyZ
>鳴梁大捷再現中板屋船に火災〜全焼〜 2008-10-11 22:18:45
村上水軍等の焙烙火矢で
信長の九鬼水軍の様に炎上した板屋船も
多かったと言う事は無いのかだろうし
日本側の高精度の大鉄砲から発射する焙烙火矢で
固定式の大砲を装備する明・朝鮮艦隊はアウトレンジされ
一方的に炎上していた可能性も有るかも知れぬし
大艦隊同士の正面決戦では日本側は
敗れていない訳だろうか
>>297 フネの運動性が悪いからアウトレンジなんかほんの一瞬。
団子になって接敵するか、接触できないか、が当時のフネ戦。
299 :
某研究者:2008/10/15(水) 12:21:28 ID:5dbMQEyZ
>300
読む気しないから要点だけ教えてくれ
303 :
某研究者:2008/10/25(土) 23:55:46 ID:LWM3n9p2
304 :
某研究者:2008/10/26(日) 00:05:41 ID:NkDIbUOu
305 :
某研究者:2008/10/26(日) 00:08:13 ID:NkDIbUOu
胸の中央部に装甲が何故か無いが
綿甲を二重に着込んでいた可能性は無いのか
どうかだが
ヒント、チェインメイルで海に落ちたら溺死。
また韓国人が来てウィキの編集合戦をはじめやがったな。
英語版ウィキの修正計画も議論が始まったみたいだが、
目処は立たないようだ。
307 :
某研究者:2008/10/26(日) 19:54:19 ID:NkDIbUOu
綿甲の方が重量は有るかも知れぬが
海戦用の水に浮き易い鱗鎧と言うのも日本には有るが
他の国では利用されたのかどうかだが
基本軽装だろ?
何を防ぐための鎧を想定してんだよ。
309 :
名無し三等兵:2008/11/01(土) 17:16:13 ID:L6GXIUQT
何年かぶりに軍事板を覗いたら、冒険が少しも変わらず普通にいるので笑った
310 :
名無し三等兵:2008/11/02(日) 16:58:45 ID:li0p5EcV
全羅道から支配してれば勝ってたろ
なんで東から一直線に中国に行こうとしたのやら
馬鹿としか思えん
311 :
名無し三等兵:2008/11/02(日) 17:12:04 ID:DtDVh+UT
>>310 文禄の役から西進する軍を出してるし、馬山湾や松真湾を渡ろうともしている
wikipediaには「朝鮮沿岸を西進する作戦を持たなかった」って書いてあるがこれは誤りだな
313 :
名無し三等兵:2008/11/03(月) 08:28:01 ID:ujDZaA1F
全羅道は農業地帯であり、温暖湿潤な気候からコメ、コムギ、オオムギ、ジャガイモの大産地。
海産物も豊富で農業漁業的視点から見れば豊かな地域。
317 :
名無し三等兵:2008/11/03(月) 21:10:31 ID:r3c8RSAv
英語のウィキの間違いを正すとか言ってるのに日本語のウィキから間違えてんのかよ
>>316 それ、日帝開発以後の話じゃねえの?
毎年、農民が餓死するレベルからしたら穀倉なのかも知れねえけどよ。
俺ならそれ以上無知を晒すよりググるけどな
>>316 何と比べてどれだけ豊かかの比較が無くちゃね。
>>316 最初から丁寧に教えてやるよりググレカスでよかったと思う
322 :
名無し三等兵:2008/11/03(月) 22:48:42 ID:r3c8RSAv
釜山から明まで一気に北上なんてバカな計画たてた奴が戦犯だな
323 :
名無し三等兵:2008/11/03(月) 23:16:29 ID:VLyNpjrB
ルイスフロイスだかが
朝鮮出兵は戦闘による死者は少なかったが疫病や飢餓での死者は多かったらしい
みたいなこと書いてたな
ジャガイモってwww
おかしいと思わないのか?
ジャガイモが加わったのは後代のことだろうけど、全羅道が穀倉地帯であったのは間違いではない。
326 :
名無し三等兵:2008/11/04(火) 06:59:30 ID:FAkS8aAD
>>312 へえ?
その西進作戦に動員されたのって誰?
誰からどこを攻略しろって命令を受けたの?
それらを含めて、どの文書を根拠に西進作戦の存在を主張しているの?
馬鹿なの?死ぬの?
>>325 全羅道と慶尚道が同じぐらいの収穫量でしょう?
面積的には効率はよいが、それほど「確保すれば飢えない」みたいな土地じゃないよ。
戦乱で統治が崩壊して一揆や反乱が頻発して生産量は落ちているし。
いや、「確保すれば飢えない」とは言っていないのでそう言われても困る。
しかし、慶尚道と全羅道を両方確保できるならそれにこしたことはない。
兵站面でも交通路の安全確保の面でも、西進して半島西岸を北上する場合(可能ならだが)でも
全羅道の確保は重要。
陸路で北上するにしても側面を空けたままにはできないだろう。
両班の収奪や戦乱で生産量が落ちているにしても、元々の生産力が減ったわけではないだろうし
安定した統治が可能と判断したなら、取りに行くのも不思議ではない。
だいたい戦乱で生産するやつが逃散してたら意味ねえ
全羅道は被差別地域で住民の李氏朝鮮に対する忠誠も薄い
>>328 その元々の朝鮮基準で優良・日本基準でそこそこの状態から当地も自治も崩壊して生産量が落ちたわけであるのだが?
生産量は落ちている
↓
両班の収奪や戦乱で生産量が落ちているにしても、元々の生産力が減ったわけではない
↓
生産量が落ちたわけであるか?
>>332 まず両班の収奪はデフォで治水開墾などのインフラ整備も貧弱。
そこに戦闘もしていない地域を含めて支配が弛んだ時点で自治崩壊、反乱や盗賊が頻発した。
これも広義の戦乱と呼んで良いものやら。
全羅道が朝鮮のなかでは比較的肥沃とは言ってもたかが知れている。
働き者の日本に於ける普通レベルを要求しても統治コストが掛かりすぎ。
>>331 >>332 土地が貧しくなったり、地形が変わったわけではないと言ってるの。
人間じゃなくて地理的な側面ね。
336 :
名無し三等兵:2008/11/04(火) 20:51:11 ID:0vAkZCRT
>>334 地理的な側面から農民が面倒見無いんだよ。
損得勘定も出来ないのが地なんだから、日本人の常識を押しつけても簡単には直らないんだよ。
>>336 そんな思い込みを書きたいだけなら別の板に行った方がいいな
338 :
名無し三等兵:2008/11/04(火) 22:03:20 ID:Wvjw1+IL
>>326 >その西進作戦に動員されたのって誰?
小早川隆景、細川忠興、堀内氏善 他多数
>誰から
最上位としては秀吉
>どこを攻略しろって命令を受けたの?
全羅道、晋州以西、半島南海の安全確保
>それらを含めて、どの文書を根拠に西進作戦の存在を主張しているの?
旧陸軍の朝鮮役研究、朱印状等
逆にこれだけ行動があって「西進作戦がなかった」と書ける根拠は何なのか?
それを説明できる史料の文章をそのまま抜き出して書いてくれよ
>>338 小早川が西進したとはねえ。南下の間違いじゃないの?
細川の目標は釜山からの南北通路の安全確保のために、敵の拠点と認識した晋州城攻撃だよね。
全羅道まで西進する予定なんかないじゃん。
細川達の作戦発動は1592年の秋だし、晋州止まり。
水軍への李舜臣対策も夏になってからだし、勝っても負けても西進なんて命令されてないよねえ。
341 :
名無し三等兵:2008/11/06(木) 14:37:10 ID:uUmRID+i
もう終わり?反論なし?
反論云々言う前に史料提示が先じゃないの?
>>342 日本の全羅道西進作戦をどうやって立証するのか楽しみですよね。
史料の引用が楽しみ楽しみ。
344 :
名無し三等兵:2008/11/06(木) 21:55:45 ID:ofwdWySo
「勝っても負けても普州どまり」「予定・命令がない」等は
朱印状を全く読んでないからこそかける完全な間違いのある文言
つまり、史料を提示できる知識が最初からないのに噛みついてきただけ
こちらの目的は「西進作戦がなかった」といえる史料を提示してもらう事
相手の間違えを正そうとか負かしてやろうとかそんな気持ちはない
だから、このレベルをこれ以上相手してもプラスがないのでスルーしていた
仕事帰りに結論ありきで語るファンタジーの人の相手は負担がでかい
水掛け論がしたいのなら軍板以外の他の板でやればいい
その脳内妄想も通じるかもしれないぞ
>>343
朝鮮本土は無理でも済州島と鬱陵島だけでも、なんとか確保できなかったものか?
済州島くらいなんとかなりそうに思えるが。
実効支配せずにとっとと引き上げたって事は、
つまりその程度の価値すらもないって事なのかもな
東洋のハワイとしての価値はあるぞ>済州島
349 :
名無し三等兵:2008/11/07(金) 19:21:49 ID:6TLXo1VY
なぜ秀吉は済州島を占領しなかったんだ?
だからルソンを攻めろよルソンを
南蛮貿易の実を取れ
351 :
名無し三等兵:2008/11/07(金) 21:02:20 ID:fZI/HCex
ちょっとwikiのこれを見てくれ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%86%E5%A4%A9%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 >小西らは明朝鮮軍との間に和議を締結し、人質を受領して撤退の手筈を整えた。
>ところが、いざ撤退となると明・朝鮮の水軍が再び出張って来て順天を海上封鎖して撤退を阻んだため、
>小西らは水軍と再交渉をして人質を受領して撤退を約したが明鮮水軍は撤退しなかった。
15日付で撤退命令(小西に届いたのはいつか不明)
順天城で包囲されている小西は撤退のため停戦を交渉、包囲されてる側でありながら人質を受け取り撤退準備をした
しかし人質を渡してまで停戦に合意した明朝鮮軍はなぜか海上封鎖をして撤退を阻む
小西は水軍と再交渉し包囲される側でありながらまた人質を受け取るが、明朝鮮軍はわざわざ人質を出して合意したのに約束を破る
なんだよこの意味不明の流れは?
明朝鮮軍はいったい何がしたいか説明してくれ
大軍を海上輸送できる船団&遠洋航海技術があれば、
朝鮮半島なんざスルーして直接明本土に上陸・攻略してるでしょ。
例え当時の西欧の航海技術でも、陸地沿いに点々と港を確保出来るならそれにこしたことはない。
まして荒海なら尚更。
だから、なんで済州島を攻めなかったのか納得いく説明してくれよ。
>>351 小西「これから撤退したいんで追撃しないでください。」
明朝「だが断る!」
小西「じゃああなたが人質を出してこちらが受け取ると言う事でどうですか?」
明朝「うはwそれならおkwww」
―しばらくたって
明朝「何で俺らが人質出して黙ってみてなきゃいけないんだ…」
―その後
小西「撤退するって言ってるのになんでどいてないんですか?」
明朝「よく考えたらあの交渉おかしいなと思って…」
小西「うーん、じゃあこうしましょう。あなたはもう一人人質を出してください」
明朝「うはwそれならおkwww」
―しばらくたって
明朝「何で俺らが人質出してどかなきゃいけないんだ…」
以下ループ
>>354 秀吉「せめなくても明と朝鮮を降伏させれば自動的に手に入るじゃん」
野球やサッカーの試合でも采配批判をすれば「それは結果論だろ」といわれる
400年後までの結果を知ってる人間の発想を当時の人間に期待するのは酷だ
沖縄・北海道をほぼ放置してる時代に済州島を確保しようと思えたかどうか
上の方で全羅道に先に行けと言う人もいるがそれも同じ
確かに最善手としてはそうするべきだったと思う
慶尚道全羅道海岸を支配し拠点として倭城を建造(慶長の役にやってる)
陸上から敵水軍基地をつぶし後方で海上輸送を行う事で補給不全を防ぐ(同上)
慶尚道全羅道の穀倉地帯を確保することにより明朝鮮軍の補給不全を早める
全羅道の寝返りに期待(現代にいたるまで他地域と対立意識がある)
行軍による明軍の疲労蓄積+日本の補給が機能+兵力が分散していない状態で明軍と激突
防衛領土維持メインで敵の限界を待ちつつ西岸を確保しながら北上、女真族とは同盟
もう想像に想像を重ねるしかないな…
でも実際は明の南下も予想してなかったし朝鮮もすぐ降伏すると思ってたから
まず漢城に攻めただろうし、そこで兵力を分散させて各地を支配しに行く
「何でこうしなかった」「なぜ知らない」「あまりにも無能すぎる」「そんなの当然だろ」
ってのをよくいう人がいるがこの時代の事を現代人の感覚でいうのはどうかと思う
358 :
名無し三等兵:2008/11/08(土) 15:40:36 ID:+53+CGpe
なんでwikiの露梁海戦で島津義弘が負けたことになってるか教えてください
チョンが捏造するから
ウィキペディアの全羅道への西進作戦についての話の有無は天正20年の4月から7月までの間の話じゃないのか?
>>361そう書いてない?
日本軍に大きく後れを取った李氏朝鮮であったが、釜山を基点として支配領域を広げていた日本後方部隊のうち海岸移動を行っていた船団に対して李舜臣率いる朝鮮水軍が4月と5月の二回の出撃で積極的に攻撃を加え、備えのない日本船団が被害を受けた。
海上戦闘用の水軍や朝鮮沿岸を西進する作戦を持たなかった豊臣秀吉は陸戦部隊や後方で輸送任務にあたっていた部隊から急遽水軍を編成して対抗した。
>>344の「こちらの目的は「西進作戦がなかった」といえる史料を提示してもらう事
」は悪魔の証明だよな?
>>363 そりゃ悪魔の証明の誤用だよ
消極的事実の証明ではなく、積極的事実の立証に対する反論となるからね
>>362 韓国人が閑山島海戦の勝利のおかげで
日本軍に朝鮮沿岸を西進する作戦を断念させたって言ってるけど
そういう作戦を最初から持たなかったって意味なの?
366 :
名無し三等兵:2008/11/08(土) 23:06:16 ID:3yLL0pSk
>>358 Q なんでwikiの露梁海戦で島津義弘が負けたことになってるか教えてください
A 島津義弘が負けて逃げたから
368 :
名無し三等兵:2008/11/09(日) 09:17:21 ID:XGQ6cpp+
>沖縄・北海道をほぼ放置してる時代に済州島を確保しようと思えたかどうか
だが、朝鮮出兵の十数年後には薩摩の島津氏が琉球を征服して属国にしたわけだから、
済州島や鬱陵島を占領して、そのまま日本領化することは可能だったのでは?
北海道だって完全放置ではなく、渡島半島は松前氏がいて家康から蝦夷島主と認められてる。
山陰の亀井あたりが鬱陵島を、平戸の松浦あたりが済州島を知行すればよかったのに。
>>355 普通に騙し討ちしただけでしょ。
こういうことは中国はもちろん、日本でもよくある話
騙される方が悪い、それが戦国時代。
>>368 朝鮮半島自体を維持することなど、日本の国力からは不可能だったんだから、
済州島の占領・維持くらいに目標を変更すればよかったのにな。
そうすれば江戸260年の間に完全に同化、日本化できたはず。
無人島だった鬱陵島にいたっては、もっと簡単に日本領にできただろう。
372 :
名無し三等兵:2008/11/09(日) 10:21:40 ID:U1opyEcz
済州島へのアクセス
1.名古屋
2.壱岐
3.対馬
4.慶尚道南岸
5.全羅道南岸
6.済州島
どないせーちゅうのん?
名護屋
374 :
名無し三等兵:2008/11/09(日) 11:12:22 ID:U1opyEcz
>済州島へのアクセス
平戸か五島列島から直行というのは、当時の造船・航海技術では無理なのか?
>>375 南蛮船が着いたり着かなかったりする程度だし、ムリポ。
なら、全羅南道沿岸から済州島に行くのも距離的には無理なことになるが。
>>376 倭寇がやってるから無理とも言い難いのでは。
>>378 だからそれは全羅道南部の治安が悪い前提の上でなおかつ倭寇が航海に都合の良い日を選べた場合にアクセス可能になる。
>>369>>370 騙し討ちにすらなってないしメリットがさっぱりわからない
例えば・・・
小西が明朝鮮が攻撃してこないと言うのを信じて撤退のため航行していると
出てくるのを待って隠れていた明朝鮮軍が襲いかかった
これなら人質まで出して信用させた意味がある
ところが実際は停戦合意後に明朝鮮軍は小西に攻撃していないし
隠れて撤退したかのように偽装する気もない
これでは約束のあった状態となかった状態に全く違いがなく
人質を出しただけ分だけ損なんだが明朝鮮軍は何がしたかったんだ?
現地軍の腹いせ的な行動だろ
>>381 腹いせ?
いったいどういう効果がある?
上層部が勝手に停戦合意、その決定に現地軍が不満ならわかるが
小西はその現地軍と交渉して停戦合意を取り付け人質を得ている
と
>>351のリンク先のウィキペディアに書かれているわけだが
腹いせに損とか得とか求めている時点でおかしい
>>383 小西「撤退したいんで停戦しましょう」
水軍「おk、合意するアルニダ」
小西「口約束だけじゃ怖いんで人質を預けてくれませんか?」
水軍「おk、人質をわたします。安心して撤退してくださいアルニダ」
それから…
小西「あれ?合意したのにまだいるぞ?」
水軍「くっくっく、腹いせにとどまってやるアルニダ」
小西「だったら最初から合意しなければよかったんじゃ…」
水軍「交渉成功で期待した分がっかりしただろう―。ウェーハッハ」
小西「こっちにはあなたの人質もいるんですけど…」
水軍「腹いせに損とか得はないアルニダ」
不統制なだけ。
秀吉の中国大返し(陸上移動)
3日停戦合意
4日
5日
6日毛利軍撤兵
小西行長の撤退(海上移動)
15日(16日?) 陳?から人質が送られて停戦合意
17日 明朝鮮水軍が順天から30キロ程離れた南海島北西露梁津に向かう
18日午前3時 待ち伏せをしていた明朝鮮軍と日本軍が海戦(露梁海戦)
>>385 合意後にとどまってたのが実際には1日程度しかない件についてはどう思う
一つ仮説を立てる
「小西と明朝鮮水軍の和平交渉は15日に成立しており、その後約束が破られることはなかった」
(和平交渉の内容・・・小西は順天城を明け渡す、水軍は封鎖を解き攻撃しない)
この仮説を二つに分けると
@「小西と明朝鮮水軍の和平交渉は15日に成立している」
A「その後この約束が破られてはいない」
これをそれぞれ証明していく
@
・小西は本土からの撤退命令を受け、撤退するための和平交渉を持ちかけた
・その交渉を受けて陳リンは15日に人質を差し出した
このそれぞれの行動は和平という目標に対して両者の合意を示すための行動
契約の成立とは相対立する意思表示の合致によって成立するとされているため
「小西と明朝鮮水軍の和平交渉は15日に成立している」という積極的事実の存在を証明できている
A
ウィキペディアにはこう書いてある
>無血撤退の約束を取り付けるが実際には明・朝鮮水軍は後退せずに海上封鎖を継続しており、海路撤退を妨害した。
だが15日の成立後17日には既に移動しており、撤退しなかったといえるのはわずか1日
軍隊の移動には準備が必要であり、ましてや航行力の低い500隻の大軍が1日とどまった事をもって
「後退せずに海上封鎖を継続撤退を妨害」と言う積極的事実の証明ができているとはいえない
小西撤退軍は交渉成立後攻撃を受けていない
「封鎖の為に残された兵と戦って突破」したわけでもない
露梁海戦後に明朝鮮水軍が急いで引き返してきたわけでもない
無事に南海島の南を通り抜け日本に帰っている
しかし、「敵水軍の接近を知って移動しただけであり、その後も邪魔し続けたかもしれない」と言う可能性はあるだろう
だがそれはあくまでも可能性であり「後退せずに海上封鎖を継続撤退を妨害」と言う積極的事実の証明ではない
積極的事実がなく、完全にないという事も証明できない
この場合悪魔の証明の理論を借りれば妨害していない「消極的事実」を証明できなくても
積極的事実が証明できない以上「後退せずに海上封鎖を継続撤退を妨害」したと判断すべきじゃないだろう
つまり「その後この約束が破られてはいない」といえる
以上より@Aは正しく
「小西と明朝鮮水軍の和平交渉は15日に成立しており、その後約束が破られることはなかった」という仮説は正しい
@の積極的事実の立証に対する反論と
Aの積極的事実を証明する資料があれば教えてください
389 :
名無し三等兵:2008/11/11(火) 07:20:56 ID:lQDjhELQ
390 :
名無し三等兵:2008/11/11(火) 18:29:57 ID:JCZocNQv
>>389 お互い各種史料を読んだ前提で話していこうよ
宇都宮高麗帰陣軍物語にも島津家高麗軍秘録にも
陳リンが人質を出したあとに小西が水軍から攻撃を受けた記述は見あたらない
だからこそ「その後この約束が破られてはいない」と書いてある
この後「ない」→「ある」→「いやない」→「いやある」と応酬しても仕方ない
しかしこちらは「ない」ことを書き出すことはできないから
「宇都宮高麗帰陣物語に○○と書かれている。これは○○という事だ。だから
>>388の○○はおかしい。」
と具体的に書いてくれないだろうか?
面白いから続けてくれ
積極的事実とかいう脳内新語を生み出しておかしくなってる奴がいるな。
ググったら確かにあった>積極的事実
A国の支城aで籠城側のα軍とそれを包囲するβ軍で争っている事を想定してほしい
籠城するα軍を助けるためにA国の本城からA軍を後詰(援軍)として出した
β軍が後詰A軍の接近に気付いた場合「撤退する」or「A軍を駆逐する」のどちらかを選択する事になる
この場合包囲側β軍が「A軍を駆逐する」を選択するとしよう
その場合β軍は必ず包囲を続ける分隊β´(おさえ)を支城aにおかねばならない
理由の一つとしては「A軍を駆逐する」のはあくまで支城aを落とすための手段であるためその間に兵糧を外部から運ばれては意味がない
さらにもう一つは背後からの追撃により挟み撃ちを受けては困るからだ
従って分隊β´は籠城α軍の移動を必ず妨害する
つまりこのような後詰での戦争がおこる場合「迎撃β軍 対 後詰A軍」と同時に「籠城α軍 対 分隊β´」が対峙している図式になる
「β軍 対 A軍」の結果β軍が撤退すれば分隊β´も撤退することになるが
「β軍 対 A軍」の結果A軍が撤退すれば分隊β´が撤退する理由がない
A軍が撤退してしまうパターンの合間にα軍が無血で撤退できるなんてことは戦略上不自然だ
海戦の戦果として小西ら五氏を脱出させたというのなら
明朝鮮水軍は全軍で日本水軍を駆逐し、すぐに城に包囲に戻ってくるつもりだったというのか
ちなみに明朝鮮水軍は海戦後陸に逃げた日本軍の敗残兵を追って南海島で掃討戦を行ったそうだ
395 :
名無し三等兵:2008/11/14(金) 22:47:51 ID:Hi8apI95
空輸
396 :
名無し三等兵:2008/11/16(日) 06:43:59 ID:a1rcA6v2
順天に戻らない理由はわかったが島津水軍の船を追わないのはなんでなんだぜ?
>>396 補給・指揮不全。それが当時の水軍能力。
船頭が死んでたんだろ
399 :
名無し三等兵:2008/11/17(月) 10:01:17 ID:+2hkGNfS
>>394 そんな近代的な認識なんかない雑軍だから。
巧妙に逸って攻撃可能な島津を待ち伏せしただけ。
上層部には順天の敵は撃滅したし、救援軍も大破したと報告できるだけの材料があれば実戦果など不要。
和議交渉だって、撤退後の入城軍が勝ったように見せ掛けられるように小西が首と戦利品を残すことが条件に入っている。
おかげで陳リンは順天と露梁が評価されて軍功第一、劉テイは第二と評価された。実態はなくてもな。
陳リンは工作努力もバッチリで、戦後には報告だけじゃなく戦勝記念碑や屏風絵を作って伝承宣伝に励んでいる。
400 :
名無し三等兵:2008/11/17(月) 10:17:58 ID:1HdPbAwP
迎撃時に包囲の兵を残すことが近代的ねー
401 :
名無し三等兵:2008/11/17(月) 11:26:04 ID:0ClCxgV/
399の近代はいつからか聞いてみたい
402 :
名無し三等兵:2008/11/17(月) 13:13:21 ID:kuATSyTh
近代と言えばフランス革命あたりだろ
403 :
名無し三等兵:2008/11/17(月) 13:29:04 ID:rQUI6eDx
あまり知られてないけど
>>394のいうように露梁海戦で陸に逃げた日本の敗残兵掃討戦が朝鮮役の最後の戦闘なんだよね。
そもそも包囲兵を残す余地があるのか?
逆だろ、城が目的なら第一義が包囲兵
>>405 近代軍じゃないから城も優先されないのだよ。
近代と近代的の区別がつかないお馬鹿さんがいる。
>順天に戻らない理由はわかったが島津水軍の船を追わないのはなんでなんだぜ?
目標が南海倭城だから
巨斉島まで追っ払った時点で水軍を追う必要がなくなる
継戦能力が尽きていたならば基地である古今島で立て直すだろうが
そのまま南海島で敗残兵と戦闘しているのだから
海戦によって部隊が機能を失う程のダメージを受けていない
古今島は遙か遠くだし島津に追いつかなかっただけでしょ?
南海島は露梁海戦の延長で、散り散りに上陸した残敵を掃討していた。
上で言っているとおり逃げた敵に対しては「壊滅させました」と宣伝出来るんだから、あえて追う必要はない。
わざわざ向こうから撤退してくれた軍を追って戦死したイスンシンはとんだバカだったのか、
そうした無茶してまで点数稼がにゃならんほど立場が悪かったor弱かったのか
ある程度のレベルがないと軍板に来ちゃいけないな
レベル(笑)
>>408 第一義が包囲兵でないという事はそう考えるしかない。
これ以降封鎖するという意図がなく戦後順天に戻る必要がなかった。
ただ、それだけじゃ接近がなかった場合どうなったかまでは証明できない。
逃げた敵に対しては「壊滅させました」と宣伝出来るんだから、あえて追う必要はない
と言うのはわかる。海戦がなくても小西達五氏は撤退時攻撃されなかったかもしれないが、
実際そうなるかどうかは結局わからない。
「ない」という証明は難しい、勿論結局はわからないという前提で書くが
>海戦がなくても小西達五氏は撤退時攻撃されなかった
という可能性の方が状況的に見れば高い
客体として三者(城陸海)の和睦は完全に成立している
妨害した、封鎖を続けたと言う事実もない
攻撃しないから通れと使者にはっきり告げている
移動時に抑えの兵も残さない
明の司令官に「殲滅」と言う意識が希薄
陸上部隊も同じ状態だが結局追撃してない
とどまったのは陸からの孤立を恐れたのかもしれないし単に準備に手間取ったのかもしれない
協定後も「封鎖を続けた」「妨害した」と言う表記は完全に誤り
そんな事実は立証できないのだから
また妄想?
封鎖線から封鎖兵力が撤退しないから封鎖は継続されている。
撤退を約束しながら、封鎖線まで船団を進めた小西は封鎖兵力が相変らず居残っているのを確認して引き返したのだ。
明・朝鮮軍が一枚岩でないことは交渉過程から明らか。
陳リンの功名心、そしてテイ子龍と李舜臣の高い戦意を見ればちぐはぐな状況が大体わかるだろ?
人質も価値が偽られていたし、どちらに転んでも良いように状況に応じて明将達は振る舞っている。
>>416 >また妄想?
>封鎖線から封鎖兵力が撤退しないから封鎖は継続されている。
>撤退を約束しながら、封鎖線まで船団を進めた小西は封鎖兵力が相変らず居残っているのを確認して引き返したのだ。
相手は妄想、自分は正しいと思い込み。
すぐ次に明らかな錯誤のある文を続けてる。こりゃだめだろ。
>逃げた敵に対しては「壊滅させました」と宣伝出来るんだから、あえて追う必要はない。
逃げる小西に対しては「壊滅させました」と宣伝出来るんだから、あえて攻撃する必要はない。
自分で言ってるのに支離滅裂だな
宇都宮〜に書いてあるじゃん。
一四日に人質受領、一五日に順天を封鎖していた明水軍の番船が引き払う約束だったが引かず、一八日夜まで居座ったって。
421 :
名無し三等兵:2008/11/19(水) 20:58:17 ID:CjnQLlfp
封鎖が解けていないのなら封鎖が継続されていたワケなんじゃないの?
封鎖が解けてないなら封鎖が続いていた、でなんか表現が悪いの?
>>411 実際のところ政治能力が低かったので左遷させられたりしてるしな
まぁ約定破って追い討ちするのはアリとしても雑兵の流れ弾で戦死とは情けない
424 :
名無し三等兵:2008/11/20(木) 14:58:21 ID:ileQeYdf
小西は契約違反の封鎖が続いてブロックされてんな
>>423 李なんか主戦派の一武将にすぎないのに、いつまで小西や島津を攻撃した主将であるかのように語るんだろうな?
また、明鮮水軍の指揮権が李舜臣にあったのかのようなこの間違った論理を使った場合も
島津撃退成功の功績や判断を李に求めるのであれば、順天攻撃失敗の責任や判断も同時に負わねばならなくなる。
どっちみち露梁海戦で日本水軍が戦力の半数を失って敗北してることには変わりないだろう
>>425 他にヒーローに仕立て上げられそうな人材がいなかったんだろうな。
負け戦や辛勝の時にこそヒーローは必要だからね
429 :
名無し三等兵:2008/11/20(木) 22:02:14 ID:eovAKj1l
戦争を仕切っていたのは明だしな。
430 :
名無し三等兵:2008/11/21(金) 11:17:22 ID:52CoOmMG
>>429戦争を仕切っていたのは明だしな。
↑これに証拠を付けてウィキに反映できないかな?
裏付けのある主張なの?
証拠も何も最初っから対明戦争だろ…
戦場が半島ってだけで
むしろ陸戦で李氏朝鮮の将軍なんて出てきただろうか?
ここは半島人もどきと人間ではどっちが強いの
>>431 じゃあ自分の思い込みだけで書いちゃったって事?
日露戦争だって舞台は満州や半島だった訳だしね。
>>431 そんな結論を先行させても説得力無し。
イチコロの根拠の一つも出してみれや。
できるものならな。
>>436 ファビョって吼えたって事実は変わらんだろ
当時はこれらの戦いを「唐入り」と呼んでたし、首脳レベルの外交交渉は明相手にやってるし
むしろお前から先に対明戦争じゃないって根拠を出してみろよ
外交交渉っつっても小西が秀吉にサク封使の事を
和平使節だと平気で嘘つくようなトンデモない環境だけどな
秀吉が明攻略を急いだ理由に、カトリック勢に先を越されたくないからって話があるが、
当時のカトリック教国にそれだけの実力はないだろう。当時の海運力では本国との距離が遠すぎる。
440 :
名無し三等兵:2008/11/21(金) 23:23:45 ID:K7Px6Nhm
>>437 ごまかしたり話をずらしたりせず早く根拠を説明しろって
ないという根拠を出せって言うバカげた回答はどうでもいいからさ
>>440 所詮チョンの語学力では二行目も読めないかw
×「米は地位低下、中国が台頭、朝鮮統一」
○「米は地位低下、中国が台頭、朝鮮を北、南の順番に併合」
7 名前: 流浪のぬるぽ侍 ◆ccqXAQxUxI 投稿日: 2008/11/20(木) 16:00:55 ID: WrAEsLgk
参考資料
韓国崩壊への為替がサラ金化 (wktkスレID:+b9U7KNJさん作成)
1ドル=1400ウォンで韓国が支払う実質金利 47.0%
1ドル=1500ウォンで韓国が支払う実質金利 57.5%
1ドル=1600ウォンで韓国が支払う実質金利 68.0%
1ドル=1700ウォンで韓国が支払う実質金利 78.5%
1ドル=1800ウォンで韓国が支払う実質金利 89.0%
1ドル=1900ウォンで韓国が支払う実質金利 99.5% ←前回はここで崩壊
半島取って何のメリットが?
>>441 誰にも分かってもらえず独りよがりでいいなら最初から書くなって
同じ主観で語る人間に傷をなめてもらえよ
>指揮権が李舜臣にあったのかのようなこの間違った論理
↓
>戦争を仕切っていたのは明だしな
↓
>wikiに書きたいから根拠くれ
↓
>当時はこれらの戦いを「唐入り」と呼んでたし、首脳レベルの外交交渉は明相手にやってるし(完全に流れからして的外れ)
↓
>話ずらさずに根拠を書けっての
↓
>>441 まあそもそもこんな奴に根拠求めるのが間違いだな
まあ朝鮮軍って明軍の10分の1ぐらいの総兵力だったわけだしのぅ
唐入りって秀吉の側の掛け声だけで、朝鮮や明がどういう立ち位置であったかを何も証明していない。
ここで必要な根拠ってのは客観的なもんだ。
それでどのスレへ聞いても一つも出せないんでしょ?
朝鮮にとっては祖国防衛だが、明にとっても祖国防衛
日本の目標が明本土である以上、子分がやられてから戦うするよりも子分と一緒に戦った方がいいのは当然
そして明軍が半島に到着してからは統帥権は明側に移ってるし、文禄の役の停戦協定も日明間で執り行われている
はっきり言って朝鮮は戦場になった事をのぞけば蚊帳の外だ
>子分と一緒に戦った方がいい
その子分って役に立ってたか?
例えば朝鮮軍の上級指揮権は明が握っていたのか違うのか?
握っていた証拠でもあるの?
文禄の役のあとで秀吉が講和交渉を行ったのは明の使節である沈惟敬な訳で。
つか、指揮権についてはそんな明確な区分があった時代だろうか。
明の将軍が朝鮮の将軍の指揮下に入ったとは考えにくいが。
宗主国の将軍が属国の指揮下に入るなんて有りえんだろ。
>>451 日本人だって大勢が李舜臣が順天や露梁で出撃から戦術まで仕切っていた前提で話している現実。
>>452 韓国人はその宗主国と属国の関係を名目的な建前だと都合良く分離している件。
そこにグウの音も出ないような証拠を出せないのがココ。
まるでクソにたかるハエだな、朝鮮軍
だって日本には日本人が、満州には漢民族や女真族が既にいるんだぜ
例えクソだとわかっていても半島にすがるしかないじゃないか
半島人がいるから半島が糞になっただけだろ
朝鮮征伐の話が出来るのかと思ってきたら、無知と嫌韓厨と在日とネットウヨ(笑)しかいないな
やっぱり2ちゃんでこの話は出来ないんだな、諦めて別んとこに行くか・・・
一日の書き込み数0になるまで書く気はないな
>>458 きちんと書けば2chでもしっかり答えが返ってくる
話ができない奴はどこにいってもだめ
戦国時代板なら強制IDだからアホの割合は減る
誰も止めないからさっさと消えてくれ
この研究の専門家って多いのかな
たしかに、気にはなるけど
結局成果は上がらなかったわけで
はい消えた。
なんだ?二カ月ぶりに来たら真面目に話したい奴がいたのか?
二カ月ぶりと言っても書くのは前スレの終わり以来だから8カ月ぐらい放置してたな
史料の名前出して内容で寝言を言う奴がいたようだな…
>>415とか何だこれ?
封鎖してなかったら帰ってるわな
対明戦争を否定するのはどういう事なんだろな?
李が明鮮の主将ではないというのは当たり前だな
朝鮮人でもそんな事言わんだろ
西進云々は白峰旬の「豊臣の城・徳川の城―戦争・政治と城郭」の「文禄・慶長の役における秀吉の城郭戦略」の章にでも目を通したらいいんじゃないか
各軍団の動きは参謀本部編日本戦史朝鮮役でいいかね
473 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 13:26:51 ID:/N4PvKBP
>>471 奴らに言わせると陳は李に操られていたらしいよ。
で、逆に指揮系統の証拠資料ない?wikiに書くから、で止まっているのが現状。
>>473 そりゃ自分で根拠はないと言ってるんだな
まず自分で調べないと嘘も本当も区別がつかんだろうに
調べて書いてたら分かるし話も出来るんだが
475 :
名無し三等兵:2008/12/06(土) 22:17:56 ID:Raq8Gj/T
客観的にトドメが刺せる史料が提示できりゃ良いんですがね?
wikipediaに書きたい奴が資料を探して提示すれば良い話では?
明と朝鮮の関係、李舜臣か
そうだなあ
北島万次の「秀吉・島津・李舜臣」の「壬辰倭乱期の朝鮮と明」の章がいいのかねえ
>>477 世界じゃ通用しないだろうな。
指揮権の移譲を記した一次史料ないの?
資料を示されたなら、そこから自分で巻末参考文献を調べたりするものだと思っていたが…。
指揮権委譲ねえ
壬辰戦乱史下巻P377を見ると、明皇帝の特命で朝鮮の慶尚右兵使鄭起竜が明国副総兵を兼任して指揮した事があるようだ
>>479 北島が使えない奴だってのは知っているよな?
北島万次が使えない?
彼が使えないのは思想的なもんであって、朝鮮役研究を調べる上で、彼の著書は欠かせない
参考史料や引用文献名を必ず挙げてくれてるからな
最初から朝鮮征伐にすりゃよかったのにね・・・
朝鮮取ってから次は明に侵攻ってことで・・・
唐入りとかいって最初から明まで相手することなかった。
征伐って日本に朝鮮がしたがわなかってことか?
朝鮮を征伐する事を明が許さなかったんだけど
>>483
まぁモンゴル帝国みたく「従え」「やだ」「ナマイキ言う奴は征伐」っていう言いがかりもあるしな
これが元の時代みたく国力が圧倒的だと「従え」「はい」で済むケースも出てくるんだけどさ
日も経ち、改める様子がないので書く
>撤退を約束しながら、
この交渉は順天倭城の無血開城と小西らの無血帰還を保障するもの
明・朝鮮水軍の移動の約束など書かれていない
>封鎖線まで船団を進めた小西は封鎖兵力が相変らず居残っているのを確認して引き返したのだ。
交渉が成ったのは14日
それ以前は封鎖する意図を持って封鎖している
交渉成立後は19日まで小西らは船団を率いて城から出てはいない
また明朝鮮軍は交渉成立後退却を阻害する行動を見せてはいない
>封鎖線から封鎖兵力が撤退しないから封鎖は継続されている
【封鎖】
[名](スル)出入りまたは出し入れをできないように封じ閉ざすこと。
@ある通路の前に警察官がたっていて「どうぞご自由にお通りください」と言っている
Aある通路の前に警察官が立っていて「ここは通り抜け禁止です」と言っている
同じいるという状態でありながらAの状態を封鎖、@の状態を封鎖していると呼ばない
任意であることを説明し疑わしい人物を取調室に連れてきた。この状態だけで不当逮捕を主張できない。
刑事の誰かが内心「絶対にこいつを捕まえてやる」と思っていようが相手の自由行動を阻害しない限り逮捕監禁には当たらない
つまり封鎖というのは相手の任意性を許さないという事
陳リンは使者に対し「交渉は成ったから通れ、こちらは見物するだけだ」と表明しているし
また外部とのアクセスも交渉成立以降にできている(南海倭城からの使者を通している)
つまり「外形上交渉は成立し破られていない」ということ
これは蛇足なんだが
平日の朝に定期的に書いていた人には他にも誤りが多すぎ
指摘した点はこの順天城の交渉の根幹となる部分だったので敢えて書いたんだけど
このスレは誤りを正すのが目的ではないのでな
史料にそのまま書いてあること、また定義づけられた言葉だから客観的な事実なんだし
まず議論以前のスタートラインに立ってない、その準備をここでしないでくれよ
またアホが来たのか。
和議成立以前と同じように、脅威を与える位置で脅威を与え続けたから小西は脱出を躊躇したわけ。
結論、封鎖は続いていた。
警察で例示をしてみしたり、今でも狂った奴だな。
490 :
名無し三等兵:2008/12/23(火) 19:53:46 ID:x2VhTiF8
491 :
名無し三等兵:2008/12/24(水) 12:26:08 ID:6FaX6xvO
数日前までの攻撃態勢を維持しているのに「見物しているだけだから攻撃圏を通過して帰ればぁ〜」とか言われてもな。
それ以前と変わらない封鎖状態じゃん。
【封鎖】
[名](スル)出入りまたは出し入れをできないように封じ閉ざすこと。
@ある通路の前に安全装置を外した銃を構えた敵軍兵が立って居て「どうぞご自由にお通りください」と言っている
Aある通路の前に安全装置を外した銃を構えた敵軍兵が立って居て「ここは通り抜け禁止です」と言っている
(A−1、そして数日前に通った人は撃ち殺された実績があった)
(A−2、そして数日前まで敵軍兵の方から自室に近寄ってきて何度も銃弾を撃ち込まれていた)
馬鹿だろ
>>487?
明が無血撤退の保障として小西に差し出した人質は、
身分が低い旗持ちを仕立て上げた者で、
全然殺されても惜しくない奴だったんだろ?
現場の順天にいた諸将は封鎖は続いていると認識しているわけだが?
その上で「自称、見物しているだけ」の敵軍からの攻撃を踏まえて、強行するか封鎖が解けるまで待つか相談した。
書き逃げじゃおもしろくない。
496 :
名無し三等兵:2008/12/31(水) 08:46:47 ID:OH1AZoS6
勝てないから逃げた。厨でもそれくらいはできるさ。
南海島で落ち武者狩りをした陳は和議に背かないの?
相手が隙を見せたら攻撃する気満々だったよな。
南海島で地元朝鮮人の偽首狩りしただけなら和議に背いてないことになる。
苗族兵は倭賊の内蔵まで食べたそうな。
あけおめ、ことよろ。
501 :
名無し三等兵:2009/01/12(月) 00:08:17 ID:Sd6eY07H
山田風太郎は秀吉の朝鮮侵略と太平洋戦争の類似点を指摘してるね。
彼は日本人の持っている精神的特徴の表れではないかと述べてるよ。
○ろくな情報収集もせず、しても都合の悪い部分は無視して開戦してしまった
○最初の半年だけは威勢がよかったが、その後は腰くだけになった
○敵が異文化・異文明であることを理解せず、こちらの都合だけを押しつけた
○補給を軽視した
○最高指導部と現場が完全に乖離していた
○傷が浅いうちに止める時期を逃し続けた
>>437 高麗陣とも呼んでるが。しかも第二次侵略は朝鮮王朝の全羅道、忠清道の切り取りを戦争目的にしてるわけで。
これぐらいは基本知識だろ。
171 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/01/04(日) 09:53:47 ID:Mpe1x0yy
補給軽視とか、海軍軽視とか、言いたい人が前提も考えずにこの戦争のことを引用するんだが、全然この戦争の実態を捉えてないんだよね。
>>503 お前らみたいな歴史研究家気取りのアマチュアより史料を読み込んでる小説家の方が遥かに信頼できるわ
古代での倭国は、上層が古代朝鮮語、
下層がやまとことばを話す社会だった。
平安時代あたりから、
上層もやまとことばを話すようになり、
初めて倭人という民族意識を持つようになったわけだが、
仮に新羅が日本を征服して韓倭帝国が成立していたら、
倭国下層民も古代朝鮮語を話すようになって、
やまとことばは、消滅しただろうな。
朝鮮がなかった頃に朝鮮語か、笑えるな
>>504 君や資料を読まない小説家よりも史料を読み込んでいる素人の方が遙かに信頼出来るよね?
でも、信頼度で信仰するのは宗教で、論拠論理を検証することにより妥当性を検討するのが学問だよね。
>>504 まあ、Wikipediaみたらネラーの朝鮮役の見方が分かるなw
朝鮮水軍、朝鮮義兵、講和交渉における朝鮮の動きを描こうとしない。描くとしても独自研究丸出し。
>>508 朝鮮水軍→備えのない日本船団が被害を受けた。
朝鮮義兵→占領各地では義兵の決起が生じ、このため武器・兵糧不足に悩まされた。この義兵は流民も多く、朝鮮の民衆や軍隊も襲う事もあった。
朝鮮交渉→(秀吉と面会させて貰えなかったことは書かれていない。朝鮮通信使に記述あり)
義兵って言うのは両班の私兵なのに、なんか今だに義兵=義勇兵と思ってるのが多いね
流民の集団が義兵と言われることはないよ
流民の集団が両班の藩屏を襲うことはあったようだけどね
>>510 両班の私兵でも大半は賊軍認定されて討伐されるんだぜ。
逆に日本軍にマイナスなら食料泥棒でも義兵。
>>511 だから義兵は両班の私兵の呼称であって、食料泥棒が義兵と呼ばれてはいないよ
だから役職にも義兵将というのを急造してるでしょ
今現在の南朝鮮人がそう呼ぶかは知らんけどね
たぶん義兵運動の時と混同してるんじゃないかとは思うが
>>512 義兵将等の李氏朝鮮に認められた一部の両班私兵と義兵の定義を厳密にするなら、認められずに反乱軍扱いされた両班私兵を排除すべき。
特に東人派に縁故がないと認められにくいしな。
それは現代韓国人の願望的義兵とは、また違う。
514 :
名無し三等兵:2009/01/16(金) 15:44:58 ID:/IEeIuJD
韓国人は現代の義兵気取り。
>>513 だからね、義兵の定義ではなく、当時、義兵と呼ばれたのは決起した両班の私兵だけという事実書いただけだよ
排斥・反乱軍扱いされた両班がいたのは知ってる、が、それは別の話だよ
決起した両班の私兵が全て義兵と呼ばれたと書いてるのではなく、義兵と呼ばれた存在は両班の私兵と書いているんだよ
両班以外の民衆の蜂起もあったが、それは義兵と呼ばれてはいない
あの階級意識の強い国でそういう事ありえると思うの?何か勘違いしてない?
>>515 単に量販の私兵というだけでは義兵と認められない。
王朝が認めた奴だけ。特に西人派量販が決起した部隊は政権から認められない場合が多かった。
有名な義兵将は殆ど東人派。
>>516 だーかーらー、義兵という呼称がついたのは蜂起した両班の私兵だけなのは事実でしょ?
両班の私兵が全て義兵と呼ばれたと言ってるんじゃないし
何を言ってるんだ?
義兵と言う呼称が両班の私兵の別称と言ってるのではないんだよ?
李氏朝鮮が認めたのが義兵と呼ばれたのは確かで、西人派が排除されたのも含めて、
義兵と呼ばれたのは両班の私兵しかいなかったのは変えようがない事実でしょ?
というか、何が言いたいんだ?変に噛み付いてるだけにしか見えんが
>>517 なら、そう正しく書くんだな。
だいたい李氏朝鮮はシステム的に豪族的な私兵の存在を許さないわけだが?
510 名無し三等兵 sage 2009/01/12(月) 19:54:36 ID:???
義兵って言うのは両班の私兵なのに、
>>518 正しく書いてる訳なんだが・・・
義兵と呼ばれたのは両班の私兵しかいないのは疑いようもない事実なんだけど
両班の私兵が義兵ですと書いてないだろ?
何を言ってるんだ?
>>520 >>510で条件を付けなかったのが不味かったねえ。
両班私兵の大半は義兵と呼ばれなかったわけだし。
だいたい義兵将とか呼ばれる頃には李氏朝鮮政権のコントロールを受けて両班が一歩釣りされたり、集まった私兵が軍に編入されたりして骨抜きになっていたわけで。
政権は本音では中央集権システムを乱す独立勢力としての両班私兵を認めていないんだよ。
飛び地の遊軍としては認めていたみたいですが、ただし使い捨てで。
>>521 条件つけるつけない以前の話だろ・・・しかも話すり替えしてるし。
義兵は100%両班の私兵だが、両班の私兵が100%義兵ではないという簡単な話で、一人勘違いして馬鹿みたいだぞ。
両班私兵認めてないとか全然関係ない話だしな。
本人乙。
義兵の話してたのに、なんで政権が両班私兵認とめてない話になってんの?
>>523 それは両班の私兵のほとんどが義兵ではなかったからでは?
「義兵は両班の私兵だから」と書くのは、「グルカ兵はグルカ人だから」と表現したのと一緒な気ガス。
>>524 でも義兵は両班の私兵なんでしょ?
それと政権が両班が私兵持つのを認めなかったのとどう関係あるの?
>>525 例え両班の私兵の1%しか義兵と認められなかったにしろ、義兵は100%両班の私兵なのは疑いようもない事実です
最初に立ち戻ってみればわかるけど、流民や食料泥棒がが義兵と呼ばれることはなかった話なんです
そしたら
>>513以降、両班の私兵、特に激しく対立して政権から排斥されていた西人派の両班などは決起しても義兵とは認められなかったなど、
変にすり替えしてるのがよく分かるよ、
>>524なんて全く違う例えしてるしね
同じのだとは思うが、一人勘違いしてそれが認められないだけでしょ、傍から生暖かい目で見てあげてください
>>524 だから、誰も両班の私兵イコール義兵だとは言っていないのでは?
その例えも例えになってないと思う。
敢えて使うとするならば
・両班の私兵の一部は義兵と呼ばれていた。
・ネパールのグルカ族の中には英国軍のグルカ兵(部隊)として従軍した者も居た。
この場合、義兵は両班の私兵であると表現することや、グルカ兵はグルカ族であると
表現することは何もおかしく無いのではないかい?
528 :
名無し三等兵:2009/01/28(水) 18:12:01 ID:yBTqX7GI
その両班の私兵の中には流民がいるんだな。
忘れ去られた坊主 涙目
両班の私兵≠流民
いい加減くどい
531 :
名無し三等兵:2009/01/28(水) 21:21:12 ID:vo4HMDzh
ヤンバンの私兵を始め、朝鮮王朝のために働く者たちは義兵と認められ義兵団の指導者には朝鮮朝廷から倡義使や招討使などの官爵を受けて朝廷の統制下に置かれてるよ。
ちなみに流民の類は義兵によって吸収されるか鎮圧されてるよ
地続きの中国が長年攻め倦んだ朝鮮半島
それを日本海超え+中国が朝鮮側なんつう条件で何で勝てると思ったんだ?
ぶっちゃけこの条件で朝鮮落とせた軍隊は当時世界中探しても無いわ
533 :
名無し三等兵:2009/01/29(木) 07:44:10 ID:eSuLG/ka
高句麗、新羅、高麗は隨唐遼を退けてるよね
非国家を含めるなら紅巾賊も退けてるね。
なにいってんだ?
官軍に属さずに独立勢力となった者達のうちで義兵将や義兵として認められたのはほんの僅か一部だよ。
中央集権制度は独立勢力を認めない。
認めても必要なくなったら分断粛正で骨抜きだ。政権の脅威だからな。
論点はそこじゃないだろ…。
日本は鉄砲というしょぼい兵器しかなかったけど
朝鮮は大砲を数多く揃えていて近代化された軍隊だった
日本の将軍は逃げ回るのに必死だった
日本側の書物だとそういうのは無視してるんだよな
釣りにマジレスするのもアレだが当時の大砲なんて単なる鉄の球飛ばすだけの代物だぞ。
「大砲一門は鉄砲十丁の功に及ばず」だっけかな?みたいな格言が洋の東西問わずあるしね
日本水軍が李舜臣率いる朝鮮水軍に負け続けたのは船体自体の性能や地形、潮の流れの熟知以外にも天字砲、玄字砲などの大砲があるだろ。
540 :
名無し三等兵:2009/01/30(金) 21:52:30 ID:arCLh2ry
女真族と柴田の戦いを知りたいのだけど
日本にも大砲自体はあるし、そもそも朝鮮水軍は初期に壊滅しているはずでは。
李舜臣は別に日本の水軍と正面から戦ったわけではないし。
議論に負けそうだからって別の話でごまかすのはやめないか
まあそっちの負けでいいんならそれでいいが
>>539 負け続けた?いつ?どこで?誰か?脳内勝利?
脳内とか言われてもなあw李舜臣は無敗なんだし
どうやら完全にごまかしに入ったようだな
やはりこの程度のやつか
敗戦国日本
547 :
名無し三等兵:2009/01/31(土) 22:43:24 ID:iDROzv5U
冷静にみると李舜臣は弱い日本の輸送船団ばかり襲ってる。これは軍事的には
合理的な判断。
有効な戦術、いや戦略だな
議論する
↓
勘違いして食い下がる
↓
ようやく自分の間違いに気づく
↓
話をうやむやにするため釣りをしだす ←いまここ☆
と、妄想する在日韓国人
こんな奴に何日も付き合ってたかと思うと馬鹿らしいな。
まあ論破したってことで終わりにしといてやろう。
>>547 日本の輸送船団ばかり?
いつ?どこで?誰の船団を?脳内勝利?
日本人黙れ
お前らチョンなんてわざわざ相手にせんでよか。
555 :
名無し三等兵:2009/02/02(月) 09:52:34 ID:NIPsXB+p
李舜臣マンセーしている奴は大抵は海戦の影響を具体的に考察していない件。
556 :
名無し三等兵:2009/02/02(月) 21:07:45 ID:o/Pgn9D6
♪
ずんずんずんずん 歩け
ずんずんずんずん 歩け
ずんずんずんずん 歩け
らったかたーた たーた
>555
世界4大提督は誰か言いなさい
ヤン提督
アイゼナッハ提督
ミッターマイヤー提督
ビッテンフェルト提督
JK
少なくとも李舜臣は中に入ってないよ。あれは後の創作だから。
日本海海戦やトラファルガー海戦、アルマダの海戦は戦史や世界史においては
ある程度常識的に習うが朝鮮征伐での海戦なんて日本と朝鮮以外では、
話題にすらならないからなあ。
文禄の役:海上で日本水軍連敗、朝鮮半島西岸での海上輸送を制限され無視できない影響
慶長の役:緒戦で朝鮮水軍壊滅、日本軍は南部に布陣したので海戦は大勢に影響なし
>>561 アホ?制限された海上輸送とはなんだw
制限されてなかったらどうなっていたんだよ?
その制限って朝鮮水軍の活動でもたらされたものなのか?
うん?
>>562 文禄の役時に全羅道で苦戦したのは色々理由があると思うが
朝鮮水軍がいた事が理由の一つじゃない?
>>563南側から全羅道へ行こうとしていないから朝鮮水軍が居なくてもかわらんだろ?
全羅道が手間取ったのは南側から攻勢を掛けなかったこと自体に問題があるのと、
朝鮮軍の攻勢防御(戦果としてはメタメタだが)と、基幹兵力であった小早川軍の早期転出がある。
というか、南部から西進する陸軍があれば朝鮮水軍も根拠地を失って崩壊するわけなんだよ。
慶尚道の水軍みたいにね。
>>562>>564のような知識がなくて妄想ストーリーを作り上げ自己完結してる奴が一番困るよ。
だいたいYスレ目でなんでいまさらそんな話をしてるのやら?
レベルの低い奴が長く居座るとここまで落ちるのかね。
その思考停止君に問題をだして試してやろう
1 なぜ朝鮮水軍が補給線を寸断したといわれるのか?
2 なぜ日本の教科書にまで朝鮮征伐に大きく貢献した人物として李舜臣の名前が載っているのか?
「捏造」「陰謀」という言葉を使うようなら完全に思考が止まってるな。
妄想ストーリーを作り上げて勝手に結論を出しても、同じレベルの低い連中の間でしか通らない
夢のお話は該当板でやるといい、軍事板でレベルの低い妄想を広げられては迷惑なんでな
試すって事は試されるって事だよね。
1.なぜ朝鮮水軍が補給線を寸断したといわれるのか?
李舜臣の抜擢者である柳成龍が懲録に書いた想像である、日本軍の水陸並進作戦を挫折させたとの記述を検証無しに信じているから。
特に、山本権兵衛の息の掛かった佐藤鉄太郎などの海軍主義者がシーパワーの有用性説明にその俗論を使ったこと。お陰で軍艦に予算を沢山貰えました大成功。
現在も兵站や情報の重要性を説明するのに、史実検証無しに李舜臣を例に取る人が居て困るよね?
2.なぜ日本の教科書にまで朝鮮征伐に大きく貢献した人物として李舜臣の名前が載っているのか?
北島万次氏ね。
少し前までは李舜臣のことなど教科書に載っていませんでしたが、何か?
567 :
名無し三等兵:2009/02/05(木) 09:00:46 ID:jEDQ4hfQ
恐い人が来たの?バカなの?死ぬの?
関係ないけど、文部科学省が携帯電話禁止の通知書を
各学校に配ったのをマスコミがその書類公開してたけど
金森という名前のサインがあった
帰化人かな
北島は著書の後書きでお友達の家永君と共に戦後の「反省」や隣国への「思い遣り」で日本の教育を正そうとしていたことを書いていた。
自己思想を子供達の教育に押しつけて歴史を偏向するなよな。
>>556 予想通りの妄想ストーリーがきたなw
これが証明しようのない陰謀論でしかない事に気付かないんだから哀れ過ぎるんだが。
わざわざ年代も古く反日の象徴である李舜臣を持ち上げる必要性が乏しく説得力に欠けるね。
そこに書いてあることは即ち「李舜臣を持ち上げることによって予算もらえた」というトンデモ論なわけなんだが(笑)
思考停止クンはその妄想で納得しちゃう頭の弱い子なの?
1の答えは日本水軍が西部の海域に支配領域を広げようとしていたのが日韓の資料から明らかだから
2の答えは李舜臣の貢献が大きかったとするのが学会で最も有力な説だから
まあ論文書いて相手にされない低学歴が妄想を繰り広げて勝手に自己完結してるんだから困っちゃうな
よく考えて一つのレスでまとめて書けよ
一銭の価値もないレスで埋められては迷惑なんで
573 :
名無し三等兵:2009/02/06(金) 06:11:17 ID:rdmkIaUE
574 :
名無し三等兵:2009/02/06(金) 08:28:09 ID:GIIvEUuR
>>571 はあ?
西進作戦があれば宜寧だろうと晋州だろうと日本は軍団を編成して攻撃していただろ?
春に開戦して以来、漢城指向で戦略していたし、軍団を編成して晋州城に攻撃をしかけたのは秋になってからだぜ?
千や二千の後備小部隊や部隊上陸後の船団が私掠していたのが、西進作戦か?うん?
予言通りに試そうと思ったら試されたの?
>>571 西部へ向かった水軍とは、誰がどれだけの水軍で何時どこへ行こうとしたんですか?
そして作戦司令の書状でも残っているんですか?
なんか久々に盛り上がってるのか?
>>563-564 全羅道で苦戦っつうか秀吉は現地武将が決定した八道国割を認めてないのよね
明国に侵攻する事を考えてる
小早川軍が北上したのは明国侵攻の次の備えだから
祖承訓の来襲以前に小早川軍団は北上する事になっている
>>571 西部の海域に進出しようとはしてないな
李舜臣の船舶攻撃に対して、秀吉は陸に上がっていた水軍武将に攻撃を命じたり陸路水軍拠点を攻撃する指示を出した
その西進を迎撃した、とは言えるが水軍攻撃が目的で西進が目的じゃないからな
李が来るまで水軍武将は岡に上がってつなぎの城守ってたっつうの
水軍が西進するかw
>>578 全羅道を攻撃する気が希薄だったから攻略できなかったという解釈でok?
朝鮮水軍による阻止要因の評価については?
>>578 木下眞弘『豊太閤征外新史』の
秀吉勅を諸将に伝え、朝鮮国を分宰せしむ。清正等は咸鏡道、行長等は平安道、
長政等は黄海道、吉成(毛利)等は江原道、輝元等は慶尚道、隆景等は全羅道、正
則(福島)、元親(長曽我部)等は忠清道を、而して秀家は京城に留まりて、京畿道
を鎮む。
は異なるのか?
日本国内からの諸将分治指定と理解していたんだが。
>>574の人が言うように漢城指向、あるいは唐入り指向で戦略してた
とりあえず「秀吉の軍令と大陸侵攻」と「豊臣の城・徳川の城」でも見てみたらいいんでないの
補給線寸断(笑)は「豊臣政権の対外侵略と太閤検地」と「軍事史学通巻166号第42巻2号」だけど、こちらは在庫がないみたいね
>>581 違うよ
八道国割は現地武将、その勅はそれを否定する感じだな
紛らわしいが
その勅っつうかそんな配置の書状は出してないはず
八道国割の事後承認を求める書状と入れ替わりに秀吉から各軍団に書状が出ている
これが正式命令で、唐入りを指向していると
>>582 「軍事史学通巻166号第42巻2号」は「日本の軍事革命」という本に再録されている
>>580 希薄だったというか、別の人間が全羅道なり八道を担当するはずだったが戦況の推移でそのまま放置じゃないの
朝鮮水軍と補給は関係ないんじゃないか?
現地の米は豊富という情報を信じて動いていた
八道国割は所領としての統治が許されなかっただけで、攻略担当としては否認されていないのでは?
>>588 ややこしいので詳しくは秀吉の軍令と大陸侵攻を
とりあえず小早川隆景は全羅道の統治も攻略も担当ではありません
現地武将が決めた八道国割で全羅道担当という意味では担当ですが
秀吉は全羅道攻略を小早川隆景に命じていない、と
秀吉が耄碌して無く、寿命が後20年ほど長かったらどうなっていただろうなぁ
秀吉一代では無理で、家康が正解に見えるが…
593 :
名無し三等兵:2009/02/08(日) 23:07:50 ID:ncYl5Md9
結局、朝鮮水軍の大活躍で日本軍の補給が枯渇だという幻想は妄想だったということでOK?
>>591 正直、そこまでして侵略したがる理由がわからん
仮想戦記に踏み込むならいっそオーストラリア征服とかアメリカ大陸征服とかの方が
夢があっていいじゃないか、船さえあればあの時代なら確実に奪えたし
595 :
名無し三等兵:2009/02/08(日) 23:33:54 ID:ncYl5Md9
>>590 これが秀吉の戦略であって、戦わなかった屁垂れは安全策の猛将。
>594
原住民と上手く付き合う方法が選択出来るならそれも良いかもな
598 :
名無し三等兵:2009/02/09(月) 20:14:53 ID:AiBai4Q/
朝鮮水軍の大活躍で日本軍の補給が枯渇したらしい
>>594 遠距離遠征する為の船団や航海術が不足してたから明本土の直接攻略ができず、
半島経由という非効率的な進軍ルートにせざるをえなかったんだけどな。
ただ、もし織田なり豊臣政権がそれだけの準備を整える事ができたらってIFで話を作るのは面白いかもな。
技術そのものは無くは無いだろう。
朱印船のような船もあったし、後に琉球に攻め込んだ上に恒久的に支配してるんだから。
それ以前に、明本土の直接攻略の発想や計画を示す史料って有るの?
日本@名無史さん :02/09/09 21:12
秀吉が1592年に出兵したのは明帝国最強の遼東軍閥、
李成梁軍団が山西に移動し、遼東地方が軍事的に空白状態化したからだあね。
ま、秀吉だけじゃなくてヌルハチやモンゴルのチャハル部、ハルハ部も遼東に侵入してる罠
1597年の時は、1596年から万暦帝が最悪の大増税なんぞやらかすから、
またも遼東にヌルハチやモンゴルのチャハル部、ハルハ部も大規模侵略してるし。
>>601 当時の日本はジャンクを量産できる技術はありませんでした
>>603 技術云々よりも前にそもそも直接本土を目指す意図が有ったかどうか疑問
個人的に明本土攻略を目論む際にネックになるのは、艦船の確保よりも、航海士などの人員の確保の方だと思う
あ、意図は置いておくとしてね
航路すら無いんだから、意図もなにも無いだろ。
つうか中国の使者も朝鮮経由でアクセスしたわけだが。
最近の日本人は地理的感覚乏しいからな
中国本土は日本のはるか南方ってこと分かってないんだろ
朝鮮半島なんて中国のはるか北限だからな
水軍の不振で補給が苦しくなったことが強調されだしたのは、
戦後しばらくたってから、近年のことだろうよ。
海戦図の推移を見ても分かるとおり、また兵力差を見ても分かるとおり、
海戦初期に沿岸に停泊する少数の船舶を、計画的に大集団で攻撃して戦果を挙げたのが
李舜臣。
それはそれで手柄ではあるが、秀吉軍全体の補給路を遮断できた活動とは言えない。
三成が一年後に漢城から出した手紙だったか「奥地は物がないが釜山の物資はしっかりしている」
旨を書き送っている。
海賊の跳梁を収めるために脇坂が奥地から呼び戻されて失敗したのが閑島の海戦だが、
これが李舜臣の戦歴にとって最も輝かしいものだろう。
しかしその後は日本側の警戒が厳しくなって無闇な海戦はせずに釜山〜対馬のルートを固めた。
文禄の海戦の地域は例外を除いて巨済島以西、つまり半島西半分まで。
補給うんぬんの話は戦後のきわめて政治的な事情による学会、教育界、
出版界で流された言説であり、それが増殖して今日に至っている。
化石のようなものだ。
>>610 兵站軽視の旧軍乙
兵糧の輸送は水上輸送が大原則、釜山に余っててもそこから運べなきゃ意味なし
奥州の米が陸路で江戸まで運ばれていたは思うまいね?
まして戦地で陸路で食料を輸送するなど愚の骨頂
文禄の役に関して言えば、海路東進して進撃ないし補給路確保という構想は当初からなかった。
朝鮮は道案内することを前提に陣立てを組んでいる。
対馬〜釜山〜漢城〜唐入りというルートは陸上軍の北上スケジュールを見ると明らか。
補給に苦しんだのは水軍の不振よりも釜山〜漢城への道のりの困難(いわゆる義兵による妨害、
そして悪路)さ。
水軍の不振も一因として認められるが、
それによって根本的に補給路が遮断されたとは言えない。
慶長の役に関しては、半島南半分への勢威を示すことが目的であり、
そのように行動している。
実際、補給が問題になったことはなかった。
近代的な意味での補給システムを当時の軍事行動に照合させるのは無理。
物資は携行帯同させ、現地民を手なずけて
物資は現地調達(略奪)。それを繰り返しながら遠征路を伸ばす。
明が援軍を送ってくる際にも朝鮮側はその受け入れ(物資の調達)に苦労している。
これも現地調達であり明(北京)から補給ルートが引かれていたわけではない。
「兵站軽視」という概念は今日的であり、歴史的ではない。
>>614 そんな事はない、大軍を動員するアジアでは兵站は昔から重要
欧州の命運を掛けるような戦でも2,3万しか動員出来ず、
結果補給無視が蔓延った西洋基準で考えてはいけない
昔の中国とか10万単位で軍が動いていたからなぁ。
>>615 おいおい。その場合の兵站ってのは現地調達の事だぜ。
大量消費以前の中世の戦争は後方からの輸送は皆無ではないが僅か。
近代機械がなく、食糧の再生産能力のクソな朝鮮に攻め込むとああなるのは必然。
朝鮮軍も明軍も朝鮮民も飢えた。
何万と号するとかあるから実数は分からないけどね。
それはともかく、中国でも流軍や流賊等の言葉があり、軍隊が長く一箇所に
留まっていたり、通過した場所は荒廃するとの認識があるから
兵站を重視していても、現地に重点があったのは確かだと思う。
日清戦争の清軍や支那事変の国府軍の時代に至っても
中国軍には補給兵站を任務とする常設の編制が無かった。
欧州に比してアジアが大軍を動員できたのは、アジアの豊かさと
コメの食糧としての優秀さ、欧州に比して広大な地域を集権的に支配できた事が理由だと思う。
逆に欧州は狭い土地で、限界のある生産力を用いて如何に戦争するかに頭を悩ませたので
近世から近代の時期に補給兵站の概念が発達した(ドイツ参謀本部も元は兵站総監部)。
>>614 現地調達の方法は略奪だけじゃないけどな。略奪は一番最後の手段。
購入や安全保障と引き換えの徴税(統治権の確立)が基本。
でも、物々交換が主体の朝鮮社会じゃ通貨が流通していないので売買購入は難しく、これは明がサルフの戦いの報酬に金を払おうとしたら朝鮮から現物支給の方が喜ぶとアドバイスがあったぐらい。
というか、農民が毎春飢える社会は元々余剰生産力が駄目駄目なんだよ。日本人みたいに放っておいても勤勉に働かないし、朝鮮の為政者は再生産性を無視して強制徴収したり、開発に無関心だったりするのが奴等のやり方だったから。
>>618 中華国内の生産力が高く余剰食糧が豊富な地域をウロウロするなら大軍も維持動員出来るでしょうね。
でも衛青や霍去病の遠征みたいに長城越えで作戦するのが大変。
煬帝の遠征が失敗したのも、生産性の低い地域に大軍を導いたこと理由があるんじゃないのかと。
何れも数ヶ月の短期間なら問題なし。明軍もなかなか南下してこないでしょ?
朝鮮軍なんて明軍の数割しか動員出来ず、大軍の構成さえ出来ていないし。
大軍が前線で対峙するような第一次大戦の塹壕戦みたいなイメージは持たないことだね。
>>611現実軽視の旧軍乙
それ蒸気貨物船が前提の補給論ですか?
>>620 生産性の低い地域に対外遠征するとそうなるね
ナポレオンのロシア遠征でもそうなったし(既にポーランド戦でその片鱗が有った)。
明軍の補給も朝鮮側が用意することになってたらしいからなぁ。
>大軍が前線で対峙するような第一次大戦の塹壕戦みたいなイメージは持たないことだね。
持ってないよ。
>>610 日本側が無防備な輸送船を放置しなかったり、沿岸防備を固めたら李舜臣の活躍が抑えられた。
これが当時の水軍能力の限界だろうね。
>>622 ナポレオンの補給も悪路・低生産のポーランドを超えてロシアに入ると途端に楽になった。
それでもモスクワ前面で大軍が長居をして消費が供給を上回ると補給崩壊。
ここで言う補給の大半は水や食糧で現地調達、武器弾薬は後方から運んでいたけどね。
これが近代の大消費戦闘になると機械力を使った本国からの補給が重視されるようになる。
単に兵站とか兵站軽視とか簡単に言うけど時代や地域に根ざした考証をしないと、説教のための偽事例引用となって恥を掻く。
義兵の攻勢を理由に秀吉は征明を中止すると述べているのに、2ちゃんねらーは出来るだけ無視しようとするよなw
日本軍の兵糧不足は義兵による襲撃、日本の不備と占領政策の不味さだよ。
地方官吏を把握できない日本軍がゲリラの基地となりうる村落を手当たり次第焼き討ちしたせいで土が荒れたんだよ。
日本軍が耕作をさせるために農民を呼び戻そうとしても横暴を知っているから戻ってこない。
自分で自分の首を絞めたんだよ。
元々、占領下においた城から徴収した米だけで日本軍は十分すぎるぐらい潤ってたんだよ。
九州や小田原では後方策源地への船による兵站を行っていたが、
これを前線近くまで延伸するという発想はなかったのだろうか
朝鮮についても平壌まで前進したなら後方策源地化した漢城に船で
補給するという発想が浮上しても良い思うのだが…
何しろ、十数万でしょ。そりゃ朝鮮でなく日本でも干上がる
小田原では主力は小田原城に張り付いているのだから、問題ないし
九州では短期でケリが付いている
どうも朝鮮を九州か関東程度の大きさで認識していたようにしか思えない
秀吉は
628 :
名無し三等兵:2009/02/11(水) 09:12:37 ID:aL16r+NP
>>627 李舜臣率いる朝鮮水軍に徹底的に叩かれましたよ。
加藤清正は朝鮮国王に宛てた手紙で日本の水軍が攻め上がってくる、と脅したけどハッタリで終わったしな
小田原は蟻の這い出る隙も無く海上まで包囲してるから安全に輸送ができた。
それでも長陣で兵糧不足が起こってるよ。
>小田原では主力は小田原城に張り付いているのだから、問題ないし
逆逆、大軍が長期間張り付くから兵站の問題が起こる。
>627
海図も海路もはっきりしていないところに船団を送り込むようなことはできないんでは。
>>627 江戸には武士が50万人も駐屯していましたが?
釜山に集積していたじゃん。
李舜臣が居ない東岸経路でも食糧輸送なんてやらないの。
>>626朝鮮は毎年が死者が出るほど元々荒れていただろw
人のせいにすんな。
小田原役でも内陸から進撃した部隊は補給不足で略奪をして凌いでいるんだが?
大軍の長期駐屯は現地農民が食糧を供出出来るか否かの生産性を備えているか否かに掛かっているのだよ。
>>627漢城に廻船する為には、航海する沿岸を制圧し、地形と海象気象を把握して風を読んだり避難先を確保する必要がある。
江戸時代の航海だって最初は陸の見える沿岸航法だったのが、経験と技術の蓄積でショートカットする推測航法へシフト出来たんだ。
それでも相当難破したがな。
>>632 2ちゃんねるに巣くうアマチュアとは違うプロフェッショナルの指摘だからなあw
>>627 その通り。朝鮮を九州同然だと言ってるし、対馬に朝鮮が服属していると思い込んでたからな。
中国についても同様。大明は公家の国だから武家の国が負けるわけがない。処女みたいな明は卵のように捻り潰せる、と言ってる。
そんな認識で朝鮮に行くから鍋島が朝鮮の広さに驚愕して15万じゃ少な過ぎると報告してるよ
>>628 それは小西行長だろ?アホ?
李舜臣が徹底的に叩いたって?何を?何時?
閑山島開戦後に日本に防備を固められて手も足も出ず、
熊川−加徳島ラインから巨済島へ防備を前進させてきた
日本軍を何一つ抑止出来ないのが李舜臣水軍の能力。
>>637 海上輸送が出来なくなって深刻な打撃を受けたのはプロフェッショナルが指摘してることだけどアマチュアが必死に否定するのは反抗期だから?
>>627 だから前線を南部に下げているじゃん。
兵站が不可能ならば前線を下げて経済戦争へ移行する。
たまに携行食糧で敵策源地を荒らしまくる、それが当時の戦争。
秀吉が数年長生きして対陣が続いていれば、僅かばかりの
統治能力も喪失した李氏朝鮮が崩壊していたろうね。
軍事的には日本軍は圧倒的だし、慶長の役初年以後も
日本軍は北上して慶尚道や全羅道忠清道に進出している。
>>636 日本の問題点は兵糧云々以前の問題じゃねーの。
>>638現実軽視の旧軍乙
それ蒸気貨物船が前提の補給論ですか?
>>639 仕掛けた結果が惨敗だよ。
戦役を通して朝鮮王朝の内部統制は安定どころか強化されましたよ。
惨敗?何時?何処で?誰が?誰に?
さあ、具体的にどうぞ!できるならな。
>>641 歴史研究者気取りのアマチュア2ちゃんねらーでは手の届かないプロフェッショナルの指摘だよ
>>644アマチュアとかプロフェッショナルとか言っている割りに何ら考証も妥当性も見つけることができない文盲乙
加藤清正は出陣させるべきじゃなかった
>>628の
李舜臣率いる朝鮮水軍に徹底的に叩かれましたよ。
加藤清正は朝鮮国王に宛てた手紙で日本の水軍が攻め上がってくる、と脅したけどハッタリで終わったしな
や
>>638の
海上輸送が出来なくなって深刻な打撃を受けたのはプロフェッショナルが指摘してることだけどアマチュアが必死に否定するのは反抗期だから?
これらを裏付けるプロフェッショナルな論拠と論理の解説まだ?
餌を貰って言いっぱなしの穀潰しの自称プロフェッショナルの無責任なプロパガンダなのか?
>>646 明や朝鮮が交渉窓口を開いて講和交渉を始めるぐらいの実力者だからね。
李提督がいっぺん更迭されたのって補給線破壊持久戦しかしなかったからだっけ?
で「おれなら日本撃退できるお」ってやつが指揮官に…
>>648 プロパガンダ?自分たちアマチュアは純真なんですぅとか思ってるわけw?
やたらプロのいう朝鮮役を全否定するのはこういう心理?
>>651 御託は不要だから早く具体的なこと言えよ。軍板をなめんな。
>>650小西が流した加藤再上陸の情報を利用して李氏朝鮮が釜山襲撃作戦を発動したけど日本軍が強そうでサボタージュしたから。
>>649 日明交渉を破綻させて戦争再開に持ち込みたい朝鮮と日本の主戦派の代表格加藤清正の利害一致ってとこかな
>>653 リークを日本の罠だと考えたからだよ。
捏造好きだな
>>651 宗教じゃないんだから主張に妥当性がなければただの嘘吐きや馬鹿だよな。
土人の社会じゃ、神聖さで真偽が決まるのかも知らないけどさ。ここは日本だしw
早く御主張に合致した具体的な論拠論理を提示して下さいよ。頼みですw
>>655朝鮮水軍は李舜臣も元均も1597年の日本に反撃能力があると認めていたわけですね。わかります。
>>646だけど、清正が講和派に喧嘩吹っ掛けたりするから行かせるべきではなかったと思ってるんだが。
>>657 わざわざリークするんだから罠だと考えるのは至極当然
プロフェッショナルってあれか?
前に世界史板から来てた奴が盛んに持ち上げてた参謀本部編纂の朝鮮役。
リークは罠ではなかったが攻撃計画を嫌々実施した朝鮮艦隊は反撃にあって壊滅した。
最初は大明討ち入りを掲げたくせに現実に気付くと、二回目の侵略は朝鮮王朝の全羅忠清道略奪を目的にし、それも不可能だと知ると慶尚道略奪を掲げ、それも不可能だと知ると無様に敗走。豊臣滅亡w
具体的な説明を要求されて即逃亡しちゃう奴らってなんなの?
ただの知ったか白痴野郎?
>>639 元々、唐入りが目的じゃなかったっけ?
気がついたら随分目標がしょぼくなってる
>>666 目標と目的、いつの時点かがかよくわからん。
概ね目的に沿った手段を行使しているわけだが。
>>666 唐入り→朝鮮→朝鮮南部→一道
景気良くぶちあげた割には、何かもう適当に矛を収めたくて
ズルズルと妥協の繰り返しで、消耗し続けている
>>668 もともと明征服も目的だったかよく分からなかったわけで。
手段にしたって優先度は武力制圧が一番じゃないし。
>>669 >もともと明征服も目的だったかよく分からなかったわけで。
そう考えてるなら、何も言う事はありません
太閤ハンのビックマウス、知らんの?
>>668 お前のカキコの目的が何であるかはわかった。
近頃こういうのが増えすぎてウザイ。
>>671 ビックマウスは天竺云々でしょう
唐入りは公文書に書きまくってるので本気
>唐入り→朝鮮→朝鮮南部→一道
釜山からの輸送がネックだったらしいけど、大規模な荷駄隊を編成したり街道を整備したりといった対策は当時とられなかったの?
>>674 大規模な荷駄隊というが当時、10万いた漢城にいた兵を釜山から支えるには同数以上の
輸送人員を必要とし、しかもその輸送は前線の大名の受け持ちとされた
補給の問題もそうだが、日本側が国内戦の延長で戦=陣取り合戦と捉えていたのもまずかった
国対国の戦争では途中の城をセコセコ取っても意味が無い、敵野戦軍の壊滅こそ最重要
明を攻略した清は再三再四に渡って野戦で明軍を壊滅させた
それをせず我慢比べなら100%清のほうが負けていた
前方には明の大軍、後方では朝鮮の一揆ばら(義兵)が猖獗を極めているから再び戦えば必ず敗北すると言われたのに再出兵しちゃう豊臣秀吉。
所詮は国内止まりの器か
>>677 歴史をそういう風に見ちゃいかんよ。
秀吉の偉業がなければ明治以後今日の大国日本は存在しないだろうよ。
また日本という国を象徴する偉大な人物ではある。
>>674 陸上の補給については「さながら合戦仕るの如く、鉄砲隊数百差し添え」という状況。
680 :
名無し三等兵:2009/02/12(木) 14:47:44 ID:+qktRzFI
>>677 はあ?南部布陣以降、あるいは慶長の役の何が失敗だったのかわからない件。
軍事的には1597年・1598年と南部三道を制圧して回っていたし、明の大攻勢も挫折させた。
秀吉の寿命以外は1593年以来、企画通り実施されているわけなんだが?
だからどうした 兵などいくらでも補充がきく
>>681 本国からの補給が僅かだった明朝鮮程じゃないな。
>>682 大名も連名で戦線縮小したいと申し入れしてるよ
>>684 それも明や朝鮮より全然マシじゃねえの?
実際、特に慶長の役なんか何処も失敗していないわけで。
明や朝鮮が総力を挙げた攻撃も撃退しているし、日本側はあっちこっちへ侵攻を成功させているから。
朝鮮が崩壊するまでは時間の問題だったんじゃないの?元々国が腐ってたけど。
希望的観測は置いとくとして、実際崩壊しなかったわけでな。
最終的に日本軍は南岸に押し込められて末期の戦争目的である「白国(慶尚道)一篇」の占領すら出来なかったわけでして…。
南岸に押し込められてた?
参謀本部の人が来てるのか。
秀吉以外、誰もやる気がなかった作戦が成功するとはとても思えん
細川幽斎曰く「大略のところ此度の戦立は諸将もまた心得ざる事、さりながら殿下の御意に従わざる者なし」
諸将は内心皆反対だったけど秀吉が怖くて口に出せなかったんだって
押し込められた=左翼、朝鮮の人が好んで使う用語
秀吉は死ぬ数ヶ月前、
「来年は大軍を繰り出す」
と戦線拡大の準備をしていた。
書状にある。
南岸の城はその拠点。
死ぬ直前の秀吉は朝鮮が「謝罪」すれば許すとかいかに面子を守って敗走できるかに焦点を当ててたみたいだけど。
小西行長はもう少し評価されていてもよい
「敗走」乙。
満足かい?
1598年も大攻勢はやらなかったけど、各大名が小部隊で南三道へガンガン攻めていたんだぜ。
朝鮮人は無知か知らんぷりしているけどな。
明軍も朝鮮軍も引き籠もっちゃってなかなか前線へ進出できない。
>>697 総退却に追い込まれてるだろう。戦争目的を何一つ達成できてないんだよ
実質的な統治なんて一次の頃から破綻してるがな。
>>698 敵によって追い込まれていないが?
現地大名は駐屯コストが嫌なだけで、撤退命令が無ければ百年でも居座れましたが何か?
>>700 無理無理、国内は際限のない軍役による逃散で荒廃、
前線の将兵は何時故郷に帰れるあてもなく、戦い続ける
しかもそこまでやっても占領地の収入は焦土作戦で殆どなし
これでは冗談抜きで財政・体制が破綻する
日本国内の「荒廃」なんて本当なのかね。
それは10年位前にNHKや周辺の傾向的マスコミ人、「学者」が流布していたが。
その後も人口は増えて余剰労働力をもてあます江戸前期に移行する。
朝鮮の日本の城の周辺では朝鮮人が出入りする小経済圏が形成されていた。
>>702 別に人数が増えても、軍役や重税に苦しむ百姓が農地を捨てて、
逃散すれば財政的には大問題
船を大量建造するための大量の木材切り出しもあっただろうし、
かなりの災害が生じたかと
>>701 戦い続けるって言うほど戦ってないだろ。
豊臣政権や江戸幕府が命じた公儀普請とおなじだよ。
>>703 江戸建設や参勤交代の負担の方が大きい件。
朝鮮出兵で災害が増えたってのは君の想像かね?
戦争と公共事業を同列で語っちゃいけないよ
仮に同列としても江戸普請は千石夫(千人に1人)
朝鮮役は1万石に付き400人
江戸普請では実際より10倍だした家もあると言うので
それを勘案しても4倍の負担
しかも国外、輸送コストは相当のもんでしょうな
災害については「軍需物資から見た戦国合戦」の内容から
船の建造に大量の木材が伐採されただろうという想像から
>>706 江戸駐屯にどれだけ動員しているのか理解しているのかとw
へー普請役の割合をなんで滞陣期の動員率で比較しないんだろうね?
日本人が日本の森林の再生力を破壊できるようになったのは明治以降の話だね
>船を大量建造するための大量の木材切り出しもあっただろうし、
かなりの災害が生じたかと
あなたの願望ですか?
慶長の役が終わってわずか二年後。
関が原の合戦に東は東北から西は九州まで
両軍合わせて30万人が元気に集合して戦争してたな。
「疲弊荒廃」してなおこれだから不思議だ。
>>711 慶長の役が無かったら両軍合わせて60万人は固かったなw
>>711 小西は弱かったし、島津も少数、加藤も九州から動かず
軍役も朝鮮の1万石に付き400から300に減っている
>>713 出さないのと出せないのは全然違うんだが。
参謀本部値を吟味しない
>>713はダセエの確実な。
716 :
名無し三等兵:2009/02/14(土) 12:05:48 ID:NJK3TA6j
>>713 小西が弱かったってのはどんな根拠から?
>>716 関ヶ原の記録見ても小西について健闘したという記述はない
むしろ押しまくられてる
西軍でまともに動員したのは毛利・宇喜田くらいだったよな
その毛利は関が原には完全に不参加だし
明と話をつけて、昔の任那の再興という名目で
半島の一角を割譲できなかったものか。
>>717 関ケ原で最初に崩れたのは秀秋の攻撃を受けた大谷のところだろ?
それまで奮戦していた小西は何処に押されたんだよ?
>>712 慶長の役での死者行方不明者(戦死戦病死逃亡)は多めに見積もっても2万は超えないんだが。
これなど国内戦争においても軍を長く維持していれば生じる程度じゃないかな。
ちなみに文禄の役での推計はMAX5万人。これはさすがに病死者が多かったろう。
関が原の役での動員と朝鮮役での動員を同列で考えること自体どうかしている。
戦場に駆けつける兵隊のほかに領国を守る兵隊も必要。
文禄役では釜山〜漢城〜平壌のルート上に伝えの城置き、兵を入れて守ってるのよね
海路沿いに漢城に進撃するルートや拠点はない
日本軍・明軍は共に朝鮮で食糧を現地調達するのだが、明軍に朝鮮側の協力があるのに対して日本にはなく
当時の輸送能力的に釜山から漢城までは食糧を運べないので撤退を余儀なくされた
慶長役では秋に慶尚→全羅→忠清と進撃しており、海路侵攻する軍もあった
拠点も輸送の観点から海沿いに築かれる
>>720 寺沢、戸川
前隊が破れ、本隊もその残兵に巻き込まれ崩れる
その後、寺沢らが宇喜多に横槍したので何とか持ち直した
>>722 関ヶ原というか上杉征伐ね
どちらも領国は守らないといかんね
朝鮮騎馬隊を殲滅した時の小西を誉めてやってください・゚・(ノД`)・゚・
>>713 島津は、関が原当時領国防衛のみなら3万ぐらいは、確実に動員出来たし
本気で関が原に兵を送る気が有れば1万は、十分可能だったよ。
島津の場合は気がついたら戦が始まっていて
気がついたら大阪方につかざるを得ない状況だったからなぁ。
>>706 軍需物資から見た戦国合戦は
は読んでいないんだが、
戦国時代から木材資源の管理運営がなされているとすれば、
朝鮮出兵での船建造で日本の木材資源が打撃を受けたとは考えづらいんだが。
日本の強みは木材資源の豊富さにある。
大陸国家にくらべて土壌が豊か。
それが近世以後の日本を豊かにして今日の礎となった。
局地的な激しい伐採による生活への影響はあったかもしれないが、
全国的に見れば、都市化による普請のほうが遥かに木材消費に影響を与えているだろう
と考える。
>>674 > 釜山からの輸送がネックだったらしいけど、大規模な荷駄隊を編成したり街道を整備したりといった対策は当時とられなかったの?
山越えで500kmくらいあるから、
中山道経由で上方から江戸の大軍を補給しようって感じかな。
(まず東海道や中山道より悪路だろうし)
10万の遠征軍の陸路補給は、大帝国が国力を傾けて行うレベルだろう。
朝鮮の山道だと2-3万が限度では。
李舜臣による直接の損害はさほどではなかったとしても、
黄海沿岸の海路補給を封じられたってのは
日本軍にとって致命的だったんじゃないかなあ。
731 :
730:2009/02/16(月) 23:06:23 ID:???
しかし、釜山からの輸送がネックだったってのは、あれですな。
ロンメルのドイツアフリカ軍団と同じですな。
ちまたの戦記物では、イタリア海軍が腰抜けだとか、
マルタ島を落とさなかったのが悪いとか言われてたけど、
学者が調べると、トリポリに物資は来てたが、
トラック不足で前線に運べなかっただけだったという…。
>>731 機械力の選択肢のある近代戦と安易に比べるのは感心しませんね。
734 :
730:2009/02/18(水) 19:35:45 ID:???
>>733 「補給戦」では、三十年戦争から二次大戦まで、
兵站の観点で論じられてるけどね。
>>733 機械力があっても無くても
昔から海路は輸送が楽で
陸路は難しい
>>735 しかし未知未開の海路と航海の確立には何年もかかるわけだ。
おまけに安定的な供給を続ける航海能力はあるのか?
昔の公開は運次第だからな冒険だよ。風や潮、それと季節によって一方通行や航海不能の場合もあるし。
相当の熟成した航路開拓がなされていないと難破続出。
当時はまだ倭寇の経験があったろうから、それを活用すればいいんじゃない?
>>738 何処の誰のどんな経験だよ
具体的な活用対象を言ってみ?
対馬の宗氏が朝鮮と日朝貿易やってたから航路は問題ないでしょ
>>738 あの時代の倭寇は九割近くが中国人で、
日本人と朝鮮人を合わせてやっと残り一割くらいしかいないんだぜ
>>742 日本人三割、中国人七割じゃないの
どんな資料みたの?
後期倭寇の拠点も長崎にあって大陸の海賊が多いのも松浦氏と結託した結果
太平洋岸ではないから、そんなに厳しくはないと思うが、
遣唐使とかローマ軍の難破の例もあるから
朝鮮半島沿岸でも命がけは命がけかね。
まあそれでも、陸路山越えの補給より海路の方がマシだろ。
10%程度の難破による損耗があったとしても、
陸路のバケツリレーよりは遥かに低コストだと思うが。
>>740つまり君の頭の中には何の根拠もないんだな?
>>748 知ってるよ つーかそういう話方しかできない人なのね
程度が知れる
>>746 当時の航法は陸乗りなんだから、山風と海風の読める太平洋沿岸のほうが簡単だよ。
すぐ座礁するし、海路の消耗や確実性が解決するには蓄積が必要なの。
752 :
名無し三等兵:2009/02/21(土) 13:01:51 ID:cJ7tceZk
海軍力以前に航海力が足りない時代だからな。
753 :
名無し三等兵:2009/02/21(土) 13:08:51 ID:/slqU98O
加藤がソウルまで侵攻したらしいけど
そこまで戦端が伸びたら物資の補給は無理でしょ。
どこかに城を建設して、何十年と統治する考えが無いとね。
風の影響で簡単に座礁するようなら、元寇の時に玄海灘にプカプカ浮いてた
朝鮮の即席船なんか台風まつまでもなくあっというまに全滅してるw
>>754 お前みたいな奴が指揮したからモンゴル軍は壊滅したのかな?
風がぴゅって吹いたから全滅した
>>756 ここで大事なのは、船が沖に居続けられず、
波の穏やかな陸の近くに居るしかないこと。
だから武士に逆襲されたりした。
風が吹いたら座礁するんで陸の近くなんて怖くていられません(><)
日朝間は古代の船で往来できてたくらいだし
対馬海流超えれば問題ないでしょう
朝鮮の西岸は朝鮮沿岸流があってちょっと危険
>>758 でも陸の近くでないと航行できないんだよね。
文禄慶長の役でも日明鮮の座礁例は多いよね。
>>760 >文禄慶長の役でも日明鮮の座礁例は多いよね。
kwsk
kwsk
閑山島で脇坂水軍が押し込まれて座礁、200人が上陸して生還とか。
場門浦海戦で座礁した李舜臣水軍の板屋船2隻が座礁して焼き討ちされたり。
順天を攻めた明水軍が引き潮で40隻近く座礁して小西軍に討ち取られたり。
風や潮に流されたり、陸地が見えなくなったりすると漂流。
陸に近づきすぎると座礁。でも陸の近くでないと計算できる風が得られないので陸が視認出来る範囲の航海が基本。
推測航法が編み出されるのは流通需要が喚起される次の時代なんだな。それでも漂流は結構あった。
>>764 危険な入り江や遠浅の海で戦闘になると座礁で結構損害でてるね
勘合貿易のころには東シナ海を真っ直ぐ越えて寧波まで行く航路も確立され
文禄慶長の役のころにはコンパスもあったのでは
風任せの時代に広範囲に暴れまわっていた後期倭寇ってすごいね
ある意味海路の運送効率が高いのは認識はされていただろう。
ただ、不確実性がある。
効率だけで軍の機動性を考慮するなら、秀吉は小田原征伐、
九州征伐でも軍勢の移動手段として船を使っていたとしても不思議ではない。
部分的に使ってはいたかもしれないが、移動は徒歩であった。
つまり内陸の陸路による移動が確実性があり、伝統的であり一般的であった。
諸侯も海路移動に慣れていない。また移動のための船の準備も必要だ。
朝鮮征伐に海路移動〜海路補給の構想がなかったのは不思議ではない。
南北朝から室町、安土桃山と戦乱続きでも
列島の中の閉塞した国内戦ばかりだった日本の戦史では、
地中海で覇権を争った西洋人のような海軍力(軍艦)の進化はなかった。
陸軍的発想だったということだろう。
ハッピーエンド\(^o^)/
誤爆
>>768 逆にいえば倭寇は風任せで好きな時に攻撃する自由があるからね。
軍事行動みたいに命令を受けて時間や場所、あるいは他部隊との連絡協調を指定・要求されるような場合に当時は対応できない。
確実性がないから陸路が強制されていた参勤交代以外の大名・要人などの公務移動が海路で実施されるようになるのは、幕末に西洋帆船や蒸気動力船が導入されてからだよね。
大名移動の船利用も最初は異国船のチャーターが始まりでなかった?何割か難破しても全体で儲けが出れば良い商業利用の和廻船とはちょっと前提が違うと思う。
露梁海戦でも島津の軍船が多数座礁しているね。
多数座礁した筈なのに何故か全軍帰還出来てるんだよな>島津
その所為で最初からある程度の船を座礁させて敵軍の目を誤魔化すつもりだったのでは?
という説も有る。
>>775全軍帰還してないだろ?島津側の記録見てる?
戦死者以外で船が足りなくて帰国出来ず置き去りになったなんて記録有ったっけ?
>>777 全軍帰還って海戦後に釜山まで生還した全軍かよ。
文脈的には海戦に参加した全軍だと思うだろ?
>>769 九州、小田原戦役の補給は海路だろ。
秀吉は鳥取城でも海路を活用してたと思ったけど。
水軍(海賊)が配下にいるところは海上輸送を重視していたと考えていいのかな
>>779 そういう意味なら朝鮮役も含めて自軍支配地域までは海路補給している。
九州役、小田原役、朝鮮役とも同じだよ。小田原役だって集積地は後方の徳川領清水湊であとは陸送でしょ?
義兵の激しさは、加藤清正曰く、伊賀・甲賀一揆並で「一揆の国」だとか。
>>777,778
逆に言えば開戦がなければ安全な航海ができるってことだな
>>784 無理だろ?李氏朝鮮は海禁政策を取っているんだから。
>>786 確かに順天戦は攻城側の明水軍が大量座礁しているよね。
ぱっと地図を見ただけでも、朝鮮半島西岸と南岸は、
リアス式というか、岩礁とか暗礁とか多くて厄介そうではあるな。
米軍が仁川に上陸するときも、上陸適地が無くて困ったんだっけ。
地元の漁師とかを上手く雇えれば良かったんだろうが。
>>790 朝鮮じゃ漁師は際どい身分にされていたからね。
能力的にも朝鮮の漁師は遠出できないのでは?
日本は水夫の確保に苦労したらしーからな
逃げ出すやつも多くて敵の捕虜になってたり
>>792 そういや朝鮮は利用価値のない捕虜は水軍に送るか処刑してましたな。
島津の脱走兵が多いとか何かの記録になかったっけ
>>795 あー、あれだよw蹴鞠ばっかしたアホのせいで投降者が続出したんだよw
朝鮮王朝実録に「何もしなくても投降してくる」と記載されとります。
慶長の役の加藤清正軍は逃亡者が続出したみたいだよ。
あの当時あの土地で逃亡しても大丈夫だったんだろうか。
言葉とか気候とか、色々問題有りそう。
>>795 そりゃ島津の戦法にひっかかった朝鮮側の記録じゃね
まぁ農民兵まで動員してたからなぁ
あんだけ異国の地で長滞陣しとけば逃げたくもなるわな
サル
日本史板のスレに日本軍の出撃を威力偵察だから引き籠もりと言い張るアホが出現。
国内の戦ってのはそこまでガチンコじゃ無かったしな
やばくなれば末端の足軽は逃げれるし、そこまで死傷者は出ないのが普通
それが突然異民族同士のガチの戦争だもんな、そりゃ脱走もするわ
戦争ってある程度打撃を与えて講和に持ち込まないと後処理大変だからね
北進するより半島南岸の長期占領して迎撃・徐々に侵食、で良かった気ガス
だって元々、唐入りが目的だもん
>>805 勝手にやらせておけ。
やるだけ恥の上塗り。
おらが町自慢なんか日本でも酷いの多そうだけど
で、実際鄭起龍は1592年11月に尚州城を奪還したのか、しなかったのか?
>>804 それは初期の話。最終的には朝鮮の慶尚道が目的になってたんだから。
鄭起龍の活躍については、慶長の役で北上して慶尚北道の高霊に陣を構えた日本右軍を伏兵と夜襲を用いて撃退。
同じく慶長の役で加藤清正を「報恩の戦い」で阻止して忠清道から慶尚道への南進を防いだことなら知ってる。
文禄はわからん。彼は慶長の役中に頭角を表して指揮官まで上った人だという認識なんだが。
811 :
名無し三等兵:2009/03/06(金) 18:58:06 ID:4FX+nr3j
あげ
他のスレだと明厨やチョンや白人厨がウザいがここはまともやね。
ところで加藤清正が朝鮮の国境越えた後オランカイまで入って
女真族と交戦して打ち破ってるって話よく見かけるんだがマジ?
女真族と連携して明を攻めようとしたら何故か交戦状態の泥沼に
814 :
名無し三等兵:2009/03/12(木) 13:10:24 ID:kDNkQ/9n
日本軍アホすwwww
あげ
補給は現地調達(略奪)だけじゃないよ
項羽をみればわかる
楚から食料が運ばれるのを漢軍がことごとく奪うから楚は戦いに勝っても兵を食わせられず力を失ったことは有名だ
>>817 それも現地調達の一種だ。
秀吉軍も李氏朝鮮の徴税蔵を抑えている。
現地調達=略奪
↑賢明なる諸君はこんな連想していないよな?
臣下に降れば徴収、抵抗すれば略奪
これ以外にあるのか?
購入、交換、自耕ぐらいはすぐに思いつくよね。
思ったことをそのまま書いてもなぁ
>>822 遠征軍がよく取る手段だよ。朝鮮出兵でもね。
近代戦でもパリ包囲のドイツ軍やラバウルの日本軍が耕作している。
朝鮮出兵でも城壁を設けた耕地を作ったりしてるよね。
というか朝鮮も明(遼東以近)も屯田しているわけだが?
そして来年の収穫まで、霞を食って生きる訳ですね
中世の話なので近代戦は無視
穀物は半年維持すれば収穫できる
半年あるいは一年と言う長期戦に戦力眼があったのか
朝鮮役のころは郷士という半農の武士がでてきた
どれほど連れて行ったかわしらん
購入、交換とは徴収の一携帯だろが、ゆうこうでないとなしえない
>>827 これからは、おまいが買い物をする場合は、現地徴収をすると明言することな。
>購入、交換とは徴収の一携帯だろが、ゆうこうでないとなしえない
日本語でおk
>>824 まあ和城を海岸線いっぱいに大量に建てちゃうぐらいだから当然食いもんはないとできないわな
それどころか屋敷からの見た目が殺風景だとかいうオサレナ理由で庭から見えるとおくの山に植林したり
単に戦争行ってきましたってだけでなくちゃんと「生活」してるんだよね
>>831 どういたしまして。
荒れてるねえ、世界史の李舜臣vs日本水軍スレ。
833 :
名無し三等兵:2009/04/14(火) 21:27:34 ID:GNpcF7Rf
>>809 秀吉の領土に関しての講和要求は、朝鮮四道の割譲になったからね。
慶長戦で日本軍が北上したのに、黒田軍が痛みわけになった程度で後退を始めたのも、
元々土地確保を第一に方針転換したためじゃなかろうか。
土地を奪えば武士は喜び、秀吉としても苦労した大名に報いてやれるからね。
実際にはそれすらも無理だったが。
>>833 禝山の戦いの後も北上は続いているが?
竹山が制圧の目標地だったらしい。
もともと作戦は占領のための進出じゃないから。
禝山戦のあと、東よりに清州まで北上していた加藤清正軍も後退して海岸の倭城の建築と防衛にあたっているからね。
冬になることもあるし釜山近辺での持久に切り替えたんだろう。
さすがに突進一辺倒は、文禄の役で懲りているだろうし。
836 :
名無し三等兵:2009/04/15(水) 16:45:36 ID:NWLbxyf/
>>835 もともと清正は蔚山、長政は梁山、秀元は釜山へ移動予定だよ。
忠清道は行けるところまで行って一揆を成敗すればOKなんだから。
慶長の役って壮絶な無駄戦だよな…
元々、講和について実情を把握しない秀吉が、仮に完全優勢でも到底受け入れられないような条件だして。
これじゃいかんとなんとか戦争終わらせたい小西らが双方に嘘をいった。
その結果当然こじれたから、ぶちきれ再攻撃。
所詮、日本の身内の問題なのにとばっちり食らった側はたまったもんじゃなかろう。
>>836 いや、井邑会議では北上組と南下して制圧組に最初から分かれている。
戻って部署を配置するのに決めたのはさらに後だから。
攻勢限界を感じて総南下したってことでしょ。
会議時で決めていた時よりさらに南(ぶっちゃけ海岸線ぎりぎり)までみんな引いたわけだから。
文禄の役では釜山付近まで李舜臣水軍の攻撃を受けているからね。釜山確保しないと攻撃どころか上陸軍丸ごと脂肪になりかねない。
不意打ち成功同然だった前回でさえ、頭打ちになったんだから慎重になるのも当たり前だろうね。
>>838 認識が間違っています。
慶長の役では、一揆討伐のために攻勢は掛けるが、短期的手段としての恒久占領は計画していない。
これは八月の進発時には秀吉から命令済み。
井邑会議後の南下についても全州会議で決められた目標の延長線上にある未到地へ進出している。諸将の展開先は地図参照。
で、それらの冬まで掃討する部隊とは別に早期に帰還した部隊が休戦期より支配を拡張するために同時に倭城を築いていた。
場所についても概ね八月の指令に則った地域となっている。
これらの展開は井邑会議などで微調整されているが基本計画通りの実施がなされた。
>>838 禝山で戦う前から全州会議で進路を分けている。
忠清道を北上して後に慶尚道へ東下して釜山へ迎う部隊。
全羅道西部を掃討して早期帰還をして倭城を築く部隊。
忠清道へ北上して西へ旋回した後、南下して全羅道西部や南部を掃討する部隊。
井邑から総南下と言われるが、地理的には釜山とは遠ざかる方向だし、その後二ヵ月前後近い作戦行動を続けている。
そもそもでたらめな構想で海渡った時点で終わってる。
後退が計画的にせよ意図的にせよ、結果は同じだし。
一揆の掃討が目的なら、青国(当時の日本からの呼び名。今の京幾道と忠清道)まで進撃する必要性ないしな。
最初から赤国(全羅道)討伐に集中するはず。水軍もそちらに振り向けてはいるが。(これはほどなく李舜臣に大破させられる)
この時点では白国(慶尚道)への進入と城普請による支配権獲得をも予定していたしな。
明や李朝の野戦軍南下を警戒した措置かもしれんが、結局どっちつかずで確保できたのは釜山付近の沿岸ぐらい。
844 :
名無し三等兵:2009/04/15(水) 19:32:54 ID:NWLbxyf/
>>842 具体的にその構想と結果とは何を示すの?
どんな相関関係なんだ?
それといきなり各論を放棄したのは、既出で展開されていた前提が間違っていることに同意したから?
>>843 いや、南下してくる明軍の補給を妨害するためにも、忠清道の制圧もやるに越したことはないでそ?
>>843 出た!李舜臣大勝利説。
軍板では過大報告は通用せんよ。
攻めたところは必ず確保しないと負けな自分ルールなんだ?w
>>846 いや、その海戦では日本唯一の大名クラス戦死者である来島通総らが戦死しているから。
確かだろう。
>>847 城普請が計画に入ってたってことは確保する気だったんでしょ。でも実現しなかった。
>>844 ああ、計画的だったってことが間違っていたと同意したってとってくれてかまわないよ。
>でたらめな構想
でたらめどころか、秀吉の癇癪だからなw
構想すらあったのかどうか・・・
後退させてくれ、城放棄させてくれって連署での提案に、秀吉は言語道断って返答したそうだから例によって出先と秀吉側近との喧嘩じゃないの?
確か、蔚山攻防でも援軍にかけつけた武将をなぜか戦ってない、と報告したやつがいて
空いた領土に石田三成が入るとかなんとかいう騒動が
秀吉の死で処置自体は不発になったけども
小西行長と加藤清正、その小西含めた前線の指揮官と石田三成ら奉行達
えらく衝突しているけど明確な指揮序列とかはなかったの?
「将は軍営においては君命も受けず」というけども、いちいち指示伺いしてたら大変だろうに。
耳そぎ、鼻そぎなんてやってるぐらいだぜ? 占領考えてたらこんな愚行しないだろ。秀吉のぶちきれってのは実は真実かもな
854 :
名無し三等兵:2009/04/15(水) 20:42:14 ID:Q7gmvrML
だけど戦国の頃でも占領地で住民に鼻削ぎ耳きりであまり聞かないけどなo( ̄ ^  ̄ o)。
この手の話の本場って?
>>854 秀吉から、よくこれだけ耳そぎ鼻そぎ(正確にはその目録)したなって賞する文書が島津義弘に送られているぐらいだから。
どこが本場かはしらんが、やったのは確か。
日本側は義兵ゲリラを一揆と認識していたようだから、信長が一向宗にやったような根切りに倣ったんじゃ?
秀吉は実際に殺した側だったし、そのときは。
>>848 あーあ、こいつ市販されている本さえ読んでないのかよ?
せめて「戦争の日本史16」ぐらい嫁。
首をいちいち取るのがかさばるから
耳とか鼻とかで首のかわりにしたらしい
もっとも文禄でも、従軍した武士の覚書だと命乞いする民衆さえ容赦なく皆殺しにしているからなぁ
>>856耳そぎ鼻そぎ
↑いつまで経っても直らないから、笑うところか?
>>848 直茂公譜考補 此時全羅道ノ内珍島ニ於テ日本勢李舜臣ト船軍シテ利ヲ失ヒ菅平右衛門ノ子又四郎正陰討死スト也
李舜臣自身の乱中日記だと、確認戦果は31隻だそうだ。
>>860それ懲録を読んで編纂した文書w知らなかった?
秀吉さんはボケが入ってた歳ですよ? まして側近は(三成とかが反対したって説もあるが)気に入ることしか耳にいれなかったんだよ。正確な情勢判断やらができたらそのほうが不思議だわ
鍋島直茂譜考補は享保年間成立だっけ?
でも当時の戦死者が具体的に挙げられているしなあ。
無理無理。その概念が当事者になくても、戦略上の優位は戦術上の勝利じゃ揺るがないのが軍事の鉄則。
露梁で朝鮮水軍が日本側指揮官層に打撃与えても、北に逃げるハメになっただろ。
逆に日本がいくら派手な戦術勝利収めても南に逼塞。
軍事とはそういうものだ。
南に逼塞?
明に押し込められたと?
鼻や耳を削いだりする行為自体は平安時代からあるらしいな。本来は処罰の一種なわけだが
最初はそれを集めた塚を鼻塚っていってたんだが江戸時代に耳塚って呼ぶように変えたらしい
やれやれ、成敗と占領の違いが分からぬ輩が居るらしい。
もっと資料嫁よって言っても都合に合わせて解釈するから無理か?
全州会議って秀吉からの使者を迎えて本国からの指示を受けているわけだが?
秀吉の内心がわかんない以上、どんな目算で何を目的にしていたのかすらわかんないからな。>秀吉ボケた
手紙だと、三国に芳名を広めるんだという名誉目的とかを書いてるけども。いくらなんでもそれだけで兵を動かすか?
現代になっても秀吉のプロパガンダに踊らされている奴がいるとは・・・
>>860戦場から逃げ出したのは李舜臣なんだけどね。
>>864 藤堂高虎の家の記録だと、来島らがやられた、高虎も手傷をおった。
追いかけてみたがもういなかったぜ、みたいな感じだな。
戦術的優位でも、数が違うから結局少数の側は逃げるしかない。
これは日本軍と、明朝鮮+民衆という数量差にもあてはまるな。
まさか反対者全員を打ち殺せるわけもないし。
>>873味方の苦戦を救い、敵を追いかけて残敵掃討で大暴れしたと書いてあるよね。
>>874 いや、助けて大暴れっていうのは。
藤堂家の家臣が、手傷を負ってあやうかった毛利民部大夫を助けた、という局地的な事件のことでは?
体勢としては「手負いあまた」「ものども過半討死」とかのほうじゃ?
乱中日記のほうでも、後続こねー、逃げろ、だしね>戦術優位でも数少ないほうは結局不利
つまり日本中から動員かけて、朝鮮の人口ぐらいの兵を送り込めば勝てた!
…あれ?w
>>875 手負いが多かったのは先鋒の奴らだろ?
そう書いてない?
軍板は厳しいねえ。
珍説君は店仕舞いか?世界史板にも来てないw
880 :
反米イスラム過激派:2009/04/16(木) 22:01:57 ID:jxpHsXfl
どうも朝鮮役の研究本は朝鮮の研究に偏ってるように思う
もっと明国や明軍、明武将を紹介してくれる本を読みたい
当事者2人が
朝鮮人が感情だけで珍説発表して
日本人がムカついてモグラ叩いてるから無理じゃねぇの?
884 :
名無し三等兵:2009/04/21(火) 07:53:30 ID:hFDSyR06
秀吉が攻めた目的が未だにハッキリしないあたりは、鎌倉時代の元軍そっくりだなw
>>881 実質これって朝鮮出兵っつーか日明戦争だよな?
向こうの主力は明軍だし、指揮権握ってたのも明の武将だし。
元軍は純粋に圧力を掛けに来たんじゃないのか?
朝鮮征伐は、元々の意義は唐入りであり、では唐入りの目的は何かっつーと、明と対等かあるいは優位な同盟関係を結び、正式に貿易を開始する事だった
信長の影響を強く受けてる秀吉は、経済基盤の強化を望んでいたが、日本は金や工芸品などを輸出してはいても、欧州・中東辺りの国家と大々的に交易す
るのは日本だけでは厳しいと踏んでいた
そこで、諸外国と大々的に貿易している明と交易を起こす事で代用しようとしたんだよ
明の貨幣に使われる金銀は、日本産の物が少なくなく、明の経済に日本が強い影響力を発揮するのは難しくなかった
そうして強化した国力で、あるいは更なる海外進出も狙っていたのだろう
887 :
名無し三等兵:2009/04/27(月) 09:01:06 ID:U5fnUw7r
888 :
名無し三等兵:2009/04/29(水) 08:02:53 ID:MkfhtmFk
偉大な韓国の歴史!
誇らしいですね!
>>889 今週は世界史の李舜臣スレも盛んだったよ。
どっちかというと、ETVがらみで任那関連の方が。
892 :
名無し三等兵:2009/05/01(金) 09:54:31 ID:YTEUZ2Tz
今度は戦国時代板が盛んだよ
馬鹿の観察日記スレになってしまったな
895 :
名無し三等兵:2009/05/06(水) 01:50:17 ID:uQoQWRYd
日本史板へご帰還した模様w
897 :
名無し三等兵:2009/05/07(木) 13:16:26 ID:t22W5yLo
どう見ても日本軍の惨めな惨敗です。本当に(ry
ageてる彼は何がしたいんだ?
ほんとにウリナラミンジョクなのか、それを装って煽ってるつもりの可哀想な子なのか・・・
899 :
名無し三等兵:2009/05/11(月) 23:08:36 ID:JVk9vRim
ママー。日本史板にヘンなのがいるー。
900get!
901 :
名無し三等兵:2009/05/13(水) 21:13:27 ID:sIZ73ubY
478 :日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:07:19
秀吉や豊臣家世子秀勝、島津家世子久安も討ち死にしてるよ。
恥だから病死と言うことにしてるけど、こういうのはかなり多い。
あと宇喜多秀家とか大大名クラスでも負傷してるのが多い。
負傷を0.5戦死とすると、戦死した大名の数は数十にも上るのではないか。
転載せんでいい転載せんで
自分で見に行くから
日本史板はあいかわらずだな
余談だが、ダウンタウンの松本が、
黒田孝高のファンらしいね。
黒田孝高の解説をうまく分かりやすくTVでしていた。
解説内容は、講談色が強いものだったけど。
905 :
名無し三等兵:2009/05/19(火) 17:11:50 ID:M+DDI6I0
このスレレベル高くてついていけないわ
906 :
名無し三等兵:2009/05/25(月) 21:09:41 ID:tvCEU5JL
あげ
戦国時代板のスレッドが、
活況ですね。
910 :
名無し三等兵:2009/06/18(木) 12:53:20 ID:tfa0faux
ブラウ作戦直前にヒトラーが暗殺されて講和した感じ
彼は日本人の中国観を次のように紹介している。
「人々はシナ人は天性惰弱であり、たとえ無数といえるほどいても、
鉄砲の音を耳にし、抜き身の刃を見れば、
こちらが少数であるにもかかわらず敵を恐れて逃走するにちがいない、と思っていた。
このような考えは、軍兵がいないシナの海岸地帯へ盗みに行った幾ばくかの日本人(倭寇)に基づくものであった。
そこには武器など手にしたことのない農民と土着の住民しかいなかったので、2百人ないし3百人の日本人が無数のシナ人を追い払ったように見えたのであった。
またこの考えは、広東のシナ兵について語ったポルトガル人の証言とも一致するものがあった。
これらの兵士たちは、一度も敵に接したことがなく、戦争の経験がなかったので、戦意に欠け、
たまたまある機会に争った際に、きわめて卑怯に振舞ったのであった」と(「フロイス日本史5:第43章)。
日本軍の構想としては、渡海輸送能力から一軍を一万二千から一万五千人とし、
第十六軍に徳川家康軍を予定していました。
第十七から二十軍が秀吉の旗本と本隊の予定です。
実際に渡海したのは第九軍(大将は羽柴秀勝)までです。
ただ、第十六軍の家康軍の人数は約五千です。
当時の徳川家はその所領から換算した動員可能兵力は約七万五千人ですから、
七万の兵力を国内に残し、かつ秀吉も六万の旗本を手元に残していたわけです。
何故家康を第十六軍にわずかな兵力で配置したかというと、
秀吉自身の渡海直前の軍として兵力というより政治的な統治の要人としての渡航であったと言えるでしょう。
実際これらの兵が渡海すると、第十六軍の段階で二十五万人の兵力が渡海している計算になります。
当時の日本の動員可能数はこの倍の五十万人と計算できます。
それ故、十万量兵で防衛準備していても、明から十万の援軍が来ても、兵力数は日本軍優位の情勢。
加えて鉄砲の数量が違いますから、一大会戦のようなことになったら完全に日本軍優位です。
当時の日本軍は長い戦国時代を経て、戦術的にもまた個々の戦闘能力もずば抜けているので
平時の朝鮮・明連合軍との戦いは日本軍優位といわざるを得ません。
age
秀吉にしては補給やらの算段が適当だったって感じだが
補給が適当なのに
釜山だけで二十以上の和城を築き
七年間も半島に常駐できたわけか
日本人は飯も食わずにこれだけのことができるとでも?
釜山から平壌までの兵站線が杜撰だったんじゃねーの
全羅道の制圧および半島西南岸の制海権の確保の失敗
この二つが、文禄の役で日本が押し切れなかったことの原因かな
もっとシンプルに朝鮮北部が寒かったから説を提唱します(キリッ
あー、それもあったな
防寒対策の欠如
草鞋はまずいよな
全部文禄の話
釜山に上陸した日本軍に対し、朝鮮軍はあっという間に敗北。
釜山鎮の戦い(鄭撥戦死)、東莱城の戦い(宋象賢戦死)、尚州の戦い(李鎰敗走)、弾琴台の戦い(申立戦死)
などで日本軍は勝利を重ねた。
日本軍は第1軍(小西行長、他)、第2軍(加藤清正、他)、第3軍(黒田長政、他)を先鋒に
三路に分かれて急進し、翌5月には首都漢城(現在のソウル)を占領。
朝鮮国王の宣祖は平壌へ遷都して避難、
さらに日本の進撃が迫ると遼東との国境である北端の平安道義州へと逃亡し、
冊封に基づいて明に救援を要請するが、
その間にさらに北上した日本の第1軍と第2軍は平壌を占領して進撃を停止した。
あまりに容易に李氏朝鮮の王都である漢城が陥落したため、
日本の諸将は5月に漢城にて軍議を行い、
各方面軍による八道国割と呼ばれる制圧目標を決めた
平安道 第1軍小西行長他、
咸鏡道 第2軍加藤清正他、
黄海道 第3軍黒田長政他、
江原道 第4軍毛利吉成他、
忠清道 第5軍福島正則他、
全羅道 第6軍小早川隆景他、
慶尚道 第7軍毛利輝元他、
京畿道 第8軍宇喜多秀家他、
日本軍は北西部の平安道と全羅道を除く朝鮮全土を制圧
緒戦で勝てたのは民衆が朝鮮王族を見限ってたからだろ
日本人がそう謙遜することも可能ではあるが
七年もおびえ続けた国には言えないセリフ
>>916 別に杜撰ではないと思うが?
中世の軍は兵站できる地点を選んで戦うだけだし、秀吉の軍はそれを実施した。
朝鮮軍があまりにヘボくて進撃速度が異常すぎるから
明が朝鮮王の日本内通を疑ってたんだよな
最初から25万出して防寒やら北部までの兵糧輸送やらも準備してれば
小田原・九州征伐みたいに一蹴して文禄だけで終わってた?
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
>>925 戦闘の結果だけで戦争が決まるという考えが、現代人に生まれながら時代遅れな戦国大名の思考ですよね?
まあ出張していってボコボコに殴ってたら
本国から大将が死んだって電報が届いたようなもんでしょ
そりゃ跡目争いのほうが忙しいからみんな帰るわなw
で、誰もいなくなった後、よろよろと起き上がって鼻血出しながら涙目で勝利宣言…
むなしいね
だって兵力も少ないし、大将出陣も遅すぎない?
北条島津みたいな一地方平定戦に二十万以上投入して本人も出陣してるのに(長宗我部戦は病だった)
唐まで目指そうって戦に十数万、しかも大将はずーっと海の向こう側ってのが疑問なんだよ
そりゃ途中一回停戦してるからな
パステルス・松田毅一訳『日本・スペイン交渉史』
文禄2年1594年の、マニラ総督宛ての秀吉の書状が残っている。
スペイン国王に開城するように申し渡している手紙である。
(前略)
予は既に日本全国及び朝鮮国を手に入れ、数多の武将がマニラの攻略許可を求めている。
これを知って原田(喜右衛門)と(長谷川)法眼は予に、
『彼我の地の間には諸船の往来があり、それによって(マニラが)敵であるとは思えない』と
言った。
この道理によって予は(マニラへ)軍勢を派遣することを思い留まったのである。
(中略)
もし彼ら(シナ人)がその言葉を守らぬならば、
彼らと戦うために予自ら出陣するであろう。
こうしてシナに到ればルソンはすぐ近く予の指下にある。
予は我ら(日本とフィリピン)が永久に友好を保つことを希望する。
これを(カスティリャ王に)書き送られよ。
遠隔の地を理由にカスティリャ国王が予の言葉を軽んずることがないようにせよ。
>で、誰もいなくなった後、よろよろと起き上がって鼻血出しながら涙目で勝利宣言…
まあそもそも勝った勝った騒いでるのは現代の媚支那、媚韓ぐらいのもんで
当時の明、朝鮮は完全に負け戦モードだったわけだが…
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
>>929 秀吉が生きてれば計25万の渡航予定だったよ
人的被害で考えれば明・朝鮮は膨大な死傷者数出してるからなぁ
この外征が明滅亡の引き金みたいなモンだし
>930
>933
だから文禄でも慶長でも小田原や九州に比べて遅すぎじゃないか?って話
そりゃ途中一回停戦してるからな
小西行長や加藤清正といった一軍、二軍の段階で漢城は落とすは、平壌、吉州は占領されるわで
明はもはやまともに抗戦する気もうせたんだろう。
で、講和条約の方向へ動いたんだろうな
まあ力では勝てないと知るやなんかうやむやな停戦協定で
一時的にせよ秀吉をけむに巻いたところは評価していいかもな
明の土下座外交(少なくとも秀吉にはそう見えるような)に気を良くした秀吉は一時渡航を中断
のちに条約に齟齬があることを知った秀吉は激怒することになるのだが…
だから途中一回停戦するまでに、小田原や九州みたいに早期に秀吉が渡航してればよかったんじゃないか?って話
大兵力なら兵糧輸送に割ける兵も多くなるだろうし、
明の援軍が来ても平壌や漢城も維持できただろうし、
配下の勝手な停戦協定に誤魔化されちゃうことも無かったんでは?
>>938 当然、大兵力なら消費する食糧も大きいだろうな。
秀吉が渡海したら余計に食糧難になりそうだけど、何なの?
第11軍から17軍までをすっとばして、
18から20軍を渡航させろとはずいぶん目茶苦茶なことを言うねw
「朝鮮王朝実録」
「日本兵との接近戦を禁じた」
「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」
「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった
>>931 すごい
ここまでスペインにはっきりものが言える秀吉、すごすぎ
戦国時代のレベルの高さをまざまざと感じるな
>>941 「明史」
自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息。
「糜」「迄」の字が抜けてるぞ。
>939
食糧難は前線でしょ?釜山には余ってたんだから。
陸上補給路の確保&輸送に大兵力があればよかったのでは?
>940
すっとばすとは一言も書いてないよ
早期に、小田原や九州みたいに総大将が20万以上率いていけば?っていう話。
海の向こうに大量の軍を何ヶ月も、慶長だと1年以上も放置してる理由がわからない。
>>944 臣従させて、半島南部くらいは割譲させねば、面子丸潰れじゃん?
諸大名も多額の戦費を費やしているんだし、相応の見返りを与えねば、
御恩と奉公という封建制の基本原則に背くことになるし、まずかろうよ
まっ、退くに退けなかったんでしょ
まあ遠征した各大名も鷹狩りしたり
凝った屋敷を建てちゃって借景楽しんだりしてるぐらいだしな
連日戦闘ばっかりというわけでもない感じだな
日本軍の構想としては、渡海輸送能力から一軍を一万二千から一万五千人とし、
第十六軍に徳川家康軍を予定していました。
第十七から二十軍が秀吉の旗本と本隊の予定です。
実際に渡海したのは第九軍(大将は羽柴秀勝)までです。
ただ、第十六軍の家康軍の人数は約五千です。
当時の徳川家はその所領から換算した動員可能兵力は約七万五千人ですから、
七万の兵力を国内に残し、かつ秀吉も六万の旗本を手元に残していたわけです。
何故家康を第十六軍にわずかな兵力で配置したかというと、
秀吉自身の渡海直前の軍として兵力というより政治的な統治の要人としての渡航であったと言えるでしょう。
実際これらの兵が渡海すると、第十六軍の段階で二十五万人の兵力が渡海している計算になります。
当時の日本の動員可能数はこの倍の五十万人と計算できます。
それ故、十万量兵で防衛準備していても、明から十万の援軍が来ても、兵力数は日本軍優位の情勢。
加えて鉄砲の数量が違いますから、一大会戦のようなことになったら完全に日本軍優位です。
当時の日本軍は長い戦国時代を経て、戦術的にもまた個々の戦闘能力もずば抜けているので
平時の朝鮮・明連合軍との戦いは日本軍優位といわざるを得ません。
島津最強 異論は認めない
>>944 漢城に駐屯している10万の将兵を釜山からの陸上輸送で賄うには、
同数の人員が必要
一回の渡航で輸送できる人員が一万五千人なのに
しょっぱなに大将担ぎだしたら、
緒戦の段階では当然一万五千人しか味方がいない状況で闘うことになるのだが…
普通は信頼できる優秀な部下を先に切り込ませるわなw
そして勢力を拡大し、地盤を固めてから悠々と大将が乗り込む。
そして秀吉もそうしたまでのこと
勢いが2.1しかない過疎スレで次スレだ?
日本史板のスレが、活況になっているw
954 :
名無し三等兵:2009/07/21(火) 18:43:25 ID:zTPHWL5+
次スレ早すぎ。
955 :
名無し三等兵:2009/07/23(木) 18:32:03 ID:vcHN3cYm
あげてみよ
日本軍が京城を放棄せずに維持していた方がよかったような気がするのだが。
補給線の構築に難があったのかな?
959 :
名無し三等兵:2009/07/23(木) 20:56:14 ID:P+5g7brd
>>956 維持なんかしなくていいから毎月打通していたら良かったんじゃね?
で、天然国境いないで自給・・・もとへ持久。
>>958 海路は使えないので、陸路で漢城にいる10万の兵を釜山からの補給で頼るなら
同数の輜重人員を必要とする
>>958 当時の京城の様子は、朝鮮人の餓死者の死骸だらけ。いくら日本軍が戦争に強くても、
とても維持できなかったろう
「男女牛馬、同所に死骸を曝すと雖も、之を収むるに人無く。しかも臭気天を覆い地に塞がる。
其の中に陣して、三月より四月に至る。暖気を得るに随って、臭気いよいよ増し、臭気に侵されて
人皆病死し終る。」(鍋島直茂従軍僧是琢日記)
「城中の遺民を見るに、百に一も存せず。其の存するもの、皆飢るゐ疲困、面色鬼の如し。時に
日気こう熱、人死し及び馬死するもの、しょしょに暴露し、臭あい城に満ち、行く者鼻を覆う。」
(懲録)
釜山から前線への補給のために人員派遣してくれって要望すればいいのに
東国勢も投入して余裕ができた兵を輜重にまわせば漢城の兵もまかなえないかな?
早期に
>>947みたいに25万投入しなかった理由が知りたい
964 :
名無し三等兵:2009/07/24(金) 07:06:55 ID:ehVY/csF
慶長の役のように進攻しては退く機動戦に撤していれば良かったんだよ。
>>956 交渉中の譲歩条件の一つ。
戦闘する気なら後にするように侵攻を再開していたろう。
>>965 むしろ講和条件を有利に進めるために、
京城を維持している方がよかったのでは?
そこを立ち退く案も交渉カードに入れることもできるし、
立ち退いてからでは交渉カードに全くならない。
泥縄的に全羅道へ日本軍は出撃をするくらいなら、
京城を維持している方がよかったような。
なぜ、当初から食料不足なのだろうか?朝鮮人が、田畑を放棄して年貢を回収
できなかったからかな。
>>967 超低生産大人口で自治能力が低く秩序回復能力が不足していて共食い状態になってしまったから。
日本では、三毛作が行われていたが、朝鮮の気候では無理だったろうな。
それに朝鮮には水車もなかったらしいし、農民日本人10人と朝鮮人10人
では、おのずと生産力が全く違っただろう。参戦した大名たちがあまり朝鮮
の地に興味を示さなかったのはこういった背景があったのかもしれない。
971 :
ppp:2009/07/24(金) 15:13:08 ID:???
漢城には強固に築城して2万程度の兵力を残したまま
主力は釜山付近まで引いたらよかったんじゃね。
そうすれば補給は容易になる。
文禄の役での明軍兵力は4万ちょっとだから
2万で強固な城に籠もったら十分持ちこたえられる。
慶長の役の蔚山戦では1万ほどで6万近い明朝鮮軍に持ちこたえられたんだから。
でもって釜山付近に一旦引いた主力は慶長の役のようなルートで全羅道・忠清道を平定する。
そうすれば漢城までの海路も使えるようになる。
秀吉も伏見城なんて作ってる暇あったら、朝鮮の悪路を整備するとか
すべきだったな。
>>971 その城を築城するのに必要な期間と物資(特に食料)が無い
総勢25万の渡海計画って99年?
それまで名護屋周辺にいる兵力の有効活用はできんもんなの?
>>970 そもそも増産のメリットがなかったので弥生生活をしていたのが朝鮮
977 :
名無し三等兵:2009/07/24(金) 20:13:17 ID:ehVY/csF
>>972 だからそれのどこにメリットがあるのかと?
>>974 兵力集結による経済効果や流通革命の他、兵力の出払った外様大名の領土に立ち入って検地をして表高以上の石高を没収するなど、徳川以上の中央集権振りを見せたのが朝鮮役時代の豊臣政権。
漢城を日本式の城に修築できる余地はあるの?
日本に煉瓦や石材での城壁作りのノウハウはあったの?
(日本式の石垣とは違い、外側内側ともに垂直な壁面の城壁)
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うんこ
>>977 972じゃないけど進撃も兵糧輸送も多少楽になるんじゃないか。
唐入りにも朝鮮制圧にも役に立つでしょ。
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