2 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 20:49:20.81 0
ウズベキスタン? イラク? バーレーンのどこがペルシャじゃ?
ペルシャ語圏って意味分かる、僕?
4 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 21:04:39.29 0
>>2 ペルシャ語って、この地域に広く分布しているんだよ。
ペルシャ語の影響を強く受けたアナトリアやロシア南部は対象?
6 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 21:11:47.21 0
まあムガール帝国の公用語だったしな。
今でも、意外に広い範囲で使われている。
7 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 21:12:31.87 0
チュルク語とアラビア語だろ。僕たち。
>>5 大丈夫でしょ。
ネタがあるなら披露してください。
10 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 21:16:44.22 O
スレ主はバーレーンはアラブ人がほとんどでアラビア語が公用語と知らない池沼
早速荒らされてるかw
12 :
<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2012/02/14(火) 21:19:01.53 0
ウズベキスタンはウィグル語とほとんど同じのウズベク語。
ソースは直接ウズベク人に聞いた。
ウズベキスタンのブハラはタジク語話者が多い地域。ペルシア語文化圏という
スレタイには沿っているかと。
>>12 ウズベキスタンではウズベク語しか使って無いとでも思ってるのかな?
世の中、日本みたいな国ばっかりじゃないんだよ。
>>15 そいつはフォークランド紛争の時20代だったと他スレで言ったが、その年齢でも
>>12程度のことしか言えないから
むやみに近づいちゃけない部類のおっさんだ。
世界史を語るスレなのに21世紀の国境線に拘泥する必要はないわな。
18 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 22:26:57.44 O
スレ主はイランではコーランがペルシャ語で書いてあると思ってる池沼
19 :
<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2012/02/14(火) 22:34:18.68 0
>>16 偉そうにインテリ脳内つもりか? てめー、このクソガキ!
ウリがフォークランドで何を言ったか引っ張ってこいや!
そんなもん忘れちまったぞ! 朝鮮人!
池沼って言葉使うやつで、池沼じゃなかったやつを知らない。
当然俺も池沼
まあ、宗教経典をその言語で書いてはいけない(書いてもいいけど一切神聖視されない)のに、
文章語として堂々と復活して、歴史書から詩文まで、世俗の様々な文書が書かれ、
さらに一つの国を超えて、一つの文化圏を作り上げたというのは、大したものだよな。
世界史的にもあまり例が無い。
22 :
<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2012/02/14(火) 22:45:02.11 0
早くフォークランドのスレを持って来んかい! 韓国人!
完全に忘れて捜すのめんどーなんだよ! 三国人!
23 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 22:50:15.25 O
ペルシャ語スレを立てておきながらフォークランドがどうのこうの言っる時点で住民は池沼
24 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 22:52:03.56 O
言っると言ってる時点で知脳障害・・・
25 :
世界@名無史さん:2012/02/15(水) 04:14:01.07 O
どうでもいいけど朝鮮人だけはこの世の中から消滅して欲しい。みんなもそう願うだろw
2/14も終わったことだし、やっと落ち着いてきたか。
27 :
世界@名無史さん:2012/02/15(水) 11:07:02.44 O
>>26 イミフ 流石に池沼が立てたスレだけあって日がわりで奇妙なレスがあるな?
↑
悔しくてしょうがない連中のレス
↓
オリエントを語るスレもっと増えてほしいわ
少なすぎて悔しいです!<ヽ`∀´>
30 :
世界@名無史さん:2012/02/15(水) 13:27:24.92 0
朝鮮顏ばっかりのスレだニダ
>>15 隠語あつかいだけど、ウズベキスタンでもタジク語が通じる。
ウズベク・ウイグル語とタジク語のちゃんぽんのエイヌ(艾努)語もあるし
なぜか基層にペルシャ・タジク系があるのだ。
トルコではある時期、クルド語やギリシャ語禁止だったけど
ウズベキスタンでは、ウズベク語とロシア語以外を禁止することまではいっていなかった。
ブハラ国やホラズム国という国があり、ウズベク界隈は多言語世界だった。
しかし、スターリン時代にウズベキスタンへまとめられ国境も線引きされてしまったので
ペルシャ・タジク系の言語は、公用語の地位を失ってしまったのだ。
32 :
(^○^) ◆KYAHA/emlo :2012/02/16(木) 00:12:51.29 0
超頭のいいヤツと超バカのどちらかだな。世界史スレは? 俺はドッチだ、バカヤロー!
33 :
世界@名無史さん:2012/02/16(木) 00:44:53.48 0
チュニジア、リビア、スーダン、エジプト、シリア、イラクは
アラブ人に支配された所はアラブ化したのに
なんでイランだけはアラブ化しなかった?
34 :
<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2012/02/16(木) 02:06:34.81 0
イランだけじゃなくトルコ系諸国もアラブ化しなかったが?言語の問題じゃないの?
上記のセム語の国々はアラビア語を簡単に会得できたのだろ。
ちなみに俺の出会ったウズベク人はコーランは読むけど意味があまり分からないと言ってた。
トルコ語は微妙に分かってやウィグル語はほぼ同じだけどアラビア語が分からないと言ってた。
ややこしいのはアメリカのイラン人。多くがパーレビ時代にアメリカに留学してた連中で
ほとんどが金持ちのユダヤ系。ビバリーヒルズは貸し家だらけで多くがイラン系ユダヤ人が大家。
ムスリムもいるがゾロアスターだと言って隠れムスリムになってるのが多い。
ユダヤスレに逝けってか? フォークランドの話してた奴はどいつだ?
35 :
<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2012/02/16(木) 02:11:32.68 0
12 :<ヽ`∀´> ◆NIDA/olocc :2012/02/14(火) 21:19:01.53 0
>ウズベキスタンはウィグル語とほとんど同じのウズベク語。
>ソースは直接ウズベク人に聞いた。
16 :世界@名無史さん:2012/02/14(火) 21:54:47.55 0
>>15 >そいつはフォークランド紛争の時20代だったと他スレで言ったが、その年齢でも
>>12程度のことしか言えないから
>むやみに近づいちゃけない部類のおっさんだ。
>>16 お前の程度はどんなもんじゃ? ノウガキたれてみろやカス!
36 :
世界@名無史さん:2012/02/16(木) 03:30:19.76 O
池沼は池沼同士でフオークランドスレで死ぬまでやれや
↓
ペルシャ人は今でもクルド語をペルシャ語の方言と主張しているらしい
一方トルコ人はクルド人は山岳トルコ人だと主張した
グノーシス派が今でもイランに残っているのには驚いた(マンダ教)。
イランのどこかに黒人少数民族がいるって話し聞いたけど真偽のほど知ってる人いる?
「インドのパルスィー」ってペルシャ文化圏だが、スレタイの「ペルシャ人」でも「ペルシャ語」でもないぞ?
インドのパルスィー入れるんだったら「ペルシャ語」じゃなくイラン語派スレということでもよくなってこないか?
タンザニアのゾロアスター教徒、クルマンジ・クルド人、オセチア人、西欧のロマもスレ的に可にするのか?
スレ主に放棄されたスレw
>>34 アラブ人てウズベクまで征服したっけ?
イスラム教は広まったけど
43 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/17(金) 09:02:03.56 0
>>42 8世紀初頭にはクタイバによってかなり奥地まで征服されてるよ。
ただ、この頃の中央アジアはまだトルコ化は進んでなく、
ソグド人などが中心だったから広義ではペルシャ文化圏に入るかも知れない。
>>40 >「インドのパルスィー」ってペルシャ文化圏だが、スレタイの「ペルシャ人」でも「ペルシャ語」でもないぞ?
ペルシャ文化圏もありってことだろ。
すべて細大漏らさず書いていたら、きりが無い。
もう『シャー・ナーメ』を愛好する者たちのいる土地で良かろう。
まあ、そんな感じで。
細々と定義を決める必要があるのか?
そうそう。
>>40だって、突っ込みながらパルスィーの話題に繋げればいいだけのこと。
延々定義ばっかりで、話が何も始まらない。
51 :
世界@名無史さん:2012/02/18(土) 08:11:32.17 0
ザンド朝なんてどうよ。サファビー朝がほろんだあと一回は版図をとりもどしたけども短命だった王朝。
だから、挙げるなって。
53 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/18(土) 10:43:25.74 0
>>51 この時代のペルシャはかなり混乱してて分かりにくいよね。
アフシャール朝のナーディル・シャーとかはまだ有名なほうだけど。
僕も詳しく走らないけどザンド朝って地味に海外貿易に力入れたりしてたらしいね。
>>52 世界史板全体が最近過疎気味だから別にsageる必要性はないと思う。
ペルシャなんてマイナーだから下手したら過疎スレになりそうだしgeても良いでしょ。
54 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/18(土) 10:43:56.81 0
×僕も詳しく走らないけど
○僕も詳しくは知らないけど
55 :
世界@名無史さん:2012/02/18(土) 11:02:31.69 0
>>42 ペルシャもトルコも逆にアラブを征服してるが?
それが仲間の中央アジアにいるイラン系やチュルク系に広まったんだろ。
ウズベキスタンまでアラブ人は行ってない。
56 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/18(土) 11:15:45.71 0
>>55 >ウズベキスタンまでアラブ人は行ってない
いや、クタイバが普通に中央アジアまで攻め入ってるよ。
ただ、この頃のウズベキスタン辺りはまだトルコ化してなくソグド人などが中心だったから、
トルコ系地域がアラブ化しなかったという
>>34の発言は少しおかしいかもね。
>>53 お前も分からない奴だなあ。
数日前にあれだけ荒らされて、みんなせっかく下げてるのに、なんで上げる?
>>53 >ペルシャなんてマイナーだから下手したら過疎スレになりそうだしgeても良いでしょ。
このスレ最初から読み直せよ。
まともに話なんか出来ない状態だったんだけど。
実際古代ローマの制度って、かなりペルシャのぱくりのような気がする。
ヨーロッパ人はそんなの認めるの嫌だから、ギリシア由来のものばかり強調されてるけど。
>>57-58 あぁ、ごめん。荒らされてたからその対策ということなのね。
そういうことならsageるよ。
【不老】百歳以上生きた世界史上の人物【不死】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1326441219/42,45 42 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/02/17(金) 14:08:45.06 0
>>41 シーア派って、イスラームの皮をかぶったゾロアスター教っぽくない?
45 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/02/18(土) 01:27:19.31 0
>>42 確かにな。
シーア派の分布地域がもろに、イランとその周辺だけだし。
さらに、伝説では、4代目イマームが、ササン朝ペルシアの王女の息子だしな。
何というか、圧迫されていたゾロアスター教徒が、当時、同じく圧迫されていたシーア派に共感を持ったか、
もしくは、単に宗教的な隠れ蓑にしようとした可能性も考えられるし。
いずれにせよ、イラン民族の意地のようなものが微妙に感じられるな。
62 :
世界@名無史さん:2012/02/18(土) 12:37:13.29 0
アラブ人のフセインが一番嫌ってたのはアメリカじゃなくてかペルシャ人だったらしい。
パキスタンってアラブ化してるか? パシュトン人とかペルシャ系が多いだろ。
63 :
名無し募集中。。。:2012/02/18(土) 16:31:45.74 0
シーア派のイマームお隠れ説なんてのは
イスラム教とは思えない ほとんど別の宗教
64 :
名無し募集中。。。:2012/02/18(土) 16:35:02.47 0
ムハンマド信奉者にとってムハンマドの直系子孫がカリフにつけなかったのが
許せなかったんだろうなとは思う
>>62 フセインってサダムのこと?だったらイスラム共和制が嫌いだっただけだろう。
66 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/18(土) 16:56:24.19 0
>>61 シーア派が今のペルシャの地域で多数派になったのってサファヴィー朝以降でしょ。
それ以前もそれなりにいたけど、多数派になったのはこの王朝の影響だよ。
>>62 パキスタンはほとんどアラブ化してないね。パシュトゥーン人は、
いわゆるアフガン人のことで言語的にはペルシャに近い。
まぁ、パキスタンで最大数を占めてるのはパンジャーブ人と呼ばれる人たちだけど。
>>66 今のイランの十二シーア派が多数派になったのは、サファヴィー朝がレバノン
あたりから学者を招いたかららしいが、それ以前にもシーア派と定義されて
いなくても、イマーム信仰は強く、ナジャフとかカルバラー信仰が流行していて、
イマーム信仰の形をまとった反乱が目立つよね。そういうところに、
なにかイランに土俗的な、ゾロアスター時代から続いている宗教意識を
感じるんだよね。ゾロアスター教も、経典は神官しか読めず(その神官も
辞書なしでは読めなかったという)、一般信徒は儀式だけだったらしいから、
サーサーン朝時代も、民衆の間には土俗信仰っぽいゾロアスター教が残っていて、
それがイマーム信仰と結びつき、シーア派を受け入れる土壌に結びついたのでは
ないだろうか。という気がする。
68 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/18(土) 17:47:40.82 0
>>67 確かにそういう面はあるかも知れないね。
ゾロアスター教的な信仰がイスラーム征服後のイランに残ってて、
それがこの地でシーア派が受け入れられた一因というのは一理あるし。
69 :
世界@名無史さん:2012/02/18(土) 18:49:49.16 0
ムハンマドの時代までペルシャ湾岸とイエメンはペルシャの勢力圏?
シーア派は基本肖像画にも寛容だし、確かに何か異質だ。
シーア派もスンニ派も関係なく、スーフィーは
チュルク系地域や中国に浸透していった。
行者ダルヴィーシュ集団の歌舞音楽によって中央アジアで受け入れられた。
もともと外国語クルアーンが出版されたのはペルシャ語、チュルク系の順。
スーフィーは現地語訳クルアーンを使って布教した。
アラブ世界では、各国語は注釈書扱いでクルアーンと認めていないが現地では正式文書と対立がある。
73 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/19(日) 06:45:25.74 0
>>72 スーフィズムはかなり広い範囲に分布してるからね。当然イランにも結構広まってた訳で、
この地でシーア派が広まるきっかけとなったサファヴィー朝も元を辿ればスーフィズム教団だ。
スーフィズムはペルシャやトルコなどで地域に根差した信仰を広めていったね。
シーア派とイランとの関係だと、ブワイフ朝の存在も気になるね。
イマーム消失から50年後に権力を掌握した彼らは、シーア派だったし、
しかも、イラン的な伝統を尊重していたから、何かしらの影響があったかもしれない。
例えば、ブワイフ朝は権力を握ると、シーア派である自分たちを誇示するために、
カリフのいるバグダードで、シーア派の行事アーシュラーを強行させたりした。
その時に、シーア派の人達に何かの刺激を与えたかもしれない。
また、ブワイフ朝の王たちは、自らをシャーハン・シャーと号しており、旧ササン朝を意識していたようである。
しかも、王族の一人アズドッダウラは、ペルセポリス遺跡を訪問して、
ゾロアスター教徒の神官にペルセポリス遺跡の壁面にあったササン朝期の碑文を解読させている。
さらに、その隣に自分たちの碑文を誇らしげに刻ませていたりする。
さすがに、ここがアカイメネス朝の遺跡であるとは知らなかったようだが、
ここがイラン神話の聖地であるとは意識していたようだ。
このように、シーア派の信仰とイランの伝統の両方に親しんでいたブワイフ朝が、
シーア派とイランを結び付ける上で、何かしらの影響を与えたんじゃないか?と思ってしまう。
75 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/19(日) 10:25:49.88 0
>>74 へ〜、ブワイフ朝ってそんなにイランの伝統を重視してたんだ。
シーア派王朝だったのは知ってたけどペルセポリスを訪問してたのは知らなかったなぁ。
でも、確かにシャーハンシャーとか名乗ってたところを見ると、
シーア派と古代イランの伝統の結びつきに考えを巡らせずにはいられないね。
後にイランにシーア派を根付かせることになったサファヴィー朝の君主も、
シャーの称号を名乗ってたから、その先駆者的な意味はあったのかも知れない。
ブワイフ朝の支配者層の多くはペルシャ人で占められてたみたいだし何か関係ありそうだ。
76 :
世界@名無史さん:2012/02/19(日) 10:57:28.96 0
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー磯智明(反日・天皇制度廃止論者)の全プロデュース作品
@『監査法人 (2008)』反体制・反社会
A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会
C『気骨の判決 (2009)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
D『鉄の骨 (2010)』反体制・反社会
E『15歳の志願兵 (2010)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会
F『心の糸 (2010)』反体制・反社会
77 :
名無し募集中。。。:2012/02/19(日) 10:57:48.47 0
シーア派 ペルシア系
スンニ派 アラブ系
宗派争いではなく民族対立ということか
78 :
名無し募集中。。。:2012/02/19(日) 10:58:33.37 0
>>76 ネトウヨの人がコピペしたんだろうけどさ・・
本当にネトウヨって頭悪いよね・・・
79 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/19(日) 11:03:35.41 0
>>77 必ずしもそうとは言えないけどね。かつてはファーティマ朝など、
北アフリカのほうでもシーア派が興ったこともあるし、
現在でもイラクなんかはアラブ人が多いのにも関わらずシーア派が多数派だったりする。
まぁ、イラクのシーア派の場合はサファヴィー朝の影響が大いにあるんだろうけど。
イラクはシーア派の聖地であるカルバラーなんかもあるしね。
80 :
名無し募集中。。。:2012/02/19(日) 11:19:20.19 0
ファーティマ朝がシーア派でサラディンのアイユーブ朝からスンニ派になったわけだよな
スンニ派とシーア派の対立ってのは俺らが思っているよりも深刻なんだろうな
おのれ、カルバラーでの恨み忘れまいぞ・・・。
シャーハンシャーを称することと、イランの伝統を重視することは、
あまり関係が無いと思うけどなあ。
東アジアでの皇帝という称号の方が、よっぽど漢文化に深く根ざしているけど、
漢文化をちっとも尊重しなかった元の大ハーンだって皇帝を名乗った。
83 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/19(日) 12:53:34.75 0
>>82 モンゴル帝国で初めて皇帝を名乗ったフビライはそれまでのモンゴル帝国の中では、
かなり中国かぶれのほうだったと思うんだけど。遊牧民の伝統も結構重視してたけど、
漢文化に興味がなかった訳ではないよ。でなかったら大都なんか建設しないだろうし。
とは言え、モンゴル帝国のことはここではスレチだから一応置いとくか。
ペルシャに話を戻すと、シャーハンシャーという称号はかつてのササン朝のものだった訳で、
それを名乗るということは、多かれ少なかれ古代イランとの繋がりを意識してたことは否めないでしょ。
まぁ、だからと言ってブワイフ朝が全てにおいてペルシャ的だったのかまでは知らないけど、
少なくともそれまでイスラーム圏で主流だったアラビア文化とは少し毛色の違うものだったのは確かだよ。
ファーティマ朝の起源であるイエメンは古代から独自文明が栄えた地域。
ローマ時代にはローマのインド貿易の拠点都市があり、航路警備のため
ローマ軍も駐留していた。一時的とはいえ、サーサーン朝の支配下にもあり、
その前は長年エチオピアの影響下にあった。そして重要なのは、アッバース時代には
既に辺境地帯となっていたこと。
同じくダイラム地方、ギーラーン、マーザーンダラーンは、サーサーン朝以来、
サファヴィー朝中期まで細々と現地王朝が続き、「シャー」の称号を保持していた。
この地はアッバース朝・ウマイヤ朝通じて半独立辺境地帯だった。サファヴィー朝が当初から
シャーを名乗ったのもアゼルバイジャンのカスピに近い地方出身だったからのようだ。
ファーティマ、ブワイフの二王朝の勃興は、イマームお隠れの数十年後や、
そろそろ亡くなったかも、という時期のあたりで
起こっているから、両者がイマームお隠れと連動していることは
間違い無いと思う。
不思議なのは、マームーン時代のメルブは、アブー・ムスリム時代からの
シーア派が多く、マームーンも8代目イマームを一時後継者にしていたと
されるくらい、シーア派の雰囲気にいたようで、8代イマームがトゥース(だっけか)で
死去し、現在マシャドの廟は広大な参拝地となっているくらいなのに、
サーマーン朝がシーア派色が見られない(ように思える)点。イマームお隠れの
時期に勃興し、その地を領内にもつサーマン朝がシーア派にならなかったのはなぜだろうか、と
思ったりしている。
まあな10世紀以降イランで「シャー・ナーメ」とかのペルシア語文学も徐々に復活し始める頃だしな…
86 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/19(日) 13:40:54.81 0
>>84 シーア派はイスラームの中では少数派だから、イエメンやダイラムのような、
アッバース朝の支配が及びにくい辺境地帯を拠点とせざるを得なかったんだろうね。
そう考えるとファーティマ朝やブワイフ朝がシーア派王朝だったのも不思議ではないね。
時期的に考えてもイマームお隠れの時期と連動してるそうだし。
サーマーン朝って確かわりと歴史あるイランの土着貴族が起源なんだよね。
そういう意味ではブワイフ朝と似たようなものなのにシーア派ではなくスンナ派だね。
アッバース朝から権威を借りて勢力を広げた点もブワイフ朝と同じなのに。
強いて言えばサーマーン朝のほうがよりアッバース朝に近かったからなのかな。
マアムーンはシーア派っぽい部分もあったみたいだけどあくまでアッバース朝自体はスンナ派だし。
とは言え、それでもサーマーン朝がシーア派になる要素も充分にあった気はするけど。
>>85 シャー・ナーメなどペルシャ文学はちょうどこのサーマーン朝の頃に発展し始めたね。
イスラーム後のペルシャ文化興隆のきっかけとなった王朝でもあるんだよね。
ブワイフ朝はパフラヴィー語の銘文を貨幣に刻んでいたらしい。
88 :
名無し募集中。。。:2012/02/19(日) 13:43:03.53 0
>>82 中東におけるペルシア文化の影響ってすごく大きいんだよ
ブワイフもファーティマも独特だけど、サーマーン朝も確かに不思議だ。
ペルシア文学が勃興したり、ブハラのイスマイル廟に見るように、ペルシア的
建築も建てていて、辺境地帯ということでアブー・ムスリムが反乱の拠点とした
ように、一応辺境地帯だった。あえて言えば、アブー・ムスリムの時代の
ウマイヤ朝の拠点はシリアだったから、イラクを拠点としたアッバース朝の
方がブハラに近いという見方はできるし、征服戦争を行ったばかりの
ウマイア時代の中央アジアと比べれば、アッバース時代の中央アジアは
はるかに帝国の重要地として密接な地域となっていたのかもしれないな。
90 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/19(日) 13:54:41.82 0
>>87 へ〜、そうなんだ。個人的にこの時期のペルシャ文化の保護者というと、
サーマーン朝のほうばかりを思い浮かべてたけどブワイフ朝も結構ペルシャ的なのね。
古代からのイランの伝統をそれなりに重視してたということか。
91 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/19(日) 14:01:34.54 0
>>89 アブー・ムスリムなどアッバース朝建国の功労者と縁が深いことからも分かるように、
初期のアッバース朝においてホラーサーンは国の中心地域と言っても過言ではなかったらしい。
実際、初期のアッバース朝軍の中心はホラーサーン出身者で占められてたそうだし。
アッバース朝後期になると軍の中心がトルコ系のマムルークに変わってくるけど、
サーマーン朝はマムルークの供給地である中央アジアにも領地を持ってたからね。
ホラーサーンや中央アジアなどを主な領土してたサーマーン朝が、
アッバース朝と結びつきが深かったのもそう考えると分からなくはないかも知れない。
まぁ、その一方でサーマーン朝はかなりペルシャ的な王朝でもあるんだけどね。
>>91 確かにそうだね。アブー・ムスリム以前は辺境だったにしても、アブー・ムスリムの
時代からアッバース朝の重要地となったということか。そう考えると、
マームーンが即位前にメルブにホラサン総督として赴任したのもよく理解できる。
93 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/19(日) 14:29:12.24 0
>>92 うん。そう考えるとそもそもアッバース朝はウマイヤ朝に比べるとだいぶペルシャ的なのかも知れない。
あくまで中心はアラブ人だったけどホラーサーンなどイラン東部とも結びつきが強かったし、
そもそもの成立の経緯もアラブ人中心のウマイヤ朝に対する反発によるところが大きいからね。
でも、あくまでアッバース朝はスンナ派王朝だったからサーマーン朝もスンナ派だったのかな。
アッバース朝も初期の歴史を見ると結構シーア派に傾いてもおかしくないところがあるけどね。
マアムーンがシーア派っぽかったのもそういう意味ではそんなに珍しくないのかも知れない。
マイナーな地域どころか、近頃珍しいぐらいの勢いでスレ伸びてるな。
サファヴィー家って民族的にはペルシャ人なん?
なんやったっけ講談社の緑の表紙のシリーズ本の何巻だかに書いてあったんだが忘れた。
初めは別として後には混血を繰り返すから王家が何人かはあまり意味がないのではないかっていうことを
アゼルバイジャンの歴史家に言ったとかみたいなこと書いてあった。
サファビー朝が色々持ちあげられるのは、
その前のイルハン国とかティムール朝に対して
久しぶりに土着の者が立てたっていうところと、
オスマン帝国とならんだ中東を二分する繁栄を築いたっていうところな。
97 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/22(水) 23:20:56.46 0
>>96 講談社じゃなくて中央公論の世界の歴史シリーズだね。羽田正氏がそんなこと書いてた。
あの人、前はイラン史の研究家としてわりと色んな本出してたのに、
ここ最近はすっかり別分野に興味持ち始めてグローバルヒストリーみたいなことやってる。
それはそれで悪くないと思うけど、日本じゃイラン史の研究家は珍しかったから少し残念ではある。
まぁ、それはともかくサファヴィー朝の場合、初期はクズルバシュが中心だったりして、
トルコ系の要素も強いから必ずしも純粋なペルシャ人の王朝とは言いにくい面は確かにあるね。
あなたの言うようにイランに起きた久しぶりの土着王朝であり(白羊朝や黒羊朝もあったけど)、
オスマン帝国と並んでイスラーム圏を2分する大国だったことが、この王朝が有名な理由だろうね。
とは言え、サファヴィー朝も君主がシャーの称号を名乗るなど、ペルシャ的要素は備えてるんだけど。
98 :
世界@名無史さん:2012/02/23(木) 10:08:09.06 0
>>オツガイ
いい加減に勉強しろ!
99 :
世界@名無史さん:2012/02/23(木) 13:23:59.39 0
>>97 こいつもどうせ三国志から世界史に入ったほうだろうよ
ガチガチの西洋史以外歴史と認めないような奴はいない訳?
>>59 ローマどころかギリシャだってイランのパクリですよ
西洋史以外歴史と認めないというが、そもそもなぜ西洋史以外を歴史と認めないという立場が存在しているのか。
それは西ヨーロッパが近・現代で世界的に力を持っているからだ。
今力を持っている諸国がどのようにできたか、それに価値を見出せば西洋史こそ研究すべき対象ということになるし、
逆に支配される側である地域にどんな王朝があったかどのような風習があったかは、どうでもよいという話になる。
ある地域の歴史(を学ぶこと)の価値とは現代におけるその地域の価値によって決まるということだ。
歴史は過去のできごとを現代人が整理し、まとめたものであるが、
そこに現代の政治性にもとづく要不要の観念を持ちこんで、過去に価値をつけ、知る必要のない過去と、知るべき過去とを分ける。
自分はそのような行為にはある種の胡散臭さを感じる。
西洋史以外歴史と認めない?
近代、いやルネサンス以前で脳味噌が止まっているのか?
103 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/23(木) 18:45:34.80 0
>>98 僕へのアンカの仕方からアルゼンチンスレの人と同じと思うんだけど(違ってたらごめん)、
一行レスの批判しかないで具体的なペルシャ史に関するレスをしたら良いんじゃないかな。
そういう書き方をしてもスレの雰囲気がギスギスするだけだと思うし、
批判するなら具体的にどこがどうおかしいのか具体的に言ったほうがスレも盛り上がるからね。
>>99 悪いけど三国志なんてほとんど知らないよ。
僕が世界史にはまったのはアメリカ合衆国史からだし。
三国志から世界史に入ったら何か悪いのか?という問題はあると思わないか。
巨人の星を見て野球選手になったりキャプテン翼を見てサッカー選手になった人がいても別にだれも笑わないだろ。
世界史を勉強するのにその興味を持ったきっかけが三国志であって何が問題なのか。
105 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/23(木) 19:24:48.18 0
>>104 まぁ、確かに悪くはないと思うよ。
それはともかく、そろそろスレチだからペルシャに話を戻そうよ。
ちょっと質問なんだけど、なんで中国語でペルシアが波斯(ボースー)なんだ?
ボースーって呼び名はどこから来てんの?
107 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/23(木) 19:56:42.37 0
>>106 中国語は良く分からないけど単に音に由来してるだけじゃないかな。
ペルシャの語源がそもそもファールスのギリシャ語形らしいから、
ボースーというのも似たようなものだと思うんだけど。
parsiのparの部分を波、siの部分を斯で書いてる。
波は今でこそポに聞こえるけど昔はパだった。
arという発音は中国語にないからrは無視してる。
現代では、伊朗(イーラン)と呼んでいるから
普段では使わないな
ありがとう!でもみんなスゲー詳しいなw
エイジオブエンパイアの中国語版はペルシアが波斯なんだよな。
ちょっと気になってた。
112 :
世界@名無史さん:2012/02/24(金) 00:27:28.17 O
ペルシャの文化的特性は?
詩、庭園、タアズィーエ
【ナジャフ】 イラクのシーア派聖地 【カルバラー】 [イラク情勢板]
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/iraq/1329392026/7,11 7 名前:国連な成しさん[] 投稿日:2012/02/18(土) 00:55:18.49 ID:tPAEZkiU
イマーム・アリー――彼に平安あれ――聖廟の公式ウェブサイト
(The Official Website of Imam Ali Alaihis Salam Holy Shrine)
http://www.imamali-a.com/ ※英語、アラビア語、ペルシア語に対応しています。
(* English, Arabic and Persian languages are available.)
11 名前:国連な成しさん[] 投稿日:2012/02/19(日) 00:14:08.82 ID:8HM4g+8R
イマーム・ホセイン――彼に平安あれ――聖廟の公式ウェブサイト
(The Official Website of Imam Hussain Alaihis Salam Holy Shrine)
http://www.imamhussain.org/ ※英語とアラビア語に対応しています。
(* English and Arabic languages are available.)
イマーム・ホセイン廟ってペルシア語対応してないのか。
イラン人にとって、イラクのシーア派聖地は外国って感じがしないのかな?
117 :
世界@名無史さん:2012/02/28(火) 23:17:35.19 0
>>116 聖地巡礼は、過酷な外国旅行って感じだったらしいよ。
山賊の襲撃から身を守るために集団になったり、山賊一味を護衛として雇ったりしたり、
慣れない土地でのスンナ派住民とのトラブルなどが絶えなかったようだし、オスマン朝当局も歓迎してなかったし。
旅で死んだ仲間の棺を引きずりながら、旅を続けたりもしたようだ。(ドラクエじゃないけど)
過酷な旅+試練+聖地+感動+大勢の参詣仲間たち=「熱狂的なシーア派イラン人」になって帰って来る。
>>114 >彼に平安あれ
ナニコレ?ペルシアの風習??
119 :
世界@名無史さん:2012/03/07(水) 21:18:49.87 0
偉い人の名前に祈りの文句を添えるのは、よくある。
120 :
世界@名無史さん:2012/03/12(月) 14:23:08.98 0
121 :
世界@名無史さん:2012/03/12(月) 16:06:34.23 0
419 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/01/10(火) 01:02:08.67 0
『イランはこれからどうなるのか』 (春日孝之、新潮新書)
日常的にイラン人と付き合い、その発想の仕方や行動原理を理解するにつれ、
イラン人をイラン人たらしめている核心は、その特異な民族意識にあると思い至った。
民族意識の底流にあるのは、中華思想のイラン版とでも言えそうな「イラン民族主義」である。
イラン民族主義を言い換えれば、古代ペルシャ帝国の末裔としての極端なまでの誇り高さである。
とりわけアラブ人蔑視に代表される優越意識は露骨なほどである。
・・・
ペルシャ人にはもともと『反省』するといった思考回路がないということです。
基本的に自分のしたこと、することに間違いはないと考えている。
うまくいかなかった場合は『他人の責任』です。民族的誇りというより、民族的驕りですね。
イラン人は物事を主観的に分析はしても、客観的に分析することは極めて苦手です。
・・・
イランの文化は曖昧であることを美徳とします。
物事の白黒をはっきりさせないことを良しとするのです。
はっきりさせることによって、多くを失うと信じているからです。
政治システムが不透明なのも、これに通じるかもしれません。
物事を割り切ってしまうアメリカ人には理解しがたいでしょうが・・・
・・・いずれにせよ、イラン人との付き合いは、「あうん」の呼吸が求められる。
言葉に託された真意を忖度する必要がある。
日本人より極端。昔の京都人が比肩できるくらいか。
良くあるのが、「是非ウチに遊びにきなさい」と言われてノコノコ出向くと絶句されるのとか。
儀礼的なやり取りが山ほどあり、言葉のウラを読み取る繊細さが求められる。
開けっぴろげなトルコ人やアラブ人と同じように考えて対応すると、「品のないやつ」と内心思われる。
そうかー?今の京都人も変わらんとおもうが。実際
「是非ウチに遊びにきなさい」と言われてノコノコ出向いて困惑されたことあるよ。
大人だとあれだけど、子供なら許されるというものだ。
126 :
世界@名無史さん:2012/03/13(火) 18:57:37.84 0
>>40 >タンザニアのゾロアスター教徒、クルマンジ・クルド人、オセチア人、西欧のロマもスレ的に可にするのか?
当然だろ
127 :
世界@名無史さん:2012/03/14(水) 01:25:21.27 O
ゾロアスターなんてまさに多神教に白黒つけた最初の宗教なのに、イランは文化的には曖昧なのか
なぜそうなったんだろう
日本もヤオヨロズの神だから曖昧とか言われてきたが他に要因ありそうだな
>>127 イラン研究家の見立てによると、被征服民であった期間が長いからだそうで。
アケメネス朝からサーサーン朝までの1200年間、偉大で洗練された民族として生きてきたのに、
辺境民として見下してた連中から次々と支配され、面従腹背的な本音とタテマエが強くなったと。
129 :
世界@名無史さん:2012/03/15(木) 00:24:32.44 O
なるほど。
ペルシア語もアラビア文字になっちゃってるしねえ
130 :
名無し募集中。。。:2012/03/15(木) 20:46:25.54 0
タキーヤもペルシアならではだな
131 :
世界@名無史さん:2012/03/21(水) 22:05:17.18 0
132 :
世界@名無史さん:2012/03/23(金) 23:14:12.39 0
134 :
世界@名無史さん:2012/03/27(火) 22:30:21.43 0
>>130 そうだね。
個人的には、シーア派のタキーヤ「信仰秘匿」っていうのは、迫害に耐えるゾロアスター教徒の姿にともダブってしまう。
135 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/28(水) 00:03:06.20 0
>>134 初期のシーア派はわりと長い間迫害されてたから、タキーヤという概念を生み出したんだろうけど、
ここら辺はゾロアスター教への迫害と通じる部分も確かにあったのかも知れないね。
136 :
世界@名無史さん:2012/04/06(金) 20:15:13.64 0
33 : 世界@名無史さん : 04/03/18 10:01
>イスラムといえば、当時のアラビアでは女性も顔をベールで覆っていなかったらしいな。
現代のイランのような厳格な宗教国家は、欧米に対する反発が原因で引き
こもってるような状態なんで、もとからそうだったわけではない。
本来の中東人は、情熱的でおおらかな南国の民ですな。
137 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/06(金) 23:17:22.06 0
>>136 イラン革命前のイランはパフラヴィー朝の下で近代化政策を進めてたこともあって、
イスラーム色はかなり弱かったしね。その反動で今のような宗教国家が出来上がった。
モハンマド・レザー・シャーはトルコのケマル・アタテュルク並みの改革を強引に進めてた。
138 :
世界@名無史さん:2012/04/14(土) 22:03:05.09 0
139 :
世界@名無史さん:2012/04/21(土) 08:21:30.49 0
パフラヴィー朝の近代化政策は、貧富の差・社会矛盾を増大させただけで、国王とその側近の私腹を肥やす結果に終わった。
しかも、国王は、CIAを使って、モサデグ首相を失脚させたような、脛に傷を持つようなヤツだったから、国民に人気があるはずがない。
さらに国王は、オイルマネーを使って、国民生活をかえりみず軍事力強化に走ったり、秘密警察を強化したり。
国王の求心力を高め、イスラム勢力を抑制するために、イラン民族主義を利用したが、
そもそも国民自身の生活に困窮しているような状態で、そんな宣伝をやっても、なびくはずがない。
国王が開催したイラン建国2500周年記念式典は、まさに茶番でしかなかった。
141 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/22(日) 04:48:23.27 0
>>140 パフラヴィー朝は世俗的でナショナリスティックな国家形成に励んだけど、
あまりにも抑圧的すぎたせいで国民の反感を買うことになってしまったね。
パフラヴィー朝の初代皇帝であるレザー・シャーは同時代のトルコ並みに、
イランの世俗化や近代化を推し進めてた。そして、ナショナリズム高揚のため、
アケメネス朝やサーサーン朝などの古代ペルシャ帝国を大いに持ち上げ、
そこにイラン人としてのアイデンティティを求めた。でも、第2次世界戦において、
外交で失敗したため退位するはめになっちゃったね。彼の後を継いだ息子の、
モハンマド・レザー・シャーは当初こそイスラーム勢力との歩み寄りを模索し、
独裁的な姿勢も少し改めようとしてたんだよね。でも、首相になったモサッデクが、
あまりにも共産主義勢力に寄りすぎたせいで、モハンマンド・レザー・シャーや、
アメリカ合衆国などの反感を買うことになってしまった。ナショナリズムに基づいて、
行なわれた石油の国有化政策もイギリスとの関係を悪化させることになったし。
そしてとうとうアメリカの支援の下でモハンマド・レザー・シャーがクーデターを起こし、
その後の彼は独裁的で親欧米的な政策を展開するようになってしまったんだよね。
自身の独裁権力を強めるために、彼は父がやったように古代ペルシャ帝国との、
繋がりを強調してイラン建国2500周年記念式典なんかをやったけど効果はなく、
彼の独裁的で欧米寄りな姿勢はイスラーム勢力からも大いに反発されることになった。
悪名高いSAVAKへの反感なんかもあり、とうとう1979年にイラン革命が起こり、
イランの世俗化近代化は失敗し、イスラーム共和国ができることになっちゃったね。
142 :
世界@名無史さん:2012/04/22(日) 22:31:24.81 0
143 :
世界@名無史さん:2012/04/25(水) 22:10:46.68 0
モハンマド・レザー・シャー自身は
開明的かつ合理的な指導者だったのに
国民の脳みそが1300年遅れだったのが悲劇だな
>>141 モハンマド・レザーの治世初期は、国王の権力基盤が脆弱だったし、
民衆の自由な政治参加が活発化していた時期だからね。この傾向はモサデグの失脚まで続く。
あと、欧米がモサデグを嫌悪したのは、彼の資源ナショナリズムに対して脅威を感じた面が大きい。
要は石油の既得権益の喪失を恐れたのさ。
ちなみにイラン民族主義とムスリム意識とを分けて考えていたのは、一部の知識人だけだった。
彼らは欧米帰りの富裕層であり、農村の一般民衆の意識とは大きく乖離していた。
民衆にとってのイラン民族のアイデンティティーとは、自分たちが「シーア派ムスリムのイラン民族である」ということにあった。
145 :
世界@名無史さん:2012/04/26(木) 18:02:07.26 0
モハマド・レザー・シャーの白色革命と一連の経済政策の計画自体は高い評価を受けて、
ノーベル経済学賞候補だったと古い本ではあるが五十嵐氏が述べてますねえ。
彼はあとペルセポリスとかイスラム化前の古代ペルシャ帝国の遺跡の発掘にも力を入れて
古代より続く世界に冠たるペルシャとでもいうべきアイデンティティの構築を視野に入れていたとか・・・
彼自身は名君だったとは思う。
146 :
世界@名無史さん:2012/04/27(金) 23:37:46.66 0
266 名前:何語で名無しますか? 投稿日:2012/04/13(金) 18:13:33.02
4000人が暮らし、イランによる封鎖も懸念されているホルムズ海峡を見守り続けてきたオマーンの小さな漁村クムザール(Kumzar)。この村には、同地の住民しか理解-できない1000年の歴史を持つ独自の言語がある。(c)AFP
印欧語とアラビア語が混じった言語 クムザーリ
あるオランダの専門家は滞在一ヶ月で話せるようになった
267 名前:何語で名無しますか? 投稿日:2012/04/14(土) 02:26:32.81
よくわからんが
印欧語とアラビア語が混ざった言語ならペルシア語が有名だし
話者数が4000人ならそれよりもっと話者数ご少ない言語もあるだろ
268 名前:何語で名無しますか? 投稿日:2012/04/21(土) 21:04:01.98
http://en.wikipedia.org/wiki/Kumzari_dialect アラビア半島で使われてる唯一のイラン語群なんだとさ
147 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/04/30(月) 18:01:27.75 0
>>144 前皇帝のレザー・シャーが退位してモハンマド・レザー・シャーが即位した経緯には、
第2次世界大戦における外交圧力が関係してるからね。まだ皇帝自身の権力基盤も、
そこまで強くはなかった。そのうえ、レザー・シャーの強圧的かつ強引な近代化政策で、
国民の民主化意識が強まってたしね。ここら辺はイスメト・イノニュの下で民主化を、
進めた同時代のトルコ共和国とかぶる部分もあるような気がする。共産主義寄りで、
そのうえナショナリズムの強い石油政策を展開してたために西側諸国から反感を、
買ったモサッデク首相の失脚によりその姿勢は変わっていったけど。特にイギリスは、
モサッデクのせいで石油利権を失ってしまうことをかなり危惧してたからね。そして、
モハンマド・レザー・シャーは父と同じようにイランナショナリズムに走った訳だ。でも、
あなたも言うように当時の民衆の多くはイスラームとイラン人意識を分けられなかった。
だから、国民の支持を取り付けることに失敗し、むしろその親米的な姿勢によって、
国民から反感を買うことになってしまった。そこら辺がイラン革命の起きた主な原因かな。
>>145 彼はある意味開発独裁的な君主だからね。人によって評価はかなり分かれるかな。
ノーベル経済学賞の候補になってたとは知らなかったなぁ。古代ペルシャ帝国から、
続く民族意識を高揚させようとした彼の政策は、多くの国民には受け入れられず、
失敗したけど方向性はそこまで間違ってなかったのかも知れない。彼の行なった、
イラン建国2500年式典は微妙だったらしいけど。個人的に、ここら辺の民族政策は、
トルコ共和国におけるトルコナショナリズムの煽り方と似てる部分があるように思える。
148 :
世界@名無史さん:2012/04/30(月) 20:57:35.59 0
149 :
世界@名無史さん:2012/05/03(木) 23:02:43.17 0
151 :
世界@名無史さん:2012/05/06(日) 08:17:03.00 0
6 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/05/05(土) 11:59:21.32 0
中東も謎だよな。スンナ派は肖像画を許さないのにシーア派圏ではアリーの絵が売られてる。
7 名前:山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2012/05/05(土) 12:13:50.83 0
>>6 確かに目立ちますね。ペルシャ文化圏独特の矜持でしょうか。
10 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/05/05(土) 23:34:00.72 0
>>6 シーア派は偶像崇拝に対して寛容だからね。たとえ肖像画を描いても、
それを神として崇拝さえしなければ良いらしい。だからアリーの絵が多い。
>>7 中東における絵画はペルシャ文化圏の独自性に加え、トルコやモンゴルの影響も多いかな。
初期イスラーム時代においては確かに、中東にあまり絵画は残ってないんだけど、
モンゴル帝国が進出した13世紀以降には人物を描いた絵画が中東でもたくさん出てくる。
152 :
世界@名無史さん:2012/05/27(日) 02:49:04.72 0
なにこれw 語彙がほとんどスラブ系(ロシアやポーランド)じゃん
そりゃオセット語って書いてあるじゃない。
IT産業の技術者を養成して雇用を増やす・・・みたいな話?
これ、オセット語ってロシア語わかれば、だいたい意味掴めるってことじゃないか
で、オセット語って感覚的にどんだけペルシャ語に近いの?
エロイ人教えて。
157 :
世界@名無史さん:2012/07/05(木) 23:00:52.60 0
174 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/05(木) 21:23:55.28 O
「アフガニスタン地域はどの時代を見ても(少なくとも10世紀以降)ほとんど年中戦乱状態だよね」って書いたのは学生時代ザッと年表を見て思った事で詳しい事は知らないんだけど、詳しく見ると実際はどんな感じでしたか?
最盛期のイギリスでも結局実効支配は出来なかったよね?
176 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/05(木) 21:37:22.58 0
英国は、ロシアが南下して英領インドと接するのが嫌だったから、緩衝地帯としてアフガニスタンの王を
認めてやって、保護国ってことにしただけだから
実効支配しなくても、自分たちに逆らわなきゃそれでよかった
まあ、逆らわれて、第2次、第3次アフガン戦争になるわけだけど
177 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/05(木) 21:42:05.31 0
アフガニスタンは国土の大半が山岳地帯だからゲリラ戦を展開されると
都市をいくら制圧しても治安は一向によくならないって地理的な問題がある
歴史的には英国やソ連、今のアメリカもこれに手を焼いている
後、米国は陸路からアフガンへ物資を送るためには事実上
パキスタンからのカイバル峠ルートしか利用できなかったため
そこを重点的にゲリラに攻撃され苦しんでいることもある
近年はロシア経由コースも利用するようになってきたけど
これはロシアへ大きく依存することになるのであまり乗り気ではなかった
ロシアにとってはアフガンは南下する上で無視できない経路であり
英国にとってはアフガンがロシアの統治下になると
英国領インドへカイバル峠ルートを利用して侵攻される危険性から
ロシアに渡すことはできない場所だった
158 :
世界@名無史さん:2012/07/06(金) 14:44:37.79 0
アフガニスタンって殆どスンニ派で同じペルシャ系でもイランとは同族意識ないんかな?
それともタイに対するラオスみたいに列強の都合で分離させられてるだけなのか?
159 :
世界@名無史さん:2012/07/06(金) 14:47:05.33 O
アフマディネジャドは顔からしてイラン人じゃないだろ
>159
鋭いのか詳しいのか判らないけど話が盛り上がりそうだw
162 :
世界@名無史さん:2012/07/06(金) 22:29:32.30 0
大学の学部生ですが、教養科目の東洋史でイスラーム史履修中です。ペルシャもやってます。
ゼンゼン、オモシロクネー。
163 :
世界@名無史さん:2012/07/07(土) 08:23:04.35 O
イスラム教化以降のイランは暗黒
アフマディネジャドはアルメニア顔
>>159は
>>160-161のような方向を言ってるんじゃなくて、
中世以降流れ込んできたテュルク系の血脈が濃厚に感じられるって話じゃないの
165 :
世界@名無史さん:2012/07/08(日) 09:03:44.76 0
ペルシャって、アケメネス〜ササンと、
ヘレニズムの一時期を除けば、
1000年くらい西アジアの覇者だったんだよね。
イスラム以降は、アケメネス・パルティア時代の記憶は、
ほぼ、失われたんだよね。ササン朝の記録とかは、残ってたの??
ペルシャって、詩人の国というけど、
イスラム以前の詩人の作品て、残ってるの??
166 :
世界@名無史さん:2012/07/08(日) 11:45:18.73 0
>>162 西アジア史とかイスラム史って、他の地域とちがって予備知識や基礎知識がないから、
初心者にはチンプンカンプンで全然面白くないというのはわかる。
なんかとっつきにくいし。
この分野に興味を持ってる人が、どういうきっかけや方法で知識を持つようになったのか、
そっちの方が気になる。
167 :
世界@名無史さん:2012/07/08(日) 12:08:02.65 O
アケネメス・パルティアの栄光をもう一度・・て築かれたのがパウレビー朝
168 :
世界@名無史さん:2012/07/08(日) 14:45:57.18 0
日本だと、6・7世紀から、一応、文化の連続性あるよね。
西アジアだと、イスラム以前の歴史って、
日本でいえば、邪馬台国とか、縄文みたいな認識なのか??
文字も言語も、変わっちゃってるんだよね??
169 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/07/08(日) 16:14:14.73 0
>>165 >イスラム以降は、アケメネス・パルティア時代の記憶は、
>ほぼ、失われたんだよね。ササン朝の記録とかは、残ってたの??
いや、イスラーム化後も古代ペルシャの記憶が完全に失われた訳ではないよ。
9世紀頃からイスラーム圏でもペルシャ文化が興隆してきて、シャー・ナーメとかで古代ペルシャの栄光が語られたりしてる。
イスラームという新たな宗教を受け入れながらも、ペルシャ人としてのアイデンティティも依然として保ってはいたんだろうね。
また
>>167も言ってるけど、20世紀にはパフラヴィー朝がナショナリズムを高揚させるために古代ペルシャを持ち上げたりしてた。
>>166 >この分野に興味を持ってる人が、どういうきっかけや方法で知識を持つようになったのか、
>そっちの方が気になる。
最近はイスラーム史の入門書も結構増えたから、まず最初にそういう本から読んでみれば良いんじゃないかな。
最初は教科書や簡単な入門書など、特に予備知識なしでも読めるものから始めたら良いと思う。探せば結構あるものだよ。
170 :
世界@名無史さん:2012/07/08(日) 16:19:38.31 0
, --- , _ ノ)
┏┓ ┏━━┓ γ ==== ヽγ∞γ~ \ ┏┓┏┓
┏┛┗┓┃┏┓┃ i l_|||_||_||_l | | | / 从从) ) ┃┃┃┃
┗┓┏┛┃┗┛┃┏━━━ | |ー. ー |) |ヽ | | l l |〃. ━━━━┓.┃┃┃┃
┏┛┗┓┃┏┓┃┗━━━.ノ人 ワ ~∩| ! `从∩ ワノ)━━━━━┛.┗┛┗┛
┗┓┏┛┗┛┃┃ ( (つ 丿ノ ( ⊂) ┏┓┏┓
┗┛ ┗┛ ( ヽノ ヽ/ ) ┗┛┗┛
し(_) (_)J
171 :
世界@名無史さん:2012/07/28(土) 14:12:45.24 0
172 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 17:52:06.64 0
ストラボンの世界地誌によるとアルメニアとメディア、ペルシャはもともとは同じ種族だったそうな
173 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 20:18:13.97 0
アメリカはイランを悪の枢軸として名指しにしてるのに放置プレイなのはまさか石油もシーレーンもないからなのか?
174 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 22:09:47.25 0
石油もシーレーンもないってどういう意味?
イラン人は嘘吐きが多いから嫌い
個人レベルから団体レベルまで
大丈夫は全然大丈夫じゃない
必ずやるは必ずやらない
176 :
世界@名無史さん:2012/07/30(月) 16:55:25.74 0
アメリカ人は嘘吐きが多いから嫌い
個人レベルから団体レベルまで
大丈夫は全然大丈夫じゃない
必ずやるは必ずやらない
>>175 あれって、嘘じゃなくて願望と事実をきちんと区分できんことから生じるもんらしいよ。
「なにも起こらなければいいな・・・」→「起こらないよな、きっと」→「ダイジョ〜ブ!」
「できるかな・・・」→「できるかも・・・うん、きっとできる」→「カナラズ、ヤリマス!」
このような傾向は、イランだけでなくアラブ・トルコ・インドなどでも一般に観察される。
このスレも一気に廃れたね
途中までは盛り上がってたんだけど
179 :
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 11:27:28.52 0
ロシアとかどうなんだろ
>>178 過疎化の進む世界板に、イラン系スレが4つもあるからじゃ。
182 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 03:21:39.81 0
183 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 11:42:20.46 0
184 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 11:48:53.59 0
>>129 現在、パフラヴィー文字って全く使われて無いんだっけ?
185 :
世界@名無史さん:2012/10/11(木) 11:54:47.15 0
イラン人やアラブ人は問題が起きると英語でも、No problem と平気で言う。
186 :
世界@名無史さん:2012/10/12(金) 00:10:14.54 0
それは、出来の悪い部下と同じ回答法だな
>>181,183
古代ペルシャとアーリア人スレはここより先だから向こうに優先権がある。
ゾロアスターは丁度このスレが盛り上がっているときに立ったからあれは
二番煎じで、いらない。
ゾロアスタースレは途切れたけど過去スレあったからな・・・・リバイバルスレとしてアリと思う。
ちょっと経つと過疎るのも、これまで通りだけどなw
189 :
世界@名無史さん:2012/10/12(金) 11:56:13.10 0
サファヴィースレも昔あったような気がするが、勘違いかもしれない
イラン人は先祖にあたるザラシュトゥラの教えである
ゾロアスター教の方が本来の宗教なのに何故か余所者の
ヘブライの流浪者モーセの流れを汲むイスラム教を奉じている。
>>191 ゾロアスター教を復興、とは行かなくてもアケメネス朝やサーサーン朝の栄光を取り戻そうとした
パフラヴィー2世を追い出すとかどうかしているぜ。
193 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 06:16:04.05 0
>>190 サファヴィーの文字が入ったスレはあったと思うが、今回のは
その後継を狙ったものでは無いのは明らかだろ。
で、このスレが伸びていたのはオツガイのお陰で、スレが止まったのも
サファヴィーに持っていかれたからってだけ。
他のスレは死んでたようなスレだから、ほとんど関係ない。
サファビー朝のスレ主がここに情報提供していたら、ちょうどバランス的にいい感じ
だったが、重複って指摘受けても強行していたからな
スレの正当性なんて結果が全て。
このスレも雑談以外で伸びればいいだけの話。
196 :
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 10:04:20.36 0
チャルメラの起源は、ササン朝ペルシャの楽器
どっちにしろコテ一人に依存しているようなスレはクソスレ。
それさえもいないスレがほとんどなのに
>>197 じゃあ、コテ3人に依存している板は糞板なのかな
>>187 アーリア人スレはいくらなんでも4つのうちに入ってないだろう。
あれまでペルシアスレといいだしたら、きりが無い。
202 :
世界@名無史さん:2012/11/03(土) 02:29:23.47 0
イラン人の詩人オマル・ハイヤームの本職は天文学者で、
トルクメニスタンのメルヴに作られた天文台の台長だった。
彼の作った有名な暦、「ジャラリー暦」は1年を365.24日と計算し、
365.2425日と計算するグレゴリウス暦より精密であった(1太陽年は365.2422日)。
彼はまた数学者としても名高く、三次方程式の解法を考案していた。
ルバイヤートって、どこから出ている本がお勧め?
204 :
世界@名無史さん:2012/11/05(月) 01:21:31.02 0
パフラヴィー朝って、何で皇帝(シャー)の称号なんだろう?
サファヴィー朝にあやかって?
>>204 むしろもっと古いアケメネス朝やサーサーン朝でしょ。
パフラヴィー2世はシャーハーンシャー名乗っているし。
207 :
世界@名無史さん:2012/11/09(金) 21:57:57.81 0
シャーって、ロシアのツァーなんかと同じで、カエサルを自国語読みしたもの?
古代ペルシャ語xshayathiya(統治者)、インド・イラン祖語ksayati(支配)から。
梵語のksatriya(王侯)と同じ語源。
サンクス。
ツァーと似てるから、てっきり
67 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/11/11(日) 11:46:49.27 0
トッドは未来はどうなるって言ってるの?
はたしてそうなってるのか?
68 名前:名無し募集中。。。 投稿日:2012/11/11(日) 13:05:06.11 0
>>67 イスラムと欧米は対立せずにイスラムが欧米に接近する
イスラム圏ではトルコよりもイランのほうが近代化している
イランとアメリカは戦争しない イランは地域大国になる
アラブの春を予言していたと行ってもいいと思うけど
211 :
世界@名無史さん:2012/12/08(土) 00:13:44.26 0
96 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/02/19(日) 13:03:33 0
「千夜一夜物語」の世界の魔術はイスラム以前のセム系魔術の名残なんでしょうか?
ランプの精、岩戸を開く「開けゴマ」の呪文等々。
怪鳥ロックは明らかに古代セム神話を受け継いだものだそうですが。
ジンはイスラム時代になっても廃れることなく残った不思議な存在ですな。
97 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/02/19(日) 21:39:27 0
>>96 「アリババと40人の盗賊」はイランの話だとか
98 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/02(木) 00:58:29 0
イスラム以前のイランの呪術についてのまとまった研究はまだ存在していないらしい
「マギ」のことか?
アニメでは、テュルク系の集団も出てくるようだが
アーシューラー観に行きたい…
214 :
世界@名無史さん:2012/12/12(水) 03:47:10.28 0
アシュラ祭?
イラン人は民族主義のペルシアよりもイスラムのほうが重要なんでしょ?
216 :
世界@名無史さん:2013/01/05(土) 18:57:17.27 0
アメリカに移住したイラン人コミュニティは真逆、特に2世以降は。
自分たちは「ペルシャ系」と自称する、
イスラム色はできるだけ無いように振舞う、
古代ペルシャの栄光を拠り所にしている、
自分たちは「白人」だと思っている、
本国に帰ったら西洋に魂を売った堕落した裏切り者だな
古代ペルシャの栄光は、アケメネス〜ササンまでのことだよね
ササンが否定していたアルサケスは含まれる?
あと特にゾロアスター教徒でもないんでしょ?(アメリカにもいるみたいだけど)
でもよく考えるとアケメネス〜ササンって中国だと
春秋戦国〜唐初なわけで、古代ペルシャの栄光!っていうのは、
中国人がどや、漢でかいやろ!っていうのとあんま変わらんよな。
まあねw
221 :
世界@名無史さん:2013/04/11(木) 22:44:15.07 I
大秦国って呼ばれてたころやね
今のイランの人たちはアーリアのけっとうでしょ
あるいは混血
アーリアとイランじゃ発音が違うだけで同義語っしょ
大秦はローマ
224 :
世界@名無史さん:2013/04/15(月) 17:57:47.58 I
ササン朝つくったの日本人ていったら信じる?w
225 :
世界@名無史さん:2013/04/15(月) 18:00:21.26 I
ササンの滅亡、このころが渡来人がやってくるの最後なんだよなw
日本を作ったのがペルシア人
227 :
世界@名無史さん:2013/04/15(月) 18:02:22.02 I
もちろん今の日本人というわけじゃない
日本人の創生の一部になった人々って意味
すると人類の起源はアフリカ生まれの日本人ということになるな
229 :
世界@名無史さん:2013/04/15(月) 19:57:04.99 I
んにゃ、月の記憶を持ち日ムカとなってにほんにきた人だけ
230 :
世界@名無史さん:2013/04/15(月) 19:59:48.76 I
北天を祖とする人々は日本と関係ないからw
231 :
世界@名無史さん:2013/04/15(月) 20:01:39.09 I
あくまで航路は太陽の動く方向、東西だから
北南に航路をとることはなし^_^
232 :
世界@名無史さん:2013/04/15(月) 20:12:43.08 I
北天文化だけは徹底的に否定させてもらいます
どうみてもこれのせいで大勢死んでるから、丑の刻の方角だしな
オカ板でおk
234 :
世界@名無史さん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:6qrHkh2h0!
>>203 見てるかどうかわからないけど平凡社ライブラリー版がおすすめ
ガージャール朝のショボさは一体なんなのか・・・
237 :
世界@名無史さん:2013/10/10(木) 01:21:03.83 0
イ…イスラム化以降のペルシャ文化の凄さは交易圏を広げるアラブ人の勢いに便乗してイスラム世界の東半分にペルシャ語の影響を与えた事にあるから…(震え声)
ササン朝までは中国の歴史に近かったのに
イスラムの影響で変わってしまった印象がある
そうかな。
アラブ ≒ 鮮卑拓跋国(北魏−隋−唐‐五代)
ブワイフ ≒ 宋
セルジューク ≒ 金
イル汗国 ≒ 元
チムール・サファヴィー ≒ 明
と比較的足並みは揃っているように思えるが。。。。
アフシャール朝が清朝並みであればよかったのだが、ここでイラン脱落。
>>239 まーわりとリンクしてるところはあるね
ただイスラム教でペルシアの根源的なものが変わってしまったと思う
中国は異民族が支配しても異民族は文化的な影響を与えるけど
根源は変わってない印象
ペルシャの根源的なものって何?
酒、ナッツ、同性愛
中国は古代から人口が多かったけど
ペルシアの人口推移はどうなんだろう?
いかほどの信頼性はわからんが、ウィキのMcEvedy&Jones推計だと、
1世紀〜近世以前のイラク+イラン+アフガン+西トルキスタンだと計9〜11百万人で推移させてるね
西トルキスタンの半分以上は諸ペルシア帝国の領域外だろうから、8〜9百万人って感じかな?
>>244 帝国を作ってる割には人口が少ないよね
インド、中国は古代から多いのに
中東は砂漠の影響で増えにくいのかな
246 :
世界@名無史さん:2013/11/16(土) 15:29:45.68 0
(@テヘラン)建前国家・イラン、真に受けると…
http://www.asahi.com/articles/TKY201311150293.html ■特派員リポート 神田大介(テヘラン支局長)
イラン人の言うことを真に受けてはいけない。
タクシーに乗る。支払いの段になって「あなたのような方を乗せることができるだけで光栄。
お代は結構です」と言われることがあるだろう。本気にして降りてはいけない。「とんでもない、
払いますよ」「いえいえ受け取れません」「そう言わず」「いえ本当に」といったやりとりを3往復
ほど繰り返し、「そんなにおっしゃるなら」と運転手が言うまで続ける。
>>246 これはそういう文化なんだよ。京都の建前文化と似ている。
古来から長年の文明の中心という伝統のありすぎる地域は形式的な儀礼を
極める傾向にあるが、優雅を極める過ぎると、外部の者からするとわけわからん
ことになるという一例かと。
そういう習慣を知らない外国人にもするのはどうかと思うが。。。
248 :
世界@名無史さん:2014/01/02(木) 09:58:09.41 0
>>244 モンゴル軍の大量虐殺の影響もあると思われる。
249 :
世界@名無史さん:2014/01/02(木) 14:43:28.23 0
250 :
世界@名無史さん:2014/01/02(木) 14:45:54.00 0
ペルシャ復活運動ってないんだろうか?
ゾロアスター教の教理はかなり合理的なのでここから現代に耐えうる哲学体系が生まれてもよかろうもんだが。
251 :
世界@名無史さん:2014/01/02(木) 15:19:35.13 0
アケメネス朝からササン朝ペルシアの詳細を多少とも知りたくば、
『西洋古典学事典』を読むことだ。
よいな。
252 :
世界@名無史さん:2014/01/02(木) 15:26:00.13 0
よくわからんのは何でペルシャと石油契約を結んでいる企業が無いのかということ。
トタルとかマリエの親父の会社とか半島にまで影響をおよぼしているというのに。
>>248 いや、モンゴル侵入以前(1世紀〜)からその程度の人口となってるね
ローマ帝国(当時、約5千万)と比べて面積も小さいし人口稠密地も少ないからそんなもんだろう
エジプト・シリア・アナトリアを抱えてたアケメネス朝盛期は2倍以上の人口だったろうがな
254 :
世界@名無史さん:2014/01/03(金) 01:56:49.77 0
モンゴル人てやっぱ二流だよな
255 :
世界@名無史さん:2014/01/25(土) 23:02:59.21 0
112 :世界@名無史さん:2012/02/24(金) 00:27:28.17 O
ペルシャの文化的特性は?
113 :世界@名無史さん:2012/02/24(金) 00:51:48.01 0
詩、庭園、タアズィーエ
ペルシア文化圏の特性というなら、
詩、庭園、ノウルーズ
だろうて
256 :
世界@名無史さん:2014/03/01(土) 10:17:04.41 0
オセチア人だけ離れているな。
宰相 「陛下、ギリシアなる辺境地からの使者たちとの謁見の時間です。」
陛下 「うむ・・・よきにはからえ。」
宰相 「衛兵、使者をこちらにお連れせよ!」
使者 「オッス、オッス!オッス、オッス!」
宰相 「・・・コホン。こちらが地上世界を統べる偉大な御方、王の中の王、ダーラヤワウ陛下であられる。」
使者 「ダ・・・ダラヤ・・・・ダレイオッス!オッス!」
宰相 (・・・アカン。)
陛下 (・・・誰だよ、こんな筋肉バカよんできたの。)
258 :
世界@名無史さん:2014/06/17(火) 14:23:32.29 0
大宮
大宮
大宮
イラン人ってみんな
アフマディメジャドみたいな顔している
アフマディメジャドは改宗ユダヤ人家系との噂があるらしいな、過去を詮索すると秘密警察が出てくるらしいw
それはともかく、サッカーのイラン代表とか追ってると5人に1人くらい南欧人レベルのすっきりした顔のやつがいる
1)元々のイラン人はそんな顔で、アラブとテュルクと混血したことにより今の暑苦しい顔が多数派になったのか、
2)それともスラブ系などと混血したテュルクが元々暑苦しい顔をしてたイラン人の中に入ってきた名残なのか・・・さて
んなもんネアンデルタール人とアフリカから来た暑苦しいホモ・サピエンスの混血に決まってるだろ
アーガー・ハーンって、チンギス・ハンの子孫なの?
サファビー朝やムガル朝では「ハーン」の称号の価値が下落して
その辺の豪族でも名乗るようになった。
ハーンはもとからその辺の豪族だろ
265 :
世界@名無史さん:2014/09/09(火) 20:45:56.91 0
人類史上最初の文明の発祥地オリエントを統一した最初の帝国がペルシャであり
その後オリエントから東西へ波及した文明が合流して最も高まった場所から生じた最後の帝国が日本だった
そんな風な事をふと思いついた
ペルシャの前にアッシリアがオリエントの覇権を握ったが、
メディア・リュディア・バビロニア・エジプトなど主要国を威嚇して
隷属させる形であった為に反発を招き反乱を起こされた。
ペルシャの前にアッシリアがオリエントの覇権を握ったけど、
アッシリアは何故イランを征服しなかったのだろう?
セミラミスがバクトリアまで派兵したという伝説はあるけど、
史実では隣国メディアを服属させたにとどまっている。
バビロニア人にとってイラン高原は寒過ぎるだろうけど、
アッシリア人にはむしろエジプトとかよりも気候的に
慣れやすかったように思える。
イランの語源はアーリアなので、かつてメディア以前に
ヘラートがあるアリアナに強国があって、アッシリアを
防いでいたのかもしれない。
気候が違いすぎて征服の対象として見てなかったんじゃないか?
エジプトならメソポタミアと同様大河があって同じような生活をしてる訳だが
ペルシャだとそうはいかない
ヘラート(ハライヴァ)とアーリアは語源的に関係ないぞ
ハリー川が由来だから
ハライヴァ=アーリアでヘラートはアーリアそのものの事で
ハリー川とはアーリアの川という事なのでは?
アッシリアはバビロニアの不穏な動きやスキタイの南下に手一杯で
ペルシャまで軍勢を出せる余裕は無かった。
実際メディアはスキタイと同盟してアッシリアを滅ぼした
ハライヴァは梵語のサラユーと同じで、単に「川、流れ」の意
ギリシア人が訛ってアレイアなんぞと呼んだから紛らわしいが
アーリアとは別の語源
274 :
世界@名無史さん:2014/09/14(日) 03:12:00.98 0
アルメニア王家ってガウマタを倒した一人が
始祖だよね?
古代ペルシャ人が崇拝していたアフラ・マズダは最高神ではあっても唯一神ではなかった
古代ヘブライ人が崇拝していたヤハウェは唯一神であり他の神の存在は認めなかった。
ペルシャ人がバビロン捕囚のユダヤ人を解放し、その宗教を保護したが、
ペルシャ人が保護したのはユダヤ人の宗教だけではなく、
支配下においた民族全ての宗教・文化を保護した。
276 :
世界@名無史さん:2014/10/03(金) 22:00:30.80 0
群馬は遠すぎる...
館林だから、成田とほぼ等距離なんだけど・・・
279 :
世界@名無史さん:2014/11/12(水) 04:53:33.96 0
下がりすぎ
280 :
世界@名無史さん:2014/11/30(日) 01:06:38.52 0
281 :
世界@名無史さん:2015/01/04(日) 09:38:58.34 0
上げるよ
283 :
世界@名無史さん:2015/01/04(日) 14:00:05.21 0
餅
284 :
世界@名無史さん:2015/01/04(日) 22:30:09.81 0
オリエントの専制君主と言うが、意外にも中東の国の方が自治都市には寛大だ
ペルシア戦争でデロス同盟がペルシアを撃退したというが、
これがマケドニアやローマならそれだけでは済まない 経済制裁で降伏するまで追い詰める
実際にアテネ、テーベ、ティルス、カルタゴを滅ぼしたのはマケドニアやローマであってペルシアではない
ティルスがどれだけ繁栄してもペルシアは直接支配下に置こうとはしなかった
オスマン帝国も寛大であった むしろナポレオンの方が余程自治都市に高圧的であった
ペルシャ帝国はどんだけ拡大しても気候の違う地域で止まってしまうイメージがする
286 :
世界@名無史さん:2015/02/08(日) 13:31:49.79 0
シーア派って隠れゾロアスターなの?
287 :
世界@名無史さん:2015/02/09(月) 09:48:12.42 0
88 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2015/02/09(月) 05:45:29.79 0
イランのアゼリー人は、サファヴィー朝の頃から支配層側の集団だったし主流派の一翼
パフラヴィー朝の外戚もアゼリー人が固めていた(モハンマド・レザー・シャーの実母も嫁もアゼリー人)
最近でも、保守派領袖ハメネイ師と改革派の領袖ムサビの両方がアゼリー人という時期があった
ほぼ辺境民として生きてきたクルド人集団とは、置かれた状況がまったくちがう
それは誰?
202 世界@名無史さん[] 2015/02/05(木) 20:05:26.11 0
シーア派は隠れゾロアスター教だろ。
こいつだけw
まあシーア派の教義にゾロアスター教の影響があることは確かだがな
ゾロアスター教の影響なんて審判の日に先駆けて救世主が現れる、ってくらいしかないだろ
多神教でもなければ二元論でもない
293 :
世界@名無史さん:2015/02/10(火) 00:30:26.00 0
火を特別視することとか?
294 :
世界@名無史さん:2015/02/10(火) 00:37:02.64 0
シーア派って火を特別視するっけ
イランにはそういう行事があるけど、それはあくまでもイランの伝統行事であってシーア派じゃないでしょう
火を特別視するなんてない
>>296 そういうサイトの情報は鵜呑みしないほうがいいぞ
なんかおかしいこと書いてあるし(アヴェスターの記録がギリシア人によって行われた、パールシーがヒンドゥー教の儀礼に影響与えたなど)
シーア派に影響与えたってなんの影響だよ、と言ってあげたい
いや別に信じているわけじゃないから。
上のやりとりを見て、それっぽいキーワードで見つかるのはこのページぐらいだったと言ってるだけ
ユダヤ人がバビロンからペルシャ人によって解放された過程で
ユダヤ教がゾロアスター教の影響を受けた可能性は高い。
300 :
世界@名無史さん:2015/02/10(火) 07:12:09.34 0
厳密にイスラムと言えるのはスンニ派だけだな。
シーア派は民族土着の宗教が混ざってる感じだな。
例えば?
302 :
世界@名無史さん:2015/02/11(水) 17:59:11.55 0
具体例出してないならデマカセを疑え
>>300 シーア派とスンニ派が台頭に対立していると思い込むのは素人
スンニ派とはシーア派以外くらいの意味しかないため、スンニ派地域でも現地の民族土着の風習がアッラーの名において行われてるもんだ
主にアフリカでの女性器切除とかな
スンナ派も四大学派に別れ、各地のシャリーアがあり、土着の風習が混じる
シーア派もドルーズや12イマームやイスマーイールなどに別れ土着の風習がまじる
結局共通しているのはアッラーとコーランとムハンマドとそのハディースだけ、という感じ?
ムスリム自体、全体像を把握できていないのではないか。
304 :
世界@名無史さん:2015/02/11(水) 21:55:55.06 0
「イスラム国は真のイスラムではない」とよく言われるが、
イスラム国の言動が特定の宗派のシャリーアに合致するのは紛れも無い事実。
仮にイスラム国が真のイスラムでないなら、どの国も真のイスラムではない。
コーランの規定を厳密に守っている国など地球上のどこにも存在しないのだから。
経典があって預言者がいる、というだけで、カオスぶりは
ヒンドゥーや道教と変わらんのでは
実のところ
306 :
世界@名無史さん:2015/02/11(水) 22:10:40.64 0
元はといえば戦後に一部の中東学者が「全イスラームは一心同体!
イスラム過激派への批判は全イスラム教徒への侮辱」と喧伝したのが原因。
307 :
世界@名無史さん:2015/02/14(土) 23:10:25.04 0
乙嫁語り最新刊でペルシアが出てきました
あれはカージャール朝時代でいいんでしょうか
それと、姉妹妻についてggってもエロゲばっかりでてきます
森さんがわかりやすく日本語に置き換えたのでしょうか
元の言葉を教えてください
308 :
世界@名無史さん:2015/02/14(土) 23:21:36.78 0
>>304 西欧人が興味本位にデフォルメした
いわゆるオリエンタリズムに合致するものしかないのが不思議
言ってることは諸学派の寄せ集めの挙句に斜め上の極論と強行手段だし
イスラム原理主義じゃなくてシャリーア原理主義というべき
310 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 01:47:53.08 0
>>308 いわゆるオリエンタリズムじゃなくていずれもオリエントに実在した教義
311 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 04:39:59.00 0
>>310 そうじゃなくて現代にないばかりか中世でも稀だったようなキワモノの行動ばかり
凝縮して野蛮なアラブを演じてることがオリエンタリズムだっていうんだよ
お前はそういう詐術に騙されてそうだが
イラン人がユダヤ人のモーセを預言者として認める一方で、
先祖とも言えるザラスシュトラを"無かったこと"にするイスラム教に帰依しているのに違和感を感じる。
イランの教科書には普通にザルドシュトのことも書いてあるけど
しかも好意的に
国民的叙事詩である王書にもザルドシュトは出てくるし、イランにおいてなかったことなんかにはされていない
ノウルーズ(イラン正月)の習慣ってまだ続いてるんだよね?
ゾロアスター教の名残りだというし
いとこ結婚を理想としてるもの神話で兄妹が結婚したからだろ
アケメネス朝の遺跡をアラブ人が破壊しようとしたのを
「アッラーの宮殿だ」と誤魔化して破壊から守ろうとした
イラン人はペルシャの歴史を抹殺しようとした
イスラムを何故奉じるのか?
アラブ人の支配がなかったらペルシア人は歴史さえ書き記しすことなかったわけだが
317 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 16:18:26.16 0
>>316 はい?
ササン朝の時代にすでに歴史書はあったけど
318 :
世界@名無史さん:2015/02/15(日) 16:21:48.51 0
ペルシア人を支配できなかったらアラブ人は歴史さえ書き記せなかったの間違いだろ
日本人からすると神道を捨てて仏教に帰依しているように見える。
実際の所イスラムにはゾロアスター教からパクった要素もいくつかあったから
ペルシャ人にとってもゾロアスター教の新しい教義としてのイスラムを受け入れやすかった
322 :
世界@名無史さん:2015/02/16(月) 17:10:26.15 0
ちげーよ
ペルシア人がムスリムになったからイスラムにゾロアスター教が入り込んだんだよ
イスラムはムハンマドの布教と同時にアラビア半島で生まれたと思っている奴が多そうだけど
実際にイスラムのスンニ派の教義が完成したのは10世紀だから
323 :
世界@名無史さん:2015/02/16(月) 18:23:41.61 0
どこぞの横柄な名無しなんぞよりメアリー・ボイスのほうを信じるわ
もともと共通点があったから受け入れやすかった
具体的には?
広まるのに共通点あるない関係ないよな
仏教なんか日本と全く共通点なんてなかったのに大流行したし
ユダヤ人がバビロンからペルシャ人に解放された時にゾロアスター教の影響をユダヤ教が受けたというが。
>>326 エジプトに居た時にアテン信仰の影響を受けたんじゃないかと
328 :
世界@名無史さん:2015/02/16(月) 20:36:23.74 0
>>327 むしろユダヤ人が影響を与えたという説もあるが
>>328 なるほど、そのほうがありそうだ。
ユダヤ人が元々一神教的な性向を持ってて、
それに影響されてアテン信仰ができたと、
そう考えるほうが理に適ってる。
アメンホテプ四世が突然一神教のアイデアを閃いたと考えるほうが無理がある。
一神教には無い光と闇の二元論や終末論はエジプトの信仰には見られず、
ゾロアスター教に起源を持つ可能性が高い。
ムハンマドとザラスシュトラのどちらが偉いのかと今のイラン人に問うのはタブーか?
332 :
世界@名無史さん:2015/02/16(月) 22:13:10.26 0
>>330 二元論はセム一神教群にはないだろ
全部一元論
>>331 普通にムハンマドって答えるだろ
それよるムハンマドとアリーとどっちかと聞く方が荒れそう
333 :
世界@名無史さん:2015/02/17(火) 01:30:11.25 0
ササン朝がもう少し頑張ってムハンマド一味を倒してれば
イスラム教がここまで人々を縛ることもなかったのに。
334 :
世界@名無史さん:2015/02/17(火) 02:13:21.28 0
その代わり、現在も火に唾を吐いたりしたらタブゥで死刑になってたでしょう。
335 :
世界@名無史さん:2015/02/17(火) 02:14:21.74 0
汚いゴミを火で焼いても死刑だから、ゴミを増やせない文明の世の中になってたでしょう。
近親婚が普通に行われたり、牛や犬の尿で浄めが行われたりした世界
337 :
世界@名無史さん:2015/02/17(火) 10:59:34.52 0
それヒンズー教じゃん。↑ゾロはヒンズー教の姉妹版の要素もある。セム系ではなくアーリア系宗教の。
ゾロにはカースト制度もあったの?マギはカースト?
漢民族だって同姓でなければ近い血縁との婚姻の繰り返しだぞ。
340 :
世界@名無史さん:2015/02/17(火) 22:04:28.95 0
ペルシャ人の血統崇拝主義はシーア派の預言者一族崇拝につながっている。
離婚して前の家に残してきた姉とか、再婚先で産まれた妹とか
氏姓が違っていれば「表姐」「表妹」なので論理的にはOKなんだよな。
連れ子してきて氏姓が一緒になった「堂姐」とか、
自分が連れ子されて氏姓が代わった先で生まれた「堂妹」だとダメ。
343 :
世界@名無史さん:2015/02/18(水) 12:07:07.13 0
「表」=母方?「堂」=父方?という理解でいいですか?
最近の中国語では区別しなくなったようです?
無知無学なペルシャ人が、アラブ人に征服された途端、知識人を輩出しまくる民族に生まれ変わったな
ササン朝までは文字というものが僧侶や外国人に独占されていてパンピーには手の届かない存在だったのが大きいな
>>344 アラブ人に征服された途端に知識人を輩出しまくったのはもともと富裕層
>>343 父方の姉妹が嫁家で産んだ子ならば氏姓が違うので「表」です。
無知無学なペルシャ人が、アラブ人に征服された途端、知識人を輩出しまくる民族に生まれ変わったな
ササン朝までは文字というものが僧侶や外国人に独占されていて富裕層ですら手の届かない存在だったのが大きいな