植物と人との歴史的な関わりについて語るスレです。
有用植物(薬草、野菜、果物、木材等)、
園芸(盆栽、園芸書、庭園、植物園、街路樹、並木道、神木)、
デザイン、アート(図案、模様、家紋、花札、絵画の中の植物)、
経済史(投機の対象となったチューリップ、百両、万年青、その他様々な植物マーケット)、
怪異を引き起こす植物の話まで自由に語ってください。
※農業もある程度対象となりますが、本格的な農耕の話はこちらでお願いします。
農耕・酪農・牧畜の歴史・社会史・文化史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323952793/
2 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 07:30:44.79 0
江戸時代のタチバナは非常に高価で、 百両以下では手に入れることができないため「百両金」と呼ばれた。
3 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 09:43:36.20 0
チューリップ・バブルは、ヨーロッパの三大バブルの一つ
4 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 11:08:27.58 0
怪異を引き起こす植物ってなにがあるの?
5 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 11:16:40.96 0
昔からよく、桜の木の下には、っていうよね。
6 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 11:19:12.16 0
>>4 中国の民話とか小説だと、植物の精の話多いよ。
橘と柑との違いってなんだろ。
支那圏では、「柚」も、日本でいうユズではなくて、同じような意味だけれど。
8 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 11:34:52.50 0
やっぱり竹の存在って大きいよな。
竹が東アジアに無かったら、建築やら生活用具やらかなり不便だったはず。
木を伐ろうとして斧を振り下ろしたら木から真っ赤な血が…、ってな話は昔から色々と。
カビの一種らしいけど、知らんと驚くよなあ。
10 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 12:15:29.06 0
文明時代になって鉄斧で木を伐ってるけど、石斧で木を伐るのは大変だろうなぁ・・・
12 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 13:57:00.37 O
ニューギニアのどこがでは、毎日大声出して枯らせて倒すって方法を英文で読んだ。
石斧の威力は、鉄斧の4分の1だそうな。
14 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 15:05:13.43 0
そもそも、植物が光合成をしないと酸素はないだろうに。
植物は偉大だよ。
16 :
マリア・タチバナ:2012/02/13(月) 16:42:35.59 0
>>7 橘は元から日本に自生していた植物だけど、柑は大陸から伝わった外来の植物。
接ぎ木の発色はどこでしょうか。
メソポタミア辺りで既に始まっていたのかな。
18 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 19:10:15.47 0
起源の場所はわからないけど、連理の枝やヤドリギを見て思いついたのかな
>>2 ミカン科のタチバナではなく、ヤブコウジ科のカラタチバナですね。先週のブラタモリで、変異が出そうな種子は1粒いくらで取引されたと
江戸時代の園芸に詳しい先生が言ってました。今はへレボルス(日本での通称クリスマスローズ)で少し似たような状況だそうですが。
バカコテがwikiの丸写しで「外来種」「在来種」を羅列する前に
「外来種」「在来種」の話題をしたいならどういう意味で使っているのか一札いれるか
スレ内で統合しておいてくれると助かる
個人的には竹を外来種とかwikiの丸写しで誇らしげに語るのは止めて欲しいね(苦笑
まぁ「外来種」「在来種」の定義もwiki準拠になるのだろうが、このスレではwiki準拠が鉄板だというのならそれでかまわない
そういうレベルなら俺は容喙しないから
>>19 世界史板のバカコテのカテゴリには案山子しか存在していないんだが、自覚ないのか?
特定外来種であるお前は無理して書き込まなくても誰も困らないからw
>>4 『捜神記』にある話ですが。
秦の文公の時代、怒特祠という祠があり、その傍に梓の木が生えていた。
文公がその木を切り倒すように命じたものの、その度に風雨が起きて切り口
がふさがってしまい、四十人の人夫でも切り倒せなかった。
遂には人夫たちはくたびれて休んでしまったが、その内の一人が足を怪我し
て木の傍らで寝ていると、木の精が別の者と話しているのが聞こえた。
「秦公はあきらめまいが、どうする。」
「秦公といえど、わしをどうすることもできまい。」
「だが、秦公が三百人の人夫に赤い着物を着せ、髪を振り乱させて、赤い糸
を木に巻きつけ、灰を塗ってからかからせたら、どうかな。」
そうすると木の精は黙ってしまったので、翌日言われた通りにしてみると木
は倒れ、中から黒牛が出現し、豊水泉の中へ逃げ込んだ。
牛が水に飛び込んだというのは、水神と牛馬が結びついた信仰に由来したも
のでしょう。『河童駒引考』に、類話が多く収録されています。
「異類同士の会話を盗み聞きして弱点を知る」という形式の民話は各地に見ら
れるもので、『今昔物語集』本朝部に槻の大木について、ほぼ同じ話があります。
ここでは、五六羽の鳥が中から出て来て飛び去ったという。
同書には、化物屋敷の庭に古く大きな松・楓・桜・常盤木があって「樹神(コダマ)
も住スベシ」とあり、具体的な現象の記述はないものの『源氏物語』や『和名抄』を
見ると、平安中期には古木の精というものが、漢籍のイメージを受けながら考えら
れていたようです。『和名抄』のコダマの項は、『文選』を引いている。
『捜神記』には、他にも大木(種類不明)から出て来た老人のような怪物を五六
体倒したという魏の話や、楠の大木から出て来た人面犬(彭侯という)を似て
食べたという呉の話も紹介されています。
怪異を引き起こす植物として、宋代以降よく出て来るのが芭蕉です。
他愛もない話が多いのでいちいち記しませんが、美女に化けることが多い。
本土では鳥山石燕が謡曲の「芭蕉」に芭蕉の精が登場するのは「もろこし」の
話に倣ったものだと書いているぐらいですが、沖縄では琉球王国時代から芭蕉
の精の話が盛んなのは、気候に加えて、やはり中国との交流ゆえでしょう。
江戸時代の随筆に、信濃の寺院の芭蕉が美女に化けた話があり、他に例がない
ので話を聞いた人が琉球人に話したところ、よく美女に化けるが害はなく、日
本刀があれば避けることが出来ると答えられたという話があります。
日本刀が怪異を避けるというのも、遠く「日本刀歌」を連想させて面白い。
>>5 竹や芭蕉の下に死体があって訴えたという話は、中国にもあります。
桜といえば江戸期の文人に銭選の桜の絵を見せられた人がいて、それが日本
の桜のようだったので「日本から桜が渡ったか、日本の絵を写したのであろ
う。中国の文人が桜・紅葉を日本のように愛でないのは残念。」と書いてい
ますが、贋作の可能性の方が高いでしょうね。
銭選の場合は生前から横行していたそうですが、桜画は日本から明へ注文が
舞い込んだ室町以降の作だったのかもしれません。
毛松が日本猿を描いたようなもので、どうも本物と見るのは難しい。
話変わって。かつてリビアに自生していたシルフィウムという香草が放牧と
乱獲で減少し、最後の一株はネロに献上されたという話がありますが。
他に、有史以後絶滅した植物というと、何があるでしょうか。
>他に、有史以後絶滅した植物というと、何があるでしょうか。
さぁ皆さん御一緒に、検索タイムですw
26 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 22:53:10.77 O
ラフレシアは存在する?
>>26 うん。大阪・鶴見緑地の咲くやこの花館へ行けばガラスケース入りの実物が見れるよ。
28 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 22:55:29.33 O
存在しない?
29 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 22:56:11.92 O
これも答えられないのか
30 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 22:57:03.35 O
ああ、嘘か
31 :
世界@名無史さん:2012/02/13(月) 22:57:39.84 O
コスモスは存在しない?
32 :
園芸趣味者:2012/02/13(月) 23:25:23.31 0
>>18 日本のマニアな園芸ってどうしても投機的な側面が強くなってしまうんだよねぇ。そしてそれで一山当てようとする悪徳な業者も多い!
クリスマスローズも結構酷い感じだったりしたけど、今では一部の珍品以外は落ち着いてる感じだよ。供給量自体がすごく増えたし質も良くなったから。
麻薬植物と人類の歴史は語らないのかい
>>24 植物は一個体でも残っていればクローンの作成が可能だから、
動物よりは絶滅しにくいといえる。
自家受粉が出来なければ次世代は作れないがね。
日本でもかなりの伝統野菜が消えていったように、
世界規模でも同様のことが現在進行系であっても不思議はない。
トウモロコシなんかは人間が世話しねえと数世代で絶滅するとかいわれてるね
37 :
世界@名無史さん:2012/02/14(火) 23:50:52.69 0
>>34 ソテツの一種Encephalartos woodiiと、園芸植物としても有名なチョコレートコスモスがまさにその状態
後者に関しては、メキシコのどこかにこっそり別個体が残ってることを願います。
前者は大きな植物だからあったら見つかってるはずだから、残念ながらもう種子で増えることは無理かも...近縁種と雑種は作れるようですが
>>10 パプアニューギニアの原住民が使ってる石斧は意外と実用性は高いようだよ。
現地の灌木を切り倒すのに鉄斧と比較しても多少遅い程度ぐらいで問題ないそうです。
まあ直径の大きくない灌木程度の話な訳ですが、
北欧とかの巨木切り倒すのなら鉄製の斧とかも必要ですが
日常生活に使う分なら石器でも充分間に合うようです
40 :
世界@名無史さん:2012/02/17(金) 15:49:56.83 0
石斧で大木を倒す際は、火を用いるんだよ。
大木の根元で火を焚いて、徐々に焼き切りながら倒す。
アステカの商人はマジックマッシュルームとか使ってたな。
遠出する前に使って幻覚を未来予知のように使ってたんだと。
どうやって使ったか(煙を吸ったのか粉末にしたのか食ったのか)は知らん。
テスココには植物園があったんだったか?
アステカでは1200種類くらいの薬草が知られていたそうだ。
44 :
世界@名無史さん:2012/02/20(月) 22:02:29.25 0
45 :
世界@名無史さん:2012/02/27(月) 14:59:46.74 0
46 :
世界@名無史さん:2012/03/20(火) 20:20:26.25 0
>>1にすでに出てるけど、万年青のバブルって意外と知られて無いね。
明治期に何度もバブルが起きたんだが。
47 :
世界@名無史さん:2012/03/21(水) 17:26:44.69 0
エベンキ族は農業をしません。
>>2 それ、本当なの。俗説じゃないの?
本当だとするといつから高値になったんだ?
マンリョウなんか。一万両になるのか。
>>49 アステカの領域内や交易範囲は熱帯地域とか高原地帯もあったし色んな気候の場所が
あったからだと思う。
51 :
世界@名無史さん:2012/03/22(木) 23:40:23.38 0
サボテンの生える砂漠から着生植物の豊富な雲霧林、さらには針葉樹林まであるもんな
52 :
世界@名無史さん:2012/03/23(金) 17:05:25.41 0
>>48 >本当だとするといつから高値になったんだ?
カラタチバナバブルの時じゃ?
朝鮮人が天皇になってヤマト王権作るまで日本は狩猟採集がメインだった
54 :
世界@名無史さん:2012/04/07(土) 23:10:59.31 0
花見の起源って、やっぱり中国?
花と言えば奈良時代には梅でしたが、平安時代に桜を指すようになりました。
近世初期の狂言「花盗人」には桜の花を愛でる場面がありますが、江戸初期
の『慶長見聞集』にも、この狂言とほぼ同じ展開の体験談が見えています。
狂言「花折新発意」にも、「花見」で「酒盛り」をしたとありますね。
秀吉の「醍醐の花見」は有名ですが、この頃には飲食を伴ったのでしょう。
狩野長信(1577−1654)の「花下遊楽図屏風」は国宝に指定されています。
江戸で一株や数株ではなく、計画的な桜並木で楽しめるようになったのは、
徳川吉宗が数百株の植樹を行わせたのが契機であったとか。
桜自体はユーラシア大陸の温帯に広く分布するということですが、珍しいの
か、花と言えば牡丹であったせいか、中国で桜と言うのは日本で言う桜では
ない、という説が近世以降の日本の書に見えています。
朱舜水も、来日して「唐山に桜なし」と述べていたそうで(『俗説弁』)。
大隅の旧家に銭舜挙の桜の絵があったが、桜を持ち込んで描いてもらったの
かという話があります(『西遊記』)。
贋作と見た方が、簡単だと思いますが。
56 :
世界@名無史さん:2012/04/08(日) 19:10:10.27 0
一昨日のTV朝日の音楽駅で桜の歌と映像のオンパレード、
そこに出演していた韓国歌手グループが「あれは王桜」と言い出すのではないか、と・・・
57 :
世界@名無史さん:2012/04/09(月) 20:20:31.07 0
>>55 山野ともあろうお方が何を言っているんだ。
「櫻」というのは、本来の文言漢語(古典中国語)ではユスラウメ(prunus tomentosa)のこと。
主に、cerasus亜属を指す、日本語「さくら」の訓読みによる呼称が、漢字の「新義」として入ってきてから、
逆に中国語でもcerasus亜属を指す呼称として、一部変則的に用いられるようになった。
本来の中国語では、cerasus亜属を含む、prunus族の落葉花木を漠然と指す名称は「李」
なんちゃら案山子が来る前に双方手早く解決しちゃってください・・・・
60 :
世界@名無史さん:2012/04/10(火) 12:39:08.84 0
なを、「サクラ」という地名は、狭くなったクラ地形という意味。
クラ地形とは馬の鞍のような地形のこと。
桜川という川にはその流路のどこかにクラで狭くなった場所を流れている可能性あり。
んにしても茨城県には「桜川」が4本もあるのか・・・
61 :
世界@名無史さん:2012/04/11(水) 20:01:54.04 0
上の方にもちょっと出てるけど、桜の木の下に死体が埋まってるって話の元ネタって何?
日本の学校によく桜の木を植えているのは、入学式が春だからだろうか?
ホワイトクリスマスと一緒で、
はっきりいって卒業式には咲いてないよね。
63 :
世界@名無史さん:2012/04/11(水) 23:42:22.37 0
>>62 入学式の頃に咲くようにしてるんじゃないのかな。
今年は寒さが厳しすぎ&長引きすぎて、入学式の時にはほとんど咲いてない有様だったけど。
64 :
世界@名無史さん:2012/04/12(木) 00:00:02.78 0
それは地方によりけりだろw
俺は長崎だったから、卒業式の時には咲いてたよ。
65 :
世界@名無史さん:2012/05/01(火) 01:17:05.96 0
ここまでパピルスとレバノン杉の話題なし。
あまりにもメジャー過ぎるから?
66 :
世界@名無史さん:2012/05/01(火) 04:26:59.48 0
レバノン杉って世界遺産に登録されてるところでも、本当に点としか言いようがない狭い森林だけど、
どこかにまだ大森林はあるのかな?まさかフェニキア人がバレアレス諸島に移植した(ふしぎ発見でそう言ってた)名残の群落が、今残ってる中では
一番広いレバノン杉林だったりして
世界各国の植物園や公園には移植されたレバノン杉がある。
芝の増上寺にも、明治期に植えられたレバノン杉がある。
原産地で絶滅しかけても、
海外で幅広く栄えればいいじゃないか。
公園への移植とかだと近縁種の花粉と交雑してしまいそうね
レバノンスギの仲間だと、ヒマラヤスギが世界で一番繁栄してるね
なんてったって世界三大庭園樹の一つだし
日本でも明治期以降、近代化のシンボルとして公共建築とセットで植えられまくった
しっかしなぜ古代フェニキア人は植林をしなかったのだろうか。
植林の文化こそあれば現代でもレバノン杉が高級建材としてもてはやされ、
ついでにレバノンスギ花粉症が猖獗を極めていたであろうに。
71 :
世界@名無史さん:2012/05/04(金) 12:35:22.87 0
72 :
世界@名無史さん:2012/05/17(木) 15:24:25.89 0
>>70 世界的には植林という発想・習慣は無いのが普通。
東南アジアやアフリカに日本からいろんな組織や企業が植林に行ってるが、
「はァ?」「なにそれ?」「機はひとりでに生えるものだよ」という反応ばかり。
日本からの人がいる間は協力するが、去ったあとは放置したり薪にするためさっさと切ってしまったり・・・
かく言う日本だって植林が行われるようになるのは江戸時代からだと聞いた。(ソース忘)
73 :
世界@名無史さん:2012/05/17(木) 15:25:28.97 0
「機はひとりでに生えるものだよ」
↓
「木はひとりでに生えるものだよ」
農業だって結局植物を人間が人為的に植えて育てるってなものなのに、
植林はそれを樹木にも広げるだけだろう。どうして思いつかなかったのだろう
75 :
世界@名無史さん:2012/05/17(木) 16:38:13.61 0
人間目先の生活が大切だからな
76 :
世界@名無史さん:2012/05/19(土) 08:55:36.15 0
>>74 作物は、数ヶ月単位で成果が得られるけど、木は数10年から100年ぐらいは待たないと意味無いからなぁ。
個人主義の文化圏では、民衆レベルではそういう発想は出ないのかも。
王家なら別だけど。
77 :
世界@名無史さん:2012/05/20(日) 21:32:37.33 0
ツツジって、かなり日本的な園芸植物だとばっかり思ってたけど、世界中で古くから栽培されていたんだな。
78 :
世界@名無史さん:2012/05/26(土) 09:16:23.71 0
江戸時代になるまで、害虫という存在は知られていなかったそうですが、
それ以前はどのように考えられていたのでしょうか?
作物が病気になったとか?
79 :
世界@名無史さん:2012/05/26(土) 10:59:35.76 0
「江戸時代になるまで、害虫という存在は知られていなかった」って、誰が言ってたor書いてたの?
80 :
世界@名無史さん:2012/05/26(土) 11:30:19.74 0
何年か前に、そういう本が出ていたね
81 :
世界@名無史さん:2012/05/26(土) 11:36:44.08 0
朝日選書に『悪者にされた虫たち』というのがあるが見事な程中身のない無駄な本だった
これもその類書なのかな…
83 :
世界@名無史さん:2012/05/26(土) 20:59:27.71 0
Amazonの評価は無茶苦茶高いみたいだよ
84 :
世界@名無史さん:2012/06/02(土) 22:33:50.60 0
-の誕生=フーコーの真似タイトル
85 :
世界@名無史さん:2012/06/02(土) 22:35:34.01 0
○○の誕生なんてタイトル、昔からあったし、
そもそもフーコー本の日本語タイトルは、訳者が
そういう日本の出版界の伝統に従って二番煎じで付けただけだし。
監獄の誕生は原著もそうだろ。訳者が勝手に付けた訳ではない。
>>84が池沼レスだというのはその通りだが。
87 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 18:47:44.85 0
>>72 >かく言う日本だって植林が行われるようになるのは江戸時代からだと聞いた。(ソース忘)
正確には、「大和民族は」だと思う。
考古学的には、縄文時代で既に始まっていた斜面農業でブナや栗、樫などの植林が行われていた。
ソースは俺も忘れたが、花粉や焼き畑をした時の木炭化石で
11年サイクルで植樹していた事が解っている。
88 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 19:31:57.63 0
山地農業だけでなく
平地の農業の始まりも、日本は意外に太古にさかのぼるかもしれない。
関東平野は関東ロームという富士火山帯由来の土壌でできているが、
降灰だけではあの厚さにならないらしい。
実際には上流に降った分まで流れてきて降り積もったと考えられるが、どうにもおかしな事がある。
各噴火ごとの厚さは数aから数十aで、その間に数ミリから数a程度の茶色の土がサンドイッチされてる。
この土は噴火の無かった時代のもの。
しかし、表層土だけ実は黒土が1メートルもある。
これだと現在から数百万年前まで噴火が一切無かった計算になってしまう。
このような特殊な層は関東平野の形成までさかのぼっても無い。
同位体の測定からこの分厚い土はいずれも1万年以内に作られたと考えられるらしい。
合理的に考えれば人間の活動が土壌形成に何らかの影響を及ぼしたと考えるべきだろう。
つまり、考古学的にはまだ証拠は一切無いが、
地質学的には1万年前から関東平野は農業が行われ開墾されていたと考えるべきなのだそうだ。
この傾向は実は筑紫平野でも同じ。
ただ、あっちは地盤が沈降している上に潮位差が6メートルもあり、古い土壌が無い場合が多く、
他の地域との比較分析を待たねばならない。
89 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 21:27:24.22 0
>>88 >しかし、表層土だけ実は黒土が1メートルもある。
>同位体の測定からこの分厚い土はいずれも1万年以内に作られたと考えられるらしい。
>合理的に考えれば人間の活動が土壌形成に何らかの影響を及ぼしたと考えるべきだろう。
結論から言わせてもらえば、その黒土の層は森林の落ち葉による腐葉土である。
今は木の殆ど生えていない関東平野も、江戸時代以前は鬱蒼とした巨木の生い茂る屋久島のような原生林が広がっていた。
直径が優に4mを超えるようなスギ、ヒノキ、ケヤキ、クスノキが至る所に生えていた。
その豊富な森林から供給される大量の落ち葉によって分厚い黒土の層が形成された。
原生状態の関東って、照葉樹や常緑広葉樹じゃなかったの?
杉やヒノキなんて生えてたの?
基地外さんだろう
92 :
世界@名無史さん:2012/06/03(日) 22:05:19.06 0
>>90 色んな植生が混ざって繁茂していたと考えられる。
無論、標高によって針葉樹と広葉樹の生える場所の違いはあったけどね。
あと、照葉樹が多いのは西日本であって、関東ではあまり無い。
分厚い黒土と言えばウクライナのチェルノーゼムが有名だが、背の高い草原地帯だったという
関東の黒ボクの場合はどうなんだろ。元草原だったとか人間のかく乱により草原が維持された
といった記述もあるようだが
94 :
世界@名無史さん:2012/06/04(月) 01:12:56.94 0
黒い土だったらみな良い土?
黒ボクの場合、火山灰成分の関係でリン不足になるのでそのままでは良くないそうで
現在は化学肥料でリンを足して使っているそうだ
96 :
世界@名無史さん:2012/06/04(月) 07:30:49.36 0
じゃあ、骨・・・
97 :
世界@名無史さん:2012/06/12(火) 01:06:52.95 0
【高知】 「県内各地で、ご神木など大木が人為的に枯らされる被害が相次いでいる。いったい誰が、何のために…謎は深まる」★3
1 :再チャレンジホテルφ ★:2012/06/11(月) 22:43:48.43 ID:???0
いつごろ、何で読んだのかは忘れてしまったが、米国の初代大統領ジョージ・ワシントンの少年時代の話は記憶の底に残っている。
桜の木を切り、怒った父親に「自分がやりました」と正直に告白、逆に褒められたという逸話だ。
多くの人々の心を打った誠実な少年の話は、いまでは伝記作家の創作とされている。
それでも先年、ワシントンが少年時代を過ごした住居跡が発掘された際、桜の木の切り株を捜したのは、神話が生き続けている証しといえる。
県内各地で、クスノキやヒノキ、スギの大木が人為的に枯らされる被害が相次いでいる。
ワシントン少年はおのを使ったが、こちらはドリルで根元に十数カ所の穴を開け、薬剤を注入するという悪質さ。
樹木医の懸命の治療でも回復しなかったようだ。
神社の「ご神木」として、地域の住民らに古くから親しまれてきた大木も含まれている。
「罰当たり」というほかないが、手間をいとわない周到な手口からみて、単純ないたずらとは考えにくい。いったい誰が、何のために…謎は深まる。
日本樹木医会県支部はボランティアの協力を得て、早急に見守り体制をつくるという。
広い県土ゆえに難しさはあるだろうが、地道な努力が再発防止につながればと願う。むろん、警察の捜査にも期待したい。
大地に根を張った巨木は、その地域の自然や歴史などを体現したような存在だろう。これ以上、悲しませないで。
高知新聞 2012年06月10日07時59分
http://www.kochinews.co.jp/?nwSrl=289484&nwIW=1&nwVt=knd 犯人は間違いなくチョンだな。
>>89は平成18年ごろから「古代の関東地方は大森林だった!」などとガセ並べているキチガイだよ。
99 :
世界@名無史さん:2012/06/21(木) 00:10:46.03 0
どうして古代の武蔵野が大密林じゃなければならんのかね。
誰かと賭けでもしたならばともかくも。
「わたしが嬉しいんです・・・」
101 :
世界@名無史さん:2012/06/21(木) 13:22:02.87 0
俺が思っている人類の進化は、黒人誕生 → 突然変異によるアルビノ化人誕生 → 黒人と交配
→ 色白の人種が誕生 → イジメられる+似たもの同士の交配が進む → 色白系が北へ逃亡+黒人か
らの支配からの脱却+支配されることへの反骨精神が白人系にDNAに刻み込まれる+支配され
る前に支配しようぜという精神が根付く → 現代に至る って感じ
いじめられて北へ逃亡というか、紫外線脆弱性とビタミンD摂取容易性のコンボで、
南方ではキツかったアルビノ系色白が北方では生存に有利で、自然淘汰により残ったって話だろう。
もっとも、黒人からの最初の変化は中東において旧人との混血で生じた・・・という線も残っているようだが。
103 :
世界@名無史さん:2012/07/22(日) 19:01:16.01 0
先月、鎌倉のに紫陽花寺に紫陽花を観に行った折、鎌倉大仏へも足を延ばしたのだが
大仏の周囲に直径1.5m×高さ50cmもある巨大な円形の板石が規則的に並べられていて
帰宅後に気になって調べたら大仏造立当時は大仏殿に納められていたそうだ。
後の自然災害か何かで失われてから露座になったという。
この大仏殿に使われていたであろう巨大な柱は恐らく関東平野から伐採された巨木であったのだろう。
直径1.5mもの柱を得るにはその倍以上もある材木を中心から十字に割り、角を取って丸く仕上げるので
相当大きなヒノキの巨木が当時の関東平野にはあったのであろう。
当然ながら鎌倉時代には縦挽き用の大鋸(おが)が無かったので木目の通ったスギやヒノキしか建材に利用できなかった。
104 :
世界@名無史さん:2012/07/23(月) 22:32:12.87 0
欅材の立場が・・・
105 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 00:21:35.12 0
要約すると、中世以前の関東は鬱蒼たる大森林地帯だったという結論でOK?
106 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 00:33:03.48 0
平成16年ころから「太古の関東平野は大森林だった!」などと
ガセ流してるキチガイだな。
実際のとこは湿地帯が中心だったんだっけ?
ところで昔から大柱は良材の名産地から遠路とりよせてる例がいくらでもあるのに、
なぜ鎌倉大仏殿は近場から伐採したという前提なんだろう・・・・
108 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 00:55:36.54 0
中世以前の関東平野は屋久島並みの深い原生林に覆われ、
直径4〜5mも有ろうかという楠、欅、檜、杉、松など巨樹が至る所に生えていた。
しかし、近世以降は江戸の町への建材需要が増え、針葉樹が優先的に伐採されてしまった。
現在、関東の至る所に残る楠や欅の巨樹は建材として不向きなため伐採を免れた樹木達。
多くの巨樹が伐採された後の土地は森の腐葉土によって形成された豊かな黒土層が残り
その栄養豊富な土地の多くが新田開発によって広大な農地へと転換され、現在のような
木の殆ど生えていない関東平野へと風景が一変してしまった。
森が無ければ、関東の黒土はできず、火山灰層(関東ローム層)むき出しの不毛の大地のままであっただろう。
109 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 01:02:18.88 0
>>107 遠路遥々巨材を運ぶのは周囲の豊かな森林資源が枯渇しているからに他ならない。
近場にあれば、それを利用するのが普通の思考。
奈良の大仏殿も天平期には畿内で伐採した巨木を用いた。
110 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 01:45:12.47 0
バカだなぁ。
クスノキは本来、関東地方の気候に合った樹木ではないんだよ。
そもそも関東のクスノキは、すべて人為的に植栽されたものだ。
第一、クスノキ、ケヤキ、ヒノキ、スギ、マツは
同じ気候、同じ土壌で等しく生育できるものではない。
ガセ垂れ流すならば、もっと勉強なさいな。
たしかにそうだww
> 第一、クスノキ、ケヤキ、ヒノキ、スギ、マツは
> 同じ気候、同じ土壌で等しく生育できるものではない。
>>72 >>74 須佐之男命が天界追放になった際に木の種を携えていて、最初に降ろされた新羅を嫌って、
海を渡って出雲に至り倭の島こそ住むべきところだと気に入って、子や孫を動員して各地に
木の種を植えてまわった、という話が、記紀にあるよ。
これは、日本には鬱蒼と草木が茂り、韓は禿山と荒地だらけなことの理由として述べられて
いるんだけれど、神=祖霊だから、読み方によっては、日本は大昔から木の種を植えることで
緑化を保っていた新羅は植林を知らないから禿山だらけ、ということにもなるよね。
113 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 08:38:15.65 0
東京で見る楠って、どれも惨めなほど細くてちっこい木ばっかりだからなぁ。
114 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 09:51:34.04 0
今、東京に植え付けられている楠は、かつて樟脳を採るために南部九州に植えられていたのを移植したものが大多数。
115 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 10:48:49.98 0
>>108 人が農業を始める前の原始風景は、
台地の上は、草原か灌木か赤松林
傾斜地・沢筋は、森林
低地は、湿地性の草原か湿原、湿地性の森林
と某町役場が発刊した地誌にかいてあったんだけど?
116 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 11:12:56.84 0
117 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 11:21:07.35 0
縄文海進の東京。
118 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 11:25:49.46 0
かつて平安まで東京には平野自体がほとんど無く、
海から見ると指の股のような深い切れ込みを持つ半島が突き出していた地形だった。
山の手というのはこの地形から来ている。
119 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 12:34:01.71 0
しっかし何で「太古の武蔵野は大森林だった!」などと
永遠にガセを垂れ流し続けるのかね。
自分の論と共に死ぬつもりだろうか。
でっかい珪化木とか出てきてるけれど。関東に限らず、そりゃ日本一円どこからでも。
121 :
sage:2012/07/24(火) 18:39:38.51 0
いきなり恐竜時代の話を持ち出されても。
122 :
世界@名無史さん:2012/07/24(火) 22:51:17.24 0
>かつて平安まで東京には平野自体がほとんど無く
え?
「中世以前の関東平野は大森林だった」で論破されたから、
悔し紛れに新たなガセを流しているんだろ?
>>122 開墾して木を伐って土砂が流れ込んで入り江が埋まって平地になった。
丘になってるところがもともとの陸地、川沿いの平地が平安時代くらいまで海だったところ。
えーとww どこから突っ込めばいいかなw
とりあえず土師真中知とかググってもらうと早いかな?
127 :
世界@名無史さん:2012/07/25(水) 20:47:43.89 0
>>125 ということは平安時代は20万年前だということかw
128 :
世界@名無史さん:2012/07/25(水) 21:56:46.73 0
>>127 そんな太古でないよ。
A.D.1600年、徳川家康が江戸に入った時点でも海岸線は今よりもずっと内陸だったよ。
日比谷入江と言って江戸城の東側は深い入江が入り込んでおり、更に古い時代には
不忍池が入江の最奥部だったよ。
つまり、今の不忍池は入江の最奥部が海と切り離された残骸。
また、銚子付近から関東の東側に湾入していた香取海は江戸初期まで存在し、現在は孤立している
霞ヶ浦、北浦、手賀沼、印旛沼、牛久沼などもその一部だったのさ。
これらの入江や内海が急速に湿地帯を経て陸地化したのは中世末〜近世初頭のことよ。
その時期に起こったのは紛れもなく100万都市江戸を建設するために行われた乱伐による土壌流出に他ならない。
建材は50年ごとの大火の度に必要に迫られたし、薪使用に制限があった都市部では木炭の消費量が膨大で
これらの燃料にあてがわれた森林資源はそれこそ無尽蔵に近い関東の原生林から用立てられたんだよ。
短期間で爆発的な人口増加を支えられたのは関東の原生林の賜物以外の何者でもないんってばさ。
129 :
世界@名無史さん:2012/07/25(水) 22:19:22.65 0
台地面は関東平野に含まれないということか(爆笑)
130 :
世界@名無史さん:2012/07/25(水) 22:36:22.08 0
>>129 台地も当然含まれるよ。
その部分の土壌が流出して入江や湾を埋めて広大な一続きの平野になったのが関東平野。
むしろ台地上こそが原生林だった場所で、乱伐され尽くされて畑地に転換されたワケです。
ちなみに、台地上に点在する鎮守の杜として残る古い神社の林は太古の原生林の残骸。
南関東がまだ照葉樹林だった時代に生えていた楠の巨樹に出会える数少ない場所。
その後、照葉樹林は衰退し、欅など落葉樹や檜や杉などの針葉樹に植物相が変化していったのも関東平野の特徴の一つ。
どっちかというと、
>>124のスレで話すべき内容だな。
132 :
世界@名無史さん:2012/07/25(水) 23:09:38.64 0
>>131 昔の関東に豊かな森があったことを否定する人って、もしかして関西の人ですか?
実は関西も古代には深い森に覆われていたんですよ。
でも奈良〜平安時代にかけて都の造営や大寺院の建立などで膨大な森が失われたんです。
そして森林資源を求めて山陽地方の森からも木が伐り出されたんです。
鎌倉時代には山口県の森から切り出されたヒノキが奈良の大仏殿再建用に使用されました。
更に時代が下ると、南九州のスギさえも伐採され始めました、
秀吉は方広寺の大仏殿に屋久杉を使ったのです。
そりゃそうだべな。
太古の関西は大森林だった。
何せ照葉樹林帯の本場だ。
大阪の池上曽根遺跡からはヒノキ造りの神殿跡とともに、
直径2mのクスノキをくりぬいて作った井戸の枠が出土している。
しかしだからと言って、関東平野が大森林だった理由にはならない。
「武蔵野は 月の入るべき 山もなし 草より出でて 草にこそ入れ」
この古歌をどう説明するんだね?
あのー、沖積平野って言葉をご存知でしょうか?
東京の平野、江戸開府時点で江戸城からみて東方向に広がってたよ、隅田川のおかげでね。
不忍池が入江だったのは有史以前の話、古墳時代ころに池になったんだけど当時も伐採は酷かったのかな。
ほかに例であげてる日比谷、あれは後に普請による埋め立てで大名屋敷街になったとこです、話の流れと無関係だね。
そうそ。
神田川の開削で出た土砂で江戸前浜を埋め立てたのね。
北浦や霞ヶ浦の内陸湖沼化は伐採による土砂の流入もあったろうが、
近世から休みなく続けられた干拓、そして天明三年の浅間山大噴火による
火山灰や土石流の影響もある。
おみゃーさんは、歴史を学ぶ前に地理を学ぶ必要があるわなw
あと、タイムスケールの感覚が決定的におかしいわ。
縄文海進(6千年前が温暖期ピーク)と江戸期以降の埋め立ての歴史がごっちゃになっとる・・・
しっかし何故「上代の関東平野は大森林だった!」に異様なほどこだわるのだ?
138 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 01:01:58.49 0
>>133 >「武蔵野は 月の入るべき 山もなし 草より出でて 草にこそ入れ」
>この古歌をどう説明するんだね?
山というのは「山地、山塊、山脈」の意味。
関東は平安京のような山々に囲まれた盆地ではないので、「月が山に入る」わけがない。
無論、秩父山系や筑波山近くからなら月の入りも見られるかもしれないが、遙か関東平野のド真ん中では
月の隠れる高い山は近くにないのは地形的な事実ですよ。
地形的な事と森林の有無は話の摩り替えに他ならないと思います。
尚、「草より」の草とは湿地帯に繁茂するアシやヨシなどの事です。
つまり、古代から栄えていた土地と言えば
>>126氏が上げて頂いた土師真中知などが居た
浅草付近など当時は低湿地が広がっていた河口付近のことです。
確かにあの辺りで見る月は歌に通り「月の入るべき山もなし」「草より出でて草にこれ入れ」ですね。
ふーん?
じゃあ武蔵国国分寺や府中のあたりはどうなるんだい?
大森林の中にポツンと寺や国府があったのかい?
140 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 01:16:01.28 0
>>134 日比谷の入江が家康の江戸入府後に神田山を切り崩した土砂等で埋め立てられたのは事実です。
しかし、それは最終的な結果に過ぎません。
つまり、江戸以前は更に内陸まで入江が入り込んでいたことを覆す根拠ではないのです。
実際は「埋め立て+土壌流出」の相乗効果によって江戸湾の海岸線は後退していったのです。
その証拠に神田山を切り崩した後の時代でも埋め立て地は徐々に広がり、現在も尚広がっています。
流出した堆積物によって海底が急速に浅くなって行き、そこを人間が土を埋め立てる作業が繰り返されているのです。
ちなみに保水効果のある原生林が失われた結果、起こったのが河口付近での河川の大規模氾濫でした。
これに対処するために行われたのが利根川の流路変更工事と荒川と隅田川の分水でした。
142 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 01:23:59.43 0
>>135 近世の干拓は土壌流失で浅くなり湿地化した部分から成されました。
その土壌流出こそが原生林の乱伐によって引き起こされたのです。
また、浅間山や榛名山など群馬の火山は江戸以前にも何度も火山活動を記録しており
天明3年の噴火のみで香取海が急速に埋まってしまったと考えるのはナンセンスです。
>>142 そうだよ。榛名山は5世紀に大噴火してるし、
浅間山なんかは中世の天仁年間に天明以上の大噴火をしている。
これによって北関東は砂礫に覆われたという。
だとすれば大森林があったとしても、「噴火」で破壊されたろうね。
「乱伐」で破壊されたことにはならないだろうね。
144 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 01:38:23.67 0
>>141 >利根川東遷事業
明暦の大火後、寛文年間に完了しました。
つまり、大火によって原生林の乱伐が更に進み工事に支障を来したことが伺えます。
>荒川放水路の開削
自分が挙げたのは寛永年間の荒川瀬替え工事のことです。
145 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 01:45:04.60 0
>>143 森林が破壊される程の砂礫というと火砕流の直撃とかですが
関東平野を覆い尽くす程大規模な火砕流は起こっていません。
多少の火山灰の降灰ぐらいでは森は生き続けます。
例えば今も継続して噴火している桜島のある南九州に豊かな森があるのと同じです。
最も強力な自然破壊は古今東西、人間による乱伐なのです。
>つまり、大火によって原生林の乱伐が更に進み工事に支障を来したことが伺えます
「うかがえます」?
つまり「自分がこう思うからこうなんだ!」ということだね?
ソースの資料は無いの?
ダメだねぇw
で、武蔵野国国分寺や大国魂神社のあたりも大森林だったの?
人跡未踏の森の中にポツンと寺や神社や国府があったのかい?
そこに住む人を養うための田畑はどこにあったんだい?
ウィキの浅間山のページより。
1108年(嘉承3年、天仁元年:平安時代) 天仁大規模噴火。
30億トンと推定される噴出物を伴う大噴火。上野国一帯に噴出物が降り積もり、
田畑に壊滅的な打撃をもたらした。「中右記」に記録されている。
天仁元年9月5日の条に、この年の40年も前の治歴年間(1065〜1069)に噴煙が上がっており、
その後も少しではあるが噴煙が上がり、同年7月21日になって突然大噴火を起こした。
噴煙は空高く舞い上がり噴出物は上野の国一帯に及び、田畑がことごとく埋まってしまった、
と記されている[9]。
復興のために開発した田畑を豪族が私領化し、さらに荘園へと発展した。
この噴火は上野国の荘園化を促すきっかけとなった。
また、長野県側にも火砕流(追分火砕流)が約15Km程駆け下り、湯川、小諸市石峠付近まで達した。
天明の大噴火よりも大規模な噴火だったとされている。
「田畑が大被害を受けた」と書いてあるよ?
平安期から上州の平野部は田畑だったんだよ。
大森林ではなくてね。
148 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 01:52:31.47 0
>>146 国分寺や府中付近は中世には鎌倉街道の上道が通っていますが
古代から街道の通ってる地域でした。
つまり、古代の武蔵野は街道沿いや河口付近に都市が発展していたのです。
そりゃどこでも街道や港のそばは栄えるだろうさ。
だからといって、それ以外の地が大森林だった理由にはならないよ?
150 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 02:01:29.36 0
>>147 >「田畑が大被害を受けた」と書いてあるよ?
>平安期から上州の平野部は田畑だったんだよ。
>大森林ではなくてね。
単に「田畑が被害を受けた」という記録であって
上州の平野部の全て田畑だったとはどこにも書いていませんね。
wikiに頼るのではなく、ご自身の足と目で探してみるのが歴史の醍醐味です。
ふーん?
じゃああなたが歩けば上州の平野部に平安期の大森林の痕跡を
発見できるのかい?
152 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 02:04:39.09 0
>>149 逆を言えば、それ以外の土地が野原や田畑だったとも言い切れません。
例えば中山道などは多くの部分が森の中を通っている道です。
言うに事欠いて、山間部の中山道を持ち出しますかw
>>133 万葉集って、畿内の歌枕については地形との矛盾は少ないけれど、
遠国の歌については矛盾だらけだよ。行ったことも無い土地に適当なそれこそ「イメージ」で読んでるものが多いから。
>>145 葉っぱの上に火山灰が降り積もって草木が枯れる。
富士山の噴火で飢饉になったりしてるのと同じ原理。
157 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 06:46:39.60 0
>>145 関東ローム層の厚さがどのくらいあるのか知ってる?
>>147 上州って、今でいうと、グンマーだよ。
焼畑ではないの?
159 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 10:49:38.26 0
太田道灌が作った砦は今の初台にある。
理由は武蔵の国との境で船の往来が監視できる場所だから。
初台は渋谷区。新宿都庁から1キロ程度の所。
土地勘のある関東人には意外に感じられるだろうが、要するに昔はその辺まで海。
隣接する代々木や神宮には貝塚の遺跡もある。原宿は干潟だった。
やはり都庁から数キロ圏の四谷では津の坂というのがあり、かつては入り江の奥の港だったという。
いつまでスレ違いの話やってるんだよ。
>>124のスレでやれ。
奈良時代らあたりは今よりも海面が6〜7メートル高かった。
荒川たど川越の入間大橋近辺が標高6メートル。
と、なると、川筋では川越市・さいたま市ら辺まで入り江だったということになる。
入り組んだ入り江と陸がごちゃごちゃしていたところだったろう。
大森林厨があわれになってきた。
164 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 21:52:46.44 0
化石燃料がエネルギーの中心になる以前の時代は
政治の中心地は森の中に造られ、森の資源を食い潰すと遷都する事が常でした。
日本だと
弥生…北九州(奴国、邪馬台国)
古墳〜奈良…奈良盆地
平安〜室町…京都盆地
安土桃山…近江盆地
江戸以降…関東平野
もうお分かりの方も多いだろう、日本の政治中枢は約2000年かけて西から東へと移動してきたのです。
鎌倉時代とかやや例外もありますが、首都はあくまでも京都でした。
世界史に目を移してみても原生林の衰退と文明の先進地域の移動は中国でも西洋でも起こっていました。
中国は中原から段々東に移動して明代には南京に遷都しましたし、西洋の場合は
メソポタミア⇒バルカン半島⇒イタリア半島⇒イベリア半島⇒ブリテン島⇒北米大陸へと数千年かけて西へと文明の先進地域が移動したのです。
イギリスが世界に冠たる帝国に伸し上がれたのも北米という無尽蔵の森林資源を手に入れ、
巨大な外洋帆船を次々に建造できたからに他なりません。
地中海やイベリア半島にあったかつての先進国が衰退したのは大型船を造れるだけの豊富な木材資源が枯渇したからでした。
中東の衰退はレバノン杉の乱伐と、それに伴う土壌流出によって良港が浚渫不能なまでに土砂が堆積したからです。
船も造れず、港も埋まり、栄華を誇った地中海の海洋国家は没落したのです。
>>164 安土桃山時代って、
名古屋⇒岐阜⇒安土・長浜⇒京・伏見⇒大坂
ってふうに西へ移ってるけれど・・・・・・・
166 :
世界@名無史さん:2012/07/26(木) 23:13:51.14 0
>>165 那古野(清州)や岐阜(稲葉山)時代の信長はまだ政治的実権も
それほど大きな存在ではありませんでしたので除外しました。
まだ武田信やも上杉謙信は信長よりも大きな存在でした。
信長は安土城の頃から本格的に政治的中枢に君臨するようになったのです。
大坂に城を構えた秀吉は天下を統一した直後から衰えを見せ、五大老の一人であった
家康が実権を掌握していましたので、実質的には大坂に政治中枢があったのは束の間です。
例えば奈良時代に一時的に恭仁京や難波京に都を移したように、短期間なものは除外しました。
平安後期の福原京とかも一時的な都の移動ですが、同じく除外しました。
あくまで長期的かつ日本の政治的中枢という意味では西⇒東へと国の中心は移動しているのです。
森が無いと人は生きていけない事がここでも証明されました。
ほんまもんの年寄なんだろうなあ。
別のスレにもいるが、延々と繰り言。
中坊でしょw
>>166 そうかあ?
一応、関ヶ原の戦勝で決定的になって、江戸時代は政体将軍宣下、江戸幕府開設からということになってるけれど、
実際のところ、徳川の世が決定的になったのは大坂戦役だし、それまでは、それこそ、伏見大坂時代とでも言うべき
状態。徳川もなにかやるには一々京や伏見に上ってきていた。
江戸がまっとうに政治都市の形になるのは、家光の時代からだし、消費や産業の成熟してくるのは18世紀後半。
この大森林厨は平成16年に現れた当初は、日本の木材加工の歴史を理解していなかった。
だから平安・鎌倉期の日本に縦引き鋸の製材方式が無かったことを知らず、
「鎌倉大仏の大仏殿はケヤキで作られていました」などとボロを出した。
縦引き鋸が無ければ繊維の込み入ったケヤキを製材できないのにね。
そのころから比べたら進歩したとは言えるが…
失礼。
よく思いなおしたら、大森林厨の初見は平成18年、2006年だった。
http://logsoku.com/thread/raicho.2ch.net/newsplus/1315016088/ 808 : 名無しさん@12周年 : 2011/09/04(日) 10:42:03.55 ID:F4Y7miTX0 [4/5回発言]
>>791 巨大建築が破壊され、再建案が持ち上がる度に問題になるのが巨大な用材の確保。
鎌倉時代以前の関東平野は直径数メートルものクスノキやケヤキの巨木が鬱蒼と茂る大森林地帯だったが
その後の開発で現在のような田畑の広がる姿になってしまい、巨材の確保が困難になってしまった。
奈良の大仏殿も全国を探し回ってやっと用材を集めたそうだが、
それでも天平創建時の半分以下の規模でしか再建できなかった。
豆知識な。
こんなスレでもガセ流してる。
でもこの文体は以前食文化スレを荒らしていた通称「豚」に似てるな?
>>173 さすがに亜熱帯域にかかるような屋久島を
降雪地帯まで含む日本全土にあてはめるのは無理が多かろうかと。
175 :
世界@名無史さん:2012/07/27(金) 11:52:06.60 0
>>166 基本的に、森林部族は原始的な政治体系が多い。
森は障壁であり、流通を妨げる。
畿内が発展したのは瀬戸内海があったから。
江戸が発展したのは参勤交代と大名人質による強制的物流があったから。
関東は元々木材資源が少なく、甲信越地方から木材を切り出して江戸の街を作った。
そのためアルプスの多くは禿げ山になり、大洪水が起こった事は有名。
ギリシャ文明があっけなく滅んだのも、
森林をむやみに伐採したためだそうです。
日本の山も杉・ヒノキ畑状態。
しかも天然林を伐採して植えっ放し。
これは、ジミン党の歴代の親玉が山持ちだったか、パトロンがそうだったか
です。山林所有には大甘。
おかげで、林野関係の借金は莫大になったが、どうするんだろ
178 :
世界@名無史さん:2012/07/27(金) 22:01:56.48 0
>>175 森林は文明を育てます。
そもそも、ヨーロッパを発展させた源こそが豊かな森でした。
しかし、先進地域の地中海側では古代から伐採が続き、灌木の目立つ茫々たる風景となりました。
中世以降に栄えたのスペイン、フランス、ドイツ、イギリスなどは元々は後進国でしたが
森林資源に恵まれていたために世界の覇者になれたのです。
多くのアジア諸国(中東、中国、インドなどの文明先進国)も中世以降は木を切り尽くした関係で
後進の西欧諸国に脅かされるようになってしまったのです。
その中の唯一の例外が近世になってもまだ国土の森林資源を切り尽くしていなかった日本です。
日本は豊かな森林資源を背景に近代国家の仲間入りに成功したアジアで唯一の国です。
じゃあ熱帯雨林を有していた東南アジア諸国はどうなるん?
180 :
1:2012/07/27(金) 23:28:59.69 0
すまないねぇ。
論破されたガセを垂れ流す香具師がいるもんで。
お前キモイ。どうせ日本史の話なんて読み飛ばすだけなのに
183 :
世界@名無史さん:2012/07/28(土) 03:27:50.56 0
さて、話題を変えるか。
人間が塩を必要とするようになったのは、本格農業をはじめたから。
雑食である限り、本来人間は塩を別途摂食する必要は無い。
つまり、初めて塩を作る(流通する)ようになった所が、農業の発祥地。
日本の場合、縄文期の製塩土器は宮城県が中心だ。
ドングリ類の植林と雑穀の栽培による焼き畑農業だった。
それを裏付けるように縄文人の歯はとても小さく、実は弥生人の方が大きい。
これは柔らかい植物性の食事を非常に長い世代に渡って続けられていた事の証でもある。
そして、製塩土器の分布方向は北上している。
これは実に興味深い。
何故、農業の始まりは宮城であったのか。
何故、暖かい南に向かわず、北に向かって広がっていったのか。
184 :
世界@名無史さん:2012/07/28(土) 03:36:55.40 0
しかし、これは以外に簡単な答えだ。
答えは貝である。
福島以南から関東は貝塚のメッカだ。
つまり、この地域は動物性タンパクと同時に塩分も豊富に取れていたために
製塩も、そして本格農業も必要としていなかった。
恐らく、植物性摂取は芋類の栽培をして賄っていたと考えれている。
つまり、農業はもともと豊かな土地で発展するものではなく
ある程度負荷のある地域で発展するものだ。
>>183 >人間が塩を必要とするようになったのは、本格農業をはじめたから。
>雑食である限り、本来人間は塩を別途摂食する必要は無い。
農業始めると雑食で無くなるのか?
草食になるのか?
>日本の場合、縄文期の製塩土器は宮城県が中心だ。
>ドングリ類の植林と雑穀の栽培による焼き畑農業だった。
ドングリだの雑穀だのいうのは日本中あちこちで食ってたんじゃね?
なんで縄文の宮城人は塩がないとダメなの?
>>184 世界史に目を向ければ低緯度付近で開始された農業発祥地は幾らでもある。
ニューギニア高地、ユカたん半島、モホス平原、ニジェール川流域。
186 :
世界@名無史さん:2012/07/28(土) 13:59:49.16 0
>>184 >農業始めると雑食で無くなるのか?
雑食ではあるけど、極端に植物依存になる。
だからちゃんと食べてても脚気やくる病になる。
ただ、東日本は水産資源も豊富だったから、
後の稲作農業ほど酷い状態ではなかったけど。
>ドングリだの雑穀だのいうのは日本中あちこちで食ってたんじゃね?
自然採取で取れる量は限界があって、それが当時の人口差に現れているね。
縄文中期まで、西日本は東日本に比して非常に人口が少ない。
これは、東日本人が本格農業をしていたからではないか、と推察できる。
>低緯度付近で開始された農業発祥地は幾らでもある。
農業そのものは恐らく赤道直下で始まったものだよ。
原始農業は芋類の栽培だろうね。
一説にはインドネシアが発祥とも言われてるけど。
ただ、原始農業は基本的に低緯度でも高地で行われている。新大陸もおなじ。
これは、熱帯だと食物が豊富なので農業という重労働をする必要がない、
品種改良された植物は熱帯の気候に耐えられない、
・・・・つまり、雑草が生えて栄養が取られる、害虫が発生し易い、畑を維持するのが困難である、
という理由による。
>>186 >雑食ではあるけど、極端に植物依存になる。
農民は家畜や家禽を飼って肉や玉子も食うんと違う?
塩を生産しはじめたのは加工品(漬物、チーズ、味噌、豆腐)を作るのに必要だったから。
要は加工品を作って他集団との交易の際により付加価値の高い商売をするため。
つまり、塩の生産は商取引の出現と同時期と考えられる。
因みに中国最古の王朝は「商」というが、商が繁栄の礎を築いたのが塩の販売。
また、商の滅亡後にその遺民が各地を流浪しながら訪問販売したのも塩。
故に商人とは塩を売る商の人の意味だった。
>縄文中期まで、西日本は東日本に比して非常に人口が少ない。
当時の西日本は喜界カルデラや九州南部の活火山の影響で火山灰が大量に降下して住みづらかったから。
海底火山の爆発前は人間も多く住んでおり、鹿児島の火山灰層の下からは縄文前期の大集落も見つかっている。
>原始農業は基本的に低緯度でも高地で行われている。新大陸もおなじ。
ニューギニアやアンデスは高地だが
ユカたん半島は高地ではないけど、トウモロコシやカカオの栽培を開始している。
ニジュール川流域も高地ではないコメやイモ類の栽培を開始している。
188 :
世界@名無史さん:2012/07/28(土) 18:49:24.33 0
>家畜や家禽を飼って肉や玉子も食うんと違う?
話がややこしくなるので、日本限定にすると。
日本人が鶏を食べ始めたのはかなり時代が下がってからの話。
記紀に鶏養部というのがあるが、
これは食うためではなく時を知るためのもので、一種の祭祀具。
牛馬、豚が入ってきたのは弥生時代と言われている。
もっと早くから入ってきていた可能性も無いわけではないが、
少なくとも常食できるものではないな。
>塩の生産は商取引の出現と同時期と考えられる。
塩は海水で作る。製塩土器も当然、海辺の集落跡で見つかる。
しかし、海で生活してるならば、前述のように貝や魚類で塩分は取れる。
ならば何故彼らは塩を作っていたか?
それはつまり、海の遠い高地性焼き畑系部族が作った雑穀と交換していたからだ。
>当時の西日本は喜界カルデラや九州南部の活火山の影響で火山灰が大量に降下して住みづらかったから。
まさにその通りで、縄文中期まで西日本は辺鄙な文化後進地域だった。
それは、火山や台風などの影響で、気候が安定していなかったから。
では、人間の生活において気候が最も影響を及ぼすのはなんだろうか?
そう、農業だ。
当時の西日本は農業に全く向いていない土地だったために、縄文人はあまり住もうとしなかった。
>>188 縄文時代に始まった農耕ってのはまだそれ自体で食糧を賄えるレベルではなく
狩猟採集の片手間で行うようなものだから、収量も少なく栽培作物を毎日食べられるわけでは無い。
本格的な農耕社会はそれこそ弥生時代からでしょうよ。
なので焼畑で得られた作物を塩と交換するような余剰収穫物など殆ど無かったのではあるまいか。
物々交換で海の民が塩と引き換えに山の民から得たもの黒曜石や鹿角などの狩猟道具の原料だと考えるのが正解。
なので、東日本の縄文人が弥生時代さながらの本格農業を行っていたかには疑問が残る。
考古遺物的にも石包丁や脱穀用の杵臼や穀物保存用の倉庫など弥生時代に遺跡からしか出土していないし。
190 :
世界@名無史さん:2012/07/28(土) 20:42:20.86 0
いい加減にしろ
植物と人間の関わりの話に戻せ
農業の話がしたけりゃ農業スレに行け
191 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 02:12:14.64 0
十分スレの主旨に沿ってると思うんだが・・・・
むしろ、
>>190はどんな内容なら納得すんのよ?
まず君が手本示してくれ。
煽りじゃなくマジで。
192 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 08:35:47.91 0
製塩土器とか植物と関係ねーし
193 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 08:37:41.47 0
植物と人との歴史的な関わりについて語るスレです。
有用植物(薬草、野菜、果物、木材等)、
園芸(盆栽、園芸書、庭園、植物園、街路樹、並木道、神木)、
デザイン、アート(図案、模様、家紋、花札、絵画の中の植物)、
経済史(投機の対象となったチューリップ、百両、万年青、その他様々な植物マーケット)、
怪異を引き起こす植物の話まで自由に語ってください。
板名声に出して読め…って
>>2からしてアレなんだよなぁ
195 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 11:12:16.16 0
まあ、昔は冷蔵庫がなかったから
塩はかなり重宝されていたからな
漬物とかにも
ところで、外国にも日本の漬物みたいなものはあるの?
キムチを除いて
196 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 11:48:55.59 0
ザワークラウト、搾菜、ピクルス
料理の話がしたけりゃ食スレ池
198 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 12:58:50.09 0
食えない奴はいずれ餓死する
199 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 13:11:31.80 0
そろそろ、森林の話でもするか
200 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 13:25:49.72 0
隣の神社の森で鳴いているアブラゼミが朝からうるさい
201 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 13:28:19.30 0
虫板にいけ
202 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 13:33:51.78 0
蝉を食う民族だっている。
203 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 13:35:17.49 0
だからなんだ?
204 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 13:40:51.97 0
ちなみに猪はセミの幼虫が好物みたいだ
猪が大量発生してから、ウチの田舎ではめっきりセミが減った。
ちなみうなぎに蚕のさなぎを食べさせて味が落ちたとの書き込みが
あったが、猪も芋とかを食べまくると味がよくなるそうだ。
セミを食べている猪がおいしいかどうかはしらん
205 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 13:46:21.92 0
蝉と言えばSDN48w
必至に植物と関係ない話へ誘導する奴って何なの?
誰か、真っ当な植物ネタ持ってこいよ。
207 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 15:31:36.73 0
今年の東京には蝉がいない。
ヤバい。
208 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 15:49:47.45 0
日曜の昼間から部屋に引き籠ってる奴には蝉の音など聞こえないだろう。
表に出ろ、森を歩け、騒がしいぐらいの蝉の合唱だぞ。
東京都内なら明治神宮、新宿御苑、神宮外苑、靖国神社、石神井公園あたりを散策するが宜しかろう。
歩いて森を体感しろ。
>>188 オランダ統治時代のインドネシアにいくつかそういう部族があったという話
雨季は高地の集落で田んぼを耕していて、乾季になると数十キロ離れた海辺やときに数百キロ離れた
別の島の別の浜に出向いて交易用のイリコを作って、乾季の終わりにジャカルタやアンボンの町で
食料や日用品に換えて、また元の田んぼのある内陸の高台に帰ってゆく。
ナマコはどこの浜でも沢山とれるけれど、イリコに加工するには焙乾に薪が大量に必要で、薪炭材の
入手が最大の制約要因になっていたという。
何がヒントになるかというと、
塩水は海が有ればどこでも手に入る
海水から食塩を作るには大量の燃料が必要
>>209 スレ無視
いい加減にしろ
そういう話は食スレにでも行って存分にどうぞ
211 :
世界@名無史さん:2012/07/29(日) 16:55:13.94 0
薪の話は重要だな。人類とは切っても切れない関係にある。
肉食獣から身を守るためにも、製鉄にも大量の木炭が必要。
鉄と疫病は人類史に欠かせない要素だが、実は植物の方がよほど重要だ。
文明の盛衰と木の年輪は明らかな因果関係にあるしな。
>>210 皆こっち系の話題の方が興味あるっぽいが。
IDでないんでアレだが、書き込んでるの一人じゃないよ。
そういう話題なら、自然環境スレへどうぞ。
専門スレあるのに何でここで語るの?
そんなだから大森林厨が湧いてくんだぜ。
大森林厨房は最初に自然環境スレに現れたのを論破されてるんだぜ。
だからほとぼりが覚めたのを見計らって、こっちのスレでガセを流したんだろ。
>>213 それとスレ違いな話題を投入するのとは別問題。
製塩土器だのイリコだの植物と関係ねーつの。
話題の幅が広がると必ず脱線してスレ題を平気で無視する奴が湧く。
植物と製鉄とか製塩とか絡めた話したけりゃ銃病鉄スレ逝け。
そっちの方が相応しい。
>>214 焙乾に使う薪炭材は、木なんだけれど、植物ではないのかい?
日本史ネタじゃなければ別にいいや
218 :
1:2012/07/30(月) 12:09:13.55 0
テンプレには有用植物として木材も入れてますし、薪の用途として語る分には
スレ違いではないと思います。
「植物と人類の歴史」というスレで、燃料としての木材ってど真ん中のお題じゃないか。
農業は控えめにというんだから、当然林業と採集が中心になる。
他のお題はぶっちゃけおまけだろうに。
このスレは例の基地外が居着いてもスレ違いとは言えない。
適当にNGワードかませておくしかない。
220 :
世界@名無史さん:2012/07/30(月) 22:11:51.23 0
ちなみに薪炭需要の増加で森が伐採されることで文明が衰退した例は幾つもある。
日本の近世の場合、西日本は成長の速い照葉樹林なので原生林そのものが消えることはなかったが
落葉広葉樹林が大半だった関東平野からは原生林が消えた。
しかし、近代になってから化石燃料の利用が始まったため、東日本の原生林は消滅せずに済んだ。
関東各地に残る巨樹は伐採を免れた数少ない原生林の記憶。
>>219 >農業は控えめにというんだから、当然林業と採集が中心になる。
>他のお題はぶっちゃけおまけだろうに。
テンプレよく読めば、園芸の方により重きが置かれていることが分かると思うんだが。
並木道とかな
>>220は「屋敷林」と言うものに思いがよらないようで…
やはり例の大森林厨房かな。
224 :
世界@名無史さん:2012/07/31(火) 08:00:33.12 0
屋敷林が持てるような豪農以外は村共同の雑木林(里山)を利用した。
里山は人間の手が入った原生林の成れの果て。
元々は原生林の中に村ができ、千年以上もの開墾の末に鎮守の杜と里山のみが残った。
そしてその開墾された村々の田畑が繋がりあって広大な関東平野の耕地となり
鬱蒼たる太古からの原生林が消えた。
時期的には室町後期〜江戸初期の頃。
225 :
世界@名無史さん:2012/07/31(火) 10:21:02.63 0
屋敷林てのは北風除けが第一目的であって里山とは目的が違うのだが。
226 :
世界@名無史さん:2012/07/31(火) 10:25:18.60 0
>>220 落葉広葉樹だって生長は充分早いと思うぞ。
そもそも原生林とどういう定義で言ってるのか?
杉、ヒノキ、クスノキが茂る森から落葉樹林に鞍替えしたが、
やはり「室町後期まで大森林だった!」か
大森林厨房はどうしても中世武蔵野の草っ原を認めたくないようだな。
228 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 07:03:34.24 0
室町後期=もののけ姫の時代
火薬を手にした人類が自然の猛威を上回るパワーを得た時代。
比べものにならない程の破壊力、燃焼力、爆発力を以って太古からの地形すら変え始めた。
水と風は千年かけて森を作るが、火薬は三日で森を焼く。
自然と調和した生活をしていた後北条政権の関東から、破壊と収奪の徳川政権に変わったのが要因。
229 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 09:32:04.56 0
宮崎信者か。痛ぇ。
焼き畑農法は縄文時代から行われてたんだぞ?
何で日本の焼き畑は斜面なのか考えた事はあるか?
それは火の管理をするため、伐採した木材を運搬し易くするためだ。
昔の人の智慧で、雨がどのタイミングでくるか彼らはよく知っていた。
その機をつかんで準備をし、夕方に雨がくる日の朝に火を放ち延焼を防ぐ。
もののけ姫ではたたらの民が森を破壊していたが、事実は逆だ。
木を切り倒したら、その木材は製鉄や建築材に出荷される。
しかし、木の切り株は残し、火を放つ。
焼けて肥えた土地にまず、そばを植える。そばは半年で育つ。
その後、粟、稗などの五穀を順番に植えていき、
10年後には切り株から育った新しい若木が立派な森を作る。
そして5年寝かせてまた、伐る。
そうやって斜面から斜面へローテーションを組んで山を管理する。
彼らは植林はしなかった。
しなくても再生させる方法を知っていたからだ。
森を破壊したのは製鉄の民じゃない。
街という木材の集積地を作る平地の農民達なんだよ。
230 :
1:2012/08/01(水) 10:57:22.86 0
そうだよな。
まずは大森林厨房がこのスレを出るのが先決だ。
植物分類学の父と呼ばれるリンネ
このおっさん、自分の見つけた植物にエロい学名をつける癖があった。
学会の重鎮なため誰も文句が言えず、
彼の死後「恥丘」だの「処女の毛」だのといった植物が随分改名される事となった
また学会で彼に反対意見を言う学者は、
後日、ありふれた植物に自分の名前が付けられている事に気付くはめになった
自分がどんな大発見をしようとも、「名前が紛らわしい」という理由で自分の名前を付けられなくなるワケ
233 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 13:47:03.36 0
そういや、クリトリアっていう、すっげー卑猥な名前の植物があるんだよね…
和名は蝶豆。こっちのほうがいいなあ(笑)
234 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 14:42:36.00 0
命名権て発見者の特権じゃん。
変えられるんだ
235 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 17:08:12.40 O
麻は世界中で衣料用に使われてきたのに、嗜好品とされた文化圏が限られてるのはなぜだろう。
236 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 20:38:10.53 0
種類が違うから。
以上
237 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 21:31:19.28 O
>>236麻はみんな麻だよ。
「大麻草」なんて種類は存在しない。
238 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 22:10:38.36 O
あ、誤解のないように言っておくと、僕は大麻には興味ないし使用者でもないです。
単純に疑問として聞きました。
239 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 22:30:46.22 0
品種が違うから。
以上
ヨーロッパの「麻」の主力はリンネルだから種類が違うだろ。つーかそもそも麻じゃない。
リンネルは麻より寒いところが栽培圏だからそうなる。
お釈迦さんが悟りを開くときも専ら大麻の種を食っていたくらいだから、
中近東から日本に至るアジア全域は大麻栽培圏だね。
241 :
世界@名無史さん:2012/08/01(水) 23:28:19.28 O
つか、wikiとか読めばすぐに分かること聞く奴って…
そうか、夏休みだったか
今日からこのスレは
「植物の知らないこと質問コーナー」になりました
243 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 02:02:24.63 0
>>240 >お釈迦さんが悟りを開くときも専ら大麻の種を食っていたくらいだから
ラリってたのか。
244 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 02:52:03.56 0
スキタイ人は蒸し風呂の中で麻の実を焚き、その煙を浴びてラリっていたという。
>>229 ちげーよ。
平地には簡単に水が引けるから、焼畑みたいな使い捨てせず、恒久的な耕地にした。
それが出来ないから、傾斜地で粗暴栽培しているのが斜面の焼畑。
246 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 13:44:41.21 0
>>245 >焼畑みたいな使い捨てせず
そのいい加減な知識はアフリカとかのイメージで語ってるんだろうが。
日本の斜面農業は極めて計画的で、使い捨てにしたりなどしない。
ソバから植えてアワ、稗にいこうしていくにも順番があり、合理性がある。
たとえば3年目は若木がどのくらいの高さに成長して、どのくらいに栄養が必要かを理解して
植えるものを選択していた。
247 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 13:47:42.36 0
日本の斜面農業集落は中央アジアの高地性住居と極めて酷似している。
この部分から勉強し直すんだな。
>>246 三年もしたら耕地として使いようが無いから、木の生えるに任せて、十数年間は放置するだろ。
249 :
1:2012/08/02(木) 17:00:44.34 0
623 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/08/02(木) 16:12:30.39 0
産婆は陣痛に麦角、強心剤のジギタリスなど薬草を使うし、薬草は夜摘むと良いとされていた
特に夏至祭の前夜に摘んだ薬草は効果がある
しかし夏至祭は異教の祭り、キリスト教はこれを聖ヨハネの日として取り込むと同時に、
聖ヨハネ祭の前夜には、魔女や精霊が現れるという形で民間医療=異端として分離しようとするようになる
そのような流れの先にシェークスピアの『真夏の夜の夢』が生まれる
250 :
世界@名無史さん:2012/08/02(木) 22:37:10.77 0
朝顔の育て方を教えて下さい。
251 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 16:46:30.29 0
朝顔ってたまにカメムシが群がるから気をつけてね。
253 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 18:45:04.65 O
朝顔といえば、西洋朝顔(特にヘブンリーブルー)の種にはLSDの成分リゼルグ酸ジエチルアミドに似たリゼルグ酸アミドが含まれてるから、300粒ほど買ってきて細かく砕いて試しに食べたら、4回試したうち3回は下痢したけど1回だけキマった。
でももう試したくない。
254 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 20:41:55.58 0
日本でもお産や祈祷に麻が使われていたが、戦争ではどうなのかね。
ケルトは戦士が大麻をすっていたらしいが。
大麻にも種類があって、日本のサティバ種は麻薬として使われるインディカ種のように強い薬効は持っていない。
全く無い訳ではないが、アサシンのハッシッシの様な効果はない。
いわゆる麻薬としての成分はテトラヒドロカンナビノールという成分で、戦士が使うような精神作用はここから来る。
一方サティバ種に豊富なカナビジオールという成分は痙攣・不安神経症・炎症・嘔吐などの緩和という効果があり、
出産時には助かる効果だし、それ以外でも薬としての有用性は高いが、戦士に有用な成分ではない。
従って日本で戦士に麻薬を与えるような発想は出てこないと思われる。
ただしインドなどから入るインディカ種を使う場合は別で、特定の集団が唐渡りの麻薬を使ってというような話なら
無いとはいえない。
そして第2次世界大戦中は日本軍も色々使っていたようだが。
256 :
世界@名無史さん:2012/08/03(金) 23:19:49.90 0
>>255 麻はみんな麻だよ。
「大麻草」なんて種類は存在しない。
犬はみんな犬だよって言うのと同じだな
山はみんな山だよ
海はみんな海だよ
大森林はみんな大森林だよ
>>255 ヒロポンやろ?
工場の夜間操業とか兵士とかに使わせてたが
戦後在庫がだぶついて民間に流したせいで薬中の人を大量に出したという戦後日本の黒歴史な。
260 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 08:51:19.90 O
日本の麻にもTHC(テトラヒドロカンビノール)は十分含まれてるよ。じゃなきゃわざわざ北海道まで自生の麻を取りに行く奴はいない(笑)
まあTHC自体戦士向けではないが。
ちなみにアサッシンに麻を与えたのは戦意高揚のためではないよ。
まあどうでもいいが。
>>260 麻はみんな麻だよ。
「大麻草」なんて種類は存在しない。
知りたいことを聞くためにわざと適当書いて訂正レスを誘うというテクがあるらしいな
263 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 09:13:20.29 0
ていうか、ドラッグの話したけりゃドラッグ板いけよ薬厨
植物の話しろ植物の
264 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 10:52:36.97 O
んじゃ薔薇の話。
20世紀になるまで黄色いバラは存在しなかったって本当ですか?
265 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 11:05:51.53 0
wikiで調べりゃわかるようなこと書くのは釣りと見做して良いか?
>>255-256 亜種と種の区別をちゃんとしないから話がかみ合わないことになる。
255が言ってるのは亜種の話。
256が言ってるのは種の話。
267 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 12:43:37.71 0
穀物主体の食事が人類の皮膚の色を白くしたというのが定説。
>>266 だから犬は犬と同じだって言われてるじゃん
ドーベルマンもチワワも同じ種、亜種まで同じ
269 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 13:22:21.28 0
ライ麦や黒米など黒い穀物などいっぱいある。
ていうか、穀物の原種は総じて黒い。
アフリカが人間の故地であるのと同じで穀物の故地もアフリカ。
最初の人類がアフリカから穀物の種子を携えて世界中に拡散する過程で品種改良され白くなった。
尚、黒豚や黒山羊など家畜も元の色は黒だったが次第に白く改良された。
>穀物の故地もアフリカ
はいダウト
食い物スレにも出てきた釣り豚と思われる
夏休みの子供を釣ろうとしてるなこのキチガイ
272 :
世界@名無史さん:2012/08/04(土) 15:58:10.48 0
>ドーベルマンもチワワも同じ種、亜種まで同じ
品種
>>268 >だから犬は犬と同じだって言われてるじゃん
意味の無い自己満足の書き込みするな。
分かったならいいよ
結局このスレの住民は何について話したいのだ?
ただ雑談したいんじゃないの?
「会話」
人々が、自分の頭の中のそれほど多くない商品を
一生懸命ショーケースに陳列する作業
あまりに一生懸命すぎて、隣のショーケースの中身を見る余裕すらない
〜A.ビアス〜
薪の話をしたそうにしてた人はどこに行った
>>279 日本史板で暴れてる。
古代の関東平野が大森林だったとのたまって。
どのスレ?
282 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 05:05:28.12 0
薪の話の片方は俺。
まあ、なでしこも終わったし書くか。
本来、日本は朝鮮半島から鉄や先進文物を受け取る立場であるから、
記紀のいうように朝鮮を一時的にも支配していた事はにわかに信じがたい。
しかし、それは「木の支配」ではなかったか。
紀によればスサノオの子供の3柱は植樹の神。
その記述の中で、朝鮮半島に赴いたものの、金(鉄)はあれど木なし、と嘆き
天界から持ってきた種を蒔きにいったはずのイソタケルはそのまま持って帰ってきた。
そのために日本は木々が生い茂り、朝鮮は禿げ山のままであったという。
283 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 05:07:20.25 0
この点で注目すべきは、このイソノタケルの行状を紀では「大いなる功」としている点だ。
何が功であったのだろうか?
もちろん木材は有用であり、「杉、松は船に、檜は建物に、槙は棺や薪にせよ」と定めた程であるが
本当の「功」は木材輸出による鉄貿易の支配だろう。
朝鮮半島は越の移民が作った辰、その後の辰韓において黄海の製鉄中心地だった。
しかし、既に半島、黄海沿岸の木々は枯渇し、黄河台地は砂漠に変わりつつあった。
辰韓にとって、木材(木炭)の確保は死活問題であった事は想像に難くない。
で、ここで何が起こったかというと、燃料輸出国の優位性と生産コントロール、
輸出超過国の没落という現代にも当てはまる経済原則だ。
284 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 05:24:37.49 0
一見奇妙だが、世界史において輸出超過、
つまり貿易黒字国はことごとく短命で滅びる。実際は赤字の大国の方が長持ちするのだ。
それは、時間の経過とともに赤字国には資材が溜め込まれ、需要が減り、
商品の付加価値が目減りしていく。
結果として輸出側の優位性が無くなって「買い手市場」に移行していくからだな。
この構図は朝鮮半島と日本の間でも同様であったろう。
日本は木材輸出と鉄需要のコントロールを行う事で、貿易のイニシアチブを握った。
蛮族である日本が朝鮮に進出できたのは、偏にこのエネルギー管理能力ゆえだったのではないか。
しかし、やがて越人は日本海を渡って出雲に生産拠点を移していく。
地産地消、現地生産型に切り替えたわけだ。
朝鮮半島は産業の空洞化を起こして国力が低下し、中国の圧力に屈したのではないか。
285 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 05:37:20.77 0
現代においてこの木の役割を担っているのは石油だ。
日本は既にこの「滅びの原則」まっしぐら。
ここで、我々は歴史から学ばねばならない。
他国にエネルギーを依存した国は、長続きしない。
苦労して生み出した付加価値などすぐに消えてなくなる。
考えてみてほしい。原発は確かに危険だ。
しかし、我々の国はわずか70年前、
エネルギーが無い故に250万以上の戦死者を出す無謀な戦いを行い、原爆を食らい滅びたのだ。
原発の持つ潜在的リスクと、エネルギーが無い事によるリスクは全く桁が違う。
日本から原発が無くなる事でほくそ笑むのは誰か。
実際に国を滅ぼすのは誰なのか。アホどもはその事に早く気がつくべきだ。
先進文化を受け取る立場なら支配できないとあっさり言ってるが
なら中国の遊牧民支配やらゲルマンのローマ支配、ローマのエリトリア、ギリシア支配はなんなんだ
普通に日本と統一されないカヤ諸国では力が段違いだろう
まあ主論はそれではないんだろうが
主論は薪が輸出されてるような書き方だがそんな事実はあるのか?
効率悪すぎ
建材でも相当付加価値必要なのに薪は輸出にむくとは思えない
288 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 10:01:25.06 0
>>287 >中国の遊牧民支配やらゲルマンのローマ支配、ローマのエリトリア、ギリシア支配はなんなんだ
蛮族が文化人を略奪し支配し、やがて同化するというサイクルは普遍的なもの。
では、その支配する能力の源泉は一体何だったか。遊牧民なら機動力であり軍事力。
では馬を持たない日本は何であったか?
答えは舟だ。
舟は大量の木材を必要とするが、一番重要なのは底板につかう巨木だ。
巨木は東アジアでは早いうちから枯渇し、日本の独占輸出品目になっていた可能性が高い。
そして槙は木炭という形で輸出されたと考えられるが、それは前述の製塩土器と密接に関連している。
というのは、この木炭はもともと、西日本で大量に作られていた製塩場で出来たものだからだ。
製塩土器は東日本で発祥するがやがて廃れ、代わりに吉備を中心に一大産業となっていく。
これは同時に木炭の製造拠点でもあっただろう。
>主論は薪が輸出されてるような書き方だがそんな事実はあるのか? 効率悪すぎ
木材に対するその過小評価は、石油などあらゆるエネルギーが利用できる我々の時代の感覚だからだ。
この時代、エネルギー=木材。
日本産のコウヤマキ材は「棺材」として輸出されたもの。
薪なんか輸出するかよ。
とにかくエビデンスだよ、この手の話はそっから始めないと。
なんか長文のわりに曖昧な主張だな
日本の船が何故軍事力になるのかの根拠がない上に
日本の船が遊牧民の馬であるなら任那属国説は成り立つので矛盾
そしてエネルギーが木なのはそらそうだろうが輸出品としてなりたつという直接証拠も
間接証拠も示してない
なんだこいつ
内容がゼロの電波だな
292 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 13:57:00.40 0
アメリカの開国要求の理由の一つに捕鯨船への薪炭供給というのがあったけど
あれも輸出に該当するんでないの?
古代において
しかも補給目的でなく商品としての薪だぞ
補給品としての薪なら古代からある
木材でも高級建材でないと輸出品として成立しないのに・・
294 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 15:46:21.24 0
295 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 16:03:01.09 0
>>293
スレの主旨に沿って木炭だけの話をしているが
実際には木炭だけを運んでいたわけは無い。
米、絹、塩、奇石、珊瑚などその内訳は多岐に渡るだろう。
ただ、科学的な客観的事実として、年輪測定法から当時の朝鮮半島には森林がなく、
黄河流域も同様で砂漠化していた事が解っている。
ならば製鉄に使った木炭はどこから手に入れていたのか。
有る所から無い所に運べば巨利を得る。それが商売の原理だ。
日本では二足三文のものでも、無い所では何よりも貴重なのだ。
例えば琉球と中国の行き来は海流と風の関係で一年に2回しかなかった。
そのため、大船団を組んで多くの物品を一度にやり取りした。
朝鮮と対馬は行き来が容易であるから、
我々が思っているよりもっと頻繁に行き来があったかも知れない。
電波相手にするのはなんだが
船は沿岸しか襲えないぞ
どうやったら属国化できるんだ。また君の主張ただしいなら任那属国説を何故否定できる
また建材と薪を混同してる。薪の輸出と建材輸出はちがう
そして妄想はあるが薪輸出の証拠はゼロ
>>294 薪の輸出の根拠を示せと言われて
木棺の材料や船材として利用された楠の存在を示されてもねえ
それとも古代朝鮮では製鉄のために船や棺を焚きつけにしてたとでも言うのかい?
大森林厨房とは別人なのか?
確かに共通点は多いな
・長文
・常時age
・文献ソースなし
>>296 >船は沿岸しか襲えないぞ
船に乗ってきた賊は河を遡ったりしてかなり奥地まで侵略すんだぞ。
バイキングの侵略範囲知らない人だな。
>また建材と薪を混同してる。薪の輸出と建材輸出はちがう
薪は今でいうところの石油や天然ガスの類。
需要次第で巨利を生む。
建材以上に重要な物資だ。
ああこいつマジのキチガイか単なる荒らしだな
薪は商品作物にならん上に船の襲撃は支配に繋がらん
>薪は商品作物にならん
日本ならそこらじゅうに生えてる木で幾らでも得られるが
木が生えていない地域では立派な商品作物。
レバノン杉もそうやって伐採されて絶滅に瀕してる作物。
>船の襲撃は支配に繋がらん
バイキングが建国した国家もあるんだが・・・
ていうか、大航海時代以降、植民地化された地域は皆船できた白人に支配されただろ。
303 :
世界@名無史さん:2012/08/07(火) 22:59:49.42 0
>木棺の材料や船材として利用された楠の存在を示されてもねえ
木の海外輸出は行われていた。この事実が何を示すか解らないのか?
木の育成から切り出し、輸送、湾口の整備、木材の輸送、荷揚げという
木材運搬ルート、インフラが整備されていたという事だ。
そしてクスノキは成長が遅くちゃんと間伐してやらねば大木にまで育たない。
その間伐材は当然有効に利用されたはずだが
むしろ、楠だけが槙の材料になったと何故思う?
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp020606.htm 以下、抜粋。
たたらの全盛期には一カ所のたたらで年平均60代操業しました。
消費する木炭は約810トンで、
それだけの量の木炭を確保するには少なくとも60町歩の山林が必要でした。
木材の成育には約30年かかりますから、
鉱山師は一つのたたらで1800町歩(1800ha)、
数個のたたらを持てばその倍数の山林を必要としたのです
当時の朝鮮半島は今より寒く、シベリア寒気団に属する亜寒帯小雨気候。
この気候は現在の中国北東部、満州あたりと同じだ。
この気候は木々の成長が遅く、一度伐採すると元に戻りにくい。
上記の「木材の成育には約30年かかりますから」は現在の瀬戸内海の話。
この状況で、「薪の価値などなかった」と考える方がキチガイ並みに低能だな。
>ああこいつマジのキチガイか単なる荒らしだな
自分が劣勢になると反論もせずにすぐこれだから笑える。
マジキチとか言う奴に限って頭の中は空っぽ。
こっちが長文書くと理解できてないし。
だから薪が輸出された証拠だせこの荒らし
逃げ回って関係ない長文書くな無能
否定するなら、まず貴殿から「薪が輸出されなかった証拠」を出すべき。
wwwwwww悪魔の証明ときたか
立証責任は主張する側が出すんだよ。論理学の初歩の初歩だ。やっぱり荒らしだなww
「お前をキチガイの嘘つきと断定するがそうでない証拠をお前が出せ」
おまえのいったことはまさにこれだ
例の基地外か。
森林伐採が古代文明の衰亡に大きく関わっているのは事実だが、
その理由は、まさに森林という資源の長距離輸送が禁止的にコストが高かった点にあるんだよ。
>>300 バイキング船は陸地では担いで運べるし、
実際ロシアでは担いでボルガ河流域に進出してる。
いっぽう、東アジアで船を担いで内陸に進出した例は皆無。
最も猖獗を極めた倭寇ですら沿岸地域しか荒らしてない。
船を担ぐといえばマレー半島を象にひかせて船を山越えさせた話あるな
>>303 木材運搬ルート、インフラが整備されていたというならその遺跡を示してみろよ
湾口の整備、木材の輸送、荷揚げという大規模なインフラがあったんだろう?
あと白村江の戦いのあとに朝鮮と日本は断交状態になるけど
もちろんこの時には半島では薪炭が欠乏したりしてるんだよね?
寡聞にしてそんな資料見たことないけどw
まあキチガイを相手にするのはもういいだろう
大森林厨房といい薪厨房といい、
なぜこのスレにはキチガイが涌きやすいのか。
それ単に一人じゃね?
>>309 長江なら南京までは1万トン級の船が海からさかのぼれるから、
当時の船なら三峡の手前までは、簡単に船で行けそうだよね。
でも不思議と行っていないんだよね
流れのある川だ。
川下りならともかく、海から遡るのは難しい。
三国志の時代でも大量の船が行き来してるやん。
>>303 >そしてクスノキは成長が遅くちゃんと間伐してやらねば大木にまで育たない。
>その間伐材は当然有効に利用されたはずだが
>むしろ、楠だけが槙の材料になったと何故思う?
この理屈って北方民族と中国の交易に置き換えると
「馬は飼育し調教しなければ家畜として役に立たない。
その飼育の間に排出される糞は肥料、燃料として当然有効に利用されたはずだが
むしろ、馬だけが交易対象になったと何故思う?」
て言ってるようなものだぞ。
321 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 07:10:44.57 0
オスマン帝国が国力傾けた事業をだれもがいつも出来ると思う電波がいるぞ!
>>300 そりゃ、真ッ平らなヨーロッパなら、川を遡って内陸に入って、コロで隣の川まで運んで
大西洋から地中海へ東海や白海から黒海まで船で行ったりするけれど・・・・・・・
日本でそれはできるかい? 大阪湾から伏見へ攻めたりは例が無いよ。
神武東征の河内攻略だってあの頃は海だったし、船での攻略は失敗してるし。
>>320 楠と槙は全く別の種類の木だからではないのか?
樹形から葉っぱから木の皮の状態から、まるで違うよ。
>>321 >>309は東アジアではと書いてあるのに、
反論の根拠が西アジア発祥のオスマン帝国がヨーロッパでやった戦闘かよ。
イスタンブールはヨーロッパの都市だけど、
きっと君の頭の中では東アジアの都市なんだね。
あとコンスタンチノープル包囲戦ではジブラルタル海峡は封鎖されてないぞ。
ジブラルタルはスペインとアフリカを隔てる海峡だからね。
328 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 15:04:35.98 0
>>320 ?マジ意味不明。
高校生以下の理解力のようだから一から説明が必要だな。
クスノキに限らず、巨木は自然界では非常に稀な存在。
1気候条件が生育に適切である。
2安定した地盤に生えている。
3周囲に成長が早い種が生えていない。
4病害菌をもたらす寄生植物や動物に襲われなかった。
この条件が数百年レベルで続くという「奇跡」がないと巨木は生まれない。
特に3は重要だ。杉などが周りに生えてると陰になってしまい育たなくなる。
だから、商品価値の有る木に育て上げるためには
周囲の木を伐採して日当りを良くする、
下草を取り除いて栄養を奪われないようにする、
定期的に枝を間引いて成長を早める、という人為的な世話が必要だ。
それは非常に手間がかかるとともに、何世代にも渡って継続管理が必要。
その時に切り出された間伐材=薪は木炭にされ、貯蔵される。
それら木炭の貯蔵跡はあちこちで発掘されている。
http://miyagi.arcpot.com/exca/2008/1129/index.html これらの木炭は自国で消費もしただろうが、
高級木材であるクスノキとともに輸出もされただろう。
その理由は簡単だ。ただの木が当時のハイパーマテリアル、鉄と換えられるからだ。
木炭は軽く、大量に運べる。
重いクスノキの生木を運ぶよりも効率よく稼げただろう。
除伐、間伐って植林するようになってから発想だよ。
近世以前は木材確保のための植林の発想はないから、当然除伐や間伐はない。
森林は自然更新に任せて必要なときに伐採するのが基本。
現在でも樹齢数百年、千年単位の木を利用する際には自然林を利用してる。
もうキチガイに餌やるなよw
331 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 18:10:24.19 0
楠以外すべてどんぐりなんだがw
木材源というより食料源だな
というか、植生史学会から書籍目録持ってくるのはけっこうだけど
せめて自分が参考にしたのピックアップしろよ
平安時代の植生に関する本とかけっこう混ざってるぞ
333 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 18:43:28.58 0
http://rarememory.justhpbs.jp/suwajyou5/suwa.htm こっちの方が解り易いか。
以下、抜粋
青森県の三内丸山遺跡は縄文前期後半から中期に亘る、5,500年前〜4,000年前の集落である。
そこから多量に出土したクリのDNA配列が一様によく揃っていた。
野生種のクリの配列は多様であるから、「栽培の存在をつよく示唆」するという。
また地層中の花粉分析の結果、三内丸山の集落が形成され始めると、
ブナに代わりクリが一挙に増える事が確かめられた。集落周辺のブナを切り倒し、
野生のクリを残す。そして実が大きく、実付きがよい木から実生で増える苗のみを育てると、
集落周辺のクリのDNA配列が一定してくる。
これらの集落の建材はブナと栗だ。
良質の建材を確保するために植栽されていた可能性も高い。
食い物向けの栽培なんてどうでもいいわ
薪が輸出された証拠だせ
http://www.enyatotto.com/donguri/ikiru/sannaimaruyama.htm 【以下引用】
花粉分析によると、集落ができる前に広がっていたナラ類やブナの森は、
居住が開始されると急激にクルミ属、さらにはクリ林にとってかわったことがわかる。
これは集落ができる前の落葉広葉樹林を開拓してつくった生態系で、
その後も有用な食物を得るためにいつも人手をかけて維持されていたと考えられる。
【中略】
また、クリは建築材としても重宝され、直径約1mもの柱根が見つかっている。
【引用終わり】
食料源として栽培して副次的に木材も利用しただけだな。
延々と東北の史跡を列挙してるけど
東北から朝鮮半島に薪炭を輸出してたと言いたいのか?
337 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 19:17:23.47 0
>>328 わかってやってるんだろうけど、これは酷い
リンク先でも
>清水山T遺跡の周辺で製鉄が行なわれていた可能性が高い
と書いてあるんだが。
つまり考古学学会において木炭の長距離輸送は想定されてないということ。
そもそも東北で木炭を製造してることを朝鮮に木炭を輸出した根拠とするのは論理の飛躍。
貯蔵穴にしても「食料などの」貯蔵穴。木炭の貯蔵庫とは誰も言っていない。
>木炭は軽く、大量に運べる。
>重いクスノキの生木を運ぶよりも効率よく稼げただろう。
という発想は
>>320の言い方を借りると
「アルミニウムは軽く大量に運べる。
金塊を売るより効率よく稼げただろう」
といってるようなもの。
船材や棺に使われる木材の希少性を無視してる。
値段が違う。
339 :
世界@名無史さん:2012/08/08(水) 19:47:55.05 0
対馬は暖流の影響で木が良く繁る土地なので、木炭生産が昔から盛んだったんだが
反対に耕地は少なくて米があまり取れない。
米が経済の柱だった近代以前において、米が取れない土地はそれに代わる換金物が必要だった。
それが対馬の場合、木炭だった。
対馬は鎌倉時代から宋氏一族が連綿と統治してきた他に類例が少ない特異な土地だが、
宋氏の経済基盤は朝鮮との交易が専らメインでこの時に最も重要だったの物のひとつが名産の対馬木炭だった。
で、対馬の「宗氏」が朝鮮に木炭を輸出していたという
文献的証拠はあるの?
捏造乙
日朝貿易の際の日本側からの輸出品は硫黄、銅、蘇木、香木。
硫黄は吐噶喇列島から、銅は日本本土から調達し、蘇木や香木は南海貿易で確保。
高校生レベルの基礎知識です。
そもそも倭館貿易は船の隻数制限があるので木炭のようなかさばるものはNG。
>日朝貿易の際の日本側からの輸出品は硫黄、銅、蘇木、香木。
へー、対馬ってそんな物が取れるんだ。
でも香木って輸出品じゃなくて輸入品じゃないの?
知識レヴェルが幼稚園児以下ですね貴方w
>そもそも倭館貿易は船の隻数制限があるので木炭のようなかさばるものはNG。
嵩張る物はNGなら、硫黄だの香木だのも嵩張るからNGだね。
嵩張らないのはスタッキング可能な皿ぐらいじゃないの。
あるいはコンパクトで高価値のある砂金とか。
でも、対馬の特産で朝鮮が喉から手が出る程に欲していたのは木炭なんだよね。
何せ樹木の殆どが無い国だから。
宗氏が対馬支配してる頃には琉球王国王国が南海貿易してて
日本には東南アジアの産物が大量に来てる。
文引貿易くらい勉強しとけw
このスレは山野がいたころが面白かった
>>338 木炭はそれなりに値段が付くけれど、
楠材はタダ同然だよ? しかも生木なんて値段付かないよ?
なんで金塊の比喩になってるの?
>>342 脊髄反射せず、もう一行読めよ、
「蘇木や香木は南海貿易で確保」ってあんじゃんよ。
いいからキチガイに餌やるな
「証拠はないが可能性はある」
こいつのいってることはこれ
立証責任を完全に無視して延々悪魔の証明求めてるだけ
倭館貿易も知らないで対馬がどうとか言ってたのかよ。
宗氏を宋氏とか書いてる時点で相当怪しいと思ったけど。
めんどくさいからwikipediaから引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E9%A4%A8 倭館における交易
中世の倭館交易では日本側は銅、硫黄、金を輸出したが、
南方物産である赤色染料の蘇木、胡椒などのスパイス類も
琉球経由などで朝鮮に転売した。
説得力に関しては、他称「知識レヴェルが幼稚園児以下」の人の圧勝だな。
>説得力に関しては、他称「知識レヴェルが幼稚園児以下」の人の圧勝だな。
こんな酷い自演久しぶりに見たw
日本が朝鮮に薪を輸出したという記録は見たことないな。
『倭館―鎖国時代の日本人町 』(文春新書)を読む限り、
江戸時代には倭館で使う木炭は、日常的に朝鮮から購入してたみたいだけど。
でも、その木炭は一体どこで作られどこから持ってきたのだろうか?
木が無いから木炭なんて作れないのにね。
庶民の煮炊き用の薪もない国は滅びてるよ阿呆
じゃ、草原のど真ん中の国モンゴルなんてとっくに滅びてなきゃおかしいね。
でも彼らは毎日の煮炊きに全く困らない、何故だかわかるか?
レス乞食がいるな
言いたいことがあるならさっさと書けよ
355 :
世界@名無史さん:2012/08/09(木) 23:23:25.03 0
氷原に住まうエスキモーも煮炊きに困らない
自然と一体化すれば火などいらないのだ
火を捨てた民など歴史上いくらでもおる
356 :
世界@名無史さん:2012/08/09(木) 23:25:38.95 0
朝鮮に木がないとか言ってる奴はマジメに言ってる池沼なのか?
357 :
世界@名無史さん:2012/08/09(木) 23:32:33.71 0
そういえば、朝鮮で植樹が始まったのは日本統治の影響だと聞いたことがある
古写真みるとソウル市街のバックに木の生えてない岩山とか映ってるし
358 :
世界@名無史さん:2012/08/09(木) 23:39:30.57 0
禿山になっている明治初期の六甲山の写真見て日本には木が無かったニダ!と言ってるのと同じだよな。
実は壬辰・丁酉倭乱まではソウルは森の都だった。
鬱蒼と茂る原生林の中に整然とした碁盤目状の道路で区画された市街地が広がり
背後の白岳山は青々とした樹木に覆われた山だった。
植樹は総督府の始めた事業だな。
ただ、朝鮮に木がなかったというのは嘘で山林面積は現在より多かった。
問題視されたのは単位面積あたりの林木蓄積量が低く(=樹齢が低い)土砂の流出を防げないこと。
日々の燃料に困るわけではないけど土砂災害が頻発する下地となっていたので
総督府が保護林を指定したり地域によっては造林事業したわけだ。
朝鮮のオンドルで焚く薪は、葉が付いた松の枝が最良とされていたんだがね。
松は成長早い、痩せ地に強い、よく燃える
なかなか良さそうだ
コムタンだのカルビタンだのポシンタンだの、
朝鮮料理には煮込み料理が多い。
そして焼き肉には、当然炭が必須だ。
それらの薪や炭はどこから入手したのかね?
庶民の日常の煮炊きの薪まで、対馬から輸入したとでもいうのかね。
対馬の自然回復力がチートすぎる
朝鮮半島の面積が219140km2
対馬の面積が属島込みで709km2
朝鮮半島全体と比べて三百倍以上の生産性がないと対馬も禿山になるぞ
>>359 うそこけ。
記紀に素戔嗚尊のところに韓の地が禿山と荒地ばかりな理由が書いてあるよ。
理由はともかく、その時代に既に韓の地は禿山と荒地だらけだったと認識されてるわけだが。
>>364 経済性というものを知ってるかい?
たとえば、アメリカのオレゴンとかカリフォルニアでは、自国産の牛肉やガソリンよりも、太平洋を横切って運ばれてくる
オーストラリア産の牛肉や日本で精製したガソリンの方が多く出回っている。
陸地を横切って運ぶよりも、その何倍も大きな海を運ぶほうが安上がりというわけ。
仮に木が沢山あったとして、19世紀末まで車輪を作ることのできなかった朝鮮半島で、山から大量の薪をどうやって
漢城やら釜山や木浦や公洲へ運んだよ?
それに、なんで、対州藩の輸出品を対馬の産品に限るよ? 限ったとして、 対州藩の領地って福岡県と佐賀県の県境ら
辺にもあったよ。長崎街道の通ってるところで交通の要衝だった場所。そこの産品や通ってくる品物は勘案しない?
そもそも辰韓の地域は倭の一部だった可能性がある。
木炭や丸太を「輸出」していたのではなく「国内移動」だったと仮定すれば
中華が記した倭の輸出品目に残ってない理由も解る気がする。
朝鮮は鉄を産すると有名だった割に、日本との交易の対価の記録はほとんど無いからな。
(米ではないか、と推察される文字はあるが・・・)
つチラシの裏
>仮に木が沢山あったとして、19世紀末まで車輪を作ることのできなかった朝鮮半島で、山から大量の薪をどうやって
>漢城やら釜山や木浦や公洲へ運んだよ?
漢江や鴨緑江の川上で切り出した木材なり薪なりを
水運でソウルや義州まで運んでいたのをしらんのか?
景福宮の構造材も朝鮮半島北部で切り出された松材なんだが。
つか、急にキムチ臭くなったなこのスレ・・・
韓国の話をすると必ずこうなるんだよなぁ・・・うぜえ
>>366 そもそも
>>339が対馬は木炭の産地とか言い出したから対馬云々が反論されてるんだろ。
それに一番の問題は朝鮮側にも日本側にも薪炭を輸出してた記録が一切ないことなんだけど。
琉球経由で確保した蘇木などの輸出は朝鮮側の記録にも日本側の記録にも出てくるけど、
薪炭を輸出したという記録って何かあるのかい?
>>367 租庸調に対価は無いわな。
>>369 鴨緑江から川と海とをつたって運べるものを、本土にも朝鮮にも船で行く対州藩が運んで行けない道理は無いわなあ。
このスレ電波が強すぎて、どれが電波レスか見分けるのがメンドくさくなってきたww
自国で用意できる薪や炭を、なんで対馬から輸入するかねぇ。
超高級品ならともかく、ただの炊事の薪をさ。
己酉約条で定められた対馬藩の朝鮮への歳遣船数は最大で20隻
これで朝鮮の木炭需要をまかなえるなんて、
きっとすごい大船だったんだろうなあ(棒
でも江戸時代には大船建造禁令出てたって?
こまけえことはいいんだろw
よせよ突っ込んでも電波の材料にしかしないぞこいつ
>>375 用意できなかったんではないの?
片や竈に煙も立たない庶民の家、片や輸入した薪を盛大に焚く貴人層の家。
朝鮮の支配層は無駄に高級志向だから、対州藩に注文して白檀でも焚いてたんではないの?
>>375
製鉄は山一個分の薪を継続的に使用するんだぞ。家庭用と一緒にすんな。
現在でも家庭用の石油と産業用の重油は入手ルートも価格もまるで違う。
ましてや寒冷な朝鮮は当時、製鉄以外の産業が無い。
木炭の持続的供給確保は国家の死活問題だったろう。
白村江の場合を見ても、いかに両国が深く結びついていたかがよく解る。
380 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 16:53:48.05 0
>ましてや寒冷な朝鮮は当時、製鉄以外の産業が無い。
大嘘つき乙。
産業が製鉄以外無いってwww
薪輸出論者って、都合が悪くなると話題になってる時代や地域を変えるよな。
382 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 17:30:36.00 0
>>339の言うように対馬が木炭の産地であったかどうかは手元に資料が無いが
記録に残る対馬の私貿易禁止は阿比留氏が私貿易と海賊の取り締まりのために赴任した時が最初だろう。
太宰府に対馬の民は主に漁民で、時に2隻から数百隻の船団で交易と海賊行為を行う旨が記されている。
彼らは資本が無いわけだから、安い木炭を九州から仕入れて運んでいたとしても不思議じゃない。
この状況に近いものとして後年の紀州炭瀬戸内貿易がある。
原木のウバメガシは生育が遅く重いために、炭職人は自分が山を転々と移動し作った。
しかし、その商品である炭は遠く江戸や九州・東北、そしてついには中国やマレーシアにも輸出された。
結局は現地でも生産されるようになっていき、日向備長炭や土佐備長炭、外国製の備長炭も生まれ続けたが
最大消費地である江戸周辺でご当地備長炭は生まれなかった。
それは江戸近郊ではウバメガシが育たず、そもそも木材資源が不足がちで高価だったからだ。
朝鮮でも同じく、木材は高価であった可能性が高く、安い搬入ルートが確保できるのなら
現地生産に拘る理由は無かったと思われる。
383 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 17:53:16.65 0
出雲の製鉄は説明の必要も無かろう。
ここに木炭のワードをかけると、面白い構図が見えてくる。
出雲以外の重要な神話がある地域、すなわち
筑紫、紀州、吉備、日向という記紀において重要不可欠な地域。
実はこれらは全て、古くからの木材の名産地・集積地であり、
ここに土佐を含めれば、その地名と、地名同士の位置関係は極めて酷似している。
この地名の相似は、かつて木材搬送のためのインフラの名残ではないか。
全ては出雲に大量の木炭を運ぶための拠点だった可能性は無いのだろうか。
動力船がある時代ならともかくそれ以前に大量の燃料炭を運ぶのは不可能
実際
>>311が指摘する通り「砂鉄七里に炭三里」という言葉がある。
385 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 18:08:20.94 0
>>384 それはもちろん承知しているが、考えてみてほしい。
鉄は国なり、
鉄の入手は国家の最優先事項なのだ。
「砂鉄七里に炭三里」はいわば、その逼迫度が薄れ
鉄の生産管理が国家ではなく地方自治体に委ねられるようになっていき、
頭をもたげてきた経済の原理によって後年生まれた言葉ではなかろうか。
どうしても必要なのなら、どんなリスクやコストがあろうとも運ぶだろう。
じつは、山林の破壊による木材資源の枯渇は朝鮮だけの話ではなく
日本も弥生時代後期からおこっている事なのだ。
時系列がめっちゃくちゃですなぁ。
薪輸入厨房のおかげで時空までもがゆがむとは。
古代の農業生産力の低さ考えろよ
農業以外に投下する労力のコストが当時の社会でどれだけ負担になると思ってるんだ?
確かにな。
極端な話、石器時代でも農業は出来るんだ。
そんな農業でも人の腹を満たせるんだ。
現に農業そっちのけで製鉄をしたのが、
かの悪名高い「大躍進」だ。
その結果…
389 :
279:2012/08/10(金) 19:12:59.59 0
正直、スマンかった
390 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 19:33:38.22 0
まあ、呼ばれたら書かんわけにはいくまいよ。
391 :
世界@名無史さん:2012/08/10(金) 20:35:45.25 0
>>387 古代日本の労役システムがどのようなものだったかはおぼろげにしか解らない。
しかし租庸調が整備されるまでは朝鮮や中国のシステムを流用していた可能性は高い。
とすれば、雑徭は税と兌換されていたと考えられる。
労働力の確保は難しくはなかっただろう。
そもそも、日本における税システムで稲作などが主力となるのは随分後になってからで
綿や麻、絹、塩などが中心。そして雑徭は基本的に地方の管轄だ。
これが何を示すかというと、要するに、地方で分担して人員を動員し、
その給料は麻や塩で払っていたという事。
これは日本書紀、応神天皇の枯野の歌の章に類する記載がある。
枯野という御用船を廃棄し、その廃材を燃やして炭を作って塩を焼き、
その塩を地方に配って新規の舟を大量に徴用した。
この章はわざわざこれのみに割いてあって、
つまり、凖強制労働に正当性を持たせるために挿入されてるものであることは明らか。
非常に古くから同様の事が行われていた証左でもある。
>しかし租庸調が整備されるまでは朝鮮や中国のシステムを流用していた可能性は高い。
租庸調は大陸から導入された税制だろ、馬鹿。
わけのわからん妄想書くなよ。
ジャガイモ、トウモロコシ、トマト、カカオが無い現代世界は考えられませんね。
この四つとも新世界で栽培が始められたことは、もっとアステカや
クスコ文明に感謝したほうがいい。
しかしタバコは…
395 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 00:38:36.70 0
>>392 日本の租庸調は大陸のものを日本の実情にあわせて大幅に改変され別物だ。
その整備も遅く、議論になってる時代とは随分違う。
その程度の知識も無い人間は黙っていてくれないか。
>>391 いくら妄想をこねまわしても、
朝鮮に木炭を輸出していたことにはならないよ。
>>393 それが無いと現在のファーストフード産業が無かった可能性が高いな
>>391 店から食料が降ってくるのでもない限り、
税を収める人間の数はその社会の生産できる食料によって決まるんだけどね。
>>379によると「製鉄は山一個分の薪を継続的に使用する」とのことだが、
これを運び出すために人員を、
その社会の食料生産に影響を与えないレベルで徴用できるほどの余裕は古代にはない。
釣られてるのは夏休みの子供か?
かまってが爆釣りうめえwするんはうざい
炭はともかく、木は船に載せては運ばないな。
今でも、束ねて水に浮かせて、船で引っ張っていく。
森林厨よ、手を変え品を変え、今日も大漁だなw
元禄再建時の東大寺大仏殿の梁は、
日向の国で伐り出したアカマツだ。
それを「千石船」に載せて運んだんだよ。
大仏殿の柱は集成材なのに梁だけ一木材に拘ったのは何故???
力学的には集成材の方が強度増すのに。
縦に立てる柱と横に張る梁では、
力のかかりぐあいが違うからだろ。
wikiに頼るなよ、自分で調べろ。
最近の学生は図書館行かないんだろ?
自分で調べる能力がない人に言われても…
ふーん?
ウィキを見るのは「調べる」うちに入らないんだ?
電子百科事典なのに?
少なくとも現地を訪れて建築物を見ることはしたのか?
修学旅行とかではなく、あくまで調査として。
日本の巨大木造建築を語るには東大寺大仏殿の他に京都の東本願寺、西本願寺の御影堂と
善光寺の金堂は見る必要がある。
巨大建築とは何たるかをその両の目で確かめるべき。
安易にwikiだので知らべるのは自分への甘えだ。
413 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 14:55:44.59 0
今日日、高校生でも知ってるわ、wiki頼りがダメなんて。
教育レベルが知れる。
バカじゃねーの(直球)
なるほど。
旅行業者の陰謀か。
あるいは神社建築を入れていないところを考えれば
仏教関係者の回し者とも考えられるな。
>>411 百科事典で調べるのは小学生まで。
図書館で専門書籍を探すのが中学生。
学者の論文を探すのが高校生。
実際に現地で実地調査するのが大学生。
たかが木材の運送一つで何言ってんだお前
すべては大森林厨房が悪い。
>>415 神社建築で巨大なのは余りない。
東大寺や本願寺に匹敵する歴史的建造物はシナの紫禁城の太和殿ぐらい。
もう誰が誰だがわかんなくなってきた
422 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 15:05:38.24 0
仏教寺院とキリスト教会は時代を追うごとに建物が巨大化していったが
神社建築は小型化していったのな
出雲退社とか古代はもっとデカかったんだろ
古代でもデカい仏教寺院はいくらでもある。
東大寺に国分寺。
424 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 15:10:35.77 0
建物その物のデカさでは東大寺金堂がダントツ
しかも現存しとるしな
古代には「雲太、和弐、京参」と言ったが同じ高さで現存してるのは和弐(大仏殿)だけやね
出雲大社が小型化したのは、高さゆえに何度も倒壊したからだな。
そのたびに再建するのでは用材がとても手に入らないから。
426 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 15:29:36.71 0
東ローマも石材が手に入らず矮小化していったしな
427 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 15:35:09.08 0
木材が入手できなくなってきた背景として原生林の破壊が挙げられます。
古代出雲大社は鬱蒼とした原生林の中にありましたが、製鉄による木炭の製造により
原生林が乱伐され、大社の式年造替も60年おきの屋根の吹き替えのみになったのです。
これは関東平野の場合にも当て嵌まります。
関東平野も17世紀初頭までは深い森に覆われた緑の楽園でしたが、江戸開府とともに乱伐され
繰り返される江戸の大火も相まって、今見るような耕地へと変貌を遂げたのです。
もうこのスレも修復不能やね
>>427 錆びた五寸釘踏み抜いて破傷風で悶え苦しんで死ね。
431 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 16:06:34.39 0
その罵倒ステキ!私も今度うざい奴にそれ書いてみよっとw
>>430
>>429 というより
>>89の段階で早くも大森林厨が出てきてるから、このスレはもうずっと機能してないよ
たぶん、このまま居つかれて無意味なレスが続いて次スレなし完、という残念なスレの王道いってる
大森林厨を焼き払え、なぎ払え!
電波の材料おいしいです(^q^)
435 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 17:07:25.69 0
自分の名誉のために言っておくが。
大森林と俺(木炭)は別人だぞ。
奴と混同されるのは不愉快だ。
まあ、知的レベルの違いで別人だと解るはずだがな。
で、対馬から朝鮮へ木炭を輸出していた証拠はあるのか?
やっぱり同じじゃないか(呆れ)
>>435 知的レベルが近いので同一人物と認定しているのだが…全会一致で
439 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 20:27:31.16 0
中世以前の関東平野は屋久島並みの深い原生林に覆われ、
直径4〜5mも有ろうかという楠、欅、檜、杉、松など巨樹が至る所に生えていた。
しかし、近世以降は江戸の町への建材需要が増え、針葉樹が優先的に伐採されてしまった。
現在、関東の至る所に残る楠や欅の巨樹は建材として不向きなため伐採を免れた樹木達。
多くの巨樹が伐採された後の土地は森の腐葉土によって形成された豊かな黒土層が残り
その栄養豊富な土地の多くが新田開発によって広大な農地へと転換され、現在のような
木の殆ど生えていない関東平野へと風景が一変してしまった。
森が無ければ、関東の黒土はできず、火山灰層(関東ローム層)むき出しの不毛の大地のままであっただろう。
440 :
世界@名無史さん:2012/08/11(土) 20:33:20.53 0
もはや荒らし認定レベルだな
世界に名だたる黒土地帯のウクライナステップ・カザフステップのあたりは、いつ時期の森林で形成されたものでしょうか?
【警告レベル5】
「関東大森林・木炭・薪・船」の話題はスレ違いなので書き込まないでください。
スレ主の裁量待ちかな。もうあきれ果ててこのスレを見捨てたのかもしれんが。
いやスレッド立てただけの人にそんな権限ないっすけど
>>393 落花生も新大陸起源だな。
トウモロコシの品種改良に長い時間掛け過ぎたのが残念なところ。
そういやマジックマッシュルームとかも新大陸起源だな。
アステカ人がよく食ってた。
食ってよし煙にしてもよしと大活躍だった。
>>394 スペインの護送船団組まれる前なんかは悲惨だった。
私掠船とかにやられちゃうからタバコの値段が上がって
キャベツの葉巻で代用してたやつもいた。
どんな味か分らんが惨めなのは確かw
447 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 02:02:15.49 0
カボチャもアボカドもキャッサバも新大陸原産
落花生やらの話はいいのに農業と林業はダメっておかしくないか。
結局話題についていくだけの知識が無い奴がすねてるだけじゃん。
449 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 02:38:19.61 0
大森林厨や炭厨のようなキチガイを呼び込むからだろ。
森林やら農業関連の話題は範囲が広すぎてキチガイを呼び込み易いからNG。
ここは植物の人間の関わりであって、環境だの農業だのは専用スレも用意されてるしな。
植物の利用ったら、まずは農業、つぎに木材、薪炭だろ。
農業と森林を除外したら、どういう話題が残るよ?
薬草、土地改良なんぞだな
そいや清、アメリカの貿易で雨の輸出品が「にんじん」で??
だったがどうやら朝鮮人参みたいなものがアメで取れるらしいな
太平洋側は湿った空気が多いので森が生まれ易い。
そのため草原が必要な北方遊牧民は西の方こそ至上とし、移動した。
モンゴルはが世紀に森林部族として生まれ、やがて草原に進出するに及んでも
やはりまずは西を目指した。
草原は彼らの命の源。彼らの生活の基盤だった。
羊やヤギは草を食って肥え、乳を出す。乳はチーズとなりその革は服や建物となった。
馬は彼らを守り、物を運ぶ。戦い、時に大金に変わる。
気候は草の生育を変える。
寒冷化や旱魃になれば草を追って草原の民は南下した。
それはそのまま戦争を意味した。
アジアの歴史は草が作ったのだ。
林業、農業を無理矢理外したって、植物と人類の歴史はこういうスケールの話だよ。
薬草やら土地改良って、そんなん、アホかと。
454 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 13:12:25.88 0
大森林厨房は草厨房に転身か?
>>453 マジアホ?
ここは植物と人との歴史的な関わりについて語るスレです。
有用植物(薬草、野菜、果物、木材等)、
園芸(盆栽、園芸書、庭園、植物園、街路樹、並木道、神木)、
デザイン、アート(図案、模様、家紋、花札、絵画の中の植物)、
経済史(投機の対象となったチューリップ、百両、万年青、その他様々な植物マーケット)、
怪異を引き起こす植物の話まで自由に語ってください。
草原の話しは専用スレ「ちんギスあはぁん」で思う存分どうぞ。
>>452 アメリカニンジンP.quinquefoliusは,アメリカ東部の森林林床に生えて、
広東人参ともよばれます。いわゆる、チョウセンニンジンと成分は近いそうです。
アメリカ東部の植生は不思議なことに、北東アジアと似ています。
森林絡みの話題は禁止つったろ。
いや薬草はおkだろw
459 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 16:19:49.26 0
>>456 ベーリング海峡が陸続きだった頃に分布がアジアにもアメリカにも広がったんじゃないの?
>>459 待て待て、その頃って北半球の殆どが氷床に覆われていて、草木の生えていない雪と氷の世界だぞ。
ていうか狩猟採集民は薬草なんて栽培しないだろ。
寧ろそれ以前に自然拡散したと思われる。
パンゲア大陸の頃とか。
461 :
片岡数吉(カズヨシ) ◆pTSgcfAwJ. :2012/08/12(日) 17:07:09.98 0
植物で一番関心のあるのは、ドクダミ草。
これをジュースにして、絞った葉っぱを台所の三角ゴミ捨てに捨てて、
旅行に行って帰ってきたときに、ゴミ捨てが完全に掃除されていた。
その威力は、本当に凄かった。
462 :
片岡数吉(カズヨシ) ◆pTSgcfAwJ. :2012/08/12(日) 17:17:49.94 0
植物で次に関心がある物がバナナ。
スーパーで凄く安い、腹を空かして食べると、本当にうまい。
昔食べた味と同じ、うまい!
なんでこうも次から次へと香ばしいのが湧いてくるのか・・・
同一人物だから
466 :
世界@名無史さん:2012/08/12(日) 19:46:07.58 0
まてまて、
マジで一緒にすんな。
ドクダミ草と掃除の関係がよくわからんからだよ
薬効できれいになるのか?そんなのありえんだろと
ageてる奴ばかりだから今後も変なのが来るぞw
バナナ好きとかどうでもいい事書くなよw
釣り野郎
しかしここは電波召喚装置でもついてんのかw
自然が好きな人間は、キチガイと紙一重なんだよ。
今まで登場したキチガイ
森キチ、塩キチ、鉄キチ、薪キチ、炭キチ、船キチ、草キチ、薬キチ
475 :
世界@名無史さん:2012/08/13(月) 02:09:08.87 0
お前らからすると同じに見えるかもしらんが、
極めた者同士ってのは極めてるが故に遠く離れてんだよ。
一緒にされるのは互いに迷惑。
お前が何キチかは知らんが自分を極めた者と言ってる時点で
相当痛い子なのはよくわかったw
ちょっとヤク極めすぎてんよ〜(アドバイス)
どれ。
裏の納屋さ行って、漬物石ふたつ運んでくるべぇか。
裸にひん剥いて縛り上げた
>>475の縮こまった包茎チンチンの下に
大きな方の石をあてがい、
手ごろなほうの石を振りかぶって・・・
ベチーン!
オオゥ!オオオオオオオゥ!
肉が潰れる感触が腕にズシィィンと響くゥ!
断末魔の絶叫がこだまするゥ!
さてと。
ミンチになったチンチン肉に葱と生姜と大蒜を臭い消しにつき混ぜ、
片栗粉も加えて団子にして、
鍋料理にしたてて食うべぇか。
効果音がジョジョ風w
480 :
世界@名無史さん:2012/08/13(月) 18:30:50.48 0
アダムとイヴが食べた知恵の木の実は、結局のところ何だったの?
イチジクあたりが当時の作者の思いつきそうなとこじゃね
でもイチジクの葉っぱは出てくるんだよね
アダムとイブがお股を隠すためにw
まーリンゴじゃないことは確かw
個人的にはナツメヤシの実あたりが面白いと思うけど。シュメール時代から祭儀で最も重視されていた。
イチジクの葉っぱって大きいの?隠れるの?
>>480 バナナだよ。「天国のイチジク」が古名。初期農業革命の主役だ。
487 :
世界@名無史さん:2012/08/13(月) 21:00:59.96 0
なるほど、俺のバナナをしゃr
>>487のバナナを煮えたぎったチョコレートでコーティングして
奥歯で「ザクッ」と喰いちぎるゥゥゥウゥゥウゥゥゥウ!
単なる雑談はよそでやれ
490 :
世界@名無史さん:2012/08/14(火) 11:49:41.64 0
ほらな。
こうなる。
中東で干果用に栽培されてる種類のイチジクは日本では受粉を助けてくれる昆虫がいないために栽培しても結実しないらしい
493 :
世界@名無史さん:2012/08/14(火) 18:48:43.20 0
世界中でミツバチがストを起こしてます。
人類は有史以前の数に戻るかもしれません・・・・
ミツバチが怠けるなら、花アブでいいじゃん。
蜜は集めないけれど、刺さないし。
495 :
世界@名無史さん:2012/08/15(水) 04:08:47.85 0
ミツバチはその圧倒的な数で世界の穀倉の受粉を行っているのです。
数年前からミツバチが働かなくなり、女王を残して巣から出て行ったりしていて
大規模な死滅現象が起こっています。
理由はまだわかっていませんが、どうやらあるウィウスが関係してるようです。
ちなみに上でバナナの話が出ていましたが
バナナも病気で現在絶滅の危機に瀕している品種です。
現在は発生源で押さえていますが、もし感染個体が流通してしまうともうバナナを食べる音は出来ないかもしれません。
現在の世界中のバナナはある一株の個体から株分けで増えていますから遺伝子がほぼ同じなのです。
イネ科の植物は虫媒花じゃなく風媒花が多いから
世界の穀倉地帯では受粉にあまり関与してないと思うの
>>496 だねw
でも果樹や果菜の受粉にはやっぱり超重要だったりするし…
なんでこうピンポイントで間違いを紛れ込ますんだ
でもすぐにツッコミが入る時点で健全だよ
機能しなくなったスレだと誰も突っ込まないもんね
森が無くなると、文明が崩壊することはジャレッド・ダイナモンズ博士も説いている。
有名な例ではラパヌイの巨石文明が突然停止した理由。
だが、それを真っ向から否定する人がこのスレに多いのは大いなる謎である。
メソポタミア、インダス、エジプト、マヤ、クレタ、、、数えればキリがない。
幕末の日本も森林資源の枯渇がピークに達し、外圧に屈する遠因になった。
つまり、外洋航海可能な大型構造船を建造可能な材木が得られず、海外進出が出来なかったことが最大の要因である。
江戸時代初期までは東南アジアや遙かメキシコまで航海できるスペックの外洋船が存在したが
江戸時代中期になると陸地沿いにしか航海できない一本マストの小型船しか造れなくなってしまった。
>>501 丸木舟じゃああるまいに、なして、木の大きさに船の大きさが背制約受けるよ?
船が小さいのは、江戸幕府の軍事抑制策・海禁策からのものだろ。
何や、また大森林厨かや。
懲りないのぉ
和船には「竜骨」は存在しない。
それくらい調べておけ。
それと、鎖国の「かれうた渡海の議」を知った上での論だよね?
その頃、外洋航海に使用されていた船には竜骨を持つ西洋や中国の船が使われていた。
残念ながら中国のジャンク船には竜骨はないんだがね
複数の木の箱をつなぎ合わせ強度を生み出す構造(水密隔壁)
西洋船の建造についても
田中勝介や支倉常長のメキシコ渡航の二例くらいしか実例ないと思う
江戸時代の造船技術については海禁政策の影響と見るべき
大森林厨を相手にマジレスしてもしかたねーんぜ、おまいら
江戸幕府が海禁策とった頃って、
国内流通網が整えられたおかげで材木の供給は増えてるよ。
有名所だと角倉了以が大堰川、天竜川、富士川の水運を整備してる。
他にも九州だと球磨川水路の掘削とかいろいろ内陸水運が整備されてる。
それに、木材が枯渇したから海外進出できなくなったというと、
江戸初期の急速な城及び城下町の整備が説明できないと思う。
江戸初期の急速な城及び城下町の整備
↓
木材資源の急速な枯渇
↓
木材資源確保のための大型船建造禁止令
↓
名目上は海禁政策(一部の例外を除く)
↓
航海技術の衰退と実質的な鎖国状態に陥る
東大寺の大仏殿すら満足に建てられないぐらい木材資源が枯渇してたからな。
本来は現状の1.5倍は大きい建物にする予定が、木材が無いので今の規模になってしまった。
しかも現在、大屋根の下の小屋組は鉄骨トラス。
木材資源確保のために大船の建造を禁止?
なぜ建築物は禁止されなかったのだね?
キリシタンとの絡みは無視かね?
ま、大森林の厨房にこんなこと聞いても無駄ァ!というものだが。
516 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 00:33:19.67 0
建物も禁止されている。
一国一城令や天守建造の自粛など。
又、解体家屋の木材は板一枚に至るまで全て再利用された。
天守は解体されて他の城で再利用された例もある(彦根城など)
一国一条令は、「防衛」ゆえの措置なんだが…
この御仁は隅田川や多摩川、大井川に橋を架けさせなかった理由までも
「森林保護のため」と言い出すのだろうな。
江戸時代の日本は庶民レベルで記録大国なのに
ここまで木材不足になったという直接的な資料一切なし
519 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 01:27:36.70 0
大きな川に架橋が許されなかった理由は大雨が降った時に
流れてきた流木や家屋がそこに溜まって巨大な堰となり、溢れた水で大洪水を起こすからだ。
近代になり、鉄骨を使用して長大なスパンの橋桁や高い橋脚を造る技術が出来て、少ない橋脚と高い橋で大雨時にも
漂流物を堰き止めることがなくなり、漸く大河に橋を架けることが許された。
>>519 近代以前の木造橋なら、川があふれる前に流されるよ。
>>516 彦根城は石垣の石材も周辺の城から集めてるけど、
別に日本から石材が枯渇したわけじゃないぞ。
>>517 言いたいことはわかるが、隅田川には千住大橋と両国橋がある。
幕府は北からの脅威はあまり想定していないからね。
522 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 01:46:43.63 0
江戸時代の日本では森の木の一本一本までどこにどんな種類の木があり
幹回りがどのくらいあるかなど、幕府および各藩の森林奉行によって詳細に管理されていた。
又、伐採された木がどこの誰によってどんな目的で使用されるかまで管理されてりた。
同時代のヨーロッパでもここまで手の込んだ管理はされていなかった。
このような管理体制が敷かれたのも、江戸初期に利用可能な森林資源の大半を切り尽くしてしまったが故である。
>>522 ヨーロッパは管理しなくて良いほど森林資源が豊富だったワケなんですね!
いや、木の一本一本まで管理する程では無かっただけ。
日本人が寧ろ異様だったのかも知れない。
日本では「一山ナンボ」っていう言い方があるんですが。
原木の取れる山ごと、おおざっぱな見積もりで、期の売買をするところから来てるんですけれど。
藩が管理したのは御用林だけだろ。
藩によっては特産物は専売制をとってたから管理しただけで
森林資源が不足したから管理したわけじゃない。
不足してるから売って商いにして儲かってた。
それも支配層が目をつけるくらいに。
>>525 それは松茸とか筍の事では?
さすがに材木までは含まれないだろ。
529 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 15:11:14.34 0
明が鄭和の南海大遠征を中止した要因も森林資源の枯渇。
宝取船とよばれる巨大な船(長さ137m、幅56m)を何百隻も建造した結果、中国大陸から急速に森林資源が消えた。
加えて、万里の長城の建設のために膨大な量の煉瓦が焼成され、華北から森林が姿を消しました。
現在、砂塵の吹き荒ぶ黄土高原はかつては直径数メートルもあるコノデカシワの巨樹が生い茂る緑の楽園でした。
至る所に滾々と泉が湧き、無尽蔵に溢れ出す水は清流となって高原全体を潤していました。
古い時代の壁画に残る虎やアジア象はこの緑の楽園に大型動物が暮らしていた証拠です。
黄河文明はそんな緑と水の織り成す地上の楽園に花開いた最も美しい文明だったのです。
>>528 成長過程の立ち木が、売買の対象になってんだよ。
林業で最終的な利益を売るには伐り倒して運び出して売るんだけれど、杉やら桧やらの生長の特性上、
植林した本人がその利益を得ることは不可能に近い。孫や曾孫の世代でようやく最終的な回収ができる。
植えた人や、伐るまで随分と年数があるのに手入れをしている人も、衣食は必要だから、経済的な利益を
その山から得なければならない。
どうやっているかというと、持ち主が転々している。植えたり手入れをしたりして、木のある山そのものの
価値を上げて転売する。
現代でいうと、木のある山は、配当をせず内部留保や生産設備を貯めてる会社のようなもだ。手入れをしながら
年を経ると価値が上がってゆく。植えて60年とか80年溶かしてやっと伐り出せる木の山を、毎年手入れをして
5年とか10年とか持ちこたえられる間で、且つ、目に見えて価値の上がってるところで売って、間の利益を得る。
531 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 17:34:44.78 0
日本が中国のようにならなかった要因は地震が多い故に木造家屋に拘ったため。
石や煉瓦の家だと一度地震が来れば重い煉瓦や石の下敷きになりとても危険だが、木造ならば軽傷で済む。
同じことは台風の場合にも言える。
又、木造の家は通気性と気密性に優れているので真夏は過ごしやすく、冬は暖かい。
瓦よりも茅葺や檜皮葺に拘ったのも焼成に使う薪の消費を避けるためでもある。
障子もガラスのように火を使わずに作れる上、子供が当たっても怪我をすることはない。
法隆寺の建材は樹齢2000年のヒノキを使っているが、昭和の大修理の際、請け負った宮大工の証言によれば
黒く変色した表面を鉋で削ると新鮮なヒノキの芳香がしたそうで、あと500年は持つそうです。
ヒノキ2000年、スギ1000年というのが建材の耐久年数だそうです。
国宝や重文のお寺が1000年以上、お城が400年以上持っているのは木その物の耐久性でもあったのです。
532 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 17:43:34.60 0
533 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 19:37:42.64 O
木造が気密性って、昔ながらの木造の日本家屋は隙間風ビュービューで気密性ないよね。
だから暖房とかの熱効率悪くて冬は寒い。それが通気性がいいってことだし…矛盾してない?
534 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 20:16:49.66 0
正倉院が1300年も御物を保存出来たのも木造の特性ならではの事。
湿気の多い時は木材が膨らんで気密性が増し、乾燥している時は収縮して外気を取り入れる。
しかし本当のところ、重い木材をくみ上げて作った校倉の壁が
乾燥しただけで隙間になったりするのだろうか?
それが疑問である。
>>535 むしろ、きっちり詰めて造るのは、木造では無理。
537 :
世界@名無史さん:2012/08/18(土) 22:07:56.72 0
古代中国の墓も黄腸題湊という材木を隙間なく積んだ木槨に死者を埋葬したので
2000年以上前の遺骸が腐敗せずに残っていた事例がある(馬王堆漢墓)。
極めて気密性の高い状態で真空パック状態に近い環境下だったからです。
この原理を応用した建築が校倉造りであり、唐招提寺や日光東照宮にも類例が散見されます。
また、西洋ではログハウスという名で住宅建築としても活用されています。
日本では富良野の黒板家の初代丸太小屋(1984年に純が濡れた服を乾かそうとして誤って全焼)である
丸太小屋にもその雄姿を垣間見ることができる。
尚、全焼した設定の丸太小屋は撮影用のダミーで、現在も実物は現存している。
木造なら地震で倒壊しても軽傷ですむってのは、どれだけ無知なんだよ。
倒壊した木造家屋の下敷きになれば、普通に死ぬぞ。
特に、本当に昔作られていた木造家屋の耐震性は非常に低く、地震の
度に多数の死傷者を出していたのが現実だ。
後、
> 湿気の多い時は木材が膨らんで気密性が増し、乾燥している時は収縮して外気を取り入れる。
これは間違いだというのが、ずいぶん前に定説になっている。
実際には、通気性の良さに加え、定期的に虫干しするなどの努力に
よって保存されてきたものだ。
古寺や城の類も、大規模な修繕の繰り返しで維持されてきたもので
あり、維持管理の手が入らなくなった時期にはどれもぼろぼろになっ
ている。法隆寺の五重塔なんて、垂れ下がってきた軒につっかえ棒
をしていたような状況だし。
どちらも、比較の問題と絶対の問題をごっちゃにして自分から混乱に突入してるような。
木造家屋の下敷きになったら、即死は免れてもじきに火事に巻き込まれてギギギだな。
>>537 家の梁にするような丸太や角材、板葺にするような平板なんかが、天井の高さから落ちてきたら、
無傷ではすまんよなあ。いや、普通に致命傷くらうわ
542 :
世界@名無史さん:2012/08/19(日) 22:05:08.46 0
543 :
世界@名無史さん:2012/08/19(日) 23:07:14.50 0
本当の歴史を教えて日本人を目覚めさせてはならない。
潰れた家の下敷きになって焼死!は日本の災害の典型だよ。
江戸後期弘化年間の善光寺地震でも濃尾地震でも関東大震災でも
丹後地震でも但馬地震でも福井地震でももちろん原爆でも。
そして阪神大震災でも。
東日本の震災でも当然あっただろう。
またここの板が編集合戦の火種になるのか。
大丈夫だよ。
大森林厨房は「参考文献」なんか持ってないから。
548 :
世界@名無史さん:2012/08/20(月) 21:46:28.31 0
ことし7月発行の本か。
まだ読んでいないから何とも言えないが、
大森林厨房はそのはるか以前から武蔵野大森林説を唱えていたんだがねぇ。
550 :
世界@名無史さん:2012/08/21(火) 19:41:09.13 0
この本に書いてある日本の森林率グラフ
西暦元年頃 98%
500年頃 95%
1000年頃 90%
1500年頃 80%
1700年頃 70%
1850年頃 65%
2000年頃 67〜8%
そもそも何をもって「森林」の定義としているのかな?
人工林も含めて?遷移後期の植生みたいに森とも草原ともつかないものは何に属するんだろう?
>>548 その本をさっそく読んでみたが「武蔵野は中世まで大森林だった」
などとは一行も書いていなかった。
むしろ「武蔵野台地は中世までに草原化した」とあったが?
タタラ製鉄が大量の燃料を用いることも記されていたが、
朝鮮に炭を輸出していたとも書かれていないし。
>>550 ついでに。
森林率のグラフは読み過ごしていたが、
「建材や燃料、あるいは緑肥を得るための伐採で、
日本の森林は疲弊していた。
山は禿山や疎林だらけだった」とあったが?
しかし山が禿山だらけだったが故、土壌浸食で海まで流された砂が
日本の海岸線を維持していた。
今は山林が回復し、河川も改修されたので海まで砂が流れ込まない。
結果、砂浜がどんどん浸食されて…
554 :
世界@名無史さん:2012/08/21(火) 22:28:47.74 0
>森林率のグラフは読み過ごしていたが
97頁
疎林も勘定に入れての森林率だろ。
日本の気候で、植生が草原で安定することは難しいんではないかなあ。
関東地方のような、夏季に降水がほどほどにあって、低地で、泥炭湿地でもないところに
木が茂らないほうが難しいよ。
治水されてない河川は定期的に洪水が起こすからそうでもない
そうだった。
家光の時代の摂津国佃荘の住民の第二次強制移住まで隅田川も荒川も神田川も溢れ放題。
559 :
世界@名無史さん:2012/08/22(水) 17:50:40.89 0
我が家は北関東の某一級河川の近く。
キティ台風の洪水でで破壊された堤防が50年ほど前に過去最大の規模で整備された。
堤防の外側になってしまった家々は直ちに転居し、
田畑はしばらく耕作されていたが頻繁に洪水被害を受けるので次第に放置された。
今の河川敷は、ススキ、セイタカアワダチソウ、真竹、篠、その他まばらに灌木、など。
これが人が入らない頃の氾濫原の風景だったのだろうか。
(セイタカアワダチソウは別だが)
>>559 氾濫原の植物には定期的な洪水による攪乱に適応しているものがあって、治水によって洪水がなくなると衰退するらしいね。
>>560 洪水が定期的なら、人が住んで耕せるじゃん。
不定期だから放置されてるんだろうに。
別にそんな話まったくしてないんですが。
ナイル川もダムのおかげで洪水が無くなり耕地が痩せ塩害が出るようになりますた。
564 :
世界@名無史さん:2012/08/23(木) 04:12:01.89 0
近くに空き地がある。
地主が数年ごとに草を刈るんだが、これが良いシュミレーションになってたな。
晩春には無数の杉が芽を出すが、秋には背丈近くまで雑草が伸びる。
杉はほとんど死滅し、やがて雑草も茅系の植物に負けて姿を消し
次の年には一面、背丈をゆうに越す葦の原。
これが日本の原風景なんだなあとしみじみ思う。
565 :
世界@名無史さん:2012/08/23(木) 09:11:47.62 0
葦の原って、水田の休耕地?
シュミレーション→シミュレーション、ね
566 :
世界@名無史さん:2012/08/23(木) 09:27:09.19 0
現実に起こっていることに対してはシミューレーションとは言わない
今でこそ、ワインはフランス産が有名ですが、第一次大戦前
害虫・フィロキセラの壊滅的な被害を被ることになってしまいます。
それは第一次世界大戦後まで影響を及ぼしますが、
害虫に強いアメリカ種の台木にヨーロッパ種を接ぎ木するという技術改良によって、ぶどう畑は息を吹き返しました。
568 :
世界@名無史さん:2012/08/23(木) 20:18:15.57 0
569 :
世界@名無史さん:2012/08/23(木) 22:42:56.98 0
太古、大和民族は緑を愛する森林の民でした。
これを示す物が皇室に伝わる三種の神器である「玉、剣、鏡」です。
玉は麗しい緑色のヒスイで出来ている勾玉です。
剣と鏡は緑色の青銅で出来ている銅剣と銅鏡です。
そう、三種の神器は緑色をした森林の象徴物だったのです。
また、古代に信仰の対象となっていた銅鐸も緑色の青銅製でした。
つまり、森林信仰に由来する神の憑代だったのです。
奈良の大神神社をはじめ、山そのものをご神体とする神社の多くは
その豊かな森に神が宿ると信じられてきました。
その神の居る森を象徴物として具現化したのがヒスイの玉であり、青銅製の神器だったのです。
森への信仰が一気に失われるようになったのは仏教伝来による宗教観の変革によります。
寺院を建立するために森が切り開かれ、その周囲に条理制が敷かれ、広大な原生林が失われたのです。
飛鳥時代以降、関西を中心に西日本から原生林が消えていった要因の正体がこれだったのです。
570 :
世界@名無史さん:2012/08/23(木) 23:00:28.42 0
銅鐸が緑色だって?
普段は銅鐸を土に埋めておいて使う時にそれを掘り起こすとでもいうのかいなw
十円玉を見たことが無い人なんだろうさー
>>569 青銅は、混成比にもよるけれど、だいたい金色だよ。
574 :
世界@名無史さん:2012/08/25(土) 01:42:51.91 0
青銅は読んで字の如く、表面が緑青に包まれているために青銅と言います。
金色なのは作られた直後のみ。
銅鏡、銅剣、銅矛、銅鐸、みな緑色をしています。
また、古墳が緑の木々に覆われ、その神格性を誇示しているのは
木々そのものが神の憑代であるためです。だから古墳に生えてる木は伐ってはならないのです。
また、皇室に今でも献上される生糸は繊維のダイヤと呼ばれる緑色の繭(天蚕)から作られた糸で、
これを織った緑色の絹衣を着用するのが天皇や皇族です。
あたし基地外大森林厨♪まで読んだ
鏡面に緑青が浮いてきたら銅鏡は鏡として利用できないだろ
あと天皇の禁色は黄櫨だから緑じゃない
577 :
世界@名無史さん:2012/08/25(土) 12:52:38.24 0
>銅鏡、銅剣、銅矛、銅鐸、みな緑色をしています。
貴殿の財布の十円硬貨が抜けているな
578 :
世界@名無史さん:2012/08/25(土) 14:41:16.79 0
>>576 古代の銅鏡は宝器や権威の象徴であって実用品ではない。
天皇の正装が黄櫨染御袍と制定されたのは平安時代です。
古代の天皇は染色していない絹衣を着用していましたし、
平時の装束は専ら染色していない絹衣でした。
染色しない状態でも緑色をしているのは天蚕の生糸の特徴です。
>>577 硬貨は人の手が触れる物なので、表面に皮脂の被膜ができており
緑青が発生しません。
試しに長期間放置すれば緑青に包まれて緑色に変化します。
というか、ブロンズ像などを見れば分かることです。
同じく、銅鏡、銅剣、銅矛、銅鐸などの宝物は人の手に触れるものではないので
緑青に包まれています。
579 :
世界@名無史さん:2012/08/25(土) 14:52:47.04 0
古代の神社や陵墓は自然と一体化した古墳でしたが
仏教伝来によって自然と決別した宗教観が発生しました。
金色で彩られた仏像、朱を塗った柱や梁、無機質な屋根瓦など
自然界には無い物を信奉するように人心を変えさせたのです。
縄文時代以来続いた原生林と大和民族の絆は飛鳥時代以降、絶たれたのです。
藤原京の成立は人が自然を大破壊する要因の一つとなりました。
それ以前は天皇の代替わり毎に宮殿を壊し、森に戻していたのです。
伊勢神宮の式年遷宮はこの習慣が今に残ったものです。
宝器だから手入れも磨きもせず朽ちるままに放置する、という
発想が理解できんな。
そもそも、青銅という語が日本発だというのが妄想で、銅鏡や
銅剣を実用品として使っていた大陸での呼び名だ。
それに、緑変するのは青銅に限った話じゃない。純銅は言うに及ばず、
黄銅だって普通に緑変する。
> 硬貨は人の手が触れる物なので、表面に皮脂の被膜ができており
> 緑青が発生しません。
しかし、銅銭の別名が「青銅」だということも知らんのか、こいつは。
>>574 うそおん。
ウチの仏壇もチーンも、町内会のダンジリの鉦も、こっそりコレクションのキザ十円も、
青銅で昭和20年代製造だけれど、チーンと鉦は鈍い金色、キザ十円は赤褐色だよ。
むしろ青い色しているのは、純銅の方だよ。
お寺の屋根とか、電車の架線とか、作って1年半くらいで青黒い色になってる。
>>579 兵庫県で五色塚古墳が復元されてるけど、
表面は葺石と埴輪で覆われて木は生えていないよ。
木が生えてきたのは古墳の手入れがされなくなってからだろ。
>>573 むしろメンヘルか宗教板のような気がするw
584 :
世界@名無史さん:2012/08/25(土) 18:45:12.67 0
>>579 天皇の宮殿が各代毎に替わっていたのから藤原宮に固定されるようになったのは
統治機構が天皇とその取り巻きだけで行われていたものから、官僚機構が膨張して
気軽に遷都できなくなったという事情によるもの。
>>584 あんな大規模造営をした聖武天皇だって遷座しまくり。
平城京には在位の半分の期間も居ない、一番長いのは難波京だし。
586 :
世界@名無史さん:2012/08/25(土) 21:16:25.34 0
藤原京以後はその聖武天皇、平清盛のケースは例外というべき。
当時評判が悪かったのは史実だし。
>>586 評判悪かったのは平城京。
立地の理由が藤原不比等の領地のド真ん中だったというだけで、クソ不便な土地。
都としての役にたってないから、名目上は陪都とされた難波京が実質の首都。
で、聖武天皇が例外?
すぐ後、淳仁天皇の北京(大津京)なんてあんじゃん。造営時、聖武上皇も光明皇太后存命だ。
あんたが例外といったもう一つの平清盛の福原京と良く似た経緯だぞ。
時の権勢は藤原仲麻呂。自身の地縁があり、且つ、交通の要衝で良港のある土地に遷都し、
失脚により造営中止。
そこから十年経たず、こんどは、河内由義京。太政大臣禅師弓削道鏡の領地で、入江を挟んで
難波京の対岸の交通至便な土地。これまた急な栄達と弓削一門による官職の独占てで他門閥との
軋轢を起こしたり、道鏡の死後、弓削一門は悉く失脚して、河内職の廃止、由義京の造営も中止という
清盛パターン。
588 :
世界@名無史さん:2012/08/26(日) 09:21:04.90 0
青銅だの藤原京だのと、ただいま脱線中。
みなさま、よっぱら我慢してくだせぇ。
平城京の評判が悪かったって?
難波、恭仁、甲賀(紫香楽)とうろうろする中で、官人や僧侶に
アンケートを取ったら、全員が「平城京がいい」と回答している
んだけど。
>>550 確認してみたら、「1984年の推定に、その後の知見を加えた2001年刊行資料に更に微修正したもの」ってああた。
考古花粉学の進展もまだまだ不十分な、定性的研究を積み上げた半分憶測としかいえない内容じゃないか。
>>551 「森林面積率」 = 「採草地・焼畑地」+「天然林」+「薪炭林」+「一般用材林」+「人工林」だと。
西暦700年くらいに採草地・焼畑地が漸く出現するという一点だけで既になんか変な印象を受けるんだが。
人工林が1800年くらいに初めて出現って、どういう定義やねんとか。
591 :
世界@名無史さん:2012/08/27(月) 22:53:48.87 0
>>580 宝器ゆえに触れないのです。
三種の神器は天皇であっても見る事さえできません。
>銅銭の別名が「青銅」
銅銭は大量に紐に通して一貫、二貫として扱ってもいたので
そういう使い方では緑青を発生して青くなりますね。
常に手に触れていれば緑青は発生しません。
>>581 おりんと鉦は金メッキ。
十円玉は皮脂がコーティングされ被膜になっている。
>>582 復元された古墳は完成時の姿です。
放置されたのは手入れされなくなったからではなく、
あえて自然の成すがままにして、陵墓としての神格性を付加するためです。
陵墓参考地への立ち入りが禁じられているのはそのためです。
森そのものに神となった被葬者の魂が宿っているからです。
>>584 仏教思想により、穢れの精神がなくなったためでもあります。
穢れとは精神的な部分と実質的な部分の両方です。
例えば、生活様式の変化で便所を固定するようになり、悪臭を放つようになりました。
古代には便所は川の上に渡した板でしたので便は流され、悪臭を放つことはありませんでした。
便所を厠(カワヤ)と呼ぶのはそのためです。
おやおや。
まぁまぁ。
川のないところでもウンコはしていたがねぇ。
平安京の路上はウンコだらけだったがねぇ。
この行き当りばったりの大森林キチガイを焼き払え!なぎ払え!
> おりんと鉦は金メッキ。
まあ、そういうのもないわけじゃないだろうけどね。
で、青銅器を実用品として磨いて使っていた、古代中国で「青銅」と
言い出したのはなぜなんだろうね。
同じように黒変〜青変する純銅を「青銅」と言わない理由も教えてね。
金に鍍金なんかしたら、敲くとハゲるはずだよ?
大森林さんはなにかフィクションでも書いて大当たりとって、ジブリあたりに映画化してもらえれば
賛同してくれる頭の緩(ry、ファンもたくさんついてくれて幸せになれると思う
>>591 >あえて自然の成すがままにして、陵墓としての神格性を付加するためです。
荒唐無稽。ソースを示されたし。
>陵墓参考地への立ち入りが禁じられているのはそのためです。
ところでなんで天皇陵でなく陵墓参考地なの?
597 :
世界@名無史さん:2012/08/28(火) 12:02:30.74 0
>>591 今、古墳と呼ばれている陵の上では祭礼が行われていたのだから
手入れが行き届いていなければならないし、陵の外側から祭礼を
見る人のために木が生えて伸びてしまってはならないと思うのだが。
まあソースが出れば解決だな
木が生えるのがよろしいのならなんで葺石がしてあるんだよ
600 :
世界@名無史さん:2012/08/28(火) 23:36:07.04 0
>>592 厠の謂れは仏教伝来以前の話です。
>>593 古代中国は関係ありません。
大和民族と青銅の関係についてです。
銅鐸も鏡も使う度に磨いてはいません。
>>594 叩く場所が決まっていれば他は剥げないです。
おりんは縁のみ叩きます。
>>597 祭礼を行ったのは埋葬時のみ。
しかも造り出し上や濠の縁で。
墳丘上は立ち入り禁止です。
>>599 葺石は墳丘斜面の表土が風雨で崩れないようにするための工夫です。
だから斜面以外の平らな場所には葺石は葺かないのです。
木が大きく育った後は根が張って墳丘表面を風雨からしっかり守ります。
根拠の「こ」の字すら示さないまま、でたらめだらけの「できそこない創作童話
もどき」を、延々と語り続けている大森林虫って、何者なんだろう。
いかがわしい新興宗教でも始めるつもりなのかな。
どれ。
裏の納屋さ行って、漬物石ふたつ運んでくるべぇか。
裸にひん剥いて縛り上げた大森林厨房の縮こまった包茎チンチンの下に
大きな方の石をあてがい、
手ごろなほうの石を振りかぶって・・・
ベチーン!
オオゥ!オオオオオオオゥ!
肉が潰れる感触が腕にズシィィンと響くゥ!
断末魔の絶叫がこだまするゥ!
さてと。
ミンチになったチンチン肉に葱と生姜と大蒜を臭い消しにつき混ぜ、
片栗粉も加えて団子にして、
鍋料理にしたてて食うべぇか。
>>596 多分、天皇陵=陵墓参考地と思ってたんだろw
まあソースを示せという書き込みは見事にスルーしてるし、
信憑性は皆無だね。
> 青銅は読んで字の如く、表面が緑青に包まれているために青銅と言います。
青銅という言葉が作られたのは、銅鏡も銅剣も実用品として製作し使用していて、
> 金色なのは作られた直後のみ。
の状態に保っていたはずの大陸での話なのに、なぜ
> 銅鏡、銅剣、銅矛、銅鐸、みな緑色をしています。
なんていう見当違いのことを言い出すんだろう。
605 :
世界@名無史さん:2012/08/29(水) 01:33:04.69 0
>>604 銅鏡、銅剣、銅矛、銅鐸、みな緑色をしています。
宝物なので手に触れず、磨かず、緑色をしていました。
銅鐸や銅矛は普段は土に埋めていたものです。
緑色がそんなに尊いならば何故「翡翠」に言及しないのだね?
607 :
世界@名無史さん:2012/08/29(水) 05:30:56.04 0
>宝物なので手に触れず、・・・普段は土に埋めていたものです。
矛盾しているぞw
「文明崩壊」を下手に読むと頭脳崩壊する典型例w
609 :
世界@名無史さん:2012/08/29(水) 20:54:55.29 0
>>606 ヒスイについては569で述べています。
縄文時代以降、仏教伝来まで日本人が最も神聖視した宝石のはヒスイです。
>>607 要は手入れなどせずという意味と理解してください。
銅鐸や銅矛は春に土から掘り起し、美しい青銅色を芽吹きの象徴として崇めたです。
皇室の宝物であった銅鏡や銅剣は神殿に安置され、崇拝の対象となりました。
これが現在の伊勢神宮と熱田神宮です。
両神宮とも豊かな森に包まれ、緑の中にあります。
社殿が礎石を用いず、掘立柱にするのも樹木のように地と天を繋ぐ象徴であるからです。
610 :
世界@名無史さん:2012/08/29(水) 21:25:23.76 0
うーわぁっはっははぁっあっはっははっは・・・・
大森林虫は、本当に妄想としか言いようのない創作が大好きだな。
ほんとうに怪しい新興宗教にしか見えないな。
三種の神器は天皇も見ることが云々って、剣璽は常に天皇の側に
置かれていて行幸の時にも奉持するのが例だし、鏡は宮中の内侍
所に安置されていた。
> 三種の神器は天皇であっても見る事さえできません。
って、どこの世界の話だ?
612 :
世界@名無史さん:2012/08/29(水) 23:34:31.02 0
>>611 実物は天皇でも見れません。
しかも宮中にある鏡と剣はダミーであって
実物は伊勢と熱田にあります。
そのダミーでさえも幾重にも包まれていて見れません。
613 :
世界@名無史さん:2012/08/29(水) 23:39:13.56 0
緑青が美しいだって?w
誰が見ても汚らしいとしか思わないぞ
剣についてはいろいろな説があることは知っているよね?
一時期は熱田から持ってきていたことも。
> そのダミーでさえも幾重にも包まれていて見れません。
実見されていますけど?普段は上から絹の覆いがかけられ
ていたようですが。ある時期には、剣璽が鼠の食損をこうむっ
たりもしているけど。
伊勢の神鏡は、明治天皇の天覧の話が伝えられていますね。
そもそもある時期以降、天皇の伊勢行幸自体がないから、
天覧がないのは当然でしょう。
616 :
世界@名無史さん:2012/08/30(木) 00:55:45.85 0
>>613 ブロンズ像も?
銅瓦の屋根も?
>>614 埋めるのは銅鐸と銅矛
>>615 見ようとした天皇は居ましたが
その時に中から煙が出てきたりして
結局怖くなって見なかったとか逸話があります。
少なくとも始終目に触れたり、磨き粉で緑青をそぎ落として
ツルンツルンにして手入れするようなものではありませんし。
いいから主張の根拠示せよ
示さないんじゃなくて示せないんだよ
ハンドルつけて欲しいなあ。
そもそも世界史板でやる内容じゃないし
自サイトでも立ち上げて、緑が日本において紫以上の至尊の色であったことを証明してくださいね
ついでに武蔵野大森林もね。
大森林大人気w
624 :
世界@名無史さん:2012/08/30(木) 21:46:06.58 0
仏教によって大和民族は「金色」を崇拝の対象にするようになってしまいました。
自然界には極微量にしか存在し得ない金を人為的に掻き集めて巨大な物体を作ってしまうという
凡そ自然の摂理に反した行為をありがたがるようになってしまったのです。
その結果、何が起こったか?
言うまでもなく原生林の破壊です。
木をなぎ倒し、山を崩し、川を泥水で汚し、製錬で出る有毒ガスは大気を穢しました。
人々からは森への崇拝は消えてしまったのです。
森に住む動物たち信仰の対象から、単に狩られて肉として食われるだけの存在に貶められたのです。
狼(山犬)や熊は人に害や家畜にとって害獣と見做され、絶滅させられたり絶滅寸前まで個体数を減らす結果になりました。
太古の武蔵野にも狼や熊が人間と共存していたのです。
かつて関東平野の中央、熊谷市付近はは熊の住む谷だったのです。
狛江市は狛、つまり山犬が川沿いに生息していたと考えられる地名です。
そういえば、アゲで書けば名前が大好きな緑色になるな。
ここまで延々と書き込んでおきながら、
出典が一切ないというのはある意味すごいと思うぞ。
「大森林教」なる新興宗教でもやるつもりなんだろうな。
>>624 独自研究の発表をしたいならブログやしたらばでやってくれないかな?
独自研究じゃないというなら参考文献ぐらい出そうよ
糞スレだなw
>狛江市は狛、つまり山犬が川沿いに生息していたと考えられる地名です。
一応つっこんでおくが、狛江は「高句麗」(こま)の移民が入植して開墾した地ではなかったか?
ま、これを糸口に「関東はウリナラ起源」にされても困るのだが。
へぇ〜俺は狛犬繋がりで中国⇒沖縄⇒狛江と聞いたけど
狛っていうと無条件で高句麗なんだ
何が言いたいのかわからんw
633 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 09:57:07.80 0
銅鏡が錆びていたら鏡の役目を果たしませんがな
銅矛が錆びておったら矛の役目を果たしませんぞ
636 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 10:05:33.56 0
コマったな・・・
> 狛、つまり山犬
日本語での狛は、「高麗(こま)」の意味と「狛犬」の略記の二つが
あるな。
で、狛犬は普通は「高麗から伝わった、獅子に似た獣の像」であり、
山犬とは似ても似つかない代物だね。
638 :
世界@名無史さん:2012/09/01(土) 12:06:28.97 0
>>630 新しく獲得した領土を手っ取り早く開墾するために、素性のよろしくない人でも人手は人手とばかりに
投入して住まわせるということは、古今東西、珍しいことではないしなあ。
異民族の多い土地にまた別の異民族とを投入して団結して反乱することを防ぐというのも、これまた、
よくあることだ。
奈良時代の関東地方なんて日本の統治がしっかりしてなくて蝦夷が跋扈しているような土地だ。
こういうところに、高句麗や新羅の捕虜だの百済の遺臣遺民だのを放り込んで耕させるというのは、
その2つのやり方にどちらにも適うことだ。
640 :
世界@名無史さん:2012/09/02(日) 13:56:43.45 0
良スレage
良スレwwww
信ずるものは救われる
643 :
世界@名無史さん:2012/09/03(月) 23:34:19.98 0
>>630 それは正史にも記されている埼玉県の高麗郷の方。
>>633 >>635 古代の青銅器は威信財なので実用品ではありません。
多く持ってることがステイタスでした。
従って緑青で覆われても問題ありません。
>>634 狛江は弥生時代から土着の豪族が拠点を築いていたので高句麗の遺臣達が
開拓できるフロンティアではありませんでした。
一方、埼玉県の高麗郷は正史にも載ってる事実ですね。
しかも仲が悪かった新羅の遺臣は新座付近に土地をもらったそうです。
>>637 関東の古い神社において、狛犬は正に犬のことでした。
俗に言う「オオカミ狛犬」という奴です。
いわゆる、三峯神社や武蔵御嶽神社の眷属であった山犬のことです。
これらの古社は仏教が広まる遙か以前から信仰されていたので平安以降に伝わった
仏教由来の獅子型狛犬ではなく日本古来からのオオカミ狛犬なのです。
なので関東で狛といえば本来は犬のことなのです。
644 :
世界@名無史さん:2012/09/04(火) 00:00:36.82 0
>>639 関東に投入された高句麗の渡来人は、ある2つの密命を帯びていました。
その一つは人跡未踏の原生林のどこかに埋蔵されていると信じられていた地下資源の探索でした。
当時の大和民族にはない先端的なテクノロジーを持っていた渡来人は朝廷によって関東や東北方面に派遣され
金、銀、銅、水銀、石炭、石油など地下資源の発見に貢献したのです。
そして渡来人の手により西暦708年に埼玉県で銅の大鉱脈が日本で初めて発見されたのです。
いわゆる和銅の発見です。
もうひとつの密命は陶器の大量生産による屋根瓦の生産です。
無尽蔵な関東の原生林は登窯による超高温での瓦の大量生産に無くてはならない物だったのです。
画して、関東の中央部にこれまで日本にはない規模の産業地帯が建設されたのです。
お前ら何でそんなに朝鮮好きなの?
>>643 お前が一番に答えるべきは
>>628だ。
密命云々とか妄想を書いてないで主張の根拠を示せよ。
>>624 印象操作がひどいなあ。
狼が出没すると大森林地帯というのは、少なくとも日本では、大嘘だね。
実際、室町時代の満済准后日記には、
京都の市街地で狼に食い殺された子供の話とか頻出してる。
>>644 当時の武蔵野平野に、どれだけ瓦の需要があるというのだね?
国分寺以外に、瓦の建築があったか?
そもそも重くて壊れやすい瓦は遠隔地で製造するものではない。
消費地のすぐそばで作られるものだよ。
>>643 中央政府からみれば、支配の及びにくいところは、十分にフロンティアだ。
古い地方勢力がそれなりに健在だから、中央政府が新しい人を投入するんだよ。
>>644 けど、寺社の屋根として古代から瓦が普及し、戦国時代になる前には民家にもそれなりに瓦が普及していた
上方・瀬戸内海圏対して、関東地方で瓦屋根が普及するのは徳川吉宗の時代。
普通の神社で狛犬がいるところに、山犬や猪、猫が眷属としているとしても、眷属の
名が狛犬になるわけじゃない。近代の便宜上の名称でしかない。
薄汚い新興宗教の布教は、自分の巣穴でやってくれ。
信仰の対象云々と、狩って肉として食うとか害獣として狩るという
ことは、普通の社会では両立させていたんだけどね。
神獣だから黙って食われるがままにとか、捕れるのに云々という
> 凡そ自然の摂理に反した行為をありがたがるようになってしまったのです。
なんていうのは、それこそそういう余裕が出てきた後の話だよ。
653 :
世界@名無史さん:2012/09/04(火) 23:55:28.75 0
>>647 それって単なる野良犬のことではないですか?
そもそも狼は肉食獣なので食物連鎖の頂点にいますから
鹿100頭に対して狼1頭ぐらいの比率じゃないと生存できません。
従って京都みたいな所にホイホイ現れるワケがないのです。
現代なら、ヒグマが新宿や霞が関に出没するぐらい有り得ない事です。
>>648 国府や郡衙、豪族の私寺などで使われていましたし、
瓦だけでなく陶器である須恵器も夥しい量が関東の中央部で生産されていました。
>>649 中央政府から派遣された官人が地方豪族を支配下に置いていたら
そういう所はフロンティアではありません。
高句麗人が入植した土地は人跡未踏の関東の原生林だから可能だったのです。
>>650 嘘を言ってはいけませんよ。
>>651 獅子型狛犬をデフォと考えるからいけないのです。
元々は「獅子と狛犬」のセットであり、後に両方が獅子型になっただけです。
あくまで狛は本来の意味からして犬のことであって、獅子ではありませんでした。
そして関東の古社では今でも犬が社殿の前に置かれているのです。
だから狛=犬なのです。
>>652 そもそも古代日本では山犬は害獣扱いではありませんので。
古代の大和民族にとって山犬は神の眷属以外の何者でもない存在です。
日本書紀にも倭健命を助けた犬の話が出てきますが、あれは山犬のことだと言われております。
全然答えになっていないな。相変わらず、「ぼくちゃんの妄想」だけが
根拠だし。
で、ヒグマの話を持ち出すなら、札幌の住宅街に普通に出没して大騒ぎ
になっていることくらい、知らんはずはあるまい。
後、日本語では狛の読みも意味も「こま」であり、「こまいぬ」じゃない。
「こまのいぬ」は「狛犬」と書く。相変わらず誤魔化しをたくらんでいるよう
だが、「獅子と狛犬」は、角のない獅子と、角があって犬に近い姿の狛犬
のセットだ。
そもそも、古社に昔から犬が社殿の前にあったという根拠も示していな
い。「狛犬と呼ばれていた」という根拠は言わずもがなだ。
まあ、後者は示せるはずもないがな。
あいかわらず大森林蛆虫がわいているみたいだな。
> そもそも古代日本では山犬は害獣扱いではありませんので。
神の眷属だから黙って食われるなんていう惰弱な精神が、
古代人にあったのかね?世界中どこでも、強力な肉食獣は
あがめられる一方で、身を守るために殺す相手でもあった
わけだが、蛆虫君の脳内古代日本人、現実の古代人とは無縁
の妄想の産物だけは違うようだね。
>>653 口からクソを垂れる前に、論拠をきちんと示せ。
>>653 そりゃ羆は本州には生息しないから絶対に出ないわなw
冗談はさておいて、同日記には河原者が犬に食われた話とかも出てくるので
犬と狼は区別されている。
> そして関東の古社では今でも犬が社殿の前に置かれているのです。
> だから狛=犬なのです。
あれを勝手に「狛犬」呼ばわりするなよ。他所の「狛犬」と同じような
形で置かれている神の眷属を、第三者が勝手に「狛犬みたいなもの」
と呼んでいるだけだろうに。
公開オナニーは自分のサイトでやれよ…
660 :
世界@名無史さん:2012/09/05(水) 01:03:15.83 0
>>654 ヒグマが札幌の大通公園とか中心部にも出没しますか?しませんよね。
狛犬が社殿の前に置かれるようになったのは無論ずっと後代でしょう。
しかし、関東では狛といえば昔から犬のことだったので、犬の偶像を社殿の前に設置するようになったのです。
そしてそのまま狛犬としての立場を確固たるものにしたのです。
辞書【狛】 [音] ハク [訓] こま・こまいぬ
《意味》
オオカミに似た獣の名。また、それをかたどった石像。
[国訓]こま。犬の形を石や銅でつくり、神社の前にすえておくもの。
>>655 狼は滅多に人を襲ったりしません。
なので森の守護神として崇められたのです。
大神=狼 です。
>>657 昔は狼と山犬を生息地などによって区別もしていました。
実はどちらもニホンオオカミなのです。
>>658 間違っていません。
狛犬=犬であって、獅子型に変化したものを狛犬と呼ぶようになったのはずっと後代です。
>昔は狼と山犬を生息地などによって区別もしていました。
>実はどちらもニホンオオカミなのです。
なら室町時代の京都市街にニホンオオカミが出没したと認めるわけだよね
なにしろどちらもニホンオオカミなんだから
大通公園に出たかどうかは知らんが、ヒグマが出没しているのは、
室町時代の京の市街地よりはよほど人口が稠密なところだぞ。
あと、本来のやまとことばとしての「こま」は、「犬」の意味はない。
そこに書かれているのは、「狛」という字に「こま」の読みがあてられた後
の話、完全に後付けの解釈だ。
で、関東では云々も見当違い。元々「狛犬」は角のある犬の像だぞ?
関東に限らずね。で、御嶽神社なんかでは、神の眷属である狼の像を
(狛ではなく)眷属の像として置いているわけだから、勝手に「狛犬」呼
ばわりするのは、失礼だ。
>>660 いずれにせよ、薄らみっともない公開マスターベーションだの
新興宗教の宣伝だのは、自分の巣穴の中でやれよ。
665 :
世界@名無史さん:2012/09/05(水) 03:51:34.90 0
>>660 もっとちゃんと調べた方が良い。浅いよ。
DNA解析の結果、犬は東アジアが発祥でそれを古突厥が西に広めたと考えられている。
ツングース諸語でイヌはinda, inakin, nina, ŋina で、これが「イヌ」の語源である事は明らかだろう。
牧畜が始まる遥か以前の事であり、人類の最初の家畜だった。
これら古突厥をはじめとする草原民は犬トーテムであり、狼トーテムではない。
狼トーテムは10世紀前後に平滑地に進出したモンゴルやヴェンド人のような森林民族もので
メジャーになったのは比較的最近の事。
世界的に犬トーテムと狼トーテムを混同している地域は無い。
日本においても同様で、一部アイヌでは狼信仰がある物の、古代由来を探し出すのは困難だ。
縄文期では犬は丁寧に埋葬され、
狩りが出来ない老犬も自然死するまで大切に育てられていた事が歯の状態などから解っているが
狼は同じ神扱いされている熊のように丁寧に祀られ送られる事もなかった。
666 :
世界@名無史さん:2012/09/05(水) 04:15:34.23 0
そして日本の犬信仰の大きな特徴は海人族と結びついてる点だ。
隼人の犬吠を見るまでもなく、日本での犬信仰は明らかに弥生時代の渡来系だ。
日本で軍事名称や部族名であるクメ、クマ、コメ、はいずれも朝鮮の犬を表す「kε」だろう。
これは本来中国が北方民族をその犬信仰から「狗」(khwi:n)のなまった物だ。
神道の母体となった古代宗教においても、北東アジアに広がるクマ信仰がメインで
狼は鷹だの鹿だのクジラだの、他の動物と全く同列に扱われていた。
ようするに、神道における犬信仰は弥生時代以降に外来したもので、
比較的新しい上にニホンオオカミとは全く関係がない。
667 :
世界@名無史さん:2012/09/05(水) 04:25:09.64 0
>これは本来中国が北方民族をその犬信仰から「狗」(khwi:n)のなまった物だ。
いかん、やはり眠い。意味は通じると思うが、一応。↓
○これは本来、中国が北方民族をその犬信仰から「狗」(khwi:n)の字をあてていて、それが訛った物だ。
酷いスレだな
>>653 >中央政府から派遣された官人が地方豪族を支配下に置いていたら
>そういう所はフロンティアではありません。
ってよ、奈良時代では支配が確立していない。
在郷勢力の地位を認めざるを得ず任じた国造、郡造と、中央派遣官吏の国司との激しいつばぜり合いだよ。
なんとかして地方豪族の国造・郡造の力を削ぐことに腐心していて、その政策の一環として、衛士・防人の徴発と
同時に、帰化者の入植を行った。
辺地・新領土の民族構成比を大きく変えるような人口政策は、古くはバビロニアから、新しくは、英領マレー、
ソビエト・中央アジア極東政策、中国のチベット・ウイグル政策と、古今東西共通している。
>>660 狛は高句麗の支配民族を指す。
だから、訓が「こま」なんだよ。
高句麗からもたらされた犬=狛犬
>国府や郡衙、豪族の私寺などで使われていましたし、
>瓦だけでなく陶器である須恵器も夥しい量が関東の中央部で生産されていました。
これだけ太古の武蔵野が人口稠密で陶器の生産の盛んな地だとすれば、
あんたの持論である。
「古代の武蔵野は大森林だった!」と見事に矛盾するねぇw
672 :
世界@名無史さん:2012/09/05(水) 09:02:11.80 0
馬も「こま(駒)」と言うわな
狛犬・唐獅子を知らぬ馬鹿
>>671 瓦を大量に焼いた結果、大森林は失われました
とか言い出すだけだと思うわ
薪として輸出済みだったんだよ(笑)
676 :
世界@名無史さん:2012/09/05(水) 21:22:27.69 0
そういう話は巻きで
よくわからんが石油って8世紀初頭の日本では既に戦略物資扱いだったの?
そんな訳あるまいて。
越の国から天武天皇に献上された「燃える水」も、せいぜい「珍品」程度の位置だからな。
江戸期の記録には「くそうず」(石油)を燈火に用いたり
天然ガスを燈火や煮炊きに用いる話があるが、これとても「あったから使った」くらいの位置。
しかし中国ではすでに紀元前から天然ガスを使っていた。
蜀の国では地下の塩水をくみ上げて製塩を行っていたが、
塩水と一緒に湧き出す天然ガスで煮たてていた。
なるほど
つまり
>>644は電波ということでFAか
天然ガスが燃料に使えることって最初はどうしてわかったのだろう。
火を近づけたらもえるかもとか考えた人がいたのかな
天然ガスなんて見た目ではわからない。
噴出口に松明を持った人が偶然通りかかってボワッと火が付き、大騒ぎになる。
そして「薪もないのに燃える!」「雨の中でも燃える!」と驚いた人々が
「そうか、地面から燃える気が上がっているんだ!」と気が付き、
自分でも地面を掘って確かめてみる…という運びではないか?
江戸時代後期に越後国の奇談を記した書「北越雪譜」には、
「雪中でも燃える火」のことが書かれている。
なんや。
急に大森林厨房が出てこなくなったな。
>>671で打ちのめされたか?
今話題のスレw
ってか東京湾の一帯は比較的浅いところに天然ガスがあるよ。
ときどき工事とか地下水汲み上げとかで引火して事故起こしてる。
だからなに?
だから、首塚の周辺の人魂は、天然ガスに発火したものだって。
そろそろ新種の厨が登場してもおかしくない頃かな
688 :
世界@名無史さん:2012/09/08(土) 19:45:49.77 0
そう言えば、まだ全く語られていない重要な事があるな。
それは、草だ。
人類の歴史は草が作った。
草の支配者であるイネ科は現在も人間の個体数を支える主力だが、それは一先ずおく。
文明は南方で発祥し草の利用による物資と人口の余剰生成がもたらしたものだが、
北方の牧畜民族がそれを収奪し支配するというのが有史以来の構図だ。
言うまでもなく牧畜民も草が無ければ生きていけない。
牛や羊が草を食い、増え、その乳と肉を食って生きるのが牧畜民だからだ。
彼らが南方の定着民を襲うのは、草が取れなくなった時である。
寒波などの悪天候によって草が枯れたり、あるいは他の民族に豊かな牧草地を奪われた事によって移動する。
その時に歴史が動くわけだ。
>>688 全く逆。
遊牧に好適な条件が持続的に整って遊牧圏の人口が増大し、遊牧民の間での商場知行のような交易拠点をめぐる争いが頻発する。
遊牧圏は物質的に自立していなくて、農耕圏からの物資の供給が必要。遊牧そのものに必要な草地や水場、生活のための資源である
薪炭林というようなものについて部族とか宿営とかの単位で持つ縄張と同じ感覚で、農耕民との交易拠点も縄張り意識のうちにある。
交易拠点をめぐる集団間の争奪戦があり、拠点を確保し排他的に防衛するに十分な人員が遊牧圏から動員できるとなると、単なる
交易拠点が支配拠点になる。
実際に、突厥が渤海湾から黒海にまで伸長した時期、鮮卑が漢土の奥深くまで浸透した時期、契丹の勢力拡大〜モンゴル帝国の伸長期、
明末清初の女真人の南下、すべて温暖で遊牧圏の生産力の増大した時期に起こってる。
なるほど。
じゃあこの後、大陸中央部が再び覇を唱える時代が来るのだろうか。
動力革命のせいで畜力の地位が低下した現在ではそれはないだろう
あんなキチガイ大森林も居なければいないでなんだか寂しいなぁw
叩く対象として、安パイだからね・・・そういうのに依存する体質はよくない
>>682 > 急に大森林厨房が出てこなくなったな。
ヒント:夏休み終了
大森林の思考回路はまさに厨房だが、
年齢はそれほど低いようには見えないがなぁ。
大森林厨どうしたんだ?論破されて恥ずかしくなったのかな
寂しいのはわかるがわざわざ電波さん呼びこむなよ
皆のアイドル大森林w
wikipediaにゃ街路樹の始まりを約3000年前のグランド・トランクと
している。てことは十六大国時代よりも前のヴェーダ時代ということか
なかなかに古いですな
中国は2500年前の周、てことは春秋時代ってことか
日本は6世紀後半だそうですな
海藻の利用とかもここでいいのかな
イメージとしては
食用として利用
東アジア、アンデス
肥料として利用
東アジア、アンデス、西ヨーロッパ、マグリブ
ウエールズが食物としてるか
あとハワイ
肥料としてるのはアイルランドとかもかな
何で外人は海藻喰わないんだろう?
カロリーないやん
ギルガメッシュ叙事詩で、海に生えている不老不死の草が出てくるけど
あれは海藻なのかな
確か「虫下し」は海藻から作るんだったな。
日本食がこれほど浸透しても、外人の認識は
海苔も、ワカメも、昆布もseaweedで区別しないからな
でも海苔巻きをわかめで巻こうとしない程度には差異をわきまえてる
でも、昆布では巻けるということを知らない
で、それが海藻を区別しているかどうかという話題にどう関係するんだいw
正確には区別しないのではなく、どういう種類があってどういう用途があるかを知らないってことだから。
それは単にseaweedという言葉で足りる程度にしか
日本食が浸透してないというだけでしょう
そういうわけでもない。
過渡期は言葉の整理がなかなかうまくいかないもの
知り合いのアメリカ人に海苔見せたら色が気持ち悪いって言ってた
20年前はもっぱらそうだったな。
なんで寿司も海苔を内側に巻くようになった。
ただ近年、味付け海苔や韓国海苔を、そのまま食べるのが好きな人も増加中。
健康に良いからとケルプのサラダみたいなの食うのにか?
は?
白人は今でも海苔は紙を食べるようで気持ち悪いって言わないか
じゃあ黒人は言わないのか?
黒人や中国人に知り合いはいないから、知らね
白人なんて、非学問的な言い方するなって意味だろ
そういや産業革命という非学問的な言葉をつかうなと
言ってた奴、最近みかけないな
定期的に変な奴が湧いてくる板だことw
逆切れはみぐるしいな
学問云々以前に、いきなり白人と書いてあっても曖昧すぎて何を指しているのかぜんぜんわからん。
ヨーロッパと北米じゃ全然食文化違うし。
何人か書くのが常識だろうに
いいぞ〜
アイルランド系アメリカ人とドイツ系アメリカ人の食文化に差異はないし
ヨーロッパの食文化なんか分ける必要ないもんなw
その調子で学術的な話題をどんどん語ってくれ〜
言葉ひねり過ぎで、言いたい事分かるような分からないようなだなw
ジャガイモ最高って事だろ
>>724 あるよ。
味覚はなかなか保守的で、材料の手に入る範囲で、やっぱり調理や味付けに差がついてしまう。
>>722 きっと食文化を白人、黒人、黄色人種の3タイプに分けて考えたい人なんだろ
白人の食文化は、米と欧で分けとけば完璧なんだけどな
ヒスパニックは白人?非白人?
731 :
世界@名無史さん:2012/10/03(水) 01:07:04.99 P
トルコあたりはどういう扱いなんだか
ビザンティンは白人だろうが、オスマントルコは有色人種だろ?
現にオスマントルコの宮廷では「白人宦官」が仕えていたという話だから。
単なる皮肉につられて脱線し過ぎ。
東大寺の東塔を再建する計画があるらしいが、たぶん鉄筋コンクリ―トで建てるんだろうな。
木材では建築基準法に引っかかるだろうし。
そもそも必要なヒノキの大木がどこにも無いだろうし・・・
あと建てるなら薬師寺の再建された西塔みたいに真っ赤な朱塗りは止めて欲しい。
京都の東塔みたいな渋い感じで建てて欲しい。
ヒント;輸入
台湾ヒノキは輸出禁止です。
一体どこから?
mjk?
台湾も現在は桧材輸出禁止で巨木を確保することは難しく
「興福寺の中金堂」はアフリカで調達された木材で現在再建工事中
はるか昔の平安時代に建立された中尊寺金色堂にも一部にアフリカ産の建材が使われてるらしいね。
象牙じゃなかったっけ?
741 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 22:25:52.15 0
アジア象ではなく何故当時入手が非常に困難なアフリカ象の象牙なのかね
国産材でも「集合材」を使えば問題ないのではないか?
元禄の東大寺大仏殿のように。
現に秋田県には、秋田杉の集合材でつくられた木造ドームがいくつもあるのだから。
アフリカ東岸ザンジバル〜中国航路を行き来していたアラビア商人の商材だよ。
744 :
世界@名無史さん:2012/10/06(土) 23:39:08.32 0
>>743 いや、アラビア商人とかそういう問題じゃないだろ。
何でわざわざ輸送コストの高いアフリカから運んだのかって問いです。
アラビア商人ならインドシナ半島でアジア象の象牙ぐらい入手できたろうに
何故に倍以上も離れているアフリカから運んだのか?
ていうか、アジア象なら中国商人が直接インドシナ半島から買い付け可能。
それを奥州藤原氏配下の安東水軍の貿易船で中国から直送すれば遙かにコストが安く済む。
いくら黄金バブルの奥州藤原氏でも材料の原価計算もできない馬鹿ではあるまい?
745 :
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 00:02:23.53 0
アフリカゾウのほうが象牙が大きいし質もいいからだろ。
コストだけ見るなら海獣の牙を使ったほうが遥かに安い。
威信を示すために唐渡りの品の最高品使うことに問題があるとは思えない。
>>744 アジアゾウはオスの牙があまり大きくならないんだが、ちったあググれカス
マンモスの象牙じゃないかな。縄文時代の
748 :
世界@名無史さん:2012/10/07(日) 02:22:36.53 0
>>745 そのまま飾るとか丸彫りにするなら大きさは重要だけど
細かく切って細工するならアジア象の象牙でも遜色はない。
また、質に関してはインド象(アジア象)の象牙の方がアフリカ象よりも上ですし
海獣の牙なんぞの比ではないです。
なので威信材として最高級品を入手するなら本来はインド象の牙の筈です。
んじゃー、原価の観点でいえばアフリカ産のほうが安かったんじゃないの。
アフリカでの交換レートが極端にアラビア商人に有利で、輸送コスト加えてもアジア産より安くついたとかさ。
アフリカじゃインドやインドシナより物品流通してなかったろうし、大したものでなくても象牙と交換できたかもよ。
別に、アフリカに日本人が行って買い取ってきたわけじゃないし。
アジアゾウは基本的に役畜として利用されるから近代以前はほとんど象牙とったりしない。
馴化が難しいアフリカゾウは象牙とるくらいしか利用方法がない。
アフリカゾウの入手が簡単な地中海地方ですら象兵に利用されるのはマルミミゾウ。
それは地中海で捕獲しやすかったからでは?
カルタゴの象部隊が所謂森林象なのはしってるが
スールがインド象だったんだよな
>それは地中海で捕獲しやすかったからでは?
アフリカゾウを飼いならした記録は皆無だったと思うが。
一般にインドの像ってアジアゾウに分類されてるんだが、
>>752の脳内ではアフリカゾウに分類されてるのか?
いや固有名詞をわざわざ出して特別だとしめしてるやん
ハンニバルがつれていった最後の一頭の象、硬貨にもされた象がインド象という伝説がある
伝説レベルならなんでもありのような気が。
結局、ハンニバルが使った象の種類が何であったか、確実な証拠は未だに無いわけで。
もし一匹だけインド象だというなら、もうちょっと根拠を示さないと。
まあそれをいちゃあおしまいよw
カルタゴの象には人間より体高低い象もいたそうだから
少なくとも一定数、とういか多分主に北アフリカにいた象が使われていたことは間違いなかろう
でそれよりかなりでかい象だったみたいよ
あとはしゃれではないが象の像がインド象ににてるとか
でもそもそもその像が例のスールかどうかも微妙w
>>757 何が言いたいのかわからん
体高低い象云々なんて言うのは単に幼獣も使役してたという話にしかならないだろ。
成獣ならマルミミゾウで2M台前半アジアゾウで2M後半、アフリカゾウで3M兆。
具体的にアフリカゾウを飼い慣らした記録ってあるのかが問題なんだが。
成獣で人間の大人より小さいものがいたと記録にあるのでそれは丸耳だろうという話
アフリカ象を飼いならしてるという主張なんてそもそもしてないぞ
アトラス山脈とかにいた北アフリカのゾウは小型の森象ですぜ
>>759 少しは流れみて書き込めよ。
>>744の問いに対して
>>751が答えてる流れだろ。
お前が何を主張したくて書込してるのか全く理解できないんだが。
最初からたんなる雑談だよw
なにいってんだお前
関連する違う話題だつの
象牙についてはアフリカゾウは普通に捕獲も殺戮も困難なので
アフリカゾウが人になれるかどうかなんて全く関係ないと思うぞ
生息地からいっても狩猟の困難さからいってもアフリカ象の象牙より他の象牙の方が入手しやすいな
自分の妄想に当てはまらないからいつまでもぐだぐだ文句垂れるとか小学生かよ。
アッバース期のアラビア商人の東アフリカ産の主要商材は象牙が筆頭、ついで鼈甲、サイの角。
これを海路で中国に持ち込み絹・陶磁器を取得、ヨーロッパに売る。
?まさか761へのレスかね
都合が悪くなると「雑談だよ」って笑えるな
アフリカゾウの象牙が輸出されていたというのは間違いない
実際中尊寺でもアフリカゾウの象牙が使われてるんだからな
都合もなにも最初から話題違うぞ?
象牙の話じゃないのがわからんのか
小学生じゃないな。脳みそが溶ろけたババア。
象牙の話題のところに割り込んで
目利き気取りして叩かれてるバカが居るのはよくわかった
おいおいお前か知らんが馴れるって話題振った時点ですでに象牙の話じゃないぞ
象牙の話なら捕獲でなく狩猟なんだから
くどいくせに理屈に穴があるな
>>751の書き込みを見る限り、
家畜化出来る象は殺して象牙をとったりしないから
出まわる象牙は家畜化できないアフリカゾウのもの中心でおかしくないと言っているだけ。
むしろ
>>761はアフリカゾウは殺戮困難とかと言っているけど、
実際にアフリカゾウの象牙が中尊寺で使われていたり
イスラーム期に東アフリカから象牙が輸出されてる事実を無視して
空理空論を展開しているという根本的な問題がある。
>>769 シベリアの凍土地帯たからアフリカゾウより二回りくらい大きなマンモスを狩って常食にしていた痕跡が出てるのに、
なして後代にアフリカゾウが殺戮困難なんよ?
774 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 14:05:50.49 0
大型動物が絶滅する遠因として森林破壊がある。
かつて日本列島が深い原生林に覆われていた時代には多くの野生動物が森に暮らしており
それを追う狩人が陸続きの大陸北方からサハリン⇒北海道⇒本州へと南下移動してきた。
これが縄文人の祖先となった。
一方、九州では火山活動の影響で原生林が失われ、大型動物も一部を除いて絶滅してしまったため
西日本は人口が希薄な地域となって、縄文の空白地帯が形成された。
しかしこの西日本の状況は弥生時代の大陸民の移住&農耕社会の確立に有利に働いた。
東日本の縄文人は西日本の大陸系農耕民と争いつつもその文化を吸収し、独自の文化圏を形成するに至る。
中世に関東武士団を結成した人々はこの独自文明圏を作った縄文人の末裔である。
関東武士団は関東平野の原生林で大型動物を相手にしたため弓の名手となった。
弓の力で国を治める集団「武士」が日本の盟主となる始まりを作ったのだ。
775 :
世界@名無史さん:2012/10/13(土) 14:16:17.34 0
はるか古代、大陸から間宮地峡(現在は海峡)を超え日本に渡ってきた狩人が
日本の武士集団の祖になったわけだが、日本に渡らず大陸の残った集団も当然いた。
いわば13000年前に袂を分けた日本人の兄弟というべき人々だ。
彼らはその後どうなったか?
実は狩人から遊牧民へと生活様式を変え、馬を乗り熟し弓の名手となったモンゴル人なの。
つまりモンゴル人の祖先と日本人の祖先は同祖である。
1274年と1281年の元寇は別離した兄弟が再び同化するための壮大なるイニシエーションだったのだ。
かつて日本列島が深い原生林に覆われていた時代には、日本列島以外深い原生林に覆われていた時代でもあるので、
追いかける必要もない。そもそもそんな原生林だらけなら移動も困難。縄文式住居跡が、大陸側にもどんどん発掘され、
その年代が日本列島に近づくほど、徐々に新しくなっていかないとおかしいけど。
大森林 復活 キタ━━━(゚∀゚)━━━ !!!!!
おやおや。
論破されたはずの「関東大森林」復活ですかぁw
779 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 03:02:00.97 0
>>776 >日本列島以外深い原生林に覆われていた時代でもあるので、追いかける必要もない。
動物の群れは移動しているし、人間も狩場を移動しながら生活していた。
なので、動物の移動と人間の移動にもなる。
縄文時代になると定住化したが、それは日本と大陸が海峡で切り離されて、動物の長距離移動が減ったためであり
原生林が無くなったためではない。
また、狩人にとっては原生林は移動を妨げるものではない(現に関東平野の随所から縄文遺跡が見つかっている!)
原生林が移動を妨げるようになったのは農耕が始まってからで、理由は穀物や物資を運ぶための荷車や家畜の進行を阻害するためである。
農耕文明は樹木の少ない平坦な土地で繁栄するものである。
ゆえに西日本の低湿地で始まり、東日本の低湿地にも広まっていった。
関東の原生林では部分的に焼畑が行われていただけで、本格的な農地転用はかなり時代を下らないと始まらない。
森を焼こうとしても森の主である大型動物が人間を襲うので中々着手できなかったのであろう。
その立場が逆転したのは人間が火薬を自在に操れるようになった中世後期からである。
石火矢によって人間は急速に原生林を農地に変え、食料の大増産時代に突入したのである。
なるほど。
大森林厨房はモノノケ姫でイッちゃった世代か。
実際、小火器の出現以降に動植物の多くの種が絶滅してるのは間違ってない
ステラー海牛とかニホンオオカミは銃による乱獲の結果絶滅した種
弓矢の狩猟時代には大規模な乱獲は起こっていない
人間だって銃や爆薬が実用されて以後の戦争の方が多く死んでる
782 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 07:03:54.22 0
783 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 13:11:03.98 O
ドラえもんの時代にもなると,個人で地球破壊爆弾が簡単に買える
動物の群れが都合良く日本に移動したことは間違いない。
この時代、夏に北上しにして、冬に南下するのは誤り、日本の方向に群れが移動するに違いない。
今時こんな、古い学説を主張している奴がいるとはw
そもそも、日本列島は、氷河期ですら大陸とつながっていなかった。
こんなことも知らないとはw
しょーもないデムパ説はいらん。
787 :
世界@名無史さん:2012/10/14(日) 22:34:11.46 0
>>785 ならば、ナウマン象やオオツノシカは海を泳いで渡ってきたのでしょうか?
そして人間も流氷漂う極寒の海原を泳いで渡ってきたのでしょうか?
>>775 ああ、それって、義経=ジンギスカン説だろ。
ジンギスカンが義経だったつう話は非常に有名っす。
北海道のあちこちにも義経伝説が残ってるっす。
ちなみに女真族が後に建国した国号は「清」
日本の事は「和」って言っすが、女真の「清」と日本の「和」で「清和」
義経は清和源氏の出自っす。
これは只の偶然には思えないのは俺だけっすか?
ジンギスカン義経説って、どうにも東北人のルサマンチンの発露としか思えんのよな。
大正時代に大々的に取り上げた小谷部全一郎も東北の人だし・・・・。
しょせん、義経は京生まれ京育ちの人なんだから、伊達政宗ageしてたほうがいいと思う。
義経はアイヌで大人気だよな
ここで延々と義経について書き込みしてる奴は
当然、源義経のことを植物と思っているんだよな?
793 :
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 17:53:17.70 0
ママンの名前もトキワ御前だし、植物っぽさを感じなくもないよね、義経。
794 :
世界@名無史さん:2012/10/16(火) 19:04:00.73 0
>>785 横だが。古いのはというか間違えてるのは確実に君の方。
というか、その「繋がってなかった」てどこ知識?
まさか、ニュー速じゃないだろうなwあっちでは確かにその意見がある。
30万年前に日本が一時的に大陸と繋がっていたのはあらゆる研究結果から確実と考えれている。
日本海の生態研究やニホンザルの研究がその辺詳しい。
ちゃんと自分で調べてみな。
日本海が湖だったんだよ。
大陸北方からサハリン⇒北海道⇒本州へと南下移動してきた。
朝鮮からは日本にはやってこなかったんだよ。
最後の氷河期に氷で陸橋ができたのはサハリンであって、半島じゃねぃ罠
日本最古の人骨が30万年前ごろから出土し出すから、
30万年前に、大陸北方から渡ってきたのはあらゆる研究結果から確実と考えれている。
最後の氷河期が30万年前に起こるんだw
30万年前の人骨が見つかってるなんて知らんかった、場所どこ?
人っつってもホモ・サピエンスじゃないよな。
明石原人も知らない人は帰れよ。
過去、数万年置きに日本列島が何度も陸続きだったのは地質学齧ってる人間には常識。
ノアの洪水伝説や世界各地に伝承される洪水伝説は氷河期人類が間氷期の到来時に遭遇した海進の遠い記憶。
また、ムーとかレムリアなど水没した大陸と言われてるのは間氷期に水没した低地が伝承化したモノ。
801 :
世界@名無史さん:2012/10/17(水) 06:27:02.16 0
>>795 >>796 だから、自分でちゃんと調べろって。アホらしいがちゃんと説明すると。
ニホンザルは北限が青森で、現在世界最北端の猿。
暖かい現在ですらいないのに氷期にサハリンから来る事などありえない。
ミュンデル−リス間氷期、あるいはリス氷期に渡来したようだ。
しかし、DNA解析から渡来時期はどうやらこの一回きりだった事も解っていて
その後の新しい血統の流入はない。故に
>>800の話も荒唐無稽な物だ。
この時期に何があったか不明だが、
ちょうど有明海が阿蘇山の噴火によって形成されている時期である事から
火山の噴火が某かの影響を与えた可能性を指摘する説もある。
日本と大陸が地続きになったことなどないなんてデムパ説を披露しちゃう奴が全て悪い
お前は、小学校で先生にしかられた子供か
805 :
世界@名無史さん:2012/10/17(水) 13:39:52.00 0
俺は盆栽屋の息子。
それが木材屋に就職した。
盆栽の定番の樹種「米栂」を実家では「こめつが」という。
しかし木材屋ではアメリカ・カナダ産の栂材を「米栂」と書き「べいつが」という。
単に音読み訓読みの違いってだけじゃ?
>>801 だから、自分でちゃんと調べろって。アホらしいがちゃんと説明すると。
・人類と動物の話は区別すること
・百万年というスパンで考えるときは氷河期と間氷期のみではなく温暖期にも着目すること
・陸上生物は絶海の孤島も含めて、全て自力で陸移動したはずだという間違った思い込みを捨てること
・何があったか説明できないのなら断定的に決め付けるのは止めること
つーか、関係ない俺に噛み付いてくるなよな狂犬
別に一度に陸続きにならなくても部分的に繋がってれば人間が渡るには十分なような
最初から日本やアメリカ大陸に渡るのなんか目的としていなくて(行き先を知っているわけじゃない)
渡れる陸地に生活範囲を広げるというのが移動の目的なのだろうし。
>>806 漢字がおなじなのに、指しているものが違うという話では?
もちろん読みも違うんだろうけど。
>>801 なんでお猿のような南方系のアニマルが、氷河期にこったら寒い日本やらに来るの?
温かい時期に来て取り残されてしゃあことなしに寒さに適応したとかなら、辻褄合うけれど・・・・・・
>>810 お猿さんが自分で来たかどうか分かっていないに何故来ると言えるのか?
人為的に持ち込まれた可能性も考慮すべき。
ポリネシアには有史以前に中国大陸からブタが持ち込まれている。
813 :
1:2012/10/18(木) 04:47:53.64 0
いい加減スレ違いなので、
>>802のスレに移動してください。
814 :
世界@名無史さん:2012/10/18(木) 22:10:06.87 0
>>810 朝鮮半島の方が寒いから。今もそうだし。
日本は暖流とヒマラヤからの湿度で暖かかった。
陸続きとかじゃなくても、アダムスブリッジ程度の砂州なら容易に渡って来れるだろ。
いい加減出て行けよ
818 :
世界@名無史さん:2012/10/19(金) 21:54:29.37 0
化石はある。骨格はニホンザルと同じ。
数千年前に絶滅したらしい。理由は不明。
寒冷期に死滅or移動した、森が無くなった事が原因ではないか、との説。
819 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 02:27:14.98 0
森が無くなると、動物が消えます。
これは過去に関東平野にも起こったことです。
スレ違いうざすぎ
821 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 07:01:22.46 0
ウサギもコオロギも草原に居るけどな
>>818 ここでも、朝鮮半島から伝わった か。はびこってるな、なんでもコーリア起源説というかコーリア伝来説というか
大韓宗主説とかそういうのを言うホロン部さんたち。
南方系のお猿が、じゃあ、その朝鮮半島へはどこから渡って来たんかいな。
意識的にネタスレ化しようとするな。
まともな話が埋もれてしまうだろうが。
824 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 12:28:12.55 0
>>822 直接は渤海らへん。
台湾猿との比較研究も行われていて結構興味深い。
台湾猿は一万年程前に大陸から渡ってきた。ニホンザルと祖先は共通だ。
台湾サル信仰はアイヌのクマ信仰に似る。
子供の時にさらってきて、部族全体で大切に育て、死期が迫ると苦しまぬように送られる。
しかしここで注目すべきは、サルは山の生き物であるのに台湾では海神とされている事だ。
近い風習は九州南部にもあった事が解っている。
今でも鹿児島や宮崎の港町ではサルを舟の神として祀る。
由来は、サルを船に乗せておくと日の出の時にその方向に鳴いて騒ぐので、時間と方位を測れる、
マストに上って陸地の方向を教えてくれるからだという。
黄海周辺全域が同じ風習があったと考えれていてニホンザルは海人族がもたらしたと考える研究者も多い。
猿田彦が神武の水先案内をした事などにその片鱗が伺える。
>>824 幸島って知ってる? 宮崎県。
お猿にお芋を与えると、海に浸けて塩気をつけて食べる、砂に麦粒を播けぱ海水に投じて浮かせて掬う、という。
これとは別に、東南アジア島嶼部にカニクイザル。蟹ばっかり食べてるわけではないけれども、陸上の植物・昆虫に
加えて、頻繁に海岸に出て海岸の小動物を捕食する。
別に海辺に猿がいることを認知していもおかしくはないわなあ。
宮島とか関門海峡とか、ときどき猿が泳いで渡ってるし。
猿は植物なのか。
百日紅についてでも語ってみるか?
828 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 12:47:33.61 0
>>825 幸島のサルの芋洗いは、文化であってサルが種として持つ習性ではない。
人間が「海岸で与えた」土付き芋を洗う個体が出た事から始まった。
内陸部で同じ物を与えてもわざわざ洗わずに食べてしまう事も解っている。
スレ違いの話しかできないやつは来るなよ
830 :
世界@名無史さん:2012/10/20(土) 15:19:01.72 0
>>824 ニホンザルは最大体重15s、尾は5cmほどなのに対し、
タイワンザルは最大体重5〜6sほど、尾は30cmに達する。
これが外観上の大きな違い。
一万年でこれだけの違いに分かれるかどうか。
すべては、朝鮮ネタから始まった。朝鮮ネタは揉めるから禁止しようぜ。
日本は朝鮮とは全く関係ない。諸悪の根源はこれ。
朝鮮ネタになると火病になる831みたいな人間多いしなあ。
「サル」のつく植物ってなんがあるんかな。
「サルスベリ」 「サルナシ」 「サルトリイバラ」 「サルビア」 あたり?
意外に少ない?
サルノコシカケ
サルビアには猿のイメージがないせいか、言葉的に違和感を覚える
サルノコシカケには植物ではないせいか、スレ的に違和感を覚える
じゃあイエローサルタン……
>>828 カニクイザルが蟹とか魚とか拾って食べたり
ニホンザルが目視距離なら海を泳いで渡ったり
というのも、あんたの言葉では「文化」なのかい?
『草地と日本人』須賀丈 築地書館 2012年 を読んだ。
これによればやはり古代以来武蔵野台地は草っ原だった。
武蔵野はもとより全国各地に、人為的に火入れされて作られた草原があったようだ。
かつては牛馬の餌や緑肥、屋根葺きの萱の供給源として必要不可欠だった草原だが、
配合飼料や化学肥料、瓦やトタン屋根、そして化石燃料の普及により存在価値を失った。
現在、それら草原は大半が森林と化している。
阿蘇では千年にわたって草をかり、火で焼いて草原を維持してるな
そいいやマツタケは落ち葉を肥料や燃料としてもって行く人間がいなくなってから
取れなくなったが
人間による自然破壊がなくなったおかげで、ある生物が生息できなくなるというのは皮肉だな
自然保護団体はだれがあるべき姿と思うのかね
松は先駆林の植物で、安定林の樹ではないからね。
もともと崖崩れやなんかが起こったところに真っ先に生える、肥料分はあまり要らない、乾燥に耐える、
日照の要求が大きいという性質のもの。
松と共生関係にある根菌も、乾燥していて有機質の少ない環境に耐える。
その対極にあるのが、椎とか樫とかの類。暗くても何とか育つ、水や肥料が沢山要る。
落ち葉が増えて、他の種類の草木が生えると、乾燥に耐性がなくても、養分や水があればあるだけ使って
成長する菌類が増えてきて、生存競争に負けてしまう。
これは地上の松の木も同じで、後から生えてきた広葉樹に負けて、弱ってしまう。
松は自転車操業か・・
842 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 01:28:15.47 0
マツは巨大木造建造物の最重要パーツだと知らない人が多いですね。
東大寺大仏殿に使われている部材の内、最も巨大な「虹梁」はマツ材です。
他の部分はヒノキ材やケヤキ材なのに何故そこだけマツ材に拘ったのか?
それはマツ材が最も強靭性で耐久性に長けている樹木だからです。
虹梁という部材は、たった二本で大仏殿の十数万トンという膨大な重量の大屋根を
何百年にも渡って半恒久的に支えるため、マツ材以外では不可能だったのです。
また大森林厨房か?
844 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 01:54:47.06 0
しかし、江戸時代も半ばになると巨大木造建築物に必要なマツ材は日本中の森林から既に殆ど枯渇していました。
その理由は安土桃山〜江戸初期にかけて全国の大名達が競って建造した天守閣に多く使われたからです。
膨大な重量に耐え得るマツ材は瞬く間に消費され、全国の森からマツの巨木が消えました。
その結果、明暦の大火で失われた江戸城天守や落雷で全焼した徳川再建大阪城の天守は遂に再建されなかったのです。
東大寺大仏殿は全国からの浄財と幕府の寄進により莫大な建造費を捻出し、唯一残っていた最後のマツの巨木をゲットできたのです。
明治時代、大仏殿の解体修理の際に傷んだ部材を入れ替えることになりましたが、虹梁だけは替えの用材が無いため
その周りをイギリスから取り寄せた鉄骨トラスで補強しました。
つまり、文明の利器である鉄骨が無ければこの時代に解体修理もできなかったでしょう。
845 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 02:02:00.48 0
かつて、東大寺大仏と同様に鎌倉大仏も大仏殿に収容されていました。
室町後期に津波による被害で大仏殿は倒壊し、以後再建されず現在に至っていますが
これもマツ材が得られなかったために再建できなかったのです。
鎌倉時代には関東の原生林から無尽蔵に得られたマツの巨木が、室町後期には殆ど消えていたのです。
というか、マツが消えたというよりも鬱蒼たる関東原生林が消えかけていたからなのです。
だから、松は「鬱蒼とした原生林」にいる木じゃねえっての。
森林森林わめいているくせに何でそんなに無知なんだ?
松って管理よくても普通に寿命短いよな
848 :
世界@名無史さん:2012/10/21(日) 10:11:19.53 0
クロマツやアカマツ材の一番の用途は薪だわな。
住宅材に向くまっすぐなのがなく油脂分のため鋸が入れにくい。
住宅用で曲がっていても使用できるのは梁材しかないため。
松は脂が多いため腐りにくい。
そのため杭や玉川上水の水道管として使われた。
あとはやはり燃料だね。薪や松明。
燃料が薪や炭だった時代の日本人とは相性がいい木だった。
西洋でもたいまつになってるな
>>838 >草原だが、 配合飼料や化学肥料、瓦やトタン屋根、そして化石燃料の普及により存在価値を失った。
>現在、それら草原は大半が森林と化している。
草原の大半が森林と化したが正しいと仮定して、何世紀を想定しているんだ。
第二に、他国でも似たような状況になっている地域は、草原が森林になったのか?
↑
意味不明だな。
もっとわかりやすく書いとくれ。
>>851 奈良の若草山とか。
毎年火入れをするところは草原で、火入れをしないところは森になってる。
武蔵野台地の表層である黒ボク土は、草原地帯特有の土壌である。
しかし大森林厨房は「黒土は腐植土層で、これこそ太古の武蔵野が大森林だった証拠!」だと
喚いていたなぁ。
瓦やトタン屋根、そして化石燃料の普及したのは、明治ぐらいか?
これだと江戸の町以外は町民の家は瓦じゃなかったんだ説採用だよね。
大森林 復活 キタ━━━(゚∀゚)━━━ !!!!!
なんで休止してたのか
何故再開したのか?w
>>855 京都の町屋も瓦屋根だが?
そして東山や嵐山ほか周辺の山岳地帯は、
燃料の収奪によって松の疎林がせいぜいだった。
>>856 ほとぼりがさめるのを待ってたか、
言い負かせるネタを探していたんだろ?
さっそく墓穴掘ってるが。
>>857 嵯峨野(嵐山)も清水寺(東山)も昔からずっと紅葉を観に行くところだけれど・・・・・・・
どこの松が紅葉するのやら。
今現在の嵐山の事を言われても。
京都で昔というと応仁の乱が一応の区切りだよ。
近衛文麿乙
>>859 権中納言公経(承安元年〜寛元二年)
長月の頃、水無瀬に日頃侍りけるに、嵐の山の紅葉、涙にたぐふよし、申し遣はして侍りける人の返り事に
紅葉ばをさこそ嵐のはらふらめ此の山もとも雨とふるなり
長瀬(今の大阪府高槻市)へ行く途中に嵐山で詠んだ歌だよ。
有名な地名で言うと、天王山でひと山越えたところが、ちょうど嵯峨野だからね。
で、嵐山が松しかない疎林だったというのは、いつの話よ?
新古今集に出るくらいだから、鎌倉時代。
幕藩時代も、今日の町衆が紅葉狩りに行く
今もそうだ。
100年〜200年のカエデの木は嵐山にいっぱいあるぞ。
>>863 明治の頭まで、寺社領の山が大半で、民有の山なんてわずかなんですが。
京の町で使う薪炭は付近の山で足りるはずなく、湖北から紀州から吉野からあちこちから
運んできていた。
寺社領であればすなわち森林であるというわけでもない。
禁足地ならばともかく、近在の住人も出入りしているから。
詳しくは小椋純一の著作を読まれたし。
スレ違いスレ違い言ってる香具師は、ネタも振れないのか?
今度は逆切れか
スレ主の再三の警告を無視して、電波を召還している癖に
主なんて仕組みはないよ。余所の掲示板と間違えてるんじゃないか。
あるんだよ。
>>1のことをスレ主と言うの。
分かったら、しばらく黙ってておとなしくしててね。
スレ主云々は2chのシステムじゃないわな。
したらばと勘違いしてるんじゃない?
ドイツとかでは松は針葉樹なので真っ直ぐに成長するため梁や桁などに使用したり、
ログハウスの建材に使用していた。
日本では松というと、盆栽か庭園かはたまた海岸とか絶壁とかに生えているのを
思い浮かべて、くねくねまがっているイメージが強いが、本来、松は針葉樹なので
真っ直ぐが普通で、日本のイメージは特殊である。こういった植物は他にもあるだろうか?
>>872 2ちゃんでも普通にスレ主と言うが?
お前、単に自分勝手に荒らしたいだけだろ
言うか言わんかじゃなくて
>>1の権限の範囲の話だろう
で、結局何が言いたい?
スレ主に注意されるのが嫌ってか?
>で、結局何が言いたい?
スレを荒らして話をストップさせたい。
スレ荒らしはあんたらだろうよ。
この掲示板は誰が
>>1かなんてのは無意味なんだよ。自称で良いんだから。
騙りうざいし、言ってること意味不明。
>>873 岩手県の高原に育つアカマツは割合にまっすぐだ。
だから「南部赤松」のブランド材として珍重されているよ。
谷間の百合の話なんかも、ここでいいのかな?
ああ、lily of the valleyとバルザックの著書のタイトルの訳し方の話か
なんのこっちゃ?
英語でlily of the valleyと言うと、スズランのこと。
一方、バルザックの有名な著書に『谷間の百合』ってのがあるが、
これって訳者がスズランってことを知らずに誤訳したんじゃ?って突込みがよく入る。
でも実はフランス語には、谷間の百合にスズランという意味は無いらしい。
和人はスズランを愛でるが、アイヌはスズランを忌み嫌う。
スズランの芽生えはアイヌが珍重する山菜・プクサ(アイヌネギ)に似ているが、
毒草である。
アイヌはスズランをセタプクサ(犬のプクサ)と呼ぶ。
一方、酪農家はスズランもアイヌネギも嫌う。
毒草のスズランを嫌うのは言うまでもないが、
アイヌネギを食った牛の乳はニンニク臭くてたまらないからだ。
ドイツ語のリリエンタールは、百合の谷間という意味
竹は植物の中でも最後に登場したニューカマー
意外だが竹取物語の頃はまだ貴重(数が少ない)で、生息域を知っていてそれを加工するもの、つまり竹取翁は先端技術をもつテクノクラートだった。
現代、竹がありふれた植物なのは、その成長スピードや繁殖力のせい。
わずか千年程度でこの有様だから、もし竹がもっと早く登場してたら世界中が竹だらけになっていて、竹を主食とする動物も数多く生まれたかもしれないし、竹に依存した竹文明が生まれたかもしれない。ワクワクしない?
竹の成長力に神秘性を感じて霊力が宿っていると考える人々もいたらしく、竹取物語もこのバリエーションだろう。
889 :
世界@名無史さん:2012/12/01(土) 09:32:56.72 0
30年ほど前、隣の爺さんが庭にナントカ笹を植えた。
それが今我が家の庭に侵入して毎年笹刈りが大きな手間となっておる(怒)
じじい、墓下から戻ってきて笹刈りをやってくれ!
笹じゃないが竹の地下茎は地下30cm(だったかな?)より下にはいかないから隣地の境目を50cmぐらいまで掘り下げればいいんじゃねぃ
あと大昔に受講したいい加減な民法知識だが隣地の境界を上から越える果実とかは隣地の所有物だが
地下から境目を越えた植物の所有権は地主側にあるから遠慮せずに枯らしちまえ
ふと思ったんだが、もしかして大森林=
>>1?
今までのところネタがなくなったタイミングで現れてたから
892 :
1:2012/12/24(月) 21:09:06.85 0
そんな訳無いでしょ。
こんなネタすれにするつもりは、全く無かったし。
それにそのネタはスレ違いです。
何度も、自然環境の歴史スレに移動するように注意しているのに。
893 :
世界@名無史さん:2013/01/10(木) 20:49:44.05 0
布教age
大森林もう来ないのかな?
呼ぶなバカ
896 :
世界@名無史さん:2013/01/16(水) 21:30:11.51 0
おれの別荘の隣の敷地からの笹の侵入をなんとかしてくれ!!
めったにいかない別荘なので、もう手遅れになっているが。
>>896 ラウンドアップ(除草剤)を刷毛で葉にぬりぬりするといいよ。
898 :
世界@名無史さん:2013/03/28(木) 11:37:44.76 0
桜の起源が中国だと主張している人がいるようだが、、
899 :
世界@名無史さん:2013/03/28(木) 11:45:08.11 0
900 :
世界@名無史さん:2013/03/28(木) 11:50:04.74 0
ささなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな
901 :
世界@名無史さん:2013/03/28(木) 21:48:48.92 0
1854 鸎之木傳梅乃移者櫻花之時片設奴
>>899 のリンク先には「桜の起源はヒマラヤ山脈」って書かれてるが。
ならば中国説と矛盾するとは限らないが。
桜の原産地がヒマラヤ付近じゃないかという話はよく言われているが、
宋代に初めて日本に来たという話ではないな。
あまたある桜のうちのいくつかの品種が、というならわかるが。
906 :
世界@名無史さん:2013/03/31(日) 01:54:43.27 0
ムカシヤマザクラの化石なんてあるんだな
そう言えば、染井吉野クローンの寿命が一斉に来るって説があったが
乗り切ったのか。
908 :
世界@名無史さん:2013/03/31(日) 21:48:21.39 0
荒俣宏の帝都物語のラストも、その説をかなり使って書いていた話だったな。
昭和70年に桜が一斉に枯れ始め、、、とか
植物のクローンはテロメアなぞ関係ないからなあ
よほど強力な病気でもないと駆逐出来ぬやろ
説で終わって「めでたい」と言うか「つまらん」と言うか
911 :
世界@名無史さん:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN 0
大森林厨房復活期待アゲ
二度と来るな
913 :
世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN ID:ZoLP45Hf0!
有用植物としては椰子は結構面白いね
日本じゃココヤシとシュロ以外ろくに認知されてないけど、他にも
・実をデーツとして食用にするナツメヤシ
・葉を建材とか家具に使用するニッパヤシ
・油を絞るアブラヤシ
・澱粉を取るサゴヤシ
・砂糖を取るパルミラヤシ
とか熱帯、亜熱帯地域では非常に利用価値が高い。
914 :
世界@名無史さん:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN 0
明の永楽帝が崩じたモンゴルの「楡木川」ってとこ
直訳すれば「にれの木の原っぱ」だよな。
草原のなかそこだけ森みたいになってたのかね。
一説には狩猟をしていて猪の牙に刺されて死んだというから
実際森だったのかも。
915 :
世界@名無史さん:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN 0
ああこれ博物館でよく見るな。
パルミラヤシには、こういう用途もあるんだな。
917 :
宗教的にも受けそうなんだがな:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN 0
不思議なのはひまわりが穀物化しなかったことだな
あれは結構食べ物として優秀なのに・・・
918 :
世界@名無史さん:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ID:9OEnSqBL0!
あれは十分穀物なんじゃないの?
かぼちゃの種なんかと並んで
江戸時代が舞台の某アニメで、「ひまわりは他の植物にとっては毒である」というセリフがあったな
放射能事故で、ひまわりは土から養分を吸収する力が強いから云云という解説を聞いて合点がいったが
昔の人は本当にひまわりの根には毒があると思っていた鴨
もっとも其のアニメは時代設定とか考証に値する価値は微塵も無かったし「金がないからバイトしよう」とかカタカナ言葉が頻出していたがw
920 :
世界@名無史さん:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN 0
>>914 http://en.wikipedia.org/wiki/Tugay トゥガイ(ツガイ)
こんな環境かな。河畔林。この記述によると、楡が生えるのは地下水位が低いところ(=川からやや遠い?)らしい。何年か前NHKの自然番組でこの環境に生きる生き物を紹介したのを見たことがある。
そういえばペルーの海岸の砂漠気候地帯の中にあるシカン文明の遺跡も、地下水が豊富だからか近くに川があるからか、森の中にある。
921 :
芋類は今でも秘匿性高いし:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN 0
>>919 どう転んでもじゃがいもより酷くはならないだろ
あっちも土地を枯らすし、日に当てるとガチで強力な毒になるからな
悪いが名前欄に妙な落書き付けて話し掛けるの止めてくんないかな>921
別スレの電波君かと警戒してしまうから
923 :
別スレってどのスレ?:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN 0
その使ってない枠を
例えば、行方不明者の捜索に使えば誰か見つけてくれるかもしれない
例えば、今日は何の日か記入すれば見た人の生活に張りが出るかもしれない
例えば、俳句でも載せれば見る人に感動を与えてくれるかもしれない
例えば、君の趣味の話をすれば見てる人の観方が広がるかもしれない
例えば、花の名前を入力すれば見てる人の心が和むかもしれない
例えば、一文字、一文字入れてメッセージにすれば君の発言を追ってくれるかもしれない
例えば、銀の最新情報を入れれば、監視しながらレスを打てる
924 :
「長島名誉監督に文化勲章を」行動委員会:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN 0
へぇ
925 :
世界@名無史さん:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN 0
彼岸花の球根が日本のどこぞの貝塚から出土したって話を聞いた記憶があるんだが、知ってる人いない?
おそらく史前帰化植物説の根拠になってるはずなんだけど
彼岸花って言われると北原白秋を思い出す
日本での彼岸花のイメージは彼の詩に集約されている
日本のヒガンバナは全て三倍体なのでタネができません
中国には正常にタネのできるヒガンバナが分布しています
なので今日の日本における広い分布は人間が球根をいろいろな場所にもっていったためということになります
なぜ球根を持って行ったかというと・・・
ヒガンバナは全草が有毒ですが球根を潰して水にさらして毒抜きをすることで食用になる澱粉が採取でき、救荒作物としての価値があったんですね
また、その毒成分を嫌ってモグラや野鼠などが避けるので、田畑の畦や墓の周囲に植えて動物による掘り起こしを防ぐという効果もありました
928 :
世界@名無史さん:2013/08/17(土) NY:AN:NY.AN 0
なぜ日本のが三倍体かと言うと、やっぱりその方が球根が大きくて食べがいがあったってことかな
>>928 それもありますね
三倍体は本来はタネにつぎ込むはずの膨大なエネルギーをまるまる株の生育に回せるので
肥大が良いですし、球根の分球も旺盛になります
大きな要因のもう一つは、タネより球根や株の状態の方が人間にとって扱いやすく増やしやすいということでしょうね
この手の球根植物は播種からおとなの大きさになるまで非常に時間がかかり、管理も大変メンドクサイのです
タネは休眠していて、採ってすぐに蒔いても発芽は翌春以降、しかも一年目は波平さんの一本毛みたいなのがぴょろりんと出るだけで終わり
次の年にはちょっとだけ大きな葉になって、その次の年には葉の枚数がちょっと増えて…と、花が咲くサイズになるだけでも最低でも六〜七年くらいはかかってしまいます
こんなことを一々やってはいられませんねw
これらはヒガンバナに限った話ではなく、シャガやニホンスイセン、イチハツなど大陸由来の古い帰化植物のいくつかで
やはり三倍体の個体がほとんどを占めるという現象が見られます
930 :
世界@名無史さん:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
シュウカイドウも日本のは三倍体とか。これは純粋に花として見応えがあったってことかな
むかごはできるけど小さいしシュウ酸を含むし
931 :
竹を崇める信仰ってある?:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
あの侵略性の高い竹が分布範囲狭いのが疑問
932 :
世界@名無史さん:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
種なし西瓜も交配による三倍体
1年目:二倍体西瓜にコルヒチン処理をして四倍体の種を作る
2年目:二倍体西瓜と四倍体を交配して三倍体の種を作る
3年目:三倍体の種を蒔き、西瓜を収穫する
933 :
世界@名無史さん:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN 0
>>931 数十年に一度あるかないかの開花なのにどうやって自然状態で新規分布を?
>>931 原生の竹はアフリカ、アメリカ、オーストラリア大陸に広く分布して
唯一ないのがヨーロッパ大陸。
935 :
世界@名無史さん:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN 0
土壌の問題かな
氷期に絶滅したんじゃないの?
インカ帝国では奴隷には最低限の食物しか与えず、コカインを与える事で餓えを誤魔化させていた。
似たようなことを国民に対してしているのが北朝鮮。
コカインじゃなく覚醒剤だけど。
高山で歩くのに普通につかうんだが・・
偏見は無知から生まれるんじゃ脳
● 代表的な規制薬物であるコカインは、紀元前数千年前よりコカ葉が麻酔に用いられており、
インカ帝国では疲労や空腹の特効薬として奴隷に与えられ、現在でも南米諸国ではコカ葉を噛む風習が残っている。
1859年にコカインの結晶が単離され、コカイン入りワイン、シガレット、錠剤、コカ飲料などが商品化された。
医療関係者や著名人なども、コカインやこれらの商品を常用したといわれている1。
インカの脳外科手術って麻酔はコカインだったみたいだけど、モルヒネの原料の
アヘンよりは確実に痛かっただろうね。
つーか、モルヒネってヘロインと同じでダウナー系だろ?
コカインみたいなアッパー系のもんを麻酔に使ったらどうなるんだろ
942 :
世界@名無史さん:2013/10/25(金) 11:37:00.48 0
蝶豆のラテン名の由来とか?
944 :
世界@名無史さん:2013/11/08(金) 09:41:30.68 0
すげえ植物だな
進化しすぎたんだな
俺もだけど
よう、自家発電 ノシ
植物界のさとり世代だな
949 :
世界@名無史さん:2013/11/09(土) 01:59:37.44 0
閉鎖花と言う花を咲かせて種子は作るんだけどな。
栄養繁殖だけする寄生植物・腐生植物なんて存在するのかな
950 :
世界@名無史さん:2013/11/09(土) 10:52:37.35 0
951 :
世界@名無史さん:2013/11/09(土) 18:10:47.39 0
少しだけならうちの庭にも生えてきてほしい。
ミョウガに適した日陰より、もう少し明るい環境が要るのかな
戦後の陸稲栽培で壊滅的な被害を生んだって聞いたな
東南アジアやインドでは猛烈に嫌われてるらしい
現代日本じゃ2株1680円で売られてる割と人気の山野草だが
>>951 完全寄生だから、日照は関係ないよ
宿主さえ元気ならこぼれ種で毎年出る
>>232 これは( ;∀;) イイハナシダナー
ツユクサの属名もリンネの知人だっけ
955 :
世界@名無史さん:2014/05/14(水) 01:27:25.37 0
956 :
世界@名無史さん:2014/05/24(土) 17:41:20.91 0
昼前、自転車で出かけたら、二条大麦、六条大麦、小麦が
ごちゃごちゃに育てられてる畑があった。
なんでだろう?
何だそれ
試験場か
それにしても北米産の帰化植物は凄まじい
我が家の庭なんとかしてくれ
葛うえろ、葛を
たちまち北米生まれなんぞ駆逐してくれる
駆逐したあと、葛自体がどうなるかはしらんけどな
960 :
世界@名無史さん:2014/05/24(土) 22:01:37.07 0
育った葛の根から葛粉、葛根湯
961 :
ブルーブラッド 悪魔の愚民化統治:2014/05/25(日) 07:15:57.70 0
>>937 まるで黒人奴隷には麻薬を津川なったような口ぶりだな
リンネは自分の研究グループの弟子たちを世界各地に派遣して植物採集させてた
みんな進んで使命感に燃えて出向したのだが、各地でかなり病死とかして
家族や未亡人からリンネはかなり恨まれたらしい。
963 :
世界@名無史さん:2014/07/24(木) 13:51:01.77 0
>>937 覚醒剤ってそんなに安く作れるものなの?
雑穀とか育てて普通に食べさせた方が、労働力として使えそうな気が。
964 :
世界@名無史さん:2014/07/25(金) 02:25:00.96 0
覚醒剤は穀物より何百倍も高いだろ
末端価格はきせいがあるからたかいんやで