1 :
バフトナザル ◆os992ZMAIbZn :
2010/11/14(日) 20:51:49 0
2 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 21:15:36 0
>>1 乙。
ところで、誰かサファヴィー朝について詳しい本知らない?
同時代のオスマン帝国に比べてサファヴィー朝は日本語で読める資料が少ないと思うんだ。
3 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 21:35:21 0
>>2 『イスラーム世界の奴隷軍人とその実像』前田弘毅 著
サファヴィー朝とコーカサス(奴隷軍人の供給先)との関係とか
『ペルシア見聞記』 J・シャルダン著 東洋文庫621
アッバース1世頃のイランを訪問したヨーロッパ人の旅行記
『ムガル皇帝歴代誌』フランシス・ロビンソン著
イルハン国以降のイラン・インドの君主たちが、サファヴィー朝も含めて網羅されている。
各国史以外ですぐに思い付たのは、ざっとこんな所かな。
4 :
2 :2010/11/14(日) 21:38:24 0
>>3 ありがとう。
うぅ、でもやっぱり少ないなぁ・・・・・。
サファヴィー朝単独で書いてある本は流石にないよね。
個人的には中公新版の「成熟のイスラーム社会」が
めちゃくちゃサファヴィー朝に詳しくてびっくりした。
5 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 21:57:34 0
スレ立て乙 サファヴィー朝とかなると洋書が一番でしょうな 日本はイスラム史関係は少なすぎる
6 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 22:00:10 0
7 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 22:01:07 0
8 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 22:01:47 0
9 :
2 :2010/11/14(日) 22:02:20 0
>>5 そうだね。昔に比べるとイスラム関係の本も大分増えたけど
まだまだ時代や地域や王朝に偏りがあって充分ではないね。
やっぱりサファヴィー朝は洋書しかないのか・・・・。英語苦手だけど頑張ります。
10 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 22:03:31 0
ってかイスラムの研究者って日本で数えるほどしかいないでしょ
11 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 22:04:47 0
12 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 22:05:35 0
サファヴィー朝期だったら、シーア派をテーマとした本とかに当たればいいかもね。 何ってたって国教化された時代だし。
13 :
2 :2010/11/14(日) 22:07:46 0
>>12 今のイランでシーア派が大多数を占めてるのはこの王朝のおかげかな?
その前からもいくらかシーア派はいただろうけど。
14 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 22:09:29 0
イスラム世界は、古代ギリシア・ローマの文献をたくさん翻訳 していたのに、なぜ人文主義(ヒューマニズム)が発達しなかったのか 謎。
15 :
世界@名無史さん :2010/11/14(日) 22:11:08 0
>>12 確か、この王朝のシャー自身が「自分はシーア派指導者イマームの子孫です。」って自称していたくらいだし。
16 :
2 :2010/11/14(日) 22:15:12 0
>>15 イスマーイール1世はこういうことを自称できる宗教的カリスマに長けてたよね。
だからこそ、あの若さでサファヴィー朝を築くことができたんだと思う。
大川周明の回教概論は必読? 井筒俊彦の方がいいかな
18 :
2 :2010/11/15(月) 19:11:21 0
>>17 僕、それ読んだことないや。
結構古いから資料としてどうなんだろ?
読んだ事ある人がいたら教えて。
19 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/16(火) 16:55:57 0
>>14 そもそもイスラム教の教え自体がヒューマニズム的要素を含んでると思うんだけど・・・。
20 :
世界@名無史さん :2010/11/16(火) 18:50:33 O
イスラム科学が衰退したのはなぜですか?
21 :
世界@名無史さん :2010/11/16(火) 23:16:29 0
>>20 中国やインドと同じだろ。
衰退したというより、
ヨーロッパの発展についていけなかった。
22 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/16(火) 23:32:30 0
>>21 良く「イスラームの衰退」って言われるけど、
どっちかって言うと「ヨーロッパが急速に発展しすぎた」と
言うほうが実態にあってるみたいだね。
「相対的没落」なんて曖昧に記述すれば万事オーケー
『クルアーン』の第7章163−166に、神が古代イスラエルの漁師たちに対して、 安息日に漁をするようそそのかし、彼らを試みると、一部の者たちが安息日の教えに 背いたため、神は過ちを犯した者を猿に変えて罰したというエピソードが出てくる。 伝統的な注釈は、一つだけ例外はあるが、この変身をまったく字句通りに理解している。 この観点からすれば神は全能であり、変身は難しいことではない。 しかし人格を持つ神が劇的なほどあからさまに自然法則を破ってしまったということは、 科学的世界観の法則とうまくかみあわない。
25 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/17(水) 19:28:18 0
>>24 宗教と科学が完全に一致する訳ないでしょ。
完全に対立する訳でもないけど。
ファーラービーは、イスラムの神学よりも哲学によって真理を求めようとしていたらしい。 イスラムの学者がみんな、宗教にどっぷりつかってた訳ではないらしいよ。
イスラーム世界では、学問を「アラブの学問」と「アジャム(外来)の学問」に 分けてきた。 「アラブの学問」に属するのは、法学、神学、文法学、書記学、詩学、韻律学、 歴史学、伝承学、クルアーン解釈学など。 「アジャム(外来)の学問」は、哲学、論理学、医学、数学、幾何学、天文学、 音楽、機械工学、錬金術、光学、地理学。これらの学問のうち、哲学、医学、 数学、幾何学などは「ギリシアの学問」と呼ばれていた。
アル・ジャーヒズなんかは天文学をアラブ人の得意分野の中に入れてたような
29 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/18(木) 04:58:06 0
>>27 後進地域だったアラブ人が先進地域のペルシャ・ビザンツを征服しても、
現地に同化しなかったのは彼らがこのように自分たちアラブ人の、
確固たる自意識を持ってたからなんだって良く言われてるね。
彼らが学問を「アラブの学問」と「アジャムの学問」に分けたのも、
こうした文脈で理解するのが良いと思う。
30 :
世界@名無史さん :2010/11/18(木) 20:24:00 0
アジャムってペルシアの地域名?
31 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/18(木) 20:25:43 0
>>30 アラビア語で「異民族・蛮族」ていう意味だったと思う。
ギリシャ語のバルバロイのようなものだね。
>>20 ttp://toueironsetsu.web.fc2.com/Review/r20041006.htm “アラビアの学者たちはアルキメデスの研究を受け継いで、さまざまな物質の
比重を測定していました。しかし、彼らは、もともと原子論的だった〈浮力の概念〉
には興味をもちませんでした。/古代の原子論者たちは、「水の中でも物体の重さは
変わらない。しかし、まわりの水がその物体を浮き上がらせる力=浮力を及ぼすので、
軽くなったようにみえるのだ」と考えました。アルキメデスはその考えを受け継いで、
浮力の法則を発見したのです。それなのに、アラビアの学者たちは、「水中にある
物体は本当に軽くなる」と考えました。そして、その〈軽くなりかた〉を計算する
ためにだけ、(アルキメデスの法則)を使ったのです” (同、11頁)
この板倉氏の記述から受けるイスラム科学の印象は、科学というより応用技術である。
33 :
世界@名無史さん :2010/11/19(金) 23:44:38 0
世界の歴史地図を見てみると、 イスラム帝国の初期の頃は、アラビア半島がその領土になっているんだが、 いつの間にか空白地になっているんだよな。あれって、何なの?
34 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/19(金) 23:50:45 0
>>32 僕は科学史には詳しくないけど、
当時のイスラム世界において原子論にあたる考えがなかったのは事実だろうけど、
だから科学ではなく応用技術だと言うのはどうなんだろう?
ただ当時のイスラム圏の科学的世界ではそういう考え方が主流だったということじゃないの?
なぜ浮力が起きるのか理由は分からないけど法則性だけを頼りに計算したのが、
非科学だというならニュートンのような実証主義だって非科学という事になると思うんだけど。
35 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/19(金) 23:53:50 0
>>33 中世のアラビア半島はヒジャーズやイエメンを除くと、
ほとんどベドウィンしかいないような乾燥した沙漠地帯ばかりだったから、
自然と政治的空白地域になってしまったんだ。
36 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 06:45:57 0
イスラム圏が復興していけばイスラム科学は再評価されるでしょう 現在は西欧以外は蛮族っていうイメージが固定化されているからなあ 古代ギリシアで科学が生まれてそれを復興させたのが西欧っていう固定観念がある そもそもあらゆる事象で西欧以外はなかったことにされている
37 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 06:48:12 0
>>32 板倉氏ってイスラム史の研究者?
違うでしょ
そもそもアラビア語もペルシア語も読めないであろう人が
何を言ってんだと思ってしまう
38 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 06:51:58 0
まるで古代ギリシアから退化してしまったような書き方だな
>>35 そうするとあの地域のベドウィンて歴代王朝でも手が出せないほどの戦力持ってたかも知れんね
ヒマラヤ山系のチベット族のように土着の環境に適応した部族ほど怖いものはない
40 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 08:32:23 0
砂漠で資源もないから無視されてただけだよ
41 :
:2010/11/20(土) 09:51:32 0
砂漠で資源もないのは他の中東地域も同じだしなー あの広大な土地を無視してたというのは無いでしょ やっぱり歴代王朝はベドウィンを倒す力もなく恐れていた
42 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 09:55:02 0
今の日本やアメリカでもマフィアやヤクザを撲滅できないのと同じだよ やっぱりDQNにはみんなかかわりたくないからなぁ
アナトリアやエジプトでは紙芝居のように王朝が次々と入れ替わるが アラビア半島だけは近代以前まで空白地帯のまま
>>39 遊牧系は人口が少ないし、外界から補給を受けて生活しているんだよ。
要害側でなく補給路側から攻め込まれたら、あっという間に終了。
商人が通れるのに軍が通れないはずないからな。
46 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 10:52:33 0
アラビア半島で重要なのは、沿岸部地域だけで、 そこにあるイスラム教の聖地と東西貿易の中継港を掌握しておけばいい。 内陸部は、遊牧民の独立意識も旺盛だし統治も面倒だから、放置。 あと、砂漠に大軍派遣するのは全滅フラグだろう。
ウマイヤ・アッバース朝だけは唯一の例外だが あれは王族そのものがアラビア半島出自だしなww
アッバース朝の元々の勢力基盤はアラビア半島でなく ホラーサーンの軍団では? あの辺のアラブ人は騎射なんかもこなしていたらしい。
49 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 11:08:55 0
アラビア半島から出て行ったアラブ人は洗練され、 アラビア半島に居残ったアラブ人の方は粗野なままだったっていうイメージがあるな。
ペルシャ人もトルコ人もアラビア半島は征服できなかったな これぞイスラームの力
ウマイヤ朝はダマスカスに、アッバース朝はバグダードに移っちゃったし。 アッバース朝の歴代カリフは、サーサーン朝の贅沢を真似てる。
>>50 砂漠ばっかでうまみが無かったからじゃないかな
マムルーク朝でもマムルークがアラビア半島に行かされるのは 要するに左遷だったそうでw
54 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 14:04:48 0
商業的基盤の強いイスラム世界では交易の要所だったイラクやエジプトやペルシャ、 ヒジャーズやイエメンなどは支配するうまみもあるし、経済も発展するから、 国家が形成されやすい。ヒジャーズとイエメンを除くアラビア半島が、 政治的空白地帯だったのはこういった条件に当てはまらなかったからだと思う。
>>52 砂漠だけではないんじゃないのか?
山岳地帯があってそこには草木性の植物ならば生えるような土地がある。
東のイラク、南のサウジへは砂漠になっていて出ていけなくても
山岳地の谷間を伝って降りていくとステップ気候が続いてヨルダンには出られる。
まるっきり砂漠なら、遊牧民は住めない。
56 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 14:21:12 0
>>55 もちろんいわゆるオアシスはあっただろうね。
っていうか、それすらないようでは全く人が生活できないし。
ただ、オアシスだけじゃ支配したって何の意味もないでしょ。
せめて交易の要衝となるような所じゃないと。
アラビア半島周りの海上貿易が発展してからだな
58 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 14:43:54 0
海上交易の盛んな紅海沿岸のヒジャーズやイエメンはアラビア半島の中でもそこそこ発展してたね。
59 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 17:50:57 0
まさに幸福のアラビア「アラビア・フェリクス」と呼ばれるだけの事はある。
60 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 17:57:54 0
ここで問題をはっきりさせるために次の問いを提示する。 9世紀に第12代イマームが姿を隠すが、特定代理を指名していた時代がしばらく続き、 そのあと特定代理も置かれなくなった。姿を隠しても特定代理が置かれていた間を 『小お隠れ時代』と呼び、代理も置かれなくなって以降を『大お隠れ時代』と呼ぶ。 統治と社会運営の権限はお隠れの第12代イマームが持ち、末世になって不正が満ちると 救世主として彼が再臨するというのが、12イマーム・シーア派の基本的考え方である。 小お隠れ時代より今日まで千数百年が過ぎ、おそらく今後一万年が過ぎても、 お隠れイマームが再臨するような事態はないだろう。 この長い期間、イスラームの法規範は執行されないままであるべきなのか? 皆は好き放題をしてよいのか?混乱してよいのか?預言者が23年間に渡って辛酸を 舐めて説明し、普及させ、執行した法は限定された時間のためであったのか? 神は自らの命令の執行をわずか200年間に限定し、小お隠れの後は全てを放置したのか? このように信じたり述べたりすることは、イスラームが廃されたと信じたり述べたりする ことよりも悪しきことである。イスラームの全ての土地と国境を守る必要がないと言うことは 誰もできない。イスラーム統治を樹立する必要がないと述べる者は、イスラームの法規範を 執行する必要性を否定し、法規範の包括性とイスラームの真の永遠性を否定している。
>>60 カリフたち(スンニー派)に迫害されてばっかりいたから、
シーア派の教義がえらく融通が利かなくなってしまったのは、まさに悲劇だよ。
再臨するイマーム以外の権力は全て不当であるとかいうのは、正直言って非現実的だわな。
サファヴィー朝の時は、シャーが「イマームの子孫ですよ。」て自称していたから良かったけど、
もうこの手は使えないし。
結局、イマーム再臨するまでは、
ウラマーたちに代理統治させておけばいいっていうのがシーア派の考えじゃなかったっけ?
事実上、永遠にウラマーにお任せという事なんじゃない?
62 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 18:53:58 0
シーア派の教えはキリスト教の影響うけてるのかね
63 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 18:59:28 0
>>61 現在のイランの公式見解がそれだね。
ホメイニはウラマーでも特にイスラーム法学者がイマームの代理として、
ウンマ(イスラーム共同体)を指導すべきって考えてたらしいね。
現在のイランのイスラーム学の教科書にもそんな感じの事が書いてあったよ。
64 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 19:00:19 0
>>62 そもそもイスラーム自体がキリスト教の影響下で起きたものなんだけど。
65 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 19:08:09 0
イスラム世界はなぜ衰退してしまったのか
66 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 19:11:10 0
>>65 衰退したと言うよりはヨーロッパが急速に発展しすぎたことにより、
相対的に落ちぶれてしまっただけだと思うよ。
だから、「ヨーロッパ世界はなぜ発展したのか?」というほうが良いんじゃないかな?
67 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 19:14:27 0
例えば科学の発展は十字軍あたりから無くなってしまっただろう
68 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 19:19:12 0
>>67 十字軍というよりはモンゴルのせいじゃないかな?
知恵の館が燃えた事による学問的被害は計り知れないと思う。
>>62 世界の宗教分布図を見ると、イランの所だけきっちりシーア派になっている所からも、
シーア派は、明らかにイラン的な何かが影響していると思う。
イスラムに征服された当時は、ペルシア文化の方が成熟していたし、
改宗者したイラン人も、イラン的なとらえ方をしていたっていう事はありそうだし。
4代目イマームが、ササン朝最後の王ヤズデゲルド3世の娘と3代目イマームとの息子である
という伝説がイランで歴史的事実として信じられているという点からも、
シーア派にはイラン的な影響があるのではにでしょうか。
70 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 19:30:58 0
>>69 現在、シーア派がイランにしかないからって昔からそうだと思うのは間違いだよ。
歴史的にはファーティマ朝のように北アフリカにシーア派王朝があったこともあるからね。
現在のイランで大多数がシーア派を占めるようになるのは恐らくサファヴィー朝以降だと思う。
(それ以前にもイランにはシーア派はいたけど)
それと、現在のシーア派はイランだけじゃなくイラクにも分布してる。
シーアの聖地(カルバラーなど)がある場所なので当然と言えば当然だけど。
71 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 19:51:07 0
ただ、シーア派が全くペルシャ文化の影響を受けてないっていう事もないだろうね。 っていうか、シーア派に限らずイスラーム系の学問は、 大体ペルシャ文化の影響をある程度は受けてるものだよ。
>>62 シーア派はミトラ教とイスラム教の混成宗教です。
だからミトラ教が栄えたペルシャやクルドの人達にシーア派が多い。
マフディー(救世主)が現れるという考えも、元々ミトラ教の物で、
弥勒下生の親戚みたいなものです。
73 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 19:59:42 0
>>72 救世主思想はユダヤ教の頃から既に存在してると思うんだけど・・・。
>>73 ミトラ教の方がユダヤ教よりも古い宗教です。
75 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 20:05:15 0
>>74 ミトラ教ってローマ時代にゾロアスター教あたりから派生して出来た宗教でしょ。ユダヤ教より古いの?
76 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 20:24:15 0
アラブ世界は衰退しているというけど 湾岸アラブ諸国は日本よりも幸せだろう
77 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 20:26:39 0
78 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 20:35:38 0
モンゴルと十字軍が侵入してその後はティムールがやってきて メチャクチャになったからなあ その後はオスマン帝国で盛り返したがレコンキスタ完了して西欧は新大陸発見 西欧は新大陸から富をすいあげて休息に発展するが イスラム世界は東西交易の旨みがなくなってペストも流行ってどうしようもない状態に イギリス人がアラブ民族主義をけしかけてオスマン帝国の崩壊をたくらんで ハーシム家のメッカ太守がオスマン帝国に反乱起こす 最終的にはオスマン帝国はバラバラにコンスタンティノープルは守れたが シリアもエジプトもアラビア半島もマグレブもバラバラに 中東にイスラエル建国されて中東戦争では負けてばかりw 湾岸アラブ諸国だけは石油資源を盾になんとか発展できた
79 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 20:37:43 0
西欧傀儡のハーシム家が王様になったイラクでは 王様殺されてバアス党が独裁政治 エジプトはナセルが頑張るけどイスラエルに負けてばかりで 結局グダグダ アラブ民族主義は大失敗に終わって バアス党のフセインも殺されちゃって もはや思想的にはイスラム主義回帰しかない状態w
イランはナショナリズムに回帰するかもしれない 「ペルシャの誇り」とかなんとかいって
81 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 20:52:36 0
パーレビー朝の頃にペルシアナショナリズムやってたけど失敗したやん ペルシアなんて1000年以上前なんだから求心力に乏しいんだよ まあしかしエマニュエル・トッドはイランが地域大国になることを予測しているけどな
82 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 20:53:56 0
イラン インド 中国っていう古代からの大国は 今後も発展していくと思うんだけどねえ やはり環境がいいわけで
クルドやアゼリーの自治政府は認められないのか。 多民族の連邦国家としてやっていけないのか?
84 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 21:00:35 0
エマニュエル・トッドはイランの文化レベルの高さを賛美してるね 中東イスラーム文化はペルシア起源のものが実に多いからな
ttp://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/71216dd4f20793da8a3e4b8f661da17f イスラム以前のイラン系アーリア人定住民は、それぞれの方言ごとに
異なった文字を使い、さらにその文字自体が全くイラン系アーリア語に
合っていないため、研究するには恐ろしく複雑怪奇な学問になってしまったそうだ。
青木氏はこれに面白い例えをしている。
−古代日本研究に当たって、ギリシア文字表記の九州弁で書かれた
『古事記』、ラテン文字表記の関西弁で書かれた『日本書紀』、
キリル文字表記の関東弁で書かれた『万葉集』、アラビア文字表記の
東北弁で書かれた『源氏物語』等しか資料がない状況を想像して頂ければ
分かり易い。写本の字面を見ただけでは、これらが同一系統の言語で
書かれた同一民族の文化だとは、誰も思わないだろう。「文字を持たない民族の悲劇」
というより、「文字を持たなかった民族を研究する悲劇」である。
イラン系アーリア人定住民の宗教や歴史を研究する「古代イラン学」とは、
こういうひねくれた学問分野である…
86 :
世界@名無史さん :2010/11/20(土) 22:22:54 O
東アジアと比べてもイスラムの没落は明らかだ 欧州の発展は確かにすごいが、イスラムの12世紀以後の停滞もあると思う
87 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 22:49:32 0
>>86 12世紀じゃまだイスラム圏は停滞してないしヨーロッパより劣勢でもないよ。
この後にはヨーロッパを脅かしたオスマン帝国が出来る訳だし。
西欧と中東の逆転がある程度はっきりし出したのはカルロヴィッツ条約以降だと思う。
88 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 22:57:43 0
>>83 アゼリーは自前の国家を持ってるだけクルドに比べればマシだと思う。
まぁ、そんなクルド人も最近はトルコやイラクでの地位は上昇してる。
イランのクルド人については、ちょっと良く分からないけど・・・。
「ササン朝のエリート騎兵」って本で 「クルド人やトルコ系アゼルバイジャーニーはメディア人の末裔」 とか書いてあった
>>75 いや、違いますよ。
ミタンニ王国とか有った頃から存在していた宗教ですから。
91 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 23:30:39 0
>>89 クルド人がメディア人の子孫だと主張してるのは聞いた事あるけど、
アゼルバイジャン人も同じ事を主張してるの?
クルド人の祖先がメディア人だという説でまだ定説ではなく眉唾らしいね。
中東の少数民族は自分たちの起源を古代オリエントに求める事が良くあるね。
アッシリア人やコプト人なんかもその例に挙げられるね。
92 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 23:34:57 0
>>90 ただのミトラ信仰とミトラ教をごっちゃにしてないか?
ミトラ教って言ったら普通ローマ時代に流行ったやつの事を言うと思うんだけど。
ミトラ(ミスラ)という神自体は古代インドの頃から既に存在したね。
>>92 それは一番有名だからではないでしょうか。
例えばメディア王国などでもミトラ教は国教だったわけで、
組織として体系化されていなかったという事はなかったと思います。
ローマからいきなりミトラ教の歴史が始まるというのは、
日本から仏教が始まるくらい変な話だと思います。
94 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/20(土) 23:49:18 0
>>93 メディア王国って公式にミトラを信仰してたのか。知らなかった。
まぁ、ミトラってかなり色んな宗教に影響を与えてるから、
イスラームにそれの影響が見られたとしてもあまり不思議ではないね。
ただ、シーア派だけがミトラ教の影響が強いって事はないんじゃないの?
救世主思想なんて色んな宗教に見られる考えだし。
(そういったあらゆる救世主思想の祖形はミトラ教にあるのかも知れないけど)
>>93 ミトラ信仰が最初期から救世主思想を持っていたわけではないでしょ
終末と救世のセットが整ったのはゾロアスター教が初めじゃないかな
どっちにしろユダヤ教より先だけど
96 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/21(日) 07:29:56 0
>>95 確かにそうだろうね。
シーア派へのミトラ教の影響がゼロだとは言わないけど微々たるものじゃないかな?
救世主以外にもミトラ教との共通点がもっとあるというのなら話は別だけど、
今のところ、両宗教の間にこれといった共通点もないから、
あまりシーア派へのミトラ教の影響を強調しすぎるのはどうかなと思うよ。
ローマに伝わる前、ペルシアではミトラ教というより ゾロアスター教の中のミトラ崇拝とかじゃないの?
98 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/21(日) 18:54:06 0
>>97 だよね。普通、ミトラ教っていうのはローマ時代にゾロアスター教の
神々の中からミトラだけを取り立てて崇拝するようになった事を言うよね。
ミトラ神(及びそれに対する信仰)自体はもっと前からあったけど。
99 :
世界@名無史さん :2010/11/21(日) 20:05:42 0
イスラム世界がキリスト教世界に負けたのはいつ頃から?
100 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/21(日) 20:27:28 0
おお、スレ建て1週間で100レス達成か。^^
アラブ人・イスラーム諸勢力とビザンツ帝国の関係というのはあまり注目されないな。 ビザンツではシリア・アラビア地区における防衛体制をアラブ人の傭兵に 頼っていたとか、紅海沿岸部は6世紀中盤以降、地中海世界とアジアとの 主要な交易ルートの一つに成長し、エジプトやシリアではアラブ人商人が 大勢活動するようになっていたとか。
103 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/22(月) 17:16:58 0
>>102 ビザンツとイスラームの最初の衝突はヤルムークの戦いだね。
これ以降、イスラーム勢力はしばしばビザンツ侵攻を繰り返してるね。
アラブ人の手によって何度かコンスタンティノープルが包囲された事もある。
まぁ、ギリシャの火のおかげでビザンツ側も危機を免れることが出来たけど。
ただ、両国の間にはこうした敵対関係ばかりじゃなく、
文化や経済などにおける交流も広く見られたそうだね。
井上先生によると8世紀のビザンツ帝国は自国の皇帝と、
アッバース朝のカリフの2つを神の下で世界に君臨する2大君主として捉えてたらしいよ。
104 :
世界@名無史さん :2010/11/22(月) 17:49:26 O
1661のセントゴッタルト以降はオーストリアに勝てなくなった 文化学問的には13世紀から、経済力では16世紀、軍事力で17世紀以後は対抗できなくなった それ以前もモンゴルには大敗負けたけど、欧州には互角以上だった
105 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/22(月) 18:04:43 0
>>104 別に1661年以降だってオーストリアからベオグラード奪還できたりしてるよ。
第2次ウィーン包囲以降、確かにオスマン帝国はヨーロッパに対して
軍事的に劣勢ではあったけど全く勝てなかった訳ではないよ。
大北方戦争の時にさり気なくロシアのピョートル1世を捕囚してたりしてるし。
まぁ、そうは言ってもカルロヴィッツ条約がイスラム圏とヨーロッパの逆転の象徴ではあるだろうね。
後、16世紀や17世紀だって文化的にはヨーロッパと変わらないぐらい栄えてたよ。
大体オスマン帝国の文化最盛期は18世紀だからね。
経済はちょっと良く分からないけど18世紀でもまだ結構豊かだったと思うよ。
国家財政自体は慢性的に赤字だったけど・・・・。
オランダやベルギーは、なぜかムスリムっぽい文化(オスマン帝国)がある。
スペインにはそういう文化があっても不思議でないが
なぜ、オランダ?って思ってしまう。
チューリップの生産や衣装に、妙な南回りのチュルク系文化を感じさせる。
http://heppocology.fc2web.com/oranda.html これらは、サーミ(Sami)の北回りのチュルク系文化なのか、スペイン回りなのか
どっちなんだろう?
107 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/22(月) 19:15:24 0
>>106 オランダやベルギーがスペイン領だったからじゃない?
では、人も物資もある程度移動して移ったんだろうか?
109 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/22(月) 19:24:36 0
>>108 人や物資の移動がどれくらいあったかは分からないけど、
スペインに根付いたイスラム文化の影響が、
支配下のベネルクス諸国に伝わったとしても不思議じゃないでしょ。
>>104 いや、モンゴルはマムルーク朝に大敗しまくってるから間違い
オスマントルコがティムールに負けたのを言ってるのかと思ってた
ティムール朝はイスラム国家だろう
113 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/23(火) 03:58:24 0
>>112 ティムール自身はイスラームの教えと遊牧民の掟が対立した時は、
後者のほうを優先させたらしいからモンゴルの後継国家って言ったほうが妥当じゃないかな?
まぁ、確かにイスラーム王朝の1つでもあるけど。
うろ覚えだけど、オスマン朝への宣戦布告の理由の一つが 「異教徒に対して融和的すぎる」だったようなw ティムール軍にはそれこそキリスト教徒どころか シャーマニストまでいただろうけど
115 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/23(火) 15:41:17 0
>>114 じゃあ、ティムールが敬虔なムスリムだっかと言うととてもそうは思えないんだけどね。
まぁ確かにアンカラの戦いでは、オスマン帝国でビザンツ帝国などのバルカン出身の、
元キリスト教徒たちばかりが優遇されてる事に不満を持ったトルコ系遊牧民たちが、
ティムール帝国に保護を求めそれを口実に両者は戦ったから間違ってはいないんだけど。
片方でモンゴルの復興を謳いながら、もう片方ではジハードを唱えるティムールの、
矛盾した主張は聞いてて面白いね。多分ティムールにとっては、
前者のほうが本音で後者のほうは開戦のための建前なんだろうけど。
116 :
世界@名無史さん :2010/11/23(火) 15:45:38 0
ティムールはダマスカス破壊した蛮族だよ イブンハルドゥーンが会見したんだよな
117 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/23(火) 15:58:32 0
>>116 ティムールはイブン・ハルドゥーンが大好きだったらしくて、
このダマスカスの会見の時、イブン・ハルドゥーンに自国へ移住するよう誘ったけど、
「エジプトに家族がいるから」という理由で断られたという逸話が残ってるね。
どこまで史実かは分からないけど、ティムールだってある程度は(っていうか、かなり)、
歴史学などの学問に対する関心があったでしょ。
サマルカンドにおいてトルコ・イスラーム文化を開花させたのも、
彼の帝国の時代だしティムール帝国は良く「文明化されたモンゴル」とも言われる。
じゃあ、チンギスのモンゴル帝国には文化がないのかと言われたらそんな事もないんだけどね。
>>106 チューリップはオスマン帝国からオランダに入ってきたもの。
119 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/24(水) 17:51:01 0
>>118 確かに、チューリップの原産国がトルコだっていうのはあまり知られてないね。
120 :
世界@名無史さん :2010/11/24(水) 17:51:35 O
中世盛時は意外とキリスト教世界に敗北していた レコンキスタまでは劣性だったがオスマン登場で再逆転 それもレパントまでだったが
121 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/24(水) 18:05:00 0
>>120 今はもうレパントの海戦によるオスマン帝国の衰退説は、
ほとんど消え去ってるよ。最近の学界では、オスマン帝国の衰退は
第2次ウィーン包囲からのカルロヴィッツ条約以降だと見るほうが主流だよ。
レパントの海戦以降もオーストリアではトルコ税が取られるなど、
オスマン帝国への警戒はまだまだ続いたし、オスマン帝国自身だって、
ヴェネチアからクレタ島を取ったりポーランドからポドリアを取ったりして、
領土拡張してる。それに、レパントの海戦自体も単純に結果だけ見ると、
オスマン帝国の敗北だけどそもそもの発端となったキプロス島の奪取には、
成功してるし、その後スペインからチュニスを奪還したりもしてる。
レパントの海戦はセリム2世曰く「異教徒がスルタンの髭を燃やしただけ」だよ。
122 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/24(水) 18:11:19 0
>>120 それと中世盛時がいつをさしてるのかちょっと分かりかねるけど、
基本的に中世全般を通してイスラム世界はヨーロッパよりも先進的だったよ。
早くから民衆の間で貨幣経済が発達し、文化的政治的軍事的あらゆる面で、
イスラム世界のほうが発展していた。十字軍史なんかを研究するとその辺の事が良く分かるよ。
1665年、ウィーンに派遣されたオスマン帝国の使節カラ・メフメト・パシャは、 外交団入市の際には、直立状態の旌旗を下にさげて太鼓や小太鼓の演奏をやめて 静謐を保つように求められた際、ハプスブルク朝の慣習は「不信心者たちによる 信仰心のない偽り」にすぎないといってイスラームの習慣を通した。 オーストリアの外交当局がなおも妥協を求めると、パシャは「本国の大宰相に 戦時体制のまま警戒を強めるようにと具申する」と高飛車な態度に出る始末。 戦火を嫌ったハプスブルク側はやむなく横車に屈服したが、この時期はまだ オスマン側の我意が通った。
124 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/25(木) 17:57:59 0
>>123 へぇ、そんな逸話があるんだ。知らなかったよ。
1665年頃のオスマン帝国っていうと、いわゆるキョプリュリュ時代か。
それまで混乱してた国内政治が安定し、最大領土を迎えた繁栄の時代だね。
>>124 外交儀礼でごり押ししただけでなく、ヨーロッパの文物に対しても
何の興味も示さなかったもんなー
ムスリムがウェスタン・インパクトをはっきり感じたのは、ナポレオンの
エジプト遠征、第一次イラン=ロシア戦争の敗北あたりかな。
エジプトに限るなら、マムルーク朝がオスマン朝に敗れて、セリム1世が
大勢の知識人や芸術家、技術者、職人をコンスタンティノープルに連れ去った
後は、中東の文化センターとしての地位も奪われ、ぱっとしない地域に
なり下がっていたけどね。
126 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/25(木) 22:03:09 0
>>125 いや、それはないよ。
>外交儀礼でごり押ししただけでなく、ヨーロッパの文物に対しても
>何の興味も示さなかったもんなー
オスマン帝国はメフメト2世とかに代表されるように最盛期のスルタンからして、
そもそも西洋かぶれが多くてヨーロッパの文化を積極的に導入しようとしてた。
>>125 マムルーク朝文化の大量流入によるオスマン朝文化への影響、
みたいな研究ってある?
>>126 いや、カラ・メフメト・パシャ個人が、という意味ね。
>>127 そこまではわからん。スマソ。
オスマン朝の文化というと、工学、天文学、数学などの実学が発達したというイメージだな。
ミマーリ=シナンのような建築家を輩出したし。
129 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/26(金) 16:34:13 0
>>128 あぁ、なるほど、そういう事ね。
彼はどこかオスマン帝国(イスラム教と言ったほうがいいか)至上主義じみたところがあるね。
その自国に対するある意味傲慢ともいえる自尊心(と野心)が、
第2次ウィーン包囲という勇み足による失敗を招いたんだろうね。
ところで、カラ・メフメト・パシャじゃなくてカラ・ムスタファ・パシャじゃなかったっけ?
131 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 05:06:00 0
>>130 本当だ。聞いた事ないけどそういう呼び方もするのかな?
>>130 それ読んだことある
なんか妖術師が司馬遼太郎の小説に出てきそうなキャラで
ああいうのって意外と似たようなのがいたのか・・・と思った
>>128 オスマン、というかムスリム側にピョートルみたいな名君が出てこなかったんだな。
魚は頭から腐る
>>125 ウェスタンインパクトというと
インドがプラッシー、ムスリムがナポレオン遠征、東アジアがアヘン戦争となるか
ttp://www.jaas.or.jp/pdf/48-1/3.pdf 第2節 インド・ナショナリズムにおけるアジアとヨーロッパ.
19─20世紀のアジアとヨーロッパの関係は、東アジアの視点では、
「西洋の衝撃」対アジアの対応ということになろうが、南アジアの場合、
こういう視点は外在的すぎて誤解を招きやすい。西欧植民地支配の経験を
持たない東アジアに比べて、南アジアは1757年のプラッシーの戦い以来
1947年まで、つまり独立に先行するほぼ2世紀がヨーロッパ支配のもとにあり、
西欧との関係は深く入り込んで複雑だからである。
136 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 13:53:41 0
>>133 彼の時代のオスマン帝国はまだそこまで西欧に比べて、
遅れてた訳じゃなかったから、ピョートルみたいに西欧の文化を、
取り入れようとしたスルタンがまだ出て来ないのも仕方ないんじゃないの?
でも、ピョートルと同時代のアフメト3世なんかは結構ヨーロッパの文化を、
積極的に取り入れてチューリップ時代と言われるオスマン帝国の文化最盛期を築いたよ。
ロシアは辺境の国だったけど、オスマン帝国を含むイスラーム諸国は 文明の中心だという自負があったからな。 預言者ムハンマドがユダヤ教・キリスト教といった先行宗教の誤りを正したから、 神はムスリムに栄光をもたらし、天国という個人レベルのみならず、現世における ウンマの繁栄も約束される。 本来ならば、イスラーム世界が西欧文明に圧倒されるなど、起こるはずがない ことだったのだ。
138 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 15:02:51 0
>>137 確かに今まで格下だと思ってた相手から何かを見習うというのは難しいね。
でも、オスマン帝国は例外的に最盛期からして西欧かぶれじみたイスラム国だったよ。
まぁ、最盛期の頃の西欧趣味はオリエンタリズムの逆バージョンって感じだったけど。
それでも、オスマン帝国には西欧文明を受け入れられる下地が出来上がっていた。
だからこそ19世紀になってオスマン帝国が完全な衰退期に入って来ると、
積極的に西欧文明を取り込もうとしたスルタンが現れるようになった。
(例えば、マフムト2世やアブデュルハミト2世なんかが挙げられるね)
オスマン帝国は突厥遊牧民の文化をひきずっているから 中央アジアのステップ気候地域の頃を忘れていなかったのだろう。 東西の文明が行き来しているから、「いいとこどり」する目効きは重要。
140 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 15:14:03 0
>>139 他の地域の文化のいいとこどりをするのは遊牧民の特徴でもあるけど、
同時にそれはイスラーム圏の特徴でもあるよ。そもそも、イスラーム文化自体が、
初期にビザンツとペルシャから文化をいいとこどりした結果できたものだからね。
そういう事を考えると、ある意味両方の血を引いてるオスマン帝国が、
他の地域の文化吸収に積極的だったのは当然の事かも知れないね。
>>138-140 だからトルコ共和国は政教分離原則を導入できたのかもな。
トルコの場合、政教分離こそ「真のイスラーム」であるという独自の解釈をとった。
(ただし、イスラームそのものを否定したわけではないことに注意)
142 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 20:09:11 0
>>141 そうだね。トルコが政教分離に成功した理由としてはその他にも、
トルコがかなり遅れてイスラーム圏のメンバーに加わった事も挙げられるかな?
中東の3大民族(トルコ・アラブ・ペルシャ)の中でトルコが一番遅くに、
イスラム教を受容したからね。だからこそイスラームに対してトルコ人は、
どこか1歩引いた感じで見てるようなふしがあるね。
これがアラブ人とかだとイスラームが完全に生活の一部となっていて、
日常から全くもって切り離せない存在となってる気がする。
トルコ系民族は飲酒も歌舞音曲も大好き。 酒は下戸なやつもそこそこいるが、飲めるやつもいるから禁酒にしたら不平等。 中央アジアの遊牧民はシャーマニズムっぽいのも好き。 1歩引いた感じは言い当て妙だろうな。
144 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/27(土) 21:46:41 0
>>143 禁酒自体はトルコ人以外のイスラム教徒でも結構守ってない人が多いけどね。
大酒飲みなムスリムは歴史上においても現在においても意外と多いよ。
サロニカ(テッサロニキ)は、現在はギリシャ領であり、ギリシャ第二の都市である。 ギリシャ領であるけれども、それは、マケドニアの都市である。 オスマン・トルコ帝国時代には、サロニカはトルコ領であり、イスラム世界の都市であった。 二十世紀初頭、サロニカの人口14万人。 そのうち、ユダヤ人が8万人。サバタイ派の隠れユダヤが2万人。 つまり14万人中、10万人は公然たるユダヤと、隠れユダヤ。 このサロニカを基地として、オスマン帝国の転覆を目的とする青年トルコ党が組織された。 そしてその青年トルコ党の正体は、サバタイ派隠れユダヤであった。 C・J・ビェルクネス著 『アルメニア人キリスト教徒に対するユダヤ人による皆殺し的大量虐殺』
146 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/28(日) 18:15:34 0
>>145 確かにテッサロニキにはサバタイ派が多いし、青年トルコ党のメンバーだったケマルも、
サバタイ派の小学校を出てたりしてるけど、いくらなんでもそれは陰謀論過ぎる・・・・。
アルメニア人で反ユダヤか
>>142 トルコの場合、オスマン時代のイスラム法解釈が柔軟性のあるハナフィー派
だったこともあるんじゃないか。それに、一般じゃ純粋なイスラムとも言い
がたいスーフィーとか土俗信仰や他宗教の要素も混じった神秘主義が流行っ
てるし。
あと、イスラムは寧ろ近代になってからのほうが融通が利かなくなってる。
ワッハーブ派とかな。「ムハンマドに帰れ」ってのは宗教改革っぽいけど、
逆に言えば時代の流れを無視してムハンマド時代の価値観に逆行させるよう
なもんだしな。
その辺、ファンダメンタリストのようなプロテスタントの原理主義的キリスト
教右派も似たようなもんだが。
149 :
◆EAbyJft1LY :2010/11/29(月) 06:27:59 0
>>148 確かにハナフィー派の影響は結構あるだろうね。
スーフィーはトルコ人の間でかなり流行ったけどその理由も、
要はトルコ人にとってイスラームが付き合いの浅いの宗教だからだろうね。
イスラーム原理主義はプロテスタントの原点回帰に似てるところがあるのは同意。
南アジアではヒンドゥーとイスラームが集合してたもんなー ガーズィー・ミヤーン崇拝や、イスラームの聖者を、ヒンドゥー教の神々の パンテオンの延長線上にとらえて信仰の対象にしたり。
151 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/01(水) 04:21:03 0
>>150 シク教なんかまさに南アジアにおいてヒンドゥーとイスラームが融合した宗教だもんね。
西欧の国家という最強の軍事ユニットにボコられたショックがあって、 トルコ、エジプトの近代化や、復興主義というそれぞれの路線に至るわけで。 近代化が発展なのか、植民地化が文明の衰退なのか、 その辺は同じく近代化ととっくみあいしてきた日本とも共通するテーマだよね。
153 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/01(水) 23:17:25 0
>>152 中東諸国に限って言えば、そもそも西欧諸国の植民地になってた期間が短いから、
アフリカや東南アジアの植民地のように西欧諸国の植民地化による発展という事は、
あまりなかったんじゃないかな?(充分な投資をする前に独立してしまった)
中東諸国の近代化政策はトルコ以外ではほとんど早くにポシャってるね。
19世紀初頭から近代化をてきたトルコと、他国(オスマン帝国)の支配下にあって、
統一的な近代化政策の出来なかったアラブ諸国との違いかな?(エジプト除く)
イランなんかはトルコと同じく19世紀ごろから近代化政策をやってたから、
そこそこ長続きしたけど、結局ホメイニによるイラン革命が起きて失敗しちゃったし。
154 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/01(水) 23:22:38 0
>>153 脱字訂正。
誤)19世紀初頭から近代化をてきたトルコと
正)19世紀初頭から近代化をしてきたトルコと
>>153 言われてみると中東諸国は西欧の植民地化をわりと撥ね退けてる方だよね
まぁー世界大戦時には色々と干渉されまくったけど
156 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/02(木) 06:10:34 0
>>155 第1次世界大戦まで中東諸国のほとんどがオスマン帝国領だったからね。
オスマン帝国領じゃなかったイランも(半植民地化されたとは言え)、
本格的な西欧列強諸国による植民地化は免れてるし。
157 :
世界@名無史さん :2010/12/02(木) 12:13:30 O
トルコの近代化も、他のアジアと比べると失敗した方 ムハンマドアリーの方が上
158 :
世界@名無史さん :2010/12/02(木) 12:15:29 O
中東の不幸はオスマンといった瀕死の重病人に支配され続けたことかな 早くからイギリス支配下のエジプトはなかなか発展してるし
159 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/02(木) 19:35:47 0
>>157 個人的にトルコの近代化は結構成功してるほうだと思うけどね。
一応、民主化は完了してるし経済的にも中の上か上の下ぐらいの位置にはいる。
ムハンマド・アリーはイギリスに植民地化されたせいで、
エジプト人からイギリスの狗にみたいに思われてしまい、その結果、
革命を招きムハンマド・アリー朝の近代化は中途半端に終わってしまった。
少なくとも現在はエジプトよりもトルコのほうが経済的に裕福だよ。
やはり他国に半分支配された状態での近代化は難しかったんじゃないかな?
トルコは一応、れっきとした独立国だったからその分、近代化も成功した。
(まぁ、経済的にはトルコもイギリスの半植民地状態だったけど政治的には独立だった)
160 :
世界@名無史さん :2010/12/02(木) 20:01:54 0
トルコにはケマル・アタチュルクがいたからね。 今や、G20で、大韓民国より序列上位。
161 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/02(木) 20:08:09 0
>>160 個人的に、ケマル・アタテュルクの有能さは確かに認めるけど、
トルコ近代化成功の要因をそれだけに求めるのはどうかなと思うんだ。
要は、トルコの近代化はマフムト2世辺りから始まるオスマン帝国時代の、
長い近代化政策の蓄積があった上でのケマルの登場だと思うんだ。
そうした長い近代化の道を歩んできたからこそトルコは先進国レベルにまでなれた。
トルコはヨーロッパの土地とったらすぐに 首都をヨーロッパ側に移すほど ほんとヨーロッパ好きだったのに それでも西欧化するのには相当時間かかったな まぁビザンツ存続しても西欧化するのは大変だと思うけど
163 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/02(木) 23:12:56 0
>>162 最盛期のオスマン帝国に見られる西欧かぶれは、
あくまで自国の文化圏が優位に立ってるからこその西欧かぶれって感じがする。
つまり、西欧のオスマンに対するオリエンタリズムの逆バージョン。
ビザンツもオスマンも基本的には自分のほうが西欧より優れてるという、
自負があっただろうしね。それでも、トルコが他のアラブ諸国と比べて、
西欧化(≒近代化)に一定の成果を挙げる事が出来たのは、
やはりそういう最盛期からのトルコの西欧かぶれも一因にあっただろうね。
2022年サッカーワールドカップはカタールに決定。
>>162 別にヨーロッパ好きだとか西欧化しようと思って首都をバルカンにしたんじゃな
くて、単に当時のアナトリアと政治状況が似ていて、かつアナトリアよりバルカ
ンのほうが勢力を広げやすかったからなんだが。
大体、オスマンの領土は元々ビザンツ圏なのに、なんで「西欧化」になるんだ?
当時のビザンツと西欧は基本的に別の文化圏だぞ。当時の西欧は真似したくなる
ような高いレベルでもないし、西欧勢は帝国初期に既にニコポリス十字軍でオス
マンにボッコボコにされてる。
166 :
◆EAbyJft1LY :2010/12/03(金) 15:51:09 0
>>165 僕は
>>162 じゃないけど、最後の文を読む限り
>>162 も、
ビザンツと西欧が別の文化圏っていう事ぐらいは理解してると思うよ。
オスマン帝国の西欧かぶれは主に文化面において見られるね。
まぁ、オスマン文化は西欧以外の地域からの影響もかなり受けてるけど、
歴代イスラーム王朝の中ではそういった文化面に占める西欧の影響の割合が、
(当然、他の地域の影響の割合も同じくらいあったが)大きいほうではあったね。
オスマン帝国と同じくらい西欧かぶれだったイスラーム王朝は後ウマイヤ朝ぐらいだと思う。
興亡の世界史によると アナトリアよりバルカンの方が豊かだったってのもあるな 人口密度もバルカンの方が高かったし歳入も高かった、アナトリアはあんまり発展してなかったそうな 実際帝国内でもアナトリアのトルコ人は「野蛮人」みたいな感じでバカにされてたし バルカンを失うまで帝国の中枢は常にバルカン側にあった 当時の西欧は14世紀の時点で機械時計の発明 ハンガリー人のウルバンの火砲にしてもそうだが高い技術力もってるし そういうの取り入れる面でも有利かと
ちなみにこのアナトリアのトルコ人ってのは遊牧民のことね
>>167 ウルバンの火砲はウルバン個人の技術で、それがオスマンに流れちゃった
から、西欧が同レベルの火砲持ってたわけじゃないことに注意な。
火器・火砲については、集中運用に着目してたことと、技術面で当時のオ
スマンの方が勝ってた。
ルネサンスの時代でもオスマンの大砲に匹敵できるのは大砲狂いのフェラ
ーラ公アルフォンソ・デステの大砲くらいだと言われてた。
170 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/03(金) 19:40:37 0
>>167 >>168 オスマン帝国の官僚のトップたちが集まる御前会議には、
アナトリアとバルカンの2人の大法官も参加してたけど、
この2人ではバルカンを担当してた法官のほうが地位が高かったらしいね。
アナトリアも決した未発達だった訳ではないんだけど、
クズルバシュの影響なんかもあって東部のほうは中央の影響が及びにくかったんだよね。
だからこそ、17世紀になるとジェラーリーなどが反乱を起こしたりした。
俺は文化面より火器技術の影響の方が大きいと思うけどね 文化は趣味でイタリア人に絵を描かせたぐらいじゃないか
172 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/03(金) 19:47:57 0
>>169 オスマン帝国軍は早いうちから銃や大砲などの火器を積極的に取り入れてたね。
それがこの国の軍の強さの要因の1つでもあった訳だからね。
サファヴィー朝とオスマン帝国の間で起こったチャルディラーンの戦いは、
当時の世界における火器の軍事的優位性を示す戦いでもあった。
(良く日本の長篠の戦いなんかにたとえられる事があるね)
173 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/03(金) 19:54:40 0
>>171 僕はあまり軍事的な事は良く分からないんだけど、
オスマン帝国の火器に対する西欧の影響ってそんなにあるの?
ハンガリーのウルバン砲ぐらいしか例が思い付かないんだけど。
もし西欧諸国にオスマン帝国に並ぶ火器技術があるならば、
オスマン帝国の存在が史実のような脅威にはならない気がする。
175 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/03(金) 20:41:17 0
>>174 ありがたいけど英語読めない・・・・。
異端審問を逃れてスペインから亡命ユダヤ人がやってきてたのは知ってたけど、
彼らって火器技術に影響与えてるんだ。まぁ、経済的影響のほうが大きいだろうけど。
オーストリアとの「長期戦争」の途中で相手側の新兵器を、
取り入れてたっていうのは前に林佳代子先生も主張してたなぁ。
ていうかオスマンは基本的に圧倒的な物量作戦で 相手を押し切る感じだね
177 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/03(金) 20:45:53 0
>>176 ちょっとした小競り合い程度の戦争でも平気で10万単位の軍を派遣してくるからね。
オスマン帝国の強さの要因は大量の火器と兵員による物量作戦によるところが大きいね。
>>172 中東の諸王朝のマムルーク軍のほとんどが、精鋭の騎兵隊として訓練されたのに対し、
オスマン朝は最重要部隊を歩兵隊として訓練し、銃を装備させて、密集隊形の
戦術をとって、マスケット銃の火力を集中し、大砲とともに使用した。
まあ、火器だけでなく、軍隊と戦術全般の刷新に意欲的だったのが彼らの勝因だろうね。
モンゴル帝国以前と以後では、イスラム圏も様変わりしている感じがする。 オスマントルコはイスラム帝国というより、モンゴル帝国の後継国というのがしっくりくる。
181 :
世界@名無史さん :2010/12/04(土) 17:33:26 0
モンゴル帝国の後継国じゃないだろう アッバース朝末期からイスラム帝国はマムルークに乗っ取られたから その延長戦上にある
182 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 17:35:36 0
>>179 マムルークの多くは騎馬民族出身だったから騎兵中心になるのは必然ではあるね。
オスマン帝国はトルコ系騎馬民族が遠いルーツにある割りには、
騎兵よりも歩兵に重点を置いて、火器も積極的に投入してたね。
>>180 モンゴルがイスラーム圏に与えた最も大きな影響はカリフの消滅だと思う。
今まではどんなに国が分裂しててもイスラーム諸王朝は、
全てが1つのウンマの下に存在してるという理念はあったと思うんだ。
でも、カリフが消えてからはウンマの共同体意識は完全に消え、
ある意味では近代国家にも似た1つ1つが完全にバラバラの、
イスラーム諸王朝になった気がするんだ。まぁ、マムルーク朝なんかは、
まだカリフの権威を笠に着ていたけど、オスマン帝国はそれすらもしなくなったし。
183 :
世界@名無史さん :2010/12/04(土) 17:38:48 0
オスマン帝国がアッバース朝カリフをは廃した理由はなんだったんだろうか
>>180 モンゴル信者の戯言は聞き飽きた
感じがするだのシックリくるだのお前の感想文に意味はない
185 :
世界@名無史さん :2010/12/04(土) 17:41:20 0
モンゴルはヴァンダル族と同じ ただの蛮族で語る余地などない
186 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 17:45:45 0
>>183 当時のオスマン帝国のスルタンは冷酷な性格で有名なセリム1世だからね。
いくら宗教的に大事な人だろうと(いや、むしろだからこそ)、
その権威を担ぎ上げられることを恐れてカリフを廃したんだと思う。
>>185 ヴァンダルに失礼だろそれは
マムルーク朝にビビりまくってたモンゴルなんかと一緒にしちゃ
188 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 18:00:34 0
>>181 まぁ、オスマン帝国にも全くモンゴルの影響が見られない訳ではないけどね。
永田雄三先生なんかは自著で法律や王家相続において、
モンゴル帝国時代の影響が見られる事を指摘してるよ。
後、エジプトにおけるマムルークの台頭はモンゴル帝国のせいでもあるよ。
もしモンゴル帝国が来なかったらマムルーク朝は成立してなかったと思う。
まぁ、確かにマムルーク自体はそれ以前からイスラーム圏に多くいたけど。
189 :
世界@名無史さん :2010/12/04(土) 18:00:59 0
白鵬は血塗られたモンゴル人
>>188 影響があるだけで後継国なんてこと言い出したらキリがない
191 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 18:10:08 0
>>190 まぁ、そうだろうね。オスマン帝国はモンゴル帝国以外にも、
セルジューク朝やビザンツ帝国などの影響も大いにあるからね。
僕もオスマン帝国が単純にモンゴルの後継国家だとは思ってないよ。
ただ、オスマン帝国にもモンゴルの影響はいくらかあったってだけだね。
>>183 オスマン朝は中央集権化を目指していたから、カリフのような権威があっては
邪魔だったのかもしれない。
実際、中東の王朝の中で、オスマン朝ほど政治権力の中央集権化と部族の独立阻止に
成功した国家はなかったし。
国家に対する部族の抵抗を抑圧したサファヴィー朝と違い、オスマン朝は
敵対するあらゆる政治組織を徐々に排除し、大半の地方に給料制の官僚を配した。
ほとんどの属国は併合されて中央集権支配に組み込まれ、東部の部族民も
従属させられて、地方の独立した土地所有者やスーフィー指導者もオスマン朝国家に
組み入れられた。
ルーマニア、クリミア半島、アナトリア東部の一部など、若干の遠隔地域だけが、
半独立のギリシア、トルコ、クルドの属国の支配下にとどまっていた。
193 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 19:19:24 0
>>192 確かにオスマン帝国の中央集権政策はかなり優れていたね。
衰退期に入って地方に台頭していたアーヤーンたちが、
最終的に再び中央政府に取り込まれたのだって彼らの地方自治が、
結局はオスマン帝国の中央権力によったものだったからだしね。
>>193 サファヴィー朝の場合、中央政府が衰退すると、アフガン、アフシャール、
カージャール、ザンドなどのウイマク(部族長と従属民と略奪者の集まりが
一つの政治的統一体に組織されたもの)が蜂起し、国土を分割してしまったなあ
195 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/04(土) 21:14:09 0
>>194 サファヴィー朝と違って、オスマン帝国の地方有力者であるアーヤーンはその権力を、
中央から与えられている終身徴税請負権や官職によって得ていたから、
自分の権力確保のためもあって中央に対して蜂起する事はあまりなかったね。
>>176 そーゆーとこはアメリカ合衆国と共通してる。
>>180 モンゴル帝国の後継者というなら、まだティムール朝やムガル朝のほうがふさわしいのでは?
ティムール朝の巨大で豪華な墓廟建築を見ると、中東のイスラーム諸王朝とは
異質な要素を感じる
>>161 日本の近代化も、江戸時代における諸々の蓄積があってのことだからなあ
197 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/05(日) 20:03:52 0
>>196 ティムール帝国は確かにイスラーム王朝よりモンゴル帝国の後継って感じだね。
そもそもティムール自身が遊牧民の掟とイスラームの教えが対立した時には、
前者のほうを優先して行動してたらしいし。また、ムガル帝国はあれはあれで、
イスラーム諸王朝ともモンゴル系国家とも言い難い異質性を含んでると思う。
アクバルの時代に非ムスリムに対する人頭税を廃止したりしてるし。
>>197 ムガル帝国の君主は、「地上における神の影」と呼ばれたが、これは
広大な領土を治める半神の君主としてのムガル皇帝を表していた。
確かに正統イスラームからはズレている。
>アクバルの時代に非ムスリムに対する人頭税を廃止したりしてるし。
でもその政策に対して、一部のウラマーやスーフィーから激しい非難の声が
あがるようになった。
ナクシュバンディー教団のアフマド・アッ=スィルヒンディーに代表される
これら批判勢力の主張がアウラングゼーブの下で国策となり、さらに
彼らの「逸脱」批判はムガル帝国の領内にとどまらず、中央アジアから
オスマン朝、アフリカにまで影響を及ぼすことになる。
その立役者がナクシュバンディー教団内の一派ムジャッディド派。
199 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 04:02:37 0
>>198 でも、そういった批判を背景にアウラングゼーブが人頭税を復活させたら、
それはそれでまた国内のヒンドゥー教徒の反発を大量に買ってしまったね。
200 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 04:37:13 0
>>198 それと、ナクシュバンディー教団ってインドだけでなく、
中央アジアやアフリカにまで多大な影響を及ぼしたのに、
それについて詳しく述べられた事ってあまりないね。
中央アジア方面におけるナクシュバンディー教団の活躍は結構有名だけど。
>>200 やっぱイスラーム史は中東中心に語られることが多いからかな。
>>161 トルコではアタテュルク批判はタブー化しているけど、あれはちょっと
行きすぎじゃないかな。
それと、トルコの学校教育では、アタテュルクのことを「民主主義を
真に愛した人」と教えているが、これにはちょっと疑問があるのでは。
1925年にクルド人指導者シェイク・サイードが東部デルシムで共和国に
対する大規模な反乱を起こした。23年10月29日の共和国宣言とともに
初代大統領に就任したアタテュルクは、反乱に対応するため、25年3月、
秩序維持法を国会を通過させた。この法は政府に実質的に絶対権力を
与えるもので、当面は2年間有効とし、その後は必要に応じて延長が可能とされた。
反乱は拡大したが、二ヶ月後にはシェイク・サイードが逮捕され、事態は収拾された。
サイードは秩序維持法による特別法廷で裁かれ、ディヤルバクルで公開処刑された。
だが、同法は延長されて結局、1929年3月4日まで続いた。
202 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 06:28:27 0
>>20 アタテュルクは一党独裁政治をしてた訳だから民主主義的かという厳しいね。
まぁ、それでも彼の一連の近代化政策はどれもかなり評価できる事だから、
現在のトルコ人があそこまで崇拝するのも分からなくはないけどね。
クルド人に対する措置も現在から見るとマイナスかも知れないけど、
アナトリアの混乱を収拾できたから当時としてはそんなに悪手でもないんじゃないかな?
それと現在のトルコではケマルそのものに対する批判はタブーだけど、
ケマリストに対する批判は結構前から知識人に間ではされてるよ。
203 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 06:33:00 0
>>202 脱字訂正。
誤)まぁ、それでも彼の一連の近代化政策はどれもかなり評価できる事だから、
正)まぁ、それでも彼の一連の近代化政策はどれもかなり高く評価できる事だから、
205 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 14:35:34 0
>>204 おぉ、凄いな。
シェイク・サイードの反乱について詳しく書いてある日本語論文なんて初めて読んだよ。
日本語のケマル関連の本はあまりこの反乱について細かく触れないからなぁ。
日本語文書でクルド問題がよく見えないのは、各トライバル・エリアを意識せず 一つのエリアのムーブメントをクルディスタン全体に還元してしまうことなのであろう。 東アナトリア地方、トゥンジェリ県(Tunceli)(旧称デルシム(Dersim)) では アルメニアとの関係が重要で、登場勢力にアルメニアがあるわけだが 今まで見たクルド問題の文書は、アルメニアが抜け落ちていることが多い。
207 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 17:06:55 0
>>206 確かにクルド問題とアルメニア問題を絡ませて書いたのって見た事ないなぁ。
トルコ国内のアルメニア地域とクルディスタン地域は地理的に重なってるから、
関係ない訳はないんだけど、あまりそこまで踏み込んで論じられないね。
208 :
世界@名無史さん :2010/12/06(月) 17:22:16 O
オスマンはアルメニア人大虐殺をやってる
209 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 17:52:25 0
>>208 個人的に、今のトルコがアルメニアに対して謝罪する必要はないと思うけど、
せめて政府は虐殺があったという事実くらいは認めても良いんじゃないかと思う。
まぁ、事実を認めたら賠償や謝罪という事にまで話が広がってしまうから、
トルコ政府が認めたがらないのも仕方ない気もするけど。
でも、客観的事実としてそういう事件があった事は否定できないからなぁ。
マイノリティーの言語といえば、アルジェリアのカビル語(ベルベル語の一種)も 長らく弾圧されてきたなあ。
70年も放送禁止&出版禁止にしていたから もうトライバルエリアの自治どころではなくなったよ orz
213 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/06(月) 22:13:33 0
>>210 マグリブ地域においてベルベル語は弾圧の対象となると事が多かったね。
現在のマグリブにおいてベルベル人がどういう扱いなのかはちょっと良く分からないけど。
トルコ軍は1961年、71年、80年に、いずれも「共和国護持」のためクーデターを 起こした。1997年2月には、国是の世俗主義が危機に直面しているとして、 イスラーム政党・繁栄党の政権に圧力をかけ始め、同年6月、同党党首の ネジメティン・エルバカン首相を辞任に追い込んだ。軍は政府の上に立つ 絶対的権力を保持している。 軍に対して多くのトルコ人が持つ信頼感は、アタチュルクに対するものと 共通点がある。「民主主義を最後に守ってくれるのは軍だ」という観念に、 それをみることができる。95年から97年にかけて繁栄党が政治的影響力を 増大するにつれ、イスタンブールなど大都市に住む金持ち層、とくに普段は しゅうきょうとまったく関わりを持たず、西欧化した生活を楽しんでいた 人々の間には、「イスラームの再興は民主主義を破壊する」という不安とともに、 軍事クーデター待望論が広がった。
「軍事介入による民主主義擁護」という思考様式は、「民主的独裁者」 と同様、西欧型民主主義の概念にはなじまないが、トルコではかなり 一般的な考え方である。 トルコではリベラルで西欧型民主主義の概念も十分理解している政治学者が、 「トルコの民主主義を最終的に守ってくれるのは軍だ」と主張する。 「政党政治で成り立つ政府を軍が倒すのが民主的なのか」「文民支配が 民主主義の基本ではないか」「軍が民主的であり続ける保障はあるのか」 という疑問には、「軍は民主主義と共和国の守護者だからだ」という答えが 返ってくるだけである。
「権威が民主主義を与え、守ってくれる」というメンタリティの継続自体が、 西欧的民主国家を建設するために開始したアタチュルク革命の矛盾である。 軍が国家を支配するということに、トルコの多くの人々は違和感を覚えない。 むしろ、軍が国家の基礎という感覚が行きわたっている。軍の政治介入が 正当化される政治土壌が、トルコには深く堆積されている。 中央アジアからの民族移動で現在のアナトリア地方に定着したトルコ民族は、 15世紀にオスマン帝国の基礎を確立した。帝国の揺籃期、軍隊そのものが 国家であり、その後、アジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸にまたがる 世界帝国へと拡大していくが、その基礎になったのも、ヨーロッパ世界を 恐怖に陥れた精強な軍事力であった。やがて、ヨーロッパの再興とともに、 帝国が斜陽にさしかかったとき、国力回復のために、まず手掛けられたのは、 軍の近代化だった。軍は帝国の歴史で常に中心に位置し、帝国末期に、 改革を目指してたちあがり、政治的実績を握ったのも、「青年トルコ」と 呼ばれる若手軍人集団だった。そして、帝国が第一次世界大戦を経て 消滅状態になったとき、新生トルコ共和国樹立へ向かって強烈な指導力を 発揮したアタチュルクも軍人である。
217 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/07(火) 06:13:21 0
>>214-216 まぁ、実際トルコで起きた軍のクーデターはみな、
世俗主義の砦として起きたものだからね。
現在のトルコは国家安全保障会議などで、
軍が政治に深く関われるような憲法になってるけど、
つい最近、憲法改正案が可決されて、
より民主的な軍の権力の抑えられた憲法になった。
まだ施行はされてないけど、トルコ軍の政治的影響力は今後はかなり弱まると思うよ。
218 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/07(火) 06:27:33 0
>>217 の続き。
トルコで軍の影響力が強いのを歴史的文脈で捉えるっていうのは面白いね。
確かに、オスマン帝国時代のイェニチェリはスルタンを替えられるほどの、
権力を持ってたし、オスマン帝国の近代化政策は政治や法制度よりも、
軍の近代化のほうが先に行われてた。青年トルコ党やケマルも軍人出身だし、
トルコの政治において軍はかなり重要な要素を占めてる訳か。
>>218 >オスマン帝国時代のイェニチェリはスルタンを替えられるほどの、
>権力を持ってたし
そういえばアッバース朝のカリフも末期にはマムルークによって首を
すげかえられるようになっていたね。
オスマン帝国はその国力を維持するために、またアタチュルクは帝国の
伝統を捨て新トルコ共和国を創設するために、西欧の価値や技術を導入する
改革を行った。双方の改革に共通するのは、上からの改革であったということ。
米国ワシントン大学客員教授のレシャト・カサバによれば、オスマン帝国、
トルコ共和国双方の改革者が、その着想を直接的に得たのは、フランス革命の
急進派ジャコバン派だったのだとか。
ジャコバン派は過去の王制の伝統を断ち切るために暦の再編、王制と関わる
通りの名前の変更、「革命モデル」と呼ばれる服装の導入などを強権的に
進めたが、オスマン帝国、青年トルコ、アタチュルク、いずれの指導者も、
ジャコバン派同様に変革のために、外観を変えるために莫大なエネルギーを
費やした。
220 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/07(火) 13:41:40 0
>>219 上からの改革による近代化っていう点では日本の明治維新とも共通するね。
というか、近代になって西欧化・近代化政策を推し進めた国のほとんどは、
上からの改革によるものだと思う。特に、アジア諸国に関しては。
トルコの改革者がジャコバン派を手本にしたっていうのは初耳だ。
でも、ケマルなんかの急進的改革なんかを見ると分からなくもない。
先のトルコ憲法改正はEU加盟への1ステップだと捉えていいのか? それともイスラム化へのステップなのか?
222 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/07(火) 16:54:03 0
>>221 どっちにも取れなくもないけど、どっちかというと前者のほうじゃないかな?
今の公正発展党はイスラム寄りとは言うけど、周辺諸国の原理主義政党や、
今までのトルコでの親イスラーム政党に比べれば全然世俗的だからね。
確かEUのどっかの機関も今回のトルコの憲法改正については、
EU加盟に向けての貴重な第一歩だと言って誉めてたと思う。
質問スレでていた清朝ムスリム反乱について 質問スレでは散逸してしまうのでこっちに書くことにする。 杜文秀の乱や同治陝甘回民起義は、ミャンマーをはじめ各方面の記録が残っている。 その後のヤクブ・ベク(阿古柏)の乱は、地域が地域だけによくわからない面がある。 ロシア側の記録は、北のイリ地方側とドンガン人の逃げ込みに関するものが中心。 新疆南部のタリム盆地側は、清朝側の欽差大臣左宗棠の動きは一応わかる。 ヤクブ・ベク(阿古柏)はウズベキスタンの前身国家の側の指導者であり 天山南路地域からの要請で乗り込んできたことになるが アクスやカシュガルのオアシス都市側の言い分が全く不明だ。 ヤクブ・ベクの出兵要請したのは、キルギス遊牧民ということになり オアシス都市の住民、後にウイグル族と呼ばれる勢力ではないということだ。 オスマン帝国はこのヤクブ・ベク政権を支援していることになっているが ウイグル族を相手にやっているわけではない。 なぜ、ウイグル族の顔が見えない中で、周囲の勢力だけで政治が動いているのか? それとも記録や証言が意図的に消されているのか? あまり研究されていないところだ。
225 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/08(水) 13:34:56 0
>>223 質問の意図とは微妙にずれた回答になるけど、
どうもヤクブ・ベクの東トルキスタン統治は原理主義的傾向が強かったため、
現地のトルコ系住民(大多数はウイグル人)からはそんなに人気はなかったらしいね。
彼の死因に関しても、彼の厳しい統治に不満を持った部下による暗殺という説まであるし。
226 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/08(水) 13:52:14 0
>>225 の続き。
それと、ヤクブ・ベクがウイグル人に嫌われた理由としては、反乱のための戦費を、
地元住民に対するかなり高額な税徴収によってまかなってたせいもあるらしいね。
死者数の桁が
wikiは、英語版の翻訳だから そこの参照文献が先行研究じゃよ。 一次資料にカシュガル現地の一次資料が無いんじゃなかったかな?
そうか英語版でないと無理か 英語苦手だけど頑張って読んでみるわ。
カシュガルなんて怖くていけねぇよ
ハミ・トルファン・ウルムチなら観光でいけるじゃん
漢人と間違えられて夜道ウイグル人に首を掻っ切られそうで怖いな。 なんだかんだいって漢人とウイグルなどの少数民族の経済格差等々 不満のタネだらけだからな。
235 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/09(木) 08:05:25 0
>>227 軽く斜め読みした感じだと前に読んだ本(と言っても山川の「中央ユーラシア史」だけど)と、
これといって記述に違いは見られないからそれなりには信用できるんじゃないかな?
死者1000万って
237 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/09(木) 14:09:23 0
>>236 それは誇張の可能性が高いね。さっき斜め読みした時は気付かなかったけど、
現在の東トルキスタンの人口が約2000万人しかいないのに、19世紀後半の
地方反乱で死者1000万人というウィキペディアの記述はどう考えても変だからね。
インド洋の季節風貿易もイスラム史に入りますかね。 マグレブはイスラムだけど、 アフリカ東岸はイスラム地域になるのかな?
>>238 入ると思う。
アフリカ東岸も、インド亜大陸西部もイスラム教徒が多い地域だし。
240 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/09(木) 20:42:52 0
>>238 東アフリカは、エチオピア以外のほとんど地域がイスラーム圏だよ。
歴史的にもオマーンなんかが一時期インド洋に覇権を築いたりしてたから、
イスラーム史の範囲に入れても構わないと思う。
241 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/09(木) 22:20:00 0
>>240 脱字訂正。
誤)東アフリカは、エチオピア以外のほとんど地域がイスラーム圏だよ。
正)東アフリカは、エチオピア以外のほとんどの地域がイスラーム圏だよ。
243 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/10(金) 06:37:30 0
>>242 >帰納的・経験主義的思考を重視するのは島国の人間に多い。
経験主義は島国であるイギリスのほうが発達してたしね。
ムータズィラ派はアッバース朝のカリフに庇護されていたが、一般の民衆からは あまり支持されていなかった。 この点、インドにおける仏教やキリスト教のアリウス派と共通点があるのでは。 権力者が庇護している間は栄えたけれど、それがなくなると、結局は ヒンドゥーや正統派イスラームやアタナシウス派に負けてしまった。 もともと民衆は、こむずかしい形而上学的議論なんで興味がないだろうし。
245 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/10(金) 12:19:22 0
>>244 その後しばらくしてスーフィーが流行ってるし、
多くの一般大衆にとってはムータズィラ派みたいに、
変に理屈っぽくて分かりにくい宗教解釈なんかよりは、
感覚で理解できる神秘主義のほうが良かったんだろうね。
仏教だって初期の頃はやたら哲学的で分かりにくかったら、
インドの民衆には受け入れられず廃れてしまったんだと思う。
警視庁情報流出、イスラム教徒の男性らが告訴
警視庁公安部の捜査協力者の実名などが掲載された文書がインターネット上に流出した
事件を巡り、個人情報が流出した国内在住のイスラム教徒の男性6人が9日、容疑者不詳
のまま、地方公務員法(守秘義務)違反容疑で東京地検特捜部に告訴し、警視庁の謝罪や
安全の確保などを国家公安委員会に申し入れた。
告訴状によると、6人は、氏名、住所、旅券番号などの個人情報を含む警視庁の内部文書の
流出によってプライバシーを侵害され、「国際テロ」の容疑者との誤った疑いをかけられ、生命・
身体の安全が脅かされているなどとしている。
同日、東京・霞が関で記者会見した6人の弁護団の梓沢(あずさわ)和幸弁護団長は「詳細な
個人情報を漏えいした悪質な犯罪。公安当局は流出を率直に認めて謝罪し、被害拡大を防ぐ
べきだ」と述べた。同席したイスラム教徒の外国人男性は「テロリスト扱いされ、家族に迷惑が
かかるので家に帰れない。これからどんな人生になるのか、不安で眠れない」と訴えた。
一方、警察庁は同日、全国の警察本部に対し、インターネット上に個人情報が流出した人物の
身辺保護を指示した。対象となるイスラム教徒らが複数の県に居住しているためで、「相手方の
心情に配慮し、不安感の除去に努める」ことを求めている。岡崎国家公安委員長は同日の定例
記者会見で、「国家公安委員会として保護などを警察に指示した」と述べていた。
警視庁は、流出文書が内部資料かどうか、「調査中」としているが、流出によって警察業務が
妨害されたとして、容疑者不詳のまま偽計業務妨害容疑で捜査している。
この事件を巡っては、第三書館(東京)が流出文書をそのまま掲載した本を出版し、東京地裁
が「重大なプライバシーの侵害」などとして出版差し止めを命じる仮処分を決定している。
(2010年12月10日08時34分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101210-OYT1T00084.htm
247 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/10(金) 13:36:34 0
>>245 脱字訂正。
誤)仏教だって初期の頃はやたら哲学的で分かりにくかったら、
正)仏教だって初期の頃はやたら哲学的で分かりにくかったから、
248 :
世界@名無史さん :2010/12/11(土) 22:27:08 0
マレーシアで14歳の少女が結婚 首相「イスラムでは、初潮を迎えた少女であれば許可してる。問題ない」
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/news/1292069804/ マレーシアで前週、14歳の少女が結婚したことに対して、強い抗議の声が上がっている。
しかし、ナズリ・アジズ(Nazri Aziz)首相府相(法務・議会担当)は8日、低年齢結婚の廃止は無いとの考えを示した。
シティ・マリヤム・マハモド(Siti Maryam Mahmod)さん(14)は前週末、イスラム法(シャリーア、Sharia)に基づく
イスラム法廷で婚姻の許可を受け、学校教員のアブドゥル・マナン・オスマン(Abdul Manan Othman)氏(23)と、
モスクで開かれた合同結婚式で結婚した。
マレーシアでは、イスラム法廷の許可さえ受ければ16歳未満でも結婚することが認められている。
アジズ首相府相は、会見で「宗教が認めるのであれば、それに反する立法はできない。
イスラムでは、初潮を迎えた思春期の少女であれば結婚を許可している」と語り、イスラムで認められている以上、
政府として低年齢結婚の廃止を検討する考えはないと表明した。
一方で、シティ・マリヤムさんの結婚に対する批判も強い。シャリザット・アブドゥル・ジャリル(Shahrizat Abdul Jalil)女性・家族・
社会開発相が、政府は低年齢結婚の慣行を見逃しているわけではないと主張しているほか、活動家団体もマレーシアでは
15歳以下の少女の既婚者が約1万6000人に上るほど低年齢結婚がまん延していると指摘し、低年齢の結婚を許している法律の改正を求めている。
マレーシアのイスラム教徒は同国の人口2800万人の60%ほどに上る。
マレーシアのイスラム教徒は、家族法など特定の問題ではイスラム法廷に従うよう定められている。
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2778804/6572610
249 :
世界@名無史さん :2010/12/17(金) 16:56:27 0
age
250 :
世界@名無史さん :2010/12/17(金) 21:10:24 O
中世の繁栄してた時代も主な産業は中継貿易ぐらいだったのに文化が栄えたのはなぜ?
>>248 それ、童養媳って中国南部の習慣がタイ経由で持ちこれているから
イスラムと直接関係ないみたいだよ。
口減らしのために、女児をよそんちに追い払ってしまう制度。
広東とかの小中学校が欠員でているのは、学費が払えなくて
表向きはメイドとして奉公に出すのだが、結婚させたことにして結納金を貰うんだとさ。
252 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/17(金) 21:38:05 0
>>250 確かに、イスラーム圏って商業のイメージ強いかも知れないけど、
北イラクやエジプトのナイル川流域なんかは農業が盛んだったよ。
中継貿易ばかりがイスラーム圏の産業じゃないよ。それに、中継貿易しかないと、
文化が栄えないだろうという前提が正直良く分からないんだけど。
253 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/17(金) 22:09:06 0
>>248 イスラーム法において、女性の最低結婚年齢を定める法源は、
ムハンマドとアーイシャ(9歳)との結婚というハディースによるところがほとんど。
でも、このアーイシャとの結婚に関しては詳しい事は良く分かってないみたいだね。
彼女についてはむしろラクダの戦いへの参戦と、後にメディナにおいて、
ハディースを多く伝えた事のほうが歴史学的には重要な事らしいね。
それに、実際中東じゃ、あまり低年齢の女児との結婚は、
それほど盛んには行なわれていないから、
>>251 の言うようにこの件は、
マレーシアだけに見られる習慣にイスラーム的正当性をこじつけただけだろうね。
254 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/17(金) 22:14:17 0
失礼。
>>251 の言う分には正確には「マレーシアだけに見られる習慣」じゃなくて、
中国南部や東南アジア方面で全般的に見られる習慣だったか。
255 :
世界@名無史さん :2010/12/18(土) 08:47:53 0
>>251 民族対立している福建や客家の習慣をマレー人が取り入れたソースあるの?ニュースソースみても、
華僑の名前とは全然ちがうが。
256 :
世界@名無史さん :2010/12/18(土) 08:52:51 0
>実際中東じゃ、あまり低年齢の女児との結婚は、
それほど盛んには行なわれていないから
増加しているようだが。
http://blogs.yahoo.co.jp/cigvi2006/archive/2010/03/24 例えば、3月21日にイエメンで女性たちが婚姻年齢を法律で18歳に制定することを求めて国会前でデモを行ったと報道されている(3月22日付クドゥス・アラビー紙)。
この運動を展開したイエメンの女性たちは、富裕層の人々が貧困層の過程の弱みに付け入り未成年女性と結婚するケースや、そうした未成年女性との結婚を目当て
にした外国人の「観光結婚」が増えていることを懸念している。父親が12歳の娘を60歳を越える男性と結婚させたという事例もある(結局、司法当局によって結婚は解消となった)。
しかし、その一方で、婚姻年齢を定める法律の制定はシャリーア(イスラム法)に反する、と考える女性たちも少なくない。さらに、女性の婚姻年齢が高まることで社会と
その道徳観に害を与えると主張する女性もいる。
こうした保守的な女性グループと同様の意見を表明しているイスラム法学者は多い。彼らは場合によっては、親が子どもの人権や自由を無視することもありえると見てい
257 :
世界@名無史さん :2010/12/18(土) 10:58:15 O
中国と比べて、科学技術面の没落が早かったような気がする。 中世盛時は学問が衰えてるし、ルネサンスへの影響も11世紀までの偉大な学者にとどまり、中国に劣る。 12から13世紀にはヨーロッパからしてろくな産物がなく、ヨーロッパとインドや中国との中継貿易で利潤をあげるようになった
>>254-255 義務教育年齢の子供を、人身売買まがいの方法で、働かせたりするのは
フィリピンでもタイでも中国の福建・両広地域でも共通している。
女性の地位が低い地域も多い。
不思議なことに、南中国やタイが13世紀頃には父系社会だったのに対し
マレー・インドネシアは母系社会だった。17世紀頃のイスラムの浸透によってそれが崩れてしまった。
ムスリムだからといって、非ムスリムとは社会構造が全く違うという話は逆に少ない。
ヴェトナムあたりは昔から父系社会?
260 :
世界@名無史さん :2010/12/19(日) 11:54:44 0
>>257 モンゴルの侵入によるイランとメソポタミア諸都市の破壊が大きかったためじゃないかな?
特にバグダードの衰退は、文化史的には大きかったように思うんだが。どうだろうか。
261 :
世界@名無史さん :2010/12/19(日) 15:37:37 0
ハッラーンも破壊された
262 :
世界@名無史さん :2010/12/19(日) 15:42:46 0
十字軍とモンゴルが続いたのが痛かったよな モンゴルがきたのがちょうど十字軍で混乱してた時期だしなあ アッバース朝全盛期ならタラス河畔の戦いみたいになんとかしのいだかもしれんが
263 :
世界@名無史さん :2010/12/19(日) 15:43:47 0
バグダッドだけじゃなくてハッラーンのような地方都市も 優れた文化都市だけどそれも破壊された
264 :
世界@名無史さん :2010/12/19(日) 15:46:08 0
今のアメリカのハーバード大学とかスタンフォード大学とかMITとか そういうのが全部破壊されて記録も抹消されたんだからなあ そりゃ衰退するよ
>>259 中部のチャンパは13世紀頃まで母系相続。
北部も南越王国のあたりの時代は、双系相続。
未亡人が当主になるような相続をして、息子ではなく実家の甥に相続させる
双系相続が見られる。ビルマ系だとその傾向はもっと根強い。
母方のほうに当主が入れ替わる北朝武周朝がそのまま続くようなイメージ。
イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』を読んでるがスゲーな こんな優れた学者を輩出できたというだけでも当時のイスラム文化の高度さが分かる
267 :
世界@名無史さん :2010/12/19(日) 16:35:33 0
歴史序説は面白いね
268 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/19(日) 21:00:19 0
>>256 イエメンは中東でも屈指の最貧国だから例外な気がする。中東の主要な地域で、
貧しさとかの理由なしに幼女との結婚はあまり行なわれてないでしょ。
>>257 やっぱり他が言ってるようにモンゴル帝国が大きいかなぁ。科学以外の分野は、
それ以降も栄えてるけど、科学に関してはオマル・ハイヤーム辺りで止まってると思う。
>>266 歴史序説は現在の歴史に当てはめても納得できる点が少なくないしね。
当時のイスラーム世界というと、マムルーク朝とティムール帝国が並び立ってた時代か。
269 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/19(日) 22:47:20 0
>>262 >モンゴルがきたのがちょうど十字軍で混乱してた時期だしなあ
モンゴル帝国の勃興期には、十字軍諸国は既に衰退期の入ってたよ。
ちょうど少し前に、第4回十字軍が何故かコンスタンティノープルを攻撃してるし。
イスラーム諸国にとって災難だったのはやっとの思いで十字軍の脅威が、
去ったかと思ったら、すぐにモンゴルという新たな脅威が現れてしまったことだね。
でもモンゴルが支配していた頃がイスラームの絶頂の様にも見える バグダードだってすぐ再建されてるし その直後、ペストが流行った辺りからがイスラームの斜陽では?
というかアッバース朝が衰退したのが一番大きな要因だろ 十字軍だとかモンゴルは後付けに過ぎない
アッバースからオスマンまでは結構ぐちゃぐちゃだからね
273 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/20(月) 04:08:16 0
>>270 モンゴル帝国だってそれなりに文化保護してるからね。
決して野蛮な未開人だった訳ではないし。黒死病の被害は、
特にマムルーク朝内で大きかったね。そのせいでマムルーク朝は衰退した。
>>271 アッバース朝が衰退した後もセルジューク朝やマムルーク朝の下で、
イスラーム世界は繁栄してるでしょ。小杉泰先生なんかはアッバース朝が、
衰退し分裂した以降のほうがイスラーム圏の最盛期だみたいな事を言ってるし。
>>272 そうかな?ちょうど、その頃はマムルーク朝の最盛期でしょ。
紅海を通る交易によりマムルーク朝のカイロは大いに栄えてたよ。
別にモンゴル帝国が来た後だってオスマン帝国やサファヴィー朝が、
繁栄してるから、まだまだイスラームは没落してないでしょ。
科学に関しては近世以降はパッとしないけど、他の文化面はまだまだ健在だし。
274 :
世界@名無史さん :2010/12/22(水) 14:44:14 0
age
275 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 11:41:41 0
マムルーク朝の女スルターンって凄まじいよねえ イスラム史がマイナーだから知名度ないけど クレオパトラ並にスゴイ奴だと思う
276 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 11:43:40 0
イスラーム圏が経済発展したらシャジャル・アッ=ドゥッルの映画つくられそうだよ
277 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 11:45:35 0
デリースルタン朝にもいるよ。 ラズィーヤは前スルタンの娘だった。
278 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 16:08:37 0
>>276 シャジャル・アッ=ドゥルはその経歴がかなりドラマチックだから、
確かに、映画や小説向きのキャラクターではあるね。日本だと、
マムルーク朝に関する詳しい研究って佐藤次高先生ぐらいしか、
いないからなぁ。エジプト辺りだと、この手の映画ってあるのかな?
279 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 17:33:24 0
>>277 どっちもマムルークによる王朝だった点も共通してるね。
個人的には、奴隷出身のシャジャル・アッ=ドゥルのほうが、
魅力的に感じてしまう。まぁ、あくまで僕の主観に過ぎないけど。
イスラム史って日本じゃマイナーだよな。 最近、和書でも書籍が出てきているけど それでも少ない。面白いテーマなのに。
281 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 18:33:51 0
>>280 最近は、結構研究者の数が増えてきてるって聞いたけど、
それでもまだまだマイナーなのは否めないね。そもそも、
史料の数が少ないなんて事も、羽田正先生なんかは言ってたなぁ。
イスラム史といっても中東中心で語られることが多いよな。 東南アジアやサハラ以南アフリカのイスラムはおまけのような扱い。
283 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 18:59:34 0
>>282 確かにね。後、マグリブ地方もあまりちゃんと語られる事がないかな。
まぁ、ブラックアフリカや東南アジアのイスラム史に比べればマシだけど。
ヨーロッパのイスラムもあまり語られないな。
285 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 19:06:35 0
>>284 アル=アンダルス地方のイスラム史はスペイン史の文脈でも、
イスラム史の文脈でも、確かにさわりのほうしか語られないね。
>>285 ナスル朝グラナダ王国は、ジェノヴァ商人による「経済的植民地化」が徐々に
進んでいったね。
末期には貴族間抗争の激化→政情不安定→ジェノヴァ商人の足が遠のく
→経済的落ち込み
287 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 21:12:54 0
>>286 ナスル朝の経済的落ち込みの要因としては、
他にも、ポルトガルの西アフリカ進出による、
サハラ交易の衰退も挙げる事が出来るね。
これと、先述されたジェノヴァ商人撤退により、
ナスル朝の経済は地に落ちてしまい、結果的に、
グラナダ陥落による滅亡を招いてしまった。
288 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 21:32:02 0
ナスル朝にかんして言えばオスマン帝国が 救援だすはずだったけど馬鹿なスルタンがワイン欲しさに ワイン名産地の島に目標変更したんだよな
289 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 21:34:19 0
イスラムって日本とほとんどかかわり持ってないからなあ 明治になってロシアのタタール人が来たのが初めてだろう マラッカこえて日本まで交易にくればよかったのにあ
290 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 21:35:39 0
後ウマイヤ朝が堅実な政治やってれば スペインは今もイスラム圏だったかもしれん マンスールっていう馬鹿宰相にすべて問題がある
イベリア半島のイスラム王朝はお家騒動がよく起こるね。 1002年、カリフのアル・マンスール・ラーヒが亡くなると、後ウマイヤ朝では 息子たちと有力諸侯の内紛が起こり、その後の30年ほどで10人ものカリフが 擁立される。
292 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 21:45:37 0
マンスールって宰相が一時期イベリア半島をほとんど征服するんだが こいつがカリフの妻と浮気してたんじゃなかったか そしてマンスールの子供の代になって国内ボロボロになって終わり その後は国家分裂状態でタイファにいたる
293 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 21:46:29 0
>>288 それってバヤズィト2世の事?でも、オスマン帝国にとって、
ナスル朝を助けるメリットは大してないしなぁ。仕方ないと思う。
>>290 彼の死後に国内が大荒れしちやったからね。そのせいで、
レコンキスタも勢いづいてしまったし。後ウマイヤ朝には、
もう少し踏ん張って欲しかったなぁと思わなくもない。
294 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 21:47:58 0
アンダルスのタイファがキリスト教勢力に負けた理由はなんだろうか? やはりカリフ不在で精神的支柱としての権威が無くなったからだろうか ヨーロッパはタイファ以上にグチャグチャに分裂しまくってたけど ローマ法王という権威がいたおかげで文化的にはまとまっていたからなあ
295 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 21:51:37 0
>>294 カリフの権威失墜は確かに大きいかも知れない。
教皇の下で宗教的熱意に支えられたキリスト教側と、
国内で内紛状態に陥ってたイスラム教側との差かな。
後ウマイヤ朝の滅亡後、ターイファ諸国はキリスト教勢力に押され、 逆に臣従を余儀なくされるようになっていく。 そしてトレド陥落後、ターイファ諸国の有力者は新たな庇護者を求めて 外部勢力を招き入れてしまった。 イギリス東インド会社を招き入れてしまったインド亜大陸の諸勢力 みたいだな。
297 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 22:06:00 0
>>296 ムラービト朝なんかは、いかにも田舎者の王朝って感じがして、
アンダルスのタイファ諸国のムスリムたちに内心嫌われてたらしいね。
ムワッヒド朝はそれなりにアンダルスの文化を保護したらしいけど。
298 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 22:12:50 0
イブンハルドゥーンの都市の田舎の対比ですな 大都会のアンダルスのムスリムは都市の生活に浸りきって軍事的には弱体化するんだよな 末期のナスル朝だってハーレムに女奴隷200人いたらしいw BS1のアルハンブラ宮殿特集で放映してたよ 尚武の気質ゼロだからなw
299 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 22:14:41 0
>>297 ムワッヒド朝も異教徒を排斥したり学問を弾圧したりしてる
その時代にはアヴェロエスがいるからな
ムワッヒド朝のカリフがアヴェロエスの著作を燃やしちゃったんだよね
300 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 22:17:03 0
アルハンブラ宮殿は宮殿のあちらこちらに女言葉で 宮殿の美しさを称える詩がアラビア語で刻んであるw 初期ウンマのジハード精神なんてとっくになくなっとるw
301 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/23(木) 22:20:39 0
>>298 なるほど。確かにレコンキスタの歴史はイブン・ハルドゥーンが、
「歴史序説」で唱えてた法則に、見事にかなってるね。
>>299 あぁ、そう言えば確かにイブン・ルシュドは後に弾圧されてたね。
結局、ムワッヒド朝もムラービト朝も本質的には大差ないという事なのかな。
302 :
世界@名無史さん :2010/12/23(木) 22:26:52 0
今の日本が北朝鮮に占領されるようなもんかもなw 1000年前の戦争にテクノロジーの影響が小さい時代ならばそれが現実に起こりうるんだな
>>297 京都にやってきた木曽義仲の軍隊が乱暴狼藉を働いて、これなら平家のほうが
よっぽどましだと囁かれたエピソードを彷彿とさせる
平家ももともとは粗野な武家だったのに、長い間に都の気風に染まってしまったんだよな
まあ、それでないと公卿から馬鹿にされるという理由もあったけどね。
>>299 ムラービト朝、ムワッヒド朝による征服とともに、アル・アンダルスにおける
ユダヤ人の「黄金時代」も終焉を迎える。
304 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/24(金) 11:18:08 0
>>299 >ムラービト朝、ムワッヒド朝による征服とともに、アル・アンダルスにおける
>ユダヤ人の「黄金時代」も終焉を迎える。
ムラービト朝もムワッヒド朝も結構厳格な宗教政策をとってたからねぇ。
そもそも、どっちも宗教運動から始まった王朝だから、異教徒である、
ユダヤ人にとって暮らしにくい世の中になってしまったのは必然だね。
そして、すでに暮らしにくくなってたユダヤ人に対して、レコンキスタを、
終わらせたスペインが、とどめ(=異端審問)をさしたっていう訳か。
305 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/24(金) 11:19:13 0
306 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/24(金) 11:20:42 0
>>305 違う。アンカミスではあるけど自レスではなかった。
何か、さっきから変な事ばっか書いてるね。すまぬ。
307 :
世界@名無史さん :2010/12/24(金) 23:09:48 0
age
308 :
世界@名無史さん :2010/12/26(日) 07:39:56 0
『わだシッドの歌』のシッドは、小貴族(インファンソン)の出で、いったん異教徒の 地に渡り、自らの力で偉業を成し遂げ、ついには自分の娘たちをナバーラと アラゴンの王子に嫁がせるんだが、こういう成り上がりを許す風土が新大陸の コンキスタドールを生んだのかもしれない。 『ロランの歌』のロランは国王の甥、『ニーベルンゲンの歌』のジークフリートは王子で、 スペインのような家柄に関係なく実力で主人公が出世するというストーリーでは ないからな。
309 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 07:55:52 0
>>308 家柄にあまり関係なく、実力主義で簡単に下克上が出来るというのは、
イスラーム圏にも共通してると思う。実際、奴隷や地方総督や族長、
教団のウラマーなんかが、君主になったり王朝を建てたり出来たし。
イスラームの支配が長かったイベリア半島にもその名残があるのかな。
310 :
世界@名無史さん :2010/12/26(日) 10:05:06 0
アメリカは子供の虐待がすごいらしい イスラーム圏は子供の虐待って間違いなく世界的にみても少ないだろうな
>>309 イスラーム支配うんぬんより、やはりレコンキスタの影響では。
シッドが活躍した時代のイベリア半島は常にフロンティアになりうるという
緊張感に包まれていた。そしてムスリムから奪還した国境地域を守るために、
封建的な支配から解放された自治都市が生まれ、そこへの入植者たちは
家柄に関係なく、自分の力で出世することができた。
ついでに付け加えると、ヨーロッパで最初に身分制議会が登場したのは
スペインのレオン王国とカスティーリャ王国。
312 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 10:50:44 0
>>311 う〜ん、そうなのか。結局、レコンキスタにしろコンキスタドールにしろ、
常に、フロンティアの可能性があるという点ではどっちも同じだからね。
そういう意味では新大陸征服をレコンキスタの延長とみる事も出来るかな。
遊牧やってたらそうもいかないだろw 母親があれこれ指図して、息子達は奴隷労働。 親父は戒律関係なしに、酒飲んで昼間から博打。
カザフスタンの親父なんかユキヒョウや狼を 鉄砲で追っ払うぐらいしか仕事なかったのに 野獣が減ってやることがなくなっちまった。
316 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 11:28:11 0
>>314-315 実際、中央アジアなどの遊牧文化が強い地域では、
イスラームの戒律も、あまりちゃんとは守られてないらしいね。
西徳二郎(1847-1912)は中央アジアのムスリムについて、ロシア人に慣れ、 ヨーロッパ文化の影響を受けた者は、狡猾な者が多く、性格が怠け者で活発な 気風がないと書く。 入り用なものも少なく格別に精神を奮い立たせる必要もなく、満ち足りている 物にあえて心を煩わせることも少ないので、のろのろとのんびりした習慣が 自然と性格になってしまったと。 まあカザフ人に限らず、どんな民族でも近代ヨーロッパ文明(とくに物質文明) の影響を受ければ変化せざるをえないだろうな。
318 :
世界@名無史さん :2010/12/26(日) 11:47:57 O
かの地はイスラム原理主義よりはるかにおそロシアなものがあるからな
319 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 11:54:19 0
>>318 最近は中央アジアでも原理主義がたまに出てきてたりもするけどね。
西アジアのほうと違って、中央アジアはあまり目立たない感じはするね。
>>298 ビザンツの使節がアッバース朝のカリフ・ムクタディルのもとを訪れた時のこと
「カリフの軍隊は騎兵も歩兵も含めて残らず武装を整えていて、総勢は16万の
兵力であった。彼の官僚やお気に入りの奴隷が盛装で彼の傍に並び、彼らの
飾り帯は金と宝石で輝いた。彼らの近くにはさらに7千人の奴隷がいて、その中の
4千人は白人で残りは黒人であった。門番もしくは守衛は総勢で7百人に達し、
屋形船や小舟がこの上なく美しく飾り立てられてティグリス河を遊弋していた。
もちろん宮殿そのものもこれに劣らず美麗を極め、3万8千枚のゴブラン織りが
壁にかかり、その中の1万2500枚は金の刺繍をした絹地であった。床に敷かれた
絨毯は全部で2万2千枚であり、百頭のライオンが飼われて1頭ずつに飼育係が
ついていた。その他の珍しい驚くべき贅沢な見世物としては18本もの大きな枝を
拡げた金銀製の樹木があり、それぞれの枝やその他のもっと細い小枝には同じ
貴金属製のさまざまな種類の鳥や木の葉が載っていて、機械仕掛けで自動的に
動くこれらの鳥は皆その本来の泣き声で囀っていた。ギリシアの使節はこの驚異の
光景を通って大臣の案内でカリフの王座へ案内された」
まあ、アッバース朝のカリフも似たようなもので・・・
モンゴル軍が攻め込んできたとき、カリフのムスターシムは妻妾700人のハーレムで 現を抜かしていた。 「アッバース直系の息子たちの王位は聖なる掟に基づいている。彼らの敵は必ずや 現世と来世の両方で滅ぼされよう。このアッバース王朝への謀反を企てるこの フラグとはそもそも何者か?もしも彼が平和を求めるのならば、直ちにこの聖なる 領域から撤退せよ。そうすれば彼は私の温情による罪の赦しを得るであろう」 その後バグダードの市街は徹底した略奪と破壊にさらされ、カリフ・ムスターシムは 死刑になった。
323 :
世界@名無史さん :2010/12/26(日) 23:04:36 0
アッバース朝カリフってブワイフ朝がバグダード入城してからも それなりに贅沢できたんだなあ
324 :
世界@名無史さん :2010/12/26(日) 23:09:00 0
アッバース朝になるとほとんどペルシア的な神権王朝と同じにみえるなあ 世襲制は堕落した王がでてくるとすぐに破綻してしまう 民主制は優れた指導者が生まれにくい
325 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/26(日) 23:52:10 0
>>324 初期のアッバース朝はそれなりに制度が整ってたから、
結構無能なカリフがいても大丈夫だったりしたんだけどね。
衰退してくるにつれ、地方行政などに緩みが出てしまった。
まぁ、アッバース朝に限らず、オスマン帝国なんかでも、
たとえ君主が無能でも整った官僚機構なんかでそれを、
ある程度カバーすることは出来てたしね。でも、軍事的な、
弱体化だけはどうしても止める事が出来なかったけど。両者とも。
>>40 しかしそのエピソードを紹介している
インドの近世軍事史の専門家Gommansによると
インドにおいてヨーロッパ型の軍隊が優位になったのは
銃剣、フリントロック銃、洗練された歩兵操練などが出揃った
17世紀末ぐらいのことで、パイク&ショットぐらいでは
旧来の軍制を変えるほどのインパクトはなかったらしい。
↑誤爆
328 :
世界@名無史さん :2010/12/27(月) 00:57:34 0
初期のアッバース朝がそれなりに制度整っていたっていうが ペルシアの官僚機構真似ただけだがな
329 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/27(月) 01:03:18 0
>>328 まぁ、確かに官僚機構はそうだけど、そのペルシャの官僚機構がそれなりに、
しっかりしてたから、安定した統治が保つ事が出来たよ。後、アター制とかも、
ペルシャの真似なの?あれはアッバース朝のオリジナルだと思ってたけど。
330 :
世界@名無史さん :2010/12/27(月) 01:07:07 0
イクター制ってのは封建制度の一種だよな 封建制度を経験しないと近代化はできないっていう説があるけど それって嘘っぱちだよなあ
331 :
世界@名無史さん :2010/12/27(月) 01:07:48 0
ペルシアの官僚機構については詳しく知らないけど 文字史料少ないから詳しいことわからないのかな?
より先進的なペルシャやビザンツの統治機構を真似た部分はかなりあるだろうね
333 :
世界@名無史さん :2010/12/27(月) 01:12:49 0
ペルシアは滅ぼしたときにそのまま官僚機構をつかったんじゃないのかな そうじゃないと広大なイスラーム帝国をうまく機能させられんだろう
334 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/27(月) 01:15:35 0
アッバース朝時代に、初期ウンマのジハード精神を保っていたのはカルマト派かなあ。 カリフの軍隊がアブ・ターヒルに逃走を勧めると、 「お前の主人は確かに三万人の兵隊を率いている。だが彼の軍隊にはこういう 三人の兵士はいないはずだ」 といった後、自分の仲間の三人のほうに向きなおり、最初の男には短剣を自分の 胸に突き刺すように、第二の者にはティグリス河へ飛び込むように、そして 最後の者には断崖から真っ直ぐに身を投げるように命令すると、彼らは皆何一つ 不平をもらさずに命令に服したというエピソードが伝えられている。
336 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/27(月) 10:06:18 0
>>335 アッバース朝期になると、ビザンツ帝国との慣習化した捕虜交換に、
みられるように、初期ウンマのような純粋な宗教的理念に支えられた、
ジハード精神というものは薄れてたね。良くも悪くも都市化してたのかな。
征服した地域の行政機構をそのまま引き継いで ちょいアラブを混ぜた感じだったんだろ
「知恵の館」だって、サーサーン朝の図書館システムを引き継いだものらしいし。
339 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/27(月) 13:17:49 0
まぁ、確かにイスラーム帝国はその支配機構において、 ペルシャやビザンツの制度を、大いに引き継いだけど、 それでも、現地の民族に同化せず、アラブ人としての、 アイデンティティを現代まで保つ事が出来た。その点は、 一時的に軍事的成功を呼びはするもののしばらく経てば、 現地の民族と同化して消えてしまう数多の遊牧民と違ったね。 実際、彼らは学問においてアラブの学問とそれ以外の、 学問を分けたりしてた。これはやはり、彼らの勢力拡大が、 イスラームという宗教的理念に支えられたものだったのが、 大きいと思う。まぁ、ちょっと官僚機構から話は逸れてるけど。
クルアーンはアラビア語で書かれてるしね。
341 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/27(月) 17:52:56 0
>>340 イスラームの主流派の解釈はクルアーンのアラビア語以外の、
言語への翻訳を認めてないからね。非アラブ圏の国々でも、
クルアーンだけはアラビア語で、それに各言語による注釈が、
付いているという感じらしいね。まぁ、注釈と言う名の翻訳だけど。
>>339 >一時的に軍事的成功を呼びはするもののしばらく経てば、
>現地の民族と同化して消えてしまう数多の遊牧民と違ったね。
イスラムは遊牧民族の宗教じゃなくて都市のアラブ人の宗教として生
まれたという前提忘れてないか?
同化について遊牧民の征服政権と比べるのはちょっと違うと思うが。
343 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/27(月) 18:48:16 0
>>342 いや、単に今まで後進的な地域に住んでた民族が、
先進的な地域を征服するという点で比べただけだから。
むしろ、前提はイブン・ハルドゥーン的な歴史観かな。
別にイスラームが遊牧民的な宗教だとは思ってないよ。
>>343 「後進的地域」という点で疑問だけどな。あの辺は当時大勢力の支配圏になかっただけ
で、交通の要衝で、性格的には中央アジアのオアシス都市に近いだろ。当時のソグディ
アナを後進地域という人間は多分いないと思うが。
つまり、文化的性格の全く違う対象を「後進的地域」というカテゴリに入れてしまうの
は、ちょっとおかしいんじゃないか?ってこと。
>>339 の言い方は、現代に残ってないとはいえ、ちょっと入れ替えると、ローマ人がギリシャ
やエトルリアの影響を大いに受けつつも現地に同化せず、ローマ人のアイデンティティを
失わなかったのは遊牧民族と違うね、と言うくらいの比較対象に関する違和感を感じるっ
てことかな。
いやどう考えても後進地域だと思うぞ 少なくとも先進地域とはいえない はっきり言って田舎もんだよ
メソポタミア、エジプト、シリア、ギリシアなど古代文明が栄えた地域に 比べれば田舎もんだと思う。
347 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/27(月) 23:34:16 0
>>344 当時のアラビア半島は、交易によってある程度栄えてたとは言え、
人口的にも経済的にも、普通に後進地域だったと思うけどね。
ソクディアナのほうがまだ先進的でしょ。それで、そのような、
後進地域の人間がシリアやエジプトやメソポタミアやイランなど、
当時のかなり文明の進んでた先進的な地域を征服したんだから、
遊牧民とかみたいに同化しなかったのは特徴的と言えるんじゃないの。
>>344 ん〜ローマを出したのは、ローマも当時にあっては比較的後進的で、征服したエ
トルリアやギリシアに比べたら同化されてもおかしくない状態だけど、同化され
ずにアイデンティティ保ったことで遊牧民と比較はしないだろ?っていうことな
んだが。
それなりの都市文明のある征服国家と遊牧民の征服国家を比較するのは、それと
同種の違和感を感じるってことなんだけどな。
上手く通じないのなら、俺の感覚がおかしいのかもしれないし、他がそれでいい
のなら、まあ、それでいいけどな。
349 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 00:31:37 0
>>348 ていうか、この言い回しは別に僕のオリジナルじゃなくて、
何かの概説書でそのような事が書いてあったっていうだけなんだけどね。
個人的には、ローマ帝国でもそんなに違和感は感じないなぁ。
後進地域による先進地域の征服という点では比較条件満たしてると思うし。
後進地域が先進地域を滅ぼしたことに関してはローマもアラブも同じだよな
351 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 01:14:46 0
>>350 そうだね。しかも、どちらも先進地域の人間と同化しなかった。
ただ、ローマ帝国は分裂後の民族大移動などの影響もあって、
現在は残ってないけど、アラブ人は分裂した後の現在でも、
シリアやエジプトやイラクやマグリブなどで残ってるね。
しかも、多数派民族として。
ラテン系なら残ってるじゃん ローマ帝国と比較するならウマイア朝、アッバース朝でしょ
ウマイヤ朝からアラブ人はアラビアを捨てたんだと思うがなー 個人的に変形的な民族移動だと理解してるんだが
355 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 06:56:41 0
>>353 いや、確かにラテン系なら残ってるけど彼らを現在、
ローマ人とは言わないでしょ。ラテン語を母語として、
自分たちをローマ人だと思う集団が今でも残ってれば、
民族として現在まで残ってると考えていいと思うけど。
>>354 ウマイヤ朝以降は、確かにアラビア半島のアラブ人は、
ほとんど目立たなくなったね。ある意味では民族移動と、
言えなくもないか。まぁ、アラビア半島にもまだアラブ人いるけど。
356 :
世界@名無史さん :2010/12/28(火) 07:00:24 0
そもそもアラビアなんてものにはこだわってないだろ イスラーム教徒であることが重要なんだから
357 :
世界@名無史さん :2010/12/28(火) 07:01:14 0
東ローマとアッバース朝が現存してればおもしろかったのになあ イギリス王ごときが偉い顔できなくなる
358 :
世界@名無史さん :2010/12/28(火) 07:02:15 0
阿布・阿拔斯-?法赫 (Abu'l Abbas As-Saffah)750 - 754
359 :
世界@名無史さん :2010/12/28(火) 07:04:52 0
アラブ人が都市に在住するようになると ベドウィンは野蛮人と馬鹿にされるようになったしな
360 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 07:07:03 0
>>356 確かにイスラームの理念としてはアラブという1つの民族に拘るのは、
いけないことではあるが、その一方でクルアーンのアラビア語以外の、
翻訳を認めなかったり、学問をアラブのものとそれ以外とに分けたり、
ウマイヤ朝のようにアラブ人優遇政策をとったりしたこともあった訳で。
>>351 それは、在来民がイスラム化で言語的にアラブ化したのと密接な関係があるだろ。
アラブ語使うならアラブ人という括りなら、ウイグル以後のトルキスタンだって
本来遊牧民だったテュルク化して現在まで続いているんだからな。
そういう基準で言うのなら、「遊牧民族の征服王朝とは違う」と本質的な差が分か
らないんだが。比較史は本来は相互の共通土俵を見出して、そこから差異を見つけ
るものだが、あまり大まかな括りで何でも比較しちゃうと、既出のように、ウマイ
ヤ朝からアッバース革命で比較的早期にアラブの特権は廃止されてるだろとか色々
出てくるように、いくらでも矛盾や差異や例外が出て、本質の共通基盤がぼやけて
しまうから、安易に使わないほうがいいんだがな。
これって、比較論をやる時の鉄則なんだが。
オツガイが概説書で読んだという、その比較自体が妥当か疑うべきだと思うが。
362 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 07:51:17 0
>>361 民族の定義が自意識という意味だったらトルキスタンのトルコ化も、
同じように扱っていいと思うよ。だから、例えばローマ帝国末期に、
ヨーロッパに来た遊牧民の多くが現地人に同化して民族的に、
消えたもしくは少数派になったのとは、対照的にアラブ人たちは、
征服した後も、自民族のアイデンティティを失うどころか、むしろ、
あなたの言うように、現地人をアラブ化していったよねという事だ。
その点では、ローマ帝国も中央アジアのトルコ化も同じでしょ。
どんなものだって、細かい点を探せば地域や時代が違うんだから、
当然それによる違いも出る訳で、そんなあらさがしみたいな事を、
いちいちしていたら比較論なんて何1つ出来ないと思うんだけど。
363 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 08:10:20 0
>>362 につけたし。
こうしてみると、例えばエフタルやゴート族のように一時的に、
支配権を確立する事は出来たが、しばらくすると消滅してしまった、
民族と、アラブ人やトルコ人などのように現地に同化せずに、
現在まで多数派を占める民族として残ってる民族がいるのに気づくなぁ。
両者はどちらも後進地域の住人による先進地域の征服という点で、
共通してるけど、何らかの理由でこういう差異が出来るのか。
で、アラブ人の場合は彼らの征服活動が確固たる宗教的理念に、
支えられてたからじゃないかなと思ったんだけど。そういう意味では、
遊牧民だってトルコ人のようなタイプはいる訳だから一概には言えないか。
でも、そういう一部の例外を除けば遊牧民の多くが征服後、同化してるのは事実だよ。
>>362 だから、比較論をやるときは慎重にすべきで、後進的地域とか大雑把な括り
じゃいくらでも共通点や差異がでるから、せめて比較するものはっきりした
共通基盤を設定しなければいけないと言ってるんだよ。
君は、最初にアラブの特徴として、遊牧民族の支配を比較している。
けれど、テュルク化の話がでたら、同じだと言い出している。それで、
遊牧政権との比較がもう崩れているだろ?それが安易な比較の結果だっ
てことだよ。
>民族の定義が自意識という意味だったら
それは、言い出した君が予め、はっきり定義しておくことだ。君の書
き込みに対しての意見に定義がこういう意味だったら、なんて曖昧な
こと言ってもしょうがない。そういう意味じゃ君の挙げた比較論は議論も
話し合いも不可能だ。単なる印象論であって、共有すべき基本定義がない
んだからな。
あら捜しじゃなく、後進的地域が先進的地域に同化されなかったことを
アラブの特殊性に挙げても、東じゃ同一条件でもペルシアがアラブ化せ
ずに、逆にペルシア語に飲み込まれている例だって挙げられる。
アラブ人の特殊性を強調するのに後進的地域なんて大雑把な基準で語ら
れたら、いくらでもアラブ内部の矛盾や他民族との共通部分がでてくる。
それじゃ、アラブを強調するためのその比較の意味が全くない。
だから、慎重な設定が必要だと言ってるのが分からずにあら捜しとしか
とらないのなら、もう何も言いようがない。
もうちょっと言うと、アラブ人が現代まで残っているというのはあまり
特別視することじゃない。アラブ人のアイデンティティがイスラムに始
まったと言うなら、1400年くらいの歴史だ。
それなら、例えば言語が変わっても「ローマ人」のアイデンティティは
2000年以上続いていた。現代だって歴史の一時点に過ぎないんだからな。
365 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 08:32:31 0
>>364 僕自身は民族の定義は個人の帰属意識によるものだと思ってるので、
最初からそういう前提で話してるよ。僕の言い方がいくらか言葉足らず、
だったのは確かに認める。言い直すと「アラブ人の征服活動はイランなどの、
一部を例外とすれば基本的に、現地人に同化せず、むしろ現地人をアラブ化。
してる。ローマやトルコなどの一部の例外を除けば、大多数の遊牧民の征服に、
みられるように、後進地域から先進地域の征服は基本的にしばらく経てば、
現地人と同化してしまう。そうならなかった点でアラブは歴史的に稀な例」となるね。
多分、オツガイが思ってるほど、征服して同化された例は大多数じゃないと思うぞ。 ゲルマン人だって別に完全にローマに同化したわけじゃないし、ブルガリアのス ラブ化は文化的じゃなくて多分、人口的な問題だ。マジャール人は現代までそのマ ジャール人という帰属意識は捨てていないし、スキタイや突厥もそうだが、オツガ イのいう所の先進地域を支配した広域帝国が同化されて消えたわけじゃない。 先進地域じゃなくて、より強くなった他の遊牧民と同化してるだけだ。 正直、後進地域とされる所の住民が先進地帯に征服目的で進入して征服してしまう のは、歴史上それ程たくさんあることじゃない。先進地域はそれに対する侵入防止 の防衛機能があるからな。国の興亡は、その先進地域世界内部からのほうが圧倒 的に多いし、そこから帝国を作る例も沢山あるんだからな。寧ろ、「後進的な地域 が先進地域を征服した例自体が稀な例」だろ。 完全に征服地域に入り込んでしまったという意味では、中央アジアじゃトルキスタン のテュルク化くらいだろうし、西方じゃゲルマンやノルマンの移動くらいだろう。同 化という点じゃ中国の征服王朝なんかの方が珍しいと言えるくらいなんじゃないか。 ローマに至っては、もう都市国家の抗争だから、そういったものとはまた違う話だ しな。 もっと古い時代出せば、ミケーネとかドーリア人とか、ヒッタイトとかエラムとか、 同化されなかった例はいくらでも出てくるが、一つの文明から見て未開人とされた 民族が征服をした例自体が歴史を経るごとに少なくなるけど、そこから見ても、別 にテュルク系やローマは特殊例じゃないと思うけどな。
367 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 10:02:22 0
>>366 マジャール人は個人的になぜ同化しなかったのか不思議ではあるんだよね。
フンやブルガールやアヴァールなどは同化してるのに、ハンガリーだけ、
現在まで残ってるし。まぁ、確かに「後進地域に住む人間が先進地域を、
征服した事自体も稀な例」かも知れないけど、その上さらに現地の民族と、
同化しなかったのはさらに稀じゃないかな?人口的な問題だと言うなら、
アラブ人だって元々アラビア半島にそんなに多く住んでたとは思えないから、
人口的には少数派だったのに同化しなかったのはやはり特殊と言って良いと、
思う。あまり古い例は僕が古代詳しくないので分からないけど、中国の征服王朝の、
漢化や、先述したローマ末期の民族移動なんかは、ほとんどが同化してるのに、
アラブの場合はそうならなかったという点である程度の特殊性を論ずるのは、
そんなに間違った議論とも言えないんじゃないかな。後進地域云々というよりも、
人口的に少数派だった民族が多数派の民族を征服しながらも、現地と同化せず、
民族としてのアイデンティティを1400年以上もの間、保てた例として論じたほうが、
良いかも知れないけど。その場合でも、比較対象として遊牧民の征服は出せるね。
368 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 10:15:41 0
>>367 に補足。
最後の文がちよっと言葉足らずだったから訂正すると、
要は「人口的に少数派の民族の支配は、ブルガールや、
中国の征服王朝のように、普通は同化するか、民族として、
たとえ残ったとしても、現在のロシアにおけるモンゴルのように、
少数民族なままなのに、アラブの場合はどうしてか同化もせず、
さらに(ペルシャ人やベルベル人が残ってるとは言え)多くの、
現地人をアラブ化してる。この事は世界史的にみて稀な例と、
言えるのではないか」となるね。こういう点で遊牧民の征服を、
比較対象として出すのなら、別に問題はないんじゃないかな?
>>355 ラテン系はローマ人じゃないといってるか
そもそもラテンとはローマを支配したラティニ族のこと
ローマ人と言ってるのとほぼ同義だ
小規模な都市国家が大領域を帝国と宗教の力で同化させたのもよく似てる
キリスト教だって中世まで聖書はラテン語のみだったし
似てる部分はあるよ
アラブでもラテン系と同じく地域による言語的差異がお互い通じないくらい激しいし
地域差ももともと属していた文化によってかなり差がある
まぁラテン系よりは民族意識は強い印象があるけど
アラブがより世俗化されたらもっとラテン系が似たような状況になってくるだろう
>>368 遊牧民も含めて後進的な勢力が征服した母数が少ないことを出した上で、さ
らにその少ない母数の中で同化されてない例が多いことを挙げてるんだけど
な。ローマ末期のゲルマンにしても別にローマ化していない。逆に末期ロー
マ帝国に特に軍団のあり方にゲルマン化の傾向があるし、支配にもゲルマン
の部族法とローマ法が使い分けられてる。
そうなると、君の言う遊牧民帝国と比べたアラブの特殊性自体が薄れてしま
うだろ?
モンゴルの場合はモンゴル帝国後に拡散してるから現在のモンゴル人の括り
で言うべきじゃないと思うが。ティムール帝国だってムガール帝国だって、
少なくとも支配層の帰属意識はモンゴル帝国にあるんだし、その後の黄金氏
族の絶対性もそうだ。
言語だけでも図れないし文化だけでも、そんな現在のモンゴルみたいな近代
以降の民族概念でも図れない。そういう曖昧な基準で遊牧民と比較論しても、
定住民とは根本的に概念が違うんだから、安易に比較できないこと言ってる
んだけどな。現代までアラブ人が残ってることが強調の理由にならないのは、
もう言ってるから、今いないとかは理由にならないのは分かると思うが。
続き: オツガイの基準で比較考察するには、真面目に本当に膨大な実例、基本だと 定住か遊牧かと言ったことまで全部考えて、果たしてその基準が適当かど うか判断しなきゃいけないんだがな。古いことはよく知らないからじゃ済ま ないほど、膨大なデータいるぞ。比較論ってそういうもんだから、面倒なん だよ。 俺もデータ沢山持ってるわけじゃないが、それでも遊牧民帝国やそれ以外の 征服民族と比較してのアラブの特殊性は強調できないという結論を出してる。 「現代まで残ったアラブ人の特殊性」で比較史をしたいなら、せめて都市民 とは言わなくても定住民の帝国や、イスラムと同じく、宗教的には一つの世界 であるヨーロッパとか、同じイスラムでも東方のペルシア語世界との違いと かのほうが有用じゃないかと思うけどな。俺は西方がペルシア化、トルコ化じゃ なくてアラブ化したことに余程興味あるけどな。視点の違いだけかもしれんが、 それだったら、イスラムという共通土俵の中で比較のしようがある。 それでも比較的後進的とはいえ、都市民のアラブ人と遊牧民を一緒にカテゴ ライズしようとするなら、まあ、見解の相違って言うしかないか。
宗教的なまとまりといっても トルコやイランがアラブ化されなかったことからして 「アラブ」は結局言語集団のまとまりでしょ ラテン、スラブ、ゲルマンといった概念と程度の差はあれあまり変わらんような
イスラム系学者は日本じゃマイナーなせいか 特殊性を強調しすぎる傾向があると思うんだな
374 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 11:46:47 0
>>369 だから民族の定義は本人たちの帰属意識なんだから、
今、現在のイタリア人辺りが自分たちがローマ人という、
帰属意識を持ってるんだったら分かるけど、アラブ人と、
違ってそんなに強い帰属意識ないでしょ。文化的には、
ほぼ同じなのは認めるけどね。ローマ時代のラテン文化が、
中世や近代などを通して変形したのが今のイタリア人という印象だ。
>>370-371 ローマ化はしてないとしても、例えば北アフリカのヴァンダルや、
イタリア半島の東ゴート族はしばらく経つと消えてるじゃん。
アラブ人は支配民族じゃなくなっても(オスマン帝国時代など)、
多数派民族として現在まで残ってるからね。その点は違うでしょ。
モンゴル帝国だって支配層の間じゃ、自分たちはモンゴル人という、
意識があっても、それが被支配階級にまで浸透してないんだから、
やっぱりアラブ人と違うよ。少なくとも、モンゴル支配下の中国や、
ロシアやイランがモンゴル化したとは聞いた事ないけど、アラブ支配下の、
シリアやエジプトやイラクは、長い時間がかかってるとは言え、
アラブ化してるでしょ。そういう点での特殊性なら充分に議論可能だとう思う。
まぁ、僕も確かに細かい例をそんなに知ってる訳じゃないけど、それでも、
そのような例はあまりないでしょ。それとも、ヴァンダル王国後の、
北アフリカやゲルマン移動後のイタリアがゲルマン化したなら話は別だけど。
375 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 12:23:56 0
>>374 の続き。
だから
>>339 の文は確かに言い方がおかしかったかな。
言い換えると
>>368 のようになる。後進地域云々じゃなくて、
人口の大小と、現地人への同化か否かで考えたほうが適当だね。
いやだからローマ人=ラテンのことなんだけど、単に別名で言い換えてるだけで、ロマンス諸語とも言うし もちろん当時の意味でのローマ帝国に属してるローマ人とは違うが それなら現在のアラブ人もウマイア朝やアッバース朝の支配下にないしその時代のアラブ人とは違う イタリア人はラテン=ローマの下部分類なんだから、ラテン系の人間がラテン=ローマに帰属意識がないことにはならない もちろんヨーロッパの場合、アラブに比較してこの下部分類により強い帰属意識がある印象はあるけど アラブでもエジプト人やシリア人などのより細かい民族意識はあるし 地域差はかなりあって、お互い言葉が通じない程、クルアーンだって現代口語と差がありすぎて勉強しないと読めないよ アラブってゆるい連帯感で、そこまで強力なまとまりじゃないと俺は認識してるんだけど そこら辺の感覚の違いで意見が食い違うのかね まぁラテン系という概念よりはより強力なまとまりがあるとは思うがそこまで劇的な差があるとは思えんな
377 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 12:31:05 0
>>376 いや、エジプトとシリアとかの相違がけっこうあるのは分かるけど、
それは単にどの程度までの帰属意識があれば同民族と呼ぶかの違いで、
そこまでいくと単なる主観の問題だから、どっちが正しいとも言えないね。
アラブの場合は、近代になって汎アラブ主義とかあるからラテン系よりは、
帰属意識が強いと思う。言葉がどこまで通じるかはちょっと良く知らないけど。
378 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 12:38:56 0
>>377 の続き。
例えば、同じスラブ系でもポーランド人は自分たちが、
ロシア人と同民族とは考えてないと思うんだよね。他にも、
言語的には同じでも、ラテンアメリカのクリオーリョたちは、
自分たちを本国のスペイン人と同じだとは考えてないだろうし。
まぁ、そういう帰属意識の強弱は完全に主観でしかないから、
そうなると、別にどっちの言い分も間違ってはいないんじゃないかな?
ただ、僕としてはイタリア人やスペイン人をラテン人という名の、
1つの民族にするのには違和感あるけど、イラク人やエジプト人を、
アラブ人という名の1つの民族にするのは違和感ないんだよなぁ。
まぁそれはわかるけどゆるい連帯感があるよ 例外はあるが大雑把に ラテン=カトリック、ゲルマン=プロテスタント 、スラブ=正教 それにポーランド人とロシア人は同じスラブ人だと思ってるし 南米はラテン系がごっちゃになってるから上部分類のラテンへの帰属意識が本国より強いんじゃないかな
380 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 12:57:33 0
>>379 まぁ、彼らにだってゆるい連帯感があるのには同意。
結局、民族なんてのはその場その場の流れで、
作られていくものだから、定義が曖昧になるのは仕方ないんだよね。
381 :
世界@名無史さん :2010/12/28(火) 21:40:22 O
日本じゃあイスラムは過大評価だと思う ビザンツが過小評価だなあ
382 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/28(火) 22:26:12 0
>>381 個人的には、イスラムもビザンツもどっち好きだけど、
確かに、日本でビザンツは過小評価気味な気はするなぁ。
イスラムは、そこを専門としない人でも結構な高評価を、
出すけど、ビザンツは専門の人以外はあまり重視しないしね。
というか、最近イスラム圏を過度に理想化しすぎる人が良く、
出てくるなぁ。こういう2chとかでも、たまに出て来るしね。
アラブ人の見分けがつきません><
人類の歴史で、一千年間続いた国というのは、ビザンツ、古代ローマ、ヴェネツィア共和国、 日本・・・ 日本の場合は大陸から離れた辺境の島国、ヴェネツィアも海によって本土と 隔てられている。 ビザンツはアラブ人によって二度もコンスタンティノープルを包囲されながら 陥落しなかったし、第四回十字軍によって一度は滅亡しながら復活。
塩○七○女史はビザンツを貶してヴェネツィアを持ち上げているけど、イタリアの 海洋都市国家は幸運に恵まれて繁栄したという面もあると思うね。 フレデリック・レインのいう「プロテクション・レント」。 ビザンツやイスラーム諸王朝のような大陸の大帝国に比べると、巨大な軍事組織や 官僚組織、地域支配にかかる負担が少ないわけだから。
386 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 09:31:32 0
>>384 エチオピアもアクスム王国から続いてると考えれば、
1000年以上続いてるとみる事も一応可能かな。(微妙だけど)
しかし、ローマ帝国とビザンツ帝国を一続きで、
考えれば、2000年近くも続いた事になるのか。凄いな。
>>385 ビザンツ帝国は地理的に考えて、圧倒的に不利な、
場所に位置してるにも関わらず1000年続いてるね。
ヴェネツィアが有利というよりは、ビザンツ帝国が、
不利すぎた。それなのに、1000年続いたという、
インパクトが、ビザンツ史の魅力なんだよね。
387 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 09:44:00 0
日本は1000年以上続いたと言えるの?
388 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 09:44:58 0
そもそもビザンツっいう言葉がローマを連想させないから 一般人がビザンツに興味を持たないという大問題があるな
389 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 09:46:41 0
>>387 充分、言えると思う。まぁ、確かに何を持って
一続きの国家とするかは曖昧ではあるけど。
イタリア海洋都市国家にとっても幸運といえば、十字軍もあげられるね。 十字軍がなかったら、イタリア港市の繁栄はなかったか、あるいは ずっと遅れていたかもしれない。ちょうどこの時期、インド洋=南シナ海の 商業交易活動が最高潮に達した時期で、シリアやエジプトに東方の奢侈品が 流れ込んできた。 さらにエジプト(アイユーブ朝、マムルーク朝)もキリスト教徒との商業取引を 拒まなかった。インド洋=紅海ルートの貿易輸入品をさばくことはエジプトの 死活問題だったから。
391 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 09:53:25 0
ハワイとかも1000年以上つづいてんじゃないのw
392 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 09:54:12 0
ヴェネツィアはナポレオンがいなかったら 小国として存続しつづけたきがするな
393 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 10:22:46 0
>>391 ハワイは文字史料がないから断定できないでしょ。
394 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 10:29:46 0
日本は幕府ごとに政権かわっているから1000年続いたとするのはおかしいと思うけどね だとしたらアッバースからマムルーク朝までを同一王朝と扱うべきだ
395 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 10:31:10 0
>>394 そこは天皇を中心としてみるか否かの違いかな。
それを言ったらビザンツ帝国だって王朝変わってるし。
396 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 10:32:37 0
>>395 明治維新以前なんて朝廷なんて忘れられた存在だったからな
397 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 11:06:41 0
>>396 まぁ、そうなんだけどね。そう考えるとビザンツ帝国や、
その前身のローマ帝国も政体や王朝が変わってるから、
1000年続いたと考えるのはおかしいという事にもなるのかな。
正直、そこら辺の定義が極めて曖昧なんだよなぁ。
398 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 11:14:48 0
ビザンツはどう考えてもローマ帝国そのものだからなあ
399 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 11:24:15 0
>>398 一方で、古代ローマ帝国と色々変わってる面もあるけどね。
キリスト教の受容や、住民たちのギリシャ化など。そもそも、
ビザンツ帝国という呼称自体が古代ローマとの相違点を、
強調するために出来たようなものだし。当事者たち自身は、
滅亡の時までずっと自分たちをローマ帝国と呼んでたけど。
ヴェネチアもある意味ローマの後継と言えるような言えないような
401 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 12:11:10 0
>>400 ヴェネツィア自体、ビザンツ帝国の強い影響下で成立した国だしね。
法的には神聖ローマの方が正式な後継だろ
403 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 13:14:54 0
404 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 13:20:55 0
>>402 神聖ローマ帝位ってビザンツ帝国は認めてたっけ?
406 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 13:38:13 0
東ローマは認めてない
407 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 13:38:55 0
法的ってなんなのw? どこの法律w ガリア人がつくった法律なのw
408 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 13:40:53 0
>>406 ありがとう。やっぱりビザンツ帝国は認めてないのね。
まぁ、カール大帝の時も認めなかったんだから当然か。
帝位だけは認めてるけどな
410 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 13:48:01 0
ローマ皇帝としては認めてないから 西ローマの後継としては認めてない
東ローマの承認なくても グリケリウスは皇帝になったんだから別にいいだろ
412 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 13:54:12 0
>>409 「皇帝」としては認めても「ローマ皇帝」としては認めないのか。
ここら辺の対応はブルガリア帝国に対しても同じだね。
このスレはイスラム史のスレじゃないのですか? ローマ帝国とはスレチじゃないでしょうか?
414 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 13:57:29 0
>>413 そうだね。悪い。じゃあ、スレに沿った話をすると、
オスマン帝国も一時期「ローマ皇帝」を名乗ってたよね。
415 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 14:17:37 0
建前上でも元老院残しておけばローマ皇帝と言えたとは思うけどな
416 :
世界@名無史さん :2010/12/29(水) 14:19:20 0
ヘラクレイオスがシャーハンシャーをなのったのと同じようなもんだろうな
417 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 14:27:25 0
>>415 御前会議を元老院と考えるのは・・・・流石に無理があるかな。
>>414 スレイマン1世はイタリアの職人に命じて四十冠をつくらせているけど、やはり
歴代スルタンの間では少数派。
「オスマン朝の発展と組織化を支えたのは、トルコ人のような野蛮な遊牧民ではない。
イスラームに改宗した土着のギリシア人、すなわち旧ビザンツ帝国の人々である。
彼らはオスマン朝の宮廷、行政、法律、軍事、土地、税などのあらゆる面に
ビザンツ帝国の制度を取り入れることによって新たな国家をつくったのだ。
したがって、オスマン帝国とはイスラームに姿を変えたネオ=ビザンツ帝国にすぎない」
これはトルコ系遊牧民が大帝国を建設したことを受けれいれたくなかった
欧州人の偏見。
419 :
418 :2010/12/29(水) 15:51:15 0
×四十冠→○四重冠
コロンブスがジェノヴァ出身だったことは有名だけど、そもそもジェノヴァ人が 西に目を向け始めたこと自体、オスマン朝の出現がからんでいる。 ジェノヴァは1395年、ティムールのタナ破壊によって黒海貿易に痛手を 受けていたが、1461年、オスマンの黒海沿岸地方征服によって、決定的な 打撃を受けた。 このような情勢下で、イタリア商人の目は西に向き始める。 ヴェネツィアもトリポリ、チュニス、アルジェ、ボネ、オランなど、 北アフリカ諸港との貿易を行い、またフランドル船団を定期的に送っていたが、 なんといってもマムルーク朝のアレクサンドリアとの香料貿易という 切り札を握っていた。しかしそういうものを持たないジェノヴァにとっては、 東地中海での損失を補う血路を見出すことは至上命令だった。 1087年のマーディーア占領後、ジェノヴァは1161年モロッコ王国と通商協定を結び、 ブージに進出した。そしてさらに西進してセウタに至り、1162年には ジブラルタル海峡を越えて、西北アフリカのサレーに達した。これらの 要衝をおさえることによって、ジェノヴァは西アフリカの金、奴隷貿易を 行うイスラーム商人たちと交渉を持った。1291年、ジェノヴァのベネデット・ ザッカリーアが、モロッコ海軍を破り、北アフリカ西部における制海権を 確保した。
ザッカリーアがモロッコ艦隊を破ったその年、ジェノヴァのヴィヴァルディ兄弟が、 ジブラルタル海峡を越えて西アフリカの沿岸航海を行い、行方不明になった。 この航海については不明な点が多いが、西アフリカの金産地に直接迫ろうとした 探検航海ではなかったかともいわれる。 1312年には、ランチェロット・マロチェロというジェノヴァ人が、西アフリカ航海を行い、 カナリア諸島にまで至っている。 レヴァント貿易でヴェネツィアに敗れでジェノヴァの地位が転落し、政治的にも フランスやミラノに従属するようになると、ジェノヴァの資本や海事関係者の技術が イベリア半島に逃避移転し始めた。ここから大航海時代まであと数歩。
422 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 16:56:02 0
>>418-419 まぁ、言ってる事には概ね同意するけど、その一方で、
オスマン帝国は、純粋なトルコ系遊牧民による国家とも、
言いにくいんだよなぁ。初期のオスマン帝国は明らかに、
遊牧国家的様相だったんだけど、時代を経るにつれて、
デヴシルメなどによって登用された元キリスト教徒たちが、
官僚などの上位に多く並ぶようになったし、オスマン帝国では、
「トルコ人」というのは田舎者を意味してたらしいし。だから、
最近は「オスマン・トルコ」とはあまり呼ばなくなってるね。
>>422 アッバース朝もペルシア人を多く登用していたね。
ムガル帝国もそうだけど、大陸の大帝国はたいていが多民族国家。
424 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/29(水) 17:22:07 0
>>423 基本的に大帝国と名の付くものが単一民族国家である訳はないからね。
特に、オスマン帝国の場合は民族の区別を近代までほとんど気にしなかった。
>>418 それも極端だな
オスマンにはビザンツ・イスラム・トルコ全ての要素が入ってる
それぞれの構成要素がどれくらいの割合かになると統計とならないとわからない気が遠くなる作業だろうがね
>>422 逆に遊牧的要素が強い初期の頃は家臣にキリスト教徒がたくさんいて宗教混合集団だったらしいね
426 :
世界@名無史さん :2010/12/30(木) 02:44:50 0
オスマン帝国は宗教なんて関係無く 優秀なやつを登用するからな そこが江戸時代の日本と決定的に違う
427 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 04:10:39 0
>>425 確かに、オスマン帝国は逆に遊牧的要素の強い初期から時代を経るごとに
イスラーム国家化していって重要な官僚はムスリムばかりになっていったね。
>>426 一応、デヴシルメの時はイスラームへの改宗を、
させてるから宗教はそれなりに関係あったと思うよ。
民族の違いはほとんど関係なかったけど。
オスマンが正統的イスラーム帝国に向かい始めたのはバヤズィット2世辺り じゃないかな。 あと、民族の区別を気にしなかったというよりは、民族概念それ自体が全く 違ったってことだろう。ムスリムかムスリムでないか、って程度の違いで、 あとは使う言語が違うな、って程度の意識だろうな。しかもそれも決定的違 いでもない。 まあ、これは前近代全般に言えることなんだが。前近代の歴史で言ってる民 族って、便宜上使ってるだけで、ネイションというよりエトノス、しかもそ れも変化していく歴史上の一現象程度の感覚だから、民族の違いが関係ない ってのも強調しすぎると誤解を招きやすいな。 民族がこれだけ自己と他者を峻別するのは近代以降の思想の影響の方が強く て、多言語地域になれば、話す言語の違いはあれば、バイリンガルやトリ リンガルが普通に出てくるだけで、混在状態で普通に安定しちゃって、母語、 話者ってだけでも民族を余り峻別できないんだわな。 無論、地域差はあるが。
429 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 06:43:06 0
>>428 >オスマンが正統的イスラーム帝国に向かい始めたのはバヤズィット2世辺り
>じゃないかな。
個人的には、西欧かぶれだったメフメト2世の後を継いだバヤズィト2世が、
オスマン帝国を正統イスラーム帝国として軌道修正したという印象だなぁ。
まぁ、確かに前近代において「民族」なんてものは大して、
意味のあるものではなかったね。この手の多民族国家は、
近代になって民族主義が台頭してくると、それが原因で、
崩壊に向かってしまったね。オスマン帝国しかりハプスブルク帝国しかり。
バルバロス・ハイレッディン・パシャはレスボス島生まれのギリシア人で、 イスラームに改宗する前の名前はわかっていない。 ピヤーレ・パシャはクロアチアの出身。 まあ、地中海の海賊なんて、倭寇と同じで、帰属意識がはっきりしていない 連中のほうが多かっただろうね。混血も多いし。
これはあくまで個人的な印象だけどオスマン帝国は 理念や法律などに関してはイスラムの影響が濃い(かなりリベラルだが) 軍事は遊牧国家の影響が濃い(イニチェリの起源になったマムルークは遊牧的要素とイスラム奴隷制が半々かな) 行政機構など実務的事務的なものに関してはビザンツの影響が濃い(中枢部はそのままビザンツと重なる) 詳しい人どう思う?
イスラーム圏以外でも、アユタヤ王国ではポルトガル人、マサッカル人、 日本人などの「外人部隊」を使用していた。 さらに17世紀後半のナライ王の宮廷ではイラン人やフランス人、ギリシア人が 国政の場で活躍していた。 さらにインド亜大陸でも、ムガル帝国やアーデルシャー王国、クトゥブシャー王国の 宮廷でイラン系の人々が活躍している。 (インドのムスリム政権の宮廷では、ペルシア語とペルシア風の儀礼や 教養が重んじられたため) 日本やヨーロッパのように閉鎖的な地域のほうがむしろ特殊なのかも試練名。
433 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 11:42:03 0
>>430 そういえば何かで、バルバロス・ハイレディンは一回、
スペインに買収されかけたっていう話を聞いた事がある。
結局、オスマン帝国のほうが待遇が良かったからそっちの、
味方に付いたらしいけど。元々、海賊出身だから国家への、
帰属意識や忠誠心とかは、多分なかったんだろうね。
>>431 個人的に、軍事の遊牧的要素を挙げるんだったら、
イェニチェリよりもスィパーヒーのほう良いと思う。
イェニチェリは火器中心の歩兵で、遊牧民的要素を、
排除したスルタン直属の奴隷軍隊だからね。
全体的なイメージとしては大体そんな感じで良いんじゃない?
>>432 ヨーロッパだってポーランドなど多民族国家は存在したけどね。
そうだね書いた後思ったけど イニチェリは歩兵だしマムルークのもっていた遊牧的要素が抜け落ちてる
435 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 12:40:33 0
>>434 チャルディラーンの戦いなんかも、騎馬遊牧的要素の強い、
サファヴィー朝のキジルバシ対オスマン朝の歩兵イェニチェリ、
というような構図で、語られる事が多いしね。まぁ、オスマン帝国の、
軍事にだって、それなりに遊牧民的要素は見られるけど。
キリスト教徒とムスリムを相互排他的に考えるのは、中世の西欧で 出来上がった観念で、ビザンツ後期には、洗礼親になるのがムスリムで いいかどうかというのが法律問題になっている。 生まれて洗礼を受けない子はキリスト教徒の共同体に仲間入りできずに 名無しで消えてしまう。そういう場合に、たまたまムスリムのトルコ人がいて、 名付け親になってもらうことは許されるかどうかというような議論が 法律論として出てくる。
437 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 16:24:02 0
>>436 へ〜。それで、実際そういう場合はどうなったの?
ビザンツ帝国だったら、どっちも有り得るだろうけど。
>>437 そこまではわからない。スマソ。
ただ、ビザンツ後期に、ムスリムが、「洗礼はたかったシラミを追い払う」
といってキリスト教徒から洗礼を受けたというエピソードがあるw
ヴァネツィア人はレヴァントに行って、ギリシア人との間にガズムールと
呼ばれる混血児をつくっているし。
439 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/30(木) 21:50:02 0
>>438 なるほど、ありがとう。ありえない話ではないのか。
東アフリカのザンジバル辺りも、民族や言語で明確な線引きを行うことは難しいね。 スワヒリ語自体、バントゥー諸語にアラビア語の影響が加わって形成された 言語であり、語彙の約35%はアラビア語に由来する。 スワヒリ社会にはアフリカ系、アラブ系、インド系、ペルシア系、コモロ系など 多種多彩。
441 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2010/12/31(金) 12:29:46 0
>>440 東アフリカは古来から海洋交易の要衝として色んな民族が行き来してたからね。
特に、ザンジバルなんかは近代までアラブ系(特にオマーン)の影響が強かったし。
あけましておめでとう ところで、アッバース朝の復権運動について調べてるんだが出てくるのがナースィルばかりでムスタルシドやムスタンジドについての情報が少ない 一次史料の英訳をちまちま調べてはいるが、誰かこの辺に詳しい論文なり資料なりを知らないだろうか? 大して重要視されてないのかね
443 :
世界@名無史さん :2011/01/03(月) 07:44:40 0
アラビア語かペルシア語文献を探せよ
444 :
世界@名無史さん :2011/01/03(月) 10:57:29 0
役所広司がNHKの仏教特集にでてる 教義に人種差別や民族差別の禁止っていう概念を持ち込んだ宗教って イスラームだろ?
445 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 11:04:19 0
>>444 別にイスラームに限らず「人はみな平等」とか唱えた宗教は、
結構あるでしょ。まぁ、差別を肯定してるのだってあるけど。
446 :
世界@名無史さん :2011/01/03(月) 13:48:32 0
>>443 このスレってアラビア語なんか出来る奴いるの?っていうかアラビア語の資料って日本で手に入るの?
447 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/03(月) 13:57:30 0
>>446 結構大きめの図書館なんかに行くとアラビア語の文献も置いてあったりするよ。
まぁ、僕自身は全くアラビア語出来ないので、使ったことはないんだけど。
448 :
世界@名無史さん :2011/01/03(月) 18:54:09 0
>>446 イスラーム史の研究者ならアラビア語は当然読めるだろう
そもそもアラビア語とペルシア語読めないのにイスラーム史研究者ってジョークみたいなもんだぞw
そもそもアラビア語を解してコーランを読めないと
文化的にイスラム世界を理解出来ないと思う
ま僕はアラビア語もペルシア語も読めないけどw
450 :
世界@名無史さん :2011/01/04(火) 01:06:24 0
>>428-429 オスマンが正統的イスラーム帝国に向かい始めたのはバヤズィット2世辺り
じゃないかな。
俺としては、オスマン帝国が名実ともに正統的イスラーム帝国となったのは、
ロシアの圧力に晒されるようになった18世紀末から帝国の滅亡までの時期だと思う。
キュチュク・カイナルジャ条約第3条がオスマン帝国のスルタンが
イスラーム共同体の長のカリフを称した最初の例であることや、
クリミア、カフカース、バルカンの失地からのムスリム難民の流入によって
帝国の全人口の中でムスリム人口の比率が上昇したこと、
そうした状況の中で国民統合の手段としてイスラームが重視され、
イスラームが強調されるようになったことなどがその根拠だ。
18世紀前半あたりまでは、
ムスリムと非ムスリムの比率では非ムスリムの方が大きかっただろうが、
18世紀末以降の領土の喪失に伴うムスリム難民の流入はムスリム人口比率の
上昇につながった。
でも、「イスラーム国家」なるものは時代と地域によって大きく異なるから、
簡単に断定することはできないな。
451 :
世界@名無史さん :2011/01/04(火) 07:18:50 0
アレクサンドリアのコプト教会で自爆テロ 20人死亡 いつまで続くんだろうな
コプト教会なんて遥か昔からエジプトに存在してたのになあ。 現在の対立の根本原因は宗教ではなく、経済的不満・社会的不満・反米感 情なんかが宗教の衣をまとった政治的主張だと、イラクのキリスト教会の 司教が言ってたな。 指導者が政治的主張を宗教的正義に摩り替えているから、宗教対立に繋がっ てしまうと。 だから、頻繁に地元のイスラム宗教指導者と交流を重ねていって相互理 解していくしかないとか、新聞のインタビューで言ってた。それが上手 くいけば、基本外国からの流入である過激派を抑えることに繋がってい くってな。 理想主義とかじゃなくて、実際にイラクで生まれ育って、危険の中にい る人物の現状認識からの言葉だから、重みが違ってくるけどな。
453 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/04(火) 08:04:19 0
>>450 衰退期以降のオスマン帝国はバルカン半島の喪失にともない、
汎イスラーム主義を唱えたりしたからね。まぁ、これは近代的な、
ナショナリズムの高揚によるものだし、少し違うと思うんだけど。
いわゆるウマイヤ朝やアッバース朝も長い間ムスリム人口より、
それ以外の宗教のほうが多かったし、人口は根拠にならないと思う。
バヤズィト2世やセリム1世の頃から、オスマン帝国は支配の正統性を、
イスラームという宗教的イデオロギーに求めたんじゃないかな?まぁ、
これは「前近代的なイスラーム国家」か「近代的なイスラーム国家」かの、
違いによる見解の相違でしかないんだけどね。
454 :
世界@名無史さん :2011/01/04(火) 08:12:42 0
ディスカバリーチャンネルでやってたんだけど エジプトのコプト教徒はカイロのゴミ処理をになってたんだよね コプト教徒の集落にカイロのゴミを集めてそれをリサイクルしたりして生計たててた 賤業はコプト教徒に押し付けていたってこと ゴミの街のコプト教徒は平均寿命短いそうだ カイロのゴミ処理をコプト教徒でなくヨーロッパのゴミ処理業者に委託したところ うまく運用できなくてカイロがゴミだらけになっていると
エジプトのコプト教徒については欧米メディアでよく取り上げられるが、 イラクの東方アッシリア教会、アルメニア使徒教会、カルディア派カトリック教会などは ほとんど注目されない。 アルジェリアのプロテスタントなんて、まったく知らない人のほうが 多いんジャマイカ?
>>452 >現在の対立の根本原因は宗教ではなく、経済的不満・社会的不満・
>反米感情なんかが宗教の衣をまとった政治的主張だ
つまり彼らは日本のネト○ヨと同じことを(以下ry
457 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/04(火) 17:06:04 0
>>455 逆に、中東のキリスト教で最も注目されてるのは、
多分レバノンのマロン派かな。内戦などの影響も、
あって日本でもそれなりに知名度あるほうだと思うし。
458 :
世界@名無史さん :2011/01/08(土) 02:40:56 0
>>446-448 アラビア語、ペルシア語、トルコ語などイスラーム諸語で書かれた文献は、
東京大学東洋文化研究所、東京外国語大学、京都大学、東洋文庫、
アジア経済研究所などにある。
イスラーム史研究についてだが、学部生のレベルだと、
英語、仏語、独語、露語に翻訳されたイスラーム諸語
(アラビア語、ペルシア語、トルコ語など)の史料を用いることが多い。
イスラーム諸語の史料を本格的に用いるのは大学院レベルだが、
イスラーム諸語についての基礎的な知識がないと、史料はもちろん、
論文を読み進めることはできない。
ほんま日本人って言語的に不利な立場に置かれているな。 せめて英語圏に生まれていたら・・・・。
じゅうぶん有利だろ。少なくとも金と行動力があれば 世界中のほぼあらゆる主要言語にアクセスできる。 むしろ漢字を使うこっちこそ、外国人には鬼門もいいところじゃないか
日本人研究者の論文なんて英語でアクセスできるし、別に欧米人研究家は困らないと思うが。
462 :
世界@名無史さん :2011/01/08(土) 15:29:46 0
日本語論文なんて誰も読まないし
463 :
世界@名無史さん :2011/01/08(土) 22:50:26 0
イスラーム史の研究するために大学入ったのに、中国語やらされるとは・・・。 第2外国語を中国語ではなく、フランス語にしておけばよかった。 東洋史だったら中国語やっとけ!とかいうミスリードな推奨は廃止してくれ
>>459 どんなに対抗心持った所で
英語帝国主義を受け入れなきゃならないフランス人の屈辱に比べれば
日本人の英文読解くらい別に・・・
>>463 昔、ウイグルとかトルコ専門の某先生は、京大で宮崎市定先生の教え子だった
から、ずっとゼミで漢文ばっかやっててしんどかったって言ってたな。
けど、研究職になってから、ウイグル語文献の解読とかにそれなりに業績あげ
てるから、まあ、語学の勘を養ってるとでも思って頑張ってくれ。
467 :
世界@名無史さん :2011/01/09(日) 08:30:07 0
>>463 カリキュラムがウンコだな
アラビア語とペルシア語やらんでどうするんだw
468 :
世界@名無史さん :2011/01/09(日) 08:30:50 0
>>465 フランス語と英語は言語近いから
簡単に覚えられるだろ
469 :
世界@名無史さん :2011/01/09(日) 08:42:41 0
やっぱり原著よまんといけないよ 翻訳物の解釈じゃあかんでw
>>463 というか、中国語圏でイスラーム研究ってされてるのか?
ウイグル支配安定の為に官営でやってる可能性は無いと言えんが
中国におけるウイグル語は、 ミャオ語やチベット系言語みたいに民間マニアが いっぱいいる言語というわけではないからな。 ウイグルは遊牧民ではないから、文化にも興味が持たれていないし。 公安警察ぐらいしか一所懸命勉強することのない言語だよ。
472 :
世界@名無史さん :2011/01/09(日) 13:27:51 0
>>470 清王朝の時代は、それなりに研究されていたのではないかな あとモンゴル帝国の時代も
清王朝の頃は、回数からいけば 貴州省湖南省の宣撫のほうが大変だったみたいだよ
474 :
世界@名無史さん :2011/01/09(日) 16:38:59 0
まあ、ウルムチにでも留学するよろし。
475 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/09(日) 16:49:15 0
>>470 ウイグル以外にも中国には回族などのムスリムが、
少数ながら存在するし、全く研究されてないという事は、
ないんじゃないかな?どれくらい進んでるかは知らないけど。
476 :
世界@名無史さん :2011/01/10(月) 07:38:10 0
23代目のカリフ、ムティーウは、カリフの位には登ったものの、禁治産者にも 等しい身分で、ブワイフ家のムイッズッダウラから、1日に金貨100枚の手当てを もらって、それで自分も生き、また宮廷を維持していかねばならなかった。 バグダードの物資欠乏は、この都始まって以来の深刻さで、市民は死体や汚物を食い、 街頭には行き倒れがゴロゴロ転がっていた。その死骸を野犬が貪り食っているという 惨状だった。わずか数塊のパンのために地方の広大な領地を手放す者も少なくなく、 甚だしいのは幼児を焼いて食う者さえあったという。 穀物価格の狂騰を示す一例として、ムイッズッダウラが麦粉を1クッル(4kg半足らず) につき2万ディルハム(銀貨2万枚)の割合で買っていたということが伝えられている。
>>476 世界史ちゃんねるからコピペするのはやめてください。
スーダン南部が独立しそうだね。 南部(キリスト教圏)が独立した後、北部(イスラーム圏)との関係は スムーズにいくかな?
479 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 13:02:11 0
>>478 今までの敵対関係もあるからスムーズにいくとは思えないけど、
とりあえずこれでダルフール紛争はひとまず決着がつきそうかな?
スーダン南部のキリスト教圏は エチオピア正教に立場が近いの?
>>480 スーダン南部は近代以降にヨーロッパ諸国が布教活動を行った。
キリスト教のほかに、伝統的な精霊信仰も残っていると思う。
482 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 17:19:04 0
>>481 スーダン南部の非アラブ人はキリスト教徒よりもアニミズム的な、
伝統宗教を信仰している人のほうが数としては多いみたいだね。
483 :
世界@名無史さん :2011/01/10(月) 17:31:10 0
知識がないんだけど、スーダンってイスラム化した北部と キリスト教や伝統的信仰が残る南部を無理やりくっつけた 国と言うイメージがある。
484 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 17:45:43 0
>>483 そもそもスーダンってマフディー戦争以前は大してまとまりが、
なかったと思うんだけど、いかんせんそれ以前のスーダンの、
歴史について良く知らないため、何とも言えないんだよなぁ。
>>484 あら、オツガイさんこんばんわ。
最近、なんでも質問スレにお姿が見えないのでどうされていたかと。
スーダンは古代から北部はエジプトの影響下にありましたよ。
中性も歴代イスラーム王朝の支配下でした。またフンジ王国、
ダルフール王国などのイスラム王国も栄えました。
それ以降はムハンマド・アリーとマフディーの話につながります。
486 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/10(月) 18:41:41 0
>>485 質問スレは最近はあまり自分の得意でない話題が続いてるため、
来ていないだけですwなるほど、スーダン北部は古くからそれなりに、
歴史があったのか。南部のほうとは歴史的にまとまりあったのかな?
488 :
◆axCVsGomao :2011/01/10(月) 19:05:59 0
南部に資源あるのか こりゃ独立しても紛争つづきそう
>>483 現在のスーダンは、北部と南部で宗教や文化がクッキリわかれているが、
これはイギリスによる分断統治の影響も大きい。
イギリスは南部からアラブ・イスラーム的要素、とくにアラビア語を徹底的に排除し、
共通語として英語の使用を奨励し、部族の法や慣習、固有の言語を重視した。
そして南部は意図的に低開発状態におかれた。
またキリスト教宣教師が南部で布教活動を行い、ミッション・スクールで南部人の
教育を行い、その結果エリート層は親ヨーロッパ的になった。
この辺の事情はナイジェリアとよく似たところがある。あの国も北部はイスラーム、
南部はキリスト教と土着宗教だから。
490 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/11(火) 11:58:11 0
>>489 つまりイギリスが分断統治をする前は南部も大半がアラブ人だったってこと?
アラブ的要素がちょいあったって程度だろ
492 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/11(火) 12:56:24 0
>>491 じゃあ、やはりスーダンは南北であまり一体性がなかったの?
スーダンの歴史に詳しくないので、そこら辺が良く分からないや。
アミニズムが主流って時点で イギリスが来る前にイスラムが主流だったってことはないだろ
494 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/11(火) 13:33:36 0
>>493 という事は、やはりイギリス以前は南北スーダンは、
全然別の地域で、それを無理やりくっつけたという、
事になるのかな。
>>483 で言われてるように。
そうだろうね スーダン北部はもともとヌビア王国の地域だし
ボルヌ帝国の王アブー・アムル・ウスマーンがマムルーク朝スルタン、 ザーヒル・バルクークに送った手紙の一部 ・・・アラブ人たちは我々ボルヌの土地を今日にいたるまで侵略し続けております。 彼らは我々4の自由な民を、我々のムスリムの一族を、たとえ女や子供、 さらに弱者であろうとも、捕らえ、抵抗する者は殺し、捕虜の一部は私用に使い、 残りをエジプトやシリアやそのほかの商人たちに売り渡しております。 この手紙で描かれているアラブ人(ジュザーム族)の行為は、スーダン北部の ジャンジャウィードが南部やチャド東部でやっていることとほとんど同じだよな。 日本ではアラブ・イスラームが過大評価されているせいで、アラブ人が 歴史的に行ってきた黒人差別はほとんど語られないけど。
確かに489はイスラム過大評価厨だな イギリスは間接統治が主だから 内政には手つけない >>そして南部は意図的に低開発状態におかれた 意図的も何も最初っから手つけてないし
498 :
496 :2011/01/11(火) 15:29:02 0
×彼らは我々4の自由な民を ○彼らは我々の自由な民を
イギリス支配以前のスーダン南部をアラブ人が支配してたとするなら アラブ人も現地人にアラビア語を強制し、 低開発状態のままだってことじゃねーかw
>>499 アラブ人は南部ではもっぱら奴隷狩りだけをやってたんじゃないのか?
だからもともと南スーダンにアラブ的要素なんてほとんどないってことだよ あるとすれば奴隷狩りくらいだろ
>>479 はぁ?
ダルフールとは何の関係もないですよ? スーダンの地理関係理解してんの?
質問スレみたが、オツガイ氏うざすぎやの
チュニジアで暴動が起きてるけど、あの国では社会的エリートへの切符だったはずの 学位をとっても望む職業に就けず、肉体労働者にならざるを得ない例もあるとか。 アフリカで最も貧富の差が少ない国のひとつといわれていたのにな〜
いつの時代の話だよ。かれこれ23年ぐらい大統領の独裁が続いているぞ。 NHK衛星の「世界の街並み」年末にスースの街並みがうつされて一時間ぐらい特集していたけどさ ペンキが剥がれているし、街中が異様に薄汚い。生活水準も御世辞にも高そうに見えなかった。 観光地であれなんだから、他の都市はもっとひどいはず。 そりゃあ国民の不満も増大するわな。
506 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/12(水) 17:13:08 0
>>502 本当だ。悪い、ダルフール地方は今回の独立騒動は関係性低いねorz
>>506 どんまい。なんかアンチ湧いてるけど気にすんな
>>407 アルバニアは無宗教が大部分で、次いでキリスト教徒が多い
旧共産圏ではイスラム教徒は減少し続けてる、おそロシア
いやダルフール指摘した程度でアンチ認定されてもなあ・・・・。 まあ、良いけどあまり頓珍漢な事言い出したら一応学問板だし 訂正はするよ。
>>508 アルバニアの事はよく知らないが、ボッジャ独裁の反動や一時期はやったねずみ講で国が荒廃した後、
アルバニア正教やイスラム教に心の安定を求める人がふえているって話聞いたことあるが。
それと、アルバニアって他のヨーロッパ諸国と違い、南北に二分された部族制度が色濃く残っており、長老は結構イスラムな人が
多いと聞くが・・・・世俗化自体は世界的な傾向であることは否定しないが、欧米人で無宗教というのは20年ほど前までは体制を気にして
そういう答えがおおかったかもしれないが、今はどうだろう?結構宗教回帰するものだけど。
まあ、最新事情には詳しくないからあまりどうこうはいう意図はないが、単純に疑問。
511 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/12(水) 20:36:58 0
>>508 共産時代は確かに「無神論国家」で宗教勢力を弾圧してたけど、
今はそれが解けてるからどうなんだろう?まぁ、無宗教者が多いのは、
確かだけど。イスラム教と言ってもアルバニアのは穏健で無宗教に近いだろう。
512 :
世界@名無史さん :2011/01/13(木) 14:40:08 0
イスラム教って改宗したら殺されちゃうんだろ。
513 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/13(木) 16:22:50 0
>>512 シャリーア上は確かにそうだけど(まぁ、宗派によって違いはあるけど)、
アルバニアでは国家の法律にシャリーアが適用されてる訳じゃないから、
死刑になることはないよ。アルバニアの場合はそもそも旧共産圏だったし。
イランやサウジアラビア当たりはマジ死刑になるだろうね
515 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/13(木) 17:16:54 0
>>514 多分そうだろうね。特にサウジアラビアは完全に死刑だと思う。
516 :
◆axCVsGomao :2011/01/13(木) 20:04:09 0
イランは死刑にならないのではないか シーア派にはタキーヤ(信仰秘匿)があるから
517 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/13(木) 20:13:38 0
>>516 つまり棄教してもタキーヤの論理でそれを隠すことができるから、
死刑になることはないと。でも、イランでももし棄教が発覚したら、
普通に死刑になるんじゃないの?ホメイニも棄教は死刑と言ってたと思うし。
519 :
◆axCVsGomao :2011/01/13(木) 20:29:21 0
統治の諸規則が手元にあるので読んでいるんだけど 日本語訳には離教(リッダ)とあるね スンニ派に関しての記述になるが要約 「離教してもムスリムと敵対する集団を形成しておらず彼らを支配するために 戦う必要が無い場合は、議論と証明によって彼らに真実を示し 彼らが悔い改めたら離教の断念は法的に認められる」 イスラムから改宗したらいきなり死刑なんてことは無いよ
しかし実際死刑になってるんだろ 教えもピンキリだし
521 :
◆axCVsGomao :2011/01/13(木) 20:32:06 0
イスラーム法学は単純なもんじゃないからねえ
522 :
◆axCVsGomao :2011/01/13(木) 20:34:39 0
>>520 改宗に応じなかったら死刑だな
しかしアブーハニーファは女性の離教者は死刑にならないと主張しているようだ
523 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/13(木) 20:36:48 0
まぁ、一口にイスラームといっても宗派によって大きく分かれるし、 実際に死刑になるかどうかも国によって大きく異なるからね。でも、 僕の記憶では確かイランでは背教罪は死刑となってたと思うけど。
524 :
◆axCVsGomao :2011/01/13(木) 20:38:20 0
シーア派ならば信仰を守るために棄教のフリをしたって言い張れば死刑にはならんな
525 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/13(木) 20:42:10 0
>>524 現在のイラン国内でシーア派信者が信仰を守るために棄教のフリを、
するという状況が想像できないんだけど。バハイ教は死刑だったと思うし。
バハハーイ
527 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/17(月) 17:48:11 0
過疎ってるから話題ふるけど、チュニジアの独裁政権が滅んだね。 日本じゃあまりニュースになってないけど詳しい情勢が分かる人いる?
528 :
◆axCVsGomao :2011/01/17(月) 21:29:35 0
529 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/17(月) 21:37:45 0
>>528 おぉ、ありがとう。なかなか詳しく載ってるね。今後のチュニジアは、
どうなるんだろうか?それなりに民主化の方向に向かうのかな?
530 :
◆axCVsGomao :2011/01/17(月) 21:39:20 0
大統領が亡命できただけまだマシかな
531 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/17(月) 21:46:59 0
>>530 まぁ、でもモハンマド・レザー・シャーも亡命は出来た訳だしね。
確かに殺されなかったからマシなんだけど。個人的には前から、
チュニジア行こうと思ってたけど、これじゃ当分は無理そうかなぁ。
隣国のモロッコは上手くやってるよね。世渡り上手だ
533 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/17(月) 22:15:00 0
>>532 先代のハサン2世は確かに上手くやってたね。それなりにリベラルな政策も、
行ないつつも国王独裁を上手く保ってた。ムハンマド6世は良く知らないけど。
(CNN) イエメンの裁判所は17日、外国人殺害を扇動したとして、イエメン系米国人のイスラム指導者
アンワル・アウラキ師に被告人不在のまま禁錮10年の判決を言い渡した。国営サバ通信が報じた。
アウラキ師は昨年11月、2人の仲間と共に外国人当局者らを標的とする武装組織を結成したとして起訴されていた。
サバ通信によると、10月のフランス人殺害に関連して19歳のヒシャム・アシム容疑者が死刑を宣告されたほか、
アウラキ師のいとこのオスマン・アウラキ容疑者も被告人不在のまま禁錮8年を言い渡された。
アウラキ師は米ニューメキシコ州生まれで、米国を出国するまではバージニア州のモスクで説教を行っていた。
欧米の情報機関などは、アウラキ師が国際テロ組織アルカイダのイエメン支部の幹部であるとみている。
このグループは昨年後半、米国行きの貨物輸送機に爆発物が仕掛けられた事件で犯行声明を出している。
また、アウラキ師は2009年クリスマスの米デトロイト行き航空機爆破未遂事件で起訴されたナイジェリア人、
アブドゥルムタラブ被告の勧誘に関与したとみられており、米テキサス州フォートフッド陸軍基地で銃乱射事件を
起こしたハサン被告とも連絡を取っていたとの疑いもある。
動画投稿サイトのユーチューブは、アウラキ師が暴力を扇動している動画を昨年大量に削除した。
匿名のイエメン政府高官は11月の時点で、同国当局がアウラキ師の捜査を強化しているとし、
アウラキ師の出身部族の地元であるシャブワ州で治安部隊や地元の部族メンバーらが対テロ作戦を展開したと話していた。
ソース CNN
http://www.cnn.co.jp/world/30001538.html 画像 アンワル・アウラキ師
http://www.cnn.co.jp/images/cnn/2011/01/18/10/50/42/story.al.awlaki.intel.jpg
西サハラは世界から見捨てられたの?先進国は見て見ぬふり
沖縄も独立できてないだろ。 日本人が占領したままだ。
北海道もそうだろうw
>>536 沖縄が独立した場合、奄美諸島の扱いはどうなるんだ?
539 :
世界@名無史さん :2011/01/26(水) 10:21:46 0
「ハリポタ」インド系美少女が兄から暴行を3 時間も!兄は6か月の禁固刑
http://news.livedoor.com/article/detail/5288164/ E!オンラインなどによるとバングラディシュ系イギリス生まれのアフシャンはイスラム教徒だが、
2010年5月、家族と暮らしていたマンチェスターの自宅でヒンズー教徒のボーイフレンドと携帯電話で話をしていたところ、兄のアシュラフがそれを聞きつけて激昂。
アフシャンの髪をつかんで引きずったり、顔や頭を殴るなどの暴行を加えたという。
兄はさらに、アフシャンに「売女」「クズ」などと暴言を浴びせ、「イスラム教徒と結婚しなければ殺す」と脅したという
その後アフシャンの父親は彼女を故郷のバングラデュシュへ帰し政略結婚させる、と脅したり、母親も彼女を「商売女」と罵ったそう
540 :
世界@名無史さん :2011/01/28(金) 14:45:15 0
エジプトが民主化されたら、イスラム過激派(ムスリム同胞団)の勢力が 伸長する可能性はあるだろうか?
541 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/28(金) 16:41:28 0
>>540 下手に民主化するとイスラーム原理主義系が貧民の支持を基に勢力を伸ばす可能性が、
イスラーム圏の場合はあるからね。ムスリム同胞団は結構支持層多いらしいし。
というか、チュニジアやアルジェリアの長期政権を欧米がするーしていたのもエジプトと同じように 政権安定の見地からだからな。 ま、軍事板の住民に言わせると「他所の国でテロが起ころうとどうなろうと輸出されずに封じ込めできればいいんだよ。 おまえらのことなど知ったことか」という論調になるんだろうケドサ
543 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/28(金) 17:14:49 0
>>542 アルジェリアやチュニジアの長期独裁政権ってイスラーム主義の抑制という面もあるからね。
世俗主義を無理にでも推し進めた中東の独裁政権っていうとモハンマド・レザー・シャーもそうだし。
イランの場合、イスラム革命起こったものの、中の人的には坊主の長期政権がこれほど続くとは思わなかったみたい。 パウレビ政権は別段ホメイニ師の勢力だけが打倒に参加した訳ではなくていろいろといたんだけど、大半がすりつぶされちゃったからね。 パウレビ潰したら国民の予想のナナ目上にいってしまったというのが正直な話だろう。
545 :
世界@名無史さん :2011/01/28(金) 17:46:04 0
独裁体制に対するデモはいいんだけどそのホメイニ師のようなカリスマ的な存在がいないよな。
エルバラダイ氏を推す向きもあるけど、国外滞在がながくて、カルザイやマーリキーと同じようなグダグダ政権しかできんのじゃないかな。 まあ、民主主義が機能するということはそういうことかもしれないが。
エルバラダイは政治経験あるのか?
548 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/28(金) 18:16:25 0
>>547 一応、外交官を務めてたことがあったらしい。でもIAEAにいた時期が長かったからなぁ?どうなんだろ?
549 :
世界@名無史さん :2011/01/28(金) 21:15:23 0
おまえら、他所の国の政変を心配する前に自分の国の心配しろやw 脳みそからっぽの自己保身の民主党 旧来的な悪しき日本の悪習を継ぐ自民党 カルト創価と大魔王大作の手先の公明党 こんなカスみたいな危険な政党に支配されているヤバイ国って日本以外にないだろw
550 :
世界@名無史さん :2011/01/28(金) 21:32:22 0
テスト
551 :
世界@名無史さん :2011/01/29(土) 09:59:29 0
日本は首相の政治権限を強くしないといけないな 政権が短すぎて近視眼的な政策をうちだすだけだもん
アラブ諸国にとって、一次産品依存の「モノカルチャー型経済からの脱却」は 古くはムハンマド・アリー統治下のエジプト以来の課題であり、それ以降でも、 主なものだけでも、19世紀後半の開放経済体制の下でのエジプトやチュニジアの 産業育成、両大戦間期から1950年代前半にかけてのエジプトやシリアなどでの 民間主導の工業化、1950年代後半から1970年代にかけてのエジプト、アルジェリア、 イラク、シリアなどでの「アラブ社会主義」に基づく国歌主導の輸入代替工業化、 1970年代以降の湾岸産油国やモロッコ、チュニジアなどの輸出志向工業化、 かつてのレバノンや現在のドバイなどでの貿易、金融、観光産業など サービス産業に重点を置いた経済多様化など、さまざまな試みが行われてきた。 これらが期待したほどの成果を上げられなかったのはなぜなのだろうか。
555 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/29(土) 17:35:33 0
>>553 すごいな、これ。こんな状況でもデモを続けるのか。それにしても、
ムバラクももう終わりかな。軍も一部ではデモ隊と一緒になってるらしいし。
556 :
世界@名無史さん :2011/01/29(土) 17:58:11 0
ムバラクは新内閣を作ると言って閣僚全部解任したけど辞めないとか言われているしgdgdだな。
557 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/29(土) 18:32:53 0
>>556 そうだね。後しばらくしたらムバラクも辞める気がするけど。
サレハ大統領の長期独裁の続くイエメンで27日、大統領辞任を求める数千人規模の反体制デモがあった。
AFP通信が伝えた。ベンアリ独裁政権が崩壊したチュニジア政変が波及したもので、現地の記者によれば、
デモは連日起きているという。
野党が呼び掛けたデモは大学生らが中心で、参加者は「30年の支配はうんざりだ」「独裁政権は辞任を」
「政治変革を」とスローガンを連呼。デモは平和的に行われており、体制側は「違法なデモは認められない」
と警告するにとどめ、弾圧するには至っていない。
イエメンでは、1990年の南北統一以前を含め、サレハ大統領が78年から大統領を務めており、
「終身大統領」に向けた法改正に国民の反発が強まっている。チュニジア以上に腐敗や貧富、教育の格差
などの問題は深刻で、国民の半数近くが1日2ドル以下で暮らす貧困層だ。
ただ、こうした教育の遅れが逆に、デモが拡大しない要因になるとの見方もある。デモはある程度の政治意識を
持つ学生らに限定されており、国民的な反体制運動に広がるかどうかは不透明だ。サレハ政権は急きょ、
公務員給与の10%引き上げや所得税の5%引き下げを決めるなど不満解消に動いている。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011012700726 http://www.jiji.com/news/kiji_photos/20110127at86e.jpg
560 :
世界@名無史さん :2011/01/30(日) 11:09:47 0
561 :
世界@名無史さん :2011/01/30(日) 11:57:27 0
ヨルダンにもデモが飛び火したなあ・・・
まさにいまがイスラームのターニングポイントだろうな
カザフスタンやインドネシアはスルーだろう ああいうところと連動しない
リビアやシリアなんか締め付けきつすぎてデモすらまともに起こらない
ttp://tameike.net/comments.htm#new ○菅原さんによれば、エジプトは世界第10位の軍隊(46.8万人)を擁しているとのこと。
だったら政権転覆は簡単ではないだろう。「治安部隊が上の命令を聞かなくなっている」
という情報もあるようだが、こういうときに希望的観測からデマが飛ぶのは
よくある話である。天安門事件のときにも、そんなことがあった。チュニジアが
そうだったからエジプトも、というのはちょっと早計な気がする。少なくとも、
1989年の東欧ドミノと一緒にしてはいかんだろう。
566 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/01/31(月) 06:13:17 0
>>565 う〜ん、ムバラクはすぐ倒れると思ったけど確かに結構、
ねばってるからなぁ。もうちょっと様子見ないと何とも言えないか。
570 :
世界@名無史さん :2011/01/31(月) 23:15:15 O
欧米が反ムバラクに転じたから、 もうあかんのでは…。
チュニジアとかエジプトの騒ぎに興味が沸いて池内恵さんの本読み始めたけど、 色々と目新しくて面白いな。
30年続いたからな いまもう80杉田老人だし、このまま温存してもガマル氏へ権力基盤移乗時に 再燃するの必死だからな。チュニジアのジャスミン革命が起こらなければ意外とすんなりと 継承した可能性もあったろうが、一旦ついた燎原の火はなかなかkきえないね。 中国やロシアや国内の中核派や革マル派が大好きなシリアやリビアと違い 町ごと消滅させるような事はこれだけ注目されていたらできんしな
>>571 あの人の本はマジおすすめ。
オウベイガーとかいっているイスラム一辺倒の自称進歩人な人こそ一読するべき。
>>573 いままで西欧史と比べるとなんとなくイスラム史を敬遠してたのが残念だわ。
イスラエルと周辺諸国との複雑な利害関係なんかも知りたいな。
パレスティナ一辺倒な言説が多い気もするので。
575 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/01(火) 08:10:36 0
>>568 ムバラク(及びサダト)は親欧米・親イスラエルや経済政策などで、
イランのモハンマド・レザー・シャーに似てる点もあったりするんだよなぁ。
そういう意味でイランと同じような方向に行く可能性がゼロとは言えない。
実際、サダトとモハンマド・レザー・シャーは仲良かったし、エジプト国内の、
ムスリム同胞団に対する支持率は結構高いみたいだし。どうだろうね?
576 :
世界@名無史さん :2011/02/01(火) 08:19:20 0
歴史は一直線に進むものではないからな 経済成長だけで見たら、エジプトもチュニジアもアジアの国々と 同じように成長しているし、 貧富の格差も増えたといっても、30年前と比べたら どんな貧民でも生活水準は確実に向上している。 これがアジアの国々だったら、民主化の方向にいくのだが、 イランみたいに後戻りをして50年は停滞する方向に行く可能性が 高い。 アジアの国々は、多神教の伝統があるのか、民主主義を受け入れる 土壌があるみたいだが、完璧な一神教のイスラムは 民主主義を受け容れられないのかねぇ
>>576 あんた軍板でも同じ論調で書いている名無しをちょいちょいみるが、中の人一緒なんじゃなかろうか。
>>576 >アジアの国々は、多神教の伝統があるのか、民主主義を受け入れる
>土壌があるみたいだが
シンガポールについてはどう説明する?
>>574 イラン・イラク戦争のとき、イスラエルは隠れて孤立無援のイランに
対して対戦車砲、アメリカ製兵器の交換部品を売却していたね。
イスラエル軍の装備もイラン同様、基本的にアメリカ製であり、イラン軍の
ために交換部品を供給できる立場にあったから。
「敵の敵は味方」という中東の諺に従ったイスラエルのイラン支援だった。
イランの油田地帯がイラクの手に落ち、バグダードのバース党政権が
強大化するのはイスラエルにとって脅威だし、イランが敗北して分裂すれば、
ソ連にペルシャ湾へ南下する突破口を与えかねなかったから。
つうか、日本人はイスラムVSユダヤの対立軸にこだわりすぎる人が多いよな。 注意深くみているとアラブ諸国があたかも一つのように表現しているのは アラブメディアだが、各国の首脳陣や庶民はあくまで自国の権益を追求し、 覇権国になるべくエジプトやサウジやシリアやアラブでないがイランやトルコまで せっせと本音と建前使い分けながら国益追求している訳よ。 アラブに対する裏切りだ!とか敵の敵は味方とかあまり関係ない。 国際政治はそういうテーゼ的な行動原理はむしろ薄いよ。 かつての共産圏がインターナショナルな活動をやっていたからそれを目の当たりに した世代が本音と建前を混同している人が多いが、あれはおかしいね。
582 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/01(火) 10:10:13 0
>>576 >完璧な一神教のイスラムは
>民主主義を受け容れられないのかねぇ
イスラーム圏だってトルコやマレーシアとかはそれなりに民主主義受け入れてるでしょ。
イランだって見方によっては民主的と言えなくもないし(微妙だけど)、アルバニアも同じ。
おまえ学校は?
584 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/01(火) 10:22:44 0
ハマスって、80年代の第一次インティファーダ時代に、PLOと一線を 画した民衆レベルでのイスラエル抵抗運動を組織して、パレスチナ 解放運動を広めたんだが、イスラエルは、当初はハマスがPLOに 対抗する勢力となることを期待し、密かに援助したこともあった。 (PLOとハマースは敵対していたから) ハマスは、政治運動のほかに、パレスチナ自治政府が取りこぼした 社会保障の面を担当していた。イスラエルに逮捕されたり、殺害されたりした 家族の生活、授産所、食料配給などでハマスが活躍し、潤沢とはいえない イランやアラブ産油国からの非公式援助を最大限に生かした。 それに対して自治政府に入る国連や西側諸国からの援助は多額であったが、 必ずしも有効に使われなかった。 パレスチナ自治政府が腐敗せず、きちんと機能していれば、ハマスが あれほど勢力を伸ばすこともなかったんだろうけど・・・
火曜日に休みの中学校ってあるのかよ。
>>585 アラファトに蓄財すんなっていう仮定は泥棒に聖者になれというぐらいありえない仮定。
588 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/01(火) 10:42:55 0
それと、そもそもハマス台頭以前のPLOは無茶苦茶しているぞ。 国の中に国をつくるが如き行動とってヨルダンのフセイン国王からたたき出されたし、 レバノン南部にファタハlランドつくって後のヒズボッラー同様に越境攻撃しまくって イスラエル軍呼び寄せてレバノンを国家崩壊に追い込んだし、 インティファーダに便乗して帰ってくるとパレスチナ内部の反対勢力や世俗主義者を アルアクサ殉教団などを使って粛清しまくるし、外国からの援助をかたっぱしから 蓄財して英国王室より資産持っているとフォーブス誌にすっぱ抜かれているし 奴のやることなすこと無茶苦茶。 アラファトに幻想もっているの英語理解出来ない日本人の自称知識人か中核派みたいな 連中ばかり。 あんな男の言動何一つ信用できねーよw
590 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/01(火) 10:46:40 0
>>586 それと、今日が2月1日で私立の中学通いということから察して下さい。
はっきりいってしまうとな。アラファトなんかイスラエルとアラブ諸国の確執を利用して 間泳ぎまくっている政治屋なんだよ。 まさしくゴミといっても良いぐらいだ過去に何度も和平の機運が高まったがその度に たたきつぶして自分の存在が許される混沌に揺り戻しかけてきた あんな男よく言っているのマジで日本人ぐらいファタハ内部でもあんな男よく言っているの ほとんどいないわ。
irさん軍板追い出されてこんなところに来たんですかw
594 :
世界@名無史さん :2011/02/01(火) 12:13:18 0
いや、ニュース板からの単なる転載ですが・・・ これ嘘サイトなんすか?wよくわからんくなってきた
いやイラン政府の公式サイトだよ。 嘘サイトではない。 でもイランはシーア派政権だし エジプトとの関係良くない。 まあ、webのTelegraphの更新まだなのかもしれないが。
599 :
世界@名無史さん :2011/02/01(火) 17:43:51 0
305 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/02/01(火) 17:43:07 0
436 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY [] 投稿日:2011/01/31(月) 23:56:38 0
>>431 僕はタバコならチェリーを吸っているよ。戦時中は敵国語ということで「桜」に改名されている。
>>433 飲酒はトルコなどでは飲酒文化などがある。僕はトルコワインを輸入して飲んでいる。
ケマル・アタチュルクは国営の醸造所を作っているし彼自身はラクという蒸留酒の愛飲者。
へぇー、中学生が飲酒喫煙ねぇ〜
600 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/01(火) 17:50:17 0
>>599 だから、それどこからのコピペ?リンク先を示してくれ。そんなレスした覚えがないんだけど。
601 :
世界@名無史さん :2011/02/01(火) 21:07:37 0
サッカーアジア杯の日本対カタールの再放送を見たけどカタール代表に黒人がいるけど カタールになんで黒人がいるんだろうか?移民とか奴隷(カタールに奴隷が板か知らんが)の末裔かな?
602 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/01(火) 21:10:07 0
>>601 現在のカタールだったらただの移民じゃないかな?奴隷の子孫という可能性もなくはないけど。
>>601 サッカー協会が代表強化のために帰化させたんでしょ
今日のTBSラジオDigに池内恵さん出てたね
あのなあ、ここはイスラーム史スレだからイスラム圏に関係のある話題はまあ良いとしても、 コテハン叩きコピペなんか貼り付けるなよ。 一応学問板なんだから、個人の恩讐など 持ち込むな。
606 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/02(水) 08:03:58 0
ムバラクがとうとう折れたね。まぁ、まだ次の選挙に出ないと言っただけだけど。
残っている任期間に追放されるだろう
608 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/02(水) 08:14:27 0
>>607 次の選挙に出ないと言っただけじゃデモも収まらないだろうしね。
国外に行くのも時間の問題な気がする。自主的に亡命するのか、
軍隊によって強制的に追放されるのかは分からないけど。
英語版wikiのOn this day..で2/2は 1982 ? The Syrian army bombarded the town of Hama in order to quell a revolt by the Muslim Brotherhood , killing about 7,000?25,000 people. シリア軍はhamaの街を砲撃し、Islam Brotherhood(イスラム同胞団)の人々を7000人から25000人虐殺した。 と書かれている件。 シリアを持ち上げている中核派の連中ってこう言うこと絶対にとりあげたりしないね。 アメリカがーとかイスラエルがーとかはよく言うくせに。
ttp://tameike.net/comments.htm#new ○エジプト情勢の行方について、こんなモデルを考えてみました。
反政府デモが発生して権力者と対峙した場合、行く末にはいろんな
パターンが考えられます。
(1)中国モデル(天安門方式):軍隊が民衆を弾圧する。それでデモはお終い。
国際世論の批判を浴びたり、外資の引き上げがあったりするが、国内は何とか
それでまとまり、権力者も安泰。
――今回はちょっと使えなさそうだ。エジプトの軍隊は中立を保つ模様です。
(2)フィリピンモデル(マルコス方式):中心となるリーダーが登場して、
ますます盛り上がりを見せる。衆目の一致するところ、政権移譲は不可避と
言うことになり、最後はアメリカが権力者に引導を渡す。
――反政府勢力側に有力な中心人物がなく、しかもイスラム同胞団が
あったりするのが難点。アメリカも、「自分たちが次の指導者を選ぶ」
つもりはない。下手をすると、反米運動になっちゃいますからね。
(3)タイモデル(エンドレス方式):赤シャツ隊と黄色シャツ隊が延々と
抗争を繰り返し、ときどき流血騒ぎもあるけれども、政府側も反政府側も
決定的な打撃を受けることはなく、いつまでもやっている。
――タイだから許されることで、普通の国は真似してはいけません。
中東は特にあぶないっす。
○ついでに「日本モデル(安保紛争方式)」というのもあって、これは
首相が退陣して、所得倍増計画が出てきたらすべて治まった、という
とっても幸せなシナリオ。でも、これはあまりにも非現実的なので、
とてもエジプトには適用不可能でしょう。
結局現実的なモデルってどれなの?
613 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/02(水) 22:25:02 0
>>611 その3パターンの中だと(2)が最も安泰そうに見えるけど、確かに、
エルバラダイはカリスマ性に少し欠けてる気がするんだよなぁ。なので、
ムスリム同胞団が政権を取ってしまうという可能性(≒モデル)も考えられる。
つまり、そこの選択肢にはないけどイラン革命のようになるパターンの場合ね。
まぁ、ムスリム同胞団はイスラム原理主義でも穏健的なほうだと言われてるけど。
別スレ情報だとタレントのフィフィはその方向で今回の騒動を考えてるみたい。
614 :
世界@名無史さん :2011/02/02(水) 23:07:03 O
86 名前:世界@名無史さん :2011/02/02(水) 14:02:54 0
エジプト出身のタレントフィフィの語るムバラク
http://ameblo.jp/fifi2121/ 同胞団を持ち上げ過ぎな気もしないではないが、現地人の感情に近いという意味では貴重な証言ではなかろうか。
616 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/03(木) 06:19:49 0
>>615 そう、これこれ。アフリカ史スレにあったやつだけど。エジプト人が、
今回の騒動をどのように見てるのかが分かる(まぁ、本人は随分、
長い間日本にいたみたいだけど)。やはり、ムスリム同胞団は、
エジプト国内においては結構支持率高いんだなぁと思ったね。
617 :
世界@名無史さん :2011/02/03(木) 09:24:37 0
エジプトの産業構造の弱点は、輸出産業が脆弱であること。 外貨収入を増加させ、雇用の増大を図るには、アジア諸国の例を見ても 輸出産業の育成が必要だが、エジプトは輸出志向の経済成長を実現できていない。 輸出能力が拡大してこなかった理由は、輸出に不利な為替レートや製造業輸出に 不利な税が存在したことも指摘されているが、なによりも輸出文化の欠如が 大きな要素を占めていたといえる。 エジプト企業家は一般的に高い関税で守られた国内市場を占有することに満足し、 海外市場に対して熱意を持たなかった。 90年代になって、IMF・世銀主導のERSAPによって民営化を促進し、 経済の自由化により小さな政府を目指す改革も実施された。しかし、多くの 貧困層を抱え、社会不安を避け政権の安定を図るために、パンなどの生活基礎物資、 燃料や公共交通機関などへ多額の補助金を出す構造を変えることはできなかった。 民営化も期待されたほどには進まず、公的部門の比重は低下しなかった。
「イスラエルとの平和条約破棄」=新政権主導へ意欲−エジプト・ムスリム同胞団
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011020200547 その穏健なはずのイスラム団体最高幹部が
バラク大統領退陣後の政権で主導権を握ることに強い意欲を示し、エジプトが1979年にイスラエルと
締結した平和条約を破棄するほか、米国の援助拒否、シャリア(イスラム法)導入など、政策の抜本的修正
を目指す意向を表明した。バイユーミ氏は同胞団内で最高指導者に次ぐ幹部3人の1人。時事通信の
インタビューに対し、同胞団の一致した見解として明らかにした。
こんなこと言い出しているので、ヤバイ臭いしかしないわけだがね。
619 :
世界@名無史さん :2011/02/03(木) 09:50:24 0
エジプト・ムスリム同胞団の創設者ハサン・アル=バンナー(1906〜49)は、 西欧近代文明をすべて否定していたわけではなかったんだけどね。 彼らの目的は当初、西欧近代文明とイスラームの伝統を調和させるかたちでの 現代「イスラーム国家」の建設を目指していた。 また、当時エジプトを事実上支配していたイギリスに対するジハードも呼びかけた。 (エジプトは1922年にイギリスから独立したが、現実にはスエズ運河一帯に残った イギリス軍に象徴されるイギリスの支配が継続したため、この独立は 名目的独立と呼ばれ、真の独立が希求された)
そんなものオサマ・ビン・ラディンでもブランド物のウオッチつけているし、同時テロでも現代のテクノロジーの集積である航空機使ってテロしているし、 ネット使って情報交換している。 ようするにいいところどりしておいて排斥したいよというそれだけの話だろう。
コプト教徒に対する扱いってどうなるのかねえ。同胞団って以前ジスヤはらえや!オラ!と因縁つけてきたことあったろ。 同胞団の分派のジバード団になると公然とコプト教徒の排除や追放を揚げているし。
トルコモデルがある。 世俗主義の擁護者として、 軍に強い権限を与える。
おいおいナセルサダトムバラクと全部軍出身で長年同胞団弾圧されてきたろ 軍に強い権限与える妥協なんか連中がするのかいそれだと同胞団にうまみないし 選挙になれば必ず勝てるのだから妥協する必要ないのでは。 エジプトに+かーかは別にしてね。
エジプトのムバラク大統領の即時辞任を求める反政府デモの野党勢力と大統領支持派が
衝突したカイロ中心部のタハリール広場周辺で2日、日本人の男性フリーカメラマン
2人が大統領支持派から暴行を受け、1人が顔などに軽傷を負った。
AP通信によると、ほかにも米CNNテレビの著名キャスターやAPの記者らが
大統領支持派から暴行を受けたほか、ベルギーの記者が治安当局に身柄を拘束された。
大統領支持派は別の日本人カメラマンに
「おまえたちが『革命、革命』と騒ぎ立てるのでこんなことになった」などと
叫んでおり、外国が反政府デモをあおっているとの認識があるとみられる。
負傷したカメラマンの知人によると、カメラマンは40歳代後半で、同広場周辺で
大統領支持派に隠していたカメラが見つかり、約20人に取り囲まれ鉄パイプ
で殴られたり、蹴られたりした。
ソースは
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110203/mds11020308120006-n1.htm 関連スレは
フィフィのblogでも触れられていたが、外国人に対する不満は相当高いよう。
物見遊山でエジプトに行く馬鹿はいないが、今の彼らに幻想もつのやめた方が
いいのでは。
芝紘子『地中海世界の〈名誉〉観念 スペイン文化の一断章』(岩波書店)を読んでみた。 この本によると、「名誉殺人」はけっしてイスラーム圏に限られるものではなく、 地中海ヨーロッパにおいても伝統的に行われてきたことなのだとか。 イスラームを介してこの観念がパキスタン、バングラデシュなどの南アジアへ 伝わった可能性は大きい。 女性の貞操が汚され、万一家族の男性が恥を雪ぐ行動に出ない場合、二重の非難と 恥を甘受しなければならない。ひとつには妻・娘の貞潔性を守るという男の義務を 怠ったとして、ふたつには恥を雪ぐ勇気のない「臆病者」であるとして。
629 :
世界@名無史さん :2011/02/03(木) 15:56:30 0
ttp://tameike.net/comments.htm#new 悲しいかな、日本の一部には現在のエジプト情勢を「民衆革命」などと、およそ
見当違いの解説を試みる向きがある。FacebookやTwitterなどで動員された
「付和雷同の民衆」は今回の政治劇の真の主役ではない。
今日のエジプト内政は、@エジプト政治の主役である「軍エリート」と腐敗した
「ムバラク家」との対立、A軍部と警察等治安組織との確執、B主流政治エリートと
「イフワーン(ムスリム同胞団)」との対立、C軍内の(世俗的)上層部と
(宗教的?)中堅将校との温度差、という4つの軸を中心に詳細に分析すべきだろう。
(中略)
恐らくポイントは「軍と民衆の関係」だろう。1月29日以降前面に出てきた軍が今後
「発砲」に追い込まれ、「流血の事態」となれば軍のシナリオは完全に失敗し、
混乱の中でイフワーンが台頭しかねない。逆に、軍が状況をコントロールできれば、
ムバラク一家は「一巻の終わり」、その後は付和雷同分子とイフワーンへの厳しい
弾圧が始まるだろう。
630 :
世界@名無史さん :2011/02/03(木) 15:58:30 0
○さて、経済界の人間として、この事件で真に恐るべきことは何なのでしょうか。 よく聞くのは以下の3点ですね。 (1)チュニジア→エジプト→ヨルダン→サウジアラビア、といった中東ドミノ現象 ――今回の現象が「数十年に1度」の変化だとすると、こういう究極のシナリオもあり得ます。ただし蓋然性は低いと思います。 (2)原油価格高騰、スエズ運河閉鎖による混乱 ――これもしばしば指摘されるところですが、サプライズというほどでもない。 それに日本向けの石油は、スエズ運河を通りませんし(だから北海ブレントの値段が、 WTIを上回っている)。それに船賃が上昇したところで、物価に与える影響は それほど大きくはありません(物流コストは、最終製品価格の10分の1程度)。 (3)中東和平プロセスの崩壊 ――実はこれが大問題であるらしい。中東和平の大枠は、1978年のキャンプデービッド合意であり、 その後のあらゆるプロセスはこの傘下にある。つまりオスロ合意だのロードマップだのは、 いわば枝葉に過ぎない。しかるに、この合意を決めたサダト大統領は、エジプト国民には 不評であった。新政権ができて、キャンプデービッド合意が否定されたりしたら、 中東和平は1978年以前に戻ってしまう。さあ、イスラエルはどう出るか。
>蓋然性は低い 蓋然性という言葉を辞書で引いて使いましたって感じだな 馬鹿が利口ぶってもこういう違和感のある文章書くと程度が知れる典型文
「可能性は低い」と書くべきだったのでは。
633 :
世界@名無史さん :2011/02/03(木) 19:47:26 0
>>625 >フィフィのblogでも触れられていたが、外国人に対する不満は相当高いよう。
ムハンマド・アリー朝二代目のムハンマド・サイードは、スエズ運河会社に土地の
すべてを事実上無償で与えた。そればかりか、運河会社に領土的な主権も認めている。
しかも建設にあたっては、エジプト農民を無償の強制労役に動員することにも同意した。
1856年から63年にかけて、いつも2万5000人から4万人が賦役によって働かされた。
気候や食糧事情の悪さのせいで、運河の掘削期間中の死者は2万人にものぼった。
これは、エジプト農民の間にますます外国人への嫌悪を募らせた。
さらに、農民の弱みに付け込んで収穫物を安く買いたたく外国人も跡を絶たなかった。
外国人には、治外法権などの特権をたくみに使って農民から土地を奪う詐欺師や
投機家も多かった。
ちなみにヨーロッパ人たちは、ムハンマド・サイードのことを「善人」 と呼んでいた。彼は取り巻きのヨーロッパ人の進言に唯々諾々と従った 〈愛すべき好人物〉だったから。 まあムバラクも、米国の中東における「代理人」みたいなもんだったけどね。 三代目のイスマーイールの時代には、極端な欧化政策、計画性のない近代化、 経済事情に疎い支配エリートのむ能力などによって、エジプト財政が破綻。 こうして、エジプトの国家財政は西欧列強の国際管理に委ねられることになり、 こうして成立したのが、イギリス人やフランス人の大臣も抱えた「ヨーロッパ内閣」。 〈財政帝国主義〉ともいうべき植民地化が進むにつれて、アラービー・パシャ など陸軍の将校を中心に、ワターニユーン(愛国者たち)という結社が生まれた。 ムハンマド・アリー王朝では、同じムスリムでもトルコ系やチェルケス系や アルバニア系の人間が幅を利かせていたが、ウラービーたちは「エジプト人のためのエジプト」 を主張した。また、このスローガンは祖国に寄生するヨーロッパの国々にも向けられた。 この運度には、アル=アフガーニーやムハンマド・アブドゥフによる イスラーム改革運動の影響も大きかった。
635 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/03(木) 21:36:31 0
>>621 ムスリム同胞団は穏健なほうとは言えシャリーアによる統治を目指してるみたいだから、
そうだとしたら、やはりコプト教徒に対してはジズヤの支払いが必要になるのかな。
637 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/03(木) 21:42:31 0
>>636 今回、出てきたムバラク支持派にはコプト教徒もいくらかいるのかな?
>>637 今のところ、コプト教徒はどちらにもつかない慎重姿勢のようだが。
欧米メディアって、中東のキリスト教徒のことはあまり報道しないよね。
欧米キリスト教世界と中東イスラーム世界との対立をことさらに煽りたくないのか、
あるいは中東はどのみち複雑で理解不能で野蛮だからという「蔑視、人種主義」に
根ざしているのかはよくわからないが。
コプト教か。 元日にテロを喰らったばかりだな。 加えてイスラム支配も、となると堪ったもんじゃない
641 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/03(木) 21:53:45 0
>>639 なるほど、現時点ではまだ中立を保ってるのか。ムスリム同胞団が、
政権を握る可能性も充分にありうるからね。慎重になってしまうのかな。
>欧米メディアって、中東のキリスト教徒のことはあまり報道しないよね。
そうかな?レバノンのキリスト教徒なんかはそれなりに欧米の注目度も高い、
イメージだけど。コプト教はヨーロッパでどれくらい知名度あるのか分からないけど。
>>641 イラクの東方アッシリア教会、アルメニア使徒教会、カルディア派カトリック教会
アルジェリアのプロテスタント教会などはほとんどニュースにならないと思うが。
643 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/03(木) 22:10:42 0
>>642 確かにそこら辺になると全くと言って良いほど話題にならないね。そもそも、
これらの宗派はキリスト教の中でも異端とされたものが多い上に、レバノンの、
マロン派とかに比べれば政治的争いの渦中にあったことが少ないからね。
あまり話題にのぼることが少ないのも仕方ないことなのかな。
645 :
世界@名無史さん :2011/02/03(木) 23:01:20 0
>>637 一応まだ、アラブ民族主義、ナセル主義者の残党が少しは いるのではないかね
千年以上も昔からイスラム統治下で生き延びてきたんだから、 したたかにこれからも立ち回るんじゃないか>>キリスト教徒
647 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/04(金) 05:57:46 0
>>645 今のエジプトでナセル主義の復活はありえないのかな。一応、
まだ残党は少しはいるだろうけど、今回の騒動でも目立ってないし。
648 :
世界@名無史さん :2011/02/04(金) 06:03:43 0
アメリカもいずれは崩壊するんだろうね まずは世界への影響力がなくなり始めている アメリカの影響力なくなったらまたトルコに征服されるんじゃないのかw
649 :
世界@名無史さん :2011/02/04(金) 08:48:48 0
エジプト騒乱にイスラエル危機感…イスラム原理主義台頭の脅威
ttp://sankei.jp.msn.com/world/news/110204/mds11020408170006-n1.htm イスラエルは従来、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラと対峙
するため、レバノンとの国境沿いに兵力を配置。パレスチナ自治区ガザの
イスラム原理主義組織ハマスを封じ込めるため、ガザ周辺にも兵力を積極展開してきた。
だが、ムバラク氏退陣後はエジプト・シナイ半島も注視せざるを得ない。
エジプトは米国から年13億ドルもの軍事支援を受ける世界11位の
軍事大国で、強力な米国製兵器の“矛先”が変われば、深刻な脅威となる。
※イラン・イスラーム革命の二の舞にならなければいいけどな。
651 :
世界@名無史さん :2011/02/04(金) 15:20:11 0
652 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/04(金) 17:08:45 0
>>650 やはりイラン革命と同じようになる可能性も否定できないよね。
まぁ、
>>651 のリンク先を読むとムスリム同胞団はイランのような、
イスラーム法学者による政治は明確に否定してるみたいだけど、
シャリーアに基づく民主政治という点ではイランと似てなくもない。
>>651 >同等に対抗するよりリベラルな勢力はいかに
ここもポイントだよなー。
民主化後、与党の国民民主党が
上手くリベラル派の受け皿になれば混乱は少なそうだが。。。
654 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/04(金) 17:19:52 0
>>653 民主化後に国民民主党がはたしてどれくらいの支持を獲得できるのだろうか?
なんだかんだあっても革命前の政権というのは悪く言われがちになってしまうし、
難しいような気がする。まぁ、どんな形で今回の騒動が決着するかによるかな。
上手く平和的に民主化移行に成功できればそれなりの勢力を保てるだろうけど。
新聞に書いてあることをここにコピペして楽しいか?
高い期待値で新政権に移行すれども経済的に停滞を続けて閉塞感が広がり、 野党にお鉢が巡るっていうような
じゃあこれ以降、新聞記事のコピペは禁止ということで・・・
658 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/04(金) 18:40:48 0
>>656 日本で自民党批判で民主党に移ったけど微妙だったみたいな感じかな。
まぁ、まだムスリム同胞団が政権を握ると決まった訳ではないんだけど。
とは言え、個人的にはエルバラダイよりも政権につく可能性は高い気がする。
660 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/04(金) 22:01:16 0
>>659 それ読むと、エジプトとか中東とか関係なく現代のネット社会において、
完全な言論統制に基づく独裁政治は難しくなってきてるのかなと思った。
解釈はいろいろとあるだろうが、イスラム圏の王政国家を除いて独裁政権50年以上続いているの北の将軍様だけだお。
キューバやリビアやシリアあたりは締め付け厳しくて民主化のかけらもないがな。 フセイン政権や北朝鮮も内部崩壊しなかったしね。
663 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/04(金) 22:34:50 0
>>622 フィフィはリビアやシリアなんかで民主化運動が現在起きてないのは、反米、
反イスラエルだからと言ってたけどね。締め付けが厳しいというのも当然あるだろう。
664 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/04(金) 22:36:38 0
フィフィのblogは元々俺が紹介したんだがな。 あのタレントは元々同胞団よりで過激派じゃない(キリッというようなスタンスなんで 意見を丸呑みするの危険。 というか、反イスラエルや反米だからデモが起きないというのは言い分としてはおかしい。 というか、シリアは82年に同胞団が立てこもる街を砲撃し虐殺しているんで エジプトやチュニジアも碌なものではないが、よりかなりヤバイ国だ。
666 :
世界@名無史さん :2011/02/04(金) 23:16:06 O
667 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/05(土) 06:01:48 0
>>665 いや、まぁ鵜呑みしてるつもりはないけどね。僕としては、
単純に締め付けが強いのが理由だと思ってるけど。ただ、
フィフィなどのエジプト人はどうやら別の方向で考えてるみたいだね。
668 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 08:45:57 0
イスラム共和国化キタ━━━(゜∀゜)━━━!! 1:ヘビおんな物語φ ★ 2011/02/03(木) 03:07:57 ID:???0 【カイロ時事】エジプト最大のイスラム原理主義勢力、ムスリム同胞団の最高 幹部の一人でカイロ大学教授のラシャド・バイユーミ氏は2日までに、ムバラ ク大統領退陣後の政権で主導権を握ることに強い意欲を示し、エジプトが1979 年にイスラエルと締結した平和条約を破棄するほか、米国の援助拒否、シャリ ア(イスラム法)導入など、政策の抜本的修正を目指す意向を表明した。
669 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 09:06:59 0
イスラム原理主義っていう表記はおかしいだろ アメリカから命令されてんのか? イスラム原理主義はワッハーブ派だろうが サウジアラビアを原理主義といえや
670 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 09:12:35 0
>>669 キミに一つ教えてあげるけど何も知識がないのに書き込まない方がいいよww
だって、キミ自身の頭の悪さをみんなに見せびらかすことになるじゃんw
みんなに馬鹿にされてキミもそれは嫌だろう?www
671 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 09:21:26 0
672 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 09:25:19 0
ハマスやムスリム同胞団を原理主義というのは無理があると思うが
673 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 09:30:10 0
仮にイスラーム法による統治を目指したとしてもオスマン帝国末期のハナフィー派だったら 穏健だしそこまで目くじらたてることなのか疑問
674 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 09:31:30 0
イスラム原理主義ってのはワッハーブ派の連中だろ イスラム原理主義国家という枕詞をつけてサウジアラビアを紹介するべきやで
エジプトがイスラム共和国化したら数少ないコプト教徒やグノーシス派が弾圧されるかもしれないじゃなイカ?
676 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 09:54:01 0
じゃあなぜオスマン帝国下で生き延びてこれたんだ?
イスラム同胞団の目指す体制とオスマントルコの最盛期は似て異なるものだからさ。 そもそも、今のエジプトはナショナリズムも併せ持っているからむしろオスマン末期のように 過激な体制に出る可能性が強い。 そもそも、ハマースに幻想をいだいているようだが、元々同胞団のパレスチナ軍事部門の 連中だろうアレ。 あいつらの自爆テロや市民の拉致殺害をみて異教徒の生存権が 保証されると誰が考えるだろうか。 いい加減にスポークスマンはやめてほしいね。
そもそも、上エジプトにおいてコプト教徒は歴史の中で抑圧されてきた。 正月のテロも記憶新しく、その信仰を維持していく上で同胞団の政権下で 続いていくかどうか疑問に感じる。イスラエルとの和平すら破棄すると 示唆している集団が国内の異なるコミュニティに対して寛大であると なぜ主張できるのだろうか。主張とは裏腹に誘拐や殺人やテロなどを やってきた連中が俺たちを信用してくれというが、信用できるのか 信用できるはずがない。
679 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 10:07:07 0
マイノリティが抑圧されるのは仕方がない面があるだろう レコンキスタとかポグロムやってた連中よりも100倍マシ
>>673 と
>>679 の言動は矛盾しているな。 目くじらをたてるほどでもないが、抑圧されても仕方ないとなぜすりかえるのか。
そもそも、テロや教会建設妨害は論外だろう。
同胞団は原理主義じゃないと行っているようだが、彼らの分派からジハード団やイスラム団が出ており、ルクソール事件のように外国人観光客まで狙った連中も出ている。
穏健化していると主張している向きもあるが、元々同胞団は穏健派から過激派まで混在している状態だ。
で、Brotherhoodさんの副党首が先日隣国との平和条約を破棄し、シャリーアをやるんだという風に「政権奪取後のビジョン」を語っている。
下手すれば中東戦争が再燃しかねない。あの言動をみて誰が穏健化していると思うだろうか。
冗談はやめてくれ。エジプトどころか世界にとっても不幸だ。 油が200$超える試算までだしてきているとこもある。
グローバル経済を粉砕するつもりなんだろうかね。少なくともあんな奴らの為に糞高いガソリン代を支払うハメになりたくなぞないね。
681 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 10:22:12 0
そもそもテロ=原理主義じゃないだろ それとムスリム同胞団とジハード団は別組織だろ? IRAにしろ日本赤軍にしろジハード団にしろ無差別テロは絶対にいけない イスラーム法を導入すること自体は全く自由にやればいいと思うだけど 逆にイスラーム法を再整備してスンニ派の総意としてテロリストを撲滅させればいい
682 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 10:23:27 0
イスラーム法は解釈次第でどうにでもなるんだから 柔軟な法学者をうまく使ってバランスのとれたものにすればいいだけだと思うけど
>>681 元々ジハード団は同胞団出身の連中が作っているんだが。
ハマースと同じ仕組だね。同胞団自体はテロやらないといっているが、
パレスチナ軍事部門を切り離してテロ誘拐殺人なんでもござれの組織作ったところをみると
別組織として運営しているだけではないか
684 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 10:25:07 0
オスマン帝国分割した当時はイスラムがこんなに危険なものになるとは 西欧人も思ってなかっただろう
685 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 10:26:39 0
>>685 同胞団出身者が立ち上げた組織だとジハード団多分正月にコプト教会でテロったのこいつらだし、ルクソール事件おこしたイスラム集団も同胞団出身だよ。
ハマスと連携してエジプトから地下トンネル掘って軍事物資もあわせておくっている疑惑が以前から絶えないし元々同じ組織だったんだからあたりまえか
元々は同根。政治部門と軍事部門を別々に切り離したのおそらくは米連邦などからテロ指定を受けて預金封鎖など受けないようにするためだろう。
>>684 俺は危険なものとはいってないがね。
日本の右翼同様に馬鹿が集まって馬鹿な事をしているだけ
日本で言えば在特会が政権握るようなようなものだ。
イスラム世界ではあんたもいってるワッハーブ派や同胞団みたいな連中は階級ヒエラルキーがかなり低い
バカじゃねえのあいつらと思われているのが実際の所
じゃ出かけるからまたね。
688 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 10:52:27 O
ズラタン・イブラヒモビッチはバルカン半島のイスラム
サウジ王家はワッハーブ派でサウジの国教もワッハーブ派イスラム教なんだが。 他のスンニ派さえ公職につけない。
だから何
エジプトのワサト(中道)党って、やっぱり一般大衆からの支持がないの?
は?意味不明なんだが。
>>689 イスラム法学界ではあんなの相手にされてないよ。
テメエの王国内でやる分には偉そうにしているだけ
695 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 12:46:30 0
イスラム法学会ってアズハルのこといってんの?
697 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 13:16:48 0
ワッハーブ派って庇護民の存在も認めてなかったのか? いみわからねええ
698 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/05(土) 13:42:17 0
>>669-674 「イスラーム原理主義」と言うか「イスラーム主義」と言うかの違いは結構ややこしいね。
前者も後者も基本的にシャリーアに基づくイスラーム社会の建設を目標にしてる点では、
同じだけど、一般的に前者は過激派というイメージで語られることが多いね。そのため、
その中でも比較的穏健なほうであるムスリム同胞団なんかを、親イスラーム的な人は、
後者で呼ぶようにしてる。インディアンとネイティブアメリカンのようなものなのかな。
>>673 ムスリム同胞団はどの法学派に則ったシャリーアの適用を考えてるんだろう?
シャリーアと言っても宗派によって結構違うから、そこら辺は重要なことだと思うけど。
699 :
◆axCVsGomao :2011/02/05(土) 14:48:34 0
透明あぼーんされているから誰かと思ったら オツガイだった
自演乙wwwwwww
702 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/05(土) 18:47:58 0
>>684 イスラーム圏が、ただの第3世界の一地域から「文明の衝突」みたいに、
言われるように変化したのはイラン革命からだしね。日本や欧米などで、
イスラームが共産主義に代わる新たな脅威とまで言われるようになった。
まぁ、そのせいで日本ではイスラームの研究者が増えたりもしたんだけど。
703 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 19:21:29 0
ヒント:悪魔の詩
>>703 言いたいことがあるなら、最初から最後まで全部言え。
ヒントとか上から目線で鬱陶しいわ、何様だよ。
705 :
世界@名無史さん :2011/02/05(土) 22:59:13 0
イスラム同胞団の連中は本気で天下を取るつもりがあるのかねぇ まだ、天下を取っていない段階から、 平和条約破棄だ、アメリカからの援助は願い下げだ イスラム法適用だとか、堂々といって 戦術がなっていないなww 革命をやるときはどこでも騙すようにして、 穏健なことを言ってから、天下を取ってから過激な方向に持っていくだろうww 少なくとも20世紀の革命はたいていそうだった。 まあ、ナチスだけはわりと堂々とそういったことはやったけどww
それだけどこが政権握るか見通しがつかないんじゃね? 景気の良いことだけ言えば、国内の支持はとりつけられるだろうし 政権取れればあとは野となれ山となれ
我が闘争に対ソ戦を目論んでること堂々と書いてたしなw
708 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/06(日) 07:49:28 0
>>705 ナチスもそうだけど、国が混乱に陥ってる時は少し過激な主張をするというのも、
1つの策ではある。そのほうが逆に支持を得られやすかっりするからね。まぁでも、
ムスリム同胞団は他のイスラーム原理主義団体に比べれば穏健なほうだよ。だから、
過激派にはついていきにくい一般のエジプト人大衆の支持もそれなりに得てる訳で。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/g-vol1/kikkawa.pdf 一連のイスラーム支配政策の集大成と言えるのが、1992 年6 月のNDP総会における「宗
教国家」宣言であった。ここにおいて採択されたのは、「エジプトは世俗的国家ではなく、
(イスラームを軸とした)宗教国家であり、イスラーム的価値観・文化が教育制度の異な
ったレベルを通じて拡大されるべきである」という公式文書であり、この内容は同年、人
民議会報道官によって強調されている(Auda, 1994, 394)。この傾向は単なる宣言にとどま
らず、実際の行動を伴った。例えば情報省は、国営テレビの番組において、反イスラーム国際関係論集 1,April 2001
的な放送を禁止するガイドラインを設けた。また、教育省は、女子校における男性教員の
男子校への配置換えや、男女共学の小・中学校新設の制限等、イスラーム的価値観に沿っ
た教育方針を非公式に開始した。以上に挙げた諸例は、本来同胞団が要求していたもので
あり、政府が独自にこれらの政策を実行に移した事は、もはや「政府が同胞団を自己の基
盤強化の為に必要としていない事の表れ」(Auda, 1994, 394)であり、同胞団とのラインは
ここで完全に断ち切られたといえる。
同胞団の選挙運動そのものに対する批判も多い。例えばルービンは、エジプト国民の多 くはイスラームの社会への浸透を快く思いながらも、それによる私生活の侵害は望んでお らず、また西欧的文化・価値観が幅広く社会に行き渡った結果、同胞団の提唱する社会の イスラーム化に反発する勢力も増加している、と述べる(Rubin, 1990, 32-33)。またザキは、 同胞団単独での得票率は 15%程度が限界であろうと分析している。その理由として彼は 1987 年総選挙において同胞団の掲げた「イスラームこそ解決策」というスローガンについ て、それが具体的にエジプト社会に何をもたらすのか説明が不十分であったと指摘してい る(Zaki, 1995, 82)。 例えば、1987 年総選挙でのイスラーム連合公約を経済面で要約して みると; (1)官僚の人員削減と公共部門の縮小(2)生産性向上(3)民間部門の拡大(4)無利子銀 行システムの構築(5)ザカット(喜捨:この場合は社会福祉)奨励(6)欧米資本介入からの独 立と、(7)イスラーム経済圏の結束強化、等であった(Lesch, 1992, 201) が、慢性的な経済 停滞と累積債務に苦しむエジプト経済を再生させるのに十分な提案とは言い難いもので あった。つまりエジプトの有権者の多くにとって、同胞団の「シャリーアが全てを解決す る」というメッセージは余りにも単純で、説得力に欠けるものであった(Pelletiere, 1994, 22)のである。
711 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/06(日) 09:23:58 0
>>708 脱字訂正。
誤)そのほうが逆に支持を得られやすかっりするからね。
正)そのほうが逆に支持を得られやすかったりするからね。
712 :
世界@名無史さん :2011/02/06(日) 12:21:25 0
713 :
世界@名無史さん :2011/02/06(日) 15:30:02 0
イギリスのキャメロン首相は、国内の若いイスラム教徒が過激思想に走るケースが相次いでいる
ことを念頭に、「イギリスでの多文化主義は失敗した」と述べました。
「多文化主義国家のドクトリンは、様々な文化がお互いに干渉せず、主流文化からも距離をおいて
存在することを推奨してきました。そうした、いわば隔離されたコミュニティが我々の価値観と
正反対の行動をとることすら許容してきました」(イギリス キャメロン首相)
これはキャメロン首相が訪問先のドイツで行った講演の中で発言したものです。キャメロン首相は
「イギリスでのこうした多文化主義は失敗した」とした上で、異なる価値観を無批判に受け入れる
「受動的な寛容社会」ではなく、民主主義や平等、言論の自由、信教の自由といった自由主義的価値観
を積極的に推進する「真のリベラル社会」を目指すべきだとの考え方を示しました。
イギリスでは、イスラム過激思想に感化されたイギリス育ちの若いイスラム教徒によるテロや
テロ未遂が相次いでいて、大きな問題となっています。
こうした問題の背景には若いイスラム教徒の一部が、イギリス社会に同化しきれていないことがある
との指摘がなされていますが、キャメロン首相の今回の演説は「多文化主義」が同化を妨げてきたとの
認識に立ったものです。
▽TBSニュース
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4643357.html
715 :
世界@名無史さん :2011/02/06(日) 17:12:41 0
ングラデシュで、40歳の既婚のいとこにレイプされた14歳の少女がむち打ち刑に処され、その後死亡した。
報道によると、少女は前月30日にいとこの男からレイプされた。
しかし、少女は逆にこの男と不倫関係にあったとして男の家族から殴りつけられた上、
イスラム法(シャリア)に則り、村の調停役からむち打ち刑100回を言い渡された。
少女の刑は公開で実施された。むち打ちが80回を数えたとき少女は意識を失い、
病院に搬送されたが、その後死亡した。
http://news.livedoor.com/topics/detail/5323313/
716 :
世界@名無史さん :2011/02/07(月) 22:19:46 0
>>702 エジプトでオラービー革命が起きたころから、ヨーロッパでは「イスラームの脅威」
が声高に宣伝されていたよ。
1890年代になると、ヨーロッパではスーダンのマフディスト国家のことを
「キリスト教信仰に対する挑戦」とみなす極端な意見さえ出てきた。
717 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/07(月) 22:24:54 0
>>716 そこら辺の時代のイスラーム嫌悪はまた現代のと少し違う感じもするけど、
確かに「イスラームの脅威」そのものはその頃にも唱えられたか。とは言え、
オスマン帝国が崩壊してからしばらくの間はイスラーム圏はただの第3世界の、
一地域みたいな扱われ方になって、今みたいな特別視はされてなかったけどね。
718 :
世界@名無史さん :2011/02/07(月) 22:50:59 0
キリスト教とイスラム教はお互いに冷静に相手を見れないのかねぇ 今の日本にきているイスラム教の連中を見ていると、 けったいな連中だとは思うことはあっても、 危険性はそれほどないように思うのだけどな なにせ、酒は飲み放題、ネーチャンはナンパするww 豚肉は食べるww爆弾を仕掛ける連中はそんなにいるようには 思えないのだけどなぁ 実際戦国時代でも日本人はイスラム教徒と接触したはずだし、 実際きている形跡もあるのだが、相手にしてないというか 関心がないというか、危険性を感じなかったのだろう。 ほとんど記録に残っていないのだ。 これがキリスト教だと、いろいろと記録に残したり、 質問したり話を聞いた形跡があるのだが、
>>718 英仏独みたいに国民の一割(日本なら1千万人)がイスラム教徒だと想像してごらんよ
まぁインドネシアのイスラム教徒は比較的穏やかか
720ってほんと平和ボケだな 100万程度の在日中国人でいろいろ問題が起こってるのに 人口の一割になったらどーなるかね
っておれにかえしてんのかよ
自演失敗したんだね
いや自演じゃない単なる番号ミス
724 :
◆axCVsGomao :2011/02/08(火) 12:55:39 0
なんだかんだいっても世界の歴史をつくってきたのは一神教徒 これからもそれは変わらない
725 :
◆axCVsGomao :2011/02/08(火) 13:38:51 0
ロシアの空港爆破はやはりイスラム系かよ イスラム世界の周縁地域のほうが過激な事してる気がするわ
726 :
◆axCVsGomao :2011/02/08(火) 13:41:13 0
南ロシアはクリミアハン国やキプチャクハン国の領土だったなあ
727 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/08(火) 17:46:17 0
>>724 それは言いすぎだと思うけど。別に世界史を、
やる上では一神教以外の宗教だって重要だろう。
728 :
世界@名無史さん :2011/02/08(火) 20:17:07 0
東大の文系なんて、東大理系から見たら支那畜生。蟲獄人みたいなもんですよ。 ・独創性ゼロ。 文系学部は明治時代の洋学輸入システムからほとんど進歩が無く、外国の有名な学者の研究の紹介と要約しか出来ない。 国際的に名が知られた学者なんて文系全体で本当にごく数人しかいない。 理学系、工学系なら東大は世界の一流大学なのに、文系だと三流無名大学。 ・マナーが悪い、非常識。 理系の方が変人が多いとか言われてるが文系のバカ学生の多さにはかなわない。 大教室の授業中にPSPやDSで遊んだり携帯電話で喋ってるのは大体文2とか文3の下層。 教養の文理共通総合科目なんて文系の数が増えるほど授業の雰囲気が悪化する。 ・人治主義、コネ蔓延の無法地帯。 どんなアホでも教授の印象さえ良ければアカポスゲット。 文系は未だに共産党やら左翼団体やら新興宗教を通したコネ採用の悪習が生き残っているため、 姜S中みたいなわけの分からない朝鮮ペテン師でも教授になれる。 また、文系のロンダ大学院生は理系に比べても恐ろしく学力レベルが低い。MARCH卒でも簡単に東大大学院に合格出来る。 ・金の亡者。 文系の方が理系より学内政治で権力持ってるだけでなく、研究上理系より圧倒的に 金がかからないくせに同じ給料貰ってて理系の予算減らせだ節約しろだのと文句付けてくる。 文系の教員は内閣の顧問だ教育審議会だのを口実に学生指導を頻繁にサボリ、給料とは別に国から数千万円を受け取っている。 既に日本のGDPを超えているのに日本にODAよこせと恫喝してくる中国とそっくり。 ・とにかく自己中心的、嘘吐き、恥知らず、無反省。 理系で実験データ捏造したら即クビが飛ぶが、 文系は論文や雑誌に嘘や間違った予想を書いても罪に問われない。 「それでも小泉純一郎は総裁選に出馬する」とか 「2010年に日経株価2万円代まで回復」とか書いてた教授どもはさっさと自殺しろ。
729 :
◆axCVsGomao :2011/02/08(火) 20:18:58 0
日本の人文学系の研究者で世界的評価を得ている人って皆無ではないのかな ぼくが知らないだけかもしれないけど 少なくともノーベル賞並の学者はいないのでは
730 :
世界@名無史さん :2011/02/08(火) 21:21:51 P
731 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/08(火) 21:27:40 0
>>730 多神教だった古代ギリシャの科学とかは無視?古代インドも数学は発展してたけど。
理屈としては分かるけど現実問題として多神教文化圏でも科学は栄えてるからなぁ。
732 :
世界@名無史さん :2011/02/08(火) 21:32:48 P
17世紀の科学革命とそれ以前の科学とでは大きな違いがあるでしょう。
欧州は仏教圏であったとしても産業革命起こしてそうな
甘粛省の長袖舞って、ウイグル族だったっけな。。 自分で貼っておいて、何だか混乱してきた orz
近代科学に通じてるものはイスラム世界で一度、一神教的価値観・体系にとらえなおされてる 仏教的価値観は近代科学に通じてないからその仮定はナンセンスだな
737 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/09(水) 18:26:26 0
>>736 >近代科学に通じてるものはイスラム世界で一度、一神教的価値観・体系にとらえなおされてる
日本ではイスラーム科学の功績とかってあまり話題にならないよね。
フワーリズミーとかイブン・スィーナーなんかもほとんど知られてないし。
738 :
◆axCVsGomao :2011/02/09(水) 23:14:41 0
神を絶対的なものをとらえるのは重要だと思う 神を宇宙の法則と言い換えれば万事解決
世界最大のムスリムを抱えるインドネシアなんかはあまり語られていないね アラブ世界からすれば周縁部もいいところなんで軽視されてるのもあるけど 池内さんの言うようにインドネシアを介在してアラブ世界と向き合うのって大事だろうね
740 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/10(木) 17:26:04 0
>>738 実際、歴史上の科学者にはそういう思想で研究してた人が結構いたしね。
その点はイスラーム圏もキリスト圏も同じ。ガリレオ裁判なんかのせいで、
勘違いされやすいけど宗教と科学は必ずしも対立してきた訳ではないし。
とは言え、ウマル・ハイヤームなんかは信仰心があったのか怪しいけど。
741 :
世界@名無史さん :2011/02/10(木) 21:41:43 0
テスト
742 :
世界@名無史さん :2011/02/10(木) 22:53:29 P
日本聖書協会の「みんなの聖書マンガシリーズ」や 朝日新聞出版の「週刊マンガ日本史」を読んでいると 歴史上の人物にものすごく親しみを感じる。 イエスにも聖徳太子にも思わず萌えてしまった。 綺麗なアニメ塗りでムハンマドの生涯を描いたフルカラーのマンガが出れば良いのに。 できれば絵の上手い日本人の漫画家に描いてほしい。 でもやっぱり無理なんだろうなー、少なくとも今の時代じゃ。
なんでも萌えの対象にするのは同じ日本人からしてもキモイけどな 特に擬人化ね、ヘタリアみたいなの
745 :
◆axCVsGomao :2011/02/11(金) 01:36:27 0
日本のアニメはちょっと気持ち悪い方向いってるね
とりあえず猫と兎は日米共にセクシーイメージを持たれているらしいな
747 :
◆axCVsGomao :2011/02/11(金) 02:10:33 0
イスラム圏のアニメは完全に欧米風だな 東アジア人ってお世辞にも美しいといえない容姿だからデフォルメ化が 進むんだと思う
749 :
◆axCVsGomao :2011/02/11(金) 02:24:46 0
人間の顔って平均化すると美形になるからね
テスト
751 :
◆axCVsGomao :2011/02/11(金) 13:04:47 0
>>740 いいこというじゃないか
透明あぼーん解除した
>透明あぼーん 毎回レス番が飛ぶ度に何が書いてあるのか確認するバカコテに必要なのかソレ?
753 :
世界@名無史さん :2011/02/11(金) 21:58:05 0
九大のイスラム研究室ってどうなの? イスラム名乗ってるのそこだけっぽいけど
754 :
世界@名無史さん :2011/02/11(金) 22:46:27 0
エジプトはまたアホのナセル路線に回帰するなんてないよな 今イスラエルに喧嘩売ったら、エジプトなんか3日もたんぞ
755 :
世界@名無史さん :2011/02/12(土) 11:34:57 O
ムバラク辞任age
756 :
世界@名無史さん :2011/02/12(土) 19:24:00 0
>>754 イスラエルとしたら、そのあとが問題だろうな
戦争に勝つのはいつでもできるし、何回でも可能だけど、
統治ができない、傀儡政権も置けない
となれば、面倒だといって、原爆を落として、
絶滅させるかもしれない。
旧約にもそういった話があるから
原爆なんか落としてイスラム諸国家が黙るとはおもえないけどなー後に引けなくなって とことん行くだけだろ
600万程度の国家がアラブ世界+イラン3億弱を相手に出来るとは思えないな
最近韓国軍の砲兵隊の不祥事が何度か報道されているけど イスラエルや近辺の国家はきちんと軍の管理は行われているんだろうか いざ実戦になったとき正規の輸入品では無く国内の不良品を海外経由で輸入していて 使い物にならないことが判明したとか訓練不足で長距離射撃が出鱈目だったり 国家規模での喜劇に期待w
>>753 いや、イスラーム研究を表看板にしている研究科は日本で三つある。
東北大学大学院イスラーム世界研究科(1992年設置)
東京大学文学部イスラム学研究室(1982年設置)
九州大学文学部イスラーム文明史学研究室(1993年設置)
ただ、どこも思想、哲学の研究がメイン。
歴史研究は東洋史の研究室中心な気がする。
761 :
世界@名無史さん :2011/02/13(日) 02:43:54 0
762 :
◆axCVsGomao :2011/02/13(日) 07:37:11 0
日本でイスラム研究は難しいよね 需要がないから
>>761 いや知ってるしイスラエル強いのは解るけど、
防衛ならともかく周辺諸国の首都を攻略しってのは荷が重いんじゃねと
飽くまで
>>754 〜
>>757 の流れの文脈でな
アメリカとエジプトなど中東とは関係が深い 親米政権から宗教政権へ移行するんかもね
シリアとエジプトが同時に攻めてきたときには相当やばかったけど、両国の首都100キロ地点まで侵攻したんだぜ それも攻略中止したのアメリカによる「要請」だったからな 正直、今のイスラエルとアラブの実力差は以前より開いていると思うよ。 エジプトは雨の支援受けてアラブ軍の中ではかなりの装備しているけど、それでも負けるだろうな。 正直、軍事プレゼンスにおいてはイスラエルの方が↑ アラブやイランはさっぱりですわね。
結局は、今回のエジプトはデモの上に乗っかっておいしいとこ取りした「軍事クーデター」なのね。 はたして、いつまで軍が指揮するのか?
エジプトの問題が一段落したようなので少し書いてみようと思います。 私はエジプトが全世界的に注目を浴びたのは中東戦争を除いてはスエズ危機以来の ことだと思います。この時は第2次世界大戦後の植民地解放の流れを受けてエジプトの ナセル大統領がアラブのナショナリズムを煽動していました。 ナセル大統領はスエズ運河の国有化を行います。 これに焦ったのがイギリス、フランス、イスラエルで彼らは運河地域に出兵してナセルの 計画を潰そうとしたのです。キッシンジャーの『外交』で最初に読んで私が直感したのは 「満州事変」に似ているというものでした。 英、仏、イスラエルの攻撃はあまりにも連携を欠き、彼らは何よりもアメリカの反応を 間違えていました。この時の大統領はアイゼンハワーで、彼は烈火の如く怒ったのでした。 イギリスなどはポンドを売り浴びせられ、みすぼらしく撤退していったのです。 スエズ危機では、アイゼンハワー大統領はイスラエルの帝国主義的な行動を批判して いましたが、あれから60年以上たった現在ではアメリカがイスラエルの側に立ち、 英仏などがイスラエルのやりかたに反発をするなど立場が完全に逆になっています。 今回のエジプトでデモが起きた時も、アメリカはどのように収集をつければよいのかが 全くわかっていないようでした。 エジプトの民主化がこれからうまくいく保証は全くありませんが、エジプトの指導者が 国民の思いを無視して統治を行うことは難しくなるでしょう。エジプト市民はムバラク 大統領よりもはるかにパレスチナの惨状に敏感ですから、これからエジプトが親米の ままでいるとは思われません。今回の事件はアメリカのイスラエル支持一辺倒の政策が 崩壊する序曲になると私は思います。
>>768 アイク?
誰?
それ?
僕ちゃんアメリカ現代史知らないよ〜
まで読んだ
イスラエルとエジプトの歴史的和平、シナイ半島返還が入ってない スエズ危機以来といっている時点でアホ丸出し 出直しておいで
美人だ
775 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 00:56:02 0
日本でイスラーム史研究やりたかったらどこ行けばいいの?
東大 京大 東北 九大
777 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 01:25:34 0
>>776 東大と京大はなんとなく分かるけど
東北と九州も盛んなのか?
779 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 01:49:02 0
>>778 思想、哲学の研究がメイン。って書いてあったから。
史学やりたかったらどこかなと思って
>>779 どの時代に興味があるのかわからないから一概には言えないけど
イスラーム研究ハンドブック (1995、栄光教育文化研究所) 、
イスラーム世界研究マニュアル(2008、名古屋大学出版会)あたりで
どこの研究者がどの時代をやっているかを確認するのが一番確実かな。
東大内でも教養学部の地域文化と文学部の歴史文化学科東洋史研究室、思想文化学科イスラム学研究室だと相当違うし。
781 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 02:37:52 0
782 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 18:55:12 0
バーレーン、ヨルダンでもデモだがもしかしてヨルダン共和国、バーレーン共和国誕生くる―――――????
来るわけ無いでしょ。 天安門なみの軍の弾圧きているのに何夢見てんの
東欧革命の再現なるか
785 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 20:28:42 0
>>784 むしろ、今のままだと三つ巴、四つ巴、いやそれ以上の
グダグダになりそうな気がする。
バーレーンにしても、シーア派とスンニ派でもめているし、
それに世俗主義者やアラブ民族主義の成れの果てまでいるから
786 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 20:36:58 0
共和革命はなあ。 共和制にしたって何か解決するのか? 何も解決なんかしないとなんで分からないんだろ。
>来るわけ無いでしょ。 天安門なみの軍の弾圧きているのに何夢見てんの なら、なんでエジプトやチュニジアは軍による弾圧が無かったんだ?
788 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 20:57:19 0
>>786 >共和制にしたって何か解決するのか?
>何も解決なんかしないとなんで分からないんだろ。
王族が主要ポストを独占して遅々として民主化が進まないわけだし
共和制にして解決しないことは無いだろうに。
なにもわからない人がなんで偉そうことを言うんだろう。
789 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 21:05:00 0
バーレーンに共和制誕生なんて無いだろう。首相の辞任はあるかも知れんが王制は残る。
790 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 21:07:24 0
>>788 エジプトではファルーク王が放逐されても大統領2代をおいて
ムバラクが共和国の名において擬似王朝作っただろ。
そのムバラクが斃れても
シャリーア適用とか言ってる人たちが人気を博している間は
体制がどうなろうが民主化なんて無理もいいとこ。
791 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 21:12:11 0
ぶっちゃけイスラム教下で個々の国民の 独立した人格に基づく民主化なんて出来るんだろうか? せめて宗教改革できないか?
792 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 21:12:25 0
王がいたっていいんだよ。 日本だって王ではないが天皇という形の君主がいるじゃん。 要するに、民主的憲法と議会と三権分立だよな。 そして、それらの適切な運用能力。
793 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 21:14:16 0
イスラム教は信者にも信教選択の自由を認めるべし。
794 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 21:22:58 0
795 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 21:31:01 0
>>794 まじれすすれば、せめて
「背教者への裁きは神に委ねようではないか。裁きは神ご自身がなさる。」
というくらいの姿勢は民主社会にはどうしても必要だと思うんだけどな。
796 :
世界@名無史さん :2011/02/18(金) 21:37:49 0
信教の自由の無い「自由な民主社会」なんて笑止。 イスラムが寛容だとかいうのは サラディンが生きていた頃に西欧諸国と比べれば、 って限定付きだ。
イスラム諸国は揃ってトルコを模倣しろ。 幾分かましになるだろう
>>791 現在、ムスリムが多数を占める国で民主的と言えるのはトルコと、
インドネシアくらいかな。それと、かなり微妙ではあるけどイランも、
一応入るかも知れない。まぁ、イランは政教分離は出来てないけど。
>>793 トルコなんかは信仰の自由も認められてるし、エジプトとかでも、
一応、キリスト教徒(主にコプト教徒)の存在は認められてたよ。
まぁ、必ずしも信仰の自由が保障されてる国ばかりではないけど。
イスラム圏には、レバノンみたいなマイナー宗教の宝庫も存在する。
800 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/18(金) 23:10:56 0
>>799 マレーシアも長期独裁政権で、一党独裁みたいな体制だが
イランよりマシかもしれんね
802 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/18(金) 23:29:36 0
>>801 僕はマレーシアについてあまり詳しくないんだけど、マレーシアはそれなりに、
民主化されてるほうだと思うけどなぁ。
>>799 で例に挙げるのを忘れてたけど。
西欧型の立憲君主国家ってあるの?
804 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/19(土) 00:16:54 0
>>803 「西欧型」というのが良く分からないけど、立憲君主制だったら、
バーレーンやヨルダンにカタールなんかがそれに当てはまる。
過去にはイランやエジプトやオスマン帝国も立憲君主制だった。
バーレーンが立憲君主制になったのはこの10年ぐらいの話で湾岸戦争関連で米軍基地の駐留を認める時に いろいろと騒ぎになって政治的妥協の産物じゃなかったけ。 議会ができたのもそん時の話でそれまでは酋長独裁政治。
もう一つ。
ヨルダンのフセイン国王自身の人望が先代に比べて低く、ヨルダン国民この場合はベドウィン部族たちの支持率も
あまり良くない可能性がある。パレスチナ人との人口比も過半数を切っているし、現況で「共和制」という選択肢は
好悪に関わらず、相当の混乱をヨルダンにもたらすのではないだろうか。
どうも、共和制に対して幻想を持っている人が少なからずいるようだが、体制が変わると言うことは、社会の安定も
あらゆる意味で変動する可能性がある。必ずしも中東の安定化に繋がるわけではない。
むしろ日本のライフラインを中東に依存している日本としてはあの辺の国々の民衆が多少抑圧されていようと
安定していたほうが望ましい。 単純な話おまえら中東戦争になったらおまえの生活にも大打撃くらうんだがな。
そういう覚悟がおまえらにあるの? 少なくとも俺はゴメンだね。日本の地方は車社会だから経済が衰微するどころの
話では済まされんぞ。
http://www.tkfd.or.jp/blog/sasaki/2011/02/no_976.html
中東戦争になるの?
ヨルダン、エジプト、シリアこの辺の国々が「民意」で選挙するような形になればありえるかもな。 いっておくが、別にイスラエルが無くてもエジプトやイランやシリア、ヨルダン、イラクといった国々の対抗意識は 根深いぞ。 イランが核武装するといったとき、エジプト軍部も実際にするかどうかはともかくとして ウチもやるぜ!と対抗意識バリバリだったからなあ ろくな資源なければ、アフリカの諸紛争のようにかわいそうだな、日本人の俺にもできることはないかとコンビニ募金のひとつも するが、中東なら話は別だ。 もろに俺らの暮らしに関わってくるものな。 急騰をあて込んで投機に走る人でなしはともかくとして、俺やおまえらは普通にガソリンが200円突破したら困るどころの話でないだろ。 ちょっとエジプトで政権取れるかなーという雰囲気が出てきたら真っ先にイスラエルとの関係を破棄するわと言いやがった同胞団 みるとあいつらに政権とらせたらヤバイと誰でもわかる。 パレスチナ自治区でハマスが政権とったら現実をみるよ!と何年か前に曰ったコテハンがいたが、斜め上の方向性にすすんだ先例を 思い起こすと現実路線になるよなんて全く期待できんわな。
今回のデモの主体となった人々からすれば同胞団とは距離感を覚えるちった意見もあるね 池内恵さんとか放送大学の先生いわくだが
同胞団は政権とれる目がでてきたとぬか喜びしすぎて次から次へとヤバイ発言ばかりしていたからなw 警戒されて当たり前だろw 本音隠して政権とってから実を取る戦略するべきだったね。 その辺が妙に初心というか知恵がなさすぎ。 かりにイスラエル云々と言い出さなくても政権担当能力が どれほどあるか疑問だね。 それはそうとムーサー氏を神輿に担ぐ動きがエジプト軍部やムバラーク旧政権に近い筋から出ているみたいだな。 政治手腕が未知数の上、この頃は権力欲を隠さないエルシャダイもちょっと人気落ちてきた感もあるし、ムーサー氏 が次のエジプト大統領になるのが俺としては打倒な落とし所かなと思ってる。 少なくとも今の同胞団なんかには期待できないね あいつらがついたら中東に大戦呼び込みかねない危うさがあるな アブラの急騰・暴騰はゴメンだね。この辺で幕引いて安定化が俺としては望ましいね。
813 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/19(土) 06:23:30 0
>>806 そうだよ。現国王のハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファが、
国内の騒ぎを収めるために立憲君主制にし民主化を進めた。
それ以前は他の湾岸諸国と同じように絶対王政だったからね。
>本音隠して政権とってから実を取る戦略するべきだったね。 日本の民主党に知恵があるとな?
イランでもデモ! そのうちアゼリー人やクルド人が、地域政府の設立を主張するぞ 各地に自治政府ができて、イラン・イスラム共和国からイラン連邦に変わるぞ
アラブもEUみたいに将来は統合していくのだろうか
818 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/20(日) 20:06:35.60 0
>>817 現在アラブ連盟というのがあるけど、これが今後EUのように、
発展していく可能性はありえるね。ただ、アラブもバラバラで、
地域や国の違いも大きいから完全な統一は難しいだろうけど。
「EU的な発展」が見込めるといったら UAE・カタール・レバノン・エジプト・クウェートの5カ国だけだろ
言語や宗教(宗派は雑多だが)が共通してるのって素地としてはデカいよなぁ 産油国とそうでない国との落差や確執すごそうだけど オスマン帝国みたいになればいいのに
アラブ連盟と云ってもソマリアやモーリタニアなんかがアラブと云えるのかどうか‥‥ ソマリアなんか日常会話でのアラビア語使用者なんて少数って話だし。
エネルギー革命+貯蔵量減少で 石油型経済が終わった後のアラブの行動が知りたい 観光外貨を除けば サウジがITにちょっと力入れてて ドバイが金融都市として機能してる程度だからな
823 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/20(日) 21:12:52.05 0
>>820 まぁ、確かに言語の共通性という点ではEUよりも上だからね。
アラビア語も地方による差異は結構あるけど、それでもまだ、
ヨーロッパよりはマシだから、その点では可能性あるかな。
>>821 モーリタニアなんかはまだギリギリいけそうな気もするけど、
ソマリアは難しいかもね。アラビア語も多少は通じるらしいけど。
824 :
世界@名無史さん :2011/02/21(月) 18:57:31.15 0
無知スマン。 オマーンでもデモがあったと聞くがあそこは前王を追いだして 現国王が率先して近代化しているイメージがあるけどどうなん? やはり、国王中心の開発独裁の感は否めないのか? オマーンってサッカー日本代表の対戦相手のイメージしかないわ。
825 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/21(月) 19:18:29.64 0
>>824 オマーンのデモってまだ小規模なほうだったと思うけど。多分1000人すらいってないと、
思うよ。まぁ、現国王のカーブース・ビン・サイードは確かに率先して近代化してるけど、
何だかんだ言っても国王による絶対王政だから、ある程度の民主化運動はあるでしょ。
今ちょうど中東でそういうのが流行ってるから、自分たちも同じようにやろうという人が、
何人かいたっておかしくないからね。他に比べれば別に大した事ないんじゃないかな。
826 :
世界@名無史さん :2011/02/21(月) 20:48:24.42 0
オマーンっていくつもの国が興亡してきた中東にあって数百年前から 今日まで連綿と続く国家の歴史を持つ国だよね。日本語でもオマーンの 歴史とか出ればいいのにな。 19世紀には東アフリカ沿岸も支配する大帝国を築いたわけだし 歴史としては面白いだろうね。
>>826 オマーン海上帝国ってカルタゴやヴェネツィアと同じく
大陸の沿岸部を細長く領有する典型的な交易国家で
そこがまた良いんだよな。
だけど帝国を築くには時代が遅すぎた。
828 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/21(月) 21:04:27.36 0
>>826 オマーンは、イスラーム圏でも周縁部だからどうしてもマイナーに、
なってしまうよなぁ。ザンジバルを拠点とする海洋帝国を築いたり、
イバード派という変わった宗派を信仰したりと面白そうな歴史だけど。
僕が知ってる日本語のオマーン史で一番詳しいと思ったのは、
下のサイト。(オマーン史だけじゃなく東アフリカ史も載ってる)
http://www.kaho.biz/at.html
829 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/21(月) 21:12:54.34 0
>>827 >だけど帝国を築くには時代が遅すぎた。
結局、本国もアフリカ部分もイギリスにとられてたからね。
奴隷貿易が、イギリスに恰好の口実を与えてしまったし。
イバード派って確か 誰でもカリフに成れるっていう下克上宗派だったか
831 :
世界@名無史さん :2011/02/22(火) 03:29:26.47 0
イバード派国家がアラブ半島の、しかも交通の要衝にある よく周囲のスンニ、ワッハーブに成敗されずに生き残ってこれたなぁ・・・?
832 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/22(火) 06:15:58.65 0
>>830 そうだよ。まぁカリフっていうかイマームだけど。実力さえあれば、
誰でもイマームになれるとされたから、初期のオマーンは選挙で、
イマームを選んでたらしいね。すぐに世襲王政に変わったけど。
>>831 実際、何度かペルシャ人やポルトガル人に押されてたらしいからね。
ワッハーブ派が出来たのは最近だからまだ分かるけど、スンニ派を、
受け入れずに、今まで生き残ることができたのはすごい気がする。
833 :
世界@名無史さん :2011/02/22(火) 08:56:08.14 0
オマーンってポルトガルやペルシアに沿岸部を占領されても中世から今日まで ずっと独立を保ち続けてきたんだな。ある意味すごいな。カオスな中東世界でこれはすごい。
うまく住み分けてきた、という印象。
836 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/22(火) 17:18:08.81 0
>>835 本当だ、これは危ないね。現在オマーンで起きてるデモはまだ小規模なほうだけど、
王が死んでしまったらクーデターや革命なんかが起きる可能性も当然高くなるしね。
837 :
世界@名無史さん :2011/02/22(火) 17:22:50.80 0
- 2010年-2011年アラブ世界騒乱
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/2010-2011_Middle_East_and_North_Africa_protests.svg/600px-2010-2011_Middle_East_and_North_Africa_protests.svg.png 【赤茶色】 政権崩壊 【赤色】 政府の交代
【橙色】 大規模な抗議 【黄色】 小規模な抗議
【緑色】 動きなし
【政権崩壊】
チュニジア.. 12.18- 大統領が選挙不出馬を表明も敢え無く国外脱出 死者 219名
エジプト 01.25- ムバラク大統領辞任. 30年の独裁政権に終止符 死者 365名
【政府の交代】
ヨルダン 01.14- アブドゥッラー2世が首相の解任を表明 死者 0名
【大規模抗議活動】
モロッコ. 01.30- 国王の権利の制限を求め首都で数千人がデモ .死者 5名
アルジェリア.. 12.28- 二千人民主化デモ 93年以来の非常事態を解除 ..死者 8名
リビア 01.13- 傭兵部隊が首都のデモ隊に空爆 死者多数 死者600+名
ジブチ. 01.28- 野党支持者ら数千人が反大統領デモ 死者 2名
イエメン. 01.18- 2万人規模のデモ 大統領次期選挙不出馬を表明 .死者 13名
クウェート. 02.18- 市民権求める遊牧民1000人以上がデモ 死者 2名
バーレーン. 02.14- シーア派の不満爆発 首相辞職のデモ F1GP中止. 死者 6名
イラン 01.14- ムサビ元大統領主導の反体制デモが全国に波及..死者 4名
【小規模抗議活動】
モーリタニア.. 01.17- 大統領の政治方針に反発で17日焼身自殺. 死者 1名
スーダン. 01.17- 大統領追放の学生デモ 南部独立で揺れる. 死者 1名
シリア 01.26- 焼身自殺相次ぐ 首相が政府の刷新を表明 死者 3名
サウジアラビア 01.21- 少数派のシーア派が投獄された信徒の釈放要求 死者 4名
オマーン. 01.17- 300人規模のデモ 国王が労働者の賃上げを声明. 死者 0名
ソマリア. 01.13- モガディシュで抗議デモ 市民射殺の警官4名逮捕. 死者 5名
死者合計 1250名以上
オマーン、バーレーン、ヨルダン、サウジあたりで王制転覆革命が見てみたい。 フランス革命のように庶民が立ち上がって体制を替えて行く姿をみたい。 20世紀初期に大戦で負けたドイツやオーストリア、イタリアの帝政王制崩壊以後 王制の転覆は見ていない気がする。
イランとかネパールとかエチオピアとか
840 :
世界@名無史さん :2011/02/22(火) 18:43:45.36 0
ですよね
842 :
世界@名無史さん :2011/02/22(火) 19:04:03.78 0
オーストリアは違う気がする。フランス革命みたいな 庶民階層から王制を打破することを期待してるようだけど オーストリア革命も例えば仮にバーレーンあたりで王制が 崩れてもフランス革命とは種類が違うよ。
843 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/22(火) 19:13:03.87 0
>>841 後、すぐに思いついた例だとエジプトやイラクやリビアなんかもそうかな。
イラン、エチオピア、ネパール、エジプト、イラク、リビア・・・ どれもこれもフランス革命のように庶民が立ち上がって王制を打破したのとは違うだろう。
845 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/22(火) 19:28:45.75 0
>>844 少なくともイランは民衆も立ち上がってよ。他は良く知らないけど。
そりゃ暴力装置が寝返らないと体制は転覆できないもんな どこも軍は王室とかに忠誠心が厚いだろうし
つうか、サウジやバーレーンは自国民信用してないだろ。 あそこ雇兵を軍隊にしてんだから。 リビアよりたち悪い。 しばらく前から湾岸情勢やリビア情勢めぐって盛んにサウジと米高官が 会合しているそうだが、表沙汰にならないような弾圧の相談していると 思って間違いないだろうな。
フランス革命のあと、恐怖政治→ナポレオン独裁→王政復古のコンボなわけだが それで革命(天命があらたまる)ではなくRevolution(回転、古きよき時代へ戻る)という
850 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/22(火) 20:46:29.14 0
>>845 の脱字訂正。
誤)民衆も立ち上がってよ
正)民衆も立ち上がってたよ
イランは無理だな。イスラーム法学者たちが現体制を担当しているようなもんだからな。
とにかくどこかで王制がつぶれてくれればいいよ。
エジプトやリビアはともかく絶対王政の国は立憲君主制とかに移行するのだろうか 昔のイラクみたいに大衆の面前で国王が銃殺されたりするのかな
854 :
世界@名無史さん :2011/02/22(火) 21:57:22.61 0
政府要人も軍もカダフィから離れているようだね。リビアも変われるか!?
冷戦最中を生き抜いて栄光のうちに天寿を全うできそうなのに今になって体制が崩壊しそうってのも カダフィはどんな気持ちなんだろうな キューバとかにも飛び火しないのかな
アメリカと距離を置いている国はあんまり関係ない。 今回のはイスラムの横の連帯があり、親米路線に 転換していたエジプトのような国からはじまっている。
いや単純に政治的な立場だけでは測れないと思うんだ やっぱりユースバルジじゃないかと だってヨルダンでは比較的小規模なわけだし
今週は上海市でも逮捕者がでたけどね
反米国家イランでも起こっているな
>>856 リビアやシリアでもデモおきてえらいことになってるがな。
カダフィーは、2002年頃から親米に転換している
国交正常化しただけで親米認定とは随分とハードル高いな 自分の思想に不利だからかな。 全共闘世代の人ですか?
863 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/22(火) 23:30:53.77 0
>>853 ヨルダンのデモなんかは王政打破までは考えてなく現在の内閣への退陣を、
要求してただけだったから、立憲君主制のままになる可能性も高いと思うよ。
まぁ、その一方でバーレーンとかは共和制に移行しそうな気もするけど。
864 :
世界@名無史さん :2011/02/23(水) 03:51:12.57 0
Unausweichlich
>>844 フランス革命ってかなりいい身分の人たちもブルボン朝から離反してますよ。
866 :
◆axCVsGomao :2011/02/23(水) 06:49:35.10 0
フランス革命といったらヴァンデの反乱
まあ、確かに三部会でも平民側につく貴族僧侶はいたな。 リビアでも政府閣僚や軍でも民衆側につくものが出ているから 似たりよったりか。
リビアは王政復古する可能性はないのかな 反動革命とか萌えるんだが
王政復古で似たような事例だとカンボジアか。 まあ外部から「作られた」立憲君主制だけど
>>855 フセインばりの極悪人なのに
車の中で傘差して「若者に話したかったが雨で無理ー」とか言ってる所に萌えてしまった
ロシア周辺・旧ソ連圏スレ21
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1297495203/ 147 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2011/02/22(火) 03:47:32.49 ID:6WzD0cHY
紙媒体なんで夜も遅いから全文載せないが、(明後日あたりテキスト化するかも)
日本ユーラシア新聞でウィキリークスの外交公電のリークの記事を見つけた。
在モスクワアメリカ大使館から国務省宛ての秘密公電。
ダゲスタン共和国の実質の権力者ガジマハシェフの子息の結婚式について。
全体的に反ロシア的な雰囲気が濃厚で招待者の殆どがイスラム系で、地元の財閥や
チェチェン共和国のカドフィロフや武装勢力につながりの深い権力者が招待されたもよう。
米国大使が招かれて参加していた模様で、モスクワからはFSB大佐が一人参加していたようだが孤立し、一人で泥酔して眠っていたとのこと。
記者の堀江氏によると空港テロが発生直後にリークされたこの秘密公電はその裏側を伺わせるとある。
181 名前:92-245-120-46.mega.kg[sage] 投稿日:2011/02/23(水) 18:47:40.85 ID:???
ちなみにキルギス
なんかやっぱりって感じ。
874 :
世界@名無史さん :2011/02/24(木) 15:20:40.23 0
サハラ砂漠であんな蝙蝠傘をもってるアラブ人が普通居るのか?
875 :
世界@名無史さん :2011/02/24(木) 15:22:24.09 0
ベトナムもいまや中国相手に米軍と共同軍事演習するまでになってる
876 :
世界@名無史さん :2011/02/24(木) 17:06:35.41 0
877 :
世界@名無史さん :2011/02/24(木) 17:14:49.37 0
愛国主義者としては日本帝国領土となすようにしたいものだ。 この意見に反対する奴は朝鮮人として公安に密告する。
巣に帰れよネトウヨさん
>>879 イドリス国王の男系子孫じゃないの?
今回英国で声明を出した王族は
国王の甥の息子らしい。
881 :
世界@名無史さん :2011/02/24(木) 18:18:37.03 0
イドリス一族はもともと、スーフィー教団のようなものであるサヌーシー教団の教主だから、サヌーシー信徒でないと擁立しない。 アラブ各国の国王で、歴史のオーラがあるのはモロッコだけ。 ヨルダンのハーシム家は100年未満の余所者。
882 :
世界@名無史さん :2011/02/24(木) 18:24:59.07 0
イランのパーレヴィ王家は2代しか続いてないが その統治時代にはそれなりの存在感があったよ。
884 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/24(木) 18:31:16.71 0
>>881 >>883 後、エジプトのムハンマド・アリー朝もそれなりに存在感あると思う。
まぁ、現在のエジプトが王政復古する可能性は低い気がするけど。
カージャール朝の末裔って何をしているんだろうな。 モサデク首相は女系子孫だったらしいが。
887 :
世界@名無史さん :2011/02/24(木) 18:52:33.88 0
無知を承知で質問なのだけど、なんで中東の王国って絶対君主制や 王族が政府主要ポストを独占していたりなどが多いの? 日本やイギリスのように君臨すれども統治せずってわけにはいかないの?
>>887 俺も疑問。立憲君主制って出来ないのか?
嘗てオスマン朝が立憲君主制やったけど
結局スルタンたちがそれを形骸化して専制君主制に固執したんだよな。
それと、王家や支配的部族の信仰は信仰として
他宗派、他宗教を平等に尊重し、その権利を擁護する統治者っていないのか?
イスラム圏の憲法って君主国、共和国を問わず 形骸化しているのが多すぎ。
890 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/24(木) 19:18:35.78 0
>>887-888 現在のイスラーム圏でもモロッコやヨルダンやバーレーンなんかは立憲君主制だよ。
まぁ、そう言っても国王の権力が結構強いけど。後、イスラーム以外の宗教の信仰を、
国家で公式に禁じてるイスラーム国はサウジアラビアぐらいで、そういう意味では別に、
イスラーム圏の統治者でも他宗教をそれなりに平等に扱ってる者もいなくはないかな。
とは言え、じゃあ他の国では他宗教への差別がないかというそんなことはないんだけど。
中東に君主の権力が強いのは、そもそも王家としての歴史が浅くて立憲君主制への、
移行にまで歴史が至ってない国が多いからだと個人的には思う。特にアラビア半島の、
国王なんてほとんどがそういうパターンだからね。オマーンは、そこそこ歴史古いけど。
ちなみに、オスマン帝国のアブデュルハミト2世が専制君主制に戻したのはある種の、
開発独裁者(もしくは啓蒙専制君主)的考えからだと思う。その後、青年トルコ革命で、
立憲君主制にオスマン帝国は戻ってるしね。イランでも同時期に立憲君主制になった。
891 :
世界@名無史さん :2011/02/24(木) 20:24:42.35 0
国家だの人種だの民族だの部族だの階級だの言い出す前にまずは信仰。 信仰第一。
>887 >888 WWU以前の経緯を省略してざっくり言うとだな、アラブナショナリズムがバース主義とナセル主義の二つの流れに代表されることになったのだが 似たような御題目を唱えた両者の本質が(民衆)運動では無く(軍事)体制であったことが中東の国家を規程することになってしまった ナセル主義の成功がハーシム家打倒・イドリス王政打倒への流れとなるがナセルのエジプトが経済的に行き詰ったように中産階級の健全な発展を 認めないスローガンで国家の枠組みを定めてしまった後指導者は既得権益を守ることに固執したから あとは出てきた用語をググッてねと言い残して俺は逃げる(苦笑
893 :
世界@名無史さん :2011/02/25(金) 01:27:30.31 0
バース主義とナセル主義はちがうのですか?
894 :
世界@名無史さん :2011/02/25(金) 01:57:30.78 0
ふと思ったんだが、リビアはイラクやエジプトの轍を踏まないように、 象徴カダフィ制への移行が望まれる。
895 :
世界@名無史さん :2011/02/25(金) 02:08:40.18 0
カダフィ―・ガールズ見てふと思ったんだが、リビアはアフガニスタンやイラクの轍を踏まないように、 象徴カリフ制への移行が望まれる。
896 :
世界@名無史さん :2011/02/25(金) 04:16:26.43 0
象徴カダフィ=象徴カリフ カダフィがカリフになれば万事解決。
897 :
◆axCVsGomao :2011/02/25(金) 06:48:04.55 0
トルコがアラブ地域を再征服して 象徴的君主としてオスマン家をかつぎだせばいいのに ハーシム家はメッカの太守にすると
898 :
◆axCVsGomao :2011/02/25(金) 06:51:48.40 0
>>893 ナセルってのはスエズ運河国有化したエジプト大統領ね
アラブをまとめるためにシリアと連合国つくったけど
結局失敗して分裂しちゃったね
サッダーム・フセインはバアス党やね
バアス党はソ連の影響受けてるんだけど
中東政治をみると単なる独裁にしか見えなからなあ
899 :
◆axCVsGomao :2011/02/25(金) 06:52:54.10 0
民衆を攻撃するような輩は絶対にカリフになれないっての
900 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/25(金) 17:08:57.07 0
>>893 バアス党が言ってるかナセルが言ってるかの違い程度でイデオロギー的には、
大した違いはないと個人的には思う。どっちも汎アラブ主義的思想が基本だし。
>>897 現在のトルコでは未だにケマルへの崇拝が根強いからそれは難しい気がする。
それに、現在のトルコ人はオスマン帝国末期において多民族国家というものが、
いかに面倒くさいかというのを身をもって経験してるだろうから余計無理だと思う。
後、アラブ人だって少なからず反感を持つだろうから、実現可能性は低いね。
既出だが、トルコから独立して湾岸諸国が独立したのに再度トルコの支配なんか受けるわけがない。 ターキーなんかメッカ巡礼時のバスにいまだ投石あるレベル。
902 :
◆axCVsGomao :2011/02/25(金) 19:02:27.46 0
ターキーなんかメッカ巡礼時のバスにいまだ投石あるレベル ↑ ソースおしえてくだされ
>893 軌範が違う ナセルが個人から出発しているのに対しバース主義は十九世紀以前に遡る只此のレベルの話しになると洋書の研究書でも見解が一致しなくなるので「俺は逃げる」と言っているんだが… 最近の世界史板はTVや新聞から垂れ流されている他人の言葉やwikiの記述を自らの見解であると謀ることが流行しているようなので興味をもったなら自分で調べた方がいいよ こんなところでは何の問題意識も解決されない スエズ以東のアラブが英と手を結んだ反オスマントルコ闘争となったのに対しスエズ以西は反英闘争が主だったりアラブナショナリズムやイランナショナリズムの立ち位置にまで踏み込む程 日本のメディアは高尚でないと思われ(苦笑
904 :
世界@名無史さん :2011/02/25(金) 21:46:40.91 0
905 :
世界@名無史さん :2011/02/26(土) 01:05:24.67 0
ナセル主義のケチのつき始めはいつですか? バース主義のケチのつき始めはいつですか? ナセル主義政権は、もともとは愛国政府だったのに・・・ムバラクに至ったのはどういう経緯ですか?
906 :
◆axCVsGomao :2011/02/26(土) 05:24:55.65 0
ナセルはスエズ運河は国有化できたけどイスラエルには勝てなかったからな
907 :
◆axCVsGomao :2011/02/26(土) 05:27:37.72 0
ナセルが早死にしたのがいたかったな
ナセルの場合、8歳のときに母を失ったこと、伯父が反英運動を組織していたこと、 ジャマールディーン・アル=アフガーニー、ムハンマド・アブドゥーフ、 ムスタファ・カーメル、ハーフィズ・イブラヒムの著作を読みふけったことなどが 影響していると思う。 さらに高校を卒業した後、陸軍士官学校を受けたが失敗した。当時の幹部の卵は 裕福な家庭の子弟が占めていて、金もコネもないナセルのような青年が入りこむ 余地はなく、おまけに彼は12歳のときに反英デモに参加した経歴のせいで警察に にらまれてもいた。 失望した彼は大学の法科に進み、そこでチャーチルの『大戦回顧録』、マルクス、 レーニン、孫文、ガンジーらの伝記を読んだ。 ナセルの場合、このような幼少期・青年期の体験も彼の思想に影を落としているだろうな。
909 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/02/26(土) 13:42:24.70 0
>>906-907 結局それが原因で後継者のサダトはナセル時代のエジプトの体制をがらりと、
変えた訳だからね。それでも、第4次中東戦争でイスラエルと和平するまでは、
まだナセル主義的と言えないこともなかったけど、これ以降は完全に変わった。
次のムバラク政権も基本的にはサダト時代からの政策を継承してるから、この、
サダト時代(特に第4次中東戦争あたり)が大体の分かれ目と考えていいかな。
910 :
世界@名無史さん :2011/02/26(土) 15:21:05.86 0
リビアの国連大使もカダフィ批判したけどカダフィ体制のリビアはどうなるんだろうな?
池内恵の新書買ってきた
リビアは王政復古したら面白い
913 :
世界@名無史さん :2011/02/27(日) 17:28:59.73 0
>>907 ナセルは妄想的な外交・軍事・経済政策で、シナイ半島全部取られる亡国の徒だぞ
あまりにも弱すぎるから軍事バランスが崩れることを恐れた米ソの妥協によりスエズ奪っただけ
914 :
世界@名無史さん :2011/02/28(月) 04:29:55.65 0
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20110228k0000m070121000c.html 余録:カダフィ大佐とハーキム
リビアのカダフィ大佐を見ていると10〜11世紀のエジプトのカリフ、アル・ハーキムを思い出す。この人は奇行で知られ、多くの市民を殺したほか、女性は一日中外へ出るな、
猟犬を除いて犬は皆殺しにせよと命じた。自分が夜の街を徘徊(はいかい)する時、ほえてうるさいからだという(前嶋信次著「イスラムの蔭に」)
▲アラブの「変人列伝」に名を残すだろうカダフィ大佐も反政府派を犬だネズミだとののしっている。蓬髪(ほうはつ)にマントとターバンが定番だったハーキムと縮れた髪に
民族衣装の大佐。2人は外見的にも共通点があるようだ
▲そんなリビアから避難民が相次ぎ「旧約聖書の『出エジプト記』みたいだ」の声も出ている。地中海の対岸で見守る欧州諸国も気が気ではあるまい。リビアなど激動する
北アフリカから避難民が押し寄せたらどうなるか
▲ふと既視感を覚えるのは、ちょうど20年前(91年)、フセイン政権のイラク軍に追われて隣国のトルコやイランに逃げる数十万人のクルド人を取材したからだ。
極寒の山中に足止めされたクルド人は飢えと病気で次々に倒れ、一晩に何十人も赤ん坊が死んだ▲境界を越える難民はトルコの兵士に狙撃された。胸がつぶれるような光景だった。
非人道的だとなじる欧州諸国にトルコ政府は「では難民の半数を欧州が受け入れるか」と開き直った。そんな対立を繰り返さぬよう避難民支援の国際協調態勢が必要だ
▲ところで、一部に信奉者もいたハーキムは夜の街で行方不明になった。
結局、殺されたのだろう。カダフィ氏の味方も確かにいる。が、人をネズミのように殺す権力者を誰が命がけで守るだろうか。
ペルシャ湾の入り口に位置する産油国オマーン北西部の工業都市ソハールで27日、
失業問題の改善などを求めるデモがあり治安部隊と激しく衝突、ロイター通信によると、
少なくともデモ参加者2人が死亡、多数が負傷した。現地には軍部隊が投入されたという。
ソハールでは前日からデモ隊数百人が中心部の広場で座り込み、
27日になり治安部隊が催涙弾などで強制排除を試みたのに対し、
デモ隊側は投石などで応戦した。ロイターなどは目撃者の話として、デモ隊が警察署を襲撃、放火したほか、
ソハールと首都マスカットを結ぶ幹線道路にバリケードを築いたと伝えた。
オマーンはカブース国王が絶対的な権力を持つ君主制国家。失業率は15%前後とされる。
19日にマスカットで小規模なデモが起きたのを受け、26日に内閣改造を発表していた。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110227/mds11022721070012-n1.htm
916 :
世界@名無史さん :2011/03/01(火) 08:04:16.13 0
反ユダヤ活動を監視する米有力人権擁護団体サイモン・ウィーゼンタール・センターは28日、
ナチス・ドイツの親衛隊(SS)に酷似した衣装でテレビ番組に登場したとして、
日本のロックグループの氣志團と番組を放映した
エム・ティー・ヴィー・ジャパン(MTVJ)などに抗議したと
発表した。氣志團などに対し、謝罪して衣装を二度と用いないよう求めた。
SSは、ナチス・ドイツでユダヤ人大量虐殺の先頭に立ったことで知られる。
同センターは「このような暴挙は絶対に許容できない」と反発。
氣志團とMTVJのほか、氣志團が所属する芸能事務所のソニー・ミュージックアーティスツと
音楽会社のエイベックス・グループに抗議書を送付した。
*+*+ jiji.com 2011/03/01[06:56:14.63] +*+*
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011030100091 日本のメディアにも目を光らせているユダヤオソロシス
917 :
世界@名無史さん :2011/03/03(木) 20:15:43.25 0
21世紀のサッタール・ハーンは現われんのか?
918 :
世界@名無史さん :2011/03/03(木) 20:53:34.61 0
YMOもナチもどきの衣装で演奏旅行したことあるけどな
919 :
世界@名無史さん :2011/03/04(金) 21:11:47.70 0
イギリスの新聞だかが中東は石油以外で人類に貢献した歴史が無いと言ってた
>>919 イラクの辺りは文明の揺りかごじゃねぇかよ
今日世界を圧倒する世界宗教何個も生まれてるし
どうせゴシップ誌とかイングランド国旗掲げてはしゃいでるトラッシュだろ
921 :
世界@名無史さん :2011/03/04(金) 23:55:08.78 0
362 世界@名無史さん :03/06/19(木) 01:05 塩野七生「レパントの海戦」にでてたけど、 16世紀にトルコがクレタを攻略したときは、 降伏したヴェネチア貴族を生きたまま皮を剥ぎ、 何度も、海水に落として殺したという。 ちなみに、皮で張りぼて人形をつくり、トルコ各地を 練り歩いたとか。 まあ、皮剥がされた時点で死にますかね。
922 :
世界@名無史さん :2011/03/06(日) 20:39:35.68 0
ファラオ→クレオパトラ→歴代イスラム王朝→ムハンマド・アリー朝とスエズ運河・・・エジプト カルタゴ→ファーティマ朝→ベイの独立→近代化・早い時期での憲法制定・・・・チュニジア こうやって見るとリビアって「窪地」だな。歴史でリビアって目立つ何かある?
923 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/06(日) 21:02:20.98 0
>>922 歴史的にリビアが目立った場面と言ってすぐに思いつくのは伊土戦争の舞台に、
なったことぐらいかなぁ。とは言え、リビアは争奪戦の対象になっただけだけど。
北アフリカの中では早い時期からギリシア人が入植したことぐらいかなあ あと、古代エジプト史に登場するリビア人は今のリビアに住んでる人たちでいいのかな?
騎兵で有名なヌミディア人ってリビアじゃなかったけ
926 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/07(月) 05:08:41.06 0
>>925 ヌミディアは確かに地理的には現在のリビア辺りだね。
まぁ、現在のリビアとの関連性はあまりなさそうな気もするけど。
ヌミディアってリビアじゃなくてアルジェリアじゃね? ヌミディア属州も今のアルジェリアにあったし。 カルタゴが衰退した後はリビアの辺りまで領有して プトレマイオス朝と国境を接するようになってたけど リビアの辺りはすぐにローマに奪われてた気が。
928 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/07(月) 16:07:54.83 0
カダフィも往生際が悪いな。w
マウリー人は一番西(現在のモロッコあたり)に、アフリカ人(ギリシア史料では リビア人)が現在のチュニジア、リビアに、ヌミディア人がその中間(現在の アルジェリア付近)に分布していたと考えられている。
931 :
◆axCVsGomao :2011/03/16(水) 13:52:48.08 0
古代エジプトもヌビア人王朝があったなあ
>>930 現在のベルベル人は彼らの子孫であってる?
934 :
世界@名無史さん :2011/03/17(木) 23:38:29.13 0
ちがいますよ。チュニジア・アラブ人でつよ。
935 :
世界@名無史さん :2011/03/27(日) 11:01:17.68 0
リビアにはナショナリズムとか明確な国民意識とかないんだね。 カダフィー族VS他諸族みたいな感じで、何かアフガニスタンとダブって見えるよ。
936 :
世界@名無史さん :2011/03/29(火) 15:08:44.75 0
>>919 中東だけでなくイスラム圏は世界の文明圏の一角を占めるが1000年にわたり人類文化への貢献するようなものをまるで生み出してない
937 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/29(火) 15:59:53.08 0
>>936 いや、それいは言い過ぎでしょ。イスラーム科学なんかは現在の、
科学にもそれなりに貢献してるし、経済的にも複式補記なんかを、
発明したりしてる。アッバース朝の官僚制なんかは当時としては、
かなり発達ものだったよ。イスラーム圏は普通に重要地域だよ。
938 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/29(火) 16:01:14.28 0
>>937 の誤字訂正
誤)かなり発達ものだったよ
正)かなり発達したものだったよ
939 :
世界@名無史さん :2011/03/29(火) 16:57:53.09 0
940 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/29(火) 17:01:38.35 0
>>939 その前に12世紀頃のイスラーム圏で誕生してるよ。
ヨーロッパで最初に生み出したのは確かにイタリアだけど。
オツガイは大嫌いだけど今回ばかりはオツガイが正しい。 イスラム圏で生まれた物をヴェネチア商人が取り入れたのが ヨーロッパでの複式簿記の始まり。
942 :
世界@名無史さん :2011/03/29(火) 23:13:49.84 0
ヴェネチア商人って十字軍強盗に参加してたのに、イスラム国にどうやって出入りできたの?
943 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/29(火) 23:27:15.58 0
>>942 たとえ国家同士が争ってても一般の商人はそんなの関係なしに敵国と、
商売するなんてのは珍しくないからねぇ。別にそんなに不思議じゃない。
まぁ、直接イスラーム国に入らなくても十字軍国家やビザンツ帝国経由で、
イスラーム国と交易することも出来ただろうし。
>>942 第4次十字軍で一回滅亡させられたビザンツ帝国でも
帝都奪回したあとしばらくはヴェネチア人出禁にしてたが
結局交易を認めてる。
ネグロポンテあたりを奴隷貿易の基地にして
ギリシャ正教徒売り飛ばしまくってた連中なのにねえ。
945 :
世界@名無史さん :2011/03/31(木) 06:00:32.43 0
イスラーム側からは征服戦争以外でキリスト教国に自分から出向く・旅するということはほとんどなかった。いやでしかたないので。
946 :
世界@名無史さん :2011/03/31(木) 22:26:13.56 0
基本的に、異教徒の世界で暮らす事を、良しとしなかったとかそんな感じだろうな。 地中海の向こうには、惨めなフランク人がいるくらいにしか思ってなかったんだろうね。 そして、ルネッサンスの高まりにも気を留めなかった。
異教徒の世界でもアジアやアフリカには出向いていってるし 単に貧しい欧州で商売しても旨みがないからじゃないの 南フランスのほうにはイスラム商人が来てたと読んだこともあるけど、 それでも数は少なかったのだろうか
まあ、中世の欧州は後進地域だったし。
949 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/03/31(木) 22:58:49.81 0
>>947 イスラーム世界の大旅行家で有名なイブン=バットゥータも異教徒世界の、
中国やスリランカとかへは行ってるけど、西欧には行ってないからね。まぁ、
キリスト教圏とは言え西欧とは違う文化圏で先進的だったビザンツ帝国や、
イスラームとのなじみが深いスペインなんかのほうへは足を運んでるけど。
950 :
世界@名無史さん :2011/04/03(日) 10:19:54.09 0
アフガニスタンでデモ隊が国連事務所を襲撃した事件。問題の発端となった米フロリダ州の
キリスト教会は3月下旬、イスラム教の聖典コーランを「公開裁判」にかけて「有罪」判決を下し、
燃やすまでの様子を記録した映像を自分たちのインターネットサイトに掲載していた。
同サイトによると、裁判で「検察」側は、コーランは永遠の起源を持たず、神聖ではない、などと主張。
ターバンを巻いた男性がコーランを弁護してみせたが、灯油をかけて燃やすとの「判決」が下された。
この教会のテリー・ジョーンズ牧師は昨年も、米同時多発テロが起きた9月11日に合わせて
コーランを焼く計画を公表し、国際的な批判を浴びた。その際は、アフガニスタン駐留米軍の
ペトレイアス司令官らが計画中止を呼びかけたのに応じ、矛を収めていた。
だが今回、ついにコーランを焼却したことの波紋が広がり、実際に人命が失われる事件に発展した。
ジョーンズ牧師はAFP通信に対し、アフガニスタンでの襲撃について「衝撃を受けた」
としながらも、「責任があるとは感じない。行いも変えない」などと語った。
http://www.asahi.com/digital/internet/TKY201104020445.html
951 :
世界@名無史さん :2011/04/04(月) 05:01:58.57 0
952 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/04(月) 07:01:52.81 0
>>951 自演って何のこと?荒らしだったらやめてね。
まぁアルハンブラ宮殿が最高建築ということで
ムデハル様式も捨てがたい
955 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/10(日) 16:25:48.59 0
>>953 アルハンブラ宮殿はアンダルス最後の輝きって感じがするからね。
ナスル朝はもはや周りの殆どをキリスト教国に囲まれてる中で良く、
生き残れたよなぁ。周辺国の対立なんかを上手く利用したからね。
それによってアルハンブラ宮殿を建てれるほどの国力を持てたし。
>>954 アラゴンのムデハル様式は世界遺産になってるしね。一度は見てみたいなぁ。
957 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/12(火) 22:48:13.41 0
>>956 佐藤先生亡くなったのか。ショックだ。僕のイスラームへの、
興味は佐藤先生の中公の本から始まったからなぁ。
959 :
世界@名無史さん :2011/04/13(水) 13:23:43.60 0
「女性を尊重している」というイスラム諸国の実態はこんなもの。
http://darknessofasia.blogspot.com/2010/10/blog-post_24.html 人身売買が驚くほど広範囲で広がっている。フィリピンの子供で言えば、もうずっと前から中東に売り飛ばされて性奴隷にされていることが確認されている。
以前から何度も書いているが、フィリピンと中東の結びつきは非常に深いものがあって、中東にはフィリピン女性の多くがメイドとして中東に「輸出」されている。
アラブ一帯では昔から大勢の女性をひとりの男が独占するハーレムの様式とは別に、ひとりの女性を一家の男たち(祖父、父親、そしてその息子たち全員)が「共有」するのに抵抗がない裏事情がある。
メイドでやってきたフィリピン女性が、父親にレイプされたあと、日を置いて息子たちにも次々とレイプされ、最後には11歳だか12歳の男の子の性処理までさせられたという話も「ごく普通に」あって驚く。
上半身裸でメイドの仕事をさせられて最後には虐待死した女性もいるし、レイプされそうになったメイドが主人を殺して正当防衛が成立せずに死刑になりかけた事件もあった。
多くのフィリピン女性がレイプや性的嫌がらせ、そして虐待に耐えかねてNGOのシェルターに逃げ込んでいるのだが、表沙汰になるのは氷山の一角である。
そうやってフィリピン女性は犯罪の犠牲者にされているのだが、「味をしめた」中東の男たちにとっては、こういう発想を持つ男も出てくる。
「メイドではなく、フィリピンの幼い女の子を金で買って、永遠にセックスの奴隷にしてしまえばいい」
需要があれば供給があるのは裏世界でも同じで、そこで両国の人身売買業者がせっせと性奴隷にするフィリピンの幼女をアラブに送り込むことになる。
用済みになったら(あるいは虐待死してしまったら)、どうするのか。アラブでは特に慌てることもないようだ。そこには広大な砂漠が広がっている。
960 :
◆axCVsGomao :2011/04/15(金) 20:09:15.23 0
日本では奴隷を使役した歴史が無いから全く信じられないけど アラブ世界は20世紀まで奴隷使ってたんだから そんなに変な話じゃないんだろうなあ
961 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/15(金) 20:31:18.60 0
>>960 オマーンなんて1970年に奴隷制廃止だからね。かなり遅い。
イスラーム圏の奴隷は西欧に比べると緩いというのは確かに、
そうだけど、普通に過酷な生活してた奴隷もいたしね。特に、
オマーンの場合はザンジバルでの黒人奴隷貿易で海洋帝国を、
築くほどに繁栄してたんだけど、日本ではほとんど知られてない。
962 :
世界@名無史さん :2011/04/15(金) 20:46:02.56 0
古代から貿易で存在を知られていた ↓ 8世紀に建国 ↓ 中世は一貫して独立 ↓ ポルトガルが沿岸部を占領するも自力で独立 ↓ 海洋帝国を築き上げる ↓ いまどき鎖国・奴隷制・中世的 ↓ ダメおやじを追い出し近代化 こんな数奇で面白い歴史ネタを提供してくれるオマーン。 にもかかわらず、オマーンについて書かれた書籍は 日本語では皆無。通史なんて夢のまた夢。 英語では数冊あるけどね。日本語でオマーン史を読みたいわw
963 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/15(金) 21:00:57.56 0
>>962 そもそもイスラーム史自体が日本ではマイナーだけどその中でも、
オマーンは特にマイナーだからなぁ。イスラーム史に興味ある人も、
普通は、オマーン史までは調べようと思わないし。かつて衰退した、
ポルトガルに代わってインド洋で覇権を握って海洋帝国を築いたり、
イバード派という変わった宗派を信仰したりしてたのに。このスレの、
上のほうでも同じようなことを述べたけど。
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/15(金) 23:23:03.13 0
>>962-963 オマーンのブーサイード朝については、
樺山紘一他編『イスラーム・環インド洋世界』(岩波講座世界歴史14) 岩波書店 2000年
所収の福田安志論文で触れられている。
965 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/15(金) 23:32:13.80 0
>>964 でも、ブーサイード朝だけなのか。その前の、
ヤアーリバ朝時代とかは載ってないのかな。
イスラ虫は地球の癌
967 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/15(金) 23:43:18.21 0
968 :
世界@名無史さん :2011/04/16(土) 00:45:44.87 0
>>965 『イスラーム・環インド洋世界』が対象とする時期は16-18世紀だから、
ヤアーリバ朝についても触れていたと思う。
969 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/16(土) 05:36:41.73 0
>>968 ふ〜ん、ヤアーリバ朝についても触れられてるのか。
970 :
世界@名無史さん :2011/04/16(土) 19:50:22.23 0
せめてジュランディ朝から書いて欲しいな。 そもそも、ジュランディ朝もナブハーン朝もヤールバ朝も無名だろうな。 ブー・サイード朝はだって無名だしな。
なんでいつも朝なんだよ昼とか夜の王朝ねーのかよ
972 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 09:05:52.00 0
質問スレでブワイフ朝はシーア派じゃないとしきりに、 唱えてる人がいたけどブワイフ朝はシーア派だよね?
973 :
◆axCVsGomao :2011/04/17(日) 09:09:11.53 0
ブワイフ朝とかマイナーすぎるな
974 :
世界@名無史さん :2011/04/17(日) 09:16:08.47 0
ブワイフ朝がマイナーとか言いだしたら上で出ているオマーンのヤアールバ朝はどうなるんだよw
975 :
◆axCVsGomao :2011/04/17(日) 09:22:51.94 0
オマーンのことはあんまり知らないけど ポルトガルを追い払って奴隷貿易しはじめたってのが面白いわな
976 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 09:26:15.15 0
>>974 ブワイフ朝はまだ教科書とかにも出てくるしイスラーム史に、
興味のある人だったらそれなりに知ってるけど、オマーンは、
イスラーム史に興味のある人の間ですらあまり知られてない、
地域だからね。個人的には結構面白い歴史だと思うんだけど。
977 :
世界@名無史さん :2011/04/17(日) 09:39:12.68 0
良く考えてみるとイスラム世界の歴史の中で中世以降も断絶なく今日まで続いているのはモロッコ、イラン(ペルシア)、オマーンだけだろ。
978 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 09:46:33.48 0
>>977 何をもって断絶とするのか謎だけど、エジプト辺りもそれなりに、
中世から連続性あるでしょ。後、シリアも一応当てはまると思う。
それと、マイナーだけどイエメンもね。チュニジア・アルジェリアも、
連続性ある気がする。リビアは微妙だけど。イラクも微妙かな。
確実にないと言えるのはサウジアラビアや湾岸諸国のほうだね。
トルコはセルジューク朝以降はあるかも知れないけどこれも微妙。
ヨルダンなんかは明らかに近代になって作られた国という感じだ。
979 :
◆axCVsGomao :2011/04/17(日) 10:02:16.11 0
>>977 イランはモンゴルに支配されたけどな
イルハン朝はモンゴルだからな
980 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 10:12:54.58 0
>>979 以前、現在のイランは中国やロシア以上にモンゴルの支配を
981 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 10:14:21.17 0
>>980 ごめん途中で書いて送ってしまったorz
以前、現在のイランは中国やロシア以上にモンゴルの支配を
暗黒時代として強調することが多かったって聞いたんだけど、
実際はどうなんだろう?バグダード破壊とかのせいなのかな?
982 :
◆axCVsGomao :2011/04/17(日) 10:19:34.70 0
十字軍みたいなもんでしょ 文化レベルの高い地に野蛮人が来たから忌嫌われる
983 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 10:23:34.63 0
>>982 なるほど、確かにそういうものか。杉山正明氏なんかは、
モンゴル支配時代のイランは決して暗黒時代ではなくて、
むしろ文化的に栄えてたと言ってるけど(実際にそういう、
面もあっただろうし)、現在のイラン人の多くは十字軍と、
同じようなものと考えてるのかな。
>>981 清以降の中国は、大元ウルス時代を暗黒時代にはしてないでしょ?
現代でもチンギスハーンの映画を作ったり、廟や石像を立てたりして
自己の歴史として扱っている。
横浜中華街の広東料理屋でも、馬頭琴の演奏で《敖包相会》や《草原晨曲》を流している。
《次仁拉索》や《阿古班馬》も流れる。
でも、南新彊の《阿拉木汗》は、五音階ではないので流さないけどね。
985 :
◆axCVsGomao :2011/04/17(日) 10:37:18.86 0
986 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 10:42:57.00 0
>>984 そうだね。現在、モンゴル支配を暗黒時代と強調してるのは、
ロシアとイランぐらいかな。ロシアも最近ではあまりそういう、
傾向はないみたいだけど。中国は明まではモンゴル支配の、
暗黒さを強調してたけど、清以降はむしろモンゴル帝国を、
自国の歴史の一環として扱ってるからね。まぁ中国はともかく、
イランではどうなんだろう?やはり暗黒時代とされてるのかな。
>>985 杉山正明氏は確かに過激だから、(笑)扱いするのも分かるけど、
それなりに当たってる面もなくはないよ。まぁ、ただあの人は少し、
過激すぎるところがあるから、たまに付いていけなくなるけどね。
13世紀にモンゴルはプレスター・ジョンの孫であるという 風説が流布されたので、イランとしてはますます心象悪化。
988 :
◆axCVsGomao :2011/04/17(日) 10:46:15.87 0
ハザラ人ってモンゴル系だから差別されるんだよね?
989 :
世界@名無史さん :2011/04/17(日) 10:49:27.45 0
990 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 10:52:12.06 0
>>987 プレスター・ジョン伝説のせいとは思いつかなった!
確かに、キリスト教の味方的な扱いされたら余計に、
イメージは悪くなるだろうからね。分からなくはない。
>>988 ハザラ人は主にアフガニスタンのほうにいるけど、
確かにモンゴル系だから差別されてるのかもね。
991 :
◆axCVsGomao :2011/04/17(日) 10:57:58.70 0
実際にイルハン朝はビザンツの皇女を嫁にもらってるからな デスピナだっけか
992 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 11:13:18.10 0
>>991 当時のビザンツ帝国の外交はすごいよね。イルハン朝と、
友好関係を築く一方で、それと対立してるマムルーク朝や、
ジョチ・ウルスとも組んでるんだから。流石、最も狡猾な、
ギリシャ人と呼ばれたミカエル8世のことだけはあるね。
993 :
◆axCVsGomao :2011/04/17(日) 12:11:38.25 0
アバカがキリスト教だったというのがよくわからん
994 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 12:24:03.20 0
>>993 ガザンが改宗する前のイルハン朝はイスラムよりも、
キリスト教(特にネストリウス派)贔屓だったからね。
元々、ネストリウス派キリスト教はモンゴル高原や、
中国ではそれなりに流行ってたからそのせいでしょ。
995 :
大マケドニア帝国の成立 W :2011/04/17(日) 13:39:22.99 0
皇帝ルルーシュ
杉山正明は遊牧厨だろ 自分の領域をヽ(´ー`)ノマンセーしたいだけ
997 :
オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/17(日) 14:02:43.12 0
>>996 確かにそういう面は否めないね。まぁ、杉山氏自体のことは置いといて、
イルハン朝期のイランも確かにある程度文化的に繁栄した面もあるよ。
集史が編纂されたりナスィールッディーン・トゥースィーが保護されたり、
それなりに文化の発展に貢献してるからね。
999 :
世界@名無史さん :2011/04/17(日) 14:24:52.49 0
>>994 >元々、ネストリウス派キリスト教はモンゴル高原や、
>中国ではそれなりに流行ってたからそのせいでしょ。
えっ?そうなの?初めて知ったがソース教えてくれ。
1000 :
世界@名無史さん :2011/04/17(日) 14:27:33.15 0
千葉
1001 :
1001 :
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