1 :
世界@名無史さん:
三皇
五帝
殷
周
春秋戦国
秦
前漢
新
後漢
三国
を語りましょう
4 :
世界@名無史さん:2005/10/06(木) 14:57:20 0
生粋の漢民族は三国まで?
三国時代は別スレあるから対象外でいいかと
7 :
世界@名無史さん:2005/10/07(金) 05:31:41 0
夏は実在したのか
===============終了===============
このスレはただいまを持って閉鎖いたします。
10 :
世界@名無史さん:2005/10/14(金) 22:59:13 0
夏は実在したと思われ
夏は毎年来るから実在する
このスレ意味無いなあ。
昔、中国史総合スレッドってのが立ったことあったけど、
範囲広すぎだ!って言われて沈んだな。
13 :
壬左:2005/10/15(土) 20:44:58 0
秦漢(特に社会史を中心に)のレポートを書きたいのですが、何かオススメな事柄はありますか?
できるだけ濃い内容にしたいので詳しく教えていただければ幸いです。
人に質問するような奴はそんな濃いレポートは書けないので諦めろ
15 :
壬左:2005/10/18(火) 01:27:53 0
では何かおすすめな事柄はありますか?
教えていただければあとは自分で調べてみるので
16 :
世界@名無史さん:2005/10/18(火) 01:34:06 0
項羽と劉邦
王安石
18 :
壬左:2005/10/23(日) 10:12:43 0
>>16 項羽と劉邦のどんなことを書けばいいのでしょうか?
>>17 王安石は宋代の人でしょ?
19 :
世界@名無史さん:2005/10/28(金) 19:18:50 0
殷周春秦漢三隋唐宋元明清殷周春秦漢三隋唐宋元明清
20 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 21:24:02 O
項羽と劉邦って言ったら、いっぱい資料あるでしょ?その中から自分が面白いと感じたテーマについて書いたらいいと思うよ。
21 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 00:34:09 0
何故武力も能力も家柄もすべてに勝る項羽が
30まで何もしてこなかったおっさんに負けたのか
項羽と劉邦なんてどうせ「史記」に囚われる。
太史公の史観を抜け出せ無いのだからやめとけやめとけ。
宮城谷昌光って司馬遷の影響をモロに受けている気がする。
どんな人物でも貴種の末裔と設定するのが好きなところが強い。
本来の漢民族はペルシャ系の民族であった、と「世界史は妄想を超えて」と言うサイトのある項目に
書かれていたけど、あれマジなの?
>>24 新説なら、古代山東人の遺伝子がコーカソイドに酷似してたってあたりからの附会でねえの?
あるいは古色蒼然とした黄河文明西方起源説か(19世紀あたりなら珍しくない)。
もしくはどっかのオカルト電波を受信したか。
戦国七雄はユーラシア大陸だったなんて電波本が出てたこともあったからな。
始皇帝が青い眼だったなんて真顔で言うやつもたまにいるしな。
26 :
ニコル:2005/11/03(木) 01:22:48 0
殷って中国では「商」っていうらしいね?
なぜ日本では殷っていってるの?
> 始皇帝が青い眼だった
これもよく聞く話だけど、大モトの出典は何なのかな?
>>26 周とか周辺諸国が商のことを殷と呼んでた。つまり他称。
商が自称とあるとされてたから今の中国では商と呼ぶ。
と聞いた。
>>25 古代山東人は北方モンゴロイドだろ。
漢代の山東省の遺跡からから日本の弥生人(北方モンゴロイド)とよく似た特徴を
した人骨が発見されているのを考慮してみると、古代山東人=コーカソイドとする珍説はかなりの眉唾ものだね。
それに漢代や唐代に描かれたとされる漢人の自画像の絵を見てみると、どう見てものっぺりとしたモンゴロイド顔で、
とてもコーカソイド顔には見えないからね。
古代中国についての専門書や資料集を使って調べてみたが、いくら探してもそれらしき記述は一切見つからなかったしな。
>>27 始皇帝の他に、孫権が碧眼だったと言うのもよく聞く話だが、よく調べてみると、これは三国志演義に出てくる孫権の話で
あって、孫権が青い目をしていたと言うのは全くの創作であって、輝いた目つきであった=青い目をしていた、との事だ。
また、唐の皇帝が青い目をしていたと言う珍説もあるが、これも眉唾物で、唐の皇帝は北方民族の血を引く出身であって、
その北方民族は鮮卑族と呼ばれるトルコ系民族の出身である。
トルコ系はモンゴル人や日本人と同じ黒目黒髪のアジア系(モンゴロイド)の
民族であるから、碧眼だったわけが無い。なお、始皇帝が青い目をしていたと言う話を俺もよく聞くが、
始皇帝について資料集を使って調べてみたが、それらしき記述は一切見つからなかった。
俺はその始皇帝を輩出した秦族について詳しく調べてみたが、
秦族は西方出身の民族だったとよく言われているが、当時の『西方』とは現在の中華人民共和国の山西省や陝西省、青海省付近
の地方を指していると言われ、あくまで中原より西にある地方を一括りにして西方と呼んでいた訳であって、現在の西域や
西アジアの世界を指していたのではない。秦族も陝西省付近にいたと言われている。
この‘‘秦族,,はどの民族の出身であるかと言うと、チベット系、あるいは北のモンゴル・トルコ系の出身ではないか、
と言われている。これらを考慮してみると、自分には始皇帝が青い目をしていたと言う話は単なる誇張か粉飾か作り話に
しか思えない。やっぱり歴史学については慎重に調べて検証していかなければ、容易に捏造が起こり得る分野であると思う。
南京大虐殺や従軍慰安婦や教科書の戦前・戦後の記述がまさにそうであったように。
隋もやはり鮮卑普六茹部(意味は“柳”らしい)出身だ。
唐は鮮卑大野部出身で共に武川鎮(内蒙古南部)の貴族グループ。
それから東晋の二代目皇帝の明帝・司馬紹も碧眼で紫髪・黄髭と
謳われたそうだ。(これは孫権と同じ条件)
その理由は明帝の生母の荀氏が幽州出身の漢化した鮮卑族だったという。
夏王朝は実在したか否か
32 :
世界@名無史さん:2005/11/07(月) 04:48:25 0
三皇五帝は実在したか否か
でも、夏王朝がないとなると、商王朝の前はどうなっていたのか
わからなくなるね
夏王朝の時期に相当しそうな物はあるみたいだけど
商と並行して存在してた可能性があると思う
そもそも王権があったかどうかも気になるが
論文のタイトル見ると、ほとんどみんな夏王朝じゃなくて夏文化って書いてますね。
今の流れはそうなってるんですか?
やっぱり王朝と言えるほどの規模じゃなかったんだろうか…
36 :
世界@名無史さん:2005/11/15(火) 09:31:36 0
あげ
37 :
世界@名無史さん:2005/11/15(火) 14:51:12 0
王朝としての規模は秦が初めてかもな。
こういうスレいいじゃん
39 :
世界@名無史さん:2005/11/22(火) 09:45:24 0
でも落ちてる
あげとくわ
王朝じゃなくても王らしき存在はきっといただろう。
宮殿跡だって発見されてるのだし。
40 :
キャッ素:2005/11/27(日) 04:47:22 0
まぁ、たしかにどっちかっていうと王朝ってより都市の連合体って感じだよね。
それに紹興県の会稽山のふもとに「う陵」があるし。
41 :
世界@名無史さん:2005/11/27(日) 05:31:58 0
ギリシアの都市国家は民主制を生みましたけど中国の都市国家の
殆どが専制的な政治体制を取ったのは何故でしょうか?
なにそれ
自然の差
ギリシアのような温暖で温和な自然は人の独立心を育てる
逆に厳しい中国の自然は人の集団を必要とする
集団ができればその指導者が必要になり結局専制政治の温床になる
ギリシャだって禿山みたいなとこ多いぜ?
揚州あたりと比べたりしたらまさに逆だろ。
自然要因論っていうより交通の便とかのほうがはるかに大きいと思う
言葉足らずだったな
中国のように河の氾濫がヤバイ規模で起こる厳しい自然の地域は大規模なインフラ整備が必要
そのためには専制政治のように強権を持った政治体制が必要になるって寸法だ
どっかから移住してきて、先住民ぶっ殺して、
じゃあみんなで土地を平等に分けよう、とかなったら、
力つけた連中が王を追放したかもしれないが
水利専制論ですな。尭舜の伝説を見ても、治水がかなり古い時代から
重要な要素を持っていた見たいのは確か見たいですが。
48 :
世界@名無史さん:2005/11/28(月) 07:59:06 0
49 :
世界@名無史さん:2005/11/28(月) 08:06:45 O
>>44 古代ギリシアは禿山は少なかった。 俺は自然環境原因論じゃないがね。
50 :
世界@名無史さん:2005/11/28(月) 09:15:44 0
大概、民族の移動に使われた地はハゲてるもんだ
特に通行量の多かった地は砂漠化してるよな
51 :
世界@名無史さん:2005/11/28(月) 11:01:38 0
52 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 21:26:42 O
47
確かに治水灌漑は昔の人にとって重要なことみたいだね。戦国時代の秦も、韓から招いた土木作業に精通した役人が、韓からの間者と判明しながらも登用してたみたいだしね。
春秋戦国の魏の信陵君は、晩年恵まれないものの四公子の中では一番かと。どうですか?
53 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 22:50:38 O
自分的には孟嘗君かな 彼の場合、史記と戦国策ではずいぶん書かれ方が違う気がする
54 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 23:03:41 0
その時代に及ぼした影響力では孟嘗君のほうが遥かに上だけど、
後世の人に慕われたという点では信陵君かな。
55 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 23:09:07 0
ニート三千人を養うなんて太っ腹だよな
56 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 23:23:32 0
それじゃあ孟嘗君≧信陵君>平原君>春申君となるのかな
春申君の晩年を考えると四公子に入っているということがかなり疑問だ
57 :
世界@名無史さん:2005/11/30(水) 23:39:10 0
多分若いときに秦をうまいこと手玉に取ったことが評価さっれてのエントリーじゃん?
死に際はイケてなかったけどあの時の秦相手によくやったっしょ
それか他にぱっとした公子がいなかったとか…
平原君の方がダメダメじゃない?
59 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 07:15:59 0
個人のキャラクターとして一番明るくて、影を感じさせないのは平原君だけどね。
政治的には、だよ
他の3人は各国の宰相兼務とか軍事的成功とか外交成功とかあるが平原君はポカばっかりだ
ある意味、平原君≒高祖劉邦
62 :
世界@名無史さん:2005/12/01(木) 11:09:23 0
>>60 平原君は馬服君趙奢を推挙してるから、孔子流に言えば賢人だ。
孔子は弟子の子貢(端木賜)に、
「今の世の人臣で、たれが賢でしょうか」と問われて、
「今の世にそのような人はいない。昔は、斉に鮑叔(ほうしゅく)がいて、
鄭に子皮がいた。すなわちその二人が賢であった」
と、いった。意外な答えだったので子貢は、
「斉の管仲、鄭の子産ではないのですか」
と問いを重ねた。
「賜よ、なんじは一を知っているだけで、二を知らぬ。賢を薦めるのを賢というのだ。」
「賢者を推薦する人が賢者なのですか」
「そうだ。鮑叔は管仲を成功させ、子皮は子産を成功させた。ところが、管仲と子産が
自分の才にまさる者を成功させたとは、聞かぬ」
斉・趙・魏・楚にはそれぞれ有名な戦国4君がいたが、秦にはいなかったんだな。
武安君白起は食客を養わなかったのかな。
呂不韋とか
65 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 05:07:42 0
秦は商鞅の変法で、国王権力から半ば独立したようなそういう「君」が存在する余地はない。
あるわボケ
ただ領土が功績なしに安泰ではないって事
そのために王センは何度も子孫に領地をお願いしますと言って秦王政の疑いを逸らせたりしてるだろ
商鞅自身が商を領土に貰ったから「商」鞅だろうが
それ以前は公孫鞅とか衛鞅とかだった訳で
上でも出てるが呂不韋は食客を大勢集めて呂氏春秋とか書かせてるじゃないか
67 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 11:27:41 0
君主と対立しても孟嘗君は天寿を全うできたが、呂不韋は毒を飲まねばならなかった。
ボケはお前だ。
はいはいわろすわろす
そりゃ個人差だ
ボケナス
70 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 15:57:01 O
韓や燕には有名な公子はいないのかな
71 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 16:06:42 0
秦の統一事業はいつごろから秦の国是となったんだろうか?
秦王政の治世以前からそういう意識はあったのかな?
穆公あたりからかな?
75 :
世界@名無史さん:2005/12/02(金) 18:09:49 0
覇者として会盟を主導するというのと、互いに攻伐して他国の土地の
一部を領土として編入する、というのはあったと思うけど六国を殲滅して
郡県制のもと秦国に完全に編入するというのは始皇帝以後の新しい動きじゃない?
張儀が恵王にたらしこんだころから
韓って秦や楚と国境を接しながらよく最後のほうまで生き残れたものだな。
戦国時代に一度も脚光を浴びることがなかった弱小国なのに。秦に韓非を
派遣したり、鄭国を送り込んで国力の弱体化を図らせたり、涙ぐましい努力を
しているのには泣ける。
とは言っても、韓非の派遣も、鄭国の土木事業も逆に秦の国力を増大させただけのような
79 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 00:26:48 O
申不害を忘れないで
韓は中原の先進地域だけあって結構、人材を輩出してる?
81 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 02:28:09 O
張良
82 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 04:02:12 0
>>73 現実的な政治課題になったのは昭襄王からじゃない?
范雎の後任で秦宰相になった蔡沢って宰相なった後なんかやったのかな?
尉繚子を政に推薦したとかそんなことぐらいしか知らないんですが
秦は商鞅の改革後、他国を明らかに圧倒するようになったからかね。
昭襄王の時代には白起という戦の天才が出てきて連戦連勝だったし。
>>79 おまいさんの気持ちが痛いほどわかる。
韓に人無しみたいなレスが続いてて悲しいこと…。
秦王の諡号は恵文王から、恵文王、悼武王、昭襄王と文→武→襄(成)という形を
取っていることで、周の草創期に秦を重ね合わせているということが言えるという
話があるけど、これは秦の中原進出への意欲の表れなのか、それとも他国でも見られた
一般的な傾向なんだろうか。
この時期に内政に商鞅、外政に張儀、軍事に白起と重量級の人材を用いたことで秦は後の
統一の基礎を整えたと言えるが。
>>86 >秦王の諡号は恵文王から、恵文王、悼武王、昭襄王と文→武→襄(成)という形を
>取っていることで、
それ、もしかして平勢センセですか?
>>87 さいです。 平勢隆郎氏の説です。私のは孫引きですが(汗)
諡号の問題などに詳しい方でしたらご教示頂ければ幸いです。
89 :
世界@名無史さん:2005/12/04(日) 17:12:56 0
白起は無意味に戦争して殺しまくったようなところがなくもないがな。
長平の40万だけじゃなく伊闕でも24万殺してるからな。
その他大小戦闘併せたら100万いくんじゃないかw
秦は首をもって功となす、われは東海を踏むのみ
93 :
よろずこ:2005/12/05(月) 00:13:42 0
>>89 ここでなんきんっていっちゃだめだよね。
個人的にはこの人の事跡を知って以来、
南京関連連は怪しいのだが。
秦は首の数が戦功の証だった希ガス
>>92 なんか名物男見たいですね;紙一重というかなんというか。
96 :
世界@名無史さん:2005/12/05(月) 05:28:27 O
司馬錯、樗裡シツ、ギゼン、なんかも語られるべきだ
黄帝って内モンゴル辺りの豪族だったのかな?
この時代の人物なら重耳が好きだわ。晋の文公。次点は伍子しょ。皆さんはいますか?
唐且
始皇帝との対決は侠気を感じさせずにはいられない
100 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 00:23:10 0
鬼谷先生が100ゲット
范雎。
屈辱をバネに秦の宰相にのし上がり保身のために惜しげもなく地位を捨てた。
いい意味で俗っぽくて好き
102 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 11:23:14 0
土曜日にテロ朝の始皇帝に関する番組があったけど、観た?
始皇帝暗殺説(始皇帝は病死ではなく、趙高に毒殺された)
趙高復讐説(趙高は単なる強欲悪徳宦官ではなく、趙の王族の子孫で、秦への復讐を誓い、
自ら男根を絶ち宮廷に入り込んで、意図的に秦王朝を内部から崩壊させた)
を唱えていたけど。
103 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 11:40:18 0
男根を絶つのはどう理屈をつけても孝道に悖りますね。
先祖のためというなら、そんなことはしないでしょう。
104 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 13:10:50 0
儒教的な価値観が始皇帝当時、普遍的価値をもっていたかだが。
うぜーつって坑埋にされてたぐらいだし。
戦国末期の儒教は諸子百家の一つに過ぎない
その儒教が国教となるのは漢代に入ってからで戦国〜秦代の人間が儒教一辺倒の思考をするとは考えにくい
先祖の祀りを絶やさないというのは、別に儒家に限らず昔からあったと思うが。
107 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 14:16:03 0
始皇帝陵の本格的な学術調査が始まったのはつい最近だそうだ。
あれだけ大きな宝の山が2200年ものあいだ盗掘も調査もされず、放置プレイされてたのが不思議でならん。
本来なら真っ先に項羽の略奪軍の餌食になってしかるべきだし、
そうでなくても後世の盗賊どもに暴き尽くされて今ごろ穴だらけになっててもおかしくない。
それほど「機械仕掛けの石弓」とやらが怖かったのか?
史記には、あの山の中に、地上そのままの空間を人工的に造り
水銀を以って川や湖をなし、機械仕掛けで循環するようにした、とある。
さすがに嘘だろと思ってたが、
調査によると、始皇帝陵の土壌は水銀濃度が他に比べ異常に高いことが分かり
地下に水銀の泉が本当に存在した可能性がでてきたらしい。
あとは、「機械仕掛けの循環装置」だが・・・・当時にポンプなんかあったのか?
108 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 15:53:35 0
いずれの中国の歴史は、モンゴルと表裏をなして存在をしていた。
>>107 おまいさん史記読んでないのか?
項羽は阿房宮を焼いた後に驪山陵を盗掘して焼いてるぞ。
いまの始皇帝陵はその残骸だな
110 :
世界@名無史さん:2005/12/06(火) 23:09:07 0
>項羽は阿房宮を焼いた後に驪山陵を盗掘して焼いてるぞ
地下宮殿には手をつけなかったの?
>>110 驪山陵は地下宮殿も含んでる。
地下の宮殿に財宝も埋葬されそれが項羽によって大々的に盗掘された。
財宝を運び出すのに車3万台が必要だったと史記にある(オーバーかも)
その後火をつけられたが水銀は運び出されずに埋まった可能性大。
水銀の川や海が作られその水脈は3つあったということだからね。
112 :
世界@名無史さん:2005/12/07(水) 02:45:56 0
阿房宮は萌えてないと、最近の中国の調査結果で出てるよ。
つまり何十日も萌え続けたという史記の記述はウソ
大本営発表が元ネタだろうしね
結局、この前のテレ朝の秦の話は、
最も有力な説なの?
それとも、単に番組独自の新説なの?
(´・ω・`)
115 :
世界@名無史さん:2005/12/07(水) 03:16:35 0
18 名前: 田中 投稿日: 2005/12/07(水) 03:13:56 ID:Ps4X4xkn0
Σ(^ハ^;) かんてい☆りゅうほうの冒険 | ^ハ^)ノ
殷の神権政治は萌える。何かあるごとに生贄をささげて穴埋め。
禍々しい青銅器。現代人とは全く異なる世界観に生きていたのがよくわかる。
あれが発展していくとどういう文化、文明が生まれたのか。
周に取って代わられたのが残念。何で周は殷の神権政治を継承しなかったんだ。
古代中国の女官(宮女)について質問させて下さい。
妃・賓・夫人などではなく、宮廷で仕事をしている女官達は結婚する事はできたのでしょうか?
韓国ドラマの「宮廷女官チャングムの誓い」を見たのですが、
女官は結婚することはおろか男性と関係を持つ事でも厳罰に処さるとありました。
それで、お隣の中国はどうだったのかな?と思いまして。
韓国にとって中国はお隣じゃなくて宗主国様
文化でも政治でもな
119 :
世界@名無史さん:2005/12/07(水) 09:56:34 0
>>116 マヤ・アステカと同じような宗教感情でしょう。
唐の場合はほとんどの皇帝が一回以上は宮女の開放を行い、その後の結婚は自由だったそうだ。
もっとも開放されるのは年寄りが多く、実質的には姥捨てのリストラ解雇だし、
お手つきは開放されなかったと思うが。
日本の奈良時代は結構共働きが多かったりする。
121 :
117:2005/12/07(水) 19:26:10 0
>114
誰か解らない?(´・ω・`)
殷なら王が死ねば宮女も一緒に王墓に生き埋めだな。
124 :
世界@名無史さん:2005/12/08(木) 13:15:46 0
>>114 どうでしょうね?
秦と趙はもともと同族ですから、復讐しようがしまいが共通の先祖である
商の飛廉を悲しませることになりますね。
>>124 あれは何世紀も後に書かれた小説らしいけどね。
126 :
世界@名無史さん:2005/12/10(土) 10:21:06 0
127 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 11:57:45 O
教えてください!!先生がテストに出る問題のヒントを出してくれたのですがわかりません!!これがそのヒントです↓↓ 思想と文学は関係なし。漢代以降。これが存在しなければ国家は稼働しない。 わかった人がいたら教えてください。
128 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 12:07:11 0
>>127 そんな抽象的な質問されても困るよなあ。
宦官?
129 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 12:43:34 O
儒教と答えさせたいように思えないこともない
130 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 13:09:19 0
塩と鉄だろ
人は城、人は石垣、人は堀
ってことで「人」
印璽だろ
愛だろ、愛
134 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 20:15:35 0
塩法かな?
漢代以降に限定されてるのか。
法だろ
高校の中国史なら土地制度などが頻出なのは受験では常識。
まぁその先生が受験を見込んだ試験をするかは知らんが
>>136 法がなければ国家が立ち行かないのは戦国からだろ
138 :
世界@名無史さん:2005/12/15(木) 17:00:25 0
塩鉄専売
一応統一された漢字…は秦だしねえ
137
その通りだが、相手は高校レベルじゃないのか?
まぁ法と言うより中国的制度の原形が前漢で成立するな
高校レベルなら塩鉄専売や法と言ったワードは前漢から、秦で一応法家は出て来るがソレといった法律は出て来ない、郷挙里選とかの官吏登用制度もこの頃
一般的な高校教師ならこれらを出すのがセオリーだ。
高校レベルでも間違った事を教えちゃいかんな
塩の専売は春秋時代から行われてた形跡があるから漢代からの物ではない
春秋戦国時代、秦は後になって法家を取り入れたから最も完成した法を作る事が出来た
商君の変法から法家が始まったんじゃなくてあれは完成形に近い物だった
秦帝国になってかも法律無しに国家は動かず漢代以降の物とは言えない
法律の名前こそないが内容は微妙に残っているのも重要
出すんだったら漢代からは〜なんてアホな設問じゃなくて漢代で重要な法律は何か〜みたいな設問するのが一般的だろ
143 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 12:24:51 0
>>142 高校の世界史教師のレベルを買いかぶりすぎじゃないか?
結構適当なこと言ってるもんだ。
確かに漢代発足のものって何も浮かばないからな
そもそも「漢代以降でこれが存在しなければ国家は稼働しないもの」って言う問題がおかしい。
そんなものが有れば春秋戦国時代には国家が稼働していなかったことになってしまう・・・
まぁ大抵の学校の教師なんてそんなもんだ
予備校などと違って実績を毎年出す必要も無く、猥褻な行為とか暴力さえ振るわなければ、例え教科書丸写し授業でも定年までぬくぬくとやってイケる
そんな中国の法律が〜とか深い事を考えた事もないんだろうな
奴等の真実は所詮教科書どまりだ
で、ちなみに答えは何なんだ?
>>145 そうか?漢代以前にも存在はしたが、漢代以降ようやく国家政策の中心になった
という考え方もできると思うが。
漢代発足物は「儒学の国教化」じゃないかね
149 :
世界@名無史さん:2005/12/18(日) 18:51:43 O
ちなみにこの問題は大学の定期試験の問題です。
授業で配られた紙、全部見直せばわかんじゃね?
思想と文学関係ねーっていってるんだから、儒学はどうかなぁ
127<
結局何が出題されたんだ?
>>77 いつの時代も「韓」のつく国は駄目なんだよ
155 :
世界@名無史さん:2005/12/23(金) 12:09:55 0
age
156 :
世界@名無史さん:2005/12/23(金) 13:30:48 0
今の漢字は周がつくったもの
弩って凄いよね
歴史博物館とかで実物(トリガーのところ)見たときはマジビビった
紀元前の武器とは思えん
158 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 22:36:40 0
スレの流れに反してたら、すいません。
諸子百家で、牧歌・名家・陰陽家は儒家の流れを、法家兵家農家は道家の流れを
くんでいると本で読みました。でも縦横家は書いていませんでした。
縦横家はどちらになるのでしょうか?
外交って作為か無為自然か…。
知っている方いましたらぜひお願いします。
159 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 23:31:43 O
縦横家や兵家は法家の一種でしょ
160 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 23:37:03 0
>>158 そもそも縦横家に思想なんか関係なさそうな気がするが…
強いていえば弁舌の才が必要だろうから、儒家→名家→縦横家の流れか?
それよりも、諸子百家は結構相互に影響を受けてるから
流れがどうとかあまり気にしないほうがいいと思いまつ。
縦横家って分類基準はその思想・発言内容じゃなくて
行動様式だからねえ。
今でいうロビイスト。保守もいれば左翼もいるし
プロ市民運動家、詐欺師、スパイいろいろ。
162 :
世界@名無史さん:2005/12/27(火) 05:01:07 0
163 :
世界@名無史さん:2005/12/27(火) 09:48:37 0
>>162 にもかかわらず『韓非子』には
喩老篇・解老篇とかあって、『老子』を法家的に解釈していたりする。
結局韓非子くらいにもなると儒家・道家両方の影響受けてるんだお。
>>158 >諸子百家で、牧歌・名家・陰陽家は儒家の流れを、法家兵家農家は道家の流れを
>くんでいると本で読みました。
いったいどういう本か知らないが、その本あまり信用しないほうがいいよ。
あの時代って明確な区分なかったんじゃねーの。
老子を中心に教えますが、法律も教えます。ついでに弁論術もやってます。みたいな
墨以外
老荘の徒はそんなにつぶしきかんだろw
166 :
世界@名無史さん:2005/12/27(火) 14:50:38 O
中国五千年の物語 第1巻 三皇五帝から夏殷周三代
本屋で見かけた。
168 :
158:2005/12/27(火) 23:17:40 0
>>159〜
>>166 有難うございます。こんなに返事を貰えるとは思ってませんでした。
では、縦横家はどちらの流れをくんだわけでもなく、春秋戦国時代において、
様々な諸子百家が生まれる中で、「じゃあ外交を考えよう。」と思い立ったと
いう風に見るのがいいみたいですね。
本当に有難うございました!
鬼谷子でも読めば発見があるんじゃね。何となく道家の匂いがするが。
ところで鬼谷先生って長生きしすぎですね。そういう学派の総帥が鬼谷子
を襲名してたのかな。
>162
最近の論調だと韓非は荀況の直接の弟子じゃない感じになりつつある。
荀況は斉の襄王の元で祭主やってた時期に
老荘、というより逸周書や陰符経にかろうじて残ってる
西周以前の黄老思想を翻案し、
結果的に儒教の主流とはかなり距離ができたものの当時の諸学をほぼまとめた。
管仲の趣味だったのか、桓公の時代に魯から大量に古竹簡を
戦利品として鹵獲したものが当時の斉には伝わってたらしい。
であれば亡命前の孫武も史官時代に古記録に目を通したかもしれない。
鬼谷子辺りの本物の著作が伝わってれば…惜しいな
171 :
世界@名無史さん:2006/01/05(木) 14:56:23 0
合掌!
173 :
世界@名無史さん:2006/01/09(月) 22:39:16 0
殷のマイナーな面白い話教えてくださいな
合掌
礼拝
176 :
世界@名無史さん:2006/01/10(火) 23:29:06 O
明日いよいよテストなんですけど…出る問題のヒントをもらってもまったくわかりません。論文1問だけなんで的外したら本気でヤバい。ちなみにヒントっていうのが
>>127にでてます
177 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 00:09:16 0
>>170 「最近の論調」って誰がそいこと言ってるわけ?
179 :
世界@名無史さん:2006/01/12(木) 23:33:00 0
始皇帝の祖母を葬った陵墓が発見されたとな!
よく今まで残ってたもんだ。
記事検索したがまだ載ってないみたいだ。
181 :
世界@名無史さん:2006/01/13(金) 05:19:36 0
南朝鮮の国定歴史教科書にはこのように記述されているそうで・・・
BC7000年頃 パミール高原(現在のタジキスタン)で世界最古の文明である朝鮮文明誕生。
9000年歴史が始まる
BC4000年頃 一部の朝鮮民族が世界各地に移住を始める
BC3500年頃 朝鮮文明がパミール高原から西へ伝わりメソポタミア文明が誕生
BC3000年頃 メソポタミア文明の影響でエジプト文明が誕生。
同時に朝鮮民族の大部分がパミール高原から東方へ移動を始める。
5000年の歴史はここから始まるが実際には9000年とするべきである。
BC2500年頃 パミール高原から朝鮮文明が南下してインダス文明が誕生
BC1700年頃 朝鮮民族の一部が黄河流域に住み着き黄河文明が生まれる。
こうして全ての文明は朝鮮民族によって作られた。
BC1500年頃 中国に殷王朝成立。もちろん朝鮮民族の王朝である。
BC1000年頃 中国に周王朝成立。殷王朝の一部の朝鮮民族が満州に移住して古朝鮮を成立する。
BC500年頃 朝鮮民族は古朝鮮に集結し、世界の中心として繁栄する。
182 :
世界@名無史さん:2006/01/13(金) 10:01:40 0
>>181 ぜんぶう〜そさ そんなも〜んさ あさのれきしは まやかし〜♪
183 :
世界@名無史さん:2006/01/13(金) 10:07:38 0
朝鮮人の存在自体が捏造
184 :
世界@名無史さん:2006/01/13(金) 17:19:06 0
質問です。
後漢書にでてくる異民族『哀牢夷』につて調べたいのですが
何かよい文献、論文はないでしょうか??
調べても見つかりません。ヨロシクお願いします。
単発質問ですみません。
185 :
世界@名無史さん:2006/01/13(金) 19:22:56 0
この時代、特に春秋戦国時代には思想書や兵書が多いですよね。
日本の戦国時代には孫子、呉子のわうな兵書、
荀子や孟子のような思想書は記されなかったのですか?
186 :
世界@名無史さん:2006/01/13(金) 20:05:15 0
>>185 日本の戦国が中国のそれと決定的に違うのは、降伏した兵士を何万も
埋めて殺すようなことはしないし、負けた国の国民を全部奴隷にして
好きな所へ引きたてるようなこともない。
万事においてぬるいですから、そこまで突き詰めて考える必要もなく、
借り物で上辺を撫でておけば済んだんでしょう。
>>186 ヨーロッパで例えるなら、
日本の戦国時代は中世の封建領主同士の戦争、
中国の戦国時代はナポレオン戦争以後の国民国家同士の総力戦。
同民族で一部の階層だけでやってる戦争がなあなあなのは当たり前の事。
お前ら馬鹿だろ
長さが違うんだよ長さが
長さ?
190 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 12:08:29 O
>>176さんへ 試験問題は「漢代以降の官僚制度の移り変りについて述べよ」でした。そういえばB5用紙いっぱいにこの問題文が書いてあった。そして解答用紙はA3用紙1枚
思想はモロに儒教その他が関係あるし官僚制度そのものが
軍政にとってかわられて機能してなかった時期だってあるじゃんよ…
ゆとり教育は教師をもダメにするのか。。。
192 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 13:15:41 O
大学なんですけど…しかも三国志で有名で本人から聞いた話、秋葉原?で三国志オタクにサイン求められたって言ってた
193 :
世界@名無史さん:2006/01/19(木) 22:47:35 0
>>192 試験乙。
>秋葉原?で三国志オタクにサイン求められたって言ってた
ワロスwwwwwwww
できれば模範解答のようなものも書いてくれるとありがたい。
渡辺義浩先生とかかな?
まあ官僚組織なんかは、当時の思想よりは現実に強く影響される問題かな。
現実問題にどう則するかも思想であると言われればそれまでだけどねw
保守
196 :
世界@名無史さん:2006/02/07(火) 07:40:07 0
保守
定期保守
198 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 22:54:31 0
渡邉先生の試験は、氏族制の解体過程と係わらせながら郡県制と郡國制を
比較する出題と、隋唐帝国形成における関隴集団の役割という出題と、唐
宋変革を踏まえたうえで王安石の新法の意義を問う出題の三つのなかから
一つを選び論述させる問題でした。
199 :
世界@名無史さん:2006/02/20(月) 03:24:34 0
秦の始皇帝の時代、日本はどうだったの?
この頃の言葉って統一されていたのかなぁ
それと楚と燕の人って同じ漢民族なの?
202 :
世界@名無史さん:2006/03/05(日) 11:41:22 0
>199
孝霊・孝元天皇の御世でございw
203 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 16:41:35 0
204 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 16:42:43 0
Windows版『三國志11』3月17日(金)発売!!
ファン待望の超大作歴史シミュレーションゲーム「三國志」シリーズ最新作となる
『11』が3月17日(金)にいよいよ発売されます。
3D一枚マップとじっくりと戦略を練ることができるターン制の採用により、
かつてない奥深いゲームシステムを実現。
三国時代を綺羅星のごとく駆け抜けた群雄たちの生き様を体感してください。
http://www.gamecity.ne.jp/sangokushi/11/
civ4日本語版まだ?
>>204 三國志なんて6以降やってないが、
めんどいユーザー登録してやってみたが、舌戦とかはとりあえず無視して
なんで城の外に街作るんだ?時代設定日本?
>>204 こんな物作るよりXをXP対応にしろと言いたい
いやVIの時間差戦闘が通にはいい
209 :
世界@名無史さん:2006/03/32(土) 12:51:03 0
■弥生人中国説の容疑を厳しく追及するスレ■
1 :出土地不明 :2006/02/15(水) 22:30:31 ID:nevCGQAC
江南説にしろ華北説にしろ、弥生人が本当に中国から来たのなら、
何で当時の中国の主流だった灰釉陶や印文硬陶が伝わってないのかね?
最低でも何で粗悪な灰陶くらい伝わっていないのかね?
何で漢字の前身である金石文も伝わっていないのかね?
何で青銅貨などの金属貨幣くらい伝わっていないのかね?
何で木製車輪のような便利な良いものが伝わっていないのかね?
何で当時の中国で主流だった土とん墓が主流にならないのかね?
何で弥生文化は紅陶文化と支石墓文化なのかね?
これらは当時の朝鮮から満州にかけての文化ですよ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1140010231/
210 :
世界@名無史さん:2006/04/16(日) 11:49:41 0
ほす
211 :
世界@名無史さん:2006/04/30(日) 10:44:11 O
古代の中国はいいな
今はうんこだが
212 :
世界@名無史さん:2006/05/05(金) 00:48:31 0
うんこが堆肥となって再び沃野を取り戻す日を待とう・・・無理か。
213 :
よろずこ:2006/05/07(日) 21:23:42 0
>212
生きてるうちは無理そうだ。
214 :
世界@名無史さん:2006/05/08(月) 19:00:07 O
周のぶん王ってすごいの?
215 :
世界@名無史さん:2006/05/09(火) 16:16:02 0
美麗を引き渡せ
216 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 15:33:58 0
保守しとこう
豚の歴史がどうしたって?
秦は末期になっても章邯のような名将を輩出できたんだから、
だれかが趙高を誅することができればもっと続いていたのかね。
軍閥の寄り合い所帯とか、
政権の維持に軍隊しか頼れない(全国統治じゃなくて政府内の話ね)ならともかく
秦は中央政府の権限が半端じゃなく強かったから、
軍人では簡単にはどうにもできんかったと思うぞ。章邯は正確には軍人とも違うしね。
むしろ秦では政治派閥の形成が進まなかったような感じを受けるんだけど
そういった中間層の弱さが短命や趙高独裁の原因のような気が。
たくさんの柱(官僚とか政治家とか軍人とか)で支えてるんじゃなくて、
一本しか柱が無くて、あとはひもでぶら下がってるという。秦はそんなイメージがする。
秦に政治派閥がなかったとは思えんのだけど。
李斯が韓非を警戒して獄死させたり、蒙恬が排斥されたり。
政治派閥を分析するには、いまだ分からないことが多すぎるんではないかと。
二世の元年の早い時期に関東で乱が起こっていることからも、秦末の乱は趙高の
独裁にそく起因するものでなくて、もっと古い根を持つものだと思われるし、趙
高ひとりを除いて乱が終息するするほど安直なものでもない気がする。
そりゃまぁ秦も一枚岩でずっといられていたらもっと早いとこ統一できていただろうな
臣が上の上まで上り詰めるとことごとく足引っ張られるのは他国と変わらん
そもそも他国の人間を排斥する運動らしきものがあったような
222 :
世界@名無史さん:2006/06/17(土) 21:39:11 0
定期あげ
223 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 19:55:31 0
「紫禁城の黄昏」の完全本(祥伝社)で、監修者の渡部昇一が書いているけど、
周代と唐代とでは「中国人」の人種がほとんど入れ替わっているらしいね。
225 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 18:29:46 0
人
(__)
(__)
(,,・∀・) ))
/つ( ̄`ヽO_ノ⌒ヽ さてと、そろそろ寝るか
ノ ) \ ))
(__丿\ヽ :: ノ:::: )
丿 ,:' ))
(( (___,,.;:-−''"´``'‐'
人
(__)
(__) < 寝る前にウンコー!!
( ・∀・ )
/ _ノ⌒⌒⌒`〜、_
( ̄⊂人 //⌒ ノ ヽ)
⊂ニニニニニニニニニニニニニニ⊃
/\_,, -―――-- _
| ∧ ___ `ヽ
/ ̄ ̄` ヽ ノ´__`ヽ \
\ _ノヽ〕斗- ―――‐\ \
\/ / \ )
| / | l l ___/ハ |ー―r‐‐'
| /_ノl 斗-ハl l/リ/ハ`刈 l |
〃 / ハ i|八 ィfテト イr'ハトj イ /
/ /ハ从ハハ い} ゞ-'〃/l/ は、はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!
/ /l トi i}込 " '- "//斗
/ | !.N f´ _`≧ェイ「ニニ人___
〆 , / / て)(_) `ヽ \
// V / / /Y´l| 〉 \
/ ′ ∧ ∨イ シ弋‖ l / ̄个/
. / , 〈 \ ./ {{‐‐- ミ、 /l く/-=ミ /
/ , \ \j´ ̄` `ヾ `> 、__|`i i___
. / , \イ´ ̄`ヽ z \}‐<´| \ハ /
/ i /´7´ ̄`^ーへ_シ}=- ! ` ー} /
,′ l / 〃 ノ イ \ | V 〉
, (l i ノ) / i \! V
! ,人ノ`ヽ / / |i l i \
! ト\ / 〃 |l ! l \
, / | /イ 夾 夾 i ハ /j >
. V イ\ ∧/. ! // \ /ハ 夾 〈 ∧__, ´ /Lニ}
\l \7/ .l/ / /\/ / l\ / \ lト、___/」´_ニア
/ム/厶/、_ ,厶_/ム/ーzj L\/ | \」| V`Y´
くヘ´ ̄`  ̄` l  ̄「ハ¬---Lz __∧ \
227 :
世界@名無史さん:2006/07/13(木) 00:02:19 0
定期あげあげ
228 :
世界@名無史さん:2006/07/17(月) 22:59:11 0
龍崗秦簡って何ですか?
ぐぐってもよく分からないので教えてください。
230 :
世界@名無史さん:2006/07/18(火) 00:41:47 0
232 :
世界@名無史さん:2006/07/19(水) 12:18:24 0
天皇=天照
地皇=月読
人皇=スサノオ
伏義=イザナギ=アダム
女渦=イザナミ=イブ
なんて仮説ともいえない妄想をしてみたり
234 :
世界@名無史さん:2006/07/19(水) 14:22:42 0
イザナギとイザナミ、伏義と女媧は兄・妹だが、アダムとイブは兄・妹じゃない。
アダムとイブは聖書にある製造法によればクローンだが、
父娘ということでいいのかね
236 :
世界@名無史さん:2006/07/20(木) 03:52:24 0
文字と時代性について・・・
どういう意味??
誰か教えてください。
237 :
世界@名無史さん:2006/07/21(金) 23:09:41 0
スレ違いだけど柳田節子先生がお亡くなりに・・・
238 :
世界@名無史さん:2006/07/26(水) 15:20:20 0
ここで語ってるような内容学べる私立大学ってどこがオススメですか?
友達には國學院と東洋と国士舘の東洋史専攻を勧められたんですが良く分からなくて・・・
東洋って東洋史教授の陣容が薄かったような。
240 :
世界@名無史さん:2006/07/26(水) 15:45:07 0
>>238 この分野ならば私立大学は避けた方が良いが
東洋>國學院>>>国士舘
東洋がいいわけねえだろ。
教授の専攻みろよ。
242 :
世界@名無史さん:2006/07/26(水) 16:36:53 0
>>29 間違う人がいるから言うとくけど、トルコ人は一応「コーカソイド」やで。
山東から遺伝子レベルでコーカソイドに近いんが出たっちゅうのは本当の話や。
見た目は、アジア人やけどな。見た目と遺伝子がつながらへん事もあるんやで。
243 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 00:07:22 0
238です
ここら辺の東洋史を学ぶならこの3校以外にも良い私立ありますか?
国立はちょっと無理そうなので・・・
優先順位(?)というかどっちの方がいいとかあったら教えてください
244 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 00:28:41 0
國學院はしょぼいよ。
245 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 01:33:50 0
学習院とかはどう?
246 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 03:01:12 0
238 243です
正確には中世までの東洋史を中国史中心に詳しく学びたいです
春秋戦国から楚漢・三国はもちろん、隋や五胡十六国も好きなので(なぜか宋以降はあまり…)
247 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 12:55:20 0
幅が広すぎ
東大・京大余裕の学力があって、40歳までプーでも生きていける家財があり、
「歴史学者で食っていく」以外の人生を考えたくないのなら、
学校選択が最重要かもしれんけど、
実際のとこ(俺は君の実際を知らないが)、
自分の現在の学力・偏差値と志望大学の環境
(特に蔵書関係と先生の履歴<変な活動してる人だとやだしね>を調べておくと良さげ)を
基準に考えておけば良いんじゃないか? そこに自分の興味対象を専門としてる
先生がいれば当たりと思うくらいだな。
研究は一人でやるもんだし、今の世の中なら十分、一人でもできるし、
大学で先生が教えてくれることなんて研究方法くらい。
(プロになるなら有名な先生だとコネにもなるけど)
ぼんくらサラリーマンやりながら学会に論文出す人生もまた良いかもよ
249 :
世界@名無史さん:2006/07/28(金) 17:16:59 0
国士舘の東洋史専攻って生徒数少ない割に先生多いし
色んな時代の先生がいるので良いかなって思ったんですが
偏差値低いって親に嫌な顔されて國學院か東洋か日大を目指せと言われました
やっぱり偏差値低いと授業の質とか問題あるんですか?
歴史の先生になりたいんですけど、ここだと不利でしょうか?
>>249 >やっぱり偏差値低いと授業の質とか問題あるんですか?
ある。この辺はかなり重要
>>250 249では無いんですが、
自分も東洋史を学びたいんで東洋史を志望しているんですが
詳しく教えてくださいm(_ _)m
>>251 東洋史っていっても幅が広くてどう答えていいのやら・・・
具体的にどの時代のどういうことを学びたいのかとか、
自分の学力の程度によるから、詳しく教えてくれないと応えられない。
254 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 17:17:55 0
>>250 偏差値の差って授業内容にどう影響するんですか?
255 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 18:04:49 0
やめとけ。
高校生の段階で東洋史やりたいなんて言ってても、中に入ってから
漢文の史料や中国語の勉強で辟易するのがオチ。
256 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 22:59:58 0
まあ、いいんじゃないか?入ってみてつまらんかったらまた法学部あたりに転入すれば。
257 :
世界@名無史さん:2006/08/20(日) 23:02:52 0
秦王朝って、戦い方はどんなだったんだろ?
漢の高祖が項羽と戦った時は歩兵戦が主だったみたいだけど、トルコ遊牧民王朝の秦はやっぱ騎馬戦だったのかな?
騎馬戦なんてそこから5世紀もたたねーとねーよバーカ
259 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 01:20:29 0
漢の高祖が生け捕りにされちゃった匈奴の冒頓単于って、騎馬戦で圧倒したんじゃないっけ?
260 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 16:43:59 0
>>257 秦は歩兵+一部騎兵でしょう。
主力は歩兵だったんじゃないの?兵馬俑などを見るに。
違うの?
261 :
世界@名無史さん:2006/08/21(月) 16:45:43 0
>>259 匈奴の騎馬戦術を見て、漢民族の王朝が取り入れるようになるんだよ。
262 :
世界@名無史さん:2006/08/23(水) 23:07:14 0
春秋〜漢まで戦車(馬車)が主力じゃないの?
戦車戦は漢代には結構減ってる
代わりに騎射が多くなってる
鐙の発達する4-5世紀まではこの騎射がメインで
騎馬戦は行われていたとは考えにくい
264 :
世界@名無史さん:2006/08/24(木) 21:30:55 0
>>262 主力は歩兵だよ。
それから、騎馬戦術=戦車(馬車)じゃない。
265 :
世界@名無史さん:2006/08/25(金) 21:59:31 0
治殷 治殷 主!主!主!・・・ (ちんちんしゅっしゅっしゅっ)
(1) 殷王朝最後の皇帝である紂王は寵愛する妲己にそそのかされ、悪政を重ねた後、
周の武王により打ち倒されたのはあまりにも有名な話である。
紂王は、牧野の戦いで大敗後、都へと逃げ戻り、鹿台に火を放って自刃するのだが、
自刃の直前、紂王の元で贅沢の限りを極めた役人や宦官たちは、
かつての贅沢がもうできないのを悔やみ、紂王に対し、泣きながら
「治殷 治殷 主!主!主!
(※注・治殷=殷を治めて下さい、主=我らが主紂王よ!)」と懇願した。
その懇願ぶりは、悲惨としかいいようがなく、ある者は燃えゆく宮殿の中で
「治殷 治殷 主!主!主!」とヨダレを垂らしながら、
柱に体を激しくこすりつけ、そのこすりつけようは柱の塗装が剥がれ落ち、
血が噴出し肉がずたずたになるほどであったという。
なお、現代日本の匿名掲示板において「ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!」
という文言と共にヨダレを垂らした肥えた初老の男性のAAが貼られるのは、
根底にこの逸話が元になっていることはいうまでもない。
民明書房刊 『古代中国王朝滅亡全書』より抜粋
266 :
世界@名無史さん:2006/08/25(金) 22:07:32 0
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...―/ _)
ノ:::へ_ __ /
|/-= =- \/_
/::::::ヽ―ヽ -= =-_(::::::::.ヽ
|○/ 。 /::::::::: (:::::::::::::)
|::::人__人:::::○ ヽ/
ヽ __ \ /
\ | .::::/.| /
\lヽ::::ノ丿 /
___-イ
ニュー速で珍種スレを立てたらポイントが削除されてしまった
もう終わりじゃ、あそこはもう人が住む場所じゃない。
だがワシは後悔しとらん。最後まで自分のスタイルを貫いて、珍種スレを立てまくった。
たとえニュー速がダメになろうとも、鬼女板がある。層化公明板がある。
そもそもこの『ちんちん シュッ!シュッ!シュッ!』は、
古代中国の殷王朝で生まれた言葉。世界史板にだって立てまくる権利はあるはずじゃ。
より多くの人が珍種について考えられるように。
珍種を未来へ繋げて行くために、このスレはあるのだと思う。
皆で心を一つにし、ジェンキンス氏や石破長官のAAを貼りまくっていく。
その中で、必ずや得るものがあるだろう。
だからわしは鬼女板に珍種スレを立てるのじゃ。
267 :
世界@名無史さん:2006/08/26(土) 23:38:05 0
小説家としてのセンスは司馬遷よりヘロドトスの方が数段上だな。
268 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 11:33:07 0
春秋の晋の郤至が好きで
どっかに墓があるかと調べては
みたんですが解らずじまいでした
死体は川に捨てられた、ともあったのですが…
知ってる方いましたら教えてください
頭が悪いのでここまでが限界です(泣
269 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 02:03:23 0
更に
歩陽
├────┐
│ │
郤? 蒲城鵲居←誰?
┌────│
│ │
郤毅 郤至
至がお気に入りなんですが、蒲城鵲居が
父上ということなんでしょうか?蒲城鵲
居に詳しい方いますか?
歩陽ー蒲城鵲居ー郤至で爺さん、父さんは郤ではないんでしょうか??
スレ違いだったらすいません
晋分裂後の戦国の趙が最初に騎馬を取り入れたんだっけ。
でも取り入れた王が死んだあとは、また元通りの戦車戦になって長平の戦いだろ。
保守も行きすぎると国が滅びるんだな。
272 :
世界@名無史さん:2006/09/17(日) 03:30:18 0
273 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 04:31:58 0
274 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 23:49:23 0
275 :
世界@名無史さん:2006/10/30(月) 22:23:24 0
祝一周年!
276 :
世界@名無史さん:2006/10/30(月) 22:24:53 0
知ってる人いたら教えて
何か香港は中国じゃないという話を聞いたんだが台湾が中国なの?
上海は中国とか頭パニック 明日テストどうしよう〜
>>276 まず出題範囲を見直して整理し、教科書を読み直すことをすすめる。
wikiみりゃいいじゃん
279 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 09:56:17 0
疑問があります。
洛陽、長安のすぐ北(100キロくらい?)は異民族の支配地域ですよね。
何故、何百年間もこのような状況を許してきたのでしょうか。
差し迫った危険は感じなかったとしても、都を安全にしておくのが普通だと
思うのですが。
280 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 10:36:34 O
100キロつっても四神相応の地だから山脈が横たわってるでしょ
281 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 12:09:28 O
たしかに黄河の北側まで追いやってもいいような。
地図帳持ってないから詳しいことはわからんな。
282 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 13:30:36 0
派兵し維持するだけの魅力がないからだろ。カネの無駄。
返り討ちにあうからでは?
284 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 12:13:41 0
すぐ近くだから、戦乱がある度に洛陽は略奪されてるよなw
もっと南に移せばいいのに。
周とかは異民族の襲来はげしくて都を移したなw
南に移したら国境の防衛軍が叛乱を起こすじゃないですか。
しかも遊牧民と内通して攻め込んできたら最悪。
よって首都は最前線へ。
287 :
世界@名無史さん:2006/11/06(月) 09:38:26 0
そんなアホなw
289 :
世界@名無史さん:2006/11/22(水) 19:44:52 0
趙の名家、公孫竜の言葉「白馬は馬に非ず」の意味を知っている方がいらっしゃったら教えてください。
白馬=馬と仮定すると黒馬=馬も成立する。
すなわち白馬=馬=黒馬となるが、
白≠黒であるため、白馬=黒馬は誤りである。
このことから、白馬=馬という仮定が誤りであることが分かる。
よって、白馬は馬に非ず。
自信ないけどこんな感じじゃなかったっけ
>>290 うーむ、含める、という概念が無いとは。中国の古代の偉人って結構バカなんですね。
そんなに単純じゃなかったと思うぞ。
「白」とは色を表す概念である。
「馬」とは形を表す概念である。
「白馬」は色と形を表す複合概念であり、
純粋な形概念である「馬」と同一とはいえない。
って言う説明もある。
でも、これを言っちゃうと「白馬は白くない」って言えそうな気もするな…
複合概念の「白馬」と純粋な色概念の「白」だって違うって言い張れるし。
イコールではなく、
馬、の中に黒馬や白馬やシマウマや葦毛馬や軍馬やサラブレッドがいる。
これらそれぞれはイコールではなく、樹形図で示される
でFAになりそうなモンなんだが・・・
「白馬は馬に非ず」理論をもとに、
「トヨタは自動車会社に非ず」など、たくさんの亜流を作り出せるなあ、と。
まあ当時からこの主張は「詭弁」だとされていた。
個人的には、恵施の方が納得できるな。
296 :
世界@名無史さん:2006/12/05(火) 04:44:00 0
恵施ってだれですか?
荘周のこと
298 :
世界@名無史さん:2006/12/05(火) 14:42:21 0
>>296 荘子に載ってる。荘子との対話読むと頭いいのが良くわかる。
魏の重臣
300 :
世界@名無史さん:2006/12/23(土) 00:40:36 0
よく「近年の歴史研究では…」
なんて表現を見るけど、
あれってどういうことですかね。
「近年になって発見された歴史資料によると…」
ってこと?
「昔からあった歴史資料のうちで近年になってやっと読めるようになった部分によると」
ってこと?
ここで論じられる時代の研究に関して言えば
どっちもかなり珍しい事のような気がするんですが。
ここで話題になるような時代だと、
最近新たに発掘された遺跡を調べたところ、とか
孫子の研究なんて20世紀後半に発掘された竹簡本の発掘で劇的に変わってるんだけど
303 :
世界@名無史さん:2007/02/13(火) 16:52:09 0
age
>>300 中国の考古学事情にものすごく疎いんでないの?
改革・開放以降の中国は、日本の高度経済成長時代といっしょで、
開発がものすごいハイペースで進んでるから、どこそこの工事現場から遺跡が…
なんてケースがごろごろしてて。
むしろ新出史料の整理がなかなか追いつかないくらいなんだが。
とはいっても古代に遡るほど史料が少ない状況は確かだけどね。
歴史に研究できる新材料がなくなったら、歴史学者は全員失業・廃業だよ。
305 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 22:51:06 0
月例滅国に上がりました。
306 :
世界@名無史さん:2007/03/12(月) 17:12:16 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
この辺までの歴史がなんか一番好き
宋元明清はあんま興味ない
>>308 この辺までは半分神話みたいな感じで大げさなお話がたくさん盛り込まれているからなあ。
宋以降は流石にあんまりムチャなことを書かなくなった(のと研究材料が多いんで)んで、事実ばっかりだと無味乾燥に近くなるというわけで。
中国史を最初から学ぶと宋代あたりで飽きがくるというか・・
古代の方が大げさというか人間の本能で行動の説明がついてるような気がするけど
宋代以降は社会が出来上がってきて
その後に人間がついてってる感じがするからかな。
311 :
太公望:2007/04/05(木) 05:08:19 0
狐退治終了
312 :
世界@名無史さん:2007/04/05(木) 16:21:49 0
自分は宋もすきだけどなぁ
314 :
世界@名無史さん:2007/04/29(日) 02:40:55 0
>>310 宋代以降でドラマの舞台にされたものが少ないのもそのせいだろうか。
英雄豪傑が雄飛しにくくなるのかもなあ・・・
宋代以降は漢民族の英雄は。。。
岳飛、朱元璋、朱棣、李自成、孫文、毛沢東くらいか
316 :
世界@名無史さん:2007/05/22(火) 16:37:25 0
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。
春秋時代は匈奴に負け続け
劉邦は匈奴にぼろ負けした。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
五胡南北朝宋は異民族政権
明は日本にぼろ負けw
中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない
つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代
明と清を間違えてないか?
318 :
世界@名無史さん:2007/05/25(金) 00:25:05 0
>>291 諸子百家をいま見ると論理的な誤りだらけです
そういう時代にあって公孫竜というひとは白馬非馬説などの詭弁によって
論理的な概念の違いを説こうとしたのですが、まったく相手にされなかったみたいです
加地伸行先生の中国論理学史でも紙幅を割かれていたと思うのですが、
内容は忘れました・・・
320 :
世界@名無史さん:2007/07/02(月) 20:00:27 0
ttp://www.recordchina.co.jp/group/g9350.html 東周代の墳墓群からヒトの大脳を発見―江西省宜春市
2007年7月1日、江西省宜春市靖安で発見された東周代(紀元前770〜226年)の墳墓群から人の大脳が見つかった。
国家文物局の朱教授によると、第33号木棺から取り出した握りこぶし大の軟らかい組織を調べたところ、
対になった大脳半球と小脳・脳幹が完全な形で確認され、大きさは縮んでいるものの
被葬者の大脳であることがわかったという。
2000年以上前の墓から、完全な形で見つかった例は非常に珍しいということだ。
同教授の説明によると、おそらく木棺が狭くて気密性が高く、死亡直後に酸欠状態になり、
腐敗菌の繁殖が食い止められたのではないかという。また埋葬地が高地にあり、
空気が比較的乾燥していたことも要因として挙げられる。
多数見つかった木棺のほとんどが棺の本体と蓋とが1本の木から切り出されていたが、
大脳が見つかった棺は上下異なる材木でできており、さらに他よりも棺の加工が緻密だったことがわかっている。
また別の棺からは生きた植物も見つかったという。
321 :
世界@名無史さん:2007/07/02(月) 23:02:46 0
ttp://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007070201015 2007/07/02-21:51 始皇帝陵、地下に巨大建築物=30メートルの「高楼」−中国
【北京2日時事】中国陝西省西安市郊外にある秦の始皇帝(紀元前259年〜同210年)陵の地下に、
土を打ち固めて造った高さ30メートルの巨大な建築物が存在することが
考古研究チームの調査で明らかになった。中国紙・北京日報が2日報じた。
同紙によると、この「高楼」は下へ行くほど広くなる形で、9層の階段式となった4面の壁を持つ。
陝西省考古研究院の段清波研究員は「常人には考えもつかない建造物で、
中国古代の墳墓史上、前例がない」としている。
★始皇帝陵内に高さ30メートルの建築物?
中国国営通信、新華社(電子版)は1日までに、中国陝西省西安郊外にある
秦の始皇帝陵の墳丘内部に高さ約30メートルの高層建築物があることが分かったと報じた。
同省の考古学専門家がハイテク技術で内部を測量、発見した。
新華社によると、東西南北に巡らされた壁のような建築物で、外形は9段の階段状。
ピラミッドのように上から下に広がっているという。
上部の長さは東西168メートル、南北142メートル。
始皇帝陵では、墳丘の地下約30メートルの地点に巨大な「地下宮殿」や
墓室が存在することが確認されている。墓室の周囲には頑丈な壁が巡らされているとの
測定結果も出ており、今回発見された建築物がこの壁の可能性もある。
専門家は、建築物の上部に木造瓦ぶきの建物があった可能性もあるとしている。
日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070702-221025.html
323 :
世界@名無史さん:2007/07/16(月) 03:43:55 0
>>320 それはすなわち乾燥ミイラということだろうか?
ダッキワイフってどこで手に入るの?
326 :
世界@名無史さん:2007/08/14(火) 11:40:13 0
周ってテュルク系(インド方面から分かれたアーリアと混血したりした?)だったり・・しないよな?
327 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 22:23:59 0
●鴻山越國貴族墓地發掘情況介紹
鴻山越國貴族墓地位江蘇無錫鴻山鎮東部,該區保存大小規模土墩近百座。南京博物院考古研究所及
錫山區文物管理委員會組成聯合考古隊,於2003年4月至2004年12月期間,對該範圍內土墩進行搶救性
發掘。
是次發掘7座墓葬,出土共計2000餘件隨葬器物,其中丘承墩就出土1100餘件精美成套的青瓷禮器、
樂器和玉器。 根據墓葬的封土規模、墓葬結構和隨葬器物的種類、質地、組合關係,7座墓葬可以
分為5個等級:
328 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 22:25:08 0
第一級別為丘承墩,該墓封土為長方形覆斗狀,是墓地中唯一的深坑墓,墓坑平面為「中」字形,
並有壁龕;隨葬品中青瓷禮器數量眾多,器類齊全;青瓷樂器既有中原式的鈕、甬鍾、磬,
亦有越式的ロ于、丁寧、鐸、勾、鈴形器、具座,還有以往從未確認的缶;玉器中,既有葬玉、
劍飾,亦有佩玉,而成雙成對的龍形佩、雙龍佩、龍鳳佩、龍首珩、龍形珩等組成的佩玉,
當為春秋戰國時期最高等級的佩飾;此外還隨葬琉璃釉盤蛇玲瓏球形器等象徵特殊意義的器物;
第二級別為老虎墩,該墓封土亦為長方形覆斗狀,埋葬方式為平地鋪木,隨葬器物中除生活用品外,
還包括成組的原始青瓷樂器和硬陶禮器、樂器;第三級別為萬家墳,與老虎墩的封土規模和平地
鋪木的葬制相同,然隨葬品中僅有成組的硬陶禮器、樂器而不見原始青瓷樂器;第四級別為曹家墳、
杜家墳,為長方形覆斗狀封土;第五級別為老墳墩、鄒家墩。這4座墓葬均無成組樂器隨葬,為長圓形
饅首狀封土。
329 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 22:25:44 0
鴻山貴族墓葬的特徵大致可歸納為以下幾點:
1. 長方形覆斗狀或長圓形封土;
2. 除特大型墓葬為深坑墓外,皆為平地起封;
3. 除特大型墓葬為「中」字形外,其餘皆為長條形墓葬,大型的還有墊木或分室用的木板等用於
構築墓室;
4. 隨葬器物主要為原始青瓷器和硬陶器;
5. 特大型墓葬的隨葬品中有組玉;
6. 隨葬器物中常見原始青瓷或硬陶的勾、ロ于、丁寧、鐸、羊角器、璧、鈴形器以及越式鼎、
筒形、盅、器蓋等;
7. 高等級的器物紋樣中常見蛇。而以蛇為器物紋樣也是越人圖騰崇拜的體現。
330 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 22:26:57 0
這些特徵中多為越國墓葬獨有,其中墓葬形制和隨葬品的質地、器形、器類與浙江紹興印山越王墓
以及安吉、海鹽、長興等地的越國貴族墓葬相同,尤其明顯的是均隨葬陶、瓷禮器和樂器,如ロ于、
丁寧、勾、鎛、甬鍾、磬、鈴形器、缶、具座、羊角器、璧以及越式鼎、筒形、盅、器蓋等;
根據墓葬的規模、形制和在墓地中的位置,以及隨葬器物的數量、種類和等級推測,鴻山貴族墓地
中丘承墩墓主的等級應為僅次於越王的越國大夫,此墓主室和後室總長僅次於紹興印山越王墓,
遠高於其他中小型越國貴族墓,而出土的隨葬器物則是目前已發掘的越國墓葬中等級最高、
質地最好且器類最為齊全的。
7座墓葬的隨葬品中,皆有完全相同器物,如壇、、碗、盅、器蓋等,其年代應相同;而大型或
中型墓葬中則有造型相同的鍾、鎛、磬、鈴形器、璧、羊角形器等,其年代亦應相同;而從印紋硬陶
和原始青瓷基本生活用品的形態、僅見麻布紋和米字紋等紋飾以及器物的組合關係,根據長江下游
土墩墓的分期,其年代應為戰國早期;出土玉器中,儘管有少量紋飾保留春秋晚期特徵,而絕大多數玉器
的造型和紋飾都呈現戰國早期的特徵。因此鴻山越國貴族墓地的年代可定為戰國早期,即越國最強盛的
越王勾踐時期。
331 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 22:27:39 0
鴻山越國貴族墓地中,丘承墩位於墓地的西北角,而其他大、中、小型墓葬則圍繞在丘承墩的東南呈
扇形分布,墓葬與墓葬之間既有一定的分布規律,又存在著嚴格的等級差別,為是次考古發掘最重要的
收穫之一;丘承墩墓為目前僅次於紹興印山越王墓的越國第二大墓,而丘承墩出土的大批精美成套的玉器、
青瓷禮器和樂器,應為迄今為止江浙一帶所發現的最高等級的越國隨葬器物,同樣為是次考古發掘最重要的
收穫之一。其墓地的完整性和禮器、樂器組合的完整性,尤其是越國的禮樂文化中將中原系統和諧地融入
越系統中,為越國史的研究和解決一系列春秋戰國時期的重要學術課題提供了一批極為珍貴的實物資料,
對於越文化乃至百越民族史的研究和越國考古學的研究將起著積極的推動作用。
http://www.cuhk.edu.hk/ics/ccaa/talk9.htm
332 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 22:28:22 0
いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の越國の土トン墓からは、
楽器やら、玉器やら、酒器やら、原始青磁やら、印紋硬陶やら、鈕やら、
甬鍾やら、磬やら、ロ于やら、丁寧やら、勾やら、鈴形器やら、具座やら、
佩玉やら、龍形佩やら、雙龍佩やら、龍鳳佩やら、龍首珩やら、龍形珩やら、
琉璃釉盤やら、蛇玲瓏球形器やら、羊角器やら、璧やら、越式鼎やら、
筒形やら、盅やら、器蓋やら、鎛やら、
もうさーっぱり見た事も聞いた事もない代物まで、もうありとあらゆる
摩訶不思議な物や文様が、出るわ、出るわ、出るわ、出るわ・・・
何でこんなイイモン、日本の弥生遺構から出んのやろ?(ウルトラ嘲笑)
333 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 22:30:37 0
●戰國時代陶質編鐘在呉文化發源地無錫出土
新華網江蘇頻道南京4月16日電 (高幼元) 日前,在無錫市錫山區泰伯文化
藝術節上,一批最近出土的戰國時代陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示。
這批距今2000多年?青銅器的樂器中,最令人驚嘆的是,經修復後最大的編鐘,
高30多公分,造型十分精致。
展示會上,錫山區文管會同志介紹?,這裏是呉文化發源地。這批新出土的文物,
除編鐘、鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等各種
陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。有乳釘紋、水波紋、
方格紋、圓圈紋等。經考古專家初?鑒定,數量之多,品種之全,工藝之精,
在全國罕見。
334 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 22:31:07 0
這批珍貴的出土文物是當地村民發現的。今年2月19日,錫山區後宅鎮天仙
塘萬安橋村村民鄒曉峰和鄒春鋒,帶著20多件陶器,向區文管會報告,村裏
一個大土?上發現了“古董”。工作人員認出是極有價?的陶制編鐘。第二
天即?到現場。這個大土?是五年前,鎮上築新路取土用的,當時就有部分
古陶器被?出,村民見是陶土做的,沒在意。而這次錫山區考古人員卻十分
在意,“掘地三尺”,出土的陶片、陶器用1噸半?車裝了滿滿一車。隨後,
他們邊向上級部門報告,邊請專家來修復,並對來報告的兩村民給予了獎勵。
後宅鎮往南數公里的鴻聲鎮,正在發掘的彭祖?文化遺址,已有一大批距今
6000年至7000年的新石器時代文物初露真容。據南京博物院考古學家介紹,
彭祖?是長江三角洲文化層次堆積最厚、包含物最多、保存最好的一處?史文化
遺址,是當代研究太湖流域人類文明發展史最好的?史資料。該鎮的鴻山南麓有
一座被譽為“開發江南先祖”泰伯之墓,距今已有3196年?史。現在,後宅鎮又
新出土的2000年前的古編鐘,作為陶樂器隨葬品,非一般人可用,是墓主人身?
顯赫?還是當時這塊地主是個文化“繁榮”勝地?這還需專家來解謎。
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhua.org/htm4/2041622.htm
335 :
世界@名無史さん:2007/08/20(月) 22:34:28 0
>陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示
>鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等
>各種陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。
>有乳釘紋、水波紋、方格紋、圓圈紋等。
編鐘?????鐃?????磬?????缸?????罐?????
壇?????鼎?????原始瓷?????印紋硬釉陶?????
有乳釘紋?????水波紋?????方格紋?????圓圈紋?????
いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の呉の遺址からは日本の弥生遺構では
さーっぱり見た事がない摩訶不思議な物や文様が出るんですねえ(嘲笑)
封神演義の時代構成は演義物の中で最も思い切りがいい気がする。
思い切り?
殷(商)の王族の姓が「子」というのは間違いだという話しはよく聞くけど、では、どんな説があるの?
339 :
世界@名無史さん:2007/11/29(木) 03:04:23 0
屈原を知って「これ俺じゃん」と思ったのは俺だけ?
340 :
世界@名無史さん:2007/12/04(火) 00:16:00 0
ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20071203i416.htm 4300年以上前の古代都市跡発見…中国浙江省
中国浙江省杭州市郊外の「良渚遺跡」から、
少なくとも4300年以上前のものとみられる古代都市跡が発見された。
3日付の中国共産党機関紙・人民日報が伝えた。
専門家は「考古学的な意義は(甲骨文字の出土で有名な)
河南省安陽の殷墟(いんきょ)発見に劣らないもの」としており、
「中国最古の王朝となるかもしれない」との見方も出ている。
専門家によると、発掘された墓地の等級から、当時、複雑な社会階層があったことが判明、
すでに文明社会に入っていたことを示しているという。
(2007年12月3日23時16分 読売新聞)
日本に伝播 青銅器、商・西周と共通点 特殊な鉛含有
新井氏は、青銅器材料に含まれる微量の鉛を測る鉛同位体比法により、日中の青銅器計約3000個のデータを解析。
弥生関連の1052個を鉛同位体の比率の違いに注目して分類、共通点を探った。
その結果、弥生前期末から中期初めのものとされる青銅器は、
中国最古の王朝とされる商(殷、前17〜11世紀)や西周(前12〜8世紀)の時代に
多く見られる青銅器と、鉛同位体比が一致することが判明した。
鉛の種類としては極めて特殊なものが含まれていたという。
弥生時代については、国立歴史民俗博物館(歴博)が4年前、放射性炭素年代測定による分析の結果、
弥生期の幕開けは紀元前10世紀へさかのぼる−と発表して話題を集めた。
従来の定説では、日本へ青銅器が初めて流入したのは、前250〜200年。
遡上説をとる歴博によると前370年ごろ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071202-00000904-san-soci
342 :
世界@名無史さん:2007/12/05(水) 13:21:11 0
良渚遺跡すげーじゃん。
やっぱり長江流域で都市国家出現→中原の民族に征服される→中原にその文化が受け継がれる
って流れなのかな。
343 :
世界@名無史さん:2007/12/06(木) 18:59:56 0
文明の規模は長江の方がでかかっただろうから、やはり中原民族は蛮族だったと?
345 :
世界@名無史さん:2007/12/08(土) 15:42:21 0
まだ文字は出土しないのか〜>長江流域
でもよく考えたら、木簡みたいなのがもし最初期からあったとしたら不便な粘土板や
甲骨なんかに書かずにそっちに書くわな。で、腐って何も残らない・・と。
長江流域は湿度高いから何でも腐って不利だな。
346 :
世界@名無史さん:2007/12/15(土) 19:22:10 0
長江流域の都市国家っていまいちイメージが沸かないんだけど、高床式の
民家が都市を形成してたの?
>>336 確かに演義物で最もダイナミックな設定を盛り込んだ冒険をしてるよな。
仙人、道士が次々へと登場する人間離れした戦いの下地に殷周革命の時代を
置いてるのは驚きだよ。
暴君の代名詞とも言える紂王を道教サイドからも糾弾し、戒めを化してるような
話にも見えるね。それでいて紂王自身も封神してしまうんだから面白い。
348 :
世界@名無史さん:2007/12/19(水) 20:40:30 0
>>346 高床みたいよ。
もすこし詳しく言うと(コピペもあり)
大体場所は、揚子江狩下流、太湖あたり。先に河姆渡文化つーのがある。
土器は龍山文化的。金属器はあんまない。
城(莫角山)は版築工法。
玉j・玉璧・玉鉞のいわゆる三種の神器あり。また饕餮もあったようだ。ここいら殷ににてるよな。
多分政治は祭政一致の呪術政治だったんだろう。なお貧富・身分の差はあったようだ。
稲作文化で農業は稲・胡麻・ソラマメ・マクワウリ・野生の桃・サネブトナツメ・ヒシ・ヒョウタン等
農業用具は骨角器など。歯がない下駄(田下駄)や石包丁。
他の産業では、養蚕が既にあったらしい。また竹製品も多くみつかっとる。
弥生ににてるよな。なんとかって学者の倭族論おもいだすな。
あと豚の飼育もしてたらしい。漁業も盛んだったようだ。
鳥信仰もあったらしい。
350 :
世界@名無史さん:2007/12/21(金) 19:43:49 0
確かに弥生に似てるが、集落が明らかに都市のレベルに達してるし規模が比較にならんな。
1.9km×1.5kmの都城って、同時代の世界各地の都城の中でもかなりでかい方じゃないか?
351 :
世界@名無史さん:2007/12/25(火) 05:17:08 0
>同時代の世界各地の都城の中でもかなりでかい方じゃないか?
さあねえ。
353 :
世界@名無史さん:2008/01/20(日) 19:32:51 0
漢中王に扮した劉邦が項羽の軍に追突
↓
「四つん這いになれ」「なれば命を助けていただけるんですね」などの
会話を経て飲み会に。
↓
項荘の剣舞でアナルをほじくられ、「汚い抜け駆けだなあ」などと罵られる
↓
項伯の剣舞で「アッー アッー!」と悶える
↓
項羽に局部を見せながら項羽と范増に尻の穴を見せる。「気持ちいい!」と悶えながら
男性自身を勃起させる。このあと、張良がトイレの後をつけを、劉邦に背後から
進言。「アッ、アッ、アッ、アッ!」と劉邦は勃起させながら声をあげる。
↓
樊ガイも加わり7Pが始まる。ヤラれるばかりだった劉邦が一転、攻勢に出て、
項羽を下にして犯し始める。小刻みに腰を振りながら、「アッー、アッー、イク!」
と叫んで、劉邦も項羽の腹に勢い良く射精。
あと范増は玉ケツ を3回持ち上げて「決心しろ」と吠えたらしい。
354 :
世界@名無史さん:2008/01/21(月) 11:10:52 0
夏王朝はやはり夏しかなかったのだろうか?…精神的に
世界でいちばん熱い夏
357 :
世界@名無史さん:2008/02/08(金) 14:30:20 0
テストで周の( )王が殷を滅ぼして〜という問題で姫発と書いてしまった
正解になってくれ、頼む
そりゃ無理だ
姫発は個人の名前であって王号は武王だもの
>>357 △くらい与えてもいいんじゃないかと思うね。
俺が高校の頃はちょうど封神がジャンプで連載していた頃で、先生も読んでたらしく
テストの次の授業の時にその話題になったよ。
>>359 三角なんて温い事言ってるから受験で点が取れないんだよ
もっと自分に厳しく!
361 :
世界@名無史さん:2008/03/03(月) 10:10:51 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
イン シュウ シュンジュウセンゴク シン カン サンゴク シン
363 :
世界@名無史さん:2008/03/04(火) 01:53:57 0
始皇帝のころのお話はよく映画化などされていますが
映像に出てくる城や宮殿が現在の紫禁城と大差ないように見えます
ほんとにあんな宮殿を当時から造っていたのでしょうか?
亜坊宮とか有名だったしそれなりに凄かったとは思いますが・・・
そもそもああ言う形式の城塞都市は何時ごろの時代に確立されたのですか?
>>363 城塞は紀元前から住んでるけど
どういう城塞だったのかははっきり言って不明
と言うか三国時代以前の服装、建築に関してはほとんど判ってないのが実情
一部副葬品からちょっとわかってる程度
三国時代以前にも
史記や論語で日本人にもお馴染みの舞台があるのに
けっこう分かってないものなんですな
>>364 漢代の墓から発掘される名器などからある程度分からないのか?
建物の形などは結構名器から分かるはず。
後、有名な兵馬よう。
367 :
世界@名無史さん:2008/03/16(日) 02:07:44 0
兵馬俑や始皇帝の墓の規模から言って
当時の亜坊宮(漢字が分からんw)とかかなりの規模の宮殿だったのは想像できるけど、
中国の都や城って形式や様式がかなり昔に固まってたんだな・・
昔、NHKスペシャルモンゴルで元の大都の再現をCGでやってたけど
解説で中国古代からの理想を再現した都だったそうな
ということはある程度はああいう形式の都だったのは想像できるよな
唐の長安を模して作った平城京とかもあんな感じだし・・規模はしょぼきけど
日本の都とか城の形式は時代によってかなり変わってきているけど
奈良時代と安土桃山時代の城や都、住居はまったく違うよな
でも中国の城ってずっと同じイメージだなそれだけ完成されていたのか、
進歩がなかったのか・・・
368 :
世界@名無史さん:2008/03/16(日) 04:34:52 0
城と都の概念が中国と日本では違う
まずそこからおかしい
369 :
世界@名無史さん:2008/03/16(日) 17:56:27 O
近年、古代中国には
非漢民族による
「長江文明」があったことが
あきらかになってきております。
370 :
世界@名無史さん:2008/03/16(日) 18:03:32 O
>>366 日常生活時の服飾や建築とかは全然わかってない
出土品で判るのは本当にごくごく一部の情報だけ
373 :
世界@名無史さん:2008/03/19(水) 21:02:44 O
中央アジアのどこかの国、キルギスかトルキスタンには
別れて東に行ったなが日本人で
西に来たのが自分達だという伝承があるらしい。
同じ長江文明人だったのでは
なかろうか
374 :
世界@名無史さん:2008/03/19(水) 22:11:07 O
>>367 中国の城壁都市の形は、前17世紀のエン師遺跡(商のハク?)で固まった。
この都市から、東西南北を意識した方形の城壁を築き、
碁盤の目の道路網を整備し始めた。
しかしそれ以前(〜夏)は違う。
前26〜23世紀の初期の都市は、方角を完全に無視していて、
形も楕円形のものすらあった。
しかも垂直に城壁を築いていたのではない。
台状に土地を盛り上げて、すり鉢状に凹ませたところを都市にしていた。
そんな状態から、商の都において都市が完成するまで千年近くの過渡期があった。
変化が無いと言うのは妙な話だ。
工法などどうなんだろ?。
城頭山遺跡あたりは焼きレンガ上に版築だそうだ。
376 :
世界@名無史さん:2008/03/21(金) 01:12:55 0
楚とか呉とか越の言語は全く未知のものだろうか?
楚、となると項羽や劉邦の言語はさて?
378 :
世界@名無史さん:2008/03/24(月) 15:21:35 0
日本以外に金印が与えられた国がどこかわかりませんかね?
匈奴は銅印、高句麗は銀印らしいですけどこれ以外がわからない
379 :
世界@名無史さん:2008/03/24(月) 15:40:16 0
月氏
381 :
世界@名無史さん:2008/03/24(月) 18:33:06 0
>>379 >>380 ありがとうございます
やっぱり金印もらえた国って少数なんですかねえ
漢帝国が交流を持ってた国の数とそれぞれにどの印が与えられたかが分からない以上
比較は出来ませんが
383 :
世界@名無史さん:2008/03/26(水) 11:36:19 0
楚=ミャオ・ヤオ語族、呉越=不明というとこかな
384 :
世界@名無史さん:2008/03/28(金) 01:29:24 0
百越から倭も韓もうまれたわけだから
385 :
世界@名無史さん:2008/03/28(金) 01:52:11 0
北部インドのなんとか朝も金印を貰ったよう
386 :
世界@名無史さん:2008/03/30(日) 01:49:30 0
金印って結構乱発されてるな
あんま大したことなかったのかね>金印
>>386 中国内でいえば諸侯王や丞相と同等だからね
乱発というより、封建諸侯クラスは金印とされていたってだけ
金印でも綬の色でランクがあったりするし、逆に金印より上って皇帝が使う玉しかない
皇帝が出す以上、皇帝と同格にはしないさ
玉、っていうあんな翡翠みたいのが、金より高価だったんだもんなー。
人の価値観なんてわからんね。
>>372 何を根拠にって…
言葉をそのまま返すけど何が根拠で漢代の日用品や一般生活の建物なんかが判ると言ってるんだ?
390 :
世界@名無史さん:2008/04/08(火) 23:20:47 0
映画 王妃の紋章のCM観たが、唐の都長安 あれ紫禁城をロケに使ってるのかな?
やっぱり当時の都って今でもよく分かってないのかな??・・・
391 :
世界@名無史さん:2008/04/29(火) 13:38:41 O
>>390 広大な土地に住む農民を強制的に立ち退かして巨大
なセットを組み立てたに違いない。
>>390 なんか中国の若手有力知識人が
唐の時代の長安がどんなだったか知りたければ京都を見てみればいいみたいなこと言ってたけど
京都に来ても当時の長安の様子なんかあんまり分からないと思うんだがなあ・・・
393 :
世界@名無史さん:2008/04/30(水) 01:27:22 O
>>392 舞妓喫茶とか修学旅行生とか外国人観光客とかその辺?
395 :
世界@名無史さん:2008/04/30(水) 02:47:17 0
中山は異民族の国家だったの?
396 :
世界@名無史さん:2008/04/30(水) 02:48:30 0
劉邦も楚人なのに、どうして項羽のように秦ジェノサイドしなかったの?
>>396 楚人であると同時に、秦に雇われた役人でもあったからねえ
398 :
世界@名無史さん:2008/04/30(水) 10:45:58 0
劉邦の先祖は秦とゆかりのある魏人
399 :
世界@名無史さん:2008/04/30(水) 13:42:11 0
項羽の基盤は旧呉国
呉楚七国の乱で南方の独立性は完全に潰される
400 :
世界@名無史さん:2008/05/01(木) 07:01:55 O
401 :
世界@名無史さん:2008/05/01(木) 14:15:32 0
項羽は楚の貴族の血統とはいえ、
自ら、「『西』楚の『覇』王」と称していたのは、
地域基盤としては旧・正統楚王国からは外れていたからだろう。
402 :
世界@名無史さん:2008/05/01(木) 21:11:21 0
403 :
世界@名無史さん:2008/05/02(金) 07:03:57 O
>>402 ヘー…
<⌒/ヽ-、___
/<_/____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
405 :
世界@名無史さん:2008/05/06(火) 17:39:46 0
項羽が自分の根拠地に近い場所に都を置いたのは、旧七国意識のあった当時の人間にとっては常識的な判断だった。
しかし中原のほうが華南よりも当時は人口が多かった。今も河南省が最大人口の省。
旧秦の人材および勢力を劉邦が取り込んだから、劉邦は項羽に勝利したというのが定説だが、
項羽は旧秦の支配層を捕囚として華南に強制連行しなかったのか?
407 :
世界@名無史さん:2008/08/02(土) 20:18:41 0
あぼん宮age
408 :
世界@名無史さん:2008/08/03(日) 05:46:36 0
秦以後と秦以前では中国大陸における、一つの節目だったのだと思う。
おそらく、秦が六国を滅ぼすまでは、
中国は一つとか、統一国家という概念は存在しなかった。
秦が六国を滅ぼすまでは、現在の欧州のようなもので、
統一国家とか、中国は一つという概念などどこにもなかったのだと思う。
しかし秦以後、統一概念が生まれた。
その意味では秦の六国征服事業は大きなターニングポイントだったと思う。
漢の孝文帝について書かれた本を探しています。史記以外で。
お勧めのものがあったら教えてください。
>>410 親切なかたどうもありがとうございます。
史記と漢書以外で、孝文皇帝について書かれた読みやすい本をお願いします。
素人向けの小説でかまいません。
「花の歳月」は持っています。
412 :
嫌支那:2008/08/21(木) 00:49:03 0
413 :
世界@名無史さん:2008/08/23(土) 14:49:56 0
昔漢文が苦手で全く登場人物や関係が分からなかったけど
鴻門の会、四面楚歌、管鮑の交わり・・とかね
今になって漫画とかで人物背景を理解した上で読むとさくさく分かる
予備校に源氏物語を扱った漫画が置いてあると聞いたことがあるけど
なぜ置くか何となく分かった気がする
414 :
世界@名無史さん:2008/08/25(月) 00:39:03 0
415 :
世界@名無史さん:2008/08/28(木) 09:09:26 0
しかし日本の戦国時代と比べると
すでにこの時代ですら中国の戦争史をみると規模がでかいな
敵兵40万とか50万とか当たり前で出てくるが
日本だと戦国時代の最後、関ヶ原でも両軍あわせて18万そこそこ
小田原の合戦でも秀吉23万くらい
項羽が20万人生き埋めにした、とか白起が40万人生き埋めにした、とか
規模がでかすぎて想像もつかんな
416 :
世界@名無史さん:2008/08/28(木) 10:32:21 0
>>415 まぁ誇張もあるだろうけど、日本から見れば当時から戦争動員数がかなり多かったのは事実だろうね。
417 :
正登:2008/08/28(木) 19:02:46 0
戦国時代でもっとも兵の人数が劣るのに戦でかった武将て誰ですか
>>415>>416 戦国後期の中国の人口が2000万人ほどと仮定すると、
七雄のそれぞれは平均300万人弱の人口だよね。
三晋は領土が狭いから人口も少ないのか、
中原のど真ん中だから大目なのかはわからないけど、
まあ平均値と考えてみる。
長平で白起が40万人埋めた後、平原君やら何やらの頃も軍事行動をしているので、
まだ何十万かの動員が可能だったはず。
すると300万の人口のうち、だいたい50〜80万くらいが兵役人口だったことになる。
男子が半分の150万、幼年と老齢を省いて100万と見て、
装丁のほとんどが戦場に駆り出された計算になってしまう。
これで生産活動をまかなえたのか不思議でならない。
誇張の度合いがどの程度か知りたいっす。
419 :
世界@名無史さん:2008/08/30(土) 03:17:56 0
女の兵士や10歳前後の子供兵士、60歳くらいの爺さん兵士とかもいたんだろうけど
誇張が相当入ってるとしか思えないんだが
情報工作の一環で、敵方の殺戮行為を多めに情報流した結果
都市伝説がそのまま歴史になったケースも十分ありそう
20万人生き埋めにするだけでそいつらを逃げさせずに殺すってちょっと無理があるのに
まして40万人とか・・
穴掘るだけで残った軍全部でとりかかって何日かかるんだよ
まあ、その内南京も30万人死亡が100万人とか200万人になってるかもね、しばらくしたら
中国に限らず戦果は誇張されがちだよね。
当時の秦は敵一人を殺せば爵位を一つ上げる(誇張あり)の政策を採ってたから、
過剰報告になりやすいのかもね。
422 :
世界@名無史さん:2008/08/31(日) 02:25:16 0
文革なんかは逆に大分低く見積もられてたりするんだろうな
>>421 爵位なんて関係ない。シナにおいて誇張はもはや文化。
>>419 南京での数万人の虐殺が30万に誇張されたなら、
長平でもせいぜい10万人前後ってとこかね?
どっちにしろ凄い数字だが。
いまでもアノあたりで土ほじくると人骨がわらわら出てくるって何かで読んだ気がするから、
ある程度はあったんだろうね。
太平記で千早城に幕府軍百万が…とか無茶な数字が出てくるんで、
大陸ならではの習慣ってワケではないと思うけど。
>>419 30万説は今や修正論者の攻撃材料としてしか使われていないような。
あとは中国の保守メディアかなあ。
426 :
世界@名無史さん:2008/09/21(日) 01:23:18 0
秦朝って何族?漢族?
詳しくないけど、漢族(というタームはまだないけど)と羌族の中間ってイメージだね。
でも戦国後期にはもうそんなに違いはなさそう。
楚とか燕も含めて、西漢期に同化してほぼ区別がつかなくなったってとこじゃないかい?
漢族ってのは究極の雑種なのかな。
溶鉱炉に物を投げ入れて溶けちゃうみたいに、
元の形がなくなったら民族のアイデンティティも溶けて吸収されちゃう。
ときどきモンゴルみたいに溶けにくい材質もあるけどね。
>>427 トルコ系遊牧民じゃなかったっけ?>>秦
秦は西戎系だったかもとも言われるがその西戎も
チベット系ともテュルク系とも言われよくわからん。
430 :
世界@名無史さん:2008/09/21(日) 23:12:08 0
431 :
世界@名無史さん:2008/09/24(水) 10:38:47 0
今の中国南部インドネシア北部〜マレー半島まで分布してるタイ族とミャオ族も、
商の時代には揚子江南部沿岸にいて、中国中央の勢力に押されて南下したって説は本当なのかな・・・。
432 :
世界@名無史さん:2008/09/24(水) 22:30:19 0
>>427 > 楚とか燕も含めて、西漢期に同化してほぼ区別がつかなくなったってとこじゃないかい?
これはあってるの?
433 :
世界@名無史さん:2008/09/25(木) 04:20:46 0
434 :
世界@名無史さん:2008/09/25(木) 08:43:40 0
西漢期ってなんだろう?
>>435 ああ、そうか
前周後周とは言わないからね
ああごめん、西漢は前漢と同じ意味です。
>>432 書いといて自分でも自信ないw
ミャオ族とか生活圏は近くても最後まで漢化されなかった連中もいるから、
吸収されなかった民族も多いかもしれん。
ただ少なくとも、漢風j国号の地方政権を建てるくらいなら、
中原文明へのあこがれを抱いたヤツバラかなと思うのです。
>>437 > ただ少なくとも、漢風j国号の地方政権を建てるくらいなら
ここわからんちん
439 :
世界@名無史さん:2008/09/28(日) 00:54:18 0
契丹の遼も女真の金も漢風の国号だけどあれを漢族国家とは言えない。
漢の時代はまだ個々の民族的アイデンティティーが残ってたんじゃないかな?と思う。
楚人は沐候に冠するのみと言われて無茶苦茶怒った逸話などは、まだ各国の
民族意識が強烈だったからとでも考えなければ理解しにくい。
秦の兵馬ようは東を向いてるし。蜀なんてあの地域単位で後世に至るまで何度も独立国になってる
中元文明への憧れ=漢族に同化ではないと思う。
より後代のベトナム王族なんか神農氏の後裔を自称していた
440 :
世界@名無史さん:2008/10/04(土) 21:41:39 0
日本は呉の末裔というのも、一部は信ぴょう性ありそお
「候」でなくて「猴」な。
政敵から「ヤツぁエテ公だ」と言われて怒らないヤツが居るかい?
442 :
世界@名無史さん:2008/10/17(金) 06:01:22 0
ウィキペディアの漢民族の項目に↓の記述があるけど、ここに書いてある秦族ってのが秦を建国したの?
中国の歴史は絶え間ない民族・人種の混合であった。古くは殷周交代にまでその傾向を見ることができる。当時中原に住み、より東方起源と推定される殷族と西方からやってきた周族が混交し、今にいう漢民族の母胎ができあがったのだが、その母胎はすぐに秦族に撹乱された。
また、春秋戦国時代の国家である楚、越も中原とは多分に異なる民族であったと考えられている。
また中国は4世紀頃から北方の遊牧民族に北部を支配されるが、その過程で多分に北方民族の血が混ざっている。日本の学界では唐王朝の皇帝の一族もまた鮮卑系の北方民族に近いものであると考えられている。
三皇から入れたら5000千年の歴史で
殷から入れたら4000千年だっけか?
結局漢民族の概念って現代アメリカのナショナリズムみたいなものかな。
多種多様な民族を一つの方向性でまとめるみたいな
445 :
世界@名無史さん:2008/11/07(金) 23:41:31 0
700 :世界@名無史さん:2008/03/02(日) 09:24:49 0
宋までタブガチュですか。
でも、宋も唐の血を引いてますからね。
思うんですけど、実は漢崩壊後、漢民族というのは最早無くなったと考えても良いのでは
ないかとも考えます。
自称、中原中原言ってるけど、実は以降はほとんどがタブガチュ系国家。
ちなみに漢以前も、実は漢民族では無いでしょ。秦、楚、呉越、周もみな非漢民族。
西戎か北族か南蛮系。
春秋戦国時代の山東半島の人々は白人だったってのは本当ですか?
447 :
世界@名無史さん:2008/11/14(金) 02:07:20 0
>>443 岡田英弘氏は「皇帝たちの中国」で、
「中国4000年の歴史なんてのは20世紀になって中国人が言い出した事で何の根拠もない単なる作り話。
明治維新後の日本の神武紀元を模倣して黄帝紀元を唱えだして黄帝紀元から数えて4000年となっただけの事で、
本当の中国の歴史は秦の始皇帝以降の2200年が正解云々」って書いてるよ。
黄帝紀元って仰韶・大モン口・龍山の頃だったのか。
結構最近ですな。
神武紀元も縄文晩期だし結構最近ですが。
中国4000年の歴史なんて言葉は
ラーメンのCMだかしか覚えてないよw
>>447 もとは糸井重里のインスタントラーメンのCMコピーじゃなかったっけ?
糸井重里のコピーでは三千年で、中華政府としては殷を入れ四千年としたいようだけど。
21世紀に入る頃から大陸では中国五千年の歴史と言ってるぞ。
五千年ってこたぁ
仰韶文化、大モン口文化、龍山文化、屈家嶺文化、良渚文化、紅山文化
とまあこの辺ですか。
453 :
世界@名無史さん:2008/12/16(火) 19:29:12 O
454 :
世界@名無史さん:2008/12/25(木) 20:39:37 0
455 :
世界@名無史さん:2009/01/14(水) 10:00:35 0
>>452 どんどん増やせるよな。
北京原人までいったら50万年だ。
【筋肉相如帯】きんにくしょうじょたい
趙の国で、注目新人藺相如を中心に結成された異色ユニット
バンドメンバーも琴担当の恵文王と、瓦盆担当の昭王と超豪華
繩池コンサートでは、その才能を遺憾なく発揮した
458 :
世界@名無史さん:2009/01/21(水) 23:25:21 0
杞県でも掘れば出てこないかな。夏の遺跡が。
459 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 10:24:41 O
万里の長城って結局どんだけの効果有ったんだ?
460 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 12:02:00 0
>>459 家畜と家族を連れていては、長城を越えられない。
戦闘員だけだったら、越えられないこともない。
461 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 12:22:11 O
平時の国境線としての役割の方が大きい
>>460 それなら一旦、戦闘員だけで突破して長城の内側に橋頭堡を築けば
後から家族を入れる事も可能だな・・・
てか、それやっちまうと中華側から総反撃食らった時に
迅速に逃げられなくてフルボッコされるんだろうけど。
>>460 それなら一旦、戦闘員だけで突破して長城の内側に橋頭堡を築けば
後から家族を入れる事も可能だな・・・
てか、それやっちまうと中華側から総反撃食らった時に
迅速に逃げられなくてフルボッコされるんだろうけど。
アレ?なんで連投になってんだ?1回しか書込んでねーのに(汗
465 :
世界@名無史さん:2009/02/12(木) 13:21:29 O
最近始皇帝の魅力に気づいた
出生の秘密 虚弱な体質 優秀な頭脳 なんというか
ある意味出来すぎたヒールなんだなぁ
晩年も切ない
時々、杞の国が大帝国だったという証拠が出やしないかという心配にかられるんだ。
467 :
世界@名無史さん:2009/02/24(火) 23:34:32 0
>>466 楚によって簡単に滅ぼされちゃったような国が大帝国なわけないだろ?
こゆう(←なぜか変換できない)だよ。
469 :
世界@名無史さん:2009/02/26(木) 23:00:57 0
杞と商は他の国とは別格だったのに・・・
470 :
世界@名無史さん:2009/04/04(土) 19:16:01 O
あげ
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仕事内容 :蜀漢北伐遠征隊 先鋒 (主に敵に突っ込むお仕事、軽作業です)
期 間 :建興五年〜北伐終了まで (建興十二年終了予定)
勤 務 地 :蜀漢北部・漢中 (採用決定後、現地へ直行していただきます)
給 与 :応談 (結果に応じてボーナスあり)
採用条件 :蜀漢国籍を持つ、国内または国外プロ軍隊在籍者
文句を言う方
やる気のある方
遠征軍に魂を注入できる方
葫芦谷で果敢に勝負できる方
鎮北将軍の称号を持っている方
荊州在籍経験者、長沙在籍経験者の方は特に優遇
※遠征未経験者大歓迎!期日が迫ってますので大至急ご応募を!
尚、エースナンバー11番の甲冑をご用意しております。
申込み先 :蜀漢北伐遠征隊総務部(担当:諸葛)
472 :
世界@名無史さん:2009/04/23(木) 14:26:32 0
225 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/23(木) 13:26:17 ID:???
同志スターリンは、ソヴィエト連邦で為政者の理想とされている人です。同志はある日、自分が人民に支持されているかどうか気になったので、
自ら国内を視察しようと思い立ちました。それである日、同志は人民の労働振りを視察に出かけます。
おお荒天越えた自由の陽よ!
大レーニンは我らに前途を示した。
そしてスターリンは忠誠を人民に教え、
壮挙の達成へと我らを招くのだ。
そこで同志が目にしたのは、同志の偉大さを讃え、踊り歌う子供たちの姿でした。部下もそれを見てこう言います。
「同志、子供まで同志の指導の素晴らしさを讃えているではないですか!」
しかし同志、そこはさすが名書記長です。
(子どもたちがこんな歌を歌う訳が無い。絶対現地の党幹部が歌わせているに決まっている)
これが、部下たちの「仕込み」であるとすぐに見破ってしまいます。確かに不自然です。
そこで、彼は、仕込みを行った部下たちを尽く粛清し、偽装に協力した子どもとその家族も尽くシベリア送りにしました。
今度は部下にも言わず、皇帝とは解らないような姿に返送してお忍びでモスクワ市内へ視察に出たのでした。
今度同志が目にしたのは、配給物資を腕一杯に抱え、脚を踏み鳴らし、手拍子を鳴らし、リズムをとって楽しげに歌う労働者でした。
おお荒天越えた自由の陽よ!
大レーニンは我らに前途を示した。
そしてスターリンは忠誠を人民に教え、
壮挙の達成へと我らを招くのだ。
これを聞いた同志は大変驚きました。「誰かが私の視察を知っている!」同志は直ちに視察を切り上げました。
「内通者を直ちに炙りだせ」。同志の命令は西側との闘争の理想を表しています。内通者はどこに潜んでいるのか解らない、ということです。
同志は直ちに党内綱紀の引き締めに取り掛かり、内通者や裏切り者、反動、トロツキスト、プチブル、批判者を次々と捕縛。
これらを全て人民裁判に掛けて処刑しました。こうして共産革命の頓挫を狙う西側の陰謀は未然に阻止されたのです。
ソヴィエト連邦万歳! 共産党万歳! 同志スターリン万歳!
473 :
世界@名無史さん:2009/04/23(木) 19:16:22 i
古代中国において中華文化が確立されたのは秦の時代でOK?
とくに建築様式なんかはあぼう宮あたりが紫禁城なんかの原型かな?
474 :
いちおう研究者ですが:2009/05/06(水) 03:01:15 0
>>454 こんなこと言ってる研究者がいるなんて知りませんでした。
まさかたまたま見た2ちゃんねるでこんな貴重な情報が手に入るとは思わず、
ついお礼をいいたくなりました。
>>465 ヤングジャンプで連載してる「キングダム」って漫画の主要キャラとして
秦王時代の政が出てくるけど、良いところに目を付けたよなあ、と思う。
476 :
世界@名無史さん:2009/05/30(土) 02:31:26 0
保守
477 :
世界@名無史さん:2009/07/02(木) 17:23:48 0
ほしゅ
周と秦は異民族
479 :
世界@名無史さん:2009/07/07(火) 20:58:54 0
杞は商の残党
宋は夏の残党
確かに、唐突に柴栄の若い頃とかとりあげたら商業作品としては凄い着眼点だと称えてもいいが、
秦始皇あたりだと横山光輝『史記』など、一応漫画でも先達のいる範囲だし、
秦自体兵馬俑の件などでかなり注目されていたり、テレビで特集を何度も組んでいた時期もあるから、
そこまでのこととは思えんね。
東周英雄伝が成功した後だし。
都市国家形成の経緯を辿るのも面白い
蕭何とは?
クレフェルトを読む暇がほしい
486 :
世界@名無史さん:2009/07/24(金) 04:15:04 0
>>485 最近思うが「分かりやすい」文章も書いてほしいよな
これってゼイタクかね?
487 :
世界@名無史さん:2009/07/24(金) 04:17:10 0
コ一時間ざっとよんで大意がつかめるよーなさ。
こうゆうのって価値あることだと思うがどうかね?
488 :
世界@名無史さん:2009/07/24(金) 04:20:14 0
おまいらの英知があればなんとかなりそうな気がする
489 :
世界@名無史さん:2009/09/07(月) 21:27:34 0
490 :
世界@名無史さん:2009/09/09(水) 14:29:44 O
東周をトゥシューズで踏襲
三晋が魏趙韓に分裂せず、知氏に統一されてたら・・・どうなったんだろうな。
春秋時代は楚と晋が覇権を長いこと争ってたみたいだし・・・後の秦に対抗できたんだろうか。
492 :
世界@名無史さん:2009/09/21(月) 19:24:15 0
秦の強さは西方に強大な勢力がなかったこととそして何より商王央の変法が大きいからなあ
趙、魏はともかく韓なんて七雄の味噌っかすだし
同じく南方に強大な敵がなく、しかし途中で改革をやめてしまった楚が後に始皇帝ほぼ一代で滅ぼされたのを考えると
晋が一国のままなら勝てたというものではないと思う
そういう意味だと分岐点は魏が商鞅を登用しなかったことかもね。
魏は色んな人物がやってくるから重用されず、また他国へ流れて流れた先でその人物が活躍するケース多くない?
白起の登場もでかいと思う
伊闕の戦いの前の秦は、韓、魏に押されてたみたいだし
496 :
世界@名無史さん:2009/11/13(金) 16:08:27 0
韓信が?通の薦め通りに独立してたらその後どうなったと思う?
>>491 智氏も六卿の内から魏氏、韓氏と組んで他を叩いてたわけだし
史実が示すようにちょっと裏切られるだけですぐに形勢逆転するような勢力情勢だった
ということは、智氏が六卿の中で強大だったと言えども、他に冠絶したとかそういうレベルではなく
過半数でも何でもなかったということ
結局、史実の三晋とは別の形ではあるが、いくつかに分裂するだろうし
その後も趙武霊の登場が確約されないから北方から騎馬民族にジワジワとぶっ殺されて史実より酷い可能性もある
498 :
世界@名無史さん:2010/01/12(火) 22:33:07 0
499 :
世界@名無史さん:2010/01/16(土) 21:56:55 0
中国史で名著って何?
500 :
世界@名無史さん:2010/01/16(土) 22:16:31 0
中国史で名著って何?
501 :
世界@名無史さん:2010/01/17(日) 02:47:49 0
>>56 いやいや診療君が普通にぶっちぎりでしょw
宮城谷の小説バッカ読んでないで史書も参照しろよ
502 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/17(日) 22:48:45 0
このスレで『古代中国の虚像と実像』(落合淳思著、講談社現代新書)読んだ人いる?
「有名な逸話は全部講談の作り話」てな内容で、漏的には不満多しだったが。
いやでも史記は9割フィクションだと思うよ
史記は小説ぐらいに思えば
>>503 残り1割のノンフィクション部分ってどこ?
100パーセントフィクションなら考古学的資料すら残ってる王朝が存在しなかったことになるでしょ
質問ばっかじゃなくてちょっとは頭使えよ糞害児
糞馬遷と同じ障害者
可哀想だから
ちょっと相手にしてやったらこれだよ。
┐( ̄ヘ ̄)┌ ヤレヤレ・・・
莫迦に関わるもんじゃないね。
確かに、もうちょっと考えるべきだった。
相手が、まともな人間かどうか。。。
司馬遷に感情移入する害児ww
509 :
世界@名無史さん:2010/01/20(水) 23:47:06 0
春秋は本来何のための書物だったのですか?
510 :
世界@名無史さん:2010/02/06(土) 11:59:02 0
511 :
世界@名無史さん:2010/02/07(日) 20:48:37 0
孔子が編纂。歴史教育と道徳教育をごっちゃにするため
>>511 ごっちゃにするためw
人文分野なんてどれも道徳につながっちゃうけど。
513 :
世界@名無史さん:2010/02/07(日) 20:55:33 0
でも昔の人間は真実と思って読んでたんだろ
514 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 05:54:54 0
>>509 周の正史は当時既に湮滅されていたのだとおもう。
>>511 箇条書きメモ程度の極度に簡潔な春秋に道徳もへったくれもないだろ。
516 :
世界@名無史さん:2010/02/10(水) 14:06:43 0
「道徳教育」というのは春秋本文ではなく、「孔子がこう表現した意図」を「註釈」した儒学徒の仕業
だったらそれは穀梁伝と公羊伝の話しだろ。
518 :
世界@名無史さん:2010/02/11(木) 02:57:50 0
左氏伝も
左伝は別カテゴリという話があったような。
>>518 左伝は歴史事実についての解説書であって「道徳教育」とやらには該当しないはずだ。
歴史の思想的解釈を記したものは穀梁伝と公羊伝だ。
521 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 19:47:06 0
項羽と劉邦では、劉邦が受けのような気がしますが、
劉邦と張良では、どちらが受けでしょうか?
>>521 どう考えても項羽と張良が受けだろ
劉邦は攻め以外考えられない
>>522 最初は劉邦が攻め、あとで偉い人だと気付いた劉邦が受けに回る
524 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 00:19:12 0
ttp://www.47news.jp/CN/201003/CN2010030901001079.html 二千数百年前の酒と断定 中国陝西省で出土
【北京共同】中国の通信社、中国新聞社などによると、陝西省の考古学研究者は9日、
同省宝鶏市郊外の農村で昨年10月末に出土した二千数百年前の戦国時代から秦代にかけての
青銅の酒つぼ内にあった液体を鑑定した結果、当時造られた酒と断定したことを明らかにした。
同省では2003年にも、西安市郊外の前漢(紀元前202年〜紀元8年)早期の
高級貴族の墓から出土した青銅器の中に、当時の醸造酒が入っているのが見つかったが、
今回の酒はさらに200年余り前に造られたことになるという。
酒つぼ内に残っていた酒の量や状態は不明だが、黒っぽい色をしており、アルコールの含有量は低かった。
原料の特定などには、さらに鑑定が必要としている。
2010/03/09 22:21 【共同通信】
陝西省は戦国時代なら秦か
526 :
世界@名無史さん:2010/03/10(水) 21:05:58 0
>>502 史記は、というか世のあらゆる史書というものは様々な種本の集成。
史記も様々な情報源から情報を持ってきただろうが、その中には多分に民間説話
から引っ張ってきたと思しきものが含まれている。当時はまだ文献批判の技術なども
未発達だから司馬遷としても情報源は全部ぶち込むしかなかったでしょうな。
ただ、有名な逸話は全部作り話ってことはないと思う。細かい会話内容などにはかなり
脚色(多分、各情報源の段階で脚色されていたのでは?)が入ってるだろうけど。
情報源のソースが確定できるものも中にはあって、そういうのは信頼できるのでは?
たとえば楚漢戦争などは、情報源の多くは劉邦の幕僚の一人だった陸賈の著書「楚漢春秋」に
依っているというのが分かっている。実際に現場にいた人間が情報源だからね。
もっとも残された楚漢春秋の断片を見るに、陸賈自身がかなり吹いてるっぽいのが困りものだが。
列伝は歴史劇的なものもかなり混ざってるらしいな。
読み物として面白いくらいだからな。
個々の事件自体は実際にあったことが多いと思う。
その細部はさあてね。
刺客列伝で言えば有名な荊軻の始皇帝暗殺未遂事件自体は実際のことだと思っている。
ニュースソースがはっきりしている→始皇帝付きの医者であった夏無且
また、漢代の画像石でこの事件を題材に取ったレリーフがあちこちで発掘されている。
ただし、荊軻の出身地や身分は良いとして、実際に秦の宮殿にやってくるまでの個々のエピソードは
かなり尾ひれがついてるんでは?
清末に両江総督馬新胎暗殺事件と言うのがあって、無頼漢による何の面白みもないただの刺殺事件なんだが、
事件発生後数年経たぬうちに、なぜか暗殺実行犯の過去エピソードがあることないこと
創作されて、やがては映画化されてたりする。→ブラッドブラザース刺馬、ウォーロード
馬新胎暗殺事件自体は事実なんだけど、それにまつわる話はかなり創作込み。
歴史伝承というのは多分こんなもんなんだろう。今も昔も民衆はゴシップが好き。
元禄赤穂事件もそのようなもんだな。
530 :
世界@名無史さん:2010/03/24(水) 20:01:52 0
古代の中国で、戦争に勝った側が、負けた側の兵士の遺体で山を築く
風習があったと思ったが、なんて呼ぶんだっけ?
531 :
世界@名無史さん:2010/03/24(水) 20:38:42 0
京観
532 :
世界@名無史さん:2010/03/24(水) 20:58:20 0
そうだ。京観だった。
教えていただいて感謝します。
533 :
世界@名無史さん:2010/06/07(月) 13:28:53 O
秦はチベット系の
国だったの?
534 :
世界@名無史さん:2010/06/07(月) 16:04:44 0
この時代の中国はまだ生食や正座が一般的だったんだよなー
535 :
世界@名無史さん:2010/06/07(月) 16:30:49 O
今日授業で習ったんだが、匈奴って最強じゃね?
536 :
世界@名無史さん:2010/06/09(水) 05:53:56 0
>>534 何時からだろ、中国の生活様式や雰囲気がガラッと変わるのは
やはり唐〜宋への移行期だろうか
欧米では、秦以前の王朝は伝説、神話ということで
実在はしていなかったということになっているな
殷以前ではなくてか。
殷も遺跡が発掘されるまでは中国内でも実在が否定されていた
殷墟も大分怪しいからな
発見当時だって進歩的な学者や左っぽい人たちは本物と認めていなかった
今は党の方針が中国四千年の歴史とか言い出すナショナリズム指向になっているため
夏殷どころか三皇五帝まで実在したということになっている
ところでyoutubeで殷の宮殿の再現CG見たけど
藁葺き屋根と戦国時代の櫓みたいなのがあって
結構壮大なスケールの宮殿だったんだな。