黄巾の乱後の中華人口大激減 

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1世界@名無史さん
後漢末に限られたことではありませんが、ザハーロフの「支那人
口の歴史的考察」(正史を典拠)によると、中国史では王朝が交
代する大動乱がある都度に、大陸人口が半数から酷い時には数分
の一に激減したとされています。
ことに、黄巾の乱後に纏わる人口激減は際立って顕著であったよ
うで、後漢末永寿三年(156年)に5006万人を数えた十三
州の総人口が、三国期242年頃には三国合わせても僅か762
万人となるにまで減っており、明帝(曹叡)年間の杜恕・陳群・
蒋済それぞれの意見書、及び以後の皇輔弼・朱照日らの発言録に
も、十三州併せても後漢末の二州に満たない、などとした、いか
にも人口問題の深刻さを示唆する記述がみられることなどから、
俄な信憑性を感じるのですが、もしこれらが本当であるとしたら
、往時はホロコーストやロシア革命以上に戦々恐々とした時代で
あったという、「三国志」などからは到底垣間見ることのできな
い非情で陰惨な一面を持っていたことになります。
果たして、この「後漢末・三国時代の人口大激減」は信じてもよ
いのでしょうか。
2世界@名無史さん:03/01/28 23:08
中国の王朝交代期に勃発する戦乱は、陳勝・呉広〜楚漢の攻防、
赤眉・緑林〜光武帝即位、隋末の乱〜李世民の大陸統一など、大
抵のものがいずれもあしかけ5年足らずで終息しているのに、三
国期に限って黄巾から晋統一まで前後100年と異様に長引いて
いたり(端例を挙げると、曹操は官渡に大勝して大勢が決めたに
も関わらず、その後の袁兄弟討伐に7年を要するなど、他の時代
の戦乱平定ペースからはおよそ考えられない不可解な点が多い)、
この頃から漢字発音の伝統が危殆に瀕して韻書が制定されたり、
あるいは魏呉蜀がそれぞれ競って辺境異民族を、中華地帯に移住
させる政策を始めたり、またはその後異民族が、一たび漢族に勝
利するや大陸に無数の独自の国家を築いてしまったりと(西周、
前漢、新時代にも周辺異民族が中華国家に大勝を収める事件は幾
度もあったが、いずれもが漢土に国家を設けるには至っていない)、人口
の大激減を仮定すれば簡単に説明のつく事実が無数に目に付くのです
が、いかがでしょうか。
以前から、三国志に深い興味を寄せていた私ですが、先日(山川
出版)「漢民族と中国社会」をきっかけに幾点かの関連した文献
を読みだすに及び、既成の三国志観が大きく揺らいでいます。
歴史に未知な私ですが他の方の後学にもなる
と思いますゆえ、少しでも知識をお持ちの方、どうかご意見、お
願したいと思います。
3世界@名無史さん:03/01/28 23:20
私も知りたい!
4世界@名無史さん:03/01/28 23:23
良スレになりそうなので期待
5世界@名無史さん:03/01/28 23:26
「おかしいな。」
 松井さんは車をとめて、考えかんがえ、まどのそとを見ました。
 そこは、小さな団地のまえの小さな野原でした。
 白いチョウが、二十も三十も、いえ、もっとたくさんとんでいました。
 クローバーが青あおとひろがり、わた毛ときいろの花のまざったタンポポが、
 てんてんのもようになってさいています。その上を、おどるようにとんでいるチョウをぼんやり見ているうち、松井さんには、こんな声がきこえてきました。
「よかったね。」
 「よかったよ。」
「よかったね。」
 「よかったよ。」
 それは、シャボン玉のはじけるような、小さな小さな声でした。
 車のなかには、まだかすかに、夏みかんのにおいがのこっています。
6世界@名無史さん:03/01/28 23:28
鰯を食って黄巾の乱
7世界@名無史さん:03/01/28 23:30
ただ単に、
戸籍に載ってる数が減っただけでしょ?
8世界@名無史さん:03/01/28 23:34
戸籍に載っている人間と戸籍に載っていない人間とでは
どちらのほうが生活しやすかったのかな?
9世界@名無史さん:03/01/28 23:37
資料が正確にとれなくなっただけ。

つーことで終了
10世界@名無史さん:03/01/28 23:39
>>7
多額の出費を要する移住政策まで推し進めた、あの有能な魏・晋王朝が
そうした人たちを放置しておいたはずがないと思います。
統計が取られたのは、242年、流民の大半は戸籍に編入されていたはずです。
11世界@名無史さん:03/01/28 23:42
それでも、なおあの数値だったから、頭を痛めたのでしょう。
本当に十分の一強に激減したとは思いませんが、半減することくらいは
あったと思われます。
その後の、五胡十六国の到来を見ても。
12世界@名無史さん:03/01/28 23:45
漏れは、太平天国の乱で中国の人口が1億5千万人減ったことの方
にも関心がある。
13世界@名無史さん:03/01/28 23:45
豪族による囲い込み
14世界@名無史さん:03/01/28 23:50
「繁栄」は歴史に残るけど、「衰退」や「滅亡」は書かれないことが多いからねぇ。
史書に残らずに、いつの間にか消えている国、文明は沢山あるね。
15世界@名無史さん:03/01/28 23:52
>>13
それなら、後漢時代からあったような。
なのに、あまりにも差が顕著。
16世界@名無史さん:03/01/29 00:01
というか、戸籍に残ってないなら調べようがないのでは?
他に当時の人口を推定する方法あります?
17世界@名無史さん:03/01/29 00:06
豪族の独立性が強まったんだろ
18世界@名無史さん:03/01/29 00:10
満州族が明を征服した後、シナでは人口が激減したそうだね。
日本と同じくらいの人口になったんだっけ?
あの頃、秀吉が明を征服して、日本人が殖民していればなあ。
19世界@名無史さん:03/01/29 00:11
戸籍外の人間が増えたのは間違い無いと思うけど、少なくとも魏王朝の
支配地域では漢と同程度の戸籍調査は行われただろうと思う。

その結果で物凄い人口激減だから、実際に相当数の減少があったと思う。
まさか、新の名前二文字制度の影響で同姓同名が多くて減ったとかそういう事は
ないだろう(w
20世界@名無史さん:03/01/29 00:18
国家が人口を把握出来なくなった、というレベルの他に、
生物学的に激減したという次元も確かにあるように思うな。

前近代の農業社会はある意味生存ギリギリのところでやってるから、
戦乱などでシステムが壊れると、二次的に起こる飢饉・疫病には脆弱だったんじゃないか。
近世ヨーロッパでも1割程度なら考え得ると思う。
高度な福祉社会に生きてる我々にはいまいちピンと来ない点かもしれないが。
21世界@名無史さん:03/01/29 00:38
>2が言うように、東漢末〜三国期の戦乱は長期に渡っている。
中国の兵は古来、(例外もあるが)規律が悪く、下手すれば
討伐すべき流賊のたぐいよりも、討伐に来た官軍の方が民衆に
対して略奪暴行が激しかったりすることも珍しくない。
兵による略奪が激しければ、民衆は食っていけなくなるので、
流賊となり、その流賊がまた別の地域を襲う。その討伐のため
にまた兵が送られ、その兵が略奪をするという悪循環に陥る。
結局、そういう地域の民衆は、殺されるか、餓死するか、自分
が略奪する側に回るか、さもなくば安全な地を求めて大移動す
るほかはない。三国志で民衆が劉備についていったのは、別に
劉備という人間を慕ってのことではなく、単に戦火と略奪を
嫌って移動しようとしたのにすぎないのだ。
死亡した者が多いのも事実だろうが、こうした移動によって戸
籍調査にとらえきれなくなった者も多いはずである。魏晋の戸
籍調査は充分信用できるというのが>1氏の意見のようだが、
呉、蜀漢に関してはどうか? 中原にいられなくなった民が目
指したのは、こういった当時の辺境のはずである。特に、江南
は、豪族の力が強く、流民を自分の領地の労働者として吸収し
ただろう。この頃から江南が発展していくのも見逃せない。
戸籍の数字に載らない民衆が主に南へのがれたのが、後の南朝
諸朝の繁栄の基盤となったのではあるまいか。
22世界@名無史さん:03/01/29 00:43
みじめな匪賊国家シナと絢爛たる和の国日本の差を論じるスレに
変更します。
23世界@名無史さん:03/01/29 00:47
>21
だとすると南朝が常に北朝に対して軍事的に劣勢であったのはどういう事なんだろ?
当時は人口=軍事力だから南が北を併呑できると思うのだが、間違ってる?

それと蜀や呉は常に兵力不足に悩まされていて、異民族を攫いに出かけたりしてる
けど、王朝の正規軍を遥かに超える流民を豪族が隠し持っていたら討伐の対象に
なるだろうし、なによりその豪族が中原を狙うと思うのだが?
24世界@名無史さん:03/01/29 00:51
中原てにいれてなんとする。
江南の方がはるかに豊じゃないですか。
わざわざ麦しか育たないところを手に入れても
豪族にはメリット無しな気がするのですがねぇ。
いかがでしょうか?
25世界@名無史さん:03/01/29 01:03
>>21
この頃の江南の発展ぐあいはまだ微々たるもんだと思います。
>>23氏の言うように、人攫いなどを行っていた事実から移住した人口は
そこまで多かったとは思えませんが。
>>24
この時代はまだまだ中原が圧倒的です。
26世界@名無史さん:03/01/29 01:03
>24
戦乱が打ち続いて常に身の安全を考えなければならない状態よりも統一国家が
存在する方が豪族にもメリットが大きい筈。

江南が豊かになるのは後漢末よりももっとずっと後だし、それに江南も戦火を常に
避けられていた訳でも無い。豪族が吸収しただけでは説明はやっぱりつかないと思う。
27世界@名無史さん:03/01/29 01:34
拉致は兵員増強目的じゃなかったか?
呉の豪族なんかは外征消極派が多数だったし、
取り込んだ流民を兵役で消耗させたものかな。
28世界@名無史さん:03/01/29 04:14
>>27
軍勢を動かした所で、
すぐに逃げたり疫病で激減したりしたんじゃないのかな。
29世界@名無史さん:03/01/29 07:54
民が死んだにせよ移住したにせよ、黄巾の乱以降、戦乱で漢
魏晋の国土が荒廃していたのは間違いない。
曹操が屯田で多数の兵を養うことができた、ということは、
それだけの農地が、本来そこを耕すべき農民がいなくなって
放置されていたということを意味する。
30世界@名無史さん:03/01/29 08:15
歴史人口学はいくつか一般向けの本がでてるね。
中国と、それ以外でもお勧めがあって、知識のある人言及してくれれれば多謝
(自分は読んでないのだ)
31世界@名無史さん:03/01/29 08:53
徙民とか
32世界@名無史さん:03/01/29 14:06
歴史人口学の書名
激烈きぼーん!
33世界@名無史さん:03/01/29 16:12
参考までに。

日本の場合、江戸中期から幕末にかけて、人口は2500万人〜3000万人
の幅で増減を繰り返したと言われる。500万人程度は、
飢饉で死んでいったらしい。

また、長期の戦乱による略奪や土地の荒廃その他による人口減の
有名な例としては、三十年戦争期のドイツが挙げられる。
2200万人から800万人にまで減ったとか。
ただ、ヨーロッパの場合、難民などの形で他の国に移住した例が
多そうなので、どれだけが実際に殺されたかは判断しづらい。
ルイ十四世の唱えた、ライン川西岸をフランス領とする
自然国境説も、この辺とも関係があるのかも知れない。
34世界@名無史さん:03/01/30 02:07
毛沢東は核戦争で半分死んでも5億いると言っていたそうだから、当時も同様の考えの領主が多数いたものと思われ
35世界@名無史さん:03/01/30 02:57
人口激減と言えば、14世紀ヨーロッパのペスト大流行や
ヨーロッパの航海者が持ち込んだはしかなどの疫病による
南北アメリカ大陸原住民の激減が思い浮かぶ。
この頃の中国も、何か伝染病が流行したのだろうか?
単純に考えても、戦乱で軍が東西南北に奔走すれば、それ
だけ他の土地の風土病に接する機会が多くなり、病原体を
本国に持ち帰るケースも多くなると思われるが。
36世界@名無史さん:03/01/30 09:16
>35
アテネも籠城戦で鬼のように人口が激減しているよ。
戦争と疫病の関係で一番古い歴史だったはず。
37世界@名無史さん:03/01/30 11:34
>>36 死んで減ったの? 逃げて減ったの?
38世界@名無史さん:03/01/30 12:45
中国の場合、必ずしも死んで減ったばかりじゃないんじゃねえかな。地主の小作人になったり奴婢になったり、最も多いのは流民化して国として把握できなくなった連中じゃねえかな。
何しろ今でも正確な人口がわからねんだから。
39世界@名無史さん:03/01/30 13:29
第一次・第二次世界大戦の時の欧州でも全土が戦場になった国は1〜3割死んだ例がある。
(例えばセルビア)

検疫とかないに等しい前近代なら半分以上死んでもおかしくないな。
40_:03/01/30 13:55
よく狙え、奴を殺せば俺が教祖様よ!の国だぜ。約一人今もいるだろうが。おかしなのが。
何が起ころうが不思議じゃない。
41世界@名無史さん:03/01/30 13:58
>>40
そうゲームに影響されなさんな
42第20軍団兵:03/01/30 14:09
>>37
トゥキディアス「戦史」?
それならば死んで減った。

ペロポネソス戦争時、アテネ軍はスパルタの陸軍力を抑えるため。
陸では篭城し海では穀物封鎖を行って敵同盟の切り崩しを狙ったけど、そこに疫病が発生してペリクレスをはじめ多くの人がアボーンした。
43世界@名無史さん:03/01/30 21:19
http://home.hiroshima-u.ac.jp/cato/jinkou996.html
このページってどうなんですか?
44世界@名無史さん:03/01/31 00:06
ナポレオンのロシア遠征では、野戦病院を
最初から用意していたにもかかわらず、
伝染病で大勢が死んだ。
その数は戦死者よりも多かったとか。

当時の中国でどのような疫病があったかは知らないが、
栄養状態が悪く体力が落ちている上、
戦争により集団行動が多くなれば
相当な被害が出てもおかしくないと思うな。
45世界@名無史さん:03/01/31 00:19
 近代以前の戦争では戦闘で死ぬよりも病死の方がはるかに多い。
だって、数万人が一箇所に固まって食事、排泄、その他を行なうわけだし
現代から見れば不衛生極まりない状態だよ。
46世界@名無史さん:03/01/31 11:37
この頃の中国の戸籍って、小作農とか奴卑とかまで
網羅してたの? よく知らないので私の勝手な想像
だが、土地を持ってる農民は把握していても、自分
の土地を持たない小作農のたぐいまでは記載されて
いなかったのでは。もしそうだとすれば、戸籍上の
人口激減は必ずしも死んだのではなく、地主階級の
農民が自分の土地にいられなくなり、流亡した末に
行った先の土地で小作農や奴卑に落ちぶれた、とも
思われる。
47世界@名無史さん:03/01/31 13:44
>>46
小作人は国家によって把握されたりされなかったりでいたちごっこだった。亡命の徒(含流民)はもちろん奴婢も戸籍には記載されていない。亡命の徒についても国家は把握しようとしていたみてえだけどね。
てことで、中国の人口大激減は死亡より亡命の徒の増大によるものだろうね。
清末の太平天国革命及びその他の内戦により一億人以上が死んだと平気で言ってる学者がいたけど、おそらくその殆どは亡命の徒になっただけなんじゃねえかな。
48第20軍団兵:03/01/31 15:47
ヨーロッパでの兵隊殺しのNo.1はチフスだったと記憶しています。
冬季が特に危険だったと。
49世界@名無史さん:03/01/31 15:53
日清戦争では脚気
50ブラウンシュワイク:03/01/31 22:37
>>5
その話知ってる・・・・
なつかしいなあ
51日本@名無史さん:03/02/01 08:20
日露戦争では戦死者5万人に対し傷病死者4万人
その内、脚気による死亡者が3万人。
森鴎外の罪は重い。
52世界@名無史さん:03/02/01 11:49
>>51
日露戦争が明治38−39年、
オリザニン(ビタミンB1)の発見が明治44年。
何で、「森鴎外の罪は重い。」の?
53金魚:03/02/01 12:22
 三国志時代の人口減はあくまで公民の数。大部分の人々は、公民たる事をやめて
荘園の隷属民になった。これは、脱税の手口だから、史書に明記されにくかったのだろう。
 そして、荘園領主とは、三国志の人材の事。人材募集とは、人材配下の私兵を
求めたのが本音。公民が少ないので、曹操は自分の私兵を軍の中核としたわけだが、
それでも足らないので人材という名目で、荘園領主が私兵を連れてくるのを期待
したのだ。

 ちなみに、江戸時代中期以降の人口変動はゆるやか。飢饉なんかで一挙に
五百万人も死なない。
54世界@名無史さん:03/02/01 12:27
>53
だとしたら兵数が膨大でとても農民だけで食わせる数じゃなくなってると思うが?
戸籍から離脱し、流民や農奴状態になって追跡できなくなった人口もそうとう
多いだろうが、それだけだと断定するのは如何なものか?
55金魚:03/02/01 12:38
 日本の封建制に似て、荘園領主は領内のほんの一部を兵として率いるだけですから、
食料の問題は輸送の問題だけでしょう。
 日本の江戸時代の文書もそうなんだが、人々は、脱税のために、実際以上に、貧しい
・苦しい・飢饉で死んだと書いてきた。それにだまされてはいかんと思うのレス。
56世界@名無史さん:03/02/01 12:38
54を読んでると今の北朝鮮をふと思い出しますた。

軍を維持するために農民の食料をすべて収奪してもたりず、
それこそ脱北が相次ぐ現在では、国内の人口など把握できているんだろうか・・
57金魚:03/02/01 12:44
 北朝鮮は、伝統にも特権にも掣肘されない近代の主権というものが成立している。
だから、現代の北朝鮮の権力悪による悲惨は、昔の歴史上の悲惨さとはケタ違いだろう。
58世界@名無史さん:03/02/01 13:17
>>52
日露戦争当時、脚気の正確な原因はなお不明だったが
海軍はもちろん、地方の陸軍軍医も
白米食でなく麦飯を給することにより脚気を絶滅させていた。
日露戦争時に陸軍の中枢にいた森鴎外は
これらの経験、現場からの要求をあえて応ぜず、
満州に渡った陸軍に白米食を給することにより
脚気により3万人の命を奪った。
59世界@名無史さん:03/02/01 13:58
>56
マイナーだが、ビルマもな。

>58
この手の民間療法(というのかな?)は馬鹿に出来ないよね。
科学編重で、甘く見たらいけない。
60世界@名無史さん:03/02/01 14:08
61世界@名無史さん:03/02/01 14:42
>55
江戸時代と紀元前を比較するのもどうかと思うが。
もし戸籍から消えた大部分の人口が豪族の私有民となっていたとするならば
そのあまりの多さに国家が成り立たないだろう。

62世界@名無史さん:03/02/01 15:26
「戸籍から逃亡してただけで人口そのものは減っていない」という説は宮崎市定もいってた。
ただし、宮崎市定は研究結果として出したのではなく、
「ということもあるかも知れないので研究の必要がある」といってただけ。
具体的な根拠はなく印象論の域を出ない。

「実際の大減少があった、十分の一になった」という説を積極的に主張してるのは
岡田英弘とか安本美典とか。安本はかなり以前
『東アジアの古代文化』だったか『季刊邪馬台国』だったかで、誰かとこの件で大論争してたな。
63世界@名無史さん:03/02/01 17:08
>>61
>もし戸籍から消えた大部分の人口が豪族の私有民となっていたとするならば
>そのあまりの多さに国家が成り立たないだろう。
奈良時代に始まった公地公民制はそういう結末だったんじゃない?
64世界@名無史さん:03/02/01 20:10
飛鳥時代に把握されていた「人口」と
奈良時代の「人口」では、どれくらい違うのでしょう?
65世界@名無史さん:03/02/01 22:45
安本美典はなんでも極端な主張するw

魏・晋朝の「民衆を直接把握する能力」は漢朝に比べて極端に弱かったと思われ
有名な九品官人法も実体の伴わないものだったと聞いたことある
中国特有の「王朝の交代の連鎖で歴史を著述する方法」のために正式な「政府」と認められただけで、
実質「クーデター後の暫定政権」レベルの貧弱な組織だったんじゃないか
だとすると当時の人口減は実際はもっと小さなものだったと漏れは思ふ
66世界@名無史さん:03/02/02 01:26
ってことは歴代王朝の人口調査に数千万を付け足して考えるべきだという事か。
王朝による調査で前漢末の人口に回復するのは宋代だったっけ?
その間にも相当数が増えてるだろうから、実際はその当時から一億は突破してそうだな。
67:03/02/02 08:10
民族の世界史5 山川出版  「漢民族と中国社会」より
北族の時代 中国史の第一後期 (著者 岡田英弘)

184年の黄巾の乱とともに、秦の始皇帝で始まった前期が終わって後期が始まる。
後期の特徴は、古い漢族の事実上の絶滅と、北アジアからの新しい血液の流入による、新しい漢族の成長である。
黄巾の乱後、中国の人口は極端に少なくなった。
ことに河北の平野部ははなはだしく、千里、人煙を絶つという有様であったという。
黄巾の乱から50年を経た230年代に、当時の魏の高官三人が明帝に提出した意見書から、当時の魏の人口が推計できる。
杜怨は、「今、大魏は十州の地を奄有しているが、喪乱の幣を承けて、その戸口を計れば、往昔の一州の民にも満たない。」といっている。
十州というのは、後漢の十三州から、呉が支配する、揚州、交州、蜀が支配する益州を除いた数である。
後漢の中国の総人口は、140年の統計では、4915万220人だった。これから揚州、交州、益州の人口を差し引くと、残りの十州は3635万5210人となる。魏の人口はその十分の一にも足りないというのだから、360万人よりも少なかったわけである。
また、陳羣は「今は葬乱の後で、人民は至って少なく、漢の文帝、景帝の時に比べれば、一大郡に過ぎない」といい
蒋済も、「今は十二州あるけれども、民の数に至っては、漢のときの一大郡に過ぎない」といっている。
十二州というのは、魏が雍州から涼州、秦州をわけたからであって、杜怨のいう「十州」と同じ地域を意味する。
68:03/02/02 08:10
とにかく前漢の最大の郡は、紀元二年の統計では、汝南郡の259万6148人、それに次ぐのは頴川郡の221万923人であり、後漢では最大が南陽郡の243万961人、その次が汝南郡の210万788人となっている。
要するに三国時代初期の魏の人口は、約250万人ということになる。
華北を支配した魏に対して、長江中流の武漢を中心とした地方と、下流の南京を中心とした地方だけを支配した呉の人口は、
魏よりずっと少なく、約150万人というところであろう。
皇甫謐(215ー282)のいうところでは、244年に将軍朱照日が、呉の領するところの兵戸は13万2千であると魏に報告している。
兵戸というのは軍人の戸籍に登録されている家族のことで、一戸から一人が兵士になるとして、これをそのまま軍隊の定員と考えれば、
後に呉が晋に併合された280年の数字では、呉の全人口の9%が兵士となっている。
この比率を適用すると、三国時代初期の呉の人口は、約150万人になるのである。
四川盆地を支配した蜀については、90万人とも、100万人ともいわれているから、三国の合計は500万人ということになる。
これを傍証するように、皇甫謐は140年の後漢の南陽郡、汝南郡の戸口統計を引用して、
「これを今に比べるに、三帝(魏・呉・蜀)が鼎石して、二群を超えない」といっている。
これは、450万人以下、ということである。つまり、184年の黄巾の乱から半世紀の後、中国の人口は十分の一以下に激減したわけで、これは、事実上、漢族の絶滅である。
69:03/02/02 08:11
これより先、220年、後漢の最後の皇帝から帝位を禅られた魏の曹丕(文帝)はその翌年の221年、西は宣陽(河北省宣陽県、洛陽の西南)、
北は太行山脈、東北は陽平(河北省大名県、洛陽の西南)、南は魯陽(伏牛山脈)、東はタン(山東省タン城県、江蘇省との境)までの範囲を限って
石碑を立て、その内側を「中都の地」、すなわち「中国」として指定し、生き残った中国人をその中に移住させた。
これはほぼ河南省の全部と、山東省の西南部に当たる。
この狭い範囲に中国人が立てこもることになり、その外側は、軍隊の駐屯以外にはほとんど住民がいなくなったのである。
こうして真空状態となった中国の周辺地帯には、北方から鮮卑、匈奴、羯、氐、羌などの、いわゆる「五胡」が移住してきて定着した。
やがて、魏は蜀を併合し、魏をのっとった晋が呉を併合して、280年には黄巾の乱以来ほとんど100年にして中国の再統一が成り、
人口は一時、順調に回復し始めたが、わずか20年にして皇族の将軍たちの権力争いから八王の乱と呼ばれる全面内戦となり、人口は再び減少した。
それに乗じて、匈奴など、内地に定着した諸部族の軍閥もおこり、305年に匈奴の劉淵が漢王と称して独立してから、いわゆる16国の乱となり、
これは439年に隋が陳を滅ぼして中国を統一するまで150年続くわけだから、結局中国の分裂は、たった20年間の晋の統一をはさんで、
黄巾の乱から400年以上も回復できなかったわけだが、その原因は人口の過少によって、農業生産の復興がままならず、食糧の余剰がなくて、統一のための戦争の余力に乏しかったためであろう。
この人口過少が中国史の第一期の後期である。
70:03/02/02 08:13
中国人と中国語の変質

黄巾の乱から400年間に目立った減少は、中国人と中国語の変質である。
既に述べたように、黄巾の乱に際して、中国の人口は十分の一以下に激減し、しかもその減少の大部分は、
それまで中国の都市文明の中心であった華北の平野部で起こった。そして、それに続いておこった五胡の移住と、
16国の乱、南北朝の時代を通じて、河北の支配者が多くアルタイ系の民族であったことから、
漢語を話す人々ももはや漢族ではなく、しかもその話す漢語も秦・漢時代の言語と同じではなくなった。
後期における漢語の発達史上、見逃す事の出来ない現象は、「反切」と「韻書」の出現である。
儒教が国教であり、その経典の知識に基づいて官吏が選ばれた後漢時代においては、漢字の読み方は公用のものが規定され、
洛陽の太学において伝授されていたはずである。ところが黄巾の乱後、洛陽が荒廃して無人の地となり、
しかも文人官僚の時代が去って軍閥の内戦時代となると、漢字とその読み方の知識は、危うく難を逃れて地方に亡命した、ごく少数の学者によって後世に伝えられなければならなかった。
そこでこれまで師から弟子へ口伝口授によって伝えられるだけであった漢字の伝統的な発音を記録し、知識の亡逸を防ぐ為に考案されたのが「反切」である。
これは例えば「東」の発音を「徳」と「紅」の組み合わせで示すやり方で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(以後延々と人口減少が当時の中国文化に与えた影響についての説明が続く。
発言者の名前などソースが明示されていて判りやすいので、参考になればと、そのまま引用しました)
71世界@名無史さん:03/02/02 09:01
>>67->>70
大変ありがとうございます。
上記を信じれば、221年に華北の河南省を除く地域
(河北省、山東省、陜西省、甘粛省など)から、それまでの中国人が
強制的に退去されたことが文献に明示されていることになりますね。
華北はそれまでの中国人が激減し、鮮卑、匈奴、羯などの北方民族に
置き換わったことが、ほぼ説明されていると思います。
72世界@名無史さん:03/02/02 09:12
なるほど、わかりやすいですね。
印象的なのは、やはり、漢族の絶滅ということだな。
そこから周辺民族との混血を経て、再度、中国の歴史は立ち上がったという感じか。
漢語を話す人が漢族ではなく、その漢語も違う言語になったのなら
これは正しく絶滅したと言っていいだろう。
中国文化はここで一度断絶したと考えていいわけだ。
73世界@名無史さん:03/02/02 09:56
実際に、五胡十六国以前を「秦漢民族」または「周漢民族」、
以後を「唐宋民族」と別扱いにする説があったね。
74世界@名無史さん:03/02/02 11:18
推定人口の方はどうなの?
75世界@名無史さん:03/02/02 12:47
>>74
華北に関しては河北省、山東省、陜西省、などから生き残った人間を
河南省に強制移住させているから、
耕作面積は、昔の少なくとも数分の1以下になっているだろう。
人口統計がもし信用できないとしても、
人口が激減したことは間違いないということかな。
76世界@名無史さん:03/02/02 12:57
印象論ですまんが、遊牧民マンセーの岡田英弘の言うことは
どうも信用できん。(研究の切り口は悪くないし、これまで
の歴史の見方に対するアンチテーゼとしては面白いと思うの
だが、言うことが極端で好きになれん。)
77世界@名無史さん:03/02/02 18:38
突っ込みどころ提起。

>>69に対して
○「中都」=「中国」という根拠は何か。
○その命令で「中都」の地にほとんどの人が移り住んだのか。
  ・曹操は対呉国境の住民を移住しようとして失敗し、その民は呉に逃亡した例もある。

俺はあちらの人口が10分の1とまではいわなくとも激減したと思ってるんだが、
岡田さんの根拠はなんか信じていいのか戸惑うね。
78世界@名無史さん:03/02/02 21:23
岡田さんの本って
歴史トンデモ本じゃなかったっけ。
漏れはそう認識してたが。
79世界@名無史さん:03/02/02 22:01
>>78
岡田さんは、結論だけ言いっぱなしみたいな著作が多くてアレだけど
「歴史のある文明 歴史のない文明」(筑摩書房)にはかなり本音がでてて、トンデモではなさそうだが。
この本での感じだと既存の歴史学のパラダイムにある意味
挑戦しようとしてるところがあるように感じられるね。
それが硬直した学問信仰的な気分でみるとトンデモっぽく見えたりもする。
岡田さんをめぐる諸問題についてこれ以上の詳細は世界史板だったか日本史板だったかに
過去ログがあるはず。誰かアドレスもってたらお願い。
80世界@名無史さん:03/02/02 22:09
本音どうこうではなく、地に足がついてないと。
論に論を重ねて仮定の集合体を結論としているところに
問題があるのでは?
81世界@名無史さん:03/02/02 22:23
そもそも前提からして疑うような議論するのに「論に論を重ね」るのは当たり前では。
むしろ途中をとばしすぎ。いちいち説明するのがあほらしいというか面倒みたいだよ。
あの人って一般人向けに本かくと対等に論戦しようという気がまったくないよね。
学界の論文はよんだことないんでよくわらかんが。
82世界@名無史さん:03/02/02 23:40
中国の正史の記述を、しかも数字をあまり当てにするのは危険だと思われ

ただ、本当に人口が減少したかどうかは置いておくとしても、
この時代に漢人社会の中に何かが起こり、社会システムが崩壊したのだろうとは思う。
それが新しいシステムに落ち着くまでに400年もの時間がかかったのではないかな?
83世界@名無史さん:03/02/03 00:02
なんだかごちゃごちゃいってる椰子が多いけど、
人口減少は結局認めてんでしょ? じゃあ、それでいいじゃん。
84世界@名無史さん:03/02/03 00:48
ソースが明示されないので、
認める認めない以前だ。
85世界@名無史さん:03/02/03 00:56
減少肯定派の直接のソースなら後漢書そのものでそ。
否定派は史料に対する“解釈”だからソースの明示云々じゃないんでは?
86世界@名無史さん:03/02/03 01:13
歴史人口学ですでに論文があるのでは?
87世界@名無史さん:03/02/03 01:46
ない。(断言)



・・・もしあったら・・・・謝りまつ
88世界@名無史さん:03/02/03 08:38
もし本当に90%も死んでいたら中華文明は消滅していたと思われ
89世界@名無史さん:03/02/03 10:57
>>88
だから、大きく変質したんじゃないの?
清末の中国人と、春秋戦国の中国人とではまるで別人種のような感じがしない?
私はこういうアクシデントが中国の長い歴史の中で、一二度起こっていたと考えたい。

中華文明の維持そのものは、一割でもデータベースさえ残っていれば、可能のように思える。
渡来人の割合が極めて稀少(だったと推測する)な半島でも、
物まねだけで鏡写しの中華風王朝が成立・存続し得たことなどから考えて。
90世界@名無史さん:03/02/03 11:16
人口統計に格段の差がある。
さらに、当時の知識人が史書の中で、そうと証言している。
だから、おそらく激減したのではないか、というのが岡田氏の主張ですね。
91世界@名無史さん:03/02/03 11:21
>>90
さらには、そうと思わせる傍証が沢山あると。
92世界@名無史さん:03/02/03 12:21
あんまり参考にならないかもしれませんが、
前趙は314年に、
漢220万人
胡400万人
と考えられているようでぃす。
93世界@名無史さん:03/02/03 14:12
話を戻すが、当時どうやって人口を国家が
把握していたか、というところだろうな。
94世界@名無史さん:03/02/03 14:25
大幅な減少が無いと主張してる奴はどの程度なら妥当だと考えているのか知りたい。
それとどの時代からなら調査内容がある程度正確だと考えていいと思っているのか。

これを提示してくれないと単なる解釈のお遊びにしかならない。
95世界@名無史さん:03/02/03 16:54
戦乱に伴う人口の増減については、近年の例では、天安門事件や、
すこし前なら南京入城など、近代に至っても誇張が甚だしく、
中国史での数字で信頼できるのは、年代のみ。
96世界@名無史さん:03/02/03 17:04
↑歴代の正史の地理志に郡ごとの人口統計の一覧がのってたりするけど、
これは戦乱とは軍事報告(戦功の過大報告や損害の過小報告)とは関係ない、
平常時の人口統計だろ?
97世界@名無史さん:03/02/03 17:44
この板の議論系スレ、いくつか見ていて思うんですけどね。
何かそれぞれの論を主張している人達、どちらとも自分の説が絶対に正しい!
と思い込んで居る人同士で、論争している様に思うんですけど…
(要は相手の言っている事で、”良い”と思う説を汲み取ろうとしていない。
相手を論破するだけが目的の、論議の為の論議に成って居る印象)

多分、このままの議論の進め方すていたら、どこまで言っても議論が、
平行線で終わると思いますけどね。

もうちょっとお互いに、相手の主張している事の可能性にも理解(思考する余裕)
した上で論議した方が良い印象を持つけど…
98世界@名無史さん:03/02/03 18:21
>>97
この板っていうより2ch全体がそういう場所なんじゃないかなぁ。
今までまともに終結した議論を見たことがないよ。
大概は煽り合いでウヤムヤになるか、若しくは片っぽが返信しなくなって終り。
99世界@名無史さん:03/02/03 20:44
>>97
いやいや、このスレに限ってはそうじゃない。
「人口減少はあったがすごい大減少ではない」派VS「大減少だが十分の一なんて極端ではない」派
の論争なのだが、前者が後者を「人口が十分の一に」派だと思い込み、
後者は前者をと「あんまり変化ない」派だと思い込んでいるから噛み合わないのでは。
100世直し一揆:03/02/03 21:17
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的・ファイト満々(キモイ、自己中心)
●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようと
する(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際に
はたいてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●一人では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、「世間体命」)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は
個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をし、ストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
101世界@名無史さん:03/02/04 01:51
まぁ、世界史板はどこもウンコ板だということ
だわなぁ。
10282:03/02/04 02:30
>>94
 >大幅な減少が無いと主張してる奴はどの程度なら妥当だと考えているのか知りたい。

 どの位ならあり得るのかは正直分からない。ただ、考え方の出発点が違うんだよ。
 数千万人クラスの大量の死者を出した第2次世界大戦は、原爆など大量破壊兵器や
 ナチスによるユダヤ人虐殺(社会システムとして効率よく人を殺した)があってのもの。
 剣による戦争や自然災害しか人の大量死がないはずの漢代に第2次大戦と同程度の
 大量死があったとは考えにくい。

 よって漢末の人口減は「死」ではなく「登録漏れ」ではないかと考えるわけだ。
10382:03/02/04 03:00
ではなぜ「登録漏れ」がおきたか

 ヨーロッパではこの時期ゲルマン人が南下して西ローマ帝国を滅ぼした。
 中国でもこの後五胡が南下して華北に住み着くわけだ。
 気候の寒冷化が原因とか言う話だな。
 なぜ漢族が同じことをしない理由がある?
 彼らは南下して華南地域に移住したんだよ。漢族大移動だ。
 そう考えれば三国時代に呉・蜀が成立したのも頷ける。
 この2国は急増した漢族の力を背景に成立したんだな。
 しかし、如何せん地方政府を母体にした政権だから
 充分には彼らを把握できなかったんだろう。

 これが漏れの考えだな。まあ脳内妄想だが
104世界@名無史さん:03/02/04 03:03
>大量死がないはずの漢代

あるよ
105世界@名無史さん:03/02/04 03:44
>>96
だから、中国はその平時の記録自体が信憑性に欠ける上に、後代に盛んに改竄も
されている。
そんなもの検証もなしに信用するな。
106世界@名無史さん:03/02/04 03:49
>>103
徴税・兵役を逃れるために、男女を偽ったり、出生ほ届けなかったり、
或いは、逃散していったり、反乱を起こして別の豊かな土地を乗っ取って
住みついたり……
107104:03/02/04 04:13
>後代に盛んに改竄

何がどう改竄なのか具体的にいってくださいよ。
あなたは平時の記録に基づいた膨大な中国史研究の蓄積と成果を全否定するのですか。
もうめちゃくちゃだね。
それともただの厨か?
10882:03/02/04 04:54
漢代はそもそも文献資料が少ない。まあ存在してるだけすごいんだが。
人口も○○郡何万人とかの正史の記述をいきなりどう評価するかの話を
せざるを得ない。明朝位までは似たり寄ったり。
これが清朝雍正帝以降くらいになると地方の史料が充実してきて
その集積がものをいってくるわけだが・・・

よって、こと人口問題については
「平時の記録に基づいた膨大な中国史研究の蓄積と成果」
を全否定まではしないけど、信用しない。
109第20軍団兵:03/02/04 05:14
後代に資料を改竄することは考えにくいと思うんですけど。
中国史については暗いのですが、現代の研究は租税記録等をもとに人口を弾くんでしょう?
当時の官僚を考えるなら、そのような基礎資料はまず膨大だし、それを後代の資料批判に耐えるように矛盾無く改ざんする。

--考えにくいな。
110 :03/02/04 10:50
>>102
>戦争や自然災害しか人の大量死がないはずの

疾病はどうした? 動乱があれば、当然、直接的な戦死者に倍加する病気の
流行が起こるのはよく知られている。
疫病による大量死も当然考慮に入れるべき。
111世界@名無史さん:03/02/04 11:54
>103
華北の民が華南に移住したのはあるだろうね。
んで、その移民もかなり死んだとおもう。
112世界@名無史さん:03/02/04 12:22
動員兵数から推定できないの?
113世界@名無史さん:03/02/04 13:33
>112
兵力の記録なんて誇張だらけで、人口の記録より信用できないよ。
114世界@名無史さん:03/02/04 13:45
>>97-99
99にワラタ。
でも、ちゃんと論争になってるだけ、世界史板の論争は
(2ちゃんの中では)マシな方だよ。
罵倒合戦になったり、AA貼りまくられて論争らしい論争に
そもそもならない板も珍しくないからね。
115世界@名無史さん:03/02/04 13:48
>102
疾病や飢饉を舐めすぎてないか?それと当時の寿命なんかも。
城塞都市である中国では一旦病気が広まったらそれでアウトだぞ。
それに華北から華南に移動するだけでも風土病でバタバタ死ぬ時代だぞ。

むしろ、漢代の人口調査が治世を喧伝する為に過大過ぎたのではないかとも。
半分くらいに見積もって考えると後漢末期の人口減でも、充分に有り得ると思うが。
116世界@名無史さん:03/02/04 14:23
岡田説、どうも怪しいな。実は手元に陶元珍『三国食貨志』なる
三国時代の経済について調べた基礎資料があるんだが、
この本を読むと岡田氏の計算及び調べ方がずさんだというのがわかる。

「魏の人口はその十分の一にも足りないというのだから、360万人よりも少なかったわけである。

→魏の景元4年の人口統計では537万2891人。これは魏が蜀を亡ぼした
後の統計なので、蜀の人口を引いて魏本土のみで数えると443万2881人。
その上、この統計には司馬氏が私有していた屯田の人口は含まれない。
屯田の人口について調べた本も以前読んだが、200万程度の人口を抱えていたようだ。
従って、360万人よりも少なかったということはあり得ない。
なお人口統計は『続漢書』郡国志注に引く『帝王世紀』に記載有り。
蜀の人口を引いて計算をしたのは『通典』。
117 :03/02/04 14:28
>>116
とはいっても、その数字ですら激減したことは変わらないだろ?
大局的に見れば、怪しい話ということにはならないだろ。
118116:03/02/04 14:37
>こうして真空状態となった中国の周辺地帯には、
北方から鮮卑、匈奴、羯、氐、羌などの、
いわゆる「五胡」が移住してきて定着した。

これも間違い。後漢時代から鮮卑、匈奴、羯、氐、羌といった
異民族はどんどん中国本土に入ってきており、民族対立が問題になっていた。
山西には曹操の時から南匈奴が定住しているし、そこには漢族も来ているようだ
(匈奴の劉淵には漢族の友人が多い)また、漢族との混血も進んでいる。
混血の例としては、後漢末の群雄・馬騰の母親は羌族だと『三国志』の注にある。
ここらへんは中国中世史のイロハで、まぁ谷川道雄の『世界帝国の形成』
みたいな手軽に買える新書でも触れられて居るんで、学士院賞を取った岡田氏
程の人が勘違いしているのは少々驚きだ。
119116:03/02/04 14:47
>117
いや、あのね・・この後書こうと思って居るんだが、
岡田氏が激減説の論拠としてはじきだしている人口統計というのは相当怪しくて、
減ってはいるけど「十三州併せても後漢末の二州に満たない」なんて大仰なことはないんだよ。
その序の口として116を書いたわけ。
まだるっこしい、手短に書くぜ。
岡田氏の説
「242年頃には三国合わせても僅か762万人、その後20年間の回復有るが減少止まらず」
実際
「280年、1616万3863人(『晋書』地理志)。」
120世界@名無史さん:03/02/04 14:47
だから黄巾の乱は後漢時代だから、劉淵の話も馬騰の話もあってるんじゃないの?
匈奴(+羯)はそれ以前から入ってきてたけど。ほかはどうかな。

あってないのは>>118の方。
南匈奴が入ってきたのは曹操の時じゃなくてもっとずっと前。
121116:03/02/04 14:54
まぁ、岡田説最大の弱点は史書の美文を鵜呑みにしすぎたこと。
この当時の史料は内容よりも表現の技巧を重視しており、
白髪三千丈式の誇大表現がとても多い。
凄いのになると「万有一存」(一万人に一人しか残っていない、
『続漢書』郡国志に引く『帝王世紀』)なんて表現まであるんだ。
こういう美文を真面目に取ってしまったのがいけなかったんだよ。
後、戸籍からこぼれ落ちた人も多いんだよ。
前に書いたように豪族が大量に人を抱えていても、
私有の民であるときには戸籍に記録しないし、異民族へ入ったら記録できない
まぁ、これらのことを考慮に入れると人口は精々半減くらいではなかろうか。
およそ絶滅とはいえないと思う。
122116:03/02/04 14:57
>だから黄巾の乱は後漢時代だから、劉淵の話も馬騰の話もあってるんじゃないの?

いや、その前の岡田氏の文章には221年の法律制定以後に異民族が入ってきたと有るんだけど

>南匈奴が入ってきたのは曹操の時じゃなくてもっとずっと前。

確かにそれはそうだね。漢の宣帝のときだったかな。
ご指摘ありがとうございます。
123世界@名無史さん:03/02/04 15:12
岡田さんの本は乱読してるんだが、細かいとこは本によって微妙にくいちがってる。
おそらく口述筆記で弟子にリライトさせてるんだろう。
で具体的に出典は引けないが、漏れの記憶では岡田説の要点は
「人口大減少のきっかけは黄巾の乱、その後、異民族流入」ってことで
別に論争しなくても北魏の南遷まで北方民族の南下流入は長期断続的に続いたとみている。
221年の中域設定もいくつかある山場のひとつぐらいでいいんじゃないか。
論旨の全体を左右するほど重要なポイントだろうか。
124116:03/02/04 15:21
情報ありがとうございます。

>岡田さんの本は乱読してるんだが、細かいとこは本によって微妙にくいちがってる。
おそらく口述筆記で弟子にリライトさせてるんだろう。

ふーむ、そういう方なんですか。まぁ売れっ子だからそういうことはあるでしょうねぇ。

>221年の中域設定もいくつかある山場のひとつぐらいでいいんじゃないか。
論旨の全体を左右するほど重要なポイントだろうか。

そういわれてみるとそんな気もしてきました。どうも細かいことを言い過ぎた。
つい間違いがあったので熱くなって言い過ぎてしまいました・・
125世界@名無史さん:03/02/04 16:03
参考までに。ズバリこの問題で以前、中国板で大激論をやっていました

【^▽^】隋・唐は漢民族王朝か?それとも征服王朝か?【^▽^】
http://mentai.2ch.net/china/kako/953/953934689.html

今の中国人って何者?
http://mentai.2ch.net/china/kako/1003/10034/1003459269.html
126世界@名無史さん:03/02/04 16:14
>>125
【^▽^】隋・唐は漢民族王朝か?それとも征服王朝か?【^▽^】
http://mentai.2ch.net/china/kako/953/953934689.html

そのスレ↑の77から議論がはじまって102まで(140あたり
まで?)続いている。その前後は読まなくてよし
127126:03/02/04 16:31
漢民族って絶滅したの?
http://mentai.2ch.net/whis/kako/986/986085549.html

世界史板にもこんな↑過去ログあるけど、駄レスが混在して少しうっとおしいかな?

それよりも

中国の人口の歴史
http://home.hiroshima-u.ac.jp/cato/jinkou996.html

ここ↑にかかれてるのがほぼ適切じゃないかい?
128金魚:03/02/04 18:56
>127

 こういう、土地制度や徴税に無知な「統計屋」はアテにならんだろう。
 我々、国家に徴税される事を当然とする現代人の感覚で歴史を見ては
いけないと思う。
 近代(近世)以前は、日本でも中国でも西洋でも、私有地と私有地に
ある物と住む人は、中央政府に対して免税だったのが普通だったのだ。
当然、私有地に対しての人口調査や検地には、諸侯・貴族・有力
農民は大抵抗する。下手に徴税を試みれば「革命」や「戦争」である。
 王朝末期は、有力貴族が大土地を所有している。当然、この私有地は
免税であり、人口調査など行えない。この時代の人口統計とは、政権の
直轄地だけであろう。

 
129世界@名無史さん:03/02/04 19:44
・・・もうちょっと意味のあることは言えないのかね
130世界@名無史さん:03/02/04 21:10
岡田・・・イジリー?
131世界@名無史さん:03/02/04 22:04
>>116

岡田英弘は中公新書「倭国」では以下のように記してあり、
屯田の人口云々を別にすれば、一応辻褄をあわしている。

「黄巾の乱から50年を経た230年代に、当時の魏の高官三人が
明帝に提出した意見書から、当時の華北の人口が推算できる。

魏の人口はその十分の一にも足りないというのだから、360万人よりも
少なかったわけである。

要するに三国時代初期の魏の人口は、約250万人ということになる。

人口の回復は魏が一番早くて増加率年2%…

263年に儀が蜀を併合した時、蜀の人口は108万2000人であった。
これを加えて魏の人口は537万2891人になったというから
(魏本土のみでは443万2881人)
魏だけでは30年前の約1.8倍に増加していたことになる。
これは年2%の増加率である。」
132131:03/02/04 22:14
(魏本土のみでは443万2881人)を
(魏本土のみでは429万891人)に訂正
133世界@名無史さん:03/02/04 22:17
>>130
正解
134世界@名無史さん:03/02/05 00:51
岡田氏は史料論と史料考証の意味を
もう一度考えなおした方がいいな。
135世界@名無史さん:03/02/05 03:07
岡田斗司夫がまたトンデモな説を言い出したんだって?
136世界@名無史さん:03/02/05 04:57
>>104
改竄というのがイヤなら、正史の編纂。
正史を編纂するたびに、その都度、都合の悪い部分は切り捨てられ、都合の良い
よい部分は誇張され加筆されてきた。
ハムラビ法典のような、書いた当時の原本が丸々出てきたわけでなく、書写どこ
ろか孫引き資料ばかりではないか。
137世界@名無史さん:03/02/05 04:58
>>131
「要するに三国時代初期の魏の人口は、約250万人ということになる」の意味が分からないんですが…
138世界@名無史さん:03/02/05 13:43
>正史を編纂するたびに、その都度、都合の悪い部分は切り捨てられ、都合の良い
よい部分は誇張され加筆されてきた。

そいつは初耳だ。実例があるのであればどの正史のどこそこと
示して貰いたいな。
139世界@名無史さん:03/02/05 14:05
>>136
書写でないと小説になりかねない、ってヲチもあり。
○○編ってのと、○○著の違いだね。
140世界@名無史さん:03/02/05 15:06
正史の改竄だと(正史と言えないかも知れないが)史記の三皇本紀の挿入かな
これは唐代に行われているはずだ、有名だからググってみなされ
編纂された当時から怪しいのは結構いっぱいある
晋書〜隋書あたりはかなり唐王朝のイメージ操作があると思って間違いない
141世界@名無史さん:03/02/05 15:16
>>136
正史が二次史料であるのは認めるが
その言い方では、正史がはじめ書かれた当初より大幅な変形を経ているように聞こえる。
そうだとすれば、大きな勘違い。
142世界@名無史さん:03/02/05 16:05
>>136
ひとたび完成して献上され公にされたものは改竄はしていないだろう。

「旧五代史」。
これは「新五代史」を編纂後、使用されなくなって散逸してしまった。
それを清の時代だったか、残巻や引用されているものをかき集めて再編纂した。
現在見ることのできる「旧五代史」は、やむをえないけど当初とは異なっている。
これを改竄というか。
143世界@名無史さん:03/02/05 18:33
>>140
そりゃ、唐代に出来たのだから当然と言えば当然だと思われ。
>>142の通り、改竄とは意味が違うのでは?
14482:03/02/05 21:30
改竄vs非改竄は議論の本筋からそれてるのでわ?
「改竄」の表現はようするに正史をあまり信用してないって意味じゃないかな
それでも正史無しでは研究にもならないのが中国古代史の悲しいとこだけど
145世界@名無史さん:03/02/05 22:38
>>137
>「要するに三国時代初期の魏の人口は、約250万人ということになる」の意味が分からないんですが
すまん。省略してしまった。以下のように>>67->>68と同じことが書いてある。

黄巾の乱から50年を経た230年代、当時の魏の高官三人が明帝に提出した意見書から、当時の
魏の人口が推計できる。
杜怨は、「今、大魏は十州の地を奄有しているが、喪乱の幣を承けて、その戸口を計れば、往昔の一
州の民にも如かない。」と言っている。
十州というのは、後漢の十三州から、呉が支配する、揚州、交州、蜀が支配する益州を除いた数であ
る。
後漢の中国の総人口は、140年の統計では、4915万220人だった。これから揚州、交州、益州の
人口を引くと、残りの十州では3635万5210人となる。魏の人口はその十分の一にも足りないと
いうのだから、360万人よりも少なかったわけである。
また、陳群は「今は葬乱の後で、人民は至って少なく、漢の文帝、景帝の時に比べれば、一大郡に過
ぎない」と言い、
蒋済も、「今は十二州あるけれども、民の数に至っては、漢のときの一大郡に過ぎない」と言っている。
十二州というのは、魏が雍州から涼州、秦州を分けたからである。
とにかく前漢の最大の郡は、紀元二年の統計では、汝南郡の259万6148人、それに次ぐのは頴川
郡の221万923人であり、後漢では最大が南陽郡の243万961人、その次が汝南郡の210万78
8人となっている。
要するに三国時代初期の魏の人口は、約250万人ということになる。
146世界@名無史さん:03/02/05 23:06
荊州はどこへいった?
147世界@名無史さん:03/02/05 23:36
人口論おもしろいですか?
148世界@名無史さん:03/02/06 00:42
つまらんでつ。
149世界@名無史さん:03/02/06 01:06
「十州之地」と「一州之民」
「一州之民」と「九州之地」

なんかこういうのって文章表現の一つなんじゃないの?
要するに、ほんの一部でしかない、って意味じゃない?
秦有十失,其一尚存
とかさ。
戸籍調査ではない、意見を述べることを目的とした意見書の内容をそのまま受け取るってのはどうなんでしょう?
わからんけど。
150137:03/02/06 07:59
>>145
要するにDQNということで良いですか?
>>149さん、仰る通り。
151137:03/02/06 08:05
おまいら、こんな感じでいいですか?

       引用書籍 年次      戸数 人口[男女口] 戸数/人口
前漢       晋書 157年  10,677,960   56,486,856      5.3
     
魏(征蜀後)  続漢書 263年   943,423     5,372,891      5.7

呉        晋書  242年   523,000     2,400,000      4.6
        晋陽秋  280年?   523,000     2,300,000      4.4

蜀        晋書  221年   200,000      900,000      4.5
          裴注  263年?  280,000       940,000      3.4

晋        晋書  280年  2,459,840     16,163,863     6.6

[計算結果]     
魏(征蜀前)              663,423      4,432,891     6.7
152137:03/02/06 08:27
あれ?
153137:03/02/06 08:27
あれ? 前漢× → 後漢○
漏れは何をやっているのだ。。。逝ってくる
154世界@名無史さん:03/02/06 09:47
戸数/人口も逆
155世界@名無史さん:03/02/06 10:03
減った分が、私民になっていたとしたら
多すぎて安定した政権にならんなぁ。
なってないか(w
死んでいるといても、あまりにも
すさまじすぎるね。
156151:03/02/06 22:19
>>151
>蜀        晋書  221年  200,000      900,000      4.5
>       裴注  263年?  280,000      940,000      3.4

岡田英弘は中公新書「倭国」では
「263年に魏が蜀を併合した時、蜀の人口は「男女口94万人、
帯甲の将士10万2000
吏4万人」合計108万2000人であった。」
となっているが…
157151:03/02/06 22:24
>>156 は取り消し

>蜀        晋書  221年  200,000      900,000      4.5
>       裴注  263年?  280,000      940,000      3.4

の「940,000」は[男女口]でしたね。
158145:03/02/06 22:29
>>156 、>>157
の名前を151から145に再訂正
159世界@名無史さん:03/02/06 22:30
>>151
単純にこれ見て考えると、263年から280年までに人口倍増ですよね。
一年あたり4、5パーセントの人口増加率か。
無理ではないだろうけど結構きついな。やはり隠れた人口がいるのではないか。
160世界@名無史さん:03/02/06 22:38
>>159
無理な数字じゃ無いんじゃないかな?
1942年時点の日本本土の人口が約7400万人で、60年でほぼ倍増してる訳だからね。
161世界@名無史さん:03/02/06 22:53
>>160
どうなんでしょうか。今と医療の技術とかいろいろ条件が違うからな。
現代は異常な人口爆発の最中でもあるし。

でも、当時は生む数も半端じゃなく違うか。

で、280年の晋の統計は、内徙された匈奴なんかも含む数値なんでしょうか。
後漢の統計には含まれてないのではと思うのですが。
(涼州とか并州の人口が異様なまでに少ないから)
162世界@名無史さん:03/02/06 23:15
>>161
>でも、当時は生む数も半端じゃなく違うか。
後、戦乱が一段落ついて、ある程度社会が安定したってのも大きいと思う。

匈奴についてはどうなのかな?
後漢の統計には含まれてないと思うけど、晋代の統計には含まれてるのかな?
当時、匈奴は鮮卑に圧迫されてオルドスに移動してきてた筈だから、含まれててもおかしくは無いような気もするけど。
誰か説明キボンヌ。
163世界@名無史さん:03/02/06 23:51
黄巾賊だって、もともと漢王朝に虐げられた被害者である農民の集団だと思います。
この事実を知ってから、私は黄巾賊より漢王朝が悪いと思うようになりました。
164世界@名無史さん:03/02/06 23:57
黄巾賊は被害者!!!!!
http://cgi.quarante.com/cgi-bin/bbs01/pt.cgi?room=yoyo
165世界@名無史さん:03/02/07 00:17
素人意見で恐縮ですが、魏の東辺や北辺住民の移住政策と流民or豪族の存在による記載漏れ説は
矛盾しないでしょうか。真っ当な神経の政権であれば、困難な移住政策を強行するより、
足元の住民を確保することを優先させたはずです。

呉蜀国境からも離れた、したがって拉致や逃散、敵国の工作の対象となる恐れもないはずの地域の住民を
中国内部に強引に引っ張ってきているわけですから、内部整理を全て行って流民・私民を全て網羅しても
まだ、なお足りなかったと考えるほかに説明のし難いように思えますが。
166世界@名無史さん:03/02/07 00:22
>で、280年の晋の統計は、内徙された匈奴なんかも含む数値なんでしょうか。

匈奴はどうなんでしょうね、『晋書』をもう一度見てみないとわからないなぁ。
今シルクロードを見ていたのですが、遊牧民族とかは移動するわけで、
戸籍調査するのは非常に困難だと思う。
含まれていると思われるのは、これまで大司農管轄で戸籍に含まれなかった
屯田の民約277万人(以前見た本から【書名失念、スマソ】)です。

>この事実を知ってから、私は黄巾賊より漢王朝が悪いと思うようになりました。

まぁ、黄巾賊=悪というイメージは吉川英治のでっちあげた
「良民から略奪しまくる黄巾賊」からだからなぁ・・
実際には良民から略奪した記録はないんですよね。王侯貴族を襲っている
記録なら有るけど。以前高島俊男が一般的な反乱の特徴として
「王侯貴族を襲った方が儲かるから、財産の少ない民衆は狙わない」
と書いていましたけど。
167137:03/02/07 06:43
>>160
数字だけを鵜呑みにするなら、無理でしょう。
現代では輸出入や輸送の簡易さなどによって、食糧事情にゆとりが出来ていますが、
当時は輸出入は勿論無かったですし、他地方の産物を口に出来る頻度もかなり低かったでしょうから。

>>161
数値だけでは何とも言い難いですね。どこかにそれらしい記述があると助かるんですけど。。
参考までに数郡の戸数を記しておきますね。

○扶風郡
[後漢] 15城  戸 7,352 口93,091
[晋 ] 統県6 戸23,000 

○金城郡
[後漢] 10城  戸 3,858 口 8,947
[晋 ] 統県5 戸 2,000 

○雁門郡
[後漢] 14城  戸31,862 口249,000
[晋 ] 統県5 戸12,700 

○涿郡−范陽郡
[後漢] 7城  戸102,218 口 633,754
[晋 ] 統県8 戸 11,000 

如何せん、領域や支配能力は一定のはずがないんで、眉唾ものの数値ですが。

>>163
まぁ、黄巾のクーデターが成功し、張角の寿命がもう少し長くなり、
張角が皇帝の座に就いたとしたら、どうなんでしょうね。
結局拙い裁量を行ってしまい、世が戦乱に移行しただけだと思いますが。
良い悪いの問題じゃないですよ、たぶん。
168世界@名無史さん:03/02/07 08:40
>>163
とはいえ、反乱に加わった庶民とかはともかく、
上層部は宦官とつるんでいたから一概に正義の蜂起とは言えないだろうな。
169163:03/02/07 10:19
>>168
>反乱に加わった庶民とかはともかく、
私は、彼等も被害者だと思います。
>上層部は宦官とつるんでいたから一概に正義の蜂起とは言えないだろうな。
上層部が庶民を利用していたのが実情だと思います。
170世界@名無史さん:03/02/07 10:47
>「王侯貴族を襲った方が儲かるから、財産の少ない民衆は狙わない」

わざわざ標的として狙った対象はそうだろう。
が、民衆蜂起軍というのはどうしても兵站に問題があり、行く先々で
食料を徴発・略奪せざるをえない。そして、それに関しては、王侯貴
族も民衆もない。
しかも、たとえば1つの村から根こそぎ略奪すれば、その村の住民は
食っていけなくなるから、餓死しないためには略奪した当の相手の民
衆蜂起軍に合流せざるを得ない。つまり、農村を襲えば兵力や後方支
援の人的資源まで手に入るのだ。そして、人数が増えればさらに兵糧
が必要になり、また移動して略奪する。
実際、太平天国軍は、最初はごく小規模な蜂起だったのに、この方法
で雪だるま式に大兵力にふくれあがった。彼らの多くはけっして、洪
秀全のあやしげな宗教の信者として自発的に参加したわけではない。
食料を奪われ、家を焼かれ、他に道がなかったのでやむなく太平天国
に参加せざるをえなかったのだ。
おそらく黄巾軍もこれに近いことはやっていたと思われる。
171世界@名無史さん:03/02/07 11:04
日本の戦国だって似たようなモノじゃない?
外地は年貢率を高くして、兵役を重くして。
そのせいで限界が訪れた大名は数多い。よく知らんけど。w
172世界@名無史さん:03/02/07 11:10
>>170
>餓死しないためには略奪した当の相手の民衆蜂起軍に合流せざるを得ない。
官軍に降伏する選択もあるよ。
173世界@名無史さん:03/02/07 11:33
174世界@名無史さん:03/02/07 12:57
>170
世直しのためにと農民に協力を求め
薄く広く集めたってのはないの?
175166:03/02/07 13:37
>170さん
>1つの村から根こそぎ略奪すれば、その村の住民は
食っていけなくなるから、餓死しないためには略奪した当の相手の民
衆蜂起軍に合流せざるを得ない。

それは確かにそうですね・・詳しい解説ありがとうございます。
太平天国の乱の時のことは、高島俊男も著書『中国の大盗賊』で触れていますね。
民衆を家からおびき出して家に放火し、無理矢理反乱軍に引きずり込む手口を
太平天国軍の幹部・李秀成が清に捕まってから供述しています。

>174さん
>世直しのためにと農民に協力を求め

世直しを農民に説いてもなかなか支持は得られないでしょう。
捕まったら処刑されるわけですし、余程うまみがないとついてきません。
そうだから、李秀成のような荒っぽい手段が使われたわけです。
黄巾の場合は、アンリ・マスペロによれば新興宗教的洗脳を施して
居たようです。
176金魚:03/02/07 17:22
 自分の頭の中のオタクロマン妄想を守りたい者は、いくら教えてやっても、荘園論
を受け付けずに、1/10に減ったと妄想し続ける。しゃねえな。

1,領主の私有地の方が、官僚による公領支配よりも、農業経営が真剣である。
2,領主は長期的視野に立って搾取するが、官僚は任期期間内の最大搾取をめざす。
3,領主にとって隷属農民は大切な資産だが、公領の官僚にとって、農民は搾取対象
  でしかない。

 こう考えれば、私有地の領主経済中心の三国志時代は、人口増加期である可能性が高い。
 自給自足の荘園が増えると、中国統一市場は求められず、地方分権が進み、国家的、民族的
結束は薄れてくる。民族的結束感の薄れと、公領の労働力不足が、異民族誘致をもたらした
のだろう。中国大陸は広大だ。
177世界@名無史さん:03/02/07 17:29
>>176
1,2,3は禿同。
3は盗賊が出家してお縄から逃れるのと同じ原理ですな。
人口増加期ってのは意見の分かれるところだろうね。
そういえば、南朝は荘園が多かったってのは聞いたことあります。
178世界@名無史さん:03/02/07 17:48
>175
司馬の項羽と劉邦に出てくる
劉邦の潜伏時代は嘘?
179世界@名無史さん:03/02/07 18:16
水滸伝でも仲間に引き込むとき、そいつの関係者殺したりしてるじゃないか
驚くに値しないよ
180160:03/02/07 20:03
>>167
いや、>>162でも書いてるけど、戦乱に一区切りついて安定して農業に励めるようになったのが人口増加の原因の一つじゃないかと思うわけ。
まあ、すぐに八王の乱なんかでガタガタになってしまう訳だけどね。
181世界@名無史さん:03/02/07 20:27
>>176
戦乱期なのに、さすがに人口増大期ってことはないだろ。
ちなみに、長期間に渡る人口減少の場合、最大の原因は幼児死亡率の増加。
182世界@名無史さん:03/02/07 21:37
>>180-181
なるほど。漏れの中では結局どれも決め手を欠くな。
荘園の実情がデータとして分かれば別なんだろうけど。

ちなみに、金城のデータを出したのは韓遂の件があったから。
数万〜10万規模の叛乱をしょっちゅう起こしてた割に、口数が少なすぎるんだよね。
かなりの戸籍漏れがあったと思われ。
183世界@名無史さん:03/02/07 22:34
>自分の頭の中のオタクロマン妄想を守りたい者は、いくら教えてやっても、荘園論
>を受け付けずに、1/10に減ったと妄想し続ける。しゃねえな。

性格悪いよなコイツ。
でもまあ、しゃねえな。
184世界@名無史さん:03/02/07 22:41
ここは楽しくてフレンドリィな会話が弾む、なごやかなスレですね。
185世界@名無史さん :03/02/07 23:52
>>92
> 前趙は314年に、
> 漢220万人
> 胡400万人
>と考えられているようでぃす。
これってやっぱり華北では漢民族が少なくとも
数分の1に激減しているということだろう。時代は下るが。
186世界@名無史さん:03/02/08 00:34
通りすがりでスマソが去年NHKスペシャルでこの時難民が大陸から列島へ流れてきて
それが弥生人となった、みたいな事言ってたがこれどう?

このスレ読んで思ったが、それがもしホントなら大陸で滅んだ真の漢民族=弥生人?


それも何か嫌だけどね・・・。
187世界@名無史さん:03/02/08 00:51
>>185
支配領域が違うので割合しか参考にならないのでは?
晋の統計の約百年後の前秦は華北統一で漢胡あわせて2300万人。
188世界@名無史さん:03/02/08 01:22
赫武『三国時代の人口激減の謎を読み解く』をついに手に入れたYO!
この書は、当時、流賊が激増して、穀物を奪われた農民がさらに流賊に転化するという悪循環
を断ち切る目的で、民衆に恐怖を与えるため新しい処刑法の開発が中央では盛んになったと
いう事実に基づき人口激減の原因を多方面から探っていこうとしている。

この書によると、当時の中国では、凌遅刑や車裂きなど、残虐な刑罰には事欠かなかったの
であるが、大量の人員を一度に処分する処刑法としては、適さない刑罰が多かったという背景があった。
増加する流賊に頭を悩ませた時の中央政府は呂斌という官僚に命じて新しい処刑方法を
開発させた。それが「捕炉抗屠」と呼ばれるものだ。これはとらえた賊を一つの家屋
(一説によれば、初期では地下室が用いられる場合も多かったそうだ。家屋の密閉性が求められた
ため、地下室のほうが都合がよかったためだそうだ。しかし、地下室の場合は、死体を焼却するために
地上に再度運搬しなければならないために煩瑣を避けて後に地上の家屋が用いられるようになった。)
に立錐の余地がないほどたくさん積め込んだ上に、その家屋に備え付けられた煙突から有害な煙を出す
竹露と言う球状の物質を投げ込んで賊を死に至らしめるというやり方でなされたのだという。
189世界@名無史さん:03/02/08 02:02
↑その本、検索しても出てこないけど、日本語?
190世界@名無史さん:03/02/08 02:03
黄巾ってコウキンって読めばいいの?
191世界@名無史さん:03/02/08 04:43
>>188
おっそろしい話だねえ。
192世界@名無史さん:03/02/08 10:37
>>184
>ここは楽しくてフレンドリィな会話が弾む、なごやかなスレですね。
大虐殺、大飢饉をネタにして楽しんでいる訳だ。俺もだが。
193金魚:03/02/08 12:22
181>

 日本の戦国時代は人口増大期になるんだよ。
三国志には
1,排他的な一神教が絡んでいない。
2,土地や利権を巡っての争い。
3,個人ブレーが勝敗を決すのは、士気の低い戦闘

 大した戦乱ではなかったよ。
194世界@名無史さん:03/02/08 13:34
個人ブレ−?



195世界@名無史さん:03/02/08 13:36
書き間違いを指摘するしか能が無いなんてホントレベルの低いヤツラだな(藁
196世界@名無史さん:03/02/08 13:43
ここは楽しくてフレンドリィな会話が弾む、なごやかなスレですね。

197世界@名無史さん:03/02/08 13:56
書き間違いの指摘や揚げ足取りやお茶らかし冷やかしなんか
2chでは挨拶がわりもしくは軽いあいの手みたいぐらいなもん
19882:03/02/08 14:39
第2次大戦時のドイツの研究者たちが
「どうやったら最もコストをかけずに大量のユダヤ人抹殺を行えるか」
という命題を受けて編み出したのが収容所でのガスによる処刑方法。
それでも数百万人しか殺せなかった(失礼)

中国の西暦200年代に数千万人クラスの人間を「虐殺」するのは不可能だと
判断していいと思う。人口減少の直接の原因は戦争ではない。
199世界@名無史さん:03/02/08 14:42
>>188の本の出版は民明書房。
つーか放置するのが世界史板流?
200188:03/02/08 14:54
>>199
民明書房刊叢書の新刊です。
赫武は顧頡剛に私淑して中国古代史を修めた新進気鋭の古代史研究者だ
そうです。
20182:03/02/08 14:57
次に考えられるのは「疫病」
三国時代は有名な「医聖」華陀の出現や、疫病に倒れた自分の一族の病状記録を
のこした張なんとか(名前忘れた)等があり、直接ではないにしろ
新種の疫病の流行を推測することは可能だと思う。
しかし、元々どんな悪疫でも数千万クラスの集団の人口の90%を死に至らしめる
病気は人類史上存在したことがないと思うんだが。
202世界@名無史さん:03/02/08 15:20
俺もゲームやるときは一騎打ちなどの個人ブレーを活用します。
203世界@名無史さん :03/02/08 15:23
そうだ!戸籍を調べれば、正確な人口統計がわかるじゃないか。
これで万事解決。
204世界@名無史さん:03/02/08 15:23
>>198
コストだけを問題にするなら、一人ずつ棍棒で殴るのが一番いい。
消費財も使わないし、減価償却コストもたかが知れているからだ。
205世界@名無史さん:03/02/08 15:26
>>204
あなたのせいで無辜のカンボジア人の頭をかち割った棍棒を思い出しちゃったよ。
ああ、またうめき声が聞こえてきそうだ。なんとかしてくれ。
206 :03/02/08 15:28
>>198
何故、個別もしくは単独の要因に限定して検討するわけ?
戦争のもたらす波及効果の大きさとかは考えないの?
戦争により放棄された農地の増加による食料不足。
逃避行による衛生不良。
衛生不良からの新たな伝染病等の流行。
特に、乳幼児などは、栄養失調によりすぐに死ぬから
直接的な戦死者に輪をかけて人口増加率が低下するよな。
老人なども同じだ。
これらの要素が複合して襲い掛かったとしたら、人口激減は不思議な
話じゃない。
いずれにしても90%かどうかはともかく、文化が変容を迫られるほど
大激減したのは確かなことなんだろう。
一体、何を問題にしてるわけ?
90%はありえない、半減くらいだろう。いや、1/3くらいではないか?
という議論なのか?
それとも、激減したこと自体が胡散臭いということ?
激減したのは定説なんだから、定説を覆すだけの根拠が欲しいね。
単に統計漏れというだけでは説得力が薄い。裏づけになるものがないとね。
207世界@名無史さん:03/02/08 15:47
>>206
本当だ。山川の教科書で調べてみたらあなたの言うとおりだったよ。

「後漢末以来の戦乱や豪族の土地併合により,土地を失った農民は故郷をはなれて
各地をさすらい,あるいは豪族の奴隷となった。それは国家が直接に支配する
土地と人民を減少させ,軍事・財政の破綻を引きおこすものであった。」
江上波夫他著『詳説世界史』(山川出版社、1996年)71ページより

人口がたいして減っていないという説を述べる場合は、それなりの材料を
もってきてもらわんとそう簡単に認めるわけにはいかんな。なんせ、でーんと
定説が横たわってるんだから。実証するには大変な手間かかるよ。
208世界@名無史さん:03/02/08 15:53
たしか建安の七子のうち、5人ぐらいが一度に疫病で死んでるだろ。
あれなんか庶民はどれぐらいの規模で死んだか解らんの?
209世界@名無史さん:03/02/08 17:12
>>1
普通にあることだよ。
三十年戦争の時だってペストの時だって人口が激減してる。
何も特別なことではない。
210世界@名無史さん:03/02/08 18:46
政治犯拘留所で
ある日の夕方、戒護員・李慶哲特士の怒鳴り声と、耳慣れない女のうめき声が聞こえた。
・・・・・・・・・・
「ああ、私はどうして日本から北なんかに来たんだろう。なんでこんなことが見通せなかったんだろう。
夫にくっついて子供まで連れて・・・故郷だと思ってついてきたのに、私達がなんだってスパイにされな
きゃならないんだ。
日本の親戚達は私達家族がどんな目にあってるかも知らず、良い暮らしをしてるとばかり思っている
のに。
おい、犬畜生!うちの家族を日本にまた送り返せ!それが出来ないというなら全員殺すなりしろ!
もうこれ以上、こんな風に生きるのはいやだよおぉ・・・」
・・・・・
次の日から、二度とその女性の声を聞く事はなかった。

安 明哲 「北朝鮮絶望収容所」KKベストセラーズ 1997
211世界@名無史さん:03/02/08 22:53
>たしか建安の七子のうち、5人ぐらいが一度に疫病で死んでるだろ。

「建安二十二年の大疫」のことですね。
後漢末建安二十二年に、大疫病が流行し、呉を攻めていた魏の将軍・兵卒が
多く病に倒れ、関中でも死者が多く、
建安七子のうち徐幹・陳琳・王粲・劉テイの4人が病没しています。
ただし、この時の庶民の実数は不明です。
相当死者が出たようではありますが・・
212世界@名無史さん:03/02/08 23:14
むかしの数というものはあてにならない・・・・・
つかどーやってかぞえんの?
よく兵力50000とか100000とかいうけれども当時のひとがおおよそで
いってるのがほとんど・・・・
兵力15000人と記録されててもせいぜい3000ほどだったりとかっていうのがほとんど
とにかくおおめによそくしたとか・・・・・
だって5000人あつまってるのみて5000といえるやつなんていないっしょ
213世界@名無史さん:03/02/08 23:24
今の感覚ならそうだろうけど当時は偵察の専門家みたいなヤシがいただろうよ。
現代にも米俵担いで何sかあてるおやじならいるぞ。
なにごとも慣れだあきらめずに精進すればお前も5000人ぐらい見分けられるよ。

ちなみに魏のだれかの列伝で「今は戦果報告を十倍で報告することが一般的になってるが
これはやめるべきだ」って上奏文が載ってたような。だれのかは忘れた。。。
214世界@名無史さん:03/02/09 00:11
白起の趙兵虐殺、項羽の秦兵瞬殺ともに二十万人だな。
古代中国史の数字は永遠の謎だ。
215世界@名無史さん:03/02/09 04:49
素直にそのまま受け取って問題なけりゃそれでいいのでは。
216世界@名無史さん:03/02/09 05:44
二十万って数字以外は問題ないんだけどねえ
217世界@名無史さん:03/02/09 05:58
白起は40万ね
218世界@名無史さん:03/02/09 08:42
南京大虐殺は30万でし。
素直にそのまま受け取るでし。
219世界@名無史さん:03/02/09 09:48
こりゃ一本とられたわいわははは
220世界@名無史さん:03/02/09 16:04
兵数や戦死者数に誇張はつきものだからな。
221世界@名無史さん:03/02/09 18:18
「ヨーロッパ、アジア、北アフリカのあいだで交易がおこなわれるようになったローマ時代には、
それらの地域が一つに結ばれ、病原菌の一大繁殖地が出来上がる。そのため、西暦165年から
180年にかけて、天然痘がローマに広がり、アントニウスの斑点として猛威をふるい、
何百万ものローマ市民が犠牲となっている。」          「銃・病原菌・鉄」より引用

時期が「建安二十二年の大疫」と近いんですよね。流行した疫病が天然痘だったという可能性は
どうなんでしょう。もしそうだとしたらと人口が半減してもおかしくないかも。
222世界@名無史さん:03/02/09 18:27
>>206
 >いずれにしても90%かどうかはともかく、文化が変容を迫られるほど
  大激減したのは確かなことなんだろう。
  一体、何を問題にしてるわけ?

  このスレでは今のところそれ(人口減)しか問題にしてないと思うんですが・・・
  議論を一歩前に進めようという方でつね。喜ばしいことです。
  この時期に中華世界に大きな変容が起こったのではないかという意見には
  おいらも賛成です。ただ、それを人口減という量的な側面からしか指摘できない
  現状には不満があります。何がどう変容したのでしょう。
  うそでも「人口の90%が失われた」と表現したくなる変容とはなんだったのか
  103のカキコはその可能性の一つををおいらなりに表現したつもりなのです
223世界@名無史さん:03/02/09 18:33
>>210
>もうこれ以上、こんな風に生きるのはいやだよおぉ・・・

まじで怖いよ。日本の目と鼻の先で起こった出来事だとは思えないほどだ。
こっちは、平和な日本からのこのこ出向いていっただけにカンボジアよりも
いやなムードがあるね。
22482:03/02/09 18:49
222はおいらでつ
>>206、207
 >激減したのは定説なんだから、定説を覆すだけの根拠が欲しいね。
 >人口がたいして減っていないという説を述べる場合は、それなりの材料を
  もってきてもらわんとそう簡単に認めるわけにはいかんな。なんせ、でーんと
  定説が横たわってるんだから。実証するには大変な手間かかるよ。

 その「定説」が「実証」されたものであることを証明できる?
 漢代の人口を「実証」することなんか、人口減に賛成であろうが
 反対であろうが不可能だと思うんですが・・・
225世界@名無史さん:03/02/09 19:02
当時は土葬の習慣だったから、あるはずの地層に死体が発掘できないか、または
少しの死体しか見つからないので考古学的に人口減がなかったはずだと結論付け
られないかな。
226世界@名無史さん:03/02/09 20:40
>>224

だから「定説」というのは中国史書の記述。
とりあえずこれが基本資料だから。
信ずるにせよ疑うにせよ、
誰でも一番最初に正史を読む。

その意味で「定説」。
227世界@名無史さん:03/02/09 21:09
中国史全然わからんので分かりやすく解説してるサイト教えてくだされ・・
それか説明してくだされ・・
228世界@名無史さん:03/02/09 21:44
>>227
Googleを使え
229世界@名無史さん:03/02/09 21:50
>>227
恐怖新聞の按摩竹之市みたいな喋り方で怖いぞ。
230世界@名無史さん:03/02/09 22:02
私が小学生のとき(二十数年前)中国の人口は5億人と習いました。現在十何億
とかいっています。20年で倍以上人口が増加していることになります。減るのもすごいけど
増えるのもすごい。
231世界@名無史さん:03/02/10 01:53
>>230
前近代は医療が不十分だからそんな極端な増加はなかっただろう。
232金魚:03/02/10 09:27
207>

「後漢末以来の戦乱や豪族の土地併合により,土地を失った農民は故郷をはなれて
各地をさすらい,あるいは豪族の奴隷となった。それは国家が直接に支配する
土地と人民を減少させ,軍事・財政の破綻を引きおこすものであった。」
江上波夫他著『詳説世界史』(山川出版社、1996年)71ページより

 自分の出してきた資料を読み間違えるなよ。
 上記は、人口激減説を否定している。
1,農民は流民や、豪族の私有地(荘園)の奴隷になった。
2,だから、国家の直接支配する人民と土地は減少した。
3,人民が公領から私有地に移動した。ということ。
 よく読めば、人口激減説でないことがわかるね。
 定説では、人口激減説を否定している。
233世界@名無史さん:03/02/10 10:02
>>金魚
だから人口激減があったのはこれまでの研究から明らかなんだってば。
よく調べもしないで「定説では、人口激減説を否定している。」と断定した時点で
、あなたは笑い者決定。

http://www.e-fundchoice.net/top/column/china4000/china4000_back/010626.htm

「後漢代には皇帝の交替時に人口調査を行う慣行が確立していました。これに従い、
いくつかの人口調査を拾ってみましょう。わかりやすくするために、前漢時代AD2年の
人口調査から揚げましょう。

1.A.D(西暦)2年 全戸数1223万余戸 全口数5959万人余
2.A.D146年  全戸数934万戸   全口数4756万人余
3.黄巾の乱につぐ三国時代に入ったころは、全戸数、全口数が激減し、百万単位まで
落ち込んだのではないかと言われています。
4.三国時代をすぎるころ、魏の明帝時代には、中国の人口は秦代36郡のうち、1郡の
人口にしかすぎませんでした。1郡の人口がどれほどのものであったかわかりませんが
、漢代初めに5100万人だった人口が、秦代の36分の1くらいに激減しているのです。何
故でしょうか。1にしても2にしても打ち続く戦乱‐三国時代から西晋が中国を再統一
する間‐を人口激減の原因に挙げなければなりません。三国志をいろどる英雄たちも
、人口激減の為に兵と食糧(兵糧)の確保に悩まされました。」
234世界@名無史さん:03/02/10 11:11
>>233
そのページは戸籍統計を信用しすぎているだけのような気がするが。
かといって人口激減がなかったとは思わないけど。

黄巾の乱の起こる前から、漢の領域内では反乱が頻発してるんだよな。
たしか、安帝のころから天候不順が多かったのと、
羌族反乱などで漢の財政が悪化して民間からの収奪が強化されたのとで。
そのころから、人口はゆるゆると減っていたんじゃないかな。
そして、黄巾の乱以後の戦乱でドカンと減った・・・ということがあっても不思議じゃない
235金魚:03/02/10 11:16
 荘園制度も豪族の農地経営も知らない行政書士の論が、なぜ定説なんだ。
 ちゃんと山川を読もう。最も、山川も古いが。
236世界@名無史さん:03/02/10 11:55
>>235
ふぅ。こいつには何をいっても無駄か…
237世界@名無史さん:03/02/10 11:58
金魚は流民化することによる衛生の悪化と、それに付随しておきる
乳幼児死亡率の激増のことなんて理解できないヤシなんだから、放置しろよ。

盲目的に自説を繰り返えすだけで、それを裏付ける資料なんぞ出しゃしない。
ってことで、金魚、消えろ。
238金魚:03/02/10 12:36
激減派は、荘園制度や豪族の隷属民という、山川定説に何ら有効な反論をしていない。
反激減派は、激減派の記録の無効さを土地制度で、キチンと説明している。しかも、

終了かな。
239金魚:03/02/10 12:37
 しかも  は無し。書き間違い御免
240世界@名無史さん:03/02/10 12:38
>大部分の人々は、公民たる事をやめて 荘園の隷属民になった。
>これは、脱税の手口だから、史書に明記されにくかったのだろう。

されにくかったってことは書かれてるんだろ。
だったら資料だしゃいいのに。
資料がない以上、妄想に過ぎない。
241世界@名無史さん:03/02/10 12:47
「山川定説」ワラタ。戦乱状態で、人口が増加すると考えるのはなんだか常軌を逸した
ものがあるな。執筆者も、とんだ理解をされたもんだ。
242金魚:03/02/10 12:48
 240>

 古今東西、自分の脱税の証拠書類を公開する馬鹿がどこにいる?社会常識を知ろうね。
 資料が無くても、常識。常識だよ。
 
243金魚:03/02/10 12:50
241>

 日本の戦国時代は人口増加期なんだよ。それも、前近代の限界に近い。
 「封建戦争」では、大して人は死なない。
 これが、昨今の歴史研究の常識。
244世界@名無史さん:03/02/10 13:01
>>243
とりあえず、教科書執筆者は人口が増加したとはどうも考えていないようだから
「山川定説」というふうに使うのは、やめといてくれ。ハンコック―神々の指紋的
な資料の歪曲になるからさ。
245 :03/02/10 14:39
>>222
>何がどう変容したのでしょう。

「人口激減の空白を埋めるように五胡の移住がさかんになり
その多くがアルタイ系の民族であったことから、漢語を話す人々はもはや漢族ではなく
しかもその話す漢語も秦・漢時代の言語と同じではなくなった。」
ということらしいよ。
これに歩調を併せるように、反切」と韻書が出現しているのも注目点だ。
漢字の伝統的な発音を記録し、知識の亡逸を防ぐ為に考案されたのが反切ということだ。
漢字とその読み方の知識は、危うく難を逃れて地方に亡命したごく少数の学者によって
後世に伝えられたと。
で、危機感を抱いた学者、知識人によって、後世に伝達するための手法が考案されたんだね。
こんな手段まで用意しないといけなかったことを考えると、
当時、危機的な人口減少があったことの傍証といえると思う。
246スレの展開:03/02/10 14:39
和やかな雰囲気で議論がはじまる
   ↓
根拠のない自説で横槍をいれる
   ↓
資料を出せと言われる
   ↓
資料が無くても常識だと答える
   ↓
みんなから無視される
   ↓
再び和やかな雰囲気で議論がはじまる
   ↓
再び根拠のない(ry
247世界@名無史さん:03/02/10 14:49
>>246
それだ!!
248世界@名無史さん:03/02/10 15:59
まあみんなモチつけ
249世界@名無史さん:03/02/10 16:24
のし餅=東日本
丸餅 =西日本
250金魚:03/02/10 18:14
「てなもんや商社」によると
現代でも中国人は、「台風だ」「地震だ」「洪水だ」とウソ報告で、納入期限を守らない
らしい。昔の脱税の手段を、今は、納期遅れに使っているわけだ。見事な文化の連続。
251世界@名無史さん:03/02/10 18:44
>>243
戦国期の人口の増加は微々たる物でしかありません。
統計を見ると、人口が急増するのは安土桃山時代直前の1550年頃から1700年頃にかけてです。
特に、増加が著しくなるのは1600年代以降の話ですので、社会の安定が人口増加の一因となる事は否定しきれないでしょう。
増加の原因は治水技術の向上と、大河川周辺の開発および干拓による耕地面積の増大が大きいと思われます。
人が死ななかったから人口増大と言い切るのはいかがなものかと思いますが?
252金魚:03/02/10 19:02
>人が死ななかったから人口増大と言い切るのはいかがなものかと思いますが?

 もっと前のスレで、三国期の人口増大の理由として、公領よりも、私有地の方が
農地経営が優れる 等とも書いております。
 
253世界@名無史さん:03/02/10 19:14
どんどん逃げ道を塞がれていく金魚のフン(藁
254251:03/02/10 19:19
>>252
読みました。
で、三国時代が人口増大期であるという貴方の説の根拠またはソースは何でしょう。
史書に残っている統計は人口の減少を示唆しています。
この時代の人口増大を示唆する資料を持っているのなら提示しては頂けないでしょうか?
255金魚:03/02/10 19:22
244>

 激減派は読み間違いが多いね。金魚の論は
1,山川によって、激減説は定説でないことが分かる。
2,さらに、荘園の経営と、戦争の見かけ倒し、によって
人口増加期と思う。

 金魚は、山川を、激減説の否定のみに使用し、人口増加の論拠にしていない。

253>
 山川の読み間違いによって、激減派は「すでに死んでいる。」
256金魚:03/02/10 19:26
254>

 人口激減説は定説通りに間違いと断定できる。ただし、土地制度に無知な統計屋
は、その事を勉強しないであろう。
 人口増加説は、金魚のオリジナルである。それ故、「思う」「可能性が高い」とする。
論拠としては、すでに書いてある通り。上まで捜してくれ。
257世界@名無史さん:03/02/10 19:26
戦争の見かけ倒しってなに?
男が戦地に出向いてる期間の出生率低下は世界共通だと思ってた。
258世界@名無史さん:03/02/10 19:40
なんとなく、スコールの季節の10ヵ月後に人口が増幅する東南アジアを思い出したw
男が家にいなきゃ、そりゃ人口増えんわな。
259世界@名無史さん:03/02/10 19:50
すごいな・・・ひさびさに浅見タンレベルのやつを見てしまった・・・
260251:03/02/10 19:54
>>256
読みましたが、論拠としては弱いと言わざるを得ませんね。
定説はあくまで人口減少説の方でしょう。
山川の引用は、全体としては減少説を否定する内容ではありません。
また、三国時代の戦争が個人プレーとか見掛け倒しとか言ってる時点で認識に誤りがあると思われます。
この時期の戦争の規模や死傷者の数を過少に評価しているのではないでしょうか?
魏晋南北朝時代は、確かに豪族による荘園支配が進んだ時期ですが、短期間の安定期を除いては戦乱の時代だった事実を忘れるべきではないでしょう。
261世界@名無史さん:03/02/10 19:54
なんで土地制度にこだわって、戦争による出生率・労働力の低下には目もくれないんだろう。
まるで戦争の被害は人の生き死にだけみたいな感じでイヤーン
もっと視野を広くもって戦争を考えようよ。
262世界@名無史さん:03/02/10 19:58
そういえば上の方で個人ブレーで勝敗が決する戦争は士気が低いとか書いてたが>金魚

具体的にはどの戦いのことを指してるんだ?
まさか武将の一騎打ちで勝敗が決まったと思ってるんじゃないだろうな?

読み間違いだったらスマソね
263k:03/02/10 19:59
えっ!!まじっ!見えとるやん!!!


http://www.hi-net.zaq.ne.jp/bubbs207
264世界@名無史さん:03/02/10 20:00
どっちにしても、あまり激増する要素がないぞ(ぷ
がんがんれ金魚タン!!

「戦争見掛け倒し説」
見掛け倒し故に、戦争長期化。
男は戦地に釘づけとなり、故郷の労働力・出生率低下。

「戦争激烈説」
兵士大量シボーン
265世直し一揆:03/02/10 21:10
 <血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的・ファイト満々(キモイ、自己中心)
●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようと
する(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際に
はたいてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ) 
●表面上意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は
個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
266世界@名無史さん:03/02/10 22:09
昔の漢民族には、足の小指のつめが二枚(一枚メインのつめの外側に小さいのが生えてるらしい)
と聞いたんですが、誰か知りませんか?
ちなみに私は、小指のつめが二枚あるので、それについて調べていると、この情報に出会ったのですが・・・
267世界@名無史さん:03/02/10 22:17
小指のつめはずっと伸ばしてると2枚(というか二重)になることが多いよ。
268世界@名無史さん:03/02/10 22:20
>>267
漢民族はつめを切らないのか?ひょっとして
髪も長いし・・・
269山犬 ◆R200hJA.tQ :03/02/10 22:29
>>266
それ、私の足の小指にもあります。うちの父親もそうです。
一体何人に一人くらいの割合であらわれる身体的な特徴なんでしょうかね?
まぁ、これでトクをしたことは一度もありません。
270山犬 ◆R200hJA.tQ :03/02/10 22:32
あ、あと、爪を切らない事とはなんの関係もありません。念の為。
うまれた時からこうなってます。
271世界@名無史さん:03/02/10 22:33
>>261
それを考慮すると自説が崩壊するから(藁
272世界@名無史さん:03/02/10 22:35
>>266
俺もおんなじのあるよ。割れて痛い思いをした覚えがある。
もしかしたら、俺たちは故郷を追われて日本列島にたどり着いたプロトタイプの
支那人の血をひいてるのかもしれんね。時々、霧消にウーロン茶が飲みたくなる
のが大陸で暮らしていたときの名残かな・・・(ウーロン茶は福建省という罠)
273世界@名無史さん:03/02/10 22:41
お茶の歴史を調べりゃわかるが、三国期以前に漢人に喫茶の習慣は
ない。つうかお茶そのものがない。烏龍茶などの青茶は緑茶、紅茶
の後に登場したんじゃなかったかな?
274272:03/02/10 22:48
うわっ・・そうだっけ。たしか劉備は母親に当時としては高価なお茶を
買ってきて、引き換えに家宝の剣を手放したため怒られちゃうという話が
演義にはあったね。ちゅうことで、三国時代以降の流民ということに
しといてくれ。
275世界@名無史さん:03/02/10 22:48
俺も足の小指の爪が二枚あるよ
関係ないけど顔を5,6日剃らずに放置すると顎鬚、口髭、もみ上げがつながるよ
赤毛混じってるし、孫権みたいだ
276世界@名無史さん:03/02/10 22:51
漢服きて、小者を連れて公園に行くべし。
そのとき、君は道学先生だ!
277世界@名無史さん:03/02/10 22:56
>>274
それは吉川えーじの創作。
278世界@名無史さん:03/02/10 22:57
>>277
お茶の伝来時期も創作?
279世界@名無史さん:03/02/10 23:10
あほ丸だしだne!
280世界@名無史さん:03/02/10 23:13
寒冷期だったって話は出てこないの?
281世界@名無史さん:03/02/10 23:14
金魚さんの反論はまだですか?
282世界@名無史さん:03/02/10 23:14
>>273
前漢の時代に王褒と言う人物によって書かれた『僮約』(紀元前59年頃)に茶らしい記述があり、「荼を煮る」「荼を買う」という言葉が出てきます。
地理条件や当時の茶の栽培状況から推して、これは茶を指すとされています。
この時代の茶は「烹荼」と呼ばれるもので、現在のような飲み物ではなく、他の材料とあわせて煮込む薬か湯(タン)の類だったと考えられています。
「烹」の字には煮るという意味があり、477年に書かれた『広雅』(現在散逸)には、茶を飲む時に葱、生姜、みかんを混ぜて煮込むとあります。
『僮約』では、奴隷を使う身分の人が客を迎える時に用意させたり、特別に注意して買わせていますから、後の時代に比べると日常性が低く、貴重品に属していたのでしょう。
283272:03/02/10 23:15
鬱だ。もう江上の騎馬民族でいいよ。
284世界@名無史さん:03/02/10 23:21
鬱だ。もうラエルの宇宙人説でいいよ。



285世界@名無史さん:03/02/10 23:22
金魚は背中に疽ができたため現在療養中です。
286世界@名無史さん :03/02/10 23:30
>>285
ワラタ。択一試験の問題を一生懸命解いたりしてて。
287世界@名無史さん:03/02/11 09:31
>>282
そうじゃないかなぁ、と思ってだけにちょっと疑問を。
茶と荼って音が違いますよね? それについてはどう考えられてるんでしょう?
古音は同じだったんでしょうか。
288金魚:03/02/11 09:47
 このスレッドの中心論点は、戸籍を元にした1/10説(激減説)の当否です。
この激減説は、定説通りに、ほぼ、否定されたとしていいでしょう。
 この点はもう終了でしょう。
 では次の論点として、次の説の当否が残っています。

1,数%から数十%及ぶ減少説。西洋のペスト過のような実例があります。
2,停滞説。たぶん、これが学会の主流でしょう。
3,増加説。金魚説。日本も中国も戦国時代は人口が増加しています。

 さて、いかに。

289世界@名無史さん:03/02/11 09:58
>>288
「いかに」じゃねーよ、ヴぉけ
290世界@名無史さん:03/02/11 10:04
シナ大陸は広いが
扇状地以外で稲作が出来る
になったのは南宋以降
なだらかな傾斜のない地形でないと
昔は稲作が出来なかった。
よって三国時代の江南の生産性などは
ほとんど無いに等しい。
291251:03/02/11 10:15
>>288
学界の定説はあくまで減少説だとおもいますが?
後、>>151で挙げられている統計でも1/10とまで行かなくても約1/7に減少しています。
これを覆すだけのソースを提示できるかどうかは重要でしょう。
それから、日本の戦国時代と中国の戦国時代とでは時代的な性格が異なっています。
日本の戦国時代は社会が安定期に入る安土桃山時代直前まで、個々の大名達による改革の試みはあったにせよ、全体的には生産性の向上も殆ど無い技術的に停滞した状態での戦乱期でした。
中国の戦国時代は鉄製農具の普及や牛耕農法の発明等によって社会の生産性が向上し耕地面積も拡大、結果として春秋時代に比べて大幅に人口が増加(春秋期約600万に対し戦国期約2000万)しています。
三国時代は、性格的には日本の戦国時代に近く、停滞した状態での戦乱期でした。
革新的な生産の向上が無い以上、日本の戦国時代と同様に社会が安定するまでは生産の向上はあり得ず、従って人口の増加も考えにくいと言う事になるでしょう。
以上の考察は史書の人口統計から充分に引き出せる結論です。
292世界@名無史さん:03/02/11 10:16
始皇帝兵馬俑の兵隊さんみたいな顔した華北人ってどのぐらいいるんだろうか?
293世界@名無史さん:03/02/11 10:27
1/7に減らすには1人で6人殺す計算になるな
まさにバトルロワイヤルな世界
294世界@名無史さん:03/02/11 10:29
>293

ほとんど餓死だろうが
295世界@名無史さん:03/02/11 10:32
農民が戦乱で農地を追われて餓死する
次に非農耕階層が餓死する
というパターンなの?
296世界@名無史さん:03/02/11 10:35
人口が1/7も減るような状況でよく戦争なんてやれたもんだ
しかもこの時期の軍隊は常備軍が主体だろ
人間って業が深いね
297世界@名無史さん:03/02/11 10:52
だから、戦争で死んだり餓死して減るのもあるけど、それ以上に出生率が
長期間に渡って低下する事によって、人口が大幅に減るの。わかんないかな?

三十年戦争でも、ドイツの人口は3分の2に減ったけど、その減少は、
出生率の低下が第1の原因。社会が不安定になって、いつ食べるものがなく
なるかもしれない、という状況では、子供を増やす余裕がなくなるでしょ?

あと、金魚氏は日本の戦国時代の人口増加を強調していますが、上でも
述べられているとおり、戦国時代の人口増加は微々たるもの。ひょっと
したら減ってるんじゃないか、とも思うくらい。

戦国時代の開墾地の量なんて、十七世紀の開墾量と比べると微々たるもの。
信長の野望なんかのゲームでは開墾をやればやるほど収入が増えるから、
ゲームしかやってない連中はなにか誤解しているんじゃないか?
298世界@名無史さん:03/02/11 11:01
でもナポレオン戦争時のフランスの人口は増加してるんだよねえ
299世界@名無史さん:03/02/11 11:08
>>298
ナポレオン時代のフランスは、この時期の中国よりもずっと輸送・交通が
発達していた。食料が足りなくとも、それを補う小麦は海外などから輸入
するという手段がとれた。貨幣経済も進展している。
この時期の中国はそうではない。収穫の減少は、農民達にとっては餓死に
もつながった。
300世界@名無史さん:03/02/11 11:10
あれ、ナポレオン戦争のフランスはイギリスの海軍に封鎖されてたんじゃなかったっけ?
301251:03/02/11 11:10
302世界@名無史さん:03/02/11 11:10
あと、298氏にお尋ねしたいが、このナポレオン戦争の時期のフランスの
人口増加はどの程度でしたか?
303251:03/02/11 11:21
>>298
ナポレオン戦争時(1789年〜1815年)のフランスの人口増加率は9%でした。
同時代のイギリスの人口増加率は23%で、比較しても決して高い数値ではありません。
フランスの人口増加が著しかったのは1709年〜1789年の間で、1900万から2750万人に伸びています。
しかし、当時は農業の生産性が低かった為、1770年代頃から増加にも陰りが見え始め、上記の数字に落ち着く訳です。
304世界@名無史さん:03/02/11 11:27
>>302
フランスの出生率は人口1,000人当たりで
1796年〜1800年は約35人、
1801年〜1805年は32人強、
1805年〜1815年には32人弱
ナポレオンは「私には年に30万人の人的収入がある」と大見得を切ってたんだよ
305世界@名無史さん:03/02/11 11:29
まあでもフランスだって第一次大戦のころには減ってるからねえ
306世界@名無史さん:03/02/11 11:30
>>302
で、そんなこと聞いてどうするの?
古代中国の人口の推移とは関係ないよ
勿論三十年戦争もね
307世界@名無史さん:03/02/11 11:37
中国の歴史関係のサイトとか覗いてると、
三国時代の中国の最盛期の兵力は魏が50万、呉が20万、
蜀が10万で合計80万って数字をよく目にするんだけど
もしこの数字が正しいとして、平時における常備軍の人口に対する比率の
上限がだいたい1%であることを考えれば、単純に考えて中国の総人口は
8000万になっちゃって、ちょっとこれは気が狂ってるねえ
この数字は多少は誇張されてるだろうから、鵜呑みにはできないだろうねえ
一体どれくらいだったんだろ?
308251:03/02/11 11:54
>>307
現在では一般に、経済や社会に悪影響を及ばさない範囲での一国の動員可能兵力は人口の1%程度であると言われています。
ただ、当時は戦乱が続いていた事もあり、比率はもう少し高かったのではないかと推測します。
最大でも5%を越える事は無かったのではないかと思いますが、それに近い数の兵が動員されたのでは無いでしょうか?
309世界@名無史さん:03/02/11 12:03

一応ヨーロッパの例だけど、
フリードリヒ大王時代のプロイセン(七年戦争後の平和期)では
人口5〜600万人で兵員22万だったらしい。
この数値を参考にすると、この頃には人口の3〜4%くらいは
兵員として保持出来たことになる。
それを参考にして換算すると、魏が1650万、呉が660万、
蜀が330万くらいが最大値だろう。
まして当時は「平時」ではないんだし。
310世界@名無史さん:03/02/11 12:10
>309

常備軍の軍備とか、農民ひとりあたりの単位収量
とかいろいろな要素が絡み合うから比較になりません。

311世界@名無史さん:03/02/11 12:12
>>308
どうだろう?
むしろ兵力の比率は1%より低かったんじゃないかな?
居住区なんかを城壁で囲むような都城式の都市を造る地域ってのは
大抵どこでも陸田のような農業の生産性が低い地域なんだよね
農業生産性が低い当時の中国で5%を超えるような動員が
果たして可能だったのかねえ
それとも無茶な常備軍の維持が飢餓の原因だったのかな?
そこまで当時の為政者がお間抜けだったとは考えたくないねえ
312世界@名無史さん:03/02/11 12:19
>>309
プロシアはイギリスの洒落にならない援助があったからねえ
プロシア一国で維持できた数字じゃないよ
シレージェンに侵攻する前のプロシア軍は8万人いたけど
兵員の大半が年2ヶ月しか拘束されないパートタイマーだったんだよ
厳密に常備軍とは言えないねえ
313251:03/02/11 12:31
>>311
え〜っと、三国時代よりもかなり以前の話になりますが、戦国時代の法令の記録によると、当時の一戸の平均人数は大体5人、その5人のうち2人を「卒」とした、とあります。
この比率で行くと、動員数は何と人口の40%に及ぶ訳で…。
戦国時代の軍は徴兵制で、常備軍では無かった為に比較にはならないでしょうが、やはり比率としては高かったのでは無いかとおもいます。
314世界@名無史さん:03/02/11 12:44
>>313
それは軍役に就く義務があるということを法で示してるだけで
そいつら全員一度に動員するわけじゃないよ
だから、その法令だけで動員率が40%とは言えないねえ
315251:03/02/11 12:54
>>313
何分具体的な資料が残ってないだけに決め手に欠けますね。
取り敢えず資料漁って来ます。
31682:03/02/11 13:16
>>245
 なるほど、つまりは後漢末〜五胡十六国時期を境目としてそれ以前と以後では
 社会的にも文化的にも大きな変化があったことが漢語の変化によって推定される。
 そしてその原因は大幅な人口減による異民族進入であるということですか。
 では反論を

 伝統維持のため反切や韻書が必要となる危機=異民族の増加はわかるとして
 異民族の増加は必ずしも漢族の人口減を意味しないと思う。
 「難を逃れた学者・文化人」は華南地域に逃れたわけで、同じように一般民衆も
 華南地域に相当数が移住して華北地域に「空白」が生じたために五胡が進入した
 とは考えられないか?
317世界@名無史さん:03/02/11 13:51
>>307
263年に蜀が魏に併合されたときの蜀の人口は
「男女口94万人、帯甲の将士10万2千、吏4万人」
合計108万2千人
283年に呉が晋に併合されたときの呉の人口は
「吏3万2千、兵23万、男女口230万」 計256万2000人
とある。(岡田英弘「倭国」)
常備軍ではないとしても、いずれも兵の比率は10%弱であり、
1%ということはありえない。
318世界@名無史さん:03/02/11 14:24
>>317
三国時代の兵制は常備軍だよ
そして、常備軍の比率が10%近くあれば
余程強力な経済基盤があっても
まず国家として成り立たないよ
319世界@名無史さん:03/02/11 14:29
例えば、現在の北朝鮮の兵力の国民に対する比率は5%なんだよね
10%近い常備軍なんてとても想像できないねえ
320273:03/02/11 14:31
>>282
>>287
顧炎武説ですね。布目氏の著書で確認しました。「にがな」か「ちゃ」かは、
うーん。取りあえず顧氏、布目氏程の学識はないので、訂正いたします。

確実な喫茶の記録は『三国史』、「呉書 韋曜伝」てことで良いでしょうか?
無理やりこのスレに結びつけると異民族の野菜だった茶が漢人の間に流通し、
飲料としてのお茶ができたのが、この時期だということで。
321世界@名無史さん:03/02/11 14:48
>>316
何度も何度も何度も何度も出てきているけど、流民と化すと人口は
減るってことぐらい理解しろよ…。
322273:03/02/11 15:21
良く見たら三国「史」になってる。鬱だ。
323世界@名無史さん:03/02/11 16:28
屯田はどこへ逝ったんだ?
324世界@名無史さん:03/02/11 18:18
>>323
どこかに飛んでン逝っちゃった
325世界@名無史さん:03/02/11 19:48
謎の戦記「孔明の艦隊」↓

http://www02.so-net.ne.jp/~muraji/esekakuu/koumei.htm
326世界@名無史さん:03/02/11 22:31
>278
そのとーり
327251:03/02/12 00:09
>>314
資料見つけましたわ。

三国志 呉書 三嗣主伝 孫晧伝 裴松之注 天紀四年(280年)より
『晋陽秋』にいう。王濬は呉の国の地図や戸籍を手に入れたが、〔それによれば〕治めていた州が四つ、郡が四十三、県が三百十三、
戸は五十二万三千、吏が三万二千人、兵が二十三万、
男女の人口が二百三十万、米穀が二百八十万石、舟が五千余艘、後宮の宮女が五千余人であった。

三国志 蜀書 後主伝 裴松之注 景耀六年(263年)より
〜また、尚書郎李虎に官民の戸籍簿を送らせた。
〔それによると〕戸数二十八万、男女の人口九十四万、武装した将兵十万二千、官吏四万、米四十余万石、金銀各々二千斤、
錦と綾絹の類各々二十万匹、他の物資もこれに比例していた。

と言った具合で、呉と蜀で兵員の数が人口の10%強だと判明しました。
魏がこれと同じ比率で兵を持っていた場合、蜀統合前の魏の総兵力は約45万という事になりますね。
328世界@名無史さん:03/02/12 00:21
一応、漏れが151でそのネタを使ってたんだが。。
吏や兵については書かなかったけど。
329251:03/02/12 00:25
>>328
ええ、人口と兵力の比率が問題になってたので調べなおしました。
330世界@名無史さん:03/02/12 00:32
その数字を信じれば、男子5人に1人は兵士であり、
それに吏の他に製造業や商業につく人間もいただろうから
三国時代の中国の農業生産性は凄まじく高かったことになるな
戸籍簿に記載されていたのが、軍役奉仕や租税を納めるだけの経済力をもった
小作農や都市住民で、小作農や私有民、奴隷といった階層が含まれていない
可能性はないのだろうか?
331251:03/02/12 00:38
>>330
史書に記載がないですからね。
可能性が無い訳では無いでしょうが、それでは金魚氏と同じで言った者勝ちになってしまうかと(笑)
332世界@名無史さん:03/02/12 01:08
徳間書店の正史「三国志」には

当時の群雄はいずれも、大兵力を抱えながらも慢性的な食糧不足に悩まされていた。
袁紹や李カクらは勿論のこと、豊かなワイ南地帯に身をおく袁術の兵ですら、泥水雑草の類を啜って飢えを凌いでいる有様だった。
だから、曹操の屯田制は実に画期的なものであった、

といったような内容の解説がありました。
袁紹や袁術他三国時代の諸群雄の兵が飢えていたことについての具体的描写は確か正史のどこかにあったはずです。
なければ、孫盛か誰かの史書に。
333世界@名無史さん:03/02/12 01:13
>>331
例えば、「四民月令」では土豪と農民の間に一種の隷属関係が見られる
曹魏の屯田の租税率が官有牛と私有牛で違っていたことを考えると、
当時の農民が農具や家畜、金銭といった動産を満足に所有していたとは考えにくい
このような農民が、家畜、農具、金銭等の借用や授受、または戦乱や飢饉の際の救済等を通じて
土豪や豪族と上記のような関係を結んだとは考えられないだろうか?
そのような有力者の庇護の下に入った農民が、人頭税に関連する国家の戸籍に
記載されなくなる可能性は否定できないと思う
このような、秦漢時代の邑共同体を通じた皇帝と農民の関係の崩壊が、
戸籍に記載された人数の減少の一因ではないだろうか?
まあこれも根拠のない憶測に過ぎないんだが
334世界@名無史さん:03/02/12 01:19
>>332
食料不足に悩まされていたということは、人口の増減とどういうふうに関わって
くるだろう。小泉信三が言ってたけど、人口はずんずん増えるが、食料の生産量は
ちょぼちょぼにしか増えないんだとさ。で、考えてみたが

1.人口が多くて、兵にまで食料が回らないから、慢性的な食料不足になる。
2.人口が少なすぎて、食料を生産する人手が足りず、生産量が伸び悩み、
慢性的な食料不足になる。

一体どっちだろう。やっぱ2のほうが自然な気がする。そもそも食料の生産量を
上回るほどの大兵力を抱えすぎたのが、食料不足の原因だろうね。
335251:03/02/12 01:20
>>333
そうですね、可能性は否定できないと思います。
ただ、それのみに原因を求めて、実際に人口が減ってないとか、あまつさえ増えてるとか言うのはどうかと思う訳でして。
336世界@名無史さん:03/02/12 01:21
しかし泥水雑草の類を啜って飢えを凌いでいるような状態の常備軍を
維持する必要性がどこまであるのか疑問だな
それなら徴集軍のほうがよほど合理的だと思うが
337251:03/02/12 01:26
>>332>>334
その辺りが戦国時代との大きな違いでしょうね。
戦国時代には農業技術の向上と耕地面積の増大によって、食糧生産が飛躍的に増大した時期ですから。
三国時代は戦乱が完全に悪循環を産んでいたんでしょうね。
338世界@名無史さん:03/02/12 01:27
>>334
1は絶対にありえません。そこまで中国の統治者は人が良くない

兵が多すぎて食料が回らないから、慢性的な食料不足になる。

という構図なら起こりえたでしょうが。
339世界@名無史さん:03/02/12 01:28
>>335
いや、自分は増えたなんて一言も言ってないんですけど
潜在的な人口は戸籍に記載されていたより多いとは思うが
後漢時代以降、土豪や豪族によって新しい集落が形成される
ようになっていくが、恐らくこれらの集落は上で言ったような
戸籍に記載されていない農民が主だっただろうと思う
それを考えれば、1/10とか1/7のような大幅な減少が
あったとは思えないが
340251:03/02/12 01:29
>>336
兵力を維持しなければ、他の軍閥に飲み込まれるだけですからね。
「わかっちゃいるけど止められない」って事だったんじゃないでしょうか?
341251:03/02/12 01:31
>>339
はい、貴方の事では無いです。
私の知る限り「増えた」と言ってるのは金魚氏だけですので。
誤解を招く発言でしたね、スマソ。
342世界@名無史さん:03/02/12 01:31
>>340
有事が迫ってから徴集すれば問題はない
常備軍に対する徴集軍の問題は、期間的、地域的な制約があり得ることだから、
自衛のためならば徴集軍で問題はない
343関心した!:03/02/12 01:32
良スレでこんなにレスが多いなんてすごいなあ
344世界@名無史さん:03/02/12 01:34
>>339
そのとおりと考えますと、後漢時代の4000万〜5000万人の人口統計の説明が苦しくなります。
豪族が強大な権力を持ち、私民を抱え込むという構図は、後漢からありました。
したがって、私民が統計外に置かれたとすると、上のような数字はありえない。

だからといって、後漢までは、私民も統計に含めていたのに、魏晋では統計外におくようにした
というのもやや不自然のような気がします。そういう記録もないし。
345世界@名無史さん:03/02/12 01:38
>>344
黄巾の乱やその後の戦乱で従来の農民の主流をなしていた小規模自作農の多くが
私有民になったとすればどうか?
後漢時代の豪族の私有民も戸籍に記載されていたとは思えない
三国時代の戦乱が、自作農の私有民化を促したのではないだろうか?
346世界@名無史さん:03/02/12 01:45
>>345
そうだとすると、後漢時代の統計も
もうひとわまりかふたわまり小さな数値になったのではないでしょうか。
4000〜5000万というのは、前漢代とほぼ同じ数値です。
この数値が、後漢でも維持できていたわけですから、当時は豪族の私民も統計の対象とされていたと
考えるほうが自然ではありませんか。
347世界@名無史さん:03/02/12 01:50
>>346
前漢から後漢まで人口が横ばいだとすると、
今度は後漢以降に始まった豪族の原野の開発の説明がつかない
少なくとも新たな農地を必要とする程度には人口は増加していたと
思うが
348251:03/02/12 01:54
>>342
それは後漢末期から三国時代にかけての軍制に問題があると思われます。
後漢期の兵制は募兵制でしたが、募集された兵は全て中央の禁衛軍となるだけで、地方は軍隊を設けませんでした。
そのため、郡州を預かる刺史・州牧は各々の土地で兵を集め、州兵・家兵を増強しって自己の力を増して行きました。
三国時代にもこの伝統は受け継がれ、戦乱の影響で兵の供給はもっと乱雑になりました。
募集もあれば、徴兵もあり、甚だしい場合には攫ってきました。さらに一群の私家兵(個人が所有する軍隊)があり、部曲と呼ばれました。
つまり、三国の軍閥達にとって、兵とは「常に整備しておくもの」であり、「必要な時に兵を徴収する」と言う概念自体が無かったものと考えられます。
349世界@名無史さん:03/02/12 01:56
もし、豪族が多量の私民を持っていたとするならば、
当然のことながら、彼ら(要するに群臣達)はめいめいが同時に多量の私兵部隊を抱えていたということにもなるでしょう。
私民あるところに私兵ありというのは、当時としては一般的でしょうから。
しかし、その傍証がありません。
350251:03/02/12 01:58
>>347
戦乱で従来の農地が荒廃してしまった為だと思われます。
後、割拠の線引きに応じて、新たな後方の生産地を確保する必要があったためではないでしょうか?
351世界@名無史さん:03/02/12 02:01
>>348
それはその通りだが、だからといって上記のエピソードのような
状態であったとは考えにくいと思うが
352世界@名無史さん:03/02/12 02:03
私民の数が官民の数を上回っていたとするならば
私兵の規模が官軍の規模を上回っていたということにもなると思います。
そうなれば、さぞかし日本の中世さながら、国の中に国が興るという事態になったでしょう。
しかし、史料にその痕跡はありません。
侯の中のもっとも恵まれたものですら、食邑一万戸位が関の山だったようですから。
353世界@名無史さん:03/02/12 02:05
>>350
後漢期を通じて戦乱が農地を荒廃させ続けたとは考えにくいと思うが
むしろこのような農地の開発と集落の形成が太平道や五斗米道が発生した
一因だと思うが
354251:03/02/12 02:06
>>351
問題は、生産力が低下しているにも関わらず、従来通りの軍制を維持した事にあるのでは無いでしょうか?
曹操の屯田制も食糧不足を解決しつつ兵力を維持すると言うのが動機の一つとしてあるのではないでしょうか?
355世界@名無史さん:03/02/12 02:15
>>354
屯田制は食糧不足だけが一因だとは考えにくい
曹魏の屯田が租税を徴収されていることを考えれば、
屯田の農耕が軍役の一環だったとは考えにくい
屯田は土地所有の見返りに兵役奉仕を要求する一種の契約であり、
屯田兵は兵役義務を課せられた自作農と解釈すべきだ
軍の食糧不足を解消するためだったとは思えない
356251:03/02/12 02:17
>>353
どうも文意が伝わっていなかったようですね。
後漢期に開拓された土地を含めて、以前からの農地が三国期に荒廃したと言いたかったのです。
また、太平道や五斗米道のルーツは後漢末の混乱で発生した流民達のコミュニティだったのでは無いでしょうか?
少なくとも史書を読むとそのようなニュアンスで書かれていると思うのですが?
357世界@名無史さん:03/02/12 02:22
>>356
自分は流民ではなくこれらの国家と距離を置いた新たに建設された集落だと認識している
国家にとってすれば戸籍にも記載されていない民衆など流民に等しいだろうが
358251:03/02/12 02:23
>>355
屯田制と屯田兵は違うものですよ。
曹魏の屯田制は所有者のいない荒れ地を国有地とし、流民や一般農民に耕作させる制度で、屯田兵とは違います。
単に農業生産を増大させる為の政策だった訳ですが?
359世界@名無史さん:03/02/12 02:25
>>356
>少なくとも史書を読むとそのようなニュアンスで書かれている
どの史書のどの部分?
360251:03/02/12 02:30
>>357
それは互いの認識の違いですね。
>>359
正史の張魯伝または張角の辺りを参照して下さい。
361世界@名無史さん:03/02/12 02:32
>>358
自分の認識では、曹魏は淮北に2万、淮南に3万の屯田兵を展開させ、
うち4万が高い即応体制を維持していたはずだが?
362251:03/02/12 02:35
>>361
だからそれは屯田兵(笑)
私が>>354で言ってたのは屯田制の話です。
363世界@名無史さん:03/02/12 02:44
レスはつくが話が一向に進展しないな。
364世界@名無史さん:03/02/12 03:05
>>360
張魯は巴に多くの部曲を持っていたので、
馬超の乱で涼州からの流民が合流する前から
地域的な基盤は持っていたように読めるけど?
部曲を元に流民を吸収して構成された集団だろう。
365251:03/02/12 03:28
>>364
魏書の記述を参照しましたが、五斗米道の開祖である張陵(張魯の祖父)は元々巴蜀の地で道術を修行する流れ者であり、多くの流民や農民が信徒として集まっていたようです。
その後、息子の張衡及び孫の張魯の代に信徒として集まってきた者達を部曲として編成し、劉焉の命で漢中に侵攻、劉焉の死後漢中に基盤を築いていますので、成り立ち自体は>>356で述べたものとそう差は無いと思われます。
張魯の代以降は>>364で貴方が言っている流れで間違いはないと思いますが。
366世界@名無史さん:03/02/12 19:59
兵士が耕すのが軍屯。
流民が耕すのが民屯。
367世界@名無史さん:03/02/12 22:51
                 __
               ,_'_~ ヽ,             _.,
              ,/ :::::` ‐ 、~` 、   _, - ‐ ' ̄ ̄ノ
           r'"~ 、:::::::::: ::: ^`~` ‐、r'  _, -― '~
          i´  o i :::: : :: :::: :: `;   i_
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          `、    `‐、  r' ::: . :: 人\   `、
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              ` ‐ 、― z‐ ' ~    i/  \ .|
.                 ` ‐-`'          `i|
まだぁ?
368世界@名無史さん:03/02/13 03:19
>>365
張陵まで遡ると既に後漢末の話じゃなくなる罠。
曹操が蜀地方を「妖妄之国」と呼んだように
巴蜀漢中の地方には古い迷信や邪宗が残っていたらしい。
法外な布施などで信者の身ぐるみを剥ぐような他宗派を
批判することで五斗米道が発展していったことは
張魯の著の老子想爾註や張道陵伝説の諸山の妖怪退治等からも分かる。
張魯の部曲は宗教闘争から展開したものと考える方がしっくりくる。
369世界@名無史さん:03/02/13 15:52
ところで、魏や蜀は、五斗米道や太平道の信者達をどう扱ったのでしょうか?
無策でいたら、いつのまにか内部に一大カルトが形成されている、という事態にはなりませんか?
特に蜀の場合。
370251:03/02/13 17:29
>>368
実際に五斗米道の教団が部曲として組織されていると判断できるのは張魯の父張衡の代からです。
張魯は祖父や父の築いた地盤を受け継ぎ勢力を伸ばしたに過ぎません。
また、成り立ちは宗教闘争から来るものかもしれませんが、その成員の多くが農民や流民であったのも事実でしょう。
371世界@名無史さん:03/02/13 23:36
ちなみに後の五胡で蜀に成漢王朝を開く李氏は、元は巴の地方のテイ族で
その一族は後漢末からの五斗米道の信者だった。
李氏政権の設立の援助者で初代丞相となる氾長生は
当時、千家以上の部曲を持ち青城山を居としていた。
天地太師と尊号されたこの人物も巴の地の異民族出身であり
おそらく蜀に残存した五斗米道の後継勢力だろう。
372世界@名無史さん:03/02/14 01:38
横レスでスマソ このスレではもっぱら三国時代の人口激減が論点になってるようですが、
逆に隋時代と清初期の人口激増はどう考えたらいいのでせう?
過去レスにも出てきた「支那人口の歴史的変遷」によると隋代には580年に900万人だった人口が
わずか26年後の606年には5倍以上の4901万人と急増し、明末〜清初にかけても1576年の6070万人が
1644年に1063万人と6分の1に激減したあと、約100年後の1741年には14倍の1億4341万人に
激増しているのですが、激減するのはまだしも、人口が四半世紀で5.5倍になったり、100年で14倍に
なるというのは本当にありうる事なのでせうか?詳しい人解説キボンヌ

↓信用できるかワカランけど一応ソース
http://www.drc-jpn.org/AR-2J/sugiyama-j.htm

373世界@名無史さん:03/02/14 02:55
>>372
清の方は確か税制がかわったからでしょ?

人頭税が廃止になったので、
生まれた子供の数を正直に申告しても税金が増えることはなくなったんだと。

つまりそれ以前の税制には人頭税があったから、子供の数を正直に申告しなかったんだ。
つまり脱税。だからそれ以前の人口記録は信用出来ない。
374世界@名無史さん:03/02/14 03:19
>>373
でもね、それだとバリバリ税を取ってるはずの時期に人口が増えてる説明がつかないんじゃないかな?
それも無かったとは思わないが、それだけで説明するのは厳しいと思うね。
375世界@名無史さん:03/02/14 05:33
>>374
税(人頭税)をバリバリ取っている時期に、統計上の人口が増えるのは別に不思議じゃないと思うぞ。
徴税人が調査してビシビシ摘発していただけのことと思うが。
376世界@名無史さん:03/02/14 05:39
>>375
>>372のリンクの人口表を見ると、概ね混乱期には人口が減って安定期には人口が増えるって言う自然な流れになってるんだよね。
混乱期には政府による統計が取りにくいってのはあるかもしれないけど、やっぱりそれだけじゃ無いんじゃないの?
377(。・_・。):03/02/14 06:26
バレンタイン企画!
http://homepage3.nifty.com/digikei/ten.html
378世界@名無史さん:03/02/14 09:18
寒冷期→混乱期→人口減
温暖期→安定期→人口増
379世界@名無史さん:03/02/14 17:01
251は、なんか見下した言い方してるね。
380世界@名無史さん:03/02/14 19:00
自分が論破されるとそんな言い方しかできないわけ?
381世界@名無史さん:03/02/14 20:55
金魚は尸解でもしたのか?
382世界@名無史さん:03/02/15 18:03
age
383世界@名無史さん:03/02/16 01:27
前漢の5千数百万人という数字がそもそも過大なのだよ。
384世界@名無史さん:03/02/16 09:35
戸籍上の記録で、人口が5千数百万まで回復するのはいつごろなんでしょう。
385世界@名無史さん:03/02/16 18:10
>>384
過去ログを見よ。
386世界@名無史さん:03/02/23 00:27
age
387世界@名無史さん:03/02/23 00:56
清の時代に人口が増えたのは、さつまいもが伝わったからだって、
TBSの世界不思議発見で川幡由佳が言ってました。
388世界@名無史さん:03/02/23 08:37
>>387
中国ではそんなに、さつまいもを食べるの?
389世界@名無史さん:03/02/28 20:37
ネタも尽きた、といいたいところですが
中国以外で(ただし中南米は除く)、人口が劇的に減少した例はあるのでしょうか?
人口減少説の、信憑性吟味に使えそうですが。
390世界@名無史さん:03/02/28 21:04
>>389
なんてったってポルポト時代のカンボジア。
391世界@名無史さん:03/02/28 21:19
>>389
30年戦争時代のドイツ
392世界@名無史さん:03/02/28 21:39
>>389
中世ヨーロッパのペスト禍
393世界@名無史さん:03/02/28 21:45
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394世界@名無史さん:03/02/28 22:08
>>390
もちろん、20世紀以降は除きます。
前近代です。
文明地帯で、中国のごとく、地域総人口が10分の1に減っている記録はあるのかと?
市中の虎ではありませんが、他にもそうした例があるのなら、理解もしやすくなる。
395世界@名無史さん:03/02/28 22:14
ローマ崩壊時はどうなんだろうね。
想像するにかなりのもんだと思うのだが。

ローマ市が100万都市から1000人以下へ落ち込んだり、
10万くらいの都市はポコポコあったのに中世では1万で
結構な都市だったり。
396世界@名無史さん:03/02/28 22:39
>>395
ローマ崩壊級の大変動が、当時の中国で起こったと考えるのはどうにもピンときません。
歴史書にも、それなりの表現があっていいはずだが、三国志に見られる諸将烈臣の人生は至って平和そう。
あるのは、統計上の差異と、当時の担当官数名の指摘があるだけ。
これでけでは、どうにも。
397世界@名無史さん:03/02/28 22:41
これでけとは何事だ!
398世界@名無史さん:03/02/28 22:52
これだけ
399世界@名無史さん:03/03/02 21:34
中国ってのは広いから、どんなに平和で安定した時代であっても
国内のどこかでは小規模な反乱、疫病、飢餓が恒常的に起こっている。
しかしそれらがいちいち王朝の存立を脅かすことがないのは、

「社会安定→人口増加→食料と耕地の不足→社会不安→反乱疫病飢餓
→人口減少→食料と耕地の余剰→生産向上→社会安定」

という無限サイクルが作用しているから。これが中国の超安定システム。

ところが黄巾の乱の際は全国で一斉に大規模に起こったため
このシステムがはたらかず、

「戦乱疫病飢餓→人口減少→人手不足→生産力低下→食料不足→飢餓→人口また減少」

という人口減少のスパイラルに突入してしまい、一気に急激な減少を引き起こした。
400世界@名無史さん:03/03/03 12:21
東漢から続く西漢の王朝が崩壊するというのはそうとうな衝撃だと思うのだが。
401世界@名無史さん:03/03/03 13:55
>396

三国時代の武将が平和、ねぇ・・そんなことはないでしょう。
夏侯淵みたいに自分の子供を捨てて放浪しなければならなかった人もいるんだが
なぁ。曹操も「故郷に帰ると知り合いが死んでしまって誰もいない」と
嘆いている。
402世界@名無史さん:03/03/08 03:18
age
403世界@名無史さん:03/03/15 21:00
人口が、本当に5分の1から10分の1になっていたとして
減少が止まったのは、いつ頃でしょうか。
というより、何十年かけて、1/5〜10になったのでしょうか。
404カルカン:03/03/15 21:13
中国人は大げさな表現好きだからネー。
まさに針小棒大って感じやしー
無視したらー?ソレ
405世界@名無史さん:03/03/15 21:15
>>403
戦争や疫病、飢餓が起こって減少スパイラルが起きたら
劇的な減少という結果になる。
端からどうして何十年もかかったと考えるわけ?
406世界@名無史さん:03/03/15 23:55
>>405
一度、人口崩壊が起こったら、各地で連鎖して容易に止まるものではないでしょう。
農村が退廃するわ、流民が出現してさらに各地を襲うわで・・・
407世界@名無史さん:03/03/16 00:05
>>404
無視してどうする、アフォ
408世界@名無史さん:03/03/24 15:58
さすがに停まったね
409世界@名無史さん:03/03/29 01:36
春に蝗が発生すると秋にはぺんぺん草も生えない荒地と化す。

光栄の三国志とパール・バックの大地から類推される蝗の被害ってのはどうなんだ?
蝗じゃないにしても疫病は人間に限った話でもあるまいし。
410世界@名無史さん:03/03/31 23:21
>>403
>減少が止まったのは、いつ頃でしょうか。

鮮卑が流入してから。
411世界@名無史さん:03/04/15 17:14
中国各王朝は、どういう方法で人口を調査していたのですか。
全ての村や集落に通訳付で官吏を派遣して、一々集計したのでしょうか。
国勢調査は何年おきに行われたのでしょうか。
412山崎渉:03/04/17 09:21
(^^)
413世界@名無史さん:03/04/18 20:42
難民として海外や辺境へ逃れたため、ってことはないですかね?
414世界@名無史さん:03/04/19 05:38
>>413
だから、その移動中に大量死する罠
415山崎渉:03/04/20 04:38
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
416世界@名無史さん:03/04/26 12:44
なんとかスパイラルみたいに中国史でだけ通用する理論を
「特殊中国的」とかいって西洋史や日本史の連中がバカにしてる
って話を聞いたことがあります
417世界@名無史さん:03/04/28 03:43
住民がごっそり入れ替わった地域もあったんだろうなあ・・・
418世界@名無史さん:03/05/09 21:57
>409

旱魃の年に蝗が発生しやすいという面もある。

そもそも蝗は古来より、害虫の中では駆除しやすいので
いくら天地晦冥といっても、対策が取れないこともないはずだ

おととしのシナが蝗害を起こしていたが
あれも、海外の農業学者から言わせると対策が
お粗末に過ぎるものらしい。

結局は単なる政治の無策かと
419山崎渉:03/05/21 22:36
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
420山崎渉:03/05/22 00:00
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
421山崎渉:03/05/28 15:28
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
422世界@名無史さん:03/05/28 20:15
このスレって最初のほうで現時点での結論が出てしまってるね。
戸籍に厳密さが求められない以上、厳密な議論はできない。
ループ議論をするしかない。
423世界@名無史さん:03/06/10 03:09
中国の戸籍はあんましあてにならない。
唐の戸籍調査、
754年 900万戸
755年 安史の乱
758年 190万戸
たった三年で人口が四分の一になるかな?
宋の時代には人口が実際のところ一億を楽に越えてたらしいけど、
戸籍の数値から計ると人口は五千万ぐらいになる。

そこで、内乱状態も含めて考えれば三国時代の人口の実数は
戸籍上の人口の三、四倍ぐらいはあったはず。
だから中国人の絶滅は飛躍しすぎ。



424世界@名無史さん:03/06/10 03:18
>423の前段
とはいっても、政府の把握できる戸籍数が減ったということには
変わりがない、とは宮崎市定博士の言葉。
425世界@名無史さん:03/06/10 03:23
424の原文。
「…玄宗の末年に戸数八九一万を越えたものが、粛宗の時には二九三
万戸に減ってしまった。これは実際に減少したばかりではなく、
軍閥等が半独立の状態となって管内の戸口数を報告しないものが
多かった為である。何れにしても中央政府の掌握する人口が減少
した点においては変るところがない。」『中国史』上、284頁。
426世界@名無史さん:03/06/10 03:48
ああ、とっくに既出ですね。
真夜中に一人でボケ突っ込みやってごめんなさい。
427世界@名無史さん:03/06/10 17:53
宋の時代には人口がピークで一億四千万までいったそうだ。
428世界@名無史さん:03/06/10 22:29
人口激減というより、漢代の史料は単位が一つずれてたんじゃないのかね?
それが一番合点がいくと思うが。

あるいは、単位そのものが違ったとかも考えられる。
例になるかは分からないが、日本の飛鳥時の「億」ってのは、「100万」を
意味してるらしい。

429世界@名無史さん:03/06/11 00:00
宇宙項並みの作為には素直には賛同できないな。
支那の社会は、一般に思われているよりずっと安定していたと言いたい?
430世界@名無史さん:03/06/29 21:53
age
431世界@名無史さん:03/06/30 00:40
結論。

今だって一体何億人いるか分からないくらいだから、
正確な人口把握なんて出来なかった。
(「当時の政権が把握している人口」と考えれば、その政権の強弱が測れる」ということはもしかしたら言えるかも知れない)

…終了?
432美麗島の名無桑:03/07/08 09:02
王朝交代期ってのは国が滅びたってことでしょ?

今もそうかもしれないけど、
昔の支那大陸の王朝が滅びる理由はなんと「好景気による都市部人口異常増加」らしい。
中国の皇帝支配システムとは商業帝国の運営システムであり、
農耕民族を封建的に支配したものでなかった。

戸籍その他も経済活動による税収のために不可欠だった。
皇帝の支配は商業システムを握り、地方官吏が皇帝にノルマとしての税を上納し
残りは自分の腹に貯めこむ。
よって、戸籍が作成できないというのなら
それは大して強くない支配者だったということだろう。そんな者はいないと思うが。

経済が活気付けば都市部の人口は異常に増加したと考えられている。
だが穀倉地帯からの輸送システムは川しかない。
効率よい食料の輸送は現在のようには出来なかった。
さらに好景気のピークと飢饉の年重なったならば深刻な食糧不足が考えられる。

歴代王朝の崩壊も、まず食糧不足による民衆の不満がきっかけだったはずである。
ならば戸籍資料による人口の激減もうなずける部分がある。
433世界@名無史さん:03/07/08 20:04
>王朝が滅びる理由はなんと「好景気による都市部人口異常増加」らしい。

おもしろい説だし、都市集住傾向があったことは否定するつもりもないが、
王朝が滅びる前に好景気があったことを証明せんといかんだろうな。

>中国の皇帝支配システムとは商業帝国の運営システム

これも異端説だな。
通説的には、漢の武帝以来、中国歴代王朝は基本的に重農抑商だった。
また科挙官僚支配が徹底して皇帝独裁が確立した宋以後と以前では、皇帝支配のシステムのありかたもその強さも全然違う。
異端説がいかんとはいわんが、展開するならソースを示せ。

>ならば戸籍資料による人口の激減もうなずける部分がある。

前段の論が怪しいので、素直にうなずけない。
中世の戦乱や飢餓で亡失した人口もそれは多かったろうが、
五分の一、十分の一になることは考えにくい。
やはり、時の政権の戸籍把握能力が低下した&貴族の隷下に落ちた民が増加して隠された、ほうが割合として大きいだろう。
434山崎 渉:03/07/15 12:43

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
436世界@名無史さん:03/07/28 09:51

            \ │ /
            / ̄\
         ─<  `ш´>─   
            \_/      ミ 、       ノ彡
           / │ \      \\ ノノノノ //
                    ∧∧ .\( ゚∀゚ )/ /
        ∩.∧ ∧ ∩   < `ш´>| \ノ  / ,,;'
         < `ш´>/   (  ⊃⊃=| ∠二ゝ・∴,'
         |   〈    /   /   / \/ | ’‘ ` ,` ←在日の権益を脅かす2ちゃんねら
         / /\_」   / /\」  / / \ |
          ̄      / /     //     ミ
                 ̄      ミ丿
437世界@名無史さん:03/08/10 12:29

支那大陸の人口激減については岡田英弘先生の著書にわかり易く書いてあります。


この厄介な国、中国
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898315038/ref=sr_aps_b_/249-7689184-6482749
やはり奇妙な中国の常識
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898315143/ref=sr_aps_b_/249-7689184-6482749
438世界@名無史さん:03/08/11 22:53
中華人口大激藁
439世界@名無史さん:03/08/12 02:01
>>432
>王朝が滅びる理由はなんと「好景気による都市部人口異常増加」らしい。

その説がもし正しければ「盲流」が問題になってる今も…。



>>433
>王朝が滅びる前に好景気があったことを証明せんといかんだろうな。

それに該当しそうなものは万暦、天啓の好景気くらいしか思いつかないね。
440_:03/08/12 02:08
441 :03/08/12 02:12
【コピペ推奨!おながいします!!】

朝鮮学校含め大学受験資格容認へ 来春入試から、文科省方針
http://www.sankei.co.jp/news/030802/0802sha008.htm
文部化学省に死の鉄槌を!
文部科学省 http://www.mext.go.jp/f_mailto.htm
文部科学省ご意見メールアドレス [email protected]

自民党・首相官邸に意見を!
自民党    http://www.jimin.jp/jimin/fl/n_post.html
首相官邸   http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html

さらに駄目押し:自民党インターネット政治献金
http://www.jimin.jp/jimin/kenkin/index.html

突っ込むべきところ

1.朝鮮学校のカリキュラムは、資格付与に値すべきかきちんと調査・査察したか。
2.査察を行ったのなら、結果を公開すべき。
3.なぜ朝鮮学校は条件が甘いのか。
4.これは正当に高校を卒業した人たちに対する差別である。
5.なぜ韓国系ばかりを優遇するか(センター試験のハングル等)。
6.朝鮮学校がOKなら、代々木アニメーション学院やお茶・お琴教室にも資格付与しますよね? 自動車学校もね。
7.外国人が不当に優遇される危険性があります。これは国民主権の侵害にあたりませんか?憲法違反ですよ。
8.チュチェ思想教育をいまだに行っている、極めて危険な教育機関を認定して大丈夫ですか?
9.朝鮮学校の教師はちゃんとみんな教職免許を持ってるのか?
10.各種学校の無審査での資格付与を認めた場合、学習指導要項は全くの無意味な物となります。何の為の学習指導要項ですか?
11,センター試験での朝鮮語の平均点は165点、しかも約半数は180点以上に分布。得点調整無し
12,大検もなく、また国の監督もなく無条件で資格を与えると、ひたすら3年間センター試験対策だけをする事も
  理論上可能。センターの推薦(旧帝大でも)だけで大学へ
13,大検の存在意義は何?
442世界@名無史さん :03/08/12 03:03




日本のODAさえなかったら今頃大陸では黄巾の乱並みの暴動が起きてるよ。

あぁ残念。


443世界@名無史さん:03/08/12 03:40
戸籍に載ると租税や賦役があるから、政体が弱まると移動や出生の届けを出さず
無籍となる。こういう人は記録に残りにくい。
反乱があったり易姓革命があったりすると、みかけ上の人口が減る。

今の共産政権でも、辺地では一人っ子政策に反して、統計上の人口と、実際の
人口が大きく離れているところが沢山ある。
444_:03/08/12 03:54
445世界@名無史さん:03/08/12 13:25

岡田英弘教授の本読んだけど、

貧しい農民が都市に流れ込んで人口が集中、
都市の貧民層増大、
食うか食えないかの生活で互助会が発達
互助会が秘密結社(地下組織)化
貧富の差が激しくなり貧民層の不満が爆発
秘密結社の武装化

大規模な叛乱

というところか。
小中学校の教科書では教えないことでびっくりだけど
こういうことをいう教科書が一冊もないってのは恐ろしいまでに多様性に乏しいってことなのか?

やっぱ日教組が悪いんかな?日教組って社民党系らしいし。

あいつら、「こんな教科書では教えない」っていって
教育委員会に教科書を「決めさせて」たそうだからな〜。

俺たちも
そろそろ大陸の歴史に関する「思い込み」を払拭しないといけないと思ったよ。
446世界@名無史さん:03/08/12 15:21
>>1
そのザハーロフの本は日本語で出てんの?
アマゾンで「ザハーロフ」って入力してみたけど出なかったよ〜。

黄巾の乱によって大陸に生じた政治的文化的空白によって
朝鮮半島と日本列島にどんな影響が生じたか、とても知りたい。
447世界@名無史さん:03/08/13 23:44
age
448@@@@@:03/08/14 01:51

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449世界@名無史さん:03/08/14 12:58
>>445
そりゃ単にまだ岡田教授の説が定説になっていないからだろう。
教科書が多様性に乏しいのは文部科学省の検定制度に文句を言ってくれ。

つーか、なんで唐突に日教組がでてくる?
「新しい(ry」でもその説は採用していなかったはず。
450世界@名無史さん:03/08/14 13:28
>>1-449
岡田さんの人口大激減説はオリジナルじゃなくて戦前からあるよ。
それへの反論(戸籍に漏れてるだけで見かけ上の減少にすぎないという説)は
たぶん宮崎市定が最初だろうけど、厳密に検証された説ではなく印象論にすぎなかった。
なので宮崎も本格的に「人口激減はなかったぁー!」と力説してたわけではない。
451世界@名無史さん:03/08/15 05:06
>450
じゃぁ、
このスレで「人口激減は無かったんだよヴォケ」って自慢げに言ってる者の立場は?
452山崎 渉:03/08/15 18:32
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
453世界@名無史さん:03/08/15 18:43
ザハーロフって学者は知らないなあ。ザハロフなら知ってますがね!
454世界@名無史さん:03/08/16 03:20
ザハロフで検索しても、著作の本は無いみたいですね。残念。
455世界@名無史さん:03/08/16 13:03
「イエロー・タイガー」と呼ばれ、4000万人殺した盗賊が中国にいたって本当?
ギネスブックに載ってた。
456455:03/08/16 13:13
「虐殺」の項目で、モンゴルによる漢民族虐殺、スターリンや毛沢東の粛清と共に載ってたの。
誰か知ってる人いない??
457世界@名無史さん:03/08/16 13:47
>456
質問する以前の問題。スレ違い。
458永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/16 22:35
>>455
明末の反乱軍の指導者張献忠のことでしょうか?
彼の仇名は「黄虎」で、しかも世界史上で最も不必要に人を殺しまくった人ですが。
459世界@名無史さん:03/08/16 22:55
張献忠なら井波律子著『酒池肉林―中国の贅沢三昧』にも載っていたね。
その本には史書の記述は明らかに大げさであると書いてあったが。
(彼が殺したとされる人数を合計すると蜀の人口を越えてしまうとか)
460世界@名無史さん:03/08/16 23:22
四川での大量虐殺は清がゲリラ殲滅のときに行なった可能性が高いしなぁ
461永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/08/16 23:22
>>459
張献忠がその殺人思想を示すために、
四川各地に立てたとされる七殺碑も実は後世の捏造だったことが分かっています。
火の無いところから煙は立ちませんので、人を組織的に殺しまくったのは事実でしょうが、
実際は4000万人も殺してないでしょうね。
462世界@名無史さん:03/08/17 14:48

岡田教授の本によると支那大陸のカルト集団は
「繁栄に取り残された貧民の異常心理」により
「終末思想に幻惑されて」猟奇的な大量殺人行為に酔うそうだ。

ならば黄巾の乱のとき
「抑制の効かないエンドレスな虐殺行為」があったことも想像できるよね。
463世界@名無史さん:03/08/17 17:33
>>462
岡田教授って誰?
岡田英弘ならそんなこと言ってなかったと思うけど。
464世界@名無史さん:03/08/17 19:45
太平天国の乱の時にも10年間で人口が4億3千万から2億5千万まで減少しているけど、
実際はどれくらい死んだんだろうか?
単純に計算すると2億人近く死んだということになるけど、そんなことが有り得るとは思え
ないし。
465世界@名無史さん:03/08/19 00:16
戸籍に漏れてることは多少は考慮に入れる必要はあると思う。
今だって農村部には戸籍の無い人がいる(一人っ子政策のせいだが)。
日本だって明治初期の戸籍はいい加減(泉重千代年齢詐称説もある)。
特に「白髪三千丈」の国だから、数字に絶対の信頼は置けないのでは。
466世界@名無史さん:03/08/19 00:22
あんな汚い国で戦乱になってその辺に死体ゴロゴロしてて
河川の保守出来ずに洪水になって病気が流行ったら、
人口が半減してもおかしくはないような気もする。
とにかく衛生観念が無に等しい国だから。
467世界@名無史さん:03/08/19 07:59
>466
それを言っちゃあ、どこの国だって最近までそんなものでは?
まあ、人口密度が高い分、疫病流行したら一発だろうね。
468世界@名無史さん:03/08/19 08:17
ま、中国の歴史書みりゃ500年生きてるおっさんがイパーイの時代なんだし、どうでもいいよ
469世界@名無史さん:03/08/19 18:30

慢性的に食糧不足で人食いの記録にも不足がない。
ヤクザまがいの権力闘争が当たり前のように起こっている。

なんでこんな所と国交結んだんだよ?
470世界@名無史さん:03/08/20 05:24

だれか教えてくれないかな?

日本のODAが始まってからの支那大陸の人口増加具合を。
471世界@名無史さん:03/08/20 17:52
ここは釣りの多いインターネットですね。
472世界@名無史さん:03/08/21 00:21
うーん、サピオ愛読者が多そうですね。もつかれさまです。
北畠親房『神皇正統記』でも読んでいた方がいいんじゃないかなぁ。
473世界@名無史さん:03/08/21 01:53
だんだん投げやりになってきましたね。(w
474世界@名無史さん:03/08/21 03:12
頭が悪いならムリに入ろうとしなくていいのにね
475世界@名無史さん:03/08/21 04:50

文革やった国だからな〜。

どんな形で同族大虐殺してたって漏れは驚かない。
476世界@名無史さん:03/08/23 22:38
日本>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>中国が500年と
いうのは間違っていないと思うが。
宋の経済力は明らかに日本より上だろうが、元以降は明を除きすべて外来政権。
元代は漢人は最下層に押し止められていたし、文化破壊と排外思想が激烈化。
明は中華思想のマイナス面がさらに加速された時代で、文化的にも目新しいもの
はない。 清に至っては印刷術から時計、航海術、造船、武器の作り方まで忘れ
ているし 祖先のために生贄を捧げるところまで原始水準に退化している。
おまけに満人の風習を中華文化だと勘違いして辮髪を死守したり。言論弾圧も酷
いね。 民国から中共の時代は日本占領地域以外は言わずもがな、無法地帯。

侮辱じゃなくて事実なんじゃないの?
事実が侮辱になってるだけで。
477世界@名無史さん:03/08/23 23:45
↑言いたいことはわからなくもないが擦れちがい。どっか逝けよ
478世界@名無史さん:03/08/24 06:17
欧州の場合、最初は地中海世界が中心であったが、
欧州半島北部の地域が国家体制を高度に整備して国力を上げた。(ヨーロッパ世界という概念もその後成立した)
結果権力の重心は北部に移った。

中国大陸ではそういう勢力が無かった。
だからいつまでたっても
あんななんだよ。
479世界@名無史さん:03/08/28 23:54
480世界@名無史さん:03/08/29 01:05
現在日本最高のシノロジストってだれだろう。
481世界@名無史さん:03/09/11 09:51
>>468
あんたのいう中国の歴史書って『神仙伝』ですか?(藁
中国正史で百年以上生きてる人間なんてほとんどいないぞ。

>>469
その慢性的に食糧不足な国から現在大量の食料品を輸入している国はどこですか?
セーフガードがどうとか言ってる国はどこですか?

>>476
>清に至っては印刷術から時計、航海術、造船、武器の作り方まで忘れているし

印刷術忘れてたんなら、蘇州の出版文化とかは幻だったんだろーな。(藁
故宮に所蔵されてる清代の装飾時計とかもすべて幻。(大藁
482世界@名無史さん:03/09/12 00:28
483世界@名無史さん:03/09/12 02:18
岡田は漢族が450万人以下になったときに一体どれくらいの異民族が流入したか言おうとしない。
漢語の変質などほかの説も一体どれくらいの変化なのか不明瞭。
484世界@名無史さん:03/09/12 07:06
しかし人口把握能力説派も、実際どの程度の人口の増減があったのかは言おうとしない。
485世界@名無史さん:03/09/13 02:11
岡田の本は怪しいよ。読者がどうにか大げさにとるように書いてある。
たとえば
「一説によると広東語はむしろ(北京語より)タイ語に近い。」
あくまで一説で信憑せいがどうなのかすら怪しい。
あと地理的に近ければそれだけ似た部分が出てくるのは当たり前。
「漢文は中国人の文化ではない。」
はどうにか読者に漢字は中国人の文化ではないという風に取らせるように書いてる。
今の日本人が古文丸暗記してないから文化が連続してないって言ってるようなもん。
「中国人は漢文を音読しても意味がわからない。」
「かき」が「柿」なのか「垣」なのか「牡蠣」なのかわからないから
文化が連続してないっていってるようなもん。
で、
「それが私の結論だ。」でさりげなく私説という逃げ場を作る。
あと中国人の悪習を語るときには何故か統一的に連続した文化を持った民族が現れる。
486世界@名無史さん:03/09/13 16:16
> 「中国人は漢文を音読しても意味がわからない。」
> 「かき」が「柿」なのか「垣」なのか「牡蠣」なのかわからないから
> 文化が連続してないっていってるようなもん。

これは違うだろ。
487世界@名無史さん:03/09/14 00:25
岡田英弘も、モンゴル・女真の研究では、それなりの評価受けてる人なのにねえ。
中国について言説を吐くと、どうもツッコミどころが多くなってしまう。
中国を知らないプチ反厨厨を喜ばせちゃうわけね。
488世界@名無史さん:03/09/14 02:26
>「一説によると広東語はむしろ(北京語より)タイ語に近い。」

岡田はそんなこといってないよ。タイ語に近いといってるのは楚語。

>>487
むしろモンゴルとか遊牧民の話でツッコミどころが多いといわれてると思うがな?
中国についての話はツッコめない。パラダイムがちがうから。
「そうかも、そうでないかも。わからない」としか誰にもいえない。

489世界@名無史さん:03/09/14 11:37
〉一説によると広東語はむしろ(北京語より)タイ語に近い。

たしかこの厄介な国中国で見ました。
490世界@名無史さん:03/09/14 20:42
人口が減った後魏が始めた屯田制について
募兵・投降兵に妻と土地を与えて耕作させた
というふうな記述を読んで、当時工房だった俺は
「妻を与えて」のところで異常に(;´Д`)ハァハァ・・・・・してしまい
配給された幼な妻に半ば無理やりあんなことこんなことをするのを
想像して数ヶ月間オカズにしました
491世界@名無史さん:03/09/14 21:22
>>490
でも配給品だぞ
492世界@名無史さん:03/09/14 21:26
>490
人として最低ですね
493怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/09/14 21:27
>>490
素晴らしい妄想力の持ち主ですね。
まあ現実は>>491の通り、どんなのが出てくるか分からない配給の上、
チェンジも多分出来なかっただろうから・・・。

ワタシは反乱軍に捕まってリンカーンされたと晋書に書いてあるユ皇后でハァハァ
494世界@名無史さん:03/09/14 21:32
配給でもいい
13〜16歳くらいのだったら
よっぽどひどいのじゃなければ全然OK
たまんねえたまんねえたまんねえ
495世界@名無史さん:03/09/14 21:36
>>492
若いということはそういうことでつ。

きれいどころは上で取り尽くされた残り物の
下層民向け配給品と一生連れ添っていくことをすら
オカズにできるのは中高生の特権だ。
496世界@名無史さん:03/09/14 21:59
俺「ねぇ・・・・・こっちおいでよ」
妻「・・・・・・・・・・」(隅で震えてる)
俺「おいでって!」(腕を引っ張る)
妻「きゃっ!やだ!・・・・・・・」
俺「いいじゃん、俺たち夫婦なんだよ?子作りするのも命令の内だよ」
妻「やだ!やめてよう!・・・・・・・・おかあさーん!」


(以下略)



確かに数ヶ月はいけるな
(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ハァハァ・・・・・・・・・・・・・・
497現実:03/09/14 22:09
妻「きたねー手でさわんじゃねーよ」
俺「・・・そんなこと言える顔かよ、この配給品が」
妻「うるせ、このドン百姓が!」
俺「なんだ!この売れ残り!」
妻「だまれ!この負け犬!」
498世界@名無史さん:03/09/14 22:18
何でこんなスレになってんだろ・・・・・・・・・・・・?
499世界@名無史さん:03/09/15 12:00
配給ハァハァあげ
500世界@名無史さん:03/09/15 12:03
五百月兎
501世界@名無史さん:03/09/15 17:13
まとめると、中国で人口が激減したのがほぼ確実な時期は、黄巾の乱と
永嘉の乱と考えてよい?
この時期に「原」漢民族はほぼ壊滅し、中原に侵入した遊牧民族が「原」
漢民族と混血、漢化され、現在の漢民族の原型となった…と考えていい
のでしょうか?

502世界@名無史さん:03/09/15 23:04
>>501
おいおいひどいまとめ方だな。
あえて今の段階でまとめるなら、二説併記で「分からない」としといたほうが無難だぞ。
まああんたが一方の説に加担するのは勝手だがな。

しかも両説とも、どの程度の人口の減少があったのか明言はしてないわけだし。
503世界@名無史さん:03/09/16 11:19
>「原」漢民族はほぼ壊滅

おいおい、南へ相当数移住しているんだけど。
504世界@名無史さん:03/09/16 23:39
そもそも漢人とか中国人とかいう人種は存在しない。
地域によって全然人種が違うし。
505世界@名無史さん:03/09/17 01:04
魏、呉、蜀の軍隊総動員数の合計が約100万人。
だとすると前漢の時代から人口は減ってないじゃん。
逆に微増しているかもしれないよ。
506怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/09/17 01:07
そりゃ実数はそんなに減ってないさ。
減ったのは「徴税や徴発が可能な、戸籍に載っていて実際に把握できる」人口。

え?その他の人間?
軍戸や荘園の従属民、屯田民ってとこスカ?
軍戸制度なので、把握できる人口と動員される兵士数は対応しない。
507世界@名無史さん:03/09/17 02:54
>そもそも漢人とか中国人とかいう人種は存在しない。

民族は存在するけどな。
508世界@名無史さん:03/09/20 20:33
いざとなったら人肉を食う
  大飢饉が幾度あろうが漢族は滅びなかった
  満州でも、匪賊が、人の胴体を釜茹でにして食っていた
509世界@名無史さん:03/09/20 20:52
>508

人食いの風習があったことは桑原ジツゾーの研究でも明らかだが、あれやっぱ特殊事例だったわけだよ。
そこのあたりが分かってない岡田ひでひろ厨は逝ってよし。つーか岡田氏の近刊本はどうしてああ雑な内容ですか。

>>501みたいなことを平気で書いているし。晋室南渡による南方開拓ってジツゾーの頃からいわれてるわけやないか・・

ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/3667.html(歴史上より観たる南支那の開発)位読んでおこうよ・・
510世界@名無史さん:03/09/20 21:39
桑原隲藏なんて古すぎないか?

開発と、異民族の同化は話が別。

食人が特殊事情なら子路が殺された時なんで孔子が肉の塩漬け捨てたんだ?
511世界@名無史さん:03/09/21 11:37
実際の人口は、戸籍の倍以上はあったと思う。
戦乱になると、地方が半独立化して中央が弱体化するから、
戸籍を把握するのは難しい。
魏は北部を統一したが、そんな強力な政権じゃない。
漢四百年の後だから必ずしも豪族は、成り上がりの魏を
無条件に支持したとも思えない。
曹操一人のカリスマでもってたような感じ。
だから戸籍隠しなんて余裕でやってたと思う。
実際の人口は一千万から二千万ぐらいかな。

512怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/09/21 11:57
「戸籍から離脱する民」の増加=(把握できるという意味での)人口減
は前漢代でもしばしば問題として言及されているよ。
戸籍に載っていて、かつ実際にそこに住んでいないと税・役を課すことが出来ないから、
政府にとっては戸籍から離脱した時点で「人口減」なのだろうね。
離脱した者の生死は必ずしも問題ではないよ。

ということで、実際の人口は分からないけど、
減少のほとんどが死亡なんてのはトンデモ論の域を出ないっしょ。
513世界@名無史さん:03/09/21 12:00
↑分からないのにトンデモだと分かるあなたは神
514世界@名無史さん:03/09/21 12:06
ようするに

1:戦乱で戦死・餓死・病死死・虐殺が非常に多くなった。
2:荘園への逃亡により戸籍への正確な登録が行われなくなった。
3:元々の戸籍人口に過ちがある。

こういった複合的な要素で、中央政府の把握する人民が減った、って
ことでしょ。
515世界@名無史さん:03/09/21 14:50
ドラえもん、タイムマシン出してよ!!
516世界@名無史さん:03/09/22 14:29

いや〜、虐殺で大量死という可能性も否定できないなぁ〜。
517世界@名無史さん:03/09/22 20:07
渡部昇一センセーはともかく、岡田英弘先生まで推薦してるよ。
勘弁してください・゚・(ノД`)・゚・
   ↓
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/katumi.html
518世界@名無史さん:03/09/22 20:12
岡田だって十二分にアレな人だからねぇ〜
519世界@名無史さん:03/09/22 22:25
推薦してんのか?
520怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/09/22 22:32
帯に推薦って書いてあるね。
521世界@名無史さん:03/09/24 06:55
清朝スレにつづく岡田信者VSアンチのバトルきぼん。
522世界@名無史さん:03/09/26 00:12

どんな本なのか興味出てきたぜ。
523世界@名無史さん:03/09/27 19:29
>>517
そのページもかなりアレだけど…。
524世界@名無史さん:03/10/07 16:44
なんか、必死になって書いてるね。517のリンク先。
客観的な歴史検証なら、もっと冷静な文体で書けばいいのにね。

まぁ、
支那人は「年間何百何十万人の同胞が死のうがほったらかし」の民族だからねぇ。
非戦闘員殺戮の記録保持者が毛沢東と決め付けるのはまだ早かろう。
525世界@名無史さん:03/10/07 23:12
>>524
それじゃ、君があの本を冷静かつ客観的に検証してみてくれ。
漏れには擁護どころか笑えてまともに読めん。
526世界@名無史さん:03/10/08 18:07
>>525
歴史検証=「日本自画自賛論」
冷静・客観的=「中国叩き」「朝鮮・韓国叩き」
感情的・必死=「中国・朝鮮を叩かない」

と解釈すれば少しもおかしくないぞ。


・・・とりあえず>524はもうすぐ

「別に517の本を擁護なんかしていませんが?何でそんなに必死なの?(w」

と逃げを打つに500ペリカ。
527世界@名無史さん:03/10/08 21:54


きみたち、日本人の物差しで虐殺人喰い大陸人を語ってはいけないよ。
528世界@名無史さん:03/10/08 22:00
>480
濱下武志
529世界@名無史さん:03/10/08 22:17
おかだのシナ本は大昔のシナ史学者の本からのつぎはぎが多いですね
まあ、あのジイサンにとっちゃシナ史なんぞ小遣い稼ぎの為の道具に過ぎないってことよ
530世界@名無史さん:03/10/11 19:08

結構面白いから知人に勧めてるよ、岡田教授の本。 
531世界@名無史さん:03/10/12 00:22
>>529
あほか。従来のシナ学者とはちがうことばかり言ってるから非難されてんだろうが。
ま、岡ちゃんのネタ元である桑原ジツゾー先生は、中国人学者から批判されていたけどね。
あの先生は偉かったよ。食人や盗賊と言った暗部に関してきちんと取り上げた最初の学者だったはずだ。
あれ以来、結構中国人が自国の暗部に目を向けるようになったわけだしな。
二番煎じの岡ちゃんは話題に上らんな。だって内容が元ネタより薄いんだもの。人口激減の件でもそうでつよ。
ジツゾー先生は南方へ移住した人々も勘定に入れているが、岡ちゃんは無視(原資料では南方移住は腐るほど実例が有るのに)。
ウヨ坊やは岡ちゃんどまりでジツゾーや高島俊男を読まないから、
いかんのだよな。
533世界@名無史さん:03/10/12 22:55
実人口減説を取るとさ〜。
三国時代に魏・呉・蜀合わせて八〇〇万まで減ってたのが
西晋になったとたんに一六〇〇万ってのが説明つかないんじゃない?
一世代で倍にはならんしょ。
534世界@名無史さん:03/10/17 00:10
535世界@名無史さん:03/10/31 01:25
536世界@名無史さん:03/11/02 00:50

人口倍増の奇跡は、日帝36年の施政によるもの以外に存在せぬ。
537世界@名無史さん:03/11/02 10:17
日本もこれから人口どんどん減っていくらしいな…
少子高齢化…(⊃Д⊂)ィャダー
538世界@名無史さん:03/11/02 10:23
戦前は増えすぎ
539世界@名無史さん:03/11/02 22:56
アフリカ・インドはこれからどうなるんだろう?
540世界@名無史さん:03/11/04 01:39
今、人口爆発してるところ&人口増加傾向にあるところは、
イスラム圏、アフリカ、インド、東南アジア、中南米、韓国、アメリカ合衆国内部のヒスパニック系など。

人口減少&少子高齢化、無孫化しているところは
ヨーロッパ、ロシア、日本、台湾、アメリカ合衆国内部の白人など。

ヨーロッパはイスラム教徒に、英国はインド人に、ロシアは中央アジアと中国人に、
日本と台湾は大陸の中国人に、米国とスペインは中南米ヒスパニックに、
それぞれ乗っ取られつつある。
541世界@名無史さん:03/11/04 22:04
「支那人をよく了解するためには、表裏二面より彼らを観察する必要がある。」
by桑原じつぞう

*表=詩文や絵画等
 裏=食人肉などの暗黒面

ところで「歴史上より観たる南北支那」って
華北分離工作とかしてた人達は読んでたのかな
542世界@名無史さん:03/11/05 00:55
【他板の三戦スレを探索するスレ】
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1060612490/l50
タイトルどうり他板の三戦スレを探索してくれ。ただし自分でスレ
立てすることは絶対にやめるようにお願いします

●各板に散らばる三戦的なスレをつなぐ極めて重要なスレ
543543:03/11/09 00:23
後漢時代の人口変遷をまとめた
http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column10.html
を見ると、一応資料の上での人口変遷傾向が見れる(資料としての信憑性は
ともかく)。 これまでのスレでは後漢末〜三国時代の人口が論議されて
いたが、前漢末ー後漢初についてはどうなのでしょう。
一応57年に2000万程度で、前漢末の6千万の3/1だが、出典を忘れてしまったが
(多分後漢書)に、赤眉の乱で1/2に、更に統一戦争の過程で1/2になった
という記載があり、すると、赤眉で3000万、統一戦争で1500万に減り、
36年の統一後の20年で500万程度回復した、ということで、36年当時の
1500万程度はありえた数値だという気もします。これも戸籍把握力の問題
と言えなくもないので、続いて後漢のその後の人口増加を追って行くと、
75年に3400万、88年に4300万となり、漸次把握人口が増加したというよりも、
人口が増加したという感じがします(最大1500→3000万を政府安定による戸籍
把握による増加だったとしても、3400->4300は人口増なのでは
ないでしょうか。当然その時点でも把握できていない人口はあったものと思います。)
こう考えて来ると、豪族による囲い込み傾向は後漢末の方がより進展
していたとしても、ある程度の人口減はあったものと思います。
後漢初では少なくとも3000万程度には減少していたのでは
ないでしょうか? 
544543:03/11/09 00:24
 次に後漢時代の状況ですが、105年の5300万を一つのピークとして
人口は4000万代で40年間程推移し、同時に戸数あたりの人口も減っていますが
これは安帝時代の異民族の反乱や、天災による人口減を物語っているの
ではないでしょうか? 流民化の場合世帯数も減少すると思われますが、
40年間で世帯数は増えています。これは兵士として徴収された人民の
戦争による死亡や災害による死亡を意味し、世帯構成員の減少は
生活感覚としては苦しくなる一方であり、この状況がやがて黄巾の乱へと
向かう社会不安の根底にあったのではないでしょうか?
そこで思うのは戦乱時代は秩序だって行われる時代とまったく混乱した時代
とは分けて考えるべきかと思うのです。後漢末の人口減は、極端に減少したの
は200年頃までで(飢餓、病気、殺戮)、その後は秩序立った先頭による微減、
もしくは、社会安定化による微増だった(どちらの可能性もあり、全体として
増えたか減ったかはわからないが)という可能性もあるのではないでしょうか。
ないでしょうか。
545世界@名無史さん:03/11/09 10:57
後漢末期〜三国時代というのは一般庶民にとっては最悪の時代だったということだね。
こういうことは演義しか読んでない連中にはわからんだろうなあ。
546世界@名無史さん:03/11/10 22:42
>こういうことは演義しか読んでない連中にはわからんだろうなあ。

・・・君は歴史学のなんたるかを知らないな。人口の話は、正史三国志でもごく一部にしか出てこない
話。正史だ演義だ武将カコイイ!!とほざいているようなレベルの人には、どっちにしてもわからないだろうと思うが?

ところで、皇甫謐『帝王世紀』って知ってる?
547世界@名無史さん:03/11/23 23:59
漢代の記録に(人数は正しかったのかな)
548世界@名無史さん:03/11/24 00:17
中世になるとどこの国も住人にとっては苦しいものだな。
人口暗黒時代だし。
549世界@名無史さん:03/11/24 00:42
全部が死亡というのも言い過ぎだとは思うが
人口増減が相当激しかったのは事実じゃないか?

人口の5%が餓死した文革期がどんなヒドイ時代だったかを考えると
以前の中国の混乱ってどんなものだったか・・・ガクガク(((゚Д゚)))ブルブル
550世界@名無史さん:03/11/24 02:06
ちん=まさる・ご=ひろしの乱の後も減ったの?
551怨霊 ◆NRtIkON8C2 :03/11/24 02:16
>>550
陳平が封建された曲逆が、乱の前は30000戸だったのに
乱後は5000戸まで減ったという記述があるよ。
ただ、「亡匿多く」となってて、
捕捉できなくなっただけで死亡による減は少なかったという認識みたいだけどね。
552世界@名無史さん:03/11/24 11:12
しかしあれだ、わざわざ「曲逆」なんて名前のところに封ずるなんて
劉邦もかなーりイヤミだよな


スレ違いsage
553世界@名無史さん:03/11/24 12:54
>>549
「大躍進」の間違いじゃねーの?
554世界@名無史さん:03/12/04 21:16
あと天災だけでも、
唐山大地震の時だけで百万人以上死んだくらいだからな・・・
黄河の決壊もすごいけどな。
555世界@名無史さん:03/12/12 21:56
556世界@名無史さん:03/12/23 15:16
>>423
中国中世史の研究で知られる日野開三郎氏も戸籍による人口把握率は安定期は5割、動乱期で3割以下と唱えていたな。
日野氏は
悪徳役人…人口を少なく見積もって税収の余りを自分が戴くため
善良役人…人口をきちんと申告すると深刻な臨時徴収で住民生活が破壊される
(ちなみに唐末には年間に300件もの臨時徴収の命令が届いた年もあった)
従って、きちんと人口調査をしようとした役人はその両方の妨害で失敗したらしい。
557世界@名無史さん:03/12/23 16:03
>>1
え・・・・
ほんとなの?それ。
欧州人の南米侵略時に南米の人口が半減したらしいけど、
比率としてはそれよりさらにひどい。

信じられん。
558世界@名無史さん:03/12/23 16:36
>>557
1だけ読んでレスつけるなよ・・・・┐(´ー`)┌
559世界@名無史さん:04/01/02 11:05
 
560世界@名無史さん:04/01/02 11:07
結論はシナ人が死んで蛮族が入ってきた。
したがって世界で文明を持つ国は日本だけとなったということだな。
561世界@名無史さん:04/01/02 11:07
じゃあ今まで中国人が激減してなかったら。
 今 の 中 国 は ど う な っ て た ん だ ?
562世界@名無史さん:04/01/02 11:08
>>557
原住民なんか人として認識してないだろ。
動物扱いなんだから問題ない。
563世界@名無史さん:04/01/02 11:09
>>548
世界史に燦然と輝く日本はルイス・フロイスが褒め称える
黄金の国ジパング。
564世界@名無史さん:04/01/02 11:23
>>533
>三国時代に魏・呉・蜀合わせて八〇〇万

これが本当だとすると、当時の日本は500万程度
けっこう大国だったわけですね。
565世界@名無史さん:04/01/02 13:28
>>563
そりゃ自分の受け持っている地域を、イエズス会本部になるべく良いように報告するのは当然だろ。
566世界@名無史さん:04/01/03 00:47
>>565
営業報告なのかねえw
567世界@名無史さん:04/01/03 02:15
>もしこれらが本当であるとしたら
>往時はホロコーストやロシア革命以上に戦々恐々とした時代で
>あったという、「三国志」などからは到底垣間見ることのできな
>い非情で陰惨な一面を持っていたことになります。

リアル蒼天航路だな
日本人に生まれてよかった
568世界@名無史さん:04/01/03 10:12
569世界@名無史さん:04/02/02 09:16
570世界@名無史さん:04/02/19 22:54
太平天国の乱の時は、
欧米のジャーナリストによる
大量の死体の目撃談があるので
571世界@名無史さん:04/02/20 00:19
>>570
>太平天国の乱

死者4000万だってさ。太平天国の首都南京では大虐殺があって
軍民問わず皆殺しにされたそうだ。
でもこの人口の激減(およそ10%の減少)で
生き残った人間は土地を持てて豊かになったそうだ
で、清朝もしばし延命につながることになる。
572世界@名無史さん:04/02/20 00:33
>>571
島原の乱も農民は皆殺しになったらしいな。日本史だけど。
573世界@名無史さん:04/02/20 16:19
大激減に伴うような、社会の変化がないことが不思議
実際には1割〜2割減ぐらいじゃないのかねぇ
574世界@名無史さん:04/02/20 16:45
>>573
黄巾の乱の話なら、社会に思いっきり変化が出たけど知らんのか?
575世界@名無史さん:04/02/20 23:03
黄巾、後漢末の惨劇のおかげで異民族進入を招いたんだろう?
社会的影響でてるじゃん。

漏れは人口2割減ですら誇張だと思うけどね・・・
576世界@名無史さん:04/02/22 05:30
>>573
社会の変化どころか
言語の存続すら危うかったのだが・・・
人種すら入れ替わったって話があるくらいだし


正確な数字は判明しないけど
当時の各勢力の動きを観てみるのも参考になると思う。

この時代の戦争の特色として人間の奪い合いが一つの焦点になっているように思える。
漢中争奪戦はもろにそれだし、荊州が争いの焦点になったのだって、戦乱を避けて集まってきた人間の確保が大きな要因になってる。
また異民族を積極的に攻撃して捕まえてきて、自分の勢力に加えるなんて他の時代に起きてるのだろうか?

なんだかんだいって、当時は住民の確保にそこまで必死にならないといけない程人口が減ってたのは確かじゃないかと
その網に引っかからない住民がそんなにいたとは思えないし・・・
577世界@名無史さん:04/02/22 18:16
流民はスルー?
578世界@名無史さん:04/02/22 19:38
>>577
??
人が少ないってのに、流民を放置しておく勢力があるのか?

ってそういう意味だよね?
579世界@名無史さん:04/02/22 22:06
流民はね、まず大方が豪族の所に消えていったのよ。
流民だって食いたいし、人買い・夜盗に捕まりたくも無い。
となれば、豪族の農奴やら奴隷同然の私兵やらでもいいからと豪族の傘下に入る。
軍閥にしろ国家にしろ、公権力は大体の場合遅れて対応することになるから、
流民の吸収・救済といってもたかが知れてる。
しかも、豪族の農奴の方が徭役や軍役無いときた。
これじゃ公権力の側が元の戸籍に戻れといっても戻らないよ。
もちろん豪族も手放さない。

となれば、公権力の側は残っている流民を豪族がしているのと同じ流儀で吸収するしかないし、
(これが屯田民)
公権力の勢力を拡大しようと思っても異民族や敵国の民しか残っていない訳だ。

そりゃ沢山死んだだろうが、戸籍の人数の減少分だけ死亡したなんてことは無いよ。
ここでも何度も言われているように、ほとんどは戸籍から抜けて戻ってこないってこと。
増えたのは戸籍に再登録できた、って言う意味。
580世界@名無史さん:04/02/22 22:25
当時の豪族ってそんなに力持ってたの?
政府も手を出せなかった?
581世界@名無史さん:04/02/22 22:49
>>580
「ちわー政府でーす。ここに流民逃げてない?」
「ここにいるのは俺が私有している奴婢ですが、何か?流民だって証拠は?」
「つーてもいきなりこんなに増えるの変だろ?」
「俺の私有財産奪う暴君には付き合ってラレネ。反乱しる!」
→元流民の農奴はそのまま私兵に早変わり。
「分かった分かった。大人しくしてくれたらおまいの農奴とか土地とか認めてやっから」
「よし。反乱やめた。俺、金で家庭教師付けて勉強した。国政にも参加させろ!」
「仕方ねーな。ちょうどこっちも軍とか弱いし。その私兵を率いて将軍になれ」
「分かった」
→君主は豪族の私兵を軍隊に編入し、豪族も土地、農奴、私兵を安堵される。
582世界@名無史さん:04/02/22 22:57
続き。

で、この方法で混乱を終息させていくと、
黄巾以降に豪族が吸収した元流民は国家の支配下には戻らないわけだ。

豪族になかなか手を出せないのはある意味当然で、
当時の官僚ってのは豪族層が地盤。
はっきり言ってジサクジエン状態。多少強い力を持ってても、
本気で豪族と対抗する奇特なヤツはそんなに居ない。
自分も豪族みたいなもんなんだから。
583世界@名無史さん:04/02/22 23:28
となると統一が進んでいくにしたがってまじめに国家の再建を考えている人間は淘汰されていく運命にあるわけだな…
荀ケが死んだのはある意味定めだったのかも
584世界@名無史さん:04/02/22 23:47
>>583
実のところ荀ケは豪族系の官僚の典型例なわけだが、
確かにまともに漢のような中小自立農民から徴兵し、徴税する体制に
戻そうなんて考えるヤツはこの時代では時代錯誤。

大体魏なんてのも「当時最大の私兵集団」。
魏王国自体が袁紹から曹操が奪って受け継いだ半私有地で、
屯田民ってのは事実上曹操の私有民、青州兵は曹操の私兵。
曹操は豪族と同じやり方を国家レベルで大々的に成功させたからこそ最大勢力になった。

減った人口がほとんど「死亡」したのだったら、
これ以降の時代に豪族・貴族が隆盛する理由がわからない。
豪族が幅を利かせるためには経済力の基盤になる労働力が必要なんだからさ。
その労働力はどこからきた?ってことになる。
この動乱の時代にしたたかに力を付けていたと考えないとツジツマ合わないでショ?
てことは当時の民の多くは死んだんじゃなくて豪族に吸収されていった、が正解。
585世界@名無史さん:04/02/23 01:29
>>584
孔明が魏に使えなかった理由が分かる気がする
彼にしてみれば諸悪の根源は魏の利権団体だったわけだw
なんか魏って自民党みたいな位置にいるのな
だからあえて野党の劉備の所に走ったと…
で中から変えようとした荀ケは逆にそれらの利権団体に潰されたんだね

何時の時代も実権握ってるのはそういう輩だったりするのね
そしてそれを覆そうとして頑張る人達が出てきても絶対に失敗してる
唯一の成功例が共産主義??
なんか欝だ・・・
586世界@名無史さん:04/02/23 21:07
豪族だって将軍になったりして政府に承認されてるわけで
結局版籍(領土と人口)は把握される。謀叛独立の勢力ではないのだから。
それに「豪族が隆盛」とかいうけど、中央政府が事実上ないも同然で
地方が生きるためにやむなく有力者がとりまとめていたのが事実だろう。
587世界@名無史さん:04/02/24 03:32
いつから漢王朝の話になったんだ・・・
それって後漢末期のまだそこそこ平和な時の話だろ
誰もが生き残る事に必死でどこにつくのがいいか迷ってる時に、そんな強気な豪族がどこに居る?
それに統計取ってたのはあくまで君の言うところの「当時最大の私兵集団」である魏じゃないの?
588世界@名無史さん:04/02/24 15:23
岡田のように、ほとんど死に絶えたようなことを言うのは、電波だが
せいぜい、減少数は1-2割程度とかいう奴も同じぐらい電波だな。

たいていの学者は半減-1/3程度と推計してる。

黄河中下流域(現在の河南省)は、後漢期に最大人口を誇ったが
以降の歴史でもそうだが、この地域は、一部の支流域を除いて
ある程度の、中央集権国家による管理がないと、農業が行えない。
後漢末の戦乱の中で、この地域にいた人はほとんどが死に絶えて
いるはず。徒歩しか手段がない当時全部が全部、ほかの地域に
移動できるわけではない。
589世界@名無史さん:04/02/24 15:45
>>588
それは黄河の氾濫記録やら農業衰退やらの証拠となる資料が無い限り電波受信
590世界@名無史さん:04/02/24 15:54
        / / }
           _/ノ.. /、
           /  <   }
      ry、     {k_ _/`;,  ノノ パンパン
    / / }      ;'     `i、 
   _/ノ../、   _/ 入/ /   `ヽ, ノノ
  / r;ァ  }''i" ̄.   ̄r'_ノ"'ヽ.i   ) ―☆
 {k_ _/,,.'  ;.  :.      l、  ノ  
    \ `  、  ,i.    .:, :, ' / / \
     ,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,/   ☆
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このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
591世界@名無史さん:04/02/24 16:23
>>584
流民化した際の乳幼児死亡率の激増を無視するとはさすが
592世界@名無史さん:04/02/24 17:53
・・・・・と正史のダイジェストすら読んだことないくせに
知ったかぶって口を挟みたがる>>589は申しております。



593世界@名無史さん:04/02/25 02:17
そだね。電波呼ばわりすること自体、まともに読んでないんだろうなぁ。
594世界@名無史さん:04/02/29 11:07
>>586.587
俺は584の意見に賛成。
むしろ乱世で豪族の勢力は拡大した思う。
この時代は後漢時代に力をつけた豪族が反乱起こしまくってたし、
魏、呉、蜀が国政をするに当たって豪族達の協力は不可欠だった。
乱世の結果、豪族達の独立心は強くなってるわけで、
もし中央政権が豪族の反発を招くようなことをしたら、
すぐに反乱が起こるだろうし、
だから戸籍隠してても中央政権はそれに対して何も言えない。

戸籍調査は豪族達から私兵、奴婢をといった財産を取り上げる
死活問題だから、もし強引な戸籍調査をしようものなら
豪族達の協力は得られない上、
有力豪族が参加する大反乱が起こるよ。
そもそも国政は豪族達が行ってたわけだから、
豪族の利益を損ねるような政策はありえない。
595世界@名無史さん:04/03/01 01:04
>>594
だれも豪族の勢力拡大を否定していないんだけど?
584は人口の激減を否定しているんで叩かれているのに…。
話を理解できていないのか、意図的に話を反らそうとしているのかのどちらかで、
どっちにしてもお前はバカって結論になるんだけど。
596世界@名無史さん:04/03/01 02:53
当時の中国は兵糧の確保も出来ない程農業が衰退していた訳だが・・・
もし>>584の言うように豪族が民を抱えているのなら、彼らは兵糧を供出しないのだろうか?
それに人口の絶対量が減ってないのなら、他国の民や異民族を拉致してまで人口増やそうとするのだろうか??

>>67をみてほしい。
もし本当に人口がそんなに減ってなく、豪族が民を確保してたのなら、このような台詞がでてくるのだろうか…。
民が私有民となって税が取れなくて問題だみたいな報告になるんじゃなかろうか。
豪族の民の私有化で戸籍上の人口が減ったと主張するのなら、その辺の資料が必要かと思う。
597世界@名無史さん:04/03/01 14:08
>>595
確かによく読めば584は573、575で人口の激減を否定している。
その点は悪かったが、
579.581.582.584の豪族に関する考察はなかなか鋭いと思う。
ただ俺も人口激減はあったと思うが、
588と同意見で半減あるいは三分の一程度だと思ってる。
で、戸籍に載ってない中で多数の人が豪族の私兵なり、
奴婢になったのだと推察する。
もちろん流民や国家権力の関知しない未開の地に隠れた人もいるだろうが。

>>596
67の資料の数字をそのまま信じるにはちょっと無理がある。
あまりにも少なすぎる。
乱世時の人口統計が不自然なまでに極端に減るのは中国では
安史の乱などにもみられるので、もちろん人口は激減しただろうし、
農業が衰退したのも事実だろうが、
その数字をそのまま信用するのは厳しい。

確かに資料が必要だが、豪族の民の私有化は説得力のある説だと思ってる。
なぜなら三国時代以降、豪族が貴族になり強い力を持つが、
これには何かわけがあるはず。
乱世に便乗して豪族が貴族の時代といわれる程強い力をもつように
なった原因の一つに、豪族の民の私有化はありだと思う。
奴婢や私兵はこの時代以前にも存在してたわけで、
それが拡大したと思えばいいのでは?

598世界@名無史さん:04/03/01 19:30
久しぶりにきてみたら、ずいぶん進んでるなぁ

十分の一なのか半減なのかその間なのか、という議論なら
まぁ専門家の皆さんにおまかせしますよ。

以前は「そもそも減ってない」って奴がいたから
漏れもムキになってたけど。
599世界@名無史さん:04/03/01 20:16
光栄の三国志シリーズも
人口の激減をゲームシステムに取り入れると面白いかもな。
189からスタートして、大規模な内乱が発生
あちこちで食糧不足でガンガン人が死んでいく。


600世界@名無史さん:04/03/01 20:21
講談社から刊行された「中国4000年 弱肉強食の法則」と言う本が
本屋歴史のコーナーに平積みになっていた。

読んでみたら食人に残酷処刑のオンパレード、頭痛くなってきた。
支那の人口が一億超えたのは清の時代なんだな
601世界@名無史さん:04/03/01 20:49
金魚なんて「人口は増えた」って主張してたからなぁ
602世界@名無史さん:04/03/01 22:20
俺の書き込みから活性化して嬉しい限りだ。あ、俺は579等なんだがね。
但し、573と575は俺じゃない。

見直してみると、死亡による減少を過少にとらえていた感はあったかもしれないが、
少なくともこのスレの出発点である「ほとんど死滅した」は違うだろうというのは変わらん。
根拠を提示できる訳ではないが、588の言う半減から3分の1がいいとこだと思う。
半減でも相当なもんだと思うがな。
603世界@名無史さん:04/03/02 03:09
>>601
金魚ってむちゃくちゃへんな電波野郎がいたな。
なつかしーなぁ
あいつのおかげで盛り上がったけど
不毛な盛り上がりだったような気もちらほらと・・・・・
604世界@名無史さん:04/03/02 05:02
根拠がまるで無いのに、半減とかどうして言えるんだろうね。しかも、半減と3分の1じゃずいぶん違う。
頭の中の想像だけで、なんで資料の数字を否定できるのだろう? 
主張するなら、少なくとも反証っぽい資料があるよ、くらいは言って欲しいのだが。
605世界@名無史さん:04/03/02 07:27
>>604
あなたの説ではどれぐらい減ったん?もしくは増減なし説?むしろ増えた説?

・・・・根拠つきでどうぞ
606世界@名無史さん:04/03/02 10:48
>>604
今までの議論の経過からみて数字をそのまま信じるのも
どうかと思うぞ。
 
607世界@名無史さん:04/03/02 19:30
別に半減した、3分の1になったって主張したいわけじゃないだろ
ただ資料の数字はどうも信じられないって言いたいだけで
その辺の根拠は過去ログに出てたと思うぞ、確か…
608世界@名無史さん:04/03/02 22:26
つまりこれといった推測はできない・不可知論という立場ですか?
609世界@名無史さん:04/03/02 22:41
>604

こいつは頭が悪いのか?
610世界@名無史さん:04/03/02 22:46
>604

半減と1/3程度なら 50%と33%だから
17%しか誤差がありませんが?

それを言ったら1割〜2割という主張だって
10%の誤差を認めてるわけじゃん。
604は引き算も出来ないのだろうか?
611608:04/03/03 03:20
>>607
これといった推測はできない・不可知論という立場ですか?

つまり増えたか減ったか増減ともに無しかの議論には中立ということ?
612世界@名無史さん:04/03/03 09:06
>>610
ずいぶん苦しい突っ込みだな。引き算の問題じゃないだろ。604の主張は、資料の裏づけを出してくれということだろ。
613世界@名無史さん:04/03/03 10:22
>>612
604の主張は資料の数字をそのまま無批判に信じろということでしょ?
けど、近現代以前で正確な人口調査なんて不可能、
だから戸籍の資料は目安にすぎない。
反証っぽい資料は今まで読めば普通に出てくる。
安史の乱後3年で戸数が4分の1に減った。
晋や後漢が統一したとたん戸数倍増。
清が税制改革する途端人口急増。
他にも例があるかもしれないが、具体的な数字は前読めば出てくるはず。
当時の戸籍数は政治情勢の影響が大きく、実際の人口を正確に
反映してるとも思えない。

上の資料を参考にすると
乱世になると異常に人口が減り、統一されると異常に人口が増えるので、
実人口はそこまで減ってないのではないかと思われるわけ。
これは過去ログ読めばわかることなんだけどね。
 604が資料の数字が正確であるというなら、
その根拠と戸籍資料の不自然な増減が妥当だということを
説明してもらわないとね。



614世界@名無史さん:04/03/04 04:00
>乱世になると異常に人口が減り、統一されると異常に人口が増えるので、

そんなの当たり前だろ?何がおかしいんだ?

乱世になれば戦争・飢饉・疫病・流民の発生で戦死のみならず
病死や事故死の率だって高まるし、統一されると治安が改善されて
経済も安定して、安心してばんばん子供生める環境になる。
615世界@名無史さん:04/03/04 18:00
>614

カーブが極端すぎるってことを言いたいのだと思われる。
減るほうのカーブが極端になるのは、可能性としてありえるが
増えるほうのカーブの極端さは、当時の乳幼児死亡率とか考えると
信じがたいものになる
616世界@名無史さん:04/03/04 18:05
ブックファースト神田店の三須さん、かわいい。
617世界@名無史さん:04/03/04 18:26
<<614
いちいち一部分だけ取り出して批判するな。



618世界@名無史さん:04/03/04 19:47
しかし日本の江戸時代は、大平の世ながら全然人口が増えなかったよな。
飢饉や間引きのせいだろうが。
619世界@名無史さん:04/03/04 21:56
江戸・大坂といった大都市が蟻地獄のように余剰人口を吸収していたからでは
流れてきた人たちの大半は結婚もできずに、老いていったそうで…
620世界@名無史さん:04/03/05 03:57
岩波講座の『日本通史』で江戸初期の人口の見積もりがやたら大きすぎるのではないか、とあった。
通説2000万、そこでの説800万
621世界@名無史さん:04/03/05 11:39
>>620
そうすると江戸期の人口増加率が過大になるとかで誰かが批判してたようなきが。
3000万という説もある。結局1500〜2000万くらいなのではないか。
>>618
いやいや、増えてるよw
622世界@名無史さん:04/03/05 11:59
623世界@名無史さん:04/03/05 16:24
>618

2.5倍以上に増えていますが何か?
624世界@名無史さん:04/03/05 16:43
1.3倍から5倍に増えていると
625世界@名無史さん:04/03/09 13:37
>>618
「江戸中期から後期にかけて」と言えばよかったのに…。
626世界@名無史さん:04/03/14 03:03
現代でも人口は不正確なことがある。インドは人口統計を低く報告しているらしい。
中国は大目に報告しているらしい。インドでは人口過剰を恥じている側面があり、中国は誇りにしているからだそうな。
なので実際のとこ、インド13億、中国12.5億という説もあるそうな。
といっても50%とか66 %というほど大きな偏差の話じゃないが。
627世界@名無史さん:04/03/14 07:29
>中国は誇りにしているからだそうな。
そうだろうか。
一人っ子政策は多すぎると思っているからじゃないのか。
それから中国は14億じゃなかったっけ?
628あやめ:04/03/14 10:17
だいぶ以前に中共の省別人口統計リストを見たことがありますが、省に
よって数値が何十何人と細かく出してるところばかりではなく、何万人
または何千人とか大雑把な単位でキッチリ切って報告してるとこもあり、
しかもそれを構わずに合計して全国の人口を何十何人で計上してました。
現在はどうなんだか?
ある人の話では戦前は一応中華民国は国民党による統一国家の形には
なっていても、旧軍閥を始め地方勢力の割拠体制の実態は変わらず、
全国的な人口調査なんか事実上不可能であった。そこで政府は年間の
塩の市場流通量を基礎にして、国民一人当たりの塩の年間消費量の
平均値で除した商を求め、これを人口の蓋然値として発表していたと
聞いたことがあります。
これもイスラム中世史の某先生に伺った話ですが、バグダードなどの
ある時点での人口を推定するのには、当時の史料から判明している
ハマム(浴場)の数に、通常一つの浴場における常連の浴客男子の数を
乗じ、これを2倍して女子を併せた数値を都市人口と推定する、という
方法を研究者は行ったいるんだそうです。しかし浴場あたりの浴客数が
見解が分かれてるとのこと。
629世界@名無史さん:04/03/14 10:17
金魚、帰って来い
630世界@名無史さん:04/03/14 11:45
>>628
そりゃ民国時代の統治状況はそんなもんでしょう。今はかなり厳密に
調査されてますよ。
631世界@名無史さん:04/03/14 16:34
しかし今はいわゆる一人っ子政策をはばかって
戸籍登録しない子供がいるそうです。
632あやめ:04/03/14 16:43
それは人口控制政策の徹底のため当然のこととして厳密に調査してるでしょう。
ただ共産政権になり四人幇の混乱も収拾された時代のこととして、人口統計の
単位が一様でなかった点を指摘したのです。民国時代の話じゃありません。
でもって今回ネットで「中国」&「人口」のキーワドで検索してみた結果では、
何十何人で数値を示してるサイトは発見できませんでした。全て万人単位で
人口を挙げています。何か首を傾げてしまいます。
633あやめ:04/03/14 17:02
「後漢書」の「郡國志」には郡ごとに戸口を挙げていて、その数値も
何十何人と精細です。いかにもリアルな感じがして信用してしまいたく
なりますが、少し立ち入って一戸あたりの口数をチェックしてみると
かなりなばらつきが見られます。都市が集中してるとか色んな要素を
加味しても、納得のいかないケースが屡しば存在するみたいで理解に
苦しみます。
634世界@名無史さん:04/03/14 17:16
>>632
だからあんたがそれ見たのはだいぶ前なんでしょ?現在はどうなのかって言うから
「今は」厳密に調査してるって言ったんですけどね。
635あやめ:04/03/14 17:19
「民国時代の統治状況」を持出したので、そんな時代と比較してるのじゃ
ありませんと注意を喚起したまでです。
636世界@名無史さん:04/03/14 17:53
>>635
だからそんなことは言わなくても皆分かってますよ。で、
>>でもって今回ネットで「中国」&「人口」のキーワドで検索してみた結果では、
>>何十何人で数値を示してるサイトは発見できませんでした。全て万人単位で
>>人口を挙げています。何か首を傾げてしまいます。
これについてですが、確かに最近まで中国の国勢調査は、国民が不法移民や一人っ子以外の
子供の数は正しく答えられることなく、プライベートな質問は嫌われている事情
もあって精度が低いことで有名でしたが、当局の様々な努力によって2000年からはかなり
正確になっています。
637世界@名無史さん:04/03/14 18:16
ほんとにあやめなのか? あんまりにもバカすぎるが…
638世界@名無史さん:04/03/14 19:43
>>636
>当局の様々な努力によって2000年からはかなり 正確になっています。

そうなの?
その様々な努力って何?
639世界@名無史さん:04/03/15 14:51
一人っ子政策とってるのになんで、人口が増えるんだろ。
640世界@名無史さん:04/03/15 22:09
死亡率が低ければ増えるんじゃ?
たぶん、そういう理由じゃないんだろうが

ところで人口が十分の一になる用な目に会った上、実際に人的資源を大量に失って
文明って維持できるもんなんだろうか?
641世界@名無史さん:04/03/15 23:59
過去に人口抑制政策を採って実際に人口増加が止まったのは日本だけらしい
そんな深く考えなくても国の発展期には放っておけば増えるものなんじゃないのかな
642世界@名無史さん:04/03/16 00:13
>641

日本がいつ人口抑制政策をとったのか・・・
君はバカですか?


643世界@名無史さん:04/03/16 00:18
人の事馬鹿言う前にしらべろ
1950年代に人口抑制キャンペーンで
50年 1000人あたり28.1人から
58年 1000人あたり18.0人になってるわ
644世界@名無史さん:04/03/16 00:20
>>640
銀河帝国なら可能だろ。
>>639
一人っ子政策は内容が内容だけに徹底していないし、最近になって当局も
見直しをはじめてるからね。
645世界@名無史さん:04/03/16 00:22
>>643
いや、だからそんな数値は「日本が人口抑制策をとった」ことの証拠にはならないの。
その人口抑制キャンペーンとやらのソースを出してもらいたいものだ。
646世界@名無史さん:04/03/16 00:40
>645
ざっと検索して見つかったページ
http://www.bioethics.jp/lichtseminar_10-j.html
これ以上詳しく知りたかったら勝手にオフラインで調べてくれ
647世界@名無史さん:04/03/16 00:51
人口と食糧生産量には相関関係がある。
よって、生産量がわかればよい。
648世界@名無史さん:04/03/16 01:15
>>641-643
>>645,646

(・∀・)ニヤニヤ
649世界@名無史さん:04/03/16 01:16
>>648
ププッ
650世界@名無史さん:04/03/16 01:23
中国人の食のバラエティーの豊富さは、こういう時代を乗り越えて培われていったんですね。

>>647
それこそ至難の業かと・・・
各勢力の兵の動員数や遠征可能期間なんかからどのくらいの兵糧が確保出来たのかを推測し、
食料生産量を予想する事くらいは出来るかもしれんが・・・
651世界@名無史さん:04/03/16 12:54
643は典型的な厨房だな
652世界@名無史さん:04/03/16 21:25
>>644
だから文明が崩壊したんでそ
653世界@名無史さん:04/03/17 00:16
>>652
どの文明が?
654世界@名無史さん:04/03/17 09:36
漢文明。いや正確にいうと西晋文明。
655世界@名無史さん:04/03/18 10:22
まとまりのない魏晋南北朝時代が何百年もダラダラと続き、異民族の跳梁跋扈
を許すハメになったのも、人口減少が遠因だったのか。
656世界@名無史さん:04/03/22 22:35
>>654
韓民族が完全に変質するのは宋代に入ってからだよ。
禅譲が行われなくなるのもこの頃から。
657656:04/03/22 22:36
失礼。
韓民族→漢民族
658世界@名無史さん:04/03/22 23:00
漢代、武帝の時、、さんびん税?を取ったときに、、ぬひが千万人単位で、
没収された?とかあるから、、後の混乱時代とかより一層勘定に入ってない
人数がいたとしても、おかしくないのではないでしょか?
659世界@名無史さん:04/03/25 01:18
>>658
人口としてカウントされない漢代の奴婢が、
同じくカウントされない魏晋南北朝の流民や隷農・私有民より多かったってこと?
新鮮な視点だし、検討する価値はあるが、
正確な統計が出てこない限り、またループ議論にハマりそうだな。
660世界@名無史さん:04/03/26 10:35
政府の把握する人口が不正確になったのは、 豪族の隷属民になった人民の数が増えたから。 したがって、人口統計の変遷を見るときは 土地所有制の変遷を見る のが不可欠
661世界@名無史さん:04/04/12 02:00
関連過去ログ
王侯将相いずくんぞ種あらんや (14)
http://mentai.2ch.net/whis/kako/993/993315391.html
662世界@名無史さん:04/04/13 18:22
どこが関連ログなんだ、661。全然ちゃうやん。
663世界@名無史さん:04/04/16 20:08
このスレと内容が近い過去ログなら、中国板にあったけどな。
664世界@名無史さん:04/04/22 14:48
  
665世界@名無史さん:04/04/22 14:51
>>660
豪族の土地が増えるなら
当然、豪族は大量の私兵を率いるだろうけど
豪族が私兵を率いて反乱を起こした、なんていう記述を
あんまり見ないんだけど。
666Newd ◆aDNwUe55xM :04/04/22 14:53
Newd
667世界@名無史さん:04/04/22 14:59
>>633

>>67-70で、当時の高官
陳羣と蒋済と杜怨と皇甫謐がそれぞれ別々に人口の激減を指摘しているのは
本当に人口が激減したのか、少なくともそのように思われていたからではないのですか。
668世界@名無史さん:04/04/22 17:18
>>667
分かってないな。
中原(華北)の人口が減ったのは本当だろう。
しかし、その全員が不慮の死を遂げたとは限らないというのが、
このスレでの漸減説(大激減は大げさだ!説)の主旨なんだよ。
戦乱による戸籍に把握できない流民の発生。
豪族・貴族による私有民・隷属民の発生。
江南への大量移住。
そもそも人口調査どれだけ信用できるの?
などの観点が指摘されてる。
669世界@名無史さん:04/04/23 14:13
>>668
戦乱の時代に、曹操や曹丕に率いられた優秀な統治機構を持った国が、
国家が把握できる数倍もの(そうでなければ、統計上の人口激減は説明が付かない)
豪族隷属民の存在を許していて、しかもその数を数える権利も持たずにいるなんて
どう考えても不自然に見えます。

江南への大量移住にしたって、三国時代の呉の人口はいまだ魏の数分の一というのが
通説のようですし
670世界@名無史さん:04/04/23 15:26
曹一族の私有民とかってカウントされてたの?
屯田兵は?
671世界@名無史さん:04/04/23 20:14
>>669
優秀な統治機構・・・
その構成員の官僚やら将やらの中には、隷属民を抱えたであろう豪族出身者が多数含まれていた訳で。
自分で自分の首を直接締めるようなマネをすると思う?
672世界@名無史さん:04/04/23 21:21
豪族の私有民というのはその所有を皇帝によって荘園とか部曲として
公認・安堵されているわけで、政府が直接支配してなくても存在そのものは
認知してたはずだろ。(統治という意味での把握でなく認識という意味での把握))
陳羣と蒋済と杜怨と皇甫謐の発言はその文脈を検討しないと
なんともいえないが、意味内容によっては豪族の私有民を含む・含まない
いずれかの前提では意味をなさない文言である可能性がある。
673世界@名無史さん:04/04/23 23:51
魏は優秀な統治機構といっても近代国家ではなく、
国家よりも豪族と豪族の結びつきが重要な政権で、
今で言う中央集権国家とは違う。
特に400年続いた劉氏を倒しての政権だから、
皇帝の権威もあんまりないし、
豪族の中で一番強そうな曹氏がトップに立ったわけだから
立場がかわればあっさり司馬氏に簒奪された。
674世界@名無史さん:04/04/24 00:16
>>672
いつまでも直されないので言っておこう。
杜怨って誰だよ。

あと、三国志チェックした?
斐松之は陳羣の言葉はオーバーだって突っ込み入れている。
その当時から既にそのまま信じられていないんだよ、その言は。
675世界@名無史さん:04/04/24 00:57
まあれだろ、人口どーのこーのより言語が変わっちまったってことはそこに住んでる香具師らが変わったってことだろうよ。
676世界@名無史さん:04/04/25 22:11
>>674
仮に減少数が、10分の9ではなく
5分の1であったとしても
あるいは、3分の1であったとしても
あるいは2分の1であったとしても
これは凄まじい現象だよ。

http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/column10.html
それから、↑については、どうコメントする?
もし私民化が、数値上の大減少の主たる原因であったとしたら
春秋時代や中世ヨーロッパのように
三国は、国家としての枠形を保てなかったように思うが。
中央政権の相対的な弱体化に比例して私闘も多発したろうし・・・
677世界@名無史さん:04/04/26 00:13
>>676
だから数十年で三国とも無くなったじゃない。
678世界@名無史さん:04/04/26 05:45
ところで魏晋南北朝の土地制度とくれば
均田制と府兵制なんだけどどちらも北だよね。
南では荘園ー土地貴族のおかげで国家に把握されている
人口は減少しているんだが、国家は豪族層をおさえてりゃ
いいわけでしょ。北では土地はあっても人がいないので
無理矢理、土地緊縛をかけたってイメージもってたんだが、
そこんとこどうよ。
679世界@名無史さん:04/04/26 18:42
北朝の制度は部族制度の延長
680663:04/05/03 09:13
>>663に自己レス。中国板の過去ログってこれ↓だな

【^▽^】隋・唐は漢民族王朝か?それとも征服王朝か?【^▽^】
http://mentai.2ch.net/china/kako/953/953934689.html(これの77以降)

世界史板の過去ログは複数ありそうだが、こんなの↓もあった

漢民族って絶滅したの?
http://mentai.2ch.net/whis/kako/986/986085549.html(これの6以降)
681世界@名無史さん:04/05/03 11:13
>>674
いつまでも直されないので言っておこう。
斐松之って誰だよ。
682世界@名無史さん:04/05/25 12:41
age
683世界@名無史さん:04/06/18 00:11
684世界@名無史さん:04/06/18 15:59
人肉でサバイバル
685世界@名無史さん:04/07/02 20:47
>>684
うん、人間を食ったから、人口が激減した。劉備も食ったほどだ。
 劉備とその配下は、連れている民衆におそわせて、行く先々の人間を食ったのかもな。
 
686sage:04/07/15 17:47
/ / }
           _/ノ.. /、
           /  <   }
      ry、     {k_ _/`;,  ノノ パンパン
    / / }      ;'     `i、 
   _/ノ../、   _/ 入/ /   `ヽ, ノノ
  / r;ァ  }''i" ̄.   ̄r'_ノ"'ヽ.i   ) ―☆
 {k_ _/,,.'  ;.  :.      l、  ノ  
    \ `  、  ,i.    .:, :, ' / / \
     ,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,/   ☆
687世界@名無史さん:04/07/15 21:48
過去レスが長いんで読んでないが同じ事書いてると思うんだが、人口激減は単純に信じない方がいいんでは?
日本の太平洋戦争での死傷者は全人口の何%か知ってる?
ドイツ30年戦争後の人口は3分の1に減ったとか言われてるなぁ。

漢王朝は「豪族」を潰していった。豪族とは自分で私領の中に人を囲い込んで国家の管理から逃れていた。
そこで武帝の時代に「史記」でいう「酷吏」がでたんだろう。
後漢末もいよいよ王朝自体の人民把握力は落ち人口は後漢書や三国志見ると減ってるように感じられるだけで、
王朝からほぼ独立の体をした地方豪族は人民を私領に入れてそんなに人口は激減とはいってないと思う。
688世界@名無史さん:04/07/15 22:36
>>687
読んでからモノを言え、知能障害者。
689世界@名無史さん:04/07/16 01:29
>>687
30レスに一度は出ているな、その主張。
690世界@名無史さん:04/07/16 06:55
>>687
三国志演義と、光栄のゲームからうける感じだと、優秀な知識人が、
いっぱいいる感じを受けるから、人口なんか減ってないように思えるのだ。

諸葛亮なんか、春秋戦国時代の本をほとんど読んでないので、
星から未来を予想する電波な人だし。

三國志の登場人物は、ポルポト派に近いといえば、わかるかな。
知識人をものすごい勢いで殺し尽くしたのが似ている。


691世界@名無史さん:04/07/16 07:09
>>690
電波はお前だろ。
諸葛亮が自ら擬していた人物ふたり誰か知ってるか?

三国志開幕直前の党錮に比べれば、
三国志の時代に殺された知識人の数なんてたかが知れてる。
ポルポトとは笑わせるな。
692世界@名無史さん:04/07/16 08:27
>>690
>三国志演義と、光栄のゲームからうける感じだと

クマー
693世界@名無史さん:04/07/16 12:43
687=690=包茎釣り師
694690:04/07/16 20:06
>>691 さんへ
かんちゅうと がっき だったかなあ (歴史家志望な俺。)


695世界@名無史さん:04/07/17 00:37
管仲楽毅を漢字でかけない馬鹿たれが得意げに
三国時代を語るところはここでつか?

それにしても、歴史家志望の人間が後世のフィクションに過ぎない
三国志演義から受けた印象で歴史を語るとは、語るに落ちるぜ。
味噌汁で面洗って出なおしてこい。

この後、三国志演義だって陳寿三国志と紙一重ナンダ!
正史にだってウソはあるじゃねぇか!!三国志演義は
王朝に抹殺された真実の歴史なんだ!などと、
周大荒もどきにファビョるようであればもう話しにならないね。

一遍、宮崎市定の大唐帝国でも読んでみてくれ。あなたがいっていることが
如何に電波かわかるだろう。敢えて正史三国志は
薦めない。読んで当たり前だから。
696世界@名無史さん:04/07/17 00:47
平仮名はネタだろ。
吊られるなよ。
それに正史をあまり信奉するのもどうかなあ。
伝によって色々変るし、真実はさっぱりわからん。
697世界@名無史さん:04/07/17 07:53
>>695
どこを縦読みですか?
698690:04/07/17 09:20
>>695 さんへ
文献がしっかりしなくなった時代を理解するには、その前の時代の本などを
みるのがいい。
WWUを理解するには、WWTを学ぶと、一気にわかる部分が増えるように。

春秋戦国に書かれた本と、史記列伝全部をとりあえず読むと、
後漢末期以後、英雄たちの知力がいかに劣るかわかる。
食客数千人が、学問にたずさわっている世界と、三国志の世界の差ではあるが。
後漢では、数千人の行政担当者が国家を動かす時代であり、王佐の才などで、
国家が動くような段階でないのだ。
 

小説とかゲームで接すると、とてもかっこいい英雄たち。
実際は時代錯誤なだけの無教養な人々だとおもうよ。

使者を斬るというのは、前の時代では避けていた。そうでないと交渉などできない。
ゆえに戦乱が終わらないで異常に長く続く。
漢が統一した結果、外交機能が退化したというのもあるか。
漢はいろんな機能が退化しているが。


699世界@名無史さん:04/07/17 09:36
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●不合格●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
これを見た人は確実に【不合格】です。これをコピペでどこかに1回貼れば回避できます。
これは本当です。やらないと一年無駄になります.

私も最初は嘘だと思ったんですが、一応コピペしました。それでセンター私大に合格出来ました。
けどコピペしなかった友達がA判定とっていたのに、おちたんです
700698:04/07/17 15:48
>>699
ふざけすぎた俺が悪かった。

 宮崎市定の大唐帝国てのは、どんなのでしょうか。
 

 
701世界@名無史さん:04/07/17 17:55
>食客数千人が、学問にたずさわっている世界と、
孟嘗君田文の食客三千人(史記巻七十五孟嘗君列伝に『諸侯賓客及亡人有罪者』
とあるように端的に言えばゴロツキ連中で、名の在る人物が非常に
少ない)と、斉の稷下の学士とを混同しているのかな?
食客はだいたいに於いて学問なんかしないよ。鷄鳴狗盗のやからで、
ただ飯を食うだけの存在。まあ、なかには大学者も居るけど。
きみの認識は根本的におかしいのじゃないのか。

>後漢では、数千人の行政担当者が国家を動かす時代であり、王佐の才などで、
国家が動くような段階でないのだ。

君は小泉首相や安倍幹事長が国家を動かせないと思っているのかね。
現代日本の官僚制度は後漢の未熟な行政に比べ遥かに進歩しているが、
それでもトップの意向は国家を動かす大きな力であることに
代わりは無い。いわんや土豪劣紳の勢力強大で、官僚が次々に
逮捕されていく後漢において、王佐(トップのブレーン)は
大いに権力を握っていたことはまぎれもない事実だ。

>実際は時代錯誤なだけの無教養な人々だとおもうよ。
おまえさんよりはよほどあったと思うよ。試しに春秋左氏伝今ここで
全文暗誦してみてくれないかな。…当時は、関羽のような無学な武人ですら
できたことなんだ、左伝暗誦位は。
書物の普及が遅れている時代の諸子百家の連中は、
後漢の官僚より教養があったとは思えないけどなあ。
702世界@名無史さん:04/07/17 18:03
>使者を斬るというのは、前の時代では避けていた。そうでないと交渉などできない。

使者を斬ることは、確実な史料では確認できないのだが。

>ゆえに戦乱が終わらないで異常に長く続く。
別に戦乱が終わらないのは漢の人々の能力の低下が原因ではない。
異民族の勃興と長きに渡る経済の凋落が原因だとされている。
そこらへんは宮崎市定の大唐帝国を読めば大体わかる。

>宮崎市定の大唐帝国てのは、どんなのでしょうか。
↑のようなことが書いて有る本だ。
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4122015464.html
に目次と紹介文が在るので、興味が有れば見て欲しい。
魏晋南北朝を語る上ではずせない名著。このスレの過去の議論でも
何度か話題に登っている。
703687:04/07/17 20:21

>>688
過去レス長いんだから勘弁してくれよ。
それと俺のことを知能障害者というとは君はよほどすんごいひとなんだろうねw
もちろん24史はほとんど暗記してる顧炎武や趙翼みたいな人なんだろうなw
日知録や24史さっきくらいのはかけるんだろうねw

>>689
この手の話が次々に出てくると言うことはこれがこの人口激減の理由の「通説」だからだとおもうよ。
通説は必ずしも正しいとは思わないけど。

>>693
687は俺が書いたけど、690は違うよ。
当然党錮はしってる。と言うか、後漢政治史が俺の専門だからな。
704世界@名無史さん:04/07/17 20:57
最初の50レスと最後の50レスを読むのは基本。
705世界@名無史さん:04/07/17 21:05
>687

煽りにもなっていない煽りは見苦しい。
一行の煽りレスくらいスルーしなさいよ。

>24史さっき
二十二史箚記ならあるが、「二十四史さっき」などという本は
存在せんのだが。

>通説は必ずしも正しいとは思わないけど。
この通説、晋書以来の伝統的な説で根拠もしかーりしてる。
通説を覆すのなら、それ相応の証拠を出さないと信用されないぞ。

>後漢政治史が俺の専門だからな。
ほお、その割には後漢と儒教に対する
研究を殆どしらないみたいだな。許叔重や鄭康成を
読んだことはあるのかね?
ちょっと遊んでやるわ。試しに初歩的な後漢政治史の問題を出題してやる。
1、曹操の師匠を4代先まで遡ってあげてみなさい。
2、門生故吏数百人といわれた後漢末の群雄は誰か。
3、豪族が逃亡農民を多数荘園で働かせていることを書いた有名な
文献の名は何か。またその著者は誰か。
4、後漢の光武帝が行った儒教による統治を専門用語で何と言うか。
全部答えられないようだったら、君モグリね。
706世界@名無史さん:04/07/17 21:38
>>705
もう大学卒業して10年くらいになるし、院にも進んでないし普段は歴史とは関係ないことしてるから全部答えられないですね。
僕もぐりですねw

私の言った通説というのは黄巾乱後の人口激減のこと以外のことも含んでいったつもりなんですよ。
例えば阿片戦争後の「半封建・半植民地」という言葉。
半封建という言葉自体で世界史の基本法則に従った見方ですよね。そう言った意味です。
趙翼は思い違いでしたね。

ところで、あなたは詳しそうだから聞くけど阿片戦争後の「半封建・半植民地」、とはいったいどういった状態であったと考えられますか?
中国に土地を仲立ちとした封建制=フェーダリズムなんてあったと考えられますか?

恥ずかしながら今即答できるのは2と4だけですねw
707世界@名無史さん:04/07/17 21:59
卒業して違うことやってるということは、漏れらのやってることは実学じゃないってことか。
708世界@名無史さん:04/07/17 22:35
>>707
当然のこと聞いてきますね。
文学部は実学じゃないですよ。
史学なんて実学じゃない当たり前じゃないですか。でも好奇心があるから史学科に行った。
それでいいんじゃないですかね。

実学の代表 法学・医学
虚学の代表 文学部・理学部
709世界@名無史さん:04/07/18 04:14
>>704氏へ
貴方が答えていただきたい人とは別の者ですが、問題の解答には興味深いものがあります
この問題の解答を示していただければ幸いですが
つまり、答えを教えてエロイ人(この手の話には無学の為教えて君で申し訳がありませぬ)
710706:04/07/18 08:19
>706
半封建半植民地という定義は唯物史観に基づいて無理やり定義している
だけです。あなたのおっしゃる世界史の基本法則と言うのは
おそらく唯物史観であろうかと思いますが、
マルクスエンゲルスの定義では人類の歴史は原始共産制→奴隷制→封建制→
資本主義→共産主義へ進歩すると考えられているので、実際には
土地を領主に与えて支配していたわけではないアヘン戦争後の
時代を半封建と称しているわけです。その後は資本主義になってしまうので、
ここの時代を機械的に封建制にしないと共産主義国家としては具合の悪いこと
になる。その為に新中国成立後の御用歴史家たちは
当時の実情とはほとんど無関係に「半封建半植民地」という無茶な定義付けを
行い、新中国崇拝と共産主義崇拝を盲目的に行っていた
日本の中国史学者たちが、それを生徒達に教え込んでいた
ので通説化しているに過ぎません。
既にこの定義は「実情を反映していない」と1960年代に宮崎市定
により批判され、現代日本の中国史学界ではまともな人は使用しない
定義です。(高島俊男など本を読んでいて封建的という言葉を上掲のような
意味で用いている本があると著者はヘボ学者だと判断して捨ててしまうそうな)
漢語の封建にはconservative(保守的)とfeudal(封建制度)の両義が
あり、両義を混同して用いてしまっているのがこの話をややこしくしています。

711705:04/07/18 08:25
↑のレスは捨てハンを間違えて706と記しましたが
私のレスです。706さんにはすいませんでした。

>709氏
1の回答 武内義雄説によれば、曹操の法家としての思想的師匠は仲長統で、
彼以前は次のようになる。
曹操ー仲長統ー桓譚ー王充。
2の回答 門世故吏は天下にあまねし、(三国志袁紹伝)と
いわれた袁紹、王朗など複数いる。
3の回答 王褒の僮約。翻訳は宇都宮清吉によるものがある。
4の回答 寛治(ゆるやかな政治)。豪族の台頭を招いた。
712706:04/07/18 08:42
>>710
どうもありがとうございます。
706の質問書いたのは私なもので。
>漢語の封建にはconservative(保守的)とfeudal(封建制度)の両義が
>あり、両義を混同して用いてしまっているのがこの話をややこしくしています。
これには全く同意します。封建制→封建制のある社会→古いものと意味が転化していったんでしょう。

半封建・半植民地と言う通説的答えは阿片戦争後は半分は封建制・半分は植民地にされた、と言うことでしょう。
これなんか未だに世界史の教科書に書かれてますよ。ここで言う半封建とは「封建制のある社会が半分残ってるような社会」ではなく「封建的だ」とか言われるような「古いもの」と言った意味あいで使われ
「半分は古い社会因習が残ってる社会」と言った程度の意味ととらえています。

これは突き詰めれば時代区分論とひっつくわけで時代区分論も結局はどの時代に中世=封建制を見いだすかにつきると思います。唯物史観で。
日本では歴史学研究派は宋代の佃戸制を土地を仲立ちとしたフェーダリズムととらえ宋代、中世説を言ったのに対して京都学派は宮崎さんはじめ宋代、近世説を言われたのはご存じだと思います。
中国では周代の血縁的な封建制を以て周代、中世ととらえているという。(とききました)

じゃ、中世の始まりが何百年も違うのはおかしいとか、西洋・日本と比べて中世がこんなに早く始まったのならそれだけ文化的に優位なはずだとかいろいろ批判のあるとこだと思います。

713世界@名無史さん:04/07/18 09:30
>>710
>マルクスエンゲルスの定義では人類の歴史は原始共産制→奴隷制→封建制→
>資本主義→共産主義へ進歩すると考えられているので、

マル・エンは確かにそういうタームを使ってるけど、
ガチガチの公式にしてしまったのは、スターリンです。
中国的公式もまた別だし、
東大系も「盲目的」に受け入れたわけではありません。
時代区分が明らかに中国公式のものと違います。
たしかに教条的図式がはびこってしまったことは批判されるべきだけど、
唯物史観は本来もっと柔軟な学説でしよ。
だいたいマル・エン原典に出てくる「アジア的専制」について全く言及が
ないのは、おなたのほうが「盲目的」で型式ばった批判教条に捕らわれて
るんじゃないの?
714世界@名無史さん:04/07/18 20:06
黄巾の乱の後の中華人口大激減

単純に王朝の把握能力低下だろ。<散々レスがあるみたいだが
江東以南、ベトナム、雲南、その辺の資料も考慮に入れよう。
そもそも戸籍に登録されても収奪されるだけ、みんな豪族の領内に逃げ込むさ
715世界@名無史さん:04/07/18 20:27
そしてまたループするのであった
716世界@名無史さん:04/07/18 21:17
それが中華な歴史の醍醐味。
お陰で飯が食える文士が大勢
717世界@名無史さん:04/07/19 01:06
687=包茎
718世界@名無史さん:04/07/29 04:53
>>701
左伝は教養と言うよりも、三国志演義のような娯楽作品だと思う。
行政能力は身につかない。なにより作者とされる左丘明が盲人であったと言うから、
聞いて楽しむ作品だったのではないだろうか。

そうだとすると、左伝が好きな人々が、漢字を読めたかどうかもあやしくなる。

左伝は劉備・諸葛亮・曹操の行動には影響を与えていると思う。
 晋の文公の流浪のところとか劉備は真似たと思う。

だれか左伝と、劉備の行動の関係を研究してもらえるといいのだけどね。



719世界@名無史さん:04/08/07 05:04
正史三国志3 (ちくま学芸文庫)で、


196ページに、
「子供を生んでも育てることなく、だいたい皆とりあげなかった」


201ページに
「人民を徴発して賊を追わせ、賞罰を明白にし、彼らと誓約して捕獲したものの7割を賞与
 として与えることにした。人民はたいそう喜びみな賊を捕えようとし、婦女や財宝を
 大量に獲得した。賊のうち妻子を失ったものは帰郷して降伏を願い出た。
 ていこんは彼らが手に入れた他人の婦人を追及し、その後で妻子を帰してやった。
 その結果{賊どもは}一転して略奪しあい、仲間は解散した」

とある。妊娠してもだれの子供かわかんないし、農業で食えてないので、
子供がそだてられなかったのだ。
720世界@名無史さん:04/08/07 06:15
28 名前:世界@名無史さん :04/08/07 05:26
「中国の政治エリートや知識人は、日本の経済的成功や国際社会での貢献成功に対して、
きわめて不満・不愉快に感じており、中国としては日本を全ての面で、
失敗・不成功 、マイナスに追い込むべく画策をし、国際社会で失墜している
中国の政治・経済・軍事・科学などの分野を、日本の犠牲と負担で回復しようと決心している。」

               ↑
アメリカ国防長官の諮問機関である「二十一世紀国家安全保障委員会」が提出したレポートの日中関係について述べた部分。

当事者である日本が中国の悪意について気がつかないとは滑稽である。
721世界@名無史さん:04/08/07 09:28
2002(平成14)年2月末、支那共産党総書記兼国家主席の江沢民が越南を訪問、
ノン=ドク=マイン越南共産党書記長等指導部と会談した際、1979(昭和54)年の所謂「中越戦争」について、
越南の高校歴史教科書・越南共産党史等での記載を、「友好的な記述」に改めるよう要請。(2002年3月17日付 ハノイ発 共同通信)
何でも、共産党一党支配体制を堅持しつつ市場経済化を進める両国が、グローバル化が進む世界の中で
歴史的経緯から引きずっている「わだかまり」に区切りをつけ、両国民の意識面でも連携強化を図る
支那の狙いがあると見られる・・・との事だが、ちょっと待って欲しい。日本に対しては「被害者」面して、
事ある毎に「歴史を鑑に」と発言し、反省と謝罪を繰り返し要求してきた江沢民が、
「中越戦争」においては「加害者」である自国(支那)の立場を棚に上げて、「被害者」である越南に対して、
歴史教科書の記述について修正要請をするとは開いた口が塞がらない。と同時に、
これが左翼・「反日日本人」が傾倒し賛美してきた「中国」の真実でもある。
そろそろ、いい加減、日本政府も外務省も支那の本質を見極め、支那の不当な物言いに対しては、
はっきりと「NO」と言うべきではないだろうか?

http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/shazai-shina-i.html


722世界@名無史さん:04/08/07 09:35
[愛●國]何はともあれ、これを無視したらいかんな。
でも北京政府の連中は知らないんだろうな。

『日本軍が侵略した区域は、東北四省をはじめ、河北省から広東、広西まで二十二省にのぼり、
爆撃などの被害を受けなかったのは新彊、チベット、外蒙など辺境地域だけであった。
この間、戦闘は大会戦二十二回を含めて三万八千九百三十一回に達し、三百三十一万一千四百十九人の将兵が死傷した。
非戦闘員の死傷も八百四十二万を超え、さらに一家離散、飢餓などの被害者を加えれば、
その数は膨大なものとなる。
一方、公私有財産の直接的損失は、掌握できたものだけで、略奪された銀行の金銀、破壊された産業施設、交通施設などを、
一九三七年六月現在の米国ドルで換算して、
三百十三億三千十三万六千ドルに達する。
同じ年の日本政府の一般会計は、七億七千万ドル強であり、
その全額をもって賠償に当てても半世紀近い年月を必要とする巨大なものであった。
\(○m○)/[萬●歳]諸君これが基本だ!!
589 名前:↑無論この数字だって :04/08/07 09:30
水増しされていないという保証はないものの、江沢民の反日宣伝がいかに
デタラメであるかが、これでよくわかろうというものだ。


723世界@名無史さん:04/08/09 04:53
>>720
日本のパワーを使うんだと考えているのは米も同じだからやっかいだ。
724世界@名無史さん:04/08/09 06:43
70 名前:世界@名無史さん :04/08/09 01:02
家康も知らないってレスがあったけど中国で習う江戸時代の
人間は大塩平八郎だけです。人民の味方と言う点で共産党の
模範として教えるみたいです。
変な中国人留学生が中国板でなんかチベットやモンゴルの
領有権で妄言吐いてたけどあの論法でいったら日本の領土は
満州と中国沿岸部からミャンマーまでとインドネシアの半分位と
なってしまうのだが。


725世界@名無史さん:04/08/09 10:08
 一九六〇年代半ばから七〇年代半ばにかけて、中国全土に文化大革命の嵐が吹き荒れた。
「農民に学べ」をスローガンに掲げる下放政策のもと純粋だった十代の両親は自ら農村へ
赴き農作業の毎日を送る。やがて文革も収まり、十年ぶりに一家五人でハルビンに戻った。
ここで両親は残酷な現実に打ちのめされる。下放されず残った兄弟たちは大学を出て
会社役員、教師など順調に人生を歩んでいた。義務教育しか終えていない両親は仕事にも
ありつけない。父がやっと就いた仕事は背骨がきしむほど重い荷物を運ぶ重労働。母は
毎朝夜も明けきらないうちからバス、列車、舟と乗り継ぎ、二時間以上かけ家畜飼料の会社に通勤した。
http://www.sankei.co.jp/edit/igo/html/2001/0205.html
726世界@名無史さん:04/08/15 23:38
岩波文庫 史記列伝の5巻の、儒林列伝のところを読むと、漢代の官僚の学力が、
 ある程度推定できる。
 多くの官僚が儒教の経典のことしか、しらない状態だったという推定ができる。
727世界@名無史さん:04/09/05 02:04
保全上げ
728世界@名無史さん:04/09/05 15:41
西晋以後の中国史の進展を考えると
三国時代は漢族にとってかなりマイナスに作用したのではないかと思いたくなる。
729世界@名無史さん:04/09/05 16:30
マイナスも何もそこで漢族は滅んでいるのだが。
730世界@名無史さん:04/09/05 16:38
むしろより多くの異民族を取り込む事が出来
プラスに働いたと思うのだが
731世界@名無史さん:04/09/09 06:06
実は後漢末の5000万が誇張だったというオチ
732世界@名無史さん:04/09/14 13:13:21
なるほど実に斬新な意見だw
733世界@名無史さん:04/09/21 00:14:33
>>731
誇張が含まれていると思う。
宋代に比べてあらゆる意味で性能の劣悪な農具、品種改良の進んでいない穀物、
同じく掘削工事の進んでいない農地では、宋代と同程度の食料は生産できなかったろう。
したがって、人口もそれなりに(おそらく何分の一かに)少なくなるのが自然だ。

そもそも後漢期の中国の総人口が、ローマ時代の地中海世界の総人口よりも
多いなんておかしい話ではないか。

しかし、それでもその後の中国大陸の変遷から推し量って
多少の減少はあったのだろう。
734世界@名無史さん:04/09/21 04:16:09
ローマより人口が多いのがおかしいというのがよくわからん。
中国は今だってヨーロッパ総人口の二倍以上の人口がある
漢の領有面積もローマより大きかった
大量の人口を養えるという点ではヨーロッパは
中国やインドに劣ると思う
735世界@名無史さん:04/09/21 20:13:38
欧州はジャガ芋が米大陸から入るまでは、食料事情が良くなかったからね。
736世界@名無史さん:04/09/21 20:54:17
むしろ、戸籍に入らない流民は数えられていないから、戸籍上の数より実数が少ないことはありえない。
737世界@名無史さん:04/09/21 21:19:37
支那人の数量感覚は、ベクトル量に関しては正確無比だが、
スカラー量に関してはデタラメ。

記録では年代や方位は正確、人口や経済の統計はデラタメ。
それが伝統。
738世界@名無史さん:04/09/22 23:25:43
春秋のゴタゴタした時期⇒三晋が独立して大国同士の安定状態⇒秦帝国成立までと
黄巾の乱⇒五胡十六国⇒隋統一まで大体同じ時間が掛かってる。
2つの間で冶金技術他の進歩や、中華の領域の伸張もあるけど
生存ギリギリの状態から政治技術、意識、国力が変化して
統一に至るまで、大体この位の時間が掛かるって事なんじゃないのかな?
739世界@名無史さん:04/10/02 01:54:33
よくこうゆう状況で生き残っても生きようと思うもんだね。
俺なら親や親しい者がばたばたしんで明日は自分みたいな状況なら
発狂して自殺するけどな
740世界@名無史さん:04/10/02 02:44:19
ちょこっと関係ないかもしれないが、中国語の発音の変化っていう
観点からみると、やっぱり後漢と隋の間に切れ目があって、その
間の変化はむちゃくちゃ大きいと思う。やっぱり民族的な変化があった
とみるべきだろう。次は、唐がおわって、元に至るころまでだろうか。
ようするに、上古から中古への移り変わりは、後漢末からで、
それで唐代で一応の落ち着きはでる。で、中古音の完成。その後、
現代北京語の原型が、元代からできるわけで、そこにも切れ目がある。
これが民族交代ってことだろう。
741世界@名無史さん:04/10/02 11:56:10
>>740
漏れもそう思う。
金というと女真人の漢化ばかりが強調されがちだが、
実は中古音から近世音(中世音?)への変化は
金の華北征服=宋の南遷が画期として重要らしい。
742世界@名無史さん:04/10/02 13:31:00
近世音てぇとアレか、濁音と入声が消えたってヤツか。
743世界@名無史さん:04/11/03 21:39:30
744世界@名無史さん:04/12/06 11:01:52
      
745世界@名無史さん:04/12/06 19:58:29
戸籍調査みたいなものイコール人口ととらえている
時点でザハーロフとかいうのはただのドキュンとし
て間違いないところだろう。

可能性としては大雑把に
*もともと5000万も人はいなかった。
*私有民化(人口は減ってないか微減)
*流民化(人口減は10−20%前後?)
*餓死・疫病(人口減は20%−70%ぐらい?)
*大量虐殺(90%近い人口減少)
ぐらいかな。

どの原因であったにせよ、文書・発掘物などの資料の
調査で裏づけをとることができるはずだが、ちゃんと
裏を取ろうとしてる人は皆無だね。

お約束の意味なしループの繰り返し。
しょせん、2ちゃんだからな・・・アホしかいない。
746世界@名無史さん:04/12/06 22:13:08
 
747世界@名無史さん:04/12/06 23:41:34
食糧生産量がわかれば問題ない。
748世界@名無史さん:04/12/14 03:03:08
>文書・発掘物などの資料の調査で裏づけをとることができるはずだが、

その文書が混乱のもとだろうよ。どこまで信用できるかという史料批判の
基準が人によって違い、統一を欠いているからね。

発掘物はそうだろうな。考古的発掘によって大量死が証明されるか、
もしくはその逆が証明されれば、ある程度の方向づけは決まるだろう。

別に2ちゃんだからループしてるわけではない。
資料はあるが、万人が信用するに足る資料が少ないのだ。
749世界@名無史さん:04/12/18 02:34:36
 
750世界@名無史さん:04/12/18 16:28:43
食料事情はちとわからんのでお尋ねするけど
秦漢代と比べれば宋以降って著しく華南の開発が進んでるわけですよね?
でも人口は大差なし。これがわからない。

華南の人口増加、食糧増産以上に、華北が過疎化したのかな
「江浙、湖広熟すれば天下足る」って実は大したことなかったの?
751世界@名無史さん:04/12/21 03:06:14
YES
752世界@名無史さん:05/01/02 02:34:12
no
753世界@名無史さん:05/01/05 19:37:19
「文明の人口史」によると北宋末期、南宋・金の時代は
一億超えていて元でも8000万いる、
明初は6000万ぐらいで16世紀に再び一億超える
754世界@名無史さん:05/01/05 19:52:58
当時の日本で3000〜4000万人だったかな。
中国ってあの広さでその程度かって気もするな。
人口比だけでも、真面目に日本を侵略する気にはならん罠。
755世界@名無史さん:05/01/05 20:07:15
>>754
うそつけ!3000万人もいねえよ。
756世界@名無史さん:05/01/06 00:22:04
江戸時代の場合、18世紀-19世紀半ばで2500-3000万人ぐらい。
清の場合、18世紀初頭に1億人に達し、19世紀前半には4億人になったという。
757世界@名無史さん:05/01/07 16:50:00
ちょっと信じられん
758はいよ、再登場:05/01/07 17:09:38
622 :世界@名無史さん :04/03/05 11:59
日本の人口のグラフ
http://www.d9.dion.ne.jp/~k.o/housokuka5-48jinkou.htm
759世界@名無史さん:05/01/07 17:17:44
>>750
遅レスかも知れないが、多分南方の食料事情が良くなった一方で、
黄河中流・上流の食料事情が悪くなっていったんじゃない?

周や秦の発祥の地って、現在では想像がつかないほど、
昔は森が広がってたという話だし。
760世界@名無史さん:05/01/08 13:52:23
どーも中国崇拝者がいるようだな。
中国様は大きい日本は小さい勝てッこない、と頭の中で反響してるんだろう。
その劣等感をアタマから取り除け
むかしは中国など日本とたいしてかわりない国だったのだ。

べつに10億の国が1億の国の10倍すごいわけではなく10倍国力があるわけでもない。
たんに貧乏人の子沢山なだけだ。
最低の生活レベルで避妊も知らない女が餓鬼をたくさん生めばそうなるだけのこと。

かりに日本が戦前みたいな国策をとっていて女一人当たり10人以上産んでるなら
いつでもたちまち5億を越すよ。
日本に5億いたとして国力が5倍になるか?
761世界@名無史さん:05/01/16 15:15:08
>>760わけわからん事を…
762世界@名無史さん:05/01/17 17:45:04
>>760
Lを労働量、Kを資本量としてCobb-Douglas型の生産関数を
Y = AK^aL^(1-a), 0<a<1, A>0,
とすれば、資本Kを固定して単純に労働力Lが5倍になればGDPは5^(1-a)倍だ罠。
a=1/2ならば√5 > 2倍だ。もちろん労働者一人当りGDP, y=Y/Lは5^(1-a)/5 < 1
倍となり減少する。ただし現実の経済成長は資本Kの増加があるからこんなに単
純な話ではない。
763世界@名無史さん:05/01/18 17:25:30 0
>>760を読んで・・・
日本が小さい島国などと寝ぼけたことを言う奴がしばしばいるが、
日本は昔からずっと統率をスムーズに取れうる国で最大規模の人口を誇っていた。
つまり、列強になる素質・潜在力は十二分にあったということ。
中国やインドは巨大すぎて小回りが利かない部分があるね
764世界@名無史さん:05/01/18 18:48:59 0
>>763
朝鮮半島が大陸勢力とのワンクッションのなってるしね。
765世界@名無史さん:05/01/18 19:35:45 0
>>734
ローマ=ヨーロッパみたいな言い方するんじゃない。
ローマの人口重心はむしろ東方。
さらに西方でもガリアの奥地なんかより地中海沿岸のほうが当然拓けてる。
メソポタミアやシリア・小アジア・エジプトはまあ中原に劣らない肥沃な穀倉地帯だろう。

http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/E008.htmのローマ帝国の人口分布によると
西方領域
北ガリア=350万人 南ガリア=150万人 ヒスパニア=600万人 
イタリア(シチリア・サルデーニャ含)=700万人 アフリカ=600万人
計2400万人

東方領域
トラキア=200万人 ギリシア=300万人 小アジア西部=600万人
小アジア東部=700万人 シリア=600万人 エジプト=500万人
キレナイカ=100万人
計3000万人

総計5400万人だ。

西方も意外と人口多いな。

中国は統一秦時代=2000万人 漢全盛期=5600〜6000万人ぐらいか。
766世界@名無史さん:05/01/19 13:02:53 0
以下のスレッドに古代都市の人口推定値がまとまっているけど、
紀元元年から200年頃までの大都市は、ローマという例外を除けば、
アジア、北アフリカ沿岸のローマ帝国領や中東の諸都市が占めている。
中国の諸都市は後漢時代以降しばらく停滞。

*◆****世界都市****◆*
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1044984645/
767世界@名無史さん:05/01/19 19:52:22 0
ローマ時代のヨーロッパ地域の大都市といえば
メディオラヌム(ミラノ)やコロニア・アグリッピナ(ケルン)やロンディニウム(ロンドン)などの
数万〜10万人規模の殖民都市が精一杯(それでも中世ヨーロッパの諸都市に比べればかなり大規模なレベルだが)。
中世西欧では万を越える都市でさえまれだったとか。

アジアやアフリカ地域にはそれこそビザンツのコンスタンティノポリスクラスの
人口・規模を誇るアレクサンドリア・アンティオキア・カルタゴ
それに準じる規模のエフェソス・ペルガモン・イェルサレムなどの巨大都市がごまんとひしめいていた。

>>766のスレを参照すると、皇帝の別荘地というイメージしかないカプアでさえ最盛期には20万人を超えてたのか。
なるほどローマはやはり古代国家としては中華帝国並かそれ以上に別格だわな。
2000年以上の昔にこの都市化レベルには正直驚かされるしかない。

スレ違い気味なレス失礼。
768世界@名無史さん:05/01/28 05:47:15 0
たしか正確ではないが
魏400万以上
呉230万
蜀が100万未満
でこの三国をあわせて760万ぐらいか
正史に出てくる兵動員数を見ても大体妥当と思う
後漢の人口数がこの時代の欧州やその他世界と比べると
異常に多いから、税制や異民族、慣習などを調べてみたらいいと思う
769世界@名無史さん:05/01/28 10:54:04 0
戸籍の把握してない人口もあわせれば三国時代も最低2000万程度はいたと思う(数字に根拠はない)
まあ国家の力としては戸籍の把握してる数字がそのものだけど
770世界@名無史さん:05/01/31 01:08:55 0
把握してない人口はどうやって「いた」と証明できるんだ?
771世界@名無史さん:05/01/31 01:10:50 0
「把握していない人口なんて存在しない」という証明と同様に証明は困難
772世界@名無史さん:05/01/31 03:04:27 0
>>770
漢末(に限らず動乱期)には著しく戸籍把握能力が落ちていたというのは有力な説
773世界@名無史さん:05/01/31 12:49:10 0
世代交代が約三十年として、三十年に一度把握できれば
大体の人口はつかめるんじゃないかな?

戸籍把握能力が三十年以上にも渡ってなくなっていたってのは
考えにくいような気がするが?
774世界@名無史さん:05/01/31 18:48:15 0
>>773
でも、古代に戸籍把握能力の優れた国家なんて珍しいから。
775世界@名無史さん:05/01/31 19:32:38 0
はぁ?じゃ最初からもともと中国の人口資料など史料的価値が無いとでも?
776世界@名無史さん:05/02/01 04:46:47 0
住人の数≠戸籍(徴税)人口の数
777世界@名無史さん:05/02/01 07:20:17 0
誇張が当たり前の中国史だが、
三国志の最初の方は、エンショウが60万だとか
曹操が100万だとか景気良く動員してるのに、

トウガイとかの時代になると、せいぜい10万になるので
実際にどえらく減っていたんだろ、やっぱり。
778世界@名無史さん:05/02/01 09:53:50 0
ネタにマジレスするやつが一言
779世界@名無史さん:05/02/01 21:08:57 0
乗らぬ
780世界@名無史さん:05/02/01 23:15:16 0
>>777
どえらく減ってたのかどうかはともかく。
何故にトウガイの頃は10万程度に落ち着いちゃってるん?
彼程度じゃ誇張する気すら起きなかったからかな
781世界@名無史さん:05/02/01 23:23:38 0
正史三国志を読んでも、
特に呉が人口減少に悩まされたのは事実で、
三国の動員数も、官渡やそれ以前より少ないのも事実なんだよな。
しかし、蜀滅亡前後に至ると一気に景気が良くなる。
司馬氏ひいては晋の強大さを示すための誇張だろうか?

それにしても、後漢末の5000万て。
782世界@名無史さん:05/02/02 18:04:07 0
後漢末の5000万はいくらなんでもないだろ。十倍になってんじゃ?
783世界@名無史さん:05/02/02 20:06:26 0
そもそも前漢・後漢の最盛期の人口のほうが水増しによる誇張だと言う説もある。
784世界@名無史さん:05/02/03 00:36:55 0
じゃあほんとはローマより少なかったのか?
785世界@名無史さん:05/02/03 00:55:54 0
漢代は穀倉の長江流域が開発されていなかったんで、そうそう大人口を
養えないのではなという話はあるけど、華北は今からでは考えられないほど
緑豊かで大規模農業ができていたという話もあるからなぁ。
786世界@名無史さん:05/02/04 18:25:02 0
「三国志蜀書後主伝第三」附属の王隠の「蜀記」では、蜀降伏時の戸数二八万、男女人口
九四万、将兵一〇万二千、官吏四万とあります。
 疑問なんですが九四万の半分が女性として男子人口四七万、時代が時代なので老人は余
りいないにしても、子供も含めての数字でしょうから、成人男子は三〇万強くらいでしょ
うか?
 兵と官吏がこの中に含まれているとすると、残りは一六万くらい。屯田を実施したとし
てもこの数で官吏と兵を養えたんでしょうか?
 もしかして、官吏と兵は官戸・兵戸として別戸籍で、二八万戸、九四万人には含まれて
いないのでしょうか。
 とすると一四万二千×3.36(九四万人÷二八万戸)=約四八万人
 総人口は九四万+四八万=一四二万
 まっ、素人の妄想ですけど。
787世界@名無史さん:05/02/04 18:41:49 0
兵とか吏って無給じゃなかったっけ?
788世界@名無史さん:05/02/04 19:42:10 0
>>786
兵も吏も普段から耕作してたかもね。
789世界@名無史さん:05/02/04 23:25:08 0
戸当り3.4人ってやけに少ないね。
790世界@名無史さん:05/02/05 01:53:06 0
産むだけはたくさん産んだろうけど、乳児の死亡率高かったでそ。
791世界@名無史さん:05/02/05 01:58:37 0
なので、医療・衛生環境が良くなる近代までは洋の東西を問わず
人口増加率は大したことないですな。多少良くなるだけで人口爆発
起こすけど…
792世界@名無史さん:05/02/05 16:55:50 0
肉刑復活論の議論では、死刑を減らせばそれだけ人口が保てる。
みたいな意見だったかな?
この件を読んだとき人口減少はかなり切迫した問題なんだろうとは思ったが。
793世界@名無史さん:05/02/11 12:35:22 0
意味わからん
794世界@名無史さん:05/03/04 00:10:24 0
肉刑ってなに?
795世界@名無史さん:05/03/04 10:02:56 0
足を切るとか、局部を切るとか、手を切るとか、肉体を損傷する刑罰。
日本でもスリの指を切るとか有りましたよね。
796世界@名無史さん:05/03/19 13:51:30 0
宮刑というのも肉刑とやらの一種なのか
797世界@名無史さん:05/03/19 18:47:11 0
>>796
そうだよ。
798世界@名無史さん:05/03/20 11:58:55 0
>>792
死刑と肉刑のどっちが人道的かということだろう。
肉刑だと生命は保てても一生障害と偏見のもとで生きる事になるからかえって非人道的ではという話。
799世界@名無史さん:05/03/20 23:32:15 0
ところでさあ秦末の騒乱ではどれくらい人口に変動があったんだろう?
800世界@名無史さん:2005/03/24(木) 10:51:45 0
衛温様が800ゲット
801世界@名無史さん:2005/04/06(水) 12:42:17 0
 
802世界@名無史さん:2005/04/06(水) 14:31:40 0
実際に減ったのではなく統計上の問題だと聞いたが。
803世界@名無史さん:2005/04/06(水) 14:38:16 0
>>802
まずはこのスレを最初からきちんと読め
804世界@名無史さん:2005/04/06(水) 17:28:02 O
曹操、魏が行なった。屯田制に組み込まれた人、集団は戸籍にはいれてません。
烏丸は入れてないでしょう。
あと不安定な国境周辺はどうしても組み込みにくいでしょう。
呉、ショクは統治能力低いため、戸籍の人口は低いでしょう。
805世界@名無史さん:2005/04/06(水) 17:35:03 O
もし戸籍通りなら、ショクの人口の三分の一が官僚及び常備軍と言うことになる。
806世界@名無史さん:2005/04/06(水) 20:34:53 0
古代中国の農業はおそるべき生産力を有していたということか
807世界@名無史さん:2005/04/08(金) 00:17:24 0
>>804
屯田兵は兵戸に含まれるんでないの
808世界@名無史さん:2005/04/08(金) 02:21:41 0
>>807
その通りだけど、だから?
809世界@名無史さん:2005/04/29(金) 21:26:30 0
しらんがな
810世界@名無史さん:2005/05/18(水) 21:51:06 0
殺生な
811良スレサルベージ委員会:2005/05/28(土) 01:02:47 0
812世界@名無史さん:2005/06/17(金) 18:15:22 0
ウホウホ
813世界@名無史さん:2005/07/08(金) 01:28:01 0
ウッホ
814世界@名無史さん:2005/07/25(月) 21:14:06 0
815世界@名無史さん:2005/08/14(日) 18:20:09 0
ウホー
816世界@名無史さん:2005/08/21(日) 22:51:57 0
そうか
817世界@名無史さん:2005/08/24(水) 00:19:17 0
戸籍上の人口って都市部や国政府に従属している集落のみだろ。
流民は当然、生活形態のちがう諸部族諸民族も入っていないっぽいし、
豪族の私領内の住人もどれだけ入っていたのやら。
異民族や豪族の地に逃げ込んだ人間も多いだろうし、
10分の1って減り方は戸籍上だけの話だろ。
818世界@名無史さん:2005/08/24(水) 02:58:32 0
「10分の1」にこだわるよりも
大激減があったかなかったかが重要じゃないの?
819世界@名無史さん:2005/08/24(水) 03:56:43 0
正史で人口激減という描写が各資料で何度も何度も出てきていること、
衛生状態の悪化が乳幼児死亡率に与える影響などを考えると、激減が
あったのはまず間違いないでも、具体的にどれだけ減ったのかは資料
からだけではわからない。
820名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:37:23 0
821世界@名無史さん:2005/09/23(金) 23:29:14 0
保守
822世界@名無史さん:2005/10/05(水) 15:59:02 0
かく
823世界@名無史さん:2005/10/11(火) 17:50:50 0
ぶんわ
824世界@名無史さん:2005/10/22(土) 23:06:44 0
ペストは怖いね
825世界@名無史さん:2005/10/24(月) 11:37:27 0
今ですら、一度ホームレス(流民)となれば、子供をつくる事はおろか生きる事すら難しいのに、
当時の治安・衛生・医療・食料事情を考えれば、バタバタ人間が死んでいったのは間違い無いだろ
826世界@名無史さん:2005/10/24(月) 21:22:09 0
人口の大崩壊の後って爆発的に新生児が生まれて
瞬く間に人口が回復してるみたいだね。
最近の例ではカンボジアなんかすぐにポルポト以前の
人口に戻ったみたいだし。
例外ってジャガイモ飢饉後のアイルランドくらいか?
827世界@名無史さん:2005/10/24(月) 21:53:54 0
戸籍上の人口=組織票
流民=棄権票及び浮動票
828世界@名無史さん:2005/10/24(月) 22:24:02 O
>>825
流民状態が続けばね
自分の土地と戸籍は捨てるけど、代わりに土地と食料と自前の兵力を持ってる豪族の保護下に入る奴もかなりいたと考えられる
こいつらは公式発表される人口には数えられない。
829世界@名無史さん:2005/10/25(火) 02:23:27 0
かなりいたと以前からカキコがあるが、じゃ、具体的にどのくらいいたんだよ?
いたことは確かだろうが、どのくらいそうしたやつらがいたのか、根拠はあるのか?
どうせ想像で言ってるだけなんだろ?
830世界@名無史さん:2005/10/25(火) 09:26:04 0
もし黄巾の乱が成功していたら、人口減少は無かった?
831世界@名無史さん:2005/10/25(火) 10:43:58 0
ざっと読んだが
「戸籍から逃亡してただけで人口そのものは減っていない」という説
の資料は誰も示していないんだな。
832世界@名無史さん:2005/10/25(火) 11:15:06 O
そうか?何度か示されているよ。
ごく短い期間に戸籍に記載される人口が激増してる例が出ていたはずだけど。
それより、現代中国においても戸籍に載らない人口が相当あるのだから、あの時代なら尚更だろうに。
833世界@名無史さん:2005/10/25(火) 12:57:11 0
>出ていたはず
>相当
>あの時代

あいまいな返答をありがとうよ。
834世界@名無史さん:2005/10/25(火) 13:52:13 O
史学はそんなもんだよ
きっちり統計資料を出せる時代じゃないんだから
835世界@名無史さん:2005/10/25(火) 18:26:57 0
>>831
孔明が戸籍を調べて兵士を増やした件とか
836世界@名無史さん:2005/10/25(火) 20:19:13 0
これだけ年金の納付者が少ないのは納付者が餓死していってるからなんだよ!
837世界@名無史さん:2005/10/26(水) 21:50:49 0
豪族の私有民だって政府の許可が必要だろ。
私有民も建前上は政府から与えられたもの(天子から許されたもの)。
登録するから記録は残る。
豪族もまた自分の勢力を誇ることになるから
隠し立てする意味がない。
838世界@名無史さん:2005/10/26(水) 22:26:13 0
>>837
>豪族の私有民だって政府の許可が必要だろ。 
そんな力は中央にない。
839世界@名無史さん:2005/10/27(木) 11:09:04 0
かといって、一人たりとも把握してないということもあり得ない。
ともかく、何ら裏付けの数字が出てこない以上、資料に残っている数字を
優先して考えるのは当たり前の話で、激減したことには間違い無い。
後は、どの程度かという程度の問題でしかないだろう。
840世界@名無史さん:2005/10/27(木) 19:21:00 0
というか、人口激減自体を否定している人はあまりいなかったと思うが。
十分の一に減った!とか漢民族は絶滅だ!とかいう極論に突っ込みが入っているだけで。
841世界@名無史さん:2005/10/27(木) 20:10:49 0
耕作地が減っていなければ、すぐに回復したはずだ。
842世界@名無史さん:2005/10/27(木) 21:06:36 0
イナゴの害や天変地異とかもあったし、耕作地だって耕す人がいなくなればすぐに荒れるし、
荒れた土地を耕すには、コウケツの農場のようにバタバタ死んでいくのかも。
843世界@名無史さん:2005/10/27(木) 23:01:13 0
スレタイトルとは直接関係ないけど、今の流れを見て思い出したんだが…

清王朝時代中国の人口は1億から4億以上に増加したけど、この理由として昔聞いたので

1、長期の平和によって自然と人口が増加したから。
2、人頭税の廃止によって戸籍逃れが無くなり、従来より統計に人口が正しく載るようになったから。

と2つの説があったんだが、今の史学ではどちらが正しかったのか正解は出たのかな?
当時の国家の統制力がどの程度か今までよくわからなかったんだが…
844世界@名無史さん:2005/10/27(木) 23:10:31 0
>>843
どっちも間違い。「じゃがいも」が入ってきたから養える人口が急激に増えたんだよ。
845世界@名無史さん:2005/10/28(金) 00:26:23 0
江戸初期の日本だと慶長から元禄まで100年で、およそ1500万→3000万
倍増だけど>>843の(1)項が主な増加理由だよね。少なくとも「いも」ではない。

なら清朝においても
>1、長期の平和によって自然と人口が増加したから。
ってのは「いも」以上に大きな要因だと思うんですが間違いですかね…。

あと、三藩鎮圧から白蓮教徒の乱までの100年間は
江戸初〜中期と同じくらい平和だったみなして構わないですか?
外征はしてたけど。
846世界@名無史さん:2005/10/28(金) 20:59:58 0
清朝末期に太平天国の乱で1億人くらい死んだんだろ。
これだけ内乱で死んでも結局4億人ということなら
食材革命ともいうべき、じゃがいもの影響は大きかったとみるべきでは?
ちょっと尋常ならざる増加率だしね。
847世界@名無史さん:2005/10/28(金) 22:34:07 0
太平天国の死者は二千万と聞いたがのう…

ちなみに当時の清朝の出した統計では10年間で人口4億2千万から2億5千万と、(人口増加率が
そのままだとして)2億人もの死者が出たことになってしまう。そんな馬鹿な!
848世界@名無史さん:2005/10/28(金) 23:02:34 0
>聞いたがのう…

とか爺さんみたいな口調で書き込むヤツって寒いよなw
849世界@名無史さん:2005/10/28(金) 23:14:36 0
爺さんみたいか?俺の住んでるところではそれが普通なんだが。
あとWikiによると
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Death_toll#War_and_military_action
歴史上の戦争による死者

45,000,000-68,000,000 - 第二次世界大戦 (1937-1945)
33,000,000-36,000,000 - 安史の乱 (756-763)
30,000,000-60,000,000 - モンゴルによる征服 (13th century)
25,000,000 - 清による明の征服 (1616-1644)
20,000,000-50,000,000 - 太平天国の乱 (1851-1864)
17,000,000 - ティムールによる征服 (1370-1405)
15,000,000-66,000,000 - 第一次世界大戦 (1914-1918)
10,000,000-25,000,000 - 日中戦争 (1931-1945)
5,000,000-9,000,000 - ロシア内戦 (1917-1921)
3,800,000 - 第二次コンゴ内戦 (1998-2004)
3,500,000-6,000,000 - ナポレオン戦争 (1804-1815)
3,000,000-8,000,000 - 30年戦争 (1618-1648)
2,500,000-3,500,000 - 朝鮮戦争 (1950-1953)
2,300,000-3,100,000 - ベトナム戦争 (1945-1975)
2,000,000-4,000,000 - ユグノー戦争 (1562-1598)
1,500,000-2,000,000 - アフガニスタン戦争 (1979-2001)
1,300,000-6,100,000 - 中国内戦(1928-1949)
1,000,000-1,200,000 - 7年戦争 (1756-1763)
1,000,000 - イラン・イラク戦争 (1980-1988)

何かモンゴルが凄い。中央アジアとかはほとんど無人化したんじゃないか?
杉山正明とかモンゴル史の研究者によるとこの辺も当時の史料のいい加減さ故の誇張らしいが。
850世界@名無史さん:2005/10/28(金) 23:18:03 0
爺さんみたいかのう?俺の住んでるところではそれが普通なんだがのう。

だろw
851世界@名無史さん:2005/10/29(土) 10:01:44 0
本筋から外れてどうでもいいところにケチつけるやつって寒いよな(ボソ
852世界@名無史さん:2005/10/29(土) 12:29:25 0







                (ボソ
853世界@名無史さん:2005/10/29(土) 12:34:24 0
>>849
なんとなくだが、当時の蒙古民族は、多く殺したほうが偉いと思っていたのでは
854世界@名無史さん:2005/10/29(土) 12:39:35 0
(ボソ
855世界@名無史さん:2005/10/30(日) 20:54:13 0
(ボソ
856世界@名無史さん:2005/11/01(火) 00:30:47 0
>>849
モンゴルのは過大宣伝でそ
857世界@名無史さん:2005/11/01(火) 13:09:20 0
モンゴルの戦果は、大部分中国で稼いだ物だろう。
表の上位ほど中国のシェアが高い。

中国人は、よほどひ弱で死にやすいに違いない。
858世界@名無史さん:2005/11/01(火) 13:27:19 0
中国なんて今でも戸籍に乗ってない人間が溢れかえってるだろ。
859世界@名無史さん:2005/11/06(日) 19:00:13 0
推計一億だっけか。
納税や徴兵はいいだろうが、生活保障や教育はどうするんだか。
860世界@名無史さん:2005/11/06(日) 19:04:49 0
というか安史の乱が上位にランクインしているのが意外だ
861世界@名無史さん:2005/11/06(日) 22:07:24 0
人民は野垂れ死に上等だしな。
最初から政府なんてアテにしてないんだろ。
862世界@名無史さん:2005/11/07(月) 01:55:15 0
やっぱこれも戸籍から消えた人口イコール死者と考える虚妄から作った表だろ。
だから安史の乱なんかが上位にランクする羽目になる。
『通典』食貨七
天宝十四載(755)、52919309人
乾元三年(760)、16990386人
この激減っぷりを安史の乱で全員氏にましたなんて考えるのはアフォ。
氏んだのは一部、逃げた、隠れた、藩鎮治下を把握できない。
唐朝の実力がそれだけ激減しましたってことしか示してない。
863世界@名無史さん:2005/11/07(月) 09:29:19 0
大業5 890.7万戸
貞観13 312万戸
天宝14 891.4万戸
単位がエロス
864世界@名無史さん:2005/11/07(月) 10:25:40 0
>>863
マンコの数が国力を示すのは、ある意味正解では
865世界@名無史さん:2005/11/07(月) 23:33:21 0
28時間戦争の死者は4800000000人
866世界@名無史さん:2005/11/08(火) 15:00:45 0
中国の言うこと真に受けたらあかん。
867甲斐犬:2005/11/09(水) 22:25:24 0
1,封建時代(広義の)戦争は、ほとんど多数派工作で勝敗が決まる。中小の領主
  を脅迫や利益誘導で結集することが大切。勝つためには、利益誘導の大判振る舞い
  が必要だ。
  さて、日本の武士には、露骨な利益誘導が有効だが、中国の貴族には、人材募集
  やら、大義名分やらも必要である。読書人なので。
  なお、人口調査や検地などを強要してはならない。そんな事したら、敵側に寝返る。

2,こうして戦争に勝った後、困るのは、大判振る舞いしてやった臣下ども。功績
  と領地の広さと私兵の多さを盾に、いばりくさる。君主に対しても遠慮が足りない。
  まして、君主に税を払う殊勝さも無い。下手したら反乱されかねない。

3,君主は中央集権をめざす。臣下どもを粛正して、その土地利権を取り上げて
  中央政府の財源にしなければならない。さあ、些細な咎で粛正だ。
  さらに、宦官やら側用人やら解放奴隷やらを抜擢して、臣下どもの対抗勢力
  を育てよう。もし、臣下が反乱を起こしたら、下級貴族の優秀軍人を大抜擢
  して当てるのだ。下級なら報酬が少なくてすむ。
868甲斐犬:2005/11/09(水) 22:26:00 0
4,こうして中央集権が、固まると、いよいよ、全国の検地と人口調査だ。脱税は
  許さん!人口は大幅増。実は、自然増より、人口把握率の増加が大きい。

5,しかしだ。平和な時代の功臣たちが、自分の領地を増やし、その人口を誤魔化し
  はじめる。脱税のためだ。

6,中央政府の公領が、功臣たちによって、少しずつ蚕食されていく。あるいは、
  公領の農民が私領に流れていく。中央政府の公領よりも、功臣の私領の方が
  経営が成功するものだ。

7,中央政府は財政難。やがて支配力を喪失して、農民が反乱を起こしたり、
  かつての功臣であった領主たちの私闘がはじまる。
  もちろん、全国的な人口調査・検地など無くなる。統計上は大人口減。
  しかし、本当に大人口減なら、土地の取り合いを主とした戦争など起
  こらない。土地が余るのだから。

1,に戻る
869世界@名無史さん:2005/11/09(水) 23:16:13 0
>>867-868
中国史の基本が3秒で分かるな。
870世界@名無史さん:2005/11/10(木) 00:13:05 O
ほとんどが死んだ、なんて言うのは中国史の基本がわかってない奴てことだな
871世界@名無史さん:2005/11/10(木) 00:37:22 0
戸籍の増減を根拠に人口の増減を語るのは意味が無いって話しだろ。特に中国の場合。
872世界@名無史さん:2005/11/10(木) 09:52:57 0
戸籍に無い人間が激増したって事は、
曹操が手にいれた青洲黄巾党が100万いたってのも、あながち誇張でもないのかね。
873甲斐犬 仕事休み:2005/11/10(木) 17:05:05 0
 ついでに、中国の歴史書は、公平なものではない。貴族・士大夫・読書階級
などと、称する領主層の書き残した文書を、次代の王朝の領主層の人物が書き
まとめる。
 だから、彼らの階級の利益を擁護したものになる。当然、彼らの脱税の資料など
次代に残さないし、書き留めもしない。しかし、敵対する、中央集権側の
宦官勢力の腐敗はしっかり書き残す。
 なぜ、性懲りもなく、皇帝が、腐敗しやすい宦官制度を採用するのは、
領主階級の、地方分権&合法的脱税体質に対抗するためである。
874世界@名無史さん:2005/11/10(木) 17:13:40 0
現在の中国は、領主階級の替わりに共産党の官僚機構がいるようなもの?
875甲斐犬 仕事休み:2005/11/10(木) 17:18:09 0
 しかし、共産党の官僚機構は、中央集権志向だよね。
876世界@名無史さん:2005/11/10(木) 21:18:45 0
共産党は地方閥の影響力がとても強いんじゃなかったっけ?
877世界@名無史さん:2005/11/11(金) 17:00:48 0
しかし、蜀漢の人口把握力がそれほど低かったとは思えない。
一貫して最大動員兵力が10万前後だから、総人口100万だったというのはまあ妥当な数じゃないか?
もし人口把握力がそれほど低かったのなら、諸葛亮は手間のかかる北伐なんぞせずに、
まず内政に努めれば、人口も兵力も数倍増にできたはずだ。

まあ待ちの姿勢は魏にも内政に努める時間を与えるわけではあるが、
逆に、魏にとって北伐への対応なんて片手間なわけで、魏の人口把握は黙っていても進むと考えれば、
蜀漢もそれをやらなければ取り残されることになる。

やはり蜀漢は、最大限人口を把握して100万だったというのが真実ではないか?
とすれば、まあ当時の3国の人口の合計が1000万前後としても、自然な数字だと思われるが。
878世界@名無史さん:2005/11/11(金) 17:38:17 0
当時の生産力で人口の10分の1を兵士にしたら社会が崩壊しないの?
879世界@名無史さん:2005/11/11(金) 18:07:10 0
今の生産力でも無理
880世界@名無史さん:2005/11/11(金) 18:53:35 0
>>878
騎士・傭兵の時代を除いて、徴兵による動員は人口の10%が相場だろう。
当時の場合、軍事行動は農閑期中心になるんじゃないの?

食えない人間連れて略奪行軍するなら、いつでも構わんだろうが。
881世界@名無史さん:2005/11/11(金) 21:34:13 0
こうして話しの流れを無視して振り出しに戻るわけだ。
882世界@名無史さん:2005/11/12(土) 01:50:46 O
基本的に徴兵による動員の時代じゃないからね。
民の何%が兵とかいうのはナンセンス。
当時の兵士は把握できた民以外から出て来てる。
兵士に食わせる物も、国家が把握する民が生産した食料だけとは限らない。
豪族の私有民が生産した余剰なんかもあるわけだ。
883甲斐犬:2005/11/12(土) 16:32:16 0
881「こうして話しの流れを無視して振り出しに戻るわけだ。」

 本当にそうだよね。人口把握がなぜ無理なのか、すでに書いてあるのにね。
867「人口調査や検地などを強要してはならない。そんな事したら、敵側に寝返る。」

 統一政権ができて、従順でない「功臣」を粛正して、後、やっと人口調査が
できるのにね。


884世界@名無史さん:2005/11/14(月) 18:32:38 0
史記によると戦国期ですら普通に40万とか動因できますし
人口の10パーセントとか根拠のないこと言われても説得力ありませんよ
885世界@名無史さん:2005/11/14(月) 19:43:20 0
>>884
40万は功績を水増しするための誇張だろ。
886世界@名無史さん:2005/11/15(火) 12:02:45 0
>>884
まず、城塞都市の防衛側であれば、動員率は高くできる。
籠城中は自宅で飯を食ってくれればいいので、食糧補給の問題が生じないし、
城塞都市が陥落すれば住民は略奪暴行奴隷化という運命であれば、
住民のすべてを動員することも不可能ではない。

しかし長平の40万はちょっと多すぎるな。
2年も籠城戦をやった後に出撃しているが、もとが100万都市ならともかく、
40万人2年分の兵糧が最初から蓄積されていたとは考えにくい。
蓄積分は数ヶ月で食い尽くして、あとは周囲から補給したとしても、
40万への陸路補給は、絶対量として、中華統一王朝かペルシャ帝国でもないと不可能だ。
887世界@名無史さん:2005/11/16(水) 23:51:00 0
基本的な話、軍事費はGNP比で最大8分の1までといわれる。
それ以上になると経済が破綻する。
掠奪経済とかやれば別だけどね。

>>884
戦国時代には、7国合わせて2000万くらいの人口ありますしね。かなーり憶測だけど。
それに普通に40万動員できたわけでなく、最盛期の趙とか秦とか楚とかでないと不可能。
もちろん40万が誇張である可能性はかなーりあるけどね。
888世界@名無史さん:2005/11/17(木) 01:56:53 0
趙とか楚にはムリだろう
889世界@名無史さん:2005/11/22(火) 09:54:53 0
流民の大量発生で単純に戸籍逃れをした人が多かったからでは?
荒れた時代だったわけだし
890世界@名無史さん:2005/11/25(金) 12:47:47 0
ただ、流民って乳幼児死亡率が激高く、出生率も低いことは間違いない。
そして、そんなのが大量発生したら…
891それはさておき:2005/12/11(日) 07:20:08 0
清初の順治帝の時代には、中国の人口は2100万位しかいなかったんだってね。

対する日本は徳川家光の時代で、2700万位いたそうだ。

日本って意外と大国じゃん。
892世界@名無史さん:2005/12/11(日) 07:25:57 0
>>888

白起は趙の将兵何万穴埋めしたとかよくいわれるけど、正確な数字は確定しているの?
史記の記述信用しないわけではないが、文献だけでなk、考古学的な考証はされたのか?
893世界@名無史さん:2005/12/11(日) 07:31:47 0
流浪民になってどっかに逃げたってのは?
ただ単に、支配地域で把握できる人間の数が減っただけであって。
894世界@名無史さん:2005/12/11(日) 07:50:30 0
895世界@名無史さん:2005/12/11(日) 09:24:32 0
>>891
トウモロコシとじゃがいものせいでシナ人が爆発的に増えたとされている
896世界@名無史さん:2005/12/11(日) 14:54:45 0
俺が小学校のとき中国の人口は5億人と習ったんだぞ。30年ぐらい前だがな。
文革とかはさんでいま倍以上になってるなんてありえんだろ。
もともと数なんてかぞえてないんだよ。
ほんとうは30億人ぐらいいるかもしれないぞ。
897世界@名無史さん:2005/12/11(日) 15:36:15 0
>ほんとうは30億人ぐらいいるかもしれないぞ。

なんと怖ろしいことだろう。
898世界@名無史さん:2005/12/11(日) 15:37:51 0
>>894
それがどうした?
899世界@名無史さん:2005/12/12(月) 07:34:51 0
>>894
85年の白骨は何万体あったんだ?数えたんだろうか
900世界@名無史さん:2005/12/13(火) 10:26:19 0
南京大虐殺の人骨が大量にでないのはなぜですか?
901世界@名無史さん:2005/12/14(水) 10:16:24 0
骨も残らないほどひどい殺され方をしたそうですね。
902世界@名無史さん:2005/12/14(水) 20:40:33 0
>>891
>清初の順治帝の時代には、中国の人口は2100万位しかいなかったんだってね。

はじめて聞いたよ。
それは国の把握している数字?それとも推定実数?
そーす希望。
903世界@名無史さん:2005/12/14(水) 22:08:41 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85

北宋代に1億を超えたと言われる人口は増減を繰り返し、
康熙帝期の1700年に1億5千万、乾隆帝期の1770年から80年にかけて2億8千万、19世紀前半に4億を突破した(数字は全て推定)。

http://www.rekiken.gr.jp/
歴史能力検定の問題では(2級)
1714年時の清で2400万。(こっちは恐らくソースがあるのかと)
904世界@名無史さん:2005/12/21(水) 21:04:15 0
>>902
中国、この困った隣人―日本人ビジネスマンへの警告
別宮 暖朗 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569634079/qid=1135166289/sr=1-5/ref=sr_1_10_5/503-0484497-7275151
905世界@名無史さん:2005/12/21(水) 21:58:41 0
中国人て敵に不寛容だから反乱の後
いままでのさばってたのが新しい勢力に狩りつくされたんじゃないのか?
派閥だけはやたら多いから混乱も長引くし
906世界@名無史さん:2005/12/21(水) 23:17:44 0
文革で少なくても2000万人虐殺されたんだろ?
どうかしてんだよ、あの国は
907世界@名無史さん:2005/12/23(金) 16:55:22 0
ちょっと、お聞きしたいんだけど

「江南鉄涙図」って本を知っていらっしゃる方、

本の内容を教えてもらえませんか?
908世界@名無史さん:2006/01/07(土) 17:03:01 0
>>905
国土が広いので逃げ場・隠れ家はいくらでもありそうな。
909世界@名無史さん:2006/01/07(土) 22:25:29 0
敵の敵は味方ってのもある
910世界@名無史さん:2006/01/08(日) 10:47:26 0
>>902
清の順治八年(1651)で人丁10633326。『清実録』世祖巻61。
順治十二年(1655)で人丁14033900。『清実録』世祖巻96。
順治十八年(1661)で人丁19137652。『清実録』聖祖巻5。

>>903
康熙五十二年(1713)で23587724。『清実録』聖祖巻257。

勘のいい人はお気づきと思うが、中国の人口記録は徴税・徴兵のための記録なので、
税逃れや中間搾取のために大規模な隠避がおこなわれており、数値の大小はときの政権の
力を示すバロメーターにしかならない。
これをもとに実人口を論じるのはかなり無意味。
順治年間の人口は5200万人前後という推定があるが、これも確かではない。
911世界@名無史さん:2006/01/09(月) 01:19:21 0
>>910
中国の人口記録は徴税・徴兵のための記録なので、
税逃れや中間搾取のために大規模な隠避がおこなわれており、数値の大小はときの政権の
力を示すバロメーターにしかならない。

それを言っちゃどこの国も同じだろう。
わが国でも奈良時代にもすでに徴税逃れのために隠避した記録があるしな。
912世界@名無史さん:2006/01/30(月) 05:13:18 0
.
913世界@名無史さん:2006/01/30(月) 18:59:38 0
諸葛亮が新野で戸籍を調べて兵を増やしたってのは、実はかなり凄い事?
914世界@名無史さん:2006/01/30(月) 19:56:52 0
>>913
太閤秀吉の検地と、明治政府の地租改正モナー
915世界@名無史さん:2006/03/02(木) 23:43:21 0
このスレも満3歳か、長寿スレの域だね・・・
916世界@名無史さん:2006/03/07(火) 03:41:32 0
保全あげ
917世界@名無史さん:2006/03/13(月) 15:12:46 0
私も知りたい!
918世界@名無史さん:2006/03/17(金) 21:10:08 0
>後漢末永寿三年(156年)に5006万人を数えた十三州の総人口
これから間違えだろ。
中華思想的な誇大主義。

人口が4千万人をこえたのは明時代だろうに。
919世界@名無史さん:2006/03/17(金) 21:58:40 0
徴税用の人口調査を水増しして誰が得すんだよ?
920世界@名無史さん:2006/03/18(土) 15:14:11 0
沢山税がとれるじゃないか
921世界@名無史さん:2006/03/18(土) 15:22:58 0
>>920
書類で水増ししても払う奴が現実にいなければ駄目じゃん
むしろ上級官庁から上納金の督促が
922世界@名無史さん:2006/03/18(土) 16:17:54 0
統計上の中国人口が爆発的に増えたのは18世紀の地丁銀制の施行からだよね?
923世界@名無史さん:2006/03/18(土) 18:38:56 O
戸籍に載ってる奴から人頭税取るようになってたから、世が乱れると
税金逃れ=戸籍から消える
が大量発生するのが必定
924世界@名無史さん:2006/03/29(水) 20:30:25 0
確定申告はお済でせうか
925世界@名無史さん:2006/03/29(水) 21:21:04 0
>921
戸(戸数)でしか数を把握していないから、もとから人口なんてわからない。
926世界@名無史さん:2006/03/29(水) 22:37:53 0
>>925
漢書地理志にも後漢書国郡志にも
各郡ごとに戸数と口数がヒトケタまで出てますが?
927世界@名無史さん:2006/03/30(木) 01:01:47 0
>>926
資料なんていい加減だろう。
だいたい税制自体戸数や人口と関係ない。おおよそで数を決めている。
農業自体が公田制、2圃制、凌駕制が始まっていない農業力。
また当時の食料となる食物の種類から考えても5千万などありえるはずがない。
928世界@名無史さん:2006/03/30(木) 02:47:08 0
口賦や算賦などの人頭税を取るのに人口調査は必要だろ。
限田制の為にも戸数調査は必要だしな。
929世界@名無史さん:2006/03/30(木) 12:54:02 0
資料が信用できるかという議論に入るためには疑問の根拠を示して検討するのが前提だ。
単なる原則論や想定から出発すべきではない。現に提示されている資料を頭から否定したら研究の手がかりを見失う。
930世界@名無史さん:2006/03/30(木) 17:41:31 0
乱の後に
天災・戦乱が相次ぐんだから人口減少は当たり前。
増えていたとしても、増加率は大幅低下と読む
931世界@名無史さん:2006/03/30(木) 17:54:34 0
アレだ、戦乱のあとはレイープされて生まれてくる子供で人口が増えるんだよ。
932世界@名無史さん:2006/03/30(木) 21:25:58 0
>>927
おおよそでいいならヒトケタまで出す必要ないだろ。
もまえのような見解を共有してる学者はプロの東洋史学にはいないだろ。
933世界@名無史さん:2006/04/18(火) 10:53:34 0
age
934世界@名無史さん:2006/05/06(土) 12:52:10 0
このスレは意外に歴史の古いものと言える。
935世界@名無史さん:2006/05/06(土) 13:39:44 0
劉備 曹操どん、教えてくれ、天下人って何だ。
曹操 孟子に言う、天が人に、大いなる任を降そうとする時、
   必ずまず、その心志を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その体を飢えさせ、
   その身を窮乏させ、行う事為す事に幾多の障害を与える。
劉備 あんた、ほんっとにいじわるだな。孟子だけじゃ、おいらはわかんねえよ。
曹操 図に乗るな!劉備!自ら考えない者は、人が教えても理解しないものだ!
劉備 おいら考えるから、あんた注釈つけてくれよ。
曹操 心の闇に鈍感な者に、天は任を降ろそうとはしない。
   心の闇を直視し、乗り越えた者だけに、はじめて天下人の任が降される、ということだ。
劉備 自分の心の闇に鈍感な者は、人の心の闇にも鈍感だからってことかい?
   つまり、自分に妥協する者は、人にも甘いってことだな。
曹操 そうだ。所詮、本質を曖昧に誤魔化したままの改革しか出来ないからだ。
劉備 曹操どん、あんた凄いよ、教えてくれてありがとう。
   しかし、あんた凄いねえ、どんな心の闇も直視して、なんでも分かっちゃうんだ。
   でもな、自分じゃ気付かねえかなあ、あんたはとんでもなくおっかねえんだよ。
936世界@名無史さん:2006/05/06(土) 13:40:16 0
曹操 劉備、何故俺が恐く見えるか分かるか?
劉備 あんたは、自分にも人にも妥協がないからじゃねえか。
   おいらが妥協したいことも、あんたの前じゃ隠せないからな。
   逆に、誰かがあんたを責めようとしても、あんたそれを既に知ってるってとこかい?
曹操 そうだ。天下を志す者は、まず自分の心の闇を直視し、一人でそれを越えなければならん。
   その心地を味わわずして“天下”などと口にしてはならぬ。
劉備 一人でなんて無茶だよ〜〜
曹操 甘えるな!劉備!自ら体験してない者は、人を導こうと思っても出来ないものだ!
   誰よりも早く、心の乱世を体験し、自らを治世へと導いた後、
   後続を乱世へ巻き込み、天下のあらゆる膿を噴き出させ、千年の世に導くのが天下人だ。
劉備 いいよ、曹操どん、おいらはおいらに集まってくる者を集めて天下に行くんだ。   
   おいらは天下の何でも容れちまえるでっけえ嚢だよ。
曹操 いい気になるな!劉備!自らを知らない者は、天下を知ることもないのだ!
   まだお前は一度も自分の嚢の中を見たことあるまい。
劉備 いいんだ、曹操どん、あんたのように見え過ぎる奴は嚢になれねえ。
   おいらはおいらで天下に向って、この嚢をひろげてやろうじゃないか!
曹操 ……………………… やはり自ら体験するまで分からぬか。
937世界@名無史さん:2006/05/13(土) 22:47:22 0
蒼天厨乙!
938世界@名無史さん:2006/05/15(月) 11:32:22 0
あげ
939世界@名無史さん:2006/05/18(木) 21:50:30 0
基本的な質問ですまんが、城郭の外の人間は人口に数えられてるの?
940世界@名無史さん:2006/05/21(日) 01:10:41 0
>>939
さあ。

関係ないけど、南京大虐殺ではそうらしいね。
南京軍区全体では、数十万人いたから、これこれだ、
と大きな数字を出しているらしい。
941世界@名無史さん:2006/05/21(日) 01:12:08 0
このスレッド、年齢が、3歳と4ヶ月。
2ちゃんでも稀な長寿スレだろうな。
942世界@名無史さん:2006/06/01(木) 01:44:41 0
甘いな
943世界@名無史さん:2006/06/05(月) 21:23:03 0
保全上げ
944世界@名無史さん:2006/06/06(火) 02:13:38 0
ローマ帝国に人口統計ってなかったの?
というか、残ってないの?
あれば、付き合わせてみると面白そうだけど。
内乱時の変動とか。
945世界@名無史さん:2006/06/07(水) 10:33:19 0
census センサス (人口調査)は、ラテン語由来の単語で、
ローマ時代に人頭税を徴収するために行われ、
censor ケンソル (監察官)の仕事とされた。

とはいえ、実際にカウントされていた人口は何なのか不明
(成人男子だけなのか、ローマ市民だけなのか、高収入の成人男性だけなのか)

ttp://www.csun.edu/~hcfll004/romancensus.html

↑元データはリウィウスの書物らしいんだが、自分は未確認。

で、結局のところある程度信頼に足る最古のセンサスとなると、
紀元2世紀に前漢で行われたやつということになる。
946世界@名無史さん:2006/06/07(水) 10:46:31 0
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1044984645/323
1位 800,000 Rome
2位 420,000 Changan
3位 400,000 Alexandria
3位 400,000 Seleucia
5位 270,000 Antioch
6位 260,000 Luoyang
7位 250,000 Chengdu
8位 200,000 Ephesus
9位 180,000 Maoling
10位 170,000 Lu

これなんかは、前漢の人口調査を元に計算している。
1戸平均5人として県の人口を求めた後、周辺の田園地域の人口を
1/3から2/3の間と推定して、都市人口を求めているようだ。

京兆尹長安:80,800戸→人口42万人
蜀郡成都:76,256戸→人口38.1万人→都市部人口25万人
右扶風郡茂陵:61,087戸→人口27.7万人→都市部人口18万人
河南郡洛陽:52,839戸→人口26万人
魯:52,000戸→人口26万人→都市部人口17万人
左馮翊郡長陵:50,057戸→人口25万人→都市部人口16.5万人
えん陵:49,101戸→24.6万人→都市人口16万人
南陽郡宛:47,547戸→人口23.8万人→都市部人口15.5万人
947945:2006/06/07(水) 11:04:06 0
>>945
×紀元2世紀
○紀元2年

人口調査したという記録だけなら、聖書の民数記にも載ってるけど、
まあ出エジプトというイベント自体が怪しいから。

徴兵の記録は、ピュロス出土の線文字Bの粘土板だとか、
より古い生データが残っていたりする。
948世界@名無史さん:2006/06/17(土) 04:20:39 0
949世界@名無史さん:2006/06/29(木) 22:30:03 0
あげ
950世界@名無史さん:2006/06/29(木) 23:00:19 0
>>1
なるほど、だから倭人の国では、人手不足を補う目的で「生口」を差し出す
羽目になったのか。
951世界@名無史さん:2006/06/30(金) 14:57:11 0
たかだか10人の「生口」になにができるのか
952世界@名無史さん:2006/06/30(金) 17:27:45 0
10人?もっと多かったんじゃないのか?
953世界@名無史さん:2006/06/30(金) 18:27:45 0
中華の秩序というシステムは永久に存続しやがては世界中を覆うのだろうか?
954世界@名無史さん:2006/06/30(金) 22:41:14 0
覆わないだろうね。
古代の中華帝国も、せいぜい東亜の一角だけだったからね。
ローマもエジプトも、中華とは関係なく繁栄してましたw
955世界@名無史さん:2006/06/30(金) 23:13:32 O
遅スレになるが長平で白起が40万と大げさな数字がでるが永楽帝は3000万のモンゴル軍を倒したんだっけW。 モンゴルにそんなに人いねー。
956世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:22:13 0
>>955
戦場掘り返すと、今でも人骨ゴロゴロでてくるってさ。
40万人分かどうかはわからんが。
957世界@名無史さん:2006/06/30(金) 23:30:16 O
水かけ論的スレになるがモンゴルには40倍の人骨があると?しかも日本ですら火葬になったのはわりと最近だから戦死者と特定できるのか?
958世界@名無史さん :2006/06/30(金) 23:52:18 0
>>957
大量に出た人骨の状況からして、縛られて、埋められたものだろうとのこと。
つまり、史書の通り。長平の話ね。穴埋めになったのが、そのまま掘り出されてるわけ。
NHKの中国歴史番組でやってたよ。
モンゴルの件はしらん。
959世界@名無史さん:2006/07/02(日) 17:12:21 O
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。
960世界@名無史さん:2006/07/04(火) 19:33:41 0
日本が貢いだ生口は

人間燭篭(しょくろう)にされたと聞いたが本当か?
961世界@名無史さん:2006/07/04(火) 19:45:39 0
デマだろうな
962世界@名無史さん:2006/07/05(水) 04:42:35 0
>>960
> 日本が貢いだ生口は
> 人間燭篭(しょくろう)にされたと聞いたが本当か?

誰だよ、そんなこと言ったアホは?
963世界@名無史さん:2006/07/08(土) 16:52:13 0
それ聞いたことアル。

その後、人間燭篭にされた父と子が涙の再会をしたという
身の毛も弥立つお話。
964世界@名無史さん:2006/07/08(土) 23:37:12 0
南條範夫の小説にそんなネタがあるらしいな。
965世界@名無史さん:2006/07/09(日) 13:47:35 0
小説か...。
966世界@名無史さん:2006/07/09(日) 20:28:28 0
>>959
こんばんは、競馬板でトラウマになった愛知のキチガイ脳糞古川さんw
967世界@名無史さん:2006/07/09(日) 20:30:52 0
>南條範夫の小説にそんなネタがあるらしいな
「燈台鬼」という小説だ。遣唐使が新羅の使者と唐の朝廷で席次を争った話がネタ
968世界@名無史さん:2006/07/09(日) 20:41:06 0
>遣唐使が新羅の使者と唐の朝廷で席次を争った話がネタ

詳しくキボ〜ンヌ。
969世界@名無史さん:2006/07/10(月) 10:01:39 0
ここ読んで
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%B8%85%E6%B2%B3
南條氏はこの事件をヒントに小説化した。
970世界@名無史さん:2006/07/10(月) 10:48:01 0
こういうストーリーらしいよ

遣唐使として唐に渡り謁見の間で、同席した新羅との席順に抗議し反感を買った。
その後、新羅側の策略にはまり、道中襲われ一人取り残され行方不明とされた男-石根がいた。
彼の消息を求め、唐に渡ったその子-道麻呂は見るもおぞましい人間燈台として
つかわれる身となった父と再会することとなる。声は奪われ指を削がれ、およそ
人間とはかけ離れた容貌の父を前に道麻呂は何とか国へ連れ帰ろうとうする。
しかし石根は己が身をさらす恥を忍んで、身を投げて自殺してしまった。
971世界@名無史さん:2006/07/10(月) 13:43:27 0
よくそんな怖い小説読む気がするねぇ…(ぶるぶるぶる
972世界@名無史さん:2006/07/10(月) 18:33:58 0
支那には人間痰壺というのもあったらしい・・・。
973世界@名無史さん:2006/07/10(月) 18:48:28 0
現代で言う「日本の首相はアメリカ訪問時に大統領官邸に呼ばれたが半島は・・」なんて
情けない話とおなじか。戦争に負けてメスになってしまった地域って哀れ。旧大日本帝国領の諸傀儡国家のことだけど。
974世界@名無史さん:2006/07/11(火) 17:57:27 0
>>972
肉便器みたいなものかw
975世界@名無史さん:2006/07/11(火) 19:32:08 0
黄巾の乱後の中華人口大激減 
この時の難民が大量に日本列島に流れ込み、倭国大乱に成りました
そして鬼道を行う卑弥呼系一族が政権をとりました
黄巾党のなかには、鬼道を行う一派が居たと言う
976世界@名無史さん:2006/07/11(火) 21:36:01 0
後漢の鬼道と太平道は別もんだろ
太平経では一応鬼道は否定されてるし
977世界@名無史さん:2006/07/12(水) 03:11:27 0
そのへん、どうなのよ?
978世界@名無史さん:2006/07/12(水) 23:18:01 0
宗教というものは当初は民衆の不満に乗ずるために過激でカルトだったりするが。
やがて政権や知識階級に親和するにつれ、常識的な教説や運動に変化する。
鬼道を説いていた初期五斗米道が穏健な教団になったとしても不思議はない。
979世界@名無史さん:2006/07/13(木) 05:45:21 0
>>973
現代国家の友好関係と、柵封時代の国際関係を一緒にする感性ってなんなんだろうな?
政治に興味持ち始めた中学生みたいな議論だ。
980世界@名無史さん:2006/07/24(月) 16:56:27 0
私も知りたい!
981世界@名無史さん:2006/07/25(火) 01:07:02 0
>>979
中学生的な、素人ですが、歴史は繰り返すからなぁ。ww
だからこそ、みんな歴史を学ぶからなぁww
少し話はそれるが、今の中狂政権だって明王朝に奇妙なほど似ている
いるからなぁ。明王朝のことを調べたら中狂政権の行く末がおおよそ
つかめる。
982世界@名無史さん:2006/07/25(火) 02:18:08 0
でも明王朝の対チベット政策はとってもゆるゆるだが
中華人民共和国の対チベット政策はとってもきつい。
983世界@名無史さん:2006/07/25(火) 06:09:28 0
「柵封時代」ねぇ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イングランドの産業革命史で習ったような
984世界@名無史さん:2006/07/25(火) 08:31:52 0
3つの時代のLinzi人類集団が異なる遺伝的構成を持つことが明らかになった。
地理的分布と同様に、現代Linziの人類集団は東アジア人類集団とクラスターを形成して、
現代ヨーロッパ人類集団とは離れた結果を得た。
また、現代中央アジア人類集団はヨーロッパと東アジアの中間に位置する。
ところが、2000年前のLinzi古人類集団は、現代東アジア人類集団と
現代ヨーロッパ人類集団の中間に位置しており、現代中央アジア人類集団に近かった。
さらに驚いたことに、2500年前のLinzi古人類集団は、現代東アジア人類集団よりも、
むしろ現代ヨーロッパ人類集団や現代トルコ人集団と近い遺伝的背景を持つことが分かった

http://homepage.mac.com/azsyano/Personal25.html
985世界@名無史さん:2006/07/25(火) 10:13:53 0
鰯を食って黄巾の乱
986世界@名無史さん:2006/07/26(水) 01:53:18 0
今の人民共和国はアカだから法輪功は黄色のシンボルをあげて活動すればいい
987世界@名無史さん:2006/07/26(水) 08:34:38 0
後漢の人口5000万人というのが眉唾だよ。そもそも。
その1/3〜1/5と見るのが妥当じゃないか。
988世界@名無史さん:2006/07/26(水) 10:48:28 0
>>987
戸籍に、実際より多く人口を記載する意味ある?
人数多くすると税負担とか上納金とかが多くなるから、
住民も地方官僚も各段階で、なるべく少なくごまかそうとするのでは?

軍官僚は、兵員数にあわせて軍費や糧秣が上から支給されるから、
兵数を実数より多く申告するかもしれない。
989世界@名無史さん:2006/07/26(水) 18:27:23 0
とりあえず過去ログくらい読んどけ
990世界@名無史さん:2006/07/26(水) 19:08:18 0
>>983
エンクロージャーのことじゃね??
991世界@名無史さん:2006/07/26(水) 19:09:45 0
次スレやるの?
992世界@名無史さん:2006/07/26(水) 22:01:51 0
やろう。
993世界@名無史さん:2006/07/27(木) 00:13:20 0
>>981
>今の中狂政権だって明王朝に奇妙なほど似ている
いるからなぁ。明王朝のことを調べたら中狂政権の行く末がおおよそ
つかめる。

どこらへんが似ている?

共産党政権の行く末はどうなると思う?
994世界@名無史さん:2006/07/27(木) 07:02:25 0
>>993
このまま往きつづける事など100%ありませんね。
かならず近い将来行き詰まって崩壊する。

ただし中国人は現世的、実利的社会の歴史を持っているから、
ソ連、東欧のような無様な崩壊はしないと思う。

それを前提で考えると人民解放軍の暴発(日本に核を打つ)も
可能性としては少ないと思う。

だから日本は内部のアホな利権屋の目先の欲得で動いてはならない。
大人の付き合いを考えれば、靖国なんて中国にとってどうでもいいこと。
ガキの付き合いをやらかそうとしているのが
日本国内の靖国反対派。
995世界@名無史さん:2006/07/27(木) 07:07:51 0
人民が案外単純かもしれないという噂があるけどね。
あーみえて、単純に踊ってるところがあるよ。

996世界@名無史さん:2006/07/27(木) 07:18:42 0
中国は建国の英雄期が去って、守国の凡才期になっているのだ。
997世界@名無史さん:2006/07/27(木) 16:44:16 0
http://www.osaka-cad.co.jp/hitokuchi/hitokuchi_kodaishi/hitokuchi.051017.html

倭人て馬鹿だったのか?それとも命知らずなのか?黄巾の乱の真っ最中に朝貢してくる
ヤツ。
998世界@名無史さん:2006/07/27(木) 17:00:46 0
次スレ立てました

 黄巾の乱後の中華人口大激減 part2
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1153208325/l50
999世界@名無史さん
↓鮮やかに決めてくれ、1000getを