王侯将相いずくんぞ種あらんや

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1世界@名無史さん
これは秦の時代の農民反乱陳勝・呉広の乱のスローガンですが、
王などが元々自分たちと変わらないという認識(またはその逆も)はいつぐらいまであったんでしょうか?
自分はこの頃、まだ農民にそういう自覚があったのを知ってかなり驚きました。
2世界@名無史さん:2001/06/24(日) 02:00
>>1
まだってどういうこと?
変わらないと思ってるやつなんかいまでもいるジャン。
ツーか俺だけど。
いつぐらいからそういう意識があったのか?のまちがいでは?
3:2001/06/24(日) 02:26
>2
それはあなたが歴史を学んで身分の差は農耕の役割分担の結果っていうのが分かってるからだけど
そういうことが教えられていない国ではまだ王の事を神の子孫だと本気で信じている人たちもいるでしょ?
でも少なくとも身分の差が出来始めたころは平民にも王(指導者)ももともと自分たちと同じだと分かってたはず。
それが長い間身分を世襲していくと権力も大きくなり、神話の中で王は神の子孫ということになり、
もともと王と自分たちが同じ社会的地位だったなんて思わなくなってったんだよね?
ところが陳勝・呉広の乱の頃はまだそういうことが分かってたらしい。
じゃあいったいいつ頃までそれが分かってたのか?ってことです。
4ドクトル・ゲー:2001/06/24(日) 04:13
>>1
孟子の易姓革命論からなのでは。
これの影響はかなりデカイと思いますが。
5世界@名無史さん:2001/06/24(日) 08:15
>ところが陳勝・呉広の乱の頃はまだそういうことが分かってたらしい。

中国の場合は、「まだ」ではなく「既に」というべきでは?
6アマノウヅメ:2001/06/25(月) 12:06
>>4
孟子はこの時代には一般人にまでは知られていなかったのでは?
儒教を積極的に取り入れたのは戦場育ちの諸侯の行儀の悪さに
手を焼いたからだといいますね。

これ以後は実際に庶民の出身でも皇帝にとって代われることが
わかったから、易姓革命論が常識になったと考えるんですが。

どの程度まで庶民が知っていたかは証明できる資料がないんですが
秦の始皇帝は、商人の子です。
取り巻き連中も素性の解らないのが多い。

噂が広まっていたとすれば、思想の表明というより、秦に対する
攻撃ということになりますが、ちょっと無理かな。
7:2001/06/25(月) 22:56
>6
>秦の始皇帝は、商人の子です。
>取り巻き連中も素性の解らないのが多い。
そうだったんですか。
じゃあ王侯将相・・・は身分の差が農耕初期の役割分担から、ということを知っていたわけではなく、
秦のトップがもともと低い身分だということをさしているんですかね。
ありがとうございます。
8世界@名無史さん:2001/06/25(月) 23:04
>>6
>秦の始皇帝は、商人の子です。
素の話、ほんとかなぁと思ってたんだけど。
『史記』は呂不韋の子って明言してるんでしたっけ?
9:2001/06/25(月) 23:06
>8
まあ本当かどうかはともかく農民の間でそういう噂が広まっていたことは十分考えれますね。
10李斯@シャールフ:2001/06/25(月) 23:11
>取り巻き連中も素性の解らないのが多い。

呼んだ?
前職は田舎の小役人じゃ、悪いか
便所の鼠と倉庫の鼠を見て人生悟ったのさ。

>秦の始皇帝は、商人の子です。

いくら史記に書いてあるって云っても噂の域を出ないいんじゃない?
11世界@名無史さん:2001/06/25(月) 23:25
>>9
ないない!
史記が完成したのは始皇帝から数百年後のこと。
当時にそういう考え方(王侯将相いずくんぞ云々)を持つ者がなかったからこそ、
今有名な言葉として語り継がれてるんだよ。
そのときの大衆が、厳格な法律と使役にに不平を抱いていて、
そのはけ口を陳勝が、端的に言葉で表したから大きなエネルギーになった。
例えば、現代でそんな言葉を言ったとして誰が振り向く?
ごく当たり前のことじゃん。
大衆社会のニーズとウォンツにはまった小泉首相と似てるよな。
12世界@名無史さん:2001/06/25(月) 23:28
>>11
さすがに数百ってのはオーバーだろ
せいぜい百年そこらじゃないの?
13nanasi:2001/06/27(水) 13:26
赤龍王の陳勝・呉広は小人ぶりが凄かったな
14世界@名無史さん
age