銃・火砲の世界史

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1世界@名無史さん
従来の武器に代わって主力兵器となるという戦略的革命を起こした
銃・火砲について語りませう。
2世界@名無史さん:2005/07/06(水) 22:16:01 0
2ゲットしたらそんだけ先生降臨
3世界@名無史さん:2005/07/07(木) 18:55:10 0
3ゲット!!
44げっと:2005/07/07(木) 19:12:10 0
http://yasai.2ch.net/army/kako/998/998225170.html


そんだけさんの講義スレ
一応はっときます

5世界@名無史さん:2005/07/08(金) 00:11:11 0
6世界@名無史さん:2005/07/08(金) 13:13:03 0
時代の最先端は6getなのだよ
7ナナたんが7ゲット:2005/07/08(金) 14:41:28 0

           _ _ _ _
        ,.r ' ,´tー-、__ _ー 、
      ./─t' i    ー-, ヽ 、\
   ,,..-/   i  |   i    l   ヽ`ー- _、
  ∠,__/   i l  |  l     |    i- ' ´ /
  ',  /    l |  |  | i    |    l  /
  ∨i   i | ! |   l l    !    l / i
   i i   |  i! i! !   i! i!  i   ヽ l/  |
   | !   l ム ム   ム ム、ヽ   ヽ !/ i
   l |  人jr〒ミヽ ヽ |7T〒ミ、\  ヽ l //
   li ',  { | ヒ'゙;;|` \ .ゝ ト'゙;;;|ヾ 7\_ヽ{/
   丶', |ヽ! ゞ.シ   ヾ ゞ.シ '//  /7'
     ヽ!ー-ゝ""     """ ノ/ノ从/
      \! 、   ` _   ∠ク^ヽ
          > 、 __ . イ/   i`ヽ 、
        /::::i ` t、 /    !:::::::::::`丶、
      /:::::::::/ /⌒ヽ_/⌒l   !::::::::::::::::::::::::ヽ
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     |::::ヽ::::::::::::::::::::::| |:::::::::::::::::::::::::|:::i:::::::::::::::::::::::|
8世界@名無史さん:2005/07/08(金) 15:06:59 0
>>7
おまえ飛び道具使うけど火薬使ってねーだろ
9世界@名無史さん:2005/07/08(金) 15:38:05 0
104げっと:2005/07/08(金) 19:11:32 0
なんかあんまり人こないし、
「細々と銃・火砲を語り合う」というスレにした方がいいと思う
11世界@名無史さん:2005/07/08(金) 19:20:55 0
後装式ライフルが出てくるまではそれほど凄い兵器でもなかったのでは。
12世界@名無史さん:2005/07/08(金) 19:48:38 0
チャルディラーンの戦い
13世界@名無史さん:2005/07/08(金) 20:00:03 0
じゃあ 火薬が発明されたところから始めようか
14世界@名無史さん:2005/07/09(土) 15:55:51 0
火薬を発明したのはイギリス人の学者ロジャー・ベーコン
またはドイツのバルトリド・シュワルツ修道士といわれている。
15世界@名無史さん:2005/07/09(土) 16:13:12 0
中国で唐末ないし北宋初期から花火に使われていただろーが!
16世界@名無史さん:2005/07/09(土) 16:23:31 0
>>15
ソース
17世界@名無史さん:2005/07/09(土) 16:36:15 0
>>16
学校で習わなかった?
18世界@名無史さん:2005/07/09(土) 16:46:30 0
いきなり中国で発明されたといわれても納得いかない。
まだイギリスやドイツのほうが信憑性あると思う。
19世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:18:55 0
花火の原型は万里の長城の烽台から打ち上げられた狼煙だそうですが(秦代)
20世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:19:50 0
支那の話はいまいち信用できない。
21世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:22:07 0
>>18
そりゃ君がおかしな先入観を持ってるにすぎん。
イギリスやドイツなんてのは、世界史的にみれば後発国だ。
それならスペインやオランダやポルトガルが、と言われたほうが
まだ説得力がある(w
22世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:22:43 0
>>18 >>18 >>18
なんじゃそりゃwww
23世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:26:31 0
火薬の発明は中国だってのはよく聞く話だけど具体的なソースを見たことがない。
大体それならなんでポルトガル人が来るまで銃がなかったの?
24世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:28:35 0
後発だったはずのヨーロッパでなぜあんなに銃が発達したのか
25世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:32:15 0
>>23>>24
おおい、元寇の時に元軍は「てつほう」という火薬を使った兵器を使用しているじゃないか。
中国で火器が余り発展しなかったのは、統一王朝が成立しやすいという
地理的な条件が関与していると思われ。
26世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:35:18 0
>>23
具体的なソースをあげるとするなら、中国、唐代に書かれた、
「真元妙道要路」があげられる。この書物には硝石、硫黄、炭を
混ぜ合わせると激しく燃焼する物体ができるということが記されているぞ。

つか、君、頭大丈夫?
27世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:41:45 0
>>24
ローマ帝国分裂以後、ついに統一欧州帝国が誕生しなかったから、
四六時中外敵の脅威に晒される時代が長く続き、戦争技術が発展していった。
小銃の発展はそういった戦争技術発展の中の一つ。

また、欧州は気候に恵まれず貧しかったから、技術を発展させて
自然を克服しなければ、生存すらも危ぶまれた。腰巻一つでたらたら
やってても食べるものに不自由しなかった熱帯とは違う。
自然によって強要された技術の発達を、近接しつつ敵対する国家関係が
軍事への応用を強要した。それが欧州発展史。
28世界@名無史さん:2005/07/09(土) 17:52:16 0
中国でも元末明初の戦乱なんかでは銃や大砲が結構使われてたらしい。
漢人勢力同士だと歩兵中心の軍隊で城塞都市を奪い合う、わりとヨーロッパ型の
戦争になりがちだからね。

統一王朝ができると主敵が遊牧民になるので、騎兵中心のユーラシア型軍隊に
なっちゃうんだけど。中国はその二つのパターンの繰り返し。
29山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/09(土) 17:53:39 0
とりあえず、『金史』巻123に、「震天雷」が出て来ますね。

其攻城之具有火砲、名震天雷者、鉄爟(火では無く、石)盛薬、以火点之、
砲起火発、其声如雷、聞百里外、所爇囲半畝之上、火点著甲鉄皆透、大
兵又為牛皮洞、直至城下掘城為龕、間可容人、則城上不可菜何矣、人有
献策者、以鉄縄懸震天雷者、順城而下、至掘処火発、人与牛皮皆砕迸無迹、

・・・とまあ、白髪三千丈混じりとしても、凄まじいのなんの。
これを使用され、鎌倉武士がえらい目に遭ったのは、よく知られている通り。
1232年には、金軍が防戦に震天雷を使用しています。
30世界@名無史さん:2005/07/09(土) 18:21:46 0
1540年代より前から日本にも原始的な火器はあったと聞いたが。

あと宋代以降の中国では小型の原始的なミサイルとかも使ってたらしいね。
31世界@名無史さん:2005/07/09(土) 18:31:36 0
中国では宋以後に使われたそうだけど
欧州では百年戦争時期でも大型の火砲が少し使われた程度だとか。
32世界@名無史さん:2005/07/09(土) 18:36:22 0
たしか太田天洋が描いた文禄の役の海戦図で、日本の武士が
中国風のロケット槍をもってたような気が。
「海と水軍の日本史」って本の表紙なんだけど。
33世界@名無史さん:2005/07/09(土) 18:43:55 0
ミサイルの起源は北朝鮮の(ry
34世界@名無史さん:2005/07/09(土) 19:25:37 0
元軍がジョウハンを包囲したときにペルシアから巨大投石器かなんかをもってこなかったっけ。
イスラム世界に火砲が伝播した時期は?
35世界@名無史さん:2005/07/09(土) 19:40:30 0
>>34
それは回回砲。カウンターウエイト式投石器だったはず。

モンゴル侵攻以前から「中国の雪」つまり火薬はイスラム圏に伝わってたらしい。
アイン・ジャールートの戦いでマムルーク朝軍が火砲を使ったという記録まであるそうだ。
36世界@名無史さん:2005/07/09(土) 19:43:18 0
ttp://www.gabarin.com/ayh/Powder.htm

>Four Arabic treatises describe or mention small portable cannon.[24] All these treatises report that
>cannon were used in the battle of `Ayn Jalut in Palestine in 1260 between the Arab Army and the Mongols,
>in which the latter were defeated. It was used once more against the Mongols in 1304. The purpose of the
>early cannon and other gunpowder devices as we shall see was to frighten the enemy’s horses and cavalry
>and cause disorder in their ranks.
37世界@名無史さん:2005/07/09(土) 20:17:11 0
いずれにしろ、13世紀には実用化されてるってことは確実だな。
年代が十字軍と微妙にかぶる気がするが、その頃イスラム側が火器
を使ったという認識がない。ギリシャ火なら使ってるはずだが、
あれって、石油の類のようなものか?
38朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/07/09(土) 21:46:06 0
>>37
ギリシャ火は粗製石油説も確かにあるけど、水に触れて発火するため、
生石灰が原料ではないかと考えられてるけど、詳細は不明なの。

イスラム帝国の焼夷特殊部隊“バファットム”が使用した焼夷兵器は、
生石灰、樹脂、硫黄などの混合物であり、ギリシャ火と同種と考えられてる。
39世界@名無史さん:2005/07/09(土) 23:30:18 0
「中国の雪」は硝石のことでしょう。
未だ火薬じゃないでしょ。
火薬は、道士たちが外丹術とかで、怪しげな薬をたくさん作っていたら
できたらしいね。唐は道教が盛んだったから。

ギリシャ火は名前からビザンツの発明かと思っていたら、ルーツは中近東と聞いた
んだけど、真相はどうなんでしょう?
あと、火炎放射器は中国でもあったという話を聞いたことがあるけど、これも中近東から
伝わったんでしょうか?
40世界@名無史さん:2005/07/09(土) 23:41:56 0
ギリシャの火は、七世紀ころシリア人のカリニコスが発明したはずだよ。
414げっと:2005/07/10(日) 00:28:44 0
『戦争の科学』っていう本によると紀元900年頃に中国で発明されていると
書かれている
その後、交易を通じて西へ伝わっていった

(※下記は火薬とは少し関係ない)
同本によればギリシャ火の「前身」というものが、古代ギリシャで
発明されている
ギリシャ火薬(古代ギリシャ人たちはそう名付けた、厳密には火薬ではない
ややこしいので注意)というもので、今で言えば「火炎瓶」にあたる
松やに、硫黄、粒状にした乳香、松の木のおがくずを混ぜて、布製の袋に
入れる。袋を紐で縛り、火をつけて、カタパルトで投げて敵の要塞内に
投げ込む地面に激突すると炎が四方に飛び散る
「水をかけると」さらに炎は勢い良く燃える

ギリシャ火は上記に書いたギリシャ火薬を手本に作ったと書かれている
ギリシャ火は港湾都市であるコンスタンティノーブルが
海から攻められるのを防ぐための防衛手段から発明された
相手は当然(木製の)軍船で攻めてくるから火を使った攻撃が有効だと
思い、古代ギリシャ人が使ったギリシャ火薬を使おうと検討した
しかし、「皮袋」をカタパルトを使って百メートルも飛ばしてもまずほとんど
命中しない
船に乗っけて、至近距離から投げるという案もあったが船に乗ってる
自分たちも揺れるので余計に当たらない。
そこで開発に携わった科学者たちは、異臭を放ち、可燃性の高い奇妙な液体
ペトロレウムの存在を思い出した



424げっと:2005/07/10(日) 01:29:30 0
ペトロレウムは当然石油(粗製石油だと思う、本には書いてない)だが
彼らは油とギリシャ火薬を組み合わせ、ギリシャ火薬を「液状化」することを
思いついた。
液状化したギリシャ火薬に石灰、骨粉、尿から作った燐火アンモニウムを
組み合わせ、混合液をつくった
これにより、火炎放射器「ギリシャの火」が完成した。
なお構造は混合液を大きなタンクにいれ、手押しポンプを付け、
火花を発する引き金(火打ち石)がとりつけられたノズルを
引くことで火が出る(※厳密には油が飛ぶ)
またギリシャの火を使うための専用の小型ガレー船も作られた

434げっと:2005/07/10(日) 01:32:14 0
この兵器がつくられてすぐ、サラセン人が海上から攻撃をしかけてきた
ギリシャの火を搭載したガレー船は機動力を生かし、サラセン艦隊に接近、
なおガレー船の甲板の下では男たちが必死にポンプで上下させている
射程範囲内に近づくとノズルを向け混合液が噴出する、その瞬間
火打ち石をから火花が飛び、燃える液体が最大で45メートル(小学生の頃
読んだ本では30メートル)サラセンの艦隊に向かって吹き出す
一隻、また一隻と船が炎上し、恐怖に駆られたほかの船はほうほうの体で
逃げ出した

後に716年にイスラム勢力の艦隊が攻撃をしかけたが、ギリシャの火に
艦隊を丸ごと焼かれた(※本にはオスマン・トルコと書いてあるが時代的にありえない)
(※秘密を手に入れようとコネや金を使って交渉したが、
取引に応じず、コンスタンティヌス帝の下に
天使が舞い降りて新兵器の作り方を教えてもらった、という話しまで広まった
結局最後まで秘密は暴かれなかった)


44世界@名無史さん:2005/07/10(日) 01:50:09 0
やっぱり、あらゆる兵器は男根の象徴だというのは本当のようね
454げっと:2005/07/10(日) 02:00:28 0
上記の文の8割が本をそのまんま写したものです
(残り2割は憶測にならない程度に書きました)

補足・訂正
石油の世界史によれば、
「ギリシヤの火は石灰岩と石油を混ぜたもので
石灰が海水と化学反応を起こして発火しました」
微妙に違っています

また、ギリシアの火同様に水に触れても消えない、逆に燃え広がる
というのは、確実のようです

またギリシアの火に関する機密は完全に守られていたようで
「放出されると火を吹きながら飛び」も伝承ではないかと疑う向きもあるようです。

http://www.geocities.jp/magurogyosenn2000/mili02.html

なお、>>41から43のソースは
『戦争の科学』という本を参考にしました
筆者 アーネスト・ヴェルクマン
訳者 茂木健(たかし)
発行所 株式会社 主婦の友者
3000円
(なおこの本は記述ミスや科学の発展による兵器の発達に偏重した書き方を
しているので、首をかしげる記述もあります)
ソースが少なく、自分自身の知識不足もあるので
問題があったら片っ端から指摘してください

ひょっとしたら、とんでもない間違いがあるかもしれませんし
464げっと:2005/07/10(日) 02:05:58 0
訂正です
>>45
石油の世界史によれば、
「ギリシヤの火は石灰岩と石油を混ぜたもので
石灰が海水と化学反応を起こして発火しました」
微妙に違っています

上の文は間違いを訂正したわけではなく、
異なった意見を載せただけです
どちらが正しいのか正直わたしにも・・・わかりません
47世界@名無史さん:2005/07/10(日) 12:14:24 0
>>39
猛火油櫃のことかな
48乙事主さん:2005/07/10(日) 13:58:34 o
映画「もののけ姫」で登場した「石火矢」って中国に本当にあったようですが
我が国にも実際に伝来したのでしょうか?
確かあれは時代設定が室町中期頃(1450頃か?)らしいですけど
49世界@名無史さん:2005/07/10(日) 14:06:12 0
タッチホール式の銅銃ですか?
たしか鉄砲伝来以前に武田家が輸入してたとかどっかのスレに書いてたような。
50世界@名無史さん:2005/07/10(日) 14:26:43 0
>>47
>>猛火油

そりゃフタバガキの樹脂だって
51山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/10(日) 15:33:32 0
>>48
>室町中期頃(1450頃か?)
この頃なら、琉球に原始的な鋳銅製の銃が伝来しており、その後間も無く
日本にも伝わって、所謂「鉄砲伝来」の頃には、瀬戸内の海賊衆が火器を使
用しています。応仁・文明頃には、火薬が渡来していた筈。
映画の時代は、もう50年ほど後ではないかと思いましたが。
もう少し、正確なソースを探しておきます。
52乙事主さん:2005/07/10(日) 17:32:10 o
49様、山野様
レス有難うございます

あの棒の先に付いてたのは銅銃というのですね
もののけ姫ではタタラの鉄で作ってましたね
しかも弾倉部を脱着するタイプも開発してましたね
ところであのような物の資料はどこかに現存しているのでしょうか?
もしあるとすれば種子島銃以前の火器ですね
あと戦闘で使用された記録や絵巻など現存してるのでしょうか?
53世界@名無史さん:2005/07/10(日) 18:36:11 0
>>52
すでに応仁の乱に銅銃の使用が記録より確認されています。
54世界@名無史さん :2005/07/10(日) 19:49:49 0
そんだけ氏気取りの4げっとは完全に無視されたな(藁)

55世界@名無史さん:2005/07/10(日) 21:53:11 0
世界銃砲史
ttp://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0000776101/
火器の誕生とヨーロッパの戦争
ttp://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0001108847/
鉄砲
ttp://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0000497558/
上二つは、品切れか。良い本なんだけどな〜。 

56世界@名無史さん:2005/07/11(月) 18:27:41 0
>>52
銅銃は支那に実物が残ってる。最古のは1374年製のものらしい。
57世界@名無史さん:2005/07/11(月) 20:54:51 0
世界最古の銃器は銅銃なのかな?
ヨーロッパで銃器が出始めた頃とどっちが早いのだろう?
58世界@名無史さん:2005/07/11(月) 21:49:33 0
中国とヨーロッパかあ。
そういや間に位置するイスラム世界では何もなかったの?
59世界@名無史さん:2005/07/11(月) 21:53:58 0
オスマン・トルコがコンスタンティノープル攻略で、大砲の威力を
ヨーロッパに知らしめていますが、なにか?
60世界@名無史さん:2005/07/11(月) 21:55:25 0
例えば中国や欧州とも違う中東独自の火器発明とかじゃない?
61世界@名無史さん:2005/07/11(月) 21:59:00 0
回回砲と書いてフイフイホウと読む。
これも中東かな?
62世界@名無史さん:2005/07/11(月) 22:53:08 O
それは単なるカウンター・ウェイト方式の投石機。モンゴルが宋の攘陽攻略戦で使用した。
63てる兄:2005/07/12(火) 03:13:52 0
>>52
宮崎駿監督の映画もののけ姫で出てきた明の指火式手銃は日本には伝来していない。
古銃研究の第一人者である所壮吉氏や国立民俗博物館教授の宇田川武久氏の調査によって立証済み。
当然ながらそのような手銃の現物資料など日本のどこにも無い。
応仁の乱で使用されたものをただちに火砲の類と考えるのは早計過ぎるし、他の文献にしても信憑性が低い。
琉球の使節が足利将軍に謁見した際に鉄砲を打ち鳴らしたという記録があるが現在の研究では爆竹のような物だとする見方が妥当らしい。
一部では火薬の使用はあっただろうが実戦で武器として火砲が使われたのはポルトガル人来航以降の事である。

だからあの映画で出てきた火砲・爆雷などはすべては宮崎氏の空想である。
64世界@名無史さん:2005/07/12(火) 07:49:03 0
>>63
銅銃は応仁の乱以後に多用されているのは何故?
65世界@名無史さん:2005/07/12(火) 15:02:05 0
>>57
欧州でも火器が使われ始めたのは百年戦争の頃なのでだいたい支那と同時期。
>>59
作ったのはセルビア人ですが。
66世界@名無史さん:2005/07/12(火) 16:48:39 0
>>65
突っ込みどころ満載

>欧州でも火器が使われ始めたのは百年戦争の頃なのでだいたい支那と同時期。

百年戦争も後期になってからだから、
14世紀末から15世紀初頭、対して
中国で火器が作られるようになったのは13世紀ごろから。
百年くらいの差がある。

>作ったのはセルビア人ですが。

残念!ハンガリー人ですから!ギリ!
67世界@名無史さん:2005/07/12(火) 17:01:10 0
>>65
ウルバンがセルビア人ってをいをい…
68世界@名無史さん:2005/07/12(火) 17:25:44 0
イスラム独自の火器といえば、全身に花火をつけて突撃する騎兵とかいたらしいよ(w
69世界@名無史さん:2005/07/12(火) 20:25:05 0
初めて火薬を発明したのって中国の錬丹術師だっけ?
おそらく当初は爆竹レベルの炸裂だったのだろうけど
ビックリしただろうなぁ〜。

オレがもし術師で、研究中に偶然「パンッ!」って爆発したら
「うおッ!」ってビビって以降錬丹術から足を洗うかも知れん。
70世界@名無史さん:2005/07/12(火) 22:07:41 0
ウルバン砲の弾丸の装填ってどうやったんだ?
あれって、一発600キロぐらいあるだろ?
71世界@名無史さん:2005/07/12(火) 22:10:20 0
イスラム独自の火器にはマドファというものがある。
1300年頃の文献には出てくるから相当古くからある銃器。
あるいはこれが銃器の起源かもしれない。
木製のタッチ・ホール式の銃。
72世界@名無史さん:2005/07/13(水) 11:22:46 0
73世界@名無史さん:2005/07/13(水) 15:04:28 0
ウルバンて最後は大砲が暴発して死んだらしい。
74世界@名無史さん:2005/07/14(木) 00:54:22 0
>>73
本望だったでしょうな。
75山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/15(金) 20:10:54 0
>>52
>あと戦闘で使用された記録や絵巻など現存してるのでしょうか?
『蔭涼軒日録』に、文正元年(1466)に、その頃喜界が島を征伐するなど武
力を振るっていた琉球の使節が足利義政に謁見し、「鉄放」を放ったとあり
ますが、形状などの詳細は不明です。文字通り鉄製かも不明。
『碧山日録』には、応仁2年に細川軍が「火槍」を使用していたと書かれていま
すが、これまた詳細不明。文字通り、長柄の先に(ヤリは鑓と表記されるのが
普通でしたが、長柄の使用を強調したものか)手筒花火の様なものを取り付
けたのではないかとも言われています。
53氏が仰られたのも、おそらくこれの事でしょうが、銅銃とも判断し難いの
で、「応仁・文明頃には、火薬が渡来していた筈」で済ませました。

当時の合戦を描いた史料としては、『真如堂縁起』などがありますが、少なくと
も、火器の使用は見られません。ただ、先にも少しばかり言及致しましたが、
所謂「鉄砲伝来」の3年後には、瀬戸内での戦闘に「鉄砲」が使用されたとい
う記録があり、おそらく旧式の銃だったのではないかと推測されます。
名称は「鉄砲」ですが、『太平記』にも出て来る元軍の記憶によるものか。
76山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/15(金) 20:19:36 0
曲亭馬琴の『近世説美少年録』には、永正6年(1509)に九州で鉄砲が
使用されていますが、何に拠ったものか分りません。
なお、『南総里見八犬伝』に、火縄銃が出て来るのは、明らかな考証ミス。
嫌味と博覧強記の人というイメージが強いですが、ご存知無かったか。
77世界@名無史さん:2005/07/15(金) 22:22:24 0
応仁の乱より前の応永の乱の時にも、
銅銃が使用されていたらしい。
78世界@名無史さん:2005/07/15(金) 22:44:14 0
「晴天の霹靂」の霹靂ってのは炸薬弾のことでしょ? 何もない青空で突然
霹靂が炸裂してビックリするって意味だよね。応仁の乱のころにはもうあったらしい
79世界@名無史さん:2005/07/15(金) 23:17:16 O
>>78 「霹靂」とは元々は雷という意味ですよ。
「青天の霹靂」とは晴れているのに雷が鳴るように、前ぶれもなく突然事件が起こることです。
兵器としての「霹靂砲」は「雷のような音を出すもの」というニュアンスであとからつけられた名前でしょう。
80世界@名無史さん:2005/07/18(月) 16:07:08 0
青銅や鋳鉄でできた前装式大砲が破裂したら、周りにいる人は具体的にどういう被害を受けますか?
とりあえず悲惨なことになるのは想像つきますけど。
81朱由檢:2005/07/18(月) 20:55:49 0
>>80さん
『当代記』(成立年代、著者不明)に大阪冬の陣での記述には、
天王寺門の大和衆が使用していた石火矢(国産大砲)が暴発し、
5〜6人が爆死し、7〜80人が火傷を負ったとあるよ。
82世界@名無史さん:2005/07/18(月) 22:17:00 0
後装式の大砲は19世紀の代物だと皆思ってるだろうが、実は16世紀に既に
存在していた。豊臣秀吉がインドのゴアで製造された青銅製の大砲が今も
残っている。ただ、当時は閉鎖機の技術がまだまだ未熟だったので、早々
に廃れてしまったが・・・
>73
ウルバンに関する資料をご存知でしたら、ご教示いただけると幸いです。
非常に興味があるもので。
84世界@名無史さん:2005/07/18(月) 23:26:16 0
>>82
閉鎖機が不十分な後装砲って、世界初のロシアンルーレットだね
85朱由檢:2005/07/18(月) 23:32:21 0
>>82さん
“仏朗機”は世界史板ではよく知られてるよ〜。
現物が見たければ、靖国神社へどうぞ。
86世界@名無史さん:2005/07/19(火) 02:07:10 0
>>81
情報サンクスです。へたすると数十メートルぐらい被害が及んでるのか・・・
>>83
とりあえず自分のネタ元はこれですが
ttp://andreorban.tripod.com/orbfame.html
この人については資料がそもそも少ないのかも。
87神機営:2005/07/20(水) 10:27:02 0
>>85
仏朗機は、もともとはヨーロッパ人を意味するアラビア語の「ファランギース」の
音訳で、明代におけるポルトガル人、スペイン人の呼び名でしたが、
彼らから購入したり、模倣して作った大砲もこう呼ぶようになりました。
この大砲は、16世紀の明代後半では最も多く使用されていました。
明末清初には、アダム・シャールやフェルビーストといったイエズス会の宣教師によって、
新しい火砲の製造法が伝わり、紅夷砲という性能のいい大砲が製造されるようになりました。
それにしても仏朗機が靖国神社にあったとは知りませんでした。
88てる兄:2005/07/21(木) 02:56:01 0
>>87
大阪冬の陣の鉄製大砲と大友氏の国崩しは遊就館の一階にあるね。
あと二階には文禄・慶長の役で豊臣軍が戦利品として持ち帰った明や朝鮮の大砲もあるよ。
さらに遊就館前には薩摩藩が幕末の薩英戦争で使用した大砲と
同じく幕末に江戸湾防備の為のお台場に設置された肥前鍋島藩製造の大砲があるね。
いずれも巨大な青銅製前装砲で、薩摩の大砲は後の明治初期に大阪兵器工廠で線条を施されたらしい。
89世界@名無史さん:2005/07/21(木) 20:34:07 0
中国では古くから、竹筒に火薬をこめて矢や弾丸をとばしていました。
英語の大砲は「cannon」ですが、これはイタリア語の竹のステッキ「cannone」に由来しています。
この技術が中国起源であることを示しているといえるでしょう。

金属製の大砲が最初に使われたのも中国であると考えられています(11世紀末〜12世紀初め頃)。
ヨーロッパでは、14世紀の初頭には、金属製の大砲が全域で使用されていました。
皮肉なことに、教会の鐘の鋳造技術が進歩するとともに大砲も大型化していったのです。

当時の大砲には、組立砲と呼ばれるものとその改良型である糸巻き型と呼ばれるものがあったそうです。
16世紀に鋳造砲が登場して、その飛距離・大型化・寿命など、著しく発達します。
90世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:16:07 0
突火槍(火龍槍?)→マドファ→西洋式大砲→ウルバン砲(オスマン・トルコ)→大砲発達
だろ?多分。根拠はないが

竹筒や木製の銃を金属製に変えようとするのは、世界のどこででも自然にやり始めたんだだろうね。
極普通な発想であるし。技術的にも問題ないだろうし(火器を扱えるほどの所なら)。

しかし、初期の火器は大した武器ではなかった。弓矢の方が圧倒的に強力だった。
これはライフル銃の登場まで多分そう。
91世界@名無史さん:2005/07/21(木) 23:42:24 0
フリントロック式のマスケット銃の頃には、
弓・ボウガンよりも火器が主流になってたイメージがあるが、
どうなんだろ
92世界@名無史さん:2005/07/22(金) 04:01:01 0
火器の単純な威力よりも音響が士気にもたらす効果が重要
93朱由檢:2005/07/22(金) 19:03:27 0
仏朗機の伝来自体は実はよくわかってないんじゃなかったっけ?
仏朗機は南蛮人が渡来したときには多くの船に搭載されており、
驚いた南蛮人が明国人に伝来の経緯を尋ねると、
これは外国から伝来したものだと答えたって何かで読んだ気がするんだけど。
…資料なんだったんだろう。
94世界@名無史さん:2005/07/23(土) 03:00:26 0
>>93
明末の武器百科である「神器譜」によると
中国への西洋式銃火器の伝来ルートはユーラシア大陸中央部を通って来た陸上ルートと
西洋からインド洋を経て日本から伝来した海上ルートの二つあったらしい。
陸上ルートはトルコ〜中東〜新彊〜中国と伝わったのでトルコの中国読みで「ルミ銃」と呼ばれた。
海上ルートは西欧〜インド〜マラッカ〜日本〜中国と伝わったので「倭銃」または「鳥銃」と呼ばれた。

ちなみにポルトガルはゴアやマラッカを占領する際に現地人との激しい銃撃戦に遭遇したが
いずれも大陸ルートでインドに入って改良された銃火器だったらしい。
95世界@名無史さん:2005/07/23(土) 10:41:12 0
明で倭銃、ルーミ銃、ポルトガル銃の性能を比べるテストをしたらしいが
倭銃は「点火孔の位置が顔に近すぎる」というので採用されなかったそうだ。
96世界@名無史さん:2005/07/23(土) 15:37:14 0
>>94
でも魯迷銃はともかく中央アジアで仏朗機が使われてただろうか?
97世界@名無史さん:2005/07/23(土) 17:28:22 0
http://kodaman-empire.kir.jp/Napoleon/weapon/weapon-18C.html

ナポレオン時代の銃。

いいサイトだ。
参考にしろ。
98世界@名無史さん:2005/07/23(土) 18:39:35 0
>>85,>>87,>>93
仏朗機は、もともと大砲を後退させる空間のない狭い船内に積むために設計された
艦載用の大砲だったそうです。仏朗機は、母砲と子砲(薬室、カートリッジ)から
なっており、重くて仕組みが複雑であるという欠点がありましたが、速射が可能でした。

99朱由檢:2005/07/23(土) 20:08:22 0
>>95
神器譜で趙士禎は、日本式銃が点火孔が顔に近いことのほかに、
現代の明の技術力では製造が不可能であるとも書いてあるよね。
100世界@名無史さん:2005/07/24(日) 11:19:59 0
ということで100get!
101世界@名無史さん:2005/07/24(日) 15:54:05 o
>>99
ネジのことかな?
日本でも相当苦心したらしいからね。
当時は旋盤など無しでよく作れたよね。
102世界@名無史さん:2005/07/24(日) 21:31:25 0
ルーミ銃は銃身をダマスク鋼の技術で作ってて相当強靭だったらしい。
ヨーロッパでも銃身だけ輸入したりしてたとか。
引き金の機構はヨーロッパの方が上手く作れたらしいけど。
103世界@名無史さん:2005/07/25(月) 18:42:58 0
>>101
雄ネジはともかく雌ネジとなるとねー・・・
最初の頃は、尾ネジから型をとって作ってたらしい。
そのうちにタップを使うようになったようだが。
104世界@名無史さん:2005/07/28(木) 20:49:54 0
イスラム圏での銃器の使用はいつ頃から始まったのでしょうか? 特にモロッコ
あたりが知りたいのですが。
105世界@名無史さん:2005/07/28(木) 22:24:20 0
>>104
マドファとかいう木製銃が1300年頃の文献に出てくる、らしい。
盛大に銃器を使用し始めたのはオスマン・トルコの台頭からかな?
銃器を(当時としては)大量に活用して一気に支配圏を広げた。
でも、ティムールに敗北して、一度滅亡寸前まで追い込まれていたりするんだよね。
ティムール軍も銃は持っていたのかな?

結局、良く知らない・・・
でも、モロッコならオスマン・トルコによるマムルーク朝の征服以後じゃないかな。
106朱由檢:2005/07/28(木) 22:37:45 0
>>101さん、>>103さん
>>102さんの指摘にあるとおり、螺子ではなくって砲身ね。
大量の火薬の爆発に耐える砲身が重要だから。
多分、>>95さんと>>102さんの参考文献は、『世界文明における技術の千年史』
(アーノルド=パーシー著/新評社)だと思うからそっちを参考にしたらいいよ。
ナポレオン(T世)が配下の将軍にオスマン製の剣や銃を贈ってたはず。
107世界@名無史さん:2005/07/28(木) 23:06:52 0
最近、ケネス・チェイス Kenneth Chase という人が
"Firearms"という題で、欧州、中国、西方・東方イスラム世界、
日本の銃火器について1700年代までの包括的で体系的な歴史研究書を
刊行したと聞いたけど、東洋史関係ですでに読んだ人はいるのかな?

自分は書名しか聞いたことはないが・・・
108世界@名無史さん:2005/07/28(木) 23:42:47 0
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521822742/
Firearms: A Global History to 1700  Kenneth W. Chase (著)
109世界@名無史さん:2005/07/29(金) 18:35:22 0
>>107
学校の図書館に去年からあったんで読んだけど。
「火器についての包括的で体系的な研究書」というよりは
「なぜ火薬が発明されたのは中国なのに火器が強力な武器に進化したのは西欧だったのか」
という疑問を答えようとした本だ。
結論からいうと「西欧は遊牧民の脅威にさらされていなかったから」。
何じゃそりゃと思うかも知れんが読んでみると非常に説得力がある。
旧大陸(と周囲の島々)のあらゆる地域の火器使用について検討しているので
とても参考になる。
110山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/07/29(金) 19:36:12 0
>>77
とりあえず、『応永記』をざっと見た限りでは、「赤壁の戦い」にヒントを
得たという火攻めは出て来るものの、銅銃は出ていなかった様な。
どちらに出ていたお話でしょうか。
111世界@名無史さん:2005/07/30(土) 03:57:39 0
>>66
>百年戦争も後期になってからだから、14世紀末から15世紀初頭、

13世紀末から14世紀初めの物がスウェーデンに現存してるとか。
ドイツでも13世紀末の物が発見されたけど第二次大戦中に行方不明。
文献ではDeutsches Museum所蔵のCodex Germanicsが同時期の物。
流石に中身を読んだ事はないけど。 火薬・弾丸製造法、銃・砲術の解説が載ってるそうで。

>>82
>後装式の〜実は16世紀に既に存在していた。

前装式と後装式はほぼ同時期に登場してるよん。15世紀には実用されてる。
falconetto砲とかspingarda砲とか。
112世界@名無史さん:2005/08/02(火) 13:41:37 0
>>93
>>107の本によると、仏朗機のもともとの語源はイタリアの後装砲「ブラガ」で
オスマントルコ語「プランギ」→ペルシャ語「ファランギ」→タミル語「パランキ」
→中国語「仏朗機」というルートで伝播してるので、実物もそうじゃないかと。
西洋人を表す「ファランギ」系統の語はそれとは別に伝播したとか。
113世界@名無史さん:2005/08/02(火) 15:24:46 0
>>109
>結論からいうと「西欧は遊牧民の脅威にさらされていなかったから」。

くやしく。
114世界@名無史さん:2005/08/02(火) 17:13:03 0
1259年の中国の記録に現われる突火槍は、太い竹筒に火薬と多くの小石を仕込んだもので、
点火すると轟音とともに敵に向かって小石をまきちらしました。
これが火薬のエネルギーを利用して物体を発射する兵器の最初のものです。竹筒が青銅の鋳
物でできた筒になり、木の柄を取り付けて使用されるようになると「銃筒」「銅銃」「手銃」と呼ばれ
るようになりました。青銅製の筒で石を飛ばす兵器は、反動を地面で受けるため斜めに立てて発
射したり、肩にかついで射撃したりします。騎兵用の銃筒は小型で柄も短く、装甲した胸でしっか
りと反動を受け止めて発射しました。
現存する1332年のモンゴル軍の銅銃(至順銅銃)は、口径が約11ミリ、銃身の長さ35センチ、
重量約4キロの青銅製です。
115世界@名無史さん:2005/08/03(水) 16:36:32 0
銅銃って騎兵も使ってたの?
ヨーロッパのピストル騎兵みたいに突撃しながら撃ったのか?
116世界@名無史さん:2005/08/03(水) 21:37:00 0
趙士驍フ「神器譜」には軽騎兵が3連銃身の「翼虎銃」を馬上で使っている図がある。
弾を撃ちつくすと抜刀して戦い、その際、銃を左手にもって盾の代わりにしたようだ。
117朱由檢:2005/08/05(金) 23:50:34 0
ヨーロッパの火砲の起源として引用されるのは、14世紀の壺型の火砲(dart throwing vase)なの。
これはエドワード3世(1327-1377年)に献上された『ミルメートの手写本』(Waiter de Millemete著)で紹介され、
ドイツのフランチェスコ派黒人修道士ベルトルド=シュワルツが1313年に開発したとされている。
118朱由檢:2005/08/05(金) 23:54:27 0
ベルトルド=シュワルツは存在自体が疑問視されているにもかかわらず、
ヨーロッパの研究者が必ず引用するから参考までに紹介ね。
119世界@名無史さん:2005/08/06(土) 06:58:46 0
西洋への火薬の伝来は地中海方面?東欧方面?
120世界@名無史さん:2005/08/06(土) 13:28:30 0
>>119
大砲を使い始めたのはイタリアが早かったようだから地中海では。
ロシア方面でもクマン族やヴォルガ・ブルガールが正体不明の焼夷兵器を使ってた
記録があるけど、火薬と関係あるのかよく分からない。
121世界@名無史さん:2005/08/06(土) 13:34:30 0
>>117
昔から疑問に思ってたけど何で初期の火砲は「矢」を飛ばすんだろう?
122朱由檢:2005/08/06(土) 23:54:41 0
インドの火器製造技術が高かったことについては、
前述の『世界文明における技術の千年史』
(アーノルド=パーシー著/新評社)にも載ってたはず。
123世界@名無史さん:2005/08/07(日) 06:56:04 0
>>121
弱い火力で石飛ばしても致命的なダメージになりにくいし
124世界@名無史さん:2005/08/07(日) 08:10:40 0
>>117
ほとんどが石弾や鉛弾だと思うけど?「矢を飛ばす初期の火砲」ってどんなのがある?
火箭は「火砲」とはちょっと違うし。
125124:2005/08/07(日) 08:11:36 0
>>121だった。
126世界@名無史さん:2005/08/07(日) 15:24:14 0
>>124
ttp://riv.co.nz/rnza/hist/gun/firstgun.htm
117で言及されてるdart throwing vase(一番上の絵)
鉄製の矢だったらしい。
127世界@名無史さん:2005/08/07(日) 17:42:10 0
>>126
良くまとまったサイトだ。有難う。
これは初めて見た。かなり特殊な例なんじゃないかと。

>>121
「矢を飛ばす」理由は>>123の他、単純に既存の兵器の延長線上で
「重い矢を遠くまで飛ばしたい」という発想じゃないかと。
128朱由檢:2005/08/07(日) 23:33:22 0
>>122は誤爆です。ごめんなさい。
129朱由檢:2005/08/08(月) 00:16:55 0
ヨーロッパにおける火器の歴史は、
13世紀イギリスのロジャー=ベーコンが発見して暗号で残し、
14世紀ドイツの黒人ベルトルド=シュワルツが解読し、
火器を発明したと紹介されてきた。
しかし、このベーコンの暗号文は偽書であることがわかり、
シュワルツも架空の人物である可能性も高まり、
欧州三大発明の一つ火薬が捏造であったことがあきらかになってる。
だいたい自分の発明を普通暗号で残すかな?

ダヴィンチの暗号論文も怪しいと個人的には思う。
130世界@名無史さん:2005/08/08(月) 05:59:53 0
パトロンに渡す資料ならともかく。、ただの研究記録は
盗まれてもいいような体裁をとる人はいただろうね。
131世界@名無史さん:2005/08/08(月) 13:09:57 0
初期の火砲が矢を発射してる例はアジアにもあって
「明実録」の永楽帝のモンゴル遠征の記述では
火砲から放たれた矢が二人の敵兵を貫き、馬まで殺したとあるので
>126にあるような大型の矢だったと思われる。
高麗王朝で火砲に言及している最古の記録(14世紀半ば)でも、
放たれた矢がどこそこまで届いたなどと記されている。
132世界@名無史さん:2005/08/08(月) 17:50:55 0
李氏朝鮮の初期、1474年に編纂された「兵器図説」でも銃筒は矢を発射するものとされているね。

それはそうと一時期のイタリアでは砲身ばかりか砲弾まで装飾していたそうだから、
日本でも竹箍の上から化粧板を着せて漆掛と蒔絵を施した木砲とかが出現していれば面白かったのに。

133世界@名無史さん:2005/08/09(火) 23:48:59 0
>>113
遅レスで申し訳ない。著者の主張をまとめるとこうなる。
歴史上、定住民と遊牧民の戦争は、遊牧民の農耕地帯への略奪行、または定住民側が
それに対抗して行うステップや砂漠への遠征という形でなされた。
遊牧民の戦争スタイルは軽騎兵の機動性を生かしたもので、優勢な敵に対しては
戦わずに退却し、劣勢と見れば即座に襲いかかる。追撃してきた敵をふりまわして
疲労と混乱で弱体化したところへ奇襲をしかけるなど、変幻自在だった。
そのため、重装騎兵や歩兵による軍隊が正面からぶつかれば撃破するのは可能だったが、
自軍に有利な状態で捕捉することができない。遊牧民の本拠地に侵攻しても、遊牧民は
広大な空間の中で移動して生活しているので条件は変わらず、かえってロジスティクスの
問題から危地におちいることが多かった。
華北、東欧、中近東、インドの定住農耕文明は地理的な理由から、つねに遊牧民の脅威
または支配を受けており、それゆえ上述した理由から騎兵中心の戦闘スタイルの影響が
強かった。
それに対して西欧で行われていたのは定住民と定住民による戦争で、歩兵中心の軍隊で
城壁で囲まれた都市や城を奪い合うものであり、騎兵は比較的少数のエリート部隊として
用いられる傾向にあった。
134世界@名無史さん:2005/08/09(火) 23:51:10 0
実用化された初期の銃は装填や点火の困難から馬上での使用に適しておらず、もっぱら
歩兵によって用いられた。大砲は攻城戦に役立ったが、軍隊の機動性を大きく損なった。
こうした条件から、歩兵戦や攻城戦、海戦の機会が多かった西欧では、火器が文字通り
死命を制する武器となったが、華北、東欧、中近東、インドにおいて遊牧民の侵攻を
防ぐにはあまり役に立たず、限定的にしか用いられなかった。
もちろんこれにも偏差があって、中国でも元末の群雄割拠の時代には、歩兵中心の軍隊で
城塞都市を奪い合うような戦争をやっていて、銃や大砲が盛んに用いられた。
オスマン帝国もほとんど定住民相手に戦っていたので、火器が重用された。遊牧トルクメンが
主力のサファヴィー朝に対し、連戦連勝しながらついに征服できなかったのは、遊牧民に対する
限界を示している。
15、16世紀にタタール諸国と戦っていたモスクワ大公国の軍隊は、タタール風の装備をした
勤務士族の弓騎兵が主力だったが、西からポーランドやスウェーデンの脅威が高まるにつれて
農民から歩兵を徴集し火器を配備するようになった。
135世界@名無史さん:2005/08/14(日) 18:34:15 0
>遊牧トルクメンが
>主力のサファヴィー朝に対し、連戦連勝しながらついに征服できなかったのは、遊牧民に対する
>限界を示している。
サファヴィー朝は旧態依然としたトルクメン騎兵からオスマン式軍制に移行したから強大化したのではないのか?
136世界@名無史さん:2005/08/14(日) 19:45:33 0
>>110
火攻めの時に火砲が使われているのでは?
137世界@名無史さん:2005/08/15(月) 14:59:18 0
【^▽^】応仁の乱について語る【^▽^】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1027207516/

銅銃は、石火矢で、音が大きいので威嚇に使えて、焼き討ちにも使えて
でも命中が低くて、焼いたら焼いたで損害賠償とかしないといけなかったらしい。
138世界@名無史さん:2005/08/16(火) 02:49:58 0
さて、バッキンガム宮殿につっ立っている近衛兵を見てふと思ったんだが、
マスケット銃を使用していた時代、弾丸が銃身に込めっぱなしだっただろうか?
前装式だから、事が起こってから弾込めるのはありえないし、だからといって弾を込めっぱなし
にするのは危ない気がする。一体どうしていたんだろう?
139世界@名無史さん:2005/08/16(火) 03:24:28 0
>>138
前装銃も基本的には戦闘準備が発令されてから装填するものですが、
衛兵の様に立哨歩哨を行う場合は、装填してから上番するんでしょうね。
フリントロック式・パーカッション式とも、装薬と弾丸とを(フリントロックは口薬、パーカッションは雷管も)
装填しただけでは、引き金を引こうが発射はされませんから、極めて安全です。
これで更に口薬/雷管を使用時まで抜いておけばもっと安全です。蹴飛ばしてもぶん投げても大丈夫です。
この状態でも発射するまでに5〜6秒もあれば充分でしょう。
その上衛兵なら剣も帯び、銃剣も着けるのが普通ですから、これを咄嗟の対応に使えます。
140世界@名無史さん:2005/08/16(火) 10:48:25 0
>>138
レス感謝です。
後、一度込めた弾はどうするのでしょうか?そのままにしておくのでしょうか?
141世界@名無史さん:2005/08/16(火) 14:50:25 0
>>140
自分の質問になぜ感謝しているかわからんが・・・。
>>139の回答はまったくの虚言だぞ。
142世界@名無史さん:2005/08/16(火) 16:02:31 0
>>141
間違えた・・・・・・orz
てか、そうなんですか?
143世界@名無史さん:2005/08/16(火) 17:29:12 0
30年戦争頃普及した紙薬莢の一種(日本の早合に近い物)を
常備していた。
イギリス軍でパーカッション式(エンフィールド銃)と同時に
採用となった獣脂で固めた紙薬莢がセポイの乱の発端となった
逸話は有名だな。
>>139のように火薬と弾丸を予め詰める方法では、当時の黒色
火薬では湿って使い物にならなくなってしまう。
144世界@名無史さん:2005/08/16(火) 19:31:23 0
>>142
>143は紙薬莢(正しくは紙薬包。薬莢とは別の物。)の話を持ち出したのはいいけど、
実際に黒色火薬の扱いに関する知識は無いと見える。半可通のガンマニアかもね。
日本にも火縄銃射撃を実際にやっている人がいるから、検索してみるといいよ。

黒色火薬が外気に触れるとたちまち湿気て使えなくなってしまうような物なら、導火線なんて物は使えないよね。
紙薬包を使わない前装銃では火薬をパウダーフラスクに入れて持ち歩くけど、あれは別に気密容器じゃない。
紙薬包はあくまで予備弾薬の再装填を素早く行う為の工夫。携行中に水気を防ぐ役目もあるけどね。
前装銃でも一度装填してしまえば薬室は殆ど外気に触れなくなるよ。そうでなければまともに発射できない。

当時の規則がどうなっていたかは知らないけど、衛兵の銃は儀礼的な飾りの意味が大きいからなあ。
装填はしてない可能性もあるかも。ただ、>139の言うようにあらかじめ装填しておいても数日間は
(水をかぶったり一日中銃口をむきだしで上に向けて大雨に降られたりしなければ。)そのまま使えるよ。

あと、装填した弾を撃たずに抜きたい時は銃を分解して尾栓を抜けば可能だけど、
普通は撃っちゃった方が手っ取り早い。
145朱由檢:2005/08/16(火) 22:12:55 0
簡単にまとめると…。
>>139さん説は火薬と弾をあらかじめ装填してすぐ撃てるようにしていたが、
暴発の危険性を避けるため、火打石や雷管をはずしていた。
衛兵は訓練度が高いので5秒足らずで火打石や雷管の装填ができた。
>>143さん説は紙薬包をあらかじめ用意してすぐ撃てるようにしていた。
事前に装填していては湿度が心配であると>>139さん説を否定。
逆に、>>144さんは黒色火薬は吸湿性が低く、
装填したまま数日間は大丈夫と>>139さん説支持しているみたいだけど、
>>139さんと>>143さんのどっちが正しいわけ?
双方の参考資料を教えていただけませんか?
146朱由檢:2005/08/16(火) 22:46:50 0
最初に>>139さんが指摘するように、
火打石も雷管も取り外しや交換は現実的に可能なことなの。
フリント式銃は火打石が平均20回で交換する必要だったし、
雷管も取り扱いは難しいものの、
パーカッション式銃用に交換用雷管革カバンが現存するよ。

また、>>144さん説のとおり、
19世紀まで硝酸カリウムの代用品だった硝酸ナトリウムは、
吸湿性の高い不純物(硝酸カルシウム)比率が高いのも事実。
147世界@名無史さん:2005/08/17(水) 02:08:05 0
なに腐れコテハン筆頭の朱由檢はド派手な自作自演やっとんのじゃ?
ナポ以上にバカ。
148世界@名無史さん:2005/08/17(水) 20:13:32 0
>>146
日本の早合も紙の薬莢でしたっけ。
鉄砲が伝来してすぐに早合が使われだしたんだよな。
149朱由檢:2005/08/19(金) 21:01:35 0
>>148さん
早盒は、紙、革、金属で作られ銃口と同口径の長さ8cmほどの筒で、
中に火薬と弾を込め、底に紙を貼ったものだよ。
150世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:08:08 0
オスマン帝国軍がイタリア式築城術の要塞を陥落させた例はあるんですか?
151世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:21:30 0
世界初の火器専門の砲兵隊って、永楽帝の神機営でいいのかな?
152世界@名無史さん:2005/08/19(金) 23:24:59 0
神機営ってなぜかヴェトナム人のインストラクターを雇ってたらしい。
153世界@名無史さん:2005/08/20(土) 00:00:35 0
>>151
明代、火器の管理は宦官が独占的に行っていた。
154世界@名無史さん:2005/08/20(土) 13:11:58 0
火者とかいうぐらいだからな
155世界@名無史さん:2005/08/20(土) 14:58:06 0
宦官と「火者」は厳密には異なるもののようですな。
宦官とは宮廷に仕える去勢者であり、
王府で使役されるものや、功臣に下賜された宦官は、
宦官ではなく「火者」と言うようです。
156世界@名無史さん:2005/08/20(土) 18:43:53 0
>>155
「火者」は宦官を意味するペルシア語、インドのヒンドスターニー語の
「ファージャ」の音訳です。元、明の頃にはインドからも宦官が
輸入されていました。
157世界@名無史さん:2005/08/20(土) 18:53:56 0
>>155
そうですね。語源はその通りです。
ご苦労様でした。
158世界@名無史さん:2005/08/20(土) 20:34:19 0
>>149
西洋のものと同じようなものですか?
159朱由檢:2005/08/20(土) 23:25:49 0
>>150さん
ヴェネツィア領キプロスのニコシア(レフコシャ)はイタリア式築城(星状稜堡)だけど、
1571年にオスマン帝国によって陥落しているよ。
160世界@名無史さん:2005/08/22(月) 14:56:21 0
>>159
おお、ありがとうございます。やはり16世紀のオスマン軍は強い。

ハンガリーのハプスブルク側にもイタリア式築城術の要塞があったようですな。
詳しいことは知りませんが・・・
161過疎だな〜:2005/08/26(金) 09:53:59 0
イタリア式築城というのは、ヴォーバンが作った五稜堡の要塞でつね

関係のない話ですが、フランス人のヴォーバがは、リール都市の総督に任命されていた時、
ヴォーバンだけが仕える主だと思っている部下の技師団とダルダニアン(3銃士のモデル、リール都市のもう一人の総督)は
ことあるごとに対立してダルダニアンも短気起こしては争いになり、最終的にヴォーバン本人と話して
争いに決着をつけたとか

ちなみにリール要塞は高い防御力を誇っていたが、補給を断つ兵糧攻めにあって1678年12月10日に陥落している
なおこのリール要塞はガイドツアーに参加すれば自由に内部が見学できるらしい

すれ違いスマソ

スルーしてくれ
162世界@名無史さん:2005/08/26(金) 10:43:19 0
>>161
イタリア式築城というのは、大型大砲の実験場と化したイタリア戦争時に登場した稜堡式城郭。
堀を利用したオランダ式などのバリエーションがある。
ヴォーバン式はこれを改良したもので、イタリア式=ヴォーバン式ではない。
フランス人ヴォーバンが考案したと書き込んだ時点でイタリア式でないと気付けよな。
↓世界の代表的な稜堡築城が写真でわかるHP
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/kikaku/kokusai/summit/02-cities.htm
163161:2005/08/26(金) 11:19:55 0
ありがとうございます

感謝 m(__)m
164世界@名無史さん:2005/08/26(金) 11:51:38 0
イタリア式築城により要塞の建設費用は跳ね上がったとのことだけど、
具体的にはどれくらいなんだろう?
165世界@名無史さん:2005/08/26(金) 13:17:45 0
90式野砲の性能を教えてください
166世界@名無史さん:2005/08/26(金) 19:17:41 0
>>164
ひとつの稜堡で1万ポンド
167世界@名無史さん:2005/08/28(日) 13:12:37 0
>>152
永楽帝がヴェトナムに遠征したときに現地で使われていた「神槍」という銃を
北京に持ち帰ったのが神機営のはじまりでなかった?
168世界@名無史さん:2005/08/28(日) 15:26:47 0
169世界@名無史さん:2005/08/30(火) 00:16:51 0
>>150
スレイマン大帝がホスピタル騎士団と戦ったマルタ島の要塞もイタリア式だったな。
陥落はしなかったけど。
170世界@名無史さん:2005/08/30(火) 01:40:38 0
ロードス島戦記と間違えてロードス島攻防記を買ってきた父親をバカだと思った
そんな時期が私にもありました、今では感謝している。
171世界@名無史さん:2005/09/01(木) 22:52:01 0
>>165
フィリピンや、硫黄島の戦記を嫁。
172世界@名無史さん:2005/09/02(金) 20:08:09 0
フリントロック銃はトリガーを引いてから発射するまで数秒かかったって本当?
173世界@名無史さん:2005/09/03(土) 05:44:41 0
>>172
えっえぇーっ?
そもそもフリントロック銃の仕組みを検索してみればそんな筈は無い事が解ると思う。

ハングファイア(遅発)っていう特殊な現象があるけど、それは火縄銃から金属薬莢式センターファイアまで
全ての銃砲に起こり得る珍現象。フリントロック式にだけこれが起こり易いと言う事も無い。
174世界@名無史さん:2005/09/03(土) 07:37:04 0
まあ世の中にはマッチロックの火縄が導火線だと信じている人も少なくない訳だが
175世界@名無史さん:2005/09/03(土) 13:04:20 0
>>172
ホイールロックの間違いでは?

初期のフリント式であるスナップハンス式は引き金を引くことで
コックと火蓋の両方を操作する複雑な機構でラグはあるだろうが
数秒とは言えないのではないだろうか
176世界@名無史さん:2005/09/03(土) 13:08:42 0
初期の銃は煙幕も張れて弁理。
177世界@名無史さん:2005/09/03(土) 16:16:39 0
>>175
ホイールロックだって一瞬だよ。ホイールロックの仕組みを(ry
178あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/03(土) 18:49:21 0
>>152
>神機営ってなぜかヴェトナム人のインストラクターを雇ってたらしい。
>>167
>永楽帝がヴェのトナムに遠征したときに現地で使われていた「神槍」という銃を
北京に持ち帰ったのが神機営のはじまりでなかった?
当時の安南は火器の先進国だったようです。ただ明との技術交流について学説は
区々一定してないらしく、「中国古代火薬火器史研究」(中国社会科学出版社刊)
所収の李斌「永楽朝與安南的火器技術交流」という論文では、劉勉之・張秀民・有馬
成甫の・王兆春・潘吉星らの説を紹介した上、1、明が交阯を征する以前から既に
火銃の技術は成熟に向かっており、「神機」という名称も使われていた。陳友諒・
張士誠・明玉珍・思倫發などとの戦闘で盛んに火器が使用されたことが「明史」や
「明實録」に記載されており、洪武初年製造の銅銃も大量に出土していて、早く
主力兵器となっていたことが窺える。「明史」の「張輔傳」には永楽四年の交阯の
役で「神機火器」を用いて越軍の戦象を潰走させたとする記載がある。また当時の
明軍中に「神機将軍」の名称を名乗る武官がいた。越軍との戦争を通じて新式の
武器を敵から導入したわけではない。
179あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/03(土) 18:50:02 0
2、永楽時代に矢鏃を弾丸として木送子(射程を伸ばすための管型火器)を取付け、
火門外に長方形の薬槽を設け開閉できる蓋を取り付けるなど、点火装置を改良し
操作性と天候に対する安定性を増進した。このような進歩を齎したのは交阯の
役より後のことなので越軍の技術を導入したものと推定できる。そして交阯の
大虞國主である黎蒼の兄の黎澄が明に用いられて火器製作を主導することとなり、
最後には工部尚書にまで昇った。彼を中心とする安南の火器技術の導入が神機營
創建の重要な契機となった。
以上が李氏論文のうんと端折った要旨です。銃のメカに暗いので判りにくかった
かも。
180172:2005/09/03(土) 20:39:34 0
>>173-177
7年ぐらい前にちらっと見たサイトでそんな記述があったので・・・
一体なんでそういうことを書いたのか、まさかそういうソースがあるのかと。サンクス。
>火縄が導火線だと
マッチロックの機構の意味がなくてワロス
>>179
遠征後に作られた火器に従来からあった「神機」という呼称が使われたということですね。
2って手持ちの銃ですか? 「開閉できる蓋」ってたぶん点火薬が吹き飛ばないように火皿についてたのかな。

インドシナではポルトガル人到来以前から中国式の火器がかなり普及してたとか。
181世界@名無史さん:2005/09/04(日) 00:55:09 0
>180
あんまり驚いたので >えっえぇーっ? とか言ってゴメンネ。
多分それを書いた人はどこかでハングファイア現象の記述を見て、
それを一般的な機構上の特性だと思い込んじゃったんじゃないかなあ。
そんなんじゃ絶対狙った所に当たらないよねw
182世界@名無史さん:2005/09/05(月) 18:26:31 0
問題のページ・・・
ttp://www.246.ne.jp/~haineko/Bea1.html
183世界@名無史さん:2005/09/05(月) 21:40:58 0
>182
そのページではホイールロックを「引き金を引いてから発砲まで数秒が必要」と書いてますね。
可哀想なのでこれ以上のコメントは控えます。そっとしておいてあげましょう。
184世界@名無史さん:2005/09/06(火) 16:06:50 0
「複数列の横隊による連続一斉射撃」ってのは中国の弩兵がやってたような
185世界@名無史さん:2005/09/06(火) 23:22:13 0
リア厨の頃てんぷら油からニトログリセリンを作ってみたんだが
ほんの数滴で校庭一円に容器にした金属バケツの破片が飛ぶぐらいの威力があった。
けが人でなくてほんとに良かったよ。

ってことで暴発、不発の管理ってどうやってたんだろうな?
先込めで不発、覗き込んだ瞬間にハングファイア炸裂。
不注意から火薬を2回入れて詰めちゃって銃身破裂。怖すぎるな。
186世界@名無史さん:2005/09/06(火) 23:47:30 0
>>185
中国の作家、莫言の小説にそんな話があったな
187世界@名無史さん:2005/09/06(火) 23:48:51 0
米南北戦争ゲティスバーグ会戦後に発見された遺棄小銃は23発続けて装填されていた。
他にもこれに近い例はある。練度の低い動員兵がパニックに陥った結果らしい。
188世界@名無史さん:2005/09/07(水) 02:20:10 0
>>187
そんな兵と戦列組んだら、敵より怖いっスねぇw
189世界@名無史さん:2005/09/07(水) 02:59:36 0
後期のマスケット銃は4列で毎分10発以上の弾幕射撃、煙幕気にせず連射するだけなら1列あたり毎分4発
190朱由檢:2005/09/07(水) 22:02:59 0
>>189さん
フリント式マスケケットとペーパーカートリッジを利用した18世紀のフランス軍は、
はじめ1分当たり5発の発射速度ものの、
黒色火薬の煤が銃身に溜まると最初の15分の4である3分当たり4発まで落ちました。

戦国後期の日本では、
弾の径をだんだん小さくして行くことで発射速度が落ちる事を防いでいました。
191世界@名無史さん:2005/09/08(木) 23:28:36 0
スナイドル銃とかどうよ
192名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:20:13 0
193朱由檢:2005/09/10(土) 23:24:50 0
>>192
幕末の日本はヨーロッパで旧式となった兵器を(在庫処分を兼ねて)
次々売りつけられてたわけ。
フリント式なんて火縄式にも劣る粗大ゴミ同然の兵器だよ…まったく。
幕末に使用された火器についてはこっちのページも見てね。
http://www.at-m.or.jp/~fuzimoto/net/yageki/y6.html

日本では尾張藩の吉雄常三が天保3年(1832年)雷管式の国産化に成功しているし、
『雷撃銃略記』、『雷火銃小解』が1850年代には邦訳されるのに〜。
194名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:41:51 0
>>193
おおサンクス。

昔の座頭市でもやくざに南北戦争期の銃を売りつける話があったような。
195名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:30:44 0
銃の進歩ってこの時期はすごかったんだなぁ。いまは50年前の設計の
銃でも武装集団がメインウエポンとして使っていたりするのに。
196世界@名無史さん:2005/09/12(月) 13:33:12 0
>>195
それはカラシニコフだけでは
197世界@名無史さん:2005/09/12(月) 14:18:55 0
たしかに小銃だとAK-47ぐらいだけど、1種類とはいえその数はとんでもないからねぇ。
でも、イラク戦争でM14が米軍で大規模に使われているから、1957年にアメリカ陸軍に
制式採用だからあと2年で50年経つ。

拳銃だと1911年アメリカ軍制式採用のコルトガバメント、1933年にソ連軍に制式採用の
トカレフTT33を筆頭に、1955年のコルトパイソン、1956年のS&W M19などなど設計から
50年経っても現役バリバリというのはざら。

1931年のワルサーPPK、1934年のベレッタM1934なんかも80年代まで生産していたし。
198世界@名無史さん:2005/09/12(月) 16:21:01 0
>>197
PPKはまだ現役。生産はS&Wに任せたみたいだけど。/Sは本国でも製造中。
モーゼル1898ライフルも数年前から再生産が始まったよ。南アではM1919MGを生産中。
M2HMGも原設計は1910年代。キリが無いよね。

>>195
包丁が昔から包丁なのと同じ。早い段階に急激な進歩を遂げれば、あとは細かい改良をするだけです。
鮫は「ずっと進化していない」のではなく、早い時期に充分進化が進んでしまったので、
その後目立った変化を必要としないだけ。

生物進化と同様、銃も使用環境・必要条件の激変が起きない限り、目立った変化も起きないでしょうね。
199世界@名無史さん:2005/09/12(月) 17:18:59 0
まあ銃もついに完成され尽したということかな?
それとも火縄銃からそれ以外の方式のように長い停滞期に再び入っただけなのかも・・・・
200世界@名無史さん:2005/09/12(月) 18:26:05 0
ケースレスが普及すれば色々と違った機構も登場しそうなものだけどなあ
201世界@名無史さん:2005/09/12(月) 19:28:03 0
一度誰かが失敗すると次のチャレンジャーが出てくる確率は低下する。

一度完成を見た技術であっても何らかの理由で広まらなければ消えちゃう。

どっちも世界史板の住民なら分かるとは思いますが……
202世界@名無史さん:2005/09/12(月) 19:36:16 0
ジャイロジェットが普及すれば(ry
203世界@名無史さん:2005/09/12(月) 23:14:00 0
レールガンが実用化される可能性はないのだろうか?
204世界@名無史さん:2005/09/13(火) 00:31:55 0
>>200
HK社がG11でコケて以来どこも発表してない
205世界@名無史さん:2005/09/13(火) 03:31:54 0
対人武器としてこれ以上強化する必要が無い。
むしろ警察用とかエアマーシャル用とか余計な被害を出さないように苦心したりしてるんだから。

ボディアーマーが格段に(小銃弾を跳ね返しその衝撃を完全緩和するぐらいに)進化しないと…。
206世界@名無史さん:2005/09/16(金) 23:18:34 0
臼砲が発明されたのってヨーロッパ? 中国?
207世界@名無史さん:2005/09/17(土) 01:08:56 0
臼砲の概念による。野砲や榴弾砲みたいに明らかに砲の役割が異なる物が
発明されないと比べられない。この場合城・要塞攻めに使われる大型・大口径
短砲身の砲と定義すると3兵戦術が確立し、なおかつ城攻めもあった18世紀
ヨーロッパかな?(異論もあるだろうけど。)
208世界@名無史さん:2005/09/17(土) 08:11:26 0
17世紀中頃にはもうあったみたいだが。
島原の乱で、幕府軍が一揆勢がたてこもる原城に大筒で砲撃を加えたが
射角が低くて崖の上の原城にはほとんど届かなかったので、
乱後、オランダに臼砲の作り方を教えてもらったとか
209世界@名無史さん:2005/09/17(土) 19:16:05 0
>>208
そうなの?何て名前の砲。まあその後天下泰平で埃1トン位溜まってそう
だけど。
210世界@名無史さん:2005/09/17(土) 19:21:20 0
211世界@名無史さん:2005/09/17(土) 20:24:31 0
どこからを臼砲と認めていいんだか分からないけど。
14世紀前期のボンバルダなんかは既に立派な臼砲。
212世界@名無史さん:2005/09/19(月) 01:55:56 0
>>208
秀吉が攻め込んだ頃の朝鮮にも「碗口」という臼砲があったらしい。
たぶん中国から伝わったものか。
213世界@名無史さん:2005/09/19(月) 02:02:33 0
>>210で既出だった。
明初からあったんだね。
214世界@名無史さん:2005/09/21(水) 15:50:29 0
ギリシャ火って火付けて海に放り込んだらどうなるんだろう。
215世界@名無史さん:2005/09/24(土) 16:16:14 0
>>215
ギリシア火薬(グリーク・ファイア)は、シリアにいたギリシア人とも
イスラム軍の捕虜ともいう人が製法を伝えたもので、松脂、硝石、硫黄など
を混ぜて作られました。この兵器は、海戦や防御戦で役に立ちました。
史書によると、水をかけても火は消えにくかったとありますが。
216朱由檢:2005/09/24(土) 22:05:28 0
>>214
“ギリシャ火”の原料はナフサと消石灰なので水で発火し、
水では消えないからしばらく燃えると思うよ。

“ギリシャ火”は>>215さんの指摘のとおり、イスラム側の発明で、
ビザンツ帝国に亡命したシリア人技師が伝来したという説もあるね。
217世界@名無史さん:2005/09/25(日) 20:36:37 0
ギリシア火は小便をかければ消えるという説があった。
218世界@名無史さん:2005/09/25(日) 21:12:01 0
>>217
アンモニアと何か関係があるのかしら?
219世界@名無史さん:2005/09/25(日) 21:19:05 0
>217-218
それが事実かどうかは知らないし、余程大量の小便を掛ける必要も有るだろうし、
そんなに大量なら水でも消えるだろうし、砂でも掛けた方が効果的だと思うけど、
アルカリ性水溶液で酸化作用を阻害するって事なのかも。
消火剤なんかも外気の遮断作用と酸化阻害作用を利用してるからね。
220世界@名無史さん:2005/09/25(日) 23:38:42 0
けどギリシャ火がイスラム側の発明なら
イスラム軍はなぜギリシャ火にてこずったんだ?
対策ぐらいたてられそうなもんだろ
221世界@名無史さん:2005/09/26(月) 04:44:28 0
そりゃイスラムであんな火炎放射器になってなかったから。
対策としてはイスラムも同じものつくって対抗した。
222世界@名無史さん:2005/09/26(月) 23:22:18 0
砲の発展は戦車や軍艦の装甲の発展を同時に伴った。
しかし対照的に銃の発展は鎧の退化・省略化を促した。
これは歩兵と軍艦・戦車の価格の違いに原因があるのではないか?
しかし先進国では人命の価値は高騰を続けている。
将来技術的なハードルが低くなれば、歩兵用の鎧が対抗発展することはあるだろうか?
223世界@名無史さん:2005/09/26(月) 23:41:05 0
PEGを繊維に使ったりボディアーマーは発展しつづけている。
224世界@名無史さん:2005/09/26(月) 23:48:31 0
>>222
>歩兵用の鎧が対抗発展することはあるだろうか?

WW1〜WW2期に限定的用途で復活しては消え、を繰り返したものの、
ボディーアーマーやヘルメットはその後順調に発展し続けてますよ?

>これは歩兵と軍艦・戦車の価格の違いに原因があるのではないか?

単純にメリットとデメリットを秤に掛けただけだと思いますが。
化学繊維応用技術の進歩で、行動に大きな支障をきたさない寸法・重量のアーマーで
ある程度の効果が得られる様になって初めて普及したんでしょう。
ボディーアーマーを貫徹する弾薬も同時に発展してますけどね。

>砲の発展は戦車や軍艦の装甲の発展を同時に伴った。

戦術形態によってはヘルメットを被る事さえ嫌われるケースもあります。
何でも守りを固めればいいってものでもありません。要は使い方ですから。
戦車の装甲が重厚化する反面、全く装甲を持たずに機動性と小ささに生存性を求める戦闘車両も現れています。
225世界@名無史さん:2005/09/26(月) 23:54:11 0
>>218
こういう場合に対しては尿素が微量すぎて水と変わらん
226世界@名無史さん:2005/09/27(火) 00:48:34 0
ヘルメットは確かにWW1期に発展したな。
でもこれは弾を直接止めるのではなく、破片による被害を減少させるためだったな。
ボディーアーマーもせいぜい拳銃弾対策程度だし。
これでは軍艦の装甲と同レベルの対抗発展とは言えないな。

やはり鍵になるのは機動力の減少か。
戦闘車両や軍艦はエンジン次第で機動力を増加させられるが、人間はそうもいかない。
歩兵レベルでこれを考えると、戦闘強化服のようなものの登場を待たねばならないか。
227世界@名無史さん:2005/09/27(火) 16:34:03 0
>>222
三十年戦争あたりの時代まではまだ鎧のプレートを分厚くすることで対抗していたはず。
完成した鎧を銃で撃って品質を確認していたとか。
228世界@名無史さん:2005/09/28(水) 21:13:58 0
全身を鋼鉄の鎧で覆った騎兵がピストルを一斉射撃してた時代もあった。
229世界@名無史さん:2005/09/29(木) 21:17:40 0
ttp://www.ring-g.co.jp/body/hard.htm
ライフル対応のボディアーマーはマジ重い
230世界@名無史さん:2005/09/29(木) 23:33:20 0
>>229
フル装備でどれだけの重さになるか知らないけどそもそも屈めないんじゃ?
231世界@名無史さん:2005/09/30(金) 00:41:06 0
マフディーの乱でイギリス軍と戦ったムスリムたちは
先祖伝来のチェインメイルでライフル銃に立ち向かって
普通に弾にあたるより悲惨なことになったそうだ。
232世界@名無史さん:2005/09/30(金) 01:12:14 0
>>231
うわー。想像したくもないな…
233世界@名無史さん:2005/09/30(金) 20:14:56 0
234朱由檢:2005/10/02(日) 22:10:57 0
明末の『神器譜』の中で趙士禎は5人更番放銃図という図説つきで、
5人交代射撃によって間断なく銃撃する方法を紹介している。
235世界@名無史さん:2005/10/03(月) 18:13:49 0
>>234
たしか>>107の本で紹介されてたかも。
装填手と射手と手渡し役が分かれてたとか・・・
236世界@名無史さん:2005/10/08(土) 00:47:22 0
火桶都監
237世界@名無史さん:2005/10/08(土) 17:45:32 0
中国では、山東や四川などで硝石が採れましたが、
硫黄はほとんどありませんでした。
日宋貿易や日明貿易で、日本が輸出したもののなかには
硫黄がありました。でも、その後いったいどうやって硫黄を調達するように
なったんだろう。
238世界@名無史さん:2005/10/08(土) 23:33:54 0
清はマカオと広州で貿易してた。
239231:2005/10/10(月) 11:31:32 0
ネタ本を読み返してみたら間違いだった。
鎖かたびらを着て戦ってたのはムハンマド・アリー朝の「鉄人部隊」。
品質が悪くスーダン兵の銃弾でたやすく破壊された。
240世界@名無史さん:2005/10/10(月) 16:31:39 0
>>239
いや、いかに高品質でも鎖帷子が銃弾を受ければちぎれて金属片になってしまうと思う。
いくらかは耐弾性が期待出来そうな甲冑なんて、近世に入ってからの最期の徒花、
重騎兵用の二重装甲甲冑ぐらいのもんじゃないかと思う。
241世界@名無史さん:2005/10/10(月) 17:41:15 0
当時の銃は銃口、弾の種類、距離と弾速から、
日本警察が使ってる拳銃の至近弾の約2/3の威力の、約250Jくらいしかないらしい。
242世界@名無史さん:2005/10/10(月) 21:06:31 0
銃の威力が劇的に増すのはライフリングされて以降だからねぇ。
243世界@名無史さん:2005/10/10(月) 21:34:53 0
>>241
「当時の」といっても前装銃は14Cから19Cまで、短銃から小銃まで有る訳ですが?
和式火縄銃「国友筒」の実射データの結果、初活力は『約1152J』と出てますよ?
日本警察の代表的拳銃の弾薬と言えば.38Splです。警察用の装弾のスペックは知りませんが、
.38Splの初活力は『約400J』程度ですよ?

>>242
それは主に「精度」の方でしょう。「劇的な威力の増大」を言うなら、むしろ「無煙火薬以降」かと。
244世界@名無史さん:2005/10/10(月) 23:17:49 0
18世紀後半のマスケットは初活力500J程度だが、19世紀後半のライフルは2000Jある罠
245世界@名無史さん:2005/10/11(火) 15:27:28 0
しかしムハンマド・アリー朝って軍隊も近代化しようとしてたはずだが
246世界@名無史さん:2005/10/11(火) 17:27:46 0
ムハンマド・アリー朝は初代の時代に経済基盤が揺らいで6代目あたりで経済破綻
247世界@名無史さん:2005/10/11(火) 20:32:08 0
>>231
英国が「Martin-Henry Mark I」を使ってた時代か?
248世界@名無史さん:2005/10/11(火) 22:35:26 0
済まん、すげえ初歩的なことを聞かせてくれ。

マッチロック式って要は単発玉込めの火縄銃だよな。
銃が連射できるようになるのって、いつ頃からなんだ?
249世界@名無史さん:2005/10/11(火) 23:45:26 0
>マッチロック式って要は単発玉込めの火縄銃だよな。

一般的にはその通り。

>銃が連射できるようになるのって、いつ頃からなんだ?

タッチホール式(ばね仕掛けの絡繰を持たない火縄銃)の段階で、
既に連発式への取り組みは始まっている。
250世界@名無史さん:2005/10/12(水) 02:55:01 0
589 Krt sage 04/04/24 14:21
次に当時の銃器の威力はどれぐらいだったのだろうか。もちろんこれが口径、銃身長、
火薬量、火薬の質といった多様な条件に左右されるのは言うまでもないことだろうが、
とりあえず各時代における標準的と思われる性能を持った銃の威力を数値化してみよう。
 初期のハンドガンは14世紀に登場するが、レプリカを造り実験したLassonのデータ等
から推測するに、50gの鉛弾丸に38gのuncorned powderを使用した (200x23mm)口径の
この銃ですら250J程のイニシャルエネルギーを持ち、現に実験では30mの距離で軽装甲
の鎧を貫通したという(*)。

(*)ただこの250Jという数値を持つ銃弾の破壊力が矢や弩のそれと同列には論じられない
ことは後で説明する。実は弾丸は鎧を「破壊」するのに矢などよりも大きなエネルギーを
要するのであり、この鎧(詳述されていない)はかなり脆弱なものだった可能性がある。

その後ハンドガンの火力は15世紀のフス戦争の際に大いに発達して500-1000Jに達したし
後に登場した長銃身の火縄銃やマスケット銃の威力は火薬の改良もあってさらに恐るべき
ものとなった(serpentine powder から燃焼速度の均一なcorned powderへの改良などで)
cf.Hall,Bert S.:Weapons & Wafare in Renaissance Europe chap.3:Johns Hopkins:1997
251世界@名無史さん:2005/10/12(水) 02:55:54 0
590 Krt sage 04/04/24 14:22
以下に各時代別の武器の威力の概算的な値をまとめて挙げておく。(Williams, p.922)

@時代      @武器            @イニシャル・エネルギー

全時代      剣、斧              60-130J
11-12C      ロングボウの矢          80-100J
         クロスボウのbolt         100-200J
14C     初期のHandgun+serpentine powder    250J
15C  フス戦争期のHandgun+serpentine powder    500-1000J
16C 火縄銃+serpentine powder    1300J
         火縄銃+corned powder      1750J
16C後期      マスケット+serpentine powder  2300J
         マスケット+corned powder    3000J

これを見ると15世紀以後の銃器の発達がどれほど戦争の内容を変えたか想像がつこう。
はたしてこれらの火力に対し同時代の鎧はどの程度対抗できたのだろうか?
252世界@名無史さん:2005/10/12(水) 02:56:30 0
591 Krt 04/04/24 14:23
Grancsayが強度実験のため自分の持ついくつかの鎧を、ホイールロック型マスケット銃、
draw-weight 30kgの弓、同じくdraw-weight330kgのクロスボウで5mの距離から試し打ち
したところ、その距離でも目標に対する角度が大きい場合、矢やboltは弾かれることが
わかったし(正面からなら貫通しても)、マスケットの弾丸の場合も2/3はhelmetや
brestplateを貫通したものの、16世紀の上質の鎧を貫通させる事はできなかったという。
彼が用いた火薬は20gのserpentine powderという比較的弱いものでイニシャルエネルギーは
マスケットなのに900J 程度だったと推測されるとはいえ、鎧は意外と効果的に見える。
また王侯貴族のような高級な鎧の注文者は15世紀においてはクロスボウに対する耐久力の
保証を、16世紀においては火器に対するそれをしばしば要求したことも記録されている(*)。

(*)そういう顧客の要望に応えるため当時の鎧制作者は注文の鎧をクロスボウやハンドガン
による近接射撃テストで安全を確かめてからマーク付きで販売する事もあった。ただこの
テストをクリアできたPistol-Proof鎧は高価で重い物ではあったが。(Williams, p.920)

次回はこういうプレートアーマーの強度を実際のmechanical testとシミュレーションから
算出しているWilliamsの論考を追ってみる事にする。(この項続く)
253世界@名無史さん:2005/10/12(水) 02:59:49 0
594 Krt@ sage 04/04/25 17:38
さて、博物館の鎧を破壊するわけにもいかないのでWilliamsの採った方法は以下である。

(1)まず現代の軟質鋼板(厚さ2mm、炭素0.15%、硬度235VPH)を用意し、これに各種の武器
(主に当時の模造品)によって攻撃を加えてデータを取り、様々な厚さのこの種の鋼板が
矢と弩のbolt、及び弾丸に対して発揮しうる抵抗力の基本数値を測定&シミュレートする。
(2)著者が長年に渡って調査した当時の鎧に関するデータと、(1)におけるデータに基づき
(i)鎧の厚さ(ii)形状(これにより当たる角度が変化する)(iii)硬さ(iv)スラグの混入
といった諸要因が持つ強度への影響力を具体的に数値化する修正強度算定式を作る。
(3)対象の鎧に(1)の基本数値と(2)の数式を当てはめて、当時の鎧の強度を計算する。

ただ「鎧の破壊」の定義だが、実際問題としてこれが矢と弾丸では同一でない事は明白
である。例えば矢やboltはある程度先端が食い込めば「中の人」に致命傷をも与え得るが
銃弾は全体が完全に正面装甲を貫かなければ「中の人」を傷つけられないし(打撃力に
よるショックは無視する)弾丸は変形でエネルギーをロスすることも考慮せねばならない。
それゆえWilliamsは矢系の場合それが鎧に40mm食い込めばdefeatedとみなしたが、弾丸は
装甲を完全に貫通した場合にのみそうみなしている。(以下「破壊」に替えdefeatを使用)
254世界@名無史さん:2005/10/12(水) 03:00:19 0
595 Krt@続き sage 04/04/25 17:40
矢(及びbolt)に対する現代軟質鋼板の抵抗力の表(defeatするのに必要なエネルギー)

      鉄板の厚さ1mm    2mm    3mm    4mm
垂直正面       55J    175J   300J    475J
角度30°       66J    210J   360J    570J
角度45°       78J    250J   425J    670J

弾丸に対する(現代軟質鋼板の)抵抗力の表(defeatするのに必要なエネルギー)

      鉄板の厚さ1mm    2mm    3mm    4mm
垂直正面      450J    750J   1700J   3400J
角度30°      540J    900J   2000J   4000J
角度45°      630J    1050J   2300J   4700J

これを基に前述の鎧の強度を左右する要因である(i)鎧の厚さ、(ii)形状、(iii)硬さ、
(iv)スラグの混入、の影響度を具体的な数値で見てみる事にしよう。
255世界@名無史さん:2005/10/12(水) 03:00:53 0
596 Krt sage 04/04/25 17:41
(i)鎧の厚さ
上の表からでは読み取り難いが抵抗力は厚さの約1.6乗に比例することがわかっている。
(cf.:Atkins,A.G.& Blyth,P.H.:Stabbing of Metal Sheets by a Triangular Knife:
International Journal of Impact Engineering:2001 の研究によるWilliams, p.928f.)
具体的には1mmの抵抗力を1とすると1.5mmなら1.9、2mmなら2.9、2.5mmで4.1、3mmで5.5
3.5mmで7.0、4mmで8.6、4.5mmで10.3、5mmで12.1、5.5mmで14.1、6mmでは16.1である。

(ii)鎧の形状
上記の表からも判るように平らな板の垂直正面に命中する場合と角度がある場合とでは
defeatに要する力はまるで異なる。(a)鎧には丸みを帯びたものがあるし、中にはさらに
(b)竜骨的形状をを付加したものもある。図を書いてみれば理解できるだろうが、一般に
角度Aで板に当たった場合のエネルギーはcosAを掛けたものになる。逆を言えば、平板
ならEのエネルギーでdefeatされる場合、角度Aで板にぶつかった場合defeatに必要な
エネルギーE’=E/cosAであり、これを実際に(a)や(b)のような形状をした鎧を撃つ
場合に当てはめてみると、(a)には1/cos30=1.2、(b)には1/cos45=1.4を掛けたものが
実際のdefeatに必要な修正値となることが確かめられている。(Williams, p.930)
256世界@名無史さん:2005/10/12(水) 03:03:21 0
597 Krt sage 04/04/25 17:42
(iii)鎧の硬さ、と(iv)スラグ混入の影響とは「鋼の質」で一括して数値化しよう。
容易に想像されるように、鎧の材質にとって重要なのは単に硬いだけではなく強靱で
あることであり、これは鋼の熱処理の過程が優れているだけではなくスラグの混入が
少ない事も重要な条件である。Williamsは調査対象となった鎧の成分検査と平行して
現代の鉄にスラグを混入したものを造って、それが強度に及ぼす影響を実験した。
 この結果に基づいて彼は当時の材質をおおよそ四段階に分け、前記の現代における
軟質鋼板の強度を1とした場合に、それらの材質が示す強度修正係数を算出している。
従ってそれぞれの材質カテゴリーでできた鎧の板金をdefeatするためには同じ厚さの
現代軟質鋼板をdefeatするのに必要なエネルギーに以下の係数を掛ける必要がある。

     @材質のカテゴリー   @現代軟質鋼板を1としたときの修正係数(W)

(*)  (最低品質の)鉄製兵卒用甲冑           0.5
(**)  (中品質の)低炭素鋼の鎧             0.75
(***) (ミラノ式の)中炭素鋼の鎧            1.1
(****)(インスブルックの)熱処理で硬化された中炭素鋼の鎧 1.5
257世界@名無史さん:2005/10/12(水) 03:03:55 0
598 Krt sage 04/04/25 17:43
現実にはさらに考慮すべき要因がある。
(1)鎧下などの緩衝材の効果:
十六折りのリネンが鎧の下にあると、刃物に対しては+80Jの、槍の切っ先に対しては
+50Jの追加防御効果の存在が検証されている。

(2)肉体に深手を負わせる事自体に必要なエネルギー:
戦闘中に軽い傷を負っても相手は戦いをやめないだろう。だが「深手」をモノとしての
肉体に負わせるには、さらに50-60Jのエネルギーが必要だと考えられる。

それゆえ、単に鎧をdefeatするのに必要なエネルギーだけではなく(1)と(2)とを併せて
(余裕を見て)150J程度の付加的エネルギーが現実の戦闘においては必要と考えられる。
従って、Eを同じ厚さの現代軟質鋼板をdefeatするのに必要なエネルギーとすると
(中の人のdefeatに必要なエネルギーである)E'=(EW/cosA)+150J、となり、
T^1.6を厚さ(mm)の1.6乗を表すとすると矢の場合は、E'=(55WT^1.6/cosA)+150J
弾丸ではE'=(450WT^1.6/cosA)+150J、剣ではE'=(80WT^1.6/cosA)+150J
となる。(Williams,p.935)(原文には弾丸の場合の数字が155になっているが訂正した)
258世界@名無史さん:2005/10/12(水) 03:05:16 0
599 Krt sage 04/04/25 17:44
次にmail及び非金属製の鎧の耐久力(defeatに必要なエネルギー)について触れる。
ただしmailはプレートの場合と異なり下にキルトのlinen jackを着けての評価である。
なおここでのbladeは、剣ではなくハルバード著者が長年に渡って調査した当時の鎧に関するデータに基づきを模したものによる実験結果である。

@材質      @対Blade   @対Lance   @対矢   @対弾丸
現代の材質でのmail >200J     >200J    120J     400J
15世紀のmail    170J      140J    120J      −
buff leather    70J       −     30J      −
hardened leather  50J       20J     −      −
horn        120J       −     50J      −
cuir-bouilli    80J       30J     −      −
(padding)      80J       50J     −      −
jack        200J      −      −

hardened leatherとcuir-bouilli(革を蝋につけて硬化したもの)は5mm厚のもの。
paddingは16x21cmで60gのlinenの16折。jackは12.5x15cmで171gの物がテスト対象。
259世界@名無史さん:2005/10/12(水) 03:06:44 0
600 Krt sage 04/04/25 17:45
さて、最後に具体的な戦闘状況におけるWilliamsによるケーススタディを紹介しつつ
当時の鎧の総合的な防御力について考察してみる事にしよう(これまでの表を参照)。

(1)mailを着用した11-12世紀の騎士の場合。
@刃のついた武器で彼の鎧(の中の人)をdefeatするためには少なくとも200Jが必要。
(mailと下のjackは170Jでdefeated、それ以上の分が人体を直接傷つける力となる)
200Jは極めて力の強い男が両手で斧や剣を振るった時かろうじて可能かも知れぬ数値。
@弓矢の場合は120Jでmailと下のpadding双方をdefeatできるが、これは例外的な力
を持った射手の強弓でないと不可能。ただクロスボウなら片手用のでも可能であろう。

(2)増大するクロスボウの脅威に対抗してmailに加え別の鎧も着けた13世紀の騎士の場合。
@cuir-bouilliによる補強。これで対抗できる運動エネルギーは120+30=150Jにすぎず
近距離からのクロスボウの攻撃に対抗するには不十分。
@厚さ2mm、材質カテゴリー(*)のcoat of iron plateによる補強。不快なほど重いが
120+175x0.5=207.5J、でなんとか対抗できそうである。
260世界@名無史さん:2005/10/12(水) 03:07:50 0
601 Krt sage 04/04/25 17:46
(3)15世紀初めのミラノ式鎧に身を包んだ騎士。2mm厚で丸い形状(cos30°が適用可能)
鎧の材質カテゴリーは(***)以上だが、焼き入れ硬化はされていない場合。
@矢の場合は、210(=175/cos30)x1.1(材質***による修正)=231J+50J(padがあれば)=281J
これは鋼鉄製のクロスボウでもdefeat困難な値である。
@フス戦争期の1000J級のハンドガンに対しても、900x1.1+50=1040Jでかろうじて安全。
だがこのマージンは時代とともに喪失するし、これ以下の材質の鎧では近距離では危険。

(4)16世紀半ばのニュルンベルク式の歩兵用鎧に身を包んだラントクネヒトやスイス人
パイクマンで2.5mm厚、材質(**)、竜骨的形状(cos45°が適用可能)の鎧着用の場合。
@矢に対しては、78x4.1(2.5mm厚の係数)x0.75(**修正)=240+50(pad)=290Jで安全。
@弾丸に対しては、630x4.1x0.75=1937+50(pad)=1987J、で火縄銃にも安全なことになる。
(原書には、矢の場合260J(+50=310J)、銃弾の場合の耐久力は1250Jで後者に関しては
当時の火縄銃(1300-1750J)でも危険だ、としているのだが計算根拠が判らない)

(5)Zutphen(1584)の戦いにおいて鎧を着ないで銃弾を受けたSir Philip Sidneyを巡って
当時の軍事専門家達によるマスケット銃に対する鎧の有効性に関する論争が行われた。
261世界@名無史さん:2005/10/12(水) 03:11:02 0
602 Krt 04/04/25 17:48
彼が着用していたのが3mm厚、(***)材質、竜骨的形状のミラノ式の鎧なら弾への耐久力は
2300x1.1=2530J+50J(pad)となるがこれでは近距離からのマスケット銃を防げないだろう。
しかし他の条件が同一で材質が(****)であるグリニッジやインスブルックの良質鎧なら、
2300x1.5=3450+50(pad)=3500Jでマスケット銃の弾のエネルギー3000Jを上回る事になり、
安全マージンが存在する事になる、というのが我々の結論ということになる。
(後者の耐久力は原書では3000Jでぎりぎり安全、としてるがこれも計算根拠わからず)

(6)十七世紀の胸甲騎兵の場合。彼らのブレストプレートは厚さ4mmほどだが、財質は(*)
形状は丸形であった。それゆえ耐久力は、4000x0.5=2000+50程度でマスケット銃には
近距離では全く敵し得なかったことがわかる。(故にもっと厚い胸甲を着けた者もいた)

これらの情報を総合すると、クレシーなりアジャンクールなりにおいて、ロングボウは
当時の最高の鎧を着た騎士達をも圧倒した、といった類の主張に対してはいささか懐疑的
にならざるを得ない。恐らくロングボウの矢が倒し得た者は比較的貧弱な鎧を着た者か、
射手の超絶的技量によって鎧の隙間を射られた者達で、それ以上の戦果はむしろ他の要因
に帰しうるのではないか、というのが上記から得られる私の平凡な結論である。(終)
262世界@名無史さん:2005/10/12(水) 06:29:32 0
500Jのマスケット銃ってなんやねんと調べたら思いっきし短銃でやんの。
263世界@名無史さん:2005/10/12(水) 15:53:23 0
連発式の火縄銃ってなんかイメージしにくいな。
264世界@名無史さん:2005/10/12(水) 16:09:17 0
世界初の実用化連発式ライフルはスペンサーライフルじゃないか?
http://www.special-warfare.net/data_base/201_individual_weapons/204_01_military_rifles.html
265世界@名無史さん:2005/10/12(水) 16:28:38 0
>>247
時代は合ってるね。
英軍はマキシム機関銃とかも使ってたらしい。
266世界@名無史さん:2005/10/12(水) 20:55:35 0
『火器の誕生とヨーロッパの戦争』
どこ探してもないんで、図書館のを毎日ちょっとずつコピーしたオレが来ましたよ。
267世界@名無史さん:2005/10/13(木) 00:03:59 0
前近代の黒色火薬を利用した小火器の威力は単純に火薬の量に比例し、
銃身が丈夫であればあるほど威力が高いと考えれば良いと言ってみるテスト
268世界@名無史さん:2005/10/13(木) 20:50:16 0
テストっつーか、それって間違ってるの?
269世界@名無史さん:2005/10/13(木) 21:21:54 0
丈夫にするため銃身を厚くしたら重くて機動性が下がる罠
270世界@名無史さん:2005/10/13(木) 21:29:47 0
鎧を貫通しないから安全と言うのもいかがなものかと…。

現代の防弾チョッキも銃弾は貫通しないが、胸に当れば肋骨は折れるわけで。
271世界@名無史さん:2005/10/14(金) 00:30:12 0
乗り手が厚い鎧を着ていても馬にさえ当れば落馬して、重い鎧を着ている者ほど負傷したであろう。
また、幸運にも落馬しなかった者も暴れる馬の制御に苦心したであろう。
馬の制御が出来ない状態であれば、騎士にとって最大の武器である機動力を発揮することができず、
歩兵にとって格好の獲物であり、瞬く間に囲まれ落命したであろう。
272世界@名無史さん:2005/10/14(金) 02:05:52 0
>>270
多層構造になってるから2層目を貫通しなければ骨折はけっこう防げる。
273朱由檢:2005/10/15(土) 00:10:10 0
“ギリシャ火”は673年ビザンツ帝国に亡命したレバノン出身の建築家カッリニコスが紹介しました。
(参考文献:『イスラム技術の歴史』/アフマド・Y・アルハサン、ドナルド・R・ヒル著/平凡社)
274世界@名無史さん:2005/10/15(土) 18:35:02 0
ギリシャの蒸気砲って本当にあったんですか?
275世界@名無史さん:2005/10/15(土) 19:09:33 0
うん
276世界@名無史さん:2005/10/15(土) 19:30:11 0
kwsk
277世界@名無史さん:2005/10/15(土) 22:32:59 0
sttrg(ry
278世界@名無史さん:2005/10/24(月) 19:34:52 0
明や清代の綿甲は銃弾を防げたとかいうが
銃にどの程度の威力があったんだ?
279世界@名無史さん:2005/10/24(月) 22:38:50 0
綿はマジで強いぞ。
木綿じゃなくて真綿だから勘違いするなよ。
280世界@名無史さん:2005/10/26(水) 00:25:08 0
んー。摩擦で繊維が絡み付いて、弾丸の回転(=貫通力)を止めちゃうんだわな。
281世界@名無史さん:2005/10/26(水) 08:43:11 0
ケブラー繊維
282世界@名無史さん:2005/10/26(水) 12:07:59 0
>弾丸の回転(=貫通力)を止めちゃうんだわな

そりゃ誤解を与える書き方だ。回転と貫通力は関係ないよ。
回転=貫通力だったらフレチェット弾やレクリング弾はどうなる。
283世界@名無史さん:2005/10/26(水) 12:28:12 0
というか綿甲ってブリガンディンのことだと思うんだけど
284世界@名無史さん:2005/10/26(水) 13:14:53 0
真綿とは繭(まゆ)をわた状に引き伸ばしたものをいいます。
古くはこれを「わた」と呼んでいましたが、のちに木綿(もめん)わたが
登場したため、木綿と区別するために真綿と呼ぶようになりました。

やはり繭から作られるものに「絹」があります。こちらは繭から紡いだ
生糸で作られた織物のことをさしますので、真綿と絹は姉妹関係になります。

1デニール当たりの強さをみると鋼(はがね)は3.5グラム、生糸は3.7グラムといいます。
太さが同じなら、繭糸は鋼鉄よりも強いのです。繊細さのゆえに美人薄命の絹ですが、
その芯は矢でも鉄砲でも持ってこいというたくましさを繭糸は内蔵しているのです。
285世界@名無史さん:2005/10/27(木) 18:15:39 0
モンゴル兵も絹の肌着を着けて戦ってたな。
矢が刺さったときに引き抜きやすいというので。
286世界@名無史さん:2005/10/27(木) 20:45:08 0
>>284
デニールってのは9000mの長さで1gになる糸の断面積。
要は重さ基準なので1デニールの鋼は薄くて、1デニールの真綿は厚いってこと。
同じ重さなら密度は低いゆえ分厚くなる真綿が有利というだけのこと。
287世界@名無史さん:2005/10/27(木) 22:27:46 0
288世界@名無史さん:2005/10/30(日) 17:34:30 0
>>285
絹は中原かタリム盆地あたりから輸入、あるいは貢納させてたんだろうか?
289世界@名無史さん:2005/11/06(日) 19:02:19 0
有馬成甫「火砲の起源とその伝流」って読んだことある人います?
290世界@名無史さん:2005/11/06(日) 20:25:03 0

検索すると、
有馬成甫「火砲の起源とその伝流」吉川弘文館 94,500円
高いな。定価なのか?

他にも
洞 富雄「種子島銃 伝来とその影響」淡路書房新社 42,000円
これも凄いな。
291世界@名無史さん:2005/11/06(日) 20:38:58 0
>デニールってのは9000mの長さで1gになる糸の断面積。
いや断面積は特に関係なく、単位長さ(9000m)当たりの重さ(g)。
糸の太さをg/9000mで表現しただけ。
だから重さ当たりでは繭糸が強いって表現で、実際、
繊維の強さはデニール当たり強さで評価する事が多い。
(ただし、グラムは強さの単位じゃないけどね)
292世界@名無史さん:2005/11/08(火) 14:19:10 0
293世界@名無史さん:2005/11/15(火) 22:42:06 0
「火器の誕生とヨーロッパの戦争」に、
ピストル騎兵が装甲槍騎兵を駆逐したって書いてあって納得して、
その後、抜刀突撃騎兵の再誕生が歩兵に対する騎兵の脅威を復活させたのも納得したけど、
30年戦争で抜刀突撃騎兵にピストル騎兵が敗北した話とか、その理由とか、
載っていなくて消化不良に陥った。

上の論理だと、騎兵対騎兵だったらピストル騎兵の方が勝つことになると思うのだけど、
実際は、グスタフのスウェーデン軍がパッペンハイムとかに勝ってるよね?
カラコールは実際には使われていなかったらしいから、その所為で負けたわけでもないだろうし。
だれか理由知ってる?
傭兵騎兵はやる気がなかったから、相手の突撃に立ち向かえなかったなんてオチ?
294世界@名無史さん:2005/11/16(水) 02:30:46 0
>>293
機動力が違うとかかな?
295世界@名無史さん:2005/11/16(水) 05:44:47 0
騎兵の使い所が上手かったんじゃないかなあ。
上手く接近できればピストルなんて蹂躙できるし。
296世界@名無史さん:2005/11/16(水) 12:16:10 0
>>293
ttp://www.kaho.biz/30/c.html
>騎兵の標準は、重い胴鎧を身に付けた胸甲騎兵とそれを援護する火縄銃騎兵
>ティリー軍の騎兵隊は敵軍に接近してピストルを撃つと一旦引き返して弾を込め
>また敵に近付いて射撃する「カラコール戦術」を用いた

>スウェーデンは寒冷地で馬の体格が低く胸甲騎兵に向かなかったことから軽装騎兵
>スウェーデン騎兵は3列横隊の第1・第2列がピストルで敵軍に一撃したあと全部隊で
>抜刀突撃する戦術であった。
>敵の胸甲騎兵とまともにぶつかって勝利するのは難しいので、「ブライテンフェルトの戦
>い」ではグスタフは部下の騎兵たちに対し敵の胸ではなく馬を狙うよう命じていた。
297293:2005/11/16(水) 23:28:19 0
>スウェーデンは寒冷地で馬の体格が低く胸甲騎兵に向かなかったことから軽装騎兵
>スウェーデン騎兵は3列横隊の第1・第2列がピストルで敵軍に一撃したあと全部隊で
>抜刀突撃する戦術であった。
すいません。そう言えばそうでした。
純粋な抜刀騎兵はマールバラの時代以降でした。
抜刀VSピストルのメインの戦いは1700年代で、
マイナーな時代になってしまうので分かりやすくしようとして、
馬鹿なミスをしてしまいました。
30年戦争期の全騎兵は、両陣営共に近距離で射撃を行った後、抜刀して、突撃していました。
『ピストルで武装した胸甲騎兵は…前列か2列目で一旦停止してピストルを発射して
敵の隊列を攪乱。次いで密集部隊は…敵陣に突進した。
…グスタヴの騎兵部隊が大きな成功を収めた秘密は…騎兵に対して、
ピストルをもっとも効果的な距離9m…以下の距離から発射するようにと強調したにすぎなかった』
グスタフ・アドルフの騎兵より
ので、質問を訂正して、
マールバラ騎兵VSフランス騎兵で、抜刀騎兵を多用したマールバラが勝利したのは何故
と言うものでお願いします。

マールバラは、当時流行していた、
3列横隊で一斉射撃後抜刀突撃という騎兵戦術をとっていたフランス騎兵に対して、
純粋な抜刀突撃戦術で立ち向かった。
『マールバラの騎兵はピストルの弾と装薬を1戦役で3発分しか支給されておらず…
行動時[in action]その使用は禁じられていた。』マールバラ時代の戦争術より。
結果はマールバラの勝利に終わっている。
フランスのジャンダムリ騎兵8個大隊を5個大隊で打ち破った等。
298293:2005/11/16(水) 23:29:44 0
続き
個人的にこのあたりのどちらがより有用なのかという話が、
当時の人の認識からして両極端だったということに疑問があるのです。
結果の多くは、純粋な抜刀騎兵側の勝利になっているにもかかわらず。
(純粋な抜刀騎兵=ピストルを遠・中距離で発射するタイプも含む。Sホールやらブレジンスキーに従うと、遠距離ではほとんど無意味らしいから)
はたしてこれが指揮官の能力にのみ依存しているのか?

もう少し広げると、
刀剣、槍から火器へと趨勢は流れていくのに、騎兵だけはしばしば逆流している。
この後のフリードリヒの騎兵も銃火器の使用に制限が加えられ、抜刀突撃が推奨されている。
ナポレオンの時代でも騎兵対騎兵でピストルが重要な位置を占めたとは聞いたことがない。
絵画を見るとみんな抜刀している。
Sホールの理論は装甲槍騎兵の消滅を上手く説明しているけど、
抜刀騎兵の登場に関しては歩兵戦における利点を説明するだけで、
騎兵対騎兵の問題、つまり
ピストル騎兵との勢力均衡状態、更にその後のポーランド式槍騎兵の再登場等を
説明し切れていないと感じているわけです。
この辺りを上手く理論的に説明している文献なり理由があるのかなと……。
あるいは自分が誤解しているのか。

ちなみに
>騎兵の標準は、重い胴鎧を身に付けた胸甲騎兵とそれを援護する火縄銃騎兵
>ティリー軍の騎兵隊は敵軍に接近してピストルを撃つと一旦引き返して弾を込め
>また敵に近付いて射撃する「カラコール戦術」を用いた
は少し誤りらしいです。やっぱりカラコールは使われていなかったとの事。
299世界@名無史さん:2005/11/17(木) 01:05:16 0
中央突破をかけて1日で大勢が決まっちゃったんじゃなかったっけ?
300世界@名無史さん:2005/11/18(金) 00:53:39 0
301朱由檢:2005/11/20(日) 22:14:11 0
近世ヨーロッパにおける突撃騎兵が活躍した理由は、
銃の欠陥や稚拙な戦術などが原因です。

ヨーロッパの滑腔式燧石銃は命中精度が低く、狙撃に向かないため、
散開して高速で接近する騎兵を捕らえる事は困難でした。
一発外してしまえば、前装式銃では再装填までに時間がかかるため、
容易に接近を許してしまいました。
接近されてしまえば、混乱した兵士に再装填している余裕はありませんし、
密集しているので同士討ちの危険性が高く、
発砲するわけにも行きませんでした。
騎兵にとって混乱して逃げ惑う軽装の歩兵は格好の獲物であり、
徴兵された民兵は士気も訓練度も低く、
一度蹴散らしてしまえばもう戻ってきませんでした。
弾幕を張られ過半数が死傷しても一部が密集陣形への突撃に成功すれば、
十分なリターンが期待できたのです。
302朱由檢:2005/11/20(日) 22:18:51 0
グスタフ=アドルフ(1594-1632)は乏しい火薬資源による火力不足を補うため、
リターンの大きな抜刀突撃を敢行させました。
しかし、17世紀は小銃歩兵が長槍歩兵に守られていたため、
騎兵は突撃に及び腰でした。
そこでグスタフ=アドルフは、
馬上短銃で長槍歩兵を威嚇発砲して突撃する戦法を考案したのです。
馬上短銃は銃身が短いため射程が20mしかなく、
揺れる馬上で再装填は不可能。
抜刀騎兵による強襲に対しては馬上用の長剣はとっさに抜刀できないため、
銃床が鉄球状になっていて気休め程度の棍棒になるキワモノです。

突撃騎兵の登場をして、
騎兵分野だけが退行したように考えているようですが、
ナポレオン時代には突撃騎兵に対抗するため、
一度廃止された長槍兵も復活しており、
こちらもWWTまで存続していますよ。

この時代は信頼性の高いローテク兵器が活躍する余地がまだあったということでしょうね。

それから余談ですが、
馬上筒による騎馬突撃戦法は日本では伊達政宗が考案しています。
303朱由檢:2005/11/20(日) 22:43:57 0
滑腔式とは銃身内部に溝の無いパイプ状で銃のことです。
これがなぜ命中度が低いかといえば、
施条式のようにジャイロ効果による弾道の安定がなく、
弾丸も球状でディンプル効果によって空気抵抗によるブレーキがかかり、
威力と命中精度の両方が一定距離で急速に落ちてしまうからです。

燧石式(フリント式)銃とは燧石を鋼鉄片に打ち付けて発火させる機構であり、
強力なスプリングを使用するため、
射撃時に銃の動揺が起こり命中精度は低下します。
『承寛雑録』には、仮想的であるヨーロッパの兵器を知るため、
将軍徳川吉宗は享保六年(1721年)3月に燧石式銃の射撃を実演させました。
オランダ人ウンテレキレイマンは5〜6間先の標的を4回撃ったものの、
一発も命中しませんでした。
検証の結果、吉宗はヨーロッパの銃がそれほど進歩していないと考え、
燧石式銃を採用しませんでした。

天保三年(1832年)に高原秋帆はヨーロッパの兵器を検証するため、
私財を投じてオランダから燧石式ゲベール銃、同ヤーゲル銃、
ヤーゲルビコッセ銃など4種類130挺を輸入しました。
そして、天保十二年(1841年)5月に徳丸原で実演を行ったのですが、
実射した幕府鉄砲方から照準器(照星)が不正確だと指摘されています。

なぜ、このように命中精度の低い銃が漫然と使用されたのでしょうか?
ヨーロッパは兵士の訓練度や士気が低くかったため、
戦闘が密集陣形同士で行われたことが原因です。
密集陣形同士では群れの中に適当に打ち込めば誰かに当たるため、
(アメリカ独立戦争以前は)そもそも命中精度が度外視されていたのです。
304世界@名無史さん:2005/11/21(月) 11:49:06 0
>>301-303
だがフリントロックには、マッチロックとくらべ
火縄を火がついたまま保持する必要が無く
操作が簡単で、発射速度の向上が望める
という利点がある。あと、長槍兵が復活したというのは
聞いたことがないんだけどソースは?
それにヨーロッパにおいて突撃騎兵が
活躍しつづけたのは平野が多いという地形的条件や
馬の品種改良が進んで馬格が日本などにくらべて
圧倒的に優れる、それから大砲の発達によって
歩兵の密集陣をうち崩すことが可能になったというの
が大きいと思うのだが?

それから、ヨーロッパにおいて密集陣が好まれたのは
騎兵の突撃に対抗するためと言う理由もある。
305世界@名無史さん:2005/11/21(月) 15:11:37 0
大砲の護衛として槍兵部隊が配置されてたんじゃなかったっけ?
306293:2005/11/21(月) 21:36:23 0
対歩兵戦において突撃騎兵が活躍した理由は
301-302での指摘の通りだと思います。。
ただ、
>密集しているので同士討ちの危険性が高く、
>発砲するわけにも行きませんでした。
は、少しおかしいと思います。
もちろん、密集横隊の歩兵は、左右から回り込まれて撃破された。
しかしそれは同士討ちの危険が高かったからではなく、
単純に側面あるいは背後から攻撃されたため。
そこで騎兵に対抗するために、歩兵は方形に密集した。
前期は槍兵が防壁となるような方陣を。
後期は銃剣を連ねての方陣を作り、
密集陣形内に入り込まれないように、弾幕と刃で防御した。
そこで騎兵突撃には、大砲を用いての歩兵の分散、
あるいは、横隊歩兵による一斉射撃が必要となる。
307293:2005/11/21(月) 21:40:28 0
>17世紀は小銃歩兵が長槍歩兵に守られていたため、
>騎兵は突撃に及び腰でした。
ブレイブハートで見るように、何時の時代でも槍衾に守られた陣形への突撃は、
よほどのことがない限り失敗しました。
だから上述のような3兵戦術が発展していった。 また、
>馬上短銃で長槍歩兵を威嚇発砲して突撃する戦法を考案したのです。
は、対歩兵戦と対騎兵戦を少し混同していると思います。
正確には「馬上短銃で極力敵騎兵に接近して射撃し突撃する戦法を採用したのです」
だと思われる。オスプレイの本に従うと。
また馬上短銃=ピストルは、対騎兵向きに使用されるときに威力を発揮したと、
少なくともS.ホールは見ているようです。
常識的に考えても、揺れる馬上からと、しっかりとした地面の上からの射撃では、後者の方が勝る。
ピストルは騎兵には有効、でも歩兵には効果低。だから突撃騎兵が生まれたと。
まぁもちろん、威嚇発砲はしたと思います。火薬に余裕があるか、騎兵にやる気がなければ。

騎兵戦に関してですが、
>揺れる馬上で再装填は不可能。
これも、有名サイトNAPOLEONでの逆撃を読むその1で書かれているとおり、
再装填は可能のようです。しかも、通常は2丁のピストルを持っていたようです。
個人的に、更に持っている人もいたようです。
ピストルは鞍の前横両側にホルスターがあって、すぐ抜けるようにはなっていた。
命中率は指摘の通り、酷いものでしたが、刃が届く範囲(2-3メートル)においては、
充分であったと思われています。
よく見る絵には槍を持った騎兵に対してピストル騎兵がその馬を狙っているものがあります。
あのような用法を取る限り、ピストルは槍騎兵を撃破したように、
刀に勝ったと私は思っちゃったわけです。
少なくとも、S.ホールが、装甲槍騎兵対ピストル騎兵に適用した理論を
抜刀騎兵に適用すれば。
308293:2005/11/21(月) 21:42:42 0
ただ、
>抜刀騎兵による強襲に対しては馬上用の長剣はとっさに抜刀できないため、
>銃床が鉄球状になっていて気休め程度の棍棒になるキワモノです。
これは、取り回しに難のある槍と刀の違いからも、ある程度の理由にはなると私も考えています。
けれど、そのため、後期のルイ14世の騎兵は、
グスタフ・アドルフ式のピストルの射程距離まで進んで撃って、剣を抜いて突撃
って戦術をとっている。そう考えると、意外と抜刀は簡単だったのかとも思うのです。
297で謝った通り、私はこのグスタフ式騎兵をピストル騎兵の最終形態であると思っています。
そしてまったくピストルを撃たない抜刀騎兵はそれを打ち破った。
で、なんで? と思ったわけです。

カラコールが相手だったら確かに優位ですが、
練度、戦意ともに同列で、数も同数と仮定すると、
突撃と近距離射撃を行うピストル騎兵が
最初の衝突で抜刀騎兵を一方的に打ちのめすことも可能なのではないか
と思うからです。

あるいは、純粋な抜刀騎兵が勝利した事例は実は少ないのでしょうか?
309293:2005/11/21(月) 21:44:36 0
プラスアルファ
日本で燧石式が発達しなかった理由は、日本の燧石が良質のものではなかったから
という話を聞いたことがあります。
また、不発が増加しましたが、その代わり、304さんが言うような利点にプラスして
いつでも撃てるという利点と
より密集した隊形を取ることが可能という利点がありました。
これらの利点・欠点は、304さんが指摘しているとおり騎兵が発達した欧州と
未発達だった日本においては、
兵器の優劣を決める際のファクターの重みが変わってきます。
また日本人と欧州人の考え方の違いもこれに拍車をかけました。
双方が火縄銃を用いていた頃から欧州人は、
滑空銃で丸玉の銃の弾道特性から命中率向上を早々と諦め、個々の発射
速度向上と標準化、威力の向上を重視しました。
一方、元々命中率重視で、名人芸重視の日本人は、努力を重ねて、
様々な射法、銃を生んで、名人芸に支えられた集団での速度向上を世界に先がけて成し遂げました。
雑賀の鉄砲運用は、一人の射手に補助がついて連続射撃を実施したと聞いたことがあります。
けれど欧州では、皆が撃つ形での集団での速度向上と個々の発射速度の向上を行った。
威力の向上では結局重たい旧マスケットが捨てられ、大砲が発達したけど。
つまり決して訓練度や士気が低かったためではないと思います。
少数精鋭対大物量。あるいは散開に対する恐怖心の大小。
そう言う問題だと思います。
ttp://historyzantei.fc2web.com/plan101.html
310世界@名無史さん:2005/11/22(火) 15:11:56 0
ルイ14世の軍隊
ttp://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-88317-837-4p.html
グスタフ・アドルフとルイ14世
ttp://www.k2.dion.ne.jp/~tactic/17.html
311朱由檢:2005/11/23(水) 15:54:21 0
この時代の銃は前装式なので、
銃口から火薬と弾を込め杖で固めて装弾する必要がありますので、
とっさに撃てないと思います。

また、弾を込めた状態でホルスターに差しておくことは、
構造上できないのではないでしょうか?

銃口が下を向いた状態では、弾と火薬が零れ落ちてしまいます。

弾を込めた状態であれば、
当時ヨーロッパで使用されていた黒色火薬は、
吸湿性の高い硝酸ナトリウムが使用されていたので、
不発率が高くなってしまいます。

それから抜刀についてですが、
直刀をとっさに抜くのはかなり難しいです。

試してみましょう。

曲刀が主流になった理由がわかると思います。
312朱由檢:2005/11/23(水) 15:58:14 0
>>309
これのことですね?

享和年間に燧石式銃を研究した山崎友一の『銃術捷径』によれば、
日本の燧石を使用した場合、十に五、六度しか点火できないとあり、
舶来のものと比較して点火能力で劣ると言及しています。

なお、燧石式銃は強力なスプリングを使用するため、
命中精度が劣ると考察したのも同書です。

久米通賢が文化十八年(1814年)には、
日本の燧石で確実に点火可能で動揺もない“鋼輪式銃”を開発しています。
これは歯輪式と原理は同じ銃です。

なお、久米通賢はマッチに使用されていた黄燐を発火装置に利用した、
“黄燐式銃(生火銃)”も開発していますので、
混同しないように注意しましょう。
313朱由檢:2005/11/23(水) 16:04:42 0
江戸時代には燧石式銃の発火機構と全く同じ仕組みのライターがありましたので、
兵器として使用しない分には良かったようですね。

もともと湿度の高い日本では燧石式銃が主力となる要素がありません。
同じモンスーン気候のインドでは燧石式銃の補助に火縄が付いていました。

ヨーロッパ燧石式銃は理想的な条件下でさえ15%の不発率を誇る欠陥品です。
314朱由檢:2005/11/23(水) 16:06:48 0
大砲は攻城戦には有効な兵器でしたが、非常に重く運搬が困難でした。
スレイマン1世(位1520-66)の第一次ウィーン包囲(1529年)が失敗した理由は、
異常気象によって進路がぬかるんでいたため、
重すぎる大砲を運搬できなかったことが原因でした。

威力はある程度あれば良いのであって、
いざと言うとき使用できない兵器はまさに無用の長物にすぎませんでした。

大砲の主役は重砲から運搬の容易な軽砲へと遷りました。
315朱由檢:2005/11/23(水) 16:11:53 0
野戦における大砲は大きな音で威圧することが主な目的であり、
その重量を利用して大砲同士を鎖で繋ぎバリケードとして使用され、
重砲も軽砲も運用自体に変化はありません。

三兵戦術の先駆者グスタフ=アドルフ(1594-1632)が野戦で使用した大砲は、
歩兵に随行が可能な砲弾重量3ポンド(約1.35kg)の軽砲でしたが、
重量は600ポンド(約270kg)で運搬には兵士4人と馬2頭が必要でした。

野戦砲に移行後も戦闘時の移動は困難で、
砲兵が襲撃されると大砲が容易に鹵獲され、
敵の戦力となる危険性を孕んだ兵器でした。

リュッツェンの戦いでは風車の高台に配置された大砲を巡り、
戦況が大きく変化しました。

大砲は砲台の改良によって俯角を変更して着弾位置を調整できたものの、
撃つ方向を変更するには大砲自体を動かす必要があり、
頻繁に変更できませんでした。

つまりこの時代の大砲を避ける方法は、
砲口の向けられた方角に立たなければ良いのです。

近世ヨーロッパの軍隊は大規模な密集陣形で動きが鈍く、
指揮系統を未成熟で方向転換等が十分機能しないため、
野戦砲の餌食になったのです。

榴弾が登場した以降であればまだしも、
それ以前の砲弾を受けるということは、
よっぽど柔軟性な用兵ができなかったのでしょうね。
316朱由檢:2005/11/23(水) 16:18:05 0
近世ヨーロッパにおける軍隊の士気が低かったというのは、
個人的な見解ではなく、
士気と国防意識の高い市民軍の登場と散兵戦術の確立を語る上で、
必ず言及される定説です。

密集戦術を好んだのではなく、密集戦術しか採れなかったのです。
散兵戦術をとり、指揮が疎になれば、ほとんどが脱走してしまいます。

30年戦争時のスウェーデンでは、
徴兵令状は死刑宣告と同じであると農村部で反乱が頻発しました。
フリードリッヒ2世のプロイセン軍は夜襲を行わず、
宿営地も野原の真ん中を選び、
森林を行軍する時は歩兵の両脇に騎兵隊を配置し、
斥候の派遣や追討作戦を極力避け、
兵士の脱走を防ぐために徹底した措置をしなければなりませんでした。

フランス軍革の父ギベール(1743-1790)は、『戦術一般論』の中で、
士気旺盛な市民軍による散兵戦術を提唱していましたが、
傭兵や強制徴兵された士気の低い兵士では逃走の危険性が高く、
採用できなかったのです。

散兵戦術は独立戦争時のアメリカや革命戦争時のフランスなど、
国防意識のある素人集団にすぎない市民軍が、
各国軍に勝利した理由として挙げられています。

ギベールの提唱した散兵戦術とオーダーミックスの有効性は、
ナポレオン1世がヨーロッパを席巻したことはご存知の通りです。
317世界@名無史さん:2005/11/23(水) 19:00:14 0
>>316
ヨーロッパでもアメリカ独立戦争以前から
例えば、クロアチア辺境兵やプロイセンの猟兵、
ロシアの狙撃兵のように散兵戦術を行いうる部隊が
少数ながら存在したと聞いておりますが?
これらの部隊ではライフル銃の装備もそれなりに
行われていましたし。
あと、密集陣形が好まれた最大の理由は兵の脱走を防ぐ
ことでしょうが、やはり騎兵の脅威を抜きにすることはできないと
思いますけどね。繰り返しになりますけど、平地がちな地形において
馬格が日本とは比べものにならないほど優れたヨーロッパ騎兵の
突撃に前装式銃しかもたない歩兵が対抗するためには密集しての一斉射撃、
もしくは槍や銃剣をつらねて突撃を阻止する以外には方法がないですから。
318317:2005/11/23(水) 19:02:58 0
つけたし。
確かに、一般的にヨーロッパの兵の士気は低いものですが
スイス誓約者同盟のように士気が極めて旺盛な軍でも
やはり騎兵の突撃に対抗するために密集陣を組んでいるのは
どのように理解なさっておられるのでしょうか?
319317:2005/11/23(水) 19:12:24 0
あーそうそう、宗教的連帯感に基づいた旺盛な士気
厳格な規律を持って知られたボヘミアのターボル軍も
やっぱり密集陣を組んでいますね。
320293:2005/11/24(木) 00:13:45 0
……なんか議論がズレている。
S.ホールの本を読んで、抜刀騎兵の再登場の問題が、
ピストル騎兵と勢力均衡状態を説明し切れていないいないと思うので、
誰かこの辺の問題について知っておりますか?
というものだったのが、ヨーロッパ戦術は稚拙であるか否かになっている。
まぁいいか。

>この時代の銃は前装式なので、
>銃口から火薬と弾を込め杖で固めて装弾する必要がありますので、
>とっさに撃てないと思います。
弾を込めていなければその通りでしょう。
321293:2005/11/24(木) 00:14:35 0
>また、弾を込めた状態でホルスターに差しておくことは、
>構造上できないのではないでしょうか?
>銃口が下を向いた状態では、弾と火薬が零れ落ちてしまいます。
実は私も昔そう思っていました。
けど、近世の決闘のシーンとか、映画とか小説を読むと、
腰のベルトにさしたピストルを抜いて撃つ姿とか、
一端銃口を下げてから、狙って撃つシーンとかを時折見かけて
意外と落ちないのかな。と思うようになっています。
また、論理的に考えて、弾を込めて持ち運べないのなら、
ピストルを何丁も持って戦場に出かける意味はないと思うようになりました。
高価な代物ですし。
実際に装填作業は「銃口から火薬を装填し……火薬が装填位置からこぼれないための詰め物を押し込み、
続いて弾丸と、弾丸が転げ出さないための詰め物を押し込み、それから。……火皿に発火薬を……」
というものなので、最近では、まぁ短時間なら大丈夫なんじゃないかと思っています。
詰め物の記述は戦争の世界史より。

>不発率が高くなってしまいます。
>ヨーロッパ燧石式銃は理想的な条件下でさえ15%の不発率を誇る欠陥品です。
同じく戦争の世界史より
「火縄式発火装置は……火打ち式発火装置に道をゆずり、その分だけ教練も簡単になった。……その利点とは発射速度がはるかに速いこと(おおむね2倍)、そして信頼性がより高いこと(火縄式の不発率50%に対して33%)であった」
統計数字はチャンドラーのマールバラ時代の戦争術です。
もちろん、これに対抗する統計は数多くあるのでしょうね。
322293:2005/11/24(木) 00:17:40 0
>直刀をとっさに抜くのはかなり難しいです
そうだと思います。やっぱり武器の持ち替えのタイムラグ
銃の不発率あたりが、抜刀騎兵が強みを発揮した理由になるのかな。
でも曲刀が使われたのは、歩兵を薙ぎ払うため。
対騎兵を考えると直剣が有利でナポレオンの胸甲騎兵も直剣を使っていた。
サーベルは軽騎兵の主武器。

>大砲の主役は重砲から運搬の容易な軽砲へと遷りました。
これは少し違いますね。昔の大砲は攻城砲と野戦砲の区別がなく、非常に重たい造りだった。
そこに野戦砲という考えが生まれて、双方に区別を付けるようになり、
野戦砲は軽く作ることが出来るようになった。長篠合戦の世界史の後ろの方に短く分かりやすくのっています。

>野戦における大砲は大きな音で威圧することが主な目的であり、
>その重量を利用して大砲同士を鎖で繋ぎバリケードとして使用され、
>重砲も軽砲も運用自体に変化はありません。
これは大砲が戦場に現れたころの話。言われています通り、野戦でしか使えない軽砲などの誕生で、
野戦砲兵戦術は確実に発展していった。
その到達点がグリボーバルの改革によるフランス砲兵。

>大砲は砲台の改良によって俯角を変更して着弾位置を調整できたものの、
>撃つ方向を変更するには大砲自体を動かす必要があり、
>頻繁に変更できませんでした。
敵に砲口を向けたまま前進する戦術が18世紀初頭にはありました。
また、大砲の向きを変えることは、戦闘中可能でした。
大規模な陣地移動は難しかったけど、右に30度とかはまぁやっていました。でなけりゃ
>リュッツェンの戦いでは風車の高台に配置された大砲を巡り、
>戦況が大きく変化しました。
は成り立たない。奪われてもずっと敵の方向向いているなら害はない。
もちろん、騎兵や軽装歩兵をねらえるほど素早くはありませんが。
323293:2005/11/24(木) 00:19:26 0
>よっぽど柔軟性な用兵ができなかったのでしょうね。
それだけ、散開に対する恐れがあったのでしょう。

>近世ヨーロッパにおける軍隊の士気が低かった
これは一般論過ぎていて、現実的理論ではないというのが「私」の考え。

>士気と国防意識の高い市民軍の登場と散兵戦術の確立
おそらく根本の考えの間違えがあります。
士気が低い→密集する→柔軟性がない→劣っている
よって
士気が高い→散開する→柔軟性獲得→現代へ
という考えなのでしょう。
しかし実際には、
騎兵突撃に対抗したい→密集方陣→銃火器の発達→密集横隊→火器の発射速度、威力向上→列数の減少
てな形で、密集陣形は徐々に密集ではなくなっていき、機関銃と後装銃、新型砲によって、密集隊形は終わります。
かなり単純化して好きではないなこの流れ。
324293:2005/11/24(木) 00:21:23 0
317さんが指摘されている通り、散兵は革命による産物ではありません。
散兵は、密集横隊を混乱させるための道具です。
散兵だけの軍がいたら、それは騎兵隊によって殲滅されたでしょう。
なんかの小説の冒頭で、騎兵が突然現れて、指揮官が「散開!」って叫んで蹂躙された話が出てきて
大笑いして、その後を読まなかった記憶があります。

つまり密集横隊あってこその散兵です。
また密集隊形はしばしば逃亡を防ぐ役割のみが強調されていますが、
少し想像すれば、それ強調しすぎることが誤りであることも分かると思います。
「わずか数十mを隔てて相対した敵味方ががっちり横列を組んで、お互いにマスケット銃をうちあい、
まわりじゅうで戦友がばたばたと死んだり傷ついて倒れてるのに、
その横列をくずさずにがんばっているのである。
……軍隊の各戦闘単位が、自分たちの視界外にいる上官からの命令に、……正確さをもって服従した
……将校たちは……有能であっても無能であっても……自動的な服従の反応を期待することができた」
戦争の世界史より(少なくとも私の認識する士気の低い軍はこんなこと出来ません。)

また同様に密集隊形は極めて精緻な訓練を必要としました。その訓練の過程で、
上述のような環境でも逃げ出さない仲間意識と連帯が生まれました。
もちろん、脱走は相次ぎました。しかしそれは何時如何なる時でも、
戦場にある軍隊にとっては避けられないものです。
あとフランス革命軍の脱走率が他の軍隊に較べて飛躍的に
少ないという統計を見たことがありません。あったら教えてください。
325293:2005/11/24(木) 00:25:34 0
また、散兵になるには士気が高いだけではなく、熟練兵であることも要求されました。
士気が高いだけだった革命軍の基本戦術は密集縦隊突撃です。
これは従来型の横隊戦術の前には単独では撃破されてしまうので、
(7年戦争でフランス縦隊戦術はプロイセン横隊の射撃の前に崩壊)
数少ない熟練兵たちが散開し、あるいは横列を組んで援護し、この突撃を成功に導いた。
けどナポレオン戦争をよむと、ナポレオン時代には縦隊のまま突撃するのは下策で、
最後の突撃にはやはり横列を組むことが必要とあります。
やっぱり最後にものを言うのは士気と訓練のコラボ。

フランス革命による情熱に熟練兵が加わり、
散兵を自由自在にあやつる能力を獲得したのは事実。
でも勝敗を決めたのは、情熱を持った密集歩兵隊であったのも事実なのです。
ワーテルローを見ましょう。近衛隊とイギリス歩兵横列。大騎兵突撃と方陣。

よって密集している=士気が低いと言う論理は成り立ちません。
そもそも317さんの指摘の通り、近世密集歩兵の起源の一つは士気旺盛なスイス人なのですから。
つまり、密集隊形は騎兵に対する優位の確保のために誕生。
逃亡を防ぐ役割もあることに気が付いたのはその後となります。
だから士気の高い兵士たちも密集歩兵陣を組んだ。

逃亡を防ぐというのも、色々意味があるけど、
密集陣を形成するのに必要な訓練から来る仲間意識で
彼らを縛るということにプラスして指揮統制のしやすさがある。
声と喇叭の届く距離ってやつです。これが拡大解釈された結果、
密集している=士気が低い=柔軟性がない論理につながった。

そして密集方陣に銃を導入したのがテルシオ。
銃撃の効果を高めることに成功したマウリッツ。となっていく。
それを支えたのは訓練。訓練は士気の低い兵士に戦友意識を芽生えさせて、彼らを戦闘人形にした。
そこに革命的情熱が混入して、横隊・縦隊・散開を自在に行う近代陸軍へと発展するわけです。
326293:2005/11/24(木) 00:26:40 0
また、散兵戦術の発生は、次の考えが極めて論理的

「密集横隊は展開するために障害物のない開けた地形が必要であり、
実はその前提になっていたのは、村ぐるみで三圃制農業を行うための開放耕地制度であった。
だから農業の多角化によって耕地の囲い込みが必須となり始めていた時代にあって、
西ヨーロッパの農業景観は時を追ってどんどん旧戦術には具合が悪くなっていった。
……つまり、フランス軍の戦術は、実地の経験にもとづいて西ヨーロッパの農業景観の変化を
考慮に入れたものであり、それに対して、もっと東のベルリンやモスクワでは、
農業景観はまだ開放耕地のままであったから旧戦術の砲が適合していたのである」
戦争の世界史より
ちなみに散兵戦術が有効であるとの評価を勝ち得たのは
317さんの指摘の通り、オーストリア陸軍のクロアチア兵のおかげです。
戦闘横隊の前方で不正規兵として使うと非常に威力を発揮したからです。

>必ず言及される定説
士気と国防意識の高い市民軍の登場により劇的な変化を起こしたのは、
軍の機動力、兵力、戦争に対する意識、といったより戦略的なものであり、
散兵戦術の確立は、散兵として使える兵力が増えたことを意味しているだけの二次的なものです。
軍の背骨は密集横隊だったのです。列が2か1列になったけど。
327世界@名無史さん:2005/11/24(木) 04:19:23 0
戦争の形態―横隊戦術から混合隊形へ
ttp://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/keitai1.html
戦場の実態――隊形の使用例
ttp://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/reality.html
328世界@名無史さん:2005/11/24(木) 07:22:23 0
>>311
>銃口が下を向いた状態では、弾と火薬が零れ落ちてしまいます。

ってアナタ。小学生が竹筒に爆竹入れて小石を撃ってるんじゃないんだから。
滑腔銃だって弾の径は「さく杖」で突かなきゃ装填できないぐらいに作られてますよ。
若しくは銃腔より若干小さめの弾をパッチにくるんで突き込みます。
下を向けようが振り回そうが、弾がコロコロ出てきたりはしませんよ。
発射薬をサラサラ流し込んで弾をポトンと落とせば装填が済むのなら、
いちいち「さく杖」でコンコン突く様な面倒な事はしてません。

「兵六玉」って言葉はご存知でしょう。元来これは銃腔径に対し小さすぎる弾を装填したり、
いい加減に装填すると腔内圧力が逃げてしまい、弾がまともに飛ばない事を指す言葉です。
>銃口が下を向いた状態では、弾と火薬が零れ落ちてしまいます。
な状態の銃を撃てば、まさにこの現象が起きます。
329世界@名無史さん:2005/11/25(金) 22:33:04 0
嫌欧米厨相手にしても・・・・
330朱由檢:2005/11/26(土) 00:01:14 0
1576年春、スペインのフランドル方面軍は6月の6万人から、
11月にはわずか1万1000人に激減した。
1630年代には、脱走による兵力喪失が毎月7%に達する部隊もあった。
1640年代以降、ポルトガルの反乱軍からカステリャを守るために創設された
スペインのエストレマドゥーラ方面軍でも、
兵力損失率はときには90%にものぼった。
1635年に南部ネーデルラントに展開していたフランス軍へ兵力は、
書類上は2万6500であったものの、
10月には実数はわずか1万を数えたにすぎなかった。
またこの翌年、公式には1万4200と報告されていたフランスの
シャンパーニュ方面軍は、6月までに実数6000まで減っていた。
戦争が長引くにつれ、事態は悪化の一途をたどった。

以上、『長篠合戦の世界史』からの引用ですが、悲惨というか(爆…。

戦わずして空中分解してしまう近世ヨーロッパの軍隊は、
士気が低いはデフォです。
331朱由檢:2005/11/26(土) 00:04:08 0
エレアザール=モーヴィヨンは、
ヒョツジッツの戦い(1742年)でプロイセン軍は、
約65万発が発射されたと計算しています。
そして、この戦いにおけるオーストリア軍の死傷者は、
大砲や銃剣によるものを含め、約2500人であり、
死者1人につき弾丸260発を消費したと指摘しています。

また、ワーテルローの戦い(1815年)でさえ、
イギリス指揮官が発砲時に使う掛け声は「狙え」ではなく、
「水平に撃て」でした。

挙げはじめるときりがないので、
ヨーロッパの小銃に関する命中精度のお粗末さと軽視については、
バート・S・ホール著『火器の誕生とヨーロッパの戦争』をご参照下さい。
332朱由檢:2005/11/26(土) 00:22:19 0
>>317
ロシアの狙撃兵!?
…すごいですね、勉強になりました。
詳しい資料をご提示いただけたら嬉しいです。

でも、それって少人数だから散兵戦術もどきしかとれないケースですよね。

軍全体が国防意識を持ち、逃げ出さなくなった事で、
散兵戦術という有効な選択肢を獲得した国民軍の登場は、
その後の世界に影響を与えましたが、
猟兵、狙撃兵、辺境兵は局地的な特殊部隊ですよね。

少数の限定的なレアケースを引用することは反証じゃなくって、
ただの物知りさんですよ?
333朱由檢:2005/11/26(土) 00:28:39 0
>>321
当時は大砲も木で蓋をしていたから、おそらくそうかもしれないですね。
ソースもヨロ。

>>328
口径のバラバラな手工業段階の銃にそこまで規格を統一できたかは謎ですね。
施条ギリギリで強く押し込めなければならなかった施条式は嫌われて、
独立戦争時まで使用されなかったから、
弾だけでそこまできっちり固定できなかったと思いますけど、
どうなんでしょう?
ソースってありますか?
334朱由檢:2005/11/26(土) 00:31:28 0
>>324
それはヒッシに戦うってば…。

敵前逃走した兵士はプロイセン士官によって、
その場で100%射殺されてしまいますけど、
敵と撃ちあえば6%くらいの確率で生き残れるかもしれないでしょ?
335朱由檢:2005/11/26(土) 00:40:21 0
>>321
1621年ヴァルハウゼンはグスタフ=アドルフに、
燧石式銃を「廃棄すべき遺物」であると酷評し、
早期に発火の確実な火縄式への切り替えを具申しています。
30年戦争時スウェーデンは火縄の原料が不足そていたため、
燧石式銃を採用していましたが、
使用している当人達が燧石の方が発火する確立は不確実であると、
言っているのだから間違いないでしょうね。

そもそも、花火に火をつけるとき、
マッチや蝋燭のよう直接火のついたもので点火する場合と、
火打石を打ち合わせて火花を飛ばしたときでは、
どちらが火がつきやすかったと思われますか?

怪しさ爆発な数字を当然のように記載している本って怖いものですね。

燧石式銃は雨だけでなく、風の強い日も火花が散ってしまうため、
使用できませんでした。
336朱由檢:2005/11/26(土) 00:55:53 0
馬格は〜ねえw

調整済みのサラブレットと観光客乗せるポニーを比較した、
再現性のない検証は無視するとして…。

19世紀オランダやスウェーデン等のゲルマン諸国の男子平均身長は160cm程度、
鎌倉時代の武士が発掘された遺骨から身長160cmと推測されています。

ヨーロッパ人も近年まで案外小柄ですよね。

騎手の身長が大差ないはずの鎌倉時代には、
体高145cm以上ある軍馬は適切ではないといわれていました。

軍馬とは体高が大きいほど良いのでしょうか。

特に近世以降では重い鎧を身に着けているわけではなく、
命中精度の高い後装式施条銃の登場した19世紀末には、
騎兵突撃は行われないようになったはずなのにね。

アラブ馬が体高140〜150cm、
コンキスタドーレスのアンダルシアンが体高150〜160cm、
南アメリカカウボーイのクリオージョが体高133〜150cm、
オーストリア帝国ハンガリー人フザール騎兵のシャギア・アラブは体高150cm。
オーストリア帝国の競走馬リピッツァナーが体高150〜160cm。
鎌倉軍馬の適正規格が130〜145cm。
337朱由檢:2005/11/26(土) 01:04:19 0
>>322
ポーランド、ハンガリーなどの突撃騎兵は、
突撃用の大型直刀(パラーズ、パロッス、パラッシュ)を鞍に下げ、
自身の腰には曲刀であるサーベルを下げており、
両者が使い分けられていましたよ。
338朱由檢:2005/11/26(土) 01:57:32 0
>>リュッツェンの戦いでは風車の高台に配置された大砲を巡り、
>>戦況が大きく変化しました。
>は成り立たない。奪われてもずっと敵の方向向いているなら害はない。
>もちろん、騎兵や軽装歩兵をねらえるほど素早くはありませんが。
戦略地形である部隊後方の高地に配備されていたので、
着弾点を手前にすればワレンシュタイン軍の背後から当たります。
339朱由檢:2005/11/26(土) 02:05:18 0
>大砲の主役は重砲から運搬の容易な軽砲へと遷りました。
大砲は軽量化しました。
ウルバンやモンス・メグから24ポンド砲や32ポンド砲に変わったのですから。
340世界@名無史さん:2005/11/26(土) 04:52:36 0
朱由檢がまたない知識を振りかざして暴れているのか…
341世界@名無史さん:2005/11/26(土) 07:37:03 0
>>333
出た。「ソース要求」。
だからパッチでくるんだりワッドを詰めたり一部だけ内径を狭めたり工夫してあるあるんだってば。
前装古式銃射撃をやってる人なんか世界中に沢山いるから、どうやって装填してるか実際に見るといいよ。
日本でもポルトガル大使杯大会が年一回あるし。前装銃の弾なんて爪で押せば傷が付く程柔らかいのもお忘れ無く。
重騎兵がスキャバードに何挺もピストルを「下向きに」収めて馬を走らせたら、
弾がぽろぽろ落ちるようじゃいざと言う時に全部撃てなくなってるじゃない。
歴史書だけじゃなくて現代の知識や自分の体験も大切にね。
342世界@名無史さん:2005/11/26(土) 08:27:33 0
↑前装式銃器に装填した状態で下向きにしていたら弾は出てきてしまうか?

結論から言うと、ミニエ式以前の前装銃では実用面で問題なし。

滑空式(ゲヴェール式)でも強引に押し込まないとダメ。
施条銃(ヤーゲル式)では溝に食い込ませたながら押し込むので 更に大変w
(押し込んでる途中で折れる事もあるが、こっちの方が大問題w)

しかし、ミニエ式(日本では幕末〜維新期に広く使われた)では、弾の直径が口径の山径(溝の頭で測る内径)と同じなので 施条銃での素早い装填を実現した反面、
装填後に前から薬包紙を噛んでペースト状にした物を突っ込んでおかないと下向きにした時に弾が動いてしまったりする。

セポイの乱が発生するきっかけのひとつとなったとされる、エンフィールド銃(ミニエ式と同系の弾丸を使用)用の牛豚油塗りの薬包紙というエピソードは、このクチャ噛み行為が兵士生活の一部だったためにリアリティをもって語られた。

やがて、ミニエ式銃弾の問題は金属薬莢の決定版(現代の薬莢と同じ構造)であるボクサー式/ベルダン式薬莢の出現と共に、わずか10年ほどで後装式へと移行し、兵士達はクチャ噛み行為から解放された。

では、金属薬莢の出現があと10年早くエンフィールド銃が後装式だったら、セポイは反乱を起こさなかっただろうか?

おそらく後装式による連射速度の向上により、数倍する死傷者を伴ってセポイは東インド会社に戦いを挑んだだろう。

それは、全インドを集約した存在だった軍隊内で、最も早期に萌芽したインド国民意識の台頭が反乱の最も重要な要素だったからだ。
343世界@名無史さん:2005/11/26(土) 08:49:39 0
>>342
重箱の隅御免。

>ボクサー式/ ベルダン式薬莢

ボクサー・ベルダンは薬莢じゃなくて雷管の形式ね。
344世界@名無史さん:2005/11/26(土) 09:08:47 0
>>343 あ〜w そう思ってる人も多いみたいだが、ボクサー式/ベルダン式ではそれぞれ薬莢と雷管の構造に違いがある。

ボクサー式は雷管を発火させるための打ち金が雷管の中に入っているが、
ベルダン式では薬莢の一部が飛び出していて打ち金の役目を果たしている。

また、雷管の火を推進薬に引火させるための導火孔も、ボクサー式は中心に一個/ベルダン式は打ち金の横に二個、とそれぞれ異なる。

ベルダン式は発火性能を確実にしたい軍用に広く採用され、ボクサー式は薬莢の再装填が簡単なため狩猟用などの民間で広く使用されたが、
世界最大の狩猟人口を抱える米国が世界覇者となり、同国の30-06に始まる制式弾薬が広く共通弾薬となったのに伴い、現在の先進諸国軍隊の大部分はボクサー式を使用している。

一方のベルダン式はWW2戦前までは世界中の軍隊の大部分がこの方式の弾薬を使用していたが、
現在では旧ソ連軍の影響下に属するロシア/中国製のAK系自動小銃に使用される7.62mmx39/7.62mmx54Rのみに採用されている。

ベルダン式の薬莢を再利用する事も可能(初期の中共/紅軍も独式7.92mmモーゼル小銃弾をリサイクルしていた)だが、当時使用されていた腐食性の雷管を使用した後の導火孔の清掃が大変なので、日本やドイツでは回収後に鋳潰して再利用していた。
345世界@名無史さん:2005/11/26(土) 10:42:06 0
>>344
ああ、そういう事を言いたかったのね。ならnp.
346世界@名無史さん:2005/11/26(土) 11:10:54 0
そういう事w

では、ベルダン式の薬莢から使用済みの雷管を外して再装填するための方式を下記に
http://www.surplusrifle.com/shooting2005/berdanreloading/index.asp
http://www.surplusrifle.com/shooting2005/berdanreloading2/index.asp
http://www.surplusrifle.com/shooting2006/berdanreloadingpt3/index.asp

ボクサー式は導火孔が大きめで中心に開いているから、断然外し易い。
347世界@名無史さん:2005/11/26(土) 11:13:25 0
>朱由檢氏
スイス兵についてどう評価しているのでしょうかね?
近世ヨーロッパの密集陣のルーツはかれら、
密集隊形を維持したまま駆け足前進をやってのけるほど
士気・練度ともに高レベルのスイス兵にあるというのに、
密集隊形を組む理由が、「脱走を防ぐため」というのは
どう考えてもおかしくないですか?

都合の悪いことはスルーしてすますつもりですか?
348世界@名無史さん:2005/11/26(土) 16:07:26 0
朱由檢のようなバカコテはスルー推奨
349293:2005/11/26(土) 18:05:09 0
>>330
もう少し読んで、ルイ14世の時代になると下降線をたどるに気付いて欲しかったと思います。
何故なのかは、それが人口増加と国家財政の問題であることも分かります。
時代が進むごとに兵士は、臨時職ではなくなります。
そして兵士は、そこにしか居場所がなくなってしまいます。
人口増加で職にあぶれた人々は兵士になり、中央集権国家は、かき集めた金で
彼らを雇用した。かくして脱走率は下がる。しかしゼロにはならない。何故なら、技能を獲得した兵士は、
更に待遇の良い場所を求めて、あるいは、別の国で入隊料だけもらうために脱走したからです。
この辺りは火器の誕生の後ろの方にあります。

また、平時や塹壕戦や小規模戦闘などは、どんな兵であれ、士気が下がります。それこそデフォルトです。
また、戦時になると脱走率が低下したということにも注目すると、
情熱や熱狂という熱しやすく冷めやすい人間の性質を上手く説明していることも分かります。
革命という言葉は、この情熱を掻き立てて、非常識な行軍や劣悪な環境でも
逃げ出さない人々を生んだことを私は否定していません。
それが散兵に使える兵力の増大を生んだのですから。
ただ、このようなつまらない任務を含めた全体的な革命軍の脱走率
と同時代の軍の脱走率の比較は見たことがないので、教えて欲しいなと思ったわけです。
せめてルイ14世の軍隊と革命軍の脱走率の差をどなたか教えてください。
この辺はマジで知りたいです。だれか教えてください。
350293:2005/11/26(土) 18:06:37 0
つまるところ、
>ヨーロッパは兵士の訓練度や士気が低くかったため、
>戦闘が密集陣形同士で行われたことが原因です。
に対して、
325などでも述べましたが、敵とまさに向かい合っているとき、
士気が低いので密集したと言うことを強調しすぎるのはおかしいし、
(そう言う側面もあるということは、324と325で言ったと思う)
一般論的に士気が低いので脱走が相次ぐというのも、一面的すぎておかしいですよと言いたいのです。
訓練度についても密集した部隊を的確に運動させるために相当あったと言いたいのです。

>戦わずして空中分解してしまう近世ヨーロッパの軍隊
>士気が低いはデフォです。
>>334
カローデンとかポルトヴァとか、マルプラケとかドゥナンとかを調べてみることを勧めます。
もしかして、彼らが戦場で見せた頑張りと粘り、突撃を、
敵の大量の火器より、味方の士官や下士官の単発式銃の方が怖いからと説明するのですか?
あと、100%射殺はありません。やろうとしても無理です。
しかもこの時代、意外に思われるかも知れませんが、脱走者に対する処罰は厳しくありませんでした。
火器の誕生に乗っています。

94%の死傷率は流石に言いすぎです。虐殺ですよ。
351293:2005/11/26(土) 18:07:36 0
>>331
火器の誕生で取り上げているのは、
火縄にしろ火打ち石にしろ、
滑空銃に丸の弾丸を詰め込んだ場合の実験です。
これは、>>303の通り原理的なものですので、
世界中の滑空銃は同じ状態です。
ですので、ヨーロッパの人たちは火打ちによる衝撃云々を重要なファクターと見ず、
(なぜなら、滑空銃である限り命中率向上の限界は目に見える)
使いやすさを重視しました。私はこれを合理的な判断だったと思っています。
また、弾薬の消費率の上昇は、後装銃が出てきても止まりません。
田原坂などを見れば分かると思います。

そして、滑空銃の性能の低さを補うために銃兵は密集隊形の一つである横隊を組んだ。
日本でもヨーロッパでも。

そもそも、火縄の方と火打ち式どちらが優れているか否かでしたので、
双方の命中率の比較、使いやすさの比較、コストの比較を通じた
トレードオフ検討を行う必要があります。
またその場合には、専門家が狩猟用として使うのか、戦場で一般兵あるいは足軽が大量使用するのか
という前提をまず決める必要があります。
ちなみに私は後者の前提で話していますが、もしかしたら、朱由檢さんは違うのかもしれませんね。

関係はそれほどありませんが、命中率軽視の極が機関銃です。
命中率を昔から重視した日本人は、日露戦争でその価値に気が付いたにもかかわらず、
その更なる導入と利用に失敗しました。あるいは国力的な問題かも知れませんが。
352293:2005/11/26(土) 18:08:48 0
>>332
ロシアについては私は余り詳しくないのですが、
散兵が力を持った原因は既に述べました。
この辺の事情は長篠合戦の世界史のp204,205にも乗っているので多くは書きません。
ので、ここでは
>少数の限定的なレアケースを引用することは反証じゃなくって、
>ただの物知りさんですよ?
に対して「「軽装」歩兵隊と騎兵隊は、既に定着していたのである」
を引用しておきましょう。

また、革命フランスは、フランス王国が7年戦争後に試行錯誤して完成させたものを使いました。
革命がなくても、フランス王国は次の戦争で、この戦術を使ったであろうことは間違いありません。
なぜならこれを使いこなせるようになるまでに、革命軍は負け続けたからです。
訓練された正規兵でなければ、ギベールの理論は実践できませんでした。

さらにまた、何度も言うようですが、散兵が歴史を動かしたのではなく、
散兵や横隊や縦隊を組み合わせて使う戦術が、各戦闘で勝利したのです。
私は別に、散兵を否定しているわけではなく、
「士気が低いから密集した」を強調しすぎるのは、おかしいと言っているに過ぎません。
繰り返しになりますがこれまでの文章を読んでいただければ、
私の意見が分かっていただけると思います。
そしてまた、
風景環境が変化したために、散開がより有益になり、散兵が使われたというのも、
その一方で事実なのだということも分かると思います。
もし、従来のままの景観であったならば、散兵の運用はさらに限定的になったと思います。
もっともこの過程は無意味です。
都市住民が力を持ち(革命の原動力)、多様なニーズを求めたからこそ、
農村もそれに対応して変化した結果、ヨーロッパの風景が変わったからです。
353293:2005/11/26(土) 18:09:47 0
>>333
については他の人たちが答えてくれました。

>>335
年代を見れば分かると思いますが、それは、初期の頃の火打ち石です。
あらゆる新兵器は初期の頃、信頼性に欠けていました。

>怪しさ爆発な数字を当然のように記載している本って怖いものですね。
原著を当たりましたが、不発と不運な事故という表現で火縄式は2発に1回失敗するという内容でした。
これは、火縄式の扱いが難しかったことによる操作ミスを含んだ戦場においての経験値であるようです。
操作が完全に行われたときの着火の確実性を取るか、
そもそもの操作の簡易化を求めるのかは、トレードオフ検討の材料になるでしょう。
また、火打ち式も貴方が言う15%よりも多く見積もっていることからも、操作ミスを含んだ値
なのではと思います。これらについては、今後も調べていきたいと思っています。
自分が持っている数値と違うから怪しい、間違っていると言うのではなく、
比較検討してみるのも、調べる醍醐味です。

>>336
馬格というより、運用の違いというのが私の意見です。
平地の多い欧州と、山間な日本。
小柄な馬に乗りながら世界を征服したモンゴル。
あと、観光客乗せる馬を見た感想としては、あんなのでも上に乗っている人が槍だの剣だの持って、
こっちに向かってきたら、鉄砲でも持っていない限り一人では勝つ自信はありませんね。
関係ないけど、この間のサンデーにそんな笑い話がのっていたな。
あと、日本の馬は去勢もされておらず、蹄鉄もなく、
明治期には馬と言うより猛獣とか言われて酷評されていました。だから秋山さんはすごいのです。
354293:2005/11/26(土) 18:11:05 0
>命中精度の高い後装式施条銃の登場した19世紀末には、
>騎兵突撃は行われないようになったはずなのにね。
まさに、それです。
軍の散開が本格的になったのは、命中精度が高く、発射速度も向上した後装式施条銃により、
歩兵が密集しなくても火力を発揮でき、また、騎兵を撃退できるようになったからとも言えます。
もっともこれに機関銃とか、複雑になった地形が入ってきますし、
指揮系統の問題とか、そう単純ではありませんが。

>>337
私の言っているとおりですね。
故に決して曲刀が主流になったわけではないのです。

風車の丘は帝国軍の右翼、真ん中から前方にかけてあったと思ったけど。
少なくとも学研の近世軍事の事典の後ろはそうなっていたよ。

>>339
言葉が足りませんでした。申し訳ありません。
もちろん、当然のことながら、技術の進歩で野戦砲以外の大砲も軽くなりました。
しかしながら昔よりも軽くなった24ポンド砲や32ポンド砲は
特に攻城戦の主役で役に立ちましたが、重砲の部類に入り、決して軽砲ではありません。

自分でもウザイ長文だと思いますし、板違いになっていますので、
ご迷惑をおかけした皆様に、ここでお詫び申し上げます。
おそらく、立っている位置と見ているものが違うのだと思います。
私には近世ヨーロッパ戦術の合理的部分を無視して、
すべてを「士気が低い」と「使っている兵器が欠陥品」だから
ですませる考えが理解できません。
あと、もし最初の騎兵の問題について答えを知っている方がいたらいつかお願いします。
355世界@名無史さん:2005/11/26(土) 19:37:35 0
火縄式と火打石式のどちらが優れているか? という命題に最終的な回答が出るには、皮肉にも管打式が登場するまで待たねばならなかった。

鴨猟中に火打石のフラッシュを見て獲物が飛び去ってしまう事を、なんとかしたいと思った米国人牧師の発案により雷管を用いた管打式が発明された。

しかし、管打式となっても命中率には若干の改善しかもたらされていない。
その最大の理由は、全装式施条銃がミニエ式登場まで一般的ではなかった点と、銃自体の撃発部の構造が火打石式と同じ方向で働く形態であり続け 精度に悪影響を与える上下方向の振れを招いていたためだった。

これを同時に解決しようと試みたのが、施条銃身に紙薬莢と後装式ボルトアクションを組み合わせたドライゼ式の針打式で、管打式の登場からわずか30年を経ずして出現している。
ボルトアクションの出現により、撃発に必要な衝撃を 銃身と水平方向に制御する事が可能となったが、残念ながら金属薬莢以前の紙薬莢を使用したため、針の焼損と後方へのガスの噴出しという問題を解決できず、不十分な構造ではあった。

一方で、ミニエ式による施条銃の普及は各国軍隊において広範囲に進んだが、戦場での運用は密集陣形のまま火打石式時代と変わらない状態だった。

これが一変するのは南北戦争における残酷な経験によってである。
彼我双方が陣形を維持したままマーチによって誘導され、至近距離まで接近という旧来の運用を行った南北両軍は、悲劇的な事に双方ともに装備していたミニエ式の施条銃の威力を全く理解していなかった。

一斉射撃の後に、双方が見たのは滑空銃時代には見たこともなかった巨大な銃創を受けて即死した兵士と、前列の兵士を貫通した銃弾によって更に死傷した後列の兵士達、そして結果として戦列を維持出来ないほどの損害だった。

この結果に衝撃を受けた南北両軍と各国軍は密集陣形の時代が完全に終わった事を理解し、過度の集中を招かないための散兵戦術へと転換して行く。

そして、南北戦争から戦争に“イデオロギー”という新たな要素が加わっている。
イデオロギーの優劣は軍事資源の優劣以上に戦争の帰趨を左右する重要な要素となり、後には20世紀を人類史上未曾有の戦争の世紀へと変えてしまった原因ともなった。
356世界@名無史さん:2005/11/26(土) 21:13:43 0
尚、先込式の銃器は近年になって新たな進化を始めている。
原因は米国内で一時的に強化された銃器規制により、金属薬莢を使用する現代銃として分類されず規制を受けない先込式銃器への需要が伸びたためだった。

当初はイタリア製や日本製のレプリカ品等が多かったが、現代銃並みの精度を求められた結果、下記のような製品が主流になりつつある。
http://www.knightrifles.com/catalog.aspx?catID=Muzzleloaders

構造的にはドライゼのボルトアクションに管打式の施条銃身(銃身後端に火門が位置している)を組み合わせ、弾丸には消滅してしまったミニエ式ではなく現代銃に使用される弾丸をプラスチック製のサヤ状カバーに収めて旋条からの回転を得ると同時に装填を楽にしている。
357朱由檢:2005/11/27(日) 01:46:23 0
>>341
ソースを提供されない方は皆同じようなことをおっしゃいます。
コテであれ名無しであれ、
世界史板は資料の提示をしない人が多いです。
そして、
資料の無いものは信憑性が薄いのも事実です。
確認できないものや再現性のないものはスルーするのは当然です。
鉛が柔らかいため強く押し込めたのかとも思ったのです。
358朱由檢:2005/11/27(日) 02:12:21 0
>>347
スイス長槍兵の成功はスイス社会の特異条件が要因とされています。
15世紀には州単位で非公式な軍事演習を行っていました。
また、捕虜は即座に殺して、スイス傭兵の恐怖を宣伝しました。
「スパルタ的」と評される特異な存在です。
スイス傭兵は構成比自体たいしたことないです。
レアケースを多用するとミスリードを招きますよ。

密集陣形を構成したのは、
スイス人傭兵のような特殊なグループではなく、
姦通者、不義者、窃盗犯、殺人犯、大酒飲み、破戒者、失業者と、
乞食の一歩手前食い詰めた者です。

スイス傭兵は長槍密集だけが取り上げられますが、
弩弓兵、騎兵を組み合わせた一つの独立部隊です。
スイス傭兵は一団として雇用する事を条件としています。
359朱由檢:2005/11/27(日) 02:13:38 0
密集戦術を組んだスイス傭兵は士気が高いのだから、
密集戦術を組んだ兵士は士気が高いといった趣旨ですか?
それとも士気の高いスイス傭兵もいたので、
士気が高いといった趣旨でしょうか?
密集戦術は騎兵突撃に対抗する手段であり、
あえて選択していたとお考えなのでしょうか。
では、訓練度が高いのであれば、
なぜ弓や銃に有効な散兵陣形を臨機応変に選択しないのでしょうか?
ただ騎兵に対抗したいのであれば、
弓等で足を止めさせて数の少ない騎兵は多数で囲めば良いだけです。
十字軍時のノラディンらのイスラム弓兵、
モンゴル帝国の蒙古弓騎兵など、
それ以前にも集団戦術の前に屈服でしょ。

スイス人傭兵は雇い主であったミラノ公を裏切り、
敵国フランスに売り渡したことでも有名です。(“ノヴァラの裏切り”)
360朱由檢:2005/11/27(日) 02:16:16 0
>>350
前半はただの私見と推測ですね?
後半部分は100%の銃殺と94%の戦死リスク比較を、
単発銃と大量の銃とのすり替えですね?
至近距離と遠距離の命中率の比較でも良いですよ。

スウェーデン北部ビュグデオ教区は、
1621〜1639年まで230人の若者が徴収された。
そのうち、215人が出征先で死亡し、
5人は身体障害者となって帰還した。
残ったのはわずか10人だが、
彼らは1639年になっても兵役についたままで、
おそらく9年後の終戦まで、
生き残ったものはいないに違いない。
入隊は事実上の死刑宣告に等しかった。
死ぬまで兵役につくため、死亡率94%でも低い?

エリザベス時代のマウントジョイ卿は、「ひとたびこのような旅路に出向くとなれば、
この国の者どもの4分の3以上は2度と帰らぬ事、周知のはず。」と、
1601年の敗北した、アイルランド反乱軍の外国軍入隊を許可した事を弁明しています。

密集陣形同士で撃ちあえば、死傷者が多いのは当然の結果です。
361朱由檢:2005/11/27(日) 02:17:40 0
>>351
銃の命中精度が低かったため、密集戦術だったことは。>>303

>>352
金属鎧が火器に対して防御性がさほど期待できなかったため、
歩兵が軽装化したのですよ?

散兵という選択肢を得たため等々、
すでにこちらはその趣旨の発言でしょw
362朱由檢:2005/11/27(日) 02:18:48 0
>>353
不発率についてですが、
怪しいものは怪しいといったまでです。
火のついたものから直接火をつける方式よりも、
火打石で火花を飛ばした方が優れていると考えているわけですね?

それから前装式なので弾丸の装填作業は同じ、
トリガーを引いて発砲と作業は一緒です。

馬についてですが、
馬沓とか馬鎧とかご存知ですか?
そもそも素人史家が提唱した騎馬否定説は反論も多く、
定説ではないのですが、2chでは大人気ですよね。
資料が入手し易いこととインパクトの強さでしょうか。
最近の歴史群像にも反論が載っていました。
363朱由檢:2005/11/27(日) 02:20:14 0
>>354
騎兵と命中精度の関係についてですが、
>>301の主張をやっと理解していただけたようでうれしいです。
ヨーロッパで騎兵突撃が成果を挙げたのは銃の命中精度が悪いからです。

直刀と曲刀についてですが、間違っています。
大型直刀を使用したのは一部の話であり、
突撃には槍が主流となりました。
そして刀は抜刀が容易な曲刀が主流になりました。
つまり、直刀+曲刀→槍+曲刀の流れです。
フランス軍はランシイエ、
オーストリア、プロイセン、ロシアはウーラン。

砲が軽量化したことについてですが、
それからこちらも軽量化された砲を“軽砲”と表記した事で、
誤解を招いたことは反省しています。ごめんなさい。
364世界@名無史さん:2005/11/27(日) 02:51:57 0
いい加減見苦しいな。消えろ。
365世界@名無史さん:2005/11/29(火) 00:50:39 0
そもそも、密集隊形といってもスイス槍兵の時代のものと戦列歩兵の時代のものとは全く別。
15〜16cの歩兵が密集したのは明らかに騎兵を意識している。
彼らの装備が対騎兵用のパイクやハルバート中心だったのがいい例。
士気が低いだけならわざわざそうする必要は無い。
さらに遡って、中世でも下馬騎士などの密集隊形が見られる。
これも、歩兵の密集隊形が騎兵に最も有効であったから。
366世界@名無史さん:2005/11/29(火) 00:55:12 0
あと、曲刀と槍が主流になったというのも間違え。
ナポレオン戦争当時は基本的に重騎兵が直刀、軽騎兵が曲刀と槍。
この頃は槍騎兵が主流であったわけではない。
1815年のワーテルローの英、仏、普軍の騎兵の構成を見ればわかる。
367世界@名無史さん:2005/11/29(火) 05:07:12 0
>>365 っ“ピラミッドの戦い” 「4千年の歴史が諸君の戦いを見つめているぞ!」
368世界@名無史さん:2005/11/29(火) 21:24:18 0
>>367
戦列歩兵の時代のものって密集横隊のことね。方陣じゃなくて。
上で射撃を集中するために密集するってことが書いてあったから、
これに反応して横隊のことしか考えてなかった○| ̄|_

ナポレオン戦争の頃でも対騎兵には密集方陣が基本。
士気が低いから密集せざる終えなかったっていうのは
木を見て森を見ず、って感じだな。
369朱由檢:2005/12/01(木) 23:03:37 0
歩兵の密集陣形が騎兵に有効かどうはわかりません。
ヘースティングスの戦い(1066年)に、ノルマン騎兵によって、
イングランド歩兵密集が惨敗したことからわかるように、
歩兵の密集陣形では騎兵に勝てません。
なぜなら、騎兵に比べて歩兵は機動力が劣るため、
騎兵に対して決定力が無いためです。

歩兵が騎兵を撃滅するためには、
機動力に富む騎兵との連携か、
強力なミサイルウェポンが必要です。
密集戦術は騎兵突撃を持ちこたえる事はできますが、
(相手がよほど愚かでない限りは)撃滅できないので、
騎兵に対して有利とはいえません。
370朱由檢:2005/12/01(木) 23:04:52 0
ランチェスカーの法則から言えば、
ほとんどの兵士が戦闘に参加しない密集戦術は、
非効率的であり弱いです。

十分な訓練度と士気のある軍であれば、
百年戦争時のイングランドのように、
長弓などのミサイルウェポンで足止めして、
メンアットアームズを突入させる戦術になると思います。
371世界@名無史さん:2005/12/01(木) 23:11:51 0
>>歩兵の密集陣形では騎兵に勝てません。
また、めちゃくちゃな…
ヘースティングスでは騎兵の突撃がシールドウォールにあっさり阻止された。
ギヨームは退却した自軍右翼(左翼だったかも)を追撃してきたところを騎兵で強襲
して撃破した。
イングランドの密集隊形が敗れたのは騎兵のためではない。

全く戦史を知らないようだ…
372世界@名無史さん:2005/12/01(木) 23:46:15 0
>>370
ランチェスカーの法則って何?
373世界@名無史さん:2005/12/01(木) 23:58:32 0
>>362
日本の馬は去勢していないと言う問題があることはご存じか?
欧州や遊牧民族のそれにくらべて戦術的価値が低いことは否定できない。
山が多くあまり、騎兵の運用に適さないという事情もあるし。
374世界@名無史さん:2005/12/02(金) 03:52:26 0
>>370
密集陣形だと3〜4列目の槍の穂先も前列の人より前に出てる。さらに横にぴったりと兵がいる。
つまり騎兵が槍兵前列を攻撃するのに数倍の密度の槍の攻撃をうける。
ランチェスカーの法則から言えば密集陣形は隊列が乱されない限りは強い。
375世界@名無史さん:2005/12/02(金) 05:32:11 0
そもそも、ランチェスターの法則は鉄砲などの飛び道具を前提としてるんじゃなかったっけ?
376世界@名無史さん:2005/12/02(金) 11:32:14 0
しかし、なんで彼は西欧の軍事力をこうまで
熱心におとしめようとするんだろうか?
377世界@名無史さん:2005/12/04(日) 01:53:33 0
今に始まったことじゃないだろ
378世界@名無史さん:2005/12/04(日) 13:06:11 0
>>376
嫌欧厨だからさ。
379世界@名無史さん:2005/12/05(月) 23:38:22 0
ランチェスターの法則
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02p1.htm

第一法則 一騎打ちの法則、「A0−A=E(B0−B)」
一人が一人としか戦えないため数の多い方がその分だけ残って勝つ。

第二法則 集中効果の法則、(確率戦闘の法則)「A0^2−A^2=E(B0^2−B^2)」
銃、大砲などの飛び道具や戦闘機など 一人が複数の敵を攻撃できる近代戦や広域戦的な総合戦では、
敵より数が多くてもあぶれることなく少ない敵に集中的に損害を与えることができる。

第一法則の注意点、
第一法則は、方程式を立て易いように単純化した式で複雑な二次式を作るガイド用で
実際の古代戦や接近戦主体の戦闘を計算するには、単純すぎる...

接近戦主体の古代戦は、ギリシャやローマの重歩兵を見れば解るように整然と方形に整列して
刀や長槍の壁を作って突進して戦闘するが、実際に戦うのは前列の一部だけで後方の歩兵は
戦ってる歩兵がやられた時に隙間を埋めて戦闘ラインを崩さないようにするために有る。
この方陣を縦に一列ずつ分解すると中央で一騎討ちを行い両側とも並んで一騎討ちの順番を
待っているような形になるため「第一法則 一騎打ちの法則」が使われるとしました。
しかし、実際には、両軍の密度が同じ(整列が同じ幅)場合は少なく。
「ギリシア軍(密集隊形)対ペルシャの軽歩兵」とか「ローマ兵(密集隊形)対ガリアやゲルマンの蛮族」などなど...
同じローマ兵でもカンネーの戦いの時に突破能力を高めるために隊列を詰めた(逆に隊形変形能力が落ち包囲戦に
弱くなってハンニバルにやられてしまいましたが)などの例もあり同じ兵団でも戦法によって密度を変えることもあり...
「1.2人対1人」とか「1.4人対1人」などになってしまい...第一法則の「一人対一人」は成立しないのです。
380世界@名無史さん:2005/12/08(木) 11:16:30 0
>>379
>「1.2人対1人」とか「1.4人対1人」などになってしまい...
その場合はEの値を変更するだけですが?
381世界@名無史さん:2005/12/08(木) 17:34:07 0
一騎打ちの法則の法則を適応すると100人が1回突撃するのと、
10人ずつに分けて10回突撃するので同じ成果になるんだぞ。

騎兵10騎で槍隊に突撃したら犬死にだと思うんだが。
382世界@名無史さん:2005/12/09(金) 01:44:12 0
>>381
…。

100人が100人に一回突撃する場合は、
(100×t2乗)−(100×o2乗)=E{(100×t2乗)−(100×o2乗)}
上記の計算を一回行う。

一方、10人が100人に十回突撃する場合は、
(10×t2乗)−(10×o2乗)=E{(100×t2乗)−(100×o2乗)}
上記の計算を十回行う。

すなわち、100人が100人に十回突撃する場合は、
交換値Eが同じでは勝率50%になる。

しかし、10人が100人に十回突撃する場合は、
勝率1%未満の戦闘を十回繰り返すことになる。
383世界@名無史さん:2005/12/09(金) 10:42:01 0
>すなわち、100人が100人に十回突撃する場合は、
>交換値Eが同じでは勝率50%になる。
の「すなわち、100人が100人に十回突撃する場合は、」を
「すなわち、100人が100人に一回突撃する場合は、」に訂正
384世界@名無史さん:2005/12/10(土) 11:11:42 0
>>380
少数で攻めてきたら攻撃が集中するのは第二法則なわけだけど
その第一法則な戦法は10000人居ても敵が10人でEが2なら
全滅させるまでに5人殺されてしまうの?
兵数によってEを変更するのは法則になってないからね。
385世界@名無史さん:2005/12/10(土) 21:42:12 0
E値は士気や装備で変更される。単純な話に置き換えれば
重マシンガンを装備した士気の高い兵士10人のE値が1000
ならば、両者の戦力は互角になる。
10人倒す間に10000人の軍勢の半分が死ぬ可能性が出る。
10000人のローマ歩兵相手に10人がベレッタ銃で戦えば、
E値は2以上で5人ぐらいは倒せても不思議ではない。
386世界@名無史さん:2005/12/11(日) 07:10:00 0
日本には密集陣形がなかった。
密集陣形が騎馬隊に優位になるのなら日本が弱かったことになる。
これはまずい、偉大にして世界最強の日本が弱いはずがない。
そうだ。密集陣形は役に立たないんだ。
そうに違いない。
387世界@名無史さん:2005/12/11(日) 07:14:11 0
議論に負けそうになったら、
密集陣形は騎馬隊に対して友好的な防御陣形となりうるが、
西洋はばかだから、騎馬でつっこんじゃうんだ説に切り換えよう。
それに引き換え、神の国である日本では、お利口さんだから
そんな戦術がまかり通るわけがない。そうに違いない。
だから、密集陣形がなかったんだ。
388世界@名無史さん :2005/12/11(日) 07:44:32 0
フロントロック銃が作られたのは何時頃?
389世界@名無史さん:2005/12/11(日) 08:16:43 0
1500年代の半ば頃から。
390世界@名無史さん:2005/12/11(日) 11:22:30 0
>>386-387
普通はそこで「日本は山がちの地形だった」という話が出てくると思うが
391世界@名無史さん:2005/12/11(日) 12:08:11 0
>>386
孫子曰くの魚鱗の陣は?
392世界@名無史さん:2005/12/11(日) 14:08:05 0
>>391
孫子には魚鱗の陣なんて無いが。
393世界@名無史さん:2005/12/11(日) 14:41:03 0
魚麗の陳
394世界@名無史さん:2005/12/11(日) 17:30:06 0
古来からの陣形を網羅していたハズの清軍が、密集陣形と一斉射撃をバカのひとつ覚えのように繰り返しただけの英国軍に敗れたのが阿片戦争だった。

この翌年には、日本で最も西欧諸国と衝突する可能性の高かった佐賀藩において高島秋帆による密集陣形&一斉射撃の訓練が開始されている。
実際には、ほとんど同じ事を冊と火縄銃を使って織田信長がやっているが、歩兵の密集陣形を維持しながらの運動というのは、日本には存在しなかった新しい概念だった。

秋帆は江戸でも実演を請われたが、これを見た幕府内守旧派の代表たる鳥居耀蔵は、幕藩体制の軍事バランスを崩壊させ得る可能性を秋帆に見て取り、警戒して秋帆を投獄してしまっているw
395世界@名無史さん:2005/12/11(日) 17:33:37 0
清国軍を蹴散らした英国軍だったが、広州に上陸してから三元里で、豪雨の中 百姓の夜襲を受けて陣形を維持できず遁走している。

この敗退の要因は、中国上陸後に清軍相手の連戦連勝に奢った英軍が虚を突かれた、とか 豪雨でフリントロック銃が使用できなかった(陳瞬臣氏説)といった要因が唱えられているが、
むしろ密集陣形を維持する以外の戦闘ノウハウが英軍に存在しなかったため、と考えた方が分かり易い。
当時の英軍は既に雷管式の小銃を使用しており、再装填には問題があるものの、陣形さえ維持出来れば初弾の一斉射撃のみで後は着剣しての防衛戦に移行出来た。

その後、中国では太平天国と清朝の間で大規模な内乱が発生するが、双方が英国式を真似た中国式ながら密集陣形と火縄銃(清国も16世紀から兵器の進歩が止まっていた...)による一斉射撃を導入している。

戦況が変化するのは、第二次阿片戦争後に米国の南北戦争で威力が認知され戦争終結で流出したミニエ式ライフル銃を装備した“洋槍軍”を米国人のウォードが組織してから。
最新の戦術と信じて密集陣形を組んだ太平天国軍は、一方的に大損害を出す結果となり一挙に戦線は崩壊へ向かっている。
基督教原理主義者でホモのゴードンが“洋槍軍”を引き継いでからは、彼に邪教認定された太平天国側は、ゴードンの大量殺人愛好癖を満たす格好の獲物となった。

この時期、英軍を脱走したリンドレーが軍事顧問として太平天国軍に加わっているが、彼は著作の中で洪秀全が密集陣が役に立たなくなりつつある現状から自然発生的な散兵戦術を取っていた事を記している(リンドレーはこれを戦力の分散として批判的している...)。

近年の中国の研究でも太平天国が広州での対外貿易を拡大しようとしたとの説があるが、米国との貿易ルートを持たなかった故か 装備の劣勢は挽回できなかったようだ。

各藩が個別に武器を調達していたために各種の兵器輸入ルートのあった日本は、つくづく幸運だったと言えるだろう。
396世界@名無史さん:2005/12/11(日) 22:01:28 0
日本の城は大砲が登場しても構造自体に大幅な変化がないよね。

大砲は命中率が悪いからたいした構造を変えなくても日本の城は
無敵だったんだウヨ。
397世界@名無史さん:2005/12/11(日) 23:19:12 0
ファビョりはじめるとイメージ操作しか出来ない馬鹿さ加減に爆笑
398世界@名無史さん:2005/12/11(日) 23:26:09 0
鉄砲が出現してからは日本の城の構造は革命的な進歩を遂げている。
国友の大筒(といっても現代の迫撃砲から火薬を抜いた程度の威力)が実戦で使用されて効果を挙げたのは、信長の一向宗鎮圧や大阪冬の陣での威嚇効果などで、戦国期は既に終わりに近く築城はむしろ制限されて行った。
島原の乱ではオランダ船に原城の砲撃(これとて後装式で威力の弱い仏蘭機砲)を依頼したりもしている。

その後も日本は欧州の大砲進化(特にナポレオン戦争期の砲架の発展と産業革命での素材の進化)から完全に遅れを取る事になる。

本格的な野砲が使用される局面は幕末になって現実の問題となるが、これに対応すべく欧州の教科書通りに築城されたのが函館の五稜郭だった。

西南雄藩と幕府は、国内の技術では欧州に対抗出来る大砲を製造出来ない事を知り、その素材となる鋼鉄/青銅を精錬する技術を導入する事を急いだ。
これに最初に成功したのは佐賀と薩摩だったが、技術レベルが伴わなかった幕府は佐賀から完成品の大砲を購入したりもしている。

これらの大砲は長州藩の攘夷実行や薩英戦争で使用され、クリミア/南北戦争によって生じた更なる技術格差と用兵の稚拙さから敗れながらも、幕府に代わり得る“パワフル”な諸藩が存在する事を欧州諸国に知らしめるのに大きな役割を果たした。
399世界@名無史さん:2005/12/11(日) 23:26:20 0
>日本の城は大砲が登場しても構造自体に大幅な変化がないよね。
火器の登場と共に近世以降は山城から平山城(安土城、名護屋城、
大阪城等)ヨーロッパの影響を受けたと考えられる近世城郭平山城
へ移行しています。
400世界@名無史さん:2005/12/11(日) 23:48:59 0
1580年から1630年までに築かれ、いまもみることができる60ほどの日本の城は、
北は仙台から南は鹿児島まで、大きさは多少違っても、きわめて明瞭な均一性が
ある。加藤清正の熊本城は、周囲の全長が12キロメートルある。姫路にある池田
輝政の美しい「白鷺城」も規模はこれにならぶもので、築城には10万3000トンの石
材が使われたと推定されている。(中略)大阪城築城に使われた石材は、ひとつの
重さが120トンか130トンあり、(中略)城よりはピラミッドにふさわしいような大
石材を使って築かれた城壁の厚さは、場所によっては19メートルにも達する。
J・W・ホール教授が以前指摘したように、こうした日本の城は、「規模と難攻不落
という意味でこれに匹敵するものは」近世の世界の、どこにもない、といってよい。

401世界@名無史さん:2005/12/11(日) 23:55:42 0
島原の原城は当時廃城となっており、大砲で破壊できる構造物が無い。
開口方向は湿地で大砲の配備は困難で、唯一の砲撃可能な位置が海側。
オランダの砲撃も効果はなかった。藁葺きの建物に大砲撃ってどーする
よw
運搬に不便な大砲を現地調達するのは合理主義だとか、九州の大名達に
徳川の指揮が行き届くようになっていたからと解釈されている。
402世界@名無史さん:2005/12/11(日) 23:59:03 0
議論とか言う前に病院逝ってこいよナ
403世界@名無史さん:2005/12/12(月) 00:16:04 0
>古来からの陣形を網羅していたハズの清軍が、密集陣形と一斉射撃をバカのひとつ覚えのように繰り返しただけの英国軍に敗れたのが阿片戦争だった。
陣形以前に装備の差だろ。ベイカーライフル対クロスボウかサーペンタインで負ければ間抜けだな。
だいたいナポレオン時代以降の陣形と、それ以前の陣形を同じ密集陣形と呼ぶアホさ加減に眩暈がする。
404世界@名無史さん:2005/12/12(月) 01:02:01 0
徳川日本とヨーロッパの差は徐々に開いていったが、圧倒的な差となるのは産業革命以降。
同様にオスマン帝国も1699年に大きく差が開いたと考えている人間が多いが、実際にはそれ
以降も国土は維持している歴史的事実からその考えが誤っていることは明白だ。
オスマン帝国がヨーロッパ方面に進出する場合、複数の国家が同盟してこれを阻止する防衛
戦争に成功したことをあたかも一蹴したかのように解釈していたのでは、ヨーロッパが躍進
した時期を見誤る。
オスマン帝国が軍事面で屈服する真の契機はナポレオンのエジプト遠征であろう。
エジプトは地中海世界最大の穀倉地帯で重大拠点であった場所を占拠されたのだから。

ヨーロッパ万歳、万歳と自分の頭で考えないイメージ先行人間では歴史を理解できない。
シビアな視点からヨーロッパの軍事力と経済力、そして技術力がどの時点で、何が契機とな
ってアジアを凌駕したのかを考えるべきだ。
17世紀からアジアを凌駕していたのであれば、トルコ、清国はもっと早い時期に植民地化し
ていなければならないし、ましてや日本が征服されていない理由が見つからない。
ポルトガルは日本から使者を切り捨てられているのだから、軍事力で勝っているのであれば
フランスがインドシナで仏越戦争をおこしたように武力行使すれば良かったはずだが、勿論
そのような事件には発展していない。
日本がなぜ侵略されなかったのかと言う問いかけに日本が遠いからと答える人間は、フィリ
ピンが征服された事例をどのように考えているのであろうか。
また、経済的に重要でないからと答える人間は、当時の世界における日本銀の流通量でさえ
知らないのであろうか。
405山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/12(月) 01:10:29 0
>>401
近年の発掘調査の結果から、一国一城令に応じて見て分かる程度の施設を破
却しただけで、瓦の載った施設も存在していた可能性が指摘されています。
もっとも、一揆側は関船などを転用して壁を作ったりもしていますが。
土台だけ遺された遺物という訳では無かった様ですね。
なお、これは極端な事例ですが、心理的効果はあったものと思われます。
撃ち込まれれば人が死ぬ訳ですが、一揆側は神の加護で人死にが出ない尊い
宗門を自認しており、寄せ手が放った石火矢が天草四郎の袖を破り、周囲の
数人を殺傷しただけでも動揺したそうですから。>四郎は不死身扱いだった

大砲の使用は、1590年代から九州には見られましたが、関ヶ原の合戦で
は、西国の軍勢が城攻めや城側の防衛に使用した例が見られます。
ただ、登場が遅すぎたというか、大砲向けでは無いでしょう。
鉄砲にやや遅れての登場であれば、それこそ五稜郭の様な城の出現が早まっ
ていたかもしれませんが。
406世界@名無史さん:2005/12/12(月) 01:59:05 0
大阪の陣で豊臣側は一町(約100メートル)当たり一門の大砲を装備していました。
日本でも大砲は攻城や防衛に使用されていたのです。
それから明頭台、如意台、自由台、自在宝台、独輪車と砲架は改良されています。

>>395
>当時の英軍は既に雷管式の小銃を使用しており、再装填には問題があるものの、陣形さえ維持出来れば初弾の一斉射撃のみで後は着剣しての防衛戦に移行出来た。
1845年に開始したシーク戦争時のイギリス軍の正式軍用銃はフリント式ですので、
1840年のアヘン戦争にパーカッション式を採用していたという内容は間違いです。
407世界@名無史さん:2005/12/12(月) 02:16:24 0
朱由檢が名無しになって逃げたのか…
408世界@名無史さん:2005/12/12(月) 09:31:47 0
>>404
徳川幕府って銅張りの船1隻すら維持費をまかなえなかったんでしょ。
409世界@名無史さん:2005/12/12(月) 12:27:39 0
>島原の乱ではオランダ船に原城の砲撃(これとて後装式で威力の弱い仏蘭機砲)を依頼したりもしている。
大阪冬の陣、夏の陣で家康側は前装砲を使用したし、国友に依頼した大砲も前装砲だ。
当時のオランダが使用した大砲も明に紹介した紅夷砲と同じであれば前装式のはずだ。
また適当な書込みか?具体的なソースあるのか?
410世界@名無史さん:2005/12/12(月) 12:39:06 0
>日本には密集陣形がなかった。
長槍部隊は槍衾を形成していたのだから密集戦術もとっていた。
また、鉄砲、弓足軽は最小5人毎のユニット編成。
現在、百人町と地名が残っているように100人位で運用していた。
411世界@名無史さん:2005/12/12(月) 19:10:58 0
一般に仏郎機といえば後装式じゃないのかね?
ttp://homepage2.nifty.com/yoyotoru/yasukuni21.html
412山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/12(月) 20:43:43 0
>>405
>ただ、(大砲の)登場が遅すぎたというか、大砲向けでは無いでしょう。
日本の城の事です。分かり難いですね。失礼致しました。
413世界@名無史さん:2005/12/12(月) 22:58:10 0
>>411
当時の大砲が仏朗機しかなかったと悪意ある名無しがミスリードしています。
とりあえず生暖かい目で見守りましょう。
とは言えこのような悪意ある人物がソースの提示をせずに嘘を書くことは良くある事です。
自分で調べる手間を惜しんで一生自分の誤りに気付かないとしてもそれは自分の責任です。
ソースの無い記述内容に対して自身で検証することは当然のことです。
414世界@名無史さん:2005/12/12(月) 23:13:35 0
↑16世紀頃までの艦載砲は仏朗機が主流。
舷側に前装砲を並べられるようになったのは、船舶が大型化して船内で砲口からの装填が出来るようになってから。

仏朗機は省スペースで装填/発射が可能な後装式だったので、前装砲より低威力だったが東南アジアではジャンク船などで永らく製造/使用された。
太平天国では陸上版仏朗機ともいうべきジンゴール砲が主力火砲でもあった。

仏朗機の後装式は後のアームストロング砲などとは異なり、子砲に弾と火薬を詰めたものを砲身後ろからスライドさせて固定して発射する。
分厚い肉厚の薬莢をイメージすると分かり易い。

尚、日本では石火矢という軽量の焼夷弾を使用する砲もジャンルとして存続した。
腔圧が低く砲身が木材や重ね貼りした和紙でも作る事が出来た。
大塩平八郎も決起に際して庭の古木を使って石火矢を作っていて、彼等が起した火災はこの石火矢によるもの。
415世界@名無史さん:2005/12/13(火) 20:00:17 0
>>406 シーク戦争での英国側兵力は東インド会社のセポイだったが?

当時のセポイは英国製の中古マスケットとインド製の各種雑多な兵器で武装させられていた。

シーク戦争のセポイがフリントロック銃を使用していたからといって、そこで年代を無理やり区切って阿片戦争でもフリントロック銃が使用されたとするのは乱暴に過ぎる。
416世界@名無史さん:2005/12/13(火) 20:08:58 0
>>409 大阪冬の陣で使用されたのは、大筒と言っても大口径の火縄銃でしかない。

仏朗機も前装式の青銅砲に比べれば非力な存在だったが、砲と言って良いレベルの代物。

原城に大砲を撃ち込もうと知恵伊豆が思いついた理由には、大阪城攻めの記憶が残っていたからだろう。

仏朗機には焙烙玉を使用する事も出来たので、廃城だから構造物への威力が期待出来ないというのは早とちり。
元軍の“てつはう”や、現代における榴弾砲の威力を考えてみると良いだろうw
417世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:32:57 0
>>403 清軍が敗れた背景には、恐らく世界でも有数の豊富な軍事/組織運用の知識を持ちながら、文治主義の行き過ぎから満州旗人の兵卒までが小役人と化していた(日本でも同様の現象が見られたが...)事が挙げられる。

この状況は阿片戦争の敗北で崩れ、漢族の兵士達が多く採用され清軍の中核となって行った。

清軍は十字弓で武装していた訳でもなく、個別の戦闘力では遜色無い戦力だった。
阿片戦争当時の清軍(火縄式/燧石式)と英国軍(雷管式)の小銃で射程距離に大差はない。

しかし、清軍には産業革命の原動力たる蒸気機関で動く軍艦も鉄道もなく、専守防衛に徹して長大な海岸線を均等に防御する必要から戦力を集中配備する事が出来なかった。

火砲において産業革命の成果が顕著となるのは、前述の通りミニエ式銃弾と旋条が組み合わされて以降の事である。
418世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:40:57 0
アヘン戦争のときは蒸気船の有無でしょ。鉄道はとりあえず関係ない。
419世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:49:34 0
↑仮に中国に鉄道があれば、迅速な部隊移動が可能なので戦力集中が可能だったという意味で記した。
420世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:57:51 0
>>404 への回答でもあるが、産業革命が欧州とアジアの軍事力格差を決定的にした。

その本質的な差は、素材の質と工作精度の均質化と、それを可能としたのは人馬に拠らない動力を有した故だった。
421世界@名無史さん:2005/12/13(火) 22:11:41 0
>>400 加藤清正が豊臣秀頼を擁するつもりだった熊本城は実戦の砲火に晒される事はなかった。

その真価が明らかとなったのは西南戦争になってから。
西郷軍は熊本城に立て篭もった谷干城の鎮台軍相手に苦戦し ついには撃退された。
422世界@名無史さん:2005/12/14(水) 00:07:33 0
>大筒と言っても大口径の火縄銃でしかない。
日本           ヨーロッパ
50目筒187.5g       4ポンド砲1.8kg
100目筒375g       8ポンド砲3.6kg
200目筒750g       18ポンド砲8.1kg
300目筒1125g       24ポンド砲10.8kg
500〜600目筒1875g〜2250g36ポンド砲16.2kg
1貫3.75kg 48ポンド砲21.6kg
5貫18.75kg
野戦と攻城の両方に使用された汎用性の高い小砲の種類が豊富なのは確かだが
攻城用の大砲に限定すれば大差ないように思えるが・・・?
日本の大砲について勘違いしている人は大鉄砲、大筒、石火矢の用語を混乱し
て使用しているようだ。
それから勘違い君が用語の混乱に拍車を掛けているであろう抱え大筒(大鉄砲
の事ではない。)が登場は江戸以降で歴史は浅い。
大鉄とは砲10目(37.5g)以上、100目(375g)未満の火器。
大筒とは100目(375g)以上、1貫未満(3.75kg)未満の火器。
石火矢とは1貫以上(3.75kg)以上の火器を指す。
オルガンティーノの「耶蘇会士日本通信」によれば大友宗麟(豊後王)の仏朗機を
小砲と記述しているが、織田信長の大安宅に搭載されていた大砲は大砲と呼び
大鉄砲を大なる鳥銃と呼んでいる。
この時期にヨーロッパ人から見て大砲と呼べる基準の火器が登場していた事。
大なる鳥銃<大筒<大砲という様々な種類の大型火器の構図が浮かび上がる。      
423世界@名無史さん:2005/12/14(水) 01:32:27 0
具体的にどのくらい配備されてたの?
424世界@名無史さん:2005/12/15(木) 01:56:54 0
太平洋戦争末期に本土決戦に備えて、国土防衛のために
民間人も武器を取って戦わなければならないけど、すでに兵器工場も空襲で
大半が失われており、大本営は有田焼きの磁器製手榴弾や江戸時代の火縄銃などを
国民に持たせて侵攻してきた米兵と戦わせようとしたらしいですよ。
425世界@名無史さん:2005/12/15(木) 03:03:47 0
戦国時代から江戸時代で、大砲が大活躍した戦いは何?
426世界@名無史さん:2005/12/15(木) 03:17:42 0
大阪冬の陣
427世界@名無史さん :2005/12/15(木) 05:38:40 0
関ヶ原の戦い
428世界@名無史さん:2005/12/15(木) 09:38:46 0
>>423
大坂の陣で徳川が使った石火矢が五門と言われている
(ちなみに輸入品も混じってて全部が国産というわけではない)
429山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2005/12/15(木) 17:02:50 0
>>425
1578年 木津川沖の合戦。大鉄砲が使用される。
1586年 大友家、篭城戦で石火矢を使用。
1589年 加藤清正が、肥後国本渡城を攻めた際、双方が大筒を使用。
1600年 伏見城攻めに、大筒及び石火矢が使用される。
同年    大津城攻めに、大筒が使用される。
同年    丹後国田辺城攻防戦で、双方が大筒を使用。
同年    小西・石田勢、関ヶ原で大筒を使用。
同年    佐和山城攻防戦で、城方が石火矢を使用。

石火矢を単に「西洋砲」とした辞書もあり、常に原則に従っていたのかは分
かりませんが、こんなところです。
なお、大友家の例は17世紀に入って成立した『大友興廃記』にあるもの。
他の記述もおおむね二次史料によったので、訂正を願います。
430世界@名無史さん:2005/12/17(土) 01:52:25 0
>>421
ま、しいて言えば可燃物が多すぎなのが欠点かな。
熊本城は早々に焼き払っちゃったからよかったけど。
431世界@名無史さん:2005/12/17(土) 02:34:30 0
>>430
まあ、戦時には「高層建造物なんてただのかざりです」ってな感じで重要なのは
縄張りだしね。
432世界@名無史さん:2005/12/17(土) 19:45:02 0
ヨーロッパの城が総石造りと信じている人間も珍しい。

日本の城は漆喰の間に鉄板を挟んでいるので燃えない。
433世界@名無史さん:2005/12/18(日) 00:31:14 0
>>432
は?
434世界@名無史さん:2005/12/18(日) 10:42:56 0
石火矢を検索してみると石を発射する火砲だったらしいですが
射石砲とはまた違うんですよね?
435世界@名無史さん:2005/12/18(日) 14:54:53 0
>>414
>16世紀頃までの艦載砲は仏朗機が主流

16世紀のガレオン船はカノン砲やカルバリン砲といった前装砲を搭載してるよ
後装砲を積んでたのは長距離交易用の商船ぐらいじゃないかな?

島原の乱で使われた「石火矢」が前装なのか後装なのかは知らない
手元の資料だと使われたのは鋳鉄製の5ポンド砲(ゴートリング砲というらしい?)が5門
10日射撃したらそのうち2門が砲身破裂で壊れちゃったのだそうだ。

オランダ人の大砲に関して細々記録取ってある資料ってあるのかな?
436世界@名無史さん:2005/12/18(日) 17:39:59 0
↑16世紀のガレオン船が日本に来ていた訳ではない。
日本まで来ていたのは長距離交易用の商船で、積んでいた後装砲にもマレー製等の植民地製品があったようだ。

その後、有名なスペイン無敵艦隊vs英国海賊船団との戦いが行われるが、ガレオン船中心で舷側射撃のスペインに対して、英国側は小型高速な船に不釣合いな長射程のカノン砲を船首方向に数門積んで、一撃離脱戦術で対抗し勝利している。
437世界@名無史さん:2005/12/18(日) 18:58:51 0
>>436
ごめん、不勉強なもので少し教えていただきたいんだけど、
長距離交易船って、具体的にはどんな船なんですか? ガレオンでなければキャラックかな?

あとアルマダの時の英側の砲って、カルバリンが多かったとどこかで読んだけど、間違いなんかな…
それと、一般的にスペインの船が大型だったってイメージがあるけど、
当時は国によって船の計り方が違ったせいで、スペイン=大型船と思われただけで、
全体的に比較すると、両国の船のサイズは大差が無かったとも聞きました。これも間違いなんかなー
438世界@名無史さん:2005/12/18(日) 20:26:16 O
つうかワーテルローやトラファルガーの時も前装砲だぞ。後装砲は明治維新の頃からまともに使われたと思う。
439世界@名無史さん:2005/12/18(日) 20:44:38 0

>>436
>16世紀のガレオン船が日本に来ていた訳ではない。

それは知ってたんだけど、世界中の艦載砲の主流がって話に見えたから。
アルマダ戦については「長射程のカルバリン砲」が勝利の決め手になった、というわけでもないんだそうだ。
射程は長かったけどやっぱり穴が開かなかったんだって。
勝敗の原因になったのは、天候とかスペイン艦隊の疲労とか航海スケジュールとか諸々の諸条件があり、〆は火船攻撃で決定。
だったんじゃないかな?
あと海賊船団ではなくて、恩赦を与えて放免されたので一応は正規海軍なはず。

>>437
スペインやポルトガルならキャラック船でオランダだったらフリュート船だったんじゃないかな。
日本にきてたのも世界一周したヴィクトリア号みたいな船であろうと思います。

>スペイン=大型船と思われただけで、 全体的に比較すると、両国の船のサイズは大差が無かった
スペインのガレオン船は接舷=白兵戦想定しての巨大な船首船尾楼がそびえ立ってて、でっかく見えただけという話だったと思う。
トップヘビーで舵が効かず英国船のほうが優れてたんだそうな。

前に読んだ「アルマダの戦い―スペイン無敵艦隊の悲劇」て本に色々載ってたと思います。
440世界@名無史さん:2005/12/18(日) 21:19:13 0
>>437
ttp://yuki.gonna.jp/armada.html

スペイン
キャノン型(中距離・32ポンド又は50ポンド砲弾) 163門
ペリエ型(短距離・24ポンド砲弾) 326門
カルバリン型(長距離・4〜17ポンド砲弾) 635門

イングランド
キャノン型(中距離・32ポンド又は50ポンド砲弾) 55門
ペリエ型(短距離・24ポンド砲弾) 43門
カルバリン型(長距離・4〜17ポンド砲弾) 1874門
441世界@名無史さん:2005/12/18(日) 22:04:51 0
>>439 英国海賊の名誉の為にw 確かに赦免状をもらって正規軍扱いだったね。

>>438 吊りとは思うが、本当に後装式の仏朗機を知らないのか?
幕末のアームストロング砲とはまるで性能が違う代物で、発射ガス漏れは承知の上で作られた後装式砲だ。
442世界@名無史さん:2005/12/19(月) 00:03:58 O
知ってるがあまり使えないから戦争では使ってないだろ。ロケット弾ならインドやイングランドも使ってたな!
443世界@名無史さん:2005/12/19(月) 00:28:21 0
>>439
アルマダ海戦のときにスペイン側の砲撃で撃沈したイギリス艦船は0隻です。
海戦時に大砲で撃沈されるなんてよほど運がないとしか言いようがありません。
当時の艦載砲は接舷戦時(ボーディング)に使用するものです。
射程距離の優劣を語るなんて不毛で陳腐な話です。
艦砲射撃で決着がつく近代海戦を思い浮かべている時点で時代考証から大きく外れてしまいます。
イギリスやカリブの海賊は大型でのろまなガレオンは格好の獲物でした。
スペインの銀船団はイギリスやフランスの小型帆船(分類としてはガレオンになりますが…。)や
カリブ海の手漕ぎの小船によって頻繁に襲われていました
大型ガレオン最強!なんてゲームのやりすぎ世代なんですかね?
それから日本にもガレオンは来航しています。
何隻ヨーロッパから来航していたかのデータも現存します。
444世界@名無史さん:2005/12/19(月) 00:37:03 0
どっかの城にポルトガルの沈没船から引き上げた大砲に前装砲あっただろ?
445世界@名無史さん:2005/12/19(月) 00:38:20 0
>>442 “あまり使えない”??

仏朗機はマレー/アチェや中国のジャンク船に搭載されて重宝されていた。
日本でも大友宗麟が大枚はたいて購入してもいる。

仏朗機が完全に時代遅れになるのは、舷側射撃砲がわんさか積まれた産業革命後の戦艦がアジアに出現してから。
446世界@名無史さん:2005/12/19(月) 01:16:41 0
>>443
イギリス艦も接舷して砲撃してたのか?
447世界@名無史さん:2005/12/19(月) 02:49:17 0
>>443
いったい君はどこを砲撃しているんだ?ww
ネットの中で疎外された挙げ句になにか見えない敵をに牙を剥くのは勝手だが
それだけ文章が読めないと何をどう研究しても間違った結論しか導けないぞ
448世界@名無史さん:2005/12/19(月) 03:12:56 0
ぶどう弾とかしらんのか?

>>443もちょっと勘違いしている思うが。
449世界@名無史さん:2005/12/19(月) 10:07:33 0
“撃沈したイギリス艦船は0隻です”

んな当たり前の事を言ってどうするw
当時の舷側砲は構造物たる船体を破壊する鉛/鉄/石弾を発射し、接舷突入孔を開けたら乗員殺傷用の木弾を撃ち込むのが主な用途だった。

実際に船体を破壊するより敵船の主導権を奪うのが目的(船体と敵装備/乗員は戦利品)だから、大船団を擁し包囲陣形を取り易いスペイン側が当時のセオリーとしては圧倒的に有利だった。

これに対抗するために英国側は最初から接舷突入を放棄し。射程の長い陸上砲(当時は接舷砲より攻城用カノンの方が射程が長かった)を積み込みスペイン側の包囲陣形内には一切近付かずスペイン艦の破壊だけを心がけた。

この船体破壊戦術の最たる例が火船攻撃といえるだろうが、戦利品に目もくれなかった点では海賊から正規軍へ立派に変身を遂げていたと言えるだろう。
450世界@名無史さん:2005/12/19(月) 13:36:24 0
>>449
>“撃沈したイギリス艦船は0隻です”
>んな当たり前の事を言ってどうするw
>当時の舷側砲は構造物たる船体を破壊する鉛/鉄/石弾を発射し、接舷突入孔を開けたら乗員殺傷用の木弾を撃ち込むのが主な用途だった。
>実際に船体を破壊するより敵船の主導権を奪うのが目的(船体と敵装備/乗員は戦利品)だから、大船団を擁し包囲陣形を取り易いスペイン側が当時のセオリーとしては圧倒的に有利だった。
当たり前の事を言ってもわからないから説明してやったのだが?

>これに対抗するために英国側は最初から接舷突入を放棄し。
イギリス艦隊は砲撃のみを行なったわけではなくヒット&アウェーを繰り返している。

>射程の長い陸上砲(当時は接舷砲より攻城用カノンの方が射程が長かった)を積み込みスペイン側の包囲陣形内には一切近付かずスペイン艦の破壊だけを心がけた。
イギリス艦隊の主力となった大砲は軽量のカルバリンで火力はアルマダ艦隊が勝っている。
大砲の性能より操船術の優れているイギリス艦隊に風上を押えられていたことが大きい。
そもそも艦砲射撃のみが原因となって負けたわけではない。
大半が嵐による浸水や操船ミスによる接触事故による航行不能だ。
しかも接触事故で航行不能になった船に軍資金(5万デュカード)が乗っていたため兵站も崩壊していた。
水の管理も悪く艦内では赤痢も蔓延してとされ、スペイン側の敗因は船に慣れていなかったことの一言に尽きるだろ。
451世界@名無史さん:2005/12/19(月) 15:04:30 0
>>450 イギリス艦隊のヒット&アウェーについては >>436で既述したが賛同いただけたようで何よりだ。

ところで、英国側とスペイン側火力の比較を砲数だけで単純換算していないかね?

敵艦が接舷している状態で数十メートルの距離から射撃するのが前提の舷側砲は射程や精度よりも速射性(短砲身)と面破壊(大口径)を優先した構造となっている。

一方で英国側が用いた攻城用の陸砲(カルバリンもまた攻城用)は、16世紀当時でも数百メートルの距離で石壁を破壊するだけの精度と貫通力を有していた。
しかし、砲身が長いので再装填に時間がかかるため、接舷攻撃がメインだった時代の海上で使用されるケースは少なかった。

単純な比喩を用いれば、短射程なSMGや散弾銃の火力と 長射程のライフル銃の火力を比較するようなものだ。

英国側はこの陸砲を小型/軽量化した砲(Sir Francis Drake発案/鍛鉄製と伝えられる)を装備した時点で接舷攻撃を放棄している。
その代わりにドーヴァー海峡という大艦隊の動きを封じるのに容易な地を決戦の場に選び、
小回りの効く艦の特性を活かしたヒット&アウェー戦術でスペイン側の包囲陣形の外側から各艦に打撃を与え、艦隊全体の運動性が完全に損なわれた時点で火船攻撃を行い大戦果を上げている。
(勿論、錨切りという裏技も艦の特性を活かして用いたが、これが悪天候となり易いドーヴァーの海でスペイン側の連鎖接触事故を招いた)

スペイン側の防疫体制の不備もあったのは事実だが、スペイン人が船に慣れていなかったというのは勘違い。
勃興しつつあった英国に追撃されていたとはいえ、当時のスペイン/ポルトガルは世界有数の海洋大国だった。
452世界@名無史さん:2005/12/19(月) 21:31:32 0
英国はエスパーニャより低くて長い船を使ってたとか何かで読んだ。
453世界@名無史さん:2005/12/19(月) 21:35:07 0
あまり参考にならないかもしれないが、メキシコからの独立を目指したテキサス州の米国系民兵によるアラモ城砦での篭城戦について、米国のヒストリーチャンネルで特集していたのを見た。
実際に当時のカノンと城壁サンプルを作って実験していたが、カノンで城壁を破壊するには直撃弾を数回命中させる必要があったようだ。

小銃の射程距離外から城壁を破壊してから、歩兵の援護を受けつつ接近して内部を掃討する訳だが、この役割は歩兵砲を装備して対トーチカ戦に当っていた時期の旧軍まで大差無い方法だったと言える。
454世界@名無史さん:2005/12/19(月) 22:02:20 0
戦史に残る最後の接舷攻撃は宮古湾での蝦夷共和国軍による明治新政府軍の「甲鉄」奪取のためのアボルダーシュ作戦だろうか?

当時既に奇策と受け取られていたようだし、その直前の開陽(幕府)vs春日(薩摩)の阿波沖海戦でも砲撃戦がメインであり、日本では宮古湾での戦いが最初で最後の接舷攻撃だったようだ。
455世界@名無史さん:2005/12/20(火) 14:18:06 0
>>この陸砲を小型/軽量化した砲(Sir Francis Drake発案/鍛鉄製と伝えられる)

ドレーク船長の作った鍛鉄製の大砲なんですか。
情報源を教えてください。
456世界@名無史さん:2005/12/20(火) 22:29:46 0
ごめん、えらい昔に読んだ本に出てたんだが、タイトルを失念してしまった。
今でもググれば出て来るかもね?
457世界@名無史さん:2005/12/21(水) 01:35:28 0
それは残念。
もしもこの時代に鍛造した攻城カノン砲が存在したら歴史が塗り代わるとおもったのですけどね
458世界@名無史さん:2005/12/21(水) 05:46:08 0
あ〜、鍛鉄製≒鍛造ではあるが、近代のコールドハンマーのような技術ではないよw

鍛鉄での砲身作りは板金を芯金に巻き付けながら鍛接してゆく方法で、途方もない手間と時間がかかった。

しかし、鍛鉄で砲身/銃身を作るのは火器の誕生〜ダマスカス銃身の時代までは鋼鉄を用いる唯一といって良い方法。

そのため、砲金のような比較的低温で溶融し、鋳造性も良い(内部の“ス”を防止しやすい)物質が永らく砲身の材料として併用されたが、高価かつ重かった。

鋳造砲身が使えるようになったのは近代製鉄が確立されクルップ砲が出現してから。
459世界@名無史さん:2005/12/21(水) 12:41:21 0
>>451
ちょwwwおまwwww名無しの藻前が以前に書き込んだレスなんてわかるかボケ
賛同していただけた?ロングレンジかヒット&アウェーかはっきりしろよw
再装填に時間がかかる長距離砲撃可能な大砲を擁したイギリスはわざわざスペインに近づいたのか?
イギリス側が再三スペイン側を包囲する場面はスルーですか、そうですか
460世界@名無史さん:2005/12/21(水) 13:04:21 0
ヨーロッパの鍛造砲は樽を作る要領で鍛造した鉄板数枚を接合して金属製の箍をはめたものだが
接合部分が脆く鍛造した意味がなくあまり暴発が多い欠陥品で青銅鋳造砲が登場すると数を減らした。
青銅鋳鉄砲や錫鋳鉄砲も高価で希少でこの時代の大砲は金属疲労が激しい消耗品だったため
安価で量産に適した鋳鉄砲が取って代わった。
鋳鉄砲は高炉から銑鉄を直接鋳型に流し込んで作る為に質は低かった。
461世界@名無史さん:2005/12/21(水) 19:48:41 0
>>459が慌てておりますw

ロングレンジなんて未開の野蛮人だった英国人でなくても無理な事。
英艦はスペイン艦隊を遠巻きに運動し、接近しては これを包囲しようとして陣形を組むスペイン艦に至近弾を喰らわせて攻撃して行った。

>>460 欧州の鍛鉄砲には糸巻きぐるぐる方式もあったよ。

青銅鋳鉄砲というのは青銅(錫/銅合金=砲金)鋳造砲の事だろうが、錫製の砲なぞ脆すぎて撃てない。
例外はより高価な真鍮(亜鉛/銅合金)で造った砲。

高炉を用いるようになったのが近代製鉄法の確立と同意なので、当然ながら16世紀には存在していない。

当時の鋳鉄(もろくて大砲には不向き)鋳造はコークス炉で溶融した鋳鉄を砂型に鋳込む方式なので、寸胴な臼砲(湯回りが良い形)はともかくカノンには用いる事が出来ない代物だった。

クルップ砲は鋳鉄が母材とはいえ、砲自体は鋳造ではなく機械加工で製造されている。
462世界@名無史さん:2005/12/22(木) 01:09:46 0
とりあえず改行を
463世界@名無史さん:2005/12/22(木) 16:46:19 0
>>461
必死だなw
464世界@名無史さん:2005/12/22(木) 19:09:02 0
>>463 などと取り繕う>>459
465世界@名無史さん:2005/12/30(金) 00:50:18 0
総合的に見て、最適なのは、ウェザビー460マグナム口径のマークXライフルでしょう。
ティラノサウルスなどの恐竜に対しても充分効果的だと思います。
ウェザビー460マグナム弾は、ハンティングライフルとしては最強です。
地上最大の哺乳類であるアフリカゾウをも1発で倒す威力があります。

象撃ち用の大口径としては、600や700などのニトロエキスプレスなども有りますが、弾速の遅さから来る
浸透力不足や、総合的な初速エネルギーから考えても、狩猟用としては、460は最強の弾薬と言えるでしょう。
軍用の50口径バレットライフルなどは、携帯性から考えても、13.5キロもの銃を担いで動きのある動物に挑むバカはいないでしょう。
460弾は厚さ2センチのT1という材質の防弾性を有する、メタリックターゲットに使われる鋼鉄を貫通する程の威力を持ち、厚さ7センチにも及ぶ、アフリカゾウの頭蓋骨を貫通します。
375H&Hマグナムでさえ、捕鯨船に積んで行き、捕鯨砲でとどめを刺すことの出来なかった鯨を殺すのに使われる程の殺傷力が有るのです。
デザートイーグルに使用される50口径アクションエキスプレス弾は、人間の腹部に命中すれば、胴体がちぎれる程の破壊力と言われますが、単純にウェザビー460マグナムは、エネルギーにしてその5〜6倍です。
その威力は創造を絶する物でしょう。

要するに、アフリカなどの大型動物に使われるような大口径ライフル弾は、銃器の知識が無い方が考えられている寄りも、ずっと強力な物だという事です。
ちなみに、ティラノサウルスの体重は約6トンほどと推測されていますが、アフリカゾウの体重は最大級のもので11トンです。
そのアフリカ象をも1発で倒し、急所に命中すれば鯨も仕留めれる大口径マグナムライフルは恐竜相手にも充分対抗出来る武器だと思います。
466世界@名無史さん:2005/12/30(金) 09:24:43 0
恐竜と哺乳類の神経系統はかなり異なるようだ。
恐竜の子孫たる鳥類のうち、人間の社会との接点も多いカラスは犬並みの知能を持っているが、その脳の重量は犬よりはるかに少ない。
これは明らかに論理回路が異なる構造で軽量化された脳を持っている事を示している。

象や鯨など哺乳類どうしなら体重での比較も有効だが、恐竜は哺乳類より痛覚が鈍感な可能性もある。
467世界@名無史さん:2005/12/30(金) 09:35:22 0
ヨソでやってくれ
468世界@名無史さん:2005/12/30(金) 12:34:06 0
↑すまん、こっちのスレからの誤爆だった模様w
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1123363817/378-
469世界@名無史さん:2005/12/30(金) 15:29:10 0
>>468
誤爆じゃなくコピペあらしのようだ。
あちこちのスレに貼られまくってる。
470世界@名無史さん:2005/12/30(金) 18:17:49 0
そのようだw 何がしたいのかよう判ら香具師だのぅ

で、ハードゲイの素顔
http://www.42ch.net/UploaderSmall/source/1135910026.jpg
ちょっと昔の宇崎竜童に似てるw
471世界@名無史さん:2005/12/30(金) 21:33:26 0
オマイも何をしたいのかわからんw

で、昔の宇崎の顔知らんから何とも言えん。
472世界@名無史さん:2005/12/31(土) 00:35:39 0
>>466
ウェザビーライフルが世界最強の猟銃と言うことを、一人でも
多くの方々に認識して頂く為に、布教活動をしております。

473世界@名無史さん:2005/12/31(土) 00:36:45 0
自分はカナダ国内において実際に460マグナム口径のMarkX他数丁の
ハンドガン、ライフルを所有しています。

大口径ライフルが生物の肉体に与える損傷というのをご存じ無いかと思うのですが、
古生物学者の金子隆一氏と電話でお話しさせて頂いた際、T-REXとて460wbymagが
命中すれば確実に上顎の一部は吹っ飛ぶだろうというご意見でした。
小さな脳を狙うよりも、正面にある胸骨の間から、スイカ大の心臓を
吹っ飛ばすほうが得策だろうとも助言してくださいました。

水を満タンにした200kg以上のドラム缶を撃てば、中に跳ね上がり表面が
大きく張り裂ける威力を目の当たりにすれば、恐竜相手にも充分通用しうる
武器だということが納得できると思います。

国内の話しですが、308程度のライフル弾でさえ、鹿の頭部に命中して頭が
破裂することも有ります。

474世界@名無史さん:2005/12/31(土) 00:37:20 0
ちなみに、私がカナダの射撃場において、銃弾の威力テストに使う
一辺が1m四方の樹脂(粘土に近いもの)に460wbymagを撃ち込んだところ、
真っ二つに切断すると一番広い所で直径約70cmの穴が開いていました。

入り口と出口は10数センチ程度ですが、真ん中あたりの損傷はそれぐらい
大きいものでした。
もちろん、生物のそれに全く同じ効果が期待できるとは言いませんが、
破壊力の目安程度にはなります。
475世界@名無史さん:2005/12/31(土) 00:37:59 0
460Weatherby mag FMJ(フルメタルジャケット)の場合、着弾時に
変形しにくいように表面のカッパー(銅のコーティング)とレッド(鉛)
の間にスチールが入っていますので、前述した様に、その貫通力は
常軌を逸したものなのです
476世界@名無史さん:2005/12/31(土) 00:51:42 0
>>466
いえ、至って真面目に布教活動しております。
おっしゃる通り、恐竜の痛覚は哺乳類と比べて遥かに鈍感だった可能性は
大いに有ると思います。

しかし、ハンティングにおいては少なくとも重要なのは対象動物の痛覚では
なく、生体機能を破壊してしまうことだと思います。
恐竜といえど、脊椎に有る中枢神経を破壊する事によって、その意思とは
無関係にその動きは強制的に停止させることは可能です。

もちろん、通常正面から脊椎は狙えませんので、喉から脊椎に通すという
射法を取る事となります。
Weatherby460mag程の、破壊力でそこまで慎重になる必要が有るかは疑問ですが。
477世界@名無史さん:2005/12/31(土) 01:20:28 0
なにこの基地外
478世界@名無史さん:2005/12/31(土) 01:30:04 0
他所でやってくれって
479世界@名無史さん:2005/12/31(土) 11:09:10 0
>>424
イギリスのホームガードは、WW1の銃だったりするけど、
もっと凄いな。
480世界@名無史さん:2005/12/31(土) 15:42:00 0
406 :世界@名無史さん :2005/12/12(月) 01:59:05 0
大阪の陣で豊臣側は一町(約100メートル)当たり一門の大砲を装備していました。

428 :世界@名無史さん :2005/12/15(木) 09:38:46 0
>>423
大坂の陣で徳川が使った石火矢が五門と言われている
(ちなみに輸入品も混じってて全部が国産というわけではない)

は矛盾しているような気がするが、正しいのはどっち?
ところで、406の計算だと何門になるんだ?
481世界@名無史さん:2005/12/31(土) 17:08:51 0
>>480
もちろんハンエティングライフルの中では、ウェザビー460は最強です。
482世界@名無史さん:2005/12/31(土) 23:15:49 0
冬の陣では300門の大砲を使ってたらしいけど?>徳川
483世界@名無史さん:2006/01/01(日) 10:26:39 0
アルマダ海戦で、大砲が破裂した事件ってあった?
なければ少なくとも、そのぐらいの使用では大砲は壊れないという
ことだよね。
484世界@名無史さん:2006/01/02(月) 00:18:21 0
芝辻砲
ttp://www.geocities.jp/hggcm317/yasukuni22.html
慶長14年徳川家康が境の銃工芝辻理右衛門に命じて鋳造させ慶長16年に完成させた大砲で
大阪冬の陣にも使用されたと伝えられている。
口径 93mm 全長 3,130mm 材質 鍛鉄

ttp://www.ume.sakura.ne.jp/~edo/tutu.html
家康公が堺の鉄砲鍛冶・芝辻理右衛門に命じて造らせたのが
「芝辻砲」と言われる1貫500匁玉砲です。
砲身の全長3.13m、砲口部直径32.7cm、口径9.5cmというものでした。
「?」と思いませんか? 大砲(大筒)と言う割には随分と小さなものでした。
確かに砲身自体の直径が32.7cmと、ある程度納得はできますが、
口径9.5cmとは・・・。
事実、当時の鍛造技術ではかなりの「肉厚」の砲身でないと
危険があったわけですね。(大きな円の中心に小さな円がある様なもの)
弾丸のサイズは、直径9cm、重さ1貫100匁(4.1kg)の鉄球或いは鉛玉ですので、
それ自体が「爆発」して破壊や殺傷させることは絶対にできません。
射程距離の実態は不明ですが、前記の大阪城への砲撃は
700mの距離から撃ったとされていますので、
実際にはもう少し(あと2〜300m位)は有効射程距離としてあったと思われます。

ttp://tktaku.com/OSAKA_CASTLE/Toyotomi_Piriod/From_Bizenjima/FromBizenjima.ht
徳川方 カルバリン砲 鋼鉄製 長さ4.8m 口径16.2cm 砲弾重量14.4kg 射程距離6300m
ここで注目したいのは徳川幕府がイギリスとオランダから購入したばかりだった、当時最新式の
カルバリン砲の性能の高さである。射程距離6,300mの性能がその数字通りに発揮されれば本丸
は言うに及ばず、惣構内、全ての城域が射程圏内に入ってしまう。
485世界@名無史さん:2006/01/02(月) 10:58:51 0
↑概ね同意だが、
“直径9cm、重さ1貫100匁(4.1kg)の鉄球或いは鉛玉ですので、それ自体が「爆発」して破壊や殺傷させることは絶対にできません”

これはどうかな?

直径9cmもあったら、内部に火薬を詰めた焙烙にするのは容易。
投石器の時代から焙烙玉のノウハウは蓄積済みで特段難しい技術でもなかった。
486世界@名無史さん:2006/01/02(月) 17:29:36 0
つーか、日本史でありまた軍事史なんだが、この話題は何度も出ているぞ。
まず、近世の日本の城郭は堀と石垣が基本であって、上部構造物は戦闘時
には消耗品とまでは言わなくても、本質的な存在ではないということ。
現に、熊本城は上部構造物を火災で全て失いながら、西南戦争時に西郷軍
の包囲を持ちこたえている。
次に、西欧の影響があったかどうかはともかくとして、日本の城砦構造は大砲
出現以降の西欧の要塞の構造に類似していて、低く厚みのある土塁を芯とし
た石垣になっている。
このため、西欧では有効であった大砲出現以前の高く築き上げた石の城壁を
破壊し、城砦の防御力を崩すという機能は日本では発揮できないことから、日
本での大砲の発達は鉄砲の発達に比べて極めて限定的だった。
また、大阪城攻めに実際に使われた大筒はその巨大な砲ではなく、1人の兵
が操作し、100匁玉を発射するものだった。
この大筒が大量投入され、曲射によって屋根を破って弾丸が落下する形で攻
撃が行われている。
その他の巨大鈍重で比較的射程距離の短い砲では、局地的には混戦もあっ
た大阪の陣では実用にならないだろうと推測される。
487世界@名無史さん:2006/01/02(月) 20:21:15 0
日本の城郭の防塁を破壊するために粉砕用の球弾を撃ち込んでも、大して役には立たなかっただろう事は同意。

しかし、野戦や城郭内に篭城する兵員の殺傷に砲が有効だったのも事実。

大阪夏の陣では絶妙のタイミングで着弾した砲弾が淀殿を講和に動かしてもいるし、戊辰戦争でも近代砲が攻城戦の主役となったのは、上野寛永寺、会津鶴ヶ城など類挙を待たないだろう。
488世界@名無史さん:2006/01/03(火) 00:19:35 0
>>479 ホームガードなら「てつのヤリ」と火炎瓶砲じゃないの?

http://www.home-guard.org.uk/hg/unorth.html
http://www.home-guard.org.uk/hg/spec.html
489世界@名無史さん:2006/01/03(火) 19:39:14 0
車に装甲をはっつけたようなやつとか、学研の本に出ていた。
490世界@名無史さん :2006/01/03(火) 19:55:30 0
ブリガンキャリーだったっけ?太平洋戦争初期、英軍がシンガポールに配備していた
装甲自動車。
491世界@名無史さん:2006/01/03(火) 22:58:29 0
ロールスロイス シルバーゴーストの装甲車仕様は“アラビアのロレンス”の愛車だったw
492世界@名無史さん:2006/01/04(水) 18:45:50 0
>>461
>欧州の鍛鉄砲には糸巻きぐるぐる方式もあったよ。

15〜17世紀の大砲鋳造に関係する資料って何かないですか?
洋書でも絶版でもいいので教えてくださいな
493世界@名無史さん:2006/01/04(水) 19:41:10 0
>>461
> クルップ砲は鋳鉄が母材とはいえ、砲自体は鋳造ではなく機械加工で製造されている。

これは何かの間違いだろうね。クルップと言えば、技術史では「鋳鋼」技術の開発で
特筆される会社であり、クルップ砲というのは従来の鋳鉄ではなく鋼鉄で鋳造して作
られた大砲のことなんだな。
494世界@名無史さん:2006/01/04(水) 20:11:34 0
>>480
ヒント:
芝辻砲は発注を受けてから一門完成するまで 二 年 かかっている

法政大学出版局「反射炉〜大砲をめぐる社会史」 より
495世界@名無史さん:2006/01/04(水) 22:23:08 0
>>493 細かい噺だが、その通り。
鋳鉄ではなく鋳鋼を機械加工して作られたのがクルップ砲。
496世界@名無史さん:2006/01/05(木) 17:16:02 0
>>494 作ってみては 試し撃ちで砲身が破裂し、ようやく直径32.7cm 口径9.5cmの砲身で破裂しなくなったんだろう。
試し撃ちの度に丁稚さん達が死んでそうな悪寒w
497世界@名無史さん:2006/01/06(金) 06:17:26 0
>>485
大砲で発射できる炸裂弾作るのがどれだけ難しいかわかってるか?orz
498世界@名無史さん:2006/01/06(金) 15:15:24 0
>>497 ヒント: 打ち上げ花火w
499世界@名無史さん:2006/01/06(金) 17:47:29 0
>>497 大砲で発射出来る“安全な”榴弾が作れるようになったのは後装砲が出現してから。

導火線に発射ガスで着火する前装砲用榴弾(打ち上げ花火と同じ原理)の時代には、発射薬の不良で榴弾が砲身内に詰まってしまった場合に、砲身内で榴弾が破裂する事故は避けられなかった。

もっとも、前装砲時代の榴弾は内部の炸薬に黒色火薬を使用していたので、砲身内で破裂しても 砲列を組んだ砲兵隊がまとめて吹き飛ぶような大事故には到らなかった(現代の榴弾は凄まじい威力なので砲兵隊が全滅する事もありえる)が、
安全のため榴弾発射時には砲身の横に立たないのが 当時の砲兵の習いでもあった。

前装砲時代の砲兵は近距離での敵歩兵掃討用に霞弾(砲を巨大な散弾銃として用いる)を好んで用いたが、榴弾と比較しての安全面から好まれたという理由もあった。
500世界@名無史さん:2006/01/06(金) 17:56:17 0
砲を巨大な散弾銃として用いるっていうと、ぶどう弾が思い浮かぶんだけど、
これはナポレオン戦争時代か。
501世界@名無史さん:2006/01/06(金) 18:43:05 0
ぶどう弾≒霞弾で良いと思う。なんか最近のゲームではぶどう弾って表現がメジャーなのね。

訳語は様々だが同じ物。(ちなみに霞弾はトルストイの「戦争と平和」から、幕末/明治期に日本でも砲科に導入された)
小銃用の弾をエナメルで固めた布製の格納容器に詰めて、近接戦闘では水平に発射して敵歩兵を掃射する。

“歩兵にとって最大の恐怖”だったようだが、クリミア戦争で英国槍騎兵が露軍砲兵陣地に突進した際にも霞弾で大打撃を与えられている。
502世界@名無史さん:2006/01/06(金) 19:15:54 0
ゲームの紹介を見てたら、ぶどう弾が出て来るのは海戦モノなのね。

南北戦争までの海戦で、接舷攻撃時に打ち込むのは木弾が主流だった。

ぶどう弾より軽くて装填が楽だったし、球弾で開けた突入口から打ち込んで 狭い範囲の人間だけを掃討して艦体や装備に必要以上のダメージを与えないで済むので、木弾が好んで使われていた。

この状況が一変するのがアームストロング砲と装甲艦が出現した南北戦争。
近代製鉄が米国で確立され良質な鋼板が大量生産されるようになったのと、強烈な貫通力と強力な榴弾(ピクリン酸ベースの近代爆薬が使用され始めた)を安全に発射出来るアームストロング砲が搭載されるようになったため、南北両軍ともに競争して装甲艦を建造した。

この頃から陸砲より艦載砲の方が強力/巨大/長大になり始めるが、このため舷側砲では船体に収用出来なくなり旋回砲塔を有する近代戦艦の元祖が出現する。

こうした戦艦のひとつが、江戸幕府が購入しながら新政府に引き渡され、宮古湾で世界最後の接舷攻撃による奪取の標的となった「甲鉄」だった。
503世界@名無史さん:2006/01/11(水) 19:19:20 0
>>499
江川英敏の炸裂弾は9割の成功率だったそうだが
あれは前装砲じゃないのか?
504世界@名無史さん:2006/01/11(水) 19:51:22 0
太郎左衛門さんの時代だと前装砲も再末期だね。
9割の成功を除く1割の失敗のうち、不発と砲身内爆発の割合が知りたいものだ。
505世界@名無史さん:2006/01/11(水) 20:01:56 0
その失敗の1割のうち99%が不発、つまり99.9%砲身内爆発しないってぐらいじゃないと
怖くて使えんなぁ。
506世界@名無史さん:2006/01/11(水) 20:11:48 0
不発のほうらしいけどね。
それでも当時の諸外国の炸裂弾より優っていたそうで。
507世界@名無史さん:2006/01/11(水) 23:13:16 0
どこら辺が違ったのかな?

火砲自体は欧米の方が優れていただろうが、信管のような細かい細工が必要なものは当時の日本でも優秀なものが作れたのかもしれない。
508世界@名無史さん:2006/01/12(木) 03:10:50 0
>>502
佐賀藩のアームストロング砲
ttp://www.saga-s.co.jp/pub/hodo/kaikaku/kaikaku40.html
509世界@名無史さん:2006/01/12(木) 15:45:35 0
>>508 のページにあるように輸入された可能性もあるけど、佐賀藩なら国産化してただろうw

一方の幕府海軍で最強の戦艦だった開陽には16cmクルップ砲が搭載されていたそうだ。
http://www.hokkaido-esashi.jp/kaiyoumaru/kaiyoumaru2.htm

昔の資料にはアームストロング砲とあったりするが、実際にはクルップ砲が海中から出てきている。

新政府軍の東海道進撃に併せて箱根防衛戦が展開されていれば、このクルップ砲が薩長土肥の兵達を挽肉にしていたのだろう。

もっとも、中山道進撃は陸軍歩兵が防御の主体なので、鳥羽伏見と同じ展開だったやもしれん。

その場合に江戸が無事だったとは思えないが、赤報隊は官軍先鋒のまま実戦投入されていて、維新後は英雄だったかもしれない...
510世界@名無史さん:2006/01/15(日) 20:57:58 0
日本には、史料に具体的に登場する戦列艦はあったの?
幕末とかは除いて。
511世界@名無史さん:2006/01/15(日) 21:47:39 0
造船においては、戦国大名が所有していた軍艦を破棄し、寛永15年(1638)5月2日に法令を出して、
荷船以外の大船建造を禁止し、厳重な造船制限を行い。以降、わが国の造船技術は停滞しました。
そのため、幕府の安宅丸が最も大きな船となります。
安宅丸は1631年(寛永8)に徳川秀忠が伊豆で建造させた銅張り大櫓100挺立ての大船で、「天下丸」
と命名されたにもかかわらず、軍船の一般名称である安宅船の名がそのまま船名として定着した。
排水量はおよそ1700トンと推定され、当時としてはまさに巨艦であった。
江戸時代末期、黒船の到来や外国の圧迫により、大船の必要を認めて、嘉永6年(1853)9月15日に
実にこ115年ぶりで禁止令を解除しました。
512世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:07:40 0
フロイスだったかの記述に信長の造った鉄甲船の記述があったはず
・動く巨大な城
・わが国艦船と比較しても遜色がない など
他もっと詳細に書いてありましたが、失念
513世界@名無史さん:2006/01/19(木) 19:40:48 0
>>510
そもそも戦列艦の名前・定義がヨーロッパ(特に英国)のものだよ。
日本には無かった。
514世界@名無史さん:2006/01/19(木) 23:21:14 0
スペインへ行った仙台の船が500トンの大砲16門くらいだったかな。
515世界@名無史さん:2006/01/20(金) 11:18:17 0
>>512
確かに巨大で防御力、火力には優れるけど、
外洋航海能力が全くない罠。重量過大でトップヘビーだし。
瀬戸内海ですらまともに移動できない。
あれは正しく動く城、海上封鎖のための拠点にすぎない。
516世界@名無史さん:2006/01/20(金) 13:18:35 0
>>515
あの船が実在したとしても、
砲は3門程度で火力に優れるというほどでもないんじゃ・・・
517世界@名無史さん:2006/01/20(金) 20:31:06 0
火器を満載した台船をイメージすれば良いw
518世界@名無史さん:2006/01/21(土) 07:50:46 0
信長の浮上要塞は世界初の装甲艦と認定しても宜しいでせうか?
519世界@名無史さん:2006/01/22(日) 02:40:45 0
船を鉄板で覆うって発想がすごいな・・・
と言ってみる

>>518
いいと思う。
520世界@名無史さん:2006/01/22(日) 11:21:15 0
つか鉄板が作れた事がすごいよ。
521世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:23:50 0
>>518
考古学的に発見されたの?
522山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/22(日) 18:36:14 0
オルガンティーノだったと思います。>記録者
ただ、大砲三門はともかく、鉄板については言及されていなかった筈。
『信長公記』にも、それらしき大船六雙に「大鉄砲」があったとあるのみ、
『多聞院日記』に、「鉄ノ船也」とあるぐらいだそうです。
これも、鉄壁の守りというぐらいの意味かもしれません。
『日葡辞書』に、「テッセン。クロガネノフネ」とありますが、詳細不明。
(『淮南子』の鉄船をよくご存知の方はいらっしゃいませんか)
焙烙の方も、肝心の毛利側の史料には出て来ないとも聞きましたが・・・。
523世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:42:59 0
日本が最初とか子供じみたエスノセントリズムは恥ずかしいな。
信長の安宅船が実際に鉄張であったとしても、焼夷弾系の攻撃
に対しての効果は見込めるかも知れないが、砲撃に対する防弾
効果はそれほど期待できないだろう。
装甲版としての意義を持つものははるか後世まで出現しない。
524世界@名無史さん:2006/01/22(日) 19:17:48 0
相手の船が砲を持っていれば、の噺だろ。
銃撃や焙烙に対して鉄張りで強くなっていれば、充分目的は果たしている。
桶狭間といい、やはり信長は摩利支天の化身か...
525世界@名無史さん:2006/01/22(日) 21:05:58 0
動く巨大な城って西洋人が言ってるぐらいだからなあ
>>515の言うとおり海上封鎖拠点と言うべきなのかもな

信長はこの手のが好きだな、鉄壁な防衛線をつくり誘い込んで迎撃
長篠然り
526世界@名無史さん:2006/01/22(日) 21:30:45 0
安宅船が一次史料にみえるのは、天正年間、来島村上氏の有力者で鹿島城主の得居通幸の書状と、
天正十一年(1583)、その鹿島城を攻撃していた毛利警固衆の白井房胤に宛てた河野通直の書状のみである。
河野通直は書状の中で、「夜前之風波安宅心元無く候」と記して、前夜の風波による安宅船の安否を気にしており、
安宅船がその巨大さゆえ、風や波に対して脆弱な船であったことがうかがえる。

鉄甲船は天正六年(1578)六月、織田信長が志摩国の海賊衆・九鬼嘉隆に命じて伊勢国大湊で建造
させた六艘の大安宅船に対する一般的な呼称。
大和国興福寺の多聞院英俊による『多聞院日記』に「鉄の船なり、テツハウ(鉄炮)とをらぬ用意、ことこと敷儀なり」とあり、
ここから鉄板による装甲をほどこした戦艦、つまり「鉄甲船」であるとされる。この「鉄甲船」を実見した宣教師・オルガンティノは、
「王国(ポルトガル)の船に似たり」、「日本においてこのごとき物を造ることに驚きたり」とし、船には大砲三門が搭載され、「無数
の精巧にして大なる長銃」を備えていたと報告している。また本願寺側も「彼の敵船早々に打ち果たされず候はば、当寺の落居
は勿論に候」と狼狽しており、当時としては桁外れの火力・威容を誇る戦艦であったことがうかがえる。
『信長公記』によれば、「鉄甲船」を中心とする九鬼嘉隆の艦隊は紀伊半島を回航して淡輪沖で雑賀衆の水軍を破った後、十一月
には本願寺に兵糧を運ぶ毛利方水軍と戦い、敵の旗艦一隻を大鉄炮で撃沈して敗走させたという。ただ、毛利方水軍はこの海戦
以降も石山本願寺に兵糧を運び込んでおり、「鉄甲船」は機動力の問題から、哨戒線をカバーできなかったとみられる。
また、鉄板による装甲については、そのことを示す史料が上記の『多聞院日記』の伝聞による記事のみで、実見したオルガンティノ
も建造した九鬼氏の史料も装甲について触れておらず、疑問とする説も有力である。
527世界@名無史さん:2006/01/22(日) 22:13:11 0
船の楯板に金属板を貼るというのは特に驚異的な発想でもなかったんじゃないかな
鉄貼りの城壁・門を持つ城は多いし
日光東照宮だって防火用に銅板貼りを施した部分が大量にある。
すぐ錆びる鉄を船に使うと言う贅沢さは驚きだったろうけど
528世界@名無史さん:2006/01/22(日) 22:24:21 0
>>526
ネットで検索してコピペそのままは良くないと思うよ。
529世界@名無史さん:2006/01/22(日) 22:26:07 0
大砲3門って少ないな
530世界@名無史さん:2006/01/22(日) 23:50:31 0
当時の城郭は砲撃を想定していないから、三門でも充分だったんじゃないかな?

それよりどんな大砲を載っけてたのかな? やっぱ仏郎機かな??
531世界@名無史さん:2006/01/23(月) 01:05:12 0
アームストロング砲弾出品中
http://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k29131515
532世界@名無史さん:2006/01/23(月) 01:06:18 0
こっちは高射砲弾みたいね
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/84260069
533世界@名無史さん:2006/01/29(日) 17:32:56 0
鉄板を貼るメリットは、そんなにあったのか?
鉄板を貼ったら重くなって船体が沈み、船足が遅くなるだけでは?
534世界@名無史さん:2006/01/29(日) 17:51:35 0
>>511
安宅丸の建造理由は?
535世界@名無史さん:2006/01/29(日) 22:57:26 0
>>533
火矢を防ぐ、信長公記によれば毛利水軍のソレに甚大な損害を被ったようだ
船足が遅くなるのは同意、ゆえに外洋に出る能力はなく、海上の防衛拠点、
要塞といった按配ではないか?

ガンダムネタになるが調度ドロスのような
536世界@名無史さん:2006/01/30(月) 04:14:54 0
>>534
もちろん、徳川家だけが海軍力を独占するため。
537世界@名無史さん:2006/01/30(月) 13:52:38 0
っジオング?w
538世界@名無史さん:2006/02/01(水) 20:32:16 0
ちなみに現代火砲は射程30Km、核発射可、その当たりの話興味ある人いないかな
539世界@名無史さん:2006/02/01(水) 21:04:52 0
興味あるよ
射程30kmつ〜と口径6インチ以上の長砲身キャノンだよね
でもこの種の火砲は発射毎のメインテナンスが大変だ
警察予備隊から入隊し、自衛隊の中隊長まで勤めた人と
よく話したけど、その人は20榴を扱ってたそうだが
友人を2人、信管過早爆発などの事故で亡くしたそうです
大砲は撃たれるのも、撃つのも怖いよ
540世界@名無史さん:2006/02/01(水) 22:17:21 0
現代火砲なら軍板のほうがよくない?

【AS90】戦後の野砲・自走砲総合スレ【FH-70】
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1110625553/l50

【砲撃】砲兵に華を持たせるスレ【開始】
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1130511482/l50
541世界@名無史さん:2006/02/02(木) 02:24:25 0
韓国での火箭の再現実験
ttp://www.arrow.or.kr/chi/data/index.php?cate=data7
542世界@名無史さん:2006/02/02(木) 04:56:19 0
>>541
なんか射程短くない? ロングボウと違って狙いはつけられないだろうし。
とはいえ、音といい矢が降ってくる密度といい怖い兵器なのは確かだなぁ。
543世界@名無史さん:2006/02/02(木) 12:19:06 0
秀吉が攻めてきたときに「Haengju Sanseongの戦い」
で使われた記録があるそうだ。
544世界@名無史さん:2006/02/04(土) 20:48:25 0
こんな物よりインドのロケット砲兵の方がよほど恐いよ。
クルップ砲が普及するまではロケット砲兵は、戦場の面制圧を担う華だった。
WW2でスグ復活したけどねw
545世界@名無史さん:2006/02/05(日) 07:48:17 0
>>544
>インドのロケット砲兵

ウェリントン将軍がイギリスに持って帰ったんだっけ?
火箭とどう違うん?
546世界@名無史さん:2006/02/05(日) 08:05:32 0
基本的に同じ物。
ロケット花火の基本形でもあるが、長い安定棒が付いたスタイルは13世紀から全く進化しないままだった。
最後に使用されたケースだったかもしれないのが日本の西南戦争で、当時の日本陸軍が片端から輸入/試用した兵器群のひとつとして記録されている。

WW2では噴射口に角度を付けてジャイロ回転させる改良品が威力を発揮し復活した。
砲は依然として高価な兵器だし、面破壊には改良されたロケットの方が向いている。
547世界@名無史さん:2006/02/05(日) 14:19:18 0
>>546
ジャイロ回転させるのはヘイル式ロケットじゃあるまいか。
確か登場は1840年ごろだったような?
となると施条砲より出現が早いということになるが、
そう一世を風靡することもなく目立たず消えていったような印象なのが不可解。

ナポレオンからクリミアまで、大きな戦争がなかったから注目もされなかったのかな?
548世界@名無史さん:2006/02/05(日) 14:29:25 0
>>544
面制圧に役立つようなロケット兵器が登場したのはWW2からだろ。
549世界@名無史さん:2006/02/05(日) 15:14:02 0
>>547 ちょうどこの頃から砲身が施条&リベット砲弾が出現して命中精度が上がり始めるんだよね。

差が決定的になるのはアームストロング/クルップの後装施条砲の出現。

当時は、巨大な石造りの要塞に対する攻城戦で、石壁を破壊し得る物理的打撃力が砲に求められていた(近代爆薬を使える榴弾がなかった)時代だったから、面破壊(榴弾)と点破壊(鋼弾)の両方に使える砲が主役とならざるを得なかった。

その後、要塞は近代爆薬の威力の前に無力化し、戦場の主体は塹壕と鉄条網で形成された野戦陣地へと移行する中で、面破壊の重要性が増してくる。

野砲の発達と機甲兵器の登場により、野戦陣地は生残性の向上をはかって縦深化したため、火力を集中させて敵陣兵力を有効に殺傷するには大量の野砲を用意せねばならなくなり、資源的に非常に困難になって行く。

短時間に大火力を敵陣全体に撒き散らす目的には、砲より榴弾を載せたロケットの方が費用対効果の面で有効と判明してからは、独ソが主体となって野戦ロケットを多用するようになり、米軍もこれに倣った。

この後、精密誘導技術の確立と共にロケットはミサイルへと進化した。
550世界@名無史さん:2006/02/05(日) 18:26:05 0
ここでアームストロング砲の基本構造と装填/発射手順が分かる。
http://www.d3.dion.ne.jp/~ironclad/wardroom/ArmstrongBL/armstrg.gif
551世界@名無史さん:2006/02/05(日) 18:57:22 0
>>550
素人なので、どうやって着火するのかが分からん。
552世界@名無史さん:2006/02/05(日) 19:21:51 0
赤い部品が閉塞栓で、逆L字の部分が火口の通る穴。
この部分に導火線状の点火薬を詰めてから再装填&ネジで締め上げ、発射する際には上から火を付ける。
553世界@名無史さん:2006/02/05(日) 21:52:07 0
質問です。
鉄砲を日本で国産化する際、ねじを作るのがネックになったのは有名な話ですが、
単に底を塞ぐだけでは、構造上なんか不都合が生じるんでしょうか?
554世界@名無史さん:2006/02/05(日) 21:56:48 0
>>553
不発が生じたときに弾が抜けなくなる……ん、だっけ?
詳しい人答えキボン
555世界@名無史さん:2006/02/05(日) 22:15:36 0
>>553 最初に日本で火縄銃をコピーしようと頑張った刀鍛冶さんも、雌ネジの再現に一番苦労したらしい。

別にネジでなくても完全に発射ガス漏れを防げれば良いが、他にはあまり良い方法がない。
かといって、後端を叩き潰して鍛接してしまうのでは>>554の言うように不発になった時に対処できなくなってしまう。

結局、雄ネジを作ってから鍛造でネジ山を転写する方法を最初はとったようだが、日本中で生産が始まる頃には現代のタップに近いネジ切り工具が発明されている。
556世界@名無史さん:2006/02/05(日) 23:40:36 0
東洋で発明できなかったモノの一つがねじ構造だとか…。
西洋での発明者はあのアルキメデスか?
蒸気機関を始めとする科学技術の進歩も、ねじ構造による精密機械工作がなければ
達成できなかっただろう。一生をかけてひたすら旋盤の精度を上げていった技術者…。

最初の雄ねじはアルキメデスがやったように、直角三角形の布を円柱に巻き付けて
縁にしるしをつけ、そこを削ったんかいな?
557553:2006/02/05(日) 23:50:08 0
なるほど、不発対策ですか。ありがとうございました。
558世界@名無史さん:2006/02/06(月) 00:18:34 0
>>556 “直角三角形の布を円柱に巻き付けて”

日本の鍛冶屋さんは糸を巻きつけてネジ山の頂点を決め、谷を削って行っている。
このやり方は幕末にダイスが渡来するまで続いたが、今でも試作品のネジを作る時は同じように削る。

>>557 大量生産されるようになった時代でも一丁あたり50両もしていたから、不発になってお終いじゃ困るからねw
559世界@名無史さん:2006/02/06(月) 13:09:26 0
なんかよく分からんけど笑えた
ttp://www.megapolis.org/zuzia/pic282.jpg
560世界@名無史さん:2006/02/06(月) 21:35:39 0
ロシアのコラサイトか。
561世界@名無史さん:2006/02/06(月) 23:07:01 0
>559
クレムリンにある「皇帝砲」じゃん
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Image:Tsar-Pushka.jpg
いったいどうやって装填してたのやら
562 ◆92LbIz8Oa2 :2006/02/07(火) 17:08:51 0
装填方法は、変わらないんだろうけど、
特別な滑車かテコ付きの大懸かりな道具が必要ですね。
弾だけでも四トンですか・・・。
563世界@名無史さん:2006/02/11(土) 10:02:11 0
種子島式火縄銃の疑問。
なぜ頬付けして撃つにも関わらず台座もない不安定なデザインなんだろう?
何故、ローロッパのガンブレードの様に銃剣という発想がなかったのだろうか?
564世界@名無史さん:2006/02/11(土) 14:01:38 0
鉄砲とはそういうものと思っちゃったからだろう。
伝来したのが肩付けのタイプだったら、その通りに普及しただろうし。
565世界@名無史さん:2006/02/12(日) 12:38:32 0
フェートン号事件で大恥をかいた佐賀藩が、高島秋帆による洋式調練を導入した際にも、参加した藩兵に他の洋式装備が概ね好評だったのに、銃剣だけは大不評だった。

腰に大小の日本刀を差しているのに、銃剣なぞ無意味というのが表向きの理由だったが、銃を抱えて日本刀を使用するのは至難の業。

実際には大小を銃剣に替えられて、槍一本の足軽と同じような格好になるのが嫌だった、というのが理由だったようだ。
566世界@名無史さん:2006/02/12(日) 13:26:15 0
>>563
鎧着用の場合銃床を肩付けしにくい
(現代のボディアーマーでも同様の問題がある、米軍の小銃の銃床が伸縮式なのはこのため)
567世界@名無史さん:2006/02/12(日) 15:23:16 0
↑一瞬納得しそうになったが、戦国時代の鎧(当世具足)の写真を見ると、肩は覆われていない。
http://www.rakuten.co.jp/yoroi/117803/117882/

鉄砲足軽はこれより遥かに軽装だったので、肩当てが困難という事はないだろう。
568世界@名無史さん:2006/02/12(日) 15:38:15 0
肩付けって言っても実際には腋の付け根なんじゃないの?
569世界@名無史さん:2006/02/12(日) 15:59:58 0
射撃法にもよるが、大日本帝國陸軍では肩口の盛り上がりの内側。米軍(および現在の主流)では盛り上がりの真上。
どちらも当世具足では覆われていない部分だ。

具足を付けている状態で現代式の射撃体勢を取ると、袖(肩にかかっている部分)が重くて肘を水平に持ち上げるのがキツそうだが、これは敢えて持ち上げなくても肩付け自体には影響が無い。
570世界@名無史さん:2006/02/12(日) 16:18:11 0
具足の胸の部分が干渉するはずだけど
571世界@名無史さん:2006/02/12(日) 16:28:04 0
胴丸の部分は肩口に全然かかっていないけどねw

唯一銃床に当たりそうなのは胴丸を肩から吊るしている紐の部分だが、それでも大日本帝國陸軍式の場合。
572世界@名無史さん:2006/02/12(日) 16:28:30 0
例えば、現代でもアフリカゾウなどの大型獣狩りに使用する
大口径マグナムライフルなども余りに強烈な反動な為、肩を保護する
プロテクターも市販されてるが多くのハンターが使用を嫌う。

その理由はやはりプロテクターの上から肩付けで発砲した場合着弾点が不安定になってしまうから。
鎧を着た鉄砲隊が使用する火縄銃で肩付けデザインを避けたのもそれに通ずる理由かも知れないなぁ。
573世界@名無史さん:2006/02/12(日) 16:42:48 0
つか、日本には肩付けの火縄銃が伝来しなかっただけですよw
日本に来た火縄銃自体がインドのゴアあたりで製造された物だったので、火縄の倒し方も西欧とは逆だったしね。
574世界@名無史さん:2006/02/12(日) 16:43:56 0
具足は自然体で立った状態で肩口が露出しているように見えても
実際には辛うじて手を前で交差できる程度のフレキシビリティしかないんだよ

エプロンの胸部分にダンボールか下敷きを仕込んで試してみればわかると思うよ
575世界@名無史さん:2006/02/13(月) 12:17:43 0
>>573
フリントロック等の新式銃自体はオランダ船が持ち込んではいたみたいです。
それでも普及しなかったのは理由があるわけですよ。

フリントロック式の撃発装置は日本の火打石の質が悪くて実用不可だったようです。
肩付けの銃床が普及しなかったのはそれまた理由があったのでは?
576世界@名無史さん:2006/02/13(月) 22:03:06 0
フリントロック式の洋式銃は、江戸中期以降 オランダからの土産として結構入ってきているが、撃発時の振動に起因する命中精度の悪さと火縄銃に比べてさほどの優位が無いために実用面で低く評価されていた(あの吉宗にダメ出しされてもいるw)。

雷酸水銀を使う雷膏(ピル)/雷火(紙火薬)/雷管式の導入はかなり早かったが、火縄銃の改造と洋式銃の模倣が同時進行している。

洋式銃に比べて火縄銃の改造品が特段劣っていた訳でもないが、やはり“スタイル”の違いが大きかったのだろう
各藩に火縄銃を収めていた国産鉄砲鍛冶の多くは発注が途絶えてしまい、転業して自転車を作ったりもしている。
577世界@名無史さん:2006/02/14(火) 12:55:08 0
578世界@名無史さん:2006/02/16(木) 22:39:17 0
日本だと馬上筒も火縄式だったんだよな。
579世界@名無史さん:2006/02/17(金) 12:05:37 0
>>577
どう見ても無煙火薬では無い罠
580世界@名無史さん:2006/02/18(土) 12:28:33 0
>575
てか、フリントロック式より、マッチロックの方が不発が少ないからじゃまいか?
特に高温多湿の日本の場合、只でさえ湿気易かったのにフリントロックの優位性を見出せなかった、というのを
どこかで聞いたことがあったような・・・
581世界@名無史さん:2006/02/18(土) 14:02:44 0
撃鉄の衝撃がなくて銃身がぶれないってメリットもあるね>マッチロック
582世界@名無史さん:2006/02/18(土) 14:03:42 0
既出だったスマソorz
583世界@名無史さん:2006/02/18(土) 14:21:23 0
結論的には日本の環境ではフリントロックの実用性が無かったという
ことだろうけど、それよりもフリントロックだとショルダーストックが付い
ていて、マッチロックだと頬あて型の銃床になるという組み合わせなの
か?

マッチロックとショルダーストックの組み合わせというのは無いのかな。
584世界@名無史さん:2006/02/18(土) 15:32:02 0
フリントロック式のライフル狙撃銃があるんだから、マッチロックにくらべてさして命中精度が
劣るとは思えんが。両方撃った経験者も精度は変わらないと「世界銃砲史」という本の中で書いて
いるし。
585世界@名無史さん:2006/02/18(土) 19:44:54 0
>>584
その構造上、衝撃でどうしても照準がぶれるんだよ。
ライフルがあるから云々は別問題。
ケンタッキーライフルのことを言っているなら
マッチロックのライフルと比較するべきだよ。
586世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:00:45 0
>>585
そりゃ撃鉄の落ちるときの衝撃はフリントロックのほうがでかいだろうが・・・
マッチロックもフリントロックも火皿の火薬が銃身内の装薬に引火するまでのタイムラグ
があるわけだから、撃鉄の衝撃はそれほど命中精度への決定要因にならないと思うぞ。
すくなくとも軍用銃器として使う限り、両者に決定的な差は生じないだろう。
せいぜい、マッチロックの精度をM-16程度とすると、フリントロックだってG-3程度の
精度はもっていただろう。
587世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:05:41 0
“マッチロックの精度をM-16程度とすると、フリントロックだってG-3程度”

この例えには問題アリだw G3の方が精度は高い。

ではなんでゴルゴはM16を使ってるの? おじちゃん??
それはね、さいとうたかおさんがG3を知らなかったからなんだよ、子猫ちゃんw
588世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:08:02 0
現在の小銃でさえ撃鉄の衝撃や射手のガク引きが問題になっているのにかい。
銃本体じゃなくて使う人間の狙いがずれるの。
いくらタイムラグが有ると言ったって再照準するほど時間が有るわけ無いだろう。
589世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:08:41 0
>マッチロックの精度をM-16程度とすると、フリントロックだってG-3程度の

射程に差があるのか?
590世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:21:02 0
火縄銃と火打石式/初期型パーカッションの射程に大差はない。
再装填の時間は徐々に短くなってはいるがね。
仮に関が原の全日本軍とワーテルローの全欧州軍が交戦したとしても、大砲を除く小銃の性能に決定的な差は無い。

しかし、後期型パーカッション(ミニエ式椎の実弾+施条)を装備した全米南北軍と交戦したら、小銃の一斉射撃の時点で相手は死体の山と化している。
日本が開国した1850年代からの100年間で小銃は驚異的な進化を遂げている...
591世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:34:55 0
>>587
む?漏れがしっているかぎりだと西側陣営の小銃では
M-16がボルトアクションの狙撃銃と同等の精度があり、G-3はそれより一段おとり
そのあとにFALが続くはずだが。
ナイツ社はM-16のメカニズムを使った狙撃銃を海兵隊やSEALSに納入しているし、
なにより1MOAなんて精度がある自動小銃はM-16系列ぐらいだろう。
592世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:42:56 0
玉がデカイほうが、射程が長くて弾道も安定するんじゃないの
593世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:48:07 0
“M-16がボルトアクションの狙撃銃と同等の精度”
最近特殊部隊厨の連中から良く聞く噺だが、この都市伝説はどこから流布されてるんだ?w

G-3がボルトアクションの“軍用銃”と同等の精度が出せるのは事実。
同様の理由からフランスのFA-MASも精度が良い。

FALやM16が精度でG3系に勝てないのは、閉鎖機構の違いで銃身に横穴を開けているため。
M16が優れているのは全自動射撃での安定性だが、閉鎖機構のデザインに根本的な問題があって信頼性に欠ける。
594世界@名無史さん:2006/02/18(土) 20:54:55 0
>>592 現在の米軍が使用している狙撃銃は、ボルトアクションで7.62mmx51弾を使用するオーソドックスなもの。
今でもたまにM14が使われている場合もあるが、やはり7.62mmx51弾を使用している。

これは、弾が軽くて横風に弱いM16用の5.56mmx45弾では、200m程度でしか信頼できる対人殺傷力も発揮できないため。

ナイツが納入してるのは“精度の良いM16”であって軍用狙撃銃などと呼べる代物ではない。
595世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:04:07 0
ttp://www.f5.dion.ne.jp/~mirage/message00/ss001.htm
>>594
コイツを精度のいいM16呼ばわりするのか?
596世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:06:59 0
日本の89式小銃は、値段が高いだけで故障しやすい普通のライフルといわれてるけど、
なんか火山灰土にまみれても正常に動作するらしい。
597世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:15:51 0
「日本軍のライフルには…ダストカバーが付いている…」
「黄砂から守るためだ・・」
「銃にはそれぞれの使い道がある・・」
598世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:18:29 0
>>595 軍用狙撃銃とは、800m先でも充分な精度/殺傷力を有するこのレベルを指す。
http://www.f5.dion.ne.jp/~mirage/message00/ss001.htm
400m射場の標的紙相手にいくら精度が出せても、22LR程度の威力しかないのでは無意味。

>>596 日本の89式はAR18の発展形の割には故障も少なく優秀な小銃だ。
一般の隊員にも評判が良いそうだが、値段が高いのはなんとも...
セミオート仕様で米国に輸出して価格を下げるしかない。
599世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:20:46 0
>>595でリンク失敗。コイツ↓がリンク先にあるはずだったのに・・・


>ストーナー SR−25 R.A.S Forend

>口径:7.62mm×51 NATO (.308Win)
>全長:1118mm
>バレル長:406mm(カービン)/508mm/610mm
>重量:4.88Kg(スコープ無し)
>最大射程:900m

>装弾数:×5 or 20発(着脱式マガジン・ボックス)
>ライフリング:5条右回り
>作動機構:セミ・オートマティック




>主に米国の特殊部隊向けの銃器を開発しているナイツアーマメント社が開発したセミオートス
>ナイパーライフルで、同社のAR−10(7.62mm×51 NATO)をベースに命中精度とタク
>ティカルシステムを組み込んだ最上級モデルがストーナーSR−25R.A.S Forendである。
>最高の命中精度を達成する為バレルはレミントン社と技術提携して製造され、特殊なライフリ
>ングツイスト(回転)加工されており、溝が丸められた5条ライフリングとなっている。
>バレル長は任務の要求によって各種選択出来る様に3つの長さのバレルが用意されており、
>レシーバー側で簡単に分解交換可能となっている。カービンタイプを除いては、ハンドガードか
>ら独立したフローティングバレルを採用している。 SR−25の各タイプは2000年に300丁
>海軍に導入され、海軍特殊部隊シールでも採用された。


600世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:27:56 0
↑乙w キミは先ずAR10とM16の違いを知るべきだな...

ナイツ社(M16系アクセサリで成長した)でさえ、狙撃銃用には7.62mmx51弾を選択した という現実だけが残ったようだね。
601世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:28:25 0
>>598
あんたも同じサイト使ってリンク失敗してるなw。どの銃をしめしたかったんだ?
602世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:36:07 0
もちろんPSG-1だよw
603世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:50:34 0
>>602
リンク先で軍用としては不適格って書かれてるじゃないか。セミオートの狙撃銃だったらM-14系かSR-25のほうがいいよ。
PSG-1は高い割にメリットがすくない。
ドイツ製のM8も結局精度の高いフリーフローティングバレルにするよう求められたし、精度の点では
アメリカ製銃器>>ロッパ製銃器なのではないかな。
604世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:54:32 0
精度要求が米国>欧州なだけで、米国製銃器そのものは高精度な訳ではないのが悲しいw

米国の精度要求は一種のパラノイアのようなものであり、現実には意味が無い事が多い。
605世界@名無史さん:2006/02/18(土) 21:58:04 0
“しかし重い重量と発射時のマズル・フラッシュが大きい事から発見され易く、軍用としては不向きで純軍事作戦では使用されない。”

どうもこれは7.62mmx51弾について記しているようだが、実際にはより高圧の5.56mmx45弾の方がマズルフラッシュは大きい。
606世界@名無史さん:2006/02/18(土) 23:38:08 0
歴史でもなんでもないガンをたの薀蓄合戦になっている件について
607世界@名無史さん :2006/02/18(土) 23:52:58 0
とある本に西暦1241年、蒙古軍のヨーロッパ遠征の際、リーグコックの会戦に初めて小銃が使用されたと伝えられていますが
(信憑性低し)記録のあるので小銃を最初に使用したのはベルギー人で1382年、ロスベックの戦争に初めて用いたようだが、
原始的な銃だったんだろうな。

銃を本格的に使用した戦争はいつ頃、起きたのか気になる。
608世界@名無史さん:2006/02/19(日) 00:30:24 0
以前から気になってるんですが、
何で、小銃なんでしょう。
大銃、とか中銃とか聴いたことないし。
609世界@名無史さん:2006/02/19(日) 02:43:50 0
頑丈な銃が欲しければAKでも使えばいいのに。
610世界@名無史さん:2006/02/19(日) 07:12:50 0
>>608
大砲の対義語。
訳語の都合というかね。
611世界@名無史さん:2006/02/19(日) 12:55:45 0
小銃という言葉に対比する存在として“長銃”という表現もあった。
これは城砦や船舶に据え付けて使うタイプの銃器の事だったが、これに対して歩兵が持って歩ける範囲の銃を小銃と呼んだ。

また、朝鮮の役で日本兵が持っていた火縄銃を“鳥銃”(猟銃の意味)と明人が呼んでいる。
明人は当時の世界でも有数の大砲大国だったので、野戦軍に大量の小銃を配備している日本軍の姿が異様に見えたのだろう。

尚、結果として朝鮮の役は辺境未開の満州に大砲という高度軍事技術の流出を招き、清人(野戦は得意だが蛮族であった)は攻城戦を可能とする手段として大砲を重視し自ら製造するようになった。
これが“明人重馬 清人重砲(火扁に包)”という言葉の由縁である。
612世界@名無史さん:2006/02/19(日) 13:06:58 0
話かわるけどガトリング砲って金属薬莢なんでしょうか?
それと黒色火薬だし連射した場合どう考えても発射煙が
煙幕同様にたちこめて持続して撃てないような・・・
613世界@名無史さん:2006/02/19(日) 13:10:34 0
明軍が種子島を鳥銃と呼んだのは鳥を撃ち落す程の命中精度(事実猟銃に使用)に驚いたから。
614世界@名無史さん:2006/02/19(日) 13:14:04 0
日本全国津々浦々に火縄銃が広まった理由って武器としてじゃなく、農作物をあらす害獣を
駆除する"農具"としてだったらしいからなあ。
一揆のときも鉄砲は使わないって暗黙の了解ができてたらしいし。
615世界@名無史さん:2006/02/19(日) 14:06:04 0
>>611
短銃<->長銃 小銃=ライフル銃 だと思っていたよ。
616世界@名無史さん:2006/02/19(日) 18:17:40 0
>>615
歴史を語る上でも小銃=ライフル銃だと色々不都合があるからな。
まぁ現代ではさほどでもないが。
617世界@名無史さん:2006/02/19(日) 18:25:38 0
>>612 ガトリング砲用で一番ポピュラーだったのは45-70という金属薬莢の弾薬。

野外で使用する分には、煙で視界が完全に遮られるという事は無い。
むしろ黒色火薬で厄介なのが煤のこびり付き。後装式とはいえ300発程度で清掃する必要があった。
618世界@名無史さん:2006/02/19(日) 19:24:15 0
短機関銃
軽機関銃
自動小銃

と並べると、語感では短機関銃が、一番強そう。
619世界@名無史さん:2006/02/19(日) 19:41:04 0
実際には軽機関銃がこの中で一番強いがね。
620世界@名無史さん:2006/02/19(日) 19:48:04 0
目的の違う火器を単純に強い弱いで比較できんよ。
621世界@名無史さん:2006/02/19(日) 19:55:38 0
射程/威力/精度なら、軽機関銃>>自動小銃>>>超えられない壁>>>短機関銃
可搬性/軽便性なら、短機関銃>>>≒自動小銃>軽機関銃
“強さ”という面でなら軽機関銃が一番だろう。
622世界@名無史さん :2006/02/19(日) 21:31:12 0
>>618
重機関銃は?
623世界@名無史さん:2006/02/19(日) 21:42:48 0
>>621
「強さ」の基準を弾丸の威力や射程、制圧力に求めるならそうだろうさ。
しかし、実際の運用とは違うのでそういった比較には意味が無い。

現代銃の話はそろそろ軍板に移るかやめにしないか?
624世界@名無史さん:2006/02/19(日) 22:13:20 0
それもそうだ。ここは世界史板だしね。
625世界@名無史さん:2006/02/19(日) 22:28:02 0
炸裂する砲弾が実用化されたのは何時ごろでしょうか。
ぼんやり、ナポレオンのころかなと考えているのですが。
626世界@名無史さん:2006/02/19(日) 22:36:31 0
黒色火薬の持つもうひとつの厄介な点は、成分中に硫黄を含む故の強い腐食性。
発火した際に硫黄は二酸化硫黄へと変性し、金属組織に浸透し大気中の酸素と結合して硫酸となり腐食させる。

このため黒色火薬時代の火器の銃身は、手入れを怠るとあっという間にボロボロになる。

手入れの方法として一般的だったのは水洗いで、お湯と石鹸で洗うと煤もきれいに取れるのでベストとされていた。
627世界@名無史さん:2006/02/19(日) 22:52:43 0
>>625 炸裂する弾というコンセプト自体は、元寇襲来の際に日本人が始めて遭遇した“てつはう”とよばれた焙烙玉の頃から。

“てつはう”は陶器の入れ物に黒色火薬を詰めて導火線を延ばした構造で クラシックな爆弾の形そのものだったが、元寇の頃は火砲からではなく投石器(カタパルト)から放擲されていた。

火砲で用いられる榴弾自体は火砲の出現と同時に存在していたと考えらていれるが、ナポレオンの頃でも威力において不充分であり、
野戦においては巨大散弾銃的な火砲の運用法である霞弾の方が信頼性/安全性において優れ、城塞攻撃には打撃力で石を割る鉄球弾が主に用いられていた。

威力において充分な榴弾が出現するのは、アームストロング砲とピクリン酸(本来は野戦での消毒剤として用いられていた)ベースの近代爆薬が出現してから。

この出現を以って石造りの城塞は軍事的意味を失った。
628世界@名無史さん:2006/02/19(日) 23:03:01 0
ナポレオンのころには、すで臼砲が有ったように思いますが。
艦砲として考えると、木造帆船の時代の榴弾はかなりの脅威と思いますが。
629世界@名無史さん:2006/02/19(日) 23:12:47 0
臼砲はイスラム圏で攻城/港湾の対艦防衛用に発生したとされる。
臼砲の運用には迎角と薬量についての高度な(当時の水準)知識が必要だったため、先進文明圏たるイスラム圏で発達して行った。

彼我の艦船が併走しながら、舷側射撃によって敵艦への接舷突入用の突破口を開けるのが主目的だった時代の艦砲用には、
船体に無用の損害を与える(接舷突入に成功した後の敵艦は自軍の艦船=財産となるため)榴弾は好まれず、鉄球(穴開け用)と木弾/霞弾(敵艦乗組員殺傷用)が主に用いられていた。
630世界@名無史さん:2006/02/19(日) 23:46:02 0
>敵艦への接舷突入用の突破口を開けるのが主目的
エッそうなの。

水上戦闘では、敵の運動能力を奪うのが第一義だと思ったが。
その為にチェーンショットとかも開発されたんじゃないの。
631世界@名無史さん:2006/02/19(日) 23:52:45 0
敵艦が帆船の場合、運動能力を奪うにはマストを切り倒すか舵を破壊するしかないが、そんな状態の船では鹵獲しても利用できない。

確実に相手の運動能力を奪うには、突入して艦の主導権を掌握するのが一番確実だった。
632世界@名無史さん:2006/02/20(月) 00:18:08 0
戦力の大きい船が、戦力の小さい船を鹵獲する。
ところが、小さい船のほうが速力がある。
したがって、まず、帆装等を破壊するのが先決。

大体、戦列艦同士の決戦の際に、回漕に便利だからマストは標的にしない。
なんて事が有るわけない。

633世界@名無史さん:2006/02/20(月) 00:27:33 0
戦列艦同士の潰し合い決戦なんてトラファルガー以降はユトランド沖海戦までなかったんじゃないかな?
634世界@名無史さん:2006/02/20(月) 00:46:49 0
>>633 とりあえず、これ嫁
>>631 藻前も読んどけ

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%88%97%E8%89%A6

ユトランド沖海戦は第一次世界大戦、潜水艦が実戦配備された時代に
主力艦が、帆船なわけないだろ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6
635世界@名無史さん:2006/02/20(月) 00:53:47 0
>>631
マストを切り倒しまでしなくても、セイルを破く・リギンを切断するなどして足を止めたんじゃないの?
でないと何のために鎖弾とか使われてたの?

しかし、帆船って操縦系統が露天にむき出しなんだよな。
よくあんなので戦争したもんだよ。
636世界@名無史さん :2006/02/20(月) 01:15:18 0
で、ラムを有効活用できる戦術ってなんですか?
637世界@名無史さん:2006/02/20(月) 01:25:17 0
>よくあんなので戦争したもんだよ。
ネルソンもマスケット銃で狙撃されて、死んだわけだし。

しかし、食生活のひどさだよ、コクゾウムシの付いた乾パンに、腐りかけの塩漬豚。
で、兵員は強制徴募。 よく戦争が出来たもんだ。
638世界@名無史さん:2006/02/20(月) 01:27:32 0
ラムは、ごほうびに水兵に配ったんだよ。
639世界@名無史さん:2006/02/20(月) 01:36:10 0
目測で操艦せにゃならんから仕方ないわな
640世界@名無史さん:2006/02/20(月) 20:54:33 0
>>633 戦列艦同士の潰し合い決戦が100年近く行われなかった事を書きたかったんだが...
日本海海戦もあったがねw
641世界@名無史さん :2006/02/22(水) 00:45:15 0
三景艦はあの排水量で32センチ砲を積むのは重すぎ。あまり好きな船じゃない。
642世界@名無史さん:2006/02/23(木) 01:27:58 0
アヘン戦争で清軍が使った大型銃の「抬槍」とはどういうものだったんでしょう?
643世界@名無史さん:2006/02/23(木) 01:32:39 0
火砲の火薬としていた黒色火薬の原料の硝石って、
どうやって(どのような場所で)採掘するの?

硫黄や炭素(石炭で良いんだよね)なら、なんとなく分かるんだけど。
644世界@名無史さん :2006/02/23(木) 02:11:45 0
>>643
硝石は鳥の糞から獲れる。
645世界@名無史さん:2006/02/23(木) 09:44:19 0
「血の罠」って劇画で、中2の少年が
体育倉庫から持ってきた石灰と魚のはらわたを床下に埋めて塩硝土を作り
それで手製の火縄銃をこさえて、親父を射殺するってエピソードがあった
646世界@名無史さん:2006/02/23(木) 11:31:43 0
>>643
ヨーロッパでは古い建物の外壁から「生えてきた」らしい。
それで戦争が激化すると民衆の家をぶっ壊して調達したとか・・・
647世界@名無史さん:2006/02/23(木) 12:47:16 0
人糞から採れるのも有名だよね。
欧州の農村では硝石作りを副業にして収入を得ていたところもあったそうだし。
648世界@名無史さん:2006/02/23(木) 13:58:35 0
カルロ・チポラによると
ヨーロッパでは14世紀ぐらいまで輸入+古い家に生えてきたのを回収。
そのうち「醸造所」を作って農民がウンコ混ぜ混ぜ。(国家が統制したらしいが)
14世紀以降は火薬の値段は急激に安くなっていったそうだ(byBSホール)
649世界@名無史さん:2006/02/23(木) 14:44:12 0
日本でも五箇山の塩硝づくりが有名だね。

ttp://www.river-museum.jp/tokuten/2003_hanabi/hanabi2.htm
650世界@名無史さん:2006/02/23(木) 15:06:21 0
日本だと江戸時代までは輸入だっけ。
651世界@名無史さん:2006/02/23(木) 19:56:58 0
106 名前: Krt 投稿日: 01/12/17 16:19

>>95
ヨーロッパ諸国がどうやって硝石(硝酸カリウム)を調達していたか、という問題だが、
近世までの最大の輸入元はインドである。もともと歴史的に天然硝石の大産地として
知られるのは中国で、アラビアでは硝石のことを「中国の雪、中国の塩」と呼んでいた
程なのだが、この中国産硝石はヨーロッパにはあまり入ってこなかったらしい。
 そのほかにも、イタリア低地、イベリア半島などで多少の産出が見られたようだが、
近世ではインドのベンガル産のものが圧倒的だったようである。なおチリの硝石は
ソーダ硝石が主成分で硝酸カリウムは少なく、前者には潮解性があるため、十八世紀末
時点の技術では火薬用としては使えず、もっぱら硝酸などの製造に用いられたらしい。

ただインドからの輸入は当初極めて不安定であり、十四世紀から十八世紀にかけて欧州で
使用された硝石のかなりの部分は伝統的な人工合成技術によって得られたものだった。
それは有機物を腐敗させ、それによって得られた亜硝酸が酸化して出来た硝酸を石灰土中の
炭酸カルシウムと化合させて土類硝石(硝酸カルシウム)を造り、それに植物アルカリ中の
炭酸カリウムを加えることで硝石(硝酸カリウム)を作る、という方法で、有機物から
この反応を利用して硝石を作るのは日本を含む世界各地で行われた一般的なやり方である。
652世界@名無史さん:2006/02/23(木) 19:58:07 0
ただ、伝統的なヨーロッパにおける硝石製造法の特色は、人畜の屎尿から生じた土類硝石
ばかりではなく、この地の気候風土ゆえか風化した壁の表面などによく生じる「壁塩」と
呼ばれる、土類硝石を利用した点にあった。だがその利用には壁の外皮を剥がす必要がある。
それゆえ領主は戦争で硝石が必要になると個人の家の壁を破壊し外皮を徴発する行為に及び、
やがてこの、領内に存在する、あるいは生じた全ての硝石を採取・利用する権利は「硝石権」
と呼ばれる悪名高い領主権として十五世紀初めから十六世紀にかけて確立していくのである。
だがこの個人の家を破壊しかねない権利はあまりに領民を苦しめたため、やがて領主と領民
との間で妥協が計られたが、その条件は領民が「壁塩」採取専用の壁を作り、しかもそれを
「壁塩」が生じるまで維持する義務を持つ、という過酷なものだったという。この権利が
ドイツ各地で正式に廃止されていったのはなんと十八世紀も末の事だそうである。

参考:ヨハン・ベックマン「西洋事物起源」岩波文庫第四巻
653世界@名無史さん:2006/02/23(木) 21:57:49 0
みなさん、よくご存じで。

古家の外壁を削るなどはわかるのですが、
人糞や鳥糞から、どうやって硝石を取り出したんですかね?
醸造方法?
654世界@名無史さん:2006/02/23(木) 22:00:26 0
>>642
手元の本(「武器と防具 中国編」 篠田耕一著 新紀元社刊)によれば、

鳥銃を大型化したもので銃身は二倍以上。
射撃時には三脚の銃架を使用する。
威力や射程が通常の鳥銃よりも優れ、大砲よりも機動が簡便なので清軍で好んで使用された。
日清戦争でも使用された。

とのこと。
655世界@名無史さん:2006/02/23(木) 22:49:28 0
人糞や鳥糞が土中最近の作用で硝石になる。
コウモリの巣になってる洞窟なんかでも分厚く硝石が堆積したりしている。
656世界@名無史さん:2006/02/23(木) 23:18:41 0
抬槍
ttp://www.beiyang.org/bybq/taiqiang.htm

別に人の肩を銃架にしなくてもいいと思うんだけどw
657世界@名無史さん:2006/02/25(土) 12:02:36 0
↑銃身に手ぬぐいをひっかけて押さえつつ、肩に乗せて踏ん張るおじさん。
ちょっと顔が怖いですw

主に城塞攻撃/防御に使用されたようですが、英軍を脱走して太平天国軍に加わったリンドレーは、著作の中で太平天国軍の主力火砲が この抬槍(ジンゴール砲)だったと記しています。

尚、一番上の写真は20世紀初頭に作られたモーゼル系コピーの抬槍ですね。
ボルト分解用の金具が特大サイズでストックに付いてます。
658世界@名無史さん:2006/02/25(土) 12:58:25 0
>>「壁塩」と 呼ばれる、土類硝石を利用した点にあった。

どなたか、もう少し詳しく。
メモメモ
659世界@名無史さん:2006/02/26(日) 15:39:28 0
確か欧州では気候のせいで、動物小屋や便所に面した壁にしみこんだ硝酸塩分が結晶化して浮き上がってくることがあった。
それを使ったということではないの?
ただそれは吸湿性の高い硝酸ナトリウムが主成分なので実は余り火薬には適していなかったと言う説もある。
あと衛生状態が劇的に改善された19世紀以降は、壁にそういう成分がしみこむことも無くなったので、壁塩も取れなくなったとか。
660世界@名無史さん:2006/02/26(日) 22:51:46 0
消防の頃堆肥(馬糞)から火薬精製してみたんだが、凄い臭いのな。
結局素人がつくるなら硫黄の量を気持ち多めにした方がつきがいい。
日本の湿気が強いせいかもしれないけど。

経験論から言わせてもらうと火薬を作るのは総じて簡単なんだけど、
爆弾や銃を作るとなると安全装置が難しい。
信管や安全装置に関わる工業技術の進歩が火器の発達のキモだったんではと思う。
661世界@名無史さん:2006/03/01(水) 16:45:23 0
消防=黒色火薬
厨房=ピクリン酸
工房=ペントリット
662世界@名無史さん:2006/03/01(水) 17:35:41 0
今では立派な左翼ゲリラ
663世界@名無史さん:2006/03/05(日) 11:20:35 0
>>659
白川郷モナー
664世界@名無史さん:2006/03/05(日) 15:13:16 0
>>660

西原理恵子の漫画(どの作品かは忘れましたが)にも、元活動家の話として、
「火薬は割合簡単に作れるけれど信管は難しいから(工事現場からパクる等して)、
 絶対自作しちゃいけません。私の仲間が一人作ろうとしてあぼーんしました…云々」
ってのがありましたね。
665世界@名無史さん:2006/03/05(日) 20:02:33 0
信管の種類にもよるが、導火線式/電気着火式の物は簡単だし安全に作れる。
触発式の物は現代でも結構難しい。
リスクを抑えるには散弾銃用の薬莢と雷管を改造して用いるのが安全だ。
尚、安全性の高い近代火薬に着火させるのは至難の業。
まっとうな信管が入手出来ない場合には黒色火薬と近代火薬を混ぜた二次信管を使う。
666世界@名無史さん:2006/03/06(月) 15:48:04 0
>黒色火薬と近代火薬を混ぜた二次信管
とても爆死しやすそうでたのしいです。
667世界@名無史さん:2006/03/06(月) 21:24:04 0
黒色火薬と近代火薬が供に顆粒状であればかなり安全だ。
668世界@名無史さん:2006/03/06(月) 22:23:52 0
>>665 >>667
記述は正しいのだが、いったいどこでそんな知識を、、、
669世界@名無史さん:2006/03/07(火) 11:59:41 0
このスレは公安の監視対象になりますた。
670世界@名無史さん:2006/03/07(火) 23:16:45 0
   | |  | | ヽ.  i   /   >、
    | |  | | \  |     /- ¬
    | |  | |≧xト、iy'_,∠二 ̄  |
    | |  | |    ̄    `"ヾ⌒i.}
    | |  | |_ ヽ..__      ト、 :!
    | |  | | ヽ.   厶-¬、 トIV
    | |  | ト、__,ノ {    _ }lリ、
    | |  | Lノjト、=ィikf⌒厂 i/イ|
    | |  | | ,'i´  iヽ.二   V/
    | |  | | :i l.  }     /,/           __r 、  少佐ぁ
    | |  | | ヾニ.rノ     :,' /            / `Yヽ 配置についたぞ。いつでも、
    | |  | |,. - ー- 、 }  ノ {_           /   :/  〉>>665を撃てるぜ。
    | |  | ト、ヽ=-、     j \          /   :/  /
    | |  | | \ _ _   , イ〉   !       /  _,/  /   
    | |  | |   ヽ__ ,/://    L._     /ーr' /  :!
    | |  | |     ∨::://     |\  _,/ / /   /
    | |  | ト、    ∨人   ,       `//=彳/   /
    | |  | |、 \   \ \_{      //  /   :/⌒i
    | |  | | ヽ      ヽ. ト{     //  /  /`ー/_
    | |  | |   ヽ      }人i   〈/  /   /   /{   Yー┐
    | |  | |     \ |   | ヽ.   \ / /    '´  ,人_,丿

671世界@名無史さん:2006/03/08(水) 20:03:28 0
      ,:::-、       __
      ,,r::::::::::::〈:::::::::)    ィ::::::ヽ
      〃::::::::::::;r‐''´:::::::::::::::::::::ヽ::ノ
    ,'::;'::::::::::::::/::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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    ';::::::::::::ト、::::::::::::::i^i::::::::::::/
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          ;' ':;,,     ,;'':;,
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        ,:'           : :、
       ,:' \  ,,. 、./  ノ( ::::::::', 喪前にはこんな可愛い
       :'  ●     ● ⌒   :::::i. >>665が撃てるのか!
       i  ''' (_人_) '''' *   :::::i  
        :    {+ + +}      :::::i
       `:,、   ̄ ̄      ::::::::: /
        ,:'        : ::::::::::::`:、
        ,:'         : : ::::::::::`:、
672世界@名無史さん:2006/03/10(金) 01:16:32 0
公安部の監視下におかれてからレスが減ったな。
さすが9課だ。
673世界@名無史さん:2006/03/13(月) 21:10:37 0
前装式の小銃って不発したら、分解しないとダメなんでしょうか?
ふと気になって眠れなくなりました。
674世界@名無史さん:2006/03/13(月) 21:24:57 0
前装式の小銃で不発が出たら、ストックから銃身を外して尾栓をキュルキュルと回し、火薬を抜いてからサク条を使って弾を後ろに抜かないといけない。
実戦で不発になったら超大変な思いをする。
675世界@名無史さん:2006/03/17(金) 17:21:56 0
中国やイスラム圏の火器について集中的に扱った本ってないですかね?

日本語の文献だと「武器と防具 中国編」なんかはかなり参考になる本だけど
676世界@名無史さん:2006/03/17(金) 17:37:20 0
もう一回火皿に装薬して撃つってことはしないのかね
677世界@名無史さん:2006/03/17(金) 18:42:40 0
678675:2006/03/17(金) 20:30:44 0
>>677
以前メンアットアームズで元・明の軍隊を扱ったのを買ってみましたが、イラストが酷かった・・・
オスプレイの東アジア関係だとスティーブン・ターンブルが結構いいのを書いてますね。
679世界@名無史さん:2006/03/17(金) 21:21:27 0
「オスマン・トルコの軍隊―1300‐1774大帝国の興亡」もってます、
イラストはすばらしいと感じました。
イスラム圏のマスケット銃はスマートで美しい、模造銃でいいから部屋に飾りたいです。
680675:2006/03/17(金) 22:16:02 0
Firearms of the Islamic Worldって本があるけどすごい値段
681世界@名無史さん:2006/03/17(金) 22:18:51 0
アマゾンで¥10,582 orz
682世界@名無史さん:2006/03/18(土) 07:34:56 0
>>676 一回位は試す価値はあるが、火薬が湿気ていた場合には期待薄。
戦場でなら即効で他の死んだ兵士の銃に取り替えるか、すごすごと後退して部品をなくさないよう気をつけながら面倒な作業をしないといけない。
英軍とベンガル土候軍の戦いでは、戦いの直前にベンガル側に雨が降り 湿気た火薬のためにベンガル側が敗れたそうな...
当時の戦場では、火薬の湿気が兵士の命どころか一国の運命まで左右し兼ねない要素だった。
683世界@名無史さん:2006/03/18(土) 11:52:11 0
戦国期の日本でも気象予報士の軍師が重要な位置付けであったのはそのためか
684世界@名無史さん:2006/03/18(土) 15:39:46 0
>>679
以前、上野の東京都立美術館で行われていた『トルコ展』で、
金やダイヤモンドで装飾されたオスマン帝国のマスケット銃を見たよ。
685世界@名無史さん:2006/03/18(土) 16:08:58 0
高校自体、生物が好きだったので球根栽培法を知りたいと教師にいったら
ぶん殴られた。
686世界@名無史さん:2006/03/18(土) 16:26:54 0
それは教師自身巳に覚えがあるのか、それとも保守的な先生だったのかによってニュアンスが変わってくるなw
687世界@名無史さん:2006/03/19(日) 16:02:01 0
“球根栽培法”ってそんなにヤバイ事なのか?w
688世界@名無史さん:2006/03/19(日) 16:59:16 0
かなり赤いな
689世界@名無史さん:2006/03/19(日) 17:52:49 0
>>683 長篠の戦いの直前に一雨振ってれば、武田軍惨敗という結果にはならなかったかもしれない。
690世界@名無史さん:2006/03/25(土) 19:13:43 0
どこがヤイバなんだろ興味深々
691世界@名無史さん:2006/03/25(土) 22:11:38 0
腹々時計
692世界@名無史さん:2006/03/26(日) 10:01:28 0
軍事路線を採った1950年代の日本共産党が「球根栽培法」や「栄養分析表」といった偽装書名で発行していた武装闘争マニュアル。
内容は稚拙で役に立たないので参考にしない方が身のためだw

尚、国松警察庁長官を狙撃したとの噂がある“リアルゴルゴ爺さん”こと中村泰は当時の日共武装要員のひとり。
東大大学院在学中に爆薬原料を盗み出し、警官を射殺して服役、出所後に父親の遺産と商品先物相場で稼ぎながら、いろいろとやっていた。
693世界@名無史さん:2006/03/28(火) 13:00:16 0
良スレ
694世界@名無史さん:2006/03/30(木) 16:00:22 0
Mons Meg 15世紀半ば 錬鉄制の巨砲
(全長4,5M 重量7t 250Kgの巨大な石弾を2500m飛ばした)
の後に続く15世紀〜16世紀の有名な大砲を教えてください。
もしできましたら、URLを貼って頂けると感謝です。

695世界@名無史さん:2006/03/30(木) 17:22:23 0
>>561のツァーリ・プーシカは15世紀後半だね。
696694:2006/03/31(金) 18:33:19 0
小型の火砲が登場したのは何世紀頃でしょうか?

697世界@名無史さん:2006/03/31(金) 19:37:44 0
15世紀には結構普及してたと思うが・・・
698世界@名無史さん:2006/03/31(金) 19:48:06 0
戦国時代や同時代の世界の小銃はかなりの高技術だったのだとつくづく思う。
現代の日本における爆弾事件は以前に比べかなり減っているとはいえ年に10件は少なくともあるし、その中で重要なのは使用された爆発物の9割9分がアマチュアによる手製であるということ。
(警察による通達によるマスコミの自主検閲により新聞で紹介される事はない、それは確実に模倣犯が出るからである。)
それに対し銃器を使用した事件は暴力団を中心に爆弾事件に比べはるかに多いが自作銃器を使用したという話は一度も聞いたことがない。
非暴力団のアマチュア兵器製造家が銃器を作っり使用した犯罪もあるにはあるがそれはたいてい水道管を改造したような最悪1メートル以内でしか命中しない、それでも殺傷能力がないという最悪の代物だ。
暴力団が使用する銃器は全部が密輸品であってどこかの国の兵器工廠かフィリッピンあたりの村ぐるみの密造工場であろう(政府も黙認している、つまりフィリッピンとは国家が銃器の輸出を黙認、すなわちは奨励していることでありとんでもない国家だと思う。)
699世界@名無史さん:2006/03/31(金) 19:48:58 0
爆弾は擲弾兵全盛時代には大いに活躍した。
なぜなら当時の前装式の各種小銃と比べはるかに取り扱いが容易だったからで、例えば小銃は装填にものすごい手間がかかる上に戦場では種々の要件が絡まって遥かに難しくなる。
ひるがえって爆弾は元々の製造が非常に容易で装填という概念がないので白兵戦では大きな威力を発揮する。(爆弾は空き缶と火薬か爆薬と火種があれば完成する。日露戦でも缶詰を使用した黒色火薬爆弾が製造されたことは有名だ。)
着発式爆弾の話題があったが、これは今でも製造が容易ではない。
米軍では40ミリグレネードランチャーに時限信管を利用してコンクリート壁などに隠れた敵のちょうど頭上で爆発するようなものを作っているが現代の技術ではうまくはいっていない。
手榴弾だが、それも上に同じく細かな技術が必要で危険なので実用化はされていない、特殊な訓練を受けた部隊は使用していそうではあるが。
現代の榴弾砲は着発式だが、それは大容量爆弾だと「あいまいさ」が許されるから、着発式といっても第一次世界大戦のような地面にめりこんだ後爆発なんてものは減ってきており(少なくとも米軍では)
信管とレーダーの組み合わせで敵の頭上で爆発し大被害を与えるもの、有名なものでは第二次世界大戦で活躍した米軍のVT信管であろう、これは砲弾にレーダーを組み込み敵機に反応すると自動的に爆発するもので、今までのように直接命中させる手間がはぶけました。
大型の砲弾だったのでレーダーの搭載ができたのですが当時の技術でも難しかったようです。
ちなみに爆弾が地面にめりこんでしまっては威力が下がってしまう理由はおわかりになるはずです。
700世界@名無史さん:2006/03/31(金) 20:20:31 0
>>699
VT信管の前でも「直接」命中させてたわけじゃないよ。
何の為の時限信管と破片効果なのさ。
701世界@名無史さん:2006/03/31(金) 21:14:49 0
>政府も黙認している、つまりフィリッピンとは国家が銃器の輸出を
>黙認、すなわちは奨励していることでありとんでもない国家だと思う。
笑えた
702世界@名無史さん:2006/03/31(金) 21:36:06 0
>15世紀には結構普及してたと思うが・・・

15世紀に普及した、小型や中型の火砲を教えてください。
703世界@名無史さん:2006/03/31(金) 22:47:44 0
いわゆる火縄銃が普及するのは15世紀後半。
火薬の硫化技術が十五世紀の始めに西洋で行われ始め、その流れで火薬の粒をそろえられるようになったから。
それまでの粉上の火薬では爆発力が小さいので、そもそも銃に使えない(使ってもまともに弾が飛ばない)
あと、いわゆる引き金式点火装置が発明されたのが十五世紀中庸。
それまでは点火口に直接火縄や焼けた針金を突っ込んでいた。ただし初期はバネはついていなかった。

ちなみに十五世紀末のイタリアにおける大砲・銃の分類(フランチェスコ・ディ・ジョルジョの著作による)
名前(全長/砲弾の重さ)
・ボンバルダ(5-6.5m/10kg)
・モルターロ(1.6-2m/60-100kg)*曲射弾道
・コムーネあるいはメッツァーナ(3m/16kg)
・コルターナ(4m/20-30kg)
・パッサヴォランテ(6m/5kg)*金属砲弾使用
・バザリスコ(7-8m/1.6kg)*金属砲弾使用
・チェルボッターナ(2.5-3m/200g-1kg)*鉛弾使用
・アルコ・ブソ(1-1.1m/150g)
・スコピエッティ(1m-60cm/8-24g)*いわゆる火縄銃
704世界@名無史さん:2006/03/31(金) 23:05:08 0
>>703
貴重なご説明、有り難うございました。
自分が思っていたよりも多くの種類が15世紀の段階で作られていたことに驚きです。
やはり火薬がキーワードのようですね。
705黒羊 ◆N7qmqkEULs :2006/03/31(金) 23:12:37 0
小火器の登場は10世紀頃の中国です。
当時は火槍と呼ばれていました。
火槍はシルクロードを経由してイスラムやヨーロッパに伝播しました。
パリのギメ博物館が所蔵する敦煌千仏洞の旗には筒状の火器が描かれています。
この筒状火器はイスラムのマドファ、ヨーロッパのハンドカノンと同じ形状のものです。
なお、明代洪武年間の手銃と同系統のもの。
(映画もののけ姫で登場した石火矢を想像して下さい。)
(琉球使節が発砲したものや応仁の乱で使用されたものも同系でしょうか?)
14世紀末に現ドイツで火挟みと引金が一体のS状金具を備えたサーペンタインと呼ばれる火縄銃の原型が登場します。
706世界@名無史さん:2006/03/31(金) 23:38:50 0
>>705
10世紀の火槍とは、13世紀のモンゴル軍が使用する突火槍とは同じものですかね?
13世紀以前の中国の火器がちょっとわかりません。
ttp://www.mnc.toho-u.ac.jp/v-lab/combustion/comb01/basic01.html

こっちは別な話ですが、
同時期に使われていた火炎放射器”猛火油櫃(モウカユキ)”などを見ると、
逆にビザンツ(”ギリシア火”)から中国に渡ったようにも思えてしまふ。
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~yoichqge/roc/history.html
707世界@名無史さん:2006/03/32(土) 00:08:48 0
有効的な武器として火器が利用されたのは、西洋も東洋も13世紀頃でFA?
708世界@名無史さん:2006/03/32(土) 00:20:04 0
東洋は知らんが、西洋で13世紀ってことはないだろう。
初めて火器の図が載ったミリミート写本が14世紀だぞ。
そのころはまだリボードカンつって、オルガン砲みたいな、車両の上に砲身を多数取り付けたものが主流。
音で軍馬を脅かすぐらいの威力しかなかった(といっても音の効果は馬鹿にしたものでもなかったようだが)。


レコンキスタでキリスト教軍がムスリムの要塞を火器で攻撃し始めたのが15世紀に入ってから。
フス戦争で、フス派が車両要塞と火器、石弓などの組み合わせで騎士軍に勝利したのも15世紀初頭。
攻城戦で広く使われ始めたのが、百年戦争のアザンクールの戦い以降(1415年)。
709世界@名無史さん:2006/03/32(土) 07:36:20 0
“琉球使節が発砲したものや応仁の乱で使用されたもの”

これってたまに聞くけど、何か資料とか残ってるの?
710世界@名無史さん:2006/03/32(土) 08:20:27 0
火薬の配合が悪く、威力が弱くなるので巨砲にしたといいう話しを何かで読んだけど、

15世紀の小型の火砲の威力は、大丈夫だったのかな?
711世界@名無史さん:2006/03/32(土) 08:30:30 0
少なくとも同サイズの石弓やカタパルトで同じ威力は出せないからねw
712世界@名無史さん:2006/03/32(土) 09:04:02 0
小型、中型の火砲と投石機の威力の差は、微妙な希ガス。

大型投石機 トレビュシェット 辺りだったら互角以上かもしれぬ。

100年戦争頃まで、火砲と投石機を併用していたようだし。
713世界@名無史さん:2006/03/32(土) 12:59:48 0
14世紀後半以前の火砲って寿命が短かったそうだから
投石器の方が信頼感があったのかも。
いつ頃の物かは判らんけど、フランキ砲も10発ぐらいでひび入ったり破裂したそうな。
714世界@名無史さん:2006/03/32(土) 13:44:38 0
>>710
15世紀には欧州ではその辺は既に改良済み。
配合値が悪かったのは硝石が輸入だったころで、
15世紀の終わりには既に現在の工業用黒色火薬に近い配合比が発見されてる。
例えばマルクス・グラエクスの「火の書」では66-75パーセントの硝酸比が推奨された。
十六世紀にはいるとこの値はもっと高まる。(ちなみに比較的低比率な火薬はロケットなどに使った模様)
また、硫化技術も火薬の性能向上に一役買っている。

問題は砲身の強度で、どんな大きさの火器であれ、砲弾重量の15パーセントを超えることはなかった。
>>703のフランチェスコ・ディ・ジョルジョの本でも、この「15パーセント」は守られている。
これを超えると砲身が破裂する可能性が高いことも経験的に知られていた。
小火器の問題は火薬の絶対量が少ないことだが、発射間隔の大きい巨砲の隙を埋めるために用いられた。
715世界@名無史さん:2006/03/32(土) 14:04:55 0
鉄だと信頼できる砲を作るのが難しかったから一時期青銅砲が主流になったんだよな
716世界@名無史さん:2006/03/32(土) 14:53:29 0
>>714
しまったミス。
×問題は砲身の強度で、どんな大きさの火器であれ、砲弾重量の15パーセントを超えることはなかった。
○問題は砲身の強度で、どんな大きさの火器であれ、火薬の装填量は砲弾重量の15パーセントを超えることはなかった。

意味不明スマン
717世界@名無史さん:2006/03/32(土) 15:57:05 0
このスレでもガイシュツだけど、黒色火薬は暴発の危険性も大きいから怖い。
よほどの威力の違いがない限り、信頼性が高い投石器を使いたがるはず。
718世界@名無史さん:2006/03/32(土) 17:18:11 0
威力が高いから火器が云々、信頼性があるから投石器が云々、性能が優れているからこちらの武器が云々
というのは論としておかしい。進歩史観もいいところだ。
西洋中世〜近世の軍事指揮官にそんな選択肢は無い。
その時手に入る武器で武装するしかないし、武装と社会身分が密接に結びついてる世界で武装は「性能」で選択されない。

例えば大工に投石器以外の武器を扱わせることは不可能だし、逆に鋳造師に大砲以外の武器を扱わせることも不可能。
市民の義勇兵からなる石弓隊は習慣法と伝統に従ってその武器(石弓)を使っているのであって、
威力があるからといってアルケブスやマスケットに乗り換えたりしない。

PCゲームと違って騎士がレベルアップして竜騎兵になったり、投石器部隊が進化して砲兵になったわけじゃない。
719世界@名無史さん:2006/03/32(土) 17:32:41 0
>>718
はぁ?
720世界@名無史さん:2006/03/32(土) 18:23:30 0
何に反論してるのかさっぱりわからん
721世界@名無史さん:2006/03/32(土) 18:49:55 0
進歩史観言いたかっただけとちゃうんか
722世界@名無史さん:2006/03/32(土) 19:00:06 0
大腿骨が進化して宇宙船になったと、キューブリックが言ってたぞ。
723世界@名無史さん:2006/03/32(土) 20:03:47 0
あれはモノリス史観だな
724世界@名無史さん:2006/03/32(土) 20:44:15 0
最近は、チョコレートを崇めてるそうな
725世界@名無史さん:2006/03/32(土) 21:44:54 0
15世紀頃だと、大砲の数は極端に少なかったんじゃないかな?

>>715
にも書いてあるけど、確か青銅砲にした理由の一つは生産が錬鉄よりも容易だったからだと本で読んだ。
726世界@名無史さん:2006/03/32(土) 21:46:42 0
せっかくだから15世紀で統一して、
錬鉄製大砲(だよね)の値段ってどれくがらいしたんですか?

あまりにも値段が高くて殆ど手が出せなかったはず。
大砲一門一門に名前まで付けて可愛がっていたくらいだから。
727世界@名無史さん:2006/03/32(土) 21:48:33 0
>>718
要約すると、
威力や性能によって、道具や武器を選択する余裕などないという
ことかな。
728世界@名無史さん:2006/03/32(土) 21:59:06 0
てか、15世紀の大砲ってどうやって作ったんだろう…。
小型なら板金鎧をつくる技術を応用して熱した鉄を延ばして加工したり
鉄板を何重にもする工夫で製造が可能かもしれないが、
コンスタンティノープルを攻撃した巨砲は、製造方法がわからない。
鋳型に溶かして固めるような技術が、15世紀の段階で既にあったのでしょうか?
729世界@名無史さん:2006/03/32(土) 22:22:10 0
マクニール『戦争の世界史』によると
最初期の巨大な大砲は鍛鉄の棒を何本も巻きつけ、溶接して作られた。
しかしこの方法だと破裂しやすかったので、別の方法がとられるようになった。
鐘の製造などで鋳造の技術が十分に発達していたので、鋳造がメインになった。
ただし鋳鉄では不良品が多数出たので、青銅砲が主になった。

という感じ。
ウルバンの巨砲は鋳造の青銅砲だろうね。
運搬するより現場に鋳造のための施設を作るほうが楽ってのもすごいよな。

ちなみに鋳鉄で大砲が作れるようになると、コストは12分の1にまで下がったそうな。
730世界@名無史さん:2006/04/02(日) 08:57:24 0
鋳造技術自体は数千年前から存在したが、14世紀頃まで素材は銅系合金に限定されていて、鋼鉄を成型する技術は鍛造に限定されていた。

14世紀頃からコークス炉によって鋳鉄製品が製造されるようになるが、鋳鉄は脆くて大砲の素材には向いていなかった。

鋳鉄は炭素含有量が多いので、理想的な状況の金属組織でも内部に黒鉛結晶が出来てしまっている。
また、融点が高いので砂型鋳造で作るしか方法が無かったのだが、高温の鉄と砂型に含まれる水分が触れて内部に気泡が出来てしまう事が多い。
このため火薬の爆発で生じる応力に耐え切れずに割れてしまいやすい。

その後、産業革命前半の工作機械の出現と後半の近代製鉄法確立によって均質な鋳鋼素材を機械加工できるようになったが、ここまで600年近く青銅砲の時代が続いた。

尚、現場で巨大な青銅砲を鋳造する方式は、運搬するよりもはるかに簡単だった。
敵国住民から奪った銅製品(当時は金銀に次ぐ決済金属だった)を山と積んで、地面を掘った鋳型に流し込むだけで出来上がる。
731世界@名無史さん:2006/04/02(日) 10:22:12 0
>運搬するよりもはるかに簡単だった。
ナポレオンがアルプス越えのために、アルミで大砲を作ろうとして挫折した
という話があった。
732世界@名無史さん:2006/04/02(日) 11:12:15 0
金属としてのアルミの存在が発見されたのは19世紀に入ってからでアルプス越えの数年後。
しかも分離に成功したのは1825年になってからで、貴金属並みに高価な金属だった。

アルミマニアで有名だったのはナポレオン三世だが、騎兵の甲冑用に用いるにはアルミは高価過ぎかつ弱かった。

その後、20世紀に入って電力普及と共に電気分解法によるアルミの価格は劇的に下がり、薬莢軽量化のためにアルミ利用が試行される中で強化アルミ合金たるジュラルミンが発明される。
薬莢への利用は実現しなかったが、ジュラルミンの出現は航空機を発達させる大きな役目を果たした。
733世界@名無史さん:2006/04/02(日) 11:50:32 0
みなさんよくご存じで。勉強になります。
734世界@名無史さん:2006/04/02(日) 18:51:45 0
文化史ならともかく軍事史は進歩史観にならざるをえないと思うのだが。
弱ければ淘汰されるわけだから、まさにダーウィニズムそのままの世界だろう。
735世界@名無史さん:2006/04/02(日) 18:57:22 0
ダーウィニズムが登場したのも、正に強者(産業革命達成組)が弱者(未達成組)を喰らうという帝国主義時代だった。
少なくとも、人類史の中の不可逆分岐点のひとつが産業革命だったのは確かだ。
736世界@名無史さん:2006/04/02(日) 19:19:29 0
737世界@名無史さん:2006/04/02(日) 20:56:02 0
>>730
鋳鉄砲と青銅砲の生産量は17世紀に逆転したんじゃなかったか?
それを青銅砲の時代といっていいものかどうか。
738世界@名無史さん:2006/04/03(月) 00:34:23 0
14世紀におけるヨーロッパの火砲について実はよくわかっていません。
と申しますのはこの頃の史料がほとんどないからです。
今日確認できるものはミルメート写本とタンネンベルク銃だけです。
しかしながら、いずれも信憑性が低いように(私は)思います。
ミルメート写本は1326年にウォルター・ド・ミルメートが書き写したとされます。
この写本をして火砲が普及した根拠とする見解には異論があります。
ミルメート写本はイギリスのクライストチャーチ文庫が所蔵しています。
唯一の遺物であるタンネンベルク銃はタンネンベルク城跡から1869年に発見されました。
この城は1399年に廃墟化したためにそれ以前に製造された遺物とされています。
739世界@名無史さん:2006/04/20(木) 20:52:00 0
age
740黒羊 ◆N7qmqkEULs :2006/04/20(木) 22:21:35 0
>>709
「蔭凉軒日録」が出典です。
741山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/04/21(金) 20:15:13 0
>>709
>>75-77
を御覧下さい。応永の例は今の所確認出来ません。
『応永記』かと思ったのですが、ざっと見た限りでは出て来ませんでした。
742世界@名無史さん:2006/04/22(土) 04:48:24 0
“火槍”は現在の中国語でも銃器を示す言葉になってますな。

火薬自体は元寇の時点で渡来したと考えて良いでしょう。
楠正成も篭城戦で“てつはう”らしきものを使用してますし、粗製硝石の製法もこの頃には伝わっていたと思われます。

ポルトガル人による鉄砲伝来とは、種子島での国産鉄砲製造技術の伝来/確立→堺への再伝来の過程と言うべきでしょう。
743世界@名無史さん:2006/04/24(月) 16:45:46 0
>742
まあ、日本に火薬やそれらの思想が全く無かったのなら、簡単に技術移転や積極的な使用の原動力にはならなかった
かもな。丁度、戦国時代だったというのもあるけど。
744世界@名無史さん:2006/04/24(月) 20:08:15 0
フリントロック銃は美しい
745世界@名無史さん:2006/04/24(月) 20:22:55 0
>>744
そうですか?
ホイールロックの方が私は好きです。
746世界@名無史さん:2006/04/24(月) 23:30:09 0
いや、やはり日本のマッチロックの優美さには敵わないと思うな。種子島だよ種子島。
747世界@名無史さん:2006/04/25(火) 00:38:56 0
これだから若いモンは!
わしがまだ若かった頃は、黒曜石の鏃が一番だったんじゃ!
748世界@名無史さん:2006/04/25(火) 17:43:20 0
>747
ご老体、お話しは良く判るんですが、ここは銃・火砲のスレなんですが?
弓矢の話しは専用のスレにてお願い致します。
749世界@名無史さん:2006/04/25(火) 19:42:33 0
ミルメート写本のように火砲で矢を撃ち出すんだよ
750世界@名無史さん:2006/05/07(日) 12:56:07 0
751世界@名無史さん:2006/05/10(水) 02:26:43 0
フリントロックピストルチュキチュキ
752世界@名無史さん:2006/05/10(水) 05:54:00 0
元寇
753世界@名無史さん:2006/05/16(火) 08:53:39 0
「戦国時代の日本の銃保有率は世界最大」というのは
もともと誰の主張なんですか?
当時の普及率について論文などがあるなら読んでみたい。
754山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/05/16(火) 20:29:56 0
『鉄砲を捨てた日本人』あたりからではありませんか。
元々、あの本は別に日本史の研究家ではない銃規制賛成派の著者が、「戦国
時代には銃大国であった日本は、江戸時代には鉄砲を放棄したが、それでも
発展は止まらなかった。銃無しでも国は繁栄する」と言いたいが為に書いた
もの。その為、必要以上に日本を持ち上げています。
要するに目的があって戦国時代の日本の強さを強調していた訳ですが、これ
が戦国好き(戦国史好きではない)と自称愛国者の心を捕えてしまった。

戦国〜江戸期の日本全国津々浦々に存在した鉄砲の数が相当なものであった
事自体は事実でしょうが、それよりも戦国日本最強厨を出した罪が重い。
なお、実際には『鉄砲を捨てた日本人』に書かれていた事とは異なり、江戸期
に入ってからも狩猟目的で全国に相当数の鉄砲が存在していたというのが近
年の鉄砲史研究の示しているところです。
具体的に、他国と日本の鉄砲の数を比較して日本の保有率が最高と主張した
研究があったのでしょうか。兵数で欧州より、全体に対しての割合で明より
多いという事であっても、おかしくはありませんが。
(しかし、だから世界で強いという事にはならないのは勿論の事です)
755世界@名無史さん:2006/05/16(火) 23:45:04 0
ざっとググった限りでは、関ヶ原5万丁だとか大阪の役10万丁だとか国内30万丁だとか書かれてる。
756世界@名無史さん:2006/05/16(火) 23:48:52 0
ヨーロッパではそんなに鉄砲を作るだけの鉄があったら大砲に回す希ガス
757世界@名無史さん:2006/05/17(水) 00:55:33 0
日本刀は世界最強だよ。

日本刀はあまりつかっていなかったんだよ。

武田の騎馬隊世界最強

ポニーだし

日本は世界一鉄砲があったんだよ
758世界@名無史さん:2006/05/17(水) 02:20:29 0
日本刀は世界最強だよ。

日本刀はあまりつかっていなかったんだよ。

武田の騎馬隊世界最強

ポニーだし

日本は世界一鉄砲があったんだよ

>>5ソースは?

>>6そんなことも知らんのか低脳w

はい論破
759世界@名無史さん:2006/05/17(水) 07:24:11 0
>>758は、ロンパールームへ。
760世界@名無史さん:2006/05/17(水) 09:21:27 0
>>754
なるほど「鉄砲を捨てた日本人」ですか。
アメリカ人でもケネス・チェイスって人が批判してたなあ。
今度読んでみます。有難う!
761世界@名無史さん:2006/05/17(水) 14:16:09 O
はいはい山野、山野
762世界@名無史さん:2006/05/17(水) 16:56:53 0
いい加減何でもかんでも日本史に持っていくのはうんざり。
「世界史の中の日本」として見る限り、明確な住み分けが出来ないのは分かるが、
日本史の話をしたいだけの奴は日本史板でやって欲しい。
板違いでカラオケ大会をやりたい人間に何を言っても無駄か。
763世界@名無史さん:2006/05/17(水) 17:25:51 0
>756
ヨーロッパの場合は地勢的に侵食平野の上にあるから、日本のような山岳地形とは違って極めて高低差がない平坦な
地形だ。そんなヨーロッパだからこそ、大砲は発達できたのかも知れんな。

まあ、攻撃する現地で鋳造なんてことも往々にしてあったらしいがw
大砲は炸薬を中に詰めた砲弾が発明される(というか作れるようになるまで技術が進む)までは、大して効果的な兵器と
は言い難かったし。まあ、石を飛ばす昔ながらのカタパルトに毛が生えたようなものといったところか。

どちらにしても兵站分野に極めて重大な負担を強いる武器であることは確かだ。
歩兵が携行できる武器である鉄砲と、輜重部隊が苦労して移動させなければならない大砲の可搬性を考えるなら
日本の場合、鉄砲が重用されたのは至極当然の事だろう。

だからといって大砲が製造されていなかった、という訳でもないしね。
海の上(帆船搭載砲)では確かに技術的に見て、西欧に遅れていたといえるが。
764世界@名無史さん:2006/05/17(水) 18:45:22 0
いやヨーロッパは銃砲共に発達したんだが
日本の銃はどこから来たのか知ってる?
765世界@名無史さん:2006/05/17(水) 18:51:29 0
ウルバン砲も現地生産だよね
トルコが使ったけどあれもヨーロッパ製
766世界@名無史さん:2006/05/17(水) 19:20:47 0
日本には手持ちの砲があったよな。
767世界@名無史さん:2006/05/17(水) 20:15:45 0
古い中国の砲は石や矢を入れて飛ばしてたけど
そーいうのは日本にもあったのかな
768世界@名無史さん:2006/05/17(水) 20:21:50 0
秀吉の仏狼機はインドのゴア製だっけ
769世界@名無史さん:2006/05/17(水) 20:23:27 0
770世界@名無史さん:2006/05/17(水) 20:29:49 0
>>769
かっこいいな
771世界@名無史さん:2006/05/18(木) 16:13:42 0
カタパルトについてウィキペディアの説明がしょぼい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%88_(%E6%8A%95%E7%9F%B3%E6%A9%9F)

カタパルト式投石機についても結構面白い史実がありそーなもんだけど・・・
772世界@名無史さん:2006/05/19(金) 23:02:57 0
>>763 大砲は炸薬を中に詰めた砲弾が発明される(というか作れるようになるまで技術が進む)までは、大して効果的な兵器と
は言い難かったし

そんなことはない。ワーテルローの戦いでの死傷者の3割は砲撃によるもの。
時期にもよるが大砲がある方と無いほうでは大きな差が出る。
773世界@名無史さん:2006/05/19(金) 23:17:41 0
>>772
葡萄弾のおかげだな。
774世界@名無史さん:2006/05/19(金) 23:38:03 0
大砲がカタパルトに毛が生えた程度の兵器だったとしたら15〜16世紀に
要塞建築の転換が起きたことの説明がつかないんじゃなかろうか
775世界@名無史さん:2006/05/21(日) 00:56:03 0
J換算で比べるとよさそう。
776世界@名無史さん:2006/05/21(日) 04:16:48 0
射程の方が重要じゃないか?
777世界@名無史さん:2006/05/21(日) 06:02:43 0
大砲の性能が大したことがなかったから日本の城の構造は大きく
変化しなかった。
778世界@名無史さん:2006/05/21(日) 10:04:17 0
ヒストリーチャンネルでアラモの特集をやってた時に、18〜19世紀の一般的なカノンで石壁を破壊する実験をやっていた。

石壁は結構タフで、数門のカノンを城壁の近くまで前進させて、同じ部分に集中打を浴びせないと歩兵用の突破孔とするに充分な程の大きさまで破壊する事は出来なかった。

巨大カタパルトによる投石では桁違いに低い破壊力しか出せないし、集中させるのも難しいし、連射も効かない。

元軍が華中/華南の城郭攻撃や元寇で用いたカタパルト(回回砲)も、ギリシア火と同系の焼夷弾や“てつはう”のような対人用榴弾を、弓矢の射程外から城郭内に投擲するのが目的だったようだから、城郭外壁を直接破壊出来るようになったのは火砲の出現からと考えて良いだろう。
779世界@名無史さん:2006/05/21(日) 10:08:24 0
>>771 “マサダの戦い”はどうよ?

山頂の要塞に篭ったユダヤ兵を投降させるために、攻撃用スロープ建設に徴発された近隣のユダヤ人をカタパルトに乗っけて城壁に叩きつけ続けたやつ。
780世界@名無史さん:2006/05/21(日) 10:10:52 0
そもそも大砲は、
防御兵器
攻城兵器
野戦兵器
のどれよ
781世界@名無史さん:2006/05/21(日) 10:36:29 0
実用的な大砲が広まった当初は攻城用、その後野戦でも広く使われた。

防御用としては要塞砲や海防砲だが、これはどちらかというと積極的な防御と言うべきか?
782世界@名無史さん:2006/05/21(日) 11:00:20 0
城壁の破壊で一般に多用されたのは地雷戦術なのでは?
783世界@名無史さん:2006/05/21(日) 11:52:49 0
当時主流の黒色火薬では構造物の破壊には不十分な力しか出せない。
城壁が完全に無意味になるのは近代爆薬が登場してからの事。

鉄筋コンクリートで作られたトーチカですらTNT級の爆薬筒で破壊されてしまう。
(なにより内部の人間が爆圧で死んでしまう)
784世界@名無史さん:2006/05/21(日) 12:05:56 0
わざわざ頑丈な城壁を攻撃するよりは、
門を攻撃するだろうな。可能ならば。
785世界@名無史さん:2006/05/21(日) 12:13:39 0
火砲による遠隔城壁破壊が可能になるまで、人類は数千年に渡ってラム(破城槌)を用いていた。
この期間の攻城戦とは、いかにラムを城壁の際まで持って行くか、という命題を克服するために 土木技術を駆使するものだった。
(日本には秀吉のように城ごと水攻めにして城郭を無意味にしちゃう天才もいたw)

もっとも堅固な城壁を破壊せずとも、城内に多大の損害を与えて降伏を促すための焼夷弾や榴弾、トンネルを使った小部隊の侵入なども選択肢としてあった。
786世界@名無史さん:2006/05/21(日) 12:22:54 0
>>784 可能ならねw

殆どの城郭で城門は幾重にも渡る防御が施されているので、装甲兵器がなかった時代には接近するだけで即死を意味する。

また、城門から城内へ至る途には幾重もの防御装置が仕掛けられており、突入できても203高地の日本兵と同じ運命を辿るだけだった。

このため攻城側は篭城側の防御が手薄な部分を模索して突破口を開けるしか方法が無く、相当の準備と資源を要するために実行できる機会は限られていたので、数千年に渡って篭城は有効な戦術であり続けた。
787世界@名無史さん:2006/05/21(日) 15:27:09 0
>>778
コンスタンチノープルの城壁は、敵の大砲に対抗して大砲を城壁に設置して撃ったら
反動で崩れてくる程度の城壁の強度だったらしいが・・・
788世界@名無史さん:2006/05/21(日) 18:14:01 0
落日の東ローマ帝国の末路ですなw
既にイタリア人やアラブ人に地中海海上交易の多くを支配され、トルコ人に最後の止めを刺された...
http://www.k2.dion.ne.jp/~tactic/constan.html

イスタンブルには昔住んでた事があるが、あんな小さな街では火砲を使わなくてもカタパルトの攻撃だけでも篭城に耐えられない。
(なにしろ歩いて回ったら3時間位で一周できてしまうw)
しかも年間を通じて湿度が高いので、石造りの建物でもカビが吹いている事が多く、経年劣化の速度は欧州の城壁より速かっただろうと推定される。

尚、亜細亜側と欧州側を分かつボスフォラス海峡では全ての国の船舶の自由航行が認められているが、潜水艦は浮上して交戦状態にない事を示して通過する。
往時にはソ連の黒海艦隊が頻繁に海峡を通過しており、原潜の巨体が進んで行くのが良く見られた。

また住んでみたいと思う街ではあるが、ブルガリア/ロシア/アルメニア/ユダヤ/クルドと訳の分からん連中が数百年に渡って暗躍し続けている街でもあり、暗黒面も底知れず深い。
789世界@名無史さん:2006/05/21(日) 18:35:58 0
カタパルトの攻撃だけでコンスタンティノープルが落ちたことあったっけ?
790世界@名無史さん:2006/05/21(日) 18:48:18 0
ないよw
カタパルト時代のコンスタンティノープルは全盛期だったから城門の外側や海が主戦場だったし、何度かの落ちぶれ期や十字軍の攻撃時には篭城する事もなく開門している。
791世界@名無史さん:2006/05/21(日) 18:52:13 0
第4次十字軍のように手薄なところを高さを持って超えていくのが理想だな
792世界@名無史さん:2006/05/22(月) 09:46:15 0
このスレ最初から読んできたけど、綜合すると、
11〜12頃の中国では、銃または大砲の前身となるような兵器が利用されていた。
13世紀のアラブでも、そのような兵器が利用されていた。
14世紀の西欧でも、そのような兵器が利用されていた。
15世紀には、明らかに大砲も銃も存在していた。

というように感じられる。すると、結局銃と大砲は、モンゴル軍によって
欧州に運ばれた、あるいはモンゴルの西遷とともに伝わった、というイメージが
描けないだろうか。証拠はないかもしれないが。
793世界@名無史さん:2006/05/22(月) 10:07:48 0
>792
どうなんだろ。それよか交易によっても技術は伝達していくものだから、それらも考慮に入れないと。
特に鄭和以前であっても、海のシルクロードは確立していた訳だしね。

モンゴル軍の場合、人馬による機動戦が主流だから携帯兵器なら充分彼らも活用したとは思うが、却って機動性を阻害するような
大砲の採用はどうだったんだろうな?
元寇時のてつはうみたいな携帯用手榴弾モドキとかが精々でないの?
794世界@名無史さん:2006/05/22(月) 12:29:33 0
>>763
戦史は詳しくないが、百年戦争の末期頃までには大砲は有力な兵器として認識されていたと聞くが
関ヶ原って1600年くらいでしょ?
795世界@名無史さん:2006/05/22(月) 13:07:57 0
>793
そういえば、大砲は、幾つもの銃を束ねたけど、その溶接が弱かったので、
当時発達していた教会の鐘の製造技術が貢献して、欧州で大砲に発展した、という
記載もあったね。すると、銃の原型は11〜12世紀の中国でできて、
それがなんらかの方法で欧州に伝わって大砲になったのかも。

モンゴルのバグダッド攻めや、アラムートのイスマイル派の砦攻めでは、
大砲もどきは使われなかったのかな。
796世界@名無史さん:2006/05/22(月) 20:43:30 0
モンゴル=元軍の南宋攻略時はまだカタパルト。
この時のカタパルトはイスラム世界から中国に伝来したらしく回回砲と呼ばれている。

回回砲を火砲とする説もあったが、焼夷弾やてつはう榴弾を投擲するカタパルトだったと現在では考えられている
797世界@名無史さん:2006/05/23(火) 22:50:32 0
いわゆる火縄銃や火砲臼砲の類いがイラン以西ではっきり現れるのは
サファヴィー朝のイスマーイール1世がオスマン朝のセリム1世に
大敗した1514年のチャルディラーンの戦い以降のこと。
バーブルも8年後の1526年にパーニーパットの戦いで銃砲を大規模に
展開してローディー朝軍に勝利しているけれど、これら火砲の類いは
「新兵器」としてサファヴィー朝あたりから技術移入をしたものだった
ようだ。

慣れない新技術だったためか、臼砲の鋳造にかなり苦労していたようで、
発射実験や実戦場でたびたび暴発していたことが『バーブル・ナーマ』
にも出てくる。
798世界@名無史さん:2006/05/24(水) 00:22:26 0
イラン以西ってヨーロッパも含むの?
「はっきり現れる」の意味がよくわからないが、火砲自体は
百年戦争の時代からあるというのは言われている通り

火器が主役を演じた野戦ならチェリニョーラの戦い1503年があるな
799世界@名無史さん:2006/05/24(水) 00:45:36 0
>>797
そうなると、1453年のウルバンの大砲はどうなっちゃうの?
800世界@名無史さん:2006/05/24(水) 04:27:04 0
>>796
対する南宋の兵器は突火槍だっけか。
801世界@名無史さん:2006/05/26(金) 15:41:17 0
>>798-799
全くもって申し訳ない。「イラン以東」ね(汗
802世界@名無史さん:2006/05/26(金) 21:46:28 0
>>797
バーブルに仕えていた火器技術者のムスタファ・ルーミーは
名前からしてオスマンルだろうとハリル・イナルジュクが書いてたな。

例の荷車を鎖でつなぎ合わせて野戦陣地を作る戦術はdestur-i rumi
と呼ばれ、オスマン帝国がハンガリーのヤーノシュ・フニャディとの
戦いで取り入れたフス派のタボール戦術が元になってるとか。
803世界@名無史さん:2006/05/26(金) 23:54:12 0
>>801
なるほど、じゃあ元や明の銅炮はどうかな
徐達は張士誠の包囲戦に大量の火砲を投入したようだが

こんな感じの
ttp://big5.xinhuanet.com/gate/big5/news.xinhuanet.com/st/2004-02/12/content_1310706.htm
804世界@名無史さん:2006/05/27(土) 10:49:32 0
>>785
中国には春秋の昔から水攻めの記録があるんですけど…
805世界@名無史さん:2006/06/01(木) 21:45:59 0
>>892
何を今更?
>>797
ニューデリー国立博物館所蔵のパーニーパッドの戦いで大量の大砲を運用した
ミニュアチュールがソースかい?
大英博物館が所蔵するヘラートを攻撃するティムール軍のミニュアチュールも
明らかに火砲を使用していたね、私の記憶が確かなら。
>>803
1332年の洪武年間の銅砲の事だね?
女真族から技術指導を受け李蔵が朝鮮で同様の鉄砲を1444年に鋳造したはず。
806世界@名無史さん:2006/06/02(金) 09:06:59 0
↑明人重馬 清人重炮だけど、秀吉の朝鮮出兵以前から清(女真)人は炮を造ってたの?
807世界@名無史さん:2006/06/02(金) 10:56:30 0
>>806
女真人の王朝である金はかなり早い段階で火砲を導入していた。
モンゴルに火薬兵器を紹介したのは東北部〜華北部を支配していた金。
808世界@名無史さん:2006/06/02(金) 12:17:11 0
清(女真)人の領域だった満洲では硝石が採れたのかな?
809世界@名無史さん:2006/06/02(金) 21:12:11 0
>>805
いや、直接の典拠は邦訳『バーブル・ナーマ』のほう。
『バーブル・ナーマ』ではパーニーパトの戦いに先立つ、ヒジュラ暦925年(1519年)の
記事において、インダス河上流スワット地方近傍のバジャウルという城塞を攻略する件で、
初めて火縄銃(tufang)とフランク砲(farangī)を使い勝利したことが述べられている。

そこでウスタード・アリー・クリーという人物が火縄銃とそのフランク砲を使って
多大な戦果を修めたことが出てくるのだが、なにぶん『バーブル・ナーマ』は
915年から924年までの十年間の記事がすっぽり脱落していて、どういう経緯で
これらの銃火砲の技術を得たのか今一つ分らない。

多分チャルディランの戦い(H.920/1514年)でサファヴィー朝軍が大敗したことを
重く見たバーブルがサファヴィー朝経由でルーム地方から人員と技術を移入したのではなかろうかと
訳者の間野英二先生は書いておられた。『アクバル・ナーマ』あたりのバーブルのこの時期の記事を
探せば何か分るかも知れないが・・・さて。
810世界@名無史さん:2006/06/03(土) 20:11:55 0
“なにぶん『バーブル・ナーマ』は 915年から924年までの十年間の記事がすっぽり脱落していて、どういう経緯で これらの銃火砲の技術を得たのか今一つ分らない”

ヒント: 未来人
811世界@名無史さん:2006/06/18(日) 13:36:26 0
ネタ投入
日本では精度を重視したのに手で持つようになったのか?
西洋での射撃速度を重視したのに肩で支えたのか?
逆の方が双方都合が良いと思うのだが・
812世界@名無史さん:2006/06/18(日) 14:14:58 0
ヒント: 重さ
813世界@名無史さん:2006/06/19(月) 00:59:18 0
777 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 06:02:43 0
大砲の性能が大したことがなかったから日本の城の構造は大きく
変化しなかった。




織田信長の生存期間だけでもめちゃめちゃ充分に大きく変化してるし
大坂城以降ははっきりと大砲まで視野に入れたつくりしてるし。
814世界@名無史さん:2006/06/19(月) 12:22:37 0
火薬のような面倒なもの使わなくても、風上で硫黄を燃やせば、簡単に城壁都市なんか
陥ちてしまうだろうに
815世界@名無史さん:2006/06/19(月) 21:47:29 0
↑などと言いつつ風向きが変わって自分が燻されて城壁から転落死する>>814
816世界@名無史さん:2006/06/19(月) 22:42:00 0
2ちゃんねるはいいかげんなことばかりで全くあてにならねえな。
817世界@名無史さん:2006/06/20(火) 00:57:04 0
2ちゃんねるは貴重な情報ばかりで勉強になるな。
818世界@名無史さん:2006/06/20(火) 03:28:54 0
クレタ人のパラドックスかよw
819世界@名無史さん :2006/06/21(水) 00:42:22 0
「百年戦争とリッシュモン大元帥」ジャン□ポール・エチュヴェリー/〔著〕
(大谷暢順/訳 河出書房新社 1991.6)

て、本読んだ。大砲が戦場で活躍し始めた頃の記述がある。
フランスは百年戦争末期の、ジャンヌ・ダルクの火刑後、1430年代後半ぐらい
から大砲を改良して活用。砲兵家のビューロー兄弟というのが活躍したらしい。

ノルマンディー奪回から、ギエンヌ奪回まで、城攻めでは、大砲使って
城壁崩し、突入、の戦法だった模様。
この間、大砲も着実に進歩、精度も上がり、射程距離も伸び、車で運搬できるようになった。

最終的には、英軍の長弓の射程距離200メートルに対し、射程600メートル
まで飛ばすようになったという。野戦での実例は記載されてないけど、
英軍は野戦陣地を構築して長弓で迎撃する戦術だから、長弓より射程の長い
大砲は、かなりの戦力になったのではないか。

百年戦争の最終段階でフランスが連戦連勝だったのは、いろいろ理由あると
思うけど、火器の威力も大きかったのかな?
820世界@名無史さん:2006/06/21(水) 01:05:05 0
AoKのジャンヌダルクキャンペーンの最後のシナリオの登場ユニットですね
<ジャン・ビューロ
821世界@名無史さん:2006/06/25(日) 00:45:29 0
信長の三段の鉄砲隊の第二事例はどこの戦い?
822世界@名無史さん:2006/06/25(日) 00:52:44 0
すべては韓国が起源です。
感謝しろ、韓国が無ければ原始人以下の倭猿。
823世界@名無史さん:2006/06/25(日) 01:09:02 0
韓国では今でも新羅が中国を征服してたとかいう歴史教科書使ってるの?
824世界@名無史さん:2006/06/25(日) 14:50:27 0
あの国には火車とかいうトンデモ兵器があったときいた
825世界@名無史さん:2006/06/25(日) 17:10:07 0
>824
たぶん>541のやつだね。
宗主国では実戦に投入されてたらしいのでトンデモという訳でもないと思うが。
826世界@名無史さん:2006/07/10(月) 23:44:22 0
オーストリアの軍が近世の銃の性能研究をやってたな。
16〜18世紀の13挺の銃の初速は現代と遜色なかったらしい。
平均で秒速454m、もっとも遅い奴でも385m
アメリカの警察用0,38レボルバーが秒速290m
コルト0,357マグナム秒速400m
弾丸の性質や、滑空銃と施錠銃との違いを考えると一概には言えないが
接近戦では相当な威力を発揮したらしい。
もっとも研究で滑空銃は100mも離れると狙って打つのは不可能だったらしいが。
827世界@名無史さん:2006/07/11(火) 13:20:49 0
>>826
×滑空銃と施錠銃
○滑腔銃と施条銃

828世界@名無史さん:2006/07/11(火) 13:46:06 0
>>826
その銃は全て短銃なのか?38口径のレボルバーや357マグナムって拳銃じゃあなぁw
で古式銃の方は短銃でなく普通のマスケットだったらそりゃ反則だろうて。
829826:2006/07/11(火) 15:07:36 0
言葉足らずで悪い。
実験はマスケット銃とピストルで行なわれた。
秒速385mは1700年ごろに作られたピストル。
現代のオーストリア軍襲撃用9mピストルで秒速360m。

因みに命中精度は酷いものだったらしい。
マスケット銃は100m、ピストルは30mの位置から目標の紙に複数回射撃して
精確制を調べた。
あるマスケット銃は、縦1000ミリ、横1000ミリの弾痕を囲む面積が出来た。
またある銃は余りにも酷いため、計測係員と機材の安全性のためにテストが中止された。
近世初期の2廷のピストルは186平方センチ、70平方センチと良好な成績を上げた。

今回のテストで人間の標的に向って射撃した場合の成績もある。
2廷のライフル付きマスケット銃の命中率はライフル無しの平均よりも少し良い位で
52,5%。
2廷のピストルは83%、99%と現代のピストルの成績(99,5%)とも遜色ない
成績だったらしい。
830世界@名無史さん:2006/07/11(火) 17:44:01 0
日本の練習用小口径火縄銃(一匁五分筒)だと
初速は秒速500m近いよ
アメリカの射撃場で実測した結果
831世界@名無史さん:2006/07/15(土) 02:05:22 0
革命権が自然権なら、それを担保する武装して民兵を組織する権利は
普遍的な人権なのではないだろうか。
だから銃や刀剣を取り締まっている今の日本は異常。
民主主義の根幹を理解していない。
832世界@名無史さん:2006/07/15(土) 02:21:50 0
>831
丸山真男の「拳銃を・・・」ですか。
833世界@名無史さん:2006/07/15(土) 03:48:16 0
まぁ日本では厳密な意味での市民革命が起きてないとするなら仕方ないな>民主主義の不理解
刀狩がこうも尾を引くとはサル太閤はんも思わなんだろうなぁ
834世界@名無史さん:2006/07/15(土) 07:40:11 0
日本人の武装権に対する意識は、幕末〜明治維新でいったんクリアになってるよ。
維新以降は“すめらみこと”が全兵権を持つとされたので、武器には菊の御紋が入ったけどね。

日本人が自ら武装する権利を放棄したのは占領以降。
GHQは火縄銃まで禁止したけど、この段階で日本人は武装を自らタブーにしてしまった...
835世界@名無史さん:2006/07/15(土) 09:51:04 0
>>831,833
日本以外の全ての西側民主主義国がアメリカみたいなんなら、
その論もありだけどねぇ・・・
836世界@名無史さん:2006/07/15(土) 10:20:25 0
イギリスやフランスもアメリカほど自由に所持させてない。
そもそも自然権思想に無条件に賛同できないし
かりに自然権を認めたとしても国家成立以後は
自然状態でなくなったのだから規制されうるという論理もありうる。

個人的には市民革命がありえたのは隊列を組んだマスケット銃兵
による弾幕射撃→銃剣戦闘が軍の主力による戦闘方式だった
時代的特殊性だったんじゃないかと。

マスケット銃は機構が比較的単純で、町の鍛冶屋程度でも生産できた。
ただ、精度と射程距離の関係から単独では戦力にならず隊列戦闘を前提とした。
ただ、比較的その戦闘訓練は単純で、素人でも数さえ揃えば戦力たりえた。

つまりこの時代だけは、軍事戦闘において数に勝るアマチュアがプロを倒すことができた。
もっと前の時代なら槍や刀における戦闘で常時訓練を受ける戦士階級のプロを
生産活動に従事せねばならないアマチュアが倒すのは不可能だった。

逆にもっと後の時代になると素人が銃を手に入れるのが困難になった。
さらに銃と無線技術が進化した結果、散兵戦闘の時代になった。
単純に数を集めて隊列を組ませるだけじゃ済まなくなり
より高度の軍事訓練が必要となったわけで軍事が再びプロの手に戻ったわけだ。
もっというと、戦車などの戦闘車両や航空兵器が登場すると
もはや素人の集団が国家を上回る戦闘能力を保持するのは不可能になっている。
837世界@名無史さん:2006/07/15(土) 10:29:27 0
イギリスもフランスもドイツもそれなりに所持できたんじゃなかったか?
ドイツは拳銃OKと聞いたが。
838世界@名無史さん:2006/07/15(土) 11:15:11 0
>>936
ちょっと技術決定論っぽくないか?
フランス革命やピューリタン革命では既存の軍隊組織の融解が並行して起こっているけど。
それはロシア革命でも同じ。
(逆にアメリカ革命の場合は、プロ軍隊である大陸軍の支えがないと勝ち抜けたかどうか。)

だから、常に「プロ軍隊>素人」はなり立つんだけど、
既存の軍隊組織が体制の正統性に疑いを持ち出したら、革命の危機はあり得るんじゃないかな?
どんな技術的発展段階であろうとも。
839世界@名無史さん:2006/07/15(土) 12:21:13 0
“革命の危機”とは、その時点での権力中枢にある存在の思考だろう。
統治システムの問題除去に障害があるから革命が発生するのであって、明治維新のように障害が自己退場してくれれば革命の必要はない。

日本の場合は“国家を形成する国民とその自発的参加により形成される国民軍”という新しい組織と、産業革命により大量供給され進化し続ける兵器群の両方を、侵略の危機から自国を護るために短期間で形成/取得しなければならなかった。

このために建武新政以来 忌避され続けて来た天皇への兵権の集中を復活させ、これを前提に統治システムを形成してしまった。

これを憲法で修正しなかった事により、大日本帝國は終局で滅亡するに至った訳だが...
840世界@名無史さん:2006/07/15(土) 12:29:48 0
欧州では依然として武器所有の自由度は高い。
英仏独蘭伊西葡といった諸国で軍用銃や拳銃以外は簡単な登録制度で所持できる。

拳銃も登録制で簡単に所持できるのは仏独。
英国はブレア親米ポチ政権が出来てから突然民間人の拳銃所持が禁止となり、コレクターの多くが米仏独に投売りしたので 一時期 英国モノは価格が暴落した。

東欧やロシア圏では旧社会主義時代から続く規制が強いが、闇で大量に出回っているので野放しと同じw
841世界@名無史さん:2006/07/15(土) 12:55:44 0
革命思想自体が幻想で革命に歴史的意義を付けすぎ。
革命は支配層を殺して支配層が変わるだけで無意味。
近代への移行は法律の意義が高まった時代と定義すべき。
現代では武装権は犯罪とテロが頻発して社会不安が高まるだけ。
中南米やアフリカで頻発する武装闘争が現代社会へと繋がっていない事からも明らか。

842世界@名無史さん:2006/07/15(土) 13:42:04 0
法律の意義が高まったってのは定義として曖昧すぎるな。
支配権が一定のルール(憲法)に基づいてしか授権も行使もなしえず
これによって支配権が一定の者の私有から公共のものに移行したとみなされる段階というか。

今だと武力革命よりゼネストの方が民衆からの体制変革要求には効果的かもねぇ。
社会経済がマヒしては支配する意味すら失いかねない。
ただし、天安門みたいなことが平気でなされるならば無意味になるが。

現状のように戦争を原則的に否定されている状況では
逆に悲惨な国家体制が温存されやすいんだよねぇ。
国家同士の戦争で淘汰されないわけだから。
843世界@名無史さん:2006/07/15(土) 14:37:43 0
“逆に悲惨な国家体制が温存されやすい”

逆に、悲惨な国家体制が拡散/拡大しないという利点もあるなw
844世界@名無史さん:2006/07/16(日) 00:37:14 0
>>842
サポ乙。漏れ短すぎ。喪前の方がわかりやすい。

>>843
まーな。

テレビ見て閉鎖社会が終わるピクニックもある。
銃を取れ!は現代に即さない歴史上の話だわな。
845世界@名無史さん:2006/07/16(日) 00:53:42 0
要するに現代社会において革命権を担保するには、市民の銃の保有を
許可するような単純なモノではなく、戦車や航空機や艦船とそれを
指揮する後方組織も含めた広域的な民兵組織を国内にいくつも
抱える必要がある問いことだね。
846世界@名無史さん:2006/07/16(日) 01:02:08 0
アメリカの州兵ってどの程度の軍備持っていたっけ?
847世界@名無史さん:2006/07/16(日) 01:33:46 0
⊃軍板へ
848世界@名無史さん:2006/07/16(日) 03:30:39 0
中世編2「月杖軍の遠征〜活版印刷装置の発明」

時に1315年、ニカラグア教の法王ツォンパトリ5世の命を受けたメソアメリカ諸侯連合軍(月杖軍)は
約165000の大軍勢をもって、聖地ボアコの城塞都市を包囲、パナマ信徒教国軍は城内に籠もって
徹底抗戦の構えを見せた。
この籠城戦で特に月杖軍を悩ませたのは重砲による城内からの砲撃だった。
これは通称「パナマ砲」と呼ばれる巨大な石弾を発射する火砲で、これに対する月杖軍の火砲といえば
その射程においても破壊力においても劣っているキトリャ野戦砲しか装備していなかった。
ボアコ城塞包囲から2ヶ月後、パナマ本国から恐れていた約80000の援軍が到着、ボアコ郊外のギア丘陵にて
激しい戦闘が開始された。
この戦闘において史上初めて筒型手銃が主力兵器として用いられた、世に言う「ギアの銃撃戦」である。
数では劣っていたパナマ軍であったが、指火式の旧式手銃が大半だった月杖軍に対し、引き金による点火装置を
もち、照星や照門を備え、狙撃精度において勝っていたパナマ軍の火縄式銃は接近戦で圧倒的な優勢を誇り、
月杖軍に壊滅的な打撃を与えるのである。
そして、このギアの銃撃戦による月杖軍の惨敗はメソアメリカ世界における銃火器の飛躍的な改良と量産という
皮肉な結果を後にもたらすことになるのである。
一方、ニカラグア教の法王ツォンパトリ5世はこの戦役自体は惨敗はしたものの、メソアメリカ世界におけるニカラグア教の
確固たる地位と民衆に対しての絶大な尊崇の念を植え付けるのである。
特にそれが顕著に現れるのは1322年にテスココで発明された活版印刷装置「ユアンケ」の登場を抜きに語れないのである。
ニカラグア教の経典「ソマカ」は本来、修道僧などが一字一句書き写していたが、この印刷装置の登場により、
安価に、しかも凄まじい勢いで民衆にも広まり、その権威を不動のものにしたのである。


849世界@名無史さん:2006/07/16(日) 06:46:58 0
>>846 州兵とはいえ正規軍と同じ装備だよ。
米国の各州は依然として独立国家であり、連邦政府の直轄下にあるのはワシントン コロンビア特別区と各地の米軍(US)基地と各都市にある連邦政府ビル、海外の米軍基地&在外公館くらいしかない。

現在のイラク駐留米軍も、兵力不足から州兵が主力になってるそうな。
850世界@名無史さん:2006/07/16(日) 09:57:46 0
銃の所持は「革命権」というよりもっと広範囲の「自己救済権」に基づくものだと思うよ。
多かれ少なかれ、近世以降「自己救済権」は制限され始めるんだけどね。
851世界@名無史さん:2006/07/16(日) 13:03:52 O
自力救済が原則で公権力は調停役だったからな。
欧米は市民から銃を取り上げるだけの強力な政府が登場しなかったように思える。
市民の武器所有が既得権化したこともあるが、市民の武器が国防に役立つとの考えがあったように思える。
アメリカ、イギリスは一時期まで自弁の市民兵が活躍していた。
852世界@名無史さん:2006/07/16(日) 18:43:14 0
“欧米は市民から銃を取り上げるだけの強力な政府が登場しなかった”

西欧ではナチス政権が市民の銃を取り上げてる。
東欧/ロシア圏では共産主義時代にやはり市民から銃を取り上げている。
銃はある程度の社会的地位がないと合法的に入手出来ないから、有産階級の財産として没収された側面もある。
853世界@名無史さん:2006/07/16(日) 23:03:29 0
>>852
ナチスとソ連の全体主義国家がヨーロッパ的なコモンセンスから見て
いかに特異な存在であったかというエピソードの様にも思える。
854世界@名無史さん:2006/07/16(日) 23:41:10 0
西欧的価値観へのアンチテーゼだったのがユダヤ教を母胎とする共産主義であり、これが東方起源の非西欧的価値観が強固だったロシアで成長したのがソ連であり、カルト宗教と人種主義が加わって並行進化したのがナチスだったという事だろう。

西欧的価値が絶対王政のしがらみとは無縁に成長したアメリカンデモクラシーはまた別種の存在だが、普遍化したのは商業主義だけだった。
855世界@名無史さん:2006/07/20(木) 11:57:11 0
>>811
具足の上からは肩付け出来ないからじゃないか?
856世界@名無史さん:2006/07/20(木) 21:28:25 0
西欧も甲冑だろ
857世界@名無史さん:2006/07/20(木) 23:45:21 0
そういうことだ
858世界@名無史さん:2006/07/21(金) 00:10:33 0
もののけ姫のエボシ御前が使っている明から輸入したらしき重火器(石火矢)。
これがいわゆる世界初の「砲」なんですかね?
859世界@名無史さん:2006/07/21(金) 00:19:29 0
>>858
「砲」ではなく手銃のことを言いたいのか?
860&rlo;!!!き好大ケリタモ:2006/07/21(金) 01:37:31 0
ちょっと質問なんだけどさ

この前のバガボンドで相手が拳銃持ってたんだけどさ

あの時代に拳銃なんてあるのか?

関が原の翌年って設定なんだが
861世界@名無史さん:2006/07/21(金) 01:38:24 0
というか「黒色火薬を用い、鉄製の筒の中に石があり、それを火薬の爆発力ですっとばす武器」が
明代で使われていたのかなあ、と思いまして
862世界@名無史さん:2006/07/21(金) 01:59:57 O
>>860
つ馬上筒

>>861
あった。
中国には銅製の遺物があり、琉球や朝鮮では鉄製で製造・使用されていた。
日本にも室町時代には伝来していた。
詳しくは過去スレをロムれ。
863世界@名無史さん:2006/07/21(金) 06:34:13 0
寧遠城の戦いはどうよ?
火力の勝利ということになっているが、実は・・・とか?
864世界@名無史さん:2006/07/21(金) 20:45:08 0
>>860 1601年なら火縄式の短筒(拳銃)が全国規模で流通してた。
実際の画は見てないが銃の部分だけ画像でupしてくれれば、考証が正しいかとうか即断できる。
865世界@名無史さん:2006/07/22(土) 10:06:42 0
義和?
866世界@名無史さん:2006/07/22(土) 13:55:48 0
そういうことだ
867世界@名無史さん:2006/07/22(土) 14:02:17 0
868世界@名無史さん:2006/07/26(水) 19:46:38 0
>>867
リンク先の作成者が応仁の乱で石火矢が使用された事も知らない事に驚いた。
869世界@名無史さん:2006/07/29(土) 02:17:53 0
現存する最古の銅銃って戦時中に日本人が見つけた洪武年間のやつだっけ
870世界@名無史さん:2006/07/31(月) 03:48:05 0
>>868
応仁の乱で石火矢が使用された根拠ってたった一つの文献だけですが…
しかも肝心の遺物も現存していないし。

本当に使用されたとしても、おそらく爆竹程度のものだったんでしょうね。
871世界@名無史さん:2006/07/31(月) 06:14:33 0
お前ら火車なめんな、大朝鮮帝国が誇る最強の火砲
http://www.honya.co.jp/contents/yamamori/chaguan/index.cgi?20000401
872世界@名無史さん:2006/07/31(月) 08:54:00 0
>871
既出
873世界@名無史さん:2006/07/31(月) 09:42:31 0
“先の大戦”というと、京都では応仁の乱なんだそうなw
874世界@名無史さん:2006/08/04(金) 00:18:56 0
>>871
そこ書いてることめちゃくちゃ
875世界@名無史さん:2006/08/13(日) 23:53:41 0
手製の銃で7センチの板を貫通できるのか?
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/out/1107777036/544-561
876世界@名無史さん:2006/08/14(月) 02:19:25 0
つか板の材質なんなんだよw
877世界@名無史さん:2006/08/14(月) 23:37:17 0
プロテインとカルシウムの混合のようだな。殺傷力あるから、逮捕確実だ。

均質圧延装甲だったら・・・砲の出番だと思うぞ。50口径のM2の徹甲弾でも30mm貫徹出来るかどうかだからな。
878世界@名無史さん:2006/08/17(木) 17:21:00 0
30mm砲で劣化ウラン弾を集中射撃w
879世界@名無史さん:2006/09/03(日) 01:02:24 0
すみません、ヨーロッパで銃が野戦の主役になったのっていつ頃なんでしょう?
装填時間に問題があるせいで、パイクと一緒に陣形を固めたり、
剣でパイクを薙ぎ払われて露出したら終わりだったり、
銃が開発されても結構な間、それほど凄い武器ってわけでもないように感じるのですが
880世界@名無史さん:2006/09/03(日) 06:27:40 0
>>879
16世紀末には銃とパイクの比率が1:1ぐらいまでなってたらしいけど。
その後銃の割合がさらに上がったのかな? よく知らない。
881世界@名無史さん:2006/09/03(日) 13:13:25 0
フリントロック(火打石式)の銃が普及したのが1650年ごろ。
これにより扱いが容易になったのと銃自体が安くなったことがあって
銃兵の比率が増えた。グスタフアドルフの軍では銃2:槍1で銃兵の方が多かった。

その後リング式銃剣が普及したのが1680年ごろで
これにより槍兵のサポートが不要になって槍兵は姿を消した。
882世界@名無史さん:2006/09/03(日) 13:48:30 0
銃が野戦で主役を演じた戦いの嚆矢はチェリニョーラか?
883世界@名無史さん:2006/09/07(木) 17:05:53 0
1473年バシュケントの戦い
1503年チェリニューラの戦い
1514年チャルディラーンの戦い
884世界@名無史さん:2006/09/07(木) 17:08:44 0
1525年パヴィアの戦い
885世界@名無史さん:2006/10/07(土) 13:00:32 0
 
886世界@名無史さん:2006/10/22(日) 01:08:18 0
国対国の戦争ではないが、倭寇討伐では火器も結構使われたんでしょうか。
887山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/10/22(日) 01:24:42 0
戚継光が火器も含めた武器・戦術を研究した話があります。
888世界@名無史さん:2006/10/22(日) 08:55:57 0
鴛鴦陣?

長柄と銃の組み合わせはあの頃世界的なトレンドなのが面白い
889世界@名無史さん:2006/10/25(水) 13:53:51 0
中距離での制圧火力と、近接戦闘での白兵戦という機能を割り振った結果だ。
槍兵は騎兵科を除いては銃剣に取って代わられたが、近接戦闘での銃剣による白兵戦はWW1まで続いた。
銃剣による戦闘に終止符が打たれたのは、SMGが大量使用されたWW2になってから。
890世界@名無史さん:2006/10/25(水) 19:30:44 0
>>889
一次大戦でも大々的に使ってるが>SMG
フォークランドでも銃剣は使われてる。
要は頻度の問題。
891世界@名無史さん:2006/10/26(木) 03:18:22 0
現代戦でも、塹壕に立て籠もった敵を追い出すには銃剣突撃以外どうしようもない。
892世界@名無史さん:2006/10/26(木) 17:29:20 0
つ[手榴弾]
893世界@名無史さん:2006/10/26(木) 22:38:53 0
>>892
塹壕ってのはね、砲弾や手榴弾の被害を局限するために屈折してるんだよ。
894世界@名無史さん:2006/10/26(木) 23:22:50 0
そこまで大規模なら航空支援なり大火力で制圧するわ
895世界@名無史さん:2006/10/26(木) 23:31:29 0
それでも最後は歩兵が前進して戦闘の決を取らなければならない。
これは現代でも同じ。
航空支援や砲撃のみでは塹壕を潰せないのはWWI、WWII、朝鮮、ベトナムでも証明されている。
896世界@名無史さん:2006/10/27(金) 00:14:22 0
塹壕の敵兵を掃討するのが大変なのは事実だが、銃剣突撃なんて方法をとらなくても良いように、手榴弾や迫撃砲 SMGに軍用散弾銃といった兵器が登場して来た。

だいたい、塹壕内での戦闘に長い銃剣は使い難い。スコップの方が好まれた事実もある。
897世界@名無史さん:2006/10/27(金) 07:14:49 0
もちろんそういう物も使うさ。
ただ突撃する時は着剣するというだけの話。
スコップの例はWWIIの東部戦線だけの特例だな。
898世界@名無史さん:2006/10/27(金) 13:45:55 0
塹壕といえば
WWIIあたりでは火炎放射器で焼き殺し
湾岸戦争では装甲ドーザでイラク兵を塹壕ごと埋め殺してたな。
899世界@名無史さん:2006/10/27(金) 14:02:22 0
“スコップの例はWWIIの東部戦線だけの特例だな”

それはキミがそれしか知らんだけ、という事だろうw
WW1の西部戦線でもスコップ最強と兵士は考えていたよ。

ディエンビエンフーでは別の意味で“最も重要な武器”だったと、ボーグエンザップは言ってたがね。
900世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:30:22 0
>>899
ほんなら教えておくれ。
901世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:40:01 0
キミはまず“西部戦線異状なし”を嫁w

ディエンビエンフーの戦いで、陣地攻略に移ったベトミン軍はスコップとつるはしで塹壕を掘り進み、仏軍陣地の障害物を除去しながら接近し、初年兵に手榴弾を投げつけさせる肉弾攻撃を繰り返した。

この戦いに参加したベトミン兵の遺影が、北部の一般家庭には今でも飾られている。

その多くは、あどけなさを残した少年といっても良い位の人達で、白黒写真を着色した遺影はうつろだが、ひどく雄弁でもある。
902世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:45:07 0
日本軍でも白兵なら円匙(スコップ)最強が定説。こちらは山本七平「私の中の日本軍」
903世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:46:04 0
WW1に参戦した米軍が使用した軍用散弾銃が、ハーグ陸戦規定違反だとの抗議を独軍が行っている。

要は不必要な損傷を与える兵器だと主張した訳だが、この事から軍用散弾銃の使用には各国で自己規制が行われ、WW2の太平洋ジャングル戦以外では正規軍によって使用される事はなかった。

米軍が再び軍用散弾銃を大量に使用したのは“内戦”だったベトナム戦争で。

現代でもアサルトショットガンの類があまりメジャーになれない理由がここにある。
(一方で治安維持/警察活動にあたる部隊での採用は相次いでいる)
904世界@名無史さん:2006/10/28(土) 16:31:32 0
>>903
グレーゾーンというだけで別に違反じゃないがね。
抗議したドイツ軍も少数ながら散弾銃使ってたからスルーされた。
メジャーになれない理由は単に接近戦しか有効に使える場面が無いから。
ベトナムで使ってたのは至近距離での遭遇が異様に多い戦争だったからさ。
今だって米海兵隊は保有している。
905世界@名無史さん:2006/10/30(月) 17:01:45 0
“グレーゾーンというだけで別に違反じゃない”

ハーグ陸戦規定で禁止している兵器の規定には“不必要な傷害を与える性格をもつ武器、発射物、素材を用いること”とある。

かなり漠然としてはいるが、欧州諸国軍での認識としては“敵兵を戦闘不能”状態とするのが適度な傷害の範囲とされ、“敵兵を死亡させる”のは過剰な傷害と見なされていた。

この結果、変形しやすく加工した弾頭 等は、今日に至るも使用されていない(植民地軍では使用されていた)。

WW1に参戦した当時の米軍は、欧州とは別の価値観に則って軍用散弾銃を戦場に持ち込んで対人使用しため、変形しやすい弾頭を複数 敵兵に撃ち込んで即死させる行為を独軍に抗議された。

尚、独軍はじめ欧州や各国の軍が装備していた軍用散弾銃は、治安維持活動での暴徒鎮圧用と伝書鳩を打ち落とす事が主な目的だった。

このため、無線機の小型化により伝書鳩が徐々に使用されなくなって行くのに伴い、軍用散弾銃も使用される機会が減って行った。
(日中戦争では国府軍が日本軍の伝書鳩を良く撃ち落した)

尚、WW1期の独軍では そもそも暴徒鎮圧という事態をあまり想定していなかったためか、敗戦に伴う革命期の独軍は 市民の蜂起を歩兵銃で鎮圧していた。
906世界@名無史さん:2006/11/01(水) 04:09:14 0
塹壕には戦術核の使用が一般的じゃないの。
907世界@名無史さん:2006/11/01(水) 20:56:38 0
どこのパラレルワールドだよ
908世界@名無史さん:2006/11/01(水) 21:41:04 0
906の脳内ワールドです
909世界@名無史さん:2006/11/11(土) 00:27:03 0
火砲の発達によって歩兵の土木作業が増えた
910世界@名無史さん:2006/11/18(土) 18:30:11 0
http://www.youtube.com/watch?v=jEArQu_53SI
フリントロックはやっぱり発射不良が多いのだろうか
911世界@名無史さん:2006/11/18(土) 21:10:06 0
確実性という意味ではマッチロック(火縄)の方が上だったみたい
912世界@名無史さん:2006/11/18(土) 23:22:22 0
>>910
湿気の多い、日本じゃ尚更流行らなかった訳だw鎖国時代にオランダから結構もたらされていたと思ったけど。
火打ち石式も。
913世界@名無史さん:2006/11/18(土) 23:38:15 0
清では出回ってたのかな、フリントロック
914世界@名無史さん:2006/11/19(日) 12:08:59 0
阿片戦争〜太平天国の乱までは 清軍も天国軍も、ともに主力は火縄式滑腔銃だったようだ。

阿片戦争に従軍した英軍は火打石式だったが、広州上陸後に三元里付近で豪雨に会い 火打石式が使えない状況で地元民に包囲攻撃されている。

雨に対する耐性は雷管式の登場でかなり改善されたが、黒色火薬自体の湿気/雨への弱さは改善されず、ニトロセルロース系無煙火薬の登場まで湿気/雨対策は戦場の最重要課題だった。
ベンガル太守も東インド会社軍との決戦前の一雨によって破れ、湿気/雨対策の脂が元でセポイの乱も発生した訳だが...
915世界@名無史さん:2006/11/19(日) 12:16:44 0
まぁ、火打石だから一発で火がつくのは難しい気もする。

鎖国時代、銃を実用していたのは狩りのときだけだし
不発が少ない上に発射時にブレが少ない点で
火縄式のが実用的だったらしい。
雨天時に撃てないという欠点も雨なら猟に行かなきゃいいわけでw

清はどうなんだろう。上の理屈で考えれば
しょっちゅう戦争している状態でないとなかなか
普及しないような気はするんだが。
916世界@名無史さん:2006/11/19(日) 14:03:15 0
火薬が湿るのが痛い
917世界@名無史さん:2006/11/19(日) 14:07:26 0
西欧では、ほぼ全数がマッチロックからフリントロックに変わっている。
日本ではフリントロック機構は伝わったが、ほとんど採用されなかった。
原因は、入手できる火打石の性質で、発生する火花の量が日本産の
火打石では確実に着火させるに不十分で、不発が多かったため。
918世界@名無史さん:2006/11/19(日) 16:29:18 0
>>915 清も成立初期にはいろんな所に外征に出てたけど、相手は周辺の弱小民族ばっかで清軍が大量に装備してた炮で圧勝してた。
(東方進出を始めたばかりのロシア人にも勝ってる)

しかし、日本と同じで国内と辺境が安定してからは、武器の積極的な開発は止まり、もっぱら学問としての軍事理論だけが発達した。

その間に清人兵士の官僚化が進み、阿片戦争では歩兵が贅を凝らした輿に乗って戦場に来て、隊列を組んだ途端に英軍の弾幕射撃に瞬殺されるありさまだった。

これを見た中国人の多くは清軍の弱体化と清朝支配の脆弱さを見て取り、三元里での英軍襲撃や太平天国の乱へとつながって行く。
919世界@名無史さん:2006/11/19(日) 16:31:02 0
明人重馬 清人重炮
920世界@名無史さん:2006/11/30(木) 03:23:27 0
歴博の火縄銃展行った人いる?
921世界@名無史さん:2006/12/02(土) 00:45:19 0
フリントロックでは雨の日は撃てないわけだが、、、
パーカッションと勘違いしてないか?
922世界@名無史さん:2006/12/02(土) 02:48:18 0
>>918
清では軍事理論についての著作もあまりないような・・・
明に鳥銃や紅夷大砲が入ってきた頃は「練兵実紀」などが書かれたけど
923世界@名無史さん:2006/12/02(土) 09:33:59 0
>>921
つか、誰もフリントロックが雨天に使えると主張していなのだが?
924世界@名無史さん:2006/12/02(土) 09:42:48 0
>>921は何に対してのレスなのかはっきりせよw
925世界@名無史さん:2006/12/02(土) 11:35:15 0
管打ち式/パーカッション式も小雨の中でも射撃できるといったレベル。
全身びちょ濡れになるような豪雨の野営では、再装填は非常に困難。
とはいえ、敵も事情は同じなので、銃剣が重要な武器となる。

湿気や水を気にせず火器が使用出来るようになるのは、19世紀末の金属薬莢に無煙火薬が入ってから。
それまでの長い期間、野戦司令官にとって雨は最強の敵だった。
(今でも嫌な相手だが、敵の航空支援が途切れる期待をもてたりするので嫌な部分ばかりではない)
926世界@名無史さん:2006/12/02(土) 20:45:41 0
火器以前の弓兵にとっても弦が水を吸って伸びるから雨は天敵だったとか
927山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/12/02(土) 21:48:50 0
我が国では、弦だけではなく、竹と木を接着しておき弾力性を増した弓が問
題となる場合、製作するにあたって雨露で狂わないような秘伝を伝える、複
合弓ではなく、あえて丸木弓を使用するなどしていたようです。
928世界@名無史さん:2006/12/02(土) 23:01:01 0
投石サイコ〜!
929世界@名無史さん:2006/12/03(日) 09:55:56 0
>>927
朝鮮でもその問題は深刻だったようですね。
騎馬民族式の動物の骨角や腱を竹や木のコアに張り合わせた弓を使っていたので。
威力を高めようとするとプレッシャーに耐えられず破損するおそれがあった。

湿潤な土地では乾燥した土地よりも複合材の弓の性能は落ちるんだろうか。
江南の軍隊が倭寇と戦ったときの記録でも「こちらの矢が倭寇に当たっても
ヘラヘラ笑って尻を叩いて挑発してくる」とか書いてあるので威力は弱かったらしい。
一方文禄の役で北方辺境守備の明軍と戦った武士の残した記録では
「唐人」の弓は朝鮮のものより張りが強いと書いている。

そういえば真偽は定かではないけど、インドのムガル朝が北方へ侵攻して
ある部隊が村で略奪していたとき、タタール人の女一人が現れてムガル兵の
弓の射程外がら矢を放ってきたので部隊が全滅したとか・・・
930山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/12/03(日) 12:59:56 0
>929
古代には丸木弓を使用していたものが、やがて外竹弓(平安後期)→三枚打
弓(鎌倉)→四方竹弓(室町)→弓胎弓(戦国)と進化していった訳ですが
、平安中期の刀伊の入寇時に鹵獲された弓は動物の腱も使用していたらしく
、威力が高いもので遠方から飛んできて日本側の盾を貫通したそうです。
当時は丸木弓しかなかったこともあり、印象に残ったのでしょう。

>インドのムガル朝
ベルニエの『ムガル帝国誌』ですね。噂話の類だったようで、嘘とも本当と
も言い難い。
931山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/12/03(日) 13:08:11 0
ああ、それと弦楽器は雨が降ってくると弦が伸びてしまうのでピンと張って
いたものを休めていましたが、多分弓でも同じようにしていたと思います。
赤穂浪士の討ち入りの際には、浪士側が突入後警戒して弓の弦をまとめて切
ってしまったそうですが、これは臨戦態勢に入っていたからでしょうか。
北野たけし版『座頭市』で、わざわざ雨が降り出してから三味線の稽古を始
めたのには、違和感がありました。
932世界@名無史さん:2006/12/09(土) 08:35:45 0
赤穂浪士の討ち入り時は乾燥した冬季だったので張ってても大丈夫でしょう。

吉良屋敷は迷路と障害物を組み合わせた小型の城塞だったようですが、防御の備えも半端ではなかったようです。

火縄銃が装備されていなかったのは、緊急防戦時には役に立たないと割り切ったからかもしれませんが、熟練した浪人がいくらでも雇えたので弓を主力に出来たのかもしれませんが...
933世界@名無史さん:2006/12/10(日) 09:37:52 0
934世界@名無史さん:2006/12/17(日) 21:39:24 0
>>930
三人張りの弓は威力がすごいが。
戦国期まで、三人張りの弓とか使われていたのかな?
935世界@名無史さん:2006/12/18(月) 01:59:18 0
弓道やっている身から言わせてみれば
麻弦は伸びやすいから引くとき以外は外しておくのがデフォ

でも普通は合成弦でも外すけどね
936世界@名無史さん:2006/12/18(月) 17:36:51 0
>>932
「入り鉄砲に出女」
937世界@名無史さん:2006/12/18(月) 18:59:26 0
お!山野さん、珍しか〜
938世界@名無史さん:2006/12/22(金) 21:08:41 0
皆さんすごい知識の持ち主ばかりですね。
読み落としたかもしれませんので、ちょっと教えて欲しいのですが、
幕末を除き、大砲、石火矢、フランキ、大鉄砲などの弾は
炸裂したんですか?もし炸裂しないなら攻城戦でなく
野戦での効果は本当にあったんでしょうか?
関が原では陣地戦に持ち込む意図があったという説もありますから
戦備として持っていた程度なのかも知れませんよね。
そのあたり、どうなんでしょう。

939世界@名無史さん:2006/12/22(金) 21:57:32 0
大砲≒大筒には焙烙という炸裂弾が使用できた

石火矢(江戸期以前では前装砲を指す言葉でもある)=家屋などを貫通して炸裂する焼夷弾で、木砲や紙砲などの簡易な発射装置から射出される弾頭を指す言葉だった。

フランキ=東南アジアで模倣製造された欧州型の後装砲の総称。これにも焙烙が使えたが、船舶に搭載しての接舷攻撃用としての用途が多かったので、敵船乗組員殺傷用の木弾が多く使用されていた。
また、ガス漏れ防止の不完全な後装式だったので前装砲よりも低圧で発射された。

大鉄砲=大筒のように各種の弾頭を切り替えて使用する物ではなく、鉄砲より大きな鉛弾や鉄/石等を発射して 打撃力のみで城壁や防盾などを破壊するのが主な用途だった。
940世界@名無史さん:2006/12/23(土) 10:04:31 0
石火矢=フランキ
941世界@名無史さん:2006/12/23(土) 10:13:58 0
ありがとうございます。なるほど、
丸い無垢の金属弾ばかりでなく、
いろいろな種類の弾を使っていたわけですね。
そうすると、近距離では散弾などもあったかも
知れませんね。トルコが使った石の弾は
着弾時砕けて破片が殺傷能力を発揮したとか
海戦では砕かれた木の破片で殺傷したと言う
話を聞きましたので、
田圃の多い日本の田園では
飛ぶような破片も無いだろうし
効果が少ないように思っていました。
942世界@名無史さん:2006/12/23(土) 11:22:58 0
>939
>大砲≒大筒には焙烙という炸裂弾が使用できた
聞いたことないんだが
943世界@名無史さん:2006/12/23(土) 11:33:49 0
日本で最初に火薬兵器が使用されたのは元寇の侵入時で、射出していたのは“回回砲”呼ばれた投石機だったが 弾“てつはう”と呼ばれた陶器製の焙烙だった。
(この後、前装砲が実用化されると中国では“砲”という言葉が“炮”に変わる)

陶器製の焙烙(巨大な金平糖に見えるw)は、内部に火薬と鉄片を詰めた榴弾であり、敵陣に投擲して面制圧効果を発揮する。

こんな物でも大した遮蔽物の無い場所で炸裂したら、相手の陣形は崩れ 戦闘能力は著しく落ちる。

当時の中華文明の軍事力での頂点を示す兵器だったが、日本では火薬原料の硝石が東南アジアからの貿易ルートの扱い商品に乗らず高価だったため永らく普及しなかった。

戦国期に至り刀剣や具足用に台湾や東南アジアからの鹿革の輸入拡大するとともに、硝石の国内流入も拡大する。

また、この時期に実用的な火縄銃がもたらされた事で、日本は世界有数の銃砲生産/消費国に変貌して行った。
944世界@名無史さん:2006/12/23(土) 12:05:53 0
忘れられがち&石火矢の定義が時代によってコロコロ変わる事に起因しているのだが、ロケット兵器も戦国期に流入している。

これはロケット花火の原型というか巨大化した物だが、木製の本体に粗製硝石を原料とする推進薬を叩き詰め、中央に孔を空けて均等に燃焼するようにした物に長い安定棒が付けられている。

これに点火して敵陣に向けて飛ばすのだが、その効果は長い安定棒が敵陣で回転して敵兵を撲殺するというものw

安価で現地調達可能な粗製硝石を使用し、火砲よりも簡単に(手工業的に)製造できるので、粗製硝石の入手が容易な南方地域では19世紀末まで使用され続けた。

現在でも秩父に龍勢花火と呼ばれる農村手製ロケット打ち上げ祭りが受け継がれている。
http://www.geocities.jp/hiko771535/sub3.html
この製造法は世界でも最古の部類に属するものだ。

実際、インドを植民地化していた英軍は、土侯軍によるロケット攻撃で銃隊の密集陣形を崩され敗北している。

また、欧州でも後装式施条砲が出現するまで、ロケットはその派手な存在から戦場の華であり、米英戦争時に作詞された米国国歌にも名前を残している。
(日本では西南戦争時に当時の日本陸軍が大量に輸入/使用している)

その後、WW2では鋼製本体と現代推進役とのコンビで搭載できる榴弾重量を劇的に増加させて復活し、榴弾砲以上に効果的な野戦用面制圧兵器として また精密誘導兵器の母体として 現代では火砲以上に重要な存在となっている。
945世界@名無史さん:2006/12/23(土) 14:08:39 0
ロケットについては、アメリカの映画で
(独立戦争だったか?南北戦争だったかな?)
ロケットが派手に飛びまくるシーンを見たことがあります。
ロケット花火の親玉みたいで、長い棒がついていたような
記憶があります。
946世界@名無史さん:2006/12/23(土) 14:47:07 0
独立戦争を描いた「パトリオット」と思われ。
ロケットについては国歌にも詠われてるし。
947世界@名無史さん:2006/12/23(土) 15:26:40 0
↑そう、巨大なロケット花火という形状。
http://www.geocities.jp/hiko771535/katugu.jpg
ちょっと小さくて見難いが、長大な安定棒が付いているためこれだけの人数で運搬する必要がある。

南北戦争の頃に実用化された後装式施条砲の出現までは、ロケットは戦場で砲と並ぶ存在だった。

米国国歌の詩にあるロケットは“And the rocket's red glare, the bombs bursting in air,(ロケットの赤い閃光と空中で炸裂する榴弾が...)”と詠まれている。
948世界@名無史さん:2006/12/23(土) 15:40:58 0
余談だが、関が原戦に向けて家康はオランダからロケット350本を購入していたそうな。
これが使われていたのなら、関が原の光景もまた訂正を余儀なくされそうだが...
949世界@名無史さん:2006/12/23(土) 16:12:05 0
焙烙って陶器に火薬を詰めただけのシンプルな手投げ弾でしょ?
そんなもん大砲から打ったら破裂しておしまいだろうもん。
950世界@名無史さん:2006/12/23(土) 20:03:44 0
細かいことをあげつらうと、「焙烙」とは土器の一種。「焙烙玉」はまんま和製震天雷。

>>949
炸裂時の殺傷力を増すためか、輸送/取り扱い時の損失/事故を防ぐためか、あるいは
火薬の質が向上して金属製の外殻も割れるようになったからかどうかは知らないが、
初め震天雷は陶器製の容器を用いてたが後に金属製のものが主流になる。

無論これは砲(投石機)だけでなく炮(大砲)からも撃ち出されたようだ。
ま、打ち上げ花火が出来る技術があれば震天雷も撃てるだろ。
951世界@名無史さん:2006/12/23(土) 21:14:24 0
津本陽の小説「天翔ける倭寇」の主人公で雑賀衆のボンボンの使う武器が焙烙火矢だったな。
明軍のフランキ砲に直撃させて大被害を与えたりしていた。
952世界@名無史さん:2006/12/23(土) 21:56:33 0
鑑定団の常連、備前焼の手榴弾も焙烙だがね
953世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:38:32 0
信管登場以前の炸裂弾って導火線式でしょ?
ならば、導火線の火が炸薬に到達する前に発射の衝撃や着弾時の衝撃で弾体が割れちゃいけないよね?
弾体が陶器製だと割れて使えないじゃないの?
954世界@名無史さん:2006/12/23(土) 22:57:17 0
焙烙=陶製だったのは投石機(元寇)や手投げ(千早城)の頃まで。
前装砲で使用された焙烙は鋳鉄や鉛や銅の鋳造品。丈夫な和紙で作った花火みたいな焙烙もあった。

野戦での砲撃には榴弾が無ければ無意味。
小学生の頃、高島平近くで出土した秋汎先生大演習の際の砲弾を見たが、ちゃんと導火線用の孔が開いた榴弾だった。
955世界@名無史さん:2006/12/23(土) 23:13:06 0
>>954
>野戦での砲撃には榴弾が無ければ無意味。
んなアホな。密集陣を組む小銃歩兵隊をバウンドする鉄砲弾で轢き殺すのは常道だろ。
ミニエ小銃と後装銃の普及により、密集陣が使われなくなった19世紀後半以降ならともかく。
956世界@名無史さん
>>955 バウンドも有効な手ではあるが、生きていて動きまわる人間によって構成される集団である敵陣を攻撃するには不十分な効果しかない。

しかも前装砲は再装填に時間がかかるので、あまり悠長な攻撃を行っていると、脚の速い敵の騎兵に側面から攻撃されかねない。

早めに敵陣を叩くには榴弾が一番良い。最初に榴弾を集中して叩き込み、生き残りで構成された敵陣が接近して来たら、同じような目に遭った味方歩兵との白兵戦になる。

その間に敵が騎兵を使って来たら、側面の砲に霞弾(ぶどう弾)で反撃しよう。

運悪く味方歩兵が劣勢で敵陣が迫ってきて、味方歩兵の第2陣の出撃が期待できない状況なら、霞弾(ぶどう弾)を撃ちまくって後退する時間を稼いで撤退しよう。

砲を失ってしまったら、その戦線での反撃は永久に不可能になるからね。