二十年後の中国をSF的に考察するスレ

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879名無しは無慈悲な夜の女王
>>878
中華帝国やロシアでは機動性の高いステップ遊牧民の騎馬軍団に定期的に略奪されていたので
それに対抗するための騎兵が重視された。
初期の火器は非常に使いにくく、銃は連射できず馬上では使えない、大砲も野戦では使えない
(攻城戦で投石器と同じように使う)というものだったので、実戦の多くが遊牧民相手だった
中国ではあまり洗練される機会がなかった。
それに比べヨーロッパでの戦争は歩兵中心の軍隊で城壁で囲まれた拠点を奪い合うものだったので
火器が発達しやすい環境だった。日本も同様(城塞都市がなかったので大砲があまり使われなかったが)。

というか"Firearms : A Global History to 1700"という本の受け売りだ。
興味があったら読んでみてくれ。
880名無しは無慈悲な夜の女王:2005/05/31(火) 19:25:07
>歩兵中心の軍隊で城壁で囲まれた拠点を奪い合う
中国でも三国志の時代は・・・
881名無しは無慈悲な夜の女王:2005/05/31(火) 20:09:18
中国で火器、というか野戦砲や銃火器が発達しなかったのは単に産業革命がなかったからだ。
ナポレオン戦争の頃にはロシアでも軍隊の近代化が進んでいる。
ちなみに拠点を奪い合う――塹壕を挟んでの要塞攻囲戦はルイ14世の頃の話であって、
フランスの革命戦争からナポレオン戦争に至る過程で戦争の方式はクラウゼヴィッツが指摘する通り、会戦の目的は敵野戦軍の撃滅であり、戦争は政治の延長になった。
拠点を奪い合う戦闘というのは近代的な国民国家が形成される以前の時代だわな。
882名無しは無慈悲な夜の女王:2005/05/31(火) 20:20:58
おいおい、ナポレオン戦争の終わりとともにやってくるのが産業革命だぞ
883名無しは無慈悲な夜の女王:2005/05/31(火) 20:31:29
だから
>中国で火器、というか野戦砲や銃火器が発達しなかったのは単に産業革命がなかったからだ。
て言ってんじゃん
884名無しは無慈悲な夜の女王:2005/05/31(火) 23:41:48
>>883
でも、ナポレオンは砲兵出身だぞ。
つまり、ナポレオン以前に「砲兵」という兵科があったはず。
ナポレオンは 1769-1821 だし、ココのページを信用するなら、15世紀には野戦でも砲が使われてた。
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub07.htm
>砲兵
>14世紀頃から火薬ガスを武器に用いられるようになり、攻城砲兵や要塞砲兵が登場した。
(中略)
>15世紀になると火砲の軽量化によって、砲架に車輪をつけて馬で曳くことが可能となり、野戦砲兵が誕生する。

中国では、1273年の元による樊城・襄陽攻略で、回回砲が使用されたはずだが、
その後、攻城砲兵・要塞砲兵・野戦砲兵は、出てきたのか?
885名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 00:51:40
>その後、攻城砲兵・要塞砲兵・野戦砲兵は、出てきたのか?
出てきたのかも知れんが戦史に大きく取り上げられていないということは、相変わらず鎧武者と騎馬隊と弓兵という時代遅れの軍隊だったのでは?
特に野戦でも大砲が効果的に使われていなかったのでは。近代ヨーロッパの会戦では騎兵なんぞ単独で突撃しても銃剣の前じゃ全くの無力だからね。
886名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 01:06:58
ヨーロッパでは重装甲の騎兵は減っていっただろうが、高速で攪乱する場合は使えるものだったのでは>>騎兵
マスケット銃などを軽装の騎兵に持たせるとそれなりに恐ろしいものになりそうな希ガス。
887名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 07:23:46
>>879
つーか中国や朝鮮では技術的に製造できなかっただけじゃないのか?
888名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 13:04:09
回回砲は「モンゴルの残光」なんかでは火砲みたいにいわれてるが実態はトレビシェット式投石器だ。
青銅製の大砲やタッチホール式の銃(もののけ姫の最初の方に出てきたようなヤツ)は元末明初には実戦に投入されている。

火縄銃を装備した騎兵は伊達政宗が実際にやって結構効果があったらしいが・・・
馬を走らせながら弾を込めなおすのは至難の技なので実質撃てるのは最初の一発だけだろう。
889名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 13:31:31
>>881
近代化以前のロシアの軍隊はタタール風の装備をした弓騎兵が中心だったが
西欧式の軍隊の脅威が増してくるにつれストレリツィ(銃兵隊)などが組織され
ピョートル大帝の改革に至る。
だが中国は近代になるまでそうした脅威がなく(秀吉が朝鮮に攻め込んだときぐらいだ)
銃や大砲を発達させる必要がなかった。
ヨーロッパでの野戦砲や銃火器の発達は百年戦争の頃からスタートして
産業革命までに長い前史がある。
「城壁で囲まれた拠点を奪い合う」というのは誤解を招く書き方だったかも。
「攻城戦が多い」ぐらいに書いておけばよかった。
>>887
製造はできたけどヨーロッパに比べると鋳造の品質が悪かったとか。
890名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 13:34:27
>>889
確か火縄銃は中国や朝鮮では製造自体不可能だったはず。
うろ覚えだけど。
891名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 13:39:09
>>886
フサールなどの軽騎兵が最初に使われたのはポーランドやハンガリーなど
トルコ人・タタール人と近接している国々なのでこれも何らかの形で
遊牧民の影響があった結果なのでは。
槍騎兵の「ウーラン」てのは元々モンゴル語だったらしいし・・・
892名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 13:49:37
>>890
それはサーペンティンロック、つまり引鉄がなかったからでは?
南蛮人がくる前に中国で使われてたのは片手に線香などをもって
口薬に直接点火するタイプの銃なので。
「東アジア兵器交流史の研究」という本によると秀吉が撤退した後の朝鮮では
日本式の火縄銃を作らせてたそうです。
893名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 13:57:37
>>892
それ、確か「作らせようとしたけど朝鮮の技術では製造できなかった」んじゃなかったっけ?
894名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 14:13:06
>>893
どうなのかな。朝鮮の弓についての記述が目当てで読んだのでうろ覚え・・・
日本人の捕虜とかに作らせようとしたみたいだけど、それで出来なかったのなら
よっぽど設備に問題があったのか、職人がいなかったのか。
895名無しは無慈悲な夜の女王:2005/06/01(水) 17:34:58
h ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3816/heisyo/20.htm

h ttp://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2001/011019a.html
清の軍隊の主力は、突撃のみならず騎射にも長けた、重騎兵であり、その数は歩兵よりも多く、
これは中国に定着した後も変わらない。火器に関しては、清は、17世紀はじめに明と戦い始めた頃は、
未だ火器を持たず、騎兵の巧みな運用のみによって、火器を備えた明軍を大いに破ったのである。
だが、それにもかかわらず、ただちに火器の価値を認め、その積極的な導入に努めている。
そして17世紀末のロシアとの紛争や、中央アジアへの進出において、清軍はおおいに火器を活用することになった。
ただ、清の主力はあくまで重騎兵であるため、中国の火器の戦法はそこからさらなる発展を見せることはなく、その後、西洋に後れをとることになったのである。

だってさ