1 :
世界@名無史さん:
三国時代には腐るほど出てくるけど晋とか五胡になると、匈奴漢は別として、
漢の末裔を称する人はでなくなりましたよね?
三国時代以後の漢の末裔を追いましょう
2 :
世界@名無史さん:04/04/07 15:51
支那は支那。
劉王昆
4 :
世界@名無史さん:04/04/08 12:34
劉ついてればみんな末裔?
宋の劉裕なんかどうよ?
そもそも易姓してるのに
いまさら劉氏の正統と主張してもな
6 :
世界@名無史さん:04/04/09 14:09
劉って名前だけで生きていた人がいるよね
7 :
世界@名無史さん:04/04/09 14:42
劉備玄徳
8 :
世界@名無史さん:04/04/09 21:40
劉備なんか名前だけで生きて偽皇帝にまで上り詰めた皇帝だろ?
日本で言えば徳川家康が源氏を称して征夷大将軍になれたのと一緒
9 :
世界@名無史さん:04/04/09 22:50
南朝・宋の劉裕なんか、劉備以上に怪しいと思うが。
10 :
世界@名無史さん:04/04/10 22:00
劉裕って漢の末裔否定してなかったか?
11 :
世界@名無史さん:04/04/11 23:26
こういう良スレが潰れて、世界史とは関係ない拉致が上がるとは
三戦以下だな
12 :
世界@名無史さん:04/04/12 00:02
13 :
世界@名無史さん:04/04/12 00:25
丹波哲郎の家系が後漢の霊帝の末裔だそうだが
14 :
世界@名無史さん:04/04/12 02:20
15 :
世界@名無史さん:04/04/12 02:32
應神朝時代の渡來人とその子孫(日本史では常識)
弓月君(ゆづきのきみ)→秦(はた)氏
阿知使臣(あちのおみ)→東漢(やまとのあや)氏
王仁(わに)→西文(かはちのふみ)氏
16 :
世界@名無史さん:04/04/12 03:12
17 :
世界@名無史さん:04/04/12 03:45
>劉備なんか名前だけで生きて偽皇帝にまで上り詰めた皇帝だろ?
>日本で言えば徳川家康が源氏を称して征夷大将軍になれたのと一緒
家康の場合は正真正銘、朝廷から官位をもらっている。
劉備の場合はハンコ拾って自称しただけ。
18 :
世界@名無史さん:04/04/12 12:02
ハンコすら拾ってなかった気がするが……
19 :
世界@名無史さん:04/04/12 12:09
国璽を拾ったのは孫堅でそれを貰ったのは袁術だっけ?
劉姓って劉邦以前はほとんど見ないし、
それが大姓になってるんだから、劉氏であれば
漢皇帝の縁者の子孫と見てもいいだろうし、言いもするのでは。
21 :
世界@名無史さん:04/04/12 22:46
でかい一族はでかいんだろうねやっぱり。
日本も徳川家の子孫って結構いそうだよね?
22 :
世界@名無史さん:04/04/13 13:01
>>17 そんなこといったら、劉備は時の朝廷から漢の皇叔を認められ且つ漢中王にも叙位されただろうが。
23 :
世界@名無史さん:04/04/13 13:23
劉家ってのはそんなに続いてるもんなのかね?
よく中国人で劉って名乗ってる奴が未だに居るけどどうなの?
劉裕の出身地の劉氏は一応みんな楚王の末裔だと言うことになっています。
もちろん本当にそうなのもいたでしょうし、騙りもいたでしょう。
で本人は「そんなのわかるか」と言う態度だった。
と何かで読んだことがあります。
ところで今の劉さんは匈奴の子孫も多いのではないですか?
25 :
世界@名無史さん:04/04/13 22:34
あれ?
宋の国号を決めるとき、家臣が「同じ劉姓なんだから、漢を名乗っては?」
と進言されたとき、「俺が漢の血統を継いでるわけ無いだろう!」と一笑した
エピソードがなかったっけ?
>>17 皇叔は創作。少なくとも史料には見えない。
で、漢中王も自称くさい。上表文はあるものの、曹操を名指しで非難しているなど、
本当に朝廷に送ったのかさえ怪しい。
27 :
世界@名無史さん:04/04/14 11:24
>>26 まあたしかに資治通鑑なんかにも漢中王を自称すとかいてあるけどさ。
史料・正史に書いてあることは正しいというなら、蜀史に、
先主姓劉(中略)漢景帝子中山靖王勝之後也。
って書いてあるし。
孔明の子孫は今では画家だそうだ。
劉備の子孫もまだ残っていると聞いたけど、今は何をしてるんでしょう。
29 :
世界@名無史さん:04/04/14 16:48
30 :
世界@名無史さん:04/04/15 17:32
魏延をどう思う?
32 :
世界@名無史さん:04/04/15 19:22
あれ?漢の末裔を称していたなら、国号を「宋」にするのはおかしくない?
いくら建前でも、「漢王朝再興」は劉氏の悲願であるはず
劉蜀だって正式な国号は「漢」だし。
劉淵ですら「漢」を名乗ったくらいなんだから、大陸の南半分を治めている国の
皇帝なら「漢」にするのが当然じゃないか?
五代十国の後漢、北漢は劉姓だけど匈奴系かなにかでしたっけ?
南漢はアラビア系かなにかだと言う説もあるみたいですね。
単に同性のよしみで漢?
「おとこ」を名乗るほど自分に自信がなかったんだよ。
35 :
世界@名無史さん:04/04/16 07:59
唐以降の漢民族は、鮮卑と匈奴が混血してるからね・・・
沙陀突厥って匈奴系なの?
37 :
世界@名無史さん:04/04/19 13:29
ツングース系では?
悪女、呂后。
39 :
世界@名無史さん:04/04/21 19:01
40 :
世界@名無史さん:04/05/03 01:18
0
41 :
世界@名無史さん:04/05/03 02:38
>>4,
>>32 劉裕が国号を「漢」にしなかった理由は
>>9-10,
>>24-25のとおり。
家臣が「劉氏なんだから国号は漢に」といったのに
本人が「俺が漢皇帝の子孫のわけないだろ」と相手にしなかった
>>33 北漢は南匈奴の嫡流なので、古くは代々漢皇室から嫁取りしてた単于の子孫。
母方でいえば漢皇帝の血をひいている。蜀漢・南朝宋・南漢より血は濃いかも。
>>36-37 沙陀はツングース系でなく、トルコ系。
42 :
世界@名無史さん:04/05/03 21:49
>>41 子孫じゃなかったら、楚王の子孫の自称はどうなったんでしょうね?
南朝宋って漢の末裔を自称していましたっけ?
漢民族政権だとは思うんですけど
>南朝宋って漢の末裔を自称していましたっけ?
だから、してないって書いてあるだろ
44 :
世界@名無史さん:04/05/04 10:30
ちなみに現在、劉氏は中国全土に存在しているが、
山西省と安徽省の2ケ所に集中してとくに多い。
山西省の劉氏は北漢・劉淵の子孫、
安徽省の劉氏は前漢の淮南王劉安の子孫
・・・と通俗的にはいわれているが、真相不明。
45 :
世界@名無史さん:04/05/04 20:51
この前の歴史が動いたで
劉邦の子孫を称する集団が居たが、本物かな?
46 :
世界@名無史さん:04/05/04 20:53
>>42 前漢王族の楚王なんとかの子孫という説もあるにはある。
>>45 死ぬほど子孫がいるはずなので本物の可能性も高いでしょうが、
証明は困難じゃないでしょうか。
>>44 前漢中山靖王勝(武帝の異母兄弟で劉備の先祖とされる人)は、
120人も子供がいたそうですから子孫もたくさんいそうな気がしますけどね。
劉裕は確か楚元王交(劉邦の弟)の子孫だと言われる地方の劉氏出身。
ただし本人は関係を否定だったかと。
それだと真偽どちらにしても劉邦の直系子孫ではないですね。
北伐したとき高祖の陵墓に行ってなかったっけ?>劉裕
49 :
世界@名無史さん:04/05/04 23:29
劉邦の陵墓から死体でる?
まぁ、俺様は一応、漢の高祖高祖だったりするわけだが、ナニか?
俺様の王朝は4年しか持たなかったわけだが。
52 :
世界@名無史さん:04/05/05 18:31
53 :
世界@名無史さん:04/05/07 08:15
54 :
世界@名無史さん:04/05/10 04:06
55 :
世界@名無史さん:04/05/11 02:55
皇叔という称号は劉備だけ?
57 :
世界@名無史さん:04/05/16 04:39
劉備は本当に漢王室の末裔?
58 :
世界@名無史さん:04/05/17 04:52
皇叔という称号じたい実在したのか?
59 :
世界@名無史さん:04/05/18 05:03
61 :
世界@名無史さん:04/05/20 10:56
唐の時には皇太子でも皇太弟でもない皇太叔が実在していますね。
一般名として皇帝の叔父を皇叔と呼ぶことはありえたのでは?
劉備がそう呼ばれることはありえないでしょうけど。
63 :
世界@名無史さん:04/05/22 22:39
漢代の漢人の末裔って、魏晋南北朝時代にあらかた滅亡して、
隋唐の時代にはほとんど周辺の民族と入れ替わってたんじゃないの?
64 :
世界@名無史さん:04/05/26 04:58
唐王室は前漢の李広の子孫?
65 :
世界@名無史さん:04/05/26 05:16
老子の子孫だよ
66 :
世界@名無史さん:04/05/27 00:40
>>20 項羽のおじの項伯は劉邦から劉姓を賜っている。
こういう賜姓の例はそんなに多くないのだろうけれど。
>66
司馬によると義兄弟の杯を交わしていたなぁ。
縁者くらいには入らないか・・・
70 :
世界@名無史さん:04/06/12 15:09
71 :
世界@名無史さん:04/07/17 21:12
72 :
世界@名無史さん:04/08/20 01:13
73 :
世界@名無史さん:04/08/25 02:37
前漢・後漢通じて漢室ゆかりの劉氏には労役免除など税制面の優遇があった。
だが、漢の歴史が400年近く続くなかで余りにも人数が増えすぎて社会問題にもなったほど。
劉備の場合、祖父が孝廉として登用されているのでその時に身分調査が行われたのでは?
また、正史を読む限り伯父から援助を受けるなどの一族にまつわるエピソードもあるから一応一族の共同体内にはいたのではないかと…。
74 :
世界@名無史さん:04/09/18 12:46:27
age
>>73 そうすると、劉備の系図が朝廷の調査で本物だと判明したという話は
演義のヨタ話じゃなくて正史に載ってる本当の話だったのか…。
坂田上田村麻呂は後漢の霊帝の末孫だといわれるが
なんでこんなどうでもいい人(失礼)の子孫名乗るかな?
武帝のほうがハクがついていいと思うが。
78 :
世界@名無史さん:04/09/19 11:51:35
馬鹿でも一応皇帝だし……
79 :
世界@名無史さん:04/09/19 11:52:40
>>75 正史自体にも中山靖王の子孫と書いてある。
ただ、途中系図が飛んでいて役人になった祖父の代まで途中の2・3代、空白になっているところもある。
ただ、正史が魏・晋を正統にして書いている以上、劉備が似非だったらそのことを書いた方が政治的に好都合な筈。
また、同時代の史書に劉備個人の所業を非難するものはあっても、劉備の系譜に疑問をつけたものは無かった筈。
80 :
世界@名無史さん:04/09/19 12:15:45
>>79 孫堅を忘れてないか?
父親の名前すら乗ってないのに孫武の子孫扱いだぞ
>>79 >途中の2・3代、空白になっているところもある
『蜀志』先主伝には、中山王劉勝の子の劉貞が元狩六年(117B.C.)に陸城亭侯に封ぜられ
たが、酎金の不足により侯位を失い、子孫がその地に住み着いたとある。
しかしこれは『漢書』の記述と食い違っていて、『漢書』によれば、劉貞は元朔二年(127B.C.)に
中山国の陸成県にて侯に封ぜられ、元鼎五年(112B.C.)に侯位を失ったという。
劉備が生まれたのが延熹四年(161)であるから、約270年前の話で、1世代30年と考えても
劉貞から劉備まで8から9世代あることになる。
先主伝では劉貞の次に名前が出るのが劉備の祖父の劉雄であるから、劉貞から劉雄まで
5から6世代は不明であって、2・3代どころではない。
庶人となった家系の300年近くあとの話だけに、言った者勝ちといったところか。中山王の
子孫との話は、積極的に肯定も否定もできないと考える。
>劉備が似非だったらそのことを書いた方が政治的に好都合な筈。
『三国志』の作者陳寿は、旧主の国である蜀漢に一定の敬意を払って『蜀志』を書している。
積極的否定材料があればともかく、前述したように不明確なのであれば、分かっていること
だけをそのまま書するのが陳寿の執筆姿勢に合致すると感じる。
>同時代の史書に劉備個人の所業を非難するものはあっても、劉備の系譜に疑問をつけた
>ものは無かった筈
裴松之注は魚豢『典略』の「劉備は臨邑侯の末裔」とする異説を引いている。前漢には臨邑
侯はなく、『後漢書』によれば、北海王興の子の復が臨邑侯に封ぜられたとあるので、これは
中山王劉勝の末裔説を否定するものである。ただしこの記述の信憑性は低いとされる。
83 :
世界@名無史さん:04/09/19 14:46:09
>>82 臨邑侯説を取るにしても劉備が漢の属尽であることは否定していない。
>>81 劉雄は官に就いているのだから、ある程度の身元確認がされていてしかるべきだろう。
劉備の生きていた後漢末期ほどは体制は揺らいでいないだろうから、劉雄が偽って漢の属尽であると主張するのは困難だと思われるが…。
>>83 硬い文章はツラいので砕けますが。
>>81-82はあくまで「中山王の末裔」説の信憑性について論じた上で「よく分からない」と
判断を下したのであって、「劉備は漢の末裔ではない」とは一言も言ってないんですがねえ。
だからそう突っ込まれても「そうですね」としか言えないんですが。
>>83 劉雄は漢の属尽と偽らずに官途についた可能性は?
86 :
世界@名無史さん:04/09/19 16:33:39
劉備より、劉裕の楚王末裔伝説を研究しないか?
なんで彼は楚王の子孫を称しておきながら、皇帝になったとたん急に否定し始めたんだろう
途中でアホらしくなったんじゃないの?ふと我に返って。
88 :
世界@名無史さん:04/09/20 11:04:35
89 :
世界@名無史さん:04/09/23 10:12:00
>>86 教えてくんで申し訳ないですが、劉裕は楚王の子孫説を否定したあと、
誰かの子孫だとあらためて称したのですか?
それとも、先祖は不明だ(どっかの農民とか)といったのでしょうか。
90 :
世界@名無史さん:04/09/23 18:45:18
>>89 特に誰の子孫も自称していないね。
項羽(楚の将軍の孫)や劉邦(赤帝の子孫)や司馬一族(河内の名族)みたいなもんじゃん?
91 :
世界@名無史さん:04/09/23 19:03:39
後漢末は皇室と関係ない劉氏のほうがよっぽど稀少だとおもうが。
>>91 史書に残ってないだけでウヨウヨいるだろ。
劉邦の一族以外のルーツを持つ劉氏は珍しいのでは?
匈奴の王族が、漢帝室の婿ということで劉氏を名乗っている(僭称?)
あと、功臣に国姓を与えるということがすでにこの時代からあった。
項羽のおじ項伯がその1人だが、他にもいたはず。
96 :
世界@名無史さん:04/09/23 22:17:44
匈奴が劉氏を僭称し始めたのは、劉淵の父親の右賢王劉豹からだね。
オフラの子供の。
ところで劉淵って、蜀の劉禅に「懐帝」というシ号を贈ってるんだね
やっぱり匈奴の出だけど、劉氏には敬意をはらってたんだろうな。
>>95 『史記』『漢書』によれば
射陽侯 劉纏(項伯)
平皋侯 劉它
桃侯 劉襄
玄武侯 (不明)
の四名。劉襄の子は景帝の丞相の劉舍。
>>96 同時に漢の高祖以下の祖宗を祀っているので、漢の血統を継ぐのだという政治的アピールの
一環でしょう。
今の中国で劉姓が多いのは山西省と安徽省。
山西省の劉氏は匈奴の劉淵の子孫、
安徽省の劉氏は前漢の淮南王劉安の子孫。
…というのが俗説で信じられているみたい。
99 :
世界@名無史さん:04/09/29 21:41:18
劉姓の祖は劉累じゃないの
100 :
世界@名無史さん:04/09/29 21:46:59
伝教大師最澄は献帝の末裔らしいぞ。
101 :
世界@名無史さん:04/09/29 22:11:48
>>100 魏の時代、諸侯クラスだっけ?
子孫がいても不思議はないね。
102 :
世界@名無史さん:04/09/30 11:31:47
>>98 >山西省の劉氏は匈奴の劉淵の子孫、
ほー、匈奴が漢族の中に消えちゃったあとでも
単于の家系は貴種なんですね、以外だ。
山西省ならかつての代とか趙あたりでしょ?
適当な漢代の王族の子孫と僭称してもおかしくないのに。
103 :
世界@名無史さん:04/10/23 13:15:42
何が文化が継承されているから連続性があるだ、媚支那ども。
何が文化が継承されているから今でも漢民族だ、媚支那ども。
んじゃイシン第一王朝も、
ウル第三王朝の文化を継承しているからセム人の王朝かよ。
ふざけんなバカ。
104 :
世界@名無史さん:04/10/23 13:25:59
>>99 そうだよ
劉氏には二種類あって、帝堯の子孫である劉累、周の王室の新しい分家で子爵の劉氏(劉康公など)がある。
漢王室は前者。前者と後者はお互いに濃厚な婚姻関係を代々きづいてきたから漢王室は周王室の親類だよ。
文帝の祖母は魏の王女だし。
105 :
世界@名無史さん:04/11/19 21:13:46
漢のじゃないけど 漢代に生まれたものの末裔としては
張魯の直系が現代まで教祖やってて一番濃く残ってるよな
名前は天師道に変わってるけど
107 :
世界@名無史さん:04/11/20 11:35:58
↑五斗米道ってのはあだ名みたいなもんで正式名称じゃないでそ
正式には「天師道」じゃなかったとしたらなんて逝ったんだろう?
108 :
世界@名無史さん:05/01/04 15:31:13
そう。
109 :
世界@名無史さん:05/01/17 22:22:42 0
B
>>10 名前だけで私兵で官軍と渡り合えるか。
名前だけで徒手空拳から功を重ね左将軍になれるか。
名前だけで曹操とぶつかって負かすことができるか。
よく考えていただきたいな、三戦板以下かよ。
>>107 本人達は最初から天師道を自称してる。
飛鳥大仏等で有名な止利仏師(鞍造止利)は日本に帰化した渡来人。元の名は司馬達等。
晋朝皇室の末裔、つまりは司馬懿の子孫だという説がある。
>>112 倭王武が派遣した司馬曹達は、司馬というのが官職で名前が曹達。
(開府儀同だから長史・司馬・諮議参軍という三役を設置している)
新撰姓氏録には曹丕や曹植の子孫の氏族がいる。
この曹達が曹丕か曹植の子孫で倭王に仕えていたのかも知れないね。
>新撰姓氏録には曹丕や曹植の子孫の氏族がいる。
遼東公孫氏の子孫までいますからねえ。
ちなみに、曹魏王室の子孫には筑紫氏を称したものもいました。
23時になると登場するあのオジサンが曹操の子孫だとすると
なにか複雑なものがありますねえ。
新撰姓氏録によると、後漢光武帝の末裔が下村主、章帝の子孫が高安造、
霊帝の子孫が谷・丹波・坂上・山口・桜井・檜前の諸氏だそうですが、
もしかするとハッカーと戦った下村氏は光武帝の末裔で、
丹波哲郎先生や谷のよしくんは霊帝の末裔なのでしょうか…
>>115 丹波哲郎氏の家は、由緒正しき(宮中に仕えた医者の)丹波氏の直系らしいですから、
家伝が正しいなら、まさしく漢帝の末裔ですね。
117 :
世界@名無史さん:05/02/04 01:05:21 0
118 :
世界@名無史さん:05/02/24 21:49:47 0
秋月氏とかも系図では漢の末裔
119 :
世界@名無史さん:05/03/19 12:54:34 0
坂上氏もそうだっけ
120 :
世界@名無史さん:05/03/19 17:08:12 0
氏族ってかなりの眉唾だろ。眉唾の眉唾って…
史書を調べれば分かる。
後漢霊帝には劉弁と劉協の二皇子しかいなかった。
東漢氏は霊帝の子孫を称しているが、劉協・劉弁の子孫とはいっていない。
つまり謎の第三皇子が登場するわけ。
劉弁は若いうちに董卓に殺されたので跡継ぎはなし。
劉協は魏に帝位を譲ってから、劉協の玄孫の時に胡族によって皆殺しに
されたと史書に載っている。
つまり幽帝の子孫は存在しない
121 :
世界@名無史さん:05/03/20 10:43:14 0
122 :
世界@名無史さん:05/03/20 11:41:26 0
>>116 おじいさんはどっかの薬科大の学長だったはず>哲郎
>>120 東漢氏は献帝(山陽公)の子孫じゃなかったっけ?
東漢氏の本家筋の坂上氏の系図ではそうなってたような気がする。
>>124 だから、東漢氏の家伝では、生き残りがいて、日本に来たってことになってるんじゃないの?
平家の落人伝説みたいなもので。
あれも壇ノ浦で死んだことになっている武将の子孫と伝えていることが多いし。
どっちにしても眉唾なことに変わりはあるまい。
どっちにしろ渡来人なんだろ。
日本に来れば、先祖のことを確認できるヤシなんていないから、
詐称しただけだとおもわれ。
何処の馬の骨ともわからんよりは○○の末裔って名乗った方が有利だろうし。
129 :
123:2005/03/26(土) 19:53:09 0
>>120がいってるのは霊帝の子孫は殺されていないということ。
献帝(山陽公)の子孫がいないとはいってない。
130 :
世界@名無史さん:2005/03/29(火) 22:01:50 0
日本に行って皇帝の子孫を称するのは
現代人がアメリカに行って、チンギスハーンの子孫を自称するようなもんか?
中央アジアや東南アジアにおけるムハンマドの血筋とかも
132 :
世界@名無史さん:2005/04/22(金) 22:04:54 0
そうか
133 :
世界@名無史さん:2005/05/18(水) 21:27:04 0
134 :
世界@名無史さん:2005/06/10(金) 01:37:23 0
多いよ
135 :
世界@名無史さん:2005/06/23(木) 00:50:38 0
そうか
136 :
世界@名無史さん:2005/06/23(木) 01:02:48 0
毛沢東のライバルに劉少奇という人がいましたよね。
この人の出自は……?
137 :
世界@名無史さん:2005/06/23(木) 01:11:54 0
>>128 日本の劉氏って中国でも知られているよ。
138 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 02:22:05 0
あら? 周の姫姓スレは落ちちゃったか?
140 :
世界@名無史さん:2005/07/17(日) 07:41:03 0
ほっ・・・サンクスコでつ。
141 :
世界@名無史さん:2005/07/17(日) 09:04:05 0
孫正義って孫呉の末裔?
142 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 00:20:41 0
>>141 彼は朝鮮人だよ。
けれど兵法家の孫子の末裔を自称している。はてさて。
143 :
世界@名無史さん:2005/09/01(木) 21:29:36 0
中国系朝鮮人だろ?
144 :
世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:07:14 0
そうやね
145 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 13:53:22 0
正確には「中国系朝鮮人の子孫の朝鮮人の、在日」。
本人が中国系なわけではない。
146 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 22:56:42 0
147 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 18:53:05 0
衛満は朝鮮入りしてからは中国と接触は途絶えていたのでしょうか。
交易や交戦があったのかな。
148 :
世界@名無史さん:2005/12/03(土) 13:24:48 0
149 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 02:59:45 0
age
150 :
世界@名無史さん:2005/12/27(火) 00:29:22 0
150ゲット
151 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 20:41:35 0
孫氏一族ってすげえな。
孫権が後漢の武将から地方王国呉の帝王になり、
孫文が国民党つくり清に対する革命起こし、
孫正義がソフトバンクつくりブロードバンド革命起こす。
数千年にわたり東洋を牽引してる。まあソフトバンク孫はガセだろ。
152 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 20:56:36 0
孫武・孫[月賓]、それに孫悟空も忘れずに
153 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 21:13:26 0
孫正義って元在日朝鮮人だけどw
154 :
世界@名無史さん:2006/02/07(火) 00:15:36 0
子孫はスーパーサイヤ人か。凄い氏族だな。
156 :
世界@名無史さん:2006/02/25(土) 23:34:21 0
それで悟飯は満大人の衣裳を着てたわけかw
157 :
世界@名無史さん:2006/02/26(日) 17:32:32 0
>>153 祖父だったかが支那人で朝鮮に渡って来たんだと本人は言ってる。
158 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 16:26:21 0
159 :
世界@名無史さん:2006/03/17(金) 16:30:16 0
160 :
漢流:2006/03/22(水) 08:05:25 0
曹操の子孫の事が話題になってますが、私 上村氏 昔は上村主と言ったのですが
陳思王(又は東阿王)「曹植」の後裔でして、 古代倭国「邪馬台国」にも中国遼東半島から大きな
影響を持っていました。ハイ、その縁で中国を司馬氏に追われてからは
こっちに来て、出雲を開拓しましていわゆる「大国主命」と呼ばれました。
しかし、姉さんの「天照大神」に土地を奪われまして、これが「国譲り」なのです。
「大国主命」は子煩悩で子孫は日本には多いですね。
162 :
世界@名無史さん:2006/04/04(火) 03:20:01 0
>>161 達人は香ばしさをも肴に楽しむものですよw
>>162 確かに。キチガイはウンコでも肴にして食べるものですねw
164 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 02:04:06 0
祝二周年おめ!
165 :
世界@名無史さん:
うひ