141 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/12 00:41
楊喜(項羽の四散した死体を持ってきた人)>>>>>>>楊震(漢の大尉)>>>>>>
>>>>>楊彪(あいつ)>>>>>(何世代後)>>>>>楊堅(隋皇帝)>煬帝(暴君)
142 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/25 20:49
そういや厨房の頃、中国の歴代の統一国名を暗記したような
全く覚えていないが
>143
結構簡単なんだが覚えていないのか・・・
最初は夏?
>>144 テンポが結構良くて、覚えやすかったのは記憶にあるんだけどね
147 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/27 22:10
宋と明が似たような印象でこんがらがる
殷周秦前漢新後漢三国晋南北朝隋唐五代北宋南宋元明清中華民国、中華人民共和国
>>148 それ・・・統一王朝じゃないのも混じってるぞ。
三国と南北朝、五代と南宋。下手すりゃ中華民国も除外されるような。
早覚え、もしもしかめよの節で
いんしゅうしんかんさんごくしん
なんぼくちょうずいとうごだい
そうげんみんしんちゅうかみんこく
ちゅうかじんみんきょうわこく
>150
ガイエの創竜伝で覚えた・・・リア厨の頃の痛い思い出だorz
153 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 05:58
>>147 宋は学者と商人の国。明はドキュンと商人の国。
154 :
無名武将@お腹せっぷく:04/04/30 22:09
夏
>>147 宋はまだポジティブ、明はもうだめぽな感じでネガティブ。
と言ってみるテスト。
明は商人が冷遇されてなかった?
太祖洪武帝の祖法とかで代々重農主義をとってたような。
明は宦官と戯曲家の国のイメージがあります。
三国志演義なども明代にほぼ完成されたようですし。
後漢や唐と違って、外戚と結んだ悪辣な宦官が現れなかったので。
156の補足。
現在政治で活用されてる「内閣制」も明代の永楽帝時代に登場してます。
明後期になると、有能な宦官が多数出て廷吏と共に怠け者の皇帝の代わりを
務めるようになりましたから。
自分としてはネガティブなイメージはないと思うよ。
明は商業の大層発達した時代です。
概説書でいいからちゃんとお勉強してね。
明代の朝廷は民間の海外商業行為を許してないよ。勘合符が必要な官製のみ。
なぜ、後期倭寇が発生したのか考えてみ。ほとんどが密貿易。
もっとも、国内は河川を利用した漕運業者はいたが、民間経済が本格的に盛んに
なるのは清朝になってからだよ。
どんな入門書読んでるか知らないがお勉強しなおしてね。
永楽帝の時代はかなり商業が盛んだったと思うが?
泉州が明代に没落したのは海禁が原因なのは確かだが。
民間の海外商業行為禁止と、商業の発達は必ずしも矛盾しないよな。
入門書以前に国語のお勉強かな。
>>159 >民間経済が本格的に盛んになるのは清朝になってからだよ。
石見産日本銀とポトシ産メキシコ銀の流入で、
既に明末(嘉靖年間頃)から、半ば強制的に
経済が沸騰常態だったと見聞きしたが、如何に。
三国時代から離れすぎだろ
164 :
ジャイアニズム:04/05/02 10:22
限度を知らない連中ばかりだからなあ
所でなんで海外貿易を禁じていたの?
166 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 13:57
三国時代と比べればたしかに明でも清でも「その後」にはちがいない。
けして三国時代の「その前」ではない罠w
167 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 15:13
>>1 下限を決めた方が良かったな…。
俺的には隋の天下統一によって、後漢末以来の分裂が終わるまでに限定すべきだと思うが。
板違い
三国時代が21世紀にも続いてたらどうなってたと思う?
魏、呉、蜀のどれに日本は味方すべきだろ。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/02 19:43
呉
>>169 マジレス。
絶対にありえない話だから予想できない
>>162 インフレ状態と景気高揚を一緒にしては危険。
景気が良いなら民衆の不満が高まるのは激しく矛盾。
173 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 00:01
>>169-170 絶対にありえないということもないだろう。
その場合、漢民族というのは蜀の少数民族の名になってたろうな
174 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 00:38
>>169 中華民国建国後の軍閥政治は似たような感じだったよ。
175 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 08:48
>>169 日本はアメリカと同盟しているので三国は放置
176 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 09:55
>>169-174 そうすると、華北に共産党政権、江南に国民党政権、
四川省に漢族(=少数民族)の独立国「大漢民国」で鼎立かなw
177 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/03 22:15
>>174 それって所謂「現代版三国志」か?ま、いまさら現代でもないが。
江南の汪兆銘、四川の毛沢東、華北の蒋介石ってか
179 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/08 10:31
180 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 01:00
漢人と非漢人ってどこで区切るの?
個人的には異民族出自でも精神的文化的に漢化すれば「漢人」と称していいと思う。
隋の楊氏や唐の李氏は漢人とみなしていいでしょ。
北魏のタクバツ氏なんかは姓からして異民族だし、当初は弁髪に胡服、公用語も鮮卑語だった。
孝文帝の代になって、結髪・漢服を義務づけ、公用語も漢語、姓も漢族風に一字姓になった。
(タクバツ氏は白氏と名乗るようになった)
この時点で鮮卑族は消滅し、漢族に同化されたとみなせるのかも。
ただ、北魏滅亡後の次の王朝(名前失念)は孝文帝以来の極端な漢化を嫌って
いくぶん先祖返りしたようだし、
唐代の有力者に「宇文」氏がいるけど、これは鮮卑族そのままの姓。
つまり唐の初期ですら鮮卑の色彩は残ってたわけで、
華北の漢化が完了するまでにはずいぶん時間がかかったのかもしれない。
>(タクバツ氏は白氏と名乗るようになった)
元氏だろ
182 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/09 01:08
ごめんそうだった。
唐の李氏は漢の名家の出身と称し、
ある高僧に「陛下は鮮卑族の子孫です。」と言われて激怒している。
この時点で精神的に漢民族なんだよなあ。
自称東京生まれ東京育ちの人間が、地方を馬鹿にしまくってたところ
「君のお父さんは高校卒業後、青森から夜行列車で上京してきたんだろ。」
と痛い所を突かれてキレるのと同じ。
劉淵も漢王室の復興と称していたのだから、漢化してたのかもしれない
早くから内地に住んでたし、当然漢文化にふれてたわけで、
見た目も、われわれがイメージするキョウドとは明確に異なっていたのかも。
唐の李氏は太宗が歴史マニアになって南北朝期の歴史書の編纂をはじめた時
に自分の先祖の系図を捏造したのがバレバレだったんで、本心では自分が
鮮卑の子孫であったことは自覚していたことになる。
劉淵は中国の域内の匈奴だし、匈奴単于と漢皇帝の両方の血をひくのも
事実だから、両方のプライドをもっていた。
たしか、鮮卑をひたすらおそれる晋にたよられた時に
「鮮卑なんて乞食どもは我が匈奴の奴隷みたいもんだから心配すんな」
とかいってたとかなんとか。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:04/05/16 15:58
>>169 モンゴルに征服される。
または欧米列強の植民地になっている。
いろいろあって現在に至る。
糸冬 了
189 :
無名武将@お腹せっぷく:04/06/16 12:37
見た目こそ人間だが、その中身たるや獣と同じ野蛮な遊牧民に征服された
いんしゅうとうしゅうしゅんじゅうせんごく しんぜんかんしんごーかん
ぎーしょくごーせいしんとうしん そうせいりょうちんずーい
ごーこじゅうろくほくぎーとうぎーせいぎほくせいほくしゅう
ずーい(2回目)とーうごだいじっこく
そうきんなんそうげんみんしん
アーループースいちまんじゃーく(だったか?)の節で。
高校で覚えさせられたけど、これは今でも覚えているな。
「夏」が抜けていたりと結構不完全ではあるけれど。