673 :
世界@名無史さん:
劉裕って漢王室の子孫なんですか?
674 :
世界@名無史さん:04/04/04 22:21
僭称だろ
675 :
世界@名無史さん:04/04/04 22:33
500年続いたから、ゴミみたいな宗族は大勢いただろ?
源平以前の、○○王、みたいなもの。
清少納言も、そんな皇族と結婚していたらしい。
漢の楚元王劉交の二十一世の孫と僭称してます。
劉裕は彭城の人で、彭城は楚の都だとかゆってるね。
677 :
世界@名無史さん:04/04/05 04:09
南朝の斉(と梁)の帝室も蕭何の末裔を名乗っていますね
679 :
世界@名無史さん:04/04/05 05:49
南斉と梁って同じ一族ですか?
あと、劉宋以降の南朝の王家はすべて漢民族なんですか?
681 :
世界@名無史さん:04/04/06 03:52
>>680 系図確認してきました。
南斉を建てた蕭道成(高帝)の曾祖父の弟の玄孫にあたるのが、梁を建てた蕭衍(武帝)なんですね。
ちょっと感激です。
ところで、南朝最後の陳を建てた陳覇先って、集英社の漫画「世界の歴史」では、北方系の異民族みたいな格好で描かれていたのですが、彼は漢民族ではないのですか?
682 :
世界@名無史さん:04/04/06 03:54
>>681訂正
× 漫画「世界の歴史」
○ 漫画「中国の歴史」
たぶん、こっちだったと思います。
>>677 面白いスレの紹介サンクス。
電波説を擁護してきました。
684 :
中華@名無史さん:04/04/06 15:26
>>681 >ところで、南朝最後の陳を建てた陳覇先って、集英社の漫画「中国の歴史」では、
>北方系の異民族みたいな格好で描かれていたのですが、彼は漢民族ではないのですか?
それは陳覇先では無くて、宇宙大将軍だと思われます。
自分もその漫画を所持して居るので間違い有りません。
685 :
世界@名無史さん:04/04/06 16:02
宇宙大将軍って?
>>686 石虎・赫連勃勃に続いて魏晋南北朝DQN大賞(北狄部門)にノミネート決定?
検索したら
簡文大驚曰:「將軍乃有宇宙之號乎?」
って出たんですが、ここの「乃」ってどういうニュアンス?
>>688 「意外にも。なんとまあ。」(角川「新字源」の助字解説より)あたりじゃないかと。
690 :
世界@名無史さん:04/04/06 19:29
691 :
世界@名無史さん:04/04/06 19:53
南朝・梁の系図を見たら、後梁ってのがあったんですが、これなんですか?
しかも、何故か隋とも系図が繋がっているみたいなんですが。
西燕が十六国に含まれない理由は?
694 :
世界@名無史さん:04/04/07 03:59
そもそも「十六国」の定義がハッキリしない。
十六国春秋を編成した崔鴻に聞いてみておくれ。
>誠に申し訳ございませんが、大変残念なご報告があります。お客様のご注文内容のうち、
>以下の商品については入手できないことが判明いたしました。
> 越智 重明 (著) "晉書"
_| ̄|○
>694
「三十国春秋」って史書もあったらしいからな。
すごい基準だ……。
>>695 ページ数少ないのでどっか図書館で借りてコピーすれば\1,000以下で済むのでは
…なんて露骨な著作権法違反は絶対しちゃダメですw
二回にわけてコピーすればいい。
ただし「別の研究課題ができて偶然同じ本の別の場所を必要になった」
という顔してないとダメだけど。法の拭け道ですな。
700 :
世界@名無史さん:04/04/11 15:20
西燕とか16国に含まれていないからね。
前仇池・後仇池・冉魏も含まれていない
>>699 いい機会だから、思い切って図書館で「書写」にトライだ!
>>703 中華書局本で晉書と魏書持ってます。
注釈の部分が読みたくて…
やっぱ全コピかな。部分的に自分で訳してみたりはしてるんだけども。
>>703 変なソフトインストールされそうになった
(簡体字表示するためのソフトなんだろうけど)
明徳出版社『晋書』の抄訳ってたいして内容がなかった気がするけど。
中華書局本もってるんだったらそっちで充分じゃないの?
>>705 台湾中央研究院は繁体字(要BIG5)だよん。
明徳出版社のあのシリーズは、和訳はあくまでおまけでメインは書籍解題じゃないかね。
>>695 復刊ドットコムへ再版依頼しようかな?
しかし、あそこはいまだに侯景の乱始末記が復刊されてないから
まったくアテにならんかも。
>>708 侯景の乱始末記くらいは古書店まめに回ってたら見つからない?
>>705 普通にMSのサポート
変なソフトは、こっそりとインストールされるもんです。
669 名前:名無しさん@事情通 投稿日:04/04/14 17:56 ID:hlnxbrL3
06年大河ドラマ『五胡十六国』 初めての中国史!
このレスつけた人は正直に名乗り出なさい
>>711 無理がありすぎ。日本とのつながりがほとんど無いから視聴率とれんぞ。
おそらく、このスレと板じゃなくて別板の方が犯人じゃないか?
まずは「その時歴史が動いた」で取りあげてもらうことから始めよう
714 :
世界@名無史さん:04/04/16 20:09
苻堅は朝鮮半島に仏教が伝わった当時の王様だから
あながち繋がりが無いではないかも。
皇室騎馬民族飛来説とかも絡めれば
いい線いくんじゃないの?
それにしても苻氏と慕容氏って
シャイクスピア悲劇みたいね。
715 :
世界@名無史さん:04/04/16 20:11
シャイクスピア・・・ぷぷぷ
ェだェ!
とりあえずアニメで。
717 :
世界@名無史さん:04/04/16 22:22
姚興と鳩摩羅什の心の交流を描く一大感動巨編。
赫連勃勃役には竹内力。
718 :
世界@名無史さん:04/04/16 22:29
いいね!
日本をうまくからませられないかね。「埴輪は見ていた!」・・・ダメポ
>>717ワロタ。なぜに脇役(それもDQN系)から決定?
東晋ユ太后は誰がやるのでしょう?
721 :
世界@名無史さん:04/04/21 23:48
722 :
世界@名無史さん:04/04/22 21:28
「天王」から「天皇」が来た、ってのは宮崎市定が書いてたな
723 :
世界@名無史さん:04/04/23 02:37
>>722 「天王(てんわう)」から来ているから、「天皇」は、「てんくゎう」と漢音で読まずに、「てんわう」と呉音で読むって説だね。
しかし、常識的に考えて天皇号の成立が大宝期よりも前に遡るのならば、呉音で読んでいても何の不思議もないから、直接結び付けるのはどうかと思うよ。
もっとも、全く影響がないとは言わないけどさ。
724 :
世界@名無史さん:04/04/24 03:51
>>713 まあ、日本人にも知名度がある王羲之か陶淵明あたりをメインテーマにしない限り、この時代の中国史を取り上げるのは無理だろう。
725 :
世界@名無史さん:04/04/25 20:56
劉淵が中国に侵略してたときのオルドス地方は誰が治めてたの?
夏を建国した人たちの先祖?
726 :
世界@名無史さん:04/04/25 22:54
鮮卑か柔然じゃない?
匈奴鉄弗部かね。
彼等は何時頃からあそこに居たんだろう
匈奴鉄弗部は、劉虎・劉閼陋頭・劉悉勿祈・劉衛辰…と、結構前からあの辺にいるような気がする。
白部鮮卑とかいうのもいなかった?日六延とか。
オルドス地方が「実質」中国領になったのは北魏から?
支配民族は別として。
漢の武帝からじゃないか?
「実質」は五原とか雲中とかの郡県が置かれたあたりかもしれん。
後漢末に南匈奴の連中を内地に移住させたあたりからまたおかしくなるけど。
いちおう秦の始皇帝もオルドス征服には成功してるけどな。
731 :
世界@名無史さん:04/04/27 02:24
オルドスって今でも内蒙古自治区になってるけど、やっぱり漢民族が定着できない場所なの?
雨が少ないから農耕に不向きだし
その割りに遊牧には適した土地だから
漢族が土地を確保しても遊牧民が攻めてくるし
733 :
世界@名無史さん:04/04/28 01:11
あれ?後漢三国時代の勢力図見るとオルドスの所は空白になってるよ?
領土じゃないんじゃない?
仮に領土だとしたら、どこの州に属するんだ?
并州か雍州か涼州のどれだろうか。
それとも黄河以北は担当外なのかな>オルドス地方
三国時代のオルドスは鮮卑か匈奴の領地じゃないの?
736 :
世界@名無史さん:04/04/29 02:54
オルドスって何で漢字表記しないの?
>>736 現在は漢字表記すれば「鄂爾多斯」になります。
何かを書くとき、いちいち鄂爾多斯では読みにくいこともあるので
簡単にオルドスと表記しております。
「鄂爾多斯」e入er上duo平si平
古くは河套じゃないのか。
そういや遊牧漢族っていなかったのかな?
鄂爾多斯ってもろ当て字やん
>>740 今の内蒙古には暮し・生活形態はモンゴル人みたいな遊牧で
言葉と姓名は中国人ってのがかなりいるようでつ
どうでもいいけど内蒙古出身の力士蒼国来の本名は恩和図布新だって。
なんて読むんだろう?
たぶん文語で
engke-tübsin
だと思う。それぞれ平和、安定の意味。
744 :
世界@名無史さん:04/04/29 21:24
オルドスって何語だ?
つーか後漢時代には殆ど匈奴領といってもよくね?
モンゴル語。
テントの宮殿がordoで、その複数形がordos。
746 :
世界@名無史さん:04/04/30 17:14
△←オルド
△△△△△△
△△△△△△←がオルドスね。分かった。
↑分かりやすい説明だw
ってマジかよ?!
黄河の湾曲部がオルドスと呼ばれるようになったのは、15世紀頃に
モンゴル族のオルドス部が古くから「ボル・トハイ」と呼ばれた地に
移住したのが始まり。ボル・トハイの意味は褐色の湾曲地。
それ以前は、漢族が「河套」と呼んでいた。五胡十六国時代はこの名称。
最近は民族対策の影響でこの古名「河套」が復活しつつあるらしい。
晉書、惠帝紀、訳してみた。
>>752 ・「羣后」は「諸侯」の意。
「祖先の加護や宰相の補佐を頼みに、小さい自分も諸侯の上に身を託す事が出来た」
・「夕タ若氏v 夕べにタ若として(なや)む
「タ若」=恐れ慎む 「氏v=「病」
・「三事股肱、惟社稷之重」
「社稷」を強調する構文 目的語+「之」+動詞 三事の股肱、惟だ社稷をこれ重んじ
「股肱の臣はとにかく社稷が重要であるとして」
754 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/05/17 08:14
>>164、
>>380 魏書読んでたら、あの北魏の名将・楊大眼が、
あのド地味王国w仇池の出身だと知ってビックリしたぞ。
「楊大眼,武都氐難當之孫也」 《魏書 楊大眼傳》
・・・って、
>>500で既に触れられてたか。
>>498-499、
>>504 昔何かで読んだのでは、「五斗米道と関係がある」とか何とか。
ソースは思い出せないので、もしかしたらデタラメかもしれん。(汗
ただ、親・子・孫・それ以降と平気で何代にも亘って「○×之」と通字
を踏むこの形式は、祖先の諱を極度に避ける伝統中国にあっては、
確かにかなり異例。詳細・定説をご存知の方、ご教授を切に希望。
756 :
世界@名無史さん:04/05/22 06:38
757 :
姉妹スレage:04/05/26 00:26
758 :
世界@名無史さん:04/05/26 05:21
759 :
世界@名無史さん:04/06/01 16:12
基本的な質問ですが晋が「南」渡して出来た国なのに
なんで「東」晋って言うの?首都の位置関係だけの話ですか?
宋の場合は「南」宋って言うのに南に遷った事実を認めたくなかったんですか?
と、燃料投下してみる
歩き出す方角の違いではないかと思う。
晋の長安や洛陽から建業へ行くには、一旦東へ向かって歩き出し、
やがて南へ方向を変える。
それに対して、宋の開封から杭州に行くには大運河を南下する。
その最初の一歩の方角の認識ではないかと私は思う。
江南ともいうけど、江東ともいうよな。
むかしの中国人の地理認識・方向感覚って、いまの正確な地図を
持ってる人間のものとは別物だと思う。
日本列島だって東西より南北に長くて、
朝鮮半島の南、会稽の東、暹羅(シャム)に連なるって認識だっ
たんだから。
呉地方はれっきとした江東ですよねえ。
そういや、三国志の孫策も江東の小覇王と呼ばれてたっけ。
もし、江陵に逃れてたら南晋と呼ばれてたかもね。
763 :
世界@名無史さん:04/06/02 02:38
今更だが
>>160の
船木勝馬『古代遊牧騎馬民の国』誠文堂新光社、1989
をネット本屋で探してみたらどこもなかった
絶版ぽい?
古書店で探すしかないんだろうか?
教えて黄髯碧眼の人
>759
東晋だろうが南宋だろうが自称じゃない。
所詮方位をつけるのは後の世の人よ
「後」金も後代の人が命名したの?
766 :
世界@名無史さん:04/06/05 16:37
>>765 おそらく最初から後金。
建国当初は金の再興という意味あいでそれなりの理由があったが、太祖没後、いつまでも後金だと体裁が悪いから清に替えたらしい。
スレ違いの解答なのにありがとうございます
しかし王朝名で「後」を自称するのは珍しいのでは…
日本の天皇の名だけど「後」醍醐天皇みたいなもんでしょうか
>766
そんなわけ無いでしょ。後はもともとは無い
清にしたのは漢人への配慮。金では対立感情をあおるだけだから
>>768 「清」にしたのは「さんずい」にある字を選んだから。
五行相克説では「火徳」の次は「水徳」。
そして、敵である「明」は火徳の王朝。
「火には水」の発想から、「さんずい」のある字を選んだ。
民族名を「女真」から「満洲」に変えたときにも、「さんずい」のある字を選んだ。
だから「満州」という表記は、不正確。
水分が半分ほど蒸発している。
ソースは
講談社現代新書972「中国の大盗賊」
少なくとも「漢人に配慮して清にした」ってことはないと思うが・・・。
>水分が半分ほど蒸発している。
ワラタ
771 :
世界@名無史さん:04/06/06 23:46
___________
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//j/三三三三三三三三三三ヾ、
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── |::||::::::::::::: \___/ |j 少しは感謝して肉をちょうだいよね!
ヽ\:::::::::::::::. \/ ,ノ
 ̄`ー―---oo-――'"0
司馬衷と共に、苦難を乗り越えていくスレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1079605085/l50
誰?>劉曜
前趙のは劉耀だから違うし・・・
日偏の「劉曜」で合ってるよ。
『晋書』巻一百三戴記第三劉曜を見よ。
っていうか「劉耀」なんて誤字ってる資料があるのか?
761←中国では万暦帝期までは日本は南北逆の認識があったからじゃないの?
朝鮮では15世紀まで日本地図が逆に描かれてますよ。それなら九州を機軸にして
反転させたら会稽の東でシャム方面にまで行くのではないでしょうか。
万暦期の日本認識もかなり笑えますよね。
たぶん焦って古い書物ひっくり返して調べたんでしょうね。
秀吉に関する事は当時の日本人にもよく知られてなかったでしょうけど
認識的に鎌倉政権あたりの認識しかなかったみたいですね。
あと、劉曜で正しいですね。
776 :
世界@名無史さん:04/06/09 22:32
満州語では、「金」も「清」も発音が同じらしい。
しかし、満州族の王朝のせいで
>>771みたいな「玉すだれの冠」かぶった皇帝がいなくなったのは寂しいよ。
清王朝の皇帝画像と、それ以前の漢民族王朝の皇帝画像くらべると、どうしても後者が偉く見える。
あのすだれは皇帝本人にしてみれば邪魔だったろうなあ。
明代の皇帝も玉すだれみたいなの被ってたの?
明代の皇帝ってあの烏帽子?みたいなの被ってるイメージがあるが
780 :
世界@名無史さん:04/06/09 23:10
「玉すだれ」は「べん冠」が正式名。
即位式とか正月の儀式などの時かぶる。
明代の皇帝もそういう時はかぶっていた筈。
>779
明の洪武帝の肖像画(美化されていないほう)で、あの玉すだれ冠被っていたよ。
782 :
世界@名無史さん:04/06/09 23:46
五代十国の南漢って、ドジな国だな。
前漢以来、千年も中国の支配下にあった北ベトナムに独立されちまった。
>782
書き込むスレ間違ってませんか?
ここは五代十国とのスレ違いには敏感なインターネットですねw
五胡十六国の翟魏って、可哀想な国だな。
このスレで名前出たことあったっけ?
>>785 あの辺りになると国というか唯の叛乱勢力といえばいいのか…
まあどっちもあまり変りはないのだが。
しかし翟魏よりは蓋呉の方が強そうだわな。
787 :
世界@名無史さん:04/06/10 15:22
>>785 翟魏って、漢族だけの国家を目指して自滅した国だっけ?
既に五胡が流入している現実を否定したかったんだろうな・・・
788 :
世界@名無史さん:04/06/10 15:26
>>787 失礼!
「冉魏」と勘違いしてた!
丁零(トルコ系遊牧民)の翟遼が建てた国だね。
丁零族三万八千戸と、小規模ながら中原に自立した国。
>>784 よく混同される
予備校で教えてるけど「五代十国と五胡十六国は違うんですか?」と
聞いてきた生徒がいた
うーん、翟魏って前秦崩壊後のどさくさまぎれに成立した印象があるから、
自分には独立国とは思えないなあ。いや、自分の主観に過ぎないけど。
仇池国の方がまだしも存在感ある気が・・・。
791 :
世界@名無史さん:04/06/11 01:03
>>790 つうかあの頃は独立国と叛乱軍とその辺をうろついている武装集団の間に
本質的な差は無いんじゃないか?量的なさの問題であっという間に潰されるのと
一応天下国家を目指せる物との差は有るんだろうけど。
>>789 五胡十国と五代十六国と反対におぼえてる同級生もいたな。
頭がともに「五」なのは漢字に弱い香具師にはちょっと気の毒w
五なんとか十なんとか、くらいに覚えてるんだろうな
なぜ五胡でなぜ五代かと教えればもうちょっと違うと思うんだが。
六朝だから五回王朝が変ったから五代とか、とんでもない間違えをおかしたりして。
>>793 高校生にそこまで要求してもね…
高校生の内歴史、特に中国史に興味が有るのがどれほどいることやら
>789
五胡十六国 四世紀 司馬晋の統一の後
五代十国 十世紀 唐の後
って教え方だとわからないって事?
五胡十六国 三国志の約四十年後
五代十国 三国志の約六百年後
ならわかってくれるのかな?
よほど歴史好きの高校生じゃない限り、受験勉強でいやいや暗記するんだから
「五」と「十」だけで何となく覚えていて混同するのは仕方ないと思われ
日本史で言うと戦国時代以前の室町時代って感じなのかな?
不人気の度合いでは
人気ないし仕方ないね
俺も大学はいるまで、どっちも頭の中に入ってなかったよ
テストにも試験にもでないもん
朱全忠だけは覚えたかな・・・なぜか
>つうかあの頃は独立国と叛乱軍とその辺をうろついている武装集団の間に
>本質的な差は無いんじゃないか?量的なさの問題であっという間に潰されるのと
>一応天下国家を目指せる物との差は有るんだろうけど。
たしかにそうかもしれない・・・・。
「載記」を読むと、後秦とかも「単なる大きな流賊集団」の時期がありますね。
前秦の復興もけっしてノーチャンスじゃなかったというか。
あとは、地政学的な問題でしょうかね? 河西回廊を根城にした「五涼」のような。
792〜798、横レスになってゴメン。
今度は仇池関係のものでも訳してみようかと思って、楊大眼に手を出したが上手くいかない。
軍主とか統軍とか、志に説明のってない。
>>797ですが、漏れ的には五胡十六国時代は歴史のダイナミズムを感じる
面白い時代だと思ってるんですが…
まあ三国志萌えの素人にはお勧めできない時代なんでしょうか?
802 :
世界@名無史さん:04/06/11 22:48
>>801 三国志には演義があるからね。
あれが無ければ三国志も五胡十六国も同じ様にマイナーだったんじゃないかな?
>>800 中央研究院で通典を検索したらこんなの出てきた。参考になる?
雄烈、恢猛將軍翊副都督諸開府東西閤祭酒及參軍事、諸曹行參軍三等下州功曹、倉曹、
中兵參軍事四中府功曹、倉曹、中兵參軍三等中州主簿、諸曹參軍事二府司馬・事府丞
左右備身五職三等鎮錄事參軍六寺丞祕書郎中著作佐郎太子侍醫太子騎尉太子騎官備身五職
(都將、別將、統軍、軍主、幢主是也.)
下同.三等中郡丞三等中縣令
( )の中が注。ここに統軍と軍主が出てきてる
>>803 演義は「春秋演義」から「中華人民共和国演義」まで全時代あります。
ダントツの人気が「三国志通俗演義」だということです。
>>803 ありがとうございます。
読んでみます。
しかし何だって日本ではこれだけ「演義=三国志演義」なんだろうな。
他の演義物って成立年はどれ位なんだろう?
ほかの演義の質が悪すぎるからだろ。
蔡東藩なんて中国でも評価されてないだろ。
三国志以外の演義ものってあまり話題に上らないよな
せいぜい隋唐演義くらいかな
>>795 単純に16の国が争いました、5代の王朝が現れました、で良いと思うけど。
>>795 西洋史に興味あるなら、ゲルマン民族の大移動に絡めて説明すれば
面白いと思う。時代的にも近いし、大帝国が崩壊するサマも似てる。
西燕って結局何だったんですか?
とりあえず、段随と慕容凱の出自を教えてください。
段部って扱い小さいな
台風の目が上に北らコンビニに行こう。
>>809 三国演義がこれだけ広まったのって三勢力の争いが一番おもしろくてすっきりしてるし
話の時間の長さ的にもちょうど良い分量であるからではない?
段部は五胡時代の裏方
>>815 ほかのヤシも指摘しているが、
三国演義は三勢力に収斂する前のほうが人気あるし、おもしろい。
五胡十六国だって作り手の力量や構想がしっかりしていれば面白いものが
できるはず。
張重華ってかっこいい名前だよな
819 :
世界@名無史さん:04/06/23 18:35
五胡十六国には三国志に見られる「善=劉備=蜀VS悪=曹操=魏」という
ストーリーの核となる対立がないのが厳しいんじゃないかな。
中心に据えられる陣営が無いと言うか
>>818 舜の名前真似たんだよ。もともとは「瞳が二重」という
意味だとか。
中心に据えられる陣営…慕容氏じゃないか?
前燕〜後燕〜北燕
けっこう格好いいキャラ多いよ。
822 :
世界@名無史さん:04/06/23 21:54
水滸伝に出てくる慕容彦達って子孫なのかな?
823 :
世界@名無史さん:04/06/23 22:58
>>821 確かに中核に据えることが出来るのは慕容なんだけどね。活動時期も長いし。
ただあそこは垂死後以降がちょっとさ…
北は一貫した勢力がないからどうしても主人公(勢力)を
設定するのは難しい。いっそ南朝のクサレ貴族どもの
冷ややかな視点で語らせて、南朝のダメダメさも浮彫りにする
という作戦はどうか?
>>823 最後のぐだぐださはちょっといい加減にしてくれと言いたくなる
或る程度一貫性があるのは、
慕容・拓跋・東晋・仇池くらいだが、
拓跋と仇池はあまりにも華がないということで。
三国時代220-280
五胡十六国時代304-439
819の「中心に据えられる陣営=善役主人公」としよう。
三国志演義は後漢末期も含めても100年を越えない。主人公は劉備と諸葛亮の2代。
ところが、五胡だけで135年にも渡り西晋末期も含めると150年に達してしまう。
善役主人公だけで何代も頻繁に代わる演義物は相当難しい題材と思われ。
符堅は主人公のひとりになれると思うが、晩年がイマイチかな。
すまん、漢字間違えた。
827の符を苻に訂正よろしく。
一ヶ所に視点を置くんじゃなくて、群像モノでもいいんじゃないかな。
劉曜vs石勒とか、苻堅と王猛とか、赫連勃勃のDQN物語とか。
那珂通世『支那通史 中冊』(岩波文庫)を見ていたら
竹かんむりの「符堅」と誤字っていた。
かほどの人でも間違えるとは、根が深いのね。
正直ネットで間違い多いのもしょーがない気がする。
正しくは草かんむりの「苻堅」。
831 :
世界@名無史さん:04/06/24 19:45
どうせ苻堅の苻なんて借音なんだろうから苻でも附でも符でも府でもいいんでない?
なんていったら人毎に書き方変っちゃうから駄目だな。
>>829 視点がちょろちょろ変ったら感情移入が難しくなるんじゃないかな?
三国志の場合は講談師に合わせて大泣きするくらいの感情移入度だからな
っと、いい忘れてたけど胡漢春秋様
>>812のお仕事乙です。
俺も暇になったら何か訳そうかな?
ん? 苻氏は始め蒲氏だったのを、「艸(くさ)付なる、まさに王なるべし」という
予言があったのと、苻堅が生まれたときに「艸付」の字がその背にあったことから
苻の姓を名のったんじゃなかったっけ? うろ覚えだが。
中華書局の標点では「艸付應王」となってるようですが。
草に予言文が付いてるって、インドまでアガスティアの葉を見に行ったのかと思ってしまったw
しかし、この五胡十六国ってのはとにかく血なまぐさい、
後の南北朝とあわせて中国史上最悪のDQN時代なんじゃないだろうか?
同じ戦乱の時代でも、三国にしろ五代十国にしろここまでひどくはない。
その辺もすかれない理由なんじゃないのか?
>>836 うーん、冉閔や赫連勃勃はDQNだし、南北朝でも太武帝の南征やら南朝の
殺人皇帝ども見てるとひどいもんだけど、
中国史上最悪かどうかは分からん。
規模的には明末清初の杭州十日、嘉定城のほうがでかいかもしらんし。
太平天国も結構痛い。
軍閥混戦、内戦、反右派斗争、文革と…
近現代は云うまでもなく痛いことが多い。
五胡十六国や南北朝のほうが妙な気兼ねなく喋れていいかもしらん。
好かれていないのは、取っつきがややこしいから一般に理解されてない
だけだと思う。
血生臭いのに拒否感がある人にはもちろんお勧めしないけどね。
唐なり宋なり明なり清なりの盛時に逝ってくれとしか。
>>837 杭州じゃなくて揚州十日記じゃないかと…
三國志10が盛り上がってるな…
しかし、皇帝になる条件が都市数だと冉閔プレイができないじゃないか。
840 :
世界@名無史さん:04/07/06 16:57
あげとくか
三戦板の「三国時代のその後」スレが落ちています
わざわざ報告乙
新スレ立っても報告やリンクいらないよ
一応ホシュ
遺晋
846 :
コピペage:04/07/22 22:52
おまいら朗報だ! 第5巻はいつごろの発売かな?
-----------------------------------------------------------
277 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/07/20 08:28
中国の歴史 講談社 全12巻
編集委員 礪波護・尾形勇・鶴間和幸・上田信
1 神話から歴史へ(神話時代〜夏王朝) 宮本一夫
2 都市国家から中華へ(殷周 春秋戦国) 平勢隆郎
3 ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国) 鶴間和幸
4 三国志の世界(後漢 三国時代) 金文京
5 中華の崩壊と再生(魏晋南北朝) 川本芳昭
6 絢爛たる世界帝国(隋唐時代) 気賀澤保規
7 中国思想と宗教の奔流(宋朝) 小島毅
8 疾駆する草原の征服者(遼 西夏 金 元) 杉山正明
9 海と帝国(明清時代) 上田信
10 ラストエンペラーと近代中国(清末 中華民国) 菊池秀明
11 巨龍の胎動(毛沢東VSケ小平) 天児慧
12 日本にとって中国とは何か(環境・開発・人口の中国史 世界史の中の中国 他)
尾形勇・鶴間和幸・上田信
葛剣雄・王勇・礪波護
2004年11月 3・11巻発売、以後05年1月より1巻ずつ配本
講談社が約30年ぶりに「中国の歴史」を出します。学説も執筆者の顔ぶれも
大きく変わっていますが……期待できるでしょうか?
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なんか、こういうのって南朝ばっかり詳しいような気がする。
848 :
世界@名無史さん:04/07/23 03:06
川本先生か。まあ期待できるかな
849 :
世界@名無史さん:04/07/23 13:14
川本先生は世界史リブレットの著者ですね
一応五胡十六国・北朝史が御専門みたいなので期待してみる
というか、神話時代〜夏王朝だけで1巻書けるのかよ。
龍山・良渚・黄帝・舜・ケツ王の話と、魏晋南北朝が同じ分量というのもちょっと
複雑な気分・・・いや考古学や神話学をバカにしているわけではないが・・・
ちなみに30年前の『中国の歴史』全10巻の構成は以下の通り
(サブタイトルはうろ覚え)
1.原始から春秋戦国
2.秦漢帝国
3.魏晋南北朝
4.隋・唐
5.五代・宋
6.元・明
7.清帝国
8.近代中国
9.人民中国の誕生
10.目で見る中国の歴史
原始から春秋って凄いな…
三十年前って殷の存在が確認されていないんだっけ?
>>852 iいくらなんでも存在は確認されてるだろうw
その巻は学術文庫から出てるけど殷代の記述もある(夏の時代はなかったと思う)
>>853 うみゅ。殷墟の発掘は1928年、大規模な発掘は1950年代以降に何度もあるからね。
855 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/07/23 21:18
時代配分と担当者と大学の間には因果関係があるんだろうか?
東大なら一巻まるまる使えるとか。
857 :
世界@名無史さん:04/07/23 23:04
金文京って誰?
金先生は三国時代史の研究者というより三国演義の研究者って感じだが
再版の講談社学術文庫のやつも早く全巻出てほすぃ〜。
>>860 「人民中国の誕生」の巻がちょっと厳しいんじゃ…
でも中公文庫はもっと古い人物往来社版『東洋の歴史』を全部出してるから
何とも言えないが
862 :
世界@名無史さん:04/08/02 10:34
匈奴族が二十万人も大虐殺された、というのは本当?
>>862 冉魏?非漢人がいっぱい殺されたらしいね
五胡十六国でDQNランキングを作成したら冉閔のベスト5入りは堅いだろうか
五胡十六国DQNベストファイブといえば…
石虎
冉閔
赫連勃勃
あと誰がいたっけ?拓跋珪もランクインするかな?
苻生じゃインパクト弱いか…
慕容一族は人格者が多そう
明の皇帝なんかと比べると意外とDQNは少ないんじゃ?
869 :
世界@名無史さん:04/08/10 20:39
禿髪一族・・・
蕭衍じじ
871 :
世界@名無史さん:04/08/10 23:31
劉曜も相当な悪じゃないか?
872 :
世界@名無史さん:04/08/11 15:36
劉聡のが明らかにドキュソだろ。
873 :
世界@名無史さん:04/08/11 15:52
赫連勃勃が築かせた城、統万城が内モンゴルに今でも残っている。
この城は石灰を混ぜた土を搗き固めて堅固な城壁にしてあるのだが、
築城の際、役人は槌と釘を持って城壁の硬さを検査した。
もし釘が一寸でも城壁に打ち込まれれば、現場責任者は「手抜き工事!」ということで
処刑されたという。
>>873 NHK「大黄河」のオルドスの回に映像があったな。
統万城跡に住んでる爺さんがいて、なんかほほえましくて笑った。
赫連勃勃って、統万城の四方の門に
「朝宋門」「招魏門」「服涼門」「平朔門」って名付けたんだよね。
やる気満々だね。実際はともかく。
城壁に埋められたってのは作り話ですか?
儂を貶めるための作り話だ
>>877 漢族じゃないのにそんな画数の多い難しい字をよく知ってますね
>>878 まあ俺も漢の末裔と言えないこともないからな
>>879 貴方の部族鉄弗部は拓跋部の訛りだと言う説が在りますが本当ですか?
あんまり気軽に話してると壁の中に埋められるぞw
882 :
世界@名無史さん:04/08/20 02:08
晋の国の最後の皇帝は匈奴族に捕まって豚小屋に監禁されて残飯食わせられ、
首輪つけられて強制労働させられたうえに惨殺されたそうだね。かわいそうに・・・
これだからドキュソの匈奴は・・・
>>880 ちょっと待った。匈奴鉄弗部と鮮卑拓跋部が同族という説があるの?
拓跋部と禿髪部が同族って話は聞いたことあるけど。
884 :
世界@名無史さん:04/08/20 10:37
ところで315年に代が、東晋から正式に認められて封じられたそうだけど、
何故東晋は認めたの?遠すぎて攻められるわけでもないし、
鮮卑が、晋から認められなくちゃいけない理由もないし……
賄賂美女多数を・・・
>>883 同族であるという説ではなくて、代々通婚を繰り返すうちに同化が進行していたって話みたい。
で、他所から見たら「あいつらはタクバツだ」と言っていたのが訛ったとか。どの程度信じられるんだろう。
>>884 拓跋部の当時の首領だった猗盧が、山西省に残っていた
晋の勢力である劉根(木偏じゃなくて王偏)を助けた事による褒美と言った所かな。
ちなみにこのとき劉根は山西省北部の地の住民を尽く他所へ移してその地を猗盧に与えているけど
このことが拓跋部の南進の基礎になったみたい。
>>886 なるほど、ありがとー
ちなみに、陳留王に封じられた元帝の一族がどうなったか知りませんか?
ずぅっと後の晋書に「陳留王 曹○(忘れた)が亡くなって、なんとかが継いだ」
っと書いてあったもので。
>>887 今ちょっと調べてみたけど元帝の子孫がどうなったのかは晋書を見る限り良く分からないね。
ただ陳留王は元帝の後をついだ?曹操の玄孫の勵→子の恢→子の靈誕という系譜は確認できるみたい
889 :
世界@名無史さん:04/08/20 23:29
>>888 あれ?
となると、陳留王家は途中で一族の人間から選ばれたってことかな?
それとも、曹奐は曹操の孫だから、玄孫の曹勵とやらは
曹奐の孫にあたる…のかな?
確か曹奐は八王の乱の真っ最中に五十歳半ばで死んだから、孫が居てもおかしくない。
それに西晋の滅亡と陳留王家の存続が比例しているなら、時代は合うな。
そういえば陳留王家っていつまで続いたんだろう?東晋になっても、仮の王として建康
に居てもおかしくないと思うんだが……
曹霊誕の陳留王位継承は383年だね。
孝武帝紀の肥水の戦いのすぐ後に出てくるから目に付きやすいのか。
891 :
世界@名無史さん:04/08/21 11:48
すげぇ、陳留王家は百年以上続いたのか。
陳留王家がいつまで続いたのか興味があるな。
そういえば山陽公家は、永嘉の大乱で皆殺しにされたんだっけ?
分家を立てなかったのかな?
892 :
世界@名無史さん:04/08/21 22:18
AGE
893 :
世界@名無史さん:04/08/22 21:09
五胡のうちの羌族は、殷代の羌族と同じですか?
倭王の使者の司馬曹達って、子孫かな
896 :
世界@名無史さん:04/08/23 01:26
飛鳥時代の代表的な仏像彫刻師である止利仏師は
司馬の鞍作部の首(おびと)という氏族の出で、
百済系渡来人とされている。
897 :
世界@名無史さん:04/08/24 00:22
五胡っていうけど、
実際テイ族政権だったのは、成都だけだよね…
>897
その成漢を建てた氐も、正確には
氐とは別種の「巴氐」と言うらしいが。
匈奴に対する羯みたいなもんか?
つーか、氐族政権ならちゃんと
符健の前秦があるじゃないかい。
899 :
世界@名無史さん:04/08/24 02:09
あ、あれは鮮卑に雇われていたテイ族だったんだ
初めて聞いた。
ってか全然テイ族って存在感ないよね。
五胡十六国だけど、二胡で十分じゃねぇのか?(鮮卑、匈奴)
>>894 殷代の羌が嵩山付近から追っ払われて陜西に逃げた。
そこで周と仲良くして都市民化したのが姜姓諸族。
牧民生活を続けた残りの羌は秦に追っ払われて甘粛・青海に逃げた。
そこで原住民と混血して後漢代に暴れ回った。
漢民族に懐柔されて中原に移り住んだ連中の子孫が、
五胡十六国で暴れた羌。こいつらは後に漢化して消滅。
甘粛・青海に残った羌は徐々に漢民族やチベット人に
吸収されていくが、最後まで残った羌が今も四川省に
住んでいる羌族。
ちなみに西夏人も羌の一派タングート(党頂羌)。
雲南省の納西族とか彝族も、南下していった羌と
原住民族が混血した形成された民族。
>>900 吐谷渾や西夏の話も絡めたほうがええんでわ?
吐谷渾は鮮卑だよ
>903
前から思ってたんだけど、
いわゆる「河西鮮卑」って、本当に鮮卑なの?
いや、最初の頃の禿髪とかは別にしても、
吐谷渾あたりになるとかなり怪しい感じなんだが。
多分に建国神話/氏族発祥伝説的というか。
905 :
世界@名無史さん:04/08/24 08:47
オルドスで暴れて、北魏の拓跋珪と北燕に討伐された劉顕ってのは
やっぱり劉淵の子孫なの?
吐谷渾=鮮卑慕容氏出身の根拠は、
・「慕容カイの兄が自分の部衆千二百を連れて
甘青に移住した」という晋書・四夷伝の記述
(後世の史書はこれを踏襲)
・代々「慕容氏」を名乗っていた
ということだけで、言語などの資料があるわけではない
(あっても鮮卑自体の言語が不明だからあんまり意味は
ないが)。
これを積極的に否定する材料はないから、鮮卑出身説は
おおむね支持されている。「慕容カイの兄」という話は怪しい
かもしれないが。
4世紀はじめに、鮮卑の若羅と抜能が河西に侵入して
撃退された、という記録もあるし、それと同じ頃に置かれて
いる吐谷渾の甘青移住も異常な話ではない。
吐谷渾は「阿柴虜(貲虜)」という別名を持ってる。
実はこちらの名前の方が由来は古く、「後漢のはじめに
匈奴の奴婢が河西に逃亡・定着し貲虜と呼ばれた。
大胡(匈奴)、丁令、羌が雑居していた」(三国志・魏志=
魏略<散佚史料>を引用)とある。
これだと鮮卑ではなくなるが、「西遷した吐谷渾が、原住の
阿柴虜を支配し、後に両者が同一視され阿柴虜=吐谷渾と
されたのだろう」という説が優勢。といってもたいして証拠が
あるわけじゃないけど。
908 :
世界@名無史さん:04/08/26 09:13
>>906 >鮮卑の若羅と抜能が河西に侵入して撃退された
「若羅と抜能」じゃなくて、「若羅抜能」という単独名じゃないの?
党項も拓跋姓ぢゃなかったっけ?
西夏王家は拓跋姓を名乗っているが、歴史上出現当時から
党頂「羌」の拓跋氏として現れる。
鮮卑と関係づけて考えるならば、
鮮卑拓跋部→吐谷渾拓跋部→党頂拓跋氏
という流れも想定できるが、一般には「拓跋姓を
僭称して北魏の後継を主張した」という説が優勢。
なによりも西夏語はチベット・ビルマ系言語である
ことが判明しているから、その起源を北方に求めるのは
難しい。
王家の祖先は鮮卑拓跋部だが、のちに党頂羌を支配して
支配層は被支配層に同化した、と考えられないことも
ないが、その仮説を証明できるほど詳しい史料はない。
911 :
世界@名無史さん:04/08/27 01:34
ねぇ、どうでもいいけどタクバツがどうとか世界史にもでてこない、あるいは一行で
片付けられる人物を何レスも話し合ってて楽しい?
912 :
世界@名無史さん:04/08/27 01:51
鮮卑ってモンゴル語しゃべってたの?
>>912 鮮卑はその名の通り、サビル族で、シベリアと語源を同じくする。
>>913 あはは、おもしろいね
それで、鮮卑の着ていた民族衣装が
背広になったんだったっけ
915 :
世界@名無史さん:04/08/27 16:14
古代漢語は日本語とほとんど同じだって本当?
916 :
世界@名無史さん:04/08/27 17:59
東胡=ツングース
党項=タングート
って何か似てる・・・
>>915 もちろん!だから古代日本の文献はみんな漢字で書いてあるんだ。
タクバツを人物名だと思ってる911は痛いな。つーか笑える
919 :
世界@名無史さん:04/08/27 21:11
>>918 別にそんなこといってないだろ
>タクバツがどうとか世界史にもでてこない、あるいは一行で片付けられる人物
↑↑↑↑
要するに、タクバツは一過程に過ぎないってこと。
920 :
世界@名無史さん:04/08/27 23:14
鮮卑の容貌に関する記述ってある?
このスレ最初から読めば、何処かに書いて有る。
おまいら目ぇ窪んでるから眼病なんかその窪みに小便入れて治せって言われたのは羯族だったっけ?
>>922 正解
後趙のとき羯族の孫珍という人物が崔約に眼病の治療法を尋ねたところ
崔は
>>922のように言って嘲った。
立腹した孫は石宣(石虎の太子)にこのことをチクったので
石虎の息子のなかで最も濃い容貌だった宣は激怒し崔父子をあぼーん。
晋書載記にある話らしい(川勝『魏晋南北朝』)。
>>923 その崔約ってやっぱり清河の崔氏なのかな?
魏昭成帝に関する記述で、仰向けに寝るとオパーイが地面についたって記述はそんな意味なんだろう?
---------------------------------------------------
<原文>
太子・事孫珍問侍中崔約曰:「吾患目疾,何方療之?」
約素狎珍,戲之曰:「溺中則愈.」珍曰:「目何可溺?」
約曰:「卿目[目宛][目宛],正耐溺中.」珍恨之,以白宣.
宣諸子中最胡状,目深,聞之大怒,誅約父子.
《晉書》〈載記 卷一百六 載記第六 石季龍上〉
---------------------------------------------------
<訳>
太子・事の孫珍が侍中の崔約に質問した。
「目を患ってしまったんだが、どうすりゃ治るだろう?」
元より崔約は孫珍と慣れた仲であったので、
おちょくって「小便に漬ければ治るだろう」と言った。
孫珍が「何故に目に小便を?」と問うと、崔約は答えて、
「君のベッコリ凹んだ眼窩なら、小便も溜め得るだろうよ」と。
孫珍はこれを恨んで、石宣に告げ口した。
石宣は石虎の諸子の中でも一番バタ臭い顔立ちで、
もちろん目の辺りはベコッと窪んでいたから、
これを聞いて大いに怒り、崔約親子を誅殺してしまった。
---------------------------------------------------
927 :
犬童知遠 ◆tmc8JAPANo :04/08/29 02:14
石宣って、平井堅みたいな顔してたんだろうかね。
928 :
世界@名無史さん:04/08/29 02:49
鮮卑はトルコ系かもって人に言ったら怪訝な顔されたけど、
実は結構当たってる?
929 :
世界@名無史さん:04/08/29 03:02
>>928 トルコ系かもしれないって説はずいぶん昔からあるんだが…。
言語的にはトルコよりモンゴルに近いらしいよ
その石宣も最後には親父に惨殺されるんだよな
932 :
世界@名無史さん:04/08/29 09:44
晋書かなんかに、劉禅の子の劉なんとかって人を見た人の話がのってたんだけど
劉なんとかは何処に匿われてか知ってる人います?
匿われたというか普通に安楽公位を継いだんじゃないの?
934 :
世界@名無史さん:04/08/30 15:51
五胡十六国時代の原因は、晋の皇族の力が強すぎたこと、
武帝の行った軍縮が原因だと聞いたんですが、
なぜ武帝はここまで軍縮を行って、皇族に大権を持たせたんでしょうか?
935 :
世界@名無史さん:04/08/30 17:04
新しい王朝は、よく前の王朝の悪いところを反省して政策を行う。
曹魏が曹丕以来一族の力を削ぐような政策を取ったため、結果的に重臣達が
力を持ち、乗っ取られてしまった。
皇族に力を持たすのは一長一短で、王朝としては強くなる場合が多いが、
反面王位争いが激しく国は荒れる場合が多い。
晋の場合はその王位争いが激しすぎたために一気に崩壊を迎えたという例。
936 :
世界@名無史さん:04/08/30 17:51
というか、司馬炎が大盤振る舞い好きな性格だったのと、
司馬一族の権力志向が悪い方に働いただけだろ。
元々外戚によって担がれたような政権だから、それに対抗するという面も有ったと思う。
938 :
世界@名無史さん:04/08/30 19:37
晋の外戚って誰だよ?
王氏?楊氏?賈氏?
大土地所有の進展への牽制
地方官の軍閥化への牽制
皇族の権限強化の目的にこれらは?
前者は隋唐に至ってまでもの問題だし、
後者は刺史に軍権を与えた結果、地方割拠を招いた後漢への反省とか。
曹丕の皇族抑圧は良く言われるが、
やってることは秦漢以来の皇室宗家-諸侯王の関係の基本からは外れていない
むしろ曹植を殺さなかっただけ、後代の皇位継承問題を見る限り曹丕は甘々さんだ
皇族の序列化をしっかりやっとかなかったことで「俺が俺が」という現象を産んだこと
(北魏なんかも六鎮の乱辺りに慌てて対処したくさい)
一族の結束を信用したという不用心
それに皇帝というのが文明圏の長(古代型)から一族の長(中世型)に変質したとか
思いつくままに言ってみる
940 :
世界@名無史さん:04/08/30 20:15
西晋と東晋では王族の待遇が変わったか?
>>940 兵権を与えて要地に出鎮させることが無くなった・・・と思う。
942 :
世界@名無史さん:04/08/30 21:55
その辺は学習したんだろうな・・・
いきなり反乱続出だったけど。
943 :
世界@名無史さん:04/08/31 01:00
っていうか、東晋にーの王族ってほとんど聞かない。
ロウヤ一族強すぎ。いくら亡命政権とはいえ、なんでこんなに東晋の権力を握れたんだ?
944 :
世界@名無史さん:04/08/31 01:15
>>943 司馬睿に南へ逃げるよう勧めたのも、
江南に人脈が無い司馬睿の代わりに豪族たちとの交渉の窓口になったのも王導。
東晋が成立すると仲父と呼ばれている。
しかも、従兄の王敦は軍部の実力者。
擁立の功と皇帝を凌ぐ名望に加えて軍事力まで持ってたら、余裕で権力握れる。
東晋でも文武の高官になった皇族はわりといるんだが、
いかんせん貴族と軍閥の方が印象の強い香具師が多くて目立たない罠。
945 :
世界@名無史さん:04/08/31 01:31
にーの王族って何ですか?
946 :
世界@名無史さん:04/08/31 13:03
ーの王族だよ
947 :
世界@名無史さん:04/08/31 15:41
『ムーラン』(木蘭?)というディズニー・アニメは中国で上映禁止されたそうです。
漢族とモンゴル族との民族対立を煽ると政治判断されたせいでしょうか?
でも、あの男装の女戦士伝説は五胡十六国時代ということにされているので、
「華木蘭」が男装・従軍して守ろうとした国自体が、北方民族王朝だったはずです。
ディズニー映画は全世界で金史すべき
949 :
世界@名無史さん:04/08/31 16:26
中国は鮮卑をまだ異民族視してるのか。
今の中国人なんて半分以上鮮卑の血が流れてるんじゃねえか?
ディズニー映画が世界に出ずになんの楽しみが?
951 :
世界@名無史さん:04/08/31 16:49
952 :
世界@名無史さん:04/08/31 17:05
北周初代皇帝孝閔帝宇文覚.
先祖は遼西地方にいた鮮卑族とされる宇文氏の族長。
つまり木蘭は鮮卑族王朝の為に従軍したのだということになる。
953 :
世界@名無史さん:04/08/31 17:50
正史には韓木蘭という人物しか見えないようだが・・・
別人だよね?
木蘭伝説はいろんなバージョンがあっていつの時代かよくわからない。
北周時代との説もあるが、北魏、唐代、などいろいろある。
いちばん古いので北魏。まぁどれでも鮮卑王朝にはかわりないけど。
だから、敵対した北方遊牧民ってのはたぶん突厥なんだろうけど。
ストーリ−にもいろんなバリエーションがあり
遊牧民の王の后に迎えられるというパターンもあるらしい。
>北周初代皇帝孝閔帝宇文覚
一瞬、「あれ、初代?」と錯覚するほど影が薄いお方だ
>>955 初代皇帝なのに「閔」の字があるのは、この人くらいだろう。
確かムーランの台詞で、「フン族が攻めてきた!」と言ってなかったか?
だとすれば匈奴か。
ちなみに、台湾ではちゃんと放映されていたよ。今の台湾にとっては、フン族がそのまま
大陸なんだろーな。
このスレがとうとう950超えをするとは! ちょっと感慨深いですね。
ちなみに次スレって、どれ位で立てたらちょうど良いんだろうか?
今位から決めた方が良いかな?
980踏んだ人が立てる。位が丁度良いですかね?
>>957 ディズニーの「ムーラン」で「フン族」といってるのは匈奴じゃなくて
文字通りアッティラ王のフンでしょ。
英語圏にわかりやすくしてあるんじゃない?
他にスキタイ人・トルコ人・モンゴル人なんかも元の意味に無関係に
騎馬民族全般をさすことがある。とくに欧米圏では。
961 :
世界@名無史さん:04/09/01 11:39
そもそも遊牧民族は、農耕民族に対してそんなに悪者だったの?
木蘭ルージュ
>>961 略奪の面を強調すると悪者だが、交易者としての顔を考えると
農耕民にいろいろな物産をもたらしたわけだから一概に悪者だったとは言えない
963 :
世界@名無史さん:04/09/02 16:15
北匈奴=フン族ってのは、もう確実なんですか?
>>961 異民族だからといっていつでも攻めてきたりしていたわけではないだろう。
五胡十六国時代はいろんな民族が雑居していたわけだし。
ちょうど今のドイツとかフランスと似た状態だったんじゃないかな。
柔然=アヴァール説は?
敵対していた2勢力のうち、片側(漢族)の言い分だけ聞いてれば
もう片側(北方民族)がとてつもない悪者に見えるのは当たり前だ。
記録を残した者勝ちってことだな。
967 :
世界@名無史さん:04/09/02 22:34
遊牧民族側の言い分というのは・・・?
平和に馬交易を望んでいたのに、王朝政府側が統制で締め付けてきたので止む無く・・・とか?
>963
実は私も気になっています。
さる試験にて、その文中に匈奴=フン族は定説である
というような記述があり、それに驚きました。
いつ定説になったのかと?
この問題で積極的に研究なさっている方は日本にいらっしゃるのかな?
>>967 冬営地に帰ってきたら勝手に漢人が農業やってたんで追っ払った
交易したいのにいけずされた。
>>967 気候が悪くて牧草の育ちが悪いから、仕方なくと言うのもある。
チンギス・ハンの大遠征もモンゴル高原が
大冷害に見舞われて食えなくなったから始まったらしい。
>>969 「漏れ達にも穀物安く分けてくれよ!ウアアアアーン!!」
ってとこですか?
972 :
世界@名無史さん:04/09/03 18:39
973 :
世界@名無史さん:04/09/05 21:39
>>944 王導を一部じゃ「晋の諸葛亮」と呼んでいた人もいたらしい。
974 :
世界@名無史さん:04/09/06 00:42
「前秦マンセー」
「石勒萌え〜!」
次は?
「慕容垂カコイイ!!」
【壁に】赫連勃勃【埋めろ!】
このスレも延びたなぁ・・・
「冉閔(゚A゚)イクナイ」
−−−−−−−−−− 冉閔 −−−−−−−−−−−
>980
乙梅
984 :
世界@名無史さん:04/09/08 12:49
北匈奴=フン族ってのは学会で証明されているの?
誰か教えてけれ
自然科学じゃないんだから証明だけがすべてではないだろう。
なんらかの関係があることは推定されてるって言い方じゃ納得できないのか?
>984
匈奴自体が、匈奴民族じゃ無くて、多数の遊牧民族に拠る連合集団。
と言う説が有るし、フン族も、同様に民族連合集団だったと言う事みたいなので、
真偽を解明するのは余計難しいんじゃないですかね?
でも、逆に、匈奴連合時代に居た部族が、組み合わせが多少変わって
フン連合にも居た。と言う可能性はだいぶ高いと思いますが、どうなんでしょう?
梅
>984
いま、フン=匈奴関係にチャレンジしてる研究者はいるのかな?
もう研究課題としては下火なのかな
988 :
世界@名無史さん:04/09/09 20:12
フン族はアラビア系の民族だと思うんだがなぁ
北匈奴が壊滅したのは後漢の話なんだから、アッティラ登場までには
数百年もある。この間に中東諸国に同化しないでヨーロッパにたどり着いたとは到底思えん
1000になるまで夜釣りでも見物しましょか
帰りなんいざ 田園まさに荒れんとす
北匈奴は中央アジアで悦般国を建ててしばらくいて、そこから
フン族が西へ分かれ出たんでそ。
アラブ系が場所がちがいすぎるし、何かそれらしい歴史記述でもある?